技術史・技術政策

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 19世紀の半ば頃から日本は西洋の先進技術を導入し産業の近代化を開始した。しかし、技術導入は決してスムーズに進行したわけではない。問題は、技術をその母国における社会経済的リンクから切り離し、それを輸入国における全く異なった社会経済的リンクの中におくことから生じた。技術と社会的技術基盤がうまくリンクしない場合は、必ず経済的不効率を招く。たとえば、紡績機は母国における効率の10分の1の効率でしか動いていない例が珍しくなかった。

 社会的技術基盤とは、機械を操作する労働者の熟練のみならず、機械を保守・修理するための関連機械工業の発達、原材料や動力と機械との適応性を判断できる技術者・経営者の登場、交通や市場の発達など多方面にわたる。技術政策は、この基盤の整備にかかわるものである。日本の経験で特徴的なのは、社会的技術基盤に欠けている要素を、既存の在来技術を応用して作り出した中間的な技術で代替し、経済的不効率を最小限に留める努力を重ねたことである。

 このような中間的な技術を介して次第に近代的な技術が全面的に確立していった。これと同時に、中間的技術の考案者の中から、独自の設計による近代的技術が生まれていったことも指摘しなければならない。豊田佐吉による自動織機の完成もそのひとつである。