ID 国名 日付 年代 内容
DIA-104-1970-01-01-1中国1970年01月01日1970年代「人民日報」「紅旗」「解放軍報」共同社説,「偉大な70年代を迎えて」-「中国は当然,人類にかなり大きな貢献をしなければならない」という毛主席の言葉を強調した(参考資料参照)。
DIA-104-1970-01-02-1中国1970年01月02日1970年代キューバ解放11周年レセプション北京で開催。
DIA-104-1970-01-02-2中国1970年01月02日1970年代中ソ会談のソ連側首席代表クズネツォフ外務次官,北京へ戻る。
DIA-104-1970-01-05-1中国1970年01月05日1970年代雲南省昆明以南に7級の地震あり。
DIA-104-1970-01-05-2中国1970年01月05日1970年代空軍司令員呉法憲ら,台湾より飛行機で投降した黄天明,朱京蓉と会見。
DIA-104-1970-01-05-3中国1970年01月05日1970年代ソ連で3年ぶりに外交官に人民日報の配達を開始。
DIA-104-1970-01-05-4中国1970年01月05日1970年代新華社,アグニュー米副大統領の台湾訪問を非難。
DIA-104-1970-01-06-1中国1970年01月06日1970年代各地で映画「地道戦」「地雷戦」上映,人民日報は感想文を多く掲載。
DIA-104-1970-01-06-2中国1970年01月06日1970年代8341部隊駐北京27列車車両工場毛沢東思想宣伝隊,「毛主席の建党路線に沿って勝利のうちに前進しよう」-この工場は,整党建党の「6工場2校」モデルのひとつ。
DIA-104-1970-01-06-3中国1970年01月06日1970年代康生中共政治局常務委員,ジャック・ジュルケ氏を団長とするフランスML共産党代表団と会見。
DIA-104-1970-01-06-4中国1970年01月06日1970年代米国務省,パンフレット「共産中国」を公表して,中国は,近くアジアで「核外交」を演ずる能力を持つようになることを示唆。
DIA-104-1970-01-07-1中国1970年01月07日1970年代愛知外相,外務省幹部会議で,「70年代の最大の外交課題」として中国問題にとりくむよう指示。
DIA-104-1970-01-08-1中国1970年01月08日1970年代ワルシャワの雷陽中国臨時代理大使,米大使館を訪問して,20日に米中大使級会談を再開することに合意。
DIA-104-1970-01-09-1中国1970年01月09日1970年代「戦傷救護図冊」ベストセラーに。これは昨年11月,軍第263医院が編集したもの,核による戦傷の一項あり(毎日新聞)。
DIA-104-1970-01-09-2中国1970年01月09日1970年代解放軍の農副業生産の成果大-1969年の食料生産,養豚は史上最高。大部分の部隊が肉と野菜を自給,食糧,食油,塩,石炭,薬品の大部分を自給する部隊も多い。
DIA-104-1970-01-09-3中国1970年01月09日1970年代香港「大公報」,中ソ国境会談が進展しない責任はソ連側にあると非難。
DIA-104-1970-01-09-4中国1970年01月09日1970年代タス通信,「中国における軍事的精神異常」と題する解説報道で,中国指導層は米ソ結託の中国包囲の危険をあおって国内の全面的な軍国化を進めていると非難。
DIA-104-1970-01-09-5中国1970年01月09日1970年代ソ連駐在中国大使館,アグニュー訪台に際し,ソ連が台湾を「国家」と評価したことに対して抗議。
DIA-104-1970-01-09-6中国1970年01月09日1970年代佐藤首相,「吉田書簡」問題については慎重に発言するよう外相に指示。中国向け輸銀資金使用に関し,当面政策を変更する意思のないことを表明。
DIA-104-1970-01-11-1中国1970年01月11日1970年代「人民日報」評論員論文,「高い質を保証しよう」-大衆に高度の革命的責任感を発揮させ,無政府主義思想に反対し,高質を保証しよう。
DIA-104-1970-01-11-2中国1970年01月11日1970年代林海雲対外貿易部長代理を団長とする貿易代表団アルバニア訪問。20日にギニア訪問。
DIA-104-1970-01-13-1中国1970年01月13日1970年代江虹論文,「経済領域の階級闘争を真剣にやろう」-「紅旗」思想評論。まず経済領域の階級闘争についての認識を高め,階級敵がプロレタリア独裁の経済的土台を破壊しようとしている点をとらえるべきである。こうすれば,闘争,批判,改革の展開に有利であり,階級隊伍の純潔化にも有利である。商売に「大した腕をもつ」ような人間に依拠してはならない。各級は正面からこの問題にとりくむべきである。
DIA-104-1970-01-13-2中国1970年01月13日1970年代中国抑留中の日本人釈放問題について昨年6月,ストックホルム駐在スエーデン日本大使が中国大使に政府レベルでの接触を試みた事実を外務省筋が明らかにした。
DIA-104-1970-01-14-1中国1970年01月14日1970年代最近,広州部隊で典型工作経験交流会議開催。
DIA-104-1970-01-14-2中国1970年01月14日1970年代最近,全国医薬界の毛沢東思想活学活用経験交流大会開かる。
DIA-104-1970-01-15-1中国1970年01月15日1970年代首都鋼鉄公司革命大批判組:「70プロレタリア階級の政治を突出させ,社会主義革命競争を展開しよう」-「この競争は生産建設へ転入する信号弾である」とみる人々を批判。革命,団結,進歩を競うことを強調。
DIA-104-1970-01-15-2中国1970年01月15日1970年代冶金工業部革命大批判執筆グループ,「大いに洋奴哲学を打破し,無用物を有用物に変えよう」-年産10万トンの冶金炉からは毎日数100トンの硫黄と有用金属を含む煙が出る。資本主義の道を歩む実権派はこれを「廃物」として放棄していたが,労働者はこれから酸と有用金属を回収,「無用」を「有用」に転じた。
DIA-104-1970-01-15-3中国1970年01月15日1970年代ロジャーズ米国務長官,20日の米中会談で両国の報道関係者と教育関係者の相互交流,貿易制限の緩和の実現を期待すると述べる。
DIA-104-1970-01-16-1中国1970年01月16日1970年代デーリー・エクスプレス,戦備の進行を報道-14歳~18歳の新兵士100万人徴兵の動き,モンゴル国境での通信線建設の動き,北京市内と郊外で食料貯蔵とざんごう掘り進む。
DIA-104-1970-01-16-2中国1970年01月16日1970年代浙江省全省に政治夜学校が拡大した。
DIA-104-1970-01-19-1中国1970年01月19日1970年代元ポーランドの中国駐在大使,ポーランドが米中会談を盗聴してソ連へ通報していた事実を明らかにした。
DIA-104-1970-01-20-1中国1970年01月20日1970年代老幹部の模範,王国福-北京市大興県紅星人民公社銀星大隊大白楼生産隊革命領導小組組長として昨年11月6日病死。身を挺して革命と生産に専念。北京市革命委員会が「王国福同志に学ぶことに関する決定」をして以来王国福に学ぶ運動高まる。
DIA-104-1970-01-20-2中国1970年01月20日1970年代第135回米中大使級会談,ワルシャワの中国大使館で開催-中国側,雷陽駐ポーランド臨時代理大使,米側はステッセル駐ポーランド大使。2年ぶりの再開であったが,1時間という異例の短さ。
DIA-104-1970-01-20-3中国1970年01月20日1970年代極東向けモスクワ放送,米中会談を非難。
DIA-104-1970-01-20-4中国1970年01月20日1970年代昨年の日中貿易額は史上最高-大蔵省の発表した輸出入通関統計によると昨年の日中貿易総額は6億2560万ドル(前年比13.8%増)にのぼり,これまでの最高の1966年を460万ドル上まわる。 I 政治
DIA-104-1970-01-23-1中国1970年01月23日1970年代北京放送,アグニュー訪台に関してニクソン政権の「新アジア政策」と米ソの提唱する「アジア集団安保体制」を非難。
DIA-104-1970-01-26-1中国1970年01月26日1970年代中国は戦略物資の備蓄に努力中-ロンドン消息筋は,中国が銅,鉛,亜鉛,アルミ,鉄鋼,ゴムなどの備蓄をすすめ,タングステン,アンチモン鉱石の輸出を停止している,と述べた。 III 外交
DIA-104-1970-01-29-1中国1970年01月29日1970年代中朝鴨緑江・図們江航行協力委員会第9回会議の議定書調印。
DIA-104-1970-01-30-1中国1970年01月30日1970年代モスクワの消息筋によれば,中ソ会談で,中国側はすでに提案済みの双方の国境兵力相互引離し提案に新たに核兵器不行使協定を結びつけるようにソ連側に提案したもよう(AFP)。 IV 日中
DIA-104-1970-01-31-1中国1970年01月31日1970年代最近,広州部隊が毛沢東思想学習積極分子代表大会を開く。17年来の脚マヒをハリで治療した陳淑清がモデルとして報道された。 II 経済
DIA-104-1970-02-01-1中国1970年02月01日1970年代「紅旗」2号,革命歴史歌曲5曲を発表,普及をはかる。すべて抗日戦期のもの。
DIA-104-1970-02-01-2中国1970年02月01日1970年代「紅旗」思想評論,宮効聞論文,「“浪費に理屈あり”を反論す」-9424工程は大型鉄鋼コンビナートを建設中であるが,労働者は,「子孫の代までの大事業ゆえ,多少の出費は大目に見る」,「早めに完工するには多少の浪費は止むをえず」,「重点工程だからふんだんに入用物を手に入れるべし」などの考え方を批判し節約して建設にあたっている。
DIA-104-1970-02-02-1中国1970年02月02日1970年代広東省革命委員会党核心小組,全省党員に対し新党章学習班を組織。昨年冬,今春の間に党員45万5000人,入党要求者16万3000人,支部委員以上の骨幹12万6000人に訓練終る。
DIA-104-1970-02-02-2中国1970年02月02日1970年代中共中央,ベトナム労働党中央委員会へ創立40周年の祝電。
DIA-104-1970-02-02-3中国1970年02月02日1970年代周総理,ナセル・アラブ連合大統領へ米・イスラエルの侵略に反対する闘争を支持する書簡を送る。
DIA-104-1970-02-03-1中国1970年02月03日1970年代河南省革命委員会執筆グループ,「わが国社会主義農業の発展の道」-「紅旗」2号掲載(参考資料参照)。
DIA-104-1970-02-03-2中国1970年02月03日1970年代日本政府,核拡散防止条約調印声明の前文で,初めて中国を中華人民共和国と呼ぶ。
DIA-104-1970-02-03-3中国1970年02月03日1970年代旭ダウ,三井ポリケミカルなど,米国の大企業,在日合弁会社を通じ中国進出の姿勢を打出す。
DIA-104-1970-02-04-1中国1970年02月04日1970年代北京,上海,天津などで春季愛国衛生運動を展開。
DIA-104-1970-02-04-2中国1970年02月04日1970年代第136回米中大使級会談を20日に開催すると新華社発表。米国務省も同日発表。
DIA-104-1970-02-04-3中国1970年02月04日1970年代タス通信,中央アジアの約2万キロにわたる中国との国境沿いのソ軍部隊に対し,戦闘準備体制強化の指令が出されたと報道。
DIA-104-1970-02-04-4中国1970年02月04日1970年代北京放送,原田防衛庁第5幕僚室長の訪台を非難。
DIA-104-1970-02-05-1中国1970年02月05日1970年代福建前線部隊司令部,春節の2月7日に砲撃停止を命令。
DIA-104-1970-02-05-2中国1970年02月05日1970年代吉林省革命委員会執筆グループ,「社会主義建設と経済領域の階級闘争-孫冶方の修正主義経済理論批判」-社会主義社会には商品が存在し,価値法則が存在し,これらは社会主義建設の武器として用いられる。国家財政収入中,90%前後は国営経済から来る。
DIA-104-1970-02-05-3中国1970年02月05日1970年代中国科学院氷河,ステップ,砂漠研究所,文革を経て成果上がる-蘭州に1958年に創設された。最近,ステップ工事法,砂漠の道路建設,泥流の治理などで実績上げる。
DIA-104-1970-02-06-1中国1970年02月06日1970年代上海,北京,天津,武漢,広州などの市場は繁栄している。
DIA-104-1970-02-07-1中国1970年02月07日1970年代全国で擁軍優属,擁政愛民活動が行なわれている-各級革命委員会は軍人,軍属を慰問,軍は昨12月29日の「新年と春節期間に擁政愛民活動を展開することに関する通知」にのっとり愛民活動を展開。
DIA-104-1970-02-07-2中国1970年02月07日1970年代冬季農地基本建設の成果-全国共通の特色は,規模が大きく,進度が早く,質が良いこと。小型水利工程を主とし,食糧低産区に力を入れ,とくに山区の水利水電建設に成果が上がっている。
DIA-104-1970-02-08-1中国1970年02月08日1970年代安徽省革命大批判執筆グループ,「農村経済領域の階級闘争をしっかりやろう」-「紅旗」2号思想評論。形勢大いに良い中で一部の人民公社,生産隊では階級闘争が非常に鋭くあらわれている。この問題をしっかりつかみ,革命大批判により大衆を立上らせてこれを処理すれば,闘争,批判,改革が一層深化することになる。
DIA-104-1970-02-08-2中国1970年02月08日1970年代中国・セイロン,セイロンの綿紡績工場建設援助の交換文書に調印。
DIA-104-1970-02-10-1中国1970年02月10日1970年代海南島上空で米軍用無人偵察機1機撃墜-11日,中央軍委が防空部隊某部隊を表彰。12日,「人民日報」と「解放軍報」評論員が「常に備えを怠らず,祖国保衛に新しい手がらをたてよう」という文章発表。
DIA-104-1970-02-11-1中国1970年02月11日1970年代ケニア駐在の中国大使館で爆破事件。大使館当局,ケニア外務省へ抗議。
DIA-104-1970-02-11-2中国1970年02月11日1970年代新華社,米国のF100戦闘爆撃機の国府供与を非難。
DIA-104-1970-02-12-1中国1970年02月12日1970年代3月中旬の松村謙三氏の訪中とそれに先立つ自民党の古井喜美氏の覚書交渉のための訪中を歓迎する旨の中国からの正式連絡入る。
DIA-104-1970-02-13-1中国1970年02月13日1970年代映画「上海に戦う」,「探親記」批判さる-「光明日報」と,「紅旗」2号「革命戦争は大変良い」による。
DIA-104-1970-02-14-1中国1970年02月14日1970年代英実業家ウィリアム・マクベイン氏釈放さる。
DIA-104-1970-02-16-1中国1970年02月16日1970年代「紅旗」2号論評,「小評論の威力は大きい」-江蘇省東台県六里大隊の調査報告。 II 経済
DIA-104-1970-02-17-1中国1970年02月17日1970年代周総理,北朝鮮の玄俊極駐中国大使と会見。2年半ぶりの帰任判明。
DIA-104-1970-02-17-2中国1970年02月17日1970年代周総理,アラブ連合の駐中国大使と会見。ナセル大統領からの返書を受けとる。
DIA-104-1970-02-17-3中国1970年02月17日1970年代新華社評論「アジア制覇の野望の大暴露」,佐藤首相の国会施政方針演説を批判。
DIA-104-1970-02-19-1中国1970年02月19日1970年代河南省林県は農村の小型水力発電所建設に成果上げる-自力更生で中小型水力発電所14カ所を建設,総容量4000余kW,15人民公社のうち13に電気が通じ,電力灌漑ステーション154カ所,電気井戸194個,農産品加工場244カ所が建設され,約30%の農家に電灯がついた。
DIA-104-1970-02-20-1中国1970年02月20日1970年代第136回米中大使級会談,ワルシャワの米大使館で開催。1時間で終わる。
DIA-104-1970-02-20-2中国1970年02月20日1970年代米国防年次報告,中国は今年中にICBMの発射実験を行ない,MRBM(準中距離弾道弾)の配備を始めるであろうと述べる。
DIA-104-1970-02-21-1中国1970年02月21日1970年代日本外務省,1969年の中国対外貿易推計を発表-輸出21億1900万ドル(前年比4.5%増),輸入18億5300万ドル(3.6%増)輸出入計38億7200万ドル(4%増)となった。英・仏・伊など対西欧諸国貿易の伸び12.4%。対共産圏の貿易は前年比4%減で,対ソ貿易額は5600万ドル。
DIA-104-1970-02-22-1中国1970年02月22日1970年代家庭婦女の町工場が大工場の廃物から高質化工品を生産-黒竜江省チャムス市東風化原料工場では2年間に鉛丹15トン,硫酸銅8トン,硫酸アルミ500余トンを生産した。
DIA-104-1970-02-23-1中国1970年02月23日1970年代北方の広域と長江の中下流域に雨雪があり,春耕と春小麦に有利。 III 外交
DIA-104-1970-02-23-2中国1970年02月23日1970年代中国政府当局,北京駐在のソ連大使館員のソ連軍戦没兵士墓参のための国内旅行申請を拒否。
DIA-104-1970-02-24-1中国1970年02月24日1970年代モスクワ放送,昨年9月29日以来中止されていた中国の文革非難番組を再開。
DIA-104-1970-02-24-2中国1970年02月24日1970年代新華社記者報道「『台湾独立運動』の陰謀に拍車をかける米日反動派」 I 政治
DIA-104-1970-02-25-1中国1970年02月25日1970年代郭沫若氏,特使としてネパール皇太子の結婚式に出席のためネパール訪問。
DIA-104-1970-02-27-1中国1970年02月27日1970年代周化民対外貿易部副部長を団長とする貿易代表団,北朝鮮訪問。 IV 日中
DIA-104-1970-03-01-1中国1970年03月01日1970年代ネパール訪問中の郭沫若特使,インド大使館主催のネパール皇太子結婚祝賀パーティに出席してギリ・インド大統領と歓談。
DIA-104-1970-03-02-1中国1970年03月02日1970年代「紅旗」思想評論,「プロレタリアの政治を突出させ,春耕生産をしっかりやろう」-「生産はすでに頭打ちだ」,「これ位でまあまあだ」,「生産をやるのは『危険』だ」などの考え方を批判。
DIA-104-1970-03-02-2中国1970年03月02日1970年代上海で港湾規則に違反した疑いで,英貨物船2隻の乗組員22名抑留さる。13日に釈放。
DIA-104-1970-03-03-1中国1970年03月03日1970年代辺哲論文,「農村の整党建党には必ず2つの道の闘争問題をつかまなければならない」-思想の整頓にあたって並列的にあらゆる問題をとりあげ主要矛盾をつかまない者,文革3年を経て2つの道の闘争問題は重要でないと考える者などを批判。
DIA-104-1970-03-03-2中国1970年03月03日1970年代中国科学院動物研究所,林虫防治グループの成果-1969年下半期から河南省信陽区で農民から再教育を受け,松毛虫を新菌剤,寄生蜂で防除し,一種の菌剤で稲つと虫を防治する手法をあみ出した。
DIA-104-1970-03-04-1中国1970年03月04日1970年代侯勤文,「毛沢東思想はわが国の医学発展の道を照らす」-人民への奉仕,唯物弁証法,中西医結合を特徴として挙げ,流行病,伝染病,地方病の防治,大面積火傷,聾唖者の治療,切断された手足の接合などに成果をあげていると指摘。(「紅旗」3号)。
DIA-104-1970-03-04-2中国1970年03月04日1970年代江蘇省淮安県城東公社南大隊では「階級闘争分析会」を開き成果上げる。
DIA-104-1970-03-05-1中国1970年03月05日1970年代呉正論文,「電子工業の発展を束縛する精神的鎖を粉砕しよう」-劉少奇一派の「輸入せざるをえず」,「模造の方が自作より良い」,「国際的な積極性を発揮させよ」といった議論を反駁。
DIA-104-1970-03-05-2中国1970年03月05日1970年代日本外務省,中国からわが国への入国者に対する渡航証明書の受渡し手続きを日中覚書貿易事務所の北京駐在連絡所で代行する方針を決定。
DIA-104-1970-03-06-1中国1970年03月06日1970年代国務院は綿花生産会議を開催-22の省,市,自治区,68の重点棉産区,263の重点棉県の代表,および紡績工業,綿花加工・買付部門など代表500余名が出席,44の先進的経験を総括した。 参照・「人民日報」社説(7日),「大衆と相談して農業の新たな豊作をかちとろう」
DIA-104-1970-03-06-2中国1970年03月06日1970年代人民日報評論員論文「ラオス人民の抗米救国闘争を断固支持する」,米国がタイ国軍を率いてラオスに介入したと非難。
DIA-104-1970-03-06-3中国1970年03月06日1970年代日本政府,広州交易会に参加するため再入国許可を申請していた在日華商34人のうち個別審査のうえ21人に認可。
DIA-104-1970-03-07-1中国1970年03月07日1970年代南方13省,市,自治区の血吸虫防治工作会議開催-上海で張春橋の主催で開かれ,中共中央の指示に基づき,各地に防治工作指導小組を再建した。
DIA-104-1970-03-07-2中国1970年03月07日1970年代日中覚書貿易継続交渉のため,訪中の古井喜美氏ら日本側代表団北京着。
DIA-104-1970-03-10-1中国1970年03月10日1970年代中国,ネパールの第4次5カ年計画に対する3500万ドルの借款供与に合意。
DIA-104-1970-03-10-2中国1970年03月10日1970年代中国・ギニア,医療協力議定書に調印。
DIA-104-1970-03-10-3中国1970年03月10日1970年代日中覚書貿易継続交渉開始。中国側は劉希文氏,日本側古井喜美氏の各代表。
DIA-104-1970-03-11-1中国1970年03月11日1970年代杭州市革命委員会執筆グループ,「工業経済領域の階級闘争をまじめにやろう」-国営工場での階級闘争を見てとれぬ人々がいる。国営工場には多量の物資と資金が流れており,階級敵は工場間,工場と農村商業間などの協力,加工,売買関係を利用して汚職,窃盗,投機から売りなどをする。工場の所有制はつきつめれば指導権の問題であり,敵はこの指導権をうばうか,代理人を作ろうとする。新設工場でも事情は同じである。
DIA-104-1970-03-11-2中国1970年03月11日1970年代郭沫若氏を団長とする中国友好代表団,ヤヒア・カーン・パキスタン大統領と会見(10日訪問)。
DIA-104-1970-03-13-1中国1970年03月13日1970年代藤山愛一郎代議士の訪中に中国側から歓迎の回答。20日に松村謙三氏らとともに訪中。
DIA-104-1970-03-14-1中国1970年03月14日1970年代中国,北ベトナム,1970年度科学技術協力議定書に調印。
DIA-104-1970-03-16-1中国1970年03月16日1970年代ベトナム人居留民による北京のカンボジア大使館破壊というデマはねつ造である,と新華社が権限を受けて声明。
DIA-104-1970-03-16-2中国1970年03月16日1970年代新華社,インド政府がダライ・ラマのチベット独立の策動を容認していることは中国の内政への干渉政策であると非難。
DIA-104-1970-03-16-3中国1970年03月16日1970年代米艦の海南島〓海以東地区領海への侵入に中国外交部スポークスマン473回目の警告。
DIA-104-1970-03-16-4中国1970年03月16日1970年代米国務省,これまで報道陣,学者,医師などに限られていた中国訪問の旅券を“合法的な旅行目的”.を持つ米国人すべてに発給すると旅行制限緩和を発表。
DIA-104-1970-03-17-1中国1970年03月17日1970年代全国で大規模な植林が進む-春季植林運動による植樹面積は1200万ムー余に達し,去年に比べて大幅に拡大している。
DIA-104-1970-03-18-1中国1970年03月18日1970年代香港の中国系紙「大公報」,創価学会が日本軍国主義の侵略政策に奉仕するため香港で活動を強化していると非難。
DIA-104-1970-03-18-2中国1970年03月18日1970年代新華社報道「政治,経済,軍事の各面で結託を強めるソ連修正主義と日本反動派」,ノビコフ・ソ連閣僚会議副議長の訪日を非難。
DIA-104-1970-03-19-1中国1970年03月19日1970年代カンボジアのシアヌーク殿下,北京到着-周総理,李先念副総理,41カ国の中国駐在使節,外交官出迎え。
DIA-104-1970-03-19-2中国1970年03月19日1970年代周化民対外貿易部副部長を団長とする中国政府貿易代表団,ナセル大統領と会見(10日訪問)。
DIA-104-1970-03-20-1中国1970年03月20日1970年代党中央弁公庁「5・7」学校,思想,生産,体質で成果上がる-昨年1月に開設され,1年間に湖の埋立てと開墾で5,000ムーの耕地をつくり,食糧,食油,綿を自給し,野菜と肉も半分自給化した。
DIA-104-1970-03-20-2中国1970年03月20日1970年代江蘇省で准河の長江への排水溝工事完成-昨年10月から20余万の大軍で約100kmの排水溝を完成。
DIA-104-1970-03-21-1中国1970年03月21日1970年代新華社,シアヌーク殿下の20日発表の声明の全文を報道。
DIA-104-1970-03-21-2中国1970年03月21日1970年代新華社記者報道「軍備拡張・戦争準備に狂奔する日本反動派」
DIA-104-1970-03-22-1中国1970年03月22日1970年代「遼寧日報」社説,「偉大な《鞍鋼憲法》万才」-工業に大衆運動をつらぬくという毛主席の1960年3月の「鞍鋼憲法」をめぐる10年にわたる2つの司令部の闘争史。遼寧省革命委員会は,この問題に関する工業交通戦線毛沢東思想活学活用講用会を開いた。
DIA-104-1970-03-22-2中国1970年03月22日1970年代松村謙三氏を団長とする,藤山,川崎,田川氏ら訪中使節団,北京着。 I 政治
DIA-104-1970-03-23-1中国1970年03月23日1970年代新任の李雲川・北朝鮮駐在大使赴任。
DIA-104-1970-03-23-2中国1970年03月23日1970年代北京のシアヌーク殿下,新しい民族団結政府を成立させ,民族解放軍を創設し,カンプチア民族統一戦線を結成して,米帝国主義と闘争し祖国を解放することを宣言する声明を発表。
DIA-104-1970-03-25-1中国1970年03月25日1970年代中国南部で大衆裁判の波-香港への旅行者の話によれば,3月前半を中心にして,広東省の140人以上をはじめ各地で数百人が大衆裁判ののち処刑された。罪名は殺人,放火,暴行,強盗,スパイ,姦通,汚職,窃盗,やみ取引などに及んでいる(AFP)。
DIA-104-1970-03-26-1中国1970年03月26日1970年代中国外交部声明-21日のラオス愛国戦線党声明を支持,ラオス侵略戦争の拡大に拍車をかけるアメリカ帝国主義とタイ反動派を非難。
DIA-104-1970-03-26-2中国1970年03月26日1970年代新華社記者報道「米帝国主義はカンボジアの主権,独立,中立,領土保全を破壊した元凶である」。
DIA-104-1970-03-27-1中国1970年03月27日1970年代周総理,アラファト・パレスチナ解放機構(PLO)議長を団長とするパレスチナ民族解放運動(ファタ)代表団と会見。武器援助の強化を確約(21日~28日訪中)。
DIA-104-1970-03-29-1中国1970年03月29日1970年代「人民日報」社説,「自力更生,艱苦奮闘の方針をあらゆる基層において実現させよう」-われわれは毛主席の一連の社会主義建設の路線,方針,政策を断固実行し,「鞍鋼憲法」をまじめに執行することにより,今年の工業生産計画を完成していかなければならない。
DIA-104-1970-03-29-2中国1970年03月29日1970年代アンナ・ルイズ・ストロング女史,北京で逝去。 IV 日中
DIA-104-1970-03-30-1中国1970年03月30日1970年代河北省宝県には5,000余の知識青年が安家落戸している。
DIA-104-1970-03-30-2中国1970年03月30日1970年代マレーシアからのゴム買付け急増-1月の買付けは750万ドルで,1963年以来の月間最高。去年は8万9085トンを買付け,1967年の1万6121トンに比べて急増している。
DIA-104-1970-03-31-1中国1970年03月31日1970年代浙江省革命委員会執筆グループ,「プロレタリア階級教育革命は大いにやりがいがある-“教師にはなりがいがない”に反駁する」(「紅旗」4号)。 II 経済
DIA-104-1970-03-31-2中国1970年03月31日1970年代湖南省と広西省では基本的に石炭自給を実現した。 III 外交
DIA-104-1970-04-01-1中国1970年04月01日1970年代「人民日報」社説,「9全大会のさし示す針路にそって勝利からいっそう大きな勝利へと前進しよう」
DIA-104-1970-04-01-2中国1970年04月01日1970年代黒竜江省革命委員会執筆グループ,「プロレタリア階級独裁をいちだんと強化しよう」-階級敵に対して,「じっくりと,力強く,的確に打撃を与える」ことを強調。
DIA-104-1970-04-01-3中国1970年04月01日1970年代モスクワの外交筋によれば,ソ連はウラジミル・ステパコフ党宣伝部長を駐中国大使に任命したもよう(UPI)。
DIA-104-1970-04-02-1中国1970年04月02日1970年代周総理,黄永勝総参謀長,「被占領アラビア湾解放人民戦線」代表団と会見(2月28日~4月4日訪中)。
DIA-104-1970-04-02-2中国1970年04月02日1970年代方毅対外経済連絡委員会主任を団長とする政府経済友好団,パキスタン訪問。
DIA-104-1970-04-03-1中国1970年04月03日1970年代軍の毛沢東思想学習の水準新しい段階に達す-9全大会1周年を迎えて軍ではプロレタリア独裁の観念が高まり,支左工作も成果が上がっている。
DIA-104-1970-04-03-2中国1970年04月03日1970年代ロンドンの共産系外交筋によれば,ソ連側は中ソ国境の部隊を50キロ引下げる一方的な譲歩措置をとったもよう(UPI)。
DIA-104-1970-04-03-3中国1970年04月03日1970年代日本国際貿易促進協会の荻原専務理事ら友好貿易代表団体一行9人訪中。
DIA-104-1970-04-05-1中国1970年04月05日1970年代趙先平論文,「洋奴哲学を打倒しよう」-「高・精・尖」の製品を製造するには「洋・大・全」の設備が必要か? これは完全な誤まりである。工場・設備・投資決定論はみな粛清の要あり。資本主義もしくは修正主義の外国資料は束縛されているか奇型に発展したものであり,必ず批判的に対処せねばならない。「禁律」をやぶり「禁区」をおかして自己の工業発展の道を歩まなければならない(「紅旗」4号掲載)。
DIA-104-1970-04-05-2中国1970年04月05日1970年代広西省の半数の県に化学肥料工場が建設された。
DIA-104-1970-04-05-3中国1970年04月05日1970年代周総理,北朝鮮を友好訪問-6日に金日成首相と会談,5日の歓迎宴の演説で,米日反動派の軍事結託を非難,シアヌーク殿下の闘争に支持を表明。7日に帰国。
DIA-104-1970-04-07-1中国1970年04月07日1970年代中国・北朝鮮共同声明-米帝国主義の庇護のもと日本軍国主義はすでに復活しアジアの危険な侵略勢力になっていると述べ,反米闘争の一環として日本軍国主義反対の共同闘争を強化することを表明。また,シアヌーク殿下の3月23日の5項目の声明に支持を表明。
DIA-104-1970-04-09-1中国1970年04月09日1970年代最近上海で全国毛紡績工業の革命をしっかりやり生産を促す会議開催-20の省,市,自治区の代表が参加,沈陽毛紡工場が廃液から油脂を再生したモデル,上海の染液連続染色技術のモデルがとりあげられた。
DIA-104-1970-04-09-2中国1970年04月09日1970年代河南省で20余の県と市が小鉄道を建設し地方工業を促がす-全長650余kmで半分以上が文革以後の建設。目下さらに100kmを建設中。
DIA-104-1970-04-09-3中国1970年04月09日1970年代新任の史梓銘フィンランド大使赴任。
DIA-104-1970-04-09-4中国1970年04月09日1970年代中国・パキスタン,経済技術協力協定に調印。
DIA-104-1970-04-11-1中国1970年04月11日1970年代小工場が516台の自動車を生産-「紅旗」4号の江西省井崗山自動車工場の調査報告。
DIA-104-1970-04-14-1中国1970年04月14日1970年代「人民日報」コメント,「意見を出したがる青年に正しく応えよ」-要旨。意見を出したがるのは青年の長所であり,これを積極的に伸ばし,革命精神のない「イエスマン」にしてはならない。
DIA-104-1970-04-14-2中国1970年04月14日1970年代「紅旗」干宏論文,「総合利用に注意せよ」-労働人民が真に主人となっている中国では,アメリカのような「汚染」問題はありえない。
DIA-104-1970-04-14-3中国1970年04月14日1970年代中国国際貿易促進委員会と日本国際貿易促進協会など7団体,共同声明に調印。
DIA-104-1970-04-14-4中国1970年04月14日1970年代中国側,旭ダウ,石川島コーリングなどの日米合弁企業の広州交易会参加を歓迎できない旨,日本国際貿易促進協会に連絡。
DIA-104-1970-04-15-1中国1970年04月15日1970年代全軍は新党章をまじめに学習し,党組織の建設は一層高まる-各級党組織の指導的人々は指導グループの革命化に努めている。
DIA-104-1970-04-15-2中国1970年04月15日1970年代広州市で春季中国輸出商品交易会開く(4.15~5.15)。約1万人が参加。
DIA-104-1970-04-15-3中国1970年04月15日1970年代周総理,日本友好貿易団体の代表と会見-化学肥料業界にみられるような佐藤政府の政策に加担し台湾侵略を支持する企業,商社と中国は取引きしないと語る。
DIA-104-1970-04-15-4中国1970年04月15日1970年代春季広州交易会開幕。日本商社員710名参加。
DIA-104-1970-04-16-1中国1970年04月16日1970年代上海でわずか13日ではじめての中国式シリコン単結晶炉を建設。5月には北京でも完成,各地に電子工業急速に発展。
DIA-104-1970-04-16-2中国1970年04月16日1970年代クズネツォフ中ソ国境会談ソ連側首席代表一時帰国。
DIA-104-1970-04-17-1中国1970年04月17日1970年代紡績工業部は最近全国紡績工業基本建設現場会議開く-広東省楽昌県綿紡工場にて。同工場は1969年1月着工,12月に完成。 参照:紡績工業部執筆グループ,「自力更生の力は大衆の中にあり」
DIA-104-1970-04-17-2中国1970年04月17日1970年代新任の孟鉞駐マリ大使赴任。
DIA-104-1970-04-17-3中国1970年04月17日1970年代新華社記者報道「米帝,日本反動派と結託してアジアに対する侵略を強化」,日米共同声明以後,日本はミサイルと核兵器の開発をはやめていると非難。
DIA-104-1970-04-19-1中国1970年04月19日1970年代日中覚書貿易の政治会談コミュニケと1970年度貿易協定に調印-コミュニケは,日米共同声明を激しく非難し,日本軍国主義の復活はアジア人民にとってきびしい現実になっていると述べる。協定には新しい貿易品目に液卵を加え,決済方式は従来通りポンド払い,金額は昨年なみ(6700万ドル)。
DIA-104-1970-04-19-2中国1970年04月19日1970年代周総理,李先念副総理,郭沫若氏,松村訪中団と会見。周4条件を提示。
DIA-104-1970-04-20-1中国1970年04月20日1970年代新彊の革命と生産の形勢は大変良い-1年来毛沢東思想学習班はやればやるほど向上し,81の県と市全部に革命委員会が成立。「老大難」の単位ではひとにぎりのかくれ,ひそんだ階級敵をひきずり出してから急速にその姿を変えている。
DIA-104-1970-04-20-2中国1970年04月20日1970年代毛沢東路線を激しく批判したモンゴル首相のレーニン生誕百年記念論文をプラウダが掲載。
DIA-104-1970-04-21-1中国1970年04月21日1970年代南京部隊某医院副院長,王忠,「毛主席の哲学思想を学習し,耳針療法を継承発展させる」
DIA-104-1970-04-21-2中国1970年04月21日1970年代モスクワのレーニン生誕百年記念式典でブレジネフ書記長,中国路線を左翼日和見主義ときめつけ,共産主義運動の分裂は中国の民族主義的政策の結果であると非難。レ・ジュアン北ベトナム労働党書記と,チャウセスク・ルーマニア首相,中国を含めた世界共産諸党の団結をよびかける。
DIA-104-1970-04-21-3中国1970年04月21日1970年代人民日報評論員論文「カンボジア右派集団は正義の懲罰から逃れることはできない」,中国は反ロン・ノル闘争の「力強い後ろだて」になると表明。
DIA-104-1970-04-22-1中国1970年04月22日1970年代周恩来,康生,張春橋中央政治局委員,ウィルコックス・ニュージーランド共産党書記長と会談(15日訪中)。
DIA-104-1970-04-22-2中国1970年04月22日1970年代人民日報,紅旗,解放軍報3紙誌共同論文「レーニン主義なのか,それとも社会帝国主義なのか-偉大なレーニンの生誕百周年を記念して」-「ソ修社会帝国主義」の階級的基盤と「ブレジネフ・ドクトリン」を分析して「社会帝国主義」の本質を理論的,全面的に批判。
DIA-104-1970-04-23-1中国1970年04月23日1970年代全国各地でレーニン生誕百周年を祝う。
DIA-104-1970-04-23-2中国1970年04月23日1970年代新任の楊守正スーダン駐在大使赴任。
DIA-104-1970-04-23-3中国1970年04月23日1970年代佐藤首相,日本が軍国主義化しているという周総理の発言は内政干渉と非難。
DIA-104-1970-04-24-1中国1970年04月24日1970年代中国最初の人工地球衛星の発射に成功-衛星重量173kg,「東方紅」の曲を放送している。
DIA-104-1970-04-24-2中国1970年04月24日1970年代インドシナ人民首脳会議-ラオス・北ベトナム・中国の境界地帯の某地で開催,25日周総理が同会議へ赴き祝宴を催す。
DIA-104-1970-04-24-3中国1970年04月24日1970年代タス通信「北京における反ソヒステリー」,22日の中国3紙誌共同論文に反論。
DIA-104-1970-04-24-4中国1970年04月24日1970年代新華社記者報道「“新ジュネーブ会議”の開催を吹聴しているソ修の陰謀を摘発する」。
DIA-104-1970-04-24-5中国1970年04月24日1970年代西ドイツ,中国と人民元による決済の取決め結ぶ。
DIA-104-1970-04-25-1中国1970年04月25日1970年代日本外務省による中国のGNPの推計-1969年GNP=680億ドル。1人約100ドル。
DIA-104-1970-04-26-1中国1970年04月26日1970年代国家計画委員会執筆グループ,「みんなでとりくみ,自力更生で-《軍隊の生産による自給を論ず,あわせて整風と生産の2大運動の重要性を論ず》を学習する III 外交
DIA-104-1970-04-27-1中国1970年04月27日1970年代137回米中大使級会談を5月20日,ワルシャワで開くと中国側異例の先手発表。
DIA-104-1970-04-28-1中国1970年04月28日1970年代中国政府声明,インドシナ人民首脳会議の共同声明に断固支持を表明。
DIA-104-1970-04-28-2中国1970年04月28日1970年代新華社記者論評「佐藤栄作の恥知らずな反中国のデタラメを反ばくする」,23日の佐藤首相の発言に対し,「日本軍国主義の復活は決して日本の内政問題ではない」と反論。 I 政治
DIA-104-1970-04-29-1中国1970年04月29日1970年代中共中央,マラヤ共産党創立40周年に祝電。
DIA-104-1970-04-30-1中国1970年04月30日1970年代ピアノ協奏曲「黄河」を上演-革命模範芸術の一つとなる。 II 経済
DIA-104-1970-04-30-2中国1970年04月30日1970年代人民日報社説「インドシナ3国人民の戦闘的団結の大きな勝利」。 IV 日中
DIA-104-1970-05-01-1中国1970年05月01日1970年代毛沢東,林彪,シアヌーク元首とともにメーデー式典に出席。
DIA-104-1970-05-01-2中国1970年05月01日1970年代「人民日報」社説,「勇敢,勤勉,聰明な偉大な人民」-「いま,われわれの人工地球衛星も打ち上げられた。西方のブルジョア階級にできることなら,東方のプロレタリア階級は必ずやりとげることができるし,西方のブルジョア階級にできないことでも,東方のプロレタリア階級は必ずやりとげることができる」
DIA-104-1970-05-01-3中国1970年05月01日1970年代香港の中国系銀行10行が人民元建て預金業務を開始。
DIA-104-1970-05-01-4中国1970年05月01日1970年代毛主席と林副主席,シアヌーク殿下と会見。その後,メーデー集会に出席。
DIA-104-1970-05-02-1中国1970年05月02日1970年代新華社,4月23日インド・ビハール州パトナで発生した反中国事件はインド政府の計画的策動によるものだと非難。
DIA-104-1970-05-02-2中国1970年05月02日1970年代広州交易会の呉曙東・中国側代表,周4条件に従って,住友化学,三菱重工,帝人,旭ダウの4社を日中貿易から締出すと発表。周4条件を正式に文書で公表-①中国と貿易しながら同時に韓国を援助して北朝鮮を侵犯したり,台湾の大陸反攻を援助したりするようなメーカー・商社。②韓国と台湾に多額の資本投下をしている商社,メーカー。③米国のために爆弾を生産し,ベトナム,ラオス,カンボジアなどを爆撃するのを援助するような企業。④日本にある米国の合弁会社,子会社。以上の4項目に該当する商社,メーカーとは取引きしない。
DIA-104-1970-05-04-1中国1970年05月04日1970年代数多くの「上山下郷」知識青年が,3大革命運動の中で健全に成長-1968年12月の毛主席の指示以来,「上山下郷」した中高校生は数百万に達し,文革前5年間の人数の5倍にあたる。農村各級では指導グループを作って世話をしており,指導者はみずから調査研究にあたり,典型を探し出し,これをおし広めるよう努力している。
DIA-104-1970-05-04-2中国1970年05月04日1970年代上海で綿布の「一歩法捺染」に成功-旧来10工程36時間を要したのを自動制御の1台の機械にまとめ20分で完成する。石炭と電力の半分を節約。
DIA-104-1970-05-04-3中国1970年05月04日1970年代中国政府声明-米国のカンボジア武力介入は中国人民への挑発であると非難し,インドシナ3国人民の強固な後ろダテとして,3国人民の抗米救国戦争を全力をあげて支援すると表明。
DIA-104-1970-05-04-4中国1970年05月04日1970年代カンボジア王国民族連合政府,北京で樹立される。
DIA-104-1970-05-05-1中国1970年05月05日1970年代人民日報社説「ニクソン政府の新たな戦争冒険」,米国のカンボジア侵攻を非難。
DIA-104-1970-05-05-2中国1970年05月05日1970年代中国政府,カンボジア王国民族団結政府を正式に承認-同時にロン・ノル政権と外交関係を断絶,外交機関とその要員,専門家の引揚げを決定。
DIA-104-1970-05-05-3中国1970年05月05日1970年代クズネツォフ・中ソ国境会談代表北京へ戻る。
DIA-104-1970-05-06-1中国1970年05月06日1970年代カンボジア政府,カンボジア駐在の中国大使館員へ24時間以内の国外退去を要求。
DIA-104-1970-05-07-1中国1970年05月07日1970年代モスクワ放送,インドシナ問題解決で中ソ両国の協力再開をよびかけ。
DIA-104-1970-05-09-1中国1970年05月09日1970年代人民日報評論員論文「ほんとうに力を持っているのはアメリカ人民である」,アメリカ国内の反戦運動を支援。
DIA-104-1970-05-09-2中国1970年05月09日1970年代杜星垣水利電力部副部長を団長とする政府代表団,ギニア訪問。
DIA-104-1970-05-09-3中国1970年05月09日1970年代4大商社のダミーに取引断絶通告-明和産業(三菱商事),啓明交易(三井商事),和光交易(丸紅飯田),新日本通商(伊藤忠)の4大商社のダミーに対し,親会社が昨年の日華協力委員会に出席したとして,中国側は交易会の既契約を破棄,今後の取引の断絶を通告。
DIA-104-1970-05-09-4中国1970年05月09日1970年代住友金属,旭化成,周4条件の受入れを表明。つづいて,川崎製鉄が11日,日本鋼管,日野自動車が12日,神戸製鋼,いすず自動車が13日,口綿実業,日商岩井,住友商事,安宅産業の4商社が16日にそれぞれ受入れ表明。
DIA-104-1970-05-10-1中国1970年05月10日1970年代軍某部刑希礼,「支左工作の中で哲学を学び,用いる」-「矛盾論」を活用し,革命委員会の団結を強めた経験。「人民日報」編者の言葉は,「哲学神秘論」をうちやぶった一例として高く評価している。
DIA-104-1970-05-10-2中国1970年05月10日1970年代江西省の下放幹部は農村の革命化に努力-1968年10月以来,数万名が農村に住みつく。以来,後進的な人民公社,生産大隊に深く入り,階級闘争と路線闘争をしっかりやり,後進社,隊の姿を改めている。これら幹部は各社,隊革命委員会の成員となり,指導部を強化している。
DIA-104-1970-05-10-3中国1970年05月10日1970年代上海で1万トンの遠洋貨物船「風雷」号進水-全部国産,メーデー前夜に進水。
DIA-104-1970-05-11-1中国1970年05月11日1970年代西安市の労働者は各企業の協力で69日で大型合成洗剤工場を完成。
DIA-104-1970-05-11-2中国1970年05月11日1970年代毛主席,林副主席,レ・ジュアン・北ベトナム労働党第1書記と会見-ソ連,ポーランド訪問の帰途10日訪中,12日にシアヌーク殿下と会見,13日帰国。
DIA-104-1970-05-12-1中国1970年05月12日1970年代ガラス繊維工業急速に発展-建築材料工業部は最近杭州で全国ガラス繊維工業経験交流会議開催。
DIA-104-1970-05-12-2中国1970年05月12日1970年代通産省,周4条件の受入れは,業界,企業の自主判断にまかせる方針決定。
DIA-104-1970-05-13-1中国1970年05月13日1970年代中小鉄鋼企業建設の新しい高まり-全国のほとんどすべての省と市はみな中小型鉄鋼工場を有す。遼寧省では今年来9つの小高炉を建設した。
DIA-104-1970-05-15-1中国1970年05月15日1970年代最近,上海市で約150人の反革命分子処刑さる(AP)。
DIA-104-1970-05-15-2中国1970年05月15日1970年代香港大公報,ソ連がカンボジア民族連合政府を承認せず,ロン・ノル政権と外交関係を依然維持していると非難。
DIA-104-1970-05-18-1中国1970年05月18日1970年代河南省淮陽県城関鎮は消費都市から生産都市へと変貌-人口1万7300余人のこの町は1968年1月,革命委員会成立以来,95の工場を起こし,2000ムー余を開墾し,食糧を自給し,373万元を蓄積した。
DIA-104-1970-05-18-2中国1970年05月18日1970年代河南,安徽,江蘇の人民は新河を掘り,沱河治水工程を完工-14県,市の1500万ムーの耕地が旱洪保収田地となった。
DIA-104-1970-05-18-3中国1970年05月18日1970年代中国側,20日ワルシャワで開催予定の第137回米中大使級会談中止を米国側に通告
DIA-104-1970-05-18-4中国1970年05月18日1970年代中共中央,ベトナム労働党のホー・チ・ミン生誕80周年記念で祝電。
DIA-104-1970-05-18-5中国1970年05月18日1970年代プラウダ社説「仮面をはがされたエセ革命家たち」-中国指導部は多年にわたり国家間の対立を激化させ民族解放闘争を社会主義諸国と国際共産主義運動から孤立させてきたと非難。
DIA-104-1970-05-18-6中国1970年05月18日1970年代いすず自動車と日野自動車,広州交易会で両社あわせて210台のトラック輸出商談に成功。
DIA-104-1970-05-20-1中国1970年05月20日1970年代全国で毛主席声明支持の大集会-27日までの1週間で4億数千万人が参加。これらの集会出席者として各省,市,自治区の指導者を公表した。この結果,山西省で劉格平,張日清,北京市で謝富治,内蒙古自治区で滕海清,山東省で王効禹,貴州省で李再含らの人々が登場しないところから,失脚説が有力になった。
DIA-104-1970-05-20-2中国1970年05月20日1970年代毛主席声明「全世界の人民は団結してアメリカ侵略者とそのすべての手先をうち破ろう!」(参考資料参照)。
DIA-104-1970-05-20-3中国1970年05月20日1970年代人民日報評論員論文「ジャカルタの茶番劇」,カンボジア問題についての「アジア会議」を非難。
DIA-104-1970-05-21-1中国1970年05月21日1970年代北京の天安門広場で反米大集会。毛主席,林副主席,シアヌーク殿下出席。クズネツォフ次官ら中ソ国境会談のソ連側正副団長も出席。
DIA-104-1970-05-21-2中国1970年05月21日1970年代北京放送,アジア太平洋諸国会議における日本の役割を非難。
DIA-104-1970-05-21-3中国1970年05月21日1970年代春季広州交易会の成約は1億3000万ドルでほぼ昨年なみ。
DIA-104-1970-05-22-1中国1970年05月22日1970年代中共中央,インドネシア共産党成立50周年に祝電を送る。
DIA-104-1970-05-23-1中国1970年05月23日1970年代3紙誌社説,「世界観を改造しよう-<延安文芸座談会における講話>発表28周年を記念して」-毛主席の「党員の中には組織的に入党していても思想的には中途半端にしか入党していないか,さらには全然入党していない人もたくさんいる」という言葉を強調。 II 経済
DIA-104-1970-05-23-2中国1970年05月23日1970年代ユーゴのオレスチャニン新任駐中国大使着任。
DIA-104-1970-05-23-3中国1970年05月23日1970年代中国政府スポークスマン,22日の米軍機の西沙群島領空侵犯と23日の米艦の福建省平潭東南地区領海侵入に474回目の警告。
DIA-104-1970-05-24-1中国1970年05月24日1970年代北ベトナムのトン・ドク・タン国家主席とレ・ジュアン第1書記より,毛主席声明に対して毛主席へ感謝の電報。
DIA-104-1970-05-25-1中国1970年05月25日1970年代康矛召,前カンボジア駐在大使ら外交官,専門家64名帰国。
DIA-104-1970-05-25-2中国1970年05月25日1970年代シアヌーク殿下,北ベトナム友好訪問に赴く(6月8日まで)。
DIA-104-1970-05-25-3中国1970年05月25日1970年代中国・北ベトナム,1970年度経済・軍事等物資無償援助に関する補足議定書に調印。
DIA-104-1970-05-25-4中国1970年05月25日1970年代周総理,アラファトPLO議長にパレスチナ・ゲリラ支持の書簡を送る。
DIA-104-1970-05-25-5中国1970年05月25日1970年代新日本製鉄,現状で周4条件に抵触していないとの解釈で14日に受入れを中国側に通告していたが,日華,日韓南協力委員会への不参加を表明しなかったため,中国側より商談拒否の通告。
DIA-104-1970-05-25-6中国1970年05月25日1970年代中国側,東レと旭化成の両社に対し周4条件に対する態度があいまいであるとして,合繊輸出契約の調印を拒否。
DIA-104-1970-05-26-1中国1970年05月26日1970年代森下仁丹,周4条件を尊重して台湾の合弁事業から撤収する方針を表明。
DIA-104-1970-05-28-1中国1970年05月28日1970年代&河南省革命委員会執筆グループ,「地方工業発展の道」-人口5000万のこの省ではこの2年間に2,000余の小工場・鉱山が建設された。農業に奉仕する方向を堅持すること,土法と外来の方法を使いこなすことに注意し,自力更生で行ない,指導を強化し全面的規画をつくり,小さいが完備した地方工業体系を建立せよ,と述べている。
DIA-104-1970-05-29-1中国1970年05月29日1970年代新華社記者報道「米帝のインドシナ侵略に奉仕する佐藤政府に決して良い末路はない」,27日に香港で開かれた「日本駐東南アジア諸国大使会議」を非難。 I 政治
DIA-104-1970-05-31-1中国1970年05月31日1970年代電力工業が飛躍的に発展中-第1四半期発電量は史上最高。1kWあたりの石炭消費量は大幅に低下。石家庄火力発電所は原設計のワクを破り,出力を56%ふやし,全国のモデルとなった。中小型水力発電所も各地で建設中。 III 外交
DIA-104-1970-05-31-2中国1970年05月31日1970年代人民日報評論員論文「米帝のインドシナ侵略戦争拡大の重大な段取り」,米軍と南ベトナム軍のラオス侵入を非難。 IV 日中
DIA-104-1970-06-01-1中国1970年06月01日1970年代化学肥料工業が猛烈な勢いで発展-主な特徴は,小化肥工場が全国に広まったことで,江蘇省では3分の2の県に小窒素肥料工場が,半数の県に小燐肥工場がある。小型窒素肥料工場の生産が全生産量に占める比率は1965年の12%から去年は43%へと向上。現在多くの省で化学肥料工場設備一式を生産できるようになり,粉炭や劣質炭からもアンモニアを合成する技術が開発された。
DIA-104-1970-06-03-1中国1970年06月03日1970年代広東省革命委員会執筆グループ,「自力更生,増産節約で『欠口』を『満口』にしよう」-地方工業の大幅な発展で石炭と鉄鋼部門にボトル・ネックが生じている。自力更生で人の積極性に依拠して積極的平衡を追及すべきである。
DIA-104-1970-06-03-2中国1970年06月03日1970年代周総理,アブドル・ラヒム・カーン・パキスタン空軍司令官と会見(5月31日~7日訪中)。
DIA-104-1970-06-04-1中国1970年06月04日1970年代造船工業系統革命大批判執筆グループ,「洋奴哲学を掃除し,大いに造船工業をやろう」-造船工業は国防と経済発展とに必要であり,自力更生,大衆運動によって世界の先進水準に追いつき追い越さねばならない。
DIA-104-1970-06-04-2中国1970年06月04日1970年代河北省は農村で電力・機械灌排水事業を発展させている-全省に20万の機械揚水井戸があり,70%以上が電力配備で,揚水による灌漑面積は2000万ムーに達す。各専区工場では全力をあげてモーターやジーゼル・エンジンを生産している。
DIA-104-1970-06-04-3中国1970年06月04日1970年代斉永紅論文,「工業はかならず大いに力を入れて農業を支援すべきである-『農業支援は損』論を反駁する」-農業が豊作であってはじめて工業の急速な発展を保障しうる。工農産物交換には主としてシェーレの縮小,等価交換もしくはそれに近い政策をとる。上海化肥農薬公司では1962年来生産コストが半分になり,価格も4~5回の調整で半分になった(「紅旗」6号,思想評論)。
DIA-104-1970-06-04-4中国1970年06月04日1970年代住友化学,日中貿易へ復帰-同社は周4条件の適用によって5月2日以来日中貿易から締出されていたが,日華協力委員会から脱退し,周4条件を受入れたため復帰。
DIA-104-1970-06-05-1中国1970年06月05日1970年代広東省茂名市の石油工業では「5廃」の総合利用に成果上げる-「5廃」とは,シェール廃末,シェール灰渣,石油廃気ガス,廃水,廃渣油をいう。
DIA-104-1970-06-05-2中国1970年06月05日1970年代周総理,南ベトナム臨時革命政府成立1周年にあたり,フィン・タン・ファト首相へ祝電。
DIA-104-1970-06-05-3中国1970年06月05日1970年代人民日報評論員論文「忠実な招使」,タイのカンボジア派兵を糾弾。
DIA-104-1970-06-06-1中国1970年06月06日1970年代武漢大学では教師,学生の思想革命すすむ-1969年10月以後,教師と学生は工場と農村に入り思想改造に努める一方,学校は10の校営工場を設立し,20余の工鉱企業と提携して定期的に交流している。
DIA-104-1970-06-06-2中国1970年06月06日1970年代チベット反乱でインドへ逃亡していた扎西が帰国。四川カンツェ出身,29歳。
DIA-104-1970-06-06-3中国1970年06月06日1970年代シアヌーク殿下,ルクセンブルグ放送記者との会見で,毛主席は同殿下に対し3年以内にロン・ノル政権を打倒するために必要な武器の無償供与と財政援助を約束したと語る。
DIA-104-1970-06-06-4中国1970年06月06日1970年代日中民間漁業協定の延長交渉のため江口次作氏を団長とする日中漁業協議会代表団10人出発。9日より交渉開始。
DIA-104-1970-06-09-1中国1970年06月09日1970年代全国体育運動員が首都人民に報告実演-2万人観衆のもと,体操,ピンポン,バスケットボール,バレー,サッカー,水泳などが行なわれた。
DIA-104-1970-06-09-2中国1970年06月09日1970年代黒竜江省革命委員会執筆グループ,「多く,はやく,りっぱに,むだなく地方工業を発展させよう」-「紅旗」6号所載。
DIA-104-1970-06-10-1中国1970年06月10日1970年代中国政府,ペルー赤十字社に地震災害救援金150万元(160万2000ドル)を送る。
DIA-104-1970-06-11-1中国1970年06月11日1970年代チベットで人民公社化が進行-チベットでは闘争,批判,改革が深まる中で,各級指導部の団結が強まり,人民公社が次々に成立している。人民公社は1964年最初のものが形成され,1965年末から1966年初めに130社成立,現在666の人民公社がある。1967年12月に成立したラサの光明人民公社では最近,数日間で鼠を10万匹駆除した。
DIA-104-1970-06-11-2中国1970年06月11日1970年代毛主席と林副主席,ポドナラシュ国家評議会副議長を団長とするルーマニア国家評議会代表団と会見(9日~12日訪中)。
DIA-104-1970-06-13-1中国1970年06月13日1970年代周総理,ソ連で最近数カ所にあった地震と水害に対しコスイギン首相に見舞電報を送る。
DIA-104-1970-06-13-2中国1970年06月13日1970年代北京の英大使館主催の英女王誕生日祝賀レセプションに羅貴波外交部副部長出席。
DIA-104-1970-06-14-1中国1970年06月14日1970年代全国機械工業の生産と建設高まる-1月~4月の生産総値は大幅に上昇,原材料,燃料,電力の消耗率は顕著に低下している。中小型の機械工業,農機修造工業が全国に開花し,河南省では,年産10万トンの小製鉄工場,年産15万トンの炭鉱,50kWの小型水力発電所,年産1万トンのセメント工場,年産4,000トンの化学肥料工場などの設備一式を供給しうるに至った。 地方自動車工業の発展も急速で27の省,市,自治区がトラックの製造に成功した。大型機械工場では自己の設備の改革が進んでいる。上海市にみられるような社会主義の大協作は全国に波及している。
DIA-104-1970-06-14-2中国1970年06月14日1970年代人民日報評論員論文「パレスチナ人民の正義の闘争を断固支持する」
DIA-104-1970-06-15-1中国1970年06月15日1970年代シアヌーク殿下,北朝鮮公式訪問へ赴く(7月2日まで訪問)。
DIA-104-1970-06-16-1中国1970年06月16日1970年代河北省大清河治水工程が早めに竣工-海河治水工程の重要な構成部分をなすもの。
DIA-104-1970-06-16-2中国1970年06月16日1970年代中国・チェコ,1970年度バーター支払い協定に調印。
DIA-104-1970-06-17-1中国1970年06月17日1970年代広東省で甘蔗栽培面積拡大-昨年比+13%で史上最高。省革命委員会は専門会議を召集して研究を行なった。
DIA-104-1970-06-17-2中国1970年06月17日1970年代周総理,パリからの帰途北京を訪れたグェン・チ・ビン,南ベトナム臨時革命政府外相と会見。これより先,スアン・トイ・パリ会談北ベトナム首席代表も同じく周総理と会見。
DIA-104-1970-06-18-1中国1970年06月18日1970年代粟裕国防部副部長を団長とする中国軍事代表団,ゴンゴ(ブラザビル)を訪問。
DIA-104-1970-06-19-1中国1970年06月19日1970年代毛主席,林副主席,アイナンシュ最高革命委員会副議長を団長とするソマリア政府代表団と会見(15日~20日訪中)。
DIA-104-1970-06-19-2中国1970年06月19日1970年代中国・ソマリア,経済技術協力協定に調印。
DIA-104-1970-06-20-1中国1970年06月20日1970年代米中大使級会談の双方の連絡員が接触し,中国側は当面開催は不適当の旨を通知(新華社)。
DIA-104-1970-06-20-2中国1970年06月20日1970年代中国漁業協会代表団・日中漁業協会代表団,会談コミュニケ-佐藤政府のカンボジア問題に関するアジア会議参加を非難。日中民間漁業協定は6項目の補足規定をつけ,有効期間を2カ年延長。
DIA-104-1970-06-21-1中国1970年06月21日1970年代夏季食糧作物,今年も豊作をかちとる-南方では積極的に2毛作を拡大,麦の栽培面積は53万haほど増加した。
DIA-104-1970-06-23-1中国1970年06月23日1970年代人民日報社説「侵略的な米日軍事同盟を断固粉砕しよう」-日米安保条約の「自動継続」を非難。
DIA-104-1970-06-24-1中国1970年06月24日1970年代アメリカは空中偵察により中国のポラリス型潜水艦開発を確認-旅大海軍基地にて。英デーリー・メイル紙の報道。
DIA-104-1970-06-24-2中国1970年06月24日1970年代河南省革命委員会執筆グループ,「積極的に『欠口』の転化を促進しよう」-発展中の不均衡,ボトル・ネックの発生は必然であり,人の積極性を発揮して新しい平衡をもたらすべきである。
DIA-104-1970-06-24-3中国1970年06月24日1970年代毛主席,マンスール・マハグーブ蔵相を団長とするスーダン政府友好代表団と会見(21日~28日訪中)。
DIA-104-1970-06-24-4中国1970年06月24日1970年代朴成哲副首相を団長とする北朝鮮代表団,中国で行なわれる朝鮮戦争20周年記念行事に参加するため訪中。また,平壌で行なわれる同行事に参加するため,黄永勝総参謀長を団長とする中国代表団,北ベトナム,南ベトナム解放戦線,ラオス愛国戦線党代表団とともに北朝鮮訪問。
DIA-104-1970-06-24-5中国1970年06月24日1970年代日中民間漁業交渉で日中間の漁業損害補償問題解決。 I 政治
DIA-104-1970-06-25-1中国1970年06月25日1970年代北京で朝鮮戦争20周年記念集会-10万人が参加。26日,上海,沈陽,丹東他各地で集会が行なわれた。27日,新華社は「アメリカ帝国主義は台湾から出ていけ」という記者報道を発表した。 II 経済
DIA-104-1970-06-25-2中国1970年06月25日1970年代朝鮮戦争20周年を記念し,米帝国主義の「台湾不法占領」を糾弾する集会,北京で開催。
DIA-104-1970-06-25-3中国1970年06月25日1970年代人民日報,紅旗,解放軍報3紙誌共同社説「アジアの人民は団結してアメリカ侵略者をアジアから追い出そう」,朝鮮戦争20周年を記念。
DIA-104-1970-06-25-4中国1970年06月25日1970年代新任の柴沢民アラブ連合駐在大使赴任(人事移動のため)。
DIA-104-1970-06-25-5中国1970年06月25日1970年代周化民対外貿易部副部長を団長とする政府貿易代表団,東ドイツ訪問。
DIA-104-1970-06-26-1中国1970年06月26日1970年代ウ・タント国連事務総長,国連憲章調印25周年記念夕食会で,中国の国連参加の緊急性を強調し,世界各国に対してこの問題を国際政治の分野における「今年の最優先議題」として考慮するように要請。
DIA-104-1970-06-26-2中国1970年06月26日1970年代北朝鮮訪問中の黄永勝代表団長,金日成首相と会談。
DIA-104-1970-06-27-1中国1970年06月27日1970年代毛主席と林副主席,朴成哲副首相を団長とする北朝鮮代表団と会見(24日~29日訪中)。
DIA-104-1970-06-30-1中国1970年06月30日1970年代福州江大橋開通-引道を含め840m,幅18m,鉄筋コンクリートを用い,半年で完成したもの。 III 外交
DIA-104-1970-06-30-2中国1970年06月30日1970年代中ソ国境会談のソ連側首席代表クズネツォフ外務次官,病気のため帰国。
DIA-104-1970-06-30-3中国1970年06月30日1970年代中国・東ドイツ,1970年度バーター支払い協定に調印。
DIA-104-1970-06-30-4中国1970年06月30日1970年代人民日報評論員論文「シリア軍民の大きな勝利に歓呼を送る」および「米=イスラエル侵略者への強力な反撃」 IV 日中
DIA-104-1970-07-01-1中国1970年07月01日1970年代3紙誌社説,「共産党員はプロレタリア階級の先進分子でなければならない」-中共党創立49周年記念社説。党員の実行すべき5カ条をあげ,「思想上からの完全な入党をめざして努力すること」を強調,党の整頓と建設の偉大な成果をもって党の50周年を迎えよう,と述べている。
DIA-104-1970-07-01-2中国1970年07月01日1970年代青海高原で2つの新建製鉄工場で出鉄-青海鋼鉄工場第1号高炉と西寧鋼鉄工場第1号高炉がそれで,30余企業の協力で完成,操業に入った。
DIA-104-1970-07-01-3中国1970年07月01日1970年代本年度日中覚書貿易の唯一の追加品目である液卵輸入商談まとまる。数量は1,500トン。
DIA-104-1970-07-02-1中国1970年07月02日1970年代湖北省に大型人工運河,漢北河が竣工-長さ110km余,深さ7m,6カ月で完成。
DIA-104-1970-07-02-2中国1970年07月02日1970年代黒竜江省呼蘭県で呼蘭大橋が完成-長さ335m,幅8.5m。
DIA-104-1970-07-02-3中国1970年07月02日1970年代モスクワの消息筋によれば,中国駐在ソ連大使としてウラジミル・ステパコフ元党宣伝部長を任命することに中国が同意。
DIA-104-1970-07-02-4中国1970年07月02日1970年代人民日報評論員論文「カンボジア人民の抗米救国戦争は必ず勝利する」
DIA-104-1970-07-03-1中国1970年07月03日1970年代北京,上海,天津などで夏季愛国衛生運動を展開。
DIA-104-1970-07-04-1中国1970年07月04日1970年代人民日報評論員論文「ニクソン『撤兵』は煙幕である」
DIA-104-1970-07-09-1中国1970年07月09日1970年代「人民日報」社説,「下放知識青年への工作をしっかりやろう」-要点。省,地区,県ではかならず専門グループを設けてこの工作を管轄すること,下放幹部が一緒に下放していく方法は良い。革命のあとつぎの問題なのであり,単純な人員配置措置とみてはならない。
DIA-104-1970-07-10-1中国1970年07月10日1970年代南方13省,市,自治区第2次血吸虫防除工作会議開く-最近,張春橋主催で上海で開かれ,各地の経験を総括した。
DIA-104-1970-07-10-2中国1970年07月10日1970年代斉永紅論文,「みんなでとりくみ,自力更生で-工業設備更新における2つの思想の闘争」-新しい建設の中で旧設備と新任務が一致しないという矛盾が生じてきた。こうした中では旧設備と新設備は併用し,旧設備に徐々に改造を加える。外国設備は「簡にして精」なものに改造しうる。使用単位と製造単位を分離させるのは技術革新に不利である。
DIA-104-1970-07-10-3中国1970年07月10日1970年代スパイ容疑で逮捕されていた米宣教師ジェームズ・ウォルシュ氏,釈放される。
DIA-104-1970-07-10-4中国1970年07月10日1970年代中ソ国境河川航行合同委員会の第16回会議が黒竜江省黒河鎮で開催。
DIA-104-1970-07-10-5中国1970年07月10日1970年代中国が英国製のトライデント・ジェット旅客機4機をパキスタン航空から買い付けたと同社スポークスマン発表。
DIA-104-1970-07-11-1中国1970年07月11日1970年代北京,上海,天津の上半期工業建設成果大-それぞれ前年同期にくらべ,30%,24%,13.9%の伸びで,共通なことは社会主義の大協作をくりひろげ,電子工業,化学工業,自動制御などの部門に進軍したこと,大工業自身の革新,小化肥設備の生産を多くの企業が引受けたこと,などである。
DIA-104-1970-07-11-2中国1970年07月11日1970年代毛主席と林副主席,アミル・ジャマル財政相を団長とするタンザニア政府代表団およびE・ムデンダ開発・財政相を団長とするザンビア政府代表団と会見(5日訪中)。
DIA-104-1970-07-11-3中国1970年07月11日1970年代人民日報評論員論文「日結託の罪悪的陰謀」,日華協力委員会第16回総会の開催を非難。
DIA-104-1970-07-12-1中国1970年07月12日1970年代中国,タンザニア,ザンビア3国政府,タンザン鉄道建設の関係議定書に北京で調印。
DIA-104-1970-07-13-1中国1970年07月13日1970年代銭之光,軽工業部長に-軽工業部は第1軽工業部・第2軽工業部,紡織工業部を統合して再建された。
DIA-104-1970-07-13-2中国1970年07月13日1970年代毛主席と林副主席,ベタンクール計画地域開発相を団長とする仏政府代表団と会見(7日~22日)。
DIA-104-1970-07-13-3中国1970年07月13日1970年代銭之光軽工業部長を団長とする政府代表団,イラク建国記念日祝賀行事参加のためイラク訪問(19日まで)。
DIA-104-1970-07-14-1中国1970年07月14日1970年代人民日報国際論評「ロジャーズの悪どい陰謀と恥ずべきウソ」,ロジャーズ米国務長官のアジア旅行を論評。
DIA-104-1970-07-14-2中国1970年07月14日1970年代中国・モンゴル,1970年度貿易議定書に調印。
DIA-104-1970-07-15-1中国1970年07月15日1970年代「人民日報」短評,「革命模範戯曲の普及工作をうまくやろう」-要旨。省,地,県各級の劇団と工場,農村,学校,部隊の業余文芸宣伝隊のバランスをとり,条件に応じ戯曲の全部,一部もしくは歌曲を演じてもよく,節約を旨とすること。
DIA-104-1970-07-15-2中国1970年07月15日1970年代人民日報,長弓論文「日本軍国主義の夢」。
DIA-104-1970-07-16-1中国1970年07月16日1970年代モスクワの外交筋によれば,中国は劉新権外交部副部長を新任の駐ソ大使に任命。
DIA-104-1970-07-16-2中国1970年07月16日1970年代国際貿易促進協会,さきの日華協力委員会に出席した企業に対し,中国産原料の輸入を認めない方針決定。
DIA-104-1970-07-17-1中国1970年07月17日1970年代農村水力発電事業は勢いよく発展-今冬,春に建設した中小型水力発電所の総容量は解放後20年間に建設した容量の2倍に達した。昨年秋,水利電力部は福建省永春県で現場会議を開き,各地の典型を普及させるよう決めた。江西,広東,福建,浙江などの省の建設がとくにめざましい。
DIA-104-1970-07-19-1中国1970年07月19日1970年代浙江省県では1万Vの農用高圧送電線を3本から1本にした-3相を単相アース式にし銅線を節約,最近水利電力部は増産節約会議で全国に推奨。
DIA-104-1970-07-20-1中国1970年07月20日1970年代業余生活も毛沢東思想でつらぬく-浙江省衢州化工工場の合成アンモニア分工場では業余学習網,紅哨兵活動などで職場外生活の革命化につとめている。
DIA-104-1970-07-20-2中国1970年07月20日1970年代毛主席と林副主席,アルフレッド・ラウル副議長を団長とするコンゴ国務委員会代表団と会見(15日~22日訪中)。
DIA-104-1970-07-22-1中国1970年07月22日1970年代清華大学駐在労働者・軍毛沢東思想宣伝隊,「社会主義の理工科大学を創設すべく奮闘しよう」-今年2,500名の学生を募集の予定で,すでに800余名が入学。3年以上の実践経験のある20歳前後の労働者,農民,兵士を入学させる。普通科は2~3年,他進修班,業余班あり。
DIA-104-1970-07-22-2中国1970年07月22日1970年代中国・キューバ友好協会代表,キューバ訪問。
DIA-104-1970-07-22-3中国1970年07月22日1970年代周総理,新谷明生氏ら反修青年訪中団と会見。
DIA-104-1970-07-24-1中国1970年07月24日1970年代人民日報評論員論文「米英帝国主義のアフリカに対するいま一つの侵略の罪悪的行為」,英政府の南アへの武器提供を非難。
DIA-104-1970-07-24-2中国1970年07月24日1970年代周化民対外貿易部副部長,シリア,アルジェリア訪問へ。
DIA-104-1970-07-24-3中国1970年07月24日1970年代和光交易,日中貿易へ復帰-中国国際貿易促進委員会,和光交易との貿易関係の回復を通告。和光交易は丸紅飯田との資本的,人的関係を切り,独立する措置をとったため。
DIA-104-1970-07-24-4中国1970年07月24日1970年代日本貿易振興会がまとめたところによると,今年上半期の日中貿易額は輸出入合計4億2650万ドル(通関ベース)と前年同期比77.5%の大幅増を記録。
DIA-104-1970-07-25-1中国1970年07月25日1970年代キューバ全国蜂起17周年記念にあたり,周総理,カストロ首相に祝電。
DIA-104-1970-07-26-1中国1970年07月26日1970年代人民日報評論員論文「朝鮮侵略に拍車をかける米日反動派の重大な段どり」,日韓閣僚会議を非難。
DIA-104-1970-07-27-1中国1970年07月27日1970年代軍の「3支」「両軍」人員はプロレタリア独裁を固めるために貢献-8341部隊をモデルとし,各級の指導グループの革命化した建設,プロレタリア階級思想と非プロレタリア階級思想との闘争,自己の政治意識の高度化などに努めている。 II 経済
DIA-104-1970-07-27-2中国1970年07月27日1970年代人民日報,解放軍報共同社説「米帝国主義は屠刀を捨てていない」-朝鮮戦争停戦協定調印17周年を記念。
DIA-104-1970-07-27-3中国1970年07月27日1970年代中日友好協会から社会党の佐々木更三氏を団長とする訪中団へ招電。また別に,社会党の黒田寿男氏,岡田春夫氏へも招電。
DIA-104-1970-07-27-4中国1970年07月27日1970年代人民日報,解放軍報共同社説「米帝国主義は屠殺の刀を捨ててはいない」-先の日華協力委員会で決定した日韓台3国連絡委員会の設立は米日軍事同盟を西太平洋反革命軍事同盟に拡大しようとするものだと非難。
DIA-104-1970-07-28-1中国1970年07月28日1970年代湖南省寧郷県の養豚事業の発展-全県の養豚数70万4000頭余り,うち集団飼養28万8000頭,家庭飼養41万5000頭となり,1戸当たり3.5頭で,今年末には100万頭実現の予定。
DIA-104-1970-07-29-1中国1970年07月29日1970年代鞍山電業局の労働者,技術員,高圧電線帯電自由作業の新技術を創造。 III 外交
DIA-104-1970-07-29-2中国1970年07月29日1970年代毛主席,イオン・イオニツェ国防相を団長とするルーマニア軍事代表団と会見(訪中23日~8月2日)。また呉振宇総参謀長を団長とする北朝鮮軍事代表団と会見(訪中25日~8月4日)。
DIA-104-1970-07-29-3中国1970年07月29日1970年代中国側,スパイ容疑で3年の禁固刑に服していた英人技師ジョージ・ワット氏の釈放を発表。
DIA-104-1970-07-29-4中国1970年07月29日1970年代米国務省,GM社製のトラック・エンジンを付けたイタリア製ダンプカーの中国向け輸出を許可。昨年12月の対中貿易緩和措置の初めての実質的適用。
DIA-104-1970-07-30-1中国1970年07月30日1970年代新任のパレスチナ解放組織(PLO)北京駐在事務所主任ハムディ・マハムド氏着任。
DIA-104-1970-07-30-2中国1970年07月30日1970年代中国・南イエーメン,経済技術協力議定書に調印。 IV 日中
DIA-104-1970-07-30-3中国1970年07月30日1970年代周総理,西園寺公一氏とお別れの会見。
DIA-104-1970-07-30-4中国1970年07月30日1970年代周総理,常山昇氏を団長とする日本農村青年友好訪中団と会見。
DIA-104-1970-07-31-1中国1970年07月31日1970年代日中覚書貿易のポリエチレンなど化工品の輸出商談妥結,総額6億9000万円。農薬輸出商談も妥結,総額1億7000万円。 I 政治
DIA-104-1970-08-01-1中国1970年08月01日1970年代3紙誌社説,「警戒心を高め,祖国を守ろう」-参考資料参照。
DIA-104-1970-08-01-2中国1970年08月01日1970年代カラーのテレビ記録映画「智取虎威山」,「紅灯記」全国で上映。
DIA-104-1970-08-01-3中国1970年08月01日1970年代モスクワと北京の間にホット・ライン(緊急連絡用電話)が設けられているとハンガリー紙が報道。
DIA-104-1970-08-05-1中国1970年08月05日1970年代モスクワの消息筋によれば,新たにソ連の中国駐在大使に任命されたトルスチコフ氏の受入れに中国は同意。
DIA-104-1970-08-06-1中国1970年08月06日1970年代黒田寿男氏を団長とする社会党活動家代表団訪中。
DIA-104-1970-08-07-1中国1970年08月07日1970年代黒竜江革命委員会執筆グループ,「農業機械化をすみやかに実現するという偉大な任務のために奮闘しよう」-現在この省では各人民公社に平均6.7混合台=14.7標準台のトラクターがあり,耕地の40%を機耕しており,半数近くの生産隊では,脱穀,精米,製粉,除草,砕土などを機械化している。90%の県は農機修理製造工場を持ち,ほとんどの人民公社が農機具修理ステーションを持っている。
DIA-104-1970-08-07-2中国1970年08月07日1970年代中国・南イエーメン,経済技術協力協定に調印。
DIA-104-1970-08-10-1中国1970年08月10日1970年代人民日報,紀偉論文,「路線分析は良い」-大衆的に路線分析をくりひろげること,指導者自身の誤まりは公開し,大胆に指導すべきことを主張。
DIA-104-1970-08-10-2中国1970年08月10日1970年代中国船「東風号」,初のカナダ入港。
DIA-104-1970-08-10-3中国1970年08月10日1970年代佐々木更王氏を団長とする友好訪中団出発-成田委員長の周総理あての親書を携行。出発に先立って,党派を超えた日中国交回復国民大連合組織を結成し,日中関係打開へ国民運動を展開する意向を表明。
DIA-104-1970-08-11-1中国1970年08月11日1970年代毛主席,ロバヤ大統領評議会議長を団長とする南イエーメン代表団と会見(1日~13日訪中)。
DIA-104-1970-08-11-2中国1970年08月11日1970年代新任の馬子〓セイロン駐在大使赴任。
DIA-104-1970-08-12-1中国1970年08月12日1970年代毛主席,ニイメリ革命評議会議長を団長とするスーダン友好代表団と会見(6日~13日訪中)。
DIA-104-1970-08-12-2中国1970年08月12日1970年代中国・スーダン,経済技術協定および文化科学技術協力協定に調印。
DIA-104-1970-08-14-1中国1970年08月14日1970年代アメリカのジャーナリスト,エドガー・スノー氏,夫人とともに中国入り。
DIA-104-1970-08-14-2中国1970年08月14日1970年代中国・南イエーメン共同コミュニケ。周総理の南イエーメン訪問と1800万ポンドの無利息借款供与を約束。
DIA-104-1970-08-15-1中国1970年08月15日1970年代中ソ国境会談のソ連側首席代表イリイチョフ外務次官,北京に着任。
DIA-104-1970-08-15-2中国1970年08月15日1970年代新任の曽濤ユーゴスラビア駐在大使赴任。
DIA-104-1970-08-15-3中国1970年08月15日1970年代新任の呂志先ハンガリー駐在大使赴任。
DIA-104-1970-08-15-4中国1970年08月15日1970年代人民日報評論員論文「タイ反動派に警告する」,タイがカンボジアへ侵略軍を派遣していると非難。
DIA-104-1970-08-17-1中国1970年08月17日1970年代上海星火日夜商店,上海ではじめて24時間営業実現-3交代労働者のために公衆電話を設けたり,人民への奉仕に努めている。
DIA-104-1970-08-17-2中国1970年08月17日1970年代カンボジアに対する70年度無償軍事援助協定,北京で調印。
DIA-104-1970-08-17-3中国1970年08月17日1970年代中ソ国境通商会談がハバロフスクで始まる。
DIA-104-1970-08-17-4中国1970年08月17日1970年代日中覚書貿易の肥料交渉が妥結。硫安,尿素は総額469万トン(449億円)塩安は総額65万トン(70億円)でこれまでの最高。
DIA-104-1970-08-18-1中国1970年08月18日1970年代郭季蔚論文,「社会主義の大協作を讃える」-中国人民は工業大会戦という形式で協作を行なっている。これは各地区の主要な矛盾をとらえ,十数個,数十個の単位を組織し,集中突撃戦で効果をあげている。この大協作は業界,分業のカベを破り,工業自身の革命を促す。
DIA-104-1970-08-18-2中国1970年08月18日1970年代中国の対外貿易公司,日華協力委員会に出席した日本のすべての商社,企業を日中貿易から締出すと発表。新日鉄,東芝,川崎重工などとの断絶を正式通告。
DIA-104-1970-08-18-3中国1970年08月18日1970年代12年半にわたり北京に在住した西園寺公一氏,日本へ帰る。
DIA-104-1970-08-19-1中国1970年08月19日1970年代周総理,黒田氏を団長とする社会党活動家代表団と会見。
DIA-104-1970-08-19-2中国1970年08月19日1970年代日本国際貿易促進協会の荻原理事,日中貿易業界は日本航空と関西汽船の使用をボイコットするという方針を表明。
DIA-104-1970-08-20-1中国1970年08月20日1970年代周総理,パレスチナ解放機構(PLO)議長アラファト氏の特使フスニ・ユネス氏と会談。なお,23日のパレスチナ・ゲリラ機関紙アル・ファタは中国がパレスチナ・ゲリラ諸機構に対し「勝利の日まで」援助を与えることを保証したと伝える。
DIA-104-1970-08-20-2中国1970年08月20日1970年代周総理,佐々木友好訪中団と会見
DIA-104-1970-08-22-1中国1970年08月22日1970年代毛・林・周3首脳,ルーマニア解放26周年にあたり祝電。
DIA-104-1970-08-22-2中国1970年08月22日1970年代新華社,愛知外相のインド訪問を「反中国の陰謀画策」と非難。
DIA-104-1970-08-23-1中国1970年08月23日1970年代新任の姚広ポーランド駐在大使赴任。
DIA-104-1970-08-24-1中国1970年08月24日1970年代国家建設委員会執筆グループ,「大型の企業と中小型企業を同時に発展させる」-参考資料参照。
DIA-104-1970-08-25-1中国1970年08月25日1970年代新華社記者報道,「大寨は不断に前進する」
DIA-104-1970-08-26-1中国1970年08月26日1970年代早稲生産またもや豊収かちとる-高収区,低収区も共に伸びをみせた。
DIA-104-1970-08-26-2中国1970年08月26日1970年代新華社記者報道,「大寨人民公社は全大隊が大寨式大隊となる」-全公社平均の食糧生産量は1966年のムー当たり318斤から1969年には700斤を超える。
DIA-104-1970-08-26-3中国1970年08月26日1970年代スワラン・シン・インド外相,中国側が関係正常化への具体的措置をとるつもりならば,中国からのイニシアチブに応ずると述べる。
DIA-104-1970-08-28-1中国1970年08月28日1970年代ブレジネフ・ソ連共産党書記長,アルマアタの演説で,ソ連の党,政府は,中ソの国家関係の正常化だけでなく,友好関係の回復にも全力を尽す用意があると,中ソ関係の改善を強く呼びかけ。
DIA-104-1970-08-30-1中国1970年08月30日1970年代軍昆明部隊59医院,95%の火傷を直すことに成功-英雄戦士趙徳軍の火傷は3°と4°が90%に及んでいた。今年3月のこと。
DIA-104-1970-08-30-2中国1970年08月30日1970年代雲南省では90%の生産大隊に共同医療制度が設立された。 II 経済
DIA-104-1970-08-30-3中国1970年08月30日1970年代河北省農村では電気井戸により1人1ムーの灌漑化を実現。 III 外交
DIA-104-1970-08-30-4中国1970年08月30日1970年代周総理,リビア革命1周年に祝電。
DIA-104-1970-08-31-1中国1970年08月31日1970年代周総理,アジスアベバで開催のアフリカ諸国首脳会議へ祝電。
DIA-104-1970-08-31-2中国1970年08月31日1970年代人民日報評論員論文「アグニュー・アジア歴訪の悪らつな陰謀」 IV 日中
DIA-104-1970-08-31-3中国1970年08月31日1970年代光明日報,長弓論文「日本軍国主義は自ら行詰りの道をたどる」,日本の軍国主義の復活は独占資本の悪性膨張の結果であると論じる。 I 政治
DIA-104-1970-09-01-1中国1970年09月01日1970年代人民日報,紀維文論文,「労働者家族を集団労働に参加させよう」-家族という小天地から,広大な労働の戦場へ,これは移風移俗の大革命であると述べる。
DIA-104-1970-09-01-2中国1970年09月01日1970年代毛・林・周3首脳,北ベトナム建国25周年に対し祝電。
DIA-104-1970-09-02-1中国1970年09月02日1970年代李徳生,軍総政治部主任に就任と判明。
DIA-104-1970-09-03-1中国1970年09月03日1970年代中国の民間航空使節団訪英。
DIA-104-1970-09-03-2中国1970年09月03日1970年代米国の黒人組織ブラック・パンサーと平和運動の代表団,訪中。
DIA-104-1970-09-03-3中国1970年09月03日1970年代人民日報,解放軍報共同社説「復活した日本軍国主義を打倒しよう-中国人民の抗日戦争勝利25周年を記念して」(参考資料参照)。
DIA-104-1970-09-04-1中国1970年09月04日1970年代英戦略研究所による中国軍事力推計-中国ではICBM開発に最優先を与えており,近く西南太平洋もしくはインド洋に発射されよう。軍総兵力278万人,陸軍240万人で118師団。20キロトン単位で120発の原爆を持ち,現在所有のIRBMは「ソアー」に相当する力を持つ。中ソ国境では69年に6師,70年に9師のソ連軍が増強された。
DIA-104-1970-09-05-1中国1970年09月05日1970年代鍾青公論文,「大いに総合利用をやろう」-北京醸造酒工場が総合利用により肥料,農薬,化工原料などを生産するに至った例から,あらゆる「廃物」はみな利用でき,有害なものはこれを無害に転化すべし,と述べている。
DIA-104-1970-09-05-2中国1970年09月05日1970年代中国・ウガンダ,経済技術協力協定に調印。
DIA-104-1970-09-06-1中国1970年09月06日1970年代中国共産党第9期中央委員会第2回総会のコミュニケ発表-8月23日から9月6日まで開かれたもの(参考資料参照)。
DIA-104-1970-09-06-2中国1970年09月06日1970年代国家計画委員会執筆グループ,「自分で自分を武装する道を歩む」-重工業の基本的方向を示す。
DIA-104-1970-09-06-3中国1970年09月06日1970年代新華社記者報道,「日本はすでに名実ともに超警察国家」,日本は治安体制強化のため警察機構を異常に強化していると非難。
DIA-104-1970-09-07-1中国1970年09月07日1970年代周総理,ルサカで開催の第3回非同盟諸国首脳会議に祝電
DIA-104-1970-09-08-1中国1970年09月08日1970年代毛・林・周3首脳,北朝鮮独立22周年記念に祝電。
DIA-104-1970-09-09-1中国1970年09月09日1970年代江西省萍郷炭鉱は石炭を主に多種経営を展開-採炭の他この鉱山では製鉄工場,機械製造工場,セメント工場,化学工業など35工場を経営し,さらに石鹸を自給し,食糧生産,養豚,漢方薬栽培などを行なっている。
DIA-104-1970-09-10-1中国1970年09月10日1970年代秋季広州交易会への参加申込み,周4条件にもかかわらず618社,1253人で春季を上回る。
DIA-104-1970-09-12-1中国1970年09月12日1970年代中国・セイロン,借款協定に調印。1100万ドルの規模。
DIA-104-1970-09-13-1中国1970年09月13日1970年代人民日報評論員論文「ソ連・西独条約を評す」-ソ連,西ドイツ武力不行使協定は「ヨーロッパの覇権獲得をめざすソ修と米帝のあいだの結託と争奪の産物」であると非難。
DIA-104-1970-09-14-1中国1970年09月14日1970年代モスクワ放送,9期2中全会のコミュニケは中ソ関係正常化に反するものと非難。
DIA-104-1970-09-14-2中国1970年09月14日1970年代人民日報社説「アジア,アフリカ,ラテンアメリカ人民の団結反帝事業は必ず勝利する」-非同盟諸国首脳会議の成功を祝賀。
DIA-104-1970-09-15-1中国1970年09月15日1970年代新日本通商,日中貿易へ復帰。
DIA-104-1970-09-16-1中国1970年09月16日1970年代ソ連政府はトルスチコフ・レニングラード州党第1書記を中国駐在大使に任命(正式発表)。
DIA-104-1970-09-16-2中国1970年09月16日1970年代日本国際貿易促進協会,秋の交易会と平行して20数項目の技術交流を行なうことで中国側と合意。
DIA-104-1970-09-17-1中国1970年09月17日1970年代米は中国の核積載機の開発を探知-TU・16改良型の双発中距離ジェット機で航行2,400km,月産4~5機。ワシントン・ポスト紙による。
DIA-104-1970-09-17-2中国1970年09月17日1970年代人民日報評論員論文「米国の労働者階級の新たな自覚」,米GMストを支援。
DIA-104-1970-09-18-1中国1970年09月18日1970年代山西省で有線放送の多元利用方式開発-同省の生産隊の80%は有線放送が通じ,多元利用により同じ線で電話も可能となった。
DIA-104-1970-09-18-2中国1970年09月18日1970年代軽工業部門は次々と最高記録をつくる-1~8月の生産量を去年同期とくらべると,綿布が19%,砂糖,巻タバコ,原塩,洋紙,ミシン,自転車,時計,洗剤,電球などが6~55%の増加,質は向上し,品質も多様化した。黒竜江省では今年前半に3000余の工場,グループを起こし製品は300余種にのぼる。
DIA-104-1970-09-18-3中国1970年09月18日1970年代中ソ東部国境通商会談妥結,議定書調印される。交渉妥結は3年ぶり。
DIA-104-1970-09-19-1中国1970年09月19日1970年代「淮河の根治に関する2つの路線の闘争:劉少奇とその代理人の反革命修正主義治水路線を批判する」-水利電力部革命大批判執筆クループと安徽省革命委員会大批判執筆グループによる。劉少奇の専門家主義と分断主義を批判。
DIA-104-1970-09-19-2中国1970年09月19日1970年代山西省革命委員会全体会議,「『農業は大寨に学ぶ』運動の新しい高まりをまき起そう」と決議-大寨に学ぶ運動の全国化の第一弾。
DIA-104-1970-09-19-3中国1970年09月19日1970年代人民日報評論員論文「パレスチナの革命の烈火を消すことはできない」
DIA-104-1970-09-19-4中国1970年09月19日1970年代新任の樊作楷ソマリア駐在大使赴任。
DIA-104-1970-09-19-5中国1970年09月19日1970年代共同通信北京特派員へ退去通告。同社がアジア通信社連合第3回総会主催は「2つの中国」をつくる活動に参加したことになるとの理由。
DIA-104-1970-09-20-1中国1970年09月20日1970年代新任の宋之光・東独駐在大使赴任。
DIA-104-1970-09-20-2中国1970年09月20日1970年代謝鶴軽工業部副部長を団長とする政府代表団,マリ訪問。
DIA-104-1970-09-20-3中国1970年09月20日1970年代公明党の日中正常化国民協議会の発起人会開催。
DIA-104-1970-09-21-1中国1970年09月21日1970年代清華大学と北京大学に4000余の学生入学。 II 経済
DIA-104-1970-09-21-2中国1970年09月21日1970年代中国政府声明-ヨルダンの新軍事政権に反対するパレスチナ・ゲリラの闘争を支持。
DIA-104-1970-09-23-1中国1970年09月23日1970年代「人民日報」社説,「農業は大案に学べ」-山西省昔陽県は去年ムーあたりの平均食糧生産量は「全国農業発展要綱」に指定された水準を超えた。昔陽の貴い点は県の範囲で全面的に大寨に学んだ点にある。 このことは各県の指導的な同志に一つの十分にするどい問題を提起している。「昔陽がなしうるのに,君達はどうしてやれぬのだ? 1年でもだめ,2年でもだめ,3年でもやれぬのか? 4年,5年なら何とかなるのではないのか!」
DIA-104-1970-09-23-2中国1970年09月23日1970年代「人民日報」通信員,「大寨大隊から昔陽県へ-山西省昔陽県の大寨に学んだ調査報告」
DIA-104-1970-09-23-3中国1970年09月23日1970年代毛主席と林副主席,グエン・コン国家計画委員会議長を団長とする北ベトナム政府経済代表団と会見(12日~10月7日訪中)。
DIA-104-1970-09-24-1中国1970年09月24日1970年代最近,湖南省株洲市で全国田植え機現場会議開催-田植え機は大面積使用の時代に入った。株洲県では1966年の5台から今年3700余台に増加,機械田植え面積は6万5000ムーに達す。人力,畜力,人引き,動力,巻苗式,草縄式,小苗帯土移植機など数10種の田植機が展示試用された。
DIA-104-1970-09-25-1中国1970年09月25日1970年代毛主席,パキスタン海軍司令官ムザファル.ハッサン中将ら一行と会見(18日~26日訪中)。
DIA-104-1970-09-25-2中国1970年09月25日1970年代法務省,在日華商の秋季広州交易会参加申請に対し,38人の参加を許可。
DIA-104-1970-09-26-1中国1970年09月26日1970年代モーガン英外務省極東部長,訪中(AP)。
DIA-104-1970-09-26-2中国1970年09月26日1970年代中国外交部,米艦機の広東省西沙群島領海,領空侵犯に476回目の警告。
DIA-104-1970-09-28-1中国1970年09月28日1970年代東北地方25都市で「4合1」の環形配電システムを実現,年1億kWhを節約。 III 外交
DIA-104-1970-09-28-2中国1970年09月28日1970年代毛主席アブディル・ケレジ国家計画委員会議長を団長とするアルバニア政府経済代表団と会見(訪中8月14日)。
DIA-104-1970-09-28-3中国1970年09月28日1970年代人民日報評論員論文「米侵略者は朝鮮南部から出ていけ」,26日の北朝鮮外務省スポークスマンの声明を支持し,米帝国主義の戦争挑発を非難。
DIA-104-1970-09-29-1中国1970年09月29日1970年代董必武国家副主席と周総理,ナセル・アラブ連合大統領の死去へ弔電。郭沫若氏,葬儀出席のためカイロへ赴く。 IV 日中
DIA-104-1970-09-29-2中国1970年09月29日1970年代国慶節に参加する中島健蔵氏を団長とする日中文化交流協会代表団が北京到着。 I 政治
DIA-104-1970-10-01-1中国1970年10月01日1970年代第21回国慶節-毛沢東主席,林彪副主席,シアヌーク殿下らが天安門にのぼった。林彪は演説の中で,第4次5カ年計画に言及した。
DIA-104-1970-10-01-2中国1970年10月01日1970年代3紙誌社説,「ひきつづき革命を行ない,勝利にのって前進しよう」-高級幹部はマルクス,エンゲルス,レーニン,スターリンの理論を研究すること,を強調。
DIA-104-1970-10-01-3中国1970年10月01日1970年代国慶節に出席した各国訪中団-アルバニア政府経済代表団,北ベトナム政府経済代表団,北朝鮮政府経済代表団,パキスタン政府友好代表団,タンザニア軍事代表団,ビルマ共産党とインドネシア共産党の各代表団,日中文化交流協会代表団,エドガー・スノー氏夫妻。
DIA-104-1970-10-04-1中国1970年10月04日1970年代副総参謀長李天佑死去。
DIA-104-1970-10-05-1中国1970年10月05日1970年代民社党の西村委員長,同党主催の「中国問題セミナー」で「一つの中国」論への転換を表明。
DIA-104-1970-10-06-1中国1970年10月06日1970年代唯物弁証法を活用して家庭の革命化をはかる-湖南省汨罹県汨罹公社の曹新華論文。家庭にも階級的観点と矛盾の存在論をつらぬき,家の欠点を外に出すことを恥じるな,と述べている。
DIA-104-1970-10-06-2中国1970年10月06日1970年代中国・ベトナム,経済技術援助協定および軍事援助議定書に調印。
DIA-104-1970-10-07-1中国1970年10月07日1970年代周総理,日中文化交流協会代表団と会見。
DIA-104-1970-10-08-1中国1970年10月08日1970年代周総理,ウガンダ独立記念日にあたって祝電。
DIA-104-1970-10-08-2中国1970年10月08日1970年代日中国交回復促進議員連盟,年内発足をめざし世話人会を開く。
DIA-104-1970-10-09-1中国1970年10月09日1970年代中共中央,朝鮮労働党創立25周年に祝電。
DIA-104-1970-10-09-2中国1970年10月09日1970年代浅沼殉難10周年記念行事参加のため,黒田寿男氏を団長とする社会党訪中団および宮崎世民氏を団長とする日中協会(正統)訪中団,北京着。
DIA-104-1970-10-10-1中国1970年10月10日1970年代中国政府声明-カンボジアのロン・ノル集団の「共和国」宣言を米帝の演出による茶番劇と非難。
DIA-104-1970-10-10-2中国1970年10月10日1970年代新任のトルスチコフ中国駐在ソ連大使着任。
DIA-104-1970-10-11-1中国1970年10月11日1970年代中国政府特使・王雨田駐コンゴ大使,赤道ギニア独立2周年記念式典に出席するため同国訪問。
DIA-104-1970-10-11-2中国1970年10月11日1970年代アラブ連合駐在中国大使,カイロでインド大使と接触し,中印関係改善で会談したもよう。
DIA-104-1970-10-11-3中国1970年10月11日1970年代周総理,宮崎世民氏を団長とする日中友好協会(正統)訪中団と会見。
DIA-104-1970-10-12-1中国1970年10月12日1970年代人民日報,ラオス独立25周年記念社説「ラオス人民の抗米救国戦争は必ず勝利する」
DIA-104-1970-10-12-2中国1970年10月12日1970年代浅沼日本社会党元委員長の殉難10周年記念集会,北京で開催。周総理,郭沫若,社会党代表団,日中友好協会(正統)代表団,日中文化交流協会代表団など参加。
DIA-104-1970-10-12-3中国1970年10月12日1970年代周総理,黒田寿男氏を団長とする浅沼殉難記念活動に参加した社会党訪中団と会見。
DIA-104-1970-10-13-1中国1970年10月13日1970年代中国・カナダ,外交関係を樹立-共同コミュニケの中で台湾が中国領土の不可分の一部であるという中国政府の表明に対し,カナダ政府はその「立場に留意する」と表明。
DIA-104-1970-10-13-2中国1970年10月13日1970年代人民日報評論員論文「拙劣なペテン」,7日のニクソン提案を非難。
DIA-104-1970-10-14-1中国1970年10月14日1970年代中国は,米,ソと時を同じく核実験を行なった。
DIA-104-1970-10-14-2中国1970年10月14日1970年代毛主席,クーブドミュルビル前仏首相と会見(6日訪中)。
DIA-104-1970-10-15-1中国1970年10月15日1970年代秋季中国輸出商品交易会開幕-(~11月15日)来賓1万数千人に達す。
DIA-104-1970-10-15-2中国1970年10月15日1970年代中国・赤道ギニア,外交関係を樹立
DIA-104-1970-10-16-1中国1970年10月16日1970年代中国・アルバニア,長期・無利息借款供与協定および1971~75年度物資交換支払い協定に調印。
DIA-104-1970-10-16-2中国1970年10月16日1970年代周総理から社会党第5次訪中団へ正式招電。
DIA-104-1970-10-17-1中国1970年10月17日1970年代中国・北朝鮮,経済・技術援助協定および1971~76年相互主要物資供給に関する協定に調印。
DIA-104-1970-10-17-2中国1970年10月17日1970年代中国科学院と国立チラナ大学,科学協力計画に調印。
DIA-104-1970-10-18-1中国1970年10月18日1970年代「紅旗」雑誌短評,「指導的幹部は率先して学ばなければならない」-プロレタリア階級の世界観で自覚的に自己の実践を指導すべく,努力してマルクス主義,レーニン主義,毛沢東思想の水準と自覚を高めよ,と述べている。
DIA-104-1970-10-18-2中国1970年10月18日1970年代サンデータイムズは,中国がエベレスト北登頂ルートに世界最高のレーダーサイトを完成した,と報道。
DIA-104-1970-10-19-1中国1970年10月19日1970年代商業部革命大批判執筆グループ,「わが国社会主義商業の方向」-参考資料参照。
DIA-104-1970-10-19-2中国1970年10月19日1970年代周総理,フィジー独立にあたり祝電。
DIA-104-1970-10-20-1中国1970年10月20日1970年代農林部新設,責任者に中士。 △軍は毛主席のプロレタリア建軍路線に沿って確固として前進-古田会議決議41周年,1960年中央軍委拡大会議決議10周年を迎えた軍の状況ルポ。
DIA-104-1970-10-20-2中国1970年10月20日1970年代香港政庁,1967年の反英暴動で逮捕していた中国人4人を釈放したと発表。
DIA-104-1970-10-20-3中国1970年10月20日1970年代中国・ルーマニア科学技術協力委員会第13回会議議定書に調印。
DIA-104-1970-10-20-4中国1970年10月20日1970年代秋季広州交易会参加の日本人関係者は全員日航機をボイコットしたことが判明。
DIA-104-1970-10-23-1中国1970年10月23日1970年代海島新漁村:山東省栄成県石島公社公魚島大隊-1138戸からなるこの漁村は漁業(今年生産は1850万斤)の他,こんぶの養殖(260万斤),造船,加工なども行ない,100ムーの耕地を拓いて野菜は自給,食糧も自給に近づいている。
DIA-104-1970-10-23-2中国1970年10月23日1970年代曽思玉・解放武漢部隊司令員を団長とする中国人民友好代表団,中国人民志願軍人朝作戦20周年記念活動に参加するため北朝鮮訪問。
DIA-104-1970-10-24-1中国1970年10月24日1970年代北京で中国人民志願軍の朝鮮戦争参戦記念集会。25日,沈陽と丹東でも集会あり。
DIA-104-1970-10-24-2中国1970年10月24日1970年代1968年以来抑留された英国人船員ピーター・クラウチ氏,釈放さる。
DIA-104-1970-10-24-3中国1970年10月24日1970年代成田委員長を団長とし,石橋国際局長を副団長とする第5次社会党訪中団,北京到着。 △人民日報評論員論文「完全に暴露した野望」,中曽根防衛庁長官の訪米帰国談話を批判。
DIA-104-1970-10-25-1中国1970年10月25日1970年代人民日報,解放軍報共同社説「鮮血で築かれた偉大な友誼」-中国人民志願軍入朝作戦20周年を記念。24日に大衆1万人が参加して北京で記念集会を開催。
DIA-104-1970-10-25-2中国1970年10月25日1970年代社会党訪中団と中国側の会談開始。中国側は郭洙若・中日友好協会名誉会長を団長,王国権氏を副団長とする。
DIA-104-1970-10-26-1中国1970年10月26日1970年代タンザニア-ザンビア鉄道の起工式-タンザニアのダルエスサラームで挙行,方毅対外経済連絡委員会主任を団長とする政府代表団が参加。
DIA-104-1970-10-26-2中国1970年10月26日1970年代岩井前総評事務局長ら総評,中立労連の労組幹部の来年1月の訪中に中国側が了承。
DIA-104-1970-10-26-3中国1970年10月26日1970年代周総理,社会党訪中団と会見。 I 政治
DIA-104-1970-10-28-1中国1970年10月28日1970年代周総理,チリ大統領当選のアリエンデ氏に祝電。
DIA-104-1970-10-29-1中国1970年10月29日1970年代安徽省淮北地区に〓阜鉄道が開通-〓渓・阜陽を結ぶ約150kmの鉄道で淮北の発展に使立つ。 III 外交
DIA-104-1970-10-30-1中国1970年10月30日1970年代「人民日報」社説,「まじめに毛主席の哲学著作を学習しよう」-当面は指導グループ自身の学習を強化し,さらに全党におし広めよ,と述べている。 II 経済
DIA-104-1970-10-31-1中国1970年10月31日1970年代中共中央委員2人を含む中国労働者代表団,アリエンデ大統領の就任祝賀行事へ参加のためチリ訪問。 IV 日中
DIA-104-1970-11-01-1中国1970年11月01日1970年代軍鉄道兵執筆グループ,「毛沢東思想はわれわれが多く,早く,りっぱに,むだなく鉄道を修建するよう導びく」-「紅旗」11号所載。
DIA-104-1970-11-01-2中国1970年11月01日1970年代中共中央,朝鮮労働党第5回代表大会へ祝電。
DIA-104-1970-11-01-3中国1970年11月01日1970年代日本社会党,中日友好協会が共同声明に調印(参考資料参照)
DIA-104-1970-11-01-4中国1970年11月01日1970年代人民日報評論員論文「日本軍国主義の動かせない証拠-佐藤政府のいわゆる『防衛白書』を評す」
DIA-104-1970-11-02-1中国1970年11月02日1970年代中国・ギニア,経済技術協力協定議定書に調印。
DIA-104-1970-11-03-1中国1970年11月03日1970年代台湾政府,中国新憲法草案を入手,これを公表。
DIA-104-1970-11-03-2中国1970年11月03日1970年代日本共産党機関紙「赤旗」,上田政策委員長の論文「4つの敵論の事実上の導入」で成田訪中団は中国側に追随し,国内の統一戦線を阻害する“4つの敵”論に同調したと非難。
DIA-104-1970-11-04-1中国1970年11月04日1970年代光明日報,陶第文論文「屍をよみがえらせる米日反動派の陰謀をあばく-日本の反動映画『山本五十六』を評す」
DIA-104-1970-11-05-1中国1970年11月05日1970年代天津市交通運輸と工商業部門は初歩的に水陸聯合運輸網を形成-こうして北京・天津間の空トラックが20%以下になった。
DIA-104-1970-11-06-1中国1970年11月06日1970年代鉄道兵某部副排長,再啓槍,「実践をくりかえし,安全施工の規律を掌握する」-トンネル工事における山崩れに科学的に対処する経験。
DIA-104-1970-11-06-2中国1970年11月06日1970年代中国・イタリア外交関係を樹立,カナダ方式。 △ソ連10月革命53周年にあたり全国人民代表大会常務委員会と国務院が祝電。
DIA-104-1970-11-08-1中国1970年11月08日1970年代倪志欽,長沙で行なわれた走り高跳で2m29cmの世界記録を出す。
DIA-104-1970-11-09-1中国1970年11月09日1970年代人民日報社説「勝利は英雄的なカンボジア人民のものである-カンボジア建国17周年を祝って」。革命大衆1万人が参加して祝賀集会,北京で挙行。
DIA-104-1970-11-09-2中国1970年11月09日1970年代人民日報評論員論文「陰険な政治的ワナ」,米とイスラエルの「パレスチナ国」画策を非難。
DIA-104-1970-11-11-1中国1970年11月11日1970年代毛主席,ドゴール将軍の死去にあたりドゴール夫人に弔電。
DIA-104-1970-11-12-1中国1970年11月12日1970年代国連総会の中国代表権問題討議でフィリップス米国連大使が「2つの中国」を示唆する演説,中国を初めて正式名で呼び,中国の国連参加へ理解を示す。
DIA-104-1970-11-12-2中国1970年11月12日1970年代グリシン貿易省次官を団長とするソ連政府貿易代表団,訪中。
DIA-104-1970-11-13-1中国1970年11月13日1970年代全国商業系統の廃旧物質の回収と利用は成績大-11の都市の不完全な統計によれば,今年の廃旧物資買入れ総額は1966年の同期比28%増,うち鋼鉄は65%,有色金属は35%増。北京,上海,天津のこの4年間の総合利用加工生産額は1億2700余万元に達する。
DIA-104-1970-11-13-2中国1970年11月13日1970年代毛主席ヤヒア・カーン・パキスタン大統領と会見(10日~14日訪中)。
DIA-104-1970-11-14-1中国1970年11月14日1970年代政治夜学校で大衆の自覚が高まる-福建省南安県詩山公社華美大隊ではこの夜学に成人の90%が参加,「風水」の迷信を克服して水田を開いた。
DIA-104-1970-11-14-2中国1970年11月14日1970年代中国・パキスタン,共同コミュニケおよび経済技術協力協定に調印。パキスタンの第4次開発計画に対して2億ドルの無利息借款供与。
DIA-104-1970-11-14-3中国1970年11月14日1970年代中共中央,朝鮮労働党の新中央委員の選出にあたり祝電。
DIA-104-1970-11-15-1中国1970年11月15日1970年代大慶油田革命委員会副主任,王進喜死去-47歳,18日北京と大慶で追悼式挙行。 II 経済
DIA-104-1970-11-16-1中国1970年11月16日1970年代英紙デーリー・メール,中国は日本のYS11,英国のVC10,BAC111旅客機を各30ないし50機づつ購入し国際航空路を開設しようと計画していると報道。
DIA-104-1970-11-16-2中国1970年11月16日1970年代新任の中国駐在ビルマ大使着任。
DIA-104-1970-11-17-1中国1970年11月17日1970年代福建省度峰製糖工場では甘蔗カスを原料に人造繊維を生産。
DIA-104-1970-11-17-2中国1970年11月17日1970年代海河水系治水のうち「北四河」工程が開工-永定河,北運河,潮白河,薊運河を含むもので8万5600km2の地域。
DIA-104-1970-11-17-3中国1970年11月17日1970年代中国紅十字会,東パキスタンの風水害へ現金と救援物資あわせて300万元を贈る。
DIA-104-1970-11-18-1中国1970年11月18日1970年代周総理,トルスチコフ中国駐在ソ連大使と会見。
DIA-104-1970-11-19-1中国1970年11月19日1970年代日本政府,来年度から低開発国への特恵関税実施にあたり,国交のない国は原則として除く方針。しかし,中国については希望があれば,特恵関税なみの優遇措置を与える方針を表明。
DIA-104-1970-11-20-1中国1970年11月20日1970年代人民日報社説,「ラテンアメリカ諸国の領海権を守る闘争を支持する」-ラテンアメリカ14カ国の領海範囲200海里の主張に支持を表明。
DIA-104-1970-11-20-2中国1970年11月20日1970年代国連総会,アルバニアなど18カ国提案の「中国招請,国府追放」決議案を可決-日本,米国などの19カ国提案の「重要事項指定」決議案も可決。
DIA-104-1970-11-20-3中国1970年11月20日1970年代国連総会の中国代表権問題への投票において,日本,重要事項指定案へ賛成,アルバニア案へ反対。
DIA-104-1970-11-21-1中国1970年11月21日1970年代人民日報社説「レアードの野蛮なわめきに反駁する」,米軍機の北ベトナムでの撃墜に報復を行なうというレアード米国務長官の言明を非難。
DIA-104-1970-11-22-1中国1970年11月22日1970年代人民日報社説「ベトナム人民は立派に戦った」,21日の米軍機の北ベトナム爆撃を非難。
DIA-104-1970-11-22-2中国1970年11月22日1970年代新任の劉新権ソ連駐在大使赴任。
DIA-104-1970-11-22-3中国1970年11月22日1970年代中国・ソ連,バーター支払い協定に調印。
DIA-104-1970-11-22-4中国1970年11月22日1970年代新華社報道,国連総会の中国代表権問題の表決結果を論評し,日本反動派の米帝国主義に追随した敵視政策を非難。
DIA-104-1970-11-23-1中国1970年11月23日1970年代中国外交部,米軍機の広東省西沙群島領空侵犯に477回目の警告。
DIA-104-1970-11-23-2中国1970年11月23日1970年代人民日報評論員論文「ポルトガル植民地主義者と外国雇い軍がギニアを侵略したことを最も烈しく糾弾する」
DIA-104-1970-11-23-3中国1970年11月23日1970年代米紙ニューヨーク・タイムズ,中国は準中距離核ミサイル(MRBM)の配備を一部すでに始めていると報道。
DIA-104-1970-11-23-4中国1970年11月23日1970年代楊守正駐スーダン大使,エチオピア訪問。
DIA-104-1970-11-24-1中国1970年11月24日1970年代中国政府外交部声明-21日の米軍機の北ベトナム爆撃を非難し,北ベトナム外務省の21日の声明を支持。
DIA-104-1970-11-24-2中国1970年11月24日1970年代中国・エチオピア,外交関係を樹立(12月1日発表)。
DIA-104-1970-11-24-3中国1970年11月24日1970年代秋季広州交易会の成約高は輸出入合計1億5000万ドル程度で昨秋の成約高(1億9000万ドル)を大幅に下回ったもよう。
DIA-104-1970-11-25-1中国1970年11月25日1970年代江蘇省無錫市で最近全国セメント造船工業経験交流会開かる-国家基本建設委員会と交通部が召集したもの。セメント船の生産量は文革前の2.7倍になり,種類も数種から200余種に多様化している。
DIA-104-1970-11-25-2中国1970年11月25日1970年代西北で初めての現代化大型露天炭鉱,ハミ鉱務局露天炭鉱が生産に入る。
DIA-104-1970-11-25-3中国1970年11月25日1970年代中国政府声明-ポルトガル植民地主義者と外国雇い兵のギニア侵入を非難。
DIA-104-1970-11-25-4中国1970年11月25日1970年代中国・ルーマニア,長期無利息借款供与協定に調印。
DIA-104-1970-11-27-1中国1970年11月27日1970年代周総理,ブルウンジ建国4周年を祝ってブルウンジ大統領へ祝電。
DIA-104-1970-11-28-1中国1970年11月28日1970年代毛・林・周3首脳,アルバニア解放26周年へ祝電。 IV 日中
DIA-104-1970-11-28-2中国1970年11月28日1970年代新華社記者報道「日本軍国主義復活のいま一つの動かせない証拠」,三島事件を論評。12月4日の人民日報評論員論文「危険な信号」は,三島事件を米日反動派が軍国主義復活に拍車をかけている危険な信号だと論評。 I 政治
DIA-104-1970-11-29-1中国1970年11月29日1970年代大連染料工場で大衆的経済採算活動を展開-大衆による経済活動分析会を開き大衆の積極性を高め,労働者,幹部,財務人員の3結合による採算網を作り,仕事場には経済採算黒板を設けて日々の流れを記録している。参照:蔡正論文,「毛沢東思想で経済採算を統率せよ」 III 外交
DIA-104-1970-12-01-1中国1970年12月01日1970年代広東省で9つの大学,専門学校が開校。
DIA-104-1970-12-01-2中国1970年12月01日1970年代鉱山建設のモデル,河北省邯〓冶金鉱山公司-この企業は文革後,大中型鉄鉱山3所,中小型選鉱工場3所を建設,老鉱2つを回春拡大し,機械修理工場を拡張し,催品自給率を20%から70%へ高めた。1969年の産出量は1966年の3倍,今年前3季の産出量は去年同期の52%増。同時に付近の県と人民公社が35の小鉄鉱山を建設するのを援助した。
DIA-104-1970-12-01-3中国1970年12月01日1970年代田丁・赤道ギニア駐在臨時代理大使赴任。
DIA-104-1970-12-01-4中国1970年12月01日1970年代沙風農林部副部長を団長とする中国政府代表団,モーリタニア訪問。
DIA-104-1970-12-01-5中国1970年12月01日1970年代チリと中国,パリで外交関係樹立交渉を開始。
DIA-104-1970-12-03-1中国1970年12月03日1970年代山東省煙台地区は小型鉄鋼コンビナートを形成-地区革命委員会は,採鉱,選鉱,球団,焼結,鋳鉄,煉鋼,ミリングなどを備えた比較的整った小型コンビナートを作りあげた。去年10月ここで全国中小鋼鉄現場経験交流会議が開かれた。鉱山建設を強め現地に材料を確保すること,農業機械化支援の方向を堅持することが強調されている。
DIA-104-1970-12-03-2中国1970年12月03日1970年代新華社記者報道「米日反動派,新たな反革命同盟を結成,中国領土の海底資源の略奪を画策」-日韓台3国による尖閣列島の海底石油資源の協力開発を非難。尖閣列島は中国領土であると主張。
DIA-104-1970-12-03-3中国1970年12月03日1970年代愛知外相,国連の中国代表権問題の取扱いについて従来の方針を今後も維持していくことは不適当と,方針転換を示唆。
DIA-104-1970-12-04-1中国1970年12月04日1970年代中央軍委,葉洪海に「模範飼養員」の称号を与える-葉は北京部隊某機甲部隊の戦士で,「中曲」というを用い発酵飼料を作り養豚事業に貢献した。
DIA-104-1970-12-04-2中国1970年12月04日1970年代北京駐在の外国特派員,新華社職員と交歓。
DIA-104-1970-12-04-3中国1970年12月04日1970年代アジア旅行中のローマ法王,香港で中国へ間接的に呼びかけ。
DIA-104-1970-12-05-1中国1970年12月05日1970年代新任の張徳群キューバ駐在大使赴任。
DIA-104-1970-12-05-2中国1970年12月05日1970年代李強奮イエーメン人民共和国(旧南イエーメン)駐在大使,昇任に関しロバヤ大統領評議会議長に信任状提出。
DIA-104-1970-12-05-3中国1970年12月05日1970年代日経新聞と西日本・北海道新聞合同,各1名の北京駐在特派員の来年1月からの入国が許可される。
DIA-104-1970-12-06-1中国1970年12月06日1970年代カマド改良による都市,農村の生活用石炭,薪の節約運動の成果上がる-各地で改良されたカマドは20~70%の節約になっており,西安市では97%のカマドが改良された。河南省鎮平県では81%の農戸が新カマドを採用60%の燃料を節約している。
DIA-104-1970-12-06-2中国1970年12月06日1970年代周総理,郭沫若氏,浅沼元社会党委員長未亡人と会見。
DIA-104-1970-12-07-1中国1970年12月07日1970年代人民日報評論員論文「朝鮮人民に対する米帝の挑発を粉砕しよう」,米軍機の北朝鮮領空侵犯を非難
DIA-104-1970-12-07-2中国1970年12月07日1970年代人民日報評論員論文「恥しらずな恐かつ」,米国防総省スポークスマンの「限定北爆」正当化の声明に非難,反駁。
DIA-104-1970-12-08-1中国1970年12月08日1970年代航空工業執筆グループ,「『技術神秘論』に反駁す」-中国人民が大いに航空産業を起こすことは必要であるし,また,可能である。
DIA-104-1970-12-08-2中国1970年12月08日1970年代イタリアの中国駐在臨時代理大使着任。
DIA-104-1970-12-08-3中国1970年12月08日1970年代周総理,姚文元政治局委員,菅沼正久,常山昇氏らと会見。
DIA-104-1970-12-09-1中国1970年12月09日1970年代山東省革命委員会は最近農村工作会議開く-今年春以来推進してきた大寨に学ぶ運動を総括し,今後の方針を確定した。山東省ではすでに大寨に学ぶ運動は空前のもり上がりをみせ,今年ムー当たりの食糧生産が1000斤を超えた生産大隊は200余になった。これまで立ち遅れていた済寧地区の指導者は全区幹部大会で誤まりを進んで自己批判し,この結果,各級幹部と大衆の積極性が盛上がるようになった。目下全省で1000万人が農田水利建設に投入され,省,地区,県の幹部7000余名は深く第一線に入って指揮に当たっている。
DIA-104-1970-12-09-2中国1970年12月09日1970年代中国・北朝鮮,科学技術協力委員会第11回会議の議定書に調印。
DIA-104-1970-12-09-3中国1970年12月09日1970年代新任の陳志方スイス駐在大使赴任。
DIA-104-1970-12-09-4中国1970年12月09日1970年代日中国交回復促進議員連盟発足-参加議員数社会154,自民95,公明71,民社37,無所属1の合計379名。会長に藤山愛一郎氏。第1回総会宣言で党派をこえて日中間の法的な戦争状態に終止符をうち,平和共存,内政不干渉の原則の下に国交回復に努力する旨をうたう。
DIA-104-1970-12-11-1中国1970年12月11日1970年代1~9月の全国石油節約量は24万トンに達す。
DIA-104-1970-12-11-2中国1970年12月11日1970年代周総理ケニア独立記念日に祝電。
DIA-104-1970-12-12-1中国1970年12月12日1970年代蘭州の第11冶金建設公司は農民のために農地を造成-903工場を建設するに当たり240余ムーの工場用地を節約したばかりでなく,鉱山空地に840余ムーの農地を造成した。
DIA-104-1970-12-12-2中国1970年12月12日1970年代公明党のよびかけによる日中国交正常化国民協議会発足。
DIA-104-1970-12-13-1中国1970年12月13日1970年代中国共産党湖南省第3期委員会選出さる-11月24日から12月4日まで長沙で開かれた大会には920名の代表が出席,省委75名,候補15名を選出した。第1書記:華国鋒,書記:卜占亜,副書記:楊大易。
DIA-104-1970-12-13-2中国1970年12月13日1970年代蘭州第11冶金建設公司ではコンクリートの木枠の代わりに土枠を使用。
DIA-104-1970-12-13-3中国1970年12月13日1970年代中共中央,中国政府,声明-10日のベトナム労働党中央委員会とベトナム政府声明を支持。ニクソン米大統領の北爆再開警告を非難。
DIA-104-1970-12-13-4中国1970年12月13日1970年代人民日報社説「ベトナム人民が抗米救国戦争を完全な勝利までおしすすめるのを断固支持する」-ベトナム人民の「強固な後だて」としてベトナム人民の抗米救国戦争を最後まで全面支援すると表明。
DIA-104-1970-12-13-5中国1970年12月13日1970年代光明日報陶第文論文「日本軍国主義の侵略の野心の大暴露-日本の反動映画『日本海大海戦』を評す」
DIA-104-1970-12-14-1中国1970年12月14日1970年代上海金山県楓囲公社では豚の病気に漢法薬と針を使う。
DIA-104-1970-12-14-2中国1970年12月14日1970年代周総理,チリ中国文化協会代表団と会見(訪中11月28日~12月16日)。
DIA-104-1970-12-14-3中国1970年12月14日1970年代佐藤首相,衆院予算委員会の答弁で,北京政府と法的には戦争状態にあるといえると述べる。
DIA-104-1970-12-15-1中国1970年12月15日1970年代北京で中国初めての新型選鉱工場建設-無媒質干磨乾選の新工芸を使ったもの。
DIA-104-1970-12-15-2中国1970年12月15日1970年代新任の宮達非イラク駐在大使赴任。
DIA-104-1970-12-15-3中国1970年12月15日1970年代中国・チリ,外交関係樹立に関する共同コミュニケに調印-台湾問題についてはカナダ方式(1971年1月5日発表)。
DIA-104-1970-12-17-1中国1970年12月17日1970年代天津市革命大批判執筆グループ,「哲学の解放万才」-「労農兵の哲学学習を破壊した楊献珍の反革命の誤った理論を批判する」
DIA-104-1970-12-17-2中国1970年12月17日1970年代中国・カンボジア,友好相互不可侵条約調印10周年レセプション,北京で開催。
DIA-104-1970-12-18-1中国1970年12月18日1970年代雲南省革命委員会主任,譚甫仁死去-60歳。1928年2月紅軍に参軍,5月中国共産党に入党。
DIA-104-1970-12-18-2中国1970年12月18日1970年代電力工業部門では現有設備を改造して発電能力を高めている-今年来の技術革新による能力拡大量は今年新設と増加の発電機総容量に等しい。
DIA-104-1970-12-18-3中国1970年12月18日1970年代第1機械工業部,北京で全国県農機修造工場工作機械設備展覧会開く-すでに全国の90%前後の県が農機修造工場を持ち,工作機械の量は文革前の倍になっている。
DIA-104-1970-12-19-1中国1970年12月19日1970年代毛・林・周3首脳,南ベトナム民族解放戦線成立10周年を記念してグエン・フー・ト議長に祝電。
DIA-104-1970-12-19-2中国1970年12月19日1970年代7月10日以来黒竜江省黒河鎮で開かれていた中ソ国境河川航行合同委員会第16回例会閉幕。合意に達せず,71年にソ連国内で再開の予定と中国側発表。
DIA-104-1970-12-20-1中国1970年12月20日1970年代南ベトナム民族解放戦線中央委員会代表団を招いて南ベトナム民族解放戦線成立10周年の祝賀会が大衆1万人参加して北京で挙行。
DIA-104-1970-12-21-1中国1970年12月21日1970年代開欒炭鉱では最近安全工作会議を開き,下から上へと制度をうち立てた。
DIA-104-1970-12-21-2中国1970年12月21日1970年代林国防部長,ベトナム人民軍建軍26周年を記念してボー・グエン・ザップ国防相に祝電。
DIA-104-1970-12-21-3中国1970年12月21日1970年代中国・マリ,経済技術協力協定に調印。
DIA-104-1970-12-22-1中国1970年12月22日1970年代中国政府,英銀行家デービット・ジョンソン氏を釈放。
DIA-104-1970-12-22-2中国1970年12月22日1970年代人民日報評論員論文「ポーランド人民の革命のあらし」-14日のポーランド暴動は「ソ修社会帝国主義の東欧における植民地支配が重大な危機におちいり,現代修正主義がいっそう破綻したことの重要な目じるしである」と論評。
DIA-104-1970-12-24-1中国1970年12月24日1970年代全国の地方中小型工業は勢いよく発展-小鉄鋼工業生産能力は昨年比で製鉄150%,鋳鉄180%増となり,小化肥工業の窒素とアンモニアの生産は60~80%増。小セメントと小化肥工場の生産量が,総セメント,化肥生産に占める比率は40%を超えた。現在各地では現地の資源,労働力,などに応じて全面的な調整,按排を行なっており,とくに原材料工業の発展に注意している。
DIA-104-1970-12-25-1中国1970年12月25日1970年代毛主席が最近エドガー・スノーと会見したと新華社が報道
DIA-104-1970-12-25-2中国1970年12月25日1970年代耿アルバニア駐在大使,離任帰国にあたってアルバニア首相と会見。
DIA-104-1970-12-25-3中国1970年12月25日1970年代松岡洋子氏を団長とする日本軍事基地反対闘争婦人代表団,北京到着。
DIA-104-1970-12-28-1中国1970年12月28日1970年代中央軍委,胡業桃に「模範共青団員」の称号を与える-胡は海軍航空部隊某部隊管制中隊の戦士で戦備工事の最中,戦友の命を救おうとして最後をとげた。
DIA-104-1970-12-28-2中国1970年12月28日1970年代沈陽市では食糧と野菜の自給を基本的に達成-全市人口中60%が都市住民である。
DIA-104-1970-12-28-3中国1970年12月28日1970年代江南各省とも石炭を産出,北の石炭南運の状況は変化しつつある-「火成岩地区に石炭なし」「紅層地区に石炭なし」というのはすべて誤まりであったことが証明された。
DIA-104-1970-12-29-1中国1970年12月29日1970年代中央党学校革命大批判執筆グループ,「哲学闘争と階級闘争」-「建国以来の哲学戦線での3回の大闘争」との副題を持つ楊献珍批判。
DIA-104-1970-12-29-2中国1970年12月29日1970年代国務院,「1971年新年春節期間に擁軍優属運動を展開することに関する決定」
DIA-104-1970-12-29-3中国1970年12月29日1970年代軍総政治部,「1971年新年春節期間に擁政愛民運動を展開することに関する通知」
DIA-104-1970-12-29-4中国1970年12月29日1970年代上海で40万倍の大型電子顕微鏡を製造。
DIA-104-1970-12-29-5中国1970年12月29日1970年代人民日報評論員論文「朝鮮人民の米帝の武力挑発粉砕を断固支持する」,米艦の北朝鮮領海侵入を非難。
DIA-104-1970-12-29-6中国1970年12月29日1970年代人民日報評論員論文「米日反動派がわが国の海底資源を略奪することを決して許さない」
DIA-104-1970-12-30-1中国1970年12月30日1970年代福建前線部隊指揮部,新年の2日間の砲撃停止を命令。 II 経済
DIA-104-1970-12-30-2中国1970年12月30日1970年代農業は8年連続豊作のうえに今年も全面豊作-食糧の単位面積収量,総収量ともに史上最高となった。林業,牧畜,副業,漁業およびその他経済作物もみなかなり大きな成長をとげた。 III 外交
DIA-104-1970-12-31-1中国1970年12月31日1970年代プラウダ,22日の人民日報のポーランド事件の論評は内政干渉と非難。
DIA-104-1970-12-31-2中国1970年12月31日1970年代周総理,レグ・バーチ議長を団長とする英国M・L主義共産党代表団と会見(22日訪中)。 IV 日中
DIA-104-1970-12-31-3中国1970年12月31日1970年代中国漁業協会代表団と日中漁業協議会代表団,会談コミュニケと巻網機船操業規定に調印-コミュニケで日韓台3国の尖閣列島付近の海底石油資源開発計画を非難。
DIA-104-1971-01-01-1中国1971年01月01日1970年代3紙誌共同社説「毛主席の革命路線にそって勝利のうちに前進しよう」-参考資料参照。
DIA-104-1971-01-01-2中国1971年01月01日1970年代「人民日報」,広東省,江蘇省,江西省,各党委員会成立を報道(1971年12月26日成立)。
DIA-104-1971-01-01-3中国1971年01月01日1970年代周総理,日本軍事基地反対婦人代表団と会見-郭沫若氏も同席。
DIA-104-1971-01-02-1中国1971年01月02日1970年代全国で毛主席の新指示,「全党で思想と政治路線の面での教育をおこなう」の学習運動展開さる。
DIA-104-1971-01-02-2中国1971年01月02日1970年代軽工業用機械工業が急速に発展中-紡績工場,製糖工場,製紙工場,プラスチック工場などの主要設備を生産するもので,1970年の主要軽工業設備の量は前年比約30%増となった。各省,市,自治区では社会主義大協業によって急速に問題を解決している。
DIA-104-1971-01-02-3中国1971年01月02日1970年代沈陽市革委会執筆グループ:工業都市もまた農業を立派にやるべし-革命委成立2年で沈陽は食糧と野菜の自給を達した。農業と工業は相互に支援しあうもので,工業が支配するという関係はプロレタリア独裁を弱める。戦備の観点は当面の急務である。
DIA-104-1971-01-02-4中国1971年01月02日1970年代李先念副総理,日中漁業協議会代表団と会見-一行は6日帰国。
DIA-104-1971-01-03-1中国1971年01月03日1970年代華子泉(中共江蘇省江寧県委員会書記)論文「毛主席の哲学思想を活学活用して2つの路線闘争の自覚を高める」-旧党委員会が2つの路線を区別しえず劉少奇路線を実行してしまった過去を自己批判しつつ,指導幹部が路線闘争について自覚を高めることの重要性を強調。
DIA-104-1971-01-04-1中国1971年01月04日1970年代北京市大興県党委員会,元旦から4日間にわたり,県,人民公社両クラスの指導幹部170人あまりの参加する県委員会拡大会議を開き,2つの路線闘争を軸に昨年の活動を総括し今年の活動方針を決めた。
DIA-104-1971-01-04-2中国1971年01月04日1970年代佐藤首相,伊勢神宮で対中輸銀使用問題にはケース・バイ・ケースで対処する,と言明。
DIA-104-1971-01-05-1中国1971年01月05日1970年代昨年9月から中国全土で人口調査が行なわれている。調査には党籍,出身階級,文革での活動ぶりも対象となっている(香港「明報」紙)。
DIA-104-1971-01-06-1中国1971年01月06日1970年代河北省武安県では大衆的鉱山開発が良好-ここは鉄も石炭もある立地条件に恵まれ,1958年には40余の鉱山を開き,いくらかの小高炉を作った。その後大方閉山し,「5・7指示」以後積極的に鉱山を興し,すでに7つの鉱山と採鉱点50個所がある。農業を主とし,集団で鉱山をやり,蓄積を増やし農業生産を促すと同時に,農業も工業もできる人を生み出している。この5年間に200万トンの鉄鉱石を生産した。
DIA-104-1971-01-07-1中国1971年01月07日1970年代解放軍の各総部,各軍種,各兵種と北京駐屯部隊など10万人,北京市郊外の治水工事に参加。
DIA-104-1971-01-07-2中国1971年01月07日1970年代全国の紡績製品は質が向上品種も増大-混紡布,おりものの1970年の総生産量は1969年の40%増,綿・テリレン布+50%,絹・化繊混紡布+100%,チンロン製品も大幅にのびている。
DIA-104-1971-01-07-3中国1971年01月07日1970年代江西省の地方工業大いに発展-1970年以来自力更生で1,100余の農業に奉仕する小工場・鉱山を建設した。6地区にみな小炭鉱,小鉄鉱山,小鋼鉄工場と自動車・トラクター製造工場がある。各県全部に農業機械,電気機械製造工場があり・大部分の県に小化肥,小農薬,小セメント工場がある。昨年は自動車1,600余台,トラクター1,700余台を生産した。
DIA-104-1971-01-07-4中国1971年01月07日1970年代全国で鉱山建設が進み,鉄鋼工業の発展を促す-1970年の全国鉄鉱石生産量は1969年の48%増となり,選鉱焼結,鉱山輸送能力も向上した。劉少奇の「工場を建て鉱山をやらない」という思想を批判,鉱山建設に力を入れている。
DIA-104-1971-01-07-5中国1971年01月07日1970年代米軍用機4機の中国雲南省〓臘地区上空への侵入と広東省西沙群島上空への侵入に対し,中国外務省スポークスマン479回目の警告。
DIA-104-1971-01-07-6中国1971年01月07日1970年代日中航空貨物も香港・広州経由に-日中旅行社と香港の中国旅行社との協定により,プノンペン,ビルマ経由であった経路が短縮された。
DIA-104-1971-01-08-1中国1971年01月08日1970年代英外務省,中国駐在のデンソン臨時代理大使を常任の代理大使に任命したと発表。14日,喬冠華外交部副部長が会見。国務院当局者との会談は2年前に着任以来初めて。
DIA-104-1971-01-08-2中国1971年01月08日1970年代新華社,インドのネパールに対する貿易規制を,インドの米ソ大国を後だてとする大国主義的な態度として非難。
DIA-104-1971-01-10-1中国1971年01月10日1970年代上海市党第4期委員会成立。
DIA-104-1971-01-10-2中国1971年01月10日1970年代中共湖南省委員会執筆グループ「党の民主集中制を一段と強化しよう」-党の民主集中制を堅持するか破壊するかが毛主席の党建設路線かそうでないかのカギであり,民主を発揚したら意見が多くなって統一しにくくなるという民主集中制と党委員会の団結を対立させる考えを批判し,民主集中制を通じて団結に至る方法を十分に理解する必要を説く(「紅旗」1号)。
DIA-104-1971-01-11-1中国1971年01月11日1970年代周総理,日中友好協会(正統)労働者学習訪中団と会見-6日には郭沫若氏が会見した。
DIA-104-1971-01-12-1中国1971年01月12日1970年代9期2中総会の方針に従い解放軍の各1級軍区の指導幹部は毛主席の哲学著作の活学活用を先頭にたって行なっている。
DIA-104-1971-01-13-1中国1971年01月13日1970年代遼寧省第4期党委員会成立。
DIA-104-1971-01-13-2中国1971年01月13日1970年代昆明の軍と人民は〓池の埋め立てで3万ムーの畑を造る-40余万m3の赤土で埋め,昨年1万余ムーでムー当り750斤の収量をあげる。
DIA-104-1971-01-13-3中国1971年01月13日1970年代上海の昨年の工業生産,史上最高を記録-国家計画を19日繰上げ完遂,1965年の60%,1969年の14%増となる。これは労働力を増やさないか,減少させた上であげた成果である。
DIA-104-1971-01-14-1中国1971年01月14日1970年代基本建設部門で大衆的設計革命を展開中-大衆による設計の検査で投資の15~20%を節約し,また土地を節約して農地を生み出している。カギは「三結合」の新型設計隊伍を形成し,現場設計を実行することである。
DIA-104-1971-01-14-2中国1971年01月14日1970年代白相国対外貿易部長を団長とする中国政府貿易代表団,セイロンを訪問-21日,1971年度貿易協定に調印。総額1667万ドル,セイロンから4,100トンの板ゴムを輸入し,20万トンの米を輸出。
DIA-104-1971-01-14-3中国1971年01月14日1970年代経済同友会はその年頭見解で「平和共存の立場から中国を国際社会の一員に加えるための方策の発見に努めるべきだ」と述べた。
DIA-104-1971-01-14-4中国1971年01月14日1970年代自民党の三木武夫氏は「北京政府が中国を代表する政府であるという認識は,もはや国際常識となりつつある。日本政府もその認識に立って,北京政府と政府間の話合いをする準備を始めるべきである」と表明。
DIA-104-1971-01-15-1中国1971年01月15日1970年代江蘇省の小型光学計測器工業大発展-これまで3つの大・中型光学計測器工場しかなかったが,文革後,短期に土法で21の小工場を建設した。
DIA-104-1971-01-16-1中国1971年01月16日1970年代工鉱企業は人を増やさずに増産できる-撫順市が労働潜在力を掘りおこした調査報告:国家計画委執筆グループ他。「人民日報」編者の言葉:農業は国民経済の基礎であり,労働力の分配は必ず農業の持続的発展を満足さすものでなければならぬ。今後相当長期にわたって工業生産大発展の労働力は主として労働生産能率を高め,都市内部の潜在力を掘り起すことで解決せねばならない。
DIA-104-1971-01-16-2中国1971年01月16日1970年代賀屋自民党代議士,藤山代議士に8項目の公開質問状を出す-とくに蒋政権への恩義問題をただす。
DIA-104-1971-01-17-1中国1971年01月17日1970年代安徽省准北地区の20の後進的生産大隊の姿が一変-大寨に真剣に学んだ結果,1970年のこれらの単位のムー当りの食糧と綿花の収量は,1969年比でそれぞれ70%以上,100%以上増え,5つの大隊では「要綱」の水準を超えた。
DIA-104-1971-01-17-2中国1971年01月17日1970年代英紙サンデー・タイムズ,ラオス山岳部族で組織されるCIAの秘密偵察部隊がビルマ領を通って中国領内へ320キロ侵入してスパイ活動を行なっていると報道。
DIA-104-1971-01-17-3中国1971年01月17日1970年代赤道ギニア政府代表団,訪中-22日に経済技術協力協定と貿易協定に調印。
DIA-104-1971-01-17-4中国1971年01月17日1970年代新華社記者報道,日本反動派が狂気のようになって日本経済の軍事化に拍車をかけている-日本独占資本は集団として日本軍国主義の支柱であり,軍需生産を不断に拡大し米帝との結託に拍車をかけている。
DIA-104-1971-01-18-1中国1971年01月18日1970年代ソ連のコスイギン首相,劉新権駐ソ大使と会見。
DIA-104-1971-01-19-1中国1971年01月19日1970年代「人民日報」評論員論文「勝利の波にのって前進するカンボジア人民」-18日付けのシアヌーク殿下のアピールを支持。
DIA-104-1971-01-20-1中国1971年01月20日1970年代安全生産をしっかりやろう-労農兵論壇。安全生産をしっかりやると生産の高度の発展を阻害する,また大衆の積極性を損なう,などの誤った議論に反駁。
DIA-104-1971-01-20-2中国1971年01月20日1970年代外交部が文芸の夕べを催し,革命的現代バレエ「赤軍女性中隊」を観賞-シアヌーク殿下,中ソ国境会談のソ連側代表,各国の駐中国使節,外交官が招待される。
DIA-104-1971-01-20-3中国1971年01月20日1970年代1970年の日中貿易は史上最高に-大蔵省の通関実績によると総計8億2547万ドル,輸出は5億7170万ドル(対前年比46.3%増),輸入は2億5376万ドル(同+8.2%),総計で対前年32%増となった。
DIA-104-1971-01-21-1中国1971年01月21日1970年代安徽省第3期党委員会成立。
DIA-104-1971-01-22-1中国1971年01月22日1970年代対外経済連絡委員会が部に昇格。
DIA-104-1971-01-22-2中国1971年01月22日1970年代北京,天津,上海の商業部門,全国各地に日用工業品を供給-上海市では1月前半の市場出品量は昨年同期の2割増,昨年のこれら都市の市場供給量は,1969年にくらべ,上海が大幅なのび,北京は5割以上増,天津は21%増となった。
DIA-104-1971-01-22-3中国1971年01月22日1970年代佐藤首相,施政方針演説ではじめて「中華人民共和国」という言葉を使う。
DIA-104-1971-01-22-4中国1971年01月22日1970年代東レ,クラレ,ユニチカが周4条件を受入れ。
DIA-104-1971-01-23-1中国1971年01月23日1970年代「人民日報」社説「大国覇権主義を打倒しよう」-ラテンアメリカ諸国の反米闘争を支持。平和5原則に従い,他国の内政に干渉しないことを強調。
DIA-104-1971-01-24-1中国1971年01月24日1970年代全国食糧買付計画,早めに超過完遂-昨年は連続9年目の豊作だった。
DIA-104-1971-01-24-2中国1971年01月24日1970年代北京郊外の治水工事のうち3つの主河道を通水させる工程が早めに完了。
DIA-104-1971-01-24-3中国1971年01月24日1970年代「人民日報」評論員論文「カンボジアの愛国的軍の新たな勝利に歓呼を送る」-22日のカンボジア解放軍勢力のプノンペン空港の奇襲攻撃を賞賛。
DIA-104-1971-01-25-1中国1971年01月25日1970年代中国各地の各級革命委員会と広範な大衆,春節をひかえ軍隊,軍人家族への慰問運動を展開。
DIA-104-1971-01-25-2中国1971年01月25日1970年代中国外交部声明,米軍指揮下の南ベトナム軍,カンボジア政府軍のカンボジア侵略強化の動きを非難-カンボジア4号線打開作戦に関連。
DIA-104-1971-01-25-3中国1971年01月25日1970年代新華社,前月のコザ市の暴動を沖縄人民の反米闘争の新たな発展と報道。
DIA-104-1971-01-26-1中国1971年01月26日1970年代米国務当局者,米中両国は両国の天文観測所が国際郵便を通じて天文情報を交換しあっていること,全米アカデミーが中国の科学者と刊行物の交換をしている事実を公表。
DIA-104-1971-01-26-2中国1971年01月26日1970年代モハメド・ラビブ・シュケイル国会議長を団長とするアラブ連合代表団訪中-27日周総理と会談。
DIA-104-1971-01-27-1中国1971年01月27日1970年代革命的現代京劇「紅灯記」と革命的現代バレエ「赤軍女性中隊」の映画が全国で上映開始される。
DIA-104-1971-01-27-2中国1971年01月27日1970年代春節を迎えるにあたり,27日から2日間金門島砲撃を停止。
DIA-104-1971-01-27-3中国1971年01月27日1970年代日本政府は7月1日から実施予定の特恵関税供与国に,希望があれば中国も含める基本方針を固めた。
DIA-104-1971-01-28-1中国1971年01月28日1970年代浙江省第4期党委員会成立。
DIA-104-1971-01-29-1中国1971年01月29日1970年代佐藤首相の対中国政策-①在任中に日中問題が片づくとは思わない,②日中間の戦争状態は条約上終結しており,このような判断はわが国にとって有益だ,③中国承認と日華平和条約の扱いについては,はっきりいいかねる。
DIA-104-1971-01-29-2中国1971年01月29日1970年代「人民日報」特集,「日本軍国主義復活の動かせない証拠」-その証拠として,13年間に5倍近く増加した軍事費,防衛庁の頭目はみな古株の軍国主義分子である,退役将校と兵器メーカーとの結びつき,叙勲による世論のもり上げ,をあげている。
DIA-104-1971-01-30-1中国1971年01月30日1970年代広東省中山県,地方工業を農業に奉仕させる-1970年には直接農業に奉仕する170余の工場があった。現在この県では40%の畑が機耕,80%以上の土地が電気排灌を行なっている。
DIA-104-1971-01-31-1中国1971年01月31日1970年代「人民日報」社説「毛主席の党建設路線の勝利」-①再建されつつある党組織は思想建設に力を入れ,民主集中制を貫徹し,老中青の3結合を具現している新しい特徴を持っている,②思想と政治路線が正しいかどうかは全てを決定づける問題である,③そのためにはまた謙虚で慎重でおごり・あせりをいましめた正しい作風をうち立てねばならない,④路線,作風の問題を解決するためには指導幹部はマルクス主義・レーニン主義,毛沢東思想の学習につとめなければならない。
DIA-104-1971-01-31-2中国1971年01月31日1970年代中共中央,国務院各部の5・7幹部学校の経験交流会議開催さる-1968年11月の毛主席指示に従い,100以上の5・7幹部学校をつくり,9万名近くの幹部が「抗日軍政大学」を手本として,貧農下層中農に再教育を受けている。
DIA-104-1971-02-01-1中国1971年02月01日1970年代日中卓球界会談要録に調印-主な内容,①アジア卓球連盟を国際卓球連盟憲章に従って整とんする,②日本卓協は日中政治3原則に基づき友好交流を発展させる,3月名古屋で開かれる第31回世界卓球選手権大会へ中国チームの参加を招請する,など。1月29日,周総理は後藤鉀二日本卓球協会会長と会見した。
DIA-104-1971-02-02-1中国1971年02月02日1970年代邯鄲酸素製造機工場,新型酸素製造機の製作に成功-高純度の酸素と窒素を同時に生産できる。外国製に比べ体積半分,人手3分の1に。
DIA-104-1971-02-02-2中国1971年02月02日1970年代米政治評論家ジャック・アンダーソン氏は,沖縄の嘉手納空軍基地から発進する米偵察機SR71型機は中国上空の偵察飛行をおこなっていると報道(ロイター)。
DIA-104-1971-02-02-3中国1971年02月02日1970年代人民日報評論員論文「英連邦首相会議は何を物語っているか」-シンガポールで開催された英連邦首相会議第18回会議を論評し,2つの超大国の世界支配に反対する声があがったことを強調。
DIA-104-1971-02-02-4中国1971年02月02日1970年代新華社,日本人民の反米愛国闘争についての毛主席談話7周年の「人民の星」「長周新聞」の論文を報道。
DIA-104-1971-02-03-1中国1971年02月03日1970年代造船工業大批判執筆グループ:技術革新運動を大いにくりひろげた紅旗造船所の調査報告-思想革命で創造を,生産の要求大であれば技術を革新,土洋を併用する。
DIA-104-1971-02-04-1中国1971年02月04日1970年代全国総工会の「5・7」学校,大寨に学ぶ運動を積極的に展開-1969年2月に創立され,1970年の食糧総生産は1969年に比べ47%増加,食糧と野菜は自給を達成。
DIA-104-1971-02-04-2中国1971年02月04日1970年代中国外交部声明,1月29日のロジャーズ米国務長官の発言を非難し,インドシナ3国の各勢力の声明に支持を表明。
DIA-104-1971-02-04-3中国1971年02月04日1970年代人民日報評論員論文「米帝のインドシナにおける新たな戦争冒険を粉砕しよう」-ニクソン政府がインドシナで核兵器を使用する可能性に触れる。
DIA-104-1971-02-05-1中国1971年02月05日1970年代〓哲論文:商業の工農業生産支援は有用である-産物を売りさばくという消極観念でなく,参謀作用を発揮して生産発展を促進させよ。
DIA-104-1971-02-05-2中国1971年02月05日1970年代黄河中流の土壌保全で成果大-1952年毛主席が「黄河についての工作はりっぱにおこなうべきだ」という指示を出した。中流の土壌保持が進んで3年に2回決壊という局面が改あられた。山西省河曲県曲硲大隊,甘蕭省正寧県永正人民公社などがモデル。
DIA-104-1971-02-06-1中国1971年02月06日1970年代雑誌「紅旗」短評「しっかりと勉強し世界観の改造に努力しよう」-党内高級中級幹部がマルクス主義,レーニン主義,毛沢東思想をしっかり学習することが党の思想建設の最も根本的な問題である。
DIA-104-1971-02-06-2中国1971年02月06日1970年代内モンゴル自治区では解放軍三支両軍人員の援助の下で,全区で広く毛沢東思想活学活用経験交流会あるいは積極分子代表会を開いて毛沢東思想活学活用の大衆運動を展開している。
DIA-104-1971-02-06-3中国1971年02月06日1970年代内蒙古自治区の革命と生産の情勢-1970年には都市,農村で30余万回の学習班を組織,工業総生産は史上最高の年の24%増。最初の自動車,トラクター,単結晶シリコン,大型高炉などを生み出した。
DIA-104-1971-02-06-4中国1971年02月06日1970年代新任の徳青ノルウェー駐在大使,岳良デンマーク駐在大使,赴任。
DIA-104-1971-02-07-1中国1971年02月07日1970年代北京,鄭州,武漢で「2・7スト」48周年を記念して集会を開催。
DIA-104-1971-02-07-2中国1971年02月07日1970年代後藤日本卓協会長,アジア卓連臨時総会で台湾除名提案に破れ,辞表提出。
DIA-104-1971-02-07-3中国1971年02月07日1970年代対中延払い輸出問題解決に「特殊公団」構想-小坂自民党外交調査会長が提起。
DIA-104-1971-02-08-1中国1971年02月08日1970年代広東省潮安県楓渓公社陳橋大隊では年食糧4作,緑肥1作で1970年にムーあたり食糧2,273斤をあげる。三稲,麦,レンゲ。
DIA-104-1971-02-08-2中国1971年02月08日1970年代国家計画委員会執筆グループ:工業戦線での増産節約運動を深くくりひろげよう。
DIA-104-1971-02-08-3中国1971年02月08日1970年代ハノイの消息筋によれば,中国は北ベトナムとラオス愛国戦線の指導者との話合いのうえ,北ベトナム,ラオスとの国境地帯に兵力を増強したもよう(AFP)。
DIA-104-1971-02-08-4中国1971年02月08日1970年代中国外交部声明,米軍,南ベトナム軍のラオス侵攻を非難。
DIA-104-1971-02-08-5中国1971年02月08日1970年代厚生省の中村援護局長は,藤山氏を訪れ,「終戦前後,旧満州で死亡した邦人の慰霊祭を現地で開きたい。中国側の意向を打診してほしい」と要望,藤山氏も協力を約束。
DIA-104-1971-02-09-1中国1971年02月09日1970年代光明日報,江虹論文「史的唯物論を堅持し,史的観念論に反対しよう」-太平天国史研究におけるブルジョア史的観念論を排す。
DIA-104-1971-02-09-2中国1971年02月09日1970年代シアヌーク殿下,2週間にわたる北ベトナム訪問を終え北京へ。
DIA-104-1971-02-10-1中国1971年02月10日1970年代上海郊外地区10県の2,724生産大隊がすべて協同医療制度を実施。
DIA-104-1971-02-10-2中国1971年02月10日1970年代中国・ナイジェリア連邦共和国,外交関係を樹立。
DIA-104-1971-02-10-3中国1971年02月10日1970年代キューバ貿易代表団訪中。
DIA-104-1971-02-11-1中国1971年02月11日1970年代広州部隊某部党委員会では毛主席の著作のみならず,「ゴータ綱領批判」,「反デューリング論」,「国家と革命」「哲学ノート」などのマルクス・レーニンの著作も学習して,マルクス・レーニン主義,毛沢東思想の活学活用をすすめている。
DIA-104-1971-02-11-2中国1971年02月11日1970年代蔡正:財政工作は生産の発展に奉仕するという思想をうち立てよう-単純財政観を批判したもの。銭を貸すのが支持というのは不十分で,自力更生で潜在力を発揮するよう採算を強化するよう援助すべきだ。
DIA-104-1971-02-11-3中国1971年02月11日1970年代レ・タン・ギ副首相を団長とする北ベトナム政府経済代表団訪中。
DIA-104-1971-02-11-4中国1971年02月11日1970年代藤山氏一行および日中覚書貿易交渉団訪中の途に-日華協力委を脱退した日航機を利用。 藤山愛一郎,永田亮一,田川誠一,黒金泰美,今野良蔵,山本保(秘書)。 覚書交渉団は,岡崎,松本,渡辺,大久保,安田,古井(17日発),河合,片岡(後発)の諸氏。一行は13日夜北京入りした。
DIA-104-1971-02-11-5中国1971年02月11日1970年代新華者記者報道,佐藤政府は,売国主義・植民地主義の反動農業政策を実行している。
DIA-104-1971-02-12-1中国1971年02月12日1970年代交通部部長に楊傑氏の就任が判明。
DIA-104-1971-02-12-2中国1971年02月12日1970年代米の戦争政策に警告する中国政府声明-ラオス侵攻は,中国に対する「重大な威かく」であり,「全ての効果的措置」をとってインドシナ各国人民を支援すると表明。
DIA-104-1971-02-12-3中国1971年02月12日1970年代中共中央,ニュージーランド共産党成立50周年に対し祝電。
DIA-104-1971-02-13-1中国1971年02月13日1970年代人民日報評論員論文「石油輸出国の正義の闘争を支持する」-石油輸出国機構加盟のイラン,イラク,アルジェリア,リビア,クウェート,ベネズエラなど10カ国の石油価格引上げの要求は自国の権益を守る正義の行動であると述べ,全面的支持を表明。
DIA-104-1971-02-14-1中国1971年02月14日1970年代地質局執筆グループ:毛沢東思想が多く早くりっぱにむだなく地質工作をおこなう道を照らす一21年来地質局は140余種の鉱物を探りあてた。
DIA-104-1971-02-14-2中国1971年02月14日1970年代チベットに100余の中小型水力発電所が建設さる-半分以上の県と一部人民公社に分布している。ラサでははじめて発電機,モーターの適地タイプ製造に成功。
DIA-104-1971-02-14-3中国1971年02月14日1970年代人民日報社説「全力をあげてインドシナ3国人民の抗米救国戦争を支援する」-12日の政府声明の内容を再び強調。
DIA-104-1971-02-15-1中国1971年02月15日1970年代中国・北ベトナム,1971年度経済・軍事補充援助協定(無償)に調印。
DIA-104-1971-02-16-1中国1971年02月16日1970年代この3日間,北京,上海,昆明,武漢,広州,天津,蘭州など12都市で計376万人がインドシナ人民の抗米闘争支援のデモに参加。
DIA-104-1971-02-16-2中国1971年02月16日1970年代広西チワン族自治区第3期党委員会成立。
DIA-104-1971-02-16-3中国1971年02月16日1970年代上海肇嘉浜汚水路が建設さる-これは黄浦江をくぐり全長30余キロ,毎日30万トンの汚水を排除し,10万余ムーを灌漑する。
DIA-104-1971-02-16-4中国1971年02月16日1970年代パキスタンと新彊ウイグル自治区の間を結ぶカラコルム・ハイウエー(全長600キロ)が完成し開通式が行なわれる。楊傑交通部長を団長とする代表団が出席。
DIA-104-1971-02-16-5中国1971年02月16日1970年代シアヌーク殿下,葉剣英中央軍事委員会副主席と共に中国南部旅行へ。
DIA-104-1971-02-16-6中国1971年02月16日1970年代新任の張偉烈モロッコ駐在大使赴任。
DIA-104-1971-02-16-7中国1971年02月16日1970年代「日中国交回復国民会議」の結成総会開催-議長に中島健蔵,事務総長に岩井章を選出,「結成宣言」「中国人民へのメッセージ」を採択。15日,中日友協が祝電を寄せた。
DIA-104-1971-02-17-1中国1971年02月17日1970年代甘粛省第5期党委員会成立。
DIA-104-1971-02-17-2中国1971年02月17日1970年代外交部スポークスマン,16日の福建省東山島東南地区と広東省大星山南方地区の領海への米軍艦の侵入に483回目の厳重警告。
DIA-104-1971-02-17-3中国1971年02月17日1970年代新任の劉振華アルバニア駐在大使赴任。
DIA-104-1971-02-17-4中国1971年02月17日1970年代周総理,ネパールの国家民主デーに祝電。
DIA-104-1971-02-18-1中国1971年02月18日1970年代張梅華(中共上海工作機械工場委員会副書記)論文「労働者階級の技術隊列をそだてよう」-7.21労働者大学と業余技術学校の経験を総括(「紅旗」2号)。
DIA-104-1971-02-18-2中国1971年02月18日1970年代「人民日報」社説:毛主席の革命路線に沿って農業の新たな豊作をかちとろう。
DIA-104-1971-02-18-3中国1971年02月18日1970年代中国・ルーマニア,1971年度貿易支払い協定と1972~75年相互主要物資供給長期貿易協定に調印。
DIA-104-1971-02-19-1中国1971年02月19日1970年代上海市第17国立綿紡績工場の共産主義青年団建設の状況-党の整頓が一段落した基礎の上に団の整頓・建設をすすめている。革命事業の後継者の養成と関連して青年団の整頓・建設の重要性とその際の党の指導の重要性を強調。
DIA-104-1971-02-20-1中国1971年02月20日1970年代人民日報評論員論文「血迷うなニクソン」-17日のニクソンの記者会見に反論,米帝国主義は中国の門戸に戦争を拡大,中国に重大な脅威を与えていることを強調。
DIA-104-1971-02-20-2中国1971年02月20日1970年代軍兵士侯慶文,「ああこの切ない(大陸への)望郷」など犬にでも食われろ-「サンデー毎日」の特集を批判。
DIA-104-1971-02-21-1中国1971年02月21日1970年代兆豊年:大衆を発動して植樹造林しよう-盲目的に耕地を拡大する,食糧だけに力を入れる,すぐには成果が上らぬ,などの思想と傾向を批判。
DIA-104-1971-02-21-2中国1971年02月21日1970年代新華社,「一つの中国,一つの台湾」の陰謀をもてあそび,台湾再占領を企む佐藤政府。
DIA-104-1971-02-22-1中国1971年02月22日1970年代湖北省初の小型甜菜糖工場完成-東北製糖工場の協力で日処理30トン。
DIA-104-1971-02-23-1中国1971年02月23日1970年代韓文(広東省楽昌県革命委員会)論文「いかにして婦人活動を強化したか」-闘争の中で積極的に婦人幹部を養成する(「紅旗」2号)。
DIA-104-1971-02-23-2中国1971年02月23日1970年代北京のソ連大使館武官,ソ連軍建軍53周年記念レセプションを6年ぶりに開催。柴成文国防部外事局長ら出席。
DIA-104-1971-02-23-3中国1971年02月23日1970年代ルーマニアからの帰途モスクワに立寄った白相国対外貿易部長,ソ連外国貿易相と会談(モスクワ放送)。
DIA-104-1971-02-23-4中国1971年02月23日1970年代周総理,藤山代議士と会談-日本側は,田川,黒金,中国側は王国権,劉希文,徐明,呉曙東。
DIA-104-1971-02-24-1中国1971年02月24日1970年代周総理,郭沫若,日本国際貿易促進協会関係者と会見-日本側は,木村,田中,森田,武吉等の人々中国側は林海雲,劉希文,徐明,王文林,呉曙東・趙自瑞等の人々。
DIA-104-1971-02-25-1中国1971年02月25日1970年代ニクソン米大統領,外交教書を発表-①中華人民共和国(正式名称を初めて使う)を国際社会へ引出すべきだ,②北京との対話を確立する用意がある,③米台関係が米中関係正常化への動きの障害になるとは考えない,④東アジアの将来は米国,日本,ソ連,中国の4大国の政策に支えられたものになると述べる。
DIA-104-1971-02-26-1中国1971年02月26日1970年代大衆の通報で江西南部で2年来80余種の鉱物を発見-大衆が3,000余カ所を通報。
DIA-104-1971-02-27-1中国1971年02月27日1970年代「紅旗」思想評論・江虹論文「新聞報道の隊伍の思想建設を強めよ」-自分の書いた原稿が掲載されるのをねらって原稿を書くというブルジョア的「掲載第一」の思想を克服して,新聞は階級闘争の手段・プロレタリア独裁を強固にする手段であることを自覚し,「実事求是」の態度で新聞工作をすべきことを強調。
DIA-104-1971-02-27-2中国1971年02月27日1970年代人民日報,EC6カ国の経済,貨幣同盟の結成を報道し,連合して米国の資本主義世界での覇権的地位への反撃と評価。
DIA-104-1971-02-28-1中国1971年02月28日1970年代国家計画委員会執筆グループ:甘粛精煉工場が労働者から基層指導中核を選抜した調査報告-仕事場の幹部の76%,作業グループの幹部の91%は労働者から選抜したもの。
DIA-104-1971-03-01-1中国1971年03月01日1970年代日中覚書貿易会談コミュニケに調印。
DIA-104-1971-03-01-2中国1971年03月01日1970年代周総理,覚書貿易交渉団のために人民大会堂で夕食会を開く-周総理は日本の前にある2つの道を指摘。
DIA-104-1971-03-02-1中国1971年03月02日1970年代安徽省繁昌県が自力更生で小鉱山を経営している調査報告-現在22の人民公社のうち18が小鉄山を持つ。県営と県・公社合営で22の小鉱山,54の採掘点がある。1970年には15万4000余トンを採掘した。農工一体で農閑期に大いにやり,忙しい時は少しやり,重点は常に掘る方式で,蓄積は拡大再生産と農業生産手段のために用いる。
DIA-104-1971-03-02-2中国1971年03月02日1970年代北方の主要な小麦産地に広く降雪あり,冬小麦と春耕に有利。
DIA-104-1971-03-02-3中国1971年03月02日1970年代陳維稷軽工業部副部長,アラブ連合を訪問。
DIA-104-1971-03-02-4中国1971年03月02日1970年代周総理,デンソン中国駐在イギリス代理大使と会見。1967年の英国大使館焼打ち事件について陳謝。
DIA-104-1971-03-02-5中国1971年03月02日1970年代神戸製鋼,中国へ大型起重機船2隻輸出成約,2億5000万円。
DIA-104-1971-03-03-1中国1971年03月03日1970年代科学実験用人工衛星の打上げに成功-重さ221kg,地球を一周する時間は106分(3月16日新華社発表)。
DIA-104-1971-03-03-2中国1971年03月03日1970年代山西省陽泉鉱務局第一炭鉱,坑内ガスからカーボン・ブラックを製造。
DIA-104-1971-03-03-3中国1971年03月03日1970年代天津市塘沽区の海洋化学工業成績大-24の小型化学工場をおこし,町営7,公社・大隊営4,学校営13となっている。海水と大工場の廃物から28種の製品を生産している。
DIA-104-1971-03-03-4中国1971年03月03日1970年代周総理,藤山代議士と2度目の会見。
DIA-104-1971-03-04-1中国1971年03月04日1970年代東北工学院革命委員会教育革命執筆グループ論文「工場と学校の連係は教育革命のために新天地を拓く」-東北工学院の教師,学生は教育革命実践隊を組織して工場,鉱山へ派遣し,各種の労働者訓練班,労働者大学を開設,また同時に学内に工場を設け,教学,科学研究,生産の3結合を実施する学内基地を建設。
DIA-104-1971-03-04-2中国1971年03月04日1970年代湖南省党委員会と革命委員会,省の5・7幹部学校総校で県以上の指導幹部に輪訓をほどこし,思想と政治路線の教育をすすめる。すでに1,000人以上の幹部が参加。
DIA-104-1971-03-04-3中国1971年03月04日1970年代周総理,郭名誉会長,日中友好農業農民交流代表団の4氏と会見-日本側は,八百板正団長,足鹿覚,武内五郎,秘書堀江真一郎。一行は2月18日中国入りし,3月8日に帰国した。
DIA-104-1971-03-04-4中国1971年03月04日1970年代本年度覚書貿易,品目別概要-関係筋の推計によると,輸出入計7048万ドル。中国側輸出品は拡大なし,メーズが3年ぶりに登場,玄ソバが倍増。日本側輸出品では塩安,硫安が昨年を5万トンずつ下回った。
DIA-104-1971-03-05-1中国1971年03月05日1970年代中国全土で“長征”運動-「戦争に備える」運動の一つとして,体づくり,野営訓練を学生に対して行なっている。
DIA-104-1971-03-05-2中国1971年03月05日1970年代陜西省第5期党委員会成立。
DIA-104-1971-03-05-3中国1971年03月05日1970年代周総理を団長とする中国党・政府代表団,北ベトナム訪問-団員は葉剣英党中央軍事委員会副主席,邱会作副総参謀長の両副団長と,耿党中央対外連絡部部長,韓念竜外交部副部長,苑化氷解放軍総後勤部装備部長。8日に共同声明に調印して帰国。
DIA-104-1971-03-06-1中国1971年03月06日1970年代山西省革命委員会,地方工業に対する指導を強化-現在,県(市),社,大隊営の小工場,鉱山は1万8800余に達し,主観主義と盲動主義があらわれた。各地の特点に応じて指導を強化している。
DIA-104-1971-03-06-2中国1971年03月06日1970年代新任の陳坦・赤道ギニア駐在大使赴任。
DIA-104-1971-03-08-1中国1971年03月08日1970年代河南省第3期党委員会成立。
DIA-104-1971-03-08-2中国1971年03月08日1970年代中国・北ベトナム共同コミュニケに調印-ベトナムの参考資料参照。
DIA-104-1971-03-09-1中国1971年03月09日1970年代米国防報告書によれば,中国は71年半ばまでに少数のMRBM(準中距離ミサイル),72年半ばにはIRBM(中距離ミサイル)を含む実戦ミサイルを保有する。ICBMの配備は70年代後半になる。
DIA-104-1971-03-11-1中国1971年03月11日1970年代青海省第5期党委員会成立。
DIA-104-1971-03-11-2中国1971年03月11日1970年代人民日報社説「中国,ベトナム両国人民の偉大な友誼と戦闘的団結万才」。
DIA-104-1971-03-11-3中国1971年03月11日1970年代日本政府と石油業界,台湾海峡の日台石油共同開発を断念。
DIA-104-1971-03-12-1中国1971年03月12日1970年代山東省の落花生産区蓬莱県が食糧と落下生の双豊収実現-落花生25万4000ムーの平均ムー産は300斤で1969年の69%増。食糧は563斤で8%増。
DIA-104-1971-03-13-1中国1971年03月13日1970年代国府のセネガル駐在大使館3等書記官孫際州,北京着-同氏は去る5日ジュネーブで中国亡命を表明した。
DIA-104-1971-03-13-2中国1971年03月13日1970年代自民党外交調査会の中国問題委員会発足-委員計101人,委員長は野田武夫。
DIA-104-1971-03-13-3中国1971年03月13日1970年代周総理,郭沫若,日本関西学生友好訪中参観団と会談。
DIA-104-1971-03-14-1中国1971年03月14日1970年代中国卓球選手団の先発隊4人が到着。
DIA-104-1971-03-15-1中国1971年03月15日1970年代北京市第4期党委員会成立。
DIA-104-1971-03-15-2中国1971年03月15日1970年代中共吉林省東豊県委副書記孫述昌論文「自己に対して『1が分かれて2となる』を適用しなければならない」-「一分為二」の毛主席の哲学思想を使って自己を分析し,不断に自覚を高めて指導工作で成果をあげた指導幹部の毛主席の哲学を学び用いている模範例。
DIA-104-1971-03-15-3中国1971年03月15日1970年代米国務省,米国人の中国渡航制限を全廃する措置を発表-またワルシャワ大使級会談をいつでも再開する用意があると再開を呼びかける。
DIA-104-1971-03-15-4中国1971年03月15日1970年代1万トン級中国貨物船「風雷」号,日本へ初寄港-4月5日横浜港へ。
DIA-104-1971-03-16-1中国1971年03月16日1970年代国府の中共研究3月号,新たに入手した中華人民共和国憲法の草案の序言を公表。
DIA-104-1971-03-16-2中国1971年03月16日1970年代関西経済同友会,中国問題懇談会を設置。
DIA-104-1971-03-17-1中国1971年03月17日1970年代3紙誌共同社説「プロレタリア階級独裁の勝利万歳-パリ・コンミューン百周年を記念して」-革命的人民が鉄砲を握ることの極度の重要性,真のマルクス・レーニン主義の党がなければならないことなどを強調。
DIA-104-1971-03-17-2中国1971年03月17日1970年代中央政府機構の簡素化の状況-以前90部あった国務院各部は26部に減り,6万人の公務員は1万人に減少(周総理のイタリアの雑誌「エポカ」とのインタビュー)。
DIA-104-1971-03-18-1中国1971年03月18日1970年代パリ・コンミューン百周年を記念して,交通部は記念切手を発行。国務院の改組で郵電部が廃止され交通部に統合されたもよう。
DIA-104-1971-03-18-2中国1971年03月18日1970年代広東省の独裁機関が2人の日本国籍の米・蒋武装特務分子を釈放-仲間茂と仲間武夫の2人は1963年に逮捕されていた。
DIA-104-1971-03-19-1中国1971年03月19日1970年代香港の「大公報」「文〓報」が伝えるところによれば,中国政府はこのほど国府スパイ8人を釈放。22日に同じく8人を釈放。
DIA-104-1971-03-20-1中国1971年03月20日1970年代ネパール全国評議会友好代表団,全国人民代表大会常務委員会の招きで訪中。
DIA-104-1971-03-21-1中国1971年03月21日1970年代タス通信,18日のパリ・コンミューン百年記念3紙誌共同論文を「中国指導部の新たな反共行動」と非難。
DIA-104-1971-03-21-2中国1971年03月21日1970年代新任の陳肇源ビルマ駐在大使赴任。
DIA-104-1971-03-21-3中国1971年03月21日1970年代周総理,トルスチコフ・ソ連大使及びイリイチョフ・中ソ国境会談首席代表と会談。
DIA-104-1971-03-21-4中国1971年03月21日1970年代人民日報評論員論文「ラオスの愛国的軍民の輝しい勝利に歓呼をおくる」-ラオス侵攻の失敗は「ベトナム化」計画の破綻を宣言したと述べる。
DIA-104-1971-03-21-5中国1971年03月21日1970年代中国卓球代表団来日-代表団は総数60名,団長は全国体育総会の責任者趙正洪,副団長:符志行,王暁雲,魯挺,秘書長:宋中となっている。男女選手は22名である。
DIA-104-1971-03-22-1中国1971年03月22日1970年代北京大学・聞軍論文「路線闘争は決して休戦することができない-王明,劉少奇,周揚ら一味の鼓吹する『国防文学』の反動性を批判する」(「紅旗」3号)。
DIA-104-1971-03-22-2中国1971年03月22日1970年代第1機械工業部部長に李水清氏(前山東省革命委員会副主任)の就任が判明。
DIA-104-1971-03-22-3中国1971年03月22日1970年代中国・クウェート,外交関係を樹立-クウェートが中国政府を中国の唯一の合法政府として承認すると表明,台湾にはふれず。従来のカナダ方式と異なる新方式(29日新華社発表)。
DIA-104-1971-03-22-4中国1971年03月22日1970年代周総理,ラドレスク副首相を団長とするルーマニア政府代表団と会見-(19日訪中)。また対ルーマニア,プラント及び技術援助供与に関する議定書に調印。
DIA-104-1971-03-22-5中国1971年03月22日1970年代中国体育運動委員会の声明,ロン・ノル政権とサイゴン政権の代表を国際卓球連盟から追放するように要求-彼らに31回世界卓球大会参加の資格はないと述べる。
DIA-104-1971-03-22-6中国1971年03月22日1970年代周総理,パキスタン建国記念日を祝ってヤヒア・カーン大統領に祝電。
DIA-104-1971-03-23-1中国1971年03月23日1970年代ソ連外国貿易省次官が明らかにしたところによれば,昨年11月の中ソ・バーター支払い協定で,本年末までの両国間の貿易額を1億2000万ないし1億3000万ルーブルまで拡大することで合意が成立している模様。
DIA-104-1971-03-23-2中国1971年03月23日1970年代周総理,ロイ・エバンス国際卓球連盟会長と会見。
DIA-104-1971-03-23-3中国1971年03月23日1970年代人民日報社説「戦闘の一年,勝利の一年」-カンボジア民族統一戦線成立1周年を祝賀。
DIA-104-1971-03-23-4中国1971年03月23日1970年代人民日報評論員論文「ニクソン政府がどう出るかを見てみよう」-ラオス侵攻の失敗は「軍事冒険の失敗」であるばかりでなく「政治的ばくちの失敗」であり,「ニクソン・ドクトリンは,すでにいっそうの破綻を宣言された」と述べる。
DIA-104-1971-03-24-1中国1971年03月24日1970年代吉林省第3期党委員会成立。
DIA-104-1971-03-25-1中国1971年03月25日1970年代「人民日報」,「哲学の解放」と題する浙江省江山県勤倹大隊の毛主席の哲学を学び用いた模範例を連載。
DIA-104-1971-03-25-2中国1971年03月25日1970年代レ・ジュアン第1書記を団長とする北ベトナム労働党代表団訪中-ソ連共産党24回大会への途,北京を訪問したもの。
DIA-104-1971-03-25-3中国1971年03月25日1970年代周総理,姚文元政治局員,カイソン・フオンビハン中央委員会副議長を団長とするラオス愛国戦線党代表団と会見。
DIA-104-1971-03-25-4中国1971年03月25日1970年代新任の趙禁ブルガリア駐在大使赴任。
DIA-104-1971-03-25-5中国1971年03月25日1970年代政府,広州交易会参加華商全員に再入国認む-49人。31日に3人が不許可になった。
DIA-104-1971-03-26-1中国1971年03月26日1970年代造船工業革命大批判執筆グループ:設計領域での大型,洋式を求める思想と闘争を進めよう。
DIA-104-1971-03-26-2中国1971年03月26日1970年代中共中央・国務院,ラオス作戦を撃退し,失敗させたインドシナ3国人民の闘争を祝って宴会を開催--ベトナムのレ・ジュアン第1書記,カイソン・フオンビハン・ラオス愛国戦線党中央委員会副主席,グエン・バン・ヒュー南ベトナム民族解放戦線中央委員会幹部会員,シアヌーク殿下,周総理以下中国首脳が出席。
DIA-104-1971-03-26-3中国1971年03月26日1970年代周総理,黄永勝総参謀長,レ・ジュアン第1書記を団長とする北ベトナム代表団と会談。また周総理,邱会作副総参謀長,グエン・バン・ヒュー・中央委員会幹部会員を団長とする南ベトナム解放民族戦線代表団と会談。
DIA-104-1971-03-27-1中国1971年03月27日1970年代ロジャーズ米国務長官,外交白書を発表-中国の国際社会への参加を歓迎し,米国は中国との関係改善に努めながら,一方国府の国連からの追放に反対し,国府に対する米国の条約上の義務は守ると基本的方針をかかげる。
DIA-104-1971-03-28-1中国1971年03月28日1970年代湖北省第3期党委員会成立。
DIA-104-1971-03-28-2中国1971年03月28日1970年代遼寧省華銅銅山,文革を経て若がえる-40年の老鉱山で閉鎖寸前であったが,文革以来労働者が花崗岩の下にこれまでの2倍以上の埋蔵量を発見,1968年以来生産は次々に向上。
DIA-104-1971-03-28-3中国1971年03月28日1970年代人民日報社説「9号国道での大勝利を熱烈に祝賀する」-ラオス侵攻の失敗は戦争「ベトナム化」計画と「ニクソン・ドクトリン」の破綻を速めることになり,「戦略上の失敗」であると述べる。
DIA-104-1971-03-29-1中国1971年03月29日1970年代四川省什県で食糧と油糧の豊収-1970年の食糧ムー当り生産量1,019斤,油菜種235斤,タバコの葉の豊収。造林は1100万株で1人40株に当り,生きた豚36万7000頭で1人1.3頭に当る。
DIA-104-1971-03-29-2中国1971年03月29日1970年代毛・林・周3首脳,9号国道での戦闘の勝利を祝し,インドシナ3国4勢力首脳へ祝電-この勝利は「重大な戦略的意義」を持っていると賞賛。
DIA-104-1971-03-30-1中国1971年03月30日1970年代ソ連共産党24回大会で,ポーランド,ハンガリー首脳,中国を非難。ブレジネフ書記長は中共指導部の反ソ的態度を非難しながらも両国政府の関係正常化と中国人民の善隣友好関係の回復にあらゆる面で努力することを強調。
DIA-104-1971-03-30-2中国1971年03月30日1970年代フィリピン航空のジェット旅客機が乗取られて広州へ着陸-6人の乗取り犯を降して翌31日中国側は送還,フィリピン外相,中国の「友好的精神」を称賛する声明を発表。
DIA-104-1971-03-30-3中国1971年03月30日1970年代新華社,軍拡・戦争準備に拍車をかける佐藤政府の新年度予算を批判。
DIA-104-1971-03-31-1中国1971年03月31日1970年代農林部,軽工業部,商業部連合執筆グループ:毛主席の革命路線の導きのもとに,積極的に綿花生産を発展させよう-社会主義の方向を堅持すること,食糧をカナメとして全面発展を企てること,農業「八字憲法」にのっとり科学的態度とファイトを結合指導を強化すること。
DIA-104-1971-03-31-2中国1971年03月31日1970年代中華全国体育協会,国際庭球連盟へ脱退を通告-同連盟が台湾の加盟を認めたため。
DIA-104-1971-03-31-3中国1971年03月31日1970年代訪中友好海運代表団出発-中国外輪代理公司の招請による。4月29日帰国。
DIA-104-1971-04-01-1中国1971年04月01日1970年代第31回世界卓球選手権大会,団体で中国男子優勝-女子は日本が優勝。
DIA-104-1971-04-02-1中国1971年04月02日1970年代天津師範学院中文系大批判執筆グループ論文「共産党があって初めて新中国がある」-「国防演劇」の国民党に奉仕する反動的本質を暴露。
DIA-104-1971-04-02-2中国1971年04月02日1970年代中国・カメルーン,外交関係を樹立。
DIA-104-1971-04-03-1中国1971年04月03日1970年代福建省第2期党委員会成立。
DIA-104-1971-04-04-1中国1971年04月04日1970年代春の農繁期を迎えて,解放軍の各部隊は多くの毛思想宣伝隊を農村に送り,農作業を支援。
DIA-104-1971-04-04-2中国1971年04月04日1970年代山東省革命委員会核心小組,昨年の11月より連続して学習班をつくり県以上の指導幹部に毛主席の著作とマルクス・レーニンの著作を学習させる。
DIA-104-1971-04-04-3中国1971年04月04日1970年代農・牧畜業で成果あげる新彊軍区生産建設兵団-同兵団の1970年食糧総生産は1969年の15%増,綿花生産量は40%増,年末家畜保有数20%増。 大寨に学んだモデル農7師は天山北麓にあり,100万ムーの耕地を持つ。食糧平均ムー当り収量は410斤となり,1969年の30%以上増,くり綿の収量は96斤となり60%増となった。
DIA-104-1971-04-04-4中国1971年04月04日1970年代「人民日報」東パキスタン情報を初報道-インドを中心に米ソ3国がパキスタン内政に干渉する動きがあるとの新華社電を掲載。
DIA-104-1971-04-05-1中国1971年04月05日1970年代山東省第3期党委員会成立。
DIA-104-1971-04-05-2中国1971年04月05日1970年代日本国際貿易促進協会新潟支局が発足。
DIA-104-1971-04-06-1中国1971年04月06日1970年代章立・ナイジェリア駐在代理大使赴任。
DIA-104-1971-04-06-2中国1971年04月06日1970年代インド駐在中国大使館,3月29日同大使館前でのインド人の挑発行為をインド政府が黙認したことに抗議する覚書をインド外務省に送る。
DIA-104-1971-04-07-1中国1971年04月07日1970年代3544工場は節約を励行して建設を進めている-「事業が大きいから少しぐらいの浪費は問題でない」を批判。
DIA-104-1971-04-07-2中国1971年04月07日1970年代安徽省革命委員会執筆グループ:食糧をカナメとして大いに経済作物を発展させよう。
DIA-104-1971-04-07-3中国1971年04月07日1970年代中国,米卓球チームを中国へ招待-世界卓球選手権大会へ出場している中国代表団の宋中秘書長,米卓球チームを中国へ招待し,米代表団はそれを受諾。米国務省はただちに歓迎の声明。アメリカのほか,コロンビア,ナイジェリア,カナダ,イングランド,ニカラグアの各チームも招待される。
DIA-104-1971-04-07-4中国1971年04月07日1970年代住友化学,アルミ地金5,000トン輸出商談まとめる。
DIA-104-1971-04-08-1中国1971年04月08日1970年代中国外交部,北京駐在の各国外交官に近く10日間の華南旅行を実施すると発表。5年ぶり。
DIA-104-1971-04-09-1中国1971年04月09日1970年代甘粛冶金公司,転炉ススから金属カドミウム,硫酸亜鉛,鉛などを回収。
DIA-104-1971-04-10-1中国1971年04月10日1970年代米卓球チームの15人,香港から中国入り(~17日)。
DIA-104-1971-04-10-2中国1971年04月10日1970年代米報道関係者も訪中許可-AP通信のロデリック東京支局員,NBC放送極東支局長J.リッチ氏など5名の米人記者を中国へ招請。さらに米ライフ誌のJ.サール香港特派員にも入国査証が発行される。これに対し米国務省も声明を発表し,「中国との交流を希望する米国の方針と合致するもの」と歓迎。
DIA-104-1971-04-10-3中国1971年04月10日1970年代初代のイタリア駐在中国大使沈平氏赴任。
DIA-104-1971-04-10-4中国1971年04月10日1970年代新華社報道,日本軍国主義者は米帝の支持のもと釣魚島などの占領を策す-佐藤政府が「2つの中国」をもてあそんでいるのは台湾の占領を策すためであり,釣魚島を「返還区域」の中に入れ,さらに日本の空軍管区に入れようとしているのは,その第1歩である。
DIA-104-1971-04-11-1中国1971年04月11日1970年代山西省第3期党委員会成立。
DIA-104-1971-04-11-2中国1971年04月11日1970年代江西省党委員会執筆グループ論文「唯物論的反映論を堅持して,観念論的先験論を批判する-『人の正しい思想はどこからくるか』を学習して」(「紅旗」4号)。
DIA-104-1971-04-11-3中国1971年04月11日1970年代広西自治区で製糖工業が発展-1970~71搾糖期,生産量は前期比10%以上増大,各地の工業,手工業部門は小型圧搾機,動力機,煮糖ガマなど多量に生産した。
DIA-104-1971-04-11-4中国1971年04月11日1970年代青海省海西自治州,7カ月で小型機械化製糖工場を完成-日処理30トンで,設備の3分の2は自給。
DIA-104-1971-04-11-5中国1971年04月11日1970年代「人民日報」評論員論文「インド拡張主義者は何をやろうとしているのか」-東パキスタン内戦にたいするインドの干渉を非難。さらに2つの超大国とくにソ連のインドとの呼応した干渉を非難しヤヒア政権支持を明確に表明。
DIA-104-1971-04-11-6中国1971年04月11日1970年代「人民日報」フィリピン新人民軍の建軍2周年声明を掲載。
DIA-104-1971-04-11-7中国1971年04月11日1970年代中華全国体育総会,米卓球代表団を招宴。13日に中国選手と友好試合を行なう。
DIA-104-1971-04-12-1中国1971年04月12日1970年代青島の海港労働者が自力で機械化埠頭を設計・建造した。
DIA-104-1971-04-12-2中国1971年04月12日1970年代広東省で鉄鉱石の自給を達成。
DIA-104-1971-04-12-3中国1971年04月12日1970年代周総理,ヤヒア・カーン・パキスタン大統領に個人書簡-インドの攻撃に対し「中国政府と人民はこれまで通りパキスタン政府と人民の領土保全と独立を守る正義のたたかいを支持する」と伝える(パキスタン放送-AP)。
DIA-104-1971-04-13-1中国1971年04月13日1970年代解放軍空軍航空兵某部党委員会では学習する中で「真剣」という二字に力を入れる。-毛沢東選集1~4巻を読み,さらにそれと「共産党宣言」「フランスの内乱」「ゴータ綱領批判」「反デューリング論」「国家と革命」「唯物論と経験批判論」などマルクス・レーニンの著作を結びつけて学習。
DIA-104-1971-04-13-2中国1971年04月13日1970年代農林部執筆グループ:農業は大寨に学ぶという輝かしい道を勝利に向って前進しよう-「農業は大寨に学ぶ」とは社会主義農業建設の根本方向と道であり,長期にわたる政治任務である。革命化した指導グループを建設すること,毛沢東思想で人を教育するという根本をつかむこと,党の農村政策を正確に実行すること,党の優れた作風を発揚することについて詳論。
DIA-104-1971-04-13-3中国1971年04月13日1970年代パーレビ・イラン国王の妹・アシュラフ王女,中国政府の招待で中国訪問(~23日)。
DIA-104-1971-04-13-4中国1971年04月13日1970年代シカゴ・デーリー・ニュース社のマーク・ゲイン記者とニューヨーク・タイムズのチルマン・ダーディン香港支局長に中国への入国査証発行される。
DIA-104-1971-04-13-5中国1971年04月13日1970年代オーストリア政府は中国との外交関係樹立について,ブカレストで交渉を開始したと発表。
DIA-104-1971-04-14-1中国1971年04月14日1970年代葉謹:「鉱山のたちおくれはまぬがれ難い」に反論す。
DIA-104-1971-04-14-2中国1971年04月14日1970年代周総理,アメリカ,カナダ,コロンビア,イングランド,ナイジェリアの卓球代表団と会見-周総理は米国チームの訪中は米中両国人民の関係に「新しいページ」を開いたと語る。さらに新聞記者を含む多くの米国人の中国訪問が実現すると述べる。
DIA-104-1971-04-14-3中国1971年04月14日1970年代ニクソン米大統領,対中貿易緩和,人事交流拡大に関する5項目の措置を発表-①中国から訪米する人へのビザの発給を促進,②中国のドル使用を許す,③中国の港に出入する船舶,飛行機に米石油会社も燃料を補給できる,④米国舶舶,航空機は中国以外の港と米国の間で中国の貨物を運んでもよい,⑤中国向け輸出の非戦略物資リストを作成するというもの-この措置により対中直接貿易が認可されたことになる。
DIA-104-1971-04-15-1中国1971年04月15日1970年代広州交易会開幕(~5月15日)。
DIA-104-1971-04-15-2中国1971年04月15日1970年代英中間の電話サービスが22年ぶりに再開。
DIA-104-1971-04-16-1中国1971年04月16日1970年代北京市党委員会執筆グループ「観念論を批判する鋭利な武器-〈『農村調査』の序言と跋〉を学習して」-弁証法的唯物論を堅持して観念論的先験論を批判するために,階級分析の方法を用いて状況を調査研究することの基本的重要性を強調。
DIA-104-1971-04-16-2中国1971年04月16日1970年代ソ連のタス通信「北京とワシントンの相互ゼスチュア」,15日の米中双方の動きを初報道,「周恩来はニクソン大統領に奉仕している」と米紙の論調を引用して述べる。
DIA-104-1971-04-16-3中国1971年04月16日1970年代ニクソン大統領の記者会見-対中国政策の最終目的は①政府間の関係を正常化する,②中国を孤立状態から国際社会へ引出す,の2つの面があると述べ,しかし外交関係樹立とか国連参加を論議するのは時期尚早と述べる。また中国訪問の希望を述べる。
DIA-104-1971-04-16-4中国1971年04月16日1970年代米国務省スポークスマン,中国の報道関係者が米国での取材活動を申請すれば,その入国を認めることを表明。
DIA-104-1971-04-16-5中国1971年04月16日1970年代中国,インドの香港駐在弁務官を広州交易会へ招待。
DIA-104-1971-04-16-6中国1971年04月16日1970年代福田蔵相,シンガポールで対中積極姿勢-「今後の日中国交調整に備え,台湾向け投資は中国との関係を悪化させたり,中国を刺激しないよう考慮することが必要である」と述べた。
DIA-104-1971-04-18-1中国1971年04月18日1970年代広東省の砂糖生産大きくのびる-これは近年山区に甘蔗を植えるようになったことと,製糖工業の躍進が原因になっている。
DIA-104-1971-04-18-2中国1971年04月18日1970年代中国外交部,3月31日,トンキン湾でソ連貨物船が中国漁船に衝突,沈没させ11名を死亡させた事件でソ連大使館に抗議。
DIA-104-1971-04-18-3中国1971年04月18日1970年代任農空軍副司令員の招きでパキスタン空軍参謀学院長カスル・アファド准将の率いる同学院教官,学生,訪中。
DIA-104-1971-04-18-4中国1971年04月18日1970年代セイロンのバンダラナイケ首相,中国大使と会見。
DIA-104-1971-04-19-1中国1971年04月19日1970年代国家建設委員会執筆グループ:2つの路線の闘争をしっかりつかみ,設計革命を深く展開しよう。
DIA-104-1971-04-19-2中国1971年04月19日1970年代貴州省で食塩の量産始まる-貴州省赤水塩化学工場で,7カ月で工場を完成。解放前,塩0.5kgは食糧15~20kgと交換された。
DIA-104-1971-04-19-3中国1971年04月19日1970年代イリイチョフ中ソ国境会談団長,北京へ戻る。
DIA-104-1971-04-20-1中国1971年04月20日1970年代開軋轢炭鉱は大慶に学ぶ大衆運動を深く展開している。
DIA-104-1971-04-20-2中国1971年04月20日1970年代尹杭論文:「資本主義は必ず滅び,社会主義は必ず栄える-2つの社会制度のもとでの2種類の金融通貨の鮮明な対比」-ドルの没落と元の向上の対比を論じている。
DIA-104-1971-04-20-3中国1971年04月20日1970年代中国が米卓球協会の招待を受諾。具体的日程は未決定だが,1年以内に実現される見込み。
DIA-104-1971-04-20-4中国1971年04月20日1970年代中国・チリ,貿易協定に調印。
DIA-104-1971-04-20-5中国1971年04月20日1970年代「人民日報」評論員論文「4.19蜂起の革命の道に沿うて勇敢に前進しよう」-韓国の学生と広範な人民の米帝国主義とその手先に対する闘争を支持し,朝鮮統一は必ず勝利すると述べる。
DIA-104-1971-04-20-6中国1971年04月20日1970年代新華社,セイロンの反政府ゲリラの背後に中国がいるとのデマを否定するセイロン政府の声明を報道し,両国の友好関係を強調。
DIA-104-1971-04-21-1中国1971年04月21日1970年代人民日報,解放軍4,800部隊某部軍医・李維超を全心全意人民に奉仕する先進戦士として紹介。
DIA-104-1971-04-21-2中国1971年04月21日1970年代新彊の小型水力発電急速に発展-1970年新建の容量はほとんど1966年まで17年間の建設の総和に等しい。
DIA-104-1971-04-21-3中国1971年04月21日1970年代ソ連の政治週刊紙「新時代」,ピンポン外交を初めて本格的論評-中国は世界的大国になることをめざしており,南アジアでインド包囲網をつくっていることを指摘。
DIA-104-1971-04-21-4中国1971年04月21日1970年代ニュージーランド共産党のウイルコックス書記長訪中。
DIA-104-1971-04-21-5中国1971年04月21日1970年代周化民対外貿易部副部長を団長とする中国通商使節団,ペルー訪問。
DIA-104-1971-04-21-6中国1971年04月21日1970年代福島県労働者訪中友好参観団出発,13人。
DIA-104-1971-04-21-7中国1971年04月21日1970年代宇津宮徳馬論文,「政府の決断を求める-ごまかしを排して日中国交回復に直進せよ」
DIA-104-1971-04-23-1中国1971年04月23日1970年代紅旗造船工場は自力更生で1万5000トンの「大慶29号」タンカーを建造。
DIA-104-1971-04-25-1中国1971年04月25日1970年代人民日報社説「5000万インドシナ人民の力は無敵である」-ニクソン米大統領の窮境を分析して,米国内の反戦運動の高まり,支配層内部の対立激化,米国と同盟国との矛盾の深まりをあげる。
DIA-104-1971-04-25-2中国1971年04月25日1970年代発売されたライフ4月30日号,エドガー・スノーの毛主席会見記を掲載-毛主席はニクソン米大統領と会う用意ありと伝える。
DIA-104-1971-04-25-3中国1971年04月25日1970年代周総理,シエラレオネ共和国の成立を祝いスチーブンス大統領へ祝電。
DIA-104-1971-04-25-4中国1971年04月25日1970年代外務省,大使館員の対中接触制限緩和を通達。
DIA-104-1971-04-26-1中国1971年04月26日1970年代メーデー・スローガン1955年以来16年ぶりに発表される。全部で32項目。
DIA-104-1971-04-26-2中国1971年04月26日1970年代政府輸銀大幅改組を大蔵・通産に検討するよう指示-「円借款部門」は海外経済協力基金に吸収さす。
DIA-104-1971-04-26-3中国1971年04月26日1970年代第2回農業農民友好訪中団14人出発。日中女子労働者学習訪中団20人出発。関西労働者第2次学習参観団10人出発。
DIA-104-1971-04-27-1中国1971年04月27日1970年代中国最高人民検察院副検察長・黄火星死去,61歳。
DIA-104-1971-04-27-2中国1971年04月27日1970年代新刊雑誌「科学実験」が発売さる-労農兵に総合的に科学技術を普及交流させる月刊雑誌。
DIA-104-1971-04-27-3中国1971年04月27日1970年代中共中央委員,政治協商会議全国委員会副主席,科学院副院長・李四光,死去,82歳。
DIA-104-1971-04-27-4中国1971年04月27日1970年代人民日報社説「英雄的にたたかっているアメリカ人民に敬意を表する」-4月24日のアメリカ国内の反戦集会を論評して,「インドシナ侵略反対の大衆運動はすでにアメリカ人民の革命闘争の重要な一構成部分になっている」と述べ,「一国の人民がこれほど勇敢に自国の帝国主義のおこした侵略戦争に反対する状況は歴史上稀にみるものだ」と称賛し,中国人民は「アメリカ人民に大きな期待をよせている」と表明。
DIA-104-1971-04-27-5中国1971年04月27日1970年代オーストラリア卓球代表団,北京着。5月1日周総理と会見。
DIA-104-1971-04-28-1中国1971年04月28日1970年代春季漁業生産が良収をおさめる-沿海10の省市の生産は前年同期比1割増産。
DIA-104-1971-04-28-2中国1971年04月28日1970年代パーレビ・イラン国王の妹ファテメー王女訪中。
DIA-104-1971-04-28-3中国1971年04月28日1970年代ペルー訪問中の周化民対外貿易部副部長,中国・ペルー間の貿易関係発展をめざす会談を行ない,会談記録要綱に調印。
DIA-104-1971-04-28-4中国1971年04月28日1970年代周総理,ハンガリー貿易相と会見一28日,中国・ハンガリー商品交換・支払協定に調印。
DIA-104-1971-04-30-1中国1971年04月30日1970年代中国外交部新聞司の司長に陳楚氏就任判明。
DIA-104-1971-04-30-2中国1971年04月30日1970年代中国卓球選手団が羽田発,帰国の途へ-卓球選手団は大阪,京都,福岡,札幌横浜,東京で友好試合を行なった。この間王暁雲副団長は,大平,三木らの政治家,木川田,岩佐,今里,中山,小松ら財界人と広く接触を行なった。
DIA-104-1971-05-01-1中国1971年05月01日1970年代メーデー祝賀行事,花火大会に毛・林首脳が天安門に昇る-陳毅中央軍事委員会副主席が1年半ぶりに出現,康生,陳伯達,謝富治氏ら各政治局委員が欠席。
DIA-104-1971-05-01-2中国1971年05月01日1970年代メーデー祝賀3紙誌共同社説「全世界人民の大団結万歳」-①われわれはプロレタリア国際主義を堅持して,世界各国人民との友好団結をいっそう強化すべき,②各国人民との友好往来は各国人民の中国人民への支持であり,われわれが各国人民に学ぶよい機会である,③われわれは世界革命を支援するうえで,いっそう大きな貢献をしよう。
DIA-104-1971-05-01-3中国1971年05月01日1970年代「人民日報」評論員論文「中国は領土主権の侵犯を許さない」-釣魚島などのいわゆる「尖閣列島」は中国の領土であり,いかなる侵略・占領も許さず,また日韓台の共同開発も許さない。
DIA-104-1971-05-02-1中国1971年05月02日1970年代アブ・アマル・サアド氏を団長とするパレスチナ解放機構(PLO)代表団,訪中-3日から8日までパレスチナ国際週間,3日は北京で1万人集会開催。
DIA-104-1971-05-02-2中国1971年05月02日1970年代周総理,日本の3訪中団と会見。日中友協(正統)労働者学習訪中団,日本福島県労働者友好訪中団,日本第2次関西労働者学習訪中団。
DIA-104-1971-05-03-1中国1971年05月03日1970年代初代エチオピア駐在中国大使兪沛文氏赴任。
DIA-104-1971-05-03-2中国1971年05月03日1970年代人民日報社説「英雄的なパレスチナ人民に敬意を表す」-パレスチナ人民の武装闘争は世界人民の反米帝闘争の重要な構成部分であり,また社会帝国主義はパレスチナ人民を「彼らの中東での勢力範囲を争奪し分割しあうためのいけにえにしようとするもの」と非難。
DIA-104-1971-05-04-1中国1971年05月04日1970年代人民日報評論員論文「中国人民を敵視するアメリカ政府の新たな罪跡」-「台湾の主権は未解決」という4月28日の米国務省の声明は「2つの中国」の陰謀をおしすすめるためのものと非難。
DIA-104-1971-05-05-1中国1971年05月05日1970年代湘暉:地方工業の労働力を合理的に解決しよう-地方工業を発展させるにあたって農業と労働力を争ってはならない。
DIA-104-1971-05-05-2中国1971年05月05日1970年代人民日報社説「熱烈な祝賀,断固たる支持」-カンボジア王国民族団結政府成立1周年を祝賀。
DIA-104-1971-05-05-3中国1971年05月05日1970年代広州交易会で日中「技術交流」さかん-昨秋の17社から37社に急増している。
DIA-104-1971-05-06-1中国1971年05月06日1970年代上海水工機械工場が大型トンネル掘進機を製作。
DIA-104-1971-05-06-2中国1971年05月06日1970年代中国・サンマリノ,外交関係(領事級)樹立-中国はサンマリノの中立政策を尊重,サンマリノは中国政府を中国唯一の合法政府として承認。
DIA-104-1971-05-06-3中国1971年05月06日1970年代周総理,郭沫若,日本農業農民第2次交流訪中団と会見。
DIA-104-1971-05-07-1中国1971年05月07日1970年代人民日報社説「革命化のためにたどらなければならない道-毛主席の『5・7指示』5周年を記念して」-「5・7指示」はプロレタリア独裁の下でひきつづき革命をおこなう理論の重要な構成部分であると述べ軍隊の建設,国家建設,社会改造のうえでの偉大な綱領であり,教育革命の重要な文献であることを強調。
DIA-104-1971-05-07-2中国1971年05月07日1970年代解放軍は,毛主席の「5・7指示」に沿って勇往まい進する-全軍のどの部隊も部隊農場,軍工場を経営,1968年以降,部隊農場で前後数十万の大学生を受け入れて労働による再教育をうけさせている。数年で全軍の耕地面積は数百ムー拡大し各種の中小工場を運営。穀物,肉,野菜を自給している部隊も多く,国家負担を大幅に軽減し,国家の社会主義建設を強力に支援し,戦争への備えの実施を促す。
DIA-104-1971-05-07-3中国1971年05月07日1970年代新華社,最近の国際通貨不安は米国の経済危機に根本原因があると報道。
DIA-104-1971-05-07-4中国1971年05月07日1970年代米国政府,対中取引での米ドルの使用制限を撤廃-1950年12月以来の制限に関連。
DIA-104-1971-05-08-1中国1971年05月08日1970年代「5・7指示」5周年にあたり,解放軍の各部隊,記念会,講談会,座談会を開いて5年来の成果を総括し交流させ,また北京で展覧会を開く。
DIA-104-1971-05-08-2中国1971年05月08日1970年代周総理,フィリピン商工会議所参観団と会見。中国はフィリピンとの国交樹立を大歓迎していると述べる。
DIA-104-1971-05-08-3中国1971年05月08日1970年代中国国務院,チェコスロバキア建国記念日に祝電。
DIA-104-1971-05-08-4中国1971年05月08日1970年代「赤旗」論文,「無責任でバカげた非難-大国主義的干渉のいまひとつの実例」-パリ・コンミューン記念の3誌紙論文に反論。
DIA-104-1971-05-09-1中国1971年05月09日1970年代周総理,アラブ12カ国の記者団と会見。台湾問題の解決で米国と直接交渉する用意があると表明。
DIA-104-1971-05-09-2中国1971年05月09日1970年代中ソ国境会談のソ連代表団,10日間にわたり中国国内を旅行。
DIA-104-1971-05-10-1中国1971年05月10日1970年代「人民日報」,数学者華羅庚,「中国の科学工作者は毛主席の指し示す社会主義の道に沿って勝利のうちに前進している」と題する談話を掲載(香港「大公報」2月13日掲載のもの)。
DIA-104-1971-05-10-2中国1971年05月10日1970年代湖北省党委員会と革命委員会,9期2中全会後,学習班をつくって,すでに1,000名以上の高・中級幹部に,マルクス,レーニン,毛主席の著作を学習させている。
DIA-104-1971-05-10-3中国1971年05月10日1970年代レ・ジュアン第1書記ら北ベトナム労働党代表団,モスクワからの帰途訪中-11日,中共中央政治局,宴会と文芸夜会を催して歓迎。帰途,紹山,広州を訪問。
DIA-104-1971-05-11-1中国1971年05月11日1970年代新彊ウイグル自治区第2期党委員会成立。
DIA-104-1971-05-11-2中国1971年05月11日1970年代人民日報,北京市の1,200名以上の幹部が延安の農村へ下放し,貧下中農に再教育を受けている情況を紹介。
DIA-104-1971-05-11-3中国1971年05月11日1970年代准河流域人民は20年にわたる治水工事で輝かしい成果をおさめた-1951年5月,毛主席は「准河は必ず良く治めなければならない」と指示した。文革以来,河南,安徽,山東・江蘇の境界地区も調整がとれるようになり,流域の農業生産も次第に向上しつつある。
DIA-104-1971-05-12-1中国1971年05月12日1970年代冶金工業部執筆グループ:毛沢東思想の導きのもとに,わが国の鉄鋼工業を発展させよう-劉少奇の「鋼をカナメとする」方針に反駁。
DIA-104-1971-05-12-2中国1971年05月12日1970年代周総理,キューバ政府貿易代表団と会見-11日,両国は新5カ年貿易支払い協定,1971年度貿易協定に調印。
DIA-104-1971-05-14-1中国1971年05月14日1970年代貴州省第3期党委員会成立。
DIA-104-1971-05-15-1中国1971年05月15日1970年代遼寧省党委員会執筆グループ「世界を認識し世界を改造する強大な思想の武器-〈実践論〉を学習して」-「王明,劉少奇ら政治ペテン師」の「観念論的先験論」を批判。
DIA-104-1971-05-15-2中国1971年05月15日1970年代春の広州交易会への参加は90数力国,1万6000余人の空前の規模に達する。
DIA-104-1971-05-15-3中国1971年05月15日1970年代周総理,李先念副総理,テンク・ラザレイ氏を団長とするマレーシア貿易代表団と会見-国際貿易促進委員会の招きで5月8日訪中したもの。
DIA-104-1971-05-15-4中国1971年05月15日1970年代広州交易会閉幕-日本からは1,400人を上回る人が訪中,開会レセプションには820人が参加。成約は輸出約1億0300万ドル,輸入7300万ドル,計1億7600万ドルと昨年秋を上回った。
DIA-104-1971-05-15-5中国1971年05月15日1970年代東洋ベアリング周4条件受入れ-ベアリング業界は全部受入れ。
DIA-104-1971-05-16-1中国1971年05月16日1970年代広東省で英徳人民大橋が竣工-英徳県で北江にかかる全長1,011m,最大支間80m,幅11mの橋で,両側に1,000haを灌漑できる水路が付設されている。
DIA-104-1971-05-16-2中国1971年05月16日1970年代中国国際貿易促進委員会,ラザレイ団長のマレーシアへの中国貿易代表団の招待を受諾。
DIA-104-1971-05-17-1中国1971年05月17日1970年代中国はマッハ1.2クラスのミグ19の改良型の新型ジェット戦闘機(米専門家はF9とよぶ)の開発に成功-すでに月産10機の割合で生産に入っている(ニューヨーク・タイムズ)。
DIA-104-1971-05-17-2中国1971年05月17日1970年代ザガリ外国貿易相を団長とするイタリア通商使節団一行76人,訪中-イタリアの企業のビッグ・スリーの代表が参加。
DIA-104-1971-05-17-3中国1971年05月17日1970年代張達志中央軍事委員会委員を団長とする中国軍事友好代表団,ギニア,マリ訪問へ。
DIA-104-1971-05-18-1中国1971年05月18日1970年代内モンゴル自治区第3期党委員会成立。
DIA-104-1971-05-18-2中国1971年05月18日1970年代チェコ・中国,1971年度貿易支払い協定に調印。
DIA-104-1971-05-18-3中国1971年05月18日1970年代東独・中国,1971年度バーター支払い協定に調印。
DIA-104-1971-05-18-4中国1971年05月18日1970年代新華社,ビルマ,タイ,マラヤ,フィリピン,インドネシア,北カリマンタンの武装ゲリラの最近1年間の闘争を報道。
DIA-104-1971-05-18-5中国1971年05月18日1970年代日産,大型トラック400台,トラクター・ヘッド70台を輸出-日野は7トントラック136台を輸出。
DIA-104-1971-05-18-6中国1971年05月18日1970年代財界有力者の「アジア貿易構造センター」発足。
DIA-104-1971-05-19-1中国1971年05月19日1970年代山東省党委員会執筆グループ「理論と実際を結びつける革命学風を発揚しよう-〈われわれの学習を改造しよう〉を学習して」
DIA-104-1971-05-19-2中国1971年05月19日1970年代周総理,郭沫若氏,ギャルストン・エール大学教授とシグナー・ボストン大学教授と会見・両氏はハノイから10日に訪中。
DIA-104-1971-05-19-3中国1971年05月19日1970年代ネパール王国のシャラダ王女とネパール体育協会代表団,訪中。
DIA-104-1971-05-20-1中国1971年05月20日1970年代河北省第2期党委員会成立。
DIA-104-1971-05-20-2中国1971年05月20日1970年代毛主席声明1周年記念3紙誌共同社説「反帝闘争の綱領」-参考資料参照。
DIA-104-1971-05-22-1中国1971年05月22日1970年代レ・タン・ギ副首相を団長とするベトナム労働党代表団,外国訪問の途訪中。
DIA-104-1971-05-23-1中国1971年05月23日1970年代パキスタン当局が明らかにしたところによると,中国はこのほどパキスタン政府に2000万ドルの無利子借款供与を申出た。
DIA-104-1971-05-24-1中国1971年05月24日1970年代党の知識分子政策をしっかりとやりとげ,技術人員の積極的作用を充分発揮させる-「人民日報」の本渓鋼鉄公司第2鋼鉄工場の調査報告では労働者の中から技術者を養成する活動を紹介。すでに40名の労働者出身の技術幹部を生み出している。
DIA-104-1971-05-24-2中国1971年05月24日1970年代雲南省革命委員会執筆グループ「文芸路線の革命大批判を堅持する-〈延安における文芸座談会の講話〉発表29周年を記念」。
DIA-104-1971-05-24-3中国1971年05月24日1970年代周総理,訪中した米国の友人ウィリアム・ヒントン氏夫妻と会見-夫妻は4月29日訪中。
DIA-104-1971-05-25-1中国1971年05月25日1970年代中国・イタリア,貿易支払協定に調印-訪中したイタリア政府経済代表団との共同コミュニケで,協定の有効期限は3年,また両国の貿易関係の発展を検討する合同委員会の設置に合意。
DIA-104-1971-05-26-1中国1971年05月26日1970年代天津市第3期党委員会成立。
DIA-104-1971-05-26-2中国1971年05月26日1970年代黄河の水と砂を利用して安定高収耕地を造成する-かつて常に氾濫していた黄河は,上・中流の土砂流出が減り,コントロールしうるようになった。山東省と河南省の黄河流域人民は,アルカリ地に黄河の水と砂を人工的に氾濫させ,新しい耕地を造成するようになった。
DIA-104-1971-05-26-3中国1971年05月26日1970年代米国の経済専門紙ウォール・ストリート・ジャーナルのロバート・キートレー記者訪中。
DIA-104-1971-05-27-1中国1971年05月27日1970年代セイロン政府への2500万ドルの長期無利子借款供与協定に調印-4月26日,周総理が書簡で申入れたもの。
DIA-104-1971-05-28-1中国1971年05月28日1970年代解放軍北京部隊の指導機関,路線教育の現場会開催-ある部隊の社会主義歴史段階全体の基本路線教育の経験を総括し,普及。国際共産主義運動史と党内の2つの路線闘争史とを結びつけて,毛主席の著作を学習。
DIA-104-1971-05-28-2中国1971年05月28日1970年代中国・オーストリア,外交関係樹立。
DIA-104-1971-05-28-3中国1971年05月28日1970年代中国紅十字会,トルコの地震の見舞に人民幣150万元を送る。
DIA-104-1971-05-29-1中国1971年05月29日1970年代人民日報,解放軍済南部隊の政治処副主任・劉紹堂を毛主席の革命路線に忠実な戦士として紹介。「老大難」の単位への「三支両軍」工作で功績をあげる。
DIA-104-1971-05-29-2中国1971年05月29日1970年代軽工業部執筆グループ:軽工業を発展させるためには必ず原料を大いにつかまなければならない。
DIA-104-1971-05-29-3中国1971年05月29日1970年代中国・パキスタン国境貿易の交換文書がウルムチで調印される。
DIA-104-1971-05-30-1中国1971年05月30日1970年代中国・北ベトナム航空協定に調印。
DIA-104-1971-05-31-1中国1971年05月31日1970年代中国,ポーランド,71年度貿易協定に調印。
DIA-104-1971-05-31-2中国1971年05月31日1970年代周総理,郭沫若,日本学者グループと会見-松村一人夫妻,井上清,小林義雄,藤田敬一らの人々は5,月14日中国に入り,6月13日帰国。
DIA-104-1971-06-01-1中国1971年06月01日1970年代チャウシェスク書記長を団長とするルーマニア党・政府代表団が訪中-北京の大衆数十万人が歓迎。
DIA-104-1971-06-01-2中国1971年06月01日1970年代尖閣列島への政府調査船出航延期-大陸ダナ資源調査を目的としたもの。
DIA-104-1971-06-01-3中国1971年06月01日1970年代日本外務省,「わが国の今後の対外経済関係に占める日中貿易の意義」-経済関係拡大に悲観的見方を示す。
DIA-104-1971-06-02-1中国1971年06月02日1970年代東北製薬総工場が総合利用を深くくりひろげている調査報告-(「人民日報」編者の言葉)資本主義国家においては公害は解決しえない。しかして,この「一切は人民の利益から出発する」われわれの社会主義国家においては,プロレタリア独裁の条件の下では,広汎な人民の健康を考え,子孫たちのために考え,全局面のために考えなければならない。出来るだけ早くこの問題の解決に着手すべきである。またこの問題を解決する条件は完全に存在しているのである。
DIA-104-1971-06-02-2中国1971年06月02日1970年代シアヌーク殿下,3日毛主席,林副主席と会見,また謝富治副総理もチャウシェスク氏を訪問。5日~6日周総理が同行して南京・上海訪問,9日共同コミュニケに調印し,北朝鮮,北ベトナム訪問へ出発。
DIA-104-1971-06-02-3中国1971年06月02日1970年代新華社通信社,北京駐在の各国記者にAP,UPI,AFPなど西側通信社の記事をプリントして配布するサービスを開始。
DIA-104-1971-06-02-4中国1971年06月02日1970年代新任の宋克文チェコスロバキア駐在大使赴任。
DIA-104-1971-06-03-1中国1971年06月03日1970年代雲南省第2期党委員会成立。
DIA-104-1971-06-03-2中国1971年06月03日1970年代昆明給電局電線検修隊の労働者が,高圧線雨天帯電作業工具と超高圧線全面自由帯電作業工具の創造に成功した。
DIA-104-1971-06-05-1中国1971年06月05日1970年代中国は原子力潜水艦を建造中-航空写真による分析を「ワシントン・ポスト」紙が報道。7日米国防総省が肯定。
DIA-104-1971-06-06-1中国1971年06月06日1970年代人民日報社説「英雄的なベトナム南部人民に敬意を表す」-南ベトナム臨時革命政府成立2周年を記念。
DIA-104-1971-06-08-1中国1971年06月08日1970年代天津市の半分以上の工場の鉄道専用線を「共用」化し輸送効率を高めた。
DIA-104-1971-06-08-2中国1971年06月08日1970年代テパバッチ外相の率いるユーゴスラビア政府代表団訪中-周総理,李先念副総理と会談。15日共同コミュニケ発表。平和5原則を基礎に両国は経済・科学・技術・文化を含め相互に協力関係を発展させることを確認。
DIA-104-1971-06-08-3中国1971年06月08日1970年代318回板門店会談に出席するため中国軍代表5年ぶりで北朝鮮へ赴任。
DIA-104-1971-06-08-4中国1971年06月08日1970年代竹入委員長,公明党の日中問題に関する談話を発表-日台条約は廃棄すべきである。日中戦後処理は終っていない。
DIA-104-1971-06-08-5中国1971年06月08日1970年代公明党と自民若手議員訪中団に受入れの連絡入る。
DIA-104-1971-06-09-1中国1971年06月09日1970年代中国・ルーマニア共同コミュニケ調印-①両党・両国,両人民間の友好協力関係は完全な平等,独立自主,相互尊重,相互内政不干渉の原則を厳格に守るもの,②双方は他国の領土から外国軍隊を撤退させ,軍事基地を撤去し,軍事ブロックを解消するための闘争を支持,③双方は帝国主義がいたるところで侵略,転覆を行ない,覇権の政策と采配をふるう政策をおしすすめて他国の内政に干渉していることが国際情勢緊迫化の根源であると指摘,④ルーマニア側は中国の参加なしに,国際社会の重大な問題の解決は不可能であり,さいきん,一部の資本主義諸国にあらわれている中国との関係正常化の傾向は,平和と国際安全の利益にかなっている,と述べる。
DIA-104-1971-06-09-2中国1971年06月09日1970年代周総理,セイロン大使と会見。バンダラナイケ首相の親書を受けとる。
DIA-104-1971-06-10-1中国1971年06月10日1970年代北京給電公司の労働者,北京・天津間の高圧線を11万ボルトから22万ボルトに高め送電能力を4倍にし,損失を半減させた。
DIA-104-1971-06-10-2中国1971年06月10日1970年代香港「大公報」,フィリピン共産党中央委員会主席のアマタ・ゲレロ著の「フィリピン社会と革命」と題する著作を英文で出版。
DIA-104-1971-06-11-1中国1971年06月11日1970年代電力工業の成果大-1~5月の全国発電量は昨年同期比24%増となり,最高に達した。
DIA-104-1971-06-11-2中国1971年06月11日1970年代劉新権駐ソ大使,このほど20日間にわたりソ連国内旅行を行なった(モスクワ放送)。
DIA-104-1971-06-11-3中国1971年06月11日1970年代リビアのカダフィ議長,中国承認を表明-中国承認国,国府承認国を上回る。
DIA-104-1971-06-11-4中国1971年06月11日1970年代姚登山・元インドネシア駐在代理大使の文革中の英大使館焼打ちなど外国公館への暴動の責任を追求する人民裁判が北京で行なわれ,姚氏は投獄された(在北京ニューヨーク・タイムズ記者)。
DIA-104-1971-06-12-1中国1971年06月12日1970年代「人民日報」,毛主席の「7・21」指示の輝しい道路にそって前進しよう-上海工作機械工場党委員会の労働者大学の事業を紹介。 1968年9月より開設し第1期学生52名は,今年の7月21日に卒業予定。全工場に労働者出身の技術者は250名おり,全技術者総数の約45%を占めている。労働者大学のほかに,1カ月前後の短期間の労働者業余学校が設けられ常時700余名の労働者,技術者,幹部が,政治,技術,文化知識を学んでいる。また労働者が「3結合」の設計,技術革新運動に参加することによって技術者として養成されている。
DIA-104-1971-06-12-2中国1971年06月12日1970年代錘青公:小商品生産をうまくやろう-小商品生産は重大そうでもなく,将来性もなく,めんどうで複雑でうまく按配できない,などの見方があるが,実は非常に重要な生産部門なのである。
DIA-104-1971-06-12-3中国1971年06月12日1970年代李水清第1機械工業部長を団長とする中国政府代表団,中国社会主義建設展に出席するためルーマニア訪問。
DIA-104-1971-06-12-4中国1971年06月12日1970年代デンマークの駐米大使レンネ氏訪中。
DIA-104-1971-06-12-5中国1971年06月12日1970年代周総理,サニヨ・ママディ団長の率いるギニア軍事代表団と会見。
DIA-104-1971-06-13-1中国1971年06月13日1970年代軍某中隊,ガソリン・エンジンの技術革新に成功-ブルジョア専門家の「限界」を破ったもので,馬力は向上,耐用力は高まり,簡単・厳寒地に向くなどの特徴がある。北京部隊は,最近4,800部隊某部隊修理第2中隊に集団1等功労章を授与した。
DIA-104-1971-06-13-2中国1971年06月13日1970年代周総理,李先念副総理,レ・タン・ギ・ベトナム副首相と会見(11日訪中)。
DIA-104-1971-06-13-3中国1971年06月13日1970年代「人民日報」評論員論文:米日反動派に警告する-5月28日から6月5日にかけての朝鮮東海での日米韓合同軍事演習を非難。
DIA-104-1971-06-14-1中国1971年06月14日1970年代河北張家口炭鉱機械工場,湾曲式ベルトコンベァーの製造に成功。
DIA-104-1971-06-14-2中国1971年06月14日1970年代周総理,タンタレアン・ペルー漁業相およびペルー通商使節団と会見-15日会談記録要綱に調印。その中で中国はペルーより,銅,鉛,亜鉛及および魚粉15万トン,魚油2万トンを購入することで合意。
DIA-104-1971-06-14-3中国1971年06月14日1970年代董必武,朱徳,周恩来の3首脳,北ベトナム国会,政府指導者の再選へ祝電。
DIA-104-1971-06-14-4中国1971年06月14日1970年代周総理,リビアのカザフイ議長へホイーラス米軍基地接収1周年で祝電,国交樹立での話合いを希望。
DIA-104-1971-06-15-1中国1971年06月15日1970年代謝覚哉政協全国委員会副主席死去。88歳。
DIA-104-1971-06-15-2中国1971年06月15日1970年代イタリアのアリタリア航空の理事長ら中国民用航空総局の招きで訪中-両国間の航空路開設で会談。
DIA-104-1971-06-15-3中国1971年06月15日1970年代中国は対パキスタン援助2億ドルのうち7000万ドルを商品援助で供与。
DIA-104-1971-06-16-1中国1971年06月16日1970年代「人民日報」評論員:「日本軍国主義の拡大,戦争準備の青写真」-副題,日本佐藤反動政府のいわゆる「第4次防衛力整備計画原案」を評す。日本人民の目ざめと,アジア人民の革命の力が侵略の道を許さないであろう。
DIA-104-1971-06-17-1中国1971年06月17日1970年代「人民日報」,清華大学の労農兵の学生・教員の教育革命の体験談を掲載-昨年入学した労農兵出身の新しい学生が,教師の体系にとらわれ生産の実際から遊離した古い教学方法と世界観を改造するのを助け,教師と学生が生産現場へ直接でかけて行って教育革命をすすめている。
DIA-104-1971-06-17-2中国1971年06月17日1970年代南京市測量設計院革命委員会執筆グループ:わが国自身の建橋の道を歩む。
DIA-104-1971-06-17-3中国1971年06月17日1970年代林彪国防部長,キュー・サムファン副首相へカンボジア民族解放人民武装勢力の総司令官に任命されたことを祝って祝電を送る。
DIA-104-1971-06-17-4中国1971年06月17日1970年代ハマデイ・イラク石油鉱業相を団長とする経済技術代表団,訪中-21日経済技術協力協定に調印。
DIA-104-1971-06-19-1中国1971年06月19日1970年代北京大学駐屯労働者・解放軍毛思想宣伝隊論文「文科は社会全体を自己の工場としなければならない」-文科系大学の教育革命の状況。文科系各科は工場,農村,部隊,商店へ教育革命実践隊を派遣し,そこで貧農・下層中農に再教育を受け,調査研究して教材を発見し,実践により認識を深めている。
DIA-104-1971-06-19-2中国1971年06月19日1970年代チャウシェスク書記長を団長とするルーマニア党政府代表団,北朝鮮,北ベトナム訪問を終え北京着,21日北京をたってモンゴル訪問へ。
DIA-104-1971-06-20-1中国1971年06月20日1970年代「人民日報」社説:工業は大慶に学ぼう-参考資料参照。
DIA-104-1971-06-20-2中国1971年06月20日1970年代周総理,第8回アフリカ統一機構(OAU)首脳会議へ祝電。
DIA-104-1971-06-20-3中国1971年06月20日1970年代「人民日報」評論員:よごれた取引,恥知らずなペテン-6月17日の沖縄返還協定の調印は,沖縄の「本土化」ではなく,本土の「沖縄化」による米日アジア侵略基地の形成である。さらにこの協定をテコに釣魚島などを侵略併呑しようとするのは絶対に許せない。
DIA-104-1971-06-21-1中国1971年06月21日1970年代陳垣全国人民代表大会常務委員・北京師範大学校長死去。91歳。
DIA-104-1971-06-21-2中国1971年06月21日1970年代周総理,ニューヨーク・タイムズのトッピング編集局次長ら米人記者3人と会見-米軍が台湾と台湾海峡から撤退すれば,他のすべての問題も解決し,米中外交関係が樹立できるだろうと述べる。
DIA-104-1971-06-23-1中国1971年06月23日1970年代米国の「憂慮するアジア学者の会(CCAS)」の一行15人,中国旅行遊覧事業管理局の招きで中国を訪問。
DIA-104-1971-06-23-2中国1971年06月23日1970年代フランスのアルストム社とM.T.E.社からディーゼル機関車50台を輸入する契約に中国機械進出口総公司調印。
DIA-104-1971-06-23-3中国1971年06月23日1970年代ポーランド海運代表団訪中。
DIA-104-1971-06-24-1中国1971年06月24日1970年代チャン・サム国防次官を団長とする北ベトナム軍事代表団訪中。
DIA-104-1971-06-25-1中国1971年06月25日1970年代遼寧省で小型潮汐発電所完成-金県湾里人民公社で4カ月で完成したもので出力34kw,1日700kw。
DIA-104-1971-06-25-2中国1971年06月25日1970年代朝鮮戦争21周年記念の集会,北京で開催。
DIA-104-1971-06-25-3中国1971年06月25日1970年代周総理,南ベトナム民族解放戦線のグエン・バン・ヒュー中央委幹部会員と会見。
DIA-104-1971-06-25-4中国1971年06月25日1970年代人民日報社説「アメリカ帝国主義の侵略に反対するアジア人民の闘争は必ず勝利する」-朝鮮戦争21周年を記念。
DIA-104-1971-06-27-1中国1971年06月27日1970年代上海江南造船所で中国初の2万トン貨物船「長風」号が進水した。
DIA-104-1971-06-28-1中国1971年06月28日1970年代夏収作物,今年もまた豊作-小麦,ナタネ,ソラ豆,えんどうが増産で,山東,江蘇,四川,雲南,江西,北京,上海,浙江,貴州,広東では前年比10%前後の増産であった。河北,河南,山西,陳西,安徽,湖北,天津は旱害,虫害などを克服し,小麦などの豊作をかちとった。安徽,湖北,湖南,貴州ではナタネは2割以上の豊作。昨秋四川省では小麦とナタネの面積を合理的に按配し,作付面積が7.9%増加した。
DIA-104-1971-06-28-2中国1971年06月28日1970年代中国電信総局,中国とイスラエル間の直通電話線開始のイスラエルのデマを否定する声明を発表。
DIA-104-1971-06-28-3中国1971年06月28日1970年代覚書貿易中国側弁事処,「記者取材妨害」事件について正式回答を要請-6月17日夜,「北京日報」の王記者が機動隊に暴行を受けたことに関して警察当局に要請したもの。
DIA-104-1971-06-29-1中国1971年06月29日1970年代ペパン商工相を団長とするカナダ政府経済代表団一行24人訪中。
DIA-104-1971-06-29-2中国1971年06月29日1970年代李先念副総理,楊傑交通部長,ポーランド海運代表団と会見。
DIA-104-1971-06-30-1中国1971年06月30日1970年代周総理,公明党代表団と夕食会及び会談を行なう。
DIA-104-1971-06-30-2中国1971年06月30日1970年代労働者訪中団,中国入り-岩井章団長以下11人。7月12日周総理と会見,17日香港へ出国。
DIA-104-1971-06-30-3中国1971年06月30日1970年代日本政府,中国人記者取材妨害に文書で遺憾の意を表明。
DIA-104-1971-07-01-1中国1971年07月01日1970年代中国共産党の50周年を記念する三紙誌共同記念論文発表される-党史に準ずるもの。
DIA-104-1971-07-01-2中国1971年07月01日1970年代張才干氏,軍副総参謀長就任が判明。前南京部隊副司令員。
DIA-104-1971-07-01-3中国1971年07月01日1970年代佐藤首相,張群秘書長に今年は重要事項指定方式をやめると表明-朴大統領就任式典参加のため訪韓中。
DIA-104-1971-07-02-1中国1971年07月02日1970年代雲南省の独竜江地区で2,700余名の独竜族のなかにはじめて39名の共産党員が誕生。
DIA-104-1971-07-02-2中国1971年07月02日1970年代上海異型管工場では新品種の開発に努力-17年来,この工場では材質と形のワクを破って2,100余種の鋼管類を生産している。
DIA-104-1971-07-02-3中国1971年07月02日1970年代周総理,ペパン通産相を,団長とするカナダ経済使節団と会見。(6月28日~4日訪中)
DIA-104-1971-07-02-4中国1971年07月02日1970年代公明党と中日友好協会の共同声明,調印-参考資料参照。
DIA-104-1971-07-03-1中国1971年07月03日1970年代中共中央軍事委員会済南部隊某部二連排長盛習友に,「愛民模範」の称号を授与-全軍に彼に学ぶように指示。盛習友は山くずれの中で,9人の人民公社員を助け,自から犠牲となった三支両軍人員。
DIA-104-1971-07-03-2中国1971年07月03日1970年代国務院文化組が設立される。呉徳(主任),劉賢権,石少華らがメンバー。
DIA-104-1971-07-03-3中国1971年07月03日1970年代広西チワン族自治区党委員会執筆グループ論文「プロレタリア文学の党性原則を堅持する」-周揚ら「4条漢子」の「創作自由」の反革命スローガンの鼓吹を批判。
DIA-104-1971-07-03-4中国1971年07月03日1970年代周総理,ソ連の「ソユーズ11号」の宇宙飛行士の事故死へ哀悼の意を示す電報をコスイギン首相へ送る。
DIA-104-1971-07-04-1中国1971年07月04日1970年代周総理,チャン・サム国防次官を団長とする北ベトナム軍事代表団と会見。また1971年度追加無償軍事物資供与議定書に調印(~5日訪中)。
DIA-104-1971-07-04-2中国1971年07月04日1970年代人民日報社説「正義の立場,合理的な提案」,パリ会談のビン7項目提案を支持。
DIA-104-1971-07-05-1中国1971年07月05日1970年代周総理,ホイットラム党首を団長とするオーストラリア労働党代表団と会見。2日訪中。
DIA-104-1971-07-06-1中国1971年07月06日1970年代中共吉林省委員会執筆グループ:「経済を発展させ,供給を保障する」は商業工作の根本指導方針である-劉少奇らの「流通が生産を決定する」理論を批判。価値法則は計画と採算の用具である。企業の採算工作を強化すべし。
DIA-104-1971-07-06-2中国1971年07月06日1970年代軍某部副団長林炳遠:米日朴の反革命の結託を粉砕しよう-佐藤首相とアグニユー米副大統領の訪韓を非難。
DIA-104-1971-07-06-3中国1971年07月06日1970年代「人民日報」日本での映画「戦争と人間」批判論文を紹介。
DIA-104-1971-07-07-1中国1971年07月07日1970年代雲南省党委員会執筆グループ論文「マルクス主義の指導方法を堅持する-〈指導方法についての若干の問題〉を学習して-」,大衆路線と具体情況への調査研究を行う指導方法を堅持して,主観主義と官僚主義の指導方法を行なってはいけない(「紅旗」7・8号)。
DIA-104-1971-07-07-2中国1971年07月07日1970年代邯鄲冶金鉱山公司労働者評論班:中小鉱山の建設を重視すべきだ-中小鉱山から次第に大鉱山へと手がけることが合理的な道である。
DIA-104-1971-07-07-3中国1971年07月07日1970年代日中議連,宇都宮代表団派遣を断念-中国側の意向にそったもの。
DIA-104-1971-07-08-1中国1971年07月08日1970年代全国の廃鋼鉄の整理,回収の成績大-1~5月で全年回収計画の45.7%達成。昨年同期比40%増で,青海省,南昌市,昆明市では全年計画を完遂。
DIA-104-1971-07-09-1中国1971年07月09日1970年代キッシンジャー米大統領補佐官,秘密裏に訪中(~11日)。その間20時間にわたり周総理と会談。
DIA-104-1971-07-10-1中国1971年07月10日1970年代毛・林・周3首脳中朝友好協力相互援助条約締結10周年で北朝鮮首脳と祝電交換-5年ぶりのこと。李先念副総理を団長とし李徳生軍総政治部主任を副団長とする中国党政府代表団,北朝鮮訪問。代表団員,耿党中央対外連絡部長,白相国対外貿易部長,李輝文外交部副部長ら。また金仲麟党中央委員会書記を団長とし,金万金副首相を副団長とする北朝鮮党,政府代表団,訪中。上海,長沙,韶山を訪問,16日帰国。
DIA-104-1971-07-11-1中国1971年07月11日1970年代3紙誌共同社説「軍国主義の侵略に反対する強固な同盟」-中朝友好協力相互援助条約締結10周年を祝して-,「日本軍国主義は野望にもえて朝鮮と台湾をもう一度侵略しようと夢みている」と非難。
DIA-104-1971-07-13-1中国1971年07月13日1970年代「人民日報」思想評論-下放した幹部が労働に力を入れるため読書して学習することを疎かにしてもよいという考え方を批判。
DIA-104-1971-07-14-1中国1971年07月14日1970年代周総理,グエン・ズイ・チン北ベトナム外相と会見。同氏は13日より15日までモンゴルからの帰途北京訪問。
DIA-104-1971-07-14-2中国1971年07月14日1970年代陶第文論文:日本の反動映画「ああ海軍」を評す-佐藤政府の肉弾あつめのペテンをあばく(「光明日報」)。
DIA-104-1971-07-15-1中国1971年07月15日1970年代日本貿易振興会,「日中貿易手冊」を発売。
DIA-104-1971-07-16-1中国1971年07月16日1970年代「人民日報」短評,「試錬の中で身体をきたえ,意志をきたえる」-社会主義の建設のため,戦備強化のため,世界各国人民との友誼を増進させるために体育運動をくりひろげることが必要である。
DIA-104-1971-07-16-2中国1971年07月16日1970年代新華社,ニクソン米大統領が来年5月以前に中国を訪問すると発表(米国と同時発表,「公告」という形式で発表)。
DIA-104-1971-07-16-3中国1971年07月16日1970年代ニクソン大統領訪中の連絡,発表3分前に佐藤首相に伝えられる。
DIA-104-1971-07-16-4中国1971年07月16日1970年代新日鉄,日華,日韓両協力委に欠席を決める。
DIA-104-1971-07-17-1中国1971年07月17日1970年代解放軍上海駐屯空軍部隊の党委員会,上海市党委員会の指導の下に地方各級指導グループの中で要職を担当している三支両軍人員に対し民主集中制の教育を施し革命幹部,革命大衆との団結を強化。
DIA-104-1971-07-18-1中国1971年07月18日1970年代針麻酔の開発に成功-文革以来すでに40万人余の患者を針麻酔で手術し,90%前後の成功率をおさめている。薬物麻酔と比べ副作用がなく設備が簡単で僻地や戦争などの環境でも使える。
DIA-104-1971-07-18-2中国1971年07月18日1970年代山東省革命委員執筆グループ論文「孔子の教育思想を批判する」-劉少奇の「修養」は孔子の反動的世界観に通じていると批判。
DIA-104-1971-07-18-3中国1971年07月18日1970年代周総理と郭沫若氏,アラン,ペールフィット氏の率いるフランス国会代表団(13日訪中)と会見。郭沫若氏は演説の中で外国軍隊の撤退と民族自決を要求。
DIA-104-1971-07-19-1中国1971年07月19日1970年代周総理,米国の「アジアを憂える学者の会」(CCAS)メンバーと会見。(6月23日~7月23日訪中)-「米軍のベトナムからの撤退要求は米中両国人民間の関係回復の要求より強い」と述べまた台湾問題解決へ6項目の要求を提示。
DIA-104-1971-07-19-2中国1971年07月19日1970年代新任の黄華駐カナダ大使赴任。
DIA-104-1971-07-20-1中国1971年07月20日1970年代蔡正:基本建設は,少ない銭で多くの事をやることを堅持すべし-北京市財政金融局は基本建設の財務管理工作を強化し,現有企業改造に力を入れ,資金の大量放出を抑制している。
DIA-104-1971-07-20-2中国1971年07月20日1970年代人民日報社説「ベトナム人民の民族的願いは必ず実現する」,ジュネーブ協定調印17周年を記念。
DIA-104-1971-07-20-3中国1971年07月20日1970年代ジエームス・フォアマン氏を団長とする米黒人労働者会議代表団一行3人訪中。
DIA-104-1971-07-20-4中国1971年07月20日1970年代日中議連緊急拡大常任理事会,国交回復決議案を決定-内容全文次の通り。 「日本国と中華人民共和国は地理的,歴史的,文化的に緊密な関係にありながら,いまなおきわめて不幸な国家関係を続けている現状は,誠に遺憾である。政府は国際情勢の推移にかんがみ,中華人民共和国とすみやかに国交を回復して,両国間のあらゆる問題を解決するとともに,きたるべき国連総会において中華人民共和国の合法的地位の回復を実現するよう努力すべきである。右決議する」23日,衆院へ提出,自民党署名議員54人に。24日両院に上程不可能となる。
DIA-104-1971-07-20-5中国1971年07月20日1970年代自民党の野田訪中団,最近中国側に訪中を申入れ。
DIA-104-1971-07-21-1中国1971年07月21日1970年代遼寧省の工場経営による労働者大学の調査報告-全省で「7・21指示」に従って1969年より各種の工場経営や工場・学校の共同経営の労働者大学を多数設立。藩陽,旅大,阜新の3都市だけでも36ケ所の労働者大学があり4,600名余りの学生に政治,文化,技術を教育。
DIA-104-1971-07-21-2中国1971年07月21日1970年代長春客車工場党委員会論文「党の政策教育を強化しよう」-方向が正しければ政策の執行を疎そかにしてよいとの謬論を批判。(「紅旗」7・8号)
DIA-104-1971-07-21-3中国1971年07月21日1970年代ブーフテリカ外相を団長とするアルジェリア政府代表団訪中。23日周総理と会見。27日経済技術協力協定と長期貿易協定に調印。8月1日共同声明に調印して帰国。
DIA-104-1971-07-21-4中国1971年07月21日1970年代新華社,レアード米国防総長の来日を非難。
DIA-104-1971-07-22-1中国1971年07月22日1970年代劉彩品一家4人,中国に永住のため出発。
DIA-104-1971-07-22-2中国1971年07月22日1970年代海運大手五社,「台水会」から脱退。
DIA-104-1971-07-23-1中国1971年07月23日1970年代国家計画委員会執筆グループ:革命をつづけるのか,それとも資本主義を復活するのか-劉少奇一味のいわゆる「先進的社会主義制度と社会生産力の間の矛盾」という反動的な誤った理論を批判する,という副題がついている。
DIA-104-1971-07-23-2中国1971年07月23日1970年代各地の冶金工業は,高温気候のもとで生産を低めない工夫を重ねている。換気扇と飲料水と衛生の確保など。
DIA-104-1971-07-24-1中国1971年07月24日1970年代人民日報評論員論文「おおっぴらな挑発」-レアード米国防長官の日本,韓国訪問を非難。
DIA-104-1971-07-25-1中国1971年07月25日1970年代関西の中小企業代表団訪中-11人。
DIA-104-1971-07-26-1中国1971年07月26日1970年代香港「文〓報」,国共合作に関する毛語録を掲載。
DIA-104-1971-07-26-2中国1971年07月26日1970年代通産省は対中輸入制限を一部解除-事前許可品目46を6品目に減らし,自動輸入割当制品目47を37品目に減らす。
DIA-104-1971-07-26-3中国1971年07月26日1970年代新華社,沖縄返還にともなう日本の防空範囲拡大に警告。
DIA-104-1971-07-27-1中国1971年07月27日1970年代広東省体育委員会革命大批判グループ論文「優勝第一主義の反動性を批判する」-優勝第一主義は体育活動をエリート化するものであり,「友誼第一」でなければならない。
DIA-104-1971-07-27-2中国1971年07月27日1970年代日華協力委員会常任委に企業代表の参加中止。
DIA-104-1971-07-28-1中国1971年07月28日1970年代州地区では日用品工業の発展に力を入れている-1年来300の企業を新設,区,県,市に軽化学工業指導班を作り,促進し,日用工業品自給率を1970年初の11%から35%へ高めた。
DIA-104-1971-07-28-2中国1971年07月28日1970年代米政府当局者の話によれば,米国はこのほど中国領空の偵察を中止(ニューヨーク・タイムズ)。
DIA-104-1971-07-29-1中国1971年07月29日1970年代中国・シエラレオネ,外交関係を樹立。24日,カマラ・テーラ蔵相を団長とするシエラレオネ政府代表団訪中。また経済技術協力協定に調印。
DIA-104-1971-07-29-2中国1971年07月29日1970年代周総理,仏記者ジャン・ラクチュール氏と会見。
DIA-104-1971-07-30-1中国1971年07月30日1970年代浙江省の27県で天然ガスを発見-1年の奮戦で2,000近くのガス井戸を掘り,化学工業発展への道を開いた。
DIA-104-1971-07-30-2中国1971年07月30日1970年代中国政府声明-ソ連の提案した核5大国の核軍縮会議に反対。非核保有国をさし置いた核保有国間のいかなる核軍縮会議への参加も拒否し,米ソ両国にまず核兵器不使用の誓約を要求(新華社8月7日発表)。
DIA-104-1971-07-30-3中国1971年07月30日1970年代日中国交回復国民会議,全国代表会議を開催。
DIA-104-1971-07-31-1中国1971年07月31日1970年代有機リン系農薬,総額15億円の輸出契約に調印。
DIA-104-1971-08-01-1中国1971年08月01日1970年代建軍節記念3紙誌共同社説「8・1建軍節を記念する」-参考資料参照。
DIA-104-1971-08-01-2中国1971年08月01日1970年代周総理,レ・ドク・ト・パリ会談特別顧問と会談(7月31日~8月2日訪中)。
DIA-104-1971-08-01-3中国1971年08月01日1970年代ペルー通商代表部が北京に開設される。
DIA-104-1971-08-02-1中国1971年08月02日1970年代植樹造林の成果上る-6月末までに全国造林計画の89%を達成し,これは昨年同期比35%増であり,質も向上。各省とも林業工作会議を開き,林産資源の総合利用をはかっている。
DIA-104-1971-08-02-2中国1971年08月02日1970年代周総理,モハメド・アブダラ・マルザバン外国貿易相を団長とするアラブ連合政府貿易代表団と会見(7月27日訪中)。
DIA-104-1971-08-02-3中国1971年08月02日1970年代米民政府,沖縄の対中貿易を解禁-布令12号を改正。
DIA-104-1971-08-03-1中国1971年08月03日1970年代人民日報評論員論文「シアヌーク親王の厳正な立場をだんこ支持する」-7月30日のシアヌーク殿下のクメール同胞へ告げる書の中でインドシナ3国人民は新ジュネーブ会議を全く必要としていないとの声明を支持して,会議開催を否定。
DIA-104-1971-08-03-2中国1971年08月03日1970年代人民日報評論員論文「アメリカ侵略者の南朝鮮居すわりは許されない」,板門店会談での北朝鮮側の7項目要求を支持。
DIA-104-1971-08-03-3中国1971年08月03日1970年代新任の孫盛清クウェート駐在大使赴任。
DIA-104-1971-08-04-1中国1971年08月04日1970年代中国・トルコ,外交関係を樹立。クウェート方式。
DIA-104-1971-08-04-2中国1971年08月04日1970年代周化民対外貿易部副部長,ソ連訪問(~11日)。5日,中国・ソ連1971年度バーター支払い協定に調印。
DIA-104-1971-08-04-3中国1971年08月04日1970年代新華社,2日の国連の中国代表権に関するロジャーズ声明を非難,米国の言行不一致を「反革命二面派の手口」と非難。
DIA-104-1971-08-05-1中国1971年08月05日1970年代「人民日報」編者:倉庫の検査をするかしないかは,企業管理におげる2つの路線の闘争である-「多少のものは手元に残す」という思想を批判,発見した物資は直ちに必要な部門に役立てなければならない,と主張。
DIA-104-1971-08-05-2中国1971年08月05日1970年代周総理,ニューヨーク・タイムズのレストン記者と会見。7月8日訪中。
DIA-104-1971-08-05-3中国1971年08月05日1970年代日中友好学生訪中団北京着-7月22日中国入り,南部訪問後北京入り。一行53人。8月12日,香港経由帰国。
DIA-104-1971-08-06-1中国1971年08月06日1970年代「人民日報評論員論文,「愛国衛生運動に力を入れよう」-「はだしの医者」の養成と都市の医務員の下放が進んで農村合作医療制度がめざましく発展しているなかで「予防を主とする」方針で一層大衆的衛生活動に力を入れるように要求。
DIA-104-1971-08-06-2中国1971年08月06日1970年代中国は少数ながら射程1,600kmのMRBMの実戦配備を開始した(ワシントン,ポスト紙米政府の情報)。
DIA-104-1971-08-06-3中国1971年08月06日1970年代ネ・ウィン・ビルマ連邦革命評議会議長訪中-7日毛主席と会見。9日周総理が随行して広州訪問へ。12日訪問終え帰国。
DIA-104-1971-08-06-4中国1971年08月06日1970年代ワシントン・ポスト紙米政府は最近CIAに指導されるラオス山岳部隊のラオス領内のスパイ活動を禁止したと報道。
DIA-104-1971-08-06-5中国1971年08月06日1970年代佐藤首相の国連中国問題に対する構想-①中国が国連に参加することが望ましい,②しかし,国府も国連憲章を忠実に守ってきたことなどの歴史的事実を尊重する立場から,国府の追放に関しては重要事項方式が望ましい,③中国の安保理事会への参加問題は,安保理が決定すべき問題で,日米ともに多数意見を尊重する。2日の米政府方針発表に対応したもの。同日,「逆重要事項指定決議案」共同提案国になる意向を外務省が表明。
DIA-104-1971-08-07-1中国1971年08月07日1970年代広東省の農村で科学実験活動が広く展開されている。-全省の全ての人民公社,生産隊で下放知識青年を含んだ農村科学実験小組が設立され,小型水力発電所づくり,農薬製造,品種改良などが行なわれている。
DIA-104-1971-08-07-2中国1971年08月07日1970年代永定新河と北京の汚水排出河の工程が完成-永定新河は53km,幅500m,深さ4~8m。北京市の汚水が直接海に排出され,天津の飲料水の水質が向上。
DIA-104-1971-08-07-3中国1971年08月07日1970年代日本学生訪中友好参観団中国入り-一行は52人。
DIA-104-1971-08-07-4中国1971年08月07日1970年代林美群,鄭懐穎,李景光,恩庭:日本での日々の回想-「人民日報」に掲載。世界卓球選手権の映画,全土で公開。
DIA-104-1971-08-08-1中国1971年08月08日1970年代周総理,ガリブ外相の率いるソマリア政府代表団と会見(2日訪中)。また鄭準沢副首相を団長とする朝鮮政府経済代表団と会見(8日~16日訪中)。
DIA-104-1971-08-08-2中国1971年08月08日1970年代軍総字936部隊朱寇文:「防衛」か,それとも侵略か-佐藤反動政府の第4次軍備拡大計画の侵略的実質を暴く,という副題がついている(光明日報)。
DIA-104-1971-08-09-1中国1971年08月09日1970年代上海冶金部門では冶金の種類が多様化-1965年と1970年をくらべると鋼の品種は倍加し,規格も1.5倍になり,有色金属の品種は60%多くなり,規格は4倍になった。
DIA-104-1971-08-09-2中国1971年08月09日1970年代張春橋,姚文元,郭沫若,日中友好協会(正統):友好学生訪中団,および日本民族民主教育学習訪中団全負と会見。
DIA-104-1971-08-09-3中国1971年08月09日1970年代新日鉄,10月の日華協力委第16回総会に欠席を表明。
DIA-104-1971-08-10-1中国1971年08月10日1970年代全国夏作物買付計画が完遂さる-7月末に完了,油ナタネは6月末に超額完遂した。
DIA-104-1971-08-10-2中国1971年08月10日1970年代東京ガス「周4条件」受入れ。
DIA-104-1971-08-11-1中国1971年08月11日1970年代江西共産主義大学の調査報告-1958年創設以来発展し,分校が全省132カ所に設立され,学生は5万人近く,380余りの校営農場・林場・牧畜場と248余りの校営工場を持ち,すでに12万名以上の各方面の人材を養成した。
DIA-104-1971-08-11-2中国1971年08月11日1970年代シアヌーク殿下,北朝鮮訪問を終え帰国。
DIA-104-1971-08-12-1中国1971年08月12日1970年代チベット自治区第1期党委員会成立。
DIA-104-1971-08-12-2中国1971年08月12日1970年代宝鶏峡に渭河の水を引く灌漑主道が完成-関中西部渭北高原の14県の170余万ムーに灌漑するもので,長き20キロ。
DIA-104-1971-08-12-3中国1971年08月12日1970年代電子工業革命大批判執筆グループ:「電子中心論」を批判する-劉少奇の「電子中心論」は「鋼をカナメとする」方針を破壊するものであり,「技術中心論」の新変種であり,レーニンの「共産主義はソヴェートプラス電化」の曲解,歪曲である。
DIA-104-1971-08-12-4中国1971年08月12日1970年代周総理,黄永勝総参謀長,ギニア軍事代表団と:会見(6月30日~7月14日訪中)。
DIA-104-1971-08-13-1中国1971年08月13日1970年代対中国肥料交渉妥結-妥結内容は①46肥料年度(7月~47年6月末)の輸出量は硫安約70万トン,尿素約160万トンとする。②価格は両方とも前年度価格より1割程度安。115日の交渉の末,14日に調印。
DIA-104-1971-08-14-1中国1971年08月14日1970年代中国科学院革命大批判執筆グループ論文「科学は実践より生れ,科学は大衆から生れる」-一切の科学は仮設より生れるとの劉少奇一味の観念論的先験論を批判。
DIA-104-1971-08-14-2中国1971年08月14日1970年代伊継平:みんなでとり組み,鉱山設備を製造しよう-鉱山設備の供給は機械工業の重点任務であり,既存の機械工業の潜在力の動員によって対応すべきである。常州市のように普通の機械工場10余の協業によって鉱山設備を生産したことに学べ。主機と部品の両方を重視すべきである。
DIA-104-1971-08-14-3中国1971年08月14日1970年代長春市の排水灌漑工程完成-10キロの長さで同市の汚水の90%を田畑へ流し,肥料を節約することができる。
DIA-104-1971-08-14-4中国1971年08月14日1970年代日本卓球ジュニア代表団訪中へ-選手団20人,同参観団19人,同行記者団17人,15日中国入り。
DIA-104-1971-08-15-1中国1971年08月15日1970年代邯鄲市東方紅大隊が「空気」発酵飼料の開発に成功。
DIA-104-1971-08-15-2中国1971年08月15日1970年代中国・北朝鮮,経済協力協定に調印。
DIA-104-1971-08-15-3中国1971年08月15日1970年代李徳生軍総政治部主任を団長とし,曹里懐空軍副司・令員を副団長とする中国軍事友好代表団,アルバニア訪問(~22日),ついでルーマニア訪問(22日~31日)。
DIA-104-1971-08-16-1中国1971年08月16日1970年代四川省第2期党委員会成立。
DIA-104-1971-08-16-2中国1971年08月16日1970年代中国・イラン,外交関係を樹立-中国は自国1資源を守るイラン政府の正義の闘争を支持。イランは中国政府を中国の唯一の合法政府として承認(クウェート方式)。
DIA-104-1971-08-17-1中国1971年08月17日1970年代湖北省党委員会執筆グループ論文「人民を団結して敵に打ち勝つ強大な武器-〈政策を論ず〉を学習して」-連合もすれば闘争もすることによって広範な統一戦線を結成する政策がマルクス・レーニン主義の政策であり,政策と戦術の思想水準を高めることが必要と述べる。
DIA-104-1971-08-17-2中国1971年08月17日1970年代周総理,ユーゴの記者ダラ・ジャネコビッチ女史と会見。
DIA-104-1971-08-18-1中国1971年08月18日1970年代寧夏回族自治区第3期党委員会成立。
DIA-104-1971-08-18-2中国1971年08月18日1970年代周総理,米国籍の中国人物理学者楊振寧博士と会見。7月下旬,父親の病気見舞いに訪中。
DIA-104-1971-08-18-3中国1971年08月18日1970年代首都体育館で第一戦。9月1日香港着。
DIA-104-1971-08-18-4中国1971年08月18日1970年代日中学生友好会訪中第2団,中国入り-46人。9月1日午後6時から9時間にわたり周総理と会見。
DIA-104-1971-08-18-5中国1971年08月18日1970年代北京放送,第5回日韓定期閣僚会議を非難。
DIA-104-1971-08-18-6中国1971年08月18日1970年代「赤旗」,「周恩来の無責任な日本政党論」-周恩来のレストン記者への談話に反論。
DIA-104-1971-08-19-1中国1971年08月19日1970年代黒竜江省第3期党委員会成立。
DIA-104-1971-08-19-2中国1971年08月19日1970年代中国・チリ,政府間の電信サービス協定に調印。
DIA-104-1971-08-19-3中国1971年08月19日1970年代周総理,ホアン,バン・ホアン国会常任委員会副議長を団長とする北ベトナム国会代表団と会見。欧州訪問の途へ,18日北京に立寄ったもの。
DIA-104-1971-08-19-4中国1971年08月19日1970年代鄧崗新華社副社長を団長とする中国ジャーナリスト代表団,ルーマニア訪問。
DIA-104-1971-08-19-5中国1971年08月19日1970年代新任のモンゴル駐在中国大使許文益氏赴任。
DIA-104-1971-08-20-1中国1971年08月20日1970年代「毛主席著作学習模範紅9連」党支部:革命の階級それ自身が最大の生産力である-劉少奇のたぐいの政治ペテン師の吹ちょうする「唯生産力論」を批判する,という副題あり。
DIA-104-1971-08-20-2中国1971年08月20日1970年代1万トン級タンカー「大慶30号」,最近進水。
DIA-104-1971-08-20-3中国1971年08月20日1970年代中国外交部声明-米国の国連での中国代表権問題で「二重代表制決議案」の提出を「二つの中国」をつくる陰謀と非難し,国連に「二つの中国」,「台湾の地位未定」またはこれに類する情況があらわれたら,中国は国連といかなる関係も決して持たないと表明。
DIA-104-1971-08-20-4中国1971年08月20日1970年代周総理,パーレン独立へ承認の祝電。
DIA-104-1971-08-20-5中国1971年08月20日1970年代中国への船便小包香港経由へ-ウラジオ経由より5日早く,料金は2割安となる。
DIA-104-1971-08-21-1中国1971年08月21日1970年代ロマナ氏を団長とするフィリピン青年代表団訪中。
DIA-104-1971-08-21-2中国1971年08月21日1970年代ブルキン交通運輸電力省郵便電信総局長の率いるスイス郵政航空代表団訪中。
DIA-104-1971-08-21-3中国1971年08月21日1970年代新任の趙行志駐カメルーン大使赴任。
DIA-104-1971-08-21-4中国1971年08月21日1970年代松村謙三氏死去-88歳,22日,周総理が弔電をよせる。
DIA-104-1971-08-22-1中国1971年08月22日1970年代毛・林・周3首脳,ルーマニア解放27周年へ祝電。
DIA-104-1971-08-22-2中国1971年08月22日1970年代鍾夫翔氏を団長とする中国電信協力代表団訪英。
DIA-104-1971-08-23-1中国1971年08月23日1970年代中国紅十字会,英国赤十字香港分会を通じて,香港の台風被災者に300万元の見舞金を贈る。
DIA-104-1971-08-23-2中国1971年08月23日1970年代新華社,米国の新経済政策を論評して,この政策はドル帝国の没落をくいとめるために他国に借金を転嫁するものと批判。
DIA-104-1971-08-24-1中国1971年08月24日1970年代山東省の公路網が発達一県,人民公社の全部に公路が通じ,111ある県のうち85県にアスファルト道路があり,その全長は3,679キロに達している。
DIA-104-1971-08-24-2中国1971年08月24日1970年代最近,靴の形と大きさの全国統一規格が制定された。
DIA-104-1971-08-24-3中国1971年08月24日1970年代中国外交部,米軍機の広東省西沙群島地区での領空侵犯を非難。
DIA-104-1971-08-24-4中国1971年08月24日1970年代中国・スーダン,経済協力協定に調印。
DIA-104-1971-08-24-5中国1971年08月24日1970年代中国は最近英国のホーカー・シドレー社とトライデント2E型ジェット旅客機6機を向う2年間に買う契約に調印。
DIA-104-1971-08-25-1中国1971年08月25日1970年代周総理,黄総参謀長,呉振宇参謀総長を団長とする朝鮮軍事代表団と会見。(18日~9月7日訪中)
DIA-104-1971-08-25-2中国1971年08月25日1970年代王国権中日友協副会長来日-秘書江培柱,通訳王効賢を同伴。26日,松村謙三氏葬儀に参加,佐藤首相と握手。29日,日中友協(正統)団結大会に出席。三木,藤山らの代議士,財界代表らと会見,31日羽田発,帰国。
DIA-104-1971-08-25-3中国1971年08月25日1970年代日中学生友好会訪中団の女子学生が西安の宿舎で転落死。
DIA-104-1971-08-27-1中国1971年08月27日1970年代「人民日報」社説「我が党は生気はつらつと前進している」,29省,市,自治区全部に党委員会成立を祝して-重な内容:①文革は我が党の歴史における最も広範で深い整党運動である,②今度の整党運動はマルクス・レーニン主義の教育運動である,③今後,党の一元的指導を強化しなければならない。④党委員会は革命委員会の役割を充分発揮させ,経済工作に対する党の指導を強めよ。
DIA-104-1971-08-27-2中国1971年08月27日1970年代周総理,カンプチア民族統一戦線の国内特使イエン・サリ氏の歓迎宴会を開催。
DIA-104-1971-08-27-3中国1971年08月27日1970年代周総理,ロドフ・サリンジャー連邦商会主席の率いるオーストリア経済代表団と会見(24日訪中)。
DIA-104-1971-08-28-1中国1971年08月28日1970年代全国で早稲がまたも豊作-主産地13省,市,自治区では今年180万ヘクタール作付が拡大した。いずれも豊作で総産量,単位面積収量ともに昨年を上まわった。
DIA-104-1971-08-28-2中国1971年08月28日1970年代中国・マレーシア,直接貿易関係を樹立-共同コミュニケに調印。中国国際貿易促進委員会委員・中国化工輸出入公司総経理張光斗氏を団長とする中国国際貿易促進委員会貿易代表団,22日~28日マレーシア訪問(→詳しくはマレーシアの日誌8月22日を参照)。
DIA-104-1971-08-28-3中国1971年08月28日1970年代日中農業農民交流協会設立総会,王国権氏があいさつをおこなう。
DIA-104-1971-08-29-1中国1971年08月29日1970年代索剛:新しい生産秩序を建立すべきである-「制度無用論」に反駁する。「制度万能論」と「無用論」は同じく一面的な見方であって,操作,検査,維持の制度は合理的なものは維持し,向上さすべきである。
DIA-104-1971-08-30-1中国1971年08月30日1970年代新日鉄,周4条件受入れ-永野会長は訪中を決意。
DIA-104-1971-08-30-2中国1971年08月30日1970年代「人民日報」,北ベトナム「ホク・タップ」の「日本軍国主義は復活しつつある」という論文を掲載。
DIA-104-1971-08-31-1中国1971年08月31日1970年代「人民日報」思想短評-「5・7」幹部学校在校幹部は1/4~1/3の時間は学校の外へでて大衆活動に参加しなければならない。
DIA-104-1971-08-31-2中国1971年08月31日1970年代広東省東莞県党委員会では,書記と委員との関係,党委員会と革命委員会との関係を党の集団指導と一元化指導によってそれぞれ正しく処理している。
DIA-104-1971-08-31-3中国1971年08月31日1970年代周総理,リビア革命2周年を祝してカダフィ議長に祝電。
DIA-104-1971-09-01-1中国1971年09月01日1970年代国務院と中央軍事委員会の〈全国で新しいラジオ体操を試行する通知〉-中央と地方の各放送局は新しいラジオ体操番組を開始。大衆的体育運動の積極的展開の一環。それに関連して「人民日報」評論員論文「大衆的な体育運動を大いにくりひろげよう」発表。
DIA-104-1971-09-01-2中国1971年09月01日1970年代毛・林・周3首脳,北ベトナム建国26周年へ祝電。
DIA-104-1971-09-02-1中国1971年09月02日1970年代農業機械化のモデル,湖北省新洲県劉集人民公社-ここでは1956年から計画をたてて自力更生で機械化に努め,現在,トラクター16台,ジーゼル・エンジン39台,モーター40台,農用トラック4台,総計1964馬力を有し,5ムー当り1馬力に当る。他,農用機械260台,半機械化農具4,100件を持っている。
DIA-104-1971-09-02-2中国1971年09月02日1970年代毛・林・周3首脳,北ベトナムの水害へ慰問電。
DIA-104-1971-09-02-3中国1971年09月02日1970年代人民日報社説「米帝国主義は必ず敗北し,ベトナム人民は必ず勝利する」-北ベトナム建国26周年を記念して。
DIA-104-1971-09-02-4中国1971年09月02日1970年代自民党若手代議士9人が訪中へ出発-川崎代議士を団長として3日,中国入り。16日,周総理と3時間会談。周総理は佐藤首相との会談の可能性を拒否。22日香港着,帰国へ。
DIA-104-1971-09-03-1中国1971年09月03日1970年代英戦略研究所の年鑑によれば,中国は核兵器を運搬できる射程1,600kmのミサイル開発に成功し,約20基をソ連との隣接地域に配置しているもよう。
DIA-104-1971-09-03-10中国1971年09月03日1970年代国慶節参加在日華僑代表全員の出入国を法務省が許可。
DIA-104-1971-09-03-2中国1971年09月03日1970年代山西有色金属公司革命大批判グループ:設計革命を展開して,期を分けて大型鉱山を建設する-最初から大型完成鉱山をねらわず,小から出発する。
DIA-104-1971-09-03-3中国1971年09月03日1970年代中国卓球代表団,キューバ・コロンビア・チリ訪問へ出発。11日キューバ訪問。10月9日チリ訪問を終える。
DIA-104-1971-09-03-4中国1971年09月03日1970年代革命的現代バレエ「赤軍女性中隊」のカラー映画,第32回ベネチア国際映画祭で上映される。
DIA-104-1971-09-03-5中国1971年09月03日1970年代北京京劇団一行40名,北朝鮮へ公演訪問。
DIA-104-1971-09-03-6中国1971年09月03日1970年代米国の数学者チャンドラ・デービス教授訪中。
DIA-104-1971-09-03-7中国1971年09月03日1970年代1968年11月以来途絶えていた米中間電話,日本中継で再開することに中国側同意。7月には電報業務も再開に同意。
DIA-104-1971-09-03-8中国1971年09月03日1970年代河北省清苑県冉庄老民兵4人:「人民戦争の向うところ敵なし」-抗日戦26年に際して。
DIA-104-1971-09-03-9中国1971年09月03日1970年代日本を中継基地とする米中の電話回線復活。
DIA-104-1971-09-04-1中国1971年09月04日1970年代周秋野中国人民外交学会秘書長を団長とする中国バレエ団一行200人,アルバニア,ルーマニア,ユーゴへ公演旅行へ出発。
DIA-104-1971-09-04-2中国1971年09月04日1970年代プラウダ論文「中国指導者たちのスローガンと行動」-「二つの超大国の世界支配反対」の理論はほこ先をソ連に向けたものであり,また中国はバルカンに緊張の種をまこうとしていると痛烈に非難。ニクソン訪中発表後の本格的批判。8日のイズベスチアも同様な趣旨の非難。
DIA-104-1971-09-04-3中国1971年09月04日1970年代世界平和アピール7人委,「逆重要事項指定方式」と「複合代表制方式」に反対するよう首相に要望。
DIA-104-1971-09-05-1中国1971年09月05日1970年代江雷:全局観点を強め,計画的用電をうまくやろう-旅大市の供電,用電の節約にみられるように,電力節約の潜在力は非常に大きい。
DIA-104-1971-09-05-2中国1971年09月05日1970年代台湾政府の財政庁機密書記張双照氏,米国留学からの帰途,北京へ亡命。
DIA-104-1971-09-05-3中国1971年09月05日1970年代周総理,ルネ,ヨハンソン工業相を団長とすスウェーデン政府代表団と会見。
DIA-104-1971-09-05-4中国1971年09月05日1970年代周総理,黄総参謀長,モザンビーク解放戦線代表団と会見(8月24日~9月7日訪中)。
DIA-104-1971-09-06-1中国1971年09月06日1970年代葉謹:全局観点から出発して,大いに総合利用しよう-鉱山では鉄と銅,銅と金,銀,鉛,亜鉛などが共生であり,石炭層の上下に粘土層がある。総合開採が正しい方向なのである。
DIA-104-1971-09-06-2中国1971年09月06日1970年代銭之光軽工業部長を団長とする中国政府代表団,ザグレブ国際見本市を参観するためユーゴ訪問。
DIA-104-1971-09-06-3中国1971年09月06日1970年代中国・北朝鮮,無償軍事援助供与協定に調印。
DIA-104-1971-09-06-4中国1971年09月06日1970年代外務省,米に「逆重要」と「二重代表制」支持を通告-新華社は9日,これを非難。
DIA-104-1971-09-06-5中国1971年09月06日1970年代「人民日報」の「日本軍国主義の動かぬ証拠」欄,日本の台湾,韓国への進出を特集。
DIA-104-1971-09-06-6中国1971年09月06日1970年代日中国交回復国民会議が「全国民に訴える」中国問題アピール発表。直ちに中国を承認することを主張,政府の国連政策を批判。
DIA-104-1971-09-07-1中国1971年09月07日1970年代華慶源:総合利用で利を興し,害を除け-「三廃」問題についての正しい態度は,まずそれを認め,そして恐れず,これに打ち勝つことである。建設中の工業で対策のないものは防止措置を補足すべきである(「紅旗」10号)。
DIA-104-1971-09-08-1中国1971年09月08日1970年代毛・林・周3首脳,北朝鮮建国23周年へ祝電。
DIA-104-1971-09-08-2中国1971年09月08日1970年代王越毅・初代オーストリア駐在中国大使赴任。
DIA-104-1971-09-09-1中国1971年09月09日1970年代人民日報社説「朝鮮人民は勝利の広びろとした道を前進している」,北朝鮮建国23周年を祝賀。
DIA-104-1971-09-09-2中国1971年09月09日1970年代米国務長官,日本外相に「逆重要」,「二重代表制」の共同提案国になることを要請。
DIA-104-1971-09-09-3中国1971年09月09日1970年代「赤旗」論文:日中問題と日本共産党-中国共産党が国交回復運動を妨げていると批判。
DIA-104-1971-09-09-4中国1971年09月09日1970年代日本共産党(左派)代表団中国入り-20日,周恩来,江青,張春橋,姚文元,紀登奎,耿らの指導者と会見,招宴さる。22日帰国の途に。
DIA-104-1971-09-10-1中国1971年09月10日1970年代国家計画委員会執筆グループ:毛主席の導びく大慶の道を勝利にのって前進しよう-劉少奇らの工業が大慶に学ぶことへの破壊の罪行を批判する,と副題して,大慶油田の歩みを総括。
DIA-104-1971-09-10-2中国1971年09月10日1970年代水産業の豊産-14の重点漁業省,市,自治区の今年上半期の漁獲量は昨年同期比で1割増となった。
DIA-104-1971-09-10-3中国1971年09月10日1970年代周総理,中国が新たに独立したカタールを承認する祝電を送る。
DIA-104-1971-09-10-4中国1971年09月10日1970年代イギリス労働党副党首アントニー・ウェッジウッド・ベン氏訪中。
DIA-104-1971-09-11-1中国1971年09月11日1970年代陳永貴:革命化で機械化をひき動かす-大案の農業機械化の現状と展望。
DIA-104-1971-09-11-2中国1971年09月11日1970年代新華社報道:中日友好と国交回復を求める運動の空前の高まり-三木,大平氏らの立場にも言及。
DIA-104-1971-09-11-3中国1971年09月11日1970年代北九州市で中国展開催。
DIA-104-1971-09-12-1中国1971年09月12日1970年代吉林省党委員会執筆グループ論文「階級分析の方法を用いて調査研究をすすめなければならない-〈書物主義に反対する〉を学習して」-調査研究のなかで階級分析の方法を堅持するか否かは,弁証法的唯物論に立つか否かの大問題である。
DIA-104-1971-09-12-2中国1971年09月12日1970年代周化民対外貿易部副部長を団長とする中国代表団,フィンランド訪中。
DIA-104-1971-09-12-3中国1971年09月12日1970年代モンゴルで中国機墜落(タス通信が9月30日発表)。中国側は民間機で故障のためと語る。
DIA-104-1971-09-12-4中国1971年09月12日1970年代新華社記者:日本反動派は南朝鮮への侵略拡張を強化している。
DIA-104-1971-09-13-1中国1971年09月13日1970年代「人民日報」,「党生活欄」を開始-その「思想論壇」で党の思想建設の根本問題はマルクス・レーニン主義,毛沢東思想の読書学習にあることを強調。
DIA-104-1971-09-13-2中国1971年09月13日1970年代13日から3日間,中国全土で民間機,軍用機のすべての飛行が停止されたもよう。国内に異変が発生か。
DIA-104-1971-09-13-3中国1971年09月13日1970年代国家体育運動委員会主任に王猛氏の就任が判明。
DIA-104-1971-09-14-1中国1971年09月14日1970年代香港に近着の雑誌「人民画報」,中国指導部の公式写真を掲載。21人の党中央委政治局委員と候補のうち陳伯達常務委員と李雪峰政治局委員候補の写真なし。
DIA-104-1971-09-14-2中国1971年09月14日1970年代茶の豊作-今年前半の全国の茶葉買付量は昨年同期の20%増。「南の茶を北に引く」のに成功し,山東省では8,000ムーに茶が植えられた。春,茶摘み前に各省で茶葉生産会議あるいは多種経営発展会議が開かれた。
DIA-104-1971-09-14-3中国1971年09月14日1970年代テレサ・E・ニエバ女史を団長とするフィリピン婦人文化教育参観団訪中。17日李先念副総理会見。
DIA-104-1971-09-14-4中国1971年09月14日1970年代中国・コンゴ,軍事協定に調印。
DIA-104-1971-09-14-5中国1971年09月14日1970年代新華社記者報道:日本独占資本は東南アジアへの経済拡張を速めている。
DIA-104-1971-09-15-1中国1971年09月15日1970年代関西財界代表団訪中へ出発-16日,中国入り。22日,白相国対外貿易部長と会談。23日,周総理と会見。28日,帰国。
DIA-104-1971-09-15-2中国1971年09月15日1970年代廖承志中日友協会長,中島健蔵氏と会見。久しぶりに姿あらわす。
DIA-104-1971-09-16-1中国1971年09月16日1970年代全国の農村の有線放送事業はめざましく発展-全国の農村の96%余りの生産大隊,87%余りの生産隊に有線放送が開設された。
DIA-104-1971-09-16-2中国1971年09月16日1970年代日中議連訪中団出発-藤山氏以下議員19人。随員3人。30日,周総理と会見。周総理は,国交回復は「原則をまげて急ぐのはよくない。原則を守っていけば必ず実を結ぶ。次の内閣で実現しないなら,その次の内閣でやればよい」とのべた。10月2日,共同声明に調印。4日,香港,5日に帰国。
DIA-104-1971-09-17-1中国1971年09月17日1970年代第1機械工業部執筆グループ:毛主席のさし示す農業機械化の道に沿って前進しよう-農業機械化の急速な展開は,重工業と軽工業の急速な発展をもたらす。中小型農業機械を主とし,適当数量の大型機械を配合し,大衆に依拠して機械化をおし進める。自力更生と管理に注意する。
DIA-104-1971-09-17-2中国1971年09月17日1970年代周総理,江青政治局員,グエン・チ・ビン南ベトナム臨時革命政府外相と会見(15日~22日訪中)。
DIA-104-1971-09-18-1中国1971年09月18日1970年代全国の都市・農村で老年慢性気管支炎の予防治療活動が展開されている-1971年初めより部隊と地方は7,900余りの予防治療グループをつくり,7,400名余りの医療衛生員と科学研究員を農村,工場,鉱山に派遣,すでに50万人余りの患者を治療。常見病・多発病の防治工作の一環。
DIA-104-1971-09-18-2中国1971年09月18日1970年代都市,農村人民の生活は着実に向上している-_下級労働者・職員の給与は1952年以来50%上って平均年収650元に達している。労働賃金格差は5倍以下である。物価は上昇せず,家賃と光熱費が家計収入の4~5%を占めるにすぎないので,都市住民の生活は着実に向上している。農業税の農副業生産に占める比率は1953年の12%から1970年の6%へと低下した。国家は主要農副業生産物を1950年より90%高く買上げており,化肥,殺虫剤,ディーゼル燃料は1/3~2/3安く売渡している。医薬品は1969年に大幅に値下げされ,その額は10億元に達する。この結果1950年より80%安くなっている。このように都市と農村の生活が向上しつつあるので全体として貯金が1965年より28%増えている(新華社,外国向け)。
DIA-104-1971-09-18-3中国1971年09月18日1970年代「人民日報」社説:日本軍国主義が侵略の古い道を再び歩むのを許さない-①日本のひとにぎりの親米的独占資本家が米帝国主義と結託して,日本を軍国主義の道に再びおいやっていることは,まったく日本の民族利益に背くものである,②米帝国主義はいつでも「パートナー」の利益を犠牲にして自分の利益を守るのである,③こんにち,日本の経済界と政界の一部有識者も,このことを理解するようになっている。
DIA-104-1971-09-18-4中国1971年09月18日1970年代朱寇文:「9・18事変」の重演を許さぬ-「満州事変」40周年の論文。「光明日報」はまた,9月3日,平型関の戦闘に参加した中隊,4日,日本に抑留,強制労働させられた劉連仁の日本軍国主義批判論文を掲載。
DIA-104-1971-09-19-1中国1971年09月19日1970年代中国人民銀行蘭州市西固事務所は,90%のエネルギーを生産発展支援に向けている。
DIA-104-1971-09-19-2中国1971年09月19日1970年代周総理,王国権,日本海員友好訪中団一行と会見。
DIA-104-1971-09-20-1中国1971年09月20日1970年代謝華中華医学会責任者,米国の医学者ポール・ホワイト博士及びサミュエル・ローゼン博士,グレイ・ダイモンド博士を招宴。
DIA-104-1971-09-20-2中国1971年09月20日1970年代楊傑交通部長を団長とする中国政府交通代表団,ポーランド訪問。
DIA-104-1971-09-20-3中国1971年09月20日1970年代李先念副総理,ナビーユ赤十字国際委員会委員長と会見。
DIA-104-1971-09-21-1中国1971年09月21日1970年代「人民日報」思想評論・平論文;「青年労働者の思想教育工作に力を入れよ」-青年労働者の思想教育の重要性が見のがされていることに警告,とくに青年の文芸娯楽活動に注意せよと述べる(「紅旗」10号)。
DIA-104-1971-09-21-2中国1971年09月21日1970年代周総理,竹入公明党委員長の負傷に見舞電。
DIA-104-1971-09-22-1中国1971年09月22日1970年代中国政府スポークスマン,今年は国慶節のパレードを行なわないと言明。
DIA-104-1971-09-22-2中国1971年09月22日1970年代石油工業の発展はめざましい-1966年から70年の5年間に生産は年平均30%伸びている。今年上半期の産油量とボーリング皇は昨年同期比で34.9%,81%と大幅に増加している。
DIA-104-1971-09-22-3中国1971年09月22日1970年代佐藤首相,日本が「逆重要」「複合二重代表制」両決議案提案国になることを決定。
DIA-104-1971-09-22-4中国1971年09月22日1970年代松山バレエ団52人,北京入り-一行は北京,西安,延安,上海など8都市を40日間公演,12月2日帰国。
DIA-104-1971-09-23-1中国1971年09月23日1970年代「人民日報」,下放知識青年の特徴を十分発揮させて農村の科学実験活動の尖兵としての役割を担わせよと主張。
DIA-104-1971-09-24-1中国1971年09月24日1970年代李先念副総理を団長とする中国政府経済代表団,北ベトナム訪問(28日まで)。メンバーは方毅対外経済連絡部部長,閻仲川副総参謀長,李強対外貿易部副部長ら。
DIA-104-1971-09-24-2中国1971年09月24日1970年代中国外交部声明,米国の北爆を非難。
DIA-104-1971-09-24-3中国1971年09月24日1970年代日中友好協会第20回全国大会開催。
DIA-104-1971-09-26-1中国1971年09月26日1970年代全国の郵政事業が発展-河北,雲南,江蘇,黒竜江,山東,遼寧,吉林の7省で,この一年間に農村に新設された郵政機構は1,100カ所余。そのための雑誌「紅旗」の発行部数は文革前の2倍以上となっている。
DIA-104-1971-09-26-2中国1971年09月26日1970年代山西省昔陽県で県革命委員会成立後,165カ所の5年制小学校を増設して全県に小学校の5年制教育を普及。また多数の生産大隊で7年制教育が実現。全県の7~12歳の児童入学率は99.2%に達する。
DIA-104-1971-09-26-3中国1971年09月26日1970年代山西省党委員会執筆グループ論文「プロレタリア階級の革命文風を発揚しよう-〈普綏日報編集員に対する談話〉を学習して」
DIA-104-1971-09-26-4中国1971年09月26日1970年代新華社,中国の科学研究者はX線回折法によりブタのインシュリンの結晶構造を2.5オングストロームの範囲まで解明することに成功したと発表。
DIA-104-1971-09-26-5中国1971年09月26日1970年代福建省鳥竜江大橋が開通-鉄筋コンクリート,全長548m,3車線で1年5カ月で完成。
DIA-104-1971-09-26-6中国1971年09月26日1970年代「人民日報」評論員:佐藤政府の反動的正体またも大暴露-佐藤首相の国連政策(22日)を非難。
DIA-104-1971-09-27-1中国1971年09月27日1970年代全国の農村で大衆的な科学実験活動がくりひろげられている-この数年に多くの県に農業技術普及ステーション,種子ステーション,優良品種の育種場,また多くの人民公社,生産大隊,生産隊には貧農下層中農革命幹部,知識青年が参加する3結合の科学実験班がつくられて,農民の中から科学技術者が養成されている。
DIA-104-1971-09-27-2中国1971年09月27日1970年代周総理,ホアン・バン・ホアン国会常務委員会副議長を団長とするベトナム国会代表団と会見。
DIA-104-1971-09-27-3中国1971年09月27日1970年代中国・北ベトナム,1972年度経済・軍事物質援助供与協定に調印。
DIA-104-1971-09-27-4中国1971年09月27日1970年代日中友協正統本部訪中団出発-10月16日共同声明発表。
DIA-104-1971-09-27-5中国1971年09月27日1970年代富士と三菱銀行に中国がコルレス契約破棄を通告-「周4条件」の韓国条項を発動したもの(20日付)。富士銀行は10月8日「4条件」受入れを打電。12月1日コルレス復帰。三菱銀行は11月12日「周4条件」受入れ,申入れ。1972年1月1日から復帰。
DIA-104-1971-09-28-1中国1971年09月28日1970年代国慶節をひかえ,9月中旬より全国各地の主要都市で秋季愛国衛生運動が展開される。
DIA-104-1971-09-28-2中国1971年09月28日1970年代白相国対外貿易部長を団長とする中国政府代表団,フランス訪問。10月11日まで
DIA-104-1971-09-29-1中国1971年09月29日1970年代中国外交部スポークスマン,今年の国慶節前夜祭祝宴は中止すると発表。
DIA-104-1971-09-30-1中国1971年09月30日1970年代例年のような国慶節前夜の宴会は行なわれず,外交部と党中央連絡部がそれぞれ外国人の招待会を催す。
DIA-104-1971-09-30-2中国1971年09月30日1970年代国民経済の発展はすばらしい-1~8月の工業総生産額は昨年同期比18.7%増。同じく,鉄鉱石31.4%,コークス19.7%,鋼19.6%,銑鉄22%,鋼材19.1%,石炭出炭量11.8%,原油採取量27.2%と,いずれも大きくのびている。化学肥料とセメントの総生産量のうち小型工場の生産はそれぞれ40%と50%を占めるに至った。長江以南の出炭量は1965年の倍になっている。
DIA-104-1971-10-01-1中国1971年10月01日1970年代国慶節に「人民日報」などの祝賀社説なし。祝賀行事は北京市内6カ所で分散して簡素に行なわれる。夜は国務院文化組人民対外友好協会主催の招待会。
DIA-104-1971-10-01-2中国1971年10月01日1970年代商業部執筆グループ:わが国食糧戦線の偉大な勝利-南の食糧を北へ運ぶという状況は初歩的に転化し,形勢はますますよくなっている。河北,山東,河南は初歩的に自給を達成,遼寧省も自給水準を高めている。
DIA-104-1971-10-01-3中国1971年10月01日1970年代通産省に特定市場対策室発足。
DIA-104-1971-10-02-1中国1971年10月02日1970年代「人民日報」評論員論文「米侵略軍は必ず南朝鮮から撤退しなければならない」,国連総会で朝鮮問題の討議一年延期をはかった米国を非難。
DIA-104-1971-10-02-2中国1971年10月02日1970年代ハイレ・セラシエ・エチオピア皇帝,訪中(~13日)。8日,毛主席と会見。9日,両国の経済技術協力協定と貿易協定に調印。エチオピアに3500万ポンドの長期借款を供与。10日周総理と共に上海訪問,12日広州訪問。13日帰国。
DIA-104-1971-10-02-3中国1971年10月02日1970年代駐チュニジア中国大使館の業務再開。
DIA-104-1971-10-02-4中国1971年10月02日1970年代キッシンジャー米大統領補佐官がニクソン訪中の準備のため10月下旬訪中すると米中同時発表。
DIA-104-1971-10-02-5中国1971年10月02日1970年代周総理,ブラック・パンサー党指導者ヒューイ・ニュートン,ジャック・ベルデン,ジョン・サービス氏ら米国人70余名と会見。会見のなかで周総理はピンポン外交は毛主席の決定によって始められたこと,中ソ国境にソ連軍は核ミサイルなどの100万の兵力を展開し,またモンゴルに30万の兵力を進駐させていることを明らかにした。
DIA-104-1971-10-02-6中国1971年10月02日1970年代日中議連訪中団と中日友好協会の共同声明発表-中国側は同訪中団に三木,大平両氏の訪中を歓迎すると伝える。
DIA-104-1971-10-03-1中国1971年10月03日1970年代「人民日報」,「党の観念を増強し,集団指導を堅持する」-河北省玉田県委員会書記刑克明の活動を紹介。彼は三支両軍工作で県委員会に入り,自己を党組織と大衆の監督の下におき,県武装部を県委員会の指導の下に置くことを堅持。
DIA-104-1971-10-04-1中国1971年10月04日1970年代全国の「農業は大寨に学ぶ運動」は広く深く発展している-この運動は「一打三反運動」および農村の整党建党と結合しておし進められ,社会主義新農村建設の重要な手段となっている。
DIA-104-1971-10-06-1中国1971年10月06日1970年代ルーマニアのドイナ軍隊芸術団訪中,北京,上海,南京で公演。
DIA-104-1971-10-07-1中国1971年10月07日1970年代滬東造船工場では1万1200馬力の低速重型船用ジーゼルエンジンを製造。
DIA-104-1971-10-07-2中国1971年10月07日1970年代中国・ビルマ,経済技術協力協定について文書を交換。1961年の協定の4億ドルの借款の使用期限を1975年まで延長。
DIA-104-1971-10-07-3中国1971年10月07日1970年代「人民日報」評論員:日本反動派の朝鮮人民敵視の新たな証拠-6月の朝鮮人2名の殺害,9月総連副会長宅と工場襲撃に対する北朝鮮外務省の非難を支持。
DIA-104-1971-10-08-1中国1971年10月08日1970年代「人民日報」広東省楽昌県党委員会論文「党の観念を増強して,党の一元化指導を強める」-軍隊幹部,地方幹部,基層から来た幹部はそれぞれ出身の方面を代表するのではなく,在任の党組織に対して責任を持っていること,党委員会の指導は集団指導であり,第1書記の専断であってはいけないことを強調。
DIA-104-1971-10-08-2中国1971年10月08日1970年代呂剛:一切の製品は質が良いことを要求している。
DIA-104-1971-10-08-3中国1971年10月08日1970年代中国・セイロン,無利息借款供与協定に調印。中国はセイロンに10万トンの米を提供。
DIA-104-1971-10-09-1中国1971年10月09日1970年代広茂文:社会主義商品の階級性-劉少奇一味の「全人民奉仕論」を批判する。
DIA-104-1971-10-10-1中国1971年10月10日1970年代雲南省は地方に合った電力事業を興す-4年来の建設による発電能力増加は,文革前17年の建設の総和に等しい。90%以上の県に電力が興された。小水力発電所2,900のうち2,600は公社,大隊などで興したもの。
DIA-104-1971-10-12-1中国1971年10月12日1970年代新華社,日華協力委16回総会を非難。
DIA-104-1971-10-13-1中国1971年10月13日1970年代中国・ブルンジ,外交関係を再開。
DIA-104-1971-10-14-1中国1971年10月14日1970年代中国,交易会期間,大阪・上海間に臨時電信回線開設をみとめる。
DIA-104-1971-10-15-1中国1971年10月15日1970年代秋季輸出商品交易会が広州で開幕-レセプションに5,000余人が参加,陳郁,袁徳良,林李明があいさつ。100の国家と地区から約2万人が参加,10余の国が貿易代表団を派遣した。11月15日閉幕。
DIA-104-1971-10-15-2中国1971年10月15日1970年代周総理,アブラム機械工業相を団長とするルーマニア政府代表団と会見。7日訪中。11日ルーマニア工業展,北京で開幕。16日プラントおよび技術援助供与に関する議定書に調印。
DIA-104-1971-10-15-3中国1971年10月15日1970年代周総理,姚文元,王国権など,日中友協(正統)訪中団および日中文化交流協会代表団と会談-周総理は張群ら「大西南主義者」の台湾独立運動と日本の結託を批判。
DIA-104-1971-10-15-4中国1971年10月15日1970年代広州交易会に日本から1,350社,2,300人が参加-11月15日閉幕。11月22日,国貿促の発表によると,日中の成約は2億ドル台に達し史上最高。輸出,輸入とも1億ドル。
DIA-104-1971-10-16-1中国1971年10月16日1970年代「人民日報」,「努力して党の観念を増強し,党の一元化指導を堅持しよう」-上海ボイラー工場党委員会の支左工作担当の軍隊党員幹部は自己を党組織の監督の下におき党委員会の他のメンバーに虚心に学んで党の一元化指導を擁護。
DIA-104-1971-10-16-2中国1971年10月16日1970年代日中友好協会(正統)訪中団と中日友好協会共同声明発表。
DIA-104-1971-10-16-3中国1971年10月16日1970年代新華社,日米繊維協定は日本の国益を裏切るものと非難。
DIA-104-1971-10-16-4中国1971年10月16日1970年代東京で「日本中国友好展覧会」開く-日中友好15団体の主催と協賛で25日まで。
DIA-104-1971-10-17-1中国1971年10月17日1970年代安徴省安慶市郊区党委員会では,民主集中制を実行して党の一元化指導を強化し,党の集団指導作用を充分発揮させている。
DIA-104-1971-10-18-1中国1971年10月18日1970年代新しい工業基地,ツアイダム-豊富な地下資源を開発するために新たな工業センターを建設中。
DIA-104-1971-10-19-1中国1971年10月19日1970年代広東省製糖業大発展-今日では,12日で解放前一年の生産をあげている。昨年の生産にくらべ今年は12%の伸びをみせている。
DIA-104-1971-10-19-2中国1971年10月19日1970年代雲南地質局:地質工作はまず鉱山建設のために役立つ鉱山探索をするべし。
DIA-104-1971-10-20-1中国1971年10月20日1970年代四川省彭県では丸石だけで公路橋を築く-全長416m。
DIA-104-1971-10-20-2中国1971年10月20日1970年代キッシンジャー米大統領補佐官訪中(~26日)。20日より21日まで周総理,葉剣英党中央軍事委員会副主席,姫鵬飛外交部長代理と会談。
DIA-104-1971-10-20-3中国1971年10月20日1970年代李先念副総理,黄祖耀氏を団長とするシンガポール中華総商会商工業視察団と会見。
DIA-104-1971-10-20-4中国1971年10月20日1970年代白相国対外貿易部長を団長とする中国政府経済代表団アルジェリア訪問。(~28日)1972~74年の長期貿易協定に調印。
DIA-104-1971-10-20-5中国1971年10月20日1970年代沙風農林部長を団長とする中国政府代表団,ソマリア訪問。
DIA-104-1971-10-20-6中国1971年10月20日1970年代中国・ベルギー,外交関係を樹立。テーク・ノート方式。
DIA-104-1971-10-20-7中国1971年10月20日1970年代第26回国連総会,逆重要事項指定決議案を否決し,国府追放中国招請のアルバニア案を可決。
DIA-104-1971-10-21-1中国1971年10月21日1970年代このほど,解放軍軍政大学が設立されたことが判明(北京放送)。
DIA-104-1971-10-21-2中国1971年10月21日1970年代科学研究部門は10の砂漠治理センターを建設,12の治砂隊を組織している。
DIA-104-1971-10-21-3中国1971年10月21日1970年代西寧から玉樹と果洛間に長さ1,000kmの通信線建設。
DIA-104-1971-10-22-1中国1971年10月22日1970年代新華社通信員:「アリが骨をかじる」精神は光を放つ。
DIA-104-1971-10-22-2中国1971年10月22日1970年代福田外相,「日中問題の打開には佐藤首相はきわめて意欲的だ。和製キッシンジャーもありうる」と語る。
DIA-104-1971-10-23-1中国1971年10月23日1970年代「人民日報」,丁学雷論文「劉少奇の反動的人性論を批判する」-「先知先覚の人物」論は3大革命運動に参加する実践の重要性を否認する唯心主義の認識論であると非難。
DIA-104-1971-10-23-2中国1971年10月23日1970年代「人民日報」〈党生活〉欄,解放軍の三支両軍人員が地方の党委員会の指導を受けることは党の重大な原則問題であるとのべる。
DIA-104-1971-10-23-3中国1971年10月23日1970年代新華社,時事資料:台湾は昔から中国の神聖な領土である-台湾帰属未定論に反論。
DIA-104-1971-10-23-4中国1971年10月23日1970年代中国,「周4条件」受入れを歓迎し,新日鉄へ招請状出す。
DIA-104-1971-10-23-5中国1971年10月23日1970年代富士通,8人の日中技術交流団派遣-コンピューターおよび部品の技術説明のため。
DIA-104-1971-10-24-1中国1971年10月24日1970年代天津市南開病院では1962年以来80%の盲腸炎を手術を行なわずに針灸と漢方薬で治療することに成功。
DIA-104-1971-10-24-2中国1971年10月24日1970年代各地で山野の産物収穫活動さかん-黒竜江省,吉林省,河北省のみでこれらの産物は1億元にも達する。
DIA-104-1971-10-24-3中国1971年10月24日1970年代上海の日暉港汚水灌漑路完成-30余キロの長さで10余万ムーを灌漑する。
DIA-104-1971-10-25-1中国1971年10月25日1970年代雑交のコーリャンとトウモロコシの育成・普及-雑交種は30~40%収量が高く,現在コーリャンの1/5,トウモロコシの1/3が雑交種作付になっている。
DIA-104-1971-10-25-2中国1971年10月25日1970年代美濃部東京都知事,北朝鮮,中国へ出発-26日中国入り,28日北朝鮮へ。11月4日北京入り。
DIA-104-1971-10-26-1中国1971年10月26日1970年代佐藤首相の国会における中国国連復帰についての見解-①中国の国連参加を歓迎し,日中国交正常化に努力する,②「逆重要」敗北に対する政治責任はない,③日台条約は簡単には破棄できない。
DIA-104-1971-10-28-1中国1971年10月28日1970年代「人民日報」,「解放軍」評論員論文「2つの革命歌をりっぱに唱おう」-〈インター〉と〈3大規律8項注意〉の2つの歌を歌うように呼びかける。それらはプロレタリア国際主義を発揚して世界のプロレタリア階級との団結および国内の軍民団結を強化するための政治教育のりっぱな材料となる。
DIA-104-1971-10-28-2中国1971年10月28日1970年代人民日報社説「歴史の流れに逆らうことはできない」-国連復帰の実現は,超大国の国連を操作し独占することの困難を明らかにするものである。
DIA-104-1971-10-28-3中国1971年10月28日1970年代中国・ルーマニア,長期無利子借款供与協定に調印。
DIA-104-1971-10-28-4中国1971年10月28日1970年代新華社公告-周総理とキッシンジャー会談が20日から26日まで北京で行なわれて,ニクソン訪中の準備は順調に進んでいると発表。
DIA-104-1971-10-28-5中国1971年10月28日1970年代白相国対外貿易部長を団長とする中国政府経済代表団,イタリア訪問。(~11月5日)29日中国・イタリア,貿易協定に調印。有効期間は1974年まで。EC諸国では最初。
DIA-104-1971-10-28-6中国1971年10月28日1970年代周総理,姚文元,王国権,朝日新聞社特派員団と会見-周総理は国連に関して「事に臨んで惧れる」ということわざで慎重な対処を表明。
DIA-104-1971-10-28-7中国1971年10月28日1970年代日本首相,外相の対中陳謝-国会答弁で佐藤首相は「戦前軍閥が行なったことに私も深く反省している」福田外相は「中国国民にまことにあいすまなかったと思っている」とのべた。
DIA-104-1971-10-28-8中国1971年10月28日1970年代防衛庁,沖縄返還後の防空識別圏の中国より部分を縮小-尖閣列島は依然含まれている。
DIA-104-1971-10-29-1中国1971年10月29日1970年代宮効聞:胸に「数」があるべきだ-「統計無用論」に反駁する。
DIA-104-1971-10-29-2中国1971年10月29日1970年代黄河上・中流地域での治山治水に成果上る。
DIA-104-1971-10-29-3中国1971年10月29日1970年代中国政府声明-中国の国連復帰の実現は,米国の「二つの中国」をデッチあげようとする陰謀の破産であり,「毛主席のプロレタリア革命外交路線」の勝利である。
DIA-104-1971-10-29-4中国1971年10月29日1970年代中国外交部,今総会中に国連に代表団を送るとウ・タント事務総長へ通告。
DIA-104-1971-10-30-1中国1971年10月30日1970年代農業機械化の速度大-1970年のトラクター・保有台数は1965年の倍になった。主要農業機械の種類も1,000余に達している。20余の省,市,自治区でハンドトラクター,小型動力機を生産しうるようになった。
DIA-104-1971-10-31-1中国1971年10月31日1970年代新華社:日本反動派は活発に「台湾独立」の陰謀をおしすすめている-10月岸訪台,笹川訪台,「台独」デモなどを非難。
DIA-104-1971-11-02-1中国1971年11月02日1970年代姫鵬飛外交部長代理,国連代表の任命,派遣についてウ・タント国連事務総長へ電報を送る。構成は団長に喬冠華外交部副部長,副団長に黄華前駐カナダ大使ら10名。また安保理事会の常駐代表に黄華氏,副代表に陳楚氏(外交部新聞司長)。
DIA-104-1971-11-02-2中国1971年11月02日1970年代中国・ペルー,外交関係を樹立。テーク・ノート方式。
DIA-104-1971-11-02-3中国1971年11月02日1970年代アジア・アフリカ卓球友好招待試合,51の国と地域の代表を集めて北京で開催(~14日)。北ベトナム,ラオス(愛国戦線党),パレスチナ,インド,日本,マレーシア,シンガポールなどの代表が参加。
DIA-104-1971-11-02-4中国1971年11月02日1970年代国連食糧農業機関(FAO)理事会,全会一致で中国招請を決定。
DIA-104-1971-11-02-5中国1971年11月02日1970年代日中国交回復国民会議訪中団出発-団長飛鳥田横浜市長以下20人。3日中国入り,23日帰国。
DIA-104-1971-11-03-1中国1971年11月03日1970年代江蘇省党委員会執筆グループ論文「党の優れた作風を発揚しよう-〈党の作風を整頓する〉を学習して体得したこと」-セクト主義は党の9全大会の「団結勝利」の路線の執行に非常に大きな障害となっていて,批修整風活動の中で十分重視する必要があると述べる。同じく河南省党委員会執筆グループ論文「積極的な思想闘争を展開し,いっそう党の団結を増強しよう-〈自由主義に反対する〉を学習して」もセクト主義を批判し,自由主義は組織と規律を破壊し,正しい路線と政策の執行を妨げると批判(「紅旗」12号。)
DIA-104-1971-11-04-1中国1971年11月04日1970年代医療衛生工作についての「人民日報」短評-常見病,多発病の予防治療に重点をおき,当面は老年慢性気管炎と地方病の予防治療工作に力を入れなければならない。
DIA-104-1971-11-04-2中国1971年11月04日1970年代中共准北市第6炭鉱第2採炭隊支部は,革命の責任感を強め,安全生産を保証している。
DIA-104-1971-11-04-3中国1971年11月04日1970年代政府は中国産液卵輸入ワクを500トン拡大-本年輸入1,500トンに500トン上積みとなる。
DIA-104-1971-11-05-1中国1971年11月05日1970年代ブット人民党党首を団長とするパキスタン代表団訪中-8日まで。周総理と会談。7日の姫鵬飛外交部長代理の演説は,兵力引離し提案を支持し,話合いによる解決を主張。
DIA-104-1971-11-06-1中国1971年11月06日1970年代中国の船腹所有数-1970年7月現在,248隻,86万7000トンを保有,内タンカー22隻(11万6000トン),貨物船210隻(71万7000トン),日本郵船「中国の海運」による(日刊工業新聞)。
DIA-104-1971-11-06-2中国1971年11月06日1970年代軽工業部執筆グループ「多く,はやく,りっぱに,むだなく,わが国の軽工業を発展させる」
DIA-104-1971-11-06-3中国1971年11月06日1970年代全国人民代表大会常務委員会と国務院ソ連10月革命54周年を祝してソ連最高会議幹部会と閣僚会議へ祝電。
DIA-104-1971-11-06-4中国1971年11月06日1970年代ガイアナ政府貿易代表団訪中。14日,中国との貿易協定に調印。
DIA-104-1971-11-06-5中国1971年11月06日1970年代ベネケ・エルサルバドル外相,姫鵬飛外交部長代理と会談。広州交易会参観で1日訪中したもの。
DIA-104-1971-11-07-1中国1971年11月07日1970年代「紅旗」12号短評,「思想と政治路線の教育をすすめる重要な教材」-「3大規律8項注意」の歌は全党・全軍・全国人民が規律を守り,政策を執行し,団結して闘うための有力な武器である。
DIA-104-1971-11-07-2中国1971年11月07日1970年代趙豊年:党の政策を厳粛に,まじめに執行しよう-農業は大寨に学ぶ運動を展開するのに「左」の方が右より良い,とか,形式だけを追求するとか,「左」あるいは右の妨害に抵抗しないといった党員に警告。
DIA-104-1971-11-07-3中国1971年11月07日1970年代北京放送,防衛識別圏に尖閣列島が入っていることを非難。
DIA-104-1971-11-08-1中国1971年11月08日1970年代中国国連代表団の先発隊(秘書の高梁氏を代表とする8人),ニューヨーク到着。
DIA-104-1971-11-08-2中国1971年11月08日1970年代カンボジア王国独立18周年を祝うレセプション北京で開催。
DIA-104-1971-11-08-3中国1971年11月08日1970年代中国・レバノン,外交関係を成立。テーク・ノート方式。
DIA-104-1971-11-08-4中国1971年11月08日1970年代与野党の日中国交決議案国会に提出-内容次の通り。 自民党の「日中国交正常化促進決議案」 政府は,中華人民共和国が中国を代表するものと認め,国交正常化をするため適切な措置をとるべきである。 社公民3党の「日中国交回復に関する決議案」 政府は中華人民共和国政府が中国を代表する唯一の政府であり,台湾は中華人民共和国の領土の一部であって,日台平和条約は廃棄せらるべきであるとの認識に立ち,すみやかに日本国と中国との国交を回復すべきである。
DIA-104-1971-11-08-5中国1971年11月08日1970年代新日鉄訪中団8人,出発。
DIA-104-1971-11-10-1中国1971年11月10日1970年代周総理,美濃部氏一行,日中国交回復国民会議代表団と会見-周総理は美濃部氏が提出した保利書簡の受取りを拒否。佐藤首相との話合い拒む。
DIA-104-1971-11-11-1中国1971年11月11日1970年代中国の国連代表団,ニューヨーク到着-喬冠華氏,空港でのあいさつで米国の友好的歓迎にとくに感謝の意を表明。米国は中国代表団に入国査証不要,マンハッタンから40km以内の自由旅行を認めるなどソ連代表団なみの優遇を与える。代表団は総勢52人。
DIA-104-1971-11-12-1中国1971年11月12日1970年代中国・ルワンダ,外交関係を樹立。
DIA-104-1971-11-12-2中国1971年11月12日1970年代中ソ国境会談の喬冠華氏の後任に韓念竜外交部副部長が任命される(モスクワ筋)。
DIA-104-1971-11-12-3中国1971年11月12日1970年代国連本部を訪れた喬代表,中国は平和5原則のバンドン精神を国連にとり入れたいと抱負を語る。
DIA-104-1971-11-12-4中国1971年11月12日1970年代東京経済人訪中団出発-東海林団長以下木川田,永野,岩佐,今里,中島,湊,河合,山下氏ら15人。17日郭沫若氏と座談会。18日周総理と会談22日帰国。
DIA-104-1971-11-12-5中国1971年11月12日1970年代日立が発電用ガスタービン(7億円)輸出成約。
DIA-104-1971-11-12-6中国1971年11月12日1970年代日産ジーゼル,8トン・ダンプなど281台を受注。
DIA-104-1971-11-13-1中国1971年11月13日1970年代遼寧省党委員会執筆グループ論文「プロレタリア階級の党性を強化しよう」-党規約の党員の守るべき5つの条件にそむく思想作風を「非原則的事柄」とみなす人を批判し,思想作風の正しくないところから昂じて重大な方向,路線の誤りを犯すまでになると警告(「紅旗」12号)。
DIA-104-1971-11-13-2中国1971年11月13日1970年代陳紹崑氏の冶金工業部長就任が判明。前藩陽部隊責任者。
DIA-104-1971-11-13-3中国1971年11月13日1970年代広州畜牧場新洲分場革命委員会:牛の飼育の法則を掌握して牛乳の高い生産をかちとる。
DIA-104-1971-11-13-4中国1971年11月13日1970年代周総理,国連復帰の祝電に対する感謝電をインドのガンジー首相へ送り,中印両国民の友好の発展を希望すると述べる。
DIA-104-1971-11-13-5中国1971年11月13日1970年代朱寇文:日本軍国主義復活のもう一つの動かぬ証拠-天皇のヨーロッパ旅行を利用したことに関して天皇制を歴史的に批判(光明日報)。
DIA-104-1971-11-14-1中国1971年11月14日1970年代鍾青公:思想がうまくいってはじめて管理もうまくゆく-質の問題をつかむにはまず思想をつかみ,管理をしっかりやり,質の点検を強化しなければならない。
DIA-104-1971-11-15-1中国1971年11月15日1970年代中国代表団,第26回国連総会に出席。喬冠華代表が演説-参考資料参照。
DIA-104-1971-11-17-1中国1971年11月17日1970年代三菱商事,日韓協力委を欠席,訪中希望を表明。
DIA-104-1971-11-18-1中国1971年11月18日1970年代新彊ウイグル自治区のロプノール付近の大気圏で核実験。推定20キロトン規模。12回目(20日に新華社発表)。
DIA-104-1971-11-18-2中国1971年11月18日1970年代トヨタ,2トン積み小型トラック152台成約。日野は7トンから12トンのトラックとタンク・ローリー90台を成約。
DIA-104-1971-11-19-1中国1971年11月19日1970年代李先念副総理,マウン・ルウィン貿易相を団長とするビルマ政府貿易代表団と会見。その後,中国・ビルマ,貿易協定と商品借款協定に調印。
DIA-104-1971-11-19-2中国1971年11月19日1970年代周総理,イギリスのネビル・マクスウェル記者と会見。
DIA-104-1971-11-19-3中国1971年11月19日1970年代日本外務省,中国核実験に抗議。
DIA-104-1971-11-20-1中国1971年11月20日1970年代ファン・バン・ドン首相を団長とするベトナム党・政府代表団訪中-北京の数十万の大衆の歓迎。21日より会談。22日毛主席と会見。23日北京で大衆集会。25日共同コミュニケに調印。その後周総理と共に上海,広州訪問,27日帰国。
DIA-104-1971-11-20-2中国1971年11月20日1970年代日中国交回復国民会議訪中団と中日友好協会との共同声明発表。
DIA-104-1971-11-23-1中国1971年11月23日1970年代中共江蘇省泗陽県革命大批判執筆グループ:良種の育成は必ず大衆に依拠しなければならない-劉少奇の種子科学研究工作における修正主義の「専門家路線」を批判する。
DIA-104-1971-11-23-2中国1971年11月23日1970年代李水清第1機械工業部部長を団長とする中国政府代表団,パキスタン訪問(~30日)。中国援助でつくられた大型機械工場落成式に出席するため。
DIA-104-1971-11-23-3中国1971年11月23日1970年代国連代表団,国連本部でレセプションを開催。
DIA-104-1971-11-23-4中国1971年11月23日1970年代中国,国連の経済社会理事会の理事国に当選。
DIA-104-1971-11-23-5中国1971年11月23日1970年代黄華代表ら中国代表,安保理事会に初出席。
DIA-104-1971-11-24-1中国1971年11月24日1970年代周総理,パキスタン駐中国大使と会見。ヤヒア・カーン大統領の書簡をうけとる。
DIA-104-1971-11-24-2中国1971年11月24日1970年代喬冠華国連代表,総会本会議でソ連の出した世界軍縮会議開催の提案について中国側の原則的立場を表明-ソ連案は明確な目標を定めておらず,現実的な段どりをうち出していないとの理由で反対。米ソ両国に対し,先に核兵器を使わないとの保証と他国の領土にある核基地の撤去を要求。26日,この問題をめぐってソ連のマリク代表との間で激しく論争。
DIA-104-1971-11-24-3中国1971年11月24日1970年代日中両国覚書貿易事務所が本国と暗号連絡をなしうることに両国が合意。
DIA-104-1971-11-25-1中国1971年11月25日1970年代燃料化学工業部革命大批判執筆グループ:「中国貧油論」の破産-劉少奇のたぐいの政治ペテン師が石油工業においてまきちらした観念論的先験論を批判する,と副題がついている。
DIA-104-1971-11-25-2中国1971年11月25日1970年代中国・北ベトナム,共同コミュニケ-インドシナの資料を参照。
DIA-104-1971-11-26-1中国1971年11月26日1970年代中国・ルーマニア,1972年度バーター支払い議定書に調印。
DIA-104-1971-11-26-2中国1971年11月26日1970年代周総理,マルドナド動力鉱業相を団長とするペルー代表団と会見。(23日~30日訪中)また経済技術協力協定に調印。
DIA-104-1971-11-26-3中国1971年11月26日1970年代毛主席,董必武国家副主席,周総理,アルバニア解放27周年に祝電。
DIA-104-1971-11-28-1中国1971年11月28日1970年代オランダ経済代表団訪中。
DIA-104-1971-11-29-1中国1971年11月29日1970年代「人民日報」評論員:日本人民はけっして批准しない-沖縄「返還」協定強行採決について,アメリカの沖縄永久占領のためのペテンであると非難。
DIA-104-1971-11-30-1中国1971年11月30日1970年代ニクソン米大統領の訪中期日決定-2月21日から1週間の予定(米中同時発表)。
DIA-104-1971-12-01-1中国1971年12月01日1970年代3紙誌共同社説「党の指導強化の経験を総括しよう」-参考資料参照。
DIA-104-1971-12-01-2中国1971年12月01日1970年代河北省の38万人が海河の治水の戦闘に参加-今冬は海河の南北で衛新河と潮白新河を治めることになっており10月始めから現在までにすでに計画の39%を達成した。
DIA-104-1971-12-01-3中国1971年12月01日1970年代周総理,姚文元政治局員,ヒル・オーストリア共産党(ML)議長と会見(11月2日~12月2日訪中)。
DIA-104-1971-12-04-1中国1971年12月04日1970年代「人民日報」〈党生活〉欄思想短評,現在紅旗を持って紅旗に反対する反革命二面派とニセマルクス主義者を見分けるためにまじめに本をよんでマルクス主義に精通することの緊要性を強調。
DIA-104-1971-12-04-2中国1971年12月04日1970年代綿紡織工業は「制度無用論」を批判し,質の点検,経済採算,計画統計,労働管理,安全生産など企業の基本的制度を打立てつつある。
DIA-104-1971-12-05-1中国1971年12月05日1970年代青海省党委員会執筆グループ論文「いつまでも党の思想建設を首位におく」-全省の公社以上の単位と多数の工場鉱山企業単位ではすでに新党委員会が再建されたが,階級闘争の長期性の観点からみてなお党の思想建設が重要と強調。
DIA-104-1971-12-05-2中国1971年12月05日1970年代大寨大隊の農業生産また豊作-食糧は去年がムー当り1,071斤,今年は1,096斤となった。試作の水稲1ムーは1,270斤の収量をあげ,2年目試作の綿花は80斤(去年より30斤多い)の収量をあげた。
DIA-104-1971-12-05-3中国1971年12月05日1970年代広東省の漁業成果大-1~11月の水あげ量は去年同期比1割増。淡水養魚の水あげは2割増。今年2回,全省水産工作会議が開かれた。
DIA-104-1971-12-05-4中国1971年12月05日1970年代中国・北ベトナム,72年度バーター支払い協定ならびに物資プラント供与議定書に調印。9月27日の経済・軍事物資援助供与協定にもとづくもの。
DIA-104-1971-12-05-5中国1971年12月05日1970年代国連安保理事会で黄華代表がインドのパキスタン侵略を糾弾し,両国軍隊の撤退を要求。
DIA-104-1971-12-05-6中国1971年12月05日1970年代プラウダ論文「毛沢東主義の思想的・政治的本質について」,中国を「社会軍国主義」と非難。
DIA-104-1971-12-05-7中国1971年12月05日1970年代日中覚書貿易交渉代表団訪中へ出発-団長岡崎氏はじめ9人。4日中国入り。6日から政治会談。岡崎氏らは27日帰国。
DIA-104-1971-12-06-1中国1971年12月06日1970年代北京和平里百貨商場は,居住区と工場に代理店を設立し,商業を請負わせている。代理店は居住区と工場の人員が交代でうけもつ。
DIA-104-1971-12-06-2中国1971年12月06日1970年代中共江西909地質隊委員会:唯物論の認識論を運用して樺山石炭系を正確に評価する。-これまで炭層薄く,地形複雑で経済価値がないとされていた樺山系から多くの可能性を引き出す。
DIA-104-1971-12-06-3中国1971年12月06日1970年代人民日報評論員論文「でたらめきわまる論理,あからさまで大っぴらな侵略」,バングラデシュは「満州国」の再版と非難。
DIA-104-1971-12-06-4中国1971年12月06日1970年代社会新報北京常駐記者,館林千里,出発。
DIA-104-1971-12-07-1中国1971年12月07日1970年代1971水利建設年度の農田水利建設の成果大-1970年10月から71年9月までの一年に建設した土石工程量は50余億m2で,増加した安定収穫農地は200万haに達し,10年来の最高である。
DIA-104-1971-12-07-2中国1971年12月07日1970年代新彊民勤県では地下水を利用して灌漑をすすめる-1970年春以来1万5000の井戸を掘り38万5000ムーを灌漑,これは食糧畑面積の61%にあたる。
DIA-104-1971-12-07-3中国1971年12月07日1970年代人民日報評論員論文「タス通信の声明に反駁する」,5日のタス声明に反駁し,印パ戦争の原因はソ連のインド後押しにあると非難。
DIA-104-1971-12-07-4中国1971年12月07日1970年代中国・セネガル,外交関係を樹立。
DIA-104-1971-12-07-5中国1971年12月07日1970年代国連総会で喬代表,ソ連の支持を受けたインドのパキスタン侵略を糾弾。
DIA-104-1971-12-08-1中国1971年12月08日1970年代山東省日照県委員会書記論文「党性原則を堅持して,革命団結を強める」-軍隊幹部である書記は地方幹部に学び,その意見を尊重して党委員会の団結を強化。
DIA-104-1971-12-08-2中国1971年12月08日1970年代人民日報評論員論文「ニューデリーの茶番劇」インドのバングラデシュ承認を非難。
DIA-104-1971-12-08-3中国1971年12月08日1970年代周総理,アラブ首長国連邦承認を通告する祝電をザイド大統領に送る。
DIA-104-1971-12-08-4中国1971年12月08日1970年代中国・アイスランド,外交関係を樹立。テーク・ノート方式。
DIA-104-1971-12-08-5中国1971年12月08日1970年代喬代表,国連総会で中東問題に関する中国の原則的立場を表明-中東問題の解決を困難にしている病根は,米ソの政治的取引と勢力分割政策にあると非難。
DIA-104-1971-12-08-6中国1971年12月08日1970年代福田外相,中国向け輸銀使用に前向き姿勢を示す。
DIA-104-1971-12-11-1中国1971年12月11日1970年代周総理,ケニア独立記念日で祝電。
DIA-104-1971-12-12-1中国1971年12月12日1970年代日本政府,国府への政治支持さける-日米首脳会談にのぞむ方針として,①今後国府に対する政治借款は与えないこととし,輸銀資金使用についても純経済的判断で決定する。②中国向け輸出に輸銀資金を使用することについてはニクソン訪中以後の早い段階で認める。
DIA-104-1971-12-13-1中国1971年12月13日1970年代党の指導を強化し,生産管理をしっかりやれ-長春第1自動車製造工場鋳造分工場の調査報告。
DIA-104-1971-12-13-2中国1971年12月13日1970年代「人民日報」編者の言葉:年末の余裕金放出,濫用浪費はブルジョアジーの悪い作風であり,必ずこれを制止しなければならない。
DIA-104-1971-12-13-3中国1971年12月13日1970年代中国司法機関,2人の米人を釈放。-CIAスパイ・ジョン・トーマス・ダウニーを終身刑から5年の懲役に減刑,リチャード・ジョージ・フェクトーを刑期満了前に釈放。領海の不法侵入して逮捕されていた米国婦人メアリー・アン・ハーバートも釈放される。
DIA-104-1971-12-14-1中国1971年12月14日1970年代李先念副総理,ニコラエ・アガチ冶金工業相を団長とするルーマニア冶金工業省代表団と会見。
DIA-104-1971-12-14-2中国1971年12月14日1970年代中国人民政治協商会議全国委員会,ベトナム祖国戦線第3回大会に祝電。
DIA-104-1971-12-14-3中国1971年12月14日1970年代人民日報「工農兵戦地」欄,秦皇島港務局労働者評論グループ,「『ネール大帝国』のはかない夢はかならず破れるであろう」
DIA-104-1971-12-15-1中国1971年12月15日1970年代中共広東省茂名石油公司委員会:実践の中で大慶を認識し,大慶に学ぶ。
DIA-104-1971-12-15-2中国1971年12月15日1970年代ユーゴ工業展,北京で開幕。開幕式に出席するためルジ・コラク連邦経済連合会議長を団長とするユーゴ経済代表団,訪中。
DIA-104-1971-12-16-1中国1971年12月16日1970年代「人民日報」短評「社会主義の文芸創作を発展させよう」-9全大会以後革命モデル劇の普及を基礎として大衆的な文学芸術創造運動が展開している。その特徴は労農兵の英雄像をつくり出すこと,労農兵に奉仕する方向を堅持すること,業余作家と専門家とを相結びつけることにある。
DIA-104-1971-12-16-2中国1971年12月16日1970年代中国政府声明-民族問題を利用して他国の内政に干渉するインドのやり方とインドを南アジアの「亜超大国」にしたてて南アジアとインド洋で米国と覇権を争奪しようとするソ連をそれぞれ非難し,国連総会の12月7日の決議の実施を要求。
DIA-104-1971-12-16-3中国1971年12月16日1970年代中国外交部,10日,2度にわたりインド軍が中国・シッキム国境を侵犯したことでインド政府に抗議。
DIA-104-1971-12-16-4中国1971年12月16日1970年代李先念副総理,フィリピン文化教育参観団と会見(13日訪中)。
DIA-104-1971-12-16-5中国1971年12月16日1970年代佐藤首相,日米共同声明の台湾条項を否定する発言-国会で,「台湾条項はひとこと多かったというふうにご理解いだだきたい」と答弁。
DIA-104-1971-12-16-6中国1971年12月16日1970年代経団連の植村会長,佐藤首相に「早く日中国交正常化を」と要望。
DIA-104-1971-12-17-1中国1971年12月17日1970年代公路建設の成果-1970年の全国公路通車距離は解放前の7.5倍増,民用自動車は9倍増になった。70%以上の人民公社と大部分の生産大隊に自動車がゆくようになっている。今年1~10月の新建アスファルト公路は去年同期比で85%増,民用自動車は11%増えた。
DIA-104-1971-12-17-2中国1971年12月17日1970年代葉剣英党中央軍事委員会副主席,アバス・スーダン副大統領と会談。16日訪中。20日経済技術協力協定に調印。
DIA-104-1971-12-17-3中国1971年12月17日1970年代大蔵省,中国への差別関税を改訂-差別39品目中31品目を国交のある国との協定税率まで下げた。緑茶,ももかんづめ,アーモンドなど。
DIA-104-1971-12-18-1中国1971年12月18日1970年代黒竜江省生産建設部隊某団31中隊では一季蚕を二季蚕に改造。
DIA-104-1971-12-19-1中国1971年12月19日1970年代農林部執筆グループ:農地基本建設の大衆運動を不断におし進めよう-農地基本建設は3大革命運動の重要な戦線である。ファイトと科学的態度を結合し,長期計画の下に,各地の特色を生かして総合的におしすすめるべきである。
DIA-104-1971-12-19-2中国1971年12月19日1970年代毛主席,董必武国家副主席,周総理,南ベトナム解放戦線成立11周年に祝電。
DIA-104-1971-12-20-1中国1971年12月20日1970年代首都の基本建設施工計画は早めに達成さる-永定河の上に急速度で700mの新蘆溝橋が建設された。
DIA-104-1971-12-20-2中国1971年12月20日1970年代周総理,日中覚書貿易交渉団と会見-周総理は日中の固定為替制を提案。
DIA-104-1971-12-20-3中国1971年12月20日1970年代中国人員の渡航証明を日本側覚書貿易北京事務所が発給しうることになった。
DIA-104-1971-12-21-1中国1971年12月21日1970年代日中覚書貿易交渉の政治会談コミュニケに調印。
DIA-104-1971-12-21-2中国1971年12月21日1970年代日中友好8団体,中国生糸の輸入規制に反対する声明を発表。
DIA-104-1971-12-22-1中国1971年12月22日1970年代北京から,延安地区へ下放した知識青年はこの3年間に2万人余りになり,その内118名が入党し268名が入団した。
DIA-104-1971-12-22-2中国1971年12月22日1970年代国連代表団帰国。
DIA-104-1971-12-22-3中国1971年12月22日1970年代プラウダ,反ソ,反インドのキャンペーンの指導者の一人として周総理を名指しで非難。
DIA-104-1971-12-22-4中国1971年12月22日1970年代タンザニア,ザンビア,中国3国,タンザン鉄道第5回会談要録に調印。17日タンザン鉄道第5次会談に参加するため楊傑交通部長を団長とする政府代表団,タンザニア訪問。
DIA-104-1971-12-23-1中国1971年12月23日1970年代人民元,対ドル8.57%切上げ-米ドルに対し香港ドルが切上げたため。
DIA-104-1971-12-23-2中国1971年12月23日1970年代中国,ダッカの総領事館を閉鎖。
DIA-104-1971-12-24-1中国1971年12月24日1970年代「人民日報」〈党生活〉思想短評「党の優れた作風を発揚しよう」-作風問題は決して「小節」ではなく党性が強いか否かの大問題であり,どの路線を執行するかの原則問題である。
DIA-104-1971-12-24-2中国1971年12月24日1970年代昔陽県の食糧生産,ムー当り650斤,綿花86.8斤に。
DIA-104-1971-12-24-3中国1971年12月24日1970年代機械工業は鉱山設備の生産に成果上げる-今年の生産総額は,去年比18%増,農業機械生産額は21%増,鉱山設備生産額は62%増となった。主な技術改革は2万5000余項目にのぼり1320余種の産品を改革した。
DIA-104-1971-12-25-1中国1971年12月25日1970年代すでに全土のアルカリ地の半分近くが改造され,食糧連年豊作の基礎になっている。
DIA-104-1971-12-25-2中国1971年12月25日1970年代周総理,張渓若人民外交学会会長,マンデスフランス仏元首相と会見。27日はシアヌーク殿下が会見(23日訪中)。
DIA-104-1971-12-25-3中国1971年12月25日1970年代日中覚書貿易とりきめに調印-品目(葉タバコ,野菜,けい石,かんづめなど)と数量が拡大し,往復9000万ドル台に。
DIA-104-1971-12-26-1中国1971年12月26日1970年代解放軍保定地区部隊の党委員会,「内容のない政治」と「政治優先」の限界をはっきりさせるように注意。
DIA-104-1971-12-27-1中国1971年12月27日1970年代北京市党委員会執筆グループ論文「社会主義革命の時期の階級闘争の歴史経験をしっかり銘記しよう-〈胡風反革命集団についての材料〉の序言と注意書きを重ねて読んで」-セクト分裂活動をする反革命二面派は歴史的にみれば常に主観主義であり観念論者であった。そして革命隊伍内の思想の誤りと作風の不正は常に反革命集団に利用され,彼らが反革命のセクト活動をする機会を与えることになったことは注意に値する(「紅旗」13号)。
DIA-104-1971-12-27-2中国1971年12月27日1970年代河北省正定県,ムー平均食糧生産810斤を実現。
DIA-104-1971-12-27-3中国1971年12月27日1970年代人民日報社説「第26回国連総会を評す」-米ソ2つの超大国が総会で孤立に陥ったことをあげ,中国は第3世界の立場にたつと表明。
DIA-104-1971-12-27-4中国1971年12月27日1970年代中国外交部,12月15日にインド軍が2度にわたり中印国境を侵犯したことで中国駐在インド大使館に抗議の覚書を送る。
DIA-104-1971-12-27-5中国1971年12月27日1970年代国会の日中国交決議,与野党の調整つかず,流れる。
DIA-104-1971-12-28-1中国1971年12月28日1970年代農村の教育事業がめざましく発展-5年教育を普及,条件のある所では7年教育を実施。また農民の業余文化学習活動が普及。1971年度の中学,小学校の在校学生数は1965年より30%余り増加。北京,上海,河北,広東,吉林などの省では適齢児童入学率は80%余りに達する。
DIA-104-1971-12-28-2中国1971年12月28日1970年代石炭産業は年計画をくりあげ達成-原炭生産量は対前年比8%以上増に。
DIA-104-1971-12-28-3中国1971年12月28日1970年代周総理,江青,姚文元政治局員シェリル・ヒル,ジェリー・トン両氏の率いる米国進歩的学生代表団と会見。
DIA-104-1971-12-28-4中国1971年12月28日1970年代中国・北朝鮮,科学技術協力委員会第12回会議の議定書に調印。
DIA-104-1971-12-28-5中国1971年12月28日1970年代新華社記者報道:日本人民の米日反動派に反対する闘争は深く発展している。
DIA-104-1971-12-29-1中国1971年12月29日1970年代周総理,李先念副総理,アブドル・ハリク・サマラエ革命軍事評議会委員を団長とするイラク政府代表団と会見(25日訪中)。
DIA-104-1971-12-29-2中国1971年12月29日1970年代中国外交部声明-米軍の5日連続北爆を非難。
DIA-104-1971-12-29-3中国1971年12月29日1970年代新華社公告,米大統領副補佐官のヘイグ准将を団長とする先発隊が1971年1月3日に訪中することに決定。
DIA-104-1971-12-30-1中国1971年12月30日1970年代エカフェ,最近の中国経済の推計を公表。
DIA-104-1971-12-30-2中国1971年12月30日1970年代鉄鋼業,計画をくりあげ達成-今年の生産量は,対前年比鋼18%,鋼材15%,銑鉄23%,鉄鉱石26%増。中小鉄鋼業の鉄鉱石,銑鉄,鋼の生産量は対前年比40%以上の増を記録した。
DIA-104-1971-12-30-3中国1971年12月30日1970年代中国外交部声明:尖閣列島は中国固有の領土である-沖縄「返還」協定の中で米日両国政府は公然と釣魚島などの島嶼をその「返還区域」に入れている。これは中国の領土と主権にたいする公然たる侵犯である。中国は台湾を解放すると同時にこれらの島嶼も必ず回復する。
DIA-104-1971-12-31-1中国1971年12月31日1970年代全国食糧生産量は2億4600万トンを記録。
DIA-104-1972-01-01-1中国1972年01月01日1970年代3紙誌共同社説「団結して,いっそう大きな勝利をかちとろう」─(参考資料参照)。
DIA-104-1972-01-01-2中国1972年01月01日1970年代3紙誌共同元旦社説─1971年の食糧生産高は2億4600万トン,鋼の生産量は2100万トンと公式数字を発表。
DIA-104-1972-01-01-3中国1972年01月01日1970年代ブルンジ政府代表団訪中─滞在中に中国・ブルンジ政府経済技術協力協定と貿易協定が調印された。
DIA-104-1972-01-03-1中国1972年01月03日1970年代国務院,中共中央軍委,春節期間中に擁軍優属,擁政愛民運動をくり拡げることについての通知を発表。
DIA-104-1972-01-03-2中国1972年01月03日1970年代ヘイグ准将のひきいるアメリカの先発隊18人が訪中─6日周総理と会見,10日帰国。
DIA-104-1972-01-05-1中国1972年01月05日1970年代1971年の商業─全国の商品買付け総額は1970年の水準を越えた。北京市百貨大楼と上海第一百貨商店の取り扱う商品の種類は2~3万種で前年と比べ4,000~5,000種類増加。自転車,時計,ミシン,ポットなどの販売額が大幅に増えた。
DIA-104-1972-01-06-1中国1972年01月06日1970年代大慶油田1205隊,昨年年間ボーリング量12万7000mの新記録を達成。
DIA-104-1972-01-06-2中国1972年01月06日1970年代1971年の石油工業戦線の成果─原油と天然ガスの産出量は1970年に比べそれぞれ28%,25%増加。全国の採油能力と原油加工能力は1970年比,それぞれ17%,16%増加。
DIA-104-1972-01-06-3中国1972年01月06日1970年代人民日報,尚業文論文「路線斗争の自覚を高めて服務態度をひきつづき改めよう」─「商業工作卑賎論」を批判。商品の色柄,品柄を増やし,奉仕項目を拡大し,市場を豊富多彩にし,労農兵の多方面の需要を満足させなければならない。
DIA-104-1972-01-07-1中国1972年01月07日1970年代中国,新たな大気圏内核実験─米原子力委員会の発表によれば,規模は20キロトン以下で,実験地は新彊ウイグル自治区ロプノル付近。
DIA-104-1972-01-07-2中国1972年01月07日1970年代1971年の全国発電量─1970年に比べ18%増。四川,貴州,チベット,寧夏,湖北,江蘇などの省・自治区の1971年の発電量,1970年に比べ39%~80%増。広東省で昨年建設された小型水力発電所の発電能力は10kwで1970年に比べ40%増。
DIA-104-1972-01-07-3中国1972年01月07日1970年代人民日報,日米繊維協定調印を論評─1月3日佐藤政府は日本民族の利益を顧みず米国の圧力に屈して,期限3年にわたるこの協定に調印したが,これにより日本の輸出は原計画の30~40%減少し200万の繊維労働者中30~40万が失業するかもしれないという報道を引用している。そして,今後の日米貿易戦争は激化するだろうと述べている。
DIA-104-1972-01-09-1中国1972年01月09日1970年代北京第27機関車車両工場,6000馬力の液圧式ディーゼル機関車の試作に成功。設計時速100km,けん引力が強く石油消費量が少ない。
DIA-104-1972-01-10-1中国1972年01月10日1970年代北京で,陳毅追悼会─1月6日,陳毅(中共中央委員,中央軍事委副主席,国務院副総理兼外交部長,政協会議全国委員会副主席,国防委副主席)は北京で逝去した。10日,北京八宝山にて追悼会が開かれ,毛主席,シアヌーク殿下夫妻の他に次の各氏が参列した。宋慶齢,周恩来,江青,葉剣英,張春橋,李先念,紀登奎,李徳生,汪東興,徐向前,聶栄臻,郭沫若等。
DIA-104-1972-01-12-1中国1972年01月12日1970年代梁思成(全人代常務委員会委員,清華大学建築工程系教授)逝去。
DIA-104-1972-01-12-2中国1972年01月12日1970年代中国ジャーナリスト代表団訪欧の途に。
DIA-104-1972-01-12-3中国1972年01月12日1970年代黄華国連代表,国連所属の余機構が介石集団との往来を即時停止することを要求。
DIA-104-1972-01-12-4中国1972年01月12日1970年代コムソモリスカヤ・プラウダ,東部国境に新たな侵犯があったと報道。
DIA-104-1972-01-12-5中国1972年01月12日1970年代中国とキプロスが外交関係の樹立を発表─前年12月14日ニューヨークで調印直ちに発効。
DIA-104-1972-01-12-6中国1972年01月12日1970年代通産省に「中国課」新設─通商局特定市場対策室を7月1日をメドに,中国担当の市場第四課に昇格させることが,予算の復活折衝で決まった。
DIA-104-1972-01-13-1中国1972年01月13日1970年代北朝鮮機械工業代表団が訪中。
DIA-104-1972-01-13-2中国1972年01月13日1970年代アデンでイエーメン民主人民共和国に小型農機具・金物工場の建設を援助する会談要綱に調印。
DIA-104-1972-01-13-3中国1972年01月13日1970年代人民日報,「佐藤政府,中国領土侵略の野心を暴露」─1月4日福田外相が尖閣列島は歴史的に見ても日本固有の領土と述べたことに対する論評。
DIA-104-1972-01-14-1中国1972年01月14日1970年代人民日報評論員,「他人を悪事にひきこむ米帝の新たな陰謀」─「国際援助借款国」を作る米の計画を非難。
DIA-104-1972-01-14-2中国1972年01月14日1970年代ネパールにスタジアムと一部スポーツ用品を無償供与。
DIA-104-1972-01-15-1中国1972年01月15日1970年代人民日報,思想短評「団結すべきであり,分裂すべきでない」─党員の中にある派閥活動やセクト主義,分裂活動,さらには個人や自分達の地区,部門の利益のみを考え,大局をかえりみない傾向を徹底的にとり除くよう主張している。
DIA-104-1972-01-15-2中国1972年01月15日1970年代鞍山,本渓鉄鋼公司の技術改革─遼寧省革命委員会は省内の鞍山鉄鋼公司,本溪鉄鋼公司の技術改革を進めるために省内の各工場・企業の限界をとっぱらい,1,000に近い工場・企業を協力させて,この両公司の焼結炉その他の技術改革を成功させた。
DIA-104-1972-01-15-3中国1972年01月15日1970年代中国・スーダン借款実施協定に調印─昨年8月と12月に北京で取決めた合計3000万スーダン・ポンドの借款の実施取決め。
DIA-104-1972-01-15-4中国1972年01月15日1970年代周総理,サムトン,ロンチェン奪回についての祝電をスファヌボン親王に送る。
DIA-104-1972-01-15-5中国1972年01月15日1970年代新幹線技術を中国が打診─国鉄関係筋が明らかにしたところによると,中国政府は国鉄の有力OBや友好商社を通じて,新幹線の製造技術などの導入の意向を伝えてきているという。
DIA-104-1972-01-15-6中国1972年01月15日1970年代総評,中立労連代表団訪中─市川総評議長を団長,安部中立労連議長を副団長とする13名の訪中団は15日北京に着いた。21日社会党70年会友好訪中団,日本沖縄県第1回友好訪中団とともに周総理と会見した。
DIA-104-1972-01-16-1中国1972年01月16日1970年代外務省の日中復交「三原則」─外務省のまとめた構想は①中国が唯一の正統政府②台湾は中国に帰属する③日台条約は交渉で処理するというのが大綱。
DIA-104-1972-01-17-1中国1972年01月17日1970年代日中間の渡航者数─法務省のまとめたところによると,中国からの入国は42年から減少し43年13人,44年20人,45年10人であったが,46年は74人に激増した。日本人の渡航は46年5,718人で前年の約2倍,史上最高となった。
DIA-104-1972-01-18-1中国1972年01月18日1970年代人民日報評論員,「米帝の共犯者は,よい末路はありえない」─タイ軍のインドシナへの介入増加を非難。
DIA-104-1972-01-19-1中国1972年01月19日1970年代外交部長に姫鵬飛が昇格─北京19日発の新華社電によると周恩来総理,李先念副総理,李徳生中央政治局員候補が同日夜,北京で行なわれた日本の劇団「はぐるま座」の演劇「波濤」を鑑賞し,姫鵬飛外交部長らもこれに同席した。6日,病死した陳毅外交部長の後任として姫鵬飛の昇格が確認された。
DIA-104-1972-01-19-2中国1972年01月19日1970年代高樹勲(第3期全人代代表,国防委員)逝去。
DIA-104-1972-01-19-3中国1972年01月19日1970年代人民日報評論員,「マリクに反論する」─ソ連国連代表の1月6日談話に反論,同日の『人民日報』はこの談話全文を掲載。
DIA-104-1972-01-19-4中国1972年01月19日1970年代フランス国民議会常設外交委員会代表団,北京着。
DIA-104-1972-01-19-5中国1972年01月19日1970年代プエルトリコ社会党代表団が訪中。
DIA-104-1972-01-20-1中国1972年01月20日1970年代紅旗1号,甘粛省執筆小組論文「党の緊密に大衆と結びつく光栄ある伝統を発揚しよう」。
DIA-104-1972-01-21-1中国1972年01月21日1970年代中国外交部声明─17日の南ベトナム共和政府の声明を支持。新「平定計画」を非難。
DIA-104-1972-01-21-2中国1972年01月21日1970年代中国政府代表団,タンザニア,ザンビアから帰国─楊傑交通部長を団長に12月16日出発。
DIA-104-1972-01-21-3中国1972年01月21日1970年代周総理「北方領土」に言及─総評・中立労連,沖縄,社会党3訪中代表団によると会見の席上周総理は「日本国民の北方領土返還要求を支持する」などの発言をした。
DIA-104-1972-01-22-1中国1972年01月22日1970年代紅旗1号,斉永紅論文「党の一元的な指導をさらに一歩強めよう」─要旨は次のとおり。 ・党の一元的な指導を実現する上で重要なことは政治路線が正しいか否かである。党の九大路線と各プロレタリア階級政策に違反すれば必ず党の多元化を招く。 ・党の団結はマルクス・レーニン主義,毛沢東思想の原則にもとづくものでなければならず,劉少奇のたぐいのペテン師のいうような思想斗争ぬきの党内平和や党内団結はありえない。従って不断に党内で矛盾を暴露し路線斗争を行なっていかなければ逆に誤った傾向を助長し,党の団結を破壊することになる。 ・党内斗争を行なうにあたっては,必ず2種類の性質の異なる矛盾を区別して,誤りを犯した人に対しては“病を治して人を救う”方法をとらねばならない。 ・党の一元的な指導を強めるためには,次の2つの関係を正しく処理しなければならない。1つは党と各種の革命組織(国家機関,人民解放軍,共産主義青年団,紅衛兵等)との関係であり,党はこれらの革命組織に対する指導を強めなければならない。また党委は大筋のことを決めたら小さいことはできるだけ各機関にまかせるほうがよい。 第2には党委員会内部の関係で,新旧幹部,部隊幹部,地方幹部は集団指導を保証していかなければならない。また党委員会会議を健全化し内部では民主的に十分な討論を保障するとともに,最後に決定するにさいしては集中を守らなければならない。 ・党内の両面派は必ず党組織上の小グループ主義に発展し,党の分裂を促す。我々はこのような反革命の両面派と断固たる斗争を行ない,党の指導的な役割を弱める誤った傾向を克服していかなければならない。
DIA-104-1972-01-22-2中国1972年01月22日1970年代山東省で巨大な恐竜化石を発掘。
DIA-104-1972-01-22-3中国1972年01月22日1970年代中国・北ベトナム,1972年度軍事装備,経済物資無償補充供与にかんする議定書に調印。
DIA-104-1972-01-23-1中国1972年01月23日1970年代湘潭地区のムー平均食糧生産量,「要綱」の指標を越える─1971年は1970年に比べ豚の頭数22.6%,茶葉50%,鮮魚20%増加。この地区の後進的生産隊の70%は先進隊となった。
DIA-104-1972-01-24-1中国1972年01月24日1970年代ダッカ駐在要員全員が帰国。
DIA-104-1972-01-24-2中国1972年01月24日1970年代新任の中国駐在英代理大使,北京に着任。
DIA-104-1972-01-24-3中国1972年01月24日1970年代人民日報,サンクレメンテ日米会談を論評─昨年の米国政府の新経済政策実施による日米関係の緊張下に行なわれた。日本は対米繊維品輸出制限協定に調印し,その後円切上げに同意したがなお米国は満足せず日本は追随している。共同声明は,5月15日の沖縄返還を決定したと述べているが,これは安保体制を堅持せんとするペテンである。
DIA-104-1972-01-25-1中国1972年01月25日1970年代北京の地名,旧名にもどる─25日の朝日新聞の報道によると,最近北京で発売されている新華書店発行の北京遊覧図第2版のなかでは,文革中に書換えられた北京市内の地名が,すべて元の名称にもどされている。
DIA-104-1972-01-25-2中国1972年01月25日1970年代総評・中立労連代表に中国側はソ連の11の罪状を説明─1958年マリノフスキーが共同電波体制を提案したこと,同年夏中ソ連合艦隊を提案したこと,ベトナム支援の名目で雲南に航空基地を作ろうとしたことなどを暴露。
DIA-104-1972-01-26-1中国1972年01月26日1970年代WHOが中国を招請し,台湾を追放。
DIA-104-1972-01-27-1中国1972年01月27日1970年代中国外交部声明─1月19日締結したタイ・カンボジア間の「国境安全保障協定」を非難。
DIA-104-1972-01-27-2中国1972年01月27日1970年代姫外交部長の国連事務総長への手紙,アフリカの人種問題への中国の立場を表明。
DIA-104-1972-01-27-3中国1972年01月27日1970年代新彊ウイグル自治区からソ連カザフ共和国に2,700人が亡命(モスクワから朝日特派員)。
DIA-104-1972-01-28-1中国1972年01月28日1970年代人民日報,王澈論文「エンゲルスはデューリングの先験論をどのように批判したか」─要旨は次のとおり。 ・デューリングは自分自身を偉大な理論家,天才としてもち上げ,自己の学説を吹聴してまわったが,これは党内に1つのセクト小集団をつくり,党を分裂させようとする1つの準備であった。 ・デューリングは人の理性や頭脳に先天的なもの,または天賦のものを認めることにより,人の才能は後天的な経験から得られるという唯物論の反映論を否定し,先験論に陥っていた。 ・劉少奇の類のペテン師はデューリングと一脈通ずるものがある。彼等の理論は天才頭脳の産物であると宣伝し,また歴史の発展を1人の天才人物の努力に帰し,人民が歴史を創造する主体であることを無視した。 ・彼等は,法則は天才によって動かされるものとみ,社会主義でさえも天才頭脳の持主によって偶然的に発見されたものとみなした。 ・劉少奇の類のペテン師は,このように天才を神秘化し,天才人物を「先知先覚」とほめたたえたが,これこそ徹頭徹尾の反マルクス主義の先験論のしろものである。 ・彼等は始めにマルクス・レーニン主義を絶対化し,毛沢東思想はマルクス・レーニン主義の発展であることを否認した。このやり方が失敗してから,彼等はさらにやり方を変え毛沢東思想を絶対化し,毛沢東思想はまた引続き発展しうることを否認した。 ・毛沢東思想を絶対化し,凝固化する,これ自体がつまり反毛沢東思想なのである。劉少奇の類のペテン師は表面上は毛主席の絶対権威を樹立しているようだが,実際には彼等自身の絶対的権威を樹立しているのである。 ・彼等は今日もいぜんとして自己を歴史創造の天才,生まれながらの救世主,誤謬のない超人に装い,それによって党と国家の権力をさん奪し,資本主義を復活させる罪悪陰謀を実現するのに役立てようとしている。
DIA-104-1972-01-28-2中国1972年01月28日1970年代解放軍の1971年の農副業生産─食糧生産は1970年比1割増,ブタ頭数10%以上増加。多数の部隊で肉類,野菜の自給を達成。
DIA-104-1972-01-29-1中国1972年01月29日1970年代工業・交通部門の原材料の節約─1971年,工業交通部門は鋼材100万トン,石油70万トン,主な化学工業材料約50万トン,木材350万m3,70万kw発電機1年分の発電量を節約。上海市は「三廃」を利用して85種の化学工業製品を計1万8000トン生産。また全国各地はクズ鉄930万トンを回収。
DIA-104-1972-01-29-2中国1972年01月29日1970年代人民日報社説,「朝鮮の平和的統一を促す重大な呼びかけ」─1月10日の金日成首相の南北政治協商よびかけを支持。
DIA-104-1972-01-29-3中国1972年01月29日1970年代人民日報評論員,「ベトナムを侵略する米帝の新しいペテン」─1月25日の米大統領の「8項目の提案」を批判。
DIA-104-1972-01-30-1中国1972年01月30日1970年代杭湖鉄道が正式に開通─杭州と湖州を結ぶ全長90km余り。1970年11月に着工して1971年末完成。
DIA-104-1972-01-30-2中国1972年01月30日1970年代人民日報評論員,「米大統領の教書を評す」─軍拡計画,「ニクソン・ドクトリン」,条約の「忠実な履行」などについて,「予算教書」と「一般教書」を批判。
DIA-104-1972-01-30-3中国1972年01月30日1970年代中国,チリに7000万ドルの借款与える。
DIA-104-1972-01-30-4中国1972年01月30日1970年代周総理ら,アメリカの友人と会見─コージ・アリヨシ,ジャック・ベルゲンなど16人。昨年の米卓球チームの招待は毛主席の指示によることを明らかにする。
DIA-104-1972-01-31-1中国1972年01月31日1970年代黄華代表,国連特別安保理事会でアフリカ問題について全般的方針を表明。
DIA-104-1972-01-31-2中国1972年01月31日1970年代中国とマルタが外交関係を樹立─2月25日に発表。
DIA-104-1972-01-31-3中国1972年01月31日1970年代中国はスノーの看病にハーテムら医師団を派遣。
DIA-104-1972-01-31-4中国1972年01月31日1970年代国連,中国に分担金支払い要請─全体の4%の707万8828ドル,うち300万ドルを2月24日支払う。
DIA-104-1972-01-31-5中国1972年01月31日1970年代各界の訪中団あいつぐ。 ①日中友好貿易各団体訪中団(27日北京着) ②日中友協(正)労働者学習訪中団(7日北京着) ③毛思想学院訪中団(8日北京着) ④川崎社会党国際局長(16日北京着) ⑤日本部落解放同盟訪中代表団(26日北京着) ⑥宮城,愛知両県労組活動家訪中団(28日北京着) ⑦三重県労組活動家訪中団(31日北京着) ③沖縄県訪中団(15日北京着) ⑨福島県青年活動家訪中団(2月5日北京着)
DIA-104-1972-02-01-1中国1972年02月01日1970年代人民日報,上海京劇団による現代京劇「海港」のシナリオ全文を掲載。
DIA-104-1972-02-01-2中国1972年02月01日1970年代毛主席,パキスタンのブット大統領と会見─1月31日から2月2日にかけて訪中。2月2日,「共同コミュニケ」が発表された。1月31日,「人民日報」は,「インドの東パキスタン侵略,占領の合法化は許せない」という社説を発表,インド軍の撤退を要求した。周総理,無償軍事援助を約束。
DIA-104-1972-02-02-1中国1972年02月02日1970年代北京ビニロン工場,党の知識分子政策を実行して成果─思想と政治路線の教育を行なうなかで技術者を使うことだけを強調して教育改造をおろそかにする右寄りの誤りを批判し,それと同時に,技術者に対して改造だけを強調して,これを使おうとしない極左思潮も批判し,改造した技術者を大担に使用している。
DIA-104-1972-02-04-1中国1972年02月04日1970年代中国政府声明─2月2日の南ベトナム共和臨時政府の7項目和平提案を支持。
DIA-104-1972-02-04-2中国1972年02月04日1970年代人民日報,グロムイコ訪日を批判─12月23~28日ソ連外相の訪日は,両国間の定期閣僚会議再開の名目であるが,実際はソ連主動の下に開かれたものである。長期間日本は,米帝とソ修のアジアでの争奪の主な対象になっている。日米サンクレメンテ会談が日米間の矛盾を解決するものでないことをソ連は見てとったのである。日米間に水をさすとともにチュメニ油田等の資源開発によりソ連自身の経済困難を脱却しようともしている。 しかし北方領土問題では,如何にも融通のきくような言い方をエサに日本反動派を抱き込んで協力させ,反革命の結託に拍車をかけようとしているにすぎないものであると述べている。
DIA-104-1972-02-05-1中国1972年02月05日1970年代中国・ギニア1972年度貿易議定書に調印─1月26日北京入りしたギニア政府貿易代表団はこの日,李先念,白相国,周化民氏らと会見,帰国の途に。
DIA-104-1972-02-07-1中国1972年02月07日1970年代タス通信,「中国の情勢と北京指導部のたくらみ」─林彪事件に言及,国内の不満を反ソキャンペーンでそらそうとしている,と報道。
DIA-104-1972-02-07-2中国1972年02月07日1970年代人民日報,佐藤首相の施政演説論評─1月29日国会で行なわれたこの演説は中国との関係正常化を急務と述べながら,介石支持をも述べる二面の手口を弄している。沖縄返還では米国に追随して安保体制を強化しつつ,目下ソ修社会帝国主義との結託を強化しているが,北方領土についての日本人民の要求を隠すことはできなかったと述べている。
DIA-104-1972-02-08-1中国1972年02月08日1970年代人民日報評論員,「北アイルランド人民の正義の闘争をだんこ支持する」。
DIA-104-1972-02-10-1中国1972年02月10日1970年代人民日報,春節を前に“解放軍は全国人民に学べ”のキャンペーン─9日,人民日報は「全国人民は解放軍に学び,解放軍は全国人民に学べ」というスローガンを掲げ,各地で擁軍優属,擁政愛民活動が展開されている模様を報告した。その後も人民日報は連日,各地の解放軍が三大規律,八項注意にもとづいて擁政愛民と“全国人民に学ぶ”運動を展開した経験を紹介した。
DIA-104-1972-02-10-2中国1972年02月10日1970年代中国・チェコ1972年度物資交換・支払にかんする協定に北京で調印。
DIA-104-1972-02-10-3中国1972年02月10日1970年代在日中国人生徒の中国修学旅行─法務省は,横浜山手中華学校の高校生12名と引率の先生1人(いずれも在日中国人)が中国本土に修学旅行をするための一時帰国後の再入国を,全員について許可することを決めた。修学旅行について認められたのはこれが始めて。
DIA-104-1972-02-10-4中国1972年02月10日1970年代人民日報,藤山処分問題で佐藤総裁非難─自民党党紀委員会は最近,佐藤の意を受けて藤山処分の理由書を作成した。その理由は昨年10月,日中国交回復促進議員連盟訪中団団長として訪中し,共同声明で日台条約を不法でありかつ無効としたからとしているが,つまりは,佐藤の最近の日中国交は急務であるとの発言は,ゴマカシであることを示していると述べている。
DIA-104-1972-02-11-1中国1972年02月11日1970年代カンボジアへの経済・軍事物資援助供与協定(1972年度)に調印。
DIA-104-1972-02-11-2中国1972年02月11日1970年代中国,セイロンに砲艦2隻を供与─巡視用100トンで中国人12人を訓練のため派遣。
DIA-104-1972-02-12-1中国1972年02月12日1970年代全国の各大都市で冬季衛生活動がおこなわれる。
DIA-104-1972-02-12-2中国1972年02月12日1970年代シアヌーク国家元首夫妻一行北京発,ハノイ着。
DIA-104-1972-02-13-1中国1972年02月13日1970年代人民文学出版社,新たな文学作品を発売─春節前後に商務印書館から「ドイツ古典哲学に関するマルクス・エンゲルス・レーニン・スターリンの著作」,人民出版社からクルプスカヤの「レーニン回顧録」等の政治思想の出版物や,人民文学出版社から「わきかえる山々」「海島女民兵」等3編の小説,その他絵画等が新たに出版されることになった。
DIA-104-1972-02-13-2中国1972年02月13日1970年代比大統領の義弟,周総理と会見。
DIA-104-1972-02-14-1中国1972年02月14日1970年代毛語録新版,林彪序文を削除─ロイター通信の報道によれば赤い表紙の「毛沢東語録」は昨年11月以来,ほとんど手にはいらなくなっていたが,14日,失脚が伝えられる林彪党副主席の序文を削除した新版が再び出回った。この新版は英,スペイン,朝鮮,ベトナム語版で,中国語のものはまだ現われていないようだが,北京の目抜き通り,王府井の洋書専門店で発売された。(日経15日)
DIA-104-1972-02-14-2中国1972年02月14日1970年代北京の新華書店,水滸伝,紅楼夢等古典文学作品の販売を再び始める。
DIA-104-1972-02-14-3中国1972年02月14日1970年代紅旗2号思想評論・陽高照論文「つねに節約に注意しなければならない」─①節約は社会主義制度の優越性の表現である。資本主義制度の下では不可避的に大量の浪費が存在する。②節約工作をすすめるには,労働組織を改善し,合理的規則制度をうちたて,生産管理と財務管理を強化せよ。また経済採算は節約実現の重要な手段である。
DIA-104-1972-02-14-4中国1972年02月14日1970年代中国・メキシコと外交関係を樹立。
DIA-104-1972-02-14-5中国1972年02月14日1970年代米,非戦略物資の対中輸出をソ連なみに緩和─3項目の措置発表。
DIA-104-1972-02-15-1中国1972年02月15日1970年代中国政府,衛星中継のための上海局施設を米国から買収。
DIA-104-1972-02-15-2中国1972年02月15日1970年代米,RCAの衛星通信設備の対中輸出認める。
DIA-104-1972-02-15-3中国1972年02月15日1970年代北京放送,日本の東南ア進出を論評─日本独占資本は,東南ア地区の一部主要な戦略的物資の生産と販売をすでに支配している。マレーシアの鉄鉱石輸出量の99%,木材輸出量の3分の2,インドネシア石油輸出量の30~50%,フィリピンの全銅鉱石と大部分の鉄鉱石,ニッケル鉱石等である。また日本独占資本は公然とタイ,フィリピン,マレーシアに武器を輸出し,タイに軍用ヘリコプターを輸出していると述べている。
DIA-104-1972-02-16-1中国1972年02月16日1970年代毛主席がスノー夫人に弔電─15日 E.スノーはスイスで死去した。
DIA-104-1972-02-17-1中国1972年02月17日1970年代1971年の各省・市・自治区の都市住民の総預金額が増加─1970年比13.8%増。そのうち江西,貴州,吉林,黒竜江,内モンゴル,広西などの各省では20%以上増加。特徴としては新規預金者が大幅に増加。定期預金が預金総額の80%を占めている。
DIA-104-1972-02-17-2中国1972年02月17日1970年代中共中央,ブラジル共産党に創立50周年と改組10周年の祝電を送る。
DIA-104-1972-02-18-1中国1972年02月18日1970年代1971年度の国家への食糧納入,購買任務を超過達成─これまで災害が多くて収量が少なく,国家の食糧供給にたよっていた河北,河南,山東の3省は黄河,淮河,海河の総合治水を行なって豊作をかちとり,河北,河南両省は国家食糧納入・購買計画を超過達成し,山東省は納入,購買,入庫した食糧は昨年を上回った。
DIA-104-1972-02-18-2中国1972年02月18日1970年代中国・セイロン1972年度物資交換議定書に調印─同時に米とゴムの契約結ぶ。
DIA-104-1972-02-19-1中国1972年02月19日1970年代中国,アルゼンチンと外交関係を樹立。
DIA-104-1972-02-19-2中国1972年02月19日1970年代中国外交部,米の北爆非難の北ベトナム2.17声明を支持。
DIA-104-1972-02-20-1中国1972年02月20日1970年代長江中下流の水利建設─現在カンガイ総面積1億5000万ムー余り,大型1基,中小型1万基余りの水力発電所があり。解放初期とくらべ食糧生産2.3倍,綿花5.8倍に増大。1970年には長江中下流域の108の県の食糧と51の県の綿花が「全国農業発展要綱」の規定目標を越えた。
DIA-104-1972-02-21-1中国1972年02月21日1970年代張国華(中共中央委員,中央軍事委委員,四川省党委第1書記,四川省革命委主任,軍成都部隊第1政治委)逝去。
DIA-104-1972-02-21-2中国1972年02月21日1970年代全国の医薬工業─原料,薬材,各種製剤の種類は1966年に比べ50%以上増加。サルファ剤,抗生物質などの生産量は1966年の2倍以上になる。薬の販売価格は解放当初の5分の1になった。
DIA-104-1972-02-21-3中国1972年02月21日1970年代ニクソン米大統領訪中,毛主席と会見。
DIA-104-1972-02-21-4中国1972年02月21日1970年代昨年の日中貿易の伸び─国貿促の発表によると,①輸出は昨年とほぼ横這いの約5億7700万ドル,輸入は26.9%と大幅に増えて約3億2200万ドル,輸出入合計は9.4%増の約8億9900万ドル,②輸出では肥料・鉄鋼が伸び,機械が減少し,輸入では食料品や輸入原料が大幅に伸びた。
DIA-104-1972-02-22-1中国1972年02月22日1970年代昨冬以来1月中下旬までの農地水利建設─完成した土木工事量30億m3で1971年の半分以上に相当。
DIA-104-1972-02-22-2中国1972年02月22日1970年代チベット自治区に初の製糖工場が完成。澎波農場製糖工場,日産3トン。
DIA-104-1972-02-22-3中国1972年02月22日1970年代1月の全国の治金鉱山設備の生産は昨年同期比64%増。
DIA-104-1972-02-22-4中国1972年02月22日1970年代国連の海床・海底平和利用委員会への代表団7人が北京を出発。
DIA-104-1972-02-22-5中国1972年02月22日1970年代モスクワ放送,中国が東北での墓参を許さぬことを非難。
DIA-104-1972-02-22-6中国1972年02月22日1970年代人民日報,日本の公害について論評─日本独占資本と反動政府は解決困難な公害を生み出し,1km2の上空に含有される固体は32トンという米国を抜く世界一となっている。人民はぜんそく,イタイイタイ病,水俣病に苦しめられている。今後日本は労働力不足が激しくなり,工業汚染は日増しにひどくなることから,大規模工業は海外でやるという方向に走り,公害を拡散し,経済侵略を強化する方向に進むであろうと述べている。
DIA-104-1972-02-23-1中国1972年02月23日1970年代各地で古代歴史遺跡の保存工作─人民日報によれば,人民大衆に対する階級教育の重要な材料として現在全国各地の古代遺跡や遺物に対し,関係部門と大衆の手による保存工作が積極的におこなわれている。また同人民日報は雲南省で始めて猿人の化石が発見されたことを報道した。
DIA-104-1972-02-23-2中国1972年02月23日1970年代全国農村の小型水力発電所─全中国の水力発電設備総容量の16%を占める。大部分が公社,大隊の経営で1970~71年に完成したものは解放以来20年間に建設された総和を上まわる。農業の四化(機械化,化学化,電化,水利化)を促している。
DIA-104-1972-02-23-3中国1972年02月23日1970年代全国農村の集団と個人の預金高が大幅に伸びる─1965年に比べ89%増。そのうち,公社,大隊など集団の預金高109%増。公社社員の個人預金高32%増。「農業発展要綱」を達成した省市で大幅に伸びる。例えば浙江省で183%,広東省で158%増(1965年比)。
DIA-104-1972-02-23-4中国1972年02月23日1970年代山東省烟台地区の小型鉱工業の発展─1971年の生産総額は1965年の2倍以上。文革期に採掘,選鉱,焼結,製鉄,圧延を含む小型鉄鋼コンビナートがつくられ昨年鉄2万トン,鋼6,200トン,鋼材4,600トンを生産。農業にディーゼルエンジン1万台,トラクター300台,農業機械8,000台を提供。
DIA-104-1972-02-24-1中国1972年02月24日1970年代董必武,国家主席代理に─24日,クェートの国家祝日にあたり中国政府を代表して董必武は国家主席代理の肩書で祝電を送った。
DIA-104-1972-02-25-1中国1972年02月25日1970年代全国の地方小型工業の発展─1971年の全国の中小型鉄鋼企業の鉄鉱石,銑鉄,鋼の生産量,前年比40%増,多くの県に3級農業機械修理・組立綱が初歩的に確立さる。
DIA-104-1972-02-26-1中国1972年02月26日1970年代国連安保理のローデシア問題討議で黄華代表がアフリカ諸国の立場を支持する発言。
DIA-104-1972-02-27-1中国1972年02月27日1970年代上海で米中共同声明発表─(参考資料参照)。
DIA-104-1972-02-29-1中国1972年02月29日1970年代周総理ら,上海から北京に戻る─ニクソン大統領に同行して中国南部を訪れていた周恩来,姫鵬飛,喬冠華ら各氏は午後,上海から北京に帰任した。空港には各中央党,政府幹部をはじめ5,000人が盛大に出迎えた。3月1日の人民日報は第1面に「毛主席の革命的外交路線を断固として擁固し貫徹実行した。」という見出しを掲げ,この模様を写真入りで大々的に報道し,さらに空港に出迎えた要人の名前をそれぞれ党の肩書をつけて発表した。
DIA-104-1972-02-29-2中国1972年02月29日1970年代中国とガーナが外交関係を再開。
DIA-104-1972-03-01-1中国1972年03月01日1970年代近海・淡水漁業が豊漁─1971年の総漁獲量は史上最高の1970年より10%増,1971年冬期の東海漁場の 漁獲量24万1500トンで1970年同期と比べ45%増。漁船数は解放初期の15倍。
DIA-104-1972-03-01-2中国1972年03月01日1970年代藩陽市が野菜の自給を基本的に達成─従来まで4,000~4,500トンの野菜を外部から仕入れていた。年間1人あたり22kg食べられる。
DIA-104-1972-03-01-3中国1972年03月01日1970年代国連非植民地化特別委員会で張永寛代表がアフリカ民族解放運動を支持する発言。
DIA-104-1972-03-02-1中国1972年03月02日1970年代人民日報,南通国立綿紡績工場の企業管理についての調査報告─合理的規則制度と修正主義の「管理,制限,抑圧」との根本的区別をはっきり認識したうえで,設備の維持修理,運転操作法,工具管理の三方面の改革をすすめて企業管理を強化。
DIA-104-1972-03-02-2中国1972年03月02日1970年代米国務省,在台米軍8,200人のうち6,000人はベトナム戦用であり2,000余人は解決まで残留と説明。
DIA-104-1972-03-02-3中国1972年03月02日1970年代中国紅十字会,アルジェリアの水害,土砂くずれに10万元を寄贈。
DIA-104-1972-03-03-1中国1972年03月03日1970年代ひき続き“解放軍は全国人民に学べ”のキャンペーン。
DIA-104-1972-03-03-2中国1972年03月03日1970年代人民日報,革命現代京劇「竜江の詩」のシナリオを全文掲載─上海「竜江の詩」劇グループの集団改編によるもの。内容は自然災害に対して立上がった中国南部の人民公社員のたたかいを描いたもの。
DIA-104-1972-03-03-3中国1972年03月03日1970年代江蘇省のムー当り食糧生産量「要綱」の規定目標を超過─毛沢東思想宣伝隊を基層単位へ派遣して調査研究して指導グループの整頓を行ない,党の農村経済政策を確実に執行して食糧と綿花の生産の割合を正しくとったことが増産に貢献。
DIA-104-1972-03-03-4中国1972年03月03日1970年代人民日報評論員,「奇怪なデマ,卑劣な中傷」─ソ連が,中国はローデシアからクロムを輸入しているとのデマを流したことを論難。
DIA-104-1972-03-03-5中国1972年03月03日1970年代国連海底平和利用委員会で安致遠代表が発言─原則的に世界各国人民の共有化を主張。尖閣列島に対する日本の主張に反論。10日にも再度反論。
DIA-104-1972-03-03-6中国1972年03月03日1970年代中国,佐藤首相を非難─人民日報評論員論文「佐藤の拙劣な演技」は,首相の国会での答弁の支離滅裂なことを指摘し,しかし結局は中国を敵視し,2つの中国などの陰謀に固執するものであると述べた。
DIA-104-1972-03-05-1中国1972年03月05日1970年代人民日報,公治平短評「使用の中で技術者を改造する」─技員者の改造を重視して使用を軽視する考えを批判。
DIA-104-1972-03-05-2中国1972年03月05日1970年代シアヌーク殿下,イエンサリ特使,ハノイから上海に到着。
DIA-104-1972-03-06-1中国1972年03月06日1970年代中国・キューバ1972年度貿易議定書に調印─周化民を団長する貿易代表団帰国の途に。
DIA-104-1972-03-06-2中国1972年03月06日1970年代デンマーク工業展,北京で開幕。
DIA-104-1972-03-06-3中国1972年03月06日1970年代台湾帰属問題での政府統一見解─先月28日の佐藤首相答弁から審議がとまっていた衆議院予算委員会は,福田外相の「台湾の帰属」問題についての政府統一見解表明で再開された。この見解要旨は,①台湾の帰属について発言の立場にはない,②中華人民共和国の主張は理解する,③このような認識に立ち国交正常化に努力する,というもの。
DIA-104-1972-03-08-1中国1972年03月08日1970年代ブラック・パンサー党代表団20名が中国着。4月10日広州から帰国。
DIA-104-1972-03-08-2中国1972年03月08日1970年代香港・マカオは植民地でなく中国の領土である─中国が書簡を国連非植民地化委員会に送った。
DIA-104-1972-03-09-1中国1972年03月09日1970年代内蒙古革命委主任に尤太忠─9日の内蒙古放送は「3・8国際婦人デー」の集会の模様を報道した中で尤太忠を内蒙古革命委主任の肩書で読んだ。前主任は縢海清北京部隊司令員。
DIA-104-1972-03-09-2中国1972年03月09日1970年代人民日報社説,「路線教育に力を入れ春耕生産を促そう」─批修整風運動と路線教育を原動力として春耕生産を促さねばならない。
DIA-104-1972-03-09-3中国1972年03月09日1970年代周総理が完全勝利まで北ベトナムとカンボジアを支持すると約束─シアヌーク殿下が明らかにしたもの。
DIA-104-1972-03-09-4中国1972年03月09日1970年代中国電力使節団8人が訪英。
DIA-104-1972-03-09-5中国1972年03月09日1970年代伊藤忠社長ら訪中─伊藤忠商事社長らは中国国貿促の呉曙東氏らに迎えられて北京入りした。伊藤忠商事は昨年末日中貿易4条件受入れ表明をしていた。4大商社のトップをきって訪中する。なお丸紅も4条件受入れを表明した。
DIA-104-1972-03-10-1中国1972年03月10日1970年代2月末までの南方10省の植林面積1320万ムー。家屋の周囲の造林10億3000万株余り。
DIA-104-1972-03-10-2中国1972年03月10日1970年代中国外交部声明─6日の北ベトナム外務省の北爆に対する抗議声明を支持。
DIA-104-1972-03-11-1中国1972年03月11日1970年代首都鉄鋼公司,鉄鉱石の基本的自給を実現。文革前の鉱石自給率は30%前後。
DIA-104-1972-03-11-2中国1972年03月11日1970年代交易会にブラジル実業家4人が招待さる。
DIA-104-1972-03-11-3中国1972年03月11日1970年代中国繊維視察団来日─中国化合繊工業視察団(団長・李正光中国機械進出口総公司顧問)の一行10人が来日した。中国からのこのような視察団は文革後6年ぶりのものである。
DIA-104-1972-03-12-1中国1972年03月12日1970年代人民日報評論員,「ラオス人民の正義の闘争をだんこ支持する」─ラオス愛国戦線党中央委員会の声明を支持。
DIA-104-1972-03-12-2中国1972年03月12日1970年代周総理,ルーマニア政府経済代表団と会見─3月11日北京入り,13日北ベトナムへ。
DIA-104-1972-03-12-3中国1972年03月12日1970年代人民日報,海底平和利用委で尖閣列島問題に言及─10日に開かれた国連のこの委員会で,中国の安致遠代表は3月の日本代表の発言に対し,日本政府は,中国の領土釣魚島を不法占領し,これら島嶼周辺の海底資源を略奪しようと企図していると述べた。
DIA-104-1972-03-12-4中国1972年03月12日1970年代マラッカ海峡国際化問題で日ソ結託と人民日報が非難最近ソ連は日本と結託しマラッカ海峡を国際管理しようと提起し沿岸諸国の主権を侵犯しようとしている。ソ連のこの野望は決して偶然のことではない。最近ソ連の多くの軍艦がこの海峡を利用してインド洋に入り,盛んに策動を進めているからであると述べている。
DIA-104-1972-03-13-1中国1972年03月13日1970年代中国人民銀行総行スポークスマン,台湾の中国銀行の株式不法売却に抗議─1971年12月15日,「中国銀行」を「中国国際商業銀行」へと改組したことに抗議したもの。
DIA-104-1972-03-13-2中国1972年03月13日1970年代中国とイギリスが大使を交換することに合意─台湾にある英代表機構は廃止。
DIA-104-1972-03-13-3中国1972年03月13日1970年代中米両国大使がパリで会見─米中のパリ・ルートの成立。
DIA-104-1972-03-14-1中国1972年03月14日1970年代周総理,チリ社会党書記長を招宴。
DIA-104-1972-03-14-2中国1972年03月14日1970年代中国・ハンガリー72年度バーター支払協定に調印。
DIA-104-1972-03-14-3中国1972年03月14日1970年代中国・ルーマニア科学技術協力委員会,北京で第14回会議議定書調印。
DIA-104-1972-03-14-4中国1972年03月14日1970年代人民日報,衣笠統合幕僚会議議長のタイ・南ベトナム訪問を論評。
DIA-104-1972-03-15-1中国1972年03月15日1970年代フィリピン代表団,北京で国交予備交渉開始。
DIA-104-1972-03-16-1中国1972年03月16日1970年代紅旗第3号,紀平論文「反面教員の役割を重視しよう」─要旨は次のとおり。 ・大衆を教育し自覚を高めるために反面教員の役割を重視しなければならない。反面教材を大衆に明らかにし,階級敵の陰謀に対する警戒心を強めなければならない。 ・我々が反面教員の反革命的言論をあえて大衆に公開するのは真理が我々の側にあるからである。一部の同志は反面教員の役割を認めながら反面教員の反革命的言動を大衆に公開すれば,大衆に消極的な影響をおよぼすと恐れているが,こうした心配は無用である。 ・かつて王明,陳独秀,胡風,劉少奇らに対して,彼等の反動的言動を公開して反面教材としたように,例の反動的なものを政治思想,理論の面から徹底的に批判しつくすまでけっして軽々しく見逃してはならない。
DIA-104-1972-03-16-2中国1972年03月16日1970年代人民日報,天津動力機械工場軽機械職場の企業管理についての調査報告─この職場の党支部は全職場の労働者,幹部,技術者に思想と路線の教育を行なった基礎のうえに,大慶を手本として不合理な規則・制度を改革し,持ち場の責任,計画管理,品質検査,設備の保守・修理,安全衛生,経済採算など10項目の生産管理制度を確立。
DIA-104-1972-03-16-3中国1972年03月16日1970年代中国外交部スポークスマンの声明─米空軍とベトナム軍のカンボジアへの侵入に抗議したカンボジア王国民族団結政府スポークスマンの3月15日の声明を支持。
DIA-104-1972-03-16-4中国1972年03月16日1970年代中国・ポーランド72年度バーター支払協定調印。
DIA-104-1972-03-17-1中国1972年03月17日1970年代中国側MT東京事務所に右翼の挑発─新華社は11日東京恵比寿の中日備忘録貿易弁事所に対する右翼のいやがらせに対し抗議するとともに,『人民日報』も,佐藤政府は右翼をそそのかしていると激しく非難した。
DIA-104-1972-03-18-1中国1972年03月18日1970年代中国,14回目の大気圏内核実験─米原子力委員会の発表によると,場所は新彊ウイグル自治区ロプノル,規模は20キロトンないし200キロトン。
DIA-104-1972-03-18-2中国1972年03月18日1970年代人民日報評論員,「目新しい商標,ふるくさい陰謀」─フセイン・ヨルダン国王の「アラブ連合王国」樹立構想に対する反論。
DIA-104-1972-03-18-3中国1972年03月18日1970年代河北省張北県革命委員会,抗日で戦死したモンゴル軍烈士のために花輪をささげる。
DIA-104-1972-03-18-4中国1972年03月18日1970年代世界気象機関事務局長が訪中─国連専門機関ではじめて。23日姫外相と会見。
DIA-104-1972-03-19-1中国1972年03月19日1970年代冬小麦など越冬作物の作付け拡大─湖南,四川,陜西,安徽,広東,山東などの省の昨年秋冬播種の越冬食糧作物は,1970年と比べ100万ムー以上増。全国のアブラナの播種面積1970年と比べ40%増。
DIA-104-1972-03-19-2中国1972年03月19日1970年代中国政府,カンボジア民族統一戦線と武装勢力成立2周年の祝宴を催す。
DIA-104-1972-03-20-1中国1972年03月20日1970年代『朝日新聞』社説で尖閣列島は日本の領土と主張─上記社説は「尖閣列島とわが国の領有権」と題されるもので,「国際法上,わが国の実効的支配が及んできた日本領土であり,それをくつがえすに足る疑義はまったく存在しない」と結論している。
DIA-104-1972-03-21-1中国1972年03月21日1970年代陜西省の小型セメント工業─県級以上の経営するセメント工場107基。そのうち87基が操業開始。文業前には1基しかなく,現在生産能力は文革前の10倍。
DIA-104-1972-03-21-2中国1972年03月21日1970年代四川省の養豚事業─1971年末の統計では4800万頭余り。平均1戸当り2.8頭。
DIA-104-1972-03-22-1中国1972年03月22日1970年代エジプト政府代表団北京着。
DIA-104-1972-03-22-2中国1972年03月22日1970年代人民日報評論員,「南朝鮮かいらい集団の卑劣な陰韓国の「北の脅威」という謀はかならず失敗する」口実に反論,北朝鮮の3月19日の平和統一の意図表明を支持。
DIA-104-1972-03-23-1中国1972年03月23日1970年代中ソ国境交渉再開説─20日のソ連首席代表帰任に関連。
DIA-104-1972-03-25-1中国1972年03月25日1970年代養豚事業の発展─1971年の飼育頭数,70年に比べ11%増。全国の少なからぬ県,人民公社,生産大隊で農業人口当たり平均1人1頭,1ムー1頭を達成。
DIA-104-1972-03-25-2中国1972年03月25日1970年代新華社,ソ連『新時代』誌が台湾を国家と呼んだり介石を総統と呼んだことを非難。
DIA-104-1972-03-26-1中国1972年03月26日1970年代スノー夫人ら北京着,27日周総理と会見。
DIA-104-1972-03-26-2中国1972年03月26日1970年代米,中国に中ソ国境の衛星写真等の提供を約束─モスクワ筋から英『オブザーバー』が報道。
DIA-104-1972-03-27-1中国1972年03月27日1970年代周総理,パキスタン大統領の特使と会見。
DIA-104-1972-03-27-2中国1972年03月27日1970年代中国卓球代表団,カナダ,アメリカ,メキシコへ出発。
DIA-104-1972-03-28-1中国1972年03月28日1970年代プラウダ,米中接近を非難,アジア集団安保を再び提唱。
DIA-104-1972-03-29-1中国1972年03月29日1970年代謝富治逝去,北京で盛大な追悼会─謝富治(中共中央委,中央政治局委員,中央軍事委委員,国務院副総理兼公安部長,国防委委員,北京部隊第1政治委,中共北京市委第1書記,北京市革命委主任,北京衛戌区第1政治委員)は胃ガンのため26日,北京で逝去した。 29日北京で追悼会が行なわれ,会場には毛主席と中共中央委員会の花輪がかざられた。式には党政府首脳が多数出席し周恩来総理が弔辞を述べた。
DIA-104-1972-03-29-2中国1972年03月29日1970年代ルワンダ政府代表団北京着─4月1日,周恩来,姫鵬飛,沙風らの人々が代表団と会見した。
DIA-104-1972-03-29-3中国1972年03月29日1970年代周総理「新左翼」を批判─岡田春夫社会党前代議士と会見した周総理は席上,日本の新左翼が左翼冒険主義に陥っているとして,広範な大衆とともに進む必要があると述べた。
DIA-104-1972-03-30-1中国1972年03月30日1970年代人民日報評論員,「アメリカ侵略者のエセ慈悲」─アメリカの「戦時捕虜に関心をよせる全国週間」批判。
DIA-104-1972-03-30-2中国1972年03月30日1970年代パレスチナ解放機構代表団が北京着─団長アブ・ニダル。31日周総理,姫外相と会見。4月3日平壌へ。
DIA-104-1972-03-30-3中国1972年03月30日1970年代UNCTADのゲレロ事務局長北京着─4月3日北京から平壌へ。
DIA-104-1972-03-30-4中国1972年03月30日1970年代尖閣列島問題で人民日報が論評─8日福田外相は衆議院で尖閣列島を日本の領土であると再び述べているが,5月15日の沖縄返還後は同島に日本国旗を掲揚し,台湾漁民をしめだそうとしている。福田外相は,1885年に日本は現地調査を行なったというが,その時は同島が中国に属してから数百年経っている。また1895年閣議決定して領土に編入したというがそれまでの10年間占領しかねていたことを示している。1895年甲午戦争で清朝政府の敗局が定まったとき,勝に乗じて日本の領土に編入したのである。沖縄返還のペテンと同時に,これら島嶼を受け渡ししているのは不法であると述べている。
DIA-104-1972-03-31-1中国1972年03月31日1970年代人民日報,陳永貴論文「科学的耕作をりっぱにやり,農業の新たな豊収をかちとろう」─八字憲法の意義を確認。農田水利建設,肥料,品種改良,密植,そして耕地管理の順に重要であるとのべている。
DIA-104-1972-03-31-2中国1972年03月31日1970年代中国外交部声明─パリ会談参加を中止したアメリカに抗議した北ベトナムおよび共和臨時政府の声明を支持し,アメリカ政府に警告。
DIA-104-1972-03-31-3中国1972年03月31日1970年代3月の訪中諸団体。 ①藤山元外相ら訪中(24日北京着) ②岡田春夫前社会党議員ら訪中(11日北京着) ③日本バレーボール協会・日中文化交流協会代表団訪中(20日北京着) ④日本卓球協会代表団訪中(11日北京着) ⑤日中友好協会(正)青年活動家訪中団(12日北京着) ⑥日本国貿促新潟支局訪中団(16日北京着) ⑦関西学生訪中団(第3次,12日北京着) ⑧関西労働者学習訪中団(25日北京着) ⑨墾(あきら)信行夫妻訪中(28日北京着) ⑩三里塚斗争訪中団(21日北京着)
DIA-104-1972-04-02-1中国1972年04月02日1970年代北京の10万人がマルタのミントフ首相を歓迎─夜,総理が招宴。8日広州で中国対マルタ長期無利子借款供与にかんする協定に調印。6年間に無利子,無条件で1億元の借款がその内容。
DIA-104-1972-04-03-1中国1972年04月03日1970年代江蘇省の小型セメント工業─1970年下半期68基新設して総計93基。全省総生産高の50%を占める。第1四半期の生産高は昨年同期比10%増。
DIA-104-1972-04-03-2中国1972年04月03日1970年代上海綿紡績工業公司党委,技術管理を全面的に強化─紡績の各工程の新しい統一した操作法をうちたて,設備維持修理制度を改善し,それに応じた工具管理制度を設けた。そのため品質が大幅に改善され,綿糸の標準品率が99%以上,綿布の入庫一等品率が96.97%に達した。多くの労働者は操作法の改善の中で技術研鑽に力を入れている。
DIA-104-1972-04-03-3中国1972年04月03日1970年代スウェーデン工業展北京で開幕。
DIA-104-1972-04-04-1中国1972年04月04日1970年代人民日報,「紅色娘子軍」のシナリオを掲載。
DIA-104-1972-04-04-2中国1972年04月04日1970年代シアヌーク殿下,イエン・サリ特使,列車で北朝鮮へ出発。
DIA-104-1972-04-04-3中国1972年04月04日1970年代UNCTADの中国代表団29人が北京を出発。
DIA-104-1972-04-05-1中国1972年04月05日1970年代ミントフ・マルタ首相,南京,広州を訪問。
DIA-104-1972-04-05-2中国1972年04月05日1970年代陳正人国務院第8機械工業部部長逝去─13日午後,北京で行なわれた追悼式には文革中に失脚が伝えられた胡輝邦元共青団中央委員会第一書記・全人代常務委員が出席した。
DIA-104-1972-04-05-3中国1972年04月05日1970年代人民日報,尚業文論文「サービス業は労農兵のためによりよく奉仕しよう」─労農兵の多種多様な需要を「四旧」と混同し,大衆化を「簡単化」と曲解して,料理,服装,髪型を画一化してはならず,多様化の要求にサービス工作は応えなければならない。
DIA-104-1972-04-05-4中国1972年04月05日1970年代唐明照,国連の政治・非植民地化問題担当副事務総長に任命さる。5月1日着任。
DIA-104-1972-04-05-5中国1972年04月05日1970年代周総理,英の作家フェリックス・グリーンと会見。
DIA-104-1972-04-05-6中国1972年04月05日1970年代中国・北朝鮮漁業相互援助協定に調印。
DIA-104-1972-04-05-7中国1972年04月05日1970年代日本47年度予算を論評─3日成立した予算はまたも軍国主義の本質を暴露するものである。4次防の第1年度として26億ドルを計上しているが,これは前年比19.7%の増であり,また海外経済協力促進の名で支出される経費も30%増となっていると論評している。
DIA-104-1972-04-06-1中国1972年04月06日1970年代人民日報,第一機械工業部執筆グループ論文「品質問題は路線の問題である」─①産品の品質を高めることは,廃品率と原材料の消耗を低下させ,コストを下げ,労働生産率を高める増産節約運動の重要な側面である。②数量と品質,「りっぱに」と「むだなく」を対立させる考え方を批判,③品質を高めるには古参労働者と技術者の役割を十分発揮させ,企業管理を強化しなければならない。
DIA-104-1972-04-06-2中国1972年04月06日1970年代人民日報評論員,「ベトナム南部軍民の新たな勝利に心から歓呼する」─クアンチ=トアティエン地区でかいらい軍の拠点を一掃,敵兵員を大量にせん滅したことをたたえる。
DIA-104-1972-04-06-3中国1972年04月06日1970年代中国卓球代表団,パキスタン,クウェート,イラク,シリア,イランへ出発。
DIA-104-1972-04-06-4中国1972年04月06日1970年代ルーマニア,中国と航空協定を結ぶ。
DIA-104-1972-04-07-1中国1972年04月07日1970年代東京での台湾独立画策反対の集会─日中友協(正)本部主催で,各界人士150名参加して,佐藤政府の台湾独立画策反対,また訪日中の中国化学繊維視察団に対する右翼の挑発に抗議する集会を開いた。
DIA-104-1972-04-08-1中国1972年04月08日1970年代北方各地の春季植林─甘粛省と河北省の3月下旬までの造林面積はそれぞれ16万7000ムー余りと44万2000ムー余りで,昨年同期比2倍と6.5%増。
DIA-104-1972-04-08-2中国1972年04月08日1970年代アルバニア政府代表団北京着─11日,中国対アルバニア農業機械借款供与協定に調印。
DIA-104-1972-04-09-1中国1972年04月09日1970年代中国・ガイアナ経済技術協定に調印。
DIA-104-1972-04-09-2中国1972年04月09日1970年代中国石油代表団イランを訪問─対外貿易部も代表団を派遣中。
DIA-104-1972-04-10-1中国1972年04月10日1970年代人民日報「編者の言葉」,副業生産の切りすてに警告─ある県では「食糧を中心とする」方針を一面的にとらえて,多角経営と副業を「資本主義の残りカス」として切りすててしまっていることは集団経済の強化にマイナスである。
DIA-104-1972-04-10-2中国1972年04月10日1970年代中国外交部声明─アメリカの北爆と空母の出動に対する6日の北ベトナム外務省声明を支持。
DIA-104-1972-04-11-1中国1972年04月11日1970年代周総理,張春橋,姚文元,喬冠華ら米「CCAS」代表団と会見。
DIA-104-1972-04-12-1中国1972年04月12日1970年代紅旗4号,鐘実論文「全局を顧みることを提唱する」─要旨は次のとおり。 ・毛主席は「全局を顧みることを提唱する。いかなる党員,いかなる局部的な工作,いかなる言動もすべて必ず全党の利益を出発点として絶対にこの原則に違反してはならない」と我々に教えている。 ・ある同志は自分の地区,自分の部門の工作についての利害には非常にこう泥するが,全局性のことについては,往々にしてなおざりにする。 ・こうした傾向の行きつく先は党の団結を乱し,党からの独立をまねき,かつ革命の全局の利益に大きな損失をあたえる。 ・党の団結を乱すセクト主義,個人本位主義を克服し,必ず大局を顧みて意見の異なる人との間,幹部と幹部との間,各部門の間の革命的団結をかちとるようにしなければならない。
DIA-104-1972-04-12-2中国1972年04月12日1970年代黒竜江省と吉林省の第1四半期の木材生産,昨年同期比それぞれ17%,5.6%増。
DIA-104-1972-04-13-1中国1972年04月13日1970年代人民日報,蔡正論文「路線をカナメとして更に経済を発展させて,供給を保障する」─劉少奇のたぐいのペテン師の「単純財政観点」と貨幣の役割を否定し財政金融管理の必要性を否定する論点を批判。
DIA-104-1972-04-13-2中国1972年04月13日1970年代周総理,ケズウィック中英貿易協会会長,最初の中国大使J.M.アディス氏らと会見。
DIA-104-1972-04-13-3中国1972年04月13日1970年代社会党,尖閣列島問題で統一見解─社会党中央執行委員会で,先にまとめた「尖閣列島は国際法上,日本の領土の一部である」との統一見解を正式に了承した。
DIA-104-1972-04-14-1中国1972年04月14日1970年代毛沢東,周恩来,金日成首相の60歳誕生日に祝電を打つ。
DIA-104-1972-04-14-2中国1972年04月14日1970年代人民日報評論員,「パレスチナ人民の革命事業の新たな成果」─パレスチナ全国評議会緊急会議とパレスチナ人民大会の成果をたたえる。
DIA-104-1972-04-14-3中国1972年04月14日1970年代中日友協と民社党の共同声明─13日の調印は,春日団長,小平副団長,中国側は王国権,王暁雲代表によって行なわれた。民社党も日中復交3原則を認めている。また軍国主義について日本側は,日本には一部の軍国主義勢力が存在しているが,国民は彼等の策謀の実現を許すはずがないと述べている。さらに平和共存5原則,核兵器の全面廃棄,2つの超大国にも言及。
DIA-104-1972-04-15-1中国1972年04月15日1970年代1972年春季交易会が開幕─90以上の国と地域から2万1000人余りが参加。5月15日閉幕。
DIA-104-1972-04-15-2中国1972年04月15日1970年代中国・モーリシャス外交関係樹立─12日ラングラム首相が訪中。
DIA-104-1972-04-15-3中国1972年04月15日1970年代イランの地震に30万元の現金と20万元相当の毛布,カンヅメ,薬品などを寄贈。
DIA-104-1972-04-16-1中国1972年04月16日1970年代曽山(中共中央委委員,第3期全人代代表)逝去。
DIA-104-1972-04-16-2中国1972年04月16日1970年代人民日報社説,「食糧をカナメとして全面発展させよう」─①多角経営を発展させると集団経済のために一層多くの資金を蓄積し,農業機械化を早めることができ,農業の全面発展のための労働力を多く融通できる。②集団経済が絶対的優勢を占めることを保証する条件の下では公社員が余った時間と休日を利用して適当な家庭副業に従事するのを許し,指導すべきである。
DIA-104-1972-04-16-3中国1972年04月16日1970年代ペルー政府代表団北京入り。
DIA-104-1972-04-16-4中国1972年04月16日1970年代スーダンと軍事訓練施設交換協定に調印。
DIA-104-1972-04-16-5中国1972年04月16日1970年代人民日報,沖縄返還機密文書暴露に関して論評─3月27日に社会党の横路議員は予算委員会で,外務省の機密書類を暴露したが,この書類は,他でもなく沖縄返還協定の欺瞞性と政府の売国的本質を立証するものである。政府はさっそく一層言論界の弾圧に乗り出していると述べている。
DIA-104-1972-04-17-1中国1972年04月17日1970年代シャフィク・アフガニスタン外相,北京着。
DIA-104-1972-04-17-2中国1972年04月17日1970年代中国交通代表団ハノイ入り,5月1日帰国の途に。
DIA-104-1972-04-17-3中国1972年04月17日1970年代三木・周恩来会談─15日北京入りした三木武夫自民党代議士と周総理は17日夜会談した。この会談には大来佐武郎,平沢和重氏らも同席した。19日人民日報はこの会談の写真を一面左下に掲げた。なお三木氏は21日に2回目の会談を行なった。自民党の大平正芳代議士は三木訪中を政府間接触の足がかりをなすものと10日語っていた。
DIA-104-1972-04-18-1中国1972年04月18日1970年代米上院の2党の代表マンスフィールド,スコット両氏が北京に到着─5月3日帰国。
DIA-104-1972-04-18-2中国1972年04月18日1970年代人民日報社説,「ベトナム人民は必ず勝利し,アメリカ侵略者は必ず敗北する」─南ベトナナム臨時革命政府の15日のアピール,北ベトナムの16日のアピールを支持し,全力をあげて支援する決意を表明。周総理は各政府の北京駐在代表にベトナム人民をだんこ支持すると言明した。
DIA-104-1972-04-20-1中国1972年04月20日1970年代中国政府海運代表団,コロンボで連合海運航路協定に調印。
DIA-104-1972-04-20-2中国1972年04月20日1970年代UNCTAD第3回総会で周化民代表が「中国の国際経済貿易関係にたいする原則的立場」を表明。
DIA-104-1972-04-20-3中国1972年04月20日1970年代ソ連代表団,中国中南部を訪問。
DIA-104-1972-04-21-1中国1972年04月21日1970年代周総理,ユーゴ政府経済代表団と会見。
DIA-104-1972-04-23-1中国1972年04月23日1970年代李徳全(政協全国委副主席,全国婦女連合会副主任)逝去。
DIA-104-1972-04-24-1中国1972年04月24日1970年代人民日報社説,「前の誤りを後の戒めとし,病を治して人を救う」─要旨は次のとおり。 ・プロレタリア文化大革命以来,毛主席はくりかえし「90%以上の幹部はよいか,比較的よい幹部である。誤りを犯したものも大多数は改めることができる」と述べている。 ・現在「前の誤りを後の戒めとして,病いをなおして人を救う」方針を貫徹,執行することは,「九全大会」の団結勝利の路線を実りあるものにし,革命のすばらしい情勢を発展させるうえで重要な意義を持っている。 ・団結できるすべての人々を団結させなければならず,それは誤りを犯しはしたが真剣に誤りを改めたものも含まれる。 ・「大局に心をくばることを提唱しなければならない」。誤りを犯した同志に対する処理は,全党の利益を出発点とし,党の利益を個人,局部の利益の上におくことを出発点としなければならない。長期の革命斗争で鍛えられた古参幹部,文革のなかから現われ出た新幹部はいずれも党の貴い宝であり,彼等を信頼し,彼等の役割を発揮させる必要がある。 ・劉少奇の類のペテン師の誤った政治路線と組織路線を批判し,「左」右の攪乱を排して大外数の党員と幹部は分裂を求めず団結を求めなければならない。
DIA-104-1972-04-24-2中国1972年04月24日1970年代鞍山鉄鋼公司の第1四半期の生産─昨年同期比鋼12%増,生鉄13%増,上納利潤5%増。
DIA-104-1972-04-24-3中国1972年04月24日1970年代毛沢東,周恩来,金日成首相に人民革命軍創設40周年の祝電を打つ─この日,『人民日報』と『解放軍報』は「戦闘の旗じるし,勝利の道」という共同社説をかかげた。23日,陳錫聯を団長とする中国政府軍事代表団が朝鮮を訪問した。
DIA-104-1972-04-24-4中国1972年04月24日1970年代三木武夫氏の帰国発言─2回の周恩来総理との会談を終えて帰った三木氏は,日台条約の解消は当然で,日中早期復交の可能性を確信していると語ったが,佐藤内閣の下ではムリと語った。
DIA-104-1972-04-25-1中国1972年04月25日1970年代人民日報社説,「インドシナ3国人民は団結して戦い勝利のうちに前進している」─インドシナ人民最高級会議2周年を記念した論文。
DIA-104-1972-04-27-1中国1972年04月27日1970年代周総理,張春橋,レ・ドク・ト氏を招宴─パリへの途次北京に立ち寄ったもの。
DIA-104-1972-04-27-2中国1972年04月27日1970年代「米・中人民団結代表団」26人が訪中,5月27日帰国。
DIA-104-1972-04-27-3中国1972年04月27日1970年代永野日商会頭の日台条約解消論─永野会頭ら財界有力者らは昨年11月訪中し,平和5原則,政治3原則についてはすでに当然のこととしていたが,三木武夫氏が帰国して日台条約解消を述べたのを機会に,永野会頭らも解消すべきであると踏み切るに到った。
DIA-104-1972-04-27-4中国1972年04月27日1970年代4月の訪中諸団 ①民社党代表団訪中(団長春日委員長,1日北京着) ②三木自民党顧問訪中(15日北京着) ③東京婦人活動家訪中団(1日北京着) ④九州・愛知学生訪中団(10日北京着) ⑤日本家族計画連盟訪中団(2日北京着) ⑥茨城県青年活動家訪中団(20日北京着) ⑦硫安・尿素訪中団(22日北京着) ⑧日中文化交流協会白土吾夫等訪中(19日北京着) ⑨日中友好労働者学習訪中団(29日北京着) ⑩故日本卓球協会会長後藤鉀二未亡人訪中(29日北京着) ⑪読売新聞田川五郎経済記者訪中(29日北京着) ⑫沖縄青年友好訪中団訪中(25日北京着)
DIA-104-1972-04-28-1中国1972年04月28日1970年代米商社はじめて中国と直接輸入契約を結ぶ。
DIA-104-1972-04-29-1中国1972年04月29日1970年代ルーマニア政府軍事代表団が北京に到着─北朝鮮からの帰途。
DIA-104-1972-04-29-2中国1972年04月29日1970年代ベルギー人ロースブレックを23年ぶりに釈放。
DIA-104-1972-04-30-1中国1972年04月30日1970年代人民日報評論員,「英雄的なベトナム人民はおどかせるものではない」─26日のニクソン演説を批判。
DIA-104-1972-04-30-2中国1972年04月30日1970年代タンザニアに来年ミグ戦闘機1個小隊引渡しを約束。
DIA-104-1972-05-01-1中国1972年05月01日1970年代各地で分散メーデー─北京では恒例の前夜祭花火大会や1日の天安門前中央集会は開かれず,北京各地区に分かれて分散園遊会が開かれた。また恒例のメーデー記念3紙誌共同社説も発表されなかった。 北京の各園遊会には周恩来,董必武,朱徳,葉剣英,張春橋,姚文元,紀登奎,李徳生,徐向前,郭沫若,阿沛・阿旺晋美,博作義,呉徳ら各氏が参加した。また人民日報の報道によると全国各地の祝賀活動のなかで,江青は広州の祝賀活動に,許世友は南京の,陳錫聯は藩陽の祝賀活動にそれぞれ参加した。
DIA-104-1972-05-02-1中国1972年05月02日1970年代北京市革命委主任に呉徳─2日の北京放送は中国指導者の1日のメーデー行事参加について伝えたが,その中で呉徳が中国共産党北京市委第1書記兼北京市革命委員会主任に就任していることを初めて明らかにした。
DIA-104-1972-05-03-1中国1972年05月03日1970年代ペルー貿易代表団,北京着。
DIA-104-1972-05-05-1中国1972年05月05日1970年代河北省の地方小型炭鉱─地区,県,公社の経営する小型炭鉱250余り。1971年の生産した原炭量450万トン余りで1966年比3倍。全省の地方工業の使用する石炭のうち20%近くを地方小型炭鉱が提供。
DIA-104-1972-05-05-2中国1972年05月05日1970年代郭沫若氏,「フィリピン・中国理解協会」代表と会見。
DIA-104-1972-05-05-3中国1972年05月05日1970年代人民日報評論員論文「卑劣な反中国の挑発」─駐日覚書事務所に対する右翼の挑発に抗議して。
DIA-104-1972-05-06-1中国1972年05月06日1970年代各地で公害除去運動─北京,上海,杭州,長春などの地区で,各工場は積極的にエントツから出る有害な煤煙の除去工作をやり,大きな成果をあげた。
DIA-104-1972-05-06-2中国1972年05月06日1970年代タンザニア軍事代表団が訪中─20日帰国。タンザニア内務省,大学教育代表団も相ついで訪中した。
DIA-104-1972-05-07-1中国1972年05月07日1970年代シアヌーク親王,東北地区の訪問開始─8日丹東から瀋陽に到着。19日長春。29日北京着。
DIA-104-1972-05-07-2中国1972年05月07日1970年代アジア卓球連盟が発足─4日~7日の北京会議において連盟規約が採択された。
DIA-104-1972-05-07-3中国1972年05月07日1970年代ウイグル自治区とキルギット地区(パキスタン)間の72年度国境貿易に関する文書を交換。
DIA-104-1972-05-07-4中国1972年05月07日1970年代周総理,ASEAN中立化構想に支持を表明─アジア卓連設立大会のシンガポール代表に対してのべたもの。
DIA-104-1972-05-09-1中国1972年05月09日1970年代中国外交部声明─5月6,7,8の3日間,北ベトナム,ゲアン省沖に停泊中の中国商船2隻に米の軍艦と飛行機が襲撃し,中国人とベトナム人に負傷させた。これに強硬に抗議し,損害賠償権を保留する。
DIA-104-1972-05-09-2中国1972年05月09日1970年代中国国貿促代表団,メキシコに向け北京を出発。
DIA-104-1972-05-10-1中国1972年05月10日1970年代地方小型セメント工業─河南省は100基余りで生産量は1966年に比べ2倍以上に増加,江西省は全省の大部分の県が小型セメント工場を経営しており全部で125基。
DIA-104-1972-05-10-2中国1972年05月10日1970年代8人の中国代表がコンコルド購入交渉のためパリ入り─24日本格交渉開始。
DIA-104-1972-05-10-3中国1972年05月10日1970年代カナダ政府航空代表訪中─20日北京発帰国。
DIA-104-1972-05-10-4中国1972年05月10日1970年代クエートと中国,経済協力拡大で合意─中国通商代表団はクエート商工相と会談。
DIA-104-1972-05-10-5中国1972年05月10日1970年代中国卓球代表団訪日─9日北京発,6月3日北京に帰るまで,約1カ月間日本で親善試合を行なった。
DIA-104-1972-05-11-1中国1972年05月11日1970年代湖南省湘潭県が大寨式の県になる─1969年以前は食糧生産は5~6億斤,ムー当り400~500斤前後。1970年1億2000万斤,1971年1億3500万斤それぞれ前年より増加し1971年は総生産量8億斤を突破,ムー平均889斤に達する。また多角経営にも力を入れ豚の頭数57万頭で平均毎戸3頭,綿花植付け面積前年比50%増,茶の生産量1.5倍。
DIA-104-1972-05-11-2中国1972年05月11日1970年代中国政府声明─8日のニクソン大統領の北爆強化と北ベトナム機雷封鎖に対する糾弾。
DIA-104-1972-05-11-3中国1972年05月11日1970年代新華社,ハノイの中国経済代表部砲撃でアメリカを非難。
DIA-104-1972-05-11-4中国1972年05月11日1970年代公明党第2次訪中団訪中─一行は11日北京着,15日周恩来総理と会見,日台条約の廃棄は,国交回復の時点で実現すればよいと理解される発言があった。
DIA-104-1972-05-11-5中国1972年05月11日1970年代三菱商事も日台条約解消に賛意表明─藤野社長は記者会見で,三木氏の日台条約解消論に賛意を表明した。
DIA-104-1972-05-12-1中国1972年05月12日1970年代中国・モンゴル,1972年度物資相互供給についての議定書に調印。
DIA-104-1972-05-12-2中国1972年05月12日1970年代モーリタニア政府貿易代表団が訪中。
DIA-104-1972-05-12-3中国1972年05月12日1970年代中国,ペルーから今年すでに14万トンの魚粉を買付け。
DIA-104-1972-05-13-1中国1972年05月13日1970年代周総理,耿,姫外相,韓念竜,李強,黄鎮ら,北京着のスアン・トイ,リ・バンらの人々と会見。一行は16日北京発ハノイへ。
DIA-104-1972-05-14-1中国1972年05月14日1970年代紅旗5号論文,「まじめに本を読み学習することを堅持しよう」。
DIA-104-1972-05-14-2中国1972年05月14日1970年代新外務次官に5人昇格─北京で14日明らかにされたところによると,中国外務省は13日,新しく西アジア・アフリカ局の何英局長ら5人の次官昇格を含む外務省首脳部の新人事を決定,北京駐在各国大使館に通告した。現在活動している外務次官は喬冠華,韓念竜の両氏だけだが,新人事により計7人の次官体制となる。 新人事は次のとおり。(カッコ内は旧職) △次官,何英(西アジア・アフリカ局長)仲曦東(タンザニア大使)余湛(ソ連・東ヨーロッパ局長)符浩(弁公庁主任)馬文波(外務省責任者) △次官補,王海容(儀典局長)章文晋(欧米大洋州局長)
DIA-104-1972-05-14-3中国1972年05月14日1970年代北京─広州間にイリューシン62型ジェット旅客機が初めて就航─中国民航がジェット機を飛行させたのは国際線を含めこれが始めて。
DIA-104-1972-05-14-4中国1972年05月14日1970年代ソマリアのシアド議長が中国を訪問─18日北朝鮮へ出発。
DIA-104-1972-05-14-5中国1972年05月14日1970年代シエラレオネ政府貿易代表団訪中。
DIA-104-1972-05-14-6中国1972年05月14日1970年代中国,米系コダック会社に写真機械を発注─米系でははじめての発注。
DIA-104-1972-05-14-7中国1972年05月14日1970年代日中貿易4条件に変更なしと交易会副主任語る─李西副主任は日本人記者との会見で,米中貿易が開始されても,日中貿易4条件に変化はないと語った。
DIA-104-1972-05-15-1中国1972年05月15日1970年代ビルマ連邦政府経済代表団が訪中─6月4日広州から帰国。
DIA-104-1972-05-16-1中国1972年05月16日1970年代人民日報,短評欄「事実に即することに賛成する」─要旨は次のとおり。 ・“農業は大寨に学ぶ”運動の中で2つの異なった作風がある。1つは革命精神と科学的態度を結合し,実際の情況にもとづいて工作方針をきめ,客観法則にそって増産を計ることである。他の1つは客観的な現実を顧みることなく,実際にできないことをやろうとし,条件が許すか否かを考慮せず,外の経験の一律化を追求し,結果的に損失をあたえることである。 ・必ず“事実に即する”工作作風を堅持し,客観的な実際から遊離することに反対しなければならない。
DIA-104-1972-05-16-2中国1972年05月16日1970年代中国・オランダ両国が外交関係を昇格,大使館を設置。
DIA-104-1972-05-16-3中国1972年05月16日1970年代李強対外貿易部副部長,メキシコ経営者連合会会長G.ロベルト氏と会見。
DIA-104-1972-05-16-4中国1972年05月16日1970年代中国国連代表部,復帰前の国連決議に拘束されぬ旨声明を発す。
DIA-104-1972-05-17-1中国1972年05月17日1970年代江蘇省全県に小型化学肥料工場が分布─全部で72基あり,そのうち62基が操業。全省総生産量の77%を占める。全省の農田での使用する化学肥料の総量の50%以上を占める。1958年に第一群の小型化学肥料工場が建設され,ここ数年で文革前の4倍以上に増長。
DIA-104-1972-05-17-2中国1972年05月17日1970年代米・ボーイング社,このほど中国向けジェット機輸出許可を申請。
DIA-104-1972-05-18-1中国1972年05月18日1970年代ソ連のミサイルも中国の鉄道で北ベトナムに運ばれている─北京のソ連外交筋が言明。北ベトナム筋もこれを確認。
DIA-104-1972-05-18-2中国1972年05月18日1970年代人民日報評論員論文「日本人民は必ず沖縄を完全に取り戻す」─米日反動派が仕組んだ返還の茶番劇はすでに正式に上演された。しかし無条件全面復帰の斗いは必ず完全に沖縄を取り戻すことになろうというもの。
DIA-104-1972-05-19-1中国1972年05月19日1970年代古井喜実自民党代議士訪中─19日北京入りした古井代議士は,28日周総理らと会見した。
DIA-104-1972-05-20-1中国1972年05月20日1970年代毛主席の反米帝国主義声明2周年─『人民日報』は語録欄に声明の一節を引いた他,秦皇島港務局労働者評論グループの2つの超大国批判の文章をかかげニクソン大統領の訪ソを批判。
DIA-104-1972-05-21-1中国1972年05月21日1970年代シリア政府代表が北京に到着─24日北京で経済技術協力協定に調印,28日帰国。
DIA-104-1972-05-21-2中国1972年05月21日1970年代米中で5000万ドルの小麦と中国ジュートのバーター取引交渉進行中─『ニューズウイーク』誌の報道。
DIA-104-1972-05-22-1中国1972年05月22日1970年代米科学者協会代表団,北京着。
DIA-104-1972-05-22-2中国1972年05月22日1970年代日中民間漁業協定1年間自動延長─中国漁業協会から,22日で期限切れになる同協定について,22日夜上記の通りの手紙が日中漁業協会に届いた。
DIA-104-1972-05-22-3中国1972年05月22日1970年代中国,尖閣問題で国連に書簡─20日付で黄華国連中国代表は,国連事務総長と安保理議長宛に,沖縄返還に当り釣魚島を返還区域に組み入れることは,中国の領土主権を侵犯する重大行為であるとの書簡を提出した。
DIA-104-1972-05-23-1中国1972年05月23日1970年代3紙誌共同社説,「毛主席の革命路線を堅持すれば勝利する」─毛主席の「文芸講話」発表30周年を記念したもの。“劉少奇の類のペテン師”に対する思想面での徹底した批判を行なうなかで,文化面での百花斉放を呼びかけている。
DIA-104-1972-05-23-2中国1972年05月23日1970年代革命現代京劇「海港」,「竜江の詩」,「紅色娘子軍」のカラー映画が完成,本日から全国各地で上映。
DIA-104-1972-05-23-3中国1972年05月23日1970年代北京で全国美術作品展覧会と全国撮影芸術展覧会が開かれる。
DIA-104-1972-05-23-4中国1972年05月23日1970年代全国の機械工業,発電設備の製造に力を入れる─1~4月の水力タービン,蒸気タービン,発電機の生産量,昨年同期比2~3倍。第1四半期の電力部門の据えつけに使用した全設備容量,昨年同期より3倍余り増加。
DIA-104-1972-05-23-5中国1972年05月23日1970年代中国,アフガニスタン第4次5カ年計画に4400万ドルの借款供与を約束。
DIA-104-1972-05-23-6中国1972年05月23日1970年代政府間海事交渉組織理事会に中国が復帰。
DIA-104-1972-05-25-1中国1972年05月25日1970年代人民日報社説,「アフリカは団結して闘うなかで堂々と前進している」─アフリカ解放デー9周年を記念したもの。
DIA-104-1972-05-25-2中国1972年05月25日1970年代米中のパリ会談(第4回目)開く。
DIA-104-1972-05-25-3中国1972年05月25日1970年代初代駐英大使に宋之光駐東独大使を起用─英政府がアグレマンを与える。
DIA-104-1972-05-26-1中国1972年05月26日1970年代人民日報,鐘佐文論文「広大な革命幹部を団結させることは,“九大”路線を実現する重要な保障である」─要旨は次のとおり。 ・幹部問題のうえで,大多数を団結させるか,それとも劉少奇の類のペテン師がやったようなセクト主義,分裂主義路線と幹部をすべて真黒なものとみなし,大多数を排斥するような路線をやるか否かは,“九大”団結・勝利の路線を実現するか否かの鍵である。 ・党の歴史上,陳独秀,麗秋白,李立三,王明,羅章龍,張国憲,高崗,饒瀬石,彰徳懐らの日和見主義路線,分裂主義路線との斗争の中で,特に劉少奇の類のペテン師らが最も危険な敵である。 ・劉少奇の類のペテン師は隅に隠れて秘密に結託し,反党集団を結成し,名利で人をつり,親しい者のみをまわりに集めた。また自分をいわゆる“最も忠実な,最も断固とした”正確な路線の代表というふりをして,自分に従順な幹部のみをとり入れた。
DIA-104-1972-05-28-1中国1972年05月28日1970年代北ベトナム,北爆で中国人労働者が死亡したことを報道。
DIA-104-1972-05-29-1中国1972年05月29日1970年代人民日報,「農業・軽工業・重工業の関係を正しく処理し,国民経済の全面的な発展を促進する」─広東省の─部の県指導幹部が国民経済発展の全般的方針を学習した体験の総括を報告。
DIA-104-1972-05-29-2中国1972年05月29日1970年代中国,国際電信連盟に復帰。
DIA-104-1972-05-30-1中国1972年05月30日1970年代人民日報,北京石油化学総工場評論グループ論文「公害は資本主義の不治の病」。
DIA-104-1972-05-30-2中国1972年05月30日1970年代北ベトナム援助の東独船2隻が香港から黄埔港へ─6月8日ブルガリア船も黄埔港へ向かった。6月中旬中国はソ連船の寄港は拒否。
DIA-104-1972-05-30-3中国1972年05月30日1970年代A・ロイル英外務・連邦政務次官と夫人が訪中─6月6日上海発,帰国。
DIA-104-1972-05-31-1中国1972年05月31日1970年代人民日報,宮効聞論文「路線をカナメとして合理的規章制度を建立し建全化する」─①社会主義の企業はまず思想と政治路線の教育と大衆の自覚的労働に依拠するが,しかし規則制度が不要だというのは無政府主義思想である。②「制度万能論」と「制度無用論」はともに大衆路線と規則制度を対立させる謬論である。
DIA-104-1972-05-31-2中国1972年05月31日1970年代5月中の各界訪中団。 ①社会党活動家代表訪中団(12日北京着) ②日本教育テレビ・朝日製作K.Kテレビ撮影班訪中(4月10日来入国していた) ③佐世保労組活動家訪中団(16日北京着) ④木村国際貿易促進協会関西本部専務理事訪中(17日北京着) ⑤日本新聞界の新井寅雄氏ら訪中(人民日報28日) ⑥習志野サッカーチーム訪中(26日北京着) ⑦評論家,藤島宇内氏訪中(30日北京着) ⑧赤松社会党副委員長訪中(31日北京着)
DIA-104-1972-06-01-1中国1972年06月01日1970年代全国5種目球技運動会開かれる。
DIA-104-1972-06-01-2中国1972年06月01日1970年代中国,スーダンに戦車1個師分とミグ17戦闘機8機を供与─レバノンの『アル・ハワデス』誌の報道。
DIA-104-1972-06-01-3中国1972年06月01日1970年代宋慶齢女史,『ニューヨーク・タイムス』の副編集ソールズベリー氏を招宴。
DIA-104-1972-06-01-4中国1972年06月01日1970年代李先念,沙風,イエメン民主人民共和国農民代表団と会見。
DIA-104-1972-06-02-1中国1972年06月02日1970年代パキスタンに大量の戦闘機と戦車を供与─ブット大統領の2月訪中の際とりつけた約3億ドルの経済・軍事援助の一部。内容は中国製ミグ19戦闘機60機,T54およびT59戦車計100台,自動小銃と機関銃。このほか6隻の小型沿岸警備艇も引渡した(『ニューヨーク・タイムス』)。
DIA-104-1972-06-02-2中国1972年06月02日1970年代中ソ国境紛争交渉の新首席代表に余湛氏が任命さる。
DIA-104-1972-06-03-1中国1972年06月03日1970年代王国権対外友好協会会長,フィリピン労農代表団を招宴。
DIA-104-1972-06-05-1中国1972年06月05日1970年代1972年度全国陸上競技地区別試合が開かれる。
DIA-104-1972-06-05-2中国1972年06月05日1970年代中国とギリシャが国交を樹立。
DIA-104-1972-06-05-3中国1972年06月05日1970年代人民日報社説,「アラブ人民の正義の闘争は必ず勝利する」─シナイ半島占領5周年に際して。
DIA-104-1972-06-06-1中国1972年06月06日1970年代人民日報社説,「英雄的ベトナム人民は勝利に乗って前進している」─川南ベトナム臨時革命政府成立3周年に際して。
DIA-104-1972-06-06-2中国1972年06月06日1970年代中国紅十字会がスーダン南部難民へ贈った物資がスーダン港に着く。
DIA-104-1972-06-07-1中国1972年06月07日1970年代アメリカ10月同盟(ML主義)代表団が訪中─7月6日まで参観訪問。
DIA-104-1972-06-07-2中国1972年06月07日1970年代中国代表,「人間環境宣言」案修正作業専門委員会の設置を提案8日可決。
DIA-104-1972-06-07-3中国1972年06月07日1970年代日中MT相互増員決まる─中国側MTは日本側MTに対し,東京連絡所の2人増員を通告,同時に日本側の北京連絡所員2人を増やすことに同意した。
DIA-104-1972-06-08-1中国1972年06月08日1970年代人民日報,郭建為論文「基本建設工作中のいくつかの関係を正しく処理する」─「必要なこと」と「できること」との関係,全局と局部の関係,順序を追ってやることと建設速度を速めることとの関係,この3つの関係を正しく処理しなければならない。
DIA-104-1972-06-08-2中国1972年06月08日1970年代中国・チリ両国の経済協力,貿易関係発展に関する4協定調印(北京)─内容のひとつは軽工業のための6500万ドル無利子借款,20年返済。
DIA-104-1972-06-09-1中国1972年06月09日1970年代遠藤元陸軍中将ら訪中─文革後旧軍人の訪中は初めて。遠藤氏は,1955年,56,57,59,60年と訪中し,毛主席と会見したこともある。
DIA-104-1972-06-10-1中国1972年06月10日1970年代人民日報社説,「体育運動を発展させ,人民の体質を増強しよう」。
DIA-104-1972-06-10-2中国1972年06月10日1970年代国連人間環境会議で唐克代表が中国の主張を表明。
DIA-104-1972-06-10-3中国1972年06月10日1970年代スイス政府民間航空代表団北京着─良好な成果をあげ18日北京を出発。
DIA-104-1972-06-10-4中国1972年06月10日1970年代バングラデシュ政府,中国のジュート買付申入れを原則的に受入れ。
DIA-104-1972-06-11-1中国1972年06月11日1970年代周総理がアフリカ経一機構首脳会議に祝電を送る。
DIA-104-1972-06-12-1中国1972年06月12日1970年代都市住民のための新住宅建設─1949年より1971年までに総面積6200万m2の住宅が新設され1500万人が新居へ移る。北京市は1970年現在新設住宅の面積は1400万m2から2000万m2へ増え,解放前の1.5倍となる。上海市では過去22年間1000万m2の住宅を国家資金で建設,1400万m2のバラックを改築。
DIA-104-1972-06-12-2中国1972年06月12日1970年代中国外交部声明─ハノイ,ハイフォン爆撃に抗議した10日の北ベトナム外務省声明を支持。
DIA-104-1972-06-12-3中国1972年06月12日1970年代史軍論文,「帝国主義に関連のある歴史を学習しよう」─『紅旗』6号所載。
DIA-104-1972-06-13-1中国1972年06月13日1970年代中・ソ1972年度物資交換・支払協定が北京で調印さる─李先念副総理がソ連貿易代表団と会見。
DIA-104-1972-06-14-1中国1972年06月14日1970年代キャシンジャー,米大統領の訪中に関する公告を発表。
DIA-104-1972-06-15-1中国1972年06月15日1970年代チベットの発展─1970年の食糧総生産量と家畜頭数,1958年の2倍近く増,1971年の預金総額1958年の6倍余り,農村人民公社の集団預金と個人貯蓄は1965年の2倍。
DIA-104-1972-06-15-2中国1972年06月15日1970年代ガラス繊維工業の発展─現在,全国23の省・市・自治区でガラス繊維工業が存在。1971年の全国のガラス繊維の生産量,1969年に比べ54%以上増。今年4月までの生産量は昨年同期比17%増。
DIA-104-1972-06-15-3中国1972年06月15日1970年代国連人間環境会議の中国代表,「人間環境宣言」修正に関する中国の10の主要原則を発表。
DIA-104-1972-06-15-4中国1972年06月15日1970年代『ワシントン・ポスト』紙,CIAが中国南部にゲリラを再投入しはじめたと報道。
DIA-104-1972-06-15-5中国1972年06月15日1970年代公明党尖閣列島について発言─公明党渡辺外交部会長は「日本は尖閣列島に対する領有権を主張するのは正しいが,石油開発は,関係国と協議すべきだ」と同党としての公式見解を発表した。
DIA-104-1972-06-16-1中国1972年06月16日1970年代周総理,米のフェアバンク教授夫妻,ストーン博士,コーヘン教授,ソールズベリ夫妻らを招宴周─総理この席でジュネーブ協定調印は誤りだったと言明。
DIA-104-1972-06-17-1中国1972年06月17日1970年代北京でディミトロフ生誕90年書籍・写真展を開く。
DIA-104-1972-06-18-1中国1972年06月18日1970年代周総理,パリから帰国途中のレ・ドク・ト氏と会見。
DIA-104-1972-06-19-1中国1972年06月19日1970年代解放軍報社説,「民兵工作の“3堅実化”を一段と立派にやりとげよう」─民兵活動における組織,政治,軍事の方面の堅実化を各級党委員会,軍区の指導のもとに立派にやりとげるよう主張している。
DIA-104-1972-06-19-2中国1972年06月19日1970年代キッシンジャー米大統領補佐官訪中─23日まで滞在,周総理ほかと会談。
DIA-104-1972-06-19-3中国1972年06月19日1970年代シアヌーク殿下,イエン・サリ特使,ルーマニア,アルバニア,アルジェリア,モーリタニア,ユーゴスラヴィア訪問に出発。
DIA-104-1972-06-20-1中国1972年06月20日1970年代湖北省都城県,現地の資源を利用して「五小」工業を発展させる─1969年以来設立された県営の小型鉄鉱山16基,小型炭鉱12基,1971年は鉱石20万トン余り,銑鉄8,000トンを生産。41の人民公社,287の生産大隊,全部に農機具工場,穀物・綿加工工場,土法農薬工場あり。
DIA-104-1972-06-21-1中国1972年06月21日1970年代中国・ラオス,8年ぶりに大使交換に合意。
DIA-104-1972-06-21-2中国1972年06月21日1970年代中国男子バスケットボール代表団,アルジェリア,エジプト,スーダン,ソマリアへ友好訪問に出発。
DIA-104-1972-06-22-1中国1972年06月22日1970年代紅旗6号,鍾力成論文「農業,軽工業,重工業の関係を正しく処理した経験を総括する」─(参考資料参照)要旨は次のとおり。①農業,軽工業,重工業3者の間には労働力,資金,設備,材料の分配上矛盾する面が存在するが,また他方,互を条件とし,相互に促進し合う面を見なければならない。重工業の発展が軽工業,農業の発展を促し,またその逆向きの連鎖がある。②農業は商品食糧と工業原料を軽・重工業へ提供(農業の基礎作用),工業部門は農業機械化を加速し労働生産性を高めて,多角経営とその他の経済建設により多くの労働力を提供することができる(工業の主導作用)。③農業内部各業間(農・林・牧・副・漁)の比例関係と食糧作物と経済作物の間の比例関係,工業と農業の比例関係をそれぞれ正しくとって農業が軽工業の発展を促すように配慮すべきだ。④工業を発展させるのには現有企業の潜在力を十分発揮させるのと,基本建設の規模を拡大するのとの2つの方法がある。⑤労働力の分配の問題ではまず農業生産の第一線に十分な労働力を保証せよ。
DIA-104-1972-06-22-2中国1972年06月22日1970年代白相国対外貿易部長を団長とする貿易代表団がパキスタン訪問─23日,1972-73年貿易議定書に調印。
DIA-104-1972-06-22-3中国1972年06月22日1970年代ルワンダ共和国代表団が訪中─23日両国政府貿易協定に調印。両国は5月13日には最初の経済技術協力協定を結んだ。
DIA-104-1972-06-23-1中国1972年06月23日1970年代ナタネの増産─上海,江蘇,浙江,安徽,江西など主要産地11省の統計によれば今年の収穫は史上最高の1971年より2割近く増収。
DIA-104-1972-06-23-2中国1972年06月23日1970年代ソ連誌『極東の諸問題』2号,ジューコフ論文で北京が帝国主義の共鳴を呼ぶべく反ソ主義をとっていると非難。
DIA-104-1972-06-24-1中国1972年06月24日1970年代周総理,郭沫若,米籍中国人学者揚振寧博士と会見。
DIA-104-1972-06-25-1中国1972年06月25日1970年代人民日報社説,「侵略に反対する正義の事業は不敗である」─朝鮮祖国解放戦争22周年を記念して,という副題がついている。
DIA-104-1972-06-25-2中国1972年06月25日1970年代人民日報評論員,国府軍艦の訪日予定を論評─近く国府軍艦が2隻佐世保と呉を訪問するという防衛庁発表を非難し,「狂気の沙汰の挑発陰険な下心」と題する評論を行なった。かつて国府軍艦の訪日はなかった。
DIA-104-1972-06-26-1中国1972年06月26日1970年代副総参謀長に向仲華─26日の北京放送によると,中国訪問中のバンダラナイケ・スリランカ首相を歓迎して同夜,北京で文芸の夕べが催されたが,そのさい,周恩来首相らとともに向仲華氏が人民解放軍副総参謀長の肩書で出席した。 中国の新しい副総参謀長が明らかにされたのは,71年6月30日に判明した張才千氏以来のことである。
DIA-104-1972-06-26-2中国1972年06月26日1970年代人民日報,魏堅毅(中共山東省昌地区委副書記)論文「弁証法的唯物論を学習し,党の農村経済政策を正しく実行しよう」─当面の農村の経済政策の実行において主要な問題となるのは労働力を一率に調達する現象,分配上の平均主義,非生産的な支出の過多,多角経営の発展に対する様々の制限など「左」への偏向である。
DIA-104-1972-06-26-3中国1972年06月26日1970年代米,中国の抗議に対し,北爆にあたって国境以南40kmは爆撃しない方針を採用─米当局者は同時に中国・北ベトナム間に小パイプラインが施設されていることも明らかにした。(『ニューヨーク・タイムズ』)
DIA-104-1972-06-26-4中国1972年06月26日1970年代英人D.S.エドマンズ氏釈放され香港へ─上海育ちで文革中に軟禁された。
DIA-104-1972-06-26-5中国1972年06月26日1970年代中国旅客機,はじめて仏に飛来─チラナとオルリー空港を往復。
DIA-104-1972-06-27-1中国1972年06月27日1970年代米下院の指導者ボッグス夫妻,フォード夫妻が訪中─7月5日まで滞在し周総理らと会見。
DIA-104-1972-06-27-2中国1972年06月27日1970年代中国とガイアナが外交関係を樹立。
DIA-104-1972-06-27-3中国1972年06月27日1970年代ラオス愛国戦線党代表団が中国を訪問。
DIA-104-1972-06-28-1中国1972年06月28日1970年代毛主席,バンダラナイケ・スリランカ首相と会見─同首相は30日藩陽を訪問。
DIA-104-1972-06-28-2中国1972年06月28日1970年代人民日報評論員,「戦争エスカレーションも米帝のベトナムにおける失敗を救えない」─ハノイ市街区爆撃とタイの利用強化に警告。
DIA-104-1972-06-28-3中国1972年06月28日1970年代中国・北ベトナム,1972年度対ベトナム経済,軍事物資補充援助に関する協定に調印─軍事装備・物資は無償,一般物資は有償。
DIA-104-1972-06-28-4中国1972年06月28日1970年代中国体操チーム,ユーゴスラヴィア,ルーマニア,シリアの友好訪問に出発。
DIA-104-1972-06-29-1中国1972年06月29日1970年代雲南省の地方石炭工業─全省の82県が小炭鉱を経営,地方小型炭鉱の生産量は全省の原炭総産量の40%以上を含む。
DIA-104-1972-06-29-2中国1972年06月29日1970年代中国はすでにソ連のイリューシン62型長距離旅客機6機買入れ,さらに米ボーイング707を買入れる予定になっている─台北情報。
DIA-104-1972-07-01-1中国1972年07月01日1970年代中共創立記念日─今回は恒例の人民日報記念社説は発表されなかった。
DIA-104-1972-07-01-2中国1972年07月01日1970年代中国農業代表団,アルバニアとルーマニア訪問へ─8月5日帰国。
DIA-104-1972-07-01-3中国1972年07月01日1970年代肖向前・覚書事務所首席代表,赴任の為北京発。
DIA-104-1972-07-02-1中国1972年07月02日1970年代全国5種目球技運動会北京で閉幕。
DIA-104-1972-07-02-2中国1972年07月02日1970年代人民日報短評,「小鉱山の技術改造に力を入れよ」─小鉱山は技術改造を行なって機械化,半機械化をすすめて労働生産性を高めて農業の第一戦からの労働力の調達をさけるべきだ。
DIA-104-1972-07-03-1中国1972年07月03日1970年代中国政府・軍事代表団,アルジェリア訪問─独立10周年慶祝のため,9日まで。
DIA-104-1972-07-03-2中国1972年07月03日1970年代ジャマイカ貿易視察団訪中─8日まで。
DIA-104-1972-07-05-1中国1972年07月05日1970年代中国・スリランカ共同コミュニケ発表─上海で調印,同日スリランカ首相は帰国。中国は長期無利子借款の供与を約束。インド洋平和地域構想推進に合意。
DIA-104-1972-07-05-2中国1972年07月05日1970年代ラオス愛国戦線代表団,北京発帰国─6月27日北京訪問。
DIA-104-1972-07-05-3中国1972年07月05日1970年代米商務省,ボーイング社の中国向け輸出申請を承認─19日ダグラス社1機の見本輸出を許可。
DIA-104-1972-07-06-1中国1972年07月06日1970年代人民日報社説,「数年堅持すれば,必ず良いことがある」─中央の規定したマルクス・レーニン著作6冊と毛沢東選集5珊の指定文献について県,団党委以上の高中級幹部が率先して系統的に学習し自己の理論的水準を高めるよう主張している。
DIA-104-1972-07-06-2中国1972年07月06日1970年代王潤生中国代表,国連経済社会理総会で発展途上国の政治経済的独立の諸問題について見解を表明。
DIA-104-1972-07-07-1中国1972年07月07日1970年代周総理,耿らスアン・トイ代表と会見─8日同代表はパリへ向かう。
DIA-104-1972-07-07-2中国1972年07月07日1970年代田中新首相,日中正常化急ぐと発言─認証式後の初閣議で,田中新首相は日中正常化を急ぎたいと発言した。
DIA-104-1972-07-08-1中国1972年07月08日1970年代国防部,アノルバニア人民軍建軍29周年報告会を開く。
DIA-104-1972-07-08-2中国1972年07月08日1970年代中国卓球代表団,シンガポール,ニュージーランド,オーストラリアへ─8月7日まで。
DIA-104-1972-07-09-1中国1972年07月09日1970年代人民日報社説,「良い糸口」─7月4日の南北朝鮮共同声明を支持。
DIA-104-1972-07-09-2中国1972年07月09日1970年代イエメン人民民主共和国政府代表団が中国を訪問─17日共同コミュニケに調印。双方は経済技術協力協定に調印,同日帰国。
DIA-104-1972-07-09-3中国1972年07月09日1970年代周総理,田中内閣の対中姿勢を歓迎─7日成立した田中内閣が国交正常化に力を入れたいと声明していることを歓迎すると,9日夜,イエメン政府代表団の歓迎宴の挨拶で周総理は表明した。
DIA-104-1972-07-10-1中国1972年07月10日1970年代人民日報,中共河北省〓龍県委員会論文,「本を読んで学習し,正しく党の政策を貫徹執行する」─ある時,大衆の意識が高くなったから農村の基本政策を改変してよいと考え,正当な家庭副業を切りすてた。このような客観条件を顧みず政策を随意に改変するものは主観的唯心主義である。
DIA-104-1972-07-10-2中国1972年07月10日1970年代毛主席,仏シューマン外相と会見─6日北京着,11日北京発帰国の途に。
DIA-104-1972-07-10-3中国1972年07月10日1970年代中国,アフガニスタン新5カ年計画に4400万ドルを援助─議定書に調印。
DIA-104-1972-07-10-4中国1972年07月10日1970年代中国労働者代表団,ルーマニア訪問─7月26日まで。
DIA-104-1972-07-10-5中国1972年07月10日1970年代野党も復交で内閣支援─復交3原則を認めれば社会党も内閣支援:社会党成田委員長は前記のように述べたが,民社党春日委員長は12日,公明党竹入委員長も13日に各々同趣旨の見解表明を行なった。
DIA-104-1972-07-10-6中国1972年07月10日1970年代孫平化氏来日─前中国MT駐東京連絡所の責任者であった孫平化氏は,「中国上海舞劇団」団長として来日した。11日の記者会見で,古い友,新しい友,各界の人々と懇談したいと述べ,復交について,中国側に障害はないと述べた。
DIA-104-1972-07-11-1中国1972年07月11日1970年代王季範(第3期全人代大会代表)逝去。
DIA-104-1972-07-11-2中国1972年07月11日1970年代商業部,広州で廃旧物資回収利用経験交流会議を開催─24省市の統計によれば今年1~5月の間に回収した廃旧物資の総額は昨年同期比15.1%増。
DIA-104-1972-07-11-3中国1972年07月11日1970年代アルゼンチン農業省次長タカクス氏,北京を訪問─14日まで。
DIA-104-1972-07-11-4中国1972年07月11日1970年代中国卓球代表団,朝鮮訪問─8月5日まで。
DIA-104-1972-07-11-5中国1972年07月11日1970年代三菱重工も4条件同意─三菱グループの中枢,三菱重工は中国貿易に復帰するため日中貿易4条件受入れの文書を国貿促を通じて提出した。
DIA-104-1972-07-12-1中国1972年07月12日1970年代周総理ら,レ・ドク・ト代表と会見─同代表はパリへ赴く途中11日から13日まで北京に滞在。
DIA-104-1972-07-12-2中国1972年07月12日1970年代各界,肖向前首席代表の歓迎会開く─①日中国交回復促進議員連盟(12日)②日中総合貿易連絡協議会(19日)③日本社会党(22日)④東京都知事(24日)⑤東京財界人(26日)⑥民社党(28日)⑦藤山自民党議員(20日)⑧河野参議院議長(17日)
DIA-104-1972-07-13-1中国1972年07月13日1970年代姚文元,耿,朝鮮社会主義労働青年同盟代表団と会見。
DIA-104-1972-07-13-2中国1972年07月13日1970年代中国気象視察団,ジュネーブの世界気象機構を訪問─8月2日まで。
DIA-104-1972-07-14-1中国1972年07月14日1970年代外交部副部長に馬文波─14日の北京放送はクエート国会代表団の歓迎宴の出席者を発表した中で,馬文波氏を外交部副部長として紹介した。
DIA-104-1972-07-14-2中国1972年07月14日1970年代人民日報,中共湖南省湘郷県委員会論文,「政策をしっかりと根づかせ,大寨にりっぱに学ぶ」─ある公社が水道を修理建造する際に,利益を受けない大隊から無償で労働力を調達して協同作業をやらせたが,これは党の農村における等価交換,互助互利の政策を軽視するものである。隊と隊の間で協業をやる場合は受益の大小に応じて合理的に負担させるようにした。
DIA-104-1972-07-14-3中国1972年07月14日1970年代周総理,喬外交部副部長,アメリカ籍中国学者参観団,アメリカ籍中国学者訪問団の全員と会見。
DIA-104-1972-07-14-4中国1972年07月14日1970年代リー・シンガポール首相,中国卓球代表団を接見。
DIA-104-1972-07-14-5中国1972年07月14日1970年代クウェート国民議会代表団訪中─18日まで。
DIA-104-1972-07-16-1中国1972年07月16日1970年代イエメン・アラブ共和国政府代表団訪中─27日共同コミュニケに調印,帰国。この間新経済・技術協力協定に調印。
DIA-104-1972-07-16-2中国1972年07月16日1970年代『プラウダ』アレクサンドロフ論文,周総理を,米国がアジアで軍拡を続けるのを支持していると非難。
DIA-104-1972-07-16-3中国1972年07月16日1970年代アメリカ電子計算機専門家訪中─27日まで。
DIA-104-1972-07-16-4中国1972年07月16日1970年代佐々木社会党前委員長,周総理と会見─同氏は14日北京に着き20日に帰国した。周首相は,田中首相が北京を訪問することを歓迎すると表明,田中首相は佐々木氏に台湾問題を処理するとの決意を託していたといわれる。
DIA-104-1972-07-17-1中国1972年07月17日1970年代人民日報,中共湖南省衡陽地区委員会の「農業を発展させて工業を促進し,工業を発展させて農業を武装させた」報告─地方工業の発展をはかるに際し農業と労働力を争わないために次の按配を行なった。①工業部門内部で技術革新,非生産人員の減少,経営管理の改善などの措置をとって労働生産性を高め,工業部門の中で労働力を調達。②できるだけ都市住民を利用して工業を興す。③工業も農業もやり,農業を主とし農閑期に工業をやるという方法をとる。
DIA-104-1972-07-17-2中国1972年07月17日1970年代中国農業農民代表団来日─一行18人は日中農業農民交流協会の招きで来日した。団長は中士中国農林科学院副院長。この中には対日関係の陳抗氏も含まれている。
DIA-104-1972-07-18-1中国1972年07月18日1970年代人民日報,尚業文論文「農村商業部門の一つの重要任務」─①現在,農村副業総生産額は農業と副業総生産額のうちの約3分の1を占める。軽工業原料の70%は農業・副業・地方特産品からなっている。②副業生産を発展させることは,農業のために資金を蓄積し,工業に原料を提供し,大衆に生活必需品を提供し,輸出品の源泉を拡大する重大な問題である。③副業産品の大部分は商品であり,農村商業部門経営額の5分の2を占めている。④副業生産をりっぱに組織することは農村商業部門の重要な任務である。
DIA-104-1972-07-18-2中国1972年07月18日1970年代駐ソ中国大使,ミンスク,レニングラード,リガを旅行。
DIA-104-1972-07-18-3中国1972年07月18日1970年代イタリア共産党(ML)代表団北京着。
DIA-104-1972-07-19-1中国1972年07月19日1970年代人民日報,広東省江門甘蔗化工工場の企業管理を強化した調査報告─専業管理を強化するために,8つの職能的な「科」「室」を設立し,専業管理機構と大衆管理組織を結合。その際,職能的な「科」「室」の復活を「業務第一」だとする誤った思想を批判。
DIA-104-1972-07-19-2中国1972年07月19日1970年代周総理,シュレーダー西独外交委員長と会見─14日から28日にかけて訪中。
DIA-104-1972-07-19-3中国1972年07月19日1970年代中国バレーボール代表団,キューバ,ペルー,チリー,メキシコへ北京を発つ。
DIA-104-1972-07-20-1中国1972年07月20日1970年代人民日報社説,「正義の事業は不敗である」─ジュネーブ協定18周年にあたり7.14の北ベトナム主席アピールを支持。
DIA-104-1972-07-20-2中国1972年07月20日1970年代田中首相の内閣成立後初記者会見を人民日報報道─田中内閣の姿勢に好意ある報道。
DIA-104-1972-07-20-3中国1972年07月20日1970年代孫平化氏,首相との会談希望─日本政府筋が明らかにしたところによると,孫平化氏は国交を早く実現させるため首相との会談を強く希望していると発表した。
DIA-104-1972-07-21-1中国1972年07月21日1970年代国連海底委員会の中国代表,漁業問題について考え方を表明。
DIA-104-1972-07-21-2中国1972年07月21日1970年代朝鮮中央銀行,貿易銀行代表団訪中─8月9日まで。
DIA-104-1972-07-21-3中国1972年07月21日1970年代上海舞劇団の帰国は直行便で─政府は,来日中の上海舞劇団員200名の帰国に東京→上海直行便を出す予定であることを明らかにした。
DIA-104-1972-07-22-1中国1972年07月22日1970年代大平外相,孫平化,肖向前氏と会見─この会見で可能なかぎり速かな国交正常化を図るため,必要に応じ,外務省と中国側MT駐東京連絡所が直接連絡を取り合うこととした。
DIA-104-1972-07-23-1中国1972年07月23日1970年代人民日報,本溪鉄鋼公司の鉱山建設の経験の報告─「採鉱と掘削をともに力を入れ,掘削を先行する」方針を貫徹実行して,鉱石の自給を達成し,高炉利用系数,コークスの必要量,産品合格率などの経済技術指標で全国の最高水準に達した。
DIA-104-1972-07-23-2中国1972年07月23日1970年代中国バレーボール・チーム,キューバ,チリ,ペルー訪問に─9月14日まで。
DIA-104-1972-07-24-1中国1972年07月24日1970年代“文章は簡潔にせよ”─24日の人民日報は2編の簡潔で明確な文章のモデルを掲載し,編者の言葉として新聞紙上の多くの文章が誰も読まないような長すぎるものであることに対して苦情を述べ,毛主席の“党八股に反対する”という教えに基づいて,文章をできるだけ短く書くようにすることを呼びかけている。
DIA-104-1972-07-24-2中国1972年07月24日1970年代中国,コンコルド2機の仮購入契約結ぶ─76年末ごろ引渡しの予定。
DIA-104-1972-07-24-3中国1972年07月24日1970年代国連海底委員会中国代表,海峡通航問題について意見を表明。
DIA-104-1972-07-24-4中国1972年07月24日1970年代中国紅十字会がフィリピンの水害被災地区人民に人民券100万元相当の物資を寄贈。
DIA-104-1972-07-25-1中国1972年07月25日1970年代中国,対ソ国防戦略転換か─25日付けの『ニューヨーク・タイムズ』は,米政府当局者の見解として,中国が戦術核兵器の生産に力を入れ,中ソ国境に第一線部隊を配置しているなど,対ソ戦略を展開しつつあるとの見方を伝えている。同紙によると,国防総省筋など関係者は,これを中ソ国境でのソ連側の大規模な戦力強化によって,中国が軍事的,外交的戦略の根本的変更を迫られた結果とみている(共同読売26日)。
DIA-104-1972-07-25-2中国1972年07月25日1970年代人民日報評論員,「アメリカ侵略者の野蛮な行為を制止しよう」─北ベトナムの堤防と水利施設への爆撃を非難。
DIA-104-1972-07-25-3中国1972年07月25日1970年代ギニア(ビサウ)・カボベルデ・アフリカ独立党代表団訪中─8月11日まで。
DIA-104-1972-07-25-4中国1972年07月25日1970年代アフガニスタンに病院を無償援助─カブールで調印。
DIA-104-1972-07-26-1中国1972年07月26日1970年代マリ国防・内務・保安相北京着─8月1日まで訪中。
DIA-104-1972-07-26-2中国1972年07月26日1970年代中国・アフガニスタン民間航空輸送協定調印─カブールにて。
DIA-104-1972-07-27-1中国1972年07月27日1970年代国連社会経済理事会代表,チベットとマカオに「難民」問題は存在しないと主張。
DIA-104-1972-07-27-2中国1972年07月27日1970年代竹入公明党委員長,周総理と会見─25日訪中した一行は,27,29日の2回会見した。30日に北京を発って帰国した。
DIA-104-1972-07-28-1中国1972年07月28日1970年代中国当局,林彪の死亡を確認─27日,北京のAFP通信の特派員の報道によると,信頼すべき情報として毛主席は最近,スリランカのパンダラナイケ首相とフランスのシューマン外相と会見したさい,彼等に林彪副主席が死亡したという事実を明らかにしたという。 林彪に関する事実について28日,王海容外務次官補によって,さらにロンドン,パリ,アルジェ等の各国の中国大使館によって,それぞれ公式に確認された。 北京駐在の日本各紙の特派員の報道によると,林彪死亡に至る経過は次のとおり。 ・文革中,極左派と結びついた林彪は党や機関の幹部を排斥し,自分に親しい者を集め派閥をつくった。同時に毛主席を意識的にまつり上げ,それを利用して自己の権威を高め党の権力を奪おうとした。 ・党第9期2中全会(70年8月23日~9月6日)において,新国家憲法の討議がおこなわれたさい,黄永勝総参謀長,呉法憲副総参謀長兼空軍司令員,李作鵬副総参謀長兼海軍司令員,邱会作副総参謀長兼総后勤部長ら林彪派は陳伯達(党常務委員)と李雪峰(河北省革命委主任)を先頭にたてて,国家主席のポストを林彪副主席の兼任とするよう要求した。 ・これに対して毛主席と周恩来総理は反対し,国家主席のポストを空席にすべきであり,主席と名のつく地位は党主席に限るべきだと主張した。 ・毛主席は同会議のなかで,陳伯達の文革中の極左路線を厳しく批判し,全党に陳伯達への批判と“批修整風運動”の展開をよびかけたが,林彪はこれに反対した。 ・2中全会後,毛主席は軍の総政治部主任に南京軍区の李徳生を登用,さらに70年12月に河北省で開かれた北戴河会議で北京軍区の改組と鄭維山司令員(林彪直系)の解任を決定した。 ・71年2月から,中央での形勢不利とみた林彪は北戴河に病気と偽って引きこもる一方,林彪の実子林立果が中心となって「571計画紀要」という毛主席暗殺のクーデタ計画をたてた。 ・林立果らは71年9月13日,毛主席が南方視察を終え上海から北京へ特別列車で帰る時をねらい,同列車の爆破をたくらんだ。しかし林彪の娘林豆豆が周総理に密告したためこの計画は失敗した。 ・計画の失敗を知った林彪は北戴河の近くの山海関飛行場にトライゲント機を呼びよせ,妻の葉群,林立果らとともにソ連への脱出をはかったが,操縦士のミスによって同機は外モンゴルに墜落し全員死亡した。 ・クーデター計画に名をつらねた黄永勝,呉法憲,李作鵬,邱会作らは林彪の逃亡判明後,逮捕された。
DIA-104-1972-07-28-2中国1972年07月28日1970年代輸銀使用を閣議で了承─対中プラント輸出に輸銀資金を使用する問題は26日に中曽根通産相が認可の方針を示していたが,改めて閣議で了承した。
DIA-104-1972-07-29-1中国1972年07月29日1970年代シアヌーク殿下,5カ国訪問を終え北京着。
DIA-104-1972-07-30-1中国1972年07月30日1970年代中国とエチオピアの民間航空輸送協定に調印。
DIA-104-1972-07-30-2中国1972年07月30日1970年代新華社と米AP社がニュースと写真の交換協定を結ぶ─8月27日,UPI社と同契約を結ぶ。
DIA-104-1972-07-30-3中国1972年07月30日1970年代董代理国家主席,ブータン前国王の逝去に弔電。
DIA-104-1972-07-30-4中国1972年07月30日1970年代中国卓球代表団,チュニジア,ナイジェリア,モロッコを訪問して帰国─6月17日から。
DIA-104-1972-07-31-1中国1972年07月31日1970年代長沙市郊外で2100年前の漢墓を発掘─31日の人民日報によると,2100年余り前の西漢初期の墳墓がこのほど湖南省長沙市郊外の馬王堆から出土した。この古墓には婦人の遺骸1体,棺,副葬品などがおさめてあったが,いずれも完全な状態で保存されており,中国の考古学発掘作業上きわめて稀れにみる重要な発見であるという。
DIA-104-1972-07-31-2中国1972年07月31日1970年代国防部,建軍45周年祝賀宴会を開く─中国訪問中の各国政治家,文化人および在北京の各国外交官が招かれた。席上,葉剣英政治局委員,中央軍事委員会副主席が演説を行なった。31日の新華社は出席者全員を肩書をつけ発表したが,そのなかで,文革中から失脚をつたえられていた陳雲が再び国務院副総理の肩書で登場した他,蘇振華(元海軍政治委員),楊勇(元北京軍区司令員),陳再道(元武漢軍区司令員),李達(元国防部副部長),廖漢生(元北京軍区第一政治委),曽漢周(元最高人民法院副院長),呉冷西(元新華社社長)ら各氏が失脚をつたえられたにもかかわらず再登場したことが注目された。
DIA-104-1972-07-31-3中国1972年07月31日1970年代国連安保理でナミビア問題のアルゼンチン案に中国は投票不参加。
DIA-104-1972-07-31-4中国1972年07月31日1970年代7月中の各訪中団─①日本婦人代表団(北京着6月29日),②男女バレーボール代表団(15日北京着),③西沢東北大教授(12日北京着),④日中国交回復国民会議東北4県訪中団(12日北京着),⑤総評・中立労連活動家代表団(20日北京着),⑥関東,関西,及び日中学生友好会の3学生訪中団訪中(22日,25日北京着)。
DIA-104-1972-08-01-1中国1972年08月01日1970年代3紙誌共同社説,「光栄ある伝統を発揚しよう─中国人民解放軍創立45周年を記念して」─要旨は次のとおり。 ・党の第9期第2回総会以来,人民解放軍は思想と政治路線の面での教育を繰り広げ,非常に大きな成果を収めた。広範な指揮員・戦闘員は,毛主席の提出した「マルクス主義をやるのであって,修正主義はやらないこと,団結するのであって,分裂してはならないこと,公明正大であって,陰謀・術策をめぐらしてはならないこと」という3つの基本原則を武器として,劉少奇の類のペテン師を深く批判し人民軍隊の政治的自覚を高めた。幹部と戦士の間では,まじめに本を読んで学習することが気風となっている。将兵の関係,軍民の関係は一段と親密になっている。大衆的な軍事訓練の高まりがいま盛り上がっている。われわれの軍隊は政治的にも,軍事的にも新たに強化された。 ・45年の歴史が立証しているように,中国人民解放軍は党に忠誠であり,人民に忠誠であり,栄えある革命の伝統を持っている。どのよう野心家,陰謀家が中国人民解放軍を破壊しようとしても,それは白昼の夢にすぎない。 ・毛主席は,「思想面,政治面での路線が正しいかどうかがすべてを決定する」と指摘している。党の路線が正しければすべてをもつことができる。われわれの軍隊は,党内の2つの路線の闘争の中で成長してきた。中国人民と人民解放軍の勝利は,毛主席のプロレタリア革命路線の勝利である。人民解放軍の全指揮員・戦闘員は,引続きマルクス主義・レーニン主義・毛沢東思想の学習に努め,党の路線の学習に努め,着実に当面の修正主義批判と整風をりっぱに行ない,一層自覚的に毛主席の革命路線を貫き,守り,革命の伝統を発揚し,一層大きな栄光をかちとるようにしなければならない。 ・わが軍は一貫して,軍隊と人民の関係,軍隊と政府の関係,将校と兵士の関係,軍事活動と政治活動の関係,幹部の相互関係では,いずれも正しい原則を守り,3大規律・8項注意を実行し,謙虚で,慎重で,おごりをいましめ,あせりをいましめ,これらに依拠し栄えある勝利を収めてきたのである。全党,全軍,全国人民は,この伝統を発揚しなければならない。毛主席の教えに基づいて,「全国は人民解放軍に学び,解放軍は全国人民に学び」,政府を擁護し人民を愛護する,軍隊を擁護し人民を愛護する,というようにしなければならない。われわれの国はまだ発展途上にある国で,経済はかなり立ち遅れており,わが国を一段と富み栄えた国に築くには,何十年もの刻苦奮闘が必要である。われわれはまた,自己の国際主義の義務を引続き担い,人類により大きな貢献をするようつとめなければならない。
DIA-104-1972-08-01-2中国1972年08月01日1970年代外交部の機構改革と新人事─中国外交部は1日付で北京駐在各国公館に対し外交部の新機構及び新人事を通告した。 ・アメリカ・太平洋司(文革以後,西欧・アメリカ・澳州司と併合されていたものが新たに西欧司と切り放され独立。副司長は陳徳和,呉凡吾)。 ・アジア司司長に陳維釗,副司長と王暁雲(中日友好協会副秘書長)がそれぞれ新任。 ・西アジア・北アフリカ司,アフリカ司(従来の西アジア・アフリカ司を分割。アフリカ司長には何功楷)。 ・国際条約法律司の新設,司長は安致遠。 ・礼賓司司長に韓叙が新任。 ・新聞司司長に彭華が新任。
DIA-104-1972-08-01-3中国1972年08月01日1970年代白対外貿易部長を団長とする政府貿易代表団がペルー,チリ,カナダへ出発─29日帰国。ペルーと貿易協定結ぶ。
DIA-104-1972-08-02-1中国1972年08月02日1970年代人民日報社説,「正義の立場,合理的主張」─中国,国連朝鮮統一問題に関するアルジェリアなど13カ国案を支持,提案国に参加。
DIA-104-1972-08-02-2中国1972年08月02日1970年代中国紅十字会,ネパールに50万人分の四混ワクチンを送る。
DIA-104-1972-08-03-1中国1972年08月03日1970年代楊沫女史が復活─文革後の中国で,批判された作家が復活したのは謝冰心女史に続いて,楊沫女史が2人目である(共同,日経4日)。
DIA-104-1972-08-03-2中国1972年08月03日1970年代人民日報,天津市教育局委員会論文,「党委は教学領域の革命に対する指導を強めよ」─かつて“政治だけを言っていれば安全である”という風潮の中で,政治教育のみに力を入れ基礎知識,科学知識教育を軽視し,過去の文化遺産を一律に排斥し,また教師の役割を低く見る傾向があったことを批判している。
DIA-104-1972-08-03-3中国1972年08月03日1970年代人民日報,「農業の第一線に十分な労働力を保証する」河北省康保県曙光公社の労働力管理を強化する調査への<編者の言葉>─農業の機械化の水準のまだ高くない我国の状況の下では,農業の発展を保証するには農業生産の第一線に十分な労働力を保証しなければならない。工業建設やその他の事業をするに際しても,この基本状況を考慮して農村の労働力を過度に調達すべきではない。
DIA-104-1972-08-03-4中国1972年08月03日1970年代中国,田中首相を正式に招請─大平外相は,去る7月22日孫平化氏と会見した際,中国が正式に首相を招請した事を明らかにした。
DIA-104-1972-08-03-5中国1972年08月03日1970年代日中問題で政府基本見解表明─政府は文書で,国交正常化実現の際,台湾との外交関係は消滅するとの見解を表明した。
DIA-104-1972-08-04-1中国1972年08月04日1970年代人民日報・中共江蘇省准陽地区委員会論文「左右の妨害を排除して闘争の中を前進しよう」─党の農村経済政策の執行のさい左右に動揺した原因は3つあり,幹部が学習不足で路線と政策の関係を明確にしていなかったこと,幹部の政策観念が弱く私心雑念にまどわされて感情によって政策を代替していたこと,一にぎりの階級敵が党の政策を破壊したことである。
DIA-104-1972-08-04-2中国1972年08月04日1970年代中国の人口は6億9726万人か─最近北京で発行された地図に記載されている省別人口統計を総計すると6億9726万人になる。(AFP通信)
DIA-104-1972-08-04-3中国1972年08月04日1970年代人民日報社説,「ベトナム人民の新しい勝利に熱烈な歓呼をおくる」─3月末いらい4カ月の南ベトナム解放勢力の戦果をたたえる。
DIA-104-1972-08-05-1中国1972年08月05日1970年代日航・全日空社長の訪中決定─両社長は,今月中旬帰国する上海舞劇団のチャーター機に同乗して訪中することが決定した。
DIA-104-1972-08-06-1中国1972年08月06日1970年代ラオス愛国戦線党代表団訪中─14日まで。
DIA-104-1972-08-08-1中国1972年08月08日1970年代紅旗8号,紀平論文,「社会主義時期の階級闘争の法則を掌握しよう」─要旨は次のとおり。 ・20数年来,我国のプロレタリア独裁を固める闘争の実践から,毛主席の「階級敵は必ず機会があれば飛び出してくる」という論断の正しさを証明している。高崗から劉少奇の類のペテン師まで全て自ら飛び出し党に攻撃をかけてきた。しかし結局彼等は滅亡の運命を免れることはできなかった。 ・党内における修正主義の発生には国際的な背景をもつと同じように,劉少奇の類のペテン師の反党陰謀は決して孤立した現象ではなく国際的な背景をもつ。批修整風運動の偉大な勝利は社会帝国主義に対する一つの重大な打撃である。 ・社会主義時期のプロレタリア階級とブルジョア階級の2つの階級の闘争は次のような法則をもつ。つまり社会主義の各段階ではこの闘争が相対的に静止している状態と著しく変動している状態という2つの状態をもち,静止─変動─静止─変動という波浪型の発展を通じて次の新しい社会主義段階が形成される。こうした情況は時間の上では数年毎に大闘争がくり返されるということを意味している。 ・従って平穏な日常においても絶対に階級闘争を忘れてはならず,階級敵に対する警戒心をゆるめてはいけない。
DIA-104-1972-08-08-2中国1972年08月08日1970年代上海サッカーチーム来日─上海市ジュニア・サッカーチームは,飛鳥田横浜市長と日中文化交流協会の招きで来日した。
DIA-104-1972-08-09-1中国1972年08月09日1970年代中国・モーリシャス経済技術協力協定に調印─モーリシャスで。
DIA-104-1972-08-09-2中国1972年08月09日1970年代自民党,田中訪中を決議─自民党の日中国交正常化協議会は,①日中国交を正常化する,②田中首相はこのため訪中するの2点を決議した。
DIA-104-1972-08-10-1中国1972年08月10日1970年代シアヌーク殿下山東省を公式訪問─19日まで。
DIA-104-1972-08-10-2中国1972年08月10日1970年代国連安保理の中国代表,バングラデシュの国連加盟問題の審議に反対。
DIA-104-1972-08-10-3中国1972年08月10日1970年代米急進政治経済学者代表団訪中─24日まで。
DIA-104-1972-08-10-4中国1972年08月10日1970年代自民党,首相訪中前に訪中団派遣─日中国交正常化協議会は首相訪中前に党としての代表団を派遣す る意向を固めた。
DIA-104-1972-08-11-1中国1972年08月11日1970年代ワルトハイム国連事務総長訪中─15日まで。
DIA-104-1972-08-11-2中国1972年08月11日1970年代中国男子バスケットボールチーム,アルジェリア,エジプト・スーダン,ソマリア訪問完了─6月22日から。
DIA-104-1972-08-11-3中国1972年08月11日1970年代米国務長官,日中関係について発言─ロジャース米国務長官は日中関係の改善は米日間にまさつを生むものではないと語った。
DIA-104-1972-08-12-1中国1972年08月12日1970年代カメルーン連邦共和国政府代表団北京着─17日,経済・技術協力協定,貿易協定に調印。
DIA-104-1972-08-12-2中国1972年08月12日1970年代ナイジェリア連邦政府経済貿易代表団北京着─22日帰国。
DIA-104-1972-08-12-3中国1972年08月12日1970年代人民日報,田中訪中を報道─大平外相は11日孫平化氏と会見し田中首相は,日中国交正常化のため訪中することを決定した旨報道した。
DIA-104-1972-08-12-4中国1972年08月12日1970年代日中空路テスト飛行─全日空と日航の東京─上海間の往復テスト飛行が行なわれた。このテストには中国民用航空総局の6名の専門家も羽田から同乗した。
DIA-104-1972-08-13-1中国1972年08月13日1970年代人民日報,鉱山開発について公治平短評「古参労働者の骨幹的役割を発揮させよ」─ある企業の生産秩序がまだ良くならず,産品の品質が高くならない一つの重要な原因は古参労働者に十分依拠していないからだ。当面の批修整風運動の中で劉少奇のたぐいのペテン師のふりまいた古参労働者の役割を否定する風潮を批判し,彼等に十分な発言権を与え,彼等の思想作風と技術操作をも学ばなければならない。
DIA-104-1972-08-13-2中国1972年08月13日1970年代人民日報社説,「ベトナム人民の鉄の意志をゆるがすことはできない」─米の堤防,水利,住民密集区に対する北爆に抗議した北ベトナム8・8声明を支持。
DIA-104-1972-08-13-3中国1972年08月13日1970年代姫外相,田中訪中を歓迎─人民日報によると,姫外相は権限を授けられて,国交回復のため田中首相が訪中することを歓迎すると発表した。
DIA-104-1972-08-15-1中国1972年08月15日1970年代紅旗8号,沈鈞論文,「毛主席の戦略思想の偉大な勝利─“遼瀋戦役の作戦について”を学習しよう」─要旨は次のとおり。 ・“劉少奇のたぐいのペテン師”は,中国人民解放戦争の中で決定的な意義を持つ3つの最も大きな戦役の最初の1つであった遼瀋戦役(1948年9月12日~11月2日)で,右翼日和見主義路線をとろうとし,また彼等は長春攻撃を“提案”し,錦州攻略という毛主席の既定方針を変更しようとたくらんだ。 ・劉少奇のたぐいのペテン師は遼瀋戦役の中で,敵の力を過大に,人民の力を過小に評価して,戦略的決戦の時機がすでに到来していることを見てとることができず,国民党反動派を短時間に根本から打倒する可能性を見てとることができなかった。 ・遼瀋戦役には準備から収束にいたる全過程に2つの軍事思想,2つの軍事路線の激烈な闘争が存在し,遼瀋戦役の勝利は毛主席の戦略思想の勝利であり,右翼日和見主義軍事路線に対する毛主席のプロレタリア軍事路線の勝利である。
DIA-104-1972-08-15-2中国1972年08月15日1970年代人民日報評論員,「反帝・反植民地主義闘争における団結」─非同盟諸国外相会議の成果を称賛。
DIA-104-1972-08-15-3中国1972年08月15日1970年代カナダ外相訪中─21日北京でカナダ貿易展が開幕,16日トロントで白相国対外貿易部長がカナダ全国展中国館の開幕式に出席。
DIA-104-1972-08-15-4中国1972年08月15日1970年代田中首相・孫平化氏と会見─首相は帝国ホテルで上海舞劇団の孫平化団長及び中国側MT駐東京連絡所肖向前首席代表と会見した。
DIA-104-1972-08-16-1中国1972年08月16日1970年代中国とモンゴル,1952年の経済・文化協力協定有効期間延長文書を交換─ウランバートルで。
DIA-104-1972-08-16-2中国1972年08月16日1970年代日航,全日空,上海へ直行─中国上海舞劇団一行を乗せた日航,全日空の両機は,2時間半前後で上海に着いた。上海空港には数千名の出迎えがあった。
DIA-104-1972-08-17-1中国1972年08月17日1970年代毛語録に日中友好の言葉─人民日報1面右肩に毎日掲載されている「毛主席語録」の欄に「日本人民と中国人民は良き友人である」との言葉がのせられた。
DIA-104-1972-08-18-1中国1972年08月18日1970年代周総理,レ・ドク・ト氏と会見─パリから帰国途次。
DIA-104-1972-08-20-1中国1972年08月20日1970年代廖承志,林彪死亡を確認─廖中日友好協会会長は8日に社会党の黒田寿男氏に対し,また20日に中島健蔵氏に対し,それぞれ林彪が毛主席に反対する路線をとったことおよび彼が飛行機墜落によって死亡したことを確認した。
DIA-104-1972-08-20-2中国1972年08月20日1970年代タンザニア友好代表団訪中─25日まで。
DIA-104-1972-08-20-3中国1972年08月20日1970年代通産相年内に訪中と語る─中曽根通産相は,首相の了解もあり,年内に大型の経済使節団を引率して訪中したいと語った。
DIA-104-1972-08-21-1中国1972年08月21日1970年代カナダ貿易展,北京で開幕。
DIA-104-1972-08-22-1中国1972年08月22日1970年代人民日報,河北省石家庄地区欒城県の農業は大寨に学ぶ運動についての短評─欒城県は1965年より69年までムー平均の食糧生産の平均成長率はわずか3.3%であったのが1970年には一躍33%以上伸びた。この変化は幹部と大衆の積極性を十分発揮させたことにあり,それは党の幹部政策と経済政策をしっかりと実施することである。
DIA-104-1972-08-22-2中国1972年08月22日1970年代毛沢東・董必武,周恩来連名でルーマニア解放28周年に祝電を送る。
DIA-104-1972-08-23-1中国1972年08月23日1970年代早稲の豊収─主要産区の四川,安徽,雲南,貴州などの省は昨年より1割以上増収。広東,広西,湖南,浙江,江蘇,上海,福建などの省・市・自治区は昨年より増。
DIA-104-1972-08-23-2中国1972年08月23日1970年代チュニジア政府代表団が訪中─27日経済・技術協力協定に調印。
DIA-104-1972-08-24-1中国1972年08月24日1970年代人民日報“外国語教育に力を入れよ”─のキャンペーン。
DIA-104-1972-08-24-2中国1972年08月24日1970年代人民日報,生産隊の自主権を尊重し,その積極性を発揮させるよう呼びかけ─生産隊は経営管理と生産の組織化にあたって十分な自主権を持たねばならず,生産大隊や人民公社が生産隊の労力を無償で調達して副業隊を編成することは「三級所有,生産隊を基礎とする」政策に違反するものである。公社,大隊からの「一刀切」,一律化をやってはならない。
DIA-104-1972-08-24-3中国1972年08月24日1970年代中国外交部声明,中国船爆撃に抗議─米機が22日,北ベトナム,ゲアン省ホングー島付近で中国商船「紅旗51号」の救命艇に爆撃をくわえ船員5名を爆死させたことに抗議。さらに27日外交部新聞司スポークスマンは25日の米軍司令部の言いのがれに反論した。
DIA-104-1972-08-25-1中国1972年08月25日1970年代国連安保理事会でバングラデシュ加盟に対し中国がはじめての拒否権行使─人民日報社説「原則を堅持し,正義を発揚する」(28日)参照。
DIA-104-1972-08-25-2中国1972年08月25日1970年代人民日報評論員,「正義の事業の強大な力」─ローデシアがIDCから追放されたことを支持。
DIA-104-1972-08-26-1中国1972年08月26日1970年代夏季穀物とナタネの買上げ計画を超額達成─国家へ売った穀物,ナタネの数量いずれも去年より増加。
DIA-104-1972-08-26-2中国1972年08月26日1970年代パレスチナ労働者総同盟代表団訪中。
DIA-104-1972-08-26-3中国1972年08月26日1970年代首相,日中平和友好条約が必要と語る─首相はテレビで,日中間に「平和・友好条約」が必要だと語った。日台条約との関係で「平和条約」なのか「友好条約」なのか,戦争終結問題について不明なままである。
DIA-104-1972-08-27-1中国1972年08月27日1970年代アジア卓連,台湾省チームを招くことで合意─アジア卓球連合(ATTU,川上理三会長)は27日,北京で執行委員会を開き,「台湾が中華人民共和国台湾省チームの名でアジア卓球連合の催しに参加するなら歓迎する」ことで合意した。 北京からの報道によると,この提案はアジア卓球連合名誉秘書長の宋中氏(中華全国体育総会秘書長)からなされたもの。台湾チームは9月2日から北京で開かれる第1回アジア卓球選手権大会に招待されることになるものとみられる。
DIA-104-1972-08-28-1中国1972年08月28日1970年代人民日報,雲文論文「認識を高め,企業管理を強化する」─合理的管理制度は社会主義経済発展の客観法則を反映するものであって,それを強化するか否かは,経済領域中の唯物論を堅持するか,唯心論をやるかの大問題である。
DIA-104-1972-08-28-2中国1972年08月28日1970年代喬冠華外交部副部長パキスタンを訪問─30日まで。
DIA-104-1972-08-28-3中国1972年08月28日1970年代中国,最近3機目のコンコルド購入の協定に調印。
DIA-104-1972-08-29-1中国1972年08月29日1970年代人民日報,「山区の商業活動を強化して山区経済の発展を促す」キャンペーンへの<付言>─運送用自動車の増加が必要,現在少なからぬ地区で,山区の農副産品の買付けは容易だが輸送が困難だという状況が現われている。
DIA-104-1972-08-29-2中国1972年08月29日1970年代人民日報,吉科文論文「綜合利用は科学実験を大いにやらなければならない」─「三廃」の危害を取除くことはプロレタリア独裁を強固にし,子孫後代のために幸福をつくる百年の大計である。
DIA-104-1972-08-29-3中国1972年08月29日1970年代中国掃海艇,1週間ほど前封鎖をこえてハイフォン港に入港。
DIA-104-1972-08-29-4中国1972年08月29日1970年代中国政府代表団,スエーデン,ノールウェー,フィンランド訪問─9月22日まで。
DIA-104-1972-08-30-1中国1972年08月30日1970年代遼寧省,軽工業の発展に力を入れて日用品を増産─「重工業,軽工業を同時に発展させる」方針により軽工業品の品種は数千種に増加。そのうち500種余りは過去に生産できなかったもの。
DIA-104-1972-08-30-2中国1972年08月30日1970年代周・稲山訪中団会見─日本経済人訪中団(稲山新日鉄社長が団長)は人民大会堂で周首相と会談した。周首相は,自力更生ということと外国の協力を得ることは矛盾しない,日本の発展は外国の技術導入によるところが大きく,中国も日本の経験を生かしたい。中国は常に2本の足で歩く,大手とも中小とも,古い友人とも新しい友人とも交流を深めたいなどと語った。
DIA-104-1972-08-30-3中国1972年08月30日1970年代8月中の各訪中団体─①川崎秀二自民党議員(17日北京着),②黒田寿男日中友協(正)会長ら社会党議(1日北京着),③中嶋日中文化交流協会理事長ら(18日北京着),④名古屋地区経済界訪中代表団(3日北京着),⑤望月優子,女優,社会党議員ら(1日北京着),⑥日本民族民主教育学習第2次訪中団(上旬),⑦日本夜間高校学生友好訪中団(上旬),⑧萩原国貿促専務理事ら(14日北京着),⑨日航,全日空訪中団(18日北京着),⑩大久保日中覚書貿易常務理事(17日北京着),⑪三菱グループ(17日北京着),⑫日本経済新聞社社長(中旬),⑬日本少年卓球代表団関係者(17日北京着),⑭日本経済界訪中団(23日北京着),⑮日中友協(正)学生訪中団(上旬)。
DIA-104-1972-09-01-1中国1972年09月01日1970年代人民日報社説,「英雄的なベトナム人民はかならず勝利する」─ベトナム独立記念日を祝って発表されたもの。同日,毛沢東,董必武,朱徳,周恩来連名の祝電を北ベトナムの指導者に送った。
DIA-104-1972-09-01-2中国1972年09月01日1970年代中国銀行が円勘定開設─中国銀行は8月31日から中国銀行に円勘定開設を認める措置をとった。表示されたレートは次の通り。10万円当り買値732.48人民元,売値739.84人民元。
DIA-104-1972-09-02-1中国1972年09月02日1970年代第1回アジア卓球選手権大会北京で開幕─31の国家と地域から参加,13日アジア卓連第1回総会コミュニケを発表。
DIA-104-1972-09-02-2中国1972年09月02日1970年代田中訪中先遣隊,姫外相と会見─橋本外務省アジア局中国課長ら首相訪中準備のための先遣隊は,姫外相と会見した。
DIA-104-1972-09-02-3中国1972年09月02日1970年代横浜で日中船員交歓─横浜に停泊中の2隻の中国船上で,日本船の中国就航20周年,中国船の日本就航8周年を祝う交歓宴会が催された。
DIA-104-1972-09-03-1中国1972年09月03日1970年代外相日中正常化と日米関係で発言─ハワイでの日米首脳会談から,総理とともに帰国した外相は,日中国交について日米側に問題はない旨の発言をした。
DIA-104-1972-09-04-1中国1972年09月04日1970年代人民日報,洪橋論文「農民との関係を正しく処理して農村商業工作をりっぱにやろう」輸出品の70%以上を農業副業産品とその加工品が占める。農村集市は人民公社員が少量の自留地と正当な家庭副業を保留する情況の下では農民間に有無を互いに通じ合い,余っているものと欠けているものとを調整し合う場所であり,社会主義商業の必要な補充である。
DIA-104-1972-09-04-2中国1972年09月04日1970年代周総理,米大統領選挙前後のベトナム停戦を予想─大統領選の1,2カ月後に終らなければさらに4年間戦争が続く,と言明。シアヌーク殿下談。
DIA-104-1972-09-04-3中国1972年09月04日1970年代中国民間航空代表団トルコ訪問─19日まで。この間に民間航空協定締結。
DIA-104-1972-09-04-4中国1972年09月04日1970年代日米共同声明を人民日報報道─第6面右肩に簡単に報道された。
DIA-104-1972-09-04-5中国1972年09月04日1970年代中国の貿易原則─先月訪中した古賀三菱重工社長は,劉希文中国国貿促幹部との会見で,①中国は貿易は弾力的に拡大するが大量消費財の商品市場にはならない,②中国は資源供給国にならないし,資源の収奪は許さない,③中国は外国資本の投下を許さないし,中国も外国に資本進出はしない,④決済について恩恵的な条件は受けないとの態度表明のあったことを明らかにした。
DIA-104-1972-09-05-1中国1972年09月05日1970年代何香凝(全人代常務委員会副委員長,国民党革命委員会主席,中華全国婦女連合会名誉主席)の盛大な追悼式,党・政府主脳が参列。
DIA-104-1972-09-05-2中国1972年09月05日1970年代周総理,カンチャナワット・タイ卓球代表団顧問と会見。
DIA-104-1972-09-06-1中国1972年09月06日1970年代人民日報,「編者の言葉」─基本建設は名実ともに「百年の大計」であり,とくに「品質第一」の思想をかたく打ちたてよ。
DIA-104-1972-09-06-2中国1972年09月06日1970年代ギニア人民軍総参謀長訪中─11月6日まで。
DIA-104-1972-09-07-1中国1972年09月07日1970年代中国バドミントン代表団スリランカ訪問─25日まで。
DIA-104-1972-09-08-1中国1972年09月08日1970年代中国,IRBM配備─英国の国際戦略研究所は3日,年次報告書を発表し,中国がこの1年に核軍備部門で質量とも目ざましい発展をみせ,ミサイル運搬手段として中距離爆撃機TU16を約100機配備したほか,ミサイル部門でも,すでに中距離弾道弾(IRBM)15ないし20基と,準中距離弾道弾(MRBM)20ないし30基を実戦配備したことはまず間違いないと指摘,さらに大陸間弾道弾(ICBM)をインド洋または太平洋で初めて実験する日も間近に迫っているとの観測を掲げた(朝日9日)。
DIA-104-1972-09-08-2中国1972年09月08日1970年代周総理,レ・ドク・ト氏と会見。
DIA-104-1972-09-08-3中国1972年09月08日1970年代ガーナ政府貿易友好代表団訪中─14日長期貿易支払協定及び経済技術協力協定に調印。
DIA-104-1972-09-09-1中国1972年09月09日1970年代広東省の小型セメント工業─全省の107の県のうち91の県が129の小型セメント工場とセメント生産場を持つ。1~7月のセメント生産量は全省セメント総産量の74%を占める。
DIA-104-1972-09-09-2中国1972年09月09日1970年代人民日報社説,「朝鮮人民の輝かしい祝日」─建国記念日を祝賀。8日毛沢東,董必武,朱徳,周恩来が連名で北朝鮮に祝電を送った。
DIA-104-1972-09-09-3中国1972年09月09日1970年代中国ボーイング707型機10機とその部品購入を契約─1億2500万ドルのドル現金決済,73年夏から引渡し次年春完了。
DIA-104-1972-09-09-4中国1972年09月09日1970年代日共「日中」で政府支持─宮本書記長は党本部で記者会見し「田中内閣が“一つの中国”の立場で日中国交回復をするならば,共産党は賛成だ」と述べた。
DIA-104-1972-09-10-1中国1972年09月10日1970年代北京,上海の貯金,不断に増加─7月末の北京全市の貯蓄預金残高は昨年末と比べ13.6%増。1~7月間の新たに増えた預金は昨年全年増加額の28.7%増。1~6月の郊区農村の貯蓄預金残高は昨年同期より16.7%増。また上海市では8月末までの全市貯蓄預金総高は昨年同期を8.5%増加。そのうち定期預金が80%以上を占める。
DIA-104-1972-09-10-2中国1972年09月10日1970年代中国国境のソ連軍3個師団増強─また同地域で3カ月の軍事演習が予想される。米政府当局者の報告。
DIA-104-1972-09-11-1中国1972年09月11日1970年代今年以来,全国ですでに40万人の知識青年が下放─人民日報の報道によると今年以来,湖南省ではすでに4万人,四川省では9万人の青年が農村に下放し定着した。また動員工作にあたっては多くの指導的な幹部や党員は率先して自分の子女を下放させているという。
DIA-104-1972-09-11-2中国1972年09月11日1970年代アジア,アフリカ,ラテン・アメリカ友好招待試合準備会議コミュニケ─来年8月25日から北京で開催を決定。
DIA-104-1972-09-11-3中国1972年09月11日1970年代中共党工作者代表団ルーマニアへ─26日まで。
DIA-104-1972-09-12-1中国1972年09月12日1970年代人民日報評論員,「億万アフリカ人民の心の声」─第8回東アフリカ・中央アフリカ諸国首脳会議の成果に祝賀を送る。
DIA-104-1972-09-12-2中国1972年09月12日1970年代円元決済スタート─東京銀行は自行に元勘定,中国銀行に円勘定を開設し,円元決済はスタートした。
DIA-104-1972-09-14-1中国1972年09月14日1970年代党・政府首脳,アジア卓球大会参加者全員と会見。
DIA-104-1972-09-14-2中国1972年09月14日1970年代米政府50万トン以上の小麦を中国に輸出する契約を確認─数社の扱いで,支払はドルの即金。7月には米はアマニ油2,000トン,36万ドルを中国に輸出している。
DIA-104-1972-09-14-3中国1972年09月14日1970年代初の自民党訪中団訪中─日中国交正常化協議会長小坂善太郎氏を団長とする初の自民党訪中団は,特別機で上海経由北京に向かった。同団長らは3回周総理と会見した。一行は20日帰国した。帰国記者会見で,中国は日本の立場に配慮を払うであろうし,小異を残し大同につくとの態度であると述べた。
DIA-104-1972-09-15-1中国1972年09月15日1970年代山東省で大型化学肥料工場が生産開始─魯南化学肥料工場,年間生産量は合成アンモニウム6万トン,尿素11万トン。全国の25の省・市・自治区の400余りの企業と山東省の200余りの兄弟単位の設備製造その他の援助による社会主義大協業の成果。
DIA-104-1972-09-15-2中国1972年09月15日1970年代大慶油田,9月上旬の原油の平均日産量は1~8月間の水準を超えた。この11年間,原油産出量は毎年平均35%の成長率で増加。
DIA-104-1972-09-16-1中国1972年09月16日1970年代北京から衛星TV中継テスト─田中訪中放送のための日本のポータブルTV地上局が北京に完成し17日からテストを始める。
DIA-104-1972-09-17-1中国1972年09月17日1970年代ザンビア友好代表団が訪中─25日まで。
DIA-104-1972-09-18-1中国1972年09月18日1970年代イランのパーレビ王妃訪中─27日帰国。
DIA-104-1972-09-19-1中国1972年09月19日1970年代中国・トーゴが外交関係樹立─北京で両国外相が共同コミュニケと経済技術協力協定に調印。
DIA-104-1972-09-20-1中国1972年09月20日1970年代中ソ貿易拡大,今年は70%増に─モスクワ放送によるもので72年は総額3億ドルに達すると予測。
DIA-104-1972-09-20-2中国1972年09月20日1970年代広州でスリランカに借款により提供する貨物船「韓江」号の引渡し式挙行。
DIA-104-1972-09-20-3中国1972年09月20日1970年代古井・田川両代議士周総理と会見─10日に中国入りしていた両代議士は,周総理と会見した。なお24日両代議士は東京で大平外相に会い帰国報告を行ない,正常化交渉の成功は間違いないと述べた。
DIA-104-1972-09-20-4中国1972年09月20日1970年代中国の自動車工業視察団来日─中国自動車工業視察団は20日来日した。24日の人民日報は国貿促とトヨタ自動車会社共催の歓迎宴には,中曽根通産相も出席したと報道した。
DIA-104-1972-09-21-1中国1972年09月21日1970年代日中両国政府が田中訪中日程発表─25日から30日迄,大平外相,二階堂官房長官の他49名が日航機で北京に直行訪中すると発表した。
DIA-104-1972-09-22-1中国1972年09月22日1970年代国連総会で中国が朝鮮問題討議くりのべに反対。
DIA-104-1972-09-22-2中国1972年09月22日1970年代人民日報・田中訪中を公告─人民日報は1面右肩に大きく公告として田中訪中を報じた。
DIA-104-1972-09-23-1中国1972年09月23日1970年代人民日報,趙豊年短評「<要綱>を全面的に実現」─各地の自然条件,地域の広さ,人の多少に応じて単位面積当りの産量,総産量,1人当り平均生産量を全面的に高めた。
DIA-104-1972-09-23-2中国1972年09月23日1970年代野本明教授訪中─国際オートメーション協会専門委員会副主席・野本明教授は23日北京に着いた。
DIA-104-1972-09-23-3中国1972年09月23日1970年代MT(覚書貿易)は1年継続─訪中していた古井・田川両代議士は,帰国して,覚書貿易はもう1年継続することとしたと語った。
DIA-104-1972-09-23-4中国1972年09月23日1970年代周総理,岡崎MT会長と会見─会見の席で総理は,MT関係者が日中友好へ果たしてきた役割を高く評価し,岡崎氏らの労をねぎらった。
DIA-104-1972-09-24-1中国1972年09月24日1970年代首相訪中当日警官2,500人で警戒─警視庁は首相訪中反対のテロなどに備え,2,500人を動員する。
DIA-104-1972-09-25-1中国1972年09月25日1970年代新華社社長に朱穆就任─田中首相の訪中を歓迎する周恩来首相主催の夕食会には中国側から葉剣英党中央軍事委副主席ら要人多数が出席したが,この中で注目されたのは,新華通信社の社長,副社長ら4人がそろって出席したことである。新華社の新社長には朱穆之氏,副社長には張紀之,石少華,鄧崗の氏が就任したことが明らかになった。また文革当時第一線から姿を消し最近復活した呉冷西新華社元社長は人民日報の責任者として出席していた(共同,朝日26日)。
DIA-104-1972-09-25-2中国1972年09月25日1970年代廖承志は外交部顧問に─25日の北京放送は,田中首相訪中を出迎えた中国側要人の中で,廖承志氏を「外交部顧問」の肩書で報じた。同氏は,これまで59年9月当時,国務院外事弁公室副主任にあたったことが確認されているが「外交部顧問」の肩書で報じられたのはこれが初めて。
DIA-104-1972-09-25-3中国1972年09月25日1970年代首相らの復交訪中主要日誌─①首相ら特別機で北京着,周首相ら出迎え(25日),②第1回会談,両首相,両外相ら(25日午後),③周首相主催夕食会(25日夜),④第2回会談・両外相(26日),⑤第3回会談・両外相(27日午後),⑥毛主席と田中首相ら会談(27日夜),⑦第4回会談・両首相(28日),⑧田中首相答礼宴(28日夜),⑨日中共同声明調印発表(29日午前)…(資料参照)・⑩田中首相ら上海へ,周総理ら同行(29日午後),⑪田中首相ら帰国(30日昼)。
DIA-104-1972-09-26-1中国1972年09月26日1970年代石油工業の発展─1963年に基本的自給の実現を達成して以来,原油産出量は毎年平均24.5%の速度で増加。1~8月の産出量と原油加工量,昨年同期比それぞれ22.8%,9.5%増加。天然ガスは15.5%増。
DIA-104-1972-09-26-2中国1972年09月26日1970年代人民日報に日中友好を謳う記事─人民日報は第5面に「中日人民の友好の潮流ははばむことはできない」と題する中国上海舞劇団の訪日記事を掲載した。また27日にも「中日農民の友誼深し」と題し,中国農業・農民代表団の訪日記事を掲載した。
DIA-104-1972-09-27-1中国1972年09月27日1970年代北京市の鉄鋼工業,鉱石の基本的自給を達成─今までは必要な鉱石の大部分は全国20数カ所より調達。10数年来,海南島より輸送した鉱石の量は8,000元余り,大型鉱山を1基建設する投資に等しい。
DIA-104-1972-09-27-2中国1972年09月27日1970年代オーストラリア,中国へ100万トンの小麦を売却─6000万オーストラリア・ドル相当。
DIA-104-1972-09-27-3中国1972年09月27日1970年代人民日報,田中総理らの長城遊覧を報道─午前中に日本側首脳は,万里の長城と,明の十三陵を見学した。中国側からは姫外相,呉徳北京市革命委員会主任らが同行した。28日の人民日報は第3面に写真入りでこれを報道した。
DIA-104-1972-09-27-4中国1972年09月27日1970年代毛主席・田中総理会見─28日の人民日報は第1面上段に,毛主席と田中総理の会見の模様を写真入りで報じた。日本側は大平外相,二階堂官房長官,中国側は周総理,姫外相,及び外交部顧問,中日友協会長である廖承志氏が出席した。
DIA-104-1972-09-28-1中国1972年09月28日1970年代経済作物の生産ますます良好─ナタネは昨年より2割近くの増収。糖料,麻類,タバコ,茶,マユ,など去年と比べてやや多めの増産。
DIA-104-1972-09-29-1中国1972年09月29日1970年代中国・西独国交交渉順調─中国外交部発表。
DIA-104-1972-09-29-2中国1972年09月29日1970年代ラオス労働組合連合代表団訪中─10月19日まで。
DIA-104-1972-09-29-3中国1972年09月29日1970年代北朝鮮民主婦人同盟代表団訪中─10月26日まで。
DIA-104-1972-09-29-4中国1972年09月29日1970年代日中共同声明骨子(全文は資料参照)─〔前文〕戦争状態終結と国交正常化の実現は,両国の歴史に新たな1ページを開く。日本側は,戦争で中国国民に重大な損害を与えた責任を痛感して深く反省,「復交3原則」に対する十分な理解を再確認し,中国側はこれを歓迎。 〔本文〕1.日中両国の不正常な状態は共同声明の発出で終了。 2.日本は中華人民共和国政府が中国の唯一合法政府と承認。 3.中国は台湾をその不可分の領土と表明,日本はその立場を十分理解,尊重し,ポツダム宣言第8項の立場を堅持。 4.両国は72年9月29日,外交関係を樹立,大使交換を決定。 5.中国は対日戦争賠償の請求放棄を宣言。 6.両国は平和5原則と国連憲章に基づき,紛争解決で武力に訴えないことを確認。 7.両国はアジア・太平洋地域で覇権(はけん)を求めない。 8.両国は平和友好条約の締結交渉に同意。 9.両国は貿易,海運,航空,漁業などの協定締結交渉に合意。
DIA-104-1972-09-29-5中国1972年09月29日1970年代外相記者会見で,日台条約の終了を発表─日中共同声明調印後,大平外相と二階堂官房長官は民族文化宮プレスセンターで記者会見を行ない「日中国交正常化の結果として,日華条約は,存続の意義を失い,終了したものと認められる」と述べた。
DIA-104-1972-09-29-6中国1972年09月29日1970年代中国,日本にパンダをプレゼント─官房長官は,日中共同声明調印後の記者会見で,中国人民から日本人民へ国交を記念してパンダが贈られたと発表した。
DIA-104-1972-09-30-1中国1972年09月30日1970年代周総理,上海から北京に帰着─30日に上海で田中首相一行を見送った周総理,姫鵬飛外交部長,于桑公安部副部長らは同日北京に戻った。北京空港では6,000人の大衆が盛大に出迎えた他,党の首脳も全員出迎えた。10月1日の人民日報は出迎えた人々の名簿を,党の肩書きをつけて発表した。
DIA-104-1972-09-30-2中国1972年09月30日1970年代浙江省の地方工業─機械化学肥料,化学工業,セメント,石炭,小型水力発電所を建設。農業機械修理製造工場各県に1基から数基。昨年の全省地方工業の総生産額は1965年の2倍余り。そのうち機械工業,化学肥料,セメントの総生産額はそれぞれ2倍半,3倍前後および2倍。1~8月の化学肥料は昨年同期比60%の生産増加。
DIA-104-1972-09-30-3中国1972年09月30日1970年代復交祝賀人民日報社説─人民日報は「中日関係の新しい一章」と題する,日中国交回復を祝賀する社説を発表した(資料参照)。
DIA-104-1972-09-30-4中国1972年09月30日1970年代上海で5,000人が田中首相らを歓送─日中国交回復を終え帰国する田中首相らを約5,000人の大衆が,太鼓やドラで虹橋空港で見送った。
DIA-104-1972-10-01-1中国1972年10月01日1970年代国慶節,北京各地で分散祝賀会─昨年と同じく,今年も北京での国慶節祝賀会は頤和園,労働人民文化宮,中山公園天壇公園等で分散して行なわれた。中山公園での祝賀会には董必武国家主席代理,周総理,江青政治局委員,葉剣英中央軍事委副主席,李先念副総理,李徳生軍総政治部主任,徐向前人代常委会副委員長,呉徳北京市革命委主任,韓念竜外交部副部長らが出席,シアヌーク殿下夫妻をはじめ各国の友好人士も招かれた。
DIA-104-1972-10-01-2中国1972年10月01日1970年代中ソ国境交渉,武力不行使で合意説─ロンドン『オブザーバー』モスクワ特派員の報道。
DIA-104-1972-10-01-3中国1972年10月01日1970年代北鮮総参謀長日中国交に言及─国慶節祝賀のための朝鮮駐在中国大使主催のパーティで呉振宇総参謀長は「日中国交正常化は極東の緊張を緩和する」と述べた。
DIA-104-1972-10-01-4中国1972年10月01日1970年代田中総理の日中会談に関する談話─ゴルフクラブでの記者達との懇談で田中総理は,周総理が尖閣列島についての議論はここでは止めようということ,天皇陛下へよろしくと,述べたことなどを明らかにした。また,ソ連は核を使わずとは言っていず,中国は最初には使わずと言っており,日本は核は造れても造らないと言っているが,どれがよいと思うかとの田中総理の発言に,周総理は「ウーン」と言い「非常にあなたは合理的だ」と述べたと明らかにした。
DIA-104-1972-10-03-1中国1972年10月03日1970年代国連総会で喬団長が主要な国際問題に対する中国政府の原則的立場を開陳。
DIA-104-1972-10-03-2中国1972年10月03日1970年代中曽根通産相は,貿易・通商の話し合いをすすめるため訪中したいと総理に伝え,総理もこれを了承したと述べた。
DIA-104-1972-10-04-1中国1972年10月04日1970年代人民日報,「社会主義労働競争をよびかけ」─「編者の言葉」社会主義労働競争の展開は大衆の社会主義的積極性を引き出す重要な方法の1つであり,社会主義労働競争と賞金目当て主義とを同一に論ずるのは「劉少奇の類のペテン師」のふりまいた極左思潮のあらわれであると批判。
DIA-104-1972-10-04-2中国1972年10月04日1970年代全国の機械工業部門,農業機械と鉱山設備の生産に力を入れる─1~8月の全国機械工業の総生産額は昨年同期比8%増。トラクター15%,灌漑用機械30%,鉱山設備37%,それぞれ昨年同期と比べ増産。
DIA-104-1972-10-05-1中国1972年10月05日1970年代公安部長に李震─5日の新華社電は,サンマリノ政府代表団を北京空港に出向えた人々を紹介した中で,李震氏(元瀋陽軍管区司令,公安部副部長)を公安部長の肩書で紹介した。
DIA-104-1972-10-05-2中国1972年10月05日1970年代サンマリノ共和国政府代表団訪中─13日帰国。
DIA-104-1972-10-06-1中国1972年10月06日1970年代長沙湘江道路大橋が完成─全長1,250m,幅20m。湘江をまたいで長沙市と周囲の丘陵地帯を結ぶ。
DIA-104-1972-10-06-2中国1972年10月06日1970年代国連貿易開発理事会で張代表が通貨問題にたいする中国の原則的立場を表明。
DIA-104-1972-10-06-3中国1972年10月06日1970年代周総理,訪中の台湾同胞,日米華僑,米籍中国人らと会見。
DIA-104-1972-10-07-1中国1972年10月07日1970年代周総理,後継者問題および台湾問題等について語る─米新聞編集者協会訪中代表団に参加した米ナイト系新聞社のJ・マレー,ドン・カーター両記者は9日,周恩来総理が同代表団と7日会見した際,同総理が毛沢東主席および同総理の後継者を若い世代に求める必要性を強調し,姚文元中共中央政治局員の名をあげたと伝えたほか,次のように報道した。 台湾問題について周総理は,中国は台湾を漸進的に吸収し,増税なしに台湾関係の8億ドルの予算を支出する用意があり,台湾の生活水準を向上させることも可能だ,と述べた。 周総理はGM,フォードなどの外国大会社との合弁事業を,対ソ関係から得た教訓に照らして否定するとともに,機械化・工業化は中国の主要な要求だが自力更生の政策をとり続けると述べた(UPI=共同,朝日10日)。
DIA-104-1972-10-07-2中国1972年10月07日1970年代安徽省の鉱山開発─各地の県と人民公社が98カ所の中小鉱山と100カ所余りの採鉱点を建設。1~8月の全省の鉄鉱石の産出量は昨年同期比6.76%増加。全省で18の小型鉄鋼工場を建設。1971年の地方鉄鋼工場の生産した鉄は1966年に比べ20倍増。
DIA-104-1972-10-07-3中国1972年10月07日1970年代人民日報,金楓論文「科学実験は1つの偉大な革命運動である」─劉少奇の類のペテン師は「左」の方から「政治はその他に打撃を与えることができる」という謬論を鼓吹して科学研究機構を廃止し,科学実験活動をやめようとたくらんだ。技術者の積極的役割を発揮させることと「専門家の工場支配」を区別し,外国のものを中国のために用いることと「洋奴哲学」とを区別し,実践を基礎とする理論研究と「三脱離」の学院式の研究とを区別して,「紅又専」の強大な技術隊伍をつくらなければならない。
DIA-104-1972-10-07-4中国1972年10月07日1970年代中国民間航空代表団,カナダ,イタリア,フランスを訪問─29日まで。13日カナダで民間航空協定を結ぶ。
DIA-104-1972-10-07-5中国1972年10月07日1970年代中国科学者代表団イギリス訪問─20日まで。
DIA-104-1972-10-08-1中国1972年10月08日1970年代中国イタリア海運協定に調印。
DIA-104-1972-10-09-1中国1972年10月09日1970年代周総理,北朝鮮地質代表団と会見─地質における経済技術協力協定結ぶ。
DIA-104-1972-10-09-2中国1972年10月09日1970年代シェラレオネと経済技術協力協定に調印─フリータウンで。6日,中国医療隊派遣に合意。
DIA-104-1972-10-10-1中国1972年10月10日1970年代山東省北鎮黄河大橋が完成─全長1,394mで黄河にかけた最長の道路橋。トラック3台が並んで走れ,両側に1.5mの歩道がある。
DIA-104-1972-10-10-2中国1972年10月10日1970年代中国政府代表団,イエーメン民主共和国を訪問─20日まで。
DIA-104-1972-10-10-3中国1972年10月10日1970年代中国政府代表団,コンゴ,赤道ギニア,カメルーン,ナイジェリアを訪問─11月11日まで。この間,コンゴと経済技術協力協定,赤道ギニアと経済技術協力協定補充議定書,ナイジェリアと経済協力協定および貿易協定を結ぶ。
DIA-104-1972-10-10-4中国1972年10月10日1970年代中華医学会医学代表団,アメリカ,カナダ,フランスへ出発─14日ニクソン大統領と会見,12月1日帰国。
DIA-104-1972-10-10-5中国1972年10月10日1970年代イタリア工業展,北京で開幕─ローマでは中国経済,貿易展が開かれた。
DIA-104-1972-10-10-6中国1972年10月10日1970年代三井物産も友好商社に─これで大手商社全部が中国と直接取引することとなった。なお三井物産社長ら一行の訪中団は,同日北京に着いた。
DIA-104-1972-10-10-7中国1972年10月10日1970年代国際電電によると,日本が中国に売り渡した衛星通信用地上局の使用によって10日から,電話は6回線,写真電送回線,電報システム(2回線を運用)と増強されることとなった。
DIA-104-1972-10-11-1中国1972年10月11日1970年代中国・西独国交樹立─10日訪中したシェール外相が共同コミュニケに調印。
DIA-104-1972-10-11-2中国1972年10月11日1970年代周恩来,江青,姚文元,バーチ英共産党(M・L) 中央委員会議長と会見。
DIA-104-1972-10-11-3中国1972年10月11日1970年代ユネスコ第17回大会出席の中国代表団,パリに到着─25日黄鎮団長が発言。
DIA-104-1972-10-11-4中国1972年10月11日1970年代ルワンダと経済技術協力協定を結ぶ─ルワンダ首都で。
DIA-104-1972-10-12-1中国1972年10月12日1970年代人民日報,社説「ラオス人民はかならず勝利する」─ラオス独立記念日を祝う。
DIA-104-1972-10-12-2中国1972年10月12日1970年代アルバニアと民間航空における経済技術協力協定を結ぶ。
DIA-104-1972-10-13-1中国1972年10月13日1970年代全国の軽工業部門,増産節約運動で成果をあげる─1~8月の期間に昨年の同期と比べて,化学繊維24%,プラスチック製品と合成洗剤51%,自転車12%,時計31%,それぞれ増産。現在,北京,上海,遼寧などの省市に一群の大中型化学繊維工場,いくつかの省市自治区に一群の小型化学繊維工場が建設された。
DIA-104-1972-10-13-2中国1972年10月13日1970年代人民日報,評論員「爆撃でベトナム人民はおどかせない」─10月11日のハノイ中心部無差別爆撃に抗議したベトナム外務省声明を支持。
DIA-104-1972-10-14-1中国1972年10月14日1970年代人民日報,無政府主義批判のキャンペーン─14日の人民日報は第2面全部に無政府主義を批判する3編の論文を掲げた。その中で竜岩の署名による「無政府主義はエセマルクス主義ペテン師の反革命の動具である」と題する論文では次のように述べている(要旨)。 ・劉少奇の類のペテン師が流した害毒を一掃するために,当面無政府主義に対する徹底的な批判を行なうことが非常に必要である。 ・劉少奇の類のペテン師は大衆の右翼日和見主義に対する不満を狡猾に利用し,党の権力を奪う陰謀の手段として,おおいに極左の思想を煽動した。彼らは民主のみを強調し集中を否定し,制度,規則無用論を唱え,“一切を打倒すること”を主張した。 ・彼らは一面では,無政府主義を煽ることにより社会主義経済の基礎を混乱させ,他面では自分に従順な者のみを集め派閥をつくり党の一元的な指導を妨げ,幹部と大衆の間に混乱をつくりだした。
DIA-104-1972-10-14-2中国1972年10月14日1970年代上海市の業余学校現在全市の80%前後の工場商店が各種業余学校を営み,現在までに70万人余りの職工が参加。学習内容は政治,文化,技術のほかに外国語も加える。工代会がその日常管理工作を担当。
DIA-104-1972-10-14-3中国1972年10月14日1970年代中国とモルディブが外交関係を樹立。
DIA-104-1972-10-14-4中国1972年10月14日1970年代シリア人民軍代表団が訪中─25日まで。
DIA-104-1972-10-14-5中国1972年10月14日1970年代タイ政府貿易使節団中国入り。
DIA-104-1972-10-14-6中国1972年10月14日1970年代P・ファーマーとF・ファーマーの2英人を釈放文革時逮捕された兄弟で香港へ出国。
DIA-104-1972-10-15-1中国1972年10月15日1970年代人民日報,青岩論文「多くの革命事業の後継者を養成しよう」─要旨は次のとおり。 ・革命の後継者を養成することは長期にわたる任務である。現在,党委員会,革命委員会の3結合の指導グループの中に養成と選抜すべき人がすでに入っているから,後継者の養成工作はうまくいっていると考えるのは誤りである。 ・指導グループに入っているから,その人がすでに立派に改造されているとは限らない。また従来のように指導グループの成員の養成を重視するだけでは不十分であり,広大な幹部,革命知識分子,青年の養成をしっかりやって始めて革命の後継者を養成する任務を達成できる。 ・劉少奇の類のペテン師はいわゆる幹部の「標準」を唱え,毛主席が1964年に提出した革命事業の後継者の5つの条件にとって替えようとたくらんだ。彼は唯心論と形而上学を宣伝し,多くの幹部と青年をマルクス・レーニン主義と党の基本路線から離れさせ,盲目的で目醒めることのない革命者に変えようとした。 ・文革以来,多くの鍛練された者が各方面の指導グループの中に吸収されているが,やはりひき続き彼らを鍛練することを怠ってはならない。理論,文化程度の低い人に対しては彼らを学校で学習させ,やがて独立した工作能力を持たせるようにしなければならない。
DIA-104-1972-10-15-2中国1972年10月15日1970年代北京で婦人の同体切断肢移植手術に成功─15日の人民日報によると,北京労農兵病院と北京積水潭病院の医療関係者は,両下肢とも列車にひかれ負傷した人民公社婦人社員のために同体切断肢の移植手術を成功裏に行ない,右足を左足に移植し,完全な左足を残した。 また右足には義足によって補い,患者はすでに歩行が可能になっているという。
DIA-104-1972-10-15-3中国1972年10月15日1970年代周総理,レ・ドク・ト氏と会見─パリから帰国の途次。
DIA-104-1972-10-16-1中国1972年10月16日1970年代人民日報,「思想論壇」「革命のために農業技術を刻苦して学習しよう」─農村に下放した知識青年の一部に劉少奇の類のペテン師の影響を受けて農業技術の重要性を否定して,その学習をおろそかにするものがいる。知識青年は農業技術を学習して「紅又専」の道を歩まなければならない。地方幹部は知識青年を指導して科学実験を積極的に展開せよ。
DIA-104-1972-10-16-2中国1972年10月16日1970年代農村の大衆的科学実験が成果を上げる─文革以来全国の農業・林業・牧畜業・副業・漁業の方面で達成された比較的重要な科学技術の成果は300項目余りに達する。例えば主要なものとして輻射を利用してえられた40種類の新品種の普及,作物の生長を促す,“5,406菌肥”,無公害の微生物農薬など。
DIA-104-1972-10-16-3中国1972年10月16日1970年代人民日報,竜霖論文「農村人民公社の経営管理をさらに一段とりっぱにしよう」─①合理的に労働力と資金を利用しつくすためには労働管理と財務管理をりっぱに行なうことが必要である。②そのために留意すべき点は,生産隊の自主権を尊重すべきこと,民主的に公社を経営すべきこと,労働に応じて分配する原則を実行することである。③また経営管理に必要な機構を設置し,全ての農村幹部は「紅又専」であることを提唱しなければならない。
DIA-104-1972-10-17-1中国1972年10月17日1970年代水利電力部部長に張文碧─17日発の新華社電は,メキシコ経済代表団が北京に到着した際,空港に出迎えた白相国対外貿易部部長,陳潔同副部長の他に張文碧氏(安徽駐屯部隊責任者)を水利電力部部長として紹介した。
DIA-104-1972-10-17-2中国1972年10月17日1970年代国境交渉のソ連首席代表北京に帰任─トルスチコフ大使とイリイチェフ代表がモスクワより北京に到着,空港には余湛外交部次官が出迎えた。
DIA-104-1972-10-17-3中国1972年10月17日1970年代中国の29都市が北ベトナム37都市の10・3アピールを支持。
DIA-104-1972-10-17-4中国1972年10月17日1970年代メキシコ経済代表団訪中─27日まで。
DIA-104-1972-10-18-1中国1972年10月18日1970年代江蘇省と北京郊区の農業機械化の水準が高まる─江蘇省では全省各地で使用している電力機械化排灌設備は228万馬力(1965年比2.4倍),電力機械化排灌面積は全省総耕地面積の55%,全省農村所有のトラクターは2万3000台余り。1971年までに全省64県すべてに農業機械修理製造工場,7地区にトラクターとディーゼルエンジン製造工場,3分の1の公社に農機具修理製造所がそれぞれ設立された。また現在北京郊区では大中型トラクター2,500台(1965年の2.4倍),ハンドトラクター6,280台余り(1965年比21倍)。
DIA-104-1972-10-18-2中国1972年10月18日1970年代周総理,タンガニーカ全国労働者連合代表団と会見。
DIA-104-1972-10-19-1中国1972年10月19日1970年代全国の化学肥料生産─1~9月の生産量は昨年同期比33%増。1~9月の期間に新たに全国で100以上の小型工場と一群の大中型工場が生産を開始。昨年の小型窒素肥料工場の生産量は全国総生産量の43%を占める。
DIA-104-1972-10-19-2中国1972年10月19日1970年代周総理,アフガニスタン・中国友好協会代表団と会見。
DIA-104-1972-10-19-3中国1972年10月19日1970年代中国国防部,北ベトナムの米機4,000機撃墜に祝電送る。
DIA-104-1972-10-20-1中国1972年10月20日1970年代南京で全国陸上競技大会閉幕。
DIA-104-1972-10-20-2中国1972年10月20日1970年代“社会主義の現段階を越えることはできない”─20日の人民日報は「路線の認識を高め,まじめに政策を実行しよう─劉少奇の類のペテン師が鼓吹したエセ共産主義の謬論を反駁する」と題する論文を掲げ,次のように述べている(要旨)。 ・我々は不断革命と革命の発展段階論の統一論者である。毛主席は党の第8期6中全会の「人民公社のいくつかの問題に関する決議」の中で,社会主義から共産主義に向かう過渡期において,社会主義の段階に止まり,前に進まないことはできないが,同時に社会主義段階を飛越えて共産主義段階に飛躍するという空想を抱いてはいけないと述べている。 ・社会主義の現段階では,按労分配,3級所有制,等価交換,少量の自留地経営や家庭副業等の政策は我国の生産力水準と大衆の自覚の程度に相応したものである。 ・劉少奇の類のペテン師は“資本主義のシッポを切りすてる”という口実のもとに共産主義社会の中でのみ可能なような極左路線を主張したが,これは大衆を党から遊離させ,集団経済を破壊するだけである。
DIA-104-1972-10-20-3中国1972年10月20日1970年代国連総会第1委で中国は宇宙空間問題について声明─これまでの政権の署名した決議は不法かつ無効で中国は拘束されない。今総会の投票に不参加,など。
DIA-104-1972-10-20-4中国1972年10月20日1970年代周総理・藤山愛一郎代議士と会談,この会談には姫外相,廖承志中日友好協会会長らも同席し,国交正常化への藤山氏の貢献に感謝した。
DIA-104-1972-10-21-1中国1972年10月21日1970年代人民日報の農業機械化に関する短評─わが国は地域が広く,各地の自然条件の差異が大きいので,農機具部品の設計と製造はその土地の特殊性に応じて,地方工業の積極性を発揮させて行なわれなければならない。主機を重んじて部品を軽視する誤った傾向を批判して農機具部品の生産に力を入れなければならない。
DIA-104-1972-10-21-2中国1972年10月21日1970年代ペルー陸軍軍事代表団訪中─30日まで。
DIA-104-1972-10-24-1中国1972年10月24日1970年代国連総会第1委で中国が軍縮問題にたいする立場を表明─最低の条件として①核不使用の保証,②海外部隊と基地の撤収,を主張。
DIA-104-1972-10-26-1中国1972年10月26日1970年代3年間の中ソ国境交渉進展なく終了か─北京外交筋によると中国が「不平等条約」の存在承認の原則を堅持,成果なく10月に終了(UPI)。
DIA-104-1972-10-27-1中国1972年10月27日1970年代全国の節約運動の成果─最近,国家計画委員会は南京で倉庫整理節約工作座談会を開催。22省市自治区の粗略な統計によれば今年上半期の節約は鋼材13万8000トン,石炭500万トン,石油15万2000トン,電力17億8000万度,木材92万9000m3である。 III外交
DIA-104-1972-10-27-2中国1972年10月27日1970年代中国鋼材輸入交渉団来日─鉄鋼大手6社は,中国,五金礦産出口公司の張輯川副総経理らと鋼材の輸出交渉を行なう。
DIA-104-1972-10-28-1中国1972年10月28日1970年代ルーマニア共産党工作者代表団訪中─11月11日まで。
DIA-104-1972-10-28-2中国1972年10月28日1970年代中国電力機器視察団来日─日本の重電6社の招きによるもの。団長は賈克中国水利電力部外司副司長。
DIA-104-1972-10-29-1中国1972年10月29日1970年代シアヌーク殿下の50歳の誕生日祝賀宴会,中国政府党首脳が招かれて出席。
DIA-104-1972-10-29-2中国1972年10月29日1970年代ヒューム英外相訪中─11月2日帰国。
DIA-104-1972-10-29-3中国1972年10月29日1970年代最後の覚書貿易協定に調印─協定額は約30%増で往復1億2000万ドルに達した。49年からは政府間協定となる予定。
DIA-104-1972-10-30-1中国1972年10月30日1970年代中国政府声明,北ベトナムの10.26声明を支持─アメリカはベトナム問題を平和的に解決するのかどうか,行動をもって答えなければならない。
DIA-104-1972-10-30-2中国1972年10月30日1970年代ガイアナ政府経済貿易代表団訪中─11月9日まで。輸出入協定及び経済技術協力協定に調印。5200万ガイアナ・ドルのプロジェクトを9月から中国専門家チームが検討中。
DIA-104-1972-10-30-3中国1972年10月30日1970年代オーストリア政府代表団訪中─11月4日まで。貿易支払協定を結ぶ。
DIA-104-1972-10-31-1中国1972年10月31日1970年代金日成北朝鮮首相,極秘裡に訪中説─翌11月1日,シアヌーク殿下を伴い帰国(北京外交筋─AFP11月28日)。
DIA-104-1972-11-01-1中国1972年11月01日1970年代済南で文革後初の全国武術演武大会が開幕。
DIA-104-1972-11-01-2中国1972年11月01日1970年代人民日報社説,「試練に直固したアメリカ政府」─北ベトナムの10.26声明で明らかにされたように米政府は停戦協定調印をひきのばしている。中国人民はあくまでベトナム人民の抗米救国闘争を支持する。
DIA-104-1972-11-01-3中国1972年11月01日1970年代紅旗11号論文,「いくらかの民族解放運動史を読もう」─史軍署名。米,ソを現代最大の新植民地主義者とし,中間地帯論を展開。
DIA-104-1972-11-01-4中国1972年11月01日1970年代大相撲中国場所の計画中国了承─日中文化交流協会訪中団は,中国の出土文物展示会の日本での開催と,中国での大相撲の開催の了解がついたと発表した。
DIA-104-1972-11-02-1中国1972年11月02日1970年代各国駐北京外交官たちが重慶から武漢への船下りに招待さる─4日まで。
DIA-104-1972-11-03-1中国1972年11月03日1970年代人民日報評論員,「調印を引き延ばすアメリカのねらいはどこにあるのか」─アメリカが合意の協定をくつがえそうと考えているなら,それは絶対に許されないことである。
DIA-104-1972-11-03-2中国1972年11月03日1970年代タイ,中国と貿易関係の樹立を決定─10月18日にはタイ経済視察団が北京を訪問した。近く国営貿易機関設立の予定。
DIA-104-1972-11-04-1中国1972年11月04日1970年代中国赤十字フィージーの風災に対して10万元を見舞金として送る。
DIA-104-1972-11-05-1中国1972年11月05日1970年代人民日報,革命現代京劇「奇襲白虎団」のシナリオ全文を掲載。
DIA-104-1972-11-05-2中国1972年11月05日1970年代周総理,アルジェリア政府代表団と会見。
DIA-104-1972-11-05-3中国1972年11月05日1970年代日中覚書訪中団,桂林,重慶等訪問─岡崎嘉平太団長ら代表団は桂林,重慶を訪問,重慶から武漢へ揚子江を下った。このような奥地の訪問は,松村謙三氏以来8年目のことである。一行は10日広東に戻った。
DIA-104-1972-11-05-4中国1972年11月05日1970年代日本国民から中国に贈られる大山桜の苗木を持参した日本外務省,農林省の係官が帰国した。
DIA-104-1972-11-06-1中国1972年11月06日1970年代解放軍副総参謀長に李達─6日の北京放送が,アルバニア軍事友好代表団を北京空港に出迎えた中国要人の名簿を発表した時に明らかとなったもの。
DIA-104-1972-11-06-2中国1972年11月06日1970年代葉中央軍委副主席,ソ連を膨張主義と非難─同日,北京に到着したアルバニア軍事代表団歓迎宴の席で,「社会帝国主義は,社会主義の看板を見せびらかしながら現実には至るところで膨張政策をとり,帝国主義の行為に熱中する。これは旧式の帝国主義より一層ぎまん的であり,より危険である」とソ連を攻撃した。
DIA-104-1972-11-06-3中国1972年11月06日1970年代人民代表大会常委,国務院,ソ連に10月革命の祝電─原則問題の論争にかかわらず両国関係を正常化させ るべきである,とのべている。
DIA-104-1972-11-06-4中国1972年11月06日1970年代中国・マダガスカルが外交関係を樹立─3日訪中した同国外相と姫外交部長がコミュニケに調印。
DIA-104-1972-11-07-1中国1972年11月07日1970年代ここ2年来,出版された各種のマルクス・レーニン著作は49種,1億9000万冊余り。
DIA-104-1972-11-07-2中国1972年11月07日1970年代モーリタニア政府代表団訪中─21日まで。
DIA-104-1972-11-09-1中国1972年11月09日1970年代シアヌーク殿下夫妻,天津を訪問,解学恭主任が歓迎宴を開く。
DIA-104-1972-11-09-2中国1972年11月09日1970年代中国・アルバニア1973年度物資交換,支払議定書が北京で調印される。
DIA-104-1972-11-09-3中国1972年11月09日1970年代周総理,旧軍人訪中団と会見─藤田茂元陸軍中将ら「中国帰還者連絡会(正統)友好訪中団」は周総理と懇談した。
DIA-104-1972-11-10-1中国1972年11月10日1970年代北京市の多くの企業で「最適値法」を用いて成果をあげる─中国科学院や大学の数学関係者が企業へ入っていって,最小限の実験回数で原材料の配合比例や温度,圧力などの技術的条件の最も適切な数値を割出す最適値法を普及して増産に貢献している。
DIA-104-1972-11-10-2中国1972年11月10日1970年代ヴェネズエラ貿易代表団訪中─17日まで。
DIA-104-1972-11-10-3中国1972年11月10日1970年代英から新たに「トライデント」中距離ジニット機8機を購入─合計20機に。
DIA-104-1972-11-11-1中国1972年11月11日1970年代周総理は外人記者団に対して,今年の食糧生産は昨年と比べて4%の減になるだろうと述べ,これが国際市場で中国が穀物買付けを増やしている一因であることを明らかにした(ロイター電)。
DIA-104-1972-11-11-2中国1972年11月11日1970年代人民日報は,日本国会衆議院全体会議が8日晩「日田中共同声明についての決議」を可決したことを報じた。
DIA-104-1972-11-14-1中国1972年11月14日1970年代湖南省の地方小型有色金属工業─全省の67の県が177の小型有色金属工業鉱山を営み,200カ所余りの鉱点を開発。1971年のこれら小型工場鉱山の生産量は全省の総生産量の1割を占めている。
DIA-104-1972-11-14-2中国1972年11月14日1970年代人民日報,鍾青論文「路線の認識を高めて産品の品質に力を入れよう」─現代化した工業生産は科学的管理制度を必要とする。品質に力を入れるには,専門管理の主導作用を発揮させなければならない。大衆管理は専門管理の職能にとってかわることはできない。
DIA-104-1972-11-14-3中国1972年11月14日1970年代喬外交部副部長,英,仏,ルーマニアを歴訪─14日訪英,17日訪仏,20日ルーマニアへ。
DIA-104-1972-11-14-4中国1972年11月14日1970年代中国外交部長,ラテン・アメリカの非核地区の主張を尊重すると声明─中国駐在メキシコ大使の10.5書簡に答えたもの。
DIA-104-1972-11-14-5中国1972年11月14日1970年代周総理,レ・ドク・ト氏と会見─ト氏はパリへ向かう途中立寄る。
DIA-104-1972-11-15-1中国1972年11月15日1970年代広州交易会閉幕─海外華僑,香港,マカオの同胞を含めて参加者は2万3000名余りに達した。
DIA-104-1972-11-15-2中国1972年11月15日1970年代喬冠華国連中国代表団長,ソ連の「武力不使用,核兵器永久禁止」案に反論。
DIA-104-1972-11-15-3中国1972年11月15日1970年代北ベトナム政府代表団訪中─26日,1973年度中国対ベトナム経済・軍事物資無償援助協定,および1973年度中国対ベトナム軍事装備・物資無償供与議定書に調印。
DIA-104-1972-11-16-1中国1972年11月16日1970年代中国とルクセンブルグが外交関係を樹立。
DIA-104-1972-11-16-2中国1972年11月16日1970年代中国とマルタが発展計画と技術援助供与協定を結ぶ。
DIA-104-1972-11-16-3中国1972年11月16日1970年代中国青年卓球代表団は山形県,長野県を友好訪問した。
DIA-104-1972-11-17-1中国1972年11月17日1970年代毛主席,ネパールのビスタ首相と会見─一行は15日北京着,18日経済・技術協力協定に調印,25日帰国。
DIA-104-1972-11-17-2中国1972年11月17日1970年代ソ連『コミュニスト』誌,『紅旗』の世界史に関する論文を「大国主義と中華思想の宣言に等しい」と非難。
DIA-104-1972-11-17-3中国1972年11月17日1970年代ラオス新大使,8年ぶりに北京に着任。
DIA-104-1972-11-17-4中国1972年11月17日1970年代共同通信社訪中団廖承志氏と会見─社長・福島慎太郎氏らが廖承志氏と会見,中国側から新華社通信社副社長鄭崗氏らが立合った。
DIA-104-1972-11-18-1中国1972年11月18日1970年代中国・イラン民間航空協定に北京で調印。
DIA-104-1972-11-19-1中国1972年11月19日1970年代人民日報,黎峰論文「理論と実際のつながりを堅持して科学技術研究を強化しよう」─理論研究はかならず実際をはなれるという謬論を批判し,現場試験の基礎としての実験室活動に力を入れなければならない。
DIA-104-1972-11-21-1中国1972年11月21日1970年代中国とジャマイカ,外交関係を樹立。
DIA-104-1972-11-21-2中国1972年11月21日1970年代国連のBC兵器問題にたいする決議に棄権。
DIA-104-1972-11-21-3中国1972年11月21日1970年代中国政府友好代表団,コンゴ,赤道ギニア,カメルーン,ナイジェリアを訪問,帰国。方毅対外経済連絡部長が団長。
DIA-104-1972-11-21-4中国1972年11月21日1970年代日中経済協会設立総会─会長に稲山嘉寛経団連副会長,理事長に河合良一小松製作所社長を選んだ。
DIA-104-1972-11-22-1中国1972年11月22日1970年代米,米国籍の船舶と航空機の「中国立寄り」禁止を解除。
DIA-104-1972-11-24-1中国1972年11月24日1970年代中国とザイールが外交関係を正常化─19日パリで共同コミュニケに調印。
DIA-104-1972-11-25-1中国1972年11月25日1970年代上海師範大学図書館での欧米小説をめぐる論争─23日の人民日報によると,同図書館では18,19世紀の欧米のブルジョア的小説を学生に貸し出すべきか否か,また新たに購入すべきか否かについて,館党委と学生の間に討論が行なわれた。この結果,館党委は種痘と同じように,“ブルジョア的”小説を読むことによって始めて「毒草」か否かと判断する力が養われるという学生の主張を受けて,これらの小説の貸し出しと購入をきめたという。
DIA-104-1972-11-25-2中国1972年11月25日1970年代ハマド・レバノン外相が訪中─12月12日帰国,中国・レバノン貿易協定に調印。
DIA-104-1972-11-25-3中国1972年11月25日1970年代マレーシア・バドミントン総会代表団,北京着。
DIA-104-1972-11-25-4中国1972年11月25日1970年代ウガンダ大統領特使訪中─29日まで。
DIA-104-1972-11-25-5中国1972年11月25日1970年代ルーマニア労働組合中央評議会代表団訪中─12月9日まで,
DIA-104-1972-11-25-6中国1972年11月25日1970年代フランス科学技術展開催─北京で12月9日まで。5万余人が参観。
DIA-104-1972-11-26-1中国1972年11月26日1970年代全国の小型セメント工業の発展─現在全国の70%の県が小型セメント工場を持っており,工場の総数は昨年の1,800余りから2,400余りへ増加。その総生産量は全国総生産量の48%を占めている。これら小型工場の生産したセメントの70~80%は水利建設,発電工事,橋,脱穀場,食糧倉庫,豚舎の建設など農業支援に使われている。
DIA-104-1972-11-27-1中国1972年11月27日1970年代北京市の工業部門,工業用穀物と植物油の節約を積極的に行なう─紡績,皮革,醸造,化学工業,機械などの工業部門の不完全な統計によれば,この1年間余りの期間に工業用穀物5,000トン,植物油1,500トン余りを節約。
DIA-104-1972-11-27-2中国1972年11月27日1970年代毛沢東,董必武,朱徳,周恩来連名でアルバニア指導者に祝電─独立60周年,解放28周年に際して。
DIA-104-1972-11-28-1中国1972年11月28日1970年代黄松齢(全人代代表,中共党学校政治経済学研究室顧問)逝去。
DIA-104-1972-11-28-2中国1972年11月28日1970年代中国とチャドが外交関係を樹立。
DIA-104-1972-11-28-3中国1972年11月28日1970年代日本政府事務当局訪中団北京着─外務省東郷外務審議官を団長とする日本政府事務当局訪中団が北京入りした。中国側は対外貿易部部長助理劉希文らが出迎えた。航空,海運,漁業,貿易支払等の協定について打診が行なわれる。
DIA-104-1972-11-28-4中国1972年11月28日1970年代中国冶金技術視察団来日─中国機械輸出入総公司顧問張益民氏を団長とする冶金技術視察団が来日した。
DIA-104-1972-11-29-1中国1972年11月29日1970年代姫外交部長,ベトナム・アメリカ交渉に関して談話を発表─アメリカが協定に調印することを要望。
DIA-104-1972-11-30-1中国1972年11月30日1970年代中国テレビ工業視察団来日─鄧国軍国貿促委員ら一行12名が来日,約1カ月カラーTVなど技術交流を行なう。
DIA-104-1972-11-30-2中国1972年11月30日1970年代その他の訪中団 久保長崎県知事を団長とする長崎県友好訪中団は9日中国南部参観のため北京を出発した。また,日本看護婦友好訪中団(村田嘉代子団長)は,11日夜中華医学会責任者・謝華氏と会見した。22日には石川県労働組合活動家訪中団及び山陰地方労働組合青年活動家友好訪中団が中日友協の責任者張香山と会見した。
DIA-104-1972-12-01-1中国1972年12月01日1970年代田中首相の訪中記録映画,中国全国で上映。
DIA-104-1972-12-01-2中国1972年12月01日1970年代中国政府貿易代表団(白相国団長),ハンガリー,ユーゴスラビア,ルーマニア訪問を終え帰国。
DIA-104-1972-12-02-1中国1972年12月02日1970年代人民日報,日本の北方領土要求を報道─大平外相の訪ソ前後にまつわる日本の官界,社会世論はソ連の無理な云い分とおどかしに反撃していると報道している。
DIA-104-1972-12-02-2中国1972年12月02日1970年代総評,中立労連青年活動家訪中団は中共中央対外連絡部部長耿と会見した。
DIA-104-1972-12-03-1中国1972年12月03日1970年代人民日報,総選挙について報道─「日本各政党は衆議院総選挙に備え選挙運動を強化」と題する紹介記事を掲載した。
DIA-104-1972-12-03-2中国1972年12月03日1970年代日中国交正常化国民協議会訪中団─大阪外語大金子名誉教授を団長とする上記訪中団は3日,郭沫若中日友協名誉会長と会見した。
DIA-104-1972-12-04-1中国1972年12月04日1970年代河北省の機械工業部門,農業用ディーゼルエンジンの生産を発展させて農地水利建設を支援─1~10月の期間に全省のディーゼルエンジン総生産量は7万3200台で昨年全年の総生産量と比べて40%増。この1年間に全省農村で増加した動力揚水井戸は6,700基余りでそのうちすでに取りつけられたものは80%以上。その威力を発揮して早害にもかかわらず農作物は昨年と比べて1割から2割の増収。
DIA-104-1972-12-05-1中国1972年12月05日1970年代黒竜江省の機械工業部門は,労働模範と技術革新の腕きき32名からなる技術演技隊を組織して全省各地に先進技術を普及している。
DIA-104-1972-12-05-2中国1972年12月05日1970年代周総理,クウェート政府貿易経済代表団と会見。
DIA-104-1972-12-05-3中国1972年12月05日1970年代商船三井も中国基点の3国間航路開設について中国側と同意に達した。川崎汽船グループはすでに合意をみている。
DIA-104-1972-12-06-1中国1972年12月06日1970年代共青団への指導を強めよ─人民日報は連日,共青団への指導の強化を訴えるキャンペーンを行なっているが,6日の同紙によると,山西省清徐県の党組織は知識青年に対する指導を強める中で特に共青団の組織化を強めた。今年,全県で3,346名が新たに共青団に加入し,さらに361名の共青団員が共産党に加入したという。
DIA-104-1972-12-06-2中国1972年12月06日1970年代紅旗第12号,厳平論文,「工作をするにあたっては恐れずに責任を負わなければならない」。
DIA-104-1972-12-06-3中国1972年12月06日1970年代人民日報評論員,「ベトナム南部愛国者の殺害は許さない」政─治犯の惨殺に反対した12月3日臨時革命政府の声明を支持。
DIA-104-1972-12-06-4中国1972年12月06日1970年代パリで,中国・オーストラリア国交初会談開く。
DIA-104-1972-12-07-1中国1972年12月07日1970年代日中友好漁業労働者代表団訪中─沙風農林部長は,中西虎吉を団長とする上記代表団と会見した。
DIA-104-1972-12-08-1中国1972年12月08日1970年代オーストラリア,中国に原綿125万ドルを輸出─原綿輸出ははじめて。
DIA-104-1972-12-09-1中国1972年12月09日1970年代ブアボギ・ギニア首相が訪中─10日,周総理と会談。中国対ギニア金融借款供与協定と商品借款供与協定に調印,12月16日訪問終了。
DIA-104-1972-12-09-2中国1972年12月09日1970年代中国土木技術視察団来日─日中土木技術交流協会は中国土木工程学会の茅以昇理事長から近く代表団を派遣するとの連絡を受けた。
DIA-104-1972-12-10-1中国1972年12月10日1970年代鄧子恢(中共中央委・政協会議副主席,第3期全人代代表)逝去─14日,人民大会堂で盛大な追悼会が開かれた。毛主席,董必武,宋慶齢,朱徳ら各氏から花輪が送られ,式には周恩来,江青,葉剣英,張春橋,姚文元,李先念,紀登奎,汪東興,徐向前,聶栄臻,郭沫若,阿沛・阿旺晋美,周建人,陳雲,李富春ら各氏が参列した。
DIA-104-1972-12-10-2中国1972年12月10日1970年代11月下旬に中ソ国境で衝突説─モスクワ西側外交筋が11月27日流布されたソ連当局機密報告書の内容として伝えたところによると,この2,3日前武装した一隊が中国側よりカザフ共和国に侵入,ソ連国境警備隊と銃撃戦をおこない,ソ連側兵士5人,民間人数人が殺されたという。
DIA-104-1972-12-10-3中国1972年12月10日1970年代農業2団体訪中─菅沼正久氏を団長とする,第3次日本農村活動家友好訪中団,および,田中仁一氏を団長とする,日中友好協会(正統)本部農民友好訪中団の2つの団は別々に,紀登奎,楊立功,張香山氏らと会見した。
DIA-104-1972-12-11-1中国1972年12月11日1970年代中ソ国境衝突事件について,中ソとも公式に否定─ソ連外務省スポークスマンは自分は「この件に関して全く知らない」とのべ,中国外交部スポークスマンは「全くの悪意あるデッチあげであり,中傷である」と語った。
DIA-104-1972-12-11-2中国1972年12月11日1970年代「日中功労議員」落選─日中国交回復の功労者といわれる,旧松村派の古井喜実代議士,川崎秀二代議士は10日の総選挙で揃って落選した。
DIA-104-1972-12-11-3中国1972年12月11日1970年代大阪市港湾局訪中団─福山真三郎氏を団長とする上記代表団は,廖承志中日友好協会会長,于眉交通部副部長と会見した。
DIA-104-1972-12-12-1中国1972年12月12日1970年代人民日報短評,「農地基本建設をりっぱに行なおう」─各級の指導幹部は生産隊の自主権を尊重して,農地建設において協働作業を行なう時は,等価交換の原則により受益の多少に従って合理的に労働力と資金を負担させるようにしなければならない。
DIA-104-1972-12-12-2中国1972年12月12日1970年代日中友好漁業労働者訪中団─中西虎吉氏を団長とする上記代表団は,廖承志中日友好協会長と会見した。
DIA-104-1972-12-14-1中国1972年12月14日1970年代対ソの中日軍事接近について周発言─『N.Y.タイムズ』によると田中周会談で周首相は日本の妥当な 軍事増強を支持するとともに,ソ連が日本を攻撃した場合には,中国が日本を軍事援助することもありうると述べた。
DIA-104-1972-12-15-1中国1972年12月15日1970年代上海市工業交通部門は大衆的節約活動を広く展開─1~10月に節約した鋼材4万5000トン,有色金属8,000トン,化学工業原料6万6000トン,木材13万m3,石炭41万トン。節約した電力は昨年同期と比べ2倍以上。「三廃」より100種余りの化学工業原料を回収,その量は1万2000トン余で3400万元余にのぼる。
DIA-104-1972-12-15-2中国1972年12月15日1970年代全国各地で大衆的な石油節約活動を展開─21の省,市,自治区の不完全統計によれば,1~11月間に節約した石油は42万トン,回収し再生利用した潤滑油は8万トン余り。
DIA-104-1972-12-15-3中国1972年12月15日1970年代紅旗12号,任為農論文「農業科学研究を強化しよう」─大衆的な科学実験の展開と同時に,農業科学研究と技術指導の専門機構の整理と建設を強化しなければならない。大衆的科学実験と専門機構の科学実験は相互に補い促進し合うものである。
DIA-104-1972-12-15-4中国1972年12月15日1970年代ラオス愛国戦線党代表団,北京着─団長ヌハク・プームサバン,ソ連訪問の途次。
DIA-104-1972-12-16-1中国1972年12月16日1970年代チュオン・チンを団長とする北ベトナム政府代表団,北京着─18日ソ連へ。
DIA-104-1972-12-16-2中国1972年12月16日1970年代国連第5委,台湾の負債に関し,中国の支払い兎除を決議。
DIA-104-1972-12-17-1中国1972年12月17日1970年代周総理,張春橋,耿,ベトナムのスアン・トイ,レ・ドク・ト会代表らと見─一行は18日帰国の途へ。
DIA-104-1972-12-18-1中国1972年12月18日1970年代湖北省財政商業部門,全力をあげて農業を支援─各級商業部門が農業に与えた農薬,化学肥料,農業器械,ディーゼル油などの農業生産用物資の総額は昨年より10%前後増加。10月までの全省の農副産品の買付け総額は昨年同期と比べて13%増加。この1年来全省の出した予約買付け金,農業貸付金と信用組合の貸付金は,昨年と比べて8.1%増加。地方財政資金の60%は農業生産と農地水利建設に直接使用された。
DIA-104-1972-12-18-2中国1972年12月18日1970年代中国・スリランカ1973年─77度貿易・支払協定に調印─コロンボで。
DIA-104-1972-12-18-3中国1972年12月18日1970年代駐中国公使に林祐一を発令─同時に定員19名のうち10名を発令した。
DIA-104-1972-12-19-1中国1972年12月19日1970年代中国銀行代表団,アルバニア,ルーマニア,フランス,アルジェリア,タンザニア,ザンビア,パキスタン訪問より帰国。
DIA-104-1972-12-20-1中国1972年12月20日1970年代人民日報,青年教育の強化を訴えるキャンペーン─人民日報は農村及び工場における青年労働者や共青団に対する規律,思想,技術面での指導工作を強めよというキャンペーンを連日行なっている。19日の人民日報では工場内における青年労働者はともすれば無規律,享楽的になりブルジョア階級の思想に犯されやすいと述べ,彼らに対する思想教育の強化を訴えている。
DIA-104-1972-12-20-2中国1972年12月20日1970年代中国外交部,米のハノイ,ハイフォン爆撃を激しく非難。
DIA-104-1972-12-20-3中国1972年12月20日1970年代中国・イラク経済技術協力議定書に調印─バクダットにて。
DIA-104-1972-12-20-4中国1972年12月20日1970年代輸銀金利6.25%の統一金利─政府は,中国向け延べ払いにソ連並みの統一金利を適用することを決定し,融資は所要資金の80%までとした。
DIA-104-1972-12-21-1中国1972年12月21日1970年代中国とオーストラリアが外交関係を樹立─オーストラリアは1973年1月25日までに台湾から政府代表機構を引揚げることを決定。
DIA-104-1972-12-21-2中国1972年12月21日1970年代新華社緊急声明─米による中国商船「紅旗149号」への爆撃,破損に抗議。
DIA-104-1972-12-22-1中国1972年12月22日1970年代国防部,ベトナム人民軍建軍28周年祝賀会を開く─駐北京北ベトナム外交団の他,中国側から王樹声国防部副部長,李達副総参謀長,田維新総政治部副主任,封永順総后勤部副部長ら各氏が出席した。
DIA-104-1972-12-22-2中国1972年12月22日1970年代サツマイモの豊収─昨年と比べ福建省は3割,広東省は2割,雲南省は1割以上の増産。広西チワン族自治区でも単位面積当りの収量は昨年を上まわる。
DIA-104-1972-12-22-3中国1972年12月22日1970年代姫外交部長,朝鮮を友好訪問─23日,金日成首相と会見,25日,プレス・コミュニケ発表,帰国。
DIA-104-1972-12-22-4中国1972年12月22日1970年代中国とニュージーランドが外交関係を樹立。
DIA-104-1972-12-23-1中国1972年12月23日1970年代中国政府貿易代表団(団長,白相国),ビルマとスリランカ訪問より帰国。
DIA-104-1972-12-23-2中国1972年12月23日1970年代中朝科学校技術協力委員会第回会議の議定書に調印─またさいきん中朝1973~74年度科学協力計画に調印。
DIA-104-1972-12-24-1中国1972年12月24日1970年代上海市の工業総生産額は史上最高─550余りの工場が1カ月以上早く年度計画を完成。60種の製品の品質が昨年より向上。
DIA-104-1972-12-24-2中国1972年12月24日1970年代人民日報,公冶平論評─全国農村の生産水準が低く資金の蓄積が少ない一方で,生産水準を高めるために農業の機械化がさしせまって要求されている。この矛盾を解決するには主に農業自身の資金蓄積に依らざるを得ないが,同時に農業機械製造工業部門がコストを下げ,あらゆる手段をつくして農業のために資金を節約することが要求されている。
DIA-104-1972-12-25-1中国1972年12月25日1970年代米中貿易,上半期で往復1450万ドルに達す─米商務省発表。
DIA-104-1972-12-25-2中国1972年12月25日1970年代中国卓球協会は全日本学生卓球代表団歓迎会を北京工人体育館で1万4000名を集めて開いた。
DIA-104-1972-12-27-1中国1972年12月27日1970年代北京美術館で「パリ・コンミューン文物資料展覧会」が開かれる。
DIA-104-1972-12-27-2中国1972年12月27日1970年代全国の紡績工業部門,年度計画を完成─この1年間は品質向上のために設備検査,操作法,工具管理の整理整頓などに力を入れて,綿糸の一等一級品率,綿布の入庫一等品率を昨年に比べて大幅に高めた。例えば陝西省の80%の紡績工場の産品の品質は史上最高の水準となる。また化学せんい,綿毛混紡品の種類も数量も大幅に増加。
DIA-104-1972-12-27-3中国1972年12月27日1970年代北京で中国・北ベトナムの1973年度物資相互供給・支払協定に調印。
DIA-104-1972-12-27-4中国1972年12月27日1970年代ラオス愛国戦線代表団,ソ連からの帰途北京に立ち寄る。
DIA-104-1972-12-27-5中国1972年12月27日1970年代64年以来の輸銀使用対中輸出─1964年に吉田書簡が出されて以来ストップしていた輸銀資金使用による輸出が,この度,東洋エンジニアリングのエチレン,ブタジェン製造プラント輸出で成立した。
DIA-104-1972-12-28-1中国1972年12月28日1970年代インドネシア外相,中国との外交再開に政治的障害なしと言明─11月4日大統領特使が訪中した。
DIA-104-1972-12-29-1中国1972年12月29日1970年代毛主席,グエン・チ・ビン・ベトナム南部臨時革命政府外相と会見─毛主席は,「われわれは一家の者である。われわれ,あなたがたベトナム南部と北部,さらにラオス,カンボジアと朝鮮はみな一家の者である。われわれは互いに支持しあってゆこう。」とのべた。
DIA-104-1972-12-29-2中国1972年12月29日1970年代毛主席,董主席代理,金日成氏の国家主席就任に祝電を送る。
DIA-104-1972-12-29-3中国1972年12月29日1970年代中国とダホメーが外交関係を回復─共同コミュニケが北京で発表された。27日にダホメー外相が訪中。
DIA-104-1972-12-30-1中国1972年12月30日1970年代全国の農業生産の成果─食糧生産量は初歩的な統計によれば2億4000万トンで1970年なみ。主要経済作物のうち綿花,落花生,ゴマが1971年に比べてやや減産となったほかはナタネ,麻類,タバコ,まゆ,茶,糖類,果物は昨年と比べて1割から4割の増産。豚の飼養量は昨年と比べて増加,植樹造林面積は去年と比べ拡大。北方地区と南方一部の地区で厳しい旱害があった。 すでに「全国農業発展要綱」の規定の指標を上回った上海,浙江,江蘇,広東,北京などの省市は今年も「要綱」到達するかあるいは超過した。山東,青海,甘粛,雲南,広西,江西,湖北,安徽,福建などの14省,自治区は食糧生産で豊収。
DIA-104-1972-12-31-1中国1972年12月31日1970年代周総理,ソ連より帰途の北ベトナム代表チョン・チン以下の人々と会見。
DIA-104-1972-12-31-2中国1972年12月31日1970年代北京で39カ国からの専門家と夫人160余人を招宴。
DIA-104-1973-01-01-1中国1973年01月01日1970年代人民日報,紅旗,解放軍報元旦社説「年頭のことば」-「深く地下道を掘り,いたるところで食糧をたくわえ,覇権を求めない」という毛主席指示登場。
DIA-104-1973-01-01-2中国1973年01月01日1970年代グエン・チ・ビンベトナム臨時革命政府外相の訪中に関する共同コミュニケを発表-1日午後,同外相は北京を離れ帰国,空港には姫鵬飛外交部長,耿中央対外連絡部長ら各氏が見送った。
DIA-104-1973-01-02-1中国1973年01月02日1970年代北京大学文科系は実践に深く入った基礎の上で理論面の学習をすすめている-たとえば哲学系は社会調査,国際政治系は「帝国主義論」にもとづく社会・文献調査をおこなっている。
DIA-104-1973-01-02-2中国1973年01月02日1970年代中国舞劇国,中央楽団,北京劇団が地方公演より帰着-西安,延安,太原,大寨,済南,合肥,大慶,ハルビン,瀋陽をグループ別に1カ月間。
DIA-104-1973-01-03-1中国1973年01月03日1970年代全国交通部門の1972年の成果―鉄道貨物運輸量,船舶貨物運輸量,自動車貨物運輸量はそれぞれ1971年と比べて6.2%,7.1%,3.4%増えた。
DIA-104-1973-01-03-2中国1973年01月03日1970年代周恩来,張春橋,レ・ドク・ト特別顧問と会見。
DIA-104-1973-01-04-1中国1973年01月04日1970年代清華大学の教育革命の成果-2,000余名の教師のうち整党建党以来150人が入党,3年来4,917人の労農兵学員を招集し,第1期入学者のうち267人が入党。
DIA-104-1973-01-05-1中国1973年01月05日1970年代広東省の学生数1000万人に達す-この数は1949年の5.5倍,1965年より300万人多い。児童の90%以上が学校へ入り,小学生数は722万人で,1965年より106万人多くなっている。人民公社の70%に高級中学があり,生産大隊の80%が小学校に初級中学を付設している。中学生数は1965年の4.3倍に達している。
DIA-104-1973-01-05-2中国1973年01月05日1970年代船舶の対中輸出商談相次ぐ-5日の日経新聞の報道によれば,最近,三菱重工業,日本鋼管,三井造船等の会社が相次いで,中国から大型しゅんせつ船,冷凍船などの引き合いを受け,その他の各社にも中国から作業船を中心に引き合いが活発化している(日経,1月5日)。
DIA-104-1973-01-05-3中国1973年01月05日1970年代東洋エンジニアリング,大型エチレンプラントを受注(エチレン年産30万トン,ブタジェン年産4万5000トン,約130億円)。
DIA-104-1973-01-06-1中国1973年01月06日1970年代イタリアのメジチ外相訪中-中国外交部の招きによるもの。同日,姫鵬飛外交部長と会談,9日には周総理と会談を行なった。
DIA-104-1973-01-07-1中国1973年01月07日1970年代湖南省新邵県の各級党組織は共青団に対する指導を強化-昨年6,500余名が入団し,480余名の団員が入党。昨年6月県団委員会を建設した。全県の青年が1,660余の科学実験小組を形成して農業生産に力を入れている。
DIA-104-1973-01-08-1中国1973年01月08日1970年代中国・イタリア,民間航空輸送協定調印。
DIA-104-1973-01-08-2中国1973年01月08日1970年代中国・イタリア,商品登録協定を結ぶ-両国の会社,企業は,相手国においてその国の法律,習慣に基づいて商品登録を申請し,登録済商標の専用権を取得することができる。
DIA-104-1973-01-08-3中国1973年01月08日1970年代中国電信総局技術視察団訪日-日中間の海底ケーブル敷設問題を話合うため。
DIA-104-1973-01-09-1中国1973年01月09日1970年代中国から原油輸入-日中貿易業界が明らかにしたところによると,中国化工進出口公司はこのほど財界有力者に対し中国産原油を日本に輸出したいと申入れてきた。中国側がとりあえず希望する規模は20万トン,国際価格で引渡すというもの(朝日,1月10日)。
DIA-104-1973-01-10-1中国1973年01月10日1970年代湖南省の基本建設―農業への支援と基礎工業の発展を重点として47項目を確定。1972年の1~10月間に鉄鋼工場の拡張,窒素肥料工場の拡張,火力発電所の新設および拡張などの重点工事が予定より早く完成。この建設により化学肥料は20%前後,発電量は30%余り増加。
DIA-104-1973-01-10-2中国1973年01月10日1970年代ザイール共和国モブツ大統領訪中-中国政府の招きによるもの,10日午後,北京空港には周恩来,李先念,徐向前,姫鵬飛ら政府首脳各氏が出迎えた。同日,同大統領と周総理の第1回の会談が行なわれた。 11日夜,周総理は人民大会堂でモブツ大統領の歓迎宴会を催した。 なお10日人民日報は「ザイールの貴賓を歓迎する」と題する社説を掲げた。
DIA-104-1973-01-10-3中国1973年01月10日1970年代林祐一公使,北京に着任-11日,北京三里屯外交人員弁公楼の仮事務所で大使館業務をスタートした。
DIA-104-1973-01-11-1中国1973年01月11日1970年代紅旗1号,任菁論文:「闘争の中で労働者幹部を養成しよう」-労働者新幹部を積極的に責任ある仕事につけ鍛えよ。理論学習の機会も与える必要がある。マルクスのパリ・コンミューンに対する態度に学び,新幹部に責任を分与し,正反の経験を総括して前進するよう援助しなければならない。
DIA-104-1973-01-11-2中国1973年01月11日1970年代北京部隊生産建設部隊,広州部隊生産建設部隊で知識青年が活動,成長している(人民日報)。
DIA-104-1973-01-11-3中国1973年01月11日1970年代廖承志氏,八百板氏を団長とする日中農業農民交流協会訪中団と会見。
DIA-104-1973-01-12-1中国1973年01月12日1970年代ニクソン米大統領,ワシントンで公演中の中国瀋陽雑技団と会見。
DIA-104-1973-01-12-2中国1973年01月12日1970年代パキスタン軍事友好代表団訪中-同日,張才干解放軍副総参謀長と会談を行なった。15日,周総理と会談。
DIA-104-1973-01-12-3中国1973年01月12日1970年代中国原油受入れ新会社「国際石油」設立-各業界の出資によるもので,社長には松原与三松国貿促関西本部会長が内定。
DIA-104-1973-01-13-1中国1973年01月13日1970年代白相国対外貿易部長,ロンドン訪問-英中貿易拡大の協議のため。
DIA-104-1973-01-13-2中国1973年01月13日1970年代毛主席,モブツ大統領と会見。
DIA-104-1973-01-13-3中国1973年01月13日1970年代中国・カンボジア,軍事装備,物質無償供与協定および経済援助協定に調印。
DIA-104-1973-01-13-4中国1973年01月13日1970年代中国,駐日臨時代理大使に米国釣氏を任命-同氏は前駐オーストラリア国貿促商務代表・欧州諸国で貿易,経済関係のJエキスパートとして活躍していた。
DIA-104-1973-01-14-1中国1973年01月14日1970年代江蘇省の鉄鋼工業-1972年の鋼と鉄の生産量は前年比それぞれ52%,43%の増加。現在全省に60余りの鉄鋼工場がある。鉱石や補助原料材料の自給自足をほぼ達成している。約40の小型鉄鉱山が開発されて,その生産量は全省総生産量の20%を占めている。南京鉄鋼工場の拡張が基本建設の重点工事としてすすめられたため,ここ数年来,この工場の鋼生産量は年平均70%の割合で伸びている。
DIA-104-1973-01-14-2中国1973年01月14日1970年代中国・ザイール共和国,経済技術協力と貿易協定に調印。
DIA-104-1973-01-15-1中国1973年01月15日1970年代吉林市で1973年度全国氷上運動会開く-29日まで,文革後はじめて。
DIA-104-1973-01-15-2中国1973年01月15日1970年代モブツ大統領,北京を離れ上海へ向かう-北京空港では周恩来,李先念ら党,政府首脳が見送り,徐向前が大統領に同行した。同大統領は上海,杭州,広州を参観後,20日に広州から帰国した。
DIA-104-1973-01-15-3中国1973年01月15日1970年代木村武雄氏を団長とする自民党国会議員団,訪中-17日には周総理,廖承志氏と会見した。さらに20日にも周総理,廖承志,胡愈之(人代常委会委員)らと2度目の会見をおこなった。
DIA-104-1973-01-16-1中国1973年01月16日1970年代北京市の工業部門の技術革新-1972年に達成した技術革新は7000件余り,比較的重要なものは300件。そのうちにはIC万能ディジタル計算機,50kwヨウ化タリウム高圧水銀灯,耐火セメント,200トンのタワー式超重機,1キロアンペア,シリコン制御パーツ,爆発法による人工ダイヤモンド製造法などがある。首都鉄鋼公司では採鉱,焼結,製鉄,製鋼,圧延などの部門に電子技術を応用している。
DIA-104-1973-01-16-2中国1973年01月16日1970年代全国綿花生産会議の開催―国務院の主催で16日から28日までの13日間北京で開催。18省・市・自治区の革命委員会の責任者と綿産地区と県(市)の代表,綿花生産の労働模範・先進単位代表など1,047名が参加。周総理,李副総理らが参加者を接見。今年度の生産計画を討議し,綿花生産を発展させる措置を制定。昨年の生産量は上海,江蘇,安徽,江西,湖南,浙江,甘粛の各省市,自治区で前年より増加。 上海郊区,江蘇省南通地区,河南省新郷県,湖北省雲夢県など食糧,綿花ともに高収穫の先進単位があらわれている。会談は各地に対し,食糧,綿花ともに収穫をあげること,国家計画に厳格に従って作付けし,綿畑の面積を合理的に配置し適宣に集中すること,「8字憲法」を実行することを要請。
DIA-104-1973-01-17-1中国1973年01月17日1970年代新疆自治区荒葉県党委,少数民族から幹部を養成-県,社級幹部の85%が少数民族幹部。26名の県委委員中5名が少数民族婦人幹部である。
DIA-104-1973-01-17-2中国1973年01月17日1970年代中曽根通産大臣を団長とする官民訪中団出発-同日北京着,李強,孫平化,劉希文氏らが出迎え,18日から李強対外貿易部長代理と第1回目の会談に入った。
DIA-104-1973-01-18-1中国1973年01月18日1970年代遼源市渭津公社衛生院は農村衛生工作展開の基地となっている-渭津公社は24の大隊,1つの農場,1つの街道からなり人口3万7000人余を擁する。各大隊に衛生所があり2~3名の「はだしの医者」が居り,各生産隊には1~2名の衛生員がいる。
DIA-104-1973-01-18-2中国1973年01月18日1970年代中曽根氏,周恩来,廖承志氏らと会談-午前中の廖承志氏との会談では,中曽根氏の大阪で来年,中国博覧会を開きたいとの申し入れに対し,廖氏は前向きの検討を約し,担当者に劉希文氏をあてる旨回答した。 同日夜の周総理との会談では,周総理は,貿易,航空協定の締結を急ぐべきこと,中国の大陸だな石油開発では日本との共同開発は考えていない,等を明らかにした。 中曽根氏は19日に,さらに2度にわたって周総理と会談,20日北京を離れ,上海をへて帰国した。
DIA-104-1973-01-19-1中国1973年01月19日1970年代最近,国家計画委員会と水利電力部が広州で全国電力節約活動経験交流会を開催。昨年の節電量は50億キロワットアワー。
DIA-104-1973-01-19-2中国1973年01月19日1970年代中国,世界軍縮委に不参加-黄華中国国連常駐代表は国連事務総長に世界軍縮会議特別委員会の構成問題に関する中国代表団の声明を手渡し,その中で,中国代表団は同委員会の活動に参加しない旨を通告した。
DIA-104-1973-01-19-3中国1973年01月19日1970年代中国,ルーマニア,中国がルーマニアに提供するプラント項目と技術援助に関する議定書に調印。
DIA-104-1973-01-20-1中国1973年01月20日1970年代西ドイツ政策綱領について―20日の人民日報はブラント西ドイツ首相が最近,議会に提出した政府の政策綱領について報道,「断えず政治協力を密接にしていくことは,欧州連盟を建立する決定的な推進力であることを強調し,米国の政治力と軍事力の存在は欧州のバランスを保つのになくてはならないものである。」との見出しをつけている。
DIA-104-1973-01-20-2中国1973年01月20日1970年代カラチーラウルビンヂー北京ー上海国際航空路線開通―20日,PIA第1便が,非共産国の定期航空便として初めて北京にのり入れた。
DIA-104-1973-01-21-1中国1973年01月21日1970年代1972年の小麦生産-小麦の作付け面積は食糧作物作付け総面積の5分の1。1972年の生産量は前年比8%増。全国の31の県市の小麦1ヘクタール当り生産量が3トンを越え,そのうち3つの県市では3.75トンを越えた。6トンを越えた生産大隊と7.5トンを越えた生産隊が出現した。
DIA-104-1973-01-22-1中国1973年01月22日1970年代韓叙儀典局長を団長とする中国外交部代表団,来日―日本外務省の招待によるもの。
DIA-104-1973-01-24-1中国1973年01月24日1970年代熊瑾(中国紅十字会副会長,政協全国委委員)死去-87歳,北京で死去。
DIA-104-1973-01-24-2中国1973年01月24日1970年代人民日報,柳論文「経済の発展があって初めて供給を保障できる」-①社会主義商業組織は,商品流通の過程で農業副業産品の買付け量の問題,工業品の分配問題,価格問題および家庭副業問題を正しく解決して,国家,集団,個人三者の関係を正しく処理することが重要である。②食糧買付けは豊作地区からいくらか多く,受災し減産した地区からは少なく買付けるべきで,工農産品の交換に際しては,国家に農副産品を多く売った地方へはより多くの工業品を供給すべきである。また価格問題では必要で合理的な地域価格差,季節性の価格差,品質価格差と品種価格差を規定して国家計画の指導の下で,この価格というテコを正しく利用して三者の関係を正しく処理すべきである。③商業部門の買付ける農副産品のうち,家庭副業産品は約4分の1を占めている。豚,家禽,卵,ウサギ,野生繊維,野生薬材は大部分家庭副業から得られる。
DIA-104-1973-01-25-1中国1973年01月25日1970年代郵便事業の発展-1972年には仝国の主な新聞発表量は前年比8.5%増,信書類と小包の取扱い量はそれぞれ10.1%,11.5%ふえ,為替業務は14.2%ふえた。
DIA-104-1973-01-25-2中国1973年01月25日1970年代中国・アフガニスタン,1973年度バーター議定書調印。
DIA-104-1973-01-25-3中国1973年01月25日1970年代中国・スーダン,スーダンに製氷工場,漁船・漁網修理工場,冷蔵庫を建設する会談紀要に調印。
DIA-104-1973-01-25-4中国1973年01月25日1970年代ベトナム停戦協定についての報道-25日,26日の人民日報は23日,パリで調印された「ベトナムの戦争終結・平和回復に関する協定」仮調印に関し,第1面に,北ベトナム政府,臨時革命政府の声明を発表し,さらに“この協定はベトナム人民の一つの大きな勝利である”との声明の内容を引用している。さらに同協定の全文と付属文書を26日~28日の紙面に掲載した。
DIA-104-1973-01-25-5中国1973年01月25日1970年代周恩来,姫鵬飛,李強らモーリシャス経済貿易代表団と会見。
DIA-104-1973-01-26-1中国1973年01月26日1970年代人民日報,郭育文論文「児童の時から鍛える」-名級の党組織は青少年と児童の体育活動への指導を強め,学校と業余の2本立てで長遠な目標をもってとり組まねばならない。
DIA-104-1973-01-26-2中国1973年01月26日1970年代人民日報社説,「ポルトガル植民地主義の新たな罪悪行為を強く非難する」-1月20日,ギニア・カボベルデ・アフリカ独立党書記長アミカル・カブラル氏がポルトガル官憲に殺害されたことについて非難したもの。
DIA-104-1973-01-26-3中国1973年01月26日1970年代中国・チリ,海運協定に調印。
DIA-104-1973-01-26-4中国1973年01月26日1970年代初代中国大使に小川平四郎外務省研修所長を決定。
DIA-104-1973-01-27-1中国1973年01月27日1970年代メジナ外相を団長とするチリ政府代表団訪中。
DIA-104-1973-01-28-1中国1973年01月28日1970年代人民日報社説,「ベトナム協定の調印を歓迎する」-同協定の調印を歓迎し,これはベトナム人民のきわめて大きな勝利であり,米国がこの協定をまじめに執行し戦争を終結させることは,ベトナム人民だけでなく米国人民の利益でもあり,アジアと世界の緊張緩和に積極的な影響をもたらす,と述べている。さらにベトナム南部の政治的解決のために3種類の政治勢力の平和的話合と,北ベトナムとの平和的統一を呼びかけている。
DIA-104-1973-01-29-1中国1973年01月29日1970年代上海工業部門が小型化学肥料製造プラントを大量に農業へ供給-最近3年間に300台(1970年100台,1971年140台,1972年60台)の年産3000トンの合成アンモニウム工場のカギとなる設備を各省,市・自治区へ供給した。
DIA-104-1973-01-29-2中国1973年01月29日1970年代毛,董,朱,周4氏連名で,ベトナム和平協定正式調印に祝電-北ベトナム政府,南ベトナム臨時革命政府あてに送り,そのなかで協定調印をベトナム人民の勝利とし,臨時革命政府の旗の下に南ベトナムの平和的統一への希望を述べている。
DIA-104-1973-01-29-3中国1973年01月29日1970年代政府,中国向けエチレンプラント輸出に輸銀使用を認可-対中輪銀使用は9年ぶりに解禁。
DIA-104-1973-01-30-1中国1973年01月30日1970年代上海市虹口区革命委員会下放弁公室は里帰り青1年の学習班を組織-理論学習のほか,農機,医療,電工,木工,理髪など役に立つ技術を学んでいる。
DIA-104-1973-01-30-2中国1973年01月30日1970年代黒竜江省松花江地区農業科学研究所は農村科学実験グループを組織-1970年春から3分の1ずつ人員を3つの大隊を基点として入らせ,1971年春から102の大隊の科学実験小組を連系点として組織化,中核グループを育成している。
DIA-104-1973-01-30-3中国1973年01月30日1970年代政府,中国に大豆緊急輸入を要請-30日,中国糧油食品進出口公司は日本国貿促を通じ,昨年度契約で残っている6万トンを2月までに積み出し,今後の輪出の増ワクについても努力を約した。
DIA-104-1973-01-31-1中国1973年01月31日1970年代上海市の金山と青浦,浙江省の嘉善と平湖の4県が協力して血吸虫病の防治に成果―この病気に悩まされていた23公社,101大隊のうち,17公社,87大隊で基本的に血吸虫病を消滅した。
DIA-104-1973-01-31-2中国1973年01月31日1970年代北京,上海,天津で冬季愛国衛生運動を展開。
DIA-104-1973-01-31-3中国1973年01月31日1970年代北京鉄路分局は若くやる気のある共青団指導グループを大胆に養成―昨年11月分局共青団第5次代表大会を開き役員を選出。37名の委員の平均年齢は22歳で,9名の常任委員の平均年齢は23.5歳。団委書記は23歳で副書記の1人は19歳,もう1人は31歳でこの人は元共青団幹部であった。
DIA-104-1973-01-31-4中国1973年01月31日1970年代北京市で最近,軍属,復員・転業・退役軍人座談会開かる-どのように社会に貢献するべきかを討論。
DIA-104-1973-01-31-5中国1973年01月31日1970年代安徽省の工業製品の自給率が高まる-64%に達す。以前他の省に依存していた化工製品のうち84種が生産できるようになった。
DIA-104-1973-01-31-6中国1973年01月31日1970年代中国,米国から綿花買い付け-綿花50万俵(8000万ドル相当)をロンドンの業界を通じて買い付けたといわれる(ニューヨークタイムス,1月31日)。
DIA-104-1973-01-31-7中国1973年01月31日1970年代周総理,姚文元,張春橋,レ・ドク・ト特別顧問と会見―同顧問はパリ会談後,帰国の途中,北京に立ち寄ったもの。
DIA-104-1973-02-01-1中国1973年02月01日1970年代人民日報評論員論文,「カンボジア王国民族団結政府の厳正な立場を支持する」-最近同政府がカンボジアの問題解決のための声明を発表したことを支持したもの。
DIA-104-1973-02-01-2中国1973年02月01日1970年代毛主席,レ・ドク・ト特別顧問,グエン・ズイ・チン外相と会見-同日,周恩来総理はト特別顧問,チン外相の訪中を歓迎する宴会を開き,駐北京の各国外交官と中国の党・政府首脳が出席した。
DIA-104-1973-02-01-3中国1973年02月01日1970年代在日中国大使館,業務を開始-大使館仮事務所はホテル・ニュー・オータニ。米国鈞臨時代理大使は1月31日に着任。
DIA-104-1973-02-01-4中国1973年02月01日1970年代日中経済協会設立記念-1月20日,東京で設立記念パーティーを開いた日中経済協会の模様を,1日の人民日報は第6面に大きく紹介した。
DIA-104-1973-02-02-1中国1973年02月02日1970年代解放軍福建前線司令部,春節に金門など諸島への砲撃停止を指令-3日と5日に停止。
DIA-104-1973-02-02-2中国1973年02月02日1970年代北京でベトナム協定調印祝賀大集会開催―人民大会堂でベトナムと中国のそれぞれ党,政府首脳および各国外交団と1万人の大衆の出席のもとに開かれた。集会では呉徳北京市革命委主任が司会をおこない,張春橋中共中央政治局委員とト・ベトナム労働党中央政治局委員がそれぞれ演説をおこなった。
DIA-104-1973-02-02-3中国1973年02月02日1970年代中国銀行とチェコ貿易銀行,バーター支払い銀行決済議定書に調印。
DIA-104-1973-02-02-4中国1973年02月02日1970年代中国側,対日原油供給を長期的に-中国産原油を輸入する交渉のため訪中していた富永武彦出光興産常務は記者会見のなかで,中国側が日中友好を前程に今後長期にわたって原油を大量に輸出する意向であることを明らかにし,さらに初年度でも100万トンを下らない大慶原油が輸入されようとの見通しを示唆した(日経,2月3日)。
DIA-104-1973-02-03-1中国1973年02月03日1970年代キッシンジャー米大統領補佐官の訪中に関する公告-米中関係の正常化を促進する問題に関する話し合いのため,2月15日から19日まで訪中する。
DIA-104-1973-02-03-2中国1973年02月03日1970年代三菱油化,エチレンプラントを受注(年産12万トン,約90億円)。
DIA-104-1973-02-04-1中国1973年02月04日1970年代全国で春節の「擁政愛民」,「擁軍優属」活動が展関する-1月以来各地で展開,5日北京では城壁一周マラソンがおこなわれた。
DIA-104-1973-02-04-2中国1973年02月04日1970年代全国都市部の預金が順調に伸びる-1972年の全国都市部の預金総額は,前年比15.9%増でここ数年来最大の伸び。北京,上海,天津の三大都市だけでも新規に100万近い預金口座がふえた。
DIA-104-1973-02-04-3中国1973年02月04日1970年代中国,駐日大使に陳楚国連代表部次席代表を任命。
DIA-104-1973-02-05-1中国1973年02月05日1970年代人民日報,「商業従業員は大いに意気込んで農業支援に努力せよ」というキャンペーン―「編後の言葉」は,商業部門が農副産品の買付けを拡大して副業を促進し,生産隊,人民公社の現金収入を増加させて生産資金の不足を解決した事例に学ぶようによびかけ。
DIA-104-1973-02-05-2中国1973年02月05日1970年代周総理,張春橋,耿,オーストラリア共産党(M・L主義)ヒル議長と会見。
DIA-104-1973-02-06-1中国1973年02月06日1970年代四川省甘孜蔵族自治州で大地震-18時37分にマグニチュード7.9の地震があり,党中央と国務院は直ちに救災組織を発足させた。
DIA-104-1973-02-06-2中国1973年02月06日1970年代全国の機械工業部門,農業機械を増産-トラクター,ハンドトラクター,内燃機関,ポンプ,井戸掘り機などの生産は昨年が一昨年より増え,なかでも,トラクター10%,内燃機関25%,それぞれ増産し,質の向上,コスト引下げにも成果をあげた。山東省では昨年の農業用小型ディーゼルエンジンの生産量は90万馬力に達す。河北省では新しく掘った井戸の80%以上に小型ディーゼルエンジンを据えつけた。江蘇省ではディーゼルエンジンとハンドトラクターの自給率が一昨年の60%から,昨年の80%引上げられた。
DIA-104-1973-02-07-1中国1973年02月07日1970年代北京,武漢,鄭州で「2.7」スト50周年記念活動展開。
DIA-104-1973-02-07-2中国1973年02月07日1970年代湖南省の機械工業の農業支援―昨年全省で生産した農業機械の部品の生産量は1971年と比べ19%以上増。トラクター,内燃機関の部品の自給水準が高まり,一般農業機械器具の部品は基本的に自給を達成。
DIA-104-1973-02-07-3中国1973年02月07日1970年代昨年の日中貿易総額は11億24万7000ドル-通関統計によれば,輸出総額は6億933万3000ドル(対前年比5.4%増),輸入は4億991万4000ドル(対前年51.9%増),総額で対前年比21.9%増で,史上最高を記録。
DIA-104-1973-02-08-1中国1973年02月08日1970年代上海工業部門,技術革新をすすめてここ数年来人を増やさずに増産を達成-1969年と1970年には人を増やさず,1971年と1972年には少数の従業員を補充しただけで全市の工業総産額と労働生産性を毎年増加させた。
DIA-104-1973-02-08-2中国1973年02月08日1970年代中国,対米すず地金160万トンを輸出-米商務省発表の統計で,昨年第4四半期に輸出,金額にして65万ドル強だが,これは中国にとって20年ぶり。
DIA-104-1973-02-08-3中国1973年02月08日1970年代朝鮮人民軍建軍記念-7日,中国国防部は記念報告会を催し,8日の解放軍報は「朝鮮人民軍建軍25周年を熱烈に祝賀する」と題する社説をかかげた。
DIA-104-1973-02-09-1中国1973年02月09日1970年代北京市の文化・科学技術部門,理論,実務水準向上のため各種講座を開設-北京図書館と首都図書館では区,県,局および100余の工場の指導幹部,学習補導員に「マルクス・エンゲルス・レーニン・スターリン著作」講座を開設。「科学発明史」,「魯迅雑文」などの講座も開いた。農林局と科学技術局は「小麦高収の科学技術」などの講座を幹部,労働者,貧農・下層中農に公開している。
DIA-104-1973-02-09-2中国1973年02月09日1970年代北京師範学院第1期労農兵出身学生が卒業-1970年入学で832入。卒業前に全員が教学実習をおこなった。
DIA-104-1973-02-09-3中国1973年02月09日1970年代人民日報評論員論文,「シアヌーク殿下のベトナム訪問の成功を祝う」。
DIA-104-1973-02-09-4中国1973年02月09日1970年代北朝鮮外相訪中-許外相一行は中国外交部の招きをうけ,9日北京に到着,北京空港には姫鵬飛外交部長ら3,000人が出迎えた。同日夜,人民大会堂で姫鵬飛主催の歓迎宴が開かれた,10日には同外相一行は周総理,李徳生氏らと会見した。
DIA-104-1973-02-10-1中国1973年02月10日1970年代湖北省大治県,農業発展へ3項の措置をとる-①農業の第一線に幹部を優先的に配備,②農村の労働力を厳格に統制して,全県の90%以上の労働力が農業生産に従事するように保証,③財政支出を農業へ重点支出,ここ3年,農業と地方工業に振り向けた投資は,地方財政支出の81.7%を占めている。
DIA-104-1973-02-10-2中国1973年02月10日1970年代オランダから世界最大級の尿素プラントを3基質付け-日産1620万トン,米,オランダ合資会社ユナイテッド・コンチネンタル社より1450万ポンドで。3年以内に生産開始の予定(香港晶報)。
DIA-104-1973-02-11-1中国1973年02月11日1970年代人民日報・短評「努力して労働生産性を高めよう」―①企業内の潜在力を掘り起こすにはまず労働力の潜在力を掘り起こさねばならぬ。労働力の浪費は最大の浪費である。②国家の労働力計画は工農業の発展水準と国家の財力物力にもとづいて制定されている。もし労働力計画にそむいて人員を増加させることは工業の労働生産性の向上に影響するばかりでなく,農業労働力を減少させて農業発展をさまたげる。③我々は国家の労働力計画を厳格に実行して,労働力を外部から求めず,内部の潜在力を掘り起こして労働生産性を更に大幅に高めなければならない。
DIA-104-1973-02-12-1中国1973年02月12日1970年代上海市共青団第6回代表大会開く-19日まで代表1,503人が出席して開かれた。産業労働者が代表の46%以上,農民が18%以上を占め,女性代表も多数参加した。委員85人,同候補18人を選出,大部分は非専従で平均年齢25歳以下,女性が43.7%を占めている。
DIA-104-1973-02-12-2中国1973年02月12日1970年代内蒙,黒竜江生産建設部隊で共青団が発展-内蒙の某連隊では数年来165入の団員が入党,956人の青年が入団した。黒竜江の某部13中隊は1967年以来北京,天津,上海,杭州,ハルビンから知識青年170人を受入れた。うち3名は入党,48名が入団し,5名は中隊,分隊クラスの幹部になっている。36名はトラクター運転手,機械担当,ハダシの医者となり,14名はいろいろな形で表彰された。
DIA-104-1973-02-13-1中国1973年02月13日1970年代1972年の電力基本建設の成果-昨年末までに新たに建設あるいは拡張された大中型水力・火力発電所と新たにとりつけられ発電を開始した発電設備容量は1971年と比べ53%伸びで,解放以来最も多い。北京,河北,山西,山東,江蘇,浙江,広東,四川の各省市に建設速度が速く質のよい建設工事が着手されている。
DIA-104-1973-02-14-1中国1973年02月14日1970年代湖北漢方医学院付属病院,中・西医学の結合で急性伝染病を治療―特に流行性脳膜炎患者の治癒率は90%以上にまで高まっている。
DIA-104-1973-02-15-1中国1973年02月15日1970年代上海郊区,北京郊区の養豚事業が発混-上海郊区では1969年1人1頭,1971年1ムー1頭を達成し,昨年は1ムー1.08頭となり,1969年比37%増(集団養豚が31%,社員家庭養豚が41%の増)。また北京郊区では1戸当たり平均4頭に達す。この1年に国家に売り渡した豚は1971年と比べ50%近く増加。
DIA-104-1973-02-15-2中国1973年02月15日1970年代許外相の訪中に関するプレス,コミュニケ発表-その中では,北朝鮮政府の自主的平和統一についての立場への中国の支持を明らかにしでいる。
DIA-104-1973-02-15-3中国1973年02月15日1970年代ベトナム南部各人民武装勢力統一デー祝賀-14日,中国国防部はクアン中国駐在大使の参列のもとに祝賀報告会を開き,解放軍指戦員2,000人余りが出席した。15日の解放軍報は「英雄的なベトナム南部の戦友に敬意を表する」と題する社説をかかげた。
DIA-104-1973-02-15-4中国1973年02月15日1970年代人民日報評論員論文,「サイゴン当局はパリ協定をまじめに履行しなければならない」-サイゴン当局がパリ協定に違反して,臨時革命政府の支配地域に攻撃をかけ,民間人を弾圧していることに抗議したもの。
DIA-104-1973-02-15-5中国1973年02月15日1970年代キ米大統領補佐官訪中-一行18人は15日,北京に到着。同日夜,周総理,姫鵬飛外交部長,喬冠華副部長と第1回目の会談を行なった(18日まで)。
DIA-104-1973-02-16-1中国1973年02月16日1970年代シアヌーク殿下,広東友好訪問を終え,上海へ向かう-17日の人民日報は海南島から同殿下が徐向前,丁盛氏らに見送られて出発した模様を報道しているが,後に明らかにされたところによれば,シアヌーク殿下は上海に向かったのではなく,ハノイへ向かい,カンボジア解放区入りをした。
DIA-104-1973-02-16-2中国1973年02月16日1970年代中国・ギニア,1973年度貿易協定に調印。
DIA-104-1973-02-17-1中国1973年02月17日1970年代毛主席,キ補佐官と会見-17日夜,中南海で,周総理,王海容外交部長助理の同席のもとにおこなわれた。18日の人民日報はこの会見の模様を一面トップに大ー的に報道するとともに,「双方は気楽な雰囲気のなかで率直で広範囲にわたる会談をおこなった。毛主席はキ博士にニクソン大統領によろしくと伝えた。」と述べている。
DIA-104-1973-02-17-2中国1973年02月17日1970年代ブット大統領夫人訪中-同夫人は中国政府の招きによるもので,パキスタン国際航空の北京路線開航記念式典への参加を1つの目的としている。北京空港には李先念,林佳,韓念竜,鄧穎超ら各氏が出迎えた。 18日,ブット大統領夫人は周総理と会見した。 19日,周総理主催の歓迎宴が人民大会堂で開かれ,局総理と大統領夫人がそれぞれ演説をおこなった(20日,北京から上海→杭州→北京,22日帰国)。
DIA-104-1973-02-18-1中国1973年02月18日1970年代白相国,劉希文氏ら日本国貿促代表木村一三氏らと会見-20日には同代表団は郭沫若,廖承志氏らと会見した。
DIA-104-1973-02-19-1中国1973年02月19日1970年代人民日報,中国科学院紫金山天文台:「天文学の偉大な革命」―コペルニクス生誕500周年。
DIA-104-1973-02-19-2中国1973年02月19日1970年代チベット自治区チャユル県のトン人が溪谷地帯に定着-1967年以来7つの新村が建設され140余世帯が山地から下りて定着。
DIA-104-1973-02-19-3中国1973年02月19日1970年代江蘇省啓東県,食糧,綿花ともに豊収-土地不足に対しては多毛作指数の拡大による食糧作付面積の拡大と綿花と夏期作物の間作により解決し,肥料不足に対しては養豚を振興して肥料源を拡大するなどの方途により豊収を達成。
DIA-104-1973-02-19-4中国1973年02月19日1970年代中国・ブルガリア,1973年度貿易協定に調印。
DIA-104-1973-02-19-5中国1973年02月19日1970年代中国人民銀行,1元=130円25銭の新レートを発表。
DIA-104-1973-02-19-6中国1973年02月19日1970年代中国,来年大阪での中国博覧会開催を決定-佐伯大阪商工会議所会頭に中国国貿促の劉希文氏が意向を伝えたもの。
DIA-104-1973-02-20-1中国1973年02月20日1970年代季先念副総理が訪中した日本国貿促代表団との会見で1972年の経済情勢について次のように語る。自然災害による食糧減産は200万トン程度でくいとめることができた,工業力を農業支援に向けたことや農業面での減産は工業部門の生産にはね返った。とくに軽工業部門は減少し綿花は若干輸入せざるを得なかった。重工業部門でも電力関係が一部農業支援に向けられたため,一時は減産を免れなかった。しかし農業面での収穫が終ったあと,10月,11月,12月の3カ月間で遅れをとりもどし大部分は前年をやや上回る程度に落着いた。
DIA-104-1973-02-21-1中国1973年02月21日1970年代山西省党委員会,全省の「農業は大寨に学ぶ」経験交流会議を開催―昔陽県で3月7日まで(人民日報は3月31日に報道。大会は,「大寨に学ぶ」には,毛沢東思想によって農民を教育すること,「総路線」を堅持して大衆の「社会主義的積極性」を動員すること,正しい路線を執行する指導グループをつくりあげることにあることを認識。陳永貴党委書記は講話の中で,「批修整風」というカナメをしっかりつかむことを強調するとともに,革命精神がなければ根本的に生産条件を改変することは不可能であり,大いなる意気込みを持って大いに奪闘して初めて農業の生産条件を改変して農業発展の速度を早めることができる,と述べた。
DIA-104-1973-02-21-2中国1973年02月21日1970年代エチオピア-中国航空路開設,エチオピア一番機上海に着く。
DIA-104-1973-02-22-1中国1973年02月22日1970年代人民日報社説,「生気はつらつとした共青団活動をくりひろげよう」―わが国のこの世代の青年には大いなる希望がある。正しく青年に対処すべきであり,かれらの本質と主流を見るべきである。何百万もの知識青年が農山村に入ったことは社会主義の新生の事物であり,帝国主義,修正主義,反動派の夢にとって1つの強力な打撃であった。 団組織は接触面を若干拡げ,中間的後進的な青年にも関心を寄せるべきである。「りっぱに教育できる子女」のうちの団員で行動のきわだったものも団の工作に当ることができる。
DIA-104-1973-02-22-2中国1973年02月22日1970年代曽沢生国防委員会委員死去-1948年10月決起して解放軍に参加した国民党軍人。25日追悼式。
DIA-104-1973-02-22-3中国1973年02月22日1970年代1972年の主要な地方副業産品の購買量が増大-28種の主要な地方副業産品のうち20種が前年より大幅に増。木炭,生うるし,花むしろは1971年と比べ1割増。野生動物の皮革は30%増。
DIA-104-1973-02-22-4中国1973年02月22日1970年代新華社,半補佐官の訪中についてのコミュニケを発表-ホワイトハワスとの同時発表。その中で,米中両国は貿易,科学,文化その他における交流を拡大する具体的な計画について合意し,さらに近い将来,ワシントンと北京に互いに連絡事務所を設置することで合意している。 キッシンジャー米大統領補佐官は,ホワイトハウスでの背景説明のなかで,連絡事務所は双方とも外交特権を保持し,米国は台湾との外交関係をひき続き継続する,などを明らかにした。
DIA-104-1973-02-22-5中国1973年02月22日1970年代周総理,グエン・ズイ・チン北ベトナム外相と会見。
DIA-104-1973-02-23-1中国1973年02月23日1970年代広州部隊某連隊党委は批修整風をすべての工作に優先さす-1年来6回の幹部学習班を組織,劉少奇のたぐいの政治ペテン師の中国経済に対する誤まった見方を批判,軍事訓練にも力を入れている。
DIA-104-1973-02-23-2中国1973年02月23日1970年代人民日報社説,「ラオス協定の調印を歓迎する」-21日,ラオス愛国戦線とビエンチャン政府との間で調印された「ラオスの平和回復と民族和睦実現に関する協定」を歓迎したもの。そのなかでは「この協定調印はラオス人民が長期にわたって正義の闘争を堅持して収めた勝利の果実」であり,ラオスの平和回復は,「東南アジアとアジア全域の緊迫した情勢の緩和である…」と述べている。 なお,22日の人民日報は同協定の全文および愛国戦線側の声明を一面に掲載した。
DIA-104-1973-02-24-1中国1973年02月24日1970年代中国代表団,ベトナム問題に関する国際会議に出席のためパリヘ出発―団長は姫鵬飛外交部長,副団長は韓念竜副部長。
DIA-104-1973-02-25-1中国1973年02月25日1970年代北京市の下放知識青年,広大な天地で急速に成長-1968年以来,北京市から黒竜江,内蒙古,山西,陜西,雲南,吉林,遼寧の農村に多数の知識青年が定着,うち3,000余人が入党,1万6000余人が共青団に入った。1969年から1972年末までに,市革命委員会は7つの学習慰問団と7つの学習工作組を派遣して援助している。
DIA-104-1973-02-25-2中国1973年02月25日1970年代山東省の小型動力機械の生産-1972年に全省で生産しだ農業用小型動力機械は9万2400台余り,108万馬力にのぼり,1971年と比べ19.5%増。その大多数は10~12馬力のディーゼルエンジンとガソリンエンジンでポンプ,ハンドトラクター,小型発電機の動力になり,用途は多い。また排水灌漑機械は340万馬力に達し,全省で配備の完了した動力ポンプは15万4000余りで,その灌漑面積は1800万ムー。
DIA-104-1973-02-25-3中国1973年02月25日1970年代人民日報評論員論文,「まれにみる暴挙」-イスラエル空軍のリビア民間機撃墜を非難したもの。
DIA-104-1973-02-25-4中国1973年02月25日1970年代周恩来,郭沫若,廖承志,日本全国町村議会昭和生れ議長会代表訪中団と会見―会談のなかで,周総理は日中航空協定の早期締結を望むこと,早期に訪日したい等の意向を明らかにした。
DIA-104-1973-02-26-1中国1973年02月26日1970年代ベトナム問題パリ国際会議開幕,姫中国代表,総会で演説。
DIA-104-1973-02-26-2中国1973年02月26日1970年代中国・ネパール,技術援助問題に関する公文を交換-それによれば,中国の技術者25人が昨年11月に中国の援助で完成したスンコツ水力発電所で1年間働き,同時にネパール人技術者を養成する。
DIA-104-1973-02-28-1中国1973年02月28日1970年代台湾「2.28」蜂起26周年を記念,政協全国委員会が座談会を開く-廖承志,傅作義,許徳らの人々が,台湾の軍政人員,人民に台湾解放の道に立つようよびかけた。
DIA-104-1973-02-28-2中国1973年02月28日1970年代人民日報・思想短評「全面的に按配して初めて全面的に発展することができる」-①多角経営を発展させ,副業生産を発展させることは,食糧生産に資金と肥料を提供して食糧生産の発展を促進することができる。まず食糧生産に力を入れるということを,食糧生産に孤立して力を入れることと誤解してはならない。②食糧の増産を求めるため高梁とトウモロコシなどの多収穫作物を多く植え,小麦,栗,豆類などの低収穫作物を少なく植えようとすることは誤りである。各種作物の作付割合のバランスをくずしてはいけない。各種食糧作物の作付割合を確定する時は,必ず国家建設と人民生活の必要の全局から出発して全面的に接配しなければならない。
DIA-104-1973-02-28-3中国1973年02月28日1970年代中国肥料代表団来日-日中肥料長期協定交渉のため。
DIA-104-1973-03-01-1中国1973年03月01日1970年代人民日報社説,「パリ協定を厳格に履行しなければならない」-2月25,26日に北ベトナム政府と臨時革命政府はサイゴン当局と米国政府がパリ協定に違反した行為を続けていることを非難した声明を発表したが,これを支持したもの。
DIA-104-1973-03-01-2中国1973年03月01日1970年代人民日報評論員論文,「シアヌーク殿下の厳正な声明を支持する」-2月17日,シアヌーク殿下が,米国政府にパリ協定を尊重し,これを直ちに履行し,カンボジアに対するすべての干渉をやめるよう要求する声明を発表したことを支持したもの。
DIA-104-1973-03-01-3中国1973年03月01日1970年代中国・アフガニスタン,綿紡績工場拡張の会談要録に調印-1970年3月に中国の援助で操業を始めたバグラミ綿紡績工場に新たに240台の織機(現在2万錘,600の織機)を増設し,中国は同工場の技術指導をする。同工場の製品の一部は輸出にまわされ,アフガニスタンの対外貿易の中で輸出商品に組み入れた最初の紡織品となる。
DIA-104-1973-03-01-4中国1973年03月01日1970年代中国・モンゴル,73年度物資交換議定書に調印。
DIA-104-1973-03-01-5中国1973年03月01日1970年代郭沫若,廖承志,西園寺公一氏一家と会見-7日には同氏は周総理と会談した。
DIA-104-1973-03-02-1中国1973年03月02日1970年代人民日報社説,「大いに意気ごんで春季耕作をりっぱにやろう」-自然災害の準備を万全にして,食糧と綿花など経済作物の双方の豊収をかちとらねばならない。
DIA-104-1973-03-02-2中国1973年03月02日1970年代人民日報,日本華僑総会について報道-1日に開かれた旅日華僑総会第8回会議の模様を報道し,今回が従来になく盛会で,台湾籍の代表も参加したこと,華僑の愛国団結が語られたこと,などを強調した。
DIA-104-1973-03-03-1中国1973年03月03日1970年代人民解放軍で雷鋒に学ぶ運動を展開-毛主席の「雷鋒同志に学ぼう」という題字発表10周年の3月5日を前におこなわれている。 4日,雷鋒生前の所属部隊,瀋陽部隊では雷鋒同志に学ぶ経験交流会が開かれ,200余名が参加,陳錫聯が講話をおこなった。 党北京市委員会は共青団が雷鋒に学ぶ運動を展関するよう指示。
DIA-104-1973-03-03-2中国1973年03月03日1970年代政権の外交官宋偉斌一家が北京に到着―同氏はオーストラリア駐在の商務官であった。10日符浩外交副部長が一家を招宴。
DIA-104-1973-03-03-3中国1973年03月03日1970年代人民日報社説,「パリ国際会議が成功裡に終ったことを祝う」-パリ国際会議が決議を採択し閉会したことを祝し,中国も決議を厳格に履行し,その義務を真剣に負うことを保証している。 その他,3日の人民日報は同会議の決議の全文と姫鵬飛外交部長の会議での発言を紹介している。
DIA-104-1973-03-03-4中国1973年03月03日1970年代中国・フィンランド,73年度貿易協定に調印。
DIA-104-1973-03-05-1中国1973年03月05日1970年代共青団遼寧省第5回代表大会開催-瀋場で9日まで開催。代表は1,409人,労農代表が66%を占め,女性は40%以上を占めている。準備小組代表李素文。ここ数年120万の知識青年が農山村に入り定着している。82人の委員,14人の同候補の平均年齢は27歳で,女性が全体の43.3%を占めている。大会は全省の青少年に「雷鋒同志に学び,プロレタリア革命事業の後継者となろう」という呼びかけを発した。
DIA-104-1973-03-05-2中国1973年03月05日1970年代中国の家族計画-少数民族居住地区を除く全国で計画が推進され,その結果人口増加率は下ってきている。男性25歳,女性23歳まではなるべく結婚せぬよう晩婚が奨励されている。希望者には無料の避妊薬,避妊具が支給され,説得による中絶と自発的不妊手術は無料であり,この間は労働時間として評価される。経口避妊薬の一層の発展のため,費用は国が予算に計上している(新華社)。
DIA-104-1973-03-05-3中国1973年03月05日1970年代人民日報,雲南省の基本建設についての調査報告-建設の重点を農地建設,農業支援工業,基礎工業と仕上げ・末端取付け工事におき,全省で60項目を重点工事に指定。そのうちに国家が雲南省へ接配した28項目の大中型建設が全部含まれている。昨年は,1基の大型チッソ肥料工場と7基の小型チッソ肥料工場を建設して全省のチッソ肥料生産量を前年比64%増加させた。
DIA-104-1973-03-05-4中国1973年03月05日1970年代中国・東ドイツ,73年度物質交換・支払協定に調印。
DIA-104-1973-03-05-5中国1973年03月05日1970年代郭沫若,廖承志,胡愈之,土岐善麿氏を団長とする日本文化界訪中代表団を招宴。
DIA-104-1973-03-06-1中国1973年03月06日1970年代冬季水利建設に成果をあげ,安定収穫農地の面積を拡大―昨年10月から今年1月末まで全国農村で工事の水利工事はは100万件余りでそのうち60万件はすでに完成。広東,広西,福建,湖南,江西,雲南の6省で改造した低収穫農地は425万ムー。安徽,河南,山東の3省で初歩的に水はけの悪い土地とアルカリ地を460万ムー余り改造。北方14省は地下水の開発のため,井戸掘りの指導機関を組織して井戸掘りに大ー的にとりくんだ。河北省で新しい動力井戸5万1000本余りを掘り,設備取付けの済んだもの2万5000本余り河南省では昨年冬から現在まで2万2600本余りの新しい井戸を掘り,機械取付け済みのものは2万5700本余りにのぼる。
DIA-104-1973-03-06-2中国1973年03月06日1970年代日中国交回復促進議員連盟,解散を決議―日中友好議員連盟が新たに発足する。
DIA-104-1973-03-07-1中国1973年03月07日1970年代紅旗3号,甘文論文「実質をつかんではじめて修正主義批判は深化される」-まず修正主義を批判して次に整風をおこなうことが必要であり,批判は劉少奇のたぐいの政治ペテン師の極右としての実質を理論的に暴露せねばならない。
DIA-104-1973-03-07-2中国1973年03月07日1970年代機械工業部門,組合せ工作機械(高率自動化の機械加工設備)の発展で大きな成果-現在この設備は自動車,トラクター,モーター,ミシンなど全国の機械製造部門の機械製造自動化ラインの4分の3以上を占めている。
DIA-104-1973-03-07-3中国1973年03月07日1970年代中国・ハンガリー,1973年度物質交換と支払協定に調印。
DIA-104-1973-03-07-4中国1973年03月07日1970年代中ソ国境河川航行合同委第18回例会-1月5日から3月5日まで開かれた。双方は第19回例会をソ連で開くことのみ合意したが,その他の問題では合意に達しなかったという。
DIA-104-1973-03-07-5中国1973年03月07日1970年代北京雑技団,各国公演を終え帰国―昨年11月から4カ月間,西アジア,アフリカ7カ国で公演,現地政府首脳との会見もおこなった。
DIA-104-1973-03-08-1中国1973年03月08日1970年代人民日報社説,「勤労婦人は偉大な革命的力である」-副題:「三・八」国際婦人デーを記念して。 労働賃金計算の面で必ず男女同一労働,同一賃金を実現しなければならない。工場で採用する際に婦人を差別扱いしてはならない。男女の晩婚と計画出産を提唱し,男女が家事労働を分担するよう提唱する。党委員会に婦人活動担当のメンバーを置き,各扱婦人組織を整頓し,健全化し,婦人大衆を動員する戦闘的組織にしなければならない。
DIA-104-1973-03-08-2中国1973年03月08日1970年代日中航空協定交渉日本側代表団訪中。
DIA-104-1973-03-09-1中国1973年03月09日1970年代何偉元教育部部長死去-63歳,北京で死亡,16日八宝山で追悼式を挙行。
DIA-104-1973-03-09-2中国1973年03月09日1970年代中国とスペイン,国交樹立―共同コミュニケによれば,双方は3月9日を期して,大使級の外交関係を樹立し,3カ月以内に大使を交換する。スペイン政府は中華人民共和国を中国の唯一の合法政府として承認し,台湾は中華人民共和国の1つの省であるという中国政府の立場を認めるとともに,今年4月10日までに台湾からその政府代表機構を引きあげる。 なお12日の人民日報は「中国とスペインの国交樹立を歓迎する」と題する社説を掲げた。これによって中国承認国の数は90ヵ国となった。
DIA-104-1973-03-10-1中国1973年03月10日1970年代湖北省水生生物研究所,労農と結合して先進的成果上げる。
DIA-104-1973-03-10-2中国1973年03月10日1970年代グエン・ズイ・チン北ベトナム外相訪中-パリ国際会議から帰国の途中に立寄ったもの。11日,チン外相は姫鵬飛外交部長と会談した。
DIA-104-1973-03-11-1中国1973年03月11日1970年代衛生部,衛生戦士李月華に学ぶ運動を展開。
DIA-104-1973-03-11-2中国1973年03月11日1970年代紅旗3号,江虹論文「経験を真剣に総括し農業発展を加速しよう」―①現在農業の発展水準はまだ完全に工業発展の必要に適応することができず,工業の農業に対する支援はまだ十分農業発展の要求を満たすことができない。この矛盾を正しく解決するには,かならず農業,軽工業,重工業の順序で工業と農業を同時に発展させ,農業発展に全力をあげ,工業の農業への支援を強化しなければならない。②ある同志たちは農業関連製品の生産額は低く,利潤が少ないので,往ーにして工業機械を重視し農業機械を軽視し,製造を重視し修理を軽視し,農業支援活動の発展に悪い影響を与えている。③農業建設の歩みを早めるには工業の支援が必要だが,しかし最も根本的なことは「農業は大寨に学ぶ」運動を深く展関することである。
DIA-104-1973-03-11-3中国1973年03月11日1970年代青海省ツアイダム盆地の石油工業,建設のテンポを早める-ここ5年間にツアイダム盆地に新たな油田が開発され,古くからある冷湖油田も改造により産出量が高まる。現在青海石油管理局の原油生産能力は3年前と比べ3倍となった。
DIA-104-1973-03-12-1中国1973年03月12日1970年代北京で孫文逝去48周年記念式典-国民党革命委常務委員の陳此生が司会,各界の人士が参加。上海,南京,広州でも式典を挙行。
DIA-104-1973-03-12-2中国1973年03月12日1970年代中国,スパイ罪で拘留していた米CIAのJ.T.ダウニー氏を釈放-米中共同コミュニケにもとづくもの。同氏は1952年に東北地区領空に飛行機で侵入し,撃墜されたもの。
DIA-104-1973-03-12-3中国1973年03月12日1970年代エジプト外相訪中-モハメド・ハッサン・ザヤト外相は13日に姫鵬飛外交部長と会談,15日に帰国。
DIA-104-1973-03-12-4中国1973年03月12日1970年代沈陽雑技団,各国公演を終え帰国-昨年11月からカナダ,アメリカ,チリ,ペルー,メキシコの5カ国で公演旅行,現地の政府首脳と会談もおこなった。
DIA-104-1973-03-12-5中国1973年03月12日1970年代北京で「日本葛飾北斉展」が開幕。
DIA-104-1973-03-14-1中国1973年03月14日1970年代雷鋒式の戦士王金虎-王は南京部隊工程兵某連隊運輸中隊の運転員,23歳で昨年7月3日死去。最近南京部隊党委員会が,所属部隊の指揮員,戦闘員と民兵が雷鋒にひきつづき学ぶと同時に王全虎同志に学ぶことを呼びかけた。
DIA-104-1973-03-14-2中国1973年03月14日1970年代河北省の動力井戸据付けを中心とする水利建設-昨年10月より現在まで全省で掘ったポンプ井戸は5万本あまりで,昨年同期と比べて2倍。新たに完成した中小型水利工事の項目は昨年同期比十数倍。
DIA-104-1973-03-14-3中国1973年03月14日1970年代李先念,廖承志,自民党の水田三喜男,日経新聞円城寺次郎氏と会見。
DIA-104-1973-03-15-1中国1973年03月15日1970年代党雲南省麗江地区委員会は積極的に少数民族幹部を養成-10余の少数民族を有するこの地区では全幹部中,少数民族幹部は50.1%で,1万0060余人であり,地区,県,公社の幹部の67%,地区,県の正副書記あるいは革命委員会主任の56人が少数民族出身である(紅旗3号)。
DIA-104-1973-03-15-2中国1973年03月15日1970年代中国外交部スポークスマンの声明-最近,韓国政府の同意のもとに,米国の石油会社がチャーターしたパナマ籍海底石油掘削船が黄海と東海で探査活動をやっていることを非難したもの。そのなかでは,中国とその隣国とで黄海と東海の管轄範囲をどう分割するかについて確定をみていないのに,韓国政府が一方的に外国石油会社をこの地域に引き入れ,試掘活動をさせていることに対し,中国政府はこうしたやり方によって生ずる結果について一切の権利を留保する,と述べている。
DIA-104-1973-03-15-3中国1973年03月15日1970年代国連安保理パナマ会議開幕-人民日報は15日以降連日“断固として帝国主義,植民地主義に反対し,独立主権と自然資源を擁護する”との見出しをかかげ,会議上でのラテン・アメリカ諸国の発言を紹介し,特にパナマの運河を自国にとりもどそうとするパナマ人民の闘争を支持するキャンペーンをはった。
DIA-104-1973-03-16-1中国1973年03月16日1970年代人民日報,尚農論文「勝利に乗って前進し,更に多くりっぱに綿花を生産しよう」-①綿花は食糧とともに人民生活と戦備に必要な重要物資であり,食料問題についで劣らず衣料問題も大事である。②綿花の作付けは手間が多く投資も多く割が合わないという考えは正しくない。ある地域の綿花生産収入が食糧生産収入ほど高くないのは経営管理の不備のため生産コストが高すぎるためである。③綿花作付面積を安定させ適当に集中させ,計画的に安定多収穫の商品綿花集中産区を建設すべきである。④食糧と綿花との関係を正しく処理してともに豊収をかちとらねばならない。
DIA-104-1973-03-16-2中国1973年03月16日1970年代米国駐北京連絡事務所所長にブルース氏を任命―同事務所は5月1日に設立の予定。
DIA-104-1973-03-17-1中国1973年03月17日1970年代タイ政府,バンコックー上海関に衛星通信によるテレックス開設を決定。
DIA-104-1973-03-17-2中国1973年03月17日1970年代ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団訪中-国務院文化組,対外友好協会の招請によるもの。19日の北京での公演には呉徳,香冠華,胡愈之ら各氏が出席した。
DIA-104-1973-03-18-1中国1973年03月18日1970年代中国,パキスタンに武器供与-18日付けの英紙『サンデー・テレグラフ』によると,中国はこのほどパキスタンに対し,T-59型戦車約100台とミグ21型戦闘機約30機を供与することに同意したという(読売3月19日)。
DIA-104-1973-03-19-1中国1973年03月19日1970年代アジスアベバで中国経済展覧会開幕。
DIA-104-1973-03-19-2中国1973年03月19日1970年代中国工人代表団,来日―魏秉奎中央委を団長とする。総評の招きによる。
DIA-104-1973-03-20-1中国1973年03月20日1970年代中国・チェコ,1973年度物質交換と支払協定に調印。
DIA-104-1973-03-20-2中国1973年03月20日1970年代クラレ,ポバールの一貫生産プラントを受注(総額69億円)
DIA-104-1973-03-21-1中国1973年03月21日1970年代中国・ネパール,カトマンズ環状道路建設に関する会談要録に調印。
DIA-104-1973-03-22-1中国1973年03月22日1970年代A・A・LA諸国の領海をめぐる闘いへの支持-22日の人民日報は3月20日に国連海底委員会第2小委員会上での庄中国代表の演説を掲載するとともに,第5面全部をつかって,各国の領海を12カイリ以内に限定しようとする「超大国」に対し,A・A・LA諸国が自主的に領海権を守ろうとしている闘いを紹介している。
DIA-104-1973-03-22-2中国1973年03月22日1970年代鐘夫翔電信総局局長一行,訪日。
DIA-104-1973-03-23-1中国1973年03月23日1970年代中国・ポーランド,1973年度物質交換と支払協定に調印。
DIA-104-1973-03-23-2中国1973年03月23日1970年代カンボジア人民武装勢力結成3周年記念-22日,董必武国家主席代理,周恩来総理はカンボジア民族統一戦線,カンボジア民族解放人民武装勢力結成3周年を記念して,シアヌーク殿下とペン・ヌート首相に祝電を送った。 23日の人民日報は,「カンボジア人民は必ず勝利する」と題する社説を掲げ,カンボジア武装勢力の闘いの成功を祝すとともに,中国の支持を確認している。
DIA-104-1973-03-23-3中国1973年03月23日1970年代中国・キューバ,1973年度貿易議定書に調印。
DIA-104-1973-03-23-4中国1973年03月23日1970年代中国,モンゴルへの未完成プロジェクト引き渡し-23日にモンゴルで中国政府経済代表団とモンゴル対外経済連絡委員会との「会談要録」と「交換公文」が調印された。それによると,モンゴル政府の提案にもとづき,中国は両国政府が1958年12月29日,1960年5月31日に調印した関係協定に従い,モンゴルにその建設を援助することになっていた7つの未完成プロジェクトを現状のままで評価し,モンゴル政府に引き渡すことで合意した。上述の未完成プロジェクトの引き渡しはすでに完了しており,残っていた中国人労働者,職員はすでに帰国した。
DIA-104-1973-03-23-5中国1973年03月23日1970年代羽田に初の中国機-上海からテスト飛行で中国民航のイリューシン62が羽田空港に到着した。
DIA-104-1973-03-23-6中国1973年03月23日1970年代李先念,右近保太郎氏を団長とする日本保険事業訪中団と会見。
DIA-104-1973-03-24-1中国1973年03月24日1970年代中国・民主イエメン,道路建設に関する会談要録に調印-イエメンのマハフイド-ムカラ間,全長330キロ。
DIA-104-1973-03-24-2中国1973年03月24日1970年代紀登奎,廖承志,栗原俊夫氏を団長とする日中農業農民交流協会訪中団と会見。
DIA-104-1973-03-25-1中国1973年03月25日1970年代北京市郊外の電化計画を3年繰上げ実現-1972年初めまでに北京市郊外の人民公社,生産大隊の全部と生産隊の95%以上へ電気が送られるようになった。現在郊外農村には135の小型発電所があって,その設備容量は1万kwにおよぶ。
DIA-104-1973-03-25-2中国1973年03月25日1970年代張春橋,耿,ニュージーランド共産党ウイルコックス書記長を招宴。
DIA-104-1973-03-25-3中国1973年03月25日1970年代上海雑技団,アルバニアおよびヨーロッパ各国公演に出発―27日,マルバニア,4月17日,ルーマニア,5月8日,パリ,6月3日,イタリア,6月28日,マルタを訪問。
DIA-104-1973-03-25-4中国1973年03月25日1970年代カメルーン大統領訪中-ハジ・アハマド・アヒジョ大統領一行は中国政府の招きで25日北京に到着。空港には周恩来,李先念,徐向前,姫鵬飛ら各氏の他,北京の大衆5,000人が出迎えた。同日夜から,周総理との第1回目の会談がおこなわれた。 25日の人民日報は「カメルーンの貴賓を熱烈に歓迎する」と題する社説を掲げた。 26日には,周総理主催の同大統領歓迎宴が開かれた。
DIA-104-1973-03-26-1中国1973年03月26日1970年代中国銀行,華僑預金金利を引上げ-半年定期は4.5%,1年定期は5.75%,2年期は6.25%となる。(商報)
DIA-104-1973-03-26-2中国1973年03月26日1970年代毛主席,アヒジョ・カメルーン大統領と会見。
DIA-104-1973-03-26-3中国1973年03月26日1970年代中国・ネパール,両国が協力してカトマンズ-バクタプール間にトロリーバスを運行させる工事に関する会談要録に調印。
DIA-104-1973-03-26-4中国1973年03月26日1970年代北京で英国工業技術展覧会開幕。
DIA-104-1973-03-26-5中国1973年03月26日1970年代郭沫若,劉希文,佐伯勇氏を団長とする大阪商工会議所訪中団と会見。
DIA-104-1973-03-26-6中国1973年03月26日1970年代中国科学技術代表団訪日―中国科学院自動化研究所副所長,中国自動化学会常務理事楊を団長とする一行11名。
DIA-104-1973-03-27-1中国1973年03月27日1970年代人民日報,ソ連の海洋進出を批判-27日の人民日報「労農兵論壇」は「海の覇者の真相」と題する論文をかかげた。そのなかでは,最近,ソ連の雑誌『国際生活』が「世界の海洋に関する国際法の問題」と題する論文をかかげ,そのなかで,中小諸国が一方的に領海を12カイリの限度以上に拡げるのを不法であると述べていることをとりあげて批判し,これはソ連が他国の海洋資源を略奪しようとする意図を暴露したものにすぎない,と述べている。
DIA-104-1973-03-27-2中国1973年03月27日1970年代周総理,英国ウォーカ貿易工業相,ヘセルチン航空海運相らと会見。
DIA-104-1973-03-27-3中国1973年03月27日1970年代陳楚駐日大使,東京に着任。
DIA-104-1973-03-28-1中国1973年03月28日1970年代江蘇省共青団第6回代表大会開催。
DIA-104-1973-03-28-2中国1973年03月28日1970年代北京市共青団第6回代表大会開催。
DIA-104-1973-03-28-3中国1973年03月28日1970年代湖北省新州県,全県の地方工業と社隊企業(人民公社,生産大隊経営の企業)を整頓して1万7000人余りの労働力を農業の第一線へまわした。
DIA-104-1973-03-28-4中国1973年03月28日1970年代中国・カメルーン,経済技術協力協定に調印。
DIA-104-1973-03-28-5中国1973年03月28日1970年代カメルーン大統領,答礼宴会を聞く-周恩来,李先念,徐向前,姫鵬飛ら各氏が出席した。アヒジョ大統領は29日,北京を離れ上海参観訪問に出かけた。徐向前人代常委員副委員長が同行した。30日,上海→杭州,31日→広州,4月2日帰国。
DIA-104-1973-03-30-1中国1973年03月30日1970年代人民日報,公治平論評「全局観念がなければならない」-我々はどのような工作,任務をおこなうにしても,自己の工作と任務を関達する兄弟単位,兄弟地区と共に考えて全局に思い至るべきで,そのようにして初めて全局に対して積極的に役割を発揮できる。
DIA-104-1973-03-30-2中国1973年03月30日1970年代中国政府,駐米連絡事務所長に黄鎮氏,副所長に韓叙氏を任命。
DIA-104-1973-03-30-3中国1973年03月30日1970年代周恩来,張春僑,耿,ニュージーランド共産党ウイルコックス書記長と会見。
DIA-104-1973-03-31-1中国1973年03月31日1970年代北京の青年と共青団員の成長-1969年以来16万余の若者が共青団に入り,4万7000余の団員が入党した。1968年以来30万の知識青年が農村・辺境に赴いている。北京の大学には1万8300人の労農兵出身の学生が入学している。
DIA-104-1973-03-31-2中国1973年03月31日1970年代周恩来,姫鵬飛,白相国,ニュージーランド閣僚級代表団と会見。
DIA-104-1973-03-31-3中国1973年03月31日1970年代中国・ルーマニア,1973年~74年科学協力計画に調印。
DIA-104-1973-04-01-1中国1973年04月01日1970年代中国,FAOに正式加盟。
DIA-104-1973-04-02-1中国1973年04月02日1970年代カメルーン大統領の訪中プレスコミュニケ発表-そのなかでは,「両国が第3世界諸国とともに,帝国主義のおし進めている様ーな覇権政治に反対するため,ともに努力すること」をうたっている。
DIA-104-1973-04-02-2中国1973年04月02日1970年代中国・オーストラリア,貿易支払協定に関する交換公文に調印。
DIA-104-1973-04-02-3中国1973年04月02日1970年代日中海底ケーブル建設で合意-久野郵政相と鐘夫翅中国電信総局長の会談で合意したもの,ケーブルは3年以内の建設をめざす。
DIA-104-1973-04-03-1中国1973年04月03日1970年代人民日報社説,「パリ協定の完全実施のために引き続き努力しよう」-パリ協定が調印されて以降もサイゴン当局が臨時革命政府の支配地域に攻撃をかけ,人民への迫害,弾圧をおこない,かつ米国がベトナムに名目をかえた軍事用員を残していること,などを非難したもの。
DIA-104-1973-04-03-2中国1973年04月03日1970年代ニュージーランド閣僚級代表団の訪中に関するプレスコミュニケ発表-そのなかで,双方は両国に大使館を開設すること,人的交流,農林・科学技術交流の強化,貿易の拡大についての合意を表明している。
DIA-104-1973-04-03-3中国1973年04月03日1970年代小川平四郎駐中大使,董国家主席代理に信任状提出-3月31日に着任。
DIA-104-1973-04-03-4中国1973年04月03日1970年代日本大相撲訪中団,北京着-武蔵川理事長を団長とする117名。中華全国体育総会の招きによるもの。5日,北京工人体育館で歓迎式が開かれ,郭沫若,廖承志,王猛ら各氏が出席した。
DIA-104-1973-04-04-1中国1973年04月04日1970年代中国科学院遺伝研究所で研究の積極性と水準が向上-7つの省市の50余の地点で大衆と共に研究を進めている。1972年には2,000人の労農兵の訪問,相談に応えた。
DIA-104-1973-04-04-2中国1973年04月04日1970年代中国・マリ,中国が医療隊を派遣することに関する議定書に調印。
DIA-104-1973-04-04-3中国1973年04月04日1970年代郭沫若,廖承志,河野健二教授を団長とする京都大学人文科学研究所訪中団と会見。
DIA-104-1973-04-04-4中国1973年04月04日1970年代陳楚駐日大使,天皇に信任状提出。
DIA-104-1973-04-05-1中国1973年04月05日1970年代ジェンキンス駐中国米連絡事務所長代理,北京に着任。
DIA-104-1973-04-06-1中国1973年04月06日1970年代人民日報,南京麻紡績工場労働者評論組論評「工場はまた原料に力を入れなければならない」-この工場は必要な原料を文革前は国家に依存して調達していたが,文革中に自らで原料基地をつくった。また農村の多角経営の発展を援助し,工業と農業の協力関係を強化した。
DIA-104-1973-04-06-2中国1973年04月06日1970年代人民日報,ソ連の地中海進出を非難-6日の人民日報は新華社記者の論評記事をかかげ,そのなかでヘルシンキで開かれた「欧州安保協力準備会議」で地中海沿岸諸国の地中海の安全保障問題を討議すべきだという提案をソ連が反対したことをとりあげ,これはソ連の地中海征覇の意図を物語るものであると非難している。
DIA-104-1973-04-07-1中国1973年04月07日1970年代人民日報,公冶平論文「大きな革命の意気込みがなければならない」-今年は第4次5カ年計画の3年目であり,5年は3年目しだいである。したがって,今年の計画を全面完成あるいは超過達成することは5カ年計画の達成を保証するために重大な意味を持っている。そのために大きな意気ごみが必要である。
DIA-104-1973-04-07-2中国1973年04月07日1970年代シアヌーク殿下の解放区入り-7日の人民日報はシアヌーク殿下がカンボジア解放区から,北ベトナム政府の招きによりハノイを公式訪問したことを一面に大ー的に報道した。
DIA-104-1973-04-07-3中国1973年04月07日1970年代領海をめぐる中ソの論戦-7日の人民日報は,国 連海底委員会議で,領海は12カイリ以内に限るべきだというソ連代表の主張に対し,中国代表が中小国の200カイリの領海権と専属経済区域に関する主張を支持し,ソ連代表に反駁を加えた記事を大きく掲載した。
DIA-104-1973-04-08-1中国1973年04月08日1970年代『魯迅全集』再版さる―単行本も24点出版されることになり年内に出そろう。
DIA-104-1973-04-08-2中国1973年04月08日1970年代中国・イラン,貿易支払協定に調印。
DIA-104-1973-04-08-3中国1973年04月08日1970年代周総理,小川大使と会談-席上,小川大使は周総理の訪日を要請した田中首相の親書を手渡した。
DIA-104-1973-04-08-4中国1973年04月08日1970年代周恩来,葉剣英,日本相撲を観賞。
DIA-104-1973-04-09-1中国1973年04月09日1970年代周恩来,白相国,イラン経済代表団と会見。
DIA-104-1973-04-09-2中国1973年04月09日1970年代下半期(7~12日)の鉄鋼輸出は120万トンで成約―日本側が予定していた長期協定締結は実現できなかった。
DIA-104-1973-04-11-1中国1973年04月11日1970年代瀋陽市,労働者・職員の余暇教育を強化-現在,全市の70%の工場企業が余暇文化技術学校や学習班を開設。23の大型企業は労働者余暇大学を創設した。
DIA-104-1973-04-11-2中国1973年04月11日1970年代シアヌーク殿下,ハノイから北京に帰着-同殿下はカンボジア解放区から,ハノイを訪問し,1日特別機で北京にもどった。空港では周恩来,葉剣英,李先念,李徳生,徐向前ら政府首脳の他,5,000人の大衆が盛大に出迎えた。 11日の人民日報は,「シアヌーク殿下のカンボジア解放区視察の大きな成功を熱烈に祝賀する」と題する社説をかかげた。
DIA-104-1973-04-11-3中国1973年04月11日1970年代人民日報社説,「朝鮮人民の祖国統一の願望は必ず実現する」-10日に閉幕した北朝鮮第5期最高人民会議第2回会議で出された朝鮮に対する外国の干渉をおわらせ,祖国の自主的平和統一を促進しようという決議を支持したもの。そのなかでは北朝鮮政府の南北が軍事力を削減し平和協定を結ぼうという提案を支持し,かつ「国連韓国統一復興委員会」の解散および北朝鮮政府を国連に招請すべきことを主張している。
DIA-104-1973-04-11-4中国1973年04月11日1970年代周恩来,姫鵬飛,グエン・チ・ビン外相と会見。
DIA-104-1973-04-11-5中国1973年04月11日1970年代オーストリア・ウィーン交響楽団訪中。
DIA-104-1973-04-11-6中国1973年04月11日1970年代エカフエ第29回総会開幕,中国初参加-安致遠(外交武国際条法局局長)ら中国代表は9日に来日。 12日,総会の一般演説で同代表は演説をおこなった。
DIA-104-1973-04-12-1中国1973年04月12日1970年代鄧小平,副首相として復帰-シアヌーク殿下の歓迎宴に出席。
DIA-104-1973-04-12-2中国1973年04月12日1970年代周総理,シアヌーク殿下の解放区視察の成功を祝い歓迎宴会を聞く―宴会にはシアヌーク夫妻,ペン・ヌート首相夫妻らの他,中国側は,葉剣英,張春橋,姚文元,李先念,紀登奎,李徳生,汪東興,王洪文,華国鋒,鄧穎超,徐向前,郭沫若,李富春,聶栄臻,鄧小平,姫鵬飛ら党,政府首脳が勢揃いした。 宴会では,周総理とシアヌーク殿下がそれぞれ演説をおこなった。
DIA-104-1973-04-12-3中国1973年04月12日1970年代中国政府,抑留の日本人5人を教育釈放と追放-いずれもスパイ容疑で1967~68年にかけて捕まっていた商社員ら。
DIA-104-1973-04-12-4中国1973年04月12日1970年代三井東圧,東洋エンジニアリング,大型肥料プラントを受注(アンモニア・プラント日産1,000トン,尿素プラント日産1,600トンと付帯設備で約110億円)。
DIA-104-1973-04-12-5中国1973年04月12日1970年代中日友好協会代表団来日-代表団のメンバーは,廖承志,楚図南(政協全国委員務委員),李素文(遼寧省革命委副主任,共青団同省委員会書記),馬純古(全人代常務委委員),趙正洪(中華全国体育総会副主席),張香山(中日友好協会副会長),周麗琴(上海市革命委副主任),于会泳(国務院文化組成員,作曲家),孫平化(中日友好協会秘書長),その他華羅庚(数学者),謝泳心(作家)ら31名。 一行は15日北京を発ち,上海から中国民用航空特別機で16日東京着,空港では二階堂内閣官房長官の他,各政党,友好団体代表,財界代表,在日華僑,在日朝鮮人ら1,500人余りが出迎えた。 17日,廖承志氏ら代表団は田中首相と会見した。18日夜,日本政界財界,新聞界,体育界,労働組合等22団体による歓迎宴会が開かれた。
DIA-104-1973-04-13-1中国1973年04月13日1970年代北京でクメール歴新年祝賀レセプション-シアヌーク殿下主催の同祝賀レセプションにおいて,殿下の解放区視察記録映画が上映され,各国外交使節の他,周恩来,李先念,李徳生,徐向前ら各氏も招かれて出席した。13日の人民日報は第1面にこのレセプションとその後におこなわれたシアヌーク殿下と外国の新聞記者との記者会見の模様を詳しく報道した。この記者会見において,シアヌーク殿下は,カンボジア内戦はクメール人の闘いであること,“赤色クメール”とは親密な関係にあり,自分こそ全国の運動の指導者であること,王国民族団結政府は“亡命政府”ではないこと,米国とは干渉を止めない限り戦い続けること,などを強調している。
DIA-104-1973-04-14-1中国1973年04月14日1970年代全国春李水泳競技大会終了-8日間の競技で7人が全国記録8つを破った。
DIA-104-1973-04-14-2中国1973年04月14日1970年代上海市工会第5回代表大会開催-21日まで開かれ,1,598人の代表が参加,うち産業労働者が73%,婦人労働者が39%を占めていた。王洪文党書記が大会で報告。158人の委員を選出,うち労働者38%,婦人31%。主任王洪文,常務委員26人を選出。
DIA-104-1973-04-15-1中国1973年04月15日1970年代広州交易会が開幕。国際価格に合わせてのきなみ30~40%の大幅な値上げ。大豆,うるしは倍,エビ,カズノコ,貝類など水産物は2~3割の値上げ。
DIA-104-1973-04-16-1中国1973年04月16日1970年代北京市工会第6回代表大会開催-21日まで開かれ,2,396人の代表が参加,工会活動における2つの路線の闘争を総括し,階級闘争消滅論,経済主義,サンジカリズムを批判。105人の委員と15人の候補委員を選出。主任倪志福,常務委員26人を選出。
DIA-104-1973-04-17-1中国1973年04月17日1970年代チベットで出版事業が発展-1971年末に印刷工場が建設され,200余人の労働者を有し,すでに漢語,チベット文の61種,103万冊の本を出版した。
DIA-104-1973-04-17-2中国1973年04月17日1970年代紅旗4号,江漢論文「農業の発展には大きな意気込みがなければならない」-①わが国の農業生産はまだ機械化の程度が高くなく,自然災害への抵抗力が十分強くなく,商品化食糧もまだ十分多くない。②大寨大隊や昔陽県がなしとげたことのカギは「大きな意気ごみ」にある。③坐して農業機械と化学肥料の供給を待っていてはいつまでも農業の現代化をなしとげることができない。我々の前にある唯一の正しい道は多くの大衆を組織した力と自力更生,刻苦奮闘の革命精神に依拠して農業を発展させることである。
DIA-104-1973-04-18-1中国1973年04月18日1970年代元蒋軍中佐,中華航空管制官趙明哲が北京入り。5月1日葉剣英,傅作義が趙氏と会見。
DIA-104-1973-04-18-2中国1973年04月18日1970年代最近,燃料化学工業部が広州で全国小型窒素肥料工場生産経験交流会を開催。
DIA-104-1973-04-18-3中国1973年04月18日1970年代中国民航,初の欧州航路の開設を決定-北京からテヘラン経由でルーマニアとアルバニアまでの路線を開始する(読売4月7日)。
DIA-104-1973-04-18-4中国1973年04月18日1970年代韓叙駐米中国連絡事務所副主任,ワシントン着-事務所開設の先遣隊として。
DIA-104-1973-04-18-5中国1973年04月18日1970年代中国原油,年間100万トン輸入で合意-石油業界が明らかにしたところによると,国際石油会社と中国化工進出口公司との間での中国原油の輸入商談がまとまったもの(日経4月18日)。
DIA-104-1973-04-19-1中国1973年04月19日1970年代北京市第5建築工程公司に3級工会委員会が成立-昨年9月から整頓をおこない,公司-工区-施工隊に各級工会委員会を形成した。
DIA-104-1973-04-19-2中国1973年04月19日1970年代メキシコ大統領訪中-ルイス・エチェベリア・アルバレス大統領夫妻は中国政府の招きで,19日特別機で北京に到着した。空港には,周恩来,李先念,鄧小平,姫鵬飛ら各氏の他,5,000人の大衆が出迎えた。 19日の人民日報は「エチェベリ大統領を熱烈に歓迎する」と題する社説を掲げた。 同日夜,周総理は人民大会堂で大統領夫妻の歓迎宴を開いた。
DIA-104-1973-04-20-1中国1973年04月20日1970年代毛主席,エチェベリア大統領と会見。
DIA-104-1973-04-20-2中国1973年04月20日1970年代人民日報評論員,「カンボジアとラオスに対する軍事干渉をやめよ」-米国がパリ協定とビエンチャン協定に違反してカンボジアとラオスに爆撃を続けていることを非難したもの。
DIA-104-1973-04-21-1中国1973年04月21日1970年代文革以来上海市では4万余,北京市では2万余の労働者新幹部が養成され活動している。
DIA-104-1973-04-21-2中国1973年04月21日1970年代人民日報,公冶平論評「意気込みを奮い起こして速度を争う」-①わが国の経済と科学技術が近い将来世界の先進水準においつき追い越すためには,我々の建設はかならず高速度でなければいけない。②企業の指導者は高速度の時間観念,速度観念がなければならない。③我々はまた国家計画の完成と超過達成の強烈な観念を持たなければいけない。
DIA-104-1973-04-21-3中国1973年04月21日1970年代山西者大同鉱務局雲南炭鉱が最近完成。
DIA-104-1973-04-21-4中国1973年04月21日1970年代日中友好協会(正統)全国大会開幕,廖承志団長が祝賀演説。
DIA-104-1973-04-22-1中国1973年04月22日1970年代人民日報「編者の言葉」-農業発展の速度を加速するには努力して農業の生産条件を根本的に変えなければならず,指導幹部は小農経済の保守思想を打破して,社会主義大農業を樹立して国家に多くの貢献をする雄壮な志をうちたてねばならない,と強調。ここ連日同趣旨のキャンペーンを展開。
DIA-104-1973-04-22-2中国1973年04月22日1970年代中国・メキシコ,貿易協定に調印。
DIA-104-1973-04-22-3中国1973年04月22日1970年代エチェベリ大統領,北京を離れ各地を訪問-同大統領は中国政府首脳を招いて答礼宴会を催した後,北京駅から汽車で大寨視察に出かけた。23日,上海訪問,24日,上海から帰国。
DIA-104-1973-04-24-1中国1973年04月24日1970年代人民日報社説,「労働者階級の主力軍としての役割を発揮しよう」-工会は党の有力な助手となり,各級幹部を援助し,監督しなければならない。増産節約の大衆運動と科学実験をくりひろげ,工会を労働者大衆が共産主義を学ぶ学校にしなければならない。
DIA-104-1973-04-24-2中国1973年04月24日1970年代メキシコ大統領の訪中に関する共同コミュニケ発表-そのなかでは,第3世界に対する覇権主義と新植民地主義への反対,ベトナムと朝鮮の自主的平和的統一,対外援助の平等互恵,相互尊重の原則,ラテン・アメリカ諸国の200カイリ海洋権を守る闘い,双方の貿易関係と文化交流の増大を確認している。さらにメキシコ側の主張しているラテン・アメリカ非武装地帯を強化するための「ラテン・アメリカ核兵器禁止条約」第2号付属議定書に中国側は調印の準備を同意しているが,「これは核拡散防止条約と部分的核実験停止条約に反対する中国政府の一貫した立場に影響するものではない」と述べている。
DIA-104-1973-04-24-3中国1973年04月24日1970年代董必武,周恩来,インドシナ人民首脳会議3周年に祝電-北ベトナム,臨時革命政府,カンボジア解放勢力,ラオス愛国戦線の各首脳に祝電を送った。 25日の人民日報は,「団結,戦闘,勝利の3年」と題する社説を掲げた。 25日夜,シアヌーク殿下主催の祝賀宴会が開かれ,4国駐中外交官の他,中国政府,党の首脳が招かれて出席した。
DIA-104-1973-04-24-4中国1973年04月24日1970年代日中友好議員連盟成立-自民党,社会党,公明党,民社党,第2院クラブ無所属の国家議員400名余りで成立。発足大会には廖承志氏を始めとする中日友好代表団が招かれた。会長には藤山愛一郎氏が当選した。 25日の人民日報は第6面でこの大会の模様を報道した。
DIA-104-1973-04-25-1中国1973年04月25日1970年代南京部隊が上海で「南京路上好八連」命名10周年大会開く-部隊政治委員杜平,上海市委書記王洪文が講話。
DIA-104-1973-04-25-2中国1973年04月25日1970年代多くの科学技術書が出版さる-この2年来科学出版社は,中国科学院の関連研究所が復刊または創刊した定期刊行物を出版,月刊『科学実験』も出版。『中国科学』も復刊が決定された。一連の「自然科学小叢書」を出版している。 人民衛生出版社はこの2年来74種を出版,30余種を再版した。『新編中国医学概要』は中西医学にのっとり好評である。
DIA-104-1973-04-25-3中国1973年04月25日1970年代武漢雑技団帰国-1月30日からスリランカ,パキスタン,アフガニスタン,ネパールに公演をおこなった。
DIA-104-1973-04-25-4中国1973年04月25日1970年代ナイジェリア外相訪中。
DIA-104-1973-04-26-1中国1973年04月26日1970年代天津,安徽,山西で共青団代表大会閉幕-17日から26日まで開かれ各期委員会を選出した。
DIA-104-1973-04-27-1中国1973年04月27日1970年代北方地区農村で配備された灌漑用動力井戸は100万個を突破-昨年10月から今年3月までに北方14省市自治区で新たに掘られた動力井戸は18万4000本でそのうち機械据付けの完了したものは11万本で同期比で史上最高。また今年第1四半期に工業部門の生産した農業用ディーゼルエンジンと農業用ポンプは昨年同期比それぞれ61%,36%増加。
DIA-104-1973-04-27-2中国1973年04月27日1970年代全国の小型化学肥料工業の発展-現在,全国の小型化学肥料工場は1,400前後に達しそこで生産される窒素肥料と燐酸肥料は全国化学肥料総生産量の60%を占める。1970~72年の間,年平均340万トンの割合で増産。
DIA-104-1973-04-28-1中国1973年04月28日1970年代台湾省漁民12人,福建省漁民に救助さる-東引島近くで沈没,連江県漁民に救われたもの。
DIA-104-1973-04-29-1中国1973年04月29日1970年代少数民族の労働者が急速に増大-不完全な統計によると新疆,チベット,内蒙古,寧夏の4つの自治区の少数民族労働者はすでに43万余人に達している。吉林延辺朝鮮族自治州では朝鮮族労働者が解放当時の数百人から3万3000余人に増加。四川凉山彝族自治州ではゼロから4,000余人に増大。
DIA-104-1973-04-29-2中国1973年04月29日1970年代河南省,農業・軽工業,重工業の関係を正しく処理して農業工業ともに発展させた-①全省の食糧生産量は1970年に1500万トンの大台を越え,1972年にはそれより600万トン多く,食糧の初歩的自給を達成した。②全省は1億1000万ムー余りの耕地があるが解放前3000万ムーは経常的に旱害の被害を受け,3500万ムー余りは経常的に塩害を受けていたが,ここ数年来,地方工業が5,000余りの井戸掘り機械と300万トン近いセメントを供給して,2,000余りの大中小型のダムと1万4000余りの用水路と40万本余りの動力井戸(そのうち30万本は機械据付け完成)をつくったので灌漑地面積は4400万ムー余りに拡大した。また全省の水はけの悪い土地,アルカリ土壌の80%は改造された。③1970年以来全省で建設された小型化学肥料工場は160余りで1972年にこれらの工場が100万トン余りの化学肥料を生産し,国家供給部分より倍多かった。ムー平均の化学肥料の使用量は13.5キログラムになった。④綿花,葉タバコ,サク蚕など経済作物の増収にともない紡績,タバコ,造紙工業と農業副業産品加工業などの軽工業が発展し,その資金蓄積のもとに重工業も発展した。現在全省に50余りの小型鉄鋼工場があり,1965年と比べその年度産は・
DIA-104-1973-04-29-3中国1973年04月29日1970年代久野忠治郵政大臣訪中-3日,久野氏は周総理,姫鵬飛外交部長と会見した。
DIA-104-1973-05-01-1中国1973年05月01日1970年代北京で数十万人のメーデー園遊会開催-周恩来,朱徳,江青,葉剣英,張春僑,姚文元,李先念,紀登奎,汪東興,王洪文,華国鋒,呉徳,徐向前,聶栄臻,郭沫若,サイフディン,アペイ・アワン・ジンメイ,周建人,陳雲,李富春,鄧小平,傅作義,許徳らの要人が参加の許世友,陳錫聯も南京と瀋陽でメーデー集会に参加。
DIA-104-1973-05-01-2中国1973年05月01日1970年代メーデーに出席した復活幹部-王稼祥(政協常務委員,元外文部副部長),胡克実(政協常委,元共青団中央書記),賀誠(政協常委,元衛生部副部長),曹菊如(政協常委,元人民銀行行長),梁必業(元軍総政治部副主任),秦基偉(元雲南省党委書記),姚依林(元商業部部長),銭信忠(元衛生部部長),張稼夫(元「科学院」副院長),童小鵬(元国務院弁公庁主任)。
DIA-104-1973-05-02-1中国1973年05月02日1970年代周総理,カナダ石油代表団と会見。
DIA-104-1973-05-03-1中国1973年05月03日1970年代内蒙古生産建設部隊の知識青年は労農と結合し辺境の開発と達設にとり組んでいる-北京,上海,天津などから来た知識青年のうち5,300余人が入党,3万4000余人が共青団に入団し,1万3000余人が中隊以上の指導ポストについている。
DIA-104-1973-05-04-1中国1973年05月04日1970年代河北,陜西,甘粛,貴州の各省で共青団代表大会閉幕-4月24日から次ーと開かれ,各期委員会と書記を選出。
DIA-104-1973-05-04-2中国1973年05月04日1970年代ルクセンブルク外相訪中-6日,周総理,姫鵬飛外交部長と会見。
DIA-104-1973-05-04-3中国1973年05月04日1970年代中国電信総局と日本郵政省,日中間の海底ケーブル建設に関する協定に調印。
DIA-104-1973-05-05-1中国1973年05月05日1970年代全国の軽工業部門の第1四半期の成果―昨年同期と比べて砂糖3%,合成洗剤31%,化繊,毛織物,自転車,腕時計,ミシンなどは2%~30%それぞれ増えた。昨年,サトウキビ,甜菜が豊作であったため,1972~73製糖年度の砂糖の生産量は史上最高で前年度より28%の増産。化学せんい工業は,国産原料の増加によって,全国の大部分の省市自治区に合成せんい工場,人造せんい工場が建設され,ビニロン,アクリル,カプロン,ポリエステルおよび人絹,人造ウール,人造綿の7大製品と化学せんい製品,綿とウールと化繊の混紡製品などの種類,柄が増えており,昨年の各種化繊の生産量は1965年の2.7倍。
DIA-104-1973-05-05-2中国1973年05月05日1970年代周総理,フィリビン訪中貿易代表団と会見-クラベシリア商業会議所会頭を団長とする。周総理は同代表団にマルコス大統領への敬意と古くからの友人ロムロ外相へのあいさつを託した。
DIA-104-1973-05-07-1中国1973年05月07日1970年代人民日報,北京,遼寧,吉林の「5.7」幹部学校の調査報吉掲載-1968年の建校当時には闘争,批判,改革のための下放の場であったものが1970年以来,在職幹部の輪番訓練の場となり,修正主義批判,整風が進んでいる。 吉林省革命委員会の青溝,北京市東城区,遼寧省新金県の3つの「5.7」幹部学校の調査報告。
DIA-104-1973-05-07-2中国1973年05月07日1970年代中華全国総工会「5.7」幹部学校:劉少奇のたぐいのペテン師の「5.7」幹部学校に対する非難を批判する-彼らの「反革命綱領」の中で「5.7」幹部学校は「失業の変型に等しい」と述べている点を批判。
DIA-104-1973-05-07-3中国1973年05月07日1970年代全国各地の小型合成アンモニア工場が技術改造をすすめる-すでに全国の300余りの小型合成アンモニア工場で技術改造が終り,微粉炭,劣質炭を原料に化学肥料を生産できるようになった。第1四半期に小型合成アンモニア工場で生産された化学肥料は昨年同期より38%増え,全国のアンモニア肥料総生産量の半分以上を占めた。
DIA-104-1973-05-08-1中国1973年05月08日1970年代冀岩論文,「思想はかならず客観情況の発展に適応しなければならない」(紅旗5号)。
DIA-104-1973-05-08-2中国1973年05月08日1970年代シアヌーク殿下,アフリカ・東欧9カ国歴訪に出発-北京空港では,周恩来,葉剣英,李先念等政府首脳が見送った。
DIA-104-1973-05-08-3中国1973年05月08日1970年代ノルウェー外相訪中。
DIA-104-1973-05-08-4中国1973年05月08日1970年代48年度日中肥料交渉が合意-日本硫安協会と来日中の中国代表の間で合意。契約内容は,硫安60万トン,尿素115万トン,額は338億円で元建て。輸出量はほぼ昨年なみだが,価格面では平均35%アップ。
DIA-104-1973-05-09-1中国1973年05月09日1970年代新疆生産建設兵団で10万余の知識青年がたくましく成長-1963年から66年にかけて入植したこれらの青年のうち2,000余人が入党し,2万余人が共青団に入り,1万1000人余が幹部,教師,技術者,医療要員になり,55人が中隊以上の指導グループに加わっている。
DIA-104-1973-05-10-1中国1973年05月10日1970年代光明日報,「文学改革」特集を再開-「読者へのあいさつ」と聞宣論文「積極的かつ着実に文字改革を進めよう」を掲載。
DIA-104-1973-05-10-2中国1973年05月10日1970年代人民日報,広西チワン族自治区の農業・軽工業・重工業の関係を正しく処理して軽工業を発展させた経験報告-この自治区の軽工業総産額は1969~72年間,年平均14%の率で伸びた。全省の大小の軽工業企業は4,000余り。同期間に全区の軽工業が国家に提供した資金は国家の全区重工業への投資の80%以上に相当する。1972年の全区の財政収入のうち軽工業の提供した資金は3分の1を占めた。
DIA-104-1973-05-11-1中国1973年05月11日1970年代メキシコで中国経済貿易展開幕。
DIA-104-1973-05-11-2中国1973年05月11日1970年代レ・ドク・ト北ベトナム労働党中央委員訪中-周恩来,張春橋と会見。
DIA-104-1973-05-11-3中国1973年05月11日1970年代東京華僑総会で廖承志氏が演説-東京華僑総会の中日友好代表団歓迎宴で廖承志氏は,「在日華僑は団結をつよめ,台湾省出身者も含めて,台湾の解放と祖国を統一する事業に自ら貢献するよう」訴えた。13日の人民日報は第5面に,この歓迎宴会の模様を大きく報道した。
DIA-104-1973-05-12-1中国1973年05月12日1970年代湖北,吉林,黒竜江,湖南,雲南,河南の各省で共青団代表大会開幕-5月4日から開かれ,各期委員会を選出。
DIA-104-1973-05-12-2中国1973年05月12日1970年代天津で全国体操競技会開く-305人が参加,21日 まで。
DIA-104-1973-05-12-3中国1973年05月12日1970年代楊武之復且大学教授死去-楊振寧博士の父。楊博士は父の見舞のため4日に訪中。
DIA-104-1973-05-12-4中国1973年05月12日1970年代中国・ノルウェー,民間航空運輸協定に調印。
DIA-104-1973-05-12-5中国1973年05月12日1970年代ソ連艦隊3隻,台湾海峡を通過。
DIA-104-1973-05-13-1中国1973年05月13日1970年代最近瀋陽で北方13省・市・自治区地方病防治工作会議開催-陳錫聯の主催により開かれ,中共中央北方地方病防治指導グループが再建された。
DIA-104-1973-05-13-2中国1973年05月13日1970年代周恩来,耿,アルゼンチン・ペロン元大統領夫人と会見。
DIA-104-1973-05-13-3中国1973年05月13日1970年代廖代表団,台湾出身者と懇談-日本の台湾出身の華僑約100名と懇談,台湾省の人々への祖国訪問呼びかけをおこなった。
DIA-104-1973-05-14-1中国1973年05月14日1970年代人民日報短評,「夏季愛国衛生運動を積極的にくりひろげよう。」
DIA-104-1973-05-14-2中国1973年05月14日1970年代ブルース米駐中国連絡事務所主任,北京赴任-18日,周総理と会見。
DIA-104-1973-05-14-3中国1973年05月14日1970年代中国報道代表団,訪米-朱穆元新華社社長を団長とする。
DIA-104-1973-05-14-4中国1973年05月14日1970年代中日友好訪中団,答礼宴会を開く-日本政府および各政党,財界,友好団体,在日華僑ら1,500名が出席。
DIA-104-1973-05-15-1中国1973年05月15日1970年代フランスのアンデュストリーズ・シミク社と4億フランの石油化学コンビナード建設契約に調印。
DIA-104-1973-05-15-2中国1973年05月15日1970年代徐向前中国特使,スリランカヘ出発-中国の援助で建てられたバンダラナイケ記念国際会議ホールの開館式に出席するため。21日帰国。
DIA-104-1973-05-15-3中国1973年05月15日1970年代デンマーク外相訪中。
DIA-104-1973-05-15-4中国1973年05月15日1970年代広州交易会終わる-日本からの参加者は約2,400名,成約高は約2億2000万ドルを超えたが,日中双方の値上げのため,価格面で商談が行きづまるケースが続出,全体で昨秋の実績を上回ったものの,一部商品の成約は昨年秋の実績を下回る結果を出たもようである(日経5月16日)。
DIA-104-1973-05-18-1中国1973年05月18日1970年代鄭徹如中国銀行理事長,香港にて死去-86歳。22日香港にて公祭儀式,31日遺骨が八宝山革命公墓に安置さる。
DIA-104-1973-05-18-2中国1973年05月18日1970年代1973年解放軍体育運動会開幕-9月23日まで済南,武漢,瀋場,北京,上海,南京の6カ所でおこなわれる。
DIA-104-1973-05-18-3中国1973年05月18日1970年代中国・デンマーク,民間航空運輸協定に調印。
DIA-104-1973-05-18-4中国1973年05月18日1970年代中国体操チーム訪米。
DIA-104-1973-05-18-5中国1973年05月18日1970年代中日友好協会訪日代表団帰国-廖承志氏をはじめ代表団は日本の各界1,000人の見送りを受け離日,同日夜北京に到着した。北京空港では李先念,鄧小平,郭沫若ら政府首脳が盛大に出迎えた。
DIA-104-1973-05-19-1中国1973年05月19日1970年代オーストラリア貿易代表団の訪中に関する新聞公報-ケインズ・オーストラリア外国貿易相を団長とする訪中団は12日から19日まで滞在。コミュニケのなかでは,双方は近い将来政府間貿易協定を調印することを有益と認め,両国の貿易で相互に最恵国待遇を与えることに同意した。さらに両国間の貿易発展のための貿易合同委員会の設置と,中国側はオーストラリアの要請にもとづき双方の関係貿易機構が小麦の長期取り決め調印のため具体的交渉に入ることに同意した。その他の商品についても双方の貿易機構は需要と可能性に応じて類似した長期取決め問題について話し合うことを決めている。
DIA-104-1973-05-20-1中国1973年05月20日1970年代下放知識青年の模範,朱克家-朱は1969年4月17歳で上海の海南中学卒。雲南省〓県〓侖公社に定着,教育と地方振興に力を入れ,73年4月入党。
DIA-104-1973-05-20-2中国1973年05月20日1970年代常乾坤空軍副司令員,北京で死去-69歳,1925年入党。24日追悼式。
DIA-104-1973-05-20-3中国1973年05月20日1970年代ギリシア副首相訪中―20日に李先念副総理と22日には周総理と会見した。
DIA-104-1973-05-22-1中国1973年05月22日1970年代北方地区旱害防止科学技術討論会の開催―農林部が中国農林科学院と河北省農林科学院に委託して最近石家庄市で開催。北方14省・市・自治区と国務院関係の指導幹部,貧農下層中農と科学技術員の代表160人余りが参加。
DIA-104-1973-05-22-2中国1973年05月22日1970年代人民日報評論員,「正当な決定」-第26回世界保健機構総会がルーマニア,アルジェリアなど36カ国の提案を可決し,朝鮮民主主義人民共和国の加盟を決めたことについて述べたもの。
DIA-104-1973-05-23-1中国1973年05月23日1970年代中国・ギリシア,民間航空運輸協定,貿易と支払協定,海運協定に調印。
DIA-104-1973-05-23-2中国1973年05月23日1970年代中国・ルーマニア,船舶技術検査協力協定に調印。
DIA-104-1973-05-24-1中国1973年05月24日1970年代人民日報評論員,「カンボジア人民の民族的権利は尊重されねばならない。」-5月16日,カンボジア王国民族団結政府と大衆組織が公開書簡を発表して,各国政府と大衆組織に米国のカンボジアに対する侵略行為を非難し,ならびに制止させ,カンボジア人民自身に自らの問題を解決させるよう呼びかけたのを支持したもの。
DIA-104-1973-05-24-2中国1973年05月24日1970年代モーリシャス外相訪中-25日,姫鵬飛外交部長と,27日には周総理と会見した。
DIA-104-1973-05-24-3中国1973年05月24日1970年代中国・コンゴ,経済技術協力協定に調印。
DIA-104-1973-05-25-1中国1973年05月25日1970年代荘則棟全国体育総会責任者,AALA卓球大会に台湾省もしくは台湾籍選手・コーチを招待する,と言明。
DIA-104-1973-05-25-2中国1973年05月25日1970年代章士釗氏,特別機で香港入り-その後7月1日香港で死去。
DIA-104-1973-05-25-3中国1973年05月25日1970年代人民日報社説,「アフリカ人民の団結,戦闘の祝日」-“アフリカ解放デー”10周年とアフリカ統一機構(OAU)創立10周年を記念し,0AUの第10回国家政府首脳会議がアジスアベバで開幕されるのを祝したもの。 なお24日,周総理はOAU創立10周年,第10回首脳会 議を祝す電報を送った。 25日,中国駐在のアフリカ各国外交団はOAU創立10周年の記念招待会を開き,周恩来,姫鵬飛,方毅らが出席した。
DIA-104-1973-05-26-1中国1973年05月26日1970年代天津市工会第10回大会開催-30日まで。
DIA-104-1973-05-26-2中国1973年05月26日1970年代1~3月の日中貿易,前年比28%増-日本国貿促の発表,輸出入合わせ,1110億1000万円とこの期間としてはこれまでの最高を記録。
DIA-104-1973-05-26-3中国1973年05月26日1970年代自民党訪中団,清華大へ本を寄贈-昨年小坂善太郎氏を団長とする自民党訪中団が清華大学を訪問した際寄贈を約束した6,000冊の科学,歴史,哲学書などの引渡しがおこなわれた。
DIA-104-1973-05-27-1中国1973年05月27日1970年代周恩来,白相国,西独経済代表団と会見。
DIA-104-1973-05-27-2中国1973年05月27日1970年代中国の援助によるザンビアの公路開通-1967年6月に援助協定が結ばれ,1970年から着工のルサカ~カオマ間380.5キロの道路と橋梁が完成したもの。
DIA-104-1973-05-27-3中国1973年05月27日1970年代廖承志,日本地方自治体首長訪中団と会見。
DIA-104-1973-05-28-1中国1973年05月28日1970年代成鈞(空軍副司令員)復活。
DIA-104-1973-05-28-2中国1973年05月28日1970年代元国民党国防部副庁長葉南氏夫妻が一時帰国-傳作義,廖承志らの人々と会見。
DIA-104-1973-05-28-3中国1973年05月28日1970年代人民日報,新華社記者論評,「ソ修がニセの支持を売り出すまた1つの例」-最近,ソ連のプラウダ紙がカンボジア戦争を“兄弟殺し合いの戦争”,“この戦争は有害な結果をもたらすことはいかなる時にもまして明らかである”,“国内政治と経済の混乱”などと述べたことを非難し,かつソ連がロンノル政権に援助を与えカンボジア王国民族団結政府を承認しないことを非難している。
DIA-104-1973-05-28-4中国1973年05月28日1970年代アルジェリア軍事代表団訪中。
DIA-104-1973-05-28-5中国1973年05月28日1970年代ザンビアで中国の援助による放送設備の寄贈式。
DIA-104-1973-05-29-1中国1973年05月29日1970年代黄鎮駐米連絡事務所長,ワシントン着任。
DIA-104-1973-05-29-2中国1973年05月29日1970年代スエーデン外相訪中-30日に姫鵬飛外相と会談。
DIA-104-1973-05-29-3中国1973年05月29日1970年代中国・赤道ギニア,中国が医療隊を派遣することに関する議定書に調印。
DIA-104-1973-05-30-1中国1973年05月30日1970年代ニクソン米大統領,黄鎮中国駐米連絡所主任と会見。
DIA-104-1973-05-31-1中国1973年05月31日1970年代山東,内蒙古,浙江,福建,広西で共青団代表大会閉幕-5月4日から31日の間に開かれ,各期委員会を選出した。
DIA-104-1973-05-31-2中国1973年05月31日1970年代米中貿易協議会設立-米中貿易促進のために結成された民間の経済団体,韓叙連絡事務所副主任が招かれて挨拶をおこなった。
DIA-104-1973-05-31-3中国1973年05月31日1970年代中国・ルーマニア,科学技術協力委員会第15回会議議定書に調印。
DIA-104-1973-06-01-1中国1973年06月01日1970年代北京など主要都市のホテル,レストラン,一斉に5割値上げ。タクシー運賃もアジア地域でも高い方の値段に値上げされる。
DIA-104-1973-06-01-2中国1973年06月01日1970年代人民日報評論員論文,「アフリカ首脳会議の大きな成果を熱烈に祝賀する」-OAU第10回首脳会議の閉幕を祝したもの。
DIA-104-1973-06-01-3中国1973年06月01日1970年代中国・スエーデン民間航空運輸協定に調印。
DIA-104-1973-06-02-1中国1973年06月02日1970年代中国・ハンガリー科学技術協力委員会第12回会議議定書に調印。
DIA-104-1973-06-02-2中国1973年06月02日1970年代李先念副総理,日本アジア農業技術交流協会訪中団と会見。
DIA-104-1973-06-03-1中国1973年06月03日1970年代周総理,川崎秀二氏と会見-会談のなかで,周総理は航空協定をはじめ両国間の実務協定の締結が遅れていることに遺憾であると述べたという。
DIA-104-1973-06-04-1中国1973年06月04日1970年代漢水北部(武漢市西北部)の大型の排水,冠水防止工事が基本的に完成-1970年5月の人工運河建設第1期工事の完成のうえに,2基の大型電力排水ステーションと排水用水門,14カ所の船舶航行用の水門と大型道路橋を備えた第2期工事が完成。
DIA-104-1973-06-04-2中国1973年06月04日1970年代イエーメンで中国経済貿易展開幕。
DIA-104-1973-06-04-3中国1973年06月04日1970年代北ベトナム党・政府代表団訪中-レ・ジュアン・北ベトナム労働党中央委第1書記,ファン・バン・ドン同政治局員,レ・タン・ギ党中央政治局員兼副首相らは中国党,政府の招きで4日,北京に到着。空港には周恩来,葉剣英,張春橋,姚文元,李先念,紀登奎,李徳生ら党,政府首脳の他5,000人の大衆が出迎えた。 4日の人民日報は,「親密な隣邦ベトナムからの戦友を熱烈に歓迎する」と題する歓迎社説を掲げた。 4日夜,中共中央と国務院は北ベトナム代表国歓迎宴会を催した。
DIA-104-1973-06-05-1中国1973年06月05日1970年代吉林,山西,安徽で工会代表大会閉幕-5月28日から開かれ,各期委員会を選出。
DIA-104-1973-06-05-2中国1973年06月05日1970年代中国・ベトナム衛生協力協定執行計画に調印。
DIA-104-1973-06-05-3中国1973年06月05日1970年代タイ政府,中国卓球代表団を正式に招待。
DIA-104-1973-06-05-4中国1973年06月05日1970年代毛主席,レ・ジュアン第1書記,ファン・バン・ドン首相と会見。
DIA-104-1973-06-05-5中国1973年06月05日1970年代中国・チュニジア,中国が医療隊を派遣することに関する議定書に調印。
DIA-104-1973-06-06-1中国1973年06月06日1970年代モーリタニアで中国経済貿易展開幕。
DIA-104-1973-06-06-2中国1973年06月06日1970年代姫鵬飛外交部長,イギリス,フランス,イラン訪問に出発。
DIA-104-1973-06-06-3中国1973年06月06日1970年代姫鵬飛外交部長,ロンドン到着-7日,ヒューム英外相と会談,8日,ヒース首相と会見した。このなかで,ヒース首相は姫氏の要請にこたえ年内に訪中することを約した。
DIA-104-1973-06-06-4中国1973年06月06日1970年代ベトナム南部共和臨時革命政府成立4周年記念-5日,董必武国家主席代理と周恩来総理は連名で革命政府に祝電を送った。6日の人民日報は「英雄的なベトナム南部人民に敬意を表する」と題する記念社説を掲げた。
DIA-104-1973-06-07-1中国1973年06月07日1970年代北京でベトナム党・政府代表団歓迎集会-北京の大衆1万人余りは人民大会堂で歓迎集会を開催,北ベトナム代表団の他,中国党,政府首脳が出席した。集会では葉剣英副主席とレ・ジュアン第1書記が演説をおこなった。 同日夜,ベトナム党,政府代表団は人民大会堂で答礼宴を催し,周総理をはじめ党政府首脳が出席した。 8日,同代表団は北京を離れ,西安を参観訪問,9日,延安を訪問,11日,西安から帰国した。
DIA-104-1973-06-08-1中国1973年06月08日1970年代浙江省漁民が救助した台湾省漁民10人が台湾へ送られた。
DIA-104-1973-06-08-2中国1973年06月08日1970年代中国は米国から小麦250万トン,トウモロコシ100万トンを買付け-1973-74小麦年度中に引渡されるもの(米国農務省発表)。また大豆50万トンも買付け(6月20日同省発表)。
DIA-104-1973-06-08-3中国1973年06月08日1970年代1974年度中国対ベトナム無償経済軍事援助協定,北京で調印。
DIA-104-1973-06-08-4中国1973年06月08日1970年代東京で中国出土文物展開幕-田中首相が開幕式に出席した。
DIA-104-1973-06-09-1中国1973年06月09日1970年代中国卓球代表団,マレーシア訪問-庄則棟を団長とする。マレーシア卓球総会の招きによるもの。
DIA-104-1973-06-09-2中国1973年06月09日1970年代姫鵬飛外交部長,パリ訪問-12日,メスメル仏首相と会見,13日,ポンピドー大統領と会談をおこなった。13日の同大統領の歓迎宴の席上,姫部長は西欧連合の支持を表明し,西欧に対する超大国の覇権活動を批判した。
DIA-104-1973-06-10-1中国1973年06月10日1970年代河南省のナタネ大豊作-今年のナタネの収穫面積は144万ムーで昨年より91万ムー多く,平均ムー当り収穫高は昨年より59%増で総収穫高は3倍増。
DIA-104-1973-06-11-1中国1973年06月11日1970年代遼寧省工会第3次代表大会開く-14日まで。
DIA-104-1973-06-11-2中国1973年06月11日1970年代中国・カナダ民間航空協定に調印。
DIA-104-1973-06-11-3中国1973年06月11日1970年代中国卓球代表団訪日。
DIA-104-1973-06-11-4中国1973年06月11日1970年代日本国貿促会長に藤山愛一郎氏就任。
DIA-104-1973-06-12-1中国1973年06月12日1970年代中国・北ベトナム共同コミュニケ発表-北ベトナム党,政府代表団の訪中に関するもの。
DIA-104-1973-06-13-1中国1973年06月13日1970年代この2年間に知識青年6,000人が上海の飲食・サービス業に就職した。
DIA-104-1973-06-13-2中国1973年06月13日1970年代人民日報聞梅論評「連環画をしっかりやろう」。
DIA-104-1973-06-13-3中国1973年06月13日1970年代遼寧省では文革以来3万余の労働者幹部を選抜,養成―これらの新幹部は毎年2~3カ月は出身単位で労働,3分の1は生産労働に,3分の1は基層工作に,3分の1は上部での仕事にたずさわるようにしている。
DIA-104-1973-06-13-4中国1973年06月13日1970年代コンゴ外相訪中-14日,周総理と会見,同日帰国。
DIA-104-1973-06-13-5中国1973年06月13日1970年代英中民間航空路開設協定に合意-英通産省当局が明らかにしたもの。
DIA-104-1973-06-13-6中国1973年06月13日1970年代姫鵬飛外交部長,パリでキッシンジャー米大統領補佐官と儀礼的な会見。
DIA-104-1973-06-14-1中国1973年06月14日1970年代人民日報,公冶平論評「新たな力量」-旅大市機械工業局が全市の機械工業部門の協業を組織して,1972年の生産総額を1966年と比べて2.2倍にし労働生産性を49%上昇させた事例を論評,社会主義協業により弱い部門を補強し,大型設備の利用率を高め,街道工業の役割を発揮させて新しい発展の力を生み出すことができる。社会主義協業は企業内の潜在力を掘り起こす重要な方法であると強調。
DIA-104-1973-06-14-2中国1973年06月14日1970年代姫鵬飛外交部長,イランを訪問-16日,パーレビ国王は姫部長を接見した。 同日,カラトバリ外相は姫部長の歓迎宴会を開いた。 席上,あいさつにたった姫部長はペルシャ湾に対して“ある大国”が浸透を強めていることを批判,イランがこうした形勢のなかで国防を強化していることへの支持を述べた。
DIA-104-1973-06-14-3中国1973年06月14日1970年代イランがこうした形勢のなかで国防を強化していることへの支持を述べた。
DIA-104-1973-06-14-4中国1973年06月14日1970年代エチオピア経済貿易代表団訪中。
DIA-104-1973-06-15-1中国1973年06月15日1970年代人民日報兪論文「幹部隊伍の建設を強化せよ」-各級指導グループは「老・中・青」の三結合の長期的目標を実行すべきである。まじめに新生の力を選抜し養成すべきである。根本目的が一致しているかぎり意見の対立,論争をおそれる必要はない。
DIA-104-1973-06-15-2中国1973年06月15日1970年代人民日報,CENTO閣僚理事会の模様を報道-15日の人民日報は,テヘランで開かれたCENTO(中央条約機構)閣僚理事会の模様を報道し,会議のなかで,南アジア亜大陸,ペルシャ湾地域へのソ遠の侵出に対する憂慮が協議されたと述べている。
DIA-104-1973-06-15-3中国1973年06月15日1970年代朝鮮政府経済代表団訪中―崔載羽北朝鮮政務院副総理を団長とする。同,季先念副総理と会談,17日,周恩来総理と会談をおこなった。
DIA-104-1973-06-16-1中国1973年06月16日1970年代連貫人代常務委員会副秘書長,王輝庭国際貿易促進委員会主任が復活。
DIA-104-1973-06-16-2中国1973年06月16日1970年代人民日報,方辛論文「経済開発と環境保全」-①社会主義は生産の無政府状態を計画経済にとってかえ,工農業生産を合理的に配置し,都市の奇形的発展と人口の高度集中を避け,都市建設を規格にしたがって合理的,計画的に進め,また広範な大衆に依拠し大衆を動員して環境を保全することができる。②社会主義経済を成長させること自体の必要からいっても環境の保全は欠くことができない。経済をより早く成長させるには環境の保全に十分力を入れなければならない。③われわれは経済を成長させるという手段で環境の保全の問題を解決するほかなく,経済成長のテンポを緩める方法,消極的な方法で,望ましい環境を求めることはできない。
DIA-104-1973-06-16-3中国1973年06月16日1970年代藤山愛一郎氏ら日本国貿促訪中代表団,北京に到着-一行は,17日,白相国対外貿易部長と,22日には周恩来,郭沫若氏らと会見した。
DIA-104-1973-06-17-1中国1973年06月17日1970年代人民日報,湖北省〓水県の財政商業部門の農業支援の調査報告-1972年の全県の財政収入は1969年と比べ2倍近くになり,都市住民の貯金額は1.74倍になった。自己蓄積資金の使用に際してできるだけ行政経費の支出をおさえて農業生産へ優先して使用した。農業と農業支援工業への投資額の蓄積資金総額に占める割合は1969年の30.4%から昨年は88.1%に増加。
DIA-104-1973-06-17-2中国1973年06月17日1970年代人民日報社説,「パリ協定の全面的履行のために努力を続けよう」-6月13日,北ベトナム政府,臨時革命政府,米国政府,サイゴン政権の4者の間で,パリ協定および付属議定書の諸条項の全面的履行を保証するためにとるべき緊急措置を規定する共同コミュニケが調印されたことを論評したもの。
DIA-104-1973-06-17-3中国1973年06月17日1970年代姫鵬飛外交部長,パキスタンを訪問-18日,ブット大統領と会見した。同日夜の大統領主催のレセプションで姫部長は,一部の拡張勢力が南アジア亜大陸各国の間の関係を極力挑発し,同時にさまざまな方法を使って浸透と転覆活動を進め,この地域の平和と安全を脅かしていると述べた。 姫部長は19日,カラチから北京に帰着した。
DIA-104-1973-06-17-4中国1973年06月17日1970年代中国卓球代表団,タイを友好訪問-19日,タイ副首相は同代表団と会見した。
DIA-104-1973-06-18-1中国1973年06月18日1970年代各地の部隊は党委員会の統一した指導の下に駐屯地の民兵建設を強化-北京部隊某部党委は民兵工作を部隊の工作の議事日程に入れ,1年来5回の現場会議をおこなっている。
DIA-104-1973-06-18-2中国1973年06月18日1970年代人民日報,新華社記者述評「現有企業の潜在力を掘り起こすことは,我国の工業生産を高める重要な方法である」-全国の現在の工業設備の利用率を10%高めることは,1年の建設投資によって得られる設備の新規増加に相当する。全国の工業の労働生産性からみると,その潜在力は非常に大きい。後進的企業が労働生産性を全国平均水準へ高めるだけで,大へんな増産になる。
DIA-104-1973-06-18-3中国1973年06月18日1970年代中国,北朝鮮経済技術協力協定と議定書に調印。
DIA-104-1973-06-19-1中国1973年06月19日1970年代チベット自治区で三級衛生網ほぼ完成-区に衛生所,公社に衛生室,生産隊に「はだしの医者」というシステム。1972年だけで区衛生所238,公社衛生室189が設置され,「はだしの医者」は4,085人にふえた。
DIA-104-1973-06-19-2中国1973年06月19日1970年代日本自動化電子機器・医療機器展覧会,北京で開幕(7月3日まで)。
DIA-104-1973-06-20-1中国1973年06月20日1970年代国家建設委員会主任の谷牧,原職に復帰。劉湘屏(謝富治夫人)が衛生部部長に任命さる。
DIA-104-1973-06-20-2中国1973年06月20日1970年代ルーマニア軍事代表団訪中。
DIA-104-1973-06-20-3中国1973年06月20日1970年代コペルニクス生誕500周年展覧会,北京で開幕。
DIA-104-1973-06-20-4中国1973年06月20日1970年代マリ国家元首訪中―マリ共和国国家元首兼政府首相ムッサ・トラオレ大佐は中国政府の招きで訪中した。空港では,周恩来,季先念,鄧小平小平,徐向前ら政府首脳と4,000人の大衆が出迎えた。 20日の人民日報は,「マリの貴賓を熱烈に歓迎する」と題する社説を掲げた。 21日夜,周総理は人民大会堂で同元首の歓迎宴を開いた。
DIA-104-1973-06-20-5中国1973年06月20日1970年代廖承志,大阪,京都,神戸市3市長と会見。
DIA-104-1973-06-21-1中国1973年06月21日1970年代中国経済貿易展覧会。ユーゴで開幕。
DIA-104-1973-06-21-2中国1973年06月21日1970年代中国漁業協会と日本日中漁業協会,中日民間漁業協定を1年延長することで合意。
DIA-104-1973-06-22-1中国1973年06月22日1970年代范子瑜,商業部部長に就任が判明,前解放軍総後勤部第2物資部司令。
DIA-104-1973-06-22-2中国1973年06月22日1970年代中国,両ドイツの国連加盟を支持-22日,国連安保理は東西ドイツを今年9月の第28回総会で加盟国となることを推薦するという決議をしたが,黄華中国代表もこの決議の支持演説をおこなった。
DIA-104-1973-06-22-3中国1973年06月22日1970年代毛主席,マリ元首と会見-席上,毛主席は,「われわれは共に第3世界に属し,発長途上国である。貴方の国が発展し人民が幸せになり,全アフリカが団結して帝国主義を打倒するよう希望する」と述べた。
DIA-104-1973-06-22-4中国1973年06月22日1970年代中国・マレーシア,国交樹立交渉を開始―マレーシア政府当局筋が明らかにしたもの。ニューヨークにお いて黄華中国国連代表とマレーシア国連代表との間で交 渉中(朝日6月22日)。
DIA-104-1973-06-24-1中国1973年06月24日1970年代広州生産建設部隊では広はんな知識青年が海島と辺境に定着-1969年以来入植した知識青年のうち,7,200余人が入党,5万5000人が共青団に入り,2,080余人が中隊もしくは機関の幹部になり78人は師団級の幹部になっており,2,600余人は各種の積極分子に選ばれ,130人は尖兵に選ばれた。
DIA-104-1973-06-24-2中国1973年06月24日1970年代人民日報,河北省石家庄地区の地方工業を組織して井戸掘り旱害対策を支援した調査報告-昨年1年間の金区の動力井戸の配備は8,000本余りで1961~1971年の配備総数に相当。基本方針として①地下水,地上水ともに利用し,特に地下水の開発を主とする,②動力井戸の動力としてはディーゼル,モーター双方とも使い,ディーゼルの使用を主とする。ある人民公社では,双方を配備し,電力不足の時にはディーゼルエンジンを使用して電力不足を解決している。
DIA-104-1973-06-24-3中国1973年06月24日1970年代中国・マリ,経済技術協力協定に調印。
DIA-104-1973-06-24-4中国1973年06月24日1970年代マリ国家元首,北京から大寨へ-26日上海,27 日上海から帰国。
DIA-104-1973-06-24-5中国1973年06月24日1970年代周恩来,葉剣英,レ・ドク・ト北ベトナム政府代表と会見。
DIA-104-1973-06-24-6中国1973年06月24日1970年代中国卓球代表団,タイからビルマへ。
DIA-104-1973-06-24-7中国1973年06月24日1970年代天津-神戸,姉妹都市宣言-24日,宮崎辰雄神戸市長が天津を訪問し,記念集会がもたれた。
DIA-104-1973-06-25-1中国1973年06月25日1970年代軍は数年来1万4000余の医療隊を農山村に派遺,6400万人を治療し,7万の生産隊で協同医療制度を設立するのを援助した。
DIA-104-1973-06-25-2中国1973年06月25日1970年代人民日報社説,「勝利は英雄的な朝鮮人民のもの-朝鮮祖国解放戦争23周年を記念して」-朝鮮戦争以降の北朝鮮の発展を祝すとともに,6月23日の金日成主席の朝鮮の自主的平和統一に関する5項目の方針(“高麗共和国”の単一国号による南北連邦制の実行など)への支持を表明している。
DIA-104-1973-06-26-1中国1973年06月26日1970年代上海農業機械工業部門,北方農地水利建設を全力をあげて支援-1~5月の統計によれば,農業用ポンプと水中電気ポンプは昨年同期と比べ28.2%と62.9%それぞれ増産。農業用灌漑ディーゼル機関は72.3%,トラクター52%増産。
DIA-104-1973-06-26-2中国1973年06月26日1970年代中国・エジプト,中国の援助でレンガ工場を建設することについての会議議事録に調印。
DIA-104-1973-06-27-1中国1973年06月27日1970年代西部地区上空で水爆実験に成功-ロプノルでおこなわれ,3メガトンとアメリカが推定。
DIA-104-1973-06-27-2中国1973年06月27日1970年代広西,雲南,湖北で工会大会閉幕-20日から開かれ各期委員会を選出。
DIA-104-1973-06-27-3中国1973年06月27日1970年代天津市で第6回婦人代表大会開催-7月1日まで。1,200名の代表が参加,105名の委員からなる第6期委員会が選出された。
DIA-104-1973-06-28-1中国1973年06月28日1970年代広東,青海,寧夏,江西,チベットで共青団代表大会閉幕-6月7日から開かれ各期委員会を選出。
DIA-104-1973-06-29-1中国1973年06月29日1970年代各少数民族の先進分子,1969年以来14万3000人余が入党-独竜族は全体で,2,700余人であるが,50名が入党。
DIA-104-1973-06-29-2中国1973年06月29日1970年代周総理,米国チェース・マンハッタン銀行のロックフェラー会長と会見。
DIA-104-1973-06-30-1中国1973年06月30日1970年代山西省汾西鉱務局高陽炭鉱が最近完成し操業に入る。年産原炭120万トンの現代化した炭鉱。
DIA-104-1973-06-30-2中国1973年06月30日1970年代イラン議会代表団訪中。
DIA-104-1973-06-30-3中国1973年06月30日1970年代スーダン経済貿易代表団訪中。
DIA-104-1973-06-30-4中国1973年06月30日1970年代中国遠洋運輸代表団来日。
DIA-104-1973-06-31-1中国1973年06月31日1970年代6月中の各界訪中団 ①日中友協(正)学習訪中団(人民日報3日) ②日本医師・針きゅう師訪中団(1日北京着) ③遠藤三郎日中友好旧軍人会一行訪中(9日北京着) ④日本海運労組訪中団訪中(13日北京着) ⑤北海道労働者訪中団訪中(21日人民日報) ⑥長野県労農友好訪中団訪中(27日人民日報) ⑦名古屋放送テレビ取材班訪中(30日北京着)
DIA-104-1973-07-01-1中国1973年07月01日1970年代人民日報,共産党創立記念日特集-北京,上海,天津の先進分子入党を紹介,先進党員,支部に関する特集。 文革以来の入党者,北京6万余人,上海3万3600余 人,天津1万6000余人。
DIA-104-1973-07-03-1中国1973年07月03日1970年代楊勇,新疆軍区司令員として復活,サイフジンは党第1書記に昇格-シアヌーク殿下の歓迎式の報道によって公表。
DIA-104-1973-07-03-2中国1973年07月03日1970年代広東,河北,甘粛,山東,黒竜江,江蘇,陜西,内蒙古で工会代表大会閉幕-6月23日から順次開かれ各期委員会を選出。
DIA-104-1973-07-03-3中国1973年07月03日1970年代蒙古文旬刊『文選』が発行されている-1年試刊ののち本年1月1日正式出版,7万8000余冊。
DIA-104-1973-07-03-4中国1973年07月03日1970年代人民日報,山西省晉城県の「五小工業」の調査報告-①ある公社で23カ所の小炭鉱を営んだが,工業方面の収入は増えたが,農業生産が低下したので,11カ所の小炭鉱は操業を中止し,220名の労働者を引き出してそのうちの63名を化学肥料工場へ移し,残りを全部生産隊へ帰し農業に従事させるようにした。②農業に労働力を優先的に確保するために県・社・隊の3級工業の労働力は全県の総労働力の5%を越えないように定め,人民公社経営の工業は当地の総労働力の2%を越えないように定めた。③現在,公社経営と生産大隊経営の1,700余りの工場のうち兼工兼農の制度(農閑期に工業に従事し農繁期には農業に従事する制度)を実施しているものは76%以上になる。
DIA-104-1973-07-04-1中国1973年07月04日1970年代人民日報現代革命京劇「平原作戦」(1973年7月演出本)発表-紅旗7号。
DIA-104-1973-07-04-2中国1973年07月04日1970年代中国・スーダン,1973年度貿易議定書に調印。
DIA-104-1973-07-04-3中国1973年07月04日1970年代米チェース・マンハッタン銀行と中国銀行,コルレス関係樹立で合意か―米中貿易全国協議会訪中団として訪中したロックフェラー会長が帰途香港で明らかにしたもの。
DIA-104-1973-07-05-1中国1973年07月05日1970年代1973年全国公路自転車競技会北京で開幕(11日まで)。
DIA-104-1973-07-05-2中国1973年07月05日1970年代上海工業部門,農業支援に貢献-農業機械,化学肥料,農薬の生産量が大幅に伸びまた生産コストも低下させた。1965年と1972年を比べると豊収35型トラクターは生産量が11倍になり,コストは30%下り,ハンドトラクターは4倍増でコストは25%低下。化学肥料は2倍半に増え,農薬は60%以上のびる。豊収35型トラクターは農村からの要請に応えて,畑地でも水田でも使えるように改良。また技術の下放運動をすすめ,農村へ人を派遣したり,工場へ呼びよせたりして農村の技術者の養成を援助している。
DIA-104-1973-07-05-3中国1973年07月05日1970年代人民日報社説,「カンボジア人民の友は全世界にあまねし」-シアヌーク殿下のアフリカ,欧州11カ国訪問の成功を祝したもの。
DIA-104-1973-07-05-4中国1973年07月05日1970年代シアヌーク殿下一行,北京に到着-ウルムチ経由で帰着,周恩来,葉剣英,李先念,鄧小平ら政府首脳の他,5,000人の大衆が出迎えた。 6日夜,周総理は人民大会堂で盛大な宴会を催した。席上,シアヌーク殿下はカンボジア人民は米国式の和平を受入れることはできない,必要とあれば何十年でも戦い続けると述べ,周恩来もカンボジア人民の立場と闘争への支持を重ねて確認した。
DIA-104-1973-07-05-5中国1973年07月05日1970年代中国・西独,貿易と支払い協定に調印-協定によれば期間は2カ年で両国は相互に最恵国待遇を与えることに合意した。
DIA-104-1973-07-05-6中国1973年07月05日1970年代岡崎嘉平太日中覚書貿易代表訪中。
DIA-104-1973-07-06-1中国1973年07月06日1970年代張宗遜(元軍副総参謀趙)復活-シアヌーク元首を空港に出迎えた。
DIA-104-1973-07-06-2中国1973年07月06日1970年代ニクソン米大統領,黄鎮駐米連絡事務所所長と会談-会談後,キッシンジャー大統領補佐官は記者会見のなかで,議題にはカンボジア問題が含まれていたこと,さらに補佐官自身が来月訪中すること,などを明らかにした。
DIA-104-1973-07-06-3中国1973年07月06日1970年代周総理,米国議員団代表と会見-会見の中で周総理は,米国と蒋介石との関係が続くかぎり,ニクソン大統領の訪米招請に応じない,と語った。
DIA-104-1973-07-07-1中国1973年07月07日1970年代香港で章士鈞氏の葬儀-連貫全人代常務委員会副秘書長が参列,朱徳,周恩来,傅作義が弔電を送った。12日北京の八宝山革命公墓で追悼会が開かれた。
DIA-104-1973-07-07-2中国1973年07月07日1970年代周総理,黒田寿男氏と会見。
DIA-104-1973-07-08-1中国1973年07月08日1970年代苑化冰(軍総後勤部装備部部長)死去-55歳,心臓病のため。14日,八宝山で追悼会がおこなわれた。
DIA-104-1973-07-08-2中国1973年07月08日1970年代中国軍事友好代表団,アルバニア入り-徐向前団長,アルバニア人民軍建軍記念行事に参加するため。
DIA-104-1973-07-09-1中国1973年07月09日1970年代人民日報短評,計画的な電力使用をよびかけ-国家計画委員会,水利電力部執筆の旅大,瀋陽,丹東3市の電力の計画的使用に関する調査報告へ論評。電力建設の発展により,1972年の発電能力は1965年の2倍になったが,多くの地区でなお供給不足の状態にある。この矛盾解決には電力の計画的使用を実行することが効果的な方法である。電力の計画的使用を増産節約推進のための長期方針として堅持すべきである。
DIA-104-1973-07-09-2中国1973年07月09日1970年代フィリビン・ベテランズ銀行,中国銀行とコルレス関係を結ぶ。
DIA-104-1973-07-09-3中国1973年07月09日1970年代トヨタ,乗用車756合(8億4000万円)を受注。
DIA-104-1973-07-10-1中国1973年07月10日1970年代人民日報呉恭聞論文「労働者幹部を養成することは歴史が我々に与えた任務である」-歴史上どの階級も独立した政治勢力として歴史の舞台に登場するにあたっては,必ずその階級の指導者を推挙し,その階級の幹部を養成し,これらの指導者と幹部に依拠してその階級の独立した路線と政策を提起し,支配的地位を奪取し,支配的地位を固めねばならぬものである。労働者階級にとってもこれは全く例外ではない。
DIA-104-1973-07-10-2中国1973年07月10日1970年代解放軍報社説,「アルバニア人民軍の建軍30周年を熱烈に祝う」-9日夜,中国国防部はアルバニア建軍記念の祝賀報告会を開いた。
DIA-104-1973-07-10-3中国1973年07月10日1970年代中国,バハマ連邦を承認-10日に英国より独立したもの。
DIA-104-1973-07-11-1中国1973年07月11日1970年代人民日報社説,「5.7」幹部学校を立派に運営しよう―中央機関が最近北京で開いた「5.7」幹部学校工作会議の総括として出されたもの。党の指導を強め,強力な指導グループを配して運営を安定化させ,幹部の輪番訓練をひきつづき立派におこなうことを強調。
DIA-104-1973-07-11-2中国1973年07月11日1970年代武漢鉄鋼公司の大型の第3焼結工場,操業を開始。
DIA-104-1973-07-11-3中国1973年07月11日1970年代中国紅十字会,アフリカ6カ国に合計3万5000トンの救援穀物を送る-モーリタニア,マリ,セネガル,チャド,ニジェール,オートボルタの6カ国の干ばつの被害に対し今年4月以降に送ったもの。
DIA-104-1973-07-13-1中国1973年07月13日1970年代インドネシア,中国から米5万トンを買いつけ―1966年に両国関係が中断して以来,初の取引きである(大公報7月14日)。
DIA-104-1973-07-13-2中国1973年07月13日1970年代日本自動機器展出品品目の9割以上成約(約12億円)。
DIA-104-1973-07-14-1中国1973年07月14日1970年代四川省,小麦作付面積を拡大し良い収穫をおさめる-全省の小麦作付面積は前年より200万ムー拡大。その生産量は越冬食糧作物総生産量の70%以上を占める。
DIA-104-1973-07-16-1中国1973年07月16日1970年代党福建省三明市委は計画的に新幹部を選抜,養成している―文革以後1,270名の新幹部を養成,これは各級指導成員総数の56%を占める。1名の党副書記と常務委員が専門に養成の責任を負い,「老中青」の三結合を実現させる努力をしている。
DIA-104-1973-07-16-2中国1973年07月16日1970年代武漢,北京,長沙,南寧で大衆的遊泳活動がおこなわれる。
DIA-104-1973-07-16-3中国1973年07月16日1970年代中ソ航空交渉妥結-中国民航機のモスクワ乗り入れに関する議定書に調印。
DIA-104-1973-07-16-4中国1973年07月16日1970年代中国,カナダ,商標登録互恵協定覚書を交換-一方の国の個人,組合,会社,政府企業が相手国において法律に従って商標登録を出願し,商標専用権を得ることを認めるもの。
DIA-104-1973-07-16-5中国1973年07月16日1970年代中国紅十字会,イエーメンに小麦5000トンを贈る。
DIA-104-1973-07-16-6中国1973年07月16日1970年代廖承志氏,日本総評,中立労連訪中代表団と会見。
DIA-104-1973-07-17-1中国1973年07月17日1970年代毛主席が楊振寧博士と会見-周総理,周培源氏と共に1時間近く極めて親密な談話をおこなった。
DIA-104-1973-07-17-2中国1973年07月17日1970年代四川省,新疆自治区で共青団代表大会閉幕-6月27日から前後して開かれ各期委員会を選出。
DIA-104-1973-07-17-3中国1973年07月17日1970年代中国,作業用の中古船8,9隻を買付け(約12億5000万円)。
DIA-104-1973-07-18-1中国1973年07月18日1970年代安徽,湖北,山西,吉林,河北の各省で婦女代表大会閉幕-6月30日から開かれ各期委員会を選出。
DIA-104-1973-07-18-2中国1973年07月18日1970年代張奚若元外交学会会長死去-84歳。23日,八宝山革命公墓で追悼会開く。
DIA-104-1973-07-18-3中国1973年07月18日1970年代北京・天津郊区の夏期収穫作物が大豊収-小麦,大麦,えんどうなどが豊作。食糧作物の総収穫高は両郊区いずれも昨年と比べ3割増。
DIA-104-1973-07-19-1中国1973年07月19日1970年代馮白駒(元浙江省副省長)死去-28日八宝山革命公墓で追悼会。
DIA-104-1973-07-19-2中国1973年07月19日1970年代河南省の春まゆの豊収-総収量が昨年同期比でサク蚕が35%,蚕が36%増加。
DIA-104-1973-07-19-3中国1973年07月19日1970年代中国,対南ベトナム臨時革命政府無償緊急追加経済援助供与協定に調印。
DIA-104-1973-07-20-1中国1973年07月20日1970年代新疆での中小学教育事業が発展-喀什地区ではすでに1万2000余人の少数民族の小中学教師が存在,うち933人が入党,2,863人が共青団に加入。全区で中学が854カ所あり1965年にくらべ539カ所の増。中学生は2倍の増である。小学校は1,051カ所あり,1965年の41%増,児童の35%増。
DIA-104-1973-07-21-1中国1973年07月21日1970年代中国政府貿易代表団,オーストラリアを訪問-白相国対外貿易部長を団長とする。27日にはニュージーランドを訪問。
DIA-104-1973-07-22-1中国1973年07月22日1970年代浙江,寧夏,福建で工会代表大会閉幕-3日から順次開かれ,各期委員会を選出。
DIA-104-1973-07-23-1中国1973年07月23日1970年代下放知識青年の中の党員を発展させるべきである-広西柳城県では1969年来5,100余名が定着しているのにただ1人が入党したのみ,という投書が紹介され,批判された。
DIA-104-1973-07-24-1中国1973年07月24日1970年代中国・オーストラリア政府間貿易協定に調印-期間は3カ年,両国は相互に最恵国待遇を与えることで合意。
DIA-104-1973-07-24-2中国1973年07月24日1970年代鄧小平,廖承志,両氏,富山,熊本両県代表団と会見。
DIA-104-1973-07-24-3中国1973年07月24日1970年代上半期の日中貿易実績,8億7148万ドル-昨年同期比66.2%の伸び,輸出4億7266万ドル(55.3%増),輸入3億9883万ドル(81.4%増),ジェトロ発表。
DIA-104-1973-07-25-1中国1973年07月25日1970年代鞍山鉄鋼公司第2製鋼工場,湯止棒(ストッパー)を使用しない平炉製鋼法を開発し,平炉の生産能力を高めた。
DIA-104-1973-07-26-1中国1973年07月26日1970年代上海市では工場が学校を創設,技術人員を養成-3,000余の主要工場・企業のうち2,800余の単位が技術教育を展開,参加した職員・労働者は20万7000人に達している。労働者大学23カ所,業余中等専科学校150余ヵ所,区の業余工専科10ヵ所となっている。
DIA-104-1973-07-26-2中国1973年07月26日1970年代青海省の牧畜業の発展-幼畜の飼育頭数は昨年同期を73万頭上回る411万頭に達し,また毛肉兼用の半細毛羊は115万頭余り。
DIA-104-1973-07-27-1中国1973年07月27日1970年代人民日報社説,「三千里の山河は必ず統一される」―朝鮮祖国解放戦争勝利20周年を記念したもの。
DIA-104-1973-07-27-2中国1973年07月27日1970年代コンゴ大統領,訪中-マリア・エングアビ少佐(共和国大統領,国家元首)は中国政府の招きで,27日北京着,空港では周恩来,李先念,鄧小平ら各氏が出迎えた。 27日の人民日報は同元首の訪中を記念して,「コンゴの貴賓を熱烈に歓迎する」と題する社説を掲げた。 28日,人民大会堂で周総理主催の歓迎宴会が開かれた。席上,演説のなかで周総理は2つの超大国,特にソ連が他国の内政に干渉していると厳しい対ソ非難をおこなった。なお8月1日,コンゴ大統領は中国を離れ,北朝鮮を訪問。
DIA-104-1973-07-27-3中国1973年07月27日1970年代人民日報,仏核実験支持を示唆―同紙は,ジョベール仏外相が24日におこなった「2つの超大国が効果的な手段でその領土を保護している以上,フランスも自国の防衛を確保する決意である」との発言を報道し,中国はフランスの太平洋実験を支持していることを示唆した。これはフランスの核実験に関して中国が示した初の反応である。
DIA-104-1973-07-27-4中国1973年07月27日1970年代人民日報評論員論文,「サイゴン当局は監禁中の非軍事要員を即時,全員釈放すべきである」
DIA-104-1973-07-27-5中国1973年07月27日1970年代三菱油化,日立製作所ら4社,高圧法ポリエチレン製造プラントを受注(年産6万トン,約58億円)。
DIA-104-1973-07-28-1中国1973年07月28日1970年代江蘇省南通市,農業,軽工業,重工業の関係を正しく処理-①南通かんづめ工場では生産の忙しい時期に付近の公社・大隊から臨時工を召集して使用していたが,今年は他の企業と公社・大隊経営の企業から労働力をやりくりして支援してもらい,農業の第一線の労働力を調達しないようにした。②農業と電力を争わないようにするため,毎年第3四半期の農地灌漑がピークとなる時期には工業の使用量を調節し節約して農業用電力を優先的に保証した。
DIA-104-1973-07-28-2中国1973年07月28日1970年代陜西省の近代的な大型火力発電所,秦嶺発電所が発電開始(出力12万5000キロワット)。
DIA-104-1973-07-28-3中国1973年07月28日1970年代中国,アフガニスタン新政府を承認-17日に同国はクーデタの結果,王制が廃され,共和国となった。
DIA-104-1973-07-29-1中国1973年07月29日1970年代毛主席,コンゴ大統領と会見。
DIA-104-1973-07-30-1中国1973年07月30日1970年代中国対コンゴ政府借款供与協定に調印。
DIA-104-1973-07-31-1中国1973年07月31日1970年代国防部,建軍46周年レセプション開催-出席者,葉剣英,張春橋,李先念,紀登奎,李徳生,汪東興,徐向前,聶栄臻,王洪文,呉徳,鄧小平,郭沫若,アペイ・アワン・ジンメイ,周建人,傅作義,許徳,肖勁光,栗裕,王樹声ほか。
DIA-104-1973-07-31-2中国1973年07月31日1970年代チベット生産建設部隊,農工牧副綜合生産基地として発展-たとえば,ヤルツアンポ江下流の一小島の1,000ムーの島地に100余名の転業軍人と家族が入植,成果あげている。
DIA-104-1973-08-01-1中国1973年08月01日1970年代映画「民兵をたたえる」,「夜戦訓練を堅持」,「雷鋒式の戦士になろう」を全国で上映。
DIA-104-1973-08-01-2中国1973年08月01日1970年代中国・ソ連,1973年度バーター協定に調印-協定内容は,貿易品目が若干多くなっているが,総額は昨年の2億1100万ルーブルをやや下回る1億8600万ルーブルの見込み。また同協定のなかで,中国はソ連旅客機アントノフ24型を11機輸入する(日経8月3日)。
DIA-104-1973-08-02-1中国1973年08月02日1970年代毛主席,米籍中国人医師李振翩と夫人湯漢志と会見-両人は50余年前の友人。3日の人民日報は「わが国人民の指導者毛沢東主席」という呼び名をはじめて使う。
DIA-104-1973-08-02-2中国1973年08月02日1970年代湖南省阮江県,吉林省懐徳県では新幹部の援助,養成に力を入れる-数年来阮江県では288人の新幹部を登用,うち198人は県,区,公社の指導グループ成員であり党委成員の44%にあたっている。懐徳県では70余名の青年幹部を登用,公社以上の党政指導グループに入っている。これは同グループの3分の1以上にあたる。
DIA-104-1973-08-02-3中国1973年08月02日1970年代夏期収穫食糧作物が豊作-大豊作であった昨年の水準に相当し,建国以来2番目の大豊作。小麦,大麦,裸麦,えんどう,そらまめなどの夏期収穫食糧作物の作付面積は昨年より拡大し,そのうち冬小麦の作付面積は比較的多く増加。小麦作付面積が3000万ムー以上の河南,山東,河北,陜西,江蘇,安徽などの省は豊収をおさめた。
DIA-104-1973-08-02-4中国1973年08月02日1970年代周恩来,郭沫若氏ら,河野謙三氏を団長とする日本体協代表団と会見。
DIA-104-1973-08-03-1中国1973年08月03日1970年代鉄道兵は上半期で全年計画の52%を達成,昨年同期を5%上回った。
DIA-104-1973-08-03-2中国1973年08月03日1970年代米国から綿花42万8000俵を買付け-1973-74年度綿花収穫分から(米農務省発表)。
DIA-104-1973-08-03-3中国1973年08月03日1970年代中国がシエラレオネ共和国に体育場を建設することについての会談紀要に調印。
DIA-104-1973-08-04-1中国1973年08月04日1970年代広西,広東,甘粛,チベット,黒竜江,福建で婦女代表大会閉幕-7月16日から次ーに開かれ各期委員会を選出。
DIA-104-1973-08-05-1中国1973年08月05日1970年代四川,青海,江西各省で工会代表大会閉幕-7月23日から開催,各期委員会を選出した。
DIA-104-1973-08-05-2中国1973年08月05日1970年代新華社記者述評,「部分核停条約の10年」-5日の人民日報は「軍縮を大きく叫んだ10年,気ちがいのよう軍拡をはかった10」年と題する新華社記者の論評を掲げ,1963年の米ソ部分核停条約締結後の米ソの軍備拡張ぶりを非難した。
DIA-104-1973-08-06-1中国1973年08月06日1970年代人民日報,黎堅論文「上部構造の領域での革命を重視しよう」-(紅旗8号)。 ・社会主義の生産関係は生産力の発展に照応しており,社会主義制度はわが国の生産力の飛躍的な発展を促して,その大きな優位性を示している。だが,それにはまだ不完全な面があり,これらの不完全な面はまた生産力の発展と矛盾しあっている。 ・ブルジョア階級のイデオロギー,国家機構における若干の正しくない作風,国家制度のいくつかの環における欠陥の存在は,社会主義の経済的土台と矛盾しあっている。このような状況こそ,プロレタリア階級がひきつづき革命をおこない,上部構造を,経済的土台の発展に照応しそれを促進するするように主動的に改革し,社会主義事業を前進させなければならないことを決定づけているのである。 ・上部構造の各陣地をしっかり占領し,改造するのは長期の戦略的課題であり,われわれは決意を固め,意力をふるいおこして,それを最後まで堅持してゆかなければならない。革命は前進しつつある。道がどんなに曲がりくねっていようと,われわれの前途は輝かしいものである。
DIA-104-1973-08-07-1中国1973年08月07日1970年代人民日報社説,「知識青年の下放工作をさらに立派にやろう」 ・刑燕子,侯〓式の先進的な人物が次ーとあらわれている。 ・プロレタリア文化大革命の偉大な成果をうち固め発展させるという大事としてこの工作にとり組まなければならない。 ・はっきりさせておくべきことは,あのいくらかの同志たちはこの革命を理解せず力も入れていないことである。彼等が早く醒めることを希望する。知識青年を迫害し,しいたげる階級敵や犯罪分子に至っては,きびしく打撃を与え,法によって処罰し,青年たちをしっかり保護しなければならない。 ・各級党委員会は,きびしく検査し,経験を総括し,計画を立てうまずたゆまず立派に工作すべきである。
DIA-104-1973-08-07-2中国1973年08月07日1970年代人民日報,楊栄国論文「孔子-頑固な奴隷制擁護の思想家」-孔子は没落する奴隷主階級の立場に立ち新興の封建勢力に対抗した反動的な思想家である。
DIA-104-1973-08-07-3中国1973年08月07日1970年代人民日報,「国家計画に対し厳格でなければならない」と呼びかけ―国家計画は一般的には余地を残して定められており,努力さえすれば完成のみならず超過達成することができるものだ。
DIA-104-1973-08-08-1中国1973年08月08日1970年代ラジオ・テレビの生産が急速にのびる-全国すべての省市自治区でラジオが生産され,26省市自治区でテレビが生産される。カラーテレビ用機器は目下試験中である。昨年,ラジオの小売価格が平均25%以上引下げられたため,昨年のトランジスターラジオの販売量は前年より2倍余り増えた。
DIA-104-1973-08-08-2中国1973年08月08日1970年代広西自治区,貴州省の早稲が豊作-広西自治区は灌漑面積を80万ムー余り拡大し,早稲の作付面積を昨年より60万ムー余り拡大した。また貴州省は二期作化をすすめ,2期作面積を1971年の12万ムーから今年は89万ムーに拡大した。
DIA-104-1973-08-10-1中国1973年08月10日1970年代人民日報,大学受験で物理化学に白紙を出した共青団員張鉄生を支持―7月19日の遼寧日報より引用。 人民日報は16日,楊浦論文「反潮流精神」を発表。
DIA-104-1973-08-10-2中国1973年08月10日1970年代基本建設部門,重点工事の建設テンポを早める-今年上半期に増えた鉄鉱石精選,焼結能力,石炭採掘,石油採掘能力,発電設備能力は昨年同期と比べ2倍から数倍にふえた。農業用機械,軽工業製品,金属精錬,鋼圧延などの生産能力にも新たな発展がみられた。主要なものとして武漢鉄鋼公司第3焼結工場,山西省の大同雲崗炭鉱と汾西高陽炭鉱,陜西省の漢川工作機械工場,内蒙古臨河製糖工場と多数の発電所がある。
DIA-104-1973-08-10-3中国1973年08月10日1970年代人民日報,ソ印条約について-10日の人民日報は,「印ソ条約の廃棄を要求し,隣国と正常な関係を建立する」と題する見出を掲げ,インドの一部の政治家が印ソ条約に不満を表明し,隣国と正常な関係をうちたてるよう主張していると報道した。
DIA-104-1973-08-10-4中国1973年08月10日1970年代ブエノスアイレスで中国経済貿易展開幕。
DIA-104-1973-08-10-5中国1973年08月10日1970年代中国がマリに建設した茶園と製茶工場,操業開始-1967年1月の協定にもとづくもの。生産量はマリ全国の茶消費量の6分の1を提供する。
DIA-104-1973-08-12-1中国1973年08月12日1970年代湖南省工会第7次代表大会開会-16日まで。
DIA-104-1973-08-12-2中国1973年08月12日1970年代浙江省第5次婦女代表大会開会-17日まで。
DIA-104-1973-08-13-1中国1973年08月13日1970年代人民日報,楊栄国論文「両洪時代の唯物論が唯心論的観念論に反対した闘争」
DIA-104-1973-08-13-2中国1973年08月13日1970年代人民日報,劉育民論文「野心家のいつものやり口をみきわめよ」-「フランスの内乱」学習メモで,筆者は北京大学国際政治系学員,劉少奇のたぐいのペテン師をティエールにたとえる。
DIA-104-1973-08-13-3中国1973年08月13日1970年代鄧小平,王猛両氏,タイのバトミントンチームと会見。
DIA-104-1973-08-13-4中国1973年08月13日1970年代中国・ギリシア,北京-アテネ間に直通衛星通信回路を設置することに関する会談要録に調印。
DIA-104-1973-08-14-1中国1973年08月14日1970年代バーチェット記者,北京から林彪事件の全容を報道-(読売,ファー・イースタン・エコノミック・レビュー,8月20日号)。
DIA-104-1973-08-14-2中国1973年08月14日1970年代新華社記者論評,「強盗の行為,荒唐無けいな論理」-イスラエル軍機がレバノン領空で民間機を捕捉し,イスラエル空港に強制着陸させた事件を論評したもの。
DIA-104-1973-08-15-1中国1973年08月15日1970年代紅旗8号,紀平論文「党委員会は大事をしっかりつかめ」―大事とは路線と階級闘争である。階級敵は一定の計画の下に陰謀を1日として止めない。プロレタリア政治家は敵より大きな所からこれに対応しなくてはならない。
DIA-104-1973-08-15-2中国1973年08月15日1970年代遼寧省第2次婦女代表大会開会(19日まで)。
DIA-104-1973-08-15-3中国1973年08月15日1970年代雲南省第3次婦女代表大会開会(21日まで)。
DIA-104-1973-08-15-4中国1973年08月15日1970年代ベトナム党政府代表団,北京に立ち寄る-16日,周総理はファン・バン・ドン首相と会談をおこなった。
DIA-104-1973-08-16-1中国1973年08月16日1970年代最近,福建省海竜県で南方水田機械現場会議を開催-1972年現在,全国で普及している田植機は23万台,揚子江デルタ,珠江デルタの一部の県では小型の半自動供給水稲コンバインが普及している。
DIA-104-1973-08-16-2中国1973年08月16日1970年代江蘇,浙江両省の早稲が豊作-江蘇省では全省1100万ムー余りの早稲のムー平均収量,昨年と比べ1割近く増加。浙江省でも早稲ムー平均収量が1期で「発展要綱」の指標をこえた区,公社,大隊は昨年に比べ大幅に増加,
DIA-104-1973-08-16-3中国1973年08月16日1970年代日中通商交渉,中国代表団来日-奚業勝対外貿易部第4局長ら5人。17日から交渉開始。
DIA-104-1973-08-17-1中国1973年08月17日1970年代東北三省の春小麦が豊作-2500万ムー余り作付けの黒竜江省の春小麦,昨年と比べ平均ムー当り 1割増収,同様に300万ムー余り作付の吉林省では1割前後,150万ムー余りの遼寧省の冬小麦と春小麦が3割,それぞれ豊収。また遼寧省ではここ数年,小麦の二毛作化をすすめ,冬小麦,春小麦あわせて作付面積を前年より35%拡大。
DIA-104-1973-08-17-2中国1973年08月17日1970年代中国政府経済代表団,マルタを訪問。
DIA-104-1973-08-18-1中国1973年08月18日1970年代人民大会堂で党大会準備会開催説-19日まで2日間バス,高級乗用車の集結が報道された。
DIA-104-1973-08-18-2中国1973年08月18日1970年代人民日報。清華大付属中学紅衛兵団論文「毛主席の紅衛兵は永遠に戦い続ける」-同中学のかつての紅衛兵は1,400名が各地に下放して革命と生産にはげんでいる。 北京大学の当時の紅衛兵は320名が留校しており,70%以上が入党し,200余名は教育,科学研究第一線にあり,60余名は学校工場の幹部に,60余名は政治幹部になっている。
DIA-104-1973-08-18-3中国1973年08月18日1970年代中国駐ザンビア臨時代理大使夫人,爆死-大使館に配送された郵便物に任掛けられた爆弾が爆発,孫燕夫人は死亡,他1名が重傷を負った。事件後,ザンビアのカウンダ大統領は犠牲者の家族に慰問の意を表わすとともに,「中国・ザンビアの友情と団結の破壊をくわだてる敵の陰謀」を非難した。
DIA-104-1973-08-19-1中国1973年08月19日1970年代中国紅十字会,パキスタンの水害に対し人民券100万元,人民券100万元相当の物資を贈る。
DIA-104-1973-08-20-1中国1973年08月20日1970年代陜西省第5次婦女代表大会開会(24日まで)。
DIA-104-1973-08-20-2中国1973年08月20日1970年代新華社記者論評,「占領が長びくほど首の縄は締まる」-ソ連軍のチェコ占領5周年をむかえ,ソ連軍のチェコ居すわりを非難した。
DIA-104-1973-08-21-1中国1973年08月21日1970年代中国卓球代表団,日,米の台湾籍卓球代表団と交歓会を開く。
DIA-104-1973-08-21-2中国1973年08月21日1970年代中国,LA核禁条約第2号付属議定書に調印-中国政府を代表して調印した熊向暉メキシコ駐在大使は,この調印に関し中国政府声明を発表し,これは「軍縮や核兵器問題における中国の原則的立場,とりわけ“核拡散防止条約”や“部分核停条約”に反対する中国政府の一貫した立場に変化が起こったことを何ら意味するものではない」と述べた。
DIA-104-1973-08-21-3中国1973年08月21日1970年代中国出版印刷代表団来日。
DIA-104-1973-08-22-1中国1973年08月22日1970年代人民日報,梁邑,漢字は引き続き簡略化すべきである。
DIA-104-1973-08-22-2中国1973年08月22日1970年代大慶油田,原油生産能力を拡大-文革前の1965年と比べ1972年の原油生産能力は3.1倍,原油生産量は3.6倍,原油加工量は2.3倍へ増加。今年4月に開発に着手した新油井,8月に生産開始。
DIA-104-1973-08-23-1中国1973年08月23日1970年代デンマークで中国経済貿易展開幕。
DIA-104-1973-08-23-2中国1973年08月23日1970年代人民日報評論員,「ラテンアメリカ諸国の正義の主張を支持する」-ラテンアメリカ核禁条約に中国が調印したことに関し,ラテンアメリカ非核武装地帯化の主張を支持するとともに,「ソ修社会帝国主義」の核軍備拡張を非難している。
DIA-104-1973-08-24-1中国1973年08月24日1970年代中国共産党第10回全国代表大会開幕-この日,周恩来の「中央委員会を代表しての報告」,王洪文の「党規約改正についての報告」がおこなわれ,28日に両報告と「中国共産党規約」が全会一致で採択された。同時に195名の中央委員と124名の同候補が選ばれた(参考資料参照)。
DIA-104-1973-08-24-2中国1973年08月24日1970年代チベット自治区で工会第3次代表大会開会-27日まで。代表360人。うちチベット人労働者が50%,婦人が25%を占めた。
DIA-104-1973-08-24-3中国1973年08月24日1970年代人民日報,辛清論文「ソ修の“2つのやらない”と“1つのやる”」-7月のヘルシンキ欧州安保会議第1ラウンド会議でソ連代表が,“武力を行使しない”,“武力威嚇をおこなわない”と述べると同時にチェコ派兵に対しては“将来もそうする”と述べたことを論評したもの。
DIA-104-1973-08-25-1中国1973年08月25日1970年代人民日報,郭大江論評「多角経営を十分に重視しなければならない」-一部の地方に依然,ただ食糧生産だけに力を入れて多角経営に力を入れない現象が存在する。そのようにやれば一時的には食糧生産は伸びるかもしれないが,資金不足のため,水利,肥料,農機具などの条件がともなわず,食糧生産は持続して上昇することが不可能である。
DIA-104-1973-08-25-2中国1973年08月25日1970年代人民日報社説,「団結の盛会,友誼の盛会」-25日から北京で開催されるアジア・アフリカ・ラテンアメリカ卓球友好招待試合を祝したもの。
DIA-104-1973-08-25-3中国1973年08月25日1970年代インドネシアの反中国人暴動-25日の人民日報は,インドネシアのバンドンで8月5日に発生した反中国人暴動について,新華社記者の報道を掲載した。それによると,この中国人排斥事件は決して偶然に起こったものではなく,組織的な行動であり,この事件にインドネシア陸軍と空軍の将校も参加していたと述べ,さらに「インドネシアの広範な人民は,こんどの事件を起こした者を厳重に処罰するとともに,類似した事件の発生を防ぐためにインドネシア当局が断固たる措置を講ずるよう要求している」と述べている。
DIA-104-1973-08-25-4中国1973年08月25日1970年代AALA卓球友好招待試合開幕-AALA諸国80数カ国と地域から1,100名余りの選手が参加。首都体育館で開かれた開幕式には董必武,朱徳,周恩来,江青,葉剣英ら政府首脳の他,シアヌーク殿下も出席した。9月6日まで。
DIA-104-1973-08-26-1中国1973年08月26日1970年代ウランフ,譚震林が復活-AAL.A卓球友好招待試合を観戦。
DIA-104-1973-08-26-2中国1973年08月26日1970年代新疆自治区で工会第3次代表大会と婦女第3次代表大会が開会。9月5日まで。
DIA-104-1973-08-26-3中国1973年08月26日1970年代電子工業の急速な発展-今年上半期の全国の生産総額は1965年同期の3倍に増加。電子エレメント,器材の生産能力は11倍に増加。大部分の電子設備はトランジスター器材を採用している。数年来,各地で3000余りの電子工業企業が続ーと興された。冶金,燃料,化学工業,機械,紡績などの企業が電子技術を採用して,電力・人力の節約,自動化水準の向上,労働生産性の向上に成果をあげている。
DIA-104-1973-08-26-4中国1973年08月26日1970年代毎秒100万回の演算が可能なIC電子計算機の試作に成功-北京大学,北京電信工場,燃料化学工業部の関係単位によって共同設計されたもの。石油地質の探査に使用される予定。
DIA-104-1973-08-26-5中国1973年08月26日1970年代夏期収穫食糧作物の買付け任務が完了-主要産区である山東,河北,河南,江蘇,四川,雲南,貴州などの省が超額完成。
DIA-104-1973-08-26-6中国1973年08月26日1970年代人民日報,新華社記者論評「2つの王朝を貫く黒い糸」-最近ソ連の『ソ連大百科全書』等の刊行物のなかで,かってツアー・ロシアがおこなってきた他国,他民族への領土拡張と併合を美化ないし否定していることを論評したもの。そのなかで,新しいツアーが古いツアーの侵略拡張を弁護しているのは,2つの王朝-ロマノフ王朝とフルシチョフ=ブレジネフ王朝が,大ロシアのショービニズムと帝国主義の侵略拡張という一筋の黒い糸で結ばれているからであると述べている。
DIA-104-1973-08-26-7中国1973年08月26日1970年代シュレジンジャー米国防長官,年内に駐台米空軍の一部撤退を発表。
DIA-104-1973-08-27-1中国1973年08月27日1970年代いすヾ,8トン積みトラック7,320台を受注(約60億円)-9月にもさらに8トン・トラック2,050台,2トン・トラック1,000台等約47億円を受注。
DIA-104-1973-08-28-1中国1973年08月28日1970年代中共第10回全国代表大会閉幕。
DIA-104-1973-08-29-1中国1973年08月29日1970年代中共10全大会の新聞公報発表-党大会についてはじめて公開。
DIA-104-1973-08-30-1中国1973年08月30日1970年代中共10期1中総会開催-党中央の機構を選出(参考資料参照)。
DIA-104-1973-08-30-2中国1973年08月30日1970年代周恩来,張春橋,レ・ジュアン・ベトナム労働党第1書記と会談。
DIA-104-1973-08-30-3中国1973年08月30日1970年代パキスタン外相兼国防相訪中。
DIA-104-1973-08-30-4中国1973年08月30日1970年代日中通商協定交渉で合意-17日からおこなわれていた同交渉は重要事項について合意に達し,10月にも北京で調印することになった。内容は期間が3年間,相互に最恵国待遇を与えること,年1回「混合委員会」を開く,などとみられている(日経8月31日)。
DIA-104-1973-09-01-1中国1973年09月01日1970年代江西省,青海省で婦女代表大会閉幕-それぞれ8月27日,8月28日開幕,第5期と第4期委員会を選出。
DIA-104-1973-09-01-2中国1973年09月01日1970年代中国船,南ベトナム解放区のクアベト-ドンハ港に初入港-臨時革命政府との協定にもとづき,無償緊急追加経済援助物質を,はじめて解放区へ運んだもの。
DIA-104-1973-09-01-3中国1973年09月01日1970年代植村甲午郎氏を団長する日本経済界代表団訪中―団員は22名の日本のトップクラスの財界首脳で構成。4日,廖承志氏と会談,5日には周総理,郭沫若氏とそれぞれ会談をおこなった。
DIA-104-1973-09-02-1中国1973年09月02日1970年代人民日報社説,「英雄的なベトナム人民は勝利に乗じて前進する」-ベトナム民主共和国成立周28年を祝したもの。
DIA-104-1973-09-03-1中国1973年09月03日1970年代周総理,第4回非同盟諸国首脳会議の開催に祝電を送る。
DIA-104-1973-09-04-1中国1973年09月04日1970年代中共中央統一戦線工作部がAALA卓球大会に参加した台湾省籍同胞と座談会を開く-日,米,西独から参加した人々と会談,在京の台湾省籍人士も会談に参加。中国側は,中共中央委員蔡嘯,林麗,中央統戦部劉友法,李金徳,童小鵬,在京台籍人士蘇子,田富達,李純青ほか。
DIA-104-1973-09-04-2中国1973年09月04日1970年代北京放送局が西ドイツのPAL方式によるカラーテレビ番組の試験放送を開始。
DIA-104-1973-09-04-3中国1973年09月04日1970年代超大型尿素プラントを更に5基購入-日産1620トン。オランダのケロッグコンチネンタル社から約4200万ドルで購入の成約。
DIA-104-1973-09-04-4中国1973年09月04日1970年代中国,トヨタ自動車に対中船積み中止を要求-トヨタが台湾で“2つの中国”を容認するような新聞広告を掲載したため。後にトヨタ側の陳謝により船積みは再開。
DIA-104-1973-09-05-1中国1973年09月05日1970年代早稲の収穫高,史上最高-雲南省,貴州省で昨年より3割増。湖南,湖北,江蘇,広西,浙江・上海,安徽,広東の各省市自治区は昨年より増収で,福建,四川両省はよい収穫をあげた。江蘇,湖南,貴州,雲南の4省ではムー平均収穫高が15kgから30kgそれぞれ増えた。中期稲を主として作付けていた雲南省は1期作から2期作に転換し,早稲の作付け県は40県余りから80県余りへ増えた。
DIA-104-1973-09-05-2中国1973年09月05日1970年代第4回非同盟諸国首脳会議開幕-5日からアルジェリアで開かれた同会議に対し,人民日報は連日,大ー的に会議の模様を報道し,シアヌーク殿下を始め各国首脳の演説を紹介した。さらに人民日報は数多く論評を掲載,超大国に対する中小国の闘争と相互に団結を強める会議として声援のキャンペーンをはった。
DIA-104-1973-09-05-3中国1973年09月05日1970年代周恩来,張春橋,ルーマニア共産党中央委代表団と会見。
DIA-104-1973-09-06-1中国1973年09月06日1970年代AALA卓球友好招待試合開幕-首都体育館での開幕式には中国政府首脳が整ぞろいした。7日の人民日報は「団結と友誼の新たな勝利」と題する社説をかかげた。
DIA-104-1973-09-07-1中国1973年09月07日1970年代人民日報,鐘実論文,「老年・中年・青年三結合の原則を堅持しよう」-わが国のプロレタリア文化大革命は政治大革命であり,闘争はまことに鋭く複雑で内容豊富なものであり,影響はきわめて深遠なものがある。このために若い幹部を抜てきするための基礎はきわめて厚い。 年若い幹部について心配することは不必要である。
DIA-104-1973-09-07-2中国1973年09月07日1970年代中国指導者,AALA卓球友好試合参加者と会見-中国側は,董必武,朱徳,周恩来,王洪文,葉剣英,李徳生,張春橋,江青,華国鋒,紀登奎,呉徳,汪東興,李先念,姚文元,蘇振華,倪志福,陳雲,李富春,鄧小平,徐向前,聶栄臻,郭沫若,アペイ・アワンチンメイ,周建人,許徳らの人々。
DIA-104-1973-09-07-3中国1973年09月07日1970年代人民日報,許進論文「第3世界の反覇権闘争は勢いよく発展している」
DIA-104-1973-09-07-4中国1973年09月07日1970年代住友化学,高圧ポリエチレン製造プラントを受注(年産18万トン,総額120億円)。
DIA-104-1973-09-07-5中国1973年09月07日1970年代中国食品機械視察団来日。
DIA-104-1973-09-08-1中国1973年09月08日1970年代朝鮮成立25周年に祝電-毛沢東党主席,董必武国家代主席,朱徳全人代委員長,周恩来総理の4人の連名で,金日成主席と金一総理にあてて祝電を送った。 同日夜,玄峻中国駐在北朝鮮大使主催の祝賀レセプションが催され,周恩来,王洪文,李先念,姚文元ら党,政府首脳が招かれ出席した。9日の人民日報は「輝かしいたたかいの過程」と題する祝賀社説を掲げた。
DIA-104-1973-09-08-2中国1973年09月08日1970年代中国・オートボルタ,経済技術協力協定に調印(15日発表)。
DIA-104-1973-09-08-3中国1973年09月08日1970年代中国友好代表団訪朝-李徳生団長,侃志福副団長。北朝鮮成立25周年祝賀活動に参加するため。
DIA-104-1973-09-09-1中国1973年09月09日1970年代趙品三(政協全国委員,前中国革命博物館副館長)死去,69歳。
DIA-104-1973-09-09-2中国1973年09月09日1970年代四川省の天然ガス開発がすすむ-1972年の全省の天然ガスの生産量は1965年の3倍余りへ増加。全省にガス田数十カ所が建設され,延長1,000km余りのガスパイプラインが敷設されて都市,工場,鉱山へ大量に天然ガスが供給されている。
DIA-104-1973-09-10-1中国1973年09月10日1970年代ブレジネフの“強圧的な手紙”-8月31日にブレジネフ第一書記がアルジェリアのブーメデン国家主席に手紙を送り,その中で「現在の世界を“大国と小国”,“富める国と貧しい国”に分けたり,ソ連を資本主義強国と同列に置いたりする傾向に対しては,ソ連の警戒を引き起こさざるをえない」と述べた。 10日の人民日報は各国代表の発言を引用して,これはソ連が会議に圧力をくわえようとする卑劣な行為であると非難した。
DIA-104-1973-09-11-1中国1973年09月11日1970年代紅旗9号,常謙論文,「帝国主義はプロレタリア社会革命の前夜である」
DIA-104-1973-09-11-2中国1973年09月11日1970年代光明日報,哲軍(北京大学)論文,「魯迅の尊孔反対の闘争の歴史的経験に学ぼう」
DIA-104-1973-09-11-3中国1973年09月11日1970年代ポンピドー大統領訪中-空港には周恩来,王洪文,姚文元,李先念ら政府首脳が出むかえ,盛大な歓迎式がおこなわれた。同日夜,周総理は人民大会堂で同大統領の歓迎宴会を催した。 11日の人民日報は「ポンピドー大統領を熱烈に歓迎する」と題する社説を掲げた。その中で,フランス政府が独立自主の外交政策をとり,大国の覇権主義に反対し,西欧諸国の連合を主張していることに評価をあたえている。
DIA-104-1973-09-11-4中国1973年09月11日1970年代東洋エンジニアリング,三井東圧,大型肥料プラントを受注(日産1,000トンのアンモニアプラント,日産1,600トンの尿素プラントほか,各種付帯設備一式。約110億円)。
DIA-104-1973-09-11-5中国1973年09月11日1970年代中国経済貿易友好訪日代表団,東京着-団長は劉希文氏。副団長は崔群,呉曙東ら5氏,その他団員27氏。北京から直航使で来日。羽田空港には各界代表数百人が出迎えた。
DIA-104-1973-09-12-1中国1973年09月12日1970年代何渠若(朝鮮停戦委員会中国人民義勇軍委員)死去,53歳。
DIA-104-1973-09-12-2中国1973年09月12日1970年代石油工業の発展-8月の原油平均日産水準は昨年12月より20%以上伸びた。ディーゼル油は第2四半期の生産量が第1四半期より10%増加。上半期の全国ボーリング進度と操業を始めた油井の生産能力は,これまで同期の最高。大慶油田では1~8月に新油井と新たな注水井が数百本完成し生産を開始した。勝利油田ではボーリング速度があがり,高産の油井を掘りあて,上半期には毎月国家計画を超過完成した。
DIA-104-1973-09-12-3中国1973年09月12日1970年代人民日報,辛清論文「誰に排戦しているのか」-ソ連のタス通信は非同盟会議開幕直前の8月29日に,「“貧しい”国と“富める”国,こうしたいいまわしは誰にとって有利なのか」と題した論評を発表し,中国がこうした概念を非同盟運動におしつけていると非難した。辛清論文は,タス通信の論評は表面的には中国を指しているが,実際には第3世界諸国を非難し,かつ挑戦しているのである,と述べている。
DIA-104-1973-09-12-4中国1973年09月12日1970年代毛主席,ポンピドー大統領と会見-会見には王洪文副主席と周総理も同席した。
DIA-104-1973-09-12-5中国1973年09月12日1970年代米フィラデルフィア交響楽団訪中。
DIA-104-1973-09-13-1中国1973年09月13日1970年代河南省林県グループ,林彪一派の誹膀に反論-1970年から1972年にかけて林彪とその一味が紅旗用水路建設の成果を「ペテン」であり「有罪」としたことを暴露。
DIA-104-1973-09-13-2中国1973年09月13日1970年代電力工業の大幅な発展-今年1~8月に全国で新たに発電を開始した発電機の出力は昨年同期より50%増加。8月末までに陜西省の秦嶺,山東省の莱蕉,済寧,山西省の霍県,北京市の高井,浙江省の富春江,広東省の長湖など35カ所の大中型発電所の発電ユニット数十台が発電を開始。大慶第2発電所も第1号機,第2号機の据付けを完成。上海閔行発電所は2台目の12万5000kwの発電ユニットを据付け。
DIA-104-1973-09-13-3中国1973年09月13日1970年代人民日報社説,「第4回非同盟諸国首脳会議の勝利の閉幕を祝賀する」-そのなかでは,第1に会議宣言において,大国の干渉と圧力を排し,新旧植民地主義に対する闘争を確認し,帝国主義の国際経済への独占を非難したことを評価し,「これは覇権主義と強権政治に反対し,大小諸国の一律平等と自分の運命を完全に自らの手に握ることを求める第3世界諸国の正当な願いを示している」と述べている。 第2には「第3世界の団結と成長は超大国を不安におののかせている」として,ソ連が同会議に圧力をかけたことを非難している。第3には「中国は発展途上にある社会主義国家であり,第3世界に属している。われわれはAALA人民および全世界のすべての国と人民の帝国主義,新旧植民地主義,大国覇権主義に反対する闘争を断固支持し,非同盟諸国が平和,中立の非同盟政策をとるのを断固支持する」と述べている。
DIA-104-1973-09-13-4中国1973年09月13日1970年代兵庫県青年海洋大学一行183人,天津に到着-14日には同じく三重県青年海洋大学一行248人が上海に到着した。
DIA-104-1973-09-14-1中国1973年09月14日1970年代8省,市がチベットに医療隊を派遣-上海,江蘇,湖南,湖北,河南,山東,遼寧,四川の8隊440余名の医務工作員が最近相次いでチベットに向かった。
DIA-104-1973-09-14-2中国1973年09月14日1970年代周総理アジェンデ大統領夫人と家族に弔電-11日のチリ軍部のクーデタによってアジェンデ大統領が殉職したことを慰問,その中で「偉大なアジェンデ大統領は生前,チリ人民の民族独立と国家主権を守る闘争および中国・チリ両国人民の友誼とAALA第3世界諸国の団結と反帝事業を促進するために積極的な努力を払った。……………チリ人民がこの悲痛な出来事から教訓をひき出し,引き続き前進するものと私は確信している」と述べている。 なお14日の人民日報はチリ事変発生後,初めてこれを報道,今なおチリ各地で人民の闘いは続けられていると述べている。
DIA-104-1973-09-14-3中国1973年09月14日1970年代ポンピドー大統領,答礼宴を催す-周恩来,姚文元,李先念ら中国政府首脳が招かれ出席した。挨拶にたった周総理はチリ政変にふれ,「アジェンデ博士の英雄的な犠牲は,チリ人民が闘争に立ちあがるのをさらに激化するだけであり,道がどのように曲折したものであろうと,世界の前途は光明に満ちたものである」と述べた。 同日夜,同大統領は周総理,姫鵬飛外交部長にともなわれ,特別列車で北京を離れ,山西省大同市の参観訪問に向かった。
DIA-104-1973-09-14-4中国1973年09月14日1970年代日中首相,中国経済貿易友好訪日団と会見-同じく劉希文団長ら一行は大平外相,中曽根通産相とも会見した。
DIA-104-1973-09-15-1中国1973年09月15日1970年代解放軍総政治部主催の歌舞実演大会開催-広州,済南,瀋陽,福州,新疆等の部隊の宣伝隊が中央指導者に報告演出。
DIA-104-1973-09-15-2中国1973年09月15日1970年代北京市第6回婦女代表大会開幕-20日まで開かれ6期委員会を選出。同市では文革以来1万8000余名の婦人が入党,12万の女子青年が共青団入りし,22万の女子知識青年が下放した。
DIA-104-1973-09-15-3中国1973年09月15日1970年代福建省の農村小型水力発電所-現在,全省に4,600余りの小型水力発電所があり,その装置容量は15万5000キロワットにのぼる。そのうち,12万7400キロワットは文革以後に増えたもの。
DIA-104-1973-09-15-4中国1973年09月15日1970年代大統領一行は特別機で大同から杭州を訪問,16日に上海訪問,上海では王洪文副主席が大統領を招宴した。
DIA-104-1973-09-15-5中国1973年09月15日1970年代中国・フランス・コミュニケ発表-その中では,両国の友好関係のいっそうの増進をうたい,いかなる覇権主義にも反対し,ベトナム,ラオス,朝鮮問題等について双方の意見が一致した。また中国はフランスの欧州同盟結成の努力を評価するとともに,「双方は経済関係を発展させる現実的可能性および技術,工業面,とりわけ発達している石油化学工業,航空,機械,電気工業面での交流強化の問題をさらに進んで検討することを協議,決定した」と述べている。
DIA-104-1973-09-15-6中国1973年09月15日1970年代中国とオートボルタが外交関係樹立-16日付の人民日報は「わが国とオートボルタ共和国の外交関係樹立を祝賀する」と題する社説を掲げた。
DIA-104-1973-09-16-1中国1973年09月16日1970年代人民日報社説,「ラオスの民族融和実現の重大な段取り」-14日に正式調印された「ラオスの平和回復・民族融和実現に関する協定の議定書」に対し,これをラオス人民とラオス愛国諸勢力の大きな成果として,歓迎と祝賀の意を表したもの。
DIA-104-1973-09-16-2中国1973年09月16日1970年代フィラデルフィア交響楽団,北京で公演-江青,姚文元,呉徳ら各氏は演奏後,団員と懇談した。
DIA-104-1973-09-17-1中国1973年09月17日1970年代上海市第6回婦女代表大会開幕-22日まで開かれ6期委員会を選出。同市では文革以来2万3000人の婦人が入党し,10万人近くの女子青年が共青団に入り,50万余の女子知識青年が下放した。
DIA-104-1973-09-17-2中国1973年09月17日1970年代機械工業の発展-1972年を1965年と比べると機械工業総生産額は2倍余りへ伸びた。そのうちで鉱山設備,治金設備,石油工業設備,発電設備,トラクター,ハンドトラクター,内燃機関,重型ジープ,軸受けがそれぞれ4倍から21倍増えた。全国の2,100県余りのうちチベット,新疆の少数の県を除いて全ての県に農業機械修理製造工場がある。  各地の機械工業部門は各部門と省市自治区の限界を打破して社会主義協業をくりひろげている。華北地区のいくつかの省市自治区の機械工業ぶもんは単一機械組立と重点設備ユニット化の要請に広じて,どの製品を河北地区でユニット化し,どれを省市自治区でユニット化するかを決めて分業協業を進めて,50種の機械製品の単一機械組立水準を大幅に上げた。
DIA-104-1973-09-17-3中国1973年09月17日1970年代ポンピドー大統領,上海から帰国-空港では周総理,王洪文副主席,その他数千人の大衆が見送った。
DIA-104-1973-09-18-1中国1973年09月18日1970年代科学院直属の研究所で積極性が高まる-すでに7割以上の幹部と研究者が5.7幹部学校での鍛練を経ており,研究所間の団結協業が進んでいる。
DIA-104-1973-09-18-2中国1973年09月18日1970年代蘇州市は計画産児で成果上げる-「多子多福」といった旧思想を打破,市内と郊外の1972年の人口自然増加率は1000分の5.4となった。
DIA-104-1973-09-18-3中国1973年09月18日1970年代全国の農村放送網が迅速に発展-1972年末までに全国各県市に放送ステーションを基本的にもうけ,圧倒的多数の公社に放送増幅ステーションがあり,90%前後の生産隊でラジオが聞け,60%前後の農家にラジオ受信機がある。
DIA-104-1973-09-18-4中国1973年09月18日1970年代ネパール外務・大蔵相訪中。
DIA-104-1973-09-19-1中国1973年09月19日1970年代中国・キプロス,貿易支払協定に調印。
DIA-104-1973-09-19-2中国1973年09月19日1970年代中国,対マルタ開発プロジェクト・技術援助供与に関する議定書に調印。
DIA-104-1973-09-19-3中国1973年09月19日1970年代中国原油,初めて日本に到着-19日,中国原油の対日輸出の第1号として大慶の原油3万5200トンを満載した中国船「金湖」号が茨城県の鹿島港に到着した。
DIA-104-1973-09-20-1中国1973年09月20日1970年代紅旗9号,甘戈論文,「林彪はプロレタリア独裁の恥ずべき叛逆者である」-林彪反党集団は地主買弁ブルジョア・ファシスト独裁を復活させようとした。
DIA-104-1973-09-20-2中国1973年09月20日1970年代北京で全国人民代表大会が24日前後に開催との観測高まる(「朝日」特派員)。
DIA-104-1973-09-20-3中国1973年09月20日1970年代中国・チャド,経済技術協力,貿易協定書に調印。
DIA-104-1973-09-21-1中国1973年09月21日1970年代内蒙古自治区第4次婦女代表大会開幕-26日まで。
DIA-104-1973-09-21-2中国1973年09月21日1970年代南寧で1973年全国水泳大会開催-30日まで。
DIA-104-1973-09-21-3中国1973年09月21日1970年代シャフェイ・エジプト副大統領訪中-同日夜,周総理は人民大会堂で盛大な歓迎宴を催し,周総理とシャフェイ副大統領が演説をおこなった。
DIA-104-1973-09-21-4中国1973年09月21日1970年代日立製作所,25万キロワットの石炭火力発電設備2基受注(約190億円)。
DIA-104-1973-09-22-1中国1973年09月22日1970年代光明日報,栗衆(吉林大学)論文,「孔子思想は歴代の反動階級が人民を奴役せんとする精神的首カセである。」
DIA-104-1973-09-22-2中国1973年09月22日1970年代化学工業の迅速な発展-今年上半期の生産量は1965年の上半期と比べ化学肥料が2.9倍,農薬が2.5倍,医薬が2.8倍にふえ,硫酸,濃硝酸,苛性ソーダ,炭酸ソーダ,カーバイドなど基礎化学工業原料はそれぞれ2倍ないし数倍に増えた。ポリエステル,アクリル,ビニロン,カプロンなどの合成せんい原料は今年上半期の生産量が1965年の年間生産量の4倍余りに増えた。
DIA-104-1973-09-23-1中国1973年09月23日1970年代湖南省第4次婦女代表大会開幕-27日まで。
DIA-104-1973-09-23-2中国1973年09月23日1970年代河南省工会第7次代表大会開幕-25日まで。
DIA-104-1973-09-23-3中国1973年09月23日1970年代チベットの生活向上-今年上半期の全自治区農村牧区の預金残額は昨年同期と比べて58%増え,1965年の4.6倍に増えた。
DIA-104-1973-09-23-4中国1973年09月23日1970年代食糧増産率が人口増加率を上回る-過去24年間の年平均人口増加率は2%であったのに対し,食糧は年平均4%で伸び。過去10年間では年平均5%伸びている。人口は5億から7億に増えた。人口密度の高い地区で妊娠調節に成果をあげている。例えば河北省楽亭県では人口自然増加率が,1964年の2.2%から1972年には1.1%以下に減下した。一方人口密度の低い少数民族地区では人口増加が奨励され,新疆ウイグル自治区の人口は解放以来42%増えた。
DIA-104-1973-09-23-5中国1973年09月23日1970年代毛主席,シャフェイ副大統領と会見-24日,同副大統領は帰国。
DIA-104-1973-09-24-1中国1973年09月24日1970年代今年は全国で15万3000余名の大学学生を募集-学生はみな実践経験のある労農兵から選ばれたもの。小数民族と華僑の子弟も選ばれている。
DIA-104-1973-09-24-2中国1973年09月24日1970年代姫鵬飛外交部長,IMFと世銀に電報を送り,同機関からの蒋介石代表の追放を要求。
DIA-104-1973-09-24-3中国1973年09月24日1970年代日・西欧同盟について-24日の人民日報は新華社記者の報道として,田中首相が記者会見で“キッシンジャー”構想にもとづき,日本とヨーロッパ諸国が緊密な関係をうちたてたいと述べたことを紹介した。
DIA-104-1973-09-25-1中国1973年09月25日1970年代農業機械の大幅な増産-1~8月の全国の生産量を昨年同期と比べるとトラクター24%,ハンドトラクター43%,内燃機関40%,農業用ポンプ49%それぞれ伸びた。またトラクターと内燃機関の部品,トレーラー,植物保護機械,コンバイン,動力牽引プラウがそれぞれ33%から54%に増産。昨年10月から今年8月末までに北方地区で28万本余りの動力井戸が据付けられ,昨年全年据付け総数より10万8000本多い。
DIA-104-1973-09-26-1中国1973年09月26日1970年代解放軍1973年体育運動会閉幕-4カ月,5900余名が参加。
DIA-104-1973-09-26-2中国1973年09月26日1970年代新華社発表。「はだしの医者」が全国で100万余人に発展し,協同医療制度が発展している。
DIA-104-1973-09-26-3中国1973年09月26日1970年代日中友好協会(正統)代表,日中文化交流協会代表が訪中。国慶節に参加のため。
DIA-104-1973-09-27-1中国1973年09月27日1970年代人民日報,唐暁文論文,「孔子は『全民教育家』なのか」-「有数無類」という思想の本質を批判。
DIA-104-1973-09-27-2中国1973年09月27日1970年代河南省第5次婦女代表大会開幕-29日まで。
DIA-104-1973-09-27-3中国1973年09月27日1970年代最近商業部が北京で全国飲食サービス活動経験交流会を開催-飲食業,旅行業,理髪業,浴場業,写真業,クリーニング業などの従業員の代表が参加。
DIA-104-1973-09-27-4中国1973年09月27日1970年代浙江省,湖南省の市場の繁栄-商業部門の商品販売総額は今年の1~8月が昨年同期と比べてそれぞれ5.1%,10.7%伸びた。
DIA-104-1973-09-27-5中国1973年09月27日1970年代董必武代主席,ペロン大統領の大統領当選と同夫人の副大統領当選に祝電を送る。
DIA-104-1973-09-27-6中国1973年09月27日1970年代古井喜実,田川誠一氏ら訪中。
DIA-104-1973-09-28-1中国1973年09月28日1970年代人民日報,施丁論文「『焚書坑儒』を弁ず」を転載-「焚書坑儒」の原因と効果の分析から,この行為を封建体制と中央集権の強化のために,積極的な作用を及ぼした進歩的措置と評価。「遼寧日報」から転載。
DIA-104-1973-09-28-2中国1973年09月28日1970年代都市と農村の貯蓄が大幅に伸びる-今年1~8月を昨年同期と比較して都市住民の預金額と農村人民公社社員の預金額はそれぞれ13.1%と21%増加。上半期に新規預金者は北京市で12万世帯,上海市で30万世帯にのぼる。浙江,江蘇,広東,江西,遼寧,吉村,黒竜江等の省で大幅に伸び,また新疆,内モンゴル,寧夏,広西等の少数民族居住区でも伸びは大きく,なかでも内モンゴル自治区で17.3%,広西チワン族自治区で18%以上伸びた。少なからぬ人民公社の信用合作社では,公社,生産隊と社員の預金を使って,人民公社・生産隊と社員の貸付需要を全部解決している。
DIA-104-1973-09-28-3中国1973年09月28日1970年代人民日報,向明論文,「正真正銘の海上覇権国」-ソ連当局が「海上覇権国」であるということを極力否定していることに対し,世界各地におけるソ連艦隊の進出ぶりをあげ反駁している。
DIA-104-1973-09-28-4中国1973年09月28日1970年代日中国交回復1周年祝賀行事-北京では中日友好協会主催の祝賀レセプションが開かれ,鄧小平,郭沫若,周建人,廖承志ら各氏が出席,日本側は小川大使ら外交関係者の他北京滞在中の各氏が招かれた。 東京では陳楚大使が祝賀レセプションを催し,三木副首相の他各大臣,各政党,財界,友好団体代表等多数が招かれ出席した。 一方日本側は29日,小川大使が北京で祝賀レセプションを催し,東京では藤山氏ら11氏の発起人による祝賀レセプションが開かれた。
DIA-104-1973-09-29-1中国1973年09月29日1970年代人民日報,解放軍報共同社説,「民兵をりっぱにやろう」-毛主席が「民兵師を大いにやろう」とよびかけた15周年を記念して発表されたもの。労働者を主体とした都市民兵を重視,次に沿海と辺境の民兵が強調されている。28日,首都労働者民兵総指揮部が記念集会を開いた。
DIA-104-1973-09-29-2中国1973年09月29日1970年代田中首相と周恩来総理,国交回復1周年で祝電交換。
DIA-104-1973-09-30-1中国1973年09月30日1970年代福建前線部隊,国慶節にあたり10月1日と3日,砲撃停止を発表。
DIA-104-1973-09-30-2中国1973年09月30日1970年代冬小麦の作付けが拡大-何南省で200万ムー余り,陜西省で70万ムー余り作付面積を拡大。
DIA-104-1973-09-30-3中国1973年09月30日1970年代主要軽工業品の生産が伸びる-今年1~8月を昨年同期と比べると自転車13%,ミシン18.6%,時計12%それぞれ生産増加。1972年の生産量を1965年と比較すると自転車2.4倍,ミシン2.1倍,時計5.8倍に増えている。
DIA-104-1973-09-30-4中国1973年09月30日1970年代全国の化学肥料工業の発展-1~8月の化学肥料生産は昨年同期と比べ30%増。全国各地の800余りの小型窒素肥料工場のうち350余りが技術改造を行なって原料問題を解決。1~8月のこれら工場の合成アンモニアの生産量は昨年同期より36%増で,これは全国の合成アンモニア総生産量の53%を占めている。リン酸肥料は1~8月の総生産量が昨年同期と比べ44%増加。現在,小型リン酸肥料工場の生産量は全国リン酸肥料総生産の4分の3前後を占めている。また今年新たに建設あるいは拡張された大型工場として山東勝利合成アンモニア工場,新疆生産建股兵団化学肥料工場,湖南湘江窒素肥料工場などがあり,また各地に100余りの小型の窒素肥料工場とリン酸肥料工場が建設された。
DIA-104-1973-10-01-1中国1973年10月01日1970年代人民日報,紅旗,解放軍報国慶節共同社説,「まじめに学習し,ひきつづき前進しよう」-「毎期3カ月,1年に4期やり,読書もしながら,工作にも参加するという,労農兵幹部の学習グループをりっぱにやるべきである」という毛主席指示が出された。
DIA-104-1973-10-01-2中国1973年10月01日1970年代首都で50万人が国慶節園遊交歓会に参加-下記の指導者が参加した。董必武,朱徳,周恩来,王洪文,葉剣英,李徳生,張春橋,華国鋒,紀登奎,呉徳,汪東興,李先念,姚文元,蘇振華,侃志福,陳雲,李富春,鄧小平,徐向前,聶栄篠,郭沫若,アペイ・アワンジンメイ,周建人,傅作義,勝代遠,許徳,韋国清,許世友,陳錫朕,呉桂賢,サイフディンは各地の祝典に参加,陳永貴は蘭州市の会議に出席。
DIA-104-1973-10-01-3中国1973年10月01日1970年代「全国連環画・中国画展覧会」「戸県農民画展」「1973年全国撮影芸術展覧会」北京で開幕-11月15日閉幕,80万人が参観。
DIA-104-1973-10-01-4中国1973年10月01日1970年代人民日報社説,「ギニア(ビサウ)共和国の成立を祝う」-9月24日,ポルトガル植民地下の同国で解放勢力が一方的に独立を宣言したが,これを祝したもの。9月30日には姫鵬飛外交部長は同国に電報を送り,承認を通告した。
DIA-104-1973-10-02-1中国1973年10月02日1970年代中共中央統一戦線工作部,国慶節に帰国した,日本,米国,西独の台湾同胞と座談会を開く。
DIA-104-1973-10-02-2中国1973年10月02日1970年代国連第28回全体会議における喬冠華代表の発言-3日の人民日報に全文掲載。内容は世界情勢全般,カンボジア問題,朝鮮問題,バングラデシュ問題,中東問題,植民地主義反対問題,海上覇権問題,軍縮問題など10項目にわたる中国の見解を明らかにしている。
DIA-104-1973-10-03-1中国1973年10月03日1970年代全国の農薬工業が迅速に発展-最近,江蘇省南通市で全国農薬会議を開催。1972年の全国総生産量は1965年の2倍余り。そのうち効果の高い毒性の低い農薬は6倍近くに増。1~8月の農薬生産量は昨年同期比13.4%増加。絶対多数の省市自治区に様ーの規模,産量の農薬工場がある。
DIA-104-1973-10-04-1中国1973年10月04日1970年代人民日報,新華社記者論評,「安っぽい宣伝」-ソ連が今期国連総会において,軍事予算を削減し,削減分を低開発国援助にまわすという決議案を総会に提出したことを論評したもの。ソ連は口では軍縮をとなえながら,実際には世界制覇のため軍備拡張を急いでいると非難している。
DIA-104-1973-10-04-2中国1973年10月04日1970年代小松製作所,ブルドーザー1,190台を受注(約114億円)。
DIA-104-1973-10-05-1中国1973年10月05日1970年代瀋陽市で24の工場営労働者大学が発展中-20カ所が全日制2年,4カ所が定時制3年,32の専門に分れ,学員は1200余人にのぼっている。短期訓練班もある。
DIA-104-1973-10-05-2中国1973年10月05日1970年代カナダから小麦買付け-来年1月から向う3年間に最低1億7900万ブッシェル(約500万トン),最高2億2400万ブッシェル(627万トン)を買付ける長期協定に調印。支払い方法は頭金25%,残り15カ月の延払い。
DIA-104-1973-10-05-3中国1973年10月05日1970年代中国,対北ベトナム1974年度無償軍事装備・物資供与協定に調印。
DIA-104-1973-10-06-1中国1973年10月06日1970年代広東省の軽工業の発展-1~8月の全省の軽工業総産額は昨年同期と比べ20%以上増加。各部門の少なからぬ工場は専門機関をもうけて農村に原料基地をつくることに着手。全省の大部分の砂糖工場が農村に甘蔗原料基地をつくり,1972~73年度は前年度より工業用甘庶量43%,食糖33%増加。また原料基地建設によりパイナップルのカンヅメの生産量は建設前の7倍に伸びた。
DIA-104-1973-10-06-2中国1973年10月06日1970年代秦皇島の原油輸送埠頭の第1期工事が完成し,使用を開始-長さ746mの取付き提,長さ430mの桟橋,長さ285メートルの埠頭を有する石油輸送専用の埠頭。
DIA-104-1973-10-07-1中国1973年10月07日1970年代今年の化学肥料生産量,2300万トンに達する見込み-華国鋒党政治局員が日本農業ジャーナリスト訪中団に明らかにしたところでは昨年の化学肥料生産量は1900万トンで,ここ数年間は毎年400万トンずつ増産している。
DIA-104-1973-10-07-2中国1973年10月07日1970年代農林科学実験の発展-優良品種の普及がすすみ,作付総面積のうち,水稲では80%以上,小麦では90%以上,雑交トウモロコシが40%,雑交コウリャンが20%,それぞれ占めている。また耕作制度の改革もすすみ,長江流域で2毛作から3毛作(米の二期作と緑肥作付も含む)へ,広東,福建各省の一部では4毛作が成功し,北方地域では間作輪作により1毛作と2年3毛作が1年2毛作へ改められつつある。
DIA-104-1973-10-07-3中国1973年10月07日1970年代中国航空参観団来日。
DIA-104-1973-10-08-1中国1973年10月08日1970年代人民日報,評論員論文「イスラエルの軍事侵略に対するエジプト,シリアの反撃を断固支持する」-6日から始まった中東戦争に対し,これをイスラエルの準備された最大の軍事侵略として非難。さらにイスラエルが侵略戦争を開始した背景には米ソ超大国の支持と黙認があるからであり,ソ連は“人道的な措置”と称して大量のロシア系ユダヤ人をイスラエルに送り込む一方,アラブ諸国が奪われた領土を奪回する闘争に足かせをかけていると非難している。
DIA-104-1973-10-09-1中国1973年10月09日1970年代人民日報,革命現代京劇,「杜鵑山(つつじの山)」を掲載。
DIA-104-1973-10-09-2中国1973年10月09日1970年代中国・ニュージーランド,政府間貿易協定に調印。
DIA-104-1973-10-09-3中国1973年10月09日1970年代北京で「フランス測量と科学儀器展」開幕。
DIA-104-1973-10-09-4中国1973年10月09日1970年代周恩来,廖承志氏ら,宮崎世民,宮川寅雄,古井喜実,田川誠一氏らと会見。
DIA-104-1973-10-10-1中国1973年10月10日1970年代トルドー・カナダ首相訪中―空港には周恩来・李先念ら政府首脳各氏の他数千人の大衆が出迎えた。 10日の人民日報は「カナダの貴賓を熱烈に歓迎する」と題する社説を掲げた。 11日夜,周総理はトルドー首相を歓迎して人民大会堂で盛大な宴会を開いた。
DIA-104-1973-10-10-2中国1973年10月10日1970年代中国経済代表団帰国-劉希文団長ら一行33名は1ヵ月にわたる日程を終え帰国。羽田空港には各界多数が見送った。
DIA-104-1973-10-11-1中国1973年10月11日1970年代解放軍の各部隊は体育組織機構を整備-総参謀部は5月に広州で軍事体育訓練大隊を設け多くの体育工作要員を養成した。
DIA-104-1973-10-11-2中国1973年10月11日1970年代周総理,エジプトのサダト大統領,シリアのアサド大統領に対イスラエル闘争支持の電報を送る。
DIA-104-1973-10-11-3中国1973年10月11日1970年代中国テレビ放送代表団,中華医学会医学視察代表団,中国体育代表団(10日)来日。
DIA-104-1973-10-12-1中国1973年10月12日1970年代人民日報社説,「ラオス人民の輝かしい祝日を熱烈に祝う」-ラオス独立記念日28周年を祝賀したもの。
DIA-104-1973-10-12-2中国1973年10月12日1970年代中国・エジプトへ現金100万ドルと小麦1000トンを供与(ロイター Japan Times10月14日)。
DIA-104-1973-10-12-3中国1973年10月12日1970年代田中訪ソ,中国の評価-訪中中の衆院外務委訪中議員団(団長,藤井衆院外務委員長)が,中日友好協会の張香山,孫平化氏らと会見した。その中で張氏は田中首相のソ連訪問について,北方領土問題で日本の立場を堂ーと主張した態度を立派であるとし,さらに日ソ共同コミュニケの中にアジア安保が含まれていなかった点を成果であると述べた(朝日10月13日)。
DIA-104-1973-10-13-1中国1973年10月13日1970年代人民日報,鐘文論文,「労農兵幹部の学習班をしっかりやろう」-紅旗10号から転載。
DIA-104-1973-10-13-2中国1973年10月13日1970年代オロチョン族が最近定居20周年記念活動をおこなう-解放時1000余人だったオロチョン人は現在2700余人になっている。
DIA-104-1973-10-13-3中国1973年10月13日1970年代毛主席,トルドー首相と会見。
DIA-104-1973-10-13-4中国1973年10月13日1970年代トルドー首相一行,北京を離れ洛陽訪問―洛陽訪問後,14日に鄭州訪問,15日に桂林訪問,17日に広州より帰国。
DIA-104-1973-10-13-5中国1973年10月13日1970年代中国・カナダ,政府間貿易協定調印。
DIA-104-1973-10-13-6中国1973年10月13日1970年代中国紅十字会,エチオピアへ小麦1万トンを送る。
DIA-104-1973-10-15-1中国1973年10月15日1970年代フランスと石油化学コンビナート建設契約に調印-ポリエステル,ナイロンなど合繊プラント約20基を含む。総額12億フラン(2億8000万ドル)。1977年春に瀋陽郊外に建設予定。
DIA-104-1973-10-15-2中国1973年10月15日1970年代人民日報社説,「アラブ人民の反侵略事業は無敵である」-エジプト,シリア,パレスチナ・ゲリラが“超大国の妨害と反対にめげず,断固としてイスラエルとの闘いを展開していることを支持する”とのべ,さらに彼らの侵略反対の闘争は全世界人民の反帝,反覇権闘争の一構成部分であると述べている。
DIA-104-1973-10-15-3中国1973年10月15日1970年代アラブ・イエーメン共和国で中国の援助による総合病院の定礎式。
DIA-104-1973-10-16-1中国1973年10月16日1970年代1973年全国卓球大会,武漢で開幕-29日まで。
DIA-104-1973-10-17-1中国1973年10月17日1970年代新しい豚の発酵飼料の製造に成功-広州部隊181医院飼養班長王学智がサツマイモの蔓と水蓮の葉等青飼料を利用して製造。長期保存が可能で,かつ豚の肉付率を高め豚の発病率を低下させるという特長がある。
DIA-104-1973-10-18-1中国1973年10月18日1970年代人民日報評論員論文,「タイ学生運動の激しい高まり」-タノム政権を退陣に込んだタイの学生運動について論評。「タイ学生運動の激しい高まりは,タイ人民が日ましに目覚め,抑圧に反対し,民主をめざす彼らの闘争の力が大きくなり,発展していることを示すものである」と述べている。さらにタノムが倒れた後も学生と人民の要求はまだ実現されておらず,人民と支配集団の間の矛盾は依然として先鋭である,と述べている。
DIA-104-1973-10-18-2中国1973年10月18日1970年代三井石油化学ら4社,ポリプロピレン製造プラントを受注(年産能力8万トン,約70億円)。
DIA-104-1973-10-19-1中国1973年10月19日1970年代上海市鐘山中学の紅衛兵が試験問題で党支部に訴えの手紙-友人の答案を見て書いた紅衛兵に教員が零点をつけたことから教員と対立,党支部は試験制度改革に着手。
DIA-104-1973-10-19-2中国1973年10月19日1970年代対外貿易部部長に李強氏(前副部長)就任が判明。
DIA-104-1973-10-19-3中国1973年10月19日1970年代エドガー・スノー氏の納骨式-スノー氏の遺言にもとづき,スノー氏の遺骨は北京大学構内の墓に納められたが,この納骨式には周恩来,李富春,郭沫若ら各氏が列席した。
DIA-104-1973-10-19-4中国1973年10月19日1970年代中国・北ベトナム,1974年度バーター支払協定,中国対北ベトナム一般物質供与およびプロジェクト援助供与に関する議定書に調印。
DIA-104-1973-10-20-1中国1973年10月20日1970年代人民日報,公害問題で特集-上海化工軽工供応公司革命委員会執筆グループ論文「総合利用を積極的に繰広げよう」と吉林製紙工場,瀋陽化工工場,広東馬精錬工場の「三廃」処理の報道を掲載。
DIA-104-1973-10-21-1中国1973年10月21日1970年代人民日報評論員,「ロン・ノル集団を国連から追放すべきである」-10月17日,国連総会本会議は「カンボジア王国民族団結政府の国連における合法的権利回復」の議題を今総会の議事に入れることを可決したことを論評したもの。
DIA-104-1973-10-21-2中国1973年10月21日1970年代中国人民保険公司代表団来日。
DIA-104-1973-10-22-1中国1973年10月22日1970年代オーストラリアから小麦買付け-1974-76年の3年間に合計470万トンの小麦を輸入する長期協定に調印。
DIA-104-1973-10-22-2中国1973年10月22日1970年代南京郊外に大型操作場が完成-滬寧,津浦,寧蕪の三鉄道幹線の貨車の編成を受持つ華東地区最大の鉄道操作場-南京尭化内駅で構内の線路配置の総延長は100キロメートル余り。
DIA-104-1973-10-22-3中国1973年10月22日1970年代中国港湾業務友好代表団来日。
DIA-104-1973-10-23-1中国1973年10月23日1970年代軍福建前線放送局と福建省人民放送局が「台湾海峡地区天気予報」の番組を新設。
DIA-104-1973-10-23-2中国1973年10月23日1970年代国連安保理での論戦-23日,米ソの緊急要請により開かれた国連安全保障理事会において,米ソ両国は共同で中東戦争の停戦監視決議案を上提した。喬冠華中国代表は演説のなかで,米ソのやり方は一方的な決議案の押しつけであり,この決議案は現状停戦によりアラブ人民の正義の戦争をおさえつけるものであると強く反発し,ソ連マリク代表と激しく論戦を展開した。同決議案は結局,表決に付され可決されたが,中国代表は投票に参加しなかった。
DIA-104-1973-10-25-1中国1973年10月25日1970年代人民日報,石侖論文,「尊儒反法を論ず」-紅旗10号から転載。「焚書坑儒」は奴隷主階級の復活を鎮圧する革命であった。
DIA-104-1973-10-25-2中国1973年10月25日1970年代浙江省の干拓地,6万7000ヘクタールに達する。
DIA-104-1973-10-26-1中国1973年10月26日1970年代人民日報,李成論文,「林彪一味が鼓吹した唯生産力論の反革命的実質」
DIA-104-1973-10-26-2中国1973年10月26日1970年代松嫩平原(松花江嫩江平原)の秋期収穫作物が大豊作-5300万ムー余りの作付面積が全面豊作で穀物と大豆が昨年と比べて3割以上の増産。
DIA-104-1973-10-26-3中国1973年10月26日1970年代浙江省の小型水力発電所-全省で3600カ所余りが完成しており,53県の1000余りの人民公社に分布。発電量は全省農業用電力の5割を占めている。
DIA-104-1973-10-26-4中国1973年10月26日1970年代スーダン外相訪中。
DIA-104-1973-10-26-5中国1973年10月26日1970年代人民日報社説,「強権政治の露骨な振舞い」-23日に国連安保理で可決された中東戦争停戦決議を論評したもの。その中で,この決議案は,「米ソ超大国が侵略に反対するアラブ人民の正義の戦争をグルになってもみ消そうとする陰謀であり」,彼らが,「“戦争でもなければ平和でもない”局面を再度アラブ諸国人民の頭上に押し付けるものである」と述べ,さらに「アラブ諸国人民の闘争を破壊したソ修の行動から人々は社会帝国主義の陰険な二面的なキロをはっきりと見てとった」と述べている。
DIA-104-1973-10-28-1中国1973年10月28日1970年代麻類の豊収-昨年と比べ広東省で43%増産(黄麻11.4%,紅麻2.1倍),河南省では紅麻,大麻が50%増産。安徽省では各種麻類の作付面積を拡大し全省買付けの黄麻,紅麻,大麻が昨年同期比2倍近く増加。
DIA-104-1973-10-28-2中国1973年10月28日1970年代鞍山鉄鋼公司の3基の製鋼工場が生産新記録を達成-9月1日~10月20日間の鋼の平均日産量は1~8月のそれと比べ15.5%増加し,国家計画を超過達成。
DIA-104-1973-10-29-1中国1973年10月29日1970年代湖南省常徳地区の指導的幹部は卒先して子女を下放させている-今年党の県(市)委員会常務委員以上の子女で卒業の37人のうち36人がすでに農村に定着している。
DIA-104-1973-10-29-2中国1973年10月29日1970年代周総理,ニューヨーク・タイムス記者と会見-ザルツバーガー記者の会見記によれば周総理は,米中国交樹立は米国が台湾との断交をしてからである,北大西洋条約機構はワルシャワ条約機構に対抗するものとしてその強化に賛成である,などを明らかにした。
DIA-104-1973-10-30-1中国1973年10月30日1970年代人民日報,新華社記者論評,「援助なのか,それとも支配,収奪なのか」-ソ連の低開発諸国への援助について論評,批判したもの。
DIA-104-1973-10-30-2中国1973年10月30日1970年代中国,国連開発計画などにきよ金-王潤生中国国連代表は10月30日,国連誓約会議で中国が発展途上国の工業化のため,1974年に国連開発計画に人民幣440万元,国連資本開発基金に20万元,さらに国連工業開発機関に45万元を挙出すると発表した。
DIA-104-1973-10-31-1中国1973年10月31日1970年代人民日報,陜西師範大学執筆グループ論文,「秦始皇帝は奴隷主の復活に断固打撃を与えた政治家である。」
DIA-104-1973-10-31-2中国1973年10月31日1970年代ホイットラム豪首相訪中-ホイットラム首相夫妻および政府各大臣一行は中国政府の招きに応じ,31日午後特別機で北京に到着した。空港では,周恩来,鄧小平,徐向前,姫鵬飛ら政府首脳各氏の他,首都の大衆多数が出迎えた。同日午後,周総理とホイットラム首相は第1回目の会談を開いた。同日夜,周総理は人民大会堂で歓迎宴会を催した。31日の人民日報は,「南太平洋からの貴賓を熱烈に歓迎する」と題する歓迎社説を掲げた。
DIA-104-1973-11-01-1中国1973年11月01日1970年代文革中に建設を始めた水力発電所が大部分発電開始-9月までに全国の水力発電設備総容量は文革前の1965年に比べ2倍近くに増加。黄河上流にすでに数基の発電所が建設され,その設備総容量は130万キロワット余り。長江水系では20基の発電所が建設され,設備総容量は290万キロワット余りに達す。
DIA-104-1973-11-01-2中国1973年11月01日1970年代エチオピア一番機,北京空港に到着-今年2月に締結された両国航空協定にもとづくもの。
DIA-104-1973-11-02-1中国1973年11月02日1970年代光明日報,周建人論文,「魯迅は決然と孔家店を打倒した革命家である。」
DIA-104-1973-11-02-2中国1973年11月02日1970年代タンザニアで,中国の援助による国営製薬工場の定礎式。
DIA-104-1973-11-02-3中国1973年11月02日1970年代毛主席,ホイットラム首相と会見-周総理と王洪文副主席も同席した。
DIA-104-1973-11-03-1中国1973年11月03日1970年代新疆でラテン化ウィグル,カザック文字が普及―1960年試行開始,1965年普及開始,現在150万人が用い,解放時旧文字識字人口の3倍に当る。
DIA-104-1973-11-03-2中国1973年11月03日1970年代コサマク王妃,プノンペンから広州に到着-病気治療のため特別出国を許されたもの。広州にはシアヌーク殿下と徐向前全人代副委員長が出迎えた。
DIA-104-1973-11-03-3中国1973年11月03日1970年代中国生物科学家代表団来日。
DIA-104-1973-11-04-1中国1973年11月04日1970年代中部欧州軍縮会議について-人民日報は10月30日から開かれたワルシャワ条約加盟諸国と北太西洋条約加盟諸国による中欧軍縮会議について論評,ソ連が欧州で引き続き軍事力を増強させている現状のなかで,米国や西欧諸国はソ連の主張する「両条約諸国の均等な軍事力削減」という提案に対し,ペテンとして反対している,と報道した。
DIA-104-1973-11-04-2中国1973年11月04日1970年代中国・オーストラリア共同プレス・コミュニケ発表-双方はいかなる国家と国家集団がアジア太平洋地域で覇権を求めることに反対し,平和5原則に基づき両国の友好関係を発展させていくべきことを合意した。さらに両国間の貿易,文化,科学の面での協力を強め,小麦の他,関係ある商品についての長期協定調印の可能性を追及することを確認し,留学生交換計画のとりきめをおこなった。また双方はオーストラリア在住の中国系オーストラリア公民と華僑の中国にいる親族がオーストラリアに行く問題について原則的な了解に達した。 なおホイットラム首相は4日,北京を離れ帰国した。
DIA-104-1973-11-04-3中国1973年11月04日1970年代ベトナム党政府代表団,訪ソの帰途北京に立ち寄る。
DIA-104-1973-11-04-4中国1973年11月04日1970年代米中貿易全米協議会代表訪中-中国国貿促の招きによるもの。 11月26日,代表団の一員として中国訪問を終えニューヨークに戻ったマニュファクチャーズ・ハノーバー・トラスト社のハワイ会長は記者会見で,来年,中国は米国へ経済使節団を派遣すること,米国の某企業が中国に農業関係の化学分野の工場5カ所を建設する予定であること,米中貿易を促進する上で大きな障害になっているのは両国に封鎖している双互の資産問題であることなどを語った。(日刊工業新聞11月28日)。
DIA-104-1973-11-04-5中国1973年11月04日1970年代中国・モンゴル国境鉄道合同運輸会議,新議定書に調印。
DIA-104-1973-11-05-1中国1973年11月05日1970年代人民日報,洪原論文,「共産党員は大多数の人々のために利益をはからねばならない」-ある同志は,私心から誤った路線と傾向に対して敢然と反対し,闘争しない。これは共産党員のとるべき態度ではない。個人の地位の高低を争うことも又,大局を考えない者の態度である。紅旗11号転載。
DIA-104-1973-11-05-2中国1973年11月05日1970年代1カ月来瀋陽部隊の連隊以上の幹部数千人が10全大会文献学習班に参加-さらに8,000人余の幹部が各部隊に降りて文献学習に力を入れている。
DIA-104-1973-11-05-3中国1973年11月05日1970年代河北省石家庄地区で食糧,綿花ともに豊作-全区の食糧作物作付地の3分の1近くでムー平均収穫高が400キログラムを越え,綿花作付地の2分の1がムー平均収穫高が50キログラムを突破した。
DIA-104-1973-11-06-1中国1973年11月06日1970年代人民日報,向明論文,「核戦争を防ぐのか,それとも核優位を争うのか」-ソ連が今年6月に「米ソ核戦争防止協定」に調印して以来,大いにこの協定が平和の維持と国際情勢の改善に役立つと宣伝しながら,一方において地下核実験に拍車をかけ,多弾頭ミサイルの開発に狂奔していると非難したもの。
DIA-104-1973-11-06-2中国1973年11月06日1970年代シアカ・スチーブンス・シエラレオネ大統領訪中-空港には周総理ら政府首脳の他,数千人の首都大衆が出迎えた。 6日の人民日報は同氏の訪中を歓迎して,「シエラレオネの貴賓を熱烈に歓迎する」と題する社説を掲げた。
DIA-104-1973-11-06-3中国1973年11月06日1970年代中国・北朝鮮,第14回科学技術協力委員会議定書に調印。
DIA-104-1973-11-07-1中国1973年11月07日1970年代毛主席,スチーブンス大統領と会見-周総理と王洪文副主席らも同席した。同日夜,周総理は同大統領の歓迎宴を催した。同大統領は10月午後,北京を離れ上海を訪問,12日広州訪問,15日広州から帰国した。
DIA-104-1973-11-08-1中国1973年11月08日1970年代上海市総工会,労働者新幹部の読書班開催に努力-今年の大会以来すでに3期の読書班を組織し,市,区,局各級組合の新幹部800名近くを参加させた。2年来全部で150余期の読書班を組織し,1万余の労働者新幹部を訓練した。
DIA-104-1973-11-08-2中国1973年11月08日1970年代董代理主席,周総理,カンボジア王国独立20周年に祝電-シアヌーク殿下とペン・ヌート殿下に送ったもの。 なお9日の人民日報は「カンボジア人民の輝かしい祝日を熱烈に祝う」と題する社説を掲げた。
DIA-104-1973-11-08-3中国1973年11月08日1970年代中国鉄道技術視察団来日。
DIA-104-1973-11-09-1中国1973年11月09日1970年代人民日報編者の言葉,下放知識青年の冬季生活の安排を真剣にやるよう希望。
DIA-104-1973-11-09-2中国1973年11月09日1970年代イエン・サリ・カンボジア国内特使,北京から帰国-周総理,王洪文副主席ら党・政府首脳が盛大な歓送宴を催した。
DIA-104-1973-11-10-1中国1973年11月10日1970年代「ソ修のインドに対する“無私の援助”とはいかなる代物か」-人民日報は新華社記者による上記の題名の論評を掲げた。その中では,ソ連の援助で建設されたインドのビライ,ボカロの2つの鉄鋼工場において,ソ連は古い技術と古い機械をうりつけることにより収奪をおこなっており,またソ連人技術者・管理者がインド人を排斥して特権的地位をほしいままにして,この2つの鉄鋼都市をソ連の植民地に変えてしまった,と批判している。
DIA-104-1973-11-10-2中国1973年11月10日1970年代中国,ローマのFAO総会に初参加。
DIA-104-1973-11-10-3中国1973年11月10日1970年代中国・シエラレオネ,経済技術協力協定補充議定書に調印。
DIA-104-1973-11-10-4中国1973年11月10日1970年代キッシンジャー米国務長官訪中-空港には姫鵬飛外交部長らが出迎えた。同日夜,姫鵬飛部長はキ長官の歓迎宴を催し,周総理,葉剣英副主席らが出席した。 11日より,双方の公式会議がおこなわれた。
DIA-104-1973-11-11-1中国1973年11月11日1970年代人民日報,鐘佐文論文,「労働者農民の中から優秀な分子を選抜して指導的ポストにつけることを重視せよ。」
DIA-104-1973-11-11-2中国1973年11月11日1970年代農業機械修理製造工場の建設がすすむ-全国の96%の県(新疆,チベット両自治区の一部の県を除く全ての県)に分布しており,県,公社,生産大隊の3級修理製造網が初歩的につくられて農業機械化に貢献。かつて国家の供給に依存していた部品生産がこれら工場で自給化へ進みつつある。
DIA-104-1973-11-11-3中国1973年11月11日1970年代カンボジア王国民族団結政府,国外で任務を執行していた各機関を国内に移すことを決定-11日の人民日報は第1面のトップにこれを報道した。
DIA-104-1973-11-12-1中国1973年11月12日1970年代北京,上海,南京,広州,中山県,武漢等で孫文生誕107周年記念行事がおこなわれた。
DIA-104-1973-11-12-2中国1973年11月12日1970年代チベットで冬小麦が広い面積にわたり豊作-“高原に冬小麦は植えられない”という迷信を打破って,本年3,000~4,000メートルの高地に作付した冬小麦のムー当り収量が200キログラムを超える収穫をあげた。それで本年の冬小麦の作付け面積を前年の2倍余りの30万ムーに拡大した。
DIA-104-1973-11-12-3中国1973年11月12日1970年代毛主席,キッシンジャー長官と会談-中南海で2時間にわたって会談をおこなった。会談には周総理と姫鵬飛外交部長らが同席した。 この会見について周総理は米人記者に対し,過去2年間に毛主席が各国元首,首相らと行なった会見の中で最も長時間にわたるものであったと述べた。さらにこの会見を報じた13日の人民日報は“友好的なふん囲気の中で行なわれたと,すでに外交関係のある友好国首脳との会見に用いられる言葉を使っている。
DIA-104-1973-11-12-4中国1973年11月12日1970年代中国・スイス,民間航空運輸協定に調印。
DIA-104-1973-11-12-5中国1973年11月12日1970年代岡崎嘉平太氏ら日本覚書貿易代表団訪中-一行15人は,今年で終了する日中覚書貿易を記念するため訪中したもの。覚書貿易終了後の来年以降,民間ベースの輸出入交渉は各業界の組織である日中輸出入協議会と中国各公司との統一交渉の形で行なわれる。27日,岡崎氏らは覚書貿易終了を記念して宴会を開き,李強,廖承志,張香山,劉希文ら各氏を招いた。
DIA-104-1973-11-14-1中国1973年11月14日1970年代人民日報,羅思鼎論文,「秦王朝建設過程における復活と反復活の闘争」-紅旗11号から転載。
DIA-104-1973-11-14-2中国1973年11月14日1970年代中米コミュニケを発表-その中では,双方は上海コミュニケに定められた諸原則を再確認し,権威あるクラスの経常的な接触を保ち意見を交換すること,双方の連絡事務所の仕事の範囲を引き続き拡大すべきこと,貿易その他の交流をいっそう発展させること,などが述べられている。 キ長官は13日夜,周総理,葉剣英副主席らを招き答礼宴会を開き,14日,北京を離れ東京へ向かった。
DIA-104-1973-11-14-3中国1973年11月14日1970年代中国から香港へ大量出国-中国本土からビザを携帯した合法的出国者が最近激増している。その数は今年10カ月ですでに4万6000人,11月だけで1万人に及び,大部分は東南アジア諸国で出生し,帰国していた華僑であるといわれる(日刊工業新聞11月14日)。
DIA-104-1973-11-14-4中国1973年11月14日1970年代化学肥料対中輸出商談ストップ―窒素肥料の対中輸出の長期契約交渉を行なうため肥料業会の交渉団が訪中していたが,日本で12月から予定される石油削減措置により生産計画の見通しかつかなくなったとして,交渉は中断されることとなった(信濃毎日11月16日)。
DIA-104-1973-11-15-1中国1973年11月15日1970年代甜菜が豊作-主要生産地の状況についてみると,総収穫高は黒竜江省は前年比2割以上,吉林省が1割余り,内モンゴル自治区が5割,それぞれ増えた。
DIA-104-1973-11-15-2中国1973年11月15日1970年代「“緩和”の煙幕は欧州でのソ連の軍事的野心をおおい隠すことはできない」-人民日報新華社記者による論評。そのなかで,ソ連は欧州の“緩和”ムードを盛んに煽り立てているが,これによって彼らが欧州を世界制覇の戦略拠点として,同地域での軍備拡張に狂奔している事実を決しておおい隠せるものではない,と述べている。
DIA-104-1973-11-15-3中国1973年11月15日1970年代秋期広州交易会終る,成約は3億ドルを越す-今回の交易会は日本の輸入の面では,国内の金融引き締めや為替変動,在庫のだぶつきなどにより,中小輸入業者の買い控え傾向が目立ち,輸出の面でも中国から需要の多い石油化学関係が国内の石油危機や化学コンビナートの爆発事故により低調であったが,終盤になって盛りかえし,結局取引成約高は春の交易会での3億ドルを上回る見通しになった(日刊工業新聞11月16日)。
DIA-104-1973-11-15-4中国1973年11月15日1970年代中国からトラックの大型受注-三菱自動車は広州交易会で5トン積み貨物車2,100台(総額約26億円)の輸出契約を結んだ。今年夏以来,三菱,日野,いすーなど自動車会社は大量のトラックの輸出を受注しているが,この結果,来年は1万合を越す大,中型トラックが中国へ船積みされることになった(朝日11月21日)。
DIA-104-1973-11-16-1中国1973年11月16日1970年代アジア競技連盟評議員会,台湾代表を追放し,中華全国体育総会を正式メンバーとすることを可決-17日,中華全国体育総会は声明を発表し,その中で今回の評議員会の決定に努力した各国に感謝の意を表し,今後,全ての国際体育機構における中国の合法権利が最終的に回復されることを信じて疑わないと述べた。また中華体育総会は1974年9月に開かれる第7回アジア競技大会に参加するとともに,台湾省の選手の参加も歓迎すると述べている。
DIA-104-1973-11-16-2中国1973年11月16日1970年代中国電子学会電子技術視察団来日。
DIA-104-1973-11-17-1中国1973年11月17日1970年代鄧穎超,廖承志ほか,李宗仁元夫人李秀文女士を招待-同女士は10月31日香港から帰国,桂林に定住の予定。
DIA-104-1973-11-17-2中国1973年11月17日1970年代海河治水10年の成果-1963年に毛主席が呼びかけてから毎年冬から春にかけ数10万ないし100万を越える人々が治水工事に参加。この10年間に洪水防止用の主堤を延べ4,300キロ余り建設,主河道34本,支流270本余り,通水溝15万本を掘削あるいはしゅんせつした。また流域に大中型ダム80余,小型ダム1,500余ができているほか,1973年には動力井戸が49万本に増えたため洪水,冠水,旱害の脅威が一応取除かれた。今年の流域地帯の食糧総収穫高は1963年に比べ2倍に増加。
DIA-104-1973-11-18-1中国1973年11月18日1970年代人民日報,厳志論文,「知識青年の農村定住の促進派になろう」-紅旗11号より転載。今後数年は知識青年の農村定住政策が堅持されることを明確にし,全面的に問題を分析。
DIA-104-1973-11-18-2中国1973年11月18日1970年代グエン・フー・ト議長を団長とするベトナム南部共和臨時革命政府代表団訪中-中国政府の招きによる公式訪問,空港には周総理の他中国党,政府首脳が出迎えた。 同日の人民日報は,「ベトナム南部からの親密な戦友を熱烈に歓迎する」と題する社説を掲げた。 同議長一行は21日,北京を離れ天津訪問,22日には天津から広州を訪問,23日に帰国した。
DIA-104-1973-11-19-1中国1973年11月19日1970年代毛主席,グエン・フー・ト議長,グエン・チ・ビン外相と会見-会見には周総理,李徳生,張春橋ら各氏も列席した。
DIA-104-1973-11-20-1中国1973年11月20日1970年代ザイール共和国政府代表団訪中-エングザ・カール・イボンド外相が団長。
DIA-104-1973-11-20-2中国1973年11月20日1970年代北京でオランダ工業技術展覧会開幕。
DIA-104-1973-11-21-1中国1973年11月21日1970年代空軍某部レーダー4中隊はヒマラヤ4,800メートルに基地を建設している。
DIA-104-1973-11-21-2中国1973年11月21日1970年代中国科学院・アルバニア科学院,科学協力協定と1974年執行計画に調印。
DIA-104-1973-11-21-3中国1973年11月21日1970年代中国・ベトナム南部臨時革命政府,1974年度無償経済援助協定に調印。
DIA-104-1973-11-21-4中国1973年11月21日1970年代中国・ベトナム南部臨時革命政府,共同コミュニケ発表。
DIA-104-1973-11-21-5中国1973年11月21日1970年代中国がアフガニスタンに無償で建設する250病床の病院建設に関する会談紀要に調印。
DIA-104-1973-11-22-1中国1973年11月22日1970年代人民日報,勁雲戈論文,「右翼日和見主義と孔子思想」-紅旗11号から転載。王明,劉少奇から林彪までこれまでの右翼日和見主義の頭目はみな尊孔派であった。
DIA-104-1973-11-22-2中国1973年11月22日1970年代「ソ修社会帝国主義は南アジアとインド洋への拡張を強めている」-人民日報は上記の表題の新華社記者の報道を掲げ,ソ連が南アジア大陸とインド洋に軍事,経済的に進出し,旧ツアーが果たせなかった夢を追い求めている,と述べている。
DIA-104-1973-11-23-1中国1973年11月23日1970年代人民日報向明論文,「陳腐なしろもの」-ソ連が国連安保理事会において,各国が軍備を10%削減し,その浮いた資金を低開発国援助に使おうと提案したことを論評したもの。ソ連のこの提案は,実際には世界各地でソ連が軍事拡張を続けていることをおおい隠そうとする煙幕にすぎない,と述べている。
DIA-104-1973-11-23-2中国1973年11月23日1970年代中国・ルーマニア,1974年度バータ,支払い議定書に調印。
DIA-104-1973-11-23-3中国1973年11月23日1970年代中国・セネガル経済技術協力協定と貿易協定に調印。
DIA-104-1973-11-23-4中国1973年11月23日1970年代中国国貿促代表団,フィリビン訪問-王耀庭主任を団長とし,フィリビン商工会議所の招きによる。26日,王耀庭ら代表団はマルコス大統領と会見を行なった。
DIA-104-1973-11-23-5中国1973年11月23日1970年代日本郵電代表団訪中-鬼丸勝之郵政省政務次官を団長とする。
DIA-104-1973-11-24-1中国1973年11月24日1970年代人民日報,胡佐,甘嘯論文,「5・7幹部学校は社会主義時期の新型幹部学校である」-林彪は5・7幹部学校を「形を変えた失業」だとか「祿をはむ人減らし」と非難する一方,直接支配下に置いた幹部学校を革命幹部を排斥し,打撃する場所に変えた。 現在われわれの当面している問題は,5・7幹部学校という新生の事物を長期にわたり断固やりぬくか,それとも後退するかである。
DIA-104-1973-11-24-2中国1973年11月24日1970年代小型合成アンモニア工業,年間国家計画を繰上げ達成―生産量は昨年同期と比べ33%増加。それが全国アンモニア総生産量に占める割合は54%。山東,江蘇,浪江,上海,河北,安徽,遼寧など7つの省市では生産能力の伸びが比較的よく,すでに平均して設計能力の80%以上に達している。
DIA-104-1973-11-24-3中国1973年11月24日1970年代人民日報社説,「朝鮮人民の祖国統一の闘争は必ず勝利する」-21日に終えた国連総会第1委員会における朝鮮問題討議を論評したもの。その中では,同委員会が「国連韓国統一復興委員会」を解体すべきこと,南北朝鮮の自主的平和統一を希望するという声明を採択したことなどを評価し,これを朝鮮人民の祖国の自主的平和統一をめざす闘争の重要な勝利であると述べ,さらに朝鮮における「国連司令部」の解散とあらゆる軍隊の南朝鮮からの撤退を主張している。
DIA-104-1973-11-24-4中国1973年11月24日1970年代郭沫若氏,日本地方自治体訪中友好代表団と会見-各県知事で構成された訪中団。会談のなかで郭氏は,「中国にいる日本人の里帰りは自由であり,その往来に要する費用は中国側で負担する」と述べた(朝日11月25日)。
DIA-104-1973-11-26-1中国1973年11月26日1970年代アルバニア人民軍軍事友好代表団訪中-中国国防部の招きによるもの。同日夜,張才千解放軍副総参謀長らは歓迎宴会を催した。
DIA-104-1973-11-27-1中国1973年11月27日1970年代米国からアンモニア尿素プラント5基を買付け-ケロッグ社から1億3000万ドルで。1977年頃から生産開始の予定(ニューズウイーク12月3日号)。
DIA-104-1973-11-28-1中国1973年11月28日1970年代武漢大型工作機械工場,超大型平削り型フライス盤を完成。全長42メートル,高さ8メートルの大型のもの。
DIA-104-1973-11-28-2中国1973年11月28日1970年代太原大型機械工場で大型鋼管冷間圧延機が完成-成都継目なし鋼管工場に設置。これまで大口径の冷間圧延鋼管は殆んど外国からの輸入に依存していた。
DIA-104-1973-11-28-3中国1973年11月28日1970年代大型炭鉱が建設される-年産120万トンの近代的大型炭鉱が貴州省に建設され,また河南省平頂山炭鉱に年産90万トンの大型立坑が開設される。
DIA-104-1973-11-28-4中国1973年11月28日1970年代毛主席,董必武,来徳,周恩来4氏,連名でアルバニア解放29周年に祝電を送る-29日,人民日報は「英雄的なアルバニア人民の輝かしい祝日」と題する記念社説を掲げた。
DIA-104-1973-11-28-5中国1973年11月28日1970年代周総理,岡崎氏ら覚書貿易代表団と会見。
DIA-104-1973-11-28-6中国1973年11月28日1970年代東京で中国物産展開幕-三木副総理が武道館での開幕式でリボンカッテングをおこなった。
DIA-104-1973-11-29-1中国1973年11月29日1970年代廖承志,羅青長,李金徳,元国民党国防部副庁長葉南氏を招宴。
DIA-104-1973-11-29-2中国1973年11月29日1970年代河北省,灌排水用動力機械を大量に農村に供給-地方工業を組織して灌排水用動力機械の製造に力を入れて農業を支援した。本年生産したディーゼル機関は13万6000台余り,農村に供給したものはすでに10万5000台余りに及ぶ。現在全省農村の保有数は29万台に達し,平均して各生産隊に1台以上あるということになる。全省の動力井戸は31万本に達し,そのうち半分近くが電力・ディーゼルの両方を使用できるようになっており,旱害防止に大きな役割を果たしている。全省の井戸灌漑面積は3,500万ムー余りに達し,全省の灌漑総面積の3分の2以上を占めている。
DIA-104-1973-11-30-1中国1973年11月30日1970年代貴州省第3次婦女代表大会開幕-12月4日まで開かれ,婦連第3期委員会を選出。貴州省委第2書記,同省革命委員会副主任李葆華があいさつ。
DIA-104-1973-11-30-2中国1973年11月30日1970年代光明日報,蘇習論文,林彪の「ギリシヤ・ローマ文化は世界思想の根源である」という言葉を批判。
DIA-104-1973-11-30-3中国1973年11月30日1970年代最近,全国水稲科学研究協力現場会議が開催される-農林科学院が江蘇省蘇州地区で開く。現在,水稲の2期作が行なわれている地区は北緯32度を越えている。また華北,西北地方では稲麦の2毛作が試みられている。
DIA-104-1973-11-30-4中国1973年11月30日1970年代開炭鉱,1~10月の原炭の生産量が昨年同期と比べ11.7%増加。
DIA-104-1973-11-30-5中国1973年11月30日1970年代上海市と横浜市,友好都市となる-飛鳥田横浜市長が上海での記念行事に参列した。
DIA-104-1973-12-01-1中国1973年12月01日1970年代中国,英国からトライデント・ジェット機15機を追加発注-5000万ポンド,英国への同機の発注はこれで合計35機で,1975年から引渡される(大公報12月4日)。
DIA-104-1973-12-02-1中国1973年12月02日1970年代人民日報,夏平論文,「婦女幹部を積極的に養成しよう」-紅旗12号より転載。婦女幹部の養成は個個の部門のことがらでなく全党の任務である。各級党組織は路線闘争の高所からこの工作をとらえ党委員会の議事日程に組み入れなければならない。
DIA-104-1973-12-02-2中国1973年12月02日1970年代中国国貿促代表団,フィリビンから帰国-滞在中,フィリビン商工会議所との話し合いによって,中国側は2000万~2500万ドル相当の商品を輸出し,フィリビンから今後10年内に4000万ドルの商品を買い,当面,中国はまず170万ドル相当の鉱産物をフィリビンから買うことで合意をしたという。なお中国原油の輸出についても話し合いがおこなわれたといわれる(大公報12月5日)。
DIA-104-1973-12-02-3中国1973年12月02日1970年代中国・フランス,海運協定締結。
DIA-104-1973-12-03-1中国1973年12月03日1970年代光明日報,馮友蘭論文,「孔子に対する批判及び私の過去における尊孔思想の自己批判」。
DIA-104-1973-12-03-2中国1973年12月03日1970年代モーリタニアで中国援助によるダム建設の竣工式-同時期,スーダンでは中国援助による橋梁建設工事と水稲試験田,シエラレオネでは同じく橋梁建設工事に関する式典がおこなわれた。
DIA-104-1973-12-03-3中国1973年12月03日1970年代中国・オートボルタ,経済技術協力協定に調印。
DIA-104-1973-12-05-1中国1973年12月05日1970年代人民日報,雲嵐論文,「プロレタリア独裁をうち固める戦略的措置」―紅旗12号より転載。百万千万のプロレタリア革命事業の後継者を養成するというこの深遠な意義を持つ戦略的措置を実現するためには,われわれ全党がまじめに老年,中年,青年の三結合の原則を実行し,老同志の導きの下に満腔の熱意をもって革命の新生の力を歓迎し,心を配り,援助してやらなければならない。
DIA-104-1973-12-05-2中国1973年12月05日1970年代昆明で趙興朝投降歓迎会開く-趙氏は国府軍特殊軍情報室余朝栄ステーション副官で1972年8月19日,雲南国境で投降した。
DIA-104-1973-12-05-3中国1973年12月05日1970年代オーストラリア,中国へ鉄鉱石300万トンを輸出-74~76年船積み約2000万オーストラリア・ドル。
DIA-104-1973-12-05-4中国1973年12月05日1970年代中国・デンマークから8隻の石油掘削支架船を購入(2000万ドル)(大公報12月5日)。
DIA-104-1973-12-05-5中国1973年12月05日1970年代李強,廖承志両氏,京都経済友好代表団と会見。
DIA-104-1973-12-07-1中国1973年12月07日1970年代人民日報,北京大学,清華大学批判グループ論文,「100余年来の反孔と尊孔の闘争」。
DIA-104-1973-12-07-2中国1973年12月07日1970年代人民日報評論員論文,「カンボジア人民の合法的権利は剥奪できない」―策28回国連総会は4日からアルジェリアなど303カ国から提出された「カンポジア王国民族団給政府の国連における合法的権利の回復」という決議案の討議に入った。5日,討議中に,米国の指示のもとにリベリアがこの討議を次期国連総会まで延期することを要求する動議を提出,僅差で動議が成立した。評論員論文は,米国が討議ひき延しをおこなったことを非難したもの。
DIA-104-1973-12-08-1中国1973年12月08日1970年代ビレンドラ・ネパール国王夫妻訪中-空港には周総理ら政府首脳の他,数千人の大衆が出迎えた。同日夜,周総理は同国王夫妻のため歓迎宴会を催した。 同日の人民日報は,「ネパールの貴賓を熱烈に歓迎する」と題する社説を掲載した。 国王夫妻は11日,北京を離れ南京訪問,13日広州訪問,14日,広州から昆明をへて帰国。
DIA-104-1973-12-09-1中国1973年12月09日1970年代江蘇省常州市,現有企業の潜在力を掘り起こして工業生産を急速に発展させた-1969年から現在まで,極めて僅かの投資だけで,基本的に工場を新設せずに,工業総生産を毎年15%ずつ伸ばした。それに貢献したものとして,分散していた工場を生産協業ラインに組織したことがあげられる。
DIA-104-1973-12-09-2中国1973年12月09日1970年代毛主席,ピレンドラ国王夫妻と会見-中南海で1時間40分にわたっておこなわれた。周総理と王洪文副主席も同席した。
DIA-104-1973-12-09-3中国1973年12月09日1970年代米軍,台湾から一部空軍を撤退-台北の米軍スポークスマンの発表によれば,台湾中部に駐留している米空軍兵力6,000人のうち,約3,500人(ハーキュリーズ輸送機3個中隊)を今月末までに撤退させる計画であるという。なお空軍以外の地上軍2,000人についてはそのまま残留する。
DIA-104-1973-12-11-1中国1973年12月11日1970年代撫順石油第一工場,技術改造をすすめて生産力を高める-設備の改造により原油加工能力を文革前の3倍に高めた。上納利潤は国家計画を2カ月以上繰上げ達成し,前年同期より60%増。
DIA-104-1973-12-12-1中国1973年12月12日1970年代安徽省肥西県は党の一元的指導下に革命委員会の作用を発揮-革命委員会との「連席会議」で事を処理することなく,革命委員会の大衆代表の役割を発揮させている。
DIA-104-1973-12-12-2中国1973年12月12日1970年代松遼平原に農業用ディーゼルエンジン製造工場が完成-1969年に着工した吉林省楡樹ディーゼルエンジン工場。4105型60馬力ディーゼルエンジンをつくる。これは,体積が小さく馬力が大きく,灌漑,発電,食品加工の動力に使用でぎるだけでなくトラクターの発動機にも用いることができる。
DIA-104-1973-12-12-3中国1973年12月12日1970年代日中貿易協定および同協定の暫定実施に関する交換公文に仮調印。
DIA-104-1973-12-13-1中国1973年12月13日1970年代鞍山鉄鋼公司,生産水準の向上で成果-鋼の月産水準が,9,10月の両月の平均は1~8月の平均より14.3%上昇し,更に11月は9,10月より9.5%上昇した。
DIA-104-1973-12-13-2中国1973年12月13日1970年代全国農林科学技術展が北京で開催-文革以来の中国の農林科学技術分野の成果を展示。
DIA-104-1973-12-13-3中国1973年12月13日1970年代北京各界婦人と北京,清華両大学「南朝鮮学生人民の闘争支援集会」を開く-特に北京,清華両大学合同集会では,朴政権に反対する南朝鮮学生の闘争を激励する声援の電報を南朝鮮学生あてにうった。 さらに14日には上海第17綿紡織工場,天津南開大学,沈陽遼寧大学でも同じく支援集会が開かれ,ソウルの高麗大学などへ支援電報を打った。
DIA-104-1973-12-14-1中国1973年12月14日1970年代人民日報,鍾実論文,「プロレタリア教育革命を最後までやりぬこう」-紅旗12号から転載。
DIA-104-1973-12-14-2中国1973年12月14日1970年代上海鉄鋼業,4年連続して生産が大幅に伸びる―1970~72年の鋼の生産量は毎年平均10数%で伸び,本年も1~11月は前年同期と比べ11%の増産で,4年連続の大幅な伸びを記録。
DIA-104-1973-12-14-3中国1973年12月14日1970年代河北,河南,山東の3省の農業が全面的に豊作-3省の食糧生産と河南省の綿花が史上最高の収穫になった。また食糧生産が「要綱」を越えた県が河北省で全省の半数近く,山東省で40数県,河南省で全省の3分の1にそれぞれ達した。
DIA-104-1973-12-14-4中国1973年12月14日1970年代人民日報評論員論文「南朝鮮学生と人民に敬意を表す」-朴政権のファッショ支配を終らせるための学生の正義の闘争の勝利を確信し,中国人民も断固支持する,と述べている。
DIA-104-1973-12-14-5中国1973年12月14日1970年代人民日報,陸晨論文,「西欧は連合に向けて段取りを速めている」-14日からEC9カ国首脳会議がコペンハーゲンで開かれるのに向けて,西欧諸国が米ソ両国間の“緊張緩和”の宣伝にまどわされることなく,相互の団結と経済統合を強め,ソ連の西欧への拡張に対抗すべきであると述べている。
DIA-104-1973-12-14-6中国1973年12月14日1970年代中国・ネパール共同コミュニケ発表-双方はいかなる覇権主義にも反対し,平和5原則にもとづき両国の友好関係をひき続き発展させるとともに,貿易,経済協力を一層発展させることをうたっている。
DIA-104-1973-12-15-1中国1973年12月15日1970年代北京で「2万5000里長征象徴マラソン」開始-北京市共青団の提案で来年1月15日まで続けられ,青年70万人が参加の予定。
DIA-104-1973-12-15-2中国1973年12月15日1970年代人民日報,初瀾論文,「文化芸術領域の階級闘争を重視しなければならない」-広範な大衆を立ち上らせて悪い劇,悪い書物,悪い歌,悪い絵画に抵抗させ,社会主義の文芸に陣地を占領させてはじめて文革勝利の成果を守り発展させることができる。大衆的文芸批評を提唱,発展させるべきである。
DIA-104-1973-12-15-3中国1973年12月15日1970年代中国タンカー,香港へ軽ディーゼル油5,500トンを輸送―今年に入って,5月から10月末までに1万トン,11月に9,000トンのディーゼル油をそれぞれ香港へ輸送している(大公報12月16日)。
DIA-104-1973-12-15-4中国1973年12月15日1970年代「ソ連の宣伝機関は公けに“2つの中国”の謬論をふりまいている」-人民日報は上記表題の記事を掲げた。その中でソ連の通信社や雑誌が「2つの中国の存在が現実である」とか「台湾の地位は未定である」と述べ,さらに「台湾の情勢は安定しており」,中国自身「帝国主義の“2つの中国”計画に対する闘争の放棄を決定し,台湾への政策を全面的に改めた」などと述べていることに反論を加えている。
DIA-104-1973-12-15-5中国1973年12月15日1970年代またその中では,ソ修集団は,かって蒋介石を「総統」と称したり,台湾に「記者」を派遣したり,在外ソ連大使館が蒋介石集団の「外交官」をレセプションに招いたりしているように,彼らが「2つの中国」の陰謀を画策したのは今に始まったことではない,と述べている。
DIA-104-1973-12-17-1中国1973年12月17日1970年代高等院校,文革以来1万2000余種の新教材を編集-広範な労農兵との結合により,教材内容は一新された。教材改革工作はまだ開始されたばかりである。
DIA-104-1973-12-17-2中国1973年12月17日1970年代人民日報,聞進論文,「普通話を積極的におし広めよう」
DIA-104-1973-12-17-3中国1973年12月17日1970年代中国・チェコ,1974年度バーター協定と支払い協定に調印。
DIA-104-1973-12-17-4中国1973年12月17日1970年代中国,シリアへ小麦1万1000トンを送る-中国貨物船がシリアに到着した。中国政府は中国人民がシリア人民の正義の闘争を声援している1つの象徴であると述べた。
DIA-104-1973-12-18-1中国1973年12月18日1970年代人民日報,楊盈論文,「正真正銘の兵器商」-ソ連が近年,中東と南アジア亜大陸を中心に第3世界諸国に兵器を売りさばいており,ソ連は今や米国をしのいで世界最大の兵器商になった。ソ連は彼らの輸出商品が値段の高い粗悪品で売れ行きが悪いため,近年,「経済援助」をへらし,兵器輸出の拡大に拍車をかけて暴利をせしめ,南アジアや中東で紛争がおこると,現金払いで高い値段の兵器を紛争国へ送りつけ,大いに甘い汁を吸っている,と述べている。
DIA-104-1973-12-19-1中国1973年12月19日1970年代貴州省工会第5次代表大会開幕-28日まで。
DIA-104-1973-12-19-2中国1973年12月19日1970年代アルゼンチンから穀物を大量購入-今後3年間にわたり,160万トンの小麦と150万トンのトウモロコシを輸入する予定(明報晩報12月19日)。
DIA-104-1973-12-20-1中国1973年12月20日1970年代中国当局,孔子批判は「特定の指導者」に向けられたものではない,と言明(「朝日」)。
DIA-104-1973-12-20-2中国1973年12月20日1970年代中国・スリランカ,1974年度バーター議定書に調印-74年に中国は米10万トンを輸出する。
DIA-104-1973-12-21-1中国1973年12月21日1970年代800余万の都市知識青年が農村に定着-知識青年は農村に入って貧農下層中農の再教育を受けよ,という毛主席指示(1968年12月22日)からの5年間。
DIA-104-1973-12-21-2中国1973年12月21日1970年代タイ貿易代表団訪中-団長はチャチャイ外務次官,中国国貿促の招きによるもの。22日に,同外務次官は王耀庭中国国貿促主任と会見,26日には周総理,李先念副総理と会見した。タイ貿易代表団訪中の目的はバーターで中国から石油を購入することであるといわれ,会談の結果,中国は新年から毎年5万トンのディーゼル油を輸出,今後タイへの石油供給をふやすことで合意したという(大公報12月30日)。
DIA-104-1973-12-21-3中国1973年12月21日1970年代中国,トーゴ,ザィールに農業機械,化学肥料,農薬を贈る。
DIA-104-1973-12-21-4中国1973年12月21日1970年代“中国は石油供給国に”-国貿促関西本部の木村一三理事長は中国から帰国し,記者会見のなかで,中国は今後10年以内に数億トンの石油産出が可能になり,中東産油国なみの石油資源国になること,および中国側は日本の石油危機について,深い理解と同情を示したと語った。同氏が得た情報によると,中国の産油量は1971年が13670万トン。72年が4300万トンで73年は5000万トンを突破するとみられている(毎日12月22日)。
DIA-104-1973-12-22-1中国1973年12月22日1970年代地方小型セメント工業,年間計画を繰上げ達成-11月末現在で小型工場で生産したセメントは昨年同期を13.2%上回った。現在全国の8割以上の県に小型セメント工場があり全国総生産量の半分を占めている。
DIA-104-1973-12-23-1中国1973年12月23日1970年代今年の食糧の総収穫高,2億5000万トンを上回り史上最高-600以上の県市が「要綱」の指標に達するかまたはそれを上回る。本年の大豊作は春の厳しい自然災害を克服してかちとられたものである。また前年冬以来,333万ヘクタールの農地を整地し,1260万ヘクタールを深耕し,66万ヘクタールを段畑・棚田化または改良した。北方14省市自治区では前年10月から本年9月までの間(1973年水利年度)に30万本以上の動力井戸を掘り,設備取付け済みのものは12万5000本にのぼり,昨年度を上廻る。これにより新たに140万ヘクタールの農地が灌漑可能になった。また国家は多量の資金と物資を農業へ調達した。工業部門が農村へ提供した化学肥料は昨年より20%,殺虫剤は11.9%,大型トラクター17%,ハンドトラクター22%,それぞれ多い。
DIA-104-1973-12-24-1中国1973年12月24日1970年代銀行預金が伸びる-都市銀行の預金高は1~11月が前年同期を10.1%上回り,農村地域の預金も18%伸びた。広西チワン族自治区の都市部の銀行預金残高は,本年11月末現在で1965年の同期を148%上回り,農村部でのそれは159%上回っている。
DIA-104-1973-12-25-1中国1973年12月25日1970年代湖南省党委員会は韶山で全省の基層幹部の毛沢東思想学習班を組織,成果上げる―数年来,39回おこない期間は半月から4カ月間で,参加幹部は1万9700余人にのぼっている。
DIA-104-1973-12-25-2中国1973年12月25日1970年代人民日報,史衆(北京師範学院)論文,「『封建論』の尊法反儒精神」-柳宗元の「封建論」を高く評価。
DIA-104-1973-12-25-3中国1973年12月25日1970年代今年の日中貿易,20億ドル台を越える-ジェトロが発表したが今年1~11月の日中貿易統計(通関ベース)によると,往復17億8437万ドル(輸出9億2153万ドル,輸入8億6283万ドル)に達した。このため12月に予定されている輸出入を合せれば,今年の日中貿易総額は20億ドルを越えることが確実となった。
DIA-104-1973-12-26-1中国1973年12月26日1970年代対外貿易が大幅に伸び-とくに鉱工業製品の輸出の伸びが大きく輸出総額の65%以上を占めだ。少量ながら石油輸出も行なった。
DIA-104-1973-12-26-2中国1973年12月26日1970年代軽工業の発展-1~11月の総生産額は昨年同期を8%上廻る。砂糖,洗剤,合成繊維,自転車,ミシン,腕時計,麻袋などの生産は10~40%の増。そのうちポリエステル繊維製品の生産量は昨年同期の2.6倍。軽工業の成長は国家に対し,昨年に比べ10%増の財政収入をもたらした。
DIA-104-1973-12-26-3中国1973年12月26日1970年代山東省で近代的大型炭鉱・南屯炭鉱が完成し生産を開始。
DIA-104-1973-12-26-4中国1973年12月26日1970年代中国,米の武器購入を打診か-米週刊誌ニューズウイーク報道。先に訪中したキッシンジャー米国務長官に対し,中国側は戦車,装甲兵員輸送車,輸送機などの武器を米国から購入したいという意向を示し,この問題について,現在ワシントンで検討が加えられているといわれる(読売12月17日)。
DIA-104-1973-12-27-1中国1973年12月27日1970年代体育戦線で大量の新人が急速に成長-今年,マラソン,水泳,卓球,バドミントン,バスケットボール,バレーボール,フットボール,体操,重量挙げ,弓,射撃,スピードスケート,アイスホッケー,水球,テニス,ハンドボール,武術など20余の大会と招待試合がおこなわれ,約1万人近くが参加,うち70%以上は青少年の選手であった。現在小中学校の体育活動のほか,青少年業余体育学校が1000余カ所あり,約10万人が訓練を受けている。
DIA-104-1973-12-27-2中国1973年12月27日1970年代基本建設が大幅に伸びる-鉄鉱石の焼結,製鉄,製鋼,石油の採掘と精製,ソーダ灰の生産能力の増強計画は年度計画を1カ月繰上げて達成。増加した鉄鉱石の選鉱と焼結能力は昨年と比べ80%以上の増加。また大型の近代的鉄鋼工場も内陸部に完成。多数の大中型炭鉱の立抗が操業開始。長距離の石油と天然ガスのパイプラインの敷設。内陸山間地区で何本もの幹線鉄道を建設。大中型水力発電所の発電総能力は11月末現在で1965年の3倍。
DIA-104-1973-12-27-3中国1973年12月27日1970年代上海の工業部門の発展-本年の全市工業総生産額は前年と比べ8%伸び,1965年の工業総生産額の2倍になる。文革以来,国家へ上納した利潤は同期間に国家が上海の工業基本建設に投資した資金の18倍以上。本年の労働生産性は1965年と比べ50%前後上昇。
DIA-104-1973-12-27-4中国1973年12月27日1970年代今年の米中貿易は8倍増-米商務省の発表によると,今年1~11月の米中貿易は往復6億1760万ドルと前年同期に比べ8.4倍になった。年間では8~9億ドルに達するとみられている(毎日12月29日)。
DIA-104-1973-12-27-5中国1973年12月27日1970年代中国,日本の輸出停滞に抗議-日中貿易業界が明らかにしたところによると,中国政府はこのほど北京の日中覚書貿易事務所に,「日本の肥料,鉄鋼業界は肥料,鉄鋼の輸出価格の高値つり上げを図り,これに応じない中国へ輸出を渋っている」と強く抗議してきた(毎日12月28日)。
DIA-104-1973-12-28-1中国1973年12月28日1970年代人民日報,紅小兵黄師の手紙と日記を『北京日報』より転載,学習と研究をよびかける-教師の教育方法を批判した北京海淀区中関村第一小学校5年2班の黄師を教師が圧迫,報復した事件。人民日報は大学,中学校,小学校の幹部,教師,学生の教育面全般の批判文章の投書をよびかけ。
DIA-104-1973-12-29-1中国1973年12月29日1970年代今年2万9000余名の労農兵大学生があい前後して卒業,三大革命運動の場へ戻った。
DIA-104-1973-12-29-2中国1973年12月29日1970年代綿花が史上最高の豊作-総収穫高は前年に比べ20%以上増え,史上最高水準を上廻った。作付面績は基本的に前年並みであったが単当収量の増加により総収量が大幅に伸びた。河南,山東,陜西などの北方主要綿産地はいずれも総収穫高が前年より5万トン以上の増産。ムー当り収穫高が「要綱」に達した県は130余りになり,前年に比べ2倍余りの増加。
DIA-104-1973-12-29-3中国1973年12月29日1970年代麻類が豊作-黄麻,紅麻の総収穫高は史上最高の1972年のそれを4割以上増産。河南省,安徽省が作付を拡大して新しい麻の産地となる。
DIA-104-1973-12-29-4中国1973年12月29日1970年代電力生産計画を10日繰上げ達成-1年間に76台の大中型発電設備が据付けられ,発電を開始した。全国の19の発電所の統計によれば発電出力が平均して17.5%増加し,それは70万キロワットの大型発電所の新設に相当する。
DIA-104-1973-12-30-1中国1973年12月30日1970年代農業生産が全面的に豊作-食糧,綿花,糖料作物,麻類,葉タバコが史上最高の収穫高を収める。食糧生産では少数の地区が平年並みかあるいは減産したほかは全国の23省市自治区が前年より増産で,そのうち16省市自治区は史上最高の収穫を収めた。
DIA-104-1973-12-30-2中国1973年12月30日1970年代港湾建設がすすむ-すでに完成したものとして,大連港の石油専用埠頭の第一期拡張工事,秦皇島港の石油専用埠頭の第一期重点工事,天津港の3万5000トン級接岸可能埠頭の2カ所の主体工事,連雲港の1万トン級接岸可能石炭専用埠頭の新設工事,上海港の旧埠頭の3カ所の改築工事がある。また現在進行中のものとして,湛江,黄埔塘の2貿易港の建設,上海港の化学肥料のバラ積専用埠頭と船舶給油施設,天津港の給油,給水施設,青島,煙台2港の拡張などの工事がある。本年の9つの重要港湾建設工事に対する投資額は前年の2倍以上に増加。それにより全国港湾の呑吐能力は1500万トン余り増加した。
DIA-104-1973-12-30-3中国1973年12月30日1970年代日中記者交換ワク拡大で合意-両国政府の合意として,現在の日中それぞれ5人というわくを11人に拡大した。正式調印は来月におこなわれる。
DIA-104-1973-12-31-1中国1973年12月31日1970年代国務院,中央軍事委員会が1974年の新年,春節期間の擁軍優属,擁政愛民の通知を発出。
DIA-104-1973-12-31-2中国1973年12月31日1970年代木材生産,年間計画を繰上げ達成。
DIA-104-1973-12-31-3中国1973年12月31日1970年代人民日報,鐘之平論文,「世界は動乱の中で前進しつつある」-1973年の世界情勢を総括したもの。その中では,AALA諸国の民族解放闘争と2つの超大国の覇権に反対する闘争,資本主義諸国の労働者階級の闘争が大きく盛りあがったが,反面,ソ米の2つの超大国の世界の覇権を求める闘争のため,世界各地のいたるところで不安定と動乱がおこるなど天下大いに乱れた年であった。今年は中東諸国の石油価格をめぐる闘争のように,第3世界諸国人民の2つの超大国の強権政治に反対し,民族の利益を守る闘争が大いに発展した。ソ米2つの超大国はお互に結託と闘争を強めたが,特にソ修の全世界での拡張は益ー露骨になり,欧州や中東で,軍事拡張を強め米国にとってかわろうとしている。世界の大動乱,大分化,大改組はひき続き進展しつつある。
DIA-104-1973-12-31-4中国1973年12月31日1970年代日中覚書貿易事務所北京連絡処,正式に閉鎖-日中覚書貿易協定が1973年で終了するのに伴って閉鎖された。30日夜,安田佳三所長は解散宴会を催し,廖承志,劉希文氏らが出席した。
DIA-104-1973-12-31-5中国1973年12月31日1970年代73年の日中人事交流-新華社の報道によると,日中国交回復後の第1年目の1973年には,各界200団体,1万人以上の日本人が中国を訪問した。一方中国側からは33の視察団,友好団が訪日した。
DIA-104-1974-01-01-1中国1974年01月01日1970年代人民日報・紅旗・解放軍報3紙誌共同社説,「元旦のことば」-ひきつづき孔子崇拝・法家思想に対する批判をくりひろげ,批判のなかでマルクス主義の理論に通じた人材の隊列をつくりあげていくこと,内外の反動派と日和見主義の頭目たちは,すべて孔子崇拝の徒であり,孔子批判は林彪批判の一構成部分であること,などを指摘。
DIA-104-1974-01-01-2中国1974年01月01日1970年代3紙誌共同元旦社説-同社説の経済関係に関する主な内容は次のとおり。●1973年度の工農業総生産額は72年に比べて8%以上ふえた。農業は12年続きの豊作をおさめ,工業生産は大幅な伸びをみせた。●今年は第4次5カ年計画を達成するうえでカギとなる年である。
DIA-104-1974-01-01-3中国1974年01月01日1970年代紅旗1号,魏秉奎論文「独立自主,自力更生の方針を堅持しよう」-同論文では,“われわれの中の一部の同志”が,外国の設備を見て,外国の工業と技術はどれも立派だと思い,それを盲信し,資本主義諸国から大量の技術や設備の導入を中国の工業発展の近道として,それに期待をよせていることを批判している。さらに外国技術や設備の導入に頼った工業発展はまわり道,誤った道であり,やはり独立自主,自主更生を原則としなければならない,と述べている。
DIA-104-1974-01-01-4中国1974年01月01日1970年代中国人民銀行,1972年版5角券を発行-“市場流通の必要にこたえるため”,5日から発行される。
DIA-104-1974-01-01-5中国1974年01月01日1970年代レ・ドク・ト北ベトナム政府特別顧問,パリの帰途北京に一時立ち寄り-3日に専用機で帰国。
DIA-104-1974-01-02-1中国1974年01月02日1970年代大軍区首脳が大幅に異動-一級軍区(部隊)の司令員が次のように入れ替わった。注目すべきものとして,瀋陽軍区司令に李徳生党副主席,北京軍司令に陳錫聯・瀋陽軍区司令が就任。紀登奎,呉徳両政治局員が北京軍区政治委員に就任などがあった。明らかにされた顔ぶれは次のとおり。北京軍区 司令・陳錫聯,第一政治委員・紀登奎,第二政治委員・呉徳,政治委員・陳先端 広州軍区 司令・許世友,第一政治委員・韋国清,政治委員・孔石泉 南京軍区 司令・丁盛,政治委員・杜平 武漢軍区 司令・楊得志,第一政治委員・王六生 済南軍区 司令・曽思玉,第一政治委員・白如冰,政治委員・徐立清 蘭州軍区 司令・韓先楚,政治委員・洗恒漢 福州軍区 司令・皮定均,政治委員・李志民 新疆軍区 司令・楊勇,第一政治委員・サイフジン,政治委員・曹思明 成都軍区 司令・秦基偉,第一政治委員・劉興元,第二政治委員・李大章 昆明軍区 司令・王必成,第一政治委員・周興 司令員が北京軍区と瀋陽軍区,広州軍区と南京軍区,武漢軍区と済南軍区,蘭州軍区と福州軍区,がそれぞれ入れ替わり,政治委員は異動せず,第一政治委員に非軍人の新人(主として地方の党組織責任者)が就任している。
DIA-104-1974-01-03-1中国1974年01月03日1970年代全国の中学・小学校の教育革命がすすんでいる-1973年の全国の中学・小学校の教師・職員労働者のなかの党員数は1965年の2.6倍にふえ,中学校のそれは4倍近くに増えた。また教師を兼任する労働者・農民・兵士が全国で約42万名に達している。また1973年の学齢児童の就学率は約90%に達する。
DIA-104-1974-01-05-1中国1974年01月05日1970年代人民日報,下放知識青年の手紙を掲載して,旧い伝統観念との決裂をよびかける-遼寧省の農村に定住した下放知識青年が,都市へ戻ってくるようにとの父親の要請に対し,農村と農業労働を軽視する旧思想,旧観念と徹底的に絶縁すべきだとして農村にとどまる決意を伝えた内容のもの。
DIA-104-1974-01-05-2中国1974年01月05日1970年代イタリーからポリプロピレンプラント(年産ポリマー5000トン)の買付け成約。
DIA-104-1974-01-05-3中国1974年01月05日1970年代中国軍事友好代表団がパキスタンを訪問-張才千副総参謀長を団長に,18日帰国。
DIA-104-1974-01-05-4中国1974年01月05日1970年代大平外相,毛主席と会見-外相は3日香港経由で中国入り,4日姫外交部長が歓迎宴を開いた。5日午前8時半毛主席と会見,周恩来,王洪文,王海容,林麗,王效賢,唐聞生が同席した。同日日中貿易協定に調印,6日全日空機で帰国。
DIA-104-1974-01-06-1中国1974年01月06日1970年代木村武雄,佐々木更三氏ら全日空機で訪中。
DIA-104-1974-01-06-2中国1974年01月06日1970年代テイジン,合繊紡糸プラント(約50億円)の輸出に合意。
DIA-104-1974-01-07-1中国1974年01月07日1970年代王樹声国防部副部長が死去。
DIA-104-1974-01-09-1中国1974年01月09日1970年代紅旗1号,田凱論文「歴史上における勤労人民の孔子反対闘争」-歴史上,反動的支配階級は常に孔子を高く持ちあげてきたが,これと反対に跖(春秋末期の奴隷反乱の指導者)をはじめ,陳勝・呉広から太平天国に至る農民反乱は常に孔子とその思想に反対してきた。
DIA-104-1974-01-09-2中国1974年01月09日1970年代カナダからジェットエンジンの買付け成約(200万カナダドル)。
DIA-104-1974-01-09-3中国1974年01月09日1970年代新華社記者論評,「天下は大動乱,情勢はすばらしい」-1973年の世界情勢の総括。
DIA-104-1974-01-10-1中国1974年01月10日1970年代「魯迅全集」が再版して出版される。1938年出版のものを再版。全20巻。
DIA-104-1974-01-10-2中国1974年01月10日1970年代最近までに完成した新たな工鉱企業-●山東省南屯炭鉱が73年12月26日から操業開始。同炭鉱は採炭,輸送,排水などすべて機械化ないし半自動化されている全国で先進水準の大型炭鉱。●本渓鉄鋼公司の大型焼結部門が,73年9月末より操業開始。焼結鉱の年平均生産能力は160万トン。銑鉄の精練は80万トン。●湖北省で年産25万トンの大型燐酸肥料工場が操業開始。●チベット雅魯蔵布江下流に全長416メートル崗大橋が開通。
DIA-104-1974-01-10-3中国1974年01月10日1970年代人民日報,蔡正論文「毛主席の自力更生,勤儉建国の方針の勝利―わが国の財政金融戦線の輝かしい成果」-要旨は次のとおり。●都市と農村部の貯金は1965年と比較して80%以上もふえた。●わが国の対外貿易と対外援助,その他の経済交流においては,以前には外貨をもちいて行なっていたが,最近ではすでに60余りの国家と地区で人民幣を決済手段に用いている。●国家財政収入のなかで,社会主義国営企業からの収入は全体の90%前後をしめ,農業税も文革以来,ひき続き下がり現在ではすでに農業純収入の6%にすぎない。●現在,国家財政支出のうち農業生産支援に向けられる資金は,1965年に比べ50%増加した。工業投資は国家資金の分配上,重要な地位を占めており,特に国家で確定した重点建設項目には重点的に人力,物力,財力を投入している。特に地方の“5小工業”の発展を支援するため,投資の按配のうえで必要な支持をあたえている。●われわれは決して帝国主義や社会帝国主義がやるように本国人民を搾取し,他国人民を収奪し,民族の利益を売り渡すやり方で生産建設を行なうやり方をとらない。独立自主,自力更生,刻苦奮闘,勤倹建国,これこそがわが国の社会主義建設の唯一の正しい道である。
DIA-104-1974-01-11-1中国1974年01月11日1970年代中国外交部スポークスマン,南ベトナムが南沙群島の島嶼を領土に組み入れたことに抗議-南威,太平など10数個の島嶼の組入れについて,これを不法かつ無効であり,中国の領土主権侵犯であると表明。
DIA-104-1974-01-12-1中国1974年01月12日1970年代高転速エチレン圧縮機の試作成功-錦西化工機械工場では,零下100度の超低温状態のなかで運転し,毎分1万5000回転以上が可能な同機の試作に成功。
DIA-104-1974-01-12-2中国1974年01月12日1970年代李強対外貿易部長を団長とする政府貿易代表団,アルバニアへ出発。
DIA-104-1974-01-13-1中国1974年01月13日1970年代人民日報,哲軍(北京大学)論文「孔子の中庸の道は社会変革に反対する哲学である」-「中庸の道」は一定の質の限度を神聖化し,旧い質の安定性を絶対化する形而上学であり,保守反動派の哲学である。林彪・陳伯達が言った「中庸の道」は「弁証法的思想」であるというのは全くのデタラメであると批判。
DIA-104-1974-01-13-2中国1974年01月13日1970年代人民日報評論員論文,「朴正熙集団の気違いじみたあがき」-朴政権の「緊急措置」を批判。
DIA-104-1974-01-14-1中国1974年01月14日1970年代人民日報,無標題音楽を批判-初瀾論文「本質をつかみ,批判を深めよう」はブルジョワ古典音楽の作品には「深い社会的内容がない」という見方を,修正主義の観点として批判し,このような音楽の階級性をまっ殺する観点の出現は当面の社会と音楽界における一種の外国崇拝・復古傾向の集中的あらわれであると指摘。また朝華論文「標題のない楽曲には階級性がないだろうか」は,無標題音楽についてフィーリングの対比と変換を表現しているだけで社会的内容がないという論調は,修正主義文芸の黒い線の巻き返しを示すものと批判。
DIA-104-1974-01-14-2中国1974年01月14日1970年代北京市革命委員会,労農兵出身の大学・専問学校の第一期卒業生大会を挙行。
DIA-104-1974-01-14-3中国1974年01月14日1970年代鄧小平副総理が中央政治局員に昇格-中国当局者がその事実を確認。
DIA-104-1974-01-15-1中国1974年01月15日1970年代姫外交部長,マダガスカル政府代表団を招宴-18日両国は経済技術協力協定と貿易協定に調印。
DIA-104-1974-01-16-1中国1974年01月16日1970年代林彪の“包産到戸”路線批判-人民日報は,「60年代初期のわが国農村における2つの路線の闘争」と題する李経署名の論文を掲載した。その中では60年代初期,国民経済が多くの困難に直面していた時に林彪は劉少奇らと同じく「包産到戸」(農家各戸ごとに請負い生産をすること)を主張したとして批判されている。
DIA-104-1974-01-17-1中国1974年01月17日1970年代自民党,日中航空協定案を党外交,交通,航空対策,外交調査会合同委員会に提出。
DIA-104-1974-01-17-2中国1974年01月17日1970年代中国漁業協会訪日団,来日。
DIA-104-1974-01-17-3中国1974年01月17日1970年代鉄鋼圧延プラント交渉,価格問題で川鉄担当部分は断念を決定。
DIA-104-1974-01-18-1中国1974年01月18日1970年代人民日報,裏口入学をした大学生の退学願いを掲載-南京大学の学生が幹部である父親のツテによって大学へ裏口入学したことを自己批判して退学を願い出たもの。
DIA-104-1974-01-18-2中国1974年01月18日1970年代デンマークから海底油田開発のための補給用船舶8隻を買付け(2000万ドル)(日経18日)。
DIA-104-1974-01-18-3中国1974年01月18日1970年代ポリプロピレン重合用触媒製造プラント輸出契約に調印-伊藤忠,東邦チタニウム,光商の合同契約,約14億円。
DIA-104-1974-01-19-1中国1974年01月19日1970年代中国,5人の好ましからざるソ連人を国外追放-余湛外交部副部長がソ連駐中国大使に覚書を手交,5人は午後中国を離れた。1月15日スパイ活動現行犯で逮捕されていた。21日,ソ連外務省は劉新権駐ソ大使に抗議の覚書を手交,スパイ活動を否定。
DIA-104-1974-01-20-1中国1974年01月20日1970年代中国外交部声明,南ベトナムの西沙諸島への武力攻撃に反撃を行なったと発表-1月15日いらいサイゴン当局は西沙群島の永楽群島に侵入,漁船を破壊,甘泉島,金銀島を強行占領した。19日には航島に軍艦,軍用機をくり出し漁民,民兵多数を殺傷,パトロール中の中国艦艇に発砲。中国艦隊と漁民,民兵は自衛の反撃を行ない,しかるべき懲罰を与えた。
DIA-104-1974-01-21-1中国1974年01月21日1970年代人民日報,北京大学・清華大学大批判グループ「秦の始皇帝の暴力を略論する」。
DIA-104-1974-01-21-2中国1974年01月21日1970年代中国,地対空ミサイル生産でパキスタンを援助することに合意-インド紙の報道による。AM6型に匹敵するミサイルといわれる。
DIA-104-1974-01-21-3中国1974年01月21日1970年代中日備忘録弁事処東京連絡所閉鎖の記念パーティー開く。
DIA-104-1974-01-22-1中国1974年01月22日1970年代新作のカラー劇映画「艶陽天」,「青松嶺」,「燃えさかる世代」など4本が全国各地で封切られた。
DIA-104-1974-01-22-2中国1974年01月22日1970年代シアヌーク殿下,広州からハノイ入り-26日広州へ帰着。
DIA-104-1974-01-22-3中国1974年01月22日1970年代新華社記者論評,「団結して戦かうなかで目ざめ発展する第3世界」-両覇者の「特殊な責任」と「真空補填」論はすでに破たんして第3世界は主人公として自覚を高めつつある,とのべている。
DIA-104-1974-01-22-4中国1974年01月22日1970年代新華社ルポ,「ソ修のスパイ,網にかかるの記」-1月17日付の「ソ連派遣の特務李洪枢の供述」も同時に公開。
DIA-104-1974-01-22-5中国1974年01月22日1970年代米国務長官,西沙群島をめぐる紛争に不介入を声明-19日と20日米政府は南ベトナム政府の2回の介入要求に拒否を回答。
DIA-104-1974-01-22-6中国1974年01月22日1970年代インドネシア外交部スポークスマン,西沙群島は中国領であると言明。
DIA-104-1974-01-23-1中国1974年01月23日1970年代華北地区の文芸競演会が開かれる-2月21日まで,国務院文化組が主催。北京市,天津市,内モンゴル自治区,河北省,山西省の20の作品が上演された。
DIA-104-1974-01-23-2中国1974年01月23日1970年代中国青年代表団22人が来日。
DIA-104-1974-01-24-1中国1974年01月24日1970年代北京大学,清華大学大批判グループ,「孔子の亡霊と新ツアーの迷夢」-ソ修の孔子崇拝・法家反対の卑劣な演技,という副題がついている。
DIA-104-1974-01-25-1中国1974年01月25日1970年代王稼祥中共党中央委員が死去。68歳。30日に北京で追悼会を挙行。
DIA-104-1974-01-25-2中国1974年01月25日1970年代「情熱的で心のこもった1通の手紙」-人民日報は第一面に上記表題の記事を掲げた。これは蘭州化学工業公司化学肥料工場の張震南氏が公司党委員会に寄せた手紙である。その内容は,同工場が国家計画を繰り上げ完遂した後,労働者に万年筆を配ったり,派手な祝賀大会を計画したことを浪費として批判したもの。人民日報編者の「ことば」は張氏の手紙を支持し,「工場・鉱山企業の各級指導部はいずれもこの問題をよく考えるべきである」と述べている。
DIA-104-1974-01-25-3中国1974年01月25日1970年代中国外交部覚書,ソ連による中国外交官への暴行・拉致に抗議-19日ソ連当局が中国外交官関恒広を国際列車から連行し,スパイを働いたとして国外追放したことに抗議。関外交官は23日に北京に到着した。
DIA-104-1974-01-25-4中国1974年01月25日1970年代米国務省,中国からジェラルド・コッシュ大尉を抑留中と通告さる-米軍事オブザーバーとして南ベトナム海軍と同行,甘泉島に上陸中中国側に制圧されたもの。
DIA-104-1974-01-26-1中国1974年01月26日1970年代人民日報,北京大学・清華大学大批判グループ論文「孔子はどのように教育を利用して反革命の復古活動をしようとしたか」。
DIA-104-1974-01-26-2中国1974年01月26日1970年代清華大学党委員会が幹部・労働者の学習班を組織して孔子と林彪の関係について総括的に検討-次の8項目についてそのつながりを指摘,①孔子の「克己復礼」は林彪の資本主義復活の動きに通じる,②孔子の「生而知之」(生まれながらにして知る)は林彪の「天才論」に通じる,③孔子の「上智下愚」は林彪の労働人民軽視の英雄創造史観に通じる,④林彪は孔子の「徳」「仁義」「忠恕」を提唱してプロレタリア独裁と革命権力を非難した。⑤林彪は「中庸の道」を提唱し,マルクス主義の闘争哲学に反対した。⑥林彪は孔孟の反動的処世哲学を身につけ私党を結んだ。⑦林彪は孔子の「労心者治人,労力者治於人(心を労するものは人を治め,力を労するものは人に治められる)」という搾取階級の思想を吹聴し,肉体労働を軽視した。⑧林彪は自分の息子に孔子の教えを守らせ「林家世襲王朝」を樹立しようとたくらんだ。
DIA-104-1974-01-26-3中国1974年01月26日1970年代ブルース米連絡事務所長,北京から帰国の途に-帰国の後,3月22日北京に帰任。
DIA-104-1974-01-26-4中国1974年01月26日1970年代東京で中国統一に貢献する台湾出身者の組織「台湾省民会」が成立。
DIA-104-1974-01-27-1中国1974年01月27日1970年代人民日報短評,華北地区の文芸公演について論評-当面,文学・芸術分野の階級闘争と路線闘争はなお非常に激しいものがあり,一部の地区では,地主・ブルジョワ階級が悪質な劇,悪質な書物,悪質な歌曲を流し,ブルジョワ階級の名利思想で我々の文学・芸術の隊列をむしばんでいると警戒をよびかけたもの。
DIA-104-1974-01-27-2中国1974年01月27日1970年代人民日報社説,「パリ協定は完全に履行さるべきである」-調印1周年にあたって1年間の動きを総括したもの。
DIA-104-1974-01-28-1中国1974年01月28日1970年代批林批孔関係の4冊の書籍が人民出版社から出版される-「批林批孔論文集」,「孔孟の道を批判する魯迅の言葉の抜粋」など。
DIA-104-1974-01-28-2中国1974年01月28日1970年代清華大学と北京大学が合同して批林批孔座談会を開催。
DIA-104-1974-01-28-3中国1974年01月28日1970年代日中友協(正統)10人の語学留学生の派遣を決定。
DIA-104-1974-01-29-1中国1974年01月29日1970年代スエーデンから木材輸送用の大型トラック500台(約1110万ドル),トンネル掘削機器(約355万ドル)を買付け(通商弘報29日)。
DIA-104-1974-01-30-1中国1974年01月30日1970年代人民日報評論員論文「悪らつな下心,卑劣な手口」-アントニオーニの映画,「中国」を反中国映画としてきびしく批判。
DIA-104-1974-01-30-2中国1974年01月30日1970年代北京―モスクワ線の中国民航第1便が就航。
DIA-104-1974-01-31-1中国1974年01月31日1970年代全国棉花生産会議-国務院は最近北京で「全国棉花生産会議」を開催し,棉花豊収の経験を総括,交流し,74年の棉花生産・買付計画を討議した。会議には19省・市・自治区の代表919人が参加した。この会議について31日の人民日報の報道によると,73年の全国棉花総収穫高は前年に比べ2割以上ふえ,史上最高水準を記録した。江蘇省の58万ヘクタールの棉花畑における繰り棉のヘクタール当り平均収量は750キロを上回り,「要綱」の規定の指標に達した。「要綱」に達した地区(市)は前年の4から14にふえ,「要綱」に達した県は前年の49から145にふえた。さらに会議は74年が第4次5カ年計画を完遂するカギとなる年であることから,棉花生産地区の各級党委員会に棉花生産に対する指導を強化するよう要求した。また棉花作付けに当っては,合理的に配置し,適宜に集中し,国家計画に従って十分に作付けし,同時に農業「八字憲法」をまじめに実行し,科学的棉花栽培を実行し,単位面積当り収量の向上に努めなければならない,などのことが強調されたという。
DIA-104-1974-01-31-2中国1974年01月31日1970年代西沙群島事件の捕虜ベトナム兵5名,アメリカ人1名を深から送還-残りのベトナム人43名は2月17日に送還された。
DIA-104-1974-02-01-1中国1974年02月01日1970年代光明日報,馮友蘭(北京大学哲学部教授)の談話-批林批孔運動は党の知識人に対する団結・教育・改造の政策と密接に関連しており,孔子の反動思想の害毒がとくに大きい知識人に対してその余毒をとり除く主要な方法であると述べている。
DIA-104-1974-02-01-2中国1974年02月01日1970年代人民日報,華中工学院毛鋼氏ら3名の執筆論文「林彪はなぜ孔孟の衛士董仲舒をほめそやしたのか」-林彪の「我々は革命の董仲舒にならなければならない」との言辞を分析して批判(「湖北日報」からの転載)。
DIA-104-1974-02-01-3中国1974年02月01日1970年代上海港湾労働者の大字報-人民日報は解放日報,文〓報の掲載した上海港務局第5荷役区の労働者が書いた「波止場の主人になるのであって,荷役トン数の奴隷にならない」という大字報を転載した。この大字報は,港務局の指導部が修正主義路線を歩み「トン数優先」のあまり大衆のイニシアチブを無視し,“刺激と圧力”で実績をあげることを優先していると批判している。人民日報の「編者の言葉」では,「この大字報は目下の企業管理における要の問題をとらえており,普遍的,現実的意義がある。大字報はわれわれに党委員会が大事に力を入れないなら,文化大革命ですでに批判されたものが再び現われる可能性があり,社会主義企業が修正主義の道に向かう可能性がでてくることに対し警鐘をならした」と述べている。
DIA-104-1974-02-01-4中国1974年02月01日1970年代中国側,石油化学,合繊業界に原油と製品のバーター取引を打診。
DIA-104-1974-02-02-1中国1974年02月02日1970年代人民日報社説「林彪批判・孔子批判の闘争を最後までおしすすめよう」-その要旨は次のとおり。①批林批孔運動は毛主席が自から発動し指導している大衆的な政治闘争である,②孔孟の道を批判しなければ林彪の反革命修正主義の本質を深く掘りさげて批判することができない,③これはプロ文革の成果をうちかため発展させ資本主義の復活を防ぐうえで重要な現実的意義と深遠な歴史的意義を持っている,④林彪は九全大会後何度となく「克己復礼」を吹聴した,⑥広範な労働者・農民・兵士は批林批孔の主力軍である,など8項目にわたり林彪と孔孟の道のつながりを指摘(1月26日付日誌を参照)
DIA-104-1974-02-02-2中国1974年02月02日1970年代人民日報,林波論文「注目すべき動き」-自民党「青嵐会」を数的にはわずかだが,野心は小さくない,として反中国の動きに警告。
DIA-104-1974-02-03-1中国1974年02月03日1970年代人民日報,介石集団が外国独占資本を大量に導入して民族利益を売渡していると報道-特に農業のきびしい危機について指摘。
DIA-104-1974-02-03-2中国1974年02月03日1970年代人民日報,マラヤ民族解放軍建軍25周年の「マラヤ革命の声」放送社説を報道。
DIA-104-1974-02-04-1中国1974年02月04日1970年代人民日報,解放軍浙江部隊某部防化中隊の批林批孔の中で獲得した初歩的経験をモデルケースとして紹介-第一に批林と批孔の関係,批林批孔と現実の階級闘争・路線闘争のつながりを明らかにし,次に「孔孟の書は難かしくて工農兵には批判できない」という迷信を破壊して,指戦員に批林批孔の主力軍となる決意をかためさせたという。
DIA-104-1974-02-04-2中国1974年02月04日1970年代中国外交部スポークスマン声明,サイゴン当局が南沙群島の南子島などを占領,「主権碑」を建てたことに抗議。
DIA-104-1974-02-04-3中国1974年02月04日1970年代中国,日韓両国の大陸棚共同開発協定調印に警告-中国の主権侵犯と外交部スポークスマンが声明。
DIA-104-1974-02-05-1中国1974年02月05日1970年代紅旗2号,羅思鼎論文「王安石の変法より儒法論戦をみる―《玉荊公年譜考略》を読んで」-儒家思想が正統化された漢代以後,革新を主張する政治家,桑弘羊,曹操,柳完元,王安石などは先秦の法家思想の中からその思想的武器を探し出したため,漢代以後の封建支配階級内部の革新と保守の闘争は思想領域において儒法闘争の形式であらわれてきたと述べ,王安石の変法を儒法闘争の観点から分析。
DIA-104-1974-02-05-2中国1974年02月05日1970年代吉林省の軽工業-統計によれば,1970年―73年まで同省の軽工業総生産額は毎年平均13%以上ものびた。現在,全省にはすでに大小の軽工業企業が4000余りあり,軽工業製品の自給水準は1966年の30%から50%以上にふえた。72年,全省の軽工業が国家に提供した資金は,全省の財政収入の5分の1も占め,これは同期に国家が吉林省にあたえた重工業基本建設投資の70%以上に相当する額である。
DIA-104-1974-02-06-1中国1974年02月06日1970年代紅旗2号,短評「批林批孔の闘争を広く深く繰り広げよう」-①「克己復礼」は,奴隷制復活の反動綱領であった。林彪はこの言葉の政治的含意を知っていて資本主義の復活をたくらんだ。②現在にもみられる労働軽視,婦女蔑視,工農兵や見慣れない新生事物を見下げること,外国を崇拝し,復古をはかること及び裏口入学等の不正の風潮は社会階級に根源があるほか,孔孟の道にその思想根源を求めることができる。③批林批孔をおしすすめる思想武器を掌握するため学習を強化せねばならない。
DIA-104-1974-02-07-1中国1974年02月07日1970年代人民日報,農民を見下げた旧い伝統的観念と決別せよとよびかける-河北師範大学を卒業して農村へ下放した女性が農民と結婚したため一部の人から嘲笑されたことに対して,それを批判する投書を『河北日報』によせた。それを転載。
DIA-104-1974-02-07-2中国1974年02月07日1970年代紅旗2号,北京大学,清華大学批判組論文「林彪と孔孟の道」-孔孟の道が林彪の修正主義路線の重要な根源であるとして,そのつながりを解明。
DIA-104-1974-02-07-3中国1974年02月07日1970年代中華全国体育総会,第7回アジア競技大会参加を決議。
DIA-104-1974-02-07-4中国1974年02月07日1970年代チュニジア首相,中国貿易代表団長周化民を接見。
DIA-104-1974-02-08-1中国1974年02月08日1970年代周総理,グレナダ首相に独立祝賀の電報を送る-同国は7日に独立。中国はグレナダを承認。
DIA-104-1974-02-09-1中国1974年02月09日1970年代英『アーミー・クォータリー』誌,夏に中ソ戦の可能性ありと指摘。
DIA-104-1974-02-09-2中国1974年02月09日1970年代紅旗2号常謙論文,「いわゆる『エネルギー危機』の背景」-危機はエネルギーそのものの危機ではなく,両超大国の覇権の危機にほかならぬことを説明。
DIA-104-1974-02-09-3中国1974年02月09日1970年代新華社,フィリピン共産党中央委員会の再建5周年祝賀論文を報道-1973年12月26日に発表されたもの。
DIA-104-1974-02-11-1中国1974年02月11日1970年代人民日報,教育革命に対する誤った見方に論駁する一小学生の公開状を掲載-前年12月28日に教育革命の勇士として人民日報に紹介された北京市の小学生・黄師君の投書と日記に対して内モンゴル建設部隊員が批判し,それに対し黄師君が反論したもの。
DIA-104-1974-02-11-2中国1974年02月11日1970年代紅旗2号,周一良論文「柳宗元の《封建論》を読む」-秦の始皇帝の革新新取の歴史的役割を正しく評価していた数少い主張として柳完元の《封建論》を紹介。
DIA-104-1974-02-12-1中国1974年02月12日1970年代周,鄧両首脳,ダウィ・チュラサプヤー氏一行と会見-同氏を団長とするタイ・オリンピック委員会代表団は7日北京入りした。
DIA-104-1974-02-13-1中国1974年02月13日1970年代人民日報,羅思鼎論文「朱喜の観念論的先験論を批判する」
DIA-104-1974-02-15-1中国1974年02月15日1970年代フランスから,アンモニアプラント(日産1000トン)2基,尿素プラント(日産1740トン)1基の買付け成約-価格は合計1億2000万米ドル。このうち2基は南京で建設されるという(大公報2月19日)。
DIA-104-1974-02-15-2中国1974年02月15日1970年代周総理,李対外貿易部長,ギニア政府貿易代表団一行と会見-同代表団は2月7日から16日にかけて訪中,この日1974年度中・ギ貿易議定書と中国対ギニア商品貸与協定が調印された。
DIA-104-1974-02-16-1中国1974年02月16日1970年代上海で街の目抜き通りに批林批孔のスローガンでうまった壁新聞が大量に張出される。旅行者の談話(AFP)。
DIA-104-1974-02-16-2中国1974年02月16日1970年代蘭州化工公司における修正主義企業路線の復活-人民日報の報道によると,蘭州化学工業公司合成ゴム工場の労働者は,公司党委員会に手紙をかき,同工場で修正主義企業路線への復帰現象があらわれてきていることに批判を行なった。その手紙は,この公司のある部門が“調整充実”の口実のもとに基礎組織から多くの人員をひきぬき,再び機構を肥大かつ複雑なものにしていることに対し,このようにすればまた機関が基礎組織から浮き上がり,幹部が大衆から離れ,修正主義路線が復活することになる,と警告している。
DIA-104-1974-02-16-3中国1974年02月16日1970年代李先念副総理,イラク経済代表団と会見-同日両国代表会談紀要に調印。
DIA-104-1974-02-18-1中国1974年02月18日1970年代紅旗2号,洪群論文「鉄証は山の如し」-孔子の子孫が大地主として農民を圧迫してきた事実を紹介。
DIA-104-1974-02-18-2中国1974年02月18日1970年代日中航空協定に関し,外務省は台湾との話合いを開始。
DIA-104-1974-02-19-1中国1974年02月19日1970年代江蘇省の徐州と准陽,食糧の自給化を達成-昔から自然災害を受けやすく農業生産が順調でなかったこの両地区で1973年の食糧生産量は史上最高の豊収となり食糧,棉花とも「発展要綱」の指標を超過した。72年との比較では12億斤も増産となり,70年に比べ36%の増産となった。両地区は長年,国家から食糧を供給されていたが,73年には,国に14億6000万斤を売り渡した。
DIA-104-1974-02-20-1中国1974年02月20日1970年代人民日報社説「『克己復礼』を批判する-資本主義復活をたくらむ林彪の反動的綱領」-その要旨は次のとおり。①林彪は1969年の末2カ月ばかりの間に,「悠々たるかな万事,唯此をもって大となす,己れに克ちて礼に復る」という掛軸を4本も書いたことは資本主義の復活をはかる野心を余すところなく暴露している。②「礼に復る」の政治綱領は国家主席を設置することで,理論綱領は「天才論」である。③林彪の「克己復礼」の批判と結びつけて,社会主義の新生事物を侮蔑した林彪反党集団の種々の謬論を批判し,老中青三結合の原則,プロレタリア教育革命,文学・芸術革命,医療・衛生革命,幹部の下放と労働参加及び知識青年の農山村定住を堅持しなければならない。④独立自主・自力更生の方針,プロレタリア国際主義と愛国主義の原則を堅持しなければならない。
DIA-104-1974-02-20-2中国1974年02月20日1970年代73年冬以来の農地基本建設の成果-昨年冬以来,全国ですでに完成した各種の水利工事は60数万カ所,新たに造成したか,または改良を加えた灌漑面積は2000万ムー,翻土と土地改良を行なった面積は1億9000万ムー余,整地した農地面積は4000万ムー余に,それぞれ達した。
DIA-104-1974-02-20-3中国1974年02月20日1970年代タス通信社社長論文,「なんのための孔子批判」-『ソヴェツカヤ・ロシヤ』紙に掲載。
DIA-104-1974-02-20-4中国1974年02月20日1970年代JETRO,1973年度日中貿易概況を公表-輸出入で20億1500万ドル,輸出は10億4100万ドル(対前年71%増),輸入は9億7400万ドル(同98.3%増)となった。
DIA-104-1974-02-20-5中国1974年02月20日1970年代北海道アイヌ訪中団,北京着-15名,3月12日まで内蒙古自治区などを参観。
DIA-104-1974-02-21-1中国1974年02月21日1970年代周総理,イスラム諸国首脳会議の開催に祝電を送る。
DIA-104-1974-02-21-2中国1974年02月21日1970年代新華社記者総合評論,「ソ修裏切り者集団と孔子」-1956年以来のソ連の孔子評価を総括,孔子を擁護していると非難。
DIA-104-1974-02-22-1中国1974年02月22日1970年代広州市で街に大量の批林批孔関係の壁新聞がはり出される-その中に中央の出した批林批孔運動の目的と指針を示す「8項目の指示」があると言う。旅行者の談話(ロイター)。台湾側報道によれば,その主要内容は次のようである(中央日報4月3日)。①セクト組織の結成,人身攻撃,武闘,経験交流の禁止,②工場では基本的に生産に影響を与えずに運動をすすめること,③農村では週3回,原則として夜,部隊では隔日に「批林批孔大会」を行なう。④下放知識青年の批林批孔活動をりっぱにやり,青年たちを安心して農村で活動させるように措置する,など。
DIA-104-1974-02-22-2中国1974年02月22日1970年代毛主席,カウンダ・ザンビア共和国大統領と会見-周恩来,王洪文らの首脳が同席。大統領一行は21日北京入りし,24日経済技術協力協定に調印した。
DIA-104-1974-02-24-1中国1974年02月24日1970年代漢江丹江口水利事業の初期工事が完成-中国が自力で設計,建設した大型水利工事である丹江口水利事業の中心初期工事が完成した。工事内容は総延長2.5キロの大堰提1本,設備総容量90万キロワットの発電所1つ,国内で初めて製造された150トンのはしけを一度に引き上げられるエレベーター1式,および総取水量600立方メートル/秒の取水灌漑頭首工事2つが含まれている。河南省や湖北省一帯ではこの水利工事の完成によって,漢江の洪水を効果的に制御できるようになり,同時に十分な灌漑用水源を確保できるようになった。また丹江口水力発電所の完成によって,両省は重要な電力源を得ることができるようになった。
DIA-104-1974-02-24-2中国1974年02月24日1970年代人民日報評論員,「ビエンチャン協定履行のためひきつづき努力しよう」-和平協定調印1周年に際し,ラオス人民が団結と闘争を堅持すれば勝利をおさめうるであろうとのべている。
DIA-104-1974-02-25-1中国1974年02月25日1970年代毛主席,ブーメディエン議長一行と会見-周恩来,王洪文が同席。一行は2月25日から3月2日にかけて訪中。3月2日,中国・アルジェリア共同コミュニケが発表された。
DIA-104-1974-02-26-1中国1974年02月26日1970年代フィリピン籍難破船の船員12人,香港から中国入り-12人の船員は難破以来香港政府の保護下にあった。
DIA-104-1974-02-27-1中国1974年02月27日1970年代遼寧省,軽工業発展に力を入れる-従来遼寧省は重工業の発展に力を入れてきた反面,軽工業製品については大部分,他省から輸入しており,省内で生産した軽工業製品も品質が悪く,顧客に歓迎されていなかった。だが文化大革命と批林批孔運動のなかで省党委員会は軽工業の発展に力を入れる決意を固め,同省の商業部が中心となり,人民銀行の支援のもとに,軽工業部門の強化と技術革新に努力をはらった。こうした結果,1973年の全省の軽工業生産額は1965年に比べ80%以上も増加し,洗剤,農業用ビニールシート,ナイロン靴下,カプロン靴下,理髪用具,ビニール靴,縫い針などについては自給が可能になった。
DIA-104-1974-02-28-1中国1974年02月28日1970年代台湾省人民の「2.28」蜂起27周年を記念する座談会を開催。廖承志中央委員が演説。
DIA-104-1974-02-28-2中国1974年02月28日1970年代人民日報,初瀾論文「晋劇『三たび桃峰を訪れる』を評す」-1~2月に北京で開催された華北地区文芸公演会で上演された演劇のひとつである山西省文化局創作グループの創作した晋劇(山西省の地方劇)『三上桃峰』を「劉少奇の反革命修正主義路線の名誉回復をはかる大毒草」と批判。この演劇は,1966年に劉少奇夫人王光美の「桃園経験」をもとにつくられ文革で批判された晋劇『三下桃園』を改題して出されてきたものであるという。この論文は「紅旗3号」へ転載された。
DIA-104-1974-03-01-1中国1974年03月01日1970年代河南省林県で批林批孔のための中核グループが組織されて,その人数は8万名に達す。
DIA-104-1974-03-01-2中国1974年03月01日1970年代国際石油の中国原油輸入価格。1バレルFOBで14ドル80セントに決まる。
DIA-104-1974-03-02-1中国1974年03月02日1970年代批林批孔関係の出版物(4種),この1カ月近くで,あわせて2億冊余出版される。
DIA-104-1974-03-02-2中国1974年03月02日1970年代新華社,台湾への観光促進のための「日本観光協会」の設立,「だれも書かなかった台湾」の出版について反中国の動きとしてこれを非難。
DIA-104-1974-03-03-1中国1974年03月03日1970年代人民日報社説,「批林批孔をすすめ,春の農作業を立派におこなおう」-要旨は次のとおり。●春の農繁期を迎え,批林批孔を春の農作業と諸活動を促す原動力とし,農業戦線の新たな勝利をかちとらなければならない。●ひきつづき「農業は大寨に学ぶ」大衆運動をくり広げ,「食糧をカナメとして全面的に発展させる」方針を堅持し,生産隊が国家計画にしたがって作物の配分を合理的に行なうのを助けなければならない。●食糧の単位面績当り収量が「要綱」に達した県(市)は今や600余りにふえている。
DIA-104-1974-03-03-2中国1974年03月03日1970年代紅旗3号,荘寧論文「農業から出発して地方工業を立派に運営しよう」-農業生産の発展を支援するため,地方工業の発展の必要性を述べたもの。要旨は次のとおり。●中央の大型企業にだけ依存し,地方工業を積極的に発展させなければ,農業生産のための多方面にわたる需要を完全に満たすことはできない。中央の統一計画のもとで,地方の積極性を生かした「5小工業」の建設を立派にやりとげるべきである。●援農企業は品種,規格や価格など農業生産の具体的な状況にあった製品をつくるべきであり,その製品が農民から歓迎されなければならない。●援農工業は農民が負担しうる労働力,資金などの可能性の範囲内でやらなければならず,可能性を無視し工業を一斉におこそうとするならば,必ず農業生産に影響をあたえる。●農業から出発して地方工業を立派に運営するには,国家の統一計画のもとで,軽工業の発展も重視しなければならない。軽工業をうまく運営すれば,地方の蓄積をはやくふやすことができ,比較的多い資金で農業と重工業を支援できるようになる。●地方5小工業を運営するにあたっては,国家の統一計画や農業の必要とするところなどおかまいなしに,まず利潤を第一に考えたり,工業が農業を・
DIA-104-1974-03-04-1中国1974年03月04日1970年代オーストラリア共産党(ML)ヒル議長,カラゲール副議長が訪中-20日まで。6日,張春橋,耿,17日周恩来,張春橋,江青らの首脳と会見。
DIA-104-1974-03-04-2中国1974年03月04日1970年代本年度玄そば買付け交渉成立1万2000トン-内訳は北方産,南方産,既契約分それぞれ4000トン。
DIA-104-1974-03-06-1中国1974年03月06日1970年代紅旗3号,短評「まじめに学んで深くつっ込んで批判しよう」-プロ文革の成果に対して肯定するか否定するか,プロ文革のなかから出現した新生事物に対して支持するか敵視するかは,つまるところひとつの路線問題であり,ひきつづき革命を行なうか,復活後退するかの大問題であり,その根本的是非は大衆的な批林批孔闘争を通してはじめて解決できると強調。
DIA-104-1974-03-06-2中国1974年03月06日1970年代人民日報評論員,「ソ修の先生方はなぜ激怒するのか」-批林批孔運動は「国内の国際主義勢力に反対するもの」だ,「新たなテロ運動」だ,「貴重な文化財」の破壊だ,というソ連の論調に反論。
DIA-104-1974-03-06-3中国1974年03月06日1970年代中国軍事友好代表団ペルーを訪問-団長は向仲華副総参謀長,18日帰国。
DIA-104-1974-03-06-4中国1974年03月06日1970年代インガソル米国務次官補,上院外交委員会で「SEATOの解体は中ソの対立を激化させる」と証言。
DIA-104-1974-03-08-1中国1974年03月08日1970年代人民日報社説「婦女をすべて動員しよう」-3・8国際労働婦人デーを記念。
DIA-104-1974-03-08-2中国1974年03月08日1970年代李強対外貿易部長,ザンビア貿易代表団と会談。
DIA-104-1974-03-09-1中国1974年03月09日1970年代上海市で今年初頭以来すでに3万2000名の知識青年が郊区農村へ下放,ここに数日に2900余名が江西省,安徽省などの農村へ赴く。
DIA-104-1974-03-09-2中国1974年03月09日1970年代クエート国民議会議長と夫人が訪中-10日朱徳,周恩来らの首脳と会見。
DIA-104-1974-03-10-1中国1974年03月10日1970年代鄧小平副総理,日本婦人科学者代表団一行と会見。
DIA-104-1974-03-11-1中国1974年03月11日1970年代紅旗3号,康立論文「孔子と林彪はともに政治ペテン師である」-上海で出版されている『学習と批判』1974年第2号から転載。
DIA-104-1974-03-11-2中国1974年03月11日1970年代北京人民印刷工場で,批林批孔闘争の中より労働者の理論隊列が養成されている-昨年10月に,同工場の労働者理論グループが北京市委員会の批林批孔の指示にもとづいて研究を強化し,運動の先鋒隊の役割をはたしている。
DIA-104-1974-03-11-3中国1974年03月11日1970年代国連人口委員会第3回特別会議で徐礼章オブザーバーが人口問題についての中国の立場を説明。
DIA-104-1974-03-12-1中国1974年03月12日1970年代孫文逝去49周年記念式典,北京,上海など全国5都市で挙行される。
DIA-104-1974-03-12-2中国1974年03月12日1970年代中国文字改革委員会と中央人民放送局,国内向け「漢語表音放送講座」を開始。
DIA-104-1974-03-13-1中国1974年03月13日1970年代小川大使,中国外交部に航空協定の正式交渉を申入れ-中国側は受諾,14日から交渉は開始された。
DIA-104-1974-03-13-2中国1974年03月13日1970年代「中国原油輸入協議会」結成さる-6商社11石油会社が参加。
DIA-104-1974-03-14-1中国1974年03月14日1970年代人民日報,江天論文「林彪と孔子の反動的文芸観を批判する」-林彪の観念論的文芸理論として「霊感論」「人性論」「無衝突論」を批判。
DIA-104-1974-03-14-2中国1974年03月14日1970年代鄧小平副総理,ジンバヴェ・アフリカ民族連盟代表団と会見。
DIA-104-1974-03-14-3中国1974年03月14日1970年代中共中央,オーストラリア共産党(ML)創立10周年に祝電を送る。
DIA-104-1974-03-14-4中国1974年03月14日1970年代中国大使館,仏映画「パリの中国人」上映に関してスイス政府に抗議。
DIA-104-1974-03-15-1中国1974年03月15日1970年代人民日報社説「ふたたび《克己復礼》を批判する」-要旨は次のとおり。①現在,批林批孔運動は,林彪の《克己復礼》の反革命修正主義路線を集中的に批判することによって,健全に発展している。②林彪の《克己復礼》の批判と現実の路線闘争を結びつける際の重要内容はプロ文革に正しく対処し,その成果を強固にし発展させてゆくことである。③その点で我々の同志は立場を鮮明にしなければならず,誤りをおかした者に対しては「病を治して人を救う」方針で臨む。
DIA-104-1974-03-15-2中国1974年03月15日1970年代紅旗3号,李時(遼寧大学)論文「秦の六国統一に決定的役割をはたしたものは何か」-秦の全国統一に決定的役割をはたしたのは全国征覇に活躍した将軍たちではなく,秦の始皇帝の政治路線の正しさであると強調。将軍たち個人を社会変革の決定的力とみなすのは英雄創造史観であると批判。
DIA-104-1974-03-15-3中国1974年03月15日1970年代中国とギニア・ビサウが外交関係を樹立-コナクリで共同コミュニケに調印。
DIA-104-1974-03-16-1中国1974年03月16日1970年代人民日報,張永枚の詩報告,「西沙の戦い」を発表。
DIA-104-1974-03-16-2中国1974年03月16日1970年代李先念副総理,永野東京中国展協力会会長と会見-李副総理は石油供給の面で日本に協力可能と言明。
DIA-104-1974-03-18-1中国1974年03月18日1970年代周総理,スリランカ首相特使と会見-一行は14日から19日まで訪中。
DIA-104-1974-03-18-2中国1974年03月18日1970年代ファン・バン・ドン首相,出国の途次北京空港に立ち寄る-張春橋,鄧小平らの首脳が昼食を共にした。
DIA-104-1974-03-18-3中国1974年03月18日1970年代蒙古人民軍建軍53周年にあたり,河北省張北県革命委員会は県内のソ蒙聯軍烈士記念塔に花輪をささげた。
DIA-104-1974-03-18-4中国1974年03月18日1970年代華国鋒,沙風両首脳日中農業農民交流協会代表訪中団と会見。
DIA-104-1974-03-20-1中国1974年03月20日1970年代人民日報,方海論文「プロレタリア文化大革命は孔孟の道に対する深刻な批判である」-孔子批判と孔子崇拝の闘争は従来より二つの階級・二つの路線の闘争の重要な構成部分であり,長期の戦闘任務であると述べ孔子崇拝の人物が今後もまだ出現する可能性を強調。
DIA-104-1974-03-20-2中国1974年03月20日1970年代台湾の海兵隊員呉淼火中尉が福建省前線の解放軍に帰順。
DIA-104-1974-03-21-1中国1974年03月21日1970年代陳郁中共中央委員,広東省革命委員会副主任が死去-73歳。26日,広州で追悼会を挙行。花輪を送った組織として「中華全国総工会」の名があり,文革後,初めて同組織の中央組織が復活したことが判明。
DIA-104-1974-03-21-2中国1974年03月21日1970年代中ソ国境河川委員会会議終了-ブラゴベシチェンスクで2月5日から開かれていた。
DIA-104-1974-03-22-1中国1974年03月22日1970年代天津アルミ工場,自力でアルミ合金の異型材料の圧延設備を製造-同工場では,従来この種の材料は輸入に頼っていたことに労働者が批判をくわえ,外国の完全な模倣でなく自らの条件に立脚して自力で800トン圧延機を製造,さまざまな規格の異型アルミ合金材料の生産を可能にした。
DIA-104-1974-03-22-2中国1974年03月22日1970年代人民日報,田志松論文「独立自主,自力更生の方針を堅持しよう」-要旨は次のとおり。●独立自主,自力更生,刻苦奮闘,勤倹建国を堅持してはじめて,帝国主義と社会帝国主義の威嚇を恐れることなく,不敗の地に立つことができる。目下,帝国主義,社会帝国主義が依然としてわが国を転覆させ侵略しようとしている状況のなかでは,特にこの方針を堅持しなければならない。●劉少奇,林彪らは洋奴哲学,牛歩主義をおしすすめ,外国人や外国製品に頼って建設を行なおうとした。外国にやれるものはわれわれにもやれるし,外国にやれないものでもわれわれはやる。●独立自主,自力更生の方針を堅持するには,上部構造の社会主義革命を掘り下げなければならない。孔子を尊ぶことと外国を崇めることは,同じ黒いつるになった瓜であり,劉少奇,林彪らは孔子を尊び,外国を崇め,復活を唱え,祖国を裏切った。●独立自主,自力更生の方針を強調するのは,門を閉ざし自己の殻に閉じこもるということではなく,外国の技術を導入しなくてもよいということでもなく,また平等互恵の基礎の上に各国と貿易を発展させることを否定するものでもない。問題は牛歩主義をやらず,ただ外国の経験を参考にしそれと真正・
DIA-104-1974-03-23-1中国1974年03月23日1970年代成昆鉄道の完成-人民日報の報道によると,四川省成都と雲南省昆明を結ぶ成昆鉄道がすでに1970年7月1日に正式に開通した。中国の西南・西北地区を縦貫する交通の大動脈となった同鉄道は全長1815キロ,全線の橋梁は653本,トンネル427本で両者の総延長は400キロ余りに達する難工事であった。成昆鉄道工事は1958年7月に始まったが,1962年に中断,64年に毛主席の「成昆鉄道ははやく建設しなければならない」という呼びかけにもとづいて再開され,70年に完成した。
DIA-104-1974-03-23-2中国1974年03月23日1970年代中国政府,ソ連ヘリコプターの新疆侵入に関してソ連に強硬抗議-14日ソ連のMi4型武装偵察ヘリコプター1機がハバホ県内に着陸,軍人3人とヘリは辺境守備隊と民兵にその場で逮捕された。ソ連は「救援任務」のヘリだと言明しているが,スパイ活動をしていたことは人的にも物的にも証明されていると述べている。
DIA-104-1974-03-23-3中国1974年03月23日1970年代人民日報社説,「英雄的なカンボジア人民は勝利のうちに前進する」-民族統一戦線と民族解放武装勢力成立4周年を記念して発表。
DIA-104-1974-03-23-4中国1974年03月23日1970年代周総理,フィリピン国家バスケットボール代表団と会見。
DIA-104-1974-03-23-5中国1974年03月23日1970年代人民日報,劉連仁論文,「日本の反中反共分子によい末路はない」-青嵐会の動きを批判。
DIA-104-1974-03-25-1中国1974年03月25日1970年代毛主席,タンザニアのニエレレ大統領と会見-会見には周恩来,王洪文が同席,一行は23日特別機で広州入り,北京大学,沙石峪,大慶油田,撫順西露天炭鉱などを参観,29日両国経済技術協力協定に調印,31日帰国の途についた。中国はタンザニアに,南部の石炭,鉄鉱開発に役立つ鉄道建設のために5年据置き無利子で3100万ポンドの供款を与えた。
DIA-104-1974-03-25-2中国1974年03月25日1970年代ポーランド紙,ソ連の対中予防戦争の準備進むと報道-『ジーニク・ルドウィ』紙は状況が「1969年のウスリー川事件と似ている」と報道。24日,イタリアの『イル・グロボ』紙も東欧筋の見解としてソ連の対中戦争準備の進行を伝えた。
DIA-104-1974-03-26-1中国1974年03月26日1970年代人民日報評論員論文,「ベトナム南部の内部問題を解決する合理的な提案」-22日のベトナム南部共和臨時革命政府の6項目の提案を全面的に支持。
DIA-104-1974-03-27-1中国1974年03月27日1970年代清華大学の文革後第一期の労農兵出身の卒業生2000余名,最近卒業-彼等は在学中,全国100余の工場,科学研究部門と協力して366項目の卒業実践を行なった。そのうちすでに289項目は社会主義建設に用いられている。
DIA-104-1974-03-27-2中国1974年03月27日1970年代西独から年産100万トンの冷間圧延鋼プラントの買付け成約-8500万ドル相当,新日鉄から買う熱間圧延プラント(年産300万トン)とともに武漢に建設される(Financial Times 3月28日)。
DIA-104-1974-03-28-1中国1974年03月28日1970年代設計から締め出された労働者の投書-人民日報は労働者張徳仁氏の「“砂つぶをまぜる”のか,それとも“砂つぶを拾い出す”のか」と題する投書を掲載した。それによると1971年,燃料化学工業部の指示にもとづいて,第一石油化工建設公司設計研究所は労働者を設計に参加させた。しかしその後の2年間に,労働者は結局設計など分らないとの理由で,彼らの70%余りが配転させられてしまったという。人民日報「編者のことば」ではこうした傾向を批判,労働者階級が設計革命に参加することは文化大革命の新生事物であり,断固それを守らなければならない,と述べている。
DIA-104-1974-03-28-2中国1974年03月28日1970年代人民日報評論員論文,「朝鮮の自主的平和統一の正義の主張」-北朝鮮による米軍撤退を前提としたアメリカとの平和協定締結提案を支持。
DIA-104-1974-03-28-3中国1974年03月28日1970年代ソ連外務省,駐ソ中国大使に新疆着陸のヘリと乗員の返還を再度要求した覚書を手交。
DIA-104-1974-03-28-4中国1974年03月28日1970年代カンボジア王国のコーシャマン王妃が広州から北京へ到着。
DIA-104-1974-03-29-1中国1974年03月29日1970年代エカフェ30回会議で黄明達中国代表団長が発言-30日,季竜副代表が西沙群島,南沙群島に対する中国の主権を明言,4月2日黄代表は,大陸だな管括範囲の区分については平等な話し合いで共同で確定しないかぎり無効であること,台湾政府との間に結ばれた契約は一切無効であると表明。
DIA-104-1974-03-29-2中国1974年03月29日1970年代オーストリア工業展,北京で開幕-4月11日まで。4月4日オーストリア外相が北京を訪問,6日周総理と会見した。
DIA-104-1974-03-29-3中国1974年03月29日1970年代日中航空協定交渉に関して姫外交部長と小川大使が会談。
DIA-104-1974-03-30-1中国1974年03月30日1970年代テスト・フライトの中国民航機,はじめてアメリカへ向け出発-太平洋まわりとカラチ・パリ経由の2ルートを同時にテスト。
DIA-104-1974-03-30-2中国1974年03月30日1970年代アジア卓球選手権の中国選手団,中国機で羽田に到着。
DIA-104-1974-04-02-1中国1974年04月02日1970年代毛主席,キュー・サムファン,イエン・サリ両氏のひきいるカンボジア民族統一戦線,王国民族団結政府代表団と会見-シアヌーク親王,ペン・ヌート親王もこの会見に参加。周恩来,王洪文など首脳も同席した。同代表団は4月1日から訪中,4~8日北朝鮮へ,14日北京から成都へ,19日北京からヨーロッパ,アフリカ訪問の途についた。帰途中国を再訪,5月27日共同コミュニケを発表,帰国の途についた。
DIA-104-1974-04-02-2中国1974年04月02日1970年代マンスフィールド米上院院内総務,上院で「中国に最恵国待遇を与えよ」と演説。
DIA-104-1974-04-02-3中国1974年04月02日1970年代中国原油輸入協議会交渉団,バレル14ドル80セント,100万トン(4~6月分)について合意-以降分については交渉成立せず。
DIA-104-1974-04-03-1中国1974年04月03日1970年代紅旗4号,北京大学・清華大学大批判グループ論文「孔子という人間」。
DIA-104-1974-04-03-2中国1974年04月03日1970年代中国初の2万5000トン級浮きドックが完成-上海海運局など8機関の協力のもとに,2万5000トン級の浮きドック「黄山号」が3月20日,浮揚試験に成功した。「黄山号」は全長190メートル,幅は38.5メートル,側壁の高さは15.8メートルで,積載重量2万5000トンないし3万トン級の汽船を持ち上げることが可能であるという。
DIA-104-1974-04-03-3中国1974年04月03日1970年代董国家主席代理,周総理,仏大統領逝去を悼む電報を送る。
DIA-104-1974-04-05-1中国1974年04月05日1970年代紅旗4号,短評「注意して経験を総括しよう」-批林批孔運動の中で文革以来の路線闘争の豊富な経験を学ばなければならないと述べ,「革命大連合」,ニセのマルクス主義を見分るために「まじめに学習してマルクス主義に精通せねばならない」という毛主席指示を強調。またとくに中国の歴史の経験を注意して研究し学ぶようによびかけ,中国の歴史をマルクス主義の立場・観点・方法を用いて科学的に総括し,その中から階級闘争の経験の教訓をくみ取り,現実の階級闘争と路線闘争に役立てねばならないと述べている。
DIA-104-1974-04-05-2中国1974年04月05日1970年代福岡市青少年の船345名が上海を訪問。
DIA-104-1974-04-06-1中国1974年04月06日1970年代鄧副総理が代表を率いて国連特別総会へ出発-副団長は喬冠華。黄駐米連絡所長も同行。北京空港では周恩来,王洪文,葉剣英,江青,姚文元,李先念,陳錫聯,紀登奎,華国鋒,汪東興,呉徳,蘇振華,倪志福,徐向前,聶栄臻,李富春,アペイ・アワンジンメイらの首脳が総出で見送った。
DIA-104-1974-04-07-1中国1974年04月07日1970年代紅旗4号,鄭磊論文「《東北解放戦争時期の林彪》を評す」-1971年初に福建省新華書店が出版し,9月までに300余万冊も発売された上記タイトルの小冊子を批判。この小冊子により林彪は自己の「常勝将軍」としての名声をでっちあげようと企てたといわれる。
DIA-104-1974-04-07-2中国1974年04月07日1970年代人民日報社説,「ラオス人民の新たな勝利を熱烈に祝う」-5日のラオス臨時民族連合政府と合同評議会の正式成立を祝ったもの。
DIA-104-1974-04-08-1中国1974年04月08日1970年代新華社,北カリマンタン共産党中央委員会主席文銘権の声明を報道-3月9日付でひきつづき武装闘争の道を堅持すると表明したもの。
DIA-104-1974-04-08-2中国1974年04月08日1970年代日中海底ケーブル建設保守協定に北京で仮調印。
DIA-104-1974-04-10-1中国1974年04月10日1970年代天津市の第1四半期の工業生産総額は前年同期比で8.8%の増加。
DIA-104-1974-04-10-2中国1974年04月10日1970年代人民日報社説,「批林批孔に力を入れ,工業生産を促そう」-要旨は次のとおり。●批林批孔に促されて,革命が急速に発展し生産が持続的に上昇するというすばらしい局面が現れている。今年第1四半期,工業総生産は昨年同期よりさらに新たな伸びをみせた。●性質の異なる2つの矛盾を厳格に区別し,95%以上の幹部,大衆を結集し,批林批孔運動をたえず深めなければならない。批林批孔という中心をしっかりとつかみ,一部の問題にかかわって闘争の大方向をそらすことを防がなければならない。●工業・交通企業は,引き続き修正主義路線の企業運営路線を批判し,独立自主,自力更生,刻苦奮闘,勤倹建国の方針を堅持し,舶来崇拝の思想を排除し,大衆の偉大な創造力を大いに重視し技術革新と科学研究の方面で広範な労働者・技術者が払う努力を支持しなければならない。工業・交通企業の各級の指導的同志は,党の一元化された指導のもとに,統一的な配置をし,責任を分担し,広範な労働者大衆に依拠して,生産の指導を強化しなければならない。全体的な観点を強め,増産節約に努め,企業内部の潜在力を十二分に掘り起こさなければならない。業余に革命をやることを堅持しなければならない。石炭,冶金,
DIA-104-1974-04-10-3中国1974年04月10日1970年代上海市,第1四半期の工業生産総額は昨年比で7.8%増。
DIA-104-1974-04-10-4中国1974年04月10日1970年代米企業から1000万ドル~2000万ドル相当の石油探査,油井掘削機械を買付け(Herald Tribune 4月12日)。
DIA-104-1974-04-10-5中国1974年04月10日1970年代原料・開発問題を検討する第6回国連特別総会で鄧小平中国代表団団長が発言-主な論点は次のとおり。社会主義陣営はすでに存在していない。第一世界すなわち2つの超大国は現代における最大の国際的搾取者,抑圧者であり,新しい世界戦争の策源地である。第三世界は世界の歴史の車輪の前進を推進する革命的原動力である。いまの世界には第一世界,第三世界,およびその間にある第二世界という3つの世界が存在している。「多国籍企業」「聯合企業」は米ソ両超大国の第三世界収奪の主要な手段となっている。中国は第三世界の一員として第三世界諸国とともに団結して闘かう,と決意を表明。9日,人民日報は「第三世界の要求をだんこ支持する」という社説をかかげた。
DIA-104-1974-04-10-6中国1974年04月10日1970年代自民党総務会で藤尾代議士,日中航空交渉内容を暴露。
DIA-104-1974-04-10-7中国1974年04月10日1970年代運輸省寺井航空局長,訪中へ出発。
DIA-104-1974-04-11-1中国1974年04月11日1970年代日本外務省,公電暴露事件に関して中国に遺憾の意を表明。
DIA-104-1974-04-12-1中国1974年04月12日1970年代批林批孔運動の中で活躍する北京大学文科系の教師・学生たち-ここ2カ月間,1000余名の教師・学生が学校から出て大衆の中に入って,批林批孔運動に加わっている。中国文学,歴史,哲学,経済,国際政治など750余名の第一期卒業生は卒業前に5400余編の批判文章,調査報告,小説,散文,通信報道などを書いた。
DIA-104-1974-04-13-1中国1974年04月13日1970年代紅旗4号,謝祥論文「大多数と団結しなければならない-《人民内部の矛盾を正しく処理することについて》を学習して」-批林批孔運動の健全な発展を保証する重要問題として,人民内部の矛盾を正しく処理して闘争の大方向を掌握すべきことを強調。
DIA-104-1974-04-14-1中国1974年04月14日1970年代上海復亘大学理科系の第一期卒業生523名が卒業-理科系の20の専門課程では,100余りの工場,農村人民公社,研究所,設計院と連携を持ち1年の3分の1前後の時間をそこでの実践労働にあてた。
DIA-104-1974-04-14-2中国1974年04月14日1970年代江蘇省淮安水利センター第1揚水ステーションが完成-この揚水ステーションには8台の揚水機が据えつけられ,取水量は毎秒60立方メートル余。これによって,江都揚水ステーションで大運河に取水された揚子江の水はさらに4.5メートル揚げられて蘇北灌漑幹線用水路と大運河に注がれ,北に送られて淮陰と徐州地区の農地を灌漑する。また増水期には,大運河以西,蘇北灌漑幹線用水路以南の白馬湖周辺の農地約4万7000ヘクタールの溢水を,蘇北幹線用水路を通じて東に流して海に排水することが可能となり,この低湿地帯の水害抑制力は大きく高まった。
DIA-104-1974-04-14-3中国1974年04月14日1970年代周総理,ファン・バン・ドン以下の北ベトナム代表団一行をもてなす-一行は帰国途中この日北京に立ち寄ったもの。
DIA-104-1974-04-14-4中国1974年04月14日1970年代鄧副総理,キッシンジャー米国務長官と会談。
DIA-104-1974-04-15-1中国1974年04月15日1970年代紅旗4号,初瀾「ブルジョワ階級の人間性論を掘り下げて批判する―標題音楽と無標題音楽問題の討論について」-音楽の領域に現われている外国崇拝・復古の傾向の本質はプロ文革を否定し,過去の修正主義文芸の黒い路線へ逆行しようとするもので,その思想的根源に「人間性論」があると指摘。音楽界の一部の者は「創作・演奏のレベルを高める」という方面から西洋古典音楽を盲目的に崇拝し文芸革命の方向と任務を忘れてしまって,帝国主義・社会帝国主義の文化浸透に対して警戒心を失っていると批判。
DIA-104-1974-04-15-2中国1974年04月15日1970年代趙紫陽氏の広東省党委員会第一書記就任が判明-同氏は文革前に同職にあったが,文革で批判され,文革以後内モンゴル党委書記として復活していた。
DIA-104-1974-04-15-3中国1974年04月15日1970年代春季広州交易会開幕。
DIA-104-1974-04-16-1中国1974年04月16日1970年代遼寧省の第1四半期における工業生産総額は昨年同期比で8.6パーセント増。
DIA-104-1974-04-18-1中国1974年04月18日1970年代上海市と大阪市が友好都市を正式に宣言-この日上海に着いた大阪「日中友好の船」394人の歓迎大会で。同日天津で「神戸・天津友好の船」歓迎会開く。
DIA-104-1974-04-19-1中国1974年04月19日1970年代傅作儀氏(人民政治協商会議第4期全国委員会副主席)北京にて死去。79歳。23日,追悼会が挙行された。
DIA-104-1974-04-19-2中国1974年04月19日1970年代鄧小平副総理,パリ経由で帰国-北京空港では周総理以下首脳総出で出迎え。
DIA-104-1974-04-20-1中国1974年04月20日1970年代福建省南部九竜江中流に大型道路橋が完成-鉄筋コンクリートの二重アーチ橋で,全長468メートル,幅11メートル。
DIA-104-1974-04-20-2中国1974年04月20日1970年代河北省の第1四半期における援農製品生産-昨年同期比で,ディーゼルエンジンは50%,化学肥料は39% 農薬は67%,農業用ポンプが21%それぞれふえ,ハンドトラクターは2.39倍にふえた。
DIA-104-1974-04-20-3中国1974年04月20日1970年代中国・ガボンの外交関係樹立に関する共同コミュニケに調印-ガボンにて。
DIA-104-1974-04-20-4中国1974年04月20日1970年代日中航空運送協定に調印-北京で調印式が行なわれ,小川大使と姫外交部長が署名。
DIA-104-1974-04-20-5中国1974年04月20日1970年代日中航空協定調印に関する大平外相の談話-要旨。日本国と中華人民共和国の間の航空運送協定は国家間の協定であり,日台間は地域間の民間航空往来である。日本政府としては,日中共同声明にもとづいて,同声明発出の日以降,台湾機の旗の標識をいわゆる国旗を示すものとしては認めていないし,また「中華航空公司(台湾)」を国家を代表する航空企業とは認めていない。
DIA-104-1974-04-20-6中国1974年04月20日1970年代台湾当局,日台路線の停止,日本機の領空通過禁止を宣言。
DIA-104-1974-04-21-1中国1974年04月21日1970年代人民日報,陶第論文「超大国は第三世界の搾取収奪者である」-具体的に数字をあげて不等価交換による第三世界の収奪を分析。
DIA-104-1974-04-21-2中国1974年04月21日1970年代新華社,タイの武装闘争の発展を報道。
DIA-104-1974-04-22-1中国1974年04月22日1970年代周総理,川崎秀二元自民党代議士と会見。
DIA-104-1974-04-23-1中国1974年04月23日1970年代大慶油田の新たな発展-人民日報の報道によると,第1四半期における大慶油田の原油生産量は昨年同期に比べ26.8%伸び,1966年に建設された精油所はここ数年の技術革新をへて,精油能力が2倍近くに上がっている。この他にも合成アンモニア,硝酸アンモニア,アクリロニトリルなどの大・中型化学工業装置が建造されている。さらに全国的な石油工業の急速な発展にともない,大慶油田はその中核勢力の半分と数多くの設備をさいて,他の兄弟油田を支援した。
DIA-104-1974-04-23-2中国1974年04月23日1970年代“食糧を綱とする”方針を堅持せよ-人民日報の記事によると,山西省〓関県黄山公社のある大隊では,副業によって現金を得るという口実の下に多くの農民が外に出て輸送の仕事や石炭を売る仕事に勢を出した結果,集団経済と農業生産に大きな損害をあたえた。公社党委員会はこうした傾向に批判をくわえ,副業生産に整頓をおこない,90%以上の労働力を農業生産のために確保した。副業生産については,土地,資源,労働力,市場などの条件にもとづき,かつ農業生産と結びつく集団副業を組織し,農業と直接的に結びつかない副業については,農繁期には少く農閑期に多くやるという原則をきめた。
DIA-104-1974-04-23-3中国1974年04月23日1970年代医療機械工業の発展-中国で生産されている医療器械の品種は,すでに1300種以上にもなり,規格は4600余種にのぼり73年の全国医療器機生産総額は66年比で2.2%増加した。
DIA-104-1974-04-23-4中国1974年04月23日1970年代在米の韓国人実業家はじめて訪中し交易会に参加。
DIA-104-1974-04-24-1中国1974年04月24日1970年代人民日報「文芸短評」,江天論文「革命模範劇をさらに普及させよう」-革命模範劇を地方へ移植し,普及することを推進して,文芸革命を否定しようとたくらむ反動思潮と修正主義文芸路線の逆流に反撃しなければならないと述べ,普及の方法として模範劇を地方劇に移植することが重要であると指摘。
DIA-104-1974-04-24-2中国1974年04月24日1970年代人民日報社説,「団結して戦い,勝利のうちに前進する」-インドシナ人民最高会議4周年を熱烈に祝う,と副題されている。
DIA-104-1974-04-25-1中国1974年04月25日1970年代人民日報,勁雲才(吉林大学)論文「荀子と孟子の争いは2つの路線の闘争である」-これまでこの両者の闘争は儒家内部の争いと言われてきたが,実は商鞅変法以後の儒家と法家の闘争であると主張。
DIA-104-1974-04-25-2中国1974年04月25日1970年代年内にICBMを実戦配備か-ムーラー米統合参謀本部議長が米上院軍事委員会で行なった報告によれば,中国はソ連とアラスカを射程距離に入れたICBMを今年中に実戦配備しうるという。
DIA-104-1974-04-25-3中国1974年04月25日1970年代李徳生副主席が公然と批判にさらされているもよう-西安市でスローガンが大書されているのを訪中した川崎秀二氏が確認。3月の陳郁氏,4月の傅作儀氏の葬儀に副主席中ただ1人名前が登場せず注目されていた。しかし5月のメーデーには瀋陽市の行事に姿をあらわした。
DIA-104-1974-04-26-1中国1974年04月26日1970年代新華社,ラザク・マレーシア首相の対中国交樹立近し,の言葉を報道。
DIA-104-1974-04-26-2中国1974年04月26日1970年代中・モンゴル1974年相互物資供給協定に調印。
DIA-104-1974-04-27-1中国1974年04月27日1970年代上海で中国初の数値制御工作機械を製作。
DIA-104-1974-04-28-1中国1974年04月28日1970年代上海で毎秒30万回演算できる汎用デジタル電子計算機を製作。
DIA-104-1974-04-28-2中国1974年04月28日1970年代イエメン・アラブ共和国協議会代表団が訪中-5月9日まで。
DIA-104-1974-04-29-1中国1974年04月29日1970年代上海市の第一期の工農兵出身大学生が卒業-上海復旦大学,同済大学,上海師範大学,上海鉄道学院,上海機械学院,上海化学工業学院,上海紡績工学院,上海科学技術大学の第1期卒業生3000人近くが昨年8月と今年2月,4月に前後して卒業。このうち2000人は理工科卒業生。これら卒業生は1970年に入学したもの。
DIA-104-1974-04-29-2中国1974年04月29日1970年代北京市のみ第1四半期の工業生産-工業生産総額は昨年同期比で14.9%伸び,鉄道貨物輸送量と基本建設の完工量は昨年同期に比べ各々9%と64%伸び,全市の工業財政収入は25%伸びた。
DIA-104-1974-04-29-3中国1974年04月29日1970年代姚文元政治局員,評論家松岡洋子氏と会見。
DIA-104-1974-05-01-1中国1974年05月01日1970年代全国で革命模範劇の映画を上映-5月23日まで。「紅灯記」,「紅色娘子軍」など10編の革命模範劇の映画と「燃えさかる世代」,「うららかな日」など4編のカラー劇映画を上映。
DIA-104-1974-05-01-2中国1974年05月01日1970年代人民警察,海軍の制服,および陸軍・空軍の女性の服装が改革される-女性はベレー帽,スカートなどの着服をふやす。
DIA-104-1974-05-01-3中国1974年05月01日1970年代紅旗第5号,洪橋論文「増産節約に努め,広く食糧を蓄えよう」-そのなかで,ひきつづき食糧生産の発展に力を入れ,食糧の計画的消費と節約を堅持し,国家,生産隊,各戸ごとの食糧備蓄の増加に努力することが依然として長期にわたる重大な任務である,と述べている。
DIA-104-1974-05-02-1中国1974年05月02日1970年代都江堰外江のゲート分水工が完成-四川省都江堰水利施設の重要部分である外江ゲート分水工が完成され,4月26日に正式に運転をはじあた。鉄筋コンクリート構造で高さ12メートル,長さ104メートルのこの八孔電動ゲート分水工の完成は,洪水排泄,灌漑,木材輸送,工業用水の提供などの面で都江堰の機能をさらにたかめるのに役立った。
DIA-104-1974-05-03-1中国1974年05月03日1970年代第1四半期の化学肥料生産-全国の化肥生産は昨年同期比で6.1%伸び,特に窒素肥料の伸びが著しく12.2%も伸びた。たとえば吉林化肥工場では今年労働力,設備も増加せず,原料消費も増やさないという条件で生産を増加させたという。全国の小型化肥工場については,今年1~3月間の合成アンモニア生産量は昨年同期比で14.8%伸び,すでに全国の合成アンモニア総生産量の55%を占めるまでにいたった。
DIA-104-1974-05-03-2中国1974年05月03日1970年代王越毅中国代表,国連工業開発理事会で発言-「援助」という看板をかかげて資源の収奪をおこなうソ連の動きを批判,工業化にあたっては自力更生と発展途上国間の戦闘的相互援助を強化せねばならぬと強調。
DIA-104-1974-05-03-3中国1974年05月03日1970年代ベトナム南部婦人解放連合会代表団訪中-14日まで。5日周恩来,王洪文,葉剣英,江青,紀登奎らの首脳と会見。
DIA-104-1974-05-04-1中国1974年05月04日1970年代人民日報社説「五四運動55周年を記念する」-要旨は次のとおり。①五四運動以来の歴史が証明していることは,プロレタリア階級の世界観と,マルクス主義・レーニン主義・毛沢東思想を用いて初めて「孔孟の道」に打ち勝つことができるということである。②五四運動の指導者たちが,儒家に反対したのは正しかったが,法家の進歩的役割に対し必要な歴史的肯定を与えることがなく,法家の著作に対してマルクス主義の研究と分析が欠け,このため徹底して儒家思想を打ち破ることができなかった。③我々は批林批孔運動の中で,努力して本を読み,マルクス主義,レーニン主義・毛沢東思想を掌握してマルクス主義の理論隊伍を養成し,階級闘争の歴史的経験を総括して不断に批判水準を高めなければならない。
DIA-104-1974-05-04-2中国1974年05月04日1970年代全国で今年初め以来,40万近い知識青年が農山村へ下放して定住-批林批孔運動がこの動きを促進し,上海,陝西,河南,安徽などの省市では,それぞれ4~5万,北京では第一期として3万名の知識青年が農村と辺疆へ赴いたという。
DIA-104-1974-05-04-3中国1974年05月04日1970年代駐中ソ連大使,中国外交部を訪問,ヘリと乗員の即時返還を要求-2日にはモスクワで外務次官が同趣旨の声明を中国大使に手交した。17日,中国外交官はモスクワで,乗員は中国で裁判にかけられようと示唆した。
DIA-104-1974-05-05-1中国1974年05月05日1970年代紅旗5号,史衆論文「五四運動の時期の孔子批判闘争の歴史的経験」-階級闘争のあるところ,反孔と尊孔の闘争が存在するものであり,批孔闘争は長期の任務である。現在の批林批孔運動は五四運動以来のプロレタリア階級の指導する批孔闘争の継続と発展である。
DIA-104-1974-05-05-2中国1974年05月05日1970年代人民日報社説「第三世界の団結・反覇権主義闘争の大勝利」-原料・開発問題に関する国連特別総会の閉会にあたっての総括。1日黄華副団長が発言を行ない,同会議で採択された「新しい国際経済秩序確立の宣言」と「行動綱領」を支持した。同時に第三世界諸国の「個別あるいは集団的な自力更生の原則」を強調。
DIA-104-1974-05-06-1中国1974年05月06日1970年代人民日報,呉恭聞論文「社会主義の新生事物は闘争の中から成長する」-林彪反党集団はプロ文革の中から生まれた新生事物を攻撃し,特に老中青三結合の革命委員会とその大衆代表・青年幹部を敵視していたと指摘。新生事物に反対するか,支持するかの闘争の実質は復活と反復活の闘争であり,この原則的問題に対する態度によって我々の同志一人ひとりが革命的か否かが問われていると述べ,革命の新生事物を支持し,発展させるには,反潮流の闘争精神を発揚しなければならないと強調。
DIA-104-1974-05-07-1中国1974年05月07日1970年代毛主席,サンゴール・セネガル大統領夫妻と会見-周恩来,王洪文,李先念ら首脳が同席。一行は6日北京入り,18日共同コミュニケを発表,帰国の途についた。
DIA-104-1974-05-07-2中国1974年05月07日1970年代日中航空協定,衆議院で批准さる-自民党員は57人が無届欠席。
DIA-104-1974-05-08-1中国1974年05月08日1970年代人民日報,南郁論文「革命暴力万歳」-林彪が「徳を恃むものは栄え,力を恃むものは亡ぶ」と唱えて徳治を鼓吹して革命暴力を罵ったことは,儒家の法家に対する攻撃と軌を一にするものと批判。
DIA-104-1974-05-08-2中国1974年05月08日1970年代日商岩井,初めて中国から一般炭を輸入する契約を結ぶ。
DIA-104-1974-05-10-1中国1974年05月10日1970年代京都・西安が友好都市を宣言。
DIA-104-1974-05-11-1中国1974年05月11日1970年代毛主席,ブット・パキスタン首相一行と会見-周恩来,王洪文,鄧小平ら首脳が出席。一行は11日北京入り,15日共同コミュニケ(14日付)を発表して帰国。コミュニケは平和共存5原則をふまえて亜大陸諸国との善隣関係を発展させることを希望。
DIA-104-1974-05-13-1中国1974年05月13日1970年代周総理,ブット・パキスタン首相歓迎宴に欠席,鄧小平副総理が代って主宰。周総理の健康状態が悪化との観測が高まる。
DIA-104-1974-05-14-1中国1974年05月14日1970年代「農村向け図書」の第1次出版が始まる-「批林批孔闘争を最後まですすめよう」,「大寨人の故事」など25種。
DIA-104-1974-05-14-2中国1974年05月14日1970年代甘粛省審街鉱務局,近代的な大型竪坑を建設-同局が自力で設計,建設したもので,4月28日に生産が開始された。設計石炭年生産量は60万トン。
DIA-104-1974-05-14-3中国1974年05月14日1970年代都市ガスの普及-統計によると,1965年から74年第1四半期までの間に,全国でガスが引かれた都市は16から31に増え,ガス供給量も2.5倍に,ガス使用人口も3倍余りに増えている。現在,北京,天津,上海,瀋陽,成都などもともとガスが引かれていた都市のガスの生産・供給がかなり大きく伸びたほか,南京,済南,吉林,石家荘,長沙,杭州,蘭州,ウルムチ,青島,遼陽などでも,ガス施設が新設されている。中国では,都市ガス製造にこれまでは一般的に石炭を原料とし,乾溜法を採用していた。燃料化学工業と冶金工業の発展にともなって,ガス資源も日ましに豊富になっている。そのうち,油田ガス,純天然ガス,精油所の液化オイル・ガス,炭鉱内のガス,コークス工場のコークス炉余ガス,化学肥料工場から排出される可燃性ガスなどいずれも都市ガスとして使える。
DIA-104-1974-05-14-4中国1974年05月14日1970年代福建省に2つの新しい炭坑-1つは建甌炭鉱の年産10万トンの梨山斜坑,いま1つは竜溪地区陸家地炭鉱の年産15万トンの横坑である。この2カ所の炭坑は先月1日と29日にそれぞれ生産に入っている。陸家地横坑は福建省西部の山間地区竜岩県鉄山にあり,省の関係部門の統一的計画のもとで竜溪地区が建設を受けもった。
DIA-104-1974-05-15-1中国1974年05月15日1970年代紅旗5号,余凡論文「林彪の反革命策略の破産-1冊の黒いノートを批判する」-林彪が九全大会以後,九期二中全会までの間に書いたノートの内容を紹介し批判。
DIA-104-1974-05-15-2中国1974年05月15日1970年代広州交易会閉幕-交易会開幕中の1カ月間に世界100余りの地区と国家から計2万5000人が商談と参観訪問のため訪れた。今交易会では第三世界諸国と地域からきた貿易界の人々が前回よりふえ,交易会当局は第三世界諸国と地域の貿易界の人々の要求を可能な限り満たすよう努め,その成約高はこれまでのどの交易会よりもふえた。
DIA-104-1974-05-15-3中国1974年05月15日1970年代『イズベスチァ』紙O・ボリソフ論文「だれが正常化を妨げているか」-1969年以来ソ連は首脳会談の提案,正常化協定の提案,実務協定の提案をしばしば行なっているのに,中国側は一度として肯定的イニシアティブをとっていない,と非難。
DIA-104-1974-05-15-4中国1974年05月15日1970年代北京で1974年度中ソ貿易協定が調印された。
DIA-104-1974-05-15-5中国1974年05月15日1970年代人民日報,鄭衛民論文「米多国籍企業の発展途上国に対する搾取と収奪」。
DIA-104-1974-05-16-1中国1974年05月16日1970年代大港油田の発展-人民日報の報道によると,中国の石油労働者は文化大革命の間に華北東部の海岸地区に新しい油田大港油田を建設した。同油田責任者の話によると,大港油田は1967年から1973年まで毎年国家計画を繰り上げ完遂しており,原油生産量は年平均60.9%ずつ伸びている。大港油田は大慶油田,勝利油田に続いて,中国が自力で探査,建設した新油田であり,1964年春から大慶の石油労働者によって探査が始められた。これまでに手に入った大量の地質データは,この新油田の石油ガス資源が豊富で,油層が厚く,浸透性がよく,原油も良質で経済価値が高いことを示している。この油田の開発は中国に大量の石油と天然ガスを提供し,中国の燃料構造を改め,全国の工農業生産の発展を促すのに重要な意義がある。今年第1四半期の原油生産量は昨年同期より28%伸びて国家生産計画を超過完遂し,すでに判明している石油埋蔵量も著しく増加している。
DIA-104-1974-05-17-1中国1974年05月17日1970年代新疆軍区が「直轄軍区」から「部隊(一級軍区)」へ格上げされたのが判明(RP―「読売」)。
DIA-104-1974-05-17-2中国1974年05月17日1970年代人民日報評論員論文「日中航空協定の調印を祝う」-国交正常化いらいの大きなできごとと評価,国交2周年までの正式開通に努力しようとよびかけ。
DIA-104-1974-05-17-3中国1974年05月17日1970年代中国からの初の貨物航空便,シラスを積んで羽田に到着。
DIA-104-1974-05-17-4中国1974年05月17日1970年代陳楚駐日大使が一時帰国。
DIA-104-1974-05-18-1中国1974年05月18日1970年代紅旗5号,梁効論文「《塩鉄論》を読む」-漢の武帝の採用した塩と鉄の官営専売政策は,地方諸候や大工商奴隷主などの地方割拠勢力の物質基盤を弱めて中央集権制を強化し,また地方の匈奴の侵略に備える国防費用を保証するための重要な政策であったと指摘。
DIA-104-1974-05-18-2中国1974年05月18日1970年代広東で楓樹発電所完成-すでに据え付けられている出力7万5000キロワットの第1号発電機は,昨年12月末から正式発電を始め,運転状況は良好で,豊富な電力をたえず都市と農村に送っている。同水力発電所は1970年10月に全面的に着工され,わずか3年余りで73年12月に基本的に完成した。
DIA-104-1974-05-18-3中国1974年05月18日1970年代毛主席,マカリオス・キプロス大統領と会見-周恩来,王洪文,鄧小平ら首脳が同席。同大統領は17日北京着。
DIA-104-1974-05-18-4中国1974年05月18日1970年代新華社記者論評「火事場ドロを働いているのは誰か」-カシミールの自決権を支持するという鄧副総理発言へのソ連の反論にコメント。
DIA-104-1974-05-18-5中国1974年05月18日1970年代李先念副総理,アメリカ州知事団一行と会見。
DIA-104-1974-05-19-1中国1974年05月19日1970年代人民日報評論員論文,「イスラエルの新たな犯罪行為をきびしく糾弾する」-13日から3日間にわたるイスラエルによるレバノンの村と難民キャンプへの爆撃を非難。
DIA-104-1974-05-21-1中国1974年05月21日1970年代人民日報評論員論文,「サイゴン当局はパリ協定を完全履行せよ」。
DIA-104-1974-05-22-1中国1974年05月22日1970年代革命模範劇が普及発展している-革命模範劇の映画化がすすめられることによって地方への普及が促進され,いくつかの地方劇の中へ模範劇がすでに移植されている。
DIA-104-1974-05-22-2中国1974年05月22日1970年代北京でフランス工業科学技術展開幕。
DIA-104-1974-05-23-1中国1974年05月23日1970年代人民日報,初瀾論文「正しい方向を堅持し,闘争の哲学を堅持しよう-《延安文芸講話》を学習して」-労働者・農民・兵士に奉仕する方向を堅持して,批林批孔闘争でもって文学・芸術分野の革命を促さねばならないと述べている。
DIA-104-1974-05-24-1中国1974年05月24日1970年代米籍物理学者李政道博士夫妻,周恩来,王洪文 張春橋,江青,姚文元,鄧小平,郭沫若らの首脳と会見。
DIA-104-1974-05-24-2中国1974年05月24日1970年代北京の米連絡事務所警備の海兵隊員5人,近く帰国へ(ロイター)。
DIA-104-1974-05-24-3中国1974年05月24日1970年代葉剣英,紀登奎,ルーマニア共青団代表団と会見-一行5人は18日から25日まで訪中。
DIA-104-1974-05-24-4中国1974年05月24日1970年代日中漁業協定の本格交渉,北京で開始-交渉団21人は21日に出発。
DIA-104-1974-05-24-5中国1974年05月24日1970年代日中航空協定発効。
DIA-104-1974-05-24-6中国1974年05月24日1970年代通産省,中国からの一般炭輸入割当80万トンと発表。
DIA-104-1974-05-25-1中国1974年05月25日1970年代毛主席,英前首相ヒース氏一行と会見-周恩来,王洪文,鄧小平,喬冠華らの首脳が同席。一行は24日北京入り,6月2日帰国の途についた。
DIA-104-1974-05-26-1中国1974年05月26日1970年代国務院文化組副組長に于会冰氏(作曲家・党中央委員)が就任していることが判明。
DIA-104-1974-05-26-2中国1974年05月26日1970年代中国対カンボジア1974年無償軍事装備物資供与協定に調印。
DIA-104-1974-05-29-1中国1974年05月29日1970年代毛主席,ラザク・マレーシア首相と会見-周恩来,王洪文,李先念ら首脳が同席。ラザク首相は28日北京着,6月2日まで訪中。31日,中・マ共同コミュニケに調印した。
DIA-104-1974-05-29-2中国1974年05月29日1970年代英内務省,中国人留学生(24歳)の亡命を許可-5日に英政府の保護下に入った。7月3日発表。
DIA-104-1974-05-30-1中国1974年05月30日1970年代南方各地で水稲田植え機が普及-南方各地で使われている水稲田植え機は27万7000台余りで,1966年に比べ9倍になった。
DIA-104-1974-05-30-2中国1974年05月30日1970年代外交部新聞司スポークスマン,中ソ境界河川航行問題でソ連に反論-ウスリー,黒竜江合流点約100キロをソ領内水路とし,通航の際事前通告を要求した23日のソ連外務省声明に反論。
DIA-104-1974-05-31-1中国1974年05月31日1970年代中国・マレーシアが国交を樹立-共同コミュニケに調印。
DIA-104-1974-05-31-2中国1974年05月31日1970年代中国・ザイール民間航空運輸協定に調印-北京にて。
DIA-104-1974-06-01-1中国1974年06月01日1970年代空軍司令員に馬寧氏の就任が判明-馬寧氏は文革期に吉林省軍区長春部隊責任者から吉林省革命委員会委員になっていた経歴がある。
DIA-104-1974-06-03-1中国1974年06月03日1970年代米国務省フリーマン中国部長,米中凍結資産問題はほぼ合意に近づいたと言明。
DIA-104-1974-06-03-2中国1974年06月03日1970年代稲山新日鉄会長,北京で鉄鋼圧延プラントの輸出契約に調印-同プラントは総額650億円に達する。訪中団は4日廖承志中日友好協会会長と,5日李先念副総理,李強対外貿易部長と会見した。
DIA-104-1974-06-03-3中国1974年06月03日1970年代中国から在留邦人70人が里帰り。
DIA-104-1974-06-04-1中国1974年06月04日1970年代紅旗6号短評「マルクス主義の理論の隊列を強化しよう」-要旨は以下のとおり。①文化大革命の経験と批林批孔運動の深化発展は次第にマルクス主義の理論隊列を強化する重要性を認識させた。②林彪の修正主義路線と孔孟の道を掘り下げて批判し,マルクス主義で哲学・歴史・教育・文学・芸術・法律などを含む上部構造の全ての分野を占領するためには,党の理論建設を強め,マルクス主義の理論隊列を強化することが当面解決しなければならない大問題である。③理論活動をくりひろげるには真剣に歴史と現状を研究し,革命闘争の中から提起された実際問題を理論面から説明し歴史的・現実的階級闘争の経験を科学的に総括しなければならない。④批林批孔闘争は理論の隊列を養成するもっともよい学校である。⑤理論の隊列は政治思想戦線における軍隊である。生産から離れない労農兵の理論隊列を養成して専業の理論隊列と結合させなければならない。
DIA-104-1974-06-04-2中国1974年06月04日1970年代人民日報,洪途論文「《娯楽論》を排す」-林彪の鼓吹した「文芸は娯楽の道具である」という論調を批判。
DIA-104-1974-06-04-3中国1974年06月04日1970年代チベット工業の発展-現在チベット全区にすでに電力,燃料,化学工業,機械,採鉱,建築,森林,食品,マッチ,紡績,製紙,印刷,皮革など数百の中小型工場が建設され,そのなかの70%が文革中に造られ発展したものである。またチベット族の労働者数は,文革前の1965年には2万人余りであったものが,現在では5万人に達している。
DIA-104-1974-06-05-1中国1974年06月05日1970年代董国家主席代理,周総理,ベトナム南部共和臨時革命政府成立5周年に祝電を送る。6日人民日報は社説を発表。
DIA-104-1974-06-05-2中国1974年06月05日1970年代鄧副総理,西園寺公一夫妻と会見。
DIA-104-1974-06-06-1中国1974年06月06日1970年代貴州北盤江に道路橋-冊享プイ族自治県と望謨プイ族ミヤオ族自治県の境で北盤江を渡る。全長200メートル,高さ22メートル,2台の車が平行して走れる。4月12日に完成。
DIA-104-1974-06-06-2中国1974年06月06日1970年代仏,スイスから30万kwの発電所を買付け(4000万ドル,76年末ひき渡し)(日経産業新聞6月6日)。
DIA-104-1974-06-07-1中国1974年06月07日1970年代山東省臨沂県銀雀山で発掘された西漢前期の古墳の中より,「孫子の兵法」とともに一千余年失伝していた「孫の兵法」の竹簡が発見される。
DIA-104-1974-06-08-1中国1974年06月08日1970年代中国科学院数学研究所,長城203型高級卓上型電算機の試作に成功。
DIA-104-1974-06-08-2中国1974年06月08日1970年代人民日報評論員論文,「プノンペン愛国学生運動の新しい嵐」-プノンペンの学生運動を高く評価。
DIA-104-1974-06-09-1中国1974年06月09日1970年代紅旗6号,梁効論文「商鞅を論ず」。
DIA-104-1974-06-09-2中国1974年06月09日1970年代周総理,第11回アフリカ統一機構首脳会議に祝電を送る-20日人民日報は社説を発表して会議の成功をたたえた。
DIA-104-1974-06-10-1中国1974年06月10日1970年代上海工業交通戦線,社会主義協業の新たな発展-文革以来,上海では業種,系統の境界を打破し関係ある使用単位,生産単位,研究・設計単位をひとつに組織する社会主義協業が発展している。12万5000kw二重内部水冷式発電設備,大型集積回路万能ディジタル電子計算機などはその成果である。社会主義協業によって,多くの企業,工場は技術改造のテンポをはやめ自動化,半自動化を実現している。
DIA-104-1974-06-10-2中国1974年06月10日1970年代仏F.フランク社からナイロンプラント買付け成約-価格は5000万フラン(約1000万ドル)。東北に建設される「ナイロン―66」紡績工場用に購入されたもの。78年より正式操業(日経産業新聞6月13日)。
DIA-104-1974-06-10-3中国1974年06月10日1970年代国連安保理事会で中国はバングラデシュの国連加盟を支持。
DIA-104-1974-06-12-1中国1974年06月12日1970年代人民日報,知識青年の農山村定住のモデルケースを紹介-湖南省株州市では各工場が附近の農村に「農業支援地点」を持っており,各工場経営の学校の卒業生をそこへ下放配置している。党市委員会は農村の必要,工場の大きさ,毎年の卒業生の人数などの情況にもとづいて,工場と各「農業支援地点」である人民公社・生産大隊の連携について総合的な計画を作成して,下放知識青年の配置を計画的に行っている。
DIA-104-1974-06-13-1中国1974年06月13日1970年代北京市の目抜通りに北京市革命委員会を批判する壁新聞があらわれる-北京市革命委員会の6名の労働者代表の連名によるもので,その内容の概略は次のとおり。①北京市の批林批孔運動は十分ではなく,革命委員の中には林彪集団とつながりのあった者が存在している。②革命委の中にはもと24名の労働者代表がいたが,“5.16”兵団,あるいは“反革命”と批判されて,はずされ,今はたった1人しか残っていない。革命委は大衆の意見を完全に反映しているとは言えない。③市革命委の全体会議が1970年以来,一度も開かれていない。すみやかに革命委が全体会議を開き,また批林批孔運動の座談会あるいは批判会を開くことを要求する(朝日,読売,共同)。なおこれに続いて7月上旬までに上記壁新聞への支持や,地方(省レベル)の指導部批判を中央に訴える内容の壁新聞が北京市内に続々と張出された。中には解放軍総政治部や,華国鋒中央政治局員を名指しで批判するものや,江西省で武闘が発生したことを伝えるものがある(ロイター16日,21日,24日)。この壁新聞の攻勢は5月末に出された中央からの通達によって壁新聞による個人批判の再開が許可されたためであり,その通達では壁新聞を外国人が読むことを・
DIA-104-1974-06-13-2中国1974年06月13日1970年代遼寧省北票鉱務局,中国で最深の竪坑を建設-深さ1000メートル,設計能力は石炭年産60万トン,5月に操業を開始。
DIA-104-1974-06-13-3中国1974年06月13日1970年代葉剣英党副主席,全インド故コトニス医師記念委員会訪中団一行と会見。
DIA-104-1974-06-14-1中国1974年06月14日1970年代人民日報評論員論文,「南朝鮮人民の愛国正義の闘争はかならず勝利する」-4月以来の韓国の青年学生の反ファッショ闘争を支持。13日この闘争を支持する北京大学,清華大学合同学生集会が開かれた。
DIA-104-1974-06-15-1中国1974年06月15日1970年代日本ライフル射撃選手団,中国へ出発-自衛官,警察官が参加。
DIA-104-1974-06-16-1中国1974年06月16日1970年代人民日報,法家の代表人物を紹介-少正卯,商鞅,韓非など,19日には始皇帝,李斯,劉邦などを紹介。
DIA-104-1974-06-16-2中国1974年06月16日1970年代ジュート,紅麻の栽培面積ひろがる-昔からの麻の産地,広東,広西,浙江,福建,江蘇,湖南各省では単位面積当り収量を引き上げる努力が重ねられている。現在,河南,山東,安徽3省が北部の新しい麻産地となり,この3省の紅麻播種面績は全国のジュート,紅麻播種面積の3分の1以上を占めている。
DIA-104-1974-06-17-1中国1974年06月17日1970年代西部地区上空で第16回目の核実験に成功。19日新華社発表。0.1メガトン級の小型のもの(米国側発表)。
DIA-104-1974-06-17-2中国1974年06月17日1970年代中国,マルタの大ドック建設援助協定に調印-1976年操業開始予定。
DIA-104-1974-06-18-1中国1974年06月18日1970年代人民日報社説「闘争のなかで理論隊列を育成しよう」-労働者・農民・兵士の中の積極分子がマルクス主義という武器で「儒家の書」を批判し「法家の著作」を研究することによって林彪の修正主義路線の根源が暴露されつつあると述べ,毛主席の提唱した現状と歴史をマルクス主義を用いて研究するという空気が濃厚になってきていることとして情勢をたたえる。またそのためには各級党委員会に対し理論隊列の育成強化を批林批孔運動深化の重要な措置として議事日程に入れ,百年の大計としてとりくまねばならないと要請。
DIA-104-1974-06-18-2中国1974年06月18日1970年代中国,米国産とうもろこし120万トンの輸入契約を破棄。
DIA-104-1974-06-18-3中国1974年06月18日1970年代小川大使,口頭で中国の核実験に抗議。
DIA-104-1974-06-19-1中国1974年06月19日1970年代仏ベルリエ社から,18トン積みトラック1000台を買付け(朝日6月20日)。
DIA-104-1974-06-20-1中国1974年06月20日1970年代人民日報短評,上海第5鉄鋼工場第二職場の労働者理論学習グループと北京市北新橋街道居民が《三字経》(宋代の儒学者の編さんした儒教倫理の通俗読物)をマルクス主義の観点から分析批判したものを,批林批孔運動の中で大衆の創造したりっぱな経験として紹介。
DIA-104-1974-06-20-2中国1974年06月20日1970年代紅旗6号,柳論文「農村社会主義商業工作をうまくやろう」。
DIA-104-1974-06-20-3中国1974年06月20日1970年代中国とトリニダード・トバゴが外交関係を樹立-ニューヨークで両国代表が共同コミュニケに調印した。
DIA-104-1974-06-20-4中国1974年06月20日1970年代日中漁業交渉一時中断-交渉団は23日に帰国。
DIA-104-1974-06-21-1中国1974年06月21日1970年代光明日報・吉林大学大批判組「《人定まって天に勝つ》は荀子の革命哲学である」。
DIA-104-1974-06-21-2中国1974年06月21日1970年代人民日報,彬亜論文「日本人民の北方四島の返還を要求する正義の闘争」-ソ連による4島の軍事基地化と日本・太平洋地域への拡張政策を指摘,日本での闘争の高まりを評価。
DIA-104-1974-06-21-3中国1974年06月21日1970年代肥料輸出交渉,価格折り合わず中断-25日,塩安も交渉を中断した。
DIA-104-1974-06-22-1中国1974年06月22日1970年代光明日報・北京市自動車修理公司第5工場の労働者理論小組の論文「春秋戦国時代の儒法闘争」を掲載-「編者の言葉」は,この文章を「労働者は『克己復礼』は批判できても儒法闘争は知らない」というブルジョワ階級の偏見に対する有力な回答であると賞賛。
DIA-104-1974-06-22-2中国1974年06月22日1970年代瀋陽市郊外に4つの水利灌漑工事完成-瀋陽市郊外では最近4つの水利灌漑工事が完成された。この4つの水利工事の完成だけで灌漑面積が8000ヘクタール拡大され,工事全体が完成されれば1万7000ヘクタール余り水田がつくられる。これらの工事は幹線水路の延長計100キロメートル以上,施行土石量300万立方メートル,さらに揚水ステーション,水路橋および各種鉄筋コンクリート建造物294項目が含まれている。
DIA-104-1974-06-22-3中国1974年06月22日1970年代タイの進歩作家クーラ・サイプラジット氏の追悼式が北京で行なわれる-16日北京で死去,69歳。1958年9月訪中以来中国で活動。
DIA-104-1974-06-22-4中国1974年06月22日1970年代日中民間漁業協定の1年延長を相互に確認。
DIA-104-1974-06-24-1中国1974年06月24日1970年代北京市の労働者理論隊伍が急速に成長している-全市の工業交通部門と基本建設部門の労働者理論学習補導員はすでに4万5000人余に達し,前年末より2.5倍にふえている。
DIA-104-1974-06-25-1中国1974年06月25日1970年代農村の「はだしの医者」が100余万名に達す-人民公社の大多数の生産大隊には1名または数名の「はだしの医者」がおり,生産隊には衛生員と助産婦が養成されておりその数は300万名を越えている。
DIA-104-1974-06-25-2中国1974年06月25日1970年代中国は外国船の運賃収入に課税を発表-7月1日より実施。
DIA-104-1974-06-25-3中国1974年06月25日1970年代人民日報社説,「英雄的人民,正義の事業」-朝鮮の祖国解放戦争24周年を紀念して,と副題されている。
DIA-104-1974-06-25-4中国1974年06月25日1970年代中ソ国境交渉首席代表イリイチョフ外務次官北京に到着。
DIA-104-1974-06-26-1中国1974年06月26日1970年代中国訪日展覧団の李永亭団長一行来日-大阪での中国展を主催のため。
DIA-104-1974-06-27-1中国1974年06月27日1970年代漢法薬材生産の発展-1973年の全国薬材栽培面積は1965年に比べ75%拡大され,国の買い上げ量は112%ふえ,供給量は93%ふえた。
DIA-104-1974-06-28-1中国1974年06月28日1970年代天津新港船舶修理建造所,1万トンタンカー「大慶40号」を建造(文〓報6月28日)。
DIA-104-1974-06-28-2中国1974年06月28日1970年代人民日報評論員論文,「正義の要求」-25日閉幕した第5回イスラム諸国外相会議が,いかなる非核保有国に対しても核兵器を使用しないことをすべての核保有国に要求することを決議したことを支持。
DIA-104-1974-06-28-3中国1974年06月28日1970年代中国とベネズエラが外交関係を樹立-カラカスで共同コミュニケに調印。
DIA-104-1974-06-28-4中国1974年06月28日1970年代楊振寧博士,王洪文,葉剣英,張春橋,鄧小平,郭沫若と会見。また江青,陳錫聯,紀登奎とも会見。
DIA-104-1974-06-29-1中国1974年06月29日1970年代光明日報,北京自動車製造工場労働者理論グループ執筆の「《封建論》を読む」を掲載-労働者理論小組の4名のメンバーが今年2月中旬から柳宗元の著作《封建論》に注釈を加える仕事を引きうけ中華書局編集スタッフの助力のもとで2カ月余を費して,マルクス主義の観点からわかりやすい評注を加えたもの。計4万字におよび,原文注釈,口語訳,解説など5部からなる。7月1日までのべ3日間にわたり全文を掲載。7月中旬に中華書局から小冊子として出版される。
DIA-104-1974-06-30-1中国1974年06月30日1970年代人民日報,北京自動車製造工場労働者理論小組論文「《封建論》の秦始皇帝に対する評価を語る」。
DIA-104-1974-06-30-2中国1974年06月30日1970年代新華社記者論評,「第一回戦の勝利」-20日開幕の第3回海洋法会議の議事規則討論について,単純多数決による議事運営規則の採択を評価したもの。
DIA-104-1974-07-01-1中国1974年07月01日1970年代人民日報社説「党はすべてを指導する」-中共党創立53周年の記念論文。党・政府・軍隊・大衆組織,文化・教育の分野において,また東,西,南,北,中部のすべての地域において党がすべてを指導すること,また大衆運動のなかで現われたマルクス主義に反する一部の誤った思想に対しては,団結―批判―団結の原則を堅持して導いていかねばならないことを指摘。
DIA-104-1974-07-01-2中国1974年07月01日1970年代「中国対外貿易」誌創刊-7月から季刊で出版。創刊号には李強対外貿易部長が「中国対外貿易の新たな発展」と題する論文を掲載している。
DIA-104-1974-07-01-3中国1974年07月01日1970年代仏CII社からコンピュータ1台を買い付け成約-800万フラン。関係筋によると中国が外国からコンピュータを買い入れたのはこれが初めて(日経産業新聞7月1日)。
DIA-104-1974-07-01-4中国1974年07月01日1970年代中国,英国との今夏の新規留学生交換を中止-目下中国人学生120人が在英。
DIA-104-1974-07-02-1中国1974年07月02日1970年代北京の壁新聞ブームが下火となる-2日,3日の連日にわたり地方上京組の壁新聞が首都労働者民兵の手で撤去され始めた。掲示場所も旧国際クラブ外壁だけに限定された。
DIA-104-1974-07-02-2中国1974年07月02日1970年代第3回国連海洋法会議で柴樹藩中国代表団長が演説-超大国の海洋覇権に反対し,200カイリの海洋権を支持,海峡沿岸国の主権を擁護し,国際海底区は平和目的に共同で利用することを主張。最後に西沙群島と南沙群島は中国領土の不可分の一部であると強調。
DIA-104-1974-07-03-1中国1974年07月03日1970年代北京大学と北京市のいくつかの,高等専門学校の文科系の教師と学生が批林批孔運動の普及・推進に貢献-北京大学と北京師範学院の文学・歴史・哲学・政治・経済・法律などの各系は工場・農村・部隊・居住地区などへ教員・学生を派遣して,《儒法闘争史》などの講座を開いた。北京大学の文科のある系の講座の聴講者は10数万人におよぶ。また北京大学,北京師範大学などのある部門は労農兵を招いてマルクス・レーニン・毛沢東の著作を学習する短期訓練班をもうけた。北京大学の政治・経済・法律などの部門は9期にわたりこのような短期訓練班をもうけ,すでに工場企業,人民公社,部隊,機関,学校から5700余名の労農兵と幹部・学生が学習に参加。
DIA-104-1974-07-03-2中国1974年07月03日1970年代人民日報社説,商業活動の指導強化について-3日の人民日報は第一面に広西横県の商業活動に関する調査報告を掲載するとともに,「力を入れると入れないとでは大きな違い-広西横県委員会が商業活動に対する指導を強化したことを評す」と題する社説を掲げた。そのなかでは現在,夏季作物の収穫が始まっている段階であるので,商業部門は買付けや輸送をうまく行なわねばならない。各県の党委員会は都市と農村の間の流通の重要なきずなとして商業工作を重視し,指導を強めなければならない,と述べている。
DIA-104-1974-07-03-3中国1974年07月03日1970年代人民日報評論員論文,「人を侮るにもほどがある」-インドがシッキムを従属させるための画策を暴露し,これを非難。
DIA-104-1974-07-04-1中国1974年07月04日1970年代紅旗7号,志拍論文「批孔と路線闘争―毛主席の孔子批判についての論述を学習して」-党が日和見主義路線に反対する闘争の中で孔子を批判した歴史的経験を総括。
DIA-104-1974-07-04-2中国1974年07月04日1970年代人民日報社説「朝鮮の自主的平和統一事業は必ず勝利する」-南北共同声明発表2周年。3日夜には北京の労働者,青年,婦人の集会が開かれ,金日成主席の自主的平和統一についての3原則と5項目の綱領を支持し,南朝鮮で愛国勢力と青年学生を弾圧している朴正熙集団の犯罪行為を糾弾した。
DIA-104-1974-07-04-3中国1974年07月04日1970年代上海雑技団来日-9日横浜を皮切りに中国展を中心に各地で公演。
DIA-104-1974-07-05-1中国1974年07月05日1970年代周総理が入院中であることを新華社通信が公表-訪中したジャクソン民主党上院議員と北京市内の病院で会見したことを報じたもの。
DIA-104-1974-07-05-2中国1974年07月05日1970年代紅旗7号,初瀾論文「京劇革命の十年」-京劇改革が始められてから10年になる。旧京劇の内容は主に孔孟の道を宣揚したものであり,劉少奇・彭真・周揚一味は京劇界を独立王国にしたて,孔孟の道を手段として大衆に害毒を流してきた。だからプロレタリア階級の文学・芸術革命はまず京劇を突破口とした。プロレタリア階級が文学・芸術の陣地を占領できるか否かの鍵は革命的な政治内容とできる限り完全な芸術的形式とが統一された模範作品を創作することである。また革命的模範作品の創作の中心課題はプロレタリア階級の英雄の典型を創造することである。
DIA-104-1974-07-05-3中国1974年07月05日1970年代人民日報短評「大胆に考え,大胆に行動する」,天津駅労働者理論小組の儒法闘争の研究活動を称賛-天津駅の労働者・職員は昨年9月から孔子批判活動をすすめてきたが,今年の5月の中旬に儒法闘争史研究・宣伝・講演小組が発足した。メンバーは古参労働者3名,青年労働者3名,指導幹部3名から成り,儒法闘争史の講演原稿を書きあげ5月下旬より大衆にそれを宣伝・講演し始めた。「人民日報」短評は,この実践を労農兵がマルクス主義で歴史を研究し学びとり,歴史学者の教室と教科書から史学を解放して,それを大衆の手中にある武器とすることは全く必要でありかつ可能であるということを示す労働者階級の行なったいまひとつの新しい壮挙であると称賛。
DIA-104-1974-07-05-4中国1974年07月05日1970年代ジャクソン米上院議員,病院で周総理と会見。
DIA-104-1974-07-05-5中国1974年07月05日1970年代タンザニアのTANU成立20周年式典に中国製ミグ21型戦闘機1個中隊16機が参加。
DIA-104-1974-07-06-1中国1974年07月06日1970年代北京大学哲学系,「中国哲学史」の学科の教学内容の改革で成果をあげる-尊儒反法の伝統的観念が少なからず残っていた従来の科目を改めて,儒法闘争をとりあげ,法家に対して肯定的な評価を与えるなどの改革を加えた。
DIA-104-1974-07-06-2中国1974年07月06日1970年代天津新河造船所,500トンの大型クレーン船を建造-船体は66.7メートル,幅25.2メートル,排水量は3600トン,主鈎の巻上荷重は500トン。
DIA-104-1974-07-06-3中国1974年07月06日1970年代大港油田は天津市内に所在-6日の人民日報は天津新河造船所が500トンクレーン船を建造したことを報道した記事のなかで,「天津市の大港油田」など40の企業が協力したとのべ,大港油田が天津市にあることを初めて公表した。
DIA-104-1974-07-06-4中国1974年07月06日1970年代国際サッカー連盟,中国との交流を承認。
DIA-104-1974-07-06-5中国1974年07月06日1970年代新華社記者,「ソ修社会帝国主義は硬軟両様の手口で日本をおどす」と報道-善隣,友好のスローガンで領土問題を格下げさせ,資源をエサに「集団安保」を売りこもうとしていると指摘。
DIA-104-1974-07-06-6中国1974年07月06日1970年代横浜で2日間日中友好体操競技大会開く。
DIA-104-1974-07-08-1中国1974年07月08日1970年代ジャクソン米民主党上院議員,対中国交正常化を主張-記者会見で,中国指導層は目下重大な世代交代の時期に直面しているので,両国関係を安定させるには個人を主体とする関係を正常な国家関係に高める必要があると主張。
DIA-104-1974-07-08-2中国1974年07月08日1970年代日中海運協定交渉開始-外務省国際会議場にて。
DIA-104-1974-07-09-1中国1974年07月09日1970年代紅旗9号,衛今論文「銀雀山の竹簡より秦始皇の焚書をみる」-最近,山東省臨沂県の銀雀山漠墓(西漢武帝の初年の頃のもの)から出土した竹簡にかかれていた古籍は《孫子兵法》など軍事著作か秦朝前期の諸子の書籍ばかりで儒家の書はなかった。このことから秦始皇帝の焚書はもっぱら儒家を対象にしたものであったことが裏付けられると述べている。
DIA-104-1974-07-09-2中国1974年07月09日1970年代鄭州鉄道局,河南省内京広線旅客列車のディーゼル機関車単独牽引に成功-東風る型ディーゼル機関車(1800馬力)の製造により旅客列車の牽引が従来の二重連でなくてすむようになった。これによって各路線のSLの廃止とディーゼル化の速度が大幅に上がった。
DIA-104-1974-07-09-3中国1974年07月09日1970年代新華社,論評ぬきで日本の参院選結果を初報道。
DIA-104-1974-07-10-1中国1974年07月10日1970年代キ米国務長官,10月までの適当な時期に訪中の予定と発表。
DIA-104-1974-07-12-1中国1974年07月12日1970年代遼寧旅大地区,二毛作に成功-北緯39度以北にあり,無霜期が年間170日前後の同地区は長い間1年1作が習慣となっていた。しかし文革以来,同地区で二毛作化のため冬小麦を試験栽培したが,今年3万ヘクタール余りにわたる冬小麦は豊作となり,総収穫量は7万5000トンに達し,同地区の二毛作化への道をきり開いた。
DIA-104-1974-07-12-2中国1974年07月12日1970年代ニクソン米大統領,中国武術代表団一行と会見。
DIA-104-1974-07-12-3中国1974年07月12日1970年代ベルギーML共産党第一書記訪中。
DIA-104-1974-07-13-1中国1974年07月13日1970年代ブルース米連絡事務所長,パリ経由で一時帰国に出発。
DIA-104-1974-07-13-2中国1974年07月13日1970年代大阪千里で中華人民共和国展覧会開幕-8月11日まで。260万6300人が入場,開幕式には来日中の王耀庭国貿促主任が出席。
DIA-104-1974-07-14-1中国1974年07月14日1970年代ツラン・グネス・トルコ外相が北京入り-17日まで訪中,16日に中・ト貿易協定に調印。
DIA-104-1974-07-14-2中国1974年07月14日1970年代中国・チュニジア経済協力協定の実務に関する議定書に調印。
DIA-104-1974-07-15-1中国1974年07月15日1970年代人民日報,北京市総工会労働者理論小組,北京師範大学中文系の共同研究論文「韓非の思想は戦国末期の社会大変革の時代の産物である」。
DIA-104-1974-07-15-2中国1974年07月15日1970年代キ米国務長官,ワシントンで黄鎮駐米連絡事務所長と会談。
DIA-104-1974-07-16-1中国1974年07月16日1970年代人民日報,北京大学・清華大学執筆グループ論文「新しい人物と新しい世界を反映する革命の新文芸・革`命模範劇の歴史的意義と戦闘的役割を語る」を掲載-マルクス主義で文学・芸術の領域を占領することは複雑で長期にわたる闘争であり数十年から数百年の努力を要する。
DIA-104-1974-07-16-2中国1974年07月16日1970年代湖北漢江流域に出力15万kwの水力発電所完成-黄竜灘発電所は漢江最大の支流である堵河の下流に建設され,漢河流域総合開発における重点工事のひとつ。同発電所工事には長さ371メートル,高さ107メートルのコンクリート大堰提,出力15万kwの水力発電所,貯水量10億1500万立方メートルの貯水池などが含まれる。1969年に着工,今年5月から発電開始。
DIA-104-1974-07-17-1中国1974年07月17日1970年代光明日報,解放軍某部戦士・張玉安「三国時代の法家思想の実践者―曹操」-曹操の政治路線は法家路線であったと評価。
DIA-104-1974-07-17-2中国1974年07月17日1970年代日中航空技術取決め交渉,東京で開始。
DIA-104-1974-07-18-1中国1974年07月18日1970年代光明日報,凱文論文「秦漢の変わり目における復活と反復活の闘争」。
DIA-104-1974-07-18-2中国1974年07月18日1970年代国際陸連,中国との交流を承認-中国のアジア大会参加確実になる。
DIA-104-1974-07-20-1中国1974年07月20日1970年代人民日報,座談会紀要「法家路線は我国の歴史上の科学技術の発展を促す」-最近,《教育革命通信》の編集部がいくつかの高等学校と科学研究機構の同志を招いて上記タイトルの座談会を開催。法家の革新・進歩の政治路線と唯物論的自然観は中国の生産と科学技術の発展に対し促進的役割を持ち,またいく人かの著名な科学家は政治上思想上,法家と密接な関係があった。これに対して,儒家の守旧反動の政治路線と唯心論の「天命観」「先験論」は生産と科学技術の進歩にとって桎梏であったと述べている。
DIA-104-1974-07-20-2中国1974年07月20日1970年代紅旗7号,鐘文論文「党の思想建設を強化しよう」。
DIA-104-1974-07-20-3中国1974年07月20日1970年代上海の48カ所の労働者大学にこの6年間に約8000人が参加-上海市ではこの6年来,48の労働者大学を開設し,そこで学んだものは7700余名に達し,2663名はすでに卒業した。これらの大学は工場,公司,局あるいは市・区で運営されていて修学期間は普通1年半から3年で,理工科系のみならず文科系もある。
DIA-104-1974-07-20-4中国1974年07月20日1970年代中国・ニジェールが国交を樹立-ニジェール共和国政府代表団は18日北京入り,20日シド団長は周総理と会見,同日発出のコミュニケで国交樹立,経済技術協力協定にも調印した。30日台湾政府がニジェールに断交を通告。
DIA-104-1974-07-20-5中国1974年07月20日1970年代張香山中日友協副会長ら,日中平和友好条約予備交渉に入る用意ありと言明-16日木村新外相が「平和友好条約をできるだけ早く実現させたい」と記者会見でのべたことへの返答。
DIA-104-1974-07-21-1中国1974年07月21日1970年代外人記者団,ハルビン,大慶油田の見学に招かれる-27日まで。
DIA-104-1974-07-21-2中国1974年07月21日1970年代小川駐中国大使一時帰国のため羽田着-19日北京を出発。
DIA-104-1974-07-22-1中国1974年07月22日1970年代小麦産地で優良種を普及-中国の各小麦産地では全般的に種子づくりに力を入れ,優良品種を普及させ,また普及した優良種については純系化を行なうことにも心がけて,今年の小麦の増産を促進した。現在,多収穫性,さび病耐性,倒伏に強い優良種80数種がすでに全国で大面積にわたり普及している。そして,優良種の作付面積は小麦総作付面積の8割以上を占めている。
DIA-104-1974-07-23-1中国1974年07月23日1970年代74年の基本建設の成果-1974年に,国家資金による多数の大中型水利施設と,人民公夏季食糧生産収穫総量は昨年を大幅に上回わる――中国農村の広範な幹部と公社員は深刻な旱ばつにうち勝って今年の夏季食糧の豊作を収めた。総収穫量は昨年より大幅に伸びた。今年,中国の小麦,大麦,裸麦,そら豆,エンドウなどの夏季食糧作物の作付面積は昨年より26万7000ヘクタール余り拡張された。現在,取り入れ作業はすでに終わり,脱穀や入庫作業も基本的に終わっている。すでに取り入れを終えた24省・市・自治区のうち,自然災害で減産となった少数の地区を除いて,大多数の地区ではいずれも昨年より増産を果たした。河南,河北,陝西,北京,上海,四川,甘粛,福建,天津などの省・市の夏季食糧作物の収穫量は,現地の史上最高水準を突破した。今年の豊作の特徴は,多くの夏季食糧多収穫地区で持続的な多収穫をあげ,一部の低収穫地区の収量が上向いてきたことである。最近北京で開かれた全国小麦生産現場会議の統計によれば,夏季食糧の1期ヘクタール当りの平均収量が2.25トンを超えた地区は昨年の12から今年は22地区にふえ,ヘクタール当り平均収量が3トンから3.75トンの県は,昨年の59から今年は88県・
DIA-104-1974-07-23-2中国1974年07月23日1970年代海峡の国際航行問題で中国代表,軍艦,原潜も航行自由船に入れるというソ連等の提案を非難。
DIA-104-1974-07-24-1中国1974年07月24日1970年代北京市郊外地区で小麦の移植栽培に成功-多毛作の面積を拡げ,後作の麦を減らす方法として,また小麦の安定した多収穫をもたらす新しい方法として,同地区では1972年から小麦移植栽培試験をつづけてきた。昨年,全市の10単位で行なわれた28組の対照実験の結果は直播き小麦のヘクタール当り平均収量が4.1トンであったのに対し,移植小麦は5.37トンに達し,31%の増収となった。昨年秋,郊外地区の小麦移植面積は1660ヘクタールまで拡大され,今年は著しい増産となり,ヘクタール当り平均収量が7.5トンを上回るところが昨年よりさらに多くなった。
DIA-104-1974-07-24-2中国1974年07月24日1970年代日中駐在武官交換に合意。双方3人ずつのワク決まる。
DIA-104-1974-07-25-1中国1974年07月25日1970年代北京市工業部門,技術革新の発展-今年上半期,全市の工業戦線では,1万1000項目余り(昨年同期比2000増)の技術革新が実現されており,このうち7項目余り(昨年同期の2倍)が重要項目で,生産の発展を強力に促進している。全市で大きな技術上の難題を数多く克服し,数十にのぼる機械化,自動化した生産ラインを建設し,高性能の専用設備数千台を製造したばかりでなく,応用面が広く,とり入れやすい技術革新を数多くつくり出して広めた。技術革新活動をくりひろげるなかで,各級党組織は,工場や科学研究単位,大学専門学校の協業を組織し,はやく先進水準においつき,独自の工業開発の道を歩くよう努めている。また各業種はいずれも大衆の動員,調査研究を基礎に,技術革新と技術改造の計画をたて,同時に技術革新を廃ガス,廃液,廃滓の処理,総合利用と結びつけた。最近,北京市の80余りの工場,科学研究単位,大学および病院は,関係部門の統一計画のもとに,30余りの「三廃」処理の科学研究,革新をくりひろげ,その一部はすでに成果をあげ,生産に用いられている。
DIA-104-1974-07-26-1中国1974年07月26日1970年代マニラの外交権威筋,マルコス大統領夫人が8月に訪中予定と語る(AFP)。
DIA-104-1974-07-27-1中国1974年07月27日1970年代海運交渉で中国側,日本入港船の青天白日旗の撤去を要求。
DIA-104-1974-07-28-1中国1974年07月28日1970年代チチハル車輌工場,積載量370トンの大物車を製造。
DIA-104-1974-07-28-2中国1974年07月28日1970年代南寧化工場,コークス,塊炭にかえて地元でとれる褐炭,粉炭を原料とする合成アンモニアの製造に成功。
DIA-104-1974-07-29-1中国1974年07月29日1970年代都市貯蓄の増加-今年上半期の全国都市預貯金純増額は建国以来の同期における史上最高を記録し,昨年の年間純増額の89%に達しており,文革前の1965年の年間増加額を上回っている。北京,上海,天津,河北,広東,湖南,雲南など多くの省・市・自治区では,今年上半期に伸びた都市預貯金が昨年同期の伸び高をいずれも大幅に上回った。
DIA-104-1974-07-29-2中国1974年07月29日1970年代国際石油輸入の7~9月分中国原油,バレル12ドル35セントで合意。
DIA-104-1974-07-29-3中国1974年07月29日1970年代対中鋼材輸出商談,年下半期115万トンの輸出で合意―年間では300万トンに。
DIA-104-1974-07-30-1中国1974年07月30日1970年代河北邯鄲漢光機械工場,文字,写真とも複写が可能なセレン静電複写機の試作に成功。
DIA-104-1974-07-30-2中国1974年07月30日1970年代上海第5鉄鋼工場,精鋼鋳込みで重要な技術革新-鋼塊の鋳込み技術に従来の手動操作からリモコンを使ったスライド式出鋼口,液圧オイルポンプ制御,アルゴンガス滲入自動開口の3つの技術を開発,電気炉の生産能力を増加させた。
DIA-104-1974-07-30-3中国1974年07月30日1970年代広州市の動力電気工業,小型窒素肥料工場の設備を生産-今年,広東省では年産3000トンから5000トンの窒素肥料工場を新設ならびに改築するとともに,年内に生産を開始することが決定された。この決定にもとづき,動力電気工業部門は今年に入ってから10にのぼる新設の小型窒素肥料工場と27の改築された小型窒素肥料工場に化学肥料設備を据えつけた。これらの小型窒素肥料工場は大部分すでに生産を開始している。
DIA-104-1974-07-31-1中国1974年07月31日1970年代人民日報,谷雨論文「よろこばしい成果」-第三世界が農業の発展に努力し自給率を高めつつあることを評価。
DIA-104-1974-07-31-2中国1974年07月31日1970年代外務省筋,大平談話は「すでに過去のものとなった」と表明-日台空路再開工作始まる(読売)。
DIA-104-1974-08-01-1中国1974年08月01日1970年代人民解放軍47周年建軍記念日-記念社説なし。31日の祝賀会には周総理も出席。その他,文革中失脚した楊成武(元総参謀長代理),余立金(元空軍政治委員)などが再び姿をあらわす。
DIA-104-1974-08-01-2中国1974年08月01日1970年代北京,上海,天津3市,上半期の屑鉄回収運動で58万トンを回収,21万トンを上納。
DIA-104-1974-08-01-3中国1974年08月01日1970年代レタンギ副首相のひきいる北ベトナム経済代表団訪中-8日南寧から帰国。
DIA-104-1974-08-01-4中国1974年08月01日1970年代李先念副総理,モロッコ国王特使と会見。
DIA-104-1974-08-01-5中国1974年08月01日1970年代蘇傑交道部副部長のひきいる中国政府代表団ザンビアへ出発-タンザン鉄道第6次会議のため。
DIA-104-1974-08-01-6中国1974年08月01日1970年代国連海洋法会議で凌青副団長が発言-第三世界の200海里領海と専管経済水域の主張を支持。
DIA-104-1974-08-01-7中国1974年08月01日1970年代日中海運協定交渉が中断,中国側代表は3日に帰国。
DIA-104-1974-08-02-1中国1974年08月02日1970年代人民日報,湘軍論文「湖南の地方劇《園丁の歌》を評す」-湖南省の地方劇《園丁の歌》は湖南省で1972年に専業文芸競演会に上演されたもの。この論文はこの劇を,“智育第一”,“文化至上”の修正主義教育路線をほめそやし,文革で生まれた新型の教師と学生の関係を歪曲し,教育革命を否定するものとして批判。
DIA-104-1974-08-03-1中国1974年08月03日1970年代人民日報,文革と批林批孔運動を通して思想文化面で新局面をみせた生産大隊を紹介-天津市小新荘大隊は,政治と理論を学ぶ夜学校を開設し,貧農下層中農の理論隊列を養成し,革命的模範劇を皆が唱えるようにし,業余文芸宣伝隊を編成し,大衆が詩歌創作活動をくりひろげるなどの新しい変化を生みだした。
DIA-104-1974-08-03-2中国1974年08月03日1970年代紅旗8号,池恒論文「まじめに本を読んで学習し,理論武器を掌握しよう」
DIA-104-1974-08-03-3中国1974年08月03日1970年代人民日報,北京市総工会労働者理論小組論文「“性善説”の反動的本質を徹底的につく」。
DIA-104-1974-08-03-4中国1974年08月03日1970年代首都鉄鋼公司の上半期の生産状況-人民日報の報道によると,銑鉄,鋼材,良質鋼,鉄合金,焼結炭,鋼材などの生産量は年間計画の50%以上を完遂した。さらに公司党委は今年の国家計画を達成すべく,「7月初め大衆を動員して上半期の革命と生産の情勢をまじめに分析し,経験を総括し,矛盾をあばき,遅れをみつけ,これを基礎に新たな効果的な措置を講じた」という。
DIA-104-1974-08-03-5中国1974年08月03日1970年代鄧小平副総理,ピエール・グラベル・スイス連邦委員・外相一行と会見-7日から20日まで北京でスイス工業技術展覧会が開会。
DIA-104-1974-08-03-6中国1974年08月03日1970年代新華社記者論評「またも暴露されたソ修社会帝国主義の本性」-7月24日ソ連の日本関係高官が「田中首相がもう少しソ連に友好的態度をとるのでなければソ連首脳の訪日を取り消す」(共同通信報道)と言って北方領土返還を要求する田中首相に圧力をかけたことを論評。
DIA-104-1974-08-04-1中国1974年08月04日1970年代人民日報,初瀾論文「どの教育路線のために賛歌を歌うのか」-湖南省の地方劇《園丁の歌》を再び批判。
DIA-104-1974-08-04-2中国1974年08月04日1970年代ルーマニア外相が訪中-9日李先念副総理が同外相一行と会見した。
DIA-104-1974-08-05-1中国1974年08月05日1970年代新華社記者論評「ソ修の火事場ドロに警戒しよう」-キプロス政変をめぐるソ連の動きを論評。
DIA-104-1974-08-05-2中国1974年08月05日1970年代アジア大会参加の中国チーム名簿発表-水泳を含む14種目,選手は台湾省籍選手2名を含む274名。
DIA-104-1974-08-05-3中国1974年08月05日1970年代陳楚駐日大使,帰任-肖向前,江培柱両氏も同時帰任。
DIA-104-1974-08-06-1中国1974年08月06日1970年代紅旗8号,羅思鼎論文「秦漢のかわり目の階級闘争」-従来の尊儒反法派は秦王朝の滅亡の原因が始皇帝の暴政にあったと主張していたのに対して反論。秦王朝滅亡の直接的原因は,始皇帝の死後政変によって政権を簒奪した宦官趙高が実施した儒家の政治路線にあると主張。
DIA-104-1974-08-06-2中国1974年08月06日1970年代新疆ウイグル自治区の80の県のすべてに農機修理・製造工場が設置される。
DIA-104-1974-08-06-3中国1974年08月06日1970年代甘粛省天水紅山試験機工場,初の50トン低周波高温引張圧縮試験機の試作に成功。
DIA-104-1974-08-07-1中国1974年08月07日1970年代上海市嘉定県安亭公社新涇大隊,1974―1980年の農業発展計画を作成-同大隊は嘉定県西部に位置し,食糧生産を主とする。全大隊は11生産隊,1373戸,1480人からなり,集団耕地面積は2923ムー。この地域は低地で水利が混乱しており,長年食糧生産はムー当り1000斤前後,綿花は100斤前後という生産後進地域であった。新涇大隊党支部ではこうした状況を改めるため,大衆を動員し討議のなかで1973年9月に,74年から80年までの農業発展長期計画案を制定,さらに今年6月に修正草案を決定した。この計画案は7カ年の長期計画と同時に1年毎の実施計画,さらに2つの短期実施計画を含み,合計27項目の農業増産,副業の発展,生活環境の改善などの目標を明らかにしている。7日の人民日報は上海の「学習と批判」誌74年7号に掲載された嘉定県党委員会調査組のこの長期計画案に関する調査報告を全文転載した。さらに紅旗8号はこの長期計画を全文掲載するとともに,編者の説明のなかで各地の農村でこれを参考にして,現地の情況に応じて計画をつくるよう呼びかけた。
DIA-104-1974-08-07-2中国1974年08月07日1970年代人民日報彬亜論文,「善隣友好」か大国覇権主義か-ソ連は口では「善隣友好」をとなえながら軍事力で日本を威かくしたり,領土の返還を拒否し,資源開発をエサに「アジア集団安保体制」を売りこもうとしている,と分析。
DIA-104-1974-08-08-1中国1974年08月08日1970年代人民日報社説「愛国衛生運動をりっぱにやろう」-農村では水・糞の管理と井戸,便所,畜舎,台所,環境の改善,工場では排ガス,排水,廃水の利用と処理,都市では糞便,汚水,ゴミの管理を強化するようによびかけ。
DIA-104-1974-08-08-2中国1974年08月08日1970年代各地で夏季収穫食糧の買い付け任務を達成-全国各地ですでに夏季収穫食糧の徴収・買い上げ計画を繰り上げ超過達成したが,うち北京,上海では計画を倍余り上回り,湖北,貴州では50%,浙江,天津,江蘇では20%以上上回った。河北,山東,陝西,山西,四川では徴収・買い上げ計画を達成または超過達成した。昨冬から今春にかけて,中国の少なからぬ地区では長い間日照りが続き,一部では低温,風・雹害,多雨冠水などの自然災害に見舞われ,夏季食糧生産が大きな影響を受けた。しかしさまざまな自然災害を克服し,夏季食糧の豊作をかちとった。総収穫量は昨年を大幅に上回った。
DIA-104-1974-08-09-1中国1974年08月09日1970年代赤道ギニア政府代表団が訪中-鄧小平副総理,姫外交部長らが出迎え。
DIA-104-1974-08-10-1中国1974年08月10日1970年代紅旗8号,沈思論文「林彪の“六つの戦術原則”を深くつっこんで批判しよう」-“六つの戦術原則”は毛主席の“十大軍事原則”に対抗するもので,右傾日和見主義路線の産物であると批判。1970年以後林彪はこの“戦術原則”をほめそやす各種の文書を大量に出版し,自己の名声を高めるために利用した事実を暴露。
DIA-104-1974-08-10-2中国1974年08月10日1970年代上海第15無線工場,太陽エネルギー利用の簡易炊事用具,「傘式太陽ガマ」を試作。
DIA-104-1974-08-10-3中国1974年08月10日1970年代新華社,武装闘争開始9周年記念の「タイ人民の声」放送社説(7日)を報道。
DIA-104-1974-08-11-1中国1974年08月11日1970年代山西省洪同県,腐植酸アンモニウムを製造-現地の風化した石炭を原料とし,硫酸と重炭酸ナトリウムを化学反応材に使って作られるもの。昨年秋から現在まで同県の腐植酸アンモニウムの小化肥工場は284工場に発展し,すでに4260トン余りが生産されている(新華社)。
DIA-104-1974-08-11-2中国1974年08月11日1970年代天津の上半期における工業生産-昨年同期と比べて,上半期の原油,自動車,冶金設備の生産はそれぞれ,22.5,46.7,79.6%伸びた。天津市の73年の工業総生産は,文化大革命前65年に比べ2.3倍にふえている。同市の工業は,毛主席が推した工業の全国的旗手,大慶油田に学ぶ運動をさらに強力に推し進めた。また第一石油化工工場では今年上半年,設備に検修と改造をおこない精製能力を年産30万トンから60万トンに高めた。
DIA-104-1974-08-11-3中国1974年08月11日1970年代黒竜江の地方小炭鉱-同省では近代的大型炭鉱建設と同時に,石炭埋蔵地の県と市のすべてに小型炭鉱をつくった。ここ数年来全省で新たにつくられた小型炭鉱は160余りに達し,全省の小炭鉱の石炭生産量は1965年に比べて7倍となった。
DIA-104-1974-08-11-4中国1974年08月11日1970年代張春橋政治局常委,最近アルゼンチン革命共産党中委代表団と会見。
DIA-104-1974-08-11-5中国1974年08月11日1970年代小川駐中国大使,中国へ帰任。
DIA-104-1974-08-12-1中国1974年08月12日1970年代国務院文化組主催の「全国連環画,中国画展」「戸県農民画展」などが全国巡回展覧を終える。(73年12月から本年6~7月の半年をかけて全国巡覧を行なったもの。)
DIA-104-1974-08-12-2中国1974年08月12日1970年代四省市自治区の文芸競演会が北京で開幕-国務院文化組の主催。北京で9月11日まで開催。上海,広西,湖南,遼寧の4省市自治区で創作した17の作品が上演される。
DIA-104-1974-08-12-3中国1974年08月12日1970年代人民日報,方海論文「大規模な大衆的な批孔運動-《湖南農民運動考察報告》の批孔論述を学習して」
DIA-104-1974-08-12-4中国1974年08月12日1970年代上海市の上半期における工業生産-1~7月の統計によると,トラクター,高効能低毒の新農薬,石油設備,カメラ,テレビなどは昨年同期よりも39%以上増え,自動車,内燃機関,蒸気タービン発電機,大型鍛圧設備,高精度工作機械,板ガラス,腕時計,綿ポリエスエル織物,紙巻きタバコなどは昨年同期より10%以上増えている。冶金工業戦線では今年上半期,鋼と鋼材の新品種1160をつくり,酸素製鋼の新技術も新たな発展を見せている。電子工学,超音波,同位元素,射流,数値制御などの新技術を広め応用する大衆運動が全市でさかんに発展している。これまで技術的に比較的遅れていた純毛シャツ,布製靴下,手袋,プラスチック流し込み,ゴム,キャスト,電気メッキ,ブレッシングなど20数業種は,いま技術面に急速な変化が現れている。
DIA-104-1974-08-12-5中国1974年08月12日1970年代中国科学院吉林応用化学研究所,ガス感知半導体素子の研究・製作に成功。
DIA-104-1974-08-14-1中国1974年08月14日1970年代北京工業交通基本建設部門の成果-上半期の工業総生産は国家計画を超過完遂,昨年同期より著しく伸びた。鉄道と道路貨物輸送量,完成された基本建設投資額,建物竣工面積も昨年より増え,同時に「三廃」の統制などの面でも新たな成績を収めた。人民日報の報道によると現在,各級党組織は中央の指示にもとづき,大衆を動員して上半年の計画完成状況を検査し,遅れを見つけ措置を講じ,全年の国家生産計画を超過達成すべく努力している,という。
DIA-104-1974-08-15-1中国1974年08月15日1970年代紅旗8号思想評論,平論文「儒法闘争は“犬が犬をかむ”ことか」-“儒法闘争は犬が犬をかむこと”という論調は一種の虚無主義の観点であり,支配階級内部の2つの路線闘争をみないものであると批判。
DIA-104-1974-08-15-2中国1974年08月15日1970年代中共中央委員会,ビルマ共産党創立35周年に祝電を送る-「両党の革命的友情と戦闘的団結万才!」を結びとしている。
DIA-104-1974-08-15-3中国1974年08月15日1970年代中国とブラジルが外交関係を樹立-陳潔対外貿易部副部長が政府を代表して,ブラジリアで共同コミュニケに調印。
DIA-104-1974-08-15-4中国1974年08月15日1970年代鄧小平副総理,公明党竹入委員長と会談-公明党第4次訪中団は10日出発,一行は11日北京入り,12日廖承志,張香山,林麗,孫平化らの首脳と会談。
DIA-104-1974-08-16-1中国1974年08月16日1970年代河北省景県劉府公社魁星大隊,1970年以来,5年連続“各人一頭の豚”を実現-現在,全大隊は合計394頭,平均1入当り1.2頭,各戸当り7頭を所有。4年来,国に428頭を売り,外地に1310頭を提供した。
DIA-104-1974-08-16-2中国1974年08月16日1970年代大連機関車車輌工場,単機4000馬力交直流伝動ディーゼル機関車を試作,量産を開始。
DIA-104-1974-08-16-3中国1974年08月16日1970年代廖中日友協会長,日中友好議連歓迎宴で日中平和条約の早期締結をよびかけ。
DIA-104-1974-08-17-1中国1974年08月17日1970年代新華社,地中海情勢不穏の根源はソ米の覇権争奪にある,と論評。
DIA-104-1974-08-18-1中国1974年08月18日1970年代中ソ国境交渉首席代表イリイチョフ外務次官,所用のため北京をはなれモスクワへ出発。
DIA-104-1974-08-19-1中国1974年08月19日1970年代人民日報,天津市歴史研究所大批判組論文「柳宗元と韓愈の論戦を評す」。
DIA-104-1974-08-19-2中国1974年08月19日1970年代人民元の外貨に対する為替レートを公表-18日朝の新華社電は,19日から外国為替レートを発表すると伝えた。これは新華社,中国人民銀行の各地支社,支店あて公用文書として流されたもの。新華社,中国人民銀行が外国為替レートを公表するのは初めて。
DIA-104-1974-08-19-3中国1974年08月19日1970年代日中友好議連訪中団,張香山氏らと会談-日中平和条約予備会談を実務協定交渉と並行して開催することで意見が一致。同訪中団は勝間田清一議員を団長として14日に出発,藤山愛一郎氏が団員として参加。
DIA-104-1974-08-20-1中国1974年08月20日1970年代人民日報,史衆論文「《呂氏春秋》は商鞅変法に対する反動である」
DIA-104-1974-08-20-2中国1974年08月20日1970年代人民日報短評「文芸革命の新しい成果を再度点検しよう」-12日から始まった4省市自治区演劇の北京公演を論評。今回の公演の特徴として地方劇の形式で演じられる革命模範劇が各地から参加していることを指摘。
DIA-104-1974-08-20-3中国1974年08月20日1970年代第7回アジア競技大会に参加する中国体育代表団テヘランへ出発-団長趙正洪,副団長尹錫南,倪志欽,徐寅生,解力夫。
DIA-104-1974-08-20-4中国1974年08月20日1970年代中国水泳協会,国際水連の競技禁止決定に抗議-この決定によりいったん不参加を表明した中国は,30日協議の結果,競技に参加しうることになった。
DIA-104-1974-08-20-5中国1974年08月20日1970年代新華社記者,成立6周年を迎えたルーマニア愛国防衛隊について報道。
DIA-104-1974-08-20-6中国1974年08月20日1970年代鄧小平副総理,日中友好議連および読売新聞社訪中団と個別に会見。
DIA-104-1974-08-21-1中国1974年08月21日1970年代中国の人口は8億近い-国連世界人口会議に出席している黄樹則中国代表は「建国20余年で中国の人口は約5億から8億近くに増え,約60%増加した」と述べた。
DIA-104-1974-08-21-2中国1974年08月21日1970年代中国党・政府代表団,ルーマニア解放30周年式典に参加のため出発-団長李先念,副団長耿,余湛。22日毛沢東,董必武,朱徳,周恩来の4首脳は連名の祝電を送った。
DIA-104-1974-08-21-3中国1974年08月21日1970年代世界人口会議で黄樹則中国代表団長が見解を表明-①世界人口の現状に対する基本的な見方,②人口問題発生の根源とその解決方法について,③人口政策の制定と実行について,それぞれ詳論。①についてはマルサス的悲観論を批判,②については超大国の侵略,搾取,収奪を攻撃,③については自国人民の意志にもとづく政策が基本と主張。
DIA-104-1974-08-21-4中国1974年08月21日1970年代新華社記者論評,ソ連政府がウクライナの消費物資生産不調の責任を下部に押しつけたことを非難。
DIA-104-1974-08-21-5中国1974年08月21日1970年代鄧副総理,ベトナム南部人民代表団と会見。
DIA-104-1974-08-22-1中国1974年08月22日1970年代紅旗8号思想評論,斉新論文「革命団結の促進派となろう」。
DIA-104-1974-08-22-2中国1974年08月22日1970年代民航特別機で89家族98人の日本人が里帰り-この人たちは半年間日本に滞在する。
DIA-104-1974-08-23-1中国1974年08月23日1970年代人民日報,柯術論文「十大軍事原則は永遠に光をはなつ」-林彪の“六つの戦術原則”を批判。
DIA-104-1974-08-23-2中国1974年08月23日1970年代鄧小平副総理,全国知事会訪中団と会見。
DIA-104-1974-08-23-3中国1974年08月23日1970年代藤山愛一郎氏北京で,中国は石油の対日供給量の増大を考慮しており,長期契約体制を希望している,と語る。
DIA-104-1974-08-24-1中国1974年08月24日1970年代上海鉄鋼工業,多くの平炉に酸素上吹の技術を採用-今年に入ってから上海のいくつかの鉄鋼企業において横吹転炉,平炉,キュポラなどにかなり普遍的に酸素吹き込みの技術が実験されている。
DIA-104-1974-08-25-1中国1974年08月25日1970年代蘭州化学工業公司,1~7月に年生産計画の65.6%を達成-同工場では合成アンモニア,合成ゴム,硝酸などの化学製品の生産において,従来原料に使われていたエチルアルコールや石炭のかわりに石油化学製品を原料に使う原料転換が急速に進んでいる。
DIA-104-1974-08-26-1中国1974年08月26日1970年代山東省の大学・専問学校の工農兵大学生1万人余,前後して卒業-最近3390名が卒業し,去年8月と今年2月の卒業とあわせると1万1100余名が卒業した。
DIA-104-1974-08-26-2中国1974年08月26日1970年代人民日報,首都鉄鋼公司製鋼工場白雲石職場労働者理論小組論文「苟子の《天論》を評す」。
DIA-104-1974-08-26-3中国1974年08月26日1970年代瀋陽第二建築工程公司,民用建築にスライド型ワク工法を採用-この工法は一般の混合構造の住宅より壁体の耐久性,コスト,省力化,工期などすべての面で優れている。最近,国家基本建設委員会は現場会を開き,この経験を推し広めた。
DIA-104-1974-08-27-1中国1974年08月27日1970年代中国・ラオス民間航空運輸協定北京で調印。
DIA-104-1974-08-27-2中国1974年08月27日1970年代鄧小平副総理,ルワンダ共和国外務・協力相一行と会見。
DIA-104-1974-08-27-3中国1974年08月27日1970年代日中航空協定の技術取決めに調印-同協定の「商務協定」には30日に調印。
DIA-104-1974-08-28-1中国1974年08月28日1970年代人民日報短評,紅星中朝友好人民公社の批林批孔活動をりっぱな経験として紹介-北京市大興県にあるこの公社は,五・七農民政治学校を創立しマルクス・レーニン,毛沢東の著作を学習し,孔孟の道を批判して,農村の思想文化陣地を社会主義で占領するようにしている。現在,全公社の90%以上の社員が常に五・七農民政治学校の活動に参加している。
DIA-104-1974-08-29-1中国1974年08月29日1970年代湖北省,農村の小型水力発電所は65年の130から1200にふえ,その総出力は4倍となった。
DIA-104-1974-08-29-2中国1974年08月29日1970年代青海省,1966年~73年まで全省で122の小型水力発電所を建設-文革前の16年間に建られたものの5倍余りに相当。年間発電量は66年比で6.7倍。65年に全省の電力排水灌漑用の電動機は3000kw,電力排水灌漑面積は2万8000ムーであったが,73年には2万6000kw,20万ムーに達した。
DIA-104-1974-08-29-3中国1974年08月29日1970年代姚文元政治局員,日本社会科学研究工作者訪中団と会見。
DIA-104-1974-08-30-1中国1974年08月30日1970年代玉門油田の生産状況-開発されてから30年もたつ同油田に対して,不断に改造をくわえるなかで7月末現在,同油田は工業総生産の年間計画の62.54%を達成し,昨年同期より6.07%伸ばした。原油生産量は年間計画の60.69%が完遂された。
DIA-104-1974-08-30-2中国1974年08月30日1970年代新カンボジア王国大使に孫浩を任命-康沼召大使は29日離任。
DIA-104-1974-08-30-3中国1974年08月30日1970年代陳楚大使,木村外相を訪問-外相は姫外交部長の早期来日を要請。
DIA-104-1974-08-30-4中国1974年08月30日1970年代中国向け尿素・硫安・塩安の輸出交渉原則的に合意-今年7月から12月分として尿素・硫安を硫安換算で90万トン約300億円,塩安を20万トン,約66億円,輸出することで合意。
DIA-104-1974-08-31-1中国1974年08月31日1970年代上海人民出版社,三結合の編集,創作活動をくりひろげる-労農兵の業余作家を主体とし,関係部門の党組織の指導者,専業編集者,作家からなる「三結合」の編集,創作活動をくりひろげ,刊行物の質が著しく向上している。この編さんグループは420にのぼり,総人数は3000人に達している。その半分以上を労農兵が占めている。また彼等の編さんした図書は,上海人民出版社の発行した図書の3分1のを占めている。
DIA-104-1974-09-01-1中国1974年09月01日1970年代光明日報,唐暁文論文「儒家の秦王朝滅亡の原因についてのいくつかの謬論を反駁する」-秦朝滅亡の原因として,始皇帝の“法家路線”,“焚書坑儒”,“匈奴との戦争”などを指摘する儒家の論調を否定。
DIA-104-1974-09-01-2中国1974年09月01日1970年代紅旗9号,郭寰論文「環境保護工作を重視しよう」-要旨次のとおり,●経済発展が環境汚染をひきおこし,公害となるか否かは社会制度の問題である。我々は計画経済を実行し生産発展と環境保護を両立させ,工業発展が不可避的に三廃汚染問題をひきおこすという非観的な見方をうち破らなければならない。●特に各地区,部門,各工業,生産部門において注意しなければならないことは農村の自然環境を汚染から保護することであり,これは直接的に労農同盟に影響をあたえる問題である。●工業発展と環境保護を両立させるためにも,新興工業の発展については,その配置について「大分散,小集中」を実行しなければならない。ある同志は大都市に工場を建設する方が条件が好いと一面的に強調するが,都市の規模が大きくなればなるほど用地,水源,住宅,交通運輸などに困難がまし,逆に建設が不利になるということを見ない。我々はこの問題に注意し,厳しく現有の大都市の規模を制御しなければならない。●一つの都市,地区に工業を建設するにあたっては,立地,原料,動力,水源,交通などの条件を考慮するだけでなく,地質,地形,水利,気象などの条件も考慮し,総合的に配置を考えなければならない。
DIA-104-1974-09-02-1中国1974年09月02日1970年代DJS-130小型多用途電子計算機を試作,近く量産開始-この計算機は構造が簡単で体積が小さく操作も簡単である。プログラムを自由に編成,調整,修正でき,プログラム制御のもとで自動的に中程度の複雑な計算とデータ処理などができ,工業制御に使用すると効果があがる。
DIA-104-1974-09-02-2中国1974年09月02日1970年代廖中日友協会長,青嵐会と産経新聞社を中国を敵視し,友好を妨げるものと非難-自民党小山訪中団歓迎宴で。
DIA-104-1974-09-03-1中国1974年09月03日1970年代全中国武術競技大会が最近,西安で開催された。
DIA-104-1974-09-03-2中国1974年09月03日1970年代大連紅旗造船所,2万4000トンのタンカー「大慶61号」を建造。
DIA-104-1974-09-03-3中国1974年09月03日1970年代人民日報評論員,インドのシッキム併合を恥ずべき行為と強く非難。
DIA-104-1974-09-04-1中国1974年09月04日1970年代紅旗9号短評「毛主席の軍事著作を真剣に学習しよう」-①毛主席が党内のこれまでの日和見主義軍事路線にくわえた批判のかなりの部分は林彪を対象としたものである。②毛主席の軍事著作はマルクス主義の唯物論と弁証法を戦争問題に適用したもので,それは同時に哲学著作でもある。例えば「戦略的に敵を軽視し,戦術的には敵を重視する」という思想,兵力を集中して各個撃破のせんめつ戦を行うという思想などは社会主義建設にとって普遍的な意義を持っている。
DIA-104-1974-09-04-2中国1974年09月04日1970年代毛主席,トーゴ共和国大統領夫妻と会見-エヤデマ大統領は2日に訪中,この会見には鄧副総理,王海容外交部副部長(新任),外交部副司長の斉宗華,羅旭,唐聞生が参加。5日,両国経済技術協力協定が調印され,7日,一行は北朝鮮に向けて出発した。
DIA-104-1974-09-04-3中国1974年09月04日1970年代李先念副総理,アル・ファタハ参観団と会見。
DIA-104-1974-09-04-4中国1974年09月04日1970年代フォード米大統領,G・ブッシュ共和党全国委員長を新しく米中連絡事務所長に指名。
DIA-104-1974-09-05-1中国1974年09月05日1970年代全中国水泳大会がこのほど南京市で開催された。
DIA-104-1974-09-05-2中国1974年09月05日1970年代昨年の工農業生産実績を公表-中国訪問中の自民党宏池会訪中団に対し,孫平化中日友好協会秘書長が語ったもの。それによると,食糧生産2億5700万トン(72年比7%強増加),石油生産5000万トン,鉄鋼2500万トン(日経9月6日)。
DIA-104-1974-09-05-3中国1974年09月05日1970年代鄧副総理,フルブライト上院議員を団長とする米国会議員団一行と会見。
DIA-104-1974-09-06-1中国1974年09月06日1970年代解放軍北京部隊,最近基層批林批孔経験交流会を開催-毛主席の軍事著作を学習して林彪とブルジョア階級軍事路線を批判。
DIA-104-1974-09-06-2中国1974年09月06日1970年代人民日報,北京鉄鋼学院「鉄72.2班」工農兵学生論文「政治路線と製鉄技術」-漢武帝の劉徹のすすめた塩鉄官営政策が製鉄技術の発展を促したと主張。
DIA-104-1974-09-06-3中国1974年09月06日1970年代人民日報社説,「ギニア(ビサウ)人民の偉大な勝利」-ポルトガルに対する反植民地闘争に勝利し,両政府協定に調印したことを祝賀。
DIA-104-1974-09-06-4中国1974年09月06日1970年代鄧副総理,コール西独キリスト教民主同盟党党首一行と会見。
DIA-104-1974-09-07-1中国1974年09月07日1970年代紅旗9号思想評論・斉力論文「革命的団結を堅持して批林批孔を深めよう」-プロ文革の重要な経験の一つとして「革命的大連合」を堅持したことを特に指摘し,また性質の異なる2種類の矛盾を厳格に区別して正しく処理すべきことを強調。
DIA-104-1974-09-07-2中国1974年09月07日1970年代向仲華副参謀長を団長とする軍事友好代表団,ルーマニアへ出発。
DIA-104-1974-09-07-3中国1974年09月07日1970年代米国で全国米中友好協会が成立した。
DIA-104-1974-09-07-4中国1974年09月07日1970年代鄧小平副総理,自民党小山訪中団一行と会見。
DIA-104-1974-09-07-5中国1974年09月07日1970年代新華社,北海道での北方領土返還要求運動を報道。
DIA-104-1974-09-08-1中国1974年09月08日1970年代人民日報,北京大学・清華大学大批判組論文「趙高の権力簒奪と秦朝の滅亡」-秦朝の宦官趙高は始皇帝の死後,政変により権力を奪って(紀元前210年)儒家路線を実施し,それが翌年に史上最初の大規模な農民反乱を引起し秦朝を滅すことになったと述べ,秦朝滅亡の原因を始皇帝の法家路線に帰す従来の儒家の説を批判。
DIA-104-1974-09-09-1中国1974年09月09日1970年代人民日報,清華大学・劉仙州「儒法闘争の我国の科学技術発展に対する影響」-歴史上,法家路線が実行された時期には科学技術面でめだった発展があったことを事実をあげて述べ,法家の進歩的政治路線と唯物論的自然観は科学技術の発展に促進的役割をはたし,逆に儒家の反動的政治路線と唯心論的天命観は科学技術の発展に阻害的役割を果したと述べている。
DIA-104-1974-09-09-2中国1974年09月09日1970年代中国はアンゴラ民族解放戦線に450トンの軍事機材を援助。(FNLA発表―共同)
DIA-104-1974-09-09-3中国1974年09月09日1970年代人民日報,北朝鮮建国26周年を祝う社説を発表。
DIA-104-1974-09-10-1中国1974年09月10日1970年代人民日報,北京重型電機工場労働者理論小組論文「秦末農民起義の反孔闘争」。
DIA-104-1974-09-10-2中国1974年09月10日1970年代四川盆地の天然ガス開発-昨年末までに天然ガス田は数十カ所におよび,石油や天然ガスを含む地下構造が200カ所余りも判明している。天然ガス生産能力は65年の4倍半となり,ガスパイプラインの長さも5倍余りになり,大量の天然ガスが続々都市や工場に送られるようになった(北京放送9月10日,中国通信)。
DIA-104-1974-09-10-3中国1974年09月10日1970年代毛主席,ナイジェリア武装部隊総司令官ゴウォン将軍夫妻と会見-一行は8日に北京に到着,15日新聞コミュニケを発表,帰国の途についた。
DIA-104-1974-09-11-1中国1974年09月11日1970年代人民日報,梁凌益論文「先秦法家思想の集大成者-《韓非子》を評す」。
DIA-104-1974-09-11-2中国1974年09月11日1970年代南部各地で早稲が豊作-今年,全国13の早稲生産地区では,災害に見舞われ減産の江蘇,貴州を除いて,各省・自治区とも昨年よりそれぞれ増産となり,なかでも四川では4割,雲南では2割,湖北,広東,江西ではすべて1割以上の増産となった。また各地に,大面積で平均して増産をあげた地区・県と高生産の人民公社,大隊が現れている。広東省では,9地区・市がすべて増産で,107県・市のうち,105が大幅増産となった。湖南省では,13地区・州・市と90%以上の県・市がいずれも増産であった。各省・自治区では,早稲のヘクタール当り平均収量が「全国農業発展要綱」の指標を超える公社や7.5トンを超える大隊,生産隊が現れている。四川省の今年の早稲作付面積は昨年に比べ16万ヘクタール余り拡大し,湖北省では10万ヘクタール,東省では2万6000余ヘクタール,広西では2万4000ヘクタールそれぞれ拡大されている。今年,13の早稲生産地区の作付総面積は建国以来最大になっている。
DIA-104-1974-09-11-3中国1974年09月11日1970年代中国外交部声明,インドのシッキム併呑を承認せず,シッキム人民の独立と主権をかちとる闘争を支持すると表明。
DIA-104-1974-09-11-4中国1974年09月11日1970年代来年1~6月分硫安・尿素の輸出量,約125万トン(硫安換算)で合意-価格は12月に交渉される。
DIA-104-1974-09-13-1中国1974年09月13日1970年代人民日報,江天論文「尊儒反法の悪い劇を批判し,孔孟の道の流毒を粛清しよう」-「孔孟の道」を宣揚する旧戯曲に対して大衆的な批判を展開することは批林批孔運動を深化し普及し,また「孔孟の道」の流毒を粛清するために提唱に値することである。尊儒反法の悪い芝居は儒家をほめそやし,曹操などの法家を攻撃し,「三綱五常」などの封建道徳を宣揚してきた。
DIA-104-1974-09-13-2中国1974年09月13日1970年代人民日報,詹時圃論文「一切の行動は指揮に従う」-林彪が平津戦役の中で党の指導に対抗した罪行を批判。
DIA-104-1974-09-13-3中国1974年09月13日1970年代湛江港に中国初の5万トン級タンカー埠頭が完成-バースの長さが128メートル,附帯設備には突堤,桟橋,連絡橋,4本のビットがある。8月23日に使用開始。
DIA-104-1974-09-13-4中国1974年09月13日1970年代日本輸出入銀行,今月中に対中プラント輸出融資を再開すると表明-東洋エンジニアリングのエチレンプラントに関連して。融資実施は10年ぶり。
DIA-104-1974-09-14-1中国1974年09月14日1970年代ハルビン電気機械工場,30万kw水力タービン発電ユニットを製造-すでに文革中に設計製造し,1年余りにわたる運転発電の結果,検査にパスした。この発電ユニットは目下単一のものとしては中国で出力最大のもの。
DIA-104-1974-09-14-2中国1974年09月14日1970年代湖北省襄陽地区の丹江用水路のメーン施設が完成-漢江・丹江水利センターの一環として,1969年冬に正式着工。長さ45キロと18キロの総幹線用水路,長さ4320メートルの水路橋などが工事に含まれている。
DIA-104-1974-09-14-3中国1974年09月14日1970年代貴州省烏江中流の一支流,猫跳河に紅岩水力発電所が完成-中型の発電所で,高さ60メートルの双曲線アーチ・ダム,全長184メートルの取水トンネルと発電所の建造物からなる。
DIA-104-1974-09-14-4中国1974年09月14日1970年代北京石油化工総工場勝利化工工場,廃気ガスの処理に成果-硝酸分解によって生れた酸化窒素は廃ガスとして従来大気中に放出されていたが,環境保護についての上級指導部門の指示にもとづき,同工場の労働者は科学院大連化学物理研究所と協力して廃気ガス処理にとりくんだ。彼らはまだ外国でも先例のない「触媒還原法」(銅,クロムなど非貴重金属触媒を用いる)を開発,今年1月13日に廃ガスの無害化に成功した。
DIA-104-1974-09-14-5中国1974年09月14日1970年代メキシコ経済貿易展が北京で開幕-ラテンアメリカ国家でははじめて。
DIA-104-1974-09-15-1中国1974年09月15日1970年代李副首相,食糧生産目標を語る-日本農協代表団と会見した李先念副首相は,今年の食糧生産高は2億5000万トンを達成できる見込みで,国家レベルでの備蓄食糧は少くとも8000万トンが目標,現在国家レベルでの買い上げ食糧は年間6000万トンである,などの数字を明らかにした。
DIA-104-1974-09-15-2中国1974年09月15日1970年代「“革命をつかみ,生産を促す”一つの模範」-15日の人民日報は第一面に河北省開炭鉱が批林批孔運動のなかで生産を上昇させた経験を紹介するとともに,上記表題の「短評」を掲げた。そのなかで,開炭鉱の経験は文革と批林批孔運動が生産発展の大きな動力であることをはっきりと証明するものであり,指導部の政治路線の正しさ,95%以上の幹部と大衆の革命的大団結こそそれを保証するものである,と述べた。さらに各地区,各企業は国家計画を全面的に達成,あるいは超過達成できるか否かが,批林批孔運動をうまくやっているか否かを検査する標識の一つであり,労働者階級は社会主義的積極性を発揮し,労働規律を遵守し革命と生産の勝利をかちとらなければならない,と述べている。
DIA-104-1974-09-15-3中国1974年09月15日1970年代天津工業交通部門の技術革新-今年以来,各部門で機械化,自動化が進んでいる。たとえば第一軽工業局系統のなかですでに自動化,オートメーション化されている部門の生産のシェアは昨年の48%から62%に高まった。紡績系統では電動精紡の錘はかつて全体の7.5%を占めていたのにすぎないのが,今年上半期には30%に達した。また自動吸塵梳綿機の導入率は昨年の15%から37%に高まった。
DIA-104-1974-09-15-4中国1974年09月15日1970年代周総理,モザンビークの独立に祝電を送る-7日ポルトガルとの間で独立にかんする協定が調印された。
DIA-104-1974-09-15-5中国1974年09月15日1970年代李先念副総理,日本農協団体訪中代表団と会見-李副総理は日本農業に脅威を与えるような政策をとらぬことを表明。
DIA-104-1974-09-15-6中国1974年09月15日1970年代中国少年武術団来日-東京の中国展を中心に各地で実演。
DIA-104-1974-09-16-1中国1974年09月16日1970年代人民日報,李群論文「《斉民要術》と法家思想」
DIA-104-1974-09-16-2中国1974年09月16日1970年代周総理は最近北京の病院で手術を受けたもよう。経過は良好で回復にむかっているという。心臓病説が強い(日本各紙北京特派員)。
DIA-104-1974-09-16-3中国1974年09月16日1970年代寧夏回族自治区青銅峡県内に黄河青銅峡水利プロジェクトが基本的に完成-同プロジェクトは黄河本流開発の第一期重点工事の一つで,灌漑を主とし,発電,洪水防止,防水などを結びつけた総合利用の大型水利プロジェクト。これによって20万ヘクタールの灌漑が可能となった。
DIA-104-1974-09-16-4中国1974年09月16日1970年代天津でポーランド採鉱,電気,自動車,電子機械設備展が開幕-30日まで。
DIA-104-1974-09-16-5中国1974年09月16日1970年代王耀庭主任を団長とする中国国貿促代表団が来日-20日の東京での中国展開幕式に出席,各地を訪問。
DIA-104-1974-09-17-1中国1974年09月17日1970年代王洪文,張春橋ら首脳がウィルコックス・ニュージーランド共産党書記長と会見-同氏は8月30日に広州入り。
DIA-104-1974-09-18-1中国1974年09月18日1970年代李先念副総理,メキシコ農業経済代表団と会見。
DIA-104-1974-09-19-1中国1974年09月19日1970年代光明日報,北京大学・清華大学大批判組論文「三国時代の法家路線を論ず」-三国時代の曹操と諸葛亮などを法家の人物と評価し,秦と西漢(前漢)前期の政治路線は法家路線であったが,その後,東漢(後漢)は儒家路線となり,三国時代は法家路線が再び勝利した時代であると規定。
DIA-104-1974-09-19-2中国1974年09月19日1970年代全国農村のラジオ放送網が発展-現在,全国の各県市に基本的に放送ステーションが整い,ほとんどの人民公社に中継ステーションが建てられ,90%以上の生産大隊と生産隊で放送が聴取されている。全国の63%の農家に放送スピーカーが取付けられている。
DIA-104-1974-09-19-3中国1974年09月19日1970年代毛主席,モーリタニア大統領ダツダ夫妻と会見-一行は17日北京に到着,19日経済技術協力協定に調印,3日間北朝鮮を訪問,その後中国入りし上海,南京を参観,26日病院で周総理と会見,27日北京をはなれ帰国。
DIA-104-1974-09-19-4中国1974年09月19日1970年代日中一番機招待客の日共議員に対して中国は入国を拒否。
DIA-104-1974-09-19-5中国1974年09月19日1970年代初の「駐在武官」として吉原一佐が北京に着任。
DIA-104-1974-09-19-6中国1974年09月19日1970年代民航機,JAL双方の航空路試験飛行に成功。
DIA-104-1974-09-20-1中国1974年09月20日1970年代時事通信社が新憲法草案を入手-東京の有力筋から入手し,発表したもの。
DIA-104-1974-09-20-2中国1974年09月20日1970年代中国,すでに200発ないし300発の核ミサイルを保有か-中国の核戦力増強は着実に進んでおり,ミサイルの射程はすでにモスクワを射程内に入れており,米国の主要目標も射程内に入るよう努力している(英戦略研究所)。
DIA-104-1974-09-20-3中国1974年09月20日1970年代上海嘉定県1974―1980年の農業発展計画-今年6月に同県安亭公社新涇大隊は74―80年の長期農業発展計画(修正草案)を制定したが,20日に出版された「学習と批判」誌第9号は嘉定県自体が新たに制定した30項目からなる長期農業発展計画(1973年8月制定,74年8月修正草案)を紹介した。
DIA-104-1974-09-20-4中国1974年09月20日1970年代東京晴海で中華人民共和国展覧会が開幕。
DIA-104-1974-09-20-5中国1974年09月20日1970年代朝日,日経,サンケイ各紙,いわゆる「中国の新憲法草案」を報道。
DIA-104-1974-09-22-1中国1974年09月22日1970年代文革以来の北京の工業生産の発展-人民日報の特集記事よると,北京全市の現有工業生産能力の3分の2以上は文革以来形成されたもので,昨年の工業総生産額は1949年比で111倍,1965年比で3倍となった。産業労働者の数は100万人で,北京市総人口のなかで4人に1人が労働者である。文革前の北京市の工業部門は劉少奇路線の影響をうけ,鉄鋼業のために必要な鉄鉱石は海南島から運んできたり,精練すべき鋼を外地でやったりする奇形的な状態にあった。文革後には鉄鉱石も自給できるようになり,鉄の精練,圧延もできるようになった。
DIA-104-1974-09-22-2中国1974年09月22日1970年代上海市石炭ガス公司,中国最大の容量15万立方メートルの有水複層式ラセン昇降型ガス貯蔵タンクを建造。
DIA-104-1974-09-22-3中国1974年09月22日1970年代人民日報,金益悟論文,「中国と友好国との経済技術協力」-中国は50余カ国とあいついで経済技術協力関係を確立しているとし,建国以来の活動を総括。
DIA-104-1974-09-23-1中国1974年09月23日1970年代朱徳,徐向前,アペイ・アワンジンメイら首脳,ユーゴ連邦議会代表団と会見。
DIA-104-1974-09-24-1中国1974年09月24日1970年代ブット・パキスタン首相,新疆辺防検査所を訪問。
DIA-104-1974-09-25-1中国1974年09月25日1970年代遼寧省で今年度中学卒業生16万人が農山村へ下放定住した。
DIA-104-1974-09-25-2中国1974年09月25日1970年代人民日報,鳴松論攷,「ソ修の資本主義全面復活の悲惨な結果」-汚職,横領,ブルジョア階級の腐敗した寄生的生活,青少年の不良化・犯罪,宗教・迷信のはんらんなどを暴露。
DIA-104-1974-09-25-3中国1974年09月25日1970年代運輸省,CPAL(カナダ)機の東京経由中国乗入れを認可。
DIA-104-1974-09-25-4中国1974年09月25日1970年代中国石油貿易代表団が来日-団長は張延萬化工進出口公司副総理で10~12月分の対日輸出分185万トンの価格交渉のため来日。同時に各地を視察。
DIA-104-1974-09-26-1中国1974年09月26日1970年代湘黔鉄道開通-東は湖南省株州を出て西は貴州省貴陽に到る。その東端は浙〓鉄道と結び,西端は1966年に完成した貴昆鉄道とつながる。中国南部に隴海線(蘭州―連雲港)と平行して,中国の東西を横断する2本目の大幹線ができあがり,重要な政治的,経済的意義と戦略的意義をもつこととなった。同時に雲南,貴州,四川に大きな出入りの通路が一本増えたことで,西南地区の交通がこれまで閉鎖的であった状況は根本的に改められることになった。26日の人民日報の報道によると湘黔鉄道は1970年10月に着工し,72年10月に全部完成,新たに建設された区間は延長632キロ,全線の橋梁とトンネルの長さは全長の23%をしめる。
DIA-104-1974-09-26-2中国1974年09月26日1970年代喬冠華国連総会中国代表団長,ニューヨーク滞在中の木村外相を訪問-日中平和条約交渉促進について合意。
DIA-104-1974-09-27-1中国1974年09月27日1970年代人民日報,雲嵐論文「我が国各民族の大団結を強固にし強化しよう」。
DIA-104-1974-09-27-2中国1974年09月27日1970年代毛主席,イメルダ・マルコス・フィリピン大統領夫人と会見-夫人は20日特別機で北京着,午後病院で周総理と会見,23日両国の貿易促進に関する交換文書に調印,29日帰国の途についた。
DIA-104-1974-09-28-1中国1974年09月28日1970年代人民日報,唐暁文論文「マルクス主義を学習し運用し儒法闘争史を研究しよう」-①法家の革命的役割は,奴隷制から封建制への転変の時期に歴史発展の潮流に順応して,社会の主要矛盾を解決する正しい路線を提出し,一定程度生産力を解放した。②儒法闘争が地主階級内部で進められている時,地主階級のうち比較的低階層を代表する法家と大地主,大豪族が闘争する時,法家と農民大衆の間には利益上つながりがあった。このため,法家が歴史の潮流にしたがって,制定し推行した革新の路線と政策が,客観的に大衆の要求に符合した時,彼等の主張は大衆の支持を得ることができた。農民反乱の前後に,往々にして著名な法家の代表人物が出現したことは決して偶然ではない。③法家の人物と労働人民とが歴史を推進する上で対等な役割をはたすという見方,あるいは両者は絶対的に対立する関係にあるという見方はいずれも誤りであり,歴史唯物主義に合致しない。
DIA-104-1974-09-28-2中国1974年09月28日1970年代25年来の社会主義商業の発展-1973年の全国の商品買い付け総額と小売り総額は解放初期の7倍以上となっている。今年も,夏季食糧,早稲,茶,まゆ,麻などの農業・副業産物の買い付け量は昨年より増えている。小麦が豊作だったので,一部の地区では夏だけで年間食糧徴収・買い付け任務を達成した。商品流通の拡大に伴って,商業部門の商品在庫はたえず増加し,今年6月末には文化大革命前の1965年同期の2倍近くになった。綿布やその他の各種紡績製品の供給量もたえず増え,とくに毛織物,化繊,絹織物毛糸などの販売量が一段と急速に伸びている。1952年に比べると,現在の絹織物,毛織物の販売量は30数倍になり,毛糸の販売量は20数倍になった。現在,農業・副業産物の買い付け価格は1950年の2倍近くになり,化学肥料,農薬ディーゼル油などの農業生産資材商品の販売価格は1950年の3分の1ないし3分の2に下がっている。また,食糧買い付け価格が数度にわたって引き上げられるとともに,販売価格はつねに一定に保たれている。さらに,一部の日用工業製品の小売り価格は安定しながらしだいに下がっている。例えば,医薬品の現在の小売り価格水準は1950年に比べ80%下がっている。農業・副業製品の買い付
DIA-104-1974-09-28-3中国1974年09月28日1970年代北京体育館で第7回アジア競技会に参加した体育代表団の帰国祝賀大会開く-王洪文,江青,姚文元,鄧小平,華国鋒,倪志福らの首脳が出席。同代表団は20日に帰国した。
DIA-104-1974-09-28-4中国1974年09月28日1970年代両国政府,航空運輸業所得税の相互免除に合意の書簡を交換。
DIA-104-1974-09-29-1中国1974年09月29日1970年代河北,山東,河南3省が食糧自給を実現したことの調査-人民日報は「歴史的な転換」と題して,上記の調査報告を掲載した。河北,山東,河南3省は長年食糧自給ができず「南糧北調」(南の食糧を北に運ぶ)という状態が続いた。文革以前の17年間に3省は合計270億斤,年平均15億斤の食糧を増産したが,1965年以後の8年間に3省合計334億斤,年平均41億7000万斤の食糧を増産し,文革前の17年間と比べて増産総数は64億斤,年平均で2.5倍を増産したことになる。この8年間に増産した食糧は1949年の3省の食糧生産量に近づいている。こうして1970年に3省が基本的に食糧自給を実現し,1973年には史上最高の食糧生産量となり国家に10億斤余りを提供した。この量は1949年に比べ2.5倍となった。同時に3省の166の県・市のムー当り食糧生産は「要綱」の規定した指標を超過した。昨年,河北省の地方機動財力のうち70.5%が農業生産に使われ,各地,県の地方機動財力のなかで農業に使われたのは80%以上をしめた。山東,河南両省で昨年の農業投資は70年比で2倍となり,農業支援鋼材もまた70%以上も増加した。最近数年,3省で計画的に地方“5小工業”発展をおしすすめ,文革以来,3省で200余りの小窒素肥料工場と一群の・
DIA-104-1974-09-29-2中国1974年09月29日1970年代日中双方より一番機が飛び定期空路正式開通-日本から小坂善太郎,中国から王震を団長とする友好訪問団が往来。
DIA-104-1974-09-29-3中国1974年09月29日1970年代人民日報社説,「中日の航空路正式開通を祝う」-国交正常化2周年にあたって航空路の開通をみたことは日中友好という歴史の潮流をおしとどめることができないことの表現であるとし,ひきつづき友好の増進と強化のために努力する決意を表明。
DIA-104-1974-09-30-1中国1974年09月30日1970年代渤海湾の勝利油田についてのルポ-渤海湾地区にいまひとつの大油田―勝利油田が建設された。勝利油田は幅員が広く,資源が豊富で,工業生産地区に比較的近く,海陸輸送が便利である。その開発,建設は,中国の石油工業を急速度で発展させ,中国の燃料構成と燃料工業の配置を変え,国民経済の発展を促進するのに重要な意義をもっている。勝利油田は,1964年に建設がはじまった。文化大革命以来,ここでは年々数多くの油井が生産をはじめ,毎年国家計画を超過完遂している。これらの生産した大量の原油はひっきりなしに祖国の各地に運び出され,社会主義革命と社会主義建設を力強く支援している。今年に入ってからは,さらに多数の油井と黄河を横断する長距離パイプ・ラインが完成され,操業をはじめている。
DIA-104-1974-09-30-2中国1974年09月30日1970年代中国がルーマニアにプラントと技術援助を提供する議定書に調印。
DIA-104-1974-09-30-3中国1974年09月30日1970年代中国・アルバニア1975年度物資交換支払議定書に調印。
DIA-104-1974-09-30-4中国1974年09月30日1970年代鄧小平副総理,空路開設友好訪中団一行と会見。
DIA-104-1974-10-01-1中国1974年10月01日1970年代国慶節-前夜祭で周総理が祝辞を述べ,また文革で失脚したとされていた蕭華(元軍総政治部主任),宋任窮(元政治局候補委員),胡喬木(「中国共産党の30年」の著者),伍修権(元外交部副部長)氏らが姿をあらわした。
DIA-104-1974-10-01-2中国1974年10月01日1970年代3紙誌共同社説「社会主義の大道を前進しよう」-とくに次の点を指摘。「大衆的な調査・審査活動がほぼ一段落をつげた部門は主な注意力を学習と批判に注ぐべきである」こと。当面とくに毛主席の軍事著作を学び,林彪のブルジョア軍事路線を批判しなければならないこと。
DIA-104-1974-10-01-3中国1974年10月01日1970年代プラウダ,「中国建国25周年に寄せて」という論文発表-「毛沢東路線」を「国内的には経済政策の破たんを招き,国際的には共産主義運動を分裂させた」と批判。最後に両国の協力関係の確立と発展への希望を表明。9月30日,「イズベスチア」紙も同趣旨のV・パブロフ論文を発表した。
DIA-104-1974-10-01-4中国1974年10月01日1970年代建国25周年国慶節に天皇が祝電。
DIA-104-1974-10-01-5中国1974年10月01日1970年代王震,孫平化らの友好訪日団員と陳楚大使が木村外相を訪問。
DIA-104-1974-10-02-1中国1974年10月02日1970年代第29回国連総会で喬冠華中国代表団長が発言-超大国の激しい争奪戦が,いつかはかれらの間で戦争を起こすか,あるいは人民が立ち上って革命をおこなうようになる,という論点を提起。また経済困難に直面している超大国は経済のいっそうの軍事化に活路を見出そうとしており,この点に1930年代との相似点があると指摘。
DIA-104-1974-10-02-2中国1974年10月02日1970年代聶栄臻副総理,米籍の数学者陳省身教授と夫人に会見。
DIA-104-1974-10-03-1中国1974年10月03日1970年代上海で中国最大の竪坑掘削機完成-最大直径7.4メートル,サイリスター自動制御,液圧装置などの技術を採用している。
DIA-104-1974-10-03-2中国1974年10月03日1970年代中国・ラオス経済協力協定に調印。
DIA-104-1974-10-03-3中国1974年10月03日1970年代鄧小平副総理,日中友協(正統)代表団に「尖閣列島をたな上げして平和条約を推進しよう」と語る。
DIA-104-1974-10-03-4中国1974年10月03日1970年代鄧副総理,日中文化交流協会代表団と会見。
DIA-104-1974-10-04-1中国1974年10月04日1970年代中央民族学院政治系の労農兵出身学生が卒業-1971年,全国50余の民族から1500人の学生を募集。卒業生は政治系の学生で総数175人。
DIA-104-1974-10-04-2中国1974年10月04日1970年代フィリピン安保会議・外交審議会合同会議,中国との早急な外交関係樹立を決定-7日,この旨ASEAN諸国へ通告,8日大統領は中国との国交を対ソ国交に優先させると声明。
DIA-104-1974-10-05-1中国1974年10月05日1970年代チベットの9割以上の郷に人民公社が設立されている-1959年に民主改革に着手され,1965年から人民公社が試験的に設立されはじめた。文革以後農牧畜地区の党組織が拡大され1972―73年にチベット全体で新党員は1万1000余人にのぼる。就学児童は文革前に比べ70%以上増えた。農牧畜地区のはだしの医者は4000人以上に達す。
DIA-104-1974-10-05-2中国1974年10月05日1970年代毛主席,ボンゴ・ガボン大統領夫妻と会見-鄧小平,王海容,羅旭,唐聞生が同席。一行は4日特別機で北京着,6日病院で周総理と会見,同日両国間の経済・技術協力協定と貿易協定が調印された。
DIA-104-1974-10-06-1中国1974年10月06日1970年代全身麻酔手術に使える漢方薬麻酔剤を開発するのに成功-この麻酔剤は洋金花を主薬とする複合麻酔で,各種の大・中程度の手術に使用できる。これまでの4年間に約4万人がこれで手術を受けた。
DIA-104-1974-10-06-2中国1974年10月06日1970年代人民日報,夏方豪論文「下放労働の中で新たに学習する」。
DIA-104-1974-10-07-1中国1974年10月07日1970年代全国の民兵建設に大きな成果-現在,上海の各工場,企業,機関,学校などでは民兵組織の一斉整頓を基礎に武装基幹民兵組織が拡大されており,さらに民兵を治安・防衛及び消防組織と統合し,民兵と治安に対する党の一元的指導を一段と強化した。また1年来,北京,天津など多くの大中都市では上海の経験に学んで都市民兵隊伍を整頓拡大し,民兵指揮部を設けた。昨年1年間で軍事訓練に参加した全国の民兵の数と訓練の成績は解放後のどの年も上廻った。
DIA-104-1974-10-07-2中国1974年10月07日1970年代紅旗10号,洪宇論文「歴史はらせん状に発展する」-歴史発展において前進性と曲折性の対立的統一が歴史発展の複雑ならせん状運動を構成している。歴史発展の直線的な観点は事物発展の曲折性を否定し,循環論は事物発展の前進性を否定するものである。歴史のらせん状発展がわかっておれば,闘争の過程には起伏があり緩急があり,また連合の過程には反動的事物,分裂の偏向,誤った思想に対する闘争が含まれていることを知ることができる。
DIA-104-1974-10-07-3中国1974年10月07日1970年代中国,国連本部に長城のししゅう壁かけと成昆鉄道の象牙細工を贈る-喬冠華代表が贈呈式をおこなった。9月17日中国の要求により孔子の碑文を撤去した見返り。
DIA-104-1974-10-09-1中国1974年10月09日1970年代人民日報,洪城論文「輝しい思想,偉大な勝利-《平津戦後の作戦方針について》を学習して」。
DIA-104-1974-10-09-2中国1974年10月09日1970年代国産の万トン級遠洋貨物船「風慶」号地中海など3万2000カイリの処女航海に成功,9月30日に150日ぶりに帰港。
DIA-104-1974-10-09-3中国1974年10月09日1970年代中国の外貨事情推計-ジェトロの推計によれば,73年末の中国の金保有高は7億6600万ドル(対外的支払手段として換算すれば約28億ドル),貿易収支では73年に7億4600万ドルの赤字。
DIA-104-1974-10-09-4中国1974年10月09日1970年代喬冠華外交部副部長,西独を訪問-3日間。
DIA-104-1974-10-09-5中国1974年10月09日1970年代李先念副総理,ビルマ貿易代表団と会見。
DIA-104-1974-10-09-6中国1974年10月09日1970年代国際バレーボール連盟,中国の議席を回復,台湾バレーボール協会を追放。
DIA-104-1974-10-10-1中国1974年10月10日1970年代人民日報,北京人民機器工場労働者理論グループ論文「緑林,赤眉起義の反孔闘争」。
DIA-104-1974-10-10-2中国1974年10月10日1970年代瀋陽,北京,上海などでの環境保護運動-瀋陽市は1972年からばい煙汚染をなくすことに大々的に力を入れ始めた。今年7月までに,全市6520台の炉やかまのうちすでに4492台に技術改造が行われるかまたは除塵設備が取り付けられ,4730本の煙突のうちすでに3400本余りは基本的に黒煙を出さなくなった。現在,瀋陽ばかりでなく,北京,上海のような大工業都市および開封,長春,杭州,蘭州,ハルビン,無錫,安陽,洛陽,沙市,蚌埠などの都市でも,煙突の3割から9割は基本的に黒煙を吐かなくなった。この活動をさらに推進するために,最近,国家基本建設委員会は瀋陽で全国ばい煙除去経験交流会を開き,瀋陽の経験を広め,上海,北京,開封などの都市の経験を交流した。
DIA-104-1974-10-10-3中国1974年10月10日1970年代葉剣英中央軍委副主席,里帰りの元国民党第6戦区司令長官商震氏と会見。
DIA-104-1974-10-10-4中国1974年10月10日1970年代鄧副総理,イエーメン民主人民共和国衛生代表団と会見。
DIA-104-1974-10-10-5中国1974年10月10日1970年代サントス・ポルトガル海外領土相,マカオの将来の地位については国交樹立後に中国側と検討,と言明-マカオ各界代表と会見した後言明したもの。
DIA-104-1974-10-10-6中国1974年10月10日1970年代「プラウダ」紙,中国は,ソ連による中ソ同盟復活,相互不可侵条約,兵器相互不使用条約提案および両国関係拡大の申入れに対して今のところ態度を表明していない,と報道。
DIA-104-1974-10-10-7中国1974年10月10日1970年代東京の中国展が閉幕-138万3000人が参観。
DIA-104-1974-10-11-1中国1974年10月11日1970年代オーストラリア展,北京で開幕。
DIA-104-1974-10-11-2中国1974年10月11日1970年代ベネズエラ共和国議会代表団が訪中-16日まで。
DIA-104-1974-10-12-1中国1974年10月12日1970年代新日鉄,北京で鉄鋼プラント付帯設備輸出契約(9項目,194億5000万円)に調印。
DIA-104-1974-10-12-2中国1974年10月12日1970年代鄧副総理,共同通信社加盟社長友好訪中団と会見。
DIA-104-1974-10-13-1中国1974年10月13日1970年代紅旗10号,梁效論文「儒法闘争の歴史的経験を研究する」-要旨は次のとおり。①国際共産主義運動史上,現在行なわれている批林批孔運動においてみられるように大衆を発動して歴史上の階級闘争の歴史的教訓を研究し総括することは初めてであり,重大な現実的意義と深遠な歴史的意義を持っている。②封建社会が奴隷制にとってかわる時代において(秦から西漢〔前漢〕滅亡に至るまでの250年間近く)復活と反復活の闘争が存在し,新興地主階級のイデオロギーが法家学説であった。③封建社会の中期後期以後,儒法闘争の階級的基礎が変化して,儒家学説が地主階級の支配的イデオロギーとなり,法家は地主階級中の革新派となった。
DIA-104-1974-10-14-1中国1974年10月14日1970年代本年の大学入学者は16万7000余人に達す-古い募集制度を更に改革し,応募した青年の政治性,実践経験,学力,健康状態,などを大衆に評定させ,学力程度の考査にあたっては訪問調査,座談会の形式をとった。この方法は応募者の問題を分析し解決する能力を正しく知るのに役立っている。多くは出身部門の批林批孔の積極分子か中堅分子である。
DIA-104-1974-10-14-2中国1974年10月14日1970年代人民日報,初瀾論文「生活の中の矛盾と闘争を典型化する」-文芸創作の原則として生活の暗黒面を暴露する「写実論」,「霊感論」,「無衝突論」,物語の筋だけを追う「唯物語論」,「娯楽論」など各種の誤った文芸の創作原則を批判し,社会主義文芸の創作は“生活の中の矛盾と闘争を典型化しなければならない”と述べる。
DIA-104-1974-10-14-3中国1974年10月14日1970年代人民日報,任谷平論文「第三世界は世界の歴史を前進させる偉大な原動力である」-第三世界の威力を6点に整理。
DIA-104-1974-10-14-4中国1974年10月14日1970年代中国石油,はじめてフィリピンに到着,マルコス大統領が受領式に出席。
DIA-104-1974-10-15-1中国1974年10月15日1970年代人民日報・岸苗論文「西漢前期の国家統一の闘争」。
DIA-104-1974-10-15-2中国1974年10月15日1970年代北京周報41号,王耀庭論文「発展する中国の対外貿易」を掲載。
DIA-104-1974-10-15-3中国1974年10月15日1970年代山西省城県に黄河の水をひく大禹渡電気灌漑ステーション工事の第1期工事完成-黄河の水を200メートルの高地に汲み上げ2万ヘクタールを灌漑する。
DIA-104-1974-10-15-4中国1974年10月15日1970年代人民日報,儲軒論文「独立自主,自力更生で対外貿易を発展させる」-要旨次のとおり。●1973年の輸出入総額は1952年比で5.66倍,65年比で2.59倍にそれぞれ増加した。現在150余りの国家と地区と貿易関係があり,そのうち50余りの国家と政府間貿易協定を結んでいる。●我々の対外貿易の原則は自らの人力,物力,財力に依拠して,必要と可能性にもとついておこなう。中国はソ連のように本国あるいははその他の国家の資源を外国と共同開発したり,さらに外国と合弁企業経営をやるようなこともしない。●現在,我々は100余りの第三世界国家,地区と貿易関係をもち,昨年のこれらの国家と地区との貿易額は66年比で2.63倍にふえた。我々は自己の能力の範囲内で,彼らに必要な物資を提供しているとともに,彼らのある種の販売困難な産品を買いつけている。我々は発展途上国が原料輸出国組織を結成し,一次産品の交易条件の改善を要求する闘争を支持する。●昨年,我国の輸出商品のなかで農業,副業産品の加工品の占める割合は輸出総額の65%であった。一方,原油の生産は1971年と65年の比較では4倍になり,平均毎年22%増加し,昨年から輸出を始めた。
DIA-104-1974-10-15-5中国1974年10月15日1970年代第36回広州交易会開幕。
DIA-104-1974-10-15-6中国1974年10月15日1970年代鄧小平副総理,西独聯邦議会代表団と会見-鄧副総理は,今後一世代のうちに米ソの争いがもとで第3次大戦が起る可能性ありと指摘。
DIA-104-1974-10-15-7中国1974年10月15日1970年代新華社記者報道,ソ修はツアーの伝統をうけつぎウクライナで民族圧迫政策をおこなっていると非難。
DIA-104-1974-10-15-8中国1974年10月15日1970年代人民日報評論員,「ベトナム南部人民の正義の闘争を断固支持する」-グエン・バン・チュー政権が和平協定を破壊しているという8日の臨時革命政府の声明を支持。
DIA-104-1974-10-16-1中国1974年10月16日1970年代光明日報,江天論文「マルクス主義によって上部構造の各領域を占領しよう-《紅楼夢研究の問題についての手紙》を学習して」。
DIA-104-1974-10-16-2中国1974年10月16日1970年代遼寧省,66年から73年末までに199の小型水力発電所を建設-65年比で11倍。今年に入って8月末まで,全省で新たにつくられたものの発電容量は9000kwあまり増加した。
DIA-104-1974-10-17-1中国1974年10月17日1970年代人民日報,里谷論文,「今日の『シャイロック』」-ソ連が食糧難のバングラデシュに以前に貸付けた小麦20万トン返還を要求したことを非難。
DIA-104-1974-10-17-2中国1974年10月17日1970年代李先念副総理,PFLP参観団と会見。
DIA-104-1974-10-18-1中国1974年10月18日1970年代最近,北京に集った全国各地の民兵代表と武装幹部が毛主席の軍事著作を学習して林彪のブルジョア階級の軍事路線を批判した。
DIA-104-1974-10-18-2中国1974年10月18日1970年代人民日報評論員,「バルカン国家の主権と独立の侵犯は許されない」-ユーゴが反政府秘密結社を摘発したが,この背後にソ連がいるとしてソ連のバルカンへの介入に警告。
DIA-104-1974-10-18-3中国1974年10月18日1970年代中国政府代表団と軍事友好代表団がザンビア独立10周年の祝賀行事参加のため出発。
DIA-104-1974-10-18-4中国1974年10月18日1970年代国連社会経済理事会で中国は世銀からの政権の追放を要求。
DIA-104-1974-10-18-5中国1974年10月18日1970年代中曽根通産相,中国石油の長期安定輸入を打診中と語る。
DIA-104-1974-10-19-1中国1974年10月19日1970年代紅旗10号,〓論文「億万人民の反修防修の偉大な実践」。
DIA-104-1974-10-19-2中国1974年10月19日1970年代「プラウダ」ユーリー・ジューコフ論文,中国は米ソ間に核戦争が起ることを望んでいる,と非難。
DIA-104-1974-10-19-3中国1974年10月19日1970年代張春橋政治局常委,スエーデン共産党幹部代表団と会見。
DIA-104-1974-10-20-1中国1974年10月20日1970年代毛主席,ハルトリンク・デンマーク王国首相夫妻と会見-会見には鄧小平,王海容,唐聞生,章含之が同席。一行は18日北京着,19日周総理と病院で会見,21日両国海運協定,貿易・経済合同委員会設置に関する交換文書に調印。
DIA-104-1974-10-20-2中国1974年10月20日1970年代李先念副総理,田川誠一代議士夫妻と会見。
DIA-104-1974-10-21-1中国1974年10月21日1970年代人民日報,北京第二工作機械工場理論小組論文「黄巾起義の反孔闘争」。
DIA-104-1974-10-21-2中国1974年10月21日1970年代遠洋船舶輸送の発展-今年6月末,船舶のトン数は文革前の6.3倍に増え,遠洋船隊は世界5大州の76の国家と地区の300の港に航行している。
DIA-104-1974-10-21-3中国1974年10月21日1970年代新任のブッシュ米連絡事務所長,北京に着任。
DIA-104-1974-10-21-4中国1974年10月21日1970年代日中海運協定交渉,北京で再開。
DIA-104-1974-10-22-1中国1974年10月22日1970年代ユーゴ人民軍代表団が訪中-23日李達副参謀長が招宴,26日葉剣英中央軍委副主席と会見。
DIA-104-1974-10-22-2中国1974年10月22日1970年代新華社,日ごとに悪化する主要資本主義国の経済-米,西欧,日本の経済について各国の紙誌のきびしい論調を紹介,「これらの国ぐにの政府と独占ブルジョア階級はこのような情勢に直面して恐怖と不安にかられ,なすすべを知らないありさまである」と論評。
DIA-104-1974-10-22-3中国1974年10月22日1970年代人民日報,斯辛論文,「野菜と牛皮はどこへ行ったのか?」-ブルガリアの野菜,内蒙古の牛皮がソ連に買い占められていることを批判。
DIA-104-1974-10-23-1中国1974年10月23日1970年代人民日報,詹時圃論文「敢然と闘争し,敢然と勝利する」-林彪の遼瀋戦役における右傾日和見主義路線を批判。
DIA-104-1974-10-23-2中国1974年10月23日1970年代張春橋政治局常委,イタリー共産党(ML)中央代表団と会見。
DIA-104-1974-10-23-3中国1974年10月23日1970年代タイ「ネーション」紙,北ベトナム「ニャンザン」紙編集長の「中国の領土主張は過大」との言葉を報道。
DIA-104-1974-10-23-4中国1974年10月23日1970年代新華社「日ましに悪化する日本の経済事情」-日本の新聞雑誌報道にもとついて,日本経済は不況とインフレの「併発症」にかかっており,「政界経済界の危機感は深まりつつある」という論評を紹介,来年の明通しも暗いという見方を報道。
DIA-104-1974-10-24-1中国1974年10月24日1970年代地方小型炭鉱の発展-27省・直轄市・自治区のおおまかな統計によると,1973年の小型炭鉱の石炭生産量は1965年の3.2倍に伸び,この年の全国石炭総生産量の28%を占めた。地方小型炭鉱の発展は,他の地方工業の発展を大いに促進した。湖南省寧郷県では石炭が出てきたことによって,小型鉄鋼所,小型化学肥料工場,小型機械工場,小型セメント工場などの「五小」工業120余りが興った。同県の昨年の地方工業総生産は文化大革命前の7倍余りとなった。同県のチッ素肥料工場は1970年から地元の石炭を原料にして以後,合成アンモニアの生産量が3年連続して設計値の3000トンを上回り,いまや年産1万トンの合成アンモニア工場に拡張されつつある。福建省では32の小型合成アンモニア工場のうち26工場で地元産出炭を原料に使って,これら化学肥料工場の正常な生産を保証している。
DIA-104-1974-10-24-2中国1974年10月24日1970年代玄峻極北朝鮮駐中大使,北京で中国人民志願軍参戦24周年レセプションを主催-陳錫聯,聶栄臻らの首脳が出席した。
DIA-104-1974-10-25-1中国1974年10月25日1970年代雲南省の地方工業-雲南省は,大中小同時振興,在来のものを同時に発展させるなど一連の二本脚で歩く方針を堅持して,地方工業を積極的に発展させ,大きな成果を収めている。現在,同省ではすでに,製鉄所(鉄鉱山),非鉄金属鉱,炭鉱,化学肥料工場,農機工場,セメント工場,小型発電所など数百の基幹工場を建てており,このほかに1000を超える農村人民公社経営の小鉄鉱,小非鉄金属鉱,小炭坑,小発電所,小農機修理工場などがある。1973年を文化大革命前の65年とくらべてみると,地方工業のうち,冶金,石炭,農業機械,セメントなどの生産量と生産額はそれぞれ3倍から4倍余りに伸び,チッ素肥料の生産量は20数倍に伸びた。いま,地方工業は雲南省の国民経済の中でかなり重要な地位を占めている。銑鉄,非鉄金属,セメント,石炭の生産量は,それぞれ総生産の2割から5割近くを占めるまでになっている。
DIA-104-1974-10-26-1中国1974年10月26日1970年代水稲,小麦の品種改良-中国では農作物の品種改良で大きな成果があがっており,主要農作物の品種更新があいついで実現されている。これらの優良品種を用いれば,同じ条件で一般にこれまでの品種より2割前後の増産をはたせる。
DIA-104-1974-10-26-2中国1974年10月26日1970年代1975年度中国対北ベトナム経済軍事物資供与協定に調印-8月にひきつづき25日レ・タン・ギ副首相が北京入り,27日病院で周総理と会見。
DIA-104-1974-10-26-3中国1974年10月26日1970年代周総理,第7回アラブ諸国首脳会議の開催に祝電を送る。
DIA-104-1974-10-26-4中国1974年10月26日1970年代中・朝鉄道代表団が国境鉄道会議議定書に調印-1974年例会は朝鮮沙里院市で開かれた。
DIA-104-1974-10-27-1中国1974年10月27日1970年代新華社記者論評,「ソ修が調子を変えた目的はどこにあるのか」-パレスチナ問題は「難民問題」であるとしてきたソ連が急にパレスチナ人民の「合法的な民族権利」を「支持」しはじめたねらいは,和平会議にソ連も介入したいがために他ならぬと暴露。
DIA-104-1974-10-27-2中国1974年10月27日1970年代人民日報,馬興華論文,「アメリカ労働運動の新たな高まり」-アメリカ独占資本は経済危機を労働人民に転嫁しようとしており,労働者の反抗が高まりつつあると指摘。
DIA-104-1974-10-28-1中国1974年10月28日1970年代米1955年の「台湾決議」の廃止を決定-9日上院で,11日下院で決議され,この日大統領が署名し即日発効したもの。
DIA-104-1974-10-29-1中国1974年10月29日1970年代中国民航の北京―カラチ―パリ国際空路が正式開通。
DIA-104-1974-10-29-2中国1974年10月29日1970年代鄧小平副総理,自民党議員訪中団と会見-団長は浜野清吾議員。鄧副総理は①石油輸出の漸次増加は可能,②中国は全国人民代表大会の開催を準備中,③日中文化交流協定を結ぶのは良いことである,と言明。また「日本では“田中首相の問題”が騒がれているが,中国は,これを論評したり関与する権利はない。……田中首相,大平蔵相がこの難関を乗りこえられるよう願っている」とのべた。
DIA-104-1974-10-29-3中国1974年10月29日1970年代クラレ,中国からポパール生産プラントを受注と発表-年産4万5000トン,総額54億円。
DIA-104-1974-10-31-1中国1974年10月31日1970年代フホホト鉄道局の生産の第一線に,各級幹部が参加-中共内蒙古自治区委員会は各盟・市委員会と鉄道局の各級党組織に対し,各級の指導幹部が積極的に運輸労働に参加し,冬の鉄道運輸工作をりっぱにやるよう通達を出した。10月23日と28日の両日,自治区党委員会の尤太忠第一書記,呉濤書記をはじめ自治区党,政府,軍の指導幹部は自ら多くの幹部,部隊を率いてフホホト地区で貨物の積みおろしに参加した。人民日報は上記のことに関し「根本的な大事」と題する短評を掲げ,そのなかで“彼らのこういうやり方は大いに提唱に値する”と述べ,さらに「各級指導幹部はより一層大衆の中へ入り,実際の中へ入り,特に全局的に重要な影響力をもつ単位へ入り,大衆とともに批林批孔を行い生産労働に参加し,真剣に調査研究をしなければならない」と述べている。
DIA-104-1974-10-31-2中国1974年10月31日1970年代周総理,ニクソン前大統領に病気見舞の電報を送る。
DIA-104-1974-10-31-3中国1974年10月31日1970年代華国鋒政治局員,日本社会党活動家訪中団と会見。
DIA-104-1974-11-01-1中国1974年11月01日1970年代劉少奇前国家主席がすでに死亡してると香港で発行されている中国系英字紙「大公報」が報道。
DIA-104-1974-11-01-2中国1974年11月01日1970年代紅旗11号,燕楓論文「戦略上は敵を蔑視し,戦術上では敵を重視する」-毛主席の軍事著作学習の一環。
DIA-104-1974-11-01-3中国1974年11月01日1970年代紅旗11号,“風慶”号党支部論文-「意気〓然たる3万2000海里」と題し,国産の遠洋貨物船「風慶」号が処女航海に成功したことについてのルポであるが,これに関して紅旗編集部は次のような「編者のことば」をつけている。「“風慶”号の初の遠洋処女航海の成功は,毛主席の“独立自主,自力更生”方針の凱歌である。それはプロレタリア階級と革命人民の志気を高め,洋奴哲学,爬行主義の類の買弁ブルジョア階級の思想に対する一つの有力な批判である。この意義は造船業と海運業についてだけに限定されるものでは決してない。“風慶”号の革命精神を我々はおおいに発揚しなければならない。」
DIA-104-1974-11-01-4中国1974年11月01日1970年代人民日報,国家建設委員会執筆小組論文「設計革命勝利の10年」。
DIA-104-1974-11-01-5中国1974年11月01日1970年代鄧小平副総理,ザィール国民教育友好代表団と会見。
DIA-104-1974-11-01-6中国1974年11月01日1970年代新華社記者論評,「アラブ共同事業のために団結して闘う」-第7回アラブ諸国首脳会議の閉幕に際し,その成果を高く評価。
DIA-104-1974-11-01-7中国1974年11月01日1970年代北京で吉原駐在武官主催の自衛隊記念日パーティーに李達軍副総参謀長ら軍関係者30人が出席。
DIA-104-1974-11-02-1中国1974年11月02日1970年代紅旗11号思想評論,池恒論文「一が分かれて二になる弁証方法を掌握しよう」。
DIA-104-1974-11-02-2中国1974年11月02日1970年代人民日報,初瀾論文「文芸作品の深度問題を語る」
DIA-104-1974-11-02-3中国1974年11月02日1970年代北京市と冶金工業部の指導幹部が首都鉄鋼公司で労働参加-北京市の党委員会,革命委員会,総工会,共青団,婦女連合会と各部門の責任者が参加。これより先,冶金工業部の部長,副部長が機関幹部を率いて労働に参加。
DIA-104-1974-11-02-4中国1974年11月02日1970年代鄧小平副総理,ブッシュ米連絡事務所所長と会見。
DIA-104-1974-11-02-5中国1974年11月02日1970年代コスイギンソ連首相,フルンゼで演説,アジア集団安保構想を再び強調-また,ソ連は“中ソ国境を平和と善隣協力と友好の国境”にするため努力していると言明。
DIA-104-1974-11-02-6中国1974年11月02日1970年代新華社記者論評,「ラッサールの亡霊の再現」-ソ連での“福祉を高める”ために働らけという論調を批判。
DIA-104-1974-11-02-7中国1974年11月02日1970年代日中海運協定,北京で仮調印。
DIA-104-1974-11-03-1中国1974年11月03日1970年代安徽省淮南市の各級幹部,採炭現場で労働参加-人民日報の報道によると,今年上半年の批林批孔運動の展開のなかで,一握りの階級敵は幹部と大衆の関係を破壊し,生産に打撃をあたえることによって,批林批孔運動を破壊した。現在,市党委員会と淮南鉱務局党委書記,副書記,革命委主任など,機関,科室の人員のなかで常に3分の1から2分の1の幹部がそれぞれ淮南市の炭鉱に入り,生産の第一線に参加しているという。
DIA-104-1974-11-03-2中国1974年11月03日1970年代イェン・サリの率いるカンボジア経済・財政代表団北京着-一行は中国滞在後15日北朝鮮訪問に出発。21日朝鮮から北京入り,24日周総理と会見,上海,長沙,海口,南寧を経て12月4日帰国。
DIA-104-1974-11-03-3中国1974年11月03日1970年代人民日報,範秀竹論文「『緩和』のうまい使い方」-ソ連がギニア(ビサウ)の独立を世界の緊張緩和によってもたらされたとのべた点に反論。
DIA-104-1974-11-04-1中国1974年11月04日1970年代山東,河南など7省の指導者が労働参加-山東省委の白如冰張秀,蘇毅然の各氏は済南駅で,河南省委の劉建勲,耿起昌ら各氏は鄭州の20工場・企業で,甘粛省委の宋平氏らは蘭州西駅で,湖北省委の張平化,楊大易氏らは長沙北駅で,湖北省委の王六生,趙辛初氏らは武鋼で,山西省委の王謙,曹中南氏らは太原鉄鋼所で,陝西省委の李瑞山氏らは,銅川鉱務局で,最近それぞれ第一線の労働に参加し,そのなかで同時に労働者に毛主席,党中央の一連の指示を説明し,革命に力を入れ,生産を促す方針を宣伝した。
DIA-104-1974-11-04-2中国1974年11月04日1970年代シァヌーク殿下夫妻,アルジェリアから北京に帰着。
DIA-104-1974-11-04-3中国1974年11月04日1970年代安致遠代表,国連第一委員会で軍縮問題について発言-米ソの争奪による新しい戦争の危険性が高まっており,これに対して中小国は警戒心を高め,必要な防衛力を強化すべきである,と強調。
DIA-104-1974-11-04-4中国1974年11月04日1970年代方毅対外経済連絡部長,タンザン鉄道は来年完成の予定と語る-予定より2年早い(AP)。
DIA-104-1974-11-06-1中国1974年11月06日1970年代毛主席,ウイリアムズ・トリニダード・トバゴ首相と会見-一行は5日北京着,11日新聞公報を発表,帰国。
DIA-104-1974-11-06-2中国1974年11月06日1970年代駐中国のソ連大使,10月革命57周年レセプション開催-余湛外交部副部長,姚依林対外貿易部副部長,彭紹輝副総参謀長,魏伯亭総政治部副主任,蔡洪林中ソ国境交渉副団長が出席。国境交渉ソ連側副団長ガンコフスキーも出席。
DIA-104-1974-11-06-3中国1974年11月06日1970年代ソ連10月革命57周年への全人代常委と国務院の祝電,そのなかで中ソ国境交渉再開を提案-北京放送によるとその内容は,①1969年9月の周・コスイギン両国首相の合意にのっとり,②相互不可侵,相互武力不行使を内容とする,③現状維持,武力衝突防止,論争の的となっている地区での双方の兵力引離しなどの取決めに調印し,④境界問題全般にわたり解決を図る,よう提案。
DIA-104-1974-11-06-4中国1974年11月06日1970年代北京で中朝科学技術協力委第15回会議議定書に調印。
DIA-104-1974-11-06-5中国1974年11月06日1970年代中国中央楽団,日本公演を完了帰国-林麗中日友協理事を団長に10月11日来日,各地を公演。
DIA-104-1974-11-07-1中国1974年11月07日1970年代人民日報,田志松論文「階級分析の方法を堅持しよう」。
DIA-104-1974-11-07-2中国1974年11月07日1970年代李強対外貿易部部長,フィリピン経済貿易代表団歓迎宴を開く-一行はこの日に北京到着,12日李先念副総理と会見,14日広州へ向った。
DIA-104-1974-11-07-3中国1974年11月07日1970年代国連世界食糧会議で赫中士中国主席代表が発言-食糧危機をもたらしたのは植民地主義,帝国主義,超大国であり,被害者は発展途上国であると強調。「1972年から現在までの約3年間に中国は20余億ドル相当の食糧,主として小麦を輸入,同一時期に全部で20余億ドル相当の食糧,主として米を輸出した」とのべた。
DIA-104-1974-11-08-1中国1974年11月08日1970年代人民日報短評「精兵簡政を堅持しよう」-河南省霊宝県の精兵簡政の経験を紹介。「精兵簡政」は国家機関が官僚主義を克服し,修正主義をさけるための重要措置の一つであり,分担がさらに細かになれば人員もそれだけ増えると考えるのは実際的ではないと述べている。
DIA-104-1974-11-08-2中国1974年11月08日1970年代李先念副総理,今後中国は米国から食糧買付契約をしないと表明-日本の古河グループとの会見の席で明らかにしたもので,世界食糧会議でのキ米国務長官の中国はソ連と同じ食糧輸入国,という発言に反発したものとみられている(日中関係筋16日,共同)。
DIA-104-1974-11-08-3中国1974年11月08日1970年代李先念副総理,古河グループ代表団と会見。
DIA-104-1974-11-09-1中国1974年11月09日1970年代紅旗11号思想評論,黎新論文「団結と闘争の関係を正しく処理しよう」-「批林批孔運動の中で,いくらかの単位と地区で林彪の修正主義路線を批判すると同時に,一部の指導的同志の思想上政治上の路線問題及び官僚主義と大衆離脱の不良作風をあばき出し批判した。」「四大(大鳴,大放,大字報,大弁論)の武器を運用して党と国家の各級幹部に革命的監督を実行することは,人民の権利である」と述べている。
DIA-104-1974-11-09-2中国1974年11月09日1970年代上海市の各級指導幹部が工場と交通運輸の生産労働に参加-上海鉄道東駅で,最近5日間に,労働に参加した市・局の指導幹部と機関幹部はのべ1300人余にのぼる。幹部の集団労働参加については多種多様な制度化がすすんでおり,その方式としては毎週1~2日の労働参加を行う,「三三制」(常時幹部の3分の1が基層単位で労働,3分の1が調査研究,3分の1が日常業務を行う制度)をとる,「五七」戦闘隊を組織して毎年3カ月間労働を行う,などの各種方法がとられている。
DIA-104-1974-11-09-3中国1974年11月09日1970年代上海第5鉄鋼工場,高速鋼ノコ身製造に使う冷間圧延高速帯鋼の量産に成功-これまで高速帯鋼は国外からの輸入に頼っていたが,労働者達は高速帯鋼を輸入するためには,「大量の農産物によって交換せねばならず,ある外国資本家が機に乗じて暴利をむさぼっている」ことに怒りを感じるなかで,自力で製造したという。
DIA-104-1974-11-09-4中国1974年11月09日1970年代中国外交筋,キ米国務長官が訪ソ後に訪中の予定と語る-11日,米国務省と新華社が25日から29日にかけて訪中と公告。
DIA-104-1974-11-10-1中国1974年11月10日1970年代河北,遼寧など新たに18省・自治区の各級幹部が工場,鉄道駅で生産労働に参加。
DIA-104-1974-11-10-2中国1974年11月10日1970年代人民日報,夏南論文「ソ修社会帝国主義の東南アジアへの拡張と浸透」-戦略面,経済面,文化交流面,スパイ活動などについて詳論。
DIA-104-1974-11-10-3中国1974年11月10日1970年代新華社記者論評,「ソ修が朴正熙集団と結托していることを暴露すべきである」-海外各紙のニュースを総合し,韓国政府とソ連の接触を暴露。
DIA-104-1974-11-10-4中国1974年11月10日1970年代鄧小平副総理,河野陸連会長と会見-河野謙三氏は8日訪中,9日日中陸上定期競技会開催に合意。この日2人は「日中平和条約の妥結は半年で可能」との見通しで一致。
DIA-104-1974-11-10-5中国1974年11月10日1970年代紀登奎政治局員,日本青年友好訪中団一行と会見。
DIA-104-1974-11-11-1中国1974年11月11日1970年代光明日報,申璞昌論文「林彪は東北で結局どんな路線をとったのか-反動的なパンフレット《東北解放戦争時期の林彪》を批判する」。
DIA-104-1974-11-11-2中国1974年11月11日1970年代74年の中国の貿易収支は大幅赤字か-米銀行FNCBが11日に発表した報告によると,中国の貿易収支は73年に2億2900万ドルの赤字だったが,74年の赤字は7億3500万ドルに達すると推定される(信濃毎日11月12日)。
DIA-104-1974-11-11-3中国1974年11月11日1970年代人民日報,朱星論文「南朝鮮人民の反独裁民主化闘争はひきつづき発展している」。
DIA-104-1974-11-11-4中国1974年11月11日1970年代中国側,日本からの化学肥料輸出11,12月分の積出しを2カ月延期するよう要請-支払外貨の不足によるものと見られている。
DIA-104-1974-11-12-1中国1974年11月12日1970年代毛主席,ルバイ議長と会見-ルバイ議長の率いるイエメン人民民主共和国代表団は10日北京入りし,病院にて周総理と会見,13日両国政府経済技術協力協定に調印,18日北朝鮮へ向った。20日新聞コミュニケが発表された。
DIA-104-1974-11-12-2中国1974年11月12日1970年代韓念竜外交部副部長訪日-韓副部長は13日日中海運協定に調印,同日木村外相との会談で平和条約予備交渉の開始に合意し,同日から3日間東郷次官と会談,15日田中首相と会見,19日に帰国。両次官会談では平和友好条約についての基本的な考え方を交換,大阪・上海に総領事館を設置することについて進展があった。
DIA-104-1974-11-12-3中国1974年11月12日1970年代北京大学訪日団来日-12月6日まで招待先の京大人文科学研究所をはじめ全国各大学と交流。
DIA-104-1974-11-13-1中国1974年11月13日1970年代人民日報,軍政大学大批判組論文「軍隊はいつでも党と人民の手の中に掌握されなければならない」-林彪が「軍隊中心論」を鼓吹して,軍を党の上におき党の軍に対する絶対的指導を否定した罪行を批判。
DIA-104-1974-11-13-2中国1974年11月13日1970年代国務院文化組がベトナム南部共和文化代表団歓迎宴を開く。
DIA-104-1974-11-14-1中国1974年11月14日1970年代人民日報,北京市順義県天竺公社理論小組,北京大学・清華大学大批判組共同執筆論文「婦女の徹底的解放は社会主義の歴史段階の一つの重要任務である」―《改良女児経》を批判。
DIA-104-1974-11-14-2中国1974年11月14日1970年代鉄道車輌用合成樹脂制輪子の試作に成功。
DIA-104-1974-11-14-3中国1974年11月14日1970年代鄧小平副総理,米大学学長代表団と会見。
DIA-104-1974-11-15-1中国1974年11月15日1970年代紅旗11号思想評論,薛崙論文「党の一元的指導を強化しよう」-「少数の党員の中には意識的にあるいは無意識に党から独立をはかる傾向があり,かつ民主集中制と大衆路線に違反し,党の政策,決議,指示の一部だけとって論じることによって,各々都合のよいように解釈するという情況がまだ存在する。このような党員としての資質に欠けるところから現われている誤った傾向は必ず克服されなければならない」と述べている。
DIA-104-1974-11-15-2中国1974年11月15日1970年代北京,遼寧など11省・市・自治区の60万余の知識青年が農村へ下放-ここ数カ月以来北京,遼寧,四川,吉林,甘粛,天津,湖北,湖南,福建,広西,貴州,など11省・市・自治区の60万人余の知識青年が農村へ赴いた。
DIA-104-1974-11-15-3中国1974年11月15日1970年代姫鵬飛外交部長にかわり喬冠華副部長が新部長に昇格。
DIA-104-1974-11-15-4中国1974年11月15日1970年代チベット農業,大面積で大幅な増産-今年,自治区の9割以上の人民公社が増産をはたした。昨年,5県で食糧の単位面積当り収量が「要綱」に定められた指標に達し,「黄河」(3トン/ha)を越えたのに続き,新たに数県がこの進んだ隊列に加わった。全自治区の2万1300ヘクタールの冬小麦は大部分がヘクタール当り収量3トン以上に達している。おおまかな統計では,チベットの今年の食糧総収穫量は豊作であった73年より15%以上伸び,民主改革前の58年とくらべると,2倍半近くに伸びている。現在すでに93パーセント以上の郷で人民公社が設立されている。現在,チベット高原の農地灌漑面積はすでに自治区の耕地総面積の7割を占めている。この高地寒冷の「世界の屋根」には,先祖代々越冬作物などなかったといってもいい。いま,チベット高原の冬小麦はすでに海抜4050メートルの地帯にまで拡げられている。
DIA-104-1974-11-15-5中国1974年11月15日1970年代人民日報「短評」,「今日のチベットを見てほしい」-要旨は次のとおり。チベット農業の急速な発展は,低収穫の状況を変えるのは難しいと考えている一部の同志にとっても,非常に良い教育である。わが国は12年連続の豊作を基礎として,今年も豊作を収めた。チベットのような地区でも農業生産が追いついてきた。各地の同志が,みなこの材料をまじめに見て所属地区の状況と照らし合わせ,検討することを希望する。農業戦線全体の情勢はすばらしいが,発展は不均衡であることも見なければならない。また困難な面ばかりを強調し,気を滅入らせ,手をこまねいている同志も少数の地区と単位にはいる。これらの所の条件はチベットにくらべれば何倍も良いはずであり,少なくともチベットより条件は劣っていない。チベットでやれることは,かれらも努力してやれるようにすべきであり,しかも,もっと多く,もっとりっぱにやるようにしなければならない。
DIA-104-1974-11-15-6中国1974年11月15日1970年代秋季広州交易会閉幕-新華社の報道によると,交易会開催中,各国から2万5000人余りが商談と参観に訪れた。展示品のなかには勝利油田,大港油田の初の原油サンプルが展示され,参観者の注目の的となった。
DIA-104-1974-11-15-7中国1974年11月15日1970年代北京で日本大使館,中国在留那人は3000名と発表-各省別に人数を発表。チベットを除き全国に分布,東北地方に3分の2が居住。
DIA-104-1974-11-16-1中国1974年11月16日1970年代天津市党委員会の指導幹部が各級幹部を率いて鉄道,港湾,工場企業で生産労働に参加。
DIA-104-1974-11-16-2中国1974年11月16日1970年代人民日報,鄭静論文「ソ修は北欧海域で暴君ぶりを発揮」-ソ連の北欧小国に対する軍事的威脅,漁業資源の掠奪などを暴露。
DIA-104-1974-11-16-3中国1974年11月16日1970年代人民日報評論員,「第三世界の新たな勝利」-今次国連総会が南ア連邦の総会活動への参加を拒否したことを評価。
DIA-104-1974-11-18-1中国1974年11月18日1970年代天津で「1974年日本印刷・包装機械展」開幕。12月1日まで,参観者は6万人をこえた。
DIA-104-1974-11-19-1中国1974年11月19日1970年代光明日報,羅思鼎論文「北宋の時期の愛国主義と売国主義の闘争を論ず」-王安石を代表とする法家は愛国主義路線を堅持し,司馬光を頭とする儒家は売国主義路線をおしすすめた。宋以来の道学家は司馬光を功績ありとほめそやし,王安石の愛国主義を攻撃してきたと述べ,司馬光を批判したもの。
DIA-104-1974-11-19-2中国1974年11月19日1970年代紅旗11号,宮效聞論文「工業を発展させるには必ず技術革新を展開しなければならない」-要旨は次のとおり。●生産を増加させるにあたっては国家にたより,設備,労働力を増やすことでそれを果そうとするのは誤った考えである。国家が提供できる資金や労働力が無制限でない以上,各工場は技術革新による企業の潜在力発掘の方向をめざすべきである。●当面,技術革新については簡単なものをすすめることを原則とし,いっさいの工業部門は今後の技術革新についての自己の長期計画を持たなければならない。
DIA-104-1974-11-19-3中国1974年11月19日1970年代河北省邯鄲市の基本建設の経験-今年1月から9月までに完成した同市の投資総額は昨年同期比で78.3%ふえた。基本建設のなかで同市は以下の点に注意をはらった。1.一部の地方建設項目を調整ないし削減し,鉄鋼,石炭,鉱山,電力など国家の重点建設項目を優先させた。2.重点項目に対して,その必要とする労働力,設備,材料を優先的に保証した。3.党市委員会は重点建設項目についての統一的な指導を強めた。
DIA-104-1974-11-19-4中国1974年11月19日1970年代黒竜江省双鴨山鉱務局集賢炭鉱,年産60万トンの中型炭鉱を建設。
DIA-104-1974-11-19-5中国1974年11月19日1970年代国務院文化組と対外友好協会がベトナム南部共和解放芸術団の歓迎宴を開く-12月1日,葉剣英,江青,李先念,徐向前らの首脳がその公演を見る。
DIA-104-1974-11-19-6中国1974年11月19日1970年代人民日報,畢源論文「南ア人種主義政権のむだなあがき」-アフリカ南部の民族解放運動の深化・発展にともなって,南ア当局が“平和”“緩和”をうち出しアフリカ諸国との“友好”“善隣”を急に言い出した背景を分析。
DIA-104-1974-11-19-7中国1974年11月19日1970年代藤山氏を団長とする国貿促訪中団北京入り-農林水産技術展開催準備のため。
DIA-104-1974-11-20-1中国1974年11月20日1970年代1974年度,全中国卓球大会が南寧で開催-10日間。
DIA-104-1974-11-20-2中国1974年11月20日1970年代新華社記者論評,「ソ修,又もや軍縮のペテン」-国連総会でソ連が「軍事目的のため環境,気候に影響をあたえることを禁止する」という提案をうち出したもくろみを論評。
DIA-104-1974-11-20-3中国1974年11月20日1970年代人民日報国際知識欄,30年代の資本主義経済危機について特集-読者の質問に答えるという形で,経済危機周期,生産“過剰”,通貨膨張,財政赤字について解説。
DIA-104-1974-11-20-4中国1974年11月20日1970年代イラン航空一番機,北京経由で東京着。
DIA-104-1974-11-21-1中国1974年11月21日1970年代人民日報,北京人民印刷工場の調査報告-「社会主義の工場をりっぱに経営するには労働者大衆の中に技術の優秀な者を養成しなければならないのみならず,更に重要なことは彼等にマルクス主義の理論を掌握させ,階級闘争と路線闘争の覚悟を有する戦士にならせることである」と《編者のことば》は述べている。この印刷工場は1973年にマルクス主義の労働者理論隊伍を設立し,現在,補導員はすでに190人で職員・労働者総数の7%を占めた。昨年冬以来,この工場は北京大学法律系と北京人民出版社などの組織の10数名の専業理論工作者を工場に招き,同工場の理論隊伍の理論研究工作を援助してもらった。同時にこの工場は40余名の労働者理論補導員を北京大学,北京師範大学,北京人民出版社などに派遣して短期間学習させ,理論指導教師,編集などの活動を担当させた。
DIA-104-1974-11-21-2中国1974年11月21日1970年代人民日報,田開論文「法家晁錯の戦略思想-晁錯の《言兵事書》を読む」-西漢初期の政治家晁錯の書いた《言兵事書》は法家路線を守る重厚な軍事理論著作であると評価したもの。
DIA-104-1974-11-21-3中国1974年11月21日1970年代河北省で20万人の民工を動員し,海河治水第2次10カ年計画第1年目の春季工事開始。
DIA-104-1974-11-21-4中国1974年11月21日1970年代天津自転車工場の技術革新の経験-人民日報は同工場に関するルポを掲載するとともに,公治平の署名の「大きな革命的意気込みがなければならない」と題する同工場についての論評を掲載した。同工場は1966年~1973年までの8年間,国家から基本的に投資を受けず,逆に同工場と同規模の6つの工場を建設できる額に相当する利潤を国家に納めた。1973年の生産量は同工場の設計生産能力を40%超過した。さらにある人は,これ以上生産量をふやすためには設備を増加させるか,あるいは労働力を増加させる以外に増産は困難と考えた。結果として,今年は国家に対し設備や労働力の増加も要求せず,現在増産計画の実現に努力しており,かつそのなかで,工場内の機械化とオートメーション化を実現したという。
DIA-104-1974-11-21-5中国1974年11月21日1970年代新華社記者論評,「新ツアーのたわごと」-ソ連の雑誌が新疆ロプノールなどをソ連探検家が最初に発見したとのべた点に反論。
DIA-104-1974-11-22-1中国1974年11月22日1970年代光明日報,湖南師範学院・羊春秋,周作漢共同執筆論文「韓信を評す」-儒家路線に立つとして批判的に評価。
DIA-104-1974-11-22-2中国1974年11月22日1970年代人民日報,“農村金融網の発展”-要旨は次のとおり。●目下,全国で各農村人民公社には基本的に信用合作社(信用協同組合)が設けられ,3分の1の生産大隊に信用服務所が設立され,社会主義の農村金融網がすでに各地で初歩的に形成されている。●今年6月末現在,全国各地の公社員の信用合作社における預金はプロレタリア文化大革命前の1965年同期の3.1倍に伸び,全国信用合作社組織が吸収した預金のうち各種貸し出しに回したものを除けば,残高は1965年の2.7倍に伸びている。●ここ数年来,社会主義農業生産の発展と公社員収入の増加にともない,農村では信用合作社から借金する農家が大幅に減少し,信用合作社の貸し付け対象は,いまや農家個人から人民公社生産大隊集団に変わっている。現在貸し出されている貸付金のうち,農家個人が借りている分はすでに12%に減少し,集団農業生産を支えている分は88%にふえている。●現在,全国の60%以上の信用合作社はいずれも所轄の人民公社,生産大隊に生産費の全額またはその大部分を貸し出すことができる。多くの農村信用合作社ではまた余った資金を国家銀行に預け,社会主義建設を支援している。今年6月末の統計によると,全国の信用合作社が国家銀行・
DIA-104-1974-11-22-3中国1974年11月22日1970年代北京展覧館で「日本農林水産技術展」開幕-23日李先念,余秋里,李強ら首脳が参観。12月2日閉幕25万余人が参観。
DIA-104-1974-11-24-1中国1974年11月24日1970年代ツェデンバル・モンゴル党第一書記,中国を批判-要旨。中国指導部はソ連に対し破壊活動を進めると同時に,モンゴルにも政治,経済,イデオロギー面の圧力を加え,国境に危機的情勢を作り出し,ソ連・モンゴル間にくさびを打ちこもうとしている。わが党は毛沢東主義者との闘争を重要な任務と考えている。モスクワのテレビにて。
DIA-104-1974-11-25-1中国1974年11月25日1970年代人民日報,国家海洋局理論小組論文「“鉄砲の中から政権が生まれる”の真理を歪曲することは許されない」-林彪は,「軍隊は“中心の中心”,“カギの中のカギ”であり,軍隊が不変でありさえすれば,その他の党・政・人民はすべてどうにでもなる」と主張,“鉄砲で党を指揮する”をもって“党が鉄砲を指揮する”原則にとってかえようとした。
DIA-104-1974-11-25-2中国1974年11月25日1970年代キッシンジャー米国務長官が訪中-家族とラムズフェルド補佐官を同行。この日周総理と病院で会見。この日から連日鄧小平副総理,喬冠華外交部長と会談,29日帰国。同日1975年にフォード米大統領が訪中するという内容のコミュニケが発表された。
DIA-104-1974-11-25-3中国1974年11月25日1970年代ワシントン・ポスト紙アメリカ政府は今春から3回,ソ連の対中攻撃の可能性について中国に警告したと報道-N・マクスウェル氏が中国で取材したもの。それによると,今年の4月,6月および8月中旬の3回にわたり中国は警告を受けた。
DIA-104-1974-11-25-4中国1974年11月25日1970年代澄田輸銀総裁,北京で語る-①プラント商談はやがて再開されよう,②延べ払いの金利を上げるよう中国に打診中。輸銀訪中団は22日廖承志中日友協会長と会見。
DIA-104-1974-11-25-5中国1974年11月25日1970年代ブリジストン液化ガス会社,液化天然ガスに関する技術協力で中国側と合意-将来の対日輸出に道を拓くもの。
DIA-104-1974-11-26-1中国1974年11月26日1970年代人民日報,吉林省5・7幹部学校論文「5・7幹部学校は理論隊伍の養成のために貢献しよう」。
DIA-104-1974-11-26-2中国1974年11月26日1970年代姚文元,呉桂賢が率いる中国党・政府代表団,アルバニア解放30周年式典参加のため出発-空港には王洪文,張春橋以下首脳が見送り。28日ホンジャ第一書記,シェーフ首相と会見,29日ポーランド共産党代表団長と会見,12月1日チラナ発,2日北京に帰着。
DIA-104-1974-11-26-3中国1974年11月26日1970年代ブレジネフ第一書記,中国の話し合い提案を拒否`-ウランバートル演説で。中ソ両国間の「係争地域」はソ連にとっては存在しないと強調。
DIA-104-1974-11-27-1中国1974年11月27日1970年代紅旗12号,思想評論「社会主義の新生事物を発展させよう」-文化大革命のなかで生れてきた新たな制度や試みが,未熟であるがゆえに旧勢力の抵抗にあい,その実現が妨ばまれていることを指摘,新生事物を守り育てることを主張したもの。「新生事物」として次のものを指摘。マルクス主義・レーニン主義・毛沢東思想の大衆運動の発展,革命委員会の誕生と党の一元的指導の強化,革命模範劇の創作と普及,大衆的マルクス主義理論隊列の強大化,労農兵の大学入学と教育改革,知識青年の上山下郷,医療工作者の農村定着,農村のハダシの医者と協同医療,億万大衆の儒法闘争と階級闘争全体の歴史的経験の研究,各級指導グループの老中青三結合,労農兵幹部の学習班の定着,幹部の生産労働参加。
DIA-104-1974-11-27-2中国1974年11月27日1970年代北京―テヘラン―ブカレスト―チラナ中国民航国際航空路が開設-各国政府の協力関係を讃えた人民日報短評が発表された。
DIA-104-1974-11-27-3中国1974年11月27日1970年代人民日報評論員,「パレスチナの民族的権利は完全に回復さるべきである」-22日の国連決議を支持し,超大国の中東における争奪と侵略・拡張に反対し,パレスチナ人民の新たな勝利を期待。
DIA-104-1974-11-28-1中国1974年11月28日1970年代人民日報社説「批林批孔をひきつづき立派にすすめよう」-要旨は次のとうり。①孔子批判は林彪批判よりむづかしく,孔孟の道の影響をとり除くにはさらに長期の闘争を経なければならない。批林批孔運動は広く・深く・持続的におしすすめる段階にある。②当面,我々は主な注意力を学習と批判の面にそそぎ,マルクス主義という思想的武器を把握して儒法闘争史と階級闘争史全体の歴史的経験を科学的に総括し,そこから法則的なものを引き出し,昔のものを今に役立たせなければならない。理論の研究,歴史の研究,現状の研究を密接に結びつけなければならない。
DIA-104-1974-11-28-2中国1974年11月28日1970年代毛沢東,董必武,朱徳,周恩来の連名でアルバニア解放30周年に祝電を送る。
DIA-104-1974-11-28-3中国1974年11月28日1970年代廖承志中日友協会長,総評・中立労連訪中団と会見。
DIA-104-1974-11-30-1中国1974年11月30日1970年代北京で全国美術作品展,全国写真芸術展などが閉幕-10月から2カ月間,国務院文化組の主催で開かれていた。観客はのべ100万人余にのぼった。
DIA-104-1974-11-30-2中国1974年11月30日1970年代シアヌーク殿下と夫人,汽車で北京を発ち北朝鮮訪問へ。
DIA-104-1974-11-30-3中国1974年11月30日1970年代香港当局,中国脱出難民5人を中国へ送還-12月2日英政府筋,香港への不法入国者送還協定が11月30日に発効,すでに10数人を送り返したと言明(AP)。
DIA-104-1974-11-31-2中国1974年11月31日1970年代人民日報,北京第一機械工場労働者理論小組論文「明末農民起義の反孔闘争」。
DIA-104-1974-12-01-1中国1974年12月01日1970年代湖北省党委員会と武漢市党委員会の責任者,最近,輸送と鉄鋼部門などで労働参加。
DIA-104-1974-12-01-2中国1974年12月01日1970年代縢代遠中共中央委員が死去。
DIA-104-1974-12-01-3中国1974年12月01日1970年代紅旗12号思想評論,呂真論文「学習と批判をひきつづきりっぱに行なおう」。
DIA-104-1974-12-01-4中国1974年12月01日1970年代人民日報評論員,「カンボジア人民の合法的権利は必ず回復さるべきである」-アメリカの干渉により国連票決で実現されなかったカンボジア王国民族団結政府の権利回復に関する11月28日のシアヌーク殿下声明を支持。
DIA-104-1974-12-03-1中国1974年12月03日1970年代中共中央,チャウシェスク書記長を中心とするルーマニア共産党新中央委員会の選出に祝電を送る。
DIA-104-1974-12-03-2中国1974年12月03日1970年代通産省代表団が訪中-江口通商政策局次長を団長とし,8日まで。日中経済合同委員会開催が不可能となった代替として訪中。
DIA-104-1974-12-04-1中国1974年12月04日1970年代北京市総工会,労働者理論指導員を積極的に養成-講演会の開催や生産から離れた短期学習班の開催,理論講座の開設,理論講座の参加者の中から選抜した生産から離れない労働者理論小組の組織などの方法で養成。
DIA-104-1974-12-04-2中国1974年12月04日1970年代“路線が正しければ,生産は高い目標に達す”-人民日報は上記表題のもとに上海第二溶接工場の生産を発展させた経験についてのルポを掲載した。同工場は42軒の溶接工務店が合併してできたもので,人員もわずか200余人しかおらず,以前は主に中小工場の煙突修理を請け負っていた。今では人員を増やさず,電子,化学工業,採鉱などについての設備を製造できるようになり,1973年に工場全体の労働生産性は65年に比べ2.4倍も伸びた。文革前,同工場では“3つの受けつけず”(国家から与えられる任務について,生産高の低いもの,トン数の軽いもの,やっかいな仕事の3つを受けつけない)という傾向があった。しかし利潤優先の修正主義路線に対する積極的な思想闘争をへて,現在では国家から要請されたもののなかで技術的に難しく,工期は長いが生産高は比較的低いような任務をも積極的にひき受けるようになったという。
DIA-104-1974-12-04-3中国1974年12月04日1970年代秦皇島港務局の呑吐量の増大-11月18日に今年の積みおろし計画をくりあけで達成し,その呑吐量は社会主義建設と対外貿易の発展にともない昨年全年に比べ44%増大した。同港務局では昨年に完成した石油専用バースによって,石油輸送が速められている。
DIA-104-1974-12-05-1中国1974年12月05日1970年代人民日報,江天論文「文芸史上の儒法闘争のいくつかの間題を研究する」。
DIA-104-1974-12-05-2中国1974年12月05日1970年代全国人民代表大会の開催準備がすすむ-鄧小平副総理は創価学会の池田大作会長に次のようなことを明らかにした。①人民代表大会は年内開催を目標に準備をすすめており,代表もすでに選出されている。②毛主席は81歳になるが健康状態は非常に良好である。③周総理はこの7,8カ月ずっと入院していて病状は予想より重い。病気は内臓関係である(日経新聞)。
DIA-104-1974-12-05-3中国1974年12月05日1970年代河北開炭鉱,年間国家計画をくり上げ達成,昨年同期より270万トン余を増産。
DIA-104-1974-12-05-4中国1974年12月05日1970年代周総理,レ・ドク・ト氏とスァン・トイの両氏と病院で会見-紀登奎政治局員が同席。2人は外国訪問の帰路,北京に立ち寄ったもの。
DIA-104-1974-12-05-5中国1974年12月05日1970年代労働者が国際情勢を講述する動き-人民日報は,北京新華印刷工場で全工場と一部の職場に国際情勢研究グループをつくり,積極的に国際問題を研究し,特にソ米両覇者の争奪と当面の資本主義国の経済危機の問題の研究に力を入れている,と報道。
DIA-104-1974-12-05-6中国1974年12月05日1970年代周総理,病院で池田創価学会会長一行と会見-同会長以下の第2次創価学会訪中団は北京大学の招待で2日訪中,3日同大学へ5000冊の書籍を寄贈,6日帰国。
DIA-104-1974-12-05-7中国1974年12月05日1970年代新華社報道,「日本農業は全面的に衰退している」最近の日本農業の現状を詳しく分析。
DIA-104-1974-12-06-1中国1974年12月06日1970年代フフホト鉄道局,計画目標を達成-人民日報は第一面トップに同鉄道局が面貌を一新した,と題する記事を掲げた。従来,工作が比較的後進的であった同鉄道局は毛主席と党中央の一連の指示にもとづき,一時同局党委員会のなかにあった不団結の現象を克服し,生産を回復した。10月下旬の1日当りの平均積み荷,積みおろし量は10月上旬よりふえ,11月に計画目標を達成した。
DIA-104-1974-12-06-2中国1974年12月06日1970年代タイ国民議会,第53号法令(対中禁輸法)を廃棄。
DIA-104-1974-12-06-3中国1974年12月06日1970年代中国側,来年度上期船積み分鋼材の延べ払いを要求-帰国した阿部新日鉄専務語る。11月中旬,中国はすでに今年分の11月以降の船積み分について,6カ月の支払延期(利子10%)を打診してきていた。
DIA-104-1974-12-07-1中国1974年12月07日1970年代紅旗12号,呉暢論文「儒家は多くの人を殺した元兇である」。
DIA-104-1974-12-07-2中国1974年12月07日1970年代首都鉄鋼公司の第4・四半期の生産状況-首鋼では「第4・四半期に入り,職員はまじめに経験を総括し,遅れをみつけ,第4・四半期を大いに奮闘して,革命と生産の勝利をかちとろうとしている」と人民日報が報道。
DIA-104-1974-12-07-3中国1974年12月07日1970年代周総理,アフガニスタン総統特使ナイム氏と会見。
DIA-104-1974-12-08-1中国1974年12月08日1970年代人民日報,甘粛冶金公司労働者理論小組執筆グループ論文「新制度が旧制度にとってかわるには長期の闘争を経過しなければならない」。
DIA-104-1974-12-08-2中国1974年12月08日1970年代河北正定県の食糧生産の発展-同県は河北省の“農業は大寨に学ぶ”先進単位である。今年,2万3070ヘクタールの食糧生産は昨年のヘクタール当り6.81トンから7.53トンに伸び,華北ではじめてヘクタール当り7.5トンを突破した。綿花畑8466ヘクタールの繰綿ヘクタール当り平均収量も750キロを突破した。
DIA-104-1974-12-08-3中国1974年12月08日1970年代李先念副総理,三井グループ友好訪中団一行と会見-李副総理は来年の石油対日供給は800万トンとの見通しを明らかにした。また貿易が長期的に均衡するなら当面の日本の出超は問題ないと語った。
DIA-104-1974-12-09-1中国1974年12月09日1970年代解放軍副総参謀長に王尚栄氏の就任が判明-文革前,同氏は総参謀部作戦部長に就任していたが,文革で失脚し姿を消していた。
DIA-104-1974-12-09-2中国1974年12月09日1970年代新華社,タイ共産党創立32周年の声明を報道-1日の「タイ人民の声」放送によるもの。
DIA-104-1974-12-10-1中国1974年12月10日1970年代愛新覚羅傅傑夫妻が訪日。
DIA-104-1974-12-10-2中国1974年12月10日1970年代中国アイス・ホッケー・チーム来日。
DIA-104-1974-12-11-1中国1974年12月11日1970年代雑誌「歴史研究」の1974年第1号が近く出版-梁効,康立,楊栄国,周一良の各氏及び,天津駅労働者理論小組の執筆した論文など,20編の論文が掲載されている。中ソ国境問題についての論文3編も含まれている。
DIA-104-1974-12-11-2中国1974年12月11日1970年代人民日報「短評」,“農地基本建設を大いに行おう”-人民日報は第一面に甘粛省における農地基本建設の状況についての記事を掲げるとともに,上記表題の短評をかかげた。そのなかでは14年連続の豊作をかちとるため,幹部が先頭にたって冬季農地基本建設の高まりをおこすよう呼びかけている。
DIA-104-1974-12-12-1中国1974年12月12日1970年代周総理病院でアジズ・アーメド・パキスタン国防・外務担当大臣と会見。
DIA-104-1974-12-12-2中国1974年12月12日1970年代周総理病院でマンスフィールド米上院民主党指導者夫妻と会見。
DIA-104-1974-12-12-3中国1974年12月12日1970年代人民日報評論員,「米軍が南朝鮮に居すわる理由はない」-「国連軍司令部」を解散して米軍として残すという米提案を批判。
DIA-104-1974-12-12-4中国1974年12月12日1970年代中国側,来年1~6月の化学肥料輸入の決済を1年間の延払いにすることを申入れ-末吉硫安工業協会会長が記者会見で発表。業界はこの申入れで交渉をいったん中断し帰国。
DIA-104-1974-12-12-5中国1974年12月12日1970年代周総理,三木新首相に就任の祝電送る。
DIA-104-1974-12-13-1中国1974年12月13日1970年代紅旗12号,趙豊年「社会主義農業のさらに大きな発展をかちとろう」-要旨は次のとおり。●長年の経験が証明しているように,各項の建設事業のなかでは「農業を基礎とし工業を導き手とする」という全局から出発して問題を観察し,問題を処理しなければならない。社会主義工業化と社会主義農業の近代化をきり離し,相互に孤立化させるようなことがあってはならない。●ある地方では,口では農業発展を首位におくと言いながら,行動では往々にしてそのようにしていない,はなはだしくは農業支援資金や材料を流用し,農業の発展に影響をあたえている。
DIA-104-1974-12-13-2中国1974年12月13日1970年代74年の米中貿易は前年比24%増-米商務省筋の見通しによると,74年の米中貿易総額は9億3000万ドルと,前年比24%増にとどまる見込みである。内訳は米国の対中輸出が8億1000万ドル(前年比17.5%増),輸入が1億2000万ドル(前年比87.6%増)(日経産業新聞12月13日)。
DIA-104-1974-12-13-3中国1974年12月13日1970年代新華社記者報道,「激化するソ連の階級分化」-横領事件,裏口入学,黒海沿岸の別荘の建築ブーム,特権階層のための特設店,などの現象がある一方,勤労大衆は生活苦にあえぎ,両極分化は鮮明にあらわれていると分析。
DIA-104-1974-12-13-4中国1974年12月13日1970年代徐向前全人代常委副委員長,日本弁護士友好訪中団一行と会見。
DIA-104-1974-12-14-1中国1974年12月14日1970年代人民日報,沈濮論文「尊法反儒から尊孔読経へ至る-章太炎の思想の変遷より中国民族ブルジョア階級の特徴を見る」。
DIA-104-1974-12-14-2中国1974年12月14日1970年代江蘇南通国綿第一工場における技術革新の経験-同工場は75年の歴史をもつ老工場で,労働者数は6000人余り。同工場は労働者を繁雑な肉体労働から解放し,生産能率をあげるため生産工程の機械化,自動化,オートメーション化など技術改造につとめた。工場党委と労働者は国内外の紡織生産技術の発展状況を研究し資料を収集し,討論をくりかえすなかで「1973年から1975年までの生産技術発展計画」を作成,現在その実現につとめている。
DIA-104-1974-12-14-3中国1974年12月14日1970年代中国・ガンビアが外交関係を樹立-17日付で共同コミュニケを発出。
DIA-104-1974-12-14-4中国1974年12月14日1970年代小川大使,北京で韓外交部副部長に,三木首相就任への周総理の祝電に対する三木首相の謝礼文を手渡す。
DIA-104-1974-12-15-1中国1974年12月15日1970年代大慶油田,年間原油生産計画を完遂-12月11日までに,原油生産量はすでに20日繰り上げて今年の国家計画を完遂し,昨年同期に比べ22%の伸びを示した。今年の昨年比増産原油量は同油田の1965年の年間生産量に近い。油田建設の面では,新しい採油区の主体工事が完成し,かなり大きな生産能力が形成された。大慶のなかで最も早く開発された油区はすでに14年もたつが,これら老油区に対して今年は注水を基礎とする潜在力発展の総合的調整案を制定し,一連の増産措置をとった。結果的に老油区の地層圧力は基本的に安定し,油井が旺盛な生産能力を保持し,平均してどの油井の生産量も開発初期の水準を超過した。今年,新しい油井が増えない情況のもとで,全体の老油区が増産した原油は一つの中程度の油田の全年の生産量に相当した。
DIA-104-1974-12-15-2中国1974年12月15日1970年代河北省,地方経営鉱山の発展に力を入れる-河北省では今年,大中型鉱山の発展に力を入れると同時に,地方経営の採鉱事業の発展にも力を入れた。1月から10月まで,地方企業が採掘した鉄鉱石は,全省の総生産量の3分の1をしめ,昨年同期に比べ13%増加した。
DIA-104-1974-12-16-1中国1974年12月16日1970年代新華社記者報道,「アフリカ人民は自力更生で農業を発展させ成果を上げている」。
DIA-104-1974-12-17-1中国1974年12月17日1970年代毛主席の党と軍の関係についての指示-北京郊外に貼出された壁新聞の報道によると,毛主席は,文化大革命は8年間にわたって進展をみせたが,今や秩序を回復すべき時である,党と軍の間に生じている対立を解消し全党と全軍は一体化すべきである,など指示を出したという(北京外交筋―ロイター,AFP―朝日)。
DIA-104-1974-12-17-2中国1974年12月17日1970年代毛主席,モブツ大統領以下のザイールの賓客と会見-一行は9日上海経由で北朝鮮を訪問,16日北京入りし,周総理と会見,南京,広州を訪問して22日帰国の途についた。
DIA-104-1974-12-17-3中国1974年12月17日1970年代英デーリー・テレグラフが中ソ国境衝突説を流す-先月ロプノール北東800キロの地点で5回衝突があり39人死傷。中国筋は「他意を持ったデッチあげ」と否定。19日タス通信もこの報道を否定。
DIA-104-1974-12-18-1中国1974年12月18日1970年代人民日報,辛風論文「名家は法家の同盟軍である」-春秋戦国時期の“百家争鳴”中の一家である恵施・公孫竜などに代表される名家の学説は,マルクス主義により分析すれば新興地主階級の思想であり法家の同盟軍であると主張したもの。
DIA-104-1974-12-18-2中国1974年12月18日1970年代社・生産大隊の投資による多くの小型の水利施設が建設された。工事土石量60億立方メートルにもおよぶこれらの工事によって,灌漑面積は200万ヘクタール拡大され,166万ヘクタールが冠水からまぬがれるようになった。これと同時に,大・中型の化学肥料工場20余りが建設または拡張建設された。今年の基本建設におけるいま一つの主な成果は,数多くの鉄鋼企業および原材料や燃料を生産するプロジェクトが建設または拡張され,その結果基幹工業の生産能力に新たな伸びがみられたことである。新しい鉱山と製鉄工場,製鋼,圧延工場の稼動によって,中国奥地の鉄鋼工業は著しく進展した。各地にある中型の圧延工場では,新しい設備を加えて圧延能力を伸ばした。今年は伝統的に石炭生産が低かった華東,中南部,西北部の各省を中心に60余りの立坑が操業を開始,またはこれから操業をはじめる。華北の開炭鉱のように,古い炭鉱でなお生産を続けている立坑が数多く再建されあるいは拡張されている。急速に成長している石油工業の建設者は,大慶,大港,勝利およびその他の油田で,質の高い油井を急ピッチで掘った。また,石油精製と輸送能力を上げるために,多数の新しい石油精製装置を製造し,長距離パ
DIA-104-1974-12-18-3中国1974年12月18日1970年代同和映画,中国映画輸入の基本合意書を中国側ととり交す。
DIA-104-1974-12-18-4中国1974年12月18日1970年代石油業界筋,中国原油の本年輸入契約分90万トンの引きとり困難と表明-高価格と国内石油供給の余剰が生じたことによる。 (註)政治・経済・外交・日中の日付については,済経は人民目報掲載の日付にもとづき,その他の項目は新華社の報道の日付にもとづいている。
DIA-104-1974-12-19-1中国1974年12月19日1970年代江蘇省革命委員会主任に彭冲氏の就任が判明-同氏は1970年の党組織再建時に江蘇省党委員会副書記であった。
DIA-104-1974-12-19-2中国1974年12月19日1970年代解放軍副総参謀長に胡氏が就任-文革後,同氏は陝西省軍区責任者,陝西省党委員会書記に就任していた。
DIA-104-1974-12-20-1中国1974年12月20日1970年代人民日報,100万の知識青年が北京,上海,天津,杭州とハルビンなどの都市から黒竜江省へ下放し成長していると報道。
DIA-104-1974-12-20-2中国1974年12月20日1970年代人民日報,梁效論文「農民戦争の偉大な歴史的役割」-農民戦争と儒法闘争の関係について述べたもの。つまり,①農民戦争は封建社会の歴史発展の真正な動力であり,法家はこの歴史発展の潮流に順応してはじめて一定の進歩的役割を果すことができた。②農民戦争の後で推進された法家路線にもとづく新王朝の政策と措置は,儒家路線にもとづく反動の行う「譲歩政策」と根本的に対立するものである。③農民戦争は客観的には法家路線の推進に道を開いたが両者の役割には原則的なちがいがある。④また農民戦争は中国の統一と独立を擁護し,多民族国家の強化と発展を促す歴史的功績を持っている。
DIA-104-1974-12-20-3中国1974年12月20日1970年代河南省三門峡水利センター改造工事,初歩的に完成-1960年に完成した黄河の大型水利センターである三門峡水利センターはその後,ダムに泥砂が沈積し,放水・排水能力が低下しつつあった。1965年からこれに対する改造工事が始められ,1973年末までに工事目的が一応達成された。この結果,下流の洪水防止作用や発電能力が著しく高められた。
DIA-104-1974-12-20-4中国1974年12月20日1970年代人民日報,任谷平論文「道にかなえば助けが多く,道にそむけば助けが少い」-国連の現状は「多数による暴政」になっていると非難したアメリカ代表と,これと組んで国連憲章を中小国に有利なように改正するのを阻もうとしたソ連代表を批判。
DIA-104-1974-12-20-5中国1974年12月20日1970年代新華社記者報道,「アフリカ人民の団結と戦闘の情勢はすばらしい。」
DIA-104-1974-12-21-1中国1974年12月21日1970年代楊成武氏の副総参謀長就任が判明-何正文(成都部隊副司令員)氏も副総参謀長に就任。
DIA-104-1974-12-21-2中国1974年12月21日1970年代天津市で100万の産業労働者のうち60%以上が理論を学んでいる-約3万の労働者理論学習班があり,すべての大工業企業で業余政治学校が開設されている。また天津駅の2000人の労働者のうち1500余人が業余理論学習班に加わり,学習の積極分子は140人から350人にふえた。
DIA-104-1974-12-21-3中国1974年12月21日1970年代中朝1975年相互物資供給議定書に調印。李先念副総理が朝鮮政府貿易代表団と会見。
DIA-104-1974-12-21-4中国1974年12月21日1970年代人民日報,薛木鐸論文「ソ連の国民経済軍事化とその悪影響」-数字入りで経済の軍事化とその影響を分析。
DIA-104-1974-12-21-5中国1974年12月21日1970年代新華社記者報道,「ラテン・アメリカ人民はソ修のみにくい本質をいちだんと見ぬきつつある。」
DIA-104-1974-12-23-1中国1974年12月23日1970年代遼寧省で今年1月以来11月末までに22万余名の都市の中学卒業生が農村へ下放-文革以来の遼寧省の下放知識青年の総数はすでに100万人余に達した。
DIA-104-1974-12-23-2中国1974年12月23日1970年代今年の中国の地質調査,成果をあげる-中国における地質調査で1974年の重要な成果は,海洋探査に海洋掘削船を使ったことである。農地改良と結びついた水文地質調査にもかなりの進歩があった。作業は華北17省・市で系統的に進められた。水不足に悩む岩山地帯や黄土高原に地下水の新しい水源が見つけられ干ばつに対処する能力が強まった。中国の第4次5カ年計画の4年目である1974年に,数十万の地質労働者が,東北の黒竜江から西南のチベット高原まで,北の内蒙古草原から南中国海の沿岸にいたるまでの野外調査を行った。いっそうの調査が待たれる100以上の鉱脈が見つかった。これらには石油,石炭,鉄,リン,希有金属が含まれている。系統的な地域地質調査が各省・自治区で行われ,調査規模と作成された地域地質地図の数は,中国史上でも最大最多であった(12月23日新華社=中国通信)。
DIA-104-1974-12-23-3中国1974年12月23日1970年代クラマイ油田,下半期の生産状況-以前,同油田党委員会のなかには小事にこだわる傾向があった結果,団結がうまくいかず,生産に影響をあたえていた。しかしその後,幹部が末端部門に入り党の基本路線教育を強めた結果,下半期の生産は急上昇した。原油生産量およびガソリン,ディーゼルオイル,灯油,潤滑油などの生産量は計画をくりあげて完遂された。また計量センター11,石油転送センター1,油井127本,パイプ・ライン49キロ敷設などの工事も完成され,原油生産能力増強計画を3カ月くりあげて完成させた。
DIA-104-1974-12-23-4中国1974年12月23日1970年代新華社記者論評,「第三世界の経済領域での反帝反植民地反覇権闘争の新発展」-その特徴として連合,共同闘争による反覇権の動きが成果をあげている点を強調し,反収奪,反支配の動き,民族経済を発展させている動きを紹介。
DIA-104-1974-12-24-1中国1974年12月24日1970年代大港油田の今年の原油生産量は前年比25%増。
DIA-104-1974-12-24-2中国1974年12月24日1970年代李先念副総理,タイ貿易代表団と会見-同代表団は20日北京入り。団長はプラソン・スクム商業次官。
DIA-104-1974-12-24-3中国1974年12月24日1970年代人民日報,鳴松論文「ソ修社会帝国主義の侵略の道具」-ワルシャワ条約機構の歴史と現状,その役割について分析。
DIA-104-1974-12-24-4中国1974年12月24日1970年代新華社記者報道,「米,西欧の労働者の闘争はすさまじい勢でもりあがる」-経済危機による圧迫に対して立ち上った労働運動のこの1年の動向を回顧。
DIA-104-1974-12-24-5中国1974年12月24日1970年代新華社記者論評,「ソ修社会帝国主義の姿がさらに暴露された1年」-ソ連の世界政策を8項目に分けて具体的に分析。
DIA-104-1974-12-25-1中国1974年12月25日1970年代全中国の都市で「科学教育映画展」が開かれる。
DIA-104-1974-12-26-1中国1974年12月26日1970年代中央5・7芸術大学美術学院が陝西省戸県で大学を開く-学制は3年で労農兵の中から学生を募集。本年4月に開校。
DIA-104-1974-12-26-2中国1974年12月26日1970年代湖北省武漢鉄鋼公司に中型の現代的な立坑が完成(6月30日)。
DIA-104-1974-12-26-3中国1974年12月26日1970年代新華社報道,「社会帝国主義の経済はきびしい困難に陥っている。」
DIA-104-1974-12-27-1中国1974年12月27日1970年代張春橋政治局常委,パラグァイ共産党代表団と会見。
DIA-104-1974-12-27-2中国1974年12月27日1970年代新華社記者論評,「ラテン・アメリカ国家が聯合して覇権に反対するという新たな発展」。
DIA-104-1974-12-28-1中国1974年12月28日1970年代大慶―秦皇島送油パイプライン完成-中国最初の大慶~秦皇島送油パイプラインがすでに完成され,順調に送油を行っている。このパイプラインは,北は黒竜江省を起点に,吉林,遼寧両省を縦貫して,南は河北省に至るもので,全長1152キロ。パイプラインには,6, 70キロおきに地上にポンプステーションが設けられ,原油が一定の速度と温度を保ち流れやすいようにするために,加圧,加熱を行っている。ポンプステーションに動力を提供し,また作業調節を容易にするために,それに応じた電源と通信の附帯施設が建設された。この長距離大口径パイプラインの建設は2期に分けて進められ,第1期工事は1970年冬に着工,第2期工事は1973年の国慶節(10月1日)の前夜に完成した。また,1973年9月から大慶~鉄嶺間のパイプライン複線工事も開始され,今年の国慶節前夜に完成し,送油を始めた。
DIA-104-1974-12-28-2中国1974年12月28日1970年代1975年度対ベトナム南部共和政府無償経済援助供与協定に調印-同日李先念副総理が南部共和政府経済代表団と会見。
DIA-104-1974-12-29-1中国1974年12月29日1970年代人民日報,鄭州鉄道局積みおろし機械工場労働者理論小組,北京市順義県天竺公社貧農下層中農理論小組,北京師範大学歴史系の共同執筆グループ論文「我国歴史上の労働婦人の反孔闘争」。
DIA-104-1974-12-29-2中国1974年12月29日1970年代新華社記者論評,「第三世界の興隆と覇権主義の凋落」-第三世界のこの1年の反帝,反覇権の闘争はいくつかの国際関係の根本問題を明るみに出した。それは,①大が小を圧するのか,それとも大,小国は一律に平等であるのか,②国際会議や国際機構で主導的役割を果しているのは誰か,③この闘争でだれがだれを恐れているのか,④国際経済関係でいったいだれがだれに依存しているのかの4つの問題である,として詳論。
DIA-104-1974-12-30-1中国1974年12月30日1970年代今年の農業生産状況-人民日報の報道によると以下のとおり。●今年我国の自然災害は近年来比較的厳しいものであり,特に主要な食糧生産地区の華東,中南,華北地区が春から秋にかけて連続的に旱害などの被害をうけた。しかし,我国の農業は連続13年間の豊作の基礎のうえに,今年もまた全面的な豊作をかちとった。全国の食糧総生産量は豊作であった昨年より増え,新たな記録をつくった。綿花,油料作物,麻,砂糖,タバコなど経済作物も好収穫で,林業,牧畜業,漁業,副業などの生産も新たな発展をとげた。●少数の地区が自然災害で減産かまたは平年なみであったのを除き,全国23の省,市,自治区の食糧生産は昨年に比べ増産となった。北京郊区は昨年比で2割以上の増産,天津市郊区では歴史的な最高水準を記録,浙江省は2年来ムー当り生産量が1000斤をこえた基礎のうえに今年もひき続き増産,広東省は昨年に比べ大幅に増加,上海市郊区のムー当り生産量は1450余斤,河北,山東,河南の3省はここ数年食糧自給を実現した後,今年国家に提供した食糧は昨年より著しく増加,陝西,甘粛,寧夏では昨年に比べ2割から4割の増加,チベットでは昨年に比べ,2.5割とそれぞれ増加した。●今年全国で670余の県(市)の食糧のムー当り生産が「要綱」の規定した指標をこえ、また今年の農地基本建設の規模と質も従来の年よりも良い。●綿花の総生産高は豊作であった昨年の水準に接近した。
DIA-104-1974-12-31-1中国1974年12月31日1970年代北京市の工業生産大幅増-北京市の1974年の工業総生産はすでに計画を繰りあげ超過達成し,73年よりかなり大幅に伸び,その他各経済指標もほぼ全面的に計画を達成した。交通運輸任務も繰りあげ完遂された。北京市の工業建設はプロレタリア文化大革命の間急速な発展をとげ,73年の工業総生産は文化大革命前の65年の3倍に伸びた。74年の工業生産もかなり大幅に上昇した。同時に,低温無磁鋼板,極細スチール・ワイヤー,10万KW二重水冷式蒸気タービン,小型万能電子計算機,レーザー親ネジ検査機,400トン・トレーラートラック,超低温治療器械など1000種以上の新製品の試作にも成功した。
DIA-104-1974-12-31-2中国1974年12月31日1970年代国産海洋地質調査船“勘探一号”,掘削試験に成功-今年初め上海工業部門を中心に建造されて以後,黄海南部海域でおこなった石油地質探査のための地質掘削試験に成功し,深海区の開発と海洋地質探査工作に初歩的な経験をえた。
DIA-104-1974-12-31-3中国1974年12月31日1970年代新華社記者論評,「激化するソ米の覇権の争奪」-1974年の米ソ関係の総括。ヨーロッパが争奪の重点であること,相互浸透と排斤,狂気じみた核軍拡の動きを強調。
DIA-104-1975-01-01-1中国1975年01月01日1970年代3紙誌共同社説,「新年の辞」―重点は次のとおり。批林批孔運動の主な注意力を学習と批判にそそぎ広く,深く,持久的に展開する。国際情勢についての研究,とりわけソ米両覇権主義国の相互争奪と当面における世界資本主義の経済危機について研究を強化する。情勢と任務について討論し,所属部門の大筋の計画をつくり,新たな勝利をめざし前進する。
DIA-104-1975-01-01-2中国1975年01月01日1970年代3紙誌共同元旦社説,「新年の辞」―経済関係では,74年に農業生産は全面的豊作で,工農業総生産額は73年に比べさらに増加した。75年は第4次5ヵ年計画の最後の年である。このため社会主義建設のテンポをはやめ,計画を超過達成するために努力しなければならない。引き続き農業を大いに発展させ,農業に対する工業の支援を強化し,基礎工業を強化し,国防工業に真剣に力を入れなければならない,など。
DIA-104-1975-01-01-3中国1975年01月01日1970年代中国国貿促,「共同海損精算の臨時規則」公布。
DIA-104-1975-01-01-4中国1975年01月01日1970年代紅旗1号,宮効聞「全体計画を持つ必要がある」―各経済部門や生産単位で数年ないし長期の計画をたてる必要性を訴えたもの。 その他紅旗1号の経済関係論文 ○趙豊年「プロレタリア階級独裁の下での継続革命を堅持しよう―農業は大寨に学ぶ運動を展開した経験」 ○田志松「路線を要とし,大慶に学ぼう」等。
DIA-104-1975-01-02-1中国1975年01月02日1970年代大港油田の74年度の原油生産,73年比24.7%増。
DIA-104-1975-01-02-2中国1975年01月02日1970年代周総理,パキスタン首相に地震見舞の電報を送る―中国紅十字会は20万元相当の食糧品,薬品,毛布を贈った。
DIA-104-1975-01-03-1中国1975年01月03日1970年代勝利油田の74年度の原油生産,73年比16%増。 長距離パイプラインを敷設。
DIA-104-1975-01-03-2中国1975年01月03日1970年代遼寧省の74年度の工業生産総額,73年比で6.3%以上の増加。
DIA-104-1975-01-03-3中国1975年01月03日1970年代ファンデルストール・オランダ外相が訪中―4日,周総理が病院で会見。
DIA-104-1975-01-04-1中国1975年01月04日1970年代新華社,「東南アジア諸国は反覇権闘争を着々と展開」―マラッカ海峡問題,フィリピンの対米貿易協定問題,タイの反基地反CIA闘争などを紹介,「東南アジア中立化構想」を評価。
DIA-104-1975-01-04-2中国1975年01月04日1970年代中国漢唐壁画展覧会,東京で開幕。
DIA-104-1975-01-05-1中国1975年01月05日1970年代「東風―12」小型水稲コンバインを試作―同機は「東風―12」小型ハンドトラクターに薄板キャタピラー,液圧ジャッキ,動力回転収穫機,脱粒設備などをとりつけたもので,深さ20cm以内の水田で収穫作業ができ,6時間当り1haの刈入れができる。
DIA-104-1975-01-05-2中国1975年01月05日1970年代チャチャイ外務次官を団長とするタイ代表団,訪中―8日病院で周総理と会見,9日帰国の途に。友好価格によるディーゼル油7.5万トン輸出と,貿易代表団の訪タイに中国側が合意。
DIA-104-1975-01-06-1中国1975年01月06日1970年代紅旗1号,袁青「修正主義に反対し,防止するために理論隊列を建設しよう」
DIA-104-1975-01-06-2中国1975年01月06日1970年代74年の中国の対外貿易大幅に増加―1974年の中国の外国貿易は輸入輸出ともに計画を超過達成し,貿易額は1973年に比べかなり大幅に増加した。輸出商品に占める工鉱業製品の比重は引き続き増加している。輸出向け農業・副業生産物の生産基地も一段と打ち固められ発展した。 中国は独立自主,自力更生の方針を堅持しながら,74年に生産建設に必要な設備と原材料を計画的に輸入し,社会主義建設の歩みをはやめ,自力更生の力を強めるのに一定の補助的役割をはたした。一部の製品については輸出すれば輸入もし,輸出と輸入を通じて種類を調整し,内外の交流を活発にした。 現在,150余りの国と地域が中国と貿易往来を行っている。第3世界諸国との貿易は引き続きかなり大きく伸びた。
DIA-104-1975-01-06-3中国1975年01月06日1970年代中国,ボツワナと外交関係を樹立―同日,ニューヨークで両国は共同コミュニケに調印。
DIA-104-1975-01-07-1中国1975年01月07日1970年代寧夏回族自治区の道路建設―現在道路総距離は解放時(1,100km余)の4倍余に達し,舗装道路は3,200km,全区のすべての市,県,旗に道路があり,95%の公社で自動車が通行可能となった。
DIA-104-1975-01-07-2中国1975年01月07日1970年代第15冶金公司,「噴射コンクリート工法」開発―鉱山の坑道建設に用いられる。
DIA-104-1975-01-07-3中国1975年01月07日1970年代新華社記者報道,「西側資本主義世界は戦後の最も厳しい経済危機に直面している」。
DIA-104-1975-01-07-4中国1975年01月07日1970年代気象センター自動化設備視察団来日―鄒競蒙中央気象局責任者他8名。
DIA-104-1975-01-07-5中国1975年01月07日1970年代三井信託,中央信託が中国銀行とコルレス契約を締結。
DIA-104-1975-01-08-1中国1975年01月08日1970年代中国共産党第10期2中総会開催―10日まで開かれ,第4期全人代大会の準備活動について討議。鄧小平が党中央副主席,政治局常務委員に選任さる。
DIA-104-1975-01-08-2中国1975年01月08日1970年代北京市工鉱企業の業余労働者学校が発展―批林批孔運動の中で1973年の370余ヵ所から1,500余ヵ所に発展,現在の学生は24万人に達している。
DIA-104-1975-01-08-3中国1975年01月08日1970年代人民日報,任谷平「動乱の一年,勝利の一年」―1974年の国際情勢総括。
DIA-104-1975-01-08-4中国1975年01月08日1970年代対中鉄鋼輸出決済,支払延期認める―日本鉄鋼業界が明らかにしたところによると,中国の外貨事情の悪化のため,74年12月船積み分についてはとりあえず150日のユーザンス(支払い猶予期限)付きの決済方式を採用することになった。(日経1月9日)
DIA-104-1975-01-09-1中国1975年01月09日1970年代74年の油料作物生産―全国の油料作物の総収穫量は73年より伸び,全般的に豊作となった。特に新たな栽培法を開発した結果,南方,北方,平野,丘陵,山間地を問わず生産を伸ばすことが可能になった。ナタネについては長江流域以外で新たに広東,広西,福建,遼寧,河北,山西などでも栽培を始め,多収穫をかちとった。
DIA-104-1975-01-09-2中国1975年01月09日1970年代毛主席,ミントフ・マルタ首相と会見―同首相は7日訪中,同日病院で周総理と会見。10日北朝鮮訪問の途に。
DIA-104-1975-01-09-3中国1975年01月09日1970年代ノールウェー労働者共産党(ML)代表団が訪中―2月5日まで。
DIA-104-1975-01-10-1中国1975年01月10日1970年代人民日報,洪橋「南粮北調の是正は食糧戦線の巨大な変化」―従来,南部からの食糧に依存していた河北,山東,河南と江蘇省北部,安徽省北部地域で食糧自給を達成したことを論評したもの。全国の人口の4分の1,耕地面積の4分の1以上をしめるこれらの地域で食糧自給を達成したことは,自然災害と戦争に備える点で有利であり,国民経済の発展に大きな意義をもつ,と述べている。
DIA-104-1975-01-10-2中国1975年01月10日1970年代中国婦人代表団来日―巴桑チベット自治区革命委副主任を団長とする一行9名。31日に帰国。
DIA-104-1975-01-10-3中国1975年01月10日1970年代中国商品検査界代表団来日―張明商品検査局局長以下13名。2月4日帰国。
DIA-104-1975-01-12-1中国1975年01月12日1970年代74年の全国倉庫整理・節約活動―74年に各地で石炭1,000万トン,燃料油160万トン,電力50億kW時,鋼材70万トン,木材200万m3,および大量の非鉄金属,化学工業原料などを節約した。全国的な在庫調査・整理によって明らかになった死蔵物質はすでにその58%が使用に回されている。
DIA-104-1975-01-12-2中国1975年01月12日1970年代アメリカは6月に駐台軍事援助顧問団(MAAG200人)の撤収を予定。(AFP)
DIA-104-1975-01-13-1中国1975年01月13日1970年代第4期全国人民代表大会第1回会議開催―北京で17日まで。5日から11日まで予備会議が開かれた。 17日,改正された「中華人民共和国憲法」(参考資料参照)および張春橋による「憲法改正についての報告」を採択,周恩来による「政府活動報告」(参考資料参照)を承認した。さらに大会は無記名投票で全人代常務委委員長,副委員長,委員を選出,国務院総理,副総理,各部部長,各委員会主任を任命した。
DIA-104-1975-01-13-2中国1975年01月13日1970年代日中経済協会代表団訪中―稲山氏を団長とし,岩佐凱実,藤野忠次郎,駒井健一,出光計助,河合良一氏ら財界人48名。一行は16日に李先念副総理と会談,日本側が石油,石炭などの大量の輸入を希望し,双方は日中貿易を長期的かつ安定したものとし,拡大均衡をはかることで一致した。17日帰国。
DIA-104-1975-01-15-1中国1975年01月15日1970年代李富春党中央委員・副総理の追悼会,北京でおこなわる―9日北京で病死,享年75歳。
DIA-104-1975-01-15-2中国1975年01月15日1970年代四川省の天然ガス開発の進展―現在,四川省で建設された天然ガス井戸の数は1965年に比べ3.3倍となり,ガス日産量は3.2倍となった。省内の200余のガス鉱床では新しいガス田がつぎつぎと急ピッチで建設されている。大規模な天然ガス開発は全省の工農業生産の発展を促している。現在,全省の3分の1の製鉄工場で天然ガスを用いた製鉄,製鋼が行われている。各化学肥料工場は天然ガスを原料としでおり,全省の窒素肥料の70%以上を生産している。また全省の原塩蒸留の83.9%は天然ガスを燃料としている。その他天然ガスは発電,機械加工およびカーボンブラック,硫黄,フィルム原料,薬品などの製造にも用いられるようになった。
DIA-104-1975-01-15-3中国1975年01月15日1970年代安徽蚌埠コンプレッサー工場,油田用大型コンプレッサーを試作―すでに勝利,大港などでのテストで好成績を収めた。零下20度の厳寒地,海抜5,500mの高地でも正常に稼動した。(経済導報1月15日号)
DIA-104-1975-01-15-4中国1975年01月15日1970年代東北ギアー工場操業開始―同工場はトラクター,ハンドトラクター,連合収穫コンバイン,ディーゼルエンジン用ギアーおよび付属部品の生産を目的としている。(経済導報1月15日号)
DIA-104-1975-01-15-5中国1975年01月15日1970年代保利茂氏訪中―中国政府と中日友好協会の招きによるもの。坪川信三(自民党広報委員長)氏と田川誠一の両代議士が随行し,三木首相の周総理あて親書を携行した。北京滞在中には,廖承志,張香山氏らと会談をおこなった。21日帰国。
DIA-104-1975-01-16-1中国1975年01月16日1970年代陝西,寧夏,甘粛の農地基本建設の高潮―この3地区では長期計画にもとづいた農地建設の高まりが到来している。農地建設のなかでは,小規模段々畑を均し,機械化耕作の可能な大面積田を造成することに力が入れられている。
DIA-104-1975-01-16-2中国1975年01月16日1970年代新彊の農地基本建設―同地区では77万人の労働力を投入し,1,300の重点水利工事にとりくみ,74年末までに356万余ムーの農地を造成した。全自治区で灌漑面績は30万ムー増加し,200万ムーの土地の灌漑を改良した。
DIA-104-1975-01-16-3中国1975年01月16日1970年代毛主席,シュトラウス・ドイツ・キリスト教社会同盟議長と会見―同議長一行は12日北京に到着,同日周総理,鄧副総理,喬外交部長と会見。
DIA-104-1975-01-16-4中国1975年01月16日1970年代周総理,稲山氏らと会見―周総理は日中平和友好条約の早期実現を望んでおり,やりようによっては3ヵ月もあればできること,日中間の経済・貿易関係の発展を望んでいる,とのべた。
DIA-104-1975-01-16-5中国1975年01月16日1970年代日中平和友好条約予備交渉始まる―74年11月におこなわれた東郷次官と韓念竜中国外交部副部長による予備交渉に続く第2回目の交渉で,東郷次官が日本政府見解を陳楚駐日大使に伝えた。
DIA-104-1975-01-17-1中国1975年01月17日1970年代高分解能の電波望遠鏡完成―科学院北京天文台の製作によるこの450メガヘルツ電波多要素干渉計はデシメートル波の長波長測で,太陽について高分解能の観測を行うもの。
DIA-104-1975-01-17-2中国1975年01月17日1970年代ジュート,紅麻の生産,73年の総収穫量と買付量はそれぞれ71年の2倍,74年は73年より16.4%増加。麻については基本的自給を達成。
DIA-104-1975-01-18-1中国1975年01月18日1970年代過去8年間に1,000万近い知識青年が農山村に定住―その規模はこれまでに前例のないもので,かれらの行動は肉体労働を軽視し勤労大衆をみさけるふるい伝統的観念を洗い流し,社会の気風を一新させた。各級党組織は全国で4万名の幹部を知識青年と一緒に農山村に派遣し,共に労働し活動させ,養成と教育を強化した。天津,内蒙古,黒竜江など14の省,市,自治区の統計によると,定住した知識青年のうち7万余人が入党,90万人が共青団に入り,25万余人が各級の指導グループに参加している。(新華社)
DIA-104-1975-01-18-2中国1975年01月18日1970年代小型セメント工場の生産,全国総生産量の半分以上に達す。
DIA-104-1975-01-18-3中国1975年01月18日1970年代道路交通網の発展―74年は全国で9本の幹線道路が開通。県・公社道路1万km余り,アスファルト舗装1,300km余りが新たに建設された。また1,200余りの山間地の公社に自動車道が開通し,旅客・貨物輸送量は前年に比べ新たな伸びを示した。雲南省からチベットに通じる蔵公路の最終区間の工事も74年中にすべて竣工し,開通した。
DIA-104-1975-01-18-4中国1975年01月18日1970年代人民日報評論員,「アフリカ解放闘争をさらにおし進める固い決意」―アフリカ統一機構解放委員会のダルエスサラーム宣言を評価したもの。
DIA-104-1975-01-19-1中国1975年01月19日1970年代カジミル・ミヤール,ポーランド共産党書記長が訪中―20日姚文元,耿,張春橋と会見,3月5日王洪文党副主席と会見。
DIA-104-1975-01-20-1中国1975年01月20日1970年代第4期全人代常務委員会第1回会議開く―江華を最高人民法院院長に,姫鵬飛を第4期全人代常委秘書長に任命。
DIA-104-1975-01-20-2中国1975年01月20日1970年代周総理,鄧副総理,保利氏と会談―午前中鄧副総理と夜に周総理と会談。周総理は日米関係の緊密化が必要なこと,シベリア開発は日米共同でやることが好ましい,などと語った。
DIA-104-1975-01-22-1中国1975年01月22日1970年代人民日報社説,「アンゴラ人民の大きな勝利」―11月11日に独立を実現する協定が調印されたことを祝賀。27日周総理はアンゴラの三つの解放組織にそれぞれ同文の祝電を送った。
DIA-104-1975-01-22-2中国1975年01月22日1970年代ムボー国連ユネスコ事務局長一行が訪中―28日まで。28日周総理と病院で会見。
DIA-104-1975-01-22-3中国1975年01月22日1970年代日本政府石油代表団訪中―熊谷善二資源エネルギー庁次長を団長とし,石曲の長期安定供給問題を討論するため。
DIA-104-1975-01-24-1中国1975年01月24日1970年代中国南部11省・自治区でラテライト性土壌の改良が進む―湖南,江西,福建,貴州,広東,広西,四川,浙江,安徽,湖北の11省,自治区ではラテライト性土壌面積が土地面積の41.7%をしめる。統計によると,現在すでに開発利用,改良されたラテライト性土壌の面積は800万ヘクタール余りに達した。高収穫農地が初歩的に建設された結果,食糧単位面積当たり収量が「要綱」に規定された指標を上回った県やヘクタール当たり7.5トン以上の収穫をあけた県が100余りに達した。
DIA-104-1975-01-24-2中国1975年01月24日1970年代「長江」マーク船舶用2,000馬力ディーゼルエンジンの量産開始―このディーゼルエンジンは構造が簡単で操作しやすく,かつコストも低く,揚子江の船舶の主機に適している。
DIA-104-1975-01-25-1中国1975年01月25日1970年代人民政治協商会議はいまた存続,いすれ適当な時期に大会開催―中国筋の言明。(共同)
DIA-104-1975-01-25-2中国1975年01月25日1970年代人民日報,雅舟「朴正煕のいま一つのファッショ的暴挙」―新聞界への弾圧を非難。
DIA-104-1975-01-26-1中国1975年01月26日1970年代トランジスタ・ラジオ価格を値下げ―商業部門は1月にトランジスタ・ラジオの小売価格を再度値下げした。ここ数年来,2回にわたって値下げが行われており,今回を含め3回で60%近くの値下げとなった。
DIA-104-1975-01-27-1中国1975年01月27日1970年代中国,小麦輸入契約を破棄―73年春,米国の大手穀物商のクック・インダストリーズ社と契約した小麦60万1000トンの輸入商談を破棄した。外貨不足と小麦在庫が十分なためと観側されている。(日経28日)
DIA-104-1975-01-27-2中国1975年01月27日1970年代チベット道路網の発展―現在91本の道路があり,総距離は1万5800余キロに達した。雅魯蔵布江,金沙江など主要河川にはすべて近代的な橋梁が建設され,全自治区の97%の県と大部分の県轄区に自動車が通うようになっている。
DIA-104-1975-01-27-3中国1975年01月27日1970年代デンマークと尿素プラント3基購入契約―デンマークのハルドルトプソー社,フランスのユールティ社と契約。価格は総額4億2000万クローネ(約6,000万ドル)。(明報1月27日)
DIA-104-1975-01-27-4中国1975年01月27日1970年代フォード米大統領,周総理の留任に祝電を送り,年の後半に訪中を希望していると表明。
DIA-104-1975-01-28-1中国1975年01月28日1970年代科学院大連化学物理研究所,石油製品凝固点降下剤,新型酸素製造モデル器などを開発,製作。
DIA-104-1975-01-28-2中国1975年01月28日1970年代湖南省資江下流の益陽に資江道路大橋が完成―74年12月30日開通,全長618m,幅9m。
DIA-104-1975-01-28-3中国1975年01月28日1970年代新華社記者報道,「アメリカは戦後最大の深刻な経済危機におち入っている」―周期的な生産過剰と深刻なインフレ,通貨金融危機などが交錯し,数多くの病症がふき出し,ケインズ学説は効力を失った,とのべている。
DIA-104-1975-01-29-1中国1975年01月29日1970年代軍総政治部主任に張春橋,総参謀部長に鄧小平が就任―中国当局者が確認。31日,総後勤部長に張宗遜が任命されたことが判明。(朝日)
DIA-104-1975-01-29-2中国1975年01月29日1970年代国務院,北京で全国綿油糖麻タバコ生産会議を開催―全国主要綿産地のうち,すでに115県が単位面積当たり収量で「全国農業発展要綱」に規定された指標を達成または上回っており,そのうち89県が食糧と綿花の単位面積当たり収量とも「要綱」を上回った。1974年,全国の油料作物は全般的に豊作となり,総収量は73年より伸びた。1973年の全国麻類総収穫量は71年の2倍に伸び,74年はまた73年より5万トン余りふえ,史上最高の水準に達した。目下各地の工芸作物の発展はバランスよくいっておらず,単位面積当たり収量の格差は大きく,発展のテンポに大きな開きがあるが,これは工芸作物生産に大きな潜在力があり,急速な発展という広びろとした前途が横たわっていることを物語っている。会議はさらに次のように考えた。各地は引き続き,「食糧をカナメとして,全面的な発展をはかる」方針をまじめに貫き,さらに全面的に計画を立て,指導を強化し,食糧,綿花,油,麻,生糸,茶,砂糖,野菜,タバコ,果樹,薬材などの生産について,全般的に配慮し,合理的に配置しなければならない。国家計画に厳密に従って,各種工芸作物を十分かつりっぱに栽培しなければならない。
DIA-104-1975-01-30-1中国1975年01月30日1970年代北京,上海で法家著作選注を出版―北京のものは労農兵ML主義理論学習積極分子,専門的理論活動家,革命幹部の3結合グループによる全3巻,上海のものは上海市総工会が主となって編集したもの。
DIA-104-1975-01-30-2中国1975年01月30日1970年代ヌジェ・ガンビア外相が訪中―31日周総理と病院で会見,2月2日両国の経済・技術協力協定に調印。
DIA-104-1975-01-31-1中国1975年01月31日1970年代中国当局筋,全人代大会に毛主席の欠席を確認―同筋は「毛主席は人代の準備段階で自分が代表に選はれないよう希望した」,しかし「それにもかかわらす今度の人代は毛主席の深い配慮のもとに開催された」と語った。(共同)
DIA-104-1975-01-31-2中国1975年01月31日1970年代国務院と中央軍委が最近「1975年の春節期間に擁軍優属,擁政愛民運動を広く深く展開することに関する通知」を発出。
DIA-104-1975-01-31-3中国1975年01月31日1970年代中国,オーストラリアと小麦100万トン(1億5800万米ドル)の輸入契約(75年4月~76年3月)を結ぶ。(ロイター=共同,日経21日)
DIA-104-1975-01-31-4中国1975年01月31日1970年代山東に大型毛紡工場が完成―済寧毛織物工場は500錘の織機と,紡糸,染色など綜合体系を完備。(文匯報31日)
DIA-104-1975-01-31-5中国1975年01月31日1970年代ウイリアムズ・トリニダードトバゴ首相が訪中―2月1日周総理と病院で会見,2月3日両国の大使館設置にかんする協定に調印,6日新聞コミュニケ発表。
DIA-104-1975-01-31-6中国1975年01月31日1970年代パプア・ニューギニアのキキ国防・外務・貿易相が訪中。
DIA-104-1975-02-01-1中国1975年02月01日1970年代基隆市の魚民9人が福建省平潭県の軍と人民に救助され,帰台―1月17日,機械故障のため大風で遭難中救助されたもの。
DIA-104-1975-02-01-2中国1975年02月01日1970年代発展する中国の軽工業―1974年,中国の軽工業は73年にくらべ10%伸びた。74年の生産量をプロレタリア文化大革命前の65年と比べると,腕時計は6倍,トランジスタラジオは11倍以上,化繊は3倍近くにそれぞれ伸びている。 農副産物は,中国の当面の軽工業の主要原料である。解放初期の1949年と比べてみると,綿花生産量は5.7倍に,糖料作物生産量は7倍近くに,葉タバコ生産量は14倍に,羊毛生産量は3.6倍にそれぞれ伸び,それによって綿布,砂糖,巻タバコ,毛織物の生産量もそれぞれ4倍から12倍に伸びた。現在,軽工業用原料のうち,重工業から提供されるものは解放初期の10%から30%に上昇している。軽工業製品に対する需要・要求もますます大きく,高くなっている。ミシン,腕時計,自転車,化繊などは毎年のように大幅に増産しているにもかかわらず供給が需要に追いつかない。統計によると,現在,中国の市場商品小売り総額のうちで,軽工業品は半分近くを占めている。 軽工業は国民経済の重要な構成部分で重工業と農業の発展のために資金を蓄積することができる。統計によると,1952年から73年までに,軽工業系統が国家に提供した蓄積は,同時期に国家が工業基本建設全体に投じた資金の4分の3
DIA-104-1975-02-01-3中国1975年02月01日1970年代中国の造船業―現在,すべて国産の資材と設備で1万トン級遠洋航路船を設計,建造できる。 文化大革命の8年間に,中国では1万トン級船舶が数十隻建造され,あらゆる型の船舶総トン数は文化大革命前の17年間より多い。74年に完成した船舶総トン数と1万トン級船舶数はそれぞれ文化大革命前65年の6倍,10倍以上であった。74年のトン数は解放前のほぼ一世紀の総和を上回るものである。 中国では通常の運搬,港湾作業船,漁船,客船,大型引船などの建造から1万トン級遠洋貨物船,タンカー,大型しゅんせつ船,クレーン船,砕氷船,および石油探査,海洋調査,くい打ちに使う船など高い技術水準をいく船舶を建造するまでになった。さらに,地元当局が経営する小型造船所では近距離輸送,農業用の船を大量に作り,地元の要求に応えてセメント船を普及させている。国家は船舶用ディーゼルエンジン,補助エンジン,航行器械,計器その他の設備を生産するために専門工場を設立した。これら工業の生産力の増大に伴って,中国は今日,船舶用鉄鋼から1万馬力エンジン,計器,設備まで全般にわたる製品1万種以上を生産している。(新華社2日1日)
DIA-104-1975-02-01-4中国1975年02月01日1970年代中共中央委,ベトナム労働党創立45周年にあたり同党中央委に祝電を送る―3日,人民日報は社説を発表,完全な勝利をおさめるまでベトナム人民の正義の闘争を支援しつづけるであろう,と表明。
DIA-104-1975-02-02-1中国1975年02月02日1970年代航空工業の確立―使用航空機,航空燃料はすべて国産化されており,軍用航空機の完全国産化はすでにかなり前から実現している。(文匯報2月2日)
DIA-104-1975-02-02-2中国1975年02月02日1970年代米マンスフィールド議員の訪中報告書発表。台湾問題処理に「日本方式」を示唆。
DIA-104-1975-02-02-3中国1975年02月02日1970年代天然ガスの対日輸出を検討―中国訪問中の山本勝郎ブリジストン液化ガス副社長が語ったところによると,中国は大港油田,四川省の天然ガス開発を急いでおり,埋蔵量が膨大なため国内で消費しきれないので相当量を輸出する意向であること,今後ガス開発は急ピッチで進めるので日本の協力が要請されている,などの点を明らかにした。(共同―日経3日)
DIA-104-1975-02-03-1中国1975年02月03日1970年代山東辛店発電所,10万kW蒸気タービン発電機2台を製造。
DIA-104-1975-02-03-2中国1975年02月03日1970年代トロヤノフスキー駐日ソ連大使,椎名副総裁と会談―そのなかで同大使は「日中平和友好条約はソ連に対して好ましくない」というソ連の意向を伝えたという。(産経5日)
DIA-104-1975-02-04-1中国1975年02月04日1970年代遼寧省の営口,海城一帯でマグニチュード7.3の大地震が発生―発生前から予報が発せられでおり,発生後には中共中央はただちに震災地区人民に慰問電報を,国務院は中央慰問団を派遣した。
DIA-104-1975-02-04-2中国1975年02月04日1970年代昔陽県で農村の7年制教育が普及―同県では1968に5年制教育が普及した基礎のうえに7年制を導入,普及率は96%達した。411大隊に7年制学校が163ヵ所(うち13は9年制)あり,6,7年級在校生は1万0400余名,文革前の10倍にあたる。
DIA-104-1975-02-04-3中国1975年02月04日1970年代鄧小平が党中央軍委副主席に―北京の権威筋の言明。なお中国筋は劉少奇の生存説を確認した。(AFP)
DIA-104-1975-02-04-4中国1975年02月04日1970年代中国科学院物理研究所,小型の準安定状態環状強磁場被制御熱核反応実験装置を製作―この装置は制御された熱核反応を実現する方法の一つ。装置部品の一つであるシリコン制御定電流充電電源を自力で製作した。
DIA-104-1975-02-04-5中国1975年02月04日1970年代北京石景山発電所,電算機による発電機の運転制御を始める―10万kWの蒸気タービン発電機(燃料は石炭)の運転制御に用いたもので,全国で初めて。
DIA-104-1975-02-04-6中国1975年02月04日1970年代ソ連軍がウスリー河畔で中国軍約3個連隊6,000人をナパーム弾で掃討か。(ワルシャワ情報,西独スピーゲル紙)
DIA-104-1975-02-04-7中国1975年02月04日1970年代日本向けモスクワ放送,タス通信の日中友好条約交渉を批判し,保利訪中の際の周恩来発言を非難する論評を報道。
DIA-104-1975-02-04-8中国1975年02月04日1970年代陳楚大使帰任,条約交渉本国協議のため一時帰国していたもの。
DIA-104-1975-02-05-1中国1975年02月05日1970年代新華社記者と通信員の珍宝島ルポが人民日報に掲載さる。
DIA-104-1975-02-05-2中国1975年02月05日1970年代中国最大の劉家峡水力発電所完成―甘粛省永靖県内にあり,1964年着工,74年末に全工事を完了した。発電所は中国が自力で製造した初の30万kWの二重内部水冷式水力タービン発電機を含む5台の国産大型水力タービン発電機があり,総出力は122万5000kW,年間発電量57億kW時に達する。発電所の大堰提の上流側は大型ダムで,57億m3を貯水できる。この水力発電所には22万ボルト,33万ボルトの超高圧送電線(全長534km)が通じており,甘粛の蘭州,天水,陝西の関中および青海の西寧の四つの電力網と結ばれ,この4電力が一体となって陝西,甘粛,青海3省にまたがる大電力網が形成された。
DIA-104-1975-02-05-3中国1975年02月05日1970年代プラウダ,イーゴリ・アレクサンドロフ論文,「スローガンと実際―中国の新憲法に関して」を発表。
DIA-104-1975-02-06-1中国1975年02月06日1970年代新華社台北ニュース,「台湾省同胞はたえず蒋集団への反抗闘争を展開している」―残酷な搾取とファシスト統冶の中で,台湾同胞は一日でも早く祖国の統一が実現することを希望している,と評価。
DIA-104-1975-02-06-2中国1975年02月06日1970年代趙正洪中国卓球代表団長,ラオ西ヘンガル州首相と会談。
DIA-104-1975-02-06-3中国1975年02月06日1970年代人民日報,新華社記者論評「手練手管は拡張の本質を覆いかくせない」―日ソ外相会談におけるソ連の北方領土に関する主張を批判。
DIA-104-1975-02-07-1中国1975年02月07日1970年代北京,鄭州,武漢,福州などで,京漢鉄道大スト52周年記念集会がおこなわれた。
DIA-104-1975-02-07-2中国1975年02月07日1970年代政協全国委員・国民党革命委員会中央委員李蒸氏の追悼会が八宝山で挙行さる―2月2日,80歳で逝去したもの。
DIA-104-1975-02-08-1中国1975年02月08日1970年代新華社,「ソ修はコメコンを通してブルガリアへの搾取と収奪を強めている」。
DIA-104-1975-02-09-1中国1975年02月09日1970年代毛沢東主席が理論問題についての重要指示(Ⅰ)を発表―「レーニンはなせブルジョア階級に対して独裁をおこなうといったのか,この問題をはっきりさせなければならない。この問題をはっきりさせなければ,修正主義に変ってしまう。全国にわからせなければならない」。人民日報社説,「プロレタリア階級独裁の理論をしっかり学びとろう」の中で明らかにされたもの。
DIA-104-1975-02-09-2中国1975年02月09日1970年代初の長江大型客貨物船の試運転に成功―東方紅11号は船長113m,幅19.6m.,排水量3,700トン,1,180人余の人間と450トンの貨物を収容できる。
DIA-104-1975-02-09-3中国1975年02月09日1970年代新華社記者論評,「団結・戦闘の新たな勝利」―セネガルの首都ダカールて開かれ8日閉幕した発展途上国原料会議について論評。
DIA-104-1975-02-09-4中国1975年02月09日1970年代全インド故コトニス医師記念委員会とインド中国友好協会,世界卓球選手権出場の中国卓球代表団を歓迎,カルカッタでパーティーを開く。
DIA-104-1975-02-10-1中国1975年02月10日1970年代人民日報・梁効「プロレタリアートのブルジョアジーに対する独裁はかならず実行すべきである」。
DIA-104-1975-02-10-2中国1975年02月10日1970年代74年末より147万ha分の水利工事完成―74年10月から75年1月末までに完成した水利・農地建設部門の工事総量は62億m3に達し,前年同期を50%上回り,動員数は1億人をこえた。完成水利工事は50万ヵ所(着工したものは90万ヵ所)に達しており,約147万haの灌漑面積の増加が記録された。(文匯報10日)
DIA-104-1975-02-11-1中国1975年02月11日1970年代新彊自治区,及び陝西,黒竜江,四川の3省が参加する文芸公演会・北京で開催―74年の4省,3市,2自治区による北京文芸公演に続くもの。
DIA-104-1975-02-11-2中国1975年02月11日1970年代仏,対中石油化学プラント輸出成約―同プラントは北京北東約800kmの遼寧に建設され,ナフサを原料にポリエステル,ナイロンを生産する。金額は13億フラン。
DIA-104-1975-02-12-1中国1975年02月12日1970年代イリイチョフ中ソ国境交渉首席代表,北京に帰任―15日,北京で韓念竜・イリイチョフ会談開く。
DIA-104-1975-02-13-1中国1975年02月13日1970年代北京市は春節の北京市一周マラソン(13キロ)を挙行。
DIA-104-1975-02-13-2中国1975年02月13日1970年代74年の全国預貯金総額は73年比13%増―チベット安多県布曲人民公社では1世帯当たり預金額が平均1,400元に達した。上海や湖北では人民公社党委の指導のもとに古い風俗習慣を改める大衆運動を展開した結果,若い女性は結納金や結婚準備資金を信用共同組合に預金するようになった。
DIA-104-1975-02-14-1中国1975年02月14日1970年代毛主席は風邪にかかっていると中国側がガイアナ首相に説明。(ロイター)
DIA-104-1975-02-14-2中国1975年02月14日1970年代日中平和友好条約予備交渉再開―席上,中国側は日中共同声明第7項の第3国の覇権に関する条項にふれ,友好条約に盛り込むよう主張したという。(日経15日)
DIA-104-1975-02-15-1中国1975年02月15日1970年代第3回全国競技大会準備委員会が成立―主任には陳錫聯国務院副総理,秘書長には荘則棟体育運動委員会主任が任命された。大会は9月7日から27日まで北京で開かれる。同準備委員会は台湾省のスポーツ関係者,選手に対して,この競技会に参加するのを心から歓迎するという通知を発した。
DIA-104-1975-02-17-1中国1975年02月17日1970年代公社経営工場の方向―湖南省常徳県蔡家崗公社は農業機械修理工場,セメント工場,石灰工場など14工場を経営し,大隊や生産隊で総合加工工場,園芸場,陶器工場,採石場など経営している。これらに対しては統一指導を実施し,各レベルで個々に損益を計算することを原則とした。74年までの8年間に公社経営企業の蓄積した資金は185万元に達し,そのうちの50%の資金を農業機械の購入と農地基本建設にあてた。 同公社は工場を経営するにあたって,“自由経営”や“利益になるものは大いにやり,利益が少いものはやらない”といった資本主義経営の風潮を排した。またこれら工場で働く労働者と農作業に当るものとの収入格差が拡大しないよう注意し,分配は生産隊のなかで行い,労働報酬も農業労働者と差がつかないように注意した。
DIA-104-1975-02-18-1中国1975年02月18日1970年代四川省徳陽県における農業機械化―同県では過去3年来の努力の結果,各分野で機械化を基本的に実現した。現在,全県の機械化耕作面積は耕地総面積の36%に達し,全県34の公社のうち,平野地区の16の公社のすべてに機械耕作が実現された。71年以来,徳陽県では「72年~76年全県農業機械化実現5ヵ年計画」を作成,県委と各級党委のなかに農業機械化担当の1名の指導員を設置し,機械化の実現に努めた。この過程で最大の課題は資金の不足であったが,県委はあくまで国家に頼らず,多角経営などで公共蓄積を増やし,機械の購入資金にあてた。過去3年間に全県の各公社,生産隊の蓄積した資金は2,500万余に達し,778台のトラクター,3,000台元余の揚水機,8,000台余の麦稲脱穀機,1万1000台余病虫害防除機,400台余の田植機,7,000台余の各種農業用輸送機械などを購入した。
DIA-104-1975-02-18-2中国1975年02月18日1970年代国際石油の75年度輸入交渉まとまる―協定内容の骨子は,数量は1~12月で540万トン(昨年は300万トン),価格は12ドル10セント/バーレル(昨年は12.80ドル/バーレル),支払条件はドル建て・ドル決済を採用,30日のシッパース・ユーザンスを認める,など。
DIA-104-1975-02-19-1中国1975年02月19日1970年代アルカリ土壌の改良―現在,全国のアルカリ土壌面積の3分の1に当る1億ムー余が改良され農地となっている。1972年の統計では,特に河南・河北・山東などの省の改良面積が最も多い。河北省海河流域の4地区では1,070万ムーのアルカリ土壌のうち559万ムーを,河南省の1,300万ムーのアルカリ土壌のうち760万ムーを,山東省の1,800万ムーのうち700万ムーをそれぞれ改良した。(光明日報19日)
DIA-104-1975-02-19-2中国1975年02月19日1970年代日本政府,日中条約の「覇権」明記,あくまで反対貫く―三木首相と宮沢外相との会談で決定。このため交渉が一時中断するのもやむを得ないとの判断を固めたという。(東京19日)
DIA-104-1975-02-20-1中国1975年02月20日1970年代74年度の全国廃旧物資回収―回収した廃旧物資の総額は10億元,総量は625万トンで73年比10%増。クズ鉄287万トン,有色金属5万トン余,古紙類100万トンなどを回収。
DIA-104-1975-02-20-2中国1975年02月20日1970年代甘粛景泰川発電ダムが完成―74年末に完成し操業している。黄河の水を毎秒10m3の速度で446mの高所に導き,景泰川周辺の2万haに及ぶ乾燥地区を灌漑する。(文匯報2月20日)
DIA-104-1975-02-20-3中国1975年02月20日1970年代サモラ解放戦線議長を団長とするモザンビーク友好代表団訪中―一行は同日,周総理と病院で会見。3月2日両者の新聞コミュニケが発表された。
DIA-104-1975-02-20-4中国1975年02月20日1970年代河野参院議長,保利茂氏,陳楚駐日大使と会談―日中平和友好条約を早期に締結することで意見が一致。(日経21日)
DIA-104-1975-02-21-1中国1975年02月21日1970年代東南アジア卓球親善試合に中国選手が参加―クアラ・ルンプールで挙行されたもの。
DIA-104-1975-02-21-2中国1975年02月21日1970年代74年の日中貿易―ジェトロの発表。輸出入総額32億9339万ドル(前年比63.4%増),日本の輸出19億8831万ドル(同90.9%増),輸入13億508万ドル(同34%増),貿易バランスは日本の6億8000万ドル余の出超。日本側の輸出の伸び約90.9%の約半分が価格要因だが,特に機械機器,繊維および繊維製品が著しく伸びた。輸入の面では生糸,繊維製品など在来商品が不振であったが,原油は前年の3.3%から31.5%のシェアを占めるに至った。
DIA-104-1975-02-22-1中国1975年02月22日1970年代毛主席の理論問題についての重要指示(Ⅱ)―「毛主席は社会主義制度にふれて次のようにのべている。要するに,中国は社会主義国家に属する。解放前は資本主義とほぼ同じであった。いまでも8級賃金制,労働に応じた分配,貨幣による交換がおこなわれている。これらは旧社会と大して変らない。異なっているのは所有制が変わったことである。(以上は9日に公表) いまわが国でおこなわれているのは商品制度であり,賃金制度も不平等で,8級賃金制が存在している,等々。これらはプロレタリア階級独裁のもとで制限を加えるほかない。だから,林彪のたぐいが登場すれば,資本主義制度を実行するのはきわめて容易である。したがって,マルクス・レーニン主義の著作をもっと読むようにしなければならない。 レーニンは『小生産は,資本主義とブルジョア階級を,たえず,毎日,毎時間,自然発生的に大規模に生み出している』とのべている。労働者階級の一部,党員の一部にも,このような状況が存在している。プロレタリア階級のなかにも,機関の工作要員のなかにも,ブルジョア的生活作風にそまるものがいる。 以上はプロレタリア独裁にかんするマルクス,エンゲルス,レーニンの論述を発表するにあたって
DIA-104-1975-02-22-2中国1975年02月22日1970年代プラウダ論文,「諸国民の根本的利益に反して」―中国外交の全面的批判。
DIA-104-1975-02-22-3中国1975年02月22日1970年代朱徳委員長,周恩来総理,ネパール国王の戴冠に際し祝電を送る―この日,陳錫聯副総理,韓念竜外交部副部長,章含之アジア司副司長らが戴冠式参列のためカトマンズ入りした。
DIA-104-1975-02-23-1中国1975年02月23日1970年代遼寧,黒竜江,吉林,湖北,旅大等の革命委員会と中ソ友好協会がソ連軍烈士の墓に花輪をささげた。ソ軍陸海軍建軍57周年の前日にあたっておこなったもの。
DIA-104-1975-02-24-1中国1975年02月24日1970年代広東省,窒素肥料を増産―省内51の小型窒素肥料工場は窒素肥料増産の主力軍の一つである。多くの労働者・職員は「地元で材料を調達し,材料を加工し,ムダなく使う」という原則に基づき,さまざまな困難を克服して地元の石炭ガスを使い窒素肥料増産の主導権を手にした。恩平窒素肥料工場は,地元の石炭資源が豊富であるという特徴に基づき,土地の事情にあわせて,炭化石炭ガスを製造して原料の供給を解決,同時にそれに合わせて大小18の改革を行った。当初合成アンモニア年産3,000トンを計画していたこの工場は,74年には7,032トンを生産した。 大型化学肥料工場の生産も発展をみせている。広州窒素肥料工場はガス発生炉を改良し,労働者たちは粉炭を使いなから75年1月,塊炭を燃やしたときを上回る炉1台1時間当たりのガス化率を達成した。
DIA-104-1975-02-24-2中国1975年02月24日1970年代周総理,病院でシアヌーク殿下と会見。
DIA-104-1975-02-25-1中国1975年02月25日1970年代天津で絨毬交易会開催。
DIA-104-1975-02-25-2中国1975年02月25日1970年代中国政府漁業代表団来日―3月1日から日中漁業交渉再開。
DIA-104-1975-02-26-1中国1975年02月26日1970年代陳錫聯副総理,カルカッタで,インドが認めれは国交正常化の会談に応すると語る。
DIA-104-1975-02-26-2中国1975年02月26日1970年代新華社記者論評,「ソ米貿易協定が発効しないのは何をものがたるのか」―ソ米の争奪の激化による,と評価。
DIA-104-1975-02-26-3中国1975年02月26日1970年代文部省中国文字改革調査団訪中。
DIA-104-1975-02-27-1中国1975年02月27日1970年代74年度全国食糧買上げ計画を超過達成―遼寧,吉林,黒竜江,内蒙古,天津の5地区では前年比10%以上増加,北京,河北,山西,陝西,寧夏,江蘇,上海,湖北,広東,チベット等の地区でも買上げ計画を超過達成した。
DIA-104-1975-02-27-2中国1975年02月27日1970年代イネとトウモロコシの雑種―吉林省の老貧農李貞生は水稲とトウモロコシで遠縁交雑を行い「トウモロコシ稲」をつくった。この稲は8年間にわたる繁殖試験栽培を経て,すでに雌株として使った水稲よりすぐれた形質を多く表しており,また乾燥に耐えるなどトウモロコシの特性をも表している。
DIA-104-1975-02-27-3中国1975年02月27日1970年代大同炭鉱における生産計画の作成―大同炭鉱の労働者は現在,出炭量の飛躍的伸びをもたらす10年計画を作成している。 国は祖国の社会主義建設の必要とその企業の能力に基づいて,企業に暫定的生産割当量を定める。その後,企業指導部は大衆を動員して割当量と必要な措置を討議させる。計画は国家の承認を受ける。75年は中国の第4次5ヵ年計画の最後の年にあたる。今,全国の各企業は新しい計画を作成中である。 10年計画の作成にあたって大同鉱務局は計画委員会を組織し,鉱山,工場,作業区,班のレベルでも同様の委員会や小組を作った。これら委員会や小組は労働者を主体とし,幹部,技術者も加わって三結合を形成し,合わせて1,414人の労働者がそこで仕事をしている。大衆の間の討議を土台に,委員会は全般的な研究と分析を進めた。 こうした計画作成の方法は,大衆の知恵を引き出すことを多くの例が示している。四老溝鉱山の長期計画作成で,技師,技術者は新しい鉄道線路と16万元相当の新規投資を計画した。しかし労働者はこの案を拒否し,列車の速度をあげ,荷卸し時間を縮めて多額の国家投資を節約する提案をした。(中国通信3月12日)
DIA-104-1975-02-27-4中国1975年02月27日1970年代ロペス首相のひきいるコンゴ人民共和国政府代表団が訪中―3月8日まで。2月28日,周総理は病院で一行と会見,3月2日両国政府の経済技術協力項目にかんする交換文書に調印。
DIA-104-1975-02-28-1中国1975年02月28日1970年代人民大会堂の台湾広間で「2.28」蜂起28周年記念座談会開催―葉剣英,徐向前,烏蘭夫,アペイ・アワンジンメイ,周建人,丁国鈺,羅青長,姫鵬飛,廖承志,林麗,蔡嘯,楊成武,梁必業,張宗遜,劉友法,李金徳,童小鵬らの人々が出席,廖承志がまず発言,つづいて14名が発言した。 広東,福建,上海,天津,旅大,武漢など各地でも座談会がおこなわれた。
DIA-104-1975-02-28-2中国1975年02月28日1970年代人民日報社説「理論を学び,路線をつかみ,春耕を促そう」―要旨次のとおり。 ○当面,プロレタリア独裁の理論をしっかりと学び,批林批孔運動を展開するなかで,革命的団結を強め,生産を促さねばならない。 ○指導幹部は生産の第一線に入り,集団労働に参加し,党の各農村政策を正確に執行しなければならない。 ○“食糧をカナメとし,全面的に発展をはかる”方針に基づき,各作物の播種面積を適切に割りあてなかればならず,計画に基づいてりっぱに作付けしなければならない。 ○おおいに養豚事業を発展させ,堆肥作りに努力をはらわねばならない。防災準備を強め,労働力を統一的に按排し,計画的に重点を春耕生産におかねばならない。 ○頭のなかに農業のことがあるか否かは,大局があるか否かの問題でもある。当面工業,商業,輸送の各部門を組織し,春耕支援を強めなければならない。
DIA-104-1975-02-28-3中国1975年02月28日1970年代北京石油化工総廠,勝利化工廠の3廃処理―東方製油所では石油製精過程で発生する廃ガスを,今までは大気中で燃焼させていたが,現在では燃料として回収することに成功している。勝利化工廠では合成ゴム製造過程で排出されるホルマリンを今まで空地で燃やしていたが,別な処理方法を考案した。その他工場内の汚水処理設備も完備した。
DIA-104-1975-02-28-4中国1975年02月28日1970年代中国軍事代表団,ベトナムを訪問―楊勇新彊軍区司令を団長とし曹里懐空軍副司令員を副団長とし,2週間にわたり北ベトナムを訪問。
DIA-104-1975-02-28-5中国1975年02月28日1970年代ビエンチャン・広州間の定期航空路開設さる―双方の友好訪問団が1番機で往来。
DIA-104-1975-03-01-1中国1975年03月01日1970年代紅旗3号,姚文元「林彪反党集団の社会的基礎について」―林彪及びその子林立果の思想と行動に対するはじめての全面的包括的分析。林彪一味の「5.71工程紀要」が反対しているのはまさにブルジョア的法権の制限に対してであることを分析,明らかにしている。
DIA-104-1975-03-01-2中国1975年03月01日1970年代紅旗3号,華雲「農業を基礎とし,工業を導き手とする方針を貫徹しよう」―「文化革命以来,農業の発展速度は非常に速かったが,全般的に見て農業生産の水準はまだ高くはなく,工業開発の要求にまだこたえられていない」として,今後まじめに農・軽・重の順に従って団民経済を按配し,農業生産に重点をおくべきことを訴えたもの。
DIA-104-1975-03-01-3中国1975年03月01日1970年代イエン・サリ・カンボジア王国民族団結政府特別顧問が訪中―4日周総理,紀副総理が同氏と会見。
DIA-104-1975-03-03-1中国1975年03月03日1970年代人民日報評論員,「カシミール人民の自決権は奪うことができない」―2月24日,インドがカシミールを連邦内に組入れたことを非難。
DIA-104-1975-03-03-2中国1975年03月03日1970年代新華社記者論評,「ロメ協定は何を物語るか」―第3世界と第2世界の関係における大きなできごとで,超大国の覇権主義に対する世界的反対闘争に有利,と評価。
DIA-104-1975-03-04-1中国1975年03月04日1970年代天津市の教育革命支援―同市では2,500余の工場と農村の生産大隊が800余の小,中,大学と固定的な提携関係を結び,9,000余名の労農兵の兼職教師が学校の教学改革に直接参加している。
DIA-104-1975-03-04-2中国1975年03月04日1970年代人民日報,国際時事総合論評「南朝鮮人民の反朴集団の闘争はたえず高まっている」。
DIA-104-1975-03-04-3中国1975年03月04日1970年代日中条約第4回予備交渉,覇権問題で交渉進展なし。
DIA-104-1975-03-05-1中国1975年03月05日1970年代農村における資本主義傾向への批判―山西省右玉県党委員会は批林批孔運動と現在行われている社会主義教育運動を通して,特に現金収入を得るために不正規な副業に精を出し集団生産を弱めたり,集団蓄積を強化するより,分配を一律に増やしたりするなどの資本主義傾向との闘いに成果をあげた。 なおこの報告に関し,人民日報は郭大江の署名による「経験を総括し,理論をよく学ぼう」と題する論評をかかげた。要旨は次のとおり。 ○「農業は大寨に学ぶ」ことの根本は,断固として党の基本路線と各政策を貫徹・執行し,断えず階級敵の破壊活動に打撃をあたえ,断えず資本主義傾向を批判し,断えず農民に社会主義思想を注入し,プロレタリア独裁の理論で農民を教育することにある。 ○だがある地方ではこうした認識が不十分で,「農業は大寨に学ぶ」政治的意義を理解せず,単純に生産発展の上から考慮に入れているにすきず,こうしたことから大寨に学ぶことが実現されるに到っていない。
DIA-104-1975-03-05-2中国1975年03月05日1970年代中国,米国綿花40万ベール輸入をキャンセル―すでに75年年初に20万ベールをキャンセルしているが,5日に新たに20万ベールをキャンセルした。(明報3月6日)
DIA-104-1975-03-06-1中国1975年03月06日1970年代軍の第3回体育競技会,5月に北京で開催と決定―競技は18項目あり,28の大単位が参加。
DIA-104-1975-03-08-1中国1975年03月08日1970年代汪菊潜元鉄道部副部長の追悼式,八宝山で挙行―2月26日逝去,69歳。
DIA-104-1975-03-08-2中国1975年03月08日1970年代発展する国内航空事業―すでに国内70数都市に80余の定期航空路が開かれている。74年の旅客,貨物輸送量は9年前の各々4倍,12.2倍となり,飛行便数は7倍になっている。(文匯報3月8日)
DIA-104-1975-03-08-3中国1975年03月08日1970年代ムワンガ・ザンビア外相が訪中―11日まで。 訪中期間に病院で周総理と会見。
DIA-104-1975-03-08-4中国1975年03月08日1970年代北京市婦女連合会,人民大会堂で国際勤労婦人デー祝賀パーティーを開く―シアヌーク親王夫人はじめ在京各国婦人と首都の婦人1,400余人が出席。
DIA-104-1975-03-08-5中国1975年03月08日1970年代中国石油輸入協議会,75年分210万トンの輸入契約―昨年の積み残し分60万トンを含む。価格はバーレル当り12ドル10セント(FOB)でドル建て,ドル決済。
DIA-104-1975-03-09-1中国1975年03月09日1970年代武漢で中国初の位相式精密レーザー距離測定器を製作。
DIA-104-1975-03-09-2中国1975年03月09日1970年代人民日報評論員,「カンボジア人民の勝利への歩みはさえぎることができない」。
DIA-104-1975-03-11-1中国1975年03月11日1970年代紅旗3号,路明「プロレタリア階級独裁を堅持するための理論的武器」―副題,「ゴータ綱領批判」執筆100周年を記念して。
DIA-104-1975-03-11-2中国1975年03月11日1970年代人民日報社説,「理論学習に力を入れて,工業生産を促そう」―要旨は次のとおり。 ○マルクス主義のプロレタリア階級独裁に関する理論をまじめに学習し,われわれは革命的団結を強化し,前進の足とりを速め,第4次5ヵ年計画をよりりっぱに達成し超過達成しなければならない。 ○現在なお一部の企業では形式的には社会主義所有制であるが,実際の指導権がマルクス主義者と広はんな労働者の手中に握られていないことを見てとらなければならない。新旧ブルジョア分子の社会主義計画経済を破壊する活動が一部の単位に程度の差はあるが存在している。労働者階級の一部,党員の一部にも,ブルジョア階級の浸蝕を受け,社会主義の道に背を向けるものがいる。企業管理の面で,一部の同志はブルジョア的権利を制限するのではなくて,どうしても「物資的刺激」のたぐいのものをやろうと考えている。われわれは学習のなかで,ソ修裏切り者集団が資本主義を復活させたことの経済領域における表われを研究し,修正主義路線を批判し,企業の社会主義の方向を堅持しなければならない。 経済政策の面に及ぶ制度については,まじめに調査研究を行い,慎重な態度をとらなければならない。 ○プロレタリア階級独・
DIA-104-1975-03-11-3中国1975年03月11日1970年代広東省に大型発電所―茂名火力発電所で大型スチームタービン発電機の組立てが完成,発電を開始した。 これは広東省電力基本建設工事の一つで,73年3月に着工。(文匯報3月11日)
DIA-104-1975-03-11-4中国1975年03月11日1970年代移動式ボーリング船完成―天津・大連の中間点の渤海湾上で中国初の移動プラットホーム式海洋掘削装置船「渤海一号」がボーリングを開始した。同船は大連紅旗造船所で建設され,75mの支持脚4本を持ち,5,000トンの重量物を持ちあげることができる。(商報3月11日)
DIA-104-1975-03-11-5中国1975年03月11日1970年代中国国貿促代表団訪日―李川副主任を団長とする。28日まで。
DIA-104-1975-03-12-1中国1975年03月12日1970年代北京の中山堂で孫中山逝去50周年記念式典おこなわる―葉剣英党副主席が花をささけ,呉徳,王震,沈雁氷,廖承志,劉友法,朱蘊山,丁国鈺ら各氏もそれぞれ花をささげた。この日上海,南京,広州,武漢でも式典がおこなわれた。
DIA-104-1975-03-12-2中国1975年03月12日1970年代国務院は通知を発し,遼寧省南部地震の予報に功績のあった単位を表彰。
DIA-104-1975-03-12-3中国1975年03月12日1970年代歴史研究誌1号,「黄帝十大経」について論文を発表―黄帝十大経は馬王堆墳墓から出土したもの。
DIA-104-1975-03-12-4中国1975年03月12日1970年代冬季農地基本建設の成果―74年冬以来,全国的に空前の規模で農地基本建設が展開され,数百万の幹部や数億もの大衆が建設に参加した。関係部門の統計によれば,全国各地で着工・建設された水利施設は140余万ヵ所,その3分の2はすでに完成した。75年1月末現在,全国で200万ha余の灌漑地が新たに増加あるいは改良され,約87万haの段々畑が新しく造成され,453万haの低収穫田が改造された。
DIA-104-1975-03-12-5中国1975年03月12日1970年代バーナム・ガイアナ協同共和国首相夫妻が訪中―17日まで。17日新聞コミュニケが発表された。
DIA-104-1975-03-12-6中国1975年03月12日1970年代新華社記者論評,「ニューデリーの詭弁に反論する」―インドのカシミール地区併呑に関し,この問題は「内政問題」であるとするインドに反論。
DIA-104-1975-03-13-1中国1975年03月13日1970年代吉林省四平コンバイン工場,「東風25」けん引式穀類コンバインを試作―このコンバインは小型でコストが低く,一時間の純作業量は1~1.33ha。(中国通信3月17日)
DIA-104-1975-03-14-1中国1975年03月14日1970年代第2回国連工業開発機構総会で陳慕華中国代表団団長が発言。
DIA-104-1975-03-14-2中国1975年03月14日1970年代朝鮮「労働新聞」代表団訪中。
DIA-104-1975-03-14-3中国1975年03月14日1970年代中国青年代表団訪日―共青団広東省委書記梁秀珍氏を団長とする。4月3日帰国。
DIA-104-1975-03-15-1中国1975年03月15日1970年代モロッコのララキ外相が訪中―17日周総理は病院でララキ外相と随員に会見。15日両国はスポーツ,医療,貿易にかんする協定と議定書に調印。
DIA-104-1975-03-15-2中国1975年03月15日1970年代福岡博覧会中国館開幕。
DIA-104-1975-03-16-1中国1975年03月16日1970年代人民日報,16人の青年店員の反腐敗闘争を紹介―上海市中南中心合作食堂の調査報告。
DIA-104-1975-03-16-2中国1975年03月16日1970年代周総理,シンガポール外相と会見―同政府友好代表団は13日に中国入りした。
DIA-104-1975-03-16-3中国1975年03月16日1970年代イタリア(ML)共産主義者組織代表団が訪中―4月2日倪志福政治局員候補と会見。
DIA-104-1975-03-17-1中国1975年03月17日1970年代全人代第4期常委第2回会議,拘禁中の全戦犯の特赦,釈放を決定―毛主席,党中央の指示にしたがい周総理が提案したもの。決定によれば特赦,釈放されるのは合計293名で,そのうち蒋介石一味の将校219名,国民党・政府要員21名,特務50名,かいらい「満洲国」関係戦犯2名,かいらい蒙彊政府関係戦犯1名。これらの全戦犯に公民権をあたえ,働く能力のある者には適当な仕事をあたえ,病気の者には公費医療を享受させ,働く能力を失った者には国がその生活を保障する。台湾に帰りたい者は台湾に帰ってもよく,そのばあい旅費を十分支給し,便宜を与える。台湾に行ったあと再び戻りたい者にたいしては,これを歓迎する。 同会議は18日まで開かれた。この間余秋里の1975年国民経済計画に関する説明,李素文の遼寧省南部地震に関する報告を聴取した。
DIA-104-1975-03-17-2中国1975年03月17日1970年代新しい植物生長調節剤「矮健素」を開発―「矮健素」は植物の生長を調節し,茎を短かくふとくし,葉を厚く農緑色にし,根系を発達させ,分蘗を早め多くすることができる。これを使うと植物は低温や酸性,アルカリ性にも強くなる。また,耕作条件が改善され,水と肥料が十分にやられているような地域で農業生産に悪影響を与える目立った要素になりつつある,小麦の倒伏や綿花の徒長,蒴の脱落を防ぐのにとくに有効である。これを適切に使うと,10~30%の増産をはたせる。「矮健素」とはエピクロロヒドリンの生産の際に出てくる廃棄物トリクロロプロパンを出発物質にして合成されたもの。(中国通信3月22日)
DIA-104-1975-03-17-3中国1975年03月17日1970年代周総理,スリランカ首相の子息のアヌラ・パンダラナイケ氏と会見。
DIA-104-1975-03-18-1中国1975年03月18日1970年代発展する上海の造船業―1974年,上海の造船労働者が自力で設計,建造した1万トン級の「風慶」号,「風光」号は,初の遠洋テスト航海に成功し,中国の造船工業と遠洋運輸事業に新たな局面を開いた。この年,上海の造船工業系統全体で,年間で1万トン級の遠洋貨物船および貨客船12隻を建造した。75年に入って1,2月の総生産はまた74年同期を14%上回った。滬東造船所で昨年暮れに進水した2万5000トンの貨物船「徐州」号は75年3月初めに内部設備の艤装を終え,試験航海をくり上げた。 江南造船所は以前5年に1万トン級1隻しか建造しなかったのが74年は1年間で5隻も建造し,年間で23隻の船を引き渡し,総生産は73年を15%上回った。 上海の造船労働者はこうして,文化大革命がはじまってから74年の暮れまでに,国家に1万トン級の船32隻を引き渡している。上海造船所は74年,年間生産任務を1ヵ月くり上げて完遂し,1万馬力エンジン2台,1万トン級の船2隻を建造し,その上570件余りの技術革新を成功させた。
DIA-104-1975-03-18-2中国1975年03月18日1970年代河北省張北県革命委員会が,反ファッショ戦争中の蒙古軍烈士の墓に花輪をささげた。
DIA-104-1975-03-19-1中国1975年03月19日1970年代革命模範劇グループが全国各地を巡回中―中央楽団,北京京劇団,中国京劇団,中国舞劇団がそれで,3月上旬から。
DIA-104-1975-03-19-2中国1975年03月19日1970年代水文事業の発展―1974年現在,国家の擁する各種の水文センター(水文ステーション,水位ステーション,雨量ステーションを含む)はすでに1万ヵ所に達し,人民公社,生産大隊所属の雨量ステーションなどの数はさらに多い。現在,国家の観測センターは大衆のものと結びつき,前者を中核にし後者を補助として,すでに全国でかなり整った観側網と水文変化の状況を反映する水文ステーション網を形成している。 洪水防止闘争の必要にもとづいて,各級水文部門と数多くの水文観測センターは水文情報・予報の仕事を展開し,解放前水文部門で予報を行わなかったための空白を埋めた。
DIA-104-1975-03-20-1中国1975年03月20日1970年代中国の工会,共青団,婦連の全国代表大会準備会議,北京で開催―2月16日から3月20日までの間にそれぞれ開いたもの。会議は代表大会における活動報告の起草間題,規約改正問題を討議するとともに,代表の人数割当と代表選出の方法について検討,決定をおこなった。会議は,適当な準備をおこなってから全国代表大会を召集し,その全国的指導機関を樹立する,と決定した。
DIA-104-1975-03-20-2中国1975年03月20日1970年代一部省,自治区の文芸公演会がひきつづき進行―第1組の新彊,陝西,黒竜江,四川等の省,区代表団の公演はすでに完了,20日晩から第2グループ(広東,湖北,河南,雲南,吉林,甘粛)が公演を開始。
DIA-104-1975-03-21-1中国1975年03月21日1970年代人民日報社説,「指導的幹部は率先してしっかり学ばなければならない」―「われわれの一部の指導的活動に従事している同志は,理論的に是非をはっきり区別することができないため,資本主義的なものを社会主義的なものとみなし,修正主義的なスローガンをマルクス主義的なスローガンとみなしている。」「学習を通じていちだんと批林批孔運動の深化発展を推進し,全国の安定・団結を促進し,新しい勝利をかちとろう。」
DIA-104-1975-03-21-2中国1975年03月21日1970年代新華社記者論評,「ブレジネフの農業政策破たんの10年」―生産低下,食糧の大量輸入,農村での階級分化の進行,政策失敗の責任を他人に押しつけるなどの点を指摘。
DIA-104-1975-03-22-1中国1975年03月22日1970年代人民日報,冶金工業部理論小組・鞍山市委理論小組共同論文「鞍鋼憲法の輝かしい旗幟の下に前進しよう」―毛主席の鞍鋼憲法に関する指示発表15周年を記念したもの。
DIA-104-1975-03-22-2中国1975年03月22日1970年代朱委員長,周総理,カンボジア国家元首シアヌーク親王と政府首相ペン・ヌート親王に民族統一戦線と民族解放人民武装勢力の成立5周年を祝う電報を送る。23日,人民日報は祝賀の社説をかかげた。
DIA-104-1975-03-22-3中国1975年03月22日1970年代人民日報評論員,「人種主義の残虐な行為」―3月18日ローデシア政権が野蛮な手段でシンバヴェ・アフリカ民族同盟の指導者チテポ氏を殺害したことを非難。
DIA-104-1975-03-23-1中国1975年03月23日1970年代葉剣英,華国鋒,呉徳,沈雁氷,江華,特赦・釈放された全員を接見―黄維,文強,蔡省三らの諸氏が接見のさい発言,祖国の社会主義建設と統一のため自己の力をささける決意を語った。会見後,宴会が催された。
DIA-104-1975-03-23-2中国1975年03月23日1970年代朱徳委員長,周恩来総理は連名でルーマニア大統領,首相,大国民議会議長が再選されたことに祝電を送る。
DIA-104-1975-03-23-3中国1975年03月23日1970年代人民日報,辛雨「政治『教唆犯』の正体」―ソ連のコムソモリスカヤ・プラウダ紙は3人の復員軍人が,復員後「金になるところへいこう」と「申し合わせた」という投書を掲載,経済学博士に「金もうけ」志向を称賛する評論を書がせた。背後に青年を毒するブレジネフ一味がいると批判。
DIA-104-1975-03-24-1中国1975年03月24日1970年代日本学術文化代表団訪中―初の日本政府派遣の文化交流で,吉川幸次郎京大名誉教授を団長とする文化人19名。4月7日まで。
DIA-104-1975-03-25-1中国1975年03月25日1970年代中国電力流通設備技術交流団来日―鄭代雨東北電力局副局艮を団長とする一行9名,4月25日まで。
DIA-104-1975-03-27-1中国1975年03月27日1970年代第3回全国競技会に台湾省体育関係者とスポーツ選手を招請―台湾省体育代表団準備事務所責任者蔡嘯氏が台北市長,台湾省体育組織の責任者,運動員あてに電報を送ったもの。
DIA-104-1975-03-27-2中国1975年03月27日1970年代陳永貴副総理一行メキシコを訪問―27日に北京を出発,4月8日に帰国。28日エチェベリア大統領夫妻が一行を招宴。
DIA-104-1975-03-27-3中国1975年03月27日1970年代米中関係全国委員会,中国芸術団の訪米公演の無期延期を公表―米国務省が中国芸術団の出発間際になって曲目のなかの「台湾同胞―骨肉を分けたわれらの兄弟」という歌をはずせと要求したため。4月2日人民対外友好協会と外交部新聞司スポークスマンが,中国は原則の取引をしない,という談話を発表。
DIA-104-1975-03-28-1中国1975年03月28日1970年代天津市,「工業は大慶に学ぶ経験交流会」を開く―会議では企業が鞍鋼憲法を堅持し,プロ独裁理論をしっかり掌握するなかでブルジョア的腐敗と訣別し,「工業は大慶に学ぶ」,運動を新たな段階に高めること,これによって第4期全人代で提起された偉大な目標を達成することなどが強調された。
DIA-104-1975-03-28-2中国1975年03月28日1970年代ラオス民族政治合同評議会友好代表団,北京着―29日,朱徳委員長が会見。
DIA-104-1975-03-28-3中国1975年03月28日1970年代中国海洋学会海水淡化視察団来日―中国海洋学会常務理事汪徳昭氏を団長とする8名。
DIA-104-1975-03-29-1中国1975年03月29日1970年代8省,市がチベットに派遣した,8医療隊の活動状況―派遣された1973年夏から,病人のへ80余万人を治療,1,800余名のチベット人医療衛生員を養成し,ラサ,シガツエ,チャムドなど4ヵ所に中等衛生学校を建設した。
DIA-104-1975-03-29-2中国1975年03月29日1970年代広西の95%の公社に自動車道路が開通,延べ3万2000kmに達す。
DIA-104-1975-03-30-1中国1975年03月30日1970年代人民日報評論員,「グエン・バン・チュー集団のパリ協定破壊の犯罪行為に厳罰を加えよう」―チュー政権とアメリカを非難。
DIA-104-1975-03-30-2中国1975年03月30日1970年代新華社記者論評,「リマ総会における二つの『反面教師』」―第2回国連工業開発機構総会でのソ連とアメリカの行動を暴露,批判。
DIA-104-1975-03-31-1中国1975年03月31日1970年代鄧小平副総理,アンゴラ完全独立全国聯盟訪中団と会見。
DIA-104-1975-04-01-1中国1975年04月01日1970年代紅旗4号,張春橋「ブルショア階級にたいする全面的独裁について」―数字をあげて所有制の変革が「基本的」に解決したことを示し,たが全人民的所有制にせよ集団的所有制にせよ,いすれも指導権という問題,つまり,名義上ではなく事実上どの階級によって所有されているか,という問題をかかえている,とする。ブルジョア階級にたいして全面的独裁をおこない,けっして中途でやめではいけないこと,当面指導的幹部のあいだで吹いている「ブルジョア」風が危険性が大きい,と指摘。
DIA-104-1975-04-01-2中国1975年04月01日1970年代紅旗4号,農林部農墾局調査組「寧夏の六つの国営農場の変化は何を物語るか」―寧夏回族自治区に所属する連湖,霊武など六つの国営農場は1952年に設立されたものだが,現在耕地面積は1万1000ha,労働者職員1万2800人余り,平均1人当たり耕地は約2ha,多くの農作業は基本的に機械化を実現している。だが有利な条件があったにもかかわらず,これら農場は長い間生産性が低く,常に赤字を出すといったたちおくれた状態におかれていた。 国営農場は社会主義農業の重要な陣地であり,社会主義農業発展の模範としでの役割を担っている。だが農場指導部は路線をしっかりとつかんでいなかった結果,赤字をなくすため換金作物に集中したり,自力更生でやるより国家からの援助に頼ったり,臨時工を傭い年中作業に当らせたり,養豚事業を奨励するため奨金制度を設けたりするなどの措置をおこなってきた。しかし農場のおくれた状態は一向に改まらなかった。 批林批孔運動以来,農場指導部は大衆とともに修正主義路線を深く批判するなかで,社会主義全人民所有制であるとはいえ二つの階級,二つの路線の闘争は存在するという認識を深めた。これ以来,農場の生産に大きな変化が現れ,ヘクタール当たり平均収量は4
DIA-104-1975-04-01-3中国1975年04月01日1970年代紅旗4号,黎新「自力更生は路線問題である。」―外国から若干の設備や技術を導入する必要性は肯定しつつも,過度な外国技術への盲信を批判し,あくまで自力更生を基本とした近代工業体系の樹立を訴えたもの。
DIA-104-1975-04-01-4中国1975年04月01日1970年代浙江省の農業発展―浙江省の昨年の食糧総収穫量は解放当時49年の2.8倍であった。3,000万以上の人口と農民1人当たり5アールの農地をもつこの沿海省ではここ3年,食糧のヘクタール当たり収量は7.5トンを越えている。 土地の潜在力をほりおこし,単位面積当たり収量をあげるため,平野部ではコメの1毛作,コメとムギの2毛作の代わりに3毛作を導入した。さらに多くの公社,大隊が74年繭の生産を年2回から4回に増やした。(中国通信4月25日)
DIA-104-1975-04-01-5中国1975年04月01日1970年代ヌイラ・チュニジア首相が訪中―8日まで。訪中の期間に朱徳委員長と周恩来総理が同首相と会見した。
DIA-104-1975-04-02-1中国1975年04月02日1970年代董必武中央政治局常務委員,北京で逝去―3日中共中央,全人代常委,国務院は計告を発表。董必武氏は中共創設者の1人で享年90歳。同日毛沢東主席をはじめとする葬儀委員会が成立。7日,北京で追悼大会がおこなわれ,全国で半旗がかかげられた。王供文副主席が追悼会を主宰,葉剣英副主席が追悼の辞をのべた。遺骨は八宝山革命公共墓地に安置された。6日には北京労働人民文化宮で8,000余名が告別式に参加。各国の党と国家の指導者から花輪と弔電が送られた。
DIA-104-1975-04-03-1中国1975年04月03日1970年代最近江蘇省下放定住知識青年代表大会参加の2,000余名の代表が,農村生活を堅持して,三大差別縮小の促進派となる決意を表明。
DIA-104-1975-04-03-2中国1975年04月03日1970年代全国公演中の中国芸術団が上海に到着,歓迎をうける。
DIA-104-1975-04-03-3中国1975年04月03日1970年代ポルトガル共産党(ML)代表団が訪中―5月13日まで。5月12日紀登奎政治局員が同代表団と懇談,招宴した。
DIA-104-1975-04-03-4中国1975年04月03日1970年代タス通信,「中国が旧満州のソ連兵士の墓を冒とくしている」と非難―15日新華社記者論評が事実無根と反論。
DIA-104-1975-04-03-5中国1975年04月03日1970年代中国石油輸入懇談会の初会合―中国原油の長期安定輸入のための体制づくりをめざす官民合同の会議。
DIA-104-1975-04-04-1中国1975年04月04日1970年代カナダ小麦を買い付け―カナダ当局者が明らかにしたところによると,中国は4,200万ブッシェル(1億7500万ドル)のカナダ小麦を買い付けた。引き渡しは75年5月~76年3月。(日経6日)
DIA-104-1975-04-04-2中国1975年04月04日1970年代新華社記者論評,「有り金全部をすった政治博徒」―3月28日にソ連はやっと「今日からカンボジア王国民族団結政府だけを全カンボジアの合法政府として承認する」とのべ,ロン・ノル集団へのカケが完全に失敗したことを公認した。
DIA-104-1975-04-04-3中国1975年04月04日1970年代人民日報,范秀竹「人の弱みにつけこんでボロもうけ」―ソ連が東欧諸国に供給する燃料価格を協定に背いて倍に値上げしたことを批判。
DIA-104-1975-04-04-4中国1975年04月04日1970年代中国経済・貿易展,パナマ市で開幕―17日まで。
DIA-104-1975-04-04-5中国1975年04月04日1970年代中国銀行代表団来日―喬培新中国銀行総経理を団長とする一行9名。28日帰国。
DIA-104-1975-04-05-1中国1975年04月05日1970年代紅旗4号,青「『三反』『五反』運動を回顧する」―この論文に関する紅旗誌編者のことば。ブルジョア階級の気狂いじみた反攻を撃退したこの運動の回顧と自分の認識とを対照し,自覚的にブルジョア思想の浸蝕に抵抗すべきである。
DIA-104-1975-04-05-2中国1975年04月05日1970年代李先念副総理がイランを訪問―10日に帰国。
DIA-104-1975-04-05-3中国1975年04月05日1970年代鄧副総理,日本学術代表団と会見。
DIA-104-1975-04-06-1中国1975年04月06日1970年代新華社ニュース,「蒋介石は死んだ」―「国民党反動派の頭目,中国人民の公敵蒋介石は,4月5日台湾で病死した」とのべている。人民日報は4面最後段にこのニュースを掲載。
DIA-104-1975-04-06-2中国1975年04月06日1970年代第1・四半期の全国石炭生産量,前年同期比6%増。
DIA-104-1975-04-07-1中国1975年04月07日1970年代紅旗4号,紀岩「ブルジョア的権利を制限する思想的武器」―副題〈中共第7期第2回総会での報告)を学習して。
DIA-104-1975-04-07-2中国1975年04月07日1970年代河南省党委,最近下放定住知識青年積極分子代表大会を開催―同省では36万の都市知識青年・500万の帰郷知識青年がすでに農村に定住。うち3,210人余が入党,5万8300余人が共青団に入り,1万1800余人が各級指導グループに参加している。この会議で289の先進集団と923人の先進分子が表彰された。
DIA-104-1975-04-07-3中国1975年04月07日1970年代米議員が中国訪問を終える―下院議長カール・アルバート夫妻,共和党院内総務ジョン・ローズ夫妻。
DIA-104-1975-04-07-4中国1975年04月07日1970年代中国・スイス航空路一番機が北京着―チューリッヒ・ジュネーブ・アテネ・ボンベイ・北京・上海と繋ぐ国際航空路。
DIA-104-1975-04-07-5中国1975年04月07日1970年代孫平化対外友協常務理事,衛藤発言に不満を表明―学術文化代表団の事務局長として中国訪問中の衛藤瀋吉東大教授が6日,蒋介石の死去に関して時事通信記者に対し語った談話を,「中国人民に対して非友好的で,不愉快なでき事」と述べたもの。衛藤氏の談話とは,蒋介石が国民革命,抗日戦争を経て国民的英雄となった,1957年に中国側も彼を蒋先生と呼び愛国者として尊敬した,などと述べたもの。(毎日8日)
DIA-104-1975-04-07-6中国1975年04月07日1970年代廖承志氏,覇権問題で語る―北京訪問中の西日本新聞友好訪問団との会談での席上,次のように語った。 日中平和友好条約は日中共同声明の9項目の線から後退すべきではないし,中国は条約が内容的に後退したものになることに絶対反対である。この点で日本側の勇断を求む。 蒋介石の葬儀に自民党総裁が自民党高官を派遣することを決定したといわれるが,私はこれを本当でないと信じたいし,もしそれが本当なら中国人民は怒るだろう。(東京新聞8日)
DIA-104-1975-04-08-1中国1975年04月08日1970年代80余ヵ国の駐中外交団,4回に分かれて雲南省を参観―3月4日から4月8日まで。
DIA-104-1975-04-08-2中国1975年04月08日1970年代福建最大の水力発電所完成―江支流の古田溪に建設。水力発電所4ヵ所,合計12台の大型水力発電機が据付けられた。
DIA-104-1975-04-08-3中国1975年04月08日1970年代ベルギー工業展北京で開幕―19日まで開かれ数万人が参観。
DIA-104-1975-04-08-4中国1975年04月08日1970年代新華社記者論評,「対抗か,それとも対話か」―第3世界産油国と第2世界の石油消費国の関係で米は両者を対抗させようとし,西欧諸国は対話にのり出そうとしていると分析,後者を支持。
DIA-104-1975-04-09-1中国1975年04月09日1970年代上海市で3月中旬以来のべ100万人を動員,突撃的春季愛国衛生運動を展開。
DIA-104-1975-04-10-1中国1975年04月10日1970年代淮河平原の新沂河水利工事完成―500kmにわたる新沂河の水利工事で5年前に着工。74年1年間で2万8000余の導水路,電力揚水センター145ヵ所,河川しゅんせっ100km,堤防植林450万株分の工事が行われた。(文匯報4月10日)
DIA-104-1975-04-10-2中国1975年04月10日1970年代中国,ベネルックス3国と商標登録互恵協議を達成。
DIA-104-1975-04-10-3中国1975年04月10日1970年代日立製作,ガスタービン発電装置を受注―出力2万3000kWのF-5タイプ2台,約20億円。
DIA-104-1975-04-11-1中国1975年04月11日1970年代新華書店は全国で貸本活動を展開―北京市では各種800ヵ所の貸本所があり,上海市では毎日1万5000冊が貸出されている。
DIA-104-1975-04-11-2中国1975年04月11日1970年代新型アナログ電算機を試作―北京第一無線工場は中国で初の大型のHMJ―200型混合アナログ電子計算機を自力で設計した。これはアナログ電算機とデジタル電算機の特長を吸収し,主機2台,分機入出力装置14台からなり,全部で80個の積分器と1,000個近い演算増幅機が組み込まれている。
DIA-104-1975-04-11-3中国1975年04月11日1970年代関西経済人代表団訪中―山本弘氏ら10名,14日まで。
DIA-104-1975-04-12-1中国1975年04月12日1970年代浙江省銭塘江上流に蘭江道路橋完成―4月1日開通。全長1,041メートル,幅11メートル。
DIA-104-1975-04-12-2中国1975年04月12日1970年代浙江省,灌排施設を整備―1974年現在,ポンプによる灌排面積は100万ha余り,省の全耕地の約56%を占めるまでになった。 総延長7万キロの送電線がかんがい機械に電気を送っている。モーターとエンジンの総出力は82万馬力と,解放前の100倍に達している。同省の農民は過去20年余りに1万8000の貯水池と数十万の池,4,000の水力発電所を建設し,貯水能力を2万2000m3増やした。 省の5万の機械工場のうち,多くが灌排設備の生産を専門にしている。また省,県,公社が経営する多くの農業機械工場,修理工場がある。 かんがい,排水を発展させる際,省がとっている原則は「小型工事,付帯工事,公社,大隊の受けもつ工事に重点をおく」というもので,建設されたその年にその工事から利を受けることに努めている。現在省内の灌排施設の80%は公社,大隊の所有である。銭塘江河口にある海寧県におけるかんがい整備工事資金の88%は地元公社,大隊で調達され残りは国家が補った。灌排施設の整備によって省の食糧,経済作物生産は急増した。ちなみに食糧収量は解放前のヘクタール当り2.25トンから7.5以上に伸びた。(中国通信4月25日)
DIA-104-1975-04-13-1中国1975年04月13日1970年代人民日報評論員,「デマで陰謀をおおいかくせるか」―アメリカがベトナムで「難民」問題をもち出し,アメリカ人「撤退」のため軍艦を南ベトナム海域に集中していることを非難。
DIA-104-1975-04-13-2中国1975年04月13日1970年代人民日報評論員,「むきだしの併呑」―4月9日インドは軍を出してシッキム国王親衛隊を解体,10日シッキム内閣と議会が国王の廃位とインドの州への編入を要求する決議を採択した。「シッキム政府」なるものはインドの手中にある民族の裏切り者にすぎないと非難。
DIA-104-1975-04-14-1中国1975年04月14日1970年代大慶油田,第1・四半期の原油生産は74年同期比15%増。
DIA-104-1975-04-14-2中国1975年04月14日1970年代紀登奎副総理,覇権問題で語る―日中友好国民協議会第3次訪中団との会見のなかで次のように語った。覇権反対は中国外交の基本姿勢であり,中国は日中共同声明の原則を重視する。中国は原則で取引することなく,共同声明が一歩後退することになるよりも共同声明の段階にとどまっていた方がよい。(毎日15日)
DIA-104-1975-04-14-3中国1975年04月14日1970年代中日友好協会,池田大作会長ら第3次創価学会訪中団を招宴。
DIA-104-1975-04-15-1中国1975年04月15日1970年代10名の特赦・釈放者が北京をはなれて台湾に向う―王秉鉞,陳士章,王雲沛,周養浩,蔡省三,段克文,張海商,楊南邨,張鉄石,趙一雪の人々。一行は14日汽車で香港入り。
DIA-104-1975-04-15-2中国1975年04月15日1970年代吉林省各県は農村「5.7」大学を創設―1970年以来すでに42ヵ所に達す。3ヵ月から3年の学制。
DIA-104-1975-04-15-3中国1975年04月15日1970年代山西省万栄県青谷大隊の農民業余大学が順調に発展―創立2年。学制は2年ないし3年,5っの専業班があり,177人の学生を持つ。
DIA-104-1975-04-15-4中国1975年04月15日1970年代第37回春季広州交易会開幕。
DIA-104-1975-04-15-5中国1975年04月15日1970年代人民日報,梅白鴎「赤貧の大暴露」―ソ連が英国から10億英ポンドを借款したことについて論評。
DIA-104-1975-04-15-6中国1975年04月15日1970年代中国土木工程学会友好代表団来日―土木工程学会常務理事韓力氏を代表とする5名。
DIA-104-1975-04-16-1中国1975年04月16日1970年代鄧副総理,池田大作氏と会見―鄧氏は覇権条項について,米ソを含むいかなる国の内政に干渉するものでもない,平和条項の覇権条項明記は原則的に譲れぬが,条文中にどう取り扱うがは研究の余地がある,われわれは友人として三木首相の勇気と決断を望んでいる,と語った。(朝日17日)
DIA-104-1975-04-16-2中国1975年04月16日1970年代中国銀行と東京銀行,円と元の先物取引協定締結―先物予約期間は当面6ヵ月間。
DIA-104-1975-04-17-1中国1975年04月17日1970年代毛沢東,朱徳,周恩来連名で「プノンペンの完全解放を熱烈に祝う電報」を送る―シアヌーク親王,ペン・ヌート親王,キュー・サンファンあて。18日,人民日報は「偉大な歴史的勝利」という社説をかかげ祝賀した。また同日鄧小平・陳錫聯,李素文がカンボジア元首府を訪れシアヌーク元首とペン・ヌート首相に祝電を手渡し,祝意をのべた。19日北京で1万人の祝賀集会が開かれペン・ヌート首相が出席した。
DIA-104-1975-04-18-1中国1975年04月18日1970年代北京部隊某連隊党委は幹部が計画的に中隊へ下りて兵士となる制度を推進している。
DIA-104-1975-04-18-2中国1975年04月18日1970年代英国に旅客機35機を発注―英中貿易協会のネルソン会長は18日,香港で中国がトライデント機35機(2億6928万ドル)を発注したと語った。なお中国は航空管制システムも英国から導入することになる見込みであるという。(明報4月19日)
DIA-104-1975-04-18-3中国1975年04月18日1970年代毛主席,全日成朝鮮人民民主共和国主席と会見―金日成主席のひきいる朝鮮党,政府代表団は中国党,政府の招きに応えて18日特別列車で北京に到着。19日には双方の会談がおこなわれた。26日一行は北京を出発帰途についた。27日国境通過のさい,金日成主席は毛沢東,朱徳,周恩来,鄧小平あてに感謝の電報を送った。電報は今回の訪中を「画期的な転換」と評価。両国は26日付で共同コミュニケを発表した。
DIA-104-1975-04-18-4中国1975年04月18日1970年代北京で初の日中貿易混合委員会開催,19日まで。
DIA-104-1975-04-19-1中国1975年04月19日1970年代王彭前駐モーリタニア大使死去―26日八宝山で追悼式がおこなわれた。
DIA-104-1975-04-20-1中国1975年04月20日1970年代毛主席,チンデマンス・ベルギー首相と会見―首相一行は19日北京に到着,20日朱徳委員長,周恩来総理と会見,27日帰国の途についた。この間に両国は海運協定と航空協定に調印した。
DIA-104-1975-04-20-2中国1975年04月20日1970年代李先念副総理,パキスタンを訪問―25日まで。
DIA-104-1975-04-20-3中国1975年04月20日1970年代新華社記者論評,「タス通信の『骨肉あいはむ』論を評す」―プノンペン解放の4月17日タス通信は「5年にわたる骨肉あいはむ戦争が終りを告けた」といいカンボジア人民の正義の闘争を中傷したとして非難。
DIA-104-1975-04-20-4中国1975年04月20日1970年代ウランバートルて1975年度中蒙物資相互供給議定書に調印。
DIA-104-1975-04-20-5中国1975年04月20日1970年代姚文元氏,中島健蔵氏と会見―覇権条項について,三木首相の決断を求めると語った。
DIA-104-1975-04-21-1中国1975年04月21日1970年代江西省清江県で商代の遺跡を発見―長江以南ではじめての大規模な商代遺跡。
DIA-104-1975-04-21-2中国1975年04月21日1970年代国連環境規画理事会で,中国代表団団長が発言―ナイロビで開かれたもの,超大国の侵略と拡張が環境汚染の主な原因であると指摘。
DIA-104-1975-04-22-1中国1975年04月22日1970年代山東省第6次婦女代表大会が閉幕―18日から22日まで。1,483名の代表が参加,省婦女連合会第6期委員会を選出。
DIA-104-1975-04-22-2中国1975年04月22日1970年代中国側,条約締結急がず―15日から訪中し,喬冠華外交部長ら中国側関係者と交渉にあたっていた高島外務省アジア局長は22日に帰国したが,この報告を受けた宮沢外相は記者会見のなかで,日中双方の対立は妥協の余地が少ない,中国側は必ずしも同条約の早期締結にこだわっていない,などの点を明らかにした。(日経23日)
DIA-104-1975-04-23-1中国1975年04月23日1970年代春季海河治水工事,大々的に始まる―河北省では海河の治水工事に参加する民工20万人がすでに全部工事現場に入っている。3月20日現在,海河水系の宣恵河,永定河,竜河など基幹河道の開さく,しゅんせつ,および大黒汀,朱荘などのダムの継続工事はすべて全面的に再開された。
DIA-104-1975-04-24-1中国1975年04月24日1970年代基隆市「聯盛101号」漁船の8人の乗組員が難破を救助され台湾に帰る―4月1日に浙江省漁民に救助されたもの。
DIA-104-1975-04-24-2中国1975年04月24日1970年代朱徳委員長,周恩来総理,インドシナ人民最高会議5周年に際し,関係4方面の指導者に祝電―人民日報は25日,「インドシナはインドシナ人民のものである」という社説をかかげた。
DIA-104-1975-04-24-3中国1975年04月24日1970年代イエメン・アラブ共和国代表団が訪中―5月2日まで。周総理は30日病院でシャワレブ中佐をはじめとする一行と会見した。
DIA-104-1975-04-24-4中国1975年04月24日1970年代日中平和友好条約本交渉開始,覇権問題で依然平行線をたどる。
DIA-104-1975-04-24-5中国1975年04月24日1970年代ソ連政府機関紙イズベスチャ,覇権問題での中国側の主張を非難。
DIA-104-1975-04-25-1中国1975年04月25日1970年代人民日報社説,「動員して衛生を重視しよう」―全国的に広く深く愛国衛生運動を展開すべし。「4害」除去のカギとなる時期である。
DIA-104-1975-04-25-2中国1975年04月25日1970年代北京の日本大使館事務所移転決まる。現在の三里屯から市内中心地に近い建国門外へ。
DIA-104-1975-04-26-1中国1975年04月26日1970年代人民日報評論員,「野蛮な暴行,絶望のあがき」―21日サイゴン政権がチュンロク地区で窒息爆弾を使用したことを非難。
DIA-104-1975-04-28-1中国1975年04月28日1970年代北京市では今年すでに3万3000余名の知識青年が郊区農村に下放定住。
DIA-104-1975-04-28-2中国1975年04月28日1970年代朱徳委員長,周恩来総理,コサマク王妃の逝去を悼む電報をシアヌーク殿下に送る―5月4日北京で王妃の遺体火葬儀式がおこなわれた。
DIA-104-1975-04-28-3中国1975年04月28日1970年代人民日報評論員,「勝利はジンバブエ人民のもの」―「民族解放デー」9周年を祝して発表。
DIA-104-1975-04-28-4中国1975年04月28日1970年代中ソ国境会談ソ連代表団員が広州,桂林,上海,蘇州,無錫を訪問。17日から28日まで。
DIA-104-1975-04-28-5中国1975年04月28日1970年代李素文人代常委会副委員長,東竜太郎氏ら日本赤十字代表団と会見。
DIA-104-1975-04-29-1中国1975年04月29日1970年代中国政府声明,インドのシッキム併合に反対―インド拡張主義とソ修覇権主義の共謀によるものとして,シッキム人民の独立を求める闘争を支持。
DIA-104-1975-04-29-2中国1975年04月29日1970年代中国外交部声明,ベトナム南部臨時革命政府とベトナム民主共和国政府の声明を支持―これらの声明は4月26日と27日にそれぞれ発出され,サイゴン政権及びその戦争遂行・人民弾圧の諸機関を全部撤廃することを要求している。
DIA-104-1975-04-29-3中国1975年04月29日1970年代中共中央,マラヤ共産党中央委員会に創立45周年を祝う電報を送る。
DIA-104-1975-04-29-4中国1975年04月29日1970年代北京でプノンペン解放祝賀大会―1万人をこえる首都の大衆が参加。ペンヌート首相,及び王洪文,葉剣英,鄧小平,江青,姚文元,陳錫聯,紀登奎,華国鋒,汪東興,呉徳,陳永貴以下中国首脳が出席。葉剣英副主席,ペンヌート首相があいさつをおこなった。
DIA-104-1975-04-29-5中国1975年04月29日1970年代人民日報,辛雨「ソ連の『シェキノ方式』とアメリカの『テイラー方式』」―ソ連に「テイラー方式」が復活した,と論断。
DIA-104-1975-04-29-6中国1975年04月29日1970年代小川駐中国大使,天皇誕生祝賀パーティー開く―鐘夫翔郵電部長,何英外交部副部長らが出席。なお朱徳全人代常務委委員長は28日,天皇陛下に祝電を送った。
DIA-104-1975-04-30-1中国1975年04月30日1970年代福建前線部隊,5月1日は砲撃を停止と宣布。
DIA-104-1975-04-30-2中国1975年04月30日1970年代毛沢東,朱徳,周恩来連名でサイゴンの解放を熱烈に祝う電報を送る―サイゴンのグエン・フー・ト議長,フィン・タン・ファト首相,及びハノイのトン・ドク・タン主席,レ・ジュアン第一書記,チュオン・チン議長,ファン・バン・ドン首相あて。人民日報は5月1日,「世界的意義をもつ偉大な勝利」という社説をかかげた。同日鄧小平,耿,喬冠華が両大使館に出向いて電報を手交した。
DIA-104-1975-04-30-3中国1975年04月30日1970年代河野,田中,大平,保利氏の4者会談,日中平和友好条的促進で意見が一致。(東京5月1日)
DIA-104-1975-05-01-1中国1975年05月01日1970年代北京で分散園遊式メーデー祝典―中山公園音楽堂には周恩来,王供文,葉剣英,江青,李先念,呉徳,徐向前ら指導者が姿を見せシアヌーク親王夫妻,ペン・ヌート親王夫妻も参加。
DIA-104-1975-05-01-2中国1975年05月01日1970年代海軍部隊制服と陸・空軍女子夏服が改革さる―セーラー服を再び採用,女子はスカート,縁なし帽も着用など。
DIA-104-1975-05-01-3中国1975年05月01日1970年代紅旗5号,江渭清「農村のプロレタリア独裁をさらに強めよう」―九江地区の農村で現地調査を行い,そのなかで見出された資本主義的傾向との戦いを紹介したもの。
DIA-104-1975-05-02-1中国1975年05月02日1970年代北京大学共青団と学生会が五四運動記念集会と記念講座を開く。
DIA-104-1975-05-02-2中国1975年05月02日1970年代発展する中国の製紙工業―全国の紙月産量は1949年の年間生産量の数倍に相当し,74年の生産量は65年を80%上回った。74年に新聞と小中学校の教科書に使われた紙の量はそれぞれ49年の20倍,12倍であった。現在,中央政府がいくつかの大型製紙工場を建設する一方,中小の工場が各地に建てられ,各省・市・自治区が独自の製紙工場をもっている。中国は紙を自給し,種類によっては輸出しているものもある。(中国通信5月9日)
DIA-104-1975-05-02-3中国1975年05月02日1970年代北京でベトナム南部完全解放祝賀集会開催―葉剣英副主席,チャン・ビン南臨時代理大使,グエン・チョン・ビン北ベトナム大使があいさつをおこなった。1万余の大衆が参加。南寧(2日),広州,昆明(3日)でも慶祝大会がおこなわれた。
DIA-104-1975-05-02-4中国1975年05月02日1970年代新華社記者報道,「ソ修は文芸作品を利用して大いに軍国主義を宣揚している。」
DIA-104-1975-05-02-5中国1975年05月02日1970年代中国貨物船「紅旗155号」ダナンへ初入港。
DIA-104-1975-05-03-1中国1975年05月03日1970年代中国芸術団,トリニダード・トバゴ,ガイアナ,ベネズエラを訪問,公演―3日トリニダード・トバゴ入り,17日ガイアナへ,28日ベネズエラ入りし,6月13日カラカス発帰国の途に。
DIA-104-1975-05-04-1中国1975年05月04日1970年代欧州経緕共同体委ソームズ副委員長が訪中―11日まで。周総理,李先念副総理がソームズ副委員長らと会見。8日ソームズ氏は記者会見し,ECとの正式関係樹立で双方が合意に達したことを明らかにした。
DIA-104-1975-05-04-2中国1975年05月04日1970年代紀登奎副総理,「覇権」問題は原則問題であり,譲歩できぬと語る―宮沢外相の打診のための訪中計画についても,その必要なしと語る。日中友協正統本部代表団に対して。
DIA-104-1975-05-05-1中国1975年05月05日1970年代紅旗5号,田春「精通の目的はまったく応用にある」
DIA-104-1975-05-05-2中国1975年05月05日1970年代体育運動委員会,「国家体育鍛練標準条例」を公布―児童組,少年1組,少年2組,青年組の年齢毎に分かれ,各組男女別になっている。
DIA-104-1975-05-05-3中国1975年05月05日1970年代イリイチョフ中ソ国境会談ソ連側首席代表,帰国の途に。
DIA-104-1975-05-05-4中国1975年05月05日1970年代人民日報,范秀竹「海の覇王の自己暴露」―200隻の軍艦を動員した全世界規模の海軍演習と「緩和」の宣伝ととう結びつくのか,と指摘。
DIA-104-1975-05-05-5中国1975年05月05日1970年代成田委員長ら第6次社会党代表団訪中―6日から廖承志会長ら中日友好協会側と会談。会談は覇権問題の取り扱いで難行したが,8日,成田・廖のトップ会談で社会党側は「2つの超大国」の覇権反対を共同声明におりこむことを受け入れた。(各紙5日~8日)
DIA-104-1975-05-06-1中国1975年05月06日1970年代人民日報,庄寧「プロレタリア独裁下で革命を継続する偉大な実践」―プロレタリア文化大革命の理論的再評価。
DIA-104-1975-05-06-2中国1975年05月06日1970年代姚文元,香港・マカオの愛国新聞界代表団と会見。
DIA-104-1975-05-06-3中国1975年05月06日1970年代人民日報,慶文「偉大な勝利,輝かしいモデル」―南ベトナムでのホーチミン戦役に至る勝利の意義と意味づけ。
DIA-104-1975-05-07-1中国1975年05月07日1970年代人民日報,夏方豪「『5.7』幹部学校のもつ深遠な意義」―「5.7指示」発出9年目にあたって書かれたもの。
DIA-104-1975-05-08-1中国1975年05月08日1970年代遼寧省の5.7幹部学校はますます発展―現在,全省に87ヵ所の57幹校があり,省,市(地),県(旗)の3級にみな幹校があることになり,数年来のべ20余万人を訓練した。
DIA-104-1975-05-08-2中国1975年05月08日1970年代人民日報,章文貢「ブルジョア法権思想を批判する強大な武器」―副題,「井崗山の闘争」を学習して。
DIA-104-1975-05-09-1中国1975年05月09日1970年代広州交易会のルポ―今交易会の顕著な特徴は,第3世界諸国との成約高が多いことである。多くの第3世界諸国が大量の中国の消費物資を契約し,買い入れているだけでなく,中国の機械製品と小型プラントにも深い興味を示している。中国は第3世界諸国との貿易で,輸出入のバランスを保つことに注意して輸出と同時に輸入にも努め,第3世界諸国の支払い能力を考慮し,これら諸国の輸出可能な各種商品を輸入している。 ここ数年来,中国の国際貿易は総額の面で大きな伸びを見せただけでなく,輸出商品の内容も引き続き大きな変化を見せている。輸出総額の中で工業製品と鉱産物,加工製品の占める割合がますます大きくなり,農産物と農業副産物を大きく上回るようになっているが,同時に農産物,農業副産物の輸出量もかなり伸びている。中でも,石油工業製品の発展と輸出の増加は特に目立っており,今交易会に展示された輸出用石油製品は昨秋交易会の40数種から80数種に増えている。
DIA-104-1975-05-09-2中国1975年05月09日1970年代人民日報社説,「ドイツ・ファシズムにたいする勝利30周年を記念して」―「現在のソ連は,ブルジョア階級独裁であり,大ブルジョア独裁,ドイツ・ファシスト式の独裁,ヒトラー式の独裁である」と論断。
DIA-104-1975-05-10-1中国1975年05月10日1970年代紅旗5号,袁青「生産関係における一つの重要問題」―生産関係は生産資料の所有制,人の相互関係,分配形式の3方面を含んでいる。これまで所有制の決定作用が強調され,他の二つの反作用についてはないがしろにされできた。毛主席の理論問題についての指示はこの方面に向けられたもの。
DIA-104-1975-05-10-2中国1975年05月10日1970年代八宝山で蒲輔周氏の追悼式―全人代代表,政協全国常委,中共中医研究院委員会委員の蒲氏は4月29日北京で病死。享年87歳。
DIA-104-1975-05-10-3中国1975年05月10日1970年代各地の春耕農作業の高まり―今年は第4次5ヵ年計画最後の一年であり,今年の農業生産計画を超過達成することは,国民経済の新高潮を実現するうえで重大な意味をもつ,74年冬から今春にかけて,多くの省,市,自治区で「農業は大寨に学ぶ」経験交流会を開き,“農業は大寨に学ぶ”運動の発展をはかっている。今春耕のなかでは16の省,市,自治区で100万名近い幹部が農業生産の現場に入り,大衆とともに春耕にはげんでいる。河南,河北,甘粛など10省,市で今年準備した肥料は全体的に従来より多く,多くの地方で土地利用率を高めるため1期作を2,3毛作に変え,耕作制度の改善に努めている。経済作物の播種面積も各地で従来の面積をこえた。
DIA-104-1975-05-10-4中国1975年05月10日1970年代新興工業都市常州の発展の調査―以前,常州には人目を引くような工業もなかった。 常州には人口がわずか39万余り(郊外区の12万2000人を含めて)しかないが,いまではその工業総生産が,解放初期の天津市のそれの3.5倍に匹敵し,全国20余の,人口50万以上の都市をしのいでいる。1966年から74年までの9年間,常州の工業は毎年平均13.9%の伸び率で躍進し続けた。 常州の工業の労働生産性は,1973年に全国平均を90%も上回っていた。文革以来の9年間,国家に提供した蓄積は,この時期に国家と地方からうけた投資の12.3倍にのぼった。 常州は中央の統一した計画のもとに,地方の積極性を十分に発揮し,文化大革命以来,市の地方財政収入の80%を工業建設に振り向けた。 常州の重工業は主に,「両機一薬一肥」(ハンドトラクター,ディーゼルエンジン,農薬,化学肥料)から始めて雪だるま式に発展しできたものである。 常州の軽工業は,大躍進以来の新興の重工業のために技術陣を養成し,資金をたくわえた。現在,重工業は全市の工業総生産の半分を占めている。そして重工業の発展はまた,軽工業のいっそうの発展に設備と新しい原料を提供した。
DIA-104-1975-05-11-1中国1975年05月11日1970年代軍第3回競技大会が開幕―開幕式では国務院副総理,党中央軍委責任者陳錫聯があいさつをし,全軍体育活動の先進単位の代表と選手代表があいさつした。25日閉幕。
DIA-104-1975-05-11-2中国1975年05月11日1970年代常州工業大発展の調査(その2)―常州の工業発展は一つの迷信をうち破った。つまり高速度に工業を発展させ,先進水隼においつくには必す国家からの大量の投資をうけ,大規模な基本建設を行い,大型,洋式,完全な工場を必要とするという迷信である。 文革以来の9年間に,常州市の工業総生産額は3倍余に増えたが,その内90%以上は現有企業の利用,改造によって得られたものである。 常州工業部門は自力更生で高速度の発展をとけるためには,必す原材料工業(中間製品を包む)を重視すべきだとした,文革以来,常州の地方財政収入のなかでの工業投資のうちの67%は原材料と中間製品の部門に用いた。 またもう一つの重要なことは,大量の農副産品を工業原料とする状況をだんだんと改めていく必要性であった。文革以来,常州では石炭,原油,鉱滓,海水等を利用し,合繊,プラスチック,化工製品を生産し,常州郊区の半分の耕地の生産量に等しい食糧,綿花を節約した。
DIA-104-1975-05-12-1中国1975年05月12日1970年代拡大する中国の稲作―74年現在,全国の水田は1949年より3分の1増え,水稲の収量の伸びは食糧全体のそれよりも急速である。耕作制度の改善で,今では2毛作,3毛作が普及し,解放以来,水稲の総生産量の増加分の5分の2は多毛作の結果である。南部の上海,浙江,江蘇,広東,湖南,福建,湖北,広西の各地区では,小麦―水稲―水稲,緑肥―水稲―水稲といったやり方て1年3毛作がおこなわれている。74年までに全国の水稲の2期作面積は解放初期の3倍となった。(中国通信5月16日)
DIA-104-1975-05-12-2中国1975年05月12日1970年代鄧小平副総理が訪仏―喬冠華外交部長が同行。ジスカールデスタン大統領,シラク首相と幅広い,つっこんだ会談をおこない,18日北京に帰着した。
DIA-104-1975-05-12-3中国1975年05月12日1970年代中共中央,インドネシア共産党創立55周年に祝電―両党の「深い革命的友誼と戦闘的団結」を強調。
DIA-104-1975-05-12-4中国1975年05月12日1970年代ドイツ共産党(ML)代表団が訪中―6月1日姚文元政治局員が懇談,招宴した。3日に帰国。
DIA-104-1975-05-12-5中国1975年05月12日1970年代中日友好協会,日本社会党共同声明発表―廖承志氏と成田氏が署名。その中では問題となっていた「二つの超大国の覇権主義」に対する批判がおりこまれた。成田氏ら社会党代表団は11日に李先念副総理と会見,12日に帰国。
DIA-104-1975-05-12-6中国1975年05月12日1970年代李先念副総理,岡崎嘉平太氏と会見―岡崎氏の訪中は「個人的な旅行」とされているが,三木首相の意をうけ覇権問題で中国の意向打診とみられている。1日北京着。(産経1日)
DIA-104-1975-05-13-1中国1975年05月13日1970年代三木首相,友好条約交渉で4項目の所信声明発表―友好条約交渉に臨む三木内閣の基本姿勢を改めて明確にし,交渉進展のための環境作りをやり直すべきであるとの考えにもとづくもの。日中友好条約の速やかな締結と,共同声明にある諸原則の堅持などを確認。(朝日5月17日)
DIA-104-1975-05-15-1中国1975年05月15日1970年代春季広州交易会閉幕。
DIA-104-1975-05-15-2中国1975年05月15日1970年代南北ベトナムの大使と臨時代理大使がベトナムの勝利を祝うレセプションを北京で開催。
DIA-104-1975-05-15-3中国1975年05月15日1970年代春季広州交易会閉幕―日中間の成約は往復1億2000万~1億3000万ドルと74年秋の約1億5000万ドルを下回った。
DIA-104-1975-05-15-4中国1975年05月15日1970年代日本向けモスクワ放送,社会党の共同声明を論評,成田委員長を名指しで批判。
DIA-104-1975-05-16-1中国1975年05月16日1970年代河南省洛陽地区では60万の有線スピーカーを利用して理論問題放送講座を実施。
DIA-104-1975-05-16-2中国1975年05月16日1970年代開炭鉱の躍進―1971年以来,原炭生産量は毎年平均して100余万トンずつふえ,74年までに出炭量は設計値を83%上回り,所属する7鉱山のうち4鉱山が原炭生産量を設計値の倍にする計画をくり上げ達成した。目下,同炭鉱では今年中に原炭生産量を設計値の2倍にする目標をたて奮闘している。
DIA-104-1975-05-17-1中国1975年05月17日1970年代人民出版社,21篇のマルクス・レーニン主義著作を続々と出版―「マルクス,エンゲルス,レーニンのプロレタリア独裁についての論述」に引用された21篇の著作の単行本。
DIA-104-1975-05-17-2中国1975年05月17日1970年代瀋陽市総工会は党委の指導下に労働者の学習組織化に努力―労働者理論隊伍の充実に力を入れ,理論学習班を4回開き200余名の基層工会幹部と理論輔導員が参加。さらに7回の理論輔導報告会を開き1万4000余名の理論中核分子が輔導を聞いた。
DIA-104-1975-05-17-3中国1975年05月17日1970年代北京医療隊阿里隊が最近チベットへ出発―衛生部機関,北京市,中国医学科学院,中医研究院及び新彊医務人員から構成され,阿里地区で8分隊に分かれて各県を巡回診療することになっている。
DIA-104-1975-05-17-4中国1975年05月17日1970年代河南省北部山区に丹河発電所完成―2台の20万kWの発電機ユニットを設置。
DIA-104-1975-05-17-5中国1975年05月17日1970年代山東省黄県下丁家大隊の長期計画―下丁家大隊(3,000名,1人当たり耕地0.6ムー)は73年冬,「74年~80年の長期計画」を制定した。 計画では,トラクターによる機械化耕作をすすめるため,小耕地を20ムーごとに併合,この後大部分の耕地を合せ“小平原”とし,土層2尺(0.666m)以上の大寨田とする。同時に耕地面績を現有の1,900ムーから2,800余ムーに拡大し,食糧生産を現在の1,370斤から2,000斤にする。 その他,自動車が通れる道路の建設,治水,引水工事により,蓄水量を現在の46万m3から80万m3に増やし,灌漑地を現在の1,900ムーから2,400ムーに増加させる。 養豚事業を発展させ,頭数を現在の1,100頭から2,800頭に増やし,1ムーにつき1頭とする,など。
DIA-104-1975-05-17-6中国1975年05月17日1970年代人民日報評論員,「むきだしの海賊行為」―5月12日の「マヤグエス号」事件でアメリカを非難。
DIA-104-1975-05-18-1中国1975年05月18日1970年代杭州市で情勢が緊張,多くの指導者を批判した大字報が出現。(AFP)
DIA-104-1975-05-18-2中国1975年05月18日1970年代大同炭砿,長期計画を制定―山西省大同鉱務局各級党組織は,同局の「大慶に学び,開礫に追いつき,倍にする」という10ヵ年長期計画を制定した。この計画は10ヵ年内に石炭生産を年ごとに発展させる指標と具体的措置を定めている。10年後の大同炭鉱は,いまの大同炭鉱の3つ分に等しくなる。 だれに依拠して計画を制定するのか。各級党委員会は大衆を立ちあがらせて計画の制定に直接参加させた。 「待ち,たより,求める」思想を打破し,自力更生,刻苦奮闘の精神をうちたてる。計画制定の当初,一部の人はこれは上級に人や設備を要求するよい機会だと考え,計画を立派な,様になるものにするよう主張した。なかには10数組の総合機械化設備を装備するよう国家に求めるところもあった。 大同鉱務局党委は計画を制定する過程で,保守思想にも反対し,また実際にそぐわない高い指標にも反対した。 かれらは生産の現状にも分析研究を進め,生産量の倍増をはたすには老鉱の潜在力を掘りおこすことに立脚しなければならず,従って一切羽当たりの生産量をあげることを主要な攻撃方向としなければならないと考えた。 十分な余地を残すよう心掛ける。局党委は実践のなかで,計画をたてるにあたってはさま
DIA-104-1975-05-18-3中国1975年05月18日1970年代転染法(タイトランスファー印画法)によるカラーフィルムの試作成功。
DIA-104-1975-05-18-4中国1975年05月18日1970年代人民日報,嘯楼「『共同所有』なのか,―家独占なのか」―コメコンを「共同所有制」と主張しているソ連の,これに反した行動を暴露。
DIA-104-1975-05-19-1中国1975年05月19日1970年代イランのパーレビ王女が訪中―同日周総理が王女と会見,21日帰国。
DIA-104-1975-05-19-2中国1975年05月19日1970年代コソォコアネ・レソト王国外相が訪中―29日まで。この間,周総理と病院で会見。
DIA-104-1975-05-19-3中国1975年05月19日1970年代中国軍事友好代表団,スーダンへ出発―団長は福州部隊司令員皮定均。6月8日帰国。
DIA-104-1975-05-19-4中国1975年05月19日1970年代李先念副総理,佐々木更三氏と会見―李氏はそのなかで日中共同声明第7項(覇権反対条項)を条約前文で処理するのは共同声明からの後退を意味し,あくまで条約本文で処理すべきであると述べた。
DIA-104-1975-05-20-1中国1975年05月20日1970年代人民日報,湖藕「いくらかの政治経済学を学ぶ必要がある」
DIA-104-1975-05-20-2中国1975年05月20日1970年代伍修権が軍副総参謀長に任命されたことが判明。(北京放送)
DIA-104-1975-05-20-3中国1975年05月20日1970年代人民日報社説,「歴史的な輝かしい文献」―副題,毛主席の「5.20」声明発表5周年を記念して。
DIA-104-1975-05-20-4中国1975年05月20日1970年代中共中央,ビルマ共産党中央に電報を送り,タキン・ジン,タキン・チト両同志の英雄的戦死に哀悼の意を表明。
DIA-104-1975-05-20-5中国1975年05月20日1970年代最近アルゼンチン共産主義前衛党中央委員会代表団が訪中―最近姚文元政治局員が一行と会見。
DIA-104-1975-05-20-6中国1975年05月20日1970年代中国は広州交易会でバングラデシュと通商協定を結ぶ―香港筋が明らかにしたもの。
DIA-104-1975-05-20-7中国1975年05月20日1970年代中国新聞代表団訪日―朱穆之新華社社長を団長とする一行11名。22日には三木首相を表敬訪問,全国各地を旅行し6月13日帰国。
DIA-104-1975-05-22-1中国1975年05月22日1970年代人民日報,梁効「文芸工作者は革命理論をよく学ぶへきである」―「文芸講話」を学習して,という副題つき。
DIA-104-1975-05-22-2中国1975年05月22日1970年代最近北京で「文芸講話」を記念して座談会開催―各革命模範劇グループの工作者が参加,体験を語る。
DIA-104-1975-05-23-1中国1975年05月23日1970年代「文芸講話」を記念して,文化部が―連の活動を展開―文化部が主催。今年の地方劇北京公演のなかから,新彌ウイグル歌劇「紅灯記」,漢劇「赤軍女性中隊」,粤劇「杜鵑山」など。文化部はまた全国の都市,農村で革命模範劇の映画14本,新しい映画を上映,労働者版画,農民絵画巡回展を催した。31日人民日報は「片時も労農兵を忘れない」という短評を発表,末端にまで下りてゆく公演方式が好ましいと強調。
DIA-104-1975-05-23-2中国1975年05月23日1970年代人民日報,初瀾「労農と結びつく道を歩むことを堅持しよう」―副題,「文芸講話」を学習して。
DIA-104-1975-05-23-3中国1975年05月23日1970年代“鋼を要とし,工業を発展させる”―23日以降,人民日報は上記のスローガンを掲げ,鉄鋼増産のキャンペーンを始めた。23日には太原鉄鋼公司,本溪鉄鋼公司などのルポを掲載した。
DIA-104-1975-05-23-4中国1975年05月23日1970年代小川大使,喬冠華外交部長と会談,三木首相の4項目方針を伝える。
DIA-104-1975-05-24-1中国1975年05月24日1970年代国営農場は模範としての役割を発揮せよ―24日の人民日報は,チベット澎波国営農場に関するルポを発表した。同農場は過去において地理的条件の厳しさから,常に赤字経営で,国家からの投資に頼りがちであった。たが文革以来,同農場は「農業は大寨に学ぶ」運動を展開し,現在では経営は健全になり,多くの余剰食糧を国へ売渡すまでにいたった。 澎波農場のルポに関し,人民日報の「編集後記」では次のように述べている。 「国民経緕の基礎としての農業方面での全人民所有制は当面,比重は非常に小さい。従って,国営農場をうまくやることは,全人民所有制の農業を強固にし発展させるうえで重要な意義がある。各地の国営農場はプロ独裁の理論をまじめに学び,“農業は大寨に学ぶ”運動を深く展開し,社会主義農業のなかの模範としての役割を十分に発揮することを希望する。」
DIA-104-1975-05-25-1中国1975年05月25日1970年代ニクレスク・ルーマニア副首相が訪中―同日周総理と病院で会見,29日ルーマニア工業展開幕式を主宰,30日帰国の途についた。
DIA-104-1975-05-25-2中国1975年05月25日1970年代中国が韓国の漁船をだ捕。
DIA-104-1975-05-25-3中国1975年05月25日1970年代姚文元政治局委員,井上靖氏ら日本作家代表団と会見。
DIA-104-1975-05-26-1中国1975年05月26日1970年代米上下両院合同経済委員会,中国経済に関する報告書発表―「中国―経済的再評価」と題する報告書のなかでは,石油関係の部分で次のような評価を出している。 原油生産―75年7,000万トン,80年までに年間2億トンをこえる。 原油輸出―75年0800万トンを超える。80年5,000万トン。 中国は自国の石油資源開発に外国資本の協力を求める可能性はないが,現在の開発のスピードからすれば80年には世界の5大産油国に仲間入りする。(産経22日)
DIA-104-1975-05-27-1中国1975年05月27日1970年代中国登山隊がチムラマ(エベレスト)登頂に成功―北壁から中国は2回目の成功。登頂隊は男子8名女子1名からなり,1人の漢族を除いてすべてチベット族。
DIA-104-1975-05-27-2中国1975年05月27日1970年代共産党,日中平和友好条約に覇権条項を盛り込むことに反対―同日付けの党機関紙「赤旗」に批判論文発表。
DIA-104-1975-05-28-1中国1975年05月28日1970年代人民日報,雅舟「朴正煕集団のむだなあがき」―5月に入っての学生,大衆運動への弾圧,「北の脅威」を口実にしたファッショ化を批判。
DIA-104-1975-05-30-1中国1975年05月30日1970年代中国電機工程学会代表団来日。
DIA-104-1975-05-31-1中国1975年05月31日1970年代馬定邦元財貿弁公室副主任(66)死去―6月8日八宝山で追悼式おこなわる。
DIA-104-1975-05-31-2中国1975年05月31日1970年代国務院,9月1日以降,地名,人名のローマ字つづりは音に統一することを決定。
DIA-104-1975-05-31-3中国1975年05月31日1970年代1~4月に船舶幹線輸送量は74年同期比17.5%増,積み下ろし量6.2%増,道路輸送量もかなり増加。
DIA-104-1975-05-31-4中国1975年05月31日1970年代新華社記者論評,「資本主義化したソ連商業」―ソ連国営商業はすでに官僚独占資本家階級が最大利潤を吸いとるための資本主義商業に変質した,として詳細に分析。
DIA-104-1975-06-01-1中国1975年06月01日1970年代人民日報,景青「新しい世代を教育するために努力しよう」―党,共青団,教育部門,社会の各方面が協力して,学校,家庭,社会が緊密に結合した教育網を建設し,マルクス・レーニン主義,毛沢東思想で少年児童活動の一切の陣地を占領し,階級敵が腐敗するすきを与えではならない。
DIA-104-1975-06-01-2中国1975年06月01日1970年代旛陽市第5人民医院は組織的にはだしの医者と交流し成果上げる―同じ人数の医師が医院からはだしの医者となり,交代したはだしの医者は医院で訓練を受けるという制度を形成。
DIA-104-1975-06-01-3中国1975年06月01日1970年代北京市で国際児童デー交歓会開く―7万人の紅小兵,少年少女が参加,北京在住の1,000人近い外国の子供たちも招かれ参加した。
DIA-104-1975-06-02-1中国1975年06月02日1970年代国際石油社長に稲山嘉寛氏就任。
DIA-104-1975-06-03-1中国1975年06月03日1970年代紅旗6号,岳海「理論を深く学んで安定と団結を促がそう」―今回の学習運動は1942年の整風運動同じく,深刻なマルクス主義教育運動であって,深く学習することと安定団結とを対立させる考え方とやり方は間違っている。
DIA-104-1975-06-03-2中国1975年06月03日1970年代紀登奎副総理,アンゴラ人民解放運動代表団と会見。
DIA-104-1975-06-03-3中国1975年06月03日1970年代中華全国体育総会スポークスマン,中国は蒋一派の「中華民国オリンピック委」の承認をとり消さないかぎりオリンピック委に復帰しえない,と言明。
DIA-104-1975-06-03-4中国1975年06月03日1970年代人民日報,范秀竹「『核拡散防止条約』は一片の空手形」―5月30日ジュネーブで閉幕した同条約の実施状況審査会議に関連して,ソ米の核軍拡の実情を暴露。
DIA-104-1975-06-03-5中国1975年06月03日1970年代インド国営通信,中国がバングラデシュに国交を打診中と報道。
DIA-104-1975-06-03-6中国1975年06月03日1970年代環境保護視察団訪日―国務院環境保護指導小組弁公室責任者曲格平氏を団長とする。7月4日まで。
DIA-104-1975-06-04-1中国1975年06月04日1970年代特赦で釈放され対湾ゆきを希望していた張鉄石が香港フォルチュナ・ホテルで死亡―17日新華社は同ホテルは蒋集団が経営しており,蒋集団の迫害により死亡と報道。
DIA-104-1975-06-04-2中国1975年06月04日1970年代耿中聯部部長,最近チリ革命共産党訪中代表団と会見。
DIA-104-1975-06-04-3中国1975年06月04日1970年代日本電子工業・計測器展,上海で開幕―開幕式には中国側から王耀庭国貿促主任,馮国柱上海市革命委副主任らが,日本側からは藤山愛一郎,川瀬一貫氏らが出席。18日まで。
DIA-104-1975-06-05-1中国1975年06月05日1970年代仏ML主義共産主義者代表団が訪中―29日葉剣英党副主席,呉徳政治局員と会見,7月1日帰国の途についた。
DIA-104-1975-06-05-2中国1975年06月05日1970年代新華社記者報道,「ソ連の国営企業は官僚独占資本家階級所有制企業に変質した」―数字をあげて詳細に論証。
DIA-104-1975-06-06-1中国1975年06月06日1970年代紅旗6号,李鈎「マルクス主義の学習には長期の努力が要る」―1回で精通したとか簡単にすますなどの考え方をいましめる。
DIA-104-1975-06-06-2中国1975年06月06日1970年代74年の中国の対外貿易―ジェトロの推計によれば,輸入75億1800万ドル(前年比51.1%増),輸出62億4700万ドル(同27.6%増)で合計137億6500万ドル(同39.5%増)。12億7100万ドルの入超で,73年の8,000万ドルの入超に続き2年連続の赤字となった。(日経7日)
DIA-104-1975-06-06-3中国1975年06月06日1970年代ウイルシー・オーストラリア外相訪中―同日夜病院で周総理と会見。
DIA-104-1975-06-06-4中国1975年06月06日1970年代人民日報社説,「英雄的な人民の輝かしい祝日」―ベトナム南部共和臨時革命政府成立6周年を祝したもの。
DIA-104-1975-06-06-5中国1975年06月06日1970年代クラレ,月産100万m2のクラリーノプラント(人工皮革設備)を成約。
DIA-104-1975-06-06-6中国1975年06月06日1970年代北京体育館で日中重量挙け友好試合開幕。
DIA-104-1975-06-07-1中国1975年06月07日1970年代人民日報,田師源「法家が中央集権を堅持して国家の統一を守った路線を評す」
DIA-104-1975-06-07-2中国1975年06月07日1970年代8名の難破漁船漁民が台湾へ戻る―5月16日沈没した基隆市「舜安21号」の8人で,中国海軍に放助された。
DIA-104-1975-06-07-3中国1975年06月07日1970年代毛主席,マルコス・フィリピン大統領夫妻と会見―この日マルコス大統領が訪中,周総理と病院で会見。9日両国外交関係樹立にかんする共同コミュニケに調印,また中比両国政府間貿易協定に調印した。10日帰国。
DIA-104-1975-06-07-4中国1975年06月07日1970年代中国生糸絹織物輸入協議会(日中貿易関係商社で構成),政府の蚕糸事業団による生糸一元輸入の1年間延長に反対を決議。
DIA-104-1975-06-08-1中国1975年06月08日1970年代ラサでチュムラマ再登頂祝賀大会開催―3万人が集会。
DIA-104-1975-06-08-2中国1975年06月08日1970年代米政府,7月1日までに在台米軍を2,800人に縮小することを決定―5月中にすでに450人が撤退し,7月1日までに1,200人が撤退の予定。9日米国防総省は3月末現在の在台米軍は4,000人と発表。
DIA-104-1975-06-09-1中国1975年06月09日1970年代朱徳委員長,周恩来総理がトン・ドク・タン,チュオン・チン,ファン・バンドン3氏の政府役職への再選に祝電を送る。
DIA-104-1975-06-10-1中国1975年06月10日1970年代朝鮮人民軍友好参観団が訪中―28日,葉剣英副主席が一行と会見,招宴。
DIA-104-1975-06-10-2中国1975年06月10日1970年代新華社記者報道,「アメリカ経済の危機がいまだに深化しつつある」―生産下降,失業激増,財政赤字は空前の規模,貿易も良くなく,ドルの地位がゆらいでいる,と指摘。
DIA-104-1975-06-10-3中国1975年06月10日1970年代三木首相,友好条約交渉中断説を否定―中国側が交渉を一時中断し,静観するとの方針をきめたという報道が出されたことに関し述べたもの。(日経10日)
DIA-104-1975-06-11-1中国1975年06月11日1970年代上海江南造船所で1万トン級の船2隻が進水。
DIA-104-1975-06-11-2中国1975年06月11日1970年代紅旗第6号,程越「理論をよく学び,政策を執行しよう」―“ブルジョア的権利”を制限する必要を述べ,反面,この制限が現在の政策をこえいきすぎることを戒めたもの。
DIA-104-1975-06-12-1中国1975年06月12日1970年代青島市で4月下旬から6月初までに2万6000余名の知識青年が農村定住を決意。
DIA-104-1975-06-12-2中国1975年06月12日1970年代毛主席,ジャワラ・ガンビア共和国大統領と会見―同大統領一行は11日北京着,朱徳委員長と会見,周総理と病院で会見,17日帰国。
DIA-104-1975-06-12-3中国1975年06月12日1970年代中国軍事友好代表団,ユーゴ訪問から帰国。
DIA-104-1975-06-12-4中国1975年06月12日1970年代上海婦人バレーボールチーム訪日。
DIA-104-1975-06-12-5中国1975年06月12日1970年代周恩来総理,藤山愛一郎,川瀬一貫両氏と会見―藤山氏らは9日に李強対外貿易部長と,11日に李先念副総理とそれぞれ会見した。会見のなかで,周総理は友好条約の早期妥結に関する中国側の強い願望を表明。
DIA-104-1975-06-13-1中国1975年06月13日1970年代中国軍事友好代表団,ルーマニア訪問へ出発―団長曽紹山瀋陽部隊政治委員。23日に帰国の途につき,26日北京に到着。
DIA-104-1975-06-13-2中国1975年06月13日1970年代西独ケルン市で中国展が開幕。
DIA-104-1975-06-13-3中国1975年06月13日1970年代天津市友好代表団来日―解学恭天津市革命委主任を団長に一行20名。
DIA-104-1975-06-14-1中国1975年06月14日1970年代紅旗6号・夏力之「貨幣交換と現実の階級闘争」―貨幣交換におけるブルジョア的権利を制限しつつも,貨幣交換は時期尚早に取り消すことはできないという関係を解明。
DIA-104-1975-06-14-2中国1975年06月14日1970年代人民日報,辛雨「『発達』したラクダ荘園」―ソ連のトルクメンのスユノフの農園を事例として,農業における私有経済の発展を批判的に分析。
DIA-104-1975-06-15-1中国1975年06月15日1970年代上海市労働者大学が「7.21」指示のもとにますます発展―現在360余ヵ所にあり,学習参加者は30万人近くに達している。
DIA-104-1975-06-15-2中国1975年06月15日1970年代アルバニア政府経済代表団が訪中―同日病院で周総理と会見。7月3日,中国の無利子長期借款供与協定,プラント供与議定書,一般物資提供に関する議定書,1976~80年バーター貿易・支払協定に調印,4日帰国の途についた。
DIA-104-1975-06-16-1中国1975年06月16日1970年代朱徳委員長,タイ国会議員訪中団一行と会見―一行26人は6月1日に訪中。
DIA-104-1975-06-17-1中国1975年06月17日1970年代ソ連タス通信,「日本政府あての声明」―そのなかで「ソ連政府は,日本政府が第3国との関係を発展させるにあたり,日ソ関係を阻害するような措置をとらないよう希望する」と述べた(毎日17日)。なおこのソ連声明に対し,政府は19日,駐モスクワ大使を通じ,日中平和友好条約は第3国を対象するものではないとの反論をおこなった。
DIA-104-1975-06-18-1中国1975年06月18日1970年代上海第一工作機械工場,大型ホブ盤を製作―直径8mと5mのホブ盤を各1台ずつ。直径8mのは機重130トン,長さ14m,幅4.4m,高さ5.6mで,最大モジュール30までの平歯車,はすば歯車,やまば歯車,大型円筒歯車の歯切りに使われる。
DIA-104-1975-06-18-2中国1975年06月18日1970年代新華社記者論評,「有機質肥科原を拡大する重要な道」―ここ数年,中国各地で腐植酸類肥料を大々的に作り,多く,はやく,りっぱに,むたなく有機質肥料源を拡大している。いま,全国の大多数の省・市・自治区ともこの種の肥料の試製,試用,普及につとめ,何千何万という人民公社,生産大隊が工場,センターを設け,条件のある多くの工場も積極的に生産を進めている。 解放後,とくに文革以来,各地は大衆的に肥料源開拓の科学実験活動を展開する中で,腐植酸など有機質を含む石炭を主な原料として,それにアンモニア,リン,カリ,ナトリウムなどを加えて,腐植酸アンモン,腐植酸リン,腐殖酸カリ,腐植酸ソーダおよび窒素,リン,カリなど多くの元素を含む有機質肥料を作った。これらの有機質肥料は腐植酸類肥料と呼ばれている。 この種の肥料には,速効,遅効の二つの効果がある。それを田畑に施すと,農作物の発芽,発根,分けつ,早熟を刺激し,各種農作物がその年に著しい増収となるのを促し,また無機質肥料ではできない土壌改良,土壌の酸・アルカリ度の調節の作用を起こすことができる。こうした肥料の生産に使われる草炭,褐炭,風化炭は中国にかなり広く分布しており,埋蔵量も豊・
DIA-104-1975-06-19-1中国1975年06月19日1970年代河南省では127のすべての県と市にはたしの医者学校が設立された―期間は1年,すでに2万名が生産大隊にかえって仕事をしている。現在は2期生2万人が学ぶ。
DIA-104-1975-06-19-2中国1975年06月19日1970年代湖北省で前漢代の男性の屍体を発掘―前漢文帝時代のもの。また同省で唐代漢王李泰の墓を発見。
DIA-104-1975-06-19-3中国1975年06月19日1970年代首都鉄鋼公司で労働者,幹部の座談会―人民日報記者が同公司で開いた座談会では,次のようなことが話合われた。 石油工業を先頭に石炭,輸送部門など全体の工業戦線の状況はすばらしい。なかでも工業の全局に関係し,工業,国防工業,農業機械化を発展させるうえで要となる鉄鋼部門の発展は党と全国人民の大きな期待がかけられている。鉄鋼労働者に重大な期待がかけられているなかで,最近公司指導部は国家計画を完成するだけでなく,超過達成すべきであるというスローガンを提起した。 今年6月には,同公司で生産に新たな高まりがおこった。同公司では最近一種のスプリングスチールを生産したが,これは過去において輸入に頼っていたもので,ある国が機に乗してわれわれに高く売りつけていたものであった。 同公司の労働者は現在の生産水準に留まることなく,まだまだ弱い環節もあることから,今後,組織性,規律性を強め,責任制と操作規定に厳格にそって生産を促し,下半期に立派な成績をあげる決意を固めている。
DIA-104-1975-06-19-4中国1975年06月19日1970年代新華社記者論評,「闘争のなかで前進する第3世界」―74年4月の原料・開発問題に関する国連特別総会以来の経済面での第3世界の前進を回顧。
DIA-104-1975-06-20-1中国1975年06月20日1970年代紅旗6号,梁思源「法家は春秋戦国期の社会大変動の産物である」
DIA-104-1975-06-20-2中国1975年06月20日1970年代新華社記者論評,「搾取と収奪の『典範』」―インドの新聞を使いソ連とインドの経済的関係を解剖。
DIA-104-1975-06-20-3中国1975年06月20日1970年代廖承志氏,“覇権”問題絶対譲らぬと語る―覇権問題について,日本側がもう少し押せば中国は譲歩すると考えているとするならば大きな間違いだ,中国は今まで賠償放棄や領土問題などできるだけ譲歩してきたと述べ,その他覇権問題交渉に対する日本外務省のやり方を批判した。清水正夫氏との会見で語ったもの。(毎日21日)
DIA-104-1975-06-21-1中国1975年06月21日1970年代新華社記者論評,「農村の燃料問題解決の一つの創意」―農村の新しい燃料源を開拓するために,全国ですでに3分の2以上の省・市・自治区が大衆的な沼気ガスの製造・利用の試験をくりひろげ,一部の地区ではこれを次第に普及し,著しい成果をあげている。これは中国農村の燃料問題を解決する一つの創意である。 沼気ガスは,有機物質が一定の温度,湿度と密閉条件の下に,微生物の発酵作用によって発生する,メタンを主成分とする可燃性ガスで,ガスと水の漏れない槽を造り,その中に人畜の糞便雑草や木の葉,わらや汚水などを入れて密封し,これらの物質を槽の中で発酵させれば沼気ガスが発生する。これを管で炉や灯具に導き,火をつければ炊事や照明に使える。 人工的に沼気ガスを製造・利用するのは1958年の大躍進当時に現れた新生の事物である。目下,全国の沼気ガス槽の総数は46万余りに達している。四川,湖南,河北,河南,広西,江蘇,湖北,浙江,雲南,江西,陝西,福建などの省(自治区)の沼気ガス利用が比較的進んだ地区では,零細で分散した試験段階から普及の方向に進んでいる。 最近,国家計画委員会,中国科学院,農林部は四川省で全国沼気ガス利用推進経験交流会を開き,綿陽地・
DIA-104-1975-06-21-2中国1975年06月21日1970年代中国新聞代表団,日本の北方領土返還要求を支援―21日の人民日報は,先に訪日した朱穆之氏ら中国新聞代表団が5月24日に北海道根室市とノサップ岬を訪れ,北方領土返還問題の現状を視察した時のルポを掲げ,日本の返還運動への支援キャンペーンをおこなった。
DIA-104-1975-06-21-3中国1975年06月21日1970年代新華社,タス通信声明を非難―「語るに落ちた覇権主義」と題し,18日にソ連のタス通信が「日本政府あて声明」を発表,覇権条項を日中友好条約にもりこまないよう日本政府に圧力を加えたことを非難,こうしたソ連のやり方こそ自ら覇権主義をおし進めていることの証明であると述べている。
DIA-104-1975-06-21-4中国1975年06月21日1970年代三木首相,覇権問題で首相見解―早期妥結の熱意をもち,交渉中断などありえない,覇権主義反対の原則は平和五原則や国連憲章のような平和諸原則の一つと考え,この点で自民党内や国民の理解を得たい。(日経22日)
DIA-104-1975-06-21-5中国1975年06月21日1970年代日中政府間漁業協定交渉,原則的合意に達す。
DIA-104-1975-06-22-1中国1975年06月22日1970年代人民日報,紀岩「理論学習は修正主義に反対し筆これを防ぐためである」
DIA-104-1975-06-22-2中国1975年06月22日1970年代石炭増産キャンペーン―22日の人民日報は第一面に「理論を学び,路線をつかみ,石炭生産を促そう」 というスローガンを掲げ,各地の炭鉱の増産運動に関する記事を発表し,石炭増産キャンペーンを始めた。
DIA-104-1975-06-23-1中国1975年06月23日1970年代メキソコシティーで開かれた国際婦人年世界会議で李素文中国代表団団長が発言。
DIA-104-1975-06-23-2中国1975年06月23日1970年代北京変圧器工場工人理論組,北京師範大学・岩文共同論文,「ソ連教育はブルジョアジーの領地,修正主義の染物桶に転化」
DIA-104-1975-06-24-1中国1975年06月24日1970年代新華社記者報道,「朴正熈集団は何をやろうとしているのか」―インドシナ解放後進行する韓国のファッショ化の分析。
DIA-104-1975-06-24-2中国1975年06月24日1970年代中国磁性材料視察団来日。
DIA-104-1975-06-24-3中国1975年06月24日1970年代中国葉たばこ技術視察団来日。
DIA-104-1975-06-25-1中国1975年06月25日1970年代人民日報,景永定「持続的に学び,長期にわたり戦かう」―理論学習における「早道」,「―回完成論」,林彪の「竿を立て影を見る」などの論に反論。
DIA-104-1975-06-25-2中国1975年06月25日1970年代農村の協同医療制度とはだしの医者の発展―全国の生産大隊で活動する農医兼業のはだしの医者が全国で130余万人,生産隊の農民保健員や助産婦は360余万人に達している。
DIA-104-1975-06-25-3中国1975年06月25日1970年代人民日報社説,「モザンビークの新生を熱烈に祝う」―1962年6月25日に解放戦線が成立,武装闘争を経てこの日独立をかちとったことを祝賀。
DIA-104-1975-06-25-4中国1975年06月25日1970年代人民日報・解放軍報社説,「朝鮮人民の反帝革命闘争の偉大な勝利」―朝鮮祖国解放戦争25周年を記念して発表されたもの。
DIA-104-1975-06-25-5中国1975年06月25日1970年代中国・ポルトガルが国交交渉中―マカオ訪問中のアルベス移動大使が語る。
DIA-104-1975-06-26-1中国1975年06月26日1970年代人民日報社説,「医療・衛生分野における重大な革命」―「医療・衛生活動の重点を農村におこう」という1965年6月26日の毛主席の指示10周年を記念したもの。衛生工作を社会主義新農村建設の重要構成部分として位置づけ,「農業は大寨に学ぶ」規画に組み込み,統一的に按配すべきである,と指示。
DIA-104-1975-06-26-2中国1975年06月26日1970年代周総理,米籍李振翩教授と会見。
DIA-104-1975-06-27-1中国1975年06月27日1970年代周総理が退院―仏郵政担当閣外相に華国鋒副総理が語る。
DIA-104-1975-06-27-2中国1975年06月27日1970年代人民日報,郭建「わが国の封建制が奴隷制に戦勝した歴史的経験」
DIA-104-1975-06-27-3中国1975年06月27日1970年代ボンゴ・ガボン大統領が訪中―朱徳委員長,周総理と会見,29日中国訪問を終え北京を離れた。
DIA-104-1975-06-28-1中国1975年06月28日1970年代首都体育館で1万8000人の集会,9人のチュムラマ登頂成功者を祝賀。
DIA-104-1975-06-28-2中国1975年06月28日1970年代民航局総局長に劉存信氏が就任していることが判明。(北京放送)
DIA-104-1975-06-29-1中国1975年06月29日1970年代人民日報,厳健「名実あい伴った共産党員たら舶ねばならぬ」
DIA-104-1975-06-29-2中国1975年06月29日1970年代人民日報,任谷平「ガンジー政府は凶悪な正体を暴露」―6月26日の政治家,報道関係者の大量逮捕と「非常事態宣言」についてガンジー首相とソ連を批判。
DIA-104-1975-06-29-3中国1975年06月29日1970年代郭沫若常務委副委員長,川崎秀二氏と会見。
DIA-104-1975-06-30-1中国1975年06月30日1970年代人民日報,短評「夏作によって,秋作を促そう」―豊作であった夏作の成果をふまえて,その成果に満足し楽観することなく,ただちに秋作の準備にとりかかるよう述べたもの。
DIA-104-1975-06-30-2中国1975年06月30日1970年代鉄鋼生産の“わき役”となる―安徽省蕪湖鉄鋼総工場の機械修理工場では一部の幹部が,同工場はすでに独立採算工場となっていることから,いつまでも利益の少ない鉄鋼関係の機械修理といった“わき役”の地位に甘んじているより,利益が大で売れ行きのよい定型製品の生産に重点を移すことを主張した。討論のなかで労働者は一つの単位は利益の大小より全局をまず考慮に入れねばならず,“わき役”なくして“主役”(鉄鋼生産)もないということで意見の一致をみた。 人民日報はこのルポに関し,公冶平署名の「“わき役”を論ず」と題する論評をかかげ,鉄鋼生産発展のため,コークス,耐火材料,機械修理などの部門の発展の重要性を訴えた。
DIA-104-1975-06-30-3中国1975年06月30日1970年代新華社記者論評,「結局利益を得るのはだれか」―ソ連のコメコン諸国への原料とエネルギーの供給価格を大幅に引上げたことを論評。
DIA-104-1975-07-01-1中国1975年07月01日1970年代人民日報,厳群論文「プロレタリア独裁の理論を学習し,党の建設を強化しよう」―建党記念日にあたり,党の指導グループの建設をうまくやることがカギ,と強調。
DIA-104-1975-07-01-2中国1975年07月01日1970年代紅旗7号,鐘成「軽工業の発展に意を注ごう」
DIA-104-1975-07-01-3中国1975年07月01日1970年代毛主席,ククリット・タイ王国首相と会見―中国側は鄧小平,王海容,章含之,唐聞生が同席,タイ側は4名。首相は6月30日北京着,同日病院で周総理と会見,6日帰国の途についた。
DIA-104-1975-07-01-4中国1975年07月01日1970年代中国・タイ国交を樹立―両国は外交関係樹立に関する共同コミュニケに調印。
DIA-104-1975-07-01-5中国1975年07月01日1970年代セネガル共和国軍事代表団が訪中―4日葉剣英副主席と会見,11日北朝鮮訪問へ出発。
DIA-104-1975-07-01-6中国1975年07月01日1970年代中国貿易代表団,ローマから帰国の途に―6月23日訪伊,24,25日ローマで開かれた中伊混合委第4次会議に出席。
DIA-104-1975-07-01-7中国1975年07月01日1970年代上半期の日中貿易―日本の輸出3319億8800万円(11億3,000万ドル)で前年同期比53.5%(同47.6%)増,輸入は1955億900万円(6億6700万ドル)で同11.4%(同8.6)増,輸出入合計5374億9800万円(17億9800万ドル)で同34.1%(同30.3%)増。(国際貿易8月12日号)
DIA-104-1975-07-01-8中国1975年07月01日1970年代宮沢外相,日台航空路問題で語る―参議院外務委員会において,秦野議員の質問に答え次のような答弁をおこなった。「昨年春のわが方の青天白日旗に対する言及が誤解を招いたことは誠に不幸なことだった。…他の国が青天白日旗を国旗として認めているという事実は,わが国を含めて何人も否定しえないところである。」(日経2日)
DIA-104-1975-07-02-1中国1975年07月02日1970年代紅旗7号柏杉「党の先鋒隊としての作用を充分に発揮させよう」
DIA-104-1975-07-02-2中国1975年07月02日1970年代新華社記者論評,「ヒトラーの古い道をまさに歩みつつあるブレジネフ集団」。
DIA-104-1975-07-02-3中国1975年07月02日1970年代中国・ソマリア経済技術協力協定に調印―ロレンソマルケスで葉飛交通部長が調印に参加。
DIA-104-1975-07-03-1中国1975年07月03日1970年代人民教育出版社は1973年後半以来「労農知識青年独習読物」シリースを次々と出版している。
DIA-104-1975-07-03-2中国1975年07月03日1970年代山西省で気流精選式脱穀機を試作―モーターあるいはディーゼルエンジンで駆動,1時間に1.5トンの小麦を脱穀できる。
DIA-104-1975-07-03-3中国1975年07月03日1970年代人民日報,范秀竹,鐘東「口に密あり,腹に剣あり」―ソ連の対エシプト「軍事援助」から社会帝国主義の本質を見る,という副題つき。
DIA-104-1975-07-03-4中国1975年07月03日1970年代ギニア・ビサウ政府代表団が訪中―6日周総理と病院で会見,9日両国経済技術協力協定に調印,同日北京をはなれ,帰国の途についた。
DIA-104-1975-07-04-1中国1975年07月04日1970年代人民日報,陸蒙斯「林彪の政治・軍事関係における論弁を批判する」―林彪は1961年に「軍事工作を うまくやることは徹頭徹尾,全く政治そのものである」と単純な軍事観点を宣伝,1964年には180度転換し,政治は「核心の中の核心,魂の中の魂」であり「政治はその他のものに打撃を与えてよい」し,政治は軍事を「代替」しうるとした。1969年になると「軍事自身がすなわち政治である。鉄砲を打つ政治も,鉄砲を打たない政治もみな政治にほかならぬ」とまた古い単純な軍事観点に戻った。これらはすべてブルジョアジーの政治を貫徹しようとする彼らの陰謀に奉仕するものであった,と批判。
DIA-104-1975-07-04-2中国1975年07月04日1970年代紅旗7号,池恒「調査研究を提唱する」
DIA-104-1975-07-04-3中国1975年07月04日1970年代全国石炭生産,上半期出炭計画を繰りあげ達成。
DIA-104-1975-07-04-4中国1975年07月04日1970年代周総理,カポベルデ諸島の独立に対し祝電を送る。
DIA-104-1975-07-06-1中国1975年07月06日1970年代人民日報,冬松,「社会発展史を学習しよう」
DIA-104-1975-07-06-2中国1975年07月06日1970年代宝鶏―成都鉄道の全線電化工事完成―宝成鉄道は全長676km。電化工事は1958年から始まり,60年代には中断していたが,結局今年7月1日に全線電化が完成した。電化により同鉄道の貨物輸送能力は以前の2倍以上になった。
DIA-104-1975-07-06-3中国1975年07月06日1970年代毛主席,マルーフ・イラク副大統領のひきいる政府代表団と会見一行は4日から7日にかけて訪中,この間周総理と会見,6日両国は貿易・経済技術交流の発展に関する文書に調印,訪問終了にあたって新聞コミュニケが発表された。
DIA-104-1975-07-07-1中国1975年07月07日1970年代最近北京で全国衛生工作会議が開催さる―はだしの医者は農業集団生産労働に参加し,集団の分配に加わるべきであり,これは路線にかかわる大きな問題である,と会議参加者が発言。(新華社)
DIA-104-1975-07-07-2中国1975年07月07日1970年代上半期の全国石油生産,74年同期比で24%増,精油は14%増,大慶油田の原油生産は14.9%増,玉門油田は7%増。(中国通信7月10日)
DIA-104-1975-07-07-3中国1975年07月07日1970年代寧夏長城工作機械工場,横ベッド・垂直案内・ダブル刃物台連続制御の数値制御旋盤を制作。(中国通信7月11日)
DIA-104-1975-07-07-4中国1975年07月07日1970年代朱徳委員長,周総理,ルーマニアの豪雨供水罹災者に見舞電を送る。
DIA-104-1975-07-07-5中国1975年07月07日1970年代新華社記者報道,「ソ修の利潤優先は新技術の採用を阻んでいる」―ソ連の報道を紹介し,「国家独占資本のきわだった腐朽性のあらわれ」と批判。
DIA-104-1975-07-08-1中国1975年07月08日1970年代北京労働者体育館に多数の大字報が張り出される―中には2人の兵士が軍副政治委員を批判したものもあった。夕刻制服の警官と私服の公安職員によってひきちぎられた。(AFP.時事)
DIA-104-1975-07-09-1中国1975年07月09日1970年代上半期の水路・道路輸送任務達成,水路輸送量は74年同期比で22%増。
DIA-104-1975-07-09-2中国1975年07月09日1970年代秦皇島―北京間送油パイプ・ライン完成―秦京パイプ・ラインは大慶―秦皇島間パイプ・ラインの延長工事で全長350km。これにより大慶から北京まで1570kmの「地下大動脈」が形成された。パイプ・ラインには加熱ステーション,加熱ポンプ・ステーションが建設されている。74年5月に着工し,今年6月23日に大慶原油が始めてパイプ・ラインを通って北京石油化学総廠東方紅精油所に送られた。このパイプ・ラインの完成は,北京石油化学総廠の生産拡大を保証するだけでなく,北京―山海関間のその他の物資の鉄道輸送能力増加に貢献するところが大である。
DIA-104-1975-07-09-3中国1975年07月09日1970年代勝利油田,上半期の原油生産は74年同期比で44.3%増,新たに建設または拡張された原油生産能力は84.6%増。
DIA-104-1975-07-09-4中国1975年07月09日1970年代廖承志氏,宮沢発言を批判―「宮沢発言は中国敵視の言論であり,二つの中国を地でいった言論である。この発言に中国で憤慨しない人はいない。…ことは重大であり,遺憾である。日中関係の逆もどりを試みようとするものだ」と述べた。丹城寺日経新聞社長に対して。(日経10日)
DIA-104-1975-07-10-1中国1975年07月10日1970年代中共中央軍委が西蔵軍区某部工程連隊5中隊副中隊長,党員ロザン・タンジンに「愛民模範」の称号を授与―ラサで最近命名大会がおこなわれた。タンジンは,18回にわたって身をかえりみずに戦友や人民の生命と財産を救ったことがある。1974年12月30日凍った洞窟の中で溺れたチベット人の子供を救い,自分は犠牲となった。
DIA-104-1975-07-10-2中国1975年07月10日1970年代陝西省臨潼県奏始皇帝陵の東側で巨大な陶人形の兵馬を発掘―全体で約6,000体の陶製武士人形(身長180cm)が並んでいると推定される。
DIA-104-1975-07-10-3中国1975年07月10日1970年代遼寧省,上半期工業生産計画繰りあげ達成,74年同期比で6.9%増。(中国通信7月23日)
DIA-104-1975-07-10-4中国1975年07月10日1970年代中国・エクアドル貿易協定及び商務弁事処設立に関する議定書に調印―北京で。
DIA-104-1975-07-10-5中国1975年07月10日1970年代アンゴラ民族解放戦線(FNL)代表団が訪中―16日鄧副総理と会見。
DIA-104-1975-07-10-6中国1975年07月10日1970年代宮沢外相,“台湾を政府や国家と認めず”―「日本の政策は一貫しており,台湾を政府や国家として認めていない。従って(青天白日旗が)台湾にとっでは国旗でも,日本は国旗だと思っていない」と述べた。外人記者クラブで。(毎日11日)
DIA-104-1975-07-10-7中国1975年07月10日1970年代日本政府農林技術交流代表団訪中,19日に沙風農林部長と会見。
DIA-104-1975-07-11-1中国1975年07月11日1970年代天津市の上半期工業生産総額は74年同期比11.4%増。(中国通信7月16日)
DIA-104-1975-07-11-2中国1975年07月11日1970年代駐中朝鮮大使,中朝友好協力相互援助条約締結14周年を祝って北京でレセプションを開く―陳錫聯,徐向前以下中国首脳が出席。
DIA-104-1975-07-11-3中国1975年07月11日1970年代新華社記者論評,「ソ連は超大国であり,超搾取者である」―対外経済関係の面で,ソ連がおこなっているダンピングと原料収奪,経済的浸透,政治的干渉,発展を妨げる借款などについて分析。
DIA-104-1975-07-12-1中国1975年07月12日1970年代無錫市衛生系統は1971年以来400余の工場鉱山の中に2,000余名の「紅工医」を養成した。
DIA-104-1975-07-12-2中国1975年07月12日1970年代北京市,上半期工業総生産額は74年同期比で10.1%増,基本建設の完工量は74年同期を上回る。(中国通信7月16日)
DIA-104-1975-07-12-3中国1975年07月12日1970年代外貨獲得へ金利操作―日中貿易業界筋によると,中国はこのほど香港の中国系銀行の定期預金金利を約2%引き上げ,海外居住の華商からの外貨取り入れに積極策をとり,一方国内の預金金利も引き上げた。(日経12日)
DIA-104-1975-07-12-4中国1975年07月12日1970年代中国・サントーメ・プリンシペ民主共和国と国交樹立―同日周総理はサントーメ・プリンシペ大統領ダコスタ氏に独立を祝う祝電を送った。
DIA-104-1975-07-12-5中国1975年07月12日1970年代周総理,コモール諸島の独立に祝電を送る―アハメド・アブドゥラ国家元首あて。
DIA-104-1975-07-13-1中国1975年07月13日1970年代杭州市のいくつかの企業で最近ひきつづいて革命をしっかりやり,生産を促す決意表明大会開く―杭州鉄鋼工場,杭州絹織物印染聯合工場,杭州酸素発生器工場,杭州第1綿紡績印染工場,杭州第2綿紡績工場,浙江麻紡績工場などでおこなわれた。これらの工場は一時期反革命修正主義路線の影響により,ブルジョア派閥主義の妨害をうけ,生産が順調でなかったという。
DIA-104-1975-07-13-2中国1975年07月13日1970年代人民日報,鐘岩「法家路線は祖国の医薬学の発展を促した」。
DIA-104-1975-07-13-3中国1975年07月13日1970年代河南省林県党委の思想・組織建設―理論学習運動の開始以来,生産隊党小組長以上の5,000人参加の読書班を開き,党校学習班では450名の公社と大隊の指導グループ成員を特訓した。農業生産条件変革の主攻方向を耕地拡大に置くか,現有耕地の潜在力発掘に置くかの県委内の意見の不一致は調査研究,貧農下層中農の意見聴取により,潜在力発堀の方向で統一し解決された。批林批孔運動以来同県では指導グループを調整し,県委書記から大隊党支部書記に及ぶ1,500余人の幹部を調整・充実させた。(光明日報)
DIA-104-1975-07-13-4中国1975年07月13日1970年代政協全国委常委,中国民主促進会中央常委の呉研因氏死去―90歳。21日八宝山革命公墓で追悼会挙行。
DIA-104-1975-07-13-5中国1975年07月13日1970年代上半期の全国発電量,国家計画を達成,74年同期比12%増。(中国通信7月17日)
DIA-104-1975-07-13-6中国1975年07月13日1970年代上海の上半期工業生産額は74年同期より増加,基本建設で完成されたものの投資額は74年同期の2倍以上の増加,軽工業部門では11.3%それぞれ74年同期を上回わる。
DIA-104-1975-07-13-7中国1975年07月13日1970年代エクアドルのキトで中国経済貿易展が閉幕―6月30日から開かれていたもの。
DIA-104-1975-07-15-1中国1975年07月15日1970年代中国・フランスが商標登録相互協議の公文を確認。
DIA-104-1975-07-15-2中国1975年07月15日1970年代新華社記者論評,「超大国のキプロス介入を排除しなければならない」―昨年の軍事クーデタから1年の動きを回顧。
DIA-104-1975-07-15-3中国1975年07月15日1970年代米上下両院合同経済委員会が「中国―その経済的再評価」を発表―同報告書はその中で中国が軍事より経済を重視していることを指摘。
DIA-104-1975-07-16-1中国1975年07月16日1970年代武漢,北京,長沙など全国各地で渡河水泳活動を展開。
DIA-104-1975-07-16-2中国1975年07月16日1970年代広東省の上半期工業生産,74年同期比で15%増。
DIA-104-1975-07-17-1中国1975年07月17日1970年代南方稲作地帯でアカウキクサをひろく養殖―アカウキクサはシダ類の水生植物。繁殖がはやく,稲田で養殖すれば,雑草を抑制し,土壌改良に役立ち,かつこれを泥の中にすきこめは肥料となる。75年の南方の養殖面積は約130万haに達した。
DIA-104-1975-07-17-2中国1975年07月17日1970年代新華社記者論評「ひょう災害を防止し,人は必す天に勝つ」―全国で,現在すでに24省・市・自治区が人工ひょう害対策を行なっでおり,大衆的な防ひょう活動も進んでいる。
DIA-104-1975-07-17-3中国1975年07月17日1970年代上海の造船業,上半期の生産計画達成。74年同期比で建造トン数は38.3%,総生産値は9.8%の増加。(中国通信7月21日)
DIA-104-1975-07-17-4中国1975年07月17日1970年代山東省田山引黄電気灌漑ステーション完成―山東平陽県と肥城県の境にあり,2つの大型電力揚水ステーションおよび30里(15km)の総幹線水路と190里(95km)の支水路からなる。
DIA-104-1975-07-17-5中国1975年07月17日1970年代パレスチナ「ファタ」代表団が訪中―21日鄧副総理,喬外交部長が会見,さらに何英副部長とも会 談。
DIA-104-1975-07-18-1中国1975年07月18日1970年代北京市で今年に100余の7.21労働者大学を創設―年初党北京市委と市革命委員会は200余人の教育革命調査組を派遣し,調査と宣伝に当らせた結果,現在全市で135ヵ所の労働者大学があり,学習に参加している労働者・職員は1万余人に達している。
DIA-104-1975-07-18-2中国1975年07月18日1970年代甘粛省で最近下放定住知識青年代表大会を開催―現在全省で54万の帰郷知識青年,14万の都市から定住した知識青年が新農牧民として成長している。
DIA-104-1975-07-18-3中国1975年07月18日1970年代新華社,エベレスト登山で登山隊副政治委員・アタック隊長の鳥宗岳が遭難したと発表―5月5日に8,600mほの地点で写真をとるため隊列に遅れ失踪,遭難。5月30日登山隊が追悼集会を開いた。
DIA-104-1975-07-18-4中国1975年07月18日1970年代上半期機械製造工業総生産額は74年同期比で14%増。(中国通信7月23日)
DIA-104-1975-07-18-5中国1975年07月18日1970年代中国建築学会代表団来日。
DIA-104-1975-07-19-1中国1975年07月19日1970年代上半期の化学肥料生産―6月末現在,11省・市・自治区の化学肥料工業はいすれも今年の年間国家計画の半分以上を上回った。全国で2,000余の小型合成アンモニア工場,小型燐酸肥料工場,小型燐鉱があるが,目下,各地の小型合成アンモニア工場の生産能力は文化大革命前の10倍に伸び,窒素肥料生産量はすでに全国窒素肥料総生産量の60%を占め,小型燐酸肥料工場と小型燐鉱の生産量もそれぞれ全国生産量の3分の2と半分以上を占めている。 中国で続々と建設された大中型化学肥料工場は今年引き続き中核的役割を果たした。(中国通信7月22日)
DIA-104-1975-07-20-1中国1975年07月20日1970年代全国で工場の経営する労働者大学が急速に発展―10万単位の労働者がこれらの大学で理論隊列,技術隊列の中核として養成されている。今年に入って各地で現場会,経験交流会,報告会などが開かれ先進経験を交流している。上海市では360余ヵ所,この中には550人の小工場のものもある。遼寧省では去年の59ヵ所から200余ヵ所に増え,第1機械工業部所属工鉱企業では去年の150余ヵ所から300余ヵ所に増えた。形式は多様で業余が主で,全日制,半日制もあり,学期は2~3年から数ヵ月まである。
DIA-104-1975-07-20-2中国1975年07月20日1970年代自留地や家庭副業を一律に禁止してはならない―人民日報は江蘇省陽県阜余公社の自留地問題に関するルポを掲載し,これに関し編者の論評を掲げた。そのなかで集団生産や国家の市場管理に影響をあたえるような家庭副業や自留地に対しでは制限を加える必要があるが,梨の木を切り倒したり,編物副業を禁止するような簡単な取締方法をとってはならないと述べている。
DIA-104-1975-07-21-1中国1975年07月21日1970年代江蘇省江都水利センター・第4揚水ステーションの土木工事完成―このほど運転を始めた2台の大型ユニットは直径3.1mの立型軸流ポンプに3,000kW同期モーターて,10ユニットの送水量は毎秒30m3,すでに建設されている第1~第3ステーションをあわせると揚水能力は毎秒210m3に達するこれにより淮河下流の排水灌漑能力が高められた。
DIA-104-1975-07-21-2中国1975年07月21日1970年代人民日報,隆林青「ホラから食糧は出てこない」―副題,ソ連の食糧買い占めから農業のダメさかげんを見る。
DIA-104-1975-07-21-3中国1975年07月21日1970年代鄧副総理,覇権,日台空路問題を語る―日中航空協定締結時の大平談話を否定する動きがあるとして,日本のなかに少数だが軍国主義復活を考えている人がおり,台湾への権益確保を狙っていると述べた。覇権問題については,日本政府が覇権条項もりこみに決断するまであくまでも待つという姿勢を明らかにした。日中記者会友好訪中団との会見のなかで。(日経7月22日)
DIA-104-1975-07-21-4中国1975年07月21日1970年代日本経済界友好代表団訪中(団長平井新日鉄社長),25日に王震副首相と会見。8月5日帰国。
DIA-104-1975-07-22-1中国1975年07月22日1970年代中共中央軍委,瀋陽部隊基部偵察中隊に「抗震救災愛民模範中隊」の称号を授与―最近瀋陽で命名大会がおこなわれた。
DIA-104-1975-07-22-2中国1975年07月22日1970年代今年上半期の基本建設急ピッチ―今年上半期の基本建設は速やがに発展した。力を集中してせん滅戦を行う原則に従って,多数の大型,中型プロジェクトと特殊目的項目がすでに完成され,稼動している。今年1~6月の基本建設向け総投資額は74年同期より33%伸びて,近年では最大の半期投資額となった。 6月末現在,22対の炭坑が完成してすでに生産をはじめでおり,石炭工業の生産能力の伸びは74年同期の4倍余りとなった。石油工業では少なくとも74年上半期の2倍の油井が掘られ,多数の精油施設と石油,天然ガスの長距離輸送パイプ・ラインが建設された。6月23日には秦皇島から北京までの石油パイプ・ラインが稼動しはじめた。電力工業では,いくつもの大型発電機が電力を供給しはじめた。 軽工業建設の規模は74年上半期よりも大きくなった。多数の製紙,合成繊維,製糖プロジェクトが完成され,操業を開始している。広東省と広西チワン族自治区では,4つの大型,中型製糖工場がすでに操業を始めている。 交通運輸の面では,幹線鉄道,道路,港湾の建設が急がれている。沿海の港湾10ヵ所の建設における総支出額は,今年の予算の60%余りを占め,74年同期の2倍余りの作業が完成された。港湾建設に加・
DIA-104-1975-07-22-3中国1975年07月22日1970年代ベトナム文化代表団が訪中―8月5日まで。
DIA-104-1975-07-23-1中国1975年07月23日1970年代人民日報,斬南「等級観念と孔孟の道」―ブルジョア法権の実質は平等のスローガンの下で不平等を実行する制度であり,これがイデオロギーに反映したものがすなわち等級観念である,として孔孟の道との関連を分析。
DIA-104-1975-07-23-2中国1975年07月23日1970年代チュムランマ(エベレスト)の高さは8,848.13mと判明―中国技術者が新たに黄海平均海水面から測定したもの。
DIA-104-1975-07-23-3中国1975年07月23日1970年代夏季食糧生産は豊作―今春,黄河,淮河,海河流域の一部の地区はひとい干ばつに見舞われ,長江流域は低温長雨に見舞われた。しかし自然災害とねばり強くたたかった結果,夏季食糧は昨年の大幅な増産をふまえて,今年もまた豊作を収め,総収穫量と単位面積当たり収量はいずれも史上最高を記録した。 今年,夏季食糧を生産している24省・市・自治区のうち,19省・市で増産となった。夏季食糧作付面積の70%を占める北方各省・市はいずれも増産をかちとった。山東,安徽,湖北,陝西,甘粛,広東,雲南,遼寧,山西,北京,天津の各省・市では1割から2割以上の増産となった。さらに河南,河北,陝西,北京の今年の夏季食糧一期の収量が,これらの地区の1949年の年間食糧総収穫量を上回った。 小麦を主とする夏季食糧の作付面積は,全国の食糧作付面積の4分の1を占め,収穫量は全国の総収穫量の5分の1を占めている。
DIA-104-1975-07-23-4中国1975年07月23日1970年代マルガシュ共和国政府経済代表団が訪中―28日まで。この間鄧小平副総理と会見,谷牧副総理が両国の経済技術協力協定に調印した。
DIA-104-1975-07-24-1中国1975年07月24日1970年代大連紅旗造船所で業余哲学社会科学研究所を設立―昨年7月1日創設で,哲学,政治経済学,科学的社会主義,歴史,文教,国際問題の6研究室があり,その下に84の小組があって1,060余人が活動に参加,季刊「占領」を刊行。
DIA-104-1975-07-24-2中国1975年07月24日1970年代中ソ間1975年度バーター支払い協定に調印―23日訪ソした陳潔対外貿易部副部長が調印。
DIA-104-1975-07-24-3中国1975年07月24日1970年代人民日報,梅「ソ修のいう『小国ショービニズム』に反ばくする」―全欧安保会議でマルタが地中海での軍縮を求めた態度に対して,ソ連の「ノーボエ・ブレミヤ」紙が「小国ショービニズム」,「利己的な打算」とキメつけたことに反論。
DIA-104-1975-07-25-1中国1975年07月25日1970年代上半期の軽工業生産―今年1~6月に,国家計画に入っている15品目の主要製品のうち,綿糸,綿布,タバコ,合成洗剤,自転車,ミシン,軽工業機械の生産量は昨年同期を少なくとも10%上回り,軽工業部門計画に入っている39品目のうち,37品目の生産量が昨年同期より全般的に伸び,そのうち28品目は10~37%以上も伸びた。 軽工業基本建設のうち,上半期に完成したものへの投資総額は昨年同期を上回り,4つの大・中型製糖工場が完成されて操業を始め,製紙,紡績などの多数の新設企業や単独プロシェクトの試運転や設備据え付けが行われ,間もなく操業に入る。(中国通信8月1日)
DIA-104-1975-07-25-2中国1975年07月25日1970年代第2回A・A・LA卓球友好招待試合,ナイジェリアで閉幕―中国は男女シングルスで優勝。70国家と地域が参加,13日間。
DIA-104-1975-07-26-1中国1975年07月26日1970年代中国,3回目の人工衛星打上げに成功―衛星の飛行軌道は,近地点186km,遠地点464km,周期1時間31分。(新華社27日発表)
DIA-104-1975-07-26-2中国1975年07月26日1970年代ライコムギの育種に成功―人工的に育成に成功し,生産に応用された食糧作物・異質8倍体ライコムギが中国で誕生した。このライコムギは,適地につくると収量が高く,順応性,耐病性がかなり強く,やせ地や寒さによく耐え,かんばつやアルカリ地によく耐え,粉が白く,蛋白質の含量が高く,発酵性がすぐれ,麦ワラは飼料になる。目下,このライコムギはすでに中国の西南,西北,華北各地で試験栽培,普及がなされ,良好な増産効果をあげ,公社員大衆から喜ばれている。
DIA-104-1975-07-26-3中国1975年07月26日1970年代周総理,アフリカ統一機構第12回首脳会議に祝電を送る。
DIA-104-1975-07-27-1中国1975年07月27日1970年代鄭位三政協会議常委委員死去―享年74歳。8月3日八宝山革命公墓礼堂で追悼式がおこなわれた。
DIA-104-1975-07-27-2中国1975年07月27日1970年代新華社記者論評,「ソ修,アンゴラで内戦を挑発」―ソ連が3つの解放組織について革命的,非革命的,「反革命的」と規定して分裂を挑発,「ナクル協定」調印後も大量の重火器を搬入していることなどを指摘,中国への非難に反論。
DIA-104-1975-07-27-3中国1975年07月27日1970年代新華社記者報道,「商品化したソ連社会」―商品貨幣関係がすでに社会の一切の領域に浸透,全社会が巨大な商品の堆積物に転化した,と評論。
DIA-104-1975-07-28-1中国1975年07月28日1970年代人民日報,章文貢「調査研究は理論と実際を結ぶ重要な環である」
DIA-104-1975-07-28-2中国1975年07月28日1970年代空軍空挺兵部隊で幹部が一定期間中隊に降りて兵士と代職する動き活発―すでに745名の幹部が兵士として勤務した。
DIA-104-1975-07-28-3中国1975年07月28日1970年代上海市総工会労働者理論グループ,「マルクス主義で吏籍注釈陣地を占領しょう」(光明日報)
DIA-104-1975-07-28-4中国1975年07月28日1970年代解放軍基本建設工程兵部隊,鞍山鉄鋼,本溪鉄鋼の拡張・改築工事に従事―この基建工程兵部隊とは「労武結合,工業もできれは戦争もでき,工業を主とする」部隊で,鉄鋼,石炭,化学工業,交通,水文地質などの基本建設工事を専門に受けもっている。
DIA-104-1975-07-28-5中国1975年07月28日1970年代新華社記者論評,「アフリカはソ修の指揮棒を必要としない」―アフリカ諸国首脳会議前夜,ソ連政府がこの会議あてに出した「特別文書」についてその「下心」を暴露し,非難したもの。
DIA-104-1975-07-29-1中国1975年07月29日1970年代上半期の全国鉄道貨物輸送量は同期の史上最高水隼を記録―全国20の鉄道局のなかで,チチハル,ハルビン,吉林,錦州,北京,大原,柳州,成都,西安,ウルムチの10鉄道局が6ヵ月間に年間計画の半分を達成した。
DIA-104-1975-07-29-2中国1975年07月29日1970年代人民日報,任谷平「前門の狼,後門の虎」―インドシナ解放後の東南アジアにおいて,アメリカの後退後にソ連がのりこもうとしていることに警告。東南アジア平和中立地域構想を支持。
DIA-104-1975-07-29-3中国1975年07月29日1970年代新華社記者論評,「全アフリカが起ち上った」―今年に入ってのアフリカの動向を分析。
DIA-104-1975-07-30-1中国1975年07月30日1970年代国家重点建設項目に集中せよ―雲南省建築工程公司第7工程処は「工業は大慶に学ぶ」先進単位の一つ。同工程処はいかなる状況の下でも,常に国家計画以外の工事はやらないという原則を堅持した。時には少数の単位が国家計画外の基本建設項目の建設を要求したが,これは利己主義,大局を顧みないことに他ならず,このようにすれば建設のための物資と力量が分散され,国家計画がそこなわれるとして断固反対した。 同工程処は上記の原則に基づき国家基本建設の重点項目に勢力を集中し,短期に予定項目を完成させた。中央関係部門は同工程処を表彰し,彼らの経験をおし広めた。
DIA-104-1975-07-30-2中国1975年07月30日1970年代新華社記者論評,「東南アジアを狙うソ連社会帝国主義」―副題は「アジア集団安保体制は拡張のかくれみの」。
DIA-104-1975-07-31-1中国1975年07月31日1970年代人民解放軍建軍48周年前夜祭レセプション開く―党と国家の指導者,葉剣英,鄧小平,張春橋,李先念,陳錫聯,華国鋒,汪東興,呉徳,呉桂賢,蘇振華,徐向前,聶栄臻,谷牧,孫建ら各氏が出席,このほか国防部副部長粟裕,粛勁光,副総参謀長楊成武,総政治部副主任梁必業,総後勤部部長張宗遜らが出席。葉剣英党中央軍委副主席,国防部長があいさつをおこなった。羅瑞〓元総参謀長も文革後はじめて出席した。
DIA-104-1975-07-31-2中国1975年07月31日1970年代北京放送は,「中共中央副主席,中央軍委副主席王洪文同志が上海市の集会に出席した」と報道。(RP)
DIA-104-1975-07-31-3中国1975年07月31日1970年代コンゴて中国が建設・援助した医院と上水道工事引渡し式がおこなわれた―“7.31”医院と奥旺多上水道工事。
DIA-104-1975-08-01-1中国1975年08月01日1970年代人民日報,供城「プロレタリア独裁理論を学び,わが軍の光栄ある伝統を発揚しよう」―わが軍の官兵一致,軍民一致の光栄ある伝統は,共産主義精神て人戻内部の相互関係を処理する方針を体現したものであり,搾取階級の等級制度と根本的に対立するものである。刻苦奮闘の伝統はプロレタリアートの徹底的な革命精神の体現であり,プロレタリアートを一切の搾取階級から区別するはっきりしためじるしである,などと述べている。
DIA-104-1975-08-01-2中国1975年08月01日1970年代人民日報,柏華「中国・ネパール友好協力の20年」―1955年8月1日にネパールと国交樹立をして以来の20年を回顧。
DIA-104-1975-08-01-3中国1975年08月01日1970年代北京国際競泳友好招待試合開幕―発展途上国の選手との交流を目的にかかげている。
DIA-104-1975-08-03-1中国1975年08月03日1970年代紅旗8号,斉彦「農村の社会主義革命を立派にやろう」―毛主席の「農業協同化問題について」発表20周年を記念して。
DIA-104-1975-08-03-2中国1975年08月03日1970年代新華社記者論評,「廃物を宝に変じ,勤倹建国」―廃棄物資の回収に力を入れ,勤倹節約の強化を訴えたもの。たとえば,1956年から74年までに,全国で商業部門を通じて回収された廃棄物資の総額は160億元にのぼり,クズ鉄3,500万トン,非鉄金属100万トン,製紙原料1,100万トンが回収された。現在,全国ですでに廃棄物資回収を営む100の専業公司ができている。
DIA-104-1975-08-03-3中国1975年08月03日1970年代全国の夏季収穫食糧作物徴収・買い付け計画超過達成―入庫量は74年同期の水準を上回った。河南,河北,山東,安徽4省と北京・天津両市では計画を20%超過し,江蘇,湖北,雲南3省と上海市でも計画を超過達成した。
DIA-104-1975-08-03-4中国1975年08月03日1970年代寧夏石嘴山鳥蘭炭鉱操業開始―主にコークス用炭を生産,設計値年産90万トンの大型近代化立坑。
DIA-104-1975-08-03-5中国1975年08月03日1970年代新華社記者論評,「欧州安保・協力会議の『最終文書』を分析する」―ヘルシンキで3日間開かれ8月1日閉幕した全欧安保(第3段階)会議は120ページ,約3万字におよぶ「最終文書」に調印した。だが会議の演説や調印文書を見ても欧州問題解決の見通しはどこにも見当らない。逆にそれは2つの超大国の欧州におけるいちだんと激烈な争奪をはらんでおり,欧州情勢のいつそうの激動が予見される,と分析。
DIA-104-1975-08-03-6中国1975年08月03日1970年代新華社記者論評,「西部戦線は風雲急」―1972年の「全欧安保」交渉開始以来,ヨーロノパは「冷戦」から協力の道に入ったという7月22日のプラウダの主張に反論,ヨーロッパ各地の緊張の実態を指摘。
DIA-104-1975-08-04-1中国1975年08月04日1970年代中国芸術団,北朝鮮へ公演のため汽車で北京を出発。
DIA-104-1975-08-04-2中国1975年08月04日1970年代触媒技術交流団訪中(団長森川清日本揮発副社長)。
DIA-104-1975-08-05-1中国1975年08月05日1970年代人民日報短評,「党委員会は真剣に教育を管理せねばならぬ」―「大寨は教育革命においても非常によくやっている。実践は次のことを証明している。およそ農村教育革命に成果を上げている地方はどこでも,教育を三大革命運動と密接に結びつけ,農業は大寨に学ぶ運動と密接に結びつけており,教育の陣地を改造したのみでなく,社会主義経済基礎をうち固め発展さすという教育の能動作用を発揮させている。当面いくらかの党委の同志たちはいまだ充分にこの対立し統一している弁証法的関係を充分に認識しておらず,しばしばこの両方面を分けへだて,まじめに教育を管理せず,あるいは管理をしておらず,いまだに完全に文教戦線を軽視する誤った傾向を克服していない。このような認識が情勢の発展に立ち遅れている情況は必ず改めるべきである」。 最近山西省と教育部はそれぞれ大寨の学校教育革命の経験をおし広める会議を開いた。(人民日報7日)
DIA-104-1975-08-05-2中国1975年08月05日1970年代寧夏,浙江,江西,貴州,チベットの5省,自治区の文芸演出会を北京で開く―文化部が主催したもの,74年いらい6回目でこれが最後。
DIA-104-1975-08-05-3中国1975年08月05日1970年代蘭州で日産10トンのパイプ式反透過塩水淡水化装置を製作。
DIA-104-1975-08-06-1中国1975年08月06日1970年代新華社記者論評,「油茶の発展には大いに将来性がある」―油茶(ツバキの一種)の増産を訴えたもの。油茶は気候温暖な,雨量の多い南部で栽培するのに適した中国の主要木本油料樹の一つで,食用油料のみならず潤滑油,防銹油などの原料ともなり,また有機質肥料にも使える。
DIA-104-1975-08-06-2中国1975年08月06日1970年代寧夏の上半期工業生産は同期の史上最高水準を記録,陝西も74年より著しく伸びた。
DIA-104-1975-08-06-3中国1975年08月06日1970年代鄧副総理,アメリカ議員訪中団と会見―共和党上院議員パーシー氏とジャビッツ氏を団長とする訪中団で,一行は4日北京着。
DIA-104-1975-08-07-1中国1975年08月07日1970年代日本石油化学工学者代表団訪中(団長水科篤郎京大教授)。
DIA-104-1975-08-08-1中国1975年08月08日1970年代紅旗8号,青岩「党の団結をいつそう強化しよう」―党内が真に団結してはじめて全国人民の安定団結ができると強調。
DIA-104-1975-08-08-2中国1975年08月08日1970年代新彊に近代的化肥工場完成―国家の援助で建設された新彊化学肥料工場はすでに合成アンモニアと尿素製造の試運転に成功している。同工場では中国が独自で設計・製造した最初の「空気分離窒素・洗滌内部連合装置」の新技術が採用されでおり,これは旧い「外部連合装置」に比べ工程が簡単で動力の消費が少ない。
DIA-104-1975-08-08-3中国1975年08月08日1970年代四川省の化学肥料工業―基本建設面では,ここ数ヵ月の間にまたも多数の新しい化学肥料工場が操業を開始。今年上半期,小型化学肥料工場の生産量は全省の総生産量の70%を占めた。以前に建設された小型窒素肥料工場は大多数がコークスを原料とし冶金工業と競合していたので生産コストも高かった。現在,一部の小型化学肥料工場は直接無煙炭を使って合成アンモニアを生産する原料とし,あるいは主にコークスを使い,一部に無煙炭をまぜ,また粉炭を試用するところもある。また多くの小型化学肥料工場は技術改造によって合成アンモニアを生産する原料をコークスから天然ガスに切りかえている。現在,同省には天然ガスを原料とする化学肥料工場がすでに20余りある。1974年と65年を比べると,耕地単位面積当たりに施用される化学肥料は3倍余りに増えた。
DIA-104-1975-08-08-4中国1975年08月08日1970年代ビルマ外相が訪中―11日鄧小平副総理と会見。
DIA-104-1975-08-09-1中国1975年08月09日1970年代人民日報,董方,「ソ修のデタラメとインドの現実」―インドの「非常事態」宣言について,ソ連は「人民大衆の利益に合致している」とか「平和,民生,進歩の道に沿って進んでいる」とが宣伝につとめているが,この宣伝はインドの現実とひどくかけはなれていると非難。
DIA-104-1975-08-10-1中国1975年08月10日1970年代最近ラサにチベット師範学院が正式に発足―7月16日成立祝賀会。政治語文と数理の2系統。その下に8つの専課があり,学生数475名。
DIA-104-1975-08-10-2中国1975年08月10日1970年代浙江省党委,破壊活動に対しては容赦なく鎮圧と警告―浙江省放送によると同省党委は杭州で最近緊急工作会議を開き,「ブルジョアジーの不健全な行動」,「後ろ向きの知識人」,「生産を遅滞させる退えい分子」,「ブルジョア派閥主義」,「破壊活動」などを非難し,「ひと握りの階級の敵によって起こされた破壊活動に対し,周到で容赦ない一撃を与える必要がある」ことを一致してみとめたという。(香港11日UPI)
DIA-104-1975-08-10-3中国1975年08月10日1970年代最近北京にある数ヵ国の大使館に「中央戦闘グループ」のパンフレットが投入される―郵便物の間にはさみ込まれていたもので,鄧小平副総理が文革中四川省で紅衛兵に対し“血なまぐさい”弾圧をし,江青夫人の個人的介入だけが“数多くの革命的同志”の生命を救った,とのべている。(AFP―時事)
DIA-104-1975-08-10-4中国1975年08月10日1970年代人民日報,胡容「共産主義思想と現段階の政策」―共産主義の宣伝と党の政策を正しく結合する必要性を説明。
DIA-104-1975-08-10-5中国1975年08月10日1970年代甘粛省の冬小麦と春小麦は74年比で15%増。新彊の春小麦は74年比で20%増。
DIA-104-1975-08-10-6中国1975年08月10日1970年代鄧副総理がセーシェル群島人民連合党代表団一行と会見。
DIA-104-1975-08-11-1中国1975年08月11日1970年代北京部隊で,幹部が一定期間中隊の兵士になる動き活発―上半期に7,100余名が中隊に降りたが,そのうち1,400余名は連隊以上の幹部。すでに2班が終り目下第3班が中隊に降りている。
DIA-104-1975-08-11-2中国1975年08月11日1970年代成都で積載能力450トンの大型トレーラーを製造―2台の400馬力のデーゼルエンジン牽引車がつく。長さ22.7m,幅3.8m。
DIA-104-1975-08-12-1中国1975年08月12日1970年代人民日報,岸苗「儒家の投降主義と売国奴林彪」―「団結し闘争を堅持する革命人民の前には『核のカサ』はハリコのトラにすぎない。」「世界の人民が団結し,最も広汎な統一戦線を結成し,あえて闘争し,勝利するなら,帝国主義,社会帝国主義の侵略政策と戦争政策を必ず粉砕しうる。われわれは毛主席の革命外交路線をいっそうよく実行しなければならない。」 林彪は武器崇拝教者として,「小国は大国を師とする」儒家と同じく投降主義者であった,と批判。
DIA-104-1975-08-12-2中国1975年08月12日1970年代今年のナタネは史上最高の収穫。
DIA-104-1975-08-12-3中国1975年08月12日1970年代レ・タンギ副首相のひきいる北ベトナム政府経済代表団訪中―16日周総理と病院で会見,17日北京をはなれた。
DIA-104-1975-08-13-1中国1975年08月13日1970年代黒竜江省で派閥主義が革命と生産を阻害―黒竜江省放送によると,「わが省全体としては,ブルジョア派閥主義に毒されたものは一握りにすぎないが,派閥主義は革命と生産を大きく阻害し,瘍つけている」と指摘。さらに「これらの問題を解決するために若干の措置がとられたが,短期間のうちにその目的を果たすことはできなかった」ことを認めている。また同放送は,反対派の一部が「党からの独立を要求し,隊列内の意思の弱い人間を味方に引き入れて,指導権の確立を図っている」と非難した。(香港15日UPI)
DIA-104-1975-08-13-2中国1975年08月13日1970年代内モンゴル自治区最大の鐙口電力揚水ステーションの拡張工事完成―3月1日から放水が開始された。揚水量は従来の毎秒24m3からこれに加えて新たに36m3が増加され,最終的に灌漑面績は7万7000余haにふやされる予定。
DIA-104-1975-08-15-1中国1975年08月15日1970年代黒竜江・吉林・青海・寧夏の春小麦豊収―黒竜江省の76の国営農場の372万ムーの春小麦(74年に比べ25万ムーの増加)は74年比で2割前後の増産となった。今年いくつかの国営農場は耕作方法を変え,機械中耕除草をおこなうために,大ウネ粗植にし,200万ムーの小麦畑に化学除草剤を散布した。 吉林省の春小麦は74年比で1割以上の増産となった。今年,吉林省の農村では大ウネ粗植を小ウネ幅広密植に変え,乾田を湿田水灌にかえ,1回施肥を3回施肥かえ,単一作付を間作,多毛作にかえるなど“4改”をおちない春小麦の増収をかちとった。 青海省では春の播種時には74年より15~20%多く施肥をおこなった結果,春小麦の総収穫量は昨年に比べ増産となった。黄河,湟水流域地区では1973年から大面績にわたって間作,多毛作を広める科学実験をおこない,地力と季節の利用度を高め,多毛作指数を高めた。このなかで,一年一作を一年二作あるいは三作にかえる地域が大きくふえた。
DIA-104-1975-08-15-2中国1975年08月15日1970年代カンボジア民族統一戦線・王国民族団結政府代表団が訪中―団長キュー・サムファン,副団長イエソ・サリ,18日まで。周総理は16日病院で一行と会見,ペンヌート首相も同席。18日両国政府は経済技術協力協定に調印,18日共同コミュニケを発表,一行は北朝鮮に向った。イエン・サリ副首相は19日非同盟諸国外相会議参加のため北京からリマへ出発。
DIA-104-1975-08-15-3中国1975年08月15日1970年代日中漁業協定調印―宮沢外相と陳楚大使の間で調印。12月下旬から発効。これにより72年9月の日中共同声明に基づく航空,貿易・海運・漁業の4つの実務協定がすべて締結されたことになる。
DIA-104-1975-08-15-4中国1975年08月15日1970年代大阪と上海に日中双方の領事館設置で合意。
DIA-104-1975-08-16-1中国1975年08月16日1970年代人民日報,章生「中西医結合のテンポを早めよう」
DIA-104-1975-08-16-2中国1975年08月16日1970年代人民元と米ドルの先物取引―邦銀筋によるとドル・元の先物取引は中国の為替銀行である中国銀行ロンドン支店と米国籍銀行のロンドン支店間で米中貿易決済に関連して実施されており,相場は最長6ヵ月。(日経16日)
DIA-104-1975-08-16-3中国1975年08月16日1970年代新華社記者論評,「ソ連のコルホーズはすでに変質した」―資本主義生産関係は全面的に復活しており,これが農業生産力をひどく破壊している,と詳細に論評。
DIA-104-1975-08-17-1中国1975年08月17日1970年代農林部理論学習グループ,「小生産者の改造はプロレタリア独裁の長期にわたる任務である。」
DIA-104-1975-08-19-1中国1975年08月19日1970年代湖南省連邵鉱務局利民炭鉱操業開始(設計値年産60万トン)。(中国通信26日)
DIA-104-1975-08-19-2中国1975年08月19日1970年代耿党中央対外連絡部長,ベルギーML主義共産党第一書記リフェーブル氏と会見。
DIA-104-1975-08-19-3中国1975年08月19日1970年代新華社記者論評,「裏切り者の姿,またも大暴露」―「ソ修の《ゴータ綱領批判》を『記念』したいくつかの文章を批判する」という副題つき。
DIA-104-1975-08-19-4中国1975年08月19日1970年代人民日報,方柏「ソ修の魚業覇権の魔手がカナダに伸びる」―7月28日カナダ政府がソ連漁船のカナダ東岸の港への入港を拒否した事件について論評。
DIA-104-1975-08-19-5中国1975年08月19日1970年代タス通信,ミハイル・キコブレフ評論員「中国勤労者の利益に反して」―杭州で軍が労働者に制裁のため派遣され,雲南・四川両省で農民暴動が発生,と伝える。(モスクワ放送,RP)
DIA-104-1975-08-20-1中国1975年08月20日1970年代四川南充嘉陵江道路大橋完成―長さ766メートル,幅12メートル。
DIA-104-1975-08-20-2中国1975年08月20日1970年代人民日報,嘯楼「『大またに前進』しているのか,それともうしろに後退しているのか」―アルメニアの現実からソ修のデタラメに反駁する,という副題つき。ソ連内の各共和国の実績をコメントしたもの。
DIA-104-1975-08-20-3中国1975年08月20日1970年代光明日報,青「南朝鮮人民は地獄に生活している」
DIA-104-1975-08-21-1中国1975年08月21日1970年代中国科学院大気物理研究所,超高分解能の気象衛星写真受信設備を製作。
DIA-104-1975-08-21-2中国1975年08月21日1970年代人民日報,梅平「海洋覇者のとう猛な姿」―カナダ,アイスランド,日本などへのソ連漁船の進出を非難。
DIA-104-1975-08-21-3中国1975年08月21日1970年代芙蓉グループ12社代表団訪中(団長松沢卓二富士銀行頭取)―26日に廖承志氏と,27日に李先念副総理と会見。
DIA-104-1975-08-22-1中国1975年08月22日1970年代福建省で今年度の中学卒業生3万余名が農村に下放定住―8月上旬まで。遼寧省では今年すでに24万人が農村へ赴いた。(26日新華社)
DIA-104-1975-08-22-2中国1975年08月22日1970年代北京農業科学院,水稲の畑作付けに成功―74年,畑に作付けした春稲のヘクタール当たり平均収量は6.92トンとなり,小麦・水稲混作のヘクタール当たり収量は9.15トンとなった。華北の一部のように春に日照りが多く,夏に冠水しやすい地域に適している。
DIA-104-1975-08-23-1中国1975年08月23日1970年代断江省軍区指導機関,杭州駐留所属部隊の指揮員,戦闘員4,500人余が,杭州肉類聯合工場,杭州たばこ工場など多くの工場で生産労働に参加している。(新華社)
DIA-104-1975-08-23-2中国1975年08月23日1970年代光明日報が「文学」欄を新設,軍某部論文,「《水餅》は投降主義をもち上げる反面教材」を掲載。
DIA-104-1975-08-23-3中国1975年08月23日1970年代台湾省体育代表団,北京で正式結成―団長は中央委員・台湾省体育代表団準備処責任者蔡嘯氏,副団長は黄文欽,黄干燕の両氏。
DIA-104-1975-08-23-4中国1975年08月23日1970年代安徽省青弋江陳村水力発電所完成―安徽省南部の涇県内,長江支流の青弋江上流に位置し,発電能力15万kWの発電機3台を備えている。発電所のダムの貯水能力は24億m3,ダムの両側には総延長390km余りの高圧線が華東電力網とつながっている。7月1日に完成操業開始。
DIA-104-1975-08-23-5中国1975年08月23日1970年代四川省北部に大規模鉄鉱山を開発―中国から帰国した日本鉄鋼業界筋が明らかにしたところによると,中国はこのほど四川省北部で有望な鉄鉱山を開発したことから,開発が進んだ段階で日本に鉄鉱石を輸出する用意があることを明らかにした。(日経24日)
DIA-104-1975-08-23-6中国1975年08月23日1970年代鄧小平副総理,米国会議員団と会見―団長は共和党下院議員ジョーン・アンダーソン,副団長民主党上院議員ロバート・バード。
DIA-104-1975-08-23-7中国1975年08月23日1970年代ソ連コニュニスト誌無署名論文,「新しき段階における毛沢東政権」―毛主義に対して中立の立場は許されぬ,と強調。
DIA-104-1975-08-24-1中国1975年08月24日1970年代曹祥仁全人代代表,北京で死去―病死,享年61歳。29日八宝山革命公墓礼堂で追悼式挙行。紀登奎が主催,羅青長が弔辞をのべた。
DIA-104-1975-08-24-2中国1975年08月24日1970年代中国・タイ,バーター貿易で合意―両国はタイの米20万トンと中国の原油56万3366トンを友好価格でバーター取引することが決まった。(共同―日経26日)
DIA-104-1975-08-24-3中国1975年08月24日1970年代喬冠華外交部長が非同盟諸国外相会議に祝電を送る。
DIA-104-1975-08-26-1中国1975年08月26日1970年代大連機関車車輌工場,大型25m数値制御組み合わせ工作機械を製造―ディーゼル機関車用の“V”型系列大馬力ディーゼルエンジンの製造に用いる。
DIA-104-1975-08-26-2中国1975年08月26日1970年代河北省,農業科学実験に成果―重要な綿産地域である河北省では,従来年間をとおして綿花の一作のため,食糧の大部分は国からの供給に依存していた。1966年から科学実験による耕作方法の改善をすすめ,75年には800万ムーの綿花畑の3分の1て綿麦間作をおこなった。現在二毛作,三毛作の面績は全省耕地面績の40%に当る4,000万余ムーに達した。
DIA-104-1975-08-26-3中国1975年08月26日1970年代中国農学会訪日団来日―沈其益中国農学会副理事長ら12名。9月16日まで。
DIA-104-1975-08-27-1中国1975年08月27日1970年代人民日報,新華社記者論評「森林資原の総合利用を重視せよ」―経済建設の進展にともない木材の需給関係が逼迫しできたことから,枝,鼻切,背板,かんなくずなど木材余剰物を利用し,各種人造板を製造するなど,木材の総合利用に活路を見い出すよう訴えたもの。
DIA-104-1975-08-27-2中国1975年08月27日1970年代毛主席,シアヌーク親王夫妻,ペンヌート親王夫妻,キュー・サムファン,イエン・ティリトらカンボジア首脳と会見―一行は23日平壌から汽車で北京入りし,26日周総理と病院で会見した。一行は30日に北京を発ちハノイへ向った。
DIA-104-1975-08-27-3中国1975年08月27日1970年代人民日報,梅「『緩和の物質化』は戦争準備強化と同義語」―7月31日,ブレジネフが「緩和の物質化」をもち出して以来,モスクワのマスコミは一せいに宣伝にのり出した。その実際行動を見ると,この言葉が全くのペテンであることがわかる,と指摘。
DIA-104-1975-08-28-1中国1975年08月28日1970年代紅旗9号短評,「《水滸》の評論を重視しよう」―魯迅の批判に学んでマルクス・レーニン主義,毛沢東思想を武器として《水滸》の批判を展開しよう,とよびかけたもの。
DIA-104-1975-08-29-1中国1975年08月29日1970年代上海金山石油化学コンビナート建設すすむ―29日の人民日報は「人民日報記者論評」による“金山工程はどうして速く立派にできたのか”と題するルポを掲げ,この工事全容を紹介した。同石油化学総廠は解放以来,上海市の最大の建設項目で,完成された暁には中国最大の各種の合成繊維とプラスチックを主製品とする石油化学コンビナートとなる。 場所は上海南方約7kmの金山県で日本の三菱油化,旭化成など大手数社が中心になり約600億円で受注したもの。基礎工事には数万人の農民,上海市の5,000人の一般婦女も参加した。現在金山県付近の杭州湾北湾の浙江省境内に造られた2万5000トン級の石油積卸し専用ふ頭(4月完成)はすでに使用されでおり,従業員宿舎など生活区も完成した。 同日の人民日報は金山工程に関し,「一つの速く,りっぱにやる典型」と題する短評を掲げた。同短評は金山工程が中国の大型企業建設に新しい経験を提供したとして,上海市党委の統一的指導,各業種各職種の社会主義的協業,大衆動員,自力更生などの面で金山工程に学ぶよう呼びかけた。 最近,国務院は金山工事現場会議を開き,この経験をおし広めた。(人民日報29日,大公報30日,読売30日)
DIA-104-1975-08-30-1中国1975年08月30日1970年代江西省の青年と北京天文台が同時に白鳥座に新星を発見。
DIA-104-1975-08-30-2中国1975年08月30日1970年代人民日報,新華社記者論評「多く,速く,立派に,むだなく工業を発展させる重要な道程」―天津市工業交通部門が解放以来,旧い工場の潜在力を発掘することを主として工業発展をとげた経験を紹介したもの。
DIA-104-1975-08-30-3中国1975年08月30日1970年代人民日報,新華社記者論評「先行者となって国民経済のいっそうの発展を促す」―1~7月の全国発電量は74年同期を14.3%上回った。現在全国の農村に合計6万余りの小型発電所があり,人民公社の70%以上,生産大隊の50%が電力を使えるようになった。中小型発電所の発電量は全国の水力発電量の3分の1をしめている。 今年,わが国には100にのほる大中型発電所と送電工事が建設されつつある。(人民日報30日,大公報9月4日)
DIA-104-1975-08-30-4中国1975年08月30日1970年代人民日報,何東華「新殖民地主義の“モデル”―副題,「ソ修のインドに対する“経済援助”を分析する」。
DIA-104-1975-08-31-1中国1975年08月31日1970年代華国鋒政治局員・副総理を団長とする党・政府中央代表団が特別機でチベットへ向う―9月9日のチベット自治区成立10周年記念活動に参加のため。9月5日成都からラサに到着,3万人が出迎え。11日ラサを出発。13日に北京に帰着。
DIA-104-1975-08-31-2中国1975年08月31日1970年代チベットの少数民族幹部は2万7000余人で幹部総数の60%以上に達す―うち婦人幹部は1万余名,自治区党委委員の半数近くがチベット族。
DIA-104-1975-08-31-3中国1975年08月31日1970年代人民日報,竺方明「《水滸》を評す」
DIA-104-1975-08-31-4中国1975年08月31日1970年代周総理,バングラデシュを承認する電報をアーメド大統領に送る―9月1日同大統領の謝電が周総理に送られた。
DIA-104-1975-09-01-1中国1975年09月01日1970年代北京中国美術館で全国体育撮影展開幕。
DIA-104-1975-09-01-2中国1975年09月01日1970年代毛沢東,朱徳,周恩来,ベトナム民主共和国成立30周年にあたり祝電を送る―トン・ドク・タン,レ・ジュアン,チュオン・チン,ファン・バン・ドンの4首脳あて。8月31日,陳錫聯を団長とする中国党・政府代表団がハノイに到着,祝賀行事に参加。一行は3日タイグェン製鉄所を参観,5日北京に帰着。
DIA-104-1975-09-01-3中国1975年09月01日1970年代人民日報,古雲「ベトナム人民は社会主義建設の道を勝利のうちに前進している」。
DIA-104-1975-09-02-1中国1975年09月02日1970年代早稲は今年も豊作―今年早稲の育苗,田植えの重要な時期に,南方では厳しい自然災害があったため,少数の地域でやや減産となったほか,全体としては74年の大幅な増産の基礎の上に再び豊作となった。全国の早稲田植え面積は74年より11万3000ヘクタール余り増えた。
DIA-104-1975-09-02-2中国1975年09月02日1970年代李強中国代表団団長が国連第7回特別総会で発言―この会は,開発と国際経済協力問題をテーマとした特別総会。
DIA-104-1975-09-02-3中国1975年09月02日1970年代朝鮮の平壌雑技団,北京で初公演―8月8日中国芸術団も平壌で初公演。
DIA-104-1975-09-02-4中国1975年09月02日1970年代民族文化宮で「オーストラリア風景画展」開幕。
DIA-104-1975-09-03-1中国1975年09月03日1970年代特赦の被釈放者3名が北京に戻る―2日に香港から中国へ戻った張海商,楊南邨,趙一雪の3人。
DIA-104-1975-09-03-2中国1975年09月03日1970年代ローマ字表記統一の動き,無期延期―ローマ字表記による統一については,6月1日取消しがあったが,当局者は今回無期延期されたことを明らかにした。(ロイター)
DIA-104-1975-09-03-3中国1975年09月03日1970年代南京土壌研究所,重炭酸アンモニウムの肥効高める―重炭酸アンモニウムは分解し易いため,輸送,貯蔵,施肥の過程で大量に揮発し,損失する。これを防ぐため「圧粒深施」という粉状の重炭酸アンモニウムに圧力をかけて粉顆粒に固め,土中深く施した。これによって肥効は3分の1前後も引き上げられ,とくに水稲の追肥に適用できる。(新華社―中国通信9月11日)
DIA-104-1975-09-03-4中国1975年09月03日1970年代人民日報社説「抗日戦争勝利30周年を記念する」―主な内容は次の通り。ソ米の覇権争奪は世界の安寧をみだす源であり,またアジアに不安をもたらす根源でもある。アジア諸国の人民は警戒心をいだいて超大国の覇権主義に反対し,「前門の狼,後門の虎」をふせぐことが当面の共通した闘争の任務であることを認識するようになった。
DIA-104-1975-09-03-5中国1975年09月03日1970年代遼寧,吉林,黒竜江,湖北等の革命委員会と中ソ友協はソ連軍烈士の墓,記念塔などに花輪を献ぐ―抗日戦争勝利30周年にあたって。河北張北県ではソ蒙聯軍烈士の記念塔に花輪がささげられた。
DIA-104-1975-09-03-6中国1975年09月03日1970年代人民日報社説,「抗日戦争勝利30周年を記念して」―日本関係については,「日本国内にはまだ軍国主義復活を夢想する勢力がいるが,われわれは日本人民が絶対に日本とアジアの歴史の後退を許さないことを確信している」と述べ,さらに日中共同声明にふれ,「われわれは共同声明を基盤に,両国の善隣友好関係を一段と発展させるために努力したい」と述べている。
DIA-104-1975-09-03-7中国1975年09月03日1970年代李先念副総理,西園寺公一氏と会見。
DIA-104-1975-09-04-1中国1975年09月04日1970年代人民日報社説,「《水滸伝》にたいする論評をくりひろげよう」―要旨。毛主席の指示にしたがって本紙およびその他の新聞・雑誌は《水滸伝》に対する論評と討論をはじめた。 毛主席はさいきん,「《水滸伝》という本のよいところは,投降を描いていることにある。それは反面教材として,すべての人民に投降派とはなにか,をわからせる」と指摘し,また,「《水滸伝》は汚職官吏に反対するだけで,皇帝には反対しない。晁蓋は108人から除外されている。宋江は投降し,修正主義ををおしすすめて,晁の聚義堂を忠義堂にがえ,招降をうけいれた。宋江と高の闘争は,地主階級内部における一派が他の一派に反対する闘争である。宋江は投降すると,方臘を討ちにいった」,とのべている。 毛主席の指示を学習し,理解して《水滸伝》に対する論評と討論をくりひろげることは,古典文学の研究ばかりでなく,文学,哲学,歴史,教育など各分野にとっても,またわが党とわが国人民が現在から将来にかけて,今世紀からつぎの世紀にかけてマルクス主義を堅持し修正主義に反対し,毛主席の革命路線を堅持してゆくうえでも,重大かつ深遠な意義がある。
DIA-104-1975-09-04-2中国1975年09月04日1970年代シアヌーク親王のひきいるカンボジア代表団,ハノイ訪問を終え北京着。
DIA-104-1975-09-04-3中国1975年09月04日1970年代米政府,今年春米国の石油堀削業者に対し中国に面した台湾,韓国沖油田の試堀を中止するように圧力をかける―米カーネギー財団国際問題研究センターのS.ハリソン研究員が明らかにしたもの。
DIA-104-1975-09-04-4中国1975年09月04日1970年代米研究員,米中軍事協力を主張―ランド・コーポレーションのM.ピルスベリ研究員は「フォーリン・ポリシー」誌近刊号論文で,米が中国に対ミサイル・レーダー装置など防衛用兵器を提供すべきだ,と主張。
DIA-104-1975-09-05-1中国1975年09月05日1970年代ルーマニアの党・政府代表団が訪中―団長はイリエ・ベルデッツ共産党中央常任幹部会員。7日周総理が病院で一行と会見,9日北京を離れ帰国。
DIA-104-1975-09-05-2中国1975年09月05日1970年代ドイツ連邦共和国技術展,北京で開幕―姚依林対外貿易部部長代理と,訪中したハンス・フリデリクス経済相を団長とするドイツ政府代表団が出席。
DIA-104-1975-09-05-3中国1975年09月05日1970年代譚震林副委員長,米ミネソタ州代表団と会見。
DIA-104-1975-09-05-4中国1975年09月05日1970年代中国鉄道代表団,中国青年代表団が北朝鮮訪問。
DIA-104-1975-09-05-5中国1975年09月05日1970年代中国分子性結晶視察団来日―科学院化学研究所教授銭人元氏ら5名。23日まで。
DIA-104-1975-09-06-1中国1975年09月06日1970年代鄧小平,張春橋,陳錫聯,呉桂賢が台湾省体育代表団全員と会見。
DIA-104-1975-09-06-2中国1975年09月06日1970年代紅旗9号,郭育「体育隊列の思想建設を強化しよう」―“技術第一”,“優勝旗めあて主義”を批判。
DIA-104-1975-09-07-1中国1975年09月07日1970年代蘭州―ラサ航空路開設1,636キロメートルで週2便。
DIA-104-1975-09-07-2中国1975年09月07日1970年代新華社,「拙劣な反中国演技」―ソ連当局は4日,第2次大戦終結30年に際し,ソ連退役軍人会が中国に代表団を派遣しようとしたところ,中国当局に「横暴にも拒否された」とのべ,中国はソ連軍戦没者を尊重重しない」などといいふらした。中国外交部は8月29日口頭でソ連当局に回答したがソ連当局は人民に真相を明らかにする勇気が全くなかったとして,その内容を紹介。
DIA-104-1975-09-08-1中国1975年09月08日1970年代ルワンダの外務・協力相,中国を訪問~12日まで。
DIA-104-1975-09-09-1中国1975年09月09日1970年代人民日報社説,「前進する社会主義の新チベット」―自治区成立10周年を祝って発表されたもの。8日全人代常委と国務院がチベット自治区革命委員会に祝電を送り,9日ラサで5万人余の集会とパレードがおこなわれ,中央代表団もこれに参加,華国鋒と天宝が講和をおこなった。紅旗9号朱鋒論文「解放農奴は社会主義の道を前進する」参照。
DIA-104-1975-09-09-2中国1975年09月09日1970年代シアヌーク親王,ペンヌート親王が帰国。中国首脳盛大に歓送―両親王夫妻のほかキュー・サムファン副首相も同じ特別機で帰国の途についた。中国首脳と大衆数万人が見送り。6日,朱徳以下中国首脳が3氏と会見,周総理名儀で歓迎会が開かれ,8日にはシアヌーク殿下が盛大な宴会を催し,中国首脳をもてなした。
DIA-104-1975-09-09-3中国1975年09月09日1970年代人民日報社説,「朝鮮人民のより大きな勝利を祈る―民主主義人民共和国成立27周年にあたって発表したもの。
DIA-104-1975-09-09-4中国1975年09月09日1970年代中国北京芸術団来日,一行65名。
DIA-104-1975-09-10-1中国1975年09月10日1970年代杭州絹織物染色聯合工場,毛主席,党中央の重要指示をまじめに実行,団結を強化―同工場は全省で有名な「問題の多い」単位であった。それは党の基本路線を貫徹せず,修正主義路線とブルジョア派閥性の妨害と破壊を受けたことによってもたらされていた。労働者は,党に対して独立し,党の指導を弱め,これに反対するといった誤った傾向と闘争をおこない,最近2ヵ月生産は急速に向上したという。
DIA-104-1975-09-10-2中国1975年09月10日1970年代イズベスチャ,オレグ・ウラジミロフ論文「北京の大国への道」―同論説は「中国を自から影響圏を備えた世界の中心に変えること」が毛主義外交の目的となった,とし「米国などの採用している反ソ主義は,毛沢東中国の挑発からの安全を保障するものではない。このロケット核時代において,侵略者を慰撫するミュンヘン会談式の政策をとれは,そのはね返りは真っ先にその追求者に及ぶだろう」と米欧諸国に警告。
DIA-104-1975-09-12-1中国1975年09月12日1970年代第5回全国競技会,北京で開幕―北京工人体育場で式典。台湾省を含む各省,市,自治区及び軍から31の選手団,1万人の選手と関係者が参集。朱徳以下の党・国家指導者が出席,荘則棟体育運動委員会主任が開幕を宣言。陳錫聯副総理が開会の辞をのべ,マスゲームが展開された。人民日報は「体育活動を発展させて,人民の体位を向上させよう」と題する社説をのせた。
DIA-104-1975-09-12-2中国1975年09月12日1970年代ザンビア統一民族独立党友好代表団が訪中―団長はズル書記長。13日朱徳委員長が一行と会見,21日広州から帰国。
DIA-104-1975-09-13-1中国1975年09月13日1970年代稀土イソプレンゴムの合成に成功―中国科学院吉林応用科学研究所と吉林化学工業公司研究所が成功したもので,イソプレンゴムは合成ゴムの重要な品種一つ。
DIA-104-1975-09-14-1中国1975年09月14日1970年代農村で有線放送事業が発展―現在92.7%の生産隊に有線放送が通じ,70%の農家がスピーカーを設置,全国農村でその総数は1億0600余万個で,1965年の13.5倍になった。15日,人民日報は,毛主席が放送事業のために題詞を書いた10周年にあたり鍾光署名の記念論文を発表した。
DIA-104-1975-09-15-1中国1975年09月15日1970年代昔陽県で全国農業は大寨に学ぶ会議開催―国務院が召集したもので,開幕式には鄧小平,江青,姚元,陳錫聯,華国鋒,陳永貴,呉柱賢氏ら党と国家の指導者,沙風農林部長,銭正英水利電力部長,張勁夫財政部長ら国務院の各部長らが出席,会議には各省・市・自治区の関係部門の責任者,各地区,各県,国営農牧場の責任者,農業・農業機械企業,科学研究,教育単位の代表,財政・貿易系統の代表など3,700人余りが参加した。 今回の会議は1970年の北方地区農業会議につぐ重要な会議である。会議の課題は大寨に学ぶ運動についての経験を総括交流し,できるだけ早く大寨型の県を普及させる問題を検討し,同時に農業機械化の経験を総括交流し,1980年に農業機械化を基本的に実現する任務について討議することである。 開会式では華国鋒副総理が開幕を宣し,陳永貴副総理が開会の辞を述べ,鄧小平副総理が党中央と国務院を代表して祝賀の辞を述べ,さらに江青中央政治局員が重要な演説をおこなった。
DIA-104-1975-09-15-2中国1975年09月15日1970年代河北省,農業機械化で食糧自給―歴史的に自然災害が多く,長い間食糧不足であった河北省は「農業は大寨に学ぶ」運動のなかで,農業機械化に力を入れ,74年についに食糧自給化を達成した。たとえば動力井戸に使うディーゼル・エンジンは,1969年に年産4,500台余りであったが,74年には17万台余りに達し,全省15万余りの生産隊に平均して各隊に1台半のデーゼルエンジンが保有されている。 過去数年来,全省各地で毎年平均して地方機動財力の70%以上が農業,農業機械,化学肥料などの生産に用いられている。動力井戸の増大により,全省の灌漑地面積は5,000余万ムーに達し,74年河北省の10地区149県のうち半数の地区,60%以上の県と市で食糧生産が「全国農業発展要綱」を上まわった。
DIA-104-1975-09-15-3中国1975年09月15日1970年代中国EC大使がブリュッセルで信任状を提出
DIA-104-1975-09-16-1中国1975年09月16日1970年代人民日報,章生「ハダシの医者は必ず集団生産労働に参加しなければならない。」
DIA-104-1975-09-16-2中国1975年09月16日1970年代シュトラウス・ドイツ・キリスト教社会同盟党首,今年2度目の訪中―北京のドイツ技術展を参観,貿易拡大問題について会談,18日鄧副総理と会見,19日帰国。
DIA-104-1975-09-16-3中国1975年09月16日1970年代周総理,パプア・ニューギニアの独立祝賀,承認の電報を送る―あて先はM.T.ソマレ首相。
DIA-104-1975-09-16-4中国1975年09月16日1970年代中国印刷友好代表団来日―王子中国印刷物資公司社長ら8名。10月7日まで。
DIA-104-1975-09-17-1中国1975年09月17日1970年代新彊ウィグル自治区で,少数民族語図書を次々に出版―1966年から今日までの出版量は文革前15年間の出版量の1.8倍。今年1~8月に120種合計400余万冊を出版し,史上最高となった。一部はウィグル・カザックの新文字を使用,新文字普及のためになる,と歓迎されている。
DIA-104-1975-09-17-2中国1975年09月17日1970年代湖南省,大寨に学ぶ運動で成果―1974年,食糧総収穫高は史上最高に達し,65年に比べ50%以上ふえ,8地区(市),44県(市)の食糧の単位面積当たり平均収量が「全国農業発展要綱」の指標を超えた。綿花の総収穫高は65年に比べ6万5000トンふえた。年末の豚の飼育頭数は1,680万頭に達し,65年比50余%の増となった。全省11県(市)で1人1額または1ムー1頭が実現した。 1974年,全省の大中小型トラクター(省外から購入したものを含む)は70年の3.4倍に増え,動力灌排設備の馬力(同)は70年に比べ54.3%ふえた。74年,全省の小型水力発電所は1,400余りに達し,設備容量は70年の2.4倍にふえた。既存のものを加えると,現在,80余りの窒素肥料工場と80余りのリン酸肥料工場が稼動し,90%前後の県,市が化学肥料の生産能力を備えるにいたっている。
DIA-104-1975-09-18-1中国1975年09月18日1970年代上海市郊外区の農業発展―同郊区の機械と電力による排水灌漑と機械化耕作面積は全耕地の97%と88%前後に達し,植物保護,脱粒,農副産物の加工の方面ですべて機械化と半機械化を実現した。 74年に上海市全郊区で三毛作の食糧作付け面積は,65年に全食糧作付け総面積の2%であったのに対し90%に急増した。ムー当り食糧生産量も74年には1,443斤に達した。 農業機械化と社隊工業の発展につれて,人民公社の三級経済の比重に大きな変化がおこった。74年,公社,生産大隊の二級の収入は三級総収入の47.7%をしめ,そのなかの固定資産は49.3%,蓄積の64.9%を占めた。 同郊区の川沙県の統計によれば,71年から74年6月まで,同県の全農業機械化投資は2,505万元であったが,そのうち85.5%は公社が自ら準備したもので,その他の11%は借金で,1.5%は国家からの補助であった。
DIA-104-1975-09-18-2中国1975年09月18日1970年代北京で「タンザン鉄道第7回会談要綱」に調印―6月7日タンザン鉄道全線のレール敷設が完成した。中国,タンザニア,ザンビア3者が「要綱」及び3つの議定書に調印。李先念副総理ま調印式に出席,両国政府代表団と会見した。両代表団は第7回会談及び中国参観のため15日北京入りしたもの。
DIA-104-1975-09-18-3中国1975年09月18日1970年代石油友好代表団訪中―長谷川隆太郎日中石油輸入協議会会長を団長とし,石油精製各社首脳を中心とする初の同協議会の表敬訪問。日中間の石油貿易の安定拡大を話し合う。28日帰国。
DIA-104-1975-09-19-1中国1975年09月19日1970年代人民日報評論員,「アンゴラに干渉するソ修の険悪な企み」―要旨は次のとおり。今年1月,アンゴラの3つの解放組織は共同して独立協定に調印,臨時政府を組織した。ところがソ修の大がかりな挑発によって,アンゴラに内戦が燃え上った。その手段としては分裂の世論づくり,大量の武器,多くの軍事要員の送りこみがあった。中国は3組織をずっと同等のものとみなしてきた。中国は3組織が大局的見地に立って話し合い,共同して敵に当ることを希望する。
DIA-104-1975-09-19-2中国1975年09月19日1970年代中日友好協会代表団来日―日中友好協会正統本部の創立記念式に出席のため。楚図南中日友協顧問を団長とし,孫平化秘書長ら9名。10月10日帰国。
DIA-104-1975-09-20-1中国1975年09月20日1970年代原油外輸計量装置を製作―これは送油パイプラインにつける計量装置で,輸送原油の体積,密度,含水率,純油量などを自動的に測定する。(中国通信―大公報21日)
DIA-104-1975-09-21-1中国1975年09月21日1970年代新列車ダイヤ実施―中国の鉄道輸送部門は9月21日から新しい列車運行ダイヤを実施する。 新しい列車運行ダイヤによると,全国の各鉄道線で旅客列車123本,貨物列車990本が増発される。新ダイヤによる運行で,列車の速度はスピード・アップされることになる。
DIA-104-1975-09-21-2中国1975年09月21日1970年代毛主席,エドワード・ヒース英前首相と会見―ヒース氏一行は19日訪中,鄧副総理と意見を交換,21日北京をたち日本に向った。
DIA-104-1975-09-21-3中国1975年09月21日1970年代中国共産党代表団が朝鮮を訪問―団長張春橋・副団長耿。24日金日成総書記が一行と会見,27日帰国。
DIA-104-1975-09-21-4中国1975年09月21日1970年代朱徳委員長,パス・ベネズエラ議会副議長と会見―19日全人代常委が一行を招宴,20日一行は北京石油化学総工場を参観。
DIA-104-1975-09-22-1中国1975年09月22日1970年代拘禁中の「米・蒋武装特務」を全員釈放―新華社の報道によれは中国司法機関は武装特務95名,武装スパイ船舶員49名全員に対し寛大な措置をとり,釈放することを決定した。これで1962年から65年の間に逮捕された米・蒋武装特務及び武装スパイ船船員全員に対する処分が終った。1963年7月以来すでに4回寛大な釈放をおこなってきた。このほか1965年に逮捕された蒋一派の偽国防部情報局のスパイ船船員久貝金郎(日本人),富村清仁(同),牟王源(南朝鮮人),李佳達(同)も寛大に釈放された。
DIA-104-1975-09-22-2中国1975年09月22日1970年代黄浦江に鉄道橋完成―74年8月末に着工し,今年9月11日に開通した,この黄浦大橋は下は鉄道で上は道路の二重層橋で,全長3,047メートル。(中国新聞社―大公報23日)
DIA-104-1975-09-22-3中国1975年09月22日1970年代北京で日中漁業安全操業議定書に調印。
DIA-104-1975-09-22-4中国1975年09月22日1970年代拘留日本人2名を釈放―1965年スパイ容疑で中国当局に逮捕されたもの。
DIA-104-1975-09-24-1中国1975年09月24日1970年代毛主席,レ・ジュアン第1書記のひきいるベトナム党・政府代表団と会見―同代表団は22日特別機で北京入りしたもので,25日両国政府は中国対ベトナム無利子借款供与協定,中国対ベトナム1976年度一般物資供与協定に調印した。姚文元政治局員の案内で一行は天津,桂林を訪問,28日桂林から帰国。
DIA-104-1975-09-24-2中国1975年09月24日1970年代ニューヨークで宮沢外相,喬冠華外交部長と会談―6時間にわたり日中平和友好条約問題を議論,覇権問題での進展はえられなかった。会談後,宮沢外相は「再出発を外相同士で確認し合ったが,交渉が再開できるかどうか,ダメかもしれない」,「中国側の反応は日中間の状況を考えると,無理して双方が妥協することはないということのようだ」など語った。(日経9月26日)
DIA-104-1975-09-25-1中国1975年09月25日1970年代文化部は今年国慶節期間に33の文芸出し物を上演―全国各地の代表団が主として北京の工場・鉱山,農村,中隊で上演をおこない,これはテレビとラジオで全国に放送される。
DIA-104-1975-09-25-2中国1975年09月25日1970年代大寨大隊の発展経験―25日の人民日報は「全国農業は大寨に学ぶ会議」において郭風蓮大寨大隊党支部書記が解放後から現在にいたるまでの大寨大隊の発展の経験を述べた報告を2面にわたり掲載した。さらに28日には王金昔陽県党委員会副書記の報告を2面にわたって掲載した。
DIA-104-1975-09-26-1中国1975年09月26日1970年代喬冠華中国代表団団長が国連総会本会議で発言―「超大国は新しい世界大戦の策源地であり,戦争をおこす危険は主として野心にもえた社会帝国主義にある」,「アンゴラ民族解放運動がポルトガルと独立の取り決めを結んだあと,われわれはもはやアンゴラの3つの組織に新しい軍事援助を提供していない。これは事実である」,等の点を明らかにした。
DIA-104-1975-09-27-1中国1975年09月27日1970年代2回目の宮沢―喬会談,覇権問題で再び平行線。
DIA-104-1975-09-28-1中国1975年09月28日1970年代陳錫聯のひきいる中央代表団がウルムチ入り―副団長ウランフ,その他張才千,毛遠新,バサン,崔海竜,蘇静。10万人が代表団を歓迎。29日中央代表団と自治区責任者はウルムチ市革命烈士陵園に赴き花輪をささげ,陳潭秋,毛沢民,林路などの革命犠牲者を追悼した。午後1万人の幹部大会を開き自治区成立20周年を祝賀,陳錫聯,サイフディンが講話をおこなった。
DIA-104-1975-09-28-2中国1975年09月28日1970年代第3回全国競技大会が閉幕―競技参加者は1万名をこえ,1チームと4選手がのべ6回,3種目の世界記録を破った。雲南の相撲,内蒙古の馬術,落下傘降下,オートバイ競技などのエキジビジョンもおこなわれた。 3割以上の試合が工場,人民公社,軍中隊,学校,政府機関など末端組織でおこなわれたこと,規定の審判員のほかに1,000名余の労農兵の講評員を招いて試合の講評に参加させたことが文革後の重大な革新となっている。
DIA-104-1975-09-28-3中国1975年09月28日1970年代拡張工事進む北京石油化工総廠―現在5基の石油化学工業装置は建設のまっ最中である。これらの施設がすべて完成すると,北京石油化工総工場の年産高は74年よりさらに2倍ふえることになり,合成ゴムと合成繊維など化学工業原料の生産量は何倍,何十倍にもふえる。
DIA-104-1975-09-28-4中国1975年09月28日1970年代走査電子顕微鏡の試作成功―中国科学院北京科学器械工場が自力で試作に成功したもの。この顕微鏡はここ10年間の間に発展した大型精密科学機器で,分解能が高く100オングストロームの微小物体を観察することができ,倍率は20倍から10万倍まで連続的に調整することができる。
DIA-104-1975-09-28-5中国1975年09月28日1970年代シアヌーク親王と夫人が国慶節参加のため訪中
DIA-104-1975-09-28-6中国1975年09月28日1970年代北京で中仏海運協定に調印。
DIA-104-1975-09-29-1中国1975年09月29日1970年代国務院弁公室,500余名の華僑と中国血統外籍人士の招待会を開く―羅青長,廖承志,呉慶彫,馬文波,童小鵬,蔡嘯,林麗が出席。
DIA-104-1975-09-29-2中国1975年09月29日1970年代南京土壌研究所,イオン選択電極の試作成功―この装置は電気化学の原理を使ってつくられる一種の成分分析と自動制御のための素子で,流れ作業工程の検測や自動制御に適する。(中国通信10月9日)
DIA-104-1975-09-29-3中国1975年09月29日1970年代「日中協会」発足―河野参院議長,自民党の保利茂,田川誠一両氏,日中経済協会の岡崎嘉平太氏らが中心となって設立準備を進めてきた「日中協会」の設立総会が29日,ホテル・ニューオータニで開かれた。代表世話人に茅誠司,岡崎嘉平太,門協季光(ホテルニューオータニ会長)氏らが選出された。設立記念パーティには三木首相,陳楚大使らが出席。
DIA-104-1975-09-30-1中国1975年09月30日1970年代人民大会堂で建国26周年レセプション開く―鄧小平副主席・副総理が周総理の名儀で催されたこのレセプションを主宰。党政軍関係者,首都各界代表,「農業は大寨に学ぶ」全国会議出席者,第3回全国競技大会参加者の代表,各国からの友人など4,000名以上が参加。 シアヌーク夫妻,プーミ・ポンビチト夫妻も参加。 顔をみせた復活者は譚政(元軍総政治部主任,以下いずれも元),許滌新(中央統線部副部長),劉述周(同)劉春(同),薜暮橋(国家経済委副主任),許立群(中央宣伝部副部長),劉白羽(文化部副部長),賈啓允(貴州省第一書記)。
DIA-104-1975-09-30-2中国1975年09月30日1970年代福建前線部隊,国慶節の1日と3日は金門島などへの砲撃を停止する,と布告。
DIA-104-1975-09-30-3中国1975年09月30日1970年代1~8月の経済実績―74年同期比で,工業総生産額は17.3%増,石油25.5%増,電力15.7%増,基本建設への国家投資額は20%増加した。71~75年の間,小麦を主とした夏作(小麦,大麦,豆類など)は毎年10%増加し,過去2年間は特に増加幅が大であった。全国の夏作の70%を生産する北方各省市は今年も夏作が豊作であった。(新華社英文電30日―大公報10月1日)
DIA-104-1975-09-30-4中国1975年09月30日1970年代ソ連最高会議幹部会,閣僚会議が中国国慶節にあたり祝電を送る―あて先は全人代常委と国務院。
DIA-104-1975-09-30-5中国1975年09月30日1970年代スーダン高級軍事代表団が訪中―10月13日,葉剣英中央軍委副主席が一行と会見。
DIA-104-1975-10-01-1中国1975年10月01日1970年代首都で国慶節祝賀園遊式交歓会開く―分散会場で50万人の大衆が参加。葉剣英,鄧小平,朱徳,張春橋,姚文元,李先念,紀登奎,華国鋒,汪東興,呉徳,陳永貴,呉桂賢,蘇振華,倪志福以下の首脳が北京で,王洪文,韋国清,許世友,李徳生はそれぞれ上海,南寧,広州,瀋陽で祝賀活動に参加。北京で外国からはシアヌーク殿下夫妻,ポンビチット夫妻,ユースフ・アジトロップなどの人々が参加した。
DIA-104-1975-10-01-10中国1975年10月01日1970年代平壌市で中華人民共和国展覧会が開幕―葉飛交通部長を団長とする中国政府代表団が開幕式に参加。20日閉幕。
DIA-104-1975-10-01-2中国1975年10月01日1970年代人民日報社説,「反修・防修闘争のなかで前進する新彊」―新彊ウィグル自治区成立20周年にあたって発表されたもの。9月30日全人代常委と国務院は自治区革命委員会に祝電を送った。30日晩祝賀宴会が開かれた。10月1日ウルムチ市では国慶節を兼ねて自治区成立20周年祝賀集会が開かれ13民族から10万人が参加,中央代表団全員が出席,陳錫聯,サイフディンがあいさつをおこなった。紅旗10号はサイフディン論文「毛主席の革命路線に導かれて勝利のうちに前進する新彊」を発表。
DIA-104-1975-10-01-3中国1975年10月01日1970年代北京で「全国撮影芸術展覧会」,「全国年画,少年児童美術作品展」が開幕―11月30日閉幕,65万人が参観。
DIA-104-1975-10-01-4中国1975年10月01日1970年代話劇「万水干山」(長征の物語り)が改訂のうえ北京で再上演された。
DIA-104-1975-10-01-5中国1975年10月01日1970年代紅旗10号,譚楓「農業は大寨に学ぶ経験をまじめに総括しよう」
DIA-104-1975-10-01-6中国1975年10月01日1970年代紅旗10号,江虹「中小工業を積極的に立派にやろう」―大型現代企業建設の重要性を前提として,“大型,洋式,完全”なもののみを追求する傾向を批判し,中小工業育成の積極的意義を強調。
DIA-104-1975-10-01-7中国1975年10月01日1970年代紅旗10号,中共昔陽県委「後進隊の転化工作をうまくやろう」―避遠の山区などに多い後進大隊,貧窮大隊に対する指導と援助の必要性を訴えたもの。
DIA-104-1975-10-01-8中国1975年10月01日1970年代紅旗10号,江蘇無錫県社隊工業発展調査報告「新生事物には大いなる希望がある」。
DIA-104-1975-10-01-9中国1975年10月01日1970年代人民日報,新華社記者論評,「大寨県を普及するには,指導部が鍵となる」―1970年9月の人民日報社説「農業は大寨に学べ」のなかで,遅くとも5年で全国に大寨式の県を普及するようよびかけたが,現在まだ多くの県でこの課題に応えていない。今後ひきつづき,3,5年内に大寨式の県を普及せねばならず,そのために,県委員会を中心とした指導部の指導性こそが鍵となることを強調。
DIA-104-1975-10-02-1中国1975年10月02日1970年代シアヌーク親王北京を出発,パリ経由でニューヨークへ。
DIA-104-1975-10-03-1中国1975年10月03日1970年代周興雲南省党委第一書記北京で病気のため死去―享年70歳。8日,八宝山の革命公墓で追悼会開催,紀登奎副総理が主宰,賈啓允新任雲南省党委第一書記兼革命委主任が弔辞をのべた。
DIA-104-1975-10-03-2中国1975年10月03日1970年代鄧副総理,小坂善太郎氏と会見―鄧氏は覇権問題についての中国側の基本的態度を重ねて強調,さらに今回の宮沢・喬外相会談に対して失望の意を示したという。(信濃毎日10月4日)
DIA-104-1975-10-04-1中国1975年10月04日1970年代新彊での中央代表団5組に分れて天山南北を訪問へ―ハミ,イリ,クラマイ,喀什,庫爾勒に専用機で飛ふ。10日一行はウルムチから北京へ帰着。
DIA-104-1975-10-04-2中国1975年10月04日1970年代李先念副総理が国慶節に参加した香港マカオ同胞代表団と会見。
DIA-104-1975-10-04-3中国1975年10月04日1970年代広州に近代的な石油化学コンビナートを建設―黄埔港近くの大田山のふもとに,2,000数百ムー(約300数十ヘクタール)の敷地上に建設中で,精油所と化学肥料製造の4工程からなる。昨年5月に測量を開始,8月に着工し,現在すでに6基の精油塔が完成している。(大公報10月4日)
DIA-104-1975-10-04-4中国1975年10月04日1970年代中国,米社と電算機購入交渉―コントロール・データ社との間で高性能コンピューターの買い付け交渉を進めている。同機は石油探査あるいは防衛面で重要な役割を果しうるもので,現在ココムで検討中という。(ニユーヨーク・タイムス―日経10月5日)
DIA-104-1975-10-04-5中国1975年10月04日1970年代中国とバングラデシュが国交を樹立―ニューヨークで両国外相が共同コミュニケに署名。人民日報は8日,これを祝う社説を発表した。
DIA-104-1975-10-04-6中国1975年10月04日1970年代鄧穎超人代常委委員,E.スノー夫人と会見。
DIA-104-1975-10-05-1中国1975年10月05日1970年代三木首相,条約交渉,“多少時間がかかってもやむをえぬ”と語る。仙台市の記者会見で。(毎日10月6日)
DIA-104-1975-10-06-1中国1975年10月06日1970年代人民日報,厳実「各民族の大団結をさらにいちだんとうち固め発展させよう」―貴州省では2自治州,9の自治県を設け,さらに居住区域の自治を実施している。各級党組織は少数民族の中で14万5000余名の党員,19万余名の共青団員,4万6000余名の幹部(内1万3000余名は公社党委以上)を養成した。
DIA-104-1975-10-06-2中国1975年10月06日1970年代四川省宝鼎鉱区が完成―1965年から建設が始まり,71年に完成。現在この鉱区は50キロに及び,7つの立坑,選炭,機械修理,建築資材など六つの工場が建設されている。この石炭基地の完成は,中国の石炭工業の布陣をかえ,西南地区の経済発展を促す重要な意義をもつ。
DIA-104-1975-10-06-3中国1975年10月06日1970年代人民日報,軍瀋陽部隊瀋勤「ソ米の覇権の争奪は必ず世界戦争に導びく」―ヒトラー式の「電撃」に注意を促す。
DIA-104-1975-10-06-4中国1975年10月06日1970年代三木首相,日中条約交渉タナ上げ説を否定し,早期締結の意向を表明。来日中の楚図南,孫平化両氏との会見のなかで語る。(東京10月7日)
DIA-104-1975-10-07-1中国1975年10月07日1970年代米情報当局,中国のICBM開発の遅れを指摘―中国はこれまで高い優先順位をおいていたICBMの開発を,政治的,経済的,もしくは技術的理由から遅らせており,2年前にインド洋へ向けてICBM用とみられる実験を1回おこなったきり,その後は探知できるような動きをみせていない。このため米側では「1975年までに米国を核弾頭で攻撃できるICBMを保有するであろう」(1972年の分析)というこれまでの見方を修正,中国がICBM能力を持つのは早くて1980年が81年,戦力として展開を終えるのは80年代半ば頃と推定している。「ワシントン・スター」ヘンリー・ブラッドシャー記者。(共同)
DIA-104-1975-10-07-2中国1975年10月07日1970年代人民日報評論員,「窮余の一策」―ソ連の軍縮「新提案」批判。
DIA-104-1975-10-07-3中国1975年10月07日1970年代陳楚大使が一時帰国。
DIA-104-1975-10-08-1中国1975年10月08日1970年代釈放された元武装特務60人は廈門港から金門島へ,5人は深から香港へ向った。
DIA-104-1975-10-08-2中国1975年10月08日1970年代商社,対中三国間貿易に成功―日商岩井はこのほど中国のアンチモニー地金50トンを欧州へ輸出することに成功した。大手商社の中国に関する三国間貿易は,すでに三井物産が米国のスクラップを,丸紅がカナダのパルプをそれぞれ中国へ輸出している。(日刊工業10月8日)
DIA-104-1975-10-09-1中国1975年10月09日1970年代鄧副総理,周総理は最近「よい状態にはなくもはや訪問客に会うことはできない」,と語る―訪問中の外国高官に明らかにしたもの。(AFP)
DIA-104-1975-10-09-2中国1975年10月09日1970年代中共中央,朝鮮労働党中央委員会に創立30周年にあたり祝電を送る―人民日報は10日,創立記念日にあたり「輝かしい戦闘的な歩み」という社説をかかげた。10日,北京で駐中国朝鮮臨時代理大使がレセプションを催し,鄧小平以下関係首脳が出席。
DIA-104-1975-10-09-3中国1975年10月09日1970年代張春橋軍総政治部主任,ルーマニア軍隊最高政治委員会代表団と会見。―張春橋のこの肩書きが公表されたのは初めて。
DIA-104-1975-10-10-1中国1975年10月10日1970年代毛主席,ビエジッチ・ユーゴ連邦執行会議議長一行と会見―一行は6日訪中。同日夜朱徳委員長以下指導者が一行と会見,周総理の名儀による盛大な宴会を開いて歓迎した。12日新聞コミュニケを発表,帰国の途についた。
DIA-104-1975-10-10-2中国1975年10月10日1970年代人民日報,任谷平,「クレムリンの催眠曲」―グロムイコ外相が全欧安保を国連総会で大いに宣伝したことについて批判。
DIA-104-1975-10-10-3中国1975年10月10日1970年代鄧小平副総理,米中友協全国指導委員会代表団と会見―団長ウィリアム H.ヒントン。
DIA-104-1975-10-10-4中国1975年10月10日1970年代中国陸上競技チーム来日―倪志欽氏を団長とする一行49名。13日,両国友好試合が国立競技場で開幕。
DIA-104-1975-10-11-1中国1975年10月11日1970年代人民日報,張鋒「科学技術の普及工作を重視しよう」―普及と向上の関係で,普及のうえにはじめて向上がある,として普及にさらに力を入れるべきことを主張。
DIA-104-1975-10-11-2中国1975年10月11日1970年代鄧小平副総理,米世界事務組織指導者代表団と会見―同代表団は,世界事務学会,外交政策協会,海外開発委員会,カーネギー国際平和基金,ロックフエラー基金,米国国連協会,対外関係委員会,アジア協会等の会長,責任者などから構成されている。
DIA-104-1975-10-11-3中国1975年10月11日1970年代人民日報,范秀竹「また暴露された覇権主義」―ソ連党機関誌「コムニスト」第14号にグロムイコソ連外相が論文をのせ,そのなかで日本の北方4島返還要求を“なんの根拠もないもの”であり,ソ連はこれに対して“当然の反撃”を加えるだろうと批判したことについて論評したもの。ソ連の北方領土占拠を非難し,日本の返還運動を支持。
DIA-104-1975-10-12-1中国1975年10月12日1970年代人民日報記者論評,「決心を固め,5年で実現しよう」―「全国農業は大寨に学ぶ会議」で,1980年までに農業機械化を基本的に実現することを決定したことについて論評したもの。特に東北平原ではトラクター,コンバイン,華北地区では動力井戸,南方各省では田植機等水田機械に力を入れるべきであるとしている。このため,党委が機械化工作に一元的な指導をすること,各集団はあくまで自力更生で機械化をめざすこと,工業部門は全力をあげて農業機械化を支援すること,などを強調。
DIA-104-1975-10-12-2中国1975年10月12日1970年代人民日報社説,「ラオス人民の輝かしい祝日を心から祝う」―ラオス独立30周年にあたって発表。11日,朱徳委員長はスファヌボン親王あてに祝電を送つた。
DIA-104-1975-10-13-1中国1975年10月13日1970年代中国外交部新聞司スポークスマン,米政府のチベット売国奴活動支持について談話を発表―ニューヨークの「チベット事務所」の活動,10月に訪米公演予定の「チベット歌舞団」の活動を支持している米政府に対し,上海コミュニケ違反,と非難。
DIA-104-1975-10-13-2中国1975年10月13日1970年代陳錫聯副総理,コンゴ人民軍総参謀部の政治部代表団と会見。
DIA-104-1975-10-14-1中国1975年10月14日1970年代中蒙国境鉄道聯合委員会の例会フフホトで閉幕―6日から開かれ,新しい議定書に調印。
DIA-104-1975-10-14-2中国1975年10月14日1970年代シアヌーク親王夫妻,汽車で北京から平壌に向う。
DIA-104-1975-10-14-3中国1975年10月14日1970年代米国務省スポークスマン,中国外交部声明に反論―中国側の主張が「米国の政府システムに対する誤解」にもとづくものだ,とのべ「米国のアジア政策は,チベットは中国の一部であるとの前提に立っている」とのべた。従来の「チベットは中国の支配下にある自治区」から前進。
DIA-104-1975-10-14-4中国1975年10月14日1970年代新華社記者論評,「まぎれもない覇権主義」―北方領土問題についてのグロムイコ論文批判の第2弾。
DIA-104-1975-10-15-1中国1975年10月15日1970年代人民日報,新華社記者論評,「“農”の字を首位におく」―農業現代化こそ,中国経済近代化目標達成にとっての鍵であり,重工業,軽工業部門はともかく農業支援を優先させるべきことを強調。
DIA-104-1975-10-15-2中国1975年10月15日1970年代全国農業は大寨に学ぶ会議,北京で全体会議―16日の人民日報によると,15日午後人民大会堂で開かれた。席上,華国鋒政治局委員兼副総理が「全党が動員して,農業を大いに興し,大寨式の県を普及させるため奮闘しよう」と題する総括報告を行なった。葉剣英,鄧小平,張春橋,江青,姚文元,李先念,陳錫聯ら各氏も列席した。(参考資料参照)
DIA-104-1975-10-15-3中国1975年10月15日1970年代秋季広州交易会開幕。
DIA-104-1975-10-15-4中国1975年10月15日1970年代人民日報,何東華「ウソと事実」―ソ修がアジアで覇権主義をおし進めているその姿,との副題がついている。ソ連のアジア進出の諸相を指摘。
DIA-104-1975-10-16-1中国1975年10月16日1970年代中国・アルバニア技術および技術科学協力合同委員会第16回会議議定書に北京で調印。
DIA-104-1975-10-16-2中国1975年10月16日1970年代土光氏ら日経連代表団訪中―一行14名,27日まで。
DIA-104-1975-10-17-1中国1975年10月17日1970年代各部隊で長征陝北到着40周年記念活動を展開―一広州部隊では13日当時の一,二,四方面軍と陝西紅軍で活動した老戦士が座談会を開催。成都部隊では艮征参加者が部隊をつれて長征路を参観,学習。福州部隊では30余名の老戦士が5グループに分れ各地に巡回報告に出発。
DIA-104-1975-10-17-2中国1975年10月17日1970年代人民日報,鈎達「赤水を4たび渡った戦いは毛主席の戦略思想を体現した輝かしい範例である」―特にこの過程における林彪の軍委命令拒否,動揺,抗命を暴露,「林彪の遵義会議前後の反党の罪行は徹底的に清算せねばならぬ」と強調。
DIA-104-1975-10-17-3中国1975年10月17日1970年代養豚事業の発展―75年6月末現在,全国の飼育頭数は49年の4倍に増加(注:49年には5,775万頭)。全国の約3分の1に当たる700余県が「要綱」に規定された1戸当たり平均2.5頭の指標を達成している。上海,江蘇,北京などでは,集団養豚の比重が全体の養豚数の半分か3分の1以上に達している。現在,全国で1戸当り平均1.3頭の豚を飼っている。(新華社―中国通信10月29日,大公報9月19日)
DIA-104-1975-10-17-4中国1975年10月17日1970年代人民日報記者論評,「希望はここにある」―大寨会議で公社・大隊経営企業を発展させる問題を討論したことを論評したもの。
DIA-104-1975-10-17-5中国1975年10月17日1970年代人民日報,海軍某部,思義・凌玲「ソ修はインド洋で波風をたてている」―艦隊増強,姿を変えた海軍基地建設,などを暴露したもの。
DIA-104-1975-10-17-6中国1975年10月17日1970年代李強部長,中国側の大幅入超に懸念を表明し,中国原油輸入拡大を要請。土光氏らに対して語る。
DIA-104-1975-10-17-7中国1975年10月17日1970年代中国土木工程学会鉄道輪軸代表団来日。
DIA-104-1975-10-18-1中国1975年10月18日1970年代中国・ギニア1976年度貿易議定書,北京で調印―この日,王震副総理がギニア政府貿易代表団と会見。
DIA-104-1975-10-19-1中国1975年10月19日1970年代人民日報,解放軍報社説,「長征勝利40周年を記念する」―同論文は「現在,全国人民は毛主席の,理論を学習して修正主義に反対し,修正主義を防止し,安定・団結し,国民経済を新たなレベルにひきあげるという三つの指示をまじめに貫徹実行し,社会主義建設の足どりをはやめ,プロレタリア独裁を強固にし,戦争に備えるために奮闘努力している。情勢は人びとをわきたたせ,情勢は人びとをせきたてている。」と述べ,特に路線問題の重要性,投降派に反対することの必要性,団結の必要性を強調,紅軍の英雄的気慨を長征から学ぶべきであると力説。 軍各部隊の指導機関は連日長征の記念会,報告会,座談会を催した。軍文芸団体は19日から首都の四つの劇場で長征をたたえる文芸出し物を上演した。 人民日報は同日,劉伯承将軍の「長征の思い出」掲載した。
DIA-104-1975-10-19-2中国1975年10月19日1970年代賀竜元副総理,名誉回復―すでに死去,八宝山革命公墓に安置されていることが確認された。(共同)
DIA-104-1975-10-19-3中国1975年10月19日1970年代「全国農業は大寨に学ぶ会議」閉幕―華国鋒,陳永貴,徐向前ら首脳が出席,陳永貴が閉幕の言葉をのべた。
DIA-104-1975-10-19-4中国1975年10月19日1970年代人民日報社説,「大案型の県を普及させよう」―大寨県の普及が国民経済に重要な意味をもつとして,県委員会が奮闘するよう訴えたもの。
DIA-104-1975-10-19-5中国1975年10月19日1970年代毛主席,マリアム・トラオレ女史(マリ共和国国家元首夫人)と会見―トラオレ女史一行は16日から20日まで中国を訪問,参観した。
DIA-104-1975-10-20-1中国1975年10月20日1970年代全国農業は大寨に学ぶ会議に参加した12名の農村定住,帰郷青年代表が毛主席と党中央に決意を示す手紙を送る―本世紀は自分達にとって生気にあふれた年代であり,その時代の担い手として大いに奮闘するとの決意を表明。
DIA-104-1975-10-21-1中国1975年10月21日1970年代過去10年間の経済成長―21日の「中国通信」の「中国経済はなぜ高度・安定成長を可能としたか」と題する論文では,今年1月に開かれた全人代での周総理政府活動報告のなかで発表された64年~74年の10年間における経済実績数字の修正をおこなった。 工業生産総額 2.95倍(周報告―2.9倍) 石炭生産量 1.92倍(同 1.91倍) 石油〃 7.6倍(同 7.5倍) 化肥〃 4.5倍(同 4.3倍) トラクター 6.4倍(同 6.2倍) 食糧,鉄鋼,発電,綿糸,化繊などの実績は周報告と変らず。
DIA-104-1975-10-21-2中国1975年10月21日1970年代毛主席,キッシンジャー米国務長官と会見―キ長官は19日訪中,鄧小平副総理,喬冠華外交部長はキ長官と数回にわたり会談をおこなった。23日北京を離れ,帰国の途についた。
DIA-104-1975-10-21-3中国1975年10月21日1970年代稲山氏ら日本国際石油会社代表団訪中,30日まで。
DIA-104-1975-10-21-4中国1975年10月21日1970年代廖承志氏,5ヵ年計画への日本の協力を要請―中国が作成中の第5次5ヵ年計画の内容について,それは日本側の中国に対する協力の仕方と不可分の関係があることを強調,ソ連からの横ヤリで動揺してはいけない,と述べた。土光氏らに対して。(毎日10月22日)
DIA-104-1975-10-22-1中国1975年10月22日1970年代中国人民銀行天津市分行漢沽区弁事処理論小組論文,「貨幣交換を正確に認識しよう」
DIA-104-1975-10-22-2中国1975年10月22日1970年代英共産党(ML)議長バーチ氏が訪中―11月1日張春橋政治局員が同氏と北京で会見,招宴した。
DIA-104-1975-10-22-3中国1975年10月22日1970年代人民日報,方柏「ソ修の南欧における拡張」―地中海への海軍進出,ポルトガル,キプロスなどへの介入について論評。
DIA-104-1975-10-23-1中国1975年10月23日1970年代ネパールのジャネンドラ親王一行が訪中―2親王夫妻による公式訪問,この日朱徳委員長が一行と会見し,陳錫聯副総理が宴会を催した。30日,上海発,帰国の途に。
DIA-104-1975-10-23-2中国1975年10月23日1970年代タンザン鉄道のレール接続と貨客車の試運転を祝う式典,挙行さる。
DIA-104-1975-10-23-3中国1975年10月23日1970年代新華社記者報道,「悪名ふんぷんのソ修スパイ特務機関KGB」
DIA-104-1975-10-23-4中国1975年10月23日1970年代李先念副総理,土光氏一行及び国際石油訪中団(団長稲山嘉寛氏)と会見―中国側の大幅入超について,日本側の協定遵守と伝統的商品の輸入増大を要請。(毎日10月24日)
DIA-104-1975-10-25-1中国1975年10月25日1970年代国務院文化部主催の「人民の音楽家聶耳と洗星海を記念する最初の音楽会」が首都民族文化宮劇場で開かれた。30日上海でも同じ音楽会を開催。
DIA-104-1975-10-25-2中国1975年10月25日1970年代人民日報,新華社記者論評「森林の防火をりっぱにやり,森林資源を保護しよう」
DIA-104-1975-10-25-3中国1975年10月25日1970年代民航,11月1日から5線の路線延長と56線の増便を実施。
DIA-104-1975-10-25-4中国1975年10月25日1970年代中国人民志願軍赴朝参戦25周年の記念行事を展開―この日玄峻極朝鮮駐中国大使がレセプションを開いて記念した。張春橋,陳錫聯,聶栄臻らが出席。福州部隊政治委員,元志願軍政治委員李志民を団長とし,北京部隊副政治委員呉岱を副団長とする中国人民友好代表団が記念行事に参加するため23日平壌入りした。27日金日成主席が一行と会見,一行は29日帰国。人民日報と解放軍報は共同社説,「中朝人民は永遠に団結し,ともに戦かう」を発表した。
DIA-104-1975-10-25-5中国1975年10月25日1970年代人民日報評論員,「ソ連・イスラエルの結托強化は何を意味するか」―ソ修はその侵略・拡張の目的を達するためにはどんな悪事もいとわない。これは社会帝国主義の反動的本質によって決定づけられたものであり,同時にソ修の堕落と孤立化の反映でもある,と分析。
DIA-104-1975-10-26-1中国1975年10月26日1970年代朱徳委員長が商震氏(元国民党幹部)と会見―25日には葉剣英副主席が会見した。
DIA-104-1975-10-26-2中国1975年10月26日1970年代米情報当局は,ソ連の中ソ国境配置兵力は10年間で4倍の40個師,50万人,戦術核塔載航空機1,000機以上になった,と分析―CIAと軍情報局がさる6~7月に議会秘密聴聞会で証言したもの。同証言は,中国は71年以後,軍事調達費を10%削減,72~74年の3年間その額を凍結,と指摘。
DIA-104-1975-10-26-3中国1975年10月26日1970年代中国は最近ミラージュF1型ジェット戦闘機200機購入交渉のため仏に使節団を派遣。(パリの外交筋,ロイター)
DIA-104-1975-10-27-1中国1975年10月27日1970年代ふたたび地下核実験に成功―インド原子力委によればロプノルでおこなわれ,規模は20キロトンと推定される。
DIA-104-1975-10-27-2中国1975年10月27日1970年代津浦線の新淮河大橋と蚌埠東駅完成―新淮河大橋は複線鉄道橋で28スペン,全長1169.6m。蚌埠東駅は大型貨物駅で,構内の全長5km,列車発着線と操車線40本をもつ。これにより蚌埠駅の貨物輸送能力は従来の2倍以上となった。
DIA-104-1975-10-27-3中国1975年10月27日1970年代新華社記者論評,「欧州争奪の新たな段取り」―副題,ソ連と東独の新たな条約締結を評す。
DIA-104-1975-10-27-4中国1975年10月27日1970年代華国鋒副総理,日本社会党活動家訪中団と会見。
DIA-104-1975-10-28-1中国1975年10月28日1970年代内蒙古自治区で最近下放定住知識青年先進集団,先進個人代表大会開かる―1,000余人が集合。現在浙江以北の都市から21万余の知識青年が下放,7,400余人が入党,5万3000余人が共青団に入り,3,200余人が指導グループに参加,さらに理論指導員,民営の教師,ハダシの医者,農業技術員,トラクター操作手などになるものが多い。
DIA-104-1975-10-28-2中国1975年10月28日1970年代人民日報,梅「まさに覇道の論理そのもの」―ソ連がヨーロッパ中小国の国防力増強に対して「時代の精神とそぐわない」「緩和と対立する」などと文句をつけたことに反論。
DIA-104-1975-10-28-3中国1975年10月28日1970年代中国土木工程学会水道下水道技術視察団来日。
DIA-104-1975-10-30-1中国1975年10月30日1970年代韋国清政治局員が広東省党委第1書記,同省革命委主任に任命されたことが判明―「大公報」による。
DIA-104-1975-10-30-2中国1975年10月30日1970年代全国石炭採掘隊長会議,北京で開幕―国務院が召集し,全国の炭鉱関係者5,000名が出席。31日の人民日報によると,徐今強石炭工業部長は次のような報告をおこなった。 ○石炭部門は10年奮戦し,基本的に機械化を実現して,発展速度をあげなければならない。このため古い鉱山の潜在力発堀,建設中の炭鉱の早期操業開始,小型炭鉱の育成,大型石炭基地の重点的建設などに努めなければならない。 ○大慶,開を手本とし,戦闘的な労働者の隊列を建設しなければならない。 ○科学,技術を重んじ,基本技能の訓練に励まなければならない。 ○規則・制度を厳格に実行すること。 ○各鉱務局と炭鉱指導グループの思想革命化を実現すること,など。
DIA-104-1975-10-30-3中国1975年10月30日1970年代毛主席,シュミット西独首相と会見―同首相は29日中国入りし,11月2日まで公式訪問をおこなった。朱徳委員長が一行と会見し,鄧小平副総理が政治会談をおこなった。一行は北京のほか南京,ウルムチを訪問した。31日両国の海運協定と民間航空運輸協定が調印され,経済貿易促進混合委員会成立の公文が交換された。
DIA-104-1975-10-30-4中国1975年10月30日1970年代中国原油1.7%値上げ―稲山国際石油社長の帰国報告。9月末のOPEC総会で原油を10%値上げしたのをうけ,10~12月の暫定価格をバーレルに当り12ドル10セントを12ドル30セントに値上げした。
DIA-104-1975-10-31-1中国1975年10月31日1970年代青年科研人員李天賜が「公元干支紀日速査盤」の製造に成功―陰歴の干支が紀元年月日に直ちに計算しうる。
DIA-104-1975-10-31-2中国1975年10月31日1970年代交易会に国産船を出品―3,000トン級のタンカーと貨物船で船体排水量4,905トン,航速毎時14海里,主機馬力2,600馬力。上海の造船所で受けつけ。8ヵ月間で引き渡しが可能。(大公報10月31日)
DIA-104-1975-10-31-3中国1975年10月31日1970年代広州近くに新油田開発―フィナンシャル・タイムス紙の報道によると,広州市の西80kmの南海県で大慶油田を上まわる大規模な油田が開発され,ここで生産された石油を利用し,広州の港湾地区に石油化学工場が建設されているという。(毎日11月1日)
DIA-104-1975-10-31-4中国1975年10月31日1970年代李先念副総理,ビルマ政府工業代表団と会見。
DIA-104-1975-11-01-1中国1975年11月01日1970年代軍総政治部は最近,全国農業は大寨に学ぶ会議の精神を伝達,貫徹することに関する通知を発出―この通知は各部隊に対して次のことを要求。①全軍が動員して実際行動で大寨県の建設に貢献する。②全面的に,真実に,根本において軍が軍の建設において大寨の経験に学ぶこと。③大寨に学ぶ活動を日常の政治教育の重要内容とし,大寨精神を用いて部隊を教育する。④地方党委の指導の下に,具体計画をたて特定の地点で大寨に学ぶ単位に援助をする。政治上,思想上の援助だけでなく可能な条件の下では人的,物的に援助する。軍が「全国人民に学ぶ」活動の内容としてとらえる。⑤生産活動をまじめに整頓し,大寨式の農場と生産基地を建設する。
DIA-104-1975-11-01-2中国1975年11月01日1970年代山東省聊城地区の機関幹部が特定の生産大隊に輪番下放する制度を創出―地区,県,公社の常勤幹部は全員参加。毎年3分の1が農村工作隊(組)を組織して下放,期間は1年で次々に交代する。大隊では半分の時間は集団農業労働に参加,半分は大寨に学ぶ運動を推進。
DIA-104-1975-11-01-3中国1975年11月01日1970年代張春橋政治局常委,イギリス共産党(ML)主席ポーチ氏と会見,招宴。
DIA-104-1975-11-01-4中国1975年11月01日1970年代新華社記者報道,「ソ米の新戦争への歩み早まる」―予算面,核弾頭の量,通常兵力,軍拡計画,演習などについて総合的に分析。
DIA-104-1975-11-01-5中国1975年11月01日1970年代自衛隊創立記念祝賀宴会―日本大使館の吉原自衛隊駐在官主催の宴会に張才千軍副総参謀長らが出席。
DIA-104-1975-11-02-1中国1975年11月02日1970年代人民日報記者論評,「大慶に学び,開に追いつき,大いに前進しよう」―“全国炭鉱採掘隊長会議は高速度に生産を発展させる問題を討論した”との副題がついている。そのなかで現在,石炭採掘機械化水準が低いことが一つの大きな問題なので第一段階として,1980年までに重点炭鉱の一般機械化を基本的に実現し,重点的に総合機械化をおし進める。第2段階として,85年までに重点炭鉱で総合機械化を基本的に実現し,その他の炭鉱の機械化水準も大きく高める,という目標を提起している。
DIA-104-1975-11-02-2中国1975年11月02日1970年代人民日報評論員,「朝鮮問題解決の合理的主張」―国連総会第1委員会は10月29日,アルジェリア,中国など43ヵ国提案の朝鮮問題に関する決議草案を採択した。アメリカ派の案は全く朝鮮問題の平和解決をもたらさないばかりか,むしろ分裂を更に深め,緊張を激化させるだけである。したがって43ヵ国案のみが合理的である,と主張。
DIA-104-1975-11-02-3中国1975年11月02日1970年代人民日報,任谷平「ソ米穀物協定の背後にあるもの」―ソ連は戦争備蓄として,アメリカはソ連けん制の手段として,それぞれ独自のソロバンをはじいている点に注目すべきだ,と強調。
DIA-104-1975-11-02-4中国1975年11月02日1970年代アルゼンチン革命共産党訪中団が最近訪中―張春橋政治局常務委員が一行と会見。
DIA-104-1975-11-02-5中国1975年11月02日1970年代米上院外交委員会,パーシー共和党議員を団長とする第7次米議会代表団の訪中報告書を公表。
DIA-104-1975-11-03-1中国1975年11月03日1970年代人民日報短評,「5・7幹部学校をうまくやることを堅持せよ」―まだ幹部学校のないところ,労働参加時間の減少したところなどがある,として,計画と制度を作成して真剣にとり組むことを指示。
DIA-104-1975-11-03-2中国1975年11月03日1970年代中国外交部スポークスマン,インドの声明に反論―11月1日インド外務省スポークスマンは中国要員がインド領内にかなり深く侵入してインド軍パトロール隊を待ち伏せして兵4名を射殺した,と発表した。この声明は全く白黒を転倒したもの,として真相を公開。インド軍が実際には支配線を越えて侵入,再三の警告にかかわらず中国側に発砲したので,中国側は自衛の反撃に出たもの,と言明。
DIA-104-1975-11-03-3中国1975年11月03日1970年代オランダML主義党代表団が訪中―12日耿党対外連絡部部長が一行と会見。
DIA-104-1975-11-03-4中国1975年11月03日1970年代中朝1975年度国境鉄道議定書に瀋陽で調印。
DIA-104-1975-11-04-1中国1975年11月04日1970年代紅旗11号,池恒「《水滸》の評論と結びつけて理論学習を深めよう」
DIA-104-1975-11-04-2中国1975年11月04日1970年代湖北省の14の高等院校は同省6つの地区の10の県で知識青年に対する通信教育をおこない,1万2300余人がこれに参加している。
DIA-104-1975-11-04-3中国1975年11月04日1970年代人民日報,大寨大隊“3結合”科研組「大寨の土地改良の実践から土壌学理論の発展をみる」
DIA-104-1975-11-04-4中国1975年11月04日1970年代人民日報,内蒙古自治区烏〓召公社牧民理論小組「ソ修牧畜業の苦境」
DIA-104-1975-11-04-5中国1975年11月04日1970年代通産省,平織絹織物(羽二重など)の輸入規制を決定,7日から実施。国貿促が抗議,中国側も強い不満を表明。(毎日11月9日)
DIA-104-1975-11-05-1中国1975年11月05日1970年代太原重型機械工場の青年技術員陳恵波が技術革新に成果上げる―陳氏は鋼管矮直機のローラーを改造するために露,英,日,独の文献を読破し,新たな創造をなしとげた。人民日報は「編者の言葉」で次のようにのべた。「陳恵波同志が労働者と結合し,新しい道を拓き,高峰をきわめたことは人を鼓舞する。各級党委は十分に科学技術工作を注意してつかまなければならない。一方ではひきつづき実践経験のある労働者,農民の中から科学技術人員を選び養成しなければならぬが,他方ではもとから居る科学技術人員にひきつづき団結,教育,改造の方針を実行し,労農と結合し,革命のために科学技術を刻苦研究し,紅くもあり専門家でもある道を歩むよう激励すべきである。彼らを信頼し,その役割を充分に発揮させなければならない。りっぱに労働者農民と結びつき,発明創造のあった者については,これを報道し,激励すべきである。」
DIA-104-1975-11-05-2中国1975年11月05日1970年代人民日報,李希凡「《水滸》の“忠義”観念と宋江の裏切り者としての姿」―筆者の1960年以前の《水滸》評価の誤まりを訂正したもの。
DIA-104-1975-11-05-3中国1975年11月05日1970年代中国とフィジーが外交関係を樹立―キャンベラで双方の代表が共同コミュニケに調印。
DIA-104-1975-11-06-1中国1975年11月06日1970年代中国と西サモアが国交を樹立―同日共同コミュニケに調印。16日,人民日報は祝賀の社説を発表。
DIA-104-1975-11-06-2中国1975年11月06日1970年代北方領土返還キャンペーン―人民日報第6面では,ソ連の北方領土占拠を非難する日本各界の動きを報じるとともに,中国北京芸術団が10月16日に北海道余市町を訪問したことに関するルポを掲載した。
DIA-104-1975-11-07-1中国1975年11月07日1970年代紅旗11号,華雲「大寨に学ぶことは一つの偉大な革命運動である」。
DIA-104-1975-11-07-2中国1975年11月07日1970年代国務院の指導幹部,炭鉱採掘隊長会議代表と会見―10の採掘隊を先進分子として表彰するとともに,石炭増産を促す演説をおこなった。
DIA-104-1975-11-07-3中国1975年11月07日1970年代中国全人代常委と国務院がソ連革命記念日にあたり最高幹部会と政府あてに祝電を送る―9日のプラウダ紙が報道。
DIA-104-1975-11-07-4中国1975年11月07日1970年代新華社記者論評,「ラテンアメリカが連合して反覇権闘争を進める重要な発展」―20余ヵ国が調印した「パナマ協議書」を評価。
DIA-104-1975-11-08-1中国1975年11月08日1970年代人民日報,藍大力「太平天国の時期における投降と反投降の闘争」
DIA-104-1975-11-08-2中国1975年11月08日1970年代河北玉風選炭工場に中型選炭場完成,工場総面積は1万5000m2。
DIA-104-1975-11-08-3中国1975年11月08日1970年代安徽馬鞍山鉄鋼公司に中板圧延工場完成。
DIA-104-1975-11-08-4中国1975年11月08日1970年代吉林水工機械工場,発電所建設用の60トン座式起重機を製作。
DIA-104-1975-11-09-1中国1975年11月09日1970年代四川省で20万余,安徽省で5万余の都市知識青年が今年農村に下放定住。
DIA-104-1975-11-09-2中国1975年11月09日1970年代中国農業,14年連続の豊作―今年の食糧総生産量が関係部門の予想では,13年連続の豊作に続いて,これまでの最高であった74年をさらに上回る見込みである。綿花,油料作物,サトウキビとビート,しゅろ繊維,タバコ,茶およびその他の工芸作物の収穫も,一部の地域で水害や干ばつに見舞われたが,比較的よかった。 新彊ウィグル自治区と陝西,青海,甘粛,山西,山東,江西,雲南の各省では10%伸び,遼寧,黒竜江,江蘇,湖南各省と広西チワン族自治区ではかなりの伸びがあった。全国の夏収穫作物の作付面積の70%を占める華北の各省・市では好収穫であった。早稲は総収穫量と単位面積当たり収量とも新記録となった。夏収穫作物と早稲に続いて秋収穫作物も増産となり,晩稲の総収穫量は74年を10%上回った。 74年の冬から400haの耕地でかんがい施設が新設または改善され,200万haが浸水から守られ,533万haが整地され,113万haの丘陵が段畑にかわり,120万haの低収穫地が改良され,40万haの荒地が開墾された。 これらの数字はこれまでのどの年をも上回っている。この間に華北で26万本余の動力井戸が稼動した。(新華社―中国通信11月12日)
DIA-104-1975-11-09-3中国1975年11月09日1970年代周栄教育部長がアルバニア教育代表団と会見。
DIA-104-1975-11-10-1中国1975年11月10日1970年代江青政治局員,米婦人学者に機密をもらしたとして批判さる―ワシントンポスト,スタンレー・カーノー記者の記事によると,1972年江青女吏は米ニューヨーク州立大のロクサーヌ・ウィトケ講師に生活の情況をもらし,党の規律に反したとして批判を受けた。
DIA-104-1975-11-10-2中国1975年11月10日1970年代紅旗11号,田志松「投降主義反対の重要文献,《上海太原の陥落以後の抗日戦の形勢と任務》を学んで」
DIA-104-1975-11-10-3中国1975年11月10日1970年代人民日報,郭群「『コメコン』内部の支配と反支配との闘い」―ソ連のコントロールは強化されつつあるが,同時に離反傾向も増大しつつある,と分析,ソ米両覇者の欧州における争奪が激化するにつれて支配と反支配との闘争は激化してゆく,と予測。
DIA-104-1975-11-11-1中国1975年11月11日1970年代北京で全国人形劇合同公演開始―文化部主催。第1陣として,上海,湖南,湖北,陝西,黒竜江,広東の6省市の劇組が参加。
DIA-104-1975-11-11-2中国1975年11月11日1970年代チベットの人口160万人に―ハン・スイン女史が香港で明からにしたもの。チベット族には多産が奨励されている。(朝日記者)
DIA-104-1975-11-11-3中国1975年11月11日1970年代全国炭鉱採掘隊長会議閉幕―会議では「“10本の赤旗”に学び特に戦闘的な隊列を築こう」と題するアピールを採択した。アピールによると,炭鉱労働者の思想建設を強めること,未曽有の速度で石炭生産を引きあげるため,生産規則管理を強化し能率を高めること,10年間で採掘の機械化を基本的に実現すること,5年以内に全国の採掘末端隊の3分の1を戦闘的な隊にすること,などをうたっている。
DIA-104-1975-11-11-4中国1975年11月11日1970年代新華社記者論評,「はね返されたソ連の恐喝状」―ウガンダのアミン大統領は第12回アフリカ諸国首脳会議開催国として,ソ連からいくつかの書簡や「特別文書」を受取ったが,これらアフリカ諸国への恐喝状は,みなその都度言葉きびしくはねつけられた,と論評。
DIA-104-1975-11-11-5中国1975年11月11日1970年代イタリー共産党(ML)幹部代表団が帰国。
DIA-104-1975-11-11-6中国1975年11月11日1970年代黄華中国代表,国連で「ソ連の『軍縮』提案は戦争準備をかくす手段である」と発言。
DIA-104-1975-11-11-7中国1975年11月11日1970年代中国科学技術協会代表団来日,厳済慈団長ら一行8名。
DIA-104-1975-11-12-1中国1975年11月12日1970年代北京,上海,南京,広州,武漢等各地で孫文生誕109周年の式典がおこなわれた。
DIA-104-1975-11-12-2中国1975年11月12日1970年代人民日報,方柏「第3世界との経済的結びつきを強める第2世界」―《ロメ協定》等にみられる動きを分析,評価。
DIA-104-1975-11-13-1中国1975年11月13日1970年代人民日報,鐘青「軽工業の発展速度を速めよう」
DIA-104-1975-11-13-2中国1975年11月13日1970年代通古鉄道完成―北京通県から河北三河,玉田,豊潤をへて古冶に至る。解放軍鉄道兵が建設。
DIA-104-1975-11-13-3中国1975年11月13日1970年代人民日報,新華社記者論評:天津市の基本建設の経験―天津市の73年度の基本建設完成工事量は72年比で48%増,74年は73年比で25%増,75年上半期には過去同期で最高水準となった。 発電部門では現有発電能力の60%は73年と74年に建設されたもので,現在大型発電所が建設中である。大港油田の現有生産能力の90%は過去2年間に追加した生産能力から生じたものである。新たな鉄道,道路,港湾がすでに使用されており,塘沽新港では74年1年間に8つの万トン級バースが建設された。大港油田の天然ガスを市内に送るパイプ・ライン工事も73年9月から始まり74年1月に一部完成,現在まで1億6000万立方メートルの天然ガスを送った。
DIA-104-1975-11-13-4中国1975年11月13日1970年代毛主席,ネ・ウィン・ビルマ大統領と会見―ネ・ウィン大統領一行は公式訪問のため11日に訪中,15日帰国。15日両国共同コミュニケが発表された。
DIA-104-1975-11-13-5中国1975年11月13日1970年代中国とコモールが国交を樹立―同日ニューヨークで双方の代表が共同コミュニケに調印。20日人民日報は祝賀の社説を発表。
DIA-104-1975-11-13-6中国1975年11月13日1970年代人民日報評論員,「厳正な回答」―ウガンダのアミン大統領がソ連の内政干渉と粗暴な態度に抗議して,直ちにソ連大使の国外退去を命令したことを支持。
DIA-104-1975-11-14-1中国1975年11月14日1970年代「全国軽工業革命をつかみ生産を促す座談会」―人民日報は最近この座談会が開かれたことを報道し,このなかで上海紡績工業の先進的経験の普及がはかられたという。上海紡績業は新規設備投資を増大させず,現有設備潜在力を発掘し,生産性を上昇させたモデル。
DIA-104-1975-11-14-2中国1975年11月14日1970年代新華社記者論評,ソ連の《核兵器実験全面完全禁止条約》草案を新味なし,と批判。
DIA-104-1975-11-15-1中国1975年11月15日1970年代甘粛八盤峡水力発電所完成―蘭州西部の黄河の峡谷に位置する河床式発電所で,ダム容量4,900余万m3。すでに3万6000kWの発電ユニット3台が稼動,全部完成のおりには5台の発電ユニットを備え,総設備容量18万kWに達する。1969年末に着工,今年6月に一部稼動。
DIA-104-1975-11-15-2中国1975年11月15日1970年代ハルビン東北軽合金加工工場,アルミ板連続鋳圧延の新工程を開発。
DIA-104-1975-11-15-3中国1975年11月15日1970年代秋季広州交易会閉幕―16日の人民日報の報道によると,全体の成約額は74年秋季と今年春季の交易会の成約額を上回った。現在,中国の輸出商品のなかで,工鉱および農業・副業産品加工品の占める比重は70%に達するが,農副産品については1952年の70%前後から30%前後に下がっている。
DIA-104-1975-11-15-4中国1975年11月15日1970年代北京鉄鋼学院,新型斜圧延機を製作。
DIA-104-1975-11-15-5中国1975年11月15日1970年代アンゴラの独立に際し三つの解放組織に祝意を表わす中国外交部声明―そのなかでソ連を非難,3組織の団結を希望。人民日報は14日,「団結して独立を守りぬこう」という社説を発表,祝賀。
DIA-104-1975-11-15-6中国1975年11月15日1970年代シァヌーク親王と夫人が,アジア,アフリカ,ヨーロッパ各国訪問のため,北京を出発。
DIA-104-1975-11-15-7中国1975年11月15日1970年代河本通産大臣訪中―北京で開かれる日本工業技術展(ジェトロ主催)の開幕式に出席のため。同日,李強対外貿易部長が歓迎宴会を開いた。18日に李先念副総理と会見,19日帰国。
DIA-104-1975-11-16-1中国1975年11月16日1970年代南京土壌研究所,離子選択電極の開発に成功。
DIA-104-1975-11-17-1中国1975年11月17日1970年代新たな油田を発見―17日に河本通産大臣と会見した康世恩石油化学工業部長はそのなかで,次のような事実を明らかにした。 ○現在,西北部,南部,東北部の内陸部で石油探索をおこなっており,また渤海湾と南中国海の海底油田探索をおこなっている。 ○中国の内陸部の堆積層は300万~400万km2もあり,調査の結果,これらの堆積層に石油が埋蔵されている。現在,新油田の開発に成功したところである。 ○中国の石油は十分な輸出余力を持ちつつあるが,設備その他の条件の不備から,石油生産はまだ予定された目標に達していない。中国は原油の輸出によって,日本から必要な設備,材料を輸入することを考慮している。 ○現在,石油は中国のエネルギー資源の20%をしめ,国内の需要を十分満足させている。(読売11月18日)
DIA-104-1975-11-17-2中国1975年11月17日1970年代貴州省に年産90万トンの大型炭鉱が完成。
DIA-104-1975-11-17-3中国1975年11月17日1970年代冷蔵加工工業の発展―冷蔵庫の総容量は解放初期の31倍近く,65年より50%増加しており,全国の大中型冷蔵加工企業の屠殺,冷凍,総合利用などの主要生産現場では基本的に機械化が実現されている。最近,商業部は長春市で全国冷蔵加工企業管理経験交流会議を開き,冷蔵加工企業の技術革新,技術改造計画を定めた。
DIA-104-1975-11-18-1中国1975年11月18日1970年代人民日報短評,「農村の衛生革命をしっかりやろう」―要旨。大寨大隊がプロレタリア独裁を堅持して,衛生革命を深く展開していることは,衛生革命が社会主義革命と社会主義建設事業の一つの重要な構成部分であることを示している。衛生工作は,農業は大寨に学ぶこの革命運動に貢献しなければならない。衛生工作を大寨県普及計画の中に組みこんで,衛生革命の深化発展をおしすすめよう。
DIA-104-1975-11-18-2中国1975年11月18日1970年代河南省義馬鉱務局楊村炭鉱が完成,設計能力年産60万トン。
DIA-104-1975-11-18-3中国1975年11月18日1970年代北京で日本工業技術展開幕―開幕式には李強,王耀庭氏ら首脳,日本側からは河本通産大臣,岡崎嘉平太氏らが出席,25日には,李先念副総理が参観した。12月2日閉幕。
DIA-104-1975-11-19-1中国1975年11月19日1970年代ラサで最近チベット文図書翻訳出版協力会議会催―チベット,青海,四川,甘粛,雲南,の代表が集まり,チベット語への翻訳をより多く,良くする方策を討議。
DIA-104-1975-11-19-2中国1975年11月19日1970年代ジャン・ソーバニャルグ・仏外相が訪中―21日李先念副総理と会見。24日鄧小平副総理と会見。同日帰国。
DIA-104-1975-11-20-1中国1975年11月20日1970年代人民日報,商実文「大いに,特に力を入れて豚を飼育しよう」―全国的に養豚事業は発展しているものの,それは地域により不均衡である。特に農村だけでなく,大中都市や工鉱林区も周辺地域に副食品生産基地を設け,活発に養豚をやる必要がある。
DIA-104-1975-11-21-1中国1975年11月21日1970年代中国農業の発展―関係部門の統計によると,1974年を49年と比べると,食糧は2.4倍,綿花は5.7倍,油料,糖料,葉タバコ,茶,マユはそれぞれ数倍から10数倍に増えている。植樹・造林に力を入れたことで,森林面積は解放初期の2倍に増え,年間森林伐採量は5.2倍に伸びている。養豚は49年の4.5倍に伸びた。(中国通信12月12日)
DIA-104-1975-11-21-2中国1975年11月21日1970年代朱徳委員長,フランコ・スペイン国家元首の死去に弔電送る―23日カルロス一世の国王就任にも祝電。
DIA-104-1975-11-21-3中国1975年11月21日1970年代譚震林副総理,タイ国与党議員団と会見。
DIA-104-1975-11-21-4中国1975年11月21日1970年代中国土木工程学会公路視察団来日,王展意団長一行6名。
DIA-104-1975-11-22-1中国1975年11月22日1970年代秦皇島市の基本建設の成果―同市では国家重点建設項目を優先的に完成させるため40の地方建設項目を中止するか,あるいは延期して資材,労働力,資金を重点項目に集中した。今年国家が同市にあたえた投資総額は74年に比べ20%も増加し,この額は1965年当時の11倍に相当した。今年9ヵ月間に完成した投資総額は74年同期比で66.5%増となり,竣工面積は2.62倍となった。秦皇島港と北京間の原油パイプライン,秦皇島港第一期原油バース建設と2つのバース建設もすでに完成している。
DIA-104-1975-11-22-2中国1975年11月22日1970年代湖南で2つの鉄鋼基本建設完成―湖南省の重点建設項目として,湘潭鉄鋼工場の2号高炉と漣源鉄鋼工場の第3製鋼所(2基の酸素上吹き転炉を含む)が完成した。この結果,湘潭鉄鋼工場の製鋼能力は2倍余,漣源鉄鋼工場の製鋼能力も2倍余にそれぞれ増強された。
DIA-104-1975-11-22-3中国1975年11月22日1970年代谷牧副総理,日本電子工業訪中団(小林宏治団長)と会見。20日には鐘夫翔郵電部長が会見。
DIA-104-1975-11-23-1中国1975年11月23日1970年代人民日報記者論評:山東省が電力生産を高速度に発展させた経験について―山東省は過去5年間で発電設備容量を倍増し,設備容量順位が全国で11番目であったのを一挙に第6番目にまで発展させた経験を紹介したもの。
DIA-104-1975-11-23-2中国1975年11月23日1970年代華国鋒副総理,フランス原子力平和利用代表団一行と会見。
DIA-104-1975-11-24-1中国1975年11月24日1970年代陝西省漢江上流に石泉水力発電所完成―3台の発電ユニツトを持ち,総容量は13万5000kW。(大公報11月24日)
DIA-104-1975-11-24-2中国1975年11月24日1970年代光明日報,史棣祖論文「南中国海諸島は昔から中国領土である」―「1949年,中国大陸が解放されたのにともなって,われわれは南中国海諸島の一部の島々を解放したが,一部の島しょは目下のところまだ中国人民の手にもどっていない」,「われわれはいかなる口実にもせよ他国がわが国の領土を侵略,占領することを絶対に許さない。南中国海諸島はわが国の神聖な領土であり,われわれはそれを防衛し,建設する責任がある」と述べている。人民日報は25日全文転載。
DIA-104-1975-11-25-1中国1975年11月25日1970年代周総理,スリナムの独立を祝う電報をヘンク・アロン首相に送る。
DIA-104-1975-11-25-2中国1975年11月25日1970年代中国地震視察団来日,中国科学院地球物理研究所革命委副主任顧功叙氏を団長とする一行6名。
DIA-104-1975-11-26-1中国1975年11月26日1970年代第4号人工衛星うち上げに成功―近地点173km,遠地点483km,周期91分。12月2日新華社は,4号衛星は正常な飛行ののち予定の計画どおり地上に回収されたと報道。
DIA-104-1975-11-26-2中国1975年11月26日1970年代全国冶金運輸工作会議開催―人民日報の報道によると,最近冶金工業部の主催で同会議が首都鉄鋼公司で開かれた。同会議では,首鋼運輸部が冶金部門の要請に応え原料・製品輸送に立派な成績をあげた先進的経験の普及がはかられた。
DIA-104-1975-11-27-1中国1975年11月27日1970年代中国,米社と石油開発機器購入商談―ヒューストンの石油業界筋が明らかにしたところによると,中国はヒューストンの特殊機械メーカー6社と数百万ドルにのぼる最新の石油探査,掘削設備を買い付ける交渉を進めており,すでに過去1年以上にわたり,中国はこれらの設備の購入と技術指導の契約をいくつも結んでいるという。(ニューヨークタイムス―朝日11月29日)
DIA-104-1975-11-27-2中国1975年11月27日1970年代朝鮮労働党中央委員会友好参観団が訪中―12月18日張春橋中央政治局常務委員が一行と会見,招宴した。25日に汽車で北京を発ち帰国。
DIA-104-1975-11-27-3中国1975年11月27日1970年代人民日報,郭済発「ソ修が国連憲章の論議と改正に反対する傲慢な態度」。
DIA-104-1975-11-29-1中国1975年11月29日1970年代アルバニア駐中国大使,解放31周年祝賀のレセプションを北京で開く―葉剣英以下首脳が出席。人民日報はこの日,「勝利の道を堂々と前進」という祝賀社説をかかげた。
DIA-104-1975-11-30-1中国1975年11月30日1970年代1~10月の石油生産―原油生産は74年同期比で20%以上の増加,原油加工量は13%増。一部の新しい精製装置も完成し稼動し始め,また石油の新しい含油地区が発見された。大慶油田では今年に入ってから,新油区の建設を早め,積極的な増産措置をとった。勝利油田の原油生産量は1~10月に74年同期比で40%以上伸びた。 (新華社―中国通信12月8日)
DIA-104-1975-11-30-2中国1975年11月30日1970年代中国,ルーマニアに原油輸出―米国の石油業界が明らかにしたもので,今年夏から始まり,今年全体で50万トンを輸出する予定。(時事―大公報11月30日)
DIA-104-1975-12-01-1中国1975年12月01日1970年代北京石景山発電所京西発電所完成―北京西郊外の山間地区に位置し,20万kWの蒸気タービン発電機一機が据えつけられている。
DIA-104-1975-12-01-2中国1975年12月01日1970年代水上達三氏ら日本貿易会代表団訪中(11日まで)
DIA-104-1975-12-02-1中国1975年12月02日1970年代11年来新彊に定着した知識青年は45万人に達す。
DIA-104-1975-12-02-2中国1975年12月02日1970年代北京市の主要工場,第4次5ヵ年計画をくり上げ達成―首都鉄鋼公司は計画をくり上げ達成するとともに,最近,現代的な大型鉄鉱石鉱山を完成させた。北京石油工総工場では五つの化学工業装置がすでに仕上げ段階に入っている。(新華社―中国通信12月12日)
DIA-104-1975-12-02-3中国1975年12月02日1970年代1~10月の石炭生産,74年同期比で19.6%増,掘進量で20%増。(文匯報12月2日)
DIA-104-1975-12-02-4中国1975年12月02日1970年代毛主席,フォード米大統領と会見―フォード夫人,令嬢,キッシンジャー国務長官,ジョージ・ブッシュ駐中米連絡事務所長,スコウクロフト,シスコ,ハビブ,ロード,ソロモンの諸氏が同席,中国側は鄧小平,李先念両副総理,喬冠華外交部長,黄鎮,王海容,唐聞生,章含之の諸氏が同席した。フォード大統領は12月1日周総理の招きに応じて訪中,2日から3回にわたって鄧副総理と会談をおこなった。5日専用機で北京を離れた。
DIA-104-1975-12-03-1中国1975年12月03日1970年代青海チベット高原の大規模な多部門にわたる科学調査で豊富な資料を得る―過去1973年と1974年に2回おこなわれたが,今年の青蔵高原総合科学調査隊は規模最大で科学院,地方研究所,大専院校,チベット関係部門の40ちかい単位から240余名が参加,シガツエ地区,及びラサ,山南,那曲,昌都の一部地区について総合調査をおこなった。地質,考古,地球物理.地震,水利,動植物,微生物等豊富な資料を得た。
DIA-104-1975-12-03-2中国1975年12月03日1970年代中国の石油化学工業の発展―いま化学工業,製油を専攻している科学研究者の総数は解放初期の41倍に増えている。 製油の面で,中国が自力で研究,設計,製作した流動床式接触分解法やプラットフォーミング法は全国の製油所で広く使用されている。文革以来,中国が自ら研究し,成功を収めた製油,脱ろうの新技術は,すでに工業に応用されている。現在,われわれはすでに製油工業における重要な科学技術問題を独立自主的に解決することができる。(新華社―中国通信12月8日)
DIA-104-1975-12-04-1中国1975年12月04日1970年代紅旗12号,北京大学・清華大学大批判組「教育革命の方向の改ざんは許されない」―文革以来の教育革命の方向は「やはり問題を解決していない」,「方向を“転換”すべきだ」,「理科は高校生から選抜し,直接大学に入れるべきだ」。「門を開いて学校をおこなうことは文化を学ぶことになっておらず,“実践―実践―実践”となっている」,「北京大学,清華大などの“最高学府”は“赤い工程師のゆりかご”であるが,現在は“質が低く”“過去の中級技術学校に及ばない”」,「現在大学は『科学に熱心な非専門家』によって指導すべきだが,現実はそのようになっていない」などといった「奇談怪論」が最近の教育界にあることを指摘,これに対する徹底的な批判をよびかけ。(人民日報4日)
DIA-104-1975-12-04-2中国1975年12月04日1970年代人民日報,李科「科学研究の必ず経るべき道」―「門を開いて学校を経営する」方針を擁護。
DIA-104-1975-12-04-3中国1975年12月04日1970年代全国人形劇合同公演第2陣開始―北京,福建,広西,江蘇,遼寧,河北,山西,四川の8省,市,自治区の各劇組が参加。
DIA-104-1975-12-04-4中国1975年12月04日1970年代機械工業の発展―解放後の20数年間,機械工業の生産は年平均20%以上の割合で伸びつづけている。各種のプラントを製造でき,現在すでに年間原油処理能力量100万トンの製油所プラントを製造することができる。大型機械工場とともに,地方中小型機械工場も発展しており,たとえば華北地区にある150万本の動力井戸にとりつけられているポンプは地方工場で生産したものである。(新華社―中国通信12月10日)
DIA-104-1975-12-04-5中国1975年12月04日1970年代キッシンジャー米国務長官,米中会談について北京で記者会見―同長官は次のことを明らかにした。 ①会談第1日(2日)に共同声明を出さないことが決まった。②会談の結果米中双方は欧州統一問題,EC問題,米欧関係について「並行の政策」(同一でないが対立しない)をとりうることが明らかになった。③対ソ関係でもそれぞれの立場をのべたが,お互いの立場に立ち入るような議論はできなかった。④米中双方の関係は良好で,漸進的に発展するだろう。今回の訪中で上海共同コミュニケの基礎の上に「新しい建築」をする時期に入った(以上外人記者団に対して)。⑤中国側は米中関係正常化の方法として日本方式を希望した。それに対してわれわれは「そのプロセスが熟し,一定の環境が出来あがるまでには時間がかかろう」と伝えた(米人記者に対して)。(5日各紙)
DIA-104-1975-12-04-6中国1975年12月04日1970年代教育部長周栄を団長とする中国政府代表団,ザイール,モーリタニア国慶節に参加し,帰国。
DIA-104-1975-12-04-7中国1975年12月04日1970年代日本郵船,10万トン級タンカーの対中輸出成約。(大公報12月4日)
DIA-104-1975-12-05-1中国1975年12月05日1970年代人民日報,北京大学無線系1972級労農兵学員「学校はプロレタリア独裁のための道具たるべきである」
DIA-104-1975-12-05-2中国1975年12月05日1970年代毛沢東,朱徳,周恩来,ラオス人民民主共和国の成立を祝う電報送る―スファヌボン議長とカイソン・ポムビハン首相あて。6日人民日報は「ラオス人民の偉大な歴史的勝利」と題する社説をかかげた。
DIA-104-1975-12-05-3中国1975年12月05日1970年代北京放送局代表団来日,杜波北京放送局副局長を団長とする一行7名。
DIA-104-1975-12-06-1中国1975年12月06日1970年代安徽省では各県が中心になって49の5・7大学を創設』,すでに3万人が参加。
DIA-104-1975-12-06-2中国1975年12月06日1970年代新華社記者論評,「ブレジネフ集団の農業政策破産の大暴露」―今年は10年来食糧生産が最低となった。また食糧輸入は史上最高となった,と指摘,その背景を論述。
DIA-104-1975-12-07-1中国1975年12月07日1970年代清華大学の教育革命ルポに対する人民日報編者のことば,「清華大学の教育革命の成果は教育界の奇談怪論への有力な反論」と強調。
DIA-104-1975-12-07-2中国1975年12月07日1970年代黄河青銅峡水利電力灌漑区に東幹用水路完成―総距離は54.4km。途中には総容量300万m3の5つのダムを持つ。用水路の設計総引水量は毎秒54m3,灌漑面積は55万ムー弱におよぶ。
DIA-104-1975-12-07-3中国1975年12月07日1970年代ハルビン鉄道局,今年の輸送計画をくり上げ達成,74年同期比で15.5%増。
DIA-104-1975-12-07-4中国1975年12月07日1970年代アルバニア軍事代表団が訪中―団長はラカイ人民軍総参謀長。31日葉剣英副主席が一行と会見。1月2日まで。
DIA-104-1975-12-07-5中国1975年12月07日1970年代新華社記者論評,「その過去からその現在をみる」―ソ連がアンゴラの内戦に介入し「国際主義の責務を果している」と言明しているが,歴史的に民族解放闘争と解放戦争に対してソ連がとった「抑圧的」行動から見る必要がある,として分析。
DIA-104-1975-12-08-1中国1975年12月08日1970年代人民日報,「教育革命は北京大学の姿に深刻な変化をもたらした」―この記事の主な内容は次の通り。①労働者階級の学校に対する指導は闘争のなかでたえずうち固められ,強化されている,②労農兵の学員は「紅でもあり専でもある」方向に健全に成長,③教師の隊列は三大革命運動の中で喜ばしい進歩をかちとった,④マルクス主義で学科の領域を占領することにおいていちじるしい成果をあげた,⑤教育と三大革命運動の実践が緊密に結びついて,直接社会主義革命と建設に貢献している,⑥教学,生産,科研の3結合の新体制を初歩的に建設した。
DIA-104-1975-12-08-2中国1975年12月08日1970年代中共中央統線部と関係方面の責任者,最近台湾から大陸に戻った前国民党中将李毅氏の歓迎宴を催す―李毅氏は6日に広州から北京へ到着した。
DIA-104-1975-12-08-3中国1975年12月08日1970年代山東省烟台地区の食糧生産,“長江”をこえる―今年全地区1,000余万ムーの農地で,平均ムー当り800斤となり,北方地域で初の「要綱」の規定する“長江”(ムー当り700斤)をこえた。同地区は71年に「要綱」の規定する指標に達した。
DIA-104-1975-12-08-4中国1975年12月08日1970年代中国・スリランカ,76年度貿易協定調印―中国は20万トンの米を輸出し,6万7000トンのゴムを輸入。(AFP―大公報12月9日)
DIA-104-1975-12-09-1中国1975年12月09日1970年代人民日報,梁效「修正主義に反対し,修正主義を防止する偉大な革命」―文革と批林批孔の意義と必要性を真に理解しているといえない人々がある。教育界の奇談怪論は当面の2つの階級,2つの道,2つの路線の闘争の教育界における反映である,と指摘。
DIA-104-1975-12-09-2中国1975年12月09日1970年代人民日報評論員,「東チモール人民の独立の権利は侵犯を許さない」―12月7日インドネシア軍は空から新たに独立した東チモール民主共和国に大規模侵入,首都ディリを占領した。インドネシア政府の行動は侵略行為である。直ちに武装侵入を停止し,すべて軍事力を撤退させ,平和共存5原則の基礎に立って東チモールと友好善隣関係を樹立し,平和的話し合いで問題を解決すべきである。
DIA-104-1975-12-09-3中国1975年12月09日1970年代陳錫聯副総理,ルーマニア友好代表団と会見。
DIA-104-1975-12-09-4中国1975年12月09日1970年代中国・チェコ1976年貨物交換・支払協定に北京で調印。
DIA-104-1975-12-10-1中国1975年12月10日1970年代紅旗12号,〓,「社会主義の新生事物を情熱をこめて支持しよう」
DIA-104-1975-12-10-2中国1975年12月10日1970年代今年の食糧生産量は2億8000万トンを突破か―楊立功農林部副部長は,11月14日ローマで開かれたFAO会議に出席した時,74年の中国の食糧生産が2億7490万トンであること明らかにしたが,10日に中国外交部のある役人もこの数字を確認した。駐北京の外国記者の観測では,75年の食糧生産は2億8000万トンを突破するものとみている。(ロイター―大公報12月11日)
DIA-104-1975-12-11-1中国1975年12月11日1970年代天津市衛生局,副主任以上の3分の2,機関幹部の半分が医者をひきいて農村に入ることを決定。
DIA-104-1975-12-11-2中国1975年12月11日1970年代ファンファーニ元イタリア首相が訪中―15日鄧副総理が同氏と会見。
DIA-104-1975-12-12-1中国1975年12月12日1970年代紅旗12号,斉永紅,「革命は歴史を引っぱる機関車である」
DIA-104-1975-12-12-2中国1975年12月12日1970年代軍総政治部は最近通知を発し,中隊の図書閲覧工作をうまくやり,マルクス・レーニン主義・毛沢東思想で文化陣地を占領せよと指示―この通知は,常置図書,定期購読雑誌を,迅速に,数をそろえて中隊まで届けねばならず,読ませぬよう圧力を加えたり,途中でさし押えたりしてはならないと述べている。
DIA-104-1975-12-13-1中国1975年12月13日1970年代人民日報短評,「学校をプロレタリア独裁の道具に改造しよう」―朝陽農学院を例として分析。
DIA-104-1975-12-13-2中国1975年12月13日1970年代北京衛戌区某部6中隊が編集執筆した「晃錯とその著作」が中華書局から出版。
DIA-104-1975-12-13-3中国1975年12月13日1970年代今年の日中貿易,往復40億ドル台に―国貿促が明らかにしたところによると,75年1~10月の日中貿易は,輸出19億3946万7000ドル(74年同期比27.7%増),輸入12億1900万2000ドル(同18.4%増),合計31億5846万9000ドル(同24.1%増)で,日本側の約7億2000万ドルの出超となった。75年全年では合計40億ドルに達し,日本の出超幅は10億ドル台に達する見通しとなった。(読売12月14日)
DIA-104-1975-12-14-1中国1975年12月14日1970年代中国・英ロールスロイス社とジェットエンジン製造に関する協定調印―13日に同社と中国技術進口公司との間で調印。価格は1億ポンド。(ロイター―大公報12月15日)
DIA-104-1975-12-15-1中国1975年12月15日1970年代もと国民党の県・連隊級の党・軍・政・特務要員を全員釈放―毛主席と党中央の指示に従い,全員を釈放することに決定した。15日から18日にかけて各地の司法機関は大会を開き,高級人民法院の裁定書,各級公安機関の釈放証を授与し,かれらに公民権を与え,職と生活を適当に按配することを宣言した。23日中央統線部が北京に参観に来た釈放者と会見,24日人民日報は「プロレタリア階級の政策」と題する短評を発表した。
DIA-104-1975-12-15-2中国1975年12月15日1970年代中国科学技術大学の第1期525人の労農兵学員が3年の学習を終え最近卒業。
DIA-104-1975-12-16-1中国1975年12月16日1970年代康生党副主席,北京で逝去―長期にわたる病気により死去。享年77歳。同日中共中央,全人代常委,国務院は訃告を発表。21日人民大会堂で追悼大会がおこなわれ,5,000人が出席,王洪文副主席が追悼会を主催,葉剣英副主席が追悼の辞をのべた。この日,全国で半旗がかかげられた。19日,20日の両日北京労働人民文化官で告別式がおこなわれ,1万5000人が弔意をあらわした。
DIA-104-1975-12-16-2中国1975年12月16日1970年代「特等功」と「優秀共産党員」の称号を得た鉄道労働者張金生―4月9日身を挺して電動地固め機を除いて列車事故を防ぎ,犠牲となった。人民日報はその「犬クギ精神」を称賛。
DIA-104-1975-12-16-3中国1975年12月16日1970年代人工衛星5号の打上げに成功―新華社17日報道。
DIA-104-1975-12-17-1中国1975年12月17日1970年代上海の労働者大学は1,200余ヵ所に発展―74年上半期に48ヵ所に,今年上半期に360余ヵ所に発展,この5ヵ月間に1,200余ヵ所に急増した。学校参加者は5万人近く,卒業生は5,000人近い。
DIA-104-1975-12-17-2中国1975年12月17日1970年代昔陽県の75年度の農業生産―全県の食糧生は74年に比べ6,000万斤増加した。平均ムー当り収量800斤を突破,74年に比べ20%余の増で,初めて“長江”をこえた。全県で1人当り平均1,500斤の食糧を生産し,国家へ1億斤を売り渡したが(1人当り500斤),これは74年に比べ2倍の量である。
DIA-104-1975-12-18-1中国1975年12月18日1970年代上海造船業の発展―70年以降,1万トン級の船舶44隻を建造,今年だけで11隻建造した。1万トン級しゅんせつ船,浮ドック,海洋地質探査船などの建造にも成功し,貨物船の輸出まで可能となった。(新華社―中国通信12月23日)
DIA-104-1975-12-18-2中国1975年12月18日1970年代チチハル,成都両鉄道局,年間輸送計画をくり上げ達成。
DIA-104-1975-12-18-3中国1975年12月18日1970年代黒竜江,吉林,チベットの農業発展―黒竜江省では全省で8,500万ムーの食糧・豆類作物が74年水準をこえ,史上最高となった。省内の生産建設部隊と76の国営農場では,今年の食糧生産が74年に比べ20%,30%それぞれ増加した。全省の15の県,9の部隊,1の国営農場が「要綱」の規定した指標に達した。 吉林省では,食糧生産が74年の水準をこえ,全省の半数近くの県,市が「要綱」の規定するムー当り指標をこえた。 1972年秋から,大面積にわたって冬小麦の栽培を始めたチベットでは,74年秋に播種面績が56県,総面績60余万ムーに拡大し,73年に比べ2倍となった。初歩的な統計によれば,今年一季の冬小麦の大部分がムー当り400斤をこえ,さらに500斤,800斤をこえる社隊さえも出現した。
DIA-104-1975-12-19-1中国1975年12月19日1970年代藤山愛一郎氏ら日本国貿促代表団訪中―藤山氏は中国側に対し,中国の次期5ヵ年計画中に合計250億ドル,年平均50億ドルの日本側の輸入を確保するという日中貿易アンバランス是正策を提案する予定。25日まで。(読売12月14日)
DIA-104-1975-12-20-1中国1975年12月20日1970年代鍾赤兵国防科学委副主任,北京で死去―享年61歳。27日八宝山革命公墓礼堂で追悼式がおこなわれ,国防科委の張愛萍主任が司会,政治委員の陶魯茄が弔辞をのべた。
DIA-104-1975-12-20-2中国1975年12月20日1970年代清華大学の教育革命の大批判運動,外人記者団に公開―北京大学は23日に公開。 清華大学の説明によると,さる8月,同大学の劉冰副書記ら4人が連名で毛主席あてに高等教育の「現状」を訴える手紙を出した。劉冰は10月にも他の2人と連名で毛主席あてに手紙を書いたが,これらはいずれも教育革命の成果を否定,教育を劉少奇時代の修正主義路線にひき戻そうとするものだった。毛主席はこの手紙を清華大学に送り返し,大衆の批判にゆだね,手紙は11月18日大衆に公開された。この日から大字報による批判が始まった。 周栄教育部長,劉冰清華大党委副書記,李琦教育部責任者の名が大字報に書かれているが,一定の敬語が用いられて,「病いを治して人を救う」方針がとられている。(日本各紙21日)
DIA-104-1975-12-20-3中国1975年12月20日1970年代河北省の今年の農業生産―今年は旱害など厳しい自然災害にあったにも拘らず,全省の食糧生産は史上最高であった74年なみとなった。400余万ムーの農地の水利を改良し,改良された灌漑面績は600万ムー以上となった。今年,全省でおこなった二毛作,三毛作の農地面績は72年の1,300万ムーから4,000余万ムーに拡大した。
DIA-104-1975-12-20-4中国1975年12月20日1970年代山東勝利石油化工総工場精油所生産開始―勝利石油化工総工場の一部で,現代的な大型精油所。2基の連合精油装置をもつ。
DIA-104-1975-12-20-5中国1975年12月20日1970年代大慶油田の生産,史上最高に達す―今年,大慶油田の原油生産と原油加工生産計画はくりあげ達成され,史上最高となった。第4次5ヵ年計画で規定した原油生産計画目標は,74年末にすでに2.6%超過してくりあげ達成され,今年には目標を15.8%以上も超過した。 73年4月に着工された新油区は,現在すでに完成されている,この新油区の生産能力は60年代の大慶開発初期の5年間の水準に等しい。
DIA-104-1975-12-21-1中国1975年12月21日1970年代港湾建設の成果―大連,秦皇島,天津,煙台,青島,連雲港,上海,黄埔,湛江等の港湾において,過去3年来40の万トン級以上の船舶が停泊可能な深水位埠頭が建設された。その中には万トン級以上の石炭,鉱石,雑貨専用埠頭,2万5000トンから5万トン級のオイルバース,中国で初のコンテナ埠頭と鉄造桟橋がある。その他,万トン級以下の係船可能な中級埠頭及び鉄道,道路,倉庫,給水施設などの建設,万トン級以上の船舶修理用ドックの建設,長江河口の水路整備なども行なわれた。 過去3年間に新たに建設された深水位埠頭や万トン級以上のドックの数は,1950年~72年までの23年間の総和を上まわる。これら設備が全て操業に入れば,沿海主要港湾の貨物積み卸し量は1972年に比べ50%増加し,1965年に比べ2倍以上の増加となる。
DIA-104-1975-12-21-2中国1975年12月21日1970年代新華社記者論評,「ペルシャ湾岸国家の団結反覇権闘争はまさに始まりつつある」。
DIA-104-1975-12-21-3中国1975年12月21日1970年代新華社記者報道,「アジアの国家と人民の反覇権闘争は不断に発展」―「前門の狼を追い出し,後門の虎を入れる」ことを防ぎ,ソ連の「集団安保」に反対している,としてその動向を分析。
DIA-104-1975-12-22-1中国1975年12月22日1970年代1968年の毛主席指示発表以来,知識青年の農村下放定住が成果をあげ,すでに1,200万人が農業に従事―今年は15省,市,自治区で先進集団,先進個人代表大会が開かれ,200万人が新たに下放定住した。文革までの10年間には120余万人が下放定住したのみであった。1969年には270万人が農村へ赴いた。1973年毛主席が李慶霖にあてた返信が新たな発展の道を拓いた。1974年末現在7万人が入党,148万余人が共青団に入り,29万余人が各級指導グループに入っていた。
DIA-104-1975-12-22-2中国1975年12月22日1970年代李強対外貿易部長がビルマを訪問―8日間。
DIA-104-1975-12-23-1中国1975年12月23日1970年代北京大学で卒業生の宣誓大会が開かれ,ほとんど全員が農村,辺彊,国家の要求する最も必要とされているところにゆくことを要請。
DIA-104-1975-12-23-2中国1975年12月23日1970年代北京,錦州,西安の3鉄道局,年間輸送計画をくり上げ達成。
DIA-104-1975-12-23-3中国1975年12月23日1970年代毛主席,ダスコタ・サントーメ・プリンシペ民主共和国大統領と会見―同大統領は21日訪中,李先念副総理と会談をおこない,22日朱徳委員長と会見。25日両国の経済技術協力協定と貿易協定に調印し,北朝鮮へ向った。
DIA-104-1975-12-23-4中国1975年12月23日1970年代新華社記者論評,「ソ連が東欧の労働力を掠奪する誤まった議論に反駁する」―ソ連の《世界経済と国際関係》誌10号のなかで,いわゆる「労働力の社会主義国際移転」を主張していることに反論。
DIA-104-1975-12-24-1中国1975年12月24日1970年代ジャック・アンダーソン記者,毛主席はフォード大統領に対し次期指導者として鄧小平副総理の名をあげた,と報道―共和党首脳にキッシンジャー国務長官がもらした情報にもとづく。(ワシントン・ポスト)
DIA-104-1975-12-24-2中国1975年12月24日1970年代王震副首相,鉄鉱石の輸出も可能と語る―中国の地下資源に関して,今までは露天掘りでやってきたが,毛主席の鄧副主席に対する指示に基づき,地下深く探鉱していると語り,湖南,雲南,貴州各省などで,鉄鉱,非鉄金属などを大量に開発しており,輸出も可能である,と述べた。(読売12月25日)
DIA-104-1975-12-25-1中国1975年12月25日1970年代遼寧省では朝陽農学院式の農業大学をすでに8ヵ所創設。
DIA-104-1975-12-25-2中国1975年12月25日1970年代焦枝鉄道開通―河南省焦作を起点に湖北省長江両岸の枝城に至り,河南,湖北両省を縦貫する全長753.3km。京広鉄道と平行し,洛陽で東西交通の大動脈隴海鉄道と交叉し,焦作,洛陽,宝豊,襄樊で数本の連絡線および京広鉄道と連絡する。1969年11月に着工しわずか8ヵ月後の70年7月に完成した。
DIA-104-1975-12-25-3中国1975年12月25日1970年代人民日報,任谷平「革命と戦争の要因はどちらも増大している:1975年国際情勢の回顧」―第3世界のめざめと団結,両覇権国の争奪は日ましに強まっている,西部戦線で風雲急,超大国は外は強いが,中がもろく,人民が世界の運命を決する,などの項目で国際情勢を総括。
DIA-104-1975-12-26-1中国1975年12月26日1970年代人民日報,清華大党委「3大革命運動の中で,社会主義の自覚を持ち文化を持った労働者を養成しよう」―教育革命の総括。教育界の「奇談怪論」に反駁。
DIA-104-1975-12-26-2中国1975年12月26日1970年代清華大学第2回労農兵学員全員が毛主席に手紙を送る―7,8,9の3ヵ月に吹いた「右傾翻案風」を毛主席指示により撃退した,とのべ農村,辺彊などへの赴任を希望。20日には全校の参加する大会が開かれ,教育革命に対する決意が表明された。
DIA-104-1975-12-26-3中国1975年12月26日1970年代《中国人民解放軍戦士美術作品展》と《中国人民解放軍撮影作品展》が北京の軍事博物館で開幕―1976年2月末まで。
DIA-104-1975-12-26-4中国1975年12月26日1970年代上海鉄道局,今年の国家輸送計画をくり上げ達成,昨年比9.7%増。
DIA-104-1975-12-26-5中国1975年12月26日1970年代9省,市で食糧増産―北京市,河北省が豊作であった他,山西省では74年比10%以上で,74年に食糧の平均ムー当り収量が“黄河”をこえた県,市はわずか8つであったが,今年は19になり,「要綱」をこえた県,市は74年の15から26となった。 陝西省では74年比10%増。甘粛省では74年比10%増で,平均ムー当り収量が「要綱」をこえた県は70年の6から29に増えた。青海省は74年比10%以上の増で,食糧自給を実現した。江西省では,新たな歴史的水準を達成した。湖北省では74年に新たな歴史的水準を達成したが,今年これをさらに高めた。広西では74年比5%増,65年比で60%増で,全区の8地区と4市郊区が増産となった。
DIA-104-1975-12-26-6中国1975年12月26日1970年代5年後に日中貿易は100億ドルへ―国貿促の代表として訪中していた藤山愛一郎氏は帰国後の記者会見で次のように語った。 ○日中双方で5年後に日中貿易を100億ドルとする目標で合意。 ○日中貿易の拡大均衡のため,中国側は日本が大豆などの農産品,生糸,食品など買い付けることを希望。 ○中国は今後の5ヵ年計画期に日本からプラントを買いつけたいが,このため日本輸出入銀行が金利を下げることを希望している。 ○中国側は現在,米国のメジャーに中国原油を売る交渉をおこなっていることを明らかにした。
DIA-104-1975-12-27-1中国1975年12月27日1970年代人民日報記者,「今日の小庄」―天津市にある同生産大隊の文革と批林批孔以来の変化を報道。
DIA-104-1975-12-27-2中国1975年12月27日1970年代ソ連の偵察用武装ヘリコプターの乗組員を釈放―余湛外交部副部長がトルスチコフ駐中ソ連大使に通告。1974年3月14日,ソ連のM4型偵察用武装ヘリ1機が中国内70kmの地点に進入,中国領内を約400km飛んだ。いま,中国公安機関は調査究明を終え,ソ連乗組員が誤って中国領内に進入したという云い分は信頼しうるとみとめ,3名の乗組員を釈放するとともに,ヘリおよび機上の装備,書類を全部ソ連側に返還することを決定した。3名は中国の工場,人民公社,名勝旧跡を参観し,29日北京発,帰国。
DIA-104-1975-12-27-3中国1975年12月27日1970年代新華社記者論評,「新たな世界戦争の危険が増大している」―現在,新たな世界戦争を引き起こすことができるのはソ米2超大国以外にない。ところがアメリカはいま比較的弱い立場にあり守勢に立っている。当面主要な戦争の危険はソ連の方から出てきている。だから戦争の危険が増大したかどうかを判定するにはソ米両国の動きことにソ連の動きをみなければならないと指摘。
DIA-104-1975-12-28-1中国1975年12月28日1970年代人民日報,顔洸「アジア人民は闘争の中で勝利のうちに前進している」―1975年の動向総括。
DIA-104-1975-12-28-2中国1975年12月28日1970年代姚文元氏,千田是也氏ら日本演劇家訪中団と会見。
DIA-104-1975-12-28-3中国1975年12月28日1970年代(注)「政治」・「経済」・「外交」・「日中」の日付けについて,「経済」は人民日報報道の日付にもとづき,その他の項目は新華社の報道の日付にもとづいた。
DIA-104-1975-12-29-1中国1975年12月29日1970年代勝利,クラマイ両油田,今年の原油生産計画達成―勝利油田は12月4日に達成,原油生産量は74年比で34%増で,開発以来12年間の最高となった。クラマイ油田は12月6日に達成,74年に比べ65%以上の増産となった。
DIA-104-1975-12-29-2中国1975年12月29日1970年代開炭鉱,5年間で設計能力の2倍増―1970年に原炭生産量を設計能力の2倍増とする目標をたて,5年目の今年12月23日にこれを達成した。
DIA-104-1975-12-29-3中国1975年12月29日1970年代チベット農業の発展―74年にチベット全区で食糧自給が実現し,今年の食糧総生産量は74年比8%増となった。74年10の県が「要綱」の“黄河”を越え,今年もまた数県が「要綱」の規定した指標に達した。
DIA-104-1975-12-29-4中国1975年12月29日1970年代東チモール政府代表団が訪中―1月2日まで。31日陳錫聯副総理が一行と会見した。
DIA-104-1975-12-30-1中国1975年12月30日1970年代遼寧,山東,湖南の食糧生産,「要綱」をこえる―遼寧省の今年の平均ムー当り食糧生産は420斤に達し,初めて「要綱」の指標を超過し,同省で食糧の自給化を実現した。全省13の市と地区(盟)のなかで,8市,地区の平均ムー当り食糧生産が“黄河”をこえ,69の県,旗(区)のなかで2県が“長江”をこえ,34の県,旗が“黄河”をこえた。1970年から75年まで,遼寧全省の食糧総生産量は年平均16億斤の増産となったが,文革前には平均3億斤にすぎなかった。農業機械の方面では,1965年に比べ大・中型トラクターは6.9倍,ハンドトラクターは169倍,機械化耕作面績は3.5倍,排灌漑動力設備は12倍,農村用電力は4倍以上,ムー当り施肥料は10倍余となった。山東省では,今年の食糧生産が74年比10%以上の増加となり,平均ムー当り収量が初めて「要綱」の指標に達した。 湖南省では,今年の食糧生産が74年比6.5%増となり,平均ムー当り収量が800斤で,初めて「要綱」の指標をこえた。1964年に同省の水稲2期作面績はわずか1,100万ムーであったが,ここ数年,毎年3,000万ムー以上を維持しており,麦―稲―稲,ナタネ―稲―稲の三毛作面績は次第に拡大している。
DIA-104-1975-12-30-2中国1975年12月30日1970年代張春橋政治局常委がさいきんエクアドルML共産党中央委代表団と会見。
DIA-104-1975-12-30-3中国1975年12月30日1970年代新華社記者論評,「国際経済関係における一大変革」―第3世界は反覇権闘争の成果を収める中で,さらに新らしい経済関係を建設するという,より深化した段階入った,と評価。
DIA-104-1975-12-31-1中国1975年12月31日1970年代今年の農業生産はまた全面豊作―13年連続豊作の基礎のうえに,今年の食糧生産は74年を大はばに上まわり,新たな歴史的水準に達した。油料作物,砂糖,タバコ,麻類,茶も増産で,綿花も好成績を収めた。今年,各地でおこった自然災害は近来まれなものであったが,全国で20の省,市,自治区が豊作となり,全国の半分以上の地区の食糧総生産が新たな歴史的水準に達した。 北京,天津,上海,広東,江蘇,浙江を含む9省,市で食糧のムー当り収量が「要綱」に達した。 全国で過去5年間年平均,灌漑面績を2,400万ムー,冠水しやすい農地の改良を2,000余万ムー,整地と深耕農地1億余ムー,水利修理・段々畑の整地化を1,000余万ムーそれぞれ増加させている。
DIA-104-1975-12-31-2中国1975年12月31日1970年代毛主席,ニクソン前米大統領の令嬢夫妻と会見一夫妻は28日に北京入りした。毛主席はニクソン氏の訪中を歓迎するとのべた。
DIA-104-1975-12-31-3中国1975年12月31日1970年代シアヌーク親王夫妻が帰国―アジア・アフリカ・ヨーロッパの諸国訪門後,26日北京入りしていた。
DIA-104-1975-12-31-4中国1975年12月31日1970年代喬冠華外交部長,米議会婦人議員訪中団一行と会見。
DIA-104-1975-12-31-5中国1975年12月31日1970年代人民日報,雅飛「石油戦略は実にすばらしい」―石油輸出国の団結により価格引上げをかちとったこと,第3世界内部の協力を強化したこと,第2世界と覇権国の矛盾を激化させたこと,などを評価。
DIA-104-1976-01-01-1中国1976年01月01日1970年代人民日報,毛主席の二つの詞を発表―1965年5月の「ふたたび井岡山にのぼる」,及び同年秋の「鳥の問答」。
DIA-104-1976-01-01-2中国1976年01月01日1970年代3紙誌共同社説,「世に難きことなし,ただあえて登攀を要するのみ」―(要点) 毛主席は最近またも「安定と団結をはかるということは階級闘争をやらないということではない。階級闘争は網の統べ縄であり,その他はいずれも網の目である」と教えている。 教育戦線における大弁論は各級の党委員会の指導のもとにおこない,戦闘隊を組織しない。
DIA-104-1976-01-01-3中国1976年01月01日1970年代3紙誌共同社説,新5ヵ年計画開始を宣言―農業面では「農業は大寨に学ぶ」大衆運動がさかんにすすめられ,中国農業は14年間連続の豊作を収めたこと,工業面では,「工業は大慶に学ぶ」大衆運動が深く発展し,独立自主,自力更生の精神が一層発揚され工業生産は新たな水準に達したこと,第4次5ヵ年計画に定められた工業・農業の生産総額の目標はりっぱに完成されたこと,1976年は第5次5ヵ年計画を実行する最初の年であること,などを強調。
DIA-104-1976-01-01-4中国1976年01月01日1970年代ポルトガル軍,マカオから完全に撤退。
DIA-104-1976-01-01-5中国1976年01月01日1970年代三木首相年頭記者会見で今年こそ日中平和友好条約を締結する,とのべる。
DIA-104-1976-01-02-1中国1976年01月02日1970年代文革は中国の科学技術の発展を促進―各地の科学研究単位は,新5ヵ年計画の開始にあたり,関係指導部門に今後の活動計画を報告。特質は科学研究が生産労働と結びつき,社会と直結するに至ったことである。新しい技術として定向爆破による農地造成,鉛精錬の残滓からのニッケル・クロムの抽出・分離法の考案,地下ガス漏れの地上での探知装置の考案などがある。 地震の予知の発達,農作物の品種改良と害虫防除も成果をあげており,1975年にはチヨモランマ峰の綜合調査に成功した。
DIA-104-1976-01-02-2中国1976年01月02日1970年代新華社記者論評,「ソ連社会帝国主義はもっとも危険な戦争の策源地である」(光明日報3日)
DIA-104-1976-01-02-3中国1976年01月02日1970年代鄧小平副総理,米婦人議員団12人と会見―「アメリカはソ連の軍拡に無警戒」と指摘。
DIA-104-1976-01-02-4中国1976年01月02日1970年代三木首相,河野参院議長会談,日中条約を総選挙前に締結することに努力で一致。
DIA-104-1976-01-04-1中国1976年01月04日1970年代吉林省に吉林前郭化学肥料工場完成―元旦に正式操業開始,生産能力は合成アンモニア年産5万トン,尿素年産8万トン。
DIA-104-1976-01-04-2中国1976年01月04日1970年代雲南省で小型炭鉱が急速に発展―小型の炭鉱,炭坑は現在2600余に増え,総出炭量の半分以上を占めている。同省の小型炭鉱は5年間で出炭量を倍化させ,1971年以来年平均20%増加させている。昨年の出炭計画は30日くり上げて達成された。
DIA-104-1976-01-04-3中国1976年01月04日1970年代広州市の工業総生産高は昨年,対前年比13%増加。(中国新聞社)
DIA-104-1976-01-05-1中国1976年01月05日1970年代大港油田,5ヵ年計画を超過達成―昨年の原油生産量は前年比16%増となり,これは1970年の4.5倍に相当する。
DIA-104-1976-01-06-1中国1976年01月06日1970年代北京市,化学肥料を増産―昨年の生産計画を31日くりあげ達成し,生産量は前年同期を30%上回った。市の関係部門は大,中型の化肥工場を増設する一方,地区,県,人民公社の小型肥料工場の建設を援助した。小型肥料工場は文革前の2工場から現在24工場に増えた。うちリン酸肥料工場は14県,地区のうち13県,地区に設けられている。
DIA-104-1976-01-06-2中国1976年01月06日1970年代寧夏の電力工業急速に発展―昨年は65年比で発電機総出力が8.26倍,高圧送電線が4倍余にのび,現在の1ヵ月発電量は65年の年間発電量に等しい。
DIA-104-1976-01-06-3中国1976年01月06日1970年代内蒙古自治区でこのほど烏拉山火力発電所が完成・操業―出力10万kW,同自治区が自力で設計,施工。
DIA-104-1976-01-07-1中国1976年01月07日1970年代昨年11月26日に打ち上げた人工衛星を予定通り回収―中国は70年代に入ってすでに5つの人工衛星打ち上げに成功している。将来有人衛星の打上げを示唆。(光明日報)
DIA-104-1976-01-07-2中国1976年01月07日1970年代新彊で150余万人,チベットで40万人が農地,牧場基本建設に参加―新彊では約200万ムーの耕地を平らに整地した。(香港文匯報)
DIA-104-1976-01-07-3中国1976年01月07日1970年代「中朝友好送油管」がこのほど完成―中国政府代表団の出席のもとに北朝鮮現地でこの日完工式がおこなわれた。
DIA-104-1976-01-07-4中国1976年01月07日1970年代国際石油・日中石油輸入協が51年度の中国原油輸入量を600万トン(前年の25%減)と中国側に通告。
DIA-104-1976-01-08-1中国1976年01月08日1970年代周恩来総理死去―ガンのため北京で逝去。享年78歳。同日中共中央・全人代常委・国務院の訃告,葬儀委員会の名簿が発表された。10,11日北京病院で遺体との告別がおこなわれ,1万余人が別れをつげ,11日八宝山にて火葬にふされた。12日から14日まで労働人民文化宮で4万人の参加する弔問式がおこなわれた。15日午後,人民大会堂で追悼大会がおこなわれ,全国で半旗をかかげた。王洪文副主席が開会を宣し,郵小平副総理が弔辞をのべた。周総理の骨灰は生前の遺言にしたがって全国の山河にまかれた。
DIA-104-1976-01-08-2中国1976年01月08日1970年代昨年の木材生産計画は10日くりあげ達成された。
DIA-104-1976-01-08-3中国1976年01月08日1970年代寧夏で中国初の機械化塩場,吉蘭太製塩場が完成―吉蘭太塩地は120平方kmあり,同製塩場は改造過程で1967年以来合計280万トン余の原塩を生産した。
DIA-104-1976-01-08-4中国1976年01月08日1970年代周総総理逝去で,三木首相は中国大使館に弔問―9日,外国元首の弔問訪中謝辞の中国側の意向で訪中を断念。
DIA-104-1976-01-08-5中国1976年01月08日1970年代李先念副総理,久野忠治代議士(愛知県友好のつばさ顧問)と会見。
DIA-104-1976-01-10-1中国1976年01月10日1970年代宮沢外相グロムイコ・ソ連外相と会談―ソ連側は,中国の外交姿勢が日ソ関係を複雑にしている,「覇権反対」に応じることはソ連にホコ先を向ける中国に乗じられることになる,主張。
DIA-104-1976-01-11-1中国1976年01月11日1970年代フィリピン駐中大使が着任。
DIA-104-1976-01-12-1中国1976年01月12日1970年代黒竜江省電力建設部門,4ヵ月で10万kW発電機2基を据え付け―ハルビン火力発電所と新華発電所に据えつけられ,昨年末発電を開始した。
DIA-104-1976-01-12-2中国1976年01月12日1970年代秦皇島港の雑貨専用埠頭完成―3万5000トンの貨物船2隻が同時に停泊可能,1974年初めに着工。
DIA-104-1976-01-12-3中国1976年01月12日1970年代社会党日中特別委員会訪中団が北京入り―14日,一行は張香山氏と会見,21日,紀登奎副総理と会見,22日に帰国。
DIA-104-1976-01-12-4中国1976年01月12日1970年代通産省,中国原油長期輸入協定で日中経済協会および関連業界と話し合い―5年後の輸入数量を1500万トンプラスアルファとすることで一致。
DIA-104-1976-01-13-1中国1976年01月13日1970年代中国,ミサイル原潜の建造に力を入れる―ソ連領に向けられている70~80の核弾頭ミサイルはソ連からの攻撃に弱いため,その展開のペースを下げ,代って潜水艦発射ミサイルに重点を移している。最高4隻の原潜を建造中とみられる。「クリスチャン・サイエンス・モニター」紙
DIA-104-1976-01-13-2中国1976年01月13日1970年代エクアドル・ML主義共産党中央委員会代表団が最近訪中。(北京周報)
DIA-104-1976-01-13-3中国1976年01月13日1970年代グロムイコ外相記者会見で中国は日本にソ連敵視を押しつけ日本(の進路)を曲げようとしている,と中国を非難。
DIA-104-1976-01-13-4中国1976年01月13日1970年代三木首相,ソ連の意向に影響されずに日中条約締結を急ぐ,と語る―外人記者クラブで。
DIA-104-1976-01-14-1中国1976年01月14日1970年代周総理の弔問式,中国大使館でおこなわれる。
DIA-104-1976-01-15-1中国1976年01月15日1970年代朱徳委員長,ラザク・マレーシア首相の逝去に弔電を送る。
DIA-104-1976-01-16-1中国1976年01月16日1970年代プラウダ,アレクサンドロフ論文,毛沢東とその手先を攻撃,「中国の真の愛国者」に期待を表明。
DIA-104-1976-01-16-2中国1976年01月16日1970年代光明日報,新華社記者論評「何が問題の本質か」―三木首相が日ソ善隣友好条約の構想に否定的反応を示し,「欧州安保のアジア版は通用しない」との態度をとったことを評価。
DIA-104-1976-01-17-1中国1976年01月17日1970年代首都鉄鋼公司は一つの完備した鉄鋼コンビナートとなった―74の鉱山と工場を持ち,採鉱から圧延までの一連の生産能力を構えるに至った。鋼材の品種は1万余種にのぼる。1970年にくらべ,1975年の鉄鉱石生産量は3倍余増加,銑鉄と鋼生産量は50%,鋼材生産量は25%増加した。(香港文匯報)
DIA-104-1976-01-17-2中国1976年01月17日1970年代人民日報,董方論文「覇権外交の醜悪な演技」―グロムイコ・ソ連外相訪日の分析。
DIA-104-1976-01-18-1中国1976年01月18日1970年代山東省煙台地区の農地基本建設―昨年の収穫後全区で51万ムーの大寨型農地を新たに造成,6498項目の大小水利工事のうち,すでに2900を完工した。全区の耕地の57%が高水準の大寨型農地に改造された。(人民日報)
DIA-104-1976-01-18-2中国1976年01月18日1970年代山西省で農地基本建設進む―昨秋から年末までに380余万ムーを整地し,140余万ムーの大塞型耕地を新たに造成し,かつてない成績をおさめた。(人民日報)
DIA-104-1976-01-18-3中国1976年01月18日1970年代葉剣英,韓念竜,李達,ボー・グエン・ザップ氏と会見。
DIA-104-1976-01-18-4中国1976年01月18日1970年代日中経済協会訪中代表団,北京入り―稲山会長を団長とし,19日,王耀庭国貿促主任と会見,20日,対外貿易部にて劉希文氏と会談,21日には李強対外貿易部長,谷牧副総理と会見,22日帰国。
DIA-104-1976-01-19-1中国1976年01月19日1970年代大中都市郊外区で養魚事業が発展―1974年,全国136の都市は560万ムーの水面を有し,養魚面積は335万ムーに達し,すでに10万ムーの安定・高生産養魚池が建設され,養魚生産量は1億0500万トンに増えた。1975年には養魚池面積と生産量はさらに増大している。
DIA-104-1976-01-19-2中国1976年01月19日1970年代広東省の果物生産は昨年史上最高水準に―ミカン,パイン,バナナの生産量は,前年比でそれぞれ29%,40%,54%増を記録した。(中国新聞社)
DIA-104-1976-01-19-3中国1976年01月19日1970年代三木首相,宮沢外相会談,日中条約交渉は中国側の出方を見守ることで意見が一致。
DIA-104-1976-01-20-1中国1976年01月20日1970年代山東省の電力網が基本的に完成―解放前13しかなかった発電所が現在は70余に増加し,発電設備容量は文革前の3.3倍に相当する。以前になかった35kV以上の発電線は8600余kmに達している。国産12万kW発電ユニットが使用され,省内で設計・製造した5万kWの発電ユニットが使われている。(中国新聞社)
DIA-104-1976-01-20-2中国1976年01月20日1970年代広東省の湛江港,入・出荷量が5年で倍増―同港は第4次5ヵ年計画期間中,中国初の5万トン級石油埠頭と2つの1万トン級以上の埠頭などを新設した。入・出荷量は年平均17.1%増加した。(中国新聞社)
DIA-104-1976-01-20-3中国1976年01月20日1970年代日中経済協会訪中団の稲山団長,中国原油長期輸入協定の日本案を中国側へ提示―骨子は①52年度を初年度とし,②期間は10年ないし5年とする,③56年度の輸入数量は1500万トン,プラスアルファとする,というもの。
DIA-104-1976-01-20-4中国1976年01月20日1970年代50年度下期対中肥料交渉妥結,北京で調印。
DIA-104-1976-01-21-1中国1976年01月21日1970年代人民日報評論員,「火あそびをする者は必ず自からを焼く」―ソ連・キューバ連合部隊がアンゴラからザイール側を攻撃した事件を論評。
DIA-104-1976-01-22-1中国1976年01月22日1970年代党中央,中央軍委の「春節期間に擁軍優属,擁政愛民運動を広範に展開することに関する指示」発出。
DIA-104-1976-01-22-2中国1976年01月22日1970年代75年度全国食糧徴収・買い付け計画をくり上げ超過達成―1月5日までにくりあげ超過達成された。入庫量は前年同期比で8%増。遼寧省では食糧の単位面積あたり収量は「要綱」の指標を上まわり,省内の食糧自給を達成。5日現在,同省の食糧入庫量は前年同期より22%増加した。黒竜江省,吉林省では昨年12月上旬,中旬に計画を超過達成し,1月5日現在両省の食糧入庫量は前年同期より,それぞれ18%,16%増加した。山東省の75年までの達成量は74年より20%以上増加。華東,中南,西南地区のほとんどの省,自治区でも目下入庫している食糧はすべて昨年同期より増えている。
DIA-104-1976-01-22-3中国1976年01月22日1970年代広東省の昨年の工業総生産額は前年比15.19%増―国家計画は20日くり上げて達成された。50種以上の工業生産物の生産量が大幅にのびた中で,鋼や原炭など10数種は史上最高記録を示した。(中国新聞社)
DIA-104-1976-01-23-1中国1976年01月23日1970年代中国が新たな核実験に成功―西部地区上空で。
DIA-104-1976-01-23-2中国1976年01月23日1970年代遼寧省の軽工業,農業と重工業を促進―1975年の同省の軽工業生産高は65年の2.3倍に増えた。ミシンや自転車など13種の製品の生産量は65年の2倍から数10倍に増え,軽工業の発展は農業と重工業に大量の資金,生活・生産手段を提供している。1975年の同省の農業生産総額は65年より50%増加し,食糧生産総額は60%増加し,食糧自給をはじめて達成した。重工業も生産額が65年の2.3倍となり,農・軽・重の全面的発展を実現した。
DIA-104-1976-01-23-3中国1976年01月23日1970年代雲南省は四通八達の交通網を建設―鉄道・道路は解放前の2700kmから4万余km,すなわち13.5倍に伸び,86%の人民公杜,48.5%の生産大隊を通過している。全省の貨物輸送量,旅客輸送量はそれぞれ解放前の238倍,616倍になった。県が建設した地方交通網は2万2000余kmで解放前の8倍に達する。(人民日報)
DIA-104-1976-01-23-4中国1976年01月23日1970年代中国外交団9人がバングラデシュ入り。
DIA-104-1976-01-23-5中国1976年01月23日1970年代北京―プノンペン空路開設,隔週1便。
DIA-104-1976-01-23-6中国1976年01月23日1970年代ソ連のテレビ,周総理を健全な理性の持ち主,中国革命に貢献,とはじめて積極的に評価。
DIA-104-1976-01-23-7中国1976年01月23日1970年代電源開発,一般炭の本格輸入に関し交渉をおこなうことで中国側と合意したと発表。3月に調査団を派遣の予定。
DIA-104-1976-01-24-1中国1976年01月24日1970年代株洲市,工場・企業を組織し,計画的に農業を支援―1973年以来湖南省株洲市は1万2000名の知識青年を420余の人民公社,生産大隊,農場,牧場,茶園に配置した。1975年末には郊外区の公社,大隊の企業は1600余に発展,72年の2倍近くになり,75年の社,隊企業総生産額は74年比44%の増加を示し,同市のムー当り平均食糧生産量ははじめて1000斤をこえた。308の生産大隊に電気がひかれた。これは72年の2.7倍である。
DIA-104-1976-01-24-2中国1976年01月24日1970年代広東省の鉄鋼生産,5年間毎年20%の高度成長―75年の全省の鋼生産量は65年の5倍余,鋼材の規格も1100余に達している。文革前30余県が70余の鉄鋼企業を経営しているにすぎなかったが,現在80余の県が230余の鉄鋼企業を経営している。(香港文匯報)
DIA-104-1976-01-25-1中国1976年01月25日1970年代毛主席,朱徳委員長,ル―マニア共産党のエミル・ボドナラシュ常任幹部会員の逝去に弔電。
DIA-104-1976-01-25-2中国1976年01月25日1970年代張春橋政治局員,ビルマ共産党議長と会見―耿,申健らが同席。
DIA-104-1976-01-26-1中国1976年01月26日1970年代清華大学に大字報参観に来た人数20余万人に達す。
DIA-104-1976-01-26-2中国1976年01月26日1970年代都市・農村の預貯金,大幅に増加―75年の預貯金は65年の2.3倍に伸びた。75年は農村公社員の預貯金の伸びが建国以来最大の年であった。都市の預貯金家庭は3分の1増え,北京,上海,天津の3市だけでも65万戸増えた。75年1年間の預貯金増加額は65年より50%以上伸びた。
DIA-104-1976-01-26-3中国1976年01月26日1970年代山西省の石炭工業の発展―中国最大の石炭基地である同省の1975年の石炭生産量は,1965年の90%以上,1970年の43.9%増となっている。1974年末にすでに5ヵ年計画指標を超えた。解放前の年間生産量は200万トンにすぎなかった。1800の小炭鉱があり,昨年の全省総出炭量の40%を占め,国家のために700万トンを生産した。
DIA-104-1976-01-26-4中国1976年01月26日1970年代空軍の国家建設支援―空軍運輸航空兵部隊は1年に4000機以上を飛ばして物資空輸や人工降雨などで国家建設を支援している。(香港文匯報)
DIA-104-1976-01-26-5中国1976年01月26日1970年代広州市の小型化学肥料工場―同市は現在10の小型化学肥料工場を建設し,さらにひき続き新たな工場を建設しつつある。これらの小型化学肥料工場は全市の化学肥料生産量の40%を生産している。(中国新聞社)
DIA-104-1976-01-27-1中国1976年01月27日1970年代北京大学で教育界の奇談怪論題目別批判全校大会開く。
DIA-104-1976-01-27-2中国1976年01月27日1970年代中国の核戦力に対する米国防省の分析―中国の戦略兵器開発は過去1年間ひき続きゆっくりしたペースだった。中国は実戦段階の長距離爆撃機,潜水艦発射弾道弾(SLBM),米本土に到達するICBMのいずれも持っていない。しかし,人工衛星を打ち上げるため,射程のより長いミサイルの発射に成功した。米本土に達する攻撃能力を開発するには数年かかるもようである。 中国はソ連及び若干の近隣東アジア諸国に対して50ないし100機の爆撃機,SRBM,MRBM,IRBMからなる控えめな地域的核能力を持つ。(共同)
DIA-104-1976-01-27-3中国1976年01月27日1970年代人民日報,任谷平論文「新しい世界大戦の主な危険はどこから来るか」―主な危険はソ連から,とし,その原因として①制度自体,②帝国主義の政治経済発展の不均衡,③老ツアーの伝統を継承,発揚していること,をあげる。
DIA-104-1976-01-28-1中国1976年01月28日1970年代人民日報,梁効論文「林彪の投降主義を評す」―林彪は朝鮮戦争参戦に反対した,林彪の階級投降主義と民族投降主義は一体である,などの点を強調。
DIA-104-1976-01-28-2中国1976年01月28日1970年代遼寧省で最近450余人を集めて全省科学技術工作会議開く。
DIA-104-1976-01-28-3中国1976年01月28日1970年代北京市商業部門,旧正月市場に商品を多く供給―昨年第4四半期以来市場に出たミシンなど主要商品は前年同期より10.8%から50%増加している。少数民族の特需商品も前年同期より3分の1から2倍増加している。
DIA-104-1976-01-29-1中国1976年01月29日1970年代中国・ルーマニア,北京で1976~80長期貿易協定および1976年度バーター貿易支払協定に調印―この日華国鋒副総理がルーマニア政府貿易代表団一行と会見。
DIA-104-1976-01-29-2中国1976年01月29日1970年代柳谷外務省情報文化局長,中国の核実験に抗議の談話を発表。
DIA-104-1976-01-30-1中国1976年01月30日1970年代野口通産省生活産業局長,中国側と絹貿易に関し1年間の取り決め締結に努力することで合意したと語る。
DIA-104-1976-01-31-1中国1976年01月31日1970年代「紅旗」2号,北京大学・清華大学大批判組論文「科学技術界での右からのまきかえしに反撃する」―要点。教育界,科学技術界の右からのまきかえしは同工異曲,ひとつの源から出たもので,深く考えさせるものである。それは毛主席の革命路線に対抗する修正主義路線が存在することを示しており,その手段は「折衷主義」である。
DIA-104-1976-02-02-1中国1976年02月02日1970年代山西晋城県東溝人民公社化工工場で,世界先進水準の除草剤「シマジン」の試作に成功―すでに年産50tに達している。haあたり3~5.22kgで充分であり,除草効果は2年保つ。
DIA-104-1976-02-02-2中国1976年02月02日1970年代漢江に発電所と水利施設が完成―漢江は全長1500余キロの重要河川であり,上流では丹江水利センターの第一期工事が完成した。現在上流には貯水量200億㎡余の大型ダム四つと,総出力120万kWにのぼる水力発電所,丹江口水利センターの一部である二つの頭首工程,清泉水路トンネル,排子河水路橋および陶岔電力灌漑ステーションなどの大型施設がある。下流では1956年に建設された杜家台分洪施設についで,北岸に全長110余kmの漢北河排水灌漑施設が堀らたれ。目下石門発電所を除いてその他の工事はすべて完工した。
DIA-104-1976-02-03-1中国1976年02月03日1970年代モスクワテレビ,反中国映画,「恐怖の壁の彼方に」を放映。
DIA-104-1976-02-03-2中国1976年02月03日1970年代新彊西北部アクチ県の民兵は度重なるソ連武装要員の侵入を撃退した。(北京放送・AFP)
DIA-104-1976-02-04-1中国1976年02月04日1970年代大寨人民公社に5・7農業大学を設立―75年9月に5・7農業技術学校を基礎に設立したもの。学生は30人。専任教師4人,兼任教師16人。独自に2.6haの耕地を造成し教学基地としている。
DIA-104-1976-02-04-2中国1976年02月04日1970年代江蘇省,90%以上の県,市に農業科学研究所を設立―65%以上の人民公社と50%以上の生産大隊,生産隊に農業科学ステーション,隊,組が作られ,県,公社,大隊,隊の4級農業科学実験網の隊列はすでに120万人に達した。28の県と570余の人民公社では,4級農業科学実験網と結びつけて農業技術学校を開設し,中核4万人近くを養成し,各種短期学習班に参加した人員はのべ83万人に達した。この結果南部沿岸地区で3毛作が,徐准地区では畑から水田への転換が進んだ。下放知識青年の5~6万人が農業科学実験活動に直接参加しており,省農業科学研究所は農村に4つの総合ステーション,15の専門ステーション,300余の連絡ステーシヨンを作り,研究の重点を農業生産の第一線に置くことを堅持している。
DIA-104-1976-02-04-3中国1976年02月04日1970年代人民日報社説,「ソ修の植民地主義的拡張の大暴露」―アンゴラの当面の事態は,戦後のアフリカ民族解放運動史上かつてない重大な事件である,と指摘。また「ソ修という超大国の干渉と介入を排除しさえすれば,アンゴラ各派のあいだの意見の相違,アフリカ諸国間の意見のくいちがいを含むその他の矛盾はいずれも容易に妥当な解決をみることができる」と結論づけている。
DIA-104-1976-02-05-1中国1976年02月05日1970年代湖北省の労働者大学455校に発展―昨年末現在,74年には20校であった。
DIA-104-1976-02-05-2中国1976年02月05日1970年代安徽省准南発電所の12万5000kW二重水冷式発電機が発電開始―昨年12月23日から。
DIA-104-1976-02-05-3中国1976年02月05日1970年代安徽省准北鉱務局の石台炭鉱が生産を開始―年産60万トンの中型鉱山。埋蔵量が豊富で炭質が良く,80%が主にコークス用炭である。
DIA-104-1976-02-05-4中国1976年02月05日1970年代広東省闘門県の平沙国営農場が自力更生で1日2000トンのサトウキビを搾る近代的な製糖工場を建設,昨年末操業に入った。これまで850トンを搾る製糖工場しかなかった。
DIA-104-1976-02-05-5中国1976年02月05日1970年代日本駐中大使館秋山公使,中日外務省アジア局長王暁雲氏に口頭で中国の核実験に抗議する旨伝達。
DIA-104-1976-02-06-1中国1976年02月06日1970年代人民日報記者,「プロ文革の継続と深化:清華:大学の教育革命大弁論が風波の中で前進するのを見る」―要点。構内には「走資派はまだ歩みつづけている」,投降派はたしかにいる,という大字報がはられている。偉大な指導者毛主席は当面の階級闘争の動向を察し,時を移さず戦機をつかみ,みずからこの革命大弁論を発動した。この右からのまきかえしの風の源はどこにあるのか?それは党内のあれらの劉少奇,林彪の修正主義路線を堅持し,今に至るも悔い改めない走資派である。
DIA-104-1976-02-06-2中国1976年02月06日1970年代中国政府公告,2月21日ニクソン米前大統領夫妻の訪中を発表。
DIA-104-1976-02-07-1中国1976年02月07日1970年代華国鋒氏,総理代理としてはじめてベネズェラ大使と会見。
DIA-104-1976-02-07-2中国1976年02月07日1970年代雲南省の地方小型炭鉱が大いに発展―同省には2600余の小型炭鉱,炭抗が存在し,原炭生産量は1971年以来年平均20%増大している。現在の日産量は51年の年産量より多い。
DIA-104-1976-02-07-3中国1976年02月07日1970年代華国鋒総理代理,ベネズエラ大使と会見―喬冠華外交部長が同席。
DIA-104-1976-02-07-4中国1976年02月07日1970年代朝鮮武官主催の朝鮮人民軍28周年レセプションに中国側は徐向前,楊成武ら軍首脳が出席。
DIA-104-1976-02-07-5中国1976年02月07日1970年代中国大使館の抗議により,文学座が初日に「夢・桃中軒雲衛門の」のポスター,チラシを回収。
DIA-104-1976-02-08-1中国1976年02月08日1970年代河北,河南,山東の農地基本建設進む―昨年10月から12月までに大小の水利施設20万余が完成,これにより40万haが灌漑できるようになった。この間3省で93万haの整地と,253万haの深耕がおこなわれた。河北省には9000余の掘削隊があり,この数年毎年8万から9万の動力井戸が堀られている。
DIA-104-1976-02-09-1中国1976年02月09日1970年代漸江省嘉興県に「はだしの医者」大学設立―本校と二つの分校からなり,第一期学生は127人。半年学んでもとの単位に戻る。
DIA-104-1976-02-09-2中国1976年02月09日1970年代上海の鉄鋼生産,第4次5ヵ年計画中に大幅に伸びる―新製鋼所,新製鋼職場を一つも増やさずに,技術革新・改造,潜在力発掘によって鋼の平均年産量は前期5ヵ年計画のそれより100万トン余増え,鋼材も年間100万トン近く増えた。75年末現在,上海では1300種余りの鋼と4000余品種,2万余規格の鋼材を生産できるようになった。上海の冶金工業が国家のために蓄積した資金は前期5ヵ年計画のそれを59.3%上回った。
DIA-104-1976-02-09-3中国1976年02月09日1970年代全国1万の人民公社で家畜疾病協同予防治療制度を実施―広東,広西,湖北,湖南,江西の各省,自治区では60%以上の人民公社が参加。一定額の費用を徴収し,人民公社牧畜獣医ステーションを設立,大家畜と豚の防疫,治療,投薬,去勢を請負う。
DIA-104-1976-02-09-4中国1976年02月09日1970年代チベットの江孜実験農場で昨年冬小麦ムー当り1610斤の最高記録をあげる―同農場は海抜4040m,1974年秋に5.25ムーに冬小麦を植え,1.8ムーでムー平均1610斤,3.465ムーでムー平均1528斤を収穫した。
DIA-104-1976-02-09-5中国1976年02月09日1970年代浙江省の食糧生産ムー当り平均1000斤を超過―同省はこの5年来全省の食糧生産がムー当り平均1000斤を超過,この5年間の総生産量はその前の5年よりも17%増加し,農業総生産額では68.5%増加した。また同省の電力排水灌漑設備の総動力は5年以前より30%増え,全省のダム貯水量は80%の耕地を灌漑でき,60%の水田を日照にも多雨にも耐えられるようにした。75年の全省の農業機械動力は70年の2倍以上となり,大中型トラクターは4倍余に増え,ハンド・トラクタ―は8倍に,機械による耕作面積は3.4倍に増え,農業副産物の加工も基本的に機械化された。(中国新聞社)
DIA-104-1976-02-09-6中国1976年02月09日1970年代寧夏の原炭生産量は1965年の2.4倍に―75年の原炭と精錬炭の生産量は74年よりそれぞれ26.5%,24%増加し,史上最高を記録した。(人民日報)
DIA-104-1976-02-09-7中国1976年02月09日1970年代福建省は5年で5000kmの道路を延長し,97%の公社と60%の大隊に自動車が入るようになった―1975年の自動車,汽船の運輸量は1970年よりそれぞれ48%,41%増加した。(人民日報)
DIA-104-1976-02-09-8中国1976年02月09日1970年代オーストラリア共産党(ML)のヒル議長・ブル副議長が訪中―10日張春橋,紀登奎,耿ら首脳が会見招宴,25日王洪文,張春橋,紀登奎が一行と会見,一行は北京,海南島を訪問したのち26日,帰国の途についた。
DIA-104-1976-02-10-1中国1976年02月10日1970年代山西省の石炭工業は,1月の出炭計画を4日くりあげ達成し,100万トンを超過生産した。
DIA-104-1976-02-10-2中国1976年02月10日1970年代広東省文昌県,豚一人一頭,1ムー1頭を実現―1975年1月から11月までに40万7500頭を飼育した。これは前年同期より32%多い。(人民日報)
DIA-104-1976-02-10-3中国1976年02月10日1970年代山東省陵県,養豚1戸平均2.54頭を実現―75年の養豚量は前年より80%増加した。(人民日報)
DIA-104-1976-02-10-4中国1976年02月10日1970年代人民日報短評,「団結して旧きをこわし,新しきをうち立てよう」―2日からマニラで開かれた途上国77ヵ国第3回閣僚会議の成果を評価。
DIA-104-1976-02-11-1中国1976年02月11日1970年代中国のフィルム工業が大きく発展―現在10省・市にフィルム工業がうち立てられ,昨年の映画用フィルム生産量は1965年の6倍にのびた。うちカラー・フィルムは54%を占めた。解放前にこの産業は存在せず,文革前には白黒フィルム生産工場が3工場しかなく,90%以上は輸入にたよっていた。現在,フィルム製造に必要な設備,原料,材料もすべて生産できる。技術問題を解決するために数十の単位,1000名にのぼる科学技術者からなる難関攻略会議が組織された。転染法カラー・フィルムもこうして生れた。
DIA-104-1976-02-11-2中国1976年02月11日1970年代西独キ民主同盟役員,ジャーナリストが訪中―19日,華国鋒総理代理が一行と会見。
DIA-104-1976-02-11-3中国1976年02月11日1970年代日中友好脇会(正統)活動家訪中代表団が訪中―12日,張香山,林麗,孫平化,王暁雲らが歓迎宴を催す。19日,挑文元政治局員が一行と会見,廖承志,張香山が同席,一行は27日に帰国。
DIA-104-1976-02-12-1中国1976年02月12日1970年代西安,内陸最大の時計工業基地となる―西安地区には二つの腕時計工業,二つの時計部品工場及び時計工業研究所がある。製品は21省・市の70余の単位に供給されている。1972年から75年まで年間総生産量が平均31%ずつ増大し,品質も向上している。(中国新聞社)
DIA-104-1976-02-12-2中国1976年02月12日1970年代新彊カルカス族民兵は最近ソ連のギルギスに接する阿合奇で侵入者を撃退―新華社通信,香港ロイター。13日タス通信は新彊地区での中ソ対立はデッチあげ,と言明。
DIA-104-1976-02-13-1中国1976年02月13日1970年代人民日報,李成論文「批孔を継続しよう」。
DIA-104-1976-02-13-2中国1976年02月13日1970年代西沙漁場で春の豊漁―1月漁獲量は前年同期の3倍余に。75年全年の海産物捕獲量は74年の4倍余に増加した。
DIA-104-1976-02-13-3中国1976年02月13日1970年代陳楚大使が東京に帰任。
DIA-104-1976-02-14-1中国1976年02月14日1970年代中共遼寧省朝陽農学院委員会,「二つの教育路線の根本的な相違」―新しい農業大学のあり方として,労働者階級の指導の強化,農村への分散,「公社から来て公社にもどる」新農民の養成,プロレタリア階級の政治を優先させる,働らきながら学ぶこと,授業・科学研究,生産の「3結合」の体制,三大革命運動と一体化,広はんな大衆に奉仕すること,労農兵学生の役割を充分に発揮させること,プロレタリア的教師陣の確立,などを強調。(人民日報)
DIA-104-1976-02-15-1中国1976年02月15日1970年代陝西省,孟宗竹の造林に成功―これまでは南部にしか孟宗竹は存在していなかった。
DIA-104-1976-02-15-2中国1976年02月15日1970年代山西省武郷県の財貿部門の農業支援工作―75年10月以来,農業第一線に各種生産用具4万2000余個,総額32万6000元相当を供給,農地基本建設に4万3600元を貸しつけた。
DIA-104-1976-02-15-3中国1976年02月15日1970年代ザイール共和国政府代表団が訪中―18日華総理代理が代表団と会見,同団は19日北京をはなれた。
DIA-104-1976-02-16-1中国1976年02月16日1970年代華総理代理,モーリタニア大統領特使マルム氏と会見―同特使は14日から3日間中国を訪問した。
DIA-104-1976-02-17-1中国1976年02月17日1970年代人民日報記者,「資本主義復活が急所:北京大学の教師と学生の右からのまきかえし批判」―要点。問題は党内の悔い改めようとしない資本主義志向分子が毛主席の指示をゆがめて3つの指示を悪用し,資本主義復活を図った点にある。「整頓をカナメとする」というスローガンをうち出し,彼らは白黒を転倒させ何はばかることなく毛主席をはじめとする党中央を分裂させ,ほこ先を毛主席の革命路線に向けている。彼らが今後どのような行動をとるか見守ってゆく。
DIA-104-1976-02-17-2中国1976年02月17日1970年代広東省,第4次5ヵ年計画中に地方化学肥料生産で全国第1位に―75年ままでに県級以上の窒素工場120,燐酸肥料工場77,人民公社営のリン酸肥料工場358が設立され,基本的にどの県にも化肥工場があるようになった。75年の合成アンモニアの生産量は65年の40倍に,70年の4.4倍に増加した。(人民日報)
DIA-104-1976-02-17-3中国1976年02月17日1970年代山西省寿陽県の堆肥生産―現在同県で堆肥作りに総労働力の32%を投入しており,75年同期より積みあげらたれ堆肥は38%多い。養豚頭数は75年初頭より5倍増加,うち集団養豚は75年初頭の2700余頭から1万4400余頭に増え,養豚からの堆肥が全体の3分の1を占めている。(人民目報)
DIA-104-1976-02-17-4中国1976年02月17日1970年代宮沢外相,中国の右傾批判運動で,平和友好条約締結交渉の進展は困難,と示唆―閣議後の記者会見で。
DIA-104-1976-02-19-1中国1976年02月19日1970年代海南島の今冬春農地基本建設の成果―1月までに102万ムーを補修し,水利灌漉面積を8万ムー拡大,緑肥を育て132万ムー,75%以上の早稲の田に肥料を施した。(中国新聞社)
DIA-104-1976-02-19-2中国1976年02月19日1970年代新彊の大・中・小型工鉱業企業数900を超す―解放以前は10前後の炭鉱,塩田,皮革工場,メリケン粉工場があるだけだった。
DIA-104-1976-02-19-3中国1976年02月19日1970年代石油関係筋,中国が今月分の石油供給45万トンのうち20万トンをカットすると一方的に通告してきたことを明らかにする。
DIA-104-1976-02-20-1中国1976年02月20日1970年代劉新権駐ソ大使がポドゴルヌイ議長に離任のあいさつをおこなう―同大使は汽車で3月2日モスクワを離任。
DIA-104-1976-02-22-1中国1976年02月22日1970年代全国の発電設備生産,大幅に増加―75年には65年より7倍近く増加し,この5年間の生産量は49年から70年までの生産量の総和を超過した。文革前上海では2万5000kWの火力発電ユニットしか生産できなかったが,文革中に12万5000kW,30万kWの火力発電ユニットを生産しうるようになった。広東省,広西自治区の多くの県で小型水力発電設備を生産することができる。(中国新聞社)
DIA-104-1976-02-24-1中国1976年02月24日1970年代人民日報社説,「階級闘争に力を入れて春耕を促そう」―要点次の通り。「党内の二つの路線の闘争はいまだかつて止んだことはなかった。くい改めようとしない党内走資派が『三つの指示をカナメとする』と鼓吹したのは,社会主義という歴史的段階における主要な矛盾を否定し,資本主義を復活させようとしたことにほかならない。かれらは国民経済の発展をカナメの地位にまで引上げ,あたかも自分たちだけが国民経済の発展に関心を払っているようだが,実際,プロレタリア階級のブルジョア階級に対する階級闘争というこのカナメを捨て,党の基本路線を改ざんすれば,国民経済は横道にそれてしまう。「広範な貧農・下層中農は階級闘争と路線闘争の自覚を高め,革命のために田畑を耕すだけでなく,上部構造の領域における闘争・批判・改革に積極的に参加している。」
DIA-104-1976-02-24-2中国1976年02月24日1970年代文革と批林批孔は農業科学技術の発展を促す―土壌改良が進んでいる,たとえば1972年以来全国で改良されたアルカリ土壌は113万ha余に達している。現在25の省・市・自治区で程度の差こそあるが大衆的土壌一斉調査活動がおこなわれている。現在,全国で1000万人余りが4級科学実験網に参加している。
DIA-104-1976-02-24-3中国1976年02月24日1970年代工鉱業部門の植樹造林の成果―全国石炭部門は1966年から76年2月中旬までに坑木用に190万ムーの造林をおこない,さらに天然林を経営して,現在の緑化面積は30Q余万ムー,木材の蓄積量は430万㎡に達している。全国の道路緑化は22万km,鉄道緑化は1万5000kmに及んでいる。
DIA-104-1976-02-24-4中国1976年02月24日1970年代東京で中国向け鋼材輸出商談始まる。
DIA-104-1976-02-25-1中国1976年02月25日1970年代1976年度全国舞踊競技会が北京で閉幕―51の専門と業余チームが262の出しものを上演した。
DIA-104-1976-02-25-2中国1976年02月25日1970年代山東省梁山県の工場企業解放前のゼロから60余に発展―1975年,1500余種の製品を生産・全県の工業総生産高は65年の11倍増となり,前年比20%増となった。
DIA-104-1976-02-25-3中国1976年02月25日1970年代毛主席,ニクソン夫妻及び随員と会見―華国鋒,喬冠華,黄鎮,王海容,唐聞生・章含之が同席。ニクソン夫妻は中国政府の招きで2月21日訪中。22日華総理代理の主宰のもとに国務院が歓迎宴を催した。夫妻は桂林と広州を訪れ,29日帰国の途についた。
DIA-104-1976-02-25-4中国1976年02月25日1970年代人民日報,嘯楼論文「事態悪化の5年間」―副題,「ソ連修正主義第24回党大会から第25回大会まで」,ソ連の経済社会の全面的分析。
DIA-104-1976-02-25-5中国1976年02月25日1970年代政府,対中プラント輸出延払い金利7.5%以下を輸出承認制運用の弾力化により考慮と発表。
DIA-104-1976-02-26-1中国1976年02月26日1970年代北京大学構内に郵小平名ざし大字報あらわる。(AFP,ロイター)
DIA-104-1976-02-27-1中国1976年02月27日1970年代郭力第1機械工業部副部長(20日死去)の追悼会に李清水部長欠席。
DIA-104-1976-02-27-2中国1976年02月27日1970年代谷牧副総理,シリア政府経済代表団と会見。
DIA-104-1976-02-28-1中国1976年02月28日1970年代「2・28」蜂起29周年記念座談会開く―100余人が出席し,人民大会堂台湾の間で開かれ,陳錫〓,徐向前,烏蘭夫,アペイ・アワンジンメイ,周建人,許徳,胡厥文,パパラ・ジョレランチョン等が出席,許徳政協全国委員の司会で,廖承志,など各界人士と台湾省同胞代表15人が発言した。同日,広東,福建,上海,天津,武漢,旅大などでもそれぞれ座談会が開かれた
DIA-104-1976-02-29-1中国1976年02月29日1970年代人民日報,梁效・任明論文「“三つの指示をカナメとする”を許す」―要点。党内のあの悔い改めない走資派は階級闘争というこのカナメに一貫して反対してきた。老中青の3結合に反対し,青年幹部に対し「ヘリに乗ってきた」「一段一段昇ってこい」と非難した。彼らは文革のカタキをうとうとしている。
DIA-104-1976-02-29-2中国1976年02月29日1970年代広州市に周総理批判の大字報があらわれ,両派のなぐりあい起こる。(香港AFP)
DIA-104-1976-03-01-1中国1976年03月01日1970年代「紅旗」3号池恒論文,「ブルジョア民主派から走資派へ」
DIA-104-1976-03-01-2中国1976年03月01日1970年代同,初欄論文,「文芸革命を堅持して右からのまき返しに反撃する」―党内の悔い改めない走資派のいわゆる「整頓」命令のもと,旧文化部をもち上げ,「17年の文芸に対してあらためて評価しなければならぬ」と公然と叫ぶ者があらわれた,と批判をよびかけ。
DIA-104-1976-03-01-3中国1976年03月01日1970年代「紅旗」5号,宮効聞論文「企業管理における二つの路線の闘争」―「社会主義企業をりっぱにやるには,必らず企業の各項目の管理工作において,口先だけでなく真実労働者大衆を企業の主人として認め,彼らを信頼し,彼らに依拠しなければならない」,と強調。文革以降生れた労働者の企業管理参加の新しい経験として,次のものをあげた。 労働者は班・組の諸管理活動に参加するだけでなく,生産から離れない大衆代表を選出,派遣して3結合の各級指導グループに参加させ,企業の指導に直接参加させる。各種の形式の3結合グループを組織して,労働者を吸収して生産,技術,計画,財務などの面に参加させる。生産のなかで現れた問題については労働者調査組を組織して調査をおこない,解決策や意見を出させる。座談会,大字報,小評論などの形式を使って,労働者を立ち上らせ,企業の指導部が路線,政策を執行する面でかかえている問題に対して批判を出させ,効果のある革命的監督を実行させる,等々。
DIA-104-1976-03-01-4中国1976年03月01日1970年代ルクセンブルグ共産主義同盟代表団が訪中。
DIA-104-1976-03-02-1中国1976年03月02日1970年代清華大学当局者,日本書道家訪中団に「鄧小平は自己批判をしていない」と指摘。
DIA-104-1976-03-02-2中国1976年03月02日1970年代内モンゴル自治区で軽戦車や小型バスの通行できる防空壕が完成―帰国した西独議員の見聞による。(ロイター)
DIA-104-1976-03-02-3中国1976年03月02日1970年代全国曲技競演会が北京で開幕―76年文芸5部門の全国競演会の第2弾。
DIA-104-1976-03-02-4中国1976年03月02日1970年代日中石油輸入協,51年中国原油輸入量210万トンで合意,北京で調印。
DIA-104-1976-03-03-1中国1976年03月03日1970年代内蒙古,伊克昭盟オルドス高原の砂漠改造―150人の砂漠征服科学技術者は,大衆の経験を総括し,数万ムー,10数万ムーの移動沙漠を農場,牧場,林業基地にかえた。現在人工によって砂漠の奥深くに30万haの造林をおこない,植林面積は解放前の130余倍になっている。
DIA-104-1976-03-03-2中国1976年03月03日1970年代長江沿岸の港湾埠頭施設が大発展―解放後全長5800kmの沿岸には,24の大型港湾,150の小型停泊所ができ,約300の埠頭,3000の荷役設備が設けられた。現在,大型船1隻につき,70~80の機械設備が使用され,荷役作業は12時間以内に完了するようになった。現在,各港湾の荷役量は65年の倍になっている。沿岸の石油,石油化学工業の発展にともない,多くのタンカーが使用され,石油輸送量は1965年の12倍に達している。
DIA-104-1976-03-03-3中国1976年03月03日1970年代人民日報短評,「おどしに屈しない日本人民」―ソ共25回大会でブレジネフ書記長が,日本が「ソ連に対して根拠のない不法な要求を突きつけている。もちろん,こうしたことは善隣関係を維持する道ではない」と報告,日本におどしをかけたと指摘,これを非難。
DIA-104-1976-03-04-1中国1976年03月04日1970年代東北3省で春の耕作準備たけなわ―黒竜江省で完成した農地水利基本建設の工事量は7億5000万㎡に達し,昨年同期の2倍余に増え,農地の造成・改良面積は2800万ムー,掘らたれ大小の井戸は4000余本,新設の動力井戸は1万900余本,建設された小型ダム,貯水池は1700余に達した。遼寧省では300余万人が農業第一線で奮闘している。瀋陽市農業機械第一工場では播種機の製造を急ぎ,日産400台だったものを720台にまで増加させた。吉林省でも480余万人が春耕準備にとりかかっている。現在,同省の農地基本建設の土石量は13億㎡に達しており,前年同期の2.3倍に相当する。段々畑の造成,整地,冠水防止,土壌改良面積はいずれも前年同期の2倍以上となった。
DIA-104-1976-03-05-1中国1976年03月05日1970年代新華社記者報道,上海の企業管理の大きな変革―新たな経験として次の点をあげた。①工場における労働者の主人公としての地位を具体的に確立した。②奨励金による統卒や物質刺激を批判し,プロレタリアートの政治による統卒を堅持した。③労働者の手足をしばる過度に細分化された労働作業分担を打破し,各種形態の会戦と“一専多能”活動をくりひろげた,④労働者に対して管理,制限,抑圧をおこなう不合理な規則・制度に突撃し,必要かつ合理的な規則・制度をうち立てた。⑤機構の簡素化と科室要員の生産現場への下放を実行した。
DIA-104-1976-03-05-2中国1976年03月05日1970年代中国経済貿易代表団がカンボジアを訪問―団長は李強対外貿易部部長。10日に中国・民主カンボジア経済協力協定の調印式がプノンペンでおこなわれた。
DIA-104-1976-03-05-3中国1976年03月05日1970年代人民日報評論員,「カンボジアの厳正な立場を断固支持する」―2月25日米機のシムリアープ爆撃に対するカンボジアの非難声明を支持。
DIA-104-1976-03-05-4中国1976年03月05日1970年代新華社記者論評,「南アジア不安定の根源」―ソ連「社会帝国主義」を不安定の根源とし,インドなど各国の反撥と抵抗を紹介。
DIA-104-1976-03-06-1中国1976年03月06日1970年代人民日報,北京大学・清華大学大批判組「文芸革命の否定は資本主義復活のためである」。
DIA-104-1976-03-06-2中国1976年03月06日1970年代11ヵ国の外交官が北京大学の大字報を参観。
DIA-104-1976-03-06-3中国1976年03月06日1970年代最近ウルムチで新彊第1回農村定住知識青年代表大会開く―2月27日付で全体代表の毛主席への手紙を発表。
DIA-104-1976-03-07-1中国1976年03月07日1970年代河南省義馬鉱務局,5年間で原炭生産量を倍増―1970年の195万トンから,75年には390万7000トンに。作業面積当りの生産量,労働能率も先進水準に達している。
DIA-104-1976-03-07-2中国1976年03月07日1970年代新華社,米が5日に巡航ミサイルの実験に成功したことを報道・評価。
DIA-104-1976-03-08-1中国1976年03月08日1970年代吉林地区に世界史上まれなイン石雨が落下―最大なもの1770kg,吉林市郊外区など500平方kmの広さに及んだ。
DIA-104-1976-03-08-2中国1976年03月08日1970年代北京市婦女連合会,国際勤労婦人デーを祝う交歓会開く―呉桂賢,李素文をはじめ各分野の女性代表1200余人と在北京外交使節の夫人などが参加。
DIA-104-1976-03-08-3中国1976年03月08日1970年代エチオピア政府友好代表団が訪中―23日まで。この間に両国は経済技術協力に関連する取り決めに署名した。
DIA-104-1976-03-08-4中国1976年03月08日1970年代北京で3.8国際勤労婦人デー祝賀交歓会開かる。
DIA-104-1976-03-08-5中国1976年03月08日1970年代大阪に中国総領事館開設―田平総領事が責任者。
DIA-104-1976-03-09-1中国1976年03月09日1970年代北京で新型の比表面積・孔径分布測定器を製作―科学院化学研究所と北京分析計器工場の協力の下に製作,石油化学工業に必要な国際先進水準の分析化学機器。
DIA-104-1976-03-09-2中国1976年03月09日1970年代朱徳・華国鋒,北朝鮮の金日成主席と金一首相に南日同志の逝去を悼む電報を送る。
DIA-104-1976-03-10-1中国1976年03月10日1970年代人民日報社説,「まき返しは人心をえられない」―毛主席はさいきんつぎのように指摘した,とのべ次の言葉を発表。 「社会主義革命のホコ先が自分の身にまで向けられてくると,合作社化のさいには党内に反対する者があらわれたし,ブルジョア的権利にたいする批判にもかれらは反感をもつようになる。社会主義革命をやっているのに,どこにブルジョア階級がいるか知らない,ほかでもなく共産党の内部にいる,党内の資本主義の道を歩む実権派がそれである。走資派はいまなおその道を歩んでいる。」 社説は次のようにのべた。「右からのまき返しの風潮をあおった例の人間は,文化大革命のまえに劉少奇に追随して修正主義をおしすすめ,これまで社会主義革命運動のたびに対抗し,文化大革命で批判されながら悔い改めようとしない走資派である。この走資派は口先では『永遠にまき返しをやらない』などといいながら,ひとたび復職すると持病を再発させ,またもや資本主義の道を歩みつづけている。こういう人間は,もともとマルクス主義者ではなく,毛主席がかって指摘したように思想的にはいまなお民主主義革命の段階にとどまっているブルジョア民主派なのである。」 また社説は,「右からのまき返し・
DIA-104-1976-03-10-2中国1976年03月10日1970年代大港油田計画設計院は設計に成果上げる―労働者の設計参加,技術資料の公開,3結合の現場設計などにより,75年,21項目の新工程,新技術を考案,採用。
DIA-104-1976-03-10-3中国1976年03月10日1970年代人民日報,任谷平論文「『平和綱領』なのか,それとも覇権争いの手段なのか」―ソ共25回大会でうち出した「さらに平和と国際協力のため,各国人民の自由と独立のためにたたかおう」という「綱領」批判。
DIA-104-1976-03-10-4中国1976年03月10日1970年代石炭施設視察訪中団が中国入り―団長は石井泰安電源開発理事。
DIA-104-1976-03-11-1中国1976年03月11日1970年代中国水泳協会の責任者,昨年中国で開かれた友好招待試合に参加した各国選手を2年間停籍「処分」にすることを決めた国際アマチュア水泳連盟の決定を非難。
DIA-104-1976-03-12-1中国1976年03月12日1970年代広州で33階の白雲賓館がほぼ完成。(中国新聞社)
DIA-104-1976-03-12-2中国1976年03月12日1970年代フォード大統領が昨年訪中時に76年中に在台米軍半減を中国に保証―鄧副総理との私的会話の中で。(ホワイトハウス筋―UPI)
DIA-104-1976-03-13-1中国1976年03月13日1970年代山東省で大型火力発電所,莱蕪発電所が完成―12万5000kWの2重内部水冷式発電ユニット3基で,総出力37万5000kW。1970年着工,16省,市,自治区200余と省内100余の単位が建設を支援。
DIA-104-1976-03-13-2中国1976年03月13日1970年代人民日報評論員,「ローデシア反動政権の侵略行為をきびしく非難する」―ローデシア軍のモザンビーク領土攻撃について,これを非難。
DIA-104-1976-03-13-3中国1976年03月13日1970年代中国の全人代常委,朝鮮からの米軍撤退要求を支持する返書を北朝鮮最高人民会議常任委員会によせる。
DIA-104-1976-03-14-1中国1976年03月14日1970年代鞍山鉄鋼公司,首都鉄鋼公司,撫順製鋼所,1~2月の生産が大幅にのびる。
DIA-104-1976-03-15-1中国1976年03月15日1970年代新華社の清華大学ルポ,「彼をもういちど救い,将来どのように振まうかみようとしている」と指摘。
DIA-104-1976-03-15-2中国1976年03月15日1970年代「タイム」誌,最近数カ月間にウスリー・アムール川付近で中ソが激突をおこなった,と報道―米の空中写真分析による。
DIA-104-1976-03-17-1中国1976年03月17日1970年代毛主席,ラオス党・政府代表団と会見―華国鋒総理代理,姚文元政治局員が同席。カイソン・ポムビハン・ラオス人民革命党書記長,ラオス首相を団長とする一行は3月15日北京に到着,人民日報は歓迎の社説を発表した。20日帰国の途に。この間両国は経済技術協力協定を結び,中国はラオスに無利子借款をひきつづき供与することになった。
DIA-104-1976-03-18-1中国1976年03月18日1970年代西南地区に大中型発電設備製造基地が完成―1974年以来製造開始,20万kW火力発電ユニット,21万kW水力発電ユニットを製造しうる。大型水力発電機ユニットの1つは丹江口水力発電所に設置され,このほか20余の大中型発電所に設備一式を供給した。
DIA-104-1976-03-18-2中国1976年03月18日1970年代広東省仏山市では10余の電子専門工場を有し,40余種,1000にのぼる規格の電子製品を生産している。(大公報)
DIA-104-1976-03-19-1中国1976年03月19日1970年代人民日報評論員,「エジプト人民の怒号」―3月15日エジプト人民議会がエジプト・ソ連「友好協力条約」を廃棄することを決定した行動を,エジプト人民の反覇権闘争の新たな発展,と評価。
DIA-104-1976-03-19-2中国1976年03月19日1970年代フォード米大統領,北京連絡事務所長にゲーツ元国防長官を任命。
DIA-104-1976-03-19-3中国1976年03月19日1970年代姚文元政治局員,タイ新聞界訪中団と会見,魯瑛人民日報編集長も同席。
DIA-104-1976-03-19-4中国1976年03月19日1970年代王炳南会長を団長とする中国人民対外友好協会代表団が来日―日中文化交流協会の招待で来日,同協会創立20周年祝賀レセプションに出席,4月6日帰国。
DIA-104-1976-03-20-1中国1976年03月20日1970年代5種類の芸術雑誌が創刊さる―「人民戯劇」,「人民電影」,「人民音楽」,「舞踏」,「美術」,3月下旬から隔月刊,7月から月刊となる予定。
DIA-104-1976-03-21-1中国1976年03月21日1970年代新華社記者報道,「壁にぶつかった『アジア安保体制』の売りこみ」
DIA-104-1976-03-22-1中国1976年03月22日1970年代文革以来ラジオ生産が急速に発展―生産工場は65年の13省・市22工場から75年の29省・市・自治区150余企業に,生産量はこの間11倍余に増え,品種や型は40数種から370余種に増え,コストは半分から3分の1に下がっている。小売価格も引下げらたれ。現在ラジオ普及台数は1970年の約2倍になっている。
DIA-104-1976-03-22-2中国1976年03月22日1970年代郵便電信部門,ファクシミリ通信技術を開発・普及―部の地方へは「人民日報」6ページを30分で電送している。
DIA-104-1976-03-22-3中国1976年03月22日1970年代柴沢民駐タイ大使,タイ国王に信任状を提出―タイの駐中国大使は23日北京入り。
DIA-104-1976-03-22-4中国1976年03月22日1970年代「中国三誌読者」の第1回友好の翼訪中団が訪中―139人で4月2日まで。
DIA-104-1976-03-22-5中国1976年03月22日1970年代国際石油の51年中国原油輸入量は400万トンプラスオプション200万トンで中国側と合意。価格は6月まで1バレル当り12ドル30セント。
DIA-104-1976-03-24-1中国1976年03月24日1970年代東京で第2回日中繊維交渉始まる。
DIA-104-1976-03-24-2中国1976年03月24日1970年代国貿促の藤山会長,1980年100億ドルの日中貿易展望を発表。
DIA-104-1976-03-25-1中国1976年03月25日1970年代14ヵ国の外交団,清華大学の大字報参観―大学当局者,鄧小平はまだ自己批判していない,と語る。
DIA-104-1976-03-25-2中国1976年03月25日1970年代山西陽泉鉄鋼工場,第1・四半期生産計画をくり上げ達成―60年の歴史を持つ中国の最も古い工場のひとつ。
DIA-104-1976-03-25-3中国1976年03月25日1970年代サダト・エジプト大統領,中国からすでに無償でミグ・エンジン30基,軍用部品・機械数千点がすでに到着した,と言明―26日毛主席に感謝のメッセージを送る。
DIA-104-1976-03-26-1中国1976年03月26日1970年代北京市内の掲示板から鄧小平の写真が撤去された。
DIA-104-1976-03-26-2中国1976年03月26日1970年代湖南省のセメント工業生産,昨年は65年の8倍に―74年比で57%増。国家投資の2つの大型工場のほかに地元が196の中小型工場を建設,昨年は総生産量の73.5%が中小型工場で生産された。セメントの70%以上は農業用に使われている。
DIA-104-1976-03-26-3中国1976年03月26日1970年代黄華中国代表が国連安保理で,ソ連,南アの対アンゴラ干渉を非難する発言。
DIA-104-1976-03-26-4中国1976年03月26日1970年代ベトナムの「クアンドイ・ニャンザン」紙が南沙群島からの青年同盟員の手紙を掲載。
DIA-104-1976-03-27-1中国1976年03月27日1970年代谷牧副総理,関経連訪中団に対日石油輸出は段階的拡大の方針と語る一関経連訪中団は25日訪中,26日李強,廖承志氏と会見,4月2日帰国。
DIA-104-1976-03-28-1中国1976年03月28日1970年代人民日報社説,「右からの巻き返しに反撃し,工業生産を促そう」―毛主席のさいきんの次の言葉を紹介。「かれという人間は,階級闘争をつかまず,これまでもずっとこのカナメを口にしたことがない。やはり例の『白猫,黒猫』の論調で,帝国主義であろうとマルクス主義であろうとかまわないのである。」とくに「鉄鋼,石炭,電力の生産を発展させ,農業支援のための製品と軽工業品の生産を発展させ,鉄道輸送を順調にしなければならない」とよびかけ。
DIA-104-1976-03-28-2中国1976年03月28日1970年代人民日報,蒋建東,「明るみに出た海の覇権主義の正体」―ソ連海洋戦略の分析。
DIA-104-1976-03-28-3中国1976年03月28日1970年代天津市主催の神戸中国展が開幕―4月11日まで。
DIA-104-1976-03-29-1中国1976年03月29日1970年代中国はニクソン訪中に反対してハンストをおこなった英人モーリス・ニュ―マン教授を帰国させた。(AFP)
DIA-104-1976-03-30-1中国1976年03月30日1970年代文革以来,四川省の工業生産大幅に発展―1965年以来年率10.9%で成長し,工業生産総額は昨年は65年の2.57倍に,49年の25倍余に増加した。全省工農業生産総額に占める工業生産の比率は49年に16.8%にすぎなかったものが75年には58%以上に増えた。大型企業と同時に中小企業にも力を入れて,1965年には1ヵ所しかなかった小型窒素肥料工場が現在73に増えた。全省の石炭,化学肥料の生産総量の半分以上が小型炭鉱,小型化肥工場によって生産されている。
DIA-104-1976-03-30-2中国1976年03月30日1970年代華総理代理,モンゴメリー元帥葬儀委員会に弔電を送る。
DIA-104-1976-03-30-3中国1976年03月30日1970年代人民日報,任谷平,「エジプ卜人民は押しつぶされず,罵倒にもひるまない」―ソ連の軍事要員を帰国させたエジプトの行動を支持,ソの圧力を非難。
DIA-104-1976-03-30-4中国1976年03月30日1970年代外務省首脳,三木首相の日中平和条約交渉再開は無理との判断を公表。 1.政治
DIA-104-1976-03-31-1中国1976年03月31日1970年代黒竜江省林業区(3日間),吉林省林業区(7日間)それぞれ,第1・四半期計画をくりあげ達成。
DIA-104-1976-03-31-2中国1976年03月31日1970年代国連安保理のアンゴラ間題に関する決議案の表決に中国は不参加を表明。
DIA-104-1976-04-01-1中国1976年04月01日1970年代北京駅構内の列車に白ペンキで「周総理への反対は滅亡を招く」のスローガン―列車は南京からとみられ「3月5日と25日の文匯報の記事は周総理に反対する誤ったものだ」などのスローガンがみられた。(朝日特派員)
DIA-104-1976-04-01-2中国1976年04月01日1970年代天安門前広場に花輪をかざり周総理を追悼する列がつづく―4日には数十万人に。
DIA-104-1976-04-01-3中国1976年04月01日1970年代「紅旗」4号,方海論文「洋奴哲学を批判する」―(要点)。あの悔い改めようとしない走資派は「多くの品物を出して外国の最新最良の設備と取りかえなけれはならない」と叫び,さらに「これはもっとも頼りになるもの」であり「大政策」だなどとのべた。 党内日和見主義路線の頭目はつねに洋奴哲学,牛歩主義を鼓吹し,独立自主,自力更生と完全に対立した修正主義路線をおし進めた。修正主義路線もブルジョア路線にほかならない。走資派は党内のブルジョア階級である。民主主義革命の段階に,かれらはブルジョア階級のこのようなロクでなしの根性をもって党内にとび込んできたのである。社会主義革命の時期に入ってからも立脚点を移さず,依然としてブルジョア階級を代表している。大衆を恐れ,帝国主義を恐れるかれらのロクでなしの根性が発作を起こせば起こすほど,広範な人民とするどく対立する地位に立たざるをえない。
DIA-104-1976-04-02-1中国1976年04月02日1970年代全国の農地基本建設の成果―昨年10月から2月までに,全国で整地が9000万ムー,段々畑造成が1900万ムー,開墾500万ムー,低生産耕地改良2300万ムー,排水・灌漑可能化2億5000万ムーの成果を上げた。(香港文匯報)
DIA-104-1976-04-02-2中国1976年04月02日1970年代甘粛の河西走廊に1000余kmの防風林が建設されている―耕地面積も解放前の410余万ムーから1000万ムーに拡大され,単位面積当り収量も高まった。(香港文匯報)
DIA-104-1976-04-02-3中国1976年04月02日1970年代ハンガリーの「マジャール・サルサグ」紙,“中国・アルバニア関係が緊張”と伝える。
DIA-104-1976-04-04-1中国1976年04月04日1970年代各地の鉄道局,第1・四半期の輸送計画を達成―吉林鉄道局,錦州鉄道局,チチハル鉄道局,北京鉄道局など。
DIA-104-1976-04-05-1中国1976年04月05日1970年代天安門事件おこる―8時前後,市公安局の放送宣伝カーが一台破壊さる。9時すぎ,人民大会堂の表玄関に1万人が集まる。11時5分群衆が歴史博物館におしよせる。午後自動車4台が焼きうちされ,午後5時前後には軍営舎が放火された。6時半呉徳北京市革命委員会主任がマイクで解散をよびかけ,9時半首都労働者民兵数万人が鎮圧に出動。
DIA-104-1976-04-05-2中国1976年04月05日1970年代天安門事件で朝日記者が負傷―7日秋山公使が外交部報道局を訪問,中国側は大変不愉快な事件であり,補償検討中と伝える。
DIA-104-1976-04-06-1中国1976年04月06日1970年代人民日報社説,「闘争の大方向をしっかりとつかもう」―(要旨) ○毛主席は,右からのまき返しの風潮に反撃を加えるにあたり,つぎのように指摘した。「1949年に国内の主要矛盾は,プロレタリア階級とブルジョア階級との矛盾であることを提起した。13年後にふたたび階級闘争の問題が提起され,また,情勢が好転しはじめたことにもふれた。文化大革命とはなにをやるものなのか。階級闘争ではないのか。劉少奇は階級闘争消滅論をとなえたが,かれ自身は消滅どころかそのひと群の裏切者,徒党をかばおうとした。林彪はプロレタリア階級を打倒しようとし,クーデターをやろうとした。階級闘争は消滅したといえるだろうか。」 ○党内の例の悔い改めようとしない走資派は,ブルジョア階級の総代表である。闘争のホコ先をかれにピタリとあわせ,深くほりさげて暴露し,批判すれば,われわれは路線上での是非をはっきりさせ,95%以上の幹部と大衆を結束させ,右からの巻き返しの風潮への反撃でさらに大きな勝利をかちとることができる。
DIA-104-1976-04-06-2中国1976年04月06日1970年代中・ラオス両国,ビエンチャンで,ラオス―中国幹線道路建設再開の協定に調印。
DIA-104-1976-04-06-3中国1976年04月06日1970年代天然ガス精製プラント考察組が来日。
DIA-104-1976-04-07-1中国1976年04月07日1970年代党中央,華国鋒を党第一副主席,総理に任命,鄧小平の職務を解任―中共中央の二つの決定。 (1)偉大な指導者毛主席の提案にもとづき,中国共産党中央政治局は一致して,華国鋒同志の中共中央第一副主席,国務院総理任命を可決した。 (2)中共中央政治局は天安門広場でおこった反革命事件ならびに鄧小平のさいきんの態度を検討し,鄧小平問題の性格がすでに敵対性の矛盾に転化したものと考える。偉大な指導者毛主席の提案にもとづき,政治局は一致して,鄧小平の党内外のすべての職務を解任し,党籍は保留して今後を見守ることを可決した。
DIA-104-1976-04-07-2中国1976年04月07日1970年代日中繊維交渉,一時休止。
DIA-104-1976-04-09-1中国1976年04月09日1970年代北京で中共中央の二つの決議を擁護し,反革命の逆流粉砕勝利祝賀の集会―10万人。7日以来北京では連日大デモが続いた。全国では各省,市,自治区で,軍各総部,各軍種,兵種,部隊と新彊軍区で,また中共中央直属機関と国務院各部門でそれぞれ祝賀集会とデモがおこなわれた。
DIA-104-1976-04-09-2中国1976年04月09日1970年代劉建勲第一書紀,集会で鄭州でも天安門事件類似事件があり,1人死亡したと演説―北京放送10日。
DIA-104-1976-04-09-3中国1976年04月09日1970年代北京市工業部門,第1・四半期に空前の生産額を記録―あらゆる重要製品の生産量が昨年同期を上回った。
DIA-104-1976-04-09-4中国1976年04月09日1970年代駐中フィリピン大使,朱徳委員長に信任状を提出。
DIA-104-1976-04-10-1中国1976年04月10日1970年代人民日報社説,「偉大な勝利」―(要旨) ○毛主席は高遠な識見から,鄧小平の巻き返しの活動を看破し,昨年10月から一連の重要な指示を発し,右からのまき返しに反撃する偉大な闘争を展開するよう全党,全軍,全国人民を指導した。毛主席は「かれという人間は,階級闘争をつかまず,これまでもずっとこのカナメをに口したことがない」,「かれはマルクス・レーニン主義がわからないし,ブルジョア階級を代表している。『永遠に巻き返しをやらない』といったが,あてにはならない」と指摘した。 ○全国の広はんな幹部と大衆が毛主席の指示にしたがい,鄧小平の反革命の修正主義路線を批判しているさなかに,天安門広場で反革命政治事件が発生し,ひとにぎりの階級敵が公然と鄧小平擁護の旗をかかげ,反革命活動をすすめたことは,けっして偶然ではない。この反革命分子どもは鄧小平の功徳をたたえ,かれをハンガリー反革命事件の頭目ナジに仕立てかつぎだそうとした。これは郵小平がどういう人間の利益を代表しているかをはっきり裏付けている。
DIA-104-1976-04-10-2中国1976年04月10日1970年代新華社記者報道,「虚構の『緩和』ときびしい現実」―日本の防衛庁の「防衛白書」編さん過程で,当面の国際情勢を「全般的な傾向は,緩和である」とみる人々と緊張に向っているとみるグループの論争がある,ことを紹介。ソ連の進出を強調。
DIA-104-1976-04-12-1中国1976年04月12日1970年代唐山鉄鋼公司第一製鋼所,全酸素横吹き転炉で1077回という寿命新記録を樹立。(香港文匯報)
DIA-104-1976-04-12-2中国1976年04月12日1970年代米国務省高官,中国に対する軍事援助問題が「将来のオプション」として話し合われていることをみとめる―ワシントン・ポスト」。シュレジンジャー前国防長官がテレビインタビューで対中軍事援助を閣僚レベルで話し合ったことがある,のべたことに関連している。
DIA-104-1976-04-13-1中国1976年04月13日1970年代中国・エジプト,年産5000万個の砂レンガ工場建設援助協定に調印―528万スイス・フラン,無利子81年から20年支払い。
DIA-104-1976-04-14-1中国1976年04月14日1970年代全国の電力工業,第1・四半期の生産計画をくり上げ達成―発電量は前年同期を18.2%上回った。
DIA-104-1976-04-14-2中国1976年04月14日1970年代近代大型の蘭州第3毛織物工場が完成・操業開始―1万錘を持ち年産226万m,着工からわずか2年余で完成。
DIA-104-1976-04-15-1中国1976年04月15日1970年代人民日報,清華大学ルポは鄧小平がいまだに「党および大衆の批判と再教育を拒んでいる」と伝える。
DIA-104-1976-04-15-2中国1976年04月15日1970年代国家体育運動委員会は首都労働者民兵,人民警察,警衛戦士慰問の体育エキジビションをおこなう。
DIA-104-1976-04-15-3中国1976年04月15日1970年代全国の石炭工業部門,第1・四半期の国家計画をくり上げ達成―総出炭量は年間計画の25%に達し,計画を700万トン上回った。4月8日,開炭鉱唐山鉱5352切羽の労働者たちは原炭日産1万1107トンという新記録をうち立てた。
DIA-104-1976-04-15-4中国1976年04月15日1970年代春季広州交易会開幕。
DIA-104-1976-04-15-5中国1976年04月15日1970年代インド,K.R.ナラヤン大使を中国に派遣と発表―チャバン外相が国会で。
DIA-104-1976-04-15-6中国1976年04月15日1970年代上期の中国向け鋼材輸出商談,54万トンで妥結―昨年下期227万トンの約4分の1,価格は約10%値上げ。
DIA-104-1976-04-16-1中国1976年04月16日1970年代毛沢東,朱徳,華国鋒,民主カンボジア独立一周年に祝電を送る―17日人民日報は「カンボジア人民の輝かしい勝利」という社説をかかげた。
DIA-104-1976-04-17-1中国1976年04月17日1970年代第1・四半期の全国原油平均日産量は史上最高に―総生産量は昨年同期より12.7%増となった。大慶油田のそれは11.3%増。天然ガス生産量は昨年同期より20.5%増加した。
DIA-104-1976-04-17-2中国1976年04月17日1970年代華総理,米籍物理学者楊振寧博士と会見。
DIA-104-1976-04-17-3中国1976年04月17日1970年代プライス米下院軍事委員長を団長とする米議員団が訪中。
DIA-104-1976-04-18-1中国1976年04月18日1970年代人民日報杜説,「天安門広場事件はなにを物語っているか」―(要旨)。昨年,清華大学の数人は無実の人を中傷する手紙を書き,矛先を毛主席にむけた。毛主席はたちどころにその黒幕が鄧小平であることを見ぬき,鄧小平がプロレタリア階級にたいし全面的な攻撃に出たことを見てとり,真向から「清華がからんだ問題は孤立したものではなく,当面の二つの路線闘争の反映である」と指摘した。
DIA-104-1976-04-19-1中国1976年04月19日1970年代春季漁獲量は史上最高記録―沿海10省・市・自治区のうち8つが豊漁で,昨年同期比30%増であった。
DIA-104-1976-04-19-2中国1976年04月19日1970年代張春橋副総理,フィリピン大使と会見。
DIA-104-1976-04-20-1中国1976年04月20日1970年代毛主席,エジプト副大統領一行と会見―ムバラク・副大統領を団長とするエジプト高級代表団は18日北京入りし,19日華総理が会談をおこない,人民大会堂で歓迎宴を催した。21日両国は軍事議定書に調印,24日一行は帰国の途についた。
DIA-104-1976-04-20-2中国1976年04月20日1970年代新華社,ソンネンフェルト・ドクトリンを超大国の勢力圏分割のドクトリンと批判。
DIA-104-1976-04-21-1中国1976年04月21日1970年代北京,上海,杭州間に通信幹線が完成―全長1700余kmに及ぶ同軸ケーブル1800回線搬送通信幹線で,1973年冬に施工が開始された。
DIA-104-1976-04-22-1中国1976年04月22日1970年代機械工業の生産,第1・四半期に史上最高を記鉄―生産総額は昨年同期比10%増。石油設備,直流モーター,自動車,デイーゼルエンジン,ハンド・トラクター,映写機など主要製品の生産量はいずれも昨年同期より20%以上伸びた。
DIA-104-1976-04-23-1中国1976年04月23日1970年代四川省石油管理局7002削井隊は深さ6011mの井戸掘削に成功。
DIA-104-1976-04-23-2中国1976年04月23日1970年代大阪国際見本市開幕―中国が初参加。
DIA-104-1976-04-25-1中国1976年04月25日1970年代陝西省で近代的コークス用炭選炭工場完成―年産60万トン。
DIA-104-1976-04-25-2中国1976年04月25日1970年代中国・カポベルデ共和国が国交を樹立―15日両国は共同コミュニケに調印,25日国交樹立を決定。
DIA-104-1976-04-26-1中国1976年04月26日1970年代中共中央指導者,首都労働者民兵,人民警察,警備戦士の代表を接見―華国鋒,王洪文,張春橋,江青,姚文元,陳錫朕,紀登杢,汪東興,呉徳,陳永貴,呉桂賢,蘇振華,倪志福の首脳は,天安門反革命事件粉砕闘争のなかで功績をうち立てた首都労働者民兵,人民警察,北京衛戊区と八三四一部隊の警備戦士および公安部と人民大会堂の工作要員の代表130人を親しく接見した。 各部門はそれぞれさいきん勝利祝賀集会を開き,先進的集団と個人を表彰した。首都労働者民兵総指揮部関係では先進単位が64,先進的個人が226人,北京市公安局関係では先進的単位が19,先進的個人が99人,北京衛戊区部隊では先進的単位が8,先進的個人が122人であった。
DIA-104-1976-04-26-2中国1976年04月26日1970年代工業・交通部門の第1・四半期の情勢極めて良好―全国の原油,石炭,電力,化学肥料,鋼,鉄,非鉄金属セメントなどの生産量,機械工業と電子工業の生産総額,鉄道,水上の貨客輸送量は,いずれも昨年同期より12%以上増えた。主な農業支援製品13種類の生産量は昨年同期より大幅に伸び,そのうちトラクターは20%,ハンド・トラクターは37%伸びた。軽工業の主要製品16種類のうち,13種類の生産量が昨年同期の水準を上回った。 今年1月から3月に,新たに原油年産200万トン,天然ガス年産9億㎡の生産能力が増え,新設された14の立坑が操業を始め,4つの新設製糖工場が竣工した。津浦鉄道複線化工事は全長1100キロのうちすでに977キロで軌道の敷設を終えた。全国の地方炭鉱と小型炭鉱の発展はめざましく,その出炭量は全国総出炭量の5分の2に達した。
DIA-104-1976-04-27-1中国1976年04月27日1970年代四川省瀘州ガス鉱,大きく発展―第1・四半期生産計画を2日間くりあげ達成した。昨年同期の生産能力の4倍に発展した。天然ガス総合利用生産基地となっている。
DIA-104-1976-04-27-2中国1976年04月27日1970年代喬冠華外交部長,小川大使と会見―中国の対日政策及対日経済政策は不変,と語る。
DIA-104-1976-04-28-1中国1976年04月28日1970年代人民日報,梁効論文「鄧小平と天安門広場の反革命事件」。
DIA-104-1976-04-28-2中国1976年04月28日1970年代喬外交部長,カドウミPLO代表団長一行を招宴。
DIA-104-1976-04-28-3中国1976年04月28日1970年代「プラウダ」アレクサンドロフ論文「北京と中ソ関係」,中国が一貫して正常化提案を拒んでいると非難。
DIA-104-1976-04-28-4中国1976年04月28日1970年代宦卿大使,ECに信任状を提出。
DIA-104-1976-04-29-1中国1976年04月29日1970年代ホッジャ・アルバニア労働党第1書記,中国の友情を称賛―エルバサン冶金コンビナート建設に従事するア・中両国の労働者,技術者と会見した。中・ア両国冷却説をうち消す。農相,教育文化相の解任を公表。
DIA-104-1976-04-29-2中国1976年04月29日1970年代北京のソ連夫使館で爆発事件発生―入口で兵士2名と青年若干名が即死。30日中国当局者は「反革命分子の破壊活動によるものである」とのべた。(ロイター)
DIA-104-1976-04-30-1中国1976年04月30日1970年代海南島の工業生産総額,第1・四半期に昨年同期比25.3%伸び,計画を13%超過達成し,史上最高を記録した。(中国新聞社)
DIA-104-1976-04-30-2中国1976年04月30日1970年代毛主席,マルドーン・ニュージーランド首相と会見―華総理が同席。同首相夫妻は28日公式訪問のため北京入りした。
DIA-104-1976-04-30-3中国1976年04月30日1970年代米下院外交特別小委(ハミルトン委員長)「米中関係―その正常化の過程」を公表。
DIA-104-1976-05-01-1中国1976年05月01日1970年代各地でメーデー祝賀行事―北京では6会場で園遊式メーデーがおこなわれ,100余万人が参加した。
DIA-104-1976-05-01-2中国1976年05月01日1970年代人民日報,紀平論文「鄧小平は何故唯生産力論を宣伝したか」。
DIA-104-1976-05-01-3中国1976年05月01日1970年代朱委員長,華総理,北朝鮮の金一第一副主席,朴成哲総理に就任祝賀の電報を送った。
DIA-104-1976-05-02-1中国1976年05月02日1970年代森永日銀総裁,中国人民銀行の招きで訪中―3日,陳希愈中国人民銀行行長と会談,4日には張勁夫財政部長,喬培新中国銀行総経理とそれぞれ会談をおこなった。6日谷牧副総理と会談。谷牧氏は①鋼材輸入は上半期は減ったが年間では昨年を下回らないだろう,②原油輸出は急速に増やすのはむつかしいが,対日輸出の約束は守りたい,③日中平和友好条約の早期締結を望む,と語った。森永氏は11日に帰国した。
DIA-104-1976-05-03-1中国1976年05月03日1970年代周栄教育部長は脳出血ですでに死去。(北京の外国筋―ロイター)
DIA-104-1976-05-03-2中国1976年05月03日1970年代李大章党中央統一戦線部長死去―享年76歳。8日に追悼式がおこなわれた。
DIA-104-1976-05-03-3中国1976年05月03日1970年代英のアントニー・クロスランド外相が訪中―9日まで。6日華総理と会見した。
DIA-104-1976-05-04-1中国1976年05月04日1970年代各地で5・4運動記念集会おこなわる―規模が制限され,規律が強調された。
DIA-104-1976-05-04-2中国1976年05月04日1970年代内蒙古知識青年共産主義大学設立。
DIA-104-1976-05-05-1中国1976年05月05日1970年代急速に進む中国の海洋地質調査―1960年に海洋地質調査隊が誕生,現在調査事業にたずさわっている専門家は65年の5.5倍,調査船は8.5倍に増えた。「勘探1号」は74年に処女航海以来大いに活躍している。
DIA-104-1976-05-05-2中国1976年05月05日1970年代重慶は総合的工業都市として発展―昨年の工業生産総額は1949年の15倍になり,いまや重慶は鉄鋼,石炭,電力,機械,化学,紡績,建築材料,電子,計器などの主要工業を有する。西南の主な鉄鋼生産地であり,昨年の鋼と銑鉄の生産量は1949年の60倍,40倍余りに増えた。さらに電子・計器工業の発展もめざましい。
DIA-104-1976-05-05-3中国1976年05月05日1970年代建設早める金山工程―独立自主,自力更生により洋奴哲学を批判して金山工程では現在18基の生産装置のうち,すでに14基が基本的に完成し,常在蒸溜装置,空気分離装置,酢酸装置,ホルムアルデヒド装置はすでに試運転に成功した。
DIA-104-1976-05-05-4中国1976年05月05日1970年代北京最大の崇文門野菜市場が営業開始。(中国新聞社)
DIA-104-1976-05-06-1中国1976年05月06日1970年代大慶油田の規模は1965年の6倍に―60余の中心村と168の居民点を配置。10年来原油生産は1965年の6倍,これまでに32万ムー余が開墾され,食糧25万余トン,野菜35万余トン,各種肉類5000トン余をすでに生産してきた。
DIA-104-1976-05-06-2中国1976年05月06日1970年代梅県地区鉄鋼工場が粒鉄精練に成功―1975年の同工場の鋼の生産は73年の倍余りにのびた。
DIA-104-1976-05-06-3中国1976年05月06日1970年代トーマス・ゲ―ツ駐中国米連絡事務所長が北京に着任。
DIA-104-1976-05-07-1中国1976年05月07日1970年代人民日報,方海論文「ブルジョア階級を批判する戦士になろう」―「毛主席の《5・7指示》発表10周年を記念して」という副題つき。
DIA-104-1976-05-07-2中国1976年05月07日1970年代中共中央,ルーマニア共産党中央委員会に同党結成55周年を祝賀し電報を送る。
DIA-104-1976-05-07-3中国1976年05月07日1970年代人民日報,「西沙を守り,西沙を建設」という報道をおこなう―11日新華社は西沙群島のルポを報道。
DIA-104-1976-05-08-1中国1976年05月08日1970年代玉門油田は工農結合の5・7の道を前進―油田党委は5万余名の労働者・職員・家族をひきいて2万3000余ムーの荒地を開墾し,六つの農副業生産基地と28の農場を作った。10年来国に食糧850万kgを供給している。全区の植樹30余万株,果樹は6000余株,養魚10万余匹,豚3000余頭,羊3000余頭,牛1000余頭を飼育している。
DIA-104-1976-05-08-2中国1976年05月08日1970年代遼寧省彰武県ハルタオ人民公社の社会主義大市―同公社では1975年元旦から現行の集市取引を改造して新型の大市を導入して社会主義生産を促した。購販売組合の活動範囲を拡大して農副業産物を国家が買い上げると同時に大衆間の交換活動を組織するという方法をとった。こうして9類128種の農副業産品が社会主義経済にくみこまれることになった。
DIA-104-1976-05-08-3中国1976年05月08日1970年代日本北方領土返還促進活動家訪中団が北京入り―団長坂本徳松愛知大教授。4月29日訪中,5日間黒竜江省訪問ののち北京入りし,10日中日友好協会は報告会を開いた。11日紀登奎副総理が一行と会見。紀副総理は「日本はやる気がないのにボールだけ中国に投げ返している」と平和友好条約に関して日本の態度に不満を表明した。
DIA-104-1976-05-09-1中国1976年05月09日1970年代李範一石油工業部副部長の追悼式―李先念,余秋里副総理が花輪を送った。
DIA-104-1976-05-10-1中国1976年05月10日1970年代紅旗5号,雲力「鄧小平は体育の分野で何を宣伝したか」
DIA-104-1976-05-10-2中国1976年05月10日1970年代チベットの商業,手工業の杜会主義化基本的に実現―1975年末までに90%以上の鍛治・木工,毛織物皮革,縫製,カーペット,製陶など28業種の互助組と個人労働者が400ちかくの手工業生産協同組合に組織された。私営商業,露天商,行商人もすべて組織されている。昨年の自治区の手工業製品の品種は1965年の2倍半に増え,生産総額は2.28倍に達した。
DIA-104-1976-05-11-1中国1976年05月11日1970年代周化民中国代表団団長がナイロビのUNCTAD第4回総会で発言。
DIA-104-1976-05-12-1中国1976年05月12日1970年代昨年の高精密工作機械の生産量は1965年の3.6倍となった。
DIA-104-1976-05-12-2中国1976年05月12日1970年代マイクロウェーブ通信幹線が完成―北京と20余の省・市・自治区を結ぶもので,多重中継で信号1チャンネルで電話が600~960回線,あるいはテレビが1チャンネル送れる。同時にこの回線で高速ファクシミリが可能になり,その日の「人民日報」が遠隔地の読者にも読めるようになった。
DIA-104-1976-05-12-3中国1976年05月12日1970年代毛主席,リー・シンガポール首相と会見―シンガポール側はリー夫人,ラジャラトナム外相,ホン蔵相が,中国側は華総理,喬外交部長が同席。リー首相は10日訪中,3日間の公式・非公式会談ののち,14日から各地を訪問,23日帰国の途についた。
DIA-104-1976-05-12-4中国1976年05月12日1970年代米大統領,極東次官補に中国生れのアーサー・W・ハメルを登用。
DIA-104-1976-05-12-5中国1976年05月12日1970年代イラク軍事代表団が訪中。
DIA-104-1976-05-13-1中国1976年05月13日1970年代北京で春の植樹造林活動進む―4月中旬現在,天津,北京,寧夏では昨年同期にくらべ造林面積が拡大し,河南省ではすでに年間計画を超過達成している。
DIA-104-1976-05-13-2中国1976年05月13日1970年代軽工業生産の急速な発展―1975年の自転車とミシンの生産量は1950年のそれぞれ60倍,40倍に増えた。ラジオは1965年の12倍以上にのび,ラジオ工場は現在29の1級行政区のすべてにあり計150工場にのぼる。腕時計の生産量は1965年の6倍である。
DIA-104-1976-05-13-3中国1976年05月13日1970年代中国,ソ連大使館爆破は1人の反革命分子の仕わざとソ連に通告。(タンユグ通信)
DIA-104-1976-05-14-1中国1976年05月14日1970年代准河の治水の成果は大きい―1951年5月15日,毛主席のよびかけの25周年にあたる今,准河流域では上流山間部に鮎魚山大型ダム,下流に江都揚水ステーション第3,第4ステーション,准安2級揚水ステーションを建設している。准河全流域の農地灌漑面積は1億ムーで1965年の倍にあたる。食糧総収量は1965年の70%増で,3分の1以上の県が「要綱」を突破し26の県・市が「大寨に学ぶ」先進単位となった。
DIA-104-1976-05-14-2中国1976年05月14日1970年代広東省江門市の蓬江大橋が最近開通―全長600m,幅13.5mの大型アーチ橋で1974年5月1日からわずか2年で完成。(中国新聞社)
DIA-104-1976-05-15-1中国1976年05月15日1970年代春季広州交易会閉幕。
DIA-104-1976-05-16-1中国1976年05月16日1970年代「人民日報」,「紅旗」誌,「解放軍報」編集部論文「文化夫革命は永遠に光を放つ」―副題は「中国共産党中央委員会の1966年5月16日の《通知》10周年を記念して」。 この中で次の四つの毛主席の言葉が学習の対象とされた。 (右からのまきかえしに反撃する闘争のなかで,毛主席は次のように指摘)「民主主義革命のあとも,労働者,貧農・下層中農は立ちどまっておらず,かれらは革命をやろうとしている。ところが一部の党員は前進しようとせず,あるものは後退し,革命に反対するようになった。なぜだろうか,高官になったので,高官どもの利益を守ろうとしたのである。」また,「百年後もまだ革命をやる必要があるかどうか。千年後も革命をやる必要があるかどうか。なんといっても,やはり革命をやる必要がある。どうしても一部のものは抑圧を感じるもので,小官,学生,労働者,農民,兵士は大物に抑圧されるのを喜こばない。そこで革命を求めるのである。一万年のちには矛盾が見られなくなるであろうか。どうしてそんなことがありえよう。見られるはずである。」 (今年はじめに次のように指摘)「闘争しなければ進歩はありえない。」「8億の人口があるのだ,闘争しないでいいだろうか?!・
DIA-104-1976-05-18-1中国1976年05月18日1970年代本渓鉄鋼公司で65の燃焼室をもつ大型コークス炉が完成した。
DIA-104-1976-05-19-1中国1976年05月19日1970年代南部で甜菜の冬季栽培が発展―湖南省の常徳,岳陽地区では74年に試験栽培をしたうえで,75年には秋まき面積を1万2000余ムーに増やした。福建潭平県永福人民公社では,南部で初の小型甜菜工場(日処理30トン)を設立,最近操業をはじめた。
DIA-104-1976-05-19-2中国1976年05月19日1970年代朱委員長,華総理,北朝鮮洪元吉副首相の逝去を悼む電報を送る。
DIA-104-1976-05-21-1中国1976年05月21日1970年代文革の10年間にマルクス,エンゲルス,レーニン,スターリンの著作と毛主席著作が48億冊出版される―文革前17年間総部数の8倍にあたる。そのうち《M・L選集》と《レーニン選集》は計1300万部出版され,文革前17年間の71倍に,《毛沢東選集》は2億2580万部出版され,文革前17年間の21倍となった。(新華社)
DIA-104-1976-05-21-2中国1976年05月21日1970年代人民日報,中国労組「9大」準備組理論組,「鄧小平が労働運動戦線でまきかえし復活をはかった陰謀を摘出する」。
DIA-104-1976-05-21-3中国1976年05月21日1970年代人民日報編集部が労農兵の新聞批評大会を開く。
DIA-104-1976-05-21-4中国1976年05月21日1970年代1976年中ソ貿易バーター支払協定に調印。
DIA-104-1976-05-23-1中国1976年05月23日1970年代北京,上海,天津で《延安文芸講話》記念コーラス大集会開く。
DIA-104-1976-05-24-1中国1976年05月24日1970年代「学習と批判」誌5号庄嵐論文,「鄧小平の類の走資派」に警戒を促す。
DIA-104-1976-05-24-2中国1976年05月24日1970年代日中絹交渉まとまる。今年の生糸・絹ねん糸輸入は5万4000俵―交渉は21日から北京で再開されていたもの。
DIA-104-1976-05-25-1中国1976年05月25日1970年代新彊ウイグル自治区,工業生産急テンポで発展―今年1~4月の工業生産総額は前年同期比14.3%のびた。鋼は年間計画の40.16%,鋼材は54.09%を完遂している。原炭が昨年同期比23.4%増,原油が13.08%,発電量が20.6%と大幅に増加し,農業支援製品も大幅な伸びを示した。
DIA-104-1976-05-25-2中国1976年05月25日1970年代谷牧副総理,日本農業友好代表団と会見―同代表団は18日から31日まで訪中。
DIA-104-1976-05-26-1中国1976年05月26日1970年代甘粛省の99.5%の人民公社に電話が通じ,99.4%の生産大隊に郵便路が通じている。
DIA-104-1976-05-26-2中国1976年05月26日1970年代春の交易会で中国への輸出成約が激減―国貿促の明らかにしたところによると,日本の輸入は昨秋交易会に比べ8%増,日本からの輸出は化学品が昨秋の3分の1,平電炉鋼材が4分の1と振るわず,全体として激減した。大手商社筋は昨秋の成約が輸出入合わせて3億ドル強に対し,今回は2億ドル程度とみている。(朝日27日)
DIA-104-1976-05-27-1中国1976年05月27日1970年代寧夏自治区に加蘭山石炭工業基地が完成―現在8つの大中型の立坑,一つの露天鉱が建設され,四つの炭田が開発され,かなり整った石炭工業体系が初歩的に形づくられている。昨年の出炭量は1965年の2.4倍に達した。
DIA-104-1976-05-27-2中国1976年05月27日1970年代毛主席,ブット・パキスタン大統領夫妻と会見―華総理が同席。大統領一行は5月26日から30日まで訪中。この間両国間で,科学・技術協力協定と経済・技術協力協定が調印され,30日には共同コミュニケが発出された。コミニニケの中では南アジアの平和地域化,印・パ間正常化を高く評価。
DIA-104-1976-05-27-3中国1976年05月27日1970年代ザブロツキー米下院議員,公聴会で今秋までに米台断絶の準備進む,と語る。
DIA-104-1976-05-27-4中国1976年05月27日1970年代紀登奎副総理,日中友好国民協議会代表団と会見,日中平和友好条約は「覇権主義反対の原則のもとに締結」と改めて強調した。
DIA-104-1976-05-27-5中国1976年05月27日1970年代藤山愛一郎国貿促会長が訪中―6月7日華総理と会見,8日帰国。華総理は,「覇権反対など日中共同声明の原則を盛れば日中平和友好条約締結の用意あり」と藤山氏に語った。
DIA-104-1976-05-28-1中国1976年05月28日1970年代文革以来10年間,北京の工業は大きく発展―昨年の北京市の工業総生産額は1965年の3.5倍余にふえた。鉄鋼工業も大幅にのび,鋼が4.7倍,鉄鉱石が6.6倍にふえた。農業支援部門の化学肥料,農薬,農用ジーゼルエンジン,農機具の生産量は4倍から10数倍に増えた。軽工業品の自給率は40%から80%に高まった。この10年に北京の工業部門が蓄積した上納利潤は,文革前17年合計の3.4倍にも達している。
DIA-104-1976-05-28-2中国1976年05月28日1970年代中国とスリナム共和国が国交を樹立―同日,国交樹立にかんする共同コミュニケが発表された。
DIA-104-1976-05-28-3中国1976年05月28日1970年代米大統領報道官,来年早々の米中関係正常化説を否定。
DIA-104-1976-05-29-1中国1976年05月29日1970年代人民日報社説,「大衆こそ真の英雄である」―末端単位の一部の人々が鄧小平の修正主義路線に自覚的に「立ち向った」ことを紹介し,「指導者は大衆に学び,上級は下級に学ばなければならない」と指示。
DIA-104-1976-05-29-2中国1976年05月29日1970年代雲南省西部の竜陵,西一帯でM7.5,M7.6の地震が連続発生―党中央は見舞の電報を発するとともに,中央慰問団を派遣。今回の地震は予報されていたので死傷者と損害は最小限にくいとめられた。
DIA-104-1976-05-30-1中国1976年05月30日1970年代内蒙古自治区の恰素海灌漑区水利センター主体工事が完成―このセンターは哈合素海東北岸にあり,包頭付近の磴口揚水ステーションを使って黄河から取水し,用水路で哈素海に引き入れ,このセンターの4つの揚水ステーションと18の調節ゲートを使って,土黙特左旗と托克托県の農地29万ムー余を灌漑するもの。1975年4月に着工,わずか1年で基本的に完成。
DIA-104-1976-05-30-2中国1976年05月30日1970年代馬寧空軍司令がパキスタン空軍代表団を招宴。
DIA-104-1976-05-30-3中国1976年05月30日1970年代台湾当局が米中国交の進展を懸念。(台北AFP)
DIA-104-1976-05-31-1中国1976年05月31日1970年代農村教育革命の大きな成果―現在,農村では5年制小学教育は基本的に普及し,かなりの地区で7年教育が普及,9年教育をおこなっているところもある。現在93%以上の学令児童が学校へ行っており,小学生は1億5000万人で,文革前の30%増となっている。23省,市,自治区では入学率が95%以上になった。370余万人の貧農下層中農が学校の管理に直接参加し,多くの小学校は公営から大隊営に移った。
DIA-104-1976-05-31-2中国1976年05月31日1970年代コモロ政府代表団が訪中―6月2日張春橋副総理が一行と会見した。
DIA-104-1976-06-01-1中国1976年06月01日1970年代「紅旗」6号,向紀偉「文化大革命と工業の発展」―階級闘争をカナメとし,政治を統率とする企業の方向を守ることを強調,走資派の「管,,圧」,「条条専政」を批判。
DIA-104-1976-06-01-2中国1976年06月01日1970年代「紅旗」6号,趙豊年「社会主義農業が急速に発展した10年」―この10年間に,化学肥料,農業用トラクター,農業用灌漑排水機械及び農村電力使用量の年平均成長率は文革前にくらべて4ないし8倍になっている。灌漑面積は毎年平均2000余万ムー増加した。4級農業科学実験網に参加する社員は1000万人にのぼり,3000余万ムーの試験場を作りあげている。
DIA-104-1976-06-02-1中国1976年06月02日1970年代台湾の「中央日報」が4種の周総理遺言を発表。
DIA-104-1976-06-02-2中国1976年06月02日1970年代文革後,広東省の鉄鋼工業は飛躍的に発展―1965年の年生産量を,今日では銑鉄では2日で,鋼では2ヵ月足らずで生産しうる。1970年建設の北江鉄鋼所は特殊鋼の生産基地に,広州鉄鋼所は10年間に鋼生産量が5.4倍となり,初歩的鉄鋼コンビナートを形成している。小型鉄鋼所は,文革前の30余県市,70余ヵ所から,今日80余県市に230余ヵ所も設立されるに至っている。(中国新聞社)
DIA-104-1976-06-02-3中国1976年06月02日1970年代ビレンドラ・ネパール国王が訪中―華総理,アペイ・アワンジンメイ,喬外交部長が成都で国王を出迎えた。国王一行は5日ラサに到着,チベットを訪問し,9日帰国の途についた。
DIA-104-1976-06-02-4中国1976年06月02日1970年代ニクソン前大統領を招いたことについて中国がこのほどひそかに米大統領にわび状を送った。(NANA特約―朝日)
DIA-104-1976-06-03-1中国1976年06月03日1970年代文革以来テレビ事業は大発展―テレビ局は7局から37局に,中継局は123局に増えた。使用されているテレビ受像機は文革前の11倍近くになっている。
DIA-104-1976-06-04-1中国1976年06月04日1970年代河北省興隆炭鉱は41日くりあげ上半期出炭計画を達成。
DIA-104-1976-06-04-2中国1976年06月04日1970年代仏三軍参謀長ギ・メリー大将が訪中―6日華総理及び葉国防部長が一行と会見した。
DIA-104-1976-06-04-3中国1976年06月04日1970年代ロジャー・ブラウン,「フォーリン・ポリシー」誌で毛沢東の存命中に米中関係を正常化すべしと主張―ブラウン氏はCIAの中国担当官。
DIA-104-1976-06-04-4中国1976年06月04日1970年代フィリピン・ルソン島の水害に総理見舞電と30万元相当の物資と30万元の現金を送る。
DIA-104-1976-06-05-1中国1976年06月05日1970年代南ベトナム臨時革命政府スポークスマン,チニオンサ諸島はベトナムの領土である,と主張。
DIA-104-1976-06-05-2中国1976年06月05日1970年代フェアパンク教授,日本で9月中にも米中正常化交渉ありうる,と語る。
DIA-104-1976-06-06-1中国1976年06月06日1970年代10万トン級オイル・バースを持つ現代化した大連新港が最近完成―原油埠頭には10万トン級と5万トン級の2隻の大型タンカーが停泊できる。8ヵ月くりあげて1年半で完成。
DIA-104-1976-06-07-1中国1976年06月07日1970年代唐山市の工業の文革以来の発展―工業生産総額が毎年平均11%の速度で伸び1975年には1965年の2.83倍となった。出炭量は2倍に,鋼生産量は3倍近く,陶磁器生産能力は2倍以上に増えた。
DIA-104-1976-06-07-2中国1976年06月07日1970年代大興安嶺の原始林を貫ぬく嫩林鉄道が開通―1964年末に着工された森林地区専用線で,沿線には100余の木材企業と工場,大型国営農場が建設され,毎年数百万㎡にのぼる木材が送り出されるようになった。
DIA-104-1976-06-07-3中国1976年06月07日1970年代茂名石油公司から湛江港への送油パイプライン建設中―全長140km,直径1mで年内完成予定。(大公報)
DIA-104-1976-06-09-1中国1976年06月09日1970年代農業機械の科学研究事業が大きく発展―全国の70%以上の地区と半数以上の県に農業機械研究所が設立され,省,地区,県の3級研究所と県,公社,大隊の農機具改良網が結合して研究を進めている。南方13省・市自治区の研究所は水田用機械の研究を主な課題としている。
DIA-104-1976-06-10-1中国1976年06月10日1970年代写真機生産量昨年は1965年の倍に増加,品種も5倍近くに増えた。
DIA-104-1976-06-10-2中国1976年06月10日1970年代華総理,ゲーツ駐中アメリカ連絡事務所長と会見―ゲーツ所長は5月6日に着任していた。
DIA-104-1976-06-11-1中国1976年06月11日1970年代雲南省で文革以来3300km余の道路がアスファルトで舗装された―これは1965年舗装量の80数倍に相当する。
DIA-104-1976-06-11-2中国1976年06月11日1970年代ラチラカ・マダガスカル大統領が訪中―11日夜華総理が一行を招宴,12日朱徳委員長が大統領と会見した。15日一行は帰国の途についた。
DIA-104-1976-06-11-3中国1976年06月11日1970年代中国の関係方面が4月上旬いらいの韓国漁船の漁労禁止区と領海侵入に厳重な警告を発表。
DIA-104-1976-06-12-1中国1976年06月12日1970年代10年来,農村に5万6000ヵ所の中小型水力発電所建設さる―大型発電網と結びついて全国農村の3分の2以上の人民公社,半数以上の生産大隊で電気が使えるようになった。水利電力部は最近広東省で全国中小型水力発電経験交流会を開いた。
DIA-104-1976-06-12-2中国1976年06月12日1970年代新華社記者論評,「レバノン情勢にかんするタス通信の声明について」―6月9日の声明をレバノン侵略,干渉の世論づくりである,と非難。
DIA-104-1976-06-13-1中国1976年06月13日1970年代新華社が「中国人民の偉大な指導者毛沢東主席」というカラー写真を発表。
DIA-104-1976-06-13-2中国1976年06月13日1970年代雲南・チベット道路が開通―全長716kmで起点は雲南省下関,金沙江と瀾滄江を横切り,チベット自治区の芒康(マルカム)が終点。
DIA-104-1976-06-14-1中国1976年06月14日1970年代中国外交部スポー・クスマン声明,フィリピンの石油開発財団が中国南沙群島礼楽灘一帯で油井掘削作業に着手したことに対し,領土主権侵犯と非難。
DIA-104-1976-06-14-2中国1976年06月14日1970年代ソ連が最近戦車師団の一部をモンゴルのブルカン付近に移動させた―米「エービエーション・ウィーク&スペース・テクノロジー」誌による。
DIA-104-1976-06-14-3中国1976年06月14日1970年代外務省首脳,国内政治の実情から日中平和友好条約の詰めの交渉に入れぬ,と語る。
DIA-104-1976-06-15-1中国1976年06月15日1970年代中国外交部スポークスマン,「党中央が毛主席は高齢と多忙のため今後は外国の賓客と会見しないと決定した」と語る。
DIA-104-1976-06-15-2中国1976年06月15日1970年代文革は農業機械化を推進―1975年のトラクター,灌漑排水機械など主な農業機械機具生産量は1965年の7ないし12倍に伸び,化学肥料生産量は,文革前17年間の生産量総和を上回った。今年1月から4月の間に14種の主要農機具のうち12種が昨年同期比10%から50%以上伸び,化学肥料は23%の伸びを示した。農業機械工業は全国に配置され,農機専門製造工場は1600以上あり,29省市自治区のうち27に大中型化学肥料工場が設立されている。
DIA-104-1976-06-15-3中国1976年06月15日1970年代コロンビアのML主義同盟全国指導委員会代表団が訪中,最近帰国。
DIA-104-1976-06-15-4中国1976年06月15日1970年代日中漁業共同委員会第1回会議,北京で開く―17日まで。
DIA-104-1976-06-16-1中国1976年06月16日1970年代中国が米国大豆90万トン,ブラジル大豆20万トンを買入れる―シカゴ殻物取引筋の情報。
DIA-104-1976-06-16-2中国1976年06月16日1970年代人民日報,横浜・神戸の華僑総会事件を「中日共同声明に違反し“二つの中国”を作り出す不法行為」と非難。
DIA-104-1976-06-17-1中国1976年06月17日1970年代北京の基本建設が進展―1975年に建設中および完成した基本建設工事は1965年よりそれぞれ61.8%,12%増加した。鉄鋼部門は遷安県に水晶鉄鉱山といくつかの小型鉄鉱山を建設,すべての鉄鉱石を自給できるようにした。この10年間に建設された火力・水力発電所の発電能力は,文革前17年間のそれの1.2倍に相当する。4つの小型化肥工場の完成,北京実験化工工場と首都鉄鋼公司の化学肥料職場の拡張工事によって,同市の1975年の化学肥料生産量は1965年の44倍に達した。この10年間に北京郊外には八つのダムと灌漑排水補助施設が建設された。
DIA-104-1976-06-17-2中国1976年06月17日1970年代「ニューヨーク・タイムズ」社説,台湾と断交しなくとも米中正常化の道あり,と主張。
DIA-104-1976-06-18-1中国1976年06月18日1970年代北京の日本大使館,中国外交部から華僑総会事件で厳重抗議を受けた,と発表。
DIA-104-1976-06-19-1中国1976年06月19日1970年代首都労働者民兵総指揮部,「労働者民兵の戦闘作用を充分に発揮させる」―階級闘争における民兵の役割を強調。
DIA-104-1976-06-19-2中国1976年06月19日1970年代韓国政府,対中漁業協定締結をよびかけ―10日と13日にだ捕された漁船と乗員の返還要求の中で。21日と22日中国は漁船2隻を釈放。
DIA-104-1976-06-20-1中国1976年06月20日1970年代チベットのアリ高原ではじめての炭鉱が完成―門士炭鉱で5月10日完成・操業開始,標高5140m。
DIA-104-1976-06-20-2中国1976年06月20日1970年代フレーザー・オーストラリア首相が訪中―21日,朱徳委員長が首相と会見,首相は北京滞在中華国鋒総理と会談をおこなった。首相一行は太原,ウルムチ,広州を参観し,27日帰国の途についた。
DIA-104-1976-06-21-1中国1976年06月21日1970年代山東省と山西省で最近農村定住知識青年代表大会を開く。
DIA-104-1976-06-22-1中国1976年06月22日1970年代三木首相,江田社会党副委員長に日中条約交渉では「日中共同声明」から後退させぬと語る。
DIA-104-1976-06-23-1中国1976年06月23日1970年代上海は農村向け医療機械を大量生産―1975年には農村向け医療機械22種類400余品種の製品の生産量はいずれも1965年にくらべ平均10倍以上増えた。上海ではこの10年間によく見かけるかかり易い病気を予防・治療する新型医療機器500余種の試作に成功した。
DIA-104-1976-06-23-2中国1976年06月23日1970年代国連安保理で頼亜力中国代表はアンゴラ問題についての中国の立場を表明―ソの武力千渉に反対,アンゴラの国連加盟推せん表決に棄権。
DIA-104-1976-06-23-3中国1976年06月23日1970年代日本社会党国会議員訪中団が北京着―団長江田三郎。24日廖承志中日友好協会会長が招宴。一行は大寨,石家荘を参観ののち7月1日李先念副総理と会見,2日帰国した。
DIA-104-1976-06-24-1中国1976年06月24日1970年代劉文輝元林業部長,国民党革委常委死去―享年82歳。29日追悼会が開かれた。
DIA-104-1976-06-24-2中国1976年06月24日1970年代朝鮮人民軍アンサンブル楽団が訪中―同日葉剣英,張春橋ら首脳が一行と会見。
DIA-104-1976-06-24-3中国1976年06月24日1970年代米軍,金門・馬祖から完全に撤退。
DIA-104-1976-06-25-1中国1976年06月25日1970年代中華全国体育総会台湾省体育工作連絡処が北京に設立さる。
DIA-104-1976-06-25-2中国1976年06月25日1970年代人民日報杜説,「朝鮮人民の偉大な勝利」―朝鮮戦争26周年に際して発表されたもの。
DIA-104-1976-06-26-1中国1976年06月26日1970年代襲飲冰中国銀行総経理死去―享年80歳。7月3日に追悼式がおこなわれた。
DIA-104-1976-06-27-1中国1976年06月27日1970年代華総理,セーシェルの独立に祝電,同国の承認を公布。
DIA-104-1976-06-27-2中国1976年06月27日1970年代池田創価学会会長,日中平和友好条約早期締結をよびかける―上海京劇団歓迎5万人集会で。
DIA-104-1976-06-28-1中国1976年06月28日1970年代全国10の大型小売店(デパート)最近天津で批鄧,右からのまきかえし反撃経験交流会を開く。
DIA-104-1976-06-28-2中国1976年06月28日1970年代中国外交部スポークスマン談話,ソウエト地区の黒人闘争への南アフリカ当局の弾圧を非難。
DIA-104-1976-06-29-1中国1976年06月29日1970年代遼寧省では文革以来17万の労働者新党員を増加―うち女性は25%前後,青年は70%近くを占める。現在,同省工交戦線職員・労働者数は文革前の20%増となっているが,そのうちの党員比率は19.9%から26.5%へと高まった。
DIA-104-1976-06-29-2中国1976年06月29日1970年代急ピッチで発展する中国の国民経済―農地基本建設における1975年の工事土石量は1965年の4倍にあたる150億㎡に達し,灌漑面積は毎年平均130万haづつ拡大されている。農村の昨年のトラクター保有台数は1965年の4.7倍で,この間,動力排水灌漑機械の総馬力は5.6倍に,農用電力消費量は4.5倍になった。この10年間に8省・自治区と800の県・市が「全国農業発展要綱」に規定された指標に達した。 1975年の原油生産と精製能力は1965年のそれぞれ6.8倍,4.3倍となった。大慶の原油生産は毎年平均30%のびている。この10年間に敷設した石油パイプラインは文革前の8倍,天然ガスパイプラインは10倍に達した。1975年の造船量は1965年の6倍であった。
DIA-104-1976-06-30-1中国1976年06月30日1970年代上海黄浦江大橋が完成―昨年9月11日完成の鉄道橋は全長3048m,橋の長さ420m。道路橋は全長1860m,幅12m。1974年8月31日着工,今年6月29日に完成,全面開通した。
DIA-104-1976-06-30-2中国1976年06月30日1970年代華総理,第13回アフリカ統一機構首脳会議開催に祝電を送る。
DIA-104-1976-06-30-3中国1976年06月30日1970年代中国とセーシェルが外交関係樹立―この日両国間で即日国交を開く共同コミュニケが調印された。
DIA-104-1976-07-01-1中国1976年07月01日1970年代三紙誌共同社説,「闘争のなかで党を建設しょう」―(参考資料参照)
DIA-104-1976-07-01-2中国1976年07月01日1970年代「紅旗」7号,池恒論文,「党内闘争と党の発展」―「毛主席がのべている『官僚主義者階級』『資本主義の道を歩む指導者』とは,いずれも明確な階級概念であり,走資派,社会主義の時期に党内に存在するブルジョア階級を指しているのである。劉少奇,林彪,鄧小平といった党内のブルジョア階級は政治,経済面から労働者階級と貧農・下層中農を抑圧,搾取し,労働者階級,貧農・下層中農とするどい階級闘争の状態にあり,社会主義革命の主要な対象である。」とのべ党内闘争を堅持せよ,と強調。
DIA-104-1976-07-01-3中国1976年07月01日1970年代李先念副首相,江田社会党委員長と会談,日中平和友好条約の早期締結で一致。
DIA-104-1976-07-02-1中国1976年07月02日1970年代藩陽変圧器工場の電気工が最近50万ボルト高圧線での活線作業の実験に成功。
DIA-104-1976-07-02-2中国1976年07月02日1970年代中華全国体育総会,国際オリンピック第78回総会と21回オリンピック大会の蒋一味のいわゆるスポーツ組織が参加することを許すべきでない,との電報を送る。
DIA-104-1976-07-03-1中国1976年07月03日1970年代毛沢東,朱徳,華国鋒,ベトナムの統一の実現を祝うベトナム指導者への祝電を送る―人民日報は「ベトナムの統一実現の勝利を祝う」という社説を発表した。
DIA-104-1976-07-04-1中国1976年07月04日1970年代軍成都部隊372病院で中西医管結合で胆石治療で排石率90%前後の成果上げる。
DIA-104-1976-07-04-2中国1976年07月04日1970年代人民日報,嘯楼論文「軍拡,戦備の大暴露:ソ修第10次5ヵ年計画を解剖する」
DIA-104-1976-07-04-3中国1976年07月04日1970年代人民日報,任華論文「ポーランド労働者階級の有力な反撃」―6月25日のポーランドの食糧値上げ反対ストについて。経済危機の元凶はソ連と非難。
DIA-104-1976-07-05-1中国1976年07月05日1970年代太平洋初の遠洋科学調査に1万トン級調査船2隻が参加,成果上げる―「向陽紅5号」と「同11号」。
DIA-104-1976-07-06-1中国1976年07月06日1970年代朱徳委員長死去―北京で病気治療のかいなく逝去。享年90歳。同日中共中央,全人代常委,国務院の訃告と葬儀委員会の名簿が発表された。8日,遺体の告別式がおこなわれ,9日と10日労働人民文化宮で弔問式がおこなわれ,1万5000人が参列した。11日午後人民大会党で告別式がおこなわれ,全国で半旗がかかげられた。王洪文副主席が追悼会を主宰し,華国鋒総理が弔辞をのべた。追悼会の終了後遺骨は八宝山革命公墓に安置された。
DIA-104-1976-07-06-2中国1976年07月06日1970年代李水清第一機械工業部部長が「南京部隊の責任者」に転出。
DIA-104-1976-07-06-3中国1976年07月06日1970年代各地で異質8倍体ライコムギの試験栽培に成功―高寒冷の土地がやせ,日照にみまわれ易い山間地区での栽培に適す。今年の収穫面積は約1300haに達している。最近農林部は貴州省威寧イ族回族ミヤオ族自治県で全国ライコムギ現場会議を開いた。
DIA-104-1976-07-07-1中国1976年07月07日1970年代皮定均福州部隊司令員が殉職―享年62歳。13日福州で追悼会が挙行され,朱紹清福州部隊副司令員の司会で李志民同部隊政治委員が弔辞をのべた。
DIA-104-1976-07-07-2中国1976年07月07日1970年代三木首相と宮沢外相,朱徳委員長逝去への弔電を送る―9日首相は中国大使館へ弔問。
DIA-104-1976-07-08-1中国1976年07月08日1970年代広東省恵陽地区は10年で1200余の小型発電所を建設―容量4万5000kW,文革前17年の11倍で,ほかにポンプ2400余ヵ所を設置した。(中国新聞社)
DIA-104-1976-07-09-1中国1976年07月09日1970年代宮沢外相,参院外務委員会で北方領土問題に対する中国の支援は好ましくない,と答弁―「北方領土問題は日ソ2国間の問題であり,どのような観点からも他国が関与することは好ましくない。中国は中ソ関係の立場から,この問題に言及していると思われるが,これは事態の円満な解決につながらない。」
DIA-104-1976-07-10-1中国1976年07月10日1970年代広西自治区と浙江省で最近農村定住知識青年代表大会開く。
DIA-104-1976-07-10-2中国1976年07月10日1970年代ハルビン市計器工業部門,高精度石油計量自動化計器装置の試作に成功―輸送する石油製品の体積密度と含水量を自動的に測定。
DIA-104-1976-07-10-3中国1976年07月10日1970年代中朝友好協力相互援助約締結15周年にあたり,毛沢東・華国鋒,金日成・朴成哲間で祝電の交換。
DIA-104-1976-07-10-4中国1976年07月10日1970年代郭沫若科学院院長,松村一人夫妻,井上清夫妻,安藤彦太郎夫妻,吉田富夫氏と会見。
DIA-104-1976-07-12-1中国1976年07月12日1970年代インド政府陳肇源中国駐印大使アグレマンに同意。
DIA-104-1976-07-12-2中国1976年07月12日1970年代宮沢外相,米マンスフィールド上院議員に,米中関係の急進展を望まぬと言明―内容は,①日本として米中関係に言及する立場にないが,日本にとっては米中関係が急激に変化することはのぞまない。②米中関係の正常化は日中関係の正常化とちがって米台相互防衛条約の扱いがある,米台条約を破棄しても,台湾の安全が確保されるような保障がなくてはまずいのではないか。
DIA-104-1976-07-13-1中国1976年07月13日1970年代広西河池地区は政治理論通信教育大学を設置。
DIA-104-1976-07-13-2中国1976年07月13日1970年代張春橋副総理,スコット米上院共和党院内総務夫妻一行と会見。
DIA-104-1976-07-14-1中国1976年07月14日1970年代一番茶が豊作,解放後の最高記録―6月20日現在の茶の買付量は昨年同期より14.7%の伸びとなった。
DIA-104-1976-07-14-2中国1976年07月14日1970年代広州石油化学工業工場の建設は土木建設から装置据付け段階に入った。(中国新聞杜)
DIA-104-1976-07-14-3中国1976年07月14日1970年代タンザン鉄道が正式に開通―ザンビア・セントラル州の新カピリムポシ駅で鉄道の引渡し式がおこなわれ,孫健副総理を団長とする中国政府代表団もこの式典に参加した。
DIA-104-1976-07-15-1中国1976年07月15日1970年代ベニン人民共和国代表団,朝鮮から北京入り―ケレク大統領一行が到着した夜,華総理が歓迎宴を催した。訪中期間に経済技術協力協定議定書などに調印,20日帰国の途についた。
DIA-104-1976-07-15-2中国1976年07月15日1970年代人民日報,「北方領土返還を求める日本各界の人々が宮沢外相の反中国の誤った発言を非難している」,と宮沢7.9答弁を間接批判。
DIA-104-1976-07-16-1中国1976年07月16日1970年代人民日報社説,「風波のなかを前進しょう」―「階級闘争をカナメとし,党の一元化した指導のもとに毛主席の革命体育路線をまじめに徹底して遂行」することを要求。北京などの6都市では毛首席の長江游泳10周年を盛大に記念する水泳行事が催された。
DIA-104-1976-07-16-2中国1976年07月16日1970年代中国,輸出促進のため小交易会を次々に開催―中国は下半期に6つの展示会を計画,日本商社や関係者の参加を希望。27日から天津で化工医薬小交易会,4市で同時に特殊工芸商談会,11日から香港で陶器商談会など。(日刊工業新聞)
DIA-104-1976-07-17-1中国1976年07月17日1970年代山東省新鉱務局良荘炭鉱「乗勝」採炭隊,6月に1切羽原炭月産10万5341トンの中国新記録を樹立。10万トンは普通の月産の3倍に相当。
DIA-104-1976-07-17-2中国1976年07月17日1970年代大型火力発電所・遼寧朝陽発電所が完成―1975年に完成以来性能は良好。同省西部山区にあり,20万kW二重内部水冷式蒸気タービン発電気2基が据付けられている。
DIA-104-1976-07-18-1中国1976年07月18日1970年代人民日報,4労働者連名論文「右からのまき返しに反撃し,漢字改革を速めよう」―主なマスメディアでは2076字の使用頻度が99%という調査。
DIA-104-1976-07-19-1中国1976年07月19日1970年代中国外交部沈平アジア局長,小川大使を招き,宮沢外相の2つの発言に抗議する声明文を手交。
DIA-104-1976-07-19-2中国1976年07月19日1970年代新華社記者論評,「強盗の心理」―7月に入ってからのソ連の対日軍事威圧の強化,その下での7月9日の宮沢外相の発言,すなわち日本の北方領土返還闘争にたいする中国人民の支持が「日ソ両国間の問題」にたいする「干渉」であるとか,「歓迎されない」とか,また「事態の円満な解決の助けとならない」といったデタラメはソ連の圧力の下でソ修のごきげんをとるものである。タス通信はさっそくこれをホメた。ソ連社会帝国主義の日本に対するおどしとどうかつは1人か2人の臆病者をバカにすることができるだけで,広はんな日本人民はこのようなものをへとも思っていない。
DIA-104-1976-07-20-1中国1976年07月20日1970年代外国人留学生の夏休み国内旅行を制限―理由は「階級闘争により安全を保障しかねる」というもの。
DIA-104-1976-07-20-2中国1976年07月20日1970年代人民日報,「日中共同声明にそむき,台湾が祖国に戻ることを妨げようとし“2つの中国”を唱え露骨に中国の内政に干渉したもの」と宮沢12日発言を非難。
DIA-104-1976-07-21-1中国1976年07月21日1970年代徐今強石炭工業部党中核小組組長,同部長が死去―病気のため北京で死去,享年61歳。追悼会は25日八宝山講堂でおこなわれた。
DIA-104-1976-07-21-2中国1976年07月21日1970年代「7・21」労働者大学1万5000余ヵ所に発展―75年前半は1200ヵ所9万余人であったが現在は1万5000余ヵ所78万余人に発展している。
DIA-104-1976-07-21-3中国1976年07月21日1970年代最近8省,自治区が長春で蒙古語図書出版第2回脇業会議開く。
DIA-104-1976-07-21-4中国1976年07月21日1970年代イランのアシュラフ王女が訪中―8月1日まで。この間華総理,喬外交部長と会見した。
DIA-104-1976-07-21-5中国1976年07月21日1970年代日中海運実務者協議の中国代表団が来日を8月へ延期。
DIA-104-1976-07-22-1中国1976年07月22日1970年代科学院の金環食観測隊が大きな成果―4月29日,カラコルム山で起った金環食を観測。
DIA-104-1976-07-22-2中国1976年07月22日1970年代全国の夏季食糧の総収穫量は史上最高に―小麦を主とする夏季食糧を生産している24の省・市・自治区のうち,災害のため少数の省,市,自治区が平年作あるいはやや減産だったほかは,大部分が昨年より増産となった。うち北京,上海,山東,河南,遼寧,江蘇,湖南,浙江,貴州,新彊では総収穫量が昨年をかなり大幅に上回った。
DIA-104-1976-07-22-3中国1976年07月22日1970年代人民日報,国際短坪「野蛮な侵略行為」―17日スハルトが東チモール合併法案に署名,併合したことを非難。
DIA-104-1976-07-22-4中国1976年07月22日1970年代デンマーク共産主義者同盟(ML)代表団が訪中―8月9日,耿対外連絡部長が一行と会見した。
DIA-104-1976-07-23-1中国1976年07月23日1970年代津滬線の複線化工事が予定をくり上げ完成―全長1300キロ。途中の済南黄河大橋は全長5.7キロ。
DIA-104-1976-07-24-1中国1976年07月24日1970年代勝利油田に72の7.21労働者大学が開校,1500人余が学ぶ。
DIA-104-1976-07-24-2中国1976年07月24日1970年代湖南省湘潭大学再開―1958年6月創立,59年7月閉鎖。
DIA-104-1976-07-24-3中国1976年07月24日1970年代遼寧省で大型ダイヤモンド鉱を発見。
DIA-104-1976-07-24-4中国1976年07月24日1970年代北京市は上半期の工業生産計画を達成。
DIA-104-1976-07-25-1中国1976年07月25日1970年代雲南で発見の元謀猿人は,古地磁気法の測定で170万年前に生存と判明―中国第4紀地質研究に新たな展望を拓く。
DIA-104-1976-07-25-2中国1976年07月25日1970年代カーター米大統領選候補,米中国交正常化の時には台湾への保障を求める意向を表明―「タイム」誌に語る。
DIA-104-1976-07-26-1中国1976年07月26日1970年代カーマ・ボツワナ共和国大統領が訪中―27日華総理が歓迎宴を催した。華総理とカーマ大統領は会談をおこなった。8月8日両国政府は経済技術協力脇定に調印,9日一行は朝鮮へ向けて出発した。
DIA-104-1976-07-26-2中国1976年07月26日1970年代華総理,ホイットラム・オーストラリア前首相と会見―同氏は25日に訪中した。
DIA-104-1976-07-26-3中国1976年07月26日1970年代日本アジア航空が日本―台湾―香港ルート1番機を就航さす。
DIA-104-1976-07-27-1中国1976年07月27日1970年代人民日報,梁效論文,「党内のブルジョア階級と闘かうなかで上部構造を占領・改造しよう」―労働者宣伝隊の文化・教育陣地進駐8年に際して書かれたもの。労働者階級は上部構造に進駐したあともその地位を保ちつづけ,完全に改造できるか否かをめぐって,なおも激烈な占領と反占領,改造と反改造,奪権と反奪権の闘争を進めなければならない。ブルジョア階級は失敗に甘んじるものではない,と強調。
DIA-104-1976-07-27-2中国1976年07月27日1970年代作曲家馬可氏死去―享年58歳。30日追悼会がおこなわれ浩亮,袁水拍文化部副部長が参列。
DIA-104-1976-07-27-3中国1976年07月27日1970年代河南省梁炭鉱で年産原料炭60万トンの近代的立坑,軍営溝立坑を完成―これまでは年産15万トンの立坑しかなかった。
DIA-104-1976-07-27-4中国1976年07月27日1970年代福建省で最近純国産設備の年産1万トンのビニロン工場が完成。
DIA-104-1976-07-28-1中国1976年07月28日1970年代河北省の唐山,豊南一帯にマグニチュード7.5の大地震―午前3時42分に発生,同日,中共中央は被災地区人民にあてた見舞電を発表。
DIA-104-1976-07-28-2中国1976年07月28日1970年代上部構造領域で活動する上海市の労働者毛沢東思想宣伝隊は1万2700余人。
DIA-104-1976-07-28-3中国1976年07月28日1970年代上半期の原油と天然ガス生産,昨年同期をそれぞれ10%づつ上回る―渤海湾と四川省では若干の高生産油井とガス井が掘られた。
DIA-104-1976-07-28-4中国1976年07月28日1970年代三木首相,日中平和友好条約交渉について,必要なら自分が訪中,外相会談も考慮と衆院外務委員会で表明。
DIA-104-1976-07-28-5中国1976年07月28日1970年代唐山・豊南地震で日本人技術者など3入が死亡。
DIA-104-1976-07-29-1中国1976年07月29日1970年代江西共産主義労働大学は江西の108ヵ所の地区,市,県に分布している。
DIA-104-1976-07-29-2中国1976年07月29日1970年代孫健副総理のひきいる中国政府代表団,アフリカより帰国―ザンビア(7月13日~19日),タンザニア(20日~28日)を訪問したもの。
DIA-104-1976-07-30-1中国1976年07月30日1970年代華総理を団長とする中央慰問団が被災地区に到着。
DIA-104-1976-07-30-2中国1976年07月30日1970年代全国各地で擁軍愛民活動を展開。
DIA-104-1976-07-30-3中国1976年07月30日1970年代湘潭電線工場でアルミ棒連続鋳造・圧延生産ラインの製造に成功。
DIA-104-1976-07-30-4中国1976年07月30日1970年代中国外交部,唐山,豊南地震への外国の援助を謝辞。
DIA-104-1976-07-31-1中国1976年07月31日1970年代北京市郊外の延慶県で高さ4m,幅2.9m,全長7.11kmの大取水トンネル完成。
DIA-104-1976-08-01-1中国1976年08月01日1970年代「紅旗」8号,畢盛論文「プロレタリア階級は革命的楽観主義者である」
DIA-104-1976-08-01-2中国1976年08月01日1970年代石家荘炭鉱機械工場,1500mの深さまで掘れる中国初の炭鉱ドリルの試作に成功。
DIA-104-1976-08-01-3中国1976年08月01日1970年代人民日報,任谷平,「『欧州安保会議』後一年の情勢は何を物語っているか」。
DIA-104-1976-08-01-4中国1976年08月01日1970年代中国外交部,各国大使館は強烈な余震の可能性があるため北京から全員退避するよう勧告。
DIA-104-1976-08-02-1中国1976年08月02日1970年代万トン級鉄筋コンクリート製浮ドック「盧山号」が南京で進水―万トン級船舶の修理用。
DIA-104-1976-08-02-2中国1976年08月02日1970年代中国は米中関係正常化の進展の遅さにいら立ち示す―スコット氏(米上院共和党院内総務)がワシントク「海外記者クラプ」での講演で明らかにしたもの。10日に同氏は上院外交委員会に訪中報告を提出した。
DIA-104-1976-08-02-3中国1976年08月02日1970年代日本大使館員と家族111人,商社員ら68人が帰国―中国側の地震激化につき退去を求める勧告にもとづく。以後商社員のほとんどが帰国。
DIA-104-1976-08-03-1中国1976年08月03日1970年代人民日報,洪裁論文「なにを整頓しょうというのか」―軍隊建設は「整頓」をカナメとするという鄧小平の反動的謬論を批判する,という副題つき。
DIA-104-1976-08-03-2中国1976年08月03日1970年代中国政府,目本政府に「自力更生の方針なので各国の援助は辞退している」と伝える―宮沢外相は閣議で報告,河北地震への日本の救援策は当面とらないことになった。
DIA-104-1976-08-03-3中国1976年08月03日1970年代兼松江商,中国綿布のアメリカ向け3国間商談を成約。
DIA-104-1976-08-05-1中国1976年08月05日1970年代ラサ市チベット医院が1000年の歴史を持つ「据悉」(四部医典)の整理を開始。(中国新聞社)
DIA-104-1976-08-06-1中国1976年08月06日1970年代北京大学で文科系の卒業式挙行。
DIA-104-1976-08-06-2中国1976年08月06日1970年代華総理,民主カンボジア政府のイエン・サリ副首相と会見―同氏は非同盟諸国外相会議出席のため立ち寄ったもの。
DIA-104-1976-08-06-3中国1976年08月06日1970年代ソ連の「イズベスチア」紙と「ニェジェーリヤ」誌,毛政権は非同盟の敵,ときめつけ。
DIA-104-1976-08-08-1中国1976年08月08日1970年代吉林カーボン工場,大容量直流黒鉛化電気炉を完成。
DIA-104-1976-08-08-2中国1976年08月08日1970年代鳥江を渡る回竜大橋が7月1日開通―168.4m,幅8.5m,高さ62.5m。(中国新聞社)
DIA-104-1976-08-09-1中国1976年08月09日1970年代人民日報短評,「奇跡的な出来事」―開炭鉱の各炭坑の1万人もの夜勤労働者がわずか数名をのぞいて地震発生後数時間で坑外に脱出したこと,馬家溝炭坑では8月7日に地震後初の石炭を地上に搬出したこと,同日北京―山海関線が復旧したことなどを称賛。
DIA-104-1976-08-09-2中国1976年08月09日1970年代朝北京で最大の余震発生―外交部は10日朝,近日中にさらに強い余震発生の可能性を警告。
DIA-104-1976-08-11-1中国1976年08月11日1970年代人民日報社説,「鄧小平批判を深め,坑震救災をおこなう」―「解放後の歴史的事実が証明しているように,厳しい自然災害に見舞われるごとに,2つの階級,2つの道,2つの路線の闘争が激化する」とのべている。
DIA-104-1976-08-11-2中国1976年08月11日1970年代国務院と中央軍委が故王新安氏に「英雄民兵大隊長」の称号を授与―王氏は河南省新蔡県甘湾生産大隊の民兵大隊長で昨年8月11日洪水で壊された水門の破損箇所を身体でふさぎ生命を献げた。
DIA-104-1976-08-11-3中国1976年08月11日1970年代米レスター・ウルフ民主党議員,下院外交委に「米国と中国―将来の外交政策の方向」と題する訪中報告を提出,中ソ国境の中国軍は61万8000人,ソ連軍は47万5000人との国防総省の数字を公表。
DIA-104-1976-08-12-1中国1976年08月12日1970年代2000人の吉林化学工業公司が3型多能電動制御器を製作―生産過程の温度,流量,圧力,液面の検測,制御をおこなうことができる。
DIA-104-1976-08-15-1中国1976年08月15日1970年代国家地震局,北京大地震警報を解除―16日,テント撤去はじまる。17日市民生活が正常化。
DIA-104-1976-08-15-2中国1976年08月15日1970年代吉林省遼源炭鉱機械工場で薄炭層用のコール・カッターを設計・製作し,量産に入った。
DIA-104-1976-08-15-3中国1976年08月15日1970年代人民日報評論員,「朝鮮人民の厳正な立場をだんこ支持する」―北期鮮の8.5声明を支持。
DIA-104-1976-08-15-4中国1976年08月15日1970年代華総理,第5回非同盟諸国首脳会議の開催に祝電を送る。
DIA-104-1976-08-15-5中国1976年08月15日1970年代新華社記者論評,「パレスチナ人民にたいするソ連の裏切りを評す」
DIA-104-1976-08-16-1中国1976年08月16日1970年代四川省北部の松播,平武一帯にM7.2の大地震―予報により災害防止措置をとり被害は軽微であった。
DIA-104-1976-08-17-1中国1976年08月17日1970年代北京,上海,天津で毛主席の第一回紅衛兵接見10周年記念集会開かる。
DIA-104-1976-08-17-2中国1976年08月17日1970年代全国夏季食糧の徴収・買い付け計画超過達成―今年の夏季食糧生産は総収穫量と単位面積当り収量がいずれもこれまでの最高を記録した。7月末までに入庫した食糧と余剰食糧はすでに国家徴収・買い付け計画を10%上回った。
DIA-104-1976-08-18-1中国1976年08月18日1970年代人民日報,共青団第1Q回代表大会準備組理論組「青年運動の新たな一章」―紅衛兵運動を称賛,「革命的な新しい力は無敵である」と強調。
DIA-104-1976-08-18-2中国1976年08月18日1970年代中央軍委が鉄道兵某部1中隊に“抗洪急修模範中隊”の称号を綬与,命名大会開く―75年8月に16日で鉄道を回復。(中国新聞社)
DIA-104-1976-08-19-1中国1976年08月19日1970年代湖北省光化県河口鎮の小中学校で教師と貧農・下層中農を入替える制度を実施―昨年7月から。
DIA-104-1976-08-19-2中国1976年08月19日1970年代米国務省内でキッシンジャー・黄鎮会談がおこなわれた。
DIA-104-1976-08-19-3中国1976年08月19日1970年代ポーランド政府,新華社記者の常駐資格を取消し記者は20日帰国の途についた。
DIA-104-1976-08-20-1中国1976年08月20日1970年代広州窒素肥料工場で年産6万トンの合成アンモニア重油ガス化システムを完成―5月27日試運転開始。
DIA-104-1976-08-20-2中国1976年08月20日1970年代中国と中央アフリカが国交を正常化―共同コミュニケに調印。
DIA-104-1976-08-20-3中国1976年08月20日1970年代華総理,フィリピン地震に見舞電を送る―中国紅十字会は電報と共に人民幣20万元相当の物資を寄贈した。
DIA-104-1976-08-20-4中国1976年08月20日1970年代人民日報評論員,「スミス政権の新たな犯罪行為を激しく糾弾する」―8月9日のローデシア軍のモザンビーク侵入を非難。
DIA-104-1976-08-20-5中国1976年08月20日1970年代中国政府海運代表団が来日。
DIA-104-1976-08-21-1中国1976年08月21日1970年代人民日報,中国婦女連合会「4大」準備組理論グループ論文,「いく億いく千万の婦人が闘争のなかで声高らかにつき進む」―毛主席が「中国婦女」誌に題字を書いた10周年にあたって書かれたもの。
DIA-104-1976-08-21-2中国1976年08月21日1970年代新華社通信員,同記者,「生き生きとした対比―遼寧省の2つの工事の対比から『条条専政』を再度進めた鄧小平の犯罪行為を見る」―大連新港の工事と本渓鉄鋼公司の改造工事の対比。
DIA-104-1976-08-21-3中国1976年08月21日1970年代人民日報,嘯楼論文「東欧諸国への支配を強化するモスクワ」―チェコ侵入8周年にあたっての分析。
DIA-104-1976-08-21-4中国1976年08月21日1970年代人民日報評論員,「アザニア人民の正義の闘争を断固支持する」
DIA-104-1976-08-22-1中国1976年08月22日1970年代包頭鋼鉄公司,石油套管鋼(オイル・ケーシング鋼)の大量生産を開始。
DIA-104-1976-08-23-1中国1976年08月23日1970年代人民日報社説,「核心をつかみ鄧小平批判を深めよう」―鄧小平の意を受けて作成された《全党,全国の諸工作の総綱について》,《科学技術工作についてのいくつかの問題》(つまり《報告提綱》),《工業の発展をはやめることについての若干の問題》(つまり《条例》)の3つの反面資料を大衆に渡して批判をくりひろげること,を指示。
DIA-104-1976-08-23-2中国1976年08月23日1970年代中国初の5万トン遠洋タンカー大連紅旗造船所で135日で進水―「西湖」号。(29日新華社)
DIA-104-1976-08-23-3中国1976年08月23日1970年代小川大使,韓念竜外交部副部長と会談―大使は24日一時帰国した。
DIA-104-1976-08-23-4中国1976年08月23日1970年代姚文元政治局員,社会科学者訪中団(団長山本二三丸)と会見。
DIA-104-1976-08-24-1中国1976年08月24日1970年代上海市中学生体育大会が閉幕―大衆体育先進未端単位を選ぶことを内容として1ヵ月にわたって開かれた。
DIA-104-1976-08-24-2中国1976年08月24日1970年代全国で早稲が豊作,総収穫量,単位面積当り収量が史上最高に―主産地の13省・市・自治区では少数の地区が災害で若干減収となったほかは大多数の地区で昨年より増産となった。そのうち江蘇,安徽,広東,湖北,広西,上海では総収穫量が昨年をかなり大幅に上まわった。
DIA-104-1976-08-25-1中国1976年08月25日1970年代米の推計によれば,中国の国内総生産GDPは71~75年に年率5~7%の成長示す―工業は年率9.3%,農業は2.8%の伸びを示し,75年のGDPは2150億ドルないし2500億ドルに達した。(「U.S.チャイナ・ビジネス・レビュー」4号)
DIA-104-1976-08-25-2中国1976年08月25日1970年代人民日報社説,「帝国主義,植民地主義,覇権主義に反対する闘争のなかで前進しょう」―第5回非同盟諸国・政府首脳会議が積極的な成果を収めたことを祝賀。
DIA-104-1976-08-25-3中国1976年08月25日1970年代日中政府間海連脇議開き,民間協議団体設置等に合意。
DIA-104-1976-08-25-4中国1976年08月25日1970年代日中貿易商談再開,商社員続々北京入り。
DIA-104-1976-08-26-1中国1976年08月26日1970年代中央軍委,帰郷して農民になる王憲周遼寧省阜新軍分区第2政治委員に学ぶようよびかけ―王氏は1932年入党,今年58歳。
DIA-104-1976-08-26-2中国1976年08月26日1970年代北京国際女子バスケットボール友好招待試合が閉幕―12日間にわたって開かれた。
DIA-104-1976-08-30-1中国1976年08月30日1970年代人工衛星打ち上げに成功。
DIA-104-1976-08-30-2中国1976年08月30日1970年代西沙群島で広東省博物館と海南行政区文化局が文物調査をおこない,多くの重要発見―この2年間に2回。軍部隊と西南中沙群島革命委員会の協力で1000点以上にものぼる文物資料を入手した。
DIA-104-1976-08-31-1中国1976年08月31日1970年代黒竜江省建華機械工場では「幹部,労働者の定期輪番制」を実施―昨年9月から。
DIA-104-1976-08-31-2中国1976年08月31日1970年代武漢実験工場でカラー・ビデオ・テープの試作に成功。
DIA-104-1976-08-31-3中国1976年08月31日1970年代中国初のレーザー視準軌きょうつり上げ機試作に成功―衡陽鉄道機械修理組立工場と鉄道部科学院が成功させたもの。
DIA-104-1976-08-31-4中国1976年08月31日1970年代日中航空混載貨物(株)設立。
DIA-104-1976-09-01-1中国1976年09月01日1970年代北京で唐山・豊南地震災害復旧・救援先進単位・模範人物代表会議開く―3500余人が出席,王洪文副主席が司会,華国鋒総理が重要演説をおこない,劉子厚河北省党委第1書記,徐信天津市党委書記,・黄作珍北京市党委書記が演説をおこない,毛主席あての表敬の手紙が満場一致で採択された。人民日報は2日,「毛主席の革命路線の偉大な勝利」という社説をかかげた。
DIA-104-1976-09-01-2中国1976年09月01日1970年代唐山市の小中学校全部が授業再開。
DIA-104-1976-09-02-1中国1976年09月02日1970年代西サモア国家元首マリエトア・タヌマフィリ2世が訪中―8日両国政府経済技術協力協定が調印され,9日一行は空路北京をはなれた。
DIA-104-1976-09-02-2中国1976年09月02日1970年代ベトナム大使が北京で独立記念日レセプション催す―陳永貴,喬冠華らが招かれて出席。
DIA-104-1976-09-03-1中国1976年09月03日1970年代中国化工学会石油精製技術考察団が来日。
DIA-104-1976-09-06-1中国1976年09月06日1970年代新駐印中国大使陳肇源,北京発―10日インドに着任。
DIA-104-1976-09-07-1中国1976年09月07日1970年代人民日報社説,「鄧小平批判に力を入れて,生産を促そう」―要点。鄧小平批判,生産,災害復旧の関係を正しく排列し,鄧批判をもって生産を災害復旧を促すようにしなければならない。
DIA-104-1976-09-07-2中国1976年09月07日1970年代新華社通信員,同記者,「2つの積極性があった方が1つの積極性しかないよりもはるかによい:遼陽石油化学繊維総工場建設プロジェクト調査」―1974年8月の着工から75年6月までの11ヵ月は鄧小平が反革命修正主義路線をおし進め,「条条専政」を再度おこない,毎月の施工計画が達成されなかったが,7月以来省党委が一元化した指導をおこない,大会戦を組織し,活気にみちた局面が出現した。
DIA-104-1976-09-09-1中国1976年09月09日1970年代毛沢東主席死去―病状悪化のため治療のかいなく北京で逝去した。享年82歳。同日,中共中央,全人代常委,国務院,中央軍委の「全党,全軍,全国各民族人民に告ぐる書」が発表され,葬儀委員会の名簿が発表された。11日から17日まで人民大会堂で弔問式がおこなわれ首都各界大衆30数万人が遺容に接した。13日には北京にいる外国の友人・外交使節が,14日には北京にいる各国のML主義政党・組織の人々,各国の在京専門家が遺容に接した。18日牛後3時,天安門広場で首都100万人民による追悼大会が行なわれ,王洪文副主席が開始を宣言,午後3時,3分間の黙をささげた。華国鋒第1副主席,総理が追悼の辞をよみあげた。全国の県以上の単位では同じ時刻に追悼会がおこなわれた。
DIA-104-1976-09-09-2中国1976年09月09日1970年代米大統領,キ国務長官,毛主席死去に哀悼の特別記者会見―大統領は哀悼の声明で毛主席を「中国近代史における巨人」と呼び「毛主席の協力で生れた米中関係改善の流れは世界の平和と安全に貢献しつづけることを確信する」とのべた。
DIA-104-1976-09-09-3中国1976年09月09日1970年代三木首相,毛主席逝去にあたり中国大使館を弔問,談話で日中両国の友好関係の発展に努力すると表明。
DIA-104-1976-09-10-1中国1976年09月10日1970年代金日成主席が中国大使館を弔問―国連では1分間の黙悼と毛主席の追悼スピーチがおこなわれた。ホッジヤ第1書記,チヤウシエスク書記長(11日),ベトナム党,議会,政府代表団(11日)がそれぞれ当国の中国大使館を訪れ哀悼の意を表した。
DIA-104-1976-09-13-1中国1976年09月13日1970年代モスクワの中国大使館にマズロフ第一副首相,アルヒポフ副首相,グロムイコ外相が弔問。
DIA-104-1976-09-14-1中国1976年09月14日1970年代中国外交部スポークスマン,中共は,ソ連,東独,ブルガリア,ポーランド,ハンガリー,チェコの党の故毛主席への弔電は送り返した,と言明。
DIA-104-1976-09-16-1中国1976年09月16日1970年代三紙誌共同社説,「毛主席は永遠にわれわれの心のなかに生きつづける上―(要旨) 毛主席はわれわれに「既定の方針にしたがって事を運ぶ」と教えている。 既定の方針にしたがって事を運ぶということは,とりもなおさず毛主席のプロレタリア革命路線にしたがって事を運ぶことである。
DIA-104-1976-09-17-1中国1976年09月17日1970年代新日鉄,下期の鉄鋼商談開始のため代表派遣を中国が求めてきた,と発表。
DIA-104-1976-09-20-1中国1976年09月20日1970年代華第1副主席,崔庸健副主席の逝去に対し,弔電を送る―21日華第1副主席は花輪を贈つた。23日,張春橋,陳錫〓,呉徳氏が朝鮮大使館を弔問した。
DIA-104-1976-09-23-1中国1976年09月23日1970年代ジャマイカ政府代表団が訪中―24日,華総理が一行と会見,26日両国政府は貿易,経済協力協定ならびに議定書に調印。
DIA-104-1976-09-24-1中国1976年09月24日1970年代新華社記者論評,「ソ連の軍事的威嚇は『おとぎばなし』ではなく,現実である」―ヨーロッパへのソ連の行動と言論の分析。
DIA-104-1976-09-25-1中国1976年09月25日1970年代「紅旗」10号池恒論文「毛沢東思想は永遠にわれわれの前進を導く」―要点。毛主席はわれわれに「既定方針通り行う」ように言いつけた。既定方針通り行うとは,ほかでもなく毛主席のプロレタリア革命路線と諸政策に従って事を運ぶことである。プロレタリア階級独裁下の継続革命に関する毛主席の理論を真剣に学習せず,社会主義革命の性質,対象,任務,前途をはっきりさせず,どこにブルジョア階級がいるかを知らず,走資派がいまなおその道を歩んでいることに気付かず,なぜブルジョア階級に対して全面的独裁を行わなければならないかがわからなければ,必然的に政治方向を見失い,毛主席の革命路線を真に堅持できなくなる。
DIA-104-1976-09-25-2中国1976年09月25日1970年代華総理,E・ロ―リン・ニュージーランド前首相と会見。
DIA-104-1976-09-25-3中国1976年09月25日1970年代ミグ25函館着陸事件について,新華社は「決定的な要素は物でなく人である」という論評を発表,ソ連の軍事独裁体制の社会矛盾の反映と評価。
DIA-104-1976-09-26-1中国1976年09月26日1970年代新たな核実験に成功―19回目員。公表されたものとしては16回目。日本では大気圏内の実験と断定。
DIA-104-1976-09-27-1中国1976年09月27日1970年代全国の石炭生産,大幅に伸びる―8月末までの石炭生産量は昨年同期より4.27%上回った。1月から8月までに32の立坑が操業に入り,全国の生産能力は昨年同期より34.77%伸びた。
DIA-104-1976-09-27-2中国1976年09月27日1970年代小坂外相,国連総会の一般討論演説で覇権反対を示唆―中国側もこれを評価。
DIA-104-1976-09-28-1中国1976年09月28日1970年代1~8月の全国商品小売総額は昨年同期を7%上回る―農村向け商品販売量がふえたし,国が8月までに都市・農村に供給した副食品は昨年同期より増加した。1~8月の紅麻,野菜,果実,茶,葉タバコ,まゆの買付量は昨年同期をそれぞれ上まわり,同期に農村へ供給された農業機械,化学肥料,ディーゼル油,農薬は昨年同期を著るしく上回っている。
DIA-104-1976-09-28-2中国1976年09月28日1970年代華総理,シユレジンジャー前米国防長官と会見―同氏は9月6日訪中,各地を参観し,27日葉剣英国防部長と会見,29日帰国の途についた。
DIA-104-1976-09-29-1中国1976年09月29日1970年代人民日報,林麗「私たちは必ず台湾を解放します」
DIA-104-1976-09-29-2中国1976年09月29日1970年代新任の劉新権アルバニア大使が信任状を提出―劉大使は24日チラナに到着した。
DIA-104-1976-09-29-3中国1976年09月29日1970年代日中平和友好条約締結促進の自動車宣伝隊が大阪を出発―1日東京着。
DIA-104-1976-09-30-1中国1976年09月30日1970年代首都各界代表の座談会,天安門楼閣で開く―党首脳はじめ400余名が参加。広州,藩陽,ウルムチでも座談会がおこなわれた。
DIA-104-1976-09-30-2中国1976年09月30日1970年代福建前線部隊司令部スポークスマン,10月1日と3日,金門島等への砲撃を停止と発表。
DIA-104-1976-10-01-1中国1976年10月01日1970年代北京市はじめ全国の末端単位で学習会,座談会,批判会を開き国慶節を祝賀。
DIA-104-1976-10-01-2中国1976年10月01日1970年代人民日報社説,「毛沢東思想を学習し,毛主席の遺志をうけつごう」
DIA-104-1976-10-01-3中国1976年10月01日1970年代上海の工業生産総額,10年間年平均8.8%のびる―このため1975年には1965年の23倍,1949年の19倍になった。
DIA-104-1976-10-01-4中国1976年10月01日1970年代全国で進む治水事業―全国に大中小の貯水池が7万余あり,180万本の動力井戸が完成している。大中型の水力発電所は百を越え,小型水力発電所は6万余が建設されている。
DIA-104-1976-10-01-5中国1976年10月01日1970年代「プラウダ」アレクサンドロフ論文,中ソ関係改善をよびかけ―「27歳の中国」と題している。ソ連の議会と政府も,中国の国慶節に対する祝電の中で関係正常化をよびかけた。
DIA-104-1976-10-03-1中国1976年10月03日1970年代香港の「明報」と「工商日報」が毛主席の「遺言」を伝える―5日,中国政府スポークスマンは「全くの作りごと」と言明。(ロイター)
DIA-104-1976-10-04-1中国1976年10月04日1970年代海水淡水化事業が進展―国家海洋局の管理下にある海水淡水化研究所が1970年に漸江省に設置された。現在日処理5トン,7トン,14トン,さらには1万6800トンといったさまざまな型の電気透析淡水化装置を製造している。
DIA-104-1976-10-04-2中国1976年10月04日1970年代29省・市・自治区に気象衛星受信所が設置されている。
DIA-104-1976-10-04-3中国1976年10月04日1970年代小坂外相,喬冠華外交部長と会談,日中平和友好条約の早期締結で一致―ニューヨークの中国国連代表部で。
DIA-104-1976-10-04-4中国1976年10月04日1970年代藤山氏を団長とする国貿促経済貿易訪中代表国が訪中―一行は5日,北京での環境保護,油圧展開幕式に出席,9日谷牧副総理と会見した。 谷牧副総理は①毛首席の遺志に沿って帥友好を進めてゆきたい。日中平和友好条約については中国の立場に変りはない。②今年の日中貿易の減少は誤った路線の介入や地震,冷害による一時的なもので,将来両国間の貿易が大きく発展するに違いないし,それを目指す路線に変りはない。③日本の関係者は輸出入の一時的な増減に一喜一憂せずに長期的にじっくり取り組んでほしい。―などと語った。 一行は廖承志,王耀庭,李強など中国側のトップと会談をおこなった。
DIA-104-1976-10-05-1中国1976年10月05日1970年代第31回国連総会で,喬冠華中国代表団団長が発言。
DIA-104-1976-10-05-2中国1976年10月05日1970年代日本環境保護・油圧空気圧工業技術展が北京で開幕―日本国貿促主催で65メーカー,32商社が参加。開幕式には藤山国貿促会長,小川大使,彦承志,王耀庭,紀兆全,劉寅,王宗傑ら関係者が出席した。18日閉幕し,この間10万人以上が参観した。
DIA-104-1976-10-06-1中国1976年10月06日1970年代南京石油化工工場の第2常減圧精油装置が完成生産に入る―この工場の原油加工能力は倍加。(中国新聞社)
DIA-104-1976-10-06-2中国1976年10月06日1970年代山西省は主要軽工業品の自給を実現―軽工業品の品種自給率は文革前の25%から80%前後に高まり,総生産額は2.5倍となった。(同上)
DIA-104-1976-10-06-3中国1976年10月06日1970年代吉林省林業区,第3四半期の木材生産任務を4日くり上げ達成。
DIA-104-1976-10-06-4中国1976年10月06日1970年代小坂外相,衆院外務委員会で日中平和友好条約締結交渉で覇権4条件を持ち出さない方針を示唆。
DIA-104-1976-10-06-5中国1976年10月06日1970年代東京で3000人の参列する「毛沢東主席国民追悼会」が挙行された。
DIA-104-1976-10-07-1中国1976年10月07日1970年代黄河で1958年以来の最大の洪水を克服―今年の洪水は水量が多く,水位が高く,期間も長かった。7月20日に1回目の最高水位が現われ,9月13日に7回目が海に注ぐまで2ヵ月余かかった。5回目と6回目の洪水最大流量は河南省花園口水文ステーションで毎秒9000㎡を記録した。8月下旬黄河の安全確保について国務院は緊急通達を出し,各地の党組織は洪水との戦いを組織して安全を保障した。
DIA-104-1976-10-07-2中国1976年10月07日1970年代青島港務局黄島オイル・バースが完成・使用開始―膠州湾西側黄島に作られ,桟橋の長さ1260m,5万トンタンカーが接岸できる。
DIA-104-1976-10-08-1中国1976年10月08日1970年代毛主席記念堂建設に関する中共中央,全人代常委,国務院,中央軍委の決定―①偉大な指導者,教師毛沢東主席の記念堂を首都北京に建てる。②落成後,毛主席の遺体をおさめた水晶のひつぎをだたちに記念堂に移し,広範な人民大衆が遺容を拝することができるようにする。
DIA-104-1976-10-08-2中国1976年10月08日1970年代中共中央の《毛沢東選集》出版および《毛沢東全集》出版準備についての決定―①《選集》第5巻をできるだけ早く出版し,《全集》出版の準備を積極的に進めるも②この仕事は華国鋒同志をはじめとする党中央政治局が直接指導し,その下に毛沢東主席著作編集出版委員会を設ける。③毛主席著作の原本はすべて中共中央弁公庁が責任をもって収集し,保存する。
DIA-104-1976-10-08-3中国1976年10月08日1970年代9月末に「毛沢東詩詞」(39首)英中対訳本出版さる。
DIA-104-1976-10-08-4中国1976年10月08日1970年代河南省の化学肥料生産10年で9倍に―1965年に同省には3つの化学肥料工場しかなく年産21万5000トンにすぎなかった。1975年の化学肥料生産量は203万トン(1965年の9倍余)となった。
DIA-104-1976-10-08-5中国1976年10月08日1970年代人民日報,新華社記者のソ連内の反体制運動を評価した論評を掲載―「沈黙の中から聞える雷鳴―ソ連人民の新ツアー体制反対の闘争を評す」という見世しをつけている。
DIA-104-1976-10-08-6中国1976年10月08日1970年代中・豪,中国公民の豪州旅行問題で合意。
DIA-104-1976-10-09-1中国1976年10月09日1970年代夕方北京に華国鋒の党主席,中央軍委主席就任擁護の横幕,大字報現われる―天安門前で小デモあり。10日には広州,上海にも現われた。10日中国高官も就任を確認。
DIA-104-1976-10-09-2中国1976年10月09日1970年代蘭州製鋼所の年産15万トン転炉製鋼職場が完成―国慶節に正式生産に入った。同製鋼所の第一期拡張工事。
DIA-104-1976-10-09-3中国1976年10月09日1970年代四川省農村でメタンガスの利用進む―今年1~8月につくられたメタンガス発生池は150万余と昨年1年間の実績を上まわり,総数は301万余に達した。
DIA-104-1976-10-09-4中国1976年10月09日1970年代四川省隆昌天然ガス鉱,総合的企業に発展―毛主席が1958年3月27日に視察したところ。
DIA-104-1976-10-09-5中国1976年10月09日1970年代李先念副総理,マンスフィールド氏一行と会見―一行は9月21日に上海に到着,北京を経て再たび上海に立ち寄り,帰国。
DIA-104-1976-10-09-6中国1976年10月09日1970年代イタリア包装機械・電子医療器械展が上海で開幕。
DIA-104-1976-10-10-1中国1976年10月10日1970年代三紙誌共同社説,「億万人民の共通の願い」。
DIA-104-1976-10-10-2中国1976年10月10日1970年代人民日報,任谷平論文「ソ連現代修正主義にだんこ反対する」
DIA-104-1976-10-11-1中国1976年10月11日1970年代李強対外貿易部長,米中貿易全国委員会代表団全員と会見。
DIA-104-1976-10-12-1中国1976年10月12日1970年代「デーリー・テレグラフ」紙「江青夫人ら4人の党・政府首脳左派急進派がクーデタ未遂容疑で逮捕された」と報道―同紙北京特派員電。
DIA-104-1976-10-12-2中国1976年10月12日1970年代4首脳は7日の党中央での会議で逮捕された―信頼できる中国筋が12日夜明らかにしたところによると,逮捕者は干会冰,毛遠新,清華大学改革委員会責任者,人民日報,北京放送局などの幹部,上海市革命委員会幹部など30数人。江青女史らは毛主席の健康が悪化した過去半年来,他の指導者が毛主席に近づけない状況を利用して,毛主席そっくりの筆跡をまねた指示を出し続け,遺書も偽造。さらにこれをもとに,毛主席の死去後,江青女吏を後継党主席に昇格させ,党,軍,政の大権を一派で独占しょうと図った。(朝日特派員)
DIA-104-1976-10-12-3中国1976年10月12日1970年代四川省の小型化学肥料工場は90余に増え,天然ガスを原料とする近代的大型化学肥料工場もいくつか建設され,化肥の品種は文革前の5種から14種類となった。
DIA-104-1976-10-12-4中国1976年10月12日1970年代新彊自治区の精糖工業が発展―文革前には1つの工場しかなかったが現在18工場となり精糖能力は倍加した。各民族3000人の精糖労働者がいる。
DIA-104-1976-10-12-5中国1976年10月12日1970年代華総理,ソマレ・パプア・ニューギニア首相夫妻ら一行と会見―一行は11日に訪中,12日両国の外交関係樹立(即日)にかんする共同コミユニケが調印された。17日,一行は中国訪問を終えた。
DIA-104-1976-10-12-6中国1976年10月12日1970年代日立製作所が中国から大型電子計算機3台,総額25億円を受注―(関係筋・日経13日)。
DIA-104-1976-10-13-1中国1976年10月13日1970年代人民日報記者の東京ルポ,「刀剣をちらつかせるソ連覇権主義」―ソ連の対日軍事脅迫,漁船による覇権行為など。
DIA-104-1976-10-14-1中国1976年10月14日1970年代蘭州石油化学工業機器工場は年産1万トンの高圧ポリエチレン反応器の試作に成功。
DIA-104-1976-10-14-2中国1976年10月14日1970年代吉林省長春市製鋼所,9月24日に年間国家計画をくり上げ達成。
DIA-104-1976-10-14-3中国1976年10月14日1970年代人民日報,任谷平,「ソ連社会帝国主義は第3世界のもっとも危険な敵である」
DIA-104-1976-10-15-1中国1976年10月15日1970年代上海市,武漢市などに「大乱4人組」攻撃の大字報あらわる―両市ではデモも始められた。(朝日特派員)
DIA-104-1976-10-15-2中国1976年10月15日1970年代秋季広州交易会が開幕。
DIA-104-1976-10-17-1中国1976年10月17日1970年代新たな地下核実験に成功。
DIA-104-1976-10-17-2中国1976年10月17日1970年代人民文学出版社が「魯迅書簡集」と「魯迅日記」を出版。
DIA-104-1976-10-17-3中国1976年10月17日1970年代青海省では自動車製造年産1000台以上に―1969年12月末省委は「青海湖」4トン・トラック製造を決定,1970年以来すでに2500台余を生産した。自動車部品の自給率90%。
DIA-104-1976-10-17-4中国1976年10月17日1970年代喬冠華外交部長が北京に帰着―喬部長は12日ニューヨークからパリに到着,13日仏大統領と会談,13,14日仏外相と会談,15日テヘラン入りし,16日イラン外相代理の昼食会に出,16日夜帰国の途についた。15日ローマに立ち寄り,イタリア上院議長と会見した。
DIA-104-1976-10-17-5中国1976年10月17日1970年代シユレジンジャー前米国防長官が対中軍事援助の有益性を示唆―ABCテレビ・インタービューで「米国は,ソ連の攻撃に対処しうるだけの防衛兵器などの技術援助を中国に提供する可能性を真向から否定すべきではない」と語る。
DIA-104-1976-10-18-1中国1976年10月18日1970年代クーデタ未遂事件の主役は張春橋政治局員―中国当局に近い消息筋は,①鄧小平副総理追放は首相として実権を振るおうとする張氏の野心の第一段階として周到に計画され,実行された,②故毛主席は張氏らの野心に早くから気がつき,鄧氏追放後,序列を無視して華国鋒氏を登用した,③張氏と華氏の確執は毛主席の健康悪化とともに激烈になり,張氏とそれに追随した3人は焦慮感から華氏暗殺を計画した。(共同特派員)
DIA-104-1976-10-18-2中国1976年10月18日1970年代英「ザ・ガーディアン」紙,華国鋒側クーデター説を発表。
DIA-104-1976-10-19-1中国1976年10月19日1970年代人民日報社説,「魯迅に学び,永遠に進撃しょう」―魯迅逝去40周年にあたって発表されたもの。
DIA-104-1976-10-19-2中国1976年10月19日1970年代紹興,北京,厦門,広州,上海で魯迅逝去40周年記念行事行なわる。
DIA-104-1976-10-19-3中国1976年10月19日1970年代4人の武装蜂起計画―北京の信頼できる消息筋が公開。江青女史が毛遠新に瀋陽部隊一個師団を北京に派遣せよと要請,毛遠新が動員を計画,これが華国鋒総理,楊成武副総参謀長らの知るところとなって失敗に終った。(共同特派員)
DIA-104-1976-10-19-4中国1976年10月19日1970年代仙台で中華人民共和国魯迅展開幕―朱永嘉を団長とし,周海嬰を顧問とする魯迅展代表団が開幕式に出席。
DIA-104-1976-10-20-1中国1976年10月20日1970年代毛主席は昨年から江,張氏らに警戒,水滸伝批判は彼らに向けられたもの―信頼できる消息筋による。(共同特派員)
DIA-104-1976-10-20-2中国1976年10月20日1970年代中国向け下期鋼材輸出商談まとまる―交渉は急ピッチで妥結,130万ないし150万トン。価格も上がり現金払いと好条件。
DIA-104-1976-10-21-1中国1976年10月21日1970年代人民日報,任平論文「正真正銘の古くからの投降派」―1936年魯迅に論争をいどんだ「狄克」は張春橋であったことを示唆。
DIA-104-1976-10-21-2中国1976年10月21日1970年代北京で華国鋒主席,中央軍委主席就任祝賀,「4人組」糾弾の150万人デモ―20日から始まり24日までつづく。22日から上海,天津など各地で数日,にわたるデモおこなわる。
DIA-104-1976-10-21-3中国1976年10月21日1970年代ソ連「赤い星」紙,「アジア:確実な安全保障」という論文を発表,ソ連は中国との正常化を重視,とのべる。
DIA-104-1976-10-23-1中国1976年10月23日1970年代金日成主席,楊書記に委託し,中国志願軍烈士墓に献花。
DIA-104-1976-10-24-1中国1976年10月24日1970年代北京で100万軍民の祝賀大会開く―華主席の就任祝賀,「4人組」の党をのっとり国家権力を奪おうとした陰謀粉砕祝賀。午後3時,倪志福北京市革委副主任が開会を宣言。華国鋒主席,葉剣英,李先念,陳錫〓,紀登奎,汪東興,呉徳,許世友,韋国清,李徳生,陳永貴,呉桂賢,蘇振華,倪志福,賽福鼎,郭沫若,徐向前,聶栄臻,陳雲,譚震林,李井泉,張鼎丞,蔡暢,烏蘭夫,アペイ・アワンジンメイ,周建人,許徳,胡厥文,李素文,姚連蔚,王震,余秋里,谷牧,孫健,沈雁冰,江華らの首脳が主席。呉徳北京市革命委主任が「4人組」の陰謀を暴露する重要演説をおこなった。各界の代表もあいさつをのべた。 呉徳演説は,4月30日,毛主席が華国鋒に対し「あなたがやれば,わたしは安心だ」と書いたこと,10月7日中共中央の決議により華国鋒主席が就任したことを公開。
DIA-104-1976-10-24-2中国1976年10月24日1970年代三木首相,華国鋒氏の中共党主席就任に対し祝電を送る。
DIA-104-1976-10-25-1中国1976年10月25日1970年代三紙誌共同社説,「偉大な歴史的勝利」―「4人組」にかんする毛主席の5つの指示を公開。
DIA-104-1976-10-25-2中国1976年10月25日1970年代ソ連・モンゴル共同コミュニケ,「両国は中国と平等かつ友好的な関係を回復する」とのべる。
DIA-104-1976-10-25-3中国1976年10月25日1970年代玄駐中国朝鮮大使,中国人民志願軍参戦26周年を記念して北京で宴会を催す。
DIA-104-1976-10-25-4中国1976年10月25日1970年代チャド政府代表団が訪中―26日喬冠華外交部長が招宴,27日李先念副総理が一行と会見。
DIA-104-1976-10-25-5中国1976年10月25日1970年代北京で日中海底ケープル開通式開く。
DIA-104-1976-10-25-6中国1976年10月25日1970年代黒竜江省総工会は北海道労働者活動家代表団を歓迎してハルピン市で報告会を開催。
DIA-104-1976-10-26-1中国1976年10月26日1970年代北京の各界愛国人士が華主席就任と反党集団粉砕を祝う集会開く―人民政治協商会議講堂で開かれ,李金徳が司会し,劉友法,アペイ・アワンジンメイ,許徳,胡厥文,沈雁冰らが発言した。230人余が出席。
DIA-104-1976-10-27-1中国1976年10月27日1970年代中共中央,上海市党委員会を改組―張春橋,姚文元,王洪文の上海における党内外の職務を解任,蘇振華,倪志福,彭沖をそれぞれ市党第1,第2,第3書記,革命委員会主任,第1副主任,第2副主任に任命した。30日,人民日報は「上海の情勢はすばらしい」という評論員論文を発表した。
DIA-104-1976-10-27-2中国1976年10月27日1970年代2月にハリ麻酔による心臓人工弁置換手術に初成功―広東省心臓血管研究グル―プによる。
DIA-104-1976-10-27-3中国1976年10月27日1970年代人民日報短評,「赤裸裸な覇権主義」―日本人民の覇権主義反対・北方領土返還要求闘争が新たな高まりを迎えている今日,ソ連はあらゆる高圧的手段をとって日本人民を抑えつけようとしている。特にミグ25事件が起きると,ソ連はこれに事借りて横暴な報復措置をとった。
DIA-104-1976-10-27-4中国1976年10月27日1970年代新華社記者日本ルポ「反覇権主義闘争のなかで前進する日本人民」―北方領土問題,墓参不許可問題,大阪領事館デモなどについて報道。
DIA-104-1976-10-28-1中国1976年10月28日1970年代1976年全国重量挙げ大会が無錫市で開かれた。
DIA-104-1976-10-28-2中国1976年10月28日1970年代中国外交部スポークスマン,ソ連圏諸国の共産党の華主席就任祝電の受理を拒否したと発表。
DIA-104-1976-10-28-3中国1976年10月28日1970年代人民日報,陶秋論文「新植民地主義の行動綱領」―今年5月第4回UNCTAD会議でソ連がもち出した「具体的行動綱領」の批判的分析。
DIA-104-1976-10-28-4中国1976年10月28日1970年代岡崎嘉平太日中経済協会顧問一行が訪中―11月9日,まで。
DIA-104-1976-10-29-1中国1976年10月29日1970年代解放軍報編集部,「華国鋒同志はわが党にふさわしい指導者である」―人民日報が31日転載。
DIA-104-1976-10-29-2中国1976年10月29日1970年代モンゴル外務省,国境すぐ近くで核実験をおこなったとして最近中国大使に抗議申し入れ―モスクワ放送。
DIA-104-1976-10-29-3中国1976年10月29日1970年代米政府,中国・ソ連にコンピューター・システム輸出を許可―米コントロール・データー対が中国へ大型電算機サイバー127型電算機2台を輸出する件に関してなされた決定。
DIA-104-1976-10-29-4中国1976年10月29日1970年代小川大使,韓念竜外交部副部長と会見。
DIA-104-1976-10-30-1中国1976年10月30日1970年代北京鉄道局が「毛沢東号」命名30周年祝賀大会開く―11月1日まで。20の鉄道局の代表,各地の200余の先進的な機関車乗務班などの代表,鉄道部機関幹部ら1200余人が集った。11月3日,人民日報は「永遠に『革命に力を入れて生産を促す』機関車となる」という評論員論文を発表,「4人組」の生産破壊の実状を暴露批判。
DIA-104-1976-10-30-2中国1976年10月30日1970年代水利電力部黄河水利委員会,鄭州で毛主席の黄河視察24周年記念大会開く―31日代表は毛主席の訪れた郊外の山嶺を訪れた。(新華社11月7日)
DIA-104-1976-10-30-3中国1976年10月30日1970年代華主席,アルバニア労働党第7回大会開幕に際し,ホッジヤ氏あてに祝電を送る。
DIA-104-1976-10-31-1中国1976年10月31日1970年代人民日報,魯迅研究室大批判組,「魯迅,永に落ちた犬張春橋をこっぴどくたたく」―魯迅を包囲攻撃,した「狄克」とは張春橋のことである。と明らかにする。
DIA-104-1976-10-31-2中国1976年10月31日1970年代全国石炭生産量はこの10年で2倍に―今年1~9月に43の立坑が新たに採炭を始めた。中国最大の開炭鉱は唐山大地震でかなりの損害をこうむったが他の炭鉱の努力で1~9月の国家石炭生産計画は達成された。
DIA-104-1976-10-31-3中国1976年10月31日1970年代人民日報評論員,「卑劣な所業」―南ア当局が10月26日「トランスカイ」にニセの独立を与えた,と非難。
DIA-104-1976-11-01-1中国1976年11月01日1970年代上海で10万人の民兵集会開く。
DIA-104-1976-11-01-2中国1976年11月01日1970年代人民日報短評,「『4人組』によつて破壊された生産の損失を取り戻そう」―「『4人組』を打倒して,生産の勝利を導びく」と題して北京化学工業局の10月の生産計画が超過達成された様子を詳しく報道。
DIA-104-1976-11-02-1中国1976年11月02日1970年代各国の政党,政府,人民団体などの毛主席逝去に対する弔電,弔文,弔間行事参加に感謝する中共中央,全人代常委,国務院,中央軍委の「公告」。「ソ米両超大国の覇権主義に反対する」毛主席革命外交路線と政策の堅持を強調。
DIA-104-1976-11-03-1中国1976年11月03日1970年代日中経済協会渡辺理事長らが訪中,10日まで。
DIA-104-1976-11-04-1中国1976年11月04日1970年代韻山灌漑区は華国鋒主席が指揮建設したもの―同区には6県・市が含まれ工事主体は1966年6月2日完成。現在受益面積約6万3300ha,食糧のha当り収量は3.5トンからここ3年連続7.5トンを上回るようになった。
DIA-104-1976-11-04-2中国1976年11月04日1970年代国連第4委員会で呉妙発中国代表が,インドネシアのチモール併呑を非難。
DIA-104-1976-11-05-1中国1976年11月05日1970年代人民日報,任平論文「輝かしい歴史的文書」―「4人組」が映画《創業》について「10大罪状」をデッチあげたことに対する1975年7月25日の毛主席指示を公表。
DIA-104-1976-11-05-2中国1976年11月05日1970年代中国と第3世界120余ヵ国,地域が貿易関係を持ち昨年の輸出入は1970年の3倍余に増加した。
DIA-104-1976-11-06-1中国1976年11月06日1970年代蒋経国氏の特使3人がキ米国務長官のあっせんで北京入り説―北京特派員朝日7日。7日台湾広報当局,これを否定。
DIA-104-1976-11-06-2中国1976年11月06日1970年代唐山人民は半永久簡易住宅30数万間に入居,冬の生活が保証された。
DIA-104-1976-11-06-3中国1976年11月06日1970年代人民目報,衛民論文「西側の『輸血』に頼るソ連経済」―現在ソ連の対西側負債額は200億ドル前後と見積られている,等。
DIA-104-1976-11-07-1中国1976年11月07日1970年代光明日報,石文「古株の投降派張春橋のいま一つの供述書」―1938年の文章「韓復榘」を批判。13日,入民日報は,衛今署名の「張春橋は蒋介石のラッパ手」という論文を発表,同文章について暴露をおこなつた。
DIA-104-1976-11-07-2中国1976年11月07日1970年代人民日報,郭沫若の詞,「4入組」粉砕(水調歌頭10月21日)を掲載。
DIA-104-1976-11-07-3中国1976年11月07日1970年代中共中央,アルバニア労働党創立35周年にあたり祝電を送る。
DIA-104-1976-11-07-4中国1976年11月07日1970年代人民日報評論員,「野蛮な挑発」―11月1日,ローデシア軍がモザンビークに侵入多くの人民と戦士を殺傷したことを非難。
DIA-104-1976-11-07-5中国1976年11月07日1970年代小川大使が一時帰国。
DIA-104-1976-11-08-1中国1976年11月08日1970年代解放軍報編集部,「華国鋒同志をわが党の指導者たらしめたのは毛首席の英遇な決定である」―要点。毛主席は生前華国鋒同志に,劉邦が臨終の際に呂后一族の国権さん奪の野望を見抜いていた故事をしみじみと語ったことがある。華国鋒同志は毬席の言葉を胸にきざみ,毛主席の切なる期待にそむかなかった。
DIA-104-1976-11-08-2中国1976年11月08日1970年代大寨生産大隊で。大慶油田労働者と合同の「4人組」糾断大会開く。
DIA-104-1976-11-08-3中国1976年11月08日1970年代湖南省で大寨に学ぶ工作団第2陣を湘西と湘南に派遣―10月下旬,第1陣の活動終了にひきつづいて派遣したもの。
DIA-104-1976-11-08-4中国1976年11月08日1970年代ホッジヤ・アルバニア労働党第一書記の再選に,華主席が祝電を送る。
DIA-104-1976-11-08-5中国1976年11月08日1970年代ドイツ共産党代表団が訪中―30日まで。28日李先念副総理が一行と会見,招宴。
DIA-104-1976-11-08-6中国1976年11月08日1970年代カール・カーチス共和党上院議員を団長とする米議会代表団が訪中―14日李先念副総理が一行と会見。
DIA-104-1976-11-08-7中国1976年11月08日1970年代黄華中国代表団副団長,国連総会第一委員会の軍縮問題にかんする会議で発言―ソ連の「緊張緩和」と「軍縮」のペテンをあばき,中国の原則的立場を表明。
DIA-104-1976-11-08-8中国1976年11月08日1970年代小坂外相,小川大使に日中平和友好条約の早期締結のため努力するよう指示。
DIA-104-1976-11-09-1中国1976年11月09日1970年代人民日報,唐暁文論文「党をのっとり国家権力を奪おうとした『4人組』の陰謀」―王張江挑反党集団は「経験主義反対」の旗印を掲げて何をやろうとしたのか,という副題つき。
DIA-104-1976-11-09-2中国1976年11月09日1970年代上海警備区で「4人組」による軍隊建設と民兵建設の破壊に対する批判進む。
DIA-104-1976-11-09-3中国1976年11月09日1970年代湖南省湘劇団は「園丁の歌」を圧殺した「4人組」を糾弾している。
DIA-104-1976-11-09-4中国1976年11月09日1970年代中日友好活動家訪日代表団が訪日―10日,日中帰還者連絡会(正統),と日中友好協会(正統)中央本部はカクテルパーティーを開いて歓迎,15日帰還者連絡会(正統)の20周年記念大会に出席。23日帰国。
DIA-104-1976-11-10-1中国1976年11月10日1970年代光明日報,石炭工業部大批判組論文,「『4人組』はかけ値なしの洋奴一味」。
DIA-104-1976-11-10-2中国1976年11月10日1970年代安徴省,石炭と銑鉄を増産し,上海を支援。
DIA-104-1976-11-10-3中国1976年11月10日1970年代東洋エンジニアリングなど4社,中国へのペレタイジングプラント輸出契約に調印―総額43億6000万円。
DIA-104-1976-11-11-1中国1976年11月11日1970年代「北京日報」,首都の造園労働者,職員の「4人組」批判を報道。
DIA-104-1976-11-11-2中国1976年11月11日1970年代杭州絹織物染色コンビナートの党員,幹部,労働者・職員は,「4人組」が毛主席の裁決をくつがえし同所の武闘をあおったことを暴露。
DIA-104-1976-11-11-3中国1976年11月11日1970年代新華社記者ルポ,唐山・豊南の地震被災者,人民の死活を無視した「4人組」を糾弾。
DIA-104-1976-11-11-4中国1976年11月11日1970年代湖南省の石炭工業急速に発展,地方工業の発展を促す―文革以来同省で建設され採炭を開始した立坑は108にのぼる。99県・市のうち83県・市に炭鉱が建設されている。1975年産炭量は1965年比3.4倍に伸び,地区以下の小型炭鉱の産炭量は5.5倍に伸びている。これら小型炭鉱の産炭量は総産炭量の65%以上を占める。1970年以来同省では86の地区・県小型窒素肥料工場,35のリン肥工場,230余の地区・県・公社営小型セメント工場,70余の小型製鉄所と小型鉄鋼コンビナート,各県と多くの公社の農機修理製造工場などがつぎつぎに建設された。
DIA-104-1976-11-11-5中国1976年11月11日1970年代「プラウダ」編集長,中ソ間には国境の軍隊の問題も含めて友好的に解決できない問題はないと語る―国連本部で記者会見,「ソ連は中国との関係正常化のためあらゆる努力を払っている。この結果十月革命59周年記念日に中国から祝電が来るなど“いくつかの好ましい機会”が生れた。遅かれ早かれ,中国人民の利害関係は,われわれとの関係を少くとも政府レベルでの正常化に向わせよう」と語った。
DIA-104-1976-11-11-6中国1976年11月11日1970年代三木・小坂会談,日中平和友好条約締結交渉への態勢整備の必要を確認。
DIA-104-1976-11-12-1中国1976年11月12日1970年代北京中山公園の中山堂で孫文生誕110周年記念式典挙行さる―上海,南京,広州,武漢でも同日記念行事がおこなわれた。
DIA-104-1976-11-12-2中国1976年11月12日1970年代「イズベスチア」紙,孫文生誕110周年にあたってチフビンスキー教授の論文を発表,孫文精神での中ソ友好を強調。
DIA-104-1976-11-12-3中国1976年11月12日1970年代魯迅展が東京で開幕。
DIA-104-1976-11-13-1中国1976年11月13日1970年代今年の中ソ貿易は昨年比40%増の2億8000万ルーブル(3億7300万ドル)に達する見込み―モスクワのソ連消息筋。朝日14日。
DIA-104-1976-11-14-1中国1976年11月14日1970年代人民日報,任平論文「国家と人民に仇なす害虫」―副題は「革命に力を入れ生産をうながすことを切り崩した『4人組』の罪状を批判する。」
DIA-104-1976-11-14-2中国1976年11月14日1970年代「4人組」を批判,革命と生産に力を入れて,北京の工業生産は10月には昨年同期より17%増え,11月にはさらに伸びつつある。
DIA-104-1976-11-14-3中国1976年11月14日1970年代全人代代表団がイランとクウェートを訪問に出発―団長,ウランフ副委員長,副団長姫鵬飛秘書長,イランを22日まで,クウェートを28日まで訪問。
DIA-104-1976-11-15-1中国1976年11月15日1970年代唐山地区でM6.9の余震が発生。
DIA-104-1976-11-15-2中国1976年11月15日1970年代「4人組」の攪乱を排除して河北省正定県は大寨会議精神で豊作収めた。
DIA-104-1976-11-15-3中国1976年11月15日1970年代広州交易会閉幕―世界各国・各地から2万5000人が参加。輸入成約高は前数回の交易会の水準を上回り,輸出成約高はこれまでの最高を記録。
DIA-104-1976-11-15-4中国1976年11月15日1970年代ボカサ・中央アフリカ大統領が訪中―華主席,李先念副総理,林夫人,王震副総理が空港に出迎え。16日両国は経済技術協力協定と貿易協定に調印,22日プレス・コミュニケを発表,広州から帰国の途についた。
DIA-104-1976-11-15-5中国1976年11月15日1970年代李先念副総理,ボカサ大統領歓迎宴でソ連の和解提案を拒否―「社会帝国主義は依然わが国を中傷し威嚇すると同時は,たえずみせかけの関係緩和で,マルクス主義と修正主義の原則的区切りを混乱させようとし,せん越にもわが国に政策を改めるよう要求しています。これはバカげた妄想であり,白昼夢です。」
DIA-104-1976-11-16-1中国1976年11月16日1970年代最近国家建築材料総局が山東省煙台で全国小型セメント工業現場会議を開く―1975年,全国小型セメント工業の生産量は1965年の5.1倍となり,全国セメント総生産量の58.8%を占めた。今年1~10月に年間国家計画の89%を達成,昨年同期より伸びた。現在全国の80%以上の県に小型セメント工場が建てられており,総数は3000余に達している。文革以来10年間毎年平均17.8%の割合で生産量が伸びた。省に大・中型工場,地区に骨幹工場,県に小型工場という大中小結合のセメント工業体系がすでに形成されている。山東省では1975年に244万トンを生産し全国第1位を占めた。文革以来この10年間に山東省では農業面で約900万トンのセメントを使い,32万本の動力井戸,3100余の小型ダムを建設するとともに169の大中型ダムのために排水・かんがい・貯水・洪・水防止施設を建設,かんがい面積を227万ha拡大,安定多収穫農地を133万ha造成した。
DIA-104-1976-11-16-2中国1976年11月16日1970年代人民日報,軽工業部大批判組論文,「自力更生,洋為中用」―独立自主,自力更生の方針をわい曲,破壊した「4人組」の罪状を批判する,という副題つき。
DIA-104-1976-11-16-3中国1976年11月16日1970年代呉徳副委員長が繆雲台氏と一行に会見。
DIA-104-1976-11-16-4中国1976年11月16日1970年代新華社記者論評,「刻一刻と西欧に迫る新ツアー」―ソの対西欧軍事配置と戦略の分析。
DIA-104-1976-11-17-1中国1976年11月17日1970年代江青による周総理乗機撃墜指令説,「4人組」による周総理の手術妨害説―前者は71年3月,後者は72年ごろ。(北京の有力な消息筋:共同)
DIA-104-1976-11-17-2中国1976年11月17日1970年代新たな水爆実験に成功―新聞コミュニケは華主席の「綿密に組織し,きめ細かく指揮する」という特別指示にもとづいたと公表。
DIA-104-1976-11-17-3中国1976年11月17日1970年代人民日報,洪広思論文「派閥をつくり,党をのっとる者は必ず滅亡する」―「4人組」は文革中毛主席の指示に背いて「文攻武衛」という反動スローガンをかかげ,故意に武闘を起こし,毛主席の偉大な戦略配置をひどく破壊し,革命と生産を破壊した。
DIA-104-1976-11-17-4中国1976年11月17日1970年代新華社通信員,同記者のルポ,「大寨生産大隊と江青の闘争」。
DIA-104-1976-11-17-5中国1976年11月17日1970年代北京で英48社グループの放送・レーダー・計器展が開幕。
DIA-104-1976-11-17-6中国1976年11月17日1970年代王耀庭中国国貿促主任,原油の対日輸出は5年以内に1500万トンまでの増大可能,鉄鋼用原料炭も数年後には輸出可能と語る。(日経18日)
DIA-104-1976-11-18-1中国1976年11月18日1970年代華主席,ビルマ共産党議長,副議長と会見―耿対外連絡部部長,李一氓副部長が同席。
DIA-104-1976-11-19-1中国1976年11月19日1970年代人民日報,解正論文「党をのっとり国家権力を奪取する黒い綱領」―「4人組」反党グループの経験主義反対を「カナメ」とするを批判する,という副題つき。15日の「解放軍報」より転載。
DIA-104-1976-11-19-2中国1976年11月19日1970年代石炭工業部,北京で全国炭鉱採掘隊「10本の赤旗」の「4人組」反党犯罪行為摘発批判放送大会を開く―鐘子雲石炭工業部副部長の司会で進められ,王震,余秋里,谷牧,孫健各副総理が代表と会見,蕭寒副部長が演説をおこなった。大会は「マルクス,エンゲルス,レーニン,スターリンの著作と毛主席の著作を大いに学習し,『4人組』を大いに批判し,社会主義に大いに取組む提案書」を発表した。人民日報は20日,「鮮かさをます『十本の赤旗』」という短評をかかげた。
DIA-104-1976-11-19-3中国1976年11月19日1970年代南京市の57工場・鉱山が年間計画をくりあげ達成。
DIA-104-1976-11-19-4中国1976年11月19日1970年代広東省梅県程江窒素肥料工場が最近完成,操業―濃アンモニア年産1万8000トンの能力持つ。(中国新聞社)
DIA-104-1976-11-20-1中国1976年11月20日1970年代人民日報,徐遜,「江青と呂后」。
DIA-104-1976-11-21-1中国1976年11月21日1970年代天津市の婦人5000人は糾弾大会を開き「江青のみにくい振る舞い」を暴露した。
DIA-104-1976-11-21-2中国1976年11月21日1970年代人民日報,農林部大批判組論文「農業は大寨に学び,大寨県の普及を破壊した『4人組』の罪状を徹底的に批判する」。
DIA-104-1976-11-21-3中国1976年11月21日1970年代延安,王家坪延河大橋が開通―鉄筋コンクリート橋で全長201m,車道の幅10m,両側に2.5mの歩道つき。
DIA-104-1976-11-21-4中国1976年11月21日1970年代マンスフィールド氏「毛沢東以後の時代に入る中国」という米上院外交委提出の訪中報告書を発表。
DIA-104-1976-11-22-1中国1976年11月22日1970年代解放軍報編集部,「すべての行動は,華主席をはじめとする党中央の指揮にしたがおう」―23日,人民日報が転載。
DIA-104-1976-11-22-2中国1976年11月22日1970年代「北京日報」,北京市166中学の革命的教師・生徒の文章「華国鋒同志はわれわれと共にいる」―1974年3月21日華主席は徒歩で同中家長会に来て末娘が農村に定住することを支持したことを報道。
DIA-104-1976-11-22-3中国1976年11月22日1970年代人民日報,湯嘯論文「『4人組』の新しい力支持の化けの皮をはがす」―張鉄生の「白紙答案事件」は事実に反し,自分たちにとり入る青年幹部を登用,反対する青年には情容赦のない攻撃をしかけたことを暴露。
DIA-104-1976-11-23-1中国1976年11月23日1970年代上海の労働者階級,「4人組」の罪状を糾弾,革命と生産にすばらしい情勢をもたらす。
DIA-104-1976-11-24-1中国1976年11月24日1970年代毛主席記念堂の定礎式を挙行―8000入が出席,華国鋒主席が重要演説をおこない,華主席以下党と国家の指導者が次々に礎石に土を盛った。
DIA-104-1976-11-24-2中国1976年11月24日1970年代湖南省長沙県で楊開慧烈士殉難46周年記念集会開かれる。(人民日報12月8日)
DIA-104-1976-11-24-3中国1976年11月24日1970年代国貿促,秋の広州交易会の成果まとめる―日中間で成立した商談は輸出入合わせて約2億3000万ドル,今春の交易会より15%弱の伸びを示した。商品価格が10~30%値上がりしているので数量ベースで春とほぼ同じ。日本の輸入は春の13%増の1億ドル,輸出は化学品が7000万ドルと伸びたが,鋼材は欧州勢にかなりの商談をさらわれたという。
DIA-104-1976-11-25-1中国1976年11月25日1970年代光明日報,教育部大批判組論文「毛主席の教育方針の改ざんは許されない」―張春橋の謬論を批判する,という副題つき。張春橋の1975年11月8日談話批判。
DIA-104-1976-11-25-2中国1976年11月25日1970年代石油化学工業部,北京で「4人組」糾弾の1万人集会開催―王震,余秋里副総理が出席,演説した。孫敬文石油化学工業部副部長が司会し,集会ではまず陳烈氏大慶油田党委第1副書記が演説し,続いて華北石油会戦指揮部,勝利油田,地質物理探査局の代表及び宋振明副部長が演説した。北京で開会中の工業は大慶に学ぶ石油企業全国会議の全代表が出席した。
DIA-104-1976-11-25-3中国1976年11月25日1970年代全国工業部門,「4人組」粉砕で生産上昇―10月,全国の鉄鋼,石油,石炭,電気,化学肥料,酸,ソーダ,セメント,綿糸,綿布,化繊,紙,タバコなど主要な工業製品の生産量は9月より増え,一部のものは大きな伸びを示した。北京市と上海市の10月の工業総生産額は昨年同期よりそれぞれ17%,5.5%増えた。地震におそわれた天津市でも7%の伸びが示された。
DIA-104-1976-11-25-4中国1976年11月25日1970年代黄華国連大使離任を公表―29日帰国の途につく。
DIA-104-1976-11-25-5中国1976年11月25日1970年代外務省,中国の水爆実験に抗議する情報文化局長談話を発表。
DIA-104-1976-11-26-1中国1976年11月26日1970年代広州駅に喬冠華批判の大字報,郵小平を称える大字報あらわる。(星島日報27日)
DIA-104-1976-11-26-2中国1976年11月26日1970年代サウス・チャイナ・モーニング・ポスト紙は鄧小平が自己批判書執筆中と伝える。
DIA-104-1976-11-27-1中国1976年11月27日1970年代北京長辛店2.7機関車車輔工場,生産の無政府状態をつくり出した「4人組」を批判。
DIA-104-1976-11-27-2中国1976年11月27日1970年代中ソ国境交渉のイリイチョフソ連代表が北京着―余湛外交部副部長が出迎え。
DIA-104-1976-11-27-3中国1976年11月27日1970年代陳楚駐日中国大使,外務省に離任を通告。
DIA-104-1976-11-28-1中国1976年11月28日1970年代人民日報社説,「『四人組』を徹底的に摘発・批判しょう」。
DIA-104-1976-11-28-2中国1976年11月28日1970年代李先念政治局員,ドイツ共産党代表団と会見。
DIA-104-1976-11-29-1中国1976年11月29日1970年代人民日報通信員,同記者,「華主席は卓越したマルクス主義の指導者」―湖南省直属機関の党員・幹部の回想。
DIA-104-1976-11-29-2中国1976年11月29日1970年代北京市の都市区の約50%と一部単位で液化石油ガス使用。(中国新聞社)
DIA-104-1976-11-29-3中国1976年11月29日1970年代人民日報社説,「勝利の32年」―アルバニア解放記念日にあたって発表。同日アルバニア大使がレセプションを開いた。社説は,両国の友情と団結について,「帝国主義とりわけ杜会帝国主義の離間,破壊は徒労に終わるほかない」と強調。
DIA-104-1976-11-29-4中国1976年11月29日1970年代中ソ国境交渉のイリイチョフ・余湛会談開く―(ソ連公式筋,朝日12月3日)中国外交部当局者は「進展なし」を示唆。(特派員:朝日12月11日)
DIA-104-1976-11-30-1中国1976年11月30日1970年代全国人民代表大会常務委員会第3回会議開催―12月2日まで人民大会堂で挙行。30日の会議には,華主席,葉副主席以下党・政府首脳が出席し,宋慶齢副委員長の司会のもと華主席が中共中央を代表して鄧穎超女史を副委員長とすることを提案した。12月2日この件は満場一致で議決された。会議では呉徳副委員長の華主席の就任を祝い,「4人組」陰謀粉砕を祝う演説及びウランフ副委員長のイラン・クウェート訪問の報告を聴いた。会議は李先念副総理の任免事項についての説明を聴取し,黄華氏を外交部長に任命し,喬冠華の外交部部長の職務を解任した。
DIA-104-1976-11-30-2中国1976年11月30日1970年代張香山中日友好協会副会長,第8次農村活動家友好訪中団一行と会見―一行は11月12日中国入りし,30日北京に到着。
DIA-104-1976-11-30-3中国1976年11月30日1970年代王炳南会長,井上靖を団長とする日本作家代表団を招宴―一行は29日訪中したもの。12月7日鄧穎超副委員長が一行と会見。
DIA-104-1976-12-01-1中国1976年12月01日1970年代山東省,河南省,実際行動で農業は大寨に学ぶ第2回全国会議を迎える―山東省では同省の農業は大塞に学ぶ会議開催中。先進県(市)は昨年の24から今年は41に増えた。河南省では「4人組」が河南に秘密連絡所を設け,いたるところでセクトを作り,武闘をあおり,暴力をふるい,安定・団結を破壊した。同省では「4人組」と断固たたかい農業のりっぱな成果をかちとった。
DIA-104-1976-12-01-2中国1976年12月01日1970年代北京石油コンヒナートの「4人組」批判―年間精油能力700万トン,88種の石油製品を製造する同コンビナートでは5月から生産を開始したエチレンプラント職場について,4月末から5月はじめにかけて「この装置は売国の産物で,うまく動けば動くほど路線を誤まり,売国になる」という攻撃がかけられた。この攻撃の源は清華大学で,江青の226講話が発端になったといわれる。職場では討論の結果この圧力をはね返し,生産にふみきった。(朝日)
DIA-104-1976-12-01-3中国1976年12月01日1970年代ヒル・オーストラリア共産党(ML)議長夫妻が訪中―14日華主席が夫妻と会見した。李先念,耿,馮鉉の指導者が同席した。
DIA-104-1976-12-01-4中国1976年12月01日1970年代華主席,ラオス人民民主共和国成立1周年に祝電を送る―人民日報は2日,祝賀の社説を発表。
DIA-104-1976-12-03-1中国1976年12月03日1970年代福建前線で「4人組」批判の高まり―前線各部隊の1万2000人余の指揮員,戦闘員は1300余の宣伝隊を組織して深く山間地,島に漁村に入った。「4人組」は福建の至るところに「目付」を置き,拠点を設け,「接見」をやり,腹心を集めて徒党を組んで私利をはかり,きわめてあくどい言葉で福建の党,政府,軍隊の指導者を攻撃した。また手段を選ばず民兵の性格と任務をねじまげ民兵と人民解放軍の対立をつくりだした。
DIA-104-1976-12-04-1中国1976年12月04日1970年代人民日報,総参謀部軍訓練部理論組論文「黒い手を断ち切ろう」―「4人組」の軍隊を混乱に陥れ党に反対した罪状を批判する,という副題つき。
DIA-104-1976-12-05-1中国1976年12月05日1970年代人民日報短評,「この砲撃はすばらしい」―青年教師李春光が1975年8月8日,文化部を批判して張り出した大字報をたたえたもの。
DIA-104-1976-12-05-2中国1976年12月05日1970年代長江航路用の新造貨客船,試験航行に成功―上海造船所で製造した「東方紅14号」がそれで全長113m,幅16.4m,排水量3700トンの鋼鉄製貨客船。
DIA-104-1976-12-05-3中国1976年12月05日1970年代河北・張家口探鉱機械工場は新型の3600トンの6方押し圧力機の試作に成功,品質の高い人造ダイヤを製造することができるようになった。
DIA-104-1976-12-05-4中国1976年12月05日1970年代華主席,仏ML主義共産主義者代表団と会見―一行はジャック・ジュルケを団長とし,11月18日に訪中したもの。
DIA-104-1976-12-06-1中国1976年12月06日1970年代河南省で江青はその代理人を通じて大乱を起した―省の上から下まで自己の体系を打ち立て地区と市の党委の機能は一時不能となった。県委では奪権されたところも生じた。人民日報は7日「喜こばしい河南の大変良い情勢」という短評をかかげた。
DIA-104-1976-12-06-2中国1976年12月06日1970年代「4人組」は少数民族の文芸を敵視し,新彊で周総理と賽福鼎氏を攻撃した。
DIA-104-1976-12-06-3中国1976年12月06日1970年代江蘇省の商業部門が江蘇省と上海市の経済関係を破壊した「4人組」を批判―この数年来協力区関係がひどく破壊されていたという。
DIA-104-1976-12-06-4中国1976年12月06日1970年代全国の小型セメント工業,年間計画を33日くり上げ達成した―今年の生産量は昨年同期比68%増。10月の生産量は9月より6.6%増えた。
DIA-104-1976-12-06-5中国1976年12月06日1970年代華主席,ド・ムオイ・ベトナム副首相と会見―同氏は帰国の途中5日北京に到着した。
DIA-104-1976-12-07-1中国1976年12月07日1970年代劉白羽軍総政治部文化部顧問,張光年元作家協会理事が姿を見せる―日本人訪中団の歓迎行事に。
DIA-104-1976-12-07-2中国1976年12月07日1970年代新たな人工衛星の打上げに成功―10日の新華社ニュースは,この人工衛星が予定どおり正確に地上に戻った,と伝えた。
DIA-104-1976-12-07-3中国1976年12月07日1970年代「紅旗」12号評論員「マルクス・レ―ニンの著作と毛主席著作学習の高まりをよび起こそう」
DIA-104-1976-12-07-4中国1976年12月07日1970年代51肥料年度下期(来年1~6月)中国向け肥料商談合意―硫安50万トン,尿素20万トン,硫安換算合計100万トン。価格は尿素がトン当り100ドル前後で相当な赤字輸出となる。量も日本側の尿素100万トンという期待を大きく下まわる。
DIA-104-1976-12-08-1中国1976年12月08日1970年代タンザニア政府代表団が訪中―ジュンベ第一副大統領を団長とし,15日まで訪中。10日華主席が代表団と会見,李先念,黄華,方毅,何英,李達らの指導者が同席。
DIA-104-1976-12-08-2中国1976年12月08日1970年代中国人民友好代表団,ルーマニアとユーゴを訪問―ルーマニア(8日~15日),ユーゴ(15日~24日),26日北京に帰着。
DIA-104-1976-12-08-3中国1976年12月08日1970年代鄧穎超副委員長,ハン・スーイン女史と会見―夫妻は1日北京に到着した。
DIA-104-1976-12-08-4中国1976年12月08日1970年代孫健副総理,日本高分子学者代表団と会見―一行は2日に訪中。
DIA-104-1976-12-08-5中国1976年12月08日1970年代王炳南会長,北海道文化界代表団を招宴―同代表団は7日に訪中,10日北京の大衆と北方領土間題座談会を開いた。12日廖承志中日友協会長が一行を招宴した。 15日,譚震林全人代常委副委員長が一行と会見。
DIA-104-1976-12-09-1中国1976年12月09日1970年代華主席,葉副主席が軍政大学の学生・教職員の代表を接見―1500余人が接見をうけた。李先念,陳錫〓,紀登奎,汪東興,呉徳,陳永貴,呉桂賢,徐向前,聶栄臻,粟裕,及び楊成武副総参諜長,梁必業政治部副主任,張宗遜総後勤部部長が同席した。
DIA-104-1976-12-09-2中国1976年12月09日1970年代広東省の大寨に学ぶ先進県,昨年の21から26に増加。(「大公報」)
DIA-104-1976-12-09-3中国1976年12月09日1970年代冠状動脈硬化症(山東)と気管支炎(青海)の特効薬を開発。
DIA-104-1976-12-09-4中国1976年12月09日1970年代石家荘市でコトニス医師記念館除幕式おこなわる―この日は同医師逝去34周年にあたる。15日,葉副主席,聶栄臻副委員長は訪中している全インド・コトニス医師記念委員会代表団と会見した。
DIA-104-1976-12-09-5中国1976年12月09日1970年代新華社記者ルポ,「風雲変幻の日本海」―日本海沿岸諸都市でソ連の進出警戒の言論を取材。
DIA-104-1976-12-10-1中国1976年12月10日1970年代「農業は大寨に学ぶ」第2回全国会議開会―5000人の代表が参加。10日の会議指導小組拡大会議では李先念副総理が開幕の辞をのべた。11日,人民日報は「農業は大寨に学ぶ赤旗をいっそう高くかかげよう」という社説を発表した。革命的大衆運動として大寨に学ぶ運動を位置づける。
DIA-104-1976-12-10-2中国1976年12月10日1970年代「農業は大寨に学ぶ」第2回全国会議開幕。
DIA-104-1976-12-10-3中国1976年12月10日1970年代長江以南9省・自治区の石炭工業が発展―現在4200余の中小炭鉱が分布。判明した埋蔵量は文革前の3倍になった。1975年の出炭量は1965年の3.6倍に増えた。今年1~10月の出炭量は昨年同期比10.68%伸びた。自給率は50%前後から70%以上に引き上げられた。
DIA-104-1976-12-10-4中国1976年12月10日1970年代北京市の8000人余の大寨型県普及工作隊の第2陣が公社,生産大隊に出発。
DIA-104-1976-12-10-5中国1976年12月10日1970年代中国報道代表団がカンボジアを訪問。
DIA-104-1976-12-11-1中国1976年12月11日1970年代最近北京で革命的新劇「万水千山」が再度上演された―「4人組」が公開を阻んでいたもの。
DIA-104-1976-12-11-2中国1976年12月11日1970年代中国科学院計算技術研究所でこのほど高速の大型汎用集積回路電子計算機の研究・製作に成功した。
DIA-104-1976-12-11-3中国1976年12月11日1970年代中国南部で杉林の造成に著しい成果上る―農林部は最近湖南省株洲市で南方14省・自治区基地造林現場会議を開いた。
DIA-104-1976-12-11-4中国1976年12月11日1970年代北京市の250余の工場・鉱山がくりあげて全年生産計画を達成した。
DIA-104-1976-12-12-1中国1976年12月12日1970年代人民日報,8日付の「新華日報」に掲載された南京市博物館,同市文物管理会共同追悼論文「梅園新村における敬愛する周総理」を転載。
DIA-104-1976-12-13-1中国1976年12月13日1970年代第一機械工業部大批判組論文,「4人組」が革命をしっかりやり生産を促すことを破壊した陰謀を批判。(大公報)
DIA-104-1976-12-13-2中国1976年12月13日1970年代中共中央,ベトナム労働党第4回大会に祝電を送る。
DIA-104-1976-12-14-1中国1976年12月14日1970年代郭小川前作家協会秘書長の追悼会―郭氏は10月18日不幸にも死去。享年58歳。「4人組」は彼にいわれなき罪を着せて排斥したという。王震副総理が追悼会に出席。
DIA-104-1976-12-14-2中国1976年12月14日1970年代農業は大寨に学ぶ全国会議が全体会議を開き,郭鳳蓮大寨大隊党支部書記,李喜慎昔陽県委副書記,王敏生江蘇省党委書記が発言した。6500人が出席。
DIA-104-1976-12-14-3中国1976年12月14日1970年代雑種強勢を利用した水稲品種の育成に成功―10月中旬に農林部は湖南省衡陽地区で南方雑種水稲生産現場会議を開いた。
DIA-104-1976-12-14-4中国1976年12月14日1970年代在京政府官界の陳楚大使お別れパーティー開く。
DIA-104-1976-12-14-5中国1976年12月14日1970年代指揮者小沢征爾氏が訪中。
DIA-104-1976-12-15-1中国1976年12月15日1970年代人民日報,魏華,湯嘯論文,張春橋の「1976年2月3日の所感」を非難。
DIA-104-1976-12-15-2中国1976年12月15日1970年代廖承志中日友好協会会長,東大教授友好訪中団一行を招宴一行は14日に訪中,20日,ウランフ副委員長が一行と会見した。
DIA-104-1976-12-17-1中国1976年12月17日1970年代人民日報編集部,「滅亡寸前の狂気のあがき」―「4人組」の,毛主席の「臨終遺嘱」ネツ造の大陰謀を暴露する,という副題つき。
DIA-104-1976-12-17-2中国1976年12月17日1970年代華主席以下の指導者,人民大会堂で「工業は大慶に学ぶ」全国会議準備会,同全国石油企業会議,同全国化学工業・石油精製企業会議出席の代表1800余人と会見―18日準備会は「工業は大慶に学ぶ」全国会議を77年のメーデー前に開くという党中央の決定を発表した。
DIA-104-1976-12-17-3中国1976年12月17日1970年代華主席,ルーマニア党・政府代表団と会見―ゲオルゲ・オプレア副首相以下の代表団は広州,上海訪問後,21日,朝鮮に向った。
DIA-104-1976-12-18-1中国1976年12月18日1970年代河北省革命委,石油化学工業部が華北石油会戦指揮部の3222ボーリング隊に,「一に苦しみを恐れず,二に死を恐れぬ英雄ボーリング隊」の称号を授与―北京で授与大会開く。
DIA-104-1976-12-19-1中国1976年12月19日1970年代人民日報社説,「『4人組』を思い切り批判し,工業は大慶に学ぶ新たな高まりをもり上げよう」―毛主席の「10大関係について」の学習を指示。
DIA-104-1976-12-19-2中国1976年12月19日1970年代新華社記者論評「おどし,すかしには下心がある」―副題「ここ1年らいのソ連の対日政策を評す」
DIA-104-1976-12-20-1中国1976年12月20日1970年代大寨に学ぶ全国会議が全体会議開く―華国鋒主席ら8000人が出席。陳永貴副総理が報告をおこなった。
DIA-104-1976-12-20-2中国1976年12月20日1970年代イエメン・アラブ共和国軍事評議会議長ハムディ氏一行が訪中―華主席は空港に出迎えたほか,22日一行と会見した。23日,両国間の経済技術協力協定に調印。
DIA-104-1976-12-21-1中国1976年12月21日1970年代大慶油田は年間国家計画を16日くりあげて全面的に達成,原油生産量は1965年の6倍になった。大慶化学肥料工場は6月中旬に勝利のうちに完成,化学肥料の生産を始めている。
DIA-104-1976-12-21-2中国1976年12月21日1970年代華主席,レ・ジュアン氏がベトナム労働党書記長に選出されたことに祝電を送る。
DIA-104-1976-12-21-3中国1976年12月21日1970年代陳楚駐日大使が離任・帰国。
DIA-104-1976-12-22-1中国1976年12月22日1970年代人民日報社説,「『4人組』のねらいは党をのつとり国家権力を奪うことにある」
DIA-104-1976-12-22-2中国1976年12月22日1970年代国務院,開炭鉱呂家鉱に祝電を送り,生産の全面再開と地震前水準到達を表彰。
DIA-104-1976-12-22-3中国1976年12月22日1970年代鄧穎超副委員長,日中友好婦人の翼訪中団と会見。
DIA-104-1976-12-23-1中国1976年12月23日1970年代人民日報,1971年の社説,「農業の根本的活路は機械化にある」を初掲載―「編者のことば」は,1971年8~9月に開かれた全国農業機械化会議の精神にもとづいて書かれたこの社説が,姚文元によって握りつぶされたことを公表。姚文元は「1980年の農業機械化の基本的な実現はやれるだろうか。私はやれないと思う。いまこの社説を出してはならない」と云った。
DIA-104-1976-12-23-2中国1976年12月23日1970年代金日成主席,中国共産党活動家友好訪間団と会見―団長は任栄チベット自治区党委第1書記。
DIA-104-1976-12-23-3中国1976年12月23日1970年代新華社記者報道,「反覇権主義の怒とう逆巻く日本列島」。
DIA-104-1976-12-24-1中国1976年12月24日1970年代全国農業会議出席の代表,毛主席記念堂建設工事に参加。
DIA-104-1976-12-24-2中国1976年12月24日1970年代人民日報,「天津日報」編集部論文「江青が8回天津に来てやった罪悪行為を清算する」。
DIA-104-1976-12-24-3中国1976年12月24日1970年代記録映画「偉大な指導者,教師毛主席は永遠に不滅」を公開―生誕83周年を記念して。
DIA-104-1976-12-25-1中国1976年12月25日1970年代華主席,「農業は大寨は学ぶ」全国会議全体会議で重要演説をおこなう―党の今年の闘争を回顧,来年の戦闘任務を提起。(参考資料参照)
DIA-104-1976-12-25-2中国1976年12月25日1970年代広州市内の大字報,「4人組」組閣名簿を公表。(共同)
DIA-104-1976-12-26-1中国1976年12月26日1970年代人民日報,毛沢東の「十大関係を論ず」(1956年4月25日)全文を初公表。
DIA-104-1976-12-26-2中国1976年12月26日1970年代人民日報,毛主席と周恩来,董必武,朱徳,康生,陳毅,賀竜が並んだ写真4枚を掲載。
DIA-104-1976-12-27-1中国1976年12月27日1970年代全国農業会議が閉幕,華主席は代表6000人と会見。
DIA-104-1976-12-27-2中国1976年12月27日1970年代華主席をはじめ指導者が農山村定住知識青年代表と会見。
DIA-104-1976-12-27-3中国1976年12月27日1970年代陳逸松全人代常委,台湾問題について語る―東京で共同,朝日記者に。
DIA-104-1976-12-27-4中国1976年12月27日1970年代劉湘屏衛生部長も「4人組」に連座し失脚―中国当局者が言明。(朝日特派員)
DIA-104-1976-12-28-1中国1976年12月28日1970年代「4人組」の妨害を排除して年産100万トンの大慶化学肥料工場が完成―1974年5月13日に着工,2年1ヵ月で1976年6月に完成,テスト生産に成功した。標準化学肥料換算で年産100万トン。
DIA-104-1976-12-28-2中国1976年12月28日1970年代福田新首相社公民首脳との会談で日中関係4方針を示す―内容は,①日中問題には後退はない②いままでの路線を進める③このため共同声明を忠実に守る④平和友好条約はいきさつがあるのでこれをふまえてやる。
DIA-104-1976-12-29-1中国1976年12月29日1970年代「4人組」の妨害でオクラ入りの映画,「東方紅」など6本,元旦から一般公開―「洪湖赤衛隊」「天山の赤い花」「秘密の設計図」「小兵張」「平原遊撃隊」。
DIA-104-1976-12-29-2中国1976年12月29日1970年代農業は15年続きの豊作,「大寨に学ぶ」先進県100余県増える―全国の食糧総収穫量は史上最高を記録,砂糖,麻,葉たばこ,茶,まゆなどの工芸作物も昨年より増産となり,林業,牧畜業,副業,漁業はいずれもかなり大きな発展をみせた。山東省,安徽省では連年の豊作のうえに今年は食糧総収量が1割のびた。1975年の農業は大寨に学ぶ全国会議後,160万人の幹部が工作隊を結成農村の第1線に赴いた。これまであった300の先進県は一段とうち固められ,75年にはまた百余の県が先進の隊列に加わった。
DIA-104-1976-12-29-3中国1976年12月29日1970年代全国道路建設労働者は11月末までにのべ1万4729kmの路面をアスファルト舗装し,76年の計画を1ヵ月くりあげて超過達成した。昨年同期比4%増。
DIA-104-1976-12-29-4中国1976年12月29日1970年代中国外交部,中国駐在の各国外交使節,大使館員,新聞記者を招き長編カラー映画「東方紅」を上映した。
DIA-104-1976-12-29-5中国1976年12月29日1970年代鄧穎超副委員長,西園寺公一父子と会見―28日には郭沫若中日友協名誉会長が父子と会見,親しく友好的に語り合った。
DIA-104-1976-12-30-1中国1976年12月30日1970年代河北省保定で数ヵ月の混乱があり,徐々に情勢は改善―中国政府スポークスマンが確認。10月初めの日付の党中央委文書は関係者全員に即刻自首し,盗んだ武器,装備,車輌を返還することを命じていた。(AFP,ロイター)
DIA-104-1976-12-30-2中国1976年12月30日1970年代中華全国体育総会の台湾省体育活動連絡事務所と北京市分会は新年合同座談会を開いた。
DIA-104-1976-12-30-3中国1976年12月30日1970年代総参謀部大批判組,「『4人組』が民兵建設を破壊した罪悪行為を批判する」。
DIA-104-1976-12-30-4中国1976年12月30日1970年代軍福建前線部隊司令部,金門はじめ各島への砲撃を31日と1月1日は停止。
DIA-104-1976-12-31-1中国1976年12月31日1970年代国務院弁公室,外国専門家を招宴,李先念副総理があいさつをおこなった。
DIA-104-1976-12-31-2中国1976年12月31日1970年代華国鋒総理,福田首相に祝電を送り「閣下の日本国内閣総理大臣就任に当り心からの祝意を表する。中国と日本の関係が一層発展することを期待する」とのべた。
DIA-104-1977-01-01-1中国1977年01月01日1970年代3紙誌元旦共同社説,「勝利に乗じて前進しよう」―華主席の指導的地位の確立は革命事業を最後までおしすすめてゆく最も確かな保証であること,華主席の大乱から大治に至る戦略的決断,科学・文化面での百家争鳴,百家斉放,などを強調。
DIA-104-1977-01-01-2中国1977年01月01日1970年代全国石炭会議が北京で開幕―全国の炭鉱生産,基本建設,地質探査,機械製造,設計,科学研究,教育など各部門の責任者,石炭工業部門の「10本の赤旗」とその他先進的単位の代表ら計3000人が参加。「十大関係論」を学習。25日閉幕。「工業は大慶に学び開炭鉱に追いつく」というスローガンをかかげる。
DIA-104-1977-01-02-1中国1977年01月02日1970年代鄭州鉄道管理局が解放軍に接収さる―昨年12月30日の大衆集会で明らかにされた。(河南放送―UPI)
DIA-104-1977-01-02-2中国1977年01月02日1970年代洛陽黄河大橋,正式に開通―河南省の孟津県と孟県の間を結び,全長3828.9メートルで中国最大のもの。
DIA-104-1977-01-02-3中国1977年01月02日1970年代人民日報,中国国際貿易促進委員会批判組論文「『4人組』の罪状を清算し社会主義の対外貿易を発展させよう」―「4人組」が国際市場価格にあわせて輸出価格を決めること,石油輸出を行うこと,外国の技術を導入することなどに反対し,貿易を破壊したことを批判。
DIA-104-1977-01-02-4中国1977年01月02日1970年代バングラデシュの戒厳令司令官・陸軍参謀長ジアウル・ラーマン少将,訪中―華主席が空港まで出迎え。4日,華主席と会見。5日,広州訪問。6日帰国。同日プレスコミュニケが発表された。
DIA-104-1977-01-02-5中国1977年01月02日1970年代李先念副総理,英国保守党党員代表団と会見。
DIA-104-1977-01-04-1中国1977年01月04日1970年代中国・バングラデシュ,経済技術協力協定に調印。
DIA-104-1977-01-05-1中国1977年01月05日1970年代国家基本建設委員会大批判組,「王洪文は誰の天下を乱したのか」―浙江省,保定,鄭州,辺疆地方,湖南省での混乱は王洪文の黒い手先の仕業とみとめる。
DIA-104-1977-01-05-2中国1977年01月05日1970年代唐山・豊南地震による死者は65万5237人か―河北省党・革命委員会の「極秘文書」による。重傷7万9000人,軽傷70万人,とされている。(「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト」)
DIA-104-1977-01-05-3中国1977年01月05日1970年代福田首相,華総理あての「日中善隣友好のたゆまぬ発展を祈る」という福田就任祝電への返電を出す―小川大使が中国当局に手交。
DIA-104-1977-01-06-1中国1977年01月06日1970年代記録映画「敬愛する周恩来総理は永遠に不滅」全国で上映開始―北京で職場毎の追悼会始まる。長安街に革命後継者署名の「4人組がねじ曲げた歴史的事実を見直そう」という壁新聞出現。
DIA-104-1977-01-06-2中国1977年01月06日1970年代石油工業,持続的高速度で発展―1976年の原油と天然ガスの生産量はそれぞれ1975年より13%と11%伸びた。
DIA-104-1977-01-06-3中国1977年01月06日1970年代全国の石炭工業,1976年の国家計画を達成。
DIA-104-1977-01-06-4中国1977年01月06日1970年代電源開発会社,松島火力1,2号機用に80~100万トンの一般炭を中国から輸入する方針固める。
DIA-104-1977-01-07-1中国1977年01月07日1970年代天安門下に周総理追悼の花輪がかざられる―夜,毛主席記念堂工事板べいに鄧小平擁護の壁新聞出現。
DIA-104-1977-01-08-1中国1977年01月08日1970年代周恩来総理逝去一周年にあたり,「人民日報」は毛・朱・周3首脳の並んだ,1964年の周総理がモスクワから帰国時の写真をかかげる。
DIA-104-1977-01-08-2中国1977年01月08日1970年代国務院弁公室理論グループ,「敬愛する周総理逝去一周年を記念して」―周恩来の毛主席との関係,戦争,重慶での交渉,国家指導,作風など全面的に評価。「紅旗」1号所載。
DIA-104-1977-01-08-3中国1977年01月08日1970年代全国一斉に職場,学校,居住区ごとの周総理追悼大会が開かれた。
DIA-104-1977-01-08-4中国1977年01月08日1970年代北京市内に呉徳同市党第一書記批判の壁新聞出現―天安門前に花輪と人の列が夜までつづく。
DIA-104-1977-01-08-5中国1977年01月08日1970年代李先念副総理,エチオピア報道代表団と会見。
DIA-104-1977-01-08-6中国1977年01月08日1970年代キッシンジャー国務長官,バンス・黄鎮両氏を昼食会に招く―両者を引合わせ。この日バンス次期国務長官は訪中の意向を表明。
DIA-104-1977-01-09-1中国1977年01月09日1970年代天安門広場に,周記念堂の建設,天安門事件の「判決」撤回,郡小平の復活,呉徳・陳錫聯解任,周追悼映画への鄧小平の登場,を要求した「人民の声」署名壁新聞出現。
DIA-104-1977-01-09-2中国1977年01月09日1970年代夜,中南海新華門で4~500名の党中央への「請願」行動起こる。
DIA-104-1977-01-10-1中国1977年01月10日1970年代天安門広場に劉湘屏衛生部長非難の壁新聞出現。
DIA-104-1977-01-10-2中国1977年01月10日1970年代華主席,ホンジュラスML共産党中央代表団と会見。
DIA-104-1977-01-10-3中国1977年01月10日1970年代リベリア友好代表団,訪中。11日,黄華外交部長と会談。14日,華主席と会見。
DIA-104-1977-01-10-4中国1977年01月10日1970年代陳永貴副総理,朝鮮建材工業省代表団と会見。
DIA-104-1977-01-10-5中国1977年01月10日1970年代人民日報,対外経済連絡部執筆グループ論文「周総理の徹底した国際主義精神に学ぼう」―「対外援助8原則」の遵守を確認。
DIA-104-1977-01-11-1中国1977年01月11日1970年代北京市内に王海容外交部副部長非難の壁新聞出現。
DIA-104-1977-01-11-2中国1977年01月11日1970年代山東勝利石油化学コンビナートが完成―製油所,第一化学肥料工場,第二化学肥料工場,触媒工場,合成ゴム工場からなり,ガソリン,灯油,アスファルトなど石油製品と化学肥料,アクリルニトリル,ベンゼン類など30数種の化学工業製品を生産している。とくに第二化学肥料工場は合成アンモニア年産30万トンの日本から輸入した大型工場である。
DIA-104-1977-01-11-3中国1977年01月11日1970年代「軽工業は大慶に学ぶ全国工作座談会」が北京で開かれる,27日まで。
DIA-104-1977-01-11-4中国1977年01月11日1970年代湖南省で「工業は大慶に学ぶ」会議が開催される。25日まで。大慶に学んだ模範を25,先進的職場300を審査選定し,第5次5ヵ年計画中の同省の大慶型企業普及計画を策定した。
DIA-104-1977-01-11-5中国1977年01月11日1970年代人民日報,外交部理論学習グループ論文「周総理の輝しい手本を学習して毛主席の革命外交路線を貫徹執行するために奮闘しよう」
DIA-104-1977-01-12-1中国1977年01月12日1970年代インドネシア訪問中のパプア・ニューギニア首相,中国首脳からの伝言をスハルト大統領に伝えた。
DIA-104-1977-01-12-2中国1977年01月12日1970年代彦承志中日友協会長,河野参院議長歓迎宴で「日中平和友好条約がまだ締結されていない責任は,中国にはない」と語る―中国の政情安定も強調。
DIA-104-1977-01-13-1中国1977年01月13日1970年代天安門前広場に「人民の社会主義的民主の回復」を要求するいくつかの壁新聞出現。
DIA-104-1977-01-13-10中国1977年01月13日1970年代IMF,中国に加盟を打診する手紙このほど発送。
DIA-104-1977-01-13-2中国1977年01月13日1970年代陳慕華副部長が対外経済連絡部部長に就任と判明。
DIA-104-1977-01-13-3中国1977年01月13日1970年代湖南省の化学肥料工業の発展―全省に87の小型チッソ肥料工場があり,1975年の全省合成アンモニアの生産量は1965年の106倍。小型チッソ肥料工場の生産量は全省で施肥するチッソ肥料総量の75.4%を占める。
DIA-104-1977-01-13-4中国1977年01月13日1970年代人民日報,周培源論文「『4人組』の基礎理論研究破壊のたくらみはどこにあるのか」
DIA-104-1977-01-13-5中国1977年01月13日1970年代上海大屯炭鉱,年産120万トンの大型鉱井を建設。
DIA-104-1977-01-13-6中国1977年01月13日1970年代昨年の広東省の工業総生産額は1975年に比べて5.9%伸びた。そのうち原料用石炭14.9%,発電量9%の伸び。
DIA-104-1977-01-13-7中国1977年01月13日1970年代孫建副総理,アルバニア科学代表団と会見。中国・アルバニア科学協力協定実施計画に調印。
DIA-104-1977-01-13-8中国1977年01月13日1970年代李強対外貿易部部長を団長とする中国政府貿易代表団,ユーゴ,アルバニア訪問へ出発。
DIA-104-1977-01-13-9中国1977年01月13日1970年代丁希凌「南方日報」編集長を団長とする中国報道代表団,オーストラリア,ニュージーランド訪問。
DIA-104-1977-01-14-1中国1977年01月14日1970年代鄧穎超人民代表大会常務委員会副委員長,パキスタン放送代表団と会見。
DIA-104-1977-01-14-2中国1977年01月14日1970年代李先念副総理,田川代議士と会見。
DIA-104-1977-01-15-1中国1977年01月15日1970年代夜,天安門前と長安街の花輪と壁新聞は全部撤去され洗い落された。
DIA-104-1977-01-15-2中国1977年01月15日1970年代大型エチレンプラントが北京石油化学コンビナートで完成―日本から輸入したもので,エチレン年産30万トン。1973年8月29日に建設着工,1976年5月初め完成試運転に成功。1976年10月1日正式に生産を開始した。
DIA-104-1977-01-15-3中国1977年01月15日1970年代李先念副総理,ロックフェラー米チェース・マンハッタン銀行頭取一行と会見。一行は中国人民外交学会の招きで12日訪中。
DIA-104-1977-01-15-4中国1977年01月15日1970年代朴成哲北朝鮮政務院総理,イラク訪問の途中,ウルムチに立ち寄る。
DIA-104-1977-01-16-1中国1977年01月16日1970年代外交部スポークスマン,「鄧小平同志」は誤まりを犯したが,人民内部の矛盾であると説明―上海滞在中の外国人記者団の質問に答えて。
DIA-104-1977-01-16-2中国1977年01月16日1970年代方毅前対外経済連絡部長が科学院の筆頭副院長に,張香山が中央放送事業局長に就任―于会泳文化部長,劉湘屏衛生部長,荘則棟国体委主任は解任,陳紹昆冶金工業部長と万里鉄道部長は更迭,万里氏は栄転のもよう。(共同)
DIA-104-1977-01-16-3中国1977年01月16日1970年代最近全国燃料節約経験交流会議を開催―国家計画委員会の主催で広州で開かれた。先進単位と個人を表彰し,石炭・石油・電力の節約をよびかけ。
DIA-104-1977-01-17-1中国1977年01月17日1970年代新華社記者報道「友好往来か,それとも略奪・拡張か」―ソ連の対オーストラリア進出を非難。
DIA-104-1977-01-17-2中国1977年01月17日1970年代李先念副総理,英国の元国務相ジュリアン・エイメリ保守党議員と会見。
DIA-104-1977-01-18-1中国1977年01月18日1970年代人民日報短評,ソ連の西独外相非難を論評。
DIA-104-1977-01-18-2中国1977年01月18日1970年代中国・タイ,商標登録互恵で合意の覚書を交換。
DIA-104-1977-01-18-3中国1977年01月18日1970年代福田首相,竹入公明党委員長を招き中国首脳への伝言依頼―伝言①日中国交正常化以来日中関係は順調に推移している。②日中共同声明は忠実に履行する。③平和条約は日中双方の意見が一致すれば早急に交渉を進めたい。園田官房長官は「宮沢4原則」は「条件でも原則でもない」ことを確認。
DIA-104-1977-01-19-1中国1977年01月19日1970年代人民日報,第4機械工業部大批判組論文「愛国主義の旗印をかかげて売国主義の結託を行う―『4人組』が自力更生のテレビ工業を破壊した罪行を批判する」
DIA-104-1977-01-19-2中国1977年01月19日1970年代江蘇省,石炭の自給を基本的に達成。
DIA-104-1977-01-19-3中国1977年01月19日1970年代李先念副総理,オランダの映画監督J.イベンス氏らと会見。
DIA-104-1977-01-19-4中国1977年01月19日1970年代華主席,ユーゴ首相の逝去に弔電。
DIA-104-1977-01-19-5中国1977年01月19日1970年代竹入公明党委員長を団長とする同党第5次訪中団が訪中―廖承志,孫平化,王暁雲,張香山各氏と会談,鄧穎超全入代副委員長と会見。廖会長,歓迎宴で反覇権条項全文明記を主張。
DIA-104-1977-01-20-1中国1977年01月20日1970年代中国は核ミサイルの試作に成功―「光明日報」の国防工業事業局理論小組論文が明らかにしたもの。
DIA-104-1977-01-20-2中国1977年01月20日1970年代中国北部で最近大型燐鉄鉱山が発見された。
DIA-104-1977-01-20-3中国1977年01月20日1970年代対米関係正常化に対する中国側の条件は日本方式―張香山・竹入会談で張氏が明らかにしたもの。①米中関係での根本問題は台湾問題である。米中関係を正常化する際は,政治と民間交流を切り離した,いわゆる日本方式とする。②台湾問題の解決は平和的におこないたいが解放の方式は中国が決める。③両国は台湾問題で相達点があるが,同時に多くの共通点があり,共通点は台湾問題と比べればより大きい。アメリカが正常化3条件(①外交関係の断絶,②米軍の撤退,③条約の破棄)をのんだら正常化は可能,と語った。(「朝日」「読売」特派員)
DIA-104-1977-01-21-1中国1977年01月21日1970年代山東省で「大寨県」普及運動で成果があがる。現在全省の3分の1の県が大寨式の県となった。
DIA-104-1977-01-21-2中国1977年01月21日1970年代中国ジャーナリスト代表団,パキスタン訪問を終える。
DIA-104-1977-01-21-3中国1977年01月21日1970年代中朝国境河川航行協力委員会第16回会議協議書が調印される。
DIA-104-1977-01-21-4中国1977年01月21日1970年代中国政府貿易代表団,ルーマニア訪問へ。
DIA-104-1977-01-21-5中国1977年01月21日1970年代沙風農林部部長,ナイジェリア代表団と会見。
DIA-104-1977-01-21-6中国1977年01月21日1970年代1976年の日中貿易実績,輸出は前年比26.4%減,輸入は10.5%減―ドル建てで輸出16億6256.8万ドル,輸入13億7091.5万ドル。(大蔵省通関速報)
DIA-104-1977-01-22-1中国1977年01月22日1970年代中国とベルギー,オランダ,ルクセンブルグ三国間の商標登録互恵協約が発効。
DIA-104-1977-01-22-2中国1977年01月22日1970年代華主席,竹入委員長一行と会見―華主席は福田伝言を歓迎し,「われわれは両国の友好関係を積極的に発展させたいと願っている。もし真に決断を下すなら問題は運びやすい。しかし,私たちがこれまでに得た情報では,福田首相は,最終的な決断をしているようには思えない」とのべた。
DIA-104-1977-01-23-1中国1977年01月23日1970年代華主席ら党・政首脳,全国石炭会議の出席者を接見―会議は1月10日から3000人余を集めて開かれた。
DIA-104-1977-01-23-2中国1977年01月23日1970年代人民日報,石炭工業部理論組論文「2つの積極性を十分に発揮し,石炭生産を大いに発展させよう」―江南地区には中小炭鉱が多数あり,出炭量は1965年の2.6倍となり石炭自給率は70%前後に達し,北方の石炭を南方へ運ぶ局面が大きく変ってきている。
DIA-104-1977-01-24-1中国1977年01月24日1970年代華主席,葉剣英副主席,李先念副総理,離任の玄峻極北朝鮮大使と会見。
DIA-104-1977-01-24-2中国1977年01月24日1970年代外務省首脳,首相の竹入氏への伝言は「非公式な『ことずて』」にすぎない,とのべる。
DIA-104-1977-01-25-1中国1977年01月25日1970年代米統合参謀本部の対議会報告書,中国が過去1年地対地ミサイルの開発を活化し,CSSX4というICBMを開発中と報告―このICBMは液体燃料で射程8000km以上。
DIA-104-1977-01-25-2中国1977年01月25日1970年代霍士廉が寧夏回族自治区党第一書記,革委主任に就任が判明―(北京放送・RP)前任者康建民は18日死去。
DIA-104-1977-01-25-3中国1977年01月25日1970年代中国・ルーマニア,1977年度バーター支払い議定書に調印。
DIA-104-1977-01-25-4中国1977年01月25日1970年代竹入委員長一行帰国,空港記者会見で外務省首脳を非難―26日竹入氏は福田首相に会い,日中平和友好条約の早期締結を促した。
DIA-104-1977-01-26-1中国1977年01月26日1970年代ノルウェー労働者共産党(ML)代表団が訪中。
DIA-104-1977-01-26-2中国1977年01月26日1970年代王震副総理,国貿促10団体訪中団一行と会見。
DIA-104-1977-01-26-3中国1977年01月26日1970年代政府,日立製作所の大型電算機の中国輸出を認めるため,ココムに輸出申諸の方針固める―M170型1台と,M160Ⅱ型2台の計3台,わが国の初輸出(「読売」27日)。2月4日に申請がなされた。
DIA-104-1977-01-27-1中国1977年01月27日1970年代中共中央は最近,「工業は大慶に学ぶ」全国会議の召集についての通知,を発出―今年のメーデー前に開くことを決定。
DIA-104-1977-01-27-2中国1977年01月27日1970年代国務院と中央軍委,最近「春節の擁政愛民,擁軍優属活動に関する指示」発出―新華社。
DIA-104-1977-01-27-3中国1977年01月27日1970年代青海省楽都県で約4000年前の原始社会末期の氏族の大型公共墓地発掘―規模大きく,出土文物も多い。
DIA-104-1977-01-27-4中国1977年01月27日1970年代昨年一年間に3万5000キロメートルの道路が新設され,1500余の人民公社に道路が通るようになった。
DIA-104-1977-01-27-5中国1977年01月27日1970年代楊驥中国人民対外友好協会代表らタンザニア訪問。
DIA-104-1977-01-27-6中国1977年01月27日1970年代中国・フィンランド,海運協定に調印。
DIA-104-1977-01-27-7中国1977年01月27日1970年代中共中央,ブラジル共産党のペドロ・ポヌル中央政治局委員らの死去に弔電。
DIA-104-1977-01-28-1中国1977年01月28日1970年代新華社,「湖南省での華主席」―湖南省での業績たたえる。56歳であること判明。
DIA-104-1977-01-29-1中国1977年01月29日1970年代教育部長に劉西発の就任が判明―同日の林砺儒副部長追悼会を部長名で主宰。
DIA-104-1977-01-29-2中国1977年01月29日1970年代上海市で工業交通系統幹部大会を開催。
DIA-104-1977-01-29-3中国1977年01月29日1970年代人民日報短評「軽工業をりっぱにやるために努力しよう」
DIA-104-1977-01-29-4中国1977年01月29日1970年代中国・パキスタン,科学技術協力計画議定書に調印。
DIA-104-1977-01-30-1中国1977年01月30日1970年代人民日報短評,「みんなで『ハダシ』の文章を書こう」―「4人組」の長たらしい文風の克服を訴えたもの。21日につづく文風改革の第2弾。
DIA-104-1977-01-30-2中国1977年01月30日1970年代アルバニア政府貿易代表団,訪中。2月1日,李先念副総理と会見,同日,1977年中国借款使用に関する議定書に調印。
DIA-104-1977-01-31-1中国1977年01月31日1970年代広州北京路に襲仁署名「社会主義所有制に関連する検討」という壁新聞出現―日本と経済を比較,9項目を提案。(「朝日」2月3日)
DIA-104-1977-01-31-2中国1977年01月31日1970年代映画・テレビ工業が大きく発展―農山村向けの映写機,映画用新光源は1976年が75年よりそれぞれ41%,88%増え,フィルム総生産量のなかでカラー映画用フィルムの占める割合は1975年の52%から63%へ伸びた。
DIA-104-1977-01-31-3中国1977年01月31日1970年代52年の中国原油輸入価格6.8%値上げ,数量は518~618万トン―昨年はバレル当り12ドル30セント,今年は13ドル15セント。
DIA-104-1977-02-01-1中国1977年02月01日1970年代人民日報,上海自動化計器第一工場労働者理論グループ執筆論文「合理的規則制度は否定することは許されない」―「4人組」の影響下に組織規律を軽視する風潮を批判。
DIA-104-1977-02-01-2中国1977年02月01日1970年代北朝鮮科学技術協力代表団が訪中。
DIA-104-1977-02-02-1中国1977年02月02日1970年代河北省馬頭発電所で10万キロワット発電機の増設工事が完成。
DIA-104-1977-02-02-2中国1977年02月02日1970年代中国・アルゼンチン政府貿易協定に調印。
DIA-104-1977-02-02-3中国1977年02月02日1970年代稲山会長を団長とする日中経済協会代表団が訪中―6日まで。谷牧副総理,李強対外貿易部長,王耀庭国貿促主任,廖承志中日友協会長と会談したほか8つの貿易公司代表らと協議をおこなった。
DIA-104-1977-02-03-1中国1977年02月03日1970年代イエメン人民民主共和国政府代表団,訪中。
DIA-104-1977-02-03-2中国1977年02月03日1970年代中国報道代表団,ビルマ訪問。
DIA-104-1977-02-03-3中国1977年02月03日1970年代福田首相,覇権条項を条約本文に盛り込み可能と表明―衆院本会議で。「平和憲法に基づく日本の基本的立場に中国の理解が得られれば」という前提つき。
DIA-104-1977-02-03-4中国1977年02月03日1970年代中国,3月中旬訪中予定の日本自動車工業会訪中団に「地震発生の恐れがあり,訪中を当分延期してほしい」と通告。
DIA-104-1977-02-04-1中国1977年02月04日1970年代キューバ政府貿易代表団,訪中。
DIA-104-1977-02-04-2中国1977年02月04日1970年代ベトナム経済専門家グループ,訪中。
DIA-104-1977-02-05-1中国1977年02月05日1970年代華主席,葉副主席,軍関係会議代表800余人を接見―全国人民防空業務工作会議,第三機械工業部企業単位の指導幹部会議,国防科学技術委員会計画座談会,同委員会科学研究・生産会議,の代表を接見。
DIA-104-1977-02-05-2中国1977年02月05日1970年代人民日報社説「正義の主張,合理的な提案」―1月25日,北朝鮮各政党の出した「南朝鮮の諸政党・社会団体,各層人民および海外同胞への書簡」を支持。
DIA-104-1977-02-05-3中国1977年02月05日1970年代鄧穎超全国人民代表大会常務委員会副委員長がビルマ訪問。韓念竜外交部副部長ら同行。11日帰国。
DIA-104-1977-02-05-4中国1977年02月05日1970年代紀登奎副総理,北朝鮮科学技術協力代表団と会見。中国・北朝鮮科学技術協力委員会第17回会議議定書に説印。
DIA-104-1977-02-05-5中国1977年02月05日1970年代北朝鮮軍事代表団,パキスタン訪問の帰途ウルムチに立寄る。
DIA-104-1977-02-07-1中国1977年02月07日1970年代3紙誌共同社説,「文献をよく学び,カナメをしっかりつかもう」―「すべ縄をつかんではじめて網の目は開くのであり,すべ縄は主題である。社会主義と資本主義との矛盾,そしてこの矛盾を逐次解決してゆくこと,これが主題であり,すべ縄である」という毛主席の言葉が再登場。「毛主席の旗こそは勝利の旗である。」「われわれは毛主席の偉大な旗をいっそう高く挙げ,断固としてこれを守らなければならない」と強調。
DIA-104-1977-02-07-2中国1977年02月07日1970年代山東省の工業がめざましく発展―1976年の工業生産総額は1975年を18.8%上回り,生産総額は第4次5ヵ年計画の平均年間伸び率の2.5倍に達した。基本建設の面でも合成アンモニア年産30万トンの大型化学肥料工場,年産1万台のトラクター工場,年産2万5000トンのゴム工場,辛店発電所20万キロワット発電ユニット,黄島石油積み出し港,煙台港,津浦線複線化及び黄河大橋などの完成がある。
DIA-104-1977-02-08-1中国1977年02月08日1970年代中朝鴨緑江水力発電会社理事会議定書に調印。
DIA-104-1977-02-08-2中国1977年02月08日1970年代許淡北朝鮮外相,北京に立ち寄る。
DIA-104-1977-02-08-3中国1977年02月08日1970年代カーター米大統領,ホワイトハウスで黄鎮中国連絡事務所長と会談―大統領は米中関係正常化を推進してゆく決意を表明。
DIA-104-1977-02-09-1中国1977年02月09日1970年代石炭工業部門,1月の国家計画を達成。計画を6.7%上回る。
DIA-104-1977-02-09-2中国1977年02月09日1970年代日本貿易振興会「1976年の中国対外貿易概況」を発表―中国の輸出71~72億ドル(対前年比3~4%増),輸入60億ドル強(15~20%減),輸出入計130億ドル強(6~8%減),4年ぶりの出超となった。
DIA-104-1977-02-09-3中国1977年02月09日1970年代曽濤フランス駐在中国大使離任。
DIA-104-1977-02-10-1中国1977年02月10日1970年代中共山西省昔陽県委員会は最近,第2回農業は大寨に学ぶ会議の精神を貫徹する整党整風会議を開催。
DIA-104-1977-02-10-2中国1977年02月10日1970年代「プラウダ」評論員,「反ソ的つくりごと」―「工業は大慶に学ぶ」全国会議召集通知の対ソ表現を非難。
DIA-104-1977-02-10-3中国1977年02月10日1970年代中国人民政治協商会議全国委員会,朝鮮祖国統一民主主義戦線中央委員会に電報を送り,北朝鮮各政党・社会団体の出した新救国案に支持を表明。
DIA-104-1977-02-12-1中国1977年02月12日1970年代人民日報,冶金工業部大批判組論文「『4人組』を摘発・批判し,鉄鋼工業を大いに解放しよう」―「4人組」が「資本主義の高速より社会主義の低速の方がましだ」という謬論をまきちらして故意に社会主義経済の高速度発展の可能性と必要性をまっ殺したことを批判。
DIA-104-1977-02-12-2中国1977年02月12日1970年代華主席,ノルウェー労働者共産党(ML)代表団と会見。
DIA-104-1977-02-13-1中国1977年02月13日1970年代汕頭でフェリーが爆発,100人以上の乗客が死亡―「明報」3月16日。
DIA-104-1977-02-13-2中国1977年02月13日1970年代華総理,アーメド・インド大統領逝去に対し弔電。
DIA-104-1977-02-13-3中国1977年02月13日1970年代新華社記者論評「モスクワからキプロスに吹きつける陰気な風」―ソ連がキプロス紛争の解決を妨害していると非難。
DIA-104-1977-02-14-1中国1977年02月14日1970年代最近安平生が雲南省党第一書記・革委主任に任命さる―「雲南放送」
DIA-104-1977-02-14-2中国1977年02月14日1970年代小川大使,日本大使館に黄華外相夫妻を招き,夕食会を開いて懇談をおこなう。
DIA-104-1977-02-15-1中国1977年02月15日1970年代人民日報,石油化学工業部大批判組論文「『管理・制限・抑圧』のこん棒を『4人組』とともに葬ろう」
DIA-104-1977-02-15-2中国1977年02月15日1970年代英関税当局,中国が昨年12月ロンドンで約90トンの金を売却,3億5000万ドルの外貨を入手した,と発表。
DIA-104-1977-02-15-3中国1977年02月15日1970年代中国武術代表団,タイ訪問。
DIA-104-1977-02-15-4中国1977年02月15日1970年代中国,訪中のロックフェラー氏に米中凍結資産解除問題について交渉開始の意向を伝達―香港「F.E.E.R.」誌。
DIA-104-1977-02-16-1中国1977年02月16日1970年代福建前線司令部スポークスマン,17~19日の3日間金門・馬祖諸島への砲撃停止を発表。
DIA-104-1977-02-16-2中国1977年02月16日1970年代人民日報,大慶革命委員会制定の「持ち場責任制」を紹介,規則・制度の健全化を呼びかけ―持ち場責任制として具体的には次の8項目がある。持ち場専任責任制,交替引継ぎ制,巡回点検制,設備維持保守制,品質責任制,持ち場練兵制,安全生産制,班・組経済採算性制。本年1月制定。
DIA-104-1977-02-16-3中国1977年02月16日1970年代小川大使が一時帰国―大使は20日福田首相の私邸で,福田,園田,鳩山,佐藤,中江氏らに報告,意見交換おこなう。
DIA-104-1977-02-17-1中国1977年02月17日1970年代人民日報,「王澈」論文「『4人組』の管理・制限・抑圧反対とは無政府主義をあおることである」
DIA-104-1977-02-17-2中国1977年02月17日1970年代1976年末のコンクリート船総積載量は320万トンに達した。その種類は農用船,漁船,航行標識船,客船,貨物船から万トン級浮ドックまで百種類余りとなった。これによって木材200万立方メートル,鋼板15万トン,桐油2万トンが節約された。
DIA-104-1977-02-17-3中国1977年02月17日1970年代華総理,アフガニスタンのモハメド・ダウド大統領が大統領に再選されたことに対し祝電。
DIA-104-1977-02-17-4中国1977年02月17日1970年代中国,リベリアと外交関係を樹立。22日,大使級外交関係樹立に関する共同コミュニケを発表。
DIA-104-1977-02-17-5中国1977年02月17日1970年代紀登奎副総理,岡田春夫代議士と会見―「福田首相はなぜまだ決断しないのか。ソ連の圧力に屈してはならない」と語る。
DIA-104-1977-02-18-1中国1977年02月18日1970年代政協全国委員会,北京飯店大ホールで春節交歓会催す―葉剣英,李先念以下の首脳が主席,沈雁氷副主席があいさつ,300人近くが出席。
DIA-104-1977-02-19-1中国1977年02月19日1970年代人民日報社説「カナメをつかんで国を治め春耕をしっかり行おう」
DIA-104-1977-02-19-2中国1977年02月19日1970年代人民日報短評「かならず綿花をしっかりつかまなければならない」
DIA-104-1977-02-19-3中国1977年02月19日1970年代人民日報記者論評,「核軍縮」をとなえて大いに核軍拡を行っているソ連,米国を非難。
DIA-104-1977-02-20-1中国1977年02月20日1970年代段君毅,鉄道部長に就任が判明。
DIA-104-1977-02-20-2中国1977年02月20日1970年代全国鉄道工作会議が開催さる―国務院の主催により最近北京で開催。26省・市・自治区党委員会の責任者,20の鉄道局と16の鉄道支局の党委員会の責任者,中共中央,国務院,解放軍の関係部門の責任者など合せて200余人が参加。「鉄道工作強化に関する中共中央の決定」という重要文献を攻撃し鉄道輸送を破壊した「4人組」を批判。
DIA-104-1977-02-20-3中国1977年02月20日1970年代人民日報短評「全国を大いに治め,鉄道を大いに治めよう」
DIA-104-1977-02-21-1中国1977年02月21日1970年代最近,北京で全国計画生産活動報告会と計画出産科学研究会を開催―ここ数年,人□発展計画を次々に制定・実行にうつして,人口発展を国家計画の軌道に組み入れ,晩婚と計画出産の新しい風習が形成されつつある,河北省と江蘇省では人口自然増加率が1965年の2.5%から現在1%前後に低下している。上海市と北京市では0.6以下におさえられている。
DIA-104-1977-02-21-2中国1977年02月21日1970年代徐斌洲第一機械工業部副部長を団長とする中国政府代表団,パキスタン訪問。
DIA-104-1977-02-22-1中国1977年02月22日1970年代何正文副総参謀長を団長とする中国人民解放軍友好代表団,スリランカを訪問。
DIA-104-1977-02-22-2中国1977年02月22日1970年代鳩山外相,参院選前の日中条約締結は困難,と語る。
DIA-104-1977-02-23-1中国1977年02月23日1970年代「紅旗」編集長に王殊前西独大使が就任(DPA)。
DIA-104-1977-02-23-2中国1977年02月23日1970年代人民日報社説,「中国とリベリアの外交関係樹立を祝う」
DIA-104-1977-02-23-3中国1977年02月23日1970年代葉剣英副主席,オランダの映画監督ヨリス・イベンス氏らと会見。
DIA-104-1977-02-23-4中国1977年02月23日1970年代中国駐在ソ連大使館付武官,ソ連軍建軍59周年祝賀レセプションを開催。
DIA-104-1977-02-23-5中国1977年02月23日1970年代中国が設計,援助したパキスタンのタキシーラ鋳造鍛造工場が完成。
DIA-104-1977-02-24-1中国1977年02月24日1970年代黄河上流,青海省内を走る高圧送電線西寧~共和線150キロメートルが完成。
DIA-104-1977-02-24-2中国1977年02月24日1970年代江蘇省常州市の工業生産総額は文革以来10年間 年平均13%づつ伸びてきた。同市は「工業は大慶に学ぶ」先進地区である。
DIA-104-1977-02-24-3中国1977年02月24日1970年代李先念副総理,ベトナムのグエン・チャン対外貿易省次官と会見。
DIA-104-1977-02-24-4中国1977年02月24日1970年代方毅科学院副院長,オーストリア科学者代表団と会見。
DIA-104-1977-02-25-1中国1977年02月25日1970年代「解放軍報」社説,「『硬骨6中隊』に学ぶ大衆運動を展開しよう」―人民日報が転載したもので,華主席が最近「軍隊は大寨,大慶に学び,全国人民に学ぶほか,部隊の先進典型にも学ばなければならない」と指示したことを明らかにした。
DIA-104-1977-02-25-2中国1977年02月25日1970年代香港紙,鄧小平の新勢力が南西部制圧説―「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト」紙は,許世友・韋国清グループが南西部のポストを占めつつあると推測。
DIA-104-1977-02-25-3中国1977年02月25日1970年代小川大使が北京に帰任,中国へ「福田伝言」持参―福田首相から託された伝言は,①日中関係が順調に進展していることは喜ばしい。②日中共同声明は誠実に実行する。③懸案の条約締結交渉は日中双方が満足のいく形でできるだけすみやかにおこないたい,というもの。
DIA-104-1977-02-26-1中国1977年02月26日1970年代広州でこのほど秦漢時代の大規模な造船工場遺跡が発掘された。
DIA-104-1977-02-26-2中国1977年02月26日1970年代「プラウダ」タス北京電「中国での4人組に対する闘争」―華体制を流動的で安定していないと分析。
DIA-104-1977-02-27-1中国1977年02月27日1970年代華主席,米国籍物理学者,李政道博士と会見。
DIA-104-1977-02-27-2中国1977年02月27日1970年代バンス国務長官,台湾との関係断絶に関してキ前国務長官が中国との間で密約を結んだか否か,調査中と語る―CBSテレビ番組で。
DIA-104-1977-02-28-1中国1977年02月28日1970年代北京で「2・28」蜂起30周年記念集会開く―葉副主席が出席,許徳政協全国委副主席が司会,廖承志中央委員があいさつをおこない,蔡嘯以下11人が発言をおこなった。
DIA-104-1977-02-28-2中国1977年02月28日1970年代国家体育運動委員会に,王猛主任復帰を歓迎する壁新聞現わる。(AFP)
DIA-104-1977-02-28-3中国1977年02月28日1970年代黄華外相,「郵小平は確かに過ちを犯した。しかし『4人組』の犠牲者でもある。適当な時期にしかるべき地位を与えられるであろう」とのべる。フランス大使館の夕食会で。
DIA-104-1977-02-28-4中国1977年02月28日1970年代人民日報,「保定は大治に向っている」―「4人組」は権力奪取の手段として保定を大混乱におとし入れたが,「4人組」摘発後中央から指導小組を派遣し,3ヵ月で情勢は完全に安定した。
DIA-104-1977-02-28-5中国1977年02月28日1970年代陳希愈中国人民銀行行長,ザンビア銀行代表団を招宴。
DIA-104-1977-03-01-1中国1977年03月01日1970年代武漢で9人が死刑の判決―理由は「産業活動の妨害」「略奪」「破壊活動」「異常性行為」など。2月初めの壁新聞による。(旅行者 AFP)
DIA-104-1977-03-01-2中国1977年03月01日1970年代全国鉄道治安工作会議,北京で開催される―13日まで。
DIA-104-1977-03-01-3中国1977年03月01日1970年代李先念副総理,朝中友好協会代表団と会見。
DIA-104-1977-03-01-4中国1977年03月01日1970年代中国・スーダン1977年貿易議定書に調印。
DIA-104-1977-03-02-1中国1977年03月02日1970年代人民日報短評,「大いに治あるには敢然と治めねばならない」―徐州鉄路分局が1975年3月の党中央の鉄道工作を強化する決定を実行し,指導グループを整頓,「4人組」に敢然と抵抗した経験をたたえる。
DIA-104-1977-03-02-2中国1977年03月02日1970年代「工業は大慶に学ぶ」省クラス会議,各地で開催される―今年に入ってすでに雲南,陜西,湖南,広東,山東,江西,四川,青海,河北の各地で「工業は大慶に学ぶ」省会議が開かれた。
DIA-104-1977-03-02-3中国1977年03月02日1970年代新任の劉鉄生ハンガリー駐在中国大使,赴任。
DIA-104-1977-03-02-4中国1977年03月02日1970年代2年ぶりに第2回日中貿易混合委員会開催―東京で,4日まで。
DIA-104-1977-03-03-1中国1977年03月03日1970年代浙江省で2人の「4人組」代理人および2人の新生反革命分子翁森鶴,賀賢春の罪行摘発・批判の10万人集会開く。(浙江放送・RP)
DIA-104-1977-03-03-2中国1977年03月03日1970年代天津第1石油化工工場の生産が伸びる―1976年の製油能力は原設計能力の2.9倍に達した。
DIA-104-1977-03-03-3中国1977年03月03日1970年代新華社記者論評,「『非資本主義の道』の落し穴」―「ソ連のいう『非資本主義の道』とは実際には『社会帝国主義』の対外拡張に拍車をかける新植民地主義の道である」。ソ連の第三世界諸国の国営企業への「建設援助」がソ連にとって製品を輸出し米国と世界市場を争い,勢力圏を拡大するための手段になっていると批判。
DIA-104-1977-03-03-4中国1977年03月03日1970年代日中友好議員連盟,会長に浜野清吾代議士を内定。
DIA-104-1977-03-04-1中国1977年03月04日1970年代浙江省党第一書記・革委主任に鉄瑛,江蘇省党第一書記に許家屯が昇格したことが判明。(地方放送・UPI)
DIA-104-1977-03-04-2中国1977年03月04日1970年代人民日報短評,「社会主義労働競争の展開はすばらしい」―「4人組」は「社会主義労働競争」を「生産力論」,「優勝旗主義」と中傷し,労働競争に関する毛主席の指示を「時代遅れ」と攻撃したことを明らかにする。
DIA-104-1977-03-04-3中国1977年03月04日1970年代ユーゴ記者協会代表団,訪中。
DIA-104-1977-03-05-1中国1977年03月05日1970年代人民日報,毛主席の「雷鋒同志に学ぼう」という題字発表14周年にあたり,華主席と葉副主席の最近の題字を発表―以前の周総理,朱徳委員長の題字も再掲,3紙誌は「雷鋒同志に学ぼう」と題する共同社説を発表し,全党・全軍に運動の展開をよびかけた。瀋陽部隊指導機関は3月2日集会を開いた。
DIA-104-1977-03-05-2中国1977年03月05日1970年代「人民日報」編集長に胡績偉副編集長が昇格。
DIA-104-1977-03-05-3中国1977年03月05日1970年代李先念副総理,カンボジアのイエン・サリ副首相と会見。
DIA-104-1977-03-05-4中国1977年03月05日1970年代廖承志会長,社会党大会で廖・成田共同声明にふれられなかった件に関して成田委員長を非難―総評訪中代表団と中日友好協会との第一回会談で。
DIA-104-1977-03-06-1中国1977年03月06日1970年代貴陽放送,貴州省党第1書記に馬力就任を発表。
DIA-104-1977-03-06-2中国1977年03月06日1970年代各地の鉄道局,社会主義労働競争を展開―鄭州鉄道局が北京鉄道局によびかけ,それを更に各地の鉄道局に伝達して開始された。挑戦状の内容は鄭州鉄道局を大慶型の企業にすること,鉄道輸送力の増大・スピードアップをはかり輸送任務を超過達成し,貨車積込み量を5・6月には史上最高にすることなど。
DIA-104-1977-03-06-3中国1977年03月06日1970年代オーストラリア小麦公社,200万トンの小麦輸出契約を中国と結ぶ―北京で調印,77年6月から78年1月に船積み。
DIA-104-1977-03-06-4中国1977年03月06日1970年代華主席,ルーマニア地震について,ルーマニア指導者に見舞電報を送る。
DIA-104-1977-03-06-5中国1977年03月06日1970年代華総理,第1回アフリカ・アラブ首脳会議に祝電。
DIA-104-1977-03-06-6中国1977年03月06日1970年代中国の援助で建設されていたスーダンのクドメタニ~ケダレフ道路が開通。
DIA-104-1977-03-07-1中国1977年03月07日1970年代湖北省,全国鉄道工作会議の精神にもとづいて全省鉄道工作会議を開催。武漢鉄道局は北京鉄道局の挑戦に応じて同局と社会主義労働競争を展開。
DIA-104-1977-03-07-2中国1977年03月07日1970年代ネパール報道代表団,訪中。
DIA-104-1977-03-08-1中国1977年03月08日1970年代王震副総理,総評代表団一行と会見。
DIA-104-1977-03-09-1中国1977年03月09日1970年代人民日報,中国科学院理論組論文「科学技術界で起きた驚くべき闘争」―鄧小平の1975年9月の指示をめぐる闘争を暴露,この指示を積極的に評価。
DIA-104-1977-03-09-2中国1977年03月09日1970年代人民日報短評,「『4害』をとり除いて科学を繁栄させよう」―「4人組」の害をとり除いて科学技術の近代化を達成しようと呼びかけ。
DIA-104-1977-03-09-3中国1977年03月09日1970年代桂応泰副首相を団長とする北朝鮮政府貿易代表団,訪中。
DIA-104-1977-03-10-1中国1977年03月10日1970年代人民日報,学論文「社会主義労働競争はよい」―副題:レーニンの「いかに競争を組織すべきか」を学習して体得したこと。長年来,4人組によって社会主義労働競争が圧殺されてきたことを明らかにした。
DIA-104-1977-03-10-2中国1977年03月10日1970年代人民日報,企業末端の整備をよびかけ―大慶油田政治部執筆の「末端建設を強化する8つの要求」という論文を紹介。
DIA-104-1977-03-10-3中国1977年03月10日1970年代北京市,最近,「工業は大慶に学ぶ」全市会議を開催。
DIA-104-1977-03-10-4中国1977年03月10日1970年代安徽省の1976年の食糧生産高は1975年より12.5%伸びて平均ムー当り生産高が初めて「発展要網」の規定の目標を越えた。(中国新聞社)
DIA-104-1977-03-10-5中国1977年03月10日1970年代華総理,モザンビークの水害に対しモザンビーク大統領に見舞電報を送る。
DIA-104-1977-03-10-6中国1977年03月10日1970年代中国・ベトナム,保健場定年度執行計画に調印。11日,呉桂賢副総理,ベトナム公衆衛生代表団と会見。
DIA-104-1977-03-10-7中国1977年03月10日1970年代マリ貿易代表団,訪中。
DIA-104-1977-03-10-8中国1977年03月10日1970年代ニューデリーの中国大使館に約200人のチベット人がデモ―警官40人が重軽傷。
DIA-104-1977-03-11-1中国1977年03月11日1970年代人民日報,石油化学工業部大批判組論文「末端を強化し,企業の大治をりっぱに進めよう」,大慶の経験に学んで,末端の建設を強化することを強調。
DIA-104-1977-03-11-2中国1977年03月11日1970年代華総理,第13回パレスチナ国民評議会の開催に祝電。
DIA-104-1977-03-11-3中国1977年03月11日1970年代カナダ吹奏楽団,北京で公演。
DIA-104-1977-03-11-4中国1977年03月11日1970年代小川大使,中国外交部に余湛副部長を訪問,福田首相の日中友好条約に対する基本的考え方を伝える。
DIA-104-1977-03-12-1中国1977年03月12日1970年代香港「明報」紙,広州市内に鄧小平首相就任祝賀の壁新聞出現と報道―前日広州市より香港に到着した旅行者の情報。
DIA-104-1977-03-12-2中国1977年03月12日1970年代杭州市で最近9人が「政治的犯罪」などで処刑さる―(旅行者談・北京・AFP)
DIA-104-1977-03-12-3中国1977年03月12日1970年代全国鉄道の1日当り積おろし量日増しに上昇―人民日報の短評は,石炭と鉄道は密接に関連しており,鉄道輸送の発展は石炭生産発展の動力にならねばならないと述べる。
DIA-104-1977-03-12-4中国1977年03月12日1970年代安徽省の経済発展―1970年以来,食糧生産量は年平均8.6%,軽工業生産額は13.7%,重工業は15.4%伸びてきた。
DIA-104-1977-03-12-5中国1977年03月12日1970年代人民日報社説,「団結・戦闘の新たな里程標―第1回アフリカ・アラブ首脳会議の勝利の閉幕を熱烈に祝う」
DIA-104-1977-03-12-6中国1977年03月12日1970年代中国・北朝鮮,長期貿易協定に調印。
DIA-104-1977-03-12-7中国1977年03月12日1970年代李方平セーシェル駐在中国臨時代理大使,赴任。
DIA-104-1977-03-13-1中国1977年03月13日1970年代農林部,最近北京で全国林業会議,水産会議会を開催。30日まで。
DIA-104-1977-03-14-1中国1977年03月14日1970年代人民日報,向群論文「敵味方関係の根本的ひっくりかえし」―「4人組」の毛主席のブルジョア階級が「共産党内に居る」という指示への重大な歪曲を批判する,と副題。
DIA-104-1977-03-14-2中国1977年03月14日1970年代西サモア議会代表団が訪中。17日,華主席が一行と会見。
DIA-104-1977-03-15-1中国1977年03月15日1970年代国家体育運動委主任に王猛,第一副主任に徐寅生の就任が判明。(北京放送・RP)
DIA-104-1977-03-15-2中国1977年03月15日1970年代江蘇省の中小型鉄鋼業―この5年間,鉄鋼の生産量が毎年20%以上の割合で伸び初歩的な規模の地方冶金工業体系を形成している。その生産量は全省供給量の3分の1を占めている。
DIA-104-1977-03-15-3中国1977年03月15日1970年代人民日報評論員論文,「中小型鉄鋼工業を発展させよう」―全国で農業機械化の歩みを早めるにしたがって,各地の鉄鋼に対する需要が多くなっている。全国の500余県が小型鉄鋼所と小型鉱山をおこしている。
DIA-104-1977-03-15-4中国1977年03月15日1970年代黄河,淮河流域が大規模な旱害にみまわれる―この地方は小麦の主要産地であり,その収穫が心配されている。
DIA-104-1977-03-15-5中国1977年03月15日1970年代中国・ブルガリア,1977年度バーター支払い協定に調印。
DIA-104-1977-03-15-6中国1977年03月15日1970年代孫鎖昌対外貿易部副局長を団長とする中国政府代表団,カナダ訪問へ。
DIA-104-1977-03-16-1中国1977年03月16日1970年代人民日報短評,各地の書記自から活動して旱害に対する闘いをおこなうことをよびかけ。
DIA-104-1977-03-16-2中国1977年03月16日1970年代人民日報短評,「鉄道の治安秩序の整頓に力を入れよう」―「4人組」の影響で鉄道の治安に少なからず問題があるので整頓をすすめるようよびかけ。
DIA-104-1977-03-17-1中国1977年03月17日1970年代中央政治局拡大会議で2週間の激論の末鄧小平復活決定―地位は解任前のポスト。(AFP 30日)
DIA-104-1977-03-17-2中国1977年03月17日1970年代スウェーデン共産党代表団,訪中。
DIA-104-1977-03-17-3中国1977年03月17日1970年代エジプト政府貿易代表団,訪中。
DIA-104-1977-03-18-1中国1977年03月18日1970年代河南省,物力と人力を集中して旱害防止に力を入れ小麦に水を供給するのに力を入れている。
DIA-104-1977-03-18-2中国1977年03月18日1970年代姚連蔚人民代表大会常務委員会副委員長,「ニューヨーク・タイムズ」のコラムニスト,ウイリアム・サフィル氏と会見。
DIA-104-1977-03-18-3中国1977年03月18日1970年代衛一清国家地震局副局長を団長とする中国地震専門家代表団,ルーマニア訪問。
DIA-104-1977-03-18-4中国1977年03月18日1970年代4~6月期の対中化学肥料輸出商談,尿素20万トン,価格23%アップで合意―日本硫安工業協会発表。
DIA-104-1977-03-19-1中国1977年03月19日1970年代国務院,旱ばつ対策緊急電話会議を開催―銭正英水利電力部長が司会し,国家計画委員会,農林,水利電力,第一機械工業,軽工業,石油化工,商業,財政各部と全国購買販売協同組合の主な責任者が出席。
DIA-104-1977-03-19-2中国1977年03月19日1970年代人民日報,石油化学工業企業が設備管理の強化であげた経験を紹介して設備管理の強化をうったえる。
DIA-104-1977-03-19-3中国1977年03月19日1970年代中国・ベトナム,1977年度バーター支払い協定に調印。
DIA-104-1977-03-20-1中国1977年03月20日1970年代国務院,旱害克服の緊急動員通達を出す―動員できる全ての人力・物力を旱ばつ防止闘争に投入するよう要請。
DIA-104-1977-03-20-2中国1977年03月20日1970年代李先念副総理,フランスのアンドレ・コラン上院外交国防委員長と会見。
DIA-104-1977-03-20-3中国1977年03月20日1970年代王炳南中国人民対外友好協会会長,米中友好協会婦人代表団と会見。
DIA-104-1977-03-21-1中国1977年03月21日1970年代華総理,エングアビ・コンゴ大統領の死去に弔電。
DIA-104-1977-03-21-2中国1977年03月21日1970年代中国・エジプト,長期貿易協定と長期支払い協定,1977年度貿易議定書に調印。
DIA-104-1977-03-21-3中国1977年03月21日1970年代楊成武副総参謀長を団長とする中国軍事友好代表団,パキスタン訪問。31日まで。
DIA-104-1977-03-21-4中国1977年03月21日1970年代陳永貴副総理,ユーゴ記者協会代表団と会見。
DIA-104-1977-03-21-5中国1977年03月21日1970年代川崎秀二代議士が訪中―22日「日中平和友好条約締結のため,必要とあれば鳩山外相を訪中させたい」という首相伝言を彦会長に伝えた。29日廖会長は外交ルートを通じて提起してほしい,と返答。
DIA-104-1977-03-22-1中国1977年03月22日1970年代人民日報,鞍山鉄鋼公司の憲法に関する毛主席の評語を発表―1960年3月22日の評語。鞍山鉄鋼公司では1100人の先進グループおよび個人が参加する記念集会を開いた。
DIA-104-1977-03-22-2中国1977年03月22日1970年代人民解放軍が旱ばつ防止の支援に出動。
DIA-104-1977-03-22-3中国1977年03月22日1970年代人民日報,5つの重点冶金企業の責任者の談話を発表―鞍山,首都,上海,武漢,邯の各鉄鋼企業。鉄鋼部門が鉄道輸送部門にならって発展をはかるべきことを強調。
DIA-104-1977-03-22-4中国1977年03月22日1970年代于夢尤リベリア駐在臨時代理大使赴任。
DIA-104-1977-03-23-1中国1977年03月23日1970年代台湾「中央日報」,いわゆる広東省党委と広州軍区党委連名の華主席あて「当面のいくつかの間題に対する建議書」全文を掲載―2月1日付で,毛主席にも欠点と誤まりのあること,毛主席の華主席に与えた言葉への疑念,彭徳懐問題処理は改めねばならぬ,などの内容を持つ。
DIA-104-1977-03-23-2中国1977年03月23日1970年代電力部門が社会主義労働競争を展開―水利電力部が運動をすすめるため電話会議を開催。そこで吉林省遼寧発電所,山東電力局,華東電業管理局など8単位が互いに挑戦,応戦し合い,さらに全国の各単位に社会主義労働競争を提案し,多くの単位がそれに応えた。
DIA-104-1977-03-23-3中国1977年03月23日1970年代冶金工業部門,社会主義競争大会を開催―最近,全国冶金工業会議が北京で開催された。そこで首都鉄鋼公司が社会主義労働競争を提案し,鞍山鉄鋼公司がそれに応じた。鞍山の労働者は企業の姿を1年で大きく変え,2年で大慶型の企業に築き上げ,今年中に3分の1の工場・鉱山・職場を大慶型企業の列に入れることを保証。
DIA-104-1977-03-23-4中国1977年03月23日1970年代李先念副総理,英「タイムズ」紙編集長デニス・ハミルトン卿夫妻と会見。
DIA-104-1977-03-23-5中国1977年03月23日1970年代銭三強中国科学院副秘書長,フランスの物理学者R・E・ブーシエ教授と会見。
DIA-104-1977-03-23-6中国1977年03月23日1970年代米国務省で黄鎮・バンス会談(1時間半)おこなわれる。
DIA-104-1977-03-24-1中国1977年03月24日1970年代人民日報,評論員論文「社会主義労働競争を幅広く展開しよう」―「4人組」は社会主義労働競争を「新しい靴をはいて古い道を歩む」,「唯生産力論」,「功名主義」などと呼んで,その展開を許さなかったことを暴露。「工業は大慶に学ぶ」運動の中で各部門は競争を通じて企業内潜在力を発掘しなければならないと呼びかけた。
DIA-104-1977-03-25-1中国1977年03月25日1970年代財政部,昔陽県で「財政金融は大寨に学ぶ」全国会議を開催―数年来,大寨大隊の農地基本建設投資と機械化,水利化資金は全て公共蓄積を拡大することによって解決してきた。
DIA-104-1977-03-25-2中国1977年03月25日1970年代劉西堯教育部長,イランのアリメール工業大学代表団と会見。
DIA-104-1977-03-26-1中国1977年03月26日1970年代人民日報,石油化学工業部批判組論文「『4人組』が化学肥料工業を破壊した罪行はかならず清算されねばならない。」
DIA-104-1977-03-26-2中国1977年03月26日1970年代外務省,200海里漁業専管水域設定に関して中国に事前通告をおこなう。
DIA-104-1977-03-27-1中国1977年03月27日1970年代馬竜東海艦隊司令,任務遂行中死亡,66歳。(浙江放送4月11日)
DIA-104-1977-03-27-2中国1977年03月27日1970年代石油精製部門,社会主義労働競争をよびかけ―最近,湖南長嶺製油所で「工業は大慶に学ぶ」経験交流会を開催。大慶製油所,北京石油化工総工場東方紅製油所,蘭州製油所など18の重点製油企業の代表が連名で,社会主義労働競争を繰り広げることを呼びかけた。
DIA-104-1977-03-27-3中国1977年03月27日1970年代中国が自力で設計,製造した最初の石油精製廃水処理用の大型活性炭吸着浄化装置が,湖南省長嶺製油所で完成。
DIA-104-1977-03-27-4中国1977年03月27日1970年代安徽省で大型炭田が発見された―安徽省宿県地区で埋蔵量は淮北の既存立坑の総埋蔵量の4倍以上に相当
DIA-104-1977-03-28-1中国1977年03月28日1970年代華総理,パーレビ・イラン国王に地震の見舞電報を送る。
DIA-104-1977-03-29-1中国1977年03月29日1970年代劉希文,鄭義両氏が対外貿易部副部長に昇格。
DIA-104-1977-03-29-2中国1977年03月29日1970年代華総理,プット氏のパキスタン首相再選に祝電。
DIA-104-1977-03-30-1中国1977年03月30日1970年代中共山西省交城県委員会「抗日戦争時代の華国鋒同志」
DIA-104-1977-03-30-2中国1977年03月30日1970年代最近全国基本建設会議が開催される。
DIA-104-1977-03-30-3中国1977年03月30日1970年代人民日報評論員論文,「力を集中してせん滅戦をたたかう決意をしよう」―ここ数年来石油,石炭,港湾建設といくつかの輸入プラントは地方党委員会の一元的指導の下に兵力を集中して大協業を展開して早く完成している。
DIA-104-1977-03-30-4中国1977年03月30日1970年代人民日報短評,「基本的立脚点」―大寨県建設の基本的立脚点は自立更生にあることを再確認。
DIA-104-1977-03-30-5中国1977年03月30日1970年代華総理,インドのモラルジ・デサイ氏に同氏の首相就任に対し祝電を送る。
DIA-104-1977-03-30-6中国1977年03月30日1970年代紀登奎政治局委員,オスカー・クレイト・パラグアイ共産党書記長と会見。
DIA-104-1977-03-30-7中国1977年03月30日1970年代経団連訪中代表団が訪中―王耀庭国貿促主任(30日),李強対外貿易部長(31日)と会見。李強部長とは日中貿易長期取決めを結ぶことで合意。4月1日の柴樹藩,劉希文副部長との会談でその具体的内容について合意。4月4日帰国。
DIA-104-1977-03-31-1中国1977年03月31日1970年代吉林省革命委員会主任に王恩茂が就任。(地方放送・北京・ロイター)
DIA-104-1977-03-31-2中国1977年03月31日1970年代王震副総理,ネパール国家計画委員会代表団と会見。代表団は3月27日訪中。
DIA-104-1977-03-31-3中国1977年03月31日1970年代日中友好議員連盟総会,藤山会長の後任に浜野清吾(自民)を正式に選出―日中平和友好条約の早期締結で政府の決断を促す決議を採択,行動方針を決める。
DIA-104-1977-04-01-1中国1977年04月01日1970年代中国で軍装備再編計画策定さる―総額は米の専門家によると22億ドル。内容は,①人民防空委員会を中心に膨大なトンネルと穀物貯蔵庫を建設,②科学技術委員会を中心に軍経済生産計画と研究開発を推進する,③兵器製造委員会を中心に軍用機エンジン工場などを建設する,というもの。ミグは次第に英仏機に転換される。(仏「ルヌボー・ジュルナル」紙)
DIA-104-1977-04-01-2中国1977年04月01日1970年代安陽地区の殷墟で2000人の奴隷を埋めた祭祀坑発掘さる―「光明日報」
DIA-104-1977-04-01-3中国1977年04月01日1970年代人民日報,大慶党委員会の12条からなる「指導グループ革命化の措置」を掲載―両論(「矛盾論」,「実践論」)をよりどころにして事業の具体的実践を堅持し,思想・政治路線を正すなど12条。
DIA-104-1977-04-02-1中国1977年04月02日1970年代中国科学院,最近北京で高エネルギー物理会議を開催―「4人組」が基礎理論研究を破壊したことを批判。
DIA-104-1977-04-02-2中国1977年04月02日1970年代華国鋒主席が経団連訪中代表団一行と会見―華主席は長期貿易取決めなど,話し合いで成果を上げたことを評価。「平和友好条約が1日も早く締結されることを望んでいる。非常に多くの日本の友人もこれを支持しており,日中関係の今後は明るい」と語った。
DIA-104-1977-04-03-1中国1977年04月03日1970年代華主席,西ドイツ・キリスト教民主同盟のハンス・フィルビンガー副党首一行と会見。
DIA-104-1977-04-04-1中国1977年04月04日1970年代最近,中国各地の財政金融部門,工業主管部門および重点企業の代表が大慶で会議を開催―「4人組」が,国家の財政収入に力を入れることを「指標優先」,企業の利潤計画の達成に力を入れることを「利潤優先」として攻撃したことを批判。
DIA-104-1977-04-04-2中国1977年04月04日1970年代華主席,ピターソン議長を団長とするスウェーデン共産党代表団と会見。
DIA-104-1977-04-05-1中国1977年04月05日1970年代石炭部門,社会主義労働競争をよびかけ―石炭部門の30の大慶型企業,10の先進隊と一部の労働模範が最近連名で全国の炭鉱に社会主義労働競争を展開するよう呼びかけた。
DIA-104-1977-04-05-2中国1977年04月05日1970年代李先念副総理,ワシーレ・イオネル国防次官の率いるルーマニア代表団と会見。
DIA-104-1977-04-05-3中国1977年04月05日1970年代土光経団連会長,福田首相に訪中の報告―華主席の「忙しいのであれば待つ」という伝言を伝える。
DIA-104-1977-04-06-1中国1977年04月06日1970年代人民日報,葉副主席の詩とその詩についての毛岸青夫妻の手記掲載―1965年,葉氏の「遠望」といつソ修批判の詩を毛主席が手書して岸青,邵華に与えたというもの。
DIA-104-1977-04-06-2中国1977年04月06日1970年代外交部当局者の郡小平問題に対する統一見解―外国人記者団に対して明らかにしたもの。 ①鄧小平同志は73年に中央の仕事に就いて以来,大きな功績があった。②鄧同志は多少の過ちも犯した。過ちに対しては当然批判しなければならない。③しかし「4人組」は政権奪取の目的から鄧同志を陥れるために攻撃した。④過ちをあらためれば,仕事を与えるのが党の政策である。⑤鄧同志は適当な時期に,適当な仕事に就くことがすでに決定ずみである。 天安門事件は複雑な点がある。それは天安門に集った大多数の人は周総理追悼のために来たのであり,4人組批判を目的とした人もいたが,一部に毛主席に攻撃のほこ先を向けた反革命分子の活動があった。(「朝日」4月7日)
DIA-104-1977-04-06-3中国1977年04月06日1970年代李先念副総理,モーリタニア大統領歓迎宴で「1年で初歩的な成果をあげ,3年で大きな成果をあげる」スローガンを初提起。
DIA-104-1977-04-06-4中国1977年04月06日1970年代人民日報社説,「ダッダ大統領を熱烈に歓迎する」。
DIA-104-1977-04-06-5中国1977年04月06日1970年代モーリタニア回教共和国のダッダ大統領訪中。8日,華主席と会見。10日,広州経由で帰国。
DIA-104-1977-04-07-1中国1977年04月07日1970年代中共中央の「毛沢東選集」第5巻学習に関する決定,発出―中共中央毛沢東主席著作編集出版委員会は,「《毛沢東選集》第5巻の出版にあたって」(3月1日)と「《毛沢東選集》第5巻について」を発表。
DIA-104-1977-04-07-2中国1977年04月07日1970年代大型クレーン・トラックの試作に成功―四川省の長江クレーン工場で,最大つり上げ能力65トン。
DIA-104-1977-04-07-3中国1977年04月07日1970年代中国の干ばつ,1949年以来最悪―3月までの5ヵ月間の中国・中南部の総降雨量は平年を50~85%も下回っている。香港気象台のベル所長が明らかにしたもの。
DIA-104-1977-04-07-4中国1977年04月07日1970年代英国保守党党首マーガレット・サッチャー女史,訪中。9日,華主席と会見。
DIA-104-1977-04-07-5中国1977年04月07日1970年代中国とヨルダン,外交関係を樹立。(14日発表),16日付人民日報,祝賀の社説を掲載。
DIA-104-1977-04-08-1中国1977年04月08日1970年代8省・市・自治区で工業会議が開催された―この一ヵ月余の間に北京,広西,甘粛,チベット,遼寧,吉林,黒竜江,福建の8省・市・自治区で「工業は大慶に学ぶ」会議があいついで開催された。
DIA-104-1977-04-09-1中国1977年04月09日1970年代李先念,王震副総理が関西経済訪中友好使節団一行と会見―一行は4日に訪中,12日帰国,「プラント以外にも長期契約の実現を期す」と語る。
DIA-104-1977-04-10-1中国1977年04月10日1970年代全国交通工作会議・最近北京で開催―会議の提起した目標として長江の輸送量を倍増させ,外国船をチャーターしている遠洋航路の局面を基本的に終らせるなどがある。
DIA-104-1977-04-10-2中国1977年04月10日1970年代中国,今年になって510万トンの穀物買付け―昨年は210万トン,米農務省「外国農業」誌による。(AP)
DIA-104-1977-04-11-1中国1977年04月11日1970年代人民日報社説,「カナメをつかんで国を治める戦略的決定を全面的に実行しよう」―天下大治に至る八項目の任務を提起。
DIA-104-1977-04-11-2中国1977年04月11日1970年代人民日報社説,「カナメをつかんで国を治める戦略的決定を全面的に実行しよう」―経済面では大寨型県と大慶型企業の普及に努め,社会主義労働競争をくり広げて社会主義の経営管理を改善,強化し,主要経済技術指標がまず国内の史上最高水準に到達し,続いてそれを上回るようにし,世界の先進水準に追いつき追い越すように努力することを提起。
DIA-104-1977-04-11-3中国1977年04月11日1970年代人民日報,大慶油田政治工作要点を掲載。
DIA-104-1977-04-11-4中国1977年04月11日1970年代バンス米国務長官,黄鎮事務所長と会談―バンス長官,11月に訪中したいとの意向を表明。
DIA-104-1977-04-12-1中国1977年04月12日1970年代軽工業部門,社会主義労働競争を呼びかけ―最近,社会主義労働競争を展開する全国軽工業電話会議を開催。
DIA-104-1977-04-12-2中国1977年04月12日1970年代李先念副総理,ブラデマス民主党下院議員とシュワイカー上院議員を団長とする米議会議員団と会見。 随行の米大統領子息チップ・カーター,李先念副総理に大統領書簡を手交。
DIA-104-1977-04-12-3中国1977年04月12日1970年代日本硫安工業会,中国との長期安定取引を結ぶ方針を固め,交渉を開始した,と発表。
DIA-104-1977-04-12-4中国1977年04月12日1970年代対中プラント輸出商談に資料再提出要求続く―プラント輸出活発化の兆し。(貿易業界筋・朝日)
DIA-104-1977-04-13-1中国1977年04月13日1970年代人民日報社説,「毛沢東思想の偉大な赤旗を高くかかげ『4人組』を深くつっこんで摘発。批判しよう」―華主席の7つの指導方針にしたがって成果を上げたこと,今後,かれらの反革命的正体と罪悪にみちた経歴の暴露・批判,哲学,政治経済学および科学的社会主義の理論の面からの徹底的批判,長期にわたる反革命修正主義路線と反動的世界観の批判,をすすめなければならないと指示。
DIA-104-1977-04-13-2中国1977年04月13日1970年代華総理,ロイ・ジャック下院議長を団長とするニュージーランド議会代表団と会見。
DIA-104-1977-04-13-3中国1977年04月13日1970年代中国・アフガニスタン,1977年度貿易支払い協定とバーター議定書に調印。
DIA-104-1977-04-13-4中国1977年04月13日1970年代ベトナム社会主義共和国のファン・バンドン首相,外国訪問の途中・北京に立寄る。
DIA-104-1977-04-13-5中国1977年04月13日1970年代カーター大統領,次期中国連絡事務所長にウッドコック全米自動車労連会長を選任―「ワシントン・ポスト」紙
DIA-104-1977-04-14-1中国1977年04月14日1970年代華主席,金日成主席の65歳誕生日に祝電。
DIA-104-1977-04-15-1中国1977年04月15日1970年代「毛沢東選集」第5巻,全国で一せいに発売―普及版,並製,上製の3種,全国で2億冊以上印刷される予定で,第一回分として1500万冊が発売された。
DIA-104-1977-04-15-2中国1977年04月15日1970年代春の広州交易会が開幕―日本人約800名を含めて約4000人が出席。
DIA-104-1977-04-15-3中国1977年04月15日1970年代中国・キューバ,1977年度貿易議定書に調印。
DIA-104-1977-04-16-1中国1977年04月16日1970年代3紙誌共同社説,「毛主席著作学習の高まりをまき起こそう」―「《毛沢東選集》第5巻の出版を熱烈に歓呼する」
DIA-104-1977-04-16-2中国1977年04月16日1970年代李先念副総理,藤山日本国貿促会長と会談―李副総理,日中貿易長期取決めは「特定の品目にだけ限らずに拡大可能なあらゆる分野で伸ばすのがよい。貿易窓口は多い方が良い」,と語る。
DIA-104-1977-04-17-1中国1977年04月17日1970年代華主席,大慶油田と東北地区を視察―大慶油田(17日~19日),黒竜江省(21日~23日),吉林省(23日と24日),遼寧省(24日と25日),唐山(26日)。吉林省党委第一書記・革命委員会主任王恩茂,遼寧省党委第一書記曽紹山,同第二書記任仲夷の就任が判明。
DIA-104-1977-04-17-2中国1977年04月17日1970年代鄧穎超副委員長,スリランカを訪問。22日まで。
DIA-104-1977-04-18-1中国1977年04月18日1970年代人民日報,任政論文「われわれの党を必らず立派に整頓しよう」―《毛沢東選集》第5巻をまじめに学習して,毛主席著作の整党に関する教えを学習し,華主席をかしらとする党中央の決定と配置にしっかりとのっとって,今年は整党整風運動を展開し,思想,組織作風の上から「4人組」の流した毒素と影響を断固払拭 しなければならない。各級党組織は直ちに整党整風の準備工作を開始しなければならない。
DIA-104-1977-04-18-2中国1977年04月18日1970年代人民日報短評,「農業機械戦線は大いに発展しなければならない」
DIA-104-1977-04-18-3中国1977年04月18日1970年代最近,江西トラクター工場,洛陽トラクター工場などが各地のトラクター工場へ農業機械を大いにつくるよう競争をよびかけた。
DIA-104-1977-04-18-4中国1977年04月18日1970年代ガイアナ共和国のアーサー・チャン大統領,訪中。21日,華主席と会見。
DIA-104-1977-04-19-1中国1977年04月19日1970年代人民日報社説,「カナメをつかんで国を治め,国民経済の新たな躍進を促そう」―燃料,電力工業の生産を向上させ,鉄鋼生産をひきあげなければならないこと,本年上半期に,持ち場責任制,勤評制度,技術操作規定,品質検査制,設備管理・保守制,安全生産制,経済採算制などの制度を確立すべきこと等を目標としてあげる。
DIA-104-1977-04-19-2中国1977年04月19日1970年代全国各省・市・自治区の購買販売協同組合主任会議が北京で開催される。
DIA-104-1977-04-19-3中国1977年04月19日1970年代人民日報評論員論文,「覇権主義は人心を得られない」―日ソ漁業交渉におけるソ連の暴慢さを非難,日本人民は他人が自分の頭上にのさばるのを絶対に許すはずがない,と分析。
DIA-104-1977-04-20-1中国1977年04月20日1970年代「工業は大慶に学ぶ」全国会議,大慶油田で開幕―中共中央が招集,華主席が主宰,李先念,紀登奎,汪東興,李徳生,陳永貴,呉桂賢,蘇振華,王震,余秋里,谷牧が出席。李先念副総理が開幕のことばをのべ,宋振明大慶党書記兼革命委員会主任が大慶の基本的経験を紹介した。4月19日夜,華主席は大慶油田の先進的労働者,職場代表450人を接見した。
DIA-104-1977-04-20-2中国1977年04月20日1970年代「工業は大慶に学ぶ」全国会議,開催さる―23日まで大慶で。27日から5月13日まで北京で。7000人の参加者で建国以来最大規模の会議。華国鋒主席,葉剣英副主席,李先念副総理,余秋里副総理,経登奎副総理,康世恩石油化学工業部部長,宋振明大慶油田党委員会書記らが演説をおこなった。華主席,余秋里副総理の演説では,①大慶型企業を普及する大衆運動を繰り広げること,②第5次5ヵ年計画期間に少くとも全国の3分の1の企業を大慶型の企業にすること,③大慶型企業普及のカギは省・市・自治区の党委員会にあること,④石油部門は今世紀中に「大慶油田」をさらに十数ヵ所建設するために奮闘すべきこと,⑤東北,華北,華東,中南,西南,西北の六大区域で農業,軽工業,重工業のバランスのとれた経済体系を建設すること,⑥企業の整頓をすすめること,⑦労働賃金の問題について専門会議をひらいて検討すること,などの課題を提起。
DIA-104-1977-04-20-3中国1977年04月20日1970年代山東省最大の砂糖工場が完成。日産処理能力,テンサイ200トン。
DIA-104-1977-04-20-4中国1977年04月20日1970年代ポルトガルと中国の国交樹立切迫説―ポルトガルの社会党系「アル・ギタ」紙
DIA-104-1977-04-20-5中国1977年04月20日1970年代中国・ハンガリー1977年度バーター支払い協定に調印。
DIA-104-1977-04-20-6中国1977年04月20日1970年代オランダ・ブイリップス社の電子分析機器展覧会,北京で開催。
DIA-104-1977-04-21-1中国1977年04月21日1970年代人民日報,葉金論文「かならず国民経済を発展させなければならない」
DIA-104-1977-04-21-2中国1977年04月21日1970年代姚依林対外貿易部第一副部長を団長とする中国政府代表団,オーストリア訪問。つづいて26日,オランダ訪問。
DIA-104-1977-04-21-3中国1977年04月21日1970年代パキスタン空軍参謀学院代表団,訪中。
DIA-104-1977-04-21-4中国1977年04月21日1970年代日韓大陸ダナ協定の国会審議に関して中国政府が抗議―中国外交部から日本大使館の堂の脇参事官に伝えられたもの。23日,日本外務省田島中国課長に宋文一等書記官が同内容の抗議文を口頭で伝えた。
DIA-104-1977-04-22-1中国1977年04月22日1970年代張廷発空軍副司令が同司令に昇格―新華社報道から判明。
DIA-104-1977-04-22-2中国1977年04月22日1970年代ジミヤーニン・ソ共中央書記,毛主席死去後初めて公然と中国を非難―「中国は平和と反帝闘争に直接害を与え,国際緊張をあおり,もっとも反動的な勢力と同盟し,反ソ宣伝をおこなっている。こうした中国の政策は全世界の人々,とりわけ中国人民自身の利益に明らかに反している」。レーニン生誕107周年集会で。
DIA-104-1977-04-23-1中国1977年04月23日1970年代人民日報社説,「カナメをつかんで国を治める空前の集い」―大慶油田を鞍山鋼鉄公司の憲法の実現の手本として位置づけ。
DIA-104-1977-04-23-2中国1977年04月23日1970年代日中絹交渉,北京で合意せず,5月東京で再交渉と決まる。―22日から開かれた。
DIA-104-1977-04-25-1中国1977年04月25日1970年代中国・ギニア,1977年度貿易議定書に調印。
DIA-104-1977-04-26-1中国1977年04月26日1970年代人民日報,華主席の「貴いのは意欲を燃やすこと」(1963年4月2日)という文章を掲載。
DIA-104-1977-04-26-2中国1977年04月26日1970年代中国・ルーマニア,保健協力実施計画に調印。
DIA-104-1977-04-26-3中国1977年04月26日1970年代符浩ベトナム駐在中国大使,離任し帰国。
DIA-104-1977-04-26-4中国1977年04月26日1970年代李先念副総理,古井喜実代議士と会見―李副総理は福田首相の訪中を歓迎すると語った。古井氏は条約交渉でボールは日本側にあるというのが中国側の姿勢だ,と述べる。
DIA-104-1977-04-26-5中国1977年04月26日1970年代200海里政令概要で政府は韓国と中国を適用全面除外とした。
DIA-104-1977-04-27-1中国1977年04月27日1970年代人民日報,紅旗,解放軍報評論員,「新旧反革命分子からなる黒い徒党」―「4人組」の経歴に対する調査結果。毛主席の「文化大革命は3分と7分に分けてみなければならない。成果が7分で誤まりが3分である」という言葉を公表,3分の誤まりを林彪,陳伯達,「4人組」の攪乱と破壊に帰す。張春橋:国民党特務,江青:党の裏切り者,姚文元:階級異分子,王洪文:新生ブルジョア分子,と規定。
DIA-104-1977-04-27-2中国1977年04月27日1970年代「革命記念館」を毛主席記念堂の隣に建設することが決定―歴史記念館の南で,毛,朱,周関係の展示がおこなわれる予定。(共同)
DIA-104-1977-04-27-3中国1977年04月27日1970年代王幼平マレーシア駐在中国大使,離任し帰国。
DIA-104-1977-04-27-4中国1977年04月27日1970年代ネ・ウィン・ビルマ大統領,訪中―5月12日まで。人民日報,社説を掲げて歓迎。29日,華主席と会見。ネ・ウイン大統領は27日の歓迎宴で「もし避け難い理由によって両国になんらかのかんばしくない事情が生じたならば,双方は率直かつ粘り強くこれを解決すべきであると思います」とのべた。
DIA-104-1977-04-28-1中国1977年04月28日1970年代広岡朝日新聞社長を団長とする日本報道界訪中団が訪中―中国に特派員を派遣している13社の代表。
DIA-104-1977-04-29-1中国1977年04月29日1970年代華総理,バングラデシュのジアウル・ラーマン大統領の大統領就任に対して祝電。
DIA-104-1977-04-29-2中国1977年04月29日1970年代旧田中派の「日中友好国会議員団」20人が日航チャーター機で訪中。
DIA-104-1977-04-30-1中国1977年04月30日1970年代アペイ・アワンジンメイ副委員長,ダライ・ラマが帰国を希望するなら受入れの方針を示唆―「日本と中国」紙訪中団に。
DIA-104-1977-04-30-2中国1977年04月30日1970年代青海省とチベットを結ぶ青蔵鉄道建設中―アペイ・アワンジンメイ副委員長が日本人訪中団に言明。
DIA-104-1977-04-30-3中国1977年04月30日1970年代李先念副総理,法眼晋作国際協力事業団総裁と会見。
DIA-104-1977-05-01-1中国1977年05月01日1970年代華主席,葉副主席メーデー園遊活動に参加―ネ・ウィン・ビルマ大統領夫妻らと中山公園音楽堂で歌や踊りを鑑賞。
DIA-104-1977-05-01-2中国1977年05月01日1970年代華国鋒論文,「プロレタリア階級独裁のもとでの継続革命をあくまでおし進めよう:《毛沢東選集》第5巻を学習して」―人民日報掲載。1956年の毛主席の言葉,5~60年の時間をかけてアメリカを経済面で追い越すことの提起をうけて,今世紀内に4つの現代化実現の決意を表明。
DIA-104-1977-05-01-3中国1977年05月01日1970年代4月の化学肥料生産量,史上最高を記録。大連化学工場が蘭州化学肥料工場に社会主義労働競争の展開を提案。
DIA-104-1977-05-01-4中国1977年05月01日1970年代工業生産,新らたな躍進の局面に―3月の工業生産総額,多くの省・市・自治区で伸びが大きく,2月より19%増に達したところもある。3月の鋼と銑鉄の平均日産量,2月より20%前後増え,トラクターと内燃機械部品は第1四半期の史上最高を記録。各企業で社会主義労働競争を展開。
DIA-104-1977-05-01-5中国1977年05月01日1970年代米中凍結資産問題に関する交渉すでに再開―過去数週間 W.H.グレステーン国務次官補と韓叙中国連絡事務所次長との間で続いている。(ニューヨーク・タイムズ)
DIA-104-1977-05-01-6中国1977年05月01日1970年代華主席,葉副主席,李副総理は古井喜実,山下元利,法眼晋作,真山美保らとメーデーの花火大会の合間に会見した。
DIA-104-1977-05-02-1中国1977年05月02日1970年代パキスタン国境のコヒスタン族が,カラコルム・ハイウェー建設中の中国兵労働隊を人質に反政府要求をおこなう事件が発生―ラワルピンジ・AP
DIA-104-1977-05-02-2中国1977年05月02日1970年代鄧穎超副委員長は,日本報道界代表団に対し,平和条約締結後周総理に代って訪日したいとのべた。
DIA-104-1977-05-03-1中国1977年05月03日1970年代オマール・ボンゴ・ガボン大統領訪中―4日華主席と会見。
DIA-104-1977-05-03-2中国1977年05月03日1970年代ト明総経理を団長とする中国銀行代表団,スイス,西独,ベルギー,英国訪問へ出発。
DIA-104-1977-05-03-3中国1977年05月03日1970年代新任の王沢ペルー大使,赴任。
DIA-104-1977-05-03-4中国1977年05月03日1970年代中国・東ドイツ,1977年度バーター支払い協定に調印。
DIA-104-1977-05-03-5中国1977年05月03日1970年代姚広メキシコ駐在中国大使,離任し帰国。
DIA-104-1977-05-03-6中国1977年05月03日1970年代中華人民共和国展,名古屋で開幕―22日まで。柴樹藩対外貿易部副部長以下の同展友好訪日団が来日(5月2日~13日)。
DIA-104-1977-05-04-1中国1977年05月04日1970年代福建の江礼銀党書記,大衆集会で,毛主席のイメージを傷つける言行に警告―「われわれは毛主席の輝かしい形象を傷つけるすべての言行を断固阻止し,毛主席を攻撃するすべての政治的なウワサや反動的政見を断固退けなければならぬ」とのべた。(地方放送・香港・AP10日)
DIA-104-1977-05-04-2中国1977年05月04日1970年代中国人民革命軍事博物館,「雷鋒同志に学ぶ展覧」正式開場。
DIA-104-1977-05-04-3中国1977年05月04日1970年代譚震林全人代副委員長,クウェート商工会議所代表団と会見。
DIA-104-1977-05-04-4中国1977年05月04日1970年代谷牧副総理,フィリピン工業相一行と会見。
DIA-104-1977-05-04-5中国1977年05月04日1970年代新任の劉述卿ノルウェー駐在大使,赴任。
DIA-104-1977-05-04-6中国1977年05月04日1970年代サイフジン副委員長を団長とする全国人民代表大会代表団,ルーマニア訪問。
DIA-104-1977-05-05-1中国1977年05月05日1970年代英レスター商業会議所代表団,訪中。
DIA-104-1977-05-05-2中国1977年05月05日1970年代李先念副総理,サバハ・アマド外相の率いるクウェート訪中代表団と会見。
DIA-104-1977-05-06-1中国1977年05月06日1970年代新任の陳楚中国国連大使,赴任。
DIA-104-1977-05-06-2中国1977年05月06日1970年代華主席,オランダのベアトリックス王女一行と会見。
DIA-104-1977-05-06-3中国1977年05月06日1970年代中国が国際バドミントン連盟に加盟を申請―2ヵ月で自動承認の予定。
DIA-104-1977-05-06-4中国1977年05月06日1970年代候野烽チュニジア駐在中国大使,離任して帰国。
DIA-104-1977-05-06-5中国1977年05月06日1970年代チュニジア政府経済貿易代表団,訪中。
DIA-104-1977-05-06-6中国1977年05月06日1970年代新駐日大使に符浩前駐ベトナム大使が内定―日中関係筋。7日官房長官が間接的に確認。
DIA-104-1977-05-07-1中国1977年05月07日1970年代中共黒竜江省柳河5・7幹部学校委員会論文,「『5・7指示』の輝かしい旗印を高くかかげ,5・7幹部学校を立派に運営しよう」―1971年初めの毛主席の「学習しながら,生産をする」方針を擁護。
DIA-104-1977-05-07-2中国1977年05月07日1970年代中国科学院哲学社会科学部を社会科学院に改組。
DIA-104-1977-05-07-3中国1977年05月07日1970年代王震副総理,日本銀行界友好訪中団と会見。
DIA-104-1977-05-07-4中国1977年05月07日1970年代陳錫聯副総理,海洋国際問題研究所シーパワー研究会代表訪中団一行と会見。
DIA-104-1977-05-07-5中国1977年05月07日1970年代今年上期の中国向け鋼材輸出は約200万トン―鉄鋼業界筋。昨年は全年で220万トン止りであった。
DIA-104-1977-05-08-1中国1977年05月08日1970年代干ばつとの闘争を進め,春の作付けは大きな勝利を収め,作物の生育が順調に進む―広東,広西,雲南,福建の各省・自治区の早稲の作付面積は昨年より増加。また北方地域の春小麦も作付面積は昨年より拡大した。
DIA-104-1977-05-08-2中国1977年05月08日1970年代山西省で大型鉄鉱山が生産開始―露天掘りの太原鉄鋼公司峨口鉄鉱山。
DIA-104-1977-05-08-3中国1977年05月08日1970年代劉溥マルタ駐在中国大使,離任し帰国。
DIA-104-1977-05-08-4中国1977年05月08日1970年代華主席,ルーマニア独立100周年に祝電。
DIA-104-1977-05-08-5中国1977年05月08日1970年代トーマス・ゲーツ中国駐在米連絡事務所長,離任して帰国。
DIA-104-1977-05-08-6中国1977年05月08日1970年代人民日報評論員論文,「日本人民の正義の闘争を支持する」―ソ連が日本の北方領土を不法占領しているのはその世界制覇の反革命戦略の必要から出たもの。日本人民の,北方領土の返還を要求し,ソ連の覇権主義に反対する闘争はもり上りつつあると評価。
DIA-104-1977-05-09-1中国1977年05月09日1970年代ニコラエ化学工業省次官を団長とするルーマニア化学工業代表団,訪中。
DIA-104-1977-05-09-2中国1977年05月09日1970年代葉飛交通部長,スウェーデン訪問。15日,フィンランド訪問。19日,ノルウェーを訪問。25日,デンマーク訪問。
DIA-104-1977-05-10-1中国1977年05月10日1970年代鉄道部門,4月の1日当り平均貨車積載量,建国以来最高を記録。
DIA-104-1977-05-10-2中国1977年05月10日1970年代李先念副総理,ペルーのメルカド元首相と会見。
DIA-104-1977-05-10-3中国1977年05月10日1970年代村本全国銀行協会連合会会長,積極的な延べ払い融資の条件緩和,個別日中銀行間の相互預け合い促進を示唆。
DIA-104-1977-05-11-1中国1977年05月11日1970年代チャルリオ・スラステイ工業省科学局次長を団長とするタイ石油視察団,訪中。
DIA-104-1977-05-11-2中国1977年05月11日1970年代サイフジン副委員長を代表とする中国全国人民代表大会代表団,ユーゴ訪問。
DIA-104-1977-05-11-3中国1977年05月11日1970年代台湾の駐米大使更迭要求,米は2年間拒否―米政府筋が明らかにしたもの。(AP)
DIA-104-1977-05-12-1中国1977年05月12日1970年代人民日報への投書「会議が多すぎて仕事にならない」とのべる―北京市政四公司一大隊党支部書記劉貴堂の投書,ほかに機構の簡素化を訴える投書あり。
DIA-104-1977-05-12-2中国1977年05月12日1970年代東京で52年肥料年度日中肥料交渉開始。
DIA-104-1977-05-12-3中国1977年05月12日1970年代外務省,小川大使に対し日韓大陸ダナ協定に関して中国側と話し合うよう指示。
DIA-104-1977-05-12-4中国1977年05月12日1970年代李先念副総理,社会党第7次訪中代表団と会見。
DIA-104-1977-05-13-1中国1977年05月13日1970年代「工業は大慶に学ぶ」全国会議が閉幕―北京の人民大会堂で閉幕式がおこなわれた。汪東興政治局員が主宰し,紀登奎副総理が閉幕のことばをのべた。 4月27日から会議は北京で続行された。5月4日,余秋里副総理が「全党,全国の労働者階級は行動を起こして大慶型企業普及のために奮闘しよう」という報告をおこなった。 5月9日,華主席と葉副主席が重要講話をおこなった。閉幕式では参会者に《誉れのノート》が授与され,この日7000名が毛主席記念堂工事現場の労働に参加した。 5月14日,華主席,葉副主席以下党政首脳が会議の代表を接見した。人民日報は「中国人民は気慨がある」という社説を掲げた。
DIA-104-1977-05-13-2中国1977年05月13日1970年代章乃器元中国民主建国会副主席,北京で病死―81歳。追悼式は30日,北京市八宝山革命墓地でおこなわれた。
DIA-104-1977-05-14-1中国1977年05月14日1970年代朱穆之社長を団長とする新華社代表団,北朝鮮を訪問。
DIA-104-1977-05-14-2中国1977年05月14日1970年代「プラウダ」Ⅰアレクサンドロフ論文「北京:反ソ主義を口実に国際緊張緩和を破壊する路線」―華主席の5.1論文,東北視察時の指示にみられる反ソ主義をきわめて危険なものと分析。
DIA-104-1977-05-15-1中国1977年05月15日1970年代人民日報,文化部批判組論文,「《三突出》を評す」―「4人組」の文芸方法の総合批判。
DIA-104-1977-05-15-2中国1977年05月15日1970年代人民日報評論員論文,「競争しよう」―全国の「工業は大慶に学ぶ」会議における華主席の講話にもとづいて,大慶型企業の普及のために全国が競争しようと呼びかけ。
DIA-104-1977-05-15-3中国1977年05月15日1970年代「工業は大慶に学ぶ」会議に出席した四川省と山東省の代表,相互に競争をすることを決定。四川省は1980年までの全省3分の1以上の企業を大慶型企業にし,工業総生産額を1976年の2倍にする予定。
DIA-104-1977-05-15-4中国1977年05月15日1970年代全国水利電力建設技術革新会議が開催される―水利電力部の主催で貴州省烏江水力発電所建設現場で。
DIA-104-1977-05-15-5中国1977年05月15日1970年代最近,第一機械工業部が長沙で大型主要産品生産会議を開催。
DIA-104-1977-05-15-6中国1977年05月15日1970年代春季広州交易会閉幕―世界の117の国・地域から2万6000余人の人々が参加。
DIA-104-1977-05-15-7中国1977年05月15日1970年代人民日報,A.ヘイリーの「ルーツ」を書評―アメリカ黒人の闘争の道を明示していないと批判。
DIA-104-1977-05-15-8中国1977年05月15日1970年代広州交易会の日中輸出入成約は昨秋に及ばず,2億4000万ドル程度(共同)。中国側の説明では3億7000万ドル,これには日本商社のからんだ3国間貿易が含まれ,実際は2億ドル程度。(朝日,24日)
DIA-104-1977-05-16-1中国1977年05月16日1970年代河北省遵化県の県営,公社営工業の発展―1976年末の全県の県営・公社営企業は347に達した。(1969年は31)。1976年の工業総生産額は1969年の4.9倍になっている。1976年の全県の機械耕作面積は全耕地面積の73.5%に達す。
DIA-104-1977-05-16-2中国1977年05月16日1970年代工業生産と交通運輸,全面的に上昇―4月の全国工業生産額は3月に比べ7.6%増となり,昨年4月の生産額に比べ10.8%増加した。鉄鋼の4月の平均日産高は3月を大幅に上回り,原油,原炭,発電量,化学肥料など4月の日産高はいずれも史上最高。外国から輸入した大型化学肥料プラントのうち6つはすでに稼動。トラクターの生産台数は昨年同期に比べ22.8%伸びた。鉄道輸送は4月の日産積出し量がこれまでの最高レベルを突破。
DIA-104-1977-05-16-3中国1977年05月16日1970年代郵便,電信部門で社会主義競争が展開される。
DIA-104-1977-05-16-4中国1977年05月16日1970年代紀登奎副総理,ホボシュ共産党中央委員を団長とするルーマニア友好参観団と会見。
DIA-104-1977-05-16-5中国1977年05月16日1970年代アクム・アフリカ労働組合統一―機構書記長,訪中。
DIA-104-1977-05-16-6中国1977年05月16日1970年代鄭拓彬対外貿易部局長を団長とする中国政府貿易代表団,ニュージーランド訪問。その後オーストラリア訪問。
DIA-104-1977-05-17-1中国1977年05月17日1970年代上海市の「工業は大慶に学ぶ運動」の計画―1980年までに全市の50%の企業を大慶式の企業に改造する。本年は10%の企業を改造する。また1980年までに3分の1の公司を大慶式公司にする。
DIA-104-1977-05-17-2中国1977年05月17日1970年代張エジプト駐在中国大使,離任して帰国。
DIA-104-1977-05-17-3中国1977年05月17日1970年代中国警備艇,公海上で韓国漁船6隻を襲撃,漁具などを奪う―17,18両日。(ソウル20日,時事)
DIA-104-1977-05-18-1中国1977年05月18日1970年代河南省で大型良質の天然ソーダ鉱が発見される。南陽地区桐柏県の呉城天然ソーダ鉱。
DIA-104-1977-05-18-2中国1977年05月18日1970年代福建省で小型炭鉱が発展―1976年の出炭量は1965年の5倍。全省総出炭量の61.4%を占めた。その数も1965年の8ヵ所から212ヵ所へ増加している。全省の37の小型合成アンモニア工場は全て自省で生産された無煙炭を原料としている。
DIA-104-1977-05-18-3中国1977年05月18日1970年代最近北京で全国の「工業は大慶に学ぶ」展覧会を開催。
DIA-104-1977-05-18-4中国1977年05月18日1970年代中国・イラク,1977年~81年貿易議定書に調印。
DIA-104-1977-05-18-5中国1977年05月18日1970年代華主席,アジトロブ・インドネシア共産党中央書記を団長とするインドネシア共産党中央代表団と会見。
DIA-104-1977-05-19-1中国1977年05月19日1970年代広西自治区で冬小麦が豊収―全自治区の冬小麦作付面積は前年より25%拡大して250万ムーに達する。
DIA-104-1977-05-19-2中国1977年05月19日1970年代上海の工場責任者,「今年後半に賃金の調整おこなう」と語る―上海第三工作機械工場と上海自転車工場で。(共同)
DIA-104-1977-05-19-3中国1977年05月19日1970年代中国・チェコスロバキア,1977年度バーター支払い協定に認印。
DIA-104-1977-05-19-4中国1977年05月19日1970年代ノルウェーのピアニスト・キェール・ベッケルンド氏の演奏会が北京で開かれる。
DIA-104-1977-05-19-5中国1977年05月19日1970年代葉剣英副主席,米国籍物理学者任之恭氏と会見。
DIA-104-1977-05-19-6中国1977年05月19日1970年代李先念,汪東興両政治局員,金基南「労働新聞」編集長を団長とする朝鮮労働党友好代表団と会見。
DIA-104-1977-05-19-7中国1977年05月19日1970年代ソ連外務省,モスクワの中国大使館に中国の「反ソ・キャンペーン」に警告する「覚書」を手交―タス通信26日。
DIA-104-1977-05-19-8中国1977年05月19日1970年代インドと中国はこのほど1500万ルピーの輸出入契約まとめる―インド貿易公団筋。
DIA-104-1977-05-20-1中国1977年05月20日1970年代楊勇新疆部隊司令官を団長とする中国人民解放軍友好参観団が北朝鮮を訪問。
DIA-104-1977-05-21-1中国1977年05月21日1970年代四川省では腐植酸肥料の生産に力を入れている―昨年各地で製造した腐植酸肥料は420万トンに達する。
DIA-104-1977-05-21-2中国1977年05月21日1970年代パテトラオ通信社社長シサナン・センナヌボン氏を団長とするラオス報道代表団,訪中。
DIA-104-1977-05-22-1中国1977年05月22日1970年代全国の「工業は大慶に学ぶ」会議の代表,鄧小平前副総理の作成したといわれる「工業発展を速めることについての若干の問題」という文章を「香ぐわしい花」と評価。
DIA-104-1977-05-22-2中国1977年05月22日1970年代河北省張家口東方紅機械工場,コンクリート製2000トン水圧プレスの試作に成功。
DIA-104-1977-05-22-3中国1977年05月22日1970年代王耀庭国際貿易促進委員会主任を団長とする中国国際貿易促進委員会代表団,オーストラリアを訪問。
DIA-104-1977-05-23-1中国1977年05月23日1970年代人民日報社説,「毛主席の革命的文芸路線の偉大な旗印をさらに高くかかげよう」―毛主席の文芸講話発表35周年にあたって発表されたもの。「4人組」の極右の文芸路線を批判。同日1万8000人の北京の文芸界と労農兵が公演大会を挙行した。北京市文化局は記念座談会を,北京美術館では記念美術展が開催された。
DIA-104-1977-05-23-2中国1977年05月23日1970年代藩陽で「中国革命党」創設者,殺人・暴行・強盗犯など8人が死刑判決うける―(ロイター・北京)
DIA-104-1977-05-23-3中国1977年05月23日1970年代中国・ポーランド,1977年度バーター支払い協定に調印。
DIA-104-1977-05-24-1中国1977年05月24日1970年代毛主席記念堂の建築工事が完成。
DIA-104-1977-05-24-2中国1977年05月24日1970年代華主席,チトー大統領の誕生日に祝電。
DIA-104-1977-05-24-3中国1977年05月24日1970年代王人三チャド駐在中国大使,離任して帰国。
DIA-104-1977-05-24-4中国1977年05月24日1970年代日中議連常任理事会,今国会に「日中条約促進決議案」提出,国会終了後の保利議長の訪中推進,日中議連の訪中団派遣,などを決定。
DIA-104-1977-05-24-5中国1977年05月24日1970年代外務省,新中国大使に佐藤正二次官を内定。
DIA-104-1977-05-25-1中国1977年05月25日1970年代人民日報,陳毅の詩詞の一部を掲載―「編者のことば」同氏が1972年1月6日病死したこと明らかにする。
DIA-104-1977-05-25-2中国1977年05月25日1970年代人民日報,多様な文学作品の出版を予告―周立波の「暴風驟雨」,草明の「原動力」,シェークスピア,セルバンテス,ハイネなどの翻訳本,李季の「王貴と李香春」,喬林の「白蘭花」,馬烽・西戒の「呂梁英雄伝」,陸游詩集,呉敬梓の「儒林外史」など。
DIA-104-1977-05-25-3中国1977年05月25日1970年代香港「明報」,3月7日から21日まで北京で中央工作会議開催と報道。
DIA-104-1977-05-25-4中国1977年05月25日1970年代人民日報評論員論文,「革命化によって工業化を統率する」―大慶に学ぶにはまず政治思想工作に力を入れなければならない。
DIA-104-1977-05-26-1中国1977年05月26日1970年代香港「明報」,鄧小平の,過去の誤まちをみとめ,華主席を積極的に援護した2通の書簡を報道―5月3日の党中央「15号文件」にのっているとされる昨年10月10日付と今年4月10日付の2通。
DIA-104-1977-05-27-1中国1977年05月27日1970年代新任の焦若愚イラン駐在中国大使,赴任。
DIA-104-1977-05-27-2中国1977年05月27日1970年代黄明達スリランカ駐在中国大使,離任し帰国。
DIA-104-1977-05-27-3中国1977年05月27日1970年代何英外交部副部長,小川大使による日韓大陸ダナ協定の説明を受け,日中関係の発展を損うもの,と同協定を非難。
DIA-104-1977-05-28-1中国1977年05月28日1970年代人民日報評論員論文,「農業機械化のカギ」―山東省の経験からみて,「農業機械化のカギは省党委員会にある」の一点に集約される。地方の自力更生を強調。
DIA-104-1977-05-28-2中国1977年05月28日1970年代華主席,エドノイ・ビラール書記長を団長とするポルトガル共産党(ML)中央代表団と会見。
DIA-104-1977-05-28-3中国1977年05月28日1970年代孫盛渭クウェート駐在大使,離任し帰国。
DIA-104-1977-05-29-1中国1977年05月29日1970年代香港「明報」,3月の中央工作会議での葉副主席の報告を報道―「4人組」打倒の経過を説明したもの。
DIA-104-1977-05-29-2中国1977年05月29日1970年代人民日報論評,「わが国の工業発展史における重要な里程標」―「大慶に学ぶ」全国工業会議は中国の工業発展史における重要な里程標になるだろうと述べ,大慶を手本とした中国独自の工業発展の道の流れがこの会議を契機として一層つよくなり,「鞍鋼憲法」と大慶の経験がこの会議を契機として順調に推進されるだろうとのべる。
DIA-104-1977-05-29-3中国1977年05月29日1970年代F.バビッチ外国貿易次官を団長とするユーゴ政府貿易代表団,訪中。
DIA-104-1977-05-29-4中国1977年05月29日1970年代第1回中比貿易合同委員会フィリピン代表団,訪中。
DIA-104-1977-05-29-5中国1977年05月29日1970年代イラン原子力科学代表団,訪中。
DIA-104-1977-05-29-6中国1977年05月29日1970年代人民日報,仁鮑「反動派をわれわれの目の前でふるえ上らせてやろう」―中国の情勢がすばらしいため,ソ連社会帝国主義はこれを恐れ,恨んでいる。中国人民は目標を達成して内外の反動派を震え上らせる決意である。
DIA-104-1977-05-29-7中国1977年05月29日1970年代福田首相,日中平和友好条約の「環境づくりは一歩進んだ」と語る―保利議長の訪中が決まれば私の手紙を托すのにやぶさかではない,などと語る。新たな環境とは,日韓大陸ダナ協定批准のメドがついたこと,日中両国で新大使を任命したことをさす。
DIA-104-1977-05-30-1中国1977年05月30日1970年代上海市は最近小中学校教育工作会議を開催した―「光明日報」
DIA-104-1977-05-30-2中国1977年05月30日1970年代ここ数年間に,四川省で数百にのぼる含石油・ガス地層が発見されている。
DIA-104-1977-05-30-3中国1977年05月30日1970年代李先念副総理,ロルダン中央政治局員を団長とするアルゼンチン革命共産党代表団と会見。
DIA-104-1977-05-30-4中国1977年05月30日1970年代ブレジネフ・ソ共書記長,「中国内外にソ中関係を袋小路に追い込んで,一段と尖鋭化させようとたくらんでいる勢力がある。われわれはこのような危険な冒険的な考え方とは戦わなければならない」と語る。
DIA-104-1977-05-30-5中国1977年05月30日1970年代人民日報論評,「ソ連雇い軍の侵入に反撃したザイールの全面的勝利を祝う」
DIA-104-1977-05-30-6中国1977年05月30日1970年代中国・バルバドスが外交関係を樹立。
DIA-104-1977-05-31-1中国1977年05月31日1970年代軍総政治部が最近「『工業は大慶に学ぶ』全国会議の精神を伝達・貫徹することについての通達」を発出。
DIA-104-1977-06-01-1中国1977年06月01日1970年代軽工業部工芸美術公司主催の全国玩具展が北京で開催される。
DIA-104-1977-06-02-1中国1977年06月02日1970年代ボー・グエン・ザップ・ベトナム国防相を団長とするベトナム軍事代表団,訪中―同日,華主席,葉剣英副主席と会見。3日,鄧穎超女史と会見。4日,北京の空軍部隊某部を参観。7日,大慶,ハルビンを訪問。
DIA-104-1977-06-02-2中国1977年06月02日1970年代アピリオ・ドゥアルト外相を団長とするカポベルデ政府代表団,訪中,4日,華主席と会見。7日帰国。
DIA-104-1977-06-03-1中国1977年06月03日1970年代華主席,フランソワ・グザビエ・カタリ内相を団長とするコンゴ軍事委員会代表団と会見。一行は,6日,帰国。
DIA-104-1977-06-03-2中国1977年06月03日1970年代ジョセブ・シスコ前米国国務次官,訪中。6日,黄華外交部長と会談。
DIA-104-1977-06-04-1中国1977年06月04日1970年代中国・ユーゴ,1977~78年科学技術協力協定に調印。
DIA-104-1977-06-04-2中国1977年06月04日1970年代中国とフィリピンがこのほど貿易協定に調印―中国原油90万トンを輸出,銅精鉱4~6万トン,ココナツ油1.5~3万トン,砂糖7.5~15万トン,木材2~4万m3を輸入する内容を持つ。フィリピン大使館による。(AFP・北京)
DIA-104-1977-06-04-3中国1977年06月04日1970年代福田首相,保利氏の訪中,および親書委托は未定,と発言。
DIA-104-1977-06-05-1中国1977年06月05日1970年代南京部隊司令員に聶鳳智副司令員が昇格―丁盛前司令員はメーデーに出席せず。
DIA-104-1977-06-05-2中国1977年06月05日1970年代人民日報,解放軍報,華主席,葉副主席の「硬骨第6中隊」に学ぶ題字を掲載―「解放軍報」は「わが軍の革命化,近代化をはやめる偉大な呼びかけ」という社説をかかげた。
DIA-104-1977-06-06-1中国1977年06月06日1970年代ガファル・モハメド・ヌメイリ・スーダン民主共和国大統領の率いるスーダン政府代表団・訪中―7日,華主席と会見,9日,両国の経済技術協力協定に調印。10日,長沙訪問,ウルムチを訪問して16日に帰国。
DIA-104-1977-06-06-2中国1977年06月06日1970年代李先念副総理,ヌメイリ大統領歓迎宴で,毛主席死去以後の硬軟両面戦術の展開に対してソ連を激しく批判。
DIA-104-1977-06-06-3中国1977年06月06日1970年代チトー・ユーゴ大統領,年内の訪中を決定―伊外相にチトー大統領が語る。
DIA-104-1977-06-06-4中国1977年06月06日1970年代バングラデシュ貿易代表団が訪中。
DIA-104-1977-06-07-1中国1977年06月07日1970年代中国の5月の工業生産,順調に伸びる―5月の鋼,銑鉄,鋼材,発電量,原炭,石油,化学肥料,セメント,綿糸,自動車,トラクターを含む工業製品の平均日産量がいずれも計画を超過達成した。鉄道輸送も1日当りの貨車積載量は計画を1700両上回り,4月より大幅に伸びた。
DIA-104-1977-06-07-2中国1977年06月07日1970年代中国科学院各研究所,社会主義労働競争を展開。
DIA-104-1977-06-07-3中国1977年06月07日1970年代武漢鉄鋼公司で大型コークス炉が完成。
DIA-104-1977-06-07-4中国1977年06月07日1970年代ベトナムのファン・バンドン首相,外国訪問の帰途,北京に立寄る。8日,華主席と会見。
DIA-104-1977-06-07-5中国1977年06月07日1970年代自民党長老7人,福田首相に日中平和友好条約締結は慎重に進めるべきだ,と進言。
DIA-104-1977-06-08-1中国1977年06月08日1970年代広東省の冬小麦など記録的豊作―46万ヘクタールの冬小麦の総収穫量は昨年の3割増で史上最高を記録。6万7000ヘクタールのナタネの総収穫量も昨年の3割増であった。
DIA-104-1977-06-08-2中国1977年06月08日1970年代江蘇省の工業生産,伸びる―本年第1・四半期の工業生産は史上最高を記録し,1~4月の工業生産総額は昨年同期比12%増であった。
DIA-104-1977-06-08-3中国1977年06月08日1970年代エチエベリア・メキシコ前大統領,訪中。10日,華主席と会見。
DIA-104-1977-06-08-4中国1977年06月08日1970年代伍修権副総参謀長,最近,三好秀男前陸上自衛隊幕僚長と会見―自衛隊関係者の訪中促進で合意。(共同)
DIA-104-1977-06-09-1中国1977年06月09日1970年代タンユグ通信,今月中に中共党中央委総会,7月末か8月に第11回党大会の予定と伝える。
DIA-104-1977-06-09-2中国1977年06月09日1970年代人民日報評論員論評,「大寨式県の6つの基準は全面的に実現されなければならない」―大案式県の6つの基準は前の3つが主要であるとみて別個につかんでいる幹部がいるが,これは政治と経済の弁証法的関係からいって6つを全面的につかんで実現しなければならないと強調。
DIA-104-1977-06-09-3中国1977年06月09日1970年代山西省の今後10年の農業建設プランが明らかとなる―「紅旗6号」の王謙山西省第一書記論文より。それによると第一段階として1980年までに全省の半分以上の県を大寨県に建設し,全省食糧ムー当り平均生産量を400斤にし,第二段階として1985年までにそれを600斤に持ってゆく。また黄河の水を引いて全省の4つの水系をつなぎ旱害の問題を根本的に解決する計画。
DIA-104-1977-06-09-4中国1977年06月09日1970年代中国科学院副秘書長銭三強教授を団長とする中国科学院代表団,オーストラリア訪問に出発。
DIA-104-1977-06-09-5中国1977年06月09日1970年代衆院議運委で日中平和友好条紅促進決議案提出見送りと決まる。
DIA-104-1977-06-09-6中国1977年06月09日1970年代保利衆院議長,参院選前の訪中を否定。
DIA-104-1977-06-10-1中国1977年06月10日1970年代湖南省革命委員会主任に毛致用の就任が判明。
DIA-104-1977-06-10-2中国1977年06月10日1970年代文化部芸術局はこのほど大衆集会を開き1967年に獄死した孫維世(中国青年芸術院副院長・女性)の名誉回復を宣告。
DIA-104-1977-06-10-3中国1977年06月10日1970年代機械工業の77の重点企業が社会主義労働競争を展開。最近,長沙で第一機械工業部が大型部品生産会議を開催した時提起されたもの。
DIA-104-1977-06-10-4中国1977年06月10日1970年代孫鎖昌対外貿易部副局長を団長とする中国政府貿易代表国,ノルウェーを訪問。
DIA-104-1977-06-11-1中国1977年06月11日1970年代湖南省で党大会開催,19日まで。(サウス・チャイナ・モーニング・ポスト紙,7月3日)
DIA-104-1977-06-11-2中国1977年06月11日1970年代ハルビン市に年産処理50万トンの小型精油工場が建設された。大慶原油を加工。
DIA-104-1977-06-11-3中国1977年06月11日1970年代中国・ベトナム,国境鉄道会議議定書に調印。
DIA-104-1977-06-12-1中国1977年06月12日1970年代最近農林部の主催で,山東省で全国「三夏(夏の種まき,取り入れ,肥培管理)」生産会議が開催される―陳永貴,谷牧副総理が演説。会議は2段階になって行なわれ,第1段階は大災害の年に夏季の豊作をかちとった山東省済寧,泰安地区で一部の県の小麦生産現場と農地水利基本建設工事を参観し,第2段階は済南で会議を継続した。また会議では北方の小麦産地河北,山東,河南の三省が夏季収穫食糧の生産を主な内容とする社会主義競争を展開することを決定し他の省・市・自治区へもよびかけた。
DIA-104-1977-06-12-2中国1977年06月12日1970年代イタリアのエニ・グループ代表団訪中。
DIA-104-1977-06-12-3中国1977年06月12日1970年代フオルラン・イタリア外相,訪中。
DIA-104-1977-06-12-4中国1977年06月12日1970年代人民日報,新華社記者論評「ソ連新憲法の反動的本質」―「全人民の国家」理論はマルクス・レーニン主義を完全に修正するものであり,今日のソ連の官僚独占ブルジョア階級のファシスト独裁と社会帝国主義の政策を根本法の形で固定するもの,と論評。
DIA-104-1977-06-12-5中国1977年06月12日1970年代フィリップ・ハンドラー全米科学アカデミー総裁を団長とする米中学術交流委員会代表団,訪中。
DIA-104-1977-06-13-1中国1977年06月13日1970年代福建省で党大会開催,24日まで。(サウス・チャイナ・モーニング・ポスト紙,7月3日)
DIA-104-1977-06-13-2中国1977年06月13日1970年代5月の全国の原油生産量,史上最高水準に達す。昨年同期と比べ10%増加。(中国新聞社英文電)
DIA-104-1977-06-13-3中国1977年06月13日1970年代中国外交部声明,中国の同意なくして「大陸ダナ開発許さぬ」と宣言―日韓大陸ダナ共同開発協定の自然承認に対し,これを「中国の主権に対する公然たる侵犯行為」と規定し,この協定は「全く不法かつ無効なものである」と宣言。
DIA-104-1977-06-15-1中国1977年06月15日1970年代北京と上海の企業が社会主義労働競争の展開を協議―上海第三鉄鋼工場,上海石油化学総工場などの上海市学習代表団が北京へ行って北京の石景山鉄鋼公司,北京石油化学総工場などの企業と社会主義労働競争を展開することを協議した。
DIA-104-1977-06-15-2中国1977年06月15日1970年代セネガル貿易代表団訪中。28日まで。
DIA-104-1977-06-16-1中国1977年06月16日1970年代人民日報評論員論評,「どんな演技をするかしばらく見ていよう」―ソ連が最近,反中国キャンペーンをエスカレートさせていることに対し具体的に激しく反撃。
DIA-104-1977-06-16-2中国1977年06月16日1970年代コンゴのルイ・シルバン・ゴマ首相訪中。18日,華主席と会見。同日両国の経済技術協力協定に調印。20日,長沙・韶山を訪問。21日帰国。
DIA-104-1977-06-16-3中国1977年06月16日1970年代中国,日本商社経由でタイ産砂糖30万トンを買付け。(読売,17日)
DIA-104-1977-06-16-4中国1977年06月16日1970年代新中国大使の着任遅れる―13日の着任予定が21日に延ばされ,さらに遅れるとの通知が中国大使館から外務省に伝えられた。
DIA-104-1977-06-17-1中国1977年06月17日1970年代毛主席記念堂工事現場指揮部が最近先進生産者,先進工作者,先進集団の代表,4400人余を表彰した。
DIA-104-1977-06-17-2中国1977年06月17日1970年代中国・モンゴル,1977年バーター議定書に調印。
DIA-104-1977-06-17-3中国1977年06月17日1970年代中国向け肥料輸出交渉妥結・調印―52年肥料年度上期,尿素54万2000トン,硫安15万トン,塩安27万トン(全年度)。価格は前期比尿素22%,硫安72%,塩安72%アップ。
DIA-104-1977-06-18-1中国1977年06月18日1970年代カイソン・ボムビハン・ラオス首相を団長とするラオス党・政府代表団,訪中。19日,華主席と会見。
DIA-104-1977-06-18-2中国1977年06月18日1970年代中国政府貿易代表団,デンマーク訪問。28日,第三回中国・デンマーク混合貿易委員会開かれる。
DIA-104-1977-06-18-3中国1977年06月18日1970年代ベトナムのレ・タン・ギ副首相ら一行,外国訪問の途上北京に立ち寄る。
DIA-104-1977-06-18-4中国1977年06月18日1970年代中国がスーダンへの軍事協力に同意―訪中したハフィズ将軍が明らかにしたもの。(カイロ・UPI)
DIA-104-1977-06-19-1中国1977年06月19日1970年代解放軍報社説,「億万民兵の偉大な役割を発揮させよう」―「4人組」の「民兵改造」を非難。
DIA-104-1977-06-19-2中国1977年06月19日1970年代北京放送,「5日以来南朝鮮の多数の漁船が再三再四,中国の禁漁区と領域に侵入して漁労をおこなっている」と非難。
DIA-104-1977-06-20-1中国1977年06月20日1970年代北京で中国科学院工作会議が開催さる―7月7日まで。3大革命運動を同時におし進めよ,科学技術は工業,農業,国防の先頭に立ってこの3者の現代化の実現に貢献しなければならない,という華主席の言葉にのっとって,科学院の発展計画要綱草案について討論した。
DIA-104-1977-06-21-1中国1977年06月21日1970年代武漢鉄鋼公司で大型コークス炉完成。
DIA-104-1977-06-21-2中国1977年06月21日1970年代遼寧,吉林,黒竜江の東北3省で,大慶型企業普及などを中心とした競争を展開。
DIA-104-1977-06-21-3中国1977年06月21日1970年代フィリピン大統領令嬢イミー・マルコスの率いるフィリピン青年団体連合会指導者代表団訪中。
DIA-104-1977-06-22-1中国1977年06月22日1970年代華主席,葉副主席,《毛沢東選集》第5巻の翻訳・出版関係者など8000余人を接見。
DIA-104-1977-06-22-2中国1977年06月22日1970年代山西省,上半期の石炭生産計画を達成。
DIA-104-1977-06-22-3中国1977年06月22日1970年代8月22日から26日までのバンス国務長官の訪中予定が発表される。
DIA-104-1977-06-22-4中国1977年06月22日1970年代中国,日本からの入国者にコレラ予防接種証明を要求。
DIA-104-1977-06-24-1中国1977年06月24日1970年代人民日報,遼寧省での「4人組」暴露・批判運動の状況伝える―「死党」(毛遠新)の派閥が張鉄生を保養所にかくまうなど,運動に抵抗していたが,華主席・党中央の「遼寧問題解決への指示」に基づき,問題が解決された。
DIA-104-1977-06-24-2中国1977年06月24日1970年代ウィリアム・A・ヒューイット米中貿易全国協議会会長訪中。
DIA-104-1977-06-24-3中国1977年06月24日1970年代インド船舶協会,7月中旬から中国との船舶往来を再開すると発表。
DIA-104-1977-06-24-4中国1977年06月24日1970年代日中海運業界,東京と北京に双方の駐在事務所を開設―北京飯店内に日中海運輸送協議会北京事務所(3人)が,中国大使館商務処内に中国遠洋運輸総公司駐東京弁事処(5人)が開設された。
DIA-104-1977-06-25-1中国1977年06月25日1970年代雲南省で「4人組」の黒い手先,朱克家,黄兆其,劉殷農らを糾弾する100万人集会―安平生同省党第一書記が出席。(雲南放送・北京・ロイター)
DIA-104-1977-06-25-2中国1977年06月25日1970年代重慶鉱山機械工場では中国初の液圧制御を採用した口径の最も大きい,高圧油井,ガス油井用の防噴装置の試作に成功。
DIA-104-1977-06-25-3中国1977年06月25日1970年代人民日報社説,「英雄的人民の輝かしい勝利」―朝鮮戦争27周年にあたって。カーター大統領の米軍撤退計画はゼスチュアにすぎぬとし,即時・完全撤退を要求,
DIA-104-1977-06-25-4中国1977年06月25日1970年代李先念副総理,小川大使と会見,日中関係が「停滞ないし後退」しているとの印象をのべる。
DIA-104-1977-06-25-5中国1977年06月25日1970年代海原治(元防衛庁防衛局長)氏,最近訪中し張才千副総参謀長と会見―北京市内の地下壕も視察した。(共同)
DIA-104-1977-06-26-1中国1977年06月26日1970年代人民日報,衛生部執筆グループ論文「衛生活動に関する毛主席の革命路線を全面的に実行しよう」―全国農村にハダシの医者が180万人,衛生員と助産婦が420万人養成されている,とのべる。
DIA-104-1977-06-26-2中国1977年06月26日1970年代過去2年間,北京で汚職が増えている―許認可,農村からの青年のよびよせ,職場変更についてワイロが存在している。―(信頼できる中国筋・AFP・北京)
DIA-104-1977-06-26-3中国1977年06月26日1970年代4省・自治区で上半期の石炭生産計画を繰上げ達成―黒竜江省,河南省,寧夏自治区,広東省の4地域。とくに鶏西鉱務局では3,4,5月に月産百万トンの大台を連続突破し,月産史上最高を記録。
DIA-104-1977-06-26-4中国1977年06月26日1970年代鄧穎超副委員長,米から帰国した旧清華大学校長夫人韓咏華女史と話し合い―同女史は20日空路北京入りした。
DIA-104-1977-06-27-1中国1977年06月27日1970年代安徽省党第一書記宋佩璋を更迭,万里前鉄道部長を任命―(安徽省放送・北京・ロイター)
DIA-104-1977-06-28-1中国1977年06月28日1970年代全国綿花生産会議が開催される―農林部と全国購買販売協同組合総社の主催で湖北省で開かれた。陳永貴副総理があいさつを述べた。湖北,江蘇の両省が綿花増産を主目標とする社会主義労働競争を展開することを決定。全国18省・市・自治区と一部主要生産地区,県,国営農場の綿花生産担当者,高生産をかちとっている一部の単位の代表,綿作り名人科学研究者ら5百人余りが出席した。
DIA-104-1977-06-28-2中国1977年06月28日1970年代タス,ヤコブレフ評論員,中国で第2の激動,粛清が起っているが決して順調に進んでいない,と論評。
DIA-104-1977-06-28-3中国1977年06月28日1970年代閣議で新中国大使に佐藤正二次官を任命。
DIA-104-1977-06-29-1中国1977年06月29日1970年代華主席,パレスチナ革命代表団と会見。
DIA-104-1977-06-29-2中国1977年06月29日1970年代バンス米国務長官,中国人民外交学会代表団と会見。駐米中国連絡事務所の黄鎮主任,韓叙副主任も同席。
DIA-104-1977-06-29-3中国1977年06月29日1970年代中国民航,パキスタンとの間でカラチ経由アフリカ線開設に関する覚書に調印。
DIA-104-1977-06-29-4中国1977年06月29日1970年代バンス米国務長官,米のアジア政策について演説―「中国との友好関係を外交政策の中心部分と考える」とのべる。
DIA-104-1977-06-30-1中国1977年06月30日1970年代人民日報,中国科学院理論組論文「松の高潔さを知るには雪解けまで待たねばならない」―鄧小平前副総理の指示により作成されたとされる,「中国科学院工作報告提綱」を全面擁護。
DIA-104-1977-06-30-2中国1977年06月30日1970年代長沙新駅が完成。75年7月に工事を始めて以来1年10ヵ月で完成。毎日36本の旅客列車が発着通過することになっている。
DIA-104-1977-06-30-3中国1977年06月30日1970年代全国の石炭生産,上半期の計画を繰り上げ達成。全国の25省・市・自治区と73の重点炭鉱が国家計画を達成し,諸生産指標がかなり全面的に達成され,20余の炭鉱の採炭機械化率が高まった。
DIA-104-1977-06-30-4中国1977年06月30日1970年代モンデール米副大統領,徳青会長を団長とする中国人民外交学会代表団と会見。
DIA-104-1977-06-30-5中国1977年06月30日1970年代中国・エチオピア,1977~78年度貿易議定書に調印。
DIA-104-1977-07-01-1中国1977年07月01日1970年代「毛沢東選集」第5巻の少数民族語版,全国で発売される―蒙古,チベット,ウィグル,カザフ語版。朝鮮語版は6月15日発売。
DIA-104-1977-07-01-2中国1977年07月01日1970年代人民日報,大寨党支部の党建設強化の調査を,「最も重要な建設」と題して報道。
DIA-104-1977-07-01-3中国1977年07月01日1970年代工業は大慶に学ぶ全国地質部門会議が開催される―13日まで。全国各省・市・自治区の地質局・指揮部の責任者など2600余人が参加。孫大光国家地質総局局長が会議を主宰し,王震,余秋里,谷牧の各副総理が開幕式に出席。李先念副総理が指示を出し余秋里副総理が報告を行った。
DIA-104-1977-07-01-4中国1977年07月01日1970年代華総理,第14回OAU首脳会議に祝電。
DIA-104-1977-07-03-1中国1977年07月03日1970年代華主席,中国科学院工作会議,全国地質部門会議代表と会見―海軍「毛選」第5巻幹部学習班の学生,対外経済連絡部会議参加者とも会見。
DIA-104-1977-07-03-2中国1977年07月03日1970年代華主席,「毛選」第5巻翻訳参加の外国人専門家と会見―日本人では安藤彦太郎,川越敏孝が参加。
DIA-104-1977-07-03-3中国1977年07月03日1970年代河北大学編集の「はだしの医者」向け「基礎医学叢書」6冊が刊行さる―全国の「はだしの医者」は現在180万人。
DIA-104-1977-07-03-4中国1977年07月03日1970年代北京で鉱山建設用20トン積みダンプトラックの試作に成功。
DIA-104-1977-07-04-1中国1977年07月04日1970年代「紅旗」7号評論員論文,「立ちあがって科学技術の近代化の実現をはやめよう」―農業,工業,国防,科学技術の近代化を実現する鍵は科学技術の近代化の実現にある。専門家に中核的役割を発揮させ,労働者階級の技術者,技師,科学者を育成せよと述べる。
DIA-104-1977-07-04-2中国1977年07月04日1970年代黄河治水指導小組,水利電力部,農林部は最近,陜西省延安市で黄河中流地区水土保持工作会議を共同で開催。
DIA-104-1977-07-04-3中国1977年07月04日1970年代オーストラリアから小麦300万トンを輸入する契約を結ぶ。価格は2億8000万ドル程度。来月から1年間にわたって積み出される予定。
DIA-104-1977-07-04-4中国1977年07月04日1970年代呉徳中共中央政治局委員,ドミトラチ党中央委員を団長とするルーマニア共産党活動家友好訪問団と会見。
DIA-104-1977-07-04-5中国1977年07月04日1970年代モザンビーク政府貿易代表団,訪中。
DIA-104-1977-07-04-6中国1977年07月04日1970年代李先念副総理,ザムウォルト元米海軍作戦部長と会見―そのなかで「中米両国の関係正常化を実現するには米国政府が台湾と断交し,米国の軍隊と軍事施設を台湾および台湾海峡から引揚げ,台湾との相互防衛条約を破棄しなければならない。この3項目は1つとして欠かすことができない」と述べた。
DIA-104-1977-07-04-7中国1977年07月04日1970年代小川前中国大使が離任して帰国。
DIA-104-1977-07-05-1中国1977年07月05日1970年代冶金工業部長に唐克の就任が判明。
DIA-104-1977-07-05-2中国1977年07月05日1970年代1977年中国工芸品交易会が北京で開幕。
DIA-104-1977-07-05-3中国1977年07月05日1970年代人民日報,石炭工業部理論組論文「大慶式企業の迅速な普及のために奮闘しよう」
DIA-104-1977-07-05-4中国1977年07月05日1970年代新任の王棟カナダ駐在中国大使,赴任。
DIA-104-1977-07-06-1中国1977年07月06日1970年代香港「明報」,鄧小平第一首相,紀登奎第二首相説を報道。
DIA-104-1977-07-06-2中国1977年07月06日1970年代全国農地基本建設会議が開催される―8月5日まで,解放以来最大規模の農地基本建設会議。華主席,陳永貴副総理が演説を行った。ここ数年,毎年平均530万ヘクタールの土地を整地し,傾斜耕地67万ヘクタールを改造し,灌漑面積を160万ヘクタール拡大している。会議は国家計画委員会,国家基本建設委員会,農林部,水利電力部,第1機械工業部,商業部,財政部,石油化学工業部,第5機械工業部,国家物資総局,購買販売協同組合総社が共同で開いたもの。出席者は1040人余り。各地の代表は今冬から来春にかけての農地基本建設の計画および1980年までの計画と措置を策定した。
DIA-104-1977-07-06-3中国1977年07月06日1970年代人民日報,国家地質総局理論組論文「プロレタリア階級はかならず自からの専門家を持たなければならない」
DIA-104-1977-07-06-4中国1977年07月06日1970年代新華社,中国天津歌舞団の日本訪問記を発表。
DIA-104-1977-07-07-1中国1977年07月07日1970年代人民日報,向群論文,「4人組」の「総綱について」の「批判」を批判―「反復活の旗をかかげて復活をはかる」と題し,「総綱について」を全面擁護。 1976年4月「4人組」はその牛耳っていた新聞・雑誌で「3株の大毒草」攻撃を開始した。8月,毛主席に隠して清華・北京両大学の「大批判組」に「3株の大毒草」の「批判論文」の編集を命じ,3つの文件を「付録」として3つのパンフレットにし,「中央の名を用いない中央文書」と称して数千万部印刷し全国に配布した。 「総綱について」の1975年10月上旬の初稿では,提起の仕方に不適当なところがあり,特に「3つの指示をカナメとする」という提起の仕方は原則的な誤りであった。そこで,10月中旬の第2稿ではこの提起の仕方は削除され,そのため標題も改められた,とのべている。 1976年2月下旬,姚文元は「総綱について」のある原稿に47ヵ所の評語を書き,「程越」,「梁効」の執筆グループに批判論文を書くよう「指示」した。この「評語」と「指示」を材料として「4人組」の総綱批判を批判し,「総綱について」を擁護。
DIA-104-1977-07-07-2中国1977年07月07日1970年代中国空軍第一偵察隊中隊長范園がミグ19型機で台湾に亡命―福建省晋江から。
DIA-104-1977-07-07-3中国1977年07月07日1970年代上海大屯炭鉱で石炭年産60万トンの立坑完成。
DIA-104-1977-07-07-4中国1977年07月07日1970年代山東省即墨農業機械工場,中国で初の4輪駆動型トラクターの開発に成功―泰山1100型4輪駆動トラクター。
DIA-104-1977-07-07-5中国1977年07月07日1970年代アルバニア労働党機関紙「ゼリ・イ・ポプリト」社説「革命の理論と実践」,「三つの世界論」を批判。―12日午後,北京の各国大使館と外国の新聞,通信社あてに,そのニュース・パンフレットが配布された。
DIA-104-1977-07-07-6中国1977年07月07日1970年代C・ペーターセン・オランダ・マルクス・レーニン主義党政治局員を団長とする同党代表団,訪中。
DIA-104-1977-07-08-1中国1977年07月08日1970年代新華社記者論評「統計活動はしっかり後について行かなければならない」―社会主義統計は計画経済実行の欠かせない道具である。国民経済の新たな躍進を促すには適時各種の統計資料を入手し,経済発展状況を適切に掌握しておかねばならない。
DIA-104-1977-07-08-2中国1977年07月08日1970年代李強対外貿易部長,R・ケルゴレー対外局次長を団長とするEC委員会代表団と会見―中国・EC貿易協定調印予備会談を行う。4日訪中したもの。
DIA-104-1977-07-09-1中国1977年07月09日1970年代電力工業,本年上半期の発電計画を超過達成。―新しい発電所も多数完成し,発電を始めた。水利電力部が3月に設備点検修理強化,設備稼動率向上の会議を開いて以来,全国で320数万キロワットの発電設備が突貫修理され,発電能力が大幅に伸びた。
DIA-104-1977-07-09-2中国1977年07月09日1970年代全国の本年上半期の原油生産量は史上最高を記録―前年同期比10.6%増となった。天然ガス生産も史上最高を記録。四川省7001さく井隊は7058メートルの超深井戸を掘り上げ新記録をつくった。
DIA-104-1977-07-09-3中国1977年07月09日1970年代人民日報評論員論文「大都市郊区の養豚養鶏事業をすすめよう」―大都市の養豚養鶏事業は機械化,半機械化の飼養場をつくって商品化率を高めねばならない。
DIA-104-1977-07-10-1中国1977年07月10日1970年代北京大,清華大に3.14向群論文批判の大字報あらわる―党内走資派の規定をめぐるもの(外交筋:共同)。
DIA-104-1977-07-10-2中国1977年07月10日1970年代1977年中国式相撲大会が山西省忻県で開会―17日まで。
DIA-104-1977-07-10-3中国1977年07月10日1970年代「紅旗」7号,銭学森論文「中国の科学技術が世界の先進水準に追いつきそれを追い越すことは歴史の必然である」―中国の技術で世界の先進水準に接近しているものがあるがそれは比較的小さい一部であり,大部分の項目はかなり立ちおくれている現状,を認める。
DIA-104-1977-07-10-4中国1977年07月10日1970年代南京で全国十大百貨店会議を開催。
DIA-104-1977-07-10-5中国1977年07月10日1970年代天津市紡績工業研究所,自記分光光度計の試作に成功。
DIA-104-1977-07-10-6中国1977年07月10日1970年代人民日報,書評で小説「北の砦」,「北の墓標」をとりあげる。
DIA-104-1977-07-12-1中国1977年07月12日1970年代人民日報,「『4人組』はどんな党を『再建』しようとしたか」という「文〓報」高治論文を掲載。
DIA-104-1977-07-12-2中国1977年07月12日1970年代新華社記者・同通信員,前北京大・清華大「大批判組」の罪状を摘発・批判―「『4人組』の反革命の別動隊」と題している。
DIA-104-1977-07-14-1中国1977年07月14日1970年代総政治部は最近,各部隊に建軍50周年を盛大に祝うにあたって革命伝統教育を深く行うよう要求。
DIA-104-1977-07-14-2中国1977年07月14日1970年代人民日報,解放軍報,葉剣英副主席の詩「八十書懐」を発表。
DIA-104-1977-07-14-3中国1977年07月14日1970年代内蒙古の医療・衛生事業は大きく発展し,蒙古族の人口は解放前の2.3倍に増加。
DIA-104-1977-07-14-4中国1977年07月14日1970年代全国対外貿易経験交流会議が開催される―28日まで。解放後最大の会議。1400人余りが出席。李先念副総理が演説,余秋里副総理が報告。
DIA-104-1977-07-15-1中国1977年07月15日1970年代人民日報社説「地質関係者の栄えある任務」―中国はすでに132種の鉱物資源の埋蔵量について調査を終え,なかでも石炭,鉄,銅,石油など17種類の主要鉱物資源の埋蔵量は世界で上位に入っていることを明らかにした。
DIA-104-1977-07-15-2中国1977年07月15日1970年代中国,昨年11月からの小麦輸入契約高が合計1170万トンで史上最高に達す―積出し期間は来年半ばまでの18ヵ月間。そのうち今年積み出し分は約700万トンで過去の最高。
DIA-104-1977-07-15-3中国1977年07月15日1970年代社会党新しい流れの会訪中団が訪中―25日に帰国。
DIA-104-1977-07-16-1中国1977年07月16日1970年代中共第10期中央委員会第3回総会開催―21日まで。21日「コミュニケ」が発表された。(参考資料参照) 総会は「華国鋒同志の中央委主席,中央軍委主席担当を追認することについての決議」,「鄧小平同志の職務を回復することについての決議」,「王洪文・張春橋・江青・姚文元反党集団についての決議」をそれぞれ全会一致で採択,党第11回全国代表大会をくり上げて開催することについての中央政治局の決定,に全面的に同意した。
DIA-104-1977-07-16-2中国1977年07月16日1970年代人民日報,国家計画委員会大批判組論文「党と国家権力のっとりの反革命茶番劇―『4人組』の『20ヵ条』『批判』を評す」―鄧小平前副総理の指示により作成された「工業発展を加速することについての若干の問題」(いわゆる「20条」)を再評価。
DIA-104-1977-07-16-3中国1977年07月16日1970年代遼河最長の道路橋,田荘台遼河大橋(全長878.9メートル)完成。
DIA-104-1977-07-17-1中国1977年07月17日1970年代「解放軍報」社説,「『4人組』を掘り下げて摘発・批判し10の『すべきか否か』の教育をりっぱに行なおう」―「解放軍報」は5月12日から7月3日にかけて10編の評論員論文をかかげた。その題名が10の「すべきか否か」である。 ①軍に対する党の絶対的指導を堅持すべきか否か,②プロレタリア階級の党性を堅持してブルジョァ階級の派閥性に反対すべきか否か,③わが党わが軍のすぐれた伝統を発揚すべきか否か,④軍隊を整頓すべきか否か,⑤革命的規律と規則制度を厳格に順守すべきか否か,⑥後継者の「5条件」に従って老中青3結合をりっぱに行うべきか否か,⑦軍隊は安定を要することを強調すべきか否か,⑧厳しい訓練をおこない,厳格な要求を課すべきか否か,⑨野戦軍,地方武装力,民兵3結合の武装力体制を堅持すべきか否か,⑩戦争に備えるべきか否か。これらは華主席,葉副主席の指示にもとづいて書かれた。
DIA-104-1977-07-17-2中国1977年07月17日1970年代内蒙古自治区で民族政策の再教育進む―自治区成立30周年を迎えるにあたり,4月自治区党委は「民族政策の再教育を真剣に進め,民族政策の執行状況を点検することについての通知」を発出,有線放送大会を召集した。各級党委は党の民族政策を破壊した「4人組」の罪状を掘り下げて摘発批判した。
DIA-104-1977-07-17-3中国1977年07月17日1970年代雲南,貴州,四川,チベット共催の少数民族美術作品展がこのほど開催された。
DIA-104-1977-07-17-4中国1977年07月17日1970年代南方水稲生産会議開かれる―国務院の承認をえて農林部が最近湖南省湘潭地区で開催。稲作を発展させた経験を総括し交流し,今後の計画と措置を討議。陳永貴副総理が会議で演説を行う。湖南,四川,広東三省が稲作を主要な内容にした社会主義競争をくりひろげることを決定。南方の稲作地の13の省・市・自治区の農業部門の責任者,水稲重点地区・県・人民公社・生産大隊の代表と一部の科学研究部門の関係者および北方稲作面積がかなり広い8つの省市の代表430人余りが出席。2期作の晩稲の単位面積当り収量ひき上げを検討。
DIA-104-1977-07-17-5中国1977年07月17日1970年代江都水利センターの第4揚水所完成。
DIA-104-1977-07-17-6中国1977年07月17日1970年代全国供錆合作総社,廃棄物の回収利用を呼びかけ。
DIA-104-1977-07-17-7中国1977年07月17日1970年代北京国際サッカー友好試合開幕。
DIA-104-1977-07-18-1中国1977年07月18日1970年代モザンビーク政府貿易代表団,訪中。
DIA-104-1977-07-18-2中国1977年07月18日1970年代米中貿易全国委員会採鉱グループ,国際貿易促進委員会の招きで訪中。
DIA-104-1977-07-19-1中国1977年07月19日1970年代新華社,「四川省宜賓地区は急速に大乱から大治に向っている」
DIA-104-1977-07-19-2中国1977年07月19日1970年代西寧でこのほど「青海・チベット高原薬物図鑑」の漢語版とチベット語版が出版された。
DIA-104-1977-07-19-3中国1977年07月19日1970年代上海で中国初の80万倍電子顕微鏡の試作に成功。性能は1970年代国際先進水準に達している。
DIA-104-1977-07-19-4中国1977年07月19日1970年代甘粛,青海,寧夏の三省・自治区の党委員会は「工業は大慶に学ぶ」革命的友好競争を繰り広げることを決定。各省・自治区の地区間,業種間,企業間の社会主義労働競争を組織することを決定。
DIA-104-1977-07-20-1中国1977年07月20日1970年代中華人民共和国計量管理条例(試行)公布―基本計量制度はメートル法とする。
DIA-104-1977-07-20-2中国1977年07月20日1970年代華主席,マイケル・クロンスキー議長を団長とする米共産党(ML)中央委員会代表団を招宴。
DIA-104-1977-07-20-3中国1977年07月20日1970年代張香山,日本の代表団に,中国・アルバニアのイデオロギー論争をおこなう意志のないことを表明(共同)。
DIA-104-1977-07-20-4中国1977年07月20日1970年代中国側,符浩大使は8月2日日本へ向うと通告。
DIA-104-1977-07-20-5中国1977年07月20日1970年代張香山,孫平化氏,社党新しい流れの会に,鄧小平氏は必らず仕事につくと言明―さらに,アルバニア論文には直接公開批判はしない,とのべ,福田首相の「日中にとり組むヒマがない」という発言をきびしく批判。
DIA-104-1977-07-21-1中国1977年07月21日1970年代衛生部,最近北京で全国腫瘍予防治療工作会議を開催。
DIA-104-1977-07-21-2中国1977年07月21日1970年代中国の都市・農村の預貯金,大幅に伸びる―6月末現在,都市・農村の預貯金総額は昨年より7.2%増え,建国以来同期として最高の伸びを記録。
DIA-104-1977-07-21-3中国1977年07月21日1970年代人民日報短評「正当な家庭副業の補充作用を発揮しょう」
DIA-104-1977-07-21-4中国1977年07月21日1970年代人民日報評論員論文「計量管理工作をしっかりとやろう」
DIA-104-1977-07-21-5中国1977年07月21日1970年代米・カナダ在住台湾同胞籠球チーム北京着。
DIA-104-1977-07-21-6中国1977年07月21日1970年代1977年度中ソ貿易支払協定,モスクワで調印。
DIA-104-1977-07-22-1中国1977年07月22日1970年代福建省の小型水力発電事業―小型水力発電所の発電量は昨年末現在,総発電量の1/4を占め,1965年の11.8倍に増えている。現在,すべての人民公社,70%の生産大隊,50%の生産隊が電気を使っている。
DIA-104-1977-07-22-2中国1977年07月22日1970年代海南島のゴムが豊作。乾燥生ゴムの生産量は昨年より16%増えた。
DIA-104-1977-07-22-3中国1977年07月22日1970年代黒竜江省の農業機械化が早まる―全省の耕作作業の機械化程度は45%以上,非耕作作業の機械化の程度は60%前後に達した。
DIA-104-1977-07-22-4中国1977年07月22日1970年代首都鉄鋼公司に国産の近代的な大型コークス炉完成。これによってコークス製造能力が60%以上拡大された。
DIA-104-1977-07-22-5中国1977年07月22日1970年代谷牧副総理,グッドマン米NBC放送会長夫妻と会見。
DIA-104-1977-07-22-6中国1977年07月22日1970年代福田首相,自民党長老との懇談で「日中平和友好条約は締結しないわけにはゆかない」と強調。
DIA-104-1977-07-22-7中国1977年07月22日1970年代日立,東芝など,中国からカラー・TVプラントの引合いを受ける。
DIA-104-1977-07-23-1中国1977年07月23日1970年代四川省永川県のダム工事現場でこのほど肉食性恐竜の完全な化石を発見。
DIA-104-1977-07-24-1中国1977年07月24日1970年代何其芳中国社会科学院文学研究所長死去―病気のため北京で死去。65才。8月4日に追悼会が行なわれた。
DIA-104-1977-07-24-2中国1977年07月24日1970年代北京で建軍50周年祝賀射撃競技会開幕。
DIA-104-1977-07-25-1中国1977年07月25日1970年代新任の姚広エジプト駐在中国大使,赴任。
DIA-104-1977-07-26-1中国1977年07月26日1970年代樺総理,J・R・ジャヤワルデネ氏のスリランカ共和国首相就任に祝電。
DIA-104-1977-07-26-2中国1977年07月26日1970年代米国のウッドコック駐中国連絡事務所長着任。
DIA-104-1977-07-27-1中国1977年07月27日1970年代最近北京,藩陽,成都で唐山・豊南地震と松潘・平武地震の抗震・救援活動に参加し,中央軍委から表彰された軍の先進単位,模範人物の命名・功績祝賀大会が開催された。
DIA-104-1977-07-27-2中国1977年07月27日1970年代人民日報,軍総参謀部理論組論文,「敬愛する朱徳委員長を心からしたう」。―「紅旗」8号。
DIA-104-1977-07-27-3中国1977年07月27日1970年代新華社,「解放軍報」所載の軍史資料「8・1南昌蜂起」,「秋収蜂起」を報道―29日には同「広州蜂起」を報道。
DIA-104-1977-07-27-4中国1977年07月27日1970年代華総理,サンジバ・レディー氏のインド大統領就任を祝って祝電を送る。
DIA-104-1977-07-27-5中国1977年07月27日1970年代ビルマ共産党,中共10期3中総会開催へ祝電。
DIA-104-1977-07-27-6中国1977年07月27日1970年代中ソ国境河川航行合同委員会の第20回定例会議が3年半ぶりで開催された。10月6日まで黒竜江省黒河鎮で。いくつかの点で合意に達し,会談記録に調印した。
DIA-104-1977-07-27-7中国1977年07月27日1970年代李先念副総理,日本青年団協議会代表団と会見。
DIA-104-1977-07-28-1中国1977年07月28日1970年代「解放軍報」王震論文,「忠誠の戦士,輝かしい一生―賀竜同志を記念する。」
DIA-104-1977-07-29-1中国1977年07月29日1970年代毛主席の1961年7月30日「江西共産主義労働大学にあてた手紙」全文公表。
DIA-104-1977-07-29-2中国1977年07月29日1970年代人民日報,譚震林・粟裕論文,「光明磊落,革命の一生―陳毅同志をしのぶ」
DIA-104-1977-07-29-3中国1977年07月29日1970年代軍総参謀部,総政治部はこのほど部隊での「国家体育鍛練標準条例」施行に関する規定,を配布。
DIA-104-1977-07-29-4中国1977年07月29日1970年代全軍球技4種目競技大会あい次いで開催さる―バスケットボール,サッカー,ハンドボール,卓球。
DIA-104-1977-07-29-5中国1977年07月29日1970年代全軍第4回文芸祭を北京で一般公開―15日開幕したもの。
DIA-104-1977-07-29-6中国1977年07月29日1970年代新華社,「解放軍報」軍事科学院戦史研究部の「中国人民解放軍50年のあゆみ」を報道。
DIA-104-1977-07-29-7中国1977年07月29日1970年代日中友好国民協議会第5次訪中団(山道雄団長)訪中―8月19日まで。
DIA-104-1977-07-30-1中国1977年07月30日1970年代陳錫聯を団長とする中央代表団,特別機でフフホトへ。
DIA-104-1977-07-30-2中国1977年07月30日1970年代鄧小平副主席,北京国際サッカー友好招待試合を観戦―鄧副主席の公開活動の第一弾。
DIA-104-1977-07-31-1中国1977年07月31日1970年代北京で建軍50周年慶祝大会開催―華主席が主宰,葉副主席が重要演説をおこなった。
DIA-104-1977-07-31-2中国1977年07月31日1970年代全人代常委と国務院が内蒙古自治区成立30周年を祝って同自治区革命委員会に祝電を送る。
DIA-104-1977-07-31-3中国1977年07月31日1970年代「毛沢東選集」第5巻日本語版,札幌市の中国展会場で発売さる―全国では8月5日から。
DIA-104-1977-08-01-1中国1977年08月01日1970年代国防部主催の建軍50周年レセプションに華主席,葉副主席,鄧副主席が出席―外国の訪中者,外交官も招かれて出席,葉剣英副主席が「超大国に反対する最も幅広い統一戦線」を訴えるあいさつをおこなった。黄克誠,呉冷西,胡縄が復活,孫健,李素文,姚連蔚が姿を消した。
DIA-104-1977-08-01-2中国1977年08月01日1970年代3紙誌共同社説,「国防の現代化を速めよう」―毛沢東,周恩来,朱徳,康生,董必武の指導者をしのび,賀竜,陳毅,羅栄桓,葉挺,方志敏,劉志丹らの古いプロレタリア革命家の名をあげてしのぶ。
DIA-104-1977-08-01-3中国1977年08月01日1970年代フフホトで自治区成立30周年15万人集会おこなわる―尤太忠第一書記と陳錫聯団長があいさつをおこなった。人民日報は「内蒙古を反帝・反修の鋼の長城に築こう」という社説をかかげた。中央代表団は3日から7つのグループに分かれて4盟・3市を慰問,8日北京に帰着。
DIA-104-1977-08-01-4中国1977年08月01日1970年代北京で「人民解放軍建軍50周年祝賀美術展」と「同人民解放軍写真展」が中国美術館,革命軍事博物館で開幕―軍事体育演技もおこなわれた。
DIA-104-1977-08-01-5中国1977年08月01日1970年代建軍50周年映画祭に21本を上映―軍総政治部,文化部主催で1ヵ月間。新作・旧作劇映画11本,カラー舞台映画と記録映画10本。郵電部は「建軍50周年」記念切手(5枚1組)を発行。
DIA-104-1977-08-02-1中国1977年08月02日1970年代華主席,葉剣英,鄧小平副主席,バスケットボール模範試合を観戦。
DIA-104-1977-08-02-2中国1977年08月02日1970年代符浩大使夫妻が日本に着任―3日,鳩山外相を訪問。
DIA-104-1977-08-03-1中国1977年08月03日1970年代華主席,葉副主席,鄧副主席が全軍文芸祭の公演を観賞―その他指導者も参加,人民大会堂小講堂で。
DIA-104-1977-08-03-2中国1977年08月03日1970年代新疆部隊司令,楊勇から劉震に。(ロイター)
DIA-104-1977-08-03-3中国1977年08月03日1970年代中国のテレビ受像機数は100万台近い。テレビ放送はカラーに全面切り替え中,ラジオ保有台数は3000万台。宇宙通信衛星は来年打上げの予定。
DIA-104-1977-08-04-1中国1977年08月04日1970年代華,葉,鄙3首脳ほか指導者,全国会議出席者代表らと会見―全国農地基本建設会議,全国対外貿易経験交流会議,全国郵便電信部門会議,全国省・市・自治区衛生局長会議,全国中西医学結合計画座談会,全国食糧・油料工業会議出席の代表,および全軍文芸祭,体育模範演技参加者,空軍某部隊指揮員・戦闘員。
DIA-104-1977-08-04-2中国1977年08月04日1970年代「解放軍報」,中共陳西省志丹県委,革命委論文「党と国家のために忠信を尽くす―劉志丹同志をしのんで」を掲載。
DIA-104-1977-08-04-3中国1977年08月04日1970年代第2回大慶に学ぶ全国郵電部門会議開催―1600余人が出席。王震,余秋里両副総理にあいさつし谷牧副総理が報告を行う。ここ数年1800チャンネル搬送通信設備と960チャンネルマイクロウェーブの設備の研究制作に成功。
DIA-104-1977-08-04-4中国1977年08月04日1970年代人民日報社説「工業・交通戦線の初歩的な成果を示す目印」―参考資料参照。
DIA-104-1977-08-04-5中国1977年08月04日1970年代最近北京で全国食糧・油料工作会議が開備される。
DIA-104-1977-08-04-6中国1977年08月04日1970年代国連のワルトハイム事務総長,訪中―6日,華主席と会見。大案などを訪問後11日帰国。
DIA-104-1977-08-04-7中国1977年08月04日1970年代劉幸福駐インド中国臨時代理大使,デサイ・インド首相がダライ・ラマと会見したことに抗議。
DIA-104-1977-08-05-1中国1977年08月05日1970年代華総理,マカリオス大統領の死去に弔電。
DIA-104-1977-08-06-1中国1977年08月06日1970年代人民日報,粟裕論文「毛主席の戦争指導路線の偉大な勝利」―建軍50周年記念論文。
DIA-104-1977-08-06-2中国1977年08月06日1970年代人民日報,宇清論文,「『4人組」の派閥体系を徹底的に粉砕しょう」。
DIA-104-1977-08-06-3中国1977年08月06日1970年代南昌で方志敏の納骨式―陵墓は1965年完成,林彪・「4人組」の妨害でこれまで納骨できなかったもの。
DIA-104-1977-08-06-4中国1977年08月06日1970年代「天津での華主席」美術・写真展が最近天津で開幕。
DIA-104-1977-08-06-5中国1977年08月06日1970年代李先念副総理,レジナルド・アイル副党首を団長とする英保守党議員団と会見。
DIA-104-1977-08-07-1中国1977年08月07日1970年代上海で「工業は大慶に学ぶ」会議開催―上海の鉱工業その他の企業代表1万8000人が参加。同市の企業の50%を1980年までに,10%を今年中に大慶型企業とすることを決定。
DIA-104-1977-08-07-2中国1977年08月07日1970年代山西省で農業科学大会開かれる。
DIA-104-1977-08-07-3中国1977年08月07日1970年代鄧小平副主席,全明洙中国駐在北朝鮮大使と会見。鄧小平副主席の外交面での初デビュー。
DIA-104-1977-08-08-1中国1977年08月08日1970年代人民日報社説「この冬から来春にかけて農地基本建設を大々的に進めよう」―党中央は1980年までに農業人口1人当り1ムーの安定多収穫農地をもつようにすることを決定。このためには毎年これまでの数年分の工事量をこなさなければならないと述べる。
DIA-104-1977-08-08-2中国1977年08月08日1970年代中国文字改革委員会と国家標準計量局は国務院が最近公布した「中華人民共和国計量管理条例」(試行)をよりよく実施するため「部分計量単位名称統一用字表」を制定。
DIA-104-1977-08-08-3中国1977年08月08日1970年代華主席,ペニト・スココッサ議長を代表とするデンマーク共産主義労働者党代表団と会見。
DIA-104-1977-08-08-4中国1977年08月08日1970年代華主席,ベルギーML党第1書記フェルナン・ルフェーブル氏と会見。
DIA-104-1977-08-08-5中国1977年08月08日1970年代パレスチナ解放機構(PLO)北京駐在事務所のハマド・A・A・アルアイディ主任,任期を終え帰国。
DIA-104-1977-08-08-6中国1977年08月08日1970年代中国,石川島播磨から2基の浮きドックを購入―万重量トンの船が修理可,黄埔港と香港青衣島で使用される。
DIA-104-1977-08-09-1中国1977年08月09日1970年代全国農業機械化隊列建設工作経験交流会開催―農林部の主催で桂林市で。広西チワン族自治区の自治区,地区,県,人民公社,生産大隊の5級農業機械管理機構と農業機械化隊列養成訓練網を早く形成した経験を普及。
DIA-104-1977-08-09-2中国1977年08月09日1970年代人民日報社説「省委員会は大きな意気込みを持って農業に力を入れなければならない」
DIA-104-1977-08-09-3中国1977年08月09日1970年代李先念副総理,レオナルド・ウッドコック中国駐在米連絡事務所長と会見。
DIA-104-1977-08-09-4中国1977年08月09日1970年代陳永貴副総理,米国のヒントン氏と会見。
DIA-104-1977-08-10-1中国1977年08月10日1970年代人民日報,葉剣英副主席の詩,「持久戦についてを再読して」を掲載。
DIA-104-1977-08-10-2中国1977年08月10日1970年代光明日報,勤工論文「中国共産党のこれまでの代表大会」
DIA-104-1977-08-10-3中国1977年08月10日1970年代佐藤正二新任駐中国大使,北京に着任。
DIA-104-1977-08-10-4中国1977年08月10日1970年代中国原油,今年下期価格バレル5セント値上げの13ドル20セントで合意―35万トン輸入増で今年の輸入は653万トンになる予定。
DIA-104-1977-08-11-1中国1977年08月11日1970年代陳永貴副総理,アルバニア農業代表団と会見。
DIA-104-1977-08-11-2中国1977年08月11日1970年代フー・ウン・フン・マレーシア大蔵次官一行,訪中。
DIA-104-1977-08-12-1中国1977年08月12日1970年代中国共産党第11回全国代表大会開催―18日まで。11日予備会議が開かれ主席団223人を選出,議事日程を採択。全党員3500余万人の代表1510名が大会に出席。勤労人民が72.4%,革命知識分子6.7%,革命的幹部20.9%。代表中女性党員は19%,少数民族党員9.3%,壮年青年党員は73.8%,台湾省籍の党員代表も大会に参加した。 12日,華主席が開幕を宣言,「政治報告」をおこなった。13日,葉副主席が「党規約改正についての報告をおこなった。18日,無記名投票により第11期中央委員会を選出,中央委員は201名,同候補は132名,大会は華主席の「政治報告」と葉副主席の「報告」を一致して採択した鄧副主席が閉会のことばを述べた。
DIA-104-1977-08-12-2中国1977年08月12日1970年代中国・カポベルデ,経済技術協力協定に調印。
DIA-104-1977-08-12-3中国1977年08月12日1970年代新華社記者論評,「イシコフはなぜ満足したのか」―日ソ,ソ日漁業暫定協定交渉での北方領土問題を分析。
DIA-104-1977-08-12-4中国1977年08月12日1970年代黄華外交部長,佐藤大使と会見。
DIA-104-1977-08-13-1中国1977年08月13日1970年代李先念副総理,サントーメ・プリンシペのミゲル・トロボアダ首相一行と会見。
DIA-104-1977-08-13-2中国1977年08月13日1970年代北京市総工会,共青団,婦女連合会が北方領土返還促進運動活動家訪中団報告会を開催―坂本徳松氏を団長とする訪中団は9日に訪中。
DIA-104-1977-08-14-1中国1977年08月14日1970年代人民日報,石油化学工業部で500余人の機関幹部がグループに分れて仕事の第一線に行くなどの,「機関革命化」で先頭をゆく経験を紹介。
DIA-104-1977-08-16-1中国1977年08月16日1970年代「児童文学」創刊号が最近出版された。
DIA-104-1977-08-16-2中国1977年08月16日1970年代香港「明報」,3中総会での郡副主席の演説を報道(16,17の2日の紙面で)。
DIA-104-1977-08-16-3中国1977年08月16日1970年代湖南,湖北,広西,各省・市・自治区で早稲が豊作。
DIA-104-1977-08-16-4中国1977年08月16日1970年代人民日報,「国際時事講話」欄,ASEANを評価―2回の首脳会議の活動を紹介し「こうした活動は超大国の東南アジアにおける侵略拡張に反対し民族の独立と主権,自国の経済利益を守ることにおいて積極的役割を果している」と高く評価。
DIA-104-1977-08-16-5中国1977年08月16日1970年代鄧副主席,米国籍生物学者牛満江教授と会見。
DIA-104-1977-08-16-6中国1977年08月16日1970年代新華社記者論評,「一石三鳥」―12日,ポリヤンスキー大使が鳩山訪ソの延期希望を通知してきたことを論評。
DIA-104-1977-08-17-1中国1977年08月17日1970年代新華社記者論評,「人民教師は尊重さるべきである」―北京市の9区・県の小中学校先進集団,先進者代表会議を論評。
DIA-104-1977-08-17-2中国1977年08月17日1970年代人民日報社説「品質を第一にしなければならない」
DIA-104-1977-08-17-3中国1977年08月17日1970年代中国の早稲,史上最高の豊作―総収穫量は史上最高。作付面積が昨年より6万7000ヘクタール増えた。2期作地帯では晩稲が早稲に追いつく社会主義競争を展開し,年間を通じて豊作をかちとるのに努力している。
DIA-104-1977-08-17-4中国1977年08月17日1970年代鄧副主席,マサチューセッツ工科大学物理学教授丁肇中夫妻・令嬢と会見。
DIA-104-1977-08-17-5中国1977年08月17日1970年代パミール高原で7月にソ連の「武装スパイ」射殺事件が発生したことが明らかになる。
DIA-104-1977-08-17-6中国1977年08月17日1970年代新任の劉淳メキシコ駐在大使,赴任。
DIA-104-1977-08-18-1中国1977年08月18日1970年代中国科学院,最近中国科学技術大学工作会議を開催―教育研究の結合,学生募集方法の改革の方針を討議。
DIA-104-1977-08-18-2中国1977年08月18日1970年代中国,国際商業衛星通信機構(INTELSAT)に加盟。
DIA-104-1977-08-18-3中国1977年08月18日1970年代新任の韓克華フランス駐在大使,赴任。
DIA-104-1977-08-19-1中国1977年08月19日1970年代中共第11期中央委員会第1回総会開かる―中央委主席:華国鋒,副主席:葉剣英,鄧小平,李先念,汪東興,(以上は政治局常務委員会を構成),その他の政治局員(筆画順):韋国清,烏蘭夫,方毅,劉伯承,許世友,紀登奎,蘇振華,李徳生,呉徳,余秋里,張廷発,陳永貴,陳錫聯,耿,聶栄臻,倪志福,徐向前,彭冲。(以上で23人)中央政治局委員候補:陳慕華,趙紫陽,賽賽福鼎,を選出。
DIA-104-1977-08-19-2中国1977年08月19日1970年代衛生部は最近北京で全国各省・市・自治区衛生局長会議と中西医結合計画工作座談会開催―「4人組」とその衛生部における例の腹心の言行を批判,「全国中西医結合工作10ヵ年発展計画」,「1977―85年の衛生活動の計画要点」(草案)を制定。
DIA-104-1977-08-19-3中国1977年08月19日1970年代新華社,福田首相の東南アジア訪問について報道。
DIA-104-1977-08-20-1中国1977年08月20日1970年代華主席以下中央政治局の指導者,党大会代表全員と会見,記念写真をとる。
DIA-104-1977-08-20-2中国1977年08月20日1970年代人民日報社説「かならず国営農場をりっぱにやろう」
DIA-104-1977-08-20-3中国1977年08月20日1970年代人民日報,范秀竹論文「さらにより危険のある超大国」―ソ連の経済力と軍備拡張のテンポは米国を上回っており,このような後から起ってきた帝国主義は2度の世界大戦の例からわかるように,より大きな冒険性を持っており,より危険である。
DIA-104-1977-08-21-1中国1977年08月21日1970年代3紙誌共同社説,「偉大な里程標―党の第11回全国代表大会の閉幕を熱烈に祝う」。
DIA-104-1977-08-22-1中国1977年08月22日1970年代バンス米国務長官,訪中―同日黄華外相と会談。24日鄧小平副総理と会見。25日華主席と会見。26日帰国。共同コミュニケは発表されず。
DIA-104-1977-08-22-2中国1977年08月22日1970年代佐藤大使,ウランフ副委員長に信任状を提出。
DIA-104-1977-08-23-1中国1977年08月23日1970年代華主席,マーク・チョナ・ザンビア大統領補佐官と会見。
DIA-104-1977-08-23-2中国1977年08月23日1970年代新任の張西独駐在大使,赴任。
DIA-104-1977-08-23-3中国1977年08月23日1970年代新任の崔健チュニジア駐在中国大使,赴任。
DIA-104-1977-08-24-1中国1977年08月24日1970年代八宝山革命公墓で林李明広東省党委書記の追悼会開く―同氏は19日北京で病気のため逝去,67才。
DIA-104-1977-08-24-2中国1977年08月24日1970年代ソ連共産党理論機関誌「コムニスト」の編集部論文「毛沢東以後の中国」,華国鋒体制を「毛沢東なき毛沢東路線」と批判し,あらゆる方法で米ソ関係を悪化させようとしていると非難。
DIA-104-1977-08-25-1中国1977年08月25日1970年代科学者・労働模範が北京の中・高校の青少年科学愛好者と座談会開く―25日から3日間中山公園音楽堂で。のべ7000人余の青少年が参加。29日人民日報は「小中高校から力を入れる」という短評をかかげ,基礎的科学知識習得の必要性を強調。
DIA-104-1977-08-25-2中国1977年08月25日1970年代北京で天山山脈主峰7443.8mのトムール峰登山隊登頂歓迎集会開く―7月25日と30日に初登頂に成功。
DIA-104-1977-08-26-1中国1977年08月26日1970年代中国で農林用飛行機を量産。中国で自力で設計,研究,製造したもの。
DIA-104-1977-08-26-2中国1977年08月26日1970年代柳州土木機械工場,中国最大の5立方メートル,400馬力の積込機の試作に成功。
DIA-104-1977-08-26-3中国1977年08月26日1970年代上海市の工業生産が伸び,財政収入も増加―1974年から1976年までの連続3年間,国家の財政収入計画が達成されなかったのを転換して増収に転じた。
DIA-104-1977-08-26-4中国1977年08月26日1970年代鄧小平副総理,欧州原子力研究所長らと会見。
DIA-104-1977-08-27-1中国1977年08月27日1970年代人民日報社説「国家のために蓄積の増加につとめよう」―今年初歩的成果をあげるという要求を実現するためには,品質の向上,消費の低下,蓄積の増加の3つの面で成果をあげなければならない。欠損を出している企業は経営上の欠損に属する部分を遅くとも来年上半期までに基本的になくさなければならない。全ての企業は欠損を収益の増加に転換する工作を「工業は大慶に学ぶ」運動の計画に組み入れ,企業を整頓し,社会主義労働競争を展開する上での重要な内容として力を入れなければならない。
DIA-104-1977-08-27-2中国1977年08月27日1970年代華主席,鄧副主席,米国籍物理学者楊振寧博士と会見。
DIA-104-1977-08-27-3中国1977年08月27日1970年代人民日報,新華社記者総合解説「世界人民の革命闘争の強大な思想武器」―毛主席の「三つの世界論」は世界各国人民の革命闘争の武器になっているとして各国の支持論調を紹介。
DIA-104-1977-08-28-1中国1977年08月28日1970年代八宝山革命公墓で周栄前教育部長の追悼会が開かれ,名誉回復さる―「4人組」の迫害のため1976年4月13日に逝去した周部長追悼会は王震が主催,谷牧が追悼の辞を述べた。中共中央組織部,国務院政治工作小組などが花輪を送った。9月15日,人民日報は周氏を迫害した「4人組」の罪状を明らかにした袁丁論文を掲載。
DIA-104-1977-08-28-2中国1977年08月28日1970年代広東省の汕頭電子機器工場で,10チャンネル超音波自動探傷器の試作に成功。
DIA-104-1977-08-29-1中国1977年08月29日1970年代毛主席記念堂完成,遺体を安置した水晶棺すでに室内に安置。
DIA-104-1977-08-29-2中国1977年08月29日1970年代農林部,全国ライコムギ科学研究臨力現場会議を開く。
DIA-104-1977-08-29-3中国1977年08月29日1970年代華主席チュオン・チン・ベトナム国会常任委員会議長の率いるベトナム国会代表団と会見。一行は同日訪中したもの。
DIA-104-1977-08-29-4中国1977年08月29日1970年代新任の王幼平・ソ連駐在中国大使赴任―中国の駐ソ大使は劉新権前大使が76年3月にアルバニア大使に転出して以来,空席になっていたもの。
DIA-104-1977-08-29-5中国1977年08月29日1970年代李先念副主席,ソールズベリー記者との会見で「米国が台湾と手を切ることをしぶっているのは非常に残念だ」と述べる。
DIA-104-1977-08-29-6中国1977年08月29日1970年代李先念副総理,日中文化交流協会代表団と会見―席上,「福田首相は(条約交渉を)決断していない。やる気がないのではないか」と語った。
DIA-104-1977-08-30-1中国1977年08月30日1970年代「中華外科雑誌」が最近復刊。
DIA-104-1977-08-30-2中国1977年08月30日1970年代チトー・ユーゴ大統領訪中―華王席らと10万人の大衆が歓迎。31日,9月1日,3日華主席と会談。3日杭州訪問。5日上海訪問。7日ウルムチ訪問。8日帰国。華主席は歓迎宴でユーゴの非同盟政策を高く評価。共同声明は発表されなかった。
DIA-104-1977-08-30-3中国1977年08月30日1970年代李先念副総理が佐藤大使と会見。
DIA-104-1977-08-31-1中国1977年08月31日1970年代中国科学院,最近安徽省黄山で基本粒子理論座談会,天体物理学術会議を開く―それぞれの発展計画を作成。
DIA-104-1977-08-31-2中国1977年08月31日1970年代ムスリハ・モハメド,アミン准将を団長とするスーダン軍事代表団,中国国防部の招きで訪中。
DIA-104-1977-09-01-1中国1977年09月01日1970年代周揚,呉晗(故),田漢(故)の名誉回復決定―中国の権威筋が日中文化交流協会一行に明らかにしたもの(朝日)。
DIA-104-1977-09-01-2中国1977年09月01日1970年代百トンの標準力計の試作に成功,全て中国の国産材料によるもの。
DIA-104-1977-09-02-1中国1977年09月02日1970年代人民日報社説「ベトナム人民の輝かしい祝日」―ベトナム独立記念日を祝賀。
DIA-104-1977-09-02-2中国1977年09月02日1970年代北京のアルバニア大使館,「チトーにひざまずくフルシチョフ」と題したホッジャ・アルバニア労働党書記の中国批判の論文の英文版パンフレットを各国大使館,外人記者に配布。
DIA-104-1977-09-02-3中国1977年09月02日1970年代新任の王国権イタリア駐在中国大使,赴任。
DIA-104-1977-09-03-1中国1977年09月03日1970年代人民日報社説「農業生産の第一線を強化しよう」
DIA-104-1977-09-03-2中国1977年09月03日1970年代人民日報,軽工業部理論組論文「ただ高速度が必要だけでなく,高い品質が必要である」
DIA-104-1977-09-04-1中国1977年09月04日1970年代「紅旗」9号,聶栄臻論文「党のすぐれた作風を回復し発揚しょう」―実事求是,大衆路線,民主集中制について詳論。
DIA-104-1977-09-04-2中国1977年09月04日1970年代人民日報評論員,「人民の投書やかけ込みの訴えを重視せよ」
DIA-104-1977-09-04-3中国1977年09月04日1970年代華主席,米マサチューセッツ工科大学物理学教授丁肇中と会見。
DIA-104-1977-09-04-4中国1977年09月04日1970年代新華社,3日の王貞治選手のホームラン世界記録を報道。
DIA-104-1977-09-06-1中国1977年09月06日1970年代中共湖南省委員会,「韶山に日が昇り,千秋を照す」―毛主席逝去一周年に際し,秋収蜂起までの毛主席の湖南での活動を回顧。
DIA-104-1977-09-06-2中国1977年09月06日1970年代天安門前に花輪がかざられ始める。
DIA-104-1977-09-06-3中国1977年09月06日1970年代新華社記者論評「ソ連はなぜASEANを攻撃するのか」―ソ連はASEANを「アジア集団安保」に引込もうとして東南アジアに平和自由・中立地域を設ける主張に一貫して反対してきたと批判し,ASEANが連合して第2世界諸国との経済関係を発展させることは第3世界諸国の闘争の一部をなすと述べた。
DIA-104-1977-09-06-4中国1977年09月06日1970年代鄧副主席,AP通信社のフラー社長と会見,バンス訪中について論評―「今回のバンス長官の訪中で長官は中国と国交正常化する代りに台湾に連絡事務所を設置することを提案した。これは米台の関係を継続するものだから受け入れることができなかった。バンス訪中によってフォード・キッシンジャー時代から米中関係は後退した」と述べた。
DIA-104-1977-09-07-1中国1977年09月07日1970年代人民日報社説「来年の夏季収穫食糧の大増産をかちとることは一つの革命である」―全国的にみてみると小麦生産の発展は不均衡で,一部の地方では相変らず小麦に低収というレッテルがはられており収量は先進地区と比べて,3倍も劣っているので増産をはからなければならない。
DIA-104-1977-09-08-1中国1977年09月08日1970年代人民日報,中共中央弁公庁理論学習小組論文,「毛主席の教えを永遠に銘記してプロレタリア階級独裁下の継続革命を堅持する」―中央弁公庁の工作人員,8341部隊の指揮員・戦闘員と毛主席の関係のあり方を歴史的に回顧。
DIA-104-1977-09-08-2中国1977年09月08日1970年代新華社,毛主席の1963年12月13日論文「相互の学習を強化し,現状に甘んじて前進しない考え方,うぬぼれおごりたかぶる考え方を克服しょう」を発表。湖南の李瑞山,華国鋒が広東省農業を視察した報告書へのコメント。
DIA-104-1977-09-08-3中国1977年09月08日1970年代人民日報社説「朝鮮人民の輝しい祝日を心から祝う―朝鮮民主主義人民共和国成立29周年を祝賀。
DIA-104-1977-09-09-1中国1977年09月09日1970年代毛主席逝去一周年記念,毛主席記念堂落成式典の集会―華主席,葉,鄧,李,汪副主席以下の指導者のと北京の大衆1万人が集会に出席。花輪をささげたあと黙とう,続いて華主席が演説をおこない,「インターナショナル」の歌声で閉幕。この日「毛主席記念展」が中国人民革命軍事博物館で正式にオープンした。各省,市,自治区でも記念集会が開かれた。
DIA-104-1977-09-09-2中国1977年09月09日1970年代中国郵電部が「偉大な指導者・教師毛沢東主席記念堂」の切手2枚1組を発行―また「毛主席逝去一周年」記念切手6枚1組も発行。
DIA-104-1977-09-09-3中国1977年09月09日1970年代モンデール米副大統領,王耀庭主任を団長とする中国国貿促委員会代表団と会見。
DIA-104-1977-09-09-4中国1977年09月09日1970年代プラウダ,タス通信論評「北京の扇動者」―鄧副主席を名ざしで攻撃。
DIA-104-1977-09-10-1中国1977年09月10日1970年代3紙誌共同社説,「毛沢東思想は永遠に光り輝やく」―毛主席は一部の面ではなく,あらゆる面でマルクス・レーニン主義を発展させ,各分野でいずれも体系化された思想をうちたてたのであり,それ故に毛沢東思想を学習する場合,一つの面あるいは一つの分野における問題に対して,毛沢東思想の全体系から正しい理解を得るようにしなければならない,と強調。
DIA-104-1977-09-10-2中国1977年09月10日1970年代新華社,毛主席の1958年12月1日の文章「帝国主義とすべての反動派は本物の虎かどうかという問題について」を公表。
DIA-104-1977-09-10-3中国1977年09月10日1970年代中国・チュニジア,チュニジアのメジェルダ・ケープ・ボン運河建設に関する契約に調印。
DIA-104-1977-09-10-4中国1977年09月10日1970年代鄧小平副主席,日中議連訪中団と会見―日中平和友好条約「調印の2字に1秒間かければすむ」と福田首相の決断を促した。同訪中団は7日から14日まで訪中。
DIA-104-1977-09-11-1中国1977年09月11日1970年代人民日報,国家計画委員会執筆論文「社会主義建設の偉大な指針」
DIA-104-1977-09-12-1中国1977年09月12日1970年代マルセリーノ・ドス・サントス開発・経階計画相を団長とするモザンビーク政府代表団,訪中。17日まで。
DIA-104-1977-09-12-2中国1977年09月12日1970年代鳥蘭夫人代常務委員会副委員長を団長として姫鵬飛常務委員会秘書長を副団長とする全国人民代表大会代表団がオーストラリア訪問。20日,ニュージーランド訪問(27日まで)。
DIA-104-1977-09-12-3中国1977年09月12日1970年代アルバニア国営チラナ放送,「革命を怠る現実主義」として中国を非難。
DIA-104-1977-09-13-1中国1977年09月13日1970年代北京で1977年全中国トラック自転車競技大会開く―17日まで。またこのほど杭州市で1977年全中国水泳競技大会が閉幕した。
DIA-104-1977-09-13-2中国1977年09月13日1970年代人民日報,石油化学工業部党中核グループ執筆グループ論文「毛主席の革命路線は石油化学工業の急速な発展を導く」。
DIA-104-1977-09-13-3中国1977年09月13日1970年代人民日報社説「マルクス主義の弁証法的思想で革命競争を指導しよう」―社会主義労働競争は企業内部,企業間,業種間からさらには省・市の指導部間へ拡大しなければならない。
DIA-104-1977-09-13-4中国1977年09月13日1970年代新任の孫盛渭スリランカ駐在中国大使,赴任。
DIA-104-1977-09-14-1中国1977年09月14日1970年代人民日報,冶金工業部理論組論文「中国の鉄鋼工業発展の道」
DIA-104-1977-09-14-2中国1977年09月14日1970年代IOCのキラニン会長ら訪中。
DIA-104-1977-09-14-3中国1977年09月14日1970年代鄧小平副主席,河野洋平以下新自由クラブ訪中団と会見―中ソ条約はすでに消滅した。200カイリ宣言は検討しているが実施するかどうかは白紙である,と表明。
DIA-104-1977-09-15-1中国1977年09月15日1970年代「解放軍報」海軍政治部論文,「毛主席の輝かしい思想は,われわれの前進の道を永遠に照らす」―海軍の建設をはやめる長期計画の存在を示唆。
DIA-104-1977-09-15-2中国1977年09月15日1970年代江西省銅鼓県の秋収蜂起記念館が最近落成し開館した。
DIA-104-1977-09-15-3中国1977年09月15日1970年代楊成武副総参謀長を団長とする中国軍事友好代表団,フランス訪問。25日まで。
DIA-104-1977-09-15-4中国1977年09月15日1970年代紀登奎副総理,西ドイツのヨハネス・シュタインホフ元空軍監察官と会見。
DIA-104-1977-09-15-5中国1977年09月15日1970年代西日本中華人民共和国展開幕―北九州市で10月11日まで。
DIA-104-1977-09-16-1中国1977年09月16日1970年代中国の大学改革案固まる―①1977年度新入生入試を12月に実施,78年3月入学させる,②中学からも直接募集をおこなう,③文科系は4年に,理科系は5年に1年ずつ修学年限を延長,④理科系の定員を増やし,大学院生,研究生に当たる制度も新設する,⑤専門課程の時間数を全教育時間の60%程度から80%に増やす。(共同)
DIA-104-1977-09-16-2中国1977年09月16日1970年代人民日報社説「農業機械化隊列を建設するには我国独自の道を歩まなければならない」―今年上半期に生産された大中型トラクターは昨年同期より35%増えた。国家の大多数の農業機械要員は,農村の人民公社,生産大隊自身の力に依拠し,地元で選抜・養成・訓練し使用しなければならない。
DIA-104-1977-09-16-3中国1977年09月16日1970年代ネーウィン・ビルマ大統領訪中―同日,毛主席記念堂を訪れ,17日,華主席と会見。鄧副総理と会談。20日北朝鮮へ向け出発。
DIA-104-1977-09-16-4中国1977年09月16日1970年代アドリアン・ポーレン国際陸連会長が訪中。
DIA-104-1977-09-17-1中国1977年09月17日1970年代中国,核実験に成功―米の観測によるとロプノルでおこなわれ,20キロトン以下。
DIA-104-1977-09-17-2中国1977年09月17日1970年代人民日報,水利電力部党中核グループ論文「毛沢東思想は水利電力事業の発展をみちびく」―現在全国には百ヵ所以上の大中型水力発電所と6万余の農村小型水力発電所がある。南の水を北へ送る,西の電力を東へ送るという計画を実現しなければならない。
DIA-104-1977-09-17-3中国1977年09月17日1970年代新任の陳志方ベトナム駐在中国大使,赴任。
DIA-104-1977-09-17-4中国1977年09月17日1970年代米サッカーチームのニューヨーク・コスモス,北京労働者体育場で中国チームと試合を行う。
DIA-104-1977-09-18-1中国1977年09月18日1970年代新華社記者論文「毛主席はプロレタリア報道事業のために伝家の宝を残した」―新華社創立以来の毛主席の指導を回顧。
DIA-104-1977-09-18-2中国1977年09月18日1970年代中共中央,「全国科学会議開催についての通達」を発出―1978年春に北京で開くこと,技術革命の重要な内容であること。4つの近代化のカギは科学技術の近代化であること,人材養成の基礎は教育にあること,国家科学技術委員会の設立を決定したこと,などを含む。24日,人民日報は,「全党を動員して,科学を大いに振興させよう」という社説を発表した。
DIA-104-1977-09-18-3中国1977年09月18日1970年代華主席,キルティ・ニディビスタ氏のネパール新首相就任に祝電。
DIA-104-1977-09-18-4中国1977年09月18日1970年代ニジェール国家元首訪中。21日,中国・ニジェール経済技術協力議定書に調印。
DIA-104-1977-09-19-1中国1977年09月19日1970年代日中長期貿易取決め推進委員会の設立準備会開く―委員長に稲山氏,顧問に土光,藤山両氏,総合,輸出,石油,原料炭,金融決済の5部会設置を予定。
DIA-104-1977-09-20-1中国1977年09月20日1970年代労働者の賃金引上げ10月より実施される―全国の40%の労働者の賃金が10月から15%~20%増加される。賃上げ対象は低所得者クラスの1級(33元),2級(39元)をそれぞれ2級,3級に昇給。(共同)
DIA-104-1977-09-20-2中国1977年09月20日1970年代人民日報,郵電部理論組論文「毛主席の指し示す人民郵電の方向へ勝利のうちに前進しよう」―今後の目標として今後3年で全国を結ぶケーブル搬送通信幹線とマイクロ波通信幹線を完全架設,全面使用し,全国2000余県市の電話自動化,回線搬送化,写真電送化,郵便配達のオートバイ化を基本的に実現し,85年までに郵電通信技術装備の電子化,自動化,機械化を全面的に実現する,と述べる。
DIA-104-1977-09-20-3中国1977年09月20日1970年代人民日報社説「10日間を大いにがんばろう」
DIA-104-1977-09-20-4中国1977年09月20日1970年代1~8月のトラクター,ハンドトラクターなど農業機械の生産は同期としては史上最高の水準に達す。
DIA-104-1977-09-20-5中国1977年09月20日1970年代中国の水利施設―本年北部では雨の降らない日が200日余り続き,干ばつ期間の長さ,被害面積の広さは過去20年最悪のものであった。全国の動力灌漑・排水総能力は4700万馬力に達し1965年の6倍に増加。現在華北地方には180万本の動力井戸がある。
DIA-104-1977-09-20-6中国1977年09月20日1970年代マシェ・エングェマ・ビョゴ・エングエ・エンドング大統領を団長とする赤道ギニア政府代表団,訪中。23日,中国・赤道ギニア経済技術協力協定に調印。
DIA-104-1977-09-21-1中国1977年09月21日1970年代人民日報,華副主席の詩「攻関」を掲載―同時に方毅政治局員の「『攻関』を読んで」という文章をかかげた。
DIA-104-1977-09-21-2中国1977年09月21日1970年代北京,天津,合肥,ハルビン,ウルムチなどで近代的空港の建設・拡張が行なわれている―北京空港で新滑走路が完成。合肥,天津,ハルビンで新空港の建設が進んでおり合肥,天津両空港は上海,北京の予備空港として役立つ予定。また上海,杭州,広州,ウルムチの拡張工事は終り,すでに使用中。
DIA-104-1977-09-21-3中国1977年09月21日1970年代全国測量・地図作成部門の「工業は大慶に学ぶ」会議が開催される―各省市自治区の測量・地図作成部門の指導幹部など350余人が出席。
DIA-104-1977-09-21-4中国1977年09月21日1970年代全国建築材料工業の「大慶に学ぶ」会議,ハルビンで挙行される。
DIA-104-1977-09-21-5中国1977年09月21日1970年代人民日報,第一機械工業部党中核グループ執筆論文「毛主席の継続革命の旗印を高くかがげて農業機械化の実現を早めよう」。
DIA-104-1977-09-21-6中国1977年09月21日1970年代華主席,ベトナムの国連加盟に祝電。
DIA-104-1977-09-22-1中国1977年09月22日1970年代光明日報,中国社会科学院論文,5月7日に中国科学院哲学社会科学部が社会科学院に昇格した,と述べる。
DIA-104-1977-09-22-2中国1977年09月22日1970年代華主席,北京市の養豚場と養鶏場を視察し機械化養豚,養鶏で重要指示を出す―この指示を受けて10月4日北京で55万人集会が開かれ,1981年までに全市の豚肉と鶏卵の自給を実現するために公社員の家庭養豚養鶏以外に郊外地区の工場,鉱山,水利施設管理単位ならびに財政,商業,機関,部隊などおよそ条件のあるところでは,様々の規模の機械化・半機械化養豚場,養鶏場を建設することを決定。
DIA-104-1977-09-22-3中国1977年09月22日1970年代一連の新しい高生産油井が生産開始―今年1~8月の原油産出量は昨年同期より10%,天然ガス24%それぞれ増加。
DIA-104-1977-09-22-4中国1977年09月22日1970年代人民日報社説「全国人民はみな建築材料工業が大発展することを希望している」
DIA-104-1977-09-22-5中国1977年09月22日1970年代譚震林全人代副委員長,共同通信加盟社編集長訪中団と会見―日中条約の締結の遅れにふれ「これは日中貿易の発展にかかわる。日本政府が決断しなければ四つの近代化を急ぐ中国はむしろ西欧諸国との貿易関係を強めてゆくだろう」と語った。
DIA-104-1977-09-23-1中国1977年09月23日1970年代全国科学会議予備会議が最近北京で開かれた―各省・市・自治区の党委員会,国務院各部委員会,解放軍総部,各軍種・兵種,国防科学委員会,各大軍区の責任者など200人が出席。
DIA-104-1977-09-23-2中国1977年09月23日1970年代中国・モザンビーク経済技術協力議定書に調印。
DIA-104-1977-09-24-1中国1977年09月24日1970年代人民日報社説「全党を動員して科学を大いに振興させよう」―「中共中央の通達」で提起された次の3点すなわち「4人組」によって解散させられた研究機関の復旧,党の知識分子政策の徹底,科学技術計画の策定に力を入れるようによびかけ。
DIA-104-1977-09-24-2中国1977年09月24日1970年代中国の2本目の電化鉄道・陽安鉄道完成―宝成鉄道の陽平関駅を起点とし,陜西省南部の安康に至る全長356kmの鉄道。1969年着工され本年6月25日に完成開通。
DIA-104-1977-09-24-3中国1977年09月24日1970年代物理学者,中国科学院副秘書長の銭三強教授は中国の科学技術が今世紀中に世界の先進水準に到達は可能と述べた。(新華社)
DIA-104-1977-09-25-1中国1977年09月25日1970年代華主席以下中央の指導者が,全国科学会議予備会議,全国大学専門学校の学生募集・科学研究計画・教材などの会議,全国測量・地図作成部門会議,新華社国内支社会議,などの出席者代表と会見した。
DIA-104-1977-09-25-10中国1977年09月25日1970年代フィリピン軍参謀長リメロ・C・エスピノ将軍夫妻の率いるフィリピン軍事代表団,訪中。
DIA-104-1977-09-25-11中国1977年09月25日1970年代北京―東京間気象回線設立に関する取決めに調印。北京で。
DIA-104-1977-09-25-2中国1977年09月25日1970年代章国清の軍総政治部主任就任が判明。
DIA-104-1977-09-25-3中国1977年09月25日1970年代人民日報社説「浪費に反対し,原材料などの消費を減らそう」―次の3つの面で成果をあげることが必要と述べた。①製品の質を上げること,②欠損を転換し収益を増やすこと,③製品の原材料,燃料,電力消費を減らすこと。少なからぬ主要工業製品の単位当り消費が本来の必要量を大きく上回り,一部の単位の指導者は材料の受け入れが無計画で消費に定量がなくせっかくの材料をへたな使い方をしているなどの重大な浪費現象が放置されている。またすべての企業は今年中に当該企業の消費の史上最低水準に到達しなければならず,節約計画が達成されず消費が定量を上回っているところは大慶型企業に評定してはならない。
DIA-104-1977-09-25-4中国1977年09月25日1970年代中国人民銀行が最近北京で全国銀行工作会議を開催。
DIA-104-1977-09-25-5中国1977年09月25日1970年代石炭工業部門,1~8月で21の新立坑を完成―このうち9つが年産30万トン以上のもので湖南,山東,陜西,上海,河北,吉林,河南,黒竜江などの省市に分布している。この新立坑の操業開始で,原炭年産500万余トンの生産能力が増強された。新立坑の半数近くは南部各省市自治区に分布している。
DIA-104-1977-09-25-6中国1977年09月25日1970年代湖北省で最近22万ボルトの高圧送電,変電プロジェクト完成―丹漢4回送電,変電プロジェクト。
DIA-104-1977-09-25-7中国1977年09月25日1970年代楊成武副総参謀長を団長とする中国軍事友好代蓑団ルーマニアを訪問。
DIA-104-1977-09-25-8中国1977年09月25日1970年代黄華外相を団長とする第32回国連総会中国代表団,ニューヨーク着。
DIA-104-1977-09-25-9中国1977年09月25日1970年代ブッシュ元中国駐在米連絡事務所長夫妻,中国人民外交学会の招きで訪中。
DIA-104-1977-09-26-1中国1977年09月26日1970年代新華社記者・通信員,「真紅の太陽が航程を照らす」―副題は「毛主席を深く慕う空軍指揮員・戦闘員。」
DIA-104-1977-09-26-2中国1977年09月26日1970年代全国の農業機械化急速に進む―全国に1600の農業機械製造工場がある。全国の98%の県,60%の生産大隊が農業機械修理製造の工場・ステーション・グループを持っている。南方では水田耕運船を普及している。
DIA-104-1977-09-26-3中国1977年09月26日1970年代鄧小平副主席,米国籍数学者陳省身教授と会見。
DIA-104-1977-09-26-4中国1977年09月26日1970年代稲山・劉希文会談で日中長期貿易取決めの早期締結に合意。
DIA-104-1977-09-26-5中国1977年09月26日1970年代第2回日中生糸・絹製品貿易交渉,基本事項で合意(通産省発表)。
DIA-104-1977-09-27-1中国1977年09月27日1970年代全国で数十の大中型プロジェクトが完成―燃料・動力工業は本年の基本建設投資の重点の一つ。安徽,山東,北京,甘粛,江西,新疆,内蒙古などで多くの新設の火力発電所と水力発電所が発電を始めた。年産100万トン以上の大型化学肥料工場が黒竜江,河北,四川で建設された。本年の化学肥料生産能力は建国以来最も大きく増えた。江蘇省の連雲港に2つの深水位ふ頭が建設された。9つの現代的な製糖工場が完成した。その新増加生産能力は17年来の最高。
DIA-104-1977-09-27-2中国1977年09月27日1970年代人民日報,李洪林論文「労働に応じて分配することは社会主義の原則なのかそれとも資本主義の原則なのか」
DIA-104-1977-09-28-1中国1977年09月28日1970年代1~8月の工業生産大幅に伸びる―1~8月の工業生産総額は前年同期より10%増加した。同じく原油生産量は10%増。軽工業製品は12%,トラクターとハンドトラクターはそれぞれ36.9%,39.8%の増加。化学肥料は27%の増加。鉄道輸送部門は8月までに年間計画の70%を達成。
DIA-104-1977-09-28-2中国1977年09月28日1970年代ポル・ポト・カンボジア共産党中央委員会書記・政府首相を団長とするカンボジア党・政府代表団,訪中―華主席と10万人の大衆が空港で歓迎。ポル・ポト氏は同日夜の歓迎宴でカンボジア革命の中で毛沢東思想を運用したこと,毛沢東思想の各論述を「有効で必勝不敗の武器であると確信する」と表明。4日,北朝鮮訪問,10月再び訪中し大寨,南京,無錫,蘇州を訪問し,10月22日上海より帰国。同氏は1975年6月にも訪中していたことが明らかにされた。
DIA-104-1977-09-28-3中国1977年09月28日1970年代ロジャーズ米元国務長官,中国人民外交学会の招きで訪中。
DIA-104-1977-09-28-4中国1977年09月28日1970年代中日友協が北京で中日国交正常化5周年祝宴開催,500人が参加。
DIA-104-1977-09-29-1中国1977年09月29日1970年代国務院弁公室が華僑・愛国同胞の国慶節祝賀団を招宴。
DIA-104-1977-09-29-2中国1977年09月29日1970年代中共中央,カンボジア共産党創立17周年に祝電。
DIA-104-1977-09-29-3中国1977年09月29日1970年代黄華外相,第32回国連総会で演説。
DIA-104-1977-09-29-4中国1977年09月29日1970年代ポルトガルのソアレス首相が華主席に外交関係樹立を求める親書を送る。(マカオ政庁スポークスマン談話―読売20日)
DIA-104-1977-09-29-5中国1977年09月29日1970年代日中間で「商標の保護に関する協定」に調印。
DIA-104-1977-09-29-6中国1977年09月29日1970年代日中協会,国交正常化5周年祝賀会開催,福田首相があいさつ。
DIA-104-1977-09-29-7中国1977年09月29日1970年代ニューヨークで日中外相会談。
DIA-104-1977-09-29-8中国1977年09月29日1970年代日経新聞の鮫島記者に対し,同氏は中国追放を受けたが,無実であったと李副総理がみとめる。
DIA-104-1977-09-30-1中国1977年09月30日1970年代華主席・総理が内外来賓3000人を招いて国慶節祝賀レセプションをおこなう―華主席は席上,あいさつをおこなった。ポル・ポト書記以下カンボジア代表団も出席した。
DIA-104-1977-09-30-2中国1977年09月30日1970年代稲山・劉希文第2回会談,長期貿易取決めの大ワクが固まる―一般炭を追加,原油は5年問の数量をまず決める,など。
DIA-104-1977-10-01-1中国1977年10月01日1970年代3紙誌共同社説,「社会主義の現代化された強国を建設するために奮闘しよう」
DIA-104-1977-10-01-2中国1977年10月01日1970年代北京で園遊交歓会,花火大会が開かれ,華主席以下の指導者,内外の人士が参加。
DIA-104-1977-10-01-3中国1977年10月01日1970年代国慶節に対しソ連最高会議幹部会,政府の連名で中国人民代表大会常務委員会,国務院あてに祝電を送る。その中で「ソ連は両国関係の改善に応じる用意がある」と述べた。
DIA-104-1977-10-01-4中国1977年10月01日1970年代華主席,天安門楼閣で4人の副主席と共に藤山,黒田,宮崎,木村武雄各氏,西園寺公一夫妻と会見。
DIA-104-1977-10-03-1中国1977年10月03日1970年代甘粛省の白竜江に大型水力発電所完成―碧口水力発電所
DIA-104-1977-10-03-2中国1977年10月03日1970年代中国西南部最大の水力発電所―嘴発電所が四川省の大渡河に完成。1971年に1台目の発電機が据え付けられ,現在7台目の発電機の据え付け工事がすすめられている。
DIA-104-1977-10-03-3中国1977年10月03日1970年代全国で鉄道のディーゼル化,電化すすむ―北京~瀋陽,北京~広州,北京~上海,上海~杭州,ハルビン~大連の幹線の旅客列車はディーゼル機関車がけん引している。宝成鉄道(宝鶏~成都間)670kmは電気機関車が使用されている。
DIA-104-1977-10-03-4中国1977年10月03日1970年代国連アジア大平洋経済社会委員会(ESCAP)のジュアン・マラミス事務局長夫妻,訪中。
DIA-104-1977-10-03-5中国1977年10月03日1970年代ディン・トク・チェン石油天然ガス相を団長とするベトナム石油視察団,訪中。
DIA-104-1977-10-03-6中国1977年10月03日1970年代日中協会友好訪中団(茅,岡崎,門脇氏ら)が訪中―7日まで。
DIA-104-1977-10-04-1中国1977年10月04日1970年代中国科学院は最近,数学研究所の陳景潤氏を研究員に,楊楽,張広厚両氏を副研究員に昇格させた。
DIA-104-1977-10-04-2中国1977年10月04日1970年代中国農林部,華北中原地区平原緑化現場会議開く―河南省で。1980年までに「四傍」の緑化と農地の林網化を基本的に実現する決意を表明。
DIA-104-1977-10-04-3中国1977年10月04日1970年代アハマド・アビジョ大統領を団長とするカメルーン連合共和国代表団訪中。6日華主席と会見。8日,経済技術協力協定に調印。10日南京経由で帰国。
DIA-104-1977-10-05-1中国1977年10月05日1970年代中共中央,「各級党学校をりっぱに運営することについての決定」を発出。
DIA-104-1977-10-06-1中国1977年10月06日1970年代3紙誌共同社説,「『4人組』を摘発・批判する偉大な闘争を最後まで進めよう」―第3の戦役,すなわち「『4人組』の反革命修正主義路線の極右の本質と,各方面におけるその現われをつっこんで摘発・批判する人民戦争」に突入することを指示。
DIA-104-1977-10-06-2中国1977年10月06日1970年代人民日報,対外貿易部論文「毛主席の偉大な旗印を高く掲げて多く,はやく,りっぱに,むだなく対外貿易を発展させよう」
DIA-104-1977-10-07-1中国1977年10月07日1970年代人民日報,楊逢春,葉揚,陳中論文,「『4人組』によって転倒された幹部路線の是非を正そう」―「4人組」によって押しつけられた中傷やぬれ衣はすべてくつがえされるべきだ,と要求。
DIA-104-1977-10-07-2中国1977年10月07日1970年代全国農村の4級農業科学実験網の発展―全国の半数以上の県,人民公社,生産大隊,生産隊に農業科学研究組織が設立されており,参加人員は1400万人に達し,約270万ヘクタールの試験田,多収穫田,優良品種田をつくっている。県には農業科学研究所,人民公社には農業科学ステーション,生産大隊には農業科学隊,生産隊には農業科学研究組織があり,これが4級科学実験網と呼ばれている。
DIA-104-1977-10-07-3中国1977年10月07日1970年代許家屯江蘇省党第一書記を団長とする中国共産党活動家代表団,ルーマニア訪問。
DIA-104-1977-10-07-4中国1977年10月07日1970年代王宗傑国務院環境保護指導小組弁公室責任者を団長とする中国環境保護視察団,西ドイツを訪問。
DIA-104-1977-10-07-5中国1977年10月07日1970年代鄧小平副主席,自衛隊OB有志訪中団と会見―国防近代化のため兵器騰入を示唆。
DIA-104-1977-10-08-1中国1977年10月08日1970年代人民日報,サイフディン論文「新疆各民族人民は心から毛主席をしのぶ」―毛主席の新疆への配慮について回顧。
DIA-104-1977-10-08-2中国1977年10月08日1970年代八宝山で林楓元中央委員の追悼式―9月29日長期療養の効なく北京で逝去,71歳。
DIA-104-1977-10-08-3中国1977年10月08日1970年代北京市科学技術会議が開催される。14日まで。
DIA-104-1977-10-08-4中国1977年10月08日1970年代耿中央対外連絡部部長,バングラデシュ共産党(マルクス・レーニン主義)の指導者モハマド・トーハ夫妻と会見。
DIA-104-1977-10-09-1中国1977年10月09日1970年代中共中央党学校開校式を挙行―汪副主席が司会,華主席と葉副主席が重要演説をおこない,胡副校長があいさつをおこなった。党のすぐれた学風の回復を訴えたもの。同校校長は華主席,第1副校長は汪副主席,副校長は胡耀邦中央委員。
DIA-104-1977-10-09-2中国1977年10月09日1970年代人民日報,羅瑞卿論文「長征の途上での重大な路線闘争」―林彪が彭徳懐と結んでおこなった反党活動を暴露。
DIA-104-1977-10-10-1中国1977年10月10日1970年代全国の人民公社,生産大隊経営企業,109万に達する―全国農村の90%の人民公社と70%の生産大隊が計109万の企業を経営している。企業で労働に参加している公社員は1700万人余に達す。1976年の社隊企業の総生産額は公社,生産大隊,生産隊の3級の経済収入の23.1%を占め,一部の省市では30%から40%以上に達している。湖南,湖北,江蘇,広西,北京,上海の6省・市・自治区では全ての人民公社が企業を経営している。
DIA-104-1977-10-10-2中国1977年10月10日1970年代順調な中国の鉄道部門―8月末,全国重点炭鉱の石炭輸送任務を完遂。
DIA-104-1977-10-11-1中国1977年10月11日1970年代タイ前首相ククリット氏,中国人民外交学会の招きで訪中―13日華主席が同氏と会見。
DIA-104-1977-10-12-1中国1977年10月12日1970年代中共湖南省第4回代表大会開催―18日まで長沙で開かれた。省党第4期委第1回総会は第一書記毛致用以下,書記に万達,張立憲,孫国治,劉夫生,趙処瑛,王治国,董志文,(省党委規律検査委書記は趙処琪が兼任)を選出した。総会は,「指導作風改善に関する決定」を採択した。
DIA-104-1977-10-12-2中国1977年10月12日1970年代開炭鉱,9月の平均日産量が5万トンに達し,石炭49万8000トン余を多く生産し国家計画を達成。12月までに原炭の日産量を地震前の水準まで回復させることに努力中。
DIA-104-1977-10-12-3中国1977年10月12日1970年代湖南省の党第4回代表大会で経済政策が討議される―1980年までに湖南省を初歩的に社会主義工業省に築く具体的目標が提起され,1985年までに工業省建設を新たな,より高い水準に引き上げる構想を打出した。代表たちは所属地区・単位の工農業発展計画を練り直し,電力,石炭,鉄鋼,農業機械の生産を向上させる4つの大会戦をくりひろげる必要性を討議。
DIA-104-1977-10-12-4中国1977年10月12日1970年代西ドイツのゲンシャー外相,訪中。14日華主席と会見。
DIA-104-1977-10-13-1中国1977年10月13日1970年代中国人民革命軍事博物館の3歴史館がすでに開館―第2次国内革命戦争館,抗日戦争館,第3次国内革命戦争館がそれである。
DIA-104-1977-10-13-2中国1977年10月13日1970年代新華社記者論評「農村の副業生産を速やかに発展させよう」―近年多くの地区に建設されている人民公社生産大隊の経営する副業生産センターを強化発展させるべきことを強調。
DIA-104-1977-10-13-3中国1977年10月13日1970年代「紅旗」10号李強論文「路線の是非をはっきりさせ,社会主義貿易を発展させよう」―主な論点として①輸出商品の品目,数量を拡大するために輸出商品生産センター,輸出工業製品の専門工場,などを発展させること,②第三世界と競合する原材料や製品の輸出では価格を統一させ超大国に操つられないようにする。
DIA-104-1977-10-13-4中国1977年10月13日1970年代国務院の指示により,工業製品検査基準が一斉に引き上げられる―実施時期は企業,地域,製品によってばらつきがあるが,いずれも従来より3~5%程度引上げ,トラクター組み立て,鍛造両部門の合格率98%を筆頭に,機械加工97%,鋳造85%とかなり高い水準に引き上げられた。(日経新聞,安陽発)
DIA-104-1977-10-14-1中国1977年10月14日1970年代鍾夫翔郵電部部長を団長とする中国郵電代表団,アルバニア訪問。23日からイタリア訪問。
DIA-104-1977-10-14-2中国1977年10月14日1970年代シンネルグレン・スウェーデン軍最高司令官夫妻,訪中。
DIA-104-1977-10-14-3中国1977年10月14日1970年代日中長期貿易取り決め推進委員会の設立総会開催。
DIA-104-1977-10-14-4中国1977年10月14日1970年代鄧小平副主席,二階堂進氏と会談。
DIA-104-1977-10-15-1中国1977年10月15日1970年代広東省で科学・教育工作会議を開催―広東省技術委員会と広東省科学院の設置,省科学技術協会と各専門学会の活動の再開を決定。
DIA-104-1977-10-15-2中国1977年10月15日1970年代1977年秋季広州交易会,開催される。11月15日まで。
DIA-104-1977-10-16-1中国1977年10月16日1970年代このほど陜西省周原地区で西周初期の甲骨1万5000片余が発見された。
DIA-104-1977-10-17-1中国1977年10月17日1970年代最近,北京で全国自然科学学科計画会議を開催―数学物理学,化学,天文学,地学,生物学など基礎科学の発展計画を策定。
DIA-104-1977-10-17-2中国1977年10月17日1970年代米サッカーチームのニューヨーク・コスモス,北京労働者体育場で中国チームと試合を行う。
DIA-104-1977-10-18-1中国1977年10月18日1970年代人民日報,「国家体育運動委員会は『4人組』のブルジョァ派閥体系を徹底的に粉砕した」―同委は「4人組」がかく乱,破壊をおこなった「重災区」であり,闘争の結果深く潜んでいた反動派閥の中核分子が1人1人白日のもとにさらけ出された。目下審査活動と革命的大批判に力を入れている。
DIA-104-1977-10-18-2中国1977年10月18日1970年代「解放軍報」編集者論評「『ウソ』にメスを入れ文風を整頓する」―具体的に「4人組」による真実報道の歪曲の影響の深刻さを指摘。
DIA-104-1977-10-18-3中国1977年10月18日1970年代「人民教育」誌10月号から創刊さる。
DIA-104-1977-10-18-4中国1977年10月18日1970年代ヒース・イギリス元首相,訪中―20日,華主席と会見。その席で華主席は「中国は連合した強大な欧州の出現を希望している。欧州もまた中国の強大化を希望していると信ずる」と述べる。
DIA-104-1977-10-19-1中国1977年10月19日1970年代空軍は「雷鋒型の飛行士」王冠揚に学ぶ運動を展開―王冠揚は事故機を人家から離れた地点に着陸させるために重傷を負う危険を犯すことも恐れなかった。
DIA-104-1977-10-19-2中国1977年10月19日1970年代中国科学技術大学に研究生院が創設された。
DIA-104-1977-10-20-1中国1977年10月20日1970年代全国大学・専門学校学生募集会議,今年の学生募集について意見を提出―この意見にもとづいて学生募集に改革がなされた。21日,人民日報は「大学の学生募集をりっぱにおこなうことは全国人民の希望である」という社説をかかげた。
DIA-104-1977-10-20-2中国1977年10月20日1970年代空前の規模に展開されている社会主義労働競争―都市間,地区間,企業間,企業内部の職場間,班組間,科室間,個人間でそれぞれの特徴,生産,技術開発の必要に基づいて流動赤旗競争,生産ライン競争,小指標競争,技術難関攻略競争,技術操作競争,対抗競争などが幅広く繰りひろげられている。
DIA-104-1977-10-20-3中国1977年10月20日1970年代中共農林部中核グループ論文「毛主席は我々に農業発展の道をさし示した」
DIA-104-1977-10-20-4中国1977年10月20日1970年代英保守党議員モーリス・マクミラン氏夫妻,訪中。
DIA-104-1977-10-20-5中国1977年10月20日1970年代フィリピン中国理解協会代表団(団長:会長ゴコ夫人,副団長ロペス副会長)訪中。
DIA-104-1977-10-20-6中国1977年10月20日1970年代ソマリアの中国援助の国道(総延長228km)が完成,引渡し式挙行。
DIA-104-1977-10-20-7中国1977年10月20日1970年代日本造船工業展覧会開幕―上海で11月3日まで。
DIA-104-1977-10-20-8中国1977年10月20日1970年代自民党訪中経験者,日中平和友好条約促進協議会(小坂善太郎会長)を設置。
DIA-104-1977-10-21-1中国1977年10月21日1970年代人民日報,教育部批判組論文,「北京・清華大学大批判組の『改ざん』を批判する」―1975年11月の「教育革命の方向の改ざんは許されない」という論文を系統的に批判。
DIA-104-1977-10-21-2中国1977年10月21日1970年代山東省党委員会,最近全省社会主義革命社会主義建設積極分子大会開く―19の先進集団と10人の先進的個人を選出,これに学ぶよう呼びかけた。
DIA-104-1977-10-21-3中国1977年10月21日1970年代教育部責任者,新華社記者に大学専門学校の学生募集について説明―高卒新卒者も約20~30%募集すること,合格・不合格に対して2つの心構えを持つべきこと,などを説明。
DIA-104-1977-10-21-4中国1977年10月21日1970年代鄧小平副総理,AFP通信社社長と会見,国際情勢について語る―①ソ連の起す世界大戦の発生を遅らせるために第三,第二世界に第一世界の米国を含めた反ソ統一戦線を結成すべきだ②ユーロコミュニズム(フランス,イタリア,スペインの共産党)をマルクス・レーニン主義の党と考えていないし,対ソ融和政策を強調するこれら共産党の政権担当と政権参加を欲しない,③中ソ国境交渉はなんらの成果も生んでいない,と述べる。
DIA-104-1977-10-22-1中国1977年10月22日1970年代長白山地区に全長149kmの煙白線完成。煙筒山―白山鎮間。
DIA-104-1977-10-22-2中国1977年10月22日1970年代安徽省淮北発電所の12万5000キロワット二重内部水冷式蒸気タービン発電機一台の据えつけ完成。
DIA-104-1977-10-22-3中国1977年10月22日1970年代人民日報評論員論文「大衆の生活に関心をよせ増産増収をはかろう」
DIA-104-1977-10-22-4中国1977年10月22日1970年代桂林の新駅完成。
DIA-104-1977-10-22-5中国1977年10月22日1970年代王尚栄副総参謀長を団長とする中国軍事友好代表団,チュニジア訪問。
DIA-104-1977-10-22-6中国1977年10月22日1970年代中国,シンガポールから天然ゴム2万1295トンを購入。(香港大公報)
DIA-104-1977-10-23-1中国1977年10月23日1970年代第4期全国人民代表大会常委第4回会議開催―24日まで。23日午前華主席が演説し,党中央を代表し来年春に第5期全国人民代表大会をくり上げて開催することについて提案した。同時に政治協商会議第5期全国委員会も開催することを提案した。同日午後余秋里副総理は,「国民経済の発展状況について」という演説をおこなった。24日午前はグループ別討議,午後の全体会議で第5期全人代第1回会議開催に関する決定を全会一致で採択した。
DIA-104-1977-10-23-2中国1977年10月23日1970年代鄧小平副総理,米中関係全国委員会理事会代表団と会見。
DIA-104-1977-10-23-3中国1977年10月23日1970年代李先念副総理,藤山団長をはじめとする国貿促の経済貿易訪中団と会見―李副総理は旧式工場改造に日本の協力を要請,預金の預け合いについては金利の高さに問題があると指摘。
DIA-104-1977-10-24-1中国1977年10月24日1970年代中共チベット自治区第2回代表大会開く―27日までラサで。526人の各民族代表が出席,第2期委員会を選出,同委第1回総会は第1書記に任栄,書記にティエンパオ,楊東生,郭錫蘭,晋武,パサン,ラグデ,副書記に陳卓,宋子元を選出。
DIA-104-1977-10-24-2中国1977年10月24日1970年代人民日報,黒竜江省集賢県委の「やたらに飲み食いすることを禁ずる決定」とその成果を報道,「うまくこの悪習に歯止めをかけた」という評論員論評をかかげた。
DIA-104-1977-10-24-3中国1977年10月24日1970年代第4期全国人民代表大会常務委員会第4回会議における余秋里副総理の報告「わが国国民経済の発展状況」―参考資料参照。
DIA-104-1977-10-24-4中国1977年10月24日1970年代人民日報,対外経済連絡部理論学習組執筆グループ論文「毛主席の偉大な旗印を高くかかげてプロレタリア国際主義を堅持しよう」
DIA-104-1977-10-25-1中国1977年10月25日1970年代ニュージーランドのプライアン・E・トルボーイズ副首相・外相・外国貿易相が訪中。
DIA-104-1977-10-25-2中国1977年10月25日1970年代張香山を団長とする中国報道界代表団が訪日―日本外務省の招待。
DIA-104-1977-10-26-1中国1977年10月26日1970年代人民日報評論員論文「速度問題は政治問題である」。
DIA-104-1977-10-26-2中国1977年10月26日1970年代中国政府経済貿易代表団,ラオス訪問。29日,中国,ラオス,無利子借款供与に関する協定に調印。
DIA-104-1977-10-27-1中国1977年10月27日1970年代江西省軍民1万人が井岡山革命根拠地創設50周年記念集会を開く―井岡山の茨坪で。江西省では最近毛主席の革命実践記念館100余を開館した。
DIA-104-1977-10-27-2中国1977年10月27日1970年代華主席,スリランカ首相特使と会見。中国,スリランカ,1978年バーター議定書に調印。
DIA-104-1977-10-27-3中国1977年10月27日1970年代鄧穎超人代常務委員会副委員長,タイ王族代表団(団長:シリラタナ・ブンボン王女)と会見。
DIA-104-1977-10-27-4中国1977年10月27日1970年代W・リンドナー書記を団長とするオーストリア共産主義同盟訪中団が訪中。
DIA-104-1977-10-28-1中国1977年10月28日1970年代人民日報,軽工業部理論組論文「わが国軽工業発展の根本の道」
DIA-104-1977-10-28-2中国1977年10月28日1970年代基本建設工兵水文地質一斉調査部隊(1974年末に成立)は1980年までに全国の主要地区の水文地質状況をはっきりさせる目標を樹立。
DIA-104-1977-10-28-3中国1977年10月28日1970年代中国,米国から1977~78年度積み綿花買付けを一万俵追加―年度合計19万3200俵に。
DIA-104-1977-10-28-4中国1977年10月28日1970年代中国,スリランカ,貿易支払い協定,1978年バーター支払い議定書に調印。
DIA-104-1977-10-29-1中国1977年10月29日1970年代人民日報評論員論文,「摘発・審査活動を最後までやりぬこう」―今年中あるいはもう少しの期間で摘発・審査を基本的にやり終えるよう要求。
DIA-104-1977-10-29-2中国1977年10月29日1970年代北京市で殺人罪などの罪で10人を処刑(AFP)
DIA-104-1977-10-29-3中国1977年10月29日1970年代文化部と教育部,「全国芸術大学,専門学校の1977年度学生募集に関する通達」を発出。
DIA-104-1977-10-29-4中国1977年10月29日1970年代人民日報,楊益言論文「江青はなぜ『紅岩』を圧殺したのか」―江青が自からを女主人公にしようとし,作者がその要求に反対したために10年間刊行を停止されたという。
DIA-104-1977-10-29-5中国1977年10月29日1970年代斉兌超郵電部電信総局副局長を団長とする中国電信代表団,カンボジアを訪問。
DIA-104-1977-10-29-6中国1977年10月29日1970年代中国・イラン貿易合同委員会開催される。
DIA-104-1977-10-29-7中国1977年10月29日1970年代ベトナムで中国援助の窒素肥料工場が完成―ハバク窒素肥料工場。
DIA-104-1977-10-29-8中国1977年10月29日1970年代徐向前副委員長が第1回海軍出身者訪中団と会見。
DIA-104-1977-10-30-1中国1977年10月30日1970年代人民日報評論員論文「高い品質がなければ,高速度はない」―品質が悪ければ生産の速度が早くても意味がないと警告。
DIA-104-1977-10-30-2中国1977年10月30日1970年代「プラウダ」ゲオルギエフ評論員論文「反ソ主義の陰にかくれて」―中国の政策は「反ソ主義を基礎に,北京と無原則な取引をしようとしている諸国を含あて,すべての国への脅威となることを忘れてはならない」と警告。
DIA-104-1977-10-31-1中国1977年10月31日1970年代人民日報,衛生部党組織論文,「毛主席の革命路線に沿って前進しよう」
DIA-104-1977-10-31-2中国1977年10月31日1970年代大字報によると,最近昆明で47人の罪入のうち23人が処刑された―死刑は刑事犯罪および反革命組織結成によるとされる。(旅行者談,ロイター)
DIA-104-1977-10-31-3中国1977年10月31日1970年代人民日報,黒竜江省哲学社会科学研究所,〓時論文―ソ連のシベリアと極東の開発は覇権争奪の野心のあらわれと批判。
DIA-104-1977-11-01-1中国1977年11月01日1970年代人民日報編集部論文「毛主席の三つの世界の区分についての理論はマルクス・レーニン主義に対する大きな貢献である」―参考資料参照。
DIA-104-1977-11-01-2中国1977年11月01日1970年代符浩駐日大使,ソ連大使館を訪問,ポリヤンスキー大使と会談。
DIA-104-1977-11-02-1中国1977年11月02日1970年代人民日報記者,「冶金工業部,ブルジョア派閥体系をたたきつぶして大勝利をかちとる」―派閥審査任務の達成,派閥体系を徹底的にたたきつぶした規準として次の項目をあげる。①階級戦線がすでにはっきり分かれ,各単位の指導権が真にプロレタリア階級の手中にある。②「4人組」が人びとにかけた精神的カセを打破し,大衆が真に立ち上っている。③「4人組」の党をのっとり,国家権力を奪う陰謀活動とかかわりのあった者と事実が真に1人ひとり,1件1件はっきり調べがついている。④派閥体系の中核分子の多くが罪状をみとめ,服罪し,ごく少数の侮い改めない中核分子がすでに完全に孤立している。⑤広範な幹部,大衆の積極性がすでに引き出され,革命が生産を促し,機関の革命化が著しく進み,生き生きとした活発な政治局面が現われ始めている。国務院はこれまで各重点企業に工作組を派遣し,大きな変化をもたらした。
DIA-104-1977-11-02-2中国1977年11月02日1970年代中国人民対外友好協会と中ソ友好協会,10月革命60周年記念映画会を開催。
DIA-104-1977-11-03-1中国1977年11月03日1970年代人民日報,国家基本建設委員会理論組論文「毛主席の革命路線のみちびきの下,深く設計革命を展開しょう」
DIA-104-1977-11-03-2中国1977年11月03日1970年代マルタのミントフ首相,訪中―華主席ら数千人が空港に出迎え。5日,華主席と会見。6日南寧訪問,7日広州より帰国。6日,中国・マルタ経済技術協力議定書に調印。
DIA-104-1977-11-03-3中国1977年11月03日1970年代中国・ベトナム,1977~1978年科学技術協力計画に関する議定書に調印。
DIA-104-1977-11-03-4中国1977年11月03日1970年代中国・アルバニア科学技術協力合同委員会17回会議の議定書に調印。
DIA-104-1977-11-04-1中国1977年11月04日1970年代王震副総理,最近英経済界代表団に垂直離陸戦闘機ハリアー購入の希望を表明。
DIA-104-1977-11-04-2中国1977年11月04日1970年代李先念副総理,T・S・クー氏(ストレート・タイムズ編集局長)の率いるシンガポール・ジャーナリスト代表団と会見―李副総理は「中国は東南アジア諸国連合を支持している」「タイはカンボジアを恐れる必要はない」,「ASEANはインドシナ諸国との関係を徐々に改善していけるだろう」と述べる。
DIA-104-1977-11-04-3中国1977年11月04日1970年代福田首相,中国報道界代表団と会談―首相は日中平和友好条約について,①日中共同声明を基礎に法律的にしっかりした条約を作り,なるべく早く調印したい,②日中はある意味で運命を同じくする関係にあり,互いの信頼を深めることが大切,と述べる。
DIA-104-1977-11-05-1中国1977年11月05日1970年代人民日報,文化部批判組論文,「『4人組』の血盟の徒・于会泳の素性をあばく」
DIA-104-1977-11-05-2中国1977年11月05日1970年代北京大学に,同大学の人代代表選挙やり直し要求の大字報出現(共同)。
DIA-104-1977-11-05-3中国1977年11月05日1970年代河南省で中央委員に再選されたばかりの耿起昌が解任された(共同)。
DIA-104-1977-11-05-4中国1977年11月05日1970年代解放軍基本建設工程兵が最近北京で工作会議を開催。
DIA-104-1977-11-05-5中国1977年11月05日1970年代人民日報評論員論文「職員,労働者,家族を積極的に組織して集団副業生産をりっぱにやろう」―玉門油田における経験を紹介。
DIA-104-1977-11-05-6中国1977年11月05日1970年代劉西堯教育部長,日本学術訪中代表団と会見。
DIA-104-1977-11-05-7中国1977年11月05日1970年代日本政府と日立が大型コンピューターの対中輸出に関し米政府と接触,米の輸出への「反対」を確認。
DIA-104-1977-11-06-1中国1977年11月06日1970年代10月の全国鉄鋼生産,28年来の最高月産記録をつくる―全国の冶金部門は10月の鋼,鉄,鋼材,鉄鉱石,コークスなど主要製品の国家計画を達成あるいは超過達成した。
DIA-104-1977-11-06-2中国1977年11月06日1970年代人民日報,交通部理論組論文「毛主席の遺訓を実現し,交通の現代化建設を速めよう」―中国の現在の交通運輸手段はそのなかの比較的先進的部分をとっても先進工業国の50年代の水準にしか相当していない。今後,すみやかに高速道路の建設に着手し,道路輸送を徐々に高速,大型専用化,トレラー化していかなければならない。
DIA-104-1977-11-06-3中国1977年11月06日1970年代人民日報,新華社記者論評「金融管理を強化し,国民経済の高速度発展を促そう」―企業流動資金の流用などの企業資金の乱用,財政制度に違反した支出などを禁止して銀行は金融管理を強化しなければならない。
DIA-104-1977-11-06-4中国1977年11月06日1970年代全国人民代表大会常務委員会と国務院,ソ連最高会議幹部会と閣僚会議に対し10月革命60周年の祝電を送る。
DIA-104-1977-11-06-5中国1977年11月06日1970年代人民日報,常林,「かくの如き『善隣友好者』」―ソ連専管水域でのソ連の日本漁船に対する「海賊」行為を論評。
DIA-104-1977-11-07-1中国1977年11月07日1970年代中華医学会,北京の医師たちと青少年2000人余の座談会開く。
DIA-104-1977-11-07-2中国1977年11月07日1970年代全国自然科学学科計画会議が北京で開催される―中国科学院,大学・高等専門学校,中央機関・部・委員会,各省・市・自治区科学技術部門220単位の代表1200人が出席。会議は6大基礎学科と各分科および関係新興学科の計画を策定し,これを基礎に全国基礎科学計画要綱(草案)を提出。
DIA-104-1977-11-07-3中国1977年11月07日1970年代第4機械工業部主催の「工業は大慶に学ぶ」全国電子工業会議が北京で開催される―全国の電子工業の関係者ら2500余人が出席。12月4日まで。閉幕式には李先念,余秋里両副総理と粟裕,羅瑞卿両中央軍事委員会責任者が出席。
DIA-104-1977-11-07-4中国1977年11月07日1970年代人民日報短評「厳格に経済契約を執行しなければならない」―いくらかの単位で国家経済契約の執行が十分に行なわれていないと注意。
DIA-104-1977-11-07-5中国1977年11月07日1970年代人民日報,紅旗,解放軍報三紙誌共同社説「10月革命の旗印は無敵である」
DIA-104-1977-11-07-6中国1977年11月07日1970年代黄華外相,北京のソ連大使館で開かれたロシア革命60周年のレセプションに出席。文革以来11年振り。
DIA-104-1977-11-07-7中国1977年11月07日1970年代北京のテレビ放送,ロシア民謡を放送。また映画館ではソ連初期の劇映画も上映された。
DIA-104-1977-11-07-8中国1977年11月07日1970年代アブデル・ラチフ・イッサ農業次官を団長とするエジプト農業代表団,訪中。
DIA-104-1977-11-07-9中国1977年11月07日1970年代北京で仏女性と中国人青年の結婚式がおこなわれた。
DIA-104-1977-11-08-1中国1977年11月08日1970年代中国初のデジタル衛星通信地上局が完成し,送受信を開始―これを使って衛星から受信した2チャンネルのカラー・テレビの画像は鮮明で音質もよい。またこれにより北京から遠隔地へのファクシミリ伝送,放送とテレビ番組の伝送など問題を解決。
DIA-104-1977-11-08-2中国1977年11月08日1970年代人民日報評論員論文「科学技術計画をりっぱにやり,世界の高峰に登ろう」
DIA-104-1977-11-08-3中国1977年11月08日1970年代石油化学工業部が組織した「大慶に学ぶ」検査団,15日間にわたり勝利油田の大検査を行う―半月間の間に調べた大小様々の問題の整頓改革を援助し,同油田が大慶型企業の規準に向って前進するのを促した。その後,検査団は9つの分団に分れて全国の油田・製油所の検査に赴いた。これは石油化学工業部が10月初めに電話会議を開き,全国の各石油化学企業に大慶型企業の6つの規準に照らして,検査を行い,整頓・改革を行うよう出した通達にそって行なわれたもの。その検査は第4期全人代常務委員会第4回会議で余秋里副総理の提起した企業整頓の基準と大慶型企業の6つの規準に従って各末端単位と持ち場での作業状況を検査するかたちで行なわれた。
DIA-104-1977-11-08-4中国1977年11月08日1970年代南方各地でナタネ作付面積を拡大。湖南,湖北,江蘇など9省で多毛作指数を高めて作付面積を昨年より20%以上拡大した。
DIA-104-1977-11-08-5中国1977年11月08日1970年代王詢採鉱全国委員会委員を団長とする中国採鉱全国委員会代表団,インド訪問。
DIA-104-1977-11-08-6中国1977年11月08日1970年代「赤旗」,「日中友好の原則と革命運動での相互不干渉の問題」という論文を発表。
DIA-104-1977-11-09-1中国1977年11月09日1970年代湖南省第5期人民代表大会,長沙で開幕―1252人の代表が参加,16日まで開かれた。省革命委員会を選出,第5期全国人民代表大会への代表を選出した。8日から18日まで政治協商会議湖南省第4期委員会第1回全体会議も開催された。
DIA-104-1977-11-09-2中国1977年11月09日1970年代賃金引上げの公式報道―賃上げは全労働者・職員の46%に適用。対象には工業労働者,商業・サービス業種の労働者・職員,教師,科学技術関係者,医療関係者,文学・芸術関係者,政府職員が含まれている。重点は勤続年数が長く賃金のかなり低い労働者・職員におかれ,収入が90元以上の人は含まれていない。
DIA-104-1977-11-09-3中国1977年11月09日1970年代安徽省南部地区最大の火力発電所―青戈江陳村水力発電所(15万1000kW)完成。
DIA-104-1977-11-09-4中国1977年11月09日1970年代新疆ウィグル自治区で最近科学技術会議が開催される。
DIA-104-1977-11-09-5中国1977年11月09日1970年代人民日報評論員論文「生産指揮は権威がなければならない」―生産指揮系統を強化し,指揮・指導の権威を確立せよと呼びかけ。
DIA-104-1977-11-09-6中国1977年11月09日1970年代「紅旗」11号,銭正英論文「電力は先行しなければならない」―電力工業の発展を早めることは都市,農村の電気化と主要工業部門の生産自動化を実現するのに非常に重要な意義がある。新興の化学工業の発展,冶金工業技術の進歩,その他工業,交通,農業部門の機械化,自動化,電気化の方向への前進は電力にますます強い要求をつきつけている。産炭地では坑口発電所を大いに発展させ石炭,電力の総合開発を実行し,鉄道輸送の負担を減らさなければならない。また「石煤」やボタを多く含んだ「煤石」,オイルシェールなど低品位燃料を利用して発電を大いに行なわねばならない。現在一方で電力がひっ迫し,他方では電力を浪費している現象がみられるので,各級電力部門は電力の計画的使用,節電に力を入れなければならない。
DIA-104-1977-11-10-1中国1977年11月10日1970年代湖北省の国営農場,赤字経営から黒字経営へ転じる―3年前まで10農場のうち9の農場が赤字で増産増収は難しかったが,現在では全省46の農場のうち44が増産増収となった。
DIA-104-1977-11-10-2中国1977年11月10日1970年代四川省機械工業局,一連の措置をとって赤字企業を黒字企業に転換するのに成果をあげる―9月末までで全省機械工業の欠損企業のうち38%の企業を国家へ利潤を上納できるようにし,30%の企業を収益を上げ始めるようにした。
DIA-104-1977-11-10-3中国1977年11月10日1970年代インドネシア商務省と商工会議所の合同代表団,訪中―広州交易会に参加し,中国にインドシア商工会議所の代表部を設置することについて交渉する予定。
DIA-104-1977-11-10-4中国1977年11月10日1970年代中国・カンボジア,通信ライン開設についての議定書に調印。
DIA-104-1977-11-11-1中国1977年11月11日1970年代M・バルチッチ共産主義者同盟中央委幹部会員を団長とするユーゴ労働総同盟代表団,訪中。
DIA-104-1977-11-11-2中国1977年11月11日1970年代千代田化工・三井物産,中国向け天然ガス精製プラント輸出成約―総額約50億円,3年後に完成。
DIA-104-1977-11-11-3中国1977年11月11日1970年代外務省筋,日中条約交渉に当っては何らかの形で「中ソ条約の消滅」を確認したい意向を表明(読売)。
DIA-104-1977-11-12-1中国1977年11月12日1970年代中山公園で孫中山先生生誕111周年記念式典を挙行―烏蘭夫が中共中央統一戦線部長として出席。上海,南京,広州,武漢の各界の人びとも記念式典を挙行した。
DIA-104-1977-11-12-2中国1977年11月12日1970年代党中央が北京大に新書記を派遣,紛争解決に努力―周林,高鉄,偉明の3人を派遣した。北京大は革命委員会を廃し,校長制を採用,教授,助教授,教師,助教のシステムも採用の方針(共同)。
DIA-104-1977-11-12-3中国1977年11月12日1970年代遼寧省科学大会予備会議,開催される。
DIA-104-1977-11-12-4中国1977年11月12日1970年代全国の小型セメント工業,年間計画を繰り上げ超過達成―年間生産計画を60日繰り上げて超過達成,昨年同期より22%増加。
DIA-104-1977-11-12-5中国1977年11月12日1970年代広東省で8つの大中型製糖工場が操業に入る。新増加のしょ糖年産能力,5万4000トン余。
DIA-104-1977-11-12-6中国1977年11月12日1970年代李先念副総理,三菱グループ首脳と会見。
DIA-104-1977-11-12-7中国1977年11月12日1970年代日中条約交渉,福田見解固まる―5項目からなり,①覇権反対を本文に盛る,②特定の第三国を指すものではない旨を本文に併記,③中ソ条約の日本敵視条項の解消を求める,④保利議長,鳩山外相の早期訪中を考慮,⑤条約調印は東京でおこなう。(読売13日)
DIA-104-1977-11-13-1中国1977年11月13日1970年代「解放軍報」評論員論文,「あらゆる空論を根だやしにしよう」―文風整頓を,「4人組」の「組八股」の害毒と影響を一掃するにあたっての重要な側面として詳論。克服には長い時間と大きな力が必要と述べる。
DIA-104-1977-11-14-1中国1977年11月14日1970年代中国,「瀋陽F9」の次期戦闘機に「F12」を決定,80年完成をめざす―「F12」」はミグ23をモデルにしてロールスロイス社のスペイエンジン改良型を積載したものという。(共同)
DIA-104-1977-11-14-2中国1977年11月14日1970年代本鉄鋼公司は連続3年国家計画を達成できず,欠損がはなはだしい状況であったが,第3四半期末に高炉利用系数などいくつかの経済技術指標が自企業の最高水準と全国の先進水準に達するようになった。
DIA-104-1977-11-14-3中国1977年11月14日1970年代江西省の電力生産の回復―5月の党委員会の決定により全省の主要火力発電所の設備に修理改造を加えて発電量を大幅にのばした。
DIA-104-1977-11-14-4中国1977年11月14日1970年代耿道明副行長を団長とする中国人民銀行代表団,ネパール訪問。
DIA-104-1977-11-14-5中国1977年11月14日1970年代U・ティペリウ歩兵・戦車兵副司令官を団長とするルーマニア軍事友好代表団,訪中。
DIA-104-1977-11-14-6中国1977年11月14日1970年代ゴー・チョク・トン政府大蔵担当国務大臣を団長とするシンガポール・ネプチューン東洋航路船会社代表団,中国チャーター船公司の招きで訪中。
DIA-104-1977-11-14-7中国1977年11月14日1970年代廖承志中日友好協会会長,自民党有志議員訪中団に,中ソ条約は1980年に失効させる方針と示唆。
DIA-104-1977-11-15-1中国1977年11月15日1970年代教育部と中国科学院が最近「77年度研究生募集の具体的方法についての通達」を発出―すでに研究生募集始まる。願書締切りは科学院が12月10日まで,各大学は12月末まで。
DIA-104-1977-11-15-2中国1977年11月15日1970年代中国の8大トラクター工場,革命競争で成果―江西,洛陽,天津,長春,上海豊収,山東,柳州,鞍山の各トラクター工場は10月末までに国家計画の86%を達成し,昨年同期を51%上回った。
DIA-104-1977-11-15-3中国1977年11月15日1970年代人民日報評論員論文「市場の需給を円滑に行おう」―10月1日からの賃金引上げ実施後,商業部門は商品の供給を増やさなければならない。現在若干の日用工業製品の生産は計画通り進んでおらず,豚,鶏,タマゴなどの副食品の生産はいまだ消費需要の増大においついていない。
DIA-104-1977-11-15-4中国1977年11月15日1970年代国家基本建設委員会,最近長春で「基本建設工事の質と安全施行」に関する全国会議を開催。
DIA-104-1977-11-15-5中国1977年11月15日1970年代黄華外交部長,モハメド・イスマイル・カヒン中国駐在ソマリア大使と会見し,ソマリアのソマリア・ソ連友好協力条約の破棄支持を表明。
DIA-104-1977-11-15-6中国1977年11月15日1970年代王耀庭主任を団長とする中国国際貿易促進委員会代表団,イタリアを訪問―石油化学,自動車,電子,農業機械の各工場,附属研究機関を参観。
DIA-104-1977-11-16-1中国1977年11月16日1970年代中共広西チワン族自治区第4回代表大会開会―21日まで南寧市で。第1書記に喬暁光を選出。
DIA-104-1977-11-16-2中国1977年11月16日1970年代衛生部長に江一真,党中央宣伝部長に張平化の就任が判明。
DIA-104-1977-11-16-3中国1977年11月16日1970年代王諍第4機械工業部部長,電子工業発展計画について語る―生産の自動化,管理の科学化の方向で電子工業を発展させ,3年で基礎をかため,8年でひろく発展させ重点を突破し,23年で近代化した強大な電子工業をうちたて世界の先進水準に達する。現在,電子科学技術の長期発展計画を策定中で,集積回路,固体電子,電子計算機,光電子,空間電子の各技術を発展の重点にする予定。
DIA-104-1977-11-16-4中国1977年11月16日1970年代広西チワン族自治区の経済発展―同区第4回党代表大会で喬暁光第一書記が報告。1971年から1976年にかけ工農業生産総額は62.69%増え(年平均9.5%の伸び),そのうち農業生産総額は33.7%増え(年平均5.3%)工業生産総額は116%増え(年平均13.7%の伸び)た。
DIA-104-1977-11-16-5中国1977年11月16日1970年代大寨大隊,今年の食糧生産高一人当り2093斤に達し,予定の「一人当り1トンの食糧」という目標を達成。ムー当り収量は昨年より190斤多い1310斤に達す。
DIA-104-1977-11-16-6中国1977年11月16日1970年代人民日報評論員論評「暴虐を恐れず,敢然と闘う」―ソマリアの対ソ友好条約破棄の決定を称賛。
DIA-104-1977-11-17-1中国1977年11月17日1970年代中国科学院の一部研究所が学術委員会を設置―物理研究所の「学術委員会試行条例」によると,同委員会は研究所所長の招へいで任期3年,所内から17人,所外から7人,主任1人,副主任2人,学術秘書1人を置く。計画策定,成果の評議と検定,養成計画作成に協力する。
DIA-104-1977-11-17-2中国1977年11月17日1970年代教育部は最近北京で全国小中学校教師養成・訓練会議を開催―来秋の新教材採用に備え養成・訓練強化を決定。
DIA-104-1977-11-18-1中国1977年11月18日1970年代人民日報,教育部大批判組論文,「教育戦線の一大論争,『4人組』がデッチ上げた『二つの評価』を批判する」―「紅旗」12号論文。「4人組」の文革前17年間は毛主席のプロレタリア教育路線が「基本的に貫徹執行されていなかった」という「評価」を全面的に批判。この論文は1971年夏に毛主席がこの「評価」に批判・反駁を加えていたことを明らかにしている。
DIA-104-1977-11-18-2中国1977年11月18日1970年代黄鎮駐米中国連絡事務所主任,離任して帰国の途につく。
DIA-104-1977-11-19-1中国1977年11月19日1970年代英国革命共産主義同盟訪中団,訪中。
DIA-104-1977-11-20-1中国1977年11月20日1970年代人民日報,編者前がき,「4人組」のデッチ上げた教育部門での「二つの評価」を摘発・批判する闘争は「4人組」摘発・批判の第3戦役の重要な構成部分である,と指摘。
DIA-104-1977-11-20-2中国1977年11月20日1970年代貴州省第5期人民代表大会第1回会議開く―28日まで。20日から29日まで政協同省第4期委第1回会議開催。
DIA-104-1977-11-20-3中国1977年11月20日1970年代全国農村の秋季農地基本建設の成果―10月末現在の統計によると今秋全国で行われた農地基本建設工事は39万ヵ所余り,200万ヘクタール余の農地を均平にし,13万3000ヘクタール余りの水平段段畑を造成した。参加した人数は昨年同期より1600万人多い7100余万人に達し,同期としてはここ数年来まれにみる規模。25省・市・自治区と全国の殆んど全ての地区・県が農地基本建設指揮部を発足させ,また地元の実情に合わせて山,河川,農地,森林,道路の総合整備計画を定め今年の農地基本建設により計画性を持たせた。
DIA-104-1977-11-20-4中国1977年11月20日1970年代北京で全国気象局長会議が開催される。12月2日まで。
DIA-104-1977-11-20-5中国1977年11月20日1970年代レ・ジュアン・ベトナム共産党書記長を団長とするベトナム共産党,政府代表団,訪中―華主席と数千人の大衆が空港へ出迎え。毛主席記念堂を訪問。21日,22日,華主席と会談。23日,広州訪問。24日,仏山市訪問。25日,広州から帰国。
DIA-104-1977-11-21-1中国1977年11月21日1970年代報奨金と出来高払いについて討論される―最近,北京で開催された全国経済学理論討論会で出された意見は①賃金と報奨金を結合させ,精神的刺激と物質的刺激を結びつけて,精神的刺激を主とする。報奨金は賃金の補助形式で一定の限度内で実行することは労働者の積極性を高め労働生産性を高めるために有利である。②出来高払い賃金は一定の条件下では採用できる。ただしその実行の規模は適当で過大であってはならない。(光明日報「政治経済学動態」欄)
DIA-104-1977-11-22-1中国1977年11月22日1970年代北京の東四回教寺院で中国と外国の回教徒が回教礼拝式に出席。
DIA-104-1977-11-22-2中国1977年11月22日1970年代人民日報,許滌新論文「社会主義利潤の問題について」―国家の蓄積を増やすために利潤をあげるのと「利潤優先」の限界をはっきりさせ,企業利潤の必要性を断固肯定しなければならないと強調。
DIA-104-1977-11-22-3中国1977年11月22日1970年代人民日報,方之論文「頭脳労働を尊重しなければならない」
DIA-104-1977-11-22-4中国1977年11月22日1970年代EC外相理事会,中国と貿易協定を締結する方針を正式に決定。協定は期間5年の非特恵的性格のもので,交渉は早ければ年内,遅くとも来年早々に開始の見通し。
DIA-104-1977-11-23-1中国1977年11月23日1970年代江西トラクター工場,国家計画を超額完成―11月15日までに豊収27型トラクター5620台を生産,1ヵ月半早めて本年の国家計画を完成。年産量は史上最高水準をこえた。
DIA-104-1977-11-23-2中国1977年11月23日1970年代人民日報社説「突出して電力をつかまなければならない」
DIA-104-1977-11-23-3中国1977年11月23日1970年代ソ連「文学新聞」,日本外務省の日中条約準備開始に懸念をいだく人が多い,と報道。
DIA-104-1977-11-24-1中国1977年11月24日1970年代新華社記者報道,「正真正銘の極右派のスローガン―『4人組』の『17年に対抗して行なう』を批判する」。
DIA-104-1977-11-24-2中国1977年11月24日1970年代北京市第7期人民代表大会第1回会議開催―12月3日まで。華主席を5期全人代北京代表に選出。同市政協第5期委第1回会議は11月22日から30日まで開かれた。
DIA-104-1977-11-24-3中国1977年11月24日1970年代秋の広州交易会で日中成約は春季なみの実績―日本の輸出約1億1000万ドル,輸入約2億5000万ドル。
DIA-104-1977-11-25-1中国1977年11月25日1970年代河北省第5期人民代表大会第1回会議開催―12月3日まで。
DIA-104-1977-11-25-2中国1977年11月25日1970年代河北省の経済状況―同省第5期人民代表大会第1回会議の劉子厚革命委員会主任の報告より。洛河の治水が行なわれた。貯水池と動力井戸を多数つくり,一人当り1ムーの灌漑地を実現した。工業生産総額は1965年以来毎年平均11.4%の伸びである。唐山では生産が回復し,85%の工場・鉱山が震災前の水準に到達ないし上回った。1980年までに河北省をかなり整った農業支援体系をもつ,主要原材料を基本的に自給し,農業機械化を基本的に実現し,戦争に備える要求に応えうる省に徐々に建設し,1985年までに河北省を安定した多収穫の農業基地,農業,軽工業,重工業の調和がとれた,それらが全面的に発展した独自の特色をそなえた工業省に建設しなければならない。
DIA-104-1977-11-25-3中国1977年11月25日1970年代中国・ハンガリー,科学協力委員会議定書に調印。
DIA-104-1977-11-25-4中国1977年11月25日1970年代中国・ブルガリア,科学技術協力合同委員会の議定書に調印。
DIA-104-1977-11-25-5中国1977年11月25日1970年代日中長期貿易取決め推進委員会訪中代表団が訪中―28日,中国原油引取り1978年680万トン,5年後に1500万トンで合意,同日李先念副総理が一行と会見。
DIA-104-1977-11-26-1中国1977年11月26日1970年代人民日報,河北省の帰郷青年董金〓が1973年張鉄生の「答案」を批判して「紅旗」編集委員会に送った2通の手紙を掲載―「『公正な審判』がついに下された」という編集者のことばは,この青年の行動を称賛。
DIA-104-1977-11-26-2中国1977年11月26日1970年代全国電力工業会議開催される―北京で12月12日まで。全国の電力部門の代表1000余名が参加。李先念,余秋里,谷牧氏が演説。華主席が大会のために,電力建設を早めて4つの近代化に貢献するように,との趣旨の題辞を与えた。電力工業を高速度で発展させる問題を検討し,来年および長期の計画を討論して制定した。来年の電力建設の設備据え付け容量は建国以来最大の一年になる予定。
DIA-104-1977-11-26-3中国1977年11月26日1970年代人民日報,任谷平論文「ミュンヘンの悲劇と現代の融和政策」―ソ連の戦争の脅威に対して西ヨーロッパには1930年代に類似した融和政策の潮流が現われていると警告。
DIA-104-1977-11-26-4中国1977年11月26日1970年代鄧穎超全人代常務委副委員長,イラン訪問。(12月2日まで)
DIA-104-1977-11-26-5中国1977年11月26日1970年代中国人民対外友好協会と中国・アルバニア友好協会は北京でアルバニア解放33周年を祝うレセプションを催す。
DIA-104-1977-11-26-6中国1977年11月26日1970年代プラウダ評論員論文,「日本はどこへ押しやられるのか」―反ソ的表現を含んだ条約が日中で結ばれれば,ソ日関係全体に否定的影響を与える,と警告。30日,ソ連側が200カイリ内の操業禁止など具体的報復措置をとると示唆(モスクワ:共同)。
DIA-104-1977-11-27-1中国1977年11月27日1970年代華主席,李,汪両副主席以下中央の指導者,密雲ダムの白河主堤の補強工事現場で労働に参加。
DIA-104-1977-11-27-2中国1977年11月27日1970年代人民日報評論員論文,「毛主席の幹部政策を真剣に実行に移さなければならない」―10.7論文を支持し,党の幹部政策を貫ぬき実行に移すことを要求したいくつかの投書を掲載,きめ細かく実行の仕方を指示。
DIA-104-1977-11-27-3中国1977年11月27日1970年代新華社,「教育部門で『2つの評価』をめぐる『4人組』摘発・批判高まる」
DIA-104-1977-11-27-4中国1977年11月27日1970年代江蘇省,全年の財政収入計画をくりあげて完成―連続3年計画未達成の局面を是正。この3年減少の財政収入で4基の南京長江大橋を建設できるという。
DIA-104-1977-11-28-1中国1977年11月28日1970年代人民日報,公安部理論学習組論文,「毛主席の公安活動路線を堅持し,階級敵に対する独裁を強化する」―林彪,「4人組」が文革前17年の間公安戦線で毛主席の革命路線が支配的地位を占めていたこと,圧倒的多数の公安幹部と警官がよいか比較的よい幹部であること,を完全に否定し,「『公検法』を徹底的にたたきつぶす」というスローガンの下に公安活動に重大な破壊をもたらした,とのべ,「かれらによって転倒された公安活動の路線の是非は必らず正されなければならない」とし,公安部門の解放以後の成果を総括。
DIA-104-1977-11-28-2中国1977年11月28日1970年代河南省第5期人民代表大会第1回会議開催―12月5日まで。同省政協第4期委第1回会議は26日から12月8日まで開かれた。
DIA-104-1977-11-28-3中国1977年11月28日1970年代華主席,ユーゴ建国記念日に祝電―チトー・ユーゴ共産主義者同盟議長・大統領に中共党,中国政府,中国人民を代表して祝電を送る。その中で先頃の訪中が中国とユーゴの友好協力関係を「全面的発展の新らたな段階へ押し進めた」と述べる。
DIA-104-1977-11-28-4中国1977年11月28日1970年代李強対外貿易部長を団長とする中国経済代表団,イギリス訪問―最新鋭の垂直離着陸戦闘機バリアーからコンコルド旅客機,国鉄高速旅客技術,自動車,鉄鋼,炭鉱,石油化学の各企業など視察。30日,キャラハン首相と会見。
DIA-104-1977-11-28-5中国1977年11月28日1970年代ロンドン国際戦略研究所副所長K・フント氏,訪中。
DIA-104-1977-11-29-1中国1977年11月29日1970年代チベット自治区第3期人民代表大会開催―12月2日まで。
DIA-104-1977-11-29-2中国1977年11月29日1970年代公安部長に趙蒼璧の就任が判明(ロイター)。
DIA-104-1977-11-29-3中国1977年11月29日1970年代今年下期中国向け鋼材輸出商談まとまる―稲山・劉希文会談で中国側が上期比15%の値上げを受け入れ。260万トンで合意。上期と合わせると年間480万トンで最高記録となった。
DIA-104-1977-11-30-1中国1977年11月30日1970年代軍総後勤部がこのほど科学会議を開いた。
DIA-104-1977-11-30-2中国1977年11月30日1970年代昔陽県,11年で食糧生産を4倍に―今年ムー当り食糧平均生産高900斤以上となる。
DIA-104-1977-11-30-3中国1977年11月30日1970年代中共中央,タイ共産党中央委員会に,党創立35周年を祝して祝電を送る。
DIA-104-1977-12-01-1中国1977年12月01日1970年代中共江蘇省第6回代表大会開く―日まで。第1書記に許家屯を選出。
DIA-104-1977-12-01-2中国1977年12月01日1970年代人民日報,軍総政治部弁公会室理論組,解放軍報記者論文「わが長城をうちこわすものは自からをうちこわす―張春橋が総政治部でおこなった反革命の罪悪行為を清算する」,解放軍報原載。
DIA-104-1977-12-01-3中国1977年12月01日1970年代中国銀行,同行香港支店のコンピューター・オンライン・システムとしてIBM社の高性能大型電算機3032型機を導入することを内定。
DIA-104-1977-12-01-4中国1977年12月01日1970年代オランダの映画監督ヨリス・イバンス氏およびフランス映画人マルセリーヌ・ロリダン女史,訪中―27日,華主席と会見。2人は1972年から74年にかけ長編カラー記録映画「愚公,山を移す」を撮影した。
DIA-104-1977-12-01-5中国1977年12月01日1970年代銭三強科学院責任者を団長とする中国科学院代表団,ルーマニア訪問。
DIA-104-1977-12-01-6中国1977年12月01日1970年代外務省で日中漁業合同委員会第2回会議開く―3日まで。
DIA-104-1977-12-02-1中国1977年12月02日1970年代天津市第8期人民代表大会第1回会議開催―6日まで。解学恭主任,13人の副主任を選出,1日から8日まで同市政協第5期第1回会議を開催した。
DIA-104-1977-12-02-2中国1977年12月02日1970年代人民日報,「ラオス人民の輝かしい祝日」―ラオス人民民主共和国成立2周年を祝して。
DIA-104-1977-12-02-3中国1977年12月02日1970年代白鳥事件で指名手配の門脇戌中国から帰国,逮捕さる。
DIA-104-1977-12-02-4中国1977年12月02日1970年代人民日報,国際短評「モスクワの大きなこん棒」―日中平和友好条約締結は「ソ日関係を悪化させる」などの最近のソ連のキャンペーンを非難。
DIA-104-1977-12-03-1中国1977年12月03日1970年代教育部が最近,大学の応用科学・新技術学科計画会議開催―14部門の学科計画草案を策定した。
DIA-104-1977-12-03-2中国1977年12月03日1970年代全国農地基本建設弁公室(銭正英水利電力部長が主任)が電話会議を開催―冬季基本建設運動では11月中旬までに全国で投入された労働力はのべ8000万人。着工した工事は60万余ケ所。10月からこれまでに完成した土木工事量は50億立方メートル。国務院各部部長・各省党第一書記ら指導幹部も参加。
DIA-104-1977-12-03-3中国1977年12月03日1970年代勝利油田,深部地層が開発され多数の高生産油井が操業に入る―生産規模を大慶程度に拡大する計画がたてられている。
DIA-104-1977-12-03-4中国1977年12月03日1970年代陳永貴副総理,カンボジア訪問―同日,ポル・ポト首相と会見。4日から5日までカンボジアの東部地区を訪問。5日から8日まで中部・北部地区を訪問しアンコールワットを参観。その後西北部と西部地区を訪問して11日プノンペンに戻った。12日から14日まで南部コンポンソム地区訪問。訪問旅行の一部にはポル・ポト首相が同行。15日帰国。
DIA-104-1977-12-04-1中国1977年12月04日1970年代華主席が電子工業のために「自力更生,刻苦奮闘の革命精神を発揚し,電子工業を速やかに発展させ,電子科学技術の高峰をきわめることに努めよう」との題辞を書き励ます。
DIA-104-1977-12-04-2中国1977年12月04日1970年代華総理,インドのデサイ首相にサイクロン被害見舞いの電報を送る。
DIA-104-1977-12-05-1中国1977年12月05日1970年代四川省第5期人民代表大会第1回会議開催―20日まで。省革命委主任に趙紫陽を選任。政協四川省第4期委員会第1回会議は13日から22日まで開かれ,主席に杜心源を選出した。
DIA-104-1977-12-05-2中国1977年12月05日1970年代「都市農村商業が大慶に学び大寨に学ぶ」全国会議を明年開催することについての通知が出される。(人民日報12月16日発)
DIA-104-1977-12-05-3中国1977年12月05日1970年代人民日報社説「電子工業の水準は現代化の目印」
DIA-104-1977-12-05-4中国1977年12月05日1970年代李強対外貿易部長,フランス訪問―12日,バール首相と会見。15日帰国。鉄鋼,化学肥料,大型トラックの各工場と原子力発電所,海洋掘削設備と鉄道施設を見学。中国が輸入を考慮しているものとして鉄道運輸設備,発電所,コンピューターを含む電子設備などがあるという。(ロイター・12日パリ発)
DIA-104-1977-12-06-1中国1977年12月06日1970年代広東省黄埔新港の第1期工事,年末に完成操業の予定―1973年より着工。5つの埠頭のうち3つはすでに使用している。来年からコンテナー埠頭を含む第2期工事が着工の予定。
DIA-104-1977-12-06-2中国1977年12月06日1970年代華総理,モブツ・セセ・セコ大統領のザイール共和国大統領再任に祝電。
DIA-104-1977-12-06-3中国1977年12月06日1970年代廖承志会長,日本に対する最近のソ連の覇権主義行為を非難―日本化学工業界友好訪中団の歓迎宴で。
DIA-104-1977-12-07-1中国1977年12月07日1970年代人民日報評論員,「各級,各類型の教育事業を大いに発展させよう」。
DIA-104-1977-12-07-2中国1977年12月07日1970年代人民日報,張光年論文「『文芸における黒い線の独裁』論に反駁する」―いわゆる「黒い8論」の再検討を主張。
DIA-104-1977-12-07-3中国1977年12月07日1970年代国務院,第3回全国農業機械化会議開催の通達を出す―現在,全国26の省・市・自治区で10馬力から100馬力のトラクターが生産できるようになっている。4人組紛砕後,全国各省・市・自治区に農業機械化指導グループとその活動機構が設けられた。
DIA-104-1977-12-07-4中国1977年12月07日1970年代王震副総理,日本陸士「45期会」訪中団と会見。
DIA-104-1977-12-08-1中国1977年12月08日1970年代新華社社長に曽濤の就任が判明。
DIA-104-1977-12-08-2中国1977年12月08日1970年代紅旗12号,彭沖論文「上海の工業を十分に生かし,積極的に発展させて4つの現代化実現により大きく貢献しよう」―上海の工業が4つの近代化実現のために次の4つの点で貢献する。①基幹産業を急ピッチで発展させ技術革新を大々的に行い,高級・精密・先端の製品の開発につとめ,上海を世界の先進水準をゆく工業基地に建設しなければならない。1985年までに鉄鋼,石独化学工業,電子工業を速やかに発展させる。第6次5ヵ年計画を達成した時点で全市の有機化学工業原料のうち石油化学工業製品の割合を現在の約20%から80%以上に引き上げる。電子工業ではコンピューターの応用技術に力を入れ大規模集積回路の生産とソフトウェアを一段と強化しなければならない。航空工業と造船工業は大型旅客機,大型貨物船,コンテナ船,各種作業船を研究・製造・建造しなければならない。②上海市郊外県の農業機械化水準を高め,人民公社の工業化実現を速める。人民公社の工業化のために,上海市内の工業のうち部分的に農業生産と関連のあるもの,もしくは農村で生産できる製品の生産を郊外の国営農場と人民公社へ拡散してゆく予定である。郊外10県の工業生産額は工農生産総額の60%を占め,現在は解放前の純農業県か
DIA-104-1977-12-08-3中国1977年12月08日1970年代河北省馬頭火力発電所に10万1000kWの発電機が11月末に発電開始。
DIA-104-1977-12-08-4中国1977年12月08日1970年代片山哲元首相,日中条約早期締結を訴える口述書簡を福田首相に届ける―21日,符浩大使が片山氏を見舞った。
DIA-104-1977-12-08-5中国1977年12月08日1970年代人民日報,中国報道代表団の訪日報告,「中日友好は歴史の潮流」を掲載―以後数篇の訪日報告を連載。
DIA-104-1977-12-09-1中国1977年12月09日1970年代「解放軍報」,空軍航空兵某師団党委に学ぶようよびかけ―刻苦奮闘の作風により中央軍委が表彰した。軍内指導グループ建設は同党委に学べ,とよびかけ。
DIA-104-1977-12-09-2中国1977年12月09日1970年代人民日報,「馬振撫公社中学事件」を報道,「4人組」の陰謀によると暴露―女子学生の張玉勤の自殺事件について,1974年江青が「修正主義教育路線が死に追いやった」ものと宣伝,教師は最低の授業秩序さえ保てなくなった,という。
DIA-104-1977-12-09-3中国1977年12月09日1970年代山西省第5期人民代表大会第1回会議開催―15日まで。革命委員会主任に王謙を選出。8日から15日まで政協同省第4期委員会第1回会議開催。
DIA-104-1977-12-09-4中国1977年12月09日1970年代山東省第5期人民代表大会第1回会議開催―14日まで。省革命委員会主任に白如冰を選任。8日から15日まで政協山東省第4期委員会第1回会議を開いた。
DIA-104-1977-12-09-5中国1977年12月09日1970年代人民日報,銭学森論文「現代の科学技術」―コンピューターの重要性を強調。
DIA-104-1977-12-10-1中国1977年12月10日1970年代胡喬木が社会科学院院長就任と判明。
DIA-104-1977-12-10-2中国1977年12月10日1970年代廖承志中日友協会長,一時帰国のあいさつに訪れた佐藤大使と会談。
DIA-104-1977-12-11-1中国1977年12月11日1970年代広西壮族自治区第5期人民代表大会第1回会議開催―15日まで。革命委員会主任に喬暁光を選出。10日から17日まで政協同自治区第4期委員会第1回会議開催。
DIA-104-1977-12-11-2中国1977年12月11日1970年代全国の化学肥料生産,大幅に伸びる―本年の全国の化学肥料生産計画,20日くりあげて達成される。総生産量は史上最高の1975年同期と比べ31.9%増。合成アンモニア,窒素肥料,燐酸肥料の1~11月の生産量はそれぞれ昨年同期比38.3%,42.7%,18.1%であった。
DIA-104-1977-12-11-3中国1977年12月11日1970年代国務院,大慶型企業の点検,評定比較と認定について通達を出す―今年12月と来年1月に,大慶型企業普及運動の展開状況について大衆的な大総括・大点検,大評定をひろく実施し,本年建設予定の大慶型企業の認定活動を行なうこと。大慶型企業の認定・命名は省・市・自治区党委が責任を持ち,また国務院関係主管部門との協議・一致が必要で,認定されたものは新聞に公表する。社会主義労働競争の評定・比較も今回の点検,評定と結びつけて行う。
DIA-104-1977-12-11-4中国1977年12月11日1970年代佐藤大使が一時帰国。
DIA-104-1977-12-12-1中国1977年12月12日1970年代人民日報,王澈論文,「ニセの左,実は右:階級闘争問題からみた『4人組』の反革命修正主義」―右と「左」の2つの戦線で修正主義批判が存在する。「左」の各種の状況の中での反革命の偽装の位置を明確にする。
DIA-104-1977-12-12-2中国1977年12月12日1970年代広東省第5期人民代表大会第1回会議開催―17日まで。省革命委員会主任に韋国清,副主任16名を選出した。12日から19日まで政協会議広東省第4期委員会第1回会議が開かれ主席に王首道を選出した。
DIA-104-1977-12-12-3中国1977年12月12日1970年代党安徽省委,最近送迎,接待,贈物を禁止する通達を出す。
DIA-104-1977-12-12-4中国1977年12月12日1970年代人民日報評論員論文「機械化から石炭を得る」―現在石炭生産は国民経済の高速度発展の要求に応じるには,はるかに及ばず,供給が相当逼迫している。電力不足は石炭不足に関係がある。石炭工業発展の根本的出口は機械化にあるから,かならず機械化の水準を高めなければならない。
DIA-104-1977-12-13-1中国1977年12月13日1970年代党中央宣伝部,社会科学,文化芸術,報道界の党内外入士を招き座談会を開く―張平化中央宣伝部長が主宰,黄鎮,朱穆之,廖井丹,張香山各副部長が出席した。中央宣伝部は最近成立,活動について意見を募ったもの。
DIA-104-1977-12-13-2中国1977年12月13日1970年代瀋陽で最近党中央北方病予防・治療指導小組会議開く―8ヵ年計画を討議・制定。
DIA-104-1977-12-13-3中国1977年12月13日1970年代雲南省第5期人民代表大会第1回会議開催―17日まで。革命委員会主任に安平生を選出。12日から16日まで政協同省第4期委員会第1回会議開催。
DIA-104-1977-12-13-4中国1977年12月13日1970年代甘粛省第5期人民代代表大会第1回会議開催―29日まで。省革命委員会主任に宋平を選任。22日から30日まで政協甘粛省4第期委員会第1回会議が開かれ,主席に王世泰を選任した。
DIA-104-1977-12-13-5中国1977年12月13日1970年代新任の徐晃ラオス駐在大使,赴任。
DIA-104-1977-12-14-1中国1977年12月14日1970年代陳少敏女史(全国総工会副主任)死去―北京で病死,75歳。21日の追悼会は胡耀邦党中央組織部長(新任)が司会し,馬純古全国総工会副主任が追悼のことばをのべた。
DIA-104-1977-12-14-2中国1977年12月14日1970年代全国の鉄道部門,24日くりあげて本年の貨物運輸を完成。
DIA-104-1977-12-14-3中国1977年12月14日1970年代パキスタン戒厳司令官ジアウル・ハク大将夫妻一行,訪中―18日,華主席と会見。鄧小平副総理,鄧穎超女史と会見。19日帰国。
DIA-104-1977-12-14-4中国1977年12月14日1970年代王寿仁氏を団長とする中国報道代表団,ソマリア訪問。
DIA-104-1977-12-14-5中国1977年12月14日1970年代中国・ベトナム,1978年バーター支払い協定に調印。
DIA-104-1977-12-14-6中国1977年12月14日1970年代廖承志会長,自民党静岡県連青年部友好訪中団に,中ソ条約について2年内に廃棄通告を示唆。
DIA-104-1977-12-14-7中国1977年12月14日1970年代趙安博元中日友協秘書長,文革以後はじめて姿をみせる。
DIA-104-1977-12-15-1中国1977年12月15日1970年代人民日報,中国報道代表団訪日記「中日両国の経済・技術交流を発展させよう」を掲載。
DIA-104-1977-12-16-1中国1977年12月16日1970年代青海省第5期人民代表大会第1回会議開会―23日まで。革命委員会主任に譚啓竜選任。15日から23日まで政協同省第4期委員会第1回会議が開催された。
DIA-104-1977-12-16-2中国1977年12月16日1970年代中国援助のベトナム教科書印刷工場が完成。
DIA-104-1977-12-16-3中国1977年12月16日1970年代中国・メキシコ科学技術協力会議議定書に調印。
DIA-104-1977-12-16-4中国1977年12月16日1970年代米人シドニー・リッテンバーグ氏が最近10年ぶりに釈放さる―文革中極左活動をおこない逮捕・拘留されていた。(ロイター)
DIA-104-1977-12-17-1中国1977年12月17日1970年代湖北省青山火力発電所の10万1000kWのタービン発電機設備据え付けの拡張工事が最近完成。
DIA-104-1977-12-17-2中国1977年12月17日1970年代華主席,金日成朝鮮労働党中央委総書記の朝鮮民主主義人民共和国主席再選に祝電。また李鍾玉氏が首相に当選したことに対しても祝電を送る。
DIA-104-1977-12-17-3中国1977年12月17日1970年代イオン・パツァン・ルーマニア副首相を団長とするルーマニア政府貿易代表団,訪中―21日,華主席と会見。両国の1978年度バーター支払い議定書に調印。
DIA-104-1977-12-17-4中国1977年12月17日1970年代南京工業学院の楊延宝教授を団長とする中国高等教育代表団,訪米より帰国。
DIA-104-1977-12-17-5中国1977年12月17日1970年代李克対外経済連絡部副部長を団長とする中国政府経済代表団,クウェート訪問。26日,両国の経済技術協力協定が調印される。
DIA-104-1977-12-17-6中国1977年12月17日1970年代福田首相,佐藤駐中国大使から日中条約締結問題について報告を受ける。
DIA-104-1977-12-17-7中国1977年12月17日1970年代李先念副総理,住友友好訪中団一行と会見。
DIA-104-1977-12-17-8中国1977年12月17日1970年代日中科学技術交流協会(有山兼孝会長)発足―設立総会開く。
DIA-104-1977-12-18-1中国1977年12月18日1970年代李先念副主席,耿,陳慕華が全国僑務会議予備会議出席者と会見―李副主席が重要演説をおこなった。
DIA-104-1977-12-18-2中国1977年12月18日1970年代浙江省第5期人民代表大会第1回会議開催―22日まで。同省革命委員会主任に鉄瑛を選任。政協浙江省第4期委員会第1回会議は16日から24日まで開かれた。
DIA-104-1977-12-18-3中国1977年12月18日1970年代人民日報評論員論文「まじめに政策を実施し,収益分配をりっぱに行おう」―ここ数年,食糧分配の際,集団備蓄を多くとりすぎ,国家への供出と社員への分配が圧迫されるという現象が生じていると警告。特に大規模な自然災害を受けた社隊を除いて,90%の社員は収入が前年より増加し,10%の社員は収入を減少しないように努力しなければならない。
DIA-104-1977-12-18-4中国1977年12月18日1970年代第19回中国・チェコ科学技術協力合同委員会議定書が調印される。
DIA-104-1977-12-18-5中国1977年12月18日1970年代米政府,日立の大型コンピューター対中輸出について性能低下の条件つきで承認。
DIA-104-1977-12-19-1中国1977年12月19日1970年代中国文字改革委員会,このほど「第2次漢字簡略化案」(草案)を発表―第1表248字,第2表605字で,第1表はただちに全国の図書・新聞で試用し,その中で意見を募ることになった。人民日報は20日,「文字改革作業の歩みをはやめよう」という社説を発表した。
DIA-104-1977-12-19-2中国1977年12月19日1970年代中央放送事業局が全国テレビ教育講座を開始。
DIA-104-1977-12-19-3中国1977年12月19日1970年代吉林省第5期人民代表大会第1回会議開催―26日まで。革命委主任に王恩茂を選任。18日から25日まで政協吉林省第4期委員会第1回会議が開かれた。
DIA-104-1977-12-19-4中国1977年12月19日1970年代寧夏回族自治区第4期人民代表大会第1回会議開催―26日まで。革命委主任に霍士廉を選任した。政協同自治区第3期委員会第1回会議は18日から26日まで開かれ,主席に楊静仁を選出した。
DIA-104-1977-12-19-5中国1977年12月19日1970年代華主席,鄧副主席ら北京農業展覧館で開かれている農業機械化展を見学。
DIA-104-1977-12-19-6中国1977年12月19日1970年代中国の今年の貿易収支は20億ドルを越える黒字か―西側の分析家によれば,昨年の黒字は15億ドル近かった。今年,15の重要な非共産圏国家との貿易は昨年より7%減(輸出が7%増え,輸入は21%減少)。また今年末の中国の外貨準備は40億から45億ドルに達するだろうと推定。(アジア・ウォールストリート・ジャー・ナル)
DIA-104-1977-12-19-7中国1977年12月19日1970年代李副主席,ギリシャ・マルクス・レーニン主義共産党中央委代表団と会見。
DIA-104-1977-12-19-8中国1977年12月19日1970年代曽濤新華社社長を団長とする中国報道代表団,デンマーク,イギリス,イタリア,スイス4ヵ国訪問を終え帰国。11月3日出発したもの。
DIA-104-1977-12-19-9中国1977年12月19日1970年代中国はこのほど稲山訪中団に新鋭臨海製鉄所建設計画に協力を要請―粗鋼年産600万トン級といわれる。(「朝日」20日)
DIA-104-1977-12-20-1中国1977年12月20日1970年代国家地震局が最近北京で「大慶に学ぶ」全国地震戦線会議開く。
DIA-104-1977-12-20-2中国1977年12月20日1970年代国家出版局,最近全国出版工作座談会を開く。
DIA-104-1977-12-20-3中国1977年12月20日1970年代全国原炭生産,28日くりあげて国家計画を達成―生産量,昨年同期より10.2%増加。開炭鉱,12月より原炭,洗精炭の日産量,地震前の水準に回復。
DIA-104-1977-12-20-4中国1977年12月20日1970年代日本政府の日中条約締結の段取り固まる―1月20日過ぎ事務レベルで交渉を再開,最終段階で園田外相が訪中,3月をメドに妥結をはかる。調印は鄧小平副主席を招いて東京でおこなう。(「読売」)
DIA-104-1977-12-21-1中国1977年12月21日1970年代内蒙古自治区第5期人民代表大会第1回会議開催―28日まで。革命委員会主任に尤太忠を選任した。政協同自治区第4期委員会第1回会議は20日から28日まで開かれた。
DIA-104-1977-12-21-2中国1977年12月21日1970年代佐藤大使,北京に帰任。
DIA-104-1977-12-22-1中国1977年12月22日1970年代華主席以下中央指導者,全人代台湾省代表協商選出会議に出席した台湾省同胞と会見。
DIA-104-1977-12-22-2中国1977年12月22日1970年代人民日報,劉夢溪論文「作品について政策を実施しなければならない」。
DIA-104-1977-12-22-3中国1977年12月22日1970年代軍総政治部,総後勤部主催の全軍病院工作会議が最近閉幕―「1978~1985年全軍病院技術建設計画」を討論・制定。
DIA-104-1977-12-22-4中国1977年12月22日1970年代全国の全年発電計画が19日間くりあげて達成される―4月から電力生産は大幅に上昇し毎月国家計画を超過達成し,11月下旬の平均日産発電量は史上最高の1975年11月下旬より13%以上多い。
DIA-104-1977-12-23-1中国1977年12月23日1970年代黒竜江省第5期人民代表大会第1回会議開催――28日まで。省革命委員会主任に楊易辰を選出。
DIA-104-1977-12-23-2中国1977年12月23日1970年代遼寧省第5期人民代表大会第1回会議開催―28日まで。省革命委員会主任に曽紹山を選任。
DIA-104-1977-12-23-3中国1977年12月23日1970年代全国の農業機械化が進展―11月末までにトラクター,ハンドトラクター,内燃機,内燃発電機,コンバイン,動力牽引プラウ,動力牽引ハロー,動力牽引播種機,動力田植え機,農業用大型トレーラー,タイヤ手押し車,トラクター及び内燃機部品の国家生産計画を1ヵ月から2ヵ月くりあげて超過達成。現在,全国26の省・市・自治区で大中型トラクターを生産できる。全国97%の県に農業機械修理製造工場がつくられ,そのうち40%の工場はオーバーホールの能力を持っている。
DIA-104-1977-12-23-4中国1977年12月23日1970年代黒竜江省に開墾可能な荒地が800万ヘクタールあることが判明。この荒地は同省の既耕地面積の総和に相当する。
DIA-104-1977-12-24-1中国1977年12月24日1970年代人民日報,王・恩・連名論文「王亜卓事件のデッチあげを暴露する」―1973年1小学生による教師批判の人民日報の記事に対して3人が連名で批判の手紙を小学生に送ったところ,74年「ブルジョア復活勢力」と決めつけられ労働改造を強いられた事件。
DIA-104-1977-12-24-2中国1977年12月24日1970年代江蘇省第5期人民代表大会第1回会議開催―28日まで。省革命委員会主任に許家屯を選任。24日から29日まで政協江蘇省第4期委員会第1回会議が開かれた。
DIA-104-1977-12-24-3中国1977年12月24日1970年代中国科学院,このほどいくつかの研究所の正副所長を任命。
DIA-104-1977-12-24-4中国1977年12月24日1970年代北京市,文革以来初めて年末報奨金制度を復活―北京市革命委員会が労働成績の優秀な労働者・職員に年末報奨金を与える方針を市所属の工場に通知。これは,全国に先駆けて北京市自身で決定した独自な措置。北京市の労働者・職員の20~30%が対象になる予定。(「読売」,特派員)
DIA-104-1977-12-24-5中国1977年12月24日1970年代全国木材生産計画,13日くりあげて達成される。
DIA-104-1977-12-24-6中国1977年12月24日1970年代華総理,イランの地震に対し,パーレビ国王に見舞電報を送る。
DIA-104-1977-12-25-1中国1977年12月25日1970年代上海市第7期人民代表大会第1回会議開催―30日まで。革命委主任に蘇振華,第1副主任に倪志福,第2副主任に彭沖,副主任に11名を選出。政協上海市第5期第1回会議は12日から29日まで開かれ,主席に彰沖を選出した。
DIA-104-1977-12-25-2中国1977年12月25日1970年代陜西省第5期人民代表大会第1回会議開催―29日まで。省革命委主任に李瑞山を選任。24日から30日まで政協陜西省第4期委員会第1回会議が開かれた。
DIA-104-1977-12-25-3中国1977年12月25日1970年代全国大学入試が終了―10日から始まり,全国で570万の青年が応募・受験した。
DIA-104-1977-12-26-1中国1977年12月26日1970年代北京で毛主席生誕84周年記念文芸の夕べ開く―華主席,葉,鄧,李,汪副主席らが出席。この日全国で各種の記念活動がおこなわれた。
DIA-104-1977-12-26-10中国1977年12月26日1970年代ラオス駐在中国大使徐晃を団長とする中国政府経済代表団,ラオス訪問。
DIA-104-1977-12-26-11中国1977年12月26日1970年代家電業界にカラーテレビプラント受注への期待高まる―1月6日「カラーテレビブラウン管視察団」が来日の予定。
DIA-104-1977-12-26-2中国1977年12月26日1970年代郭沫若,詩「毛主席の誕生日を記念す」発表。
DIA-104-1977-12-26-3中国1977年12月26日1970年代文化部,中央5・7芸術大学を廃止し,6校の校名を回復。
DIA-104-1977-12-26-4中国1977年12月26日1970年代本年の工農業生産の成果―11月までの工業生産総額は昨年同期比13.7%の増加。今年年末までには14%を越えるものと見積られている。各工業部門の11月までの生産量の昨年同期と比べた増加率は次の通り。石油8%,天然ガス22.3%,電力9.8%,石炭10.2%,鉄鋼11.5%,トラクター39.8%,ハンドトラクター37%,化学肥料31.9%(史上最高の1975年同期と比べて),綿糸12.6%,綿布13.5%,腕時計19.4%,テレビ50%。7月に工業生産総額は史上最高を記録して以来,その後数ヵ月毎月史上最高を記録。石炭,電力は史上最高水準に達し,鉄鋼の10月と11月の日産量は本年3月の平均日産量の2倍で,史上最高水準に達す。鉄道,水運,道路輸送の国家計画はすべて達成され,鉄道の年間輸送量と1日当り輸送量はいずれも史上最高を記録した。(新華社英文電,香港大公報27日)
DIA-104-1977-12-26-5中国1977年12月26日1970年代人民日報,毛主席の「中国に大躍進が出現しようとしている」と題する1967年の手紙と,農業機械化問題に関する1966年の手紙を掲載。
DIA-104-1977-12-26-6中国1977年12月26日1970年代中国民用航空,今年の年間輸送総回転量計画を1カ月くりあげて達成―1~11月の輸送総回転量は前年向期より11%,輸送総収入は27%,旅客輸送量は15%それぞれ増加した。
DIA-104-1977-12-26-7中国1977年12月26日1970年代エトワード・ケネディ米民主党下院議員夫妻一行,訪中―中国人民外交学会の招きで。31日,上海から北京へ。
DIA-104-1977-12-26-8中国1977年12月26日1970年代鄧副主席,オーストラリア共産党(ML)のE.F.ヒル議長夫妻と会見。
DIA-104-1977-12-26-9中国1977年12月26日1970年代モクタール・マスド商業相を団長とするパキスタン貿易代表団,訪中。28日,両国の貿易議定書が調印される。
DIA-104-1977-12-27-1中国1977年12月27日1970年代政協第4期全国委員会常委第7回拡大会議開会―29日まで。27日葉剣英副主席が重要な演説をおこない,方毅科学院副院長が「科学・教育事業の状況に関する報告」をおこなった。28日午前と29日午前はグループ討論。29日午後の全体会議で第5期政協全国委員会開催に関する決議を採択した。
DIA-104-1977-12-27-2中国1977年12月27日1970年代全国鉄鋼業の生産,上昇す―今年第2四半期から生産が上昇を始あ,9月中旬より年末まで百数日間,鋼と鉄の日産量は史上最高の水準を保った。基本建設もテンポを早め,全年の国家投資計画を超過達成し,50項目の工事がすでに完成し操業に入った。鉄鉱山の採鉱選鉱,焼結はいずれもかなり大きく進歩した。
DIA-104-1977-12-27-3中国1977年12月27日1970年代今年の全国食糧生産,昨年並みの水準―自然災害の影響を受けた省と地区は収穫が昨年を下回った。黒竜江省と四川省は昨年を上回る豊作。棉花,茶,麻,タバコの収穫量は昨年を上回る。春の旱ばつは過去20年来まれにみるもので,1977年は天災の規模,被害総面積で解放後28年来最悪の年であった。(新華社英文電)
DIA-104-1977-12-27-4中国1977年12月27日1970年代大慶油田,原油生産の国家計画を5日くりあげて達成―主要経済技術指標,史上最も良い水準に達す。油井の平均日産量は開発初期より高く,開発17年でいぜん高い生産と安定した生産を保持している。新油区の建設工事は早くすすみ,すでに操業に入っている。また石油化学の方面ではキシロールの分離装置を建設。
DIA-104-1977-12-27-5中国1977年12月27日1970年代紡績工業,かなり大きな発展を遂げる―綿糸,綿布は史上最高年産量を4%,5%それぞれ上回り,昨年より,12%,13%それぞれ増加した。
DIA-104-1977-12-27-6中国1977年12月27日1970年代来年1~6月分日中肥料輸出交渉妥結・調印―尿素45万トン,硫安11万トン,価格は尿素が10%弱のアップとなる。
DIA-104-1977-12-28-1中国1977年12月28日1970年代「解放軍報」記者論評「カナメをつかんで軍を治めることが初歩的な成果を収めた喜こばしい情勢をみる」―人民日報転載。
DIA-104-1977-12-28-2中国1977年12月28日1970年代福建省第5期人民代表大会第1回会議開催―1月4日まで。主任に廖志高を選任。政協福建省第4期委第1回会議は27日から1月5日にかけて開かれた。
DIA-104-1977-12-28-3中国1977年12月28日1970年代新商業部長に王磊前北京市革命委員会副主任が就任―中国筋(共同)。
DIA-104-1977-12-28-4中国1977年12月28日1970年代中国・パキスタン,貿易議定書に調印。
DIA-104-1977-12-29-1中国1977年12月29日1970年代人民日報,全国総工会機関大批判組論文「『4人組』の『労働運動における黒い線統治』論を徹底的に批判しよう」。
DIA-104-1977-12-29-2中国1977年12月29日1970年代中共中央,フランス・マルクス・レーニン主義共産党創立10周年へ祝電。
DIA-104-1977-12-29-3中国1977年12月29日1970年代耿対外連絡部長,米国共産党(ML)労働者訪中団と会見。
DIA-104-1977-12-30-1中国1977年12月30日1970年代新油田の開発がすすむ―すでに華北,西北,華東,中南と近海水域で高生産の油井が掘られた。華北油田は原油生産総量が大幅に増え,王門油田,四川,青海の両石油管理局はくりあげて国家計画を達成。石油工業の8項経済技術指標は全部国家要求に達した。 本年は大量の人力と設備が,石油探査と開発に投入された。全国の今年の各ボーリング隊の年平均掘削進度は昨年より30%増えた。
DIA-104-1977-12-30-2中国1977年12月30日1970年代広東省三水盆地で油田が発見される。(香港大公報広州電)
DIA-104-1977-12-30-3中国1977年12月30日1970年代全国セメント工業,48日間くりあげて本年の国家計画を達成,生産量は昨年同期と比べて14.5%の増加。
DIA-104-1977-12-30-4中国1977年12月30日1970年代全国軽工業部門,半月くりあげて全年の生産総額計画を達成。
DIA-104-1977-12-30-5中国1977年12月30日1970年代黄河中流に天橋水力発電所完成―6年の工事をへて現在5台の発雷機がすえつけられて操業開始。
DIA-104-1977-12-31-1中国1977年12月31日1970年代人民日報,1965年の「毛主席が詩について陳毅同志に送った手紙」を公表。
DIA-104-1977-12-31-2中国1977年12月31日1970年代中国で最大の高炉が鞍山鉄鋼公司で完成―7号高炉を改造したもの。高炉容積は2580立方メートルで,年産能力は150万トン。設計から操業までわずか9ヵ月を要したのみ。
DIA-104-1977-12-31-3中国1977年12月31日1970年代「本年は中国経済にとって安定上昇,持続躍進の新らたな起点となる」と報道―年初に制定した国家計画では全国工業生産総額は1976年より8%増加させる目標であったが,実際には14%以上伸びた。国家計画に入っている80種の主要工業製品のうち70余種の生産量が計画を達成あるいは超過達成した。 鉄道では1日当り平均貨物積み車数は史上最高になり1976年と比べると毎日100余りの貨車の物資を多く輸送したのに等しい。基本建設ではここ数年投資が早く効果を発揮しなかったが,今年は11月までに完成操業の項目が1976年に比べて3倍以上増加した。そのうちでも石炭の新増加生産能力は10個の年産100万トンの大型鉱を建設したのに相当する。
DIA-104-1977-12-31-4中国1977年12月31日1970年代長期・短期経済計画が策定される―国家計画委員会の責任者が明らかにしたところによれば,今年国家は農業,鉄鋼,エネルギー,運輸など基礎工業の発展を加速する措置を重点的に研究し,今後,これらの部門へ投資を増加することを決定。石油,石炭,電力,治金,鉄道,海運等の部門と重点鉱工業企業は,確実に実行できる生産発展の短期と長期の計画を策定した。国家計画委員会はこの基礎の上に1978年より始まる3年,8年の計画を策定した。(中国新聞社)
DIA-104-1977-12-31-5中国1977年12月31日1970年代秦皇島港で石油積出し埠頭の第2期主体工事が完成,また新らしい石炭積出し埠頭の建設も開始。
DIA-104-1977-12-31-6中国1977年12月31日1970年代中国のインド駐在大使陳肇源,インド外務大臣バジュパイ氏と会見。
DIA-104-1977-12-31-7中国1977年12月31日1970年代新華社とスペインのEEE通信社がニュース交換協定に調印。
DIA-104-1977-12-31-8中国1977年12月31日1970年代政府筋,前文と全5条からなる「日中平和友好条約」日本案を公開―(「読売」)
DIA-104-1978-01-01-1中国1978年01月01日1970年代三紙誌共同元旦社説,「光明の中国」―経済建設のテンポをはやめることを強調。
DIA-104-1978-01-01-2中国1978年01月01日1970年代華国鋒主席が唐山を視察―2日まで。
DIA-104-1978-01-01-3中国1978年01月01日1970年代紅旗1号評論員論文「国民経済を急テンポで発展させるために奮闘しよう」―①建国以後28年間,工業の年平均成長率は13.5%,第3次5ヵ年計画期と第4次5ヵ年計画期のそれは,それぞれ11.7%と9.1%であった。②経済の発展テンポを速めるには当面の一時期力を集中して燃料,動力,原材料工業を引き上げなければならない。電力,石炭,輸送を引き上げ,鉄鉱石,非鉄金属を引き上げれば,鋼の発展テンポは早まる。当面際立っている問題は電力の問題である。③短期的目標として,およそ設計値に到達していない企業は,1~2年内,遅くとも3年以内に到達するか上回るようにする。経済発展テンポを速めるには品質の向上に注意する,科学技術活動を先行させる,管理水準を高める,ことが重要である。
DIA-104-1978-01-01-4中国1978年01月01日1970年代三紙誌共同社説「光明の中国」―昨年は国民経済に重大な転換となった一年であり,停滞,低迷,下降から安定上昇の起点となった一年であると回顧し,1978年はカナメをつかんで国を治め3年で大きな成果をあげるための重要な一年であると規定。建設の速度は単純な経済問題ではなく,尖鋭な政治問題である。工業では電力,燃料と輸送にとくに力を入れる。これら“先導者”が向上すれば,鉄鋼業とその他の原材料工業もまた向上する。
DIA-104-1978-01-01-5中国1978年01月01日1970年代開炭鉱,原炭の日産量が7万トンに達し,地震前の水準に回復する。
DIA-104-1978-01-01-6中国1978年01月01日1970年代全国の60%の給与生活者の賃金が増加―46%は現行の賃金体系により賃金を増加させ,18%は賃金標準が低くすぎるため,一部賃金を適宜増やした。
DIA-104-1978-01-04-1中国1978年01月04日1970年代第3回全国農業機械化会議開幕―陳永貴副総理が開会の辞を述べ,26日,余秋里副総理が総括報告を行い,李先念副主席が閉会の辞を述べ26日閉幕。余秋里副総理の総括報告は1月29日の人民日報が全文報道。
DIA-104-1978-01-04-2中国1978年01月04日1970年代鄧副総理,エドワード・ケネディ米民主党上院議員夫妻一行と会見。12月31日,訪中したもの。
DIA-104-1978-01-04-3中国1978年01月04日1970年代中共中央,スウェーデン共産党創立5周年に祝電。
DIA-104-1978-01-04-4中国1978年01月04日1970年代人民日報,「僑務活動を重視しなければならない」―最近,北京で全国僑務会議予備会議が開催された。
DIA-104-1978-01-04-5中国1978年01月04日1970年代人民日報,廖承志論文「いわゆる『海外との関係』の問題という『4人組』の反動的議論を批判する」。
DIA-104-1978-01-05-1中国1978年01月05日1970年代上海で「周恩来号」機関革命名式挙行さる―鉄道部長段君毅が「周恩来号」機関車命名についての鉄道部の決定を読み上げた。
DIA-104-1978-01-05-2中国1978年01月05日1970年代中国石油公司代表団(孫敬文団長,李人俊顧問),訪米。
DIA-104-1978-01-06-1中国1978年01月06日1970年代張廷発,空軍党委第1書記就任が判明―空軍部隊が航空兵某師団の指導グループに学ぶ会議で講話。
DIA-104-1978-01-06-2中国1978年01月06日1970年代「人民日報」,辺新論文「風派の人物系譜の初歩的分析」を掲載―4日の「解放軍報」から。
DIA-104-1978-01-07-1中国1978年01月07日1970年代華主席,オーストラリア共産党(ML)のエドワード・F・ヒル議長夫妻と会見。
DIA-104-1978-01-07-2中国1978年01月07日1970年代鄧小平副総理,アラン・クラントン民主党上院院内副総務を団長とする米国議会議員団と会見。同議員団は中国人民外交学会の招きで4日訪中したもの。
DIA-104-1978-01-07-3中国1978年01月07日1970年代中国・ブラジル,貿易協定に調印。
DIA-104-1978-01-08-1中国1978年01月08日1970年代天安門広場に数万人が集まり故周総理を追悼。
DIA-104-1978-01-08-2中国1978年01月08日1970年代「天安門革命詩文選―敬愛する周総理にささげる」の全文出版を求める壁新聞が,長安街に貼り出さる。香港で同書が発売さる。
DIA-104-1978-01-08-3中国1978年01月08日1970年代中国の財政事情,好転―1977年の全国の財政収入は年初の予算指標を6%上回り,史上最高の年収水準を上回るという「2つの上回る」ことを実現。3年連続財政収入計画未達成の局面が一挙に変わった。
DIA-104-1978-01-08-4中国1978年01月08日1970年代中国の都市・農村の預貯金,大幅に増加―1977年の農村の預貯金は1976年より19.2%,都市の預貯金は10.5%それぞれ増加。
DIA-104-1978-01-09-1中国1978年01月09日1970年代安徽省第5期人民代表大会第1回会議を開く―14日まで。革命委主任に万里を選出。7日から15日まで同省政治協商会議第4期第1回会議開催。
DIA-104-1978-01-09-2中国1978年01月09日1970年代マイスク・サイソムペン産業・通商相を団長とするラオス産業・通商代表団が訪中。
DIA-104-1978-01-09-3中国1978年01月09日1970年代中国紅十字会,小麦1000トンをゼネガルに援助。
DIA-104-1978-01-09-4中国1978年01月09日1970年代グロムイコ外相,日ソ外相協議で「日ソ善隣友好の見地から,日本と第三国との関係について若干の懸念がある」と語る。
DIA-104-1978-01-10-1中国1978年01月10日1970年代「人民日報」,「解放軍報」金戈論文「すりぬけ派の肖像を画く」を転載。
DIA-104-1978-01-10-2中国1978年01月10日1970年代「人民日報」評論員論文,「組織部門をしっかりと整頓して党の幹部政策を実行しよう」
DIA-104-1978-01-10-3中国1978年01月10日1970年代内蒙古自治区政協会議副主席にジンギスカンの31代目の子孫オチルホトクト選出さる。
DIA-104-1978-01-10-4中国1978年01月10日1970年代中国・ベトナム,1978年度バーター・支払脇定に調印。
DIA-104-1978-01-11-1中国1978年01月11日1970年代文化部批判グループ論文が「4人組」の「文芸における黒い線の独裁」論を批判―「紅旗」1号。
DIA-104-1978-01-11-2中国1978年01月11日1970年代国家出版局が最近,北京で全国出版工作座談会を開催―党中央宣伝部長張平化が,重要講話をおこなった。
DIA-104-1978-01-12-1中国1978年01月12日1970年代「人民日報」報道,「江青と小庄」―1974年6月から76年8月まで江青が3回小庄を訪れたいきさつを暴露。
DIA-104-1978-01-12-2中国1978年01月12日1970年代公安部が「愛民月間」活動を展開する通知を最近発出。
DIA-104-1978-01-12-3中国1978年01月12日1970年代園田外相「日中条約交渉再開の環境は整った」と語る―首相に訪ソ報告をしたあとの記者会見で。
DIA-104-1978-01-12-4中国1978年01月12日1970年代紀登奎副総理,久野忠治代議士と会見―日ソ外相会談における日本の対ソ姿勢を評価。
DIA-104-1978-01-13-1中国1978年01月13日1970年代新憲法が下部で学習,討論中―中国筋,共同。
DIA-104-1978-01-13-2中国1978年01月13日1970年代イギリス労働党のJ.カートライト,B.デービス両議員が訪中。
DIA-104-1978-01-14-1中国1978年01月14日1970年代鄧小平副主席の故周総理追悼の言葉が「人民日報」の語録欄に登場。
DIA-104-1978-01-14-2中国1978年01月14日1970年代中国・ブルガリア,78年バーター支払い協定に調印。
DIA-104-1978-01-14-3中国1978年01月14日1970年代女流作家楊沫氏を団長とし,曲波氏を副団長とする中国作家代表団,パキスタン訪問。
DIA-104-1978-01-15-1中国1978年01月15日1970年代「解放軍報」尚弓論文,「『地震派』の人物が前非を改めるよう,忠告する」―「人民日報」が転載。
DIA-104-1978-01-15-2中国1978年01月15日1970年代国家計画委員会の主催で全国工業・交通技術革新経験交流会を山東省煙台で開催―22日まで。各省市・自治区,国務省の各関係部・委員会,一部の工業・鉱山,科学研究部門,大学・専門学校,の代表700人近くが参加。会議は国家計画委員会から提出された1978年―80年までに全国で60項目の新技術を重点的におし広める計画草案を討議。これら技術項目には工業余熱利用技術,火力発電所の石炭・電力節約技術,ボタとストーンコールの総合利用技術,採炭の機械化,連続鋳鋼,微切削・無切削の新技術,熱処理技術,大規模集積回路,レーザー技術の応用などが含まれている。
DIA-104-1978-01-15-3中国1978年01月15日1970年代昨年の対外貿易は輸出入とも計画を起過達成し,輸出入総額は1976年に比べ12%以上伸び,出超となり,収支は黒字となった。1977年の全国の輸出商品買付け計画は7%超過達成された。輸出に占める工鉱業製品と軽工業紡績製品は63%,農業副業産品は37%であった。
DIA-104-1978-01-15-4中国1978年01月15日1970年代北京の交通事情―1977年の自動車台数は65年の5倍に達し,自転車は約250万台で,毎年12万台の割で増加している。
DIA-104-1978-01-16-1中国1978年01月16日1970年代「人民文学」編集部が文学工作者座談会開く―昨年12月28日から31日まで。華主席が題詞を寄せた。
DIA-104-1978-01-16-2中国1978年01月16日1970年代冶金工業の大慶に学ぶ全国会議が閉幕―1977年12月28日開幕。全国から3300余名が出席。代表たちは,今後23年間に鉄鋼生産を年400~500万トン,さらには600万トンの割合で増やすことを決意。現在,コークス,鉄鋼原料,鉄合金,耐火材料,電力の消費節約と労働生産性はいずれも史上最高水準を大きく上回っている。多くの企業が「5大潜在力」発掘,「5大水準創造」の具体的措置を定めた。
DIA-104-1978-01-16-3中国1978年01月16日1970年代本溪鉄鋼公司の大型コークス炉の修理が完了し,再び稼働する。
DIA-104-1978-01-17-1中国1978年01月17日1970年代国務院と中央軍委が春節に「擁軍優属,擁政愛民」活動を展開する通知を発出。
DIA-104-1978-01-17-2中国1978年01月17日1970年代三井造船が物理探査船2隻を受注―総額約35億円。
DIA-104-1978-01-18-1中国1978年01月18日1970年代徐州火力発電所の第1台目の発電機が最近稼動。国産の12万5000kW二重内部水冷式タービン発電機を使用。
DIA-104-1978-01-18-2中国1978年01月18日1970年代全国の葉タバコ,ジュート,紅麻の買付け量は史上最もよい水準をこえる。買付け計画をタバコは11%,ジュート,紅麻は8.6%上回った。
DIA-104-1978-01-18-3中国1978年01月18日1970年代人民日報社説「冶金工業の高速度発展には大いに希望がある」
DIA-104-1978-01-18-4中国1978年01月18日1970年代鄧穎超全国人民代表大会常務委員会副委員長,カンボジア訪問―韓念竜外交部副部長らが随行。同日ポル・ポト首相と会見。21日,帰国。
DIA-104-1978-01-19-1中国1978年01月19日1970年代「人民日報」評論員論文,「幹部審査の懸案を真剣に処理し,党の幹部政策を実行しよう」。
DIA-104-1978-01-19-2中国1978年01月19日1970年代レイモン・バール仏首相,訪中―人民日報,歓迎社説を発表。華主席ら空港まで出迎へ。同夜の歓迎宴で鄧副総理は中国は「欧州共同体が連合を通じて強大化するという大目標のもと,たえず発展し強大化してゆくことを希望する」と述べる。20日~22日,鄧小平副総理と会談。21日,華主席と会談。中仏,科学技術協定に調印。22日,鄧穎超副委員長と会見。特別列車で遼寧省遼陽市へ向う。23日,遼陽と瀋陽を訪問,建設中の遼陽石油化学繊維工場を参観。上海訪問,24日,帰国。
DIA-104-1978-01-19-3中国1978年01月19日1970年代新華社記者論評「ソ連はなぜカンボジア・ベトナム問題で流言飛語を流すのか」―カンボジア・ベトナム関係悪化は北京の挑発によるものというソ連の宣伝機関の誹謗中傷を非難。
DIA-104-1978-01-20-1中国1978年01月20日1970年代唐山市,1977年12月の工業総生産額が地震前の月産水準を超えるまでに回復。
DIA-104-1978-01-20-2中国1978年01月20日1970年代中国・ラオス,プラント援助供与に関する議定書に調印。
DIA-104-1978-01-21-1中国1978年01月21日1970年代「人民日報」山西省城県の入試不正事件を公表。
DIA-104-1978-01-21-2中国1978年01月21日1970年代チベット農業の発展―機械耕作面積は1977年に総耕地面積の20%前後を占める。解放前食糧ムー平均100余斤であったのが現在では300斤近くへ上昇し,自給を達成している。
DIA-104-1978-01-22-1中国1978年01月22日1970年代全国体育工作会議開催―30日まで。
DIA-104-1978-01-22-2中国1978年01月22日1970年代江西洲高校の寧泊君(13才)が科学技術大学に入学許可さる(「新晩報」)。
DIA-104-1978-01-22-3中国1978年01月22日1970年代チベット高原の最初の湿蒸気地熱試験発電所が初歩的に完成し発電開始。
DIA-104-1978-01-23-1中国1978年01月23日1970年代楊成武副総参謀長が福州部隊司令員に就任と判明―北京放送。
DIA-104-1978-01-23-2中国1978年01月23日1970年代「人民日報」方之論文,「『6分の5』について」―科学研究単位では6分の5の時間は業務にあてるべきこと,を強調。
DIA-104-1978-01-23-3中国1978年01月23日1970年代南方13省市自治区住血吸虫病予防治療工作会議開く―昨年12月11日から15日まで,上海で。1985年までに基本的に消滅を要求。
DIA-104-1978-01-23-4中国1978年01月23日1970年代抗州市で「筋金入り第6中隊展覧館」が開館。
DIA-104-1978-01-24-1中国1978年01月24日1970年代「人民日報」,福建省晋江県での14組の集団結婚式を報道,これを奨励。
DIA-104-1978-01-24-2中国1978年01月24日1970年代「解放軍報」編集部論評,「軍事訓練が3度盛り上り3度下落した歴史的経験」。
DIA-104-1978-01-24-3中国1978年01月24日1970年代国務院知識青年農山村定住弁公室が最近,地方責任者座談会を開く―今年中に全国知識青年農山村定住工作会議を開くことを検討。
DIA-104-1978-01-24-4中国1978年01月24日1970年代教育部は最近全国にいくつかの重点小中学校を設ける通知を発出。
DIA-104-1978-01-25-1中国1978年01月25日1970年代国務院が召集した全国国営農場工作会議が北京で閉幕―華主席は国営農場に「農場の潜在力は大きい,かならず国営農場をりっぱに経営しなければならない」という題詞を送る。李先念副主席が重要な講話を行い,余秋里副総理が総括報告を行った。遠からぬ内に国営農場を商品食糧基地,工業原料基地,都市副食品基地,輸出商品基地にすること。まず黒竜江省の国営農場に重点的に力を入れ,単位面積当り収量の増大と開こん規模を拡大することを決定。また会議は1978年から1985年に至る躍進計画を制定。
DIA-104-1978-01-26-1中国1978年01月26日1970年代解放軍報社説「かなめをつかんで軍を治め戦争に備えよう」―「人民日報」が転載したもの。鄧小平の75年の軍の整頓に関する指示を評価。
DIA-104-1978-01-26-2中国1978年01月26日1970年代人工衛星の打上げに成功―30日の新華社通信は地上への回収に成功したと伝えた。
DIA-104-1978-01-26-3中国1978年01月26日1970年代教育部,知識青年弁公室,中央放送局が,冬春休みに「新風をうち立て,良いことをする」活動を展開するよう,青少年によびかけ。
DIA-104-1978-01-26-4中国1978年01月26日1970年代人民日報社説「国営農場は大躍進をしなければならない」―全国に2000余の農場,牧場を建設し,6000余万ムーの耕地を開こんしている。
DIA-104-1978-01-26-5中国1978年01月26日1970年代第3回全国農業機械化会議に於る余秋里副総理の報告「全党を動員し,三年間決戦をやり,基本的に農業機械化を実現するために奮闘しよう」。
DIA-104-1978-01-26-6中国1978年01月26日1970年代鄧小平副総理,ビルマを公式訪問―31日まで。韓念竜外交部副部長らが随行,成都へ帰り,3日間滞在しネパール訪問へ出発。
DIA-104-1978-01-27-1中国1978年01月27日1970年代この数日,瀋陽の中心部に陳錫聯,李素文批判の壁新聞あらわる(AFP)。―さらに毛遠新名ざしの壁新聞あらわる(香港紙2月1日)。
DIA-104-1978-01-27-2中国1978年01月27日1970年代人民日報評論員論文「高速度をかちとる一つの重要な問題」―副題「りっぱに,むだなくを堅持して多く,早くを求める」
DIA-104-1978-01-28-1中国1978年01月28日1970年代教育部責任者,山東省華県で不正入試をおこなった2人の幹部の党籍をはく奪し,解任した,と語る。
DIA-104-1978-01-28-2中国1978年01月28日1970年代人民日報記者論評「超大国と中性子爆弾」―ソ連が中性子爆弾という新しい核兵器の分野で米国と競争するつもりであると指摘。
DIA-104-1978-01-29-1中国1978年01月29日1970年代華主席,葉,李,汪副主席以下党政府指導者が,全国石炭工業労働英雄会議,その他の会議の参加者3000人と会見。
DIA-104-1978-01-29-2中国1978年01月29日1970年代安徽省で岳父の葬儀を派手におこなった公安部副局長に停職処分―「人民日報」が特集。
DIA-104-1978-01-29-3中国1978年01月29日1970年代北京市が農山村定住知識青年が大寨に学ぶ先進集団,個人代表会議を開く。
DIA-104-1978-01-29-4中国1978年01月29日1970年代中国・フィリピン,原油供給継続に関する協定に調印。
DIA-104-1978-01-30-1中国1978年01月30日1970年代「解放軍報」編集部論文,「軍事戦線の是と非をめぐる大闘争」―「人民日報」が転載。1975年6~7月の軍委拡大会議をめぐって。
DIA-104-1978-01-30-2中国1978年01月30日1970年代新疆ウィグル自治区第5期人民代表大会第1回会議開催―2月3日まで。革命委員会主任に注汪鋒を選任。1月29日から2月2日まで同区政治協商会議第4期第1回会議が開かれた。
DIA-104-1978-01-31-1中国1978年01月31日1970年代31日 疆中央軍委が陳大新に「雷鋒式の模範軍医」の称号授与―この日福州で授与式がおこなわれた。
DIA-104-1978-01-31-2中国1978年01月31日1970年代日中長期貿易取決め推進委員会を日中長期貿易協議委員会に改組,発足。
DIA-104-1978-02-01-1中国1978年02月01日1970年代全国文聯と作家協会が復活,郭沫若と茅盾がそれぞれの主席に就任―「人民文学」誌が公表。
DIA-104-1978-02-01-2中国1978年02月01日1970年代人民日報社説「農業機械化を大いに早く実現する促進派になろう」―「大きくて全てがそろっている」「小さくて全てがそろっている」というこの種の生産組織の形式は生産力の発展の桎梏となり,工場の生産量を小さくし,品質をおとし,コスト高,労働生産性の低下をもたらす。このような桎梏を取り除かなければ,農業機械化の足を引っぱることになろうと警告。
DIA-104-1978-02-01-3中国1978年02月01日1970年代人民日報,中共河北省滄州市第一商業局委員会執筆論文「商業は国民経済発展のために速度をきそう」。
DIA-104-1978-02-02-1中国1978年02月02日1970年代人民日報社説「開の労働者に学んで,石炭工業を速いテンポで発展させよう」―開は大慶に学んだ先進的モデルであり,第4次5ヵ年計画期間中に出炭量の倍増を達成した。この増産分の70%は機械化採炭によるものである。
DIA-104-1978-02-02-2中国1978年02月02日1970年代中国・ユーゴ,航空路開設議定書に調印。
DIA-104-1978-02-03-1中国1978年02月03日1970年代北京の科学者,教育工作者,労働模範たちが青少年と盛大な春節交歓会を開く。
DIA-104-1978-02-03-2中国1978年02月03日1970年代国家科学技術委員会主任に方毅,中華全国科学技術協会主席に周培源就任が判明―北京放送。
DIA-104-1978-02-03-3中国1978年02月03日1970年代国家計画委員会の袁宝華副主任が最近,全国工業・交通技術革新経験交流会で先進的技術の採用を呼びかけ―古い工場を改造することは新工場建設より資金,人力,材料,時間が1/3少なくて済む。技術革新の重点を電力,燃料,輸送の発展と製品の質の向上,消費引上げにおかなければならない。最近,華主席はエネルギー政策を全般的に考慮しなければならないと指示したが,これは戦略性を帯びた問題である。技術革新をりっぱに行い,先進技術の採用と普及を促すため次の措置をとる。①新技術の普及活動を一つの部門が管轄するようにする。②新技術と企業の技術革新改造をおし広めることを国家計画に組み入れ,計画を制定する。③技術管理を整頓する。④工業管理体制を計画的に改革し,専門化生産を実行する。
DIA-104-1978-02-03-4中国1978年02月03日1970年代国家建築材料工業総局が最近北京で全国建築材料工業工作会議を開催―建築材料工業を速いテンポで発展させる10ヵ年計画を制定。今後8年間にセメントと新型建築材料の発展に重点をおくことを決定。
DIA-104-1978-02-03-5中国1978年02月03日1970年代鄧小平副総理,ネパールを訪問―韓念竜外交部副部長らが随行。6日,帰国。
DIA-104-1978-02-03-6中国1978年02月03日1970年代中国・EC,貿易協定に仮調印。
DIA-104-1978-02-03-7中国1978年02月03日1970年代党創立48周年の「ニャンザン」社説,「大国ショービニズム」「日和見主義」と中国を間接的に批判。
DIA-104-1978-02-04-1中国1978年02月04日1970年代清華大学はブルジョア派閥体系を打ちこわし,断固として各級指導グループを整頓している。
DIA-104-1978-02-04-2中国1978年02月04日1970年代全国科学技術協会が主席団拡大会議開催―5日まで。1978年の活動方針を討議。
DIA-104-1978-02-04-3中国1978年02月04日1970年代全国発電量大幅に伸びる―1月分の全国発電量,昨年同期に比べ22.5%伸びる。全国の半数近くの電力網の電力量は昨年12月の水準を越える。しかし現在,全国の多数の河川が水枯れ状態で水力発電所の出力が下降している。
DIA-104-1978-02-04-4中国1978年02月04日1970年代華主席,サダト・エジプト大統領特使ハッサン・エル・トハミー大統領府担当副首相兼大統領政治顧問と会見。2日訪中し,同日李先念副主席と会見。
DIA-104-1978-02-05-1中国1978年02月05日1970年代国務院が教育部の,中小学校教師隊列の管理工作を強化することに関する意見,を批准。
DIA-104-1978-02-05-2中国1978年02月05日1970年代張彬水利電力部副部長を団長とする中国原子力発電所視察団,フランス訪問。28日まで。
DIA-104-1978-02-06-1中国1978年02月06日1970年代軍総政治部文化部評論グループ論文,「“文芸の黒い線独裁”論の登場と破滅」―「人民日報」転載。
DIA-104-1978-02-06-2中国1978年02月06日1970年代徐向前国防部長が放送講話をおこなう―「擁軍優属,擁政愛民の光栄ある伝統を発揚しょう」と題するもの。
DIA-104-1978-02-06-3中国1978年02月06日1970年代北京,鄭州,武漢などで「2・7」スト55周年記念集会開く。
DIA-104-1978-02-06-4中国1978年02月06日1970年代人民日報社説「朝鮮の自主的平和的統一事業はかならず勝利する」。
DIA-104-1978-02-07-1中国1978年02月07日1970年代華主席,春節にあたり,首都鋼鉄公司を視察―汪東興,呉徳,余秋里,倪志福らの党と国家の指導者が随行。
DIA-104-1978-02-07-2中国1978年02月07日1970年代華主席,4人の副主席以下の指導者が,北京での擁軍優属,擁政愛民演奏の夕べに出席。
DIA-104-1978-02-07-3中国1978年02月07日1970年代劉清氏を団長とする中国輸出入公司代表団,インド訪問。
DIA-104-1978-02-07-4中国1978年02月07日1970年代日立製作所の中国向け電算機輸出についてココムが正式に認可。
DIA-104-1978-02-08-1中国1978年02月08日1970年代雑種水稲の普及―昨年全国各地の200万haの水田に作付けされ,殆んどの地区で高収穫をあげた。在来品種に比べ10アール当たり75~150kgの増収。
DIA-104-1978-02-09-1中国1978年02月09日1970年代寧夏自治区は大いに党の幹部政策を実施―去年2月党中央の寧夏問題を解決することに関する重要指示が下達され,効果上がる。
DIA-104-1978-02-09-2中国1978年02月09日1970年代人民日報,国際短評欄「ソ連覇権主義の自白」1月28日付プラウダの中近東状勢についてのトマロフ論文を批判。
DIA-104-1978-02-09-3中国1978年02月09日1970年代人民日報記者論評,「『キエフ』の遠洋航海からソ米の海での覇権争いを見る」。
DIA-104-1978-02-09-4中国1978年02月09日1970年代1977年の日中貿易は約35億ドルに―日本の輸出19億3864万ドル(対前年16.6%増),輸入15億4734万ドル(12.9%増),合計34億8599万ドル(14.9%増)。JETRO発表。
DIA-104-1978-02-10-1中国1978年02月10日1970年代政府首脳,「条約交渉はまさに機は熟した」と語る。
DIA-104-1978-02-11-1中国1978年02月11日1970年代「人民日報」李洪林論文,「優秀な者を選んで採用することから,格差の消滅を語る」。
DIA-104-1978-02-11-2中国1978年02月11日1970年代教育部責任者,新華社記者に,試験選抜にあたっては政治優先が原則,と語る。
DIA-104-1978-02-11-3中国1978年02月11日1970年代銭学森,新華社記者に原爆開発と毛沢東思想は区別される,と語る。
DIA-104-1978-02-11-4中国1978年02月11日1970年代最近,全国観光活動会議が開催された。
DIA-104-1978-02-11-5中国1978年02月11日1970年代朴成哲北朝鮮副主席一行,アフリカ諸国歴訪の途中,北京に立寄る。
DIA-104-1978-02-12-1中国1978年02月12日1970年代香港「明報」紙,康生と「4人粗」の関係について党中央が調査説。
DIA-104-1978-02-12-2中国1978年02月12日1970年代政府がこのほど,全日制10年制教学試行草案を公布―5・5・4制固まる(北京放送)。
DIA-104-1978-02-12-3中国1978年02月12日1970年代四川省の前指導者3人が「反革命」の罪状で逮捕さる(四川省放送)。
DIA-104-1978-02-12-4中国1978年02月12日1970年代人民日報短評「大豆生産を重視しょう」―大豆の主要産地,東北3省と山東,河南,河北,蘇北,安徽省北部の地域で食糧を重視し大三を軽視し,食糧生産で大豆生産を圧迫する現象が相当普遍的である。このため大豆の生産量も商品化率もともに上昇がおそく,そのため国民経済と人民の生活に不利である。
DIA-104-1978-02-12-5中国1978年02月12日1970年代山東省肥城鉱務局,採炭量の倍増計画を達成―1975年6月,計画を立案。1977年の採炭量,1975年当時の設計能力年産270万トンから540万トンに達す。
DIA-104-1978-02-12-6中国1978年02月12日1970年代雑誌「経済研究」の1978年第1号発発行された。月刊誌で中国社会科学院経済研究所が編集・出版。
DIA-104-1978-02-12-7中国1978年02月12日1970年代ヘンリー・M・ジャクソン米民主党上院議員一行,訪中―15日,伍修権軍副総参謀長と宋振明石油化学工業部副部長が会見。16日,鄧小平副総理と会見。
DIA-104-1978-02-13-1中国1978年02月13日1970年代「解放軍報」評論員論文,「『四人組』暴露・批判の闘争の全面勝利をかちとろう」―「人民日報」が転載。
DIA-104-1978-02-14-1中国1978年02月14日1970年代江西省第5期人民代表大会第1回会議開く―18日まで。江渭清が革命委員会主任に就任。
DIA-104-1978-02-14-2中国1978年02月14日1970年代河北省三河県党委員会,農業基本建設費を流用して会議場を建設した件で調査を受ける―華主席の指示,「人民日報」。
DIA-104-1978-02-14-3中国1978年02月14日1970年代湖北省,小型発電所建設の指導を強化―省に小型水力発電弁公室を設立し,小型水力発電所を大いに興すことを大寨県普及の重要な内容としている。
DIA-104-1978-02-14-4中国1978年02月14日1970年代稲山団長以下,日中長期貿易協議委員会代表団が訪中。
DIA-104-1978-02-14-5中国1978年02月14日1970年代佐藤大使,外交部を訪れ韓念竜次官と会談―中国側は条約交渉について「いつでも受ける用意あり」と表明。
DIA-104-1978-02-14-6中国1978年02月14日1970年代日中航空増便交渉開始―16日,4月から週1便増で合意。
DIA-104-1978-02-15-1中国1978年02月15日1970年代人民日報評論員論文「農民の積極性を動員するカギは政策を実行に移すことである」―労働に応じた分配の政策を実行に移すためには,なによりも労働管理を強化することである。現在,かなりの地方で生産隊の労働管理が乱れており,「三多一少(流出労働力が多く,非生産要員が多く,非生産的仕事が多く,農業第一線の労働力が少ない)」の現象がかなり普遍的であり,生産の発展に影響し,第一線労働力の分配所得を減らす結果になっている。また一部の生産隊では生産責任制が整備されていない。
DIA-104-1978-02-15-2中国1978年02月15日1970年代人民日報,江山論文「中国人民の忠実な友人エドガー・スノー」。
DIA-104-1978-02-15-3中国1978年02月15日1970年代李強対外貿易部部長,上海製鉄所の建設で関連施設も含めた日本の協力を要請―年産600万トン規模で,30億ドルの商談になる見込み。
DIA-104-1978-02-16-1中国1978年02月16日1970年代政協第4期全国委員会常委第8回会議開催―18日まで。24日から北京で第5期政協全国委員会第1回会議の開催を決定。
DIA-104-1978-02-16-2中国1978年02月16日1970年代人民日報,安徽省定遠県が農業生産の立遅れた状況を改革した調査報告生産隊の自主権を尊重したら,自由作付けが行なわれ,国家計画の実行に影響がおよぶと心配したが,結果は逆に農民の積極性を引だす方向に働いた。
DIA-104-1978-02-16-3中国1978年02月16日1970年代人民日報評論員論文「生産隊の自主権を尊重する」。
DIA-104-1978-02-16-4中国1978年02月16日1970年代雲南天然ガス化学工場が完成,操業に入る―1974年10月,建設開始。年産30万トンの合成アンモニアと年産48万トンの尿素の生産装置を有し,標準化学肥料年産100万トン。
DIA-104-1978-02-16-5中国1978年02月16日1970年代人民日報,粤僑論文「『海外関係の黒い6条』の反動的実質」。
DIA-104-1978-02-16-6中国1978年02月16日1970年代北京で日中長期貿易取り決めに調印―8年間で総額200億ドル,対中輸出プラント類は70~80億ドルに。
DIA-104-1978-02-16-7中国1978年02月16日1970年代李先念副総理,佐藤大使に「日中平和友好条約について努力をしてほしい」と要請。
DIA-104-1978-02-16-8中国1978年02月16日1970年代李先念副総理,鞍山・本溪製鉄所の設備近代化について,日本に協力を要請。
DIA-104-1978-02-17-1中国1978年02月17日1970年代「人民日報」徐遅の報告文学,「ゴールドバッハの推測」を掲載―数学者,陳景潤の物語り。
DIA-104-1978-02-17-2中国1978年02月17日1970年代武漢石油化工工場が完成し操業に入る―原油からガソリン,灯油,ディーゼル油,燃料油,液化石油ガスを生産。これにより湖北省と武漢地区が油とガスの長期外地供給依存の状況を終らせた。この工場の完成は湖北省の鉄鋼,電力,化学肥料の生産と武漢地区の一部の民用燃料の解決に重要な役割を持つ。
DIA-104-1978-02-17-3中国1978年02月17日1970年代徐州発電所の第一台目の発電機が完成し,発電開始―近代的な大型坑口発電所。国産の12万5000kWの2重内部水冷式蒸気タービン発電機を設置。江蘇省徐州地区,山東省棗滕地区の工農業生産の発展に重要な経済価値を持っている。
DIA-104-1978-02-17-4中国1978年02月17日1970年代中国の自主設計で建造の初の5万トン級浮きドックが完成―山海関造船所で建造。大慶60号タンカーが最初にこのドックで修理された。
DIA-104-1978-02-18-1中国1978年02月18日1970年代中共第11期中央委員会第2回総会開催―23日まで。第5期全国人民代表大会の審議をうける「政府活動報告」,「1976~85年の国民経済発展10ヵ年計画要綱(草案)」,「中華人民共和国憲法改正案」および「憲法改正についての報告」を一致して採択,国歌の新しい歌詞も採択した。
DIA-104-1978-02-18-2中国1978年02月18日1970年代全国人民代表大会常務委員会が,「第5期全人代第1回会議開催についての通知」を発出,26日開催を通知。
DIA-104-1978-02-18-3中国1978年02月18日1970年代「人民日報」評論員論文,「幹部政策を実行に移す上での重要な問題」―誤まりを犯した幹部の子女に正しく対処するべきことを強調。
DIA-104-1978-02-18-4中国1978年02月18日1970年代人民日報,銭敏論文「古い工業都市の工業発展速度は大いにテンポを早めることができる」―重慶市では目下多くの企業の生産水準はまだ設計能力と史上最高水準に達しておらず,8項経済技術指標も国内先進水準に立遅れている。1977年の粗鋼,銑鉄,石炭など重工業の生産能力の利用率は60~70%に達しただけで,機械,化学工業の設備利用率もあまり高くない。
DIA-104-1978-02-18-5中国1978年02月18日1970年代新華社記者論評「ウソと鮮血」―エチオピアとソマリアのオガデン問題をめぐる紛争の拡大はソ連の下心もった挑発離間の策動のためと批判。
DIA-104-1978-02-18-6中国1978年02月18日1970年代福田首相,佐藤大使に条約交渉再開のための段取りをつめるよう指示。
DIA-104-1978-02-19-1中国1978年02月19日1970年代「人民日報」特約評論員論文,「古参幹部の光栄ある任務」―新幹部の成長のために力を注ぐべきことを訴える。
DIA-104-1978-02-19-2中国1978年02月19日1970年代シェフェル・ユーゴ首相,訪中―22日,華主席と会見。
DIA-104-1978-02-20-1中国1978年02月20日1970年代人民日報社説「ひ石で大いになす所あり」
DIA-104-1978-02-20-2中国1978年02月20日1970年代南票鉱務局はひ石の総合利用を大いにすすめる。
DIA-104-1978-02-20-3中国1978年02月20日1970年代河北省全省でひ石の利用が300万トン余にのぼる。
DIA-104-1978-02-20-4中国1978年02月20日1970年代水稲の新品種の育種に成功―四川省井研県農業科学研究所技術員の陳光達が高梁と水稲を雑交させ「高梁稲」の育種に成功。
DIA-104-1978-02-20-5中国1978年02月20日1970年代王炳南を団長とする中国人民対外友好協会代表団,パキスタン訪問―28日,バングラデシュ訪問。3月7日インド訪問。
DIA-104-1978-02-20-6中国1978年02月20日1970年代紀登奎副総理,日中友好議連参院自民訪中団と会見。
DIA-104-1978-02-20-7中国1978年02月20日1970年代河本通産相,中国原油輸入拡大のため,重質油分解は国家事業で取り組む方針を表明。
DIA-104-1978-02-21-1中国1978年02月21日1970年代韓幽桐社会科学院法律研究所副所長,新華社記者に社会主義中国の法制について語る。
DIA-104-1978-02-21-2中国1978年02月21日1970年代地方革命委員会主任,副主任の75%が更迭さる―主任29人中15人,副主任352人中263人が新任。黒竜江省,甘粛省,寧夏回族自治区は留任ゼロ(読売)。ラジオプレスによると更迭は73%。
DIA-104-1978-02-21-3中国1978年02月21日1970年代「人民日報」,「朝陽農学院の経験」を,党をのっとり権力を奪う反革命の経験と批判。
DIA-104-1978-02-21-4中国1978年02月21日1970年代人民日報評論員論文「西欧が連合して覇権に反対するのは歴史の必然である」。
DIA-104-1978-02-21-5中国1978年02月21日1970年代福田首相,施政方針演説で「交渉の機はようやく熟しつつあるものと判断されますので更に一段の努力を重ねる決意であります」と表明。
DIA-104-1978-02-22-1中国1978年02月22日1970年代「人民日報」,臭いものにフタ派(派)を批判。
DIA-104-1978-02-22-2中国1978年02月22日1970年代「解放軍報」社説,「カギは指導部の選択配置と十分な整頓にある」―23日,「人民日報」が転載。
DIA-104-1978-02-22-3中国1978年02月22日1970年代人民日報社説「高速のためにより多くの資金を蓄積しよう」―赤字から黒字への転化をりっぱにやりとげるためには財政経済規律を厳格に実行しなければならず,そのため適当な時期に一度財政経済規律の大検査を行なわねばならない。またこの工作を大慶に学ぶ計画に組み入れて,工業は大慶に学ぶ重要な内容にしなければならない。
DIA-104-1978-02-22-4中国1978年02月22日1970年代全国の企業の収益向上の工作が成果をあげる―昨年下半期より始められた工作は半年たらずで,一昨年に比べ欠損を減少させた金額は昨年10月より実施された賃金引上げの一年分の総額を越えた。国営企業の利潤総額は史上最高水準に達した。
DIA-104-1978-02-22-5中国1978年02月22日1970年代人民日報,汪海波論文「政治統師と物質刺激の結合を堅持する」。
DIA-104-1978-02-22-6中国1978年02月22日1970年代石油化学工業部,国外先進技術学習報告討論会を挙行―石油化学工業部の正副部長と全国各地の油田指導幹部が参加。外国視察から帰国したばかりの副部長が国外石油技術の発展概況を紹介。
DIA-104-1978-02-22-7中国1978年02月22日1970年代福田首相,ポリヤンスキー・ソ連大使と会見―ソ連大使が善隣協力条約を再提案,首相はこれを拒否。
DIA-104-1978-02-23-1中国1978年02月23日1970年代人民解放軍福建前線司令部および政治部,賞金を公布して台湾将兵の投降をよびかけ―香港「大公報」。
DIA-104-1978-02-23-2中国1978年02月23日1970年代民用航空会議,このほど閉幕―国際,国内路線の増設および大規模な現代的空港の建設促進,業務改善のためより多くの乗員の訓練を決定。現在国際線は9路線開設。多くの大型空港の建設が数省・直轄市で進められている。
DIA-104-1978-02-23-3中国1978年02月23日1970年代勝利油田,短期間に大慶油田規模に拡大するために前進―この目標実現のため,油田党委員会は計画をたて,昨年11月に前線会戦指揮部を成立させた。
DIA-104-1978-02-23-4中国1978年02月23日1970年代中国駐在ソ連大使館付武官がソ連軍建軍60周年記念レセプションを催す―伍修権副総参謀長らが出席。
DIA-104-1978-02-23-5中国1978年02月23日1970年代レタス通信,日ソ善隣協力条約草案の全文を公表―園田外相は27日,「日米,日中の結びつきを弱め,東欧諸国と同様の関係にもってゆくのがソ連の本心」と論評。
DIA-104-1978-02-24-1中国1978年02月24日1970年代政協第5期全国委第1回会議開催―64年12月以来13年ぶり。委員は1988名,うち特別招請人士は993人。これに先だち予備会議が開かれ議事日程が採択された。3月8日閉幕。会議は中国人民政治協商会議規約と決議を満場一致で採択,全国委主席に鄧小平党副主席を満場一致で選出した。
DIA-104-1978-02-24-2中国1978年02月24日1970年代アハメド・エゼジン・ヒラル工業石油鉱業相を団長とするエジプト石油代表団,訪中。
DIA-104-1978-02-24-3中国1978年02月24日1970年代賈慧生石炭工業部副部長を団長とする中国石炭工業視察団,西ドイツ訪問(3月6日まで),その後ルーマニア訪問。
DIA-104-1978-02-24-4中国1978年02月24日1970年代ソ連最高会議幹部会が,中国の全国人民代表大会常務委員会あてに「両国の相互関係の原則に関する共同声明」を発表するように提案(新華社3月26日発表)。
DIA-104-1978-02-24-5中国1978年02月24日1970年代中国・フィリピン,1978年貿易交換公文に調印。
DIA-104-1978-02-25-1中国1978年02月25日1970年代第5期全人代第1回会議予備会議開催―主席団と秘書長を選出。議事日程を定め,代表の資格審査をおこなった。3500人中3人が資格を取り消された。
DIA-104-1978-02-25-2中国1978年02月25日1970年代パンチェン・ラマが自己批判をおこない政界復帰。
DIA-104-1978-02-26-1中国1978年02月26日1970年代第5期全人代第1回会議,北京で開幕―葉剣英副主席が開幕を宣言,華国鋒総理が「政府活動報告」をおこなった。27,28日はグループ討議。3月1日,葉副主席が「憲法改正についての報告」をおこない,2日から4日までグループ討議がおこなわれ,5日,葉剣英委員長,華国鋒総理を選出,「憲法」および「政府活動報告についての決議」を採択,閉幕した。 開幕にあたり,三紙誌共同社説,「長征をひきつづき進める重大な配置」が発表された。
DIA-104-1978-02-27-1中国1978年02月27日1970年代人民日報,厳実之論文「労働に応じた分配という社会主義の原則を堅持する」。
DIA-104-1978-02-27-2中国1978年02月27日1970年代中国・ハンガリー,1978年バーター支払い協定に調印。
DIA-104-1978-02-28-1中国1978年02月28日1970年代政協全国委員会,「2・28」蜂起31周年記念座談会開く―許徳街副委員長が司会し,廖承志副委員長があいさつをおこなった。広東,福建,上海,天津,武漢,旅大でも座談会が開かれた。
DIA-104-1978-02-28-2中国1978年02月28日1970年代第7機械工業部は長期の大乱に終止符をうち,ブルジョア派閥体系を粉砕,重大な勝利をかちとった―「人民日報」。
DIA-104-1978-02-28-3中国1978年02月28日1970年代新華社記者報道「アフリカの角の緊張の真相」。
DIA-104-1978-02-28-4中国1978年02月28日1970年代新任の銭李仁UNESCO常駐代表,赴任。
DIA-104-1978-02-28-5中国1978年02月28日1970年代中国側,国貿促に個別商品の1~2年の長期取り決めを提案。
DIA-104-1978-03-01-1中国1978年03月01日1970年代「人民日報」,羅瑞卿の周総理回想記を掲載―周生誕80周年を記念。
DIA-104-1978-03-01-2中国1978年03月01日1970年代中国社会科学院が最近座談会を開催―社会科学院院長に胡喬木の就任判明。
DIA-104-1978-03-01-3中国1978年03月01日1970年代国務院,重点88大学専門学校を指定。
DIA-104-1978-03-01-4中国1978年03月01日1970年代北京の北海公園と景山公園が一般に開放された。
DIA-104-1978-03-01-5中国1978年03月01日1970年代中国人民解放軍の軍事学院,政治学院,後勤学院が再開。
DIA-104-1978-03-03-1中国1978年03月03日1970年代人民日報社説「春の農作業の全面的勝利をかちとろう」。
DIA-104-1978-03-03-2中国1978年03月03日1970年代今年の中国原油輸入量718万トンに決まる。
DIA-104-1978-03-04-1中国1978年03月04日1970年代社会科学院に新聞研究所を増設,安崗岩が責任者となる。
DIA-104-1978-03-04-2中国1978年03月04日1970年代「周恩来同志の青年時代革命活動記念館」が天津で開館。
DIA-104-1978-03-04-3中国1978年03月04日1970年代佐藤駐中国大使,韓念竜次官と日中平和友好条約問題で再会談―園田外相,佐藤・韓会談がもう一度必要と表明。
DIA-104-1978-03-04-4中国1978年03月04日1970年代人民日報評論員論文,「覇権主義の生きた見本」―ソ日善隣条約草案提示を非難。
DIA-104-1978-03-05-1中国1978年03月05日1970年代周恩来生誕80周年にあたり「人民日報」は周恩来の筆跡をかかげる―徐向前政治局員の文革中における周総理の回想記も掲載。統一戦線工作部(16日),教育部(17日)も論文を発表。
DIA-104-1978-03-06-1中国1978年03月06日1970年代天安門前で全人代閉幕を祝う数十万人のデモ―各部の部長がデモの先頭に。3紙誌は「愚公山を移す精神で中国を改造しょう」という社説を発表した。
DIA-104-1978-03-07-1中国1978年03月07日1970年代第5期全人代常務委第1回会議,「兵役制の問題に関する決定」を討議,承認。
DIA-104-1978-03-07-2中国1978年03月07日1970年代人民日報,華主席の政治報告,国民経済発展十カ年計画要綱を発表(参考資料参照)。
DIA-104-1978-03-08-1中国1978年03月08日1970年代華主席,ニコライ・ジョサン国民議会議長を団長とするルーマニア大国民議会代表団と会見。
DIA-104-1978-03-09-1中国1978年03月09日1970年代華主席,4人の副主席以下党と国家の指導者,人民代表大会代表及び政治協商会議代表と会見。
DIA-104-1978-03-09-2中国1978年03月09日1970年代2月24日付ソ連提案への回答として中国外交部覚書きを提出―ソ連が中ソ関係の関係改善を真剣に考えているのならまず第1に1969年の中ソ両国首相の了解に基づいて国境の現状維持,武力衝突の防止,係争中の国境地帯における双方の兵力引離しに関する協定に調印すべきであり,中ソ国境から60年代初期の線まで軍隊を撤退させるべきである。それをせずして「相互関係の原則に関する声明」など発表することに実際的意義はなにもない。
DIA-104-1978-03-10-1中国1978年03月10日1970年代中国・ソマリア,ラジオ・テレビ協力協定と報道協力協定に調印。
DIA-104-1978-03-10-2中国1978年03月10日1970年代新任のタエブ・アブドル・ラヒム・マフムド・パレスチナ解放機構(PLO)北京駐在事務所長,着任。
DIA-104-1978-03-11-1中国1978年03月11日1970年代「人民日報」特約評論員論文,「真剣に4人組の害毒を粛清せよ」。
DIA-104-1978-03-11-2中国1978年03月11日1970年代人民日報「国際短評」,米韓合同軍事演習を非難。
DIA-104-1978-03-11-3中国1978年03月11日1970年代デサイ・王炳南会談で,中印両国国境紛争を交渉と平和手段により解決することで合意。
DIA-104-1978-03-11-4中国1978年03月11日1970年代公明党訪中団の矢野団長,張香山中日友協副会長と会談,「福田首相発言メモ」伝える―①日中条約締結については熱意をもって早期に断行する,②いずれの国とも平和友好を進めるとの日本外交の基本的立場について中国側の理解を求める,という内容を持つ。
DIA-104-1978-03-12-1中国1978年03月12日1970年代上海市党委員会,幹部と大衆1万人の名誉を回復。
DIA-104-1978-03-12-2中国1978年03月12日1970年代北京,上海,南京,広州,武漢で孫文逝去53周年記念集会を挙行。
DIA-104-1978-03-12-3中国1978年03月12日1970年代人民日報,冶金工業部理論組論文「周総理の教えを銘記して,大躍進の促進派となる」。
DIA-104-1978-03-12-4中国1978年03月12日1970年代農林部,小麦,ナタネなど越冬作物の伸びを全面的に分析する会議を開催―最近,河北省邯鄲地区で。15省市,41地区の農林部門責任者会議を開催。夏期食糧作物と油料作物の豊作をかちとる措置を制定。
DIA-104-1978-03-12-5中国1978年03月12日1970年代開炭鉱で労働に応じた分配政策を実行して良い成果を収めた事例を人民日報が紹介。
DIA-104-1978-03-12-6中国1978年03月12日1970年代李先念副総理,フィリピンを公式訪問―黄華外交部長ら随行。14日,中国・フィリピン科学技術協力協定に調印。16日,帰国。
DIA-104-1978-03-13-1中国1978年03月13日1970年代空軍指導機関で「三査三整」運動を展開―闘志,紀律,仕事と学習を検査し,軟弱,無精,散慢を取除き,官僚主義を取り除き,文風を整頓する,という運動。
DIA-104-1978-03-13-2中国1978年03月13日1970年代新華社論評「アフリカにおけるソ連の戦略目標」。
DIA-104-1978-03-14-1中国1978年03月14日1970年代大気圏内核実験を実行―米エネルギー省発表によるとロプノルでおこなわれ,20キロトン級。
DIA-104-1978-03-14-2中国1978年03月14日1970年代人民日報社説「大いに頑張って速やかに生産を発展させるほど,安全生産に一層りっぱに取組まなければならない」―生産と安全を一致させることを要求。
DIA-104-1978-03-14-3中国1978年03月14日1970年代人民日報,綿花栽培模範,呉吉昌を紹介。
DIA-104-1978-03-14-4中国1978年03月14日1970年代中国の連動装置測量技術は世界先進水準に達す―この技術は連動装置動態全体誤差測量新技術と呼ばれ,その発明者は成都道具研究所技術員黄潼年氏。このため「工程師」の称号を受ける。
DIA-104-1978-03-14-5中国1978年03月14日1970年代中国・フィリピン,科学技術協力協定に調印。
DIA-104-1978-03-14-6中国1978年03月14日1970年代鄧小平副主席,矢野公明党書記長に日中条約について4項目の見解を示す―鄧副主席は日本の独自外交に理解を示し,園田外相の訪中を歓迎,“第三国”条項の本文明記には反対を表明。 4項目とは,①中日条約の早期締結と両国の関係発展に対する中国の考え方に変化はない。②中日間の平和友好関係の樹立・発展は第三国に対するものではなく,覇権を求める者には反対する。③中日両国の覇権反対は共同行動を意味しない。④福田首相の早期決断を望み,園田訪中を歓迎する。
DIA-104-1978-03-15-1中国1978年03月15日1970年代華主席,葉,鄧,汪副主席,軍事科学院20周年を祝って同学院を訪問―「人民日報」は葉副主席の「わが国プロレタリアートの先進的軍事科学を発展させよう」という論文を発表した。
DIA-104-1978-03-15-2中国1978年03月15日1970年代全国科学大会と並行して全国の都市と農村で科学教育映画集中放映―4月15日まで。
DIA-104-1978-03-16-1中国1978年03月16日1970年代貴州省で大型燐鉱が発見される―福泉燐鉱。品位が高く,埋蔵量は大きく,採掘が容易である。
DIA-104-1978-03-17-1中国1978年03月17日1970年代紅旗3号,中共安徽省委員会第一書記万里論文「党の農村経済政策を真剣に実行に移そう」―「4人組」の安徽省における一味は「一平二調(一に均等,二に徴発)」をやり,多角経営の拡大を「金銭第一」として否定し,生産隊の自主権をないがしにする,などして党の農林経済政策を混乱させた。このような状態を糾すため省党委員会常務委員会は「当面の農村経済政策のいくつかの問題に関する規定(試行草案)」を作り,草案として下部で試行した。この文献は生産隊の自主権を尊重し,生産隊の労働力の徴用,資金・物資の徴発を厳しく統制し,生産隊と公社員の負担軽減に努める,分配の現金化をはかることなどを規定。
DIA-104-1978-03-18-1中国1978年03月18日1970年代全国科学大会,北京で開幕―華主席が開会を宣言,鄧副主席が重要演説をおこない,方毅副総理が「1978年から1985年までの全国科学技術発展計画要綱」(草案)について報告をおこなった。6000人近くの代表が出席。24日の全体会議で華主席が講話をおこなった。31日の閉幕式では先進人物と先進集団が表彰され,郭沫若科学院院長の書面メッセージ「科学の春」が読上げられ,紀登奎副総理が閉幕のあいさつを述べた。
DIA-104-1978-03-18-2中国1978年03月18日1970年代教育部は電話会議をおこない,潜在力を掘り起こして大学・専門学校の募集人員拡大に努力。
DIA-104-1978-03-18-3中国1978年03月18日1970年代李先念副総理,バングラデシュを公式訪問―21日,中国・バングラデシュ経済・科学協力両協定に調印。21日,帰国。
DIA-104-1978-03-18-4中国1978年03月18日1970年代中国・キューバ,貿易議定書に調印。
DIA-104-1978-03-20-1中国1978年03月20日1970年代「人民日報」評論員論文「整頓はすなわち革命である」―浙江省で県以上の指導グループを真剣に整頓強化している事例をモデルに紹介。少数の地区と部門での運動の停滞を指摘,改善を要求。
DIA-104-1978-03-20-2中国1978年03月20日1970年代耿副総理,PLO北京事務所主任タエブ・アブドル・ラヒム・マフムド氏と会見。イスラエルのレバノン侵略を非難。
DIA-104-1978-03-21-1中国1978年03月21日1970年代人民日報,中共北京大学委員会論文,「梁効を論ず」。
DIA-104-1978-03-22-1中国1978年03月22日1970年代北京大学内で新旧学生の間で壁新聞による論争が続いている(AFP)。
DIA-104-1978-03-22-2中国1978年03月22日1970年代「人民日報」,マルクス,エンゲルス,レーニン,スターリン,毛主席からの引用についでゴチックを用いなくなる。
DIA-104-1978-03-22-3中国1978年03月22日1970年代鞍山鉄鋼公司が大慶型企業に命名される―中共遼寧省委員会と治金部が命名通知を宣布。
DIA-104-1978-03-22-4中国1978年03月22日1970年代甘粛省党委員会,「当面の農村工作の若干の問題についての意見」を制定―昨年12月制定。これによって「4人組」に破壊された農村経済政策として労働に応じた分配,定額管理,副業生産,家畜繁殖奨励および生産隊の自主権尊重などの政策を復活。
DIA-104-1978-03-22-5中国1978年03月22日1970年代新任の陳楓アイスランド駐在大使,赴任。
DIA-104-1978-03-22-6中国1978年03月22日1970年代外務省が「日中平和友好条約問題の経緯」という文書を発表。
DIA-104-1978-03-22-7中国1978年03月22日1970年代趙安博中日友協顧問,趙撲初同副会長の就任が判明。
DIA-104-1978-03-23-1中国1978年03月23日1970年代文化部は最近昔陽で全国大衆文化工作経験交流現場会を開く。
DIA-104-1978-03-23-2中国1978年03月23日1970年代李強対外貿易部長,エジプトおよびベルギー,ルクセンブルク,西ドイツのEC3国訪間に出発。
DIA-104-1978-03-23-3中国1978年03月23日1970年代西ドイツ,キリスト教民主・社会同盟連邦議会グループ第一副議長兼CSU連邦議員グループ議長のフリードリッヒ・チンメルマン氏夫妻訪中。
DIA-104-1978-03-23-4中国1978年03月23日1970年代福田首相,大平自民党幹事長と会談,交渉の決意表明―外相を訪中させることを伝え,党内意見調整を要請。
DIA-104-1978-03-24-1中国1978年03月24日1970年代山西省党4期代表大会開く―29日まで。王謙が第一書記に当選。
DIA-104-1978-03-24-2中国1978年03月24日1970年代人民日報短評「鉄道運輸の新しい勝利」―鉄道輸送量が年初が前年末より低いという「常規」を破って,年初で史上最も良い水準に達した。
DIA-104-1978-03-24-3中国1978年03月24日1970年代全国化学肥料工業,第1四半期の計画を8日繰り上げ達成―同期の史上最高水準より50%以上増加。
DIA-104-1978-03-24-4中国1978年03月24日1970年代自民党総務会,尖閣列島に対しての何らかの保障を求める決議採択。
DIA-104-1978-03-25-1中国1978年03月25日1970年代鄧小平副総理,ノルウェーのクヌト・フリデンルント外相一行と会見。
DIA-104-1978-03-25-2中国1978年03月25日1970年代オランダ・マルクス・レーニン主義党のC.ペテルセン書記,訪中。
DIA-104-1978-03-25-3中国1978年03月25日1970年代中国・エジプト,1978年貿易議定書に調印。
DIA-104-1978-03-25-4中国1978年03月25日1970年代新華社記者論評「ベギンの謬論に反ばくする」。
DIA-104-1978-03-26-1中国1978年03月26日1970年代党貴州省第4期代表大会開催―31日まで。馬力を第一書記,賈庭三を第二書記に選出。
DIA-104-1978-03-26-2中国1978年03月26日1970年代第4機械工業部,テレビの品質を高めるために,最近,広州で全国初の白黒テレビ品評会を開催―「4人組」粉砕後,テレビの生産台数は急速に伸び,昨年の生産台数は前年比で53%も伸び,これは十数年間の生産台数の累計の半分に相当する。品評会に先立って抜き取り検査が行なわれた。
DIA-104-1978-03-26-3中国1978年03月26日1970年代C.T.チャーランド通産貿易次官補を団長とするカナダ政府貿易代表団,訪中。
DIA-104-1978-03-26-4中国1978年03月26日1970年代新華社,3月9日付駐中国ソ連大使館あて覚書きを公表。
DIA-104-1978-03-26-5中国1978年03月26日1970年代人民日報評論員論文「空虚な声明は必要がなく,実際行動が必要である」―2月24日のソ連幹部会書簡を論評。
DIA-104-1978-03-26-6中国1978年03月26日1970年代鄧小平副主席,飛鳥田社会党委員長と会見―条約締結時に華主席もしくは鄧副主席が訪日と約束。
DIA-104-1978-03-27-1中国1978年03月27日1970年代第1四半期の鋼,銑鉄生産計画を繰り上げ達成。昨年同期と比べて鋼と銑鉄の平均日産量は27%,20%の増加。
DIA-104-1978-03-27-2中国1978年03月27日1970年代人民日報評論員論文「労働に応じて分配を受ける政策を貫こう」。
DIA-104-1978-03-27-3中国1978年03月27日1970年代自民党A研,日中条約交渉の6項目の問題点を文書にまとめる。
DIA-104-1978-03-28-1中国1978年03月28日1970年代林乎加上海市革命委副主任を団長とする中国経済代表団来日―4月22日まで。30日通産省を訪問,円高は対日商談に好ましくない影響を与えていると指摘。
DIA-104-1978-03-29-1中国1978年03月29日1970年代クリアンサック・チャマナン・タイ首相夫妻,訪中―空港に華主席ら出迎へ。同日,人民日報が歓迎社説を発表。31日,両国の貿易協定と科学技術協力協定に調印。1日上海,桂林を訪問した。
DIA-104-1978-03-30-1中国1978年03月30日1970年代広東省党委第4回大会開く―4月6日まで。第1書記韋国清,第2書記習仲勲,常務書記焦林義を選出。
DIA-104-1978-03-30-2中国1978年03月30日1970年代「人民日報」葉剣韵記者論文,黒竜江省の前省委責任者が毛遠新との関係をおおいかくしていたことを暴露。昨年12月7日楊易辰が党第一書記,革命委員会主任に任命された。
DIA-104-1978-03-30-3中国1978年03月30日1970年代袁超俊氏を団長とする中国国際旅行社代表団,訪米。
DIA-104-1978-03-30-4中国1978年03月30日1970年代台湾中央研究員会員・元台湾大学教授の項教授が大陸に里帰り。
DIA-104-1978-03-30-5中国1978年03月30日1970年代自民党外交調査会・外交部会の合同会議で園田外相,宮沢4原則を交渉の前提とすることはないと言明。
DIA-104-1978-03-31-1中国1978年03月31日1970年代国務院に華僑事務弁公室が設置され,廖承志主任,林修徳副主任が任命されている(香港「文匯報」)。
DIA-104-1978-03-31-2中国1978年03月31日1970年代石炭,石油,紡績各工業,第1四半期が大幅に増産―全国石炭総生産量,昨年同期比22.9%の伸び。同じく石油10%,天然ガス12%,紡績工業40%の伸び。
DIA-104-1978-03-31-3中国1978年03月31日1970年代マレーシア・中国,コメ買付け契約に調印―今年下半期に10万トンの米をマレーシアに売り渡すもの。
DIA-104-1978-04-01-1中国1978年04月01日1970年代天安門広場の革命烈士記念碑の前に花輪がかざられ始める。
DIA-104-1978-04-02-1中国1978年04月02日1970年代李強対外貿易部長,ルクセンブルク訪問。3日,西ドイツ訪問。
DIA-104-1978-04-02-2中国1978年04月02日1970年代スウェーデンのカリン・ソーダー外相が訪中。
DIA-104-1978-04-02-3中国1978年04月02日1970年代中国政府代表団,ラオスを訪問―8日ルアンプラバンで中国・ラオス友好道路完工式に参加。
DIA-104-1978-04-03-1中国1978年04月03日1970年代中国・EC,貿易協定に調印―調印には李強対外貿易部長とアンデルセンEC閣僚理事会執行議長があたる。
DIA-104-1978-04-03-2中国1978年04月03日1970年代中国から帰国した孤児の伊藤弘司氏に日本国籍みとめられる。
DIA-104-1978-04-04-1中国1978年04月04日1970年代夕方,天安門広場の花輪200~300に達す―呉徳批判の壁新聞が相ついで出現,AFPは花輪には康生批判の文句も登場,と伝える。
DIA-104-1978-04-04-2中国1978年04月04日1970年代人民日報社説「人民公社・生産大隊の企業を発展させよう」―①現在全国の80~90%の人民公社・生産大隊が企業を経営しており,昨年の全国の社隊企業の生産総額は1976年より30%以上増加した。②無錫県の公社員の平均収入の50%以上が社隊企業からのものであった。③都市の工業が計画的に農村向けの製品を拡大し,一部の任務を社隊企業に分担させれば,国家の投資を節約し,労働者・職員の指標を高めず設備をほんの少し増やし,賃金をほんの少し支給するだけで,多く速くりっぱに,むだなく生産を行うことができる。社隊企業は全人民所有経済の有力な助手や重要な補助力となっている。農村工業が発展すれば都市は際限ない拡大と膨張を避けることができ工業の合理的な配置を行うことができる。④華主席の指示に基づいて既存の社隊企業に対し整頓を行なわねばならない。社隊企業の発展とその生産・供給・販売を県以上の地方計画に組み込んで生産を按配し,原料の供給源,製品の販路を確保するようにしなければならない。
DIA-104-1978-04-04-3中国1978年04月04日1970年代人民日報評論員論文「建築材料の革命をやらなければならない」
DIA-104-1978-04-04-4中国1978年04月04日1970年代北京でフランス駆逐艦将兵歓迎宴会を開催。
DIA-104-1978-04-05-1中国1978年04月05日1970年代「1978年全国大学専門学校入試学習要綱」が公布さる。
DIA-104-1978-04-05-2中国1978年04月05日1970年代蕭勁光海軍司令の国防部副部長就任が判明。
DIA-104-1978-04-05-3中国1978年04月05日1970年代ブレジネフ書記長の視察のもとに,ソ連軍が中ソ国境で演習。
DIA-104-1978-04-05-4中国1978年04月05日1970年代モスクワ放送,日中条約締結交渉再開に警告―「日中両国が第3国の利害にかかわる共同行動をとった場合,報復措置をとる権利がある」と論評。
DIA-104-1978-04-05-5中国1978年04月05日1970年代廖承志中日友協会長,久野忠治氏に,日中条約の早期締結を強調しながらも「それがだめなら来年まで待ってもいい」と語る。
DIA-104-1978-04-05-6中国1978年04月05日1970年代三菱グループが中国と長期技術協力関係を結ぶ―三菱商事発表。
DIA-104-1978-04-06-1中国1978年04月06日1970年代旅大市党第1書記劉徳才ほか,国家資金・物資の浪費乱用のため解職・降等・減給処分に―「人民日報」
DIA-104-1978-04-07-1中国1978年04月07日1970年代人民日報評論員論文,「大々的に『両打』運動をくりひろげよう」―「両打」運動とは,階級敵の破壊活動に打撃を与え,資本主義勢力の気ちがいじみた進攻に打撃を与える運動。
DIA-104-1978-04-07-2中国1978年04月07日1970年代自民党外交調査会・外交部会,日中条約問題で2回目の合同会議開く―A研は12項目の問題点をメモの形で提出。
DIA-104-1978-04-08-1中国1978年04月08日1970年代浙江省の河姆渡遺跡で7000年前の最古の稲が出土。
DIA-104-1978-04-08-2中国1978年04月08日1970年代「人民日報」社説,「愛国衛生運動を幅広くくりひろげよう」―国務院は7日「愛国衛生運動の展開を堅持することに関する通知」6項目を発出。
DIA-104-1978-04-09-1中国1978年04月09日1970年代河北省革命委員会副主任朱理治死去―北京で病気のため。71歳。15日追悼会がおこなわれた。
DIA-104-1978-04-09-2中国1978年04月09日1970年代上海の第1四半期の工業生産総額,同期の史上最高を記録―昨年同期より31.5%増加し,同期の最高記録より26%増加。
DIA-104-1978-04-09-3中国1978年04月09日1970年代人民日報社説「精神的奨励と物質的奨励の結合の方針を実行しよう」―この方針は10カ年計画を実現するための「強力な措置」である。労働に応じた分配の原則を実行するために報酬制度,出来高払い,職務手当などの名誉を回復しなければならない。
DIA-104-1978-04-09-4中国1978年04月09日1970年代全国機械工業部門,第1四半期に,電力,石炭,石油の供給のはなはだしい不足と一部原材料の供給逼迫の状況の下で,毎月高水準の生産を記録。
DIA-104-1978-04-10-1中国1978年04月10日1970年代党中央軍委が最近「軍の組織規律性を強化することに関する決定」を公布―解放軍報は「軍隊には規律がなくてはならない」という評論員論文を発表した。
DIA-104-1978-04-10-2中国1978年04月10日1970年代社会科学院世界宗教研究所,宗教学研究計画座談会を開く―11日まで。
DIA-104-1978-04-10-3中国1978年04月10日1970年代新華社国際短評「レバノン侵略イスラエル軍は速やかに残らず無条件に撤退すべきである」―3月15日のイスラエル軍のレバノン南部地区への侵入・占領を非難。
DIA-104-1978-04-11-1中国1978年04月11日1970年代自民党外交調査会・外交部会第3回合同会議―結論出ず。
DIA-104-1978-04-12-1中国1978年04月12日1970年代党寧夏回族自治区委員会第4回代表大会開く―16日まで,霍士廉を第1書記に選出。
DIA-104-1978-04-12-2中国1978年04月12日1970年代人民日報,青海省の国民経済10カ年発展計画の存在を明らかにする。
DIA-104-1978-04-12-3中国1978年04月12日1970年代人民日報短評「科学研究は農業機械化の前面を進まねばならない」―現有の農業機械製品の多数は今世紀40~50年代の技術水準にあり,重量が大きく,燃料油消耗が多く,効率が低く,寿命が短い。国外の先進水準と比較して大型トラクターの使用寿命は1/2~1/3短い。このため農業機械・機具研究所など科学研究機関は農業機械改革などの問題を研究解決せねばならない。
DIA-104-1978-04-12-4中国1978年04月12日1970年代人民日報短評「思想を解放し,より多くうさぎを飼わねばならない」
DIA-104-1978-04-12-5中国1978年04月12日1970年代中国・ベトナム国境鉄道会議議定書に調印。
DIA-104-1978-04-12-6中国1978年04月12日1970年代モンゴル政府,中国がソ連に対し駐蒙ソ連軍の撤退を要求したことを,内政干渉と非難する覚書を中国に手交(モスクワ放送)。
DIA-104-1978-04-12-7中国1978年04月12日1970年代中国漁船の尖閣列島領海内操業事件発生―108隻が列島周辺に漂泊,海上保安部巡視船が領海内の16隻に退去を求めたが,中国漁船は自国領との意示表示をして退去を拒否。
DIA-104-1978-04-13-1中国1978年04月13日1970年代人民日報,特約評論員,「良い『会風』が必要である」―会議には,民主と,集中があるべきで,実効を重んぜよ。
DIA-104-1978-04-13-2中国1978年04月13日1970年代北京大学構内に「文革中の轟元梓の破壊主義的役割を徹底的に糾弾せよ」という壁新聞が現われた(AFP)。
DIA-104-1978-04-13-3中国1978年04月13日1970年代全人代常務委員会が在京常務委員座談会開く―14日まで。方毅副総理の科学技術方面の情況説明を聞き,討論。
DIA-104-1978-04-13-4中国1978年04月13日1970年代人民日報,連貫論文「華僑の歴史とその光栄ある伝統」
DIA-104-1978-04-13-5中国1978年04月13日1970年代政府,東京の中国大使館に尖閣列島領海内の漁船の退去を要求―中国側は「尖閣列島は中国領土である」と表明。
DIA-104-1978-04-14-1中国1978年04月14日1970年代政協5期常委第1回会議開催―15日まで。
DIA-104-1978-04-14-2中国1978年04月14日1970年代人民日報,広州黄埔港での出来高払い制実施の成果を報道―1973年10月より出来高払い制を実施。4年来,荷役効率を向上させ,利潤を増加させた。しかし「4人組」は1974年に上海港労働者の大字報を人民日報に掲載し,黄埔港の制度を攻撃した。
DIA-104-1978-04-14-3中国1978年04月14日1970年代江一真衛生部長,インドのボンベイ・ナショナル銀行管理学院助教授ゴビンド・S・ケルカル博士と会見。
DIA-104-1978-04-14-4中国1978年04月14日1970年代廖承志副委員長,チャレム・マハダナノント陸軍中将を団長とするタイ将官とその家族の旅行団と会見。
DIA-104-1978-04-14-5中国1978年04月14日1970年代ソマリア民主共和国のモハメド・シアド・バーレ大統領,訪中―華主席と北京の数千人の大衆が空港に出迎え。同日,人民日報は歓迎社説を発表。18日,両国の経済技術協力協定に調印。帰国。
DIA-104-1978-04-14-6中国1978年04月14日1970年代タス通信,フロルキン評論員,尖閣列島事件について「毛沢東の後継者の拡張主義」という論評を発表。
DIA-104-1978-04-14-7中国1978年04月14日1970年代日本政府,中国政府に「遺憾の意」を表明し,中国漁船の退去を申し入れ―北京の日本大使館を通じて申し入れ,王暁雲アジア局次長は「事実関係を調査する」「中日友好に無傷を期待」との回答示す。
DIA-104-1978-04-14-8中国1978年04月14日1970年代園田外相,閣議で,条約と今回の事件(尖閣列島事件)は別個の問題であるが,この事件が終らなければ条約交渉再開はムリ,とのべる。
DIA-104-1978-04-15-1中国1978年04月15日1970年代北京の住民が投書で環境保護を重視しない工場を批判(人民日報)
DIA-104-1978-04-15-2中国1978年04月15日1970年代大慶に学ぶ全国鉄道会議,北京で開催される―鉄道部門の大慶型企業,先進単位・集団の代表,英雄・模範人物,先進的生産者,先進的工作者の代表など3000人余が出席。23日まで。李先念副主席が重要な指示を行う。
DIA-104-1978-04-15-3中国1978年04月15日1970年代第3回アジア・バトミントン招待大会,北京首都体育館で開幕―バングラ,ビルマ,民主カンボジア,香港,インド,ラオス,マレーシア,ネパール,パキスタン,フィリピン,シンガポール,スリランカ,タイの選手が参加。21日まで。
DIA-104-1978-04-15-4中国1978年04月15日1970年代耿副総理,田英夫社民連代表に対し,「(尖閣)事件は全く偶然の出来事である。この小さな島のことは解決を将来にゆだねた方がよい」と語る。
DIA-104-1978-04-16-1中国1978年04月16日1970年代全国婦女聯合会第6回執行委拡大会議開く―21日まで。9月に婦女全国大会開催を決定。
DIA-104-1978-04-16-2中国1978年04月16日1970年代国家経済委員会が今年の第1四半朝の工業生産実績について発表―昨年同期比の伸び率は,原油10.3%,天然ガス15.1%,石炭26.8%,発電量22.9%,化学肥料,農薬,トラクターはそれぞれ50%以上,鉄道貨物輸送量30.2%,第1・四半期の計画を達成してあげた成果は建国以来最高のできであった。
DIA-104-1978-04-16-3中国1978年04月16日1970年代劉春・初代セーシェル駐在大使,赴任。
DIA-104-1978-04-18-1中国1978年04月18日1970年代人民日報社説,「大々的に新時期の総任務を宣伝しよう」
DIA-104-1978-04-18-2中国1978年04月18日1970年代人民日報,安徽省県・六安地区農村見聞記を報道し,農村で緊急に解決すべき6つの面の政策問題に対して行った具体的な規定について紹介―分配の現金化政策の実施に重点的に力を入れた。
DIA-104-1978-04-18-3中国1978年04月18日1970年代中ソ両国,北京で1978年貿易支払協定に調印。
DIA-104-1978-04-18-4中国1978年04月18日1970年代徐向前国防部長,元自衛隊将官グループ訪中団と会見。
DIA-104-1978-04-19-1中国1978年04月19日1970年代人民日報論評「商業・サービス網を増やして,大衆の便宜をはかろう」
DIA-104-1978-04-19-2中国1978年04月19日1970年代人民日報評論員論文「綿花生産には真正面から取り組まなければならない」
DIA-104-1978-04-19-3中国1978年04月19日1970年代園田外相,日中条約締結交渉で,尖閣列島領有問題については「双方触れず」の原則で処理することを表明。
DIA-104-1978-04-19-4中国1978年04月19日1970年代新日鉄,中国技術輸出入公司と「上海宝山製鉄所」建設協力の議定書に仮調印。
DIA-104-1978-04-20-1中国1978年04月20日1970年代国務院工作組,黒竜江省開墾区に入り商品化食糧基地の建設を指導―国家計画委員会,農林部,商業部,水利電力部,第一機械工業部,国家農墾総局など21単位からなる国務院工作組が3月末に黒竜江開墾区に入り,商品化食糧基地の建設の計画と措置の実施を研究した。1976年,省・地区・県及び地元の農場は開発計画を制定するとともに大規模な機械による水利工事を開始した。
DIA-104-1978-04-20-2中国1978年04月20日1970年代人民日報,広東省委員会の「16条」規定が成果を上げている事例を紹介―「16条」規定とは「平均主義.労働力の無料調達」を禁じ,生産隊の自主権を発揮させ社員の積極性を引出し生産隊の負担を軽減させる規定。
DIA-104-1978-04-21-1中国1978年04月21日1970年代人民日報「正当な家庭副業をどのようにみなすか」という新華社特約記者の報道を掲載―人民公社員の家庭副業を許す理由として,社員の収入増加,肥料源の増加そして都市農村の市場に活況を呈じさせ輸出を支援することをあげる。現在,全国商業部門の農副産物買付け中,家庭副業産品が1/4を占めている。
DIA-104-1978-04-21-2中国1978年04月21日1970年代人民日報,暁亮論文「科学技術は何故生産力となりうるのか」―「経済研究」第3号から転載。
DIA-104-1978-04-21-3中国1978年04月21日1970年代西ドイツのシェール大統領一行,日本訪問の後上海に立寄る。
DIA-104-1978-04-21-4中国1978年04月21日1970年代ビラル書記長を団長とするポルトガル共産党(ML)中央委員会代表団,李先念副主席と会見。
DIA-104-1978-04-21-5中国1978年04月21日1970年代マカオ総督が中国を訪問。
DIA-104-1978-04-21-6中国1978年04月21日1970年代王暁雲アジア局次長,堂ノ脇公使に尖閣事件は「漁撈活動を行っている間に偶然発生したもの」と調査結果を通知。
DIA-104-1978-04-22-1中国1978年04月22日1970年代人民日報社説,「3大革命運動はいっしょにおこなう」
DIA-104-1978-04-22-2中国1978年04月22日1970年代全国教育工作会議,北京で開催―5月16日まで開かれた。6000人の参加した開幕式では鄧小平副主席が重要な講話をおこない,劉西堯教育部長が報告をおこなった。劉部長は中共中央が来年全国教育会議を召集することを決定した,とのべた。閉幕式では劉部長が総括発言をおこなった。
DIA-104-1978-04-22-3中国1978年04月22日1970年代中華全国総工会拡大執行委員会開く―24日まで。21年ぶりに10月に第9回全国代表大会を開くことを決定した。
DIA-104-1978-04-23-1中国1978年04月23日1970年代党中央軍委,最近「軍事大学,専門学校をりっぱに運営することについての決定」を発出。
DIA-104-1978-04-23-2中国1978年04月23日1970年代四川省は真剣に省,地区,県の指導グループを整頓している―人民日報記者。29日,新華社記者は寧夏の事例を報道。
DIA-104-1978-04-24-1中国1978年04月24日1970年代第8回全国人民司法工作会議が北京で開幕―5月22日まで。5月28日,人民日報は「新憲法を実施し,社会主義の法制を強めよう」という社説を発表した。
DIA-104-1978-04-24-2中国1978年04月24日1970年代「人民文学」3月号,浩然の「西沙児女」を批判。
DIA-104-1978-04-24-3中国1978年04月24日1970年代段君毅鉄道部部長,鉄道近代化計画について語る―1985年までに北京―広州線,天津―上海線など9の主要幹線を改造し,とくにボトルネックとなっている区間で重要地点を改造し,運輸能力を倍加する。南北縦貫の主要幹線,運輸繁ぱんな横断幹線,重要工業地帯の鉄道を復線化あるいは電化する。主要操作場の列車編成能力を高め,車輌回転を早める。電気機関車,ディーゼル機関車による輸送量を現在の13%から60%以上へ高める。来年中に1年繰りあげて第5次5カ年計画の目標を達成し,8年で旅客・貨物輸送量を倍増する。
DIA-104-1978-04-24-4中国1978年04月24日1970年代アリ・ナセル・モハメド首相を団長とするイエメン人民民主共和国政府代表団,訪中―華主席と大衆数千人が空港に出迎へ。人民日報,歓迎社説を掲載。26日,華主席と会見。両国の経済技術協力脇定に調印。
DIA-104-1978-04-24-5中国1978年04月24日1970年代パキスタン海軍参謀長モハメド・シャリフ大将夫妻一行,訪中。
DIA-104-1978-04-25-1中国1978年04月25日1970年代彭紹輝副総参謀長死去―72才。30日,八宝山で追悼会がおこなわれた。
DIA-104-1978-04-25-2中国1978年04月25日1970年代55大学の復活・新設―教育部はこのほど13の大学を復活させ,42の大学を新設することを決定した。
DIA-104-1978-04-25-3中国1978年04月25日1970年代国務院が全国干ばつ対策緊急電話会議を開催―銭正英水利電力部長が司会し,王震,康世恩両副総理が重要指示を行った。4月以来早ばつの兆しが見え始め夏収作物の生長と春のまき付けを厳く脅している。人民日報は「全力をもって赴き,旱ばつに抗して豊収をかちとろう」と題する社説を発表。
DIA-104-1978-04-25-4中国1978年04月25日1970年代漢口と漢陽を結ぶ2つ目の道路橋完成―第2江漢橋。長さ566.2メートル。
DIA-104-1978-04-25-5中国1978年04月25日1970年代外国向け北京放送局の局名を中華人民共和国国際放送局と改名。
DIA-104-1978-04-26-1中国1978年04月26日1970年代耿副総理,B.シュレーヤー氏を団長とする米国報道界訪中団と会見。
DIA-104-1978-04-26-2中国1978年04月26日1970年代イリイチョフ・中ソ国境交渉首席代表,北京に着任―28日交渉再開。
DIA-104-1978-04-26-3中国1978年04月26日1970年代尖閣列島周辺から中国漁船が姿消す―27日領海外13キロに約60隻が停泊あるいは操業中。
DIA-104-1978-04-26-4中国1978年04月26日1970年代福田首相,園田外相,条約のための大使級会談を行なう方針で一致。
DIA-104-1978-04-27-1中国1978年04月27日1970年代全軍政治工作会議,北京で開会―6月6日まで。韋国清総政治部主任が会議を主宰し,5月2日「新たな歴史的条件のもとで政治工作のすぐれた伝統を発揚し,わが軍の戦闘力を高めよう」と題する報告(6月8日公表)をおこなった。5月29目に華主席と葉副主席が講話をおこない,6月2日には鄧副主席が講話を,6日には韋主任が総括講話をおこなった。会議は,軍隊の政治工作を強化する決議,政治工作条例,幹部服務条例など3つの草案と,全軍の雷鋒に学び,筋金入り第6中隊に学び,空軍航空兵第1師団に学ぶ先進代表大会の開催に関する通知,などの文書を討議し改正した。6月10日,「人民日報」は「革命化で現代化を統率する」という社説をかかげた。
DIA-104-1978-04-27-2中国1978年04月27日1970年代北京の飲食業の改善北京の人口が増えたにも拘らず,飲食店の数が少ないため朝食,昼食時に非常に混雑し,仕事の時間にも影響を与えている。このため店を増やすなどの措置をとっている。
DIA-104-1978-04-27-3中国1978年04月27日1970年代国務院が最近「工業は大慶に学ぶ」全国工作会議を北京で開催―李先念副主席が重要指示を行い,余秋里,康世恩副総理が重要演説を行った。1977年末の評定によって1年間に県所属以上の大慶型企業が3000前後つくられた。初歩的計画では今年は更に1万2500余りの大慶型企業をつくる予定。また工業の現代化をどこから始めるか,重点は何か,工業の農業支援,工業管理体制の改組,技術導入への対処の仕方などを討議。
DIA-104-1978-04-27-4中国1978年04月27日1970年代水利電力部が最近,全国水利管理会議を開催―湖南省桃源県で。現在全国で完成している灌漑面積1万ムー以上の水利施設の多くは,その灌漑面積が設計能力に遠く及んでいない。これら施設の灌漑用水路は大部分がライニングを施されておらず,水の利用係数は半分にも達していない。このため既存施設の効果引上げのため,「水利施設管理条例」を討議し,水利管理業務を整頓・強化する具体的措置を定めた。
DIA-104-1978-04-28-1中国1978年04月28日1970年代全軍後勤工作会議が北京で開幕―6月5日まで。張震総後勤部長が報告をおこない,会議は後勤戦備建設規画及び後勤建設を強化する任務と措置を確定した。華主席と葉副主席が題詞を送った。
DIA-104-1978-04-28-2中国1978年04月28日1970年代聶元梓は党籍をはく奪され,大衆の監督の下での労働処分に―共同通信。26日AFPは大富,聶元梓,譚厚蘭ら12人の元紅衛兵指導者がすでに逮捕された,と伝えた。
DIA-104-1978-04-28-3中国1978年04月28日1970年代伍修権副総参謀長,台湾軍事解放の準備は進んでいる,とのべる―日本の軍事問題研究者訪中団に。
DIA-104-1978-04-28-4中国1978年04月28日1970年代吉林省委,長春光学精密機械研究所の「特務」デッチ上げをくつがえす―研究員,工程師の82%が「特務」とされていた。デッチ上げ首謀者単奎章は法によって裁かれることになった。
DIA-104-1978-04-28-5中国1978年04月28日1970年代セーシエルのアルベール・ルネ大統領一行,訪中―広州着。29日,北京着。華主席と数千人の大衆が空港へ出迎え。人民日報,歓迎社説を発表。30日,李先念副総理と会見。5月1日,華主席と会見。2日,両国間の経済協力協定に調印。
DIA-104-1978-04-28-6中国1978年04月28日1970年代ヘラルド・シカト経済計画相を団長とするフィリピン訪中代表団,訪中。
DIA-104-1978-04-28-7中国1978年04月28日1970年代新華社,バングラデシュのBSS通信社と報道協力協定に調印。
DIA-104-1978-04-29-1中国1978年04月29日1970年代外交部,メーデーの北京での園遊会のとりやめを発表。
DIA-104-1978-04-29-2中国1978年04月29日1970年代鄧小平副主席,マリン・ツェチニッチ共産主義者同盟中央委員を団長とするユーゴ社会主義勤労人民同盟友好代表団と会見。
DIA-104-1978-04-30-1中国1978年04月30日1970年代華主席,カメロン英空軍元師と会見。
DIA-104-1978-05-01-1中国1978年05月01日1970年代「人民日報」メーデー社説,「社会主義労働競争を広はんに展開しよう」
DIA-104-1978-05-02-1中国1978年05月02日1970年代谷牧副総理,フランスなど欧州諸国歴訪に出発―銭正英水利電力部長も随行。2日,パリ着。12日,スイス訪問。18日,ベルギー訪問。23日,デンマーク訪問。29日,西ドイツ訪問。
DIA-104-1978-05-03-1中国1978年05月03日1970年代華主席,鄧,李,汪副主席,「全軍政治工作会議」,「全国労働模範座談会」に出席の代表と会見,写真をとる。
DIA-104-1978-05-03-2中国1978年05月03日1970年代「人民日報」社説,「新憲法を学習し,宣伝し,遵守しよう」
DIA-104-1978-05-03-3中国1978年05月03日1970年代カーター米大統領,訪米の福田首相に対し,日中平和友好条約締結について「ご成功を祈る」と表明。
DIA-104-1978-05-04-1中国1978年05月04日1970年代中共中央,「共青団第10回全国代表大会開催に関する通達」を発出―10月に北京で開催を予定。共青団10回大会準備委員会第1回会議が5月6日から10日まで北京で開かれた。
DIA-104-1978-05-04-10中国1978年05月04日1970年代新任の康矛召ベルギー駐在大使,赴任。
DIA-104-1978-05-04-11中国1978年05月04日1970年代新任のモーリタニア駐在大使,赴任。
DIA-104-1978-05-04-2中国1978年05月04日1970年代「人民日報」社説,「“5・4”の伝統を発揚して新しい長征の前列に立とう」
DIA-104-1978-05-04-3中国1978年05月04日1970年代北京大学で創立80周年記念集会開かれる。
DIA-104-1978-05-04-4中国1978年05月04日1970年代「人民日報」特約評論員論文,「科学と民主」
DIA-104-1978-05-04-5中国1978年05月04日1970年代江西省寧岡市で「井岡山会師」50周年記念集会開く。
DIA-104-1978-05-04-6中国1978年05月04日1970年代北京―ウルムチ―ベオグラード―チューリッヒ航空路線開設就航。
DIA-104-1978-05-04-7中国1978年05月04日1970年代ベトナム共産党のスアントイ中央委員,ベトナム通信とのインタービューで,「一部華僑は法を犯し,中越合意に違反して帰国した」と語る。
DIA-104-1978-05-04-8中国1978年05月04日1970年代王耀庭国際貿易促進委員会主任を団長とする中国貿易代表団,ASEAN貿易展参加のためフィリピン訪問。
DIA-104-1978-05-04-9中国1978年05月04日1970年代レイモンド,ラコトニリナ両最高革命評議会メンバーが団長のマダガスカル政府経済貿易代表団,訪中。
DIA-104-1978-05-05-1中国1978年05月05日1970年代中国人民解放軍に階級制復活説―「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト」紙。粟裕国防部副部長,21日,日本自衛隊OBに対し,軍の階級制度復活を明確に否定(「大公報」23日)。
DIA-104-1978-05-05-2中国1978年05月05日1970年代「人民日報」新しい時期の総任務講座開始―①は「われわれは新たな時期に入った」という題名。
DIA-104-1978-05-05-3中国1978年05月05日1970年代北京市科学会議が開かれ,科学技術発展8カ年計画が作成された。
DIA-104-1978-05-05-4中国1978年05月05日1970年代人民日報特約評論員論文「労働に応じて分配をうける社会主義の原則を貫徹しよう」―①現行の賃金制度を計画的に改革する必要がある。「4人組」の破壊をうけた結果,有名無実となった技術の高低,貢献度の大小に応じて賃金級別を定める制度,時間給を主とし能率給を従とし,時間給に報奨をプラスする制度,技術試験,等級確定・進級の制度などは復活すべきである。賃金級別は8級に限らなくてもよく等級確定・進級にあたっては成績の優秀な者は特進させてもよく,賃金格差は合理的調整をはかってもよく,報奨金制度の一部の面は適切な改善をはかる必要がある。②国民経済の発展に伴って労働者の賃金は次第に増えていくであろうが,勤労大衆の賃金水準が上がったとしても,やはり低賃金であることを認識すべきである。低賃金政策は,我々が社会主義建設の過程で長期に実施していくべき政策である。
DIA-104-1978-05-05-5中国1978年05月05日1970年代四川省で一群の重点工事が稼動に入る―数十の大中型工事。そのうちには全国最大の焼結機,大型化学肥料製造装置,咀発電所の5号,6号発電設備,紅旗ディーゼル機関工場などがある。
DIA-104-1978-05-05-6中国1978年05月05日1970年代華主席,北朝鮮訪問―耿,陳慕華,黄華氏ら同行。新義州に立寄り,平壊入り。金日成主席と数十万の大衆が駅に出迎へ。5~6日,金日成主席と会談。7日,十万人参加の大衆集会開催。8日,朝鮮東部の工業都市咸興訪問,ビニロン工場と人民軍部隊を参観。9日,平壌に戻り,金主席と会談続行。10日,帰国。2日,両国間の1978年バーター取引議定書に調印。
DIA-104-1978-05-06-1中国1978年05月06日1970年代「人民日報」評論員論文,下放した技術者を適材適所に配置せよ,とよびかけ。
DIA-104-1978-05-06-2中国1978年05月06日1970年代教育部は最近,大学卒業生の政治思想教育工作に力を入れるよう通達―今年は17万人が大学専門学校を卒業の予定。
DIA-104-1978-05-06-3中国1978年05月06日1970年代農山村定住知識青年指導小組と教育部合同通達,受験知識青年に学業復習の時間与えよ,と指示。
DIA-104-1978-05-06-4中国1978年05月06日1970年代新任の鄭為之ベネズエラ駐在大使,赴任。
DIA-104-1978-05-07-1中国1978年05月07日1970年代中国政府,アフガニスタン民主共和国を承認。
DIA-104-1978-05-07-2中国1978年05月07日1970年代メキシコ国防相フェリクス・ガルバン・ロペス大将一行訪中。
DIA-104-1978-05-09-1中国1978年05月09日1970年代人民日報社説「基本建設は力を集中してせん滅戦をやらなければならない」
DIA-104-1978-05-09-2中国1978年05月09日1970年代全国基本建設工作会議が最近,北京で開催される―基本建設の審査批准権限を中央と各省・市・自治区の2級に集中すべきであること,大都市の規模を厳格に制限し,小都市を多くつくる方針を実行すべきであり,そのため特殊なプロジェクト以外は,できるだけ小都市に建設するなどの基本建設の総方針を決定。
DIA-104-1978-05-09-3中国1978年05月09日1970年代黒竜江省虎林県でソ連軍の越境発砲事件発生。
DIA-104-1978-05-10-1中国1978年05月10日1970年代スウオト・スケンダル会頭を団長とするインドネシア商工会議所代表団訪中―同日,広州着。12日,北京着。13日,李強対外貿易部長と会見。各関係輸出入公司と商談を行う。15日,帰国。
DIA-104-1978-05-10-2中国1978年05月10日1970年代佐藤大使,韓念竜次官と会談―日中共同声明にそって日中条約を締結すること,尖閣列島問題は“双方触れず”で合意。中国側は,日韓大陸ダナ協定特別措置法は中国の主権を侵すものと強く抗議した。
DIA-104-1978-05-11-1中国1978年05月11日1970年代「光明日報」特約評論員論文,「実践が真理を検証する唯一の標淮である」―人民日報は12日に転載。
DIA-104-1978-05-11-2中国1978年05月11日1970年代大慶に学ぶ全国交通系統会議,閉幕―大慶油田で2日から開かれた。会議参加者が24日北京に戻り,王震,康世恩副総理と会見。両副総理が重要演説を行う。
DIA-104-1978-05-11-3中国1978年05月11日1970年代中国外交部,国境侵犯について,組織的軍事挑発としてソ連大使館に抗議の覚書を送る。
DIA-104-1978-05-12-1中国1978年05月12日1970年代昨年末の大学入試,全国で570万人が受験,27.8万人が合格,倍率は20.5倍。
DIA-104-1978-05-12-2中国1978年05月12日1970年代人民日報,国際短評欄「注意に値する動向」―最近,南アジアのいくつかの国駐在のソ連人がその国の内外政策に道理のない批判や恫喝を行なっていることを批判。
DIA-104-1978-05-12-3中国1978年05月12日1970年代中国,ベトナムへの援助のうち,21項目の打ち切りを通告。
DIA-104-1978-05-13-1中国1978年05月13日1970年代中共中央軍委,最近「部隊の教育訓練を強化することに関する決定」を発出。
DIA-104-1978-05-13-2中国1978年05月13日1970年代教育部が一部の全国通用小中学試用新教材を編さん,試用に配布された。
DIA-104-1978-05-13-3中国1978年05月13日1970年代鉄道兵党委が労働者を救うために犠牲となった兵士,醇薛銀合,陳漢松に「雷鋒式の戦士」の称号を与え,命名式がおこなわれた。
DIA-104-1978-05-13-4中国1978年05月13日1970年代中国基本建設代表団,来日―6月13日まで。
DIA-104-1978-05-14-1中国1978年05月14日1970年代文化部は「4人組」に対して大暴露・批判と大検査を実施中―文化部の新党組は77年12月に成立した。
DIA-104-1978-05-14-2中国1978年05月14日1970年代ネパールのビレンドラ国王夫妻,訪中―日本訪問の途中に非公式訪問。同日,華主席と会見。15日,帰国(日本へ向かう)。
DIA-104-1978-05-15-1中国1978年05月15日1970年代「人民日報」中共第8回全国代表大会での董必武発言,「国家の法制をいちだんと強化し,社会主義建設事業を保障する」を再掲。
DIA-104-1978-05-15-2中国1978年05月15日1970年代欧陽欽元黒竜江省第1書記死去―78歳。22日に北京で追悼会挙行さる。
DIA-104-1978-05-15-3中国1978年05月15日1970年代チャウシエスク・ルーマニア大統領,訪中―華主席ら空港まで出迎へ。空港,沿道に十万人の大衆が出迎へ。同日,華主席及び葉副主席と会見。鄧穎超副委員長がチャウシエスク大統領を表敬訪問。16日,解放軍部隊と北京毛織物工場を訪問。華主席と会談。17日,毛主席記念堂と中国科学院物理研究所訪問。さらに広州訪問。18日,杭州訪問。19日,北京に戻る。華主席と会談。両国間の経済技術協力協定に調印。記者会見。20日,北朝鮮訪問へ出発。
DIA-104-1978-05-16-1中国1978年05月16日1970年代全国桐油会議が開催される―最近,国家計画委員会,農林部,商業部,対外貿易部,全国供鎖合作総社が北京で合同で開催。3年と8年の桐油生産計画を制定。李副主席が重要な指示を出し,余秋里副総理が演説を行う。
DIA-104-1978-05-16-2中国1978年05月16日1970年代胡績偉編集長を団長とする人民日報代表団,北朝鮮訪問。
DIA-104-1978-05-16-3中国1978年05月16日1970年代新任の趙源モーリタニア駐在大使,赴任。
DIA-104-1978-05-17-1中国1978年05月17日1970年代党中央,最近「右派分子」のレッテルの取り止めを決定―10数万の「右派分子」は一律に恩赦処分をうけることになった(共同)。「人民日報」はこの日,「『血統論』に反駁する」という章雲論文をかかげた。
DIA-104-1978-05-17-2中国1978年05月17日1970年代中国・ネパール国境合同視察委員会,カトマンズで開催。28日まで。
DIA-104-1978-05-17-3中国1978年05月17日1970年代中国外交部声明,5月12日付ソ連外務省の覚書きに反論―ソ連軍の中国国境侵犯は覚書きのように誤って侵入したというものでなく組織的な軍事挑発であるとして侵犯の事実歪曲を批判。
DIA-104-1978-05-18-1中国1978年05月18日1970年代「人民日報」申濤声論文「“4人組”と林彪」
DIA-104-1978-05-18-2中国1978年05月18日1970年代最近,「24史」の標点校訂本が全部出版された。
DIA-104-1978-05-18-3中国1978年05月18日1970年代冬小麦の生産地,山西,河北,山東,河南,陜西各省と北京,天津で15日朝から18日朝にかけ降雨。
DIA-104-1978-05-18-4中国1978年05月18日1970年代新華社記者論評,ザイールに対するソ連・キューバの侵攻を非難。
DIA-104-1978-05-18-5中国1978年05月18日1970年代福田首相,大平幹事長に日中条約問題の自民党党内調整のしめくくりに入るよう要請。
DIA-104-1978-05-19-1中国1978年05月19日1970年代「人民日報」評論員論文,「公安司法工作者の重要な職責」
DIA-104-1978-05-19-2中国1978年05月19日1970年代人民日報社説「粗鋼年産6000万トンをめざして奮闘しよう」―計画によると次の三つのステップを踏まねばならない。すなわち第一歩として1978年に諸技術経済指標が当該企業の史上最高水準に達するようにして,1979年に史上最高記録を更新しなければならない。第2歩として1980年に農業機械化の実現に必要な銑鉄と鋼材,国防の先端部門に必要な金属材料を質,量,品種の面で用意できるようにめざさなければならない。各企業の主な技術経済指標が現在の当該業種の先進的水準に到達もしくは上回るようにし,重点企業は一部の指標が現在の重点企業の水準に追いつくようめざさなければならない。第3歩として1985年に一挙に6000万トンに持ってゆく,第1歩と第2歩は既存の基盤に立脚して,潜在力の発掘,技術革新,技術改造を大々的に行なわなければならない。第3歩は既存企業の役割を引続き十分発揮させるほか,新設または工事継続中の十の大鉄鋼基地に依拠することになる。
DIA-104-1978-05-19-3中国1978年05月19日1970年代駐米中国連絡事務所長に柴沢民が決まる―米政府筋が明らかにする。
DIA-104-1978-05-20-1中国1978年05月20日1970年代最近中央軍委が「中国人民解放軍国家軍事機密保守条例」を公布。
DIA-104-1978-05-20-2中国1978年05月20日1970年代北京で張作霖夫人,許暘の追悼式おこなわる―夫人は5日死去。
DIA-104-1978-05-20-3中国1978年05月20日1970年代ブレジンスキー米大統領国家安全保障担当補佐官夫妻一行,訪中―黄華外相と会談。21日,鄧副総理と会見。22日,華主席と会見。23日,帰国。
DIA-104-1978-05-20-4中国1978年05月20日1970年代新華社記者論評「アムール川流域の歴史的な重要な1ページ」―ソ連雑誌「極東の諸問題」の発表した中ソ国境問題についての見解を批判。
DIA-104-1978-05-20-5中国1978年05月20日1970年代陳潔対外貿易部副部長を団長とする中国政府貿易代表団,ケニア訪問,28日,ウガンダ訪問。
DIA-104-1978-05-20-6中国1978年05月20日1970年代チャウシエスク大統領,北朝鮮訪問のため北京を離れる。
DIA-104-1978-05-21-1中国1978年05月21日1970年代新華社,20日の経国の「総統」就任を論評―介石と同じく悔い改めない反革命頑固派と評価。
DIA-104-1978-05-21-2中国1978年05月21日1970年代葉剣英全人代常務委員長,ユーゴのマルコビッチ連邦議会議長の就任に祝電を送る。また華総理,シエラノビッチ議長に同氏のユーゴ連邦執行議会議長再選に祝電を送る。
DIA-104-1978-05-22-1中国1978年05月22日1970年代首都史学界が太平天国問題討論会を開く―24日まで。
DIA-104-1978-05-22-2中国1978年05月22日1970年代冶金工業部,北京で「鞍鋼,大慶に学ぶ報告会」を開催―冶金工業部機関と在北京の各研究院,研究所の労働者・職員,国務院所属の43の部・委員会,局および北京市の代表計1万8000人が参加。康世恩副総理が重要演説を行う。
DIA-104-1978-05-22-3中国1978年05月22日1970年代B.G.ベルグス氏を団長とするインド記者グループ,訪中。
DIA-104-1978-05-22-4中国1978年05月22日1970年代中国人民銀行代表団が来日―6月13日まで。
DIA-104-1978-05-23-1中国1978年05月23日1970年代「人民日報」社説,「文芸創作を繁栄させるべく奮闘しよう」―21日には「人民日報」は黄鎮の「社会主義文化建設の新たな高まりを迎えよう」という論文を掲載。
DIA-104-1978-05-23-2中国1978年05月23日1970年代ダライ・ラマ,「自由チベット」運動の放棄,帰国希望を表明―共同通信記者に,インドで語る。
DIA-104-1978-05-23-3中国1978年05月23日1970年代江西省で今月13人を処刑―文革中の殺人事件犯人など。日本人記者団が人民法院の布告から報道。
DIA-104-1978-05-23-4中国1978年05月23日1970年代工業は大慶に学ぶ全国紡績会議,閉幕―李副主席が重要な指示を行い,康世恩副総理が重要な演説を行った。本年1~4月の全国紡績工業の生産総額は前年同期比36%増であった。そのうち化学繊維は前年同期の2.5倍であった。1985年までに工業生産総額の倍増を実現し,上納利潤・税金を2倍に増やす。
DIA-104-1978-05-23-5中国1978年05月23日1970年代人民日報,姫堤論文「工業近代化を実現する」―工業近代化の方向から見て,エネルギー,電子計算機と新材料は全て戦略性を帯びた問題である。また工業近代化は資源・エネルギーの開発・総合利用と交通輸送効率の向上から始めなければならない。
DIA-104-1978-05-23-6中国1978年05月23日1970年代ダライ・ラマ「自由チベット」運動を放棄,帰国を希望―共同通信記者に。
DIA-104-1978-05-23-7中国1978年05月23日1970年代康世恩副総理,ペーテル・コホ鉄道理事会会長を団長とする西ドイツ鉄道代表団と会見。
DIA-104-1978-05-23-8中国1978年05月23日1970年代中国・ケニア政府貿易協定に調印。
DIA-104-1978-05-23-9中国1978年05月23日1970年代新日鉄,中国との間で上海宝山製鉄所建設に関する議定書及び第1号技術協力契約書に調印。
DIA-104-1978-05-24-1中国1978年05月24日1970年代陳永貴副総理,フィリピン農村開発代表団(エストレア土地改革相団長)と会見。
DIA-104-1978-05-24-2中国1978年05月24日1970年代李一氓党中央対外連絡部副部長,アイスランド共産党(ML)代表団と会見。
DIA-104-1978-05-24-3中国1978年05月24日1970年代国務院僑務弁公室スポークスマン,ベトナム華僑帰国問題で新華社記者への談話を発表,べトナム政府による華僑大量追放を非難。
DIA-104-1978-05-24-4中国1978年05月24日1970年代ベトナム帰国華僑,7万2000人に達す―5月20日現在,中国の広西,雲南などの国境河港を経て入国したもの。
DIA-104-1978-05-25-1中国1978年05月25日1970年代中共浙江省委第6次代表大会開催―29日まで。鉄瑛が第1書記に,張敬堂が紀律検査委員会書記に当選。
DIA-104-1978-05-25-2中国1978年05月25日1970年代人民日報社説「8億人民の被服問題をりっぱに解決する」
DIA-104-1978-05-25-3中国1978年05月25日1970年代サモラ・モイセス・マシエル,モザンビーク大統領一行,訪中―人民日報,歓迎社説を発表。
DIA-104-1978-05-25-4中国1978年05月25日1970年代クラレ・西日本貿易,対中人工皮革プラント輸出成約を発表―年間生産能力300万平方メートル,70億円。
DIA-104-1978-05-26-1中国1978年05月26日1970年代人民日報評論員論文「努力して交通運輸の近代化を実現しよう」
DIA-104-1978-05-26-2中国1978年05月26日1970年代人民日報,国際短評「黒白を転倒する老練なやり手」―ソ連のアンゴラ,ザイール干渉を非難。
DIA-104-1978-05-26-3中国1978年05月26日1970年代康克清全国婦連副主任,フィリピン民間文化婦人グループ(リディア・マルコス女史団長)と会見。
DIA-104-1978-05-26-4中国1978年05月26日1970年代中国政府,ベトナム華僑帰国船派遣を決定―27日,陳志方大使がベトナム外務次官に帰国船派遣を伝達,黄華外交部長覚書を手交。ベトナムは中国に反論,話し合い提案を内容とするベトナム外務省声明を手交。
DIA-104-1978-05-27-1中国1978年05月27日1970年代「人民日報」特約評論員論文,「指導者は指導工作をやらなければならない」―指導の水準を新たな高さにひき上げよ,と強調。
DIA-104-1978-05-27-2中国1978年05月27日1970年代軍総政治部が最近,今年冬から来春にかけて全軍の「三学」先進代表大会開催を通知―「三学」とは,雷鋒に学び,筋金入り6中隊に学び,空軍航空兵1師に学ぶ,というもの。
DIA-104-1978-05-27-3中国1978年05月27日1970年代中国文聯第3期全国委第3回拡大会議開催―6月5日まで。来年北京で第4次大会の開催を決定。27目,郭沫若科学院院長が書面講話を寄せ,黄鎮党中央宣伝部長が講話をおこなった。中国文聯及び各文芸協会の活動が復活された。
DIA-104-1978-05-27-4中国1978年05月27日1970年代小麦の黄さび病の基本的抑制に成功。
DIA-104-1978-05-27-5中国1978年05月27日1970年代ベトナム兵の発砲で華僑2人負傷―東興鎮から2.7キロのベトナム領内で。
DIA-104-1978-05-27-6中国1978年05月27日1970年代人民日報社説「オーマンスルタン国との国交樹立を祝う」
DIA-104-1978-05-28-1中国1978年05月28日1970年代華主席,サモラ・モイメス・マシェル,モザンビーク大統領と会見。中国・モザンビーク経済技術協力協定議定書に調印。
DIA-104-1978-05-28-2中国1978年05月28日1970年代鄧小平副総理,アルジェリア大統領特使アブデル・カデル・ザイベク全国人民議会計画・財政委員会議長と会見。
DIA-104-1978-05-29-1中国1978年05月29日1970年代国連本部で日中外相会談―黄華外相は園田外相の早期訪中歓迎を表明。
DIA-104-1978-05-30-1中国1978年05月30日1970年代中国・アルゼンチン,貿易協定正式発効文書の交換に関する要録及び海運協定に調印。
DIA-104-1978-05-30-2中国1978年05月30日1970年代中国,ベトナムへの援助項目のうち51項目の打ち切りを通告。
DIA-104-1978-05-30-3中国1978年05月30日1970年代ソ連最高会議連邦会議シチコフ議長,日中条約は「反ソ的傾向を持つもの」であり,締結した場合,「対日政策を転換する」とのべる―日本新聞協会代表団に。
DIA-104-1978-05-31-1中国1978年05月31日1970年代中国初の高エネルギー陽子加速器(300~500億電子ボルト)の制作,研究施設の建設工事が北京で開始―計画によれば1982年に300~500億電子ボルトの陽子加速器とそれに見合った実験・探測設備,データ処理システムを完成させ,1987年により高いエネルギーの大型加速器とそれに見合った実験・探測設備,データ処理システムを完成させる。このプロジェクトは「外国の友人」の援助を受けている。
DIA-104-1978-05-31-2中国1978年05月31日1970年代佐藤大使,韓念竜外務次官に「日中条約交渉を6月後半に北京で再開したい」と正式に申し入れ―韓次官は「交渉継続を歓迎する。同提案の回答を改めて行いたい」とのべる。
DIA-104-1978-06-01-1中国1978年06月01日1970年代「人民日報」全国婦聯指導小組論文「毛主席の婦人運動路線の改ざんを許さない」
DIA-104-1978-06-01-2中国1978年06月01日1970年代広州で広東省人民防空工作会議開く―27日まで。
DIA-104-1978-06-01-3中国1978年06月01日1970年代中国を東西に結ぶ新しい幹線鉄道が開通―湖北省襄樊と四川省重慶を結ぶ襄渝鉄道。全長916キロ。全線の45%が橋とトンネルである。73年10月に完成していたが数年試運転が行なわれていた。
DIA-104-1978-06-01-4中国1978年06月01日1970年代最近,全国食品衛生工作会議が開催された―1978年―85年全国食品汚染防止計画と,「中華人民共和国食品管理条例」を討議。
DIA-104-1978-06-02-1中国1978年06月02日1970年代最近,全国政協文史資料研究委員会が第一次会議を開催。
DIA-104-1978-06-02-2中国1978年06月02日1970年代北京長安街の壁新聞,華主席以下の毒殺をはかったとして陳錫聯らを非難―「最も緊急なアピール」と題するもの,翌日,当局がこれを撤去。
DIA-104-1978-06-02-3中国1978年06月02日1970年代人民日報社説「10カ年計画はかならず実現されなければならない」―10カ年計画によれば,全国の60%の農地を安定多収穫農地にする。6大協作区内で鉄鋼,燃料,一般機械の全部あるいは大部分を自給し,食糧と主要農業副業産品と一般日用軽工業品を省・自治区内で自給するようにする。
DIA-104-1978-06-02-4中国1978年06月02日1970年代帰国華僑,10万人を越える―5月27日から6月1日までの間に1万5800人が広西自治区東興,雲南省河口などの国境河港から入国し,帰国華僑難民の総数はこれで10万5500人に達す。
DIA-104-1978-06-02-5中国1978年06月02日1970年代黄華外交部長,バンス米国務長官と会見。
DIA-104-1978-06-02-6中国1978年06月02日1970年代廖承志委員長,新自由クラブ訪中団との会談で日中条約交渉再開に歓迎の意を表明。
DIA-104-1978-06-03-1中国1978年06月03日1970年代作家老舎の遺骨安置式,北京で挙行さる―呉徳政治局員が主宰し,沈雁冰泳が悼辞をのべた。
DIA-104-1978-06-03-2中国1978年06月03日1970年代全国の軽工業が大慶に学ぶ会議が北京で開幕―10日まで。
DIA-104-1978-06-03-3中国1978年06月03日1970年代タイのブラマン元副首相一行,訪中。
DIA-104-1978-06-03-4中国1978年06月03日1970年代黄華外交部長,ザイールを公式訪問―4日,モブツ大統領と会見。6日,オランダ訪問へ。
DIA-104-1978-06-04-1中国1978年06月04日1970年代人民日報社説「軽工業の発展に力を入れよう」―専業化協業の原則による工業構造の再編成と原料基地建設を重点施策として強調。
DIA-104-1978-06-05-1中国1978年06月05日1970年代鄧小平副主席,NHK訪中団と会見―日中条約間題について,①この問題は政治的観点で見るべきだ,②締結は福田首相の“決断”にかかっている,との見解示す。
DIA-104-1978-06-05-2中国1978年06月05日1970年代三菱商事,対中エチレンプラント輸出契約に調印―11.5万トンエチレンプラント,吉林省に建設予定で総額約21億円。
DIA-104-1978-06-06-1中国1978年06月06日1970年代国家計画委員会が最近1978年大学・専門学校卒業生分配工作会議を開く。
DIA-104-1978-06-06-2中国1978年06月06日1970年代楊勇軍副総参謀長を団長とし,廖漢生南京部隊政治委員を副団長とする中国軍事友好代表団,ユーゴ訪問へ出発。また張愛萍副総参謀長を団長とする中国軍事友好代表団,スウェーデン,イタリア訪問に出発。
DIA-104-1978-06-07-1中国1978年06月07日1970年代新疆自治区党委,最近,新疆化工工場の党委書記苟成富等の化学肥料横流し事件について,工場党委解散,苟の党内外の地位取消し処分をおこなう。
DIA-104-1978-06-07-2中国1978年06月07日1970年代人民日報社説「農地基本建設の新しい高まりを迎えよう」―県・社・大隊の農地基本建設専業隊は自然を改造し,社会主義を大いにやる新生事物であり,条件を創造して普及させるべきである。
DIA-104-1978-06-07-3中国1978年06月07日1970年代華主席,ビルマ国防相兼三軍参謀総長チョウ・テイン大将の率いる軍事代表団と会見。
DIA-104-1978-06-08-1中国1978年06月08日1970年代「人民戯劇」編集部,最近北京で全国戯劇創作座談会を開く。
DIA-104-1978-06-08-2中国1978年06月08日1970年代姫鵬飛常務委副委員長を団長とする全国人民代表大会代表団,ベネズエラ訪問。
DIA-104-1978-06-08-3中国1978年06月08日1970年代黄華外交部長,オランダ訪問。
DIA-104-1978-06-08-4中国1978年06月08日1970年代ジュベナール・ハビャリマヤ・ルワンダ大統領,訪中―華主席と数千人の大衆が空港に出迎へ。人民日報,歓迎社説を掲載。10日,華主席が会見。両国の経済技術協力協定に調印,14日,北朝鮮訪問へ。
DIA-104-1978-06-09-1中国1978年06月09日1970年代曁南大学再開校式典で廖承志理事長があいさつをおこなう―世界の華僑3500万以上を示唆。廖華僑弁公室主任は4日,急きょ北京から広州へ到着。
DIA-104-1978-06-09-2中国1978年06月09日1970年代中国外交部「ベトナムの華僑追放の問題に関する声明」―5月27日のベトナム外交部声明に反駁。
DIA-104-1978-06-10-1中国1978年06月10日1970年代「紅旗」6号特約評論員論文,「党の幹部政策をしっかりと実行しよう」
DIA-104-1978-06-11-1中国1978年06月11日1970年代フィジーのカミセセ・マラ首相夫妻,訪中―華主席と数千人の大衆が空港へ出迎へ。人民日報,歓迎社説を発表。13日,華主席と会見。
DIA-104-1978-06-12-1中国1978年06月12日1970年代「人民日報」評論員論文「人民の来信来訪工作を重視し,りっぱにおこなおう」
DIA-104-1978-06-12-2中国1978年06月12日1970年代郭沫若科学院院長,全国文朕主席,北京で病死―86歳,18日午後北京で追悼大会がおこなわれ,葉剣英副主席が大会を主宰し,鄧小平副主席が追悼の詞をのべた。
DIA-104-1978-06-12-3中国1978年06月12日1970年代全国医薬衛生科学大会,閉幕―10日にわたり北京で開かれた。全国医薬衛生科学技術発展規画を修正して採択。
DIA-104-1978-06-13-1中国1978年06月13日1970年代教育部が最近,全国高等学校入試工作会議を開く―今年から全国で統一出題をおこない受験生の各科の成績を全部公表することを決定。中等専業学校の試験は省,市,自治区が出題し県クラスで入試を組織する。
DIA-104-1978-06-13-2中国1978年06月13日1970年代「人民日報」文化部理論グループ論文,「まじめに党の文芸政策を調整しよう」
DIA-104-1978-06-13-3中国1978年06月13日1970年代作家柳青が病気で北京で死去―62歳。22日,八宝山革命公墓で追悼会がおこなわれた。
DIA-104-1978-06-13-4中国1978年06月13日1970年代勝利石油化学総工場にブロウン・アスファルト装置完成。年産30万トン。
DIA-104-1978-06-13-5中国1978年06月13日1970年代イエン・サリ・カンボジア外務担当副首相,訪中―14日,華主席と会見。
DIA-104-1978-06-13-6中国1978年06月13日1970年代「プラウダ」アレクサンドロフ論文,中国は軍の近代化と反ソ統一戦線により世界征服をめざす,と論評。
DIA-104-1978-06-13-7中国1978年06月13日1970年代7~12月対中鋼材輸出商談,240万トン以上,20%強の値上げで大筋合意。
DIA-104-1978-06-14-1中国1978年06月14日1970年代上海で中国福利会成立40周年祝賀集会開く。
DIA-104-1978-06-14-2中国1978年06月14日1970年代林乎加が天津市革命委員会主任に就任―天津放送による。
DIA-104-1978-06-14-3中国1978年06月14日1970年代堂ノ脇駐中国公使,王暁雲アジア局次長と会談―中国側,条約交渉再開の日本側申し入れに正式に同意,再開時期について「7月上旬」を希望。交渉団団長に韓念竜次官,団員に王暁雲アジア局長らを指名。
DIA-104-1978-06-15-1中国1978年06月15日1970年代耿を団長とする中国政府代表団,カラコルム・ハイウエー竣工式に出席のため,パキスタンへ。
DIA-104-1978-06-16-1中国1978年06月16日1970年代全国科学普及創作座談会が最近閉幕―上海で半月間開かれた。
DIA-104-1978-06-16-2中国1978年06月16日1970年代人民日報「新らたな長征」期における大衆の食事はどのように改革されねばならないかについて報道。18日,24日の3回にわたり報道。パン食の普及などを提唱。
DIA-104-1978-06-16-3中国1978年06月16日1970年代スペイン国王ファン・カルロス一世夫妻,訪中―華主席,空港に出迎へ。人民日報,歓迎社説発表。17日,華主席と会見。
DIA-104-1978-06-16-4中国1978年06月16日1970年代中国外交部,ベトナム外務省に覚書を送り,ベトナムの駐中3総領事館の即時閉鎖を通告。
DIA-104-1978-06-17-1中国1978年06月17日1970年代銭三強教授を団長とする中国科学院代表団,ベルギー,フランスを訪問(27日まで)。
DIA-104-1978-06-17-2中国1978年06月17日1970年代日本で商震氏の追悼会挙行さる―葉剣英副主席と廖承志中日友協会長が花輪と弔電を送る。30日,北京八宝山革命公墓で遺骨安置式おこなわる。
DIA-104-1978-06-19-1中国1978年06月19日1970年代教育部と全国科学協会が一部省市中・高校数学競技会表彰式をおこなう―57人を表彰。
DIA-104-1978-06-19-2中国1978年06月19日1970年代大慶に学ぶ全国物資部門会議,大慶で開かる。
DIA-104-1978-06-19-3中国1978年06月19日1970年代リチャード・トルバート,リベリア大統領,訪中―華主席が空港まで出迎へ。人民日報,歓迎社説を発表。
DIA-104-1978-06-19-4中国1978年06月19日1970年代中国・スペイン,貿易・民間航空の2協定に調印。
DIA-104-1978-06-19-5中国1978年06月19日1970年代中共中央委,20年ぶりにユーゴ共産主義者同盟第11回大会に祝電を送る。
DIA-104-1978-06-19-6中国1978年06月19日1970年代ポリヤンスキー・ソ連駐日大使,有田外務次官に日中条約交渉再開問題についてソ連の強硬声明を手渡す―声明は「ソ連の利益に直接影響のある行動には傍観者たり得ない」とのべている。
DIA-104-1978-06-19-7中国1978年06月19日1970年代佐藤北京駐在大使,一時帰国。
DIA-104-1978-06-20-1中国1978年06月20日1970年代「哲学研究」編集部が真理の標準問題で座談会を開く―21日まで。
DIA-104-1978-06-20-2中国1978年06月20日1970年代全国財政商業会議,開幕―李先念副主席,開幕式で演説(人民日報6月27日発表)。地方機動財力を増加するよう指示,7月2日,余秋里副総理が報告。7日,華主席が演説(7月12日付人民日報)。9日,閉幕。
DIA-104-1978-06-20-3中国1978年06月20日1970年代中国・ベトナムの交渉が難航,華僑帰国船の入港予定日20日の入港不可能に。
DIA-104-1978-06-21-1中国1978年06月21日1970年代華主席,ドイツ共産党代表団と会見。
DIA-104-1978-06-22-1中国1978年06月22日1970年代福田首相以下政府首脳,帰国中の佐藤駐中国大使と日中条約締結交渉に向けて最終方針を協議。
DIA-104-1978-06-22-2中国1978年06月22日1970年代堂ノ脇駐中国公使,政府訓令にもとづき条約締結交渉の7月3日再開を中国政府に申し入れ。
DIA-104-1978-06-23-1中国1978年06月23日1970年代上海市で曹荻秋元上海市委員会書記の遺骨安置儀式挙行―中共中央の批准をえて名誉を回復したもの。
DIA-104-1978-06-23-2中国1978年06月23日1970年代人民日報,国家体委政治部論文「事実にもとづいて無実の罪を雪ぎ,ニセの罪状をくつがえす」
DIA-104-1978-06-23-3中国1978年06月23日1970年代全国で自然科学技術人員の基本情況調査―国家計画委,国家科学委,民政部,国家統計局が聯合で最近通知を出した。
DIA-104-1978-06-23-4中国1978年06月23日1970年代リーデック会長を団長とする米国ペンツ石油会社代表団一行14名,訪中。代表団は油田を参観,石油・天然ガス探査・開発公司と商談を行った。
DIA-104-1978-06-23-5中国1978年06月23日1970年代スイス共産党(ML)代表団,訪中。
DIA-104-1978-06-23-6中国1978年06月23日1970年代大日本塗料,対中ブラウン管けい光体製造プラント輸出契約の正式調印を発表―咸陽市に建設予定,受注価格936万ドル。
DIA-104-1978-06-24-1中国1978年06月24日1970年代「解放軍報」特約評論員論文「マルクス主義の最も基本的原則」―「人民日報」が転載。理論と実践の統一の問題について,林彪,「四人組」の歪曲を詳細に批判。
DIA-104-1978-06-24-2中国1978年06月24日1970年代四川省では全省の批判闘争大会を開き,劉結挺と張西挺を法により逮捕―文革以来この夫婦は県級以上の幹部を100人以上迫害して死に至らしめ,武闘で2000人以上を殺し,8000余人を廃残者とさせた。
DIA-104-1978-06-24-3中国1978年06月24日1970年代上海―南京間,上海―杭州間の観光列車,運行開始。
DIA-104-1978-06-24-4中国1978年06月24日1970年代ハノイの中国大使館,ベトナムが華僑引取り船問題で障害を設けている,と抗議の覚書を手交。
DIA-104-1978-06-24-5中国1978年06月24日1970年代「赤旗」無署名論文,「反覇権は対ソ統一戦線を意味する」と日中条約早期締結に懸念を表明。
DIA-104-1978-06-25-1中国1978年06月25日1970年代華主席が最近空軍がカナメをつかんで軍を治めるうえで成績を収めたことを称賛。
DIA-104-1978-06-25-2中国1978年06月25日1970年代中国の紡績工業,上半期の生産任務を繰り上げて達成し,生産総額は前年同期は26.3%増となった。
DIA-104-1978-06-25-3中国1978年06月25日1970年代第1機械工業部が,最近南昌で,全国トラクター業種の「工業は大慶に学ぶ社会主義革命競争」経験交流会を開く。
DIA-104-1978-06-26-1中国1978年06月26日1970年代国務院の新しい計画出産指導小組が発足,第一次会議を開催―陳慕華女史が組長となる。3年内に人口自然増加率を1%以下におさえる任務を実行することを重点的に研究。北京,上海,天津,四川,河北,遼寧,山東,江蘇,湖北等の省市の人口増加率が1%以下に低下している。
DIA-104-1978-06-26-2中国1978年06月26日1970年代ボストン大学の方宝賢教授,及びその夫人林瑟菲シモンズ大学教授が訪中。
DIA-104-1978-06-26-3中国1978年06月26日1970年代張愛萍副参謀長を団長とする中国軍事友好代表団,イタリア訪問。11日帰国。
DIA-104-1978-06-26-4中国1978年06月26日1970年代中国外交部声明「日韓大陸だな」批准書の交換に対し「主権の侵害であり,協定は無効」と強く抗議―28日「人民日報」は「中国の大陸ダナ資源の侵犯は絶対に許さない」という仁迪論文を発表。
DIA-104-1978-06-26-5中国1978年06月26日1970年代佐藤大使,北京に帰任。
DIA-104-1978-06-27-1中国1978年06月27日1970年代旭硝子,対中カラーテレビブラウン管用ガラス製造プラント輸出契約に正式調印―咸陽市に建設予定で受注価格約6500万ドル。
DIA-104-1978-06-27-2中国1978年06月27日1970年代符浩駐日大使が一時帰国。
DIA-104-1978-06-28-1中国1978年06月28日1970年代吉林省で「四人組」暴露・批判の第3戦役が深化,展開中。
DIA-104-1978-06-28-2中国1978年06月28日1970年代地対空ミサイル部隊が中国に存在―「大公報」
DIA-104-1978-06-28-3中国1978年06月28日1970年代康矛召EC駐在大使,信任状を提出。
DIA-104-1978-06-28-4中国1978年06月28日1970年代中国・リベリア経済協力協定調印。
DIA-104-1978-06-28-5中国1978年06月28日1970年代中国・ラオス民間航空運輸協定に調印。
DIA-104-1978-06-29-1中国1978年06月29日1970年代イリイチョフ・ソ連外務次官北京発帰国―中ソ国境交渉は中断。
DIA-104-1978-06-30-1中国1978年06月30日1970年代全国の有名な労働模範でくみとり労働者,時傳祥が名誉回復―「4人組」に迫害され死亡して3年。北京市で名誉回復大会がおこなわれた。
DIA-104-1978-06-30-2中国1978年06月30日1970年代中国,日中平和友好条約締結交渉を7月21日に再開することで日本側と合意―佐藤大使が記者会見で発表。
DIA-104-1978-07-01-1中国1978年07月01日1970年代毛主席の1962年の「拡夫中央工作会議における講話」公表―党創立57周年にあたり発表したもの。民主集中制,党内外における民主発揚の問題を扱ったもの。「紅旗」7号は「新たな時期の全般的任務を達成する強大な思想的武器」という社説を発表。人民日報は2日,「民主集中制を真剣に実行しよう」という社説を掲げた。
DIA-104-1978-07-01-2中国1978年07月01日1970年代大日本スクリーン製造・日商岩井・新東邦,対中カラーテレビ用シャドーマスク製造プラント受注・調印―咸陽市に建設され,受注金額約20億円,ドル建てドル払い現金べース。納期1980年末。
DIA-104-1978-07-02-1中国1978年07月02日1970年代電力工業,上半期の発電計画を繰り上げ達成―「年の半ばに計画の半分」の要求を果たし,上半期発電量は昨年同期比17.7%増となった。
DIA-104-1978-07-02-2中国1978年07月02日1970年代77~78年度砂糖生産量は国家計画を繰り上げ達成―前年度を15%上回った。
DIA-104-1978-07-03-1中国1978年07月03日1970年代人民日報短評,「科学技術人員の中に党員を発展させる工作を重視せよ」。
DIA-104-1978-07-03-2中国1978年07月03日1970年代石油工業は上半期計画を達成―前年同期比で原油は11%,天然ガスは14.6%,原油加工は8.1%,ボーリング量は66.7%それぞれ増加。
DIA-104-1978-07-03-3中国1978年07月03日1970年代軽工業部門,上半期生産総額は前年同期比20%以上増,年間計画の半分以上に。
DIA-104-1978-07-03-4中国1978年07月03日1970年代農業科学院,このほど南寧市で全国農業原子力応用工作会議開く―「全国農業原子力応用科学技術計画」を討議・作成。
DIA-104-1978-07-03-5中国1978年07月03日1970年代中国政府,対ベトナム経済・技術援助打ち切りを通告―ベトナム政府への覚書きは,ベトナムの反中国・華僑排斥により,両国の友好関係,両国人民の兄弟的感情はひどく傷つけられ,援助プロジェクトを建設するうえでの最低限の条件が破壊された,と述べた。
DIA-104-1978-07-03-6中国1978年07月03日1970年代ウルフ米下院外交委,アジア太平洋小委委員長を団長とする米下院代表団,訪中―10日まで。9日鄧副主席が一行と会見。
DIA-104-1978-07-03-7中国1978年07月03日1970年代人民日報社説,「公明正大,終始不変の立場」―副題は「中国の華僑政策へのソ連の中傷に反駁する」。
DIA-104-1978-07-03-8中国1978年07月03日1970年代黄華外交部長,パプア・ニューギニア外相と会談,招宴―同外相は2日,友好訪問のため訪中。
DIA-104-1978-07-04-1中国1978年07月04日1970年代人民日報社説,「『工業30カ条』を真剣に学習し,断固貫徹しよう」―「工業30ヵ条」とは「工業の発展をはやめる若干の問題についての中共中央委員会の決定(草案)」の略称で,すでに試行に移されている。1960年の毛主席の「鞍鋼憲法」の基本原則を具現した1961年起草の「工業70ヵ条」は毛主席の路線を基本的に反映したもの,と評価。1972年の「10ヵ条」,1975年の「20ヵ条」も肯定的に評価。実践の中での点検の必要性を強調。
DIA-104-1978-07-04-2中国1978年07月04日1970年代全国財政商業会議代表,6日まで系統別に各種の会議を開く―商業部,対外貿易部,財政部,全国購買販売合作総社,中国人民銀行総行,中央工商行政管理局,国家水産総局がそれぞれ主催したもの。商業部の出した「商業の発展に関する若千の問題」の草稿を検討。
DIA-104-1978-07-04-3中国1978年07月04日1970年代「大慶に学ぶ」全国物資戦線会議閉幕―国家物資総局が開いたもの。
DIA-104-1978-07-04-4中国1978年07月04日1970年代7~12月船積分の日中肥料交渉まとまる―硫安13万トン,尿素40万トン,塩安11.5万トン,価格は前期より6%,12%,19.2%アップ。9月11日,尿素8.5万トン,硫安4万トンの追加契約がおこなわれた。
DIA-104-1978-07-05-1中国1978年07月05日1970年代人民日報社説「党の政策を実行に移し,農民の負担を軽減しょう」―生産隊において,増産が増収につながらず,多く働らいても多くの報酬が得られず,分配が現金化されていないことが当面の農村におけるかなり普遍的な現象であり,湖南省湘郷県がこの問題に取り組んだ事例を紹介,これに学ぶよう指示。
DIA-104-1978-07-05-2中国1978年07月05日1970年代第2回「工業は大慶に学ぶ」全国石油化学工業会議―最近大慶で開催。6日,人民日報は「10の『大慶油田』をつくるために奮闘しよう」という社説をかかげた。
DIA-104-1978-07-05-3中国1978年07月05日1970年代国家経済委員会,最近,9月に工業・交通戦線の「品質向上月間」活動をおこなう通知を発出。
DIA-104-1978-07-05-4中国1978年07月05日1970年代姫鵬飛副委員長,シリアを訪問―10日まで。
DIA-104-1978-07-05-5中国1978年07月05日1970年代河本通産相,中国原油輸入を消費量の10~12%とする方針を表明―大阪での講演で。
DIA-104-1978-07-05-6中国1978年07月05日1970年代方毅副総理,早稲田大学友好訪中団と会見。
DIA-104-1978-07-06-1中国1978年07月06日1970年代広東省党委員会,元湛江地区委員会副書記を党籍剥奪,司法処分に付す―担当の徐聞県と海康県で党紀国法をふみにじり,幹部を迫害し,革命と生産に重大な被害を与えたことによる。
DIA-104-1978-07-06-2中国1978年07月06日1970年代上半期工業生産総額,昨年同期比24.6%増の成果―全国の80の主要工業製品中,65が年前半で年間生産計画の50%以上を達成。
DIA-104-1978-07-06-3中国1978年07月06日1970年代四川,江蘇,淅江の夏季食糧が豊作―四川省では小麦を主とする330余万haが豊作で,総収量は前年比1割増。江蘇省では夏季食糧,ナタネ,冬季緑肥が3つとも総収穫量で新記録となった。浙江省でも春作食糧が豊作となった。
DIA-104-1978-07-06-4中国1978年07月06日1970年代華国鋒総理,ソロモン諸島の独立に対して祝電を送り,中国政府による承認を通知。
DIA-104-1978-07-06-5中国1978年07月06日1970年代耿党中央対外連絡部長,イタリア統一共産党中央代表団と会見。
DIA-104-1978-07-07-1中国1978年07月07日1970年代河南省の劉建勲,陜西省の李瑞山,チベット自治区の任栄が批判を受け更迭の可能性―遼寧省の曽紹山は政治的困難に直面。(「サウスチャイナ・モーニング・ポスト」紙)。「明報」は6日,これらの人物のほか,河北省の劉子厚にも問題があるようだ,と伝えた。
DIA-104-1978-07-07-2中国1978年07月07日1970年代教育部と北京市革命委員会が劉純朴教員に「模範班主任」の称号を授与―通県第一中学の数学教師。
DIA-104-1978-07-07-3中国1978年07月07日1970年代湖北,安徽,上海郊外の夏季食糧が豊作―湖北省の総収穫量は昨年より2割以上増えた。安徽省の小麦180万haの総収穫量と単位面積収量が共に昨年を2割上回り,ナタネ総収量は新記録となった。上海郊外区ではナタネの総収量と単位面積収量が新記録,夏季食糧の総収量と単位面積収量は史上最高に近づいた。
DIA-104-1978-07-07-4中国1978年07月07日1970年代中国,対アルバニア援助を打ち切り―中国外交部は中国駐在アルバニア大使館に覚書を送った。同覚書は,アルバニアの指導部は反中国の道を突っ走る決意を固め,計画的に段取りをおって両国の経済・軍事協力を損ない,中国の援助活動の続行を不可能にしている。話し合いによる問題解決の道はアルバニア側によって塞がれてしまった。したがって協力関係破壊の全責任はアルバニア側が負うべきであり,中国は止むなく援助を打ち切らざるをえない,と述べた。
DIA-104-1978-07-07-5中国1978年07月07日1970年代李先念副主席,ベネズエラ革命党中央委代表団と会見。
DIA-104-1978-07-07-6中国1978年07月07日1970年代アラファトPLO議長,ダマスカスで姫鵬飛副委員長と会見。
DIA-104-1978-07-07-7中国1978年07月07日1970年代日揮・丸紅,対中エチレンプラント受注を発表―大慶で81年半ばまでに完成させる予定,年産能力30万トン,受注価格は約250億円,円・ドル両建て現金ベース。
DIA-104-1978-07-08-1中国1978年07月08日1970年代北京の文芸活動家300人余が大慶油田で公演活動をおこなった。
DIA-104-1978-07-08-2中国1978年07月08日1970年代中央楽団の週末演奏会,12年ぶりに復活。
DIA-104-1978-07-08-3中国1978年07月08日1970年代長沙で軽工業部主催の全国衣服品評会開く―12日まで。旗袍の改良デザインも出品さる。
DIA-104-1978-07-08-4中国1978年07月08日1970年代猛暑,中国各地を襲う―今年の特徴は到来が例年より10日前後早く,また持続期間が長いことである。
DIA-104-1978-07-09-1中国1978年07月09日1970年代建材工業,上半期に好成績―セメント生産量は年間計画の56.2%を達成,昨年同期比32.8%増。板ガラスの生産量は年間計画の54.3%を達成,昨年同期比32.9%増。
DIA-104-1978-07-09-2中国1978年07月09日1970年代民間航空部門,上半期輸送計画を超過達成―昨年同期比で航空総輸送量は29%増,旅客輸送量は33%増。
DIA-104-1978-07-09-3中国1978年07月09日1970年代シリア大統領,姫鵬飛副委員長と会見―姫副委員長は5日ダマスカス入り。
DIA-104-1978-07-09-4中国1978年07月09日1970年代中国軍事友好代表団,ザィール,ルワンダを訪問し,帰国の途につく。
DIA-104-1978-07-10-1中国1978年07月10日1970年代中国科学院理論組と中国自然弁証法研究会が北京で共同で第2回理論討論会を開く―理論と実践の関係についての「4人組」の製造した混乱を正すため開かれたもの。
DIA-104-1978-07-10-2中国1978年07月10日1970年代鄧小平副総理,アメリカ科学技術代表団と会見―米大統領科学技術顧問フランク・プレイス博士を団長とし,6日に訪中,10日帰国の途についた。
DIA-104-1978-07-10-3中国1978年07月10日1970年代新華社論評,「非同盟運動を破壊するソ連の共犯者キューバ」。
DIA-104-1978-07-11-1中国1978年07月11日1970年代上海で10年ぶりに裁判を一般公開。
DIA-104-1978-07-11-2中国1978年07月11日1970年代人民日報評論員論文「環境保護は大いに重視しなければならない」―「三廃」を積極的に処理しない企業は,大慶に学ぶ先進単位に認定してはならない,と指摘。
DIA-104-1978-07-11-3中国1978年07月11日1970年代ナタネ総収穫量,新記録に―単位面積収量は昨年より1割以上増。作付面積は前年比66万ha増。買付け計画は6月30日までに超過達成された。
DIA-104-1978-07-12-1中国1978年07月12日1970年代外交部新聞司,8日の中国機による領空「侵犯」は全くのねつ造と発表―10日べトナム外務省は,8日に中国が多くの戦闘機をくり出してベトナム領空を侵犯した,と抗議をおこなったが,この事実はないと抗議。
DIA-104-1978-07-12-2中国1978年07月12日1970年代中国,華僑難民の自由流入許可を停止―越境者にはベトナム側の出国許可証と中国側の入国ビザが必要となった。
DIA-104-1978-07-12-3中国1978年07月12日1970年代人民日報評論員,「ベトナム当局はなぜベトナム・カンボジア国境衝突を引き起こしたのか」―舞台裏の支持者として,ソ連の拡張主義の新たな手口が存在,と分析。
DIA-104-1978-07-12-4中国1978年07月12日1970年代耿副総理が,トリニダードトバゴ,ジャマイカ,ガィアナを訪問―24日まで。
DIA-104-1978-07-12-5中国1978年07月12日1970年代黄華外交部長,衆議院外務委員会訪中団と会見。
DIA-104-1978-07-13-1中国1978年07月13日1970年代人民日報特約評論員,「民主と法秩序」―社会主義の民主の必要性と法秩序のあり方を詳論。
DIA-104-1978-07-13-2中国1978年07月13日1970年代中国人民大学,正式に再開―秋から新入生を募集。
DIA-104-1978-07-13-3中国1978年07月13日1970年代人民日報評論員,「優れた伝統的演目を積極的かつ慎重に上演しょう」。
DIA-104-1978-07-13-4中国1978年07月13日1970年代黒竜江省,商品化食糧基地の建設急ぐ―現有耕地870万haのほか,開墾可能な荒地が660万haあり,昨年4月と12月の華主席の指示にもとづき,2月,商品化食糧基地を築くことを破壊した前省党委の主要責任者の罪状を摘発・批判した。今年すでに年間計画の92%にあたる30万haが開墾され,11万haに夏秋作が作付けされている。
DIA-104-1978-07-13-5中国1978年07月13日1970年代吉林省が最近,商品化食糧基地建設計画会議を開く―中部28県を基地県とした。ここは,全省人口の60%,耕地の75%,食糧収穫量の80%強を占める。
DIA-104-1978-07-13-6中国1978年07月13日1970年代宋振明石油工業部長を団長とする中国政府代表団,イラクを訪問―27日,イランを訪問,8月1日帰国の途についた。
DIA-104-1978-07-13-7中国1978年07月13日1970年代李先念副首相,三井グループ友好訪中代表団と会見―李副首相は,日本からの民間資金の導入の意向を示し,「生産物償還方式」や委託加工方式も積極的に行なう,と述べた。
DIA-104-1978-07-14-1中国1978年07月14日1970年代工業・交通各部の正副部長,大型中核企業を大慶型企業に建設すべく末端に―鞍山鉄鋼公司は1年余の整頓を経て大慶型企業となった。今年中に鞍鋼のような大慶型企業を10ほど建設することを目標に5月中旬から2000人以上が企業末端に派遣された。15日,人民日報は,「生産は上へ,幹部は下へ」という社説をかかげ,この動きを支持。
DIA-104-1978-07-14-2中国1978年07月14日1970年代中国政府代表団,ザンビア,タンザニア訪問のため北京を出発―29日から31日まで,タンザン鉄道3者会談に参加。
DIA-104-1978-07-14-3中国1978年07月14日1970年代譚震林副委員長,日中友好元軍人の会訪中団と会見。
DIA-104-1978-07-15-1中国1978年07月15日1970年代元中共西南局書記,曽希聖死去―64才。林彪,「4人組」の迫害により重病となり死去したもの。18日北京八宝山革命公墓礼堂で追悼会がおこなわれた。
DIA-104-1978-07-15-2中国1978年07月15日1970年代文芸評論誌「文芸報」復刊。
DIA-104-1978-07-15-3中国1978年07月15日1970年代「中国婦女」誌が復刊。
DIA-104-1978-07-15-4中国1978年07月15日1970年代全国夏季食糧,昨年比500万トンの増産―ナタネの収穫量もこれまでの最高となり,春茶と春繭も昨年より増産となった。1~6月の化学肥料,トラクター,ディーゼルエンジンの生産量は昨年同期より47%,27%,14%それぞれ増えた。
DIA-104-1978-07-15-5中国1978年07月15日1970年代1978年山間地特産物交易会,北京で開催―中国特産畜産輸出入総公司主催で25日まで。
DIA-104-1978-07-16-1中国1978年07月16日1970年代華国鋒総理,アフリカ統一機構第15回国家・政府首脳会議に祝電を送る。
DIA-104-1978-07-16-2中国1978年07月16日1970年代ベトナムを追い出されて帰国した華僑難民は15万9000人に―95%以上が北部からの難民(新華社記者)。20日,16万100人に。
DIA-104-1978-07-16-3中国1978年07月16日1970年代中国鉄道代表団,朝鮮訪問―24日まで協議をおこない,1978年中朝国境鉄道会議議定書に調印した。
DIA-104-1978-07-16-4中国1978年07月16日1970年代李先念副主席,このほどアルゼンチン革命共産党代表団と会見。
DIA-104-1978-07-17-1中国1978年07月17日1970年代社会科学院哲学研究所,「哲学研究」編集部,共同で理論と実践問題討論会を開く―24日まで。
DIA-104-1978-07-17-2中国1978年07月17日1970年代中国農学会,太原で第2回代表大会開く―全国農業学術討論会も開かれた。
DIA-104-1978-07-18-1中国1978年07月18日1970年代中国はシチェルバコフ新大使にこのほどアグレマンを与えた。
DIA-104-1978-07-18-2中国1978年07月18日1970年代北京で「日語短期訓練班」開始―日本が3教授を派遣,8月26日まで。
DIA-104-1978-07-19-1中国1978年07月19日1970年代王府井「人民日報」社の壁に「天安門事件」の真相を公開し,関係書類公表を要求する壁新聞出現―華主席あての公開状。
DIA-104-1978-07-19-2中国1978年07月19日1970年代大旱ばつにうち克ち,河南,山東の夏季食糧豊作に―河南省は好収穫で総収量は昨年比1割増。山東省は390万haの小麦が総収量で昨年より7%増となった。
DIA-104-1978-07-19-3中国1978年07月19日1970年代中国,華僑問題解決のためベトナムに外務次官級会談を提案―中国外交部のベトナム外務省への覚書。8月上旬からハノイまたは北京で会談開くことを提案。
DIA-104-1978-07-19-4中国1978年07月19日1970年代済南市で,日本の北方領土返還要求運動を支持する集会開く。
DIA-104-1978-07-20-1中国1978年07月20日1970年代全国民兵工作会議,北京で開く―8月10日まで。開会の日,楊勇副総参謀長が報告をおこない,8月4日聶栄臻中央軍委副主席が「今後の近代戦における民兵の地位について」という重要演説をおこなった。
DIA-104-1978-07-20-2中国1978年07月20日1970年代全国大学入試おこなわる―22日まで。全国で約600万人が受験。今年大学は昨年より60校増えた。昨年は受験者570万人,合格者27万8000人であった。
DIA-104-1978-07-20-3中国1978年07月20日1970年代「人民日報」社新聞展示ケース横に,天安門事件に関する同社の報道是正を迫る壁新聞出現―陳嗣濤署名で胡績偉,胡耀邦気付,あて先は「労農兵通信員・記者」。この壁新聞は23日まで存在。
DIA-104-1978-07-20-4中国1978年07月20日1970年代全国夏季食糧買い付け任務が超過達成された。
DIA-104-1978-07-20-5中国1978年07月20日1970年代カーター米大統領,ホワイトハウスで中国芸術団全員と会見。
DIA-104-1978-07-20-6中国1978年07月20日1970年代米当局,最近ソ連領の衛星写真2800枚を香港の中国系グループに売却。
DIA-104-1978-07-20-7中国1978年07月20日1970年代ブラジル政府,中国との間で20万トンの鉄鉱石と石油9万トンのバーター取引脇定に調印,と発表。
DIA-104-1978-07-20-8中国1978年07月20日1970年代谷牧副総理,日本国鉄訪中団と会見―中国は,北京・天津間の電化,CTSなどに協力を要請。高木国鉄総裁を団長として17日から28日まで訪中。
DIA-104-1978-07-20-9中国1978年07月20日1970年代対中鋼材輸出商談,7-12月分,232万トンと鋼管杭30万トンで合意。
DIA-104-1978-07-21-1中国1978年07月21日1970年代北京第2外国語学院内で華主席,葉副主席ひぼうの詩流布―タイプ刷りで「花葉賦」と題するもの(共同)。
DIA-104-1978-07-21-2中国1978年07月21日1970年代李先念,余秋里両副総理,アメリカのヒントン氏と会見―同氏は6月30日訪中,自分の農場経営について紹介。
DIA-104-1978-07-21-3中国1978年07月21日1970年代日中平和友好条約交渉再開―台基廠の外交部3号賓館で,日本側交渉団(団長・佐藤駐中国大使)と中国側交渉団(団長・韓念竜外交部副部長)の間で再開。
DIA-104-1978-07-22-1中国1978年07月22日1970年代「浙江日報」最近,形を変えた売買婚に反対―農民陳柏松が「一農村青年の悩み」という投書を出し,4年前婚約の時500元を使い,結婚の披露宴に1000元余を使わなければならず,婚約解消の止むなきに至ったと訴え。
DIA-104-1978-07-22-2中国1978年07月22日1970年代公安部は最近,林彪,「4人組」との闘争で身をささげた天津市公安局副科長李良に学ぶようよびかけを発出。
DIA-104-1978-07-22-3中国1978年07月22日1970年代中国科学院研究生,2444人が第2次験試を受験。
DIA-104-1978-07-22-4中国1978年07月22日1970年代人民日報評論員,「すぐれた映画をたくさんつくろう」。
DIA-104-1978-07-22-5中国1978年07月22日1970年代全国農地基本建設会議,北京で開催―8月1日まで。1200人余の代表は開幕に先だち3日から江蘇,山東の農地基本建設の先進モデルを見学。22日の大会で李先念副総理が重要演説をおこなった。8月1日,紀登奎副総理が総括演説をおこなった。会議中,華主席は,次のような指示をおこなった。 現在の問題は,農業を基礎とする思想がまだ完全には解決されていないことである。工業部門の同志は重視がまだ足りず,また農業を直接管理する同志でさえも重視がまだ足りないものがいる。農業を基礎とする思想は,党内でなお一段と解決し,点検し,実行に移す必要がある。中央だけでなく,中央の各部,各省・市ともこの問題を解決しなければならない。華主席は,ほかに,農地基本建設を大々的におこなうこと,幹部に良い作風が必要であること,およそ大工業と原料を奪い合わない工業は,人民公社で発展させなければならず,工業製品のうちのあるものは人民公社に拡散させなければならないこと,を強調。
DIA-104-1978-07-22-6中国1978年07月22日1970年代山西,江西,浙江で旱ばつ対策強化。
DIA-104-1978-07-22-7中国1978年07月22日1970年代人民日報評論員,「日久しくして人の心を知る」―副題,「中国の対ベトナム援助について」。
DIA-104-1978-07-22-8中国1978年07月22日1970年代アヤル住宅相を団長とするクェート政府代表団が訪中。
DIA-104-1978-07-23-1中国1978年07月23日1970年代元統計局局長王思華死去―74才。27日,八宝山革命公墓礼堂で追悼式を挙行。
DIA-104-1978-07-23-2中国1978年07月23日1970年代人民日報社説,「蘇州から南部を見る」―南部13省市自治区の食糧生産量は全国の半分以上を占め,水稲作付面積と収量の95%を占める。ムー当り1トンの食糧生産を実現している蘇州地区から南部の可能性を強調。
DIA-104-1978-07-23-3中国1978年07月23日1970年代康世恩副総理,石油開発技術交流訪中団と会見―渤海湾での日中「合作」開発に基本的に合意,珠江河口地域の開発についても「合作」が検討されることになった。
DIA-104-1978-07-25-1中国1978年07月25日1970年代全国の上半期累計ボーリング量は昨年同期比69%増で史上最高に―昨年同期より600本多くの石油・天然ガス井戸が掘られた。
DIA-104-1978-07-25-2中国1978年07月25日1970年代中国種子公司が設立さる―全国の省,地区,県の3級に設立の予定。直属種子基地も建設の予定。
DIA-104-1978-07-25-3中国1978年07月25日1970年代楊易辰黒竜江省党第一書記を団長とする中国農業代表団が訪米へ北京発。
DIA-104-1978-07-26-1中国1978年07月26日1970年代全国の3分の1を占める浙江省の生糸生産は, 上半期に前年同期比42%伸びた。
DIA-104-1978-07-26-2中国1978年07月26日1970年代上半期の貿易,輸出入とも大幅増―輸出は昨年同期比28.5%増,輸入は60%増,わずかながら出超。輸入では技術とプラントが70%,発電設備,機械,計測器が41%余増加した。
DIA-104-1978-07-26-3中国1978年07月26日1970年代華主席,ゲオルゲ・オプレア第一副首相のひきいるルーマニア政府代表団と会見―22日に訪中。
DIA-104-1978-07-26-4中国1978年07月26日1970年代電源開発,今年7月~来年3月の中国一般炭輸入契約,このほど調印と発表―数量は15万トン。
DIA-104-1978-07-27-1中国1978年07月27日1970年代人民日報論評,「二分法を堅持して引き続き前進する大慶」―鞍山鉄鋼公司に学んでいる点を評価。
DIA-104-1978-07-27-2中国1978年07月27日1970年代広西壮族自治区,既存水利施設の潜在力をフルに活用。
DIA-104-1978-07-27-3中国1978年07月27日1970年代華僑帰国船,ベトナム海域から中国に引揚げ―31日黄埔港に帰着した。
DIA-104-1978-07-27-4中国1978年07月27日1970年代華僑難民引き取り船派遣問題に関する会談休止―ベトナム駐在中国大使館とベトナム当局の間で6月13日から19回にわたって会談がおこなわれたもの。28日,中国政府,8月8日からハノイで外務次官級会談開始というベトナム側提案に同意。
DIA-104-1978-07-28-1中国1978年07月28日1970年代天津市で1年8ヵ月ぶりに階級闘争のふたが開けられ,「4人組」の暴露,批判の闘争が展開。
DIA-104-1978-07-28-2中国1978年07月28日1970年代河南省駐馬店地区文教局局長路恒鋒,昨年の入試不正で党内外の職務を停止,2年の留党看察処分を受ける。
DIA-104-1978-07-28-3中国1978年07月28日1970年代人民日報社説,「湘郷の経験を必らず実行に移そう」。
DIA-104-1978-07-28-4中国1978年07月28日1970年代湖北省のダム5800余ヵ所,貯水量427億に―貯水量1000万以上の大中型ダム246,全体有効かんがい面積127万haに。
DIA-104-1978-07-28-5中国1978年07月28日1970年代日立,カラー・テレビ用ブラウン管製造プラント輸出契約に調印―年産能力96万本のプラントを咸陽に,1980年12月操業予定,ドル建てで約150億円。
DIA-104-1978-07-28-6中国1978年07月28日1970年代V・クドリヤフツェフ・ソ連民族会議外交委員,日中交渉に警告―訪ソ中の永田衆院外務委員長に対し,軍事・経済面での対抗措置をとらざるをえない,と述べた。
DIA-104-1978-07-29-1中国1978年07月29日1970年代福建省南安県で鄭成功記念館が修復,公開。
DIA-104-1978-07-29-2中国1978年07月29日1970年代昔陽県は昨年から第3次農地基本建設計画を実行,成果上げる―1962年以来2回の計画を実施したが,計画が客観的実際に適合していなかったため,一部施設は工事効率が悪く,また工事やり直しや浪費をもたらした。
DIA-104-1978-07-29-3中国1978年07月29日1970年代耿副総理,マルタを訪問―8月2日まで。
DIA-104-1978-07-29-4中国1978年07月29日1970年代黄華外交部長,夕食会を開いて「日中条約」日本側交渉団をねぎらう。
DIA-104-1978-07-30-1中国1978年07月30日1970年代華主席以下党と国家の指導者,各種会議出席の代表と会見―全国農地基本建設会議,全国民兵工作会議,第3機械工業部科学技術会議,第5機械工業部大慶に学ぶ会議,国家地質総局石油地質工作会議,鉄道兵後勤工作会議の代表が参加。
DIA-104-1978-07-30-2中国1978年07月30日1970年代最近北京で全国自然弁証法夏季講習会開く。
DIA-104-1978-07-30-3中国1978年07月30日1970年代最近,四川省綿陽市で全国メタンガス普及経験交流会議開催。
DIA-104-1978-07-30-4中国1978年07月30日1970年代陳慕華副総理を団長とする中国政府代表団,ソマリア,ガボン,カメルーンを訪問―8月19日まで。8月1日,中国援助道路竣工式に参加。
DIA-104-1978-07-31-1中国1978年07月31日1970年代建軍51周年にあたり,国防部がレセプション催す―華主席,4人の副主席,および党と国家の指導者が出席。首都体育館では1万6000人の交歓の夕べ催す。「紅旗」と人民日報は徐向前国防部長の「警戒心を高め,戦争に備えよう」という論文を掲載,解放軍報と人民日報は朱徳,周恩来を偲ぶ文章を掲載した。
DIA-104-1978-07-31-2中国1978年07月31日1970年代北京駐屯部隊,民兵関係者1万人余が毛主席の遺容を拝す。
DIA-104-1978-07-31-3中国1978年07月31日1970年代華主席,ソンセン国防担当副首相のひきいる民主カンボジア政府軍事代表団と会見―同代表団は7月29日から8月5日まで,徐向前国防部長の招きに応えて訪中したもの。
DIA-104-1978-07-31-4中国1978年07月31日1970年代中国,西沙群島にレーダー基地を建設―(香港「文匯報」)。
DIA-104-1978-07-31-5中国1978年07月31日1970年代華主席,呉克列中将を団長とする朝鮮人民軍友好訪中団と会見―行は23日に訪中。
DIA-104-1978-07-31-6中国1978年07月31日1970年代日中航空交渉,11月1日から1便増(週4便)で合意。
DIA-104-1978-08-01-1中国1978年08月01日1970年代人民日報,1944年の「軍隊の政治工作について」という報告を公表―大部分は毛主席が書いたもので古田会議決議に次ぐ政治工作の重要文件として学習をよびかけ。
DIA-104-1978-08-01-2中国1978年08月01日1970年代鉄道,新ダイヤを実施―旅客便が87,貨物便が1066増えた。
DIA-104-1978-08-01-3中国1978年08月01日1970年代河の潘家口ダム,大黒汀ダム工事急ピッチで進展。
DIA-104-1978-08-01-4中国1978年08月01日1970年代李先念副総理,帰国途中北京に立ち寄ったイエン・サリ・カンボジア副首相と会見。
DIA-104-1978-08-01-5中国1978年08月01日1970年代友誼関でベトナム側が発砲して華僑難民を中国側へ追いやる。―8日,バクルアン橋で同様の事件が発生。
DIA-104-1978-08-02-1中国1978年08月02日1970年代党中央,陜西党委の「旬邑県の少数の幹部の強制命令,法規・規律違反問題に関する調査報告」を全党に転送―華主席は「そこの問題を立派に解決する」ことを指示。3日の人民日報は「幹部の作風に一大転換を」という社説をかかげ,この「報告」を各戸に周知徹底させ,人びとにわからせるよう要求。
DIA-104-1978-08-02-2中国1978年08月02日1970年代今年の全国夏季食糧が豊作,総収穫量,昨年比10%増―3分の1以上の面積が厳しい旱ばつにみまわれたが,これにうち勝ち豊作をかち取った。
DIA-104-1978-08-02-3中国1978年08月02日1970年代華主席,アリウン・ブロンディン・ベイエ外務・協力相のひきいるマリ政府代表団と会見。
DIA-104-1978-08-03-1中国1978年08月03日1970年代羅瑞卿元公安部長・総参謀長・副総理死去―心臓病のため,72歳。12日,人民大会堂で追悼会が行なわれ,華主席,4人の副主席以下,1700人が参加した。 鄧小平副主席が悼辞を述べた。
DIA-104-1978-08-03-2中国1978年08月03日1970年代河北省平山県で,戦国時代の中山国都城遺跡発見さる。
DIA-104-1978-08-03-3中国1978年08月03日1970年代黒竜江省党委常務委拡大会議,最近真理の規準と民主集中制の問題を討議―実践を真理検証の唯一の基準とすること,を強調。
DIA-104-1978-08-03-4中国1978年08月03日1970年代「イズベスチア」マトベーエフ政治評論員論評「危険で近視的なゲーム」―米中間の接近が進めば米ソ協力の可能性がなくなると警告。
DIA-104-1978-08-03-5中国1978年08月03日1970年代米石油4社は沖合油田開発で1ヵ月ほど前から中国側と会談している(ロイター)。
DIA-104-1978-08-04-1中国1978年08月04日1970年代新疆の夏収作物収穫量昨年比15%増,新記録に。
DIA-104-1978-08-04-2中国1978年08月04日1970年代李先念副総理,共同通信遠藤編集局次長と会見。
DIA-104-1978-08-05-1中国1978年08月05日1970年代1978年度中国工芸品交易会,北京で開く―20日まで。
DIA-104-1978-08-05-2中国1978年08月05日1970年代華主席,中国訪問公演中の朝鮮国立交響楽団の演奏を鑑賞。
DIA-104-1978-08-05-3中国1978年08月05日1970年代日中記者交換ワク14人に拡大で合意―当面北京駐在記者は12人,東京駐在は実質10人。
DIA-104-1978-08-05-4中国1978年08月05日1970年代中江外務省アジア局長,日中条約交渉の経過説明のため帰国。
DIA-104-1978-08-05-5中国1978年08月05日1970年代張香山中日友協副会長,日中条約交渉のいきさつを説明―共同通信編集次長に。7日の事務レベル13回目の折衡で日本側は張氏が交渉経過を公表したことに遺憾の意を表明。
DIA-104-1978-08-06-1中国1978年08月06日1970年代寧夏回族自治区党校が最近,県以上の指導幹部読書会開く―マルクス主義,毛沢東思想は「一が分かれて二になる」ことができる,と理論上明確にした。
DIA-104-1978-08-06-2中国1978年08月06日1970年代山東省で魯国(BC11世紀~2世紀)の都,曲阜の都城遺跡発掘さる。
DIA-104-1978-08-06-3中国1978年08月06日1970年代箱根での福田首相・園田外相会談―外相訪中を決定。
DIA-104-1978-08-07-1中国1978年08月07日1970年代人民日報社説,「みんなが技術を学ばなければならない」―各部門,各企業は,所属業種,所属企業の科学技術計画に基づいて,短期と長期の労働者・職員の教育・学習計画を制定せよ,と要求。
DIA-104-1978-08-08-1中国1978年08月08日1970年代広州部隊,林彪,「4人組」が7年間押えていた闘争のふたを開ける―1972年8月に江青が「立派な司令員」とかばった人物を批判(人民日報)。
DIA-104-1978-08-08-2中国1978年08月08日1970年代党中央と国務院,山地産物と特産物の発展に力を入れる―黒きくらげと生漆について調査。
DIA-104-1978-08-08-3中国1978年08月08日1970年代李先念副総理,エドマンド・デル・イギリス貿易相一行と会見。
DIA-104-1978-08-08-4中国1978年08月08日1970年代香港「新晩報」,中国は英からハリヤー戦闘機350機,15億ドルを買付け交渉中,と報道。
DIA-104-1978-08-08-5中国1978年08月08日1970年代華僑問題に関する中国・ベトナム外務次官級会談始まる―ハノイで。仲曦東外交部副部長は5日ハノイ入りした。15日に第2回会談,19日の第3回会談で中国側は4項目の提案をおこない,ベトナムはこれを拒否,26日に第4回会談,28日一時中断,9月7日に第5回会談がおこなわれ,中国側が2項目,ベトナム側が4項目の提案をおこなった。12日の第6回会談で中国側は4項目の提案をおこない,19日の第7回会談でベトナム側がこれを拒否,26日の第8回会談では中国側が「無期限中断」を申し入れ,ベトナム側は継続を主張,27日,中国側代表団は帰国した。
DIA-104-1978-08-08-6中国1978年08月08日1970年代園田外相が訪中。
DIA-104-1978-08-08-7中国1978年08月08日1970年代第3回日中漁業共同委員会,北京で開く―10日まで。
DIA-104-1978-08-09-1中国1978年08月09日1970年代中共中央,このほど「軍隊の政治工作の強化に関する中共中央軍委の決議」の公布を承認―22項目の内容を持つ。党中央は,その基本精神は,軍隊に適用されるだけではなく,各級党組織,政府機関および学校,企業部門などにも適用される,と指摘。
DIA-104-1978-08-09-2中国1978年08月09日1970年代軍総政治部,林彪,「4人組」批判大会を開く―韋国清主任以下指導的人物が出席,「伏魔殿総政治部をたたきつぶす」という林彪,「4人組」の罪状を摘発・批判。
DIA-104-1978-08-09-3中国1978年08月09日1970年代教育部は,最近武漢で全国高等院校文科教学工作座談会開く。
DIA-104-1978-08-09-4中国1978年08月09日1970年代中国とリビアが国交を樹立―リビア代表団は8月4日から11日まで中国を訪問した。8日華主席が一行と会見,9日外交関係樹立に関する共同コミュニケに調印,同時に両国の経済技術・科学技術協力協定,貿易協定も調印された。
DIA-104-1978-08-09-5中国1978年08月09日1970年代柴沢氏新任駐米連絡事務所主任がワシントンに着任―11日,バンス国務長官に信任状提出,晩さん会に出席。
DIA-104-1978-08-09-6中国1978年08月09日1970年代園田外相と黄華外交部長の政治会談―午前と午後の2回開催。
DIA-104-1978-08-10-1中国1978年08月10日1970年代「中国人民解放軍政治工作条例」正式に公布され施行中―計20の条例からなる。政治工作条例総則,総政治部工作条例,中共軍隊委員会条例,政治委員工作条例,等々。
DIA-104-1978-08-10-2中国1978年08月10日1970年代中央共青団学校が開校武を挙行―汪東興副主席が重要演説をおこなった。
DIA-104-1978-08-10-3中国1978年08月10日1970年代チベット・アリ地区が食糧の自給を実現。
DIA-104-1978-08-10-4中国1978年08月10日1970年代黒竜江省は今年の開墾任務繰り上げ超過達成―7月22日現在,34.1万haを開墾,40%に大豆など秋取り入れ作物を播種した。
DIA-104-1978-08-10-5中国1978年08月10日1970年代鄧小平副総理と園田外相が会談―①中ソ同盟条約はすでに死文化していることを確認,②尖閣列島については「双方が触れない」という国交正常化当時の方針を確認。
DIA-104-1978-08-10-6中国1978年08月10日1970年代米国務省,日中平和友好条約の事実上の締結に歓迎の声明出す。
DIA-104-1978-08-11-1中国1978年08月11日1970年代第3回全国治安工作会議,北京で開催―31日まて。会議中于桑公安部副部長が「治安管理活動を全面的に強化し,よりよい社会秩序をつくるために奮闘しよう」と題する報告をおこなった。
DIA-104-1978-08-11-2中国1978年08月11日1970年代人民文芸出版社古典文学編集室,人民日報文芸部共同論文,「『水滸伝』批評運動とはいったいどういうことなのか」―毛主席の学術問題に関する話を入念に政治ペテンに仕組んだもの,と暴露。
DIA-104-1978-08-11-3中国1978年08月11日1970年代夜ハノイ中央駅前で中国系帰国希望者とベトナム警察の衝突事件起こる。
DIA-104-1978-08-11-4中国1978年08月11日1970年代タス通信,ミハイル・デムチェンコ評論員,「覇権主義者の圧力」―日中条約交渉を論評。
DIA-104-1978-08-12-1中国1978年08月12日1970年代青海省党委,ツァイダム開発指導グループと荒地開墾会戦指揮部を発足させる―ツアイダム盆地には6つの国営農場があり,耕地6万8000ha,年間食糧生産7.5万トン,1985年までに現有耕地以上を開墾し,機械化商品食糧基地に建設する予定。
DIA-104-1978-08-12-2中国1978年08月12日1970年代全国華僑農場・工場工作会議,北京で開催―22日まで。
DIA-104-1978-08-12-3中国1978年08月12日1970年代中国共産党活動家友好訪問団,朝鮮を訪問。
DIA-104-1978-08-12-4中国1978年08月12日1970年代園田外相・黄外交部長が日中平和友好条約に調印―華主席,調印前に園田外相と会見,調印式に出席。調印後,園田外相が答礼宴を催し,鄧小平副首相,廖承志会長,黄華外交部長,韓念竜副部長が出席。
DIA-104-1978-08-12-5中国1978年08月12日1970年代園田・黄華会談で,今後日中外相定期協議を設けることで合意。
DIA-104-1978-08-13-1中国1978年08月13日1970年代王諍第4機械工業部長死去―ガンのため。70歳。19日八宝山で追悼会がおこなわれた。
DIA-104-1978-08-14-1中国1978年08月14日1970年代人民日報社説「中日両国人民は子々孫々友好的につき合っていこう」―副題「中日平和友好条約締結を熱烈に祝賀する」。
DIA-104-1978-08-14-2中国1978年08月14日1970年代モスクワで松原公使がフィリュービン外務次官に,日中平和友好条約に対する日本政府の立場を説明。
DIA-104-1978-08-14-3中国1978年08月14日1970年代日中原料炭契約に調印―8~12月の輸入量30万トンと決まる。
DIA-104-1978-08-15-1中国1978年08月15日1970年代第3回中国原子核物理学会が廬山で開催中。
DIA-104-1978-08-15-2中国1978年08月15日1970年代人民日報,新華社記者論評「悲しげに鳴く秋の虫―中日平和友好条約締結に対するソ連タス通信の攻撃に反ばくする」を掲載。
DIA-104-1978-08-16-1中国1978年08月16日1970年代京杭大運河の入口にある諫壁大型電力揚水ステーションの主設備完成―6台のユニットすべて稼動。灌漑受益面積13.3万ha,排水受益面積26.6万ha。
DIA-104-1978-08-16-2中国1978年08月16日1970年代第5期全国人民代表大会常務委第3回会議開く―18日まで。日中平和友好条約と中国・ルーマニア経済技術協力長期協定を批准,姫鵬飛副委員長の4ヵ国歴訪書面報告がおこなわれた。
DIA-104-1978-08-16-3中国1978年08月16日1970年代華国鋒主席,ルーマニアを訪問―21日まで。紀登奎,趙紫陽,黄華外相が随行。両国は,この間,経済技術協力委員会協定,生産技術議定書,科学技術協力協定,技術者・実習生の相互派遣議定書,1979年度貿易議定書に調印し,また観光協力,動物検疫,植物検疫などについての協定や議定書,および定期航路開設協定を結んだ。
DIA-104-1978-08-16-4中国1978年08月16日1970年代第5期全人代常委第3回会議,日中平和友好条約を批准。
DIA-104-1978-08-17-1中国1978年08月17日1970年代上海第一絹織物工場は最近,劉素蘭,陳巧珍,孫蓮の3人の台持ち工に良質高生産の報奨金各50元を支給。
DIA-104-1978-08-17-2中国1978年08月17日1970年代ボッワナ外相が訪中―28日まで。
DIA-104-1978-08-17-3中国1978年08月17日1970年代ルーマニア,中国原油を昨年30万トン輸入,今年は50万トン輸入の予定。
DIA-104-1978-08-18-1中国1978年08月18日1970年代第5期全人代常委第3回会議閉幕―「中国人民解放軍幹部服役条例」を承認,商業部長王磊を解任,姚依林を同部長に任命,銭敏を第4機械工業部長に任命。
DIA-104-1978-08-18-2中国1978年08月18日1970年代粟裕国防部副部長を団長とする中国軍事友好代表団が北朝鮮を訪問―9月1日まで。
DIA-104-1978-08-18-3中国1978年08月18日1970年代ベトナム外務省新聞局,新華社ハノイ支局長に特派員規則違反で警告。
DIA-104-1978-08-19-1中国1978年08月19日1970年代新華社記者論評,「歴史の教訓」―ソ連のチェコ武力侵入10周年にあたっての論評。
DIA-104-1978-08-19-2中国1978年08月19日1970年代東芝,カラー・テレビ用IC製造プラント受注,調印―約2400万ドル,ドル建てドル払い。
DIA-104-1978-08-21-1中国1978年08月21日1970年代解放軍報,瀋陽部隊後勤部理論組論文,「林彪の『一言一言が真理である』を反駁する」―人民日報が29日に転載。
DIA-104-1978-08-21-2中国1978年08月21日1970年代華国鋒主席,ユーゴスラビアを訪問―29日まで。21日の歓迎式典で華主席は,「中国,ユーゴスラビア両党,両国の関係はマルクス・レーニン主義をふまえ確立されたものである」と述べた。
DIA-104-1978-08-21-3中国1978年08月21日1970年代福田首相,中国からの留学生を来年から本格的に受入れると表明。
DIA-104-1978-08-22-1中国1978年08月22日1970年代機械工業部門の大慶に学ぶ全国会議開催―同会議で,チチハルの第2工作機械工場の旋盤工チームの「馬恒昌チーム」に「3大革命闘争の英雄集団」の称号を授与。会議期間,周子健第一機械工業部長は幹部3000人をひきいて北京市郊外区の張家湾人民公社に出向き使用に耐えぬトラクターを受けとり,陳謝した。8月22日康世恩副総理が重要演説を行なった。機械工業の改組,モデルチェンジ,技術改造,特に質を高めること,が要求された。
DIA-104-1978-08-22-2中国1978年08月22日1970年代全国建築材料工業科学技術会議,北京で開催―28日まで。国家建築材料工業総局が主催,1978~85年計画要綱を討議。
DIA-104-1978-08-22-3中国1978年08月22日1970年代林乎加天津市党委第1書記,対外貿易活動に対する指導を強化―速やかに輸出商品の生産を拡大し,新技術を導入する計画,問題を検討。
DIA-104-1978-08-22-4中国1978年08月22日1970年代日揮,対中MDI(人工皮革原料)製造プラント受注を発表―約70億円,円・ドル併用,現金ベース払い。
DIA-104-1978-08-23-1中国1978年08月23日1970年代ソ連政府,日本外務省に対して日中平和友好条約は「反ソ的性格を持つ」と正式に非難―ソ連の臨時代理大使が「通報」を口頭て伝達。
DIA-104-1978-08-25-1中国1978年08月25日1970年代大慶化学肥料工場,技術考査で労働者のレベル・アップをはかる―主として試験による。合成アンモニア,尿素プラントはともに設計能力に達している。
DIA-104-1978-08-25-2中国1978年08月25日1970年代最近,河南新郷市で建築工業化規画工作会議開く。
DIA-104-1978-08-25-3中国1978年08月25日1970年代友誼関で流血事件起こる―ベトナム側にある小屋とりこわしを強行,華僑難民に死者4人が出た。その後ベトナム軍は中国側に越境,中国側要員9人を負傷させた。同日,張海峰中国外交部副部長が駐中国ベトナム大使に抗議。9月4日,国務院僑務弁公室は声明を発表してベトナム当局を非難した。
DIA-104-1978-08-25-4中国1978年08月25日1970年代1978年度国際サッカー友好招待試合,北京で開く―9月3日まで。
DIA-104-1978-08-25-5中国1978年08月25日1970年代日中生糸絹織物政府間交渉,前年なみで合意―24日から北京で開かれた。
DIA-104-1978-08-26-1中国1978年08月26日1970年代王震副総理,日中農交訪中団に,吉林省稲作で協力要請―水稲試験場に5~10人の農業科学者を2年間招きたいと表明。
DIA-104-1978-08-27-1中国1978年08月27日1970年代中国物理学会,最近廬山で1978年年次総会を開催。
DIA-104-1978-08-27-2中国1978年08月27日1970年代上半期の観光事業,25万人余の香港・マカオ同胞,台湾同胞,海外華僑および5万人近くの自費外国人観光客うけ入れ。100余の観光地を開放,うち半数は今年増やされた。
DIA-104-1978-08-28-1中国1978年08月28日1970年代耿党中央対外連絡部長,ギリシヤ革命共産主義運動中央代表団と会見。
DIA-104-1978-08-28-2中国1978年08月28日1970年代中国政府代表団団長,仲副部長,公務による一時帰国のためハノイから北京へ戻る。9月4日,再びハノイへ。
DIA-104-1978-08-28-3中国1978年08月28日1970年代人民日報,廖承志中日友好協会会長の「水を飲むとき井戸を掘った人のことを忘れない」という文章を掲載―日中友好に尽した人々を回顧。
DIA-104-1978-08-28-4中国1978年08月28日1970年代輸銀が中国銀行に円建てバンクローンを供与することが本決まり―総額2000億円以上。(政府筋・読売)
DIA-104-1978-08-29-1中国1978年08月29日1970年代人民日報社説,「科学技術を学ぶことは幹部の差し迫った任務である」。
DIA-104-1978-08-29-2中国1978年08月29日1970年代華国鋒主席,イランを訪問―9月1日まで。華主席はパーレビ国王と会談をおこない,両国は文化協力協定に調印した。1日ウルムチに立ち寄り,5日に北京に帰着した。
DIA-104-1978-08-29-3中国1978年08月29日1970年代茅誠司日中協会代表世話人,福田首相に政府出資による日中学術センター設立で要望書出す。
DIA-104-1978-08-30-1中国1978年08月30日1970年代今年上半期,外国人講師90人が中国で講議をおこなった。
DIA-104-1978-08-30-2中国1978年08月30日1970年代中国旅行ガイドシリーズ,第一冊の「上海」出版―上海人民美術出版社のシリーズ。
DIA-104-1978-08-30-3中国1978年08月30日1970年代長江の水を華北に引く工事は可能,実地調査で確認―数十の現代的ポンプ・ステーションを通じ,長さ500キロの京杭大運河に沿い黄河まで引き,さらに華北へ。5月下旬から7月上旬に実地調査実施。
DIA-104-1978-08-30-4中国1978年08月30日1970年代ベトナムが友誼大橋を封鎖,鉄道止める―9月5日沈平外交部アジア局長はベトナム側の一方的行為と抗議。
DIA-104-1978-08-30-5中国1978年08月30日1970年代国貿促経済貿易訪中代表団(団長は藤山会長)が訪中―9月3日に鄧副総理と,4日に谷牧副総理と会見。
DIA-104-1978-08-30-6中国1978年08月30日1970年代日中友好議員連盟訪中団(団長は浜野清吾会長)が香港から中国入り―9月3日に鄧副総理と会見。
DIA-104-1978-08-30-7中国1978年08月30日1970年代中国,長期取り決めの枠倍増を提案―日本政府筋が明らかにする。
DIA-104-1978-08-31-1中国1978年08月31日1970年代31日 彭湃が処刑されて49周年,人民日報が積極的に評価―「彭湃同志をしのび,林彪,『4人組』が彭烈士一家を陥しいれた罪状を糾断する」と題している。
DIA-104-1978-08-31-2中国1978年08月31日1970年代国家経済委員会,中央人民放送局,中央テレビ局が「品質向上月間」動員大会開く―1400人余が出席,全国にラジオ,テレビ中継された。康世恩副総理が演説,3つの要求を提起した。
DIA-104-1978-08-31-3中国1978年08月31日1970年代馬鞍山第一,第二製鉄所,コークス節約などに奨励金―今年上半期に昨年同期比でコークス消費を9万トン節約し,節約分の約3%が奨励品,奨励金に支払われた。
DIA-104-1978-08-31-4中国1978年08月31日1970年代中国・ネパール,北京で民間航空運輸協定に調印。
DIA-104-1978-08-31-5中国1978年08月31日1970年代鄧小平副総理,タイ立法議会議員団と会見。
DIA-104-1978-09-01-1中国1978年09月01日1970年代華主席,新疆自治区を視察―イランからの帰途,5日まで。
DIA-104-1978-09-01-2中国1978年09月01日1970年代北京大学党委が全学政策実施集会を開く―歴史学者翦伯賛,化学者傳鷹ら多くの幹部,教師,学生のえん罪をすすいだ。
DIA-104-1978-09-01-3中国1978年09月01日1970年代腕時計7銘柄,10~20%値下げ―77年の腕時計全国生産個数は65年の12倍になった。
DIA-104-1978-09-01-4中国1978年09月01日1970年代カーター米大統領,台湾へ新鋭戦闘機F5Gを輸出する条件で対中正常化に踏み切る方針を固める―(国務省筋,読売)。
DIA-104-1978-09-01-5中国1978年09月01日1970年代中国の11の大衆団体が人民大会堂で日中平和友好条約調印祝賀レセプション開く―耿副総理,鄧穎超副委員長,廖承志中日友協会長,廖氏夫人,姫鵬飛副委員長,沈雁泳政協全国委副主席が出席,日本側からは浜野清吾日中友好議連会長,藤山愛一郎国貿促会長,岡崎嘉平太民,佐藤正二大使夫妻らが出席。
DIA-104-1978-09-02-1中国1978年09月02日1970年代人民日報,王恩茂論文「毛主席の拡大中央工作会議における講話を再学習して」―1977年2月末,吉林省に転じ,3月3日には華主席が吉林省の工作について指示をおこなう。「路線,方針,政策は実践の中から来なければならず,また実践の検証を経なければならない」と強調。
DIA-104-1978-09-02-2中国1978年09月02日1970年代政協全国委在京委員,北京市の参観活動をおこなう―22日まで。
DIA-104-1978-09-02-3中国1978年09月02日1970年代人民日報,呉敬連,周淑蓮,汪海波論文,「企業基金の控除制度を確立・改善しよう」―待遇の平均主義は不要,幹部への奨励も必要など改善策を提起。
DIA-104-1978-09-02-4中国1978年09月02日1970年代大慶に学ぶ全国物資備蓄部門会議が閉幕―この日,余秋里,康世恩副総理が重要な演説をおこなった。
DIA-104-1978-09-02-5中国1978年09月02日1970年代佐藤駐中国大使,カンボジア入り。
DIA-104-1978-09-02-6中国1978年09月02日1970年代廖承志中日友協会長,社会党青年代表団と会見。
DIA-104-1978-09-02-7中国1978年09月02日1970年代日本金属加工・建築材料工業技術展,北京で開幕。
DIA-104-1978-09-03-1中国1978年09月03日1970年代今年の大学・専門学校卒業者は16万6000人。
DIA-104-1978-09-03-2中国1978年09月03日1970年代鄧小平副総理,日本の友人と会見―日本側主席者の主な人々は,浜野清吾,鯨岡兵輔夫妻,藤山愛一郎,岡崎嘉平太,萩原定司,伴正一。
DIA-104-1978-09-04-1中国1978年09月04日1970年代第6回上海市工会代表大会開催―6日まで。
DIA-104-1978-09-04-2中国1978年09月04日1970年代「中国青年報」10月7日から復刊と決まる。
DIA-104-1978-09-04-3中国1978年09月04日1970年代フフホトで蒙古語協同作業グループ会議開催。
DIA-104-1978-09-04-4中国1978年09月04日1970年代林芝でチベット農牧学院が発足。
DIA-104-1978-09-04-5中国1978年09月04日1970年代人民日報評論員論文,「反中国のエスカレートはベトナム当局を苦境からぬけ出させるか」。
DIA-104-1978-09-05-1中国1978年09月05日1970年代S・スワミ・インド国会議員,インド外相の訪中で国境紛争解決の交渉が始まる可能性あり,と語る―姫鵬飛氏と会見してから語ったもので,チベットのヒンズ聖地も開放される可能性ありという(AFP,北京)。
DIA-104-1978-09-06-1中国1978年09月06日1970年代文化部主催の独唱と二重唱の民謡祭開く。
DIA-104-1978-09-06-2中国1978年09月06日1970年代華主席,ヌオン・チェア議長を団長とするカンボジア人民議会代表団と会見―同代表団は2日から7日まで訪中。
DIA-104-1978-09-06-3中国1978年09月06日1970年代鄧小平副総理,中ソ友好同盟条約は来年4月新華社声明で廃棄の方針と表明―日本各社論説責任者訪中団に。
DIA-104-1978-09-06-4中国1978年09月06日1970年代コスイギン首相,日中平和友好条約は反ソ的性格のもの,と激しく非難―訪ソ親善国会議員団に対して。
DIA-104-1978-09-07-1中国1978年09月07日1970年代人民日報評論員論評,「『4人組』と林彪を結びつけて批判せよ」―全党は批林整風運動をくりひろげたが,「4人組」の妨害・破壊のため,林彪反革命修正主義路線は徹底的に清算されなかった。
DIA-104-1978-09-07-2中国1978年09月07日1970年代国家基本建設委員会,都市住宅建設会議開催―13日まで。1979~85年全国都市住宅建設計画を討議。今年から国家が毎年都市住宅建設補助資金を交付することになった。
DIA-104-1978-09-08-1中国1978年09月08日1970年代北京で第4回全国婦女代表大会開催―17日まで。開会式は蔡暢が司会し,鄧穎超が開会の辞をのべた。汪東興副主席が党中央を代表して祝賀のあいさつをおこなった。2000人の婦人代表は康克清のおこなった活動報告を討議,一致して賛成し,規約を採択し,執行委員および同候補合計300名を選出した。
DIA-104-1978-09-08-2中国1978年09月08日1970年代全国の200万人が1年間に毛主席記念堂を訪れた。
DIA-104-1978-09-08-3中国1978年09月08日1970年代鄧小平副主席,北朝鮮を訪問―9日の建国30周年記念行事に参加のため。副団長彭沖,団員李強,張耀詞,楊勇,韓念竜,王海容,申健の党政府代表団。13日汽車で帰国の途についた。9月7日,華主席,葉全人代常務委員長が金日成主席と李鐘玉首相に祝電を送った。
DIA-104-1978-09-08-4中国1978年09月08日1970年代張才千軍副総参謀長が来日―9日,防衛庁を訪問。
DIA-104-1978-09-08-5中国1978年09月08日1970年代関西経済連合会訪中団が訪中―18日まで。12日,谷牧副総理と会見。
DIA-104-1978-09-08-6中国1978年09月08日1970年代柿崎進氏と娘訪中より帰国―中国側は文革中父娘をスパイ容疑で逮捕したことについて全面陳謝した,と語る。
DIA-104-1978-09-09-1中国1978年09月09日1970年代毛主席死去2周年―毛主席の詩《賀新郎》(1923年),《七律,羅栄桓同志を偲ぶ》(1963年),《賀新郎,読史》(1964年)を公開,許世友が「毛主席は永遠にわれわれの胸に生きつづけている」(「紅旗」9号),李徳生が「現実の中に入り,大衆と結びつこう」(人民日報9日)という文章を発表した。中央テレビ局は新劇「楊開慧」を放映した。
DIA-104-1978-09-09-2中国1978年09月09日1970年代四川省で最近,7175mの超深井.戸を掘削。
DIA-104-1978-09-09-3中国1978年09月09日1970年代華主席,ユーゴスラビア人民軍代表団と会見。
DIA-104-1978-09-10-1中国1978年09月10日1970年代華主席,丁肇中教授と会見。
DIA-104-1978-09-10-2中国1978年09月10日1970年代中国・チベット友好訪問団,ネパール入り―23日まで。
DIA-104-1978-09-11-1中国1978年09月11日1970年代上海で1978年中国化学学会年次総会開く―21日まで。
DIA-104-1978-09-11-2中国1978年09月11日1970年代池田会長を団長とする創価学会第4次訪中団が中国入り―19日,李先念副総理と会談,李副総理は日本に留学生1万人を派遣したい,と語る。
DIA-104-1978-09-12-1中国1978年09月12日1970年代人民日報特約評論員,「マルクス主義者は物質的利益をどうみるか」―生産闘争と階級闘争は物質的利益をめざすもの,と強調。
DIA-104-1978-09-12-2中国1978年09月12日1970年代エドワード・M・ソコイネ・タンザニア首相が訪中―15日まで。14日,華主席はソコイネ首相と会談をおこなった。両国政府は経済技術協力をいちだんと発展させることについての議定書に調印した。
DIA-104-1978-09-13-1中国1978年09月13日1970年代第5期全人代常委第4回会議開催―華主席の3カ国歴訪についての紀登奎副総理の報告を聴取,葉剣英委員長が重要演説をおこなった。
DIA-104-1978-09-13-2中国1978年09月13日1970年代「天安門事件」で逮捕された11人の労働者が完全に名誉回復―「北京日報」の内容が放送されたもの。同紙は同時に当時の北京市革命委員会を批判。
DIA-104-1978-09-13-3中国1978年09月13日1970年代華主席,ユーゴスラビア政府・党代表団と会見。
DIA-104-1978-09-13-4中国1978年09月13日1970年代河本通産相,李先念,康世恩両副総理と会見―日中長期貿易取り決めの5年延長,ワクの拡大,電力・石炭・非鉄金属開発協力など7項目で合意。通産相は11日から15日まで訪中。14日,華主席が河本通産相と会見した。
DIA-104-1978-09-14-1中国1978年09月14日1970年代教育部,最近標準語と漢語表音の教育強化を求める通達を発出。
DIA-104-1978-09-14-2中国1978年09月14日1970年代鄧穎超,婦人代表大会出席の台湾代表と会見。
DIA-104-1978-09-14-3中国1978年09月14日1970年代文化部は最近幹部大会を開き,人民の文化生活を満たす創作活動をよびかけ。
DIA-104-1978-09-14-4中国1978年09月14日1970年代茶の生産大幅に伸びる―58年9月16日,毛主席が「山の斜面を切り開いて多くの茶畑をつくろう」と指示して以来,20年間に茶園面積は2.8倍に,生産量,買付量は2倍近くに増えた。1974年から77年までの4年間に年産2500トン以上の県が6県から18県に増え,全国茶園面積は48.4%増え,茶生産量は39.7%増えた。
DIA-104-1978-09-14-5中国1978年09月14日1970年代山東省済南第2商業局は衛生を重んじない2つの食堂に営業停止命令―この間責任者と従業員の賃金もそれぞれ半分と30%カット,3日間で改善がみられ営業再開が許された。
DIA-104-1978-09-14-6中国1978年09月14日1970年代李先念副総理,ビルマ外相と会見―12日に中国を訪問。
DIA-104-1978-09-14-7中国1978年09月14日1970年代米国務省,台湾との行政協定の破棄を決定,近く通告の予定―1948年の米台農村再建合同委についての取り決め。
DIA-104-1978-09-15-1中国1978年09月15日1970年代北京西単に11日刊行予定の「中国青年」を貼り,何故発行をみとめぬのか,という壁新聞,出現。
DIA-104-1978-09-15-2中国1978年09月15日1970年代華主席,ルーマニア首相と会見。
DIA-104-1978-09-15-3中国1978年09月15日1970年代中国科学院と西独マックス・プランク協会との科学協力取り決め調印。
DIA-104-1978-09-15-4中国1978年09月15日1970年代米中が,中国用通信衛星打ち上げに関する交渉を開始―米政府筋。
DIA-104-1978-09-16-1中国1978年09月16日1970年代民政部主催の全国民生工作会議開催―27日まで。
DIA-104-1978-09-16-2中国1978年09月16日1970年代新華社記者論評,「大胆に導入し,速度をはやめよう」―大型化学肥料工場の効果,科学技術には階級性がないこと,などを強調。
DIA-104-1978-09-16-3中国1978年09月16日1970年代急速に伸びる民間航空事業―国内空路は130余路線あり,総延長は15万キロ。現在中国民航は30余カ国と航空協定を結び,11の国際路線を持っており,14カ国に定期便を飛ばせている。工農業生産,緑化などにも力を入れている。
DIA-104-1978-09-16-4中国1978年09月16日1970年代人民日報,秋というのに野菜が少く,高くて買えない,という北京市民の投書を掲載。
DIA-104-1978-09-17-1中国1978年09月17日1970年代対外貿易急速に発展―8月末現在までの輸出総額は昨年同期より29.8%増え,輸入総額は59.2%増えた。外国から導入した新技術とプラントは昨年同期比62.9%増え,計測器と機械電気設備は66.8%増えた。
DIA-104-1978-09-17-2中国1978年09月17日1970年代シチエルバコフ・ソ連駐中国大使が北京に着任。
DIA-104-1978-09-17-3中国1978年09月17日1970年代李先念副総理,古井喜実氏一行と会見。
DIA-104-1978-09-17-4中国1978年09月17日1970年代ソ連国防省の「赤い星」紙,「日中米3国は,軍事同盟を結んでソ連に敵対しようとしている」と非難。
DIA-104-1978-09-18-1中国1978年09月18日1970年代国務院は最近,商業部の北方秋野菜の買付け・輸送・供給会議の文書を承認,全国に転送―華主席は,北方の一部の省・市の商業部門が,工場に操業をやめさせて白菜を買い付け輸送させるやり方を批判した。
DIA-104-1978-09-18-2中国1978年09月18日1970年代小型水力発電所の建設―全国に8万余があり,人民公社の86%,生産大隊の58%が電気を使うようになった。2000余県中1400余県に小型水力発電所が建設されている。この10年近くの間に小型水力発電所の容量は11倍,農村の電力使用量は9倍にそれぞれ増えた。
DIA-104-1978-09-18-3中国1978年09月18日1970年代中国外交部,ベトナムの中国領侵犯に抗議。
DIA-104-1978-09-18-4中国1978年09月18日1970年代中国科学院・社会科学院とユーゴスラビア科学芸術学院委員会との科学協力協定,北京で調印。
DIA-104-1978-09-19-1中国1978年09月19日1970年代光明日報特約評論員論評「マルクス主義の科学的態度を堅持しよう」―同日,人民日報が転載。革命精神と求実精神の内在的有機的結合,「いかなる政党,いかなる個人も誤りを犯さないということはありえず,すべてが1が分かれて2になるという観点に立たねばならない」こと,新しい歴史的条件の下でマルクス・レーニン主義,毛沢東思想を豊かにし,発展させるべきこと,を強調。
DIA-104-1978-09-19-2中国1978年09月19日1970年代全国哲学社会科学規画会議予備会議開催。
DIA-104-1978-09-19-3中国1978年09月19日1970年代康世恩副総理,経済的手段による企業の整頓を称賛―済南第2商業局が2つの飲食店に対して経済的制裁を行った報道はすばらしい。賃金をカットして3日間で効果を上げたとはすごいききめだ。軽工業部が武漢軽工業機械工場の生産停止・整頓を決定した報道も正しい。
DIA-104-1978-09-19-4中国1978年09月19日1970年代国家経済委員会は最近,全国輸送合理化経験交流会議を開く―10項目の具体的な方針,政策,措置を決定。今年上半期,鉄道部門で不合理な輸送を調整,40億キロ・トンの輸送力を節約,物資を300万トン余多く輸送した。食糧部門は合理的配送で輸送費を1億2000万元節約した。
DIA-104-1978-09-19-5中国1978年09月19日1970年代中国の気象事業―現在全国に2000余の気象台・ステーションがあり,1万6000余の人民公社気象所と多くの生産隊観測グループがある。
DIA-104-1978-09-19-6中国1978年09月19日1970年代華主席,パリ市長ジャック・シラク氏夫妻と会見。
DIA-104-1978-09-19-7中国1978年09月19日1970年代カーター大統領,ホワイト・ハウスで柴沢民連絡事務所主任と会見。
DIA-104-1978-09-20-1中国1978年09月20日1970年代人民日報,任仲夷論文,「理論面から混乱を根本的に収拾しよう」。
DIA-104-1978-09-20-2中国1978年09月20日1970年代基本建設投資総額,1~8月で昨年同期比42%増加。
DIA-104-1978-09-21-1中国1978年09月21日1970年代急ピッチで進む発電所建設―今年電力基本建設計画により新増の設備容量は1966―75年の10年間の総設備容量の5分の1以上に相当する。東北では新設・拡張の元宝山,渾江,凌水河,新華,チャムスの各発電所,北京,天津,河北地区では,北京第2火力,北大港,河,馬頭,武漢製鉄所用の青山発電所,さらに華中の焦作,開封,淮北,黄埔,徐州の各発電所が今年新設される。今年1~8月に農村の小型発電所で増設された設備容量は40万kW余に達している。
DIA-104-1978-09-21-2中国1978年09月21日1970年代科学院青島海洋研究所,東海海域の綜合調査で成果上げる。
DIA-104-1978-09-21-3中国1978年09月21日1970年代谷牧副総理,西ドイツ石炭代表団と会見―22日,西独採炭設備輸入に対し,80億マルクの長期信用を導入する議定書に調印。
DIA-104-1978-09-21-4中国1978年09月21日1970年代中国外交部,各国大使館に新しい外交儀礼を通告―10月1日から歓迎宴と答礼宴とり止め。
DIA-104-1978-09-21-5中国1978年09月21日1970年代中国,日中漁業協定の修正検討を提案―水産庁発表。
DIA-104-1978-09-22-1中国1978年09月22日1970年代人民日報特約評論員論評,「『抽象的肯定,具体的否定』の問題について」―実践は真理を検証する唯一の基準である,ことについてのべたある論文が,マルクス・レーニン主義,毛沢東思想は真理であり,われわれの諸活動を指導する理論であるが,決して真理を検証する基準ではない,とのべた。これに対してある人は,これはマルクス・レーニン主義,毛沢東思想に対する「抽象的肯定,具体的否定」だと反論している。この点についてはっきりさせる必要がある。
DIA-104-1978-09-22-2中国1978年09月22日1970年代新華社,プラント導入は製品を買うより得―1973年から導入した化学肥料プラントのうちこの2年で稼動を始めた7基のプラントの生産した化学肥料の価格は,国際市場価格で,これら13基のプラント導入に費やした外貨分をすでに上回っている。
DIA-104-1978-09-22-3中国1978年09月22日1970年代国務院は最近「水産資源繁殖保護条例」を公布した。
DIA-104-1978-09-22-4中国1978年09月22日1970年代鄧小平副総理,マレーシア外相と会見。
DIA-104-1978-09-22-5中国1978年09月22日1970年代ギリシャ訪問の黄華外交部長に,ギリシャ大統領と首相が会見,両国は文化協定に調印した。
DIA-104-1978-09-23-1中国1978年09月23日1970年代華主席,チャド共和国大統領マルーム・E・ベーエンディ将軍と会見―20日から23日まで訪中。23日,両国は経済技術協力協定に調印した。
DIA-104-1978-09-24-1中国1978年09月24日1970年代鉄鋼業,8カ年計画,3段階で6000万トンをめざす―鋼生産量は世界第5位。10数の中核企業があり,チベットを除く各省・自治区に独自の中核鉄鋼工場があり,600余の小型製鉄所と製鋼所がある。第1歩で回復をめざし,第2歩で1980年までに第5次5カ年計画を繰上げ達成させ,第3歩で新しい鉄鋼企業を新設,10大鉄鋼基地を築き,6000万トンを繰上げ達成する。
DIA-104-1978-09-24-2中国1978年09月24日1970年代中国人民外交学会代表団,西独とルクセンブルグを訪問―10月8日西独からルクセンブルグ入り。
DIA-104-1978-09-25-1中国1978年09月25日1970年代人民日報特約評論員論評,「主観的世界のものはすべて実践の検証を受けなければならない」―「高くかかげる」問題,人の処分,幹部の識別,先進典型の取り扱い,生産に対する指導,文学・芸術作品,等について具体的に議論。
DIA-104-1978-09-25-2中国1978年09月25日1970年代石油工業部,4人の技術専門家を大胆に副部長に抜てき―今年4月,新指導部を確立した時おこなったもの。
DIA-104-1978-09-25-3中国1978年09月25日1970年代インド首相,11月に外相を訪中させるとのべる中国側は国境紛争を平和的に話し合いで解決したいと提案している,と明らかにする。
DIA-104-1978-09-25-4中国1978年09月25日1970年代日中経済協会訪中代表団(団長稲山嘉寛会長)が訪中―29日まで。27日,李先念副総理と会談,貿易センタービル建設で基本合意。中国側,冀東製鉄所の建設,鞍山,武漢など4製鉄所の改修について日本の協力を要請。
DIA-104-1978-09-25-5中国1978年09月25日1970年代日中外相会談,ニューヨークでおこなわる。
DIA-104-1978-09-25-6中国1978年09月25日1970年代日ソ外相会談で,グロムイコ外相,「日中条約調印は,日本が反ソに踏み切ったことを意味する」と非難―ニューヨークで。
DIA-104-1978-09-26-1中国1978年09月26日1970年代大慶油田では今年に入ってから95人の技術者,技師が入党した―16人は搾取階級家庭出身者。
DIA-104-1978-09-26-2中国1978年09月26日1970年代「林彪集団」が68年1月,雲南省の武闘で「反革命組織」と決めつけたあるグループの100人以上を銃殺した―人民日報。
DIA-104-1978-09-26-3中国1978年09月26日1970年代気象科学院設立さる―中央気象局所属。10の研究所を持つ。
DIA-104-1978-09-26-4中国1978年09月26日1970年代中国科学院代表団,福田首相を表敬訪問。
DIA-104-1978-09-27-1中国1978年09月27日1970年代教育部は最近,北京で全国外国教育座談会開く―廖承志,小学校から外国語教育をおこなうことを主張。周揚社会科学院副院長が演説。
DIA-104-1978-09-27-2中国1978年09月27日1970年代人民日報社説,「農業を速いテンポで発展させる」―華主席が最近,一部の工業を計画的に人民公社に運営させ,工業を徐々に人民公社に拡散させることについて,重要な指示を出し,江蘇省無錫県と蘇州地区の都市と農業が協力して,公社,大隊の企業を発展させた経験は,農業の機械化と現代化をはやめ,農業を速いテンポで発展させるために道を切り開いた,と指摘。
DIA-104-1978-09-27-3中国1978年09月27日1970年代魯寧パイプラインが完成,すでに送油中―75年10月着工,今年7月に完成。山東省臨邑から江蘇省南京オイルバースまでの幹線と,2本の支線からなり総延長1000余キロ。
DIA-104-1978-09-27-4中国1978年09月27日1970年代1~8月の原油と天然ガス生産量,昨年同期比で各11%,14%増―油田の基本建設投資は137%増。
DIA-104-1978-09-27-5中国1978年09月27日1970年代華主席,ウイルヘルム・ハフェルカンプEC副委員長の率いる代表団と会見。
DIA-104-1978-09-27-6中国1978年09月27日1970年代仲曦東を団長とする中越両国外務次官クラス交渉の中国代表団,汽車で帰国―同交渉は一時休会を宣言した。
DIA-104-1978-09-28-1中国1978年09月28日1970年代人民日報特約評論員論評,「社会主義の民主の原則を堅持しよう」―社会主義制度のもとでのプロレタリア階級と人民大衆がいかにして自分の民主的権利を行使し,国家がいかにして人民の民主的権利が侵犯されないように保障するかは,われわれ共産党員の前に置かれているきわめて重要な,まだ完全には解決されていない問題である。これは第1には理論の問題ではなく実践の問題であり,プロレタリア階級独裁の実践経験によって解決するほかはない。
DIA-104-1978-09-28-2中国1978年09月28日1970年代鉄道の幹線と支線18本が建設中―この中には沙通線(北京市~吉林省870キロ),枝柳線(枝城~柳州853キロ),太焦線(太原~焦作),皖線(蕪湖~貴溪),青蔵鉄道第一期工事(ハルガイ~ゴルモ653キロ),南疆鉄道が含まれている。
DIA-104-1978-09-28-3中国1978年09月28日1970年代上海の新鉄道貨物駅,業務を開始。
DIA-104-1978-09-28-4中国1978年09月28日1970年代北京の初の食パン工場のパン販売開始。
DIA-104-1978-09-28-5中国1978年09月28日1970年代黄華外交部長,国連33回総会で演説をおこなう―中国は,自からの国を建設するため,長期にわたる平和的国際環境を必要とする,と強調。
DIA-104-1978-09-28-6中国1978年09月28日1970年代華主席,カワワ氏を団長とするタンザニア革命党代表団と会見。
DIA-104-1978-09-28-7中国1978年09月28日1970年代華主席,ズル氏を団長とするザンビア軍事友好代表団と会見。
DIA-104-1978-09-28-8中国1978年09月28日1970年代華国鋒総理,ツバル政府首相に電報をおくり,独立を祝賀,中国政府がツバル政府を承認する旨通知。
DIA-104-1978-09-28-9中国1978年09月28日1970年代李先念副総理,西園寺公一氏夫妻と会見。
DIA-104-1978-09-29-1中国1978年09月29日1970年代「プラウダ」,ウスリー川で中国が鮭を乱獲している,と非難。
DIA-104-1978-09-29-2中国1978年09月29日1970年代東京と北京で中日の大使主催の国慶節と国交正常化6周年を記念するパーティー開催さる。
DIA-104-1978-09-30-1中国1978年09月30日1970年代建国29周年祝賀レセプション,華主席,4副主席,その他の指導者,各界代表,外国の賓客など3000人が参加―華主席は,あいさつの中で「思想をいっそう解放し,より大胆に,より多様に,より速く」というよびかけを発した。
DIA-104-1978-09-30-2中国1978年09月30日1970年代軍福建前線部隊司令部,国慶節にあたり,10月1日と3日は金門,大担諸島への砲撃を停止すると発表。
DIA-104-1978-09-30-3中国1978年09月30日1970年代ウルムチ石油化工工場第1期工事が完成,試運転に成功―主として石油精製装置。
DIA-104-1978-09-30-4中国1978年09月30日1970年代華主席,イラン国王の弟アブドラ・レザ・パーレビ親王と会見。
DIA-104-1978-09-30-5中国1978年09月30日1970年代華主席,フランス元国務相ミシェル・ポネアトフスキー氏と会見。
DIA-104-1978-09-30-6中国1978年09月30日1970年代ダライ・ラマの訪日,入国許可―宗教国際会議出席のため10月4日から6日まで来日。
DIA-104-1978-10-01-1中国1978年10月01日1970年代人民日報,国慶節社説「万水千山,ただこともなし」―「紅旗」誌は「思想を解放し,前進の足どりを速めよう」という社説を発表した。
DIA-104-1978-10-01-2中国1978年10月01日1970年代1~8月の原炭,精炭生産量,昨年同期此17.5%,35%とそれぞれ増加―今年17の新炭坑が採炭を開始。
DIA-104-1978-10-01-3中国1978年10月01日1970年代華主席,ネパールのビスタ首相と会見―同首相は9月27日から8日間訪中,この間両国はプラント建設に関する協定に調印した。
DIA-104-1978-10-02-1中国1978年10月02日1970年代全国大学・専門学校文科系教育工作座談会開く―最近,武漢で。
DIA-104-1978-10-02-2中国1978年10月02日1970年代任仲夷が最近遼寧省党第1書記に昇格―(共同)。27日新華社が確認。
DIA-104-1978-10-02-3中国1978年10月02日1970年代河北省に任丘油田が建設さる―1975年試掘,1976年に石油大会戦が組織された。この新油田の1油井あたりの石油日産量1000トン以上。古生代シニアン系地層のものである。
DIA-104-1978-10-02-4中国1978年10月02日1970年代出力60万kWの山東省辛店火力発電所完成―9月末竣工,4台の発電機が発電を開始。
DIA-104-1978-10-02-5中国1978年10月02日1970年代李先念副主席,フランスML主義共産党中央代表団と会見。
DIA-104-1978-10-02-6中国1978年10月02日1970年代電力業界は中国原油引取り増について拒否回答―文書で政府に提出。
DIA-104-1978-10-03-1中国1978年10月03日1970年代党中央南部13省・市・自治区住血吸虫撲滅指導グループが座談会開く―毛主席の詞《瘟神を送る》発表20周年を記念して。
DIA-104-1978-10-03-2中国1978年10月03日1970年代安徽省で1856年以来の大干ばつ―一万里第1書記など党委指導者が干ばつのひどい地区に出向いて干ばつ防止を指導した。
DIA-104-1978-10-03-3中国1978年10月03日1970年代江西省で,春以来の干ばつ,さらに深刻に―10万人余の幹部を干ばつ防止の第一線に投入。
DIA-104-1978-10-03-4中国1978年10月03日1970年代華主席,ジュリアス・チャン・パプア・ニューギニア副首相と会見。
DIA-104-1978-10-03-5中国1978年10月03日1970年代李先念副総理,ゲーツ前中国駐在米連絡事務所所長夫妻と会見。
DIA-104-1978-10-03-6中国1978年10月03日1970年代外務省の招きで中国教育界代表団が来日―13日まで。7日と12日,留学生問題について日本政府と話し合い。
DIA-104-1978-10-04-1中国1978年10月04日1970年代人民日報特約評論員,「『4人組』暴露批判闘争の全面勝利をかちとろう」―第3次戦役をやりぬくためには,①「4人組」と林彪を結びつけて批判しなければならない。②政策に意を用い打撃面をせばめる。「党中央は今回の運動では『冷処理』の方針をとることにした。『冷処理』とは,十分な調査研究を経て,努めて資料の正確性を期したうえで,派閥の中核分子と誤りを犯した者に組織上の結論を出すというものである。」「派閥の中核分子であっても,本当に罪を認め,改悛の情あきらかな場合は,活路を与え,寛大に処理する。」
DIA-104-1978-10-04-2中国1978年10月04日1970年代方毅副総理,西ドイツ訪問―9日,中国・西独科学技術協力協定と会談紀要に調印した。大型電波望遠鏡,核加速装置,非鉄鉱山設備の輸出などが含まれている。
DIA-104-1978-10-04-3中国1978年10月04日1970年代耿副総理,アフリカ7カ国を歴訪―11月6日まで,コンゴ,ギニア,マリ,ガーナ,ナイジェリア,ルワンダ,ソマリアの7カ国を訪問した。
DIA-104-1978-10-05-1中国1978年10月05日1970年代中国科学技術大学で創立20周年祝賀大会開く―最近合肥で。
DIA-104-1978-10-05-2中国1978年10月05日1970年代中国の保有船腹と総トン数はこの2年間に3割以上増加。
DIA-104-1978-10-06-1中国1978年10月06日1970年代「工人日報」北京で復刊。
DIA-104-1978-10-06-2中国1978年10月06日1970年代人民日報,胡喬木論文「経済法則にてらして事を運び,四つの近代化の実現をはやめよう」―7月の国務院会議での発言を整理したもの。
DIA-104-1978-10-06-3中国1978年10月06日1970年代中国・イタリア文化協力協定及び科学技術協力協定に調印―訪伊の黄華外交部長が調印。
DIA-104-1978-10-06-4中国1978年10月06日1970年代22年ぶりに対中セメント輸出,14万トン成約。
DIA-104-1978-10-07-1中国1978年10月07日1970年代「中国青年報」,1949年の周恩来の報告「毛沢東に学ぼう」を掲載―8日,人民日報が転載。
DIA-104-1978-10-07-2中国1978年10月07日1970年代チベット自治区党委,「牧畜区人民公社10カ条政策」を制定―8月に全自治区第4回牧畜区工作会議を開いて定めたもの。
DIA-104-1978-10-07-3中国1978年10月07日1970年代新疆自治区党委,「牧畜業発展方針と若干の政策問題に関する規定(草案)」を制定―7月に牧畜工作会議を開いて討議・制定したもの。
DIA-104-1978-10-07-4中国1978年10月07日1970年代大寨に学び,大慶に学ぶ全国気象部門会議開催―19日まで。
DIA-104-1978-10-08-1中国1978年10月08日1970年代国家地質総局と郵電部は最近,大衆による探鉱,通報に対し郵送料を支払い価値のあるものには奨金を支払う通達を出す。
DIA-104-1978-10-09-1中国1978年10月09日1970年代軍瀋陽部隊党委が最近全体会議を開き「実践は真理を検証する唯一の基準」問題を討議―季徳生第一書記が発言。
DIA-104-1978-10-09-2中国1978年10月09日1970年代上海のテレビ大学―今年4月に再開,学生数1万人余,3~4年間で,大学・専門学校水準。
DIA-104-1978-10-09-3中国1978年10月09日1970年代南京棲霞山化学肥料工場,完成・操業開始―年産合成アンモニア30万トン,尿素52万トン。
DIA-104-1978-10-09-4中国1978年10月09日1970年代ニュージーランド訪問の李強対外貿易部長と,マルドーン首相が会見。
DIA-104-1978-10-09-5中国1978年10月09日1970年代鄧小平副総理,パン・アメリカン航空会長と会見。
DIA-104-1978-10-10-1中国1978年10月10日1970年代北京市革命委主任に林乎加が就任―北京外交筋。北京大学に呉徳主任が解任されたというビラ出る。13日,外交部スポークスマン,呉徳は中央の仕事に専念,と語る。
DIA-104-1978-10-10-2中国1978年10月10日1970年代9月の「品質向上月間」成果上がる―国家経済委員会は,最近「品質向上の闘かいをひきつづき大いにくりひろげることについての通達」を発出。
DIA-104-1978-10-10-3中国1978年10月10日1970年代最近,全国林業局長会議開く。
DIA-104-1978-10-10-4中国1978年10月10日1970年代華主席,ルーマニア党活動家代表団と会見。
DIA-104-1978-10-10-5中国1978年10月10日1970年代黄華外交部長が訪英―11日,キャラハン首相が会見,英中外相会談がおこなわれた。
DIA-104-1978-10-11-1中国1978年10月11日1970年代中国工会第9回全国代表大会,北京で開催―21日まで。開幕式で鄧小平副主席があいさつをおこない,「今後,各企業の職場主任,工区長,班長,組長は,それぞれの職場,工区,班組の労働者によって選出されなければならない」と指示。12日,倪志福の活動報告,康永和の規約改正に関する報告がなされ,13日,余秋里副総理が報告をおこなった。1967名の代表が出席,中華全国総工会第9期執行委員会を選出した。
DIA-104-1978-10-11-2中国1978年10月11日1970年代中国社会科学院研究生院開校式―106の専門課程,修業年限3年,研究生400人が入学。
DIA-104-1978-10-11-3中国1978年10月11日1970年代李強対外貿易部長,オーストラリアを訪問―20日まで。11日フレーザー首相が李部長と会見。
DIA-104-1978-10-12-1中国1978年10月12日1970年代華主席,葉,鄧副主席,空軍部隊の軍事訓練エキジビションを観閲―15項目。全軍の練兵運動を促進。
DIA-104-1978-10-12-2中国1978年10月12日1970年代広州―香港チャーター便初飛行―両地間のホバークラフトは17日から就航した。
DIA-104-1978-10-13-1中国1978年10月13日1970年代天津市科学技術研修学院と8つの分院12年ぶりに再開―111クラス,5500余人で業余学習。
DIA-104-1978-10-13-2中国1978年10月13日1970年代天津市革命委主任に陳偉達,湖北省党第1書記に陳丕顕,内蒙古党第1書記に周恵の就任が判明。
DIA-104-1978-10-13-3中国1978年10月13日1970年代寧夏の回族職員・労働者は1957年の7800余人から,5倍余の4万2000人に増加―同自治区の人口の3分の1が回族。工農業生産総額は1949年の15.2倍,1957年の7.2倍になった。工業生産総額は総生産の72%を占め,77年の食糧総生産量は57年の78%増となった。
DIA-104-1978-10-13-4中国1978年10月13日1970年代揚程320m,1日に3000を揚水する高揚程用水タービンポンプ,雲南省で量産。
DIA-104-1978-10-14-1中国1978年10月14日1970年代ロプノルで地下核実験―日本時間10時,スエーデン国防観測所発表。
DIA-104-1978-10-14-2中国1978年10月14日1970年代陳錫聯,北京軍区司令の地位解任説―(外国軍事節,AFP)。
DIA-104-1978-10-14-3中国1978年10月14日1970年代方毅副総理,フランスを訪問―20日,中・仏科学技術交流議定書及び科学協力協定に調印。
DIA-104-1978-10-15-1中国1978年10月15日1970年代第一機械工業部は最近,57種の規格製品を「品質保証製品」と認定,認定証書と認定マークを与えた。
DIA-104-1978-10-15-2中国1978年10月15日1970年代国務院は最近,「会計要員職権条例」を公布―1963年1月の「試行条例」を補充,修正したもの。
DIA-104-1978-10-15-3中国1978年10月15日1970年代中国機械・設備輸出総公司が営業開始―北京に総公司,23省・市・自治区に分公司がある。
DIA-104-1978-10-15-4中国1978年10月15日1970年代広州秋季交易会開幕。
DIA-104-1978-10-15-5中国1978年10月15日1970年代人民日報社説,「草原を建設し,牧畜業を発展させよう」。
DIA-104-1978-10-16-1中国1978年10月16日1970年代中国共産主義青年団第10回全国代表大会,北京で開催―26日まで。4800万人の団員の代表2000名が出席。開幕武では李先念副主席があいさつをおこなった。大会は201名の中央委員と99名の同候補からなる第10期中央委員会を選出,また韓英のおこなった活動報告と規約を採択した。
DIA-104-1978-10-16-2中国1978年10月16日1970年代8年ぶりに再開の曁南大学が開校式を挙行―28日,泉州で華僑大学が開校。
DIA-104-1978-10-16-3中国1978年10月16日1970年代中国対外貿易・経営管理フォーラムが上海で開幕―中国対外貿易部とUNCTADの共催,3週間。
DIA-104-1978-10-16-4中国1978年10月16日1970年代首都鋼鉄公司,今年に入って20数人の技師,技術者を正副工場長に任命。
DIA-104-1978-10-16-5中国1978年10月16日1970年代衆院本会議で日中平和友好条約批准案を可決―18日,参議院でも可決,20日閣議で批准を決定。
DIA-104-1978-10-16-6中国1978年10月16日1970年代大手鉄鋼5社,対中協力では「窓口を鉄鋼連盟に一本化」の申し合わせ発表。
DIA-104-1978-10-17-1中国1978年10月17日1970年代黄華外交部長,チリ外相夫妻を招宴。
DIA-104-1978-10-18-1中国1978年10月18日1970年代中国科学院で全院政策実施大会開く―360余名が正式に名誉回復を宣言された。
DIA-104-1978-10-18-2中国1978年10月18日1970年代甘粛省で最近,第3回全国受精卵移植研究会が開かれた―優良綿羊の繁殖に効果。
DIA-104-1978-10-18-3中国1978年10月18日1970年代人民日報社説,「魚を食べる問題を全力をあげて解決しよう」。
DIA-104-1978-10-18-4中国1978年10月18日1970年代李先念副総理,新任のシチエルバコフ・ソ連大使と会見。
DIA-104-1978-10-18-5中国1978年10月18日1970年代佐藤北京駐在大使,一時帰国。
DIA-104-1978-10-19-1中国1978年10月19日1970年代最近,大学兼任教師に報酬を支給,教材には原稿料を支給する暫定規定を発出。
DIA-104-1978-10-19-2中国1978年10月19日1970年代最近,国家科学技術委と科学院が座談会を開き,科学研究機構内の党活動のあり方を討議。
DIA-104-1978-10-20-1中国1978年10月20日1970年代中国人民解放軍軍事法院,正式に活動を再開―同軍事検察院も積極的に再開準備中。
DIA-104-1978-10-20-2中国1978年10月20日1970年代鄧小平副主席,工事中の北京住宅団地を視察―新任の林乎加北京市党第一書記が随行。
DIA-104-1978-10-20-3中国1978年10月20日1970年代12カ国の参加する農業機械展覧会,北京で開幕―29日,華主席,葉,汪副主席をはじめ党と国家の指導者が参観した。
DIA-104-1978-10-20-4中国1978年10月20日1970年代全米科学財団,来年までに中国の学生・学者約700人を米へ,米の学者約60人を中国へと交換の大枠で合意。
DIA-104-1978-10-21-1中国1978年10月21日1970年代米GMのマーフィー会長訪中―27日まで。
DIA-104-1978-10-21-2中国1978年10月21日1970年代中国省市責任者訪日代表団(団長,万里安徽省革命委主任)来日―全国知事会の招請,11月4日まで。
DIA-104-1978-10-22-1中国1978年10月22日1970年代全国総工会9期執行委員会第1回総会開く―倪志福を主席に,朱学範,馬純古,康永和ほか10人を副主席に選出。
DIA-104-1978-10-22-2中国1978年10月22日1970年代第3回全国人民防空会議を開催―11月4日まで。22日李先念副主席が報告をおこない,11月1日には葉剣英副主席が演説,時代にふさわしい地下の長城を一歩一歩確実に築き上げるよう,各級党委員会に要求した。閉幕にあたり,徐向前国防部長が指示をおこなった。
DIA-104-1978-10-22-3中国1978年10月22日1970年代日中平和友好条約批准書交換のため,鄧小平副総理,日本政府公賓として来日―29日まで。
DIA-104-1978-10-23-1中国1978年10月23日1970年代人民日報,孫冶方論文「堂々と社会主義的利潤に力を入れよう」。
DIA-104-1978-10-23-2中国1978年10月23日1970年代景徳鎮市で最近,芸術磁器品評会開かる。
DIA-104-1978-10-23-3中国1978年10月23日1970年代日中平和友好条約批准書交換,発効。
DIA-104-1978-10-23-4中国1978年10月23日1970年代天皇,鄧小平副総理と会見,昼食会を催す。
DIA-104-1978-10-23-5中国1978年10月23日1970年代福田首相と鄧小平副総理,第1回政治会談開く―福田首相,日本の全方位平和外交は等距離外交を意味しない,と強調。
DIA-104-1978-10-23-6中国1978年10月23日1970年代北京で中日友好人民公社の命名式―北京郊区東北旺人民公社を改称。
DIA-104-1978-10-24-1中国1978年10月24日1970年代科学院は最近「中国科学院科学研究手当暫行弁法」を実施。
DIA-104-1978-10-24-2中国1978年10月24日1970年代シュレジンジャー米エネルギー長官が訪中―11月5日まで。25日,余秋里副総理が会談をおこない,11月3日李先念副総理が,4日には華主席が会見した。
DIA-104-1978-10-24-3中国1978年10月24日1970年代ホセ・ロペス・ポルチーヨ・メキシコ大統領が中国を訪問―同日華主席・総理が大統領と会見,招宴した。27日,両国の歓光協定と文化協定が調印された。
DIA-104-1978-10-24-4中国1978年10月24日1970年代人民日報社説,「中日友好関係の新段階」。
DIA-104-1978-10-24-5中国1978年10月24日1970年代石油公団第2次訪中団,渤海湾,珠江沖油田開発に「合作」方式をとることで中国側と基本合意。
DIA-104-1978-10-24-6中国1978年10月24日1970年代工業技術文化センター(中島健蔵会長)が設立総会開く―日中工業技術交流促進を目的にしている。
DIA-104-1978-10-25-1中国1978年10月25日1970年代寧夏回族自治区成立20周年―24日全人代常委と国務院は祝電を送り,ウランフ政治局員を団長とする中央代表団を祝賀活動参加のため派遣。
DIA-104-1978-10-25-2中国1978年10月25日1970年代華主席,ギニア民主党代表団一行と会見。
DIA-104-1978-10-25-3中国1978年10月25日1970年代福田首相,鄧小平副総理と第2回政治会談をおこなう―朝鮮問題について意見を交換,緊張状態にないという情勢判断で一致。
DIA-104-1978-10-26-1中国1978年10月26日1970年代中国外交部覚書,ベトナムが中国の領土主権を侵し,計画的に反中キャンペーンを進めている,と強硬に抗議。新華社は「ベトナム当局がどこまで突っ走るかみていよう」という論評を発表。
DIA-104-1978-10-27-1中国1978年10月27日1970年代共青団第10期中央委第1回総会,新たな「中国少年先鋒隊規約」を採択。
DIA-104-1978-10-27-2中国1978年10月27日1970年代周揚を主任とする郭沫若著作編集出版委員会発足。
DIA-104-1978-10-27-3中国1978年10月27日1970年代ダグラス・アントニー・オーストラリア副首相夫妻が中国を訪問―11月3日華主席が会見した。
DIA-104-1978-10-28-1中国1978年10月28日1970年代人民日報社説,「今年の計画を全面超過達成し,来年の生産準備に積極的に取り組もう」。
DIA-104-1978-10-28-2中国1978年10月28日1970年代華主席,林乎加第一書記に伴われて,北京ビニロン工場を視察。
DIA-104-1978-10-28-3中国1978年10月28日1970年代丸紅・宝幸水産,広東省の水産業近代化事業の一括請負いで議定書に調印―総額1000億円。水産物による補償貿易方式。
DIA-104-1978-10-29-1中国1978年10月29日1970年代中央政法小組が最近座談会を開き,社会主義の法秩序強化の問題について討議―紀登奎組長の委託により趙蒼璧副組長が主報告をおこなった。
DIA-104-1978-10-29-2中国1978年10月29日1970年代「プラウダ」タス・ヤコブレフ評論員論評「不安定は続いている」―華主席,鄧副主席の確執を予測。
DIA-104-1978-10-30-1中国1978年10月30日1970年代小麦産地で冬小麦の播種が基本的に完了―黄河,淮河,海河流域で全体の30%前後は干ばつと闘かいながら播種をし,早めに終了。10月25日から27日まで広い地域で恵みの雨が降った。
DIA-104-1978-10-30-2中国1978年10月30日1970年代上海市紡績工業局,このほど輸出専門の26の工場と絹織物工業公司を設立―対外貿易部門に直結。
DIA-104-1978-10-30-3中国1978年10月30日1970年代中国軍事友好代表団,スーダンとソマリアを訪問―11月16日まで。
DIA-104-1978-10-30-4中国1978年10月30日1970年代通産省,日中経済関係対策推進委員会を設置。
DIA-104-1978-10-30-5中国1978年10月30日1970年代中国訪問日本報道代表団(団長・広岡朝日会長)中国入り―11月2日,鄧小平副総理と会見。鄧副総理,訪日して近代化実現に自信を深めた,と語る。
DIA-104-1978-10-30-6中国1978年10月30日1970年代東京銀行訪中団(柏木頭取を団長とする)が中国入り―11月8日まで。事務所の相互開設,TC発行で中国側と合意。
DIA-104-1978-10-31-1中国1978年10月31日1970年代知識青年農山村定住活動全国会議開催―12月10日まで。12月10日,李先念副主席が重要演説を行い,陳永貴副総理が報告をおこなった。「全国知識青年農山村定住活動会議議事録」及び「知識青年農山村定住の若干の問題に関する国務院の試行規定」が採択された。華主席は12月12日政治局会議を主宰し,会議で作成された文書を討議・採択した。
DIA-104-1978-10-31-2中国1978年10月31日1970年代鉄路工会第8回全国代表大会,北京で開会―11月8日まで。
DIA-104-1978-10-31-3中国1978年10月31日1970年代黒竜江省友誼農場第5分場第2作業隊,近代農法で成果―20人の農業労働者がアメリカ製の近代的農業機械と科学的耕作法を採用し,単位面積収量で昨年より大豆が20%以上,トウモロコシが70%以上の増収となった。1人当り100トンの食糧を生産。
DIA-104-1978-10-31-4中国1978年10月31日1970年代袁宝華副主任を団長とする中国国家経済委員会代表団が来日―団長ほか一部は11月30日香港へ,その他団員は12月5日帰国。
DIA-104-1978-11-01-1中国1978年11月01日1970年代「中国少年報」復刊さる。
DIA-104-1978-11-01-2中国1978年11月01日1970年代中共中央,最近衛生部党組の「中医師の後継者不足問題についての報告」を承認,配布。
DIA-104-1978-11-01-3中国1978年11月01日1970年代上海に最近,コック,ウェイター,ウェイトレスの訓練センター設立さる。
DIA-104-1978-11-01-4中国1978年11月01日1970年代ベトナム武装要員が越境,流血事件を起こす―広西自治区靖西県庭毫山地区で人民公社員がベトナムが中国領内に設けた構築物をとりこわそうとした時,ベトナム武装要員が侵入,中国人12名を負傷させ,8名を拉致し,うち6名を殺害した。11月2日のベトナム外務省声明は逆の話をデッチ上げたと中国側が非難。7日,中国外交部は覚書を中国駐在ベトナム大使館に送り,強硬に抗議。
DIA-104-1978-11-01-5中国1978年11月01日1970年代日中航空路,日本航空と中華民航週各4便づつに。
DIA-104-1978-11-01-6中国1978年11月01日1970年代永野重雄日商会頭ら財界人家族同伴訪中グループが訪中―14日まで。
DIA-104-1978-11-02-1中国1978年11月02日1970年代李先念副総理,アラファトPLO議長の特使アブ・ホル氏と会見。
DIA-104-1978-11-02-2中国1978年11月02日1970年代住友金属工業,鞍山製鉄所を1500万トン規模に増強で中国側と合意―馬鞍山製鉄所改造案作成も依頼受ける。
DIA-104-1978-11-02-3中国1978年11月02日1970年代鄧小平副首相,日本報道界代表団と会見―訪日で,中国の近代化建設に見込みが持てた,と語る。
DIA-104-1978-11-03-1中国1978年11月03日1970年代最近,社会科学院と教育部が全国哲学社会科学計画会議予備会議開く。
DIA-104-1978-11-03-2中国1978年11月03日1970年代人民日報社説,「外国の先進的経験を学び,利用しよう」。
DIA-104-1978-11-03-3中国1978年11月03日1970年代中国最大の海洋調査船,「向陽紅9号」が上海で完成―9000馬力,排水量4000トン。
DIA-104-1978-11-03-4中国1978年11月03日1970年代華国鋒総理,ドミニカ連邦首相に祝電を送り独立を祝い,中国の承認を通告。
DIA-104-1978-11-03-5中国1978年11月03日1970年代華主席・総理,オーストラリア副首相一行と会見。
DIA-104-1978-11-03-6中国1978年11月03日1970年代バンス米国務長官,NATO諸国の対中武器売却は各国の自主決定に待つ,と事実上の同意を表明。
DIA-104-1978-11-04-1中国1978年11月04日1970年代チベットで1959年の反革命武装反乱の中心人物24人を釈放―1963年から釈放が4回おこなわれ,今回で全部釈放。天宝自治区革命委副主任は釈放大会であいさつし,国外のチベット同胞について,帰って来る者は過去をとがめず,一律に歓迎する,とのべた。
DIA-104-1978-11-04-2中国1978年11月04日1970年代人民日報,汪鋒論文,「新疆の建設速度をはやめよう」―今年1月党中央は重要な指示をおこない,階級闘争の蓋が開けられ,林彪,「4人組」摘発・批判闘争がくりひろげられた。
DIA-104-1978-11-04-3中国1978年11月04日1970年代教育部が3つの条令を通達―「全国重点高等学校暫定工作条例(試行草案)」,「全日制中学暫定工作条例(試行草案)」,「全日小学暫定工作条例(試行草案)」。来年2月に結果を集約し,全国教育大会を開いて討議の予定。
DIA-104-1978-11-04-4中国1978年11月04日1970年代人民日報,汪鋒論文,「新疆の建設速度をはやめよう」―9月末現在の工業総生産は昨年同期比15.5%増,農業生産は10年の停滞の局面を打開,牧畜業は連続4年下降という局面を打開した。
DIA-104-1978-11-04-5中国1978年11月04日1970年代人民日報社説,「地元の資源に立脚して人民公社・生産大隊企業をりっぱに運営しよう」。
DIA-104-1978-11-04-6中国1978年11月04日1970年代全人代常委在北京委員の報告会,葉委員長の主宰で廖承志副委員長の訪日報告を聴取。
DIA-104-1978-11-05-1中国1978年11月05日1970年代農業経済学会設立大会と学術討論会開く―10月下旬,蘇州市で。
DIA-104-1978-11-05-2中国1978年11月05日1970年代中国農学会は最近,東北地区農業現代化問題座談会を開く。
DIA-104-1978-11-05-3中国1978年11月05日1970年代羅玉川国家林業総局局長,造林と護林が焦眉の重大問題である,と新華社記者に語る。
DIA-104-1978-11-05-4中国1978年11月05日1970年代鄧小平副総理,タイを訪問―9日まで。両国は,貿易合同委員会設立にかんする議定書,1979年度輸出入商品についての議定書,及び科学技術協力合同委員会第1回会議の会談要綱に調印した。
DIA-104-1978-11-05-5中国1978年11月05日1970年代汪東興副主席を団長とする中国党・政府代表団,カンボジアを訪問―9日まで。
DIA-104-1978-11-06-1中国1978年11月06日1970年代新華社記者論評,「教師不足の問題を解決しよう」―不当な処分を受け,あるいは職を追われた古参教員の任用を重視せよと強調。
DIA-104-1978-11-06-2中国1978年11月06日1970年代王震副総理,イギリスを訪問―17日まで。15日両国は科学技術協力協定に調印した。
DIA-104-1978-11-06-3中国1978年11月06日1970年代来年上半期船積み鋼材輸出商談,250万トン,価格15~20%アップで大筋合意。
DIA-104-1978-11-07-1中国1978年11月07日1970年代人民日報,投書,公務員の任期限定,選挙制を提案。
DIA-104-1978-11-07-2中国1978年11月07日1970年代年間油田・ガス田さく井計画を繰り上げ達成―10月末現在,総ボーリング量は年間計画を14%以上上回っている。
DIA-104-1978-11-08-1中国1978年11月08日1970年代北京市党委,今年末までに多数の単位での林彪,「4人組」摘発・審査の基本的完了を指示。
DIA-104-1978-11-08-2中国1978年11月08日1970年代政府は汚染のひどい167の企業に1982年までに汚染を解決するよう指示―国家計画委員会,国家経済委員会,国務院環境保全指導グループが決定を下したもの。これら企業の中には包頭鋼鉄公司,首都鋼鉄公司,上海製油所,大慶石油化学総工場などが含まれている。また共同通達は,基本建設項目の新設,拡張,改築にあたっては,汚染処理施設と主体工事の同時設計,同時施行,同時稼動の「3同時」を義務づけ。
DIA-104-1978-11-08-3中国1978年11月08日1970年代最近台県で第1回全国農業綜合機械化試験県指導幹部訓練班開く。
DIA-104-1978-11-08-4中国1978年11月08日1970年代鄧小平副総理,越ソ友好協力条約は世界平和の脅威,と語る―バンコクでの記者会見で。また鄧副総理は,「ベトナムはタイ共産党を支持しない」,とのべたファン・バン・ドン首相を見習わない,と答弁。
DIA-104-1978-11-08-5中国1978年11月08日1970年代李先念副総理,アメリカのバーグランド農務長官及びその一行と会見―行は4日に訪中。
DIA-104-1978-11-08-6中国1978年11月08日1970年代中国軍事友好代表団,フィリピンを訪問―18日まで。
DIA-104-1978-11-08-7中国1978年11月08日1970年代東洋運搬機,建設用車輌35億円の輸出契約結ぶ―5日の10億円につづくもの。
DIA-104-1978-11-09-1中国1978年11月09日1970年代中国科学技術協会第1期全国委第2回拡大会議開催―16日まで,周培源主席代理は現代的科学センター設立計画について説明,銭学森教授は30万の科学普及センター設立を提案。
DIA-104-1978-11-09-2中国1978年11月09日1970年代人民日報特約評論員,「思想をさらにいちだんと解放しよう」。
DIA-104-1978-11-09-3中国1978年11月09日1970年代内蒙古革命委員会主任に孔飛民が就任―(内蒙古放送)。趙辛初前湖北省第1書記は国家計画委副主任に転出。
DIA-104-1978-11-09-4中国1978年11月09日1970年代鄧小平副総理がマレーシアを訪問―12日まで。
DIA-104-1978-11-09-5中国1978年11月09日1970年代米国務省スポークスマン,米中の国交樹立交渉すでに開始,とのべる。
DIA-104-1978-11-09-6中国1978年11月09日1970年代李先念副総理,ブラジル貿易代表団一行と会見―両国は貿易協定に調印。ブラジルは勝利油田原油を79年に100万トン,80年に150万トン輸入,ブラジルは79,80年に毎年250万トンの鉄鉱石を中国に供給する。
DIA-104-1978-11-09-7中国1978年11月09日1970年代日中協会第2次訪中団(茅誠司団長),中国と日中学術交流委員会及びセンター設置で合意―ハルビン技術大学の運営にも協力予定。
DIA-104-1978-11-10-1中国1978年11月10日1970年代人民日報社説,「ベトナム当局はなにをやるつもりなのか」―中越国境での侵入,挑発を非難,「民主カンボジアを切り取ることはかれらの侵略拡張計画の第一歩にすぎない」と警告。
DIA-104-1978-11-10-2中国1978年11月10日1970年代上海宝山製鉄所向け発電プラント,三菱グループが受注を発表―1億9000万ドル(FOB)。
DIA-104-1978-11-11-1中国1978年11月11日1970年代国務院干ばつ対策本部,長江中・下流,黄河,淮河,海河流域の各省代表による干ばつ対策会議を召集―今冬から明春の干ばつ状況を分析し,対策を立案。
DIA-104-1978-11-11-2中国1978年11月11日1970年代李先念副総理,米メリル・リンチ社会長リーガン氏,ロジャーズ元国務長官一行と会見―同社が中国のプロジェクトに資金を提供,協力することについて話し合った。
DIA-104-1978-11-11-3中国1978年11月11日1970年代フランス大型経済代表団が訪中―17の大会社責任者が参加,100億ドルの借款供与についてつめをおこなう予定。
DIA-104-1978-11-12-1中国1978年11月12日1970年代北京と各地で孫中山生誕112周年記念式典おこなわる。
DIA-104-1978-11-12-2中国1978年11月12日1970年代鄧小平副総理がシンガポールを訪問―14日まで。
DIA-104-1978-11-12-3中国1978年11月12日1970年代陳慕華副総理,ハンガリー科学技術協力代表団と会見。
DIA-104-1978-11-13-1中国1978年11月13日1970年代河南省党委副書記王維群の違法行為―経済担当副書記の王は,1976年までの数年間に国家計画外の工事1000件以上を超こし,総額33億6000万元を投じた。1977年に入ってからも577件の国家計画外工事を実施した。中央に虚偽の報告をおこない,74年から76年の間に石炭530万トン,73年から76年間にトラクター3万2000台を少く報告した。王個人の横領収賄行為も摘発された。人民日報は「党紀国法を厳守しようという」社説で地位の高低にかかわりない法の順守を強調。
DIA-104-1978-11-13-2中国1978年11月13日1970年代神鋼ファウドラー・和光交易,大慶エチレンプラントの廃水処理設備を受注―約15億円。
DIA-104-1978-11-14-1中国1978年11月14日1970年代最近,海軍が政治工作会議を開く。
DIA-104-1978-11-14-2中国1978年11月14日1970年代「紅旗」誌は,真理の基準は実践にあるという論争を何故とりあげぬのか,という壁新聞出現―北京「人民日報」社の壁に,「紅旗編集者の考え方について談ず」と題している。
DIA-104-1978-11-14-3中国1978年11月14日1970年代鄧小平副総理,シンガポールの帰途,ラングーン空港でネ・ウイン・ビルマ大統領と会談―同日,北京に帰着。
DIA-104-1978-11-14-4中国1978年11月14日1970年代ウランフ副委員長がエジプト,スーダン,トルコを歴訪―28日まで。
DIA-104-1978-11-14-5中国1978年11月14日1970年代新華社,ソ越条約について,「大小覇権主義の『神聖同盟』」と論評。
DIA-104-1978-11-14-6中国1978年11月14日1970年代李強対外貿易部長,バングラデシュを訪問―17日まで。
DIA-104-1978-11-15-1中国1978年11月15日1970年代人民日報評論員論文,「実事求是で,誤りがあれば必らず」―多くの寃罪,誤審,でっちあげ事件については,毛主席,党中央の決定であろうと必らず正し,文革前のものでも必らず正し,来年上半期で仕事をやり終えるよう,強調。
DIA-104-1978-11-15-2中国1978年11月15日1970年代中共北京市委,常委拡大会議,最近,天安門事件は完全に革命的行動である,と声明―同事件で逮捕された388人のうち反革命分子は1人もいないことが判明した。党の江蘇省委員会,浙江省委員会,河南省委員会も1976年の清明節前後の大衆活動は全く革命的行動であったという議決をおこなった。
DIA-104-1978-11-15-3中国1978年11月15日1970年代党北京市委常委拡大会議,主要な精力を徐々に社会主義建設の面に集中し,四つの近代化の足どりをはやめるよう,よびかけ。
DIA-104-1978-11-15-4中国1978年11月15日1970年代光明日報,蘇双碧論文,「姚文元の『新編歴史劇“海瑞の免官”を評す』を評す」―姚文元の論文の評価を逆転。
DIA-104-1978-11-15-5中国1978年11月15日1970年代粗鋼,鋼材の国家計画を達成―粗鋼は2800万トン(昨年比400万トン増),鋼材は1900万トン(昨年比300万トン増)に達した,銑鉄の計画2950万トン(昨年比500万トン増)は11月5日に達成した。
DIA-104-1978-11-15-6中国1978年11月15日1970年代秋季広州交易会が閉幕―成約高はこれまでの交易会より大幅に伸びた。コンペンセーション貿易,及び国際貿易におけるいくつかの柔軟性のある方式が広く採用された。
DIA-104-1978-11-15-7中国1978年11月15日1970年代康世恩副総理,ノールウェー石油代表団と会見。
DIA-104-1978-11-15-8中国1978年11月15日1970年代華主席,三宅正一副議長を団長とする衆議院議員友好訪中団と会見―同日鄧小平副総理は一行と昼食を共にした。
DIA-104-1978-11-15-9中国1978年11月15日1970年代李先念副総理,宇都宮徳馬代議士を団長とする日中友好協会代表団と会見。
DIA-104-1978-11-16-1中国1978年11月16日1970年代人民日報特約評論員「人民の願望,人民の力」―新劇「声なきところに」について論評,天安門広場における革命的大衆運動の芸術的表現であり,人物描写に新生面を開いたもの,と評価。
DIA-104-1978-11-16-2中国1978年11月16日1970年代「中国青年報」がフォークダンスを奨励。
DIA-104-1978-11-16-3中国1978年11月16日1970年代全国対外貿易工作会議,開催中―多くの新技術を導入するために多くの輸出をはかる方法を検討。
DIA-104-1978-11-16-4中国1978年11月16日1970年代上海市,年間輸出総額計画を50日繰上げて達成。
DIA-104-1978-11-16-5中国1978年11月16日1970年代李先念副総理,エドムンド・マスキー氏を団長とする米国会議員代表団と会見。
DIA-104-1978-11-17-1中国1978年11月17日1970年代人民日報社説,「重要なプロレタリア階級の政策」―今年4月から右派分子のレッテルをとりはずす仕事が進められ,すでに完了した。同時に右派分子と定めるべきでなかったのをまちがって右派分子と定められた人に対しては改正をおこなっている。
DIA-104-1978-11-17-2中国1978年11月17日1970年代国務院,衛生部の「薬政管理条例(試行)」の公布を許可。
DIA-104-1978-11-17-3中国1978年11月17日1970年代葉飛交通部長,オランダとベルギーを訪問。
DIA-104-1978-11-17-4中国1978年11月17日1970年代中日友好協会,近衛密甯子(三笠宮長女)夫妻の歓迎宴を催す。
DIA-104-1978-11-18-1中国1978年11月18日1970年代人民日報社説,「摘発・批判運動が深化するほど,大多数を団結させることを重視しなければならない」。
DIA-104-1978-11-18-2中国1978年11月18日1970年代華主席,間もなく出版される「天安門詩抄」の書名を揮毫。
DIA-104-1978-11-18-3中国1978年11月18日1970年代中国・モンゴル,国境鉄道議定書に調印。
DIA-104-1978-11-19-1中国1978年11月19日1970年代西長安街に,毛主席が「晩年形而上学的になっていた」ことなどにより,「4人組」が鄧小平同志を打倒し,天安門事件を鎮圧するのを支持した,という壁新聞出現―新劇「声なき所で」の劇団にあてた便せん14枚にペン書きの壁新聞。
DIA-104-1978-11-19-2中国1978年11月19日1970年代西長安街に「民主が独裁を裁く」という壁新聞出現―毛主席を暗に「家族的封建ファシスト独裁専制主義路線」に含めて非難。
DIA-104-1978-11-19-3中国1978年11月19日1970年代国務院が北方に「緑の長城」建設する計画を批准―1985年までに新疆から黒竜江までの7100余キロにわたって68万7000haの防護林帯を造成,これを中心に,16万8000haの草原防護林,61万haの農地防護林,326万haの水土保持林を造成する。5月に国家林業総局は陜西省の西安で会議を開きこの計画と措置を討議した。
DIA-104-1978-11-19-4中国1978年11月19日1970年代李先念副総理,米下院議員ジョン・スラック氏を団長とする米国会議員代表団と会見。
DIA-104-1978-11-20-1中国1978年11月20日1970年代人民日報評論員論文,「冤罪をくつがえすことについての歴史的教訓」―フルシチョフがスターリン死後,反革命分子粛清の拡大化に対する一部の人々の不満を利用し,党のっとり権力奪取の反革命陰謀に役立たせた。今日,冤罪事件はその無実を明らかにし,誤審事件は棄却し,デッチ上げ事件はその実体を暴露する,ことに真剣に取り組むことは,今後,毛主席の偉大な旗じるしを守ることができるかどうかにかかわる大問題なのである。
DIA-104-1978-11-20-2中国1978年11月20日1970年代「解放軍報」祝卿生論文,「人民の力は阻めない」―「四・五」運動は新「五・四」運動である。
DIA-104-1978-11-20-3中国1978年11月20日1970年代国務院,1979年1月1日から人名,地名を中国語音に統一することを決定―12月1日各国大使館にも伝えられた。
DIA-104-1978-11-20-4中国1978年11月20日1970年代北京西単の壁新聞,華主席が天安門詩抄の題字を書いたことを批判―自分の詩の削除を要求。
DIA-104-1978-11-21-1中国1978年11月21日1970年代清華大学が米ジョンズ・ホプキンス大学の任之恭教授を名誉教授に認証。
DIA-104-1978-11-21-2中国1978年11月21日1970年代人民日報記者報道,「天安門事件の真相,『四人組』が『人民日報』を利用して転倒させた歴史を元に戻す」―22日まで2日連載。
DIA-104-1978-11-21-3中国1978年11月21日1970年代西単に呉徳前北京市革命委主任を人民裁判にかけよ,という壁新聞出現。
DIA-104-1978-11-21-4中国1978年11月21日1970年代人民日報社説,「食糧の徴収・買付けにしっかり取り組もう」―食糧総収穫量はきびしい干ばつにもかかわらず昨年を上回る見込み。多く買付けすぎないこと,豊作のところで多く買いつけ他を支援すること,などを強調。
DIA-104-1978-11-21-5中国1978年11月21日1970年代中国軍事友好代表団,ビルマ訪問―27日まで。
DIA-104-1978-11-21-6中国1978年11月21日1970年代米コースタル・ステーツ・ガス会社の子会社,米ではじめて中国石油輸入契約に調印―年360万バレル。
DIA-104-1978-11-22-1中国1978年11月22日1970年代紀登奎政治局員,北京部隊第1政治委員のポスト失なう―秦基偉第2政治委員が昇格(北京放送)。
DIA-104-1978-11-22-2中国1978年11月22日1970年代陜西省党委,陜北革命建設委員会を設立―延安,楡林地区の建設にとり組むもので王任重党第2書記が主任に。
DIA-104-1978-11-23-1中国1978年11月23日1970年代廖承志副委員長,特赦,釈放され,近く台湾または香港に帰り,或は国外にゆく元戦犯と会見招宴―うち18人は30日,船で厦門を離れ,金門へ向った。
DIA-104-1978-11-23-2中国1978年11月23日1970年代英政府筋,ブレジネフ書記長が英首相に書簡を送り,ハリアーの対中輸出に警告した,と公表。
DIA-104-1978-11-23-3中国1978年11月23日1970年代民社党第2次訪中団が訪中―佐々木委員長を団長とするもので,29日まで。26日鄧小平副総理が会見中国の内政,外交問題について卒直に語る。
DIA-104-1978-11-24-1中国1978年11月24日1970年代楊奇清公安部副部長,病気で死去―67歳。12月2日八宝山で追悼会挙行。薄一波,楊尚昆が参列。
DIA-104-1978-11-24-2中国1978年11月24日1970年代西単に,人民日報の「天安門事件の真相」が呉徳の責任を無視している,と批判した壁新聞が出る。
DIA-104-1978-11-24-3中国1978年11月24日1970年代天安門広場に壁新聞が進出―「毛沢東に対する評価も7分3分に分けるべきだ」,「実践によって毛沢東同志を検証しよう」,などという見出しがある。また「封建ファッショ政治」との闘争のために「啓蒙社」を結成した,と宣言したものもある。また倪志福総工会主席を非難したものも出現。
DIA-104-1978-11-24-4中国1978年11月24日1970年代西単の壁新聞「民主が独裁を裁く」No.3は76年4月7日毛主席が華国鋒を第1副主席兼総理に任命した中央決議を「封建ファシスト独裁専制の産物」と非難。また汪東興副主席を非難する壁新聞も現われた。
DIA-104-1978-11-24-5中国1978年11月24日1970年代段君毅鉄道部長,河南省党第1書記に転出判明。
DIA-104-1978-11-24-6中国1978年11月24日1970年代人民日報記者,四川省大邑県が大寨に学んだ経験と教訓―同県は,まず大寨のある具体的やり方を強引にそっくり持ち込み,その結果,生産に損害をもたらし,大衆から遊離してしまった。地元の事情に合わせて大寨の根本的経験を学ぶよう努めた結果,すばらしい成績をあげた。
DIA-104-1978-11-24-7中国1978年11月24日1970年代1963年11月公布した「技術改善奨励条例」を再公布―国家経済委,国家科学技術委,農林部,衛生部が最近連名で通達。
DIA-104-1978-11-24-8中国1978年11月24日1970年代汪東興副主席,最近スティガン・ノールウェー労働者共産党(ML)議長と会見。
DIA-104-1978-11-24-9中国1978年11月24日1970年代王震副総理,英国の帰途パキスタン訪問―25日,ジア大統領と会見,同日帰国。
DIA-104-1978-11-25-1中国1978年11月25日1970年代童懐周グループ,国際クラブで日本人記者団と会見,天安門詩抄について語る。
DIA-104-1978-11-25-2中国1978年11月25日1970年代人民日報特約評論員論評,「投書,上申と,『密告書』,『密告』との区別をはっきりさせよう」。
DIA-104-1978-11-25-3中国1978年11月25日1970年代国家科学技術委と中国科学院,「四・五」運動勝利祝賀・英雄表彰大会開く―首都体育館で。
DIA-104-1978-11-25-4中国1978年11月25日1970年代夜,天安門前広場で1000人規模の討論集会開く。
DIA-104-1978-11-25-5中国1978年11月25日1970年代出力110万kWの遼寧省清河火力発電所完成,発電中―11月からフル運転に。10万kWと20万kWのタービン発電機7機が据えつけられている。
DIA-104-1978-11-25-6中国1978年11月25日1970年代商業部,交通部,鉄道部が大連で輸送ライン会議を開く。
DIA-104-1978-11-25-7中国1978年11月25日1970年代自動車,油送パイプ両用橋,江蘇省淮河大橋が開通―全長1922.9m,車道幅9m,両側に1.5mの歩道がついている。送油パイプ直径720ミリ。
DIA-104-1978-11-25-8中国1978年11月25日1970年代農林部は最近,来年から第2次全国土壌センサスを実施することを決定。
DIA-104-1978-11-26-1中国1978年11月26日1970年代鄧小平副主席,中国政治情勢について党中央の見解を表明―民社党委員長の問いに答えたもの。①天安門事件が革命的行動であったという党北京市委の決定は党中央の決定である。②天安門事件だけでなく,処理の正しくなかった問題があれば,やはり実事求是で是正しなければならない。誤まりがあれば必らずただすのは,まさしくわれわれが自信を持っている現れである。③大字報を書くことはわが国の憲法が許している。われわれは,大衆が民主主義を発揚して大字報を貼ることを否定したり批判する権利をもっておらず,大衆にうっせきしたものがあれば,吐き出させるべきである。文化大革命できたえられたわが国の圧倒的多数の人民大衆の是非を識別する能力と国家の運命をおもんばかる意識は大したものである。若干の問題に大衆は疑問を持っており,また一方で若干の言葉は安定・団結,四つの近代化実現に不利であるから,大衆にはっきり説明し,効果的に大衆を導びかなければならない。
DIA-104-1978-11-26-2中国1978年11月26日1970年代最近,第7機械工業部は1万8000人の集会を開き「4人組」血盟の徒舒竜山の逮捕を擁護―宋任窮部長があいさつ。
DIA-104-1978-11-26-3中国1978年11月26日1970年代西単の壁新聞,文革を「中国史上の大後退」と評価したもの,劉少奇の再審要求などが出現。夜2000人近くが民主と法制について野外討論。
DIA-104-1978-11-26-4中国1978年11月26日1970年代大型石炭工業基地,〓州の開発と建設進む―66年着工,第1期工事年産200余万トンの立坑3つがすでに完成,現在年産1100余万トンの4つの立坑の建設が,1万8000人余の労働者職員が参加して進められている。
DIA-104-1978-11-27-1中国1978年11月27日1970年代鄧小平副総理,マルクス・レーニン主義,毛沢東思想は4つの近代化の指導思想,と語る―米ロバート・ノバク記者に。鄧副総理は次のようにのべた。中国の歴史における毛主席の偉大な功績は言語であらわし難い。中国では,人びとはみな「毛主席を抜きにしては新中国はない」ことをよく知っている。われわれは全面的に正確に毛沢東思想を把握し運用しなければならない。政治生活は活気にあふれ,のびのびとしたものでなければならない。
DIA-104-1978-11-27-10中国1978年11月27日1970年代公明党第7次訪中団が訪中―竹入委員長を団長とするもので,12月5日まで。29日,鄧小平副総理が一行と会見。
DIA-104-1978-11-27-2中国1978年11月27日1970年代長安街の壁新聞,「四・五報」が職業選択の自由と公僕の人民選挙を要求。西単の「民主の壁」には毛主席に対する16の質問がはり出され,「国家の私物化」などと攻撃。
DIA-104-1978-11-27-3中国1978年11月27日1970年代アムネスティー・インタナショナルが「中華人民共和国の政治犯に関する報告書」を発表。
DIA-104-1978-11-27-4中国1978年11月27日1970年代石炭生産計画,34日繰り上げ達成―採炭計画は5億5000万トン(昨年にくらべ5000万トン増)。年内に6億トンを目ざす。
DIA-104-1978-11-27-5中国1978年11月27日1970年代人民日報社説,「都市の建設を重要日程にのせよう」―都市建設のめだった立ち遅れは主として労働者・職員住宅と公共施設の不足にあらわれている,として,党の管理を強化し,機構を整備し,専任者をおくべきであると強調。
DIA-104-1978-11-27-6中国1978年11月27日1970年代攀枝花鉄鋼工業基地第一期工事完成―1965年に着工,1号高炉は1970年に操業開始。はじめての自力設計,自力設備製造の大型コンビナート。第2期工事に今年着工。
DIA-104-1978-11-27-7中国1978年11月27日1970年代最近,全国農業技術者養成訓練座談会開く。
DIA-104-1978-11-27-8中国1978年11月27日1970年代李強対外貿易部長,仏対外貿易相と会談。
DIA-104-1978-11-27-9中国1978年11月27日1970年代鄧小平副総理,米コラムニスト,ロバート・ノバク民と会見―台湾問題,内政問題について卒直に語る。
DIA-104-1978-11-28-1中国1978年11月28日1970年代中華全国総工会幹部学校13年ぶりに再開。
DIA-104-1978-11-28-10中国1978年11月28日1970年代日中貿易混合委員会,北京で開催―29日まで。中国側は,特恵関税適用を要請,合弁方式採用を提案,日中相互に駐在員事務所設置で合意。
DIA-104-1978-11-28-11中国1978年11月28日1970年代「日米中友好国民委員会」が発足。
DIA-104-1978-11-28-12中国1978年11月28日1970年代宇部興産・丸紅,中国から大型アンモニア製造プラントを受注―約140億円。
DIA-104-1978-11-28-13中国1978年11月28日1970年代協邦通商・鉱研試錐工業,中国向け金属鉱山用掘削機プラントを受注―総額約10億円。
DIA-104-1978-11-28-2中国1978年11月28日1970年代北京市で最近,7000人の思想動員全市幹部報告会開く。
DIA-104-1978-11-28-3中国1978年11月28日1970年代天安門広場で夜約1万人の青年が民主主義と人民の権利拡大を求める集会を開く―“11.25大衆討論会”グループがよびかけ。
DIA-104-1978-11-28-4中国1978年11月28日1970年代鉄道貨物輸送,港湾呑吐量が年間計画を達成―鉄道貨物は11ヵ月の輸送量だけで去年年間の6.5%増。港湾呑吐量は2億5000万トンの計画を達成。上海港は全国呑吐量の40%。
DIA-104-1978-11-28-5中国1978年11月28日1970年代化学肥料工業年度計画,33日繰り上げ達成―28日までに4400万トン,年末までに4800万トンをめざす。昨年は3800万トンであった。
DIA-104-1978-11-28-6中国1978年11月28日1970年代華国鋒主席・総理はチトー議長兼大統領にユーゴスラビア社会主義連邦共和国成立35周年の祝電を送った。
DIA-104-1978-11-28-7中国1978年11月28日1970年代李先念副総理,タイ・バンコク市政代表団と会見。
DIA-104-1978-11-28-8中国1978年11月28日1970年代姫鵬飛副委員長,イラク,ニジェール,ベニン,トーゴ,シェラレオネ,ガンビアを歴訪―30日まで。
DIA-104-1978-11-28-9中国1978年11月28日1970年代鄧小平副総理,米友好人士スティール氏と会見。
DIA-104-1978-11-29-1中国1978年11月29日1970年代「哲学研究」12月号,毛主席の李達あての3通の手紙を公開。
DIA-104-1978-11-29-2中国1978年11月29日1970年代「新聞戦線」誌評論員論文,「報道戦線における革命と反革命」―人民日報が転載。
DIA-104-1978-11-29-3中国1978年11月29日1970年代毛主席の名ざし批判をしないよう呼びかけた鄧小平副主席を批判する壁新聞が北京市内に出現。
DIA-104-1978-11-29-4中国1978年11月29日1970年代中共中央軍委,政治指導員程志国に,「雷鋒型の立派な指導員」の称号授与―最近ハルビンで命名大会開く。1978年1月日,手りゅう弾に身を伏せて自分の生命をささげて7人の幹部と兵士の命を救った。
DIA-104-1978-11-29-5中国1978年11月29日1970年代北京の工場,アジア,欧州,米国の商社と品目の委託加工契約を給ぶ―大きなものは香港の会社と結んだカセット・テープ5000万本生産の契約がある。
DIA-104-1978-11-29-6中国1978年11月29日1970年代フランス石油・天然ガス・石油化学工業技術展開幕。
DIA-104-1978-11-29-7中国1978年11月29日1970年代華国鋒主席・総理が,チャウシェスク書記長・大統領に国家創立60周年の祝電を送った。
DIA-104-1978-11-29-8中国1978年11月29日1970年代米NASA局長,中国宇宙技術代表団を招宴。
DIA-104-1978-11-30-1中国1978年11月30日1970年代北京では毛主席を「現代のレーニン」と称える壁新聞が出現,集会も低潮となる。
DIA-104-1978-11-30-2中国1978年11月30日1970年代港湾貨物取扱い年間計画2億5000万トンは37日繰上げて達成された。
DIA-104-1978-11-30-3中国1978年11月30日1970年代遠洋船隊はこの日年間貨物輸送計画を9.6%上回って達成。
DIA-104-1978-11-30-4中国1978年11月30日1970年代住友3社,対中国銅精錬一貫プラント輸出を契約―江西省に建設するもので,粗銅年産9万トン。
DIA-104-1978-12-01-1中国1978年12月01日1970年代朱徳生誕92周年―「光明日報」は粟裕の朱徳と陳毅の回想記を掲載。人民日報は1946年に毛主席が送った「人民の光栄」という題辞と周恩来の祝辞を発表。
DIA-104-1978-12-01-2中国1978年12月01日1970年代全国人民公社・生産大隊営企業展,北京の農業展覧館で開幕―1977年末,全国の公社・大隊企業はすでに139万あり,生産額は391億元,利益は77億余元にのぼった。
DIA-104-1978-12-01-3中国1978年12月01日1970年代外交部沈平アジア局長,10月13日のベトナム人幹部の政治亡命についてのベトナム側のデマに反駁。
DIA-104-1978-12-01-4中国1978年12月01日1970年代CIA報告書,「国交正常化なしには米中貿易の拡大に限界がある」と指摘。
DIA-104-1978-12-01-5中国1978年12月01日1970年代VOA,中国が同放送への妨害電波を取りやめた,と判断。
DIA-104-1978-12-02-1中国1978年12月02日1970年代最近,中央楽団と中国歌劇舞劇院は公演団を西沙群島に派遣。
DIA-104-1978-12-02-2中国1978年12月02日1970年代人民日報,思想評論,党内では地位を呼ばず互いに「同志」とよぶべきだ,と主張。
DIA-104-1978-12-02-3中国1978年12月02日1970年代飛行機による播種造林―1958年から始められ,これまでに1066万haに播種され,成林面積420万ha,うち成材面積146万ha,全国造林面積中の7分1のが飛行機による播種造林。
DIA-104-1978-12-02-4中国1978年12月02日1970年代生産量を3.5倍にする鞍山鉄鋼公司の拡張工事始まる―11月11日,9万人の動員大会が開かれた。
DIA-104-1978-12-02-5中国1978年12月02日1970年代西独ジーメンス社,上海で電子・電気技術展開く―13日まで。
DIA-104-1978-12-02-6中国1978年12月02日1970年代鉄道は今年の貨物輸送計画を33日繰り上げて達成―輸送貨物量は,年末には昨年比16%増となる予定。
DIA-104-1978-12-02-7中国1978年12月02日1970年代中国貿易代表団,カンボジアを訪問―9日まで。
DIA-104-1978-12-03-1中国1978年12月03日1970年代セメント,板ガラス,スレートなど14種の建築材料,今年計画を1~2ヵ月繰上げ達成―うち11種類は昨年同期比15%増。セメント工業は5400万トンの計画を11月12日に繰り上げ達成した。
DIA-104-1978-12-03-2中国1978年12月03日1970年代天津市の年間輸出計画,33日繰上げ達成。
DIA-104-1978-12-04-1中国1978年12月04日1970年代社会科学院法学研究所,このほど北京で立法・法制問題について座談会開く。
DIA-104-1978-12-04-2中国1978年12月04日1970年代人民日報社説,「対外貿易は大いに発展させなければならない」―今年度の貿易計画は1ヵ月早めて達成された。11月末までの輸出入総額は前年同期比39%増,前年間比20%増。
DIA-104-1978-12-04-3中国1978年12月04日1970年代最近,北京で全国人口理論討論会開く。
DIA-104-1978-12-04-4中国1978年12月04日1970年代安徽省の安慶石油化工総工場が完成,操業―設計能力,尿素年産52万トン。
DIA-104-1978-12-04-5中国1978年12月04日1970年代ガボンのハジ・オマル・ボンゴ大統領が訪中―6日まで。5日華主席が同大統領と会見。
DIA-104-1978-12-04-6中国1978年12月04日1970年代中国の新任駐ベトナム大使,楊公素が赴任―9日フー・ト副首相に信任状を提出。
DIA-104-1978-12-04-7中国1978年12月04日1970年代中・仏,北京で7年間の経済関係と協力を発展させることについての長期協定に調印―今後7年間に相互貿易総額の累計は600億フラン(約140億ドル)に。フランスは原子力発電プラント2基を中国に輸出。鄧副総理が仏対外貿易相と会見。
DIA-104-1978-12-04-8中国1978年12月04日1970年代米国議会代表団(団長,H.A.ウィリアムス・ジュニア)が訪中―人民外交学会の招きで訪中。
DIA-104-1978-12-05-1中国1978年12月05日1970年代「文芸報」,「文学評論」誌編集部が座談会を開き,多くの文学作品を再評価。
DIA-104-1978-12-05-2中国1978年12月05日1970年代葉剣英委員長,キュー・サムファン議長の書簡に返書をおくる―ベトナム拡張主義者の侵略に抵抗するカンボジア人民の正義の闘争断固支持,と表明。
DIA-104-1978-12-05-3中国1978年12月05日1970年代中国・スェーデン,10年の工業と科学技術の協力に関する協定に調印。
DIA-104-1978-12-05-4中国1978年12月05日1970年代中国機械工業代表団,ルーマニア,ユーゴ,イタリア,スイス,西独,フランスを歴訪。
DIA-104-1978-12-05-5中国1978年12月05日1970年代住友金属ほか,銅精練工場建設契約に調印―広西壮族自治区に建設するもので,1億1600万ドル(約230億円),ドル建て現金払い。
DIA-104-1978-12-06-1中国1978年12月06日1970年代人民日報,李歩雲論文,「公民の法律上の一律平等を堅持しょう」。
DIA-104-1978-12-06-2中国1978年12月06日1970年代武漢鉄鋼公司の新圧延設備のこのほど基本的に完成―西独と日本から導入したもの。
DIA-104-1978-12-06-3中国1978年12月06日1970年代人民日報評論員,「華西の経験は何を物語っているか」―江蘇省江陰県華西大隊が極貧から豊かな生産をきづくに至った経緯。
DIA-104-1978-12-06-4中国1978年12月06日1970年代中国銀行と英国の銀行が「信用貸付預金」についての合意書に調印―預金額12億ドル。
DIA-104-1978-12-06-5中国1978年12月06日1970年代新華社記者論評,「地域覇権主義を推進するベトナムの新たな段取りに警戒しょう」―カンボジア救国民族統一戦線」結成について論評。
DIA-104-1978-12-07-1中国1978年12月07日1970年代人民日報特約評論員論評,「大胆に問題を考え,提起し,解決する幹部を多数擁さなければならない」。
DIA-104-1978-12-07-2中国1978年12月07日1970年代中共中央軍委,空軍の陳修文中隊長に「忠誠戦士」の称号を授与―北京で命名大会開く。林彪一味の周宇馳らがヘリコプターで国外に脱出しようとした時,自からの生命でこの陰謀を粉砕した。
DIA-104-1978-12-07-3中国1978年12月07日1970年代南京大学で78年度の学生から履修単位制を実施。
DIA-104-1978-12-07-4中国1978年12月07日1970年代全人代常委が報告会を開き,中国代表団がカンボジアおよびタイ・マレーシア・シンガポール3国を訪問した報告を聴取。葉剣英委員長は,ソ越覇権主義に強力な打撃を与えたもの,と評価。
DIA-104-1978-12-07-5中国1978年12月07日1970年代李強対外貿易部部長,フィリピン訪問―8日,マルコス大統領と会見。
DIA-104-1978-12-07-6中国1978年12月07日1970年代米フルオール社,北京で8億ドルの銅鉱山開発,精錬所建設契約に調印。
DIA-104-1978-12-07-7中国1978年12月07日1970年代華国鋒総理,大平正芳氏の首相就任に祝電を送る。
DIA-104-1978-12-09-1中国1978年12月09日1970年代海軍司令部参謀長,張学思のえん罪の判決が覆えされたと公表―張学良将軍の弟で1970年5月29日に死去していた。
DIA-104-1978-12-09-2中国1978年12月09日1970年代粗鋼生産が3000万トンを突破―10日から20日まで全国冶金戦線群英大会が開かれ,11日,人民日報は社説を発表。
DIA-104-1978-12-09-3中国1978年12月09日1970年代商業部門による食糧,綿花,油料作物,麻,タバコ,茶,繭,豚,卵の買付量,昨年を上回る―11月20日現在国へ売渡し,納入した食糧は昨年同期比9%増,落花生と大豆はそれぞれ38.9%増。
DIA-104-1978-12-09-4中国1978年12月09日1970年代中国石油学会が発足,第1回理事会開く―11日まで。
DIA-104-1978-12-09-5中国1978年12月09日1970年代日中漁業共同委員会閉会―21日期限切れの日中漁業協定自動延長で合意。
DIA-104-1978-12-09-6中国1978年12月09日1970年代「日中海運仲裁協定」に調印。
DIA-104-1978-12-10-1中国1978年12月10日1970年代人民日報,陶斯亮「やっと出せた一通の手紙―わが父陶鋳へ」。
DIA-104-1978-12-10-2中国1978年12月10日1970年代上海で1万人のデモと集会あり―北京での民主化要求運動が地方に波及(ワシントン・ポスト)。
DIA-104-1978-12-10-3中国1978年12月10日1970年代広西自治区の甘蔗生産,最高の豊作に―7454の生産隊と11の国営農場を甘蔗基地と指定,その栽培面積は100万ムーに達した。
DIA-104-1978-12-11-1中国1978年12月11日1970年代広西壮族自治区成立20周年南寧で20万人の祝賀大会開く。韋国清政治局員を団長とする中央代表団が記念活動に参加。
DIA-104-1978-12-11-2中国1978年12月11日1970年代解放軍報,彭徳懐をたたえた小説,「延安防衛」の名誉回復を発表。
DIA-104-1978-12-11-3中国1978年12月11日1970年代余立金空軍第2政治委員追悼会開く―2日死去65歳,1974年7月31日に名誉回復していた。
DIA-104-1978-12-11-4中国1978年12月11日1970年代軍基本建設工程兵,施工・生産面で成果上げる―11月末現在の建設,据え付け作業量および生産性は昨年同期比,各30%余増となった。120項目の大型プロジェクトの3分1を担当またはこれに参加している。
DIA-104-1978-12-11-5中国1978年12月11日1970年代華主席,ニクレスク・ルーマニア副総理と会見。
DIA-104-1978-12-11-6中国1978年12月11日1970年代陳楚代表,国連安保理議長に書簡を出し,ベトナムの中国中傷に反駁。
DIA-104-1978-12-12-1中国1978年12月12日1970年代「中国青年」誌,毛主席が息子と5人の青年にあてた手紙を公表―1941年1月2人の息子へ,1946年1月5人の青年へ。
DIA-104-1978-12-12-2中国1978年12月12日1970年代解放軍報社説,「林彪,『4人組』摘発・批判にしっかり取り組もう」―年末までに全軍的規模の大衆運動は基本的に終結させてよい。りっぱに終結させるため,総政治部はこのほど5つの基準を提起し,伝達した。
DIA-104-1978-12-12-3中国1978年12月12日1970年代化学工業,国家計画を達成―16種類の主要化学工業製品の生産計画はいずれも繰上げ達成さる。
DIA-104-1978-12-12-4中国1978年12月12日1970年代460万haにおよぶ交雑水稲はきびしい干ばつのもとで増収を収めた。
DIA-104-1978-12-12-5中国1978年12月12日1970年代耿政治局員,西ドイツ共産主義同盟中央代表団と会見。
DIA-104-1978-12-12-6中国1978年12月12日1970年代来年1~12月対中国セメント輸出協定,最近成立―150~200万トン。
DIA-104-1978-12-13-1中国1978年12月13日1970年代人民日報,毛主席が1941年におこなった講話「農村調査について」を掲載。
DIA-104-1978-12-14-1中国1978年12月14日1970年代人民日報,李洪林論文,「わが党の歴史は2つの路線の闘争の歴史だけだろうか」。
DIA-104-1978-12-14-2中国1978年12月14日1970年代ロプノールで大気圏内核実験―20キロトン。米エネルギー省発表。
DIA-104-1978-12-14-3中国1978年12月14日1970年代年間発電計画,19日繰上げ達成―今年の発電量は去年より14%以上増加に。
DIA-104-1978-12-14-4中国1978年12月14日1970年代紡績工業生産,年間計画を繰上げ達成―昨年の対前年比17%増を基礎に今年はさらに16%伸びた。12月12日現在15種類の主要紡績製品はいずれも年間計画を繰り上げ超過達成した。
DIA-104-1978-12-14-5中国1978年12月14日1970年代李先念副総理,ウィラード・C・ブッチャー・チェースマンハッタン銀行総裁と会見。
DIA-104-1978-12-14-6中国1978年12月14日1970年代李強対外貿易部部長,香港とマカオを訪問。
DIA-104-1978-12-14-7中国1978年12月14日1970年代中国人民友好代表団,ラオス訪問―20日,スファヌボン大統領が一行と会見。
DIA-104-1978-12-14-8中国1978年12月14日1970年代武衡国家科学技術委員会訪日代表団団長,熊谷特許庁長官と会談―パリ条約加盟へ日本の協力を要請。
DIA-104-1978-12-15-1中国1978年12月15日1970年代江華最高人民法院院長,「法規・規律を厳しくし,えん罪・誤審事件を是正しょう」。
DIA-104-1978-12-15-2中国1978年12月15日1970年代人民日報,任文屏論文,姚文元の論文「陶鋳の2冊の本を評す」に反駁。
DIA-104-1978-12-15-3中国1978年12月15日1970年代今年,外人観光客は10万人を超す―過去14年間の総数に匹敵。このほか40万人前後の華僑,香港・澳門同胞,台湾同胞,中国系外国人が里帰りや観光のために訪れた。
DIA-104-1978-12-15-4中国1978年12月15日1970年代中国外交部覚書,ベトナムがくりかえし中国領を侵犯,北部湾と中越国境で民間人殺傷事件を起こしたことに抗議―仲外交部副部長がベトナム臨時代理大使を呼び覚書を手交。
DIA-104-1978-12-15-5中国1978年12月15日1970年代李先念副総理,タイ元外相チャチャイ・チュンハワン少将と会見
DIA-104-1978-12-15-6中国1978年12月15日1970年代李先念副総理,米中人民友好協会全国指導委員会代表団と会見。
DIA-104-1978-12-16-1中国1978年12月16日1970年代第7回全国検察工作会議開催―27日まで。
DIA-104-1978-12-16-10中国1978年12月16日1970年代中国外交部スポークスマン,ベトナムが「カンプチア救国民族統一戦線」をデッチあげたことを非難する声明を発表―同日,人民日報は,「正体をさらけ出したソ越覇権主義者」という社説を発表した。
DIA-104-1978-12-16-2中国1978年12月16日1970年代広東省党第1書記に習仲勲,第2書記に楊尚昆,このほど任命さる(文匯報)。
DIA-104-1978-12-16-3中国1978年12月16日1970年代上海石油化学総工場は最近研究院を設立―すでに400人の研究員が活動を開始。
DIA-104-1978-12-16-4中国1978年12月16日1970年代国家海洋局は今年「向陽紅5号」と「向陽紅12号」を使い太平洋で綜合的海洋調査をおこない多くの成果を収めた。
DIA-104-1978-12-16-5中国1978年12月16日1970年代最近長沙で中国化工学会1978年度総会を開く。
DIA-104-1978-12-16-6中国1978年12月16日1970年代米中国交樹立に関する共同コミュニケ発表―アメリカ時間では15日。コミュニケ要点。①1979年1月1日に両国は外交関係を樹立,②アメリカは台湾人民と文化,通商その他の非公式の関係を保持する。③両国は3月1日に大使を交換し,大使館を開設する。
DIA-104-1978-12-16-7中国1978年12月16日1970年代米,中両国政府の声明―米政府声明の要点。①1月1日に米政府は台湾に,外交関係の断絶,条文により相互防衛条約を廃棄する(実現は1年後)こと,4ヵ月以内に米軍事要員を引揚げること,を通告する。②台湾間題の平和解決に引き続き関心を有す。中国政府声明の要点。①中米両国関係における歴史的できごとである。②台湾の祖国復帰,統一の方式は中国の内政問題である。③鄧小平副総理が1月,アメリカを公式訪問する。
DIA-104-1978-12-16-8中国1978年12月16日1970年代カーター大統領が演説―米中正常化が台湾の国民の安寧を阻害しないよう格別の留意を払っている,と強調。ホワイトハウス「高官」は,①両国の声明とアジアの情勢が台湾問題平和解決の保証である。②台湾への防衛的武器輸出は可能である,と語った。
DIA-104-1978-12-16-9中国1978年12月16日1970年代華国鋒総理,人民大会堂で記者会見をおこなう―総理は次のように述べた。①双方は通商関係について異なる見解を示した。防衛用兵器の台湾への売却については,われわれはこれを絶対にみとめられない。双方は意見を異にしているが,それでも共同コミュニケは完成した。②いわれるような(米中)枢軸とか同盟とかは存在しない。③中米正常化は大小の覇権主義に反対するアジアと世界の闘争に寄与するものである。
DIA-104-1978-12-17-1中国1978年12月17日1970年代最近広西陽朔県で全国植物病理学術討論会開く。
DIA-104-1978-12-18-1中国1978年12月18日1970年代中共第11期中央委第5回総会開催―22日まで北京で開かれ,中央委員169人,中央委候補112人が出席。総会前に中央工作会議が開かれた。22日にコミュニケを採択(参考資料参照)。
DIA-104-1978-12-18-2中国1978年12月18日1970年代王任重が陜西省党第1書記に任命されたことが判明。
DIA-104-1978-12-18-3中国1978年12月18日1970年代李強対外貿易部長,香港で中国の貿易政策について語る―①中国は貿易の国際的慣習を尊重する。条件が妥当であれば,政府間の借款を考慮してもよい。②「台湾は中国の一部である。台湾と大陸が貿易をしてはいけない理由は何もない」。
DIA-104-1978-12-18-4中国1978年12月18日1970年代「ワシントン・ポスト」紙,ノバック記者の鄧小平会見記掲載―ノバック記者は11月27日の鄧副総理との会見について次のように述べた。鄧副総理が米の台湾向け武器輸出継続をみとめたのは,米台関係断絶後,ソ連が台湾に進出するのを防ぐためだった。鄧氏は「米中両国は,ソ連に対抗するための『同盟国』である」と語った。また,米中平和友好条約の締結を希望している,と語った。
DIA-104-1978-12-18-5中国1978年12月18日1970年代華主席,ユーゴスラビア農業代表団と会見。
DIA-104-1978-12-18-6中国1978年12月18日1970年代柴沢民駐米連絡事務所主任,バンス国務長官と会見。
DIA-104-1978-12-18-7中国1978年12月18日1970年代上海交通大学,アメリカの4校と姉妹校関係を結ぶ。
DIA-104-1978-12-19-1中国1978年12月19日1970年代新華社,台湾同胞の多くが祖国統一の実現を要求している―「中華雑誌」「夏潮」などの論調を紹介。
DIA-104-1978-12-19-2中国1978年12月19日1970年代国務院は最近,財政部の「国営企業の企業基金試行に関する規定」を転送,試行に移す―各国営企業は今年からこの規定にもとづいて企業基金を引出し,使用することになった。
DIA-104-1978-12-19-3中国1978年12月19日1970年代耿政治局員,スペイン労働党代表団と会見。
DIA-104-1978-12-19-4中国1978年12月19日1970年代上海宝山製鉄所用のコンピューター・システム輸出,ココムが特認―通産省発表。
DIA-104-1978-12-19-5中国1978年12月19日1970年代新華社短評,「ソ連の考えに日本は笑顔を作らぬ」
DIA-104-1978-12-20-1中国1978年12月20日1970年代バンコクでの第8回アジア競技大会で,中国選手280名が参加,金メダル56を獲得―8日から20日まで。金メダルは日本の76に次いで2位。
DIA-104-1978-12-20-2中国1978年12月20日1970年代コカコーラ,中国に進出。
DIA-104-1978-12-20-3中国1978年12月20日1970年代衆議院議運委,来年4月に鄧穎超副委員長を正式招待することを決定。
DIA-104-1978-12-21-1中国1978年12月21日1970年代人民日報特約評論員,「人民万歳―天安門広場の革命大衆運動を論ず」。
DIA-104-1978-12-21-2中国1978年12月21日1970年代開封火力発電所で12万5000kWの発電機2基据付―試運転で基準に合格。二重内部水冷式発電機。
DIA-104-1978-12-21-3中国1978年12月21日1970年代海南島清瀾港と西沙永興港の貨客航路開設―初就航。
DIA-104-1978-12-21-4中国1978年12月21日1970年代米国務省スポークスマン,米台条約消滅後も第7艦隊が台湾海峡の哨戒を続行することを表明―また,極東の範囲について日本と協議する必要は当面なし,と言明。
DIA-104-1978-12-21-5中国1978年12月21日1970年代康世恩副総理,稲山新日鉄会長に,対中国経済協力機構の設立を要請。
DIA-104-1978-12-21-6中国1978年12月21日1970年代参院訪中団の一員として共産党の橋本議員の入国,中国が承認。
DIA-104-1978-12-21-7中国1978年12月21日1970年代南京と名古屋が友好都市となる。
DIA-104-1978-12-22-1中国1978年12月22日1970年代全国僑務事務会議と第2回全国帰国華僑代表大会開催―28日まで。28日,第2期全国僑連委員会の第1回会議が開かれ,荘希泉が主席に選ばれた。
DIA-104-1978-12-22-2中国1978年12月22日1970年代空軍党委員会,科学技術研究で貢献のきわ立っている趙大亭に雷鋒式幹部の称号を授与。
DIA-104-1978-12-22-3中国1978年12月22日1970年代中共11期3中総会の決定―「中共中央の農業発展を速める若干の問題についての決定(草案)」と「農村人民公社工作条例(試案)」を討議と試行のため各省・市・自治区に配布することに同意。1979,1980年の国民経済計画の諸措置について討議し,原則的に同意。
DIA-104-1978-12-22-4中国1978年12月22日1970年代耿政治局員,カナダ共産主義同盟(ML)中央代表団と会見。
DIA-104-1978-12-22-5中国1978年12月22日1970年代中国技術輸入総公司と新日鉄が,「上海宝山鉄鋼総工場のプラント設備調達に関する基本協定」に調印。
DIA-104-1978-12-22-6中国1978年12月22日1970年代日中航空交渉,来年4月から双方週6便就航で合意―中国側は週7便を要求していた。
DIA-104-1978-12-23-1中国1978年12月23日1970年代1979年中朝物資相互供与議定書,北京で調印。
DIA-104-1978-12-23-2中国1978年12月23日1970年代朝鮮「労働新聞」,中米国交正常化歓迎の論説を発表。
DIA-104-1978-12-23-3中国1978年12月23日1970年代上海宝山鉄鋼コンビートの起工式挙行―谷牧副総理,唐克冶金工業部長,彭沖上海市革命委員会主任,と稲山新日鉄会長がこれに参加。唐克部長は記者会見で,鉱山,エネルギー資源開発協力で日本は「居眠りウサギ」だと形容。
DIA-104-1978-12-24-1中国1978年12月24日1970年代彭徳懐,陶鋳の追悼大会,人民大会堂で挙行―華主席と5人の副主席はじめ党と政府の指導者などが参列。鄧副主席が彭徳懐の,陳雲副主席が陶鋳の悼辞を読んだ。薄―波,楊尚昆,劉瀾濤,安子文が参列。
DIA-104-1978-12-24-2中国1978年12月24日1970年代重点機械工業製品の年間生産計画達成―20数日から1ヵ月繰り上げて達成された。製品の品質の向上が今年の重点目標。
DIA-104-1978-12-24-3中国1978年12月24日1970年代中国外交部覚書,ベトナムの中国領土侵犯に厳重抗議―12月10日から14日まで広西壮族自治区寧明県夏石公社の廖行国境監視所を砲撃,侵入して銃撃をおこない,さらに同地区に地雷を埋めた。また11日から12日にかけて雲南省金平県金水河公社の隔界村落に川向うのベトナム領から6回の銃撃をおこなった,と抗議。同日,外交部は別な覚書を出し,23日,ベトナム武装要員が広西西路にある第2境界石付近から中国国内に侵入,中国の民兵と大衆9人を殺傷した。中国の民兵は自衛のため反撃し,ベトナム武装要員3人の射殺した,と抗議。25日,人民日報はこの事件について,「われわれの忍耐には限度があ」るという社説を発表した。
DIA-104-1978-12-25-1中国1978年12月25日1970年代人民日報社説,「全党の活動の重点を現代化建設に移そう」。
DIA-104-1978-12-25-2中国1978年12月25日1970年代青銅峡水力発電所の8基目の発電機ユニット据付完了―これで8基(総出力27.2万kW)の据付けが全部完了。
DIA-104-1978-12-25-3中国1978年12月25日1970年代鐘紡,対中国ポリエステル重合プラント輸出契約に仮調印―上海郊区に建設予定,日産600トン,160億円。
DIA-104-1978-12-26-1中国1978年12月26日1970年代毛主席生誕85周年記念日―25日夜,北京で新劇「秋収蜂起の稲妻」が上演され,26日には毛主席の49年の録音を放送した。人民日報は,1958年の「工作方法60条」のうち「不断革命」の部分を発表した。「中国婦女」誌は毛主席が婦人幹部におこなった講話,「農村調査について」を掲載した。
DIA-104-1978-12-26-2中国1978年12月26日1970年代人民日報評論員論文,「実践論はわれわれが現代化建設の勝利をかちとるのを導びく」。
DIA-104-1978-12-26-3中国1978年12月26日1970年代第5期全人代常委第5回会議開催―黄華外交部長の中米関係正常化交渉についての報告を聴取,王任重を国務院副総理に,王甫,李子英を最高人民検察院副検察長に任命した。また郭維城を鉄道部長に,王子綱を郵電部長に任命した。 1月1日発出の「中華人民共和国全国人民代表大会常務委員会の台湾同胞に告ぐる書」を討議・採択。
DIA-104-1978-12-26-4中国1978年12月26日1970年代食糧総収穫量は昨年より1000万トン増の2億9500万トン前後に―計画目標には達しなかった。ほか大多数の農産物は増産したが増産幅が小さく国家計画は達成されなかった。原因は主として解放以来まれにみる大干ばつによるが,同時に一部地区では仕事の面で問題が存在していたためでもある。
DIA-104-1978-12-26-5中国1978年12月26日1970年代全国原炭生産が6億トンを突破した。
DIA-104-1978-12-26-6中国1978年12月26日1970年代全長885キロの枝柳線開通―懐化市で開通祝賀式が開かれた。
DIA-104-1978-12-26-7中国1978年12月26日1970年代中国の学者留学生第1陣52人がアメリカへ出発。
DIA-104-1978-12-26-8中国1978年12月26日1970年代符浩駐日大使,私邸に福田前首相を訪問―訪中を要請,福田氏はこれに同意。
DIA-104-1978-12-28-1中国1978年12月28日1970年代耿副総理,ブーメディエン大統領の葬儀に参列のため,アルジェリアへ出発。
DIA-104-1978-12-28-2中国1978年12月28日1970年代三井石油化学,高密度ポリエチレン・プラント2基,高純度テレフタル酸プラント1基,フェノール・アセトン・プラント1基を受注,契約―南京に建設予定で,総額400億円。
DIA-104-1978-12-29-1中国1978年12月29日1970年代軍総政治部,総参謀部,総後勤部は最近聯合通知を発出,「部隊の科学文化教育をしっかりとりっぱにおこなう」ことを指示。
DIA-104-1978-12-29-2中国1978年12月29日1970年代国家計量局は最近北京で,全国計量工作会議を開催した。
DIA-104-1978-12-29-3中国1978年12月29日1970年代中国外交部スポークスマン,南沙群島の主権について声明―南沙群島はもとから中国領土の一部分であり,いかなる国のその島嶼に対する侵入,占領,あるいはこの地域に対する開発,その他の活動もすべて中国の領土主権に対する侵犯であり,これを許すことができない。
DIA-104-1978-12-30-1中国1978年12月30日1970年代京津唐電力網では電算機を導入して電力を調整し,能率を高めている―北京電業局がこの電算機を設計,製作した。
DIA-104-1978-12-30-2中国1978年12月30日1970年代西独ルルギ社,銅鉱山開発協力計画で中国側と基本合意に達す―総額75億ドル,1985年の完成でPS方式。
DIA-104-1978-12-30-3中国1978年12月30日1970年代IV.日中
DIA-104-1978-12-31-1中国1978年12月31日1970年代国家民族事務委員会と政協全国委民族組が,迎春茶話会を開く。
DIA-104-1978-12-31-2中国1978年12月31日1970年代石油工業は安定した高生産を維持―原油生産は77年比11.1%伸び,国家計画は達成された。天然ガス生産計画は21日繰上げて達成された。石油ボーリング量は9月末に年間計画が達成された。
DIA-104-1979-01-01-1中国1979年01月01日1970年代徐向前国防部長,金門などの島嶼に対する砲撃停止の声明を発表-全人代常委採択の「台湾同胞に告げる書」発表さる。双方の直接の接触,航行,郵便の実現,相互貿易の実現,を提案。
DIA-104-1979-01-01-2中国1979年01月01日1970年代政協全国委主催の大型座談会で鄧小平政協主席,台湾の祖国復帰は具体的日程にのぼっている,と指摘。
DIA-104-1979-01-01-3中国1979年01月01日1970年代貴州省西部の水城鉄鋼工場の2号高炉が出銑を開始。容積は1200m3で,銑鉄年産量は65万t。
DIA-104-1979-01-01-4中国1979年01月01日1970年代米中両国が国交を樹立-華国鋒総理と鄧小平副総理がカーター大統領に祝電を送る。在中国米連絡事務所ウドコック主任夫妻は,祝賀レセプションを開き,鄧小平副総理が出席。
DIA-104-1979-01-02-1中国1979年01月02日1970年代中国文学・芸術界連合会が新年茶話会開く-胡耀邦党中央政治局員,秘書長,宣伝部長があいさつをおこなった。
DIA-104-1979-01-02-2中国1979年01月02日1970年代出力120万kWの大型坑口発電所の建設始まる-大同第2発電所の建設工事は,山西省朔県神頭発電所についで,大同石炭基地に建設される第2の坑口発電所。中国が独自に製造した20万kW高温高圧蒸気タービン発電機6基が据えつけられる。
DIA-104-1979-01-02-3中国1979年01月02日1970年代鄧小平副総理,米下院銀行・財政・都市問題委員会訪中団と会見。
DIA-104-1979-01-03-1中国1979年01月03日1970年代黄河主流最大,設計発電能力160万kWの竜羊峡水力発電所の建設進む-建設される大型コンクリート・ダムは高さが172mで,中国最高のもの。完成すると中国最大の人造湖が出現,総貯水量は247億m3。
DIA-104-1979-01-03-2中国1979年01月03日1970年代華国鋒主席,バングラデシュ・中国友好協会議長,ミルザ・ウラム・ハフィズと会見。
DIA-104-1979-01-04-1中国1979年01月04日1970年代中共中央紀律審査委員会第1回総会開催-22日まで。会議は「中共中央紀律審査委員会の任務,権限,機構設置に関する規定」および「中央紀律審査委員会の通告」を採択した。
DIA-104-1979-01-04-2中国1979年01月04日1970年代王震副総理と程子華民政部長が丁恵民等上京した雲南省西双版納地区国営農場の知識青年と会見-現地の問題の解決に努めることを約束,知識青年の辺境での努力を要請。
DIA-104-1979-01-04-3中国1979年01月04日1970年代北京で全国計画出産弁公室主任会議開催-18日まで。1980年までに全国の人口増加率を1%以下に引き下げるための措置について討議した。昨年は中国の産児制限計画が最も順調にいった年で,出生数は71年と比べて800万人少なかった。北京,上海,天津,四川,河北,江蘇,山東,浙江,湖北,山西,陝西では人口増加率が1%以下であった。四川省では0.8%,11の省・自治区で1980年の産制目標に到達した。
DIA-104-1979-01-04-4中国1979年01月04日1970年代長江で中国最大の水力発電所の建設進む-葛洲総合水利施設は中国の国民経済発展10カ年計画に盛り込まれている120の重点項目のうちの一つで,長江三峡総合水利施設の一つの構成部分である。発電総設備容量は270万kW。
DIA-104-1979-01-04-5中国1979年01月04日1970年代李先念副総理,アフリカ等5ヵ国を歴訪-タンザニア(4日~8日),モザンビーク(8日~12日),ザンビア(12日~16日),ザイール(16日~20日),パキスタン(20日~22日),24日北京に帰着。
DIA-104-1979-01-05-1中国1979年01月05日1970年代貴州省赤水天然ガス化学肥料工場が完成,操業を開始-同工場の化学肥料製造装置は米国とオランダから導入したもの。生産能力は合成アンモニア日産1000t,尿素1620tで,年間生産量は標準化学肥料に換算して100万t,目下の貴州全省の化学肥料総生産量に相当する。
DIA-104-1979-01-05-2中国1979年01月05日1970年代鄧小平副総理,米人記者27名と会見-中・日.・米3国同盟の存在を否定,今年中に経国との話し合い実現を希望。
DIA-104-1979-01-05-3中国1979年01月05日1970年代中国外交部覚書,ベトナムが住民を中国領内に駆逐していることに抗議-駐中国ベトナム大使館あて。
DIA-104-1979-01-05-4中国1979年01月05日1970年代グアドループの首脳会談で,米大統領,英国の対中ハリアー戦闘機売却計画を黙認。
DIA-104-1979-01-05-5中国1979年01月05日1970年代華国鋒主席,欧州議会議長エミリオ・コロンボと会見。
DIA-104-1979-01-05-6中国1979年01月05日1970年代1~6月積み対中肥料交渉妥結-尿素55万トン,硫安20万トン,塩安11.5万トンで価格は全部約10%アップ。
DIA-104-1979-01-06-1中国1979年01月06日1970年代北京西長安街「民主の壁」に「中国人権宣言」が貼り出される-「中国人権同盟」が1日北京で正式に成立したこと,中ソ両国がイデオロギー面で対立・抗争する基礎がなくなった,国家予算公表要求など19ヵ条の「中国人権宣言」を発表(共同)。
DIA-104-1979-01-06-2中国1979年01月06日1970年代黒竜江省に4つの製糖工場新設-黒竜江省の札蘭屯,安達,明水,肇源に4つの年産9000tの製糖工場が新設された。
DIA-104-1979-01-06-3中国1979年01月06日1970年代浙江省の鎮海発電所に据えつけられた12万5000kW発電機ユニットは,昨年から発電を始めている。
DIA-104-1979-01-06-4中国1979年01月06日1970年代シアヌーク殿下,訪米の途中,北京に立ち寄る-カンボジア政府高級代表団をひきいてプノンペンから到着。8日,北京で記者会見をおこなった。
DIA-104-1979-01-07-1中国1979年01月07日1970年代中国政府声明,10数個師団のベトナム軍によるカンボジア侵略を非難-2日の民主カンボジア政府声明を支持,国連安保理の開催を要求,国連の関与を要求するカンボジア政府の主張を支持。
DIA-104-1979-01-07-2中国1979年01月07日1970年代鄧小平副総理,シアヌーク殿下のひきいるカンボジア代表団を招宴-「ベトナムはすでにアジアのキューバ,ソ連社会帝国主義の極東における代理人となった」と指摘。
DIA-104-1979-01-07-3中国1979年01月07日1970年代日軽金など3社,貴陽市に建設のアルミ精錬プラント輸出契約に調印-年産アルミ地金8万トン,約300億円。
DIA-104-1979-01-08-1中国1979年01月08日1970年代周恩来総理逝去3周年にあたり,「天安門詩抄」と「天安門詩文集」(上)が発売さる。
DIA-104-1979-01-08-10中国1979年01月08日1970年代ベトナム武装要員が広西東興人民公社の漁船に発砲,船を奪う事件発生。
DIA-104-1979-01-08-11中国1979年01月08日1970年代東洋エンジニアリング,化学プラントを大量受注と発表-エチレン年産30万トンを4基,硝酸プラント1基,リン硝安プラント1基,合計1020億円。
DIA-104-1979-01-08-2中国1979年01月08日1970年代コミュニケを学習し遅れをさがす大寨大隊-郭鳳連党支部書記は次のように語った。10数年間,大寨の建設は一定の成果をあげたが,毛主席,周総理の要求とはまだ遠くかけはなれている。全国の先進地と比べて,私たちの多角経営の発展速度は遅い。農業の機械化では,小農経済的考えに縛られて,現有農業機械の力を十分に発揮させられなかった。昨年,私は外国を視察し,帰国後さっそく農業機械,農業技術,土壌肥料,水利,林業,牧畜業という6つの学習グループをつくり,科学技術を学んでいる。
DIA-104-1979-01-08-3中国1979年01月08日1970年代中国特産畜産輸出入総公司主催の中国毛皮,皮革服装交易会が,北京で開催-18日まで。
DIA-104-1979-01-08-4中国1979年01月08日1970年代京唐津電力網,発電機を増設-昨年新たに据えつけた発電機ユニットの設備容量は計109万kW。うち67万kWがすでに発電を始め,これにより同電力網は昨年より電力を30%増やせるようになった。
DIA-104-1979-01-08-5中国1979年01月08日1970年代吉林省渾江発電所で10万kW発電機完成。設計総設備容量は25万kWで,すでに2万5000kW発電機2基が発電を始めている。
DIA-104-1979-01-08-6中国1979年01月08日1970年代広西合山発電所で10万kW発電機完成-6号発電機は昨年末から発電を始め,同発電所の総設備容量は32万5000kWに達した。
DIA-104-1979-01-08-7中国1979年01月08日1970年代春節の臨時列車の増発を開始-今年の春節は1月28日に当たる。2月16日までの休暇期間中の乗客は延べ1億人が予想され,このため1日に206本の臨時列車が増発される。
DIA-104-1979-01-08-8中国1979年01月08日1970年代中国,ジプチ共和国と外交関係を樹立。
DIA-104-1979-01-08-9中国1979年01月08日1970年代華国鋒主席・総理,シアヌーク殿下と会見。
DIA-104-1979-01-09-1中国1979年01月09日1970年代南昌の八一広場で,「8・1」南昌蜂起記念塔落成式挙行。
DIA-104-1979-01-09-2中国1979年01月09日1970年代広東省湛江地区中級法院,白俊峰に5年の懲役判決-湛江地区委副書記白俊峰の3400余元収賄,違法行為に対し12月16日に判決(人民日報)。
DIA-104-1979-01-09-3中国1979年01月09日1970年代政府は最近169の大学,専門学校の再開と増設を決定-再開が16,新増設が153。うち工科が46,農林13,師範77,医薬18,財経10,体育3,芸術2。
DIA-104-1979-01-09-4中国1979年01月09日1970年代鄧小平副総理,民主党上院議員サム・ナン氏を団長とする米上院代表団と会見。
DIA-104-1979-01-11-1中国1979年01月11日1970年代「人民日報」特約評論員論文,「全党内の民主的生活を健全化しよう」。
DIA-104-1979-01-11-2中国1979年01月11日1970年代全国省級党委宣伝部長会議が閉幕-7日から開かれ,胡耀邦党中央宣伝部長が会議で報告。会議中,文革前の党中央宣伝部は閻魔殿という非難に対する全面的な名誉回復を党中央が決定したことが公表された。
DIA-104-1979-01-11-3中国1979年01月11日1970年代台湾との貿易には関税をかけない-対外貿易部スポークスマンが次のように言明。われわれは台湾の商工業界の人びとや地方当局の運営する会社,企業と幅広い接触,商談を持ちたいと希望している。有無相通ずる原則に基づいて台湾と貿易を行い,物資の交流を行って,双方の経済発展に役立たせたい。
DIA-104-1979-01-11-4中国1979年01月11日1970年代目下中国最大の,攀技花鉄鋼公司製鋼工場バナジウム抽出職場は,昨年末に完成して操業を始めている。
DIA-104-1979-01-11-5中国1979年01月11日1970年代日本触媒化学工業,アクリル酸エステル製造プラント(総額約65億円)輸出契約調印と発表。
DIA-104-1979-01-11-6中国1979年01月11日1970年代旭化成,対中タイヤ・コード・プラント(総額約140億円)受注と発表。
DIA-104-1979-01-11-7中国1979年01月11日1970年代日揮など6社,対中エピクロロヒドリンなどのプラント(総額約100億円)の輸出成約を発表。
DIA-104-1979-01-11-8中国1979年01月11日1970年代大洋漁業,対中母船式漁船団15隻(総額40億円)の輸出契約に仮調印と発表。
DIA-104-1979-01-12-1中国1979年01月12日1970年代公安部,昨年内に部内の63人の右派分子全員について再審査,全員が誤まった分類とみとめられ名誉を回復した。
DIA-104-1979-01-12-2中国1979年01月12日1970年代孫平化が中日友好協会副会長に昇格。
DIA-104-1979-01-12-3中国1979年01月12日1970年代倪志福総工会主席,市川誠総評顧問と会見。
DIA-104-1979-01-13-1中国1979年01月13日1970年代78年の中国の外貨収入,顕著な伸び-78年の外貨収入は前年比21.4%の伸びを示した。うち輸出収入は28.6%,貿易外収入は40%それぞれ伸びている。貿易外収入では華僑からの送金がトップを占め,20.1%伸びた。年間観光収入は3倍強,銀行の外貨交換収入も83%伸びた。年間の海運・港湾の外貨収入は33.5%伸びた。
DIA-104-1979-01-13-2中国1979年01月13日1970年代78年の中国の対外貿易,大幅な伸び-77年と比べて,78年の輸出入総額は39%増で,うち輸出は28.6%増,輸入は50%増となった。年間輸出計画は114.5%達成され,輸入計画は118.3%達成された。
DIA-104-1979-01-13-3中国1979年01月13日1970年代雲南,青海,四川で高品位鉄鉱床発見。埋蔵量1億tの新しい鉄鉱床が,各省でそれぞれ発見された。
DIA-104-1979-01-13-4中国1979年01月13日1970年代華国鋒総理,スントン・ホングロム・タイ副首相と会見-同日,鄧小平副総理も同副首相と会見。
DIA-104-1979-01-14-1中国1979年01月14日1970年代北京で上京農民約150人のデモ,中南海に押しかける-15日から中南海前で坐わり込み陳情はじまる。
DIA-104-1979-01-14-2中国1979年01月14日1970年代民政部,最近1979年に優待生活保護者センサスを実施することに関する通知を出す。
DIA-104-1979-01-14-3中国1979年01月14日1970年代河北省邯鄲の馬頭発電所で20万kW発電機が発電を開始。
DIA-104-1979-01-14-4中国1979年01月14日1970年代中国政府声明,11日のカンボジア政府声明を支持-いわゆるカンボジア「人民共和国」はベトナム,ソ連のかいらいでしかなく,まったく非合法なものである,と非難。
DIA-104-1979-01-14-5中国1979年01月14日1970年代華国鋒総理,パレスチナ全国委員会第14回会議に祝電を送る。
DIA-104-1979-01-14-6中国1979年01月14日1970年代中国のタイへの長期石油輸出議定書に調印-79年から83年まで勝利油田原油を供給。
DIA-104-1979-01-14-7中国1979年01月14日1970年代華国鋒総理,安井謙副議長のひきいる日本参議院代表団と会見-鄧小平副総理も同日,同代表団と会見した。12日に訪中,共産党から橋本代議士が参加。
DIA-104-1979-01-15-1中国1979年01月15日1970年代国務院は森林保護・乱伐禁止に関する10項目の布告を出した。
DIA-104-1979-01-15-2中国1979年01月15日1970年代華国鋒主席,カンボジア政府のイエン・サリ副首相と会見-イエン・サリ副首相は11日,カンボジアからタイ経由で香港に到着。12日中国入りした。
DIA-104-1979-01-15-3中国1979年01月15日1970年代胡喬木院長を団長とする中国社会科学院代表団来日-18日日本学士院創立100周年式典に出席,天皇,三笠宮と会見。26日帰国。
DIA-104-1979-01-16-1中国1979年01月16日1970年代国務院は最近,春節期間に農山村定住知識青年に対して宣伝と慰問をおこなうよう各地に指示。
DIA-104-1979-01-16-2中国1979年01月16日1970年代国務院は1978年12月28日,改正「発明奨励条例」を公布-1963年11月に公布した「発明奨励条例」を改正のうえ,公布したもの。
DIA-104-1979-01-16-3中国1979年01月16日1970年代森山運輸大臣,尖閣列島にヘリポート設置の計画あり,と語る。
DIA-104-1979-01-16-4中国1979年01月16日1970年代符浩大使,外務省に園田外相を訪れ,民主カンボジアへの支援を要請。
DIA-104-1979-01-16-5中国1979年01月16日1970年代中国石油開発訪日団が来日。
DIA-104-1979-01-16-6中国1979年01月16日1970年代三菱重工,スチレン・ブタジエン・ゴム製造プラント(総額約65億円)を受注と発表。
DIA-104-1979-01-17-1中国1979年01月17日1970年代軍総政治部,「党の活動の重点転換を実現する問題の政治工作に関する意見」を各部隊に通達。
DIA-104-1979-01-17-2中国1979年01月17日1970年代新中国初の記念メダル,香港で発売。中国造幣公司が製作した北京名勝記念金メダル1500組が,春節に先立って,香港代理店の香港宝生銀行から発売された。
DIA-104-1979-01-17-3中国1979年01月17日1970年代日揮,対中ハイドロ・クラッキングプラント2基(総額約150億円)の輸出契約を締結と発表。
DIA-104-1979-01-18-1中国1979年01月18日1970年代化学工業部が既存基地を利用した大型プロジェクトの建設を決定-古い基地を利用したプロジェクトの建設には,2つの大きな利点がある。初歩的な計算で工期が30%前後短縮されることと,古い基地を利用すれば新しく工場を建てるのに比べて,投資を3分の1前後節約できる。
DIA-104-1979-01-18-2中国1979年01月18日1970年代チベットの沃発電所完成-総設備容量は6400kW,昨年9月に完成し,このほど発電を開始した。
DIA-104-1979-01-18-3中国1979年01月18日1970年代中国外交部・ベトナムの中国領内侵入・流血事件に抗議-中国駐在ベトナム大使館に覚書を送り,「ベトナム当局が警告を無視し,ひきつづき軍事挑発をおこなうなら,それによってひき起こされるすべての結果に全責任を負わなければならない」と指摘。
DIA-104-1979-01-18-4中国1979年01月18日1970年代日本輸出入銀行,54年度資金計画を発表,中国向けは約1000億円を見込む。
DIA-104-1979-01-18-5中国1979年01月18日1970年代第3次日中石油共同開発交渉,東京で開始-日本側,珠江沖海底油田の日米中共同開発を提案。
DIA-104-1979-01-19-1中国1979年01月19日1970年代中央軍委責任者粟裕,軍事学院の授業で,現代の条件にマッチした人民戦争の作戦指導法則を模索するためには,民主を発揚し,軍事学術思想を活発にさせる必要がある,と指摘。
DIA-104-1979-01-19-2中国1979年01月19日1970年代チベットで40種類の鉱物発見-同自治区の鉱物資源調査は,1959年の民主改革後開始され,今回この成果をあげた。チベットのクロム,銅,ホウ素,塩の埋蔵量と地熱資源の利用は中国でも上位を占めている。チベット南部と北部で白金とともに,高品位クロム鉱床を数百カ所発見。東部の地表の近くにある大きな銅鉱床は,推定埋蔵量数百万tで,露天掘りに適している。
DIA-104-1979-01-19-3中国1979年01月19日1970年代霍林河炭田の開発が吉林省で進められている-同炭田は8大石炭基地の一つである。石炭年産2000万tが見込まれている。西独のオレンシュタイン・コッペル社とクルップ社が建設を援助している。
DIA-104-1979-01-19-4中国1979年01月19日1970年代中国外交部・ベトナムが,中越国境鉄道の列車運行一時停止を利用して中国を中傷していることを非難-外交部覚書は一時運行停止は完全にベトナム側の一方的措置によってもたらされたもの,と指摘。
DIA-104-1979-01-19-5中国1979年01月19日1970年代ブレジネフ・ソ連共産党書記長は対英書簡でハリアー機を中国に売却しないよう要求したが,英政府はこれを拒否-(英信頼筋・AFP)
DIA-104-1979-01-19-6中国1979年01月19日1970年代鉄鋼6社,対中鋼材輸出で3年程度の長期協定への移行につき,中国側と合意。
DIA-104-1979-01-19-7中国1979年01月19日1970年代新日鉄,北京貿易センタービルの青写真発表-40階建て。ほかにホテルは1500室のものを若干建設する。
DIA-104-1979-01-20-1中国1979年01月20日1970年代中共四川省第3次代表大会,成都で開催-23日まで。
DIA-104-1979-01-20-2中国1979年01月20日1970年代中共黒竜江省第4次代表大会,ハルピンで開催-24日まで。
DIA-104-1979-01-20-3中国1979年01月20日1970年代全国地質会議,北京で閉幕-孫大光国家地質総局局長は「中国は世界で石炭,鉄,銅,石油,タングステンおよびその他6種の鉱物の確定埋蔵量が最も豊富な国の一つである」と指摘。
DIA-104-1979-01-20-4中国1979年01月20日1970年代華国鋒総理,ファンデルスツール・オランダ外相と会見。
DIA-104-1979-01-21-1中国1979年01月21日1970年代「人民日報」社説,「注意力を技術革命に向けよう」
DIA-104-1979-01-22-1中国1979年01月22日1970年代中共中央統一戦線工作部,大型座談会を開く-24日まで。毛主席が定めた民族ブルジョア階級に対する政策に関する党中央の決定,が3中総会直後になされたこと,またその実施に関する最近の党中央の決定,を公表。文革中に差し押えられた巨額の預金,その他の財産の返却,差し引かれた賃金の追加支給,もとの給料額の回復など,8項目の政策を明示。
DIA-104-1979-01-22-2中国1979年01月22日1970年代「人民日報」社説,「農業の発展を速める重大な決定」-党の11期3中総会は,全党の活動の重点を社会主義近代化建設に移すことを決定すると同時に,農業問題を掘り下げて討議し,農業の発展を速める若干の問題についての決定(草案)を原則的に採択し,これを討議,試行するため各省・市・自治区に配布した。「決定」で提起された農業生産を発展させる一連の政策的措置と経済的措置は,すぐ実施することができ,しっかりと力を入れて速やかに実施しなければならない。一部の措置の実施には過程が必要であるが,いまから積極的に条件をつくり,深く研究調査を行い,念入りに全面的に計画をたて,新たな段取りをつけておかなければならない。見きわめのついた問題については,果敢に配置を行い,各方面の力を組織し,着実に仕事をしなければならない。党中央の決定は,実行可能な段取りと措置を定めた。
DIA-104-1979-01-22-3中国1979年01月22日1970年代米専門家は,中国が対ベトナム越境攻撃の準備をととのえている,とみている-「ニューヨーク・タイムズ」。
DIA-104-1979-01-23-1中国1979年01月23日1970年代中央党校での右派分子再審査-再審査の結果,右派分子とされた97名中,93人は誤って右派とされた者,3人は右派と確定,残る1人については慎重に審査を進めている。
DIA-104-1979-01-23-2中国1979年01月23日1970年代天安門広場で下放青年11人が坐り込み開始。
DIA-104-1979-01-23-3中国1979年01月23日1970年代ガストン・トルン・ルクセンブルグ大公国首相が訪中-29日まで。
DIA-104-1979-01-24-1中国1979年01月24日1970年代全国政協礼堂で,張際春,徐海東,呉芝圃,劉長勝,張森之,王世英,南漢宸,劉裕民の名誉回復,追悼会を挙行。
DIA-104-1979-01-24-2中国1979年01月24日1970年代「中国人権同盟」の大字報,林乎加北京市第1書記の規制強化演説に反論-西単の別の大字報は,活動家の傅月華が18日に逮捕された,と伝える(共同)。
DIA-104-1979-01-24-3中国1979年01月24日1970年代江蘇省各地の末端購買販売協同組合は,永年公社員に支払っていなかった出資金の配当約1000万元を支払った。1月中旬までに70%以上の末端購買販売協同組合が支払いを終えた。
DIA-104-1979-01-24-4中国1979年01月24日1970年代「人民日報」社説,「人民公社の所有権と自主権を確実に保障しよう」
DIA-104-1979-01-24-5中国1979年01月24日1970年代鄧小平副総理,米「タイム」誌編集長等ジャーナリストと会見。
DIA-104-1979-01-25-1中国1979年01月25日1970年代政協礼堂で,廖魯言,徐子栄,胡錫奎,劉錫五,王其梅の名誉回復,追悼会を挙行。
DIA-104-1979-01-25-2中国1979年01月25日1970年代千代田化工建設,対中減圧残油熱分解設備(総額90億円)の輸出契約調印を発表。
DIA-104-1979-01-25-3中国1979年01月25日1970年代鐘紡,対中ポリエステル連続重合プラント(総額約160億円)の輸出契約に調印。
DIA-104-1979-01-26-1中国1979年01月26日1970年代「人民日報」社説,「党の農村政策を真剣に貫こう」-まず最初に党の政策を破壊する「右は左よりこわい,右より左の方がましだ」という頑固病をしっかり治療しなければならない。現段階における農村の諸政策について,党中央はすでにいく度となく命令を出し,人民公社の集団経済と公社員大衆の経済的権利は新憲法で保障され,われわれは法律の健全化を通じて重要な諸経済政策の実現を保証している。党の政策を引き続きひどく破壊する者については,党紀と国法でしばるべきで,容認し,一時のがれをしてはならない。
DIA-104-1979-01-26-2中国1979年01月26日1970年代農村の小型水力発電所,8万7000余に増加-過去1年間に,農村に6000余りの小型水力発電所が新設され,その発電設備容量は95万kWで,77年より28%増加した。78年末現在,全国の農村には8万7000余の小型水力発電所がある。
DIA-104-1979-01-26-3中国1979年01月26日1970年代米上院外交委,「米中関係の新しい展開」とい報告書を公開。
DIA-104-1979-01-26-4中国1979年01月26日1970年代1月中旬にカーター大統領はブレジネフ書記長に書簡を送り,①米国は中国に武器を売却しないが,西側諸国が売却するのは妨げない,②米中関係の正常化はソ連に向けられたものではない,と言明した-「ニューヨーク・タイムズ」。
DIA-104-1979-01-26-5中国1979年01月26日1970年代米大統領,在台アメリカ協会設置のための特別法案を議会に提出。
DIA-104-1979-01-27-1中国1979年01月27日1970年代人民大会堂で春節前夜の交歓会開く-華国鋒,葉剣英,李先念をはじめとする指導者,3万人の幹部,軍人,大衆が参加。彭真,陸定一,薄一波,の3人が出席,王光美とその子女も出席。
DIA-104-1979-01-27-2中国1979年01月27日1970年代「人民日報」評論員論文,「陳情の大衆に対する処理をしっかりやろう」-最近,華主席が:専門会議を開いてこの問題について研究したことを明らかにし,陳情に上京する人びとに対して,責任を持って対処するよう指示。
DIA-104-1979-01-27-3中国1979年01月27日1970年代天津空港の拡張工事終わる-このほど正式に使用を開始した。主滑走路の長さは3200m,幅50m,また,長さ3200m,幅27mの誘導路と6本の連絡路がある。
DIA-104-1979-01-27-4中国1979年01月27日1970年代「人民日報」社説,「朝鮮の平和的統一の重要な提案」-23日の朝鮮祖国統一民主主義戦線中央委員会の声明,を支持。
DIA-104-1979-01-27-5中国1979年01月27日1970年代日立グループ,中国からカラーテレビ10万台,エアコン1万台,(総額で60~80億円)を受注。
DIA-104-1979-01-27-6中国1979年01月27日1970年代日中原油交渉,79年の輸入数量は760万トン,1~3月船積み分は4%値上げで合意。
DIA-104-1979-01-28-1中国1979年01月28日1970年代華国鋒及び余秋里,康世恩ら工業関係の指導者が北京石油化学総工場訪問-29日には華国鋒及び王任重,林乎加等の指導者が北京市郊外の紅星人民公社を訪問。
DIA-104-1979-01-28-2中国1979年01月28日1970年代中共中央は最近,地主,富農の階級区分を取り消す問題および地主,富農の子弟の家庭区分の問題に関する決定をおこなった。
DIA-104-1979-01-28-3中国1979年01月28日1970年代「人民日報」社説,「農民の物質的利益に十分心を配ろう」
DIA-104-1979-01-29-1中国1979年01月29日1970年代鄧小平副総理夫妻,アメリカを公式訪問-2月4日まで。1月30日鄧小平副総理は米6団体による招待会で演説,31日米中科学技術協力協定と文化協定に調印,2月1日共同コミュニケを発表。ワシントン,アトランタ,ヒューストン,シアトルの各市を訪問。
DIA-104-1979-01-29-2中国1979年01月29日1970年代華国鋒総理,ユーゴスラビアのベオグラード市代表団と会見。
DIA-104-1979-01-29-3中国1979年01月29日1970年代韓国与党の文亨泰議員,大平首相に韓中関係改善についての仲介を依頼。
DIA-104-1979-01-30-1中国1979年01月30日1970年代四川省党常委拡大会議,3年間で経済の調整をおこなうことを決定-1981年まで前進の中で調整し,調整しつつ前進する,農民に一息つかせ,農業生産をかなりはやく高める,など。
DIA-104-1979-01-31-1中国1979年01月31日1970年代広西で大型スズ鉱の第1期工事完成。埋蔵量80万tの大型スズ鉱の採鉱・選鉱プロジェクト。
DIA-104-1979-02-01-1中国1979年02月01日1970年代「人民日報」社説,「党委員会の集団指導の原則をあくまで貫こう」-党の3中総会に先立って開かれた中央工作会議で華国鋒同志はつぎのようにのべた。「党中央は集団指導制をとっている。今後各地区,各単位が中央に請訓,報告をおこなう時に,文書の冒頭に華主席,党中央と書かず,党中央とだけ書くように望む。中央機関が下部に文書を出すときも,このようにしてほしい。また,英明な指導者というような言葉使いをしないで,同志と呼んでほしい。党をたたえ,古い革命家と労農兵の英雄的な事績をたたえる文芸作品を多く創作し,わたし個人を宣伝しないよう希望する」。
DIA-104-1979-02-02-1中国1979年02月02日1970年代べトナム武装要員,雲南,広西国境地区で中国の国境警備兵4人を殺し,7人を負傷さす-1月29日から2月1日まで,中国国境内の住民と警備兵8人が殺され,16人が負傷。
DIA-104-1979-02-02-2中国1979年02月02日1970年代日本電気,中国から大規模なPCMマイクロ波通信システムを受注。
DIA-104-1979-02-03-1中国1979年02月03日1970年代党中央が,建国30周年祝賀活動は少なめにし「このために銭と物を多く使うべきではない」と決定-農林部が国慶30年を迎えるため北京農業展覧館を220万元かけて補修しようと計画,党中央は農業科学研究や大学専門学校などにまわすよう指示(「人民日報」)。
DIA-104-1979-02-03-2中国1979年02月03日1970年代北京で2531名,上海で4172名の「右派分子」が春節前に,誤まった分類をされたとして名誉を回復した。
DIA-104-1979-02-03-3中国1979年02月03日1970年代中国共産党中央委が,建国30周年祝賀行事を大々的に行わないことを決定。
DIA-104-1979-02-03-4中国1979年02月03日1970年代党中央と国務院が,北戴河の保養地を外国人客用に開放することを決定-中央機関と軍事委員会の保養地を,外国人客の接待用として観光部門に移管し,中央の国家機関は今後使用しないことを決定した。
DIA-104-1979-02-03-5中国1979年02月03日1970年代中国企業管理協会が北京で設立された。
DIA-104-1979-02-04-1中国1979年02月04日1970年代「人民日報」,周恩来の「文芸工作座談会及び物語映画創作会議における講話」を公表-1961年6月19日におこなったもの。
DIA-104-1979-02-04-2中国1979年02月04日1970年代全国商工行政管理局長会議が北京で開催さる-3月12日まで。
DIA-104-1979-02-05-1中国1979年02月05日1970年代山西省陽泉市党委第2書記張歩英と2人の副書記が高級ホテルに住み込み,大衆の不満を買っている-「人民日報」が新華社記者の投書を掲載。
DIA-104-1979-02-05-2中国1979年02月05日1970年代最高人民法院は最近青島で第2回全国民事裁判工作会議を開催した。
DIA-104-1979-02-05-3中国1979年02月05日1970年代東新疆軍区新設か-東京での情報によると1月8日に東新疆軍区設立大会が開かれた(日本各紙)。
DIA-104-1979-02-05-4中国1979年02月05日1970年代中国人民銀行は北京で全国支店長会議を開く-28日まで。会議では次のことが確認,決定された。今後銀行の融資業務では選別対処を実行し,優良企業を選んで育成する。徐々に国家の計画に基づき,企業間の経済契約に基づいて融資を行い,経済契約のない企業には融資面で制限を加えるようにする。預貯金金利を引き上げ,4つの近代化のためより多くの資金を準備すること,中国農業銀行の再設,中国銀行の機構と業務を強化し,各国の銀行との業務提携を拡大すること,銀行信用貸し付けの計画管理体制を改革すること,銀行内部で経済計算を行うことなど。
DIA-104-1979-02-05-5中国1979年02月05日1970年代国家水産総局主催の全国水産会議,北京で開催-3月1日まで。会議は次のことを確認。1980年までに,漁業生産の秩序をしっかり整頓し,近海での漁獲量は現在の水準を維持するかそれよりやや少なくし,漁労は資源の保護に重点をおき,品質を向上させ,かなり大きな力をさいて淡水,海水養殖を発展させる。1985年までに,近海の資源を徐々に回復させるとともに,増殖に努め,遠海漁場を一段と開拓,利用し,養殖生産を全面的に拡げ,多くの商品魚基地を建設する。
DIA-104-1979-02-05-6中国1979年02月05日1970年代国家労働総局が北京で工鉱企業農副業生産座談会を開催。-9日まで。
DIA-104-1979-02-06-1中国1979年02月06日1970年代広東省党委員会,「李一哲」名誉回復大会を開く。
DIA-104-1979-02-06-2中国1979年02月06日1970年代教育部と中央放送事業局が北京で中央放送テレビ大学の開講式を開く-王任重副総理,南翔教育部長,周培源科学院副院長が出席,あいさつをした。
DIA-104-1979-02-06-3中国1979年02月06日1970年代上海「文〓報」社会秩序の維持を強調-集会,デモで交通妨害が起こっており,このような方法に訴えるのは誤まりであり,一部の悪意のある分子には法律の制裁を加えるべきだと強調。
DIA-104-1979-02-06-4中国1979年02月06日1970年代「人民日報」社説,「農業機械化を速める正しい方針」-中央は,今後トラクター・ステーションの設立では2つの方式をとることを決定した。一つは人民公社,生産大隊が自分で機械を購入し,公社・大隊の資金が足りないところは国が資金を貸し付けるものであり,もう一つは国家がトラクター・ステーションを設立して,公社・大隊に貸し出し,合理的な費用を徴収するものである。
DIA-104-1979-02-06-5中国1979年02月06日1970年代鄧小平副総理,訪米の帰途に訪日。
DIA-104-1979-02-06-6中国1979年02月06日1970年代駐中国日本大使館と中国外交部,中国の鉄道近代化協力について口上書を交換。
DIA-104-1979-02-07-1中国1979年02月07日1970年代蘇振華党中央政治局員死去-67歳,心臓病で死去,15日の追悼会は華国鋒主席が主宰,鄧小平副主席が追悼の辞をのべた。
DIA-104-1979-02-07-2中国1979年02月07日1970年代国家科学委,教育部,農林部が最近,合同で全国大学専門学校科学研究工作会議開催-大学専門学校を教育と科学のセンターとして築き上げることを決定,新任の南翔教育部長があいさつをした。1962年2月の全国科学技術工作会議の方針,路線,政策は正しかった,と評価。
DIA-104-1979-02-07-3中国1979年02月07日1970年代大港発電所で32万kW発電機2基据え付け完了。2基の発電機はイタリアから導入したもので,近くの大港油田の天然ガス,天津石油化工総工場から出る残渣油,燃料油を利用し,同時に海から水を取る海水冷却方式。同発電所は1974年12月着工された。
DIA-104-1979-02-07-4中国1979年02月07日1970年代南方11の省,自治区“四傍”緑化座談会が,最近四川省で開かれた。
DIA-104-1979-02-07-5中国1979年02月07日1970年代大平首相,鄧小平副総理と会見-両国首相の早期の相互訪問で合意。鄧副総理は「ベトナムの行動にはある程度の制裁を与えなければならない」と語った。鄧副総理は同日,田中首相と会い,「侵略者に対しては必要な懲罰を与えなければならない」と語った。大平首相主催の歓迎晩さん会で,灘尾衆議院議長に訪中を促した。園田外相には,中韓交流は時期尚早だと語った。
DIA-104-1979-02-08-1中国1979年02月08日1970年代鄧小平副総理,訪米と訪日を終え,北京に帰着。
DIA-104-1979-02-08-2中国1979年02月08日1970年代中国とポルトガル,外交関係を樹立。
DIA-104-1979-02-08-3中国1979年02月08日1970年代鄧小平副総理が帰国。
DIA-104-1979-02-09-1中国1979年02月09日1970年代財政部が農村税の負担を大幅に軽減することを決定-今年から減税を実施する。人民公社,生産大隊運営企業の工商業所得税の課税最低基準は,従来の年間純利益600元から3000元に引き上げ,それ以下のものは一律に税を免除する。税率はこれまで通り20%とする。 新設の人民公社・生産大隊運営企業のうち,創業当初納税が困難なものは,これまでタバコ,酒類,綿糸などの高税率製品を除き,工商業税,所得税を1年ないし2年免除してもよいとしていたが,今度それを2年ないし3年とする。食糧生産区の低収穫・食糧不足の生産隊で,一人当りの配分食糧が課税基準以下のところは農業税を免除する。77年に農村から徴収した工商業税・工商業所得税,農業税の総額は農村の工農業生産総額の3.35%を占めるにすぎなかった。
DIA-104-1979-02-09-2中国1979年02月09日1970年代広西で大型タングステン鉱発見-埋蔵量は11万8000tで,平均品位は1.36%。政府はこの新しいタングステン鉱を冶金工業の重点プロジェクトに指定した。
DIA-104-1979-02-09-3中国1979年02月09日1970年代松花江最大の白山水力発電所の建設進む-初期設計発電能力は90万kW。白山水力発電所は発電を主とし,洪水防止を兼ねた大型の多目的水利施設である。1975年5月1日に着工され,76年10月に川をせきとめた。現在堤長670m,堤高149mのダムと30万kW発電機3基を据えつける発電所の建設が進められている。
DIA-104-1979-02-09-4中国1979年02月09日1970年代天津市石油・化学繊維工場の建設-現在,主な建物と設備の基礎はすでに完成しており,70%以上の生産施設と補助施設がすでに竣工もしくは据え付け中である。工場建設は77年に着工された。
DIA-104-1979-02-09-5中国1979年02月09日1970年代葉剣英委員長,アルジェリア大統領の就任に祝電を送る。
DIA-104-1979-02-09-6中国1979年02月09日1970年代米国務省,中国のベトナム攻撃の可能性に対して,重大な懸念を表明する声明を発表。
DIA-104-1979-02-10-1中国1979年02月10日1970年代成渝線の電化工事進む-81年に成都一重慶の全線が電化されることになっている。
DIA-104-1979-02-10-2中国1979年02月10日1970年代宝鶏―天水間の鉄道電化工事進む-現在,土木建設工事の大半がすでに完成し,電化工事も並行して進められている。この区間が電化されると,輸送能力は現在の3倍余りになる。
DIA-104-1979-02-10-3中国1979年02月10日1970年代国務院が,水産資源繁殖保護条例を公布。
DIA-104-1979-02-10-4中国1979年02月10日1970年代中国外交部,中国駐在ベトナム大使館に抗議の覚書を手交-1月15日から2月7日にかけて,ベトナムの武装要員が中国の国境警備兵と住民70数人を殺し,負傷させた行為に強く抗議。
DIA-104-1979-02-10-5中国1979年02月10日1970年代「プラウダ」,アレクサンドロフ論文「ベトナムに対する中国の挑発」を発表。
DIA-104-1979-02-10-6中国1979年02月10日1970年代華国鋒総理,パキスタン大統領に電報を送り,ブット氏に対する寛大な処置を懇請。
DIA-104-1979-02-11-1中国1979年02月11日1970年代北京に新しい冷蔵庫完成-北京市南西郊外にあるこの全施設には,貯蔵能力1万5000tの冷凍倉庫が一つ,アイスクリームと氷を製造する二つの工場が含まれる。
DIA-104-1979-02-11-2中国1979年02月11日1970年代華国鋒総理,パキスタン軍事友好代表団と会見-ハク大統領に対し,ブット氏を寛大に処置するよう要請。
DIA-104-1979-02-11-3中国1979年02月11日1970年代李先念副総理,「ベトナムは中国の言うことを聞き流してはならない」と警告-パキスタン軍事友好代表団との談話で。
DIA-104-1979-02-12-1中国1979年02月12日1970年代広東省革命委,文革以来の彭湃の家族への迫害事件について処分をおこなう-元汕頭地区委員会副書記孫敬業を逮捕し,反革命分子洪桂文らは処刑。
DIA-104-1979-02-12-2中国1979年02月12日1970年代党中央,1968年5月12日の体育系統への命令を取消す-体育系統は賀竜の下に「独立王国」をなしている,ときめつけていたもの。
DIA-104-1979-02-12-3中国1979年02月12日1970年代山西省陽泉市に陳永貴批判の大字報が数多くみられる(AFP)。
DIA-104-1979-02-12-4中国1979年02月12日1970年代バジパイ・インド外相が訪中-18日まで。15日,華国鋒総理は同外相と会見,インド首相の訪中を招請。
DIA-104-1979-02-12-5中国1979年02月12日1970年代華国鋒主席,葉剣英委員長,エ・カルデリ氏逝去に哀悼の電報をチトー大統領に送る。
DIA-104-1979-02-14-1中国1979年02月14日1970年代華国鋒総理,イラン暫定政府正式承認の電報を送る。
DIA-104-1979-02-14-2中国1979年02月14日1970年代日本電気,中国から大型コンピューターACOSシステム500を受注。
DIA-104-1979-02-16-1中国1979年02月16日1970年代軍事検察院が駐北京各大単位検察長会議を開催-3月2日まで。軍事検察院は1月25日復活,活動を開始した。
DIA-104-1979-02-16-2中国1979年02月16日1970年代1月の全国工業生産の平均日産量は,昨年同月より10.5%増加した-発電量は昨年1月より13.1%増加し,石炭生産の国家計画は超過達成された。全国の原油生産量は7.9%,天然ガスは11.2%それぞれ増加した。鋼の平均日産量は計画を6%上回った。1月の鋼生産は昨年同月より13%増加。トラクター生産台数は昨年1月より27.8%上回り,ハンドトラクターの生産台数は15.1%,化学肥料は9.1%,殺虫剤は17.6%それぞれ増加した。1月は旧正月のため,鉄道の旅客輸送量は昨年同月より20%,貨物輸送量は2.4%,交通部所属の船舶貨物取り扱い量は19%増加した。
DIA-104-1979-02-16-3中国1979年02月16日1970年代全国軽工業局長会議が上海で最近開かれた-軽工業部は今年9月北京で全国軽工業新製品展示即売会を開くことを決定。
DIA-104-1979-02-16-4中国1979年02月16日1970年代華国鋒主席,葉剣英委員長,鄧穎超副委員長,シアヌーク殿下,ペンヌート殿下両夫妻を招宴-両殿下は13日にニューヨークから北京に到着。
DIA-104-1979-02-17-1中国1979年02月17日1970年代全人代第5期常委第6回会議開く-23日まで。17日,鄧小平副総理の訪米についての外交部長の報告,李先念副総理の5ヵ国訪問についての外交部副部長の報告を聴取。23日,「中華人民共和国逮捕拘留条例」を採択。「中華人民共和国森林法(試行)」を原則的に採択。3月12日を植樹節とすることを決定。全人代常委法制委設立(主任は彭真)を決定。国家農業委員会,林業部,農業機械部の設立を認可。農林部を農業部と改名,水利電力部を電力工業部と水利部に分割することを承認。
DIA-104-1979-02-17-2中国1979年02月17日1970年代京通線が開通,仮営業を始めている-北京郊外の昌平を起点とし,途中河北省の隆化,遼寧省の赤峰を経由して,吉林省の通遼に至るもの。総延長は870km。京通線は1973年の下半期に着工されたもの。
DIA-104-1979-02-17-3中国1979年02月17日1970年代「人民日報」社説,「観光事業の発展には大いになすべきことがある」
DIA-104-1979-02-17-4中国1979年02月17日1970年代舟山漁場に大型水産冷凍倉庫完成-沈家門漁港の浜にあり,総床面積は8万5000m2で,30余の単独施設からなっている。主建物は7階建てで,高さは50m近くあり,凍結,製氷,冷蔵,氷貯蔵の全工程はこの建物に集中されている。冷凍倉庫は1日に鮮魚249tを凍結し,氷240tを製造することができる。
DIA-104-1979-02-17-5中国1979年02月17日1970年代中国軍国境警備部隊がベトナムへの反撃を開始-新華社は権限を授けられて声明を発表,「ベトナム当局はさいきん,中国側の再三の警告を無視し,連続的に軍隊をくり出して中国領土を侵犯し,中国国境警備要員および国境地帯住民を襲撃し,情勢を急激に悪化させ,わが国の国境地帯の平和と安全に重大な脅威を与えている。中国国境警備部隊はもはや忍びがたき状況下に反撃に決起せざるをえなくなった」と言明。
DIA-104-1979-02-17-6中国1979年02月17日1970年代米カーター報道官,中国軍がベトナムから,ベトナム軍がカンボジアから即時撤退するよう要求する米政府の声明を発表,同時にベトナムを支持するソ連に対しても,慎重な行動をとるよう要請した,と言明。
DIA-104-1979-02-17-7中国1979年02月17日1970年代中国石油開発交渉訪日団,一時帰国。
DIA-104-1979-02-18-1中国1979年02月18日1970年代太原と主要炭鉱焦作とを結ぶ,太焦鉄道が完成-総延長は209kmで,6年の歳月を費して1977年に完成し,この一年間試運転が行われてきた。
DIA-104-1979-02-18-2中国1979年02月18日1970年代宝山鉄鋼コンビナートの10万t級鉱石専門埠頭の建設始まる-銭塘江河口の寧波の近くに建設されている。最初の基礎杭は1月初旬に打ち込まれた。
DIA-104-1979-02-18-3中国1979年02月18日1970年代黒竜江省で農閑期の農業機械技術訓練-今回は昨年11月に始まり,春の耕作開始までに終え,30万人を訓練する。1月中旬までに受講予定者の20%が学習を終えて試験に合格し,卒業証書を授与された。
DIA-104-1979-02-18-4中国1979年02月18日1970年代中国のベトナム侵攻に対するソ連政府声明-「ソ連はベトナムとの間で締結した友好協力条約に基づき自己の義務を完全に遂行する」と述べ,同時に「ソ連は中国軍の侵略の即時停止と,ベトナム領からの完全撤撤退を断固として要求する」と強調。
DIA-104-1979-02-19-1中国1979年02月19日1970年代共青団中央が,全国省委員会書記会議を開催-24日まで。胡耀邦中共中央宣伝部長が重要講話をおこなった。
DIA-104-1979-02-19-2中国1979年02月19日1970年代増産節約運動の展開呼びかけのため,石炭工業部が電話会議を開く。
DIA-104-1979-02-19-3中国1979年02月19日1970年代鄧小平副総理,米州機構事務総長と会見。
DIA-104-1979-02-19-4中国1979年02月19日1970年代中国軍,ベトナムのホアンリエンソン省の省都ラオカイを攻略,占領。
DIA-104-1979-02-19-5中国1979年02月19日1970年代佐藤駐中国大使,外交部に黄華外交部長を訪れ,中国のベトナム侵攻に遺憾の意を表明,双方による平和的解決を要請。
DIA-104-1979-02-20-1中国1979年02月20日1970年代全国総工会第9期常委第2次拡大会議開催-27日まで。9月に開かれる予定の全国職員労働者労働模範大会への準備工作,増産節約運動の展開などを決定。
DIA-104-1979-02-20-2中国1979年02月20日1970年代チベットの地質関係者は,チベット高原の各地で埋蔵量の多い,高品位クロム鉄鉱を発見した。
DIA-104-1979-02-20-3中国1979年02月20日1970年代中国軍の戦果-中国軍の部外秘文書によると,18日中国軍はベトナム軍3個師団をせん滅,約1万人を死傷させた,中国側の死傷者は2~3000人(AFP)。中国は昆明,広州両部隊を中心とした8個軍,24万人を投入,うち2個軍は武漢,福州部隊からの支援部隊。北部の対ソ国境防衛のため,蘭州,瀋陽,新疆の3部隊が戦備体制に入っている(共同)。
DIA-104-1979-02-21-1中国1979年02月21日1970年代元中共北京市委第2書記劉仁の追悼会が北京でおこなわれた-劉仁は林彪,「4人組」の迫害で1973年10月26日死去した。
DIA-104-1979-02-21-2中国1979年02月21日1970年代観光ホテルの建設進む-国は北京,上海,南京,杭州,西安,成都,重慶,昆明,鄭州,藩陽,ハルピンの各都市に,それぞれ観光ホテルを建設することを決定した。1980年末までに完成させ,営業することをめざしている。
DIA-104-1979-02-21-3中国1979年02月21日1970年代華国鋒総理,ユーゴのボイボジーナ自治州執行会議代表団と会見。
DIA-104-1979-02-22-1中国1979年02月22日1970年代中共北京市委,最近「三家村」は反党集団,との規定を翻えす-鄧拓,呉晗,廖沫沙の政治的名誉が回復された。
DIA-104-1979-02-22-2中国1979年02月22日1970年代華国鋒総理,セントルシアの独立に祝電を送る。
DIA-104-1979-02-22-3中国1979年02月22日1970年代1979年一般炭引とり交渉,18万トン,価格据えおきで合意。
DIA-104-1979-02-22-4中国1979年02月22日1970年代中国銀行代表団が来日。
DIA-104-1979-02-23-1中国1979年02月23日1970年代西単の民主の壁に自衛反撃戦に反対する大字報が出現-20日づけで,24日にはがされた(共同)。
DIA-104-1979-02-23-2中国1979年02月23日1970年代「人民日報」社説,「時機をしっかりつかみ,春の農作業を立派にやろう」
DIA-104-1979-02-23-3中国1979年02月23日1970年代広州黄埔発電所第1期工事2号機ユニット完成-発電能力は12万5000kW,中国が自力で設計,製造したもの。
DIA-104-1979-02-23-4中国1979年02月23日1970年代国連安保理事会で,陳楚国連常駐代表が発言-同理事会は,「東南アジア情勢およびその国際平和と安全に及ぼす影響」について討議。
DIA-104-1979-02-24-1中国1979年02月24日1970年代「人民日報」社説,「思想を解放し,全体の均衡をはかろう」-「四人組」粉砕以来,国民経済の回復と発展の足どりははやまり,情勢は好転したが,いくつかのつり合いが著しく失われている状況はなお改められていない。失調の状態にあるからには,調整が必要である。党の3中総会は,経済管理体制の改革を打ち出すとともに,農業をできるだけはやく伸ばす問題などについて,方向を指し示し,措置を打ち出した。いまや3中総会の思想解放,民主発揚,実事求是,大衆路線のよい気風を経済活動のすべての分野に拡大し,全体の均衡をはからなければならない。「鋼をカナメとする」ことは,決していかなるときにも従わなければならない客観的経済法則ではない。永年来,われわれが鋼に投じた財力,物力,人力の比重は大きかったが,効果のあがるのは遅かった。一つの重要な原因は鉄鋼工業を孤立的に優先させたことである。目下,つり合いのとれていない状態を調整する一連の活動の中で,まず農業を伸ばし,工業生産で不足している石炭,電力,輸送,建材を伸ばし,住宅,学校建設など人民の物質,文化生活に緊急に必要なものを伸ばさなければならない。資金を蓄積し,先進的技術を導入し,建設速度をはや・
DIA-104-1979-02-24-2中国1979年02月24日1970年代教育部,国家出版局は最近北京で第2回全国教材出版工作会議を開いた-1978年度の全国の大,中,小学校用教科書およびその他各種教材の出版発行量は,20億冊に達した。
DIA-104-1979-02-24-3中国1979年02月24日1970年代華国鋒総理,ロイ・ジェンキンズEC委員長と会見。
DIA-104-1979-02-24-4中国1979年02月24日1970年代ソ連「イズベスチヤ」紙,デムチエンコ論文「侵略者への甘やかし」で日本の対中姿勢を非難。
DIA-104-1979-02-25-1中国1979年02月25日1970年代国連緊急安保理で日本代表,中越紛争の全当事国の即時停戦などを訴える。
DIA-104-1979-02-26-1中国1979年02月26日1970年代ウランフ中央統戦部長,ダライ・ラマと在外チベット族同胞の帰国を希望-1700余の在京チベット族によるチベット・大晦日交歓会で。
DIA-104-1979-02-26-2中国1979年02月26日1970年代「人民日報」李毓峰論文,「“北部の石炭”開発に力を集中してこそ,はやく効果があがる」
DIA-104-1979-02-26-3中国1979年02月26日1970年代鄧小平副総理,渡辺共同通信社社長と会見。
DIA-104-1979-02-26-4中国1979年02月26日1970年代中国技術輸入公司,昨年12月中旬以降に契約したプラントの契約の発効をしばらく見合わせたい,と日本の関係商社,メーカーなどに申し入れ。
DIA-104-1979-02-27-1中国1979年02月27日1970年代「人民日報」社説,「ベトナム当局の交渉拒否について」
DIA-104-1979-02-28-1中国1979年02月28日1970年代「2・28」蜂起32周年記念の座談会開く-政協全国委が開催,廖承志全人代常委副委員長が,台湾の祖国復帰に関する中国政府の一連の方針と政策を重ねて表明。大陸と台湾の人士の相互訪問を提案。
DIA-104-1979-02-28-2中国1979年02月28日1970年代「人民日報」社説,「農業を正しく認識し,農業を全面的に発展させよう」
DIA-104-1979-02-28-3中国1979年02月28日1970年代北京で中国人民銀行全国支店長会議が開かれている-参会者は次のように指摘した。いま預金金利はあまりにも低く,都市,農村の住民の貯蓄意欲を引き出すのに不利である。定期預金の利率も数種類にし,預金の期間を長くし,利率も高くする必要がある。
DIA-104-1979-02-28-4中国1979年02月28日1970年代安徽省で埋蔵量5億tの磁鉄鉱床発見-鉄含有量50%以上の富鉄鉱は1億余t。武漢鉄鋼公司と馬鞍山鉄鋼公司の中間地点にある。
DIA-104-1979-02-28-5中国1979年02月28日1970年代華国鋒総理,ブルメンソール米財務長官と会見。
DIA-104-1979-02-28-6中国1979年02月28日1970年代昨年からのプラント契約の対日発効見合わせ分は7500億円のうち4200億円にのぼる-通産省の試算。
DIA-104-1979-02-28-7中国1979年02月28日1970年代日中経済協会の河合副会長,渡辺理事長が訪中-「日中長期貿易協議委員会訪中団」として,3月2日まで訪中。
DIA-104-1979-03-01-1中国1979年03月01日1970年代文化部,最近全国芸術教育工作会議を開催-胡耀邦,周揚,夏衍が講話をおこなった。
DIA-104-1979-03-01-2中国1979年03月01日1970年代海軍第1政委兼党第1書記に葉飛の就任が判明。
DIA-104-1979-03-01-3中国1979年03月01日1970年代広州~興寧間に航空路開設
DIA-104-1979-03-01-4中国1979年03月01日1970年代社会科学院,北京で全国経済科学規画会議を開催-10日まで。
DIA-104-1979-03-01-5中国1979年03月01日1970年代中国外交部,中国駐在ベトナム大使館に覚書をおくる-早急に交渉をおこなうよう提案。
DIA-104-1979-03-01-6中国1979年03月01日1970年代華国鋒総理,サダト・エジプト大統領の特使,ハッサン・モハメド・トハミ副首相と会見。
DIA-104-1979-03-01-7中国1979年03月01日1970年代李先念副総理,プラント輸入問題で「対日取引を遅らせるつもりはない」と言明-英記者団に。
DIA-104-1979-03-02-1中国1979年03月02日1970年代国家体育運動委員会,最近北京で全国体育工作会議を開催。
DIA-104-1979-03-02-2中国1979年03月02日1970年代国務院はこのほど中国農業銀行の再建を決定-1965年10月に旧中国農業銀行は廃止された。
DIA-104-1979-03-02-3中国1979年03月02日1970年代全国青年造林大会が延安で開幕-王任重副総理兼国家農業委員会主任,韓英共青団中央委第一書記,羅玉川林業部長,姜一陝西省党委書記が出席した。王副総理が席上あいさつし,韓英第一書記は「青年は行動を起こし,偉大な祖国の緑化をはやめるため奮闘しよう」と題する報告を行った。
DIA-104-1979-03-02-4中国1979年03月02日1970年代淡水魚養殖の発展-中国の淡水魚養殖場の面積は1万1000ha余に達している。1985年までに14万haにし,20万tの漁獲をあげることにしている。
DIA-104-1979-03-02-5中国1979年03月02日1970年代華国鋒総理,ユーゴスラビア連邦執行会議副議長と会見。
DIA-104-1979-03-02-6中国1979年03月02日1970年代谷牧副総理,藤島NHK副会長と会見-谷牧副総理は,プラント契約の「中断分については(調整がつき次第)1日も早く解決する。契約の見送りは考えていない」と語る。
DIA-104-1979-03-03-1中国1979年03月03日1970年代国家経済委員会主催の企業管理研修会が開講-各省・市・自治区および一部工業都市の経済委主任または副主任,一部重点企業の工場(鉱山)長ならびに国務院工業交通各部の企業管理担当指導幹部を順次研修する。第1期の受講者は107人で,学習期間は1ヵ月余り。
DIA-104-1979-03-03-2中国1979年03月03日1970年代中国企業管理協会が北京で正式に設立された。
DIA-104-1979-03-03-3中国1979年03月03日1970年代遼寧元宝山発電所の1号機発電開始-発電容量は30万kW,主要設備はフランスとスイスから導入したもの。
DIA-104-1979-03-04-1中国1979年03月04日1970年代中国の新聞,雑誌発行部数は,940種,1億1000万部-「光明日報」の現在の発行部数は140万部,「無線電(ラジオ)」は130万部で,月刊「英語学習」は150万部,「児童時代」は70万部に達した。
DIA-104-1979-03-04-2中国1979年03月04日1970年代中国銀行,台湾の銀行に業務提携を提案-文桂中国銀行副総経理は,中国新聞社記者とのインタビューでこの提案を行った。
DIA-104-1979-03-04-3中国1979年03月04日1970年代華国鋒総理,エリック・バーリー・英産業相と会見-同日中英経済協力協定に調印,79年~85年の間の輸出入総額を140億米ドルとし,英側は50億ドルの輸出信用を供与。
DIA-104-1979-03-04-4中国1979年03月04日1970年代54年度中国原料炭輸入交渉,50万トン,価格据えおきで合意。
DIA-104-1979-03-05-1中国1979年03月05日1970年代中国革命博物館で周恩来同志記念展覧会を常設-故周総理生誕80周年にあたる。1977年1月から開かれていた展覧会の常設化。「人民日報」はこの日社説を発表。
DIA-104-1979-03-05-2中国1979年03月05日1970年代誤って右派と区分された人物の区分改正に関する経験交流会,最近開く-この運動は,78年9月から全国で展開されている。
DIA-104-1979-03-05-3中国1979年03月05日1970年代中華全国体育総会第4期委員会第2回会議,北京で開催-9日まで。鍾師統が体育総会主席に選出された。会議は台湾の体育工作者,コーチ,選手あての手紙を採択した。
DIA-104-1979-03-05-4中国1979年03月05日1970年代中国国境警備部隊,中国国境内に撤収を開始-新華社は政府の命により声明を発表,現在すでに所期の目的を達した,と述べ中越双方の話し合いを早急に開始するよう提案。「人民日報」は7日,「自衛反撃戦の大勝利を熱烈に祝う」と題する社説を発表。新華社,ランソン南方に中国軍が防衛陣地を築いている,と報道。
DIA-104-1979-03-05-5中国1979年03月05日1970年代ブルメンソール米財務長官,園田外相と会談し,対中経済協力で日米協調に合意。
DIA-104-1979-03-06-1中国1979年03月06日1970年代上海市公安局が社会秩序安定と法制強化の「通告」を出す-集会とデモは民警の指揮にしたがう,汽車を停めてはならない,機関に乱入してはならない,さわぎを煽ってはならない等。
DIA-104-1979-03-06-2中国1979年03月06日1970年代共青団中央は延安で全国農村青年工作座談会を開催-9日まで。
DIA-104-1979-03-06-3中国1979年03月06日1970年代西発電所の一部完成-雲南省西部にある。発電施設は4つの階段式の発電所からなり,計画総発電容量は22万5000kW。現在6台の発電機が設置されて,その発電能力は7万5000kW。
DIA-104-1979-03-06-4中国1979年03月06日1970年代貴州省烏江渡水力発電所の建設-中国西南のカルスト地帯で目下最大の水利電力施設,設計発電能力63万kW。計画では1号発電機が近いうちに発電を始める。アーチ型重力ダムは高さ165m,21万kWの水力タービン発電機3台が設置されることになっている。
DIA-104-1979-03-06-5中国1979年03月06日1970年代このほど開かれた山西省党委全体(拡大)会議は,「農業は大寨に学ぶ運動」の教訓を総括し,党の農村経済政策を実施に移す問題を討議した。
DIA-104-1979-03-06-6中国1979年03月06日1970年代年産1000万tの六盤水鉱区の第1期工事が完成-貴州烏蒙山のふもとにある石炭工業基地で21の立坑が操業を開始。総設計能力は原炭年産1000万t,現在,このほかに年産能力180万tの2つの立坑を施工中である。
DIA-104-1979-03-07-1中国1979年03月07日1970年代全国婦人連合会,「3・8」国際労働婦人デーにあたり,台湾省各界婦人団体に,祖国統一への共闘をよびかける。
DIA-104-1979-03-07-2中国1979年03月07日1970年代山西省昔陽県党委員会は先頃,常務委拡大会議と県委拡大会議を開き,文革以来の問題点を自己批判した。
DIA-104-1979-03-07-3中国1979年03月07日1970年代東京銀行,中長期と短期のシンジケートローンの枠につき,中国銀行代表団と基本的合意に達したと発表-5年融資が20億ドル,6ヵ月融資が60億ドル。
DIA-104-1979-03-08-1中国1979年03月08日1970年代河南省洛陽地区と三門峡市で総埋蔵量数億tにのぼる約30のボーキサイト鉱床が発見された。
DIA-104-1979-03-09-1中国1979年03月09日1970年代最近内蒙古自治区で3つの冤罪事件の無実が宣告された-「ウランフ反党売国集団」,「内蒙古2月逆流」,「新内人党」という事件。
DIA-104-1979-03-09-10中国1979年03月09日1970年代季先念副総理,クエート政府官房長官と会見。
DIA-104-1979-03-09-2中国1979年03月09日1970年代中華全国体育総会,台湾に書簡を送り,オリンピックで統一チーム編成のための話し合いを申し入れ-11日,台湾の関係者拒否を表明(AFP)。
DIA-104-1979-03-09-3中国1979年03月09日1970年代「人民日報」社説,「増産節約運動を展開しよう」
DIA-104-1979-03-09-4中国1979年03月09日1970年代上海テレビ局が中国初のテレビ・コマーシャル。
DIA-104-1979-03-09-5中国1979年03月09日1970年代農業貸付金の棒引きは中央の権限-国務院が中国人民銀行の報告を転送。現在全国各地には累積貸付金が多く,債務負担の大きすぎる人民公社,生産大隊が多数ある。農業貸付金の棒引きは,人民銀行が調査,研究し,処理の意見を出し,中央,国務院の承認を経たのち実施することとする。農業貸付金棒引きの権限は中央に属する。現在確かに返済できない貸付金については回収を引き延ばしてもよい。
DIA-104-1979-03-09-6中国1979年03月09日1970年代国際単位制推進委員会が発足,第1回会議が開かれた。
DIA-104-1979-03-09-7中国1979年03月09日1970年代計画経済の中に市場経済の要素を導入しよう,と提案-趙紫陽中国共産党四川省委員会第1書記は,成都地区の一部の経済理論関係者と座談会を開いた。
DIA-104-1979-03-09-8中国1979年03月09日1970年代「人民日報」張徳成論文,「『革命に力を入れ,生産を促す』という提起の仕方はもはや使えない」
DIA-104-1979-03-09-9中国1979年03月09日1970年代華国鋒総理,アルジェリア首相の就任に祝電を送る。
DIA-104-1979-03-10-1中国1979年03月10日1970年代「人民日報」社説,「わだかまりを解いて団結を強めよう」
DIA-104-1979-03-10-2中国1979年03月10日1970年代台湾行政院報道局,各国に対し中国からの電報電話受信拒否を通知-2月17日以来北京から台湾へ電話が通じるケースが生じていた。
DIA-104-1979-03-10-3中国1979年03月10日1970年代韓念竜外交部副部長,ラオスの反中国活動に強く抗議-抗議の覚書を中国駐在ラオス大使館に手交。6日のラオス政府声明に反論し,7日,ラオス政府が一方的に協定を破棄し,中国が自動車道路建設を中止し,専門家を引揚げるよう迫ったことに抗議。11日「人民日報」評論員は,中国のラオス侵入計画はデマとソ連,ベトナムに反論。
DIA-104-1979-03-10-4中国1979年03月10日1970年代IOC理事会,中国と台湾の直接対話を提案。
DIA-104-1979-03-11-1中国1979年03月11日1970年代最近,河北省邯鄲で開かれた全国農業気象科学技術計画会議で,向う3年間の重点研究項目を決定。
DIA-104-1979-03-11-2中国1979年03月11日1970年代農村の市問題を討議-全国工商業行政管理局長会議が北京で開催中。全国で復活した農村の市は3万余に達し,商品の取扱い数量,品種は増え,価格も大幅に下がっている。28省,市,自治区にある206の農村市を調査したところ,昨年第4四半期の市の取引額は前年同期比で30%増となり,食糧,食用油,豚肉,鶏卵,野菜など10種類の主な商品の価格は,第3四半期より5.3%,77年同期より7.3%低下した。市の取扱商品の価格と公定価格との差が徐々に縮っている。
DIA-104-1979-03-11-3中国1979年03月11日1970年代「人民日報」社説,「官僚商法を一掃し商売を学ぼう」
DIA-104-1979-03-12-1中国1979年03月12日1970年代党と国家の指導者,植樹の日の行事に参加-北京市大興県各荘人民公社薛営生産大隊で参加した。華国鋒主席,鄧小平,李先念両副主席および党と国家のその他の指導者が植樹した。
DIA-104-1979-03-12-2中国1979年03月12日1970年代浙江鎮海―奉化高圧送変電線が完成-22万Vの高圧送変電線は全長75km。
DIA-104-1979-03-13-1中国1979年03月13日1970年代雲南国境防衛部隊指導機関に最近,戦士李成文と陶少文に「董存瑞式の戦闘英雄」,タイ族の戦士岩竜に「孤胆英雄」の称号を授与した。
DIA-104-1979-03-13-2中国1979年03月13日1970年代中華全国体育総会,台湾の体育関係者に電報を送り,9月の第4回全国運動会への参加をよびかける。
DIA-104-1979-03-13-3中国1979年03月13日1970年代李先念副総理クラウセン・アメリカ米州銀行総裁と会見-北京に同銀行の代表機関設置を歓迎。
DIA-104-1979-03-14-1中国1979年03月14日1970年代北京で空軍機の墜落事故-自殺志願者の操縦する飛行機が組立工場に墜落,22人が死亡(共同)。
DIA-104-1979-03-15-1中国1979年03月15日1970年代最近,昆明で全国宗教学研究会議開催-中国宗教学会の成立を決定。
DIA-104-1979-03-15-2中国1979年03月15日1970年代華北西北7省・自治区亜麻研究協力座談会が,最近内蒙古の太僕寺旗で開かれた。
DIA-104-1979-03-15-3中国1979年03月15日1970年代華国鋒総理,美濃部都知事と河野都議会議長のひきいる東京都友好訪中団と会見-14日,東京都と北京市は友好都市関係を結んだ。
DIA-104-1979-03-16-1中国1979年03月16日1970年代統戦部幹部大会で,統戦,民族,宗教工作部門が「投降主義,修正主義路線を実行した」という過去の規定の無効を宣言。
DIA-104-1979-03-16-2中国1979年03月16日1970年代鄧小平副主席。中共中央各部指導者に対して講話をおこなう(UPI)。
DIA-104-1979-03-16-3中国1979年03月16日1970年代「人民日報」李成瑞,張卓元論文,「つり合いがとれてこそ本当の高速がある」
DIA-104-1979-03-16-4中国1979年03月16日1970年代「人民日報」,社説,「国営農場は農業近代化の先頭に立つべきである」
DIA-104-1979-03-16-5中国1979年03月16日1970年代中国国境警備部隊,ベトナム領から完全に撤退,と発表-黄華外交部長が記者会見をおこない,宣言。
DIA-104-1979-03-16-6中国1979年03月16日1970年代黄華外交部長,ウドコック駐中国米大使に対し,米台関係に関する13日の米議会決議について,米中両国の合意に反するもの,と抗議。
DIA-104-1979-03-17-1中国1979年03月17日1970年代中央愛国衛生運動委員会が1979年の計画を討議。
DIA-104-1979-03-17-2中国1979年03月17日1970年代ラサ市で反乱参加者に対し寛大な処置-376人を釈放,6000余人に対する「反乱分子」という規定のとりやめを宣言。
DIA-104-1979-03-17-3中国1979年03月17日1970年代鄧小平副総理,宋慶齢副委員長が,米ボストン交響楽団の北京初公演を鑑賞。
DIA-104-1979-03-17-4中国1979年03月17日1970年代米CIAが,中国経済近代化実現の見通しに関する報告を公表。
DIA-104-1979-03-17-5中国1979年03月17日1970年代劉希文団長以下,中日長期貿易協議代表団が来日。
DIA-104-1979-03-19-1中国1979年03月19日1970年代チベット自治区の生産,建設に多大の国家援助-1959年の民主改革以来,国家が与えた財政援助が自治区財政総支出の98.7%を占めている。ここ数年,国家のチベット農牧畜業への援助資金は年々増え,今年は1億7000万元余り,農牧畜人口1人当りにして100元にも達した。
DIA-104-1979-03-19-2中国1979年03月19日1970年代北京でピエール・カルダンのフアッションショー。
DIA-104-1979-03-19-3中国1979年03月19日1970年代中国外交部,28日頃から中越次官級会談を提案-ベトナム外交部に覚書を送る。交渉は北京とハノイで交替におこない,第1ラウンドの交渉はハノイでおこなうことを提案。
DIA-104-1979-03-19-4中国1979年03月19日1970年代華国鋒総理,ジャン・パプティスト・バガザ・ブルンジ大統領と会見-同大統領は17日から20日まで訪中。
DIA-104-1979-03-19-5中国1979年03月19日1970年代鄧小平副総理,スイス連邦委員・経済相フリッツ・ホネガー氏と会見。
DIA-104-1979-03-20-1中国1979年03月20日1970年代江西省瑞金で,中央革命根拠地創建50周年の大会開く。
DIA-104-1979-03-20-2中国1979年03月20日1970年代広東省に深,珠海の2市誕生-広東省では国務院の承認を経て,宝安県と珠海県をそれぞれ,省直轄の深市と珠海市に改めた。目下,両市は国境の小口貿易を復活させるなどの一連の政策,措置を定め,香港・澳門の資金,技術,原材料を利用した輸出加工工業を発展させている。
DIA-104-1979-03-20-3中国1979年03月20日1970年代郭維城鉄道部長を団長とする中国鉄道代表団が来日。
DIA-104-1979-03-21-1中国1979年03月21日1970年代法学研究所が全国法学規画会議を開催-4月2日まで。
DIA-104-1979-03-21-2中国1979年03月21日1970年代「人民日報」評論員論評,「夏の油料・食糧生産の豊作をかちとろう」
DIA-104-1979-03-21-3中国1979年03月21日1970年代衛生部は全国衛生局長会議を開き,中国の実情から出発した医学,薬学,衛生の近代化建設の問題を討議した-4月2日まで。
DIA-104-1979-03-21-4中国1979年03月21日1970年代鄧小平副総理,英・中文化協会執行委員会代表団と会見。
DIA-104-1979-03-22-1中国1979年03月22日1970年代「北京日報」王家福,陳為典論文,「『人権』はプロレタリア階級のスローガンではない」
DIA-104-1979-03-22-2中国1979年03月22日1970年代中国人民銀行,定期預金の金利引き上げ-4月1日から都市,農村住民と華僑の人民元定期貯蓄の預金金利を引き上げるとともに,預入れ期間半年,3年,5年の3種類の定期預金を増やすことになった。
DIA-104-1979-03-22-3中国1979年03月22日1970年代広西自治区の花坪自然保護区で,銀杉の人工栽培に成功した。
DIA-104-1979-03-22-4中国1979年03月22日1970年代甘粛中部の華家嶺森林帯完成-長さ100km余の水土保持森林帯で,かつてのはげ山6700haが,現在では樹林に覆われている。
DIA-104-1979-03-22-5中国1979年03月22日1970年代全国化学工業局長会議が数日前に開かれ,生産発展の立脚点を既存企業に置く方針を討議した。
DIA-104-1979-03-22-6中国1979年03月22日1970年代東邦電器,初の対中合弁企業設立で基本合意-上海にカセットテープレコーダーなどを生産する合弁会社設立について基本合意協定書をとり交わす。
DIA-104-1979-03-23-1中国1979年03月23日1970年代教育部と社会科学院が共同で全国教育科学規画会議を開催-4月13日まで。
DIA-104-1979-03-23-2中国1979年03月23日1970年代成都で中国歴史学規画会議開催-4月2日まで。
DIA-104-1979-03-23-3中国1979年03月23日1970年代ハルピンで1979年春季輸出薬材商談会開催-今回の輸出薬材成約高は,昨年秋季商談会の4倍近くに達した。
DIA-104-1979-03-23-4中国1979年03月23日1970年代「人民日報」,1977年6月10日の李先念・ファン・バン・ドン談話備忘録全文を公表-編集部の前書きは,これは,中越関係変化の真相をほりさげて究明するのに役立つ,とコメント。
DIA-104-1979-03-23-5中国1979年03月23日1970年代米政府筋,3月上旬からソ連が中ソ国境で大演習を展開中,と語る。
DIA-104-1979-03-24-1中国1979年03月24日1970年代「人民日報」社説,「前進する中で調整し,調整する中で前進しよう」
DIA-104-1979-03-24-2中国1979年03月24日1970年代最近,合肥市で全国農作物品種資源科学研究会議が開かれた。
DIA-104-1979-03-24-3中国1979年03月24日1970年代「工人日報」は青海鉄鋼工場に即時操業中止を迫る投書を載せた。
DIA-104-1979-03-24-4中国1979年03月24日1970年代四川省楽山県で,出力75万kWの咀水力発電所完成-中国西南地区で目下最大,1966年2月に着工された。
DIA-104-1979-03-24-5中国1979年03月24日1970年代中国,広西自治区百色のベトナム兵捕虜収容所を外国人記者に公開。
DIA-104-1979-03-24-6中国1979年03月24日1970年代唐克冶金工業部長,訪米の帰途に訪日。
DIA-104-1979-03-25-1中国1979年03月25日1970年代中央慰問団が広西,雲南に到着,自衛反撃より凱旋した防衛部隊と民兵の慰問活動を開始-広西グループは王震団長,:黄鎮秘書長,雲南グループは方毅団長,程子華秘書長。
DIA-104-1979-03-25-2中国1979年03月25日1970年代北京の人権グループ,鄧小平批判文書を販売-3月16日の鄧小平の民主化抑制の講話を批判(AFP)。
DIA-104-1979-03-26-1中国1979年03月26日1970年代海外の道路,橋梁工事を専門に請け負う中国道路橋梁工事公司が最近設立され,営業を始めた。
DIA-104-1979-03-27-1中国1979年03月27日1970年代江蘇省,外貨を紡織工業の改造に利用-1974年から78年までの間に,同省の紡織工場は計5300余万ドルの外貨貸付を受けたが,この5年間に国のために獲得した外貨は7億9300万ドルにのぼる。昨年,同省は外貨貸付を利用して88のプロジェクトを導入した。これらのプロジェクトは80年頃生産投入の段取りとなっている。
DIA-104-1979-03-27-2中国1979年03月27日1970年代新華社,中ソ河川交渉が2月20日から開かれ,合意の点についての覚書がすでに調印された,と発表。
DIA-104-1979-03-28-1中国1979年03月28日1970年代「人民日報」社説,「市は管理してもさびれず,活発であっても乱れないようにしよう」
DIA-104-1979-03-28-2中国1979年03月28日1970年代全国標準化会議が最近開かれた-「中華人民共和国標準化工作管理条例(草案)」が討議され,速やかに審査承認され,法令として公布,執行されることが要望された。
DIA-104-1979-03-28-3中国1979年03月28日1970年代浙江西部で超大型ベントナイト鉱山発見。
DIA-104-1979-03-28-4中国1979年03月28日1970年代30年ぶりに米通信社特派員が北京に着任-UPIのロバート・クラップ記者と,APのジョン・ロデリック記者。
DIA-104-1979-03-29-1中国1979年03月29日1970年代北京市革命委員会本会議,市民への通告を採択-6項目からなり,集会,デモは人民警察の指揮にしたがわなければならない,とし,社会主義に反対し,プロレタリア独裁に反対し,共産党の指導に反対し,マルクス・レーニン主義,毛沢東思想に反対すること,を禁止。
DIA-104-1979-03-29-2中国1979年03月29日1970年代北京の民主化運動のリーダー魏京生が逮捕さる(AFP)。
DIA-104-1979-03-29-3中国1979年03月29日1970年代「人民日報」社説,「紡織工業を新たな水準に高めよう」
DIA-104-1979-03-29-4中国1979年03月29日1970年代天津で南水北送計画学術討論会開催-4月11日まで。最も激しく論争したのは水を引くルートの問題。関係単位の専門家は席上,長江から水を引く3つのルートについて紹介した。
DIA-104-1979-03-29-5中国1979年03月29日1970年代中国儀器儀表(計測器)学会の設立大会が北京で開催-4月5日まで。
DIA-104-1979-03-29-6中国1979年03月29日1970年代中国人民児童保護全国委員会が全体会議開催-1979年を国際児童年とする国連決議を支持。
DIA-104-1979-03-29-7中国1979年03月29日1970年代鄧小平副総理サー・ムレー・マクレホーズ香港総督と会見。
DIA-104-1979-03-29-8中国1979年03月29日1970年代日中長期貿易取決めの延長と輸出枠拡大の改定覚書に調印-東京で,稲山嘉寛,劉希文の両責任者の間で,有効期限を1990年まで延長し,期間内に双方が輸出額をそれぞれ200~300億ドルに増やすことで合意。
DIA-104-1979-03-30-1中国1979年03月30日1970年代人民大会堂の5,000人集会で鄧小平副主席が2時間半に及ぶ講話をおこなう-(共同4月12日)
DIA-104-1979-03-30-2中国1979年03月30日1970年代雲南で新しい高蛋白植物,四楞豆を発見。
DIA-104-1979-03-30-3中国1979年03月30日1970年代中国環境学会は成都で設立宣言を行い,李超伯を理事長に選出-21日から開会。
DIA-104-1979-03-31-1中国1979年03月31日1970年代中国輸出商品交易会,台湾の参加を招請-交易会事務局長は中国新聞社の記者とのインタビューで,招待状はすでに発送ずみであると述べた。
DIA-104-1979-03-31-2中国1979年03月31日1970年代太焦線(山西省太原―河南省焦作)の全線が開通,4月1日から貨客輸送の営業を始める。
DIA-104-1979-03-31-3中国1979年03月31日1970年代ハルピン市革命委員会が今年新たに設立した農業科学技術顧問団は,すでに活動を繰り拡げている。
DIA-104-1979-03-31-4中国1979年03月31日1970年代中国の鉄道輸送,コンテナー化進む-中国の鉄道部は,最近,全国の20の鉄道局のうち10の鉄道局がコンテナー輸送を始めていることを明らかにした。昨年,コンテナー数,取り扱い総トン数は77年よりそれぞれ76.3%,58.7%増えた。今年のコンテナー輸送量は78年の倍に増える見込み。
DIA-104-1979-03-31-5中国1979年03月31日1970年代全国油田開発技術座談会が,最近大慶で開催された。
DIA-104-1979-03-31-6中国1979年03月31日1970年代中国外交部覚書,ベトナム側が中越交渉に障害を設けていることに遺憾の意を示す-ベトナム外務省あて。
DIA-104-1979-04-01-1中国1979年04月01日1970年代「人民日報」特約評論員論文,「革命者は前向きでなければならない」-当面われわれは4つの近代化という大局に立って,ある問題はしばらく置き,精力を集中し,未来に目を向け,しっかり団結し,建設をつかみ,国民経済と,人民の生活を向上させ,われわれの事業が大きく前進する中で問題を一つ一つ解決するようにしなければならない。これは全党,全国人民の根本利益にとって必要なことである。
DIA-104-1979-04-01-2中国1979年04月01日1970年代「工人日報」が紙面刷新,工業経済の宣伝を強化。
DIA-104-1979-04-01-3中国1979年04月01日1970年代全国基本建設会議,当面の重要任務打ち出す-国家基本建設委が3月に北京で開いた。
DIA-104-1979-04-01-4中国1979年04月01日1970年代ハルピン市の新空港が開港-滑走路の長さは3200m,幅は45m。
DIA-104-1979-04-01-5中国1979年04月01日1970年代昨年,全国で効果的な管理で主要工業製品の電力消費量を減らし,電力76億kWHを節約した。
DIA-104-1979-04-01-6中国1979年04月01日1970年代中国民航,国内8路線新設-観光事業発展の要請に応えるため,各路線の増便も行っている。545便が運航されている。
DIA-104-1979-04-02-1中国1979年04月02日1970年代第1四半期,建材工業が好成績-3月末現在,全国の大・中型セメント工場の生産量は年間計画の24.9%を達成し,昨年同期比12.7%増となっている。全国の大・中型板ガラス企業は第1四半期に年間生産計画の27.4%を達成し,生産量は前年同期比25.94%増となった。ガラス繊維,セメント製品,建築衛生陶器,アスファルトフェルト,石膏,地方小型セメント工場の生産量はいずれも昨年同期より10%以上増えた。
DIA-104-1979-04-02-2中国1979年04月02日1970年代鄧小平副総理,アルゼンチンの前海軍司令官エミリオ・エドアルド・マッセラ大将および夫人と会見。
DIA-104-1979-04-02-3中国1979年04月02日1970年代北京の貿易センタービル設計,米3社が受注,契約に調印。
DIA-104-1979-04-03-1中国1979年04月03日1970年代「人民日報」,「4つの基本原則」を提起-2日の「解放軍報」社説「思想を正して前向きにとり組み,一致団結して4つの近代化を進めよう」につけられた「編者のことば」の中の4つの基本原則を紹介。「4つの基本原則」とは,社会主義の道を堅持し,プロレタリア階級独裁を堅持し,中国共産党の指導を堅持し,マルクス・レーニン主義と毛沢東思想の指導を堅持する,こと。
DIA-104-1979-04-03-2中国1979年04月03日1970年代第5期全人代常委第7回会議,建築材料工業部設置決定-部長に宋養初を任命。衛生部長江一真を解任,銭信忠を部長に任命。
DIA-104-1979-04-03-3中国1979年04月03日1970年代杭州市中級法院は公判大会を開き,法により,「4人組」一味,派閥の頭目,破壊活動の組織指揮者,原行反革命犯の張永生に無期懲役を言い渡した。
DIA-104-1979-04-03-4中国1979年04月03日1970年代『法学研究』(隔月刊)が4月から創刊された。
DIA-104-1979-04-03-5中国1979年04月03日1970年代最近,全国省・市・自治区統計局長会議が開かれ,今年と来年の具体的な段取りが行なわれた。6つの方面から,統計工作の改善と向上を行うことが提案された。
DIA-104-1979-04-03-6中国1979年04月03日1970年代全国農業天然資源調査・農業区画会議北京で開催-7日まで。全国農業天然資源調査・農業区画委員会が正式に設立され,王任重副総理兼国家農業委主任が主任委員に就任した。農業区画の面では,今年は力を集中して既存の資料を利用して分析研究を行い,初歩的な簡単な全国総合農業区画と農業機械化区画を提出する。各省・市・自治区は上記の方法を参考にして,年内にそれぞれの初歩的な総合農業機械化区画を定め,同時に各県の総合土地資源,土壌一斉調査を進め,逐次各県の総合農業区画と農業機械化区画を定めなければならない。
DIA-104-1979-04-03-7中国1979年04月03日1970年代第5期全人代常委第7回会議,中ソ友好同盟相互援助条約を延長しないという決議を採択-黄華外交部長は同日,駐中ソ連大使シチェルバコフと会見,同決定を通知するとともに,中ソ双方が両国間で懸案となっている問題の解決,両国関係の改善について交渉をおこなう,という,中国政府のソ連政府に対する提案を伝えた。
DIA-104-1979-04-03-8中国1979年04月03日1970年代大平首相,郭維城鉄道部長およびそのひきいる鉄道代表団と会見。
DIA-104-1979-04-04-1中国1979年04月04日1970年代西単「民主の壁」前で,中国人権同盟の指導者が北京市公安警察に連行さる-4日に7人,5日に4人,一週間で15人が逮捕されたとみられている(AFP)。
DIA-104-1979-04-04-2中国1979年04月04日1970年代「工人日報」記事,大慶に学ぶ運動の若干の問題について,袁宝華副主任が記者に談話-大慶の基本的な経験はみな学ぶべきだが,大慶の具体的な経験については,当該単位の実情を見なければならず,そっくりそのまま持ち込んではならない。全党の活動の重点が社会主義近代化建設に移されたことに伴ない,党中央と国務院の調整工作に関する統一的配置に基づいて,工業は大慶に学ぶ運動の指導思想と実際活動が新しい情勢に適応するようにしなければならない。
DIA-104-1979-04-04-3中国1979年04月04日1970年代「人民日報」社説,「統計の監督的機能を十分に発揮させよう」
DIA-104-1979-04-04-4中国1979年04月04日1970年代上海石油化学総工場は試験操業中に,合成繊維10万tを生産-76年7月から今年3月末までにポリアミド,ポリエステル,ポリアクリロニトリル系繊維を生産。
DIA-104-1979-04-04-5中国1979年04月04日1970年代華国鋒総理,ゴー・ケンスイ・シンガポール副首相一行と会見-3日には谷牧副総理が一行と会見。
DIA-104-1979-04-04-6中国1979年04月04日1970年代タス通信,中国の中ソ友好同盟条約破棄決定および,これを非難するソ連政府声明を報道。
DIA-104-1979-04-04-7中国1979年04月04日1970年代中国紅十字会はモーリシャスの風害に対して2万モーリシャス・ルピーの見舞金を送る。
DIA-104-1979-04-05-1中国1979年04月05日1970年代天安門事件の記録映画「眉をあぐれば剣さやを出づ」等,全国で上映。
DIA-104-1979-04-05-2中国1979年04月05日1970年代「人民日報」社説,「天安門の革命精神を発揚しよう」-社会主義を守り,プロレタリア階級独裁を守り,中国共産党による指導を守り,マルクス・レーニン主義と毛沢東思想による指導を守る,という4つの基本原則を強調。
DIA-104-1979-04-05-3中国1979年04月05日1970年代中共中央工作会議開催か-3月末の政治局会議に引きつづいて4月5日から29日まで中央工作会議が開かれ,経済調整問題が討議された(「明報」紙6月14日)。
DIA-104-1979-04-05-4中国1979年04月05日1970年代ウルムチに余熱発電所完成-新疆セメント工場一号窯余熱発電所と呼ばれ,出力は1500kW。
DIA-104-1979-04-05-5中国1979年04月05日1970年代「人民日報」短評,「タス通信はなぜデマを流すのか」-タス通信が中国がアフガニスタンのテロ分子を訓練し,武器を供給している,というデマを流している,と非難。
DIA-104-1979-04-05-6中国1979年04月05日1970年代ラオス援助に派遣された中国の技師,技術者が全員引揚げ。
DIA-104-1979-04-05-7中国1979年04月05日1970年代日本側出資51%の日中合弁中国レストラン「京和」(仮称)の設立協定調印。
DIA-104-1979-04-06-1中国1979年04月06日1970年代共青団中央が瀋陽で全国青年労働者工作座談会を開く-のち北京に移り,13日まで。
DIA-104-1979-04-06-2中国1979年04月06日1970年代北京市では今年第1四半期の工業生産計画を超過達成。生産総額は昨年同期比6.8%増。
DIA-104-1979-04-06-3中国1979年04月06日1970年代丸善石油が最近,はじめての石油製品長期輸入契約を結ぶ-A重油を年間10万トン,4年間輸入。
DIA-104-1979-04-07-1中国1979年04月07日1970年代第1四半期に石炭工業部所属の各炭鉱は,計画を1.9%上回って達成。掘進距離は目標を10.8%上回った。
DIA-104-1979-04-07-2中国1979年04月07日1970年代上海市の今年第1四半期の工業生産総額は,昨年同期比5.5%増,3月の生産額は過去15ヵ月中最高となった。
DIA-104-1979-04-07-3中国1979年04月07日1970年代華国鋒総理,アブドラフマン・ジャマ・バレイ・ソマリア外相と会見。
DIA-104-1979-04-07-4中国1979年04月07日1970年代李先念副総理がゲルハルト・シュライダー・西ドイツ上院外交委員長夫妻と会見。
DIA-104-1979-04-07-5中国1979年04月07日1970年代プラウダ,アレクサンドロフ論文,「平和と社会主義の利益に反して」-中国の中ソ同盟条約破棄決定に関し,中国は帝国主義,反動勢力と経済のみならず軍事的なブロック形成に努めている,と非難。
DIA-104-1979-04-07-6中国1979年04月07日1970年代宋中中国オリンピック委員会秘書長,2つの中国オリンピック委員会の存在を認めぬ,と表明-同日のモンテビデオ会議での国際オリンピック委員会の決議に反対したもの。
DIA-104-1979-04-07-7中国1979年04月07日1970年代康世恩副総理,熊谷特許庁長官と会見-日中特許協力促進で一致。
DIA-104-1979-04-08-1中国1979年04月08日1970年代上海「文匯報」余良論文,「“人権”はブルジョア階級のスローガンである」。
DIA-104-1979-04-08-2中国1979年04月08日1970年代鉄鋼工業部門,分塊圧延の強化で成果-今年第1四半期に,現在生産されている熱い鋼塊を全部分塊圧延しただけでなく,数年来たまっていた2000万tの冷鋼塊をも分塊圧延した。
DIA-104-1979-04-08-3中国1979年04月08日1970年代中国林木種子公司が最近北京に設立された-目下,全国の各省,自治区も林木種子公司を設立あるいは設立準備している。
DIA-104-1979-04-08-4中国1979年04月08日1970年代「人民日報」社説,「せん滅戦をくり広げよう」
DIA-104-1979-04-08-5中国1979年04月08日1970年代「光明日報」評論員論文,「平均主義でやれば必ず失敗する」-一部の地域,職場における報奨金の乱発を平均主義として批判。
DIA-104-1979-04-08-6中国1979年04月08日1970年代鄧穎超副委員長を団長とする中国全国人民代表大会代表団が訪日-9日午前,大平首相が鄧副委員長と会見,早期訪中希望を表明,華総理の訪日を希望すると表明した。午後,天皇が鄧副委員長と会見した。鄧副委員長は11日に福田前首相,12日に田中元首相を訪問,13日から京都と大阪を訪れ,19日に帰国した。
DIA-104-1979-04-09-1中国1979年04月09日1970年代吉林省で大石灰石鉱発見-長春市東南の双陽県にあり,埋蔵量は1億9000万tで,可採埋蔵量は1億5000万t。
DIA-104-1979-04-09-2中国1979年04月09日1970年代上海第12ハンカチ工場では,一年間に労働者1人当り平均7000ドルの外貨を獲得-康世恩副総理は数日前,国家経済委員会主催の工業・交通各部門責任者会議で,同工場をたたえた。
DIA-104-1979-04-09-3中国1979年04月09日1970年代各企業の自動車を統一的に使用,大中都市での利用率を高める-交通運輸部門が統一的に掌握し,使用している車は全国の9分の1にすぎず,大部分が工場・機関などの企業・事業単位に分散していた。このため車の利用率は低く,交通部門の3分の1にすぎず,3分の1台の働きで,大きなむだをしてきた。
DIA-104-1979-04-09-4中国1979年04月09日1970年代貴州省茶葉科学研究所で,「茶園密植免耕法」が考え出された。
DIA-104-1979-04-09-5中国1979年04月09日1970年代中国外交部新聞司のスポークスマン,ブット元パキスタン首相が絞首刑に処せられたことに遺憾の意を表明。
DIA-104-1979-04-10-1中国1979年04月10日1970年代北京市郊外平谷県峪口人民公社に大型機械化養鶏場-峪口養鶏場が最近完成し,生産を始めた。建物面積は1万9000m2余,1977年9月に着工され,1年4ヵ月で建設工事,設備の据え付け,調整テストのすべてを終えた。産卵鶏用の鶏舎10棟,ひな鶏用の鶏舎4棟があり,全部で産卵鶏25万羽,ひな鶏11万羽の計36万羽を収容でき,年間3000tの卵を生産し,市場に25万羽の肉用鶏を供給できる。外国から導入した初めての大型機械化養鶏設備である。
DIA-104-1979-04-10-2中国1979年04月10日1970年代カーター米大統領,台湾関係法案に署名-「ワシントンポスト」紙,先月後半ブレジンスキー補佐官が,今後の米台軍事関係ガイドラインを秘密裡に配布した,と報道。
DIA-104-1979-04-10-3中国1979年04月10日1970年代上海宝山鉄鋼コンビナート,コークス炉・転炉・高炉の基礎くい打ちすべて終了。
DIA-104-1979-04-11-1中国1979年04月11日1970年代「人民日報」社説,「4つの近代化実現は最大の政治である」
DIA-104-1979-04-11-2中国1979年04月11日1970年代童第周中国科学院副院長の追悼式,北京で挙行-3月30日死去,77歳。
DIA-104-1979-04-11-3中国1979年04月11日1970年代最近,国家外国為替管理総局が設置された-同局は作業量の多い省,市,自治区の重要な港に支局を設立する。支局をまだ設立していない所の外国為替管理は中国銀行に一任される。
DIA-104-1979-04-11-4中国1979年04月11日1970年代国務院は最近,中国銀行総行を国務院の直属機構とすることを承認した。
DIA-104-1979-04-11-5中国1979年04月11日1970年代木材生産量は3月末に第1四半期の計画を9%上回って達成された。昨年同期を上回っただけでなく,伐採区の作業の質も大きく向上し,供給契約も昨年より順調に履行された。
DIA-104-1979-04-11-6中国1979年04月11日1970年代三井三池製作所,中国向け大型採炭プラント8セット(総額約120億円)を受注。
DIA-104-1979-04-12-1中国1979年04月12日1970年代新華社,九三学社主席許徳,89歳で入党と報道-鄧穎超,ウランフ両名の紹介で3月24日に入党がみとめられた。
DIA-104-1979-04-12-2中国1979年04月12日1970年代「人民日報」社説,「炭鉱建設強化の正しい方針」-石炭工業には問題が山積しており,これは不均衡と基礎の弱さにきわだって現われている。石炭工業の炭坑建設の規模と速度は国民経済発展の必要と調和しておらず,一部の炭坑の採炭と掘進の比率も正常でない。石炭工業の調整をはかるには,まず基本建設を強化し,石炭工業の発展を国民経済発展の必要に適応させなければならない。国民経済全体の計画をたてる際,石炭工業の基本建設をあるべき重要な位置にすえ,炭坑建設を財力,物力,人力などの面からバックアップしなければならない。兵力を集中してせん滅戦を行うには,配置を調整しなおし,条件がよくて効果の早く出るものに力を集中して,投資効果が早くあがるようにせねばならない。その外,重点炭坑の建設を行うと同時に,小炭坑の改造,中小横坑,斜坑と露天掘鉱を建設し,早期竣工・出炭をかちとり,国の需要を満たさなければならない。
DIA-104-1979-04-13-1中国1979年04月13日1970年代衛生部は最近全国衛生局長会議を開催-医薬衛生事業の近代化について検討。
DIA-104-1979-04-13-2中国1979年04月13日1970年代中国外交部,ベトナムが4月10日に武装船団を派遣して中国の西沙海域を侵犯し,中国のパトロール船に銃撃を加え,挑発をおこなったことにつき,駐中国ベトナム大使館に抗議の覚書を送る。
DIA-104-1979-04-14-1中国1979年04月14日1970年代四川省司法機関は最近,康定と川で大会を開き服役中の1960年以前の武装反乱参加者588名を釈放し,すでに釈放された363人の反革命反乱分子のレッテルをはずすと宣言。
DIA-104-1979-04-14-2中国1979年04月14日1970年代今年第1四半期の中国の工業生産総額は前年同期より5.6%増加-100品目の主要製品中,79品目の生産が伸び,50品目が10%の伸びを示した。石炭工業部所属の炭鉱の生産量は第1四半期の計画を1.9%上回った。全国の発電量は13.5%増加。石油,化学肥料,セメント,食糧の鉄道輸送量は計画を上回り,鉄道貨物輸送量は昨年同期より,4%増加。自動車,ミシン,腕時計,合成洗剤,紙,砂糖,テレビの生産量は10から110%増加。化学肥料は5.6%多く生産され,トラクターとハンドトラクターもそれぞれ,29.7%,13.1%増産された。粗鋼生産も引き続き伸び,圧延能力も増加し,圧延鋼の生産量は昨年同期より22.1%増えた。
DIA-104-1979-04-14-3中国1979年04月14日1970年代徐州火力発電所,第2期建設工事開始-第1期工事はすでに終り,国産の2基の12万5000kWの発電機はすでに発電を行っている。第2期工事は3号発電機のボイラーの水圧試験が終わり,蒸気タービン発電機とその他の補助設備が近く据え付けられる。4号機の建物の基礎と骨組みはすでにでき上がっており,主要な設備も現場に運ばれている。
DIA-104-1979-04-14-4中国1979年04月14日1970年代中国原子力農学会が,最近杭州で正式に発足。
DIA-104-1979-04-14-5中国1979年04月14日1970年代華国鋒主席,イリア・バキチ・ユーゴスラビア経済連合会議長と会見-一行は12日開幕のユーゴスラビア工業展覧会開幕式を主宰するため訪中。
DIA-104-1979-04-14-6中国1979年04月14日1970年代韓念竜外交部副部長を団長とする中国政府代表団,ハノイに到着。
DIA-104-1979-04-15-1中国1979年04月15日1970年代公安部は最近広州で全国都市交通管理工作座談会を開いた。
DIA-104-1979-04-15-2中国1979年04月15日1970年代広州で1979年春季中国輸出商品交易会が開幕。
DIA-104-1979-04-15-3中国1979年04月15日1970年代公安部は最近広州で,全国都市交通管理工作座談会を開いた。
DIA-104-1979-04-15-4中国1979年04月15日1970年代最近,中国遠洋海運会議が開かれた-中国遠洋運輸総公司のスポークスマンは新華社記者に,「中国は世界の海運市場に進出するため,海運事務所をいくつかの国に設けて,世界のすべての港に貨物を輸送する契約を結ぶことにしている」と述べた。
DIA-104-1979-04-15-5中国1979年04月15日1970年代鄧小平副総理,中国系アメリカ人物理学者李政道教授と会見-5月17日には華国鋒総理が李政道夫妻と会見。
DIA-104-1979-04-15-6中国1979年04月15日1970年代ベトナムのハナムニン省に中国のミグ戦闘機が墜落-同日ベトナム外務省は中国に抗議の覚書を渡す。17日中国外交部は「計器の故障により進路をまちがえたもの」と説明。18日中国外交部覚書,パイロットの遺体,遺品,機体の返還を要求。24日火葬の上遺体が中国側に引渡された。
DIA-104-1979-04-16-1中国1979年04月16日1970年代中国外交部,ベトナム外務省に覚書を送り,4日付ベトナム側の覚書に反論,もしベトナム側がこれ以上問題を複雑化させなければ,韓念竜副部環を団長とする中国政府代表団を14日にハノイに送る,と提案。
DIA-104-1979-04-16-2中国1979年04月16日1970年代陳慕華副総理,オーストラリア,ニュージーランド,フィジー,西サモアへの友好訪問を終え,北京に帰着。
DIA-104-1979-04-16-3中国1979年04月16日1970年代鄧小平副総理,メルビン・プライス委員長のひきいるアメリカ下院軍事委員会議員団と会見。
DIA-104-1979-04-17-1中国1979年04月17日1970年代「人民日報」岳平論文,「調整がよければ発展もはやい」
DIA-104-1979-04-17-2中国1979年04月17日1970年代華国鋒主席,ユーゴスラビア南部の地震につき,チトー大統領に見舞の電報を送る-中国紅十字会は人民幣30万元を被災者に贈った。
DIA-104-1979-04-17-3中国1979年04月17日1970年代鄧小平副総理,何炳棣シカゴ大学教授と会見。
DIA-104-1979-04-17-4中国1979年04月17日1970年代「人民日報」評論員論文,「モスクワに怒鳴りちらす資格があるだろうか」-中ソ条約破棄の正当性を,情勢の変化,ソ連の条約違反の両面から説明。
DIA-104-1979-04-17-5中国1979年04月17日1970年代グロムイコ・ソ連外相,王幼平ソ連駐在中国大使に覚書を手交-4月3日の中国側覚書に答え,中ソ会談の場所とレベルについて中国側の意見表明を要求。
DIA-104-1979-04-18-1中国1979年04月18日1970年代河南省範県辛庄公社副書記王憲運は,父の3周忌に大いに迷信活動をおこない党内外の地位をはずされた(「人民日報」)。
DIA-104-1979-04-18-2中国1979年04月18日1970年代ハノイで,中越外務次官級交渉第1回会議を開催-ベトナム側が3項目の提案をおこなった。
DIA-104-1979-04-18-3中国1979年04月18日1970年代鄧小平副総理,ジャック・ブルックス下院政府活動委員会議長のひきいる,アメリカ下院議員団と会見。
DIA-104-1979-04-19-1中国1979年04月19日1970年代北京清華大学,4月29日の建学68周年祝賀行事に参加するよう,台湾清華大学に招請の書簡を送る。
DIA-104-1979-04-19-2中国1979年04月19日1970年代徐州石炭工業基地の建設進む-徐州鉱務局は中国華東地区における以前からの石炭工業基地で,合計13炭鉱,16の立坑をもち,年産1300万t,徐州市の郊外地区とその付近の豊沛銅地区の石炭埋蔵量は24億t以上。将来見積りは,さらに増える見込み。豊沛銅新鉱区は,設計能力合計180万tの2つの立坑が採炭をはじめている。建設中の3つの立坑の設計能力は合計270万tで,他にいくつかの立坑の建設準備も進められており,近く着工の予定。
DIA-104-1979-04-19-3中国1979年04月19日1970年代黒竜江省のホロンバイル草原で大型の伊敏炭田が発見さる-石炭の品質は褐炭で,発電用の燃料になる。全炭田の範囲は520余km2,推定埋蔵量は120億t以上と見られ,現在までに判明した可採埋蔵量は50億t。
DIA-104-1979-04-19-4中国1979年04月19日1970年代山東省膠東半島の黄県,蓬莱県一帯で炭田を発見-炭田は周囲300kmの範囲に分布しており,石炭は竜口付近に特に集中,炭層の厚さは19m前後。
DIA-104-1979-04-19-5中国1979年04月19日1970年代鄧小平副総理,フランク・チャーチ上院外交委員会議長のひきいるアメリカ上院外交委員会訪中団と会見-鄧副総理は,中国側管理,情報共有の条件で中国内に対ソ監視施設の建設を認めると言明,また,米台軍事協力に不快感を表明した(「ワシントンポスト」20日)。
DIA-104-1979-04-19-6中国1979年04月19日1970年代国務院がアルバニアで発生した大地震につき,アルバニア閣僚会議に見舞の電報を送る。
DIA-104-1979-04-19-7中国1979年04月19日1970年代谷牧副総理,河辺国土庁次官と会見-宝山製鉄所は数年遅れても建設計画に変更はない,と語る。
DIA-104-1979-04-20-1中国1979年04月20日1970年代民主同盟中央副主席高崇民名誉回復大会,北京で挙行-高副主席は迫害を受け1971年7月29日北京で死去,享年81歳。
DIA-104-1979-04-20-2中国1979年04月20日1970年代広西国境防衛部隊,南寧で自衛反撃,辺境防衛作戦功労表彰大会を挙行-23日まで。
DIA-104-1979-04-21-1中国1979年04月21日1970年代「人民日報」特約評論員論文「当面,政策実施のうえで注意すべき3つの問題」-復活幹部の過大な要求は適当ではない,と注意を促す。
DIA-104-1979-04-21-2中国1979年04月21日1970年代中国科学院主催の草原生態研究地点設定会議-最近,内蒙古自治区の草原都市シリンホトで開かれた。会議は「草原生態系研究計画要綱」と年度科学研究計画を制定。
DIA-104-1979-04-21-3中国1979年04月21日1970年代華国鋒総理,ナイジェリア連邦共和国最高司令部参謀長S.M.ヤラドワ少将と会見。
DIA-104-1979-04-21-4中国1979年04月21日1970年代鄧穎超副委員長,シアヌーク殿下夫妻を自宅に招き,故周総理が生前好んだ海棠の花をともに観賞。
DIA-104-1979-04-22-1中国1979年04月22日1970年代教育部が全国小中学校政治思想教育座談会開催-5月7日まで。
DIA-104-1979-04-22-2中国1979年04月22日1970年代国家体育運動委員会は北京で電話会議を開き,少数の運動員の殴打事件等の悪い風潮にきびしい処分をおこなった。政治思想教育強化を指示。
DIA-104-1979-04-22-3中国1979年04月22日1970年代李先念副総理,オーグスタス・ホキンス下院議員のひきいるアメリカ下院教育・労働委員会議員団と会見。
DIA-104-1979-04-23-1中国1979年04月23日1970年代黒竜江省で王守信を首犯とする横領集団摘発さる-賓県燃料公司党支部書記兼経理王守信とその一味は72年以来52万6000余元を横領していた(「人民日報」)。
DIA-104-1979-04-23-2中国1979年04月23日1970年代第17回全国郵便電信工作会議が閉幕-3月30日から北京で開かれていた。
DIA-104-1979-04-23-3中国1979年04月23日1970年代李先念副総理,オマリー・エネルギー相のひきいるアイルランド政府貿易代表団と会見。
DIA-104-1979-04-23-4中国1979年04月23日1970年代ローマで中・伊経済協力協定に調印。
DIA-104-1979-04-24-1中国1979年04月24日1970年代駐中国ベトナム大使,グエン・チョン・ビン北京に帰任。
DIA-104-1979-04-24-2中国1979年04月24日1970年代日本留学科学者第1陣46人が北京を出発。
DIA-104-1979-04-25-1中国1979年04月25日1970年代元中国劇作家協会主席田漢追悼会,北京八宝山革命公墓で開く-1968年12月10日迫害により死去,享年70歳。汪東興副主席の花輪がみられず,注目された。
DIA-104-1979-04-25-2中国1979年04月25日1970年代昆明で全国民族研究工作規画会議開く-5月6日まで。
DIA-104-1979-04-25-3中国1979年04月25日1970年代青蔵鉄道,錫鉄山までレール敷設-錫鉄山鉛亜鉛鉱はツアイダム盆地の中部にあり,中国の大型総合非鉄金属鉱区の一つ。
DIA-104-1979-04-25-4中国1979年04月25日1970年代北京鴨店の新館開店-7階建て,中国最大のこのレストランは,建築面積が1万5000m2,宴会場が41ある。
DIA-104-1979-04-25-5中国1979年04月25日1970年代金利引き上げ後,全国の預金急増-北京,上海,天津3大都市の統計では,4月の初めの20日間に増加した預金は1億2300万元に達し,広州,西安,太原,石家荘,ハルピンの5市と福建省のおおまかな統計では,4月上旬の預金が昨年同期の2~5倍に増えた。大中都市のおおまかな統計によると,新設された3年,5年定期の預金者数は新規預金者総数の54ないし70%を占め,金額では69ないし80%を占めた。
DIA-104-1979-04-25-6中国1979年04月25日1970年代中国各地で高級ホテル,別荘を観光客に開放-杭州市西湖湖畔にある劉荘,謝家花園賓館と花家山賓館。四川省革命委は錦江賓館全部を遊覧事業部門に移管した。大連の棒島賓館,南京の東郊賓館,無錫の錦園・小山賓館,安徽省清陽県の九華山,陝西の一丈八溝招待所など。
DIA-104-1979-04-26-1中国1979年04月26日1970年代中央軍委,天山公路建設に身をささげた基本建設工程兵某部副区隊長の姚虎成に「雷鋒式の立派な幹部」の称号を授与。
DIA-104-1979-04-26-2中国1979年04月26日1970年代中共上海市委は,最近いわゆる上海地下党のデッチ上げ事件に関連して迫害を受けた1000人にのぼる人々の政治的名誉を回復した。
DIA-104-1979-04-26-3中国1979年04月26日1970年代国家科学技術委員会は,最近,発明審査推奨委員会(主任=武衡)を設置した。
DIA-104-1979-04-26-4中国1979年04月26日1970年代大結晶フッ化金雲母の合成および新型脱酸触媒の2研究に,このほど国家科学技術委員会発明審査推奨委員会から,発明賞を授与された。
DIA-104-1979-04-26-5中国1979年04月26日1970年代新華社鮑光前,蔡茂記者の工作研究「人民保険事業を積極的に回復,発展させる」-1959年,中国人民保険公司は海外業務をつづける外は,国内保険業務を一部地区を除いて,全国のほとんどの地区で停止した。文化大革命が始まると,国内保険業務は全面的に停止された。海外業務も大きな妨害を受けた。
DIA-104-1979-04-26-6中国1979年04月26日1970年代華国鋒総理,元アメリカ国務長官キッシンジャーと会見-「中国人民の古い友人」として10回目の訪中を歓迎。
DIA-104-1979-04-26-7中国1979年04月26日1970年代中越次官級交渉第2回会議開く-韓念竜副部長が,中国の中越関係処理に関する提案,すなわち8項目の原則を提示。
DIA-104-1979-04-26-8中国1979年04月26日1970年代日中原油価格交渉,4~6月の大慶原油,1~3月比19.17%アップで合意。
DIA-104-1979-04-27-1中国1979年04月27日1970年代李先念副主席,ソマリア社会主義革命党幹部代表団と会見-姫鵬飛中央連絡部部長が歓迎宴を催した。
DIA-104-1979-04-27-2中国1979年04月27日1970年代国際交流基金,中国32大学に3000万円相当の日本語教材を贈る。
DIA-104-1979-04-27-3中国1979年04月27日1970年代日中経済協会,プラント輸出契約の「保留」問題で対応策を検討-①契約破棄はみとめられない,②延払いにする場合は日本側の損にならぬ価格に,③個別交渉はみとめられない,という交渉方針を決める。
DIA-104-1979-04-27-4中国1979年04月27日1970年代新華社,阿波丸の遺骨などを引揚げた,と報道。
DIA-104-1979-04-28-1中国1979年04月28日1970年代北京で中国教育学会設立さる。
DIA-104-1979-04-28-2中国1979年04月28日1970年代有名なチチハル第2工作機械工場の旋盤組-馬恒昌小組は1949年の創立以来毎年,毎四半期の生産計画を超過達成し,30年で45年分の仕事を完成し,840件余りの技術革新をなしとげ,製品の合格率は一貫して99.4%以上を保っている。メンバーは現在24人で,組長は12人代わり,メンバーもたえず変わったが,高生産,品質優良のすぐれた伝統は引きつがれている。
DIA-104-1979-04-28-3中国1979年04月28日1970年代温寧中国大使,アルバニアで信任状を提出-同大使は19日アルバニア入りした。
DIA-104-1979-04-29-1中国1979年04月29日1970年代「北京日報」,68年3月の中央文革小組武装襲撃事件は全くのデッチ上げ事件であった,と報道。
DIA-104-1979-04-29-2中国1979年04月29日1970年代1956年から,全国で41ヵ所の自然保護区が指定され,総面積は130万haに達した-中国の自然保護区は数が少なく,面積が小さいばかりでなく,管理も不十分で,20数年来,自然保護の仕事は林業部が1~2名の人を置いて当たらせていた。41ある保護区のうち,管理機構のあるのは20だけであった。
DIA-104-1979-04-30-1中国1979年04月30日1970年代北京大学構内宿舎で「大衆参考消息」主宰者夏訓健が逮捕さる-(共同5月10日)。
DIA-104-1979-04-30-2中国1979年04月30日1970年代林業部は最近上海で全国人工板企業会議を開催-現在,木材利用率はおよそ60%前後で比較的低い。40%の原木が伐採,製材,加工の過程で廃材として浪費されている。この廃材を利用して人工板を生産すれば,大量に木材資源を節約し,木材の供給を増加することができる。1m3の人工板は3m3の原木から製成された板材に代えられるので,人工板の生産を多くすれば樹木の伐採を減らし,森林資源を保護することができる。
DIA-104-1979-04-30-3中国1979年04月30日1970年代米国防大学訪中団が訪中-米軍の代表団のはじめての訪中。5月2日,伍修権が同代表団に中越戦の死傷者,中国2万人,ベトナム5万人,参戦兵力,中国20万人,ベトナム推定10万人,と説明(AFP2日)。
DIA-104-1979-05-01-1中国1979年05月01日1970年代人民大会堂でメーデー祝賀交歓会開く-1万人を越す人びとが参加,華国鋒,鄧小平,李先念,汪東興らの指導者,シアヌーク殿下,ペンヌート殿下らの人々が参加。葉剣英副主席は広州で,陳雲副主席は杭州で祝貿行事に参加。
DIA-104-1979-05-01-2中国1979年05月01日1970年代「厦門日報」が復刊-9年間停刊していた。
DIA-104-1979-05-01-3中国1979年05月01日1970年代「人民日報」メーデー社説,「労働者階級は先頭に立って重点転換の緒戦を飾らなければならない」-増産・節約運動を幅広くつっこんでくり拡げるのは,国民経済を調整してわが国の社会主義近代化を着実に前進させるための重要な措置である。
DIA-104-1979-05-01-4中国1979年05月01日1970年代貴州省最大の榕江大橋が開通-都柳江にかけられた橋の長さは541mで,アプローチの部分を含めると全長1316mに達し,目下同省で最長の道路橋。車道の幅は7m。
DIA-104-1979-05-01-5中国1979年05月01日1970年代陝西省の涇河にかかる修石渡道路大橋が開通-全長663m,幅9m,両側に幅1mの歩道がある。
DIA-104-1979-05-01-6中国1979年05月01日1970年代華国鋒総理,ワルトハイム国連事務総長と会見-事務総長は4月29日訪中,鄧小平副総理と会見,黄華外交部長と会談した。
DIA-104-1979-05-02-1中国1979年05月02日1970年代社会科学院が五四運動60周年記念学術討論会開催-9日まで。周揚副院長が「3回の偉大な思想解放運動」という報告をおこなった。
DIA-104-1979-05-02-2中国1979年05月02日1970年代姫鵬飛党中央対外連絡部長が,最近,マックス・クルーゾー書記長を団長とするフランス革命共産党(ML)中央委代表団と会見した。
DIA-104-1979-05-02-3中国1979年05月02日1970年代日中双方,宝山製鉄所関係プロジェクトの延払い化交渉早期決着に努力することで合意。
DIA-104-1979-05-03-1中国1979年05月03日1970年代共青団中央が人民大会堂で「五・四」60周年記念集会開く-華国鋒,鄧小平,李先念,汪東興らの指導者が出席,華主席が講話をおこなった。
DIA-104-1979-05-03-2中国1979年05月03日1970年代中華全国青年聯合会第5期委員会第1回会議が北京で開幕-9日まで。新しい「中華全国青年聯合会章程」を採択,主席(胡啓立),副主席,常務委員を選出した。
DIA-104-1979-05-03-3中国1979年05月03日1970年代中華全国学生聯合会第19回代表大会が北京で開幕-9日まで。新しい「中華全国学生聯合会章程」を採択,全国学聯第19回委員会を選挙した。
DIA-104-1979-05-04-1中国1979年05月04日1970年代華国鋒総理,ダト・フセイン・ビン・オン・マレーシア首相と会見-オン首相は2日に訪中,3日鄧小平副総理が歓迎宴を開いた。
DIA-104-1979-05-04-2中国1979年05月04日1970年代中越次官級交渉第3回会議開く-ベトナム側は中国の8項目を拒否,中国側は,ベトナム軍のカンボジア,ラオスからの撤退が前提と強調。
DIA-104-1979-05-04-3中国1979年05月04日1970年代北京放送,4月25日から5月4日までにベトナム側が雲南と広西に侵入,中国の民兵を5人死亡させ2人負傷させた,と報道。
DIA-104-1979-05-05-1中国1979年05月05日1970年代五西運動60周年記念「人民日報」社説,「思想を解放して自己の道を歩もう」-1956年からすでに中国式近代化の道を探索しはじめた,と指摘。
DIA-104-1979-05-05-2中国1979年05月05日1970年代中共江西省委員会が省委工作会議開く-17日まで。
DIA-104-1979-05-05-3中国1979年05月05日1970年代北京内燃機関総工場では科学的な管理方法をとれば,製品の品質が保証できることを実践をもって証明した-同工場の3台の工作機械が加工する部品が,去年からすべて合格品となった。以前は部品の不良品が最高29%に達していた。この目ざましい成果があがったのは,外国の「総合的品質管理(TQC)」という科学的方法を採用してからである。一昨年5月から,この先進的な「総合的品質管理」方法をとりはじめた。昨年8月からは,中国第一機械工業部の要請で小松製作所から派遣された専門家が前後3回にわたって,同工場で講義を行い,経験を伝授し,「総合的品質管理」を一歩推し進めた。
DIA-104-1979-05-05-4中国1979年05月05日1970年代鄧小平副総理,アンドレ・マルティ中将のひきいるフランス国防高等研究院代表団と会見。
DIA-104-1979-05-05-5中国1979年05月05日1970年代中国が中ソ会談について対ソ覚書を送る-(外交部筋,読売特派員10日)。
DIA-104-1979-05-06-1中国1979年05月06日1970年代「人民日報」評論員論文,「農業生産の第一線に行こう」
DIA-104-1979-05-06-2中国1979年05月06日1970年代最近北京で全国医薬会議が開かれた-国家医薬管理総局の設立後に開かれた初の全国医薬会議である。
DIA-104-1979-05-07-1中国1979年05月07日1970年代政治協商会議第5期全国委第3回会議閉幕-4日間にわたって開かれ,国際情勢,工業・交通の状況について関係部長の報告を聴取した。
DIA-104-1979-05-07-2中国1979年05月07日1970年代中国の4つの鉄道線の電化工事が進められている-総延長は1130km余。京包線(北京~包頭)の北京~大同間(382km),石太線(石家荘~太原)の全区間(235km),隴海線(連雲港~蘭州)の宝鶏~天水間(158km),襄渝線(襄樊~重慶)の襄樊~安康間(362km)である。
DIA-104-1979-05-07-3中国1979年05月07日1970年代各地の銀行,信用組合は今年第1四半期に,農村の人民公社,生産大隊,生産隊に昨年同期より73%多い39億40万元余りの農業資金を貸し付けた。同時に農村預金の拡大にも力を入れた。3月末現在,全国の農村預金は昨年同期より12億9000万元も増えた。
DIA-104-1979-05-07-4中国1979年05月07日1970年代浙江省長広炭鉱の牛頭山6号坑が,先頃正式に採炭を始めた。立坑で,設計能力は原炭年産能力30万tで,同省最大のもの。
DIA-104-1979-05-08-1中国1979年05月08日1970年代茅盾,周揚の共同提案により「魯迅研究学会」設立第1回準備会開く。
DIA-104-1979-05-08-2中国1979年05月08日1970年代福建,広東,広西の砂糖生産伸びる-福建省の12の大小型製糖工場は1978~79年の甘蔗搾糖期に,砂糖生産の新記録をつくった。4月末現在,全省で計32万4000tの砂糖が生産され,前搾糖期より22%増加した。 広東省の砂糖生産量は100万tの大台を突破して,100万2600t余りに達し,今期の砂糖生産計画を6.67%上回った。広西チワン族自治区で,1978~79年の搾糖期に計35万t余りの砂糖が生産され,前期より84%増え,これまで最高だった1973~74年の搾糖期を25%上回った。
DIA-104-1979-05-08-3中国1979年05月08日1970年代「人民日報」社説,「積極的かつ慎重に」-「当面,技術・設備導入の重点は国家に緊急に必要なもの,少ない投資ではやく効果があらわれ,金をかせげるものに置くべきであり,これは建設資金の蓄積,人民生活の改善,国民経済の発展に有利である」と指摘した。
DIA-104-1979-05-08-4中国1979年05月08日1970年代最近北京で全国外文図書発売事業会議開く。
DIA-104-1979-05-08-5中国1979年05月08日1970年代ハノイ放送,中国が国境で軍事演習中と報道。
DIA-104-1979-05-09-1中国1979年05月09日1970年代福建,浙江で新茶が豊作-福建省では4月末までに,昨年より7割多く買い付けた。浙江省では4月中旬までに,昨年同期より150t余多い235t余りを買い付けた。
DIA-104-1979-05-09-2中国1979年05月09日1970年代活況を呈する中国の農村市場-各地の200余りの農村の市の統計によると,今年第1四半期の市へのコメの出荷量は前年同期の3倍,小麦とトウモロコシは2倍に増え,食糧の平均価格に前年同期より20%低下したばかりでなく,昨年秋の取り入れ後の第4四半期の水準をやや下回っている。これは中国農村の市では永年見られなかった新しい状況である。商業部の統計によると,第1四半期の農副産物の買付量は前年同期比の20.6%増で,そのうち豚の買付量は前年同期比の2.5%増であった。今期に買付けた豚の1頭当りの平均体重は前年同期よりも3.75kg重い,卵の買付量は前年同期比の67%増となった。昨年末までに復活した全国の農村市は3万3000余に達し,全国の市の価格水準は1977年よりも6.5%低下している。昨年同期と比べて,今年第1四半期の農村での生産手段の販売量は16.4%増となり,生活物資の販売量は10.2%増となった。
DIA-104-1979-05-09-3中国1979年05月09日1970年代初の「中日友好の船」下関に入港-廖承志中日友協会長をはじめ606名の訪日代表団を乗せ,7日に上海を出発したもの。18日,晴海に入港,以後北海道,北陸を経て日本列島を一周,6月5日長崎を出港,帰国の途についた。
DIA-104-1979-05-10-1中国1979年05月10日1970年代「人民日報」社説,「既存企業は4つの近代化へ向けて進軍する主要な基地である」
DIA-104-1979-05-10-2中国1979年05月10日1970年代鄧小平副総理,ジュアニータ・クレプス米商務長官と会見-商務長官は5日に訪中,8日,科学技術の管理および科学技術情報協力に関する議定書,大気科学技術協力議定書,海洋・漁業科学技術協力議定書,計量・標準協力議定書に調印し,11日,凍結資産問題に関する議定書,80年予定の中米貿易展覧会相互開催に関する議定書に調印,14日,相互最恵国待遇供与貿易協定に仮調印した。
DIA-104-1979-05-11-1中国1979年05月11日1970年代「光明日報」特約評論員論文「2つの思想路線をはっきりさせ,4つの基本原則を堅持しよう」
DIA-104-1979-05-11-2中国1979年05月11日1970年代農業部に科学技術委員会が設置された。
DIA-104-1979-05-12-1中国1979年05月12日1970年代最近全国刑事捜査活動座談会開く。
DIA-104-1979-05-12-2中国1979年05月12日1970年代雲南国境防衛部隊が昆明市で,自衛反撃,辺境防衛作戦功労表彰大会開く-16日まで。
DIA-104-1979-05-12-3中国1979年05月12日1970年代7大河川の洪水予防対策会議-水利部が開催。各流域の機構と15省・市・自治区の水利局責任者が参加した。
DIA-104-1979-05-12-4中国1979年05月12日1970年代「人民日報」評論員論文,「基本建設の審査許可制度を厳格に守ろう」-今後,導入プロジェクトを含めた新しい建設プロジェクトは,中央,または地方のいかなる指導者が承認したものであっても,計画部門は全体のバランスをはかる権限がある。
DIA-104-1979-05-12-5中国1979年05月12日1970年代耿副総理,スウェーデン,ノールウェー,フィンランド,アイスランド訪問に北京を出発-6月15日に帰着。
DIA-104-1979-05-12-6中国1979年05月12日1970年代華国鋒総理,ブライアン・トルボーイズ・ニュージーランド副首相と会見。
DIA-104-1979-05-12-7中国1979年05月12日1970年代鄧小平,徐向前両副総理,ザイール軍事代表団と会見。
DIA-104-1979-05-13-1中国1979年05月13日1970年代人民解放軍第4回体育運動大会が北京で開幕-華主席,鄧副主席が開幕式に出席。
DIA-104-1979-05-14-1中国1979年05月14日1970年代華国鋒総理,バングラデシュ大統領特使,モハマド・サフル・ラーマンと会見。
DIA-104-1979-05-14-2中国1979年05月14日1970年代鄧小平副総理,スペイン国王の両親であるバルセロナ伯爵夫妻と会見。
DIA-104-1979-05-14-3中国1979年05月14日1970年代卜明中国銀行総経理,一連の融資協定調印のため来日。
DIA-104-1979-05-15-1中国1979年05月15日1970年代1979年春季中国輸出商品交易会が閉幕-輸出成約高は昨年春より28%伸び,世界五大州104ヵ国・地域のバイヤー2万5000人が参加したほか,外国の友人,華僑,香港・澳門同胞2万1000人が参観した。
DIA-104-1979-05-15-2中国1979年05月15日1970年代「人民日報」劉錚,滄萍の署名論文,「人口は必ず抑制しなければならない」
DIA-104-1979-05-15-3中国1979年05月15日1970年代北京で全国農業機械局長会議-農業機械部が最近開いたもの。会期中,代表者たちは王任重副総理と楊立功農業機械部長の報告を聴取・討議した。
DIA-104-1979-05-15-4中国1979年05月15日1970年代中国民用航空広州管理局は今年に入ってから,広東,広西,河南,湖北の30の県,市,農場で造林播種,水稲の直播,農業と林業の害虫駆除を行った。
DIA-104-1979-05-15-5中国1979年05月15日1970年代国連軍縮委会議で頼亜力中国代表団長,新しい総合的軍縮案を提出。
DIA-104-1979-05-15-6中国1979年05月15日1970年代新華社記者論評,「西沙群島と南沙群島をめぐる争いの由来」。
DIA-104-1979-05-15-7中国1979年05月15日1970年代日本輸出入銀行と中国銀行「石油および石炭資源開発融資の基本的事項に関する覚書」に調印-①中国銀行に4200億円(約20億ドル)を限度とする円建て融資をおこなう,②金利は年6.25%,償還期限は10~15年。
DIA-104-1979-05-15-8中国1979年05月15日1970年代日本政府,新駐中国大使に吉田健三駐ブラジル大使起用を決定。
DIA-104-1979-05-15-9中国1979年05月15日1970年代中国,保留中のプラント契約の全てについて交渉再開を通知。
DIA-104-1979-05-16-1中国1979年05月16日1970年代北京市テレビ局が開局-1年間の準備を経て,教育,娯楽,ニュース番組の試験放送を開始。
DIA-104-1979-05-16-2中国1979年05月16日1970年代中国人民銀行,建国30周年記念金貨を発行-これらの金貨は1組4枚で,表の図案はいずれも中華人民共和国国章で,「中華人民共和国成立30周年」の文字と「1949―1979」の年号がはいっている。裏はそれぞれ天安門,人民英雄記念碑,人民大会堂,毛主席記念堂となっている。記念金貨は建国以来はじめてのもので,目下鋳造中。
DIA-104-1979-05-16-3中国1979年05月16日1970年代国家経済委が電話会議を開き,工業交通部門に増産節約運動の盛り上げを呼びかけ-北京で開催。電話会議は袁宝華国家経済委副主任の司会で,国家計画委,国家基本建設委,国務院の工業・交通,財政・貿易・商業の関係部・委員会の責任者が出席した。各省・市・自治区の経済担当者,関係部門および主要工業都市,重点工場・鉱山企業の責任者が会議の演説を聴取した。余秋里副総理は席上演説を行い,次のように述べた。増産・節約運動で,次のことに重点的にしっかりと取り組まなければならない。1.あらゆる策を講じて石炭,石油,電力,輸送の増産,特に石炭の増産に取り組まなければならない。2.特別の措置を講じて,軽工業,紡織業の生産を発展させる。3.各業種は節約に大いに努力し,燃料,動力,原材料の消費量を大いに引き下げなければならない。4.品質の向上,製品の多様化に引き続き努める。5.倉庫の整理・在庫品の利用に着実に力を入れる。6.赤字から黒字への転換に引き続き力を入れ,財政収入の増加を図る。
DIA-104-1979-05-16-4中国1979年05月16日1970年代鄧小平副総理,大畑忠義社長のひきいる時事通信社代表団と会見。
DIA-104-1979-05-16-5中国1979年05月16日1970年代クレプス米商務長官,大平首相と会談「対中貿易は日米協調で」と語る-首相も同意を表明。
DIA-104-1979-05-17-1中国1979年05月17日1970年代寧夏の牧畜業が発展-1977年の家畜飼育頭数は76年比8%増の498万9000頭(匹)に達した。78年はさらに発展し,羊だけでも12.5%増,大型家畜は3%増となった。同自治区の牧畜業の伸び率は1949年から65年までの平均で年8.4%であったが,その後10年余りの間の家畜頭数は平均で年1.9%ずつ減少していた。
DIA-104-1979-05-18-1中国1979年05月18日1970年代全国漢方医学学術会議開催-24日まで。
DIA-104-1979-05-18-2中国1979年05月18日1970年代華国鋒総理,マリ財政・貿易相マド・ババ・ディアラ大佐と会見。
DIA-104-1979-05-18-3中国1979年05月18日1970年代中越次官級交渉の第1ラウンドがハノイで終了-第5回会議で中国側が第1ラウンド終了を宣言,次回は北京で開催に合意。
DIA-104-1979-05-18-4中国1979年05月18日1970年代市中銀行の中国向け短期貿易融資,長期民間融資の基本条件合意書に調印-日本民間銀行団と中国銀行の間で東京で調印。①邦銀22行が総額20億ドルを期間4年半,金利は6カ月物ユーロドル金利プラス0.5%で中国銀行に貸付ける長期融資,および②邦銀31行が期間約6カ月,金利は6カ月物ユーロドル金利プラス0.25%の条件で総額60億ドルを貸付ける短期融資,の2本立て。
DIA-104-1979-05-18-5中国1979年05月18日1970年代粟裕国防部副部長,山下防衛庁長官を表敬訪問-日中友好の船が晴海入りした。21日,廖承志会長,大平首相を表敬訪問。
DIA-104-1979-05-19-1中国1979年05月19日1970年代中共湖南省委が最近大会を開き,「4人組」一味の中核分子胡勇,章伯森に対し組織処分をおこなった。胡勇はすでに逮捕されている。
DIA-104-1979-05-19-2中国1979年05月19日1970年代上海市の78年の人口自然増加率は0.507%に下がり,全国各省・市のうち最低となった。
DIA-104-1979-05-19-3中国1979年05月19日1970年代「人民日報」劉瀾波電力工業部長の論文,「電力工業は立ち遅れから先行に変わらなければならない」-どうやれば電力工業の立ち遅れを改められるか。まず国民経済計画の策定において,今後数年間,電力工業投資の比率を逐次増やさなければならない。第2に,中国の実情から出発して水力発電を増やす必要がある。第3は石炭と電力の連合基地を速く建設すること。第4は積極的に大型発電機の製作を発展させること。第5は電力建設の準備作業をしっかりやること。水力発電が速められるかどうかはこれにかかっている。第6,整頓をよくし,企業管理を強化し,既存設備の能力を十分に発揮させ,発電,送電の安全性を保証しなければならない。
DIA-104-1979-05-19-4中国1979年05月19日1970年代華国鋒総理,アガ・シャヒ・パキスタン大統領外交顧問と会見。
DIA-104-1979-05-19-5中国1979年05月19日1970年代訪中のマクドナルド・カナダ輸出開発公社総裁,中国に20億ドルの信用を供与する協定に調印。
DIA-104-1979-05-20-1中国1979年05月20日1970年代『紅楼夢学刊』編集委員会が北京で発足-同誌は7月から発刊される。
DIA-104-1979-05-20-2中国1979年05月20日1970年代遼河平野で,井戸掘削中心の水利建設-遼寧省中部にある遼河平野商品食糧基地の建設をはやめるため,昨冬から今春にかけて電力揚水井戸を6400本余り掘削した。これは建国後29年間に掘られたものの2倍にあたる。この地区の水田は従来,大部分7つのダムから引水,灌漑していたが,水田面積の拡大と工業の発展に伴ない,工業用水との矛盾が目立つようになり,放置すると今年は13万haの水田で水不足のため田植えができず,都市や工業用水も脅やかされることになる。遼寧省党委員会と省革命委員会は昨年9月に,中部水田地帯緊急干ばつ対策会議を開き,井戸を突貫で掘削し地下に水を求める方針を決めた。
DIA-104-1979-05-21-1中国1979年05月21日1970年代湖北省では,5月上旬現在の鶏卵買付量が同期の史上最高を記録-昨年同期より73%多い5万4865tに達した。今年1月から5月にかけ,昨年同期に比べ供出量は90%,輸出向けは70%それぞれ増えた。他省向けは3倍に増え,年間計画をすでに超過達成した。
DIA-104-1979-05-21-2中国1979年05月21日1970年代中越戦争による捕虜第1回の相互釈放-中国は傷病兵120人,ベトナムは傷病兵43人を釈放。中国紅十字会とベトナム赤十字社は,5月26日に会談し,捕虜全員の名簿を交換,以後,中国とベトナムは,それぞれ,5月28日に118人と20人,6月5日に487人と55人,13日に557人と65人,22日に354人と55人,友誼関で捕虜を釈放した。
DIA-104-1979-05-21-3中国1979年05月21日1970年代沖縄開発庁,尖閣列島開発利用基礎調査のため魚釣島に仮ヘリポート建設に着工。
DIA-104-1979-05-22-1中国1979年05月22日1970年代国家民族事務委員会第1次委員会(拡大)会議,天津で開く-6月7日まで。
DIA-104-1979-05-22-2中国1979年05月22日1970年代全国針灸学会,北京で成立。
DIA-104-1979-05-22-3中国1979年05月22日1970年代中共四川省委が最近第3期第2回全体会議開く-趙紫陽第1書記が講話をおこなう。
DIA-104-1979-05-22-4中国1979年05月22日1970年代河北省では,昨年の同省における生物を利用した食糧,綿花の病虫害防除面積は前年比44%増の23万余haに達している。
DIA-104-1979-05-22-5中国1979年05月22日1970年代農業部の責任者は新華社記者に談話を発表,冷害にうち勝つ措置を講ずるよう求めた-3月に入ってから,南部,北部を通じて低温,長雨が続いている。とくに東北,華北,西北の大部分は1976年によく似た深刻な寒気に襲われている。長雨が続き,気温の下がり幅が大きく日照りが少ないため,農作物への害が大きい。
DIA-104-1979-05-22-6中国1979年05月22日1970年代華国鋒主席,パウル・ニクレスク・ルーマニア共産党中央政治執行委委員・政府副首相のひきいるルーマニア政府代表団と会見。
DIA-104-1979-05-22-7中国1979年05月22日1970年代中越次官級交渉の中国側代表団長,韓念竜副部長が北京で記者会見-韓副部長は21日帰国した。
DIA-104-1979-05-23-1中国1979年05月23日1970年代新華社記者の報告,「山西省を石炭,電力の里にしよう」
DIA-104-1979-05-23-2中国1979年05月23日1970年代浙江省で1~4月に92の小型水力発電所を建設-発電設備容量は計1万6000kWで,前年同期比の2倍以上に増えた。現在,同省には計5731建設されており,総発電設備容量は36万8002kWに達している。
DIA-104-1979-05-24-1中国1979年05月24日1970年代中華全国漢方医学会が正式に成立。
DIA-104-1979-05-24-2中国1979年05月24日1970年代黒竜江省で187万haの春小麦の播種終わる-史上最多の年より3万3000haも多かった。昨年は食糧総生産は初めて1500万tの大台を突破,前年を29.8%上回った。
DIA-104-1979-05-24-3中国1979年05月24日1970年代ソ連は6月15日の米ソ首脳会談以前に中ソ会談にゴーサインを出す予定-北京の消息筋(ロイター)。
DIA-104-1979-05-24-4中国1979年05月24日1970年代鄧小平副総理夫妻と鄧穎超副委員長が近く離任の佐藤大使夫妻と会見。
DIA-104-1979-05-25-1中国1979年05月25日1970年代日中航空協議合意議事録に調印-第3の寄港地を長崎,杭州とすることで合意。
DIA-104-1979-05-26-1中国1979年05月26日1970年代全国税関工作会議が最近,北京で開かれた。
DIA-104-1979-05-26-2中国1979年05月26日1970年代石家荘で全国物資交流会-4月中旬から5月初めにかけて,28省・市・自治区の参加する物資交流会が開かれた。500余の代表団が参加し,成約件数は計6500余件,成約高は3880余万元に達した。1966年以前,石家荘では毎年春と秋に物資交流会を開いていたが,ここ10数年中断されていた。
DIA-104-1979-05-26-3中国1979年05月26日1970年代咸陽市に中国初のカラーTV用ブラウン管工場建設始まる-81年末に操業の予定。完成すると,年間14インチと22インチのカラーテレビ用ブラウン管を96万本生産することができる。
DIA-104-1979-05-26-4中国1979年05月26日1970年代農業部は最近通達を出し,各地に食用植物油の供給源を増やすため,ひまわりを大いに栽培するよう要請した。
DIA-104-1979-05-26-5中国1979年05月26日1970年代各地でナタネが豊作-四川省では史上最高を記録した昨年の総収穫量を,さらに8%前後上回った。福建省では昨年より75%増え,新記録をつくった。安徽省も,豊作だった昨年を10%前後上回った。江西省の今年のナタネ総収穫量は,昨年の40%増で史上最高を記録した。
DIA-104-1979-05-26-6中国1979年05月26日1970年代鄧穎超副委員長が平壌入り-同日午後鄧副委員長は金日成主席を訪問した。31日金主席は鄧副委員長を案内して咸興市に赴き,周総理の銅像と記念碑の除幕式に出席した。6月1日北京に帰着。
DIA-104-1979-05-27-1中国1979年05月27日1970年代広西・雲南の国境警備部隊と前線支援民兵の英雄・模範からなる報告団が北京に到着-自衛反撃戦の報告会始まる。軍人協会会長に伍修権,副会長に席一の就任が判明。28日首都体育館で歓迎の1万人大会が開かれた。
DIA-104-1979-05-27-2中国1979年05月27日1970年代「光明日報」呉大英,余能斌論文,「学位制と学位法に関する提言」
DIA-104-1979-05-27-3中国1979年05月27日1970年代新華社記者論評,「軽工業・紡織工業をしかるべき位置におこう」-最近,中央の責任者は特別な方法,非常な措置で,まじめに紡織・軽工業を発展させるよう指示した。
DIA-104-1979-05-27-4中国1979年05月27日1970年代「人民日報」社説,「みなが増産・節約に大いに力を入れなければならない」
DIA-104-1979-05-27-5中国1979年05月27日1970年代中国綿花学会の設立大会が,最近上海で開かれた。
DIA-104-1979-05-28-1中国1979年05月28日1970年代国家経済委員会,国家科学委員会,国家農業委員会,農業部共催の全国メタンガス弁公室主任会議,北京で開催-6月4日まで。1978年末現在,全国で計700余万個のメタンガス池がつくられ,21の県,1300余の人民公社,1万7000余の生産大隊,13万8900余の生産隊で基本的に普及している。
DIA-104-1979-05-28-2中国1979年05月28日1970年代最近2ヵ月来,ベトナム当局はまたも4000人余のベトナム公民を雲南省内に追い出した(新華社)。
DIA-104-1979-05-28-3中国1979年05月28日1970年代中国,米4紙に対し北京常駐支局開設を許可。
DIA-104-1979-05-29-1中国1979年05月29日1970年代沈平中国外交部アジア局長が,伴臨時代理大使を外交部に招き,口頭で,日本政府が最近魚釣島にヘリポートを築き,調査をおこなうなどの行動をとっていることに遺憾の意を表明,これらの「行為」は法的価値をもたぬものである,と述べた。
DIA-104-1979-05-30-1中国1979年05月30日1970年代広州で中共8期中央委候補周小舟の追悼会開く-迫害により1966年12月26日死去,享年54歳。
DIA-104-1979-05-30-2中国1979年05月30日1970年代鄧小平副総理,シュトラウス米大統領通商交渉特別代表と会見-米中繊維交渉不調に終る。31日,米政府は一方的に数量制限を発動。中国外交部は6月4日「交渉を通じて問題を解決すべきである」とこれに抗議した。
DIA-104-1979-05-31-1中国1979年05月31日1970年代「人民日報」評論員論文,「環境保護にしっかり取り組まなければならない」-環境汚染問題を立派に解決することは百年の大計であり,広範な人民の健康に関係するので,各級指導機関は必ず大いに重視してこの活動を議事日程にのぼらせ,真剣に取り組まなければならない。われわれはあらゆる措置を講じて2~3年内に汚染を抑制し,人民に幸福をもたらさなければならない。
DIA-104-1979-05-31-2中国1979年05月31日1970年代鄧小平副総理,鈴木善幸衆議院議員と会見-政府借款について日本側で検討してほしいと申し入れ。
DIA-104-1979-06-01-1中国1979年06月01日1970年代人民大会堂で国際児童節祝賀会-1万人にのぼる中国の児童と北京にいる外国の児童が参加,華国鋒主席,宋慶齢副委員長が参加。
DIA-104-1979-06-01-2中国1979年06月01日1970年代北京で全国針灸・針麻酔学術討論会開く-150人以上の外国の専門家も参加,5日まで。
DIA-104-1979-06-01-3中国1979年06月01日1970年代広州で葉剣英副主席が広東省の3級幹部と会見。
DIA-104-1979-06-01-4中国1979年06月01日1970年代浙江省の寧波港が再び対外的に開放され,輸出入商品の荷役をはじめた。
DIA-104-1979-06-01-5中国1979年06月01日1970年代ブレジネフ書記長,ブタペストの演説で,「もし中国が真剣な態度を見せるなら,ソ連は中国との関係正常化の話し合いの用意はいつでもできる」と言明。
DIA-104-1979-06-01-6中国1979年06月01日1970年代日本政府,尖閣列島調査団に調査後の仮設ヘリポート撤去を指示。
DIA-104-1979-06-02-1中国1979年06月02日1970年代華国鋒主席,A.G.ミブドル・トーゴ人民連盟政治局員,常任議長を団長とするトーゴ人民連盟代表団と会見。
DIA-104-1979-06-04-1中国1979年06月04日1970年代政協第5期常委第4回会議開催-7日まで。5日,全国委員109人を補充選出。陸定一,劉瀾濤,王光美,王光英,賀子珍が含まれている。
DIA-104-1979-06-04-2中国1979年06月04日1970年代唐山河発電所の第1,2期工事が完成-総容量75万kWの蒸気タービン式発電ユニット4台が,すべて操業を開始,北京・天津・唐山電力網に編入された。今年に入ってから連続130余日間安全無事故を達成。2台のボイラーと4台の蒸気タービン式発電機は日本から導入されたもの。第3期拡張工事もすでに着工を始めた。
DIA-104-1979-06-04-3中国1979年06月04日1970年代グロムイコ外相,ソ連外務省に田増佩駐ソ代理大使を招き,5月5日の中国外交部覚書に対する回答覚書を手交-7~8月モスクワでの交渉を提案。
DIA-104-1979-06-04-4中国1979年06月04日1970年代中国,大慶原油の1バレル60セント値上げを日本側に通告-5月15日にさかのぼって,1バレル16.96ドルに。
DIA-104-1979-06-04-5中国1979年06月04日1970年代中国技術輸入公司,宇部興産に対し,アンモニアプラント2基の契約について,原契約どおりの条件で実行すると通知-保留解除1号。
DIA-104-1979-06-05-1中国1979年06月05日1970年代経済調整で北京市委が工作会議-最近開かれた。
DIA-104-1979-06-05-2中国1979年06月05日1970年代山西ナイロン工場,操業を開始-晋中平原の楡次市郊外にある同工場の設計能力はナイロン年産5000t。中国が自力で設計し,施工した工場である。
DIA-104-1979-06-05-3中国1979年06月05日1970年代「人民日報」評論員論文,「夏取り入れの仮分配を立派に行い,農村のすばらしい情勢を発展させよう」
DIA-104-1979-06-05-4中国1979年06月05日1970年代鄧小平副総理,W.サリを団長とする米中貿易全国委員会代表団と会見-中国側の圧倒的入超を是正するため,より多くの中国製品を輸入すべきである,と述べた。
DIA-104-1979-06-05-5中国1979年06月05日1970年代サダト・エジプト大統領,中国とミグ機本体の供給を含む兵器供給取決めを結んだ,と言明-30日,「オクトーバー」誌,中国が最近ミグを90機エジプトに供与した,と報道。
DIA-104-1979-06-06-1中国1979年06月06日1970年代国務院,最近ジノー(基諾)族を単一少数民族と認定。
DIA-104-1979-06-06-2中国1979年06月06日1970年代中国は最近香港左派系5雑誌の輸入を禁止した。
DIA-104-1979-06-06-3中国1979年06月06日1970年代広西チワン族自治区党委は,最近,工作会議を開いた-3つの面の仕事に力を入れて,農業生産の足どりを速めることを決定。
DIA-104-1979-06-06-4中国1979年06月06日1970年代中国国家計画委員会のスポークスマンが指摘-「現在進められている中国経済の調整は4つの近代化をより速く,より着実に達成するためのものであり,中国と外国との経済技術協力や貿易には影響をおよぼさない」
DIA-104-1979-06-06-5中国1979年06月06日1970年代鄧小平副総理,アンドリュー・ピーコック・オーストラリア外相一行と会見。
DIA-104-1979-06-07-1中国1979年06月07日1970年代第5期全人代常委第8回会議開催-12日まで。第5期全人代第2回会議に提出する常務委員会の活動報告および法律案文を審議,決定した。12日,国務院秘書長,農墾部,糧食部,の設置を決定,金明,高揚,陳国棟をそれぞれの主任と部長に任命。陳国棟全国供銷合作総社主任の後任に牛蔭冠を任命。
DIA-104-1979-06-07-2中国1979年06月07日1970年代公安部は最近四川省西充県で全国農村防火工作現場会議を開いた。
DIA-104-1979-06-07-3中国1979年06月07日1970年代政協全国委常務委員第4回会議,霍士廉部長の農業問題報告を聴取。
DIA-104-1979-06-07-4中国1979年06月07日1970年代14の農業近代化総合科学実験基地のこの一年の活動-国家農業委,国家科学委がこのほど江蘇省無錫で,全国農業近代化科学実験基地座談会を開いた。活動経験を交流するとともに,この基地設立の目的,任務,指導思想について討議した。
DIA-104-1979-06-07-5中国1979年06月07日1970年代中国銀行ルクセンブルグ支店が正式に営業開始-解放後在外支店開設No1。
DIA-104-1979-06-08-1中国1979年06月08日1970年代「人民日報」特約評論員論文,「社会の風紀を改めることは全党の任務である」。
DIA-104-1979-06-08-2中国1979年06月08日1970年代国務院計画出産弁公室と一部の大学,研究機関は合同で,最近北京で人口理論座談会を開いた。
DIA-104-1979-06-08-3中国1979年06月08日1970年代電力工業部は,中国の地理的条件に合った風力発電設備の開発に力を入れている。
DIA-104-1979-06-08-4中国1979年06月08日1970年代国家ラジオ・テレビ工業総局は,最近済南でテレビ受像機品質工作会議を開き,品質向上の計画と措置を制定した。
DIA-104-1979-06-09-1中国1979年06月09日1970年代賀竜逝去10周年にあたって,「光明日報」,「人民日報」が次々と記念論文を発表。
DIA-104-1979-06-09-2中国1979年06月09日1970年代NASA使節団が最近内蒙古自治区のロケット発射基地を訪問-「ワシントンポスト」紙報道。
DIA-104-1979-06-09-3中国1979年06月09日1970年代日中ビデオネットワーク設立の覚書に調印-日中ビデオネットワーク社が中国の200カ所にテレビとカセットを供与,日本の産業映画200本を提供。
DIA-104-1979-06-10-1中国1979年06月10日1970年代世界バドミントン連盟(WBF)の第2回世界選手権と第1回ワールドカップ大会,杭州市で開幕。15日に閉幕。
DIA-104-1979-06-11-1中国1979年06月11日1970年代中国共産党天津市委員会は工作会議を開いた-国民経済を調整する任務を討議・確定し,古い工業基地天津の既存の基盤を十分に利用して,潜在力を大いに掘り起こし,技術革新,改造を大いに進め,天津市を近代的な工業基地,科学研究基地,輸出基地に築き上げることを決定。
DIA-104-1979-06-11-2中国1979年06月11日1970年代中島健蔵日中文化交流協会理事長死去-76歳。12日廖承志中日友協会長がメッセージを寄せる。
DIA-104-1979-06-12-1中国1979年06月12日1970年代共青団中央,北京で都市共青団責任者座談会開く-17日まで。青少年の共産主義道徳教育を強化する問題を討論,胡耀邦が講話をおこなった。
DIA-104-1979-06-12-2中国1979年06月12日1970年代吉林化学工業公司で新しい石油化学プロジェクトの建設進む。
DIA-104-1979-06-12-3中国1979年06月12日1970年代黄河の洪水予防総指揮部は,最近鄭州で山東,河南,陝西,山西4省黄河洪水予防会議を開催。
DIA-104-1979-06-12-4中国1979年06月12日1970年代中米高エネルギー物理連合委員会の第1回会議北京で開催-大型粒子加速器建設合意書に調印。
DIA-104-1979-06-12-5中国1979年06月12日1970年代タイ政府,最近中国にカンボジアの中国系難民9000人の受入れを要請-(共同通信)。
DIA-104-1979-06-12-6中国1979年06月12日1970年代宝山製鉄所プラント輸出契約保留問題,5年間金利7.25%の延払いで決着。
DIA-104-1979-06-13-1中国1979年06月13日1970年代黒竜江省第4期党委員会第2回全委員拡大会議で楊易辰第1書記が「農業の機械化について」報告。
DIA-104-1979-06-14-1中国1979年06月14日1970年代江蘇,浙江,湖北の3省でナタネ豊作-江蘇省の今年のナタネの収穫量は史上最高を記録し,豊作だった昨年より10%増加した。浙江省の18万6000haのナタネの総収穫量は昨年より8%増えた。湖北省は昨年より10%増えた。
DIA-104-1979-06-14-2中国1979年06月14日1970年代「人民日報」評論員論文,「商業とサービス業を発展させよう」
DIA-104-1979-06-14-3中国1979年06月14日1970年代康世恩副総理,ブラジルおよびアメリカ訪問から帰国-13日,日本に立ち寄り,外相,通産相と会見した。
DIA-104-1979-06-15-1中国1979年06月15日1970年代政協会議第5期全国委第2回会議が北京で開幕-鄧小平全国委員会主席が開会の辞をのべ,許徳副主席が活動報告をおこなった。
DIA-104-1979-06-15-2中国1979年06月15日1970年代5月の工業生産総額は4月のそれを6.3%上回り,今年最高の月間記録となった。
DIA-104-1979-06-15-3中国1979年06月15日1970年代財政部は,最近成都で,全国税務工作会議を開催。
DIA-104-1979-06-15-4中国1979年06月15日1970年代中国外交部は中国駐在ラオス大使館に覚書を送り,ラオス政府が1日の覚書でラオス駐在中国大使館の規模を制限し,意識的に両国関係悪化を企んでいることに遺憾の意を表明。
DIA-104-1979-06-16-1中国1979年06月16日1970年代中国外交部スポークスマン声明,国連および各国政府と人民に,ベトナムの難民輸出政策を即時中止させるよう行動する必要がある,とよびかけ。
DIA-104-1979-06-16-2中国1979年06月16日1970年代柳谷外務省アジア局長が訪中-18日まで黄華外交部長,韓念竜副部長,沈平アジア局長と会談。卜明中国銀行総経理は政府借款供与を正式に申し入れた。
DIA-104-1979-06-17-1中国1979年06月17日1970年代第5期全人代第2回会議予備会議開く-議事日程,資格審査委,予算委,法案委,提案審査委等を決定。
DIA-104-1979-06-17-2中国1979年06月17日1970年代李先念副総理,日本社会党の2つの訪中団と会見-SALT IIを批判,中ソ会談は次官級でモスクワで開かれるだろう,と述べた。尖閣列島共同開発は「巧妙な提案」と評価。
DIA-104-1979-06-18-1中国1979年06月18日1970年代第5期全国人民代表大会第2回会議が北京で開幕-葉剣英委員長が開会の辞をのべ,華国鋒総理が政府活動報告をおこなった。
DIA-104-1979-06-18-2中国1979年06月18日1970年代国民経済の調整,改革,整頓,向上の意義と目的について,華国鋒総理が政府活動報告で詳述-内容は次の通り。今年から3年の間に,国民経済の調整,改革,整頓,向上をはかる目的は,国民経済を一歩一歩,持続的な,つり合いのとれた,高速発展の軌道にのせることである。これは4つの近代化を実現するための最初の戦役であり,必ずしっかり力を入れなければならない。(調整,改革,整頓,向上の具体的内容と要求について詳述し)調整とは林彪,「四人組」の長い間にわたる妨害・破壊によってつくりだされた経済のアンバランスな状況に対して,自覚的に比率関係を調整し,農業・軽工業・重工業および工業の諸部門を比較的調和をとりながら発展させ,蓄積と消費の合理的な比率を保たせることである。3年の調整を通じて,①食糧とその他の農業・副業産物の生産発展が人口の伸びおよび工業の発展に比較的適応し,②軽・紡織工業の伸び率が重工業の伸び率に追いつくか,またはそれをやや超え,主な軽工業・紡織製品の伸びが国内の購売力の伸びに大体適応するとともに,その輸出が大いに増え,③当面の燃料,動力,交通輸送の需給逼迫がやや緩和し,冶金,機械,化学工業などの重工業部門で生産が増える
DIA-104-1979-06-19-1中国1979年06月19日1970年代鄧小平副総理,古井法相を団長とする日本法曹界訪中代表団と会見-同訪中団は16日に訪中,同日彭真法制委主任が古井法相と会談した。鄧副総理は,大平首相の早期訪中を要請。
DIA-104-1979-06-20-1中国1979年06月20日1970年代鄧小平副総理,イエン・サリ副首相と会見。
DIA-104-1979-06-20-2中国1979年06月20日1970年代中国政府,日本から戦後初の留学生20人を公募。
DIA-104-1979-06-20-3中国1979年06月20日1970年代79年下半期分中国向け鋼材輸出商談,180万トン以下で合意-前年比大幅減。
DIA-104-1979-06-20-4中国1979年06月20日1970年代李先念副総理と廖承志会長,藤山会長を団長とする国貿促代表団と会見。
DIA-104-1979-06-21-1中国1979年06月21日1970年代第5期全人代第2回会議全体会議で,余秋里国家計画委主任が79年度国民経済計画案に関する報告を,張勁夫財政部長が78年度国家決算と79年度国家予算案に関する報告をおこなった。
DIA-104-1979-06-21-2中国1979年06月21日1970年代福建省東山県水産局アワビ真珠貝育苗試験場は,アワビの人工採苗に成功し,アワビの大量生産の新しい道を開いた。
DIA-104-1979-06-21-3中国1979年06月21日1970年代農業機械部は,最近湖南省岳陽市で,全国農業機械化区画座談会を開いた。
DIA-104-1979-06-22-1中国1979年06月22日1970年代中国・アイルランドが国交樹立コミュニケに調印。
DIA-104-1979-06-23-1中国1979年06月23日1970年代元紡織工業部党組副書記・副部長張琴秋追悼会,北京で挙行-迫害により1968年4月22日死去,享年64歳。
DIA-104-1979-06-24-1中国1979年06月24日1970年代李先念副総理,カリファーノ米厚生教育長官と会見-中国も国連管理による難民センターの設立を考慮中,と語る。
DIA-104-1979-06-25-1中国1979年06月25日1970年代上海石油化学コンビナート,全面操業に入る-同コンビナートは合成繊維が年産10万2000t,高圧ポリエチレン樹脂が6万t,その他石油製品も生産できる。生産設備は計18あり,そのうち9つの設備は日本と西ドイツから輸入したもの。他の9設備と公共施設,補助プロジェクトはすべて中国製。
DIA-104-1979-06-25-2中国1979年06月25日1970年代ディン・ニョ・リェム外務次官を団長とするベトナム政府代表団が北京入り。
DIA-104-1979-06-25-3中国1979年06月25日1970年代譚震林副委員長,自民党新生クラブ訪中団と会見-譚副委員長は85年鉄鋼生産目標を4500万トンに引下げたことを明らにした。
DIA-104-1979-06-25-4中国1979年06月25日1970年代ユニチカと三井物産,内蒙古にカシミヤ一貫プラント輸出契約(約30億円)結ぶ。
DIA-104-1979-06-26-1中国1979年06月26日1970年代第5期全人代第2回会議全体会議で,彭真法制委員会主任が7つの法律案の骨子について説明をおこなった。27日には江華最高人民法院院長,黄火青最高人民検察院検察長が文書による活動報告を提出した。
DIA-104-1979-06-26-2中国1979年06月26日1970年代最近瀋陽で中共中央北方地方病予防治療指導グループ会議開催-李徳生組長が主催し,講話をおこなった。
DIA-104-1979-06-26-3中国1979年06月26日1970年代中国向けプラント輸出契約の2月以降の保留問題,エチレンプラント1基を除き決着-宝山関係が延払いとなったほかは大半は原契約通りで発効。
DIA-104-1979-06-26-4中国1979年06月26日1970年代松下電器,白黒テレビ用ブラウン管生産設備輸出契約に調印-上海に81年完成予定で年産160万本。
DIA-104-1979-06-27-1中国1979年06月27日1970年代1978年度国民経済計画遂行実績に関する中華人民共和国国家統計局の公報,発表。
DIA-104-1979-06-27-2中国1979年06月27日1970年代大型石油化学コンビナート,上海石油化工総工場の第1期工事が,国家検定を完了。
DIA-104-1979-06-27-3中国1979年06月27日1970年代李先念副総理,新任の中国駐在日本大使吉田健三と会見。
DIA-104-1979-06-28-1中国1979年06月28日1970年代西単「民主の壁」に「北京の春」編集部が汪東興批判のポスターと大字報を貼る-700万元の公費で個人住宅を建てたというもの。
DIA-104-1979-06-28-2中国1979年06月28日1970年代黄華外交部長,新任の中国駐在ベネズエラ大使レグロ・ブレリ・リバスと会見-ソモサ反動独裁政権の打倒をめざすニカラグア人民の闘争を支持する,と表明。
DIA-104-1979-06-28-3中国1979年06月28日1970年代北京で中越次官級交渉第2次第1回会議開く-ベトナムの停戦協定案を中国側が拒否。
DIA-104-1979-06-28-4中国1979年06月28日1970年代鄧小平副総理,竹入委員長以下公明党第8次訪中団と会見-宝山製鉄所建設で使いものにならぬくい打ち機を買わされた,と対中姿勢につき批判。
DIA-104-1979-06-29-1中国1979年06月29日1970年代鄧小平副総理,松下幸之助一行と会見。
DIA-104-1979-06-30-1中国1979年06月30日1970年代西単に陳錫〓批判の大字報出現。
DIA-104-1979-06-30-2中国1979年06月30日1970年代労働保護法規の貫徹実行で通達-中国国家計画委員会,国家経済委員会,国家労働総局はこのほど連名で通達を出し,全国の各地区,部門,単位に対し,「企業生産における安全作業強化に関する国務院のいくつかの規定」などの,労働保護法を着実に貫徹実行するよう求めた。
DIA-104-1979-06-30-3中国1979年06月30日1970年代国家経済委員会は国務院の承認を経て,「中華人民共和国優良製品奨励条例」を公布した。
DIA-104-1979-06-30-4中国1979年06月30日1970年代東京サミットで中国に対する金融協力で行きすぎた競争を防止する7ヵ国秘密合意が成立-(関係筋,読売7月1日)。
DIA-104-1979-07-01-1中国1979年07月01日1970年代内蒙古自治区が1969年以前の行政区画を回復した。
DIA-104-1979-07-01-2中国1979年07月01日1970年代「新しい長征」トーチ・リレー始まる-7月1日上海を起点に,井岡山,遵義,延安を経て9月14日に北京の第4回全国体育大会会場へ。
DIA-104-1979-07-01-3中国1979年07月01日1970年代第5期全国人民代表大会第2回会議が閉幕-葉剣英委員長が閉幕のあいさつをおこなった。会議は,以下の決議・決定をおこなった。○華国鋒総理の政府活動報告を承認。○1979年度国民経済計画案と余秋里副総理の報告を承認。○1978年度国家決算と1979年度国家予算案および張勁夫財政部長の報告を承認。○7つの法律を採択。「地方各級人民代表大会および地方各級人民政府組織法」,「全国人民代表大会および地方各級人民代表大会選挙法」,「人民法院組織法」,「人民検察院組織法」,「刑法」,「刑事訴訟法」,「中外合資経営企業法」。○彭真,蕭勁光,朱蘊山,史良を全人代常委副委員長に補充選出。華国鋒総理の提議により,陳雲,薄一波,姚依林を国務院副総理に,方毅を中国科学院院長に任命。○81人からなる全人代民族委員会を選出し,アペイ・アワンジンメイを同委員会主任に任命。○提案審査委の報告を承認。今会議に提出された提案は1890件。
DIA-104-1979-07-01-4中国1979年07月01日1970年代全人代常務委,国務院財政経済委員会設置を決定-陳雲副総理を主任に,李先念副総理を副主任に,任命。
DIA-104-1979-07-01-5中国1979年07月01日1970年代中華人民共和国中外合資経営企業法-第5期全国人民代表大会第2回会議で採択。
DIA-104-1979-07-01-6中国1979年07月01日1970年代中国最大の市内電話局北京市電信局36分局がすでに完成し,一部使用を開始。
DIA-104-1979-07-01-7中国1979年07月01日1970年代国家標準総局の承認により「自動車騒音測定基準」,「自動車騒音許容基準(試行)」が公布され,実施。
DIA-104-1979-07-01-8中国1979年07月01日1970年代華国鋒総理,ハミド・スリランカ外相と会見-東南アジア諸国連合外相会議がベトナム難民問題に対して示した立場を支持し,国連がこの問題を討議,解決する会議を召集することを支持する,と述べた。
DIA-104-1979-07-02-1中国1979年07月02日1970年代政協第5期全国委員会第2回会議が閉幕-会議は,劉瀾濤,陸定一,李維漢,胡愈之,王昆侖,パンチエン・オルドニ・チエジチェンツァンを政協全国委副主席に追加選出した。
DIA-104-1979-07-02-2中国1979年07月02日1970年代華国鋒主席,ユーゴスラビア共産主義者同盟訪中視察団と会見。
DIA-104-1979-07-02-3中国1979年07月02日1970年代橋本厚生大臣と銭信忠衛生部長,日中医療協力で基本的に合意。
DIA-104-1979-07-03-1中国1979年07月03日1970年代5期全人代民族委員会第1回会議,北京で開く。
DIA-104-1979-07-03-2中国1979年07月03日1970年代上海紡織工学院で留学生と中国学生が衝突-宿舎での音楽の音量をめぐって衝突,翌日は構内デモに。留学生19人,中国人学生,警察など24人が負傷。17日に友好・団結座談会開く。
DIA-104-1979-07-03-3中国1979年07月03日1970年代「イズベスチヤ」紙,6.3覚書に対する中国側の返答がないこと,全人代での華報告が中ソ交渉に前提をつけたこと,を非難。
DIA-104-1979-07-04-1中国1979年07月04日1970年代「人民日報」故朱徳国家主席が,1950年におこなった党の規律強化に関する講話を再掲。
DIA-104-1979-07-04-2中国1979年07月04日1970年代全国購買販売協同組合総社は,最近北京で,全国農村飲食サービス工作会議を開いた。
DIA-104-1979-07-04-3中国1979年07月04日1970年代訪中帰国の松下幸之助,日本電機業界による中国電子工業近代化への支援構想を提案。
DIA-104-1979-07-05-1中国1979年07月05日1970年代全国のナタネの買上量,計画を超過達成。
DIA-104-1979-07-05-2中国1979年07月05日1970年代全国建材工業,上半期の生産任務を超過達成-大,中型セメント企業の生産量は上半期に国家計画の半分以上を達成した。昨年同期比9.8%増となった。各大,中型板ガラス企業の生産量は上半期に計画より57万箱多く生産して,年間計画の53.9%を達成,昨年同期に比べ20%以上増えた。
DIA-104-1979-07-05-3中国1979年07月05日1970年代呉震中国代表,国連インド洋沿岸諸国・内陸諸国会議で,ベトナムが難民輸出を即時停止するよう,要求。
DIA-104-1979-07-05-4中国1979年07月05日1970年代中越次官級交渉第7回会談。北京で2回目。
DIA-104-1979-07-05-5中国1979年07月05日1970年代日越共産党共同声明発表。日本共産党は中越紛争でベトナムを全面支持。
DIA-104-1979-07-06-1中国1979年07月06日1970年代党中央,国務院は北京で全国農地基本建設会議を開催-11日まで。会議は3年の調整期の農地基本建設の任務について,初歩的な段取りを行なった。
DIA-104-1979-07-06-2中国1979年07月06日1970年代水利部は最近,全国水利会議を開いた-30年来の水利工作の経験のまとめ,3年間の調整期における水利工作の主な任務を決定した。
DIA-104-1979-07-07-1中国1979年07月07日1970年代大学・高等専門学校の全国統一入学試験-9日まで。今年の受験生は470万人で,8月下旬合格証発送,9月1日入学予定。
DIA-104-1979-07-07-2中国1979年07月07日1970年代教育部,衛生部等が連合で北京で全国託児所工作会議を開く-8月7日まで。
DIA-104-1979-07-07-3中国1979年07月07日1970年代米中貿易協定,北京で正式調印さる。
DIA-104-1979-07-08-1中国1979年07月08日1970年代海南島屯昌県で300人が放送局を占拠,党県委,具革委に乱入-31日首謀者王明光,王丁積に各懲役10年と2年の判決。
DIA-104-1979-07-08-2中国1979年07月08日1970年代中国国際信託投資公司がすでに国務院の認可を経て設立-信託投資業務の取り扱いを始めている。
DIA-104-1979-07-08-3中国1979年07月08日1970年代中国養蜂学会が北京で設立。理事長は馬徳風。
DIA-104-1979-07-08-4中国1979年07月08日1970年代鉄道部門は6月末までに今年上半期の貨客輸送任務を超過達成-時間半ばで年間任務の半分を達成することを実現した。
DIA-104-1979-07-08-5中国1979年07月08日1970年代交通部直属の水運部門は,今年上半期に,港呑吐量,水運貨物輸送量は昨年同期比でそれぞれ12%,12.6%増で,国家計画を達成した。
DIA-104-1979-07-08-6中国1979年07月08日1970年代商業部は北京で全国商業局長座談会を開いた-26日まで。
DIA-104-1979-07-08-7中国1979年07月08日1970年代李先念副総理とイメルダ・マルコス・フィリピン大統領夫人,3協定,1覚書に署名-期限7年の貿易協定,文化協定,民間航空輸送協定,観光ホテル建設協力に関する覚書。マルコス夫人は6日に訪中した。
DIA-104-1979-07-09-1中国1979年07月09日1970年代江蘇省陽県にマグニチュード6の地震が発生-死者41人,重軽傷者2000余人の被害が出た。
DIA-104-1979-07-09-2中国1979年07月09日1970年代浙江省で今年大麦,小麦の総収穫量が昨年の20%以上の増産となった。
DIA-104-1979-07-09-3中国1979年07月09日1970年代安徽省では今年の夏季収穫作物が全面的農作となり,小麦の総収穫量は昨年より10%以上の増産,ナタネは20%の増産,大麦,えんどうなども大幅な増産となった。
DIA-104-1979-07-09-4中国1979年07月09日1970年代江蘇省では233万haの三麦(大麦,小麦,えん麦)は昨年の大幅な増産を基礎に,総収穫量が10%以上伸び,総収穫量,単位面積当り収量とも新記録となった。
DIA-104-1979-07-09-5中国1979年07月09日1970年代四川省の353万haの夏季食糧作物は豊作だった。総収穫量は昨年の大豊作を基礎に,さらに8%の増産で,総収穫量,単位面積当り収量とも最もよい記録となった。
DIA-104-1979-07-09-6中国1979年07月09日1970年代華国鋒総理,イエレミア・タバイ大統領にキリバス共和国独立を祝う電報を送り,承認を宣言。
DIA-104-1979-07-10-1中国1979年07月10日1970年代民用航空は今年上半期の輸送計画を超過達成-昨年同期比の航空総輸送量は40%,輸送総収入は46%,旅客輸送量は34%それぞれ増えた。
DIA-104-1979-07-10-2中国1979年07月10日1970年代全国工業交通増産節約工作会議,成都で開催-23日まで。今年の工業成長率8%の達成可能と確認。
DIA-104-1979-07-10-3中国1979年07月10日1970年代園田外相,閣議で「尖閣諸島の領有権は別として中国と石油共同開発を進めたい」と発言-外務省に具体化指示。
DIA-104-1979-07-11-1中国1979年07月11日1970年代全国医療器械展,北京で開幕-20日まで。国家医薬管理総局と中国医療器械工業公司が北京展覧館で開く。
DIA-104-1979-07-11-2中国1979年07月11日1970年代上半期の機械製造工業は昨年同期を9%上回る増産で,品質も向上した。
DIA-104-1979-07-11-3中国1979年07月11日1970年代北京で世界経済学計画全国会議を20日まで開催。
DIA-104-1979-07-12-1中国1979年07月12日1970年代中国の石油工業,上半期国家計画を達成-原油,天然ガスの生産はそれぞれ5200万t,70億m3で,昨年同期よりそれぞれ3.6%,7.4%増,石油加工量は昨年比6.3%増の3400万tであった。
DIA-104-1979-07-12-2中国1979年07月12日1970年代紡織工業の今年上半期の総生産額は昨年同期比6.4%増。
DIA-104-1979-07-12-3中国1979年07月12日1970年代化学工業部門は今年上半期の国家計画を達成-19の主要製品は時間半ばで年間任務の半分を達成することを実現している。化学肥料は昨年同期より17.4%増えた。
DIA-104-1979-07-12-4中国1979年07月12日1970年代今年上半期,全国の発電量は1341億2000万kWHに達した-昨年同期比10.9%増。
DIA-104-1979-07-12-5中国1979年07月12日1970年代1~6月の輸出入総額は前年同期比43.2%増の213億元-うち輸出は同26.8%増の95億元,輸入は同59.9%増の118億元。新技術の導入量とプラント,一般機械設備の輸入量は前年同期の2.3倍で,食糧,食用油,砂糖の輸入も大幅に増えた。
DIA-104-1979-07-12-6中国1979年07月12日1970年代華国鋒総理,マウン・マウン・カ・ビルマ首相と会見-同日,中国・ビルマ経済技術協力協定に調印。ビルマ首相は9日に訪中。
DIA-104-1979-07-12-7中国1979年07月12日1970年代耿副総理,民社党第3次訪中団と会見。
DIA-104-1979-07-13-1中国1979年07月13日1970年代最高人民法院,北京で全国高級人民法院・軍事法院院長会議を開く-30日まで。6月末まで各地人民法院は文革10年間に判決した70万件の事件を再審査,16万件の冤罪,デッチ上げ事件,誤審を是正した。
DIA-104-1979-07-13-2中国1979年07月13日1970年代社会科学院は,1年来冤罪,誤審,デッチ上げ事件および歴史的に残された問題を整理し,800人の研究人員と党政幹部の名誉を回復した。
DIA-104-1979-07-13-3中国1979年07月13日1970年代中国外交部,ベトナム外務省に覚書を送り,ベトナム当局の中国領土侵入,挑発に強硬抗議。
DIA-104-1979-07-13-4中国1979年07月13日1970年代三洋電機が上海101工場でラジオの委託加工生産を開始。
DIA-104-1979-07-14-1中国1979年07月14日1970年代最高人民検察院が北京で全国検察工作座談会を開催-8月2日まで。
DIA-104-1979-07-14-2中国1979年07月14日1970年代中国の電子工業生産好調-今年上半期に達成された総生産額は年間計画の53%を上回った。テレビ受像機の生産台数は昨年の年間生産台数に匹敵する50万台を突破した。
DIA-104-1979-07-14-3中国1979年07月14日1970年代小麦生産地河南省では417万haの小麦が豊作で,総収穫量,単位面積当り平均収量とも豊作だった昨年を上回った。
DIA-104-1979-07-14-4中国1979年07月14日1970年代陜西省では今年夏季作物が豊作だった。190万haの小麦と雑穀の総収穫量は昨年より17.9%増え,8万haのナタネの総収穫量は29.8%増えた。
DIA-104-1979-07-14-5中国1979年07月14日1970年代湖北省では今年も180万haの夏季食糧が豊作で,総収穫量は史上最高だった昨年を10%上回った。
DIA-104-1979-07-14-6中国1979年07月14日1970年代山東省では387万haの小麦の単位面積当り平均収量,総収穫量とも史上記録を更新した。
DIA-104-1979-07-14-7中国1979年07月14日1970年代華国鋒総理,17日開催のアフリカ統一機構第16回国家元首・政府首脳会議に祝電を送る。
DIA-104-1979-07-14-8中国1979年07月14日1970年代中国は7月はじめ,2回にわたりベトナム民間人50人をひそかに送り返した-ハノイ放送。
DIA-104-1979-07-15-1中国1979年07月15日1970年代農墾部,民用航空総局は最近杭州で,水稲田に対する航空農業の応用の技術経験交流会を開いた。
DIA-104-1979-07-15-2中国1979年07月15日1970年代最近,水利部は小型水力発電所座談会を開催-全国の4分の3に当る1500余県に小型水力発電所がある。113県で発電設備容量が1万kWを超えている。
DIA-104-1979-07-15-3中国1979年07月15日1970年代今年上半期の工業生産総額は昨年同期より4.1%伸びた。
DIA-104-1979-07-15-4中国1979年07月15日1970年代鉄鋼工業は上半期に,圧延鋼,銑鉄,粗鋼の年間国家生産計画の53%を達成した。粗鋼1700万t,圧延鋼1220万tが生産され,昨年同期よりそれぞれ7.9%,15.4%増えた。
DIA-104-1979-07-15-5中国1979年07月15日1970年代江西省の東風造船所でこのほど中国初の油圧式バケットしゅんせつ船が完成。
DIA-104-1979-07-15-6中国1979年07月15日1970年代中国民航北京管理局は,北京~北戴河に観光航空路線を開いた。
DIA-104-1979-07-15-7中国1979年07月15日1970年代李先念副総理,毎日新聞訪中代表団と会見-中国は尖閣周辺海域での石油共同開発に賛成,と表明。
DIA-104-1979-07-16-1中国1979年07月16日1970年代中国外交部,駐中ソ連大使に覚書を送り,両国関係正常化の会談を9月中旬モスクワで開くよう提案-第2次は北京で開催も提案。
DIA-104-1979-07-17-1中国1979年07月17日1970年代「人民日報」特約評論員論文,「経済活動では実事求是を堅持しなければならない」
DIA-104-1979-07-17-2中国1979年07月17日1970年代全国の郵便・電信企業が今年上半期に達成した業務量は,昨年同期を7.4%上回り,利潤は55.6%増の2670万元余に達した。
DIA-104-1979-07-17-3中国1979年07月17日1970年代李先念副総理,アメリカ工業研究代表団と会見し,外国企業の投資を歓迎すると語った。
DIA-104-1979-07-17-4中国1979年07月17日1970年代王震副総理が秦豊代議士と会見。
DIA-104-1979-07-18-1中国1979年07月18日1970年代政府在外使節会議,北京で閉幕。
DIA-104-1979-07-18-2中国1979年07月18日1970年代北京郊外に高エネルギー物理実験センター建設-500億電子ボルト加速器の試作も進み,建設工事はすでに全面的に着工されている。
DIA-104-1979-07-18-3中国1979年07月18日1970年代隴海鉄道(連雲港~蘭州)天水~蘭州区間の電化工事,第2期工事がこのほど始まった。
DIA-104-1979-07-18-4中国1979年07月18日1970年代李先念副主席,金煥朝鮮労働党中央委書記を団長とする朝鮮労働党友好参観団と会見-25日華国鋒主席が一行と会見。
DIA-104-1979-07-18-5中国1979年07月18日1970年代中越次官級交渉第8回会議。
DIA-104-1979-07-18-6中国1979年07月18日1970年代中国,香港から広州,昆明,臨滄を経て中国・ビルマ国境上空を国際航空線に開放-広州白雲空港を香港ゆき飛行機の予備着陸空港に指定。
DIA-104-1979-07-19-1中国1979年07月19日1970年代「人民日報」社説,「手工業には将来性がある」
DIA-104-1979-07-19-2中国1979年07月19日1970年代李先念副総理,アンドレ・ジロー工業相を団長とする仏工業省訪中団と会見。
DIA-104-1979-07-20-1中国1979年07月20日1970年代中国紅十字会総会は台湾紅十字会の責任者に電報を送り,台湾・大陸間の親族の連絡について話し合いを提案。
DIA-104-1979-07-20-2中国1979年07月20日1970年代夏季食糧買付け任務超過達成-7月15日までに,966万5000t余りの夏季食糧が売り渡された。これは買付け任務を6.1%上回るもので,浙江,江蘇,安徽,湖北の各省では40~80%以上それぞれ上回った。史上最高だった1978年を上回った。
DIA-104-1979-07-20-3中国1979年07月20日1970年代中国数理経済研究会が,このほど北京で設立された。
DIA-104-1979-07-20-4中国1979年07月20日1970年代協同組合経営商店にも労組設立-中華全国総工会,商業部,全国購買販売協同組合総社は6月中旬,協同組合経営商店に労働組合を設立することについての広東省総工会,商業局,購買販売協同組合の指示要請報告に連名で回答し,集団所有制の協同組合経営商店に労働組合組織をつくり,元の小売・行商人を含む協同組合経営商店の従業員を吸収して労組に加入することに同意した。
DIA-104-1979-07-20-5中国1979年07月20日1970年代今年夏のウリ,果物類が豊作-総収穫量は650万t余に達し,スイカは昨年比86%増となる見込み。
DIA-104-1979-07-20-6中国1979年07月20日1970年代「人民日報」評論員論文,「改革をこころざそう」
DIA-104-1979-07-20-7中国1979年07月20日1970年代国連主催のインドシナ難民問題討議国際会議で,章文晋中国代表団団長が発言-中国受入れ難民は25万人に達し,中央政府は救済と受入れのため4億5000万ドルを支出した。東南アジアや香港にいる難民1万人未満を引取る用意があり,国連に約100万ドルの寄付をおこなう用意がある,と表明。
DIA-104-1979-07-22-1中国1979年07月22日1970年代四川農学院農学部水稲研究室が,新しい型の水稲(同型交雑水稲)の育成に成功-この水稲はアフリカ西部原産の晩生うるち稲「トンビヤカ」を使い,中国の早生うるち稲「矮脚南特」などの品種と,地理的に遠距離の交雑を行って,育てあげた新しい型の稲である。
DIA-104-1979-07-22-2中国1979年07月22日1970年代青年数学者孟凱韜の編著による「農業実用計算表」がこのほど陝西人民出版社から出版さる。
DIA-104-1979-07-22-3中国1979年07月22日1970年代中国外交部,ベトナム外務省に覚書を送り,同日ベトナム軍が中国の雲南省馬関県下のいくつかの人民公社域内に向って発砲,住民多数を殺傷したことに強く抗議。
DIA-104-1979-07-23-1中国1979年07月23日1970年代「たばこの有害性の宣伝を強化せよ」と銭衛生部長が談話-国務院が衛生部,財政部,農業部,軽工業部の合同通達「喫煙の害と節煙の宣伝に関する通達」を承認したあと,「健康報」に上述の談話を発表した。
DIA-104-1979-07-23-2中国1979年07月23日1970年代李先念副総理,オーストラリア・中国友好協会代表団と会見。
DIA-104-1979-07-23-3中国1979年07月23日1970年代ソ連,中国の16日覚書に正式回答-イリイチョフ次官を代表とし,会場はモスクワのみ,を提案。
DIA-104-1979-07-24-1中国1979年07月24日1970年代中国外交部覚書,ソ連国境警備隊が16日新疆塔城県テルサジ地区で発砲し,中国公民を死傷させる重大な挑発・流血事件をひき起こしたことに強硬に抗議-26日ソ連外務省はこの事件につき中国は白黒を転倒した声明をした,とこれに反論。
DIA-104-1979-07-24-2中国1979年07月24日1970年代朝日麦酒,杭州市でのビール工場建設に全面協力で中国側と基本的に合意-必要資金約250億円。
DIA-104-1979-07-25-1中国1979年07月25日1970年代第1回全国少年先鋒隊輔導員のサマーキャンプ,旅順口で始まる。
DIA-104-1979-07-25-2中国1979年07月25日1970年代全国カトリック愛国者協会第3回拡大会議で司教を選出。
DIA-104-1979-07-25-3中国1979年07月25日1970年代「人民日報」と新華社が,無政府状態にある北京の都市建設を批判。
DIA-104-1979-07-26-1中国1979年07月26日1970年代「人民日報」植物生態学者侯学煜の論文,「わが国農業の振興についてのいくつかの意見」。
DIA-104-1979-07-26-2中国1979年07月26日1970年代「人民日報」社説,「下半期は経済活動にしっかり力を入れよう」
DIA-104-1979-07-26-3中国1979年07月26日1970年代華国鋒総理,ニカラグア民族再建政府に電報を送り,中国政府の承認決定を伝える。
DIA-104-1979-07-26-4中国1979年07月26日1970年代石川島播磨重工,唐山市に建設のセメントプラント一式輸出で商談成立-日産4000トン,120億円。
DIA-104-1979-07-27-1中国1979年07月27日1970年代彭真全人代法制委主任が,法制強化についての報告をおこなう-全国検察工作座談会,全国高級人民法院・軍事法院院長会議,第3回全国予審工作会議の連席会議で。
DIA-104-1979-07-27-2中国1979年07月27日1970年代中国銀行第4期理事・監事第1回合同会議が北京で開かれた。
DIA-104-1979-07-27-3中国1979年07月27日1970年代今年上半期の都市の預貯金額は183億6000万元に達した-4月1日に預金金利が引き上げられてから,各地で預貯金が増加。昨年より28億7000万元増加し,同期の史上最高を記録した。1年以上の定期預金の比重が増大した。8省・市と6中小都市の統計によると4月の新規定期預入者のうち,3,5年ものが50%を占め,預金額の60%前後を占めた。
DIA-104-1979-07-27-4中国1979年07月27日1970年代54肥料年度上半期(7~12月)中国向け肥料輸出交渉妥結-尿素35万トン,硫安15万トン,塩安14万トン,価格は前期比19%アップ。
DIA-104-1979-07-28-1中国1979年07月28日1970年代貴州省でこのほど,埋蔵量150億tを上回る織納炭田を発見。
DIA-104-1979-07-28-2中国1979年07月28日1970年代交通部主催のコンテナー化に関する全国会議は,貨物輸送の高速化と中国の近代化を促進するため,コンテナー輸送の発展に力を入れるよう要請した。
DIA-104-1979-07-28-3中国1979年07月28日1970年代国務院が国営工業企業管理体制改革の5文書を正式に下部に伝達-文書は「国営工業企業の経営管理の自主権拡大に関する若干の規定」,「国営企業の利潤留保実施に関する規定」,「国営工業企業の固定資産減価償却率引上げと減価償却費の使用法改善に関する暫定規定」,「国営工業企業の固定資産税徴収に関する暫定規定」,「国営工業企業の流動資金全額の信用貸し実施に関する暫定規定」の5つ。この5文書は,各関係方面がくり返し検討した末に作成され,今年4月に開かれた中央工作会議で討議,原則的に採決されたあと,第5期全人代第2回会議で意見を聞き,国務院が最終的に承認して下部に伝達した。
DIA-104-1979-07-28-4中国1979年07月28日1970年代青蔵鉄道線(青海~チベット)は7月28日午後2時,第1期工事の終着駅,ゴルム駅までのレールの敷設を終えた。
DIA-104-1979-07-28-5中国1979年07月28日1970年代華国鋒主席,E.F.ヒル・オーストラリア共産党(ML)議長と会見。
DIA-104-1979-07-28-6中国1979年07月28日1970年代何英外交部副部長,イスラエルの最近のレバノン南部攻撃を非難-パレスチナ解放組織北京駐在事務所主任と会見して。
DIA-104-1979-07-29-1中国1979年07月29日1970年代農業部が全国牧畜区草原造成現場会議を,内蒙古自治区昭烏達盟巴林右旗で開く。
DIA-104-1979-07-29-2中国1979年07月29日1970年代李成瑞国家統計局副局長を団長とする統計視察団来日。
DIA-104-1979-07-30-1中国1979年07月30日1970年代中共中央紀律審査委,最近北京で第1回全国紀律審査工作会議開催-胡耀邦同委第3書記が報告をおこなった。
DIA-104-1979-07-30-2中国1979年07月30日1970年代第5期全人代常務委第10回会議開催-会議は中華人民共和国外国投資管理委員会の設置を決定し,谷牧副総理を同委員会主任に任命した。会議はまた,中華人民共和国輸出管理委員会の設置を決定し,谷牧副総理を同委員会主任に任命した。
DIA-104-1979-07-30-3中国1979年07月30日1970年代中国農業科学院は,最近四川省の重慶市で,全中国果樹科学技術計画会議開催-1979~81年全国果樹科学技術重点項目協力計画を策定した。
DIA-104-1979-07-30-4中国1979年07月30日1970年代「人民日報」評論員論文,「集団所有制企業には強大な生命力がある」
DIA-104-1979-07-30-5中国1979年07月30日1970年代中越次官級交渉第9回会議,開く-楊公素中国代表団副団長は,内外の記者団と会見,抗仏,抗米戦争期にベトナムに対しておこなった中国の援助を具体的に説明した。「ベトナム政府が西沙群島と南沙群島は中国領土であると承認した文献・資料」という文書を記者に配布。
DIA-104-1979-07-31-1中国1979年07月31日1970年代中国国防部,人民大会堂で建軍52周年祝賀レセプション開く-徐向前中央軍委副主席兼国防部長が主宰,300人が出席。
DIA-104-1979-07-31-2中国1979年07月31日1970年代軍総政治部が最近全軍大衆工作部長会議を開催。
DIA-104-1979-07-31-3中国1979年07月31日1970年代公安部が最近第3次全国予審工作会議を開いた。
DIA-104-1979-07-31-4中国1979年07月31日1970年代「人民日報」,周岳短評「文芸の春の歩みを阻んではならない」-「河北文芸」6号の李剣の文章「“頌徳”と“欠徳”」を批判。
DIA-104-1979-07-31-5中国1979年07月31日1970年代中華人民共和国標準化管理条例を国務院が公布。
DIA-104-1979-07-31-6中国1979年07月31日1970年代葉剣英委員長,ミルザ・グラム・ハフィズ議長を団長とするバングラデシュ国民会議代表団と会見。
DIA-104-1979-07-31-7中国1979年07月31日1970年代石油価格(7~9月)交渉妥結,正式調印-大慶原油,1バレル21.80ドルに。28%強の値上げ。
DIA-104-1979-08-01-1中国1979年08月01日1970年代「解放軍報」社説,「わが軍の戦闘力を近代化された水準に高めよう」
DIA-104-1979-08-01-2中国1979年08月01日1970年代汪東興副主席,最近立派な公邸から自己批判の上転出-(中国筋・共同)。
DIA-104-1979-08-01-3中国1979年08月01日1970年代瀋陽で大気汚染防止学術交流会議が最近開かれた。
DIA-104-1979-08-01-4中国1979年08月01日1970年代中国化学工業・医薬輸出商品交易会,大連で開催-15日まで。
DIA-104-1979-08-01-5中国1979年08月01日1970年代最近開かれた全国繊維製品・品種会議で,113種の繊維製品が銘柄製品に選定された。
DIA-104-1979-08-01-6中国1979年08月01日1970年代フィリピン航空がマニラ~北京線を開設-中国民航は9月4日に開設。
DIA-104-1979-08-02-1中国1979年08月02日1970年代中共北京市委は,中央の批淮を経て「三家村」に対する冤罪を完全にくつがえしたこの事件に連座したすべての人々も名誉を回復した(新華社)。
DIA-104-1979-08-02-2中国1979年08月02日1970年代李先念副主席,セネガル社会党代表団と会見。
DIA-104-1979-08-02-3中国1979年08月02日1970年代耿政治局員,ベルギー・マルクス・レーニン主義共産党中央代表団と会見。
DIA-104-1979-08-02-4中国1979年08月02日1970年代日本登山界代表と中国登山協会,日本山岳登山隊のチョモルンマ峰登はん議定書に調印。
DIA-104-1979-08-03-1中国1979年08月03日1970年代全国都市防火工作会議,ハルピンで開く-12日まで。
DIA-104-1979-08-03-2中国1979年08月03日1970年代北京高級・中級法院が最近経済裁判部を設置。
DIA-104-1979-08-03-3中国1979年08月03日1970年代李先念,余秋里両副総理,海外銀行保険公司経理会議代表と会見。
DIA-104-1979-08-03-4中国1979年08月03日1970年代マイケル・スミス米大統領繊維交渉特使,訪中から帰国の途へ。
DIA-104-1979-08-04-1中国1979年08月04日1970年代第5回全国民族学院院長会議開く-14日まで。
DIA-104-1979-08-04-2中国1979年08月04日1970年代葉剣英委員長,一時帰国した元総統府政策顧問,匀田と会見。
DIA-104-1979-08-04-3中国1979年08月04日1970年代今年の国家計画達成で全国総工会が電話会議を開き,合理化提案委員会の復活を提起。
DIA-104-1979-08-04-4中国1979年08月04日1970年代中国で目下最大の含油汚水処理船「黄島」号が作業開始-上海港に入港するタンカーおよびその他の船舶の排出する含油汚水の浄化処理を始めた。
DIA-104-1979-08-04-5中国1979年08月04日1970年代中国土産畜産輸出入総公司は天津で,中国京果輸出交易会を開催-10日まで。
DIA-104-1979-08-05-1中国1979年08月05日1970年代中国外交部,ベトナム外務省に抗議の覚書送る-ベトナム軍が7月14日から31日の間に30余回武力侵犯・挑発をおこなった,とのべ,7月31日のベトナム側覚書に反論。
DIA-104-1979-08-06-1中国1979年08月06日1970年代チベット自治区第3期人民代表大会第2回会議開催-14日まで。政府主席に天宝を選出,アペイ・アワンジンメイを人代常委主任に選出。
DIA-104-1979-08-06-2中国1979年08月06日1970年代「人民日報」評論員論文,「指導幹部は率先して森林法を執行せよ」
DIA-104-1979-08-06-3中国1979年08月06日1970年代全国プラント工作会議,北京で閉幕。
DIA-104-1979-08-06-4中国1979年08月06日1970年代1979年中ソ貿易・支払協定,モスクワで調印。
DIA-104-1979-08-06-5中国1979年08月06日1970年代松下幸之助,日中電子合弁事業推進で大平首相に協力を要請。
DIA-104-1979-08-07-1中国1979年08月07日1970年代中南海前で農民が坐りこみ開始-約30人。8日には各地方からの上京者150人ほどに。
DIA-104-1979-08-07-2中国1979年08月07日1970年代李先念副主席,ザンビア統一民族独立党代表団と会見。
DIA-104-1979-08-08-1中国1979年08月08日1970年代協同商店,修理業を発展させよう,李先念副総理が強調-李先念副総理は全国商業局長会議の報告を聴取した際,次のように述べた。わが国の社会主義市場で,国営商業を主体とする状況のもとで,集団所有制商業・サービス業を発展させるだけでなく,一部の個人労働者が地元の商工行政部門の管理のもとで,街頭で,理髪,とぎや,くつ,かさ,家具の修理,軽食販売などを行なうのを許可しなければならない。これは商業網の不備を補い,都市の就職口をふやし,大衆の生活の便宜をはかるうえで有益なものである。
DIA-104-1979-08-08-2中国1979年08月08日1970年代黄海の南部海域に無人観測装置-長江河口の北,黄海の南部海域(北緯32度33分,東経122度9分)にあり,この装置は今年初め国家海洋局が同海域に設置したもの。
DIA-104-1979-08-08-3中国1979年08月08日1970年代ホアン・バン・ホアン・ベトナム国会常委副議長が最近中国入り-到着の翌日華国鋒,葉剣英,鄧小平,李先念ら指導者が同氏と会見。9日同氏は北京で内外記者と会見した。
DIA-104-1979-08-09-1中国1979年08月09日1970年代「人民日報」評論員論文,「幹部の考課は絶対に実施する必要がある」
DIA-104-1979-08-09-2中国1979年08月09日1970年代南疆鉄道(トルファン~コルラ)全線はレール敷設工事を完了。
DIA-104-1979-08-10-1中国1979年08月10日1970年代国家経済委員会等の単位は合同で,1979年度国家品質奨励品の選定会議を開催-北京で20日まで。172品目の国家品質優良奨励品を選定した。
DIA-104-1979-08-11-1中国1979年08月11日1970年代第2回全国土壌一斉調査を着実にりっぱに行うため,農業部は国家農業委員会の委託を受けて,土壌一斉調査科学技術顧問組組長会議を最近北京で開いた。
DIA-104-1979-08-11-2中国1979年08月11日1970年代「人民日報」陳慕華副総理・国務院計画出産指導小組組長の論文,「4つの近代化実現には人口増加を計画的に抑制しなければならない」-社会主義計画経済は本来,人間自身の生産を計画的に調整し,人口増加と物質的手段の生産増加を適応させることができるという優越性をもっている。わが国の実情から出発して,今世紀末までに人口自然増加率がゼロになる,すなわち人口が増加しない状態を目指さなければならない。
DIA-104-1979-08-11-3中国1979年08月11日1970年代中国軽工業部は,現在北京で開かれている全国工芸美術職人,デザイナー代表大会で34人に「工芸美術家」の栄誉ある称号を与えた。大会は8日から16日まで開かれた。
DIA-104-1979-08-11-4中国1979年08月11日1970年代中国国家経済委員会は全国電話会議を開き,第2回「品質向上月間」活動をくり拡げるための部署配置を行った。
DIA-104-1979-08-11-5中国1979年08月11日1970年代中国工芸美術学会が北京で設立さる。
DIA-104-1979-08-11-6中国1979年08月11日1970年代東北電力網,年間水力発電計画を繰り上げ達成。
DIA-104-1979-08-11-7中国1979年08月11日1970年代耿副総理,田中NHK放送総局長と会見-N響が中央放送事業局交響楽団と「運命」を共演。
DIA-104-1979-08-12-1中国1979年08月12日1970年代1979年済南国際体操友好招待試合開幕。
DIA-104-1979-08-12-2中国1979年08月12日1970年代姫鵬飛党中央対外連絡部部長が,最近ルクセンブルク共産主義同盟中央代表団と会見。
DIA-104-1979-08-13-1中国1979年08月13日1970年代広東,江西両省で早稲が豊作-広東省では200万haの早稲のha当り収量は3.75tを超え,史上最高を突破,総収穫量も史上最高だった1976年に近づいた。落花生と大豆の総収穫量も昨年より大幅に増えた。江西省では今年早稲が豊作で,総収穫量は昨年より4.7%増え,総収穫量,単位面積当り収量ともに新記録となった。全省の早稲作付面積は170万4000ha。
DIA-104-1979-08-13-2中国1979年08月13日1970年代海軍医学研究所,上海医薬工業研究院,海軍411病院などは協力して船酔いを抑える薬「抗暈霊」を開発した。
DIA-104-1979-08-13-3中国1979年08月13日1970年代電力工業部は最近蘇州で全国火力発電所石炭・電力節約会議を開き,全国の火力発電所に対し,今後3年間で石炭900万t,電力9億kWHを節約するよう要請した。
DIA-104-1979-08-13-4中国1979年08月13日1970年代農業部,軽工業部,商業部は合同で,最近浙江省臨海県で全国乳山羊基地県会議を開いた。
DIA-104-1979-08-13-5中国1979年08月13日1970年代中国外交部,ソ連に覚書を送り,交渉のモスクワ・北京相互開催を重ねて要求-(共同23日)。
DIA-104-1979-08-14-1中国1979年08月14日1970年代国務院は「中華人民共和国標準化管理条例」公布について,各省・市・自治区革命委員会,国務院各部・委員会,各直属機構に通達。
DIA-104-1979-08-14-2中国1979年08月14日1970年代「人民日報」一葦論文,「経済体制改革の根本問題」
DIA-104-1979-08-14-3中国1979年08月14日1970年代華国鋒総理,ラナシンゲ・プレマダサ・スリランカ首相と会見-一行は13日に訪中した。
DIA-104-1979-08-14-4中国1979年08月14日1970年代中越次官級交渉第10回会議開く。
DIA-104-1979-08-15-1中国1979年08月15日1970年代全国統一戦線工作会議開催-9月3日まで。3日,ウランフ中共中央統一戦線工作部長が総括講話をおこなった。
DIA-104-1979-08-15-10中国1979年08月15日1970年代大平首相,高島外務事務次官に,尖閣石油共同開発で,大陸棚の線引問題について中国側と正式な話し合いを指示。
DIA-104-1979-08-15-2中国1979年08月15日1970年代「人民日報」評論員論文,「指導的幹部に対しては厳しい要求を課すべきである」
DIA-104-1979-08-15-3中国1979年08月15日1970年代「人民日報」,「光明日報」は梁記耀論文「わが国の農業には一大発展が必要である」を同時に掲載。
DIA-104-1979-08-15-4中国1979年08月15日1970年代10日から北京と華北北部,東北南部一帯で降っている今回の長雨は,15日ですでに5日余続いている。雨続きのため,秋季収穫作物と秋野菜によくない影響がでている。
DIA-104-1979-08-15-5中国1979年08月15日1970年代ゴルムド川のクンルン山の雪解け水を動力とするゴルムド水力発電所が,このほど青海省に完成し発電を始めた。青海省最大の水力発電所で,発電容量は9000kW。
DIA-104-1979-08-15-6中国1979年08月15日1970年代中国国務院は,中華人民共和国成立30周年を祝賀するに際し,全国の先進企業と労働模範を表彰することを決定,通達を出した。表彰の範囲,対象は工業,交通,基本建設部門の先進企業(事業体)と労働模範。
DIA-104-1979-08-15-7中国1979年08月15日1970年代7月の工業生産,大幅に伸びる-7月,全国の工業総生産額は昨年同期より11%増えた。,軽工業の7月生産額は昨年同月より12.9%伸び,重工業,工業全体の伸び率9.7%,11%より大きかった。
DIA-104-1979-08-15-8中国1979年08月15日1970年代冶金工業部は上海で専門家座談会を開き,上海宝山鉄鋼総工場の建設をいかによりよく行うかについて検討-24日まで。
DIA-104-1979-08-15-9中国1979年08月15日1970年代黄河上流の甘粛省瑪曲県の県城付近に,鉄筋コンクリート製の箱型リブ・アーチ式大橋が完成,開通式。全長280m,幅7m。
DIA-104-1979-08-16-1中国1979年08月16日1970年代浙江,福建両省の早稲が豊作-浙江省の118万haの早稲は豊作で,総収穫量は昨年比3.2%増,単位面積当り平均収量は昨年比5.8%増となった。福建省の73万haの早稲の総収穫量は昨年比3%増となり,単位面積当り平均収量と総収穫量がともに新記録となった。
DIA-104-1979-08-16-2中国1979年08月16日1970年代日本民間銀行団,長・短期の対中民間融資に関する契約書に正式調印-総額は80億ドル。
DIA-104-1979-08-17-1中国1979年08月17日1970年代海軍党委が最近常委拡大会議を開いた-海軍で広範に真理の標準問題についての学習と討論をくりひろげる問題を討議,鄧小平副主席が重要講話をおこなった。
DIA-104-1979-08-17-2中国1979年08月17日1970年代全国高等財政経済教育会議が北京で開催-31日まで。
DIA-104-1979-08-17-3中国1979年08月17日1970年代石油公団,中国沖石油開発で正式発表-松沢理事が記者会見。渤海湾南部は日本側のリスク報酬方式,南海,珠江沖は欧米メジャーと共同で。
DIA-104-1979-08-18-1中国1979年08月18日1970年代全国公文書工作会議が北京で開かれた-29日まで。
DIA-104-1979-08-18-2中国1979年08月18日1970年代文化部党組は最近,いわゆる「二流堂」問題について名誉回復の通知を出した。
DIA-104-1979-08-18-3中国1979年08月18日1970年代中国初の観光専門学校が上海に設立,9月1日から開校。
DIA-104-1979-08-18-4中国1979年08月18日1970年代曽生交通部長は,大陸と台湾間の海上旅客・貨物輸送を早急に復活させ発展させる問題について,台湾の海運界と協議したいと指摘した。
DIA-104-1979-08-18-5中国1979年08月18日1970年代五台山のラバ市活況呈す-今年のラバ市には山西,内蒙古,河北,河南各省,自治区の50県近くの人民公社・生産隊,牧場,生産資料公司が参加した。
DIA-104-1979-08-18-6中国1979年08月18日1970年代葉剣英委員長,マルタ共和国議会代表団と会見-20日華国鋒総理が一行と会見。
DIA-104-1979-08-19-1中国1979年08月19日1970年代李先念副主席,シエラレオネ全国人民大会党代表団と会見。
DIA-104-1979-08-19-2中国1979年08月19日1970年代法王パウロ2世,中国教会との関係修復をよびかけ。
DIA-104-1979-08-20-1中国1979年08月20日1970年代共青団中央と教育部が北京で12都市青少年共産主義道徳教育座談会を開催-25日まで。
DIA-104-1979-08-20-2中国1979年08月20日1970年代青海省5期人代第2回会議開催-28日まで。譚啓竜を人代常委主任に,張国声を省長に選出。
DIA-104-1979-08-20-3中国1979年08月20日1970年代新疆の130万haの小麦は昨年の豊作を基礎に,さらに6%増産の見込み。
DIA-104-1979-08-20-4中国1979年08月20日1970年代東北地区農業近代化学術討論会,ハルピンで開催-29日まで。
DIA-104-1979-08-20-5中国1979年08月20日1970年代馬儀国家経済委副主任を団長とする経済代表団が来日。
DIA-104-1979-08-21-1中国1979年08月21日1970年代「人民日報」張慶武論文,「都市人口の増加を抑制しよう」
DIA-104-1979-08-22-1中国1979年08月22日1970年代谷牧副総理は,樋野正二松下電器副社長一行と会見した際,「中国は近く中外合資経営企業法の若干の具体的な補充規定を公布する」と述べた。
DIA-104-1979-08-22-2中国1979年08月22日1970年代「人民日報」社説,「基本建設は断固調整しなければならない」
DIA-104-1979-08-22-3中国1979年08月22日1970年代大連で中国海洋学会第1回代表大会。
DIA-104-1979-08-22-4中国1979年08月22日1970年代全国購買販売組合本部が北京で,各省・市・自治区購買販売協同組合主任会議開催-9月12日まで。
DIA-104-1979-08-22-5中国1979年08月22日1970年代華国鋒主席,葉剣英委員長が,チャウシェスク・ルーマニア共産党書記長・共和国大統領およびイリエ・ベルデツ同国首相に,ルーマニア解放35周年を祝う電報を送る。
DIA-104-1979-08-22-6中国1979年08月22日1970年代李先念副総理,ペンヌート殿下と会見。
DIA-104-1979-08-22-7中国1979年08月22日1970年代中国,労働力海外輸出で日本の建設会社と契約交渉を開始。
DIA-104-1979-08-23-1中国1979年08月23日1970年代四川省の林業部門は8月中旬で,今年の木材生産計画をすでに超過達成。生産量は昨年同期より29.9%伸びた。
DIA-104-1979-08-23-2中国1979年08月23日1970年代湖南,広西の早稲が豊作-湖南省の早稲の総収穫量は昨年比7.1%増となり,総収穫量と単位面積当り収量は新記録をつくった。広西チワン族自治区の126万haの早稲の総収穫量は昨年比6%増,ha当りの平均収量も10%増となり新記録をつくった。
DIA-104-1979-08-23-3中国1979年08月23日1970年代華国鋒総理,英国作家フェリックス・グリーンと会見。
DIA-104-1979-08-24-1中国1979年08月24日1970年代農業部は最近,カエル資源の保護のため,カエルの捕獲,売買を厳禁することを求めた通達を出した。
DIA-104-1979-08-24-2中国1979年08月24日1970年代黒竜江省と新疆ウイグル自治区の国営農場では今年,冬・春小麦が一様に豊作。
DIA-104-1979-08-24-3中国1979年08月24日1970年代華国鋒総理,アメリカ民主党ジャクソン上院議員と会見-鄧小平副総理もこの日同氏と会見した。
DIA-104-1979-08-24-4中国1979年08月24日1970年代シアヌーク殿下が北朝鮮から北京に到着-北京滞在中,鄧小平,李先念,鄧穎超ら首脳と会談,31日平壌に戻った。
DIA-104-1979-08-25-1中国1979年08月25日1970年代北京の人民大会堂で張聞天追悼会挙行-1976年7月1日死去,享年76歳。陳雲副主席が主宰,鄧小平副主席が追悼の辞を述べた。
DIA-104-1979-08-25-2中国1979年08月25日1970年代内蒙古自治区五原県にマグニチュード6の地震が発生-死者ゼロ,負傷者104人,倒壊家屋400余棟。
DIA-104-1979-08-25-3中国1979年08月25日1970年代中共遼寧省第5回代表大会開催-31日まで。省委第1書記に任仲夷,第2書記に黄欧東を選出。
DIA-104-1979-08-25-4中国1979年08月25日1970年代中共雲南省第3回代表大会開催-29日まで。省委第1書記に安平生,第2書記に劉明輝を選出。
DIA-104-1979-08-25-5中国1979年08月25日1970年代都市部の機械化養鶏,一応の発展-統計によると,すでに完成あるいは建設中のもので10万羽以上の規模をもつ機械化養鶏場は50カ所で,うち30カ所余が操業あるいは一部操業に入った。1~6万羽の規模をもつ機械化,半機械化の養鶏場は23カ所,1万羽以下の半機械化養鶏場は440カ所ある。北京市に121カ所,上海市には299カ所ある。全国の機械化・半機械化養鶏場が完全操業に入ると,1300万羽余を飼育できる。
DIA-104-1979-08-25-6中国1979年08月25日1970年代中国,外国籍船舶管理規則を公布-この規則の公布後,交通部が1957年3月14日に公布した「中国対外国籍船舶出入港管理法」な廃止された。
DIA-104-1979-08-25-7中国1979年08月25日1970年代華国鋒総理,バルバドス議会代表団と会見。
DIA-104-1979-08-26-1中国1979年08月26日1970年代華国鋒,李先念,王震,余秋里,胡耀邦,王任重ら指導者,農山村に定住する知識青年模範代表座談会の代表と会見-華主席は,知識青年が農山村に赴く道は正しい道であり,農村にはなすべきことが沢山ある,と述べた。座談会は17日から29日まで北京で開かれた。
DIA-104-1979-08-26-2中国1979年08月26日1970年代新疆自治区5期人代第2回会議開催-9月5日まで。ティムル・ダワマットを人代常委主任に,イスマイル・アイマットを自治区人民政府主席に選出。
DIA-104-1979-08-27-1中国1979年08月27日1970年代北京政協礼堂で,徐泳,張経武,呉漑之,鄒大鵬,伍雲甫の追悼会挙行さる-いずれも政治的迫害により67年から72年にかけて死去したもの。
DIA-104-1979-08-27-2中国1979年08月27日1970年代最近開かれた天津市党常委拡大会議で,鄧小平副主席が重要講話をおこなった。
DIA-104-1979-08-27-3中国1979年08月27日1970年代中国ワラ・ヤナギ・竹・藤製品交易会が杭州で開かれた-9月5日まで。30近い国と地域の220社から派遣された450人余のバイヤーが参加。中国工芸品輸出入総公司が主催。
DIA-104-1979-08-27-4中国1979年08月27日1970年代華国鋒総理,ビレンドラ・ネパール国王および王妃と会見-夫妻は26日から28日まで訪中。
DIA-104-1979-08-27-5中国1979年08月27日1970年代中国京劇団が来日。
DIA-104-1979-08-28-1中国1979年08月28日1970年代全国放送テレビ大学工作会議開催-北京で9月4日まで。
DIA-104-1979-08-28-2中国1979年08月28日1970年代10数年間中断されていた華東6省1市経済協力会議が,8月中旬上海で開かれた。6日間の会期中に,各地は計117件の取り決めと契約を結んだ。
DIA-104-1979-08-29-1中国1979年08月29日1970年代山東省の夏季食糧総収穫量は957万6000t(うち集団の生産量は894万1500t)で,豊作だった昨年を123万7000t上回った。
DIA-104-1979-08-29-2中国1979年08月29日1970年代江蘇省の今年の三麦(大麦,小麦,ハダカ麦)のha当り平均収量は3tを突破し,総収穫量は従来の見通しより50万t,昨年より185万t増え,伸び率は29%に達した。
DIA-104-1979-08-29-3中国1979年08月29日1970年代鄧小平副主席は北京の西郊外で,新型軽量建材を用いて建てた4棟の軽量構成材実験建築を視察した。
DIA-104-1979-08-29-4中国1979年08月29日1970年代華国鋒総理,モンデール米副大統領と会見-モンデール副大統領は25日から9月1日まで訪中,29日には,80年と81年の文化交流実施計画,水力発電および関連水資源利用の協力に関する議定書に調印した。31日には広州で米総領事館開館式に出席。
DIA-104-1979-08-29-5中国1979年08月29日1970年代中越次官級交渉第11回会議開く-進展なし,と中国側が指摘。
DIA-104-1979-08-29-6中国1979年08月29日1970年代中国,対日原油供給の第3四半期分5%カットを通告。
DIA-104-1979-08-30-1中国1979年08月30日1970年代運輸経済関係者は,このほど北京で大型座談会を開いた。
DIA-104-1979-08-30-2中国1979年08月30日1970年代康世恩副総理,工業・交通部門にエネルギー節約を要求-東北地区生産指導会議で提起したもの。今回の生産指導会議は8月25日から30日まで開かれた。
DIA-104-1979-08-30-3中国1979年08月30日1970年代全国品質管理小組代表会議が北京で閉幕-国家経済委員会が開いたもので,会期は一週間。
DIA-104-1979-08-30-4中国1979年08月30日1970年代中国品質管理協会が北京で成立。 III.外交
DIA-104-1979-08-31-1中国1979年08月31日1970年代教育部は最近「中高校生守則」,「小学生守則」(試行草案)を公布した。
DIA-104-1979-08-31-2中国1979年08月31日1970年代李先念副主席,スリナム民主人民戦線代表団と会見。
DIA-104-1979-09-01-1中国1979年09月01日1970年代「民主の壁」に68,69年に強制除隊を命ぜられた40万人の兵士の救済を要求する大字報-ほかに大慶労働者の,陳烈民批判の大字報はり出さる。(共同)
DIA-104-1979-09-01-2中国1979年09月01日1970年代中国国家統計局の初歩的調査によると,夏の食糧総収穫量は6490余万tで,昨年比550余万t増,伸び率は9.4%。昨年の全国の小麦総収穫量は,年間食糧総収穫量の17%を占めた。
DIA-104-1979-09-01-3中国1979年09月01日1970年代農業機械部は最近,全国農業機械規格化会議開催-1978年現在,各地の農村は大中型トラクター55万7000台余,ハンドトラクター137万3000台,排水・灌漑用動力機械6500万馬力余を保有している。うち3分の1の大中型トラクターは故障していたり,「ねかせたまま」で,修理してすぐ使うことができない。
DIA-104-1979-09-01-4中国1979年09月01日1970年代全国観光工作会議を北戴河で開催-19日まで。1985年に350万人の観光客を受け入れる計画を提案。
DIA-104-1979-09-01-5中国1979年09月01日1970年代谷牧副総理が訪日-3日大平首相と会談。同日園田外相に日本からの円借款供与を正式に要請。6日谷牧副総理は日本記者クラブで記者会見をおこない尖閣列島は中国領土と強調した。12日大阪から帰国。
DIA-104-1979-09-02-1中国1979年09月02日1970年代夏季収穫食糧買上げ入庫量は昨年比300万t増-夏季の買上げ計画が7月25日に達成された後も,広範な農民が引続き余剰食糧を国に売り渡している。食糧部の統計によると,8月20日現在,冬麦生産15省・市ですでに夏季食糧1205万tが入庫し,計画を32.7%超過,昨年同期の入庫を300万t上回って,建国以来の最高の年となった。
DIA-104-1979-09-02-2中国1979年09月02日1970年代華国鋒総理,第6回非同盟諸国首脳会議に祝電を送る。
DIA-104-1979-09-03-1中国1979年09月03日1970年代第4回全国体育大会に参加する台湾省スポーツ代表団結成-94人で,うち72人が大陸在住の選手。
DIA-104-1979-09-03-2中国1979年09月03日1970年代国務院財政経済委員会は最近経済問題で大規模な調査研究を開始した-この仕事は,財政経済委員会の直接的指導のもとに4つの小組に分かれて進められる。経済体制改革研究小組,経済構造研究小組,技術導入研究小組,経済理論と方法問題研究小組。
DIA-104-1979-09-03-3中国1979年09月03日1970年代「政治経済学辞典」出版-上巻が新中国成立30周年に合わせて出版される。
DIA-104-1979-09-03-4中国1979年09月03日1970年代農業部幹部養成・訓練班が近く開講する-第1期受講者は計530人余。農業部が瀋陽,西北,西南,華中,華南の各農学院および北京,浙江両農業大学に委託して,それぞれ開くもの。
DIA-104-1979-09-03-5中国1979年09月03日1970年代モンデール米副大統領,訪中の帰途訪日,大平首相と会談。
DIA-104-1979-09-04-1中国1979年09月04日1970年代財政部が江西財政学院に委託して開設した第1期県局クラス財政指導幹部研修会が開講-今期研修会には上海,江蘇,浙江など16の省・市・自治区から受講生が集った。
DIA-104-1979-09-04-2中国1979年09月04日1970年代国連開発計画(UNDP)中国駐在事務所の開所式北京でおこなわる。
DIA-104-1979-09-04-3中国1979年09月04日1970年代日本映画週間開幕式,北京で挙行-鄧穎超副委員長が開幕式と祝賀レセプションに出席した。
DIA-104-1979-09-04-4中国1979年09月04日1970年代上野動物園でパンダ,ランランが病気で死ぬ。
DIA-104-1979-09-05-1中国1979年09月05日1970年代元北京市委書記鄧拓追悼会,北京で挙行-林彪,「4人組」および「例の顧問」の迫害により1966年5月18日死去,享年54歳。
DIA-104-1979-09-05-2中国1979年09月05日1970年代中央軍委は,江西省于都県人民武装部参謀の胡師文に「雷鋒式の人民武装幹部」の称号を授与。
DIA-104-1979-09-05-3中国1979年09月05日1970年代中共中央組織部が北京で全国組織工作座談会開く-9月5日まで。胡耀邦が重要講話を,宋任窮が総括発言をおこなった。
DIA-104-1979-09-05-4中国1979年09月05日1970年代中国共産党代表団が,はじめてチュニジア社会主義憲政党第10回大会に出席。
DIA-104-1979-09-06-1中国1979年09月06日1970年代軍総参謀部,総政治部,総後勤部は最近連合通知を出し,全軍に対し工農業生産支援に積極的に参加し,4つの近代化に貢献するよう要求した。
DIA-104-1979-09-06-2中国1979年09月06日1970年代谷牧副総理,東京で記者会見-大陸ダナの石油開発は当面の差し迫った任務である。中国探査開発公司はすでに米国,英国,フランス,イタリアと探査協定に調印し,わが国の南黄海,南中国海地区で作業を行っている。日本石油公団もすでに参与している。中国は香港・澳門地区に近い深,珠海両市に2つの地区を設け,香港・澳門の同胞および外国の友人が合弁事業を行い,独自に経営し,さまざまな企業・事業をおこすことを歓迎すると決定した。この2つの特別区の経営管理については,内陸地区よりもやや開放した方法を採用していくことになろう。釣魚島の問題については,石油の共同開発を考慮し,主権問題は一時タナ上げにすることができる。われわれが先ずこの地域の石油資源の開発に着手することは,双方のいずれにも有利である。
DIA-104-1979-09-06-3中国1979年09月06日1970年代国務院は,野生植物原料の利用を拡大し,今年の「小秋収」をりっぱに行なうことについての通達を出した。
DIA-104-1979-09-06-4中国1979年09月06日1970年代台湾が領海12カイリ,経済水域200カイリを宣言-最近のフィリピンの宣言に対応したもの。
DIA-104-1979-09-06-5中国1979年09月06日1970年代インド外務省,中国遊牧民がブータンに侵入と抗議。
DIA-104-1979-09-07-1中国1979年09月07日1970年代「人民日報」評論員論文,「落選者のある選挙が良い」-各級党委員会の選挙方法の改革を要求。
DIA-104-1979-09-07-2中国1979年09月07日1970年代華国鋒総理,ヒース英元首相と会見。
DIA-104-1979-09-07-3中国1979年09月07日1970年代ハノイ放送,中国が国境に12個師団と支援部隊を集結,軍事挑発をおこなっている,と非難-22日ベトナム政府は,中越国境は爆発寸前との文書をハノイ駐在記者に配布。
DIA-104-1979-09-07-4中国1979年09月07日1970年代トヨタ自販,贈与で北京に自動車整備工場設置と公表-10月30日に正式調印。
DIA-104-1979-09-08-1中国1979年09月08日1970年代党中央と国務院,幹部1000人を動員して上京陳情問題の解決に取り組む-8月7日から9月7日までに陳情のため北京に来た人々はのべ6000人に達した。
DIA-104-1979-09-08-2中国1979年09月08日1970年代第2回全国「品質向上月間」ラジオ・テレビ放送大会で,国務院は51の優良製品に金メダル,121の優良製品に銀メダルを授与した。
DIA-104-1979-09-08-3中国1979年09月08日1970年代上海市,新従業員1万8000人を試験で採用-「統一募集,一斉応募,個別試験,選抜採用」の方法をとって,新しい従業員を採用し,各方面から熱烈な歓迎と支持をうけている。
DIA-104-1979-09-09-1中国1979年09月09日1970年代「人民日報」毛主席の「音楽工作者との談話」を掲載-1956年8月24日になされたもの。
DIA-104-1979-09-09-2中国1979年09月09日1970年代「民主の壁」前で「探索」復刊1号を販売。
DIA-104-1979-09-09-3中国1979年09月09日1970年代「公社・隊営企業発展における若干の問題についての規定」(試行案)が公布された。
DIA-104-1979-09-09-4中国1979年09月09日1970年代国務院は,中国銀行に対し米国政府により凍結された資産の回収と引上げの権限を授与した。
DIA-104-1979-09-10-1中国1979年09月10日1970年代「人民日報」社説,「公社・隊営企業をまじめに整頓,発展させよう」-昨年,これら企業の総生産額は77年比25%の伸びを示し,全国で公社・隊営企業に携わった農民は2800余万人,農村の総労働力の9.5%を占めて,77年比400余万人増えた。
DIA-104-1979-09-10-2中国1979年09月10日1970年代全国機械工業技術実演・交流活動が,上海で始まった。
DIA-104-1979-09-10-3中国1979年09月10日1970年代林業部は最近,華北中原地区平原緑化会議を開いた。
DIA-104-1979-09-10-4中国1979年09月10日1970年代華国鋒総理,カナダ議会代表団一行と会見。
DIA-104-1979-09-11-1中国1979年09月11日1970年代第5期全人代常委第11回会議開幕-13日まで。「中華人民共和国環境保全法(試行)」を採択。姫鵬飛を副総理に任命。司法部,第8機械工業部,地質部を設置,部長としてそれぞれ,魏文伯,焦若愚,孫大光を任命した。張勁夫を国家財政経済委副秘書長に,呉波を財政部長に任命。
DIA-104-1979-09-11-2中国1979年09月11日1970年代江西省の盧山薬物実験場で,薬用人参の試験栽培に成功。
DIA-104-1979-09-11-3中国1979年09月11日1970年代チベット高原で霊芝の人工栽培に成功。
DIA-104-1979-09-11-4中国1979年09月11日1970年代徐州発電所が発電容量12万5000kWの発電を開始。77年以来同発電所に連続して取付けられた3台目の大型発電ユニット。6月に完成した淮陰~泰州間の総延長175kmの高圧送電線によって,淮陰,塩城,揚州地区に送られる。
DIA-104-1979-09-11-5中国1979年09月11日1970年代国家計画委員会,経済委員会,国家物資総局は合同で,最近,第2回全国石油消費圧縮・節約会議を開いた。
DIA-104-1979-09-11-6中国1979年09月11日1970年代華国鋒総理とフェリックス・グリーン氏がテレビ対談-華総理,若干の経歴,文革,中国の近代化,当面の国際情勢などについて語る。
DIA-104-1979-09-11-7中国1979年09月11日1970年代長春で全中国日本文学シンポジウム開く-20日まで。日本文学研究会成立。
DIA-104-1979-09-11-8中国1979年09月11日1970年代上海~長崎間の定期航空便が開通-日中双方とも週7往復を実現。
DIA-104-1979-09-12-1中国1979年09月12日1970年代8月の中国の工業生産総額は前月より2.5%,また昨年同月より9.3%伸びた。軽工業の伸びは昨年同期比10.9%で,重工業の伸びよりはやかった。
DIA-104-1979-09-12-2中国1979年09月12日1970年代雲南省昆明湖畔で中国最大の燐鉱山の建設進む-建設の全準備作業は3年間で,1981年までに完了の予定。3つの新鉱山は82年もしくはその後建設が始められる。鉱山の総面積は40km2,数億tの高品位の燐鉱石が埋蔵されている。現在操業中の鉱山はすでに年間100万t余の燐鉱石を生産している。
DIA-104-1979-09-12-3中国1979年09月12日1970年代マルグレーテ2世デンマーク女王とヘンリック殿下が訪中。
DIA-104-1979-09-13-1中国1979年09月13日1970年代中共中央,国務院は全国職員労働者労働模範大会を来年の国慶節前後に延期して開催する旨,最近通知。
DIA-104-1979-09-13-2中国1979年09月13日1970年代河南省5期人代第2回会議開催-19日まで。胡立教を人代常委主任に選出,劉傑を省長に決定。
DIA-104-1979-09-13-3中国1979年09月13日1970年代李先念副総理,東急グループ友好訪中団と会見-李副総理,五島団長の日中民間経済委提案に好意的論評をおこなう。
DIA-104-1979-09-14-1中国1979年09月14日1970年代北京市労働者体育場で第4回全国体育大会開幕式-大会は15日から30日までおこなわれた。
DIA-104-1979-09-14-2中国1979年09月14日1970年代歴史家呉晗の追悼大会,北京で挙行-18日には外交部副部長であった章漢夫の,20日には作家邵麟の追悼会がおこなわれた。
DIA-104-1979-09-14-3中国1979年09月14日1970年代中共北京大学党委が党中央の承認のもとに,馬寅初の名誉を回復。
DIA-104-1979-09-14-4中国1979年09月14日1970年代政協全国委,各党派と無党派代表人士座談会開催-21日まで。農産物価格調整,農業の発展をはやめる問題,建国以来の工作の総括等の問題について討論と話し合いをおこない,華国鋒主席が出席し,講話をおこなった。
DIA-104-1979-09-14-5中国1979年09月14日1970年代鄭州で全国職員労働者教育工作会議開催-24日まで。
DIA-104-1979-09-14-6中国1979年09月14日1970年代「人民日報」社説,「ひきつづき前進する非同盟運動」
DIA-104-1979-09-14-7中国1979年09月14日1970年代中国が米副大統領の台湾債務肩がわり提案を拒否,このため米法により20億ドルの輸銀借款が不可能に(共同)。
DIA-104-1979-09-15-1中国1979年09月15日1970年代「人民日報」,中共中央の国慶節30周年慶祝スローガンを発表。
DIA-104-1979-09-15-2中国1979年09月15日1970年代商業部は最近全国飲食サービス座談会を北京で開いた-3年間の国民経済調整期間中に,都市飲食・サービス業網を80%増やし,1965年の水準に回復させるとともに,伝統的なサービス項目と品種を復活して,大衆の生活の需要を満たすことが打ち出された。
DIA-104-1979-09-15-3中国1979年09月15日1970年代解放以来最大規模の全国軽工業新製品展示即売会が北京で開幕-展示場は北京郊外の全国農業展覧館の総合館。18部門,計3000余の新しい品種,デザインの軽工業新製品が展示され,中には今年の国家金賞,銀賞に輝いた45の品質優良品もあった。10月15日に閉幕。
DIA-104-1979-09-15-4中国1979年09月15日1970年代李先念副主席,ベネズエラの社会主義運動代表団一行と会見。
DIA-104-1979-09-16-1中国1979年09月16日1970年代鄧穎超副委員長,日本から帰国定住の徐逸樵夫妻と会見,招宴。
DIA-104-1979-09-16-2中国1979年09月16日1970年代中国のナタネ買上げ量,史上最高-8月20日現在,全国で買上げられたナタネは昨年より30万t多い90万2000tに達し,計画を29万2500t上回った。現在,中国ではナタネ油の生産量が植物油のなかで首位を占め,食用油の総生産量の3分の1を占めている。
DIA-104-1979-09-16-3中国1979年09月16日1970年代好調な畜産-関係部門の6月末の統計によると,全国の豚の飼育頭数は3億945万頭に達し,昨年同期比1248万頭の増加,4.2%増となった。買付け量も5879万頭に達し,昨年上半期に比べて948万頭増加し,19.2%増となった。羊の飼育頭数は1億9018万頭に達し,昨年同期比1326万頭増加で7.5%増。牛,馬,ロバ,ラバ,ラクダなどの大家畜の総頭数は9425万頭に達し,昨年同期比48万頭増加で0.5%増。ウサギの飼育数量は,多くの県で昨年同期より何倍も増えた。鶏卵の買付け量は上半期57万9785tに,ハチミツは5万6500tに達し,それぞれ昨年同期比42.9%増,13%増となった。畜産物の品質も,少数の地区を除いて向上している。豚を例にとると,全国で買付けた一頭当り生体重量は,昨年6月末の76.5kgから81.85kgへと,5.35kg増えた。豚の買付け頭数の総飼育頭数に占める比重も,昨年同期の16.6%から19%に伸びた。
DIA-104-1979-09-17-1中国1979年09月17日1970年代中央軍委命令,対越自衛反撃,国境防衛戦のなかであらわれた143の英雄・模範単位と個人に栄誉称号を授与-10月13日に広州で,15日に昆明でそれぞれ授与,命名大会を挙行した。
DIA-104-1979-09-17-2中国1979年09月17日1970年代華国鋒総理,サドゥ・ダウドゥ国防相を団長とするカメルーン軍事代表団一行と会見。
DIA-104-1979-09-17-3中国1979年09月17日1970年代李先念副総理,キース・フラー氏の率いるAP通信社代表団一行と会見。
DIA-104-1979-09-17-4中国1979年09月17日1970年代来日の中国科学院代表団と日本学術振興会「日中学術交流に関する覚書」に合意。
DIA-104-1979-09-18-1中国1979年09月18日1970年代河南省党委,省革命委は全省放送大会を開き,反革命分子,破壊・窃盗の親玉,申茂功(党中央委候補),国栄,竇征らの処分を宣言-3人はすでに法により逮捕された。
DIA-104-1979-09-18-2中国1979年09月18日1970年代最近の調査で,大慶油田の推定埋蔵量は25%増加-過去3年半,原油の安定した高生産を維持している。新しい油井を増設せず,この3年間,毎年原油の生産量を100万tずつ増やしている。
DIA-104-1979-09-19-1中国1979年09月19日1970年代共青団中央委,北京で全国新長征突撃手命名・表彰大会を開催-10の突撃隊と155人の先兵を表彰。
DIA-104-1979-09-19-2中国1979年09月19日1970年代「人民日報」社説,「農村のすばらしい情勢を見極め,引続き政策の実施を堅持しよう」
DIA-104-1979-09-19-3中国1979年09月19日1970年代今年に入ってからの8カ月半の間に,国内航空路が14路線,国際航空路が3路線新設され,便数も増加した。新設の国内線はいずれも観光事業の発展の需要に応えるためのもの。
DIA-104-1979-09-19-4中国1979年09月19日1970年代華国鋒総理,リチャード・ニクソン元アメリカ大統領と会見-18日には鄧小平副総理が同氏と会見招宴した。
DIA-104-1979-09-19-5中国1979年09月19日1970年代中国,日本企業の北京駐在員事務所を公認,長期ビザを発給。
DIA-104-1979-09-20-1中国1979年09月20日1970年代国務院知識青年指導小組弁公室が,全国農山村定住知識青年配置経験交流会開く-遼寧省本渓市と湖南省湘潭市で順次開いた。10月12日まで。
DIA-104-1979-09-20-2中国1979年09月20日1970年代11月下旬に北京で全国綿花生産会議開催と,国務院が最近通達。
DIA-104-1979-09-20-3中国1979年09月20日1970年代都市住宅建設,前年比30%増の見込み-今年,国家,地方,企業が192の主要都市で計画・按配した住宅建設投資は45億元。昨年から繰越された資金を加えると計52億元に達し,昨年実際に完成した投資額より38%多い。計画着工面積は4800万m2余,計画竣工面積は3000万m2で,昨年の実際の竣工面積より31%増となっている。
DIA-104-1979-09-20-4中国1979年09月20日1970年代華国鋒主席,ベニン人民革命党代表団一行と会見。
DIA-104-1979-09-20-5中国1979年09月20日1970年代中越次官級交渉第12回会議開く。
DIA-104-1979-09-21-1中国1979年09月21日1970年代中華全国婦女連合会,「三八」紅旗手,「三八」紅旗集団表彰大会を開催-人民大会堂に1万名が集合。
DIA-104-1979-09-21-2中国1979年09月21日1970年代中国の外航船391隻に-今年6月現在,各種船舶を保有し,輸送力は700万重量t余に達している。
DIA-104-1979-09-21-3中国1979年09月21日1970年代河南省南召県内で最近大型の大理石鉱床発見。
DIA-104-1979-09-21-4中国1979年09月21日1970年代農村の市取引活発化-工商行政管理総局の統計によれば,6月末現在,全国の農村市は3万3527カ所まで回復し,1965年の統計数字に近づいた。28省・市・自治区の206の市での統計によれば,今年上半期の取引額は昨年同期より49%多い2億284万元に達した。農村の市での商品価格は安定し,なかには下がっているものもある。
DIA-104-1979-09-21-5中国1979年09月21日1970年代四川北部で高生産の石油・ガス自噴発見-5月25日に工業価値をもつ安定高生産石油・ガス井を掘り当てた。この4カ月余,軽質原油を噴出し,同時に大量の天然ガスを産出している。
DIA-104-1979-09-21-6中国1979年09月21日1970年代鄧小平副総理,日本ソニー株式会社会長盛田昭夫夫妻と会見-盛田会長,26日帰国記者会見で,日中電子合弁の松下構想に消極的見解を表明。
DIA-104-1979-09-21-7中国1979年09月21日1970年代金子蔵相,関税率審議会に対中特恵供与を諮問。
DIA-104-1979-09-23-1中国1979年09月23日1970年代全国省,市,自治区公安局長会議が閉会。
DIA-104-1979-09-23-2中国1979年09月23日1970年代中国で58の1万t級以上埠頭・バースの建設進む。
DIA-104-1979-09-23-3中国1979年09月23日1970年代湖南,株州市の財政商業部門はこのほど全市で物価の大検査を行なった。
DIA-104-1979-09-23-4中国1979年09月23日1970年代合肥の駱崗空港が国際線の予備空港に昇格。
DIA-104-1979-09-23-5中国1979年09月23日1970年代王幼平外交部副部長を団長とする中国政府代表団モスクワ入り-ソ連と両国関係について交渉のため。
DIA-104-1979-09-23-6中国1979年09月23日1970年代新華社記者論評,「モスクワに問題解決の誠意はあるのか」
DIA-104-1979-09-25-1中国1979年09月25日1970年代中共第11期中央委員会第4回全体会議開く-北京で28日まで。中華人民共和国成立30周年祝賀会でおこなう葉剣英副主席の演説,および「農業の発展をはやめるうえでの若干の問題についての中共中央の決定」を討議・採択した。趙紫陽,彭真を中央政治局員に選出。
DIA-104-1979-09-25-10中国1979年09月25日1970年代鄧小平副総理,ピエール・トルドー前カナダ首相・自由党党首と会見。
DIA-104-1979-09-25-2中国1979年09月25日1970年代馬力貴州省革委主任,北京で病気のため死去-享年63歳。10月8日追悼会がおこなわれた。
DIA-104-1979-09-25-3中国1979年09月25日1970年代中国の約1億haの耕地のうち,耕地かんがい面積は4700万haに達す-その半分が干害,水害に見舞われても収穫を確保でき,安定した多収穫をあげられるようになった。
DIA-104-1979-09-25-4中国1979年09月25日1970年代新たな発展を見せた観光事業-8月までに受け入れた外国の友人,華僑,香港・澳門と台湾の同胞は計68万人余。昨年1年間と比べて18万人も多い。国務院は13の観光ホテルの建設を承認,すでに着工されたものもある。
DIA-104-1979-09-25-5中国1979年09月25日1970年代蘇州市で最近開かれた全中国国内販売花茶品評会で,14種の花茶が最優良品に選ばれた。
DIA-104-1979-09-25-6中国1979年09月25日1970年代河南省で新油田,南陽油田を発見-「工人日報」の報道によると,双河鎮油鉱の泌28号井は,試験生産で1日当りの原油生産量が1000tに達した。原油の質も非常によい。南陽油田は77年5月1日から開発,建設が開始され,78年10月に完成し,採油を始めた。
DIA-104-1979-09-25-7中国1979年09月25日1970年代中国で発見された鉱物資源,140余種に達す-最近地質部から得た情報によると,これら鉱物資源のうち,埋蔵量がすでに判明しているものは132種類である。非鉄金属で埋蔵量の判明したものは20種類にのぼっている。
DIA-104-1979-09-25-8中国1979年09月25日1970年代天津市革命委員会は全市で物価の大検査を行うことを決定-10月上旬まで。今回の検査は各系統の自己点検を主とし,自己点検をふまえて相互点検を行うか,または市物価検査小組が抽出検査を行う。
DIA-104-1979-09-25-9中国1979年09月25日1970年代華国鋒総理,丁肇中米マサチューセッツ工科大学物理学部教授と会見。
DIA-104-1979-09-26-1中国1979年09月26日1970年代張平化国家農業委第一副主任が記者会見,85年までに食糧4億tの生産可能と語る-この30年間,全国に8万余のダムが建設され,200万余の動力井戸が掘られ,排水・かんがい機械は6500馬力増え,農地かんがい面積は解放初期の3倍近くに増えた。全国に56万台のトラクター,140万台のハンド・トラクターがあり,80%の人民公社と50%の生産隊には電気が引かれ,化学肥料年産量(有効成分換算)は約870万t,農薬は50万t余に達した。2500余の大・中型国営農場をつくり,国に商品食糧および各種の副食品,工芸作物を提供する重要な基地にした。
DIA-104-1979-09-26-2中国1979年09月26日1970年代浙江省華僑投資公司がこのほど設立され,業務を開始した。
DIA-104-1979-09-26-3中国1979年09月26日1970年代ルクセンブルクのジヤン大公夫妻が訪中-28日華国鋒総理が夫妻と会見。
DIA-104-1979-09-26-4中国1979年09月26日1970年代南沙群島の主権に関する中国外交部の声明-南沙群島に対する中国の合法的主権は,いかなる国の,いかなる口実の,いかなる方式による侵犯も断じて許さず,いかなる外国による南沙群島,島しょ占拠,およびこれら地域の開発その他の動きも,いずれも不法であり,許されない。
DIA-104-1979-09-27-1中国1979年09月27日1970年代国家統計局の統計によると,全人民所有制と集団所有制の工業企業は35万で,1949年の企業数12万と比べ,2倍近く増えている。1949年の固定資産総額はわずか124億元,一企業当り平均10万元余であった。現在全人民所有企業の固定資産だけでも3200億元あり,1949年の全工業固定資産に比べ26倍に増えている。
DIA-104-1979-09-27-2中国1979年09月27日1970年代中華全国工商業連合会は,台湾省の商工業団体と商工業界の人びとに,10月11日北京で開かれる全国工商業連合会第4回会員代表大会に代表を派遣するよう,招請状を送った。
DIA-104-1979-09-27-3中国1979年09月27日1970年代広西の梧州地区で金が増産-今年1~8月に,金を91.45kg採掘した。昨年同期比2.7倍である。
DIA-104-1979-09-27-4中国1979年09月27日1970年代広州の黄埔水道拡張第1期工事終わる。9月中旬正式に海運部門に引渡された。
DIA-104-1979-09-27-5中国1979年09月27日1970年代韓念竜外交部副部長,第34回国連総会で発言。
DIA-104-1979-09-27-6中国1979年09月27日1970年代李先念副総理,米「ニューヨーク・タイムス」編集局次長シーモア・トピング氏夫妻と会見。
DIA-104-1979-09-28-1中国1979年09月28日1970年代国務院は先進企業と労働模範表彰大会を開催-8月の規定により工業,交通,基本建設部門の先進企業118個と全国労働模範222人を選出,表彰したもの。
DIA-104-1979-09-28-2中国1979年09月28日1970年代解放軍,各分野の建設事業に貢献-鉄道兵部隊がこの30年間に建設した鉄道は47本,総延長は1万2000km余(うちトンネル890km,橋400km余)で,全国の鉄道建設の37%を占める。基本建設工兵は1966年に編成されてから,計81の大中型項目を完成させた。全軍から抜き出された多くの部隊は辺境に土着して,農場を開設し,耕地面積を147万ha余拡大した。
DIA-104-1979-09-28-3中国1979年09月28日1970年代新中国成立後,103本の鉄道建設-現在,全国の鉄道開通総延長は5万kmに達している。
DIA-104-1979-09-29-1中国1979年09月29日1970年代中共中央委,全人代常委,国務院は人民大会堂で建国30周年慶祝大会を開く-華国鋒主席が主宰し,葉剣英副主席が演説をおこなった(参考資料参照)。
DIA-104-1979-09-29-2中国1979年09月29日1970年代国務院弁公室,世界の華僑,香港・マカオ同胞,台湾同胞および中国系外国籍人士の招待会開く-廖承志副委員長が講話をおこなった。
DIA-104-1979-09-29-3中国1979年09月29日1970年代首都国際空港のターミナルビルとその付属施設が完成。首都国際空港建設指揮部は盛大な集会を開いて竣工を祝った。
DIA-104-1979-09-30-1中国1979年09月30日1970年代華国鋒主席・総理が国慶30周年レセプションを催す-葉剣英,鄧小平,李先念,汪東興,宋慶齢らの指導者と内外人士4000人が参加。
DIA-104-1979-09-30-2中国1979年09月30日1970年代浙江省の烏渓江湖南鎮水力発電所が完成し,運転を始めた。高落差水力発電所で,総設備容量は17万kW。ダムの堤高129m,堤長440m,貯水量20億6000万m3。
DIA-104-1979-09-30-3中国1979年09月30日1970年代華国鋒総理,ブルンジ民族統一進歩党代表団と会見。
DIA-104-1979-09-30-4中国1979年09月30日1970年代華国鋒総理,バングラデシュ軍事友好代表団と会見。
DIA-104-1979-09-30-5中国1979年09月30日1970年代李先念副総理,小林与三次日本テレビ社長と会見。
DIA-104-1979-10-01-1中国1979年10月01日1970年代葉剣英委員長,香港・マカオの国慶節祝賀行事参観代表団と会見-香港・マカオは大陸と台湾を結ぶ架け橋になるべきだ,と語る。
DIA-104-1979-10-01-2中国1979年10月01日1970年代中国革命博物館で中共党史展が再開。
DIA-104-1979-10-01-3中国1979年10月01日1970年代「全国民族工作展」北京で開く。
DIA-104-1979-10-01-4中国1979年10月01日1970年代「探索」誌編集部,「若き共和国にささげる」と題する論文かかげる。
DIA-104-1979-10-01-5中国1979年10月01日1970年代経済ニュースを専門に伝える中国初の新聞,「市場」報を人民日報出版社が発行。
DIA-104-1979-10-01-6中国1979年10月01日1970年代対中資金協力政府調査団,訪中-9日に帰国。
DIA-104-1979-10-02-1中国1979年10月02日1970年代中共昔陽県委員会常務委員会は今年8月以来,討議を通じ,県下の10余年の大寨に学ぶ運動における極左の誤りについて回顧,点検した。
DIA-104-1979-10-02-2中国1979年10月02日1970年代李先念副総理,アメリカの黒人ロバート・ウイリアムス夫妻と会見。
DIA-104-1979-10-03-1中国1979年10月03日1970年代全国青少年科学技術作品展が北京で開幕。
DIA-104-1979-10-03-2中国1979年10月03日1970年代中ソ国家関係交渉予備会議第3回会議-交渉の議事日程問題について討議。12日の予備会議で議題合意なしで本会議入りに合意。
DIA-104-1979-10-04-1中国1979年10月04日1970年代中国国際信託投資公司取締役会,正式に発足。
DIA-104-1979-10-04-2中国1979年10月04日1970年代昨年第4四半期から試みている農墾系統の農工商連合企業はすでに初歩的な成果を上げている。現在,26省・市・自治区の36カ所でテストが行われている。
DIA-104-1979-10-04-3中国1979年10月04日1970年代石油公団,中国石油天然ガス勘探公司と渤海南部を対象とした石油共同探査契約に調印。
DIA-104-1979-10-05-1中国1979年10月05日1970年代第5期政協常委第8回会議開く。
DIA-104-1979-10-05-2中国1979年10月05日1970年代「人民日報」李洪林論文,「われわれはどのような党の指導をおこなうのか」-党と行政の分離を主張。
DIA-104-1979-10-06-1中国1979年10月06日1970年代「民主の壁」に反共大字報が出現-江蘇省秦生譜署名で,祖国人民,特に農民は共産主義に同意していない,とのべる。(共同)
DIA-104-1979-10-06-2中国1979年10月06日1970年代農業機械工業部門は昨年から「品質保証」活動を繰り広げて,成果をあげている。
DIA-104-1979-10-06-3中国1979年10月06日1970年代財政部は北京で,全国農業財務工作会議を開催-14日まで。
DIA-104-1979-10-06-4中国1979年10月06日1970年代ラオス人留学生43人が北京から汽車でモスクワへ引揚げ-上海の20人も引揚げ準備中(共同)。
DIA-104-1979-10-06-5中国1979年10月06日1970年代国務院,ランランに代わるカンカンの相手を決定するよう指示-広州市革命委主任楊尚昆,広州市から福岡市にパンダ2頭を贈ると言明。
DIA-104-1979-10-07-1中国1979年10月07日1970年代武少文農業機械部副部長,農業機械化サービス公司の任務について語る-総公司は今年3月に設立された。この半年来,北京市通県,山東省掖県,江蘇省宜興県で農業機械化サービス公司の実験を行ない,同時に一部の省・市・自治区でも一ないし数県を選んで実験を行った。今後計画的に次第に実験範囲を拡大して経験をつむ必要がある。
DIA-104-1979-10-07-2中国1979年10月07日1970年代華国鋒総理が西欧,中国の記者と会見-冒頭に西欧歴訪について談話を発表し,記者の質問に答えた。
DIA-104-1979-10-07-3中国1979年10月07日1970年代李先念副主席,スゥエーデン共産党代表団と会見。
DIA-104-1979-10-08-1中国1979年10月08日1970年代林業部,調整案の策定に着手-今年の6,7,8月,前後100人余の幹部を派遣し,指導幹部を先頭に東北,西南,南部の森林区と西北,華北の森林の少ない地区に入って調査研究を行ない,経験・教訓を真剣に総括した。
DIA-104-1979-10-08-2中国1979年10月08日1970年代稲山会長を団長とする日中経済協会訪中団が訪中-12日まで。9日谷牧副総理が,11日李先念副総理が一行と会見,李副総理は合弁事業で日本が先べんをつけるよう要望した。
DIA-104-1979-10-09-1中国1979年10月09日1970年代国家科学技術委員会は,最近党中央の承認の下に「科研14条」および「広州会議」等の名誉回復を宣言した。
DIA-104-1979-10-09-2中国1979年10月09日1970年代康生は40年代の残酷な極左路線についても批判されなければならない-中国筋語る(共同)。
DIA-104-1979-10-09-3中国1979年10月09日1970年代中国海洋湖沼学会の第3期代表大会と学術年次総会が武昌で開かれた-14日まで。
DIA-104-1979-10-09-4中国1979年10月09日1970年代李先念副総理,ヨルダン教育代表団一行と会見。
DIA-104-1979-10-09-5中国1979年10月09日1970年代「人民日報」がイタリア共産党の国慶節祝電を掲載。
DIA-104-1979-10-10-1中国1979年10月10日1970年代人民大学学生会,第2砲兵部隊の占拠する校舎などの返還を要求して全学スト-12日第2砲兵部隊は指定の期間内に,2つの食堂,一棟の宿舎,800人が授業をうけられる教室を返還することに同意,13日ストを解除した。
DIA-104-1979-10-10-2中国1979年10月10日1970年代共青団は北京で149名の優秀な少年先鋒隊輔導員の命名,表彰大会を開く-この日共青団中央は,第6回全国少年先鋒隊工作会議を北京で開催。17日まで。
DIA-104-1979-10-10-3中国1979年10月10日1970年代9月の工業生産,引続き上昇-9月の工業総生産額は8月に比べ9.4%,昨年同期に比べ11.5%増えた。
DIA-104-1979-10-10-4中国1979年10月10日1970年代「人民日報」評論員論文,「体制改革の第一歩を勇敢に踏み出さなければならない」
DIA-104-1979-10-10-5中国1979年10月10日1970年代鄧小平副総理,タイ国務長官シディ・サベトシラ空軍中将を団長とするタイ友好代表団一行と会見。
DIA-104-1979-10-10-6中国1979年10月10日1970年代中米高分子化学物理シンポジウム閉幕-6日間にわたり北京で開かれた。
DIA-104-1979-10-11-1中国1979年10月11日1970年代8つの民主党派と工商業連合会が,それぞれ北京で代表大会を開催-22日まで。
DIA-104-1979-10-11-2中国1979年10月11日1970年代南中国海で高生産油井を掘削-珠江河口盆地で高生産油井を掘りあて,海底から2000m余りの地層深部から原油が激しく噴き出した。
DIA-104-1979-10-11-3中国1979年10月11日1970年代鄧小平副総理,イギリス学術院代表団一行と会見。
DIA-104-1979-10-12-1中国1979年10月12日1970年代全人代民族委員会が北京で第1回業務会議を開く-17日まで。少数民族の権利を法律でどのように保障するか,を研究。
DIA-104-1979-10-12-2中国1979年10月12日1970年代全国地方交通安全会議,北京で開催-19日まで。
DIA-104-1979-10-12-3中国1979年10月12日1970年代李先念副総理,国連環境管理計画理事会事務局長モスタファ・K.トルバ博士と会見。
DIA-104-1979-10-12-4中国1979年10月12日1970年代華国鋒総理,西欧歴訪に北京を出発-途中ウルムチに立ち寄る。
DIA-104-1979-10-13-1中国1979年10月13日1970年代第4機械工業部と国家放送・テレビ工業総局は,最近北京で,評定総括・経験交流会を開いた。第2回中国テレビ品評会と第7回中国ラジオ品評会の結果が発表された。
DIA-104-1979-10-13-2中国1979年10月13日1970年代王任重副総理は,ユーゴスラビア,デンマーク,オランダ,ベルギー4ヵ国の訪問を終え,ブリュッセルから帰国の途についた。
DIA-104-1979-10-14-1中国1979年10月14日1970年代全国工商行政管理総局は最近杭州で,全国商標会議を開き,商標の統一登録を一段と改善し,商標管理を強めることを決めた。
DIA-104-1979-10-14-2中国1979年10月14日1970年代新設の発電機,運転開始-大慶油田にある新華火力発電所の20万kW発電機は,9月末に運転を始めた。総設備容量50万kWで黒竜江省で最大のもの。チャムス発電所の出力15万kWの12号発電機も9月末に発電を始めた。浙江省鎮海火力発電所の2番目の12万5000kW蒸気タービン発電機が9月21日に運転を始めた。江蘇省徐州火力発電所の新しい12万5000kW発電機も最近,電力網に組み入れられた。4基目は建設中である。
DIA-104-1979-10-15-1中国1979年10月15日1970年代軍基本建設工兵某部隊は,中国北部の旧地層で中型ウラン鉱を発見。
DIA-104-1979-10-15-2中国1979年10月15日1970年代1979年秋季中国輸出商品交易会が,広州で開幕。
DIA-104-1979-10-15-3中国1979年10月15日1970年代華総理がフランスを訪問-21日まで。17日両国は「中仏経済関係の発展について」,「領事機構の相互設置について」,「1980~81年の文化交流計画」の3文書に調印した。
DIA-104-1979-10-15-4中国1979年10月15日1970年代鄧小平副総理,英中理解協会関係のイギリス知名人代表団と会見。
DIA-104-1979-10-15-5中国1979年10月15日1970年代李先念副総理,タンザニア友好代表団と会見。
DIA-104-1979-10-15-6中国1979年10月15日1970年代モフタル・インドネシア外相,対中正常化の時期接近と語る-シンガポールでの記者会見で。
DIA-104-1979-10-15-7中国1979年10月15日1970年代日中生糸・絹製品貿易協議,数量削減で合意。
DIA-104-1979-10-16-1中国1979年10月16日1970年代北京市中級人民法院は公開裁判で,反革命罪で魏京生に15年の懲役を判決。
DIA-104-1979-10-17-1中国1979年10月17日1970年代中国科学院青海チベット高原総合科学調査隊は,今年6月から8月にかけて,再びチベット高原の科学調査を成功裏に行なった。
DIA-104-1979-10-17-2中国1979年10月17日1970年代中ソ国家関係交渉第1回本会議開く-双方が見解を表明,中国側は提案を提出。
DIA-104-1979-10-17-3中国1979年10月17日1970年代鄧小平副総理,ウィリアム・ミリケン・ミシガン州知事を団長とするアメリカ州知事訪中代表団と会見。
DIA-104-1979-10-17-4中国1979年10月17日1970年代米国務省声明,魏京生判決の「厳しさに驚き失望」と表明-サハロフ博士,華主席に裁判やり直しをアピール。
DIA-104-1979-10-17-5中国1979年10月17日1970年代譚震林副委員長,日本ジャーナリスト同盟訪中団と会見。
DIA-104-1979-10-18-1中国1979年10月18日1970年代広西・大廠鉱務局長坂スズ鉱山の採鉱・選鉱第1期工事がすでに竣工し,国慶節まえに最初のスズ精鉱を送り出した。設計年間スズ鉱石処理能力は132万t。
DIA-104-1979-10-18-2中国1979年10月18日1970年代鄧小平副総理,渡辺誠毅社長を団長とする「朝日新聞」代表団と会見。
DIA-104-1979-10-19-1中国1979年10月19日1970年代葉剣英,鄧小平,李先念副主席が,第6回全国少年先鋒隊工作会議代表と会見した-少年児童は2億人,少年先鋒隊員は7000万人。
DIA-104-1979-10-19-2中国1979年10月19日1970年代ムスリム参詣代表団16人が北京を出発,メッカへ-中国からのメッカ参詣は1964年以来15年ぶり。
DIA-104-1979-10-19-3中国1979年10月19日1970年代中越次官級交渉第13回会議-中国側今春以来使用をひかえてきた「社会帝国主義」という言葉使用。
DIA-104-1979-10-20-1中国1979年10月20日1970年代国務院は最近,「中華人民共和国食品衛生管理条例」を公布。
DIA-104-1979-10-20-2中国1979年10月20日1970年代中国農業銀行全国分行長会議開催-中国農業銀行は,今年2月に業務を再開。
DIA-104-1979-10-20-3中国1979年10月20日1970年代「人民日報」特約評論員論文,「社会主義的生産の目的を真にはっきりさせよ」
DIA-104-1979-10-20-4中国1979年10月20日1970年代中国軍事友好代表団がパキスタンを訪問。
DIA-104-1979-10-21-1中国1979年10月21日1970年代華総理が西独を訪問-28日まで。24日,両国は「経済協力協定」,「文化協力協定」および「相互の領事館設置についての協定」に調印。同日華総理とシュミット首相はボンで共同記者会見をおこなった。
DIA-104-1979-10-22-1中国1979年10月22日1970年代総参謀部は5班の師団以上の幹部の学習会を開く-真理の標準の問題を真剣に討論して革命の指導者と革命理論に対して科学的態度をうち立てた。
DIA-104-1979-10-23-1中国1979年10月23日1970年代最近設立された北京広告公司が,業務を開始した。広告代理公司は,上海についで2つ目。
DIA-104-1979-10-23-2中国1979年10月23日1970年代海南島沖4カ所を無期限上空飛行禁止-16日国連民間航空機関が中国の通達発表。
DIA-104-1979-10-23-3中国1979年10月23日1970年代国貿促関西本部の木村理事長,中国の10月の原油供給削減分は,年内に埋め合わせることで中国側と合意した,と発表。
DIA-104-1979-10-24-1中国1979年10月24日1970年代国務院は,3月から主要農産物18種類の買付け価格を次々に引上げた-引上げ幅は,食糧については平均20%。生産隊が統一買付け任務を達成した後,計画を超えて国家に売渡す分については,20%引上げたうえさらに50%上乗せされた。地区や食糧の違いによって,引上げ幅は異る。油脂・油料の統一価格は全国で平均25%引上げられ,超過買付け分には,さらに50%上乗せされた。綿花は平均15%,超過買付け分にはさらに30%上乗せされるか,報奨としそ綿1kg当り1kgの商品食糧が与えられている。豚の買付け価格は平均26%引上げられ,その他肉用牛,山羊,タマゴ,テンサイ,サトウキビ,大麻,ラミー,マユ,水産物,牛皮,南方木材,孟宗竹の買付け価格は20~50%引上げられた。国家物価総局の計算によると,上記18種類の主要農産物の買付け価格は平均24.8%引上げられた。これによって,今年全国の農民の収入は約70億元増えるものと予測される。
DIA-104-1979-10-24-2中国1979年10月24日1970年代外務省,米国が日本の対中円借款供与で「一般アンタイド」化を要請した,と公表-25日,通産省はこの要請に対して反論。
DIA-104-1979-10-24-3中国1979年10月24日1970年代日中両国首脳,大平首相の12月訪中を確認。
DIA-104-1979-10-25-1中国1979年10月25日1970年代黒竜江省松花江地区中級人民法院は最近公開裁判で,50万元余の国費を着服した元黒竜江省賓県燃料公司支配人王守信に対し死刑の判決下す。
DIA-104-1979-10-25-2中国1979年10月25日1970年代「人民日報」社説,「農産物・副業製品買付け価格引上げの重大な意義」
DIA-104-1979-10-25-3中国1979年10月25日1970年代蘭州ビニロン工場が試験操業開始。ビニロン短繊維の生産能力は年産7200t。
DIA-104-1979-10-25-4中国1979年10月25日1970年代中国社会科学院経済研究所と「経済研究」誌編集部は,社会主義経済の目標という問題について座談会を共催。
DIA-104-1979-10-25-5中国1979年10月25日1970年代中ソ国家関係交渉,第2回会議開く-ソ連側が「両国関係の諸原則に関する宣言」を提案。
DIA-104-1979-10-25-6中国1979年10月25日1970年代中国紅十字会工作グループがタイ入りし,タイ流入の難民の中国定住希望者受入れ工作を開始。
DIA-104-1979-10-25-7中国1979年10月25日1970年代胡績偉「人民日報」編集長,訪中したスペイン共産党機関誌2誌の編集長を招宴。
DIA-104-1979-10-25-8中国1979年10月25日1970年代IOC執行委員会名古屋会議,中国の合法的代表権を認める決議をおこなう-11月26日各国オリンピック委の郵便投票で中国の復帰が確定した。
DIA-104-1979-10-26-1中国1979年10月26日1970年代「光明日報」評論員論文,「人権問題についての試論」。
DIA-104-1979-10-26-2中国1979年10月26日1970年代1200余の工業公司が企業自主権の拡大と利潤留保制度を試みている。これらの企業の利潤は,その地域の工業総利潤の約30%を占めている。
DIA-104-1979-10-26-3中国1979年10月26日1970年代首都セメント工場は労働者・職員大衆による民主的評議と信任投票の結果に基づいて課・室指導幹部を改めて任命。
DIA-104-1979-10-26-4中国1979年10月26日1970年代上海第7ラジオ工場でこのほどECL超高速集積回路システムの試作に成功。
DIA-104-1979-10-27-1中国1979年10月27日1970年代華国鋒総理,セントビンセント・グレナディーンズの独立に対し祝電を送り,同国を承認すると伝達。
DIA-104-1979-10-27-2中国1979年10月27日1970年代中国研修生受入れ団体として日中青年研修協会設立さる。
DIA-104-1979-10-28-1中国1979年10月28日1970年代新たに創刊された総合経済学術誌「経済科学」(季刊)が11月から内外で発売。
DIA-104-1979-10-28-2中国1979年10月28日1970年代鄧小平副総理,ハリン・ホンサクン議長を団長とするタイ議会代表団と会見-鄧副総理は「もしベトナムがタイに進攻したら中国はタイの側に立つであろう」と強調。
DIA-104-1979-10-28-3中国1979年10月28日1970年代華総理がイギリスを訪問-11月3日まで。30日英女王を訪問,31日マルクスの墓地に花輪をささげた。11月1日両国は「教育・文化協力協定」,「民間航空協定」に調印した。
DIA-104-1979-10-29-1中国1979年10月29日1970年代李大釗生誕90周年で各紙が写真と記事を発表。
DIA-104-1979-10-29-2中国1979年10月29日1970年代中国国際信託投資公司は,シカゴ・ファースト・ナショナル銀行と協力協定を結び,またシカゴ食品機械会社と技術・商業協力議定書を結んだ。
DIA-104-1979-10-29-3中国1979年10月29日1970年代王任重副総理,中国系アメリカ人の工場化養鶏専門家許志倹氏と会見。
DIA-104-1979-10-29-4中国1979年10月29日1970年代中華全国総工会代表団が総評の招きで来日。
DIA-104-1979-10-30-1中国1979年10月30日1970年代中国文学・芸術工作者第4回代表大会開幕-葉剣英ら指導者が出席し,鄧小平副主席が祝辞をのべ,茅盾が開幕の言葉を述べた。11月1日,周揚が「過去を継承し,未来を開拓し,社会主義の新時期の文学・芸術を繁栄させよう」と題する報告をおこなった。会議は11月16日に閉幕。文連第4期全国委第1回会議は,名誉主席茅盾,主席周揚,副主席巴金等を選出した。
DIA-104-1979-10-31-1中国1979年10月31日1970年代中華全国総工会9期執行委第2回拡大会議,北京で開催-11月7日まで。「8期第2回執行委員会の,董昕,王榕,陳用文および杜存訓に対する決定を取り消す決議」および,「来年の労働模範代表大会を迎え,労働模範工作を強化することに関する決議」を採択。
DIA-104-1979-10-31-2中国1979年10月31日1970年代来年から費用を徴収する方法で,外国登山隊の中国での登山を受け入れるため,外国に8つの山を開放。
DIA-104-1979-10-31-3中国1979年10月31日1970年代中国共産党中央,国務院は連名で,今年11月から全国の労働者・職員の40%について昇級,賃上げを行う旨の通達を出した-これは,1昨年(労働者・職員の46%),昨年(同2%)の賃金調整に次ぐ,かなり広範囲な労働者・職員の賃金引上げである。
DIA-104-1979-10-31-4中国1979年10月31日1970年代近代的化学肥料工場,遼河化学肥料工場が完成,本格的な操業開始-設計では年間に合成アンモニア30万t,尿素48万t,触媒3200tを生産する。
DIA-104-1979-10-31-5中国1979年10月31日1970年代国家経済委員会,中央人民放送局,中央テレビ局共催の「全国『エネルギー節約月間』ラジオ・テレビ大会」が北京で開かれた。大会では康副総理があいさつし,来年は石油を10%,石炭を5%,電力を3%節約するよう求めた。
DIA-104-1979-10-31-6中国1979年10月31日1970年代鄧小平副総理,エドガー・フォール・フランス前首相と会見。
DIA-104-1979-11-01-1中国1979年11月01日1970年代中国科学院は創立30周年を記念して茶話会を開き,鄧小平,李先念,方毅,鄧穎超,胡耀邦,谷牧,薄一波らの指導者がこれに出席した。
DIA-104-1979-11-01-2中国1979年11月01日1970年代主要副食品8品目の消費者価格引き上げ-全国平均の上げ幅は,1978年を基数にして豚肉が33%,卵が32%,水産物が33%とし,マトンは基本的に現地の豚肉の値上げ高と同額にする。野菜の消費者価格は厳しく抑え,なるべく値上げしないか,しても小幅にする。家禽,牛乳は各地で地元の具体的な状況にもとづいて適切に調整し,厳しく抑えることとする。1億人近い労働者,職員(定年退職者と見習工を含む)1人につき,毎月5元の副食品手当を支給することも決めた。純牧畜業県(旗)で働く労働者,職員は肉類の消費水準が高いため,毎月8元の手当を支給する。国家は副食品価格の引き上げによって年間50億元の増収が見込まれるが,労働者・職員の価格手当として60億元を支給しなければならない。
DIA-104-1979-11-01-3中国1979年11月01日1970年代約1万品目の小口農産物,副業製品,特産物と小商品(雑貨)の価格が,国家が定めるのではなく,市場の需給による調整に逐次移されることになった。この1万余の生産物は社会全体の商品総額の約20%を占める。
DIA-104-1979-11-01-4中国1979年11月01日1970年代副食品値上げで奨学金も増額。
DIA-104-1979-11-01-5中国1979年11月01日1970年代胡喬木社会科学院院長,ルーマニアとユーゴスラビア訪問のため北京を出発。
DIA-104-1979-11-02-1中国1979年11月02日1970年代「人民日報」社説,「エネルギー節約というこの重要な事柄にしっかり取り組もう」
DIA-104-1979-11-02-2中国1979年11月02日1970年代中ソ国家関係交渉第3回全体会議開く-中国側が提案についてふたたび説明をおこなう。
DIA-104-1979-11-02-3中国1979年11月02日1970年代黄華外交部長が,華総理に代わり,ロンドンのクラリッチ・ホテルで記者会見をおこなった。
DIA-104-1979-11-03-1中国1979年11月03日1970年代上海市革命委の建物を占拠した人々の一部が逮捕された。
DIA-104-1979-11-03-2中国1979年11月03日1970年代中国対外貿易部と国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)共催の中国対外貿易経営管理座談会が,広州で閉幕。
DIA-104-1979-11-03-3中国1979年11月03日1970年代上海~香港間のコンテナ輸送船定期便が11月初めに正式に就航した。
DIA-104-1979-11-03-4中国1979年11月03日1970年代大冶製鋼工場で希土鋼を生産。
DIA-104-1979-11-03-5中国1979年11月03日1970年代華総理がイタリアを訪問-6日まで。6日両国は「経済貿易協力に関する文書」,「文化・科学・技術協力に関する文書」に調印した。
DIA-104-1979-11-04-1中国1979年11月04日1970年代「探索」誌が廃刊し,編集部は地下へ-「北京の春」誌も当局から廃刊を命ぜられている(AFP)。
DIA-104-1979-11-04-2中国1979年11月04日1970年代銭信忠衛生部長,中国政府特使としてアルジェリアを訪問-革命25周年祝賀行事に参加のため。
DIA-104-1979-11-05-1中国1979年11月05日1970年代「人民日報」社説,「基本建設の調整を断固行わなければならない」
DIA-104-1979-11-05-2中国1979年11月05日1970年代18省・市・自治区水産局長座談会-国家水産総局が水産活動の調整問題を検討するために開いたもの。
DIA-104-1979-11-05-3中国1979年11月05日1970年代国務院は通達を出し,11月上旬と中旬に,各地で市場物価大検査を大々的に,一斉に繰り広げるよう求めた。
DIA-104-1979-11-06-1中国1979年11月06日1970年代北京市高級人民法院は,魏京生の上訴審を開き,公開審理をおこない,上訴を却下し,原判決が確定した。
DIA-104-1979-11-06-2中国1979年11月06日1970年代10月期の工業生産総額は,昨年同期より17.5%伸びた。また,1~10月の生産総額は昨年同期より7.4%伸びた。
DIA-104-1979-11-06-3中国1979年11月06日1970年代楊子江の南京~重慶観光航路オープン-全行程が2500km。就航するのは観光船『昆侖』号で,2300排水t。
DIA-104-1979-11-06-4中国1979年11月06日1970年代農業部は最近,湖南省城歩ミャオ族自治県で,全中国農業地帯牧畜業・草山利用建設・草食家畜増産会議を開いた。
DIA-104-1979-11-08-1中国1979年11月08日1970年代中国農業科学院,国際水稲研究所共催の国際水稲研究討論会が,最近広州で開かれた。
DIA-104-1979-11-08-2中国1979年11月08日1970年代姫鵬飛中央対外連絡部部長,ザイール人民革命運動代表団一行を招宴。
DIA-104-1979-11-08-3中国1979年11月08日1970年代北京で日中海洋法専門家の非公式会談-9日まで。
DIA-104-1979-11-09-1中国1979年11月09日1970年代黄華外交部長,ユーゴスラビアでの3日間の訪問日程を終了。
DIA-104-1979-11-09-2中国1979年11月09日1970年代フジタ工業,中国土木工程公司とイラクの高速道路建設工事への中国人労働者受入れで契約に調印。
DIA-104-1979-11-10-1中国1979年11月10日1970年代国防工業弁公室主催の国防工業会議-最近北京で開かれた。国防工業部門は,一方では既存企業の潜在力発掘,技術革新,技術改造に着実に力を入れ,もう一方では軍民結合の発展の道をとって,多くの民需用品を生産し,国防の現代化建設を速めるため新たな貢献をすることを確認した。
DIA-104-1979-11-10-2中国1979年11月10日1970年代最近北京で,システム工学シンポジウム開催。
DIA-104-1979-11-10-3中国1979年11月10日1970年代青蔵(青海・チベット)高原に関する第1回シンポジウムが来年5月北京で開催される。
DIA-104-1979-11-10-4中国1979年11月10日1970年代桑樹坪炭鉱が陝西省韓城鉱区で竣工,正式に操業を開始した。中国が自力で設計,施工し,据え付けた大型炭鉱で,設計値は原炭年産300万t。
DIA-104-1979-11-10-5中国1979年11月10日1970年代寧夏最大の5万kW発電ユニット,発電始める-石阻山発電所第4期拡張工事の最初のもの。
DIA-104-1979-11-10-6中国1979年11月10日1970年代雲南省で大型のリン鉱床発見-昆明市の南西約60kmの地点で,確定埋蔵量4億t余。年産300万tの露天掘りのリン鉱山の建設が見込まれている。
DIA-104-1979-11-10-7中国1979年11月10日1970年代吉林市内の松花江にかかる竜漂大橋が,最近開通した。全長455m,車幅18m,両側の歩道幅2.25m。
DIA-104-1979-11-10-8中国1979年11月10日1970年代中国統計学会が杭州において正式に設立された。
DIA-104-1979-11-10-9中国1979年11月10日1970年代華国鋒総理,西欧4ヵ国歴訪を終え北京に帰着-7日から10までウルムチに滞在。
DIA-104-1979-11-11-1中国1979年11月11日1970年代「民主の壁」前で魏京生公判記録を販売した数人が逮捕さる-18日にも3人が逮捕された(共同)。
DIA-104-1979-11-11-2中国1979年11月11日1970年代上海で最近自警団「労働者糾察隊」が組織された-14日の「北京日報」は,北京に「治安保衛会」という自警組織が復活した,と報道。
DIA-104-1979-11-11-3中国1979年11月11日1970年代国務院は最近「統計作業を強化し,統計機溝を充実させることに関する決定」を公布した。
DIA-104-1979-11-11-4中国1979年11月11日1970年代山東省招遠県羅山人民公社では,今年1年間で金700kgの産出が見込まれている。
DIA-104-1979-11-11-5中国1979年11月11日1970年代青海省ゴルムドに新空港ビルが完成し,業務を始めている。
DIA-104-1979-11-11-6中国1979年11月11日1970年代華国鋒総理,ドイツのビュルテンベルク州首長と会見。
DIA-104-1979-11-11-7中国1979年11月11日1970年代何英外交部副部長は,ソマリア,ケニア,オーマン,レバノン,エジプト,イエメン・アラブ共和国,クゥエートなどの諸国の訪問を終え,帰国の途についた。
DIA-104-1979-11-12-1中国1979年11月12日1970年代北京の人民大会堂でベチューン記念集会開く-ベチューン逝去40周年記念日にあたって。
DIA-104-1979-11-12-2中国1979年11月12日1970年代中ソ国家関係交渉第4回全体会議開く-進展みられず。
DIA-104-1979-11-12-3中国1979年11月12日1970年代カラマリンス・ギリシャ共和国首相が訪中-15日華総理が同首相と会見した。
DIA-104-1979-11-13-1中国1979年11月13日1970年代国務院は最近,各地区,各部門,各職場に対して,指導を着実に強化し,社会的集団的購買力を断固として圧縮し,年末の集中出費を断固防止するよう求める通達を出した。
DIA-104-1979-11-13-2中国1979年11月13日1970年代最近鄭州で黄河中・下流治水計画学術討論会,開催。
DIA-104-1979-11-13-3中国1979年11月13日1970年代華国鋒総理,ベティノ・クラックシ・イタリア社会党書記長と会見。
DIA-104-1979-11-13-4中国1979年11月13日1970年代黄華外交部長が,ルーマニア訪問を終えた。
DIA-104-1979-11-14-1中国1979年11月14日1970年代杭州市中級法院は公判大会を開き,女性の敵熊紫平に死刑を宣告,執行-弟熊北平には2年の執行猶予つきの死刑を宣告。17日夜テレビが全国に報道。
DIA-104-1979-11-14-2中国1979年11月14日1970年代河南省で基本建設調整作業進む-現在,各地で中止または延期された投資額5万元以上のプロジェクトは226に達し,なかには投資額100万元以上のものが91含まれている。
DIA-104-1979-11-14-3中国1979年11月14日1970年代外務省の招きで秦川「人民日報」第1副編集長を団長とする中国報道関係代表団が来日-28日まで。
DIA-104-1979-11-15-1中国1979年11月15日1970年代秋の広州交易会閉幕-世界の5大陸97ヵ国・地域から延べ2万4000人余の貿易業者が今交易会に参加した。このほか,多数の外国人,海外華僑,香港・澳門の同胞が交易会を参観した。工業製品,鉱産物の輸出成約高が大幅に伸びた。昨年秋の交易会と比べると,化学工業製品が2倍余に,金属鉱産物が5割,機械設備,機械製品が3割伸びた。
DIA-104-1979-11-15-2中国1979年11月15日1970年代中国国家医薬管理総局が北京で全国薬品展を開催-12月15日まで。
DIA-104-1979-11-16-1中国1979年11月16日1970年代基本建設管理体制の大改革,融資の方法による投資を試行-国務院は最近,基本建設投資で融資の方法を試行することに関する国家計画委,国家基本建設委,財政部の報告および「基本建設融資試行条例」を承認,送達し,各地区,各部門が真剣に試験を実施するよう要請した。今年,来年の2年間は,まず軽工業,紡織,観光などの業種と北京,上海,広東の3省・市で,投資は少なく,効果がはやくあがり,利潤が高く,建設条件が比較的よい項目を選択して,また交通,鉄道,観光などの部門での車両,船舶の購入などで試験的に実施される。他の部門と地方も,いくつかの項目を選んで試験を行う。
DIA-104-1979-11-16-2中国1979年11月16日1970年代浙江省の小型窒素肥料工場,年間生産計画達成。
DIA-104-1979-11-16-3中国1979年11月16日1970年代国務院は最近,蘭州市とフフホト市の都市計画承認-これは77年の唐山市総合計画の承認についで,国が正式に承認した都市総合計画である。
DIA-104-1979-11-17-1中国1979年11月17日1970年代作家馮雪峰追悼会,北京で挙行さる-迫害により1976年1月31日死去,享年74歳。
DIA-104-1979-11-17-2中国1979年11月17日1970年代北京で中国対外翻訳出版公司設立。
DIA-104-1979-11-17-3中国1979年11月17日1970年代華国鋒総理,モハマド・シャムス・ハーク・バングラデシュ外相と会見。
DIA-104-1979-11-18-1中国1979年11月18日1970年代作家周立波追悼会-病気のため9月25日北京で死去,71歳。
DIA-104-1979-11-18-2中国1979年11月18日1970年代中共中央委,ルーマニア共産党第12回代表大会に祝電を送る-ウランフ政治局員を団長とする中共党代表団が同代表大会に出席した。
DIA-104-1979-11-18-3中国1979年11月18日1970年代華国鋒主席,ユーゴスラビア共産主義者同盟代表団と会見。
DIA-104-1979-11-19-1中国1979年11月19日1970年代北京で全国保険会議開催-27日まで。中国人民保険公司は国務院の承認を経て,20年間停止していた国内保険業務を来年から徐々に再開する。
DIA-104-1979-11-19-2中国1979年11月19日1970年代華国鋒主席,ザイール人民革命運動代表団と会見。
DIA-104-1979-11-19-3中国1979年11月19日1970年代「人民日報」7月3日にハルビンでソ連スパイを逮捕,と報道。
DIA-104-1979-11-20-1中国1979年11月20日1970年代西安~ラサ間に定期航空路開設-目下,火曜と木曜の週2便。
DIA-104-1979-11-20-2中国1979年11月20日1970年代華国鋒主席,パレスチナ民族評議会代表団と会見。
DIA-104-1979-11-20-3中国1979年11月20日1970年代鄧小平副総理,フォルカー・ハウフ・ドイツ連邦共和国研究・技術相と会見。
DIA-104-1979-11-20-4中国1979年11月20日1970年代大平首相,中国報道関係者のインタービューに答え,中国国民へのメッセージを発表。
DIA-104-1979-11-21-1中国1979年11月21日1970年代全国人事局長会議開催-12月5日まで。
DIA-104-1979-11-21-2中国1979年11月21日1970年代国家科学技術委員会生物医学工学組の設立大会が,11月中旬に重慶で開かれた。
DIA-104-1979-11-21-3中国1979年11月21日1970年代全中国の農墾企業は13年間欠損であったが,今年ついに赤字を黒字に転じた。農墾部が最近武漢で開いた,全国国営農場経営管理会議で発表された。
DIA-104-1979-11-21-4中国1979年11月21日1970年代日中漁業共同委第4次年次会議,北京で開く。
DIA-104-1979-11-21-5中国1979年11月21日1970年代日綿実業,黒竜江省に2万ヘクタールの農場建設で中国側と基本合意。
DIA-104-1979-11-22-1中国1979年11月22日1970年代全国都市治安会議,北京で開催-26日まで。
DIA-104-1979-11-22-2中国1979年11月22日1970年代中国初の国際貿易センター,広州対外貿易センターを設立。まもなく正式開設-同貿易センターは中国輸出商品交易会の機関が衣替えするもの。
DIA-104-1979-11-22-3中国1979年11月22日1970年代チベットでまた大ハン銅鉱床発見-マラソンドオ銅鉱は,今年初めに発見されたチャムドの玉竜大型ハン銅鉱の東南約50kmのところにあり,推定埋蔵量は1000万t。
DIA-104-1979-11-22-4中国1979年11月22日1970年代中越次官級交渉第14回会議開く-中国側は,4日に馬関県への砲撃と侵攻がおこなわれた,また8月から10月の間にベトナム武装要員は中国領土侵犯を370数回も起こし,30数人を死傷させた,と厳重に注意を促した。
DIA-104-1979-11-22-5中国1979年11月22日1970年代中ソ国家関係交渉第5回全体会議開く。
DIA-104-1979-11-22-6中国1979年11月22日1970年代第4四半期原油価格交渉,バレル24.25ドル,11.24%アップで合意。
DIA-104-1979-11-23-1中国1979年11月23日1970年代第5期全人代常委第12回会議開幕-29日まで。同会議では,30年らいの法律・法令の効力の問題についての決議,彭真副委員長の全人代常委秘書長代行兼任に関する決議が採択された。「西単の壁」の問題は北京市革命委員会が適切な措置を講じて解決すべきだ,と全員一致で確認された。
DIA-104-1979-11-23-2中国1979年11月23日1970年代「人民日報」特約評論員論文,「調整という激戦を一致協力して闘い抜こう」
DIA-104-1979-11-23-3中国1979年11月23日1970年代華国鋒総理,ウィリ・クラエス・ベルギー副首相と会見-同日,中国とベルギー・ルクセンブルク同盟との経済,工業,科学,技術・協力拡大協定が北京で調印された。50億ベルギーフランの銀行借款を中国に供与。
DIA-104-1979-11-24-1中国1979年11月24日1970年代第2回全中国地層会議がこのほど北京で開かれた。
DIA-104-1979-11-24-2中国1979年11月24日1970年代全国農業近代化実験基地会議開く-このほど河北省欒城県で開かれた。国家科学技術委,中国科学院,各農業関係部門は昨年から,16ヵ所の農業近代化総合科学実験基地を設立している。
DIA-104-1979-11-24-3中国1979年11月24日1970年代黄華外交部長はネパールにおける5日間の訪問を終えた-両国外相は議定書に調印,両国国境に対する第1回合同検査に満足の意を表示した。
DIA-104-1979-11-25-1中国1979年11月25日1970年代国務院が,最近北京で,全国食糧会議を開いた。
DIA-104-1979-11-25-2中国1979年11月25日1970年代「人民日報」社説,「農業地帯の畜産業の発展を速めよう」
DIA-104-1979-11-25-3中国1979年11月25日1970年代基本建設工兵某部隊は,ツァイダム盆地西北の馬海,花海,冷湖および茫崖などで豊富な地下淡水を発見。
DIA-104-1979-11-26-1中国1979年11月26日1970年代「人民日報」社説,「指導を強化し,食糧工作をしっかりやろう」
DIA-104-1979-11-26-2中国1979年11月26日1970年代全国建設銀行工作会議,来年の基本建設融資業種・地区を確定。
DIA-104-1979-11-26-3中国1979年11月26日1970年代中国人民建設銀行は国務院の承認を経て,財政部を主体に国家基本建設委員会と財政部が管理する国務院直属単位に改められた。国務院はまた,各級建設銀行を事業単位から企業単位に改めることを決めた。
DIA-104-1979-11-26-4中国1979年11月26日1970年代農業機械部が最近全国農業機械工作会議を開催-農業機械工業の調整を決定。1978年の統計によると,県クラスの農機修理製造工場を含めて,全国に4300余の企業があり,従業員は150余万人を数える。牧畜機械工場を現在の12から27に増やし,収穫機械工場を15から17に増やす。目下建設中の大・中型プロジェクト50余り,小型プロジェクト約500を計画的にそれぞれ19,160余に調整する計画である。
DIA-104-1979-11-26-5中国1979年11月26日1970年代福建省が今年1~10月に輸出で獲得した外貨は,昨年同期比29.56%増で,対外貿易計画を2カ月繰上げて超過達成した。
DIA-104-1979-11-26-6中国1979年11月26日1970年代広東省地質局706地質隊は英徳地区で大型単硫鉄鉱を発見した。
DIA-104-1979-11-26-7中国1979年11月26日1970年代「人民日報」,新華社共同評論員論文,「ベトナム外務省の越中関係白書を許す」
DIA-104-1979-11-27-1中国1979年11月27日1970年代中国農業工学会の設立大会と第1回学術討論会が,このほど杭州市で開かれた。
DIA-104-1979-11-27-2中国1979年11月27日1970年代北京・釣魚台国賓館を自費高級訪中団に開放。
DIA-104-1979-11-27-3中国1979年11月27日1970年代「人民日報」ホアン・バン・ホアンの越中関係の真相暴露論文を掲載。
DIA-104-1979-11-28-1中国1979年11月28日1970年代天津で第2回全国農民教育工作会議開催-12月11日まで。
DIA-104-1979-11-28-2中国1979年11月28日1970年代全国科学技術工作会議が最近北京で開かれた。国家科学技術委員会が招集したもの。主に科学技術の分野で「調整,改革,整頓,向上」の方針を貫く問題が検討された。
DIA-104-1979-11-28-3中国1979年11月28日1970年代化学肥料工業は年間国家計画を33日繰上げて達成し,有効成分換算で,昨年同期比21.4%増の957万tの化学肥料を生産した。
DIA-104-1979-11-29-1中国1979年11月29日1970年代湖北省では今年農業が全面的豊作だった。食糧,綿花,油料作物の総生産量は昨年よりそれぞれ4%,20%,16%増えている。
DIA-104-1979-11-30-1中国1979年11月30日1970年代甘粛省5期人代第2回会議開催-12月6日まで。王世泰を人代常委主任に選出,馮紀新を省長に決定。
DIA-104-1979-11-30-2中国1979年11月30日1970年代「人民日報」短評,「重複する建設は中止せよ」-25省・市・自治区の統計によると,106の自動車製造工場がすでに建設されているのに,そのうちの多くがさらに拡張,改築,設備の補充を行っており,戦線は長くのび,投資効果が非常に悪くなっている。
DIA-104-1979-11-30-3中国1979年11月30日1970年代自力で設計,建造した初めての1万t級海洋科学調査船「向陽江10号」は,近海でのテスト航海を経て,このほど国家海洋局に正式に引渡された。
DIA-104-1979-11-30-4中国1979年11月30日1970年代青海チベット鉄道ツァカ支線の軌道敷設が完了。ウラン県のチャガンノル駅からツァカ採塩場まで。全長は42km。
DIA-104-1979-11-30-5中国1979年11月30日1970年代軍鉄道部隊は11月末現在で,今年国からおろされた軌道敷設任務を達成した。軌道敷設の全長は720kmで,1965年以来の年間最長を記録した。
DIA-104-1979-11-30-6中国1979年11月30日1970年代中ソ国家関係交渉第6回全体会議開く-席上,双方は交渉の第1ラウンドを打ち切ることで合意した。第2ラウンドは80年に北京を予定。
DIA-104-1979-12-01-1中国1979年12月01日1970年代中国革命博物館で朱徳同志記念展がオープン。
DIA-104-1979-12-01-2中国1979年12月01日1970年代「農地灌漑水質基準」,「漁業水質基準」公布,試行へ。
DIA-104-1979-12-01-3中国1979年12月01日1970年代河南省の西部地区で大型の金鉱,小秦嶺金鉱,が目下建設中。
DIA-104-1979-12-01-4中国1979年12月01日1970年代第4機械工業部と農業部共催の農業用電子計器展覧会が,北京の全国農業展覧館科学技術館で正式に開幕。
DIA-104-1979-12-01-5中国1979年12月01日1970年代全国紡織製品展が成都市の四川省展覧館で開幕。
DIA-104-1979-12-01-6中国1979年12月01日1970年代「人民日報」評論員論文,「引続き農業基本建設を立派に行わなければならない」-党中央の「今冬来春の農村活動における若干の問題についての意見」は,今冬,来春に農業基本建設の新たな高まりをもり上げなければならないとはっきり提起している。この仕事をうまくやるカギは指導の強化にある。
DIA-104-1979-12-02-1中国1979年12月02日1970年代中国人民保険公司,プラント導入等の財産保険の取扱い開始。
DIA-104-1979-12-02-2中国1979年12月02日1970年代中国地質部は,中国南部に埋蔵量が14の大鉱山分に相当するウラン鉱床があると発表。埋蔵量の一部は開発,利用されている。
DIA-104-1979-12-02-3中国1979年12月02日1970年代国家経済委員会は,1980年第1四半期の工業交通生産に関する通達を出した。
DIA-104-1979-12-02-4中国1979年12月02日1970年代建国最初の全国農村住宅建設会議が青島で開かれた-9日まで。
DIA-104-1979-12-03-1中国1979年12月03日1970年代張国燾,カナダのトロントで死去,82歳。
DIA-104-1979-12-03-2中国1979年12月03日1970年代中国軍事友好代表団がタイを訪問-10日まで。
DIA-104-1979-12-03-3中国1979年12月03日1970年代華国鋒総理,ハリル・スーダン第1副大統領兼国防相と会見。
DIA-104-1979-12-04-1中国1979年12月04日1970年代中共党史人物研究会による中共党史人物伝討論会,広州で開く-18日まで。
DIA-104-1979-12-04-2中国1979年12月04日1970年代「紅旗」12号で丁玲論文,「劉少奇同志」と表現-劉少奇の名誉回復進む。
DIA-104-1979-12-04-3中国1979年12月04日1970年代四川化学工場の大型化学肥料プラント工事の検収が終わり,工場に正式に引き渡された。
DIA-104-1979-12-04-4中国1979年12月04日1970年代タス通信,大平首相訪中により対中軍事接近が進む,と警告。
DIA-104-1979-12-04-5中国1979年12月04日1970年代新日本電気,テレビ用チューナー,電子チューナー,蛍光灯のプラント輸出契約に調印と発表。
DIA-104-1979-12-05-1中国1979年12月05日1970年代内蒙古自治区が10大牧畜業基地を設立。
DIA-104-1979-12-05-2中国1979年12月05日1970年代大平首相,訪中-5日午後と6日午前華国鋒総理と,6日午前鄧小平副総理と会談。7日午前,首相は政協礼堂で「新世紀をめざす日中関係」と題して講演。8日西安を訪問し,9日上海を経由して帰国した。日本側は,6プロジェクトについて15億ドルと推定される円借款供与での協力を約束,79年度分として500億円供与を決めた。80年4月から中国に対しての特恵関税の実施を約束。無償で日中人民友好記念病院建設に協力を約束。文化交流促進協定を結び,中国における日本語教育のため5年間に10億円を国際交流基金から支出すると約束。中国側は,パンダ“ファンファン”を贈呈,東北地方への戦没者遺族の慰霊訪問をみとめた。
DIA-104-1979-12-05-3中国1979年12月05日1970年代日本ビクター,カラーTV組立プラント受注-天津に設置,14インチ,22インチ合計年産15万台。
DIA-104-1979-12-06-1中国1979年12月06日1970年代北京市革命委員会,市内における大字報掲示に関する暫定規則について通達-8日から「西単の壁」への大字報掲示を禁止し,月壇公園内の大字報掲示場に掲示すること。掲示者は姓名,変名,住所,所属単位を記入すること,など。
DIA-104-1979-12-06-2中国1979年12月06日1970年代中国教育工会が北京で全国教育工会工作会議を開く-19日まで。
DIA-104-1979-12-06-3中国1979年12月06日1970年代方毅副総理,アイグラン・フランス産業・科学開発省秘書官と会見。
DIA-104-1979-12-06-4中国1979年12月06日1970年代モフタル・インドネシア外相,中国による代表派遣・交渉提案をうけ入れ,80年に正常化交渉をおこなう,と表明。
DIA-104-1979-12-06-5中国1979年12月06日1970年代石油公団,中国側と渤海地区石油・天然ガス共同開発の合意書に調印。
DIA-104-1979-12-06-6中国1979年12月06日1970年代中国,東京銀行,日本輸出入銀行に対し,北京駐在員事務所設置を認可-日本も中国銀行に対し東京事務所開設を認可。
DIA-104-1979-12-07-1中国1979年12月07日1970年代北京市7期人代第3回会議開催-13日まで。賈庭三を市人代常委主任に選出,林乎加を市長に決定。
DIA-104-1979-12-07-2中国1979年12月07日1970年代「人民日報」社説,「統計数字は必ず真実のものでなければならない」
DIA-104-1979-12-07-3中国1979年12月07日1970年代中国土壌学会第4回代表大会および1979年度学術年次総会が,11月中旬から下旬にかけて成都で開催された。
DIA-104-1979-12-07-4中国1979年12月07日1970年代全国第2回人口理論シンポジウムが成都で開会-13日まで。
DIA-104-1979-12-08-1中国1979年12月08日1970年代中共福建省第3回代表大会開催-12日まで。廖志高を第1書記に選出。
DIA-104-1979-12-08-2中国1979年12月08日1970年代新疆炭田地質探査関係者は最近,南疆鉄道沿線に発見された4つの炭田の,総埋蔵量44億6000万tを確定した。
DIA-104-1979-12-08-3中国1979年12月08日1970年代石家荘の軍ベチューン国際平和病院で,コトニス医師逝去37周年を記念する1000人集会開く。
DIA-104-1979-12-09-1中国1979年12月09日1970年代中国農業経済学会1979年学術討論会がこのほど北京市密雲県で開催された。
DIA-104-1979-12-09-2中国1979年12月09日1970年代グレッド・ジプチ共和国大統領が訪中-15日まで。11日両国は経済技術協力協定に調印した。
DIA-104-1979-12-10-1中国1979年12月10日1970年代国務院は,技師・技術者名称臨時規定を公布した。
DIA-104-1979-12-10-2中国1979年12月10日1970年代中国政府,1980年からジュネーブの軍縮交渉委員会の活動と会議に参加すると表明。
DIA-104-1979-12-10-3中国1979年12月10日1970年代横河電機製作所は,メーター類Iシリーズのノックダウン生産のための技術輸出契約を中国と結んだ,と発表。
DIA-104-1979-12-11-1中国1979年12月11日1970年代揚子江最大の石油港,南京石油中継港が稼動-同港には6つの石油ふ頭があって年間1500万tの原油をさばくことができる。
DIA-104-1979-12-11-2中国1979年12月11日1970年代王幼平中ソ国家関係交渉代表団団長が帰国-3日,グロムイコ・ソ連外相が王団長と会見。
DIA-104-1979-12-12-1中国1979年12月12日1970年代魯迅研究学会が最近北京で成立-宋慶齢が名誉会長に,茅盾が会長に任命された。
DIA-104-1979-12-12-2中国1979年12月12日1970年代北京で全国繭生産会議開催-中国農業部,対外貿易部・紡織工業部・全国購買販売協同組合総社が開いたもの。
DIA-104-1979-12-12-3中国1979年12月12日1970年代今年中国の桑蚕繭の総生産量は21万t。昨年比3万5000t増,2割以上の伸びで,建国以来最高の生産量,最大の増産幅となった。柞蚕繭は主産地が干ばつの影響をうけたにもかかわらず,総生産数量が昨年よりやや増えた。中国は世界最大の生糸生産国となった。
DIA-104-1979-12-12-4中国1979年12月12日1970年代「人民日報」社説,「基本建設の融資による投資方法を積極的に試行しよう」
DIA-104-1979-12-12-5中国1979年12月12日1970年代新華社,工作研究:軍需工業企業の潜在力発掘を重視すべきである,と呼びかけ。
DIA-104-1979-12-12-6中国1979年12月12日1970年代木材生産計画を超過達成-伐採の質の合格率は前年の51%から87.4%に上った。森林の更新,造林任務はすでに計画を2%超過達成している。
DIA-104-1979-12-12-7中国1979年12月12日1970年代東洋紡糸工業,最近新疆自治区にカシミア・羊毛の紡績・編み立ての合弁会社設立で中国側と基本合意。
DIA-104-1979-12-13-1中国1979年12月13日1970年代浙江省5期人代第2回会議開催-18日まで。鉄瑛を省人代常委主任に選出,李豊平を省長に決定。
DIA-104-1979-12-13-2中国1979年12月13日1970年代江蘇省では今年もまた農業生産が全面的な豊作。
DIA-104-1979-12-13-3中国1979年12月13日1970年代山東,河南,黒竜江3省が食糧買付け任務を超過達成。
DIA-104-1979-12-13-4中国1979年12月13日1970年代サンフランシスコに中国総領事館が開設された。
DIA-104-1979-12-13-5中国1979年12月13日1970年代米最高裁,米台条約廃棄は合憲と判決。
DIA-104-1979-12-14-1中国1979年12月14日1970年代中国最大の四川ビニロン工場でテスト生産始まる-ビニロンステープルの最初の合格品を生産。天然ガスを原料とし,操業が全面的に開始されると,年間4万5000tのビニロンステープルを生産できる。
DIA-104-1979-12-14-2中国1979年12月14日1970年代紡織工業,年間計画を達成-9種類の主要製品は今年の国家計画を達成し,生産量は昨年同期より7%から16%伸びた。紡織工業の総生産額は昨年より14%,利潤と税収も昨年より9%前後増加した。
DIA-104-1979-12-14-3中国1979年12月14日1970年代主要化学工業製品,年間生産計画を達成-合成アンモニア,ソーダ灰,苛性ソーダ,炭化石炭,合成ゴム,アルコールなど,主要化学工業製品19品目の今年の国家生産計画が繰り上げ達成され,うち12品目の生産量は昨年同期をそれぞれ10%以上,上回った。
DIA-104-1979-12-14-4中国1979年12月14日1970年代79年の粗鋼,鋼材,銑鉄,鉄鉱石の生産計画を達成した。粗鋼生産量は3289万t,鋼材は2377万t,銑鉄は3495万tで,昨年同期比それぞれ8%,14%,5%伸びた。
DIA-104-1979-12-14-5中国1979年12月14日1970年代松下電器,カラーテレビ組立プラント,プリント基板製造プラント受注・調印と発表-北京に設置,14インチ年産15万台。
DIA-104-1979-12-14-6中国1979年12月14日1970年代大平首相,丁一権元韓国首相に,華総理が対韓貿易の意図なしと言明した,と伝達。
DIA-104-1979-12-15-1中国1979年12月15日1970年代山東省5期人代第2回会議開催-22日まで。趙林を省人代常委主任に選出,蘇毅然を省長に決定。
DIA-104-1979-12-15-2中国1979年12月15日1970年代国務院が北京で全国綿花生産会議を開催-21日まで。
DIA-104-1979-12-15-3中国1979年12月15日1970年代首都鉄鋼公司の最新鋭高炉完成,火入れ式-自力で設計・施工した,70年代の新しい技術を採用した中国最初の高炉。内容積が1327m3,銑鉄年産100万t,完成までに20ヵ月かかった。
DIA-104-1979-12-15-4中国1979年12月15日1970年代全国各省・市・自治区及び全軍計画出産弁公室主任会議が成都で開かれた。
DIA-104-1979-12-15-5中国1979年12月15日1970年代上海・錦江クラブが外国人客,華僑,香港・澳門同胞に正式に開放された。
DIA-104-1979-12-15-6中国1979年12月15日1970年代姫鵬飛党中央対外連絡部長は,カナダ労働者共産党(ML)中央代表団一行と会見した。
DIA-104-1979-12-16-1中国1979年12月16日1970年代四川瀘州天然ガス化学工場,正式操業へ-国家検収委員会が検査を行い,3年間の試験生産のすえ,正式に工場に引き渡すことに同意した。
DIA-104-1979-12-16-2中国1979年12月16日1970年代江西省では今年農業が全面的豊作。
DIA-104-1979-12-16-3中国1979年12月16日1970年代主要建材,非金属鉱産物,年間計画を超過達成-セメント,板ガラス,ガラス繊維など12品目の生産量は昨年同期比10%増となっている。
DIA-104-1979-12-17-1中国1979年12月17日1970年代広東省5期人代第2回会議開催-26日まで。季堅真を省人代常委主任に選出,習仲勲を省長に決定。
DIA-104-1979-12-17-2中国1979年12月17日1970年代雲南天然ガス化学工場,最近「国家検収鑑定書」を取得。
DIA-104-1979-12-17-3中国1979年12月17日1970年代中国宇宙学会リモート・センシング技術学会が,このほど青島で開催された。
DIA-104-1979-12-17-4中国1979年12月17日1970年代中国科学院南海海洋研究所は,最近広州で,南中国海中部海域総合調査学術会議を開き,ここ2年余の南中国海中部での科学調査の成果を点検した。
DIA-104-1979-12-18-1中国1979年12月18日1970年代内蒙古自治区5期人代第2回会議開催-27日まで。ティンマオを区人代常委主任に選出,コンフェイを区政府主席に決定。
DIA-104-1979-12-18-2中国1979年12月18日1970年代福建省5期人代第2回会議開催-23日まで。廖志高を省人代常委主任に選出,馬興元を省長に決定。
DIA-104-1979-12-18-3中国1979年12月18日1970年代姫鵬飛党中央対外連絡部長,西ドイツ共産主義同盟中央代表団と会見。
DIA-104-1979-12-18-4中国1979年12月18日1970年代中国外交部,ベトナムの武力挑発に厳重抗議-13日,ベトナム武装兵100余人が雲南省麻栗坡県に侵入,多くの住民,労働者を殺傷し,財産・家屋をも破壊した。
DIA-104-1979-12-19-1中国1979年12月19日1970年代江蘇省,中国初の綿花年産50万t省に。
DIA-104-1979-12-19-2中国1979年12月19日1970年代中越次官級交渉第15回会議開く。
DIA-104-1979-12-20-1中国1979年12月20日1970年代山西省5期人代第2回会議開催-25日まで。阮泊生を省人代常委主任に選出,羅貴波を省長に決定。
DIA-104-1979-12-20-10中国1979年12月20日1970年代食糧徴収・買上げ任務超過達成-昨年同期比で500万t多い5014万4000tの食糧が入庫し,年度計画を2.04%上回った。
DIA-104-1979-12-20-11中国1979年12月20日1970年代四川省の農業,3年で急速に回復・発展-今年の食糧生産量は3100万tの新記録を樹立,昨年を60万t,1976年を635万t上回った。76年に比べ綿は30%,油料作物は79%,サトウキビは94%,マユは75%,豚の飼育頭数は26%増えた。綿花を除いて,生産量はいずれも史上最高。
DIA-104-1979-12-20-12中国1979年12月20日1970年代大成建設,最近イラク病院建設工事に中国人労働者使用を契約-中国建築工程公司江蘇分公司と。
DIA-104-1979-12-20-2中国1979年12月20日1970年代四川省5期人代第2回会議開催-25日まで。杜心源を省人代常委主任に選出,魯大東を省長に決定。
DIA-104-1979-12-20-3中国1979年12月20日1970年代国防工業弁公室と国家経済委員会は,北京で,軍需工業品質優良製品国家品質賞授賞大会を開催。12の軍需工業製品に国家金賞,26に国家銀賞を授与した。
DIA-104-1979-12-20-4中国1979年12月20日1970年代江蘇省北西の,設計値年産90万tの新しい炭鉱,大屯・徐荘炭鉱が完成,操業を開始した。沛県微山湖畔に位置する。
DIA-104-1979-12-20-5中国1979年12月20日1970年代民間航空は国家計画を21日間繰り上げて達成した。総輸送量,輸送総収入,旅客輸送数は,みな昨年同期より30%以上伸びた。
DIA-104-1979-12-20-6中国1979年12月20日1970年代播家口ダム,1年繰り上げて貯水開始-河北省遷西県の河上流にあり,貯水量は29億m3余。
DIA-104-1979-12-20-7中国1979年12月20日1970年代今年の油井掘削距離計画は,3.6%超過して達成された。
DIA-104-1979-12-20-8中国1979年12月20日1970年代上海賓館が正式に着工。
DIA-104-1979-12-20-9中国1979年12月20日1970年代北京市北郊外に建設される中国最初の大規模な新型建材工場起工式-完成すると年間建物60万m2分の石膏板,石綿板など新建材を生産できる。
DIA-104-1979-12-21-1中国1979年12月21日1970年代黒竜江省5期人代第2回会議開催-26日まで。趙徳尊を省人代常委主任に選出,陳雷を省長に決定。
DIA-104-1979-12-21-2中国1979年12月21日1970年代今年,全国で24の大中型軽工業プロジェクトが完成,操業を始め,8つの大中型紡織工業基本建設プロジェクトが使用側に引渡されている。また22の製糖工場が完成,製糖能力が17万t伸びた。製紙工業では,主に凸版紙を生産する江製紙工場が操業を開始。杭州油脂化学工場も完成。紡織工業には,プラスチック樹脂年産7万t,化学繊維年産6万5000tの生産能力が新たに加わり,紡機16万8000錘が新たに増えた。
DIA-104-1979-12-21-3中国1979年12月21日1970年代「人民日報」社説,「4つの近代化を行うには人材養成を重視しなければならない」
DIA-104-1979-12-21-4中国1979年12月21日1970年代国家民族事務委主任楊静仁を団長とする政協会議全国委代表団がルーマニア訪問より帰国。
DIA-104-1979-12-22-1中国1979年12月22日1970年代江西省5期人代第2回会議開催-27日まで。楊尚奎を省人代常委主任に選出,白棟材を省長に決定。
DIA-104-1979-12-22-2中国1979年12月22日1970年代湖南省5期人代第2回会議開催-28日まで。方達を省人代常委主任に選出,孫国治を省長に決定。
DIA-104-1979-12-22-3中国1979年12月22日1970年代今年の対外貿易輸出入計画は繰上げて達成-輸出入総額は429億7000万元にのぼり,年間計画を4.5%上回って,昨年同期より29.8%伸びた。うち輸入が201億4000万元で,26.7%の伸び,輸入は228億3000万元で32.7%の伸びとなった。今年から輸出商品外貨留保制度が実施された。
DIA-104-1979-12-23-1中国1979年12月23日1970年代広西自治区5期人代第2回会議開催-26日まで。ホワンロンを区人代常委主任に選出,タンインジーを区政府主席に決定。
DIA-104-1979-12-23-2中国1979年12月23日1970年代陝西省5期人代第2回会議開催-29日まで。馬文瑞を省人代常委主任に選出,于明濤を省長に決定。
DIA-104-1979-12-23-3中国1979年12月23日1970年代軍総政治部が最近北京で全軍青年工作経験交流会議を開いた。
DIA-104-1979-12-23-4中国1979年12月23日1970年代炭田地質部門は,今年1~11月に新たに84億2000万tの石炭埋蔵量を確定した。
DIA-104-1979-12-23-5中国1979年12月23日1970年代鉄道,今年9本複線化,5本電化-鉄道部門で今年在来線の改造に使われた資金は,新線建設への投資の3倍近くになった。
DIA-104-1979-12-23-6中国1979年12月23日1970年代衛生部,農業部,財政部,国家医薬管理総局,全国購買販売協同組合総社は最近合同で「農村協同医療規約(試行草案)」を公布。
DIA-104-1979-12-23-7中国1979年12月23日1970年代全国新型建材・試験建築技術経験交流会-蘇州市で,国家科学技術委員会と建築材料工業部が開いた。蘇州市に今年,中国初の新型建材生産基地が建設された。この基地で年間に生産される新型建材で,10万m2の住宅などを建設することができる。
DIA-104-1979-12-24-1中国1979年12月24日1970年代国家民族委員会が最近北京で全国民族政策宣伝工作座談会を開いた。
DIA-104-1979-12-24-2中国1979年12月24日1970年代上海市7期人代第2回会議開催-29日まで。厳佑民を市人代常委主任に選出,彭沖を市長に選出。
DIA-104-1979-12-24-3中国1979年12月24日1970年代江蘇省5期人代第2回会議開催-30日まで。許家屯を省人代常委主任に選出,恵浴宇を省長に決定。
DIA-104-1979-12-24-4中国1979年12月24日1970年代北京市中級人民法院は,社会管理秩序妨害罪で傅月華に懲役2年の判決をおこなう。
DIA-104-1979-12-24-5中国1979年12月24日1970年代地質部門,今年鉱産地160ヵ所を発見。
DIA-104-1979-12-24-6中国1979年12月24日1970年代桂林市が全国重点観光都市に。
DIA-104-1979-12-24-7中国1979年12月24日1970年代「人民日報」社説,「年末の分配を立派に行い,人民の信頼をかち取ろう」-今年の収益分配では,90%以上の公社員の収入が昨年より増えるようにすることをめざすべきである。
DIA-104-1979-12-24-8中国1979年12月24日1970年代中国とエクアドルが,80年1月2日に国交を樹立する共同コミュニケに調印。
DIA-104-1979-12-24-9中国1979年12月24日1970年代日立,カラーテレビ組立プラント輸出に合意・調印-14インチと22インチで年産20万台,上海に設置。
DIA-104-1979-12-25-1中国1979年12月25日1970年代最近上海で南方13省市自治区血吸虫病予防治療工作会議が開かれた。
DIA-104-1979-12-25-10中国1979年12月25日1970年代中国,12月16日にさかのぼり,大慶原油を2ドル値上げする旨通告-1バレル26ドルに。
DIA-104-1979-12-25-2中国1979年12月25日1970年代安徽省5期人代第2回会議開催-31日まで。顧卓新を省人代常委主任に,張勁夫を省長に決定。
DIA-104-1979-12-25-3中国1979年12月25日1970年代雲南省5期人代第2回会議開催-31日まで。安平生を省人代常委主任に選出,劉明輝を省長に決定。
DIA-104-1979-12-25-4中国1979年12月25日1970年代2つの大型金鉱完成-焦家金鉱と新城金鉱が最近,相次いで建設された。いずれも山東省掖県にあり,1日当り鉱石処理量はそれぞれ500t。
DIA-104-1979-12-25-5中国1979年12月25日1970年代初の「省エネ月間」の成果-11月の全国の工業生産総額は14.2%の伸びを示したのに対し,統一分配の石炭分配量はわずか2.3%増えただけで,燃料油の供給量は逆に2.2%減少し,工業用電力の消費も工業生産総額の伸び率を下回った。
DIA-104-1979-12-25-6中国1979年12月25日1970年代安徽省の鳳台県西部と穎上県東部にまたがる地域で,このほど埋蔵量22億tの大炭田が発見された。
DIA-104-1979-12-25-7中国1979年12月25日1970年代交通部直属の水運部門は,79年の港湾貨物取扱量と貨物輸送量計画をそれぞれ15日と11日繰上げて超過達成した。貨物取扱量は,昨年同期より6.7%増え,貨物輸送量は同じく7.4%増えた。
DIA-104-1979-12-25-8中国1979年12月25日1970年代江蘇石油探査指揮部は,最近湊潼で油井を掘り当てた。相前後して,泰州,高郵でも油井が掘られ,江蘇省北部の石油探査の展望が,さらに開かれた。
DIA-104-1979-12-25-9中国1979年12月25日1970年代いすずと日野,それぞれ中国に備品貯蔵所設置の契約を中国と結んだ,と発表。
DIA-104-1979-12-26-1中国1979年12月26日1970年代北京各紙,毛沢東の1931年1月26日と2月2日の2つの農村調査の前書を掲載。
DIA-104-1979-12-26-2中国1979年12月26日1970年代鉄道部門は79年の年間貨物輸送計画を達成した。貨物輸送量は10億8000万tで,前年同期を2000万t上回り,貨物輸送量・km数は5500億t・kmで,前年同期を250億t・km余上回った。79年の旅客輸送計画はすでに14日繰上げて達成されている。輸送旅客は8億2200万人で昨年を5.3%上回った。
DIA-104-1979-12-26-3中国1979年12月26日1970年代河北省南部の馬頭発電所で,新たに据付けられた20万kWの発電機が正式に発電を始めた。
DIA-104-1979-12-26-4中国1979年12月26日1970年代基本建設工兵部隊,年間計画を達成-今年の建築・据付け総工事量は,昨年より18%増えた。
DIA-104-1979-12-27-1中国1979年12月27日1970年代軍総政治部は最近「1980年政治工作要点」を発出。
DIA-104-1979-12-27-2中国1979年12月27日1970年代油料作物が豊作-総収穫量は昨年比75万t増の600万tに達する見込み。落花生,ナタネ,芝麻,胡麻,ヒマワリの5大油料作物の収穫量はいずれも昨年を上回った。
DIA-104-1979-12-27-3中国1979年12月27日1970年代国民経済の調整で一応の成果-基本建設戦線は79年初め,中止,延期を計画していた561の大・中型項目のうち,330余項目が各方面の共同の努力によって中止,延期された。盲目的に増やした工場,原材料消費が大きく,長期間赤字を出している工場に対して各地では転業,合併,閉鎖,操業停止を進めており,その数はすでに2000を超えている。
DIA-104-1979-12-27-4中国1979年12月27日1970年代電力工業部門は年間発電計画を繰上げ達成した。発電量は2750億kWHに達し,前年同期を9.6%上回った。
DIA-104-1979-12-27-5中国1979年12月27日1970年代徐州発電所の全工事完成-これで,この大型坑口発電所の4台の発電機が全て稼動し,総出力は50万kWとなった。
DIA-104-1979-12-27-6中国1979年12月27日1970年代米ランドコーポレーションが報告書「80年代のアジアの安全保障」を発表。
DIA-104-1979-12-28-1中国1979年12月28日1970年代国務院は人民大会堂で農業,財貿,教育,衛生,科学研究における全国先進単位と全国労働模範を表彰-全国の351の先進単位の代表と340名の労働模範が出席。
DIA-104-1979-12-28-2中国1979年12月28日1970年代貴州省修文県にある猫跳河第5水力発電所が完成-3台の発電機(出力各3万5000kW)はすでに据付けが完了,うち2台が発電を開始している。
DIA-104-1979-12-28-3中国1979年12月28日1970年代上海市対外貿易総公司が正式に設立-同総公司のもとには,15の輸出入分公司が設けられ,主に上海市の各種の輸出入業務の取り扱い・管理を行う。
DIA-104-1979-12-28-4中国1979年12月28日1970年代石炭工業部所属の炭鉱は,79年度の石炭生産計画を4日繰上げて達成した。生産量は3億5426万tに達し,前年比で1200万t増となった。
DIA-104-1979-12-28-5中国1979年12月28日1970年代江西岩塩鉱の第1期工事が,予定通り12月中旬に完了。
DIA-104-1979-12-28-6中国1979年12月28日1970年代華国鋒総理,キュー・サムファンの首相就任に祝電を送り,抗越救国闘争の支持をあらためて声明。
DIA-104-1979-12-28-7中国1979年12月28日1970年代新日鉄,宝山製鉄所の完成は81年10月から82年夏にずれ込むとの見通し公表。
DIA-104-1979-12-29-1中国1979年12月29日1970年代中共8期中央委員馬明方と王継舟の追悼会北京で挙行-2人は林彪,「4人組」の迫害により死去した。
DIA-104-1979-12-29-2中国1979年12月29日1970年代軍総政治部が最近全軍文化工作会議を開いた。
DIA-104-1979-12-29-3中国1979年12月29日1970年代79年の1~11月に買付けられた卵は8億kgを突破し,年度計画を10%上回った。
DIA-104-1979-12-29-4中国1979年12月29日1970年代商業部の統計によると,79年の豚買付け量は前年より1900余万頭多い1億1800余万頭であった。1頭当りの重さは前年に比べ6kg増え,増加分を合計すると,880万頭余を余分に買けたことに等しい。
DIA-104-1979-12-29-5中国1979年12月29日1970年代生糸,絹製品の輸出額は大幅に伸び,前年比20%前後伸びた。
DIA-104-1979-12-29-6中国1979年12月29日1970年代竜羊峡ダムの仮締切工事完成。
DIA-104-1979-12-29-7中国1979年12月29日1970年代中国とシンガポールが貿易協定に調印。
DIA-104-1979-12-30-1中国1979年12月30日1970年代年末までに全国で750万人が職業をあっせんされた。職業あっせんは4月から始められた。就職できた750万人のうち,74%前後は集団所有制企業に紹介されている。
DIA-104-1979-12-30-2中国1979年12月30日1970年代山東省の十里泉発電所で最初の12万5000kWの発電機が,このほど完成し発電を開始した。州石炭基地の棗膝鉱区にある坑口発電所である。
DIA-104-1979-12-30-3中国1979年12月30日1970年代新版中国薬典(薬局方)を1978年1月1日から施行。
DIA-104-1979-12-30-4中国1979年12月30日1970年代葛洲水利センターの,ダム本体の建設が基本的に完了。
DIA-104-1979-12-30-5中国1979年12月30日1970年代中国政府声明,ソ連の対アフガニスタン侵入・干渉を覇権主義の大暴露と厳しく糾弾-31日張海峰外交部副部長は,シチェルバコフ中国駐在ソ連大使を招き,ソ連当局がアフガニスタンへの侵略と干渉を即時停止し,そのすべての武装部隊を撤退させるよう要求した。
DIA-104-1979-12-31-1中国1979年12月31日1970年代首都各紙,周恩来の1957年8月4日の青島民族工作会議における講話を掲載-「わが国民族政策のいくつかの問題」と題するもの。
DIA-104-1979-12-31-2中国1979年12月31日1970年代機械電気製品16品目で,国家価格以下の変動価格を実施-第1機械工業部は国家物価委員会の同意を得て,80年1月1日から機械・電気製品16品目の変動価格制を実施することになった。
DIA-104-1979-12-31-3中国1979年12月31日1970年代食糧総生産量は前年比1000万t増-最近各省・市・自治区から集められた統計によると,全国の食糧総生産量は3億1500万tに達し,前年に比べ1000万t以上増加した。夏季収穫食糧の増産幅が最大で,前年に比べ700万tの増加となり,年間食糧増産分の60%余を占めた。早稲は作付面積が減少したが,総収穫量はやや増えた。南方の中稲と北方の多くの地区の秋取り入れ作物,トウモロコシ,コウリャン,サツマ芋などの収穫量も前年を上回った。
DIA-104-1979-12-31-4中国1979年12月31日1970年代銅,アルミニウム,鉛,亜鉛など8種類の非鉄金属は年間国家計画を25日繰上げて達成し,年末までに生産量は前年より12%以上増えた。希有金属,銅・アルミニウム製品の生産も国家計画が1ヵ月余繰上げ達成された。
DIA-104-1979-12-31-5中国1979年12月31日1970年代電力工業部門は発電設備の補充,潜在力の発掘,技術改造に力を入れて,この2年間に400万kW余の発電設備を生き返えらせた。
DIA-104-1979-12-31-6中国1979年12月31日1970年代石油工業生産の79年度国家計画は達成された。原油総生産量は1億610万tに達し,前年比で1.9%増。天然ガス総生産量も前年比で1.7%増となった。
DIA-104-1979-12-31-7中国1979年12月31日1970年代中国が自力で設計,施工した70年代の先進水準を行く,合成アンモニア製造プラントが,呉涇化学工場で完成し,試験操作に入った。年産30万tの合成アンモニアと24万tの尿素を生産することができる。