ID 国名 日付 年代 内容
DIA-105-1970-01-01-1台湾1970年01月01日1970年代総統の元旦文告-介石総統は元旦文告の中で,全国軍民同胞に対し,精神上,生活上,行動上,観念上で,政治,経済,教育,文化の各方面において再革新,再進歩につとめ,討毛救国に総力を動員するよう激励した。また,中国に対しては,「今日の大陸はいつでも一夜にして驚天動地の変化が発生する可能性がある」と語った。
DIA-105-1970-01-03-1台湾1970年01月03日1970年代アグニュー米副大統領,米台の緊密協力を強調-2日から訪台しているアグニュー米副大統領は,総統をはじめ国府首脳と会談し,米台両国共同問題などについて意見を交換した。同副大統領は離台に先立ち,台北松山空港で「米国が深い関心をいだくこの地域において中華民国が米国と緊密に協力しながら建設的な努力を続けることを確信している」との声明を発表した。
DIA-105-1970-01-07-1台湾1970年01月07日1970年代台湾の炭坑事故率は高い-内政部長徐慶鐘はある国民党の重要会議で,台湾の労働者で現場事故により負傷し,不具になり,または死亡した者の人数は毎年約2万人に達しており,そのうち炭坑事故が全体の70%を占めていると述べた。
DIA-105-1970-01-09-1台湾1970年01月09日1970年代米国務省,台湾防衛の約束尊重する-米国務省のマクロスキー報道官は記者会見で,①台湾におけるパトロールの数についてはいえない。その規模縮小は国防費削減に伴う世界的な経費削減措置の一環である,②国府との相互防衛条約および国府に対する米国の全般的な約束は依然として尊重すると述べた。
DIA-105-1970-01-10-1台湾1970年01月10日1970年代国府へF104戦闘機を供与-米国務省は米国が国府に対してF104型ジェット戦闘機1飛行中隊(18機)を供与することを明らかにした。これらの戦闘機は無償で国府に引き渡され,こん包などの費用だけを国府が負担する。
DIA-105-1970-01-12-1台湾1970年01月12日1970年代国府,南ベトナム経済の改善に協力-7月からサイゴンで開かれた第6回国府・ベトナム経済協力会議は閉幕にあたって共同声明を発表した。今度の会議は,貿易,農業,公共施設建設および交通の各方面で,国府からさらに多くの援助を提供することについて合意に達した。
DIA-105-1970-01-13-1台湾1970年01月13日1970年代「国府の政策は一貫不変」-総統は,駐日外人記者団を接見し,アメリカのアジア離脱政策の質問について,「アメリカあるいは他のいかなる国家がいかに政策を変更しようとにかかわらず,中華民国の政策は一貫しており,それは自身の安全と人民の自由を守るにある」と回答した。
DIA-105-1970-01-14-1台湾1970年01月14日1970年代中央公職人員補充選挙の当選証書発給される-69年12月20日に行なわれた中央公職人員の補充選挙で当選した国民大会代表15名,立法委員11名,監察委員2名の当選証書が発給された。
DIA-105-1970-01-14-2台湾1970年01月14日1970年代行政院財政経済金融会報,「食糧改善政策実施方案」を可決。
DIA-105-1970-01-14-3台湾1970年01月14日1970年代台湾青果聯営会,1969年台湾バナナの対日輸出総量は845万3250簍と発表。
DIA-105-1970-01-15-1台湾1970年01月15日1970年代総統,板垣大使と会談-介石総統は板垣修日本駐国府大使と約30分間会談した。佐藤内閣の中国政策について,板垣大使は,①日本政府は国府との友好関係をそこなわない,②アジアの緊張緩和のため,また中国との間に懸案があるので,中国が望めば将来政府間の話合いを考慮する,と説明した。これに対し,総統は「日本の態度はアジア各国に影響するので,とくに道義に基づく外交をしてほしい」と述べた。
DIA-105-1970-01-15-2台湾1970年01月15日1970年代行政院,出入国旅客の外貨携帯額は最高400ドルと決定。
DIA-105-1970-01-15-3台湾1970年01月15日1970年代台中加工区,投資申請の受付始まる-高級精密軽工業を主とする台中加工区の投資申請の受理が始められた。当局の台中加工区設置目標は,50社を誘致,投資総額750万ドル,年輸出額3000万ドル,収容従業員1万人以上,技術者導入150人となっている。
DIA-105-1970-01-19-1台湾1970年01月19日1970年代愛知外相,国府との友好は維持すると語る-愛知外相は彭孟緝国府駐日大使を外務省に招き,「国民政府との友好関係を維持していくという日本政府の方針には変わりはない」と述べた。彭大使は「日本の中国との接近には慎重を期してほしい」と国府側の意向を伝えた。しかし,日中貿易への輸銀資金使用などの問題にはふれなかった。
DIA-105-1970-01-20-1台湾1970年01月20日1970年代繊維自主規制討議を拒否-国府の繊維交渉代表団はワシントンで,米台間の綿織品長期取り決め延長交渉のさい,米国の要請した毛・化合繊の対米輸出自主規則に関する討議を拒否した。
DIA-105-1970-01-26-1台湾1970年01月26日1970年代米両院協,対国府ファントム機供与削除-米議会の上下両院協議会は,総額18億6000万ドルの対外援助の中から,国府に対するF4Dファントム・ジェット戦闘機1個中隊供与費5400万ドルの歳出を削除することを議決した。
DIA-105-1970-01-28-1台湾1970年01月28日1970年代于豪陸軍総司令,タイを訪問。
DIA-105-1970-01-31-1台湾1970年01月31日1970年代彭明敏を指名手配-台湾警備司令部のスポークスマン夏学周少将は記者会見で「彭明敏は法律手続を経ずに外国へ密出国し,しかも国外で国策および国家にそむく言動を取っている。これは戡乱時期台湾地区入境出境管理弁法,懲治叛乱条例第2条第3項に違反しているもので,戒厳法第8条第2項及び軍事審判法第102条の規定に基づいて彭を指名手配する」と発表した。なお,台湾独立運動家である彭氏はスウェーデンに亡命したと伝えられている。
DIA-105-1970-01-31-2台湾1970年01月31日1970年代国府代表団,国連アジア極東経済協力委員会第13次貿易開発会議参加のため渡タイ。
DIA-105-1970-02-01-1台湾1970年02月01日1970年代日本衆議院議員西尾末広訪台。
DIA-105-1970-02-03-1台湾1970年02月03日1970年代行政院,1971年度の施政方針を提出-行政院は1970年7月から1971年6月までの新年度の施政方針を立法院に提出した。それによると,①全力で政治革新を推進する,②経済建設推進を強化する,③教育科学の水準を引上げる,④軍事作戦整備を強化するなどが重点となっている。
DIA-105-1970-02-03-2台湾1970年02月03日1970年代行政院,3.5トン以下の自動車シャーシーの輸入規制を認可。
DIA-105-1970-02-05-1台湾1970年02月05日1970年代行政院,国府・タイ経済協力会議の決議承認-行政院会は,69年12月9日から15日までバンコクで開かれた第2回国府・タイ経済協力会議の決議および共同声明を承認した。主な決議は次のとおり。①農業―国府は農業専門家をタイに派遣し,タイの野菜栽培と農機具改良に協力する,②貿易―国府がタイ産とうもろこし,長繊維および大豆の買付けを増やし,タイが国府の紡織品,電化製品および農機具の買付けを増やす,③工業および技術の提携。
DIA-105-1970-02-08-1台湾1970年02月08日1970年代交通部,1万5000トン級コンテナ船5隻建造計画を許可。
DIA-105-1970-02-10-1台湾1970年02月10日1970年代経合会,「台湾地区長期経済計画綱要」を決定。
DIA-105-1970-02-11-1台湾1970年02月11日1970年代台湾省政府,鉱務局発足-台湾省政府は,これまでの建設庁第2科,工鉱検査委員会,石炭調節委員会などの機構を合併して,鉱務局を正式に発足させた。台湾省石炭調節委員会主任委員田維五が初代局長に就任した。
DIA-105-1970-02-12-1台湾1970年02月12日1970年代縦貫鉄路線新竹―竹北間で列車の追突事故があり,57人死傷。
DIA-105-1970-02-14-1台湾1970年02月14日1970年代政府・台湾東部の開発計画を推進-政府は台湾省内の経済発展の地域格差を解消するため,東部の花蓮,台東両県の開発を積極的に進めることを決定した。この開発計画は主に工業建設,畜産奨励,林業発展,鉱産開発,近海および遠洋漁業の発展を促進することにある。
DIA-105-1970-02-19-1台湾1970年02月19日1970年代国連の協力で養豚研究所設立-国連の協力で設立される養豚研究所の計画実施方案が張研田経済部次長と国連FAO駐国府代表との間に調印された。研究所設置経費は231万9100ドルで,このうち,国連から73万6900ドルが援助される。
DIA-105-1970-02-21-1台湾1970年02月21日1970年代経済部連合工業研究所,コバルト60の実験工場設置を決定。
DIA-105-1970-02-22-1台湾1970年02月22日1970年代台湾省の新年度予算-省政府の新年度(1970年7月―1971年6月)の予算は歳出入総額131億元である。新予算の特色としては,財源を新税と税率引上げに求めず,公営事業の収益増加と課税徴収の強化でまかなうことである。
DIA-105-1970-02-23-1台湾1970年02月23日1970年代3国際港拡張計画-省政府は1970年から5カ年計画で資金58億元を投じて,高雄,基隆,花蓮3港の拡張計画を決定した。
DIA-105-1970-02-24-1台湾1970年02月24日1970年代20年間の台湾食米輸出額-省糧食局の統計によると,1950―69年の20年間に台湾が輸出した食米は227万8793トンに達し,獲得した外貨は3億5562万7654ドルである。
DIA-105-1970-02-25-1台湾1970年02月25日1970年代経済部,工業発展局設置-政府は工業化を強力に推進する一環として,経済部に所属する工業発展局を正式に設置した。初代局長に経合会副秘書長韋永寧が兼任することになった。
DIA-105-1970-02-26-1台湾1970年02月26日1970年代南北縦貫高速道路建設は1971年着工-行政院会は,基隆から鳳山まで全長373.8km,総工費約200億元の台湾南北縦貫高速道路建設の最終案を決定した。総工事期間6年とする本計画は,全線の工事を4期に分け,第1期工事(台湾北部の内湖―楊梅間54kmと南部の台南―鳳山間55km)を1971年に着工し,2年間以内に完成する予定。工費は47%がアジア開発銀行などから借入れ,53%を政府自身が調達する。
DIA-105-1970-02-27-1台湾1970年02月27日1970年代「アジアの安全は日本の努力に期待」-魏道明外交部長は立法院本会議で,「今日アジア太平洋地区の安全は,自由国家の安全と切離すことはできない。われわれは今後,日本がこの地区の経済繁栄促進に貢献することを望むのみでなく,同地区の安全に対してもより多く努力するよう期待している」と述べた。
DIA-105-1970-02-27-2台湾1970年02月27日1970年代タイ政府,「中・シャム友好条約」廃棄を通告-タイ外務省は,タイ駐在国府大使館に正式に照会を送り,タイ政府は1946年1月23日に調印した「中・シャム友好条約」に代る新条約を締結したいという意思表示を行なった。
DIA-105-1970-02-28-1台湾1970年02月28日1970年代経合会,8種類工業の開発方針を発表-経合会は,合板,製紙,電器,電子,製薬および農薬,鉄鋼,缶詰食品,一般食品などの開発方針を発表した。
DIA-105-1970-03-02-1台湾1970年03月02日1970年代行政院賦税改革委員会,「土地税法修訂案」を通過。
DIA-105-1970-03-04-1台湾1970年03月04日1970年代テーラー米陸軍少将,台湾駐在米軍顧問団長に着任。
DIA-105-1970-03-07-1台湾1970年03月07日1970年代台湾バナナ1箱2.7ドル,4―6月の交渉妥結-第18回日台バナナ貿易会議は,今年4―6月期のバナナ対日輸出交渉を妥結した。したがって,同期間の対日輸出価格は1箱2.7ドル,輸出量は1125万箱と決定した。
DIA-105-1970-03-07-2台湾1970年03月07日1970年代国防部,米台協力によるヘリコプター生産計画を確認-国防部のスポークスマン陳鍾琇少将は,米台両国の協力でヘリコプターを台湾で生産するとニクソン米大統領の3月5日発表を確認し,さらに両国間はすでに契約調印を済ませ,現在工場の建設計画中であると述べた。
DIA-105-1970-03-07-3台湾1970年03月07日1970年代1969年度の国営事業収支は黒字-国営事業委員会は全国13の国営事業体の収支概況を発表した。それによると,1969年度の営業収入総額は216億9900万元であるが,そのうち利益金は約40億3200万元に達したといわれる。なお経済部所属13の国営事業体は次のとおり。 台湾電力,中国石油,台湾糖業,台湾肥料,台湾業(ソーダ),台湾錫業(アルミ),台湾金属,台湾機械,台湾造船,中華機械工程,工業研究所,鉱業研究所,金属工業研究所。
DIA-105-1970-03-07-4台湾1970年03月07日1970年代国府・ガンビア農業技術協力協定の2年間延長を決定。
DIA-105-1970-03-08-1台湾1970年03月08日1970年代日本政府の経済協力視察団(団長高島節男外務省参事官)一行9名訪台。
DIA-105-1970-03-09-1台湾1970年03月09日1970年代国府・タイ航空協定修正事項が妥結。
DIA-105-1970-03-11-1台湾1970年03月11日1970年代行政院財経会報,肥料配布価格と米肥交換比率の調整を決定-行政院財政経済金融会報は,肥料配布価格と米肥交換比率を大幅に調整し,しかも1970年1月1日にさかのぼって実施することを決定した。それによると,①1トン当たりの尿素現金配布価格は5400元から4650元に,硫安は3300元から2900元に,それぞれ値下げとなり,②尿素とモミの交換比率は1:1.36から1:1.09に,硫安は1:0.79から1:0.68に引き下げられた。
DIA-105-1970-03-12-1台湾1970年03月12日1970年代教育部,日本留学制限を部分解除-日本の大学騒動が留学生の研究環境にふさわしくないという理由で,日本留学に制限措置を取った教育部は,このほど日本の大学情況が平静に戻ったので,留学申請の受付を再開すると明らかにしたが,理,工,農,医科と日本の大学から奨学金を受けていたものに限定すると発表した。
DIA-105-1970-03-13-1台湾1970年03月13日1970年代第5回台韓経済閣僚会議,共同声明を発表-9日からソウルで開かれた第5回台韓経済閣僚会議(台湾側代表12名,団長孫運経済部長)は閉会にあたって共同声明を発表した。要点は次のとおり。①双方は石油化学品生産の協力を拡大することに同意した,②双方は併せて機械製造工業方面で,新たな協力計画を立案することに同意した,③双方は両国間の貿易を一歩進めて拡大する方途について広範に討議する。
DIA-105-1970-03-17-1台湾1970年03月17日1970年代彭駐日国府大使,佐藤首相と会見-彭孟緝駐日国府大使は佐藤首相を訪れ,日本政府の対中国政策を中心にアジア問題全般についてその方針をただした。同大使は日本政府の対中国政策について国府として十分な関心をもっていることを表明し,佐藤首相は基本的には変わっていないことを強調した。
DIA-105-1970-03-17-2台湾1970年03月17日1970年代政府,国防工業の発展を重視-厳行政院長は立法院会で,政府は従来から国防工業を極めて重視しており,国防上の交通用具,弾薬,武器,国防科学研究などに対する投資額は加工輸出区に対する投資額をかなり越えていると述べ,1971年度の総予算案の中には,国防工業に対する大幅投資が含まれていることを示唆した。
DIA-105-1970-03-19-1台湾1970年03月19日1970年代台湾区石炭礦業公会,1970年の石炭生産量は500万トンを計画目標とする。
DIA-105-1970-03-23-1台湾1970年03月23日1970年代米下院,国府への潜水艦貸与を可決-米下院は国府にガピー級通常型潜水艦3隻を貸与する法案を承認した。国府はこれまで潜水艦を保有しておらず,貸与が決まれば初めて潜水艦を持つことになる。しかし,この法案の成立は米上院の認可を得なければならない。
DIA-105-1970-03-24-1台湾1970年03月24日1970年代孫経済部長は商工協進会第19回大会で,輸出入銀行の設置を考慮していると述べた。
DIA-105-1970-03-25-1台湾1970年03月25日1970年代政府,小型原子炉を試作-国家委員会は立法院で,政府は最近原子力科学の研究と開発工作用に国産の小型原子炉の試作をしていると述べた。
DIA-105-1970-03-26-1台湾1970年03月26日1970年代省政府,農業などの発展に44億元を投資-台湾省政府は1970年において,44億5900万元を投資して,農,林,漁,牧生産の成長が年率4.4%の目標に達せられるように期待している。主な計画内容は,①農作物増産に6億7300万元を投じ,とくに米を262万トン(玄米換算),甘藷を402万5000トン,落花生を15万トンに増産させる,②畜牧増産に5億8000万元を投資する,③漁業に13億5000万元を支出し,漁獲量を63万2300トンに増加する,④水利および土地資源の開発に13億8500万元を支出する,などである。
DIA-105-1970-03-26-2台湾1970年03月26日1970年代行政院,国府・コンゴ両国農業技術合作新協定を認可。
DIA-105-1970-03-29-1台湾1970年03月29日1970年代中国国民党第10回2中全会開く-中国国民党第10回中央委員会第2次全体会議(2中全会)は,介石総統主宰のもとに台北市近郊の陽明山中山楼で開幕された。本会議の主要議題は次のとおり。①組織機能の強化,党革新の貫徹,②基層組織の政治風紀および司法風紀の改善,③現段階における農村経済建設綱領,④現段階における国民就業補導工作綱領の強化,⑤国民生活公約の全面的実践,社会革新の貫徹。
DIA-105-1970-03-29-2台湾1970年03月29日1970年代米国,1億5700万ドルの無償兵器を国府に供与と報道-米ニューヨーク・タイムズ紙がワシントン電として伝えるところによれば,米国は1969年,1億7500万ドル相当の余剰武器を秘密裡に国府に供与したといわれる。これが明らかにされたのは,共和党のコンテ下院議員が最近の下院歳出小委の秘密聴聞会で取り上げたためで,同議員があげた供与武器は,次のとおりである。 駆逐艦(艦齢20年)4隻,ナイキ・ハーキュリーズ・ミサイル1個中隊分の装備,F100スーパーセーバー・ジェット戦闘機35機以上,C119大型輸送機30機以上,F104スターファイター戦闘機20機以上,中型戦車50輌ぐらい,りゅう弾砲約120門,M14ライフル銃数千丁など。 国府側は駆逐艦4隻に百万ドルを支払ったが,他の武器は無償だという。
DIA-105-1970-03-31-1台湾1970年03月31日1970年代国民党2中全会,「現階段農村経済建設綱領」を可決。
DIA-105-1970-04-01-1台湾1970年04月01日1970年代マルタ,台北に領事館設置。
DIA-105-1970-04-02-1台湾1970年04月02日1970年代国民党2中全会,「国民就業補導工作綱領」を可決。
DIA-105-1970-04-03-1台湾1970年04月03日1970年代中東・アジア地区公館長会議開幕。
DIA-105-1970-04-03-2台湾1970年04月03日1970年代国民党中央常務委員21名全部留任-国民党第10期2中全会は,総統が指名した21名の中央常務委員人選を満場一致で可決した。選出された中央常務委員は全員留任である。リストは次のとおりである。 厳家淦,経国,谷正綱,張其昀,黄少谷,周至柔,黄杰,袁守謙,倪文亜,鄭彦,胡健中,謝東閔,陳大慶,郭澄,郭驥,高魁元,彦士,閻振興,孫運,李国鼎,林挺生。
DIA-105-1970-04-03-3台湾1970年04月03日1970年代アジア開発銀行,高速道路建設に借款-南北高速道路建設のために,アジア開発銀行からの1800万ドルの借款契約が,ア銀渡辺総裁と李国鼎財政部長との間に台北で調印された。本契約成立の条件として,①交通部に台湾区南北高速道路工程局を設置し,②調印後90日以内に発効しない場合は,本契約は無効となることになっている。この借款は主に台北から楊梅までの工事費などに使用される。借款の金利は年6.875%,償還期間は3年6カ月据置を含めて20年。
DIA-105-1970-04-05-1台湾1970年04月05日1970年代農地整理の最小単位面積,一区画25アールに拡大-台湾省民政庁長翁鈐は農地整理について,大きい機械の耕作および共同経営に適応するため,従来の1単位最小10アールを25アールに拡大するとともに,600メートルごとに4~5メートル幅の農道を造成することを決定した。
DIA-105-1970-04-06-1台湾1970年04月06日1970年代大陸工作の基本政策-黄杰国防部長は立法院の国防委員会で,「当面の大陸工作の基本政策は大陸の革命情勢の変化を把握して,中共に対する政治反攻を強化し,討毛救国運動の拡大発展を図り,全面的な戦略優勢を造成して反攻の機会を開拓することである」と述べた。
DIA-105-1970-04-07-1台湾1970年04月07日1970年代国際貿易局,冷凍豚肉の輸出制限を廃止。
DIA-105-1970-04-09-1台湾1970年04月09日1970年代韓国外務部長崔圭夏,国府首脳と会談-8日訪台した韓国外務部長崔圭夏および次官補鄭奎燮は,厳副総統を始めとする国府首脳と台韓両国問題,アジアおよび世界情勢等について意見を交換した。
DIA-105-1970-04-09-2台湾1970年04月09日1970年代行政院,台湾中部の梧棲国際港を台中港と命名。
DIA-105-1970-04-10-1台湾1970年04月10日1970年代"経済部,工業用地開発計画を策定-経済部は工業用地6000ヘクタール開発10カ年計画を策定した。その計画によると,毎年600ヘクタールずつ開発し,この資金9億元,10カ年計画で6000ヘクタール90億元とし,5年を1期として45億元を調達する。資金調達は政府,公営金融機関,民営事業などによって行なわれ,それぞれが工業用地を開発する。"
DIA-105-1970-04-11-1台湾1970年04月11日1970年代工業発展局の審議機関である工業指導委員会成立。
DIA-105-1970-04-13-1台湾1970年04月13日1970年代新年度からバナナ等の輸出臨時付加税を廃止-財政部は,1970年7月からバナナ,マッシュルーム,アスパラガスの輸出臨時付加税の徴収を停止することに決定した。
DIA-105-1970-04-15-1台湾1970年04月15日1970年代国連FAO,国府の4開発計画援助-国連FAO政府間委員会は,国府申請の4項開発計画を承認した。同計画の大要は,①環境衛生の改善による社会開発費582万5000ドル,②山地道路の開発223万7000ドル,③耕地開墾93万9000ドル,④灌漑,糧食管理制度の改善85万ドル,などの援助である。
DIA-105-1970-04-17-1台湾1970年04月17日1970年代米第7艦隊司令官グスナー中将訪台-今年3月10日に米第7艦隊司令官に就任したグスナー中将は,旗艦「オクラホマシティ号」で基隆に到着した。グスナー中将は記者会見で「米海軍艦艇の台湾海峡付近のパトロール行動は減少したが,これは単に軍事配置上の変更にすぎず,第7艦隊は依然強大な力を保っており,随時に共産党の如何なる侵略企図を阻止し,これに打撃を与えることができる」と語った。
DIA-105-1970-04-19-1台湾1970年04月19日1970年代1969年の漁獲量は56余万トン-省政府の発表によると,69年の漁獲量は56余万トンに達し,魚類の輸出額は4470余万ドルで計画目標を上回った。また同年の漁船建造もしくは購入数量は合計112隻で,2万2990余トン。
DIA-105-1970-04-24-1台湾1970年04月24日1970年代経国,米でそ撃される-アメリカを訪問中の経国行政院副院長は,極東米商工会議主催の昼食会で演説するため,ニューヨークのプラザ・ホテルの玄関で車を降りたところを若い男にそ撃された。銃弾はホテルのドアに当たっただけで,氏は無事だった。犯人はただちに逮捕され,台湾独立派の黄文雄と鄭自才であることが判明した。
DIA-105-1970-04-24-2台湾1970年04月24日1970年代アジア太平洋区糧食センター,台北で成立。
DIA-105-1970-04-28-1台湾1970年04月28日1970年代ペルーのエルネスト・モンタニュ・サンチェス首相訪台。
DIA-105-1970-04-28-2台湾1970年04月28日1970年代台湾肥料公司,南ベトナムの尿素入札を落札-国際貿易局発表によると,南ベトナム政府が最近行なった尿素12万6500トンの国際入札で,台湾肥料公司はそのうちの7万1000トンを落札した。
DIA-105-1970-04-30-1台湾1970年04月30日1970年代経国,第2次円借款を要請-訪米からの帰途,29日東京に立ち寄った経国行政院副院長は,佐藤首相と会談した。副院長はさきの日中覚書貿易協定の共同声明について,「日本があらゆる国と貿易をするのはよく理解しているが,貿易が政治的に利用されるのは好ましくない」と述べた。また同副院長は台湾の新経済開発計画に,日本からの第2次円借款を受けたいと要請した。
DIA-105-1970-05-05-1台湾1970年05月05日1970年代フィリピン政府,于兄弟を国府に引き渡す-台湾警備司令部は,マニラ「華僑商報」社長于長城,同編集局長于長庚の兄弟は,フィリピン政府から国府に引き渡されたと発表した。于兄弟はフィリピンで転覆活動および中共のために宣伝活動を行なったという罪名で逮捕され,国外追放を受けたものである。
DIA-105-1970-05-06-1台湾1970年05月06日1970年代日本輸出入銀行,台湾向け円借款供与で調印-日本輸出入銀行は外国為替銀行16行と,国府に対し46億0800万円を限度とする円借款を供与することになり,貸付契約に調印した。これは1965年度から実施してきた国府の経済開発計画を援助する円借款(輸銀分約360億円,海外経済協力基金分約180億円)の最終年度分である。これら貸付の金利は年5.75%,償還期間は3年据置を含めて15年。
DIA-105-1970-05-07-1台湾1970年05月07日1970年代行政院,大鉄鋼工場建設計画原案を承認-行政院会は,経済部から提出されていた一貫作業の大鉄鋼工場建設計画案を承認した。その計画案によると,建設費は約3億ドルを要し,建設は3段階に分けられ,完成後の年生産量を200万トンと見積っている。この一貫作業鉄鋼生産工場の建設地点は台湾南部の高雄に予定している。
DIA-105-1970-05-07-2台湾1970年05月07日1970年代1969年の台湾廃船処理高は世界一-中国鉄鋼公司によると,1969年の台湾の廃船処理高は,25万7000余軽排水トンで,屑鉄量64万3000余トンを収得した。台湾の廃船処理高は世界の第1位を占めており,本年はさらに発展するものと期待している。
DIA-105-1970-05-08-1台湾1970年05月08日1970年代国府・韓国航空協定の修正換文終了。
DIA-105-1970-05-14-1台湾1970年05月14日1970年代経国,南ベトナムの公式訪問から帰国-キエム南ベトナム首相の招請で11日に南ベトナムを訪問した経国行政院副院長は,訪問中にチュー大統領はじめ南ベトナム政府首脳者と会談した後台北に帰着した。副院長は記者会見で「われわれのベトナムに駐在する軍事顧問団,農業技術協力団および経済建設支援団の業務はいずれも大きな成果を収め,ベトナム政府,軍部および民間の各方面で親善関係を深めていて,非常に重要な両国の提携基礎を固めている」と述べた。
DIA-105-1970-05-16-1台湾1970年05月16日1970年代世界銀行,台電および中華開発公司と借款契約を調印-訪台中のマクナマラ世界銀行総裁は国府代表と,世銀が台湾電力公司に貸与する4450万ドルおよび中華信託開発公司に貸与する1800万ドルの借款契約を調印した。調印後,同総裁は「1969―73年までの5カ年間に,台湾に対する借款を過去5年間の3倍以上に増加させたい」と述べた。
DIA-105-1970-05-19-1台湾1970年05月19日1970年代県市議員数,新しい方式で選出-台湾省地方自治法規修改委員会は,県市議員数について,従来の人口に比例して議員数を選出する方式を廃止して,新しい比例計算法を採用することに決定した。それによると,次回の県市議員選挙では,最低19人,最高57人として,各県市の県市議員数はその範囲内に制限するという考えである。
DIA-105-1970-05-19-2台湾1970年05月19日1970年代立法院,国府・レソト友好条約案を可決。
DIA-105-1970-05-21-1台湾1970年05月21日1970年代達見ダム建設工事起工式が挙行された。
DIA-105-1970-05-23-1台湾1970年05月23日1970年代総統,台湾独立運動は中共の虚偽の宣伝にすぎないと非難-総統は訪台中の国際新聞学会会員200余名に,「いわゆる台湾独立運動は中共の虚偽の宣伝に他ならない。今日台湾において実際的に台湾独立運動は存在しない。ただ国外にいる一握りの職業学生が悪徒どもに誘惑され,毛共とひそかにあい通じているのみである。彼らは表面的には毛共からの詰責を受けているが,裏では毛共から買収され,毛共化した台湾独立運動分子になっている」と語った。
DIA-105-1970-05-26-1台湾1970年05月26日1970年代森下仁丹,台湾での合弁取止め-森下仁丹は周4条件を尊重して,台湾での合弁事業から資本を引き揚げる方針を明らかにした。同社は台湾の合弁会社「台湾森下仁丹股有限公司」に30%の出資をしており,年間売上げは仁丹などで約4000万円。
DIA-105-1970-05-27-1台湾1970年05月27日1970年代石川島播磨重工が台湾造船公司に技術援助を延長-石川島播磨重工は台湾造船公司と技術援助契約の5カ年延長更改について台湾で正式調印した。台湾造船公司は石川島の技術援助に基づき,10万トンと3万5000トンの新造船設備,それに3万2000トンの修繕ドック設備をもっているが,さらに10万トンの修繕ドックを新設中。
DIA-105-1970-05-28-1台湾1970年05月28日1970年代立法委員郭国基病死。
DIA-105-1970-05-29-1台湾1970年05月29日1970年代立法院,中央政府総予算案を通過-立法院の秘密会議で,中華民国1971年度中央政府総予算および総予算施行条例が三読通過された。予算総額は明らかにされていないが,71年度の経済建設に対する支出総額は70年度に比べて148%も増加されたという。
DIA-105-1970-05-29-2台湾1970年05月29日1970年代国府,カンボジア援助用意-国府外交部スポークスマンは記者会見で「われわれはカンボジア政府と接触を続けており,ロン・ノル政権に対しどのような種類の援助をも行なう用意がある」と語った。
DIA-105-1970-06-01-1台湾1970年06月01日1970年代コートジボアールのヤサイ国会議長訪台。
DIA-105-1970-06-01-2台湾1970年06月01日1970年代教育庁,基層技術員を大量養成-台湾省政府教育庁は,経費約3億元をもって工業職業教育を発展し,そして大量の基層技術員を養成すると決定した。経費3億元の財源は,①世界銀行教育貸付金1億8355万8300元(458万8955ドル),②省政府1億919万6700元である。
DIA-105-1970-06-01-3台湾1970年06月01日1970年代"日華貿易経済会議終る-5月26日から東京で開かれていた第4回日華貿易経済会議は,「日華貿易の均衡と貿易拡大の障害をなくすため,今後両国は一層努力する」との共同コミュニケを採択して終了した。この会議で両国が合議したおもな内容は,①日本が台湾から輸入するポンカンの輸入ワクを拡大して1970年度は1000トン程度輸入する,②台湾側は日本から輸入するリンゴの割当てワクを拡大する,などである。このほか,台湾側からバナナ,パイン缶などの関税率を引下げてほしいとの要望が出されたが,日本側は応じなかった。"
DIA-105-1970-06-02-1台湾1970年06月02日1970年代張国民党秘書長,佐藤首相を訪問-1日に訪日した張宝樹国民党秘書長は佐藤首相を訪問した。佐藤首相は張秘書長の訪日は両国与党間の相互理解と友好増進によい機会となると同時に,いわゆる「北京貿易会談」に関連のある「声明」によって造成される可能性のある誤解も解けると強調した。
DIA-105-1970-06-04-1台湾1970年06月04日1970年代行政院,対日円借款修正決定-行政院は対日円借款交換公文修正事案を審議決定した。1億5000万ドル相当の日本円貸付は日華両国政府の1965年4月26日の交換公文の規定により今年4月25日をもって満期となっているが,期限中に使用されていなかった残額3000余万ドルについて,両国代表が4月24日東京において修正交換公文に署名した。その主な内容は,①期限を1970年4月25日より1974年6月30日まで延長する,②南北高速道路計画(基隆―台北)は日本経済協力基金貸付の曽文ダムおよび高雄第2港の両計画の未使用残額を転用する。
DIA-105-1970-06-05-1台湾1970年06月05日1970年代ニカラグア共和国カイバー副総統訪台。
DIA-105-1970-06-05-2台湾1970年06月05日1970年代国府・リベリア農業技術協力協定調印。
DIA-105-1970-06-07-1台湾1970年06月07日1970年代曽文ダム大堰堤起工式-曽文ダム大堰堤の起工式が省主席陳大慶と国軍退除役官兵輔導委員会の趙聚鈺の共同主宰の下に行なわれ,本格工事に入った。同ダムの予備工事は67年10月開始しており,この起工式で大堰堤の築造工事が着工され,73年10月までに大堰堤本体,溢水道,地下発電所が全部完成する計画となっている。
DIA-105-1970-06-08-1台湾1970年06月08日1970年代南北高速道路工程局成立。
DIA-105-1970-06-09-1台湾1970年06月09日1970年代カンボジア親善訪問団訪台-カンボジアのロン・ノル首相の特使としてスレイ・サマン准将の率いる親善訪問団一行6名はソウルから台北に到着した。スレイ将軍は空港の記者会見で,「カンボジアが現在最も必要としているのは友情であり,今回の訪問も両国間の友好関係を再建するためである」と述べた。
DIA-105-1970-06-10-1台湾1970年06月10日1970年代行政院財政経済会報,農業金融画策委員会設置を決定。
DIA-105-1970-06-10-2台湾1970年06月10日1970年代国府・フィリピン文化専約,マニラで調印。
DIA-105-1970-06-11-1台湾1970年06月11日1970年代行政院,国府・スワジラント農業技術協力協定を認可。
DIA-105-1970-06-12-1台湾1970年06月12日1970年代国府,ペルーの震災救済に5万ドルと発表。
DIA-105-1970-06-12-2台湾1970年06月12日1970年代国府・カンボジア共同声明発表-訪台中のカンボジア親善訪問団は13日の離台に先立ち国府との共同声明を発表した。その中には,両国政府は今後,堅固な基礎を確立して両国の友好関係を増進する必要があると述べた。
DIA-105-1970-06-15-1台湾1970年06月15日1970年代国際ペンクラブ第3回アジア作家会議が台北で開催された。
DIA-105-1970-06-15-2台湾1970年06月15日1970年代1969年訪台観光客数は41万人,観光収入は6700万ドルと観光事業管理局が発表。
DIA-105-1970-06-16-1台湾1970年06月16日1970年代国府・ボリビア文化条約発効。
DIA-105-1970-06-18-1台湾1970年06月18日1970年代外交部次長,アフリカ27カ国歴訪-外交部次長楊西崑は,アフリカの27国を訪問するため台北を出発した。訪問国の中には赤道ギニア,ケニア,ナイジェリア,モーリシアスおよびガーナ等国府と国交がない国家が含まれている。
DIA-105-1970-06-19-1台湾1970年06月19日1970年代"世界銀行の教育借款調印-総額900万ドルにのぼる世界銀行の国府に対する教育借款が世銀本部で調印された。この借款は3年半以内に1900名の職業学校の学生を訓練する計画に当てられる。同借款は年利7分,10年据置き25年償還となっている。"
DIA-105-1970-06-20-1台湾1970年06月20日1970年代台中港計画中間報告-省政府の依託を受けて台中港開発計画の調査を進めた日本の港湾専門家は,中間報告を当局に提出した。その報告によると,総工費は予備工事を含めて約82億元である。
DIA-105-1970-06-21-1台湾1970年06月21日1970年代"行政院,第5期船舶購入建造計画を認可-行政院は資金5000万ドルを必要とする第5期船舶購入建造計画を認可した。同計画は総屯数22万余トンの各種船舶を購入および建造するものであるが,新造船は優先的に国内造船所に発注することに規定している。主要建造船舶は,1万6000トンの遠洋定期線コンテナ船1隻,東南アジア定期線5500トン級2隻,バナナ輸送冷蔵船7000トン級1隻,工業原料輸入用船2万5000トン級ばら積み船4隻などである。一方,合計8万2500トンの船齢12年以内の船舶(タンカーを除く)の購入が計画されている。"
DIA-105-1970-06-25-1台湾1970年06月25日1970年代行政院,国府・タイ臨時航空協定修正案を批准。
DIA-105-1970-06-25-2台湾1970年06月25日1970年代行政院,「中米経済社会発展基金協定」の5カ年延長を批准-行政院は院会で「中米経済社会発展基金協定」の5カ年延長を批准し,また1971年度(1970年7月~1971年6月)「中米基金」の分配および運用方法を可決し,つまり総額18億元余のうち3億元を農復会,残り15億元余を経合会が運用することに決定した。
DIA-105-1970-06-29-1台湾1970年06月29日1970年代軍首脳人事異動-総統令で次のような軍事首脳の人事異動を発令した。 (1) 参謀総長高魁元を総統府参軍長に任命。 (2) 空軍総司令頼名湯を参謀総長に任命。 (3) 海軍総司令馮啓聰を国防部連合作戦研究委員会主任委員に任命。 (4) 海軍中将宋長志を海軍総司令に任命。 (5) 空軍中将陳衣風を空軍総司令に任命。 (6) 陸軍中将尹俊を台湾警備司令兼台湾軍管区司令に任命。
DIA-105-1970-07-01-1台湾1970年07月01日1970年代「戡乱時期台湾地区戸政改進弁法」(戸警合一弁法)の施行期間はさらに1年間延長された。
DIA-105-1970-07-01-2台湾1970年07月01日1970年代1970年第1期の食糧実物債券が発行され,その総額は蓬莢種のモミにして3万8461トン。
DIA-105-1970-07-01-3台湾1970年07月01日1970年代王任遠氏は総統令で司法行政部長に任命された。
DIA-105-1970-07-03-1台湾1970年07月03日1970年代日華協力委員会第4回貿易委員会,東京で開く。
DIA-105-1970-07-04-1台湾1970年07月04日1970年代アジア国会議員連合理事会議閉幕-2日から台北で開催したアジア国会議員連合会の第8回理事会議は閉会式を挙行して共同声明を発表した。その中には,①中共政権はアジアの動乱の根源であること,②カンボジアに有効な支援を提供すべきこと,③アジア支払同盟を研究し成立させること,などを表明した。本会議の参加代表は国府,インドネシア,日本,韓国,フィリピン,タイおよび南ベトナムで,オーストラリア,カンボジアおよびインド代表はオブザーバーとして列席した。
DIA-105-1970-07-06-1台湾1970年07月06日1970年代第15回日華協力委員会開く-日華協力委員会第15回東京総会は東京の経団連会館で幕を開けた。参加者は国府側36名,日本側72名(予定者中15名が欠席),それにオブザーバーとして,韓日協力委員会から3名が出席した。同総会の席上,谷正綱国府側代表団長は,「周4条件が貿易手段に名を借りて日本の内政に干渉し,日米,日華,日韓など自由諸国間の関係を破壊して日本を国際政治から孤立させようとねらっている」と指摘,さらに「台湾は周4条件を受入れた日本の商社,メーカーは貿易取引を断絶する」と厳しい態度を打ち出した。
DIA-105-1970-07-06-2台湾1970年07月06日1970年代佐藤首相,第2次円借款の供与を厳副総統に明示-万国博ナショナル・デーに出席のため来日した厳家淦副総統は,佐藤首相を訪問し,円借款などについて懇談した。佐藤首相は,①円借款については,第1次借款のように最初から総ワクを決めず,借款計画を個別に検討し必要なプロジェクトを認めるという積み重ね方式をとりたい,②日本の対中国政策について「アジアの緊張を緩和するため,日本としては中国大陸との関係改善にも努力しなければならない。当面は民間貿易を通じて交流を続ける方針である」と述べた。これらに対し厳副総統は原則的に理解すると答えた。
DIA-105-1970-07-08-1台湾1970年07月08日1970年代日華協力委員会が共同声明を採択-日華協力委員会第15回総会は,政治,経済,文化の各部会決議と共同声明を採択して閉会式を行なった。共同声明では,①日本,台湾,韓国が今後も緊密な協力関係を打ち立てるため,連絡委員会を設ける,②新しいアジアの指導理念を形成するよう努力する,③周4条件について,国際的な貿易関係に「政治的条件」をもち込もうとすることに対しては反対である,などを述べた。
DIA-105-1970-07-11-1台湾1970年07月11日1970年代"国家安全会議,「台湾北区区域建設計画」を認可-総面積3677.67km2,台北市,台北県,桃園県,基隆市の全行政地域を包括する「台湾北区区域建設計画」は,国家安全会議の認可を得た。同計画は1969年より1期4年として5期に分けて実施,1988年に完成する予定。"
DIA-105-1970-07-12-1台湾1970年07月12日1970年代政府,国民貯蓄を奨励-政府は国民貯蓄を奨励する一環として,各公私営機関の従業員に銀行預金口座を設け,公私営機関がその雇用人員の給料賃金をすべて各自の銀行口座に振込み,現金では支給しないことに決定した。
DIA-105-1970-07-15-1台湾1970年07月15日1970年代台湾省政府,一部人事異動-国民党中央常務委員会議は台湾省政府の一部人事異動案を承認した。それによると,陳武璋は民政庁長,陳友欽は建設庁長,劉定国および張炳楠両氏は省政府の新任委員,翁鈐および柯丁選両氏は省政府の専任委員と発表された。一方,台湾省政府委員兼糧食局長季連春は総統令で行政院政務委員に任命された。
DIA-105-1970-07-16-1台湾1970年07月16日1970年代行政院,財経会報が提出した「推広対外貿易方案」を認可。
DIA-105-1970-07-16-2台湾1970年07月16日1970年代ウェストモーランド米陸軍参謀長訪台。
DIA-105-1970-07-18-1台湾1970年07月18日1970年代国府がプノンペンに常駐代表団-国府外交部は政府の正式代表団がプノンペンに長期間駐在すると発表した。これは1958年に両国関係が断絶して以来,国民政府が現地に初めて派遣する正式の外交代表団となる。
DIA-105-1970-07-19-1台湾1970年07月19日1970年代日本衆議員友好訪問団(団長衆議院副議長荒船清十郎)一行8人訪台。
DIA-105-1970-07-20-1台湾1970年07月20日1970年代国府がB52基地を建設,米議会の証言で判明-米議会上院外交委員会のサイミントン小委員会が発表した聴聞会議事録によると,国府は新竹の空軍基地をB52が発着できるよう滑走路を長さ1万2000フィート,幅250フィートに拡張中といわれる。マコノギー駐国府米大使は「この計画を知っているが,国府の意図は不明で,多分米国の相互防衛の約束を強めさせたいためだと思う」と証言した。
DIA-105-1970-07-24-1台湾1970年07月24日1970年代董宗山大使を団長とする国府駐カンボジア代表団はプノンペンに到着。
DIA-105-1970-07-24-2台湾1970年07月24日1970年代インドネシア国家海運会社総裁ラシト一行6名訪台。
DIA-105-1970-07-25-1台湾1970年07月25日1970年代「周4原則」受諾企業の申請却下-経済部は,周4原則を受け入れる日本企業からの申請は輸出入を問わず直ちに却下すると述べた。中央日報は,その対象となるのは三菱化成,住友化学,三井高圧,昭和電工,宇部興産,日産化学,住友金属,川崎製鉄,日本鋼管,神戸製鋼,日野自動車,いすゞの12社と伝えている。
DIA-105-1970-07-26-1台湾1970年07月26日1970年代中央研究院,新院士8名を選出-中央研究院第9次院士会議は銭思亮院長主宰のもとに開かれ,新院士8名が選出された。これで中央研究院の院士数は69名となった。なお新院士は,易家訓,葉玄,項黼宸,李鎮源,朱満江,厳耕望,沈剛伯,鄒至荘らである。
DIA-105-1970-07-29-1台湾1970年07月29日1970年代今年上半期の対外貿易総額は14億ドルを超過-国際貿易局の発表によると,1970年の1月―6月の対外貿易総額は14億1900万ドルに達し,昨年同期に比べて3億7000万ドルも増加(35.2%増)したという。そのうち,輸出高7億1000万ドル,輸入高7億0800万ドル,僅かながらも200余万ドルの黒字を記録した。しかしながら,対日貿易の格差は依然拡大しており,輸出高1億2000万ドル,輸入高2億7000万ドル,赤字は1億6800万ドルであった。
DIA-105-1970-07-30-1台湾1970年07月30日1970年代行政院,オートボルタ開墾地の引渡し議定書を可決。
DIA-105-1970-07-31-1台湾1970年07月31日1970年代"1期米の生産量は127万8000余トン-台湾省糧食局の発表によると,第1期米は玄米にして約127万8228トンを生産し,昨年同期作に比べて3万9087トンの増産で,第1期作収穫量の記録を更新した。単位産量は1ヘクタール平均3746キロで,昨年同期の実績より3.34%の増収となった。しかし,作付面積は34万1225ヘクタールで,昨年同期に比べて0.19%減であった。"
DIA-105-1970-08-01-1台湾1970年08月01日1970年代施石青,台湾省糧食局長代理に着任。
DIA-105-1970-08-05-1台湾1970年08月05日1970年代楠梓,台中両加工区は1971年初に完成予定-経済部高雄加工輸出区管理処処長呉梅村は国民党中常会で,楠梓および台中両加工区の建設は1971年初に完成すると述べた。呉氏によると,現在の高雄加工区と楠梓,台中両加工区を合わせると,4年後には,400社以上の工廠の設置が予期され,投資額は1億ドル以上に達すると見込まれる。
DIA-105-1970-08-06-1台湾1970年08月06日1970年代国府・マレーシア第1回経済協力会議議事録調印-孫運経済部長と訪台中のサハリ・マレーシア商工相が両国初めての経済協力会議議事録に調印した。同議事録には,国府が技術協力および必要資料を提供し,マレーシアの加工輸出区建設を援助することが明記されている。この他,マレーシアのゴム,木材と鉄鉱石の台湾向け,台湾の機械,紡織品,食品缶詰のマレーシア向けを促進する方策を進めることに同意した。
DIA-105-1970-08-07-1台湾1970年08月07日1970年代経済部,締出しの企業9社を追加-経済部国際貿易局は,周4原則を受け入れた日本企業との取引き拒絶対象として次の9社を追加した。 住友商事,安宅産業,日商岩井,日綿実業,蝶理,野村貿易,クミアイ化学,森下仁丹,旭化成工業。
DIA-105-1970-08-11-1台湾1970年08月11日1970年代尖閣諸島の油田採掘権,米社が取得ずみと表明-米国ガルフ・オイルの日本法人であるパシフィック・ガルフ社は,台湾の国営会社「中国石油公司」から尖閣諸島に近い海底油田の探鉱,採掘権を7月28日付で取得したことを明らかにした。
DIA-105-1970-08-12-1台湾1970年08月12日1970年代台北でCALのYS11A機墜落,13人死亡。
DIA-105-1970-08-14-1台湾1970年08月14日1970年代中国石油公司,米社と石油探査で契約-国営会社「中国石油公司」は,台湾北方海底の石油資源探査に関する契約を米国のオーシャニック・エクスプロレーション社の台北支店との間でとりかわした。
DIA-105-1970-08-14-2台湾1970年08月14日1970年代キエム南ベトナム首相,訪台終了-11日から4日間にわたって台湾を親善訪問したキエム南ベトナム首相は,台北を離れる直前の空港での記者会見で,「総統に2回接見したのをはじめ,厳副総統ならびに中華民国政府首脳との会談を通じ,共産主義がすでに日一日と衰弱し,中華民国と南ベトナム両国の反共戦争は必ず最後の勝利をかちとることができる,と確認し合った」と語った。
DIA-105-1970-08-17-1台湾1970年08月17日1970年代海外経済協力基金,曽文ダム計画に28億円の借款供与-海外経済協力基金は国府との間で,曽文ダム計画所要資金として,28億6020万円(794万5000ドル相当)の円借款を供与する契約に調印した。貸付け条件は金利年3.5%,償還期間5年据置きを含む20年。
DIA-105-1970-08-20-1台湾1970年08月20日1970年代米陸軍駐太平洋区台湾総司令部,台北で正式に成立。
DIA-105-1970-08-21-1台湾1970年08月21日1970年代汪貿易局長,周4原則受入れ商社とは断交-汪彜定国際貿易局長は記者会見で,周4原則を受け入れた日本商社に対する国府の処理原則を次のように発表した。①周4原則を受け入れた日本商社およびとくに指定したメーカーとはすべての往来を拒否する,②周4原則を拒否した日本のメーカーには優遇を与える,③周4原則を受け入れても,その後態度を変更し,対中国貿易を拒絶したものは貿易往来を復活する。
DIA-105-1970-08-21-2台湾1970年08月21日1970年代立法院,大陸ダナ条約批准-立法院は,大陸ダナ条約および国府の同条約第6条に対する留保条項を審議して批准した。これにより国府は同条約の43番目の批准国または加入国となる。一方,外交部の魏煜孫スポークスマンは,国際法の原則と1958年の大陸ダナ条約に基づき,台湾以北の大陸ダナ資源に対し国府は探査と採掘の権利があると談話を発表した。
DIA-105-1970-08-24-1台湾1970年08月24日1970年代第5回全国教育会議開く。
DIA-105-1970-08-24-2台湾1970年08月24日1970年代国府・ガーナ農業技術協力協定調印。
DIA-105-1970-08-25-1台湾1970年08月25日1970年代立法院,「海域油礦探採条例」を採択。
DIA-105-1970-08-27-1台湾1970年08月27日1970年代アグニュー米副大統領,国府の対中国懸命に保証-26日韓国から台湾を訪問したアグニュー米副大統領は,介石総統および経国行政院副院長と会談した後,台中の空軍基地を出発,サイゴンへ向かった。同副大統領が機中で記者団に語ったところでは,台湾の滞在中,総統ら国府首脳は「台湾に対する中国の脅威が増大している」旨を同副大統領に強調した。これに対し,同副大統領は「中国が台湾に攻撃をかけても中国にとって有意義な結果は招くまい。そうすれば,米国は米台相互防衛条約に基づいて行動を起こすことになろう」と,国府側に保証したという。
DIA-105-1970-08-29-1台湾1970年08月29日1970年代外交部,国連総会出席代表決定-外交部は国連第25回総会出席代表のリストを発表した。首席代表-劉(国連常駐代表),代表-楊西崑(外交部政務次長),陳質平(駐メキシコ大使),薜毓麒(駐カナダ大使),鄭宝南(駐国連欧州事務所主任),副代表-張純明(国連常駐副代表),桂宗堯(駐ホンジュラス大使),丁懋時(駐キンサシャ・コンゴ大使),殷惟良(駐リベリア大使),因寿(外交部国際組織司長)。しかし,魏道明外交部長の出席中は代表団長となる。
DIA-105-1970-09-02-1台湾1970年09月02日1970年代台湾省水産試験所所属「海憲丸」乗組員,尖閣島に中華民国国旗を立てる。
DIA-105-1970-09-04-1台湾1970年09月04日1970年代台湾元に平価設定-IMF(国際通貨基金)は,国府の通貨,元に平価を設定し,1元=2.5セント(1米ドル=40元)とすることで国府と協定がまとまったと発表した。 元の公定相場は1ドル=40元で,平価設定で取引き上,とくに変化はないが,国府は平価設定に伴いIMFの規定により相場を平価の上下1%以内に維持する義務を持つことになる。
DIA-105-1970-09-04-2台湾1970年09月04日1970年代雷震「自由中国」誌元編集長釈放-国府に対する反乱罪を問われ,10年の刑を受けていた雷震「自由中国」誌元編集長は,軍事刑務所から釈放された。同氏は1960年9月の軍法会議で,共産主義の宣伝およびある共産分子(「自由中国」誌職員劉子英)を知りながら,当局へ通告を怠った罪により,有罪の判決をいい渡された。
DIA-105-1970-09-05-1台湾1970年09月05日1970年代"鉄路輸送力拡充10年計画-台湾省鉄路局は「鉄路輸送力拡充10年計画」をまとめた。計画によると,総経費約190億元であるが,これは台北市高架鉄路および環島鉄路などの建設費には含まれない。主な計画内容は,機関車247台,客車1355台,貨車2740台の増設,貨客車合わせて2238台の大幅改造,西部幹線の電化などである。"
DIA-105-1970-09-10-1台湾1970年09月10日1970年代尖閣列島の帰属問題に関する米政府の見解-マクロスキー米国務省スポークスマンは,尖閣列島の領有権をめぐる問題について,同列島が琉球諸島の一部であり,1972年に日本に返還されることを公式に認めたが,同列島周辺の大陸ダナ利用については「当事国間で解決すべき問題である」との見解を表明した。
DIA-105-1970-09-10-2台湾1970年09月10日1970年代国府・ウルグワイ商務協定調印。
DIA-105-1970-09-10-3台湾1970年09月10日1970年代行政院,「工業発展的趨勢及其輔導措施」を通過。
DIA-105-1970-09-11-1台湾1970年09月11日1970年代尖閣列島領有問題,国府は日本の主張に同意できない-魏道明外交部長は記者会見で,尖閣列島問題について,①尖閣列島および台湾北方大陸ダナ資源について,われわれは日本の主張に同意できない,②日本政府は10月初め,会談を行なう準備をしており,われわれも意見を交換したい,と述べた。
DIA-105-1970-09-11-2台湾1970年09月11日1970年代1971年度第1期債券7億元発行。
DIA-105-1970-09-13-1台湾1970年09月13日1970年代電源拡充10年計画-政府は台湾電力公司の向こう10年間の電源開発計画を決定した。その計画によると,1971―80年までの10年間に火力,水力,原子各発電設備合わせて609万6000kwを完成する。投資資金は約1096億元の予定。
DIA-105-1970-09-15-1台湾1970年09月15日1970年代琉球警察が米民政府の指示で,尖閣島の中華民国国旗を降ろす。
DIA-105-1970-09-16-1台湾1970年09月16日1970年代省営事業機構の投資報酬率は減少している-省審計処長呂積徳が省議会で報告したところによると,省営事業機構の投資報酬率は近年減少傾向にある。67年度は16.14%,68年度は9.95%,そして69年度にいたると僅か3.01%である。
DIA-105-1970-09-18-1台湾1970年09月18日1970年代行政院,「台湾地区公共建設土地債券発行条例」を公布。
DIA-105-1970-09-18-2台湾1970年09月18日1970年代小学生の進学率上昇-省政府教育庁の統計によると,本学年度国民中学の新入生数は25万5808人で,小学生の進学率は77.93%,去年に比べて4.22%増である。
DIA-105-1970-09-21-1台湾1970年09月21日1970年代現行輸入制度の改正-国際貿易局長汪彜定は国民党中央常務委員会議で,現行輸入制度の改正について,①大規模工場または直接使用事業の定期定額総合輸入制度を推進する,②一般消費物資の輸入ライセンスの取消しは,まず種類が繁雑で金額が細かい生活必需品から着手される,と報告した。
DIA-105-1970-09-21-2台湾1970年09月21日1970年代内政部,地方の郷鎮戸政事務所を警察体制に組入れることを決定。
DIA-105-1970-09-25-1台湾1970年09月25日1970年代厳副総統,「2つの中国」論に反対-厳副総統兼行政院長は,立法院会に列席して施政情況報告を行なった。国連総会の中国代表権問題について,厳副総統は「若干の国家が『2つの中国』論によって中共を国連に引き入れる企図を進めているが,この主張は明らかに国連憲章の精神に反するもので,われわれは先頭に立って極力反対することを重ねて言明する」と述べた。
DIA-105-1970-09-28-1台湾1970年09月28日1970年代国府,タイからのとうもろこし輸入契約結ぶ-国府はサイゴンで,70年11月―71年6月までタイから32万トンのとうもろこしを輸入する契約をタイ政府との間に調印した。
DIA-105-1970-09-29-1台湾1970年09月29日1970年代中央アフリカ駐華大使メイトとマラガシー駐華大使ライジハン,それぞれの信任状を提出。
DIA-105-1970-09-30-1台湾1970年09月30日1970年代省議会,尖閣列島に緊急動議-省議会は,尖閣列島の領土所有権を政府が全力あげて擁護するよう要望する緊急動議を可決した。
DIA-105-1970-10-01-1台湾1970年10月01日1970年代外人投資事業の合法的権益を保障する-経合会が主催した「外人投資企業座談会」で,経国経合会兼主任委員は,政府は外人投資事業の合法的権益を保障する決意であることを表明した。一方,同会の費副主任委員は,投資手続の簡素化,最も有効な工業用地の解決法,コンピューターシステムの利用などについて報告した。
DIA-105-1970-10-03-1台湾1970年10月03日1970年代タンカー「有巣号」の進水式-台湾造船公司の建造した10万トン級のタンカー「有巣号」が完成され,進水式は基隆和平島で挙行された。
DIA-105-1970-10-05-1台湾1970年10月05日1970年代第3回全国人力研討会開く。
DIA-105-1970-10-10-1台湾1970年10月10日1970年代双十節式典-国慶節式典は台北市の総統府広場で行なわれ,台湾訪問のボカサ中央アフリカ共和国が総統と並んでバルコニーに立ち,また昨年自動車事故による負傷のため欠席した宋美齢夫人も今年の式典に参加した。
DIA-105-1970-10-12-1台湾1970年10月12日1970年代中国民主社会党主席向構父病死。
DIA-105-1970-10-12-2台湾1970年10月12日1970年代ユネスコ,国府の代表権確認-ユネスコの資格審査委員会は,国府代表の同機関への参加資格を取り消すよう求めたルーマニアの動議を59対39,棄権22で否決,国府の代表権を確認した。
DIA-105-1970-10-12-3台湾1970年10月12日1970年代省政府,土地債券1億元の発行を認可。
DIA-105-1970-10-12-4台湾1970年10月12日1970年代台南のアメリカ文化センター(USIS)に爆発物が投げ込まれた。
DIA-105-1970-10-13-1台湾1970年10月13日1970年代国府,カナダとの断交声明を発表-国府はカナダの中国との国交樹立とともに即時カナダと断交した。国府の外交部は,「カナダ政府が10月13日,中共との外交関係を宣言したことを中華民国政府は極めて非友好な行為と認め,すでにカナダ政府に対して厳重な抗議を提出し,併せて1970年10月13日からカナダ政府との外交関係を断絶するとともに,中華民国駐カナダ大使館および駐バンクーバー総領事館の閉鎖を決定した」と声明を発表した。一方,カナダ駐在の薜毓麒国府大使は直ちに大使館を閉鎖してオタワを離れた。
DIA-105-1970-10-14-1台湾1970年10月14日1970年代国民党中常会,国民党中央委員会副秘書長に林金生氏を承認。
DIA-105-1970-10-15-1台湾1970年10月15日1970年代行政院,新たに石油の第5鉱区を設定-行政院は,台湾北方海域の海底石油資源に対し,新たに北緯29°30’以北,32°以南を委託第5鉱区として設置したことを発表した。
DIA-105-1970-10-17-1台湾1970年10月17日1970年代総統,ボカサ大統領と共同声明-8日から訪合した中央アフリカ共和国のボカサ大統領は離台前に,総統と共同声明を発表した。その中には,近年来,両国は国連および各国際機構内での誠実な提携によって関係がますます密接に向かい,友好が深まっていると強調し,さらに今後,台北とバンギで交互に両国の合同委員会を開き,政府間の両国協力事務の推進と改善につとめることを決定した。
DIA-105-1970-10-19-1台湾1970年10月19日1970年代4種類の事業に対する華僑投資を歓迎-経済部の華僑外国人投資審議委員会は,華僑に,①基本工業の大量の資金および高級生産技術を要するもの,例えば石油化学,電子などの各工業,②輸出工業,③サービス業,例えば大型観光ホテル業など,④国内経済もしくは社会発展に助けとなるすべての事業,以上4種類の事業に対し,優先的に投資してほしいと要望した。
DIA-105-1970-10-20-1台湾1970年10月20日1970年代厳副総統,国連で演説-厳家淦副総統は,国連25周年記念総会で,中国代表権をめぐって「暴力に頼って気ままに侵略をつづけている中共政権の国連参加をその普遍性の名の下に認めることは,逆に国連機能の破壊を促すだけである」と述べ,さらに「中華民国こそただ一つの全中国人民を代表する正統政府である」と国府支持を各国に訴えた。
DIA-105-1970-10-20-2台湾1970年10月20日1970年代日本防衛庁政務次官土屋義彦一行4人訪台。
DIA-105-1970-10-20-3台湾1970年10月20日1970年代フォード社,台湾にエンジン製造を計画-台北の経済日報の報道によると,米フォード社は台湾へ進出する計画で,いま政府の関係機関に対し予備的な打診をしている。フォード社の計画では,生産工場は単なるノックダウン工場ではなく,台湾での自製率60%の条件に同意して,エンジンも製造するといわれる。
DIA-105-1970-10-21-1台湾1970年10月21日1970年代国府,対カナダ貿易は続行すると発表。
DIA-105-1970-10-23-1台湾1970年10月23日1970年代国府・EEC棉織品貿易協定調印-国際貿易副局長卲学はベルギーで,欧州経済共同体(EEC)の代表と棉織品貿易協定を調印した。この協定によると,国府は毎年EECに輸出される棉織品の数量は1万1445トンと決められた。
DIA-105-1970-10-23-2台湾1970年10月23日1970年代国府,大陸ダナで日本と初交渉-尖閣列島周辺の大陸ダナ問題をめぐる国府と日本の初の話合いが台北で行なわれた。日本側は板垣修駐国府大使,国府側から沈剣虹外交部次長が出席,日本側は「尖閣列島周辺の大陸ダナ問題は友好的に話合いで解決したい」と基本的な考えを伝えた。 24日 △彰化―台南間の鉄路複線工事開通-彰化から台南まで全長142.5km,総工費約3億7400元の鉄路複線工事の開通式が彰化駅で行なわれた。
DIA-105-1970-10-23-3台湾1970年10月23日1970年代フィリピン首都銀行,台北に台湾支店設置。
DIA-105-1970-10-25-1台湾1970年10月25日1970年代米大統領,厳副総統と会談-ニクソン米大統領は,ホワイトハウスで厳家淦副総統と会談し,国連における中国代表権問題に対する米政府の立場に変化がないことを保証し,米国の国府への支持は引き続き堅持するとの態度を表明した。また,米国は中国との関係改善を進めるが,それは国府との関係を犠牲にしてまで進めようというものではないと述べた。
DIA-105-1970-10-26-1台湾1970年10月26日1970年代第4回日台農業技術交流会議が開幕。
DIA-105-1970-10-30-1台湾1970年10月30日1970年代「国防部組織法」-立法院は「国防部組織法」を可決した。これにより国防部長は文官職であることが法的に初めて明記された。
DIA-105-1970-11-02-1台湾1970年11月02日1970年代1970年末の国民貯蓄高は580億元と推計-李国鼎財政部長は立法院財政委員会で,政府が積極的に国民貯蓄運動を推進した結果,70年末の国民貯蓄高は580億元,郵政貯金高は80億元に達するだろうと報告した。
DIA-105-1970-11-03-1台湾1970年11月03日1970年代外モンゴルは中華民国固有領土の一部分である-国府外交部は,イタリア政府が10月19日,モンゴル人民共和国との国交樹立について,「外モンゴルは中華民国の固有領土の一部分である。イタリア政府の外モンゴルとの外交関係樹立は,中華民国の上述した立場になんらかの影響を与えることはない」という声明を発表した。
DIA-105-1970-11-04-1台湾1970年11月04日1970年代いすゞのバス・シャーシー,国府が輸入許可-国際貿易局は,台湾省公路局が中央信託局に委託していすゞ自動車会社に発注したディーゼル・エンジン・バス350台のシャーシーの輸入を許可すると発表した。同局の発表によると,いすゞ自動車は2日,中国との貿易関係を断絶して「周4原則」の受け入れを拒否したむねを正式に日本の国際貿易促進協会に通告したので,今回の輸入許可の決定を下したものである。
DIA-105-1970-11-04-2台湾1970年11月04日1970年代国府,独自で入手した中共の「憲法修改草案」を発表。
DIA-105-1970-11-06-1台湾1970年11月06日1970年代国府,イタリアと断交-国府外交部はイタリアが中国承認を発表したことに対し,イタリアと即日断交する旨の声明を発表,直ちに在ローマ大使館および在ミラノの領事館を閉鎖することを明らかにし,「中華民国政府は両国外交関係の中断が両国人民の間に存在する友好関係に影響しないことを切望する」と述べた。
DIA-105-1970-11-07-1台湾1970年11月07日1970年代国府,対イタリア貿易は続行-外交部と経合会双方の協議した結果,国府はミラノにある貿易事務所をイタリアと中国の国交樹立後も閉鎖しないことに決定した。
DIA-105-1970-11-08-1台湾1970年11月08日1970年代台湾初の原子力発電所着工-台湾初の原子力発電所は台北県金山郷に着工された。第1号発電機は1975年,第2号発電機はその翌年に完成する予定だが,発電机2基はいずれも出力63万6000キロワットである。第1号発電機はアメリカの軽水炉を採用することに決定した。なお原子力発電所建設の総費用は2億9200万ドル。
DIA-105-1970-11-09-1台湾1970年11月09日1970年代国府・韓国経済協力理事会第3次連合会議がソウルで開催され,台湾側から辜振甫(台湾セメント公司社長)ら31名が列席した。
DIA-105-1970-11-10-1台湾1970年11月10日1970年代国府,尖閣列島の国旗引降ろしで抗議-国府行政院は,「琉球当局が釣魚台列島(尖閣列島)に勝手に石碑を立て,わが国の国旗を降ろしたことについて米国側に交渉を提案し,また,わが漁民を妨害している琉球当局の行為を制止するよう米国に要請した」と発表した。
DIA-105-1970-11-10-2台湾1970年11月10日1970年代アフリカのコンゴ共和国初代駐国府大使アイフミ大使,総統に信任状を提出。
DIA-105-1970-11-10-3台湾1970年11月10日1970年代10―12月期の台湾バナナの対日輸出交渉が妥結-第20回日台バナナ貿易会議は,10―12月期の高雄・屏東産区バナナの対日輸出量は30万箱,輸出価格は1箱2ドルと決定した。
DIA-105-1970-11-12-1台湾1970年11月12日1970年代「日韓台連絡委」正式に発足-日本,韓国,台湾の3国連絡委員会の正式発足をかねた第1回会議がソウルで開かれた。台湾側から黄雪邨(日華協力委員会秘書長)らが出席した。この会合では3国連絡委員会による大陸ダナの共同開発問題が討議された。
DIA-105-1970-11-13-1台湾1970年11月13日1970年代監察院,台北市政府を弾がい-監察院の内政,財政,教育,経済等4委員会の合同会議は,10月初めに5人の小委員会が提出した「台北市政府の違法な権限濫用」の調査報告を認めた。
DIA-105-1970-11-16-1台湾1970年11月16日1970年代1―10月の観光客数は39万8000人-70年1―10月までの台湾に訪れた観光客数は39万8163人,観光収入は約6008万ドルであると交通部観光事業委員会が発表した。同発表によると,外国人観光客のうち,日本人は14万1457人,全体の41.04%を占めて第1位となっている。
DIA-105-1970-11-16-2台湾1970年11月16日1970年代国際結核撲滅連盟東区第7回総会が台北で開催された。
DIA-105-1970-11-19-1台湾1970年11月19日1970年代第1回全国工業安全衛生会議開く。
DIA-105-1970-11-20-1台湾1970年11月20日1970年代「中国招請・国府追放」案多数賛成-第25回国連総会での中国代表権問題に対する投票が行なわれ,「重要事項指定確認」決議案は賛成66,反対52,棄権7,欠席2で可決,成立した。次いで,「中国招請と国府追放」決議案の採決に移り,賛成51,反対49,棄権25,欠席2で,国連はじまって以来,初めて多数の賛成票をとった。
DIA-105-1970-11-24-1台湾1970年11月24日1970年代省政府主席陳大慶は,地方建設事業に対する民間財力の誘致を奨励すると省議会で述べた。
DIA-105-1970-11-27-1台湾1970年11月27日1970年代第3回華・タイ経済協力会議,共同声明を発表-21日から台北で開かれた第3回華・タイ経済協力会議(タイ側首席代表プラパート副首相,国府側孫運経済部長)が共同声明を発表して閉幕した。共同声明では1968年6月25日に締結され,1971年6月30日で満期になる国府とタイ両国の経済・技術協力協定を最低3年間延長することを明らかにし,さらに両国間の経験交流,専門家の派遣,大学教授の交換などについて合意したと述べた。
DIA-105-1970-11-28-1台湾1970年11月28日1970年代北部石油化学コンビナートの建設が始まる-苗栗県頭鎮を基地とする北部石油化学コンビナートの建設が始められた。中国石油公司は5億元を投資し,1972年6月に全部完工する予定である。Wulff Cracker,二塩化エチレンプラント,スチレンプラントは中国石油公司によって建設されるが,ポリエチレン,塩化ビニールなどのプラントは民間企業の手で建設される。
DIA-105-1970-11-30-1台湾1970年11月30日1970年代米商工業機械道具展示会が台北で開催された。
DIA-105-1970-12-01-1台湾1970年12月01日1970年代政府,工作機械製造工場の建設に投資-経済部は,4億8000万元で工作機械製造工場の建設に投資することを決定した。投資方式としては民間鉄鋼工場との共同経営という構想であるが,政府の出資率は原則的には40%以下になる。
DIA-105-1970-12-01-2台湾1970年12月01日1970年代1970年第2期の食糧実物債券が発行され,その総額は蓬莢種のモミにして3万8461.5トン。
DIA-105-1970-12-06-1台湾1970年12月06日1970年代対日輸入制限も考慮-孫経済部長は立法院で,日台貿易の格差是正について,日本政府に協力を要請したが,もし改善の見通しがつかない場合には,国府は対日輸入制限を考慮する可能性がある,と述べた。
DIA-105-1970-12-09-1台湾1970年12月09日1970年代"華僑・外国人投資状況(1952年~1970年9月)-経済部次長張光世は,1952年から1970年9月までの19年たらずの間に,政府が認可した華僑および外国人による台湾への投資件数は1251件,金額は5億1800万ドルに達したと発表した。投資額のうち,外国人72%,華僑28%という割合であるが,外国人による投資額はアメリカ62%,日本21%,あとはオランダ,西ドイツ,スイス,カナダなどが含まれる。投資業種は主に電子,化学,紡織,食品工業などに集中している。"
DIA-105-1970-12-09-2台湾1970年12月09日1970年代アジア国会議員連盟第6回大会がサイゴンで開かれ,台湾側から谷正綱ら4名参加。
DIA-105-1970-12-10-1台湾1970年12月10日1970年代魏外交部長の帰国談-9月に渡米し,国連第25回総会に出席したのち,11月末にメキシコ新大統領就任式典に特使として参列した魏外交部長は台北に帰着した。空港での記者会見で,「われわれの国連における代表権は総会の票決で確保することができたが,票差の動きは姑息主義逆流の高まりを示すものである」と述べた。
DIA-105-1970-12-11-1台湾1970年12月11日1970年代立法院,「中央政府興建台湾区南北高速公路第1期工程特別法案」を通過。
DIA-105-1970-12-12-1台湾1970年12月12日1970年代大型造船所の建設計画-経済部は,政府の造船政策にそって,高雄に20万トン級以上の船舶を専門的に建造する造船所と台中港に大型船の修理工場を立てる計画を決定した。
DIA-105-1970-12-12-2台湾1970年12月12日1970年代言論界関係者数名逮捕-AP通信社の報道によると,台湾警備司令部は,このほど共産党と関係を持っているとの容疑で言論界の幹部数名を逮捕した。4月以来少なくとも新聞人4名が逮捕されており,その中には大華晩報会長李荊が含まれている。また未確認報道によると,台湾の南部台南で最近20人の逮捕がでている。
DIA-105-1970-12-13-1台湾1970年12月13日1970年代日本元首相岸信介訪台。
DIA-105-1970-12-15-1台湾1970年12月15日1970年代第1回米華「中国大陸問題シンポジウム」開催,米側からスカラピーノ教授らが参加。
DIA-105-1970-12-15-2台湾1970年12月15日1970年代バチカン駐華大使ガセディ,信任状を総統に提出。
DIA-105-1970-12-16-1台湾1970年12月16日1970年代第27回国家安全会議開く。
DIA-105-1970-12-16-2台湾1970年12月16日1970年代米台双方は棉紡織品協定の6カ月間延長に合意。
DIA-105-1970-12-16-3台湾1970年12月16日1970年代世銀,台湾鉄路局の借款申請に用意-台湾鉄路局が世界銀行に申請した第4次借款案は,世銀評定団の同意を得て,1971年5月に正式に調印することになった。借款額は合計1500万ドルである。
DIA-105-1970-12-16-4台湾1970年12月16日1970年代アジア開銀,台電と借款契約を調印-アジア開発銀行は,台湾電力公司に貸与する1288万ドルの借款契約をマニラで調印した。これら貸付の金利は年7.5%,償還期間は3年6カ月据置を含めて19年。台電はアジア開銀からの借款を供電設備の拡張などに使う予定である。
DIA-105-1970-12-18-1台湾1970年12月18日1970年代トヨタは周4原則受けぬ-国府の中央社によると,台湾訪問中のトヨタ自販専務荒木信司氏は,孫経済部長を訪問し「トヨタは絶対に周4原則を受諾するようなことはない」と述べた。
DIA-105-1970-12-18-2台湾1970年12月18日1970年代韓国無任所長官呉致成訪台。
DIA-105-1970-12-19-1台湾1970年12月19日1970年代日本衆議院議員賀屋興宣,参議院議員石原慎太郎訪台。
DIA-105-1970-12-21-1台湾1970年12月21日1970年代中央銀行,銀行の各種金利の引下げを発表-中央銀行総裁兪国華は,公定歩合および一般銀行の預金,貸出金利の引下げを発表した。主な金利調整は次のとおり(年利計算でカッコ内は引下げ率)。 (1) 一般銀行の預金金利:①要求払貯蓄預金と郵政貯蓄預金4.68%(0.36%),②1カ月定期預金5.04%(0.36%),③3カ月定期預金6.24%(0.24%),④6カ月定期預金8.40%(0.24%),⑤9カ月定期預金8.76%(0.24%)。 (2) 一般銀行の貸出金利:①割引手形11.40%(0.84%),②担保貸付12.60%(0.72%),③無担保貸付13.20%(0.84%)。 (3) 中央銀行の公定歩合:①手形割引9.80%(1.00%),②担保貸付10.50%(0.90%),③折放同業12.50%(0.82%)。
DIA-105-1970-12-21-2台湾1970年12月21日1970年代日台韓3国の海洋開発研究連合委員会,東京で設立。
DIA-105-1970-12-24-1台湾1970年12月24日1970年代立法院,「奨励投資条例修正案」を可決。
DIA-105-1970-12-26-1台湾1970年12月26日1970年代台糖公司,71年の砂糖生産目標は78万トンと決定。
DIA-105-1970-12-28-1台湾1970年12月28日1970年代黄季陸,張鉄君両氏引退-国民党党史編纂委員会主任委員黄季陸(70歳)および中央設計考核委員会専任設計考核委員張鉄君(70歳)両氏は,総統の69年9月の「依例自退」の呼びかけに応じて引退を申し出た。国民党中常会は彼らの申し込みを認めた。
DIA-105-1970-12-28-2台湾1970年12月28日1970年代台肥公司,慕華公司の買上げを決定-孫経済部長は立法院および監察院で,台湾肥料公司が1200余万ドルで慕華公司(Mobil Chemical-Allied Chemical Industries)を買上げることに決定した,と述べた。慕華公司は中国石油公司が1961年8月,アメリカの資本と契約して設立したもので,尿素と液体アンモニアを製造している。
DIA-105-1970-12-30-1台湾1970年12月30日1970年代国府,メコン川のしゅんせつ計画に協力-国府は,南ベトナムのメコン川デルタ地帯運河のしゅんせつ作業の計画に協力するため,南ベトナム政府との間に契約書を調印した。
DIA-105-1971-01-01-1台湾1971年01月01日1970年代蒋総統の元旦文告-蒋介石総統は,国府建国60周年の元旦に当り,国内外同胞助け合って,堅忍精励し,大陸にいま一度の辛亥革命を導こうと,全国軍民同胞に告げる恒例の元旦文告を発表した。
DIA-105-1971-01-01-2台湾1971年01月01日1970年代国府・ギリシャ貿易協定発効。
DIA-105-1971-01-01-3台湾1971年01月01日1970年代外交部条約司の統計によると,国府は1970年中に28種の対外条約,協定を締結あるいは承認した。このうち,20種が2国間,8種が多国間のものである。
DIA-105-1971-01-04-1台湾1971年01月04日1970年代国民党台湾省委員会第8期委員および候補委員30人の宣誓式,台北で挙行。
DIA-105-1971-01-05-1台湾1971年01月05日1970年代外交部,チリと断交を発表-国府は,チリと中国との国交樹立に対し,即日チリと断交し,サンチアゴの国府大使館(大使李迪俊)を閉鎖するとともに,1967年10月チリに派遣された国府農業技術団も引揚げる旨の外交部声明を発表した。
DIA-105-1971-01-05-2台湾1971年01月05日1970年代台地区農漁業一般調査,1月5日~2月5日の間に実施。
DIA-105-1971-01-06-1台湾1971年01月06日1970年代「慕華公司を買上げる価格は高すぎる」-監察院委員陶百川は,監察院の年度総検討会に出した提案の中で,「台湾肥料公司が最近,1262万2630ドルで慕華公司(中国石油公司が1961年8月,アメリカ資本と契約して設立したもの)の買上げを決定したが,その価格はあまりにも高すぎて,事実の真相を追求すべきである」と指摘した。
DIA-105-1971-01-06-2台湾1971年01月06日1970年代日台木材会議,台湾側の黄檜材円木の輸出量を毎年10万立方メートルに決定。
DIA-105-1971-01-08-1台湾1971年01月08日1970年代国防部の軍事スポークスマン李長浩少将,国府のタイにおけるゲリラ部隊は1961年までに全部撤退したと発表。
DIA-105-1971-01-08-2台湾1971年01月08日1970年代ロソン米太平洋陸軍総司令官訪台。
DIA-105-1971-01-09-1台湾1971年01月09日1970年代青山水力発電所が送電開始-台湾中部大甲渓にある下達見水力発電所は,厳副総統の主宰のもとで落成式が開催され,「青山水力発電廠」と命名された。同発電所の送電力は18万キロワット,総工費は23億8000万元であるが,そのうち台湾電力公司の自己資金に12億2750万元,「中米基金」の借款5億500万元のほかに,米国開発基金から760ドル,日本から620万ドルの借款が含まれる。
DIA-105-1971-01-09-2台湾1971年01月09日1970年代董顕光元駐日,駐米大使はアメリカのカリフォルニア州で病逝,84歳。
DIA-105-1971-01-10-1台湾1971年01月10日1970年代省政府のバナナ輸出振興措置-台湾省政府は,バナナ輸出の衰退を挽回するため,次のような措置をとる。①日本政府と台湾バナナの輸入自由化の交渉を続行し成功を期する,②島内の流通制度を改善,③秋冬季と春夏季の生産調整を行ない,四季を通じて輸出の順調化を図る,④バナナ生産平衡資金を設置し,秋冬季バナナ生産者の利潤を保証する。
DIA-105-1971-01-12-1台湾1971年01月12日1970年代コスタリカ新任駐国府大使サンジエス,蒋総統に信任状を提出。
DIA-105-1971-01-12-2台湾1971年01月12日1970年代経済部,対欧経済貿易関係工作強化計画策定。
DIA-105-1971-01-13-1台湾1971年01月13日1970年代政府,余剰米の処理に2つの重要措置-蒋経国行政院副院長主宰のもとに開かれた財経会報は,①余剰米の処理問題に関し,台湾省糧食局と中央信託局は全力を挙げて香港,シンガポール,マレーシア,アフリカその他の地区に買手をさがすこと,②米肥交換制度に関しては,漸進的に廃止に向うが,差当り3割の現金販売,7割の現物交換を実行する,という2つの措置をとることに決定した。
DIA-105-1971-01-15-1台湾1971年01月15日1970年代日本国会議員訪華団一行21人(団長坪川信三)訪台。
DIA-105-1971-01-15-2台湾1971年01月15日1970年代台糖公司,国際糖価の上昇に即応して,1971年の砂糖生産目標を78万トンと決定。
DIA-105-1971-01-17-1台湾1971年01月17日1970年代蒋総統,グエン南ベトナム衆議院議長一行8名と懇談。
DIA-105-1971-01-18-1台湾1971年01月18日1970年代台湾銀行,新紙幣を発行-中央銀行によると,台湾銀行は新台幣の新紙幣50元券と100元券を発行したが,現行50元券,100元券は同時流通することとなっている。
DIA-105-1971-01-22-1台湾1971年01月22日1970年代インドネシア政府,国府商務代表団のジャカルタ常駐に正式同意。
DIA-105-1971-01-23-1台湾1971年01月23日1970年代経済部,台湾造船公司に4億元を投じて設備を拡張し,現在の年間15万トンの造船能力を30万トンに引上げることに決定。
DIA-105-1971-01-23-2台湾1971年01月23日1970年代台北-高雄間のローカル線に国内線初のジェット機就航。
DIA-105-1971-01-24-1台湾1971年01月24日1970年代政府,「食糧政策改善実施方案」および「食糧管理改善実施方案」の制定を完成。
DIA-105-1971-01-25-1台湾1971年01月25日1970年代台湾省政府委員会議,桃園県の桃園鎮を県轄市に改制することを決定。
DIA-105-1971-01-30-1台湾1971年01月30日1970年代バルバトス,国府と共同声明-26日から台湾を公式に訪問している南米バルバドスのバロー首相は離台前に,国府と共同声明を発表した。その中では,両国間の経済貿易文化関係について一歩進んだ協調をすることを確認した。
DIA-105-1971-02-01-1台湾1971年02月01日1970年代経済部,コロナ生産を許可-経済部工業発展局は,六和自動車公司の乗用者コロナ(1,500cc)の生産計画を許可した。六和は日本の豊田自動車会社と提携のもとに1970年,自動車の生産を開始している。
DIA-105-1971-02-01-2台湾1971年02月01日1970年代台中港工程局成立。
DIA-105-1971-02-02-1台湾1971年02月02日1970年代初めての国産原子炉が運転開始-台湾最初の国内科学家と技術者によって設計,建造された微効率核反応機(原子炉)は午後6時43分臨界に達し,正式運転を開始した。
DIA-105-1971-02-03-1台湾1971年02月03日1970年代台湾省政府民政庁,台湾住民の平均寿命は1969年には男子65.1歳,女子70.8歳と発表。
DIA-105-1971-02-04-1台湾1971年02月04日1970年代行政院,1972年度の施政方針を提出-行政院は,1971年7月から1972年6月までの1年間の施政方針を正式に立法院に送付した。それによると,①政治革新を全力を遂行し,外交を積極的に展開する,②人力および物力資源を動員し,経済発展を全面的に推進する,③科学技術教育を行ない,文化の復興工作を推進する,④武装部隊を整備し,動員準備を強化する,などの点が施政中心となっている。
DIA-105-1971-02-04-2台湾1971年02月04日1970年代「国府軍は逐次自給自足のできるように」-テーラー米軍顧問団団長は台北で演説を行ない,「米台両国の提携で,M151型軍用ジープ,M35A2型軍用トラックなどの車輌,兵器,現代化した通信器材,UHIHヘリコプターなどを生産しているが,その目的は国府軍の装備を更新し,逐次自給自足のできるようにするためである」と述べた。
DIA-105-1971-02-05-1台湾1971年02月05日1970年代台北のアメリカ商業銀行の爆発事件-午前9時45分に「バンク・オブ・アメリカ」台北支店で爆発事件が起り,十数名の負傷者を出した。警察の調べによると,原因は冷暖房装置の故障ではないかと推測しているが,その真相は明らかにされていない。
DIA-105-1971-02-06-1台湾1971年02月06日1970年代近代化石油精錬所の建設計画-国営の中国石油公司は,20億元を投じて新竹と桃園間の隣海地区に近代化の石油精錬所の建設を計画している。3年後に竣工し,日産10万バレルを予定している。
DIA-105-1971-02-07-1台湾1971年02月07日1970年代前韓国首相丁一権,台湾を非正式訪問。
DIA-105-1971-02-07-2台湾1971年02月07日1970年代アジア卓球連盟シンガポール総会,台湾除名を否決。
DIA-105-1971-02-10-1台湾1971年02月10日1970年代日本のアジア金融・投資調査団(団長日本興業銀行頭取正宗猪早夫)一行11名訪台。
DIA-105-1971-02-11-1台湾1971年02月11日1970年代監察委員陶百川らは,現行の労働条例で決められている月600元の最低賃金は低すぎ,それらを調整すべきであると提議。
DIA-105-1971-02-11-2台湾1971年02月11日1970年代フィリピン駐国府大使ラマスとアルゼンチン駐国府大使ムサチオ,それぞれの信任状を蒋総統に提出。
DIA-105-1971-02-15-1台湾1971年02月15日1970年代韓国空軍参謀総長金斗万大将訪台。
DIA-105-1971-02-15-2台湾1971年02月15日1970年代教育部,1971年の「中米基金」610万元を6大学などの設備拡充として補助することを決定。
DIA-105-1971-02-16-1台湾1971年02月16日1970年代日華協力委員会日本側委員会常任委員矢吹一夫ら7名訪台。
DIA-105-1971-02-16-2台湾1971年02月16日1970年代台中加工輸出区の工廠操業開始。
DIA-105-1971-02-17-1台湾1971年02月17日1970年代日華協力委員会台湾側組織を改組-日華協力委員会台湾側委員会は,組織の改組,強化の方針を決定した。この決定によると,①従来召集人兼常任委員であった谷正綱は会長となり,②常任委員をこれまでの3人から5人にふやす,その結果,現常任委員鄭道儒は留任,現常任委員黄朝琴は委員に改任されたほか,胡健中,費,辜振甫,謝東閔ら4人を常任委員として増加する。
DIA-105-1971-02-21-1台湾1971年02月21日1970年代韓国国土統一院長官金永善訪台。
DIA-105-1971-02-21-2台湾1971年02月21日1970年代「中米基金管理委員会」,総額19億5600余万元に達する1971年度の「中米基金運用計画」を決定。
DIA-105-1971-02-23-1台湾1971年02月23日1970年代魏外交部長,尖閣列島の主権を強調-魏道明外交部長は,立法院で「日本政府は,尖閣列島は日本の南西群島の一部であるといっているが,われわれはこの主張に同意できない」と述べ,さらに「尖閣列島の主権は,歴史的,地理的,使用実態からいっても台湾に属する」と強調した。
DIA-105-1971-02-24-1台湾1971年02月24日1970年代太平洋地域衛星通信代表会議,台北で開催。
DIA-105-1971-02-25-1台湾1971年02月25日1970年代行政院,肥料配布価格と米肥交換比率の調整を決定-行政院は,肥料配布価格と米肥交換比率を調整し,1971年1月1日にさかのぼって実施することを決定した。それによると,①1トン当りの尿素現金配布価格は4,650元から4,000元に,硫安は2,900元から2,600元に,硝安石灰は2,800元から2,400元に,それぞれ値下げとなり,②新しい配給価格は1970年6月から12月まで全台湾省の蓬莱米のモミの平均産地価格1トン当り4,500元で計算する。尿素とモミの交換比率は1:1.09から1:0.89に,硫安は1:0.68から1:0.58に,過燐酸石灰は1:0.4から1:0.38に,塩化カリウムは1:0.65から1:0.62にに引下げられた。
DIA-105-1971-02-26-1台湾1971年02月26日1970年代外交部,ニクソン大統領の特別教書を論評-外交部スポークスマン魏煜孫は,ニクソン大統領の特別教書について,「われわれはニクソン大統領の特別教書の中で触れた,中共に関する考え方については同意し難いものがある。中共の自由世界国家に対する敵意は,その主義および政策に基づいているものであり,特に自由世界の指導的地位にあるアメリカが,如何なる一方的な良い表明と措置を示したとしても,中共の敵意を絶対に変えさせることはできないと論評した。
DIA-105-1971-02-27-1台湾1971年02月27日1970年代台日文化経済協会(会長何応欽)第10回第1次会員大会,台北で開催。
DIA-105-1971-03-01-1台湾1971年03月01日1970年代国府,ヨルダンの難民救済に砂糖,食米各1千トンを寄贈したと発表。
DIA-105-1971-03-01-2台湾1971年03月01日1970年代国内鉄鋼業者,輸出協定調印-国内141社の鉄鋼業者は,輸出鉄鋼品の市場維持と拡大を図るため,輸出協定を調印した。同協定有効期間は1971年3月から1972年2月末までとなっており,今後各社が原料の輸入許可証を申請するときは,鉄鋼公会の証明を必要とする。
DIA-105-1971-03-02-1台湾1971年03月02日1970年代厳副総統,「2つの中国」論に絶対反対-厳副総統兼行政院長は立法院で,わが国の既定国策は,「2つの中国」に関するいかなる論調,主張あるいは措置に絶対に反対であると表明し,さらに,ニクソン米大統領が最近発表した外交教書の中で,中共を「中華人民共和国」と呼称したことにわれわれは強く反対するものであり,外交部に米政府と厳正な交渉をするよう訓令を発したと述べた。
DIA-105-1971-03-03-1台湾1971年03月03日1970年代米宣教師を追放-台北市警察局スポークスマンは,台湾に滞在している陽明山私立台湾神学院のアメリカ人宣教師ミロ・ソーンベリー(Milo L.Thornberry)夫妻に対し,外国人居留規則違反という理由で,48時間以内に国外に退去するよう命じた,と発表した。
DIA-105-1971-03-03-2台湾1971年03月03日1970年代世界銀行経済視察団一行10名訪台。
DIA-105-1971-03-03-3台湾1971年03月03日1970年代「政府は在台外国商社の業務規制はしない」-注国際貿易局長は記者会見で,政府が外国商社の業務規制を実施することを否定し,外国企業の台湾での支店機構に対しては,差別待遇をすることはないと述べた。
DIA-105-1971-03-04-1台湾1971年03月04日1970年代「中華人民共和国」の公称を米に厳重抗議-周書楷国府駐米大使は,米国務省にグリーン国務次官補をたずね,最近ニクソン大統領が外交教書の中で,北京政権を「中華人民共和国」と公称したことに対して,厳重抗議を行なった。
DIA-105-1971-03-04-2台湾1971年03月04日1970年代国府・ギリシャ文化協定,アテネで調印。
DIA-105-1971-03-04-3台湾1971年03月04日1970年代台北輸出入公会,台湾における日本企業の業務規制を政府に要請-台北輸出入公会は,①1953~70年までに政府が許可した日本人投資件数は391件,その投資総額は8928万余ドルに達している,②台湾に進出している日本の貿易商社は僅か30余社であるが,彼らは台湾の対外貿易の40%を掌中に収めており,その他の外国人が40%を占め,残り20%が本国人によって占められている,③このような情勢を速やかに検討改善しなければならない,と政府に対して速やかに台湾での日本企業の業務規則をするよう要請した。
DIA-105-1971-03-08-1台湾1971年03月08日1970年代国府外交官孫際州が中国へ-AP電によると,スイス連邦警察のアムスタイン長官は記者会見で,行方不明を伝えられた国府駐セネガル3等書記官孫際州がスイス滞在中に中国への亡命を希望し,すでにスイスを離れて中国に向った,と述べた。一方,国府外交部は孫氏の行方不明について,中国側による誘かい事件であると断定した。
DIA-105-1971-03-08-2台湾1971年03月08日1970年代ブラン米国務次官補(東アジアおよび太平洋事務担当)訪台。
DIA-105-1971-03-09-1台湾1971年03月09日1970年代韓国新駐華大使金桂元,蒋総統に信任状を提出。
DIA-105-1971-03-16-1台湾1971年03月16日1970年代米の大陸旅行制限解除に抗議-外交部スポークスマンは,米政府が米国人民の大陸旅行に対する制限を解除した決定に強い遺憾の意を表するとともに,周書楷駐米大使に国府の厳正な立場を表明するよう訓令したと述べた。
DIA-105-1971-03-17-1台湾1971年03月17日1970年代行政院衛生署が正式に発足し,初代署長には顔春輝が任命された。行政院衛生署中医薬委員会も同時に発足した。
DIA-105-1971-03-17-2台湾1971年03月17日1970年代ポンカンの対日試験輸出をさらに1年継続。
DIA-105-1971-03-17-3台湾1971年03月17日1970年代「日本式の自主規制方式は取らない」-汪国際貿易局長は記者会見で,繊維品の対米輸出は台湾と日本とでは事情が異なり,台湾の輸出高は日本に比べ非常に少ないので,日本方式の自主規制はできないと述べた。
DIA-105-1971-03-21-1台湾1971年03月21日1970年代経済部,台北市輸出入組合に台湾貿易開発公司の設立計画立案を委託。
DIA-105-1971-03-22-1台湾1971年03月22日1970年代豊田自動車会社,台湾で中型乗用車コロナの組立て生産計画を断念。
DIA-105-1971-03-22-2台湾1971年03月22日1970年代中国石油公司,フィリピンに探油代表事務所開設。
DIA-105-1971-03-23-1台湾1971年03月23日1970年代国府と国際通貨基金(IMF)との1970年度の協商会議,台北の中央銀行で開催。
DIA-105-1971-03-23-2台湾1971年03月23日1970年代1970年の国営事業収入-孫運経済部長は,国営事業委員会で,1970年の国営事業の総収入は257億元,黒字47億元で,1969年に比べ大きく伸びたと述べた。
DIA-105-1971-03-23-3台湾1971年03月23日1970年代中国,国府スパイを釈放-香港の大公報が報じたところによると,中国が22日,国府のスパイ8人を釈放,福建省から船で帰台することを許した。中国は18日にも国府スパイ8人を釈放している。
DIA-105-1971-03-26-1台湾1971年03月26日1970年代全長2,260メートルの澎湖跨海大橋(白沙島と西嶼島間)の開通式が挙行された。
DIA-105-1971-03-28-1台湾1971年03月28日1970年代カナダ貿易視察団訪台。
DIA-105-1971-03-29-1台湾1971年03月29日1970年代外交部,クウェートと断交を声明-国府は,クウェートと中国の国交樹立に関する共同声明に先立ち,即時クウェートと断交し,在クウェートの国府大使館(大使王世明)を閉鎖する旨の外交部声明を発表。
DIA-105-1971-03-29-2台湾1971年03月29日1970年代東京地裁,台湾独立連盟日本本部中央常任委員張栄魁と林啓旭の台湾への強制送還は「人道に反す」と取消した。
DIA-105-1971-03-30-1台湾1971年03月30日1970年代ベルギーからの通信施設買付契約に調印-台湾電信管理局が台湾東部に架設するマイクロウエーブ通信施設総額300万ドルの買付契約が,台北市で中央信託局とベルギーの代表との間で調印された。
DIA-105-1971-03-31-1台湾1971年03月31日1970年代外交,教育両部長更迭-政府は,魏道明外交部長および鍾皎光教育部長の更迭を決定し,後任にそれぞれ周書楷駐米大使,羅雲平省立成功大学長を任命すると発表した。
DIA-105-1971-04-03-1台湾1971年04月03日1970年代外交部,カメルーンと断交を発表-国府は,カメルーンが正式に中国と外交関係を結ぶ決定を発表したことに対し,即日カメルーンと断交し,カメルーンの国府大使館(大使陳泉生)を閉鎖するとともに,1964年11月に派遣された国府農業技術団も引揚げる旨の外交部声明を発表した。
DIA-105-1971-04-06-1台湾1971年04月06日1970年代外交部,尖閣列島に対する政府の立場堅持と強調-外交部は,尖閣列島問題に重大な関心をもつ海外在住の学者学生に対し,政府は絶対に国家領土主権を守る立場を変えることはないと強調した。
DIA-105-1971-04-06-2台湾1971年04月06日1970年代アジア開発銀行総会に出席中の福田蔵相,「今後,台湾向け投資は中国との関係を悪化させたり,中国を刺激しないよう考慮することが必要である」と発言。
DIA-105-1971-04-06-3台湾1971年04月06日1970年代米国の中国貿易制限緩和に反対-外交部は,ニクソン米大統領の対中貿易制限緩和発表について,「わが政府の一貫した反対の立場は既に何回も説明しており,この立場は現在もなお変っていない」との談話を発表。
DIA-105-1971-04-08-1台湾1971年04月08日1970年代行政院,外交部常務次長沈剣虹を周書楷の後任として駐米大使に任命することを可決。
DIA-105-1971-04-08-2台湾1971年04月08日1970年代台湾に休養にきた駐ベトナム米軍総司令官エイブラムズ大将,黄杰国防部長および頼名湯総参謀長を訪問。
DIA-105-1971-04-09-1台湾1971年04月09日1970年代国府・フィリピン食米および借款会議,台北で挙行。
DIA-105-1971-04-10-1台湾1971年04月10日1970年代外交部,米の尖閣列島行政権を日本への返還に抗議-外交部スポークスマンは,アメリカの国務院は4月9日,アメリカは尖閣列島を含むいわゆる「南西群島」の行政権を日本に返還すると言明したが,外交部はこの電報を受けた後,アメリカに対し厳重に交渉していると述べた。
DIA-105-1971-04-12-1台湾1971年04月12日1970年代中国石油公司,米石油会社ガルフに対し,契約に基づき速かに台湾北部海底の石油探査工作を復活するよう通告した旨発表。
DIA-105-1971-04-15-1台湾1971年04月15日1970年代政府,技術援助特別基金としてアジア開銀に20万ドル寄贈。
DIA-105-1971-04-15-2台湾1971年04月15日1970年代モブツ・コンゴ(キンシャサ)大統領訪台-モブツ・コンゴ(キンシャサ)大統領夫妻は,蒋総統夫妻の招請に応じ来台し,1週間の友好訪問を開始した。
DIA-105-1971-04-20-1台湾1971年04月20日1970年代張厲生総統府国策顧問,元駐日大使(1959-64年まで在任)は台北市の自宅で死去,71歳。
DIA-105-1971-04-21-1台湾1971年04月21日1970年代楊西崑外交部常務次長,シエラレオネの独立1(周年記念行事に参加するため特使として空路出発。
DIA-105-1971-04-22-1台湾1971年04月22日1970年代トヨタ自動車販売,日本国際貿易促進協会に「台湾,韓国への資本進出はしない」とする文書を出したことを明らかにした。
DIA-105-1971-04-25-1台湾1971年04月25日1970年代孫文夫人宋慶齢女史の弟で,蒋介石夫人宋美齢女史の兄に当る宋子文は,アメリカのサンフランシスコで死亡,77歳。
DIA-105-1971-04-28-1台湾1971年04月28日1970年代米国務省,「台湾の主権は未解決」との見解を表明-米国務省は,台湾および澎湖諸島に関する「主権の問題について,①国際的に未解決の問題である,②解決方法としては国際的に解決するか,中華人民共和国政府と国府が直接話し合うか,③いずれにせよ,平和的に解決されるべきだ,と米政府の立場を明らかにした。
DIA-105-1971-04-29-1台湾1971年04月29日1970年代ニクソン米大統領,記者会見で「台湾問題解決のための国府と中国の当事者間交渉は非現実的だ」と語った。
DIA-105-1971-04-30-1台湾1971年04月30日1970年代「台湾の主権未決」の米国務省声明に反論-外交部は,アメリカのブレイ国務省広報官が4月28日に発表した「台湾の主権は未解決である」という談話につき,次の点を指摘した。①周書楷外交部長は4月30日午前11時,米駐国府大使マコノギーを招き,台湾,澎湖諸島の中国返還がカイロ宣言およびポツダム宣言ですでに明白に述べられ,その後,1952年に締結された日華平和条約および1954年に締結された米華共同防衛条約においても,ともに台湾,澎湖諸島は中華民国の領土であることを確認している旨通告した,②マコノギー大使は,米国務省声明は,国府が台湾および澎湖諸島を支配するとの正当な権利に対する米国の政策を変えるものではないと保証した。
DIA-105-1971-04-30-2台湾1971年04月30日1970年代宋美齢女史は訪米中止-政府スポークスマンは,「蒋介石総統夫人の宋美齢女史は,兄の故宋子文の葬儀に参列するため30日ニューヨークに出発する予定だったが,同女史の姉である宋慶齢女史も葬儀に参列するかも知れないとの報道があるため中止した」と発表した。
DIA-105-1971-05-04-1台湾1971年05月04日1970年代ケネディ米特使離台-4月29日から台湾を訪問したケネディ米特使は特別機で香港に向った。同特使は台湾滞在中,台湾の経済,貿易および金融関係者と会談した。孫経済部長は,アメリカ政府に台湾の貿易品およびステンレス食器の対米輸出に関する規制の緩和を要請したが,同特使はこれをアメリカ政府に伝達することを約束した。
DIA-105-1971-05-05-1台湾1971年05月05日1970年代韓国無任所大使梁裕燦,国府の招請で訪台。
DIA-105-1971-05-07-1台湾1971年05月07日1970年代愛知外相,沈剣虹国府駐米大使と日本外務省で会談。
DIA-105-1971-05-08-1台湾1971年05月08日1970年代「国府・フィリピン食米貸与協定」締結-国府からフィリピンに5万トンの食用米を貸与する協定がマニラで,李国鼎財政部長とフィリピンのチェンゴ農業・天然資源相との間に調印された。貸与した5万トンの食米は3年半後から10年までの間に平均して元利を返還することになっている。
DIA-105-1971-05-09-1台湾1971年05月09日1970年代世界銀行からの第4次鉄道借款1500万ドルの仮契約成立。
DIA-105-1971-05-09-2台湾1971年05月09日1970年代外交部,台湾訪問に先立って中国を訪れる場合は,国府への入国査証の再確認を受けなければならない,との声明を発表。
DIA-105-1971-05-10-1台湾1971年05月10日1970年代中央銀行,マルクなどの取引を一時停止と発表-中央銀行は,西独のマルクとスイスフランの取引を5月11日より一時停止すると発表した。その原因は西独政府がマルクの変動相場制をとったこととスイスフランの売買が正常を欠いたためであると指摘されている。中央銀行は,国際通貨基金(IMF)から正式の通告を受け取るまで,西独マルクとスイスフランの売買を停止すると述べた。
DIA-105-1971-05-10-2台湾1971年05月10日1970年代日台韓3国履物業者会議,台北で開催。
DIA-105-1971-05-11-1台湾1971年05月11日1970年代中央銀行,5月12日からマルクとスイスフランの取引売買を復活することを発表。
DIA-105-1971-05-14-1台湾1971年05月14日1970年代「吉田書簡」の効力には期限はない-外交部スポークスマンは,日本の宮沢通産大臣および和田外務省スポークスマンが語った「吉田書簡の効力は当年限り」という発言に対して,「吉田書簡の有効性には決して期限はない,両国ともに同書簡を尊重しなければならない。外交部はすでに駐日大使館に対し,日本側にわが国の立場を重ねて伝達し,日本側に事情の説明を要請するよう訓令した」と言明した。
DIA-105-1971-05-14-2台湾1971年05月14日1970年代タイ国新任駐華大使サノン,蒋総統に信任状を提出。
DIA-105-1971-05-19-1台湾1971年05月19日1970年代台湾の人口増加率,経済発展に障害-台湾省家庭計画推進委員会の指摘によると,台湾では出生率が高いため,幼年人口指数が81,すなわち,100人当り15歳~64歳の生産人口が負担する15歳以下および65歳以上の非生産人口は81人の高率に達している。この指数は日本では45,アメリカでは64に過ぎず,これはいかに台湾経済の負担が大きいかを示している。
DIA-105-1971-05-19-2台湾1971年05月19日1970年代立法院財政委員会,1972年の公債発行高26億元を通過。
DIA-105-1971-05-20-1台湾1971年05月20日1970年代蒋総統,サウジアラビア国王と共同声明-17日から20日まで台湾を公式訪問しているサウジアラビア王国のファイサル国王は,蒋総統と台北で共同声明を発表した。その中では,両国の経済,貿易,文化および技術の各方面の提携の拡大と強化を双方ともに希望していると表明した。
DIA-105-1971-05-20-2台湾1971年05月20日1970年代国府・オーストラリア貿易会談,台北で開催。
DIA-105-1971-05-21-1台湾1971年05月21日1970年代「尖閣列島に関する日本防衛庁声明につき研究中」-外交部スポークスマンは,記者会見の質問に答え,「日本の防衛庁が尖閣列島をその防衛範囲に入れたとの声明に対し,外交部は目下研究中であり,近くこれに対する国府の態度を明らかにする」と発言した。
DIA-105-1971-05-22-1台湾1971年05月22日1970年代アジア野菜研究開発センターが台北に設立され,日本,韓国,フィリピン,南ベトナム,アメリカおよび国府の代表が協議書に調印。
DIA-105-1971-05-22-2台湾1971年05月22日1970年代日本外務省,日本人旅行者小林正成が台湾で,台湾独立運動のビラなどを配布するなどの活動をして台湾警備総司令部に逮捕されたことを確認。
DIA-105-1971-05-25-1台湾1971年05月25日1970年代台湾省政府1972年予算概要-台湾省財政庁杜均衡庁長は省議会で,1972年度(1971年7月から1972年6月まで)の省政府予算案について報告した。それによると,新年度予算は,歳出入ともに148億7800余万元で,現年度より16億9000元多い。歳入は専売収益と税収が主で,その他の収入は経済建設借入金,営利事業収益等となっている。
DIA-105-1971-05-25-2台湾1971年05月25日1970年代1972年の米産量目標高-台湾省糧食局施石青代理局長は,省議会での報告のなかで,1972年の米作目標は玄米にして1期作が127万8400トン,2期作が129万0500トンと予定している,と述べた。
DIA-105-1971-05-26-1台湾1971年05月26日1970年代第5回日台経済貿易会議,台北で開幕。
DIA-105-1971-05-27-1台湾1971年05月27日1970年代「オーストリアの中立放棄は遺憾」-外交部スポークスマンは,オーストリアと中国の国交樹立が発表されたことに対し,「オーストリアがドアを開いて盗賊に最敬礼し,中立の立場を放棄したことに深く遺憾の意を表する」という談話を発表した。
DIA-105-1971-05-28-1台湾1971年05月28日1970年代中央銀行,金利の引下げを発表-中央銀行総裁兪国華は,貸出ならびに預金金利の引下げを発表した。引下げ幅は貸出金利については平均年利0.65%,預金については0.55%である(主要統計参照)。
DIA-105-1971-05-28-2台湾1971年05月28日1970年代立法院第47回本会議,8月27日まで延長すると決定。
DIA-105-1971-05-29-1台湾1971年05月29日1970年代欧州視察団(団長経合会副主任費),台北を出発。
DIA-105-1971-06-01-1台湾1971年06月01日1970年代立法院,中国の国連加盟反対声明を決議-立法院は,①国連憲章を守るため,中国の国連加盟に反対する,②台湾および澎湖諸島は国府の領土であり,法理と事実においてその地位を争う余地はない,という2項目に分れた声明内容を決議した。
DIA-105-1971-06-01-2台湾1971年06月01日1970年代インドネシア駐台北商会成立。
DIA-105-1971-06-01-3台湾1971年06月01日1970年代台北に滞在中のケネディ米大統領特使,孫経済部長らと台湾製繊維品の対米輸出規則問題について交渉を開始。
DIA-105-1971-06-01-4台湾1971年06月01日1970年代ニューヨーク・タイムス紙によると,少なくとも4人の米軍人と米中央情報局(CIA)の下級要員1人が,台湾人の反政府活動を援助したと国府当局から非難されため,米政府によって過去1カ月の間に台湾からこっそりと転任させられた。
DIA-105-1971-06-02-1台湾1971年06月02日1970年代豪州から小麦粉25万トン輸入-台湾製粉業組合が台北で,オーストラリア小麦庁代表と今後18カ月間に25万トンの小麦買付契約に調印した。
DIA-105-1971-06-02-2台湾1971年06月02日1970年代韋永寧経済部工業局長,メーカーにカラーテレビの販売価格引下げを要求。
DIA-105-1971-06-04-1台湾1971年06月04日1970年代外交部スポークスマン,尖閣諸島の主権は日本の一方的措置に影響されずと言明。
DIA-105-1971-06-06-1台湾1971年06月06日1970年代IPI(国際新聞編集者協会)理事会,国府代表を追放するとの米提案(米国委員は「于長城,于長庚兄弟事件」を「国府は報道の自由を認めることを怠った」として国府委員のIPI除名)を拒否。
DIA-105-1971-06-06-2台湾1971年06月06日1970年代ケネディ米大統領特使,行政院会が対米繊維輸出自主規制に関する米提案を拒否したため,台北出発を延期した。
DIA-105-1971-06-08-1台湾1971年06月08日1970年代中国問題百人委員会,東京で発足-日本の学者,評論などで組織する「中国問題百人委員会」(座長荒木俊馬京都産業大学総長)の設立総会が東京で開かれた。この委員会は,日中問題に取り組むに当って,①内政不干渉,②日米安保体制堅持,③日華平和条約の尊重,などの3方針を基盤として活動する。
DIA-105-1971-06-11-1台湾1971年06月11日1970年代外交部,米独断の琉球返還に不満を表明-「尖閣列島の施政権は1972年中に沖縄とともに日本に返還される」との米国務省の6月9日の見解表明に対して,国府外交部は,アメリカが国府と協議せずに,性急に琉球群島を日本に返還すると決定したことに不満を表明した。また,尖閣列島の施政権を琉球群島と一括して日本に引渡すのは,国府として絶対受け入れられないものであり,同列島は国府領土の一部分である,と言明した。
DIA-105-1971-06-12-1台湾1971年06月12日1970年代国府,リビアと断交はせず-外交部が語ったところによると,国府はリビアが一方的な中国承認と対中国国交樹立の方針を明らかにしたことに対し,当面リビアと断交はせず,外交ルートを通じて同国に抗議もしくは自重を求める申入れ程度にとどめる方針である。
DIA-105-1971-06-14-1台湾1971年06月14日1970年代愛知外相,尖閣列島の帰属問題で彭孟緝駐日国府大使と初会談。
DIA-105-1971-06-15-1台湾1971年06月15日1970年代蒋総統,国家安全会議に「わが国家の立場と国民精神」と題した一文を寄せた(参考資料参照)。
DIA-105-1971-06-16-1台湾1971年06月16日1970年代経済部,糧食局の同意によって韓国に食米3万トン(1トン当り146.45ドル)を売却することに決定。
DIA-105-1971-06-17-1台湾1971年06月17日1970年代尖閣列島の領土主権再確認-外交部スポークスマン魏煜孫は,日米沖縄返還協定の調印について,国府の琉球群島および尖閣列島に対する堅固な立場は,6月11日の外交部声明のなかですでに明確に説明している,と尖閣列島の領土主権を再確認したとともに,日米両国が直ちに合法的措置をとり,同列島に対する国府の主権を尊重するよう重ねて要求するとの態度を明らかにした。
DIA-105-1971-06-17-2台湾1971年06月17日1970年代学生デモ隊,台北の米,日大使館に抗議-六百余名の台湾大学学生は,台北のアメリカおよび日本大使館にデモをかけ,日米沖縄返還協定調印とその中に含まれている尖閣列島の領有権に対し抗議した。
DIA-105-1971-06-21-1台湾1971年06月21日1970年代マーケン米太平洋統合軍司令官訪台。
DIA-105-1971-06-22-1台湾1971年06月22日1970年代米輸出入銀行,台電に借款供与決定-米国輪出入銀行は,台湾電力公司の台湾北部にある金山原子力発電所第2号発電機の建設費として,7400万ドルの借款を供与することに決定した。同銀行は1969年7月に7970万ドルを同じく金山原子力発電所第1号発電機建設用として,台湾電力公司に貸付けたことがある。
DIA-105-1971-06-23-1台湾1971年06月23日1970年代米国輸出入銀行と民間輸出基金協会,台湾電力公司に1億380万ドルの借款を供与する計画を発表。
DIA-105-1971-06-23-2台湾1971年06月23日1970年代国連児童基金会執行委員会,国府に54万3000ドルの補助金を提供すると発表。
DIA-105-1971-06-23-3台湾1971年06月23日1970年代台湾南北高速道路の第1期工事中の区間工事(南坎-三重間)を落札した日本青木建設株式会社と国府高速道路局との間に契約が調印された。
DIA-105-1971-06-24-1台湾1971年06月24日1970年代観光事業局発足-交通部に設置された観光事業局が発足した。初代局長には曹嶽維が任命された。
DIA-105-1971-06-24-2台湾1971年06月24日1970年代行政院,新台幣の為替レート決定-行政院は,IMF(国際通貨基金)が1970年9月4日に発表した新台幣の平価設定に基いて,新台幣の為替レートを決定した。それによると,新台幣1元の純金含有量=0.02221689,1オンス純金=新台幣1400元,1ドル=新台幣40元,新台幣1元=0.025ドルとなっている。
DIA-105-1971-06-26-1台湾1971年06月26日1970年代中央銀行副総裁孫義宣,韓国の平価切下げの台湾に対する影響は極めて少ないと述べた。
DIA-105-1971-06-27-1台湾1971年06月27日1970年代9年制国民教育初回卒業生21万187人が巣立つ。
DIA-105-1971-06-29-1台湾1971年06月29日1970年代張群総統府秘書長,朴正煕韓国大統領の就任式に国府特使として出席するため台北を出発。
DIA-105-1971-06-29-2台湾1971年06月29日1970年代27日から台湾を訪問中のカンボジアのクン・ウイク外相,カンボジア政府は数カ月以内に正式代表団を台湾に常駐させたいと発表。
DIA-105-1971-06-30-1台湾1971年06月30日1970年代国民党中央委員会秘書長張宝樹,韓国を訪問。
DIA-105-1971-06-30-2台湾1971年06月30日1970年代成立満1周年を迎えた国府対外貿易発展協会,過去1年間に,ニューヨーク,サンフランシスコ,モントリォール,ミラノ,フランクフルト,東京,ソウル,シンガポール,香港等の9都市に事務所を設置したと発表。
DIA-105-1971-07-01-1台湾1971年07月01日1970年代「少年事件処理法」正式に実施,同時に各地方裁判所に少年法廷が成立。
DIA-105-1971-07-01-2台湾1971年07月01日1970年代欧州共同体(EC)が実施する特恵関税の対象に台湾を除外。
DIA-105-1971-07-01-3台湾1971年07月01日1970年代省立成功大学および省立中興大学,国立に昇格。
DIA-105-1971-07-02-1台湾1971年07月02日1970年代米台両国関係者,科学協力文書に署名。
DIA-105-1971-07-02-2台湾1971年07月02日1970年代中央銀行,政府公債の自由売買の実施を公布。
DIA-105-1971-07-03-1台湾1971年07月03日1970年代スワジランド王国クマロ副総理兼外相,訪台。
DIA-105-1971-07-05-1台湾1971年07月05日1970年代チャド共和国の友好・合作訪問団(団長キドガ農業・農村発展部長)一行6人訪台。
DIA-105-1971-07-05-2台湾1971年07月05日1970年代マダガスカル共和国ナンニー国民会議議長およびカーフィ」参議院議長,訪台。
DIA-105-1971-07-06-1台湾1971年07月06日1970年代世界版権条約修正会議,国府のオブザーバー資格を通過。
DIA-105-1971-07-06-2台湾1971年07月06日1970年代台湾鉄路局長陳樹曦,省議会で幹線鉄道の電化工事は1973年に着手すると報告。
DIA-105-1971-07-08-1台湾1971年07月08日1970年代行政院,毎年10月の最後1週間を「国民貯蓄週」と決定。
DIA-105-1971-07-08-2台湾1971年07月08日1970年代省政府,「台湾省国語実施強化計画」を策定。
DIA-105-1971-07-10-1台湾1971年07月10日1970年代国府・チャド経済および技術協力協定の継続延長を決定。
DIA-105-1971-07-10-2台湾1971年07月10日1970年代省政府,地方自治法規6種類の実施を公布-台湾省政府は,①台湾省各県市実施地方自治綱要,②台湾省各県市議会組織規程,③台湾省各県郷鎮県轄市民代表会組織規程,④台湾省各県市公職人員選挙罷免規程,⑤台湾省県市公職人員選挙罷免監察委員会組織規程,⑥台湾省妨害選挙罷免取締弁法,など6種類の地方自治法規を正式に公布した。
DIA-105-1971-07-11-1台湾1971年07月11日1970年代「南沙群島は国府の領土である」一フィリピン政府が南沙群島に駐屯している国府軍の撤収を要求していることに対して,外交部は「南沙群島は国府の固有領土であり,その主権が国府に属することは疑いない。1946年から国府は軍隊を派遣し現在に至っている」という談話を発表した。
DIA-105-1971-07-12-1台湾1971年07月12日1970年代周書楷外交部長,マニラで開催されるアジア・太平洋協議会(ASPAC)第6回閣僚会議に出席するため台北を出発。
DIA-105-1971-07-13-1台湾1971年07月13日1970年代南沙群島帰属問題で,周書楷外交部長とフィリピンのロムロ外相がマニラで会談。
DIA-105-1971-07-14-1台湾1971年07月14日1970年代第6回台韓経済閣僚会議,共同声明を発表-12日から台北で開かれた第6回台韓経済閣僚会議(台湾側代表23名,団長孫運経済部長)は閉会に当って共同声明を発表した。その主な内容は,①双方は今後,国際市場で密接に協調すべきである,②国府側は1971年内に韓国からさらに総額1000万ドルの輸入管制品を購入する,などである。
DIA-105-1971-07-16-1台湾1971年07月16日1970年代厳副総統,ニクソン訪中決定について異例の談話を発表(参考資料参照)。
DIA-105-1971-07-16-2台湾1971年07月16日1970年代国府,ニクソン訪中決定に厳重抗議-外交部は,ニクソン訪中決定に対して,楊西崑外交部長代理がマコノギー駐華米国大使と会い,厳重抗議するとともに,沈剣虹駐米大使に訓令し,アメリカ政府に抗議させた。
DIA-105-1971-07-16-3台湾1971年07月16日1970年代新日鉄,日華協力委の不参加を表明-新日本製鉄の稲山嘉寛社長は,①新日鉄は日華協力委第1回常任委員会に出席しない,②台湾に対する直接投資は今後も考えない,と記者会見で語った。
DIA-105-1971-07-17-1台湾1971年07月17日1970年代日本航空,今月末に東京で開かれる日華協力委員会第1回常任委員会に出席しないことを決めた。
DIA-105-1971-07-19-1台湾1971年07月19日1970年代外交部政務次長楊西崑,アフリカの23国を訪問するため台北を出発。
DIA-105-1971-07-19-2台湾1971年07月19日1970年代訪台中のタイ国アンレイ博士,経済部工業局長韋永寧と国府・タイ両国の工業合作問題について意見を交換。
DIA-105-1971-07-19-3台湾1971年07月19日1970年代越後伊藤忠商事社長,「今月,東京で開かれる日華協力委の出席について再検討する。また,台湾への投資について現在以上の追加投資をやらない」と語った。
DIA-105-1971-07-20-1台湾1971年07月20日1970年代蒋総統にニクソン親書-外交部によると,ニクソン米大統領はこのほど,蒋介石総統に親書を送り,大統領の中国訪問計画にも拘らず,米台防衛条約の約束を尊重し,国府との友好関係の維持を保障すると述べた。しかし,外交部はこの親書の正確な日付を発表していない。
DIA-105-1971-07-20-2台湾1971年07月20日1970年代戸籍に祖籍を加注-内政部は,現に台湾に居住する者はいつ台湾にきたかを問わず,みな戸籍登記簿に祖籍をつけ加え,祖籍は台湾に移り住む前の省・県を規準とし,本人が自由に認定することを決定した。
DIA-105-1971-07-20-3台湾1971年07月20日1970年代36人の各大学生代表がニクソン米大統領の訪中に抗議して,台北の米大使館前で30分間のピケを張った。
DIA-105-1971-07-21-1台湾1971年07月21日1970年代米上院外交委,「台湾決議案」を廃棄-米上院外交委員会(委員長フルブライト民主党議員)は,1955年の「台湾決議」を廃棄する決議案を全会一致で可決した。
DIA-105-1971-07-21-2台湾1971年07月21日1970年代台湾省議会,ニクソン訪中反対の声明を発表。
DIA-105-1971-07-21-3台湾1971年07月21日1970年代米太平洋艦隊総司令官クラレイ大将訪台。
DIA-105-1971-07-21-4台湾1971年07月21日1970年代日華協力委員会,全企業の招請取消しを決定。
DIA-105-1971-07-21-5台湾1971年07月21日1970年代総統令:鍾皎光を考選部長に任命。
DIA-105-1971-07-22-1台湾1971年07月22日1970年代日本の海運大手5社,台湾配船やめる-日本国際貿易促進協会が発表したところによると,台湾航路に配船している日本郵船,近海郵船,商船三井近海,新日本近海汽船,関西汽船,飲野海運の6社のうち,近海郵船を除く5社は,このほど台湾航路への配船を一切しない方針を決めるとともに,6社で組織する「台水会」からも脱退することになった。
DIA-105-1971-07-23-1台湾1971年07月23日1970年代丸紅飯田,「今後新しく台湾に投資をして行く考えはない」と発表。
DIA-105-1971-07-24-1台湾1971年07月24日1970年代台湾への投資減少-経済部華僑および外国人投資審議委員会が明らかにしたところによると,最近台湾に対する海外からの投資が減少しており,同委員会が1971年上半期に許可した金額は1970年同期と比べ全体で40%弱減少,とくに日本からの投資は約70%,アメリカからは約50%も減っている。
DIA-105-1971-07-25-1台湾1971年07月25日1970年代スノー氏の論文-米週刊誌ライフはエドガー・スノー氏の「中国は力の立場から交渉するだろう」と題する寄稿を掲載した。スノー氏はその中で,①北京は蒋介石が台湾省の終身主席としてとどまりたいならば,蒋s介石にある程度の自治権さえ保障するだろう?②中国,国府間に「統一」のための可能な条件を探るためのひそかな話合いが再開されたかも知れぬ,などの点を述べた。
DIA-105-1971-07-25-2台湾1971年07月25日1970年代外交部,フィジーの首都スバに商務代表団設置を決定した旨発表。
DIA-105-1971-07-26-1台湾1971年07月26日1970年代日華協力委員会に出席のため来日中の張群総統府秘書長,佐藤首相と会談。
DIA-105-1971-07-27-1台湾1971年07月27日1970年代日華協力委開く-日華協力委員会の第1回常任委員会は,東京・大手町の経団連会館で開かれた。日本側から岸信介顧問,石井光次郎会長と政界,文化人から十数名が出席,台湾側は張群顧問,谷正綱会長ら7名が出席した。
DIA-105-1971-07-29-1台湾1971年07月29日1970年代国府・タイ,とうもろこし協定調印-国府・タイ両国間とうもろこし貿易協定が経済部において調印された。その主な内容は次のとおり。①取引量は40万トン,取引期間は1971年10月より1972年4月までとし,毎月の取引量は原則として7万トンを越えない,②取引総価額は約3000万ドル,③取引価格はアメリカのシカゴとうもろこし相場に照らして決定する。
DIA-105-1971-07-29-2台湾1971年07月29日1970年代「国府追放には憲章改正必要」-来日中の張群総統府秘書長は,「国府は国連憲章第23条によって国連安全保障理事会の常任理事国と規定されており,この国連憲章を改定しない限り,国連は国府を安保理から追放することはできない」と言明した。
DIA-105-1971-07-29-3台湾1971年07月29日1970年代張群総統府秘書長,30分間にわたって天皇と会見。
DIA-105-1971-07-30-1台湾1971年07月30日1970年代国府・サルバドル農業技術協力協定,サルバドル外務省で調印。
DIA-105-1971-07-31-1台湾1971年07月31日1970年代日本政府,台湾産バナナの輸入自由化を実施。
DIA-105-1971-08-01-1台湾1971年08月01日1970年代佐藤首相,張群総統府秘書長と約2時間にわたる2回目の会談を行なった。
DIA-105-1971-08-01-2台湾1971年08月01日1970年代中華航空公司(CAL),台北-ジャカルタ間の定期便に就航。
DIA-105-1971-08-05-1台湾1971年08月05日1970年代トルコとの国交を「中止」-国府は,トルコが中国との国交を樹立した旨発表したことに対し,即時トルコとの外交関係を「中止」(suspend)するとともに,アンカラの国府大使館(大使黎玉璽)を閉鎖するとの外交部声明を発表した。
DIA-105-1971-08-06-1台湾1971年08月06日1970年代国府のアジア・太平洋地区の公館長会議が台北で開かれ,米の対中転換政策を検討。
DIA-105-1971-08-08-1台湾1971年08月08日1970年代李財政部長が率いる南米経済訪問団出発-李国鼎財政部長を団長とする「南米国家経済訪問団」は,中南米諸国との経済的,政治的結びつきを強化する第一陣として台北を出発,エクアドル,ペルー,パラグァイ,ウルグァイ,アルゼンチン,ブラジルの6力国を歴訪する。
DIA-105-1971-08-09-1台湾1971年08月09日1970年代日本,第2次円借款について台湾と書簡交換-日本政府は,台湾に対する第2次円借款2245万ドル(80億8200万円)の供与について両国間で合意が成立したため,台北で国府と書簡を取りかわしたと発表した。借款の条件は年利5.5%,償還期間は据え置三年を含む15年で,日本輸出入銀行などを通じて台湾に供与する。対象となるプロジェクトは,①台北市内の電信電話施設拡張工事計画(1500万ドル),②台湾糖業公司のボイラー改修および砂糖きびかす運搬設備計画(245万ドル),③イオン交換膜製塩プラント建設計画(500万ドル)となっている。
DIA-105-1971-08-09-2台湾1971年08月09日1970年代蒋特使引率の経済訪問団出発-蒋彦士行政院秘書長引率の「中米国家経済訪問団」は台北を出発した。メキシコ,グァテマラ,ホンジュラス,サルバドル,ニカラグア,コスタリカ,パナマ等7力国を歴訪する。
DIA-105-1971-08-13-1台湾1971年08月13日1970年代アルバート米下院議長を団長とする米国会東アジア訪問団一行53名訪台。
DIA-105-1971-08-14-1台湾1971年08月14日1970年代南北高速道路着工-台湾で最大の建設工事である南北高速道路の工事が台北近郊の林口工事区に正式に着工した。総工事は延べ6年間の年月を要し,工事費は193億元に達すると見込まれている。,南北高速道路は全長375キロで,このほど正式着工した第1期工事は台北市の南にある三重市から桃園県の中までの35キロとなっている。また,工事は国内の栄民工程処と中華工程公司,日本の青木建設と韓国の極楽建設がそれぞれ落札している。
DIA-105-1971-08-15-1台湾1971年08月15日1970年代国府,新独立国バーレーンを承認。
DIA-105-1971-08-16-1台湾1971年08月16日1970年代タイ国国務院政務委員兼外交部副部長サンガー行5名訪台。
DIA-105-1971-08-17-1台湾1971年08月17日1970年代レイランとの国交を「中止」-国府は,イランと中国との国交樹立に対し,即時イランとの国交関係を「中止」するとともに,テヘランの国府大使館(大使呉世英)を閉鎖,これまで同国に派遣していた稲作技術団も引揚げる旨の外交部声明を発表した。
DIA-105-1971-08-19-1台湾1971年08月19日1970年代行政院,台湾電力公司の原子力発電計画の資金調達弁法を承認。
DIA-105-1971-08-19-2台湾1971年08月19日1970年代米の新経済措置が台湾に対する影響-孫運経済部長は記者会見で,「アメリカが輸入課徴金10%を徴収することで,台湾の対米輸出品の90%以上が影響を受けることになったので,今後アメリカ市場における競争力を強化しなければならない」と述べた。
DIA-105-1971-08-20-1台湾1971年08月20日1970年代国府,シエラレオネと断交-外交部は,シエラレオネと断交するとともに,首都フリータウンの国府大使館大使館(大使柳鶴図)を閉鎖,同国に派遣している農耕隊も引揚げる旨の声明を発表した。シエラレオネは7月30日,訪中代表団が中国を承認したが,正式通告は約二週間後の8月18日となり,これを国府は「侮辱」だとして断交に踏み切った。
DIA-105-1971-08-20-2台湾1971年08月20日1970年代インドへ発注の客車22両,台北駅で引渡式。
DIA-105-1971-08-20-3台湾1971年08月20日1970年代新任米第7艦隊司令官マーク中将訪台。
DIA-105-1971-08-20-4台湾1971年08月20日1970年代張交通部長引率の経済訪問団出発-張継正交通部長引率の「中米洲経済訪問団」は台北を出発し,ジャマイカ,ハイチ,ドミニカ,バルバドス,トリニダードトバゴ,ベネズエラ,コロンビアの7力国を巡訪する。
DIA-105-1971-08-20-5台湾1971年08月20日1970年代空軍総司令官陳衣凡訪米。
DIA-105-1971-08-24-1台湾1971年08月24日1970年代台湾元,ドル除き変動相場制-中央銀行為替局は,台湾元と外国通貨との公式為替レートをドル除き変動相場制に移行させると発表した。同銀行は,台湾元と変動相場制になる通貨との相場を毎日発表,為銀はこれを基準にして取り引きを行なうよう指示した。
DIA-105-1971-08-25-1台湾1971年08月25日1970年代台湾勢との卓球試合拒む-アメリカ訪問中の台湾卓球チームは,米フロリダ州のココアビーチを訪れたが,対戦するはずだった当地のクラブは試合を拒否した。この措置は国際卓球連盟(ITTF)のラフォード・ハリソン競技委員長の「台湾との試合は規約違反である」との書簡に従ったものである。
DIA-105-1971-08-26-1台湾1971年08月26日1970年代国府・パラグワイ経済協力協定,アスンションで調印。
DIA-105-1971-08-26-2台湾1971年08月26日1970年代行政院,台湾鉄道幹線の電化計画とこの計画に基づき国外からの6500万ドル借款案を可決。
DIA-105-1971-08-27-1台湾1971年08月27日1970年代国府,ボリビア新政府を承認。
DIA-105-1971-08-27-2台湾1971年08月27日1970年代日本円の変動相場制は新台幣の基本レートに影響せず-中央銀行は,日本円の変動相場制は,新台幣の基本レート1米ドル=新台幣40元に影響しないと発表した。日本円と新台幣は直接の為替レートがなく,日台間国際収支決算は従来から米ドルで行なわれている。
DIA-105-1971-08-29-1台湾1971年08月29日1970年代民航局長毛瀛初,桃園国際空港建設の設計はすでに完了したと発表。
DIA-105-1971-08-31-1台湾1971年08月31日1970年代国府・コードジボアール農業発展技術合作協定の2年間延長を決定。
DIA-105-1971-08-31-2台湾1971年08月31日1970年代行政院新聞局が発表したところによると,国府に対する破壊活動をしたとして5月17日,台湾警備総司令部に逮捕された小林正成は,軍事法廷で2年の刑(執行猶予2年)を受けたあと,日本に送還された。
DIA-105-1971-09-02-1台湾1971年09月02日1970年代国府,独立を宣言したカタールを承認。
DIA-105-1971-09-02-2台湾1971年09月02日1970年代「国府・コスタリカ技術協力協定」調印。
DIA-105-1971-09-03-1台湾1971年09月03日1970年代経済部,政府は従来通り華僑と外国人資本の来台投資歓迎政策を貫徹すると強調。
DIA-105-1971-09-05-1台湾1971年09月05日1970年代北京新華社電によると,アメリカに留学している台湾省財政庁機要秘書張双照は,台湾政府の反動的支配に不満を持ち,台湾に戻るのを拒否し,北京に帰国した。
DIA-105-1971-09-07-1台湾1971年09月07日1970年代国府,インドネシア文化経済協会,台北で正式に発足。
DIA-105-1971-09-08-1台湾1971年09月08日1970年代米台綿紡協定期間延長-汪彝定国際貿易局長の発表によると,米台綿紡協定は1971年12月末まで再度延長することとなり,この間10%課徴金は賦課されない。
DIA-105-1971-09-09-1台湾1971年09月09日1970年代行政院,大型国連総会出席代表団決定-行政院は第26回国連総会出席代表団の人選を次のように決定した。首席代表-周書楷外交部長,代表-劉(駐国連常任代表),楊西崑(外交部政務次長),陳賢平(駐メキシコ大使),薛麒麒(駐スペイン大使),謝東閔(台湾省議会議長),副代表-張純明(駐国連常任副代表),王之珍(外交部顧問),田宝岱(駐サウジアラビア大使),正皋(駐コートジボアール大使),林挺生(台北市議会議長)。このほか,顧問19人,秘書3人を合わせて全員33人の大型代表団を派遣する。
DIA-105-1971-09-09-2台湾1971年09月09日1970年代東京芝浦電気および日立製作所,10月7日から台北で開かれる日華協力委員会への出席を取りやめるとともに,台湾への再投資をやめる正式態度をそれぞれ明らかにした。
DIA-105-1971-09-13-1台湾1971年09月13日1970年代「国府・オートボルタ貿易協定」調印。
DIA-105-1971-09-15-1台湾1971年09月15日1970年代国府・南ベトナム経済協力会議の共同声明-13日から開かれた第7回国府・南ベトナム経済協力会議は,共同声明を発表して閉会した。要旨は次の通り。①国府は専門家を派遣して,南ベトナムの農業と漁業を援助する。②両国の退役軍人組織間の技術協力のもとで,国府は南ベトナムの退役軍人が建設する織物工場,模範農場と落花生農場に援助同意,③南ベトナムは米援による国府側製品の購入品目の拡大に同意し,国府も南ベトナムの高級陶土の購入に同意する。
DIA-105-1971-09-20-1台湾1971年09月20日1970年代彭国府大使,保利幹事長と会談-彭孟輯駐日国府大使は,自民党本部に保利幹事長をたずね,さきに中曽根総務会長が発表した「中国政策三原則」について真意をただした。これに対し,幹事長は,①国際情勢からも,中国を国連に迎え入れる必要がある,②中華人民共和国は中国を代表する政府であると,自分の考え方を説明した。
DIA-105-1971-09-20-2台湾1971年09月20日1970年代グアテマラ共和国副大統領キャサース夫妻訪台。
DIA-105-1971-09-21-1台湾1971年09月21日1970年代日華協力委員会日本側事務局,10月6日に予定されている貿易委員会をとりあえず中止,または延期するよう台湾側に申入れた。
DIA-105-1971-09-21-2台湾1971年09月21日1970年代兪国華中央銀行総裁,国際通貨基金(IMF)年次総会に出席のため渡米。
DIA-105-1971-09-22-1台湾1971年09月22日1970年代IPI(国際新聞編集者協会)執行会議,台湾を同協会から一時的に除外することを決定。
DIA-105-1971-09-22-2台湾1971年09月22日1970年代台湾電力公司,電源開発10力年計画を制定。
DIA-105-1971-09-23-1台湾1971年09月23日1970年代外交部,米の二重代表制を非難-外交部は,中国の国連代表権に関するアメリカの二重代表制に断固反対する態度を正式に表明したとともに,「国連憲章に違反し,忠実な原加盟国を犠牲にするこのような措置は,国連創設以来はじめての悪例に道をひらくもので,中国人民の意思に反するばかりでなく,国連の尊厳をはずかしめ,道義の力と基本原則を破壊するものである」とアメリカを激しく非難している。
DIA-105-1971-09-28-1台湾1971年09月28日1970年代国府,国際原子力機関(IAEA)理事会の東アジア代表理事国に選出された。
DIA-105-1971-09-28-2台湾1971年09月28日1970年代アメリカの21人の上院議員および33人の下院議員,「国府が国連から追放された場合,アメリカの国連への財政的援助を全面的に再検討するよう勧告する」との声明を発表。
DIA-105-1971-09-29-1台湾1971年09月29日1970年代大陸で殺害された地下工作員数-国民党機関紙中央日報は,これまで中国の公表した資料と国府側の大陸での地下組織の報告をまとめると,国府側の地下工作員で中国に逮捕,殺害されたものは5万5670名に達していると報道した。
DIA-105-1971-09-29-2台湾1971年09月29日1970年代「国家建設研究会」開く-国民党台湾省党部と中央政府の主催する会期3日間の「国家建設研究会」が台北で開かれだ。台湾省議員全員,省党部委員全員および評議員,各県市議長,副議長,県市議会の各審査組召集人ら290余名が参加した。
DIA-105-1971-09-30-1台湾1971年09月30日1970年代伊藤忠商事および丸紅飲田,第5回日華協力委・貿易委員会と第16回日台協力委総会に欠席すると正式発表。
DIA-105-1971-10-01-1台湾1971年10月01日1970年代第一勧業銀行,10月7~9日に台北で開かれる日華協力委員会には台北支店の支店長も含め,日程の都合で欠席することを正式に確認。
DIA-105-1971-10-01-2台湾1971年10月01日1970年代台湾製ステンレス洋食器の対米輸出,アメリカの輸入規制を受ける。
DIA-105-1971-10-02-1台湾1971年10月02日1970年代米台繊維交渉は物別れ-繊維製品の対米輸出規制をめぐる孫経済部長とジューリック米大統領特使間の交渉は物別れに終った。しかし,台湾側は米国が一方的な措置をとる前に,なお米側と接触を続ける方針。
DIA-105-1971-10-04-1台湾1971年10月04日1970年代対米繊維輸出は10月1日から規制-経済部国際貿易局は,米国向け非綿製品繊維輸出を10月1日にさかのぼって規制すると発表した。それによると,繊維業者は米国向け積出しの前に毛,化合繊維製品の検査を受けねばならない。
DIA-105-1971-10-08-1台湾1971年10月08日1970年代国連総会,周外交部長が演説-周書楷外交部長は,国連総会で一般演説を行なった。その主な論旨は次の通り。①中共政権と中国人民両者は敵対関係にある。②中国共産党は内紛で分裂しており,その将来はさだかでない,③中共政権の戦術的な態度変更を政策の基本的な変更と間違えてはならない。
DIA-105-1971-10-08-2台湾1971年10月08日1970年代来台中の岸信介元首相,蒋統と会談。
DIA-105-1971-10-09-1台湾1971年10月09日1970年代日華協力委終る-日華協力委員会第16回総会は全体会議を開き,政治部会報告と経済,文化両部会の決議を採択したが,共同声明を発表できないまま閉会した。共同声明を発表できなかったのは今回が初めて。
DIA-105-1971-10-09-2台湾1971年10月09日1970年代「台湾独立」のメンバー3人帰台-日本での「台湾独立」運動の組織の主要メンバー廖明耀(「台湾共和国臨時国民議会」議長),簡文介(「台湾独立連盟」中央委員),施清香(「在日台湾学生連盟会」幹事)が台湾へ帰った。
DIA-105-1971-10-09-3台湾1971年10月09日1970年代ニクソン米大統領特使リーガン・カリフォルニア州知事訪台。
DIA-105-1971-10-10-1台湾1971年10月10日1970年代台北で双十節の祝賀式典-「双十節」を祝賀する式典が台北市の総統府広場で行なわれ,約25万人が参加した。蒋介石総統は宋美齢夫人とともに総統府バルコニーに姿をみせ,祝賀のあいさつを行なった。
DIA-105-1971-10-10-2台湾1971年10月10日1970年代英領事帰国-AP電によると,台湾駐在のトーマス・デュフィ英領事は,休暇で帰国のため台北を去り,台湾の英領事館は縮小の道をたどっている。同領事は,「台湾に戻ることはない」と語った。
DIA-105-1971-10-10-3台湾1971年10月10日1970年代4,817名の受刑者が釈放された-「中華民国60年罪犯減刑条例」により,4,817名の受刑者(一般犯罪者3,442名,軍事犯1,375名)が釈放された。この条例に適用される他の受刑者6,000余名は,10月11日から1年以内に釈放される。
DIA-105-1971-10-14-1台湾1971年10月14日1970年代ドミニカ共和国副大統領ゴキカ訪台。
DIA-105-1971-10-18-1台湾1971年10月18日1970年代国府代表,国連総会で「歴史」を訴え-周書楷外交部長は,中国代表権討議の9番目に演説し,中国代表権が歴史的にも,国連憲章の精神に従っても,台湾の国府にあると強調した。
DIA-105-1971-10-19-1台湾1971年10月19日1970年代「台湾独立派と日本軍国主義の結託心配」-日中友好協会訪中代表団の黒田寿男団長は,香港での記者会見で「周恩来首相は一つの中国論者である蒋介石総統は別とし,2つの中国について妥協的とされる張群,何応欽,谷正綱らが台湾独立運動を推進する可能性と,日本軍国主義と結びつく懸念を表明した」と語った。
DIA-105-1971-10-21-1台湾1971年10月21日1970年代「台湾駐留に特定の義務ない」-モーザ米国務省国府部長は,下院外交委アジア太平洋分科委の米台関係公聴会で,米台相互防衛条約について,①米軍を台湾に駐留させる特定の義務はない,②大陸沿岸諸島防衛の約束はない,③米国の事前の同意なしに国府がとった攻撃的行動による外からの攻撃に対しては,米国は防衛義務を負っていない」と証言,条約上の義務を除定した。
DIA-105-1971-10-24-1台湾1971年10月24日1970年代政治犯41名を釈放-行政院新聞局は,蒋介石総統がこのほど,「懲治叛乱条例」に違反した罪で服役中だった劉漢卿,劉子英,陳玉璽,陳火桐ら41名の政治犯の釈放を命じたと発表した。同発表によると,10月25日にまず35名が釈放される。
DIA-105-1971-10-25-1台湾1971年10月25日1970年代「国府犠牲にせぬ」-ニクソン米大統領は,ホワイトハウスで国府の厳家淦副総統と会談し,「アメリカは中国との関係改善を進めるが,それは国府との関係を犠牲にしてまで進めようというものではないし,国府が国連から排除されないよう強い支持を与える」と約束した。
DIA-105-1971-10-25-2台湾1971年10月25日1970年代国府,国連脱退を表明-国連総会本会議は,日米など22カ国共同提案の逆重要事項指定決議案を賛成55反対59,棄権15,欠席2で否決したあと,アルバニアなど23力国提案の「中国招請・国府追放」決議案を賛成76,反対35,棄権17,欠席3で可決した。国府代表団はアルバニア案採択前に,正式に国連からの脱退声明を出した(参考資料参照)。
DIA-105-1971-10-26-1台湾1971年10月26日1970年代国府,ベルギーとの関係を「中止」-国府は,ベルギーが10月26日に中国と外交関係を樹立したことに対し,即日ベルギーとの外交関係を「中止」するとともに,ブラッセルの国府大使館(大使王蓬)を閉鎖する旨の外交部声明を発表した。
DIA-105-1971-10-26-2台湾1971年10月26日1970年代蒋介石総統,国連総会の「中国参加・台湾追放」決議を激しく非難,国民に団結と冷静を呼びかけた。
DIA-105-1971-10-27-1台湾1971年10月27日1970年代米輸出入銀行カームズ総裁,台湾への融資は続けると言明。
DIA-105-1971-10-27-2台湾1971年10月27日1970年代米上院,1955年の台湾決議案を1972年4月15日付で廃棄するとの提案を可決した。
DIA-105-1971-10-28-1台湾1971年10月28日1970年代オーストリアの投資および借款受入れを認可-経済部華僑・外人投資審議委員会は,オーストリア国営の連合鉄鋼公司(VOEST)の投資・借款を受入れて,高雄に一貫作業の鉄鋼工場を建設する計画を認可した。同工場の総工費は3億2215万ドルと予定され,VOESTの投資は1600万ドル,借款は5000万ドル,合計6600万ドルとなっている。
DIA-105-1971-10-28-2台湾1971年10月28日1970年代米上院,1955年の台湾決議案を無効とする条項を1972年対外援助法に盛り込もうとした提案を,反対43,賛成40で否決した。
DIA-105-1971-10-29-1台湾1971年10月29日1970年代ユネスコ,国府追放を決定-ユネスコ(国連教育科学文化機関)執行委員会で,「本日以降,ユネスコ事務総長がこの機関で中華人民共和国が中国を唯一の代表であると認めるものとする」というメキシコ・西独共同提案が表決され,賛成21,反対3,棄権7で可決された。なお日本代表は棄権した。
DIA-105-1971-10-29-2台湾1971年10月29日1970年代市川安宅産業社長,大阪本社で「台湾への新規投資は今後行なわない」と発表。
DIA-105-1971-10-29-3台湾1971年10月29日1970年代「国府・ニカラグア技術協力協定」調印。
DIA-105-1971-10-30-1台湾1971年10月30日1970年代国府,IMF引出し権を行使-IMF(国際通貨基金)当局によると,国府はこのほど,IMF引出し権を行使して,出資割当の4分の1に当るゴールドトランシュ分5900万ドルを外貨で引出した。
DIA-105-1971-10-30-2台湾1971年10月30日1970年代「台湾の経済活動は国連の外で強化」-孫運経済部長は,立法院の経済委員会で,「国連脱退が台湾経済に悪影響を与えることはないだろう。今後は国連と関係のない国際的,地域的な貿易機構に参加する努力を積極的に進め,外交関係のない国とは貿易協定を結ぶ努力をする」と証言した。
DIA-105-1971-11-02-1台湾1971年11月02日1970年代厳副総統,南ベトナムから帰国-南ベトナムのチュー大統領の就任式に国府祝賀団団長として,10月30日に南ベトナムへ渡った厳家淦副総統が帰国した。厳副総統は南ベトナム滞在中,チュー大統領と2回に渡って会談を行なった。
DIA-105-1971-11-02-2台湾1971年11月02日1970年代国府とオーストリアの共同出資で設立した「中国鋼鉄股有限公司」が正式に発足。
DIA-105-1971-11-02-3台湾1971年11月02日1970年代FAO,中国招請を決定-FAO(国連食糧農業機関)理事会は,全会一致で中国招請を決定した。国府は,1945年のFAO結成のときのメンバーだったが,1952年に脱退した。
DIA-105-1971-11-02-4台湾1971年11月02日1970年代国府,ペルーとの国交を「中止」と発表。
DIA-105-1971-11-03-1台湾1971年11月03日1970年代「台湾地区長期経済発展計画」-経合会副主任費は,立法院経済委員会で「台湾地区長期経済発展計画」について報告した。この発展計画は1971年から1980年まで10年間に実施するものであるが,その基本的目標は,①経済近代化の加速,②経済の安定と成長の促進,③国民生活水準の上昇,などである。
DIA-105-1971-11-05-1台湾1971年11月05日1970年代国連特別機関には残留-外交部スポークスマン魏煜孫は,「国連総会で採択されたアルバニア案は国連の特別機関に対しては拘束力を持っていない。国府は今後も国連特別機関に参加していく考えである」と言明した。
DIA-105-1971-11-05-2台湾1971年11月05日1970年代台湾省政府民政庁長陳武璋,第5回省議員および第6回県市長選挙の投票日を1972年5月6日に正式決定と発表。
DIA-105-1971-11-06-1台湾1971年11月06日1970年代孫経済部長,立法院で施政報告を行なう-孫運経済部長は,立法院経済委員会で施政報告を行ない,①対内的には経済安定を維持し,経済の基礎をさらに強固にする。②対外的には国際経済,技術の提携および貿易交流の強化により,台湾の地位を向上することを目標とする,という方針を明らかにした。
DIA-105-1971-11-06-2台湾1971年11月06日1970年代日本郵船,周4条件を受入れて今後系列会社を含めて台湾航路へ配船しないことを決定。
DIA-105-1971-11-09-1台湾1971年11月09日1970年代第2回世界商華観光旅遊事業連誼会,東京で開催。
DIA-105-1971-11-10-1台湾1971年11月10日1970年代AP電によると,この3カ月間に,約1億ドル相当の台湾資金が香港経由でシンガポールに流出している。
DIA-105-1971-11-10-2台湾1971年11月10日1970年代日本生産性本部(足立正会長),「生産性の船」の寄港地から台湾を除くことを決定。
DIA-105-1971-11-11-1台湾1971年11月11日1970年代国府,レバノンと国交を「中止」-外交部は,レバレンとの外交関係を「中止」するとともに,即日ベイルートの国府大使館(大使謬培基)を閉鎖すると発表した。
DIA-105-1971-11-11-2台湾1971年11月11日1970年代「国府・カンボジア貿易協定」結ぶ-「国府・カンボジア貿易協定」が台北で調印された。この協定は周書楷外交部長とカンボジアのトキン巡回大使が両国政府を代表して署名したものである。
DIA-105-1971-11-11-3台湾1971年11月11日1970年代牧田三菱重工業社長,「今後中国の了解なしには台湾に投資しない」と述べた。
DIA-105-1971-11-12-1台湾1971年11月12日1970年代トーメン,日華協力委員会に出席しないと表明。
DIA-105-1971-11-13-1台湾1971年11月13日1970年代台韓紡織工業連合委員会および韓台繊維工業連合委員会第回共同会議,台北で開催。
DIA-105-1971-11-14-1台湾1971年11月14日1970年代ジョンソン米国務次官訪台。
DIA-105-1971-11-15-1台湾1971年11月15日1970年代国営事業の基本政策-行政院主計長周宏濤は,1972年度の国営事業の基本政策を発表した。それによると,国営事業は引きつづき国家経済建設計画の主要目標に準じ,電力および交通などの基礎施設を拡充し,天然資源の探査と開発を強化するとともに,金融調節の機能を発揮し,主要工業の発展を早めるのを重点におくのである。
DIA-105-1971-11-16-1台湾1971年11月16日1970年代ガット,国府代表を退場させる-関税貿易一般協定(ガット)総会のベサ議長は,さきの国連総会で中国代表権が北京政府にあると決定したことに伴い,オブザーバーとして出席している国府の代表は認められないと述べた。これに対し,国府代表は厳重抗議を行なったのち退場した。
DIA-105-1971-11-16-2台湾1971年11月16日1970年代川崎汽船,台湾への寄港は一切取りやめることを決めた。
DIA-105-1971-11-16-3台湾1971年11月16日1970年代IL0,国府を追放-国際労働機関(ILO)理事会本会議で,「理事会は中国を代表政府として認めることを決定する」という決議案を賛成36,反対3,棄権8で可決した。国府代表は表決に先立ち退場した。
DIA-105-1971-11-17-1台湾1971年11月17日1970年代外交部,メキシコと断交を発表-メキシコが中国と外交関係を樹立するため,国府との外交関係を断絶しなければならないという決定を国府に通告したことに対し,国府はメキシコ政府に厳重抗議を行うとともに,駐メキシコの国府大使館(大使陳質平)を閉鎖する旨の外交部声明を発表した。
DIA-105-1971-11-17-2台湾1971年11月17日1970年代三菱商事,今後日華協力委員会に出席しないと言明。
DIA-105-1971-11-18-1台湾1971年11月18日1970年代エクアドル外務省,駐エクアドル国府大使館に対し,「両国関係が断絶された」旨通告。
DIA-105-1971-11-18-2台湾1971年11月18日1970年代国府系の胡世沢国連事務次長,総会が中国招請,国府追放を決定したため,任期満了を待たずに辞表を提出。
DIA-105-1971-11-18-3台湾1971年11月18日1970年代内政部,台湾省政府および台北市政府との第1次連合政務会議,台北で開催。
DIA-105-1971-11-19-1台湾1971年11月19日1970年代国際砂糖機関,国府代表が1972年5月の理事会まで引続き理事国として存続することに決定。
DIA-105-1971-11-19-2台湾1971年11月19日1970年代国際民間航空機構(ICAO),中国招請・国府追放を決定。
DIA-105-1971-11-20-1台湾1971年11月20日1970年代日本政府が明らかにしたところによると,台湾の中華航空(CAL)は沖縄が日本に返還された時点から,同社の那覇-大阪間の路線は自主的に運航を中止する方針を固めた。
DIA-105-1971-11-21-1台湾1971年11月21日1970年代中華航空(CAL)のカラベル機が澎湖諸島沖で墜落。乗客25人(乗員8人)全員死亡,ブラジル駐国府大使ラウロ・ムレル・ネト氏も同乗。
DIA-105-1971-11-24-1台湾1971年11月24日1970年代田坂新日鉄副社長,今後新日鉄は日華協力委員会に一切出席しない意向を表明。
DIA-105-1971-11-28-1台湾1971年11月28日1970年代国府が学生5人の旅券停止-AP電によると,国府は台湾省政府機関紙「新生報」の王民会長の令嬢王春生を含む学生5人の旅券を無効とした。5人は9月末,中国系米人学生団体とともに米国から香港経由で中国に入国したものである。
DIA-105-1971-12-02-1台湾1971年12月02日1970年代韓国工商部長李洛華訪台。
DIA-105-1971-12-02-2台湾1971年12月02日1970年代行政院,「児童福利法」草案を可決。
DIA-105-1971-12-09-1台湾1971年12月09日1970年代IAEA,国府追放を決定-IAEA(国際原子力機構)理事会は,国府追放と中国参加を求めるルーマニア提出の動議を賛成13,反対6,棄権5で採択した。
DIA-105-1971-12-09-2台湾1971年12月09日1970年代日立製造所,北京の中国国際貿易促進委員会に,周4条件を受入れる文書を正式に送ったことを明らかにした。
DIA-105-1971-12-10-1台湾1971年12月10日1970年代李荊に終身刑-台湾警備総司令部軍事法廷は,元「大華晩報」会長李荊に終身刑を言い渡した。判決書によると,李荊は1935年10月共産党に入党,台湾に渡ってきた後,つねに新聞雑誌を通じて反国府的言論をまきちらしたということである。もう一人の元台南「中華日報」副総主筆兪棘は,5年の有罪判決を言い渡されている。
DIA-105-1971-12-11-1台湾1971年12月11日1970年代ボリビア共和国外相ゴチレス訪台。
DIA-105-1971-12-12-1台湾1971年12月12日1970年代サルバドル経済訪問団一行3人訪台。
DIA-105-1971-12-13-1台湾1971年12月13日1970年代韓国海軍訓練艦隊訪台。
DIA-105-1971-12-14-1台湾1971年12月14日1970年代立法院,台湾地区高速道路第1期工事建設公債を17億元から19億元に増発する法案を可決。
DIA-105-1971-12-14-2台湾1971年12月14日1970年代伊藤忠商事越後社長,「台湾に現在ある支店の閉鎖は考えていない。しかし,新規投資はやらないし,既投資分160万ドルについても慎重に善処したい」と述べた。
DIA-105-1971-12-15-1台湾1971年12月15日1970年代アジア開発銀行,高速道路建設および台電設備に借款供与-アジア開発銀行渡辺総裁は,ア銀が高速道路建設に貸与する1360万ドルと台湾電力公司に貸与する2250万ドル(貸付金利7.5%,償還期間3年6カ月据置を含む19年)の借款協定を李国鼎財政部長および陳蘭皋台湾電力公司社長とマニラで調印した。
DIA-105-1971-12-15-2台湾1971年12月15日1970年代中国銀行を民営に改組-中国銀行は総統令によって,中国国際商業銀行と改称,同時に資本額10億元の民営銀行に改組された。
DIA-105-1971-12-15-3台湾1971年12月15日1970年代松下電器産業,今後台湾の合弁企業に再投資しないと表明。
DIA-105-1971-12-16-1台湾1971年12月16日1970年代「国府・ボリビア科学技術合作協定」調印。
DIA-105-1971-12-16-2台湾1971年12月16日1970年代鐘淵紡績,中国貿易拡大に備え台湾への新規投資は一切しないという方針を決定。
DIA-105-1971-12-17-1台湾1971年12月17日1970年代国連事務局,国府の中央通信社記者2人(湯徳臣,林徴祁)の国連記者章を取消したと発表。
DIA-105-1971-12-17-2台湾1971年12月17日1970年代三洋電機,台湾の合弁会社「台湾三洋電機」に対し,今後現状以上の設備投資は行なわない方針であることを言明。
DIA-105-1971-12-18-1台湾1971年12月18日1970年代中央銀行,銀行金利の部分調整を実施すると発表-中央銀行総裁兪国華は,①1カ月定期預金の金利(以下いずれも年利)は4.5%から5.5%に,3カ月定期預金は5.75%から6.5%に,要求払預金および郵便預金は4%から5.5%にそれぞれ引き上げる。②要求払預金および郵便預金の利息計算方式は,これまでの毎日残高額の累積方式から毎月の最低残高額の計算に切り換える,と発表した。なお,金利調整は12月21日から実施する。
DIA-105-1971-12-19-1台湾1971年12月19日1970年代全国環境衛生協会,台北で発足。
DIA-105-1971-12-19-2台湾1971年12月19日1970年代国立清華および交通大学の学生代表,「中国青年自強反共救国推進運動宣言」を発表。
DIA-105-1971-12-20-1台湾1971年12月20日1970年代日台「中国大陸問題研究会」が台北で開催,国府側から70名,日本側から29名参加。
DIA-105-1971-12-20-2台湾1971年12月20日1970年代台湾元の対ドル交換レートは変更しない-国府財政部は,①台湾元対ドル平価は,従来通り1米ドル=40台湾元を維持する。米ドルの金価格に対する平価が7.98%切下げられたため,台湾元の対金価格平価も7.98%切下げ,したがって,従来国際通貨基金(IMF)が設定した1台湾元の金含有量0.0222168グラムから0.0204628グラムに改め,すでにIMFの認可を受けた,②ドル以外の他の通貨に対して,引続き変動相場がとられる,③国際金融情況変動後の国内の物価に対する影響を軽減するため,財政部および中央銀行は財政,金融面で適切な措置をとる,と発表した。
DIA-105-1971-12-21-1台湾1971年12月21日1970年代司法院院長謝冠生病死。
DIA-105-1971-12-21-2台湾1971年12月21日1970年代国府の南ベトナムに対する農業技術援助(1972年1月8日から3月31日まで)の覚書調印式,台北で行なわれた。
DIA-105-1971-12-22-1台湾1971年12月22日1970年代「国府・グアテマラ農業技術合作協定」調印。
DIA-105-1971-12-22-2台湾1971年12月22日1970年代台湾省政府,10億元を目標とする「稲米平準基金」の設置を考慮。
DIA-105-1971-12-23-1台湾1971年12月23日1970年代1972年の地方選挙は延期-行政院は,台湾省政府がこのほど提出した,国家の重大改革の措置に備え,1972年の地方選挙を延期してほしいという提議を認可した。なお,いつまで延期するかが明らかにされていない。
DIA-105-1971-12-23-2台湾1971年12月23日1970年代ドミニカ駐華大使カマズイとパナマ駐華大使カリ,それぞれの信任状を蒋総統に提出。
DIA-105-1971-12-23-3台湾1971年12月23日1970年代光復大陸設計研究委員会第18回全体会議,台北で開催。
DIA-105-1971-12-25-1台湾1971年12月25日1970年代全米中国同学反共愛国会議(国府系),ワシントンで開く。
DIA-105-1971-12-26-1台湾1971年12月26日1970年代省党部主催の「農業問題研討会」開く-国民党台湾省党部が主催した「農業問題研討会」は,中興新村で開かれた。主要議題は,①農業融資に対する長期低利資金の実施問題,②農薬品質の管理と農薬価格の引下げ問題,③農産品出荷制度の改善問題,④農業の計画生産に対する指導強化の問題,⑤農民租税負担の軽減問題,などである。
DIA-105-1971-12-26-2台湾1971年12月26日1970年代336名の大学教授,「われわれの時局に対する認識と主張」と題する宣言を発表。
DIA-105-1971-12-27-1台湾1971年12月27日1970年代周書楷外交部長,リベリア大統領の就任式に出席する途中,日本へ立寄り福田外相と会談。
DIA-105-1971-12-29-1台湾1971年12月29日1970年代国民党中央常務委員会「拡大延攬人才方案」(「人才招聘拡大方案」)を可決。
DIA-105-1971-12-29-2台湾1971年12月29日1970年代香港紙,蒋経国暗殺未遂の在米中国人2人が北京入りと報道-香港の英字紙「ホンコン・スタンダート」紙が報じたところによると,1970年4月24日,ニューヨークで起きた訪米中の蒋経国行政院副院長暗殺未遂事件の容疑者である黄文雄と鄭自才が最近中国入りしたといわれる。黄,鄭両氏の中国入りには,台湾省政府機関紙「新生報」会長王民の令嬢王春生ら台湾独立世界同盟の在米活動家5人が同行したという。
DIA-105-1971-12-30-1台湾1971年12月30日1970年代米台繊維協定調印-綿製品および非綿製品に関する2つの米台繊維協定がワシントンで,汪彝定国際貿易局長とケネディ無任所大使の間に調印された。両協定の最初3年間平均対米輸出伸び率は9.5%。綿製品協定は1971年1月1日にさかのぼって実施する。非綿製品協定は1970年4月から1971年3月までの実績を基準とし,輸出規制は1971年10月1日にさかのぼって実施する。両協定期間はともに5年間。
DIA-105-1971-12-30-2台湾1971年12月30日1970年代田炯錦,司法院院長に就任。
DIA-105-1971-12-30-3台湾1971年12月30日1970年代中央銀行総裁兪国華,各外替銀行に輸入信用状に対する融資金利は年利7.5%を超過しないよう要請した。
DIA-105-1972-01-01-1台湾1972年01月01日1970年代元旦文告─介石総統は,台湾軍民に対し新年の「元旦文告」を発表した。その中で,とくに「強固かつ廉潔な内政建設をもって革命外交の基礎とする」旨の内容を強調した。
DIA-105-1972-01-04-1台湾1972年01月04日1970年代台湾省政府,行政院より1972年の地方選挙を延期するという正式の命令を受取りた。
DIA-105-1972-01-04-2台湾1972年01月04日1970年代佐藤首相,伊勢神宮の記者会見で「台湾の取扱いは,日本の対中復交の過程で解決すればよい」と語った。
DIA-105-1972-01-04-3台湾1972年01月04日1970年代内政部,台湾地区平均地権の全面実施は1973年6月までに完成すると言明。
DIA-105-1972-01-05-1台湾1972年01月05日1970年代周書信外交部長,リベリア共和国第19代大統領タバトの就任式典に参加。
DIA-105-1972-01-06-1台湾1972年01月06日1970年代行政院会議,1971-80年までの台湾地区の長期経済発展計画原案を可決。
DIA-105-1972-01-09-1台湾1972年01月09日1970年代米下院外交委員会アジア太平洋小委員幹事ガラチャー,4度目の訪台。
DIA-105-1972-01-10-1台湾1972年01月10日1970年代総統召集会:第1回国民代表大会第5次会議は2月20日から挙行される。
DIA-105-1972-01-11-1台湾1972年01月11日1970年代沈剣虹駐米大使,ニクソン佐藤会談についてロジャーズ米国務長官と会談。
DIA-105-1972-01-11-2台湾1972年01月11日1970年代立法院,「行政院国家科学委員会組織条例」を可決。
DIA-105-1972-01-12-1台湾1972年01月12日1970年代財政部,輸出保険実施を決定。
DIA-105-1972-01-13-1台湾1972年01月13日1970年代外交部,キプロスとの国交「中止」を発表外交部は,キプロスが1月12日で中国と国交を樹立したのに対し,即日同国との外交関係を「中止」すると発表した。
DIA-105-1972-01-13-2台湾1972年01月13日1970年代三菱電気,台湾の合弁企業へ再投資する意思がないと言明。
DIA-105-1972-01-14-1台湾1972年01月14日1970年代日本衆議院議員千葉三郎,大坪保雄訪台。
DIA-105-1972-01-14-2台湾1972年01月14日1970年代政府,難民救済用白米500トンおよび砂糖200トンをヨルダン政府に寄贈。
DIA-105-1972-01-17-1台湾1972年01月17日1970年代台湾・タイ貿易促進会,台北で開催。
DIA-105-1972-01-17-2台湾1972年01月17日1970年代政府,20万人分のコレラワクチンをインドに寄贈。
DIA-105-1972-01-18-1台湾1972年01月18日1970年代周書楷外交部長,タイ国家主席タノムと会見。
DIA-105-1972-01-19-1台湾1972年01月19日1970年代岸信介元日本首相訪台。
DIA-105-1972-01-20-1台湾1972年01月20日1970年代周書楷外交部長,フィリピン大統領マルコスと会談。
DIA-105-1972-01-21-1台湾1972年01月21日1970年代周書楷外交部長,日本,アメリカ,リベリア,スペイン,バチカン,ギリシア,タイ,フィリピンなど8カ国の訪問を終えて帰国。
DIA-105-1972-01-21-2台湾1972年01月21日1970年代「蓬莢米の父」磯永吉,日本の岡山で病死。
DIA-105-1972-01-23-1台湾1972年01月23日1970年代西ドイツ国有連邦鉄道顧問会社の「台湾鉄道幹線電化工事設計顧問団」一行8人,台北に到着。
DIA-105-1972-01-24-1台湾1972年01月24日1970年代「雑糧生産発展基金会」発足。
DIA-105-1972-01-26-1台湾1972年01月26日1970年代国民大会秘書処,第1回国民大会第5次会議出席人員数は1,374名と発表。
DIA-105-1972-01-27-1台湾1972年01月27日1970年代米輸出入銀行極東地区代表マクドナル,米輸銀は台湾に対し引続き貸付および保証を提供すると強調。
DIA-105-1972-01-27-2台湾1972年01月27日1970年代行政院,経合会での「経済発展基金」設置案を承認。
DIA-105-1972-01-28-1台湾1972年01月28日1970年代立法院,「政務官退職金条例」を可決。
DIA-105-1972-01-28-2台湾1972年01月28日1970年代欧州4銀行団,台湾鉄路と融資仮契約を完成─西独,フランス,ベルギー,スイスの4カ国銀行団が,台湾鉄道に対する融資8000万ドルの仮契約を作成した。融資は15年年賦で返済することになっている。
DIA-105-1972-01-30-1台湾1972年01月30日1970年代台湾省政府,台湾の消費性向は91.34%に達していると発表。
DIA-105-1972-01-31-1台湾1972年01月31日1970年代第4回台湾・タイ閣僚会議,バンコクで開催。
DIA-105-1972-02-01-1台湾1972年02月01日1970年代日本の台湾支援委員会一行5名訪台。
DIA-105-1972-02-01-2台湾1972年02月01日1970年代米国務省ブレイ報道官,「米台防衛条約の有効期限は定めず,いずれか一方が希望する場合は,1年の予告期間を置いて廃棄できる」と述べた。
DIA-105-1972-02-02-1台湾1972年02月02日1970年代国民党中央常務委員会,「現段階農村経済建設綱領」の第2期実施状況を報告。
DIA-105-1972-02-03-1台湾1972年02月03日1970年代日本参議員大竹平八郎訪台。
DIA-105-1972-02-03-2台湾1972年02月03日1970年代〓国華中央銀行総裁,コナリー米財務長官と会見。
DIA-105-1972-02-08-1台湾1972年02月08日1970年代台湾鉄道局,世界銀行から第5次借款(2000万ドル)を計画。
DIA-105-1972-02-08-2台湾1972年02月08日1970年代交通部民航局,桃園国際空港建設資金として米輸出入銀行より2000万ドル借款を計画。
DIA-105-1972-02-10-1台湾1972年02月10日1970年代尖閣列島,台湾省宜蘭県に編入─台湾省宜蘭県政府は,省教育庁より「行政院は釣魚台列島(尖閣列島)を宜蘭県の管轄下におくことを正式決定した」との2月1日付の公文書を受取ったので,県政府は来る3月調査団を編成し,郷公所を同島に設置する予定だ,と発表した。
DIA-105-1972-02-14-1台湾1972年02月14日1970年代英系海運会社太古輪船公司,基隆─香港の定期航路を廃止。
DIA-105-1972-02-15-1台湾1972年02月15日1970年代台湾機械公司,海底石油ボーリング設備の共同製造についてアメリカのBethlehem Steel Corp.と契約。
DIA-105-1972-02-17-1台湾1972年02月17日1970年代「米中の協議認めない」─外交部は,ニクソン米大統領の中国訪問に関連して声明を発表,米中間に台湾の権益にかかわるいかなる協議が行なわれても,一切承認しないと表明した。
DIA-105-1972-02-17-2台湾1972年02月17日1970年代行政院,米肥交換比率と肥料配布価格の調整を決定。
DIA-105-1972-02-17-3台湾1972年02月17日1970年代行政院,証券交易税の徴収中止は1972年6月末までに延長すると決定。
DIA-105-1972-02-18-1台湾1972年02月18日1970年代厳家淦行政院長,立法院第49期第1回会議で1973年度施政方針演説を行ない,「戦備強化,経済建設の拡充,外交活動の全面的展開」などを強調。
DIA-105-1972-02-19-1台湾1972年02月19日1970年代外交部,「日本政府が外蒙(蒙古人民共和国)を承認しても,政府対外蒙の立場は不変」との声明を発表。
DIA-105-1972-02-19-2台湾1972年02月19日1970年代黄国書立法院長辞任。
DIA-105-1972-02-20-1台湾1972年02月20日1970年代国民大会第5次会議開催─第1期国民大会第5次会議は,台北市陽明山の中山楼において,参加国民大会代表1,308名を集め開会式を挙行した。開会式の後に開かれた第1回予備会議は,3月21日に第5任期総統,3月22日に副総統を正式に選挙する段取を決めた。国民大会の会期は35日で3月25日閉会となる予定。
DIA-105-1972-02-21-1台湾1972年02月21日1970年代国民大会第5次会議,「ニクソン米大統領の中国訪門は,台湾の国家権益を大いにそこなうものである」との非難決議を採決。
DIA-105-1972-02-21-2台湾1972年02月21日1970年代交通部観光局,東欧共産諸国訪問の旅客でも来台観光を歓迎すると発表。
DIA-105-1972-02-21-3台湾1972年02月21日1970年代米海軍,大型軍艦1隻を台湾海軍に引渡し。
DIA-105-1972-02-21-4台湾1972年02月21日1970年代台湾製塩工場,1971年の塩の生産量は60万3000トンで戦後の最高記録に達したと発表。
DIA-105-1972-02-22-1台湾1972年02月22日1970年代周書楷外交部長,「台湾に敵意を持たないすべての国々と経済,貿易,文化および旅行往来の関係を樹立する」と立法院で報告。
DIA-105-1972-02-24-1台湾1972年02月24日1970年代外交部,マルタ駐在大使館を閉鎖─外交部は,マルタ駐在大使館の閉鎖およびマルタに派遣している獣医隊の引揚げを決定したと発表。
DIA-105-1972-02-25-1台湾1972年02月25日1970年代国民大会第5次会議,谷正綱ら85名の主席団を選出。
DIA-105-1972-02-27-1台湾1972年02月27日1970年代日本財界元老石坂泰三,訪台。
DIA-105-1972-02-28-1台湾1972年02月28日1970年代外交部,米中共同コミュニケに反論声明─外交部は,ニクソン米大統領と周恩来中国総理の共同コミュニケについて,①米中間で達成される台湾の権益にかかわるいかなる話合いも,それが公開的あるいは非公開的な協議であるにせよ,台湾政府は一切これを承認しない,②台湾政府は中国国民によって選ばれた唯一の合法政府である,との反論声明を発表した。
DIA-105-1972-02-28-2台湾1972年02月28日1970年代フリードハイム米国防総省報道官,米第七艦隊は台湾周辺での任務を続行すると言明。
DIA-105-1972-03-01-1台湾1972年03月01日1970年代「台湾独立連盟」中央委員辜寛敏,台湾へ帰順。
DIA-105-1972-03-02-1台湾1972年03月02日1970年代「在台米軍事顧問団は台湾問題の平和解決まで残る」─米国務省スポークスマンは,「台湾駐留米軍8,200人のうち約6,000人は,東南アジアの戦闘支援に直接関与したもので,残り約2,000人が台湾との条約上の約束に関連して駐留している軍事顧問団であり,後者は台湾問題の平和解決まで残るであろう」と記者会見で述べた。
DIA-105-1972-03-02-2台湾1972年03月02日1970年代帝人,4月から台湾の合弁企業の投資額を削減すると決定。
DIA-105-1972-03-02-3台湾1972年03月02日1970年代中国石油公司,台湾造船公司と第6隻目の10万トン級タンカーの建造発注契約に調印。一方,台湾造船公司,日本石川島播磨重工業と同タンカーの建造に要する器材供給契約に調印。
DIA-105-1972-03-03-1台湾1972年03月03日1970年代グリーン米国務次官補,米国策を釈明─2日に来台したグリーン米国務次官補は,①同盟国に対する条約承諾を守ることは,永久にアメリカの外交政策の基礎である,②米政府は米企業の来台投資を奨励する,③アメリカの台湾における銀行業務を拡大し,米輸出入銀行も引続き台湾に大量の融資を行なう,と記者会見でアメリカの国策を釈明した。
DIA-105-1972-03-03-2台湾1972年03月03日1970年代日本ペイント,台湾の合弁企業からの資本引き揚げ(出資金約7万5000ドル)で台湾政府および日本政府の認可を得た。
DIA-105-1972-03-03-3台湾1972年03月03日1970年代孫運経済部長,国民大会で「政府は今後外国銀行の台湾支店設置規制を緩和する」と発言。
DIA-105-1972-03-05-1台湾1972年03月05日1970年代対共産圏貿易の新政策─行政院新聞局は,敵意をもたない共産圏諸国に対する輸出入制限を段階的に緩和する用意があるとの公式見解を表明した。
DIA-105-1972-03-06-1台湾1972年03月06日1970年代「台湾の帰属問題をめぐる日本政府の統一見解─日本政府は,「台湾の帰属」問題について,①台湾の帰属について発言する立場にはない,②「台湾が中華人民共和国の領土である」との中華人民共和国政府の主張を理解する,③このような認識に立って積極的に日中国交正常化に努力する,という統一見解を示した。
DIA-105-1972-03-06-2台湾1972年03月06日1970年代国民党第10回中央委員会第3次全体会議および中央評議委員会第4次会議,陽明山中山楼で開催。
DIA-105-1972-03-07-1台湾1972年03月07日1970年代IMF(国際通貨基金)と台湾との年1回の会議,台北で挙行。
DIA-105-1972-03-08-1台湾1972年03月08日1970年代台湾省政府農林庁漁業局,日本鰻幼魚の輸入を許可。
DIA-105-1972-03-09-1台湾1972年03月09日1970年代国民党第10回全体中央評議委員,介石を次期総統候補に推薦する決議を可決。
DIA-105-1972-03-10-1台湾1972年03月10日1970年代国民党中央常務委員21名を選出─国民党第10期3中全会は,第8次大会で中央常務委員を選出した。 リストは次のとおりである。 経国,厳家淦,黄少谷,倪文亜,謝東閔,谷正綱,黄杰,陳大慶,張其昀,袁守謙,頼名湯(新),林挺生,彦士,鄭彦,郭驥,徐慶鐘(新),李国鼎,郭澄,孫運,王任遠(新),周至柔。
DIA-105-1972-03-11-1台湾1972年03月11日1970年代米台特種作戦部隊合同演習開始。
DIA-105-1972-03-15-1台湾1972年03月15日1970年代台湾・サウジアラビア農業技術提携協定発効。
DIA-105-1972-03-17-1台湾1972年03月17日1970年代UNDP(国連開発計画)事務局長ピーターソン,UNDPの台湾に対する援助資金を今後3カ月内に段階的に減らし,以後は停止すると発表。
DIA-105-1972-03-17-2台湾1972年03月17日1970年代国民大会第5次会議,「動員戡乱時期臨時条款修訂草案」を通過。
DIA-105-1972-03-17-3台湾1972年03月17日1970年代台湾省政府,地租付加米穀強制買上げ制度の継続を決定。
DIA-105-1972-03-18-1台湾1972年03月18日1970年代新任の日本駐台湾大使宇山厚,総統に信任状を提出。
DIA-105-1972-03-18-2台湾1972年03月18日1970年代日本外務省,台湾からの新規研修生の受け入れを中止する意向を固めたと表明。
DIA-105-1972-03-20-1台湾1972年03月20日1970年代国民大会第5次会議,介石を第5代総統に選出。
DIA-105-1972-03-20-2台湾1972年03月20日1970年代日本衆議員池田正之輔訪台。
DIA-105-1972-03-21-1台湾1972年03月21日1970年代英国駐台領事館閉鎖─英国の台湾省淡水駐在領事館が正式に閉鎖された。英台間の財産および一般利益問題はオーストラリアの駐台大使館が代理する。なお英国駐淡水領事館は1860年に開設され,第二次世界大戦中に一度中断されたが,1946年3月復館してから今日までに至っていた。
DIA-105-1972-03-22-1台湾1972年03月22日1970年代国民大会第5次会議,厳家淦を第5代副総統に選出。
DIA-105-1972-03-24-1台湾1972年03月24日1970年代台湾電力公司,米国のヒューモ国際会社と34万5000ボルトの超高圧送電系統建設契約に調印。
DIA-105-1972-03-24-2台湾1972年03月24日1970年代第2通信衛星地上局,日本電気(NEC)が落札。
DIA-105-1972-03-24-3台湾1972年03月24日1970年代国防部軍事スポークスマン,国府海軍将兵が米潜水艦学校で対潜訓練を受けていると証言。
DIA-105-1972-03-24-4台湾1972年03月24日1970年代日本外務省によると,台湾はこのほど「国際すず協定」から脱退した。
DIA-105-1972-03-26-1台湾1972年03月26日1970年代台湾省政府,過去10年間に台湾省が経済建設に使用した経費は総計約204億元に達し,地方総予算の省政府使用額の50.7%を占めていると発表。
DIA-105-1972-03-27-1台湾1972年03月27日1970年代韓国,フィリピン,南ベトナム,台湾4カ国の中央銀行総裁会議,台北で開く。
DIA-105-1972-03-29-1台湾1972年03月29日1970年代米海軍,測量艦1隻(台湾名「九華号」,排水量6,090トン)を台湾に引き渡し。
DIA-105-1972-03-29-2台湾1972年03月29日1970年代沈剣虹駐米大使,ワシントンで「宇宙義務公約」に調印。
DIA-105-1972-03-30-1台湾1972年03月30日1970年代ニカラグア外相クエレロ一行8名訪台。
DIA-105-1972-03-30-2台湾1972年03月30日1970年代行政院,「中央政府総予算案」を通過。
DIA-105-1972-03-30-3台湾1972年03月30日1970年代中国石油公司,米輸出入銀行との借款2000万ドル協定に調印。
DIA-105-1972-04-01-1台湾1972年04月01日1970年代「遠東貿易サービスセンター」開設─台湾の対外貿易発展協会(1970年8月に設立した財団法人)は,東京に「遠東貿易サービスセンター」(遠東貿易服務中心)を開設した。初代所長に駐日大使館商務参事劉維徳が兼任。
DIA-105-1972-04-02-1台湾1972年04月02日1970年代邱永漢,台湾へ帰順─「台湾民主独立党」秘書長,「台湾独立総同盟」顧問,「台湾青年独立連盟」中央委員などを兼ていた邱永漢は,在日「台湾独立運動組織」から離脱して,台湾政府へ帰順した。
DIA-105-1972-04-04-1台湾1972年04月04日1970年代米輸銀,対台湾借款に制約なし─訪台中のカーンズ米輸出入銀行総裁は,台北での記者会見で,①米輸銀は台湾の融資対象に対して,経済的に健全であれば,いかなる計画あるいは目的であっても,無制限に信用貸付を提供する用意がある,②目下考慮中の借款額は約3億5000万ドルに達する,と述べた。
DIA-105-1972-04-04-2台湾1972年04月04日1970年代日本総理府,「青年の船」の台湾寄港は中止と発表。
DIA-105-1972-04-04-3台湾1972年04月04日1970年代周書楷外交部長,南ベトナムおよびカンボジアを訪問するため台北を出発。
DIA-105-1972-04-04-4台湾1972年04月04日1970年代米台原子力合作協定,ワシントンで調印。
DIA-105-1972-04-05-1台湾1972年04月05日1970年代政府,今年から民族掃墓節を国定紀念日に指定。
DIA-105-1972-04-06-1台湾1972年04月06日1970年代日本で「台湾民主自由党」に参加した台湾独立運動者王武超,台湾へ帰順。
DIA-105-1972-04-08-1台湾1972年04月08日1970年代米戦略空軍総司令官ハロウィ大将訪台。
DIA-105-1972-04-10-1台湾1972年04月10日1970年代外交部,トンガ王国と外交関係を樹立したと発表。
DIA-105-1972-04-10-2台湾1972年04月10日1970年代沈剣虹駐米大使,ワシントンで「細菌と毒ガス兵器の開発,生産および貯蔵禁止ならびにこれらの兵器の廃棄公約」に調印。
DIA-105-1972-04-10-3台湾1972年04月10日1970年代台湾省政府農林庁,各級農会の合併計画は澎湖県から実験的に実施すると表明。
DIA-105-1972-04-10-4台湾1972年04月10日1970年代台湾・マダガスカル竹細工技術協定締結。
DIA-105-1972-04-10-5台湾1972年04月10日1970年代台北にある米軍休養(RR)センター閉鎖。
DIA-105-1972-04-14-1台湾1972年04月14日1970年代米農業部,米台綿花交易協定を1年延長と発表。
DIA-105-1972-04-14-2台湾1972年04月14日1970年代国際貿易局,日本の明治粉ミルクの輸入停止を決定。
DIA-105-1972-04-18-1台湾1972年04月18日1970年代楊西崑外交部次長,総統特使としてアフリカ20余国を訪問するため台北を出発。
DIA-105-1972-04-18-2台湾1972年04月18日1970年代交通部郵政総局,台湾はすでに「万国郵便連盟」から脱退したと発表。
DIA-105-1972-04-18-3台湾1972年04月18日1970年代宇山駐台湾大使,台北での記者会見で「日本国民の大多数は台湾との友好政策を支持している」と発言。
DIA-105-1972-04-24-1台湾1972年04月24日1970年代厳家淦行政院長,1973年予算について国防費と経済建設費を第一優先にすると立法院で説明。
DIA-105-1972-04-25-1台湾1972年04月25日1970年代外交部,南ベトナムの難民救済に5万ドルを寄贈したと発表。
DIA-105-1972-04-25-2台湾1972年04月25日1970年代訪台を終えた米国務省中国課長レオ・モサー,「日台関係は今後も引続き維持する」と強調。
DIA-105-1972-04-26-1台湾1972年04月26日1970年代米国務省,1973年度中にアメリカの台湾に対する軍事援助計画は1500万ドルと発表。
DIA-105-1972-04-27-1台湾1972年04月27日1970年代台湾駐セネガル機関,「経済および技術合作事務所」と改称。
DIA-105-1972-04-27-2台湾1972年04月27日1970年代台湾最大の遠洋漁業基地である高雄市前鎮港,正式に開港。
DIA-105-1972-04-29-1台湾1972年04月29日1970年代石川島播磨重工業,台湾造船公司から総額30億円におよぶ造船用パッケージ・プラントを受注。
DIA-105-1972-04-30-1台湾1972年04月30日1970年代「アメリカ科学技術訪問団」一行8名,台北に到着。
DIA-105-1972-04-31-1台湾1972年04月31日1970年代台湾・韓国特許権共同保護協定,ソウルで締結。
DIA-105-1972-05-01-1台湾1972年05月01日1970年代陸軍自動車処,5,000輌目の修理済みの米軍車輌を米軍に引き渡す式典を挙行。
DIA-105-1972-05-01-2台湾1972年05月01日1970年代台湾省政府,「台湾省梨山建設管理局」の設置は行政院の認可を得たと発表。
DIA-105-1972-05-02-1台湾1972年05月02日1970年代立法院本会議の選挙で,倪文亜が第6代院長に,劉濶才が副院長に当選。
DIA-105-1972-05-02-2台湾1972年05月02日1970年代台湾省政府,嘉南烏脚病地区の水質改善工事に7900万元を投資すると決定。
DIA-105-1972-05-03-1台湾1972年05月03日1970年代日本ペイント,台湾撤収(出資金約7万5000ドル)で日本銀行と台湾政府の認可を得た。
DIA-105-1972-05-03-2台湾1972年05月03日1970年代米太平洋空軍総司令官クレイ大将訪台。
DIA-105-1972-05-03-3台湾1972年05月03日1970年代政府,1973年6月までに延長するマラウイとの農業協定に調印。
DIA-105-1972-05-05-1台湾1972年05月05日1970年代外交部,観光査証に緩和措置をとると発表。
DIA-105-1972-05-06-1台湾1972年05月06日1970年代経合会,10年間に6,000ヘクタールの工業用地の開発を完成すると表明。
DIA-105-1972-05-08-1台湾1972年05月08日1970年代張群総統府秘書長辞任。
DIA-105-1972-05-09-1台湾1972年05月09日1970年代台湾省県市長座談会,台中中興新村で開催。
DIA-105-1972-05-09-2台湾1972年05月09日1970年代外交部,尖閣列島が沖縄の日本返還に含まれていることに対し反対を表明,同列島に対する領土主権を重ねて主張する声明を発表。
DIA-105-1972-05-09-3台湾1972年05月09日1970年代台湾電力公司,発電機材の購入資金として三菱商事と東京で1300万ドル借款契約に調印。
DIA-105-1972-05-10-1台湾1972年05月10日1970年代WHO,台湾追放を決定─WHO(世界保健機関)は総会で,中国招請・台湾追放を賛成76,反対15,棄権27の圧倒的多数で決めた。
DIA-105-1972-05-10-2台湾1972年05月10日1970年代総統府国策顧問賀衷寒病死。
DIA-105-1972-05-11-1台湾1972年05月11日1970年代台湾最大の民間貿易商社「世界通商股有限公司」(資本金1億元)発足。
DIA-105-1972-05-12-1台湾1972年05月12日1970年代米・台農業技術協力協定,台北で調印。
DIA-105-1972-05-15-1台湾1972年05月15日1970年代国民党中央常務委員会,中央委員会組織調整および各部門責任者人選決定案を通過。
DIA-105-1972-05-15-2台湾1972年05月15日1970年代李嗣監察院長病死。
DIA-105-1972-05-16-1台湾1972年05月16日1970年代台湾第一商業銀行と米輸出入銀行,各200万ドルをもって共同貸付を行なうことに決定。
DIA-105-1972-05-16-2台湾1972年05月16日1970年代台湾・オーストラリア政府間貿易会議,キャンベラで開幕。
DIA-105-1972-05-16-3台湾1972年05月16日1970年代総工費1億5921万元の国父孫文紀念館落成。
DIA-105-1972-05-17-1台湾1972年05月17日1970年代空軍航空工業発展中心,UH-IHヘリコプターを大量生産し,陸軍の戦闘部隊に配属していると指摘。
DIA-105-1972-05-18-1台湾1972年05月18日1970年代中央アフリカ共和国駐台湾大使オアテボットおよびリベリア駐台湾大使コーコス,それぞれ総統に信任状を提出。
DIA-105-1972-05-20-1台湾1972年05月20日1970年代総統,厳副総統が就任宣誓─台湾政府第5期介石総統および厳家淦副総統の就任式が,午前10時から台北市近郊の陽明山中山楼の中華文化堂で,田炯錦司法院長兼大法官の立ち合いのもとに行なわれた。
DIA-105-1972-05-20-2台湾1972年05月20日1970年代日華協力委員会第2回常務委員会議,台北で開催。
DIA-105-1972-05-20-3台湾1972年05月20日1970年代唐栄公司の中興合金鋼工場落成。
DIA-105-1972-05-22-1台湾1972年05月22日1970年代台湾・ニジェール経済技術提携協定第2議定書調印。
DIA-105-1972-05-22-2台湾1972年05月22日1970年代国民党中央常務委員会,梁永章を台湾省委会主任代理に,易勁秋を台北市委員主任代理に任命する総裁提議案を通過。
DIA-105-1972-05-22-3台湾1972年05月22日1970年代参謀総長頼名湯大将,タイを訪問。
DIA-105-1972-05-24-1台湾1972年05月24日1970年代第5回台湾・タイ経済合作会議閉会─23日開会した第5回国府・タイ経済合作会議は閉会に当って共同声明を発表した。それによると,両国はこの会議で民間工業の合作強化を決定すると同時に,相互貿易の促進を申合せた。
DIA-105-1972-05-24-2台湾1972年05月24日1970年代張継正交通部長訪米。
DIA-105-1972-05-25-1台湾1972年05月25日1970年代台湾省議員,県市長の任期延長決定─行政院は,今期台湾省議員および県市長の任期を1973年2月1日まで延長し,次期省議員および県市長は同日に就任し,その選挙は今年12月中に実施すると決定した。
DIA-105-1972-05-25-2台湾1972年05月25日1970年代行政院,「開発基金管理運用弁法」を通過。
DIA-105-1972-05-26-1台湾1972年05月26日1970年代立法院,経国の行政院長の昇格案を承認。
DIA-105-1972-05-28-1台湾1972年05月28日1970年代フロック米陸軍部長訪台。
DIA-105-1972-05-29-1台湾1972年05月29日1970年代経国内閣成立─国民党中央常務委員会は,経国行政院長の提出した行政院各部会の人事を通過し,同日付総統令で発令した。
DIA-105-1972-05-29-2台湾1972年05月29日1970年代台湾,西サモアと外交関係樹立。
DIA-105-1972-05-30-1台湾1972年05月30日1970年代台湾,韓国,南ベトナム,フィリピン4カ国税務税関協力会議,台北で開催。
DIA-105-1972-06-01-1台湾1972年06月01日1970年代総統令で次の諸氏がそれぞれ任命された。①台湾省政府委員兼主席 謝東閔,②台北市市長 張豊緒,③行政院新聞局長 銭復,④行政院人事行政局長 陳桂華。
DIA-105-1972-06-01-2台湾1972年06月01日1970年代行政院会議は次の人事を決定した。①行政院研究発展考核委員会主任委員 楊家麟,②行政院経合会副主任委員兼秘書長 張経正。
DIA-105-1972-06-01-3台湾1972年06月01日1970年代総統府秘書長鄭彦,正式に就任。
DIA-105-1972-06-02-1台湾1972年06月02日1970年代立法院,「国家公園法」を通過。
DIA-105-1972-06-03-1台湾1972年06月03日1970年代台湾省政府,雑糧発展基金の設置を決定。
DIA-105-1972-06-05-1台湾1972年06月05日1970年代米上院外交委,対華軍事援助案を通過─米上院外交委員会は,台湾に対する軍事買付信用借款5500万ドルおよび4650万ドルに相当する余剰防御物資の提供を決定した。同委員会はまた,台湾に対する764万2000ドルの軍事援助案を通過した。
DIA-105-1972-06-05-2台湾1972年06月05日1970年代総統令:国民大会秘書長郭澄の後任に陳建中を一時代理に任命。
DIA-105-1972-06-05-3台湾1972年06月05日1970年代国民党中央常務委員会,中央通訊社社長に魏景蒙を任命する人事案を通過。
DIA-105-1972-06-06-1台湾1972年06月06日1970年代アジア太平洋地区肥料経済研究討論会,台北で開催。
DIA-105-1972-06-07-1台湾1972年06月07日1970年代外交部,ギリシアとの外交関係を「中止」─外交部は,ギリシアが6月5日に中国との国交樹立を決定したことに伴い,ギリシアとの外交関係を「中止」すると発表。
DIA-105-1972-06-07-2台湾1972年06月07日1970年代国民党中央常務委員会,行政院各部政務次官および台湾省政府委員,兼任庁長の人事案を採択。
DIA-105-1972-06-08-1台湾1972年06月08日1970年代行政院,陳時英を台湾省政府社会処処長に,陳樹曦を交通処処長に,王金茂を衛生処処長に任命する人事命令を発布。
DIA-105-1972-06-08-2台湾1972年06月08日1970年代経国行政院長,10項目の行政革新指示を提示。
DIA-105-1972-06-08-3台湾1972年06月08日1970年代総統令:唐振楚を総統府副秘書に任命。
DIA-105-1972-06-08-4台湾1972年06月08日1970年代「台湾独立総同盟」幹部蔡炎坤,台湾に帰順。
DIA-105-1972-06-11-1台湾1972年06月11日1970年代行政院,外国商船の台湾国際港への出入制限を緩和する法令を公布。
DIA-105-1972-06-12-1台湾1972年06月12日1970年代沈昌煥外交部長,ソウルで開催されるアジア太平洋協議会(ASPAC)第7回閣僚会議に出席するため台北を出発。
DIA-105-1972-06-12-2台湾1972年06月12日1970年代台湾の対外貿易発展協会が組織したカンボジア貿易視察団出発。
DIA-105-1972-06-12-3台湾1972年06月12日1970年代邱永漢,「日商訪華投資考察団」一行77名を引率して訪台。
DIA-105-1972-06-13-1台湾1972年06月13日1970年代経国行政院長,就任後初の施政報告。
DIA-105-1972-06-14-1台湾1972年06月14日1970年代第2回米台「中国大陸問題シンポジウム」,米のサンフランシスコで開催。
DIA-105-1972-06-14-2台湾1972年06月14日1970年代三井物産および三菱商事,日中貿易4条件の受入れを表明。
DIA-105-1972-06-15-1台湾1972年06月15日1970年代徐柏園,国際通貨基金(IMF)の理事職を辞任。
DIA-105-1972-06-15-2台湾1972年06月15日1970年代行政院,尖閣列島の領土主権不放棄を再表明。
DIA-105-1972-06-16-1台湾1972年06月16日1970年代グアテマラ大統領アラナ将軍夫妻,台湾を非公式訪問。
DIA-105-1972-06-16-2台湾1972年06月16日1970年代台湾省政府,開発した工業区は11個所で,面積は900ヘクタールに達したと発表。
DIA-105-1972-06-16-3台湾1972年06月16日1970年代曽文水庫工程局長劉方燁,曽文ダムの建設工事の75.23%が完成されたと発表。
DIA-105-1972-06-18-1台湾1972年06月18日1970年代南ベトナム外相チャン・バン・ラン訪台。
DIA-105-1972-06-19-1台湾1972年06月19日1970年代国連,各種経済統計報告から「台湾」という名称と台湾の統計をはずすと決定。
DIA-105-1972-06-20-1台湾1972年06月20日1970年代第6期経済建設4カ年計画の基本的総案を発表─行政院新聞局は,第6期台湾経済建設4カ年計画(1973-76年)の基本的総案を発表した。それによると,計画期間中の経済成長率を年間9~9.5%,国際貿易の年平均増加率を13.5~15%と決め,計画最終年には平均1人当りの所得は500ドル以上と見込んでいる。
DIA-105-1972-06-21-1台湾1972年06月21日1970年代台湾省議会,1973年度の台湾省政府総預算案(歳出入それぞれ162億1073万5088元)を通過。
DIA-105-1972-06-22-1台湾1972年06月22日1970年代行政院・証券交易税は1972年12月31日までに中止すると決定。
DIA-105-1972-06-22-2台湾1972年06月22日1970年代行政院,「行政院所属各機関法規整理方案」を認可。
DIA-105-1972-06-23-1台湾1972年06月23日1970年代第2次円借款調印─日本輸出入銀行石田正総裁は,東京で台湾代表劉維徳駐日大使館経済参事官と総額80億8200円にのぼる円借款の契約に調印した。借款条件は年利5.5%,3年据置きを含む15年返済となっている。
DIA-105-1972-06-23-2台湾1972年06月23日1970年代立法院,「商標法修正案」を通過。
DIA-105-1972-06-25-1台湾1972年06月25日1970年代米華台湾人力資源会議,台北で開催。
DIA-105-1972-06-25-2台湾1972年06月25日1970年代総統府資政顧孟余病死。
DIA-105-1972-06-26-1台湾1972年06月26日1970年代国民党中央常務委員会,頼順生を国民党中央委員会副秘書長に,陳水逢を秘書処主任に任命する総統提議案を通過。
DIA-105-1972-06-26-2台湾1972年06月26日1970年代アームストロング米国務次官補訪台。
DIA-105-1972-06-27-1台湾1972年06月27日1970年代台湾艦隊が訪日─台湾海軍練習艦2隻(フリゲート艦「福山」と駆逐艦「衡陽」)は佐世保を訪問した。佐世保市長は「市としては公式訪問を断わる」と外務省に申し入れ,了承を得た。台湾艦隊の訪問地には呉港も含まれている。
DIA-105-1972-06-28-1台湾1972年06月28日1970年代邵学国際貿易副局長,ポンドの変動相場制移行は暫く静観すると発表。
DIA-105-1972-06-29-1台湾1972年06月29日1970年代中央民意代表増員選挙法公布─総統令をもって「動員戡乱時期臨時条項」第6項の規定により,「動員戡乱時期自由地区中央民意代表増員選挙法」を制定し公布した。これによると,国民大会代表は53名,立法委員は51名,監察委員は15名のそれぞれ増員となった。なお増員選出の国民大会代表および監察委員の任期は6年,立法委員の任期は3年である。
DIA-105-1972-07-01-1台湾1972年07月01日1970年代中央銀行,金利の引下げを実施─中央銀行は公定歩合および一般銀行の貸付,預金金利の引下げを実施した。引下げ幅(年利)は公定歩合0.75%,一般銀行預金金利0.5%,貸付金利0.75%である。
DIA-105-1972-07-01-2台湾1972年07月01日1970年代財政部,米チェース・マンハッタン銀行台北支店の開設を認可。
DIA-105-1972-07-01-3台湾1972年07月01日1970年代板橋および鳳山の両鎮,県轄市に昇格。
DIA-105-1972-07-01-4台湾1972年07月01日1970年代内政部警政署成立。
DIA-105-1972-07-02-1台湾1972年07月02日1970年代総額20億5000万元に当る1973年度の「中米経済社会発展基金」の運用方案が決定。
DIA-105-1972-07-03-1台湾1972年07月03日1970年代グリーン米国務次官補訪台。
DIA-105-1972-07-05-1台湾1972年07月05日1970年代国民党中央常務委員会,南北朝鮮の共同声明について「わが反共国策はいかなる外来の影響をも受けないことを表明する」との決議を発表。
DIA-105-1972-07-05-2台湾1972年07月05日1970年代カーチス・テーラー米国務次官訪台。
DIA-105-1972-07-05-3台湾1972年07月05日1970年代中央評議委員黄朝琴病死,76歳。
DIA-105-1972-07-05-4台湾1972年07月05日1970年代国民党中央常務委員会,馮啓聰を国防部副部長に任命。
DIA-105-1972-07-06-1台湾1972年07月06日1970年代米,駆逐艦1隻(台湾名「陽号」,2,200トン)を台湾海軍に引き渡し。
DIA-105-1972-07-08-1台湾1972年07月08日1970年代高玉樹交通部長,第6期4カ年経済建設計画期間(1972-76年)中に,交通建設部門の総投資額は600億元であると発表。
DIA-105-1972-07-08-2台湾1972年07月08日1970年代アルゼンチン駐台湾大使引揚帰国。
DIA-105-1972-07-09-1台湾1972年07月09日1970年代台湾造船公司建造の大型ばら積船「堅利号」が(5万8400トン)進水。
DIA-105-1972-07-11-1台湾1972年07月11日1970年代三菱重工業,日中貿易4条件を受け入れ。
DIA-105-1972-07-12-1台湾1972年07月12日1970年代経済部,138件の貿易法規を廃案。
DIA-105-1972-07-13-1台湾1972年07月13日1970年代監察院,戴炎輝を司法院副院長に,陳樸生,范馨香・陳世栄・翁岳生を第3回司法院大法官に任命する司法院の人事指名案を投票同意。
DIA-105-1972-07-13-2台湾1972年07月13日1970年代省糧食局長施石青,①1972年第1期から地租に付随する籾の強制買入れ価格を市場価格で計算する,②糧食実物債券の発行を停止する,などの2点を決定したと発表。
DIA-105-1972-07-14-1台湾1972年07月14日1970年代立法院,「商業団体法」を通過。
DIA-105-1972-07-14-2台湾1972年07月14日1970年代経国行政院長,台北市政の刷新に関する9項目の補充指示を内容とする親書を張豊緒台北市長に送付。
DIA-105-1972-07-14-3台湾1972年07月14日1970年代富士,住友,三菱など為銀12行,台湾に対する第2次円借款の協調融資を当分見送る方針。
DIA-105-1972-07-15-1台湾1972年07月15日1970年代中央研究院第10同院士会議,8名の新院士を選出。
DIA-105-1972-07-15-2台湾1972年07月15日1970年代第7回台韓経済閣僚会議,3日間の会期を経て閉会。
DIA-105-1972-07-16-1台湾1972年07月16日1970年代行政院新聞局,1971年度の観光事業収入は1億1400万ドルで,輸出総額の5.4%に当ると発表。
DIA-105-1972-07-18-1台湾1972年07月18日1970年代サウジアラビア駐台湾大使ダジャニ,介石総統に信任状を提出。
DIA-105-1972-07-19-1台湾1972年07月19日1970年代総統令で次の諸氏がそれぞれ任命された。①最高法院院長 銭国成,②公務員懲戒委員会委員長 顧汝勲,③行政法院院長 周定宇,④司法院秘書長 程徳受。
DIA-105-1972-07-19-2台湾1972年07月19日1970年代経国行政院長,日中関係に対する台湾の立場を宇山厚駐台湾大使に通告。
DIA-105-1972-07-20-1台湾1972年07月20日1970年代沈昌煥外交部長,日本政府の対中国関係正常化の動きに注意声明を発表。
DIA-105-1972-07-20-2台湾1972年07月20日1970年代台湾・オートボルタ技術合作協定,ワガドーグーで調印。
DIA-105-1972-07-21-1台湾1972年07月21日1970年代立法院,免税7項目,税率引下げ86項目,税率引上げ17項目および自動車類を輸入許可項品に改めることを決定。
DIA-105-1972-07-24-1台湾1972年07月24日1970年代陳長桐,世界銀行の理事職を辞任。
DIA-105-1972-07-26-1台湾1972年07月26日1970年代台湾省政府民政庁,第5回省議員の定数は73名であると正式に発表。
DIA-105-1972-07-26-2台湾1972年07月26日1970年代張宝樹国民党中央委員会秘書長,韓国を訪問。
DIA-105-1972-07-26-3台湾1972年07月26日1970年代中国石油公司が台湾造船公司に発注した第3隻目の10万トン級タンカー「螺祖号」が完成。
DIA-105-1972-07-26-4台湾1972年07月26日1970年代彭孟輯駐日大使,日中国交回復に反対する台湾の立場を大平外相に申入れ。
DIA-105-1972-07-27-1台湾1972年07月27日1970年代総統令によって,華僑代表の立法および監察増員委員の選出地区と定数分配方法が発布。
DIA-105-1972-07-27-2台湾1972年07月27日1970年代司法行政部,台湾高等法院院長に周旋冠,台湾高等法院首席検察官に焦沛樹と発令。
DIA-105-1972-07-28-1台湾1972年07月28日1970年代中央民意代表増員選挙投票日決定─動員戡乱時期自由地区中央民意代表増員選挙総事務所は,立法委員および国民大会代表の増員選挙投票日は1973年12月23日に,監察委員のそれは1973年2月15日に決定した。
DIA-105-1972-07-29-1台湾1972年07月29日1970年代政府,タイとの1972-73年度トウモロコシ協定(取引量45万トン)に調印。
DIA-105-1972-07-30-1台湾1972年07月30日1970年代行政院,「動員戡乱時期自由地区中央民意代表増員選挙弁法施行細則」を公布。
DIA-105-1972-07-31-1台湾1972年07月31日1970年代沈昌煥外交部長,「台湾は日中正常化問題に対する日本政府の説明を受入れられない」と宇山駐台湾大使に表明。
DIA-105-1972-08-02-1台湾1972年08月02日1970年代張宝樹国民党秘書長訪日。
DIA-105-1972-08-03-1台湾1972年08月03日1970年代国連の公式文書から「台湾」の名称を締出す─スタブロポーロス国連副事務総長は,国連各局に対し「国連の文書・出版物の中では,台湾については,いかなる形式にせよ独立の記載をしてはならない」と通達した。
DIA-105-1972-08-03-2台湾1972年08月03日1970年代顔春輝行政院衛生署長,台湾河川の汚染状況はかなり深刻と監察院内政委員会で報告。
DIA-105-1972-08-03-3台湾1972年08月03日1970年代経済部国際貿易局,魚介類12品目の輸出許可を11月30日まで停止すると発表。
DIA-105-1972-08-04-1台湾1972年08月04日1970年代立法院,「僑務委員会組織法修正案」を可決。
DIA-105-1972-08-08-1台湾1972年08月08日1970年代経国行政院長,日中正常化の進行について日本政府を非難。
DIA-105-1972-08-08-2台湾1972年08月08日1970年代日産自動車,周4条件を受入れる方針を決定。
DIA-105-1972-08-08-3台湾1972年08月08日1970年代外交部,東アフリカのポルトガル植民地モザンビーク首都ロレンソマルケスに総領事館の設置を決定。
DIA-105-1972-08-09-1台湾1972年08月09日1970年代政府,フィリピンの水害に23万8451ポンドの物資を空輸で救援。
DIA-105-1972-08-10-1台湾1972年08月10日1970年代監察院,考試院長孫科の留任に投票同意。
DIA-105-1972-08-11-1台湾1972年08月11日1970年代財政部,米国コンチネンタル銀行(Continental Illinois National Bank and Trust Company of Chicago)台北支店の開設を認可。
DIA-105-1972-08-11-2台湾1972年08月11日1970年代立法院,「大学法修正案」を可決。
DIA-105-1972-08-15-1台湾1972年08月15日1970年代孫運経済部長,国家建設研究会で「日中正常化後も在台の日本資産は保護する」と言明。
DIA-105-1972-08-15-2台湾1972年08月15日1970年代世界華僑連合銀行(United World Chinese Bank,資本金1000万ドル)予備会議,本社を台北に設置すると決定。
DIA-105-1972-08-15-3台湾1972年08月15日1970年代第1回海外学人国家建設研究会,台北で開催。
DIA-105-1972-08-16-1台湾1972年08月16日1970年代彭孟緝駐日大使,日本外務省を訪ね,日中正常化について大平外相に厳重抗議。
DIA-105-1972-08-16-2台湾1972年08月16日1970年代元マニラ『華僑商報』社長于長城,2年の刑を終えて釈放。
DIA-105-1972-08-16-3台湾1972年08月16日1970年代日本通産省,三菱グループが台湾電力公司に輸出する原子力発電プラントの輸銀による延べ払い輸出を認可。
DIA-105-1972-08-16-4台湾1972年08月16日1970年代河野文彦三菱重工業会長訪台。
DIA-105-1972-08-17-1台湾1972年08月17日1970年代国連,中華日報,中央日報,連合報など台湾4紙の5人の特派員に記者証を発行。
DIA-105-1972-08-22-1台湾1972年08月22日1970年代経済部,華僑および外国人投資事業の営業項目を緩和すると決定。
DIA-105-1972-08-22-2台湾1972年08月22日1970年代世界反共連盟名誉会長谷正綱,東京で開かれた「日華協力委員会」および「中国問題五百人委員会」の連席座談会に出席。
DIA-105-1972-08-25-1台湾1972年08月25日1970年代「台湾は段階的併合」─香港の週刊誌『ファー・イースタン・エコノミック・レビュー』は,紅旗第7号の論文から推測して,「中国は経済混乱を最小限にとどめるため,台湾の段階的併合を計画している」旨の論文を掲げた。
DIA-105-1972-08-27-1台湾1972年08月27日1970年代アジア卓球連合執行委員会,「台湾のチームが中華人民共和国の台湾省の名義で参加する場合,これを歓迎する」との中国提案を全会一致で可決。
DIA-105-1972-08-28-1台湾1972年08月28日1970年代台湾卓球協会,北京でのアジア卓球選手権への台湾参加は不可能と言明。
DIA-105-1972-08-30-1台湾1972年08月30日1970年代ボリビア海軍総司令官ベンター少将訪台。
DIA-105-1972-08-30-2台湾1972年08月30日1970年代キッシンジャー米大統領補佐官,「日中正常化による日台断交は,日米安保に影響を及ぼさないだろう」と語った。
DIA-105-1972-08-31-1台湾1972年08月31日1970年代現職の台湾省公職人員の在任期間延長─行政院は,台湾省政府の提出した現職の台湾省公職人員の在任期間を次期の公職人員が就任するまでに延長するとの提案を承認した。次期の公職人員の就任日期は次の通り。①第8期県市議員は1973年5月1日,②第7期郷鎮県轄市長は1973年4月1日,③第10期郷鎮県市民代表は1973年11月1日,④第10期村里長は1973年11月1日。
DIA-105-1972-09-02-1台湾1972年09月02日1970年代外交部,日米共同声明を論評─外交部スポークスマン柳鶴図は,ニクソン・田中会談に伴う共同声明について,「われわれは日米共同声明に言及されている田中首相の北京訪問に強く反対するとともに,これは決してアジアにおける緊張緩和をもたらさないことを確信する」と論評した。
DIA-105-1972-09-04-1台湾1972年09月04日1970年代中台化工公司,西独のディダーケロック社(Didier Kellogg)と日産150トンのナイロン原料プラントの購入契約に調印。
DIA-105-1972-09-08-1台湾1972年09月08日1970年代日本からの資本設備など輸入制限─経済部国際貿易局は,対日貿易の巨額の赤字を減らすため,日本からの資本設備などの輸入を一件当り2万ドルに制限すると決定した。
DIA-105-1972-09-10-1台湾1972年09月10日1970年代日本で「台湾青年独立連盟」の中央委員に任じられていた傅金泉,台湾へ帰順。
DIA-105-1972-09-10-2台湾1972年09月10日1970年代国民党1972年度党務工作会議開催。
DIA-105-1972-09-11-1台湾1972年09月11日1970年代日中接近を反対する大学教授8,000余名の宣言書,宇山駐国府大使に手渡した。
DIA-105-1972-09-11-2台湾1972年09月11日1970年代邱永漢,「第3次日商訪華投資考察団」一行86名を引率して訪台。
DIA-105-1972-09-12-1台湾1972年09月12日1970年代台湾省議会臨時大会,曽文ダムの建設資金を調達するために,総額7億5000万元,期限7年の建設公債の発行を内容とする条例草案を可決。
DIA-105-1972-09-13-1台湾1972年09月13日1970年代台湾省政府交通処長兼台中港建設委員会副主任陳樹曦,台中港港湾建設工事は1973年11月に着工すると発表。
DIA-105-1972-09-13-2台湾1972年09月13日1970年代外交部,椎名特使の訪台を承諾。
DIA-105-1972-09-14-1台湾1972年09月14日1970年代外交部によると,ニカラグア政府は台北に大使館を設置することを決定。
DIA-105-1972-09-17-1台湾1972年09月17日1970年代椎名特使訪台─日本自民党の椎名悦三郎副総裁は首相特使として訪台した。この他,村上勇,秋田大助ら衆参両院議員16人,随員3人が同行。一方,約1,000人の学生が台北空港に詰めかけ,椎名特使の乗用車に乱暴した。
DIA-105-1972-09-18-1台湾1972年09月18日1970年代厳家淦副総統,椎名特使と会談。
DIA-105-1972-09-19-1台湾1972年09月19日1970年代経国行政院長,椎名特使と会見。
DIA-105-1972-09-21-1台湾1972年09月21日1970年代外交部,将来日本と中国が会談によって達成するすべての協議はいずれも不法で無効であると旨表明。
DIA-105-1972-09-21-2台湾1972年09月21日1970年代東京で開かれた日華協力委員会第3回常務委員会,日華平和条約支持を声明。
DIA-105-1972-09-21-3台湾1972年09月21日1970年代駆逐艦5隻を主力に編成された海軍巡洋艦隊,台湾海峡で非公式な戦備演習。
DIA-105-1972-09-22-1台湾1972年09月22日1970年代国民党の選挙立候補者数─国民党中央委員会は,中央民意代表増員および次期地方公職人員選挙の立候補者数を発表した。それによると,国民党は国民大会代表44名(定額53名),立法委員32名(同36名),県市長18名(同20名),省議員60名(同73名),合計154名(同182名)を立候補した。
DIA-105-1972-09-25-1台湾1972年09月25日1970年代新任米軍台湾共同防衛司令官ベシヤニー中将,台北に着任。
DIA-105-1972-09-25-2台湾1972年09月25日1970年代台湾省議会,台中港第一期建設工事財務計画費用46億4463万3000元を通過。
DIA-105-1972-09-27-1台湾1972年09月27日1970年代農業振興に20億元─経国行政院長は,「台湾農業の振興のために,行政院は2年以内に20億元を支出する」と農業建設問題座談会で発言した。
DIA-105-1972-09-27-2台湾1972年09月27日1970年代26日にルソン島南西の南沙群島付近で国府海軍に捕獲されていた日本漁船「宝潮丸」は釈放された。
DIA-105-1972-09-29-1台湾1972年09月29日1970年代「日華平和条約は終了」─大平外相は北京での記者会見で,「日中国交正常化の結果として,日華平和条約は存続の意義を失い,終了したものと認められる」と述べ,9月29日をもって国府との外交関係は実質的に終了した。
DIA-105-1972-09-29-2台湾1972年09月29日1970年代外交部,対日外交断絶を宣言─外交部は,日中共同声明の中で日本と中国が国交を樹立する旨発表したことに対し,日本政府との外交関係を断絶すると発表した。
DIA-105-1972-09-29-3台湾1972年09月29日1970年代日本外務省,台湾からの日本への渡航者には従来の入国査証に代わって渡航証明書を発給すると指示。
DIA-105-1972-09-30-1台湾1972年09月30日1970年代基隆市退役軍医50数人,日本製医薬品を焼捨て,2度と日本製品を買わないと宣言。
DIA-105-1972-09-30-2台湾1972年09月30日1970年代基隆および高雄港務局,日本船入港は特別許可を申請しなければならないと発表。
DIA-105-1972-10-01-1台湾1972年10月01日1970年代大学生約100名,日中国交樹立に抗議して台北市内で反日デモ。
DIA-105-1972-10-02-1台湾1972年10月02日1970年代彦士教育部長,台湾の学童就学率は98.2%と報告。
DIA-105-1972-10-02-2台湾1972年10月02日1970年代衛生署薬政処,日本製薬品を一時輸入停止と発表。
DIA-105-1972-10-02-3台湾1972年10月02日1970年代トヨタ自動車販売加藤副社長,名古屋の記者会見で「日台間の国交が断絶したが,台湾市場を放棄する考えはない」と語った。
DIA-105-1972-10-03-1台湾1972年10月03日1970年代中曽根通産相,「台湾への輸銀使用は原則とし認めない」と衆院商工委員会で述べた。
DIA-105-1972-10-03-2台湾1972年10月03日1970年代孫運経済部長,「プラスチック工業の原料は今年末までに,合繊,機械,鉄鋼なども3~5年内に自給したい」と言明。
DIA-105-1972-10-04-1台湾1972年10月04日1970年代台湾省政府,農村建設措置実施小組を設置。
DIA-105-1972-10-05-1台湾1972年10月05日1970年代外交部,トーゴと外交関係を「中止」─外交部は,トーゴが中国との国交樹立を決定したことに伴い,トーゴとの外交関係を「中止」すると発表した。
DIA-105-1972-10-05-2台湾1972年10月05日1970年代日中国交以後の円借款計画中止─行政院会議は,1972年9月29日以前に契約した円借款計画を除き,その後に予定される円借款計画の実施の中止を決定。
DIA-105-1972-10-06-1台湾1972年10月06日1970年代周恩来中国総理,台湾同胞と会談。
DIA-105-1972-10-07-1台湾1972年10月07日1970年代ブラジル,タイ,カンボジアなど3カ国の軍事代表団訪台。
DIA-105-1972-10-09-1台湾1972年10月09日1970年代西サモア総理兼外相タイマサイサイ夫妻一行5名訪台。
DIA-105-1972-10-09-2台湾1972年10月09日1970年代電気製品の自製率引上げる─経済部工業局は,国際情勢の変化に応じ,電気製品の自製率をさらに引上げることに決定した。新しく決めた自製率は,①電気冷蔵庫:往復式90%,回転式75%,②電気冷蔵庫用冷媒圧縮機90%,③白黒テレビ,電話機,耕耘機80%,である。
DIA-105-1972-10-09-3台湾1972年10月09日1970年代イラン,台湾の中国広播放送公司社長黎世芬の入国を拒否。
DIA-105-1972-10-10-1台湾1972年10月10日1970年代介石総統,病気のため1949年以来初めて双十節集会に欠席。
DIA-105-1972-10-10-2台湾1972年10月10日1970年代総統の双十国慶節メッセージ,田中首相を名ざしで非難。
DIA-105-1972-10-12-1台湾1972年10月12日1970年代米輸銀,台電に借款供与─米輸出入銀行は台湾電力公司との間で,台湾北部の第2の原子力発電所建設資金として,2億9970万ドルの借款を供与する契約に調印した。
DIA-105-1972-10-12-2台湾1972年10月12日1970年代台湾国民党と韓国民主共和党,両党の相互の連繋協力を強化する旨の共同声明に調印。
DIA-105-1972-10-12-3台湾1972年10月12日1970年代台湾省糧食局,米穀生産資金の融資額を引上げ,生産資金および農業機具の貸付利息を引下げると正式に公告。
DIA-105-1972-10-15-1台湾1972年10月15日1970年代台湾軍事代表団(団長于豪章陸軍総司令官),スペインを訪問。
DIA-105-1972-10-15-2台湾1972年10月15日1970年代苗粟県頭鎮にある中国石油公司エチレン工場の建設が完成,11月から生産体制に入る。
DIA-105-1972-10-16-1台湾1972年10月16日1970年代ガンビア共和国ジアワラ大統領夫妻訪台。
DIA-105-1972-10-16-2台湾1972年10月16日1970年代米科学機械用具展覧会,台北で開催。
DIA-105-1972-10-17-1台湾1972年10月17日1970年代外交部,無外交国居住華僑が新しく申請するパスポートの有効期間は6年,期間更新の場合は3年と発表。
DIA-105-1972-10-18-1台湾1972年10月18日1970年代台湾政府,返済期限のきた円借款返済分2億円を日本政府に返済。
DIA-105-1972-10-19-1台湾1972年10月19日1970年代台湾省政府,台中港第1期工事財務計画の必要資金37億8500万元を35億5000万元に修正。
DIA-105-1972-10-21-1台湾1972年10月21日1970年代米太平洋総司令官ガイレー大将訪台。
DIA-105-1972-10-22-1台湾1972年10月22日1970年代台湾・ガンビア技術合作協定調印。
DIA-105-1972-10-25-1台湾1972年10月25日1970年代台湾省政府,貧乏を追放する「小康計画」を審査して決定。
DIA-105-1972-10-25-2台湾1972年10月25日1970年代台湾造船公司,台湾造船業はアジアで日本に次ぎ第2位と発表。
DIA-105-1972-10-26-1台湾1972年10月26日1970年代蔡維屏外交部次長,米国務院でグリーン国務次官補と会談。
DIA-105-1972-10-28-1台湾1972年10月28日1970年代内政部,不良な労働環境による女子労働者の連続死亡事件で,アメリカ系フィルコ電気メーカー(飛歌電子公司)淡水工場に一時操業停止を命令。
DIA-105-1972-10-28-2台湾1972年10月28日1970年代行政院,都市計画公共施設用地の保留徴収期間を5年から10年に延長すると認定。
DIA-105-1972-10-31-1台湾1972年10月31日1970年代内政部,第5期台湾省議員選出数は73名と発表。
DIA-105-1972-10-31-2台湾1972年10月31日1970年代全長182.6kmの台湾南部横貫公路(台南県玉井郷から東部海岸の台東まで),正式に開通。
DIA-105-1972-11-02-1台湾1972年11月02日1970年代外交部,ジャマイカとの外交関係を断絶─外交部は,ジャマイカ政府が11月1日付で中国を承認したことに対し,同国との外交関係を断絶すると発表した。
DIA-105-1972-11-02-2台湾1972年11月02日1970年代李国鼎財政部長,韓国を訪問。
DIA-105-1972-11-02-3台湾1972年11月02日1970年代国防部スポークスマン李長浩少将,台湾海軍は潜水艦訓練要員をアメリカに続派すると発表。
DIA-105-1972-11-06-1台湾1972年11月06日1970年代張継正経合会副主任,第5期4カ年経済計画(1969-72年)期間中の年平均経済成長率は10.4%と立法院で報告。
DIA-105-1972-11-07-1台湾1972年11月07日1970年代中央銀行,中小企業の発展に融資10億元を決定。
DIA-105-1972-11-07-2台湾1972年11月07日1970年代林金生内政部長,高雄加工区の三美電子公司に続発する女子労働者の肝臓中毒事件で同公司を視察。
DIA-105-1972-11-07-3台湾1972年11月07日1970年代米の北米防空総司令官マギー大将訪台。
DIA-105-1972-11-11-1台湾1972年11月11日1970年代毛松年僑務委員会委員長,海外に設置した政府の貿易機構数は42に達したと発表。
DIA-105-1972-11-12-1台湾1972年11月12日1970年代国際青年商会第27回世界大会,台北で開催。
DIA-105-1972-11-14-1台湾1972年11月14日1970年代米,ファントン2個飛行隊を台湾に移駐─米軍台湾共同防衛司令部スポークスマンは,米空軍が11月4日までに,ジェット戦闘爆撃機F4Cファントン2個飛行隊(兵員約800人,約36機)を沖縄の嘉手納基地から台湾中部の清泉崗基地に移駐したと発表。
DIA-105-1972-11-14-2台湾1972年11月14日1970年代米空軍後勤司令官カートン大将訪台。
DIA-105-1972-11-14-3台湾1972年11月14日1970年代立法院,「中央再保険公司条例案」を可決。
DIA-105-1972-11-15-1台湾1972年11月15日1970年代外交部,前駐ベルギー大使王蓬の駐ルクセンブルク大使の兼任職務は今年の10月で停止したと説明。
DIA-105-1972-11-17-1台湾1972年11月17日1970年代立法院,「交通部中央気象局組織条例」を可決。
DIA-105-1972-11-18-1台湾1972年11月18日1970年代台湾糖業公司,1971-72年度の砂糖輸出額は52万4000トン,外貨収入は6600万ドルに達したと発表。
DIA-105-1972-11-19-1台湾1972年11月19日1970年代台湾省糧食局,1972年の台湾における玄米総生産量は239万7738トンと推計。
DIA-105-1972-11-19-2台湾1972年11月19日1970年代行政院衛生署,5年以内に台湾の人口増加率を2%以下に低減させる家庭計画を策定。
DIA-105-1972-11-21-1台湾1972年11月21日1970年代米のフォード社,台湾の六和汽車と提携─アメリカのフォード自動車会社は,資本参加という形で台湾の六和汽車公司と提携契約を調印した。投資額3630万ドルのうち,630万ドルで六和汽車の発行する株式の70%を取得するというもので,残る3000万ドルは3年以上の長期借款。
DIA-105-1972-11-23-1台湾1972年11月23日1970年代経国行政院長,公務員に対する指示事項の要点を文書で所属機関の首長および県市長に配布。
DIA-105-1972-11-24-1台湾1972年11月24日1970年代財政部,工業発展貸与基金を交通銀行に,輸出貸与基金を中国国際商業銀行に,農業発展貸与基金を中国農民銀行にそれぞれ設置すると決定。
DIA-105-1972-11-27-1台湾1972年11月27日1970年代台湾・韓国経済協力委員会第5次連合会議がソウルで開催され,台湾側から辜振甫団長ら27名出席。
DIA-105-1972-11-28-1台湾1972年11月28日1970年代彭孟緝駐日大使,日台間の残務処理を終えて帰台。
DIA-105-1972-11-30-1台湾1972年11月30日1970年代行政院,「第6期4カ年経済建設計画」を可決。
DIA-105-1972-11-30-2台湾1972年11月30日1970年代宇山厚日本駐台湾大使,日本へ帰国。
DIA-105-1972-12-01-1台湾1972年12月01日1970年代「交流協会」正式発足─日台民間交流の窓口となる日本側の「財団法人交流協会」(基金1000万円)は,東京経団連会館で開く設立総会で正式に発足した。会長に堀越禎三経済団体連合会副会長,理事長に板垣修前駐台湾大使が就任した。
DIA-105-1972-12-02-1台湾1972年12月02日1970年代「亜東関係協会」成立大会挙行─日台の民間経済・貿易・技術および文化交流推進を主旨とする台湾側の「亜東関係協会」は,台北の台泥ビルで成立大会を開いた。協会理事長に張研田台湾糖業公司理事長,常務監事に辜振甫台湾工商協進会理事長が当選した。
DIA-105-1972-12-04-1台湾1972年12月04日1970年代楊西崑外交部次長,台湾政府のアフリカに対する援助計画について米国務省を訪問。
DIA-105-1972-12-05-1台湾1972年12月05日1970年代米チェース・マンハッタン銀行(大通銀行)台北支店,正式に営業開始。
DIA-105-1972-12-05-2台湾1972年12月05日1970年代国際貿易局,薬品18項目の輸入先を日本から欧米地区に切り換えると決定。
DIA-105-1972-12-06-1台湾1972年12月06日1970年代ドミニカ共和国商工訪問団一行10名訪台。
DIA-105-1972-12-07-1台湾1972年12月07日1970年代外交部,ホンジュラス新政府を承認。
DIA-105-1972-12-12-1台湾1972年12月12日1970年代陳衣凡空軍総司令官,タイを訪問。
DIA-105-1972-12-12-2台湾1972年12月12日1970年代立法院,「決算法修正案」を可決。
DIA-105-1972-12-13-1台湾1972年12月13日1970年代劉維徳国際貿易副局長,1972年度における台湾蜜柑(ぽんかん)の対日輸出は12万箱と発表。
DIA-105-1972-12-14-1台湾1972年12月14日1970年代米輸銀,台電に借款供与─米輸出入銀行と台湾電力公司は,台湾北部で協和発電所を建設するために使用される3800万ドルの借款協定に調印した。1977年8月から12年間の分割払いで償還する予定。
DIA-105-1972-12-14-2台湾1972年12月14日1970年代台湾省政府,台中,南投,彰化,雲林,嘉義,高雄,屏東など7県をバナナ生産専門区に指定。
DIA-105-1972-12-15-1台湾1972年12月15日1970年代日本駐台湾大使館および駐高雄総領事館を閉鎖。
DIA-105-1972-12-17-1台湾1972年12月17日1970年代外交部,マダガスカルとの外交関係を「中止」─外交部は,マダガスカルが11月6日,正式に中国と外交関係を結んだことに対し,12月15日にマダガスカルとの外交関係を「中止」すると発表。
DIA-105-1972-12-18-1台湾1972年12月18日1970年代第4次全国人力研討会総合会議開催。
DIA-105-1972-12-22-1台湾1972年12月22日1970年代外交部,豪州およびニュージーランドとの外交関係を断絶─外交部は,中国を承認したオーストラリア,ニュージーランドに対し「極めて非友好的な行為であり,外交関係を断絶する」との声明を発表した。
DIA-105-1972-12-23-1台湾1972年12月23日1970年代「動員戡乱時期自由地区」中央民意代表(国民大会代表,立法委員)および台湾省第5回省議員,第7同県市長選挙,台湾と福建二省および台北市で行なわれた。
DIA-105-1972-12-26-1台湾1972年12月26日1970年代台湾「亜東関係協会」と日本「財団法人交流協会」,台北で駐外事務所相互開設協議書に調印。
DIA-105-1972-12-26-2台湾1972年12月26日1970年代日本「財団法人交流協会」台北事務所および高雄事務所,経済,貿易,文化交流などの業務を開始。
DIA-105-1972-12-27-1台湾1972年12月27日1970年代外交部,チャドと国交断絶─外交部は,チャドとの国交関係を断絶するとともに,同国駐在国府大使館を閉鎖すると発表した。
DIA-105-1972-12-27-2台湾1972年12月27日1970年代「日本華商総会台湾駐在事務所」発足。
DIA-105-1972-12-27-3台湾1972年12月27日1970年代台湾省政府,台湾省第8回県市議員および第7同郷鎮県轄市長選挙の実施は1973年3月17日に行なわれると発表。
DIA-105-1972-12-28-1台湾1972年12月28日1970年代総統によって指名された華僑代表の立法委員15名および監察委員5名のりストが公告された。
DIA-105-1972-12-28-2台湾1972年12月28日1970年代台湾駐日本大使館および駐大阪,横浜,福岡各領事館,業務を打ち切り閉鎖。
DIA-105-1972-12-29-1台湾1972年12月29日1970年代沈剣虹米大使,ワシントンで「海洋汚染公約」に調印。
DIA-105-1972-12-30-1台湾1972年12月30日1970年代介石総統,故トルーマン元米大統領の葬儀に厳家淦副総統の派遣を発令。
DIA-105-1972-12-30-2台湾1972年12月30日1970年代立法院,「所得税法部分条文修正案」を可決。
DIA-105-1972-12-30-3台湾1972年12月30日1970年代省糧食局,「米肥交換制度を廃止した後に行なわれる肥料配布は,1973年1月1日から実施する」と正式に発表。
DIA-105-1973-01-01-1台湾1973年01月01日1970年代蒋介石総統,恒例の元旦文告を発表。
DIA-105-1973-01-01-2台湾1973年01月01日1970年代米肥交換制度廃止。
DIA-105-1973-01-03-1台湾1973年01月03日1970年代厳家淦治副総統,故トルーマン元米大統領の追悼式に参加するため渡米。
DIA-105-1973-01-03-2台湾1973年01月03日1970年代交通部電信総局,米輸出入銀行は台湾電信管理局の設備拡張費として717万8000ドルの融資に同意したと発表。
DIA-105-1973-01-03-3台湾1973年01月03日1970年代亜東関係協会東京事務所,在日業務を開始。
DIA-105-1973-01-05-1台湾1973年01月05日1970年代厳家淦副総統,ニクソン米大統領とワシントンで約20分間会談。
DIA-105-1973-01-06-1台湾1973年01月06日1970年代政府,物価安定に4億ドルの外貨を支出-行政院は,4億ドルの外貨を支出して,生活基礎物資,工業生産設備および原材料の輸入に当てると発表した。
DIA-105-1973-01-11-1台湾1973年01月11日1970年代台湾バナナの「55輸出制度」を廃止-経済部は,現行の台湾バナナの「55輸出制度」(1963年4月から実施)を撤廃することに決定し,代わりに生産者団体による一元化生産販売制度を採用する予定。
DIA-105-1973-01-14-1台湾1973年01月14日1970年代経済部工業局,1972年の台湾の自動車生産量は1万8000台に達したと発表。
DIA-105-1973-01-16-1台湾1973年01月16日1970年代国際精神文化促進会(オイスカ・インターナショナル)台湾総会成立。
DIA-105-1973-01-17-1台湾1973年01月17日1970年代三菱重工業によると,三菱グループの台湾向けの原子力発電プラントの輸出商談について,台湾電力公司はこのほど,これを白紙に戻して米国の会社に発注する,と通告してきた。
DIA-105-1973-01-18-1台湾1973年01月18日1970年代蒋経国行政院長,UPI通信社のバージ副総裁のインタビューに応じ,「中国とは絶対に話合わない」と強調。
DIA-105-1973-01-19-1台湾1973年01月19日1970年代「台湾・南ベトナム農業技術合作協定」,サイゴンで調印。
DIA-105-1973-01-19-2台湾1973年01月19日1970年代李国鼎財政部長,通貨膨張の圧力を緩和する対策として,国外からの短期資金の流入を規制すると発表。
DIA-105-1973-01-21-1台湾1973年01月21日1970年代行政院,一般都市発展経費として毎年8億元の支出を決定。
DIA-105-1973-01-22-1台湾1973年01月22日1970年代トンガ王国首相トーベリ夫妻訪台。
DIA-105-1973-01-22-2台湾1973年01月22日1970年代米上院支出委員会井上議員一行6名訪台。
DIA-105-1973-01-24-1台湾1973年01月24日1970年代「台湾・カンボジア家畜および飼料生産技術合作協定」調印。
DIA-105-1973-01-24-2台湾1973年01月24日1970年代日本地方新聞協会台湾訪問団,台北に到着。
DIA-105-1973-01-25-1台湾1973年01月25日1970年代厳家淦副総統,故ジョンソン米前大統領の葬儀に参加するため渡米。
DIA-105-1973-01-25-2台湾1973年01月25日1970年代立法院,「児童福利法」および「工業技術研究院設置条例」を通過。
DIA-105-1973-01-26-1台湾1973年01月26日1970年代蒋経国行政院長,マコノギー米駐台大使とベトナム停戦後の東南アジア情勢について会談。
DIA-105-1973-01-26-2台湾1973年01月26日1970年代立法院,「遺産および贈与税法」を通過。
DIA-105-1973-01-26-3台湾1973年01月26日1970年代馬樹礼「亜東関係協会」常務理事兼駐日代表,東京に着任。
DIA-105-1973-01-27-1台湾1973年01月27日1970年代台湾,ダオメと外交関係を「中止」-外交部は,ダオメ政府が1月10日中国と外交関係を樹立したため,1月19日から同国との外交関係を「中止」したと発表。
DIA-105-1973-01-27-2台湾1973年01月27日1970年代経済部国際貿易局,プラスチック原料,人造繊維原糸などを含む計319項目の物資の輸入自由化を実施。
DIA-105-1973-01-30-1台湾1973年01月30日1970年代経済部,屑鉄24万トンの緊急輸入を決定。
DIA-105-1973-01-31-1台湾1973年01月31日1970年代米シカゴ・コンチネンタル・トラスト(大陸銀行)台北支店,正式に営業開始。
DIA-105-1973-02-01-1台湾1973年02月01日1970年代台湾省20県市の第7回民選県市長,それぞれの県市に就任式を挙行。
DIA-105-1973-02-01-2台湾1973年02月01日1970年代台湾省第5回議員73名の就任式が行なわれ,正副議長の選挙に蔡鴻父,魏綸州が当選。
DIA-105-1973-02-01-3台湾1973年02月01日1970年代政府,在台外国銀行の新台幣預金取扱いを許可。
DIA-105-1973-02-02-1台湾1973年02月02日1970年代外交部,ザイールと外交関係を「中止」-外交部は,ザイール共和国が1972年11月24日に中国との国交樹立を決定したことに伴い,ザイール共和国との外交関係を1973年1月30日から「中止」したと発表。
DIA-105-1973-02-06-1台湾1973年02月06日1970年代楊西崑外交部次長,非公式にインドネシアを訪問。
DIA-105-1973-02-06-2台湾1973年02月06日1970年代郭驥アジア国会議員連合会台湾国会議員団秘書長,同連盟第2回事務局長会議に出席するため渡日。
DIA-105-1973-02-07-1台湾1973年02月07日1970年代楊金虎前高雄市長,汚職嫌疑で逮捕される。
DIA-105-1973-02-09-1台湾1973年02月09日1970年代サウジアラビア国務大臣ナザー夫妻訪台。
DIA-105-1973-02-09-2台湾1973年02月09日1970年代アジア友好協会,外交問題懇談会,アジア国会議員連盟日本分会など日本の3民間組織,「亜東関係協会」駐日代表馬樹礼の歓迎会を開催。
DIA-105-1973-02-10-1台湾1973年02月10日1970年代米企業者訪問団(団長ベーカー米商務省輸出発展局長)訪台。
DIA-105-1973-02-10-2台湾1973年02月10日1970年代台湾中央信託局東京事務所を閉鎖,同事務所の業務は東京の信昌公司が代行。
DIA-105-1973-02-10-3台湾1973年02月10日1970年代台湾,スワジランドと手工芸協定比調印。
DIA-105-1973-02-12-1台湾1973年02月12日1970年代台湾にF5E型戦闘機の組立工場-ブレイ米国務省スポークスマンは,台湾と米軍事代表の間で,F5E型ジェット戦闘機の組立工場を台湾に設立する件に関する協定に調印したと発表した。米側はノースロップ社(The Northrop Corp.)が必要な部品を送って台湾で組立てることになっている。
DIA-105-1973-02-13-1台湾1973年02月13日1970年代立法院に送付した行政院の書面施政報告によると,米輸出入銀行が1972年後半において台湾側と調印した融資計画金額は3億5776万ドルに達している。
DIA-105-1973-02-14-1台湾1973年02月14日1970年代米国務院スポークスマン,「米国の台湾に対する防衛承諾は,ベトナム停戦によって何らの影響を受けることはない」と発言。
DIA-105-1973-02-14-2台湾1973年02月14日1970年代国際貿易局,9億ドルを特別支出として民生必需品および原料の輸入に当てると発表。
DIA-105-1973-02-15-1台湾1973年02月15日1970年代新台幣5%の切上げを発表-李国鼎財政部長は,新台幣の対米ドル新レートは16日より5%切上げる。すなわち従来の新台幣40元対1米ドルを,新台幣38元対1米ドルとすると発表した。
DIA-105-1973-02-15-2台湾1973年02月15日1970年代行政院,飼料用澱粉,大麦,大豆,とうもろこし,高梁,小麦麩,廃鉄,解体用船舶,大豆粉など10品目に対する輸入税の大幅引下げを決定。
DIA-105-1973-02-15-3台湾1973年02月15日1970年代台湾省議会は7名,台北市議会は3名の増員監察委員を選出。
DIA-105-1973-02-15-4台湾1973年02月15日1970年代行政院所属各機関,公文書の実験的改革を実施。
DIA-105-1973-02-15-5台湾1973年02月15日1970年代「台湾・パラグアイ技術合作協定」調印。
DIA-105-1973-02-15-6台湾1973年02月15日1970年代日本財団法人交流協会台北事務所伊藤博教所長,事務内容について初の記者会見を挙行。
DIA-105-1973-02-16-1台湾1973年02月16日1970年代エルサルバドル新任駐台大使ベネケ,着任の信任状を提出。
DIA-105-1973-02-20-1台湾1973年02月20日1970年代駐日大使を兼任しているコロンビア新任駐台大使エル・ゴンザレス・バレス,信任状を提出。
DIA-105-1973-02-20-2台湾1973年02月20日1970年代唐栄公司台北機械工場が製造した台湾初の国産鉄道客用車輌,台湾鉄路局に引渡す。
DIA-105-1973-02-22-1台湾1973年02月22日1970年代動員戡乱時期自由地区中央民意代表増員選挙で当選した119名の中央民意代表の当選証書が発給された。
DIA-105-1973-02-22-2台湾1973年02月22日1970年代行政院,「農業発展条例草案」を可決。
DIA-105-1973-02-22-3台湾1973年02月22日1970年代キッシンジャー米大統領補佐官,「台湾の駐留米軍撤退は今後,定期的に検討されるだろう」と記者会見で語った。
DIA-105-1973-02-23-1台湾1973年02月23日1970年代米中連絡事務所の相互設置に声明-外交部は,「今回米国が発表した中国と相互に連絡事務所を設置するとの声明は,完全に中国人民の意思に反するものであり,わが政府はここに昨年2月17日および同28日の2回にわたる声明の中で明らかにした厳正な立場を重ねて声明する」と発表した。
DIA-105-1973-02-23-2台湾1973年02月23日1970年代米アービン・トラスト・コンパニー(欧文銀行)台北支店,正式に営業開始。
DIA-105-1973-02-23-3台湾1973年02月23日1970年代蒋経国行政院長,立法院第51期会議で1974年度施政方針演説を行ない,「中国との共存は絶対不可能なことである」と強調。
DIA-105-1973-02-23-4台湾1973年02月23日1970年代立法院,立法委員の定数は835名で,5分の1の法定開会人数は167名であると決定。
DIA-105-1973-02-25-1台湾1973年02月25日1970年代孫義宣中央信託局長を団長とする台湾金融投資訪問団,主に米国中小企業の来台投資を誘致する目的で渡米。
DIA-105-1973-02-26-1台湾1973年02月26日1970年代アジア反共連盟第19回会議執行委員会議,台北で開催。
DIA-105-1973-02-27-1台湾1973年02月27日1970年代国際貿易局,大豆の輸出を当分禁止すると決定。
DIA-105-1973-02-28-1台湾1973年02月28日1970年代中国,台湾へ祖国統一を呼びかけ-北京の人民大会堂台湾ホールで,中国人民政治協商会議全国委員会の主催で「2・28」台湾省人民決起26周年記念座談会が聞かれた。廖承志中日友好協会会長,傅作儀政治協商会議全国委員会副主席らは席上で,「台湾は必ず解放され,祖国は必ず統一される」と強調した。
DIA-105-1973-02-28-2台湾1973年02月28日1970年代台湾,南ベトナムへの借款供与協定に調印-兪国華中央銀行総裁は,台湾政府を代表してサイゴンで南ベトナムに対する借款526万ドルの供与についての協定に調印した。借款の条件は年利4分,償還期間は据え置き5年を含む15年で,その大部分は台湾からの機械購入に当てられる。
DIA-105-1973-03-01-1台湾1973年03月01日1970年代台中市商工協進金,政府に日本企業の来台投資申請に対する審査を厳格にするよう要請。
DIA-105-1973-03-02-1台湾1973年03月02日1970年代交通部,過当競争を避けるため,向う1年間旅行社の新設および名義変更申請受付を停止すると決定。
DIA-105-1973-03-03-1台湾1973年03月03日1970年代元台湾駐オーストラリア大使館通商専門委員宋偉斌,北京に帰国。
DIA-105-1973-03-03-2台湾1973年03月03日1970年代台湾職業訓練基金監理委員会成立。
DIA-105-1973-03-04-1台湾1973年03月04日1970年代米移動大使ケネディ訪台。
DIA-105-1973-03-04-2台湾1973年03月04日1970年代行政院新聞局,郵政投資に12億4000万元を投下すると発表。
DIA-105-1973-03-06-1台湾1973年03月06日1970年代蒋経国行政院長,立法院で9項目の物価安定借置について説明。
DIA-105-1973-03-06-2台湾1973年03月06日1970年代ジバンダ中央アフリカ駐台湾大使,信任状を提出。
DIA-105-1973-03-06-3台湾1973年03月06日1970年代韓国海軍総司令官金圭燮大将訪台。
DIA-105-1973-03-06-4台湾1973年03月06日1970年代教育部,「大学および独立学院学生学籍規則」を公布。
DIA-105-1973-03-06-5台湾1973年03月06日1970年代日台間航路貨物船運賃を10%値上げ。
DIA-105-1973-03-06-6台湾1973年03月06日1970年代中央アフリカ共和国外相ボトロット夫妻訪台。
DIA-105-1973-03-08-1台湾1973年03月08日1970年代交通銀行,ベルギーフランの貸付業務を開始。
DIA-105-1973-03-09-1台湾1973年03月09日1970年代張導民審計部審計長,立法院で1973年度中央政府総予算の剰余額は19億2100万元と報告。
DIA-105-1973-03-10-1台湾1973年03月10日1970年代台北の経済日報,経済部は日本からの20万ドル以下の小型プラントの輸入に許可を与えると報道。
DIA-105-1973-03-11-1台湾1973年03月11日1970年代「台湾・ヨルダン技術合作協定」,アンマンで調印。
DIA-105-1973-03-11-2台湾1973年03月11日1970年代スペイン外文部次長バルダーラマ,中国との国交樹立を説明するため陳雄飛外交部次長と会見。
DIA-105-1973-03-12-1台湾1973年03月12日1970年代台湾,スペインと外交関係を「中止」-外交部は,スペイン政府が3月9日に中国と国交を樹立したのに対し,スペインとの外交関係を「中止」すると発表した。
DIA-105-1973-03-12-2台湾1973年03月12日1970年代台湾駐南ベトナム軍事援助団(団長姜献祥中将),ベトナムの停戦で台湾に引揚げ。
DIA-105-1973-03-12-3台湾1973年03月12日1970年代交通部,日本航空の夏期計画週37便を認可。
DIA-105-1973-03-12-4台湾1973年03月12日1970年代農復会,農業振興のため2年間に32億元の融資を行なうと説明。
DIA-105-1973-03-13-1台湾1973年03月13日1970年代タイ海軍訓練艦隊3隻訪台。
DIA-105-1973-03-14-1台湾1973年03月14日1970年代2367項目商品の輸入自由化-国際貿易局は,輸入管制品目に列記されていた雑穀,肥類,肥料,新聞紙など2367項目商品の輸入自由化に踏み切った。今回の大幅自由化でまだ残っているのは軍用物資,有毒化学品など465項目しかない。
DIA-105-1973-03-14-2台湾1973年03月14日1970年代「日華関係議員懇談会」(会長灘尾弘吉),東京の自民党本部で設立総会が開かれた。
DIA-105-1973-03-15-1台湾1973年03月15日1970年代監察院正副新院長の選挙に余俊賢,周百錬が当選。
DIA-105-1973-03-15-2台湾1973年03月15日1970年代外交部,日本政府が元台湾駐日大使館の敷地建物を中国に引渡し使用させようとしている措置に非難声明。
DIA-105-1973-03-15-3台湾1973年03月15日1970年代経済部,テレビメーカーに対する輸出義務制度の実施を廃止。
DIA-105-1973-03-15-4台湾1973年03月15日1970年代台湾省の第8回県市議員と第7回郷鎮市(県直轄)長の地方選挙,各地で挙行。
DIA-105-1973-03-19-1台湾1973年03月19日1970年代訪台中の米輸出入銀行カーンズ総裁,台湾鉄道局および台湾肥料公司にそれぞれ450万ドルの借款を供与する契約に調印。
DIA-105-1973-03-20-1台湾1973年03月20日1970年代財政部,短期公債10億元を発行。
DIA-105-1973-03-20-2台湾1973年03月20日1970年代訪台中のカーンズ米輸出入銀行総裁,「われわれは台湾に対し無制限に借款を与える。取り引きがわれわれの基準に合致する限り,借款額の限度を設ける理由は見当たらない」と語った。
DIA-105-1973-03-22-1台湾1973年03月22日1970年代アジア中小企業連盟結成大会,台北で成立。
DIA-105-1973-03-29-1台湾1973年03月29日1970年代沈剣虹台湾駐米大使,美中連絡事務所の相互設置の経緯を報告するため帰台。
DIA-105-1973-03-30-1台湾1973年03月30日1970年代米輸出入銀行,新光合成繊維公司に378万ドルの借款供与を決定。
DIA-105-1973-03-31-1台湾1973年03月31日1970年代国際貿易局,1636項目にわたる輸入商品の買入れ地区制限のリストを発表。
DIA-105-1973-03-31-2台湾1973年03月31日1970年代兪国華中央銀行総裁,公債発行などを含む6項目の金融引締め政策を発表。
DIA-105-1973-04-01-1台湾1973年04月01日1970年代台湾省第7回郷鎮県轄市長,各地で就任式を挙行。
DIA-105-1973-04-02-1台湾1973年04月02日1970年代「中央社」改組-台湾の代表的通信社「中央社」(1924年創立)は,「中央通訊社股扮有限公司」(Central News Agency Inc.)と改組され,董事長に馬星野,社長に魏景蒙が選出された。
DIA-105-1973-04-02-2台湾1973年04月02日1970年代台湾・カンボジア臨時航空協定,プノンペンで調印。
DIA-105-1973-04-02-3台湾1973年04月02日1970年代経済部,国外からの日本円,マルク借款償還を繰り上げるための銀行貸出(年利7.5%)を開始すると発表。
DIA-105-1973-04-03-1台湾1973年04月03日1970年代アジア・西太平洋建設業協会国際連合会第12回総会,合北で開催。
DIA-105-1973-04-06-1台湾1973年04月06日1970年代経済部,オランダのハークリス会社のポリスチレーン新規投資315万ドルの計画案を認可。
DIA-105-1973-04-07-1台湾1973年04月07日1970年代「日華民族文化協会」,東京で成立。
DIA-105-1973-04-09-1台湾1973年04月09日1970年代台湾省農会,冷凍肉原料豚の供給申請を停止。
DIA-105-1973-04-10-1台湾1973年04月10日1970年代1974年度中央総予算に占める国防費は48.9%-蒋経国行政院長は立法院で,1974年度の中央政府総予算案について報告した。その内訳は,国防費48.9%,社会福祉13.1%,経済建設・交通9.1%,教育・科学・文化8.5%の順になっているが,国防費の占める割合が初めて明らかにされたことは注目に値する。
DIA-105-1973-04-11-1台湾1973年04月11日1970年代アメリカ産リンゴ3万3500箱,初めて台湾に入荷。
DIA-105-1973-04-11-2台湾1973年04月11日1970年代国際貿易局,商社がDocument Process方式による三角貿易の推進を許可。
DIA-105-1973-04-12-1台湾1973年04月12日1970年代南ベトナム大統領訪台-南ベトナム共和国のグエン・バン・チュー大統領ならびに夫人一行が台湾を訪問した。滞在期間は3日間。
DIA-105-1973-04-13-1台湾1973年04月13日1970年代財政部,太豆油,天然ゴム,銑鉄など15項目の物資の輸入関税率を向う1年間引下げることを実施。
DIA-105-1973-04-13-2台湾1973年04月13日1970年代南米訪問中の頼名湯参謀総長,ブラジルのメデイシ大統領と会見。
DIA-105-1973-04-15-1台湾1973年04月15日1970年代司法行政部所属各級司法機開,司法公文書の改革を実施。
DIA-105-1973-04-16-1台湾1973年04月16日1970年代台湾,向う3年間アメリカから雑穀8億ドルを購入-訪米中の台湾貿易代表団(団長江汪彝定国際貿易局長)は,アメリカの穀物商9人との間に,1973年から向う3年間アメリカから8億ドルに値する555万トンの大豆,小麦,大麦,とうもろこしなどの穀物買入契約をまとめた。
DIA-105-1973-04-16-2台湾1973年04月16日1970年代ヨルダン国皇太子ハッサン親王訪台。
DIA-105-1973-04-18-1台湾1973年04月18日1970年代北京放送によると,元台湾陸軍少佐,中華航空公司編集・翻訳員趙明哲は北京に帰国した。
DIA-105-1973-04-18-2台湾1973年04月18日1970年代米海軍,駆逐艦3隻を台湾に引渡し。
DIA-105-1973-04-18-3台湾1973年04月18日1970年代東京の国連アジア極東経済委員会(ECAFE)総会で,中国の劉冀才代表は初めてアジア開発銀行からの台湾追放について発言。
DIA-105-1973-04-18-4台湾1973年04月18日1970年代行政院研究発展考核委員会,世界的な貿易網の新設に関する可能性を検討。
DIA-105-1973-04-19-1台湾1973年04月19日1970年代ロジャーズ米国務長官,上院に提出した外交政策報告書のなかで,アメリカは台湾との友好政策を継続すると強調。
DIA-105-1973-04-20-1台湾1973年04月20日1970年代台湾花業者,日本関東地区の花業者との間に1520万ドルの花輸出に調印。
DIA-105-1973-04-21-1台湾1973年04月21日1970年代「台湾・カンボジア文化協定」調印。
DIA-105-1973-04-22-1台湾1973年04月22日1970年代ナウル共和国総統タイロッポ,台湾を非公式に訪問。
DIA-105-1973-04-24-1台湾1973年04月24日1970年代海連業界,政府にコンテナ船建造の融資を要請。
DIA-105-1973-04-26-1台湾1973年04月26日1970年代香港大公報によると,台湾警備総部は2月15日,台湾大学の学生銭永祥,盧正邦ら,また2月17日に,台湾大学哲学助教授陳鼓応,講師王暁波らを,「民族主義座談会」という組織で台湾の政治革新および国共合作の可能性について討論した理由で逮捕した。
DIA-105-1973-04-28-1台湾1973年04月28日1970年代台湾最大の水利工事である曽文ダム,貯水開始。
DIA-105-1973-04-29-1台湾1973年04月29日1970年代中日友好協会訪日代表団膠承志団長,関西地方に在住する華僑が開催したパーティーで,「台湾の軍部,政府の要員たちが過去誤りがあろうとなかろうと,台湾解放,祖国統一のために成績を立てさえすれば,みな心から歓迎する」と述べた。
DIA-105-1973-04-30-1台湾1973年04月30日1970年代フォード六和自動車公司の中工場落成。
DIA-105-1973-04-30-2台湾1973年04月30日1970年代日本参議院議員玉置和郎,楠正俊および衆議院議員藤尾正行一行3名訪台。
DIA-105-1973-05-01-1台湾1973年05月01日1970年代台湾省第8回県議会の県市議員849名,各地で就任式を挙行。
DIA-105-1973-05-03-1台湾1973年05月03日1970年代司法行政部調査局,双溪の公務員住宅建築工事に関達して収賄した疑いで王正誼前行政院人事行政局長兼中央公務員住宅購買補助委員会主任委員を逮捕。
DIA-105-1973-05-03-2台湾1973年05月03日1970年代中央銀行,D/AおよびD/P方式による商品の輸入を回復すると発表。
DIA-105-1973-05-05-1台湾1973年05月05日1970年代立法院財政・経済両委員会共同会議,国外からの借款と借款保証の上限を従来の10億ドルから20億ドルまでに引上げる案を採択。
DIA-105-1973-05-05-2台湾1973年05月05日1970年代経済部,1973年7月1日から1977年6月30日までの国営事業4ヵ年中期発展計画に582億の財政投資を行なうと決定。
DIA-105-1973-05-05-3台湾1973年05月05日1970年代張宝樹国民党秘書長訪日。
DIA-105-1973-05-06-1台湾1973年05月06日1970年代行政院新聞局,中央各機関および省市政府の法規7072種類を整理した結果,2661種類が減少したが,それに新しく公布した202種類の法規と合計すると,現行の有効法規は4613種類であると発表。
DIA-105-1973-05-06-2台湾1973年05月06日1970年代台湾省政府,全省の農民に肥料,飼料,種子,農薬,農機具など5種類の農業必需品を十分供給できるよう計画していると発表。
DIA-105-1973-05-08-1台湾1973年05月08日1970年代台湾とサウジアラビアの経済・技術協力覚書,台北で調印。
DIA-105-1973-05-09-1台湾1973年05月09日1970年代許紹昌台湾駐南ベトナム大使,政府を代表して1億7000ピアストルに値する農業機械などを南ベトナム政府に贈与。
DIA-105-1973-05-10-1台湾1973年05月10日1970年代高雄地方裁判所,高雄県議員当選者林景元の当選無効を判決。
DIA-105-1973-05-10-2台湾1973年05月10日1970年代経済部,アメリカの石油会社アモコ(Amoco)が4500万ドルの規模で台湾にPTA生産会社を設置することに同意。
DIA-105-1973-05-14-1台湾1973年05月14日1970年代経済部国営事業委員会,中国石油公司が第3軽油分解工場を建設すること(1975年10月までに完成する予定)を正式に可決。
DIA-105-1973-05-15-1台湾1973年05月15日1970年代台湾,ソ連艦隊が5月12日台湾海峡通過と発表-国防部スポークスマン李長浩少将は,3~5隻から編成されたソ達艦隊が5月12日,台湾海峡の公海上を通過し,台湾の関係機関は警戒を厳重にして,艦船,航空機による監視行動を行なったと発表した。
DIA-105-1973-05-15-2台湾1973年05月15日1970年代台湾省政府社会処,1973年度の国民住宅建設に4億元を支出すると発表。
DIA-105-1973-05-17-1台湾1973年05月17日1970年代台北発AFP電によると,台湾での米軍スポークスマンは,米第7艦隊は引続き毎月10~25隻の軍艦を台湾海峡にパトロールさせると語った。
DIA-105-1973-05-18-1台湾1973年05月18日1970年代立法院,「1974年度公債発行条例」(公債発行最高額28億元)を可決。
DIA-105-1973-05-21-1台湾1973年05月21日1970年代孫運経済部長,輸入原油に対する依存度を軽減するため,原油輸入先の多元化を図ると立法院で説明。
DIA-105-1973-05-24-1台湾1973年05月24日1970年代外交部,CAL(中華航空)機の名古屋離着陸に反対すると言明。
DIA-105-1973-05-24-2台湾1973年05月24日1970年代行政院新聞局,出版事業管理処,放送テレビ管理処,映画管理処など三機関を増設することに決定。
DIA-105-1973-05-24-3台湾1973年05月24日1970年代行政院,「台中港建設資金の調達は,本年計画していた日本の海外経済協力基金から7509万6900ドル借入れる案を放棄した」と書面で立法委員の質問に回答。
DIA-105-1973-05-25-1台湾1973年05月25日1970年代パラグァイ共和国駐台大使エンシソ博土,信任状を提出。
DIA-105-1973-05-25-2台湾1973年05月25日1970年代沈宗瀚農復会主任委員,1973年の農産品の輸出金額は6億ドルに達すると述べた。
DIA-105-1973-05-26-1台湾1973年05月26日1970年代中央銀行の韓国で鋳造した2億元分の1元硬貨の一部1000万元分,基隆に到着。
DIA-105-1973-05-27-1台湾1973年05月27日1970年代台湾省政府,水道の普及率を3年以内に55%までに引上げると明らかにした。
DIA-105-1973-05-27-2台湾1973年05月27日1970年代米空軍327師団長クラーク准将,台北に着任。
DIA-105-1973-05-28-1台湾1973年05月28日1970年代全国銀行業務検討会議,高額紙幣(現在最高額新台幣券は100元券)の発行申請を決議。
DIA-105-1973-05-29-1台湾1973年05月29日1970年代立法院,「1974年度中央政府総預算案」を可決。
DIA-105-1973-05-30-1台湾1973年05月30日1970年代愛知県議会,「名古屋空港への台湾の航空機乗り入れに反対する意見書」を全会一致で採択。
DIA-105-1973-05-30-2台湾1973年05月30日1970年代台湾電力公司,米輸出入銀行と総額8360万ドルにのぼる2件の借款契約に調印。
DIA-105-1973-05-31-1台湾1973年05月31日1970年代行政院は次の人事異動を発令した。 ①国家科学委員会主任委員 徐賢修,②中国農村復興委員会主任委員 李崇道,③行政院経済研討委員会主任委員 張継正,同委員会副主任委員 郭婉容,孫震,④行政院研究発展考核委員会副主任委員 梁国樹。
DIA-105-1973-05-31-2台湾1973年05月31日1970年代中国青年反共救国団主任に李煥を決定。
DIA-105-1973-06-03-1台湾1973年06月03日1970年代台湾,ベネズエラと定期航海路を開設。
DIA-105-1973-06-06-1台湾1973年06月06日1970年代国民党中央常務委員会,仮釈放を適用しない「戡乱時期貪汚治罪条例」(汚職処罰条例)第18条の条文は削除すべきではないと決定。
DIA-105-1973-06-06-2台湾1973年06月06日1970年代政府,台湾省各級農会第8回理事,監事および会員代表の選挙を延期すると発表。
DIA-105-1973-06-06-3台湾1973年06月06日1970年代曽文ダムの放水が開始。
DIA-105-1973-06-07-1台湾1973年06月07日1970年代日中航空協定の交渉について対日警告-国民党機関紙『中央日報』は,日中航空協定の交渉問題について,「もし日本側が一方的に現行のCAL(中華航空)路線を変更するならば,台湾は双方航空機のFIR(飛行情報区)およびADIZ(防空識別区)などの適過について再考慮する」と報道した。
DIA-105-1973-06-07-2台湾1973年06月07日1970年代台湾体育協進会(理事長黎玉璽)発足。
DIA-105-1973-06-08-1台湾1973年06月08日1970年代4月25日浙江省舟山群島付近の海上で坐礁した台湾省基隆市福興公司の漁民10名,浙江省漁民に救助されて「盛豊12号」漁船で帰台。
DIA-105-1973-06-08-2台湾1973年06月08日1970年代アジア婦女協会大会,台北で開催。
DIA-105-1973-06-08-3台湾1973年06月08日1970年代行政院,「空気汚染防止草案」を可決。
DIA-105-1973-06-11-1台湾1973年06月11日1970年代教育部,台湾地域の私立中学および小学の入試を廃止すると発表。
DIA-105-1973-06-13-1台湾1973年06月13日1970年代米太平洋陸軍総司令官ウエイヤンド大将訪台。
DIA-105-1973-06-14-1台湾1973年06月14日1970年代行政院,「職業安全衛生法」草案を可決。
DIA-105-1973-06-15-1台湾1973年06月15日1970年代行政院,1974-75年度の農民に対する砂糖買上げ保証価格を1トン当り4600元に決定。
DIA-105-1973-06-15-2台湾1973年06月15日1970年代交通部電信総局,米国ITT社との合弁(資本金8億元,出資比率米側60%,台湾側40%)による電子通信器材製造会社設立に関する協定書に調印。
DIA-105-1973-06-15-3台湾1973年06月15日1970年代国防部スポークスマン李長浩少将,「米国の台湾に対する軍事援助は1974年より逐次減少するが,台湾の軍事力は今後自力更生の道を歩む」と言明。
DIA-105-1973-06-15-4台湾1973年06月15日1970年代中央社によると,米政府の米議会に提出した1974年会計年度における台湾の軍需品購入資金の支出要求額は6500万ドルである。
DIA-105-1973-06-15-5台湾1973年06月15日1970年代米国務省の文書によると,米国は台湾で台北の海軍補給所,台中の清泉崗空軍基地,台北の航空ステーションなど3カ所の軍事基地を維持し,これら基地の維持費として1973年会計年度1億3400万ドルが計上されている。
DIA-105-1973-06-16-1台湾1973年06月16日1970年代挑園地方裁判所発足。
DIA-105-1973-06-19-1台湾1973年06月19日1970年代国民党台湾省部委員会,各県市党部主任の人事調整を議決。
DIA-105-1973-06-19-2台湾1973年06月19日1970年代台湾経済訪問団,フィリビンのマルコス大統領と会見。
DIA-105-1973-06-21-1台湾1973年06月21日1970年代台北県政府,労働条件などの規定に違反し,しかも度重なる警告を無視したという理由で,台湾で規模最大の民間企業であるアメリカ系の「台湾通用器材公司」(従業員1万2000人)に7日間の操業停止令を通達。
DIA-105-1973-06-21-2台湾1973年06月21日1970年代日産自動車,台湾の裕隆汽車製造公司との提携を強化し,8月から「バイオレット」のノックダウン生産を月産1000台程度製造すると確認。
DIA-105-1973-06-22-1台湾1973年06月22日1970年代立法院,「行政院新聞局組織条例修正案」を可決。
DIA-105-1973-06-22-2台湾1973年06月22日1970年代司法行政部,外資紛争に関する事件の管轄裁判所を台北地方裁判所に指定。
DIA-105-1973-06-23-1台湾1973年06月23日1970年代元国民党国防部第二庁長葉南,中国訪問を終えて香港で,「中国人として,台湾の平和的統一を望んでいる」と表明。
DIA-105-1973-06-23-2台湾1973年06月23日1970年代「台湾青年独立連盟」幹部高斉栄,台湾へ帰順。
DIA-105-1973-06-26-1台湾1973年06月26日1970年代胡新南中国石油公司総経理,米銀行団は同公司と台湾北部の石油精製工場建設に2250万ドルにのぼる融資の契約に調印したと発表。
DIA-105-1973-06-26-2台湾1973年06月26日1970年代ホンジュラス参謀総長ヘルナンドス大佐訪台。
DIA-105-1973-06-27-1台湾1973年06月27日1970年代台湾国民党中央常務委員会,米ソ首脳会議に関する報告を聴取した後,「台湾政府は中国,ソ連と接触しないとの反共国策を支持する」と決議。
DIA-105-1973-06-28-1台湾1973年06月28日1970年代行政院,物価安定の11重要項目を決定,7月1日から実施すると発表。
DIA-105-1973-06-28-2台湾1973年06月28日1970年代行政院,4階建以上の新築に禁止令を公布。
DIA-105-1973-06-28-3台湾1973年06月28日1970年代北京新華社電によると,陳先中国卓球協会会長は台湾省卓球協会の責任者張聘三に電報を送り,台湾の卓球チームを8月の北京でのAALA卓球招待会に招待すると正式に招請。
DIA-105-1973-06-29-1台湾1973年06月29日1970年代経済部,民需16品目の価格を規制-経済部は,小麦粉,大豆粉,大豆油,豚肉,20番手綿布,30番手単ナイロン紡糸,30番手化繊錦混紡布,45番手化繊および綿混紡布,20番手12ポンド白キャラコ布,20番手11ポンド白キャラコ布,尿素,硫安,セメント,鉄筋,ガラス,液化ガスなど重要民生必需品16品目の規制価格を公示し,即日実施すると発表した。
DIA-105-1973-06-30-1台湾1973年06月30日1970年代立法委員20名,行政院に質問状を提出し,日本のトヨタ自動車会社と唐栄鉄工場の技術提携による自動車生産の認可を撤回するよう促した。
DIA-105-1973-07-01-1台湾1973年07月01日1970年代台湾統一工作密命説の章土釗中国全国人民代表大会常務委員,香港で死去,92歳。
DIA-105-1973-07-01-2台湾1973年07月01日1970年代米,台湾に対する無償軍事援助を中止―米国は,7月1日に始まる1974年会計年度から台湾に対する無償の軍事援助を中止することになった。しかし,借款余剰軍事物資計画に基づいて引続き台湾政府に軍事物資を供与する。
DIA-105-1973-07-01-3台湾1973年07月01日1970年代台湾省青果運鎖合作社成立。
DIA-105-1973-07-02-1台湾1973年07月02日1970年代経済部,1キロ当り大豆10.5元,とうもろこし4.5元の買上げ保証価格を決定。
DIA-105-1973-07-03-1台湾1973年07月03日1970年代立法院,「内政部組織法修正案」および「戸籍法修正案」を通過。
DIA-105-1973-07-05-1台湾1973年07月05日1970年代国際貿易局,大宗物資の輸入地区制限を一時取消し。
DIA-105-1973-07-06-1台湾1973年07月06日1970年代周恩来中国首相,「訪米は台湾問題の解決が前提である」と訪中米議員団に語った。
DIA-105-1973-07-11-1台湾1973年07月11日1970年代立法院,新聞用紙の輸入関税および貨物税の徴収を1年間停止する法案を可決。
DIA-105-1973-07-11-2台湾1973年07月11日1970年代1973-74年度台湾・タイとうもろこし貿易協定,台北で調印。
DIA-105-1973-07-11-3台湾1973年07月11日1970年代インドの「ボース失踪事件調査団」,台北に到着。
DIA-105-1973-07-12-1台湾1973年07月12日1970年代台湾ベニヤ板業者,ベニヤ板国際相場の暴落に伴い,一律に25%の減産を決定。
DIA-105-1973-07-13-1台湾1973年07月13日1970年代第2次世界大戦中,中国戦区参謀長を歴任したウェデマイヤー中将訪台。
DIA-105-1973-07-14-1台湾1973年07月14日1970年代外交部,日台航空路線について見解を表明-外交部スポークスマン柳鶴図は,日台航空路線問題に対し,①日本政府が中華航空(CAL)の東京航空情報区通過を許さないならば,台湾政府は相対的な措置をとる,②許可を受けないで台湾の防空識別区に侵入した航空機を正体不明飛行物体として処理する,③日台航空路線が中断した場合,すべての責任は日本側にある,と強硬な姿勢を表明した。
DIA-105-1973-07-14-2台湾1973年07月14日1970年代行政院,電信器材類の統制緩和を決定。
DIA-105-1973-07-15-1台湾1973年07月15日1970年代台湾肥料公司,液体アンモニアおよび尿素の生産に17億5000万元を投資することに決定。
DIA-105-1973-07-16-1台湾1973年07月16日1970年代中央銀行,出国者生活費などの送金制限を緩和すると発表。
DIA-105-1973-07-17-1台湾1973年07月17日1970年代台北地方裁判所,中央政府公務員住宅建設の汚職事件にからむ行政院人事行政局王正誼前局長に対し,連続収賄罪により無期懲役を判決。
DIA-105-1973-07-18-1台湾1973年07月18日1970年代張聘三台湾卓球協会会長,北京のAAA卓球大会の不参加を声明。
DIA-105-1973-07-23-1台湾1973年07月23日1970年代訪台中のデント米商務長官,1974年春に台北でアメリカ貿易センターを設置すると正式に発表。
DIA-105-1973-07-23-2台湾1973年07月23日1970年代米商務省発表の統計によると,台湾は通信および電子製品の対米輸出で,日本に続く第1位の大手輸出国となっている。
DIA-105-1973-07-24-1台湾1973年07月24日1970年代米海軍大平洋艦隊総司今官クラレー大将訪台。
DIA-105-1973-07-25-1台湾1973年07月25日1970年代台湾政府,一年ぶりに蒋介石総統夫妻が新婚の孫夫妻(蒋勇男・方智怡)と一緒に撮影した記念写真を公表。
DIA-105-1973-07-25-2台湾1973年07月25日1970年代蒋経国行政院長,政府の外貨保有額は17億ドルと発表。
DIA-105-1973-07-26-1台湾1973年07月26日1970年代中央銀行,金利の引上げを実施-中央銀行は,銀行預貯金金利および手形割引率の引上げを実施した。引上げ幅は銀行預貯金金利年利0.75%前後である。
DIA-105-1973-07-27-1台湾1973年07月27日1970年代中国造船公司発足―外国民間資本と提携している中国造船股扮有限公司は正式に発足した。同公司は登記資本金額2750万ドル,運営資金1億1000万ドルで,資本金は政府と国内民間で55%,イギリス5%,リベリア10%,アメリカ30%出資している。計画によると高雄に36万トンの造船能力をもつ造船工場を建設する予定。
DIA-105-1973-07-27-2台湾1973年07月27日1970年代総統令:瞿韶華を台湾省政府秘書に任命。
DIA-105-1973-07-28-1台湾1973年07月28日1970年代鈕其如台湾電力公司副社長,台湾最大の水力発電所である青山水力発電所の第4部発電機(容量9万kw)が先月末に完成し,これにより総発電量は36万kwに達すると述べた。
DIA-105-1973-07-28-2台湾1973年07月28日1970年代国際貿易局,PVCの輸出禁止を決定。
DIA-105-1973-07-28-3台湾1973年07月28日1970年代台湾省政府,第2期農村建設計画に7億元の補助金を使用すると決定。
DIA-105-1973-07-30-1台湾1973年07月30日1970年代総統令により次の軍上層部の人事が決定された。①国防部長 高魁元陸軍一級大将,②総統府参軍長 黎玉璽海軍一級大将,③総統府戦略顧問 陳大慶陸軍二級大将。
DIA-105-1973-07-30-2台湾1973年07月30日1970年代フイリビン訪問中の頼名湯台湾参謀総長,マルコス大統領と会見。
DIA-105-1973-07-31-1台湾1973年07月31日1970年代経済部,台湾バナナ業とアメリカのユナイテッド・フルーツ(連合水果公司)の生産技術提携および輸出向けの販売提携に関する契約締結に同意。
DIA-105-1973-08-01-1台湾1973年08月01日1970年代経設会成立-行政院国際経済合作発展委員会(略称経合会)を改組してできた行政院経済設計委員会(略称経設会)が正式に発足した。主任委員に張継正,副主任に郭婉容が就任。
DIA-105-1973-08-01-2台湾1973年08月01日1970年代台湾省政府所属機関首長,副首長の侯補者制度,正式に実施。
DIA-105-1973-08-02-1台湾1973年08月02日1970年代行政院,南北高速道路は1978年までに完成する予定と発表。
DIA-105-1973-08-03-1台湾1973年08月03日1970年代全国船舶連合会,7月末現在で外国船に雇用されている台湾籍の船員数は1万5600名,毎年2800万ドルの外貨収入を獲得していると発表。
DIA-105-1973-08-03-2台湾1973年08月03日1970年代中国の周恩来首相,元国府行政院政務委員繆雲台と会見。
DIA-105-1973-08-04-1台湾1973年08月04日1970年代国際貿易局,中・低密度ポリエチレンの輸入制限を撤廃。
DIA-105-1973-08-06-1台湾1973年08月06日1970年代1973年度国家建設研究会,内外の学者,専門家180名の参加の下に,会期2週間の会議を開幕。
DIA-105-1973-08-06-2台湾1973年08月06日1970年代政府,今年の下半期に26万トンの小麦輸入を決定。
DIA-105-1973-08-07-1台湾1973年08月07日1970年代台湾省在日華僑卓球代表チーム(団長黄文欽東京華僑総会副会長),北京に到着。
DIA-105-1973-08-07-2台湾1973年08月07日1970年代立法院,「戡乱時期貪汚治罪(汚職処罰)条例」および「国庫券発行条例」の修正案を可決。
DIA-105-1973-08-08-1台湾1973年08月08日1970年代頼名湯参謀総長,アメリカ国防省を訪問。
DIA-105-1973-08-08-2台湾1973年08月08日1970年代ニューヨーク最高裁判所,1970年4月24日蒋経国行政院副院長(当時)をニューヨークで狙撃して逮捕された鄭自才に5年の有罪判決を言い渡した。
DIA-105-1973-08-10-1台湾1973年08月10日1970年代政府,高雄,楠梓および台中に次いで台湾第4番目の加工輸出区を開設することを決定。
DIA-105-1973-08-10-2台湾1973年08月10日1970年代「台湾・ウルグァイ農業技術合作協定」調印。
DIA-105-1973-08-11-1台湾1973年08月11日1970年代厳家淦副総統,パラグァイ共和国大統領ストロスナー将軍の就任式典に参列するために台北を出発,コスタリカ,グァテマラ,ブラジルの3ヵ国も訪問する予定。
DIA-105-1973-08-13-1台湾1973年08月13日1970年代中国鋼鉄公司,米社との提携契約成立-経済部は,中国鋼鉄公司が1971年10月23日にオーストリアのVoest会社と提携した一貫作業の鉄鋼工場の建設契約を解消し,U.S.スティールの子会社である米国鋼鉄技術会社との技術提携契約が成立したと正式に発表した。それによると,同鉄鋼工場の主要生産設備は1977年までに完成し,年産6000万トンの目標を達成する。
DIA-105-1973-08-15-1台湾1973年08月15日1970年代行政院新聞局,元マニラ『華僑商報』編集局長于長庚は3年間の感化教育を経て16日に釈放されると発表。
DIA-105-1973-08-16-1台湾1973年08月16日1970年代行政院,米の増産措置を決定-行政院は米の生産量を最低さらに10%引上げるため,1974年から水稲の作付拡大を奨励する諸措置を決定した。
DIA-105-1973-08-16-2台湾1973年08月16日1970年代世界反共連盟,イギリス政府が台湾代表団および谷正網名誉議長の入国を拒否したため,29日からロンドンで開催を予定していた第7回大会を中止することに決定。
DIA-105-1973-08-17-1台湾1973年08月17日1970年代台湾国民党駐米総支部第17回全米代表大会,サンフランシスコで開催。
DIA-105-1973-08-21-1台湾1973年08月21日1970年代アジア反共連盟第19回総会,台北で開催。
DIA-105-1973-08-22-1台湾1973年08月22日1970年代総統府戦略顧問陳大慶陸軍大将病死,70歳。
DIA-105-1973-08-22-2台湾1973年08月22日1970年代経済部,無為替輸入金額の最高額を引上げ,欧米地区からの無為替輸入は1件につき最高200ドルまで,日本,ホンコン,マカオ地区からのものは100ドルまで引上げると公布。
DIA-105-1973-08-22-3台湾1973年08月22日1970年代立法院,「農業発展条例」を可決。
DIA-105-1973-08-23-1台湾1973年08月23日1970年代財政部,ソーダ灰など9種類の重要化学工業原料の輸入関税率を1974年3月22日までに半減すると公表。
DIA-105-1973-08-23-2台湾1973年08月23日1970年代中央信託局,アメリカから大豆10万トンの緊急輸入を決定。
DIA-105-1973-08-25-1台湾1973年08月25日1970年代毛松年僑務委員会委員長,バンドン事件で「華僑のこうむった被害に対し,祖国朝野は非常に関心を寄せている」と強調。
DIA-105-1973-08-25-2台湾1973年08月25日1970年代張継正経済設計委員会主任委員,1974年度「中米経済社会発展基金」の使用できる経費は21億元であると立法院で報告。
DIA-105-1973-08-26-1台湾1973年08月26日1970年代駐台米軍の撤退計画-シュレジンジャー米国防長官は,米NBCテレビの会見番組で,台湾から1973年秋に一部の駐留米軍が撤退する計画であると語った。
DIA-105-1973-08-27-1台湾1973年08月27日1970年代ユーゴのランバサ世界水泳連盟(FINA)理事,台湾水泳連盟からの世界水泳選手権参加の申請を却下すると言明。
DIA-105-1973-08-27-2台湾1973年08月27日1970年代台湾省政府,第6期経済建設4カ年計画の1973年実施計画(対外経済部門を除外)に168億元の総投資を投下することに決定。
DIA-105-1973-08-28-1台湾1973年08月28日1970年代立法院,「都市計画法修正案」を通過。
DIA-105-1973-08-30-1台湾1973年08月30日1970年代政府,苗栗,南投,台南,屏東,台東の5市を養蚕専業区に指定。
DIA-105-1973-09-01-1台湾1973年09月01日1970年代亜東関係協会東京事務所,日本大手旅行業者の台湾への渡航ビザの申請を拒否すると決定。
DIA-105-1973-09-01-2台湾1973年09月01日1970年代米台紡績品貿易会議,1972年度綿紡織品の運用枠のうち未達成分472万5000平方ヤードについては73年度運用分に追加するなど5項目の協議を達成。
DIA-105-1973-09-01-3台湾1973年09月01日1970年代内政部警政署刑事警察局発足。
DIA-105-1973-09-01-4台湾1973年09月01日1970年代日台文化討論会,東京で開催。
DIA-105-1973-09-02-1台湾1973年09月02日1970年代駐台米軍約3000人が数カ月内に撤退-ゲイラー米太平洋総合軍司令官は,「台湾駐留の第347戦術空輸部隊(約3000人)は,すでに一部が米本土に引き揚げたが,残りも今後数カ月内に撤退する」と述べた。
DIA-105-1973-09-02-2台湾1973年09月02日1970年代『人民日報』,10全大会で中国共産党中央委員に選ばれた台湾省出身の蔡嘯氏の「台湾は必ず解放され,祖国は必ず統一される」と題する論文を掲載。
DIA-105-1973-09-04-1台湾1973年09月04日1970年代中共統戦部,台湾出身者の座談会を開催-北京新華社電によると,中国共産党中央統一戦線工作部は,AA卓球友好招待試合参加のため帰国した台湾省出身の在日,在米,在西独中国人を招いて,在北京の台湾省出身者27名(参考資料参照)との座談会を催した。
DIA-105-1973-09-04-2台湾1973年09月04日1970年代張光世経済部次長,台湾はパラグァイ,ブラジル,コスタリカ,グァテマラなど4カ国との農業技術提携を強化すると語った。
DIA-105-1973-09-05-1台湾1973年09月05日1970年代中央銀行,各外為銀行の輸入資金の融資利率を年7.5%から8.5%に引き上げると発表。
DIA-105-1973-09-05-2台湾1973年09月05日1970年代台湾省政府,1~6等則までの良田の工場用地への転換を禁止する旨正式に通達。
DIA-105-1973-09-05-3台湾1973年09月05日1970年代トョタ自動車販売,7月8,9両日に台湾で「2つの中国」を認める新聞広告を掲載したことについて,中国側に陳謝。
DIA-105-1973-09-08-1台湾1973年09月08日1970年代台湾省文献委員会,霧社事件の花岡一郎(ダッキス・ノービン)および花岡二郎(ダッキス・ナウイ)は抗日の英雄であるとの正式な見解を表明。
DIA-105-1973-09-11-1台湾1973年09月11日1970年代陳衣凡空軍総司令官,ヨルダンを訪問。
DIA-105-1973-09-13-1台湾1973年09月13日1970年代台湾鉄路局,彰化-竹南間の単線鉄道などの複線化計画に4億元の投資を決定。
DIA-105-1973-09-13-2台湾1973年09月13日1970年代国民党台湾省第9回全省代表大会248名の代表を選出。
DIA-105-1973-09-13-3台湾1973年09月13日1970年代孫科考試院長(孫文の一人息子),台北郊外の栄民総合病院で病死,83歳。
DIA-105-1973-09-13-4台湾1973年09月13日1970年代行政院,薛毓麒前スペイン大使を外交部常務次官に任命。
DIA-105-1973-09-14-1台湾1973年09月14日1970年代米国防省国際安全事務担当ロバート・ヒル次官訪台。
DIA-105-1973-09-18-1台湾1973年09月18日1970年代アジア競技連盟(AGF)実行委員会,台湾,マレーシア,タイ,インドネシアの4代表団が抗議の退場を行なうなかで,「中国のAGF参加,台湾追放」動議の採決を強行して可決。
DIA-105-1973-09-20-1台湾1973年09月20日1970年代立法院外交委員会,アジア競技連盟実行委員会の台湾排除決定に対し,「直ちに9月30日ブルガリアで開催される国際オリンピック委員会に提訴する」と言明。
DIA-105-1973-09-21-1台湾1973年09月21日1970年代アジア自転車競技連盟,台湾の国名呼称をめぐって,参加国の国旗・国歌を使わないと決定。
DIA-105-1973-09-21-2台湾1973年09月21日1970年代羅青長中国共産党中央委員兼国務院副秘書長ら,台湾籍在日学生帰国参観団と会見。
DIA-105-1973-09-26-1台湾1973年09月26日1970年代北京放送によると,中国の姫鵬飛外相は24日,世界銀行および国際通貨基金(IMF)にメッセージを送り,蒋介石集団の代表を直ちに追放する措置をとるよう要請した。
DIA-105-1973-09-26-2台湾1973年09月26日1970年代旭光学工業,台中輸出加工区でカメラを生産するため3億円にのぼる新規投資を決定。
DIA-105-1973-09-26-3台湾1973年09月26日1970年代ナウル共和国デ・ロバート大統領訪台。
DIA-105-1973-09-27-1台湾1973年09月27日1970年代行政院,輸出加工区認可業種に木製装飾品,事務用品,プレハブ家屋など9業種を追加。
DIA-105-1973-09-27-2台湾1973年09月27日1970年代台湾省籍在日観光団一行20名,北京を訪問。
DIA-105-1973-09-28-1台湾1973年09月28日1970年代ナイロビ開催中の国際通貨基金(IMF)年次総会で,台湾代表の演説は中止。
DIA-105-1973-09-29-1台湾1973年09月29日1970年代第9回世界華商貿易会議,台北で開催。
DIA-105-1973-09-30-1台湾1973年09月30日1970年代自民党議員71名訪台-日本自民党の衆参両院議員71名で構成する訪台議員団(団長灘尾弘吉元文相)の一行126名が台湾を訪問した。
DIA-105-1973-09-30-2台湾1973年09月30日1970年代国民党中央評議委員主席団主席李石曽病死,94歳。
DIA-105-1973-10-01-1台湾1973年10月01日1970年代蒋経国行政院長,日本自民党国会議員団の歓迎会で,「日本の台湾との国交断絶は日中戦争,真珠湾攻撃と並ぶ日本の3大ミステークの1つだ」と日中復交を非難した。
DIA-105-1973-10-02-1台湾1973年10月02日1970年代中国共産党統一戦線工作部,台湾省籍出身者の座談会を開催。
DIA-105-1973-10-03-1台湾1973年10月03日1970年代日本自民党在籍の訪台国会議員団,「訪華団全員は,日台航空路線に対する台湾政府の厳しい立場を了解したので,同航空線の現状維持のために最大の努力をはらう」との帰国声明書を発表。
DIA-105-1973-10-08-1台湾1973年10月08日1970年代「台湾・パナマ漁業技術合作協定」調印。
DIA-105-1973-10-11-1台湾1973年10月11日1970年代監察院,楊亮功,劉季洪を第5回考試院正,副院長に任命する総統の人事措名案を投票同意。
DIA-105-1973-10-12-1台湾1973年10月12日1970年代沢田日本航空台北支店長,「日航は台北路線を放棄する計画はもっていない」と述べた。
DIA-105-1973-10-16-1台湾1973年10月16日1970年代亡命のタイ前副首相プラパートおよびタノム首相の息子ナロン大佐,台北に到着。
DIA-105-1973-10-17-1台湾1973年10月17日1970年代アジア野菜研究発展センター,台南県善化鎮で成立。
DIA-105-1973-10-18-1台湾1973年10月18日1970年代行政院,物価安定を図るための4項目の重要な措置を決定。
DIA-105-1973-10-19-1台湾1973年10月19日1970年代孔祥煕夫人宋靄齢,ニューヨークで病死。
DIA-105-1973-10-22-1台湾1973年10月22日1970年代台湾省政府,貧乏を追放する1974年度の「小康計画」に2億元を投資することに決定。
DIA-105-1973-10-23-1台湾1973年10月23日1970年代中央銀行,金利の引上げを発表-兪国華中央銀行総裁は,銀行の定期預金利率および各種の貯蓄預金利率の引上げを発表し,前者の引上げ幅は年利1%,後者については1.5%であると説明した。
DIA-105-1973-10-26-1台湾1973年10月26日1970年代中国の周恩来首相,ニューヨーク・タイムス紙のサルツバーガ記者に「米中の真の正常化には,米国と台湾当局との断交が不可欠」という基本的見解を明示。
DIA-105-1973-10-28-1台湾1973年10月28日1970年代元日本首相岸信介訪台。
DIA-105-1973-10-28-2台湾1973年10月28日1970年代台湾,オートボルタと国交断絶-外交部は,オートボルタが9月15日に中国と国交を樹立したことに伴い,10月23日から同国駐在大使館を閉鎖し,同国に派遣している農耕隊も引揚げる旨の声明を発表した。
DIA-105-1973-10-30-1台湾1973年10月30日1970年代外交部,タイ前副首相プラパートおよびナロン大佐の台北滞在は短期間のものであり,政治亡命としては認めないという談話を発表。
DIA-105-1973-10-31-1台湾1973年10月31日1970年代曽文ダム建設工事,正式に完成。
DIA-105-1973-10-31-2台湾1973年10月31日1970年代台中港の建設に起工式。
DIA-105-1973-11-03-1台湾1973年11月03日1970年代台湾・南ベトナム経済協力会議の共同声明-第8回台湾・南ベトナム経済協力会議は,台湾は商品および技術援助の方式で,南ベトナムに200万ドルを援助するなどの内容を盛り込んだ共同声明を発表して閉会した。
DIA-105-1973-11-05-1台湾1973年11月05日1970年代行政院,中国石油公司が資本額48億元を80億元に増資する申請案を認可。
DIA-105-1973-11-07-1台湾1973年11月07日1970年代ホンジュラス駐台湾大使モーシ,信任状を提出。
DIA-105-1973-11-07-2台湾1973年11月07日1970年代「台湾・パナマ農業技術合作協定延長議定書」調印。
DIA-105-1973-11-08-1台湾1973年11月08日1970年代孫運経済部長,「エネルギー危機を克服するため,自発的なエネルギー節約を行なうように」と一般大衆に呼びかけ。
DIA-105-1973-11-08-2台湾1973年11月08日1970年代台湾省議会,1974年1月1日に台湾水道公司を発足させると議決。
DIA-105-1973-11-12-1台湾1973年11月12日1970年代台湾国民党第10回中央委員会第4次全体会議および中央評議委員会第5次会議,陽明山中山楼中華文化堂で開催。
DIA-105-1973-11-13-1台湾1973年11月13日1970年代台湾投資の日本企業40社,台湾への投資資産を保全する意図で東京で設立された「台資会」(代表世話人,守谷一郎守谷商会社長)に参加。
DIA-105-1973-11-13-2台湾1973年11月13日1970年代立法院,「中央政府台湾区南北高速公路建設第1期工事特別預算追加預算案」を可決。
DIA-105-1973-11-13-3台湾1973年11月13日1970年代アジア太平洋地域食糧農業緊急会議,台北で開催。
DIA-105-1973-11-13-4台湾1973年11月13日1970年代中国造船公司,アメリカのフィグ会社と4隻計45万トンのタンカーの建造発注契約に調印。
DIA-105-1973-11-14-1台湾1973年11月14日1970年代外交部,米中共同コミュニケについて「米中間に台湾の権益にかかわるいかなる協議が達成されても,一切承認しない」と声明。
DIA-105-1973-11-15-1台湾1973年11月15日1970年代国民党中央常務委員21名を選出-国民党第10回第4中全会は,第6次大会で次の中央常務委員を選出した。 厳家淦,蒋経国,谷正綱,黄少谷,倪文亜,,謝東閔,黄杰,張其均,袁守謙,鄭彦,徐慶鐘,沈昌煥(新),蒋彦土,李国鼎,高魁元(新),郭験,孫運,頼名湯,林挺生,郭驥,王任遠。
DIA-105-1973-11-16-1台湾1973年11月16日1970年代AGF,「中国加盟・台湾追放」を決定-テヘランで開かれたアジア競技連盟(AGF)評議員会で,「中国加盟・台湾追放」が圧倒的多数で(賛成13ヵ国38票,反対5ヵ国・地域13票,棄権2ヵ国5票)可決された。
DIA-105-1973-11-16-2台湾1973年11月16日1970年代物価審議会,セメントの輸出禁止を継続すると決定。
DIA-105-1973-11-17-1台湾1973年11月17日1970年代李崇道農復会主任委員,今年の台湾米の生産量は約235万トンと発表。
DIA-105-1973-11-18-1台湾1973年11月18日1970年代人民日報によると,中華全国体育総会は,来年のアジア大会に台湾選手も中国の他の省の選手と一緒に参加することを歓迎すると呼びかけた。
DIA-105-1973-11-29-1台湾1973年11月29日1970年代行政院会,調味料,トイレットペーパーなどを含む36種類の日用品に対する輸入関税率の引下げ(実施期間1年間)を実施すると可決。
DIA-105-1973-11-29-2台湾1973年11月29日1970年代日台第1回東亜工商企業者会議(台湾側は団長辜振甫ら36名,日本側は団長堀越禎三ら40名が出席),台北で開催。
DIA-105-1973-12-01-1台湾1973年12月01日1970年代台北市第2回市議員選挙が行われ,市議員49名を選出。
DIA-105-1973-12-09-1台湾1973年12月09日1970年代駐台米軍約3500人年内に撤退-台北の米軍スポークスマンはAFP通信に対し,米国が台湾中部の清泉崗空軍基地に駐留している第374戦術航空団に属する空輪部隊6000人のうち,約2500人を残して大部分を年内までに撤退させる計画であると言明した。
DIA-105-1973-12-09-2台湾1973年12月09日1970年代第3回米台「中国大陸問題シンポジウム」,台北で開催。
DIA-105-1973-12-09-3台湾1973年12月09日1970年代亜東関係協会理事長張研田一行5名,訪日。
DIA-105-1973-12-09-4台湾1973年12月09日1970年代台湾電力公司,インドネシアから9000トン,オーストラリアから4万5000トンの石炭を購入すると発表。
DIA-105-1973-12-11-1台湾1973年12月11日1970年代新任の米軍事援華顧問団長ナーシュ空軍少将,台北に着任。
DIA-105-1973-12-11-2台湾1973年12月11日1970年代内政部,営業(夜12時以後)および広告(夜9時以後)用の電気制限を実施。
DIA-105-1973-12-11-3台湾1973年12月11日1970年代立法院,「礦場安全法草案」を可決。
DIA-105-1973-12-12-1台湾1973年12月12日1970年代顔春輝行政院衛生署長,1973年の台湾の人口出生率は1.9%前後と発表。
DIA-105-1973-12-13-1台湾1973年12月13日1970年代胡新南中国石油公司総経理,同公司はインドネシアと年間60万トンの原油輸入の契約に調印したと発表。
DIA-105-1973-12-13-2台湾1973年12月13日1970年代行政院,台湾・パナマ技術合作協定の2年間延長を可決。
DIA-105-1973-12-13-3台湾1973年12月13日1970年代訪日中の張研田亜東関係協会理事長,福田大蔵大臣と会見。
DIA-105-1973-12-13-4台湾1973年12月13日1970年代柳珍山韓国新民党総裁訪台。
DIA-105-1973-12-14-1台湾1973年12月14日1970年代北京新華社,1973年10月に発表されたソ連ノーボスチ通信社の論文をソ連が「2つの中国」に血道を上げているとして非難。
DIA-105-1973-12-14-2台湾1973年12月14日1970年代台湾省政府,バナナの生産・輸送の一元化体制を1974年元旦から実施することに決定。
DIA-105-1973-12-14-3台湾1973年12月14日1970年代中国造船公司,日本鹿島建設株式会社と高雄造船工場のドック建設工事の契約に調印。
DIA-105-1973-12-15-1台湾1973年12月15日1970年代漁船の出入港を管理する「漁船出入港連合サービスセンター」,高雄で設立。
DIA-105-1973-12-15-2台湾1973年12月15日1970年代41億6000万元の工事費を投入した達見ダム,貯水開始。
DIA-105-1973-12-16-1台湾1973年12月16日1970年代経済部,1974年度所属各事業機構の投資額は430億元で,そのうち80%はエネルギー産業に投入される。と発表。
DIA-105-1973-12-16-2台湾1973年12月16日1970年代蒋経国行政院長,5年以内に南北高速道路,台中港,北回り鉄路,大鉄鋼工場,高雄造船所,石油化学工業,鉄路電気化,桃園国際空港,蘇澳港など9大建設の計画実施の完成を厳密にチェックするよう指示。
DIA-105-1973-12-20-1台湾1973年12月20日1970年代台湾空軍,UHー1H型ヘリコプターの試作に成功。
DIA-105-1973-12-20-2台湾1973年12月20日1970年代交通部電信総局,米国のITT会社と合弁した台湾国際標準電子公司が成立,Metaconta 10 Cを1975年から生産すると発表。
DIA-105-1973-12-21-1台湾1973年12月21日1970年代立法院,「民間航空法修正案」を可決。
DIA-105-1973-12-22-1台湾1973年12月22日1970年代国民消費協会,台北で発足。
DIA-105-1973-12-22-2台湾1973年12月22日1970年代立法院財政・経済両委員会,1974年に個人免税額を現行の1万元から1万2000元,家族扶養免税額を1人当り1年間7000元から8000元に引上げると決定。
DIA-105-1973-12-22-3台湾1973年12月22日1970年代国際貿易局,404品目の日用品の輸入地区制限を解除。
DIA-105-1973-12-25-1台湾1973年12月25日1970年代北回り鉄路の建設工事,花蓮県北埔および宣蘭県南新城で同時に起工。
DIA-105-1973-12-25-2台湾1973年12月25日1970年代台北市第2回市議会員の就任式が挙行され,議長に林挺生,副議長に張建邦が当選。
DIA-105-1973-12-26-1台湾1973年12月26日1970年代立法院,「投資奨励条例部分修正草案」を可決。
DIA-105-1973-12-26-2台湾1973年12月26日1970年代行政院,「投資奨励条例部分条文修正案」を可決。
DIA-105-1973-12-26-3台湾1973年12月26日1970年代蒋経国行政院長,曽文ダムを「大禹潭観光区」と命名。
DIA-105-1973-12-28-1台湾1973年12月28日1970年代台湾省各県市政府および台北市政府,都市土地の現行価格を公布。
DIA-105-1973-12-29-1台湾1973年12月29日1970年代国際貿易局,プラスチック原料の輸出停止は1974年6月末までに継続すると発表。
DIA-105-1974-01-01-1台湾1974年01月01日1970年代介石総統元旦文告を発表。
DIA-105-1974-01-01-2台湾1974年01月01日1970年代台湾省自来水(水道)公司発足。
DIA-105-1974-01-01-3台湾1974年01月01日1970年代台湾省政府,達見ダムを徳基ダムに改名すると発表。
DIA-105-1974-01-02-1台湾1974年01月02日1970年代経国行政院長,ニューヨーク・タイムズのティルマン・ダーディン記者との対談で「台湾は中国とのすべての接触や話し合いは絶対にやらない」と強調。
DIA-105-1974-01-04-1台湾1974年01月04日1970年代台湾西部鉄道および一部支線(全長約1000キロ)の電化工事資材,米GE社,英GE社,スウェーデンのエリックソン社が落札。
DIA-105-1974-01-04-2台湾1974年01月04日1970年代4億6000万元を投入した東部マイクロウェーブ通信系統,正式に完成。
DIA-105-1974-01-06-1台湾1974年01月06日1970年代カナダ国会議員団(自由党2名,保守党2名),台湾と断交後初の訪台。
DIA-105-1974-01-08-1台湾1974年01月08日1970年代立法院,台湾区高速道路第2期工事建設公債45億元の発行条例を可決。
DIA-105-1974-01-09-1台湾1974年01月09日1970年代台湾・オーストラリア協会台北事務所開設。
DIA-105-1974-01-11-1台湾1974年01月11日1970年代外交部スポークスマン柳鶴図,日台航空路線について,「台湾政府の立場は,昨年7月14日に発表した外交部声明通りで変わりはない」と再確認。
DIA-105-1974-01-11-2台湾1974年01月11日1970年代奨励産業およびその基準を修正-行政院は,「生産事業奨励類目および標準」を大幅修正して実施に移した。その主な原則は,①奨励の基準を引上げて高級工業発展の政策に適応させる,②エネルギー危機で原料不足となった加工業には奨励をしない,③東部に工場を設置する場合は奨励をする,④大気および水質汚染防止設備,あるいはごみ,堆肥の処理業は奨励をする,などである。
DIA-105-1974-01-15-1台湾1974年01月15日1970年代経国行政院長,日本の藤尾正行代議士との会見で,「台湾政府の日台航空路線問題に対する立場はすでに昨年7月14日発表した外交部声明の通りである」と強調。
DIA-105-1974-01-15-2台湾1974年01月15日1970年代板垣修交流協会理事長訪台。
DIA-105-1974-01-15-3台湾1974年01月15日1970年代沈剣虹駐米大使一時帰国。
DIA-105-1974-01-15-4台湾1974年01月15日1970年代立法院,「公証法修正案」を通過。
DIA-105-1974-01-15-5台湾1974年01月15日1970年代国際貿易局,欧米に限定した肥料購入地区を解除。
DIA-105-1974-01-17-1台湾1974年01月17日1970年代日台路線に関する外務・運輸両省案の内容-日本政府は,日台路線の扱いについての基本方針を「外務・運輸両省案」という形で説明した。その内容は,①日中共同声明を基礎として,すみやかに日中航空協定を締結するが,同時に日台路線(双方の以遠便を含む)については,民間取り決めを結んでこれを維持する,②日本側企業については「日本航空」が日台路線に就航しないようにする,③日本政府は「中華航空」がその意思に反して社名と旗を変更することは求めないが,社名と旗の性格に関する日本政府の認識を別途明らかにする。また,日本側当局が中華航空に言及する際には「中華航空(台湾)」とする,④「中国民航」は成田国際空港を使用し,「中華航空」は羽田空港を使用するようにする。なお,成田空港開港までは暫定的に羽田空港を双方が共用するようにするが,所要の時間帯調整を行なう,⑤大阪空港を使用している「中華航空」の便は,日台間で合意する他の空港に移転するようにする,⑥「中華航空」の日本における営業所,事務所その他の地上サービスは,代理店その他別の事業主体に委託するようにする。ただし,運航の安全および従業員の生活の安定については,所要の配慮をする,など6項目
DIA-105-1974-01-17-2台湾1974年01月17日1970年代行政院,原油,燃料油および液化ガス類の輸入税率を50%引下げると決定。
DIA-105-1974-01-18-1台湾1974年01月18日1970年代南沙,西沙群島の地位に関する声明-外交部は①政府は1946年12月に将校を南沙および西沙群島に派遣して接収,石碑を建て駐屯した,②1947年12月1日,東沙,西沙,中沙,南沙群島所属の各島,さんご礁などの名称を内政部より正式に決定し,国内外に宣告した,③台湾政府は南沙,西沙などの群島に対して唯一の合法的主権を有する国家である,との声明を発表した。
DIA-105-1974-01-26-1台湾1974年01月26日1970年代行政院,「当面の経済安定措置」を可決(参考資料参照)。
DIA-105-1974-01-26-2台湾1974年01月26日1970年代米第7艦隊司令官スティール中将,高雄港を訪問。
DIA-105-1974-01-28-1台湾1974年01月28日1970年代インガソル米国務次官補訪台。
DIA-105-1974-01-29-1台湾1974年01月29日1970年代中央銀行,ユーザンス・ビルによる輸入の再開を正式に公布。
DIA-105-1974-02-01-1台湾1974年02月01日1970年代国際貿易局,糖類の一時輸出停止を公布。
DIA-105-1974-02-02-1台湾1974年02月02日1970年代国際貿易局,電話交換機およびテレビ部品の輸入制限を解除。
DIA-105-1974-02-02-2台湾1974年02月02日1970年代交通部国際通信局,台湾で2番目の衛星通信地上局はすでに今年1月末完成したと発表。
DIA-105-1974-02-04-1台湾1974年02月04日1970年代台湾省政府,高雄港の全日24時間の荷物積降作業を実施。
DIA-105-1974-02-04-2台湾1974年02月04日1970年代国際貿易局,トマト,白菜,ナスなど9種類の野菜を4月末まで輸出解禁。
DIA-105-1974-02-05-1台湾1974年02月05日1970年代蓬莢米の取引自由化-施石青糧食局長は,①米価安定のため,蓬莢米の取引は2月6日から自由売買方式をとり,いかなる制限も加えない,②業者は仕入れた蓬莢米を10日内に売り出さなければならない,③在来米は依然現行価格で販売する,しかし購入するときの「消費者登録制度」は実施しない,と述べた。
DIA-105-1974-02-07-1台湾1974年02月07日1970年代米国駐在の両領事館の設置決定-外交部は,米政府の同意を得てカンサス総領事館の増設およびポートランド領事館の再開を決定した。これにより米国駐在の総領事館は11カ所,領事館は3カ所となる。
DIA-105-1974-02-07-2台湾1974年02月07日1970年代外交部,南沙群島の領有権を主張する南ベトナム政府に抗議声明。
DIA-105-1974-02-09-1台湾1974年02月09日1970年代北京放送によると,宋中全中国全国体育総会秘書長は,台湾省籍のスポーツ関係者に通知を発し,北京に来て第7回アジア競技大会全国選抜競技会に参加することを歓迎した。
DIA-105-1974-02-10-1台湾1974年02月10日1970年代台湾省糧食局,農民に3億5000万元の米穀生産資金を無利息で融資することを決定。
DIA-105-1974-02-10-2台湾1974年02月10日1970年代自民党,日台空路で①日中共同声明を基礎として日中航空協定を締結する,②同時に日台路線は民間取決めを結んで維持していく,という党議を決定。
DIA-105-1974-02-11-1台湾1974年02月11日1970年代外交部,フィリピン政府に覚書を送り,南沙群島の領有権を改めて主張。
DIA-105-1974-02-12-1台湾1974年02月12日1970年代何夢雷地政局長,台湾省の土地利用調査作業はすでに全部完成したと発表。
DIA-105-1974-02-12-2台湾1974年02月12日1970年代サウジアラビア訪問を終えて帰国した張光世経済部次長,台湾は7億ドルでサウジアラビア諸国から1000万トンの原油を輸入するだろうと述べた。
DIA-105-1974-02-12-3台湾1974年02月12日1970年代台湾省議会財政・農林両委員会共同会議,米穀の地租付随強制買入れ価格は市場価格より高くすべきであると決定。
DIA-105-1974-02-14-1台湾1974年02月14日1970年代外交部,「台湾はその海岸が延長した東シナ海内の大陸棚に対して一切の権利を保留する。この種の権利とは,大陸棚の探査およびその天然資源の開発も含む」との声明を発表。
DIA-105-1974-02-14-2台湾1974年02月14日1970年代沈昌煥外交部長,東シナ海大陸棚問題について金桂元駐台韓国大使と会見。
DIA-105-1974-02-14-3台湾1974年02月14日1970年代行政院,肥料製造原料の硫黄,燐鉱石,塩化カリウムおよび建築用の鉄鋼原料など19品目の輸入関税率を向う1年間50%引下げることを可決。
DIA-105-1974-02-15-1台湾1974年02月15日1970年代米新駐台湾大使アンガーに決定。
DIA-105-1974-02-15-2台湾1974年02月15日1970年代中国石油公司,フィリピンのリパブリック資源開発およびパイオニア天然資源開発の両社との共同出資によるアレグリア地区3カ所の油井試掘契約に調印。
DIA-105-1974-02-15-3台湾1974年02月15日1970年代日台観光協会,東京で成立。
DIA-105-1974-02-19-1台湾1974年02月19日1970年代経国行政院長,訪台中の米国下院外交委員会委員ザブロッキーおよびブルームフィールド両議員と会見。
DIA-105-1974-02-21-1台湾1974年02月21日1970年代スワジランド副総理クマロ訪台。
DIA-105-1974-02-22-1台湾1974年02月22日1970年代台湾・サウジアラビアの財政・経済に関する共同声明-2月16日から訪台中のサウジアラビアのアル・ハイル蔵相は,台湾側と次の共同声明を発表した。①サウジアラビア農村電化計画,農業・漁業発展計画に対する台湾の協力,②サウジアラビアでの石油精錬所,尿素工場建設の提携,③相互間の貿易促進。
DIA-105-1974-02-22-2台湾1974年02月22日1970年代経済部,トラック2000台の輸入を決定。
DIA-105-1974-02-23-1台湾1974年02月23日1970年代台湾省農林庁,1974年の牛乳生産量の目標を3万5000トンと決定。
DIA-105-1974-02-23-2台湾1974年02月23日1970年代行政院,苛性ソーダ,VCMなど9種類の工業原料の輸入関税率を向う6カ月間50%引下げることを実施。
DIA-105-1974-02-24-1台湾1974年02月24日1970年代院長,米タイム誌との会見で外交方針を説明-経国行政院長は,米タイム誌のロン・ローワン香港支局主任との会見で,台湾は①終始“一つの中国”しか認めない,②中ソ間に溝があることを知っているが,彼らのどちら側も結ぶことはしない,③今後アメリカ,ヨーロッパとの関係強化に努め,欧米の資本および技術導入に努力する,などの点を明らかにした。
DIA-105-1974-02-25-1台湾1974年02月25日1970年代行政院,大麦,とうもろこし,高梁,大豆,ふすま,くず鉄,解体用船舶など7品目の輸入関税率を向う1年間引下げることを実施。
DIA-105-1974-02-26-1台湾1974年02月26日1970年代台湾省アマチュア体育協会,中国のアジア競技大会代表選抜大会への招請を拒否。
DIA-105-1974-02-27-1台湾1974年02月27日1970年代大平外相,衆院外務委員会で,台湾機の青天白日旗は国旗でないなどとせんえつなことはいわないと述べた。
DIA-105-1974-02-28-1台湾1974年02月28日1970年代新華社によると,廖承志中国共産党中央委員は北京で開かれた人民政治協商会議全国委主催の台湾2.28決起27周年紀念座談で演説し,台湾解放と祖国統一を強調した。
DIA-105-1974-03-01-1台湾1974年03月01日1970年代沈昌煥外交部長,立法院の質疑答弁で南沙群島の領土主権を再確認。
DIA-105-1974-03-05-1台湾1974年03月05日1970年代「中華航空」をめぐる争点-張研田亜東関係協会理事長は,日台空路問題について,日本側が要求した①「中華航空」の掲げている青天白日旗を取り下げ,「中華航空」に言及するときは「中華航空」(台湾)とする,②「中華航空」の営業所を民間代理店に委託させる,などの2点に対し譲歩する余地はないと言明した。
DIA-105-1974-03-05-2台湾1974年03月05日1970年代経国行政院長,九大建設は積極的に進めると立法院で表明。
DIA-105-1974-03-06-1台湾1974年03月06日1970年代米輸出入銀行,台北市銀行に200万ドルを提供して台湾中小企業のアメリカ物資買付けの融資に当てると発表。
DIA-105-1974-03-07-1台湾1974年03月07日1970年代厳家淦副総統,ベネズエラおよびブラジルの大統領就任式に出席するため台北を出発。
DIA-105-1974-03-07-2台湾1974年03月07日1970年代「サウジアラビア・台湾貿易提携協議書」調印。
DIA-105-1974-03-09-1台湾1974年03月09日1970年代経国行政院長,立法院の答弁で「現在大陸で展開されている批林批孔運動は,毛沢東が人民の反共,反毛を制圧するために発動したものである」と指摘。
DIA-105-1974-03-09-2台湾1974年03月09日1970年代米輸出入銀行代表団訪台。
DIA-105-1974-03-11-1台湾1974年03月11日1970年代台湾政府,韓国駐在の釜山領事館の再開を決定。
DIA-105-1974-03-11-2台湾1974年03月11日1970年代「台湾・南ベトナム医薬提携協定」調印。
DIA-105-1974-03-12-1台湾1974年03月12日1970年代台湾政府,訪台中の米輸出入銀行代表団に対して総額20億ドルの借款プランを提示。
DIA-105-1974-03-12-2台湾1974年03月12日1970年代台湾省政府,中央政府が農村建設の第2期計画の実施を促進するため,とくに予備金から2億6000万元の補助金を支出することを決定した旨を発表。
DIA-105-1974-03-13-1台湾1974年03月13日1970年代サウジアラビア外相サカフ,訪台。
DIA-105-1974-03-13-2台湾1974年03月13日1970年代日台断交後初の台日文化経済協会大会(会長何応欽)開催。
DIA-105-1974-03-18-1台湾1974年03月18日1970年代台北の米国貿易センター正式に開設-オープン式典には米商務省ティバー次官,マコノギー米駐台大使,孫運経済部長らが出席した。
DIA-105-1974-03-20-1台湾1974年03月20日1970年代台湾省政府,雑穀およびその加工品の一時輸出停止を公布。
DIA-105-1974-03-21-1台湾1974年03月21日1970年代外交部スポークスマン柳鶴図,日中航空協定に伴う日台路線の日本側提案を拒否。
DIA-105-1974-03-21-2台湾1974年03月21日1970年代経済部工業局,台中工業区開発計画の草案内容を発表。
DIA-105-1974-03-22-1台湾1974年03月22日1970年代政府,銀行業の自由化にできるだけ許可を与えると決定。
DIA-105-1974-03-22-2台湾1974年03月22日1970年代陳衣凡空軍総司令,「わが航空機工業は自ら設計,製造の段階に入り,自力で航空機を生産する充分な能力もそなわった」と強調。
DIA-105-1974-03-22-3台湾1974年03月22日1970年代台湾政府,EECと化学繊維貿易協定を調印。
DIA-105-1974-03-24-1台湾1974年03月24日1970年代経済部,従来のバナナ増産奨励政策を改め,他の作物への転換を図るよう指示。
DIA-105-1974-03-25-1台湾1974年03月25日1970年代介石総統夫妻,近く帰国するマコノギー米駐台大使(在任7年9カ月)の送別宴を開催。
DIA-105-1974-03-26-1台湾1974年03月26日1970年代台湾銀行,米国製機械購入に最高50万ドルの融資を行なうと発表。
DIA-105-1974-03-27-1台湾1974年03月27日1970年代1975年度総予算案の特徴-国民党常務委員会は,1975年度中央政府総予算案を可決した。その特徴は,①国防,外交経費以外はすべて公開審査される,②九大建設の年度内支出経費を予算に編入している,③予算はほとんど経済建設,交通支出および公務員の待遇改善にあてられる。
DIA-105-1974-03-27-2台湾1974年03月27日1970年代ヨルダン政府,台湾がヨルダンに対し500万ドル相当の借款を与えたと発表。
DIA-105-1974-03-27-3台湾1974年03月27日1970年代国際貿易局,冷凍豚肉の輸出禁止を解除。
DIA-105-1974-03-30-1台湾1974年03月30日1970年代ガボンと外交断絶-外交部は,ガボン政府が中国承認を発表したたあ,同国との外交関係を断絶すると発表した。
DIA-105-1974-03-30-2台湾1974年03月30日1970年代政府,第3期農村建設加速化計画の経費に5億元を追加すると決定。
DIA-105-1974-04-01-1台湾1974年04月01日1970年代財政部,向う1年間,2000cc以上の大型乗用車の輸入関税率を75%から100%に引き上げると決定。
DIA-105-1974-04-02-1台湾1974年04月02日1970年代立法院,1975年度以降の外交および国防を除く中央政府総予算案は公開方式で審査すると決定。
DIA-105-1974-04-02-2台湾1974年04月02日1970年代立法院,「労働者安全衛生法」を通過。
DIA-105-1974-04-02-3台湾1974年04月02日1970年代経済部,鉄筋の協議価格を解除。
DIA-105-1974-04-02-4台湾1974年04月02日1970年代ホンジュラス共和国ロペッツ大統領夫人およびバトレス外相訪台。
DIA-105-1974-04-03-1台湾1974年04月03日1970年代インガソル米国務次官補,下院外交委員会アジア・太平洋小委員会で「米国は台湾への米軍駐留を引き続き再検討し,将来さらに台湾駐留米軍の縮小が行われる見通しである」と証言。
DIA-105-1974-04-05-1台湾1974年04月05日1970年代ボツワナと外交中止-外交部は,ボツワナとの外交関係を中止,駐ボツワナ大使館の閉鎖を決定した。これは3月25日,ボツワナ政府が中国を承認するとの表明に対してとった措置である。
DIA-105-1974-04-05-2台湾1974年04月05日1970年代経済部,30,40,50各デニールのナイロン・ストレッチおよび50デニールのポリエステルの輸出再開を承認。
DIA-105-1974-04-06-1台湾1974年04月06日1970年代「台湾・ホンジュラス漁業合作協定」,台北で調印。
DIA-105-1974-04-08-1台湾1974年04月08日1970年代証券管理委員会,証券信用取引の融資業務の実施を発表。
DIA-105-1974-04-10-1台湾1974年04月10日1970年代スウェーデンのE・M・エリックソン社,台湾鉄道局との間で台湾西部鉄道電化工事の信号系統設備など1780万ドル相当の供給契約に調印。
DIA-105-1974-04-10-2台湾1974年04月10日1970年代「台湾・コートジボアール手工芸技術協力協定」,アビジャンで調印。
DIA-105-1974-04-10-3台湾1974年04月10日1970年代藤尾正行自民党議員,日中航空協定交渉をめぐる公電を暴露。
DIA-105-1974-04-11-1台湾1974年04月11日1970年代沈昌煥外交部長,日台航空路線問題について,「日本政府が台湾の同意を得ず一方的に日台路線の現状を変える措置を採用したときは,台湾は日台路線の放棄も惜しまない」と述べた。
DIA-105-1974-04-11-2台湾1974年04月11日1970年代バッツ米農務長官訪台。
DIA-105-1974-04-13-1台湾1974年04月13日1970年代グェン南ベトナム新任駐台大使,信任状を提出。
DIA-105-1974-04-13-2台湾1974年04月13日1970年代中央銀行,輸入品に対する特別融資(年利9%)の期限は180日と説明。
DIA-105-1974-04-14-1台湾1974年04月14日1970年代米下院議員団(団長オニール議員,民主党14人,共和党8人)訪台。
DIA-105-1974-04-14-2台湾1974年04月14日1970年代英国GE社,台湾鉄道局との間で台湾西部鉄道電化工事の主要工事資材6000万ポンド相当の供給契約に調印。
DIA-105-1974-04-15-1台湾1974年04月15日1970年代交通部民航局,沢田日航台北支店長に対し「日本が日中航空協定に調印すれば,台湾は直ちに日台民間航空協定を破棄する」との警告文書を手渡した。
DIA-105-1974-04-15-2台湾1974年04月15日1970年代対外貿易発展協会,訪台中のギリシャ商工訪問団との間で貿易協力議定書に調印。
DIA-105-1974-04-16-1台湾1974年04月16日1970年代台湾省政府,台中港第2期工事建設公債4億元(年利12%)を発行。
DIA-105-1974-04-16-2台湾1974年04月16日1970年代経済部,石けん類の協定価格を解除。
DIA-105-1974-04-18-1台湾1974年04月18日1970年代訪台中の板垣交流協会理事長,日台航空路線に関する日本政府の書簡を張研田亜東関係協会理事長に手渡した。
DIA-105-1974-04-20-1台湾1974年04月20日1970年代台湾,日台路線を断絶-沈昌煥外交部長は,日中航空協定の調印に際し,①台湾航空機の日本への運航は20日をもって停止し,これに伴い国際慣行から日本航空機の台湾への乗入れも停止する,②日本航空機が許可なしに台湾管制下にある飛行情報区ならびに防空識別圏に侵入した場合,台湾政府は国際民間航空法規および台湾の関係法規に基づいてこれを処理する,という骨子の声明を発表した。
DIA-105-1974-04-20-2台湾1974年04月20日1970年代交通部民航局,日本航空の台湾での営業は通告を受けてから24時間以内(日本時間4月21日午後4時まで)に一切の活動を停止しなければならないと発表。
DIA-105-1974-04-20-3台湾1974年04月20日1970年代大平外相,台湾側の日台路線停止通告に対し,①日本の誠意が台湾に理解されなかったことは残念だ,②日本政府の立場として日台路線が再開するときは(外務・運輸省案の6項目に基づく)民間取決めでやりたい,と記者会見で述べた。
DIA-105-1974-04-22-1台湾1974年04月22日1970年代中華航空,東京経由台北ソウル間の運航を中止。
DIA-105-1974-04-23-1台湾1974年04月23日1970年代台湾セメント公司,技術協力でパナマに年産30万トンのセメント工場を建設する契約に調印。
DIA-105-1974-04-23-2台湾1974年04月23日1970年代政府および20社の合板・木材製品公司が共同出資した「海外林業開発公司」発足。
DIA-105-1974-04-24-1台湾1974年04月24日1970年代交通部民航局,中華航空の台北ソウル便日本の防空識別圏を通過することを認めるとの日本の申し入れを拒否。
DIA-105-1974-04-25-1台湾1974年04月25日1970年代行政院向う1年間,肥料用尿素の輸入関税率を7%から3.5%に引下げると決定。
DIA-105-1974-04-27-1台湾1974年04月27日1970年代米国GE社,台湾鉄道局との間で台湾西部鉄道電化工事の電気機関車およびレールなど6900万ドル相当の供給契約に調印。
DIA-105-1974-04-29-1台湾1974年04月29日1970年代財政部,輸出向既製服原料に対する輸入税払戻し制度の復活を決定。
DIA-105-1974-04-29-2台湾1974年04月29日1970年代台湾政府,ポルトガル新政府を承認。
DIA-105-1974-05-01-1台湾1974年05月01日1970年代経済部工業局,再生タイヤの輸出は不許可と表明。
DIA-105-1974-05-03-1台湾1974年05月03日1970年代「台湾・西サモア漁業協力協定」調印。
DIA-105-1974-05-04-1台湾1974年05月04日1970年代新任のアンガー米駐台湾大使,台北に着任。
DIA-105-1974-05-04-2台湾1974年05月04日1970年代ヨルダンのハッサン親王訪台。
DIA-105-1974-05-08-1台湾1974年05月08日1970年代厳家淦副総統,コスタリカ,エルサルバドル,ホンジュラス,ニカラグア4国を歴訪するため,台北を出発。
DIA-105-1974-05-09-1台湾1974年05月09日1970年代グァテマラ大統領特使バッツー将軍訪台。
DIA-105-1974-05-14-1台湾1974年05月14日1970年代英ラザード社との借款契約-台湾鉄道西部縦貫鉄道幹線の電化工事に要する機材,設備購入資金として,英国ラザード・ブラザー社銀行団が5750万ポンドの借款を供与する契約が,台北で台湾鉄路局との間で調印された。
DIA-105-1974-05-15-1台湾1974年05月15日1970年代日本航空会社,同社台北支店の台湾系職員に対し,第一銀行に出頭し解雇手当を受領するよう通知。
DIA-105-1974-05-15-2台湾1974年05月15日1970年代第2回国際自由労連経済会議アジア地区会議,台北で開催。
DIA-105-1974-05-16-1台湾1974年05月16日1970年代米輸出入銀行,中華機械公司に184万ドルの直接融資を決定したと発表。
DIA-105-1974-05-19-1台湾1974年05月19日1970年代チェース・マンハッタン銀行ロックフェラー会長訪台。
DIA-105-1974-05-20-1台湾1974年05月20日1970年代厳家淦副総統,ホンジュラス共和国元首ロペッツと共同声明を発表し,貿易および文化交流を強調。
DIA-105-1974-05-21-1台湾1974年05月21日1970年代英フリードランダ銀行(中国名盛華銀行)台北事務所開設。
DIA-105-1974-05-21-2台湾1974年05月21日1970年代コロンビア自由党ターベイ総裁訪台。
DIA-105-1974-05-21-3台湾1974年05月21日1970年代国際貿易局,カラーテレビ,乗用車の輸入を一時禁止すると発表。
DIA-105-1974-05-22-1台湾1974年05月22日1970年代経国行政院長,米国のセントルイス・グローブ・デモクラット紙ワシントン支局長オーブリエ記者との会見で,「中国大陸の収復は必らず成功する」と述べた。
DIA-105-1974-05-23-1台湾1974年05月23日1970年代4大公開政策-行政院は院会で,“行政機関4大公開推行実施綱領”を可決した。その内容は,①人事公開:情実関係を排除する,②経費公開:予算外の支出は認めない,絶対必要なものを除き,追加予算は認めない,③意見公開:誠意をもって意見を出し合うこと,各機関の責任者はつねに民衆との対話を保つことが必要である,④賞罰公開:賞罰はその理由の是非を明らかにすることが必要である,などのものである。
DIA-105-1974-05-24-1台湾1974年05月24日1970年代張光世経済部次長,ヨルダン,サウジアラビア,オーマンを訪問するため,台北を出発。
DIA-105-1974-05-25-1台湾1974年05月25日1970年代国際貿易局,ナイロン糸およびポリエステル糸の輸出解禁を発表。
DIA-105-1974-05-28-1台湾1974年05月28日1970年代立法院,中央政府総予算案を可決-立法院で可決された1975年度の中央政府総予算案の歳入,歳出総額は,ともに762億5057万3694元で,食糧平価準備基金特別予算案の歳入,歳出総額は30億元を計上している。
DIA-105-1974-05-28-2台湾1974年05月28日1970年代アジア太平洋地区第3回市政会議,陽明山中山楼で開幕。
DIA-105-1974-05-31-1台湾1974年05月31日1970年代台湾・マレーシア双方の領事館閉鎖-外交部は,マレーシア政府が中国と国交を樹立したため,台湾駐クァラルンプール総領事館を閉鎖すると発表した。同時に,マレーシア駐台北領事館に対しても,同館を直ちに閉鎖するよう通告した。
DIA-105-1974-05-31-2台湾1974年05月31日1970年代立法院,「農会法修正案」を通過。
DIA-105-1974-05-31-3台湾1974年05月31日1970年代台湾駐韓国釜山領事館業務再開。
DIA-105-1974-06-01-1台湾1974年06月01日1970年代経済部物価督導会議,国民重要生活必需品の協議価格を全部廃止し,原則的に自由市場価格制に戻すことを実施。
DIA-105-1974-06-01-2台湾1974年06月01日1970年代日本航空,日中航空協定成立に伴う日台路線停止により,経理上の損害は年間84億円に達すると発表。
DIA-105-1974-06-02-1台湾1974年06月02日1970年代行政院,台湾南部東港の大鵬湾を補助港として建設すると決定。
DIA-105-1974-06-02-2台湾1974年06月02日1970年代マレーシアのラザク首相,マレーシア航空(MAS)が引き続き台北向けの航空路を維持し,台湾との民間貿易も続行することを表明。
DIA-105-1974-06-05-1台湾1974年06月05日1970年代王正誼元行政院人事局長,収賄事件で無期懲役確定。
DIA-105-1974-06-06-1台湾1974年06月06日1970年代台湾・韓国科学技術資料交換協定,台北で調印。
DIA-105-1974-06-06-2台湾1974年06月06日1970年代台湾・サウジアラビア経済技術協力覚書調印-6月1日から訪台中のサウジアラビアのタイバ商工部次長は,孫運経済部長との間で双方の経済技術協力覚書に調印した。④台湾糖業公司がサ国の精糖工場建設に対し技術面で支援する,②台湾電力公司がサ国の20カ所の農村に毎年1カ所づつの発電所を建設する,③台湾が向う2年間,毎月2万トンのセメントを支援する。
DIA-105-1974-06-07-1台湾1974年06月07日1970年代国際貿易局,木材(檜木を除く)加工品,合金製品,プラスチック類(PVC原料は当分月3000トンに限定)など48品目の輸出再開を発表。
DIA-105-1974-06-09-1台湾1974年06月09日1970年代バルバドスのパーマ副総理訪台。
DIA-105-1974-06-09-2台湾1974年06月09日1970年代台湾省政府,台湾内部のバナナ市場を拡大させるため,3項目の措置をとると発表。
DIA-105-1974-06-09-3台湾1974年06月09日1970年代行政院エネルギー研究発展委員会,蘭陽地区のメタンガスを全面的に開発すると発表。
DIA-105-1974-06-10-1台湾1974年06月10日1970年代行政院,高速道路第2期工事の9億元建設公債の発行を延期。
DIA-105-1974-06-10-2台湾1974年06月10日1970年代新任の米軍台湾共同防衛司令部参謀長ウィリヤムズ准将着任。
DIA-105-1974-06-11-1台湾1974年06月11日1970年代国際サッカー連盟(FIFA),台湾追放を否決。
DIA-105-1974-06-11-2台湾1974年06月11日1970年代中央銀行,総額15億元に達する中小企業に対する輸出融資を実施。
DIA-105-1974-06-13-1台湾1974年06月13日1970年代行政院,衛生署長に王金茂を任命。
DIA-105-1974-06-13-2台湾1974年06月13日1970年代台湾鉄道局,東部鉄道のレール幅を2.5フィートから3.5フィートに拡げることを決定。
DIA-105-1974-06-15-1台湾1974年06月15日1970年代中央社によると,米政府は駐台大使館の庁舎を同じ台北市内に建て直すことを計画しており,建築費として167万ドルが国務省の1975年会計年度予算支出に計上されているという。なお,現在米駐台大使館員数は外交官21名,職員9名,現地職員51名の計81名である。
DIA-105-1974-06-17-1台湾1974年06月17日1970年代国防部軍事スポークスマン李長浩少将,米台の協議により米の駐台湾ファントム戦闘爆撃機は適当な時期に撤収すると述べた。
DIA-105-1974-06-17-2台湾1974年06月17日1970年代スワジランド王国総理マコシニ親王夫人訪台。
DIA-105-1974-06-17-3台湾1974年06月17日1970年代財政部,1973年度外資の所得税を原則的に投資奨励条例修正以前の源泉課税率15%で徴収することを決定。
DIA-105-1974-06-19-1台湾1974年06月19日1970年代アンガー米駐台大使,「上海コミュニケ」を再確認-アンガー新駐台湾米大使は,台北の米商工会議所で台湾問題について講演した。要旨は,①米国が「上海コミュニケ」中に述べた各種の声明は米国の全般的対中国政策を説明している,②米国と中華人民共和国の正常化への過程では,困難な場面もあるが,終局的には台湾の利益を含め,われわれ全体のもっとも基本的な利益に合致する,などである。
DIA-105-1974-06-19-2台湾1974年06月19日1970年代丁一権韓国議会議長訪台。
DIA-105-1974-06-21-1台湾1974年06月21日1970年代第9回台韓経済提携閣僚会議の共同声明-要旨は次の通り。①双方は経済・貿易・科学技術方面において提携を強化する,②双方はひきつづき,鉄鋼,セメント,肥料,合板,紡織品,電子,プラスチック,機器,食品加工,養鰻の各産業の提携強化を促進する。
DIA-105-1974-06-21-2台湾1974年06月21日1970年代国際貿易局,砂利など6項目の一時輸出禁止を決定。
DIA-105-1974-06-22-1台湾1974年06月22日1970年代研究および発電用に限定する米台間核協定か発効,期限は2002年6月21日まで。
DIA-105-1974-06-25-1台湾1974年06月25日1970年代中央銀行,5億元の公開市場操作を実施。
DIA-105-1974-06-29-1台湾1974年06月29日1970年代ベネズエラと外交中止-外交部は,ベネズエラ政府が6月28日中国と外交関係を樹立したので,同国との外交関係を中止すると発表。
DIA-105-1974-06-29-2台湾1974年06月29日1970年代財政部,旅客の携帯する新台幣は出国の場合1人当り2000元,入国の場合1人当り4000元と出入国旅客の携帯貨幣の制限を緩和。
DIA-105-1974-07-01-1台湾1974年07月01日1970年代台湾省政府,各業種の営業税の課税最低限の引上げを実施,①第1,2種類業種は10,000元,②第3,4種類業種は5000元。
DIA-105-1974-07-01-2台湾1974年07月01日1970年代台湾船舶会社,米台間定期航路運航の運賃を一律に10%引上げることを決定。
DIA-105-1974-07-01-3台湾1974年07月01日1970年代蘇澳港の拡張工事着工。
DIA-105-1974-07-02-1台湾1974年07月02日1970年代立法院,公害防止立法第1号として「水汚染防止法」を可決。
DIA-105-1974-07-03-1台湾1974年07月03日1970年代台湾銀行,台湾初のオン・ライン・システムを導入。
DIA-105-1974-07-05-1台湾1974年07月05日1970年代交通部民航局,桃園国際空港の第1期工事は7月までに着工,1977年の12月に完成する予定であると表明。
DIA-105-1974-07-15-1台湾1974年07月15日1970年代第10回国際保険会議,台北で開催。
DIA-105-1974-07-15-2台湾1974年07月15日1970年代財政部,台湾に90日以上居住した外国人の労務所得に課税することを決定。
DIA-105-1974-07-16-1台湾1974年07月16日1970年代関税法修正案-立法院は,関税法修正案を可決した。その要点は次の通り。①必要の場合政府機関に輸入商品の関税率の50%以内での増減調整をする権限を与える,②税関の通関手続の期限を30日から15日に短縮し,期間が超過した場合は追徴金を課する。
DIA-105-1974-07-16-2台湾1974年07月16日1970年代立法院,新聞用紙の輸入関税免税措置の1年間延長を可決。
DIA-105-1974-07-16-3台湾1974年07月16日1970年代中央研究院第11回院士会議,周文徳ら8名の新院士を選出。
DIA-105-1974-07-17-1台湾1974年07月17日1970年代木村俊夫外相,台湾との航空路線復活の希望を強調。
DIA-105-1974-07-19-1台湾1974年07月19日1970年代米カリフォルニア州ユナイテッド銀行(中国名加州聯合銀行)台北支店開設。
DIA-105-1974-07-19-2台湾1974年07月19日1970年代サリバン米国務省台湾課長訪台。
DIA-105-1974-07-22-1台湾1974年07月22日1970年代ニクソン米大統領,スナイダー海軍少将を台湾防衛協力司令官に任命するとともに,中将昇進を上院に提案。
DIA-105-1974-07-23-1台湾1974年07月23日1970年代リベリア新任駐台湾大使イーストマン,総統代理の厳副総統に信任状を提出。
DIA-105-1974-07-23-2台湾1974年07月23日1970年代台湾・日本・韓国の教授会議,台北で開催。
DIA-105-1974-07-25-1台湾1974年07月25日1970年代行政院,外資の台湾陸上運輸業に対する投資は禁止するとの原則を経済部に通達。
DIA-105-1974-07-25-2台湾1974年07月25日1970年代国民党1974年度党務工作会議,台北市木柵革命実践研究院で開催。
DIA-105-1974-07-28-1台湾1974年07月28日1970年代国内外学者国家建設研究会,台北で開催。
DIA-105-1974-07-29-1台湾1974年07月29日1970年代沈昌煥外交部長,「日台航空路線の復航の成否は日本側の誠意の有無できまる」と国家建設研究会で政府見解を表明。
DIA-105-1974-07-29-2台湾1974年07月29日1970年代台湾区南北高速道路の三重―中線区開通。
DIA-105-1974-07-30-1台湾1974年07月30日1970年代ニジェールと国交断絶-外交部は,ニジェール共和国軍事政権が7月29日に中国を承認したので,同日以降ニジェールとの外交関係を断絶すると同時に,同国駐在の農耕隊,農機具製造技術隊なども直ちに召還すると発表した。
DIA-105-1974-07-31-1台湾1974年07月31日1970年代台湾・ボリビア共和国の農業技術協力協定の有効期間を2年間延長する議定書,ラパスで調印。
DIA-105-1974-07-31-2台湾1974年07月31日1970年代東京新聞によると,小淵恵三総理府副長官は7月1日から2日にかけて私人の行動として台湾を訪問した。
DIA-105-1974-07-31-3台湾1974年07月31日1970年代「台湾・ハイチ貿易協定」調印。
DIA-105-1974-08-03-1台湾1974年08月03日1970年代台湾・パラグワイ共和国の政府間経済技術協力議定書,台北で調印。
DIA-105-1974-08-10-1台湾1974年08月10日1970年代総統夫人,中央通信社の要請に応じ,ニクソン米前大統領の辞任は「明らかに難しいうえ,苦痛なものではあるが,アメリカの利益に合致した最善の決断とみている」と感想を述べた。
DIA-105-1974-08-13-1台湾1974年08月13日1970年代福建省霞浦県西洋島東風大隊漁民,馬祖島の台湾遭難漁船「光華号」を救助。
DIA-105-1974-08-15-1台湾1974年08月15日1970年代経国行政院長,行政院会で「米台関係は長い伝統的な友誼と共通の利益で固く結ばれており,今後も引続き協力関係が緊密化し,アジアの安泰と世界の正義と平和に共同で努力できると確信している」と表明。
DIA-105-1974-08-15-2台湾1974年08月15日1970年代日本のサンケイ新聞,「介石秘録」を新聞に連載。
DIA-105-1974-08-16-1台湾1974年08月16日1970年代ブラジルと外交断絶-外交部は,ブラジル共和国が8月15日に中国を承認,同時に外交関係を樹立したので,同国との外交関係を即日断絶することに決定したと発表。
DIA-105-1974-08-17-1台湾1974年08月17日1970年代米国下院ロッド議員,下院に台湾支持決議案を提出。
DIA-105-1974-08-22-1台湾1974年08月22日1970年代台湾・タイ臨時航空協定第5回書換え方式,バンコクで挙行。
DIA-105-1974-08-22-2台湾1974年08月22日1970年代行政院,スチレン,塩化ビニール,ポリエチレンおよびポリプロピレンの工業原料に対する関税半減措置を半年延長。
DIA-105-1974-08-22-3台湾1974年08月22日1970年代行政院,「建設・教育合作施行令」を通過。
DIA-105-1974-08-23-1台湾1974年08月23日1970年代国防部の軍事スポークスマン,1958年に中国が砲戦を発動してから1974年8月22日までの16年間に,中国は金門,馬祖地区に合わせて96万1106発の砲弾を撃ち込んできたと発表。
DIA-105-1974-08-23-2台湾1974年08月23日1970年代李国鼎財政部長,サウジアラビア訪問に出発。
DIA-105-1974-08-26-1台湾1974年08月26日1970年代米コンチネンタル・オイル社,台湾沖合で天然ガスを発見したと発表。
DIA-105-1974-08-26-2台湾1974年08月26日1970年代米台防衛協力司令官スナイダー海軍中将着任。
DIA-105-1974-08-29-1台湾1974年08月29日1970年代行政院,台湾肥料公司の液体アンモニア尿素工場新規建設増加分1400万ドルを米チェース・マンハッタン銀行からの借入申請案を認可。
DIA-105-1974-08-30-1台湾1974年08月30日1970年代国防部軍事スポークスマン李長浩少将,定例記者会見で「中国は海南島文昌県に数多くの外国反乱分子を専門に訓練し,それぞれの国に送り返して転覆活動を拡大する暴乱製造陰謀をつづけている」と指摘。
DIA-105-1974-08-31-1台湾1974年08月31日1970年代台湾初のPE原料工場完成-台・米(ナショナル・ペトロケミカル社)・ベルギー(ソルヴェ& CIE社)の合弁会社「台湾聯聚化学品公司」(資本金280万ドル)は,苗栗県頭鎮に台湾初のポリエチレン原料工場の建設を完成した。年産量は25,000トンの予定。
DIA-105-1974-08-31-2台湾1974年08月31日1970年代国際貿易局,冷凍肉の輸出停止を公示。
DIA-105-1974-09-01-1台湾1974年09月01日1970年代台湾区綿紡績工業組合,組合員紡績工場の20%操短の実施を要請。
DIA-105-1974-09-01-2台湾1974年09月01日1970年代台湾新聞評議委員会設立。
DIA-105-1974-09-03-1台湾1974年09月03日1970年代中央銀行,綿紡,鉄鋼および合板の3業種に対する緊急特別融資を開始。
DIA-105-1974-09-03-2台湾1974年09月03日1970年代孫運経済部長,台湾とサウジアラビア両政府の共同出資で化学肥料工場および石油精製工場をサウジアラビアに建設する契約がすでに両国間に調印され,台湾側の出資額は1億3000万ドルと発表。
DIA-105-1974-09-05-1台湾1974年09月05日1970年代レソト王国コレーン国会議長訪台。
DIA-105-1974-09-05-2台湾1974年09月05日1970年代経済部,鉱産物開発法案を公布実施。
DIA-105-1974-09-06-1台湾1974年09月06日1970年代フィリピンのマルコス大統領,退役陸軍少将ラプツを駐台湾大使に任命。
DIA-105-1974-09-06-2台湾1974年09月06日1970年代方賢斉交通部電信総局長,アメリカ電話電報会社の統計を引用して,過去10年間台湾の電信事業成長率は396%で,世界第2位であると発表。
DIA-105-1974-09-06-3台湾1974年09月06日1970年代全ヨーロッパ台湾同郷会連合会第4回大会,ウィーンで開催。
DIA-105-1974-09-07-1台湾1974年09月07日1970年代ガンビアのヌジエ外相訪台。
DIA-105-1974-09-07-2台湾1974年09月07日1970年代経済部,木材88品目の輸出解禁を決定。
DIA-105-1974-09-09-1台湾1974年09月09日1970年代第3回日台「中国大陸問題検討会」台北で開催,日本側から元衆院議長船田中らが参加。
DIA-105-1974-09-11-1台湾1974年09月11日1970年代原子炉2基購入-米国ウェスチングハウス社は,台湾電力公司がこのほど同社製の原子炉2基を購入したと発表。この2基はともに発電能力95万KWのもので,価格は核燃料費込みで2億ドルである。
DIA-105-1974-09-11-2台湾1974年09月11日1970年代国際貿易局,特別融資項目(大豆,小麦,とうもろこし,鉄鋼の4種類)に石炭および肥料を追加。
DIA-105-1974-09-12-1台湾1974年09月12日1970年代米フライング・タイガー航空(中国名飛虎航空公司),米台間貨物航空路線に初のボーイング747型機を導入。
DIA-105-1974-09-13-1台湾1974年09月13日1970年代〓国斌台湾駐ホンジュラス大使,解雇した現地人運転手に狙撃されて死去。
DIA-105-1974-09-13-2台湾1974年09月13日1970年代国際貿易局,欧米製カラーテレビの輸入数量の制限を撤廃。
DIA-105-1974-09-13-3台湾1974年09月13日1970年代国際貿易局,PVC,紙類,紡績品,野菜など4品目の輸出を復活。
DIA-105-1974-09-14-1台湾1974年09月14日1970年代ニカラグア共和国大統領に選出されたソモザ将軍,9月21日まで台湾を正式に訪問。
DIA-105-1974-09-16-1台湾1974年09月16日1970年代新華社によると,台湾省の漁船「新益成1号」,「瑞隆11号」,「東吉福号」3隻は8月19日,浙江省台州湾海上で台風に襲われ,地元漁民の救助をえた結果,9月14日に無事帰台した。
DIA-105-1974-09-17-1台湾1974年09月17日1970年代中華航空公司(CAL),国際航空輸送協会(IATA)からの脱退を決定。
DIA-105-1974-09-17-2台湾1974年09月17日1970年代林金生内政部長訪日。
DIA-105-1974-09-17-3台湾1974年09月17日1970年代経国行政院長,立法院第54会期第1次会議で施政報告。
DIA-105-1974-09-17-4台湾1974年09月17日1970年代国連事務局,国連ビル大ロビーにはめ込んであった孔子の石刻「礼運大同篇」を除去。
DIA-105-1974-09-19-1台湾1974年09月19日1970年代金利引下げ-中央銀行は,各種金利の引下げを実施した。引下げ幅は0.5~1.5%。
DIA-105-1974-09-19-2台湾1974年09月19日1970年代元国民党駐日代表部団長商震,北京を訪問。
DIA-105-1974-09-20-1台湾1974年09月20日1970年代経国行政院長,九大建設完成後,中央山脈を東西に横断する道路3線を新たに建設すると立法院で報告。
DIA-105-1974-09-20-2台湾1974年09月20日1970年代国際貿易局,鉄鋼製品,グルタミン酸ソーダ,紙,化学品,石炭など5種類の商品の輸出解禁を公布。
DIA-105-1974-09-21-1台湾1974年09月21日1970年代沈昌煥外交部長,総体外交を推進するためには,政府部内の関係各機関と密接に連絡する必要があると立法院で述べた。
DIA-105-1974-09-22-1台湾1974年09月22日1970年代バンドン南ベトナム副総理訪台。
DIA-105-1974-09-23-1台湾1974年09月23日1970年代ヨルダンに借款供与-台湾政府はヨルダン政府との間で,ヨルダンのハイウェイ(176キロ)建設資金として,800万ドルの借款を供与する契約に調印。償還期間15年,年利7%で3年の据置き。
DIA-105-1974-09-23-2台湾1974年09月23日1970年代ホンジュラス訪問中の頼名湯参謀総長,台湾政府を代表して台風見舞金10万ドルを同国に寄贈。
DIA-105-1974-09-24-1台湾1974年09月24日1970年代孫運経済部長,米価保証制度をほかの重要農産品にも拡大適用すると述べた。
DIA-105-1974-09-25-1台湾1974年09月25日1970年代米輸銀,中鋼および台肥に借款供与-米輸出入銀行は,①中国鋼鉄公司の大鉄鋼工場建設資金2億ドル,②台湾肥料公司の苗栗液体アンモニア工場建設資金2800万ドル,など2項目に対する借款申請案を承認した。償還期間16年,年利8%,4年間据置きの後,6カ月毎に分割払いで償還する。
DIA-105-1974-09-25-2台湾1974年09月25日1970年代第7回台韓民間経済協力会議終わる,台韓協力関係を強調した共同声明を発表。
DIA-105-1974-09-25-3台湾1974年09月25日1970年代施石青糧食局長,1974年の第1期稲作の生産量は129万707トンに達し,第1期作として史上最高であると台湾省議会で報告。
DIA-105-1974-09-28-1台湾1974年09月28日1970年代国際貿易局,漢方薬品など88項目の商品輸入地区制限を解除。
DIA-105-1974-10-02-1台湾1974年10月02日1970年代新華社によると,鄧小平国務院副総理は,中国の国慶節祝賀行事に参加するため海外から北京に来た台湾同胞らと会見した。
DIA-105-1974-10-02-2台湾1974年10月02日1970年代国際貿易局,丸鉄など鉄鋼製品29品目の禁輸措置を解除。
DIA-105-1974-10-03-1台湾1974年10月03日1970年代経国行政院長,「国民からの献金はこの際辞退したいが,その代りに10大建設関係の公債,社債や株券の購入を国民に要望したい」と述べた。
DIA-105-1974-10-03-2台湾1974年10月03日1970年代中国鋼鉄公司,西独銀行グループから2億マルクの借款。
DIA-105-1974-10-05-1台湾1974年10月05日1970年代ボリビア共和国陸軍総司令アルコレザ少将訪台。
DIA-105-1974-10-06-1台湾1974年10月06日1970年代徳基ダム竣工,発電能力23万4000KW。
DIA-105-1974-10-06-2台湾1974年10月06日1970年代天輪―板橋間の超高圧送電(34万5000ボルト)工事完成。
DIA-105-1974-10-07-1台湾1974年10月07日1970年代台湾独立運動から離脱した在日華僑楊子湖ら6名,台湾に帰順。
DIA-105-1974-10-07-2台湾1974年10月07日1970年代国際貿易局,コークスの輸出禁止措置を解除。
DIA-105-1974-10-08-1台湾1974年10月08日1970年代タイ国海軍総司令官シャラヨ大将訪台。
DIA-105-1974-10-08-2台湾1974年10月08日1970年代孫運経済部長,米フォード大統領の新経済政策について,「アメリカが新らしく消費規制を実施しても,台湾製品の米国向け輸出には大きな影響はないだろう」と述べた。
DIA-105-1974-10-09-1台湾1974年10月09日1970年代米上院,台湾決議を廃棄-米上院は,1955年台湾決議の廃棄を含む総額9億8100万ドルの1975会計年度国務省支出権限法案を可決した。
DIA-105-1974-10-09-2台湾1974年10月09日1970年代国際バレーボール連盟,台湾追放を多数で決議。
DIA-105-1974-10-10-1台湾1974年10月10日1970年代米輸出入銀行,中国造船公司に対する440万ドルの借款を決定。
DIA-105-1974-10-12-1台湾1974年10月12日1970年代中央社によると,アメリカのロサンゼルス地区在住の台湾系の留学生と華僑が同地のビルモホテルで双十国慶節の祝賀パーティーを開催中,突如中国系分子の襲撃を受け,台湾留学生院宝珊がナイフで刺されて死亡した。
DIA-105-1974-10-12-2台湾1974年10月12日1970年代国際貿易局,対日貿易の不均衡是正のため,日本からの機械設備の輸入申請について厳格な審査を実施することを決定。
DIA-105-1974-10-13-1台湾1974年10月13日1970年代友良米参議院議員訪台。
DIA-105-1974-10-14-1台湾1974年10月14日1970年代交通部,①台北―梨山,②台北―日月潭,③高雄―恒春の3空路開設を決定。
DIA-105-1974-10-15-1台湾1974年10月15日1970年代総統夫人,「真偽の識別」と題する一文を発表し,国連が台湾の寄贈した「礼運大同篇」の石碑を取除いたことを激しく非難。
DIA-105-1974-10-15-2台湾1974年10月15日1970年代国際貿易局,台湾製綿紡績品の欧州共同市場向輸出に関する協定の有効期限を1974年未まで延長することを発表。
DIA-105-1974-10-16-1台湾1974年10月16日1970年代経済部国営事業委員会,1976年度の所属国営事業に対する新規投資額を456億元と決定。
DIA-105-1974-10-18-1台湾1974年10月18日1970年代ラプツ新任フィリピン駐台湾大使,着任の信任状を提出。
DIA-105-1974-10-18-2台湾1974年10月18日1970年代台湾・タイ農業技術提携協議書修正文書調印。
DIA-105-1974-10-19-1台湾1974年10月19日1970年代徐亨国際オリンピック委員会台湾委員,政治とスポーツの分離を主張。
DIA-105-1974-10-23-1台湾1974年10月23日1970年代ヨルダン王国空軍総司令ハッサン准将訪台。
DIA-105-1974-10-24-1台湾1974年10月24日1970年代交流協会の台北事務所に卜部敏男前駐フィリピン大使が決定。
DIA-105-1974-10-27-1台湾1974年10月27日1970年代台湾の南北を貫く334キロの超高圧電線,送電を開始。
DIA-105-1974-10-29-1台湾1974年10月29日1970年代自民党議員訪台-日台関係議員懇談会灘尾弘吉会長を団長とする自民党の台湾親善訪問団(衆院議員44名,参院議員30名,元議員6名の計80名)が,介石総統の米寿を祝うため訪台した。
DIA-105-1974-10-29-2台湾1974年10月29日1970年代介石総統の誕生祝い祝賀のための韓国国会議員祝賀団(団長李孝祥民主共和党代理)一行6名訪台。
DIA-105-1974-10-29-3台湾1974年10月29日1970年代ジェンキンズ前北京駐在米国連絡事務所副所長,一民間人として台湾を訪問。
DIA-105-1974-10-30-1台湾1974年10月30日1970年代F-5E1号機完成-台湾空軍航空工業発展センターと米ノースロップ社の提携によるF-5E型ジェット戦闘機の第1号が台湾中部空軍の某工場で完成した。
DIA-105-1974-10-30-2台湾1974年10月30日1970年代孫運経済部長,ワシントンでインガソル米国務次官補と会談。
DIA-105-1974-10-31-1台湾1974年10月31日1970年代総合所得税の免税基準引上げ-立法院は,1974年および75年度の総合所得税の免税基準を3000元引上げる方針を決定した。①個人免税額は年間1万5000元,②妻帯者は3万元,③扶養家族減免額は1人当り1万1000元。
DIA-105-1974-10-31-2台湾1974年10月31日1970年代中国石油公司,深澳石油専用港(停泊能力3万6000トン)の建設工事を完成。
DIA-105-1974-10-31-3台湾1974年10月31日1970年代台中県にある石岡ダム(貯水量270万立方メートル),正式に着工。
DIA-105-1974-11-05-1台湾1974年11月05日1970年代〓国華中央銀行総裁,「政府の外貨保有高は昨年同期に比べて増減はなく,約17億ドルを維持している」と台湾企業経理協進会で説明。
DIA-105-1974-11-06-1台湾1974年11月06日1970年代台湾省政府,都市建設資金として台南,台中,高雄3市および台中県に3億4000万元を融資。
DIA-105-1974-11-06-2台湾1974年11月06日1970年代孫運経済部長,パナマ大統領ラカスと会見。
DIA-105-1974-11-07-1台湾1974年11月07日1970年代柳鶴図外交部スポークスマン,「台湾政府の日台航空路線問題に対する確固とした立場は,すでにくり返し言明しており,なんら変更はない」という談話を発表。
DIA-105-1974-11-12-1台湾1974年11月12日1970年代中国石油公司台湾油鉱探査処,1974年の国産天然ガス生産量は14億立方メートル(化学原料用30.6%,発電用16.6%,工業燃料用46.5%,家庭用6.3%)と発表。
DIA-105-1974-11-13-1台湾1974年11月13日1970年代米輸銀の台湾への借款供与額-米国輸出入銀行の年度報告によると,当銀行が1974年会計年度に台湾に供与した借款額は3億9285万7514ドルに達したという。その内訳は次の通り。①輸銀が直接供与した金額は2億5977万3263ドル,②輸銀の信用保証を通して米市中銀行が供与した借款は1億1910万1130ドル,③輸銀の担保を取り付けて,米市中銀行が供与した中期借款は627万4607ドル,短期借款は770万8514ドル。
DIA-105-1974-11-14-1台湾1974年11月14日1970年代新財政・経済措置発表(参考資料参照)。
DIA-105-1974-11-14-2台湾1974年11月14日1970年代孫運経済部長,コロンビア経済開発相との間に両国政府の経済提携を強化する共同声明を発表。
DIA-105-1974-11-16-1台湾1974年11月16日1970年代米ケミカル銀行(中国名華友銀行)台北支店開設。
DIA-105-1974-11-17-1台湾1974年11月17日1970年代台湾電力公司,離島および辺ぴ地区の電化計画は3年以内に完成すると発表。
DIA-105-1974-11-18-1台湾1974年11月18日1970年代米輸銀,台湾鉄路に借款供与-米輸出入銀行は,縦貫鉄路の電気化工事建設のために,4400万ドルの借款を台湾鉄路管理局に供与すると発表した。年利7%,1968年6月10日から6カ月ごとに12回の分割払いで償還する予定。
DIA-105-1974-11-19-1台湾1974年11月19日1970年代米輸出入銀行,アンモニア尿素工場の建設資金として1120万ドルの借款を台湾肥料公司に供与すると発表。
DIA-105-1974-11-20-1台湾1974年11月20日1970年代行政院,農業肥料用の硫酸アンモニアおよび複合肥料の輸入関税を向う1年間現在の税率の50%に引き下げることを実施。
DIA-105-1974-11-24-1台湾1974年11月24日1970年代台湾国民党10期5中全会および中央評議委員第6回会議は台北で開催,建党80周年宣言を採択。
DIA-105-1974-11-27-1台湾1974年11月27日1970年代第10期第5回中央委員会常務委員選出-厳家淦,経国,谷正綱,黄少谷,倪文亜,謝東閔,黄杰,張黄昀,袁守謙,鄭彦芬,徐慶鐘,沈昌煥,彦士,李国鼎,高魁元,郭驥,孫運,頼名湯,林挺生,郭澄,王任遠ら21名ともに再任。
DIA-105-1974-11-27-2台湾1974年11月27日1970年代行政院,小麦の輸入関税を向う1年間現行税率の50%に引き下げることを実施。
DIA-105-1974-11-30-1台湾1974年11月30日1970年代台湾糖業公司,砂糖の国際価格上昇により,1974~75年度の蔗農からの特砂買上げ価格を1トン当り1万5000元に引上げると決定。
DIA-105-1974-11-30-2台湾1974年11月30日1970年代外交部スポークスマン,キッシンジャー米国務長官の訪中について,「台湾政府の立場は従来通り変りがない」と論評。
DIA-105-1974-12-01-1台湾1974年12月01日1970年代厳家淦副総統,ニカラグア共和国ソモザ大統領の就任式に出席。
DIA-105-1974-12-02-1台湾1974年12月02日1970年代政府,1975年度の豚の生産目標を500万頭(国内消費474万頭,国外輸出26万頭)に修正すると決定。
DIA-105-1974-12-02-2台湾1974年12月02日1970年代沈昌煥外交部長,「やむをえない理由のために,中国の旅券を受けとり,使用している華僑同胞でも,その旅券を廃棄し,誤りを承認しさえすれば,規定に基づいて台湾旅券を発給する」と立法院僑政委員会で言明。
DIA-105-1974-12-03-1台湾1974年12月03日1970年代国際貿易局,国内に生産できる工業原料および機器設備の一時輸入停止を決定。
DIA-105-1974-12-03-2台湾1974年12月03日1970年代第9回台湾・ベトナム経済協力閣僚会議,台北で開催。
DIA-105-1974-12-05-1台湾1974年12月05日1970年代行政院,石こうの輸入関税率を25%から12.5%に引下げることを決定。
DIA-105-1974-12-05-2台湾1974年12月05日1970年代張淳韓国民主共和党中央委員会議長訪台。
DIA-105-1974-12-09-1台湾1974年12月09日1970年代行政院,①輸出事業に対し10項目の支援措置をとる,②台湾元の対外レートは当分改定しないと発表。
DIA-105-1974-12-12-1台湾1974年12月12日1970年代行政院,各種の銀行金利を一律0.5%引下げると発表。
DIA-105-1974-12-16-1台湾1974年12月16日1970年代経済部,1975年の石炭生産目標額は300万トンと決定。
DIA-105-1974-12-17-1台湾1974年12月17日1970年代立法院,「工業団体法」を可決。
DIA-105-1974-12-17-2台湾1974年12月17日1970年代立法院,「1974年度所得税税率条例第3条条文修正案」および「1975年度所得税税率条例」を可決。
DIA-105-1974-12-18-1台湾1974年12月18日1970年代台北市政府主計処,台北市の総人口は今年11月末に200万人を突破したと発表。
DIA-105-1974-12-20-1台湾1974年12月20日1970年代日台第2回東亜工商企業者会議(台湾側は団長辜振甫ら19名,日本側は会長河野文彦ら22名が出席),東京で開催。
DIA-105-1974-12-20-2台湾1974年12月20日1970年代政府,遠洋漁業者に5億3000万元の融資を決定。
DIA-105-1974-12-25-1台湾1974年12月25日1970年代台湾高砂族出身の元日本軍人中村輝夫(中国名李光輝),インドネシア領モロタイ島で発見。
DIA-105-1974-12-26-1台湾1974年12月26日1970年代行政院経済設計委員会,①1974年末9月現在の対外債務残高は14億1000余万ドルで,外貨による償還分は94.3%,②対外債務比率は5.72%から4.25%に下降したと発表。
DIA-105-1974-12-27-1台湾1974年12月27日1970年代立法院,投資奨励条例の一部修正通過-①企業の大衆化促進を期し,一般の生産企業の営利事業所得税および付加税の合計額を35%から30%に引き下げる,②金属素材と重機械の製造業,石油化学業および資本,技術密集の生産企業のいずれも課税上限22%の優遇が受けられる,などの要点である。
DIA-105-1974-12-27-2台湾1974年12月27日1970年代中国石油公司高雄精油所第2ナフサ分解工場(年間エチレン生産能力23万トン)完成。
DIA-105-1974-12-28-1台湾1974年12月28日1970年代米銀行台電に5億ドル近い借款供与-台湾電力公司の第3原子力発電所(95万KW)建設を支援する,米輸出入銀行が50%,米民間輸出融資会社および米マーチャント銀行を主体とする商業銀行団がそれぞれ25%を受けもつ総額4億9874万7000ドルの借款契約がワシントンで調印された。年利6.09%,償還は発電所完成後15年以内。
DIA-105-1974-12-29-1台湾1974年12月29日1970年代台湾糖業公司,1973―74年期の砂糖生産量は89万2000余トンと発表。
DIA-105-1974-12-29-2台湾1974年12月29日1970年代経済部工業局,1975年に総面積3636ha.に達する13カ所の工業区を開発すると発表。
DIA-105-1974-12-30-1台湾1974年12月30日1970年代ガンビアと外交中断-外交部は,ガンビア政府が中国と外交関係を樹立したので,12月28日からガンビアとの外交関係を中断すると発表した。
DIA-105-1975-01-01-1台湾1975年01月01日1970年代蒋介石総統,元旦文告を発表。
DIA-105-1975-01-03-1台湾1975年01月03日1970年代台湾・ヨルダン暫定航空協定,台北で調印。
DIA-105-1975-01-03-2台湾1975年01月03日1970年代汪彜定国際貿易局長,日台間貿易の不均衡を是正するため,日本の台湾からの輸入増大努力を呼びかけ。
DIA-105-1975-01-06-1台湾1975年01月06日1970年代経済部,8カ年計画で,1ヘクタール当りの機械動力を現在の0.58馬力から1馬力に引上げることを目標にすると発表。
DIA-105-1975-01-07-1台湾1975年01月07日1970年代立法院,「国有財産法部分条文修正案」を通過。
DIA-105-1975-01-08-1台湾1975年01月08日1970年代インドネシア領モロタイ島で発見された元日本軍人李光輝(日本名中村輝夫),31年ぶりに帰台。
DIA-105-1975-01-08-2台湾1975年01月08日1970年代米輸出入銀行,台湾の一貫作業鉄鋼工場建設に1億6000万ドル(出資比率は米輸銀50%,シカゴのコンチネンタル銀行を主体とする銀行団50%)の借款供与を決定したと発表。
DIA-105-1975-01-09-1台湾1975年01月09日1970年代経済部加工輸出管理処,1974年加工区の輸出総金額は5億1132万ドルと発表。
DIA-105-1975-01-10-1台湾1975年01月10日1970年代経済部国営事業委員会,塩化物,DMTなどの工業原料価格の引下げを実施すると発表。
DIA-105-1975-01-10-2台湾1975年01月10日1970年代総統令:張導民氏を審計部審計長に任命。
DIA-105-1975-01-10-3台湾1975年01月10日1970年代米輸出入銀行,台湾鉄路西部幹線電化工事の建設資金8800万ドルについて,訪米中の陳徳年台湾鉄路局長と借款契約に調印。
DIA-105-1975-01-13-1台湾1975年01月13日1970年代国際原子力発電研討会,台北で開催。
DIA-105-1975-01-14-1台湾1975年01月14日1970年代アジア問題研究会,台北で成立。
DIA-105-1975-01-15-1台湾1975年01月15日1970年代徐慶鐘行政院副院長,南ベトナムを訪問。
DIA-105-1975-01-16-1台湾1975年01月16日1970年代行政院,薛毓麒氏を駐サウジアラビア王国大使に任命。
DIA-105-1975-01-17-1台湾1975年01月17日1970年代立法院,「食品衛生管理法」を通過。
DIA-105-1975-01-17-2台湾1975年01月17日1970年代孔令晟台湾駐カンボジア代表,プノンペンに赴任。
DIA-105-1975-01-17-3台湾1975年01月17日1970年代監察院,何鳳山元台湾駐コロンビア大使の汚職弾劾案を可決。
DIA-105-1975-01-18-1台湾1975年01月18日1970年代タイ国プラパスナ国会議長訪台。
DIA-105-1975-01-20-1台湾1975年01月20日1970年代国際貿易局,銑鉄の輸出解禁を決定。
DIA-105-1975-01-21-1台湾1975年01月21日1970年代米台科学技術協力協定,有効期間を1980年1月23日まで延長。
DIA-105-1975-01-22-1台湾1975年01月22日1970年代行政院,1976年度(1975年7月~1976年6月)の施政方針を立法院に送付。
DIA-105-1975-01-23-1台湾1975年01月23日1970年代国際貿易局,三井など日本の代表11商社の台北支店責任者を招き,対日貿易入超の改善について協力を要望。
DIA-105-1975-01-23-2台湾1975年01月23日1970年代行政院,「政府の経済社会発展に関する国外借款および保証条例修正案」を通過。
DIA-105-1975-01-23-3台湾1975年01月23日1970年代行政院,朱撫松氏を台湾駐韓国大使に任命。
DIA-105-1975-01-26-1台湾1975年01月26日1970年代台湾省政府,1976年までに倉庫の収容能力を現在の12万7564万3000トンから20万1500トンに引上げることを目標にすると発表。
DIA-105-1975-01-27-1台湾1975年01月27日1970年代許新枝省政府民政庁長,8年計画で8万4000ヘクタールの造林面積を増加すると発表。
DIA-105-1975-01-28-1台湾1975年01月28日1970年代電力および肥料の対米借款の政府保証――米銀行の台湾電力公司(第3原子力発電所の建設借款4億9874万7000ドル)および台湾肥料公司(苗栗液体アンモニア工場の建設借款2800万ドル)への直接借款に対する台湾政府の保証約定が台北で,李国鼎財政部長とケィシー米輸出入銀行との間で調印された。
DIA-105-1975-01-29-1台湾1975年01月29日1970年代林金生内政部長,国民党中央常務委員会で1974年10月末現在の台湾地区の人口は1587万5099人,そのうち重要都市および市鎮に居住する人口は623万971人で,総人口の39.44%を占めていると報告。
DIA-105-1975-02-02-1台湾1975年02月02日1970年代サウジアラビアのシュマイマリー参謀総長訪台。
DIA-105-1975-02-02-2台湾1975年02月02日1970年代台湾省農林庁,4年以内に29カ所の農産品市場の建設を完成させると表明。
DIA-105-1975-02-04-1台湾1975年02月04日1970年代74年のGNP――経国行政院長が立法院へ送付した施政報告の中で,1974年の①GNPは141億2105万ドルで対前年比名目で68.1%の伸びだが,実質成長率は僅か0.6%にとどまった,②国民所得は110億789万ドルで,1人当り平均所得は697ドル相当である,と述べた。
DIA-105-1975-02-04-2台湾1975年02月04日1970年代国際貿易局,硫酸ナトリウムの輸出禁止を解除したと公布。
DIA-105-1975-02-05-1台湾1975年02月05日1970年代沖縄の米空軍嘉手納基地広報部,名目上嘉手納を基地とする米空軍のF4ファントム戦闘隊2部隊が台湾の防空任務に当っていると発表。
DIA-105-1975-02-05-2台湾1975年02月05日1970年代米銀行,中鋼公司に借款供与――米コンチネンタル銀行は,中国鋼鉄公司に4000万ドルの借款を供与する協議書に調印した。同借款は1980年と1982年にそれぞれ半額ずつ償還する予定。
DIA-105-1975-02-07-1台湾1975年02月07日1970年代1970年9月10日に調印された台湾・ウルグアイ商務協定発効。
DIA-105-1975-02-13-1台湾1975年02月13日1970年代行政院,台湾・グァテマラ農業技術合作協定(1976年12月11日まで)および台湾・ドミニカ技術合作協定補充協議(1975年11月20日まで)の延長を決定了承。
DIA-105-1975-02-14-1台湾1975年02月14日1970年代西沙・南沙群島の領有権を再確認――外交部は,南ベトナム外務省が14日発表した外交白書の中で,西沙および南沙群島の領有権を主張したことに対し,「台湾の西沙・南沙両群島に対する領有権は疑う余地なく,また不可侵のものである」との声明を発表した。
DIA-105-1975-02-17-1台湾1975年02月17日1970年代英GE社,台湾鉄道管理局との間で台湾西部鉄道の主要電化工事の一環である11カ所の変電ステーション建設器材2250万ドル相当の供与契約に調印。
DIA-105-1975-02-18-1台湾1975年02月18日1970年代賀屋興宣前国会議員訪台。
DIA-105-1975-02-18-2台湾1975年02月18日1970年代行政院,「香港に脱出した大陸同胞に対し効果的な措置をとるよう要請する」との立法院の決議に対し,「香港への大陸脱出者の台湾入国を一律に誠意を込めて歓迎する」旨を書面で回答。
DIA-105-1975-02-18-3台湾1975年02月18日1970年代行政院,「世界キリスト教統一神霊教会」の非合法布教活動を調査,取締るよう関係機関に指示。
DIA-105-1975-02-19-1台湾1975年02月19日1970年代10大建設の対外借款分――李国鼎財政部長は,国民党中央常務委員会で①10大建設は1975~79年までに合計20億6400万ドルの国外借款(総建設費の35%を占める)を必要とし,そのうち現在すでに契約済あるいは同意を取付けた分は15億9700万ドル,②1967年5月~74年12月までに政府名義あるいは保証を与えた契約済の借款は14億6900万ドルで,そのうち10大建設に属する分は10億8600万ドル,と報告した。
DIA-105-1975-02-20-1台湾1975年02月20日1970年代行政院,酸素を「非常時期農礦工商管理条例」の管制品目に加えることに決定。
DIA-105-1975-02-22-1台湾1975年02月22日1970年代公定歩合引下げ――中央銀行は新利率の実施を発表した。主なものは次の通り(いずれも年利計算)。 ①中央銀行手形再割引11.5%(旧金利は12%),②一般銀行信用貸付14.75%(同15.5%),担保貸付14%(同14.75%),手形割引12.75%(同13.25%),輸出融資8.25%(同9%),③1年以上定期預貯金12.75%(同13.5%)。
DIA-105-1975-02-22-2台湾1975年02月22日1970年代米上院軍事委員会のサーモンド,スコット両議員,ステニス委員長に対して「アジア,太平洋の政策と兵力」という報告書を提出し,台湾について①米国は台湾との外交関係を継続すべきである,②米軍は抑止力を保つために,台湾における軍事的存在を継続すべきであると勧告。
DIA-105-1975-02-24-1台湾1975年02月24日1970年代台湾省政府委員会,1976会計年度の営業税徴収率は変更しないと決定。
DIA-105-1975-02-25-1台湾1975年02月25日1970年代財政部,とうもろこしおよび大豆の関税率は向う1年間,情勢に応じ,機動的に調整すると発表。
DIA-105-1975-02-26-1台湾1975年02月26日1970年代台湾・南アフリカ共和国貿易協定,台北で調印。
DIA-105-1975-02-27-1台湾1975年02月27日1970年代台湾・サウジアラビア航空協定,台北で調印。
DIA-105-1975-02-27-2台湾1975年02月27日1970年代フランスのシァープ金融会社,台北支店を開設。
DIA-105-1975-02-28-1台湾1975年02月28日1970年代沈昌煥外交部長,立法院での答弁で「台湾民衆は日本占領時代の債務,損害について日本側に償還,補償を請求する権利がある」と言明。
DIA-105-1975-03-01-1台湾1975年03月01日1970年代国際貿易局,対日貿易不均衡是正のため,毛織物,パルプなど104品目に及ぶ非生活必需品の輸入を欧米地区に制限すると発表。
DIA-105-1975-03-01-2台湾1975年03月01日1970年代国防部,馬祖島付近の東沙島を南引島に改名するよう指示。
DIA-105-1975-03-03-1台湾1975年03月03日1970年代陳蘭皋台湾電力公司総経理,現在同公司の①水力による発電所30カ所,発電能力136万5000kW,②火力による発電所8カ所,発電能力299万3000kW,したがって総発電量は435万8000kW(水力31.3%,火力68.7%)と発表。
DIA-105-1975-03-03-2台湾1975年03月03日1970年代第2次世界大戦中の日本軍事郵便貯金の払い戻しを要求する台湾人代表団(世話人黄同吉),台湾全島および澎湖島に設置した32カ所の債券登記所で登記手続を開始。
DIA-105-1975-03-04-1台湾1975年03月04日1970年代カナダのトロント・ドミニオン銀行,台北支店を開設。
DIA-105-1975-03-05-1台湾1975年03月05日1970年代蒋介石総統夫人,「それをいってはならない……だがわれわれは語りたい」と題する論文を発表し,米国の緊張緩和政策を批判。
DIA-105-1975-03-05-2台湾1975年03月05日1970年代パラグァイ参謀総長フレテス中将訪台。
DIA-105-1975-03-06-1台湾1975年03月06日1970年代行政院,胡秋原立法委員の対日関係に関する質問書に対し,①日台空路断絶を導いた原因が解消するまでは,再開を考慮しない,②亜東関係協会と交流協会との技術協力に関する議定書に基づき,日台の技術協力が進められていると回答。
DIA-105-1975-03-06-2台湾1975年03月06日1970年代農復会,統一農業貸付計画の信用貸付を年利14.5%から13.7%に,担保貸付を13.75%から13%にそれぞれ引下げ,1975年2月22日にさかのぼって適用すると決定。
DIA-105-1975-03-07-1台湾1975年03月07日1970年代内政部,台湾地区の休耕農地は全部で9281万7148ヘクタールと発表,そしてこれら休耕農地の所有者に対し,今年6月以前に耕地再開をしない場合,3倍の荒地税を徴収し,さらに1年以内に耕作しない場合は,政府公示の地価で強制的に買上げる方針で臨むことを決定。
DIA-105-1975-03-07-2台湾1975年03月07日1970年代柳鶴図外交部スポークスマン,行政院新聞局で,台湾民衆には日本に対して軍事郵便貯金の払い戻しを要求する権利があると言明。
DIA-105-1975-03-08-1台湾1975年03月08日1970年代国際貿易局,豆腐など大豆製品12品目の輸出禁止措置を解除。
DIA-105-1975-03-09-1台湾1975年03月09日1970年代米国投資および貿易訪台団団長(ケネディー元財務長官)一行32名訪台。
DIA-105-1975-03-10-1台湾1975年03月10日1970年代ホンジュラス駐台北領事館,ビザ発給などの業務を再開。
DIA-105-1975-03-12-1台湾1975年03月12日1970年代教育部,「私立学校法施行細則」を公布。
DIA-105-1975-03-14-1台湾1975年03月14日1970年代訪米中の銭復行政院新聞局長,ニューヨークでテレビ対談に出演し,台湾政府が中国と和解する可能性は絶対にありえないと強調。
DIA-105-1975-03-18-1台湾1975年03月18日1970年代北京発新華社電によると,中国の第4期全国人民代表大会常務委員は17,18の両日,人民大会堂で第2回会議を開き,拘留戦犯全員の特赦,釈放に関する提案を討議,国民党関係者293名を特赦,釈放し公民権を与えることを決定した。
DIA-105-1975-03-19-1台湾1975年03月19日1970年代北京放送によると,中国の華国鋒副首相兼公安部長が中国政府の戦犯釈放について,「台湾人民の反愛国闘争を促進することに対し重大な意義をもっている」と述べた。
DIA-105-1975-03-19-2台湾1975年03月19日1970年代台湾国民党機関紙『中央日報』,中国政府の戦犯釈放について,「中国のねらいは,彼らを釈放の美名の下に,自由地区に対する統一戦線の手先に狩り出すことにある」と報道。
DIA-105-1975-03-19-3台湾1975年03月19日1970年代施石青糧食局長,食糧価格を安定させるため,食糧平準基金額を30億元から50億元に引上げると表明。
DIA-105-1975-03-19-4台湾1975年03月19日1970年代米台租税協定草案交渉妥結。
DIA-105-1975-03-24-1台湾1975年03月24日1970年代第1回全国経済会議,台北で開催。
DIA-105-1975-03-25-1台湾1975年03月25日1970年代米第7艦隊司令官スティール中将訪台。
DIA-105-1975-03-25-2台湾1975年03月25日1970年代李国鼎財政部長,政府は1981年以前に輸出入銀行を設立したい意向であると表明。
DIA-105-1975-03-28-1台湾1975年03月28日1970年代汪彝定国際貿易局長,経済部月例会で「日台貿易の不均衡を是正するため,対日輸入禁止の品目は1202種類にも達した」と報告。
DIA-105-1975-03-28-2台湾1975年03月28日1970年代行政院,エアコン,アイスボックスなど家電関係7品目の輸入関税率を向う1年間引上げることを決定。
DIA-105-1975-03-31-1台湾1975年03月31日1970年代中華航空公司(CAL),台北本社で米ボーイング社代表とボーイング747型ジャンボ旅客機1機のチャーター契約に調印。
DIA-105-1975-04-01-1台湾1975年04月01日1970年代行政院衛生署,「廃棄物清理法」を実施。
DIA-105-1975-04-03-1台湾1975年04月03日1970年代周書楷行政院政務委員,台湾政府特使として,サウジアラビアのハリド国王の即位祝賀およびファイサル国王の逝去に哀悼の意を表すため,台北を出発。
DIA-105-1975-04-04-1台湾1975年04月04日1970年代中国系の東京華僑総会の委員長などの職を勤めたことのある文永盛在日華僑幹部,台湾に帰順。
DIA-105-1975-04-04-2台湾1975年04月04日1970年代柳鶴図外交部スポークスマン,台湾駐カンボジア代表団はすでにプノンペンから撤退したと発表。
DIA-105-1975-04-05-1台湾1975年04月05日1970年代介石総統死去――介石総統は午後11時50分心臓発作のため,台北市士林の官邸で死去した。87歳。
DIA-105-1975-04-05-2台湾1975年04月05日1970年代フォード米大統領,米カリフォルニア州パームスプリングスで「介石総統の死は中国の歴史に一時代を画すものである」との声明を発表。
DIA-105-1975-04-05-3台湾1975年04月05日1970年代『中央日報』,馬安瀾上将は数日前に陸軍総司令官に昇格したと報道。一方,去年のヘリコプター墜落事故で負傷した前陸軍総司令官于豪章上将はアメリカで療養中だという。
DIA-105-1975-04-06-1台湾1975年04月06日1970年代厳副総統が総統に昇格――国民党中央常務委員会は午前7時,臨時会議を開き,憲法第49条の規定に基づき,厳家淦副総統の総統就任を承認,厳氏は午前11時,総統就任の宣誓をした。
DIA-105-1975-04-06-2台湾1975年04月06日1970年代国民党中央常務委員会,故総統の3月29日付の遺書遵守を決議。
DIA-105-1975-04-06-3台湾1975年04月06日1970年代厳家淦総統,①軍,公務員は1カ月間喪章をつける,②各部隊,公共機関,学校,軍艦および在外公館は即日から30日間半旗を掲げる,③各要塞,部隊および軍艦は昇旗の時間から降旗の時間まで30分毎に弔砲をうつ,④各娯楽施設の営業を1カ月間停止する,との規定を発令。
DIA-105-1975-04-06-4台湾1975年04月06日1970年代故総統の死去について,三木首相は自民党総裁の名で弔電,また,井出官房長官が非公式談話を発表。
DIA-105-1975-04-06-5台湾1975年04月06日1970年代故総統の死去で新華社報道(参考資料参照)。
DIA-105-1975-04-07-1台湾1975年04月07日1970年代故総統葬儀委員会,故総統の霊きゅうを桃園県大溪鎮慈湖に仮安置し,将来大陸を光復した後改めて本埋葬を行なうことに決定。
DIA-105-1975-04-08-1台湾1975年04月08日1970年代対南ベトナムに第2次借款――台湾が南ベトナムに供与する第2次借款500万ドルの調印式が台北で行なわれた。
DIA-105-1975-04-09-1台湾1975年04月09日1970年代故総統の霊きゅう,台北市内の国父紀念館に安置され,4月15日まで一般市民の弔問に開放。
DIA-105-1975-04-11-1台湾1975年04月11日1970年代国際貿易局,廃鉄鋼,再生用合金屑およびその他の鉄屑の3品目を日本以外の地区からの輸入を認める輸入地区制限品目とすることに決定。
DIA-105-1975-04-14-1台湾1975年04月14日1970年代台湾行きを希望した元戦犯10名,香港着――中国が1975年3月19日特赦した最後の戦犯293名のうち,台湾行きを希望した10名は,北京を離れて香港に到着。一行のリストは次の通り。王秉鉞(元国民党第51軍中将軍長),陳士章(元国民党第25軍中将軍長),蔡省三(元国民党青年救国団東服務隊少将総隊長),周養浩(元国民党軍統局西南特区少将副区長),段克文(元国民党軍統局少将専門員),王雲沛(元国民党浙江省保安少将副司令),張海商(元国民党青年軍第204師612団大佐団長),楊南邨(元国民党第44軍150師490団大佐団長),張鉄石(元国民党第68軍政工処大佐処長),趙一雪(元国民党第96軍281師841団大佐団長)。
DIA-105-1975-04-16-1台湾1975年04月16日1970年代故介石総統の告別式,台北市内の国父紀念館で挙行。式には米国(ロックフェラー副大統領),日本(佐藤,岸両元首相),韓国(金鍾泌首相),南ベトナム,フィリピンをはじめ17カ国の特使団,20カ国の代表団が参列。
DIA-105-1975-04-18-1台湾1975年04月18日1970年代日本石油業界のうち台湾に進出している唯一の企業である出光興産,台湾の事務所を4月中に閉鎖する方針を決定。
DIA-105-1975-04-19-1台湾1975年04月19日1970年代施石青台湾省糧食局長,第1期稲作栽培面積は35万7258ヘクタールで,計画面積より1.84%増と発表。
DIA-105-1975-04-21-1台湾1975年04月21日1970年代中央銀行,今年2度目の公定歩合の引下げ(一律0.75%)を決定。
DIA-105-1975-04-23-1台湾1975年04月23日1970年代グエン・バン・キエン南ベトナム駐台湾大使,ベトナム政局の急進展にかんがみ急きょ帰国。
DIA-105-1975-04-23-2台湾1975年04月23日1970年代台北発中央社,中国が特赦した元国民党軍高級将校10名について,台湾政府は彼らに反共態度の表明および所定の渡台手続(難民としての身分,台湾での保証人)をとるように要求したと報道。
DIA-105-1975-04-24-1台湾1975年04月24日1970年代行政院,肥料用尿素の輸入関税率3.5%を5月1日からさらに1年間延長すると決定。
DIA-105-1975-04-26-1台湾1975年04月26日1970年代南ベトナムのグエン・バン・チュー前大統領およびチャン・チエン・キエム前首相,米空軍機で台北に亡命。
DIA-105-1975-04-26-2台湾1975年04月26日1970年代外交部,台湾駐南ベトナム大使館は4月28日以後暫時事務を停止すると発表。
DIA-105-1975-04-28-1台湾1975年04月28日1970年代国民党主席に経国氏――台湾国民党は第10回中央委員会臨時全体会議を開催,経国氏を同党の最高指導者として中央委員会主席兼中央常務委員会主席に選任した。国民党は総裁制をとっていたが,故介石総裁を永久総裁として主席制を新設したのである。
DIA-105-1975-04-28-2台湾1975年04月28日1970年代台湾国民党第10回中央委員会臨時全体会議,「臨時中全会宣言」を可決。
DIA-105-1975-04-30-1台湾1975年04月30日1970年代沈昌煥外交部長,南ベトナムの陥落について,「自由世界は共産政権との談判を通しての平和と安全の確保という幻想を再び持ってはならない」と論評。
DIA-105-1975-05-01-1台湾1975年05月01日1970年代行政院,「農会信用部管理弁法」を公布。
DIA-105-1975-05-04-1台湾1975年05月04日1970年代コロンビア衆議院議員団一行8名,訪台。
DIA-105-1975-05-05-1台湾1975年05月05日1970年代南ベトナム駐台湾大使館閉鎖。
DIA-105-1975-05-06-1台湾1975年05月06日1970年代フォード米大統領,ホワイトハウスでの記者会見で「台湾に対する防衛約束を再確認する」と言明。
DIA-105-1975-05-06-2台湾1975年05月06日1970年代金唯信財政部賦税署長,営業税の今後の方向について,現行の累積税方式から付加価値税方式に転換していく意向であると表明。
DIA-105-1975-05-07-1台湾1975年05月07日1970年代経国主席,国民党第10期中央委員会第420回常務委員会議を初主宰。
DIA-105-1975-05-08-1台湾1975年05月08日1970年代国防部,台湾政府が南ベトナムに派遣し,ベトナム難民と華僑の救出に当った海軍輸送艦隊の任務が完了し,同艦隊が5月7日午前中に全部台湾南部の基地に帰還したと発表。
DIA-105-1975-05-09-1台湾1975年05月09日1970年代立法院,「工会法(労働組合法)部分条文修正案」を通過。
DIA-105-1975-05-10-1台湾1975年05月10日1970年代台北・サウジアラビア文化協定,台北で調印。
DIA-105-1975-05-11-1台湾1975年05月11日1970年代7100万ドルを投資した台湾電力公司大林火力発電所第5号発電機(出力50万kW),正式に発電を開始。
DIA-105-1975-05-12-1台湾1975年05月12日1970年代国際新聞編集者協会(IPI)理事会,台湾の会員復帰を承認。
DIA-105-1975-05-12-2台湾1975年05月12日1970年代厳家淦総統,就任後初の記者会見。
DIA-105-1975-05-13-1台湾1975年05月13日1970年代立法院,「空気汚染防制法」を通過。
DIA-105-1975-05-14-1台湾1975年05月14日1970年代国民党中央常務委員会,故総統記念行事7項目を決定。 経国行政院長,「父霊守護1カ月記」の手記を公表。
DIA-105-1975-05-14-2台湾1975年05月14日1970年代米ウェスチング社と核燃料の買付契約――台湾電力公司は,台北で米ウェスチングハウス社と第3原子力発電所の核発電機2基(ともに出力95万1000kW)に必要な核蒸気供給システムおよび原料ウラン394トンの燃料の買付け(前者9260万ドル,後者9850万ドル)に関する契約に調印した。
DIA-105-1975-05-15-1台湾1975年05月15日1970年代周書楷行政院政務委員,バンコクでタイのククリット首相と会見。
DIA-105-1975-05-15-2台湾1975年05月15日1970年代行政院,1975年罪犯減刑条例草案を可決。
DIA-105-1975-05-15-3台湾1975年05月15日1970年代行政院,次の4人事を決定。①外交部常務次長・銭復,②新聞局長・丁懋時,③台湾駐ヨルダン王国大使・陳衣凡,④教育部常務次長・林清江。
DIA-105-1975-05-15-4台湾1975年05月15日1970年代台湾省議会,1976年度台湾省地方総予算の歳出部分340億4679万元を可決。
DIA-105-1975-05-18-1台湾1975年05月18日1970年代台湾省政府,台中港築港工事の港湾付属設備建設を民間投資に開放する第1期の投資金額は18億0500万元と発表。
DIA-105-1975-05-19-1台湾1975年05月19日1970年代台湾駐外国経済商務人員業務会議,台北で開催。
DIA-105-1975-05-19-2台湾1975年05月19日1970年代高玉樹交通部長,中近東諸国を訪問するため台北を出発。
DIA-105-1975-05-20-1台湾1975年05月20日1970年代建設公債発行条例――立法院は,「中央政府建設公債発行条例」を通過した。それによると,建設公債の最高発行額は,当年度中央政府総予算の歳出総額の25%までとされている。
DIA-105-1975-05-20-2台湾1975年05月20日1970年代華僑と台湾省内金融業者が共同出資して設立した世華聯合商業銀行(蔡文華理事長),台北で正式に開業。
DIA-105-1975-05-21-1台湾1975年05月21日1970年代キッシンジャー米国務長官と沈剣虹台湾駐米大使,ワシントンで期間3年(1974年1月1日~1977年12月31日)の新繊維品協定に調印。
DIA-105-1975-05-21-2台湾1975年05月21日1970年代台北市政府,士林区を中正区に,敦化路を中正路に改名すると決定。
DIA-105-1975-05-24-1台湾1975年05月24日1970年代ナウル共和国のタイロポ大統領兼外相訪台。
DIA-105-1975-05-25-1台湾1975年05月25日1970年代台湾省政府,4カ年計画で基隆港付近の八斗子に大漁業基地を建設すると発表。
DIA-105-1975-05-26-1台湾1975年05月26日1970年代経済部と財政部の共同会議,廃鉄の輸入先を欧米地区に限定すると決定。
DIA-105-1975-05-27-1台湾1975年05月27日1970年代立法院,1976年度中央政府総予算案を可決――総予算案の規模は歳出歳入ともに875億0672万9295元。歳入の主要項目は税収と専売収益が73.5%,国営事業収入10.2%,前年度繰越金5.6%,建設公債4%,一方,歳出は国防と外交が44%,経済建設と交通施設21%,社会福祉13%,教育科学文化6.2%の順となっている。
DIA-105-1975-05-28-1台湾1975年05月28日1970年代米太平洋空軍総司令官ウイルソン大将訪台。
DIA-105-1975-05-28-2台湾1975年05月28日1970年代韓国民主共和党議員団(団長申光淳)一行6名訪台。
DIA-105-1975-05-30-1台湾1975年05月30日1970年代台湾電力公司が建設を進めている北部原子力発電所で,第1号発電機の原子炉据付けが行なわれた。
DIA-105-1975-05-30-2台湾1975年05月30日1970年代減刑条例成立――立法院は,「1975年罪犯減刑条例」を可決した。これは1971年10月に次いで立憲後2度目の減刑条例だが,近く総統批准を経て1975年7月14日に実施される。今回の減刑適用範囲から除外されるものは,①反共基本国策に違反して叛乱罪を受けた者,②重大な汚職罪を犯した者,③徒党を組んで強盗殺人罪を犯した者,④故介石総統の葬儀が行なわれた4月16日以後の犯罪者などである。
DIA-105-1975-06-01-1台湾1975年06月01日1970年代外交部,フィリピンのマルコス大統領の訪中計画について,「同決定は台湾・フィリピン両国間の伝統的な友好関係に重大な損害をもたらすものである」との声明を発表。
DIA-105-1975-06-01-2台湾1975年06月01日1970年代台北国際空港,自動航空管制装置による離発着運航を開始。
DIA-105-1975-06-02-1台湾1975年06月02日1970年代コスタリカ国会議員訪問団(団長カロ国会議長)一行12名,訪台。
DIA-105-1975-06-02-2台湾1975年06月02日1970年代鄧小平副首相,台湾武力解放を示唆――中国の鄧小平副首相は,同国を訪問中の米新聞編集者代表団と会見し,①中国は平和的手段による台湾解放を目指しているが,おそらく武力を使わねばならないだろう(その際,床面のほこりを例にあげ「ほうきを使わずにほこりを掃き出すことができるだろうか」とも述べた),②米台の外交,軍事関係をすべて断つまでは,米中間に正常な関係はありえない,と強調した。
DIA-105-1975-06-03-1台湾1975年06月03日1970年代厳家淦総統,中華文化復興運動推進委員会長に就任。
DIA-105-1975-06-03-2台湾1975年06月03日1970年代経国行政院長,佐藤栄作元首相の病死に弔電送る。
DIA-105-1975-06-03-3台湾1975年06月03日1970年代台湾対外貿易発展協会ニューヨーク事務所開設。
DIA-105-1975-06-03-4台湾1975年06月03日1970年代国防部スポークスマン李長浩少将,「台湾の武力解放の可能性」に関する6月2日の鄧小平副首相の発言に反論。
DIA-105-1975-06-04-1台湾1975年06月04日1970年代中国鋼鉄公司に240余万ポンドの借款供与――中国鋼鉄公司は,このほど英国のラザード・ブラザース社から242万7650万ポンドの借款を供与され,その契約調印式が台北で行なわれた。同借款は製鉄所に必要な酸素設備の英国からの購入代金の80%に相当する。
DIA-105-1975-06-04-2台湾1975年06月04日1970年代国民党中央常務委員会,蕭継宗氏を国民党党史委員会主任委員に任命する経国主席の提案を可決。
DIA-105-1975-06-04-3台湾1975年06月04日1970年代中国政府の特赦で釈放された元国民党第68軍政工処長張鉄石大佐,香港で自殺。
DIA-105-1975-06-05-1台湾1975年06月05日1970年代台湾鉄路局に515万ポンドの借款供与――英国のランサイ会社は,台湾鉄路局の西部幹線の電化工事建設に対し515万ポンドの増資借款を供与することに決定,その借款契約が台北で行なわれた。
DIA-105-1975-06-05-2台湾1975年06月05日1970年代経済部,水汚染防止法施行細別を公布して即日実施。
DIA-105-1975-06-06-1台湾1975年06月06日1970年代台北の米軍スポークスマン,台湾から米F4ファントム戦闘爆撃機の最後の部隊が450人の要員とともに撤退を終えたと発表。
DIA-105-1975-06-06-2台湾1975年06月06日1970年代台湾省政府,「台湾省郷鎮県轄市公所組織規程準則」を公布。
DIA-105-1975-06-06-3台湾1975年06月06日1970年代劉台湾駐フィリピン大使,政府の召還命令で帰台。
DIA-105-1975-06-09-1台湾1975年06月09日1970年代米国防総省,台湾に駐留する米軍の兵力は1975年3月末現在で4000人と発表。
DIA-105-1975-06-09-2台湾1975年06月09日1970年代台湾,フィリピンと断交――外交部は,フィリピン政府が中国と正式関係を樹立したため,台湾駐フィリピン大使館にフィリピン政府の非友好行為につき厳重に抗議し,両国の外交関係が6月9日で終止した旨通告するよう訓令したと発表。
DIA-105-1975-06-10-1台湾1975年06月10日1970年代経国国民党中央委員会主席,同党の中央および省級幹部の合同集会で,行動をもって党務を展開し,党を民衆の必要とする党にしなければならない,これは党を開放的党,政府を開放的政府,社会を開放的社会とすることであると激励。
DIA-105-1975-06-10-2台湾1975年06月10日1970年代米輸出入銀行,桃園国際空港の建設に1486万ドルの借款供与を決定したと発表。
DIA-105-1975-06-11-1台湾1975年06月11日1970年代参謀総長頼名湯上将,韓国を訪問。
DIA-105-1975-06-12-1台湾1975年06月12日1970年代米輸出入銀行,2700万ドル相当の米国製電子設備を台湾に売渡すことに決定,それに関する借款は関係者の折衝により米国で調印されると発表。
DIA-105-1975-06-15-1台湾1975年06月15日1970年代佐藤栄作元首相の日本国民葬に参列するため,張宝樹国民党中央委員会秘書長,李連春行政院政務委員ら一行5名,台北を出発。
DIA-105-1975-06-16-1台湾1975年06月16日1970年代中華航空(CAL)のジャンボ機,台北―ロサンゼルス路線に就航。
DIA-105-1975-06-16-2台湾1975年06月16日1970年代孫運経済部長の立法院での報告によると,台湾に対する外人・華僑資本の現在投資残額13億ドルのうち外資は9億5000万ドルで,うち米国企業の投資が40%強を占めている。
DIA-105-1975-06-17-1台湾1975年06月17日1970年代台湾・コスタリカ共和国の農業技術協力協定補充議定書(3年間延長),台北で調印。
DIA-105-1975-06-19-1台湾1975年06月19日1970年代台比双方,実務関係を継続――外交断絶後の台比相互間の経済・文化交流を継続させるため,台湾側は太平洋経済文化センター(代表劉宗翰僑務委員会副委員長,マニラ,セブ,ダバオの3都市に事務所設置),フィリピン側は極東貿易促進センター(代表フィリピン国家輸出入貿易公社リベラ社長,台北ほか2都市に事務所設置)を設立することになり,その取決めが台北で調印された。
DIA-105-1975-06-19-2台湾1975年06月19日1970年代台湾・サウジアラビア王国の政府間経済・技術協力協定,リヤドで締結。
DIA-105-1975-06-20-1台湾1975年06月20日1970年代行政院,洗剤原料ベンゼン類の関税率を現行の26%から15%に向う1年間切下げることを決定。
DIA-105-1975-06-20-2台湾1975年06月20日1970年代立法院,輸入税率修正案を可決,引下げとなったものは59品目,引上げられたものは13品目。
DIA-105-1975-06-23-1台湾1975年06月23日1970年代韓国議員団(団長金振晩副議長)一行7名訪台。
DIA-105-1975-06-23-2台湾1975年06月23日1970年代国軍軍事検討会議,台北で開催。
DIA-105-1975-06-24-1台湾1975年06月24日1970年代台湾省公路局,2年以内に11路線の県郷道を民間に開放すると発表。
DIA-105-1975-06-24-2台湾1975年06月24日1970年代立法院,「銀行法修正案」を通過。
DIA-105-1975-06-26-1台湾1975年06月26日1970年代外交部,タイのククリット首相の訪中計画について,「中国とタイとの間に締結するいかなる取決めも無効である」との声明を発表。
DIA-105-1975-06-26-2台湾1975年06月26日1970年代国際貿易局,小麦粉,飼料用小麦など5品目の農産物を輸入管理対象品目に指定。
DIA-105-1975-06-26-3台湾1975年06月26日1970年代張群総統府資政,韓国を非公式訪問。
DIA-105-1975-06-28-1台湾1975年06月28日1970年代政府,馬紀壮台湾駐タイ大使を召還。
DIA-105-1975-06-29-1台湾1975年06月29日1970年代台湾省地政局,政府は4400余ヘクタールに達する廃耕農地の買上げを来年春に実施すると表明。
DIA-105-1975-07-01-1台湾1975年07月01日1970年代タイ国と外交関係中止――外交部は,タイ国が中国と国交を樹立したのに伴い,タイ国との外交関係を中止したと発表。
DIA-105-1975-07-01-2台湾1975年07月01日1970年代宮沢外相,参議院外務委員会で自民党の秦野章議員の質疑に対し,①昨年春のわが方の青天白日旗に対する言及が誤解を招いたことは誠に不幸なことだった,②多数の国が青天白日旗を国旗として認めているという事実は,わが国を含めて何人も否定し得ないところであると答弁。
DIA-105-1975-07-01-3台湾1975年07月01日1970年代郵政総局,1955年8月以降据置になった郵便料金の値上げを実施。
DIA-105-1975-07-01-4台湾1975年07月01日1970年代内政部,台湾地区土地測量第1期5カ年計画を実施。
DIA-105-1975-07-01-5台湾1975年07月01日1970年代立法院,「国民住宅条例」を通過。
DIA-105-1975-07-06-1台湾1975年07月06日1970年代米誌,台湾が核開発と報道――7月6日発売の米誌『タイム』は,米情報専門家筋の分析として,①台湾は米国の防衛保障に代わる自主防衛強化策の一環として,核兵器開発を進めつつある,②現在稼動中の台湾島内の原子炉で生産されるプルトニウムを利用して1980年までには核兵器を完成することができる見通しだ,③核兵器を実際に実験せず,コンピュータによる“プログラム実験”によって核開発を進めている,④台湾は核運搬システム開発計画の一部としてミサイル発射場を建設中だ,と報道した。
DIA-105-1975-07-06-2台湾1975年07月06日1970年代グァム島のボーダロ総督訪台。
DIA-105-1975-07-07-1台湾1975年07月07日1970年代徐賢修国家科学委員会主任委員,米『タイム』誌の台湾が核兵器開発を計画していると報道したことについて「台湾における核開発の基本的政策は平和目的のものである」と同誌の報道を否定。
DIA-105-1975-07-07-2台湾1975年07月07日1970年代台湾駐フィリピン大使館,正式に閉鎖。
DIA-105-1975-07-09-1台湾1975年07月09日1970年代フィリピン駐台湾大使館,正式に閉鎖。
DIA-105-1975-07-09-2台湾1975年07月09日1970年代廖承志中日友好協会会長,7月1日の宮沢外相の日台航空路再開に関する発言を①日中共同声明を踏みにじった,②改めて二つの中国を再現しようとした,③出発点としては中国敵視の集団の現われであると非難。
DIA-105-1975-07-09-3台湾1975年07月09日1970年代日台空路再開に調印―1974年4月20日以来断絶していた日台空路は,台北の亜東関係協会で,日本側の堀越禎三交流協会会長と台湾側の張研田亜東関係協会理事長との間で調印された「民間航空業務の維持に関する財団法人交流協会と亜東関係協会との間の取り決め」によって再開された。
DIA-105-1975-07-10-1台湾1975年07月10日1970年代宮沢外相,東京丸の内のプレス・クラブで,7月1日の衆院外務委での青天白日旗をめぐる発言について,「台湾を国家と認めない日本の立場からすれば,国旗とは認められない」と釈明。
DIA-105-1975-07-10-2台湾1975年07月10日1970年代杉谷好一交流協会台北事務所総務担当,台北に着任。
DIA-105-1975-07-14-1台湾1975年07月14日1970年代特赦令で犯罪者釈放――「1975年罪犯減刑条例」の特赦令によって一般犯罪者3563人,軍事犯800余人が釈放された。残る4101人も15日以降相ついで釈放される。
DIA-105-1975-07-14-2台湾1975年07月14日1970年代党権および党籍の回復――国民党中央委員会は,故介石総裁の100日命日の行事として,1975年4月16日以前に党権停止の処分を受けた国民党員260名の党権回復を発表した。また同委員会は,1975年4月16日以前に党籍を除籍された元国民党員(反国家,反党,重大な汚職などの犯罪者および除籍されて1年半未満の者は除外)の党籍回復の申請を即日から1975年10月31日までに受付けることも発表した。
DIA-105-1975-07-14-3台湾1975年07月14日1970年代1975~76年度の台湾とタイ国の民間とうもろこし貿易交渉会議,1975年9月~1976年5月までの間に,台湾はタイ産とうもろこしを30~40万トン輸入することで合意。
DIA-105-1975-07-15-1台湾1975年07月15日1970年代立法院,「土地法部分条文修正案」を通過,そのなかで,台湾と外交関係のない国の国民に対する台湾での土地権利の取得権を認める点が注目される。
DIA-105-1975-07-15-2台湾1975年07月15日1970年代台湾西部鉄道幹線電化工事の電線取付け作業開始。
DIA-105-1975-07-16-1台湾1975年07月16日1970年代7万5000トン級までの一般貨物船の出入りができる高雄第2港,正式に開放。
DIA-105-1975-07-18-1台湾1975年07月18日1970年代立法院,新聞用紙の輸入関税免税措置をさらに1年問延長。
DIA-105-1975-07-18-2台湾1975年07月18日1970年代中央銀行,新修正銀行法に基づき,各種の預金準備率および預金最高利率を公布し,7月21日から実施すると決定。
DIA-105-1975-07-25-1台湾1975年07月25日1970年代アメリカのバンク・オブ・アメリカ,台北支店を通じ,台湾肥料公司苗栗工場の尿素およびアンモニア工場増設工事資金として560万ドルの借款を供与する協議書に調印。
DIA-105-1975-07-26-1台湾1975年07月26日1970年代北回り鉄道南区間(花蓮県新城―花蓮港間,全長19.7km),正式に開通。
DIA-105-1975-07-27-1台湾1975年07月27日1970年代台湾国民党1975年度党務工作会議,陽明山中山楼で開催。
DIA-105-1975-07-27-2台湾1975年07月27日1970年代1975年度国家建設研究会,台北で開催。
DIA-105-1975-07-28-1台湾1975年07月28日1970年代台湾省糧食局,今年第1期米作の収穫量は玄米にして131万5488トンに達し,去年同期比1.29%増と発表。
DIA-105-1975-07-30-1台湾1975年07月30日1970年代行政院経済設計委員会,米台経済社会発展基金協定は1980年6月30日までに延長すると発表。
DIA-105-1975-07-31-1台湾1975年07月31日1970年代台湾駐タイ国大使館およびタイ国駐台湾大使館,相互に正式閉鎖。
DIA-105-1975-07-31-2台湾1975年07月31日1970年代コロンビア練習艦,基隆港を訪問。
DIA-105-1975-07-31-3台湾1975年07月31日1970年代台湾遠東航空公司所属バイカウント機,台北空港で墜落。
DIA-105-1975-07-31-4台湾1975年07月31日1970年代行政院,①中国鋼鉄公司が一貫作業大製鉄所建設計画のために,西独ジストン銀行より1450万ドル,米シカゴ・コンチネンタル銀行より2500万ドルおよび米ピッツバーグ銀行より500万ドルの合計4450万ドルの借款を受ける件,②中国石油化学工業開発公司がDMT生産工場建設のために,米国際金融会社から400万ドルの借款を受ける件,などに対して財政部がその保証人となることを承認。
DIA-105-1975-08-01-1台湾1975年08月01日1970年代大徳昌石油化学公司,年産10万トンのスチレン生産工場の建設資金として,米国ファースト・ナショナル・シティー銀行(500万ドル),ケミカル銀行(400万ドル),中国国際商業銀行など台湾の4銀行(各170万ドル)および第一信託公司(100万ドル)から合計1700万ドルの長期融資を受け,台北で各関係銀行代表者との間で協議書に調印。
DIA-105-1975-08-05-1台湾1975年08月05日1970年代国際貿易局,ガラス繊維,各種香料類など62品目の商品を欧米地区からのみの輸入を認める輸入地区制限物資に指定。
DIA-105-1975-08-06-1台湾1975年08月06日1970年代台湾・ヨルダン王国農業技術合作協定,アンマンで締結。
DIA-105-1975-08-07-1台湾1975年08月07日1970年代ナウル共和国ロブルト大統領訪台。
DIA-105-1975-08-08-1台湾1975年08月08日1970年代ナウル共和国駐台湾領事館,正式に発足。
DIA-105-1975-08-08-2台湾1975年08月08日1970年代行政院衛生署,台湾島内にすでに89カ所の空気汚染測定ステーションが設置されたと発表。
DIA-105-1975-08-09-1台湾1975年08月09日1970年代日台空路業務基本協定を締結――交流協会,亜東関係協会,日本アジア航空,中華航空の代表は,日本アジア航空と中華航空の間で航空業務に関する基本協定を締結した。この協定で,①中華航空の日本での呼称は「中華航空(台湾)」=チャイナエアラインズ・ベイスド・イン・タイワン=とする,②中華航空の日本での地上業務を日本アジア航空に委託する,などが決まった。
DIA-105-1975-08-10-1台湾1975年08月10日1970年代日台空路再開後の中華航空(CAL)定期便一番機,羽田空港に到着。
DIA-105-1975-08-12-1台湾1975年08月12日1970年代山中貞則衆院議員訪台。
DIA-105-1975-08-13-1台湾1975年08月13日1970年代秦孝儀国民党中央委員会副秘書長,李煥同党組織工作会主任,蕭継宗同党史会主任委員ら一行,日本サイケイ新聞の招待で訪日。
DIA-105-1975-08-14-1台湾1975年08月14日1970年代行政院,許新枝を行政院研究発展考核委員会副主任委員に,陳時英を台湾省政府委員兼民政庁長に任命する人事移動案を承認。
DIA-105-1975-08-16-1台湾1975年08月16日1970年代台湾・ナウル共和国航空協定,台北で調印。
DIA-105-1975-08-17-1台湾1975年08月17日1970年代ロックフェラー米副大統領のガレット特別補佐官訪台。
DIA-105-1975-08-17-2台湾1975年08月17日1970年代全日本労働総同盟と民社党国会議員訪問団(団長和田春生参議院議員)一行8名訪台。
DIA-105-1975-08-18-1台湾1975年08月18日1970年代台湾省政府,台東県台東鎮の県轄市改制に同意。
DIA-105-1975-08-20-1台湾1975年08月20日1970年代中国造船公司高雄造船所,第1号の44万5000トン級マンモス・タンカーの建造に着工。
DIA-105-1975-08-21-1台湾1975年08月21日1970年代国際貿易局,大豆,とうもろこし,小麦粉など大宗農産物輸入業者に対し,備蓄輸入を行なうよう勧告。
DIA-105-1975-08-21-2台湾1975年08月21日1970年代林金生内政部長,今後5年以内に,10大建設が必要とする資金は2500万億元,労働力は8万人と述べた。
DIA-105-1975-08-21-3台湾1975年08月21日1970年代行政院,交通部電信総局が市内電話の拡充に米GE社から電子交換システム設備を購入するため,米輸出入銀行などから総額2160万ドルの借款を受け,財政部が同借款に保証を与えることを承認。
DIA-105-1975-08-23-1台湾1975年08月23日1970年代台湾省農会,食糧増産を図るために,台湾農業が水稲の三毛作と取り組んでいる事実を表明。
DIA-105-1975-08-24-1台湾1975年08月24日1970年代米衆議院予算委員会(国防担当)アダボ委員ら6名訪台。
DIA-105-1975-08-24-2台湾1975年08月24日1970年代〓国華中央銀行総裁,国際通貨基金(IMF)および世界銀行の年次会議に出席するため渡米。
DIA-105-1975-08-25-1台湾1975年08月25日1970年代台湾・コスタリカ第1回経済合作会議,台北で開催。
DIA-105-1975-08-28-1台湾1975年08月28日1970年代行政院,9月から向う半年間セメントの輸入関税率を3.5%にすることを決定。
DIA-105-1975-08-28-2台湾1975年08月28日1970年代中国石油公司高雄製油所に所属する第2ナフサ分解工場,テスト生産を開始。
DIA-105-1975-08-29-1台湾1975年08月29日1970年代国際貿易局,屑鉄鋼類,ブラック類の日本からの輸入を即日禁止。
DIA-105-1975-08-29-2台湾1975年08月29日1970年代台湾中東経済訪問団(団長張光世経済部政務次長),台北を出発。
DIA-105-1975-09-01-1台湾1975年09月01日1970年代南北高速道路の建設資金に使用される総額16億元にのぼる中央政府建設公債甲種第1期債券発行。
DIA-105-1975-09-01-2台湾1975年09月01日1970年代台湾省水汚染防治所成立。
DIA-105-1975-09-01-3台湾1975年09月01日1970年代台湾省政府,所属各機関の係り責任制を全面的に実施。
DIA-105-1975-09-01-4台湾1975年09月01日1970年代経国国民党中央委員会主席,中共幹部および解放軍将兵に台湾に帰順するよう呼びかけ。
DIA-105-1975-09-01-5台湾1975年09月01日1970年代台湾・コスタリカ第1回経済合作会議,経済協力を内容とする共同声明を発表。
DIA-105-1975-09-02-1台湾1975年09月02日1970年代3月に中国最高人民法院から特赦され,香港に滞在していた元国民党軍人である張海商,楊南邨,趙一雪の各氏,台湾入りの許可が出ないのと病気の治療などのため,中国に再入国。
DIA-105-1975-09-02-2台湾1975年09月02日1970年代教育部,台湾島内の外国人学校は台湾籍の学生を募集してはならないと規定。
DIA-105-1975-09-04-1台湾1975年09月04日1970年代ニカラグアのガシア駐台湾大使,厳家淦総統に親書を提出。
DIA-105-1975-09-04-2台湾1975年09月04日1970年代ハイチ共和国ブルトス外務兼宗教大臣訪台。
DIA-105-1975-09-06-1台湾1975年09月06日1970年代レアード元米国防長官訪台。
DIA-105-1975-09-06-2台湾1975年09月06日1970年代台湾糖業公司,サウジアラビアで年産10万トンの精糖工場を建設するため,同国の民間企業との間で合作協議書に調印。
DIA-105-1975-09-07-1台湾1975年09月07日1970年代第2ナフサ分解工場生産開始――中国石油公司高雄製油所が建設した第2ナフサ分解工場は生産を開始した。同工場は年産エチレン23万トン,プロピレン11万5000トン,ブタジエン3万5000トンの規模を持つ島内最大のナフサ分解工場。
DIA-105-1975-09-07-2台湾1975年09月07日1970年代行政院新聞局,台湾のテレビ普及率は81.77%,冷蔵庫54.9%,洗たく機25.4%と発表。
DIA-105-1975-09-07-3台湾1975年09月07日1970年代台湾省政府,①基隆港,②台北の淡水河,新店溪および基隆河,③桃園南溪,④苗栗の中港溪および後竜溪,⑤彰化大肚溪,⑥雲林北港溪,⑦嘉義朴子溪,⑧台南の八掌溪,急水溪および曽文溪,⑨高雄の後勁溪および高雄港などの河川,を深刻な水汚染地区に指定。
DIA-105-1975-09-08-1台湾1975年09月08日1970年代行政院,立法院に提出した書面報告のなかで,1975会計年度中央政府総予算は55億元の黒字になる見通しと説明。
DIA-105-1975-09-09-1台湾1975年09月09日1970年代レアード元米国防長官,台北の記者団に対し,①旧サイゴ政権崩壊後,アジアにおける相互安全保障条約の重要性が高まる,②中国は米国のアジアからの撤退が自分たちの利益にならないことに気付いたためか,これまで台湾問題で示された強硬路線から後退していると指摘。
DIA-105-1975-09-11-1台湾1975年09月11日1970年代新医師法(1967年制定)実施。
DIA-105-1975-09-11-2台湾1975年09月11日1970年代台湾土地銀行,台中港工業区の開発工事に10億元の投資を決定。
DIA-105-1975-09-12-1台湾1975年09月12日1970年代国際貿易局,動物標本の輸出規制は1978年9月30日まで継続すると公告。
DIA-105-1975-09-12-2台湾1975年09月12日1970年代パラグアイの駐日兼駐台エンシソ大使,同国のストロエスネル大統領の親書を厳家淦総統に手渡す。
DIA-105-1975-09-13-1台湾1975年09月13日1970年代台湾省政府,台中港の第2期(特種ふ頭)と第3期(コンテナーおよび雑貨ふ頭)の工事建設計画順序を入れ替えると決定。
DIA-105-1975-09-15-1台湾1975年09月15日1970年代日本アジア航空(JAA)1番機,台北の松山空港に到着,灘尾弘吉団長,岸信介顧問ら80人が同乗。
DIA-105-1975-09-17-1台湾1975年09月17日1970年代国民党中央常務委員会,立法委員増員選挙の党内立候補者リスト30名を審査通過。
DIA-105-1975-09-17-2台湾1975年09月17日1970年代「核兵器製造しない」――経国行政院長は,UPI通信の記者との会見で,「われわれは台湾防衛のために米軍が出動するのを望んではいないし,また,その必要も全くない。台湾には核兵器を生産する能力および設備がそなわっている。しかし,核兵器は決して製造しない」と語った。
DIA-105-1975-09-17-3台湾1975年09月17日1970年代宋美齢,病気治療に渡米――宋美齢故介石総統夫人が,病気治療のためアメリカに出発した。夫人は16日,書面による談話を発表,軍民同胞に公の遺訓を守り,国内充実に努力するよう激励した。
DIA-105-1975-09-18-1台湾1975年09月18日1970年代行政院,中国鋼鉄公司が銑鉄運搬車を購入するために,フランス国際商業銀行などより1713万6980フランの借款を受け,財政部がその保証人となることを承認。
DIA-105-1975-09-19-1台湾1975年09月19日1970年代台北に亡命していたグエン・バン・チュー前南ベトナム大統領,イギリスに再亡命。
DIA-105-1975-09-21-1台湾1975年09月21日1970年代パラグァイ大統領訪台――パラグァイのストロエスネル大統領が,厳家淦総統の招待で9月21日から25日まで,台湾を公式訪問する。大統領には外相,公共事業・交通相,商工相をはじめ軍部首脳および経済界代表,随行記者ら60数人が同行している。
DIA-105-1975-09-22-1台湾1975年09月22日1970年代中国,台湾スパイを釈放――新華社電によると,中国の司法機関は拘留中の95人の一味武装スパイと49人の武装スパイ船員をすべて釈放する決定を下した。釈放されるのは一味国防部情報局「広東省反共救国軍独立第2縦隊」司令官陳鳳輝中佐以下計144人。なお,この釈放スパイ名簿のなかには日本人,久貝金郎,富村清仁両氏ならびに南朝鮮人2人が含まれている。
DIA-105-1975-09-23-1台湾1975年09月23日1970年代中ソとは妥協しない――経国行政院長は立法院第56会期第1次会議で行なった施政報告のなかで,①民主陣営との連帯を堅持し,絶対に中国とソ連とは妥協しない,②経済建設を強化し,国力を充実する,③内部の団結を強化し,清潔な政府の建設を進めながら,積極的に軍事力を備える,と政府の基本国策を説明した。
DIA-105-1975-09-23-2台湾1975年09月23日1970年代核製造計画中止――経国行政院長は立法院で,①台湾はすでに17年前から核開発に着手した,②1974年に核兵器の製造を計画したが,故介石総統が反対したため,計画は葬られた,と述べた。
DIA-105-1975-09-23-3台湾1975年09月23日1970年代経国行政院長,対外工作を強化するため,対外工作統一小組を成立すると発表。
DIA-105-1975-09-23-4台湾1975年09月23日1970年代経国行政院長,新6カ年経済建設計画(1976~81年)の構想を発表。
DIA-105-1975-09-23-5台湾1975年09月23日1970年代スパーク・マツナガ米下院議員,政治犯として日本出入国管理局から台湾に強制送還され(1968年2月9日),一時死刑を求刑された陳玉璽氏は台湾から出国許可が出て,近くホノルルに来ると発表。
DIA-105-1975-09-25-1台湾1975年09月25日1970年代台湾・パラグァイ投資協定(有効期間20年)および観光協定(有効期間5年),台北で締結。
DIA-105-1975-09-30-1台湾1975年09月30日1970年代高魁元国防部長,台湾はサイドワインダー・ミサイルの国産化をすでに完了,目下その他のミサイル,最新型など通常兵器の最先端を行くものについても鋭意開発中と言明。
DIA-105-1975-10-01-1台湾1975年10月01日1970年代ガソリンの価格値上げ――行政院は,国際石油価格が10%も上昇したため,島内のガソリン価格を調整することに決定した。ガソリン1リットルの新価格は普通品13元,高級品14元で,いずれも旧価格より2元の値上げ。
DIA-105-1975-10-02-1台湾1975年10月02日1970年代第10回世界華商貿易会議,台北で開催。
DIA-105-1975-10-02-2台湾1975年10月02日1970年代台北に亡命しているキエム前南ベトナム総理,フランスに再亡命するためパリに向けて台北を出発。
DIA-105-1975-10-03-1台湾1975年10月03日1970年代国防部スポークスマン李長浩少将,国軍の自力更生の精神を内外に示すため,M-14自動小銃,105ミリ口径の榴弾砲など多くの純国産の兵器を今年の国慶双十節のパレードに登場させると述べた。
DIA-105-1975-10-03-2台湾1975年10月03日1970年代林金生内政部長,現行最低賃金600元の基準は現在の物価水準とかなり掛け離れているので,それを廃止する意向であると言明。
DIA-105-1975-10-05-1台湾1975年10月05日1970年代台湾反共救国総本部,中国大陸に捕われている同志に慰問のメッセージを発表。
DIA-105-1975-10-06-1台湾1975年10月06日1970年代アジア国会議員連盟第11回総会,台北で開催。
DIA-105-1975-10-07-1台湾1975年10月07日1970年代潘振球行政院青年輔導会主任委員,1971年から1975年6月まで海外から帰台して就職した留学生数は2027人と発表。
DIA-105-1975-10-07-2台湾1975年10月07日1970年代台湾・南アフリカ共和国とうもろこし貿易協定(有効期間1976年6月1日~1979年5月31日),プレトリアで締結。
DIA-105-1975-10-07-3台湾1975年10月07日1970年代ニカラグア共和国サンチェス国防相訪台。
DIA-105-1975-10-07-4台湾1975年10月07日1970年代行政院国軍退除役官兵輔導委員会栄民工程事業管理処,サウジアラビアの軍港拡張工事を1億1800万ドルで落札し,アデンで正式に契約。
DIA-105-1975-10-08-1台湾1975年10月08日1970年代台湾スパイ60名帰台――1975年9月22日に中国の司法機関から釈放された台湾の反共救国軍工作員60名は,中国によって金門大胆島に送り返された。
DIA-105-1975-10-10-1台湾1975年10月10日1970年代大規模な軍事パレード――第64回双十国慶節に当り,「動員,戦闘,団結」というテーマのもとに,予備役軍人2万2000人を含む総数3万5900人の部隊の紀念閲兵が挙行された。厳家淦総統が閲兵式典を主宰した。
DIA-105-1975-10-10-2台湾1975年10月10日1970年代台湾反共救国軍総本部,「救国軍の金門大胆島援護所はさる8日午後4時,これまで大陸共産区を襲撃した際に不運にも捕えられた反共救国軍の工作員と不法に逮捕された船員ら合計60名を収容した」との談話を発表。
DIA-105-1975-10-12-1台湾1975年10月12日1970年代米上院議員秘書団一行8名訪台。
DIA-105-1975-10-13-1台湾1975年10月13日1970年代王任遠司法行政部長,韓国を訪問。
DIA-105-1975-10-13-2台湾1975年10月13日1970年代楊基銓経済部次長,中国鋼鉄公司の経営方針は依然民間資本55%,政府資本45%であるが,しかし現時点において,民間が実際に投資した金額の実績は芳しくないと述べた。
DIA-105-1975-10-14-1台湾1975年10月14日1970年代台湾中部に新しい横断道路(花蓮県玉里―南投県水里)を建設するための路線踏査開始。
DIA-105-1975-10-15-1台湾1975年10月15日1970年代自民党全国青年部長訪台団(団長浜田幸―衆議院議員・自民党青年局長)一行70名,台北に到着。
DIA-105-1975-10-18-1台湾1975年10月18日1970年代中国の司法機関から釈放された台湾スパイ袁祖遂,張清杉,陳良輝3名,香港経由で台北に帰着。
DIA-105-1975-10-18-2台湾1975年10月18日1970年代参謀総長頼名湯上将,リヤドでサウジアラビアのハリド国王と会見。
DIA-105-1975-10-19-1台湾1975年10月19日1970年代内政部出入境管理局,民間一般の出入国申請に対し,所定の証明書類がととのい,特殊事情のないものは,7日以内に認可証明書を交付すると発表。
DIA-105-1975-10-22-1台湾1975年10月22日1970年代総統令:韓忠謨氏を銓叙部長に任命。
DIA-105-1975-10-22-2台湾1975年10月22日1970年代台北『中国時報』,政府はすでに中国造船公司および中国鋼鉄公司の国有化を検討中と報道。
DIA-105-1975-10-23-1台湾1975年10月23日1970年代経国行政院長,今年の双十国慶節に行なわれた大規模な軍事パレードは,台湾の国防自衛力を内外に示すものであると述べた。
DIA-105-1975-10-24-1台湾1975年10月24日1970年代総統令:李登輝行政院政務委員をトンガ王国百周年紀念の特使に任命。
DIA-105-1975-10-25-1台湾1975年10月25日1970年代台湾対外貿易発展協会とウルグァイ全国労働組合の合作協議書,台北で調印。
DIA-105-1975-10-26-1台湾1975年10月26日1970年代参謀総長頼名湯上将,アンマンでヨルダンのフセイン国王と会見。
DIA-105-1975-10-26-2台湾1975年10月26日1970年代台湾省政府,林口特定区間開発委員会を設置することに決定。
DIA-105-1975-10-27-1台湾1975年10月27日1970年代台湾省政府,台中港特定区第1期第1段階開発計画を認可。
DIA-105-1975-10-27-2台湾1975年10月27日1970年代沈昌煥外交部長,立法院外交委員会で「年内に予定されているフォード米大統領の中国訪問で米中関係に劇的かつ突発的な進展が見られることはないと判断する」と言明。
DIA-105-1975-10-27-3台湾1975年10月27日1970年代台北市政府,士林区を中正区に,敦化路を中正路に改名することを中止。
DIA-105-1975-10-28-1台湾1975年10月28日1970年代行政院財経5人小組,1976年度内に所得税法の修正はしないと発表。
DIA-105-1975-10-30-1台湾1975年10月30日1970年代フォード米大統領,主に米ノースロップ社からF5Eジェット戦闘機を購入する資金として,軍需品買付けのクレジット8000万ドルを台湾に与える要求を国会に提出。
DIA-105-1975-10-31-1台湾1975年10月31日1970年代船田中元衆院議長,訪台。
DIA-105-1975-10-31-2台湾1975年10月31日1970年代党籍・党権回復者3028名――国民党中央委員会が3028名の党籍および党権の回復を承認し,各省級党本部にその決定を通知した。回復者の内訳は,①1974年4月16日以前に党から除籍された者272名,②党組織から2年以上離脱して党籍を抹消された者2188名,③党組織との連絡を中断した者623名。
DIA-105-1975-11-01-1台湾1975年11月01日1970年代国際貿易局,「うなぎ輸出処理要点」を実施。
DIA-105-1975-11-03-1台湾1975年11月03日1970年代行政院主催の教育会議,台北で開催。
DIA-105-1975-11-04-1台湾1975年11月04日1970年代第4回アジア合板会議,台北で開催。
DIA-105-1975-11-04-2台湾1975年11月04日1970年代陳樹曦省政府交通処長,省議会で東西横断道路,①北部線:台北県烏来―宜蘭県宜蘭,②中部線:a)南投県水里―花蓮県玉里,b)嘉義県阿里山―花蓮県玉里,③南部線:屏東県三地門―台東県知本,など3線の踏査工作は全部完了し,十大建設が完成した後に建設する予定であると発表。
DIA-105-1975-11-05-1台湾1975年11月05日1970年代財政部,新銀行法に基づき,農民銀行および交通銀行の経営業務項目を正式に認定。
DIA-105-1975-11-14-1台湾1975年11月14日1970年代外交部,米政府のフォード大統領訪中日程の発表について,「台湾政府は今回フォード米大統領が中国大陸を訪問することに対し,ここに重ねて反対の立場を表明する」との抗議声明を発表。
DIA-105-1975-11-14-2台湾1975年11月14日1970年代台湾鉄路管理局,アメリカから総額1400万ドルの電気化器材を購入するため,台北の米ケミカル銀行との間で借款契約に調印。
DIA-105-1975-11-16-1台湾1975年11月16日1970年代台湾省政府,1984年まで米の年産量273万トン,耕作面積78万1000ヘクタール,1ヘクタール当り3493キロの目標額を達成させると決定。
DIA-105-1975-11-18-1台湾1975年11月18日1970年代中央銀行,①国庫券の発売を当分中止する,②外貨を当分各外国為替銀行に売却しない,③各銀行が輸出貸付を取扱うことを奨励する,などの措置を実施すると発表。
DIA-105-1975-11-20-1台湾1975年11月20日1970年代行政院,硫酸アンモニアの輸入関税3.5%をさらに1年間延長することを実施。
DIA-105-1975-11-20-2台湾1975年11月20日1970年代行政院,1975年期土地債券1億元の発行を認可。
DIA-105-1975-11-23-1台湾1975年11月23日1970年代台湾省政府,1976年7月に省営の合会儲蓄公司を「中小企業銀行専業銀行」に,また,民営の区合会儲蓄公司を10年計画で「国民銀行」あるいは「貯蓄銀行」に改制すると決定。
DIA-105-1975-11-24-1台湾1975年11月24日1970年代キッシンジャー米国務長官,デトロイト市の経済クラブで「台湾問題をめぐる米中間の意見の相違を解決するには,まだ時間がかかるかも知れないが,米国の政策の方向ははっきりしている」と述べた。
DIA-105-1975-11-27-1台湾1975年11月27日1970年代行政院,小麦の輸入関税6.5%をさらに1年間延長することを実施。
DIA-105-1975-11-27-2台湾1975年11月27日1970年代台湾・ドミニカ共和国文化協定,台北で調印。
DIA-105-1975-11-27-3台湾1975年11月27日1970年代行政院,当面の金融ひっ迫を緩和するため,①輸出貸付け融通金額を現行の70%から80%に引き上げる,②輸出貸付金の利率を現行の年利7.5%から7%に引き下げる,など7項目の措置を実施。
DIA-105-1975-11-28-1台湾1975年11月28日1970年代立法院,「行政訴訟法」,「行政法院組織法」および「漁会法」などの修正案を通過。
DIA-105-1975-11-30-1台湾1975年11月30日1970年代米国インタナショナル・コマーシャル社主催の国際投資団一行40名訪台。
DIA-105-1975-11-30-2台湾1975年11月30日1970年代林洋港省建設庁長,林口特定区の開発期間を予定の20年から10年に短縮るすと述べた。
DIA-105-1975-12-01-1台湾1975年12月01日1970年代アグニュー前米副大統領訪台。
DIA-105-1975-12-01-2台湾1975年12月01日1970年代台湾省政府委員会議,台中県豊原鎮を県轄市に改制すると決定。
DIA-105-1975-12-04-1台湾1975年12月04日1970年代「米台関係は当面断交しない」――中国訪問中のキッシンジャー米国務長官は,北京の民族飯店で記者会見し,①米中関係は良好で,漸進的に正常化に向うが,直ちに台湾との政府間関係を断絶することはない,②中国側が台湾問題について「日本方式」と類似の一般的方式を望んでいることは明らかだ,と述べた。
DIA-105-1975-12-04-2台湾1975年12月04日1970年代マシス議員(民主党)を中心とする218人の米下院議員,フォード米大統領に対し,「“中華民国”の自由を損なわないよう」要請する決議案を可決。一方,イノウエ(民主党),グルック(共和党)ら29人の米上院議員も下院決議案を支持する旨の書簡をフォード米大統領に送ったことが明らかにされた。
DIA-105-1975-12-04-3台湾1975年12月04日1970年代南アフリカ共和国のピートレス駐台北総領事,台北に着任。
DIA-105-1975-12-04-4台湾1975年12月04日1970年代日台第3回東亜工商企業者会議(台湾側は団長辜振甫ら50数名,日本側は会長河野文彦ら30数名が出席),台北で開催。
DIA-105-1975-12-05-1台湾1975年12月05日1970年代外交部,フォード米大統領の中国訪問終了に際し,①台湾政府は米大統領のこんどの中国訪問に対し,去る11月14日に厳正な声明を発表している,②台湾政府は中共政権との往来に断固反対する立場をとくに改めて表明する,との声明を発表。
DIA-105-1975-12-05-2台湾1975年12月05日1970年代行政院主催の国家十大重要建設第1回検討会,台北で開催。
DIA-105-1975-12-05-3台湾1975年12月05日1970年代国際貿易局,①文鳥など28種類の動物の輸出を1978年9月30日まで管制する,②1975年12月14日から1年間はもなど17種類の魚類の輸入を禁止すると公告。
DIA-105-1975-12-06-1台湾1975年12月06日1970年代台湾銀行,輸出強化を図るため,商工企業界に25億元の融資を決定。
DIA-105-1975-12-09-1台湾1975年12月09日1970年代ハビブ米国務次官補,フォード米大統領の訪中について報告するため訪台,経国行政院長と会見。
DIA-105-1975-12-09-2台湾1975年12月09日1970年代エア・ナウル定期便1番機,台北に到着。
DIA-105-1975-12-10-1台湾1975年12月10日1970年代南北高速道路中――楊梅間(全長11.57キロ),正式に開通。
DIA-105-1975-12-10-2台湾1975年12月10日1970年代張光世経済部政務次長,立法院予算委員会で,台湾海峡中部鹿港近海のCDA-1号井戸から石油埋蔵の兆候が発見され,それを開発する価値があると報告。
DIA-105-1975-12-10-3台湾1975年12月10日1970年代黄栄華国際貿易副局長,日本は台湾からポンカン,トンカンおよび根菜類を輸入することに同意したと述べた。
DIA-105-1975-12-12-1台湾1975年12月12日1970年代立法院,工廠法(1929年公布,1932年修正)の修正案を可決,そのなかで,昼夜三交替の勤務時間を実施している工場では,女工の深夜労働(夜10時以降から翌朝6時まで)を認める点が注目される。
DIA-105-1975-12-12-2台湾1975年12月12日1970年代経国行政院長,十大建設第2回検討会議で「十大建設が完成すれば,台湾は重工業国家になるだろう」と述べた。
DIA-105-1975-12-14-1台湾1975年12月14日1970年代内政部,1976,77年度の2年間に台湾省で1万5441戸,台北市で4255戸,金門地区で5000戸,合計2万0196戸の国民住宅を建設する計画を発表。
DIA-105-1975-12-15-1台湾1975年12月15日1970年代第10回台湾・韓国経済協力閣僚会議,台北で開催。
DIA-105-1975-12-16-1台湾1975年12月16日1970年代立法院,「建築師法部分修正案」を通過。
DIA-105-1975-12-17-1台湾1975年12月17日1970年代「日本方式」には難点――ハビブ米国務次官補は,米下院国際関係委員会調査特別小委で,①現在台湾駐留米軍の数は2700人であり,今後在台米軍は引続き減らして行く,②中国側は「日本方式」を米中正常化の一般的方法だと表明しているが,米国は日本と違った状況にあることを考慮している。米国は日本より深く台湾にかかわっており,相互防衛条約によって台湾防衛の義務を負っている,③中国が台湾に対する軍事解放の準備をしている兆候はない,などの点を証言した。
DIA-105-1975-12-17-2台湾1975年12月17日1970年代国民党中央常務委員会,1976年所得税の免税額および控除額の基準をそれぞれ1000元引上げると決定。
DIA-105-1975-12-20-1台湾1975年12月20日1970年代台湾福建地区の立法委員増員選挙(立候補者数61名,定数37名)の投票が行なわれ,投票率は75.2%。
DIA-105-1975-12-20-2台湾1975年12月20日1970年代総統によって指名された華僑代表の立法委員15名(連任9名,新任6名)のリストが公告された。
DIA-105-1975-12-23-1台湾1975年12月23日1970年代北京新華社電によると,中国の司法機関はこのほど,拘束していた元国民党の県,連隊クラス以上の党,政府,軍,特務要員全員の釈放を決定した。
DIA-105-1975-12-25-1台湾1975年12月25日1970年代経国行政院長,第1回国民大会代表1975年次会議で,1976年から実施に入る6カ年経済建設計画の主要目標について報告したほか,①「台湾をめぐる外交情勢は非常に厳しいけれども,しかしわれわれは絶対独立自主の外交原則を放棄しない」,②台湾内部で本省人,外省人と区別していることに対し「このような概念は間違いであり,われわれを分裂させようとする中共の陰謀に過ぎない」と述べた。
DIA-105-1975-12-26-1台湾1975年12月26日1970年代立法院で可決された「1974年度中央政府総予算審査報告書」によると,1974年会計年度の中央政府の総決算の剰余金は190億3639万8235元に達している。
DIA-105-1975-12-27-1台湾1975年12月27日1970年代新立法委員の当選公告――中央民意代表増員選挙総事務所は,12月20日に行なわれた台湾福建地区立法委員増員選挙37名の当選リストを正式に公告した。増員配分は台湾省22名,台北市5名,福建省1名,職業団体8名,山地同胞1名。
DIA-105-1975-12-27-2台湾1975年12月27日1970年代『台湾政論』,1年の発禁処分を受ける。
DIA-105-1975-12-28-1台湾1975年12月28日1970年代交通部電信総局,今後6年間以内に総計692億元の資金を電信建設に投入すると発表。
DIA-105-1975-12-29-1台湾1975年12月29日1970年代台湾人口と経済発展会議,台北で開催。
DIA-105-1976-01-01-1台湾1976年01月01日1970年代台東鎮,台湾省12番目の県轄市に昇格。
DIA-105-1976-01-03-1台湾1976年01月03日1970年代行政院,農会に信用部門を設置する必要はないと表明。
DIA-105-1976-01-05-1台湾1976年01月05日1970年代国際貿易局,ラジオ,スピーカー,カセットなどオーディオ機器の輸入地区制限を解除。
DIA-105-1976-01-06-1台湾1976年01月06日1970年代立法院,「警察人員管理条例」を通過。
DIA-105-1976-01-06-2台湾1976年01月06日1970年代陳顧達等36名の立法委員,行政院に対し「出版刊行物に掲載された批判的言論が,法の許容範囲を越えた場合,その関係者は刑事責任を負うべきだ」との質疑書を提出。
DIA-105-1976-01-08-1台湾1976年01月08日1970年代パスマン米下院議員一行5名訪台。
DIA-105-1976-01-08-2台湾1976年01月08日1970年代米第7艦隊司令官ヘイワード中将訪台。
DIA-105-1976-01-09-1台湾1976年01月09日1970年代『中国時報』,①政府の現在の財経措置は,独占的な大企業がさらにカルテル化するのを助長している,②各種の税制は,実質的に中産階級以下のものに大部分の負担がかかるようになっている,などの批判を内容とする立法委員の行政院に提出した質疑書を報道。
DIA-105-1976-01-12-1台湾1976年01月12日1970年代外交部,ジャカルタの中華商会からの”東チモールのデイリに設置されている台湾領事館がインドネシア軍によって閉鎖された”との報告を受取ったことを確認。
DIA-105-1976-01-12-2台湾1976年01月12日1970年代陳裕清国民党海外工作会主任,周恩来の死が中共政権に及ぼす影響として,①権力闘争が激化し,文革派の奪権のホコ先は鄧小平に向けられる,②中共は局面緩和をはかるため,ソ連に対する態度を和らげよう,との見解を述べた。
DIA-105-1976-01-14-1台湾1976年01月14日1970年代司法行政部,杜会治安に影響する重大犯罪を軍事法庭で処理する旨を所属機関に通達。
DIA-105-1976-01-14-2台湾1976年01月14日1970年代交通部電信総局,6年以内に山間地帯の各農村に最低1台の電話を設置すると発表。
DIA-105-1976-01-14-3台湾1976年01月14日1970年代台湾の銑鉄メーカー,日本製銑鉄の輸入禁止を要請する緊急請願書を立法院に提出。
DIA-105-1976-01-15-1台湾1976年01月15日1970年代国防部,米タコマ造船会社が台湾海軍との間で長期的技術援助に関する契約に調印したとの外電報道について論評を拒否。
DIA-105-1976-01-15-2台湾1976年01月15日1970年代行政院,「1976年度中央政府建設公債発行計画」を通過,それによると76年2~6月の間に71億元分の公債が発行される予定。
DIA-105-1976-01-15-3台湾1976年01月15日1970年代米政府人口調査局,全米50州に分布している中国系米人は合計43万5062名と発表。
DIA-105-1976-01-17-1台湾1976年01月17日1970年代中国青年党胡国偉主席,台北で病死。
DIA-105-1976-01-21-1台湾1976年01月21日1970年代台湾警備総司令部,75年12月21日に起きた日系企業スタンレー工場(苗粟県頭鎮)強奪事件の犯人4名に銃殺刑。
DIA-105-1976-01-21-2台湾1976年01月21日1970年代楊西崑外交部次長,サウジアラビアの首都リヤドでアブドル・アジス殿下と会見。
DIA-105-1976-01-24-1台湾1976年01月24日1970年代サリドマイド事件日台間の補償契約,台北で調印。
DIA-105-1976-01-26-1台湾1976年01月26日1970年代台湾省政府委員会議,蘭陽地区第1期5ヵ年発展計画(総資金130億元)を可決。
DIA-105-1976-01-27-1台湾1976年01月27日1970年代財政部,入国旅客の携帯持込み品に対する関税規定の緩和を実施。
DIA-105-1976-01-29-1台湾1976年01月29日1970年代『人民日報』によると,釈放された3人の元国民党県・連隊以上要員と3人の米武装特務,特務船員が台湾に帰ることを申し入れたが,人民政府はその申請を承認した。
DIA-105-1976-01-29-2台湾1976年01月29日1970年代行政院,台湾とマラウイ共和国間の技術協定の有効期間1年延長を了承。
DIA-105-1976-02-01-1台湾1976年02月01日1970年代中国大陸で地下工作に従事し,中国当局に逮捕拘禁中だった王力民ら6名,釈放されて台湾に帰還。
DIA-105-1976-02-04-1台湾1976年02月04日1970年代交通部民用航空局,中華航空と遠東航空両社によるボーイング737型旅客機5機の購入計画を許可したと発表。
DIA-105-1976-02-06-1台湾1976年02月06日1970年代ニカラグア外務次官ボタン一行6名訪台。
DIA-105-1976-02-07-1台湾1976年02月07日1970年代台湾政府,台北空港に放置されていた前ベトナム航空のボーイング727型機を没収。
DIA-105-1976-02-09-1台湾1976年02月09日1970年代陳裕清国民党海外工作会主任,「米国は台湾を犠牲にして北京との関係正常化を図る可能性はないと信ずる」と語った。
DIA-105-1976-02-09-2台湾1976年02月09日1970年代英字紙『チャイナ・ニューズ』,ニクソン前米大統領の訪中を社説で取り上げ,「台湾にはニクソン氏め友人もいるが,われわれはニクソン氏に対する尊敬の念を失った」と述べた。
DIA-105-1976-02-10-1台湾1976年02月10日1970年代経済部国営事業委員会,中国石油化学公司所属のアクリトニトリル工場(年産6万6000トン)は2月中旬から正式に生産活動に入ると発表。
DIA-105-1976-02-10-2台湾1976年02月10日1970年代行政院青年輔導委員会,台中県大甲鎮に幼獅工業区を設置することを決定。
DIA-105-1976-02-11-1台湾1976年02月11日1970年代丁懋時行政院新聞局長,白雅燦が反乱罪(ソ連との国交樹立,中国との交渉開始を主張した容疑)を犯したため,軍事法廷により無期懲役に処されたと発表。
DIA-105-1976-02-12-1台湾1976年02月12日1970年代行政院,台湾電力公司が原子力発電所の建設資金に充当するため,カナダのトロント・ドミニオン銀行からの500万ドル借款(返済期間6年)と,同借款を財政部が保証する件を了承。
DIA-105-1976-02-12-2台湾1976年02月12日1970年代行政院,1976年より自費留学試験の実施を中止することを決定。
DIA-105-1976-02-13-1台湾1976年02月13日1970年代米輸出入銀行,台湾交通部電信総局が台湾の電話網拡充のため,アメリカから電信設備および技術サービスを買付る費用5400万ドルの40%に当る2160万ドルを直接融資(1979年7月20日実施)することを表明。
DIA-105-1976-02-16-1台湾1976年02月16日1970年代厳孝章栄民工程処長,シンガポールに栄工処国際民間有限公司を設立する案はすでにシンガポール政府の認可を受けたと述べた。
DIA-105-1976-02-16-2台湾1976年02月16日1970年代1976年度建設公債15億元分(年利11%,3年返済)発行。
DIA-105-1976-02-16-3台湾1976年02月16日1970年代中華航空(CAL),米国のボーイング社とアジアで初つの“ミニ・ジャンボ”ボ-イング747SP型旅客機1機の購入契約に調印。
DIA-105-1976-02-17-1台湾1976年02月17日1970年代台湾初の短期手形金融公司である中興票券金融公司(資本金2億元,出資比率は中央投資公司60%,台湾銀行20%,第一,華南,土地,上海銀行各5%),正式に発足。
DIA-105-1976-02-18-1台湾1976年02月18日1970年代経済部,アジア・アフリカ農村復興機構(AARRO)加盟国の農業発展に協力するため,訪台中のオースマン同機構秘書長との間で協力議定書に調印。
DIA-105-1976-02-19-1台湾1976年02月19日1970年代行政院経済設計委員会,台湾地区経済建設6ヵ年計画初年度諸計画を正式に公布。
DIA-105-1976-02-19-2台湾1976年02月19日1970年代行政院,とうもろこし,大豆,燐鉱石,塩化カリウム,セメントの現行輸入税率をさらに1年間延長することを決定。
DIA-105-1976-02-20-1台湾1976年02月20日1970年代楊西崑外交部次長,南アフリカ,レソト,スワジランド,マラウイの4ヵ国友好訪問のため,台北を出発。
DIA-105-1976-02-23-1台湾1976年02月23日1970年代台湾亜東関係協会と日本交流協会の第1回経済貿易会議,台北で開催。
DIA-105-1976-02-25-1台湾1976年02月25日1970年代民社党翼翹主席,台中で病死。
DIA-105-1976-02-26-1台湾1976年02月26日1970年代行政院,中国鋼鉄公司が一貫作業製鉄所建設計画のために,米国ハノーバー・トラスト銀行から500万ドルを借入れ(利率は3ヵ月期ユーロダラ-の利率プラス1.75%),財政部がその保証人となる案を了承。
DIA-105-1976-02-26-2台湾1976年02月26日1970年代楊西崑外交部次長,マラウイのブランタイアでパンダ大統領と会見。
DIA-105-1976-02-26-3台湾1976年02月26日1970年代台湾亜東関係協会と日本交流協会の第1回経済貿易会議の同意議事録,台北で調印。
DIA-105-1976-02-26-4台湾1976年02月26日1970年代75年12月に当選した52名の増額立法委員,台北で宣誓就任。
DIA-105-1976-02-27-1台湾1976年02月27日1970年代蒋経国行政院長,立法院第57会期の施政報告の中で,米国との恒久的な友好関係を重視することを強調した。また同会議で,「台湾独立の考え方に惑わされてはならず,台湾独立を企図するいかなる行動もすべて自殺行為である」と言明。
DIA-105-1976-03-01-1台湾1976年03月01日1970年代台湾省国民住宅建設委員会発足。
DIA-105-1976-03-02-1台湾1976年03月02日1970年代蒋経国行政院長,立法院で「商店やビルの名称に外国名を使用することを禁止する」と表明。
DIA-105-1976-03-04-1台湾1976年03月04日1970年代南アフリカ共和国のディートリク大統領,南ア訪問中の楊西崑外交部次長を接見。
DIA-105-1976-03-04-2台湾1976年03月04日1970年代遠東航空公司が米国から購入したボーイング737型旅客機1機,台北に到着。
DIA-105-1976-03-05-1台湾1976年03月05日1970年代楊西崑外交部次長,ケープタウンで南アフリカ共和国のフスト総理と会見。
DIA-105-1976-03-10-1台湾1976年03月10日1970年代サウジアラビア王国開発基金,台湾の南北高速道路資金5000万ドルの借款(返済期間18年,年利4%で3年の据置き)を供与するため,台北で財政部との間で契約に調印。
DIA-105-1976-03-11-1台湾1976年03月11日1970年代米国務省,1977会計年度の台湾に対する軍需品買付のクレジットは3500万ドルに達するだろうと述べた。
DIA-105-1976-03-12-1台湾1976年03月12日1970年代杜均衡財政部次長,投資奨励政策は全般的奨励から選択的奨励に転換すべきだと述べた。
DIA-105-1976-03-12-2台湾1976年03月12日1970年代第1回台湾・サウジアラビア経済技術合作連合会議の協議達成記録書類,台北で調印。
DIA-105-1976-03-15-1台湾1976年03月15日1970年代サウジアラビアのハリド国王,同国訪問中の谷正綱世界反共連盟名誉主席と会見。
DIA-105-1976-03-15-2台湾1976年03月15日1970年代韓国参謀会議議長盧載鉉大将訪台。
DIA-105-1976-03-16-1台湾1976年03月16日1970年代台湾省政府,林口特定区の開発完成期限を20年から10年に短縮することを決定。
DIA-105-1976-03-17-1台湾1976年03月17日1970年代米輸出入銀行,米国製石油掘さく機械購入資金として中国石油公司に対し440万ドルの借款を供与することを決定。
DIA-105-1976-03-18-1台湾1976年03月18日1970年代行政院,中国鋼鉄公司が高雄製鉄所建設資金の一部としてアメリカの美倫銀行から600万ドルの借款を受け入れることを承認。
DIA-105-1976-03-19-1台湾1976年03月19日1970年代米穀物長期買付契約に調印―訪米中の台湾穀物買付代表団は,ニューヨークで米9大穀物商との間に向う5年間アメリカから15億ドルに相当する合計1020万トンの各種穀物(小麦285万トン,大豆320万トン,とうもろこし275万トン,大麦140万トン)を買付ける協定書に調印した。
DIA-105-1976-03-19-2台湾1976年03月19日1970年代外交部,西沙,南沙群島の領土主権を再び主張。
DIA-105-1976-03-20-1台湾1976年03月20日1970年代ジャカルタ発ロイター電によると,台湾はすでに向う5年間インドネシアから毎年700万バレルの原油を輸入する契約に調印した。
DIA-105-1976-03-22-1台湾1976年03月22日1970年代行政院,今後台湾省の船務代理業は中央政府が直接管轄すると発表。
DIA-105-1976-03-22-2台湾1976年03月22日1970年代台湾省政府委員会議,62億2577万元に上る台中港第2期工事(1976年11月~79年10月)特別予算案を可決。
DIA-105-1976-03-25-1台湾1976年03月25日1970年代行政院,台湾省第5回省議員,第7回県市長,第8回県市議員,第7回郷鎮(県轄市)長,台北市第2回市議員など地方公職人員の任期をそれぞれ延長し,その改選は1977年11月同時に行なわれると発表。
DIA-105-1976-03-26-1台湾1976年03月26日1970年代哲学者,文学者として知られている林語堂博士,香港で病死,82歳。
DIA-105-1976-03-26-2台湾1976年03月26日1970年代日本華僑連合総会林以文会長,東京で病死。
DIA-105-1976-03-28-1台湾1976年03月28日1970年代外交部の鍾湖浜スポークスマン,「台湾はすでにアルゼンチン軍事政権に対し,正式承認の意向を伝達した」と言明。
DIA-105-1976-03-30-1台湾1976年03月30日1970年代立法院,「更生保護法」を通過。
DIA-105-1976-03-30-2台湾1976年03月30日1970年代中華航空公司,ボーイング747SP型ジェット旅客機を購入する資金の一部分として,米輸出入銀行から2227万5000ドルの直接借款(年利9%,1977年11月10日より10年間返済)を取りつけた。
DIA-105-1976-04-02-1台湾1976年04月02日1970年代米国で病気療養中の故蒋介石氏夫人の宋美齢女史,帰台。
DIA-105-1976-04-04-1台湾1976年04月04日1970年代故蒋介石総統の一周忌紀念大会,台北市の国父紀念館で開催。日本からは国会議員訪台団一行11名(団長坊秀男衆議員),交流協会ら各界代表が列席。
DIA-105-1976-04-04-2台湾1976年04月04日1970年代蒋経国行政院長,父蒋介石氏をしのぶ「梅台思親」と題する随想記を発表。
DIA-105-1976-04-06-1台湾1976年04月06日1970年代新年度の各級政府収支予算―行政院の周宏濤主計長は,立法院で1977会計年度の各級政府収支概要を明らかにした。①中央政府で:収入1108億6400万元,支出は収入と同額,②台湾省政府:収入397億6800万元,支出は収入と同額,③台北市政府:収入123億800万元,支出は収入と同額,④台湾省各県市政府(郷鎮公所を含む):収入275億6700万元,支出324億8800万元で,49億2100万元の赤字。
DIA-105-1976-04-07-1台湾1976年04月07日1970年代蒋経国党中央委員会主席,中央常務委員会で,北京天安門事件について「こんどの事件は,単に中央の派閥次元の闘争と見なすべきではなく,毛政権に対する一般人民の闘争の開始と解すべきである」と述べた。
DIA-105-1976-04-07-2台湾1976年04月07日1970年代台湾省政府の余学海人事処長,台湾省政府は所属機関に対し,1976年より5年間5%の人員整理を行なうと発表。
DIA-105-1976-04-07-3台湾1976年04月07日1970年代中国業公司高雄硫酸工場(日産400トン)が試運転を開始,6月から操業に入る予定。
DIA-105-1976-04-08-1台湾1976年04月08日1970年代内政部,「台湾省区漁会合併方案」を公布。
DIA-105-1976-04-11-1台湾1976年04月11日1970年代エルサルバドル共和国ロメロ国防相訪台。
DIA-105-1976-04-12-1台湾1976年04月12日1970年代台湾・コロンビア水産養殖技術合作協定,ボゴタで調印。
DIA-105-1976-04-12-2台湾1976年04月12日1970年代台湾国民党,中共幹部および大陸同胞に対し反共決起を呼びかけるメッセージを発表。
DIA-105-1976-04-12-3台湾1976年04月12日1970年代日本華僑連合総会常務委員会,副会長李合珠氏を会長に推挙。
DIA-105-1976-04-12-4台湾1976年04月12日1970年代コスタリカのファシオ外相訪台。
DIA-105-1976-04-13-1台湾1976年04月13日1970年代中国人造繊維公司の所属する台湾初のエチレン・グリコール高雄工場(年産5万トン),正式に操業を開始。
DIA-105-1976-04-15-1台湾1976年04月15日1970年代米GE社,船舶用の蒸気タービン製造の技術を提供するため,高雄で台湾機械公司との間で契約に調印。
DIA-105-1976-04-19-1台湾1976年04月19日1970年代台湾省政府委員会議,6ヵ年経済建設計画初年度計画のなかの省政府が担当実施する諸計画(総経費384億元)を了承。
DIA-105-1976-04-19-2台湾1976年04月19日1970年代楊肇嘉総統府国策顧問,沙鹿で病死。
DIA-105-1976-04-20-1台湾1976年04月20日1970年代立法院,「山披地保育利用条例草案」を通過。
DIA-105-1976-04-22-1台湾1976年04月22日1970年代行政院,中国鋼鉄公司が一貫作業大製鉄所建設のため,ホンコンのアジア・ユーロアメリカン融資銀行シンジケートから1500万ドル(期間5ヵ年,利率6ヵ月もしくは3ヵ月ものユーロダラー利率プラス1.75%)の協調融資を受け,それを財政部が保証する案を認可。
DIA-105-1976-04-24-1台湾1976年04月24日1970年代趙耀東中国鋼鉄公司総経理,同公司の総投資額は9億3140万ドルに修正したと発表。
DIA-105-1976-04-26-1台湾1976年04月26日1970年代台湾および南アフリカ共和国の総領事館,相互に大使館に昇格。
DIA-105-1976-04-26-2台湾1976年04月26日1970年代米輸出入銀行,ワシントンで台湾電力公司の第2原子力発電所の建設資金として新たに6000万ドルの借款を供与する契約に調印。
DIA-105-1976-04-26-3台湾1976年04月26日1970年代米台共同防衛司令部新参謀長ブルックシヤー准将,台北に着任。
DIA-105-1976-04-27-1台湾1976年04月27日1970年代立法院,「職業学校法修正案」を通過。
DIA-105-1976-04-28-1台湾1976年04月28日1970年代経済部,1977年度の機械電器製品の国産比率を公布,①白黒TV90%,②カラーTV50%,③電話機90%,④乗用車(重量3500kg以下)60%,⑤オ-トバイ90%,⑥耕うん機:8馬力以上90%,8馬力以下85%。
DIA-105-1976-04-29-1台湾1976年04月29日1970年代米国訪問から帰台した陳蘭皋台湾電力公司総経理,①米輸銀から第2原子力発電所の建設費として新たに6000万ドルの借款を取りつけた,②第2原発の核燃料買付け資金について米銀行シンジケ-トから原則的に総額2億ドルの協調融資の承諾を取り付けたと述べた。
DIA-105-1976-04-29-2台湾1976年04月29日1970年代行政院,中国鋼鉄公司が短期借款返済のため,米モーガン信託銀行シンガポール支店から1000万ドルを借入れ,これを財政部が保証する件を了承。
DIA-105-1976-04-29-3台湾1976年04月29日1970年代行政院,ホンジュラス共和国との農業技術合作協定を2月28日にさかのぼってさらに3年間延長する件を了承。
DIA-105-1976-04-30-1台湾1976年04月30日1970年代台湾電力公司,1976年から1984年までの間に3000億元を投じて電源開発計画を進め,計画完成時の総発電量を1100万kW(うち原子力発電量545万kW)にすることを明らかにした。
DIA-105-1976-05-03-1台湾1976年05月03日1970年代張豊緒台北市長,350万の人口が収容できる台北市発展計画に着手すると述べた。
DIA-105-1976-05-05-1台湾1976年05月05日1970年代中国石油化学公司,同公司所属のDMT工場第2プラントのDMT生産量は従来の年間2万6000トンから5万2000トンに倍増したと発表。
DIA-105-1976-05-05-2台湾1976年05月05日1970年代李崇道農復会主任,今後6年間台湾の食糧自給率は現在の84%から86%に引上げると表明。
DIA-105-1976-05-06-1台湾1976年05月06日1970年代国際貿易局,日本からの機械設備輸入額が3ヵ月間に累計20万ドルを超える場合,日本以外の地区からの輸入に切り換えるよう勧告。
DIA-105-1976-05-06-2台湾1976年05月06日1970年代台北-ロンドン間の国際電話,直通方式を採用。
DIA-105-1976-05-09-1台湾1976年05月09日1970年代台湾省政府,台中港,林口,南坎,大坪頂,澄清湖を衛星都市として開発すると発表。
DIA-105-1976-05-10-1台湾1976年05月10日1970年代欧州退役軍人連盟,台湾の加盟を可決。
DIA-105-1976-05-12-1台湾1976年05月12日1970年代国民党中央常務委員会,現行の「都市平均地権実施条例」を「平均地権実施条例」と改正。
DIA-105-1976-05-12-2台湾1976年05月12日1970年代経済部,最近の暴騰で小豆の輸出を即日から当分の間禁止すると発表。
DIA-105-1976-05-12-3台湾1976年05月12日1970年代台北市に米台共同の消防隊が成立。
DIA-105-1976-05-12-4台湾1976年05月12日1970年代中国青年党余家菊主席,台北で病死。
DIA-105-1976-05-13-1台湾1976年05月13日1970年代沈昌煥外交部長,立法院外交委員会で①北京の天安門事件は中共内部の不安定を露呈したものである,②米台間重要な問題については政府最高首脳間で直接話し合うことになっていると報告。
DIA-105-1976-05-14-1台湾1976年05月14日1970年代サウジアラビア空軍総司令官ザヘール中将一行14名訪台。
DIA-105-1976-05-14-2台湾1976年05月14日1970年代中国のウランフ全人大副委員長,1975年12月に台湾から帰国した李毅もと国民党陸軍中将と会見。
DIA-105-1976-05-19-1台湾1976年05月19日1970年代中央政府,1977会計年度において台湾省の農林水産事業の発展に協力するため,13億8000万元の特別支出を決定。
DIA-105-1976-05-20-1台湾1976年05月20日1970年代中興票券金融公司,正式に開業。
DIA-105-1976-05-21-1台湾1976年05月21日1970年代国際貿易局,あわびなど41品目の輸入あるいは輸出の制限を実施すると発表。
DIA-105-1976-05-24-1台湾1976年05月24日1970年代コートジボアール共和国駐台湾領事館,台北に成立。
DIA-105-1976-05-25-1台湾1976年05月25日1970年代南アフリカ共和国プレトリアス新駐台大使,厳家淦総統に信任状を提出。
DIA-105-1976-05-26-1台湾1976年05月26日1970年代新任の台湾駐在米軍事顧問団長フォーニー准将着任。
DIA-105-1976-05-26-2台湾1976年05月26日1970年代日本交流協会理事長に木村四郎七氏が就任。
DIA-105-1976-05-27-1台湾1976年05月27日1970年代マコノギー元駐台湾米大使,米下院外交関係委員会で「米国が中国と正式国交を結んでも,それだけで台湾政府が崩壊するとは思わない」と述べた。
DIA-105-1976-05-28-1台湾1976年05月28日1970年代外交部の鍾湖浜スポークスマン,「政府はこれまでにも度たび西沙・南沙群島は台湾領土の一部であると声明している。リートバンク島は南沙群島内に位置しており,したがって如何なる国家にも契約を結び,同島の石油資源を探査,採取する権利はない」と言明。
DIA-105-1976-05-28-2台湾1976年05月28日1970年代1977会計年度予算案可決―1977会計年度(76年7月~77年6月)中央政府総予算案は立法院本会議で原案通り可決。同予算案は歳入歳出ともに1108億6467万元歳入の財源は大半の72.7%が諸税収および専売収益で占められており,歳出は国防,外交部門が43.4%,経済,交通部門が22.3%,社会保障部門が12%などの順となっている。
DIA-105-1976-05-29-1台湾1976年05月29日1970年代林洋港台湾省建設庁長,過去において設立ないし認可された外国式の会社名,商店屋号などについては 改称を強制しないと述べた。
DIA-105-1976-05-30-1台湾1976年05月30日1970年代竹南駅と談文駅の間で急行列車の衝突事故が発生,死亡者29名。
DIA-105-1976-05-31-1台湾1976年05月31日1970年代レソトのジョナサン首相訪台,6日間滞在。
DIA-105-1976-05-31-2台湾1976年05月31日1970年代行政院,食糧,製塩政策の失敗で王紹財政部常務次長と張清治糧塩司長を免職処分。
DIA-105-1976-05-31-3台湾1976年05月31日1970年代政府治安機関,顔明聖,楊金海2名を政府転覆を企てた容疑で逮捕したと発表。
DIA-105-1976-06-01-1台湾1976年06月01日1970年代青年党臨時中央執行委員会成立。
DIA-105-1976-06-01-2台湾1976年06月01日1970年代台湾省政府,5月30日に発生した急行列車衝突事故で陳徳年鉄道管理局長を退職処分。
DIA-105-1976-06-01-3台湾1976年06月01日1970年代中国造船公司高雄造船所の100万トン級ドック(全長950m,幅92m,平均深度14m)完成。
DIA-105-1976-06-02-1台湾1976年06月02日1970年代国民党機関紙『中央日報』,中国の故周恩来首相によって書かれたという四つの異なる遺書を大陸内の台湾のスパイが手に入れたと報じた。
DIA-105-1976-06-03-1台湾1976年06月03日1970年代中央社電によると,ワシントン駐在の台湾大使館に爆弾入りの郵便小包が届けられたが,損害はなかった。
DIA-105-1976-06-03-2台湾1976年06月03日1970年代米国務省,対外現状を解説した背景資料の台湾編で,米台間の外交関係および防衛協力条約を引きつづき維持する米政府の方針を表明。
DIA-105-1976-06-05-1台湾1976年06月05日1970年代米『ワシントン・ポスト』紙によると,国際原子力機関(IAEA)は今年初め台湾の研究炉を査察した際,プルトニウム500グラム分の燃料棒計10本が消えていることを知りながら,その行方を突きとめなかった。
DIA-105-1976-06-05-2台湾1976年06月05日1970年代沈昌煥外交部長と訪台中のレソトのモラポ外相,双方は今後国際関係で引続き密切に合作して共同の利益を促進する旨の共同コミュニケを発表。
DIA-105-1976-06-08-1台湾1976年06月08日1970年代第5回米台「中国大陸」問題研討会,台北で開催。
DIA-105-1976-06-08-2台湾1976年06月08日1970年代中国造船公司高雄造船所の100万トンドック,施工請負の日本鹿島建設から中国造船公司に引渡された。
DIA-105-1976-06-09-1台湾1976年06月09日1970年代閣僚一部異動―総統令により,閣僚の一部異動が行なわれた。内政部長:張豊緒,財政部長:費,司法行政部長:汪道淵,交通部長:林金生,行政院秘書長:張継正。一方,李国鼎,高玉樹,邱創煥3氏が行政院政務委員に任命された。また,前行政院政務委員連震東,李連春,王任遠3氏が総統府国策顧問に任命された。
DIA-105-1976-06-09-2台湾1976年06月09日1970年代経済部,1977会計年度の農機購入貸付金は10億元と決定。
DIA-105-1976-06-09-3台湾1976年06月09日1970年代米輸出入銀行,中美和石油化学公司に対し2600万ドルの借款供与を決定。
DIA-105-1976-06-10-1台湾1976年06月10日1970年代行政院,揚家麟氏を経済設計委員会主任委員に,郭澄氏を研究発展考核委員会主任委員にそれぞれ任命した件を了承。
DIA-105-1976-06-10-2台湾1976年06月10日1970年代行政院,林洋港氏を台北市長に任命する行政院長の提案を了承。
DIA-105-1976-06-10-3台湾1976年06月10日1970年代訪台中のレイ・クライン元米国務省情報調査分析局長,「米国は中国との関係を正常化にあっては“日本方式”ではなく,“ドイツ方式”を適用するかも知れない」と述べた。
DIA-105-1976-06-11-1台湾1976年06月11日1970年代中華航空(CAL),米シティバンクを中心とする国際協調融資団との間に,ボーイング747SP型1機,747型1機および737型3機の購入に当てられる8600万ドルの借款の第1期分3651万ドルの借款契約(借款期間7年)に調印。
DIA-105-1976-06-11-2台湾1976年06月11日1970年代立法院,「兵役法施行法部分条文修正案」を通過,その中で緊急動員は48時間内に完成と規定し,病気や重大な事故の場合の入営延期期間10日を3日以内に改めた。
DIA-105-1976-06-12-1台湾1976年06月12日1970年代日本農林省,台湾からのパパイヤおよびマンゴーの輸入制限を解除,6月16日より輸入許可を実施すると発表。
DIA-105-1976-06-13-1台湾1976年06月13日1970年代『ワシントン・ポスト』によると,台湾国防部に直属する中山科学研究院の科学技術者15人が米マサチューセッツ工大(MIT)およびドレーパ-研究所で75年1月から1年半にわたり,ミサイル兵器に応用する慣性誘導技術を研究していた。この指導のため,台湾政府から91万700ドルの委託費が支払われたという。
DIA-105-1976-06-14-1台湾1976年06月14日1970年代経済部,「1976年日本地区向けパパイヤおよびマンゴー輸出実施要綱」を公布,実施。
DIA-105-1976-06-17-1台湾1976年06月17日1970年代行政院,閣議で徐立徳氏を財政部常務次長に,梁孝煌氏を台湾省政府委員に任命。
DIA-105-1976-06-18-1台湾1976年06月18日1970年代立法院,「海関進口税(税関輸入税)部分修正案」を通過。
DIA-105-1976-06-18-2台湾1976年06月18日1970年代農村復興連合委員会,1977年度の農業計画に4億2000万元の資金を投入すると発表。
DIA-105-1976-06-19-1台湾1976年06月19日1970年代不正融資で関係者16名を行政処分―行政院は,金融機関の啓達グループ企業に対する総額所台幣19億元に達する不正融資こげつき事件で,16名の高級職員を行政処分に付した。懲戒免職処分を受けたのは農民銀行総経理徐鳳鳴,同銀行貸付審議委員会招集人曹友熹,同委員会執行秘書石朝栄,合作金庫貯蓄部経理黄福霖,同金庫専門委員呂鴻昌の5人。
DIA-105-1976-06-24-1台湾1976年06月24日1970年代金門,馬祖の米顧問団撤収―ネッセン・ホワイトハウス報道官は,記者会見で台湾海峡の馬祖(6月2日に3名),金門(6月15日に3名)両島から米軍事顧間団6名が引き揚げたことを確認。
DIA-105-1976-06-24-2台湾1976年06月24日1970年代行政院,范魁書氏を司法行政部政務次長に,陳敏卿氏を台湾省政府委員兼建設庁長に任命。
DIA-105-1976-06-28-1台湾1976年06月28日1970年代米国務省と国防総省,台湾政府が米ヒューズ航空会社から3400万ドルの防空システムを買い入れる契約に合意したことを確認。
DIA-105-1976-07-01-1台湾1976年07月01日1970年代台湾省政府,「台湾省道路交通網6ヵ年発展計画」を実施。
DIA-105-1976-07-01-2台湾1976年07月01日1970年代軍部の人事異動―6月9日付の総統令で発令された軍部の人事異動が発効。参謀総長:宋長志上将,海軍総司令官:鄒堅上将。
DIA-105-1976-07-01-3台湾1976年07月01日1970年代台湾合会儲蓄公司,中小企業銀行に改組。
DIA-105-1976-07-01-4台湾1976年07月01日1970年代財団法人連合船舶設計発展中心成立。
DIA-105-1976-07-01-5台湾1976年07月01日1970年代台中港務局成立。
DIA-105-1976-07-04-1台湾1976年07月04日1970年代台湾省政府,1977年から5年間,山間地にある保留地3万余ヘクタールの所有権を山地同胞に移転することを決定。
DIA-105-1976-07-05-1台湾1976年07月05日1970年代1976~77収穫年度の台湾とタイとのとうもろこし貿易協定(タイからの輸入量45万トン),バンコクで調印。
DIA-105-1976-07-06-1台湾1976年07月06日1970年代立法院,「関税法部分条文修正案」(関税の課徴方法は従来の従価税1本から従価税と従量税の2本立となることが主な改正点)を通過。
DIA-105-1976-07-07-1台湾1976年07月07日1970年代台湾の軍艦2隻,シンガポールを訪問。
DIA-105-1976-07-08-1台湾1976年07月08日1970年代フィリピン広報局,台湾または台北を中華民国と呼ぶニュースの報道を禁止すると発表。
DIA-105-1976-07-08-2台湾1976年07月08日1970年代行政院,内政部政務次長に劉兆田,同常務次長に高育仁の両氏を任命する案を通過。
DIA-105-1976-07-09-1台湾1976年07月09日1970年代兵役法修正強化―立法院は,「兵役妨害治罪(処罰)条例修正案」を通過した。修正の主要点は次の通り。①兵役忌避者に対する刑罰を5年以下の禁固刑とする(現行法は3年以下),②緊急動員の対象となった予備役軍人で許可なく住所を移動した場合,3年以下の禁固刑に処する(現行法にない新規定)。
DIA-105-1976-07-12-1台湾1976年07月12日1970年代宮沢外相,マンスフィールド米上院議員に対し「米台条約の一方的破棄は,アジアの安定に複雑な影響を及ぼす恐れがある」と語った。
DIA-105-1976-07-13-1台湾1976年07月13日1970年代米民主党,採択された同党綱領の中で「米中関係は台湾の将来を平和的決定するとの考え方に従って,外交関係正常化の動きを促進するなど,平和的に発展させる」と述べている。
DIA-105-1976-07-13-2台湾1976年07月13日1970年代外交部および国防部,ギリシャの有力紙『アクロポリス』が7月11日付に「台湾はソ連に対する軍事基地提供を検討中」と報道したことについて,「台湾軍部がソ連となんらかの接触を進めるのはありえない」と反論。
DIA-105-1976-07-14-1台湾1976年07月14日1970年代台湾・ウルグアイ農業技術合作協定の延長を取決めた合意書,モンテビデオで調印。
DIA-105-1976-07-14-2台湾1976年07月14日1970年代中華航空(CAL),台北―福岡間の航空路を開設。
DIA-105-1976-07-14-3台湾1976年07月14日1970年代日本防衛庁の丸山防衛局長,衆院決算委で「台湾地域の情勢に著しい変化をもたらすような結果になるのは日本として好ましくない」と述べた。
DIA-105-1976-07-15-1台湾1976年07月15日1970年代啓達企業不正融資事件の調査報告―財政部は,啓達グループ企業に対する銀行融資焦げ付き事件の調査報告書および各銀行の責任追及処分者合計36名のリストを公表した。報告書によると,融資を提供した銀行数は16行(公営8行,民営4行,外国銀行4行),融資総額は19億7000万元(公営銀行16億6000万元,民営銀行1億1000万元,外国銀行1億9000万元)となっている。
DIA-105-1976-07-16-1台湾1976年07月16日1970年代国際オリンピック委員会(IOC)総会,①台湾選手団は国旗と国歌を使用できる,②しかし「中華民国」の呼称は用いず「台湾」を用いる,ことを可能にするため,オリンピック憲章58条を今大会期間中に限り台湾には適用しない旨の決議案を賛成58,反対2,棄権6の圧倒的多数で可決。
DIA-105-1976-07-16-2台湾1976年07月16日1970年代台湾,モントリオ-ル・オリンピックの不参加を決定。
DIA-105-1976-07-16-3台湾1976年07月16日1970年代黄鏡峯前台東県長,台湾省糧食局長に就任。
DIA-105-1976-07-18-1台湾1976年07月18日1970年代台湾国民党1976年度党務工作会議,台北で開催。
DIA-105-1976-07-19-1台湾1976年07月19日1970年代シチー・バンクを含む米銀6行,総額5600万ドルの協調融資を中美和石油化学公司(年産150万トンのPTA生産工場,1979年に完成予定,出資比率は米インディアナ・スタンダード石油公司とアモコ化学公司で50%,中国石油公司と中央投資公司が各25%)に供与することに決定。
DIA-105-1976-07-19-2台湾1976年07月19日1970年代東京発新華社電,宮沢外相が7月12日マンスフィールド米上院議員に対して述べた米中正常化に関する見解を取り上げ,「宮沢外相は,台湾が中国領土の不可分な一部であることを日本政府が尊重するという中日共同声明の原則に著しく背き,台湾が祖国の懐へ戻るのを妨害しょうとし“二つの中国”をいいふらし,中国の内政に露骨に干渉した」と非難。
DIA-105-1976-07-26-1台湾1976年07月26日1970年代日本アジア航空(JAA),大阪-台北,大阪-台北-香港,東京-大阪-台北-香港の3新線の運航を開始。
DIA-105-1976-07-27-1台湾1976年07月27日1970年代台湾警備総部軍法処,反乱罪(銀行券の偽造,油送パイプの破壊,テロ活動,送電妨害などを謀議した容疑)で楊金海に終身刑,顔明聖に懲役12年の判決を言い渡した。
DIA-105-1976-08-01-1台湾1976年08月01日1970年代1976年国家建設研究会,台北で開催。
DIA-105-1976-08-02-1台湾1976年08月02日1970年代台湾電力公司第3原子力発電所建設準備事務所発足。
DIA-105-1976-08-04-1台湾1976年08月04日1970年代国民党中央常務委員会,中国河北震災で①われわれは震災地同胞に対し深甚なる憂慮と関心を寄せている,②毛共は今次大地震による生命と財産の損害を明らかにすることを拒むばかりか,震災を「批鄧」などの階級闘争に利用している,との声明を発表。
DIA-105-1976-08-04-2台湾1976年08月04日1970年代『ニュ-ヨ-ク・タイムズ』紙によると,米国はこのところ台湾に対しレーダー防空システム一式(3400万ドル),ホーク地対空ミサイルおよび発射台(8500万ドル),F5Eジェット戦闘機60機(9500万ドル)など2億ドルに上る兵器売却に新たに合意したという。
DIA-105-1976-08-05-1台湾1976年08月05日1970年代台湾の中国難民援助団体である「自由中国救援協会」,中国河北地震被災者救援のため気球を使って物資を送っていると発表。
DIA-105-1976-08-07-1台湾1976年08月07日1970年代中央研究院経済研究所主催の「台湾経済の発展方向および策略研討会」,台北で開催。
DIA-105-1976-08-09-1台湾1976年08月09日1970年代沈昌煥外交部長,訪台中のフランク中央アフリカ共和国外相との間で,双方の既存の友好関係を強調する共同声明を発表。
DIA-105-1976-08-10-1台湾1976年08月10日1970年代米共和党スコット上院院内総務,上院外交委員会に提出した中国訪問報告のなかで,①台湾の安全を損なわない範囲で台湾と関係を断絶しても中国との国交樹立に進むべきである,②台湾も相互の武力不行使に向かって積極的な役割を果たすべきである,③台湾の安全は米国との相互防衛条約以外の要素に依存できる,との見解を明らかにした。
DIA-105-1976-08-11-1台湾1976年08月11日1970年代梁国樹中央銀行副総裁,外貨準備は28億ドルに達していると述べた。
DIA-105-1976-08-12-1台湾1976年08月12日1970年代行政院,台湾・ウルグァイ農業技術合作拡大協定の2ヵ年延長を了承。
DIA-105-1976-08-14-1台湾1976年08月14日1970年代米共和党綱領委員会,「1976年共和党綱領」を発表,台湾について①米政府は友邦であり同盟国でもある「中華民国」の自由と独立を支持し続ける,②米国は相互防衛条約などの「中華民国」とのコミットメントを履行,維持するつもりである,と述べた。
DIA-105-1976-08-15-1台湾1976年08月15日1970年代張知本国民党元老,台北で病死。
DIA-105-1976-08-15-2台湾1976年08月15日1970年代タイのプラパート元副首相,亡命先の台湾からタイに帰国。
DIA-105-1976-08-16-1台湾1976年08月16日1970年代招商局,中国造船公司との間に2万8500トン級貨物船4隻の建造契約に調印。
DIA-105-1976-08-19-1台湾1976年08月19日1970年代訪米中の楊西崑外交部次長,国務省にハビブ国務次官とアジア太平洋地区担当のハメル同次官補と会談。
DIA-105-1976-08-20-1台湾1976年08月20日1970年代スワジランドのドラミニ首相訪台,7日間の滞在。
DIA-105-1976-08-21-1台湾1976年08月21日1970年代台湾銀行,台湾中小企業銀行との間に中小企業を対象に5億元の融資を提供する契約に調印。
DIA-105-1976-08-22-1台湾1976年08月22日1970年代タイのプラパート元副首相兼国軍副司令官,タイ国内世論におされて,亡命先の台北に再入国。
DIA-105-1976-08-25-1台湾1976年08月25日1970年代中央アフリカとの外交関係を断絶―外交部は,中央アフリカ共和国が8月20日中国と国交を樹立したため,同国との外交関係を断絶したと発表。
DIA-105-1976-08-25-2台湾1976年08月25日1970年代故蒋介石氏夫人の宋美齢女史,病気治療のため再び渡米。
DIA-105-1976-08-25-3台湾1976年08月25日1970年代国際貿易局,ポータブル型白黒テレビ(15インチ以下)の英国向け輸出認証発給を暫時停止すると発表。
DIA-105-1976-08-25-4台湾1976年08月25日1970年代台湾省政府,省営の唐栄公司が高雄臨海工業区に計画中のステンレス薄板生産工場(年産2万5000トン,79年6月完成予定)を認可。
DIA-105-1976-08-26-1台湾1976年08月26日1970年代台湾・パナマ漁業技術合作協定,2年延長。
DIA-105-1976-08-26-2台湾1976年08月26日1970年代中央銀行,財政部などの機構による「工商業に協力する融資小組」発足。
DIA-105-1976-08-27-1台湾1976年08月27日1970年代外交部,マニラで開催された南シナ海海路測量会議に台湾が招かれなかったというフィリピン国防部の発表に関連して,「台湾はリ-ドバンク島を含む南沙群島に合法的な主権をもっており,同会議でどんな結論が打ち出されようと,絶対にそれを承認しない」と表明。
DIA-105-1976-08-27-2台湾1976年08月27日1970年代台湾省政府,台湾省各県市及び郷鎮市区組織編制及び定員の改革方策を公布,実施。
DIA-105-1976-08-27-3台湾1976年08月27日1970年代台湾・エルサルバドル農業技術合作協定,2年延長。
DIA-105-1976-08-29-1台湾1976年08月29日1970年代『ワシントン・ポスト』紙,①台湾が核兵器の生産につながるウラン燃料の再処理を極秘裏に行なっている,②米政府は台湾に対して72年と74年,4基の大型原子炉の輸出を許可,さらに2基の輸出許可申請が76年1月台湾から出されている,と報道。
DIA-105-1976-08-31-1台湾1976年08月31日1970年代行政院新聞局,台湾がウラン燃料の再処理を極秘裏に行なっているとの外国報道を否定,原子力の開発は平和利用のみを目的とするものであると言明。
DIA-105-1976-09-01-1台湾1976年09月01日1970年代国民党中央常務委員会,梁永章氏を中央委員会副秘書長,王唯農氏を台湾省委員会主任委員代理に任命する党主席の提案を了承。
DIA-105-1976-09-04-1台湾1976年09月04日1970年代財政部,「公営金融機構主管人員任期実施要点」(任期3年,1期連任することができる)を実施すると発表。
DIA-105-1976-09-04-2台湾1976年09月04日1970年代アジア国会議員連合会第20回理事会,台北で開催。
DIA-105-1976-09-04-3台湾1976年09月04日1970年代行政院国家科学委員会徐賢修主任委員,政府は技術集約型工業の発展に有利な条件を備えた工業園地を建設する予定だが,その候補地として新竹市を内定している,と述べた。
DIA-105-1976-09-07-1台湾1976年09月07日1970年代行政院,ソ連,ルーマニア,アルバニア,北朝鮮,ベトナム,ラオス,カンボジアおよびキューバなど8ヵ国からの輸入品は没収処分に付すると発表。
DIA-105-1976-09-08-1台湾1976年09月08日1970年代米国防総省,7月末現在の駐台米軍兵力は2100人(陸軍400人,海軍400人,空軍1300人)と発表。
DIA-105-1976-09-08-2台湾1976年09月08日1970年代国民党中央常務委員会議,第4期の大法官として陳樸生ら15人を選出する人事案を採択。
DIA-105-1976-09-09-1台湾1976年09月09日1970年代中国共産党毛沢東主席死去。
DIA-105-1976-09-09-2台湾1976年09月09日1970年代台湾全国商業総会とグアテマラ全国商会,台北で協力協議書に調印。
DIA-105-1976-09-09-3台湾1976年09月09日1970年代行政院,台湾造船公司が船舶4隻を建造するため,米ケミカル銀行から960万ドルの融資を受け,それを財政部が保証する案を認可。
DIA-105-1976-09-09-4台湾1976年09月09日1970年代エルサルバドルのコントレラス駐日兼駐台大使,信任状を厳家淦総統に提出。
DIA-105-1976-09-10-1台湾1976年09月10日1970年代十大建設の資金調達―費財政部長は,十大建設の資金問題について,「所要資金の総額は63億1579万ドルと見込まれ,その財源の内訳は政府・公営事業30%,債券発行その他を含む国内借入金30%,国外借款38%,民間投資2%」と述べた。
DIA-105-1976-09-10-2台湾1976年09月10日1970年代パストア米上下両院原子力合同委員会委員長,台湾が核兵器製造をたくらむなら,フォード大統領は適切な対抗措置を取る意向であると述べた。
DIA-105-1976-09-11-1台湾1976年09月11日1970年代蒋経国国民党中央委員会主席,「大陸同胞に告ぐ」とのメッセージを発表,その中で「毛沢東の死んだ今日こそ反共に立ち上り,自由を回復する好機である」と述べた。
DIA-105-1976-09-15-1台湾1976年09月15日1970年代米台漁業協定(有効期限は1982年7月まで),ワシントンで調印。
DIA-105-1976-09-15-2台湾1976年09月15日1970年代総統令:郭澄氏を国民大会臨時代理秘書長に任命。
DIA-105-1976-09-16-1台湾1976年09月16日1970年代監察院,総統が指名した第4期の大法官陳樸生ら15名の人選に同意。
DIA-105-1976-09-16-2台湾1976年09月16日1970年代蒋経国行政院長,「台湾はかつて核兵器の生産を考えたことも,ましてや生産を手掛けた事実などは全くない」と閣議の決議事項として公式声明の形で発表。
DIA-105-1976-09-16-3台湾1976年09月16日1970年代行政院,魏鏞氏を行政院研究発展考核委員会主任委員に任命。
DIA-105-1976-09-16-4台湾1976年09月16日1970年代第11回台韓経済部長会議,ソウルで開催。
DIA-105-1976-09-16-5台湾1976年09月16日1970年代台湾・ボリビア科学技術協力協定2ヵ年延長。
DIA-105-1976-09-17-1台湾1976年09月17日1970年代蒋経国行政院長,立法院での口頭報告で「アメリカは対中政策を再検討し,われわれの立場と意見を理解すべきである」と述べた。
DIA-105-1976-09-17-2台湾1976年09月17日1970年代米ハーバード大学ジェロム・コーエン教授,米外交誌『フォーリン・アフェアーズ』で「次期政権の中国政策」と題する論文を発表,米中打開の方式として「台湾海峡の平和区域化米中共同宣言案」を提案。
DIA-105-1976-09-21-1台湾1976年09月21日1970年代国民党台湾省第10次全省代表大会,台中で開催。
DIA-105-1976-09-21-2台湾1976年09月21日1970年代高魁元国防部長および宋長志参謀総長,「中共軍将兵に告ぐ」とのメッセージを発表。
DIA-105-1976-09-21-3台湾1976年09月21日1970年代蒋経国行政院長,今後国有林地と公有地の払い下げ政策は行なわないと述べた。
DIA-105-1976-09-22-1台湾1976年09月22日1970年代ハメル米国務次官補,米上院外交委軍縮管理小委員会の公聴会で,台湾は「核兵器の開発,核爆発の研究およびこれに関連した再処理など一切の活動を行なう意図を持つていない」と明記した覚書を米政府に渡したと述べた。
DIA-105-1976-09-24-1台湾1976年09月24日1970年代蒋経国行政院長,政府は3年以内に食糧貯蔵倉庫の建設問題を完全に解決すると言明。
DIA-105-1976-09-24-2台湾1976年09月24日1970年代沈昌煥外交部長,立法院で「台湾はインドネシアとシンガポールとの関係は緊密である」と述べた。
DIA-105-1976-09-27-1台湾1976年09月27日1970年代訪台中の鹿児島商工会議所訪台団,行政院新聞局など各関係機関を訪問し,中華航空による鹿児島―台北線の早期開設要望書を提出。
DIA-105-1976-09-30-1台湾1976年09月30日1970年代中華航空(CAL),米国インタナショナル・バンキング・コーポレーション国際財団および輸出入銀行と4950万ドル借款の契約に調印。
DIA-105-1976-09-30-2台湾1976年09月30日1970年代行政院,財政部が中央政府建設公債20億元を2期に分けて(1976年10月26日に12億元,1977年3月10日に8億元)発行する案を認可。
DIA-105-1976-09-30-3台湾1976年09月30日1970年代行政院,新規創立の生産事業を特別に奨励する「奨励投資条例第10条第3項新規創立生産事業の特別奨励に適用する範囲および標準」を通過。
DIA-105-1976-10-01-1台湾1976年10月01日1970年代徐慶鐘行政院副院長,レソト王国独立10周年紀念式典に参加するため,台北を出発。
DIA-105-1976-10-01-2台湾1976年10月01日1970年代交通部電信総局,台湾はすでに9月30日に国際電気通信衛星機構から脱退したと発表。
DIA-105-1976-10-02-1台湾1976年10月02日1970年代台湾電力公司大林発電所(総発電能力210万kW)落成。
DIA-105-1976-10-03-1台湾1976年10月03日1970年代行政院,台中港2期の工事費(施工期間1976年11月~1979年10月)を62億1482万元にする計画を認可。
DIA-105-1976-10-03-2台湾1976年10月03日1970年代北回り鉄道工事処,北回り鉄路の工事は1年延長して1979年末に完工すると発表。
DIA-105-1976-10-04-1台湾1976年10月04日1970年代外交部,サウジアラビアに公使の職制を増設することを決定。
DIA-105-1976-10-05-1台湾1976年10月05日1970年代日本交流協会木村四郎七理事長訪台。
DIA-105-1976-10-06-1台湾1976年10月06日1970年代台湾省農林庁,1975年の1戸当りの農家所得は13万5810元で,前年比15.82%増と発表。
DIA-105-1976-10-08-1台湾1976年10月08日1970年代周金華台湾省青果運輸販売合作社総経理,台湾産ポンカンの本年期対日輸出は10~12万ケース,価格はケース当りCIF7.15ドルと発表。
DIA-105-1976-10-08-2台湾1976年10月08日1970年代訪台中のエルサルバドルのマルチネス蔵相,エルサルバドルは来年台北に大使館を設置し,常駐大使の派遣を決定していると語った。
DIA-105-1976-10-09-1台湾1976年10月09日1970年代新聞,テ▲ビ,ラジオを通じて伝達された予備役軍人の緊急動員令(「金湯演習」),98.59%の出頭率を達成。
DIA-105-1976-10-10-1台湾1976年10月10日1970年代シュレジンジャー前米国防長官,USニューズ・アンド・ワールド・レポート誌二との会見記事のなかで,台湾問題は中国にとって「米国のソ連に対する姿勢と力」の問題よりも優先度が低い,と語った。
DIA-105-1976-10-10-2台湾1976年10月10日1970年代“一面建設,一面戦闘”を強調した双十節の中央式典パーレド,台北で行なわれた。
DIA-105-1976-10-10-3台湾1976年10月10日1970年代台湾の国民党高官(季煥,黄杰ら)にいくつかの郵便小包爆弾が送られ,謝東閔台湾省主席が手首切断の重傷を負った。
DIA-105-1976-10-12-1台湾1976年10月12日1970年代沈昌煥外交部長とパラグアイのノグエス外相台北で「台湾とパラグアイ双方は固く団結して国際共産党に対抗する努力を続げる」との共同声明に調印。
DIA-105-1976-10-18-1台湾1976年10月18日1970年代米籍中国人丁肇中博士,新種の重素粒子(「J粒子」)発見の先駆的業績によって,ノーベル物理学賞の受賞者に決定。
DIA-105-1976-10-18-2台湾1976年10月18日1970年代国防部,黄華に内乱準備罪(「台湾政論」誌を通じて民衆に政府反抗,破壊活動を扇動した容疑)で10年の懲役刑を判決。
DIA-105-1976-10-21-1台湾1976年10月21日1970年代行政院,経済設計委員会の提出した「台湾経済建設6ヵ年計画」を了承,公布。
DIA-105-1976-10-21-2台湾1976年10月21日1970年代公定歩合引下げ―中央銀行は金利の引下げ(約0.7%)を発表。①中央銀行貸出し:手形再割引10%,担保付き11.25%,短期13.25%,外貨9%,②市中銀行:無担保13.25%,担保付き12.5%,手形割引11.25%,外貨7%,③普通1.25%,6ヵ月定期8.5%,1年定期11.25%,④郵便貯金:普通6.5%,定期1年以上11.25%。
DIA-105-1976-10-21-3台湾1976年10月21日1970年代費財政部長,証券取引所得税に対する徴収を1976年1月1日から1977年12月31日まで中止すると正式に発表。
DIA-105-1976-10-21-4台湾1976年10月21日1970年代反体制雑誌「台湾政論」,内乱罪に触れる論文を掲載したため,出版法第41条第1項の規定によりその登録許可証が取り消された。
DIA-105-1976-10-24-1台湾1976年10月24日1970年代国際アムネスティ,①台湾は1949年5月以来「戒厳令」下に置かれており,国民党に反対する多数の政治犯が軍事法廷で秘密の裁判を受けている,②海外在住の台湾出身者達は政治犯の総数を8000人と推定している,③台湾の政治犯は独立運動家,共産主義者,粛清された政府官吏ないし治安機関員,少数民族に大別される,などの内容を中心とする台湾政治犯抑圧の実態をまとめた報告書を発表。
DIA-105-1976-10-26-1台湾1976年10月26日1970年代台北地方法院,金融機関の啓達グループ企業に対する不正融資こげつき事件の関係者に実刑を言い渡した。
DIA-105-1976-10-27-1台湾1976年10月27日1970年代外交部,トランスケイの独立に対し,台湾政府はコザ族と提携を進める意志があると述べた。
DIA-105-1976-10-28-1台湾1976年10月28日1970年代行政院,立法院の質疑に対する書面回答で,「最近,毛沢東の死亡による大陸の内部混乱の深刻化に対して,わが方は積極的に大陸における地下工作を強化している」と強調。
DIA-105-1976-10-29-1台湾1976年10月29日1970年代経済部物価特別会報,トマトなど23種類の野菜を11月1日より輸出開放することを決定。
DIA-105-1976-10-29-2台湾1976年10月29日1970年代外交部,台湾とパラグワイ政府は相互に大使を派遣するに必要な法定手続を済ませたと発表。
DIA-105-1976-10-29-3台湾1976年10月29日1970年代故蒋総統夫人宋美齢女史,29日と30日「ボロデインとの談話の回想」と題した長文の論文を台北各紙に発表。
DIA-105-1976-10-31-1台湾1976年10月31日1970年代中華航空(CAL),台北-ジェッダ間新空路を開設。
DIA-105-1976-10-31-2台湾1976年10月31日1970年代第1期築港工事を終えた台中港,故蒋介石総統生誕紀念日を期して正式に開港。
DIA-105-1976-11-01-1台湾1976年11月01日1970年代第2回アジア学者会議,台北で開催。
DIA-105-1976-11-02-1台湾1976年11月02日1970年代中国石油公司桃園精油所(建設費1億2300万ドル,1日最大処理能力10万バレル),正式に操業を開始。
DIA-105-1976-11-02-2台湾1976年11月02日1970年代立法院,「中国鋼鉄株式会社創業預算案(369億136万9000元)」を通過。
DIA-105-1976-11-03-1台湾1976年11月03日1970年代台韓経済協進会と韓台経済協力委員会の共同会議,ソウルで開催。
DIA-105-1976-11-05-1台湾1976年11月05日1970年代林金生交通部長,今後6年間交通部門が必要とする投資額は2747億7000万元,うち政府投資は全体の75.6%を占めると述べた。
DIA-105-1976-11-06-1台湾1976年11月06日1970年代台湾国民党1976年海外工作会議,台北で開催。
DIA-105-1976-11-07-1台湾1976年11月07日1970年代『朝日新聞』,北京に伝わってきた外国筋情報として,台湾の蒋経国行政院長の意を受けた特使3人が最近,キッシンジャー米国務長官のあっせんで北京入りし,台湾の祖国復帰問題について中国要人と会談した,と報じた。同紙によると,中国外務省報道局は,この情報について11月6日「質問のあったことに留意する」という。
DIA-105-1976-11-07-2台湾1976年11月07日1970年代丁懋時行政院新聞局長,『朝日新聞』の中台接触説について,「事実無根」と論評。
DIA-105-1976-11-07-3台湾1976年11月07日1970年代沈昌煥外交部長と訪台中のウルグァイのブランコ外相,双方の貿易,経済と文化関係を強化する共同声明を発表。
DIA-105-1976-11-09-1台湾1976年11月09日1970年代蒋経国行政院長,訪台中の米衆議院国際関係委員会主席モルガン議員らとの会談の席上,①カーター次期大統領は米国の利益のため,米中両国の共同利益のため,努力をされるものと確信する,②台湾政府は絶対に中共政権と何らの接触も往来もすることはない,と述べた。
DIA-105-1976-11-09-2台湾1976年11月09日1970年代黄鏡峯糧食局長,農民から食糧を無制限に買上げる政府の政策は変わらないと述べた。
DIA-105-1976-11-11-1台湾1976年11月11日1970年代行政院,「所得税法」および「1977年度所得税率条例」の修正案を可決。
DIA-105-1976-11-12-1台湾1976年11月12日1970年代台湾国民党第11回全国代表夫会,台北陽明山の中山楼で開催。
DIA-105-1976-11-13-1台湾1976年11月13日1970年代蒋主席の政治報告―蒋経国台湾国民党主席は同党11全大会で政治報告を行ない,その中で①共産党とは前線での銃弾による接触以外,如何なる接触も絶対行なわない,②われわれは国策にそむくような国際的なアレンジに絶対反対し,いわゆる“善意”,“保証”のもとで目先の安逸をむさぼるようなことはしない,と述べた。
DIA-105-1976-11-13-2台湾1976年11月13日1970年代国民党11全大会,1975年4月28日に第10回中央委員会臨時全体会議で可決された「党章の総裁に関する章を留保して哀敬を表示ならびに永久に紀念する」および「中央委員会ならびに常務委員会に主席を設けて,常務全般を総らんする」との決議案を追認。
DIA-105-1976-11-15-1台湾1976年11月15日1970年代国民党11全大会,「中国国民党党章修訂案」,「全党をあげ総裁の遺嘱を遵奉する決議」を採択。
DIA-105-1976-11-16-1台湾1976年11月16日1970年代国民党11全大会,蒋経国主席を再選。
DIA-105-1976-11-16-2台湾1976年11月16日1970年代国民党11全大会,「中国国民党政綱」,「党強化の建設案」を採択。
DIA-105-1976-11-17-1台湾1976年11月17日1970年代国民党11全大会,中央委員130人および中央委員候補65人を選出。
DIA-105-1976-11-17-2台湾1976年11月17日1970年代国民党11全大会,蒋経国主席が提出した中央評議委員69人(前期の総裁推選115人が留任)および中央評議委員会議長団11人の人選を承認。
DIA-105-1976-11-17-3台湾1976年11月17日1970年代国民党11全大会,「三民主義思想の教育功能強化案」を採択。
DIA-105-1976-11-18-1台湾1976年11月18日1970年代国民党11全大会,「反共復国行動綱領」および「11全大会宣言」を採択。
DIA-105-1976-11-18-2台湾1976年11月18日1970年代台湾国民党第11回全国代表大会閉幕。
DIA-105-1976-11-19-1台湾1976年11月19日1970年代中央常務委員22名―国民党第11回中央委員会第1次全体会議(1中全会)は,蒋経国主席による中央常務委員22人と秘書長,副秘書長の人選を可決した。中央常務委員:厳家淦,谷正綱,謝東閔,黄少谷,張其昀,黄杰,倪文亜,袁守謙,高魁元,宋長志(新),孫運,李国鼎,蒋彦士,沈昌煥,鄭彦蒋,林金生(新),郭驥,林挺生,費(新),徐慶鐘,郭澄,蔡鴻文(新)。秘書長:張宝樹。副秘書長:陳奇祿,徐晴嵐,蕭継宗。
DIA-105-1976-11-19-2台湾1976年11月19日1970年代国民党第11回中央委員会,「中国国民党中央委員会組織条例」を通過,中央常務委員の定員を15~21人から17~25人に修正。
DIA-105-1976-11-20-1台湾1976年11月20日1970年代台湾省政府,賞罰制度の確立で政治的風紀を抜本的に改革することを所属機関に伝達。
DIA-105-1976-11-20-2台湾1976年11月20日1970年代行政院,小麦の輸入税率の半減を11月26日より1年延長。
DIA-105-1976-11-22-1台湾1976年11月22日1970年代台湾鉄路管理局がイギリスのGEC社南アフリカ工場に発注した電気機関車2輌(総発注輌数20,1輌当りの価格39万ポンド),基際港に到着。
DIA-105-1976-11-22-2台湾1976年11月22日1970年代米マンスフィールド上院民主党院内総務が米上院外交委員会に提出した訪中報告のなかで,米国がすみやかに台湾問題で決断を下し,遅滞なく正常化に踏み切ることを主張。
DIA-105-1976-11-24-1台湾1976年11月24日1970年代国民党中央常務委員会,蒋経国主席が指名した秘書処主任陳水逢,組織工作会主任李煥,大陸工作会主任毛敬希(新),海外工作会主任林清江(新),文化工作会主任丁懋時(新),社会工作会主任邱創煥,青年工作会主任連戦(新),婦女工作会主任銭剣秋,財務委員会主任委員〓国華,党史会主任委員秦孝儀(新),考核紀律委員会主任委員梁永章(新)諸氏の人事案を通過。
DIA-105-1976-11-26-1台湾1976年11月26日1970年代パラグアイ共和国のアルワリング駐台大使,信任状を厳家淦総統に提出。
DIA-105-1976-11-27-1台湾1976年11月27日1970年代軍事法廷,警備総部保安処によって摘発された中共スパイ陳明忠と陳金火にそれぞれ15年,蔡意誠と王乃信にそれぞれ10年,李沛霖に8年,林淵輝と劉建修にそれぞれ7年の懲役刑を言い渡した。罪状は駐日中国大使館員と在日中国工作員から指令を受け,台湾に組織を作り中共の台湾侵犯に呼応し,反乱を進め武装暴動を秘密裡に計画していた容疑とされている。
DIA-105-1976-11-27-2台湾1976年11月27日1970年代台湾・ハイチ農業技術合作協定,2年延長。
DIA-105-1976-12-02-1台湾1976年12月02日1970年代台湾初めての南極資源調査船「海功」号,基隆を出港。
DIA-105-1976-12-03-1台湾1976年12月03日1970年代高雄加工輸出区発足10周年。
DIA-105-1976-12-08-1台湾1976年12月08日1970年代ガルフ石油,ウェスチングハゥス,GEなどの企業が加盟している「米台経済委員会」,シカゴで設立。
DIA-105-1976-12-08-2台湾1976年12月08日1970年代李達海中国石油公司総経理,台湾は海外から年間8000万バレルの石油を輸入しており,その費用は約10億ドルと述べた。
DIA-105-1976-12-08-3台湾1976年12月08日1970年代楊基銓経済部次長,各国の200カイリ漁業専管水或宣言をめぐって,台湾漁船に①国外操業水域では現地国家の規制を厳守すること,②操業に関する記録をさらに詳紬にすること,③漁船の管理を強化すること,などの点で注意を促した。
DIA-105-1976-12-09-1台湾1976年12月09日1970年代第4回東亜経済人会議(台湾側名称:東亜工商企業者会議),東京の経団連会館で開催。
DIA-105-1976-12-13-1台湾1976年12月13日1970年代台湾とインドネシアの民間合弁製紙会社(資本金500万ドル,インドネシア側51%,台湾側49%),ジャカルタで日産50トンの工場建設に着手。
DIA-105-1976-12-13-2台湾1976年12月13日1970年代行政院,立法委員の質問に対する書面回答で,①日本側に台湾農水産品の輸入制限を緩めるとともに,台湾の工業製品の買付けを増やすよう要望する,②日本からの機械部品の輸入をできる限り減らす,③投資審査委員会および工業局の日本の投資ならびに技術提携要件に対する審査で一段の慎重を期している,④在台湾の日本商社に台湾製品の日本向け輸出責任枠を定める,⑤外貿協会と貿易業社の合同による日本市場の調査を強化する,と対日貿易の巨額入超を改善する対策を明らかにした。
DIA-105-1976-12-15-1台湾1976年12月15日1970年代公定歩合再び引下げ―中央銀行は,10月21日につづき再び公定歩合の引下げを実施。この利率調整は,中央銀行の手形再割引,担保融資などを一律0.5%,市中銀行の普通預金では最高0.25%,各種定期および積 立預金は一律0.5%それぞれ引き下げており,郵便貯金は除外されている。
DIA-105-1976-12-16-1台湾1976年12月16日1970年代日本サンケイ新聞によると,「蒋介石秘録」の取材過程で「新・吉田書簡」が発見された。
DIA-105-1976-12-18-1台湾1976年12月18日1970年代中国石油公司,台湾電力公司の発電用の燃料油は値上げするが,一般の石油価格は1977年6月までそのまますえ置くと発表。
DIA-105-1976-12-18-2台湾1976年12月18日1970年代台湾電力公司,12月20日より電気料を20%値上げすると発表。
DIA-105-1976-12-20-1台湾1976年12月20日1970年代ウォンキ元米国防次官補,日本人記者団との昼食会で,①米中国交樹立にさいしては,米台相互防衛条約を廃棄するが,台湾の武力解決を阻止して現状維持を図るための米国の一方的宣言をだして,台湾問題を解決する,②台湾問題の最終的解決は,内政問題として中国と台湾の間の非常に長期的な解決にまかせる,と述べた。
DIA-105-1976-12-21-1台湾1976年12月21日1970年代張国柱監察委員,銀行の人事制度に改善の余地があると指摘。
DIA-105-1976-12-23-1台湾1976年12月23日1970年代行政院,原油,燃料油などの輸入税率(50%引下げ)を1977年1月25日より引き続き実施すると発表。
DIA-105-1976-12-23-2台湾1976年12月23日1970年代台湾省糧食局,1976年の米の生産量は270万3657トン,計画目標より0.14%増と発表。
DIA-105-1976-12-25-1台湾1976年12月25日1970年代アメリカGE社,台北市に1500万ドルに相当する電話電子交換システムを設置する契約に調印したと発表。
DIA-105-1976-12-25-2台湾1976年12月25日1970年代蒋経国行政院長,国民代表大会1976年次総会で,「1949年以降の28年間,反乱罪の判決を受け,実刑に服した人数は延べ254人にすぎず,この3年間は74年が21人,75年が41人,76年が33人となっている。このうち,1人が死刑に処せられたのを除き,27人が無期,58人が10年以下,111人が5年以下,57人が1年以下の判決を受けた」と述べた。
DIA-105-1976-12-25-3台湾1976年12月25日1970年代サウジアラビア開発基金,台湾の鉄道電化工事資金3000万ドルの借款(返済期間20年,そのうち5年間の年利は4%)を供与するため,リアドで台湾大使との間で契約に調印。
DIA-105-1976-12-25-4台湾1976年12月25日1970年代蒋経国行政院長,1976年末まで外貨保有額は史上最高の34億ドルに達するだろう,と述べた。
DIA-105-1976-12-26-1台湾1976年12月26日1970年代国民大会憲政研討委員会第11次全体会議,台北で開催。
DIA-105-1976-12-27-1台湾1976年12月27日1970年代陳逸松中国全国人民代表大会常務委員,共同通信記者の会見に応じ,①周恩来首相は生前,台湾解放後,台湾の民衆を社会主義になれさせるために一定期間の過渡期を設ける必要があるという構想を持っていた,②台湾独立運動は,日本から切られたうえで米国からも切られ,完全に行き詰まっている,③蒋経国はソ連から働きかけがあっても,自らの命を縮めるだけなので応じられまい,中国はソ連が土足で自国領台湾に踏み込めば,戦争も辞さない,と個人的見解を述べた。
DIA-105-1976-12-28-1台湾1976年12月28日1970年代台湾・サウジアラビア農業合作協定(1977年1月19日発効),リヤドで調印。
DIA-105-1976-12-29-1台湾1976年12月29日1970年代経済部,1976年の石炭生産量は323万トンと発表。
DIA-105-1977-01-01-1台湾1977年01月01日1970年代国民党中央委員会,党務文書改革要点を実施。
DIA-105-1977-01-03-1台湾1977年01月03日1970年代第1商業銀行,グァム島に支店開設。
DIA-105-1977-01-05-1台湾1977年01月05日1970年代林金生交通部長,①台湾の輸出入物資の台湾船積載比率が低すぎるのは,台湾船の設備が積載条件に合わないためである,②向う3年にコンテナ船を含め63万トンに達する船舶増加計画を作成している,と述べた。
DIA-105-1977-01-07-1台湾1977年01月07日1970年代国際貿易局,日台貿易不均衡改善のため,次の4項目の要求を亜東関係協会を通じて,福田新政権に申し入れる。①台湾の野菜果物類に対する輸入禁止令の解除ならびに非関税貿易障害の撤廃,②付加価値関税制度の適用範囲を拡大,輸入関税の減免ならびに業者に台湾からの買付けを増やすよう奨励すること,③特恵関税適用範囲の拡大および輸入枠の緩和,④日本政府はその国内企業が台湾に対し,原料は高く売り,完成品は安く売ることにより,台湾の同類工業の発展を妨げるような行為をしないよう勧告すること。
DIA-105-1977-01-08-1台湾1977年01月08日1970年代沈剣虹台湾駐米大使,立法院で「米国の台湾政策は基本的にはなんらの変化がないとみてよい」と米台関係の現状を報告。
DIA-105-1977-01-10-1台湾1977年01月10日1970年代毛松年僑務委員会委員長,立法院僑政委員会で1976年海外華僑が帰国して購入した不動産は推計20億元に達している,と述べた。
DIA-105-1977-01-11-1台湾1977年01月11日1970年代台湾,バルバドスとの外交関係を中止。
DIA-105-1977-01-11-2台湾1977年01月11日1970年代台北市政府社会局,台北市の貧困所帯の30%の生活は大幅に改善された,と発表。
DIA-105-1977-01-13-1台湾1977年01月13日1970年代行政院,1977年の経済成長目標を実質8.5%,1人当りGNP898ドル,対外貿易総額185億ドルと決定。
DIA-105-1977-01-14-1台湾1977年01月14日1970年代立法院,「電信法」を通過。
DIA-105-1977-01-14-2台湾1977年01月14日1970年代中国鋼鉄公司高雄コークス工場(最高生産能力年間83万3000トン)落成。
DIA-105-1977-01-15-1台湾1977年01月15日1970年代孫運経済部長,立法院で台湾電力,中国石油,台湾肥料,台湾糖業,台湾金属鉱業など5社以外の国営事業を徐々に民営に開放することを考慮中,と表明。
DIA-105-1977-01-15-2台湾1977年01月15日1970年代牛場信彦日本外務省顧問,台湾を私的訪問。
DIA-105-1977-01-16-1台湾1977年01月16日1970年代台湾省政府によると,稲作不稔症は1975年全島で約数千haに発生,これが1976年1期作では7000ha,さらに2期作では1万7000haと急増し,被害地域は全島に広がり,収穫ゼロの地区もあった。
DIA-105-1977-01-17-1台湾1977年01月17日1970年代国防部スポークスマン,台湾がイギリスから地対空ミサイルを購入したとの外国報道について否認の談話を発表。
DIA-105-1977-01-18-1台湾1977年01月18日1970年代立法院,「平均地権条例」を通過。
DIA-105-1977-01-21-1台湾1977年01月21日1970年代経済部,1977年度における大豆,とうもろこし,小麦,高梁の輸入量は合計390万トン,と推定。
DIA-105-1977-01-21-2台湾1977年01月21日1970年代行政院新聞局,1976年10月10日台湾省政府謝東閔主席が爆発物入りの郵便小包で両手に負傷した事件の容疑者王幸男が逮捕された,と発表。
DIA-105-1977-01-23-1台湾1977年01月23日1970年代トンガ王国ツポートア親王訪台。
DIA-105-1977-01-25-1台湾1977年01月25日1970年代行政院,石油の輸入関税を向う1年間現行税率23%から11.5%に引き下げることを実施。
DIA-105-1977-01-27-1台湾1977年01月27日1970年代経国行政院長,カーター米大統領が1月23日に表明した核実験停止提案を支持する,と声明。
DIA-105-1977-01-28-1台湾1977年01月28日1970年代台湾警備総部軍事法廷,1976年10月10日に謝東閔台湾省主席に小包爆弾を郵送し両手に重傷を負わせた事件の犯人王幸男に対し無期懲役を判決。なお,アメリカに在住している事後の背後人物である台湾独立派の張燦〓,林振昌に対しては指名手配中。
DIA-105-1977-02-01-1台湾1977年02月01日1970年代台湾・グァテマラー新農業技術協力協定,グァテマラシティーで調印。
DIA-105-1977-02-03-1台湾1977年02月03日1970年代中国鋼鉄公司,初の鋼板試作に成功。
DIA-105-1977-02-03-2台湾1977年02月03日1970年代中央銀行の統計によると,在台外国銀行支店の1976年末における吸収した預金は13億7900万元,一方,貸付残高は237億4400万元に達している。在台外国銀行支店は計12行,うち日本,タイ,フィリピン,カナダ計各1行,残り8行は米国系。
DIA-105-1977-02-04-1台湾1977年02月04日1970年代ヨルダンのサブリ駐台湾大使,信任状を厳家淦総統に提出。
DIA-105-1977-02-07-1台湾1977年02月07日1970年代第1回アジア・太平洋地区青年発展研究会,台北で開催。
DIA-105-1977-02-08-1台湾1977年02月08日1970年代厳家淦総統,新竹科学工業研究園区を視察。
DIA-105-1977-02-09-1台湾1977年02月09日1970年代費財政部長,国民党中央常務委員会で台湾の公的対外債務返済率は1974年4.4%,1975年6.6%,1976年5.6%と報告。
DIA-105-1977-02-09-2台湾1977年02月09日1970年代国際貿易局,日本の台湾に対する鰻輸入制限措置に反対。
DIA-105-1977-02-10-1台湾1977年02月10日1970年代韓国の金鍾泌元首相訪台。
DIA-105-1977-02-15-1台湾1977年02月15日1970年代南アフリカ共和国向け輸出米1万トン(台湾史上初のアフリカ地区向け輸出)の第1回分1000トン,基隆港で船積み。
DIA-105-1977-02-16-1台湾1977年02月16日1970年代国民党中央常務委員会,中央委員会政策委員会の2名の新副秘書長に黄通と梁粛戒を決定。
DIA-105-1977-02-22-1台湾1977年02月22日1970年代グァテマラのロペス新駐台湾大使,信任状を厳家淦総統に提出。
DIA-105-1977-02-23-1台湾1977年02月23日1970年代台湾政府,リベリア共和国政府との外交関係を中止したと発表。
DIA-105-1977-02-24-1台湾1977年02月24日1970年代丁懋時政府スポークスマン,米CIAが介石前総統に政治献金したとの『ニューヨーク・タイムズ』紙の報道について事実無根と否定。
DIA-105-1977-02-24-2台湾1977年02月24日1970年代南アフリカ共和国陸軍総司令官ウイジョン中将訪台。
DIA-105-1977-02-25-1台湾1977年02月25日1970年代経国行政院長,立法院第59会期での施政報告で,反共復国の基本国策は不変,と強調。
DIA-105-1977-02-26-1台湾1977年02月26日1970年代台湾・サウジアラビア両政府間の農業合作新協定(有効期間5年),台北で調印。
DIA-105-1977-02-26-2台湾1977年02月26日1970年代台米経済合作促進会,台北で成立。
DIA-105-1977-02-27-1台湾1977年02月27日1970年代米国の評論家ジョセフ・クラフト氏,『ワシントン・ポスト』紙で「ニクソン元大統領およびキッシンジャー前国務長官両氏は1972年の訪中の際,米国は2年以内に台湾との関係を断ち切ると中国側に事実上の約束をしたようだ」と報じた。
DIA-105-1977-02-27-2台湾1977年02月27日1970年代ワシントンで開かれた米国州知事合同会議,米西部13州議員会議で可決ずみの台湾支持決議を承認。
DIA-105-1977-02-28-1台湾1977年02月28日1970年代米ケミカル銀行など7銀行を含む外国銀行団,電源開発の運転資金として,台湾電力公司との間で2000万ドルの借款を供与する契約に調印。償還期間は6年。
DIA-105-1977-02-28-2台湾1977年02月28日1970年代国華中央銀行総裁,輸出業者に対する短期融資を強化する,と発表。
DIA-105-1977-02-28-3台湾1977年02月28日1970年代米台漁業協定発効。
DIA-105-1977-02-28-4台湾1977年02月28日1970年代新華社電によると,北京人民大会堂で「台湾人民2.28ほう起30周年」を紀念する集会が開かれ,廖承志党中央委員は席上で「台湾解放と祖国統一の完成は毛主席および周首相の遺志であり,華国鋒主席を先頭とする党中央の指導の下に必ず達成されるだろう」と強調した。
DIA-105-1977-02-28-5台湾1977年02月28日1970年代程徳受司法院秘書長,国民党中央定例集会で「政治犯とは,内乱罪を犯した国家反乱分子のことで,アムネスティが釈放を主張している信仰犯あるいは良心犯とは,全く本質の異なるものである」と指摘。
DIA-105-1977-03-01-1台湾1977年03月01日1970年代米政府,台湾から輸入する23品目の商品に対する免税優遇措置を撤廃する,と発表。
DIA-105-1977-03-02-1台湾1977年03月02日1970年代カーター米大統領,1978年会計年度予算中に台湾に対する①軍事関係信用借款2500万ドル,②軍事教育および訓練費用50万ドルを提供する,と国会に要求。
DIA-105-1977-03-03-1台湾1977年03月03日1970年代司法行政部,軍の機密および叛乱に関連する密貿易の事件は軍法機関が審理する旨を最高検察署などの 機関に通達。
DIA-105-1977-03-04-1台湾1977年03月04日1970年代経国行政院長,立法院で康寧祥立法委員の質疑に対し,「われわれの国家目的は憲法に明記されている通り,大陸の国土を回復し,三民主義を実行するところにあり,この明確な目的は絶対に変更しない」と答弁。
DIA-105-1977-03-07-1台湾1977年03月07日1970年代毛松年僑務委員会委員長,立法院で1976年度に台湾に帰国進学した華僑学生数は1万1400人に達した,と報告。
DIA-105-1977-03-07-2台湾1977年03月07日1970年代アジア太平洋区農業合作会議,台北で開催。
DIA-105-1977-03-09-1台湾1977年03月09日1970年代王業凱国防部スポークスマン,台湾がイスラエル製の7フィール戦闘機を購入したとの外国報道に事実ではない,と否認。
DIA-105-1977-03-09-2台湾1977年03月09日1970年代エクアドル政府(1971年11月から台湾と国交断絶),台湾政府が同国首都キトに通商事務所を開設し,領事業務をも取扱うとの申し入れに同意した,と発表。
DIA-105-1977-03-12-1台湾1977年03月12日1970年代李光耀シンガポール首相,秘密裡に香港から私的訪台。滞在期間は1週間。
DIA-105-1977-03-14-1台湾1977年03月14日1970年代高魁元国防部長,立法院で国防の施政方針について,①精兵政策を貫徹する,②国防の科学技術を強化して,兵器生産を拡大する,と報告。
DIA-105-1977-03-16-1台湾1977年03月16日1970年代台湾・シンガポール民間航空協定,シンガポールで調印。
DIA-105-1977-03-17-1台湾1977年03月17日1970年代張光世経済部政務次長,サウジアラビアを訪問するため,台北を出発。
DIA-105-1977-03-18-1台湾1977年03月18日1970年代谷正綱大陸難民救済総会理事長,オーエン英国外相に電報を送り,香港政府の大陸難民強制送還停止を要望。
DIA-105-1977-03-18-2台湾1977年03月18日1970年代行政院,台湾電力公司の資本額を200億元から300億元に増資することを認可。
DIA-105-1977-03-18-3台湾1977年03月18日1970年代行政院財経小組,観光ホテルの建設に対し40%の長期融資など優遇措置をとることに決定。
DIA-105-1977-03-20-1台湾1977年03月20日1970年代グァテマラ共和国モリナ外相,訪台。
DIA-105-1977-03-23-1台湾1977年03月23日1970年代中央銀行,証券信用取引の融資比率を従来の30%から50%に引上げ。
DIA-105-1977-03-23-2台湾1977年03月23日1970年代行政院経済設計委員会,「台湾地区綜合開発計画」草案を完成。
DIA-105-1977-03-23-3台湾1977年03月23日1970年代経済部,1978年度の農業機械に対する融資額は15億元,普及補助金額は1億4000元,と決定。
DIA-105-1977-03-23-4台湾1977年03月23日1970年代台湾・サウジアラビア経済及び技術合作連合委員会第2次会議の記録,リヤドで調印。それによると,サウジアラビアは1977年中に台湾から砂糖7万トンとセメント15万トンを買い付ける。
DIA-105-1977-03-23-5台湾1977年03月23日1970年代台湾・グァテマラー文化協定,台北で調印。
DIA-105-1977-03-25-1台湾1977年03月25日1970年代第1商業銀行,シンガポールに支店開設。
DIA-105-1977-03-26-1台湾1977年03月26日1970年代唐栄公司,英国ブリティシュ・ウイローブルーク・インタナショナル・カンパニーと技術提携し,大型バス及び大型トラック製造を計画する共同出資の契約に調印。
DIA-105-1977-03-26-2台湾1977年03月26日1970年代台湾初の南極漁場探査船「海功」丸,基隆港に帰着。
DIA-105-1977-03-28-1台湾1977年03月28日1970年代第5回日台「中国大陸問題」研究会,台北で開催。
DIA-105-1977-03-28-2台湾1977年03月28日1970年代馬躬耕出入国管理局長,立法院でベトナムはサイゴンで16歳から30歳の間の華僑約500人を選択し,台湾に浸透させる訓練をほどこしているので,ベトナム華僑の入国申請に対しては慎重に処理する,と表明。
DIA-105-1977-03-28-3台湾1977年03月28日1970年代国民党台北市第4回代表大会,台北で開催。
DIA-105-1977-03-30-1台湾1977年03月30日1970年代田炯錦司法院長死去,79歳。
DIA-105-1977-03-31-1台湾1977年03月31日1970年代行政院,「平均地権条例施行細則」を公布実施。
DIA-105-1977-04-01-1台湾1977年04月01日1970年代金利引下げ――中央銀行は,手形再割引および市中銀行の預貯金などの金利の引下げを実施した。引下げ幅は約0.7596。
DIA-105-1977-04-01-2台湾1977年04月01日1970年代立法院,「技師法部分条文修正案」を通過。
DIA-105-1977-04-01-3台湾1977年04月01日1970年代経済部,1977年の台湾の鰻生産量は2万トンに達するだろう,と予測。
DIA-105-1977-04-06-1台湾1977年04月06日1970年代米『ニューヨーク・タイムズ』紙,台湾は軍近代化の一環として,イスラエルから地対地ミサイル「ガブリエル」を秘密裏に購入している,と報道。
DIA-105-1977-04-07-1台湾1977年04月07日1970年代王業凱国防部スポークスマン,台湾がイスラエルからミサイル「ガブリエル」を購入しているとの米紙『ニューヨーク・タイムズ』報道を根拠がない,と否定。
DIA-105-1977-04-08-1台湾1977年04月08日1970年代谷正綱大陸難民救済総会理事長,同会第27回年次会で「過去27年間に救済総会は海外に流亡した難民1010万3914人に援助を与え,また台湾に16万2000人を受入れた」と述べた。
DIA-105-1977-04-08-2台湾1977年04月08日1970年代ゴールドウォーター米上院議員訪台,台北で米中関係正常化を批判。
DIA-105-1977-04-09-1台湾1977年04月09日1970年代米中関係正常化促進派の米ブルッキングス研究所バーネット教授,訪台。
DIA-105-1977-04-11-1台湾1977年04月11日1970年代台湾省政府委員会議,6ヵ年経済建設計画第2年の実施計画に456億元を投資する,と決定。
DIA-105-1977-04-12-1台湾1977年04月12日1970年代台湾省政府,物資局(職員数1300余人)に20%の人員整理を指示。
DIA-105-1977-04-13-1台湾1977年04月13日1970年代林健太郎前東京大学総長,訪台。
DIA-105-1977-04-14-1台湾1977年04月14日1970年代厳家淦総統,戴炎輝を司法院長に,韓忠謨を司法院副院長に任命。
DIA-105-1977-04-14-2台湾1977年04月14日1970年代外交部,台湾はヨルダン王国との外交関係を中止したと発表。
DIA-105-1977-04-14-3台湾1977年04月14日1970年代高魁元国防部長,立法院で共産スパイと国際的テロの台湾に対する浸透工作を厳重に警戒するように呼びかけ。
DIA-105-1977-04-14-4台湾1977年04月14日1970年代孫運経済部長,コスタリカなど中南米諸国を訪問するため,台北を出発。
DIA-105-1977-04-14-5台湾1977年04月14日1970年代銭復外交部次長訪米。
DIA-105-1977-04-15-1台湾1977年04月15日1970年代監察院経済委員会,台湾造船,台湾肥料,台湾機械,台湾金属鉱業などの国営事業の生産能率が低下している,と指摘。
DIA-105-1977-04-16-1台湾1977年04月16日1970年代米上院外交委員長訪台――米上院外交委員長スパークマン議員の引率する11人の米国会議員代表団が訪台,経国行政院長らと会談した。台北での記者会見で,①米国が台湾との相互防衛を破棄するのは賢明でないし,その必要もない,②米台関係を変更しようとするいかなる動きも支持しない,と述べた。
DIA-105-1977-04-17-1台湾1977年04月17日1970年代グァテマラのサンドバル副大統領訪台。
DIA-105-1977-04-18-1台湾1977年04月18日1970年代世界反共連盟第10回大会およびアジア人民反共連盟第23回大会,台北で開催。
DIA-105-1977-04-18-2台湾1977年04月18日1970年代1975年1月27日台北で調印した台湾・サウジアラビア航空協定,正式に発効。
DIA-105-1977-04-19-1台湾1977年04月19日1970年代4月18日蘇襖港で発生した大学生参観団を乗せた船の転覆事故(死亡者32人)で,彦士教育部長が更迭され,その後任に李元簇が決定。
DIA-105-1977-04-19-2台湾1977年04月19日1970年代ウォルフ米下院議員,訪台。
DIA-105-1977-04-23-1台湾1977年04月23日1970年代国際貿易局,電子計算機,エスカレーターなど24品目の輸入先を欧米地区に限定。
DIA-105-1977-04-25-1台湾1977年04月25日1970年代国際貿易局,島内需要を優先させるため,白菜など19品目の野菜を一時輸出停止することを実施。
DIA-105-1977-04-29-1台湾1977年04月29日1970年代立法院,「核損害賠償法条文修正案」(損害賠償請求権時効を15年から10年に改正)を通過。
DIA-105-1977-04-30-1台湾1977年04月30日1970年代沈昌煥外交部長,『自由中国評論』および英字紙『チャイナ・ポスト』が発表した「もし米中関係が樹立したら,台湾は直ちに大陸反攻をし,ならびにソ連と結ぶ」という論調について,「これはわが政府の政策でなければ,一種の対米ゼスチュアでもない」と立法院外交委員会で答弁。
DIA-105-1977-05-01-1台湾1977年05月01日1970年代人造繊維メーカー14社,期間1年のポリエステル糸の減産カルテルを実施,減産率30%。
DIA-105-1977-05-01-2台湾1977年05月01日1970年代陳錦濤立法委員,エクァドルで殺害されて死亡。
DIA-105-1977-05-03-1台湾1977年05月03日1970年代台湾省政府,1977年第1期の米作から買上げ計画を実施,1ha当り970キロまで,最低価格は昨年と同額を決定。
DIA-105-1977-05-04-1台湾1977年05月04日1970年代鍾湖浜外交部スポークスマン,米中双方の資産凍結問題について,台湾政府は1972年上海コミュニケ発表後で米中間で達成された協議は公開または非公開のいずれを問わず,一律にこれを承認しないとの声明を発表。
DIA-105-1977-05-04-2台湾1977年05月04日1970年代米商務省,①台湾は1977年において米国に2万5816ドルの入漁料を支払うことになる,②米200カイリ経済水域内での割当てられた台湾の漁獲量は5510トンであると発表。
DIA-105-1977-05-04-3台湾1977年05月04日1970年代米国務省,カーター政府は台湾に3480万ドルの飛行機の部品と補給品を売却することを認可した,と発表。
DIA-105-1977-05-05-1台湾1977年05月05日1970年代高雄第2港大林埔の石油専用さん橋,正式に使用。
DIA-105-1977-05-06-1台湾1977年05月06日1970年代鍾湖浜外交部スポークスマン,台湾はその海岸から伸びている東海内の大陸棚に対する主権を留保すると声明。
DIA-105-1977-05-07-1台湾1977年05月07日1970年代国際貿易局,日本製品の輸入禁止を拡大するため,ステレオ,電動計算機など32品目の輸入先を欧米地区に制限することを実施。
DIA-105-1977-05-07-2台湾1977年05月07日1970年代中米訪問から帰台した楊基銓経済部次長,台湾はドミニカ,ニカラグァ,ホンジュラス,ハイチなど4ヵ国との技術提携を拡大する計画を検討中,と述べた。
DIA-105-1977-05-07-3台湾1977年05月07日1970年代費財政部長,立法院で台湾の外債は現在29億8000万ドル,年内に合計43億ドルを借入れることになるだろう,と報告。
DIA-105-1977-05-08-1台湾1977年05月08日1970年代内政部,台湾地区の地籍に対する新たな測量工作を13年以内に完成させる,と表明。
DIA-105-1977-05-11-1台湾1977年05月11日1970年代米財務省,台湾から輸入している非ゴム製靴類に課している5%の臨時平衡税を1977年1月にさかのぼって取消すことを公布。
DIA-105-1977-05-12-1台湾1977年05月12日1970年代米下院外交関係委員会,国際安全協力法案を通過。それによると,米国は1978会計年度において台湾に2500万ドルのクレジット(米国から軍需品を買付けるのに使用させる)を供与し,また別に50万ドル(軍事教育・訓練費用)を贈与する。
DIA-105-1977-05-12-2台湾1977年05月12日1970年代中央研究院,現在同研究院所属の院士は88人(台湾在住27人,アメリカ57人,香港3人,マレーシア1人)である,と立法院に資料を提出。
DIA-105-1977-05-13-1台湾1977年05月13日1970年代立法院,「会計師法修正案」を通過。
DIA-105-1977-05-13-2台湾1977年05月13日1970年代当面の外交政策――国民党機関紙『中央日報』によると,経国党主席は最近行なわれた座談会で外交政策について,①大陸の主権を絶対に放棄しない,②中国といかなる接触や交渉も行なわない,③米国をはじめとする自由諸国との友好関係を強化する,④ソ連など共産集団とはいかなる接触や往来もしない,の諸点を明らかにした。
DIA-105-1977-05-15-1台湾1977年05月15日1970年代第11回世界華商貿易会議,米のサンフランシスコで開催。
DIA-105-1977-05-15-2台湾1977年05月15日1970年代台湾国民党代表団(団長徐晴嵐中央委員会副秘書長),韓国を訪問。
DIA-105-1977-05-15-3台湾1977年05月15日1970年代楊森将軍,台北で病死,96歳。
DIA-105-1977-05-17-1台湾1977年05月17日1970年代立法院,「政府が経済社会発展のための国外借款及び保証条例第6条条文修正案」を通過。修正案によると,政府の国外借款及び保証額の残高を最高30億ドルから45億ドルに引上げた。
DIA-105-1977-05-19-1台湾1977年05月19日1970年代台湾省議会第5回第9次大会,許信良省議員(桃園県籍)の著書「風雨の声」(省議会生活4年間の回顧録)をめぐって活発な議論を展開。
DIA-105-1977-05-20-1台湾1977年05月20日1970年代台湾省議会,総額1683億7770万元の1978会計年度の台湾省政府総預算案を通過。
DIA-105-1977-05-22-1台湾1977年05月22日1970年代経国行政院長,高雄で米第7艦隊司令官バルドウィン中将と会見。
DIA-105-1977-05-22-2台湾1977年05月22日1970年代張豊緒内政部長,マニラで開かれる第5回アジア太平洋市政会議に参加するため,台北を出発。
DIA-105-1977-05-25-1台湾1977年05月25日1970年代米チェースマンハッタン銀行ロックフェラー総裁,訪台。
DIA-105-1977-05-27-1台湾1977年05月27日1970年代1978年度中央政府総預算案通過――立法院は,1978年度中央政府総預算案1314億2443万4738元(前年比18.5%増)を通過。歳出は国防外交(歳出総額の48.3%),経済建設交通(同22.9%),社会福利(同12.2%),教育科学文化(同6%)の順となっている。
DIA-105-1977-05-27-2台湾1977年05月27日1970年代金樹基外交部スポークスマン代理,最近ベトナムが200カイリ経済水域を宣言し,西沙,南沙群島をその域内に入れたことに対し,西,南沙両群島は台湾固有領土の一部であり,その主権が台湾に属するのは疑義の余地がないと,述べた。また,中国の紀登奎副総理が中国の台湾接収に必要なさいの武力行使を許さなければ,米国との関係正常化を進めないと言明したことについては,米国に対する一種の政治的ゆすりにすぎない,と指摘。
DIA-105-1977-05-27-3台湾1977年05月27日1970年代日本国会議員訪台団(団長佐藤隆衆議員)一行16名訪台。
DIA-105-1977-06-02-1台湾1977年06月02日1970年代行政院,台湾省議会組織規程など6種類の地方自治法規の修正案を公布実施。
DIA-105-1977-06-03-1台湾1977年06月03日1970年代中国造船公司が建造した44万5000トン級大型タンカー「ブルマ・エノラボール」丸,高雄で進水。
DIA-105-1977-06-04-1台湾1977年06月04日1970年代費財政部長,ウルグァイ,パラグァイ,ボリビア,コロンビアを訪問するため,台北を出発。
DIA-105-1977-06-06-1台湾1977年06月06日1970年代日本運輸省,中華航空に①成田開港後も,羽田を発着地とする中華航空の輸送量,輸送収入を現状より減少させる考えはない,②CIQ(税関,出入国管理,検疫)業務の時間制限については,大蔵省など関係各省と折衝して善処する,との方針を伝えた。
DIA-105-1977-06-06-2台湾1977年06月06日1970年代周宏濤行政院主計長,1978年における国営事業部門の生産額は632億2000元に達するだろう,と述べた。
DIA-105-1977-06-07-1台湾1977年06月07日1970年代台湾造船技術委員会,台北で成立。
DIA-105-1977-06-09-1台湾1977年06月09日1970年代経国行政院長,行政院会議で,①台湾の司法は裁判と行政を分離する制度をとっている,②「政治犯」とはその行為が刑法に触れず,たんに政治意識が異なるだけの理由で不法監禁されている人間を指しているが,その意味において台湾には政治犯はない,③台湾に対する中国の脅威が依然存在するいま,われわれの戒厳法に対する必要性は戒厳令を布告した当時に比べ決して減少していない,と述べた。
DIA-105-1977-06-10-1台湾1977年06月10日1970年代公定歩合引下げ――中央銀行は,公定歩合,市中銀行の貸付けおよび預金金利の引下げ(平均年利0.5%)を実施。
DIA-105-1977-06-13-1台湾1977年06月13日1970年代金樹基外交部スポークスマン代理,日本国会が日韓大陸棚共同開発協定を批准したことについて,台湾はその海岸から伸びている東海内にあるのを含めた大陸棚に対する一切の権利を保留する,と語った。
DIA-105-1977-06-14-1台湾1977年06月14日1970年代沈剣虹台湾駐米大使,ワシントンでストラウス米大統領通商交渉特別代表との間で,台湾非ゴム靴類対米自主規制輸出協定(有効期間1977年6月28日から向う4年間,初年度輸出量1億2200万足)に調印。
DIA-105-1977-06-14-2台湾1977年06月14日1970年代レビン米国務省台湾課長,下院外交委国際機構小委員会で「米国の台湾政策の大きな目標の一つは,台湾による核兵器開発を思いとどまらせることにある」と言明。
DIA-105-1977-06-15-1台湾1977年06月15日1970年代第6回米台「中国大陸問題」研討会,ワシントンで開催。
DIA-105-1977-06-16-1台湾1977年06月16日1970年代灘尾弘吉日華議員懇談会長,訪台。
DIA-105-1977-06-22-1台湾1977年06月22日1970年代総統府戦略顧問胡璉将軍,台北で病死,71歳。
DIA-105-1977-06-23-1台湾1977年06月23日1970年代金樹基外交部スポークスマン代理,米国のバンス国務長官の訪中について,「台湾政府は米中の接触に対し,これまでに度たび反対を表明した声明を発表しており,この厳正な立場にはなんら変わりはない」と表明。
DIA-105-1977-06-24-1台湾1977年06月24日1970年代金樹基外交部スポークスマン代理,マンスフィールド米駐日大使が最近「台湾問題は台北と北京の直接談判で解決されるべきものだ」と発言したことに対し,「台湾は絶対に共産中国とは接触も談判もしない,台湾のこのような立場は絶対に変ることはない」と述べた。
DIA-105-1977-06-27-1台湾1977年06月27日1970年代経済部,銅製ケーブルなど38品目および電子計算機など57品目を品質管理項目に指定する,と公告。
DIA-105-1977-06-27-2台湾1977年06月27日1970年代中国鋼鉄公司高雄一貫作業製鉄所の高炉火入れ式が行なわれた。
DIA-105-1977-06-29-1台湾1977年06月29日1970年代バンス米国務長官,ニューヨークで行なった米国のアジア政策に関する演説の中で,「米中関係正常化は米国外交の主要な一部」と語った。なお,米台防衛条約については一言も触れていない。
DIA-105-1977-06-30-1台湾1977年06月30日1970年代カーター米大統領,記者会見で「米中国交正常化してなおかつ台湾の人々が平和的な生活を維持できる保障を希望する」と語った。
DIA-105-1977-07-01-1台湾1977年07月01日1970年代中国鋼鉄公司および中国造船公司,国営に改制。
DIA-105-1977-07-01-2台湾1977年07月01日1970年代財政部,塩税を正式に廃止。
DIA-105-1977-07-01-3台湾1977年07月01日1970年代立法院,「土地税法」を通過。
DIA-105-1977-07-01-4台湾1977年07月01日1970年代沈昌煥外交部長,バンス米国務長官6月29日のアジア政策演説について,①米国の中国に対する幻想は,台湾の権益に重大な影響を及ぼすばかりでなく,自由世界全体に尽きるところのない損失をもたらす,②台湾政府および人民は中国といかなる交渉も絶対に進めない,と抗議声明を発表。
DIA-105-1977-07-03-1台湾1977年07月03日1970年代台湾省政府,4年以内に12万7000戸の国民住宅の建設を決定。
DIA-105-1977-07-04-1台湾1977年07月04日1970年代北京放送によると,李先念中国副首相は,エルモ・ザムウォルト元米海軍作戦部長との会見で「中米の関係正常化を実現するには,米政府は台湾との国交断絶,台湾駐留米軍の撤退,米台相互防衛条約の破棄の3項目を絶対に実行しなければならない」と述べた。
DIA-105-1977-07-05-1台湾1977年07月05日1970年代ロンドンの英高等裁判所,国際バトミントン連盟の台湾排除は無効と判決。
DIA-105-1977-07-05-2台湾1977年07月05日1970年代張光世経済部次長,産油国の原油価格の値上げにもかかわらず,台湾の電力料金および石油小売値は据え置く,と発表。
DIA-105-1977-07-06-1台湾1977年07月06日1970年代台湾・タイとうもろこし貿易協定,台北で調印。取引き量25万トン,シカゴ穀物市場の相場に照らし,FOBに換算したのを取引価格の基準とする。
DIA-105-1977-07-07-1台湾1977年07月07日1970年代経国行政院長,行政院会議で「米中関係正常化は,米国の利益にならないだけでなく,必ずや米国およびその盟邦の利益をも損い,また平和に到達し得ないだけでなく,さらに戦争の脅威を増すことになる」と米国に警告。
DIA-105-1977-07-07-2台湾1977年07月07日1970年代台湾に中国ミグ機亡命――中国空軍のミグ19戦闘機1機が福建省晋江から台湾の台南空軍基地に着陸,パイロット范園中佐は亡命を求めた。
DIA-105-1977-07-08-1台湾1977年07月08日1970年代外交部,台湾の尖閣列島に対する主権を再確認。
DIA-105-1977-07-10-1台湾1977年07月10日1970年代厳総統のサウジ訪問――厳家淦総統は7月10日から12日までの3日間,サウジアラビアのハリド国王の招きで同国を訪問する。厳総統の外国訪問は,1975年4月の総統就任後はじめてである。
DIA-105-1977-07-11-1台湾1977年07月11日1970年代サウジアラビアのハリド国王,厳家淦総統との会談で「台湾に対する石油供給量の増加を保証する」と述べた。
DIA-105-1977-07-13-1台湾1977年07月13日1970年代立法院,「投資奨励条例修正案」を通過――修正重点は次の通り。①新規創業の生産事業の営利所得税は4~5年間免税される。その課税起算日の引延しを選択することができるが,しかしこの期間は最高4年を越えてはならない,②新規創立あるいは増資の生産事業を問わずに,その営利所得税および付加税の最高負担額は年間所得の25%を超過しない,③株利息の免税控除額を2000元から8000元に引き上げる,④記名株券で上場した生産事業は,連続3年間営利事業の所得税の10%減税が認められる。
DIA-105-1977-07-15-1台湾1977年07月15日1970年代台湾政府,ミグ19戦闘機で台湾へ亡命した元中国空軍偵察飛行隊の范園中隊長を台湾空軍中佐に任命。
DIA-105-1977-07-18-1台湾1977年07月18日1970年代日本衆院議員訪台団金丸信団長ら一行12名,台北に到着。
DIA-105-1977-07-20-1台湾1977年07月20日1970年代日本衆院議員訪台団第2団三池信団長ら7名,台北に到着。
DIA-105-1977-07-23-1台湾1977年07月23日1970年代楊西崑外交部次長,マラウイ,スワジランド,レソト,南アフリカ共和国を訪問するため,台北を出発。
DIA-105-1977-07-25-1台湾1977年07月25日1970年代経済部と国営事業委員会,中国鋼鉄公司の鉄鋼製品供給体制確立に伴い,今後生産可能な鋼材の輸入には認めない方針を固めた。
DIA-105-1977-07-25-2台湾1977年07月25日1970年代台風4号で台湾の電力,30年来の大被害。
DIA-105-1977-07-25-3台湾1977年07月25日1970年代徐賢修国家科学発展委員会主任委員,サンフランシスコで米自動車メーカーGM社と台湾で電気自動車の開発を進める技術提携の契約を結んだ。
DIA-105-1977-07-26-1台湾1977年07月26日1970年代新任の米台湾防衛司令官リンダー少将,台北に着任。
DIA-105-1977-07-28-1台湾1977年07月28日1970年代経国行政院長,行政院会議で「鄧小平の復帰は,中国内部の権力闘争の終結ではなく,むしろ権力闘争をよりエスカレートするものである」と指摘。
DIA-105-1977-07-28-2台湾1977年07月28日1970年代1977年国家建設研究会,台北で開催。
DIA-105-1977-07-31-1台湾1977年07月31日1970年代台風5号,台湾北部を直撃。死亡38人,行方不明3人,家屋倒壊469件。
DIA-105-1977-07-31-2台湾1977年07月31日1970年代中国の葉剣英党副主席,北京で開かれた中国人民解放軍の建軍50周年祝賀大会の前夜祭で,「台湾解放は毛主席,周首相の遺志であり,神聖な祖国統一の大事業を必らず実現する」と台湾解放の決意を表明。
DIA-105-1977-08-02-1台湾1977年08月02日1970年代沈昌煥外交部長,国家建設研究会で「中国の米国と接近し,ソ連を牽制する策略は,実際は米ソ直接衝突を招く落し穴である」と述べた。
DIA-105-1977-08-03-1台湾1977年08月03日1970年代台湾電力公司,台北でファースト・ナショナル・シティー・バンクなど欧米17銀行と1億ドルの借款契約に調印。この借款は第1,第2原子力発電所の設備購入と労働費用の支出に使用される。
DIA-105-1977-08-04-1台湾1977年08月04日1970年代ウォルフ米下院国際関係委アジア・太平洋問題小委員会長,米中ソ3ヵ国関係を分析した報告書を公表し,その中で,①米,中,台のいずれにも新指導体制が確立され,米中関係正常化を急ぐべき時がきた,②米政府は台湾の帰属を台湾住民の一般投票によって決定するとの方式を支持すべきである,との見解を表明。
DIA-105-1977-08-06-1台湾1977年08月06日1970年代行政院主計処,1977年上半期台湾の経済成長率は8.97%と発表。
DIA-105-1977-08-10-1台湾1977年08月10日1970年代国民党中央常務委員会,台湾省第8回県市長20人(定員20人),第6回省議会議員69人(同77人),第3回台北市議会議員45人(同51人)の党公認候補を指名。
DIA-105-1977-08-10-2台湾1977年08月10日1970年代経国国民党主席,11月に行なわれる地方選挙について,「党外人士も進んで選挙に参加し,全面一致に公開,公平,公正な選挙を達成することを切望する」と述べた。
DIA-105-1977-08-12-1台湾1977年08月12日1970年代米国務省スポークスマン,バンス米国務長官の訪中を控え,「米台防衛条約を守るという米政府の立場に変わりはない」と確認。
DIA-105-1977-08-12-2台湾1977年08月12日1970年代外交部,ボリビア共和国のサンタクルスに総領事館の設置を決定した,と発表。
DIA-105-1977-08-13-1台湾1977年08月13日1970年代林金生交通部長,交通部は国防部と経済部の協力を得て,国営自動車企業の創設を構想中,と述べた。
DIA-105-1977-08-14-1台湾1977年08月14日1970年代行政院,「台湾職業訓練推進5ヵ年計画」を正式に認可実施。
DIA-105-1977-08-15-1台湾1977年08月15日1970年代沖縄具志頭村―台湾東北部間(約640キロ)の日台海底通信ケーブル敷設協議書,台北で調印。
DIA-105-1977-08-15-2台湾1977年08月15日1970年代ケネディ米上院議員,ボストンで米中関係正常化に具体的なタイムリミットを呼びかけ。
DIA-105-1977-08-16-1台湾1977年08月16日1970年代鳥鉞上将,台湾空軍総司令官に就任。
DIA-105-1977-08-16-2台湾1977年08月16日1970年代台湾キリスト長老教会総会,「台湾キリスト教会人権宣言を発表,「われわれは,台湾をひとつの新しい,そして独立した国家にするための効果的な措置をとるよう要請する」と訴えた。
DIA-105-1977-08-17-1台湾1977年08月17日1970年代米中正常化で米政府ら高官対立――米外交評論家ローランド・エバンス,ロバート・ノバック両氏は米紙『ワシントン・ポスト』に「台湾問題で失速」と題する論評を寄せた。それによると,対中政策に関する大統領への極秘勧告文書「PRM-24」の作成にあたって,ブレジンスキー国家安全保障担当大統領補佐官は,台湾を切り捨ててまで対ソ関係悪化につながる米中国交樹立に踏み切ることには消極的であり,一方,国家安全保障会議(NSC)の中国問題担当官オクセンバーグ氏,グライスティーン国務副次官補は,台湾との外交関係を断つべきだと主張したという。そのため,カーター米大統領は積極的な対中政策を採用するかどうかについての決定を延期した,と述べた。
DIA-105-1977-08-18-1台湾1977年08月18日1970年代イギリス政府,台湾製靴類の対英輸出を制限する,と発表。
DIA-105-1977-08-18-2台湾1977年08月18日1970年代米全国労働組合総同盟ワード副会長一行3名訪台。
DIA-105-1977-08-19-1台湾1977年08月19日1970年代米国務省ホジング・カーター報道官,「アメリカは台湾への防衛約束を放棄するつもりはない」と述べた。
DIA-105-1977-08-20-1台湾1977年08月20日1970年代外交部の金樹基スポークスマン,バンス米国務長官の訪中について,「台湾政府は1972年2月17日,同年2月28日および1977年7月1日にそれぞれ米中接触に反対する厳正な立場を表明する声明を発表したことがあったが,わが政府はこの立場には依然変化はない」と新聞記者の質問に答えた。
DIA-105-1977-08-21-1台湾1977年08月21日1970年代行政院,「投資環境改善実施要点」を公布実施。
DIA-105-1977-08-22-1台湾1977年08月22日1970年代新華社通信と北京放送によると,中国の華国鋒主席がさる12日の第11回党大会初日に行った政治報告の中で,米中関係を正常化するためには,米国は台湾と断交し,台湾から米軍を撤退させ,米台防衛条約を破棄しなければならない,とのこれまでの立場を再確認し,さらに台湾解放の決意を表明した。
DIA-105-1977-08-23-1台湾1977年08月23日1970年代孫運経済部長,自立自主の経済体系を確立するため,エネルギー源の多元化,重化学工業の拡充,農工原料の輸入先の分散,農村建設の継続的強化など4つの方向に努力を傾ける,と述べた。
DIA-105-1977-08-25-1台湾1977年08月25日1970年代国民党台湾省党部,台湾省第8回郷鎮市長268名(定員313名)および第9回県市議員608名(同857名)の党公認候補者名簿を公布。
DIA-105-1977-08-25-2台湾1977年08月25日1970年代日本の佐藤信二参議院議員を団長とする日華関係議員懇談会所属の若手参院議員10人,訪台。
DIA-105-1977-08-26-1台湾1977年08月26日1970年代米の対中接近に警告一―バンス米国務長官の訪中に同行したホルブルック米国務次官補は台北に到着,バンス訪中について経国行政院長に説明した。院長は同次官補に対し,米国は友人と敵をはっきりと見分け,共産中国との関係正常化の推進を中止するように求めた。
DIA-105-1977-08-26-2台湾1977年08月26日1970年代外交部,バンス訪中について,①米中間で今度のバンス米国務次官の訪中によって,中国および中国人民の権益にかかわり合うなんらかの取決めまたは了解が成立しても,台湾政府は一律に承認しない,②共産中国への米国の接近策はどのようなものであれ,間違いなくアジァおよび世界の他地域に新しい戦争の危険を生み出す,との声明を発表。
DIA-105-1977-08-26-3台湾1977年08月26日1970年代ゴールドウォーター米上院議員,カーター米大統領が独断で米台相互防衛条約を破棄すれば,「弾効事由となる」と警告。
DIA-105-1977-08-26-4台湾1977年08月26日1970年代経済部投資審議委員会,華僑および外国人の投資計画完成満2年後の投資元本の海外送金は,毎年15%から20%に引き上げることを実施。
DIA-105-1977-08-26-5台湾1977年08月26日1970年代中国新聞社の報道によると,中国共産党第11回全国代表大会に蔡嘯,林麗,陳城銓,傅道端ら4人の台湾籍党員が出席した。
DIA-105-1977-08-30-1台湾1977年08月30日1970年代日本民社党所属国会議員訪台代表団(団長中村正雄民社党副委員長)一行5人,訪台。
DIA-105-1977-09-01-1台湾1977年09月01日1970年代台湾省政府,232郷鎮市の地価を公告。
DIA-105-1977-09-01-2台湾1977年09月01日1970年代行政院の李登輝政務委員,政府は今後5年間16万5000入の技術者を養成する,と述べた。
DIA-105-1977-09-01-3台湾1977年09月01日1970年代行政院,台湾金属礦業公司が銅精製および硫酸工場建設のため,米コンチネンタル銀行から1100万ドル(期間7年,変動利率プラス1.5%)の融資を受け,それを財政部が保証する案を認可。
DIA-105-1977-09-03-1台湾1977年09月03日1970年代経国行政院長,在日王貞治野球選手の756号ホームラン世界記録達成に祝電。
DIA-105-1977-09-05-1台湾1977年09月05日1970年代倪文亜立法院長,韓国を訪問。
DIA-105-1977-09-05-2台湾1977年09月05日1970年代林金生交通部長,交通部国際電話局と米ITT社は目下,台湾―グァム島問海底通信ケーブルの敷設工事計画について接触を進めていると明らかにした。
DIA-105-1977-09-06-1台湾1977年09月06日1970年代経済部,一般の灯油類販売商店によるガソリンスタンドの設置を禁止すると通達。
DIA-105-1977-09-07-1台湾1977年09月07日1970年代桃園国際空港の主滑走路(幅60メートル,長さ3360メートル)竣工。
DIA-105-1977-09-07-2台湾1977年09月07日1970年代国際柔道連盟,スペイン政府が台湾柔道選手にビザを出さないという理由で,9月21日から24日までバルセロナで行なわれる第10回世界柔道選手権大会の開催を中止。
DIA-105-1977-09-08-1台湾1977年09月08日1970年代台湾電力公司,台湾地区の電力普及率は99.6%と発表。
DIA-105-1977-09-08-2台湾1977年09月08日1970年代行政院,米各州および地方議会で,台湾支持案を可決したのは22州,18市,2郡,2属地に達したと発表。
DIA-105-1977-09-08-3台湾1977年09月08日1970年代行政院,スペイン,イギリス,西独がそれぞれ駐台商務機構をすでに設置していることを明らかにした。
DIA-105-1977-09-08-4台湾1977年09月08日1970年代行政院,1977年6月末現在台湾の対国際金融機構借款の未償還残高は3億1400万ドル,と発表。
DIA-105-1977-09-10-1台湾1977年09月10日1970年代沈剣虹台湾駐米大使,カーター政権発足して以来初めてバンス米国務長官と会談。
DIA-105-1977-09-10-2台湾1977年09月10日1970年代灘尾弘吉日華関係議員懇談会長,訪台。
DIA-105-1977-09-12-1台湾1977年09月12日1970年代訪台中のムーアー米輸出入銀行総裁,台北の米商工会議所で「米中関係正常化後も台湾への金融援助を続ける」と表明。
DIA-105-1977-09-12-2台湾1977年09月12日1970年代ウルグァイ共和国のラービィナー国防相,訪台。
DIA-105-1977-09-13-1台湾1977年09月13日1970年代陳樹曦台湾省交通処長,南回り鉄道路線(屏東県新潮州―台東県卑南間84キロ)が決定し,1978年までに測量を完成し,79年初めに着工,工期5年と発表。
DIA-105-1977-09-13-2台湾1977年09月13日1970年代国防部スポークスマン,台湾が南アフリカ共和国からミサイル,魚雷などの武器を購入しようとしているとのヨハネスブルグの日刊紙『スター』の報道について,そのような事実はないと否定。
DIA-105-1977-09-13-3台湾1977年09月13日1970年代ワシントン発中央社によると,米政府はこのほど台湾に810万ドル相当のM48A1型の戦車(台数不明)を売却することに決定。
DIA-105-1977-09-14-1台湾1977年09月14日1970年代行政院原子力委員会核エネルギー研究所,同研究所が製造した2万5000キュリーのコバルト60を聯合工業研究所に供給。
DIA-105-1977-09-15-1台湾1977年09月15日1970年代行政院次の人事異動を承認。①経済部常務次長 汪彝舞定,②国際貿易局長 邵学,③中央信託局長 劉師誠。
DIA-105-1977-09-15-2台湾1977年09月15日1970年代行政院,紡織原料5種類に対する輸入税の免除を決定。
DIA-105-1977-09-16-1台湾1977年09月16日1970年代エル・サルバドル共和国のヘレラ駐台湾大使,信任状を厳家淦総統に提出。
DIA-105-1977-09-16-2台湾1977年09月16日1970年代内政部都市計画委員会,台湾省政府の提出した慈湖特区案を通過。
DIA-105-1977-09-16-3台湾1977年09月16日1970年代日本の鳩山外相,衆院外務委員会で,訪米中の三原防衛庁長官が「米国に台湾の安全を考えてほしいと発言するつもりだった」と述べたことについて,憂慮の意を表明。
DIA-105-1977-09-16-4台湾1977年09月16日1970年代台湾省政府,今年第2期米の買上げ数量(53万3000トン)および価格(1kg当り蓬種11.5元,在来種10.5元)は1期作米に準ずる,と公示。
DIA-105-1977-09-16-5台湾1977年09月16日1970年代トンガ王国ツポー4世国王夫妻,公式に訪台。滞在期間は1週間。
DIA-105-1977-09-16-6台湾1977年09月16日1970年代馬超俊総統府資政,台北で病死,92歳。
DIA-105-1977-09-23-1台湾1977年09月23日1970年代経国行政院長,立法院第60会期第1回本会議で,①バンス米国務長官の訪中は何ら結果が得られなかったものの,米政府としては上海コミュニケに沿って中国との正常化を継続する,②上海コミュニケはよくいえば単なる新聞紙悪くいえば一枚のクズ紙にすぎず,われわれは絶対にその存在を認めない,と述べた。上海コミュニケについて,国会の施政演説でこのようにはっきりと述べたのは初めて。
DIA-105-1977-09-23-2台湾1977年09月23日1970年代12項目の新建設計画発表――経国行政院長は,立法院での施政報告の中で,政府は10大建設後,直ちに次の12項目の新建設を進めると言明した。①台湾環島鉄道網の完成,②東西横断道路を新たに3本建設,③南北高速道路(基隆―高雄)を屏東まで延長,④中国鋼鉄公司 第2期の拡充工事,⑤第2,第3原子発電所の建設を続行,⑥台中港第2,第3期工事の完成,⑦ニュータウンの開発(年平均2万5000戸の国民住宅建造),⑧農地排水系統の早期改善促進,⑨台湾西海岸防波堤と全島重要河川堤防の修繕,⑩屏東―鵝鑾鼻道路を4車線の高級道路に改築,⑪農業機械化基金を設置,農業の全面機械化を促進,⑫各県市に,図書館,博物館,音楽ホールを含む文化センターを設置。
DIA-105-1977-09-24-1台湾1977年09月24日1970年代韋永寧工業局長,1978年7月1日より自動車工業の自製率を70%に引上げる,と述べた。
DIA-105-1977-09-25-1台湾1977年09月25日1970年代日本自民党の松野頼三(前総務会長),加藤常太郎(元労相),中馬辰猪(前建設相)の3氏訪台。
DIA-105-1977-09-29-1台湾1977年09月29日1970年代国際バドミントン協会,台湾追放案を否決。
DIA-105-1977-09-30-1台湾1977年09月30日1970年代孫運経済部長,立法院で政府はASEAN5ヵ国との民間による技術交流および投資を積極的に奨励する,と表明。
DIA-105-1977-09-30-2台湾1977年09月30日1970年代中国の華国鋒主席,国慶節夕食会で台湾解放の決意を表明。
DIA-105-1977-10-01-1台湾1977年10月01日1970年代米海軍,駆逐艦2隻(「瀋陽号」と「徳陽号」)を台湾に引渡し。
DIA-105-1977-10-03-1台湾1977年10月03日1970年代経国行政院長,行政院は1978年度に29件の法案を提出する計画である,と述べた。
DIA-105-1977-10-04-1台湾1977年10月04日1970年代香港の英字紙『エイシャン・ウォールストリート・ジャーナル』,李先念中国副首相が北京を訪問中の同紙の重役との会見で「台湾の将来は武力で解決するだろう」と言明した,と伝えた。
DIA-105-1977-10-05-1台湾1977年10月05日1970年代何顕重台湾銀行総経理,ニューヨークで銀行家信託会社と米国,欧州,アジアおよびカナダの53銀行シンジケートから合計1億1850万ドルの協調融資を受ける6年間の借款契約に調印。借款は台湾の公営企業の発展に使用される。
DIA-105-1977-10-05-2台湾1977年10月05日1970年代富岡―竹北間の鉄道電化工事試運転始まる。
DIA-105-1977-10-06-1台湾1977年10月06日1970年代行政院,中央政府建設公債甲種第6期公債10億元(年利10.5%,償還期間3年)の発行を認可。
DIA-105-1977-10-06-2台湾1977年10月06日1970年代ホンジュラス国防公安相セラア大佐,訪台。
DIA-105-1977-10-08-1台湾1977年10月08日1970年代国防部,予備軍人の緊急動員令「金湯演習2号」を実施,出頭率は99.07%。
DIA-105-1977-10-08-2台湾1977年10月08日1970年代郵政電信用の国産電気自動車の引渡し式,台北で挙行。
DIA-105-1977-10-08-3台湾1977年10月08日1970年代訪中したロジャーズ元米国務長官,東京でAP通信記者と会見し,「中国首脳は,米中間の外交関係が完全に正常化された後も,米国が台湾と経済関係を維持することに同意した」と述べた。
DIA-105-1977-10-10-1台湾1977年10月10日1970年代カーター米大統領,双十節で台湾に祝電。
DIA-105-1977-10-12-1台湾1977年10月12日1970年代潘振球青年補導委員会主任委員,この6年間海外から帰国して就職した留学生および学者は3351人(博士号取得者851人,修士号2004人,学位未取得者496人)に達している,と述べた。
DIA-105-1977-10-12-2台湾1977年10月12日1970年代米上院ゴールドウォーター議員,『ニューヨーク・タイムズ』紙に掲載された論文で,「大統領には米台共同防衛条約を一方的に廃棄する権限はない」と指摘。
DIA-105-1977-10-13-1台湾1977年10月13日1970年代新華社電によると,中国のウランフ全国人民代表大会常務副委員長・党中央統一戦線工作部長は人民大会堂台湾の間で,台湾の国民大会代表郭連蔭氏と会見。
DIA-105-1977-10-14-1台湾1977年10月14日1970年代スパークマン米上院外交委員長,訪米中の台湾宗教代表団との会見で「米台共同防衛条約の廃棄に反対する」と述べた。
DIA-105-1977-10-14-2台湾1977年10月14日1970年代内政部,区域計画委員会を設立。
DIA-105-1977-10-17-1台湾1977年10月17日1970年代孫運経済部長,立法院で政府は経済発展の重要政策の一つとして華僑の台湾投資を奨励すると表明。
DIA-105-1977-10-18-1台湾1977年10月18日1970年代立法院,「国際通貨基金協定第2次修正案」を通過。
DIA-105-1977-10-21-1台湾1977年10月21日1970年代台湾・南アフリカ共和国漁業協定草案,プレトリアで協議達成。
DIA-105-1977-10-22-1台湾1977年10月22日1970年代台湾とハイチ間の農業協力,台北で5項目の協議が達成。
DIA-105-1977-10-23-1台湾1977年10月23日1970年代農業主管機関,1976年における農業部門の固定資本形成は110億で,そのうち民間投資は66億1000万元(総額の59.5%)である,と指摘。
DIA-105-1977-10-24-1台湾1977年10月24日1970年代南アフリカ共和国を訪問する馬安瀾台湾陸軍総司令官,プレトリアに到着。
DIA-105-1977-10-24-2台湾1977年10月24日1970年代華僑聯合総会第6回代表大会,「当面華僑自強救国綱領」を議決。
DIA-105-1977-10-25-1台湾1977年10月25日1970年代岸信介日本元首相訪台。
DIA-105-1977-10-28-1台湾1977年10月28日1970年代宜蘭県清水郷にある台湾第1号の地熱発電所(出力1500kW),実験発電に成功。
DIA-105-1977-10-28-2台湾1977年10月28日1970年代立法院,「台湾地区砂糖平準基金条例第4条条文修正案」を通過。
DIA-105-1977-10-28-3台湾1977年10月28日1970年代台湾初の国産軽自動車が輸出へ――民営の三富自動車工業公司と米国ロバート・アンダーソン社との間で,三富公司製400ccのトラックおよびライトバンを米国に1万台,中南米に2000台,中東地区に5000台売りこむ契約が調印された。実際に輸出されるのは6ヵ月後。
DIA-105-1977-10-29-1台湾1977年10月29日1970年代台湾初の集積回路工場(投資額940万ドル),新竹県竹東鎮で落成。
DIA-105-1977-10-31-1台湾1977年10月31日1970年代中央銀行,1977年上半期における台湾の国際収支の黒字は7億5800万ドル,と発表。
DIA-105-1977-10-31-2台湾1977年10月31日1970年代台北―内湖区間および台南―高雄区間の高速道路開通。
DIA-105-1977-11-01-1台湾1977年11月01日1970年代台中県石岡郷にある石岡ダム(給水量1日当り42万トン),正式に使用。
DIA-105-1977-11-02-1台湾1977年11月02日1970年代馮啓聰国防部副部長,立法院で国際情勢の変化に伴い,敵のスパイと不法分子が台湾であらゆる手段を使って陰険な活動を行なっているので,われわれは警戒心を高めなければならないと呼びかけ。
DIA-105-1977-11-04-1台湾1977年11月04日1970年代立法院,「経済部中央地質調査所組織条例草案」を通過。
DIA-105-1977-11-04-2台湾1977年11月04日1970年代経済部,1978年度における台湾の肥料供給量は240万トン(島内需要量は153万トン)に達するだろう,と予測。
DIA-105-1977-11-05-1台湾1977年11月05日1970年代中国スパイ容疑者逮捕――行政院新聞局の発表によると,台湾警備総部は中共の台湾における組織「人民解放戦線」を摘発し,戴華光(河北省出身),頼明烈,劉国基(2人とも台湾省出身)を逮捕するとともに,証拠物件数10点を押収した。3人の破壊活動は,今年1月ごろ,台湾に駐在する外国商社や工場に「6月末までに台湾を引揚げなければ暴力行動をとる」という脅迫状を郵送したほか,3月30日には台北市舟山路一帯に中共の宣伝ビラなどをバラまき,社会の人心のかく乱を図ったとされている。
DIA-105-1977-11-05-2台湾1977年11月05日1970年代孫運経済部長,立法院で政府は唐栄公司と台湾機械公司を主体に自動車および重機械産業の発展を図る,と表明。
DIA-105-1977-11-06-1台湾1977年11月06日1970年代台湾省政府,「小康計画」(貧困退治)を実施してから満5年になり,全省の貧困世帯は1972年の7万4000戸から1万余戸に減り,貧民も約39万1000人から3万4000人に激減した,と発表。
DIA-105-1977-11-07-1台湾1977年11月07日1970年代沈昌煥外交部長,立法院で海外華僑の権益を守るため,国籍および旅券に関する諸問題の処理について規制緩和の特例措置をとっている,と報告。
DIA-105-1977-11-08-1台湾1977年11月08日1970年代楊西崑外交部次長,コロンビアとコスタリカの歴訪に出発。
DIA-105-1977-11-08-2台湾1977年11月08日1970年代邵学国際貿易局長,在台日本10大商社代表を招き,台湾の対日入超改善に協力するよう要請。
DIA-105-1977-11-09-1台湾1977年11月09日1970年代台湾とエル・サルバドルおよびパナマとの農業技術合作協定,サンサルバドルとパナマ市で調印。
DIA-105-1977-11-10-1台湾1977年11月10日1970年代行政院,食糧の生産問題を改善するため,①1978年の米の生産目標を270万トンから250万トンに調整し,耕地の一部を雑穀に転換させる,②食糧の生産コストを軽減して,農民所得の向上を図る,などの措置を決定。
DIA-105-1977-11-10-2台湾1977年11月10日1970年代経国行政院長,アメリカから帰任したアンガー駐台湾米大使と会見。
DIA-105-1977-11-16-1台湾1977年11月16日1970年代原子力発電所1号機送電開始――台湾北部に建設された原子力発電所第1工場の第1号機(出力63万6000kW)が午後11時55分,正式に送電を開始した。初期の発電量は3万kW。1978年3月から4月にかけてフル運転に入る予定。
DIA-105-1977-11-16-2台湾1977年11月16日1970年代王金茂衛生署長,国民党中央常務委員会で1975年の国民平均寿命は男性68歳,女性73歳,と報告。
DIA-105-1977-11-17-1台湾1977年11月17日1970年代新任の日本交流協会台北事務所西山昭所長(元駐韓大使),台北に着任。
DIA-105-1977-11-17-2台湾1977年11月17日1970年代台韓経済協進委員会ならびに韓台経済協力委員会第10回合同会議,台北で開催。
DIA-105-1977-11-18-1台湾1977年11月18日1970年代岸信介元首相,自民党本部で開かれた自由政治評議会の総会に出席,10月末の訪台の結果について「日本国内の政治情勢を経国行政院長に説明したが,日中条約の締結について説得した事実も,院長が了解した事実もない」と報告。
DIA-105-1977-11-19-1台湾1977年11月19日1970年代地方統一選挙投票――第6回省議員(定員77人),第8回県市長(同20人),第9回県市議員(同857人),第8回郷鎮県轄市長(313人)および第3回台北市議員(同51人)など5種類の統一選挙の投票が行なわれた。平均投票率は約80%。
DIA-105-1977-11-19-2台湾1977年11月19日1970年代地方選挙の不正に1万人暴動――桃園県中市で約1万人の市民が選挙管理人の不正に抗議して警察局を包囲,その建物や警察官宿舎6棟に火をつけて炎上させた。また,軍や警察に所属する車輌14台,白バイ60余台を覆し,放火した。事件の発端は,中小学校で鍾順玉,郭塗菊の老夫婦が投票しようとしたところ,選挙管理人だった范姜新林中小学校長が2人を助けるふりをしてその投票用紙を無効にしてしまったという。
DIA-105-1977-11-20-1台湾1977年11月20日1970年代中国石油公司,発電用の燃料油の価格1キロリットル2700元を7月1日にさかのぼって実施すると発表。
DIA-105-1977-11-22-1台湾1977年11月22日1970年代行政院経済設計委員会の統計によると,1976年における台湾地区の1戸当りの年間経常収入は平均12万7351元,経常支出は10万5285元,そのうち家計支出に占める食料支出は38.2%である。
DIA-105-1977-11-22-2台湾1977年11月22日1970年代ワシントンでの米台間の紡織品談判会議,今後5年間の紡織品貿易新協定の調印に失敗,1978年3月までの臨時協議に合意。
DIA-105-1977-11-23-1台湾1977年11月23日1970年代韋永寧工業局長,立法院で軍の車輌工場を主体に重型車輌工場の建設に着手すると答弁。
DIA-105-1977-11-24-1台湾1977年11月24日1970年代行政院,経済設計委員会と行政院財政経済小組を合併して,経済建設委員会(略称経建会)を設置。主任委員は〓国華中央銀行総裁。副主任委員は王章清,孫震,郭婉容の3氏。
DIA-105-1977-11-27-1台湾1977年11月27日1970年代行政院,小麦の現行輸入税率(6.5%)を1年延長。
DIA-105-1977-11-28-1台湾1977年11月28日1970年代台湾三軍大学校長緯国将軍,インドネシアを訪問。
DIA-105-1977-11-29-1台湾1977年11月29日1970年代栄民工程処,サウジアラビアの南部に36マイルの道路を建設するため,リアドでサウジ政府との間で9700万ドルの契約に調印。
DIA-105-1977-11-30-1台湾1977年11月30日1970年代経済部,「大貿易商輔導要項」および「輸出入商管理規制」を実施。
DIA-105-1977-12-01-1台湾1977年12月01日1970年代行政院経済建設委員会,正式に発足。
DIA-105-1977-12-01-2台湾1977年12月01日1970年代華隆,国華化工,聯合耐隆,新化繊,宝城化繊など5社の人造繊維公司,新公司「華隆股有限公司」(資本金42億3000万元,台湾最大の企業組織)に合併経営。
DIA-105-1977-12-01-3台湾1977年12月01日1970年代行政院,次の人事任命案を承認。①台湾駐バチカン全権大使 周書楷,②交通部政務次長 陳樹曦,③教育部常務次長 陳履安。
DIA-105-1977-12-01-4台湾1977年12月01日1970年代第5回東亜経済人会議第5回総会,台北で開催。
DIA-105-1977-12-01-5台湾1977年12月01日1970年代国民党機関紙『中央日報』の駐米特派員によると,台湾はすでにアメリカから若干のTOW式対戦車ミサイルを購入した。
DIA-105-1977-12-01-6台湾1977年12月01日1970年代栄民工程処,死海東側に沿った長さ20マイルの道路を建設するため,アンマンでヨルダン政府との間で540万ドルの契約に調印。
DIA-105-1977-12-02-1台湾1977年12月02日1970年代米農務省,台湾はアメリカの民間輸出商との間で1978年9月までアメリカから30万8000トンのとうもろこしを輸入する契約に調印した,と発表。
DIA-105-1977-12-03-1台湾1977年12月03日1970年代丁懋時行政院新聞局長,立法院で中国大陸を訪問したことのある外国人および華僑に対しても台湾の観光訪問を歓迎する,と表明。
DIA-105-1977-12-05-1台湾1977年12月05日1970年代台湾と国際貨幣基金(IMF)の1977年度協商会議,台北で開催。
DIA-105-1977-12-05-2台湾1977年12月05日1970年代台韓の政府間第12回経済協力会議,台北で開催。
DIA-105-1977-12-06-1台湾1977年12月06日1970年代米国務省,1978年において台湾に割当てられたベーリング海とアリューシャン地区の米200カイリ経済水域内での漁獲量は5825トン,と発表。
DIA-105-1977-12-07-1台湾1977年12月07日1970年代韓国南悳祐副総理兼経済企画院長官,第12回台韓経済協力会議の首席代表として訪台。
DIA-105-1977-12-07-2台湾1977年12月07日1970年代米国防省,1977年9月30日現在駐台米軍の人数は995名と発表。
DIA-105-1977-12-08-1台湾1977年12月08日1970年代第12回台韓経済協力閣僚会議,台北で開催。
DIA-105-1977-12-11-1台湾1977年12月11日1970年代黄鏡峯糧食局長,外国への契約済みの輸出米はすでに21万5000トンに達した,と述べた。
DIA-105-1977-12-11-2台湾1977年12月11日1970年代高雄県にある台湾最大の近海漁業基地興達漁港(漁船収容能力1200隻),正式に開港。
DIA-105-1977-12-12-1台湾1977年12月12日1970年代陳樹曦交通部次長,鉄道の電化工事完成後,台北―台中間(走行時間1時間50分)および台北―高雄間(同4時間10分)の快速直行便「自強号」を増設する,と述べた。
DIA-105-1977-12-13-1台湾1977年12月13日1970年代行政院,①4億5000万元の銀行融資で30万錘の古い錘を廃棄する,②紡織企業の合併経営を奨励する(紡績業の最低生産規模は10万錘,人造繊維業は日産100トン),などを内容とする紡織産業の助成措置を実施。
DIA-105-1977-12-13-2台湾1977年12月13日1970年代行政院経済建設委員会,12人の学者を諮問委員に招へい。
DIA-105-1977-12-14-1台湾1977年12月14日1970年代林洋港台北市長,国民党中央常務委員会で台北市当面の7項目の重要建設について報告。
DIA-105-1977-12-16-1台湾1977年12月16日1970年代台湾省農牧生産会議,1978年の農産品生産目標は米250万トン,甘薯240万トン,落花生8万8000トン,バナナ21万6700トン,茶2万6600トン,精糖82万トンを通過。
DIA-105-1977-12-16-2台湾1977年12月16日1970年代中国鋼鉄公司一貫作業鉄鋼工場の第1期第1段階建設工事(年産粗鋼135万トン)竣工。
DIA-105-1977-12-16-3台湾1977年12月16日1970年代桃園地方検察処廖宏明検察官,11月19日の地方選挙に起きた中事件の選挙管理人范姜新林の不正行為に不起訴処分。
DIA-105-1977-12-16-4台湾1977年12月16日1970年代米農務省,台湾はすでにアメリカから61万6600トンのとうもろこしを購入しており,これは1976年3月に調印した45万トンの買付け契約を大幅に上回っている,と発表。
DIA-105-1977-12-20-1台湾1977年12月20日1970年代立法院,「銀行法部分条文修正案」を通過。
DIA-105-1977-12-20-2台湾1977年12月20日1970年代台湾省議会第6回省議員77人および台湾省第8回県市長20人の就任式,各地で挙行。また,省議会第6回議長,副議長に蔡鴻文,魏論州がそれぞれ当選。
DIA-105-1977-12-20-3台湾1977年12月20日1970年代行政院経建会,1978年の経済目標を発表。経済成長率8.8%,1人当りGNP1000ドル前後,商品および労務を含む対外貿易億242ドル以上,農業1.7%,工業13.1%。
DIA-105-1977-12-22-1台湾1977年12月22日1970年代孫運経済部長,1978年に電子,機械,食品加工,自動車など4種類の工業の発展に力を入れると,述べた。
DIA-105-1977-12-22-2台湾1977年12月22日1970年代『中国時報』がさる10月発行の米学術誌「アジア研究」を引用したところによると,大陸では「台湾弁公室」,「対台工作小組」を中央および一部の地方にそれぞれ設置しているという。
DIA-105-1977-12-24-1台湾1977年12月24日1970年代中国スパイの浸透工作分析――沈之岳司法行政部調査局長は,大陸光復設計委員会で1977年に台湾で35件の中国スパイ事件を摘発,39人の容疑者を逮捕したと発表。さらに,中国の台湾に対する浸透工作について,①台湾島内に工作機構を増設して浸透工作を強化している,②暴力による破壊工作を拡大している,③統一戦線の方式でいわゆる曲線闘争を行なっていると分析。
DIA-105-1977-12-25-1台湾1977年12月25日1970年代台北市第3回市議員51人の就任宣誓式,台北市議会で挙行。議長に林挺生,副議長に張建邦が当選。
DIA-105-1977-12-27-1台湾1977年12月27日1970年代台北市議会第1次大会,第6代総統の候補として経国行政院長を推すことを議決。
DIA-105-1977-12-27-2台湾1977年12月27日1970年代立法院,「1978年度所得税税率条例」(綜合所得税の個人控除額1000元引上げ)を通過。
DIA-105-1977-12-28-1台湾1977年12月28日1970年代台湾国民党中央常務委員会,同党第11回中央委員会第2次全体会議を1978年2月14日および15日に台北で開催,第6代総統,副総統の候補を正式に指名すると決定。
DIA-105-1977-12-29-1台湾1977年12月29日1970年代孔令晟警務処長,1978年に台北,台中,高雄でヘリコプター分隊を設置して,警察の機動力を強化すると表明。
DIA-105-1977-12-30-1台湾1977年12月30日1970年代台湾省各県市第9回県市議員857人および第8回郷鎮県轄市長313人の就任宣誓式,各地で挙行。
DIA-105-1977-12-31-1台湾1977年12月31日1970年代中国青年反共救国団主任に李元簇教育部長が兼任,副主任に宋時選,高銘輝が就任。
DIA-105-1978-01-04-1台湾1978年01月04日1970年代国民党中央常務委員会,次の人事異動を承認。中央組織工作会主任:趙自斉,台湾省委員会主任委員:潘振球,中央社会工作会主任:沈之岳,中央文化工作会主任:楚崧秋,中央海外工作会主任代理:曽広順。
DIA-105-1978-01-05-1台湾1978年01月05日1970年代台湾最大の高雄臨海工業区(2337ha)の建設全部完成。
DIA-105-1978-01-05-2台湾1978年01月05日1970年代陳奇祿前国民党中央委員会副秘書長,行政院政務委員に就任。
DIA-105-1978-01-06-1台湾1978年01月06日1970年代倉石忠雄衆院議員一行訪台。
DIA-105-1978-01-07-1台湾1978年01月07日1970年代国民党中央常務委員会および中央評議委員主席団,経国党主席を第6代総統候補に指名する厳家淦総統の提案を司決。
DIA-105-1978-01-10-1台湾1978年01月10日1970年代第1次訪米買付団(団長邵学国際貿易局長),台北を出発。
DIA-105-1978-01-12-1台湾1978年01月12日1970年代孫運経済部長,サウジアラビアを訪問するため,台北を出発。こ
DIA-105-1978-01-13-1台湾1978年01月13日1970年代立法院,「台湾地区平均地権土地債発行条例」を通過。
DIA-105-1978-01-16-1台湾1978年01月16日1970年代台湾鉄道局,基隆―新竹間の電気機関車による貨客列車の運行を開始。
DIA-105-1978-01-16-2台湾1978年01月16日1970年代中国の陳逸松全国人民代表大会常務委員,東京で共同通信記者との単独会見のなかで,「私の見込みでは中米国交正常化は今年中に達成できると思う」と述べた。
DIA-105-1978-01-17-1台湾1978年01月17日1970年代台湾警備総司令部軍事法廷,1977年11月6日に摘発された「人民解放戦線」事件の被告6人に判決をいい渡した。無期懲役刑:戴華光,15年の有期刑:頼明烈,8年の有期刑:劉国基,感化処分:蔡裕栄,鄭道君,呉恒海。
DIA-105-1978-01-17-2台湾1978年01月17日1970年代武冠雄対外貿易発展協会秘書長,在台日本商社の1978年度の台湾商品買付け計画3億6800万ドルに不満を示し,買付け額が予定目標に達しない日本商社には,輸入認証申請権停止を提案。
DIA-105-1978-01-19-1台湾1978年01月19日1970年代行政院,王唯農を青年輔導委員会主任委員に任命。
DIA-105-1978-01-19-2台湾1978年01月19日1970年代国際貿易局,カラーTV完成品と本体の輸出認証権を回収。
DIA-105-1978-01-19-3台湾1978年01月19日1970年代原油輸入量―中国石油公司の統計によると,1977年の台湾の原油輸入量は9754万バレル,うちクウェートから4403万バレル(全体の45%),サウジアラビア3701万バレル(同38%),その他地区(インドネシア,イラン,ブルネイ)1650万バレルとなっている。また,同年の原油輸入金額12億4600万ドルは,台湾の輸入総額の14.7%に当る。
DIA-105-1978-01-20-1台湾1978年01月20日1970年代経済部物価督導会報,1977年の雑穀輸入量は大豆72万6000トン,とうもろこし214万9000トン,小麦57万2000トン,と発表。
DIA-105-1978-01-23-1台湾1978年01月23日1970年代台湾・エルバドル農業技術協力協定,2年間延長。
DIA-105-1978-01-24-1台湾1978年01月24日1970年代桃園地方裁判所,1977年11月19日中事件関連の被告邱奕彬に偽証罪で禁固1年6ヵ月,執行猶予3年の刑をいい渡し。
DIA-105-1978-01-26-1台湾1978年01月26日1970年代台湾・南アフリカ共和国漁業協定,ケープタウンで調印。
DIA-105-1978-01-29-1台湾1978年01月29日1970年代ケネディ米上院議員,米CBSテレビで「米中正常化は台湾の安全と繁栄を確保することにつながろう」と述べた。
DIA-105-1978-01-30-1台湾1978年01月30日1970年代全国科学技術会議,台北で開催。
DIA-105-1978-01-30-2台湾1978年01月30日1970年代内政部,1979―81年の3年間に7万5000戸の国民住宅建設を決定。
DIA-105-1978-01-31-1台湾1978年01月31日1970年代中国造船公司が建造した第2隻目の44万5000トン級マンモスタンカー,高雄で進水。
DIA-105-1978-01-31-2台湾1978年01月31日1970年代サウジアラビアのダッバハ新任駐台大使,信任状を厳家淦総統に提出。
DIA-105-1978-01-31-3台湾1978年01月31日1970年代周書楷台湾駐バチカン大使,ローマに着任。
DIA-105-1978-02-01-1台湾1978年02月01日1970年代エル・サルバルドのマルチネス外相訪台。
DIA-105-1978-02-02-1台湾1978年02月02日1970年代米国務省スポークスマン,帰国中のウッドコック在北京米連絡事務所長の台湾との断交主張は個人的見解である,と述べた。
DIA-105-1978-02-03-1台湾1978年02月03日1970年代台湾区廃船解体業公会,1977年に業界が解体した廃船は195隻,計173万2000排水トンに達し,依然世界の首位を占めている,と発表。
DIA-105-1978-02-05-1台湾1978年02月05日1970年代経国行政院長,米国で放映された米TV記者バークレイ氏とのインタビューの番組の中で,①台湾はソ連との接触はありえない,②米が米台防衛条約を破棄すれば,米は自らの威信とアジアにおける地位に影響を及ぼすことになる,③われわれは中国問題はあっても,台湾問題は存在しない,中国大陸の人民が再び自由を獲得してはじめて中国問題は解決できる,と語った。
DIA-105-1978-02-13-1台湾1978年02月13日1970年代中央銀行,1977年12月現在における在台外国系銀行12行の貸付残高は300億9300万元(前年比26.7%増)と発表。
DIA-105-1978-02-14-1台湾1978年02月14日1970年代国民党11期2中全会―国民党第11期中央委員会第2回全体会議および中央評議委員第2回会議は,陽明山中山楼で開催。主要議題は次の5項目である。①第1期国民大会第6回会議代表同志に対する政治任務の指示案,②第6代総統,副総統の党候補指名選挙法草案,③地方党務改善案,④中央委員会組織条例修正案,⑤11期2中全会宣言案。
DIA-105-1978-02-14-2台湾1978年02月14日1970年代財政部,台湾営利事業が外国メーカーに支払う技術提携報酬金(ロイヤリティー)に対する営業税の新規定を公布。
DIA-105-1978-02-15-1台湾1978年02月15日1970年代国民党11期2中全会,経国主席を第6代総統候補,謝東閔中央常務委員を副総統侯補に指名することを可決。
DIA-105-1978-02-15-2台湾1978年02月15日1970年代国民党11期2中全会,経国主席の推せんした22名の中央常務委員会委員の人事提案を可決。厳家淦,谷正綱,謝東閔,黄少谷,張其昀,黄杰,倪文亜,袁守謙,高魁元,宋長志,孫運,李国鼎,彦士,沈昌煥,鄭彦,林金生,郭驥,林挺生,費,徐慶鐘,郭澄,蔡鴻文(以上全員連任)。
DIA-105-1978-02-16-1台湾1978年02月16日1970年代在外公館長会議(周書楷駐バチカン大使,沈剣虹駐米大使等30余人参加),台北で開催。
DIA-105-1978-02-16-2台湾1978年02月16日1970年代台湾聚合公司高雄工場の第2期拡張工事完成(PEチップ年産能力14万トン)。
DIA-105-1978-02-16-3台湾1978年02月16日1970年代行政院,国民住宅建設に関する4規定を決定。
DIA-105-1978-02-17-1台湾1978年02月17日1970年代行政院経済建設委員会,台湾省政府がまとめた嘉義および南投県水里から阿里山を経て台東県玉里までの新東西横貫道路の建設案(1980年に着工予定)を認可。
DIA-105-1978-02-19-1台湾1978年02月19日1970年代第1期国民大会第6回会議,台北市近郊の陽明山中山楼中華文化堂で開催,出席代表1203人(定数1248人)。
DIA-105-1978-02-21-1台湾1978年02月21日1970年代経国行政院長,基隆に停泊中の第7艦隊旗艦オクラホマ号にボールドウィン中将司令官を訪問。
DIA-105-1978-02-22-1台湾1978年02月22日1970年代米国務省が国会に提出した予算報告によると,①カーター政府は1979会計年度に1000万ドルの軍事借款を台湾に供与すると提案,②軍事援助は,台湾の空,海両方の防衛力増強に重点を置く,③米台の1979会計年度に締結した軍事援助協定は,軍事物資の取引き額を1億5300万ドル以上と取決め,1978年と79年も1億5000万ドル前後になるであろうとみている。
DIA-105-1978-02-23-1台湾1978年02月23日1970年代費財政部長,サウジアラビアを訪問するため,台北を出発。
DIA-105-1978-02-24-1台湾1978年02月24日1970年代基隆―竹南間(120キロ)の鉄道電化工事完成。
DIA-105-1978-02-24-2台湾1978年02月24日1970年代外交部の金樹基スポークスマン代理,①日中平和友好条約の交渉には慎重を期し,日台間の実質的関係を損うことがないよう日本政府に望む,②日中長期貿易取決めの調印は,中国は日本を抱き込んで共にソ連に対抗するとともに,他の自由諸国に大陸市場に対する幻想を抱かせるものである,と述べた。
DIA-105-1978-02-25-1台湾1978年02月25日1970年代米台間紡織品貿易協定覚書調印―1978年1月1日から1982年12月31日までの5ヵ年を期間とする新協定の根拠となる覚書の調印は,汪彝定経済部次長とスミス特別貿易代表によってワシントンで行なわれた。それによると,台湾は1978年において7億5894万4836平方ヤードに相当する紡織品を米国に輸出,その後各年の輸出増加率は6%となっている。
DIA-105-1978-02-26-1台湾1978年02月26日1970年代財政部,とうもろこし3%および大豆7%の輸入関税をさらに1年間延長することを実施。
DIA-105-1978-02-27-1台湾1978年02月27日1970年代中国第5期全国人民代表大会,13人の台湾省代表を初公表。田富達,馮炎火,江水生,李辰,呉国槙,陳木森,陳逸松,林麗,林良材,林敏敏,林徳時,鐘炳松,蔡子民。
DIA-105-1978-02-28-1台湾1978年02月28日1970年代第3ナフサ工場テスト運転開始―建設資金19億3100万元,1973年に着工した第3ナフサ分解工場は,テスト運転を開始した。フル生産は7月以降になるが,生産能力は年間エチレン23万トン,プロピレン11万5000トン,ブタジェン3万5000トン。
DIA-105-1978-03-01-1台湾1978年03月01日1970年代台湾独立論を批判―経国行政院長は,国民大会第6回会議第2次大会での施政演説のなかで,①米中間のいわゆる「関係正常化」に断固反対する,②「台湾が独立すれば,台湾人民は共産党の支配から免れることができる」という:謬論は,実際には中国に台湾攻撃の口実を与えるものにしかすぎない,と述べた。
DIA-105-1978-03-04-1台湾1978年03月04日1970年代行政院経済建設委員会,①1977年の台湾地区の失業率は1.31%で,76年の2.41%に比べ低下している,②77年4月の資料によれば,20~24歳高卒の失業率は8.16%,同年齢層大卒の失業率も7.72%と総失業率を大幅に上回っている,と指摘。
DIA-105-1978-03-05-1台湾1978年03月05日1970年代中国第5期全国人民代表大会第1回会議で採択された中華人民共和国憲法前文に「台湾は中国の神聖な領土である。われわれは必らず台湾を解放し,祖国統一の大業をなしとげなければならない」と明記。
DIA-105-1978-03-06-1台湾1978年03月06日1970年代アジア太平洋地区農業発展研究会およびアジア太平洋地区食糧肥料技術センター年次総会,台北で開催。
DIA-105-1978-03-08-1台湾1978年03月08日1970年代国防部の軍事スポークスマン王業凱少将,台湾がイスラエルからクフィル戦闘機を購入したとの外国報道について事実無根と否定。
DIA-105-1978-03-09-1台湾1978年03月09日1970年代外交部の金樹基スポークスマン,フィリピン軍隊が南沙群島のパナタ島を占領したことについて,南沙群島は台湾固有の領土であり,その主権が台湾に属していることを再確認。
DIA-105-1978-03-09-2台湾1978年03月09日1970年代高雄から香港へ向かう中華航空の737型旅客機がハイジャックされ,中国行きを要求した犯人施明徳は機内で射殺されたため,事件はすぐ解決。
DIA-105-1978-03-11-1台湾1978年03月11日1970年代李儒侯台湾区石炭公会理事長,①1977年の台湾の石炭生産実績は目標330万トンを下回って295万5000トンにとどまった,②政府の強力な支援がなければ,台湾の石炭産業は衰退するだろう,と警告。
DIA-105-1978-03-15-1台湾1978年03月15日1970年代曽広順国民党中央海外工作会主任代理,主任に昇格。
DIA-105-1978-03-17-1台湾1978年03月17日1970年代費財政部長,訪台中のサウジアラビア開発基金ジャラ副会長と3000万ドル(20年分割償還,年利5%)の電信電話計画借款に調印。
DIA-105-1978-03-18-1台湾1978年03月18日1970年代台湾警備総司令部,中事件の経緯を記述した林正杰・張富忠共著『選挙万歳』を押収。
DIA-105-1978-03-20-1台湾1978年03月20日1970年代台湾とフィリピン代表,マニラで台湾―ルソン間海底通信ケーブル敷設(480回線,建設費2000余万ドルは双方折半出資)に関する合意書に調印。
DIA-105-1978-03-21-1台湾1978年03月21日1970年代経国総統を選出―第1期国民大会第6回会議(代表総数1248人)は第6代総統選挙を行ない,経国行政院長が1184票,投票総数1204票の98.34%を獲得して当選。
DIA-105-1978-03-22-1台湾1978年03月22日1970年代謝東閔副総統を選出―国民大会は第6代副総統選挙を行ない,謝東閔台湾省主席が941票,投票総数1189票の79.14%を獲得して当選。
DIA-105-1978-03-22-2台湾1978年03月22日1970年代第3回台湾・サウジアラビア経済技術協力会議,台北で開催。
DIA-105-1978-03-25-1台湾1978年03月25日1970年代第1期国民大会第6回会議閉会。
DIA-105-1978-03-25-2台湾1978年03月25日1970年代内政部,台湾キリスト教長老教会本部に対し,「少数の者が総会の名義で声明や宣言などにより政治的な主張を発表して,教会と国家の利益を損っているが,これは布教の目的と宗教活動の範囲を逸脱するものである」趣旨の文書をもって警告(同教会は,1977年米国のバンス国務長官訪中の際,人権宣言を発表して台湾独立を主張した)。
DIA-105-1978-03-29-1台湾1978年03月29日1970年代台湾キリスト教長老会,台南集会で1977年8月に発表した人権宣言を可決。
DIA-105-1978-04-01-1台湾1978年04月01日1970年代台湾省農林庁,1977年に台湾が輸出した豚は52万6523頭,と発表。
DIA-105-1978-04-02-1台湾1978年04月02日1970年代台湾糖業公司,1976―77年期の砂糖生産量は戦後最高の106万9547トンに達した,と発表。
DIA-105-1978-04-02-2台湾1978年04月02日1970年代韓国の丁一権国会議長訪台。
DIA-105-1978-04-03-1台湾1978年04月03日1970年代何応欽将軍,箱根で行なわれる中正紀念堂の落成式に参加するため,日本を訪問。
DIA-105-1978-04-03-2台湾1978年04月03日1970年代丁懋時行政院新聞局長,立法院で雑誌の管理を強化する,と述べた。
DIA-105-1978-04-03-3台湾1978年04月03日1970年代国民党台湾省党部,近く行なわれる第11回郷・鎮および県轄市民代表並びに村・里長選挙の党候補指名を取り止め。
DIA-105-1978-04-04-1台湾1978年04月04日1970年代立法院,「鉱業法部分条文修正案」を通過。
DIA-105-1978-04-04-2台湾1978年04月04日1970年代介石3周忌式典参列のため,灘尾弘吉衆議員を団長とする日本の代表団一行57人訪台。
DIA-105-1978-04-06-1台湾1978年04月06日1970年代薬価基準審議委員会成立。
DIA-105-1978-04-06-2台湾1978年04月06日1970年代1977年11月16日に送電を開始した原子力発電所第1工場1号機(出力63万6000kW),フル運転1に入る。
DIA-105-1978-04-07-1台湾1978年04月07日1970年代日台バナナ貿易会議,1978年の対日輸出総量560万ケース,1ケース当りCIF4.56ドルを内容とする協議に達成。
DIA-105-1978-04-10-1台湾1978年04月10日1970年代ワシントンで交換された米台間の備忘録によると,米台紡織品臨時協定は3ヵ月間を延長して,1978年6月30日まで有効。
DIA-105-1978-04-10-2台湾1978年04月10日1970年代政府,10大建設に続いて1978年7月1日から推進される12大建設の計画をまとめ,総工事費は2180余億元と試算。
DIA-105-1978-04-12-1台湾1978年04月12日1970年代第1回台韓製薬工業提携促進会議,台北で開催。
DIA-105-1978-04-12-2台湾1978年04月12日1970年代台湾省政府,基隆港の飽和状態を緩和するため,八尺門を第2の港湾として建設することを原則的に決定。
DIA-105-1978-04-13-1台湾1978年04月13日1970年代外交部の金樹基スポークスマン,釣魚台列島(尖閣列島)は台湾領土の一部である,と主張。
DIA-105-1978-04-13-2台湾1978年04月13日1970年代オランダ系企業台湾フィリップ電子工業公司の竹北にある一貫作業方式カラーブラウン管生産工場(年間生産能力90万本)落成。
DIA-105-1978-04-14-1台湾1978年04月14日1970年代兪国華中央銀行総裁,オーストリアのウィーンで開かれる第11回アジア開発銀行理事会年会に参加するため,台北を出発。
DIA-105-1978-04-15-1台湾1978年04月15日1970年代中国造船公司で建造された6100トン級の木材輸送専用船3隻,高雄で同時に進水。
DIA-105-1978-04-16-1台湾1978年04月16日1970年代台湾電力公司,長期電源開発10ヵ年計画を修正,1978年から1987年までに4500億元を投資して,発電量を現在の約2.7倍に相当する1896万4000kWに引上げることを決定。
DIA-105-1978-04-17-1台湾1978年04月17日1970年代台北地方裁判所,1977年11月19日の地方選挙投票日に起きた中事件の被告8名に対し,公務妨害,放火などの罪により,最高12年,最低2年4ヵ月の懲役刑を判決。
DIA-105-1978-04-18-1台湾1978年04月18日1970年代台湾電力公司の統計によると,1977年末の台湾電化製品の普及率は次の通り。冷蔵庫74.8%,テレビ88%,洗濯機38.8%,クーラー5.9%,扇風機91.6%,電気鍋86.2%。
DIA-105-1978-04-18-2台湾1978年04月18日1970年代韓国訪問中の李国鼎行政院政務委員,朴正熙大統領と会談。
DIA-105-1978-04-18-3台湾1978年04月18日1970年代米輸出入銀行,台湾電力公司に1億676万9300ドルの直接融資(年利8.25%)を行なう,と発表。融資は台電が原子力発電5号機(1984年10月31日より償還)および6号機(1985年7月31日より償還)に使用される燃料棒をアメリカから購入するのに充てられる。
DIA-105-1978-04-19-1台湾1978年04月19日1970年代中華全国体育総会の宋中秘書長,台湾省のスポーツマンと海外にいる台湾省籍スポーツマンに通知を出し,彼らが北京を訪れて第8回アジア競技大会の選抜試合に参加することに歓迎の意を表明。
DIA-105-1978-04-19-2台湾1978年04月19日1970年代行政院,「農業機械化基金収支,保管および運用弁法」を可決,1978―81年の4年間で合計80億元の運用資金を調達。
DIA-105-1978-04-19-3台湾1978年04月19日1970年代台湾銀行,日本円と新台幣の両替レートを日本円1万円に対し,新台幣1560元(改定前1410元)に改定。
DIA-105-1978-04-21-1台湾1978年04月21日1970年代台湾省糧食局,すでに21万トンの米が輸出され,ほか30万トンの米は近いうちに輸出される予定,と発表(台湾米の輸出先はほとんどインドネシア向けで,少量がフランス,南アフリカ向け)。
DIA-105-1978-04-22-1台湾1978年04月22日1970年代台湾・コロンビア養魚技術協力議定書,1980年までに延長することに合意。
DIA-105-1978-04-24-1台湾1978年04月24日1970年代台湾省糧食局,1978年1期作の作付け面積は推定35万1200余haと目標の34万7400haを上回った,と発表。
DIA-105-1978-04-25-1台湾1978年04月25日1970年代立法院,「総統離任者礼遇条例」を通過。
DIA-105-1978-04-26-1台湾1978年04月26日1970年代経済部,栄民工程処がジッダ港の第2期陸上施設工事(建設費1億6700万ドル,1980年6月までに完工)受注に成功,2100名の人員をサウジアラビアに派遣することを許可。
DIA-105-1978-04-28-1台湾1978年04月28日1970年代外交部の金樹基スポークスマン,ブレジンスキー米大統領補佐官の5月訪中について,「台湾は一貫して米中の接触に反対しており,このたびもこの厳正な立場に変わりはない」との声明を発表。^
DIA-105-1978-04-28-2台湾1978年04月28日1970年代中国の伍修権軍副参謀長,稲垣治氏ら日本の軍事問題研究者訪中団と会った際に,解放軍の装備と国際的な環境という2つの条件が整えば,武力で台湾を解放する方針であることを示唆。
DIA-105-1978-04-30-1台湾1978年04月30日1970年代韓国の金竜煥財務長官一行訪台。
DIA-105-1978-05-01-1台湾1978年05月01日1970年代何定一交通部電信研究所長,農村間のマイクロウェーブ電話系統の試作に成功した,と発表。
DIA-105-1978-05-01-2台湾1978年05月01日1970年代アジア国会議員連盟アジア文化センター主催のアジア文学会議,台北で開催。
DIA-105-1978-05-01-3台湾1978年05月01日1970年代行政院,「外国旅券査証弁法」を制定し,有効期間6ヵ月の商務査証を新設。
DIA-105-1978-05-02-1台湾1978年05月02日1970年代台湾,韓国,日本,香港の労働組合代表,台北で第1回定期会談を開催。
DIA-105-1978-05-03-1台湾1978年05月03日1970年代国民党中央常務委員会,王任遠を中央委員会組織工作会主任に任命。
DIA-105-1978-05-05-1台湾1978年05月05日1970年代倪文亜立法院長,台湾の特使としてコスタリカ大統領就任式に参列するため,台北を出発。
DIA-105-1978-05-05-2台湾1978年05月05日1970年代第6回日台大陸問題研究会議,東京で開催。
DIA-105-1978-05-07-1台湾1978年05月07日1970年代汪彝定経済部次長とサウジアラビアのハムタン商業省次長,台北で開かれた貿易会議で,①貿易センターと出荷倉庫をサウジアラビアの主要都市,海港地区に開設する,②商標盗用に関し,台湾は業者に厳罰を加え,発生を防止する,などの取り決めに調印。
DIA-105-1978-05-08-1台湾1978年05月08日1970年代謝東閔台湾省主席および19人の省政府委員,謝主席の副総統就任(5月20日)に伴い,行政院に辞表を提出。また,戴仲玉福建省主席も行政院に辞表を提出。
DIA-105-1978-05-08-2台湾1978年05月08日1970年代瞿韶華台湾省政府委員兼秘書長,台湾省主席の職務を代理。
DIA-105-1978-05-09-1台湾1978年05月09日1970年代原子力発電所第2工場1号機の原子炉(米GE社製),据え付け完了。
DIA-105-1978-05-10-1台湾1978年05月10日1970年代中央社によると,台湾の雲林県四湖郷三条崙の海岸で4月初旬台湾初の原油が噴出(現在日産100キロリットル程度,そのほか天然ガスも日産5万立方メートル),政府はこの「台西1号井」に大きな期待を寄せている。
DIA-105-1978-05-11-1台湾1978年05月11日1970年代厳家淦総統,中央研究院第10回評議員36名の人選を承認。
DIA-105-1978-05-11-2台湾1978年05月11日1970年代米国務省スポークスマン,国際交流局(ICA)の台湾事務所(台南,台中,台北3ヵ所)を1979会計年度から台北1ヵ所に縮小する,と発表。
DIA-105-1978-05-11-3台湾1978年05月11日1970年代行政院,監察院に提出した文書のなかで「政府は国防科学の発達と兵器の開発を促進するため,すでに中山科学研究院を設立した」ことを明らかにした。
DIA-105-1978-05-12-1台湾1978年05月12日1970年代経国行政院長の新総統就任(5月20日)に伴うものとして,徐慶鐘行政院副院長を始めとする全閣僚,行政院長に辞表を提出。
DIA-105-1978-05-16-1台湾1978年05月16日1970年代立法院,「行政院衛生署薬物食品検験局組織条例」を通過。
DIA-105-1978-05-16-2台湾1978年05月16日1970年代中国鋼鉄公司,第1期第2段階の工場建設(1982年6月完成予定,工事費510億3400万元,粗鋼年産量175万トン)に着工。
DIA-105-1978-05-18-1台湾1978年05月18日1970年代経国行政院長,厳家淦総統に辞表を提出。徐慶鐘行政院副院長,行政院長の職務を代理。
DIA-105-1978-05-18-2台湾1978年05月18日1970年代魏道明総統府資政・元駐日大使,台北で病死83歳。
DIA-105-1978-05-19-1台湾1978年05月19日1970年代自民,民社両党の親台派国会議員らの経国総統就任祝賀団(団長岸信介元首相)一行21名,台北に到着。
DIA-105-1978-05-20-1台湾1978年05月20日1970年代経国第6期総統および謝東閔第6期副総統就任式典,台北で挙行。
DIA-105-1978-05-20-2台湾1978年05月20日1970年代国民党中央常務委員会臨時常務委員会議,①行政院長に孫運を指名するとの経国総統の提案を了承,②総統府秘書長に彦士を任命するとの経国総統の提案を追認。
DIA-105-1978-05-20-3台湾1978年05月20日1970年代経国総統,総統府参軍長に馮啓聰前国防部副部長を任命。
DIA-105-1978-05-20-4台湾1978年05月20日1970年代総統統府副秘書長に張祖詒が就任。
DIA-105-1978-05-22-1台湾1978年05月22日1970年代経国総統,葉公超行政院政務委員を総統府資政に招聘。
DIA-105-1978-05-24-1台湾1978年05月24日1970年代エル・サルバルドのジャスティオ国防相訪台。
DIA-105-1978-05-25-1台湾1978年05月25日1970年代経済部,台湾中部(台中港―鹿港の間)の海岸干拓地4300haを工業用地に指定する旨を公示。
DIA-105-1978-05-26-1台湾1978年05月26日1970年代立法院,孫運の行政院長就任に同意。立法院の同意権行使投票の結果,出席357人(総数396人),賛成329票(得票率92.15%),反対12票,無効3票,白紙13票。
DIA-105-1978-05-26-2台湾1978年05月26日1970年代外交部の金樹基スポークスマン,①ブレジンスキー米大統領補佐官の訪中に関し,台湾政府は米国側に強く不満を表明した,②台湾の対外政策は,民主陣容を守り,反共の立場を堅持し,中国とは絶対に交渉もしくは妥協しない,という基本的国策に沿って行なわれる,と語った。
DIA-105-1978-05-27-1台湾1978年05月27日1970年代経国総統,最近台北で米国の『リーダーズ・ダイジェスト』誌(6月号)ダビッド・スェート記者との対談のなかで,台湾は①「上海コミュニケ」を有効な法律文書とは全く認めない,②「日本方式」の米台関係を受け入れることはできない,と述べた。
DIA-105-1978-05-28-1台湾1978年05月28日1970年代中国石油公司,1978年下半期にエクアドルから10万トンの原油をテスト輸入する,と発表。
DIA-105-1978-05-28-2台湾1978年05月28日1970年代中国の陳逸松全国人民代表大会常務委員,北京で米国が中国の主張する国交正常化のための3条件を受け入れれば,台湾の武力解放はありえない,と発言。
DIA-105-1978-05-29-1台湾1978年05月29日1970年代国民党中央常務委員会臨時会議,孫運新内閣および馬紀壮行政院秘書長,鍾時益行政院主計長,趙聚玉行政院国軍退除役官兵輔導委員会主任委員,林洋港台湾省政府主席,李登輝台北市長の人事案を通過。
DIA-105-1978-05-29-2台湾1978年05月29日1970年代招商局,中国造船公司との間で3万800トン級フル・コンテナ船7隻の建造に関する契約に調印。
DIA-105-1978-05-30-1台湾1978年05月30日1970年代1979年度中央政府総予算案,立法院を通過―歳入歳出はそれぞれ1550億8168万7758元(前年比18%増)。歳出の配分は,国防外交(歳出総額の46.2%)および経済建設交通(同24%)の2項目で全体の70.2%を占めている。その他の項目は,社会福祉(12.3%),一般行政(11%),教育科学文化(6.5%)の順となっている。
DIA-105-1978-05-30-2台湾1978年05月30日1970年代経国総統,汪道淵前司法行政部長を国策顧問に招聘。
DIA-105-1978-05-31-1台湾1978年05月31日1970年代中国造船公司,「本国船は本国で建造」の政策下に建造した第1隻目の「春明号」(2万8000トン),船主の陽明海運公司に引渡し。
DIA-105-1978-06-03-1台湾1978年06月03日1970年代「大陸反攻」は非現実的―米上院外交委員会は,「1955年の秘密聴聞会議事録」を公表。その中で,ダレス米国務長官(当時)は,介石総統(同)が,①現有の兵力では大陸に進攻し,それを奪回することができないことを完全かつ率直に意識している,②台湾の軍隊の士気を保つため,大陸進攻のキャンペーンはやめられない,と述べたという自身の発言を紹介した。
DIA-105-1978-06-06-1台湾1978年06月06日1970年代第7回米台中国問題討論会(主要議題「毛沢東以後の中国大陸」,米側にジョンソン前国務次官ら20数人参加),台北で開催。
DIA-105-1978-06-06-2台湾1978年06月06日1970年代梁永章国民党考核(審査)紀律委員会主任委員,「党高級幹部が外国で不動産を買い込んだり,居住権を取得している者はいない」と述べた。
DIA-105-1978-06-06-3台湾1978年06月06日1970年代李崇道農復会主任委員,政府は1973年1月から1978年4月まで,農村建設に合計129億8600元を投資した,と発表。
DIA-105-1978-06-07-1台湾1978年06月07日1970年代国民党中央常務委員会,孫運行政院長指名の各部の政務次長および僑務委員会副委員長の人事案を通過。
DIA-105-1978-06-08-1台湾1978年06月08日1970年代第2次訪米買付団(団長邵学国際貿易局長),台北を出発。
DIA-105-1978-06-08-2台湾1978年06月08日1970年代孫運行政院長,1972年6月8日に経国前内閣が発令した公務員に対する10項目の行政革新指示を再確認。
DIA-105-1978-06-10-1台湾1978年06月10日1970年代台湾省糧食局,今後3年間に各地で食糧倉庫(貯蔵量45万トン)を建設する,と発表。
DIA-105-1978-06-12-1台湾1978年06月12日1970年代カーター米大統領,ワシントンでの日米欧委員会総会で,①米中の外交関係樹立後も台湾に軍事援助も含めた米国の存在を続ける,②米国は台湾に大使館を閉鎖後,通商代表部を設置する,③中国から台湾に対し武力解放をしないという何らかの保証をとりつける,の3条件を提案。
DIA-105-1978-06-12-2台湾1978年06月12日1970年代林洋港台湾省主席就任。
DIA-105-1978-06-12-3台湾1978年06月12日1970年代経国総統,米国スクリップス・ハワード系新聞副総裁スクリップス2世夫妻らを接見,ブレジンスキー米補佐官の訪中について,中国を利用してソ連を牽制しようとするアメリカの考え方は非現実的である,と述べた。
DIA-105-1978-06-12-4台湾1978年06月12日1970年代中央銀行,①外貨資金特別融資利率を年利11%から9%以下とする,②海外渡航旅費基準を1人当り月1500ドルから2200ドルに引上げる,など8項目の金利および外国為替措置を実施。
DIA-105-1978-06-13-1台湾1978年06月13日1970年代孫運行政院長,立法院で労働者の賃金に制限を加えるべきではない,と述べた。
DIA-105-1978-06-14-1台湾1978年06月14日1970年代台湾・サウジアラビア技術協力協定,台北で調印。
DIA-105-1978-06-14-2台湾1978年06月14日1970年代張光世経済部長,1978年の台湾の鉄鋼需要量は270万トン,1983年には400万トンに達するだろう,と予測。
DIA-105-1978-06-14-3台湾1978年06月14日1970年代国民党中央常務委員会,次の中央委員会および台湾省委員会の一部人事案を通過。中央委員会副秘書長:黄通,連戦,青年工作会主任:張予生,政策委員会副秘書長:白万祥,秘書処副主任:許大路,海外工作会副主任:明鎮華,政策委員会専任委員:常憲章,考核紀律委員会専任委員:彭書隠,財務委員会副主任委員:林運祥,立法委員党部書記長:鄧励豪,組織工作会副主任:郭哲,台湾省党部副主任委員:呉思,台湾省党部書記長:呉挽瀾,革命実践研究院教育長:崔徳礼。
DIA-105-1978-06-15-1台湾1978年06月15日1970年代晏海波中国造船公司総経理,立法院で①同公司が現在建造中の船は46隻,うち高雄造船所28隻,基隆造船所18隻,②1979年度の造船予定量は65万8000トン,修船量405万トン,と報告。
DIA-105-1978-06-17-1台湾1978年06月17日1970年代台湾省第11回郷鎮県轄市民代表(立候補者数7967人,定員3794人)および村里長(立候補者数1万1442人,定員6448人)選挙,台湾省各地で一斉に投票。投票率70%弱。
DIA-105-1978-06-20-1台湾1978年06月20日1970年代行政院経済建設委員会,1978年の民間企業による計画設備投資額は前年比46%増,投資意欲がかなり回復した,と発表。
DIA-105-1978-06-21-1台湾1978年06月21日1970年代朱匯森教育部長,立法院で今年の学童の就学率は99.57%,小学生の進学率は94.21%,と述べた。
DIA-105-1978-06-23-1台湾1978年06月23日1970年代中国国際商業銀行によると,同銀行はすでに英国ダロン・リード・オベリァス証券会社に委託して,2000万ドルの商業債券(期限5年,金利は浮動利率を採用,ロンドン銀行間利率プラス0.5%,最低利率年7.25%保証)を発行した。これは台湾が欧州金融市場で発行する最初の外債。
DIA-105-1978-06-23-2台湾1978年06月23日1970年代西ドイツの『原子力経済』誌によると,台湾は原子力発電所の数では世界の14位,発電能力では13位(建設中,稼動中およびプラント発注した原子力発電所6ヵ所,その総発電量は49億3400万ワット)にランクされている。
DIA-105-1978-06-23-3台湾1978年06月23日1970年代台湾警備総司令部,不法書類を所有した理由で,陳菊女史を彰化県埔心郷羅カトリック伝道所で逮捕。
DIA-105-1978-06-25-1台湾1978年06月25日1970年代新任米軍台湾援助顧問団長トムソン大佐,台北に着任。
DIA-105-1978-06-26-1台湾1978年06月26日1970年代阮成章司法行政部調査局長,①中国は台湾に対する浸透作戦が失敗したため,「対台工作計画」を立て直しつつある,②中国はすでに「台湾独立運動促進委員会」を設置しており,台湾独立派との結託を通じて,台湾に対する浸透工作を展開している,と述べた。
DIA-105-1978-06-27-1台湾1978年06月27日1970年代行政院経済建設委員会,1146品目にわたる工業製品,消費物資,農産物の輸入制限を撤廃する計画を通過。
DIA-105-1978-06-29-1台湾1978年06月29日1970年代行政院,食米商による10万トンの食米輸出を許可。
DIA-105-1978-06-29-2台湾1978年06月29日1970年代交通部,中華航空とルクセンブルグ航空が,すでに1978年5月に相互乗り入れ協定に調印したことを明らかにした。
DIA-105-1978-06-30-1台湾1978年06月30日1970年代外交部の金樹基スポークスマン,台湾政府はベトナム,カンボジア,ラオスが共産化して以来,すでに7445人のインドシナ半島難民(大部分が華僑)を受け入れた,と述べた。一方,『中国時報』によると,その内訳は,①台湾の空軍機と艦艇で救出したのが3172人,②漂流中に台湾船が救助したのが213人,外国船が救助したのが241人,③タイ,韓国経由のものが243人,④自力で台湾に到着したのが2343人,⑤赤十字など国際団体の援護によるものが1233人,となっている。
DIA-105-1978-06-30-2台湾1978年06月30日1970年代台湾訪問中の米フォード自動車のヘンリー・フォード2世会長,米中関係正常化が実現しても,当社は絶対に台湾から撤収しない,と言明。
DIA-105-1978-07-01-1台湾1978年07月01日1970年代米紙『ニューヨーク・タイムズ』カーター政権が台湾向けF4戦闘機60機の売却計画を廃棄した,と報道。
DIA-105-1978-07-01-2台湾1978年07月01日1970年代南北高速道路の新竹一台中県王田区間(94.1キロ),正式に開通。
DIA-105-1978-07-01-3台湾1978年07月01日1970年代青年反共救国団宋時選副主任,主任に昇格。
DIA-105-1978-07-01-4台湾1978年07月01日1970年代国防部所属の車輌生産工場,国営の台湾機械公司に合併。
DIA-105-1978-07-02-1台湾1978年07月02日1970年代楊西崑外交部政務次長,マラウィ,レソト,南アフリカ共和国およびスワジランドを訪問するため,台北を出発。
DIA-105-1978-07-03-1台湾1978年07月03日1970年代晏海波中国造船公司総経理,①同公司は2年以内に9億5000万元を投資して,7万5000トンおよび3万トン級能力の修理ドック2ヵ所を建造する,②台湾造船の自己製造率を2年後には75%に引上げる,と述べた。
DIA-105-1978-07-04-1台湾1978年07月04日1970年代行政院の荘進源衛生署環境衛生処長,台湾各地の空気汚染度を測定した結果,70%は不合格であることが判明した,と発表。
DIA-105-1978-07-05-1台湾1978年07月05日1970年代米国務省,台湾へのイスラエル製のクフィル戦闘機(50ないし60機)売却に承認を与えたことを確認。
DIA-105-1978-07-05-2台湾1978年07月05日1970年代日本民社党の中村正雄副委員長訪台。
DIA-105-1978-07-06-1台湾1978年07月06日1970年代国防部,台湾政府がイスラエルから同国製のクフィル戦闘機を購入する計画はない,と声明。
DIA-105-1978-07-06-2台湾1978年07月06日1970年代台湾警備総司令部のスポークスマン段家鋒少将,1978年6月23日に不法書類を所有した理由で逮捕された郭雨新(現在アメリカ在住)の元秘書陳菊女史は,反省の意をみせたので保釈する,と発表。
DIA-105-1978-07-07-1台湾1978年07月07日1970年代立法院,「国防部組織法部分条文修正案」および「国防部参謀本部組織法」を通過。修正要点は,①「動員戡乱時期」の重要地区に警備総司令部あるいは司令部を設置し,その組織は国防部が規定する,②国防部に副部長を置き,特任あるいは2級上将を任命し,国防部長を補佐する。
DIA-105-1978-07-10-1台湾1978年07月10日1970年代台湾元の切り上げ―財政部は,7月11日より①米ドルにリンクした固定レート制を廃止し,機動相場制に移行する,②現行の為替レートを5.26%切り上げ,1ドル=38台湾元(1973年2月16日より実施)から1ドル=36台湾元にする,と公布。
DIA-105-1978-07-10-2台湾1978年07月10日1970年代台湾銀行,日本円対台湾元の為替レートを1万円対1560元から1690元に改めた。
DIA-105-1978-07-11-1台湾1978年07月11日1970年代立法院,「中国輸出入銀行条例草案」を通過。
DIA-105-1978-07-11-2台湾1978年07月11日1970年代台湾省政府,1977年の台湾の家庭における平均消費性向は77.1%,と発表。
DIA-105-1978-07-13-1台湾1978年07月13日1970年代立法院,「関税定率法部分条文修正案」を通過,983項目の輸入関税を引き下げる,と発表。
DIA-105-1978-07-13-2台湾1978年07月13日1970年代合湾とフィリピン代表,台北で台湾北部―ルソン間海底通信ケーブル敷設に関する協議書に調印。
DIA-105-1978-07-14-1台湾1978年07月14日1970年代行政院の兪国華経済建設委員会主任,機械工業は台湾の将来における戦略的産業である,と述べた。
DIA-105-1978-07-14-2台湾1978年07月14日1970年代ルクセンブルグ航空の貨物機,台北―ルクセンブルグ線の処女飛行で台北に到着。
DIA-105-1978-07-17-1台湾1978年07月17日1970年代訪台中のサウジアラビア国家科学技術センター主任オビタ博士,台北で張光世経済部長と台湾・サウジアラビア科学技術提携備忘録に署名。
DIA-105-1978-07-18-1台湾1978年07月18日1970年代外交部の金樹基スポークスマン,米下院国際関係委員会アジア太平洋小委員会主席ウルフ議員の「私は中国が現実を基礎に中国人自らによる台湾間題解決を望んでいるとの感触を得た」との7月15日香港での発言について,「台湾政府は中国とのなんらかの合作,あるいは協調は全くありえない」と言明。
DIA-105-1978-07-18-2台湾1978年07月18日1970年代中央民意代表選挙事務所,台北に成立。
DIA-105-1978-07-20-1台湾1978年07月20日1970年代財成部,1967年5月15日から1978年4月までに政府機関および各事業機構が財政部の保証のもとで国外から借入れた金額は36億635万ドル,そのうち返済された元金は2億924万ドル,と発表。
DIA-105-1978-07-20-2台湾1978年07月20日1970年代中国造船公司が建造した2隻目の大型タンカー「バーマ・エンタープライズ」(44万5000トン),イギリスの船主会社に引渡し。
DIA-105-1978-07-25-1台湾1978年07月25日1970年代中央民意代表選挙事務所,投票日を次のように決定。国民大会代表と立法委員は1978年12月23日,監察委員は同年12月27日。
DIA-105-1978-07-25-2台湾1978年07月25日1970年代米上院本会議,米政府が米台相互防衛条約に変更を加えるような政策変更をする場合は,事前に上院に相談するべきであるとの決議案を94票対0票で可決。これは対外安全保障援助法案に対する修正案として,共和党保守派のドール議員らが提案したもの。
DIA-105-1978-07-27-1台湾1978年07月27日1970年代第2次訪米買付団帰国。アメリカでの契約高は241項目で7億8670万ドル,第1次訪米買付団の買い付け額2億6800万ドルの3倍に相当。
DIA-105-1978-07-28-1台湾1978年07月28日1970年代国民党1978年度党務工作会議,陽明山中山楼で開催。
DIA-105-1978-07-28-2台湾1978年07月28日1970年代外交部の金樹基スポークスマン,モスクワで伝えられたといわれるソ連の台湾承認の可能性について,「台湾はソ連その他の如何なる共産国とも交わりを結ばない」と言明。また,日中が渤海外洋の石油資源共同探鉱の協定を結んだことについて「台湾は,その海岸からの延長線については,渤海内の大陸棚を含めて,一切の権利を保留する」と表明。
DIA-105-1978-07-28-3台湾1978年07月28日1970年代ソ連通のブロン新任米駐台湾大使館副館長,台北に着任。
DIA-105-1978-07-29-1台湾1978年07月29日1970年代経国国民党主席,党務工作会議閉会武の席上で「国際間に流布されている国共和平交渉というデマは,台湾の利益に損害を与えずにはおかない」と述べた。
DIA-105-1978-07-29-2台湾1978年07月29日1970年代中国鋼鉄公司,第2期拡充工事計画の資金として45億元の増資を決定。
DIA-105-1978-07-29-3台湾1978年07月29日1970年代韓国の朴鉉文教部長訪台。
DIA-105-1978-07-30-1台湾1978年07月30日1970年代1978年国家建設研究会,台北で開催。
DIA-105-1978-07-31-1台湾1978年07月31日1970年代中国造船公司が建造した10万トン級のタンカー「弘運号」,高雄で進水。
DIA-105-1978-07-31-2台湾1978年07月31日1970年代金丸防衛長官,東京で「日本,台湾,韓国は防衛上,運命共同体である」と発言。
DIA-105-1978-08-01-1台湾1978年08月01日1970年代国際貿易局,化学薬品の輸入自由化を実施。
DIA-105-1978-08-01-2台湾1978年08月01日1970年代中南米およびアフリカ地区の在外公館長会議,台北で開催。
DIA-105-1978-08-01-3台湾1978年08月01日1970年代台湾省第11回郷鎮県轄市民代表および村里長の就任式,各地で挙行。
DIA-105-1978-08-01-4台湾1978年08月01日1970年代日本の植物検疫当局,台湾産のポンカン,トンカン,パパイア,マンゴーの旅行者携帯持ち込みを承認。
DIA-105-1978-08-02-1台湾1978年08月02日1970年代国民党中央常務委員会,考試院長に劉季洪,副考試院長に張宗良を指名するとの経国主席の提案を了承。
DIA-105-1978-08-04-1台湾1978年08月04日1970年代兪国華中央銀行総裁,総統特使としてコロンビア大統領の就任式に参列するため,台北を出発。
DIA-105-1978-08-04-2台湾1978年08月04日1970年代中央民意代表選挙事務所,1978年12月に改選される補充増選の中央民意代表の定員を発表。立法委員53人,国民大会代表56人,監察委員15人。
DIA-105-1978-08-05-1台湾1978年08月05日1970年代台湾機械公司,オランダのSWD会社とディーゼルエンジンを共同生産する契約にすでに調印した,と発表。
DIA-105-1978-08-06-1台湾1978年08月06日1970年代台湾糧食局,1977年に農民から保証価格で買上げた米は84万余トン,と発表。
DIA-105-1978-08-07-1台湾1978年08月07日1970年代米下院,125万ドルに相当する軍艦3隻を台湾に売却する法案を可決。
DIA-105-1978-08-08-1台湾1978年08月08日1970年代台湾,日本,韓国石油化学業者会議,台北で開催。
DIA-105-1978-08-09-1台湾1978年08月09日1970年代宋長志参謀総長,総統特使としてパラグァイ大統領の就任式に参列するため,台北を出発。
DIA-105-1978-08-10-1台湾1978年08月10日1970年代訪米から帰国した台湾電力公司の陳蘭〓理事長,アメリカで米輸出入銀行と原子力第3発電所核燃料資金1億9400万ドルの借款契約に調印したことを明らかにした。
DIA-105-1978-08-10-2台湾1978年08月10日1970年代中村元治日本全国中小企業団体総連会長訪台。
DIA-105-1978-08-11-1台湾1978年08月11日1970年代徐慶鐘行政院副院長,総統特使としてドミニカ大統領の就任式に参列するため,台北を出発。
DIA-105-1978-08-11-2台湾1978年08月11日1970年代中央銀行,「外貨先物取引弁法」を公布実施。
DIA-105-1978-08-11-3台湾1978年08月11日1970年代台湾内の日本企業160社で構成されている日僑工商会,日中友好平和条約が締結されても,日台間の経済交流に影響がないよう経団連,日本商工会議所,東亜経済人会議日本側委員会に打電。
DIA-105-1978-08-12-1台湾1978年08月12日1970年代沈昌煥外交部長,日中平和友好条約の締結について,①同条約は日本だけでなく,アジア・太平洋地域の自由諸国に計り知れない災禍をもたらすだろう,②台湾政府は,日本と中国との間に締結された如何なる条約もすべて無効であることを考える,との声明を発表。
DIA-105-1978-08-14-1台湾1978年08月14日1970年代台湾省糧食局,今年第1期作の玄米収量は134万1650トン,生産目標より0.8%増,と発表。
DIA-105-1978-08-15-1台湾1978年08月15日1970年代台北―台中間に電化特急車「自強号」が運行(2時間10分)を開始。
DIA-105-1978-08-16-1台湾1978年08月16日1970年代ローマ法王パゥロ6世の葬儀に参列した干斌枢機主教,ローマで病死,77歳。
DIA-105-1978-08-16-2台湾1978年08月16日1970年代経国総統,イストラム米上院議員一行と会見。
DIA-105-1978-08-19-1台湾1978年08月19日1970年代台湾・パナマ漁業技術協力協定,2年間延長。
DIA-105-1978-08-20-1台湾1978年08月20日1970年代汪彝定経済部次長,第2回台湾・南アフリカ共和国経済技術協力会議に出席するため,台北を出発。
DIA-105-1978-08-21-1台湾1978年08月21日1970年代コスタリカ共和国のエファロー副大統領一行12人,台湾を公式訪問,8月26日までの滞在。
DIA-105-1978-08-21-2台湾1978年08月21日1970年代第4回台湾・コスタリカ経済技術協力会議,台北で開催。
DIA-105-1978-08-21-3台湾1978年08月21日1970年代中央銀行,米ドルの先物売買取扱いを開始。
DIA-105-1978-08-23-1台湾1978年08月23日1970年代東京で開かれた第19回高エネルギー物理学国際会議で,中国(5人)と台湾(3人)の研究者が同席。
DIA-105-1978-08-25-1台湾1978年08月25日1970年代国防部の王業凱スポークスマン,政府は兵役期間の延長を考慮しない,と述べた。
DIA-105-1978-08-25-2台湾1978年08月25日1970年代米国会上下両院協調委員会,対外援助法の一部修正により,「大統領は米台共同防衛条約についてのいかなる変更にも事前に国会と協議しなければならない」項目を追加する案を可決。
DIA-105-1978-08-28-1台湾1978年08月28日1970年代台湾代表団(谷正綱首席代表),ナウル共和国で開かれた第14回アジア国会議員連合(APU)に参加。
DIA-105-1978-08-29-1台湾1978年08月29日1970年代台湾亜東関係協会と日本交流協会の第3回経済貿易会議,台北で開催。
DIA-105-1978-08-30-1台湾1978年08月30日1970年代米農務省の統計によると,1977年における台湾の1人当りの肉類消費量は30.6キロ,アジアでは第1位を占める。
DIA-105-1978-08-31-1台湾1978年08月31日1970年代楊基銓経済部次長,台北でサウジアラビアのフセイン農田水利部次長と台湾から40人規模の第2次農業技術サービス団をサウジに派遣する協定に調印。
DIA-105-1978-08-31-2台湾1978年08月31日1970年代米第7艦際司令官フリー中将訪台。
DIA-105-1978-09-01-1台湾1978年09月01日1970年代立法院,立法院第62会期に提出した書面による施政報告のなかで,政府は5~10年を目標にして新式銃炮,ミサイル,戦闘用車輌および高性能軍用機などの自製能力を開発する,と強調。
DIA-105-1978-09-01-2台湾1978年09月01日1970年代新任の劉季洪考試院長就任。
DIA-105-1978-09-02-1台湾1978年09月02日1970年代経済部,台湾は経済水域200カイリの設定を当分保留する,と表明。
DIA-105-1978-09-02-2台湾1978年09月02日1970年代国際貿易局,台湾初の大貿易商社「匯僑公司」の設立を認可。
DIA-105-1978-09-02-3台湾1978年09月02日1970年代台北地方でマグニチュード6.6の強震。
DIA-105-1978-09-03-1台湾1978年09月03日1970年代楊西崑外交部政務次長,スワジランドの独立10周年紀念日の式典に参列するため,台北を出発。
DIA-105-1978-09-03-2台湾1978年09月03日1970年代経済部,日本のテレビ・メーカーによる工場新設申請を今後認可しない方針を決定。
DIA-105-1978-09-06-1台湾1978年09月06日1970年代行政院経済建設委員会,①1977年の台湾のエネルギー供給量は2400万余kl,その78.5%が輸入に依存している,②供給量の内訳は,石炭が10.6%,石油77.3%,天然ガス7.6%,水力発電4.4%,核エネルギー0.1%を占めている,③台湾のエネルギー資源が乏しいなので,今後有効な節約措置をとるべきだ,とエネルギー政策を説明。
DIA-105-1978-09-10-1台湾1978年09月10日1970年代アジア・太平洋地域不動産連合会第4回大会,台北で開催。
DIA-105-1978-09-11-1台湾1978年09月11日1970年代自民党の日本国会議員訪台団(町村金五団長,岸信介元首相ら15人および随員7人),台北に到着。
DIA-105-1978-09-11-2台湾1978年09月11日1970年代韓国国会議員訪問団(崔栄喜団長ら6人),台湾を訪問。
DIA-105-1978-09-11-3台湾1978年09月11日1970年代行政院経済建設委員会,台湾の環島鉄路は1986年6月までに完成する,と発表。
DIA-105-1978-09-13-1台湾1978年09月13日1970年代行政院,交通部の提出した高速道路を屏東までに延長する計画(建設期間1978年1月~1982年3月,工事費約29億1000万元)を認可。
DIA-105-1978-09-14-1台湾1978年09月14日1970年代外交部,リビアとの外交関係を中止する声明を発表。
DIA-105-1978-09-16-1台湾1978年09月16日1970年代孫運行政院長,台中港を一流の商業港として発展させるために,臨海工業区の設置と工業港としての建設計画の一部分を撤回するよう指示。
DIA-105-1978-09-16-2台湾1978年09月16日1970年代アメリカ駐台湾大使館,米政府がこのほど「中国農村復興委員会」(米議会で1948年4月3日に成立した中国援助法にもとづいて,同年11月1日に南京で創設されたアメリカの経済援助機関)の設置を決めた行政協定を廃棄する方針を台湾政府に通告(6ヵ月後に自動的に廃止される)。
DIA-105-1978-09-18-1台湾1978年09月18日1970年代故吉田茂元首相生誕百年祭に出席するため,何応欽将軍,張宝樹国民党中央委員会秘書長ら一行訪日。
DIA-105-1978-09-18-2台湾1978年09月18日1970年代台湾・エクァドル農業技術協力協定,キトで調印。
DIA-105-1978-09-20-1台湾1978年09月20日1970年代行政院衛生署薬物食品検験局成立。
DIA-105-1978-09-20-2台湾1978年09月20日1970年代経済部工業局,台湾中部の重化学工業発展の一環として,面積約4300haの彰化県浜海工業区を積極的に開発する,と発表。
DIA-105-1978-09-20-3台湾1978年09月20日1970年代日本化学繊維協会,合繊の輸入増対策として,台湾産アクリル短繊維など不当廉売の疑いのある品目について,関税定率法第9条に基づいて,大蔵省にダンピング提訴する方針を社長会で決定。
DIA-105-1978-09-22-1台湾1978年09月22日1970年代孫運行政院長,立法院で①台湾は現在依然戒厳令下に置かれているので,軍事裁判の存在は必要である,②1978年3月に雑誌創刊申請の受付けを1年停止したが,それがまもなく解除されるだろう。台湾の新聞雑誌は1500余社に達しており,その3分の2以上が非国民党系に属している,と述べた。
DIA-105-1978-09-22-2台湾1978年09月22日1970年代国際貿易局,9人乗り以上のバスおよびシャシーの欧米地区買付規制を解除。
DIA-105-1978-09-24-1台湾1978年09月24日1970年代スワジランド王国のマペイフ首相訪台。
DIA-105-1978-09-24-2台湾1978年09月24日1970年代スウェーデン王国国会議員訪問団一行5人,台湾を訪問。
DIA-105-1978-09-25-1台湾1978年09月25日1970年代労資関係研究会,台北で開催。
DIA-105-1978-09-25-2台湾1978年09月25日1970年代台湾電力公司,台湾の水力発電系統を確立するため,582億2200万元の投資を決定。
DIA-105-1978-09-25-3台湾1978年09月25日1970年代1978年米台科学技術協力年会,台北で開催。
DIA-105-1978-09-27-1台湾1978年09月27日1970年代米上院の発表によると,1946年から1977年までに,台湾がアメリカから受けた経済および軍事援助は65億4335万1000ドルに達している。
DIA-105-1978-09-28-1台湾1978年09月28日1970年代陳履安教育部次長,リアドで開催される台湾・サウジアラビア協力委員会第1次会議に出席するため,台北を出発。
DIA-105-1978-09-29-1台湾1978年09月29日1970年代張光世経済部長,台湾の石油化学原料および鉄鋼の対日依存度が徐々に低下している,と指摘。
DIA-105-1978-09-30-1台湾1978年09月30日1970年代中国石油公司,76億元を投資して第4石油コンビナートを建設する計画(1981年完成予定,年生産能力エチレン35万トン,プロピレン18万トン)を完成。
DIA-105-1978-09-30-2台湾1978年09月30日1970年代園田外相,参院本会議で1969年の佐藤・ニクソン共同声明に盛られた「台湾条項」について,「当時の台湾地域の情勢に対する認識を述べたもので,廃棄を宣言する考えはない」と述べた。
DIA-105-1978-10-02-1台湾1978年10月02日1970年代黄鏡峯台湾省糧食局長,省議会で1979年の米の生産量を235万トンに調整する,と述べた。
DIA-105-1978-10-04-1台湾1978年10月04日1970年代国防部,艦対艦用として海軍に実戦配備される「雄蜂ミサイル」(誘導ミサイル)および16秒間に40発のロケットを発射できる「工蜂4式」(ロケット兵器)の自力生産に成功したことを正式に確認。
DIA-105-1978-10-04-2台湾1978年10月04日1970年代国民党中央常務委員会,次の人事案を通過。 中央委員会副秘書長:陳水逢,同秘書処主任:高育仁,同青年工作会副主任:王人傑,同婦女工作副主任:周文,台湾省委員会副主任委員:林清輝。
DIA-105-1978-10-04-3台湾1978年10月04日1970年代台湾警備総司令部,台湾で反乱活動を企てた呉泰安はすでに司法行政部調査局によって逮捕された,と発表。
DIA-105-1978-10-05-1台湾1978年10月05日1970年代行政院,今年2期米作の田賦を徴収しないことを決定。また,証券取引所得税も1979年の1年間に徴収しないことを通過。
DIA-105-1978-10-07-1台湾1978年10月07日1970年代福田首相,参院予算委員会で,日中平和友好条約と日米安保条約に基づく事前協議制との関係について,「日中条約もできたので(日本の基地から米軍機が台湾海峡に飛び立つ場合)その辺を配慮して,イエスもあればノーもあると判断すべきだ」と述べた。
DIA-105-1978-10-09-1台湾1978年10月09日1970年代日本の台湾国慶節祝賀議員代表団(岸信介団長)一行18人,台北に到着。
DIA-105-1978-10-09-2台湾1978年10月09日1970年代1975年3月19日に中国から特赦された国民党の戦犯段克文元国民党軍統局少将専門員,アメリカから台湾に帰順。
DIA-105-1978-10-10-1台湾1978年10月10日1970年代双十節を紀念して「漢威作戦」と名付けられた閲兵式(正規部隊および予備役部隊延べ1万2166人が参加)に国産ミサイル「雄蜂」初公開。
DIA-105-1978-10-12-1台湾1978年10月12日1970年代経国総統,イタリア新聞ニューデイリー紙トリオンフェラ記者の書面による質問に答えて,台湾は中共反乱集団と断じて妥協しない基本政策を絶対に変えない,と述べた。
DIA-105-1978-10-13-1台湾1978年10月13日1970年代台湾軍管区1979年度予備軍人輔導工作会議,台湾独立論を非難する声明を発表。
DIA-105-1978-10-16-1台湾1978年10月16日1970年代シンガポール国際銀行台北支店,営業を開始。
DIA-105-1978-10-20-1台湾1978年10月20日1970年代周宏濤行政院政務委員,ヨハネ・パウロ2世の就任式に参列するため,台北を出発。
DIA-105-1978-10-20-2台湾1978年10月20日1970年代ソウルで開催された第13回台韓経済協力会議,①台湾側が1979年に韓国から800台の自動車を輸入,韓国側も台湾から輸入するバナナを拡大,②双方は相互に関税を引下げる,などのことに同意。
DIA-105-1978-10-24-1台湾1978年10月24日1970年代外交部の金樹基スポークスマン,UPI台北発の報道「台湾政府は米政府が中国の米中国交正常化3条件を受け入れることを決定した旨通告された」ことについて,「そのような通告を受けていない」と否認。
DIA-105-1978-10-25-1台湾1978年10月25日1970年代内政部,台湾に戸籍を設け,3年以上定住した華僑の出国申請は,ベトナム,ラオス,カンボジアからの帰国者を除き保証手続をすべて免除する,との新しい措置を実施。
DIA-105-1978-10-25-2台湾1978年10月25日1970年代中国の鄧小平副首相,東京の日本記者クラブで内外記者と会見,米中関係正常化について,「その障害は台湾問題にある。私たちは,国交正常化の3条件を米国に要求しており,この面で米政府の考慮を待っている」と述べた。
DIA-105-1978-10-26-1台湾1978年10月26日1970年代台湾区人造繊維製造工業同業公会,日本製アクリル短繊維の台湾への不当廉売に関する資料を集めて,政府にダンピング提訴する構えであることを明らかにした。
DIA-105-1978-10-26-2台湾1978年10月26日1970年代行政院,5年内に34億元支出して各県市に文化センターを建設する教育部の提出した計画を了承。
DIA-105-1978-10-27-1台湾1978年10月27日1970年代トンガ王国ツポー4世国王夫妻,台湾を私的訪問。
DIA-105-1978-10-27-2台湾1978年10月27日1970年代原子力発電所第1工場2号機(60万4000kW),試運転を開始。
DIA-105-1978-10-30-1台湾1978年10月30日1970年代外交部の金樹基スポークスマン,台湾と中国が台北―厦門間の船便について接触中との外国報道を否定。
DIA-105-1978-10-31-1台湾1978年10月31日1970年代基隆―鳳山間の南北高速道路(375キロ,1971年8月着工,総工費448億元)全線開通。完成式典は中沙大橋(全長2345メートル)で行なわれた。
DIA-105-1978-11-01-1台湾1978年11月01日1970年代米コンチネンタル航空,台北―ロサンゼルス間の太平洋横断路線を開設。
DIA-105-1978-11-01-2台湾1978年11月01日1970年代サウジアラビアのコギィア駐台湾臨時代理大使,サウジアラビアとの中国が間もなく外交関係を樹立するとの1978年10月31日付香港『サウス・チャイナ・モーニング・ポスト』紙の報道について,「わが国は中国と国交について談判する理由はなにもない」と否定。
DIA-105-1978-11-01-3台湾1978年11月01日1970年代大型綜合貿易商社第1号「匯僑公司」発足。
DIA-105-1978-11-02-1台湾1978年11月02日1970年代行政院,国民の出国申請理由に「観光」の項目を加える方針を決定。
DIA-105-1978-11-02-2台湾1978年11月02日1970年代行政院,「農村医療保健強化計画」を通過。
DIA-105-1978-11-05-1台湾1978年11月05日1970年代第3次訪米買付団,台北を出発。
DIA-105-1978-11-06-1台湾1978年11月06日1970年代米国務省,米政府は台湾から要請のあったF5E戦闘幾48幾の売却を承認した,と発表。
DIA-105-1978-11-07-1台湾1978年11月07日1970年代国防部の王業凱スポークスマン,アメリカに高性能の航空幾を台湾に供給するよう要請。
DIA-105-1978-11-08-1台湾1978年11月08日1970年代米紙『ワシントン・ポスト』,カーター米政権が台湾駐留米軍事要員を1年前の半分,750人(制服の兵員と国防総省の文官が含まれる)に減らした,と報道。
DIA-105-1978-11-09-1台湾1978年11月09日1970年代行政院,「基本賃金暫定弁法」を通過,1979年12月1日より実施。現行の最低賃金月額600元(1968年3月16日施行)を日額80元,月額2400元に引上げ。
DIA-105-1978-11-09-2台湾1978年11月09日1970年代行政院,高雄市を行政院直轄市に昇格し,1979年7月1日に実施する案を決定。
DIA-105-1978-11-11-1台湾1978年11月11日1970年代米下院議員訪問団(団長プライス軍事委員会主席)一行41人訪台。
DIA-105-1978-11-11-2台湾1978年11月11日1970年代行政院経済建設委員会の兪国華主任委員,立法院で「大幅に輸入を開放して,レートの切り上げを避ける」と答弁。
DIA-105-1978-11-15-1台湾1978年11月15日1970年代行政院経済建設委員会,台湾電力公司の興達火力発電所1号および2号機建設計画(出力100万kW,工事費225億元)を通過。
DIA-105-1978-11-17-1台湾1978年11月17日1970年代台湾鉄道局,「自強号」列車は去る8月15日に営業運転を開始したが,故障続出のため運転休止を余儀なくされ,年末に営業運転を回復する,と発表。
DIA-105-1978-11-20-1台湾1978年11月20日1970年代米太平洋空軍総司令官ヒューズ中将訪台。
DIA-105-1978-11-21-1台湾1978年11月21日1970年代台湾体育協進会スポークスマン,中国が紀政,王栄華ら8人の選手を台湾省代表として第8回アジア競技大会の中国選手団名簿に加えたとの外電について,「これは中国の政治的統一戦線の陰謀にしかすぎない」と非難。
DIA-105-1978-11-24-1台湾1978年11月24日1970年代中日友好協会の張香山副会長,民社党訪中団(佐々木良作委員長)との第1回政治会談の席上で,台湾問題は平和的解決が基本である,と述べた。
DIA-105-1978-11-24-2台湾1978年11月24日1970年代行政院新聞局,中国が11月23日に発表した24人の戦犯釈放について,「いわゆる戦犯が台湾帰来を実際に望むならば,反共および帰来したい明確な意向を公開的に表明し,手続きに沿って入国を申請すればよい。台湾政府の立場は1975年4月23日にはっきり公示されている」と発表。
DIA-105-1978-11-28-1台湾1978年11月28日1970年代第1回アジア太平洋地区都市建設会議台北で開催。
DIA-105-1978-11-28-2台湾1978年11月28日1970年代米評論家ローランド・エバンスとロバート・ノバク両氏,米紙『ワシントン・ポスト』の評論欄に北京発の鄧小平中国副首相とのインタビュー記事を寄せ,鄧副首相が「台湾は本土に統合されても,非共産経済・社会体制を維持できよう」と語ったことを明らかにした。
DIA-105-1978-11-29-1台湾1978年11月29日1970年代中国の鄧小平副首相,米国のフリー記者スティール氏との会見で,「台湾が中国本土と再統一されても台湾におけるアメリカの経済的利益をそのまま保持できるし,投資活動も継続できる」と述べた。
DIA-105-1978-11-30-1台湾1978年11月30日1970年代台湾オリンピック国内委員会の沈家銘主席,1980年にモスクワで開催される国際オリンピック競技大会に参加する権利と義務を放棄するものではない,と言明。
DIA-105-1978-11-30-2台湾1978年11月30日1970年代金門離島指揮部の報告によると,中国から白旗を掲げた漁船1隻が侵入,船上には漁民を装った19人が乗っていた。
DIA-105-1978-12-01-1台湾1978年12月01日1970年代国際貿易局,台湾に輸入する1978年の雑穀の数量を修正。大豆119万1875トン(予定より15%減),小麦7万5879トン(同0.08%増),大麦42万1340トン(同27%増),高梁51万3440トン(同11%増)。
DIA-105-1978-12-05-1台湾1978年12月05日1970年代第6回東亜経済人会議,東京で開催。
DIA-105-1978-12-05-2台湾1978年12月05日1970年代サウジアラビア石油および礦業組織のチャワ副主席,中国石油公司の諸昌仁代表とジッダでサウジが1979年に1日当り2万バレルの石油を台湾に供給する契約に調印。
DIA-105-1978-12-06-1台湾1978年12月06日1970年代高雄県にある大寮工業区(391ha)完成。
DIA-105-1978-12-06-2台湾1978年12月06日1970年代中華航空,ボーイング社と台北で2機目のボーイング747SP型旅客幾を購入する契約に調印。
DIA-105-1978-12-07-1台湾1978年12月07日1970年代行政院,「農民所得向上,農村建設強化」方案(3年以内に250億元投下)を通過。
DIA-105-1978-12-07-2台湾1978年12月07日1970年代外交部の金樹基スポークスマン,南沙群島に対する台湾政府の主権を再確認。
DIA-105-1978-12-08-1台湾1978年12月08日1970年代立法院,「外国為替管理条例部分条文修正案」を通過。修正した主な点は次の通り。①台湾元は機動相場制へ移行する,②外国為替市場の設立を認める,③民間銀行や為替取引業者による外貨の保有を認める。
DIA-105-1978-12-13-1台湾1978年12月13日1970年代経国総統,韓国朴正熙大統領の就任式に孫運行政院長を特使として派遣することを決定。
DIA-105-1978-12-14-1台湾1978年12月14日1970年代陳樹曦交通部政務次長,サウジアラビアを訪問するため,台北を出発。
DIA-105-1978-12-15-1台湾1978年12月15日1970年代アメリカと中国,1979年1月1日付で国交を正常化する,と発表。(中国の発表時間は16日午前11時)。米中合意の骨子①米中は1979年1月1日,国交を正常化し,3月1日に大使を交換する,②米国はこれにともない台湾との国交を断絶,米台相互防衛条約を破棄する,③米国と台湾は通商,文化などの実務関係は維持する。
DIA-105-1978-12-15-2台湾1978年12月15日1970年代ゴールドウォーター米上院議員,米中正常化について「米台条約の一方的廃棄は米連邦憲法に違反する」との声明を発表。
DIA-105-1978-12-15-3台湾1978年12月15日1970年代交通部,タクシーの営業ライセンスの発行を1年間停止。
DIA-105-1978-12-16-1台湾1978年12月16日1970年代アンガー駐台米大使,午前2時米中国交正常化に関するカーター米大統領のメッセージを経国総統に手渡し。
DIA-105-1978-12-16-2台湾1978年12月16日1970年代経国総統,米中国交樹立の発表に強く抗議する声明を発表(参考資料参照)。
DIA-105-1978-12-16-3台湾1978年12月16日1970年代経国総統,米台断交に関連して,次の3項目の緊急命令を出した。①全軍に対する特別警戒態勢への配置,②経済発展の持続および経済の安定についての効果的な措置の強化,③12月23日に行なわれる中央民意代表の増員選挙の延期。
DIA-105-1978-12-16-4台湾1978年12月16日1970年代米中国交正常化実現に伴い,沈昌煥外交部長辞任。孫運行政院長,外交部長を代行。
DIA-105-1978-12-16-5台湾1978年12月16日1970年代米中正常化に抗議する数百人の群衆,台北の米大使館乱入を図る。
DIA-105-1978-12-17-1台湾1978年12月17日1970年代『人民日報』,米中国交正常化の発表について「歴史的な大きな出来事」と題する社説を発表し,台湾の祖国復帰に関連して「台湾当局が情勢をはっきりと認識し,潮流に順応し,全中国人民の共通の願望に背かないよう希望する」と述べた。
DIA-105-1978-12-18-1台湾1978年12月18日1970年代台湾国民党第11期中央委員会第3回全体会議(3中全会)および中央評議委員第3回会議,台北で開催。
DIA-105-1978-12-18-2台湾1978年12月18日1970年代経団党主常,2中全会選出常務委員22人の全員再選を提案して同意を得,①中国と対話せず,②ソ連との関係をもたず,③台湾独立の運動を許さず,という従来の方針を確認。
DIA-105-1978-12-19-1台湾1978年12月19日1970年代韓国の新任駐台湾大使玉満鎬将軍,台北に着任。
DIA-105-1978-12-19-2台湾1978年12月19日1970年代孫運行政院長,国家の基本政策を損うような言論と行為に対しては厳しく取り締まる,と述べた。
DIA-105-1978-12-19-3台湾1978年12月19日1970年代中国石油公司,燃料油および工業用天然ガスの値上げを実施。
DIA-105-1978-12-19-4台湾1978年12月19日1970年代米国防総省,台湾が1979年から向う5年間に総額6億2500万ドル相当の武器購入を米国に発注し,米国もこれを承認していることを明らかにした。
DIA-105-1978-12-20-1台湾1978年12月20日1970年代国民党3中全会,中央委員会に「工作組」(総召集人厳家淦前総統)を設置。
DIA-105-1978-12-20-2台湾1978年12月20日1970年代経国総統,次の人事を発令。総統府秘書長:馬紀壮,外交部長:彦士,考選部長:唐振楚,行政院秘書長:瞿韶華。
DIA-105-1978-12-20-3台湾1978年12月20日1970年代国民党中央常務委員会,易君博内政部政務次長,劉兆田台湾省政府委員兼秘書長の人事案を承認。
DIA-105-1978-12-20-4台湾1978年12月20日1970年代米クライスラー社,台湾機械公司と大型車輌を生産する合弁会社(米側出資比率40%)の設立に関する提携合意書を取り交わした。
DIA-105-1978-12-21-1台湾1978年12月21日1970年代外交部,朴正熙韓国大統領の就任式に孫運行政院長の代りに朱撫松台湾駐韓国大使を派遣。
DIA-105-1978-12-21-2台湾1978年12月21日1970年代国民党中央委員会,陳鼓応および陳婉真2人の党員を除名。
DIA-105-1978-12-22-1台湾1978年12月22日1970年代ゴールドウォーター米上院議員,ワシントン連邦地裁に「カーター大統領とバンス国務長官が米台相互防衛条約を議会の承認なしに破棄するのは憲法違反である」と提訴。
DIA-105-1978-12-22-2台湾1978年12月22日1970年代ドール上院議員ら米上下両院議員10人,経国総統の訪米を要請。
DIA-105-1978-12-22-3台湾1978年12月22日1970年代米輸出入銀行,台湾電力公司と通霄火力発電所の建設資金1億300万ドルに関する借款契約に調印。台湾電力公司,これで米輸銀から総額12億ドルの融資を受けることになる。
DIA-105-1978-12-22-4台湾1978年12月22日1970年代台湾警備総司令部,1949年に布告された戒厳令の施行範囲を拡大すると発表。
DIA-105-1978-12-23-1台湾1978年12月23日1970年代園田外相,参院外務委員会で,極東の範囲と台湾の関係について「米台相互保衛条約が廃棄される1年後に中国,米国の意見を聞いて相談する」と述べた。
DIA-105-1978-12-23-2台湾1978年12月23日1970年代日台関係議員懇談会の灘尾弘吉会長訪台。
DIA-105-1978-12-26-1台湾1978年12月26日1970年代経国総統,米上下両院議員10人による訪米要請を断る。
DIA-105-1978-12-26-2台湾1978年12月26日1970年代立法院,「奨励投資条例部分条文修正案」を通過。
DIA-105-1978-12-27-1台湾1978年12月27日1970年代クリストファー米国務副長官を団長とする代表団,台湾との関係維持を協議するため,米国に抗議する2万人のデモ隊が集まっている中で台北に到着。
DIA-105-1978-12-28-1台湾1978年12月28日1970年代断交後の米台関係について協議する台北での会談開始。米側代表:クリストファー国務副長官(団長),アンガー米駐台湾大使,ワイズナー太平洋軍区司令官,ハンセル国務省最高法律顧問,サリバン国務次長補代理。台湾側代表:彦士外交部長(団長),国防部参謀総長宋長志上将,銭復外交部次長,汪彝定経済部次長,蔡維屏外交部顧問。
DIA-105-1978-12-28-2台湾1978年12月28日1970年代彦士外交部長,米台会談で台湾との断交に踏みきったカーター米大統領の決定に正武に抗議。また,宋長志参謀総長,米国側に対して台湾に引き続き航空機など高性能の近代兵器を供給,軍事協力を維持するよう要請。
DIA-105-1978-12-28-3台湾1978年12月28日1970年代行政院,「台湾経済建設6ヵ年計画第4年度(1979年)計画」を通過。経済成長率8.5%,商品および労務輸出177億40000万ドル,同輸入173億7000万ドル,物価5%。
DIA-105-1978-12-28-4台湾1978年12月28日1970年代交通部電信総局,ワシントンで米輸出入銀行と米国製コンピューター電話交換機および電信設備購入に関する3685万ドルの借款契約に調印。
DIA-105-1978-12-29-1台湾1978年12月29日1970年代経国総統,米政府代表団と会見し,将来の米台関係について,アメリカは①台湾が米中正常化によって被る極めて不利な結果に全責任を負うべきである,②台湾の法的地位と国際人格を継続的に認める,③台湾の平和安全に対する保証を再確認する,④台湾に対する防衛用の武器を引続き供給する,⑤台湾との間に互いに政府の代表機構を設置すべきである,との5原則を提示。
DIA-105-1978-12-29-2台湾1978年12月29日1970年代米政府代表団,「米国民と台湾住民はこれまで文化,経済やその他の分野で緊密な関係を保ってきたが,われわれはこれらの関係が今後も維持されるよう期待する」との声明を出して帰国。
DIA-105-1978-12-29-3台湾1978年12月29日1970年代米台新貿易協定,ワシントンで調印。
DIA-105-1978-12-29-4台湾1978年12月29日1970年代1979年1月1日の米中国交樹立により外交関係が断たれるため,台湾の沈剣虹駐米国大使,ワシントンを離れる。
DIA-105-1978-12-29-5台湾1978年12月29日1970年代中国鋼鉄公司,台北でカナダ・トロントのドーミン銀行と同公司高雄本工場第1期第2段階工事に必要とする精鋼設備購入に関する5000万ドルの融資契約に調印。
DIA-105-1978-12-29-6台湾1978年12月29日1970年代ワシントンでの米台双方代表,1979年2月1日から1980年6月30日までの期間に台湾のカラーTVの対米輸出量を50万台に規制する協定に調印。
DIA-105-1978-12-30-1台湾1978年12月30日1970年代蘇澳港拡張計画第1期工事完成,正式に開港。
DIA-105-1978-12-30-2台湾1978年12月30日1970年代政府,1979年1月1日から実施される「国民観光出国申請規則」を公布。
DIA-105-1978-12-31-1台湾1978年12月31日1970年代外交部,アメリカ政府が1979年1月1日より米台相互防衛条約の廃棄を通告することについて,強烈な抗議声明を発表。
DIA-105-1978-12-31-2台湾1978年12月31日1970年代台北のアメリカ大使館,星条旗降ろす(午後5時12分)。
DIA-105-1978-12-31-3台湾1978年12月31日1970年代ワシントンの台湾大使館,国旗降ろす(午後4時30分)。
DIA-105-1979-01-01-1台湾1979年01月01日1970年代「国民観光出国申請規則」実施。
DIA-105-1979-01-01-2台湾1979年01月01日1970年代米台外交断絶。
DIA-105-1979-01-01-3台湾1979年01月01日1970年代沈剣虹台湾駐米大使,帰台。
DIA-105-1979-01-01-4台湾1979年01月01日1970年代中国第5期全国人民代表大会常務委員会,台湾に向け平和的祖国復帰を呼びかけた「台湾同胞に告げる書」を発表。
DIA-105-1979-01-01-5台湾1979年01月01日1970年代徐向前中国国防部長,大金門,小金門,大担,二担,二担諸島への砲撃中止の声明を発表。
DIA-105-1979-01-04-1台湾1979年01月04日1970年代行政院,次の人事異動を可決。外交部常務次長:丁懋時,行政院新聞局長代理:宋楚瑜。
DIA-105-1979-01-04-2台湾1979年01月04日1970年代張光世経済部長,サウジアラビアを訪問するため,台北を出発。
DIA-105-1979-01-04-3台湾1979年01月04日1970年代行政院,国防工業発展政策指導小組の設立並びに国防工業発展基金の設置を決定。
DIA-105-1979-01-05-1台湾1979年01月05日1970年代太平洋地区海洋科学技術会議,台北で開催。
DIA-105-1979-01-05-2台湾1979年01月05日1970年代鄧小平中国副主席,台湾の統一問題に関連して「われわれは台湾当局,とりわけ経国先生(新華社の英文ニュースは経国総統に「ミスター」の敬称を付けている)と話し合うためにさまざまな手段を講じるつもりだ。できれば,今年中の解決を期待している」と表明。
DIA-105-1979-01-06-1台湾1979年01月06日1970年代台湾とサウジアラビア両政府の折半出資によるサウジでの尿素肥料工場建設の臨時協定,リアドで締結。
DIA-105-1979-01-08-1台湾1979年01月08日1970年代米台関係調整に関するワシントンでの第2回会談,台湾代表の楊西崑外交部政務次長とホルブルック米国務次官補との間で再開。
DIA-105-1979-01-10-1台湾1979年01月10日1970年代米チェース・マンハッタン銀行,台北で裕隆自動車公司と三義自動車工場の建設資金に関する1600万ドルの融資契約に調印。
DIA-105-1979-01-11-1台湾1979年01月11日1970年代米台断交後,初の米下院議員訪台団(団長ウルフ米下院国際関係委アジア太平洋小委員会主席)一行21名,台北に到着。
DIA-105-1979-01-11-2台湾1979年01月11日1970年代統一呼びかけに反論-孫運行政院長は,①米中国交樹立後,中共は金門砲撃中止を掲げ,台湾と郵便往来,海運,通商を進めると言い出し,談判をしたいとも表明したが,これらの行動のねらいは,米国人民と米議会を欺き,われわれの戦意を緩め,そして軍事行動に有利な条件を作り出すための陰謀だ,②中共のいわゆる和談とは,彼らの階級闘争の別形式であり,換言すれば,降伏誘い込み策略の運用にほかならず,その台湾奪取策略は早くから段階的に手配を進めており,和談とは最終的に共産方式によって全中国を赤化する手段の一つにすぎない,と中国の統一呼びかけに反論する声明を発表。
DIA-105-1979-01-11-3台湾1979年01月11日1970年代中国輸出入銀行,正式に開業。
DIA-105-1979-01-11-4台湾1979年01月11日1970年代中国対外貿易部のスポークスマン,中国新聞社記者との会見で「中国本土と台湾との商品の交易は,中国国内の地域的な物資交流であり,関税の対象とならない」と言明。
DIA-105-1979-01-12-1台湾1979年01月12日1970年代米国務省,「アメリカの台湾への武器供与に関して,79年1年間新しい契約は結ばないとの猶予期間(モラトリアム)を設けてほしい」との中国の申し入れを米政府が受け入れたことを認めた。
DIA-105-1979-01-14-1台湾1979年01月14日1970年代中国の鄧小平副首相,訪中している安井参院議長らと会談,「台湾の現状尊重」を前提に①台湾に地方自治権を与え,防衛力の保持を認める,②民衆の生活水準を下げない,③日,米などとの経済関係の現状を認める,しかし④中華民国の名称は降ろさねばならない,と台湾統一への4条件を明らかにした。
DIA-105-1979-01-15-1台湾1979年01月15日1970年代自民党国防関係議員団(団長金丸信前防衛庁長官)一行10名,訪台(第1陣4名は14日台北に到着)。
DIA-105-1979-01-16-1台湾1979年01月16日1970年代米国務省スポークスマン,米台間の経済,通商,領事事務などを扱う「米国在台協会」(American Institute in Taiwan)の設立登記手続をワシントン連邦地方裁判所で済ませた,と発表。首席取締役にはデービット・ディーン元北京連絡事務所副所長が登録されている。
DIA-105-1979-01-17-1台湾1979年01月17日1970年代日本国会議員訪台団(団長灘尾弘吉衆議院議員)一行52名,台北に到着。
DIA-105-1979-01-17-2台湾1979年01月17日1970年代米政府,台湾との間でテレビの輸入規制についての市場秩序維持協定(期限は1980年6月まで)を締結。
DIA-105-1979-01-18-1台湾1979年01月18日1970年代総統令:米台断交で中央民意代表の増,補選挙が中止されたのに伴い,1972年に選出した国民大会代表と監察委員および1975年に選出した立法委員の職権行使を改選まで延長。
DIA-105-1979-01-18-2台湾1979年01月18日1970年代南アフリカ共和国から向う3年間180万トンのとうもろこしを台湾に輸入する協定,ヨハネスバーグで調印。
DIA-105-1979-01-19-1台湾1979年01月19日1970年代アンガー前米駐台湾大使,帰国。
DIA-105-1979-01-19-2台湾1979年01月19日1970年代立法院「国防工業発展基金設置条例」を通過。
DIA-105-1979-01-21-1台湾1979年01月21日1970年代余登発・瑞言父子逮捕-治安当局は,元高雄県長余登発およびその息子余瑞言を逮捕した。2人は78年10月,すでに北京系スパイ容疑で逮捕された呉泰安と接触して,台湾内部で容共組織をつくり,反政府活動を展開したという容疑。発表によると,呉は余父子に「革命動員第1号」を交付したとともに,余登発には「高雄台南地区最高指揮司令官」の肩書を与えたという。
DIA-105-1979-01-24-1台湾1979年01月24日1970年代米チェース・マンハッタン銀行,中国商業銀行に800万ドルの中期資金を融資する契約に調印。
DIA-105-1979-01-25-1台湾1979年01月25日1970年代米国会議員(ハンセン下院議員,ハンフリー上院議員ら10名)および実業家,大学校長等を含む34名からなる「米国友好訪問団」,台北に到着。
DIA-105-1979-01-25-2台湾1979年01月25日1970年代行政院,中国農村復興委員会を農業発展委員会に改組し,行政院の直轄とすることを決定。
DIA-105-1979-01-26-1台湾1979年01月26日1970年代グレン米上院外交委アジア・太平洋小委員長,アジア視察報告の中で「台湾有事の際の在日米軍基地の使用についてはっきりしないところがあり,今後調査が必要」と述べた。
DIA-105-1979-01-28-1台湾1979年01月28日1970年代中国民主社会党主席団,中国の主張する和平談判を非難。
DIA-105-1979-02-01-1台湾1979年02月01日1970年代外為市場創設-中央銀行は,外国為替市場を創設し,同時に台湾元の米ドルに対する固定相場制を廃止し,初めて変動相場制を採用した。貿易業者も指定銀行25行のうち1行に外貨預金を持ち,銀行を通じた為替取引ができるようになった。しかし,資本の対外移転は禁じられている。
DIA-105-1979-02-01-2台湾1979年02月01日1970年代中国新聞社,「有無互いに通じ,双方に有利」と題する論評の中で,中国が台湾に対して石油を供給する用意があることを示唆。
DIA-105-1979-02-05-1台湾1979年02月05日1970年代ブラウン米国防長官,米上院外交委員会の公聴会で,台湾に対する中国の武力解放の可能性は極めて少ない,と証言。
DIA-105-1979-02-05-2台湾1979年02月05日1970年代パナマのマーガス駐台湾大使,台北に着任。
DIA-105-1979-02-05-3台湾1979年02月05日1970年代園田外相,衆院予算委で「米国は米中正常化後といえども,台湾の平和と安定に関心を持つといっている。私も台湾地域の安定に関心を持っている」との見解を明らかにした。
DIA-105-1979-02-06-1台湾1979年02月06日1970年代台湾機械公司と米クライスラー社,台北で5~20トン大型車輌製造(年生産能力1万台)提携に仮契約。
DIA-105-1979-02-07-1台湾1979年02月07日1970年代北回り鉄道花蓮―和平区間(39.6キロ),正式に開通。
DIA-105-1979-02-07-2台湾1979年02月07日1970年代国民党中央常務委員会,党務関係の人事異動を行なった。中央委員会副秘書長:呉俊才,梁子衡,組織工作会主任:陳履安,同工作会副主任:朱堅章,蕭天讃,大陸工作会主任;白万祥,社会工作会主任:許水徳,青年工作会副主任:王曽才,李鍾桂(女),政策委員会副秘書長:何宜武,関中,考核紀律委員会副主任委員;李荷 台湾省委員会主任委員:宋時選,台北市委員会主任委員:余鍾驥。
DIA-105-1979-02-09-1台湾1979年02月09日1970年代外交部の金樹基スポークスマン,台湾は非政府機構を設立して,米台間の今後の関係を処理することには同意していない,と言明。
DIA-105-1979-02-09-2台湾1979年02月09日1970年代台湾初の自力設計多目的貨物船,中国造船公司で起工式。
DIA-105-1979-02-09-3台湾1979年02月09日1970年代カーター米大統領,「アメリカは台湾の安全を守るための選択権を今後も引続き保留する」と記者会見で表明。
DIA-105-1979-02-10-1台湾1979年02月10日1970年代台湾省政府,許宗徳前台湾省議会秘書長を社会処長に任命。
DIA-105-1979-02-12-1台湾1979年02月12日1970年代「国防工業発展基金会」発足。
DIA-105-1979-02-12-2台湾1979年02月12日1970年代経済部国営事業委員会,深刻な公害問題に対処するため,27億8600元の支出を決定。
DIA-105-1979-02-12-3台湾1979年02月12日1970年代台湾省漁業局,1978年の台湾の漁獲量は88万4900トン,対前年比3.5%増,と発表。
DIA-105-1979-02-13-1台湾1979年02月13日1970年代劉嘉修台湾省青果合作社主席理事,①1979年のバナナ対日輸出量は総量800万ケース,②日台双方は共同販売方式に同意した,と述べた。
DIA-105-1979-02-13-2台湾1979年02月13日1970年代中国青年反共救国団総団部,潘振球団務指導委員を主任に推挙。
DIA-105-1979-02-14-1台湾1979年02月14日1970年代米国防総省のアーマコスト副次官補,下院外交委で「台湾が核兵器を開発しようとするならば,アメリカは台湾に対する核燃料と軍事物資の供与を打ち切るだろう」と警告。
DIA-105-1979-02-14-2台湾1979年02月14日1970年代台湾国民党機関紙『中央日報』潘煥昆副社長,社長に昇格。
DIA-105-1979-02-15-1台湾1979年02月15日1970年代行政院新聞局宋楚瑜代理局長,①台湾政府は米台両国の平等互意の原則のもとに「北米事務協調委員会」(Coodinating Council for North American Affairs)の設立を決定,②同委員会は本部を台北におき,ワシントンに駐米事務所が設けられるほか,ニューヨーク,サンフランシスコ,シカゴ,ロサンゼルス,ホノルル,シヤトル,ヒューストン,アトランタなど8都市に支所が設置される,③主任委員には蔡維屏元外交部常務次長が任命される,④同委員会は「米国在台協会」と対等の機構であり,両国間の未来関係は政府関係の性質を帯びるものである,と発表。
DIA-105-1979-02-15-2台湾1979年02月15日1970年代経国総統,「北米事務協調委員会」の設立決定に関し,「台湾の反共復国の基本国策は永遠に変わることはない」との談話を発表。
DIA-105-1979-02-15-3台湾1979年02月15日1970年代監察院,余俊賢同院長および周百錬副院長(79年3月18日に任期満了)の改選を延期する,と決議。
DIA-105-1979-02-16-1台湾1979年02月16日1970年代源田実参議院議員,訪台。
DIA-105-1979-02-19-1台湾1979年02月19日1970年代台湾機械公司および中央投資公司,台北でイギリスのパーキンソン・エンジン社との間でトラック用ディーゼルエンジン合弁製造契約に調印。
DIA-105-1979-02-22-1台湾1979年02月22日1970年代米上院外交委員会,①台湾に対する中国の武力攻撃は西太平洋地域における平和と安全にとって脅威であり,米国にとっても重大な関心事である,②そうした脅威が起きた場合は,米大統領と議会は適切な行動をとる,との決議を全会一致で採択。
DIA-105-1979-02-22-2台湾1979年02月22日1970年代行政院,「北米事務協調委員会」の設立を通過し,「北米事務協調委員会組織規程」(全文9カ条)を制定実施。’
DIA-105-1979-02-22-3台湾1979年02月22日1970年代行政院,農業発展委員会李崇道主任委員,張訓舜副主任委員の人事案を承認。
DIA-105-1979-02-22-4台湾1979年02月22日1970年代ボリビア空軍総司令官ルブ少将,訪台。
DIA-105-1979-02-23-1台湾1979年02月23日1970年代国際貿易局,台湾が1978年にアメリカおよびEC(欧州共同体)に輸出した繊維品総額は11億6000万ドル,対前年比41.23%増,と発表。
DIA-105-1979-02-24-1台湾1979年02月24日1970年代中国人権協会,台北で発足。
DIA-105-1979-02-26-1台湾1979年02月26日1970年代桃園新国際空港(中正国際空港),使用開始-台北の西南約40kmに位置し,面積が1200haに達し,滑走路の長さ3660m,大型ジェット旅客機1時間当り42機の離着陸を処理する能力をもつ。第1期工事の建設費は約2億8000万ドル。英文名はCHIANG KAI-SHEK International Airport(略称C.K.S. Airport)。
DIA-105-1979-02-26-2台湾1979年02月26日1970年代台北の松山国際空港,桃園国際空港の開港に伴い,国内専用空港の使用に変更。
DIA-105-1979-02-26-3台湾1979年02月26日1970年代全世界華僑反共団結会議,陽明山中山楼で開催。
DIA-105-1979-02-27-1台湾1979年02月27日1970年代米下院外交委員会,「台湾に対する中国の武力攻撃は米国の重大関心事である」との内容を含む宣言を可決。
DIA-105-1979-03-01-1台湾1979年03月01日1970年代米国駐台湾大使館,正式に閉鎖。
DIA-105-1979-03-01-2台湾1979年03月01日1970年代北米事務協調委員会,正式に発足-蔡維屏主任委員,呉幼林,陳啓清両委員,左紀国秘書長,陳毓駒副秘書長らも同時に就任。
DIA-105-1979-03-01-3台湾1979年03月01日1970年代台湾省住宅・都市発展局成立。
DIA-105-1979-03-02-1台湾1979年03月02日1970年代中国新聞社電によると,最近中国で「母を尋ねて17年」,「家は台北にあり」というタイトルの台湾劇映画2本が上映された。
DIA-105-1979-03-02-2台湾1979年03月02日1970年代外交部,米中が双方の凍結資産解除に関する交渉が妥結したことについて,「1950年の朝鮮戦争発生後,台湾の公私企業が米国で凍結された資産について,台湾政府は合法的所有資格者ならびに関連のある当事者を代表し,一切の償還請求の権利を保留する」との声明を発表。
DIA-105-1979-03-02-3台湾1979年03月02日1970年代孫運行政院長,立法院本会議で①反乱容疑者の適法処置は社会大衆の権益を保障するものである,②戒厳法の実施は客観的情勢に迫まられたもので,政府がそれを好んでいるわけではない,と言明。
DIA-105-1979-03-03-1台湾1979年03月03日1970年代サウジアラビア,ヨルダン諸国を訪問する「台湾友好訪問団」(団長李国鼎行政院政務委員),台北を出発。
DIA-105-1979-03-05-1台湾1979年03月05日1970年代行政院経済建設委員会が発表した労働力調査結果によると,1978年12月末現在の台湾の就業総人数は625万3000人で,総人口の36.9%を占める。また,失業率は1.2%,その人数は7万6000人。
DIA-105-1979-03-06-1台湾1979年03月06日1970年代台湾省教育庁,1978学年度の小学生総数は199万1025人で,就学率は99.65%,また中学への進学率は93.92%,と発表。
DIA-105-1979-03-06-2台湾1979年03月06日1970年代張導民審計部審計長,立法院で1978年度における中央政府総決算の余剰額は84億800余万元,と報告。
DIA-105-1979-03-08-1台湾1979年03月08日1970年代北回り鉄道南澳トンネル(5286m)で貫通式を挙行。
DIA-105-1979-03-08-2台湾1979年03月08日1970年代雷震国民大会代表(行政院政務委員,『自由中国』半月刊誌発行人などを歴任),台北で病死,83歳。
DIA-105-1979-03-08-3台湾1979年03月08日1970年代ドミニカ共和国のクスマン駐台湾大使,台北に着任。
DIA-105-1979-03-08-4台湾1979年03月08日1970年代クラマー米共和党議員の「台湾が攻撃されれば,米国は行動を起こす」という修正案,米下院で賛成149票,反対221票で否決,さらに台北の米民間事務所を政府レベルの連絡事務所に格上げを求めるカール下院議員の修正案も賛成172票,反対181票で否決。また,上院では,パーシー共和党議員が提出した「台湾への如何なる攻撃も,米国の安全を脅かす」との修正案を,賛成42票,反対50票で否決。
DIA-105-1979-03-09-1台湾1979年03月09日1970年代ロイター,共同通信など外国通信社の北京支局,東京経由で台北への長距離電話の通話に成功。
DIA-105-1979-03-10-1台湾1979年03月10日1970年代行政院新聞局,北京駐在の外国人記者が東京の国際電電(KDD)の設備を通じて台北の新聞業者に連絡したが,これは中国が外国人記者を利用した和平統一工作の陰謀であるとの声明を発表。
DIA-105-1979-03-10-2台湾1979年03月10日1970年代台北の国際電信局,台湾と自動電話をしている日,米など18国に対し,北京側からの電話を接続して台湾につなぐことを拒否するよう要請。
DIA-105-1979-03-10-3台湾1979年03月10日1970年代林金生交通部長,立法院で台北の松山空港と桃園の中正国際空港の間にモノレールを建設する構想を明らかにした。
DIA-105-1979-03-10-4台湾1979年03月10日1970年代中華全国体育総会,台湾に書簡を送り「中国と台湾の選手が統一したスポーツ代表団を構成できるようにするための話し合いを切望する。場所は台北でも北京でもよい」と呼びかけ。
DIA-105-1979-03-11-1台湾1979年03月11日1970年代銀行の融資不正事件などを防止するため,財政部,経済部および司法行政部が共同で「経済犯罪防止研究小組」を成立。
DIA-105-1979-03-12-1台湾1979年03月12日1970年代楊西崑外交部次長,立法院で「われわれが北米事務協調委員会を成立したのは,米台関係を維持させるためのやむをえぬ措置である」と述べた。
DIA-105-1979-03-12-2台湾1979年03月12日1970年代交通部,外国籍船舶や飛行機が台湾と中国,ソ連,ルーマニア,キューバ,カンボジア,ベトナム,アルバニア,北朝鮮およびアンゴラとの間に,航路を直接往復することは禁止されている,と表明。
DIA-105-1979-03-13-1台湾1979年03月13日1970年代「台湾関係法案」可決-米上院は,米中国交に伴う新しい米台関係を規定する「台湾関係法案」を賛成90票,反対6票の大差で承認。下院も同様趣旨の法案を賛成354票,反対55票で可決。
DIA-105-1979-03-13-2台湾1979年03月13日1970年代台北市新聞記者公会,北京駐在の非共産国記者に団体で台湾を1週間訪問するよう招待する,と表明。
DIA-105-1979-03-15-1台湾1979年03月15日1970年代行政院,「台湾地区綜合開発計画(1977~96年)」を了承。
DIA-105-1979-03-15-2台湾1979年03月15日1970年代アメリカの「国連同志会国家政策研究会」一行20名,訪台。
DIA-105-1979-03-16-1台湾1979年03月16日1970年代行政院農業発展委員会発足。
DIA-105-1979-03-16-2台湾1979年03月16日1970年代立法院,「薬師(薬剤師)法」を通過。
DIA-105-1979-03-18-1台湾1979年03月18日1970年代パナマ共和国のカスツーロヴィッチ外務次官,訪台。
DIA-105-1979-03-18-2台湾1979年03月18日1970年代台湾陸上競技協会,国際陸上競技連盟(IAAF)の台湾除名の決議は無効と裁決するようロンドン高等裁判所に提訴。
DIA-105-1979-03-20-1台湾1979年03月20日1970年代ドミニカのグスマン新任駐台湾大使,親任状を経国総統に提出。
DIA-105-1979-03-20-2台湾1979年03月20日1970年代経国総統,自強救国献金(すでに7500万ドルを突破)でF5Eジェット戦闘機を18機買付けるよう指示。
DIA-105-1979-03-20-3台湾1979年03月20日1970年代沈家銘台湾オリンピック委員会主席,ロザンヌに代表団を派遣し,国際オリンピック委員会(IOC)と予備会議を行なうことに決めた,と発表。
DIA-105-1979-03-21-1台湾1979年03月21日1970年代経済部投資審議委員会,華僑および外国人新規投資の投資元金や利益の本国送金は,一律新台幣を計算標準とする,と発表。この規定は79年2月1日に遡って適用される。
DIA-105-1979-03-22-1台湾1979年03月22日1970年代沈家銘台湾オリンピック委員会主席,キラニン国際オリンピック委員会会長に申入れた3月20日の提案が受入れられなかったことに対し,遺憾の意を表明。
DIA-105-1979-03-23-1台湾1979年03月23日1970年代北京放送によると,黄華中国外交部長は,ウッドコック中国駐在米国大使を招き,米両院が3月13日に採択した米台関係についての立法議案に抗議。
DIA-105-1979-03-23-2台湾1979年03月23日1970年代銭復外交部常務次長,サウジアラビアを訪問するため,台北を出発。
DIA-105-1979-03-24-1台湾1979年03月24日1970年代行政院農業発展委員会の李崇道主任委員,1978年における台湾の米作栽培面積は75万2300ha,1ha当りの収量は3250kg,米の生産量は244万トン,年間1人当りの玄米の消費量は133kg,と発表。
DIA-105-1979-03-24-2台湾1979年03月24日1970年代農業機械化基金保管運用委員会,農業機械の普及台数がすでに1万7902台に達したことを明らかにした。
DIA-105-1979-03-24-3台湾1979年03月24日1970年代台北市新聞記者公会,北京駐在のAFP通信社記者ビアニン氏と英デイリー・テレグラフ紙記者ウエード氏に対し,台北市にを招待する書簡を送付。
DIA-105-1979-03-26-1台湾1979年03月26日1970年代中国石油公司,石油製品価格の平均9%の値上げを実施。
DIA-105-1979-03-26-2台湾1979年03月26日1970年代国際貿易局,北米地区(アメリカとカナダ)からの乗用車の輸入を全面的に開放する,と発表。
DIA-105-1979-03-27-1台湾1979年03月27日1970年代サウジアラビアのナセル企画大臣,訪台。
DIA-105-1979-03-28-1台湾1979年03月28日1970年代米下院,①米中正常化は,台湾の将来が平和的手段により決定されるという前提の下に行なわれる,②非平和的手段により台湾の将来を決めようとする如何なる試みも西太平洋地域の安全への脅威であり,米国にとって重大な関心事である,③米国は台湾に防衛用兵器を供与し,台湾への侵略行動に対処する機能を維持する,などを骨子としている台湾問題に関する法案(H・R・2479号法案)を賛成339票,反対50票の賛成多数で可決。
DIA-105-1979-03-29-1台湾1979年03月29日1970年代米上院,米台関係に関する法案を賛成85票,反対4票で可決。
DIA-105-1979-03-30-1台湾1979年03月30日1970年代第7回日台「中国大陸問題」検討会,台北で開催。
DIA-105-1979-03-30-2台湾1979年03月30日1970年代台湾電力公司,台北で第3原子力発電所の設備買付け資金として米国,カナダ,イギリス,スペインなど民間商業銀行19行から総額9974万9400ドルの融資を受ける契約に調印。融資条件はロンドンの銀行間融資利率プラス0.85%,償還期間8年6カ月(1982年以降)。
DIA-105-1979-03-30-3台湾1979年03月30日1970年代外交部の金樹基スポークスマン,台湾はオーストラリアとの関係強化を望んでいる,と表明。
DIA-105-1979-04-01-1台湾1979年04月01日1970年代国際貿易局,2950品目の輸入認証を指定銀行に授権することを決定。
DIA-105-1979-04-01-2台湾1979年04月01日1970年代生産用機器設備の輸入関税50%引下げ,実施期間1年間。
DIA-105-1979-04-01-3台湾1979年04月01日1970年代楊西崑外交部政務次長,レソト王国を訪問するため,台北を出発。
DIA-105-1979-04-02-1台湾1979年04月02日1970年代朴東鎮韓国外相,訪台。
DIA-105-1979-04-02-2台湾1979年04月02日1970年代行政院,1980年度施政方針を立法院に送付。
DIA-105-1979-04-02-3台湾1979年04月02日1970年代ロンドン高等裁判所,国際陸連(IAAF)が中国を加盟させて,台湾を追放したのは無効,と判決。
DIA-105-1979-04-03-1台湾1979年04月03日1970年代丁善理台湾オリンピック委員会副委員長,モンテビデオで開かれた国際オリンピック委員会で①台湾はオリンピック憲章の理想と原則を尊重し,オリンピック活動に最大限の努力を払ってきた,②スポーツの世界では,中華人民共和国が代表するのは中国大陸であって,中国全体ではない。台湾は中国の一部ではあるが,中華人民共和国の一部ではない,と強調。
DIA-105-1979-04-03-2台湾1979年04月03日1970年代立法院「特許法部分条文修正案」を通過。
DIA-105-1979-04-04-1台湾1979年04月04日1970年代国民党中央常務委員会,司法体系の改善を図るため,①高等法院(裁判所)以下各級の法院を司法院の管轄下に置く,②司法行政部は従来どおり行政院に所属し,検察,監獄およびその他の司法行政業務を管轄する,などを決定。新司法体系は1年内に完成。
DIA-105-1979-04-06-1台湾1979年04月06日1970年代台湾・グァテマラ共和国貿易協定,台北で調印。
DIA-105-1979-04-07-1台湾1979年04月07日1970年代行政院,財政部の提出した「税関輸入税則修正案」を認可。それによると,1000余品目の農工原料の関税が1979年7月1日から大幅に引下げられることになる。
DIA-105-1979-04-07-2台湾1979年04月07日1970年代国際オリンピック委員会第81次総会,「中国のIOC復帰を承認し,同時に台湾も現在の会員資格を維持する」との決議を賛成36票,反対28票で採択。
DIA-105-1979-04-08-1台湾1979年04月08日1970年代台湾オリンピック委員会,国際オリンピック委員会第81次総会の決議を受諾する旨の声明を発表。
DIA-105-1979-04-09-1台湾1979年04月09日1970年代エルサルバドルのロドリゲス外相,レイエス経済企画調整相およびアギレラ農政相,訪台。
DIA-105-1979-04-10-1台湾1979年04月10日1970年代孫運行政院長,立法院で1980年度の中央政府総予算は1941億7693万元,ほかに国防整備特別予算250億元を別途計上した,と説明。
DIA-105-1979-04-10-2台湾1979年04月10日1970年代カータ大統領,台湾関係法案に署名。
DIA-105-1979-04-11-1台湾1979年04月11日1970年代外交部の金樹基スポークスマン,「台湾関係法案は今後の米台関係に新たな基礎を提供した。現在,両国間には形態のうえでなお改善しなければならない点がかなり多いが,われわれとしては将来の米台関係がこの基礎の上で,さらに増進,発展するよう期待している」との談話を発表。
DIA-105-1979-04-11-2台湾1979年04月11日1970年代台湾機械公司,国防工業の発展を図るため,3億6600万元の資金を投入する計画を明らかにした。
DIA-105-1979-04-11-3台湾1979年04月11日1970年代中国造船公司が建造した台湾初の最大のコンテナー船「中華コンテナー号」(3万1000トン),高雄で進水。
DIA-105-1979-04-12-1台湾1979年04月12日1970年代台湾電力公司,建設中の第3原子力発電所(総投資額629億5900万元)の1号機および2号機(各出力95万1000kw)をそれぞれ84年5月と85年5月に完成する予定,と発表。
DIA-105-1979-04-12-2台湾1979年04月12日1970年代台湾初の清水地熱発電所,電力供給を開始。
DIA-105-1979-04-16-1台湾1979年04月16日1970年代米国在台協会(台北に事務所,高雄に支所)開設。
DIA-105-1979-04-16-2台湾1979年04月16日1970年代台湾警備総司令部軍事法廷,国家転覆反乱容疑で1978年10月逮捕された北京系スパイに有罪の判決を下した。死刑:呉春発(呉泰安),無期懲役:林栄暁,李栄和,禁固15年:余素貞,禁固12年:許金看,黄宗礼,禁錮10年:潘松雄,陳文雄,高金子,劉慶栄,荘勲,禁固8年:余登発,張森源,黄哲聰,禁固2年で執行猶予2年:余瑞言。
DIA-105-1979-04-17-1台湾1979年04月17日1970年代ウルグァイ共和国のガベリア大使,経国総統に親任状を提出。
DIA-105-1979-04-17-2台湾1979年04月17日1970年代台湾系在日華僑各団体代表,東京での記者会見で「中共の平和統一は台湾を奪取する手段にずぎない」との声明を発表。
DIA-105-1979-04-18-1台湾1979年04月18日1970年代中国鋼鉄公司,1977年7月5日に操業開始してから1979年3月27日まで総生産はすでに200万トンを突破した,と発表。
DIA-105-1979-04-19-1台湾1979年04月19日1970年代行政院,南北高速道路を「台湾区国道中山高速公路(道路)」(略称:中山高速公路,英文名:Sun Yat-Sen Memorial Expressway)と命名する交通部の建議を了承。
DIA-105-1979-04-19-2台湾1979年04月19日1970年代行政院,「エネルギー節約措置」を通過。
DIA-105-1979-04-19-3台湾1979年04月19日1970年代北米事務協調委員会の蔡維屏主任委員,夏功権前ニューヨーク総領事を同委員会駐米事務所代表に任命する,と発表。
DIA-105-1979-04-19-4台湾1979年04月19日1970年代ホンジュラス共和国のバルマ外相,訪台。
DIA-105-1979-04-20-1台湾1979年04月20日1970年代許信良桃園県長,1月22日無断で職場を離れ,余登発事件抗議デモに参加した理由で,監察院から弾劾処分を受ける。
DIA-105-1979-04-20-2台湾1979年04月20日1970年代ディーン米国在台協会理事長,クロス元米国駐シンガポール大使を同協会台北事務所長に任命。
DIA-105-1979-04-21-1台湾1979年04月21日1970年代国際貿易審議委員会,しゃし品71品目の輸入禁止措置を実施。
DIA-105-1979-04-21-2台湾1979年04月21日1970年代経済部,香港『大公報』が「広州市で開かれている春の交易会に台湾の輸出入業者も参加した」と報じたことについて,そのような事実は全くない,と否定。
DIA-105-1979-04-25-1台湾1979年04月25日1970年代張宝樹国民党中央委員会秘書長,故船田中元衆院議長の自民党葬出席のため,台北を出発。
DIA-105-1979-04-25-2台湾1979年04月25日1970年代中央政策決定機関,中央銀行を従来の総統府所属から行政院所属に改めることに決定。
DIA-105-1979-04-25-3台湾1979年04月25日1970年代在台米軍防衛司令部(司令官リンダ少将),正式に閉鎖。
DIA-105-1979-04-26-1台湾1979年04月26日1970年代米国在台協会ディーン理事長,訪台。
DIA-105-1979-04-26-2台湾1979年04月26日1970年代在台米軍事援助顧問団(1950年5月設置),団長トンプソン大佐らが帰国の途につき,撤収作業を完了。
DIA-105-1979-04-26-3台湾1979年04月26日1970年代行政院,香港,マカオ地区を目的地とする観光出国申請を当分受付けないことに決定。
DIA-105-1979-04-28-1台湾1979年04月28日1970年代李元簇司法行政部長,立法院予算委員会で「反乱分子の転覆活動を防止するため,1980年度予算に3300万元の経費を計上する」と表明。
DIA-105-1979-04-30-1台湾1979年04月30日1970年代坊秀男日華関係議員懇談会長と町田金五,藤尾正行両国会議員,訪台。
DIA-105-1979-04-30-2台湾1979年04月30日1970年代パラグァイの空軍司令官ラペディ少将,訪台。
DIA-105-1979-04-30-3台湾1979年04月30日1970年代邱創煥内政部長,台湾は中国大陸を旅行した自由諸国国民の訪台を歓迎する,と言明。
DIA-105-1979-04-30-4台湾1979年04月30日1970年代基隆―台南間の電化鉄道開通,旅客車「自強号」の運行所要時間は3時間35分。
DIA-105-1979-05-02-1台湾1979年05月02日1970年代台湾国際電信局,対外的に使用してきた「中国政府無線電信管理局,略称CGR」の名称が正式に「国際電信局,略称ITA」と改称されたことを191ヵ国および地域に通告。
DIA-105-1979-05-02-2台湾1979年05月02日1970年代張継正財政部長,政府が食糧価格を安定させるため,食糧平準基金を50億元増額,総額で185億元に達した,と表明。
DIA-105-1979-05-02-3台湾1979年05月02日1970年代米国在台協会ディーン理事長,台北での記者会見で「米政府は1980年から米国在台協会を通じ台湾に防衛用兵器を売却する」と述べた。
DIA-105-1979-05-03-1台湾1979年05月03日1970年代行政院,「経済犯罪防制小組」を成立。
DIA-105-1979-05-03-2台湾1979年05月03日1970年代行政院,華僑および外国人投資者は投資計画を完成してから2年後に毎年,当初投資額の20%(旧規定は15%)に相当する金額の本国送金ができる,と決定。
DIA-105-1979-05-03-3台湾1979年05月03日1970年代行政院経済建設委員会,1978年台湾地区の1平方キロ当りの人口密度は472人,耕地面積の人口密度は1855人,と報告。
DIA-105-1979-05-03-4台湾1979年05月03日1970年代公務員懲戒委員会,上級の命令に違背した理由で,高雄県の呉基政旗山鎮長に2年の休職処分を付した。
DIA-105-1979-05-05-1台湾1979年05月05日1970年代外交部の金樹基スポークスマン,中国がサウジアラビア王国と国交樹立を希望する旨を発表したのは,一種の統一戦線の陰謀である,と指摘。
DIA-105-1979-05-07-1台湾1979年05月07日1970年代米下院予算支出委員会の公布した資料によると,米国務省は1980会計年度において米国在台協会台北事務所に96名の人員(外交官29名,文書人員7名,現地雇用者60名)を維持する。
DIA-105-1979-05-08-1台湾1979年05月08日1970年代立法院,「国民教育法」を通過。
DIA-105-1979-05-08-2台湾1979年05月08日1970年代日本,韓国,台湾3ヵ国の石油化学業界首脳会議,京都で開催。
DIA-105-1979-05-09-1台湾1979年05月09日1970年代行政院経済建設委員会,経済建設6ヵ年計画(1976~81年)の後半3ヵ年に合計39隻延べ63万3000重量トンのコンテナー船の建造を決定。
DIA-105-1979-05-10-1台湾1979年05月10日1970年代台北翡翠ダム建設委員会(主任委員は李登輝台北市長)成立。
DIA-105-1979-05-10-2台湾1979年05月10日1970年代行政院,「社会風紀改善の重要措置」を可決。
DIA-105-1979-05-11-1台湾1979年05月11日1970年代行政院農業発展委員会,政府は農村建設を強化するため,1980会計年度に総額34億9163万3000元の資金を投入する,と表明。
DIA-105-1979-05-11-2台湾1979年05月11日1970年代経済部工業局,裕隆,フォード六和,三富,三陽と中華自動車5社は大規模な拡張計画に取り組み,1979年に総額28億元を投資して,年間生産能力を16万台に引上げる予定,と発表。
DIA-105-1979-05-14-1台湾1979年05月14日1970年代夏功権北米事務協調委員会ワシントン事務所代表,ワシントンに着任。
DIA-105-1979-05-15-1台湾1979年05月15日1970年代金利引上げ-中央銀行は,預金および貸付の金利を0.5%~3%(年利)引上げた。一方,預金準備率を5%引下げた。
DIA-105-1979-05-15-2台湾1979年05月15日1970年代経済部,1980年度の機械電器製造工業の国産化率を公布。白黒TV90%,カラーTV60%,乗用車(3.5トン以下)70%,耕うん機(8馬力以上)90%,回転式電話機90%,プッシュホン70%,電話交換機80%。
DIA-105-1979-05-15-3台湾1979年05月15日1970年代中国国際商業銀行を幹事銀行とする国内9銀行,嘉新セメント公司と岡山工場拡張工事資金4億8000万元に関する融資契約に調印。
DIA-105-1979-05-17-1台湾1979年05月17日1970年代行政院,「科学技術発展法案」を決定。
DIA-105-1979-05-18-1台湾1979年05月18日1970年代ボリビア共和国のバチカ大使,経国総統に親任状を提出。
DIA-105-1979-05-18-2台湾1979年05月18日1970年代林園石油化学工業区の中美和石油化学公司,ポリエステル糸の原料PTAを正式に生産(年産能力15万トン)。
DIA-105-1979-05-19-1台湾1979年05月19日1970年代台湾電力公司の陳蘭皋理事長,台湾電力は発電用の燃料を確保するため,36億元投じて130万klの燃料油を購入し,1年以内に20数ヵ所の貯蔵タンクの建造を完成させる,と言明。
DIA-105-1979-05-21-1台湾1979年05月21日1970年代日本警視庁外事2課によって,日本国内の政治,経済や自衛隊活動などの情報を収集した自称台湾国防部情報局員の許培哲陸軍大佐と,この情報局員に協力した香港自由報の高木桂蔵東京支局長の2人を旅券不実記載,出入国管理令違反などの容疑で逮捕された。
DIA-105-1979-05-21-2台湾1979年05月21日1970年代中日友好の船「明華号」で来日中の中国友好訪問団の廖承志団長,台湾問題で「台湾側が望めば,祖国復帰の話し合いのために台湾に代表を派遣してもよい」と提案。
DIA-105-1979-05-25-1台湾1979年05月25日1970年代外交部の金樹基スポークスマン,われわれは最近行なわれたイギリスとカナダの選挙結果に注目しており,今後,相互利益の基礎の上でこの両国との関係を促進したいと希望している,と述べた。また,米中貿易協定が仮調印されたことについて,非難の談話を行なった。
DIA-105-1979-05-27-1台湾1979年05月27日1970年代北回り鉄道の観音トンネル(7757m)および永春トンネル(4020m)で貫通式を挙行。
DIA-105-1979-05-28-1台湾1979年05月28日1970年代台湾警備総司令部,4月16日「共産スパイ」として死刑の判決を受けていた呉春発が処刑された,と発表。
DIA-105-1979-05-29-1台湾1979年05月29日1970年代1980年度中央政府総予算案,立法院通過-歳出入ともに1941億6077万3292元(前年比20%増)。歳出の配分は,国防,外交805億5167万5468元(歳出総額の41.5%),経済建設,交通504億1708万1300元(同26%)。歳入主要項目は諸税1281億7904万1715元(歳入総額の66%),専売収入156億6500万元(同8%)。
DIA-105-1979-05-29-2台湾1979年05月29日1970年代1980年度国防整備強化特別予算案(250億元),立法院を通過。
DIA-105-1979-05-29-3台湾1979年05月29日1970年代米国務省スポークスマン,台湾のF5Eジェット戦闘機パイロットと整備員約70人がイエメン・アラブ共和国(北イエメン)防衛支援のため同国に送られた,と言明。
DIA-105-1979-05-31-1台湾1979年05月31日1970年代台湾空軍と米ノースロップ社合弁製造のF5E型戦闘機1番機のテスト飛行が,台湾中部の空軍基地で行なわれた。
DIA-105-1979-06-01-1台湾1979年06月01日1970年代李達海中国石油公司総経理,海外の石油供給の事情が悪化した場合,石油の配給制を実施する可能性を示唆。
DIA-105-1979-06-02-1台湾1979年06月02日1970年代ギリシア外国貿易促進組織の程家瑞駐台名誉代表,台湾旅券所持者の短期滞在にも査証免除を認める旨を発表。
DIA-105-1979-06-04-1台湾1979年06月04日1970年代台湾省政府,法令を無視し,自身の39歳の誕生会で不当な言論を発表したなどの理由で,許信良桃園県長を戒告処分にした,と発表。
DIA-105-1979-06-05-1台湾1979年06月05日1970年代台湾側の中米経済策進会とアメリカ側の米中経済協会,ロサンゼルスで第3回合同会議を開催。
DIA-105-1979-06-05-2台湾1979年06月05日1970年代立法院,「所得税法修正案」を通過。
DIA-105-1979-06-06-1台湾1979年06月06日1970年代国民党中央常務委員会,次の人事異動を承認。高雄市委員会主任委員:郭哲,組織工作会副主任:呉思,陳金譲,台湾省委員会副主任委員:謝又華,社会工作会主任:蕭天讃,秘書処主任:陳時英,党史委員会副主任委員:陳敬之,李雲漢,海外工作会副主任:荘懐義,許鳴曦。
DIA-105-1979-06-06-2台湾1979年06月06日1970年代米ワシントン連邦地裁は,カーター政権が米台相互防衛条約を米議会との協議なしに,一方的に廃棄通告したのは憲法違反だとして,ゴールドウォーター上院議員ら米議会保守派議員名が行なっていた訴訟に対し,公訴棄却の判決を言い渡した。
DIA-105-1979-06-07-1台湾1979年06月07日1970年代行政院,宋楚瑜新聞局長代理を局長に昇格。
DIA-105-1979-06-09-1台湾1979年06月09日1970年代銭思亮行政院原子力エネルギー委員会主任委員,台湾の原子力発電所第1および第2工場に使用されている米GE社の湯わかし型原子炉の安全性は問題ない,と立法院で答弁。
DIA-105-1979-06-10-1台湾1979年06月10日1970年代財政部,1979年4月まで各銀行が中小企業へ貸付けた残高は1759億2606万元で,貸付総額の30.9%を占める,と発表。
DIA-105-1979-06-10-2台湾1979年06月10日1970年代交通部観光局,1978年に台湾を訪問した観光客は127万977人(うち日本人観光客は62万4868人)で,約6億800万ドルの外貨収入があった,と発表。
DIA-105-1979-06-11-1台湾1979年06月11日1970年代梁一束韓国民主統一党総裁一行4名,訪台。
DIA-105-1979-06-11-2台湾1979年06月11日1970年代桃園国際空港でハイジャック未遂事件発生,犯人は胡崇実。
DIA-105-1979-06-13-1台湾1979年06月13日1970年代魯肇忠国際貿易副局長,今後三角貿易を貿易政策の重点に置く,と言明。
DIA-105-1979-06-14-1台湾1979年06月14日1970年代経国総統,黄少谷氏を司法院院長,洪寿南氏を司法院副院長に任命。また,戴炎輝前司法院院長を総統府資政,韓忠謨前司法院副院長を国策顧問に招聘。
DIA-105-1979-06-15-1台湾1979年06月15日1970年代1974年12月25日インドネシア領モロタイ島で発見された元日本軍人李光輝(日本名中村輝夫),肺がんのため台東で病死,61歳。
DIA-105-1979-06-15-2台湾1979年06月15日1970年代立法院,「税関輸入税則部分修正案」を通過。
DIA-105-1979-06-16-1台湾1979年06月16日1970年代韋永寧経済部次長,中国造船公司は今後,快速艇,潜水艇およびその他の新式の兵器を大量に製造する,と立法院で言明。
DIA-105-1979-06-17-1台湾1979年06月17日1970年代米国在台協会クロス台北事務所長,台北に着任。
DIA-105-1979-06-17-2台湾1979年06月17日1970年代申洞植韓国民主共和党書記長,訪台。
DIA-105-1979-06-18-1台湾1979年06月18日1970年代行政院農業発展委員会,農業機械の貸付け金利は当分8.5%(年利)に据置く,と決定。
DIA-105-1979-06-18-2台湾1979年06月18日1970年代台北市議会,翡翠ダム計画特別予算案(55億元)を通過。
DIA-105-1979-06-19-1台湾1979年06月19日1970年代コスタリカのアルファロ第2副大統領,訪台。
DIA-105-1979-06-20-1台湾1979年06月20日1970年代国民党中央常務委員会,次の人事異動を承認。国家安全会議秘書長:沈昌煥,台湾省政府委員兼民政庁長:高育仁,台湾省政府委員兼教育庁長:施金池,台湾政府委員:張賢東,余学海,趙守博。
DIA-105-1979-06-20-2台湾1979年06月20日1970年代孫運行政院長,1000万元を中国大陸被災同胞救済総会に交付し,また米1万トンをマレイシア,タイおよび香港等における救済機関に寄付して,インドシナ難民の救済に充てるように決定した,と発表。
DIA-105-1979-06-22-1台湾1979年06月22日1970年代カーター米大統領,「台湾関係法」の執行に関する行政命令に署名。
DIA-105-1979-06-23-1台湾1979年06月23日1970年代華国鋒中国首相,第5期全国人民代表大会第2回会議で行なった政府活動報告の中で,「アメリカは外交関係樹立に関する中米協定の原則を厳密に履行し,台湾の祖国復帰を妨害するような如何なる行動もやめるべきである」と警告。
DIA-105-1979-06-25-1台湾1979年06月25日1970年代李達海中国石油公司総経理,立法院で①台湾がクゥエート,サウジアラビア,インドネシアなどの産油国から直接購入する原油は1日当り12万バレル,輸入総量の40%に相当する,②石油の消費配分は,工業および発電用が50%,交通運輸が25%,石油化学原料が15%,家庭用が5%,と報告。
DIA-105-1979-06-26-1台湾1979年06月26日1970年代台南―高雄間の電化鉄道開通。
DIA-105-1979-06-27-1台湾1979年06月27日1970年代第1次訪米買付団(目標予定額8億5000万ドル),台北を出発。
DIA-105-1979-06-27-2台湾1979年06月27日1970年代国民党中央常務委員会,次の人事異動を承認。台湾駐韓国大使:丁懋時,台湾駐南アフリカ共和国大使楊西崑,司法院秘書長:范魁書。
DIA-105-1979-06-27-3台湾1979年06月27日1970年代行政院経済建設委員会,台湾電力公司と米GE社の合弁による重型タービン発電装置生産計画(当初投資額4000万ドル,出資比率は台湾電力と米GE社各45%,中央投資公司10%)を認可。
DIA-105-1979-06-29-1台湾1979年06月29日1970年代張光世経済部長,国内の燃料油を平均30.36%,工業用天燃ガスを平均42.85%値上げする,と発表。
DIA-105-1979-06-29-2台湾1979年06月29日1970年代公務員懲戒委員会,余登発事件に関する非合法デモに参加したなどの理由で,許信良桃園県長に2年間の休職処分を決定。一方,台湾省政府は桃園県長代理に葉国光省政府委員を派遣。
DIA-105-1979-06-29-3台湾1979年06月29日1970年代許信良桃園県長,公務員懲戒委員会が決定した同県長に対する2年間の休職処分は非合法である,との書面の声明を発表。
DIA-105-1979-06-29-4台湾1979年06月29日1970年代プエルトリコのサンファンで開かれた国際オリンピック委員会(IOC)理事会,1958年にIOCを脱退した中国を「中国オリンピック委員会」として再び承認し,台湾の呼称を「中国・台北オリンピック委員会」とし,従来使用する旗と歌を改める,との勧告案をまとめた。
DIA-105-1979-07-01-1台湾1979年07月01日1970年代高雄市(人口114万),行政院直轄市に昇格。現職の王玉雲市長が留任。
DIA-105-1979-07-01-2台湾1979年07月01日1970年代台湾鉄道西部幹線電化工事(1975年3月着工,1979年6月22日完工,基隆―高雄間495.4キロ,総工費244億万元),高雄駅で開通式。
DIA-105-1979-07-02-1台湾1979年07月02日1970年代南アフリカ共和国のシュレフプ内務・法務相,訪台。
DIA-105-1979-07-02-2台湾1979年07月02日1970年代台湾製塩総工場の裴超総経理,立法院で製塩労働者1世帯当りの最低収入を月額5000元から6000元に引上げる,と言明。
DIA-105-1979-07-02-3台湾1979年07月02日1970年代台湾・コロンビア技術協力協定,ボゴタで調印。
DIA-105-1979-07-03-1台湾1979年07月03日1970年代内政部人口政策委員会,台湾の出生率の目標を1.1%にする,と策定。
DIA-105-1979-07-03-2台湾1979年07月03日1970年代行政院農業発展委員会李崇道主任委員は,「中共から要請があれば,農業発展委員会は人道的立場から農業技術資料を提供し,大陸の農業改革および大陸同胞の生活に役立てたい」と語った。
DIA-105-1979-07-05-1台湾1979年07月05日1970年代サウジアラビア内務大臣ナエフ親王一行20余人,訪台。
DIA-105-1979-07-06-1台湾1979年07月06日1970年代立法院,「華僑帰国投資条例修正案」を通過。
DIA-105-1979-07-07-1台湾1979年07月07日1970年代1979年第1回国家建設研究会,台北で開催。
DIA-105-1979-07-09-1台湾1979年07月09日1970年代台湾(宜蘭県頭城鎮)―日本(沖縄)間海底ケーブル(680キロ,480回線),正式に開通。
DIA-105-1979-07-10-1台湾1979年07月10日1970年代立法院,「奨励投資条例部分条文修正案」を通過。
DIA-105-1979-07-11-1台湾1979年07月11日1970年代中国青年党の李主席,同党第13回全国代表大会に出席するため,アメリカから帰台。
DIA-105-1979-07-11-2台湾1979年07月11日1970年代『聯合報』によると,台湾は新たに誘導ミサイル「昆吾」(対戦車用)と「青蜂」(地対空の防御性ミサイル」の開発に成功した。
DIA-105-1979-07-12-1台湾1979年07月12日1970年代台湾の中南米駐在公館長会議,コロンビアで開催。
DIA-105-1979-07-12-2台湾1979年07月12日1970年代行政院,「証券金融事業管理規制」を通過。
DIA-105-1979-07-12-3台湾1979年07月12日1970年代耿中国副首相,人民大会堂で塚本三郎書記長を団長とする民社党第3次訪中団と会見し,第3次国共合作の可能性を検討している,と指摘。
DIA-105-1979-07-14-1台湾1979年07月14日1970年代ハイチ共和国のドーセリー外相,訪台。
DIA-105-1979-07-17-1台湾1979年07月17日1970年代立法院,「科学工業園区設置管理条例」および「行政院原子エネルギー委員会組織条例修正案」を通過。
DIA-105-1979-07-18-1台湾1979年07月18日1970年代中山科学院は,短距離ミサイルの研究に従事しているほか,中長距離ミサイル開発の可能性についても検討中,と言明。
DIA-105-1979-07-19-1台湾1979年07月19日1970年代彦士外交部長,「今後,留学生や観光客および会議などで海外へ出かける台湾在住者は,海外で中国大陸の人民や中国共産党幹部と出会った場合,自主的に彼らと接触し,台湾の優れた実情を伝え,理解を求めてよい」と中国民間人との接触を公認。
DIA-105-1979-07-19-2台湾1979年07月19日1970年代中国造船公司,米国アトウッドグループとの間で油田開掘デッキ台を製造する契約に調印。
DIA-105-1979-07-19-3台湾1979年07月19日1970年代行政院,今後の戦略産業として機械業(自動車,船舶を含む)および電子工業の発展を強化する,と決定。
DIA-105-1979-07-19-4台湾1979年07月19日1970年代邱創煥内政部長,中央民意代表の補選は時期をみて必ず実施する,と保証。
DIA-105-1979-07-20-1台湾1979年07月20日1970年代財政部,中国鋼鉄公司が石川島播磨重工の高炉を購入するため,日本輸出入銀行から72億9358万円(年利7.5%,償還期間10年)の融資を受ける案を認可。
DIA-105-1979-07-21-1台湾1979年07月21日1970年代立法院内政委員会,老人の年令を70歳から65歳に引下げる,と修正。
DIA-105-1979-07-23-1台湾1979年07月23日1970年代中国青年党第13回全国代表大会(出席者443名),台北で開催,会期4日間。
DIA-105-1979-07-23-2台湾1979年07月23日1970年代中国青年党と民主社会党,黄信介立法委員が1978年12月5日「青年党と民社党は国民党の便所にある花瓶のような存在にしかすぎない」と発言したことについて,名誉棄損罪で同氏を台北地検に告訴。
DIA-105-1979-07-24-1台湾1979年07月24日1970年代台湾省糧食局,米価の安定維持のため,1期米の買上げ量を増やすことを実施。蓬莱米の買上げ価格は1キロ当り10.7元。
DIA-105-1979-07-25-1台湾1979年07月25日1970年代台湾赤十字会,中国大陸と台湾の住民間の接触方法を協議したいという中国の赤十字社の提案を拒否。
DIA-105-1979-07-25-2台湾1979年07月25日1970年代国民党中央常務委員会,銭復氏を外交部政務次長に,王甲乙氏を司法行政部政務次長に任命する人事異動を承認。
DIA-105-1979-07-25-3台湾1979年07月25日1970年代中国青年党第13回全国代表大会,党政綱を採択。
DIA-105-1979-07-26-1台湾1979年07月26日1970年代外交部,ニカラグア新政府を承認。
DIA-105-1979-07-26-2台湾1979年07月26日1970年代中国青年党第13回全国代表大会,党主席には陳啓天,李の両氏の再任を決定。
DIA-105-1979-07-27-1台湾1979年07月27日1970年代外交部の金樹基スポークスマン,対外関係を弾力的に運用しても,反共復国の最高国策はあくまでも貫徹し,台湾こそ真の中国の代表である,と述べた。また,尖閣列島の領有権を重ねて主張。
DIA-105-1979-07-28-1台湾1979年07月28日1970年代中国石油公司,米クリントンインターナショナル社と基隆沖石油共同試掘の契約に調印。
DIA-105-1979-07-28-2台湾1979年07月28日1970年代周宏濤行政院政務委員,ボリビア共和国のバリヤ総統の就任式に参加するため,台北を出発。
DIA-105-1979-07-28-3台湾1979年07月28日1970年代台中で行なわれた無党派勢力主催の政治集会に市民約1万人が参加,集会を中止させようとした警察,憲兵隊と衝突。
DIA-105-1979-07-31-1台湾1979年07月31日1970年代米国全国州議会議員連合会一行32名,訪台。
DIA-105-1979-08-01-1台湾1979年08月01日1970年代経済部,電気料金平均29.5%の値上げを実施。
DIA-105-1979-08-01-2台湾1979年08月01日1970年代国際貿易局,日本を除く非共産国からのりんご輸入を自由化。
DIA-105-1979-08-02-1台湾1979年08月02日1970年代交通部電信総局,台湾はすでに米ウェスタン電気会社との間で,台湾―グァム島間の海底ケーブル敷設(全長3250キロ,630回線,1981年8月完成予定)に関する契約に調印した,と発表。
DIA-105-1979-08-02-2台湾1979年08月02日1970年代台湾・タイとうもろこし貿易協定(1979年10月から1981年2月までタイから30万トン輸入),台北で調印。
DIA-105-1979-08-05-1台湾1979年08月05日1970年代中国の葉剣英全国人民代表大会常務委員長,北京の人民大会堂で台湾総統府国策顧問兼民主社会党主席の匀田氏夫妻と会見。
DIA-105-1979-08-06-1台湾1979年08月06日1970年代陳履安国民党中央組織工作会主任,現在国民党員の人数は180余万人,うち男性81%,女性19%,また35歳以下58%,36~60歳37%,61歳以上5%,と報告。
DIA-105-1979-08-06-2台湾1979年08月06日1970年代香港『文匯報』,中国税関責任者がこのほど,台湾は中国領土の不可分の一部であり,台湾同胞が作った製品は当然中国製品であるとの考え方を明らかにした,と報じた。
DIA-105-1979-08-07-1台湾1979年08月07日1970年代総統府,匀田国策顧問を解任。
DIA-105-1979-08-07-2台湾1979年08月07日1970年代台湾警備総司令部,反体制雑誌『潮流』(1979年4月登記なしに創刊)を非合法的に発行した理由で,台中明輝印刷公司の責任者楊裕栄と印刷依頼者陳博文(陳允中)の両氏を逮捕。
DIA-105-1979-08-08-1台湾1979年08月08日1970年代米クライスラー社は,フランスのプジョー・シトロエン自動車会社と合弁で進めている台湾でのトラック製造計画から手を引く,と突然発表。
DIA-105-1979-08-08-2台湾1979年08月08日1970年代中国民主社会党,同党の匀田主席が米国から中国大陸に赴いたことについて,同氏の個人行動で党と無関係との声明を発表。
DIA-105-1979-08-09-1台湾1979年08月09日1970年代1979年7月渡米した『潮流』誌の発行人の1人である陳婉真女史,同誌が発禁されたことに抗議するため,北米事務協調委員会ニューヨーク事務所の前でハンストに入る。その前に同事務所は時限爆弾によって爆破された。
DIA-105-1979-08-09-2台湾1979年08月09日1970年代行政院,張訓舜氏を経済部常務次長に任命。
DIA-105-1979-08-09-3台湾1979年08月09日1970年代日台経済貿易会議第4回年会,東京で開幕。
DIA-105-1979-08-09-4台湾1979年08月09日1970年代国民党台湾省委員会と韓国民主共和党ソウル委員会,ソウルで協力促進に関する仮協定に調印。
DIA-105-1979-08-10-1台湾1979年08月10日1970年代基隆―蘇澳間の北浜道路(全長105キロ),正式に開通。
DIA-105-1979-08-11-1台湾1979年08月11日1970年代王炳南中国人民対外友好協会会長,AP通信社との会見で,①もしアメリカが台湾に対する支援を停止すれば,経国総統はすぐに中国との和解に乗り出すだろう,②台湾は現在の生活水準を低めることはないし,経済体制もそのままにしてアメリカや日本の投資を引き続き受け入れてよい,③台湾は中国の一省であり,国際会議で国民党と同席することにもはや異議は唱えない,と表明。
DIA-105-1979-08-12-1台湾1979年08月12日1970年代黄鏡峯台湾省糧食局長,①1979年1期米作の生産量は128万420トン,生産目標を1万2000トン上回った,②1期米作の作付面積は33万8899.3haで,1ha当たりの収量は3780キロ,と発表。
DIA-105-1979-08-13-1台湾1979年08月13日1970年代楊西崑外交部次長,訪台中のマーシャル群島のティプロン外相との間で技術協力合意書に調印。
DIA-105-1979-08-13-2台湾1979年08月13日1970年代スワジランドのセミラニ蔵相とドラミニ文相訪台。
DIA-105-1979-08-14-1台湾1979年08月14日1970年代王雲五総統府資政・国民大会代表,台北で病死,92歳。
DIA-105-1979-08-16-1台湾1979年08月16日1970年代台湾電力公司,米GE社と台北で大型発電機合弁製造(聯亜電機製造公司,出資比率各45%,中央投資公司残り10%,1984年生産予定)の契約に調印。
DIA-105-1979-08-16-2台湾1979年08月16日1970年代中国民主社会党主席団,匀田主席の職務と党籍を解除。
DIA-105-1979-08-17-1台湾1979年08月17日1970年代台湾電力公司,カナダのトロント・ドミニオン銀行など6行から組織される国際借款団との間で,一般電源開発に関する5000万ドルの融資(ヨーロッパ銀行間利率プラス0.75%,期間8年6カ月)を受ける契約に調印。
DIA-105-1979-08-17-2台湾1979年08月17日1970年代唐栄公司,ニューヨークで米GE社など3社との間で,6090万1922ドル相当のステンレス鋼圧延の設備を購入する契約に調印。
DIA-105-1979-08-20-1台湾1979年08月20日1970年代コスタリカのカルデロン外相,訪台。
DIA-105-1979-08-20-2台湾1979年08月20日1970年代北米事務協調委員会ニューヨーク事務所,再び爆破される。
DIA-105-1979-08-22-1台湾1979年08月22日1970年代中央銀行,金利引上げを実施。引上幅は貸出し1~1.5%,預金1.5~2.2%(ともに年利)。
DIA-105-1979-08-22-2台湾1979年08月22日1970年代行政院経済建設委員会,遠洋漁業の漁獲量を6年以内に現在の38万トンから70万トンに引上げることを目標とする「遠洋漁業発展法案」を了承。
DIA-105-1979-08-23-1台湾1979年08月23日1970年代行政院,年間20万台以上の自動車生産工場の設立を奨励する「自動車産業促進発展法案」を通過。
DIA-105-1979-08-23-2台湾1979年08月23日1970年代『潮流』の発行人の1人である呉哲朗氏,台北地検に出頭。
DIA-105-1979-08-25-1台湾1979年08月25日1970年代日本民社党の春日一幸国会議員,訪台。
DIA-105-1979-08-27-1台湾1979年08月27日1970年代8月25日に帰国した1979年第1次対米買付団の邵学団長,合計9億4590余万ドルの米国商品を買付けた,と発表。
DIA-105-1979-08-29-1台湾1979年08月29日1970年代行政院,粗鋼年生産能力を800万トンとする「中国鋼鉄公司6ヵ年(1981~86年度)発展計画」を通過。
DIA-105-1979-08-30-1台湾1979年08月30日1970年代中国石油公司,ニューヨークで米ラマス社との間で高雄でのエチレン工場建設協力(建設費2億ドル,1982年完成,年産量36万トン)に関する合意書に調印。
DIA-105-1979-08-30-2台湾1979年08月30日1970年代行政院,中国鋼鉄公司が川崎重工から転炉を買付ける案(金額52億5000万円で20回10年の分割払い,日本輸出入銀行が融資を提供)に同意。
DIA-105-1979-08-30-3台湾1979年08月30日1970年代司法行政部調査局,北京で中国の高級幹部と接触した容疑で『富堡之声』誌の洪誌良社長を逮捕。
DIA-105-1979-08-31-1台湾1979年08月31日1970年代モンデール米副大統領,広州で米国は台湾との現行航空協定を破棄し,米台間の航空路は民間レベルで維持する方針である,と言明。
DIA-105-1979-09-01-1台湾1979年09月01日1970年代郭婉容女史,女性で初めての中央銀行副総裁に就任。
DIA-105-1979-09-03-1台湾1979年09月03日1970年代米台貿易投資会議,台北で開催。
DIA-105-1979-09-04-1台湾1979年09月04日1970年代台湾警備総司令部,中共のために宣伝した容疑で張化民氏を再び逮捕。
DIA-105-1979-09-05-1台湾1979年09月05日1970年代行政院が立法院第64会期に送付した書面報告によると,1979年6月まで台湾が収容したインドシナ半島の難民は1万829人に達した。
DIA-105-1979-09-06-1台湾1979年09月06日1970年代領海12カイリ宣言へ-行政院は①台湾の領海を3カイリから12カイリに拡張する(1931年4月28日以来の変更),②領海の外側に200カイリ経済水域を設定する,③大陸だなはこの経済水域とかかわりなく,1958年のジュネーブ大陸だな協定および国際法の一般原則による主権上の権利をもつ,の諸点を決定したと発表。
DIA-105-1979-09-07-1台湾1979年09月07日1970年代台湾オリンピック委員会,①国際オリンピック委員会(IOC)が1979年6月29日のサンファン理事会で決めた勧告案を拒否する,②公正および平等の原則に基づいて,1979年4月7日の「中国のIOC復帰を承認し,台湾もIOCのメンバーとして残る」とのモンテビデオでの第81次IOC総会の決議を再び受諾する,との公式声明を発表。
DIA-105-1979-09-12-1台湾1979年09月12日1970年代陸潤康財政部関務署長,輸入税率の全面引下げを検討中,と言明。
DIA-105-1979-09-13-1台湾1979年09月13日1970年代行政院農業発展委員会,1978年の農家1戸当りの収入は13万298元,農民1人当りの収入は2万3487元で各種の家庭の中で最下位に属するものである,と発表。
DIA-105-1979-09-13-2台湾1979年09月13日1970年代彦士外交部長,オーストラリア政府が73年以降,同国に入国する台湾政府のパスポート所持者に対し,政治活動に参加しない誓約書の提出を要求することについて,深い関心を寄せている,と表明。
DIA-105-1979-09-13-3台湾1979年09月13日1970年代張光世経済部長,サウジアラビアでの第4回台湾・サウジ経済技術協力会議に参加するため,台北を出発。
DIA-105-1979-09-13-4台湾1979年09月13日1970年代中国民主社会党の主席の1人である孫亜夫氏,台北で病死,70歳。
DIA-105-1979-09-14-1台湾1979年09月14日1970年代外交部の金樹基スポークスマン,南沙群島の主権が台湾に属するのは疑いを差しはさむ余地がない,と宣明。
DIA-105-1979-09-14-2台湾1979年09月14日1970年代監察院,中国造船公司の赤字経営(1979会計年度末まで19億9000万元に達した)を指摘,早急改善を促す。
DIA-105-1979-09-16-1台湾1979年09月16日1970年代孫運行政院長,サウジアラビア王国を公式訪問,9月18日までの3日間。
DIA-105-1979-09-16-2台湾1979年09月16日1970年代中央研究院の王紀五国際合作事務秘書,台湾の「中国化学会」を「中国・台北に設置する化学会」と改称したことについて説明。
DIA-105-1979-09-17-1台湾1979年09月17日1970年代台湾とサウジアラビアとの間の単細胞蛋白質共同開発および淡水魚養殖事業発展の両協力協定(有効期間2年),ジッダで調印。
DIA-105-1979-09-17-2台湾1979年09月17日1970年代王震中国副首相,北京で①当面の体制(資本主義)の変更を求めない,②現状の生活水準を下げない,③外国投資はそのまま維持する,④現有軍隊を保持してもよい,との台湾の祖国復帰に関する4原則を提示。
DIA-105-1979-09-18-1台湾1979年09月18日1970年代サウジアラビア王国を公式訪問中の孫運行政院長,ファハド皇太子と「自由,和平および人権を擁護する立場を強調する」との共同声明を発表。
DIA-105-1979-09-18-2台湾1979年09月18日1970年代台湾・シンガポール航空免税協定,シンガポールで調印。
DIA-105-1979-09-18-3台湾1979年09月18日1970年代内政部,中国大陸を訪問し反共の基本国策に背いた言論を発表した理由で,顧毓琇第1回国民大会代表を1979年9月17日付でその代表資格を抹消した,と発表。
DIA-105-1979-09-19-1台湾1979年09月19日1970年代外交部,タバール国と外交関係を樹立した,と発表。
DIA-105-1979-09-19-2台湾1979年09月19日1970年代台湾省糧食局,1980年の米の生産目標を230万トン,と決定。
DIA-105-1979-09-20-1台湾1979年09月20日1970年代ウルグァイから毎年3万トンの高梁を輸入する「台湾・ウルグアイ高梁買付契約」(有効期間5年),台北で調印。
DIA-105-1979-09-23-1台湾1979年09月23日1970年代台湾省民政庁,現在台湾の寺院数は5288(仏教1363,道教3925),教会数は2048(回教1,天理教3,天主教678,キリスト教1366),と発表。
DIA-105-1979-09-23-2台湾1979年09月23日1970年代張継正財政部長,ユーゴのベオグラードでの世界銀行の年次総会に出席するため,台北を出発。
DIA-105-1979-09-26-1台湾1979年09月26日1970年代経済部の邵学国際貿易局長,政府は今後の貿易拡大策として,自由貿易政策の推進,輸出入市場の分散化,輸出入手続の簡素化,海外市場調査の促進などの措置を1980年から実施に移したい,と表明。
DIA-105-1979-09-26-2台湾1979年09月26日1970年代兪国華中央銀行総裁,ユーゴのベオグラードで開かれる世界銀行と国際通貨基金(IMF)の共同年次総会に出席するため,台北を出発。
DIA-105-1979-09-27-1台湾1979年09月27日1970年代外交部の金樹基スポークスマン,農業発展委員会の李崇道主任委員が台湾の農業専門知識や農業技術を中国に提供する旨約束した,と伝えた外電報道を否定。
DIA-105-1979-09-27-2台湾1979年09月27日1970年代行政院,1982年までに人口増加率を1.62%引下げるという内容の第3期家族計画を了承。
DIA-105-1979-10-02-1台湾1979年10月02日1970年代孫運行政院長,立法院で①当面の国策からすこれば,三民主義と違った意識形態の政党の存立を許容することはできない,②中国での経済闘争において,優位を保つことが台湾の目標である,と述べた。
DIA-105-1979-10-02-2台湾1979年10月02日1970年代彦士外交部長,立法院で「台湾関係法」について,「同法の方式は米台間のみに適用されるもので,台湾政府はそれに満足しておらず,台湾と外交関係をもたない諸国が類似の法規を制定するのは,必ずしもよいとはみていない」と答弁。
DIA-105-1979-10-03-1台湾1979年10月03日1970年代彦士外交部長,台北で開かれたヨーロッパ・アジア研究会第2回会議で「台湾政府の中国との密かな接触は絶対にない」と言明。
DIA-105-1979-10-04-1台湾1979年10月04日1970年代ホンジュラス国防相ランダ大佐,訪台。
DIA-105-1979-10-05-1台湾1979年10月05日1970年代経国総統,張群,何応欽,張学良ら諸氏を中秋節の茶話会に招待。
DIA-105-1979-10-05-2台湾1979年10月05日1970年代ワシントンでの米台貿易協定会議,1980年1月1日より米台相互間の関税引下げを逐次実施することに同意。
DIA-105-1979-10-06-1台湾1979年10月06日1970年代中国鋼鉄公司,バンク・オブ・アメリカを幹事銀行とする米銀行団との間で,同公司第1期第2段階の工場建設資金に関する8000万ドルの融資契約に調印。
DIA-105-1979-10-06-2台湾1979年10月06日1970年代総統令:12カイリの領海拡張および200カイリの経済水域の設定を実施。
DIA-105-1979-10-06-3台湾1979年10月06日1970年代胡恵徳台湾省衛生処長,台湾中部に発生した不明の皮膚病は,PCB(ポリ塩化ビフュニール)入りの食用米ぬか油と関連している,と表明。
DIA-105-1979-10-12-1台湾1979年10月12日1970年代財政部の杜均衡政務次長,金の自由売買は考慮されない,と表明。
DIA-105-1979-10-13-1台湾1979年10月13日1970年代国際サッカー連盟(FIFA),中国の加盟を承認するとともに,台湾も「中国・台北サッカー協会」の呼称で残留することを認めた。
DIA-105-1979-10-14-1台湾1979年10月14日1970年代「米国在台協会」のディーン理事長,ワシントンで,①1980年から4億ドル相当の兵器を台湾に売却する,②米台間の濃縮ウラン協定の成立により,アメリカは引きつづき台湾に原子力発電用核燃料を供給する,と言明。
DIA-105-1979-10-15-1台湾1979年10月15日1970年代米台航空協定交渉,ワシントンで開催。
DIA-105-1979-10-16-1台湾1979年10月16日1970年代台北市区地下鉄工事(全長2.87キロ,1年後起工,工事期間4年6カ月,総工事費約1億6000万ドル)準備事務所発足。
DIA-105-1979-10-17-1台湾1979年10月17日1970年代米ワシントン連邦地裁のガッシュ判事,米台相互防衛条約の失効には議会の承認が必要であり,大統領の独断で決定することはできない,との判断を下した。
DIA-105-1979-10-17-2台湾1979年10月17日1970年代杭立武人権連合協会会長,ロンドンの国際アムネスティに北京の魏京生『探索』誌編集長を援助するよう電報で要請。
DIA-105-1979-10-19-1台湾1979年10月19日1970年代訪台した国際オリンピック委員会(IOC)のキラニン会長,経国総統と会談。
DIA-105-1979-10-19-2台湾1979年10月19日1970年代外交部,エルサルバドル新政府を承認。
DIA-105-1979-10-21-1台湾1979年10月21日1970年代中国石油公司,リアドでサウジアラビア石油・鉱業組織との間で,1980年1月よりサウジから,1日当り5万バレル(現輸入水準よりも3万バレル増)の原油輸入に関する契約に調印。
DIA-105-1979-10-25-1台湾1979年10月25日1970年代名古屋で開かれた国際オリンピック委員会(IOC)理事会,①中国の呼称は「中国オリンピック委員会」,台湾は「中国・台北オリンピック委員会」とする,②使用する旗,歌については,中国は現在使用しているもの,台湾は現在使用しているものを変更し,IOCが承認したものを使う,という決議を採択。また,これを全IOC委員(89人)の郵便投票で賛否を問う,と決定。
DIA-105-1979-10-25-2台湾1979年10月25日1970年代台湾オリンピック委員会丁善理副委員長,名古屋での新しい勧告案に対する態度は保留する,と述べた。
DIA-105-1979-10-26-1台湾1979年10月26日1970年代立法院,「中央銀行法修正案」(中央銀行は国家銀行で,行政院に隷属することを明文化)を通過。
DIA-105-1979-10-26-2台湾1979年10月26日1970年代張宝樹国民党中央委員会秘書長,日本自民党の椎名悦三郎副総裁の葬儀に列席するため,東京に到着。
DIA-105-1979-10-30-1台湾1979年10月30日1970年代行政院新聞局,韓国の故朴正熈大統領の国葬には,孫運行政院長を団長とする政府特使団が参列する,と発表。
DIA-105-1979-11-01-1台湾1979年11月01日1970年代コスタリカ共和国のアトマン第1副大統領訪台。
DIA-105-1979-11-04-1台湾1979年11月04日1970年代原発第1号完成-台湾電力公司が建設を進めてきた初の原子力発電所(1970年起工,建設費254億元,核燃料費31億元,軽水炉2基,出力各63万6000kw)が完成。
DIA-105-1979-11-04-2台湾1979年11月04日1970年代サウジアラビアの2ヵ所の国立病院開設に協力する台湾の医療団第1陣293名,台北を出発。
DIA-105-1979-11-04-3台湾1979年11月04日1970年代故朴正熙韓国大統領の葬儀に列席した孫運行政院長,崔圭夏韓国大統領代理と会談。
DIA-105-1979-11-06-1台湾1979年11月06日1970年代1979年第2次国家建設研究会,台北で開催。
DIA-105-1979-11-06-2台湾1979年11月06日1970年代立法院,「師範教育法」を通過。
DIA-105-1979-11-08-1台湾1979年11月08日1970年代行政院経済建設委員会の兪国華主任委員,今後の台湾経済の発展について,長期的にはエネルギー問題が制約条件となり,短期的には低成長と物価インフレに直面するだろう,と述べた。
DIA-105-1979-11-09-1台湾1979年11月09日1970年代財政部,ボストン・ファースト・ナショナル,シアトル・ファースト・ナショナル,レイニアー・ナショナルなど米国3銀行の台北支店開設申請を認可。
DIA-105-1979-11-09-2台湾1979年11月09日1970年代経済部,自動車工業開発促進小組を成立。
DIA-105-1979-11-09-3台湾1979年11月09日1970年代張光世経済部長,プレトリアで開かれる第3回台湾・南アフリカ共和国閣僚級経済技術協力会議に出席するため,台北を出発。
DIA-105-1979-11-14-1台湾1979年11月14日1970年代経国総統,行政院にインドシナ半島難民の救援強化を指示。
DIA-105-1979-11-14-2台湾1979年11月14日1970年代米国在台協会,1946年に調印された米台航空運輸協定を正式に廃止する(1年後発効)通知を台湾側に通告。
DIA-105-1979-11-15-1台湾1979年11月15日1970年代亜東関係協会東京事務所の横浜支所発足。
DIA-105-1979-11-15-2台湾1979年11月15日1970年代孫運行政院長,①1979年11月15日現在までに1万1000余人のインドシナ半島難民を受け入れた。今後受け入れ人数をさらに2000人増やす予定,②難民救済に米3万トンの追加寄贈の段取りをとった,と発表。
DIA-105-1979-11-15-3台湾1979年11月15日1970年代台湾オリンピック委員会,中国問題に関する国際オリンピック理事会の決定は不当であるとして,ローザンヌ地方裁判所に提訴。
DIA-105-1979-11-17-1台湾1979年11月17日1970年代米台暫定航空運輸協定,ワシントンで調印-台湾の民間航空機は,新たにグアム島,シアトル,ニューヨーク,ダラスでの着陸権を享有する。
DIA-105-1979-11-19-1台湾1979年11月19日1970年代外交部,コロンビアでの台湾駐バランキヤ領事館を総領事館に昇格させた,と発表。
DIA-105-1979-11-20-1台湾1979年11月20日1970年代東北アジア地区戦略情勢研究会(台,日,韓の専門家代表40数人出席),台北で開催。
DIA-105-1979-11-20-2台湾1979年11月20日1970年代林洋港台湾省主席,中国の台湾に対する脅威が依然として存在しているので,戒厳令を廃止する考えはない,と表明。
DIA-105-1979-11-21-1台湾1979年11月21日1970年代外交部,ボリビア共和国新政府を承認。
DIA-105-1979-11-21-2台湾1979年11月21日1970年代行政院の宋楚瑜新聞局長,国家に不利な言論を載せる煽動的な雑誌に対し,厳しく取り締まる方針である,と表明。
DIA-105-1979-11-21-3台湾1979年11月21日1970年代劉師誠中央信託局長,台湾は委託方式でスイスから金を輸入しており,金の保有量をつねに10万オンスに維持している,と述べた。
DIA-105-1979-11-22-1台湾1979年11月22日1970年代台韓経済協進委員会と韓台経済協力委員会の第12回合同会議,台北で開催。
DIA-105-1979-11-26-1台湾1979年11月26日1970年代銭復外交部政務次長,ソ連船が修理のため,澎湖島の馬公港に入港したと報じた外電について,全くの「事実無根」だ,と述べた。
DIA-105-1979-11-26-2台湾1979年11月26日1970年代国際オリソピック委員会,79年10月25日の名古屋理事会の決議が通信表決方式で(賛成62票,反対17票)承認された,と発表。
DIA-105-1979-11-27-1台湾1979年11月27日1970年代台湾オリンピック委員会,名古屋で開かれた国際オリンピック委員会理事会の決議および同委員会が発表した通信表決の結果に対し,強烈な抗議声明を発表。
DIA-105-1979-11-28-1台湾1979年11月28日1970年代邵学国際貿易局長,台湾はソ連と貿易を行なう意志はない,と言明。
DIA-105-1979-11-29-1台湾1979年11月29日1970年代中国石油公司,台北で米国ルムマス社との間で第4ナフサ工場の委託建設に関する契約に調印。
DIA-105-1979-11-30-1台湾1979年11月30日1970年代東欧国家との直接貿易を開放-外交部の金樹基スポークスマンは,台湾政府は国際貿易の開拓を促進する見地から,ポーランド,東ドイツ,ユーゴスラビア,ハンガリー,チェコスロバキア諸国との直接貿易に同意する,と発表。
DIA-105-1979-11-30-2台湾1979年11月30日1970年代外交部スポークスマン,イラン米大使館の人質事件について,イランは非難されるべきだ,と論評。
DIA-105-1979-11-30-3台湾1979年11月30日1970年代台湾オリンピック委員会と米オリンピック委員会,台北で双方のスポーツ交流促進の協議書に調印。
DIA-105-1979-12-01-1台湾1979年12月01日1970年代中国民主社会党第3次全国党員代表大会,台北で開催。
DIA-105-1979-12-01-2台湾1979年12月01日1970年代中央銀行,行政院に正式に隷属。兪国華総裁留任。
DIA-105-1979-12-02-1台湾1979年12月02日1970年代岸信介自民党顧問一行,訪台。
DIA-105-1979-12-03-1台湾1979年12月03日1970年代韋永寧経済部次長,政府は台中港工業区で年産20万台の自動車工場の建設を検討中,と述べた。
DIA-105-1979-12-04-1台湾1979年12月04日1970年代台湾とサウジアラビア両政府の共同出資によるサウジでの尿素工場建設に関する契約,台北で調印。資本金3億5700万ドル,建設期間3~4年,年間生産能力は尿素50万トン,液体アンモニア30万トン。
DIA-105-1979-12-05-1台湾1979年12月05日1970年代第7回東亜経済人会議,台北で調印。
DIA-105-1979-12-05-2台湾1979年12月05日1970年代中国青年党台湾省党部成立。
DIA-105-1979-12-06-1台湾1979年12月06日1970年代ゴールドウォーター米上院議員,訪台。
DIA-105-1979-12-06-2台湾1979年12月06日1970年代孫運行政院長,米台断交一周年を前に,「安定と団結を破壊する如何なる行為に対しても,断固とした措置を容赦なくとる」との談話を発表。
DIA-105-1979-12-09-1台湾1979年12月09日1970年代高雄市警察局鼓山分局,不許可になった「世界人権デー」記念集会の開催をアナウンスしたり,ビラを配布して警察と衝突した理由で,『美麗島』雑誌の職員邱勝雄と姚国建の両氏を逮捕。
DIA-105-1979-12-10-1台湾1979年12月10日1970年代国民党第11期中央委員会第4回総会(4中全会)および第4次中央評議委員会議,陽明山中山楼で開催。
DIA-105-1979-12-10-2台湾1979年12月10日1970年代高雄暴動事件-政府の許可を得ていないまま,高雄市で「世界人権デー」記念集会を開いた『美麗島』雑誌社の関係者と治安部隊との衝突事件。政府の発表によると,「なぐり返さず,ののしり返さず」という鎮圧方針をとったため,警官や憲兵計183人が負傷した。一方,デモ隊にはケガ人は出なかったという。
DIA-105-1979-12-12-1台湾1979年12月12日1970年代米国在台協会台北事務所のドナリー・スポークスマン,高雄暴動事件について「米国はまったく無関係」と述べた。
DIA-105-1979-12-13-1台湾1979年12月13日1970年代反体制分子14人を逮捕-台湾警備総司令部のスポークスマン徐梅隣少将は,高雄で反国民党暴動を煽動した容疑で,反体制派の指導者張俊宏,姚嘉文,王拓,陳菊,周平徳,蘇秋鎮,呂秀蓮,紀万生,林義雄,陳忠信,楊青矗,邱奕彬,魏廷朝,張富忠ら14人を逮捕した,と発表。なお,もう1人の容疑者施明徳氏は逃走中。
DIA-105-1979-12-13-2台湾1979年12月13日1970年代台湾警備総司令部,『美麗島』(1979年8月16日創刊)雑誌社を差し押え。
DIA-105-1979-12-14-1台湾1979年12月14日1970年代台湾警備総司令部,高雄暴動事件に関連した容疑で,反体制月刊誌『美麗島』の発行人である黄信介立法委員を立法院秘密会議の同意を得て,台北市内の自宅で逮捕した,と発表。
DIA-105-1979-12-14-2台湾1979年12月14日1970年代在米台湾独立分子,北米事務協調委員会のサンフランシスコ,ロサンゼルス,ワシントン各地の事務所を襲撃。
DIA-105-1979-12-14-3台湾1979年12月14日1970年代国民党11期4中全会,27名の中央常務委員を選出。厳家淦,謝東閔,孫運,林洋港(新),黄少谷,李国鼎,邱創煥(新),林金生,倪文亜,馬紀壮(新),宋長志,林挺生,谷正綱,李登輝(新),張宝樹(新),徐慶鐘,蔡鴻文,高魁元,洪寿南(新),袁守謙,趙聚鈺(新),王昇(新),王惕吾(新),兪国華(新),余紀忠(新),王任遠(新),黄杰。また,中央常務委員会秘書長に彦士外交部長を任命。
DIA-105-1979-12-15-1台湾1979年12月15日1970年代海外の台湾独立分子,国民党が12月10日高雄で反体制の無党派勢力を弾圧したことに対抗する措置として,ニューヨークで「台湾建国聯合陣線」を結成。加盟した台湾独立派の組織と代表者は次のとおり。台湾独立聯盟(張燦〓),台米協会(彭明敏),台湾民主運動海外同盟(郭雨新),台湾人民自覚運動(黄彰輝),台湾民主運動欧州同盟(陳重任),独立台湾会(史明),台湾臨時政府(林台元),協志会(洪順五),『美麗島』雑誌社(許信良),『潮流』雑誌社(陳婉真)。
DIA-105-1979-12-15-2台湾1979年12月15日1970年代高雄暴動事件に関連して逃亡中の施明徳氏の米籍夫人リンダ・アリゴ女史,好ましからざる人物として国外退去を命ぜられた。
DIA-105-1979-12-16-1台湾1979年12月16日1970年代台湾警備総司令部のスポークスマン徐梅隣少将,高雄暴動事件に関連して,『美麗島』雑誌のスタッフ陳博文,范政祐,邱茂男の3人を逮捕した,と発表。
DIA-105-1979-12-17-1台湾1979年12月17日1970年代国際銀行団による台湾の企業に対する合計4億2800万ドルの借款契約が台北で調印。①チェスマンハッタン銀行を幹事銀行とする米,英,日,西独,豪,カナダ,シンガポールおよび台湾各国の17行からなる銀行団が中華航空公司に対し,ボーイング747型2機の購入資金として1億2800万ドル,②同銀行を幹事銀行とする西独,米,仏,英,日,オランダ,カナダおよび台湾各国の16行からなる銀行団が台湾電力公司に対し,電源開発資金として2億ドル。いずれもユーロダラで,償還期限は12年,③米ハンノーウェイ銀行を幹事銀行とする上記の欧州諸銀行とスイス,スペインの銀行からなる銀行団が中国鋼鉄公司に対し,高雄一貫作業工場の第1期第2段階工事の建設資金として1億ドル。
DIA-105-1979-12-19-1台湾1979年12月19日1970年代総統令:朱撫松氏を外交部長(行政院政務委員兼任)に任命。
DIA-105-1979-12-19-2台湾1979年12月19日1970年代国民党中央常務委員会,次の人事異動を承認。中央委員会副秘書長:陳履安,中央組織工作会主任:梁孝煌,中央財務委員会主任:鍾時益。
DIA-105-1979-12-20-1台湾1979年12月20日1970年代行政院新聞局,政府は『八十年代』および『春風』の両雑誌を出版法に違反した理由で1年間の発禁処分にした,と発表。
DIA-105-1979-12-21-1台湾1979年12月21日1970年代台湾警備総司令部,台湾独立派に関する情報資料を所持した容疑で,日本人観光客渡田正弘氏を逮捕。
DIA-105-1979-12-29-1台湾1979年12月29日1970年代米国在台協会台北事務所の発表によると,アメリカでの台湾留学生数は1万5500人に達している。
DIA-105-1979-12-29-2台湾1979年12月29日1970年代国民党台湾省第11期全省代表大会,台中で開催。