ID 国名 日付 年代 内容
DIA-105-1980-01-01-1台湾1980年01月01日1980年代米台相互防衛条約失効。
DIA-105-1980-01-03-1台湾1980年01月03日1980年代米国務省,台湾に対し2億8000万ドル相当の防禦性兵器の売却を再開する旨をワシントンと台北の米国在台協会を通じて台湾政府に通告。
DIA-105-1980-01-03-2台湾1980年01月03日1980年代中国石油公司,石油化学原料の価格を1月1日に遡って平均14%の値上げを発表。
DIA-105-1980-01-08-1台湾1980年01月08日1980年代台湾警備総司令部,1979年12月10日の高雄暴動事件で指名手配されていた雑誌『美麗島』の総経理・施明徳氏を逮捕した,と発表。
DIA-105-1980-01-10-1台湾1980年01月10日1980年代帰台中の作家・陳若曦女史,蒋経国総統と会見。
DIA-105-1980-01-11-1台湾1980年01月11日1980年代米国会上下両院経済委員会合同代表団(団長ベンチェン上院経済委員長)一行17名,訪台。
DIA-105-1980-01-11-2台湾1980年01月11日1980年代立法院,「老人福祉法」を通過。
DIA-105-1980-01-14-1台湾1980年01月14日1980年代中国鋼鉄公司,第1期第2段階の拡充工事の建設資金として,米輸出入銀行から2億1250万ドル,米ピッツバーグ・ナショナル銀行から4000万ドルの融資を受ける契約に調印。
DIA-105-1980-01-14-2台湾1980年01月14日1980年代米国在台協会のディーン理事長,訪台。
DIA-105-1980-01-16-1台湾1980年01月16日1980年代中国の鄧小平副主席,北京での重要演説「情勢と任務に関する講話」の中で,台湾の祖国復帰を「80年代の3大任務」の1つに掲げた。
DIA-105-1980-01-18-1台湾1980年01月18日1980年代立法院,営農面積の拡大を奨励する「農業発展条例部分修正案」を通過。
DIA-105-1980-01-19-1台湾1980年01月19日1980年代台湾船舶調査協会によると,1979年の台湾の廃船解体量220万トンは世界全体の解体トン数の3分の2を占め,世界第1位にランクされた。
DIA-105-1980-01-21-1台湾1980年01月21日1980年代杜均衡財政部政務次長,金の自由売買を認める考えはない,と言明。
DIA-105-1980-01-21-2台湾1980年01月21日1980年代ウルフ米議員(米下院国際関係委アジア太平洋小委員会委員長)ら一行14人,訪台。
DIA-105-1980-01-22-1台湾1980年01月22日1980年代立法院「関税法部分条文修正案」を通過。
DIA-105-1980-01-24-1台湾1980年01月24日1980年代台湾・フィリピン漁業協定,マニラで調印。
DIA-105-1980-01-24-2台湾1980年01月24日1980年代1月16日に台北の栄民総医院で前立腺の切除手術を受けた蒋経国総統,回復情況が良好で退院。
DIA-105-1980-01-25-1台湾1980年01月25日1980年代宋楚瑜新聞局長,1月21日付号の米『ニューズ・ウィーク』誌が報道した高雄暴動事件に関する記事について,「故意に事実を曲げ,一方的解釈で事件を報じた」と強く非難。
DIA-105-1980-01-25-2台湾1980年01月25日1980年代沈家銘台湾オリンピック委員長,冬季オリンピックには台湾の国旗,国歌が認められるなら参加する,との声明を発表。
DIA-105-1980-01-28-1台湾1980年01月28日1980年代台湾警備総司令部,高雄暴動事件で逮捕された関係者は151名,うち61名は現在も拘置中,と発表。
DIA-105-1980-02-01-1台湾1980年02月01日1980年代中国海湾油品公司の第2潤滑抽工場(日産能力2000ドラム),操業を開始。
DIA-105-1980-02-01-2台湾1980年02月01日1980年代北回り鉄道(工事期間1973年12月―1979年12月,蘇澳の南聖湖駅から新花蓮駅まで全長82.3キロ,工費約2億ドル),正式に開通。
DIA-105-1980-02-04-1台湾1980年02月04日1980年代台湾警備総司令部,1979年12月9日高雄の鼓山事件で逮捕された姚国建および邱勝雄の両氏を,反乱罪としての証拠が不十分という理由で民事裁判に移す。
DIA-105-1980-02-06-1台湾1980年02月06日1980年代行政院,政府保証の国営および民間企業に対する外国融資限度額を45億ドルから65億ドルに引上げ(79年末の海外借款残高は43億5000万ドル)。
DIA-105-1980-02-07-1台湾1980年02月07日1980年代内政部出入国管理局の統計によると,79年の出国者数は92万6585人(うち36%が観光目的),入国者数は82万8377人。
DIA-105-1980-02-09-1台湾1980年02月09日1980年代台湾,コロンビアと外交関係中止。
DIA-105-1980-02-11-1台湾1980年02月11日1980年代米ニューヨーク州最高裁の控訴審,同州裁のハービー判事が2月7日に下した裁定を覆し,レークプラシッド冬季五輪に「中華民国旗」のもとでの参加を求めていた台湾のスキー選手梁仁貴氏の訴えを却下。
DIA-105-1980-02-12-1台湾1980年02月12日1980年代台湾駐ケープタウン領事館,総領事館に昇格。
DIA-105-1980-02-13-1台湾1980年02月13日1980年代米レークプラシッド冬季五輪に参加する予定だった台湾選手団(李炎団長ら18名),国際オリンピック委員会(IOC)の特別通知(従来の呼称,国旗,国歌の変更命令)を拒否して帰国。
DIA-105-1980-02-14-1台湾1980年02月14日1980年代外交部,タイ政府が中華航空駐タイ国代表事務所を「遠東商務処」と改称することに同意した,と発表。
DIA-105-1980-02-20-1台湾1980年02月20日1980年代台湾警備総司令部,高雄暴動事件に関連した黄信介,施明徳,姚嘉文,張俊宏,林義雄,林弘宣,呂秀蓮,陳菊ら8人を軍事法廷で反乱罪の容疑で起訴する,と発表。なお,周平徳ら37人は民事裁判に移される。
DIA-105-1980-02-23-1台湾1980年02月23日1980年代8年間も中断した台湾―沖縄間の空路再開。
DIA-105-1980-02-23-2台湾1980年02月23日1980年代米国務省,1981年度米国在台協会の予算額660万ドル(前年比10%増)を国会に要求。
DIA-105-1980-02-25-1台湾1980年02月25日1980年代中央銀行,台湾銀行に依託した台湾元の新紙幣500元と1000元を発行。
DIA-105-1980-02-27-1台湾1980年02月27日1980年代中華航空ボーイング707型旅客機,マニラ空港で爆発,炎上。1名死亡,31名負傷。
DIA-105-1980-02-28-1台湾1980年02月28日1980年代経済部,「三角貿易実施要点」を公布。
DIA-105-1980-02-28-2台湾1980年02月28日1980年代高雄暴動事件との関連で反乱罪を問われた林義雄氏の家族が台北布の自宅で何者かに襲われ,3人が刺殺され,1人が重体。
DIA-105-1980-02-28-3台湾1980年02月28日1980年代中国,33周年に当る「2・28台湾ほう起」記念の恒例行事を中止。
DIA-105-1980-03-03-1台湾1980年03月03日1980年代中国の鄧超潁全人代常務委員会副委員長,北京で「台湾独立には賛成できないが,しかし台湾独立論者と意見を交換し,彼らの大陸訪問を歓迎する」と述べた。
DIA-105-1980-03-04-1台湾1980年03月04日1980年代蒋経国総統,谷正綱,連震東,張其昀,張宝樹の4氏を総統府資政に招聘。
DIA-105-1980-03-05-1台湾1980年03月05日1980年代米台航空運輸協定,ワシントンで調印。
DIA-105-1980-03-06-1台湾1980年03月06日1980年代行政院,経済建設委員会の提出した「台湾経済建設10ヵ年計画(1980―89年)」(実質経済成長率年平均7.9%)を可決。
DIA-105-1980-03-08-1台湾1980年03月08日1980年代孫運行政院長,高雄暴動事件の裁判に対する質問に関連して,①台湾は独立主権国家であり,いかなる外国からの干渉も受けない,②国家の安全と個人の自由は同様に重視されるべきであり,戒厳令の実施は事実上の必要によるものである,と立法院で答弁。
DIA-105-1980-03-09-1台湾1980年03月09日1980年代孫運行政院長,アフリカ4ヵ国歴訪―訪問国は南アフリカ,レソト,スワジランド,マラウィ。訪問期間は3月22日まで。李国鼎行政院政務委員,林金生交通部長,宋長志国防部参謀総長ら16人が随行。
DIA-105-1980-03-11-1台湾1980年03月11日1980年代高雄地方裁判所,鼓山事件の被告姚国建氏に3年,邱勝雄氏に2年6ヵ月の有期懲役を判決。
DIA-105-1980-03-11-2台湾1980年03月11日1980年代張導民審計部審計長,1979年度中央政府総決算の剰余額は238億7600余万元,と発表。
DIA-105-1980-03-11-3台湾1980年03月11日1980年代台湾・南アフリカ間の「航空運輸業務協定」,「海・空運事業所得税相互免税協定」,ケープタウンで調印。
DIA-105-1980-03-12-1台湾1980年03月12日1980年代台湾・南アフリカ間の「科学および技術協力協定」の公文交換,ケープタウンで行なわれた。また「台湾国家科学委員会と南アフリカ共和国科学・工業研究院科学協力交換約定」も調印。
DIA-105-1980-03-13-1台湾1980年03月13日1980年代台湾警備総司令部,「高雄暴動事件」関係資料を収集して国外の反乱組織に提供しようという容疑で,1979年12月21日に台湾で逮捕された日本人観光客渡田正弘氏に3年の感化刑を言い渡した後,身柄を日本交流協会に引渡して本国送還させた,と発表。
DIA-105-1980-03-14-1台湾1980年03月14日1980年代南アフリカ,台湾へウラン供給―台湾電力公司はヨハネスブルグで,1984年から1990年までの間に4046トン,4億ドル相当のウラニウムを買い付ける契約を南アフリカ核燃料公社との間で結んだ。
DIA-105-1980-03-18-1台湾1980年03月18日1980年代台湾警備総司令部軍事法廷,高雄暴動事件に関連して反乱罪で起訴された反体制活動家7人(林義雄氏の審理は家族の刺殺事件で延期)に対する裁判を開始。
DIA-105-1980-03-27-1台湾1980年03月27日1980年代基隆に入港したパナマ船籍の貨物船「ジョセフィン・ルース号」の中国乗組員17名,台北の街を観光。
DIA-105-1980-03-28-1台湾1980年03月28日1980年代台北―ルソン間海底電線開通(全長1025キロ,400回線)。
DIA-105-1980-04-01-1台湾1980年04月01日1980年代クウェート,台湾への石油供給量を日量11万バーレルから14万バーレルに引上げ。
DIA-105-1980-04-02-1台湾1980年04月02日1980年代張継正財務部長,今後の税収方針として,国民の税負担率と直接税の比重を引上げる,と言明。
DIA-105-1980-04-04-1台湾1980年04月04日1980年代故蒋介石総統を紀念する「中正紀念堂」(第1期工事完成)の落成式,台北で挙行。岸信介元日本首相,丁一権元韓国総理らが出席。
DIA-105-1980-04-04-2台湾1980年04月04日1980年代中国新華社,中国は台湾産品の関税を免除することを決定した,と報道。
DIA-105-1980-04-07-1台湾1980年04月07日1980年代聯勤総司令官に蒋緯国上将(大将),三軍大学校長に王多年上将がそれぞれ就任。
DIA-105-1980-04-11-1台湾1980年04月11日1980年代台湾警備総司令部軍法処,中国の高級幹部と接触した容疑で1979年8月30日に逮捕された「富堡之声』誌の洪誌良社長に対する公判を開始。
DIA-105-1980-04-14-1台湾1980年04月14日1980年代日本交流協会台北事務所,職員を10人増員。
DIA-105-1980-04-15-1台湾1980年04月15日1980年代立法院,「商港法」を通過。
DIA-105-1980-04-15-2台湾1980年04月15日1980年代日本交流協会台北事務所長人見宏氏,台北に著任。
DIA-105-1980-04-16-1台湾1980年04月16日1980年代蒋経国総統,台湾地区農地再区画事業を10年から5年以内に繰上げて完成するよう指示。
DIA-105-1980-04-16-2台湾1980年04月16日1980年代朱撫松外交部長,訪台中のドミニカ大統領府行政部長アイナントス氏との間で,双方が経済および技術の提携を強化する旨の共同声明を発表。
DIA-105-1980-04-18-1台湾1980年04月18日1980年代台湾,国際通貨基金(IMF)の脱退を声明―IMFが台湾に対し,47万708オンスのIMF保有金を売却(1オンス=35SDR=約44ドル)した。
DIA-105-1980-04-18-2台湾1980年04月18日1980年代高雄暴動事件の8被告に判決―台湾警備総司令部は,高雄暴動事件のリーダー8人に次の通りに判決を下した。無期懲役:施明徳,懲役14年:黄信介,懲役12年:姚嘉文,張俊宏,林義雄,林弘宣,呂秀蓮,陳菊。
DIA-105-1980-04-22-1台湾1980年04月22日1980年代米国務省,高雄暴動事件関係者の裁判について,「われわれはこの事件がもたらした台湾の情勢に深い関心を寄せている」との論評を発表。
DIA-105-1980-04-23-1台湾1980年04月23日1980年代外交部の金樹基スポークスマン,米国務省の高雄暴動事件関係者の裁判に対する論評について遺憾の意を表明。
DIA-105-1980-04-23-2台湾1980年04月23日1980年代経済建設委員会の?国華主任委員,「基層建設推進方案」の総予算額は281億7900万元(うち中央政府の補助金は105億元),と国民党中央常務委員会で報告。
DIA-105-1980-04-25-1台湾1980年04月25日1980年代外交部の金樹基スポークスマン,マレーシアが南沙群島の2つの小島を版図に併合したことについて,同群島に対する合法主権を重ねて宣明。
DIA-105-1980-04-29-1台湾1980年04月29日1980年代台湾警備総司令部,高雄暴動事件の関係者施明徳氏の逃亡を幇助したとして,逮捕中の高俊明牧師ら10名を起訴。
DIA-105-1980-05-01-1台湾1980年05月01日1980年代行政院,現行の最低賃金水準月額2400元から3300元に引上げることを実施。
DIA-105-1980-05-04-1台湾1980年05月04日1980年代台湾,ナウル共和国と外交関係樹立。
DIA-105-1980-05-05-1台湾1980年05月05日1980年代スワジランド総理トラミニ夫妻,訪台。
DIA-105-1980-05-05-2台湾1980年05月05日1980年代経済部,日本政府が5月2日多角貿易協定(MTN)に基づき,台湾に対する関税譲許を実施した,と発表。
DIA-105-1980-05-06-1台湾1980年05月06日1980年代立法院,「動員戡乱時期公職人員選挙罷免法」を通過。
DIA-105-1980-05-07-1台湾1980年05月07日1980年代国民党中央委員会の蒋彦士秘書長,日華議員懇談会の招きで訪日。
DIA-105-1980-05-07-2台湾1980年05月07日1980年代行政院,台湾は国際スポーツ組織を軽々に脱退しない,と立法委員への書面回答で強調。
DIA-105-1980-05-08-1台湾1980年05月08日1980年代台湾警備総司令部軍事法廷,『富堡之声』誌の洪誌良社長に政府転覆予備罪で5年の有期懲役を判決。
DIA-105-1980-05-11-1台湾1980年05月11日1980年代台湾農産物対日輸出促進団,訪日。
DIA-105-1980-05-12-1台湾1980年05月12日1980年代米マニュファクチャラーズ・ハノーバ銀行,台北に代表事務所を開設。
DIA-105-1980-05-13-1台湾1980年05月13日1980年代外交部,台湾沿岸から伸張する大陸棚の主権はすべて台湾が保留する,と重ねて声明。
DIA-105-1980-05-13-2台湾1980年05月13日1980年代亜東関係協会,矢次一夫・国策研究会代表常任理事の訪中を非難する声明を発表。
DIA-105-1980-05-15-1台湾1980年05月15日1980年代行政院,投資奨励条例の10年延長を決定。
DIA-105-1980-05-16-1台湾1980年05月16日1980年代朱撫松外交部長,コスタリカ,パナマ,ホンジュラス,グァテマラ,ハイチ,ドミニカを友好訪問するため台北を出発。
DIA-105-1980-05-16-2台湾1980年05月16日1980年代台湾警備総司令部軍事法廷,『富堡之声』の元総編集人李慶栄氏に国共和平統一の主張を鼓吹して中国に有利な宣伝をした罪名で5年の有期懲役を判決。
DIA-105-1980-05-16-3台湾1980年05月16日1980年代台湾,中国の世銀加盟に抗議―外交部は,世界銀行(国際復興開発銀行)およびその関連機構である第2世銀(国際開発協会)と国際金融公社の合同理事会が5月15日,台湾に代って中国の世銀グループ加盟を承認したことに抗議声明を発表。
DIA-105-1980-05-17-1台湾1980年05月17日1980年代帰国した第5回対米特別買付団,ボーイング747型および767型旅客機各2機などの買付額17億9274万ドルは過去最高の金額である,と報告。
DIA-105-1980-05-20-1台湾1980年05月20日1980年代立法院,「身体障害者福祉法」を通過。
DIA-105-1980-05-21-1台湾1980年05月21日1980年代2月28日の林義雄氏家族殺害事件で容疑をかけられたアメリカの学者ジヤコブス氏,台北北地検の許可を得て台湾を出国。
DIA-105-1980-05-27-1台湾1980年05月27日1980年代立法院,「行政院組織法第3条文修正案」(司法行政部を法務部と改称)を通過。
DIA-105-1980-05-30-1台湾1980年05月30日1980年代国防部高等再審法廷,4月18日に一審の判決を受けた高雄暴動事件の被告黄信介氏らの控訴を棄却。
DIA-105-1980-06-02-1台湾1980年06月02日1980年代台北地方裁判所,高雄暴動事件に関連した周平徳ら31名に10ヵ月から6年8ヵ月までの懲役を判決。
DIA-105-1980-06-02-2台湾1980年06月02日1980年代中国国際商業銀行,韓国輸銀から500万ドルを借入れる契約に調印。
DIA-105-1980-06-04-1台湾1980年06月04日1980年代ゴールドウォーター米上院議員,「台湾関係法」を履行していない米政府を批判する外交政策声明を発表。
DIA-105-1980-06-04-2台湾1980年06月04日1980年代朱撫松外交部長,ポルトープランスでハイチ共和国のサロモン外相との間で農業技術協力拡大に関する議定書に署名。
DIA-105-1980-06-05-1台湾1980年06月05日1980年代台湾警備総司令部,高雄暴動事件関係者施明徳氏の逃亡を幇助した高俊明牧師に7年の有期懲役を言い渡した。
DIA-105-1980-06-09-1台湾1980年06月09日1980年代米国務省,アメリカ向けの台湾の輸出品標示に「R.O.C.(Republic of China)製造」あるいは「中華民国製造」を使用しても輸入禁止はしない,と表明。
DIA-105-1980-06-10-1台湾1980年06月10日1980年代第9回米台「中国大陸問題討議会」,台北で開催。
DIA-105-1980-06-11-1台湾1980年06月11日1980年代中央民意代表増補選定員数204人―蒋経国総統は,中央民意代表の増補選挙を年内に再開する総統令を公布し,その定員数は次の通り。国民大会代表76人(選挙後の新定員総数は1218人),立法委員96人(同412人 ),監察委員32人(同74人)と計204人。前回の120人に比べると70%増。
DIA-105-1980-06-12-1台湾1980年06月12日1980年代蒋経国総統,邱創換氏ら15名を中央選挙委員会委員に任命。
DIA-105-1980-06-12-2台湾1980年06月12日1980年代教育部,中国文化学院,淡江文理学院,逢甲工商学院および中原理工学院を大学に改制することを認可。
DIA-105-1980-06-12-3台湾1980年06月12日1980年代国防部,フィリピンの巡ら艇がバシー海峡で台湾漁船をだ捕した事件を重くみて,台湾の空・海軍による同海峡でのパトロールを強化することを決定。
DIA-105-1980-06-19-1台湾1980年06月19日1980年代太平洋経済文化中心の劉宗翰駐フィリピン代表,漁場に侵入した理由でフィリピン海軍に抑留された49名の台湾漁民を釈放するようフィリピン外務省および国防省に要求。
DIA-105-1980-06-20-1台湾1980年06月20日1980年代立法院,「国家賠償法」を通過。
DIA-105-1980-06-23-1台湾1980年06月23日1980年代台湾オリンピック委員会,今年7月のモスクワオリンピック大会への不参加を決定。
DIA-105-1980-06-28-1台湾1980年06月28日1980年代経済部,アメリカとの協議で1980年度のカラーテレビ(13インチ以上)の対米輸出割当額は40万台に増加した,と発表。
DIA-105-1980-06-30-1台湾1980年06月30日1980年代前イギリス駐淡水領事館(1867年に英政府に無期限貸付したが,1972年3月に閉鎖されたため,賃貸関係が終止),台湾側に返還。
DIA-105-1980-07-01-1台湾1980年07月01日1980年代裁判(司法院は高等法院以下の各級法院を管轄)と検察(行政院法務部は検察,監獄行政,受刑者保護などの行政事務を管轄)の分離制度を実施。
DIA-105-1980-07-01-2台湾1980年07月01日1980年代南回り鉄道(屏東県枋寮―台東県卑南,全長98キロ)着工,工期5年。
DIA-105-1980-07-01-3台湾1980年07月01日1980年代高雄西子湾にある国立中山大学,正式に開校。
DIA-105-1980-07-02-1台湾1980年07月02日1980年代米国防総省,米政府が台湾へM110A2自動りゅう弾砲50門(3700万ドル)を売却する計画,と発表。
DIA-105-1980-07-02-2台湾1980年07月02日1980年代東欧初のユーゴ貨物船 Nova Gorica号,高雄港に停泊。
DIA-105-1980-07-04-1台湾1980年07月04日1980年代外交部,南沙群島は台湾の領土と重ねて主権を声明。
DIA-105-1980-07-06-1台湾1980年07月06日1980年代全国行政会議,郷・鎮長の人事権拡大を決定。
DIA-105-1980-07-07-1台湾1980年07月07日1980年代財政部,資本金200万ドル以下の在台外国銀行に1981年3月までに増資を義務づける,と通達。
DIA-105-1980-07-08-1台湾1980年07月08日1980年代立法院,「税関輸入税則修正案」を通過,税率を39.14%から31.19%に引下げることを決定。
DIA-105-1980-07-09-1台湾1980年07月09日1980年代国民党中央委員会の蒋彦士秘書長ら,故大平首相の葬儀に参列。
DIA-105-1980-07-14-1台湾1980年07月14日1980年代1980年国家建設研究会,台北で開催。
DIA-105-1980-07-15-1台湾1980年07月15日1980年代葉昌桐国防部次長,24時間以内に256万の予備役軍人を動員可能,と国家建設研究会で報告。
DIA-105-1980-07-15-2台湾1980年07月15日1980年代米共和党の政策綱領,「カーター政権の台湾の扱いを遺憾とし,台湾住民の安全保障に対する米国の関心に変わりがないことを約束する」と強調。
DIA-105-1980-07-20-1台湾1980年07月20日1980年代林洋港台湾省主席,訪米。
DIA-105-1980-07-22-1台湾1980年07月22日1980年代立法院,「エネルギー管理法」を通過。
DIA-105-1980-07-22-2台湾1980年07月22日1980年代朱撫松外交部長,国際会議で台湾と中国の代表が同席した回数は23回に達しており,各種の国際会議において,中国が参加するという理由で台湾が脱退するようなことはしない,と国家建設研究会政治外交分科会で表明。
DIA-105-1980-07-23-1台湾1980年07月23日1980年代国際貿易局,ソ連,ルーマニア,ブルガリア,アルバニア,北朝鮮,ベトナム,カンボジア,ラオス,キューバ等共産圏9ヵ国からの輸入を引続き規制する,と公告。
DIA-105-1980-07-24-1台湾1980年07月24日1980年代農業発展委員会,1972~79年の台湾農業年間成長率は平均2.9%で,これは年間約3000haの農地が非農業用地に用途変更した影響である,と指摘。
DIA-105-1980-07-26-1台湾1980年07月26日1980年代台湾省議会の蔡鴻文議長,訪米。
DIA-105-1980-07-28-1台湾1980年07月28日1980年代台湾省政府農林庁,干ばつの影響で約5万2000haの農地に被害が生じた,と発表。
DIA-105-1980-07-28-2台湾1980年07月28日1980年代毛瀛初民航局長,台北でフランスの「エア・バス」会社の業務代表との間で,エァ・バス4機を購入する契約に調印。
DIA-105-1980-08-07-1台湾1980年08月07日1980年代国際貿易局,三菱商事を通じてイスラマバードから伝えられた情報として,パキスタン政府は台湾からの直接輸入を認めると決定した,と発表。
DIA-105-1980-08-14-1台湾1980年08月14日1980年代国際漢学会議,台北で開催,参加者270余名。
DIA-105-1980-08-14-2台湾1980年08月14日1980年代台湾省政府,霧社事件の日本人慰霊碑建設は認めない,と南投県政府に通達。
DIA-105-1980-08-16-1台湾1980年08月16日1980年代世界銀行の発表によると,1978年の1人当りGNPは台湾が1400ドルで,中国の230ドルの6倍強。
DIA-105-1980-08-17-1台湾1980年08月17日1980年代行政院,輸出産業と技術集約産業に融資する6億ドルの貸付条件を緩和するよう,中央銀行に指示。
DIA-105-1980-08-17-2台湾1980年08月17日1980年代レーガン米共和党大統領候補,政権をとった場合,台湾に米国政府連絡事務所を設置し,台湾との公式関係を回復したい,とロサンゼルスの記者会見で発言。
DIA-105-1980-08-20-1台湾1980年08月20日1980年代イギリスのグリンドレイズ銀行(中国名は建利銀行)台北支店開設,ヨーロッパ銀行では初めて。
DIA-105-1980-08-21-1台湾1980年08月21日1980年代中国の黄華外相,北京訪問中のブッシュ米共和党副大統領候補との会談で,台湾政策に自制を求めた。
DIA-105-1980-08-22-1台湾1980年08月22日1980年代ブツシュ米共和党副大統領,候補北京で「外交的意味で台湾と政府関係を持つことはない」と言明。
DIA-105-1980-08-23-1台湾1980年08月23日1980年代孫運行政院長,①中共とはいかなる接触もしない,②中共の提案した「郵政,通商,海運」は偽装の和平である,とスペイン週刊誌「カムビア16」で言明。
DIA-105-1980-08-25-1台湾1980年08月25日1980年代レーガン米共和党大統領候補,ロサンゼルスで記者会見し,①中国との関係改善,②西太平洋地域の平和や経済成長を日本,中国,韓国,台湾との協力を得て推進する,③同地域への脅威となる侵略ないし覇権追求に対抗する地域各国との相互努力,④台湾との関係は議会で成立した台湾関係法に沿って発展させる,⑤米国の権益の保護や米国内法の実施に当たっては,いかなる国の干渉をも許さない,などの5項目の中国政策を発表。
DIA-105-1980-08-28-1台湾1980年08月28日1980年代孫運行政院長,コスタリカ,パナマ,ドミニカ等3ヵ国を訪問するため,台北を出発。
DIA-105-1980-08-29-1台湾1980年08月29日1980年代行政院青年補導委員会,1971年7月から1980年6月までに帰国した留学生数は5024人(うち米国留学3196人,日本留学890人),と発表。
DIA-105-1980-08-30-1台湾1980年08月30日1980年代自動車工業発展小組,年産20万台の小型乗用車工場建設に計画案を示した海外の民間メーカーは日産とトヨタの2社だけである,と発表。
DIA-105-1980-08-30-2台湾1980年08月30日1980年代沈昌煥国家安全会議秘書長ら5氏,オブザーバーの資格で東京での日米安保条約20周年会議に出席。
DIA-105-1980-08-31-1台湾1980年08月31日1980年代中国石油公司,ジッダでサウジアラビア石油・鉱業会社との間で,向う4年間46万トンのLPGを輸入する契約に調印。
DIA-105-1980-09-01-1台湾1980年09月01日1980年代科学工業園区管理局,正式に成立。
DIA-105-1980-09-01-2台湾1980年09月01日1980年代複数関税率制度実施―低関税率適用国・地域は113で,台湾との貿易額は総貿易額の97.6%を占める。
DIA-105-1980-09-04-1台湾1980年09月04日1980年代米台科学技術協力協定(有効期間5年),ワシントンで締結,即日発効。
DIA-105-1980-09-05-1台湾1980年09月05日1980年代パナマ訪問中の孫運行政院長,台湾はパナマとの合弁でパナマの石油資源を開発する計画を検討中,と表明。
DIA-105-1980-09-06-1台湾1980年09月06日1980年代農業発展委員会の統計によると,1979年における台湾の1人当り肉類消費量は35.5kg,卵は68kg。
DIA-105-1980-09-08-1台湾1980年09月08日1980年代烏鉞空軍総司令官,韓国を訪問。
DIA-105-1980-09-10-1台湾1980年09月10日1980年代経済建設委員会,今後台湾の中期経済建設計画は4ヵ年計画に回復することを決定。
DIA-105-1980-09-14-1台湾1980年09月14日1980年代台湾のインドシナ難民救済寄贈米1000余トン,マニラに到着。
DIA-105-1980-09-16-1台湾1980年09月16日1980年代農業発展委員会によると,1979年の台湾の1人当り年間漁獲量は51キロ,世界で10位。
DIA-105-1980-09-17-1台湾1980年09月17日1980年代米上院歳出委員会,「いかなる国際金融機構のアメリカ代表は台湾の正員資格を排除するいかなる提案も支持してはならない」との法案を可決。
DIA-105-1980-09-17-2台湾1980年09月17日1980年代ロンドンのレッド・オーバシーズ社によると,台湾銀行は3年物CDを2000万ドル発行する予定。
DIA-105-1980-09-17-3台湾1980年09月17日1980年代国際貿易局,南アフリカとの間でメイズ30万トンの追加購入契約を結んだ,と発表。
DIA-105-1980-09-18-1台湾1980年09月18日1980年代行政院,1980年第2期蓬莱米の買上げ価格を1キロ当り16.6元,在来米15.6元,と決定。
DIA-105-1980-09-18-2台湾1980年09月18日1980年代国防部,金門島の台湾駐屯部隊が同島付近海域を航行中の日本冷凍船しんわ丸に銃撃した事実を否認。
DIA-105-1980-09-18-3台湾1980年09月18日1980年代第5回日台経済貿易会議,台北で開催。
DIA-105-1980-09-22-1台湾1980年09月22日1980年代グアテラマのカスティー外相,訪台。
DIA-105-1980-09-22-2台湾1980年09月22日1980年代台北市地下鉄建設準備処,西独のエンジニアリング・コンサルタントDEC社と契約。
DIA-105-1980-09-24-1台湾1980年09月24日1980年代中国石油公司,イランとイラクの戦争による台湾の石油供給が不足になるような心配はないと述べた。
DIA-105-1980-09-24-2台湾1980年09月24日1980年代台湾電力公司,協和火力発電所第4号機の設備買付け資金の一部として,米輸出入銀行から1億1535万3500ドルを借款する契約(年利7.75%),ワシントンで調印。
DIA-105-1980-09-26-1台湾1980年09月26日1980年代外交部,1981年3月台湾で開催される国際甘薯会議に中国の参加を拒否する,と言明。
DIA-105-1980-09-26-2台湾1980年09月26日1980年代中国国際商業銀行,米ヒューストン事務所を開設。
DIA-105-1980-09-26-3台湾1980年09月26日1980年代裕隆自動車公司,10月からチリとギリシャへ小型トラック(1200cc)各50台を輸出することを決定した,と発表。
DIA-105-1980-09-28-1台湾1980年09月28日1980年代石油製品,平均9.8%の値上げを実施。
DIA-105-1980-10-01-1台湾1980年10月01日1980年代台湾電力公司,電力料金を平均28.67%の値上げを実施。
DIA-105-1980-10-01-2台湾1980年10月01日1980年代米台間の免責協定調印―アメリカ側の米国在台協会と台湾側の北米事務協調委員会の間の「特権,免税および免責協定」がワシントンで調印,即日発効。
DIA-105-1980-10-01-3台湾1980年10月01日1980年代米台科学技術協力会議,台北で開催。
DIA-105-1980-10-03-1台湾1980年10月03日1980年代ワシントン発中国新華社電,米台間の免責協定は米中国交樹立に関する共同コミュニケ(1978年12月)に公然と違反するものだ,とカーター米政権を強く非難。
DIA-105-1980-10-03-2台湾1980年10月03日1980年代第12回世界華商貿易会議,台北で開催。
DIA-105-1980-10-04-1台湾1980年10月04日1980年代李国鼎政務委員,東京で「日台の貿易不均衡是正のため,日本は台湾から緊急買付けをしてほしい」と要望。
DIA-105-1980-10-04-2台湾1980年10月04日1980年代国民大会の何宜武秘書長代理,秘書長に昇格。
DIA-105-1980-10-06-1台湾1980年10月06日1980年代張光世経済部長,政府は新輸出加工区の設置を検討中である,と立法院で述べた。
DIA-105-1980-10-07-1台湾1980年10月07日1980年代第4回台湾・南アフリカ経済協力会議,台北で開催。
DIA-105-1980-10-07-2台湾1980年10月07日1980年代アジア国会議員連合会第16回大会,台北で開催。
DIA-105-1980-10-09-1台湾1980年10月09日1980年代行政院次の人事異動を発表。教育部政務次長:李模任,同常務次長:高銘輝,法務部政務次長:施啓揚,僑務委員会副委員長:羅明元。
DIA-105-1980-10-11-1台湾1980年10月11日1980年代財政部,農会による余剰食糧の買上げ価格(1キロ当りの蓬莱米14.5元,在来米13.5元)を決定。
DIA-105-1980-10-13-1台湾1980年10月13日1980年代南アフリカのボタ首相,台湾を公式訪問―随員にはピック・ボタ外相兼広報相ら20人。5日間の滞在。
DIA-105-1980-10-14-1台湾1980年10月14日1980年代台湾では初めての台湾および米銀行による銀行団,徳昌石油化学公司に対し2300万余ドルの借款を供与。
DIA-105-1980-10-20-1台湾1980年10月20日1980年代黄鏡峯糧食局長,1980年第1期稲作の栽培面積は32万7520ha,生量産は135万2878トン(前年同期比5.98%増),1ha当りの収量は史上最高の4133kgと報告。
DIA-105-1980-10-20-2台湾1980年10月20日1980年代経済部,1981年に国外から29万トンの肥料を輸入することを決定。
DIA-105-1980-10-25-1台湾1980年10月25日1980年代自強大橋(彰化県頭郷―雲林県二崙郷楊賢村,全長2224メートル,1977年7月着工)開通。
DIA-105-1980-10-25-2台湾1980年10月25日1980年代国際貿易局,政府は輸入制限を緩和して,各国との貿易拡大を図る,との自由貿易政策を強調。
DIA-105-1980-10-28-1台湾1980年10月28日1980年代フランスのソシエテ・ゼネラル銀行(中国名は興業銀行),台北支店を開設。
DIA-105-1980-10-29-1台湾1980年10月29日1980年代国民党第11回中央委員会常務委員会,第109回会議で1981年3月29日に第12回全国代表大会を開催すると決議。
DIA-105-1980-10-30-1台湾1980年10月30日1980年代西ドイツのヨーロピアン・エーシアン銀行(中国名は欧亜銀行),台北支店を開設。
DIA-105-1980-11-01-1台湾1980年11月01日1980年代台湾・オーストラリア漁業協力協定発効。
DIA-105-1980-11-01-2台湾1980年11月01日1980年代台湾自動車工業考察団の趙耀東団長,東京で自動車合弁事業の目的について「部品工業を含めた自動車産業全体の技術水準を向上させるものにしたい」と述べた。
DIA-105-1980-11-03-1台湾1980年11月03日1980年代中華徴信所の報告によると,1979年の100の最大企業集団の売上高は3819億元で,GNPの328%を占める。
DIA-105-1980-11-03-2台湾1980年11月03日1980年代中華戦略学会と日本戦略研究センター,台北で提携式。
DIA-105-1980-11-04-1台湾1980年11月04日1980年代南アフリカ航空旅客機定期便の一番機,台北に到着。
DIA-105-1980-11-05-1台湾1980年11月05日1980年代外交部の劉達人スポークスマン,米大統領選でレーガン氏が当選したことについて,「両国の相互利益および北東アジアの平和と安定を維持する基礎に立って,双方の実質関係は一層強化されるものと確信する」と述べた。また,蒋経国総統もレーガン氏に祝電。
DIA-105-1980-11-06-1台湾1980年11月06日1980年代ドミニカ共和国のフェナンドス外相,訪台。
DIA-105-1980-11-07-1台湾1980年11月07日1980年代フランスのバンク・ド・パリ・エ・ペイバ(中国名は百利銀行)台北支店開設。
DIA-105-1980-11-07-2台湾1980年11月07日1980年代台湾警備総司令部,アメリカ滞在中の許信良前桃園県長を反乱活動に関連した疑いで,1980年6月12日付で指名手配した,と発表。
DIA-105-1980-11-07-3台湾1980年11月07日1980年代中央銀行の?国華総裁,銀行利率の調整は銀行協会の決定に委ねる,と発表。
DIA-105-1980-11-11-1台湾1980年11月11日1980年代台湾警備総司部,アメリカで台湾独立運動に参加し,台湾に帰国した船員高浩遠氏を起訴した,と発表。
DIA-105-1980-11-17-1台湾1980年11月17日1980年代台湾警備総司令部,アメリカで中共の工作人員と接触し,台湾に帰国後中共のために意図的に宣伝した疑いで,葉島蕾女士(1980年9月10日逮捕)を起訴。
DIA-105-1980-11-17-2台湾1980年11月17日1980年代金利自由化実施。台北銀行協会,銀行の貸出金利を上限16.2%,下限13.5%とする,と発表。
DIA-105-1980-11-18-1台湾1980年11月18日1980年代中央選挙委員会,国民大会代表(定員76名,立候補者数185名)および立法委員(定員70名,立候補者数218名)の選挙を公示。投票日は12月6日。
DIA-105-1980-11-23-1台湾1980年11月23日1980年代日本交流協会の堀越禎三会長を団長とする「経済交流促進ミッション」一行86人,台北に到着。
DIA-105-1980-11-24-1台湾1980年11月24日1980年代内政部,企業職員の出入国を緩和するため,国外派遣人数,輸出実績などの制限を廃止。
DIA-105-1980-11-28-1台湾1980年11月28日1980年代孫運行政院長,1981年度の中央政府総予算(歳出歳入各2542億4300万元)に208億1100万元の追加予算を計上した,と立法院で報告。
DIA-105-1980-11-29-1台湾1980年11月29日1980年代オランダ政府,同国RSV社による台湾発注の潜水艦2隻の建造(原子力発電所用部品などを含めて総額5億ドル)を閣議で批准。
DIA-105-1980-12-02-1台湾1980年12月02日1980年代サウジアラビアのシュハル駐台湾大使,蒋経国総統に親書を提出。
DIA-105-1980-12-02-2台湾1980年12月02日1980年代立法院,「中国農民銀行条例修正案」を通過。
DIA-105-1980-12-02-3台湾1980年12月02日1980年代台湾省糧食局,1974年第1期から1980年第2期まで無利息の米穀生産貸付総額は79億8727万7500元,と発表。
DIA-105-1980-12-02-4台湾1980年12月02日1980年代国民党の徐柏園中央評議委員,台北で病死69歳。
DIA-105-1980-12-03-1台湾1980年12月03日1980年代中国の韓克華外務次官,台湾への潜水艦売却でオランダのクネペルホウト駐中国大使に正式に抗議。
DIA-105-1980-12-03-2台湾1980年12月03日1980年代第5回台湾・サウジアラビア経済技術協力会議(台湾側は張光世経済部長ら8人,サウジ側はハイル大蔵・国家経済相ら19人),台北で開催。
DIA-105-1980-12-05-1台湾1980年12月05日1980年代立法院,「農地再区画条例」を通過。
DIA-105-1980-12-05-2台湾1980年12月05日1980年代サウジ開発資金,電源開発資金4500万ドル(償還期限18年,年利4.5%)を台湾に融資。
DIA-105-1980-12-06-1台湾1980年12月06日1980年代国民大会代表および立法委員の増補選挙を挙行,投票率66.3%。
DIA-105-1980-12-09-1台湾1980年12月09日1980年代国防部,台湾が南アフリカ,イスラエルと協力して,核兵器および巡廻ミサイルの開発を行なっていると報じた外電は事実無根,と指摘。
DIA-105-1980-12-10-1台湾1980年12月10日1980年代東京での第8回東亜経済人会議,日台貿易の不均衡を是正するため,常設の対策委員会を設けることを決議。
DIA-105-1980-12-10-2台湾1980年12月10日1980年代蒋経国総統,海外地区の立法委員27名および監察委員10名を推薦。
DIA-105-1980-12-10-3台湾1980年12月10日1980年代国産の電気自動車24台,初のアメリカ向げ輸出。
DIA-105-1980-12-13-1台湾1980年12月13日1980年代中央選挙委員会,12月6日に行なわれた国民大会代表および立法委員の当選名簿を公告。
DIA-105-1980-12-13-2台湾1980年12月13日1980年代国民党中央委員会の蒋彦士秘書長,15農学団体合同年会で「第2段階の土地改革を全力で遂行する」と言明。
DIA-105-1980-12-15-1台湾1980年12月15日1980年代新竹科学工業団地(面積2000ha),正式に開設。
DIA-105-1980-12-17-1台湾1980年12月17日1980年代オランダのオランディシュ銀行台北支店開設。
DIA-105-1980-12-18-1台湾1980年12月18日1980年代オランダ下院,台湾への潜水艦2隻の輸出を76対74の小差で承認。
DIA-105-1980-12-19-1台湾1980年12月19日1980年代国内の陽明海運等5社,中国造船公司と6600トン級バラ積み貨物船8隻の建造契約に調印。
DIA-105-1980-12-22-1台湾1980年12月22日1980年代台湾警備総司令部,アメリカで「台湾民主運動海外同盟」に参加した高浩遠氏に13年の有期懲役。
DIA-105-1980-12-26-1台湾1980年12月26日1980年代国際貿易局,日台貿易不均衡是正策として,186種類の日本製がん具の輸入を禁止。
DIA-105-1980-12-26-2台湾1980年12月26日1980年代立法院,「投資奨励条例修正案」を通過。
DIA-105-1980-12-27-1台湾1980年12月27日1980年代監察委員の増補選挙を挙行。台湾省議会,台北市議会および高雄市臨時議会による間接選挙で22名の監察委員(立候補者数54名)を選出。
DIA-105-1980-12-28-1台湾1980年12月28日1980年代台湾省と福建省の金門・馬祖の国勢調査実施。
DIA-105-1981-01-06-1台湾1981年01月06日1980年代中国訪問を終えて5日訪台したスチーブンス米共和党上院院内副総務とシェンノート(陳香梅女史)同党全国少数民族委員会委員長,経国総統と会見。
DIA-105-1981-01-06-2台湾1981年01月06日1980年代中央銀行,銀行の最高預金金利を12.5%から15%に,3年定期を12.5%から14%に引上げた,と発表。
DIA-105-1981-01-07-1台湾1981年01月07日1980年代関係筋によると,レーガン次期米大統領就任式に彦士国民党秘書長,林洋港台湾省主席,林挺生台北市議長ら5氏が招待を受けた。
DIA-105-1981-01-08-1台湾1981年01月08日1980年代米国在台協会台北事務所プラット渉外部長,米台断交以来,同協会の職員として初めて(ノン米上院議員の付添いで)外交部に入る。
DIA-105-1981-01-09-1台湾1981年01月09日1980年代オランダ貿易促進会台北事務所開設。
DIA-105-1981-01-09-2台湾1981年01月09日1980年代中国石油公司,台湾の石油備蓄量は史上最高の90日分,530万トンに達した,と発表。
DIA-105-1981-01-10-1台湾1981年01月10日1980年代オーストリア台北駐在商務代表事務所開設。
DIA-105-1981-01-12-1台湾1981年01月12日1980年代経国総統,国軍軍事会議上で,中共とは絶対に交渉しない,と台湾の基本的立場を説明。
DIA-105-1981-01-12-2台湾1981年01月12日1980年代台湾警備総司令部,アメリカで中共分子と接触し,帰国後政府転覆を意図した容疑で,1980年9月10日に逮捕された葉島蕾女史に14年の有期懲役を判決。
DIA-105-1981-01-15-1台湾1981年01月15日1980年代カーター米大統領,1982年度米国在台協会の年間予算要求額788万4000ドルを国会に提出。
DIA-105-1981-01-15-2台湾1981年01月15日1980年代中国石油公司,サウジアラビア国営石油から向う1年間日量5万バーレルの石油を輸入する契約に調印。
DIA-105-1981-01-16-1台湾1981年01月16日1980年代オランダ政府,台湾に潜水艦2隻を売却する1980年11月29日の認可決定を再確認。
DIA-105-1981-01-18-1台湾1981年01月18日1980年代孫得雄台湾省家庭計画研究所長,台湾の人口増加率1.9%は今後,経済発展に大きな圧力になると表明。
DIA-105-1981-01-19-1台湾1981年01月19日1980年代米政府,レーガン米大統領就任式への中国からの公式の招待客は柴沢民中国大使のみである,と発表。
DIA-105-1981-01-22-1台湾1981年01月22日1980年代経国総統,日華関係議員懇談会訪問団(団長亀井久興・日本参議院議員)一行11名と会談。
DIA-105-1981-01-23-1台湾1981年01月23日1980年代陳侃偉軍事スポークスマン,台湾は防衛能力を高めるため,F104型戦闘機の購入が必要,と表明。
DIA-105-1981-01-26-1台湾1981年01月26日1980年代米国務省,米国はオランダの対台湾潜水艦売却にいかなる立場もとっていない,との公式声明を発表。
DIA-105-1981-01-27-1台湾1981年01月27日1980年代台湾・コスタリカ第6回経済技術協力会議,台北で開催。張光世経済部長とアルファロ第2副大統領兼商工相が双方の首席代表として出席。
DIA-105-1981-01-28-1台湾1981年01月28日1980年代中央気象局,気象衛星地上ステーションを開設。
DIA-105-1981-01-31-1台湾1981年01月31日1980年代日産とトヨタ自動車両社,台湾に年産20万台小型乗用車生産工場建設に関する投資計画修正案を提出。
DIA-105-1981-02-03-1台湾1981年02月03日1980年代馬樹礼亜東関係協会駐日代表,留日台湾学生数は5400人,留日外国人学生の80%を占める,と述べた。
DIA-105-1981-02-06-1台湾1981年02月06日1980年代イタリアの極左過激組織「フェミニスト反権力同志」,死刑判決を受けた江青夫人の釈放要求で,ローマの中国大使館と間違えて駐バチカン台湾大使館を爆破。
DIA-105-1981-02-09-1台湾1981年02月09日1980年代交通銀行,シンガポールのアジアダラー市場で,初の浮動利率預金証書(発行額2000万ドル)を発行。
DIA-105-1981-02-10-1台湾1981年02月10日1980年代ダイヤス米国務省スポークスマン,台湾関係法を履行する計画を進めている,と言明。
DIA-105-1981-02-10-2台湾1981年02月10日1980年代経済部,電子・電器製品が今後2年以内に紡織品に代わって台湾のトップ輸出商品となろう,と予測。
DIA-105-1981-02-11-1台湾1981年02月11日1980年代台湾警備総司令部,中共のために宣伝した容疑で,温瑞安および方娥真の両氏に3年の感化教育処分。
DIA-105-1981-02-12-1台湾1981年02月12日1980年代石油製品および天然ガス,平均9.8%値上げ。
DIA-105-1981-02-13-1台湾1981年02月13日1980年代米原子力管理委員会,台湾への原子力反応炉の輸出許可証(GE社など3社)を発給。
DIA-105-1981-02-13-2台湾1981年02月13日1980年代インドシナ半島の難民152名収容(全部で4109名)。
DIA-105-1981-02-14-1台湾1981年02月14日1980年代孫運行政院長,米国の世界戦略から米台関係が急速に改善すると期待してはならない,と述べた。
DIA-105-1981-02-15-1台湾1981年02月15日1980年代電力料金平均7.79%,鉄道と長距難バスの運賃4.23~5.8%の値上げ。
DIA-105-1981-02-18-1台湾1981年02月18日1980年代財政部,アメリカの保険会社は運転資金が2000万元以上であれば,台湾支店の開設を認める,と発表。
DIA-105-1981-02-20-1台湾1981年02月20日1980年代オランダのファンアフト首相,潜水艦2隻の台湾向け売却の許可証をリジン・シエルデ・ペロルメ社に発給する決定を変更せず,とオランダ議会に再表明。
DIA-105-1981-02-23-1台湾1981年02月23日1980年代中国石油公司,花蓮の12カ所のガソリンスタンドでガソリン配給の演習を実施。
DIA-105-1981-02-23-2台湾1981年02月23日1980年代中華経済研究院(碩傑院長)成立。
DIA-105-1981-02-24-1台湾1981年02月24日1980年代孫運行政院長,1980年代は三民主義で中国統一を実現する時期である,と立法院で施政報告。
DIA-105-1981-02-24-2台湾1981年02月24日1980年代宋梅村立法委員,79年に中国石油,台湾電力などの公営事業の対日買付額は3億6600万ドルに達し,日台貿易の不均衡を考慮して,それを制限すべきだ,と主張。
DIA-105-1981-02-25-1台湾1981年02月25日1980年代台湾警備総司令部,アメリカで「台湾独立連盟」に加入した秘密会員林建明氏が自首した,と発表。
DIA-105-1981-02-27-1台湾1981年02月27日1980年代台湾省政府農林庁,干ばつが続いている中南部での灌漑用水の奪い合いを避けるよう農民に呼びかけ。
DIA-105-1981-02-28-1台湾1981年02月28日1980年代国民党12全大会台湾省代表162名を選出。
DIA-105-1981-02-28-2台湾1981年02月28日1980年代「台湾独立連盟」秘密会員林建明に3年感化教育処分
DIA-105-1981-02-28-3台湾1981年02月28日1980年代バチカン法王庁カザロリ国務長官,香港で中国教会組織作りのため,台湾との外交関係を検討する旨を示唆。
DIA-105-1981-03-01-1台湾1981年03月01日1980年代台湾警備総司令部,宜蘭,台北,桃園,屏東,台東,花蓮等の県の一部の山地管制区を「山地開放区」および「山地管制遊覧区」に開放。
DIA-105-1981-03-02-1台湾1981年03月02日1980年代内政部営建署および職業訓練局,正式に成立。
DIA-105-1981-03-02-2台湾1981年03月02日1980年代張明哲行政院国家科学委員会主任委員が着任。
DIA-105-1981-03-03-1台湾1981年03月03日1980年代全韓国大統領就任式に孫運行政院長が列席。
DIA-105-1981-03-03-2台湾1981年03月03日1980年代台湾省糧食局,1980年に①玄米の生産量は235万3590トン,②1ha当りの玄米収量3692kgは史上最高と発表。
DIA-105-1981-03-04-1台湾1981年03月04日1980年代亜東関係協会駐日事務所,鈴木首相が米誌「ビジネス・ウィーク」のインタビューで,米国の台湾接近の動きに自重を促したことについて,「もしそれが事実とすれば,重大な関心を表明する」との声明を発表。
DIA-105-1981-03-05-1台湾1981年03月05日1980年代オランダ議会,台湾への潜水艦2隻の輸出を承認。
DIA-105-1981-03-08-1台湾1981年03月08日1980年代新竹市郊外で自強号特急列車と砂利運搬トラックとの衝突で,死者30人,負傷者130人。
DIA-105-1981-03-09-1台湾1981年03月09日1980年代台湾機械公司,台湾最大級の船舶用ディーゼルエンジン(3万600馬力)の試作に成功。
DIA-105-1981-03-12-1台湾1981年03月12日1980年代日華関係議員懇談会とアジア問題研究会,合同総会で「台湾の地位は日本の存立とアジアの安定のために極めて重要である」と決議。一方,鈴木首相,日米首脳会談では米側の台湾政策に言及せず,と表明。
DIA-105-1981-03-13-1台湾1981年03月13日1980年代朱撫松外交部長,立法院の答弁で「台湾関係法」の忠実かつ完全な執行をアメリカ側に要望。
DIA-105-1981-03-15-1台湾1981年03月15日1980年代林洋港台湾省政府主席,日本を訪問。
DIA-105-1981-03-19-1台湾1981年03月19日1980年代監察院,本会議で余俊賢氏を院長に,黄尊秋氏を副院長に選出。
DIA-105-1981-03-20-1台湾1981年03月20日1980年代孫運行政院長,1949年11月から実施した戒厳令は,中共の浸透を防ぐため解除しない,と言明。
DIA-105-1981-03-20-2台湾1981年03月20日1980年代北米事務協調委員会,同会主任委員に胡世勲氏,同会米国駐在事務所代表に蔡維屏氏が任命される,と発表。
DIA-105-1981-03-23-1台湾1981年03月23日1980年代台湾,オリンピックに復帰―IOCのサマランチ会長と台湾オリンピック委員会の沈家銘主席との間に協議書を締結し,台湾が「中華台北オリンピック委員会」(CTOC)の名称で国際スポーツ競技に参加できる。
DIA-105-1981-03-25-1台湾1981年03月25日1980年代経済部,エネルギー管理法施行細則を公布実施。
DIA-105-1981-03-27-1台湾1981年03月27日1980年代第6回対米特別買付団,アメリカヘ出発。
DIA-105-1981-03-29-1台湾1981年03月29日1980年代中国国民党第12回全国代表大会,台北陽明山中山楼で開催。出席代表861人,うち国内571人,海外地区220人,大陸地区70人。
DIA-105-1981-03-30-1台湾1981年03月30日1980年代法務部,台湾で営業する外国企業は,土地の所有権または利用権が認められる,との見解を表明。
DIA-105-1981-03-30-2台湾1981年03月30日1980年代対オランダ買付団帰台(3月21日出発)。オランダ企業20社から浚渫船など1億ドルの商品を買付け。
DIA-105-1981-04-01-1台湾1981年04月01日1980年代国民党12全大会,第4次会議で「中国国民党党規約改正案」を採択。
DIA-105-1981-04-01-2台湾1981年04月01日1980年代台湾区車両工業組合,20万台規模の自動車プラントの設立に反対。
DIA-105-1981-04-02-1台湾1981年04月02日1980年代国民党12全大会,「中国国民党政綱案」および「三民主義によって中国統一を貫徹する方案」を採択。
DIA-105-1981-04-02-2台湾1981年04月02日1980年代国民党12全大会,第6次会議で経国主席を再選。
DIA-105-1981-04-02-3台湾1981年04月02日1980年代イギリスのロイドス・バンク・インターナショナル(中国名は駿懋銀行),台北支店を開設。
DIA-105-1981-04-03-1台湾1981年04月03日1980年代国民党12全大会,第12回中央委員150名,中央委員候補75名,中央評議委員227名を選出。
DIA-105-1981-04-05-1台湾1981年04月05日1980年代中国国民党第12回全国代表大会閉会。
DIA-105-1981-04-06-1台湾1981年04月06日1980年代国民党12期1中全会中央常務委員27名選出―厳家淦,謝東閔,孫運,谷正綱,黄少谷,倪文亜,袁守謙,馬紀壮,李国鼎,高魁元,宋長志,趙聚鈺,王惕吾,王昇,李登輝,?国華,余紀忠,林洋港,沈昌煥(新),邱創煥,洪寿南,蔡鴻文,林金生,辜振甫(新),閻振興(新),曹聖芬(新),林挺生。
DIA-105-1981-04-06-2台湾1981年04月06日1980年代国民党第12回中央委員会,彦士氏を同委員会秘書長に,呉俊才,陳水逢,陳履安諸氏を副秘書長に選出。
DIA-105-1981-04-07-1台湾1981年04月07日1980年代孫運行政院長,1982年度予算について①公共支出を緊縮する,②経常収支の実質的均衡を図る,③中央と地方政府の財政収支を全般的に検討する,と述べた。
DIA-105-1981-04-07-2台湾1981年04月07日1980年代米ウエスチングハウス台湾原子力社,台北で設立。
DIA-105-1981-04-11-1台湾1981年04月11日1980年代台湾とパナマ,台北で最恵国待遇協定を締結。
DIA-105-1981-04-11-2台湾1981年04月11日1980年代張継正財政部長,経済建設の資金源を積極的に欧州に求める,と言明。
DIA-105-1981-04-13-1台湾1981年04月13日1980年代交通部民航局とフランスの代表,台北で4機目のA-3000型エアバス旅客機購入契約に調印。
DIA-105-1981-04-14-1台湾1981年04月14日1980年代ホンジュラス共和国のアイビ外相,訪台
DIA-105-1981-04-16-1台湾1981年04月16日1980年代行政院,新しい政党の結成禁止は戒厳法第11条第1項の規定に抵触しない,と書面で表明。
DIA-105-1981-04-18-1台湾1981年04月18日1980年代張光世経済部長,国営事業は安易に民間に解放されるべきではない,と述べた。
DIA-105-1981-04-20-1台湾1981年04月20日1980年代孫運行政院長,今後10年内に200~230億ドルを運輸建設計画に投入する方針,と表明。
DIA-105-1981-04-20-2台湾1981年04月20日1980年代日本公明党国会議員岡本富夫,峯山昭範両氏,訪台。
DIA-105-1981-04-22-1台湾1981年04月22日1980年代邵学国際貿易局長,立法院の答弁で「対日貿易不均衡を短期内に是正することは不可能」と述べた。
DIA-105-1981-04-28-1台湾1981年04月28日1980年代立法院,「立法院院長,副院長の任期3年」の規定を可決。
DIA-105-1981-04-29-1台湾1981年04月29日1980年代国民党中央常務委員会,関中氏を台北市党部主任委員に,鄭心雄氏を高雄市党部主任委員に任命。
DIA-105-1981-04-29-2台湾1981年04月29日1980年代外交部,東欧5カ国との業務渡航を許可。
DIA-105-1981-05-01-1台湾1981年05月01日1980年代ボリビア共和国駐台湾大使館正式に開設。
DIA-105-1981-05-01-2台湾1981年05月01日1980年代政府,本国漁船の外国200カイリ経済水域への不法侵入に厳罰と新規定。
DIA-105-1981-05-02-1台湾1981年05月02日1980年代宋楚瑜新聞局長,三民主義による中国統一政策は中国の統一戦線への強力な打撃である,と強調。
DIA-105-1981-05-04-1台湾1981年05月04日1980年代政府,第4原子力発電所の建設地点を台湾北端に位する福隆の塩寮地区に決定。建設費1079億余元。
DIA-105-1981-05-04-2台湾1981年05月04日1980年代第1回欧州品見本市(13カ国参加),台北で開く。
DIA-105-1981-05-07-1台湾1981年05月07日1980年代行政院・非金融機関の預金や送金を禁止と改正。
DIA-105-1981-05-11-1台湾1981年05月11日1980年代国内肥料価格平均36.68%値上げ。
DIA-105-1981-05-12-1台湾1981年05月12日1980年代ミース米大統領顧問,アメリカは台湾への武器売却も含めて「台湾関孫法」の条項を全面的に履行するだろう,と記者会見で述べた。
DIA-105-1981-05-12-2台湾1981年05月12日1980年代第2回米台貿易・投資会議,台北で開催。
DIA-105-1981-05-13-1台湾1981年05月13日1980年代台湾(宜蘭頭城)―グアム間海底ケーブル(3150キロ,630回線),正式に開通。
DIA-105-1981-05-13-2台湾1981年05月13日1980年代台湾初の高雄港海底トンネル(全長1550m)着工。
DIA-105-1981-05-14-1台湾1981年05月14日1980年代行政院,台湾省市議会組織規程を修正採択―①省議会議員の最高定員は77名,②各県市の議員は最低1名・最高10名,③台北市と高雄市の市会議員は各51名。
DIA-105-1981-05-15-1台湾1981年05月15日1980年代立法院,第7代院長に倪文亜氏,副院長に劉濶才氏を選出(5月19日に就任)。
DIA-105-1981-05-20-1台湾1981年05月20日1980年代銭純中央銀行副総裁,台湾の外貨残高は現在約70億ドル,政府機関の名義で国外銀行に預金,と述べた。
DIA-105-1981-05-21-1台湾1981年05月21日1980年代台湾電力公司第2原子力発電所の第1基発電機(装置能力98万5000kw),商業運転を開始。
DIA-105-1981-05-21-2台湾1981年05月21日1980年代ボリビア空軍総司令官ベナール中将,訪台。
DIA-105-1981-05-21-3台湾1981年05月21日1980年代黄鏡峯台湾省糧食局長,省議会で現在農家収入のうち,農業収入の占める割合は僅かに24%,と答弁。
DIA-105-1981-05-22-1台湾1981年05月22日1980年代中央選挙委員会,台湾省,台北市,高雄市議会議員と台湾省各県市長の選挙投票日を11月14日に決定。
DIA-105-1981-05-25-1台湾1981年05月25日1980年代裕隆自動車公司三義工場の第1期工事終る。乗用車サニー(1200cc)を中心に年産7万2000台。
DIA-105-1981-05-25-2台湾1981年05月25日1980年代経済部エネルギー委員会の統計によると,第1四半期の台湾のエネルギー消費量は前年同期比5.7%減。
DIA-105-1981-05-26-1台湾1981年05月26日1980年代立法院,「航業法」を通過。
DIA-105-1981-05-27-1台湾1981年05月27日1980年代朱撫松外交部長,マラウィ,レソト,スワジランド,南アフリカを訪問するため,台北を出発。
DIA-105-1981-05-28-1台湾1981年05月28日1980年代桃園,新竹,苗栗など台湾北部地底に集中豪雨,日雨量は平均200ミリ以上。
DIA-105-1981-05-28-2台湾1981年05月28日1980年代三富自動車工業公司とフランス国営のルノー社,低燃料小型乗用車(1400cc)の生産技術提携に調印。
DIA-105-1981-05-30-1台湾1981年05月30日1980年代1982年度中央政府総予算案通過―歳出および歳入はそれぞれ3180億9211万4000元,前年比15.6%増。
DIA-105-1981-06-01-1台湾1981年06月01日1980年代行政院,現在台湾の31の新聞社が毎日350万部の新聞を発行,すでに飽和点に達している,と説明。
DIA-105-1981-06-06-1台湾1981年06月06日1980年代行政院青年輔導委員会の統計によると,1960~1979年の20年間に国外へ留学した学生数は5万2613人でうち帰国して就職した人数は総数の12%,6200人。
DIA-105-1981-06-08-1台湾1981年06月08日1980年代台湾省政府,現職の県市議会議員および郷鎮県轄市長の任期は1982年2月末までに延長する,と決定。
DIA-105-1981-06-08-2台湾1981年06月08日1980年代ブランス海軍所属のヘリコプター6機,台南の航空機保守工場で修理するため,「栄恵丸」で高雄港に到着。
DIA-105-1981-06-09-1台湾1981年06月09日1980年代台湾鉄道管理局,中国鉄道開設100周年記念大会を開催。
DIA-105-1981-06-11-1台湾1981年06月11日1980年代経国総統,鄭為元氏を行政院国軍退除役官兵輔導委員会主任委員に張国英氏を国防部副部長に任命。
DIA-105-1981-06-11-2台湾1981年06月11日1980年代経済部,エネルギーの節約を強化するための8項目の措置を発表。
DIA-105-1981-06-12-1台湾1981年06月12日1980年代台湾全国商業総会,バンコクでタイ貿易局と両国間経済貿易協力議定書に調印。
DIA-105-1981-06-13-1台湾1981年06月13日1980年代兪国華中央銀行総裁,政府は外為管理をさらに緩和し,エネルギー消費産業の海外工場設立投資を促進することにした,と述べた。
DIA-105-1981-06-15-1台湾1981年06月15日1980年代国際バスケットボール連盟(FIBA),「中国台北バスケットボール協会」の名称で台湾の再加盟を決定。
DIA-105-1981-06-15-2台湾1981年06月15日1980年代中央銀行,再割引率と貸付率を1―2%引上げ。また,台北市銀行公会,預金と貸付金利を1―1.5%引上げ。
DIA-105-1981-06-16-1台湾1981年06月16日1980年代レーガン米大統領,記者会見で「防衛性兵器の売却を含む台湾関係法の諸規定は全面的に履行」と言明。
DIA-105-1981-06-18-1台湾1981年06月18日1980年代総統令:楊金民を高雄市長に任命。
DIA-105-1981-06-24-1台湾1981年06月24日1980年代アジア・太平洋国会議員連合(APPU)第30回理事会,台北で開催。
DIA-105-1981-06-25-1台湾1981年06月25日1980年代行政院,国家賠償法に規定されている賠償義務機関が独自に賠償金限度額を決定できることを認めた。
DIA-105-1981-06-25-2台湾1981年06月25日1980年代張明哲国家科学委員会主任委員,近い将来台湾とサウジアラビアが共同で,メチルアルコールから単細胞タンパク質を生産する計画である,と述べた。
DIA-105-1981-06-27-1台湾1981年06月27日1980年代胡世勲北米事務協調委員会主任委員,アメリカ政府が同委員会ボストン事務所の開設に正式に同意したことを明らかにした。
DIA-105-1981-06-29-1台湾1981年06月29日1980年代外交部,台湾と南アフリカ,イスラエルの3カ国が核兵器を取得するため,目下技術および情報の交換を進めているとのニューヨーク・タイムズの報道を否定。
DIA-105-1981-06-30-1台湾1981年06月30日1980年代アメリカ政府,台湾製非ゴム靴類の対米輸出に関する「市場秩序維持協定」(OMA)の延長を撤廃。
DIA-105-1981-06-30-2台湾1981年06月30日1980年代台湾省政府,1979年6月29日2年間の休職処分を受けた許信良前桃園県長に叛乱の容疑で停職処分を決定。
DIA-105-1981-07-01-1台湾1981年07月01日1980年代中華航空,高雄―東京線を開設。
DIA-105-1981-07-01-2台湾1981年07月01日1980年代南回り鉄道(屏東県枋寮一台東県卑南間98キロ)着工
DIA-105-1981-07-01-3台湾1981年07月01日1980年代国家賠償法,正式に実施。
DIA-105-1981-07-01-4台湾1981年07月01日1980年代証券管理委員会,経済部から財政部に編入。
DIA-105-1981-07-01-5台湾1981年07月01日1980年代銭復外交部政務次長,サウジアラビア訪問の帰国途上,フィリピンのマルコス大統領再年就任式典に参例。
DIA-105-1981-07-03-1台湾1981年07月03日1980年代7月2日台湾警備総司令部の取り調べを受けた米カーネギー・メロン大学の陳文成助教授(統計学),台湾大学図書館付近で遺体となって発見された。
DIA-105-1981-07-04-1台湾1981年07月04日1980年代工業技術研究院,台湾初のFM-1104型ミニコンピューターの開発に成功した,と発表。
DIA-105-1981-07-07-1台湾1981年07月07日1980年代1981年国家建設研究会,台北で開催。
DIA-105-1981-07-07-2台湾1981年07月07日1980年代経国総統,健全な資本市場の機能を発揮するために,資本の証券化および証券の大衆化を目標とする証券業務の改善を強化すべきだ,と強調。
DIA-105-1981-07-08-1台湾1981年07月08日1980年代汪敬煦警備総司令官,台湾への華僑投資に中国の資金が含まれている場合は歓迎しない,と述べた。
DIA-105-1981-07-13-1台湾1981年07月13日1980年代台湾証券交易所の統計によると,6月末の上場会社は合計107社(うち1部上場は57社),株主は57万余人,上場株は117億8600株,額面総額は1187億5000万元。
DIA-105-1981-07-13-2台湾1981年07月13日1980年代朱撫松外交部長,経済的繁栄,社会的安定及び国防力の総合力をもって第3世界との協力関係を強化と強調。
DIA-105-1981-07-14-1台湾1981年07月14日1980年代交通部,数年内に合計45隻,延べ220万6700トンの船団を建造するため,11億7000ドルの予算を計上。
DIA-105-1981-07-14-2台湾1981年07月14日1980年代行政院農業発展委員会の葛錦昭秘書長,1980年の台湾の農業成長率は,1953年の4カ年経済建設計画実施以来初めて1%減のマイナス成長に落ち込んだ,と述べた。
DIA-105-1981-07-15-1台湾1981年07月15日1980年代日本アジア航空,高雄―東京線を開設。
DIA-105-1981-07-17-1台湾1981年07月17日1980年代台湾省政府,台湾省各県市議会第10回議員選挙日は1982年1月16日,定員は799名と公布。
DIA-105-1981-07-17-2台湾1981年07月17日1980年代米台合弁重型車輌生産工場である華同自動車公司,正式に成立。投資金額14億4000万元,うち米GM社45%。
DIA-105-1981-07-23-1台湾1981年07月23日1980年代衛生署消費者センター,正式に成立。
DIA-105-1981-07-24-1台湾1981年07月24日1980年代立法院,「農産品市場交易法」を通過。
DIA-105-1981-07-24-2台湾1981年07月24日1980年代中央選挙委員会,今年の統一地方選挙の議員定員を発表。台湾省議員77名,台北市議員51名,高雄市議員42名。
DIA-105-1981-07-27-1台湾1981年07月27日1980年代第一銀行ロンドン事務所,正式に成立。
DIA-105-1981-07-27-2台湾1981年07月27日1980年代米『フォーチュン』誌によると,1980年の米国を除く世界500大企業のうち,中国石油公司は75位,台湾プラスチックは284位にランクされた。
DIA-105-1981-07-27-3台湾1981年07月27日1980年代行政院国家科学委員会,東台湾の沖合でマンガンと鉄含有量の多い砕石沈澱を発見した,と発表。
DIA-105-1981-07-28-1台湾1981年07月28日1980年代兪国華経建会主任委員,来年から実施される新4カ年計画の重点の一つは民間投資の刺激であると強調。
DIA-105-1981-08-01-1台湾1981年08月01日1980年代商標・原産地標示偽造盗用防止法施行。
DIA-105-1981-08-06-1台湾1981年08月06日1980年代行政院,張憲秋氏を農発会主任委員に任命。
DIA-105-1981-08-08-1台湾1981年08月08日1980年代台湾空軍の黄植誠少佐,F5F型複座ジェット戦闘練習機を操縦して中国大陸に亡命。同機に搭乗した許秋麟中尉,途中パラシュートで降下して台湾に戻る。
DIA-105-1981-08-08-2台湾1981年08月08日1980年代張光世経済部長,貿易停滞の対応策として,開発途上国の市場開発を重視する,と述べた。
DIA-105-1981-08-12-1台湾1981年08月12日1980年代台湾元切り下げ―外国為替取引センターは,1米ドル36元から4.86%切り下げ,38元とすることを決定,台湾元は1978年7月以前の水準に戻る。
DIA-105-1981-08-12-2台湾1981年08月12日1980年代台湾省主計処が発表した1980年の家庭収支調査報告によると,1戸当りの家計収入は25万484元,(前年比実質4.4%増),1人当りの家計収入は5万715元(同5.4%増)。
DIA-105-1981-08-13-1台湾1981年08月13日1980年代中央銀行,台湾元の為替レート変動に8種類の外貨の実勢を参考とするバスケット方式を導入。
DIA-105-1981-08-13-2台湾1981年08月13日1980年代兪国華中銀総裁,為替相場の変動幅は前日の直物中心レートの上下1%から2.25%まで拡大すると述べた。
DIA-105-1981-08-15-1台湾1981年08月15日1980年代外交部,セイント・ビンセント国と外交関係を樹立すると声明。
DIA-105-1981-08-17-1台湾1981年08月17日1980年代彦士国民党秘書長,年末の地方選挙は統一と調和の原則のもとに行なわれる方針である,と述べた。
DIA-105-1981-08-20-1台湾1981年08月20日1980年代米下院外交委員会訪問団(団長チャブロスキー外交委員会主席)一行21名,訪台。
DIA-105-1981-08-20-2台湾1981年08月20日1980年代行政院,台北市区の建築物高度制限の緩和および建築物容積率の全面的管制を実施すると決定。
DIA-105-1981-08-20-3台湾1981年08月20日1980年代行政院,「投資奨励条約施行細則」を可決。
DIA-105-1981-08-21-1台湾1981年08月21日1980年代行政院,中国石油公司の13項目の新規プロジェクトに対する138億4000万元の投資計画を認可。
DIA-105-1981-08-21-2台湾1981年08月21日1980年代兪国華経済建設委員会主任委員,石油化学工業に対する政府の保護政策を再検討する,と示唆。
DIA-105-1981-08-22-1台湾1981年08月22日1980年代台北発高雄行き遠東航空のボーイング737型旅客機,苗栗三義の火炎山上空で爆発,110人全員死亡。
DIA-105-1981-08-24-1台湾1981年08月24日1980年代台北市銀行公会,貸付金利上下限を引下げ。新貸付金利上下限は短期が17.4%―14.5%(下限の引下げ幅0.75%),中長期が18.0%―15%(同1.25%)。
DIA-105-1981-08-24-2台湾1981年08月24日1980年代駐台湾金鍾坤韓国大使,経国総統に信任状を提出。
DIA-105-1981-08-24-3台湾1981年08月24日1980年代中華民国建国史討論会,台北で開催。
DIA-105-1981-08-24-4台湾1981年08月24日1980年代民航局,遠東航空機事故の死者1人当り補償費は法定最高額の100万元である,と発表。
DIA-105-1981-08-28-1台湾1981年08月28日1980年代米カリフォルニア州議会に提出された同州政府司法局の報告書,アメリカを根拠地とする台湾独立運動の過激分子を国際テロの一味として扱う。
DIA-105-1981-08-29-1台湾1981年08月29日1980年代米ビレビュ社,台北で台湾チエム核システム有限会社を設立した,と発表。
DIA-105-1981-09-03-1台湾1981年09月03日1980年代日台貿易不均衡是正委員会,東京で開催。
DIA-105-1981-09-03-2台湾1981年09月03日1980年代台湾・コスタリカ農業技術協力協定,2年間延長決定。
DIA-105-1981-09-04-1台湾1981年09月04日1980年代兪国華行政院政務委員,台湾特使としてスワジランド王国ソブフザ二世の在位60周年記念式典に列席。
DIA-105-1981-09-05-1台湾1981年09月05日1980年代孫運行政院長,嘉南地区の豪雨による災害を救済するため,3億元を支出する,と述べた。
DIA-105-1981-09-07-1台湾1981年09月07日1980年代政府,水害による農作地の損害を軽減するため,1980年2期作の地租の徴収を全面的,に中止すると決定。
DIA-105-1981-09-09-1台湾1981年09月09日1980年代王建財政部関務署長,外国からのダンピング輸入防止のため,相殺税を賦課する措置をとる,と発表。
DIA-105-1981-09-09-2台湾1981年09月09日1980年代台湾省糧食局,1期作米の収量は153万トン,と発表。
DIA-105-1981-09-10-1台湾1981年09月10日1980年代行政院,邵恩新氏を台湾省政府民政庁長に任命。
DIA-105-1981-09-11-1台湾1981年09月11日1980年代米台穀物輸入協定更新―米シカゴで調印。台湾は今後5年間にわたり計1720万トン(約50億ドル)の大麦,小麦,大豆,トウモロコシを輸入する。
DIA-105-1981-09-12-1台湾1981年09月12日1980年代台湾,肥料購入資金としてマラウィに477万ドルを貸付ける協定に調印。
DIA-105-1981-09-14-1台湾1981年09月14日1980年代台湾省政府,台湾の環島鉄道網は1988年12月までに完成させることを決定。
DIA-105-1981-09-16-1台湾1981年09月16日1980年代1981会計年度の政府総予算に110億元の赤字。
DIA-105-1981-09-17-1台湾1981年09月17日1980年代中華航空,ボーイング767型旅客機2機の購入資金として,米輸銀など2銀行から7202万2000ドルの融資を受ける契約に調印。
DIA-105-1981-09-17-2台湾1981年09月17日1980年代米モルガン信託銀行台北支店開設。
DIA-105-1981-09-18-1台湾1981年09月18日1980年代邱創煥内政部長,最近労働争議が増加したのは①労働者が300万人に増加,②汚染間題などによる工場の移転,③不景気による工場の閉鎖,などの理由を指摘。
DIA-105-1981-09-20-1台湾1981年09月20日1980年代日本民社党の春日一幸前委員長ら7人,訪台。
DIA-105-1981-09-23-1台湾1981年09月23日1980年代中国青年党の陳啓天と李主席に任命された同党第13回中央執行委員会第2期中央常務委員35人就任。
DIA-105-1981-09-24-1台湾1981年09月24日1980年代亜東関係協会と交流協会の経済・貿易会議,東京で開催。
DIA-105-1981-09-25-1台湾1981年09月25日1980年代内政部,台湾の人口は8月末で1800万人の大台を突破した,と発表。
DIA-105-1981-09-25-2台湾1981年09月25日1980年代孫運行政院長,立法院の答弁で,拡大を続ける対日貿易不均衡に重大な懸念を表明,同時に有効な措置をとって対日入超の縮小を図る必要がある,と強調。
DIA-105-1981-09-26-1台湾1981年09月26日1980年代行政院新聞局,AP通信台北支局の周清月記者が陳文成事件について不正確な報道をしたとして,同記者の台湾での記者活動の資格をはく奪した,と発表。
DIA-105-1981-09-27-1台湾1981年09月27日1980年代台湾海峡で国産の艦対艦ミサイル「雄蜂」を搭載した20数隻の快速艇団と駆逐艦隊の合同演習が開始。
DIA-105-1981-09-30-1台湾1981年09月30日1980年代台湾政府,中国の9項目からなる第3次国共合作の提案を拒否。
DIA-105-1981-10-01-1台湾1981年10月01日1980年代張光世経済部長,情報,自動車,機械,造船など4種類の技術集約産業を優先的に発展させると述べた。
DIA-105-1981-10-01-2台湾1981年10月01日1980年代林洋港台湾省主席,今年6回も水害に見舞われたため流失した農地は4350haに達した,と省議会で述べた。
DIA-105-1981-10-02-1台湾1981年10月02日1980年代孫運行政院長,立法院で中国の第3次国共合作の提案について演説し,それを拒否する見解を表明。
DIA-105-1981-10-06-1台湾1981年10月06日1980年代孫運行政院長,米国での台湾留学生は米国の大学でいかなる情報活動もしていない,と立法院で答弁。
DIA-105-1981-10-07-1台湾1981年10月07日1980年代国民党の経国主席,中共とは決して交渉しない,と同党中央常務委員会で言明。
DIA-105-1981-10-08-1台湾1981年10月08日1980年代コスタリカ共和国のカラソ大統領夫妻,10月12日まで台湾を公式訪問。ニエアウス外相も同行。
DIA-105-1981-10-08-2台湾1981年10月08日1980年代行政院,中共のスパイを検挙した者に対し,最高100万元の賞金を与える,と決定。
DIA-105-1981-10-08-3台湾1981年10月08日1980年代中国石油公司,フィリピン政府エネルギー開発局とルソン島で石油合弁探査を行うことに関する契約に調印
DIA-105-1981-10-10-1台湾1981年10月10日1980年代建国70周年の双十節―将兵,1万1966名の参加した軍事一色のパレードが行われた。台湾が独自に開発した「昆吾」,「青蜂」などの各種ミサイルも行進。各界の拠金で購入したM48A2型改良戦車14台が献納された。
DIA-105-1981-10-13-1台湾1981年10月13日1980年代経済建設委員会,台湾の人口の増加と分布の不均衡が将来の経済成長に重大な影響を与えるだろうと懸念。
DIA-105-1981-10-13-2台湾1981年10月13日1980年代張光世経済部長,資金不足と重い利息負担が当面企業の投資意欲を低下させた原因である,と述べた。
DIA-105-1981-10-15-1台湾1981年10月15日1980年代財政部国庫署,①1981年6月現在政府および公営機構の対外債務残高は57億8000万ドル,②借款先は国際金融機構,外国政府・公的機関が50%を占める,③借款の使途は電源開発が44%を占める,と発表。
DIA-105-1981-10-17-1台湾1981年10月17日1980年代経済部エネルギー委員会,1981年上半期における台湾のエネルギー節約率,前年同期比10.8%減と発表。
DIA-105-1981-10-18-1台湾1981年10月18日1980年代行政院,産業の不況打開策として,企業への融資の増加,石油化学工業の対外競争力の強化および民間投資意欲への刺激などの措置を発表。
DIA-105-1981-10-20-1台湾1981年10月20日1980年代行政院新聞局,「台湾の有力財界人が中国福建省の民主諸党派幹部と接触した」との報道を否定。
DIA-105-1981-10-21-1台湾1981年10月21日1980年代中央銀行,再割引率を現行の13.25%から12.25%へ引下げ。また,台北市銀行公会,輸出金利と預金金利を0.75%~1.4%引下げ。
DIA-105-1981-10-23-1台湾1981年10月23日1980年代米下院外交委,「太平洋地域視察報告」を発表,「台湾の防空装備を近代化する必要はある」と述べた。
DIA-105-1981-10-27-1台湾1981年10月27日1980年代アジア銀行会議発足。初代理事長には中国国際商業銀行の何顕重頭取を選任。
DIA-105-1981-10-30-1台湾1981年10月30日1980年代オーストラリアの台北貿易事務所,正式に開設。
DIA-105-1981-11-02-1台湾1981年11月02日1980年代劉徳敏交通部民用航空局長就任。
DIA-105-1981-11-04-1台湾1981年11月04日1980年代張継正財政部長,外国人と華僑の証券投資に対する制限を緩和することに決めた,と言明。
DIA-105-1981-11-05-1台湾1981年11月05日1980年代行政院,蘇秋鎮立法委員の質問に対し,警備総司令部は「国防部参謀本部組織法」に基づいて設立された軍事機構であり,それの廃止はできない,と書面回答。
DIA-105-1981-11-06-1台湾1981年11月06日1980年代初代のドワール国駐台湾大使アイオナタナ氏,経国総統に親書を提出。
DIA-105-1981-11-10-1台湾1981年11月10日1980年代経済部農業局(張訓舜兼任局長),正式に成立。
DIA-105-1981-11-10-2台湾1981年11月10日1980年代行政院,生産事業機器設備投資減税法を公布。同法の適用期間は1981年10月19日から1983年10月18日まで。
DIA-105-1981-11-11-1台湾1981年11月11日1980年代行政院文化建設委員会,正式に成立。
DIA-105-1981-11-11-2台湾1981年11月11日1980年代外交部,サウジの中東和平8項目提案を支持。
DIA-105-1981-11-14-1台湾1981年11月14日1980年代台湾省第9回県,市長,第7回省議員,台北市第4回市議員および高雄市第1回市議員選挙が行なわれた。平均投票率71.82%。当選者平均年齢43.35歳。
DIA-105-1981-11-17-1台湾1981年11月17日1980年代立法院,「環境保護局組織条例」を通過。
DIA-105-1981-11-17-2台湾1981年11月17日1980年代国際貿易局,合成繊維関係20品目の輸入禁止を撤廃。
DIA-105-1981-11-18-1台湾1981年11月18日1980年代総統令:高魁元大将を総統府戦略顧問に,張国英国防部副部長を国防部代理に任命。
DIA-105-1981-11-20-1台湾1981年11月20日1980年代元台湾外交部長葉公超氏,台北で死去,77歳。
DIA-105-1981-11-20-2台湾1981年11月20日1980年代米国在台協会と北米事務協調委員会との間の機密情報を保護する協定,ワシントンで調印。
DIA-105-1981-11-22-1台湾1981年11月22日1980年代経済部,リン酸を用いてウランを精製する大型リン酸工場の建設計画を明らかにした。
DIA-105-1981-11-24-1台湾1981年11月24日1980年代モーガン・ギャランティー・パシフィック社,台湾銀行がアジアダラー市場で総額2000万ドルの変動利付き譲渡可能定期預金証書(CD)を発行する,と発表。
DIA-105-1981-11-25-1台湾1981年11月25日1980年代行政院(内閣)が大幅改造―8名の新閣僚が任命された。行政院副院長:邱創煥,政務委員:林金生,内政部長:林洋港,国防部長:宋長志,財政部長:徐立徳,経済部長:趙耀東,交通部長:連戦,蒙蔵委員長:薛人仰。このほか,文化建設委員会主任委員:陳奇禄。
DIA-105-1981-11-25-2台湾1981年11月25日1980年代軍首脳の異動―参謀総長:柏村,陸軍総司令:仲苓,警備総司令兼台湾軍管区司令:陳守山,総統府参軍長:馬安欄。
DIA-105-1981-11-25-3台湾1981年11月25日1980年代経国総統,徐慶鐘氏を総統府資政に,張継正および張光世両氏を総統府国策顧問に招聘。
DIA-105-1981-11-26-1台湾1981年11月26日1980年代総統令:李登輝氏を台湾省主席に,邵恩新氏を台北市長に任命。
DIA-105-1981-11-27-1台湾1981年11月27日1980年代オランダのアムステルダム・ロッテルダム銀行(中国名は安利銀行)台北事務所開設。
DIA-105-1981-11-28-1台湾1981年11月28日1980年代台湾・サウジアラビア政府間医務提携計画覚書,台北で調印。
DIA-105-1981-12-01-1台湾1981年12月01日1980年代行政院(内閣)の新体制が正式に発足。
DIA-105-1981-12-01-2台湾1981年12月01日1980年代国内肥料価格平均26.7%値上げ。
DIA-105-1981-12-02-1台湾1981年12月02日1980年代台湾,サウジアラビアとの間でサウジが1982年に日量5万バレル,年間766万5000バレルの軽油を含む1825万バレルの原油を台湾に直接売り渡す協定に調印。
DIA-105-1981-12-05-1台湾1981年12月05日1980年代台湾銀行,このほど東ドイツのゲルマン貿易銀行,ポーランドのハンドルウェイ・S・A銀行,チェコのチェコ商業銀行およびハンガリーのハンガリアン貿易銀行と外国為替のコルレス契約を結んだ。
DIA-105-1981-12-05-2台湾1981年12月05日1980年代中国鋼鉄公司,南アフリカ共和国鉄鋼会社と技術協力契約に調印。
DIA-105-1981-12-07-1台湾1981年12月07日1980年代孫運行政院長,インドネシアを非公式訪問―12月11日に帰国。趙耀東経済部長ら14人の随員が同行。訪問中,スハルト大統領,マリク副大統領らと会談。
DIA-105-1981-12-09-1台湾1981年12月09日1980年代日台第9回東亜経済人会議,高雄市で開催。
DIA-105-1981-12-10-1台湾1981年12月10日1980年代米下院,1982年援外法修正案を可決,台湾からの移民人数が別個に2万人と認められた。
DIA-105-1981-12-17-1台湾1981年12月17日1980年代中央銀行,再割引率など各種金利を0.5%引下げ。台北市銀行公会,銀行の預金金利を0.25~0.5%,貸付金利を0.5~0.75%それぞれ引下げることを実施。
DIA-105-1981-12-18-1台湾1981年12月18日1980年代台湾経済発展会議,台北で開催。
DIA-105-1981-12-20-1台湾1981年12月20日1980年代台湾省議会第7回議員,台湾省議会で就任式。高育仁氏を議長に,黄鎮岳氏を副議長に選出。
DIA-105-1981-12-22-1台湾1981年12月22日1980年代立法院,「民法総則部分条文修正案」および「民法総則施行法部分条文修正案」を通過。
DIA-105-1981-12-23-1台湾1981年12月23日1980年代経済部,エチレン,ベンゼンおよびシクロヘキサンの価格を大幅に値下げすることを発表。
DIA-105-1981-12-25-1台湾1981年12月25日1980年代サンケイ新聞,中国の廖承志全人代副委員長が12月23日に①「台湾武力解放」の放棄が党中央で決定,②国共間ですでに接触している,と言明したことを報道。一方,台湾の宋楚瑜新聞局長は12月24日①「武力放棄」は信用できない,②国共接触の事実はない,と反論。
DIA-105-1981-12-25-2台湾1981年12月25日1980年代苗栗,南投,斗六,新営および馬公の各鎮,県轄市に昇格。
DIA-105-1981-12-25-3台湾1981年12月25日1980年代台北市議会,張建邦氏を議長に,陳健治氏を副議長に選出。一方,高雄市議会,陳田錨氏を議長に,朱有福氏を副議長に選出。
DIA-105-1981-12-29-1台湾1981年12月29日1980年代米国務省フィッシャー報道官,12月11日に米議会に対し,台湾への軍事用部品売却計画(9700万ドル相当)を非公式通告したと確認。
DIA-105-1981-12-29-2台湾1981年12月29日1980年代総統令:郭汝霖大将を空軍総司令に任命。
DIA-105-1981-12-30-1台湾1981年12月30日1980年代行政院経済建設委員会,4カ年経済建設計画(1982―85年)を通過。
DIA-105-1981-12-30-2台湾1981年12月30日1980年代台湾・シンガポール租税協定,台北で調印。
DIA-105-1982-01-04-1台湾1982年01月04日1980年代行政院,証券市場を外国人および華僑に開放する案は近く検討を行なう,と表明。
DIA-105-1982-01-04-2台湾1982年01月04日1980年代外交部,観光旅券の有効期間を1年6カ月に延長。
DIA-105-1982-01-06-1台湾1982年01月06日1980年代中国鋼鉄公司の博次韓総経理,同公司第2期第3と第4段階の拡張工事は当分延期する,と述べた。
DIA-105-1982-01-07-1台湾1982年01月07日1980年代行政院,経済建設委員会が提出した経済建設4カ年(1982~85年)計画を承認。
DIA-105-1982-01-08-1台湾1982年01月08日1980年代立法院,開会法定人数を立法委員定員数(887名)の5分の1から7分の1(126名)に引下げ。
DIA-105-1982-01-08-2台湾1982年01月08日1980年代米国在台協会のジェームズ・リレー新台北事務所長,台北に着任。
DIA-105-1982-01-11-1台湾1982年01月11日1980年代米,台湾への新鋭戦闘機売却を拒否―米国務省は,(1)レーガン米大統領が台湾の新型戦闘機供与要請を拒否,(2)台湾が自衛に必要な武器やその部品の輸出は今後も続行,との声明を発表。
DIA-105-1982-01-12-1台湾1982年01月12日1980年代外交部の劉達人スポークスマン,11日の米国の台湾向け武器輸出声明について,(1)防衛用兵器を継続的に供給する政策は歓迎,(2)最新式戦闘機を売却する必要性がないことには同意できない,との声明を発表。
DIA-105-1982-01-13-1台湾1982年01月13日1980年代台湾バナナ輸出業者,日本業者との間で82年日本向けバナナ輸出量を500万カートンとすることに合意。
DIA-105-1982-01-15-1台湾1982年01月15日1980年代日本外務省の柳沢外務審議官,訪中を終えた米ホルドリッジ国務次官補と同省で会談,台湾向け武器輸出問題への日本政府の関心を伝え,円満な解決を要請。
DIA-105-1982-01-16-1台湾1982年01月16日1980年代孫運行政院長,香港駐在の日本人記者団と台北で会見,日本が中国に気兼ねしていることが日台貿易不均衡の原因になっている,と強い不満を表明。
DIA-105-1982-01-16-2台湾1982年01月16日1980年代第10回県市議員(定員799八),第9回郷鎮県市長(同312人)選挙,全省各地で投票。投票率75.71%。
DIA-105-1982-01-19-1台湾1982年01月19日1980年代行政院,財政赤字抑制のため,政府機構・部門の増設,公務員の増加等を厳しく制限する方針。なお,80年末の行政院所属各機関の公務員総数は41万4000人。
DIA-105-1982-01-19-2台湾1982年01月19日1980年代中華台北ソフトボール協会何明璋理事長,82年7月に台北で開催される第5回世界女子ソフトボール選手権大会では,中国チームにも招待状を出す,と発言。
DIA-105-1982-01-20-1台湾1982年01月20日1980年代行政院,立法院に1983年度の施政方針を提出。
DIA-105-1982-01-26-1台湾1982年01月26日1980年代北回り鉄道の新蘇漢駅付近で,台北発花蓮行快速列車の最後の客車が爆破,死者4名,重軽傷者13名。
DIA-105-1982-01-28-1台湾1982年01月28日1980年代ホルドリッジ米国務次官補,米上院外交委員会秘密聴聞会で,米国の台湾への武器売却に期限を設けるとの中国提案に対し,政府の指示により拒否したと報告。
DIA-105-1982-01-29-1台湾1982年01月29日1980年代行政院衛生署環境保護局,正式に成立。
DIA-105-1982-02-01-1台湾1982年02月01日1980年代米バンカーズ・トラスト社(中国名は信孚銀行)台北支店開設。外国銀行の台北支店としては24行目。
DIA-105-1982-02-01-2台湾1982年02月01日1980年代華同自動車生産の大型トラック4種発売。
DIA-105-1982-02-03-1台湾1982年02月03日1980年代国際貿易局,ブルガリアを共産圏輸入禁止国から除外する,と公告。
DIA-105-1982-02-05-1台湾1982年02月05日1980年代ドミニカ共和国ダワレス外交部長,訪台。
DIA-105-1982-02-07-1台湾1982年02月07日1980年代台湾当局,東沙,南沙群島を高雄市の管轄下に組入れることを決定。
DIA-105-1982-02-08-1台湾1982年02月08日1980年代第2次全国科学技術会議,台北で開催。
DIA-105-1982-02-08-2台湾1982年02月08日1980年代中山科学研究院の謝鴻倡計画処副処長,同院はすでに国防工業技術34項目を民間企業に移転した,と報告。
DIA-105-1982-02-08-3台湾1982年02月08日1980年代東京でのホテルニュージャパンの火災で,台湾人観光客12名が死亡。
DIA-105-1982-02-09-1台湾1982年02月09日1980年代台湾・南アフリカ共和国とうもろこし貿易協定,ヨハネスバーグで調印。1982年6月1日から1985年5月31日まで,毎年60万㌧を台湾に供給。
DIA-105-1982-02-13-1台湾1982年02月13日1980年代対日消費財輸入を全面禁止―経済部国際貿易局は,日台貿易不均衡を是正するため,日本製消費財1533品目について,台湾への輸入を禁止すると発表。
DIA-105-1982-02-13-2台湾1982年02月13日1980年代国際貿易局,日本からの120~400馬力のディーゼルェンジンと7㌧以上の大型トラック・バス(シャーシーを含む)の1年間輸入禁止を発表。
DIA-105-1982-02-16-1台湾1982年02月16日1980年代国際ソフトボール連盟ポーター事務局長と中華台北ソフトボール協会何明璋理事長,第5回女子ソフトボール世界選手権大会が82年7月2日から12日まで台北で開催する合意書に調印。
DIA-105-1982-02-16-2台湾1982年02月16日1980年代国際貿易局,輸入禁止の日本製消費財1533品目は,第3国経由の間接輸入を認めない,と発表。
DIA-105-1982-02-19-1台湾1982年02月19日1980年代中国鋼鉄公司,同公司の高雄製鉄所第2高炉(粗鋼日産能力5000㌧)の火入れ式を挙行。
DIA-105-1982-02-19-2台湾1982年02月19日1980年代宋長志国防部長,立法院で台湾はジェット戦闘機の国産化目標を達成するため,ジェットエンジンの研究開発を進めていることを明らかにした。
DIA-105-1982-02-19-3台湾1982年02月19日1980年代日本社民連の田英夫代表,台湾を私的訪問。
DIA-105-1982-02-23-1台湾1982年02月23日1980年代マーシャル共和国台北貿易代表事務所開設。
DIA-105-1982-02-25-1台湾1982年02月25日1980年代財政部,中央政府建設公債1981年度甲種第3期債券50億元を発行。
DIA-105-1982-02-26-1台湾1982年02月26日1980年代東京地裁,台湾人の元日本軍兵士ら13人が日本政府に対して戦死傷補償を求めた訴訟に対し,請求棄却の判決を言い渡した。
DIA-105-1982-02-26-2台湾1982年02月26日1980年代朱撫松外交部長,パラグァィ,ウルグァィ,ボリビア訪問に出発。
DIA-105-1982-03-01-1台湾1982年03月01日1980年代孫運行政院長,科学技術開発費を今後4年以内にGNPの1.2%に引上げる方針と言明。
DIA-105-1982-03-01-2台湾1982年03月01日1980年代台湾省第10回県市議員(799名)および第9回郷鎮県轄市長(312名),各地で就任宣誓式を挙行。
DIA-105-1982-03-01-3台湾1982年03月01日1980年代政府の報告によると,1981年に匯僑,高林,南聯,大輝および義新の5大貿易商社の輸出高実績は台湾の総輸出高の1%未満。
DIA-105-1982-03-02-1台湾1982年03月02日1980年代宋長志国防部長,現時点での台湾製軍用機の国産部品が40~50%に達している,と立法院で答弁。
DIA-105-1982-03-04-1台湾1982年03月04日1980年代交流協会の人見宏台北事務所長,亜東関係協会の張研田理事長を訪れ,台湾の対日輸入禁止措置について,即時解除を文書で申し入れた。
DIA-105-1982-03-04-2台湾1982年03月04日1980年代行政院,国民の海外移住を奨励する政策をとっていない,と述べた。
DIA-105-1982-03-05-1台湾1982年03月05日1980年代孫運行政院長,(1)農民の所得向上,(2)農民の耕作条件および生活環境の改善,(3)主要食糧の自給自足態勢の確立,など農業の基本政策を強調。
DIA-105-1982-03-09-1台湾1982年03月09日1980年代宋長志国防部長,治安維持のため,現行戒厳法と警備総司令部制度を変更する必要がない,と述べた。
DIA-105-1982-03-09-2台湾1982年03月09日1980年代趙耀東経済部長,政府は農民の生活を保護するため,農産物の輸入規制を強化したい,と述べた。
DIA-105-1982-03-10-1台湾1982年03月10日1980年代連戦交通部長,第2段階の造船3カ年計画が完成すれば,台湾の造船能力は年間1089万㌧,と報告。
DIA-105-1982-03-11-1台湾1982年03月11日1980年代法務部調査局,台北県議会の陳万富議長を選挙贈賄の容疑で逮捕。
DIA-105-1982-03-12-1台湾1982年03月12日1980年代銭復外交部次長,海外における台湾の公館数は全部で81カ所(うち,大使館21,総領事館5,領事館2,代表事務所53),と立法院で述べた。
DIA-105-1982-03-15-1台湾1982年03月15日1980年代眼病の治療を終えた経国総統,国家安全会議を招集し6週間ぶりに公務についた。
DIA-105-1982-03-18-1台湾1982年03月18日1980年代宋楚瑜新聞局長,中国が「台湾と公的関係を断て」という口上書を北京にある各大使館に送ったことについて,「中共の干渉は主権国家の権利を無視」と非難。
DIA-105-1982-03-24-1台湾1982年03月24日1980年代ソ連のブレジネフ書記長,タシケントの演説で「われわれは台湾における中国の主権を完全に承認してきたし,今も承認している」と述べた。
DIA-105-1982-03-24-2台湾1982年03月24日1980年代第5回日台紡績業首脳会議,台北で開催。
DIA-105-1982-03-25-1台湾1982年03月25日1980年代中国国際商業銀行,パリ駐在事務所を開設。
DIA-105-1982-03-25-2台湾1982年03月25日1980年代行政院,「観光資源開発委員会」の設置を承認。
DIA-105-1982-03-25-3台湾1982年03月25日1980年代台湾電力公司,電源開発費としてフランス商業銀行と総額1億㌦の協調融資に調印。
DIA-105-1982-03-27-1台湾1982年03月27日1980年代外交部,グァテマラ新政府を正式に承認。
DIA-105-1982-03-30-1台湾1982年03月30日1980年代中国石油化学工業開発公司と中台化学工業公司の両国営企業が合併。新会社名は中国石油化学開発公司。
DIA-105-1982-04-02-1台湾1982年04月02日1980年代米国アジア研究学会主催の辛亥革命シンポジウムがシカゴで開催。中国からは胡縄北京大学教授ら4名,台湾からは秦孝儀台湾大学教授ら5名が出席。
DIA-105-1982-04-06-1台湾1982年04月06日1980年代国際ソフトボール連盟(ISF)のポーター事務局長,台北で(1)第5回世界女子選手権大会は7月2日から台北で開催,(2)開幕式はIOC方式で行なう,と発表。
DIA-105-1982-04-08-1台湾1982年04月08日1980年代サウジアラビア石油当局,82年内に液化ガス10万㌧を中国石油公司に供給する,と正式に通告。
DIA-105-1982-04-08-2台湾1982年04月08日1980年代銭思亮中央研究院長,台湾におけるシンクロトロン放射設備を建設する計画を支持する,と発表。
DIA-105-1982-04-10-1台湾1982年04月10日1980年代大同公司,台湾初のVTR(VRH-1031型)の生産販売を開始。82年末までに月産1万台に拡大。
DIA-105-1982-04-13-1台湾1982年04月13日1980年代米国防総省カトー報道官,米国製軍用機部品6000万㌦分の台湾売却を実施し,議会に通告したと発表。
DIA-105-1982-04-14-1台湾1982年04月14日1980年代行政院,台湾の外貨準備金は主として世界の大手銀行の短期勘定に預金している,と説明。
DIA-105-1982-04-15-1台湾1982年04月15日1980年代総統令:台北市長に楊金氏,高雄市長に許水徳氏を任命。前任の台北市長邵恩新氏は病気のため辞職。
DIA-105-1982-04-15-2台湾1982年04月15日1980年代行政院,租税,融資などの優遇措置を内容とする「投資環境の改善および投資促進方案」を通過。
DIA-105-1982-04-17-1台湾1982年04月17日1980年代台北市銀行協会,銀行の預金金利を0.75~1%,貸付金利を1%引下げることを実施。一方,中央銀行も再割引率を年率1%引下げる,と発表。
DIA-105-1982-04-18-1台湾1982年04月18日1980年代中央社によれば,台湾向けの石油価格について,サウジは1バレル35.4㌦から34.6㌦,オマーンは35㌦から34.5㌦に引下げることに決定した。
DIA-105-1982-04-18-2台湾1982年04月18日1980年代モナコ公国の元首レーニエ3世およびグレース・ケリー王妃,台湾を訪問。
DIA-105-1982-04-22-1台湾1982年04月22日1980年代海軍艦隊,台湾南部の左営と高雄近海で対潜作戦に重点を置く大規模な演習を行なった。
DIA-105-1982-04-22-2台湾1982年04月22日1980年代中華台北ソフトボール協会,日本の第5回世界女子ソフトボール選手権大会への参加申込みは,4月15日の締切りを過ぎており,認められない,と発表。
DIA-105-1982-04-25-1台湾1982年04月25日1980年代唐君鉑中山科学研究院長,XAT-3式型双発ジェット訓練機を原型とするジェット戦闘機の試作や高速ミサイルコルベット艦の開発に成功した,と述べた。
DIA-105-1982-04-26-1台湾1982年04月26日1980年代国防部スポークスマン王淼少将,台湾が友好国の軍隊を訓練していると伝えた外電を否定。
DIA-105-1982-04-27-1台湾1982年04月27日1980年代立法院,「空気汚染防止法修正案」を通過。
DIA-105-1982-04-27-2台湾1982年04月27日1980年代トンガ王国ツポー4世国王夫妻,台湾を私的訪問。
DIA-105-1982-04-30-1台湾1982年04月30日1980年代リレイ米国在台協会台北事務所長,米輸出入銀行は台湾に総額22億ドル融資しているが,これは米輸銀の国別融資額では3位である,と述べた。
DIA-105-1982-04-30-2台湾1982年04月30日1980年代第9回日台「中国大陸間題」研究会議,台北で開催。
DIA-105-1982-05-01-1台湾1982年05月01日1980年代行政院,83年4月30日までに戦略産業と重要な生産事業が必要とする機械設備でまだ国産化されていないものについて,輸入関税を半減することを実施。
DIA-105-1982-05-02-1台湾1982年05月02日1980年代朱撫松外交部長,コスタリカの大統領就任式典に列席するため,台北を出発。
DIA-105-1982-05-06-1台湾1982年05月06日1980年代行政院,翡翠ダムの完工を1987年6月までに延長,総工費124億4720万元とする修正計画を可決。
DIA-105-1982-05-06-2台湾1982年05月06日1980年代行政院,「観光資源開発計画」を可決。
DIA-105-1982-05-11-1台湾1982年05月11日1980年代台湾政府,ブッシュ米副大統領の中国訪問中の発言やレーガン米大統領の中国首脳にあてた親書について,台湾の利益を無視したものとして,重大関心を表明。
DIA-105-1982-05-12-1台湾1982年05月12日1980年代張憲秋農業発展委員会主任委員,第2段階の農地改革の重点は農地経営面積の拡大,機械化の推進,農業生産性の向上および農業近代化の促進にあると述べた。
DIA-105-1982-05-13-1台湾1982年05月13日1980年代米国の台湾向け6000万㌦軍事部品売却計画,米議会の反対がなく“自然承認”された。
DIA-105-1982-05-13-2台湾1982年05月13日1980年代行政院,総統府国策顧問陶百川氏を中傷した台湾警備総司令部の文化工作員を処分した,と書面で答弁。
DIA-105-1982-05-17-1台湾1982年05月17日1980年代ホンジュラス共和国のプシロン国会議長,訪台。
DIA-105-1982-05-18-1台湾1982年05月18日1980年代立法院,「文化資産保存法」を通過。
DIA-105-1982-05-19-1台湾1982年05月19日1980年代台湾電力公司,低いレベルの放射能汚染固体廃棄物第1回分(ドラムかん288個)を蘭嶼の「国家放射性廃棄物貯蔵場」に貯蔵。
DIA-105-1982-05-20-1台湾1982年05月20日1980年代外交部の劉達人スポークスマン,国境談判に関する中国とインドのいかなる協議も認めない,と述べた。
DIA-105-1982-05-20-2台湾1982年05月20日1980年代米下院アジア太平洋地域小委員会,「台湾の戒厳令に関する公聴会」を開催。
DIA-105-1982-05-21-1台湾1982年05月21日1980年代趙耀東経済部長,国営企業の改革について,所有権と経営権の分離が必要である,と強調。
DIA-105-1982-05-21-2台湾1982年05月21日1980年代内政部,大陸へ里帰りした華僑の台湾入境規制緩和。
DIA-105-1982-05-22-1台湾1982年05月22日1980年代徐立徳財政部長,82年3月まで台湾の対外債務残高は56億9000万㌦,一方,82~85年に電源開発などに42億5000万㌦の海外借入れを予定している,と述べた。
DIA-105-1982-05-24-1台湾1982年05月24日1980年代行政院,蘇秋鎮立法委員の質問に対し,1949年11月から実施された戒厳令は,台湾が中国と依然敵対関係にあるので,簡単に解除できない,と書面で回答。
DIA-105-1982-05-25-1台湾1982年05月25日1980年代国際貿易局,日本製VTRの輸入規制措置を強化し,第3国経由のノックダウン方式による販売も禁止。
DIA-105-1982-05-27-1台湾1982年05月27日1980年代行政院,航空機事故の死亡者と重傷者の賠償金額の新基準は1人当り最低75万元,最高150万元と決定。
DIA-105-1982-05-29-1台湾1982年05月29日1980年代立法院,1983年度中央政府総予算案を通過一総予算額は前年比6.9%増の3382億9959万元。予算赤字286億3400万元は公債200億元などで埋合わせる方針。
DIA-105-1982-05-29-2台湾1982年05月29日1980年代ゴールドウォーター米上院議員,訪台。
DIA-105-1982-06-01-1台湾1982年06月01日1980年代中国鋼鉄公司熱間圧延工場,商業生産を開始。
DIA-105-1982-06-02-1台湾1982年06月02日1980年代経国国民党主席,中央常務委員会で「団結奮闘して,明るい前途を切り開こう」と題する談話を発表。
DIA-105-1982-06-03-1台湾1982年06月03日1980年代行政院,台湾国旗を掲げた華僑船舶は20年間徴用を免除するなど,華僑所有船の台湾登記申請を奨励する措置を通過。
DIA-105-1982-06-07-1台湾1982年06月07日1980年代立法委員日台友好訪問団一行,東京に到着。 8日)第11回米台「中国大陸問題」研究会台北で開催。
DIA-105-1982-06-10-1台湾1982年06月10日1980年代マーシャル共和国カブア総統,台湾を私的訪問。
DIA-105-1982-06-10-2台湾1982年06月10日1980年代孫運行政院長,「中国問題と中国統一」と題する講演を行ない,中国統一に対する台湾政府の立場を説明。
DIA-105-1982-06-10-3台湾1982年06月10日1980年代第16回閣僚級台韓経済協力会議,台北で開催。
DIA-105-1982-06-10-4台湾1982年06月10日1980年代監察院,第4回最高裁判官補充人事に楊日然,楊建華,李鐘声,馬漢宝ら4名を任命することに同意。
DIA-105-1982-06-12-1台湾1982年06月12日1980年代ロンバーク米国務省副報道官,6月10日の中国統一に関する孫行政院長の見解を歓迎する,と述べた。
DIA-105-1982-06-12-2台湾1982年06月12日1980年代台湾省第12回郷鎮県轄市民代表および村里長選挙,各地で行なわれた。
DIA-105-1982-06-12-3台湾1982年06月12日1980年代中国石油公司,マーシャル群島の陸上と海域の石油探鉱および硫黄物採鉱の独占権を獲得した,と発表。
DIA-105-1982-06-14-1台湾1982年06月14日1980年代行政院,国防部が長,短期発展計画を立て,独自の国防体制の樹立に努力することを明らかにした。
DIA-105-1982-06-14-2台湾1982年06月14日1980年代行政院,台湾は核兵器を開発する潜在力を有するが,決して核兵器を製造しない,と重ねて強調。
DIA-105-1982-06-17-1台湾1982年06月17日1980年代ハィチ共和国の初代駐台湾大使レイモンド・ラドリン氏,経国総統に信任状を提出。
DIA-105-1982-06-17-2台湾1982年06月17日1980年代朱撫松外交部長,台湾政府の特使としてサウジアラビア王国の故ハリド国王の葬儀とファハド新国王の即位式典に参列するため,台北を出発。
DIA-105-1982-06-18-1台湾1982年06月18日1980年代立法院,「税関輸入税則改正案」を通過。
DIA-105-1982-06-21-1台湾1982年06月21日1980年代82年度全国農業会議,台北で開催。
DIA-105-1982-06-21-2台湾1982年06月21日1980年代台湾銀行,円建L/C業務を開始。
DIA-105-1982-06-26-1台湾1982年06月26日1980年代国防部の王淼スポークスマン,愛国自強基金を運用してすでにM48A3型戦車14両を購入,と述べた。
DIA-105-1982-06-27-1台湾1982年06月27日1980年代行政院,公務員は反乱組織と認定された「台湾独立連盟」に手に握られている「世界台湾同郷会連合会」の集会に出席してはならない,と警告。
DIA-105-1982-06-28-1台湾1982年06月28日1980年代中央銀行,支払準備率を1~2%引下げ。
DIA-105-1982-06-29-1台湾1982年06月29日1980年代中国鋼鉄公司第1期第2段階工事(78年7月起工,総投資額555億元)完了,粗鋼生産能力325万㌧。
DIA-105-1982-06-29-2台湾1982年06月29日1980年代無党派の中央民意代表康寧祥,黄煌雄,張徳銘,尤清ら4氏,アメリカを訪問。
DIA-105-1982-06-30-1台湾1982年06月30日1980年代屏東一がらん鼻間道路4車線拡張工事(108㌔,総工事費30億元)完成。
DIA-105-1982-07-01-1台湾1982年07月01日1980年代新竹および嘉義両市,省轄市に昇格。
DIA-105-1982-07-01-2台湾1982年07月01日1980年代王昭明経済部次長,石油の国営化政策に基づき,ガソリンスタンドを民営化する考えはない,と述べた。
DIA-105-1982-07-01-3台湾1982年07月01日1980年代東部幹線鉄道(宜蘭線,北回り線,台東線を合併,全長175.7キロメートル)の軌道拡幅工事(78年7月起工,総工事費51億7793万元)完成,正式に開通。
DIA-105-1982-07-01-4台湾1982年07月01日1980年代経済部工業投資連合サービスセンター成立。
DIA-105-1982-07-02-1台湾1982年07月02日1980年代フランスから購入したA300B4型エアバス旅客機の最初の1機(全部で4機),台北に到着。
DIA-105-1982-07-03-1台湾1982年07月03日1980年代第5回世界女子ソフトボール選手権大会,台北で開幕。23カ国参加,中国,日本不参加。
DIA-105-1982-07-05-1台湾1982年07月05日1980年代行政院,警備総司令部は軍の系統に属しているため,立法院の答弁に出席する必要はない,と書面回答。
DIA-105-1982-07-06-1台湾1982年07月06日1980年代立法院,「角膜移植条例」を通過。
DIA-105-1982-07-12-1台湾1982年07月12日1980年代台北市銀行協会,金利の引下げを実施。引下げ幅は貸出金利1~1.25%,預金金利0.5~1%。
DIA-105-1982-07-12-2台湾1982年07月12日1980年代1982年国家建設研究会,台北で開催。参加者193人。
DIA-105-1982-07-14-1台湾1982年07月14日1980年代東雲化繊公司,ジャカルタでインドネシアの2国営紡績会社とポリエステル生産プラント(日産量100㌧)の輸出契約(4700万㌦)を交わした。
DIA-105-1982-07-15-1台湾1982年07月15日1980年代行政院,「東アジアにおける台湾の経済および貿易の地位を向上させるための計画」(台北市世界貿易センター,自由貿易区,金融センター等設立)を認可。
DIA-105-1982-07-15-2台湾1982年07月15日1980年代警備総司令部,中国からの亡命漁民鄭貞通を中国のために情報を集めた容疑で14年の有期懲役を判決。
DIA-105-1982-07-16-1台湾1982年07月16日1980年代中央銀行,台湾の外国為替認可銀行30行に対し,日本円での取引を認可する,と発表。
DIA-105-1982-07-16-2台湾1982年07月16日1980年代立法院,「投資奨励条例部分条文修正案」を通過。
DIA-105-1982-07-19-1台湾1982年07月19日1980年代中国石油公司,苗栗県頭屋郷の錦水79号油井で天然ガスを発見,日量5万立方㍍,と発表。
DIA-105-1982-07-19-2台湾1982年07月19日1980年代財政部,香港上海銀行の台北駐在事務所開設申請を認可。
DIA-105-1982-07-20-1台湾1982年07月20日1980年代江崎使節団訪台―江崎真澄自民党国際経済対策特別調査会会長を団長とする使節団一行18人が7月23日まで台湾を訪問。
DIA-105-1982-07-21-1台湾1982年07月21日1980年代経国総統,総統府で江崎使節団9人と会見。
DIA-105-1982-07-22-1台湾1982年07月22日1980年代経済部,「商品標示法」を施行。
DIA-105-1982-07-28-1台湾1982年07月28日1980年代米GM社,華同自動車に対し保護政策をとらない理由で,華同から資本を撤収する,と経済部に通告。
DIA-105-1982-07-31-1台湾1982年07月31日1980年代行政院,戦略産業を育成するため,機械および情報処理電子産業の中から145の特別優遇品目を選択。
DIA-105-1982-07-31-2台湾1982年07月31日1980年代台湾政府,日本の教科書検定問題で,亜東関係協会を通じて交流協会台北事務所に覚書を手渡す。
DIA-105-1982-08-01-1台湾1982年08月01日1980年代台湾省各県市第12回郷鎮県轄市民代表3700人(うち女性486人)就任。
DIA-105-1982-08-05-1台湾1982年08月05日1980年代行政院,「台湾地区4カ年家族計画強化案」を認可。1986年の人口増加率の目標は1.59%以下。
DIA-105-1982-08-06-1台湾1982年08月06日1980年代亜東関係脇会駐東京事務所の張超英新聞組長,日本の教科書検定問題について,台湾の立場を説明。
DIA-105-1982-08-06-2台湾1982年08月06日1980年代台湾政府,148人のベトナム難民を収容。9日)財政部,台湾にある外国銀行支店の預金受入れ限度額をこれまでの10億元から20億元に拡大。
DIA-105-1982-08-06-3台湾1982年08月06日1980年代第13回世界華商貿易会議,ウィーンで開催。
DIA-105-1982-08-11-1台湾1982年08月11日1980年代台湾機械公司,米GM社が華同自動車に投資していた資本金と金利1201万4961.5㌦を返済。
DIA-105-1982-08-11-2台湾1982年08月11日1980年代日本の歴史教科書検定に反対する台湾の大学教授・学生グループ,5万人の署名簿を交流協会台北事務所の下荒地修二所員に手渡す。
DIA-105-1982-08-16-1台湾1982年08月16日1980年代邱創煥行政院副院長,政府の特使としてドミニカ共和国ブランコ大統領の就任式典に列席。
DIA-105-1982-08-17-1台湾1982年08月17日1980年代米国の対台湾武器売却に関する米中共同声明発表対台湾武器売却を最終解決に向けて徐々に削減。
DIA-105-1982-08-17-2台湾1982年08月17日1980年代外交部,米中共同声明に含まれているいかなる合意も無効であるとの立場を表明。
DIA-105-1982-08-17-3台湾1982年08月17日1980年代米国在住の宋美齢女史,経国総統と直接会談を呼びかけた中国の廖承志書簡(7月24日)に対し,廖氏が「反共復国」に参加するようという内容の公開状を発表。
DIA-105-1982-08-18-1台湾1982年08月18日1980年代経建会,観光事業発展4カ年計画を通過。
DIA-105-1982-08-19-1台湾1982年08月19日1980年代行政院,「水汚染防治法」修正草案を認可。
DIA-105-1982-08-19-2台湾1982年08月19日1980年代米国防総省,F5E,F5F各30機(生産するための2億4000万ドル相当の主要装備を売却)を今後2年半にわたって台湾と共同生産する,と米議会に正式に通告。
DIA-105-1982-08-20-1台湾1982年08月20日1980年代台北地検,台湾土地銀行古亭支店の強盗事件で容疑にかけられた王迎先氏(真犯人は李師科)が取調べの過程で死亡した責任問題として,刑事5名を起訴。
DIA-105-1982-08-21-1台湾1982年08月21日1980年代趙耀東経済部長,1533品目の対日消費財輸入禁止措置の一部842品目を解除する,と発表。
DIA-105-1982-08-22-1台湾1982年08月22日1980年代何桂全理事を団長とする香港の佳寧企業集団,26日まで台湾各地を視察,投資の可能性について打診。
DIA-105-1982-08-23-1台湾1982年08月23日1980年代行政院原子力委員会と台湾電力公司,台湾は高速増殖炉(FBR)時代の準備に着手すべし,と強調。
DIA-105-1982-08-26-1台湾1982年08月26日1980年代行政院,「科学技術発展計画改正案」を認可。
DIA-105-1982-08-27-1台湾1982年08月27日1980年代林洋港内政部長,台湾の人口は1905年以来6倍に増え,これ以上人口を増やす空間も資源もないと警告。
DIA-105-1982-08-28-1台湾1982年08月28日1980年代国防部の王淼スポースクマン,中国は8月7日から福建沿岸で水陸両用の軍事演習を行ない,台湾の武力進攻の意図を放棄していないことを示す,と述べた。
DIA-105-1982-09-01-1台湾1982年09月01日1980年代「農産品市場交易法」実施。
DIA-105-1982-09-01-2台湾1982年09月01日1980年代中央銀行,指定銀行と取引先との協議による決定に代え,銀行自身が決定する外為レート調整方式を実施。
DIA-105-1982-09-01-3台湾1982年09月01日1980年代内政部,面積3万2640ヘクタールの墾丁風景特定区を第1号国立公園に指定。
DIA-105-1982-09-01-4台湾1982年09月01日1980年代行政院主計処,81年の台湾の実質経済成長率は,5.04%,1人当りGNPは2360㌦,と発表。
DIA-105-1982-09-01-5台湾1982年09月01日1980年代張豊緒行政院政務委員,スワジランド王国のソブフザ2世の国葬に参列するため,台北を出発。
DIA-105-1982-09-07-1台湾1982年09月07日1980年代行政院,東カリブ海のアンチグアとバミューダ諸島に貿易事務所を設置することに決定。
DIA-105-1982-09-08-1台湾1982年09月08日1980年代米海軍省,駆逐艦2隻(1940年建造)を台湾に売却することを米議会に正式に通告。
DIA-105-1982-09-09-1台湾1982年09月09日1980年代交流協会台北事務所の渡瀬宏所長代理,日本政府の訓令を受け,教科書検定間題について,亜東関係協会に覚書を手交。
DIA-105-1982-09-09-2台湾1982年09月09日1980年代行政院,エクアドル,パナマ,ハイチ3カ国との農業技術または漁業技術の協力協定をそれぞれ2年間延長。
DIA-105-1982-09-12-1台湾1982年09月12日1980年代南アフリカ共和国のハワード財政相訪台。
DIA-105-1982-09-16-1台湾1982年09月16日1980年代行政院,1983年度上半期中央政府建設公債発行計画額150億元を通過。
DIA-105-1982-09-17-1台湾1982年09月17日1980年代台北市銀行協会,貯蓄および定期預金ならびに貸付の金利を年率0.75~1%引下げる,と発表。
DIA-105-1982-09-18-1台湾1982年09月18日1980年代審計部,82年3月まで中国造船公司が米エクソン社とクウェート国家石油会社の発注で10隻のタンカーを建造,すでに14億486万元の赤字が生じた,と指摘。
DIA-105-1982-09-18-2台湾1982年09月18日1980年代中国の文学者魯迅の孫で日本に留学中の周令飛氏,同じく日本に留学中の台湾留学生張純華女史と結婚するため,台湾に亡命,共産党員の身分を放棄した,と声明。
DIA-105-1982-09-21-1台湾1982年09月21日1980年代孫運落行政院長,英国と中国が妥結したいかなる香港に関する取り決めについても,台湾政府は一切承認しない,と立法院で答弁。
DIA-105-1982-09-21-2台湾1982年09月21日1980年代宋長志国防部長,戒厳法の実施は敵に対処するためで,国内同胞に対処するためではない,と立法院で強調。
DIA-105-1982-09-22-1台湾1982年09月22日1980年代超耀東経済部長,在台日本企業代表者との座談会で,日本人の台湾投資を歓迎するが,しかし,台湾を日本の経済植民地とみなしてはならない,と述べた。
DIA-105-1982-09-23-1台湾1982年09月23日1980年代行政院,「華僑外国人証券投資計画案」を可決。
DIA-105-1982-09-24-1台湾1982年09月24日1980年代林洋港内政部長,国家の利益を守るため,いかなる新党の結成も許容しない,と立法院で答弁。
DIA-105-1982-09-28-1台湾1982年09月28日1980年代無党派民意代表,台北市中山堂で6項目の「共同政治主張」を発表。黄信介,張俊宏,姚嘉文,林弘宣ら署名入りの「美麗島受難者共同声明」も配布。
DIA-105-1982-09-30-1台湾1982年09月30日1980年代嘉義阿里山間の道路(全長74㌔)開通。
DIA-105-1982-10-01-1台湾1982年10月01日1980年代行政院自由貿易区開設準備特別小委員会の張光世委員長,台湾が開設する自由貿易区の優遇条件は香港,シンガポールの現行条件を上回ることを目標,と発表。
DIA-105-1982-10-05-1台湾1982年10月05日1980年代台湾警備総司令部,電子技術を中国に提供した杜紹渓,張栄の2人を反乱罪の容疑で逮捕したと発表。
DIA-105-1982-10-05-2台湾1982年10月05日1980年代林洋港内政部長,台湾省主席,台北・高雄の両直轄市長を近い将来,民選制に変更する考えはない,と言明。
DIA-105-1982-10-07-1台湾1982年10月07日1980年代行政院,立法委員の質問に対し,高雄事件の受刑者は刑務所で差別待遇を受けていない,と書面で回答。
DIA-105-1982-10-10-1台湾1982年10月10日1980年代林金生行政院政務委員,政府特使としてボリビア共和国レス大統領の就任式典に列席。
DIA-105-1982-10-10-2台湾1982年10月10日1980年代市民,華僑など25万人が参加した双十節式典,台北市総統府広場で開催。経国総統,5分間のあいさつをした後退場。
DIA-105-1982-10-10-3台湾1982年10月10日1980年代岸信介氏ら日華議員懇談会員11人双十節式典列席。
DIA-105-1982-10-13-1台湾1982年10月13日1980年代8月29日に出発した第7次米国商品特別買付団(団長・張訓舜経済部次長)帰国,買付額5億6000万㌦。
DIA-105-1982-10-14-1台湾1982年10月14日1980年代新竹科学園区の何宜慈管理局長,同園区に入居した企業40社のうち27社はすでに操業を開始,と述べた。
DIA-105-1982-10-15-1台湾1982年10月15日1980年代孫運行政院長,台湾独立の分離意識は徹底的に排除しなければならない,と立法院で答弁。
DIA-105-1982-10-16-1台湾1982年10月16日1980年代ソ連反体制作家ソルジェニーツィン氏,呉三連文芸賞基金の招きで,台湾を訪問。10月26日まで滞在。
DIA-105-1982-10-17-1台湾1982年10月17日1980年代宋楚瑜新聞局長,中国の東中国海でのSLBM(潜水艦発射ミサイル)の発射実験について,台湾およびアジア・太平洋全域への脅威である,と論評。
DIA-105-1982-10-18-1台湾1982年10月18日1980年代柴沢民駐米中国大使,シュースミス米国務次官補代行に対し,クラーク米大統領補佐官らが台湾の駐米機関主催の双十節レセプションに出席したことに抗議。
DIA-105-1982-10-21-1台湾1982年10月21日1980年代「三民主義による中国統一大同盟」成立。
DIA-105-1982-10-22-1台湾1982年10月22日1980年代宋長志国防部長,防衛予算はこの数年間,GNPの約8.5%を占めている,と立法院て答弁。
DIA-105-1982-10-22-2台湾1982年10月22日1980年代趙耀東経済部長,第4原子力発電所(出力95万kW2基)の建設は1985年以降に延期する,と立法院で答弁。
DIA-105-1982-10-23-1台湾1982年10月23日1980年代台湾機械公司,独自の設計による大型船舶用のシリンダ第1号(重量23㌧)の鋳造に成功したと発表。
DIA-105-1982-10-28-1台湾1982年10月28日1980年代亜東関係協会および交流協会主催の第7回日台経済貿易会議,台北で開催。
DIA-105-1982-10-28-2台湾1982年10月28日1980年代ソロモン諸島のマロニ首相,台湾を訪問。
DIA-105-1982-10-28-3台湾1982年10月28日1980年代行政院,台湾・グァテマラ共和国の政府間農業技術協力協定の条項追補議定書を議定。
DIA-105-1982-10-31-1台湾1982年10月31日1980年代10月16日山東省登文空軍基地からミグ19型戦闘機で韓国ソウル近郊に亡命した中国空軍の呉栄根操縦士,台湾に到着。
DIA-105-1982-11-01-1台湾1982年11月01日1980年代西太平洋地区安全・協力会議,台北で開催。
DIA-105-1982-11-01-2台湾1982年11月01日1980年代セイント・ビンセント国タニス外相,台湾を訪問。
DIA-105-1982-11-03-1台湾1982年11月03日1980年代蕭万長国際貿易局長,貿易商の組織機能を強化し,自由開放の貿易政策を執行する,と立法院で報告。
DIA-105-1982-11-04-1台湾1982年11月04日1980年代行政院,「第2段階農地改革案」を可決。
DIA-105-1982-11-05-1台湾1982年11月05日1980年代立法院,「台湾省建設公債発行条例」を通過。
DIA-105-1982-11-05-2台湾1982年11月05日1980年代国防部,柏村参謀総長が中山科学研究院長を兼任する,と発表。
DIA-105-1982-11-08-1台湾1982年11月08日1980年代国防部,台湾への亡命を認められた中国空軍の呉栄根操縦士を空軍少佐に任命,賞金として金の延べ棒186㌔(約7億4000万円相当)を贈与。
DIA-105-1982-11-09-1台湾1982年11月09日1980年代立法院,「国民体育法」修正案を通過。
DIA-105-1982-11-09-2台湾1982年11月09日1980年代米台第6回商工界経済協力会議,台北で開催。
DIA-105-1982-11-10-1台湾1982年11月10日1980年代李登輝台湾省主席,南アフリカ共和国を訪問するため,台北を出発。
DIA-105-1982-11-11-1台湾1982年11月11日1980年代外交部の劉達人スポークスマン,ソ連のブレジネフ書記長の急死について,ソ連の世界侵略政策になんら変化がないだろう,と論評。
DIA-105-1982-11-11-2台湾1982年11月11日1980年代行政院,玉山(面積10万5490ha)および陽明山(1万ha)を国家公園に指定することに決定。
DIA-105-1982-11-11-3台湾1982年11月11日1980年代第5回台湾・南アフリカ共和国経済・技術協力閣僚会議,プレトリアで開催。趙耀東経済部長ら出席。
DIA-105-1982-11-16-1台湾1982年11月16日1980年代アジア競技連盟(AGF)の実行委員会および評議委員会,台湾から提出されていた再加盟申請を書類不備という理由で保留扱いに決定。
DIA-105-1982-11-19-1台湾1982年11月19日1980年代新聞局,11月17日から2日間栄民総医院で健康診断を受けた経国総統の健康状態は良好で,長期の糖尿病に伴う足の末梢神経炎も著しく回復した,と発表。
DIA-105-1982-11-20-1台湾1982年11月20日1980年代米マニュファクチャラーズ・ハノーバー・トラスト社(中国名は漢華銀行)台北支店開設。
DIA-105-1982-11-20-2台湾1982年11月20日1980年代北米事務協調委員会,銭復前外交部政務次官を同委員会駐米代表に招聘した,と発表。
DIA-105-1982-11-22-1台湾1982年11月22日1980年代経済部,日本製消費財の輸入禁止解除措置としてさらに689品目を追加。輸入禁止対象は7品目のみ。
DIA-105-1982-11-22-2台湾1982年11月22日1980年代行政院の鍾時益主計長,1983年度中央政府総予算の歳入欠陥は265億元に達する見込み,と立法院で報告。
DIA-105-1982-11-23-1台湾1982年11月23日1980年代立法院,「交通部組織法修正案」を通過。
DIA-105-1982-11-24-1台湾1982年11月24日1980年代日本商工会議所永野重雄会頭,台北で開かれるアジア商工会議所連合会第9回総会への出席取りやめ。
DIA-105-1982-11-25-1台湾1982年11月25日1980年代スイスの台北駐在貿易事務所発足。
DIA-105-1982-11-26-1台湾1982年11月26日1980年代外交部の劉達人スポークスマン,南沙および西沙群島に対する台湾の主権を重ねて主張。
DIA-105-1982-11-28-1台湾1982年11月28日1980年代レソト王国のジョナサン首相,12月3日まで台湾を公式訪問。モラポ外相兼情報相も随行。
DIA-105-1982-12-02-1台湾1982年12月02日1980年代第10回東亜経済人会議,東京で開催。
DIA-105-1982-12-02-2台湾1982年12月02日1980年代台湾電力公司,出力55万kW火力発電所の建設資金として米輸銀から1億9000万㌦を借入れる契約に調印。
DIA-105-1982-12-05-1台湾1982年12月05日1980年代立法院,「商業団体法修正案」を通過。
DIA-105-1982-12-09-1台湾1982年12月09日1980年代台湾,サウジアラビアとの間に向う3年間サウジから日量5万バレルの石油を輸入する契約に調印。
DIA-105-1982-12-09-2台湾1982年12月09日1980年代スウェーデンの台北駐在商工代表事務所開設。
DIA-105-1982-12-09-3台湾1982年12月09日1980年代趙耀東経済部長,日本の大手商社を国内貿易業者との合弁事業計画に招請する方針,と述べた。
DIA-105-1982-12-10-1台湾1982年12月10日1980年代コスタリカ共和国のフェード第1副総統,訪台。
DIA-105-1982-12-11-1台湾1982年12月11日1980年代台湾警備総司令部,12月15日より新竹,苗栗等7県の山岳地区に「開放区」と「遊覧管制区」を設置して,立入り規制措置を緩和する,と発表。
DIA-105-1982-12-12-1台湾1982年12月12日1980年代台湾,コスタリカ共和国第7回経済技術会議,台北で開催。
DIA-105-1982-12-13-1台湾1982年12月13日1980年代中国時報,台湾電力公司がフランスのコゲマ社および英国のRTZ社との間で,原子力発電所用のウラ ン燃料6億ドル相当の購入契約に調印,と発表。
DIA-105-1982-12-13-2台湾1982年12月13日1980年代黄鏡峯糧食局長,82年の玄米総生産量は240万6000㌧,計画目標を14.57%上回った,と報道。
DIA-105-1982-12-16-1台湾1982年12月16日1980年代行政院,「台湾人口政策綱領」修正案および「人口政策実施強化案」を可決。
DIA-105-1982-12-16-2台湾1982年12月16日1980年代経済建設委員会,日台間の貿易不均衡是正の環として,日本の台湾への直接投資を増やすよう呼びかけ。
DIA-105-1982-12-20-1台湾1982年12月20日1980年代行政院,資本誘致の環として,台湾が香港住民の外貨預金受け入れ開始を計画している,と述べた。
DIA-105-1982-12-20-2台湾1982年12月20日1980年代行政院,台湾留学生が海外で中国留学生と接触することについて,禁止もしなければ奨励もしないと述べた。
DIA-105-1982-12-21-1台湾1982年12月21日1980年代中央銀行および財政部主催の「全国金融業務検討会」,台北で開催。
DIA-105-1982-12-22-1台湾1982年12月22日1980年代張国英国防部副部長,軍の刑務所には2・28事件当時の受刑者は1人もいない,と許栄淑立法委員に回答。
DIA-105-1982-12-23-1台湾1982年12月23日1980年代台湾,トヨタとの乗用車合弁に合意―趙耀東経済部長と豊田英一トヨタ自動車会長が台北で発表。1994年頃には年産30万台の小型乗用車生産を目標。
DIA-105-1982-12-23-2台湾1982年12月23日1980年代行政院,「1983年台湾経済建設計画」を可決。経済成長率目標5.5%,工業5.4%,物価5%以下。
DIA-105-1982-12-27-1台湾1982年12月27日1980年代交通部電信総局,台中市の黎明局―北屯局間に設置した8500㍍の無中継光通信システムを運用開始。
DIA-105-1982-12-28-1台湾1982年12月28日1980年代立法院,「所得税法部分条文修正案」を通過。
DIA-105-1982-12-30-1台湾1982年12月30日1980年代台北市銀行協会,貸出金利および預金金利をそれぞれ0.75%引下げることを実施。
DIA-105-1982-12-31-1台湾1982年12月31日1980年代鄭為元将軍,中華台北オリンピック委員会主席に就任。
DIA-105-1983-01-04-1台湾1983年01月04日1980年代北米事務協調委員会の銭復駐米代表、ワシントンに赴任。
DIA-105-1983-01-06-1台湾1983年01月06日1980年代「人口と家族計画国際研究会議」、台北で開催。
DIA-105-1983-01-06-2台湾1983年01月06日1980年代国民党台湾省第12回全省代表大会、台中の中興新村で開催。全省各地の代表400余人が参加。
DIA-105-1983-01-07-1台湾1983年01月07日1980年代工業技術研究院エネルギー研究所、新竹で台湾初のソーラー・ハウスの開発に成功。
DIA-105-1983-01-08-1台湾1983年01月08日1980年代治安当局、1月3日に長崎県出身の日本人女性前田光枝(1982年12月31日台湾入り)を中共支援下の海外反乱組織の手先を務めた容疑で逮捕した、と表明。
DIA-105-1983-01-12-1台湾1983年01月12日1980年代行政院経済建設委員会、苗栗県で鯉魚潭ダム(総工費103億3800万元、年放水能力2億5900万㌧)を建設する計画を決定。
DIA-105-1983-01-14-1台湾1983年01月14日1980年代立法院、「商標法部分条文修正案」を通過。
DIA-105-1983-01-15-1台湾1983年01月15日1980年代中国大陸災胞救済総会、1982年まで台湾が収容したベトナム難民は1万3197名、うち1708名がすでに第三国に定住、と述べた。
DIA-105-1983-01-17-1台湾1983年01月17日1980年代行政院、立法院に1984年度施政方針を提出。
DIA-105-1983-01-17-2台湾1983年01月17日1980年代朱撫松外交部長、1982年12月の国際会議で署名国が100カ国を上回った海洋法について、台湾は同法の署名国ではないが、条件付でこれを受入れたい、と述べた。
DIA-105-1983-01-18-1台湾1983年01月18日1980年代台湾区廃船解体工程工業協会、1982年に215隻の廃船を解体、排水量299万㌧に達した、と発表。
DIA-105-1983-01-18-2台湾1983年01月18日1980年代財政部、84年度予算の概算5%、赤字幅200億元、と発表。
DIA-105-1983-01-21-1台湾1983年01月21日1980年代徐立徳財政部長、台米技術協力研究会で、1982年末現在の国債残額はGNPの1.85%にすぎず、またDSRも長年5%を下回っている、と述べた。
DIA-105-1983-01-25-1台湾1983年01月25日1980年代オランダ政府、中華航空(CAL)のオランダへの着陸権を正丸に認可。
DIA-105-1983-01-25-2台湾1983年01月25日1980年代台湾省交通処、台北~高雄間に新幹線鉄道を建設し両大都市間の乗車所要時間を2時間以下に短縮する計画を検討中と明らかにした。建設費用約67.5億㌦。
DIA-105-1983-01-26-1台湾1983年01月26日1980年代国際貿易局、1982年2月13日から実施した日本製トラヅクおよびバスの輸入禁止をさらに1年延期。
DIA-105-1983-01-28-1台湾1983年01月28日1980年代中国石油公司とエクアドル国営石油会社、今年の1月に遡ってエクアドルから日量1万バレルの石油輸入に関する契約に調印。
DIA-105-1983-01-28-2台湾1983年01月28日1980年代国防部、全長130キロメートルの海岸風景区42カ所の軍事管制を解除。
DIA-105-1983-01-31-1台湾1983年01月31日1980年代中国鋼鉄公司の劉曽理事長、同公司とトヨタ自動車との間に調印された合弁協議書の主要内容公表。
DIA-105-1983-02-01-1台湾1983年02月01日1980年代財政部、基隆港からの入国観光客の携帯手荷物に対する制限を一部緩和する措置を実施。
DIA-105-1983-02-02-1台湾1983年02月02日1980年代オランダ外務省、同国のチャーター便会社マルチンエアと中華航空との空路開設協定について、中国が1月31日に抗議を行なったことを明らかにした。
DIA-105-1983-02-05-1台湾1983年02月05日1980年代サウジアラビアのジュベイルに建設された台湾との合弁企業である尿素肥料工場(年間生産能力50万㌧)正式に生産を開始。
DIA-105-1983-02-08-1台湾1983年02月08日1980年代米政府、既契約分のF104戦闘機66機の一部の台湾向け供与を開始。うち23機はすでに1982年12月に積出された。
DIA-105-1983-02-08-2台湾1983年02月08日1980年代孫運行政院長、アジア開発銀行(ADB)の忠実なメンバーである台湾は、いかなることがあっても自ら脱会する意志がない、と言明。
DIA-105-1983-02-09-1台湾1983年02月09日1980年代台湾警備総司令部、中共と結託して、不法手段による政府転覆予備罪で逮捕された楊煥西に対し、3年の感化処分に決定した、と発表。
DIA-105-1983-02-09-2台湾1983年02月09日1980年代エクアドル政府、極東地域向け石油販路拡大の拠点として、台北に通商事務所を開設する考え、と発表。
DIA-105-1983-02-10-1台湾1983年02月10日1980年代行政院、台湾・エクアドル漁業協定の有効期間(1月27日満了)の2年間延長を承認。
DIA-105-1983-02-15-1台湾1983年02月15日1980年代オランダのチャーター便会社マルチンエア貨物航空機、テスト運航として桃園の中正国際空港に着陸。
DIA-105-1983-02-19-1台湾1983年02月19日1980年代国際貿易局、VTRの輸入禁止を実施。
DIA-105-1983-02-20-1台湾1983年02月20日1980年代行政院衛生署とサウジアラビア保健省の医療技術協力取決め、リヤドで締結。
DIA-105-1983-02-20-2台湾1983年02月20日1980年代台湾省政府水利局、今後20年間に840億元を投じて、大小のダム合わせて20カ所を建設する予定、と発表。
DIA-105-1983-02-22-1台湾1983年02月22日1980年代中国石油公司、海外市場の供給過剰と国内の十分な備蓄を考慮して、83年1月から原油輸入量を5%カットしていることを明らかにした。
DIA-105-1983-02-23-1台湾1983年02月23日1980年代レーガン米大統領、週刊誌『ヒューマン・イベンツ』との会見で、中国との良好な関係維持を希望するとしながらも、そのために「台湾を犠牲にせず」と言明。
DIA-105-1983-02-24-1台湾1983年02月24日1980年代工業技術研究院機械工業研究所、台湾初のフレキシブル生産システム(FMS)の開発に成功。
DIA-105-1983-02-26-1台湾1983年02月26日1980年代米国在台協会のリレイ台北事務所長、台北のアメリカン・スクールが台湾の法規に基づく認可を受けたことは、米台の文化交流の発展に大きな意義、と強調。
DIA-105-1983-02-28-1台湾1983年02月28日1980年代シュルツ米国務長官、上院歳出委員会小委員会で「アジア開銀(ADB)から台湾が追放されれば、米国のアジア開銀への支持は難しくなる」と述べた。
DIA-105-1983-03-01-1台湾1983年03月01日1980年代外交部と内政部出入国管理局、旅券発給、出入国査証などの手数料の値上げを実施。
DIA-105-1983-03-02-1台湾1983年03月02日1980年代『中国時報』、西安事件の主役で現在台湾にいる張学良氏が海外へ出向く可能性は低い、と報道。
DIA-105-1983-03-03-1台湾1983年03月03日1980年代外交部、コートジボアールが中国と外交関係を樹立したため、同国との外交関係を中止した、と発表。
DIA-105-1983-03-04-1台湾1983年03月04日1980年代孫運行政院長、「台湾独立連盟」はすでに反乱組織として認定された、と立法院で指摘。
DIA-105-1983-03-09-1台湾1983年03月09日1980年代リーガン米財務長官、中国と台湾が同時にアジア開銀(ADB)に参加できる案を検討中と述べた。
DIA-105-1983-03-10-1台湾1983年03月10日1980年代ウォルフォウィッツ米国務次官補、上院司法委三権分立小委で「台湾への個々の武器について、中国と事前に相談するなどの約束はしていない」と述べた。
DIA-105-1983-03-11-1台湾1983年03月11日1980年代孫運行政院長、国家の生在にかかわる防衛予算は絶対に削減すべきではない、と立法院で答弁。
DIA-105-1983-03-14-1台湾1983年03月14日1980年代台湾警備総司令部、反乱罪容疑で逮捕された前田光枝および連絡役をつとめた商人の柯泗浜に対し、3年の「感化処分」を言い渡した。もう1人の連絡役である文化大学の盧修一助教授も1年の「感化処分」を受けた。前田は同日、中華航空で日本に送還された。
DIA-105-1983-03-14-2台湾1983年03月14日1980年代台湾警備総司令部、日本在住の台湾独立分子史明(本名施朝暉)を指名手配。
DIA-105-1983-03-16-1台湾1983年03月16日1980年代中央銀行、公定歩合を0.25~0.5%引き下げ。
DIA-105-1983-03-17-1台湾1983年03月17日1980年代石油(値下げ幅3.44~16.2%)、電気(3.52%)の値下げを実施。
DIA-105-1983-03-17-2台湾1983年03月17日1980年代行政院、台北市、基隆市、新竹市、台北県、桃園県宜蘭県、新竹県等7県市を含む総面積7347.27平方キロメートルの「台湾北部地域開発計画」を認可。
DIA-105-1983-03-18-1台湾1983年03月18日1980年代宋長志国防部長、中共擁護の発言をした米国在住の郭雨新、陳鼓広両氏が帰国した場合、国内法にしたがって調査を受けなければならない、と立法院で言明。
DIA-105-1983-03-20-1台湾1983年03月20日1980年代中華航空(CAL)、ニューヨーク直行便を開始。
DIA-105-1983-03-22-1台湾1983年03月22日1980年代第10回日台「中国大陸問題」研究会議、東京で開催。
DIA-105-1983-03-22-2台湾1983年03月22日1980年代孫運行政院長、中央政府レベルの幹部登用は、省籍の出身地よりも、その人の能力や品行を主な基準にしている、と述べた。
DIA-105-1983-03-22-3台湾1983年03月22日1980年代作家無名氏(卜乃夫)、香港から台湾に定住。
DIA-105-1983-03-23-1台湾1983年03月23日1980年代経国総統、台湾訪問中の米国在住の中国人科学者袁家、呉健雄夫婦と会見。
DIA-105-1983-03-24-1台湾1983年03月24日1980年代ソロモン諸島と領事級の国交を樹立。
DIA-105-1983-03-27-1台湾1983年03月27日1980年代財政金融当局、海外の金融組織を開拓するため主力機構として中国国際商業銀行(南北アメリカ地区担当)と第1商業銀行(欧州地区担当)を指定。
DIA-105-1983-04-01-1台湾1983年04月01日1980年代内政部警政署、インベーダー・ゲームなどの電動玩具の営業禁止を実施。
DIA-105-1983-04-01-2台湾1983年04月01日1980年代経済部農業局、「農業発展基金管理委員会」を成立。
DIA-105-1983-04-01-3台湾1983年04月01日1980年代台湾省政府、島内を七つの食糧区に分けた制度(区域外の米の輸送は糧食機関の許可が必要)を撤廃。
DIA-105-1983-04-02-1台湾1983年04月02日1980年代オランダ航空(KLM)、台湾乗り入れ定期便1番機としてアムステルダムを出発。
DIA-105-1983-04-02-2台湾1983年04月02日1980年代画伯張大千氏病死、85歳。
DIA-105-1983-04-04-1台湾1983年04月04日1980年代中国新華社、北京市公安局は台湾国民党スパイ家琪、蔡蘋、仇雲妹の3人を逮捕した、と報道。
DIA-105-1983-04-06-1台湾1983年04月06日1980年代台湾電力公司の陳蘭杲社長、台湾の原子力発電設備能力は世界9位、発電量は世界12位、と述べた。
DIA-105-1983-04-07-1台湾1983年04月07日1980年代行政院、農業発展委員会と経済部農業局を合併して、「農業委員会」を設置することに決定。
DIA-105-1983-04-09-1台湾1983年04月09日1980年代交流協会(日本側)理事兼台北事務所長原富士男氏、台北に着任。
DIA-105-1983-04-09-2台湾1983年04月09日1980年代宋楚瑜新聞局長、新聞の新規発行を制約したのは、過当競争を防ぐためである、と述べた。
DIA-105-1983-04-09-3台湾1983年04月09日1980年代台湾機械公司、台湾中部に設置した全長284㍍、直径45㍍の超音速飛行機実験用風洞の開発に成功。
DIA-105-1983-04-12-1台湾1983年04月12日1980年代中央銀行の銭純副総裁、台湾の現在の外貨保有高は100億㌦、対外債務は60億㌦、と述べた。
DIA-105-1983-04-12-2台湾1983年04月12日1980年代中華航空(CAL)、オランダ乗り入れ定期便1番機として中正国際空港を出発。
DIA-105-1983-04-15-1台湾1983年04月15日1980年代経済部、新竹科学工業団地入所企業が台湾の他の地区に投資することを認める方針。
DIA-105-1983-04-18-1台湾1983年04月18日1980年代日本航空、パンアメリカン航空の台北線再開申請に続いて同社も台湾への飛行を再開したい、と表明。
DIA-105-1983-04-19-1台湾1983年04月19日1980年代国防部、台湾が「ガブリエル2型」ミサイルをイスラエルと共同開発中と伝えた外電報道を否定。
DIA-105-1983-04-22-1台湾1983年04月22日1980年代台湾陸軍航空分隊長の李大維少佐、花蓮空港からU6A型軍用偵察機を操縦して中国の福建省に亡命。
DIA-105-1983-04-25-1台湾1983年04月25日1980年代ポンジュラス共和国のパス外相、訪台。
DIA-105-1983-04-26-1台湾1983年04月26日1980年代立法院、「関税法修正案」を通過。
DIA-105-1983-04-26-2台湾1983年04月26日1980年代立法院、博士号は各大学で授与されることを内容とする「学位授与法修正案」を通過。
DIA-105-1983-04-26-3台湾1983年04月26日1980年代台北市内の『中央日報』と『連合報』の新聞社で爆発、社員や通行人11人が負傷。
DIA-105-1983-04-27-1台湾1983年04月27日1980年代孫運行政院長、政府を代表して日華関係議会懇談会の灘尾弘吉会長に「特別大綬景星勲章」を授与。
DIA-105-1983-04-29-1台湾1983年04月29日1980年代マニラで開かれるアジア開発銀行(ADB)の1983年次総会に出席するため、兪国華中央銀行総裁を団長とする代表団10人が台北を出発。
DIA-105-1983-05-01-1台湾1983年05月01日1980年代内政部、基本賃金(月額)を1980年の3300元から5700元に引上げることを実施。
DIA-105-1983-05-02-1台湾1983年05月02日1980年代交通部、オランダ航空(KLM)に対し台湾領域内の空港への緊急着陸権を認める、と表明。
DIA-105-1983-05-03-1台湾1983年05月03日1980年代1983年米台貿易・投資研究会、台北で開催。
DIA-105-1983-05-05-1台湾1983年05月05日1980年代宋楚瑜新聞局長、韓国に着陸した中国民航国内便のトライデント機乗っ取り事件について、台湾に亡命を希望する者は全員歓迎する用意がある、と述べた。
DIA-105-1983-05-05-2台湾1983年05月05日1980年代ドミニカ共和国首相チャールズ女史、台湾を訪問。
DIA-105-1983-05-06-1台湾1983年05月06日1980年代「漢興」と命名された陸海空の合同軍事演習(13日まで)、台湾と澎湖島で実施、戦闘員5万人参加。
DIA-105-1983-05-07-1台湾1983年05月07日1980年代外交部の王肇元スポークスマン、中国民航機乗っ取り事件で、中国代表団が韓国との初の公式交渉のためソウル入りしたことについて、「重大な懸念」を表明。
DIA-105-1983-05-07-2台湾1983年05月07日1980年代『ワシントン・ポスト』紙、米国務省は総額7~8億㌦に上る台湾向け兵器・装備の新売却計画を進めている、と報道。
DIA-105-1983-05-07-3台湾1983年05月07日1980年代国際卓球連盟(ITTF)、台湾を「中国・台北協会」の名称で準会員として承認。
DIA-105-1983-05-09-1台湾1983年05月09日1980年代総統の軍首脳幹部人事異動発令。国防部副参謀総長:鄒堅、国防部連合作戦訓練部主任:王昇、国防部総政治作戦部主任:許歴農、海軍総司令官:劉和謙、総統府戦略顧問:烏鉞。緯国連勤総司令の任期1年延長。
DIA-105-1983-05-10-1台湾1983年05月10日1980年代台湾、ドミニカ共和国との外交関係を樹立。
DIA-105-1983-05-12-1台湾1983年05月12日1980年代トヨタ自動車.台北に事務所を開設。
DIA-105-1983-05-13-1台湾1983年05月13日1980年代交通部、パンアメリカン航空の6月14日からの台北線再開申請を許可した、と発表。
DIA-105-1983-05-14-1台湾1983年05月14日1980年代外交部、中国との国交を樹立したレソト王国との外交関係を中止した、との声明を発表。
DIA-105-1983-05-15-1台湾1983年05月15日1980年代ハイチ共和国のエスタイム外相、訪台。
DIA-105-1983-05-17-1台湾1983年05月17日1980年代立法院、「水汚染防止法修正案」を通過。
DIA-105-1983-05-18-1台湾1983年05月18日1980年代朱撫松外交部長、金鍾坤韓国駐台湾大使と会談、中国民航機乗っ取り事件の犯人6人に対する韓国政府の取り扱いは不当だとして抗議。
DIA-105-1983-05-18-2台湾1983年05月18日1980年代行政院の邸創燥副院長、南アフリカ共和国を訪問するため、台北を出発。
DIA-105-1983-05-19-1台湾1983年05月19日1980年代第7回台湾・サウジアラビア経済技術協力会議、台北で開催。
DIA-105-1983-05-21-1台湾1983年05月21日1980年代中国石油、台湾北部に建設され、「国光」と命名された台湾初の地下液化石油ガス備蓄タンク(備蓄能力5万klの操業を開始。
DIA-105-1983-05-27-1台湾1983年05月27日1980年代立法院、「1984年度中央政府総予算案」を通過。歳出歳入各3231億4457万4000元、前年比4.3%減。
DIA-105-1983-05-30-1台湾1983年05月30日1980年代シンガポール開発銀行(DBS)、台北支店開設。
DIA-105-1983-06-04-1台湾1983年06月04日1980年代「竜の伝人」の作詞・作曲家として知られる台湾出身の侯徳健氏、香港経由で中国に亡命。
DIA-105-1983-06-07-1台湾1983年06月07日1980年代立法院、「火器刀剣管理条例」を通過。違反者には7年以上の懲役もしくは終身刑が科せられる。
DIA-105-1983-06-07-2台湾1983年06月07日1980年代経済部、台湾の大手民間企業9社がトヨタ自動車をパートナーとする日台乗用車合弁企業に合わせて資本総額の30%出資することが確定した、と発表。
DIA-105-1983-06-08-1台湾1983年06月08日1980年代李登輝台湾省主席、農産品の輸入禁止・規制を強化することを省議会で明らかにした。
DIA-105-1983-06-08-2台湾1983年06月08日1980年代行政院の荘進源環境保護局長、工場排水で水汚染は深刻となり、水銀含有量は標準の20倍以上、と述べた。
DIA-105-1983-06-08-3台湾1983年06月08日1980年代外為取引センター、香港ドル続落のため、台湾元との交換を一時中止。
DIA-105-1983-06-08-4台湾1983年06月08日1980年代政府、輸入禁止国家のリストからベトナムおよびラオスを除外、しかし間接貿易しか認めない、と決定。
DIA-105-1983-06-10-1台湾1983年06月10日1980年代向う5年間台湾がグァテマラから毎年原棉2500万ポンドを購入する貿易協定補充協議書、台北で調印。
DIA-105-1983-06-11-1台湾1983年06月11日1980年代トヨタ自動車、年産30万台の小型乗用車合弁工場投資申請書(投資計画資金47億7360万元、合弁資本総額の45%に相当)を経済部投資審議委員会に提出。
DIA-105-1983-06-13-1台湾1983年06月13日1980年代中国、金門島付近の海域で6月7日に墜落した台湾空軍のC119輸送機(38名死亡)の乗員2遺体を台湾側に引き渡し。
DIA-105-1983-06-14-1台湾1983年06月14日1980年代米パンアメリカン航空、4年ぶりに台北乗入れを再開。週3便運航。
DIA-105-1983-06-16-1台湾1983年06月16日1980年代連戦交通部長、台湾は自由諸国との航空協定を進んで締結する用意がある、と言明。
DIA-105-1983-06-17-1台湾1983年06月17日1980年代交通部、米パンアメリカン航空の台湾空港への緊急着陸権を認める意向を表明。
DIA-105-1983-06-25-1台湾1983年06月25日1980年代ナウル共和国デロバート大統領、訪台。
DIA-105-1983-06-25-2台湾1983年06月25日1980年代行政院の閻振興原子エネルギー委員会主任委員、1982年末現在の台湾の原子力発電能力は310万kWで世界第10位、と述べた。
DIA-105-1983-06-28-1台湾1983年06月28日1980年代立法院、「選挙罷免法部分条文修正案」を通過。
DIA-105-1983-06-28-2台湾1983年06月28日1980年代交通部、「台北都会区大衆高速輸送システム計画」を公表。工期は1985年から2000年までの15年、工事費は1850億元(約47億㌦)の見込み。
DIA-105-1983-06-29-1台湾1983年06月29日1980年代青年補導委員会の高銘輝主任委員、1983年3月までに帰国して国内に就職した留学生は1万33人、海外に留学した総人数の13%を占める、と述べた。
DIA-105-1983-06-29-2台湾1983年06月29日1980年代中国外交部、台湾に出先機関を持つ西欧諸国の大半の大使館に対し、台湾住民に査証を発給しないよう警告。
DIA-105-1983-06-30-1台湾1983年06月30日1980年代蘇澳港建設第2段階工事完成、年間貨物処理能力641万㌧。蘇澳石油タンクも同時に操業開始。
DIA-105-1983-07-01-1台湾1983年07月01日1980年代台湾省環境保護局、正式に成立。
DIA-105-1983-07-02-1台湾1983年07月02日1980年代第17回台湾・韓国閣僚級経済協力会議、ソウルで開催。台湾側は趙耀東経済部長ら12名参加。
DIA-105-1983-07-03-1台湾1983年07月03日1980年代台湾電力公司、台湾の電力料金率はアジア諸国のうちで最も低い、と強調。
DIA-105-1983-07-06-1台湾1983年07月06日1980年代米国務省、北米事務協調委員会の駐米各事務所が執行している領事事務は、同事務所の地位に適合しているとの声明を発表。
DIA-105-1983-07-07-1台湾1983年07月07日1980年代日本外務省、台湾の窓口機関である亜東関係協会の入国査証(ビザ)発給について、現行方式を維持することで中国側の理解を求めていく見解を表明。
DIA-105-1983-07-07-2台湾1983年07月07日1980年代行政院、「職業教育を主とする国民教育の延長実施計画」を採択。
DIA-105-1983-07-07-3台湾1983年07月07日1980年代台湾オリンピック委員会、1984年のロサンゼルス・オリンピックの組織委員会から招待状を受け取ったことを明らかにした。
DIA-105-1983-07-09-1台湾1983年07月09日1980年代行政院、シンクロトロン放射研究所の成立を決定。5年以内にシンクロトロン放射施設建設完成予定。
DIA-105-1983-07-10-1台湾1983年07月10日1980年代国際貿易局、対日貿易戦略7項目をまとめる。
DIA-105-1983-07-12-1台湾1983年07月12日1980年代台北市区地下鉄工事起工式。全長2.87㌔、総工事費177億元、工期8年(前期2年、後期6年)。
DIA-105-1983-07-13-1台湾1983年07月13日1980年代外交部の王肇元スポークスマン、(1)中国とイギリスの香港の将来の地位に関する交渉、取り決めはすべて無効、(2)香港住民の自由意思を尊重、と述べた。
DIA-105-1983-07-14-1台湾1983年07月14日1980年代行政院、ディオクシン汚染を防ぐため、廃電線などの輸入を暫定的に禁止するなどの6項目措置を可決。
DIA-105-1983-07-15-1台湾1983年07月15日1980年代立法院、「農業発展条例修正草案」を可決。
DIA-105-1983-07-15-2台湾1983年07月15日1980年代米国防総省、米議会に対して、地対空ミサイル「チャパレル」、AIM7Fスパロウ地対空ミサイルなど総額5億3000万㌦の台湾向け武器輸出の通告を行なった。
DIA-105-1983-07-15-3台湾1983年07月15日1980年代台湾省糧食局の黄鏡峯局長、インドネシア、中東向け台湾米の輸出に補助金を供与し、不当な価格で船積みしたとするアメリカ側の非難を否定。
DIA-105-1983-07-18-1台湾1983年07月18日1980年代1983年国家建設研究会、台北で開催。
DIA-105-1983-07-25-1台湾1983年07月25日1980年代第1回台湾・ウルグァイ経済協力会議、モンテビデオで開催。台湾側は邵学外交部次長ら39人参加。
DIA-105-1983-07-28-1台湾1983年07月28日1980年代行政院、1985年度の政府予算は緊縮政策を中止し、政府消費支出を10.4%、固定投資を9.07%それぞれ引き上げることを決定。
DIA-105-1983-07-29-1台湾1983年07月29日1980年代国防部、台湾がオランダからさらに4隻の潜水艦を購入するとの外電を否認。
DIA-105-1983-07-31-1台湾1983年07月31日1980年代内政部、台湾に居住することを目的とする外国人に対する最初の査証期限は最高3年、と公告。
DIA-105-1983-08-01-1台湾1983年08月01日1980年代日野自動車といすゞ自動車、台湾でバス、トラックを生産する正式の投資計画を経済部に提出。
DIA-105-1983-08-03-1台湾1983年08月03日1980年代中央選挙委員会、今年の立法委員補欠選挙の投票日は12月3日と決定。
DIA-105-1983-08-04-1台湾1983年08月04日1980年代経済部エネルギー委員会、83年上半期のGDPに占める原油輸入金額の比率は7.8%、前年同期の9.2%を下回った、と指摘。
DIA-105-1983-08-05-1台湾1983年08月05日1980年代李登輝台湾省主席および高盲仁台湾省議会議長、それぞれアメリカを訪問。
DIA-105-1983-08-05-2台湾1983年08月05日1980年代民航局がフランスから購入した4機目のエアバスA300型旅客機、中正国際空港に到着。
DIA-105-1983-08-06-1台湾1983年08月06日1980年代交通部、台北市区地下鉄工事の工期を8年から6年に短縮することに決定。
DIA-105-1983-08-09-1台湾1983年08月09日1980年代韓国政府、7日に亡命を求めてミグ21型戦闘機で韓国に飛来した中国空軍の孫天勤飛行士の身柄を台湾に引き渡すことを正式に決定。
DIA-105-1983-08-11-1台湾1983年08月11日1980年代台湾初の精製硫酸工場、操業を開始。
DIA-105-1983-08-12-1台湾1983年08月12日1980年代監察院、中国石油が1968年に建設したDMT工場が9年間に46億元の欠損を出したことをただす。
DIA-105-1983-08-13-1台湾1983年08月13日1980年代米下院議員訪台団(団長ライト民主党議員)一行21人、訪台。
DIA-105-1983-08-15-1台湾1983年08月15日1980年代宋長志国防部長、経国総統の特使として、パラグァイのストロエスネル大統領の就任式典に参列。
DIA-105-1983-08-15-2台湾1983年08月15日1980年代ソーラーズ米下院アジア太平洋事務小委員会長訪台
DIA-105-1983-08-16-1台湾1983年08月16日1980年代『ニューヨーク・タイムズ』紙、アメリカにいる台湾留学生の人i数は2万520人で、イラン留学生に次で第2位を占める、と報道。
DIA-105-1983-08-17-1台湾1983年08月17日1980年代孫文の孫にあたる孫治平氏、国策顧問に就任。
DIA-105-1983-08-18-1台湾1983年08月18日1980年代外交部・中国民航機乗っ取り事件の中国人卓長仁ら6被告に対し、ソウル地裁が下した懲役4年から6年の判決について、遺憾の意を表明。
DIA-105-1983-08-21-1台湾1983年08月21日1980年代外交部の王肇元スポークスマン、暗殺されたフィリピンの反体制指導者アキノ氏が台湾に出入りしたことについて、全然知らなかった、と述べた。
DIA-105-1983-08-21-2台湾1983年08月21日1980年代フィリピン政府、アキノ氏の帰国に際し、台北からマニラまで座席を提供した中華航空のマニラ乗り入れ権をはく奪する、と発表。
DIA-105-1983-08-24-1台湾1983年08月24日1980年代中国大陸から韓国へミグ21型ジェット戦闘機で韓国に亡命した孫天勤テストパイロット、台北に到着。
DIA-105-1983-08-24-2台湾1983年08月24日1980年代省立豊原高校の講堂が倒壊した事件で、26人死亡。
DIA-105-1983-08-27-1台湾1983年08月27日1980年代経国総統、中国系アメリカ人物理学者丁肇中氏(1976年ノーベル物理学賞を受賞)と会見。
DIA-105-1983-08-27-2台湾1983年08月27日1980年代財政部、経済開発を促進するため、外国企業による島内リース産業への投資を認める仮決定を下した。
DIA-105-1983-09-01-1台湾1983年09月01日1980年代中華テレビ、台湾初のUHF放送を正式に開始。
DIA-105-1983-09-01-2台湾1983年09月01日1980年代ソ連の大韓航空機撃墜事件で台湾籍乗客24名死亡。
DIA-105-1983-09-02-1台湾1983年09月02日1980年代交通部の劉徳敏民航局長、フィリピン航空機の台湾着陸権を3日から停止、中華航空機のマニラ線運航禁止が解除されるまで続く、と発表。
DIA-105-1983-09-02-2台湾1983年09月02日1980年代外交部、大韓航空機撃墜事件でソ連の野蛮行為を非難する声明文を発表。
DIA-105-1983-09-02-3台湾1983年09月02日1980年代台湾省教育庁長に陳漢強教育副庁長が就任。
DIA-105-1983-09-05-1台湾1983年09月05日1980年代日台貿易不均衡是正のため、安西浩東京ガス会長を団長とする「輸入等促進ミッション」一行160人(現地参加を含めて230人)、台湾を訪れる。
DIA-105-1983-09-12-1台湾1983年09月12日1980年代工業技術研究院と台湾機械公司、高品質鉄鋼の共同開発に関する契約に調印。
DIA-105-1983-09-13-1台湾1983年09月13日1980年代訪台した日本の「輸入等促進ミッション」帰国。台湾各地で進められた商談で、日本側の買付総額は約11億3000万㌦。
DIA-105-1983-09-13-2台湾1983年09月13日1980年代フィリピンのマルコス大統領、中華航空のマニラ線運航禁止の解除に同意。
DIA-105-1983-09-14-1台湾1983年09月14日1980年代劉徳敏民航局長、フィリピン航空機の台湾着陸権の停止を解除する、と発表。
DIA-105-1983-09-15-1台湾1983年09月15日1980年代中央研究院の銭思亮院長死去、76歳。
DIA-105-1983-09-16-1台湾1983年09月16日1980年代中華航空とフィリピン航空、台北―マニラ線の運航をそれぞれ再開。
DIA-105-1983-09-17-1台湾1983年09月17日1980年代国際貿易局、農産物、林業製品などの594品目の輸入制限を撤廃し、即日実施した、と発表。うち514品目は完全自由化、残り80品目は条件付で自由化された。
DIA-105-1983-09-17-2台湾1983年09月17日1980年代アメリカ電信電話会社(ATT)のオルセン副会長と王昭明経済部次長、同社が台湾に超高密度集積回路などを投資する申請書を半年以内に提出する覚書に調印。
DIA-105-1983-09-19-1台湾1983年09月19日1980年代台湾・韓国海運協定、台北で調印。
DIA-105-1983-09-23-1台湾1983年09月23日1980年代第8回米国品特別買付団(団長蕭万長国際貿易局長)、台北を出発。
DIA-105-1983-09-24-1台湾1983年09月24日1980年代経済建設委員会、1983年上半期における台湾の粗鋼生産量は234万3000㌧、前年比25.5%増、と発表。
DIA-105-1983-09-26-1台湾1983年09月26日1980年代中央選挙委員会、83年立法委員増補選挙の定数を公告。地区:台湾省39名、台北市8名、高雄市5名、福建省1名、山地同胞:2名、職業団体:16名。
DIA-105-1983-09-26-2台湾1983年09月26日1980年代コスタリカ共和国のアラウス第2副大統領、訪台。
DIA-105-1983-09-27-1台湾1983年09月27日1980年代朱撫松外交部長、政府はすでに香港問題に対処する「専案小組」を発足させている、と述べた。
DIA-105-1983-09-29-1台湾1983年09月29日1980年代台米経済協会の辜振甫会長、米台間の貿易不均衡是正方策として、アラスカ原油の台湾向け輸出を提案。
DIA-105-1983-09-30-1台湾1983年09月30日1980年代北京放送によると、中国国務院は台湾に中国本土での商業活動を提案。
DIA-105-1983-10-07-1台湾1983年10月07日1980年代孫運行政院長、香港に関するイギリスと中国の交渉や協議は一切認めない、と立法院で答弁。
DIA-105-1983-10-07-2台湾1983年10月07日1980年代経済部筋によると、技術移転と貿易不均衡是正を図るため、日本企業の投資申請について、他国の投資申請に比べ輸出比率を厳しくしている。
DIA-105-1983-10-07-3台湾1983年10月07日1980年代趙耀東経済部長、米の減反奨励策として雑穀輸入税引き上げの方針、と立法院で答弁。
DIA-105-1983-10-08-1台湾1983年10月08日1980年代国民党の彦士中央委員会秘書長、中央民意代表の定数を増加しない、と述べた。
DIA-105-1983-10-08-2台湾1983年10月08日1980年代台湾電力公司、香港上海銀行は同公司に1億4000万㌦の融資を供与した、と発表。
DIA-105-1983-10-09-1台湾1983年10月09日1980年代台湾、カリブ海にあるセントクリストファー・ネビスと外交関係を樹立。
DIA-105-1983-10-10-1台湾1983年10月10日1980年代双十節式典、台北市総統府広場で開かれる。岸信介元首相の自民党日華議員懇談会のメンバーも参加。
DIA-105-1983-10-11-1台湾1983年10月11日1980年代台湾・ソロモン諸島技術協力および漁業協定、台北で調印。
DIA-105-1983-10-11-2台湾1983年10月11日1980年代宋長志国防部長、中共の脅威が存在している限り、戒厳令を解除する考えはない、と立法院で答弁。
DIA-105-1983-10-13-1台湾1983年10月13日1980年代ソウルで行なわれたビルマのアウン・サン廟爆破事件犠牲者の合同国民葬に宋長志国防部長が参列。
DIA-105-1983-10-15-1台湾1983年10月15日1980年代趙耀東経済部長、台湾の自転車輸出量は年間300万台で、生産量に占める割合は95%、と述べた。
DIA-105-1983-10-17-1台湾1983年10月17日1980年代カナダ・ロイヤル銀行(中国語名は加拿大皇家銀行)、台北支店を開設。
DIA-105-1983-10-17-2台湾1983年10月17日1980年代台湾省政府、阿里山森林鉄道の経営を継続と決定。
DIA-105-1983-10-19-1台湾1983年10月19日1980年代財政部、香港上海銀行台湾駐在員事務所の支店への昇格を正式に認可。
DIA-105-1983-10-19-2台湾1983年10月19日1980年代経済建設委員会、大型トラック合弁生産事業のパートナーとして日野自動車工業を選定した、と発表。
DIA-105-1983-10-22-1台湾1983年10月22日1980年代台湾電力公司、香港のチャータードが同公司に期間10年間、総額1億㌦の融資を供与することに同意した、と発表。金利はSIBORプラス0.375%。
DIA-105-1983-10-23-1台湾1983年10月23日1980年代財政部、不良債権が比較的多い外国銀行台北支店に対し、本店から送金してもらうか、または貸倒れ準備を計上して経営の健全化を図るよう通知。
DIA-105-1983-10-24-1台湾1983年10月24日1980年代経国総統、呉大猷氏を中央研究院長に任命。
DIA-105-1983-10-27-1台湾1983年10月27日1980年代外国金融機関9社が投資(株式を49%保有)した国際証券投資信託公司、台北で設立。
DIA-105-1983-10-28-1台湾1983年10月28日1980年代デンマーク、台北に貿易事務所を開設。
DIA-105-1983-10-31-1台湾1983年10月31日1980年代交通部電信総局、国際電話料金の引下げを実施。引下げ幅は1.12%~48%。
DIA-105-1983-10-31-2台湾1983年10月31日1980年代関渡で淡水河を横断する台湾初のアーチ型鉄橋開通。全長809㍍、工期3年、総工費1750万㌦。
DIA-105-1983-11-01-1台湾1983年11月01日1980年代日本の財団法人交流協会の新任理事長に魚本藤吉郎が就任。
DIA-105-1983-11-03-1台湾1983年11月03日1980年代クウェートで開かれたアジア陸上競技連盟、アジア陸上競技大会で台湾の呼称、使用する旗について国際オリンピック委員会方式を採ることを再確認。
DIA-105-1983-11-08-1台湾1983年11月08日1980年代台湾・オランダ経済協力会議、台北で開催。
DIA-105-1983-11-08-2台湾1983年11月08日1980年代立法院、「映画法」を通過。
DIA-105-1983-11-08-3台湾1983年11月08日1980年代フランスのストラスブールで開かれた国際体操連盟大会、34票対15票で台湾の会員復帰を可決。
DIA-105-1983-11-10-1台湾1983年11月10日1980年代行政院、科学技術事業の投資が主体となる「創業投資事業推進方案」を可決。
DIA-105-1983-11-10-2台湾1983年11月10日1980年代『中央日報』、アメリカでの「台湾独立連盟」は、今年の立法委員増補選挙に妨害工作を計画、と報道。
DIA-105-1983-11-11-1台湾1983年11月11日1980年代財政部、ベンチャービジネス奨励特典を公表。
DIA-105-1983-11-14-1台湾1983年11月14日1980年代中国の浙江省舟山群島の岱山基地から飛び立った王学成飛行士、亡命を求めてミグ17ジェット戦闘機で台湾の中正国際空港に着陸。
DIA-105-1983-11-15-1台湾1983年11月15日1980年代米上院外交委員会、「台湾の将来は強制を受けない」とする「台湾の前途」に関する法案を採択。
DIA-105-1983-11-16-1台湾1983年11月16日1980年代経済建設委員会、1984年の経済成長率の目標を7.5%、物価上昇率を4%以下、と決定。
DIA-105-1983-11-16-2台湾1983年11月16日1980年代南アフリカ共和国のハリフ国会議長、訪台。
DIA-105-1983-11-17-1台湾1983年11月17日1980年代米上院、通過した国際通貨基金(IMF)の増資法案の中で、アジア開銀への台湾の正式加盟国資格確保の修正条項を加える(米下院は18日同法案を通過)。
DIA-105-1983-11-18-1台湾1983年11月18日1980年代立法院、「放送テレビ事業発農基金条例」を通過。
DIA-105-1983-11-18-2台湾1983年11月18日1980年代83年立法委員増補選挙、15日間の選挙活動始まる。
DIA-105-1983-11-19-1台湾1983年11月19日1980年代経建会、台湾を訪れる観光客は1981年の140万人から2001年には500万人に増加する見込み、と予測。
DIA-105-1983-11-21-1台湾1983年11月21日1980年代政府関係者、建築業に対する華僑投資の制限を緩和することを明らかにする。
DIA-105-1983-11-22-1台湾1983年11月22日1980年代王昇台湾駐パラグァイ大使、ストロエスネル大統領に親書を提出。
DIA-105-1983-11-22-2台湾1983年11月22日1980年代立法院、経済犯罪の防止を主眼とする「公司法部分条文修正案」を通過。
DIA-105-1983-11-22-3台湾1983年11月22日1980年代立法院、「職業訓練法」を通過。
DIA-105-1983-11-28-1台湾1983年11月28日1980年代国際貿易局、数品目のポリ塩化ビニール(PVC)製品の輸出禁止を解除。
DIA-105-1983-11-28-2台湾1983年11月28日1980年代米政府、米上院委の台湾決議などが米中両国首脳の相互訪問に影響するとは考えない、との基本見解を明示。
DIA-105-1983-11-29-1台湾1983年11月29日1980年代立法院、地域性のオフショア金融センターを創設するための「国際金融業務条例」を通過。
DIA-105-1983-11-31-1台湾1983年11月31日1980年代台湾肥料公司、尿素および複合肥料の工場価格を引下げ。
DIA-105-1983-12-01-1台湾1983年12月01日1980年代柏村参謀総長、ミグ17ジェット戦闘機で台湾に亡命した王学成飛行士を少佐に任命するとともに、報奨金として時価120万㌦の金塊を贈与。
DIA-105-1983-12-02-1台湾1983年12月02日1980年代レーガン米大統領、台湾は第2次大戦以来の同盟国であり、台湾との同盟関係は撤回しないと言明。
DIA-105-1983-12-03-1台湾1983年12月03日1980年代定数71名の83年台湾・福建自由地区立法委員増補選挙が行なわれた。立候補者数171名、うち国民党籍89名、非国民党籍82名。投票率63.17%。
DIA-105-1983-12-03-2台湾1983年12月03日1980年代中央選挙委員会、経国総統の選定に基づき、華僑選出立法委員27名の名簿を発表。
DIA-105-1983-12-05-1台湾1983年12月05日1980年代経済建設委員会、1989年に135億㌦を生産目標とする電子情報産業の発展計画を発表。
DIA-105-1983-12-08-1台湾1983年12月08日1980年代行政院、「核兵器は開発しない」という基本政策を堅持する、と重ねて表明。
DIA-105-1983-12-09-1台湾1983年12月09日1980年代立法院、農地経営規模の拡大を主眼とする「三七五減租条例」の修正案を通過。
DIA-105-1983-12-09-2台湾1983年12月09日1980年代李登輝台湾省主席、米の生産過剰問題を解決するため、米の転作6カ年計画の策定を明らかにした。
DIA-105-1983-12-12-1台湾1983年12月12日1980年代法務部調査局、83年4月26日の中央日報および連合報の爆破事件は、「台湾独立連盟」の関係者黄世宗(ブラジルに逃亡)、黄世梗(逮捕済み)の仕業と発表。
DIA-105-1983-12-12-2台湾1983年12月12日1980年代第11回東亜経済人会議、台北で開催。
DIA-105-1983-12-13-1台湾1983年12月13日1980年代立法院、税関の密輸入取締り海域を12カイリから24カイリに拡大した修正法案を通過。
DIA-105-1983-12-14-1台湾1983年12月14日1980年代国民大会の何宜武秘書長、第1期国民大会第7回会議が1984年2月20日に招集される、と述べた。
DIA-105-1983-12-15-1台湾1983年12月15日1980年代孫運行政院長、きわめて深刻状況にある空気と水の汚染に対する防止措置が必要、と衛生署に指示。
DIA-105-1983-12-15-2台湾1983年12月15日1980年代オランダ経済省高級幹部4名、趙経済部長と会談。
DIA-105-1983-12-18-1台湾1983年12月18日1980年代財政部の調査によると、台湾地区の土地面積は約360万㌶で、うち登記済みの面積は48.7%。
DIA-105-1983-12-18-2台湾1983年12月18日1980年代農業発展委員会、2001年まで台湾の農業成長率は年平均1%にとどまるだろう、と予測。
DIA-105-1983-12-19-1台湾1983年12月19日1980年代行政院、いわゆる「台湾自決」問題は、台湾独立分子が主張する「台湾人による自決」と混乱する恐れがあるため、その用語の引用は適当ではない、と指摘。
DIA-105-1983-12-21-1台湾1983年12月21日1980年代オランダのファンアルデンネ経済相、台湾への4隻の潜水艦追加輸出を拒否する、と議会に書簡で通告。
DIA-105-1983-12-22-1台湾1983年12月22日1980年代趙耀東経済部長・日本製VTRの輸入禁止を1986年6月まで続ける、と言明。
DIA-105-1983-12-22-2台湾1983年12月22日1980年代行政院、1984年の台湾地区の米の生産目標を229万㌧、栽培面積を61万4300㌶、と決定。
DIA-105-1983-12-29-1台湾1983年12月29日1980年代行政院、1984年経済建設計画(経済成長率7.5%、GNP560億㌦、貿易536億㌦、物価4%)を可決。
DIA-105-1984-01-01-1台湾1984年01月01日1980年代交通部,国内郵便料金を改訂。
DIA-105-1984-01-04-1台湾1984年01月04日1980年代行政院新聞局,「203高地」等日本映画4作品の上映を許可すると発表。日本映画11年ぶり解禁。
DIA-105-1984-01-04-2台湾1984年01月04日1980年代経済建設委員会,「台湾環島鉄道網計画」(総工費243億8000万元)を可決。
DIA-105-1984-01-05-1台湾1984年01月05日1980年代台湾初の高雄港横断海底トンネル工事(全長2250m,自動車用4車線,総工費30億元),全線貫通。
DIA-105-1984-01-07-1台湾1984年01月07日1980年代台湾漁業放送,正式に放送開始。
DIA-105-1984-01-08-1台湾1984年01月08日1980年代台湾を訪れたマーカウスキー米上院議員,中国がミグ23戦闘機を増産するなら,米国は開発中の新戦闘機(FX)の対台湾売却を検討する,と強調。
DIA-105-1984-01-09-1台湾1984年01月09日1980年代香港上海銀行,台北支店を開設。
DIA-105-1984-01-09-2台湾1984年01月09日1980年代訪台中のハットフィールド米上院歳出委員会委員長,米台間の貿易不均衡問題などについて台湾首脳と会談。
DIA-105-1984-01-11-1台湾1984年01月11日1980年代ベーカー米上院議員,「台湾の将来に関する決議案」が上院で採択される可能性は少ない,と述べる。
DIA-105-1984-01-12-1台湾1984年01月12日1980年代セントルシアのコンプトン首相,訪台。
DIA-105-1984-01-12-2台湾1984年01月12日1980年代立法院,海関進口税則(輸入関税条例)修正案を通過。
DIA-105-1984-01-15-1台湾1984年01月15日1980年代国際貿易局の調査によると,台湾の商品輸出高の75%が日本やアメリカなどの外国商社の手に渡り,台湾の製造業者は僅かばかりのマージンしか得ていない。
DIA-105-1984-01-16-1台湾1984年01月16日1980年代趙紫陽中国首相,ニューヨークで「台湾問題の解決に平和的手段しか用いないとの約束を他国に対してすることはできない」と強調。
DIA-105-1984-01-16-2台湾1984年01月16日1980年代台湾・韓国海運協定発効。
DIA-105-1984-01-18-1台湾1984年01月18日1980年代カナダ訪問中の趙紫陽中国首相,「香港問題に関する中国の政策は台湾にも適用される」と述べる。
DIA-105-1984-01-24-1台湾1984年01月24日1980年代台北地裁,米アップル・コンピューター社の開発したソフトウエア・デザインを無断使用した台湾のコンピューター6社のオーナーに懲役8カ月を言い渡し。
DIA-105-1984-01-25-1台湾1984年01月25日1980年代観光局の統計によると,1983年に台湾を訪問した観光客は145万7404人で,前年比2.7%増。
DIA-105-1984-01-26-1台湾1984年01月26日1980年代行政院,工業技術研究院が立案した超大型集積回路(VLSI)技術開発計画とコンピューター産業技術開発計画を承認。
DIA-105-1984-01-27-1台湾1984年01月27日1980年代経済部エネルギー委員会,1983年の台湾の総エネルギー消費量が石油換算で3109万7000klで,前年比11.2%増加した,と発表。
DIA-105-1984-01-31-1台湾1984年01月31日1980年代孫運行政院長,国際的な学術,科学,スポーツなどの諸分野において中国との接触は,これまでの対中政策および立場の変更を意味しない,と述べる。
DIA-105-1984-02-06-1台湾1984年02月06日1980年代国防部,ソ連のTU-95型偵察爆撃機1機が午前10時10分,台湾南部の小琉球島付近の上空に接近,台湾空軍機は同機が飛び去るまで監視を続けた,と発表。
DIA-105-1984-02-06-2台湾1984年02月06日1980年代農業発展委員会,台湾の農林水産物の生産と輸出構造は,高価格産物生産指向が強まっていると指摘。
DIA-105-1984-02-08-1台湾1984年02月08日1980年代台湾選手,ユーゴのサラエボ冬季五輪に参加,これで台湾はすべてのオリンピック競技に復帰。
DIA-105-1984-02-08-2台湾1984年02月08日1980年代経済建設委員会,(1)日本製大型車に対する輸入禁止措置(1982年2月13日実施)を2月13日以降に解禁する,(2)トラックの輸入関税を現行の45%から60%に引上げる,と決定。
DIA-105-1984-02-13-1台湾1984年02月13日1980年代宋長志国防部長,台湾の海空の優勢を維持するため,アメリカの高性能兵器が非常に必要であると強調。
DIA-105-1984-02-15-1台湾1984年02月15日1980年代国民党第12期中央委員会2中全会,同党総統候補に経国現総統,副総統候補に李登輝台湾省主席を全会一致で推薦。また,同党中央常務委員31人を選任。
DIA-105-1984-02-17-1台湾1984年02月17日1980年代台湾各紙,宋美齢女史(米国在住)が中国の鄧穎超全国人民代表大会常務副委員長に対し,「三民主義による中国統一に協調するように」との公開書簡を掲載。
DIA-105-1984-02-17-2台湾1984年02月17日1980年代米農務省の統計によると,台湾は1983年アメリカ農産物の消費で世界7位を占めた。台湾が輸入したアメリカ農産物は総額12億4000万ドルで,82年比6%増。
DIA-105-1984-02-18-1台湾1984年02月18日1980年代台湾警備総司令部,83年4月26日に『中央日報』および『聯合報』の建物を爆破した容疑で逮捕された黄世梗に10年の懲役を言い渡し。
DIA-105-1984-02-20-1台湾1984年02月20日1980年代第1期国民大会第7回会議,台北市郊外の陽明山中山楼で開催。出席した国民大会代表は1023名。
DIA-105-1984-02-23-1台湾1984年02月23日1980年代ハワイでの台湾米の輸出に関する米台交渉会議,1984~88年間の台湾米総輸出量は137万5000トン(玄米では152万トン)以下とすることで合意。
DIA-105-1984-02-25-1台湾1984年02月25日1980年代日台バナナ貿易会議,台湾バナナの日本向け輸出量は560万カートン,1カートン当りの最低保証価格はCIF6.75ドルで合意。
DIA-105-1984-02-26-1台湾1984年02月26日1980年代宋楚瑜新聞局長,孫運行政院長は脳いっ血のため,同日栄民総合病院で手術を受けた,と発表。
DIA-105-1984-02-28-1台湾1984年02月28日1980年代趙耀東経済部長,長期的目標として台湾全体を自由貿易区とし,経済の発展を図る必要がある,と指摘。
DIA-105-1984-02-28-2台湾1984年02月28日1980年代朱撫松外交部長,(1)英政府と北京政権との間の合意は一切認めない,(2)香港九竜地区500万住民の安全,自由と繁栄の保障,と香港問題に対する台湾の立場を説明。
DIA-105-1984-02-29-1台湾1984年02月29日1980年代費行政院政務委員,交通事故死,72歳。
DIA-105-1984-03-02-1台湾1984年03月02日1980年代邱創煥行政院副院長,一つの主権国家の中に異なる政治制度の共有を認める「多体制国家論」は受け入れない,と立法院で答弁。
DIA-105-1984-03-02-2台湾1984年03月02日1980年代中山科学院航空工業発展研究センター,台湾初の国産AT-3型軍用ジェット練習機の開発に成功したと発表。
DIA-105-1984-03-04-1台湾1984年03月04日1980年代『聯合報』,イランが台湾で同国の軍用機整備員の募集を行い,すでに民間人9人が選ばれた,と報道。
DIA-105-1984-03-07-1台湾1984年03月07日1980年代経済部,これまで香港・マカオ地区からの輸入を禁止していた中国商品1157品目の解除,ただし「中共物品取締り法」による規制は続ける,という方針を決定。
DIA-105-1984-03-07-2台湾1984年03月07日1980年代王昭明経済部次長,対中国禁輸の国策は不変と言明。
DIA-105-1984-03-13-1台湾1984年03月13日1980年代国防部,中国の福建省福州港沖で日本の自動車運搬船「とよふじ5号」が砲撃された事件について,馬祖島守備隊による砲撃を全面的に否定。
DIA-105-1984-03-14-1台湾1984年03月14日1980年代経済部,政府はVTRの輸入禁止令を1986年7月1日に撤廃する,と公式に発表。
DIA-105-1984-03-14-2台湾1984年03月14日1980年代経済建設委員会,1981年に65歳以上の台湾住民が77万8000人に達したが,1990年には185万人,と予測。
DIA-105-1984-03-21-1台湾1984年03月21日1980年代第1期国民大会第7回会議,経国現総統を第7代総統に再選。総投票数1020票,うち1012票を獲得。
DIA-105-1984-03-21-2台湾1984年03月21日1980年代経済建設委員会,国際貿易局が提出した「大型貿易商に対する外国人華僑投資基準修正案」を通過。
DIA-105-1984-03-22-1台湾1984年03月22日1980年代第1期国民大会第7回会議,李登輝台湾省主席を第7代副総統に選出。投票総数999票中873票獲得。
DIA-105-1984-03-22-2台湾1984年03月22日1980年代香港経由北京行きの英国航空(BA)のボーイング747型ジャンボ旅客機がハイジャックされ,中正国際空港に緊急着陸。犯人は香港籍の梁偉強。
DIA-105-1984-03-28-1台湾1984年03月28日1980年代内政部の統計によると,1983年の台湾の人口密度は1平方キロ当り520人で,バングラデシュの623人に次ぎ世界第2位である。
DIA-105-1984-03-28-2台湾1984年03月28日1980年代倪文亜立法院長就任。
DIA-105-1984-03-30-1台湾1984年03月30日1980年代外交部の王肇元スポークスマン,4月26日からのレーガン米大統領の訪中は,米台関係に実質的な損害を与えないだろう,と述べた。
DIA-105-1984-03-30-2台湾1984年03月30日1980年代日野自動車工業と台湾の和泰関係企業との大型トラック・バス合弁会社「国瑞汽車(自動車)公司」発足。
DIA-105-1984-03-31-1台湾1984年03月31日1980年代米政府,台湾からの輸入品117品目を一般特恵関税(GSP)の適用対象から外すことを決定。
DIA-105-1984-03-31-2台湾1984年03月31日1980年代米『ワシントン・ポスト』紙,台湾は最新兵器の研究・開発費として1984年度予算に約4億ドルを計上,マッハ2級のジェット迎撃機を1985年に開発する,と報道。
DIA-105-1984-03-31-3台湾1984年03月31日1980年代?国華中央銀行総裁,(1)資金の海外流出は事実である,(2)台湾の外貨保有高は現在かなり高い水準にあるので,外貨管理は原則として緩和の方向にある,と指摘。
DIA-105-1984-04-01-1台湾1984年04月01日1980年代中正国際空港,第2滑走路(全長3350m,幅60m)の使用を開始。
DIA-105-1984-04-02-1台湾1984年04月02日1980年代高銘輝青年輔導委員会主任委員によると,1950~83年間に出国した留学生数は,8万39人。うち帰国したものはわずか1万1000人で,13.7%にすぎない。
DIA-105-1984-04-03-1台湾1984年04月03日1980年代宋長志国防部長,オランダに建造発注した潜水艦2隻の引き渡しは1986年9月以降になる,と述べた。
DIA-105-1984-04-05-1台湾1984年04月05日1980年代行政院,反乱組織である「台湾独立連盟」の離脱者に寛大な処分を約束する,と書面で答弁。
DIA-105-1984-04-05-2台湾1984年04月05日1980年代行政院,国防部は兵器の国産化スケジュールを短縮するため,外国の技術協力を求める,と書面で答弁。
DIA-105-1984-04-07-1台湾1984年04月07日1980年代台湾選手団,中国国旗使用をめぐる政治的理由で,ソウルでの第8回アジア・ジュニア・バスケットボール選手権大会をボイコット。選手全員が9日帰国。
DIA-105-1984-04-08-1台湾1984年04月08日1980年代南北高速道路の苗栗県三義区間で,31台の車が濃霧の中で追突し,13人が死亡,22人が重軽傷。
DIA-105-1984-04-09-1台湾1984年04月09日1980年代行政院,いわゆる「台湾住民自決」は憲法に違反するあやまった理論である,と書面で答弁。
DIA-105-1984-04-10-1台湾1984年04月10日1980年代インド実業家代表団,30年ぶりに台北入り。
DIA-105-1984-04-12-1台湾1984年04月12日1980年代林坤鐘立法委員,日本が1985年の国際科学博覧会に台湾を参加させない方針を決定したことに対し,台湾人観光客の日本旅行を中止するよう呼びかける。
DIA-105-1984-04-12-2台湾1984年04月12日1980年代中華航空の世界一周旅客便,運航を開始。
DIA-105-1984-04-15-1台湾1984年04月15日1980年代経国総統,訪台中のゴールドウォーター米上院議員と会談。
DIA-105-1984-04-17-1台湾1984年04月17日1980年代財政部,英スタンダード・チャータード・バンク(中国名は英商標準渣打銀行)台北事務所設立を許可。
DIA-105-1984-04-17-2台湾1984年04月17日1980年代レーガン米大統領,台湾問題について「新しい友人を作るために古い友人を見捨てるつもりはない」と表明。
DIA-105-1984-04-18-1台湾1984年04月18日1980年代交通部,鉄道,長距離バスとタクシーの運賃を平均10%値上げ。
DIA-105-1984-04-19-1台湾1984年04月19日1980年代宋楚瑜新聞局長,さきに日本で打ち上げられた実用放送衛星「ゆり2号a」の問題に対し,同衛星から直接受像できるアンテナの据付や販売を禁止すると言明。
DIA-105-1984-04-23-1台湾1984年04月23日1980年代徐立徳財政部長,今年から4年間に200万ドルをアジア開発銀行に寄贈することに決めた,と表明。
DIA-105-1984-04-24-1台湾1984年04月24日1980年代唐栄公司高雄ステンレス工場,生産開始。総投資額約1億9000万ドル,年間5万トンのステンレス鋼および13万トンの厚板を生産する。
DIA-105-1984-04-24-2台湾1984年04月24日1980年代立法院,「気象法」を通過。
DIA-105-1984-04-26-1台湾1984年04月26日1980年代第一商業銀行,ロンドン支店を開設。台湾の銀行として欧州支店第1号である。
DIA-105-1984-04-29-1台湾1984年04月29日1980年代台湾・スワジランド王国農業技術協力協定,台北で調印。
DIA-105-1984-05-02-1台湾1984年05月02日1980年代経済建設委員会,現行の投資奨励条例は1990年に打ち切り,と決議。
DIA-105-1984-05-07-1台湾1984年05月07日1980年代亜東関係協会,張研田理事長の辞任に伴い,後任に対外貿易協会の張光世理事長を選出。
DIA-105-1984-05-07-2台湾1984年05月07日1980年代行政院,商標詐称,商品偽造などの不正行為を取り締まるため,経済部に特別対策班を設ける,と発表。
DIA-105-1984-05-08-1台湾1984年05月08日1980年代台湾,セントルシアと国交を樹立。
DIA-105-1984-05-09-1台湾1984年05月09日1980年代中央銀行,公定歩合を0.25%(7.25→7.00%)引下げると発表。銀行金利も一律0.25%引下げ。
DIA-105-1984-05-09-2台湾1984年05月09日1980年代台湾の映画製作工業公会と日本映画製作者連盟,日本映画の輸入,配給問題について協議書に調印。
DIA-105-1984-05-13-1台湾1984年05月13日1980年代財政部,最高100%(現行)の関税率を今後5年以内に65%にまで引下げ,将来はすべての商品関税率を10~30%以内にとどめる,と表明。
DIA-105-1984-05-14-1台湾1984年05月14日1980年代中央銀行,外貨保有高を減らすため,海外送金額や外貨持ち出し金額の引上げを認める,と発表。
DIA-105-1984-05-15-1台湾1984年05月15日1980年代第14回世界華商貿易会議,台北で開催。
DIA-105-1984-05-19-1台湾1984年05月19日1980年代自民党の「日華関係議員懇談会」と民社党中心の「日華懇親会」の会員24名,経国総統と李登輝副総統の就任式に出席するため,台湾を訪問。
DIA-105-1984-05-19-2台湾1984年05月19日1980年代財政部,台北市地下鉄建設費としてサウジアラビア王国開発基金から8000万ドルの融資を受ける契約に調印。
DIA-105-1984-05-20-1台湾1984年05月20日1980年代経国総統および李登輝副総統の就任式,台北郊外の陽明山中山楼で挙行。参列者約2000人。
DIA-105-1984-05-22-1台湾1984年05月22日1980年代韓国大法院,中国機乗っ取り犯6人の上告を棄却。主犯卓長仁に懲役6年,姜洪軍,王艶大に5年,安建偉,呉雲飛,高東げたに4年の実刑が決定。
DIA-105-1984-05-22-2台湾1984年05月22日1980年代中華台北オリンピック委員会,ロサンゼルス・オリンピックに派遣する59人の選手団を発表。
DIA-105-1984-05-22-3台湾1984年05月22日1980年代国防部の王淼スポークスマン,台湾はイラン,イラクのいずれにも兵器を供給していない,と述べる。
DIA-105-1984-05-28-1台湾1984年05月28日1980年代国民党中央常務委員会,?国華行政院長を首班とする閣僚名簿を承認。これにもとづき新内閣は経国総統の任命を受けた。
DIA-105-1984-05-28-2台湾1984年05月28日1980年代徐立徳経済部長,台湾の長期的経済発展には自由競争と開放された経済政策が必要,と強調。
DIA-105-1984-05-29-1台湾1984年05月29日1980年代米アロハ航空,ホノルル~台北線を開設。
DIA-105-1984-05-30-1台湾1984年05月30日1980年代経国総統,中央銀行総裁に張継正,行政院秘書長に王章清,行政院国家科学委員会主任委員に陳履安の各氏を任命。
DIA-105-1984-05-30-2台湾1984年05月30日1980年代行政院,経済建設委員会主任委員に趙耀東政策委員(兼任),農業発展委員会主任委員に王友釗氏を任命。
DIA-105-1984-05-31-1台湾1984年05月31日1980年代立法院,1985年度中央政府総予算案3592億7988万元を可決。
DIA-105-1984-06-01-1台湾1984年06月01日1980年代?国華内閣,正式に発足。
DIA-105-1984-06-03-1台湾1984年06月03日1980年代台湾北部に集中豪雨,29人死亡。台北市の雨量,248mm(6時間)を記録。
DIA-105-1984-06-04-1台湾1984年06月04日1980年代財政部,中国国際商業銀行のロサンゼルス,ジャカルタ両支店の開設を認可。
DIA-105-1984-06-05-1台湾1984年06月05日1980年代中国国際商業銀行,台湾の免許第1号のオフショア取引金融機関として業務を開始。
DIA-105-1984-06-05-2台湾1984年06月05日1980年代米国在台協会台北事務所,同協会がハリー・セイヤー駐シンガポール大使を台北事務所長に任命したと発表。
DIA-105-1984-06-05-3台湾1984年06月05日1980年代第2回台湾・ウルグアイ経済協力会議,台北で開催。
DIA-105-1984-06-05-4台湾1984年06月05日1980年代沈昌煥総統府秘書長就任。
DIA-105-1984-06-06-1台湾1984年06月06日1980年代国民党中央常務委員会,行政院各部会の政務次長および台湾省政府委員,秘書長,各庁長の人事を可決。
DIA-105-1984-06-07-1台湾1984年06月07日1980年代国軍,澎湖島付近で「漢光演習」を行なう。
DIA-105-1984-06-07-2台湾1984年06月07日1980年代呉国楨元台湾省政府主席,アメリカで死去,80歳。
DIA-105-1984-06-09-1台湾1984年06月09日1980年代邱創煥台湾省政府主席,正式に就任。
DIA-105-1984-06-09-2台湾1984年06月09日1980年代外交部,セントルシア,セントクリストファー・ネイビスおよびドミニカに大使館設置を決定。
DIA-105-1984-06-11-1台湾1984年06月11日1980年代国防部の王淼スポークスマン,6月4日福建省田県沖合で中国の貨物ジャンクが金門島の台湾軍から銃砲撃を受けたとする中国からの報道を否定。
DIA-105-1984-06-15-1台湾1984年06月15日1980年代?国華行政院長,国民が中国大陸を訪問したり観光旅行するのを望まない,と述べる。
DIA-105-1984-06-18-1台湾1984年06月18日1980年代経国総統,緯国大将を国防部参謀本部聯合作戦訓練部主任,温哈熊大将を聯合勤務総司令官に任命。
DIA-105-1984-06-18-2台湾1984年06月18日1980年代米民主党政策綱領起草委員会,ソラーズ下院議員が提出した「台湾の戒厳令撤廃」条項を外交政策綱領のなかに盛り込むことを決定。
DIA-105-1984-06-19-1台湾1984年06月19日1980年代米国防総省,米国が台湾に対し軍用輸送機C130ハーキュリーズ12機(約3億2500万ドル)を売却すると発表。航空機の部品,訓練費用なども含まれている。
DIA-105-1984-06-20-1台湾1984年06月20日1980年代台北県土城県の海山炭鉱落盤事故で74人が死亡。
DIA-105-1984-06-22-1台湾1984年06月22日1980年代邱創煥台湾省主席,1haにつきモミ970kgを買上げる政策に変更がない,と強調。
DIA-105-1984-06-22-2台湾1984年06月22日1980年代行政院衛生署,台湾旅行から帰国した日本観光客がコレラに感染したと伝えた外電報道を事実無根と否定。
DIA-105-1984-06-26-1台湾1984年06月26日1980年代中央社電によれば,張継正中央銀行総裁はこのほど,交通銀行が日本の第一勧業銀行から48億円の融資を受けることに同意した。
DIA-105-1984-06-26-2台湾1984年06月26日1980年代経国総統,李青年党主席を総統府資政に招聘。
DIA-105-1984-06-29-1台湾1984年06月29日1980年代立法院,「優生保健法」を通過。
DIA-105-1984-06-30-1台湾1984年06月30日1980年代国防部,台湾の金門島守備隊が6月27日に中国支配下の角嶼島に砲撃を加え3人を死傷させたとする中国の非難に対し,「同島を砲撃した事実はない」と反論。
DIA-105-1984-07-01-1台湾1984年07月01日1980年代中国鋼鉄公司,第3段階拡張工事計画(1988年6月完成,粗鋼年間生産能力240万2000トン)に着工。
DIA-105-1984-07-01-2台湾1984年07月01日1980年代台湾省政府,台湾の全面的緑化運動を開始。
DIA-105-1984-07-05-1台湾1984年07月05日1980年代国防部,6月中に中国船延べ426隻が金門,馬祖水域で挑発したことを明らかにするとともに,6月12日に中国のフロッグマン劉陳寧を逮捕した,と発表。
DIA-105-1984-07-09-1台湾1984年07月09日1980年代パリ国立銀行(中国名は法国国家巴黎銀行)台北事務所,台北支店に昇格。
DIA-105-1984-07-10-1台湾1984年07月10日1980年代台北県瑞芳鎮海浜里煤山炭鉱で火災事故,103人死亡。?国華行政院長,台湾の全炭鉱124カ所に対し安全検査のため,7月12日に1日閉山するよう指示。
DIA-105-1984-07-10-2台湾1984年07月10日1980年代米国在台協会のセイヤー台北事務所長,台北に着任。
DIA-105-1984-07-14-1台湾1984年07月14日1980年代徐立徳経済部長,鉱山の安全基準を厳しく執行し,基準に達しない鉱山は強制的に閉山させる,と表明。
DIA-105-1984-07-14-2台湾1984年07月14日1980年代財政部,中国国際商業銀行に続き,台湾銀行,第一商業銀行,彰化商業銀行および華南商業銀行にオフショア金融業務取扱ライセンスを発給。
DIA-105-1984-07-14-3台湾1984年07月14日1980年代陳耀生中国石油公司総経理,台湾が1983年輸入した原油の21%は中東以外の産油国から買付けたと述べる。
DIA-105-1984-07-16-1台湾1984年07月16日1980年代台湾電力,東京で50億円の社債発行に関し,大和証券等と契約を結ぶ。7年満期,金利年8%,無担保。台湾企業が日本で社債を発行したのはこれが初めて。
DIA-105-1984-07-17-1台湾1984年07月17日1980年代亜東関係協会東京事務所,日本の『世界日報』の南京大虐殺事件否定記事に対し非難声明を発表。一方,行政院は,『世界日報』の輸入禁止の措置をとった。
DIA-105-1984-07-22-1台湾1984年07月22日1980年代パナマのバルレッタ次期大統領,訪台。
DIA-105-1984-07-24-1台湾1984年07月24日1980年代徐立徳経済部長,「石油・電力・肥料価格構造調整案」を公表,石油価格は変動せずに「石油安定基金」を設置するなどの措置をとると決定。
DIA-105-1984-07-24-2台湾1984年07月24日1980年代国際貿易局,中古建設機械14タイプの輸入制限を撤廃する,と公示。
DIA-105-1984-07-26-1台湾1984年07月26日1980年代行政院,1986年度総予算編成方針を討議,予算拡大原則をとり公共投資を増やすことを決定。
DIA-105-1984-07-27-1台湾1984年07月27日1980年代台湾電力公司第3原子力発電所1号基(発電能力95万1000kw),商業運転を開始。
DIA-105-1984-07-29-1台湾1984年07月29日1980年代財政部が発表したところによると,台湾の外国銀行が抱える不良債権は1984年3月末までに32億9720万ドルに達し,前年同期の7億9384万ドルから急増した。
DIA-105-1984-07-29-2台湾1984年07月29日1980年代米ベッチェル社,台北市地下鉄駅の設計を落札。
DIA-105-1984-07-30-1台湾1984年07月30日1980年代経国総統,労働基準法を公布,即日施行。
DIA-105-1984-07-31-1台湾1984年07月31日1980年代台湾電力公司によれば,台湾の原子力発電は総発電の61%に達し,火力発電と水力発電を上回った。
DIA-105-1984-07-31-2台湾1984年07月31日1980年代オリンピック大会で,蔡温義選手が重量挙げ60キロ級の銅メダルを獲得。
DIA-105-1984-08-01-1台湾1984年08月01日1980年代外交部の王肇元スポークスマン,中英両国が設置に同意した「中英合同連絡委員会」について,「香港住民の意思を無視したものである」と非難。
DIA-105-1984-08-02-1台湾1984年08月02日1980年代行政院,「台湾地区石炭政策」を可決。
DIA-105-1984-08-03-1台湾1984年08月03日1980年代米ATT社,台北で電信総局等と資本金4000万ドルの合弁会社「ATT台湾電信」を設立する契約書に調印。1986年から5ESSデジタル電子交換機を生産する予定。
DIA-105-1984-08-05-1台湾1984年08月05日1980年代台湾のタンカー「オーシャニック・エナジー」号,北イエメンの近海で機雷の爆発で被害を受ける。
DIA-105-1984-08-05-2台湾1984年08月05日1980年代台北の『聯合報』紙,米国の半導体メーカーであるインテル社はこのほど,台湾からの誘致工作を振り切り,中国に投資することを決意した,と報道。
DIA-105-1984-08-06-1台湾1984年08月06日1980年代ワシントンでの米台貿易交渉第2ラウンド閉幕。台湾側は米国側が提出した59品目の関税引下げに同意。
DIA-105-1984-08-10-1台湾1984年08月10日1980年代台湾省漁業局,台湾漁船がフィリピン領海内に入って同国当局から拿捕,抑留されないよう警告。
DIA-105-1984-08-10-2台湾1984年08月10日1980年代連戦交通部長,台北飛行情報区(TFIZ)の航空制御操作は1989年に完全自動化する,と述べる。
DIA-105-1984-08-11-1台湾1984年08月11日1980年代トヨタ自動車,台湾での乗用車合弁会社設立期限(9月4日)を11月4日まで2カ月延期するよう台湾経済部の投資審議委員会に申請したことを明らかにする。
DIA-105-1984-08-12-1台湾1984年08月12日1980年代経済部農業局,1984年第2期の雑穀に転作する水田面積の目標は4万7356ha,と発表。
DIA-105-1984-08-12-2台湾1984年08月12日1980年代国際貿易局,日本から機器設備を輸入する場合,金額の大小を問わず一律自由化することを決定。
DIA-105-1984-08-13-1台湾1984年08月13日1980年代韓国政府から強制追放された,1983年5月5日に起きた中国民航機乗っ取り犯卓長仁ら6人,台北に到着。外交部,韓国政府に感謝の特別声明を発表。
DIA-105-1984-08-14-1台湾1984年08月14日1980年代経国総統,韓国政府によって13日釈放された中国民航機乗っ取り犯6人と会見。
DIA-105-1984-08-15-1台湾1984年08月15日1980年代国防部,1979年の高雄暴動事件の受刑者林義雄を仮釈放したと発表。また,事件関係者の施明徳の逃走を幇助した高俊明,許晴富,林文珍も仮釈放された。
DIA-105-1984-08-17-1台湾1984年08月17日1980年代経国総統,第7期考試院長に孔徳成氏,同副院長に林金生氏を任命。
DIA-105-1984-08-17-2台湾1984年08月17日1980年代呉大猷中央研究院長,台湾は学術水準が低いため,頭脳流出の問題に直面している,と述べる。
DIA-105-1984-08-19-1台湾1984年08月19日1980年代唐栄公司,日本製ステンレス鋼製品に対し,ダンピング提訴を計画しているとを明らかにする。
DIA-105-1984-08-20-1台湾1984年08月20日1980年代内政部,「台湾南部区域計画」を実施。
DIA-105-1984-08-24-1台湾1984年08月24日1980年代経国総統,新聞局長に張京育氏を任命。
DIA-105-1984-08-26-1台湾1984年08月26日1980年代中央通信社,フィリピン政府はこのほど,台湾の,駐比非公式機構「太平洋経済文化センター」の職員に外交官待遇を与えた,と報道。
DIA-105-1984-09-03-1台湾1984年09月03日1980年代日本自民党自由革新同友会(代表石原慎太郎衆議院議員)の研修団一行26名,訪台。
DIA-105-1984-09-03-2台湾1984年09月03日1980年代デントン米上院安全・テロリズム小委員長,台北で「台湾人公共事務協会」と「世界台湾独立連盟」は密接な関係を維持している,と述べる。
DIA-105-1984-09-05-1台湾1984年09月05日1980年代台湾警備総司令部,1979年の高雄暴動事件で懲役6年の判決を受けた王拓を仮釈放。
DIA-105-1984-09-05-2台湾1984年09月05日1980年代国際刑事警察機構,ルクセンブルクで開かれた第53回総会で,中国の新規加盟を認める一方,現会員の「中華民国」の名称を「台湾」と改称する決定を行なう。
DIA-105-1984-09-06-1台湾1984年09月06日1980年代経済部,台湾とトヨタ自動車との小型乗用車合弁生産計画について,双方の条件が折り合わなかったため,中止することに決定した,と正式に発表。
DIA-105-1984-09-06-2台湾1984年09月06日1980年代台湾省政府建設庁,1985~96会計年度内に840億元の資金で大型ダム16を建設する,と決定。
DIA-105-1984-09-11-1台湾1984年09月11日1980年代台北市地下鉄主体工事に着工。
DIA-105-1984-09-12-1台湾1984年09月12日1980年代李登輝副総統,南アフリカ共和国のボタ大統領の就任式に出席するため,台北を出発。
DIA-105-1984-09-13-1台湾1984年09月13日1980年代行政院,「農産物流通改善計画」を通過。
DIA-105-1984-09-15-1台湾1984年09月15日1980年代中国石油公司,新竹南寮より西ヘ約20kmの海域にある11号油井からの原油は日産1000バレル,天然ガスは日産40万m3が可能,と発表。
DIA-105-1984-09-18-1台湾1984年09月18日1980年代僑務委員会,「香港僑胞回国事務諮商服務処」(香港華僑帰国相談所)を設置。
DIA-105-1984-09-18-2台湾1984年09月18日1980年代日本交流協会,新理事長に長谷川周重氏を選出。
DIA-105-1984-09-20-1台湾1984年09月20日1980年代行政院農業発展委員会と経済部農業局が合併した行政院農業委員会(王友釗主任委員),正式に成立。
DIA-105-1984-09-21-1台湾1984年09月21日1980年代?国華行政院長,立法院の施政報告で,14項目の重要建設プロジェクトを提出するとともに,6年以内に1人当りGNPを6000ドルに引上げる,と述べる。
DIA-105-1984-09-24-1台湾1984年09月24日1980年代中華経済研究院,(1)外国人投資に対する干渉をできる限り減らす,(2)輸出比率や部品国産化率の義務付けは避ける,などのことを経済部に提言。
DIA-105-1984-09-24-2台湾1984年09月24日1980年代中央銀行と財政部,金と銀を外貨規制の対象から除外することを決める。
DIA-105-1984-09-26-1台湾1984年09月26日1980年代外交部,香港返還に関する中英合意文書の仮調印について,「中共と英国が妥結したいかなる取り決めも一切承認しない」との公式見解を重ねて表明。
DIA-105-1984-09-26-2台湾1984年09月26日1980年代?国華行政院長,「香港・九竜同胞に対する特別談話」を発表,香港住民の台湾への移住や投資に対する優遇措置を盛り込んだ11項目政策を列挙。
DIA-105-1984-09-28-1台湾1984年09月28日1980年代台湾の北米事務協調委員会,ワシントンで今後30年間の原子力発電に必要な濃縮ウランの購入契約(20億ドル)を米国在台協会との間で結ぶ。
DIA-105-1984-10-01-1台湾1984年10月01日1980年代行政院,台湾の外貨準備は約160億ドルに達しているが,為替管理を撤廃する考えはない,と表明。
DIA-105-1984-10-03-1台湾1984年10月03日1980年代張継正中央銀行総裁,「台湾はいかなる状況下にあっても,アジア開発銀行に残留するため,『中華民国』の名称を変更することはない」と言明。
DIA-105-1984-10-06-1台湾1984年10月06日1980年代国際貿易局,米下院本会議が一般特恵関税制度の5年間延長を決定したことについて歓迎の意向を表明。
DIA-105-1984-10-08-1台湾1984年10月08日1980年代経国総統,「一国家二制度」について,「中共は自由世界を惑わして“平和共存”の虚像をつくりだすにすぎない」と非難。
DIA-105-1984-10-08-2台湾1984年10月08日1980年代?国華行政院長,「香港小組」の地位と職権を強化するため,座長に林洋港行政院長を招聘。
DIA-105-1984-10-08-3台湾1984年10月08日1980年代中国大陸災胞(難民)救済総会,香港の中国系「恒力豊貿易公司」の陸雨淅社長が台湾に亡命した,と発表。
DIA-105-1984-10-08-4台湾1984年10月08日1980年代工業局,台湾が統一機種カラーテレビの主要部品である双極子集積回路(IC)の開発に成功した,と発表。
DIA-105-1984-10-10-1台湾1984年10月10日1980年代台湾選手団,サウジアラビアで開かれた第2回アジア男子バレーボールジュニア選手権で,中国国旗使用に反発して退場。
DIA-105-1984-10-11-1台湾1984年10月11日1980年代外交部,台湾は10月8日モーリシャスの首都ポートルイスに通商代表事務所を設立した,と発表。
DIA-105-1984-10-15-1台湾1984年10月15日1980年代朱撫松外交部長,1985会計年度の米国からの兵器輸入額は7億6000万ドルで,前年度の7億9000万ドルより減少している,と述べる。
DIA-105-1984-10-15-2台湾1984年10月15日1980年代『経国伝』などを書いた台湾批判の中国系米人作家江南(本名劉宜良),米サンフランシスコ市近郊デイリー市の自宅近くで,何者かに射殺される。
DIA-105-1984-10-15-3台湾1984年10月15日1980年代朱撫松外交部長,「オリンピック方式」は民間レベルの活動方式であって,政府レベルの組織および活動には適用されない,と言明。
DIA-105-1984-10-19-1台湾1984年10月19日1980年代?国華行政院長,費希平立法委員が提出した「大中国邦聯」構想を批判。
DIA-105-1984-10-21-1台湾1984年10月21日1980年代連戦交通部長,華僑海運業者の台湾投資と華僑所有の便宜置籍船の台湾への移籍申請が急増,と述べる。
DIA-105-1984-10-24-1台湾1984年10月24日1980年代外交部の王肇元スポークスマン,鄧小平氏が10月11日北京で行なわれた日本公明党との会談で「台湾封鎖」の可能性に言及したことについて,「中共の和平提案は単なる煙幕にすぎない」と指摘。
DIA-105-1984-10-24-2台湾1984年10月24日1980年代馬躬耕出入国管理局長,台湾の安全を維持するため,台湾省民が海外旅行のついでに中国大陸を訪問することを厳しく禁止する,と政府の立場を重ねて表明。
DIA-105-1984-10-26-1台湾1984年10月26日1980年代立法院,「建築法部分条文修正案」を通過。
DIA-105-1984-10-29-1台湾1984年10月29日1980年代経済建設委員会,中国の経済改革で,長期的には台湾の農産品や工業製品の輸出に脅威を与えると指摘。
DIA-105-1984-11-01-1台湾1984年11月01日1980年代国際バレーボール連盟,10月にサウジアラビアで開かれたアジア男子ジュニア選手権でボイコットした台湾に対し,すでに資格停止処分を行なった,と発表。
DIA-105-1984-11-04-1台湾1984年11月04日1980年代交通部電信総局,台湾の銀行12行がすでにSWIFT(国際銀行間通信協会)に加盟しており,1985年2月にSWIFTのネットワークと結ばれる予定,と表明。
DIA-105-1984-11-04-2台湾1984年11月04日1980年代経済建設委員会,2000年の台湾の貿易依存度は115.2%,貿易総額は約1712億ドル(1983年価格)に達するだろう,と予測。
DIA-105-1984-11-06-1台湾1984年11月06日1980年代日本観光協会,台北に台湾事務所を開設。
DIA-105-1984-11-06-2台湾1984年11月06日1980年代陸潤康財政部長,財政状況に応じて6年以内に営利事業所得税を現行の35%から25%に引下げる,と言明。
DIA-105-1984-11-12-1台湾1984年11月12日1980年代呉伯雄内政部長,「一清専案」と名付けた犯罪組織鎮圧作戦を始めたと発表。竹聯,四海,三環など暴力団の組員陳啓礼ら200人以上が逮捕された。
DIA-105-1984-11-12-2台湾1984年11月12日1980年代72の海外支部組織をもつ「三民主義中国統一大同盟」の海外地区連合大会,台北で開催。
DIA-105-1984-11-15-1台湾1984年11月15日1980年代荘清源衛生署環境保護局長,1991年からすべての新型車に無鉛ガソリンの使用を義務付けると言明。
DIA-105-1984-11-19-1台湾1984年11月19日1980年代交通部,1984年10月末現在の台湾籍の商船は全部で220隻,670万重量トン(DWT)に上る,と発表。
DIA-105-1984-11-20-1台湾1984年11月20日1980年代第8回台湾・サウジアラビア経済技術協力会議,リヤドで開催。台湾側は徐立徳経済部長らが参加。
DIA-105-1984-11-22-1台湾1984年11月22日1980年代工業技術研究院と台湾華智公司,1.5ミリの超大規模集積回路「64k CMOS DRAM」の共同開発に成功した,と発表。日,米に次いで世界3番目となる。
DIA-105-1984-11-24-1台湾1984年11月24日1980年代台湾銀行協会,貸出金利および預金金利をそれぞれ0.25%引下げ,即日実施すると発表。一方,台湾中央銀行も,公定歩合の0.25%引き下げを発表。
DIA-105-1984-11-27-1台湾1984年11月27日1980年代新竹科学園区の宏碁コンピューター公司,開発に成功した第4世代の中国語コンピューター・システム「天竜570」を公開。
DIA-105-1984-11-27-2台湾1984年11月27日1980年代日本新自由クラブ衆院議員訪問団(団長伊藤公介衆議院議員)一行8名,訪台。
DIA-105-1984-11-28-1台湾1984年11月28日1980年代経国総統,国民党中央常務委員会で,国際貿易局に対し,米台貿易の不均衡是正を指示。
DIA-105-1984-11-28-2台湾1984年11月28日1980年代総統府戦略顧問頼名湯将軍死去,74歳。
DIA-105-1984-11-29-1台湾1984年11月29日1980年代第9回日台経済貿易会議,台北で開催。
DIA-105-1984-11-29-2台湾1984年11月29日1980年代行政院,経済建設委員会が提出した「自由貿易区研究報告」を了承,自由貿易区設置の見送りに同意。
DIA-105-1984-11-30-1台湾1984年11月30日1980年代国際貿易局,玩具,繊維など5000品目以上を対象に,輸入手続きを簡素化する計画である,と述べた。
DIA-105-1984-11-30-2台湾1984年11月30日1980年代香港の台湾系紙『工商日報』,財政赤字の累積で発刊停止。香港での台湾系紙は『香港時報』1紙となった。
DIA-105-1984-12-04-1台湾1984年12月04日1980年代レーガン米大統領,台北で開催中の第8回台米工商連合会議に書簡を送り,その中で米台間の貿易不均衡拡大に懸念の意を表明。
DIA-105-1984-12-05-1台湾1984年12月05日1980年代台北県三峡鎮渓南里236号海山一坑炭鉱で,爆発による落盤事故が発生,93人死亡。
DIA-105-1984-12-05-2台湾1984年12月05日1980年代法務部,刑法を大幅に改正し,刑罰の範囲などを拡大する考えを明らかにする。
DIA-105-1984-12-07-1台湾1984年12月07日1980年代立法院,「特殊教育法」を通過。
DIA-105-1984-12-11-1台湾1984年12月11日1980年代『サンケイ新聞』によると,自民党の金丸信幹事長が11月17,18の両日,ひそかに台湾を訪問した。1972年の日中国交正常化後,与党幹事長の訪台は初めて。
DIA-105-1984-12-12-1台湾1984年12月12日1980年代朱撫松外交部長,台北でコスタリカ共和国のグチエレス外相と犯罪者引渡し条約に調印。
DIA-105-1984-12-12-2台湾1984年12月12日1980年代韓国オリンピック委員会の慮泰愚会長,訪台。
DIA-105-1984-12-12-3台湾1984年12月12日1980年代張一中監察委員,台湾は2,3年以内にアメリカのF-5ジェット戦闘機よりも優れた国産ジェット戦闘機を完成,生産態勢に入る見通しである,と述べる。
DIA-105-1984-12-13-1台湾1984年12月13日1980年代日台第12回東亜経済人会議,東京で開催。
DIA-105-1984-12-14-1台湾1984年12月14日1980年代行政院,台湾空軍は防空自動化システムを確立し,また高性能機の開発面で高水準の科学技術に到達した,と書面で答弁。
DIA-105-1984-12-18-1台湾1984年12月18日1980年代国際貿易局と対外貿易発展協会,10年以内に日台貿易の格差是正が達成されるよう計画する,と発表。
DIA-105-1984-12-18-2台湾1984年12月18日1980年代台北『経済日報』,日産自動車はこのほど,同社の小型乗用車サニーの国内生産を1985年に停止し,その生産設備を台湾の裕隆自動車に移転する方針であると報道。
DIA-105-1984-12-19-1台湾1984年12月19日1980年代外交部,北京で調印された中英香港返還共同宣言について,遺憾の意を表明するとともに,中英間で達成されたいかなる協議も承認しない,との声明を発表。
DIA-105-1984-12-20-1台湾1984年12月20日1980年代中央研究院,東欧国家の学者が個人的身分で,台湾で開かれる国際会議に出席できるよう政府に要請。
DIA-105-1984-12-21-1台湾1984年12月21日1980年代インドネシア政府,ビサ業務をアルタバラ観光台北支店に授権。
DIA-105-1984-12-24-1台湾1984年12月24日1980年代台北世界貿易センター国際貿易ビル着工。地上34階,地下2階,1987年12月完工予定。
DIA-105-1984-12-24-2台湾1984年12月24日1980年代台湾高等法院,米アップルⅡのソフトウエアを盗用したとして起訴された台湾企業6社に対し有罪判決。
DIA-105-1984-12-26-1台湾1984年12月26日1980年代経済建設委員会,自動車工業発展方案を検討,(1)6年以内に欧米車の輸入税率を現行の65%から20%に引き下げる一方,日本車の輸入数量を制限する,(2)部品国産化率は70%から50%に引き下げる,との方針を決定。
DIA-105-1984-12-26-2台湾1984年12月26日1980年代立法院,投資意欲を刺激し,対外投資の範囲を拡大する「奨励投資条例部分修正案」を通過。
DIA-105-1984-12-27-1台湾1984年12月27日1980年代行政院,1985年の経済成長率を8.5%と設定。
DIA-105-1985-01-04-1台湾1985年01月04日1980年代立法院,「農会法」部分条文修正案を可決。
DIA-105-1985-01-04-2台湾1985年01月04日1980年代ベルギー政府,同国の航空会社サベナ航空台北事務所にビザ発給業務を授権。
DIA-105-1985-01-07-1台湾1985年01月07日1980年代工業局,7トン以上の車両(トラック,バスなど)は原則的に輸入を自由化する,と表明。
DIA-105-1985-01-15-1台湾1985年01月15日1980年代北米事務協調委員会,米カンザス・シティ事務所を開設。これで同委員会駐米事務所は11カ所となる。
DIA-105-1985-01-15-2台湾1985年01月15日1980年代陸潤康財政部長,1985年7月1日から予定していた付加価値税の実施を1986年3月まで延期とすると述べた。
DIA-105-1985-01-16-1台湾1985年01月16日1980年代経済建設委員会,第4原子力発電所(原子炉2基,出力各100万kW)建設計画を可決。
DIA-105-1985-01-16-2台湾1985年01月16日1980年代日本の東亜科学技術協力協会と台湾のアジア太平洋科学技術協会との「第3回合同会議」,台北で開催。
DIA-105-1985-01-17-1台湾1985年01月17日1980年代蒋経国総統,1979年度ノーベル平和賞受賞者マザー・テレサを総統府に招いて接見。
DIA-105-1985-01-19-1台湾1985年01月19日1980年代徐立徳経済部長,台湾西海岸の新竹沖合で最大の油田(天然ガス日量100万立方㍍,コンデンセート同4000バレルが生産可能)を発見した,と発表。
DIA-105-1985-01-20-1台湾1985年01月20日1980年代中央銀行,1984年1~9月の台湾の純資本流出は5億㌦と発表。
DIA-105-1985-01-20-2台湾1985年01月20日1980年代台湾を訪問中のカナダ下院議員ジャック氏,カナダ議会は現在,台湾からの移民と投資を歓迎する新法案を審議中である,と発表。
DIA-105-1985-01-21-1台湾1985年01月21日1980年代ATT台湾電信が正式発足。
DIA-105-1985-01-22-1台湾1985年01月22日1980年代行政院新聞局,劉宜良殺害事件を調査するため,米カリフォルニア州デーリー市警官1名とFBI捜査官2名が訪台した,と発表。
DIA-105-1985-01-23-1台湾1985年01月23日1980年代台湾省建設庁,全省の炭鉱第3次安全検査はさる15日終了したが,検査した123炭鉱のうち,合格47炭鉱,処分76炭鉱,と発表。
DIA-105-1985-01-25-1台湾1985年01月25日1980年代国防部の張慧元スポークスマン,米国の精密兵器対中共売却は西太平洋の安全に脅威,と警告。
DIA-105-1985-01-25-2台湾1985年01月25日1980年代外交部の王肇之スポークスマン,中国承認のアラブ首長国連邦で名誉総領事を維持する,と言明。
DIA-105-1985-01-29-1台湾1985年01月29日1980年代財政部,「1985年税関輸入税則」を公布,30日実施。これにより1161品目の輸入関税が引下げられる。
DIA-105-1985-01-29-2台湾1985年01月29日1980年代閻振興原子力委員会主任,台湾は原子力発電所の核廃棄物からプルトニウムを生産したことはない,と言明。
DIA-105-1985-01-30-1台湾1985年01月30日1980年代蒋経国総統,訪台中の藤尾正行自民党政調会長と会談
DIA-105-1985-02-04-1台湾1985年02月04日1980年代行政院新聞局,江南事件について,政府とは無関係な少数の個人的犯罪である,と政府の立場を表明。
DIA-105-1985-02-04-2台湾1985年02月04日1980年代中央銀行,米ドルの外為当座預金に対し利息を支払い,利息の上限は台湾元の当座預金に準ずる,と発表。
DIA-105-1985-02-05-1台湾1985年02月05日1980年代財政部,政府は金の自由売買を認めないと言明。
DIA-105-1985-02-06-1台湾1985年02月06日1980年代国民党中央常務委員会,蒋彦士中央委員会秘書長の辞任を認めると同時に,その後任に馬樹礼亜東関係協会駐日代表を起用することを可決。一方,蒋経国総統,蒋彦士前秘書長を総統府国策顧問に招聘。
DIA-105-1985-02-06-2台湾1985年02月06日1980年代国際貿易局,台湾とアジア諸国との往復貿易額は1984年合わせて163億8000万㌦,と発表。
DIA-105-1985-02-07-1台湾1985年02月07日1980年代行政院,「玉山国立公園計画」を可決。
DIA-105-1985-02-07-2台湾1985年02月07日1980年代米国防総省,議会に対し台湾向け総額8600万㌦相当の軍用機用の部品を売却する方針であると伝えた。
DIA-105-1985-02-08-1台湾1985年02月08日1980年代工業局,1984年の台湾の自動車国内販売台数は15万5000台で,前年比1万台以下の増加にとどまったと発表。
DIA-105-1985-02-09-1台湾1985年02月09日1980年代財政部,違法営業の理由で,台北市第十信用合作社に3日間の営業停止を通告。
DIA-105-1985-02-10-1台湾1985年02月10日1980年代エルサルバドルのブランドン参謀総長,訪台。
DIA-105-1985-02-11-1台湾1985年02月11日1980年代台北市第十信用合作社で,25億元の預金が引き出される取り付け騒ぎが起きた。
DIA-105-1985-02-11-2台湾1985年02月11日1980年代蒋経国総統,サーモンド米上院議長代理と会見。
DIA-105-1985-02-12-1台湾1985年02月12日1980年代兪国華行政院長,台湾は1997年以後も香港と海空輸送関係を維持したいとの経済建設委員会の提案に対し,政府の見解を代表するものではない,と述べる。
DIA-105-1985-02-15-1台湾1985年02月15日1980年代国際貿易局,日本製オーディオ製品14品目に対する輸入禁止措置を8年ぶりに解除する,と発表。
DIA-105-1985-02-20-1台湾1985年02月20日1980年代米NBC放送,19日米国向け中華航空のジャンボ機急降下事故の原因は,操縦士の人為的なミスによる可能性があると伝えた。乗客268人中約50人が重軽傷。
DIA-105-1985-02-23-1台湾1985年02月23日1980年代行政院農業委員会,1984年の台湾農産物輸出高は初めて20億㌦を突破した,と発表。
DIA-105-1985-02-25-1台湾1985年02月25日1980年代香港『信報』によると,1984年の香港経由の中国・台湾貿易は前年比2.2倍増の5億5460万㌦。
DIA-105-1985-02-25-2台湾1985年02月25日1980年代国際貿易局,対日輸出の拡大を図るために,「1985年対日輸出拡大活動方針」を策定。
DIA-105-1985-02-26-1台湾1985年02月26日1980年代施啓揚法務部長,江南事件で起訴された殺害容疑者の陳啓礼と呉敦について,米国に引渡さないと表明。
DIA-105-1985-02-28-1台湾1985年02月28日1980年代行政院,「自動車工業発展方針」を採択。
DIA-105-1985-03-01-1台湾1985年03月01日1980年代台湾銀行など台湾の地場銀行10行,基本貸付金利制度(プライムレート制に相当)の実施に移行。
DIA-105-1985-03-01-2台湾1985年03月01日1980年代台北地方検査処,立法院の同意を得て,第十信用合作社の蔡辰州理事会主席を詐欺の容疑で逮捕。
DIA-105-1985-03-01-3台湾1985年03月01日1980年代労働基準法施行細則発効。
DIA-105-1985-03-01-4台湾1985年03月01日1980年代李登輝副総統,ウルグアイ共和国のサンギネッチ大統領の就任式典に参列。
DIA-105-1985-03-04-1台湾1985年03月04日1980年代第18回台韓経済協力会議閣僚会議,台北で開催。金満堤韓国財務部長官と徐立徳台湾経済部長が出席。
DIA-105-1985-03-06-1台湾1985年03月06日1980年代パラグアイ訪問中の李登輝副総統,同国のストロエスネル大統領と会談。
DIA-105-1985-03-08-1台湾1985年03月08日1980年代宋長志国防部長,情報機関の規制違反行動は厳しく罰せられる,と立法院で答弁。
DIA-105-1985-03-12-1台湾1985年03月12日1980年代亜東関係協会,同協会の新駐日代表に毛松年総統府国策顧問の任命を決定。
DIA-105-1985-03-13-1台湾1985年03月13日1980年代蒋経国総統,不正融資事件で引責辞任した徐立徳経済部長の後任に,李達海中国石油公司理事長を任命。
DIA-105-1985-03-14-1台湾1985年03月14日1980年代経済部産業発展諮問委員会発足。
DIA-105-1985-03-14-2台湾1985年03月14日1980年代投資審議委員会,香港からの投資申請を簡素化する方針を明らかにした。
DIA-105-1985-03-14-3台湾1985年03月14日1980年代経済部,華僑および外国人の株式投資を認可。
DIA-105-1985-03-14-4台湾1985年03月14日1980年代台湾当局筋,国際貿易局がこのほど,ニカラグアと結んだバーター貿易取り決め(総額400万㌦)を認可したと表明。台湾初のバーター貿易取り決めである。
DIA-105-1985-03-19-1台湾1985年03月19日1980年代中央銀行,台湾進出外国企業に対し,民間銀行からの輸出金融取り入れを認可したことを表明。
DIA-105-1985-03-20-1台湾1985年03月20日1980年代台北地裁,劉宜良殺害事件で,容疑者の陳啓礼,呉敦,董桂森(未逮捕)に対する公判を開始。
DIA-105-1985-03-20-2台湾1985年03月20日1980年代国民党中央常務委員会,郭哲・党中央委員会副秘書長,許大路・党社会工作委員会主任,蕭昌楽・党中央秘書処主任の人事異動案を可決。
DIA-105-1985-03-21-1台湾1985年03月21日1980年代西独のドレスデナー銀行(中国名は徳商徳利銀行),同国として初めて台北に駐在員事務所を開設。
DIA-105-1985-03-21-2台湾1985年03月21日1980年代国際貿易局,外国製品に対する市場開放策として,衣料品,海産物を含む112品目の輸入禁止措置を解除。
DIA-105-1985-03-22-1台湾1985年03月22日1980年代中央銀行,預金金利および中長期,短期貸出金利の下限の0.25%引き下げを承認。
DIA-105-1985-03-25-1台湾1985年03月25日1980年代キャセイ航空,同航空と台湾の中華航空の相互乗り入れ契約を5年間延長する契約に調印した,と発表。
DIA-105-1985-03-26-1台湾1985年03月26日1980年代外交部,3月22日の中国魚雷艇事件で韓国政府が中国の領海侵犯行為の謝罪を受け,艇と人員を中国に送還することを決定したことに対し,強い不満を表明。
DIA-105-1985-03-27-1台湾1985年03月27日1980年代趙耀東経済建設委員会主任委員,第4原子力発電所建設遅れれば,1990年末には電力供給不足と強調。
DIA-105-1985-04-02-1台湾1985年04月02日1980年代第3回台湾・オランダ民間経済協力会議,台北で開催。
DIA-105-1985-04-03-1台湾1985年04月03日1980年代毛松年亜東関係協会第2代駐日代表着任。
DIA-105-1985-04-07-1台湾1985年04月07日1980年代セントクリストファ・ネビスのアリンデル総督およびガンブス国会副議長,訪台。
DIA-105-1985-04-09-1台湾1985年04月09日1980年代台北地方裁判所,江南殺害事件の主犯である陳啓礼と呉敦にそれぞれ無期懲役の判決を言い渡す。
DIA-105-1985-04-11-1台湾1985年04月11日1980年代訪台中のデントン米上院議員,防御用の兵器を台湾に売却することは米国政府の政策である,と述べる。
DIA-105-1985-04-16-1台湾1985年04月16日1980年代台湾第1号試験管ベビー,栄民総医院で誕生。
DIA-105-1985-04-16-2台湾1985年04月16日1980年代第10回米国品特別買い付け団,台北を出発。
DIA-105-1985-04-16-3台湾1985年04月16日1980年代英スタンダード・チャーター銀行(中国名は英国標準渣打銀行),台北支店を開設。
DIA-105-1985-04-18-1台湾1985年04月18日1980年代工業技術研究院,256K CMOS DRAM(随時書き込み読み出し記憶素子)の開発に成功した,と発表。
DIA-105-1985-04-18-2台湾1985年04月18日1980年代第7回台湾・南アフリカ経済技術協力会議,ケープタウンで開催。
DIA-105-1985-04-19-1台湾1985年04月19日1980年代国防部軍事法廷,江南殺害計画に関与し,殺人罪で起訴された汪希苓国防部情報局長に無期懲役,殺人ほう助罪で起訴された胡儀敏同局副局長および陳虎門同局第3処副処長に懲役2年6ヵ月の実刑判決。
DIA-105-1985-04-20-1台湾1985年04月20日1980年代交通部,基隆定遠船業公司所属の金鴻号498㌧が18日午後6時30分,金門沖合で福建省の漁船と衝突した後,厦門港に強制的に入港させられた,と発表。
DIA-105-1985-04-21-1台湾1985年04月21日1980年代国際貿易局,日本政府が4月9日に発表した対外経済対策について,抽象的で具体性に欠けているため台湾製品の日本向け輸出促進には効果がない,と表明。
DIA-105-1985-04-22-1台湾1985年04月22日1980年代黄河清立法委員,中国向け間接貿易を合法化すると同時に,登記制にして各企業が製品の30%以上を中国向けに輸出しないよう制限することを行政院に提案。
DIA-105-1985-04-22-2台湾1985年04月22日1980年代工業技術研究院,商業価値の高い非晶質シリコン太陽電池の開発に成功した,と発表。
DIA-105-1985-04-23-1台湾1985年04月23日1980年代立法院,「公務員懲戒法修正案」を通過。
DIA-105-1985-04-23-2台湾1985年04月23日1980年代立法院,コスタリカとの犯罪者引渡協定を採択。
DIA-105-1985-04-24-1台湾1985年04月24日1980年代黄季陸総統府顧問病死,86歳。
DIA-105-1985-04-24-2台湾1985年04月24日1980年代民航局,中華航空とキャセイ航空はこのほど,航空権交換協定を5カ年延長する契約に調印したと表明。`
DIA-105-1985-04-26-1台湾1985年04月26日1980年代国防部,台湾海軍は台湾本島と離島を結ぶ民間貨物船の護衛を行わない,と言明。
DIA-105-1985-04-26-2台湾1985年04月26日1980年代治安当局,台北発高雄行きの中華航空機の乗っ取り犯雷耀華を逮補。
DIA-105-1985-04-27-1台湾1985年04月27日1980年代中華自動車,三菱自動車の技術協力を得て,台湾初の20万元以下の小型国産車「多利」(タウニー,800cc)の市販を開始。
DIA-105-1985-05-01-1台湾1985年05月01日1980年代経済建設委員会,すでに64億元の開発費を投下した彰化臨海工業区の開発を中止する,と決定。
DIA-105-1985-05-02-1台湾1985年05月02日1980年代兪国華行政院長,台湾住民の反対が根強いため,第4原子力発電所の建設を見合わせるよう指示。
DIA-105-1985-05-02-2台湾1985年05月02日1980年代行政院,「台湾省議会組織規程部分条文修正案」を可決。台湾省議員の定員は77名となる。
DIA-105-1985-05-03-1台湾1985年05月03日1980年代4月18日中国に抑留された金鴻号,基隆に帰還。
DIA-105-1985-05-07-1台湾1985年05月07日1980年代行政院経済革新委員会発足,趙耀東,蒋碩傑,辜振甫ら政府,産業界,学界の代表ら27名が参加。
DIA-105-1985-05-09-1台湾1985年05月09日1980年代台北日本人商工会議所,5月から台湾の貿易当局など関係機関と定期的に会合することを決める。
DIA-105-1985-05-10-1台湾1985年05月10日1980年代立法院,銀行の法人資格を明確にした「銀行法修正案」を可決。
DIA-105-1985-05-11-1台湾1985年05月11日1980年代警備総司令部,「不法な言論」を続けている政治評論誌に対し,今後は徹底的に取り締まる,と警告。
DIA-105-1985-05-14-1台湾1985年05月14日1980年代財政部,米輸出入銀行の直接貸付計画の中止は,台湾の対米借款に実質的影響を与えない,と述べる。
DIA-105-1985-05-16-1台湾1985年05月16日1980年代無党派の台湾省議員14人,定員外の台湾省政府委員(法定人数11名,現職委員23名)の予算が可決されたため,議会運営に不満を表明して集団辞職。
DIA-105-1985-05-16-2台湾1985年05月16日1980年代米上院,アジア開発銀行における台湾の会員資格と地位を支持する修正決議案を可決。
DIA-105-1985-05-16-3台湾1985年05月16日1980年代立法院,「懲治走私条例」(密輸取締条例)の修正案を可決。台湾漁民が海上で中国漁民と物を交換すれば密輸罪として最高7年の有期刑が科せられる。
DIA-105-1985-05-18-1台湾1985年05月18日1980年代装置出力95万1000kWの第3原子力発電所2号基,商業運転を開始。
DIA-105-1985-05-21-1台湾1985年05月21日1980年代韓国の金相台駐台湾大使,蒋経国総統に信任状を提出。
DIA-105-1985-05-24-1台湾1985年05月24日1980年代外交部,マカオの将来に関する中国とポルトガルのいかなる協議も認めない,と言明。
DIA-105-1985-05-25-1台湾1985年05月25日1980年代呉梅村経済部次長,華僑・外国人が上場企業に直接投資し,その経営に参加してもよい,と述べる。
DIA-105-1985-05-28-1台湾1985年05月28日1980年代コスタリカ共和国のモンヘ大統領,グチエレス外相,ウィラスロ企画相ら15人の随員とともに訪台。
DIA-105-1985-05-28-2台湾1985年05月28日1980年代第1回台北・オーストラリア経済・貿易合同会議,台北で開催。
DIA-105-1985-05-30-1台湾1985年05月30日1980年代国防部軍事法廷,江南事件で有罪判決を受けた汪希苓,胡儀敏,陳虎門の上訴に対し,1審判決を支持。
DIA-105-1985-05-30-2台湾1985年05月30日1980年代立法院,1986年度の中央政府総予算案を可決。歳入歳出ともに4123億元,前年比14.76%増。
DIA-105-1985-05-30-3台湾1985年05月30日1980年代経済部,カリブ海地区に2年内5000万㌦を投資する計画を発表。
DIA-105-1985-06-01-1台湾1985年06月01日1980年代ホンジュラス駐台湾大使スンセリ女史,蒋経国総統に信任状を提出。
DIA-105-1985-06-03-1台湾1985年06月03日1980年代台湾高等裁判所,江南殺害事件の主犯である陳啓礼および呉敦に対する台北地裁の犯罪事実の認定を退けながらも,無期懲役の1審判決を支持。
DIA-105-1985-06-06-1台湾1985年06月06日1980年代台湾警備総司令部,5月21日に東引島付近の海域で武装した中国人に乗っとられた台湾漁船「宏志1号」は,船員5人の反撃で無事基隆に帰港した,と発表。
DIA-105-1985-06-06-2台湾1985年06月06日1980年代陸潤康財政部長,現時点で銀行を民営化するよりむしろ銀行の経営健全化と規模の拡大を図るべきだと言明。
DIA-105-1985-06-07-1台湾1985年06月07日1980年代中央銀行,米シティバンク台北支店の1984年の税引き前利益は前年比8.1%増の1300万㌦で,在台湾外国銀行のなかで最も利益が大きかった,と発表。
DIA-105-1985-06-10-1台湾1985年06月10日1980年代蒋経国総統,漢光2号軍事演習の成功を評価。
DIA-105-1985-06-12-1台湾1985年06月12日1980年代ホンジュラス駐台湾大使館開設。
DIA-105-1985-06-12-2台湾1985年06月12日1980年代国民党中央委員常務委員会,台北第十信用合作社の不正融資事件の責任問題で,党員でもある同合作社の蔡辰州理事主席の除籍を決定。
DIA-105-1985-06-15-1台湾1985年06月15日1980年代李模経済部政務次長,台湾金属と台湾アルミの両公営企業を1987年6月までに解散させる,と言明。
DIA-105-1985-06-16-1台湾1985年06月16日1980年代ソロモン諸島のケニロレア首相,訪台。
DIA-105-1985-06-17-1台湾1985年06月17日1980年代台湾銀行公会,貸出金利の下限を0.5%,預金金利の上限を0.5%,下限を0.25%それぞれ引き下げ。
DIA-105-1985-06-18-1台湾1985年06月18日1980年代経済革新委員会,83年の台湾の地下経済による脱税額は635億元で,GNPの3.3%に相当すると指摘。
DIA-105-1985-06-19-1台湾1985年06月19日1980年代台北県三峡鎮渓南里海山一坑炭鉱で,爆発による落盤事故が発生,7人死亡,15人重軽傷。
DIA-105-1985-06-20-1台湾1985年06月20日1980年代徐国安工業局長,フォード六和自動車が1986年7月から小型乗用車の輸出開始を計画していると発表。
DIA-105-1985-06-20-2台湾1985年06月20日1980年代行政院,86年4月1日からハンストを続けている高雄事件既決囚の施明徳の健康維持に全力をあげると表明。
DIA-105-1985-06-21-1台湾1985年06月21日1980年代経済建設委員会,2000年までの台湾の実質経済成長率を年平均6.5%とする長期計画を発表。
DIA-105-1985-06-22-1台湾1985年06月22日1980年代中央社によると,蒋経国総統は先週の馬祖島訪問につづいて,今週は金門島を訪問した。
DIA-105-1985-06-24-1台湾1985年06月24日1980年代財政部,証券交易税の6ヵ月間徴収停止を実施。
DIA-105-1985-06-24-2台湾1985年06月24日1980年代行政院,いかなる状況が生じても,政府は中共と貿易しないとの基本政策を変更するつもりはない,と言明。
DIA-105-1985-06-25-1台湾1985年06月25日1980年代初の中国系アメリカ人宇宙飛行士,王駿博士が台湾を訪問。
DIA-105-1985-06-28-1台湾1985年06月28日1980年代立法院,「著作権法修正案」を可決。
DIA-105-1985-07-01-1台湾1985年07月01日1980年代国防部,同部情報局と特種軍事情報室を一本化して,軍事情報局を設立。新任局長には盧光義中将。
DIA-105-1985-07-03-1台湾1985年07月03日1980年代台湾警備総司令部,軍事機密資料の所持と漏えいの容疑で,新聞局職員陳百齢ら3人を逮捕。
DIA-105-1985-07-04-1台湾1985年07月04日1980年代張京育新聞局長,中国との直接貿易禁止は基本政策であるが,台湾製品が第3国経由で,それ以外の地区に転売される場合は事実上,制限できないと述べる。
DIA-105-1985-07-04-2台湾1985年07月04日1980年代最高裁判所,施性忠新竹市長の汚職にかかわる第2審の上告を棄却,2年6ヵ月の有期懲役の刑を支持。
DIA-105-1985-07-04-3台湾1985年07月04日1980年代財政・経済当局,間接貿易について,(1)中国と直接通商許さず,(2)中国の代表との直接取引も許さず,(3)間接貿易には不干渉,などの原則で処理する,と発表。
DIA-105-1985-07-07-1台湾1985年07月07日1980年代台湾南部の恒春にある第3原子力発電所の第1号基に火災事故発生,死傷者なし。発電機の中のタービンを制御するエクサイターの故障が原因と見られる。
DIA-105-1985-07-09-1台湾1985年07月09日1980年代個人的に台湾を訪問中の日本・新自由クラブの田川誠一顧問,馬樹礼国民党秘書長を表敬訪問。
DIA-105-1985-07-10-1台湾1985年07月10日1980年代立法院,「反乱鎮定期間のごろつき取締り条例」を可決。
DIA-105-1985-07-11-1台湾1985年07月11日1980年代外交部,ボリビアが中国と外交関係を樹立したため,ボリビアとの外交関係中止を決定した,と発表。
DIA-105-1985-07-15-1台湾1985年07月15日1980年代南回り鉄道の台東県卑南―知本間の12.7㌔正式に開通。
DIA-105-1985-07-17-1台湾1985年07月17日1980年代中央銀行,1985年6月末時点での8銀行のオフショア資産総額は52億6000万㌦と,発表。
DIA-105-1985-07-18-1台湾1985年07月18日1980年代『聯合報』によると,中国の輸入制限で,台湾の2輪車メーカー「百吉発工業公司」が資金難に陥った。
DIA-105-1985-07-19-1台湾1985年07月19日1980年代国防部,自力開発した初の地対空ミサイル「天弓」が,台湾北部の某実験基地で発射に成功したと発表。
DIA-105-1985-07-19-2台湾1985年07月19日1980年代行政院,経済部と財政部が提出した電力料金引き下げ,返済期限猶予などを盛り込んだ短期的企業救済措置を承認。
DIA-105-1985-07-20-1台湾1985年07月20日1980年代中国鋼鉄公司,6月に起きた火災で損傷した冷間圧延工場の修理が完了,生産を再開した,と発表。
DIA-105-1985-07-21-1台湾1985年07月21日1980年代1985年国家建設研究会,台北で開催。
DIA-105-1985-07-23-1台湾1985年07月23日1980年代趙耀東経済建設委員会主任委員,政府はすでに「自由化・国際化・制度化」を現段階における台湾の経済発展の最高原則と定めた,と述べる。
DIA-105-1985-07-25-1台湾1985年07月25日1980年代日産自動車,台湾の裕隆汽車(自動車)製造の株式25%を取得,同社への資本参加が完了,と発表。
DIA-105-1985-07-26-1台湾1985年07月26日1980年代台湾電力公司,ウラン燃料の供給源を拡大するため,1988年から英国とフランスでも買付けると決定。
DIA-105-1985-07-29-1台湾1985年07月29日1980年代7月24日から台湾を訪問中のスワジランド王国のベキンピ・ラミニ首相,蒋経国総統と会談。
DIA-105-1985-08-01-1台湾1985年08月01日1980年代米デュポン社,1億6000万㌦をかけて台湾に二酸化チタン生産工場を建設する計画を発表。
DIA-105-1985-08-03-1台湾1985年08月03日1980年代台湾の民主化運動に影響を与えた郭雨新元台湾省議員,米国ワシントンDCで死去,77歳。
DIA-105-1985-08-08-1台湾1985年08月08日1980年代行政院,投資促進策の一環として法人税と個人所得税の引き下げに大筋で合意。
DIA-105-1985-08-08-2台湾1985年08月08日1980年代中央銀行,先月31日に発表された島内および外国銀行の外貨建て預金金利の自由化を本日から実施。
DIA-105-1985-08-09-1台湾1985年08月09日1980年代中国輸出入銀行,輸出関連資金向けの中長期貸出金利を一律0.25%引き下げ。
DIA-105-1985-08-13-1台湾1985年08月13日1980年代経済部,計画中の第4輸出加工区にサービス等の入居を認める方針を決意。5年以内に製造業300社,サービス業100社を受け入れる予定。
DIA-105-1985-08-15-1台湾1985年08月15日1980年代陸潤康財政部長,第十信用合作社不正融資事件で,監督上の責任をとって辞職。このほか,15人の財政・金融関係の高級幹部が免職や懲戒などの処分を受ける。
DIA-105-1985-08-15-2台湾1985年08月15日1980年代兪国華行政院長,陸潤康財政部長の辞任に伴い,李洪鰲同部政務次長に財政部長代行を命じる。
DIA-105-1985-08-16-1台湾1985年08月16日1980年代蒋経国総統,「将来における国家元首の職責を蒋家に継承させることなど,私はこれまで一度も考えたことはない」と,米誌Timeの質問に回答。
DIA-105-1985-08-19-1台湾1985年08月19日1980年代交通部,米台の貿易摩擦を緩和するための一環として,米国から48輌の客車を輸入すると発表。
DIA-105-1985-08-21-1台湾1985年08月21日1980年代蒋経国総統,銭純中央銀行副総裁を財政部長兼行政院政務委員に任命。
DIA-105-1985-08-21-2台湾1985年08月21日1980年代蒋経国総統,訪台中のドール米共和党上院院内総務を団長とする米上院議員訪問団一行6名と会見。
DIA-105-1985-08-22-1台湾1985年08月22日1980年代蒋経国総統,李洪鰲財政部政務次長の職を解き,その後任に何顕重台北市銀行董事長を任命。
DIA-105-1985-08-24-1台湾1985年08月24日1980年代経済部,国営企業の買い付け自主権を拡大し,日本製品の買い付けに対する規制を緩和する方針と表明。
DIA-105-1985-08-25-1台湾1985年08月25日1980年代外交部の王肇元スポークスマン,韓国に不時着した中国海軍の軽爆撃機の蕭天潤操縦士が希望すれば,台湾亡命を認めるよう韓国政府に要請する,と述べる。
DIA-105-1985-08-26-1台湾1985年08月26日1980年代東京高裁,旧日本軍人・軍属であった台湾人と遺族13人が日本政府を相手取り,計6500万円の補償を求めていた「台湾人元日本兵戦死傷補償訴訟」の控訴を棄却。
DIA-105-1985-08-27-1台湾1985年08月27日1980年代訪台中のケンプ米下院議員,米国はF-20高性能戦闘機か対潜水艦装備などを台湾に売り渡し,台湾の防衛能力を強化すべきである,と主張。
DIA-105-1985-08-30-1台湾1985年08月30日1980年代朱撫松外交部長,台湾は中南米諸国との友好関係の維持に全力を挙げる,と表明。
DIA-105-1985-09-04-1台湾1985年09月04日1980年代李登輝副総統,コスタリカ,パナマ,グアテマラを公式訪問するため,台北を出発。
DIA-105-1985-09-08-1台湾1985年09月08日1980年代8月29日栄民総医院で右目の白内障摘出手術を受けた蒋経国総統,退院。
DIA-105-1985-09-09-1台湾1985年09月09日1980年代第12回国際中小企業大会,台北で開催。
DIA-105-1985-09-12-1台湾1985年09月12日1980年代徐国安工業局長,1986年7月で期限切れとたる日本製VTRの輸入禁止措置を延長しない,と述べる。
DIA-105-1985-09-15-1台湾1985年09月15日1980年代台湾初の明湖くみあげ式水力発電所(発電機4基,総発電量100kWh),正式に落成。
DIA-105-1985-09-16-1台湾1985年09月16日1980年代台湾政府とソロモン諸島政府,台湾の在ホニアラ総領事館を在ソロモン諸島大使館に昇格する,と発表。
DIA-105-1985-09-16-2台湾1985年09月16日1980年代自民党日華関係議員懇談会の灘尾会長一行20人訪台。
DIA-105-1985-09-16-3台湾1985年09月16日1980年代行政院の書面答弁によると,中国産綿花や石炭の輸入は認めない,漢方薬についても代用品があるまで輸入を認める品目のほかは一切輸入を禁止する。
DIA-105-1985-09-16-4台湾1985年09月16日1980年代台湾警備総司令部,台湾独立を鼓吹した容疑で逮捕された徐肇宏に6年の有期懲役を判決。
DIA-105-1985-09-17-1台湾1985年09月17日1980年代台湾警備総司令部,米ロサンゼルスを本拠とする華字紙『国際日報』発行人の李亜頻女史を中国政府の政治宣伝を行なった容疑で逮捕した,と発表。
DIA-105-1985-09-17-2台湾1985年09月17日1980年代台湾銀行協会,銀行の預金・貸出金利を0.2~0.5%引き下げ,即日実施する,と発表。
DIA-105-1985-09-17-3台湾1985年09月17日1980年代行政院,超LSI(大規模集積回路)生産工場(投資総額100億元以上,政府投資50%以下)の建設を決定。
DIA-105-1985-09-20-1台湾1985年09月20日1980年代8月24日韓国に不時着した中国海軍軽爆撃機の蕭天潤操縦士,台湾の桃園国際空港に到着。
DIA-105-1985-09-20-2台湾1985年09月20日1980年代行政院の施政報告によると,1985年6月末現在の公的外債残高は(世銀定義によると)52億9000万㌦。
DIA-105-1985-09-21-1台湾1985年09月21日1980年代国際貿易局,第11回対米買い付け団を派遣。
DIA-105-1985-09-23-1台湾1985年09月23日1980年代外為指定の地場銀行12行と外国銀行台北支店10行,国際銀行間通信協会(SWIFT)に加盟。
DIA-105-1985-09-25-1台湾1985年09月25日1980年代経済建設委員会,「第9期台湾経済建設中期計画(1986~89年)」と「1986年台湾経済建設計画」を可決。86年の経済成長率5.5%,86~89年まで平均6.5%。
DIA-105-1985-09-26-1台湾1985年09月26日1980年代台湾警備総司令部,8月17日に逮捕された李亜頻女史を感化処分にするため釈放した,と発表。
DIA-105-1985-09-26-2台湾1985年09月26日1980年代台湾と韓国,台湾産バナナと韓国産梨(2000㌧)をバーター取引きする同意書に調印。
DIA-105-1985-09-27-1台湾1985年09月27日1980年代中央預金保険公司(資本金20億元)発足。
DIA-105-1985-09-27-2台湾1985年09月27日1980年代中国からフランスに亡命した民主運動家の林希女史,台湾を訪問。
DIA-105-1985-09-28-1台湾1985年09月28日1980年代党外選挙後援会,28カ条の共同政見を決定。
DIA-105-1985-09-30-1台湾1985年09月30日1980年代交通部電信総局,日,米を中心とする太平洋横断光海底ケーブルの建設計画に資本参加することを決定。
DIA-105-1985-10-01-1台湾1985年10月01日1980年代台湾警備総司令部,中国と直接貿易を行ない,産業技術を中国に流した容疑で,陳国勲,念昭南,陳建維,林文傑ら4名の商人を起訴。
DIA-105-1985-10-01-2台湾1985年10月01日1980年代福特六和自動車(米フォード社70%出資),1986年7月から年間3万台の小型乗用車をカナダに輸出と発表。
DIA-105-1985-10-03-1台湾1985年10月03日1980年代故蒋介石総統の「遺徳顕彰会」,東京で発足。
DIA-105-1985-10-04-1台湾1985年10月04日1980年代ドミニカ共和国のチャルズ首相,訪台。
DIA-105-1985-10-07-1台湾1985年10月07日1980年代連戦交通部長,日本アジア航空(JAA)が機齢15年の老朽機問題を早急に改善するよう望んでいる,と立法院で表明。一方,台湾消費者文教基金は,この問題について,正式に日本の運輸省に連絡した,と発表。
DIA-105-1985-10-09-1台湾1985年10月09日1980年代ワシントンで開かれた米台貿易咨問会議で,台湾は192品目に及ぶ米国製品の関税引き下げ,米国製たばこ・酒類の輸入認可などについて,米国と合意。
DIA-105-1985-10-10-1台湾1985年10月10日1980年代台北―香港間海底ケーブル(全長1350㌔,電話回線480本),正式に開通。
DIA-105-1985-10-10-2台湾1985年10月10日1980年代蒋経国総統,台北市総統府前広場で開かれた双十節式典に出席。日本からは岸信介元首相ら8人が参加。
DIA-105-1985-10-16-1台湾1985年10月16日1980年代レーガン米大統領,74年通商法301条を発表,台湾を301条発動の対象から除外。
DIA-105-1985-10-16-2台湾1985年10月16日1980年代朱撫松外交部長,米下院がジェンキンズ法案を可決したことは,台湾の輸出に重大な打撃を与える,と強調。
DIA-105-1985-10-16-3台湾1985年10月16日1980年代経済建設委員会,「国内企業による海外投資規制緩和計画」を可決。
DIA-105-1985-10-17-1台湾1985年10月17日1980年代経済部,米国の自由貿易政策を支持するとの声明を発表。
DIA-105-1985-10-17-2台湾1985年10月17日1980年代経済建設委員会,台湾電力と米ロッキー・マウンテン・エナジー社と5年契約を結び,米国の七つの州でウランの探鉱を行なう計画を認可。
DIA-105-1985-10-17-3台湾1985年10月17日1980年代エルサルバドルのロペス駐台湾大使,台北に着任。
DIA-105-1985-10-22-1台湾1985年10月22日1980年代法務部調査局,第十信用合作社不正融資事件をめぐる30億元の融資先のリストを公表。
DIA-105-1985-10-22-2台湾1985年10月22日1980年代経済部と財政部,1986年から乗用車の輸入関税を5%,部品・付属品を平均2%引き下げることを決定。
DIA-105-1985-10-24-1台湾1985年10月24日1980年代中央銀行,外貨準備の激増で生じた過剰流動性を吸収するため,総額40億元の譲渡性預金(CD)を発行。
DIA-105-1985-10-24-2台湾1985年10月24日1980年代台湾政府,米台著作権会議で,米国人の著作が完成した時点で,創作保護を与えることに同意。
DIA-105-1985-10-28-1台湾1985年10月28日1980年代呉伯雄中央選挙委員会主任委員,台湾独立分子の主張と混合する恐れがあるために,「台湾自決」の政見を選挙公報に掲載することはできない,と述べる。
DIA-105-1985-10-29-1台湾1985年10月29日1980年代伯村参謀総長,9月20日台湾に帰順した中国海軍軽爆撃機の蕭天潤操縦士を台湾空軍中佐に任官するともに,報償として金3000両を授与。
DIA-105-1985-11-02-1台湾1985年11月02日1980年代ソロモン諸島のケニロレア首相,訪台。
DIA-105-1985-11-05-1台湾1985年11月05日1980年代シンガポールの李光耀首相,来訪。
DIA-105-1985-11-05-2台湾1985年11月05日1980年代中央銀行,本国人と外国人が外国為替先物取引に直接参加するのを認める,などの為替管理緩和策を発表。
DIA-105-1985-11-05-3台湾1985年11月05日1980年代行政院経済革新委員会,5分科会を通じ56件の建議事項を採択して閉会。
DIA-105-1985-11-06-1台湾1985年11月06日1980年代台韓鉄鋼業協力委員会1985年合同会議,双方からの輸入拡大で合意。
DIA-105-1985-11-08-1台湾1985年11月08日1980年代立法案,「廃棄物清理法修正案」を可決。
DIA-105-1985-11-12-1台湾1985年11月12日1980年代対外貿易協会,スペインのマドリードに駐在事務所を開設。
DIA-105-1985-11-13-1台湾1985年11月13日1980年代経済建設委員会,台湾省政府が提出した1986~91年に総額191億元を投じ,台中港を拡張する計画に同意。完成後同港には13万㌧級の船舶が接岸できる。
DIA-105-1985-11-13-2台湾1985年11月13日1980年代中国石油公司,1989年7月~92年6月に総額1300億元を石油関連大型プロジェクトに投資する,と発表。
DIA-105-1985-11-14-1台湾1985年11月14日1980年代第10回日台経済貿易会議,東京で開催。
DIA-105-1985-11-14-2台湾1985年11月14日1980年代行政院,台湾で現地生産する外国企業に適用している輸出義務付け措置を撤廃することを決定。
DIA-105-1985-11-14-3台湾1985年11月14日1980年代財政部,外国銀行の駐在員事務所開設規制の緩和を原則的に決定した,と言明。
DIA-105-1985-11-15-1台湾1985年11月15日1980年代中華海外鉱業公司,インドネシア国営石炭会社とインドネシアの南カリマンタン炭鉱を開発する契約に調印。台湾側出資額6000万㌦,合弁期間38年。
DIA-105-1985-11-15-2台湾1985年11月15日1980年代顧維鈞総統府資政,米ニューヨーク市で死去,98歳
DIA-105-1985-11-16-1台湾1985年11月16日1980年代台湾省第10回県市長(嘉義市,新竹市は第2回),台湾省第8回省議員,台北市第5回市議員,高雄市第2回市議員を選ぶ統一地方選,各地で実施。
DIA-105-1985-11-17-1台湾1985年11月17日1980年代1970年に中国のために宣伝した容疑で逮捕された李荊元大華晩報会長,15年の刑期を終えて釈放。
DIA-105-1985-11-19-1台湾1985年11月19日1980年代王建経済部次長,1986年1月1日から繊維製品のメーカー別輸出割当枠の配分替えを行なう,と述べる
DIA-105-1985-11-19-2台湾1985年11月19日1980年代立法院,「消防法」と「商標法修正案」を可決。
DIA-105-1985-11-19-3台湾1985年11月19日1980年代林洋港行政院副院長,南アフリカ共和国,マラウィ,スワジランドを訪問するため,台北を出発。
DIA-105-1985-11-21-1台湾1985年11月21日1980年代行政院,第3国を通じて行なわれる対中間接貿易は黙認するが,対中直接貿易は認めない,と再確認。
DIA-105-1985-11-21-2台湾1985年11月21日1980年代中国造船公司,全従業員の約15%に相当する約1250人を近くレイオフする,と発表。
DIA-105-1985-11-23-1台湾1985年11月23日1980年代中央銀行,預金金利の上限を0.5%,貨出金利上限を0.25%,下限を0.5%それぞれ引下げ。
DIA-105-1985-11-28-1台湾1985年11月28日1980年代外交部,中国のアジア開発銀行加盟問題について,「アジア開銀における『中華民国』の地位と権益は,いささかも損われてはならない」との声明を発表。
DIA-105-1985-12-05-1台湾1985年12月05日1980年代国際貿易局,中国との直接貿易禁止は政府の基本政策である,と重ねて表明。一方,台湾警備総司令部,対中直接貿易で逮捕された陳国勲に12年,念昭南に6年,陳建維に5年,林文傑に2年6ヵ月の判決を発表。
DIA-105-1985-12-07-1台湾1985年12月07日1980年代外交部,中国とニカラグアが外交関係を樹立したことに伴い,台湾はニカラグアと断交した,と発表。
DIA-105-1985-12-08-1台湾1985年12月08日1980年代行政院農業委員会,高度技術と資本集約型の農業建設を展開するため,1986~89年の4年間に917億5100万元を投入することに決定。
DIA-105-1985-12-10-1台湾1985年12月10日1980年代国民党当局,汚職犯には仮釈放の適用を認めないとの政策的決定を発表。
DIA-105-1985-12-12-1台湾1985年12月12日1980年代日台第13回東亜経済人会議,台北で開催。
DIA-105-1985-12-14-1台湾1985年12月14日1980年代李国鼎行政務委員,50年後の台湾人口は2690万人に達するだろう,と述べる。
DIA-105-1985-12-16-1台湾1985年12月16日1980年代総統府参軍長に汪敬煦大将,国家安全局長に宋心濂大将が就任。
DIA-105-1985-12-18-1台湾1985年12月18日1980年代朱撫松外交部長,アジア開発銀行で台湾が「中国・台北」の名称でとどまることはできない,と述べる。
DIA-105-1985-12-19-1台湾1985年12月19日1980年代行政院,「外国為替管理条例」の修正案を通過。金および銀は外国為替から除外される。
DIA-105-1985-12-20-1台湾1985年12月20日1980年代台湾省議会第8回の77名省議員,省議会で就任宣誓式。議長に高育仁,副議長に黄鎮岳が選出される。無党派の省議員15名,正副議長選挙の法的根拠をめぐって,非難声明を発表して退場。
DIA-105-1985-12-20-2台湾1985年12月20日1980年代台湾省第10回(新竹,嘉義市は第2回)の県市長の就任宣誓式,各地で挙行。
DIA-105-1985-12-20-3台湾1985年12月20日1980年代トヨタ自動車,台湾の国端自動車への資本参加による乗用車生産計画を経済部に正式に提出。
DIA-105-1985-12-25-1台湾1985年12月25日1980年代蒋経国総統,憲法施行38周年記会大会で,後継者問題で,(1)憲法に基づき国民大会の選挙で決める,(2)蒋家の人間が次期総統選挙に参加することはない,と言明。
DIA-105-1985-12-25-2台湾1985年12月25日1980年代台北市第5回(市議員51名,議長陳建即,副議長陳健治)と高雄市第2回(市議員42名,議長陳田錨,副議長朱有福)の市議員就任宣誓式,各市議会で挙行。
DIA-105-1985-12-26-1台湾1985年12月26日1980年代亜東関係協会理事・監事合同会議,呉玉良秘書長を理事長に昇格,馬紀壮行政院政務委員を駐日代表に任命することを決定。
DIA-105-1985-12-26-2台湾1985年12月26日1980年代行政院,中華経済研究院など68の機関に対し,すでに中国情報を開放していることを明らかにした。
DIA-105-1985-12-26-3台湾1985年12月26日1980年代中国青年党の李主席,劉子鵬立法委員を党の執行委員長に,趙純孝監察委員を副執行委員長に任命。
DIA-105-1985-12-26-4台湾1985年12月26日1980年代行政院,「第9期台湾経済建設中期計画」(1986~89年)および「1986年台湾経済建設計画」を採択。
DIA-105-1985-12-31-1台湾1985年12月31日1980年代台北世界貿易中心展示館の落成式が行なわれる。
DIA-105-1986-01-02-1台湾1986年01月02日1980年代行政院の統計によると,1985会計年度の国営企業27社の資産総額は,はじめて3兆元を突破。
DIA-105-1986-01-03-1台湾1986年01月03日1980年代行政院,(1)中国大陸への密航者は出国を制限するとともに,中国のために工作した容疑者に対しては処罰する,(2)中国大陸を短期間訪問した華僑で安全上の懸念がない者に対しては,従来通り入国を認める,と言明。
DIA-105-1986-01-04-1台湾1986年01月04日1980年代訪台したゴールドウォーター米上院軍事委員長,「米国はF20戦闘機を含む精鋭兵器を台湾に提供すべきである」と述べる。
DIA-105-1986-01-04-2台湾1986年01月04日1980年代張継正中央銀行総裁,1985年末の台湾の外貨準備高は222億ドルで,前年末比34.5%増と発表。
DIA-105-1986-01-06-1台湾1986年01月06日1980年代台湾電力公司,1985年7月7日に発生した第3原子力発電所1号基火災事故によって生じた損失約300億元について,社内吸収することに決定した,と発表。
DIA-105-1986-01-07-1台湾1986年01月07日1980年代銭復北米事務協調委員会駐米代表,台米関係の今後の対応について,速やかに現行の経済貿易関係の規定を改正し,双方の実質関係の維持発展に努めるべきである,と監察院外交委員会で述べる。
DIA-105-1986-01-08-1台湾1986年01月08日1980年代外交部の邱進益スポークスマン,アジア開発銀行における「中華民国」の権益,地位や名称に影響を及ぼすいかなる決定にも同意しないとの声明を発表。
DIA-105-1986-01-08-2台湾1986年01月08日1980年代法務部の統計によると,1981年7月国家賠償法を実施してからの4年間,国家賠償請求件数は1566件に達したが国家賠償金を受領したのは僅か14%の低率である。
DIA-105-1986-01-09-1台湾1986年01月09日1980年代北回り鉄道宜蘭線(八堵―蘇澳93.7km)の複線化工事完成,正式に開通。
DIA-105-1986-01-09-2台湾1986年01月09日1980年代行政院,政府は当面政党法の立法も新政党の設立解禁も考慮しない,と述べる。
DIA-105-1986-01-09-3台湾1986年01月09日1980年代?国華行政院長,付加価値型営業税の実施開始期日を1986年4月1日,営業税率は当面5%とすると決定。
DIA-105-1986-01-10-1台湾1986年01月10日1980年代立法院長倪文亜特使一行7人,ホンジュラスとグアテマラの大統領就任式に参列するため,台北を出発。
DIA-105-1986-01-13-1台湾1986年01月13日1980年代米移民局,1983年と1984年の台湾から米国に移民した人数は2万9176人,と発表。
DIA-105-1986-01-13-2台湾1986年01月13日1980年代中央信託局,このほど外貨投資信託業務を開始。最低金額は5000万元で,期限は最低2ヵ年。
DIA-105-1986-01-14-1台湾1986年01月14日1980年代立法院,「貨物税修正案」を通過。
DIA-105-1986-01-14-2台湾1986年01月14日1980年代ハッチ米上院議長一行16人,訪台。
DIA-105-1986-01-16-1台湾1986年01月16日1980年代行政院,総投資額2億700万ドルのVLSI(超大規模集積回路)工場建設計画を承認。うち借入金6200万ドル,資本1億4500万ドル(出資比率は政府48.3%,外国企業27.6%,国内民間投資24.1%)。
DIA-105-1986-01-16-2台湾1986年01月16日1980年代沈錡西独駐在代表処代表,台湾と西独の経済貿易関係を推進するために,相互訪問を強化すべきだ,と強調。
DIA-105-1986-01-16-3台湾1986年01月16日1980年代経済建設委員会,台湾電力第4原子力発電所建設計画を承認。発電規模は2基で各100万KW,それぞれ1993年と1994年に完成,投資金額は1784億元を上限とし,建設予定地は台北県貢寮郷塩寮。
DIA-105-1986-01-17-1台湾1986年01月17日1980年代立法院,「海関進口税則(関税定率法)修正案」を通過。777品目(うち117品目は米国からの輸入に限定)の税率引下げ,28品目の関税免除,11品目の関税引上げ。また,最高税率は75%から67.5%に,実質関税負担率は7.89%から7.62%にそれぞれ引下げられる。
DIA-105-1986-01-17-2台湾1986年01月17日1980年代立法院,関税付加税(現在は関税課税価格の5%)を全面的に廃止する「関税法部分条文修正案」を通過。
DIA-105-1986-01-18-1台湾1986年01月18日1980年代亜東関係協会の馬紀壮駐日代表,東京に着任。
DIA-105-1986-01-20-1台湾1986年01月20日1980年代中央銀行,預金金利の自由化を実現するため,現行の13種類預金の最高金利を4種類に改め,実施。また,銀行の短期および中長期貸付最低利率をそれぞれ0.25%引き下げることを認める。
DIA-105-1986-01-23-1台湾1986年01月23日1980年代パナマのチュ・イ大使,蒋総統に信任状提出。
DIA-105-1986-01-24-1台湾1986年01月24日1980年代王友釗農業委員会主任委員,1986年度から始まった経済建設4ヵ年計画に定められた農業部門の年平均成長率1.4%を達成するためには,総額1501億元の農業投資(官民投資を含む)が必要である,と述べる。
DIA-105-1986-01-28-1台湾1986年01月28日1980年代第3回全国科学技術会議,科学技術予算について,(1)毎年の伸び率を10~15%に維持する,(2)1993年にはGNPの2~2.5%を達成する,との決議案を可決。
DIA-105-1986-01-28-2台湾1986年01月28日1980年代李国鼎政務委員,台湾は科学技術系大学卒業生が外国,とくに米国大学院に留学後もそのまま滞在する者が多いため,科学者や技術者が不足している,と述べる。
DIA-105-1986-01-29-1台湾1986年01月29日1980年代中国共産党の胡耀邦総書記,「蒋介石先生の遺徳を顕彰する会」の結成について,「これを行なえば中国人民を傷つけるだろう」と警告。
DIA-105-1986-01-30-1台湾1986年01月30日1980年代台北市政府の統計によると,同市在住の外国人は1万1474人,うち日本人2705人が最も多い。
DIA-105-1986-01-30-2台湾1986年01月30日1980年代周啓錦中国石油公司総経理,サウジアラビアとクウェートが台湾向けに輸出している合計日量12万バレルの原油価格について,近いうちネットバック方式をとる見通しである,と表明。
DIA-105-1986-01-30-3台湾1986年01月30日1980年代政府,韓国側とナシの腐らん率の許容基準(5%以下)をめぐる交渉が決裂したため,韓国とのバーター取引きを中止する,と決定。
DIA-105-1986-01-31-1台湾1986年01月31日1980年代亜東関係協会東京弁事処,1月26日付『朝日新聞』が掲載した「大陸~台湾通話は可能」の記事は誤報である,と声明を発表。
DIA-105-1986-02-01-1台湾1986年02月01日1980年代台湾省第11回(新竹・嘉義両市では第2回)県・市議員(定数837人)および第10同郷・鎮・市長(定数309人)選挙,各地で行なわれる。国民党得票率87.4%。
DIA-105-1986-02-01-2台湾1986年02月01日1980年代行政院,台湾初のシンクロトロン放射施設(13億電子ボルト,工事費14億元,1990年に完成)を1986年7月新竹工業科学園区に建設する予定,と発表。
DIA-105-1986-02-03-1台湾1986年02月03日1980年代連戦交通部長,台湾の商船は総トン数が665万トンに達し,世界の主要海運国となった,と述べる。
DIA-105-1986-02-04-1台湾1986年02月04日1980年代国防部,1979年の高雄暴動事件で反乱罪の判決を受けた林義雄,林弘宣,陳菊,呂秀蓮が含まれる受刑者14名を仮釈放。
DIA-105-1986-02-04-2台湾1986年02月04日1980年代京都地方裁判所,中国人留学生宿舎である京都「光華寮」の所有権は台湾政府にある,と判決。
DIA-105-1986-02-05-1台湾1986年02月05日1980年代蒋経国総統,2月1日の統一地方選挙が成功したことは,政府が立憲民主制の完全実施に決意と自信をもつことを示すものである,と強調。
DIA-105-1986-02-06-1台湾1986年02月06日1980年代行政院,1985年の米台経済貿易面での成果について,(1)9月の第11回訪米買付団の買付額は3.1億ドル,(2)台北で台米工業・知的所有権保護会議を挙行,(3)10月の台米貿易諮問会議で,台湾は米国からの輸入品192品目について関税減免に同意,と報告。
DIA-105-1986-02-11-1台湾1986年02月11日1980年代米ユナイテッド航空の定期便,台湾へ初飛行。
DIA-105-1986-02-11-2台湾1986年02月11日1980年代米下院議員団(団長はサンドクイスト公共事業委員会委員)一行9名,訪台。
DIA-105-1986-02-12-1台湾1986年02月12日1980年代蒋経国・国民党主席,1986年の政府と党の工作重点として,(1)14項目重要建設の推進,(2)民間団体の連携強化,など2項目を指示。
DIA-105-1986-02-14-1台湾1986年02月14日1980年代教育部の統計によると,1985学年度に台湾の大学や短大に入学した外国人学生は3769人。
DIA-105-1986-02-15-1台湾1986年02月15日1980年代台湾全地区の道路交通情報をオンライン化する「道路交通管制センター」が始動。
DIA-105-1986-02-15-2台湾1986年02月15日1980年代経済部,現行の自動車産業に対する外国人投資の輸出比率計算公式を廃止し,ケースバイケースで輸出比率を決定する,と発表。
DIA-105-1986-02-15-3台湾1986年02月15日1980年代経済部投資審議委員会,1985年のサービス業への外資投資額は合計4900万ドルで,前年比147%の急増となった,と発表。
DIA-105-1986-02-16-1台湾1986年02月16日1980年代中華航空のボーイング737型旅客機,澎湖島の沖合で墜落。乗客7人,乗員6人が死亡。
DIA-105-1986-02-18-1台湾1986年02月18日1980年代蒋経国総統次男の蒋孝武中国広播公司総経理(中国ラジオ放送社長),台湾駐シンガポール商務代表団副代表として赴任。
DIA-105-1986-02-18-2台湾1986年02月18日1980年代李煥教育部長,台湾がアジア・オリンピック評議会に復帰していないため,1986年9月ソウルで開かれるアジア競技大会には参加しないだろう,と述べる。
DIA-105-1986-02-19-1台湾1986年02月19日1980年代経済部,ガソリン等石油製品11品目の値下げを実施。値下げ幅は2.7%~13.3%。
DIA-105-1986-02-19-2台湾1986年02月19日1980年代バンコク銀行台北支店,オフショア金融業務を開始。
DIA-105-1986-02-19-3台湾1986年02月19日1980年代中国鋼鉄公司,スペイン鉄鋼大手のアルトス・ホーノス・ド・ビズカ社と技術協力合意書に調印。
DIA-105-1986-02-20-1台湾1986年02月20日1980年代国内主要7銀行,定期預金および定期貯蓄預金の金利を0.25~0.5%引下げることを決定。
DIA-105-1986-02-20-2台湾1986年02月20日1980年代栄民工程処,エジプト堤防保護局との間で工事費4000万ドルの海岸堤防工事建設契約に調印。台湾企業がアフリカ地域で工事を受注するのはこれが初めて。
DIA-105-1986-02-20-3台湾1986年02月20日1980年代行政院,経済部が提出した台湾電力公司の「台中第1-4号火力発電工事計画」(投資金額902億元)と中国石油公司の「第5ナフサ工場建設計画」(投資金額153億元)を了承。
DIA-105-1986-02-21-1台湾1986年02月21日1980年代外交部,中国のミグ19型戦闘機が韓国に亡命したことについて,「中国機の飛行士が台湾へ来ることを望んでいるのであれば,政府は全力を挙げて,その希望を実現させることに協力・援助する」と歓迎の意を表明。
DIA-105-1986-02-21-2台湾1986年02月21日1980年代台湾とクウェート,ネットバック方式で1986年1月に溯って計算することで原油購入の話し合いがついた。
DIA-105-1986-02-22-1台湾1986年02月22日1980年代サウジアラビアのヤマニ石油相,訪台。
DIA-105-1986-02-22-2台湾1986年02月22日1980年代李達海経済部長,トヨタ自動車と台湾の国瑞自動車の合弁で小型乗用車工場を建設するための投資計画案を付帯条項をつけて正式に承認。
DIA-105-1986-02-22-3台湾1986年02月22日1980年代呉伯雄内政部長,県市議長・副議長の選挙で買収が行なわれているうわさを重視し,買収の証拠を収集して容疑が固まれば法律にしたがって厳罰する,と述べる。
DIA-105-1986-02-24-1台湾1986年02月24日1980年代中央銀行,通貨過剰の圧力緩和のために,大衆向け貯蓄債券80億元(年利6.25%,期限3年)を発行。
DIA-105-1986-02-26-1台湾1986年02月26日1980年代外交部の邱進益スポークスマン,フィリピン新政権の樹立で,両国関係は現存の基礎の上に実質関係が引き続き増進するだろう,と述べる。
DIA-105-1986-02-26-2台湾1986年02月26日1980年代日台科学技術交流会議,東京で開催。
DIA-105-1986-02-26-3台湾1986年02月26日1980年代経済建設委員会,台北市圏大衆輸送システム路線問題で,今後は12年間に総工費1548億元を投資して,4路線(全部で77km)を優先的に建設する,と決議。
DIA-105-1986-02-26-4台湾1986年02月26日1980年代米下院不公平貿易行為調査団,訪台。
DIA-105-1986-02-27-1台湾1986年02月27日1980年代外交部の邱進益スポークスマン,ハイチ政権は更迭されたが,台湾とハイチの友好関係には影響なく,相互に協力を続けてゆくつもりである,と述べる。
DIA-105-1986-02-28-1台湾1986年02月28日1980年代朱撫松外交部長,アジア開発銀行における「中華民国」の名称変更は絶対に受け入れない,との立場をかさねて表明。
DIA-105-1986-02-28-2台湾1986年02月28日1980年代中国石油公司,石油化学原料4品目の価格を国際市場の相場に合わせて引き下げる,と発表。
DIA-105-1986-03-01-1台湾1986年03月01日1980年代中央銀行,郵便貯金の増加分を同行に預金する比率を従来の35%から70%に引き上げ。
DIA-105-1986-03-02-1台湾1986年03月02日1980年代台湾初のエイズ患者死亡。
DIA-105-1986-03-03-1台湾1986年03月03日1980年代経済当局,オランダのフィリップス・エレクトロニクス社(出資額4000万ドル)と総額2億700万ドル共同出資してVLSI(超大規模集積回路)合弁工場を設立することに決定。
DIA-105-1986-03-03-2台湾1986年03月03日1980年代中央気象局,寒波の来襲で各地で90年来の最低気温を記録。淡水3.1度,基隆3.6度,新竹3.8度,台中2.1度。
DIA-105-1986-03-03-3台湾1986年03月03日1980年代行政院農業委員会,今年の異常低温でバナナの年収穫量は推定900万トン以下に激減する見通し,と述べる。
DIA-105-1986-03-05-1台湾1986年03月05日1980年代蒋経国総統,第52回国家安全会議で,14項目建設を重点とした1987年度中央政府総予算について指示。
DIA-105-1986-03-05-2台湾1986年03月05日1980年代董樹藩蒙蔵(モンゴル・チベット)委員会委員長死去,54歳。
DIA-105-1986-03-06-1台湾1986年03月06日1980年代台湾と犯罪人引渡条約を結んでいない日本に逃亡した連続殺人容疑者劉煥栄と斉恵生,日本の出入国管理令違反として国外追放処分を受けた後,羽田空港の中華航空機内で台湾側の刑事に逮捕される。
DIA-105-1986-03-08-1台湾1986年03月08日1980年代台湾電力第1原子力発電所2号基,401日間継続運転中で,世界のノンストップ記録を更新。
DIA-105-1986-03-11-1台湾1986年03月11日1980年代外交部,アジア開発銀行が台湾の名称を「中華民国」から「中国台北」と変更したことについて,これを受け入れないとの声明文を発表。
DIA-105-1986-03-11-2台湾1986年03月11日1980年代?国華行政院長,台湾のアジア開発銀行への拠出金は台湾地区の人口を基準にして算出されたものであるが,これは現在中国に占拠されている中国大陸を放棄したことを意味しない,と述べる。
DIA-105-1986-03-11-3台湾1986年03月11日1980年代?国華行政院長,「強力な指導者による危機」や「軍による政治介入」などの問題は全く存在しないと強調。
DIA-105-1986-03-13-1台湾1986年03月13日1980年代経済部,今年2度目の国内石油製品の値下げを実施。台湾電力,営業用電気料金の値下げも実施。
DIA-105-1986-03-13-2台湾1986年03月13日1980年代台北市古亭警察分署,管轄区域内で台湾独立分子彰明敏の著書『彭明敏回顧録』等2万数冊を押収。
DIA-105-1986-03-14-1台湾1986年03月14日1980年代国防部,香港誌『百姓』が台湾はすでに原爆数個を製造したと伝えたことについて,「政府の政策は核兵器の製造も使用も行なわない」との否定の談話を発表。
DIA-105-1986-03-14-2台湾1986年03月14日1980年代張京育新聞局長,現在台湾には31紙で発行部数370万部,2700の定期刊行物,テレビ局3局と数多くのラジオ放送局があるように,国民は意見を発表する機会が少なくない,と強調。
DIA-105-1986-03-14-3台湾1986年03月14日1980年代宋長志国防部長,国内のいわゆる「民主人士」は,言論,思想,イデオロギー,行動面で,中国共産党および台湾独立運動者と一線を画す必要がある,と警告。
DIA-105-1986-03-14-4台湾1986年03月14日1980年代財政部,「新営業税制実施初期の消費者物価パンフレット」を公表。それによると,消費性商品7品目が値下り,31品目が現状維持,113品目が値上りする。
DIA-105-1986-03-17-1台湾1986年03月17日1980年代台湾省政府委員会議,台湾省1987年度総予算案を通過。歳入歳出はそれぞれ1518億9281万6000元,前年度比2.35%増。
DIA-105-1986-03-18-1台湾1986年03月18日1980年代経済建設委員会,「台湾経済建設長期展望」を採択。2000年までの年平均経済成長率6.5%,2000年の1人当りGNP1万3353ドル,卸売物価上昇率年3.5%以下。
DIA-105-1986-03-18-2台湾1986年03月18日1980年代張導民審計部審計長,1985年度に外貨準備高の預金利息は684億2800万元で,平均金利は10.23%,と述べる。
DIA-105-1986-03-20-1台湾1986年03月20日1980年代フィリピンのゴンサレス観光相,訪台。
DIA-105-1986-03-20-2台湾1986年03月20日1980年代台湾警備総司令部,『八十年代』誌など8種類の出版物を発禁処分。
DIA-105-1986-03-21-1台湾1986年03月21日1980年代?国華行政院長,(1)14項目重要建設を中心とする1987年度の公共投資予算案(1013億5100万元,対前年度比38%増)はピークを迎える,(2)同年度の国防外交支出予算は総予算の37%と前年度比0.6%減少したが,これによって国防力が弱まることはない,と指摘。
DIA-105-1986-03-21-2台湾1986年03月21日1980年代中華航空の鳥鉞董事長,同公司の1985年来の資産総額12億5111万ドルのうち,自己資金がわずか総資産の6%にすぎず,収入の約20%は銀行借入れの元利に返済している,と述べる。
DIA-105-1986-03-24-1台湾1986年03月24日1980年代オランダ自由民主党のカミンハ党首,訪台。
DIA-105-1986-03-24-2台湾1986年03月24日1980年代行政院新聞局,国内外の全同胞に対して,「台湾」や「台湾人」ではなく,「中華民国」や「中国人」という名詞を正確に使用するよう呼びかけ。
DIA-105-1986-03-25-1台湾1986年03月25日1980年代セントクリストファー・ネイビスのバイロン駐台湾大使,蒋経国総統に信任状を提出。
DIA-105-1986-03-26-1台湾1986年03月26日1980年代蒋経国総統,呉化鵬氏を蒙蔵(モンゴル・チベット)委員会委員長ならびに行政院政務委員に任命。
DIA-105-1986-03-26-2台湾1986年03月26日1980年代財政部,120億元の公債(期間5年,年利6.5%),を発行。1回に発行した公債額としては史上最大規模。
DIA-105-1986-03-27-1台湾1986年03月27日1980年代国防部,3月26日に実施された国産の地対空ミサイル「天弓」の実戦テストが成功した,と発表。
DIA-105-1986-03-29-1台湾1986年03月29日1980年代フィリピンのロサス・アジア交易センター駐台湾主任,台北に着任。
DIA-105-1986-03-29-2台湾1986年03月29日1980年代国民党第12期中央委員会第3次全体会議と中央評議委員第3次会議,台北市郊外陽明山の中山楼で開催。
DIA-105-1986-03-30-1台湾1986年03月30日1980年代クランストン米上院民主党副会長,訪台。
DIA-105-1986-03-31-1台湾1986年03月31日1980年代国民党第12期3中全会,蒋経国主席の指名による中央常務委員31人の人選を採択して閉会。留任27人,新任4人(李煥,呉伯雄,施啓揚,陳履安)。
DIA-105-1986-03-31-2台湾1986年03月31日1980年代米政府,レーガン米大統領は台湾当局が台湾進出のトヨタ自動車に輸出義務を課していることが通商法307条に違反するかどうかを調査するよう命じた,と発表。
DIA-105-1986-04-01-1台湾1986年04月01日1980年代付加価値税制実施。
DIA-105-1986-04-01-2台湾1986年04月01日1980年代ヤイター米通商代表部代表,GSPの「卒業条項」に基づいて7月1日から9億7200万ドル相当分の台湾製品の輸入関税免除の適用は除外する,と発表。
DIA-105-1986-04-01-3台湾1986年04月01日1980年代財政部,外国企業の台湾支店による台湾産品の買付けに対する免税措置を取消し,営業税および法人税を徴収することを実施。
DIA-105-1986-04-02-1台湾1986年04月02日1980年代米国務省が国会に送付した安全援助計画によれば,米国は1987会計年度に台湾に対して7億2000万ドルの軍需物資とサービスを売却する予定。この金額は,1986会計年度に比べ2000万ドルの減少。
DIA-105-1986-04-02-2台湾1986年04月02日1980年代アジア卓球連盟執行理事会議,満場一致で台湾が同連盟に復帰することを決議。
DIA-105-1986-04-02-3台湾1986年04月02日1980年代中国石油公司,1月にさかのぼって主要石油化学原料を値下げする,と発表。
DIA-105-1986-04-02-4台湾1986年04月02日1980年代経済建設委員会,桃園県観音工業区での第4輸出加工区の設置を見合わせる旨正式に決議。
DIA-105-1986-04-03-1台湾1986年04月03日1980年代司法院の統計によると,1985年の重大刑事事件は84年に比べて急激に増加しており,社会の安定に大きな影響を及ぼしている。
DIA-105-1986-04-06-1台湾1986年04月06日1980年代イタリア国会議員訪問団(団長はクオジャティ国会議員)一行8名,訪台。
DIA-105-1986-04-07-1台湾1986年04月07日1980年代蒋経国総統,椎名素夫衆院議員と会見。
DIA-105-1986-04-07-2台湾1986年04月07日1980年代行政院,米国が5億ドルの電子航法設備を中国に譲渡する件について,憂慮の意を表明。
DIA-105-1986-04-07-3台湾1986年04月07日1980年代劉宗翰フィリピン駐在代表処代表,台湾とフィリピンの実質関係は引き続き推進すべきである,と報告。
DIA-105-1986-04-07-4台湾1986年04月07日1980年代曹嶽維台欧貿易促進会副会長を団長とする台湾経済代表団一行40人,オランダを訪問。その後,ベルギー,スウェーデン,イギリス等を訪問する予定。
DIA-105-1986-04-09-1台湾1986年04月09日1980年代国民党中央常務委員会,党と行政の改革に関する3中全会での蒋経国総統の指示と党の決議案の具体的実行計画を進めるため,厳家淦,謝東閔,李登輝,谷正綱,黄少谷,?国華,げた文亜,袁守謙,沈昌煥,李煥,邱創煥,呉伯雄など12人の中央常務委員を指名。
DIA-105-1986-04-09-2台湾1986年04月09日1980年代李煥教育部長,政府は外国の著作権を保護する決意であり,外国人著作の海賊版や無断翻訳を行なわないよう国民に呼びかけた,と述べる。
DIA-105-1986-04-09-3台湾1986年04月09日1980年代経済建設委員会,今後台湾の砂糖年産量は55万トンを維持する必要がる,と決議。
DIA-105-1986-04-12-1台湾1986年04月12日1980年代台湾・韓国航空輸送協定草案,ソウルで調印。
DIA-105-1986-04-15-1台湾1986年04月15日1980年代中央銀行,出国者の渡航外貨の持ち出し限度額を引き上げる,と発表。1日当りの限度額は,観光目的の場合が200ドル,留学,商用,労働,移民などの場合が300ドルに引き上げられたほか,小遣金も3000ドルとなった。
DIA-105-1986-04-15-2台湾1986年04月15日1980年代中国石油公司,米国とリビアの緊張激化に伴い,リビア産原油の輸入を当分の間中止する,と表明。
DIA-105-1986-04-16-1台湾1986年04月16日1980年代内政部,労働基準法第49条第4項規定を適用して,9社の女子作業員の夜間勤務申請を認可。
DIA-105-1986-04-16-2台湾1986年04月16日1980年代栄民工程処,受注したシンガポールの地下鉄建設工事(工費19億元,工期48ヵ月)を開始。
DIA-105-1986-04-16-3台湾1986年04月16日1980年代財政部,台湾各地で集団脱税を行なっている農民の農産品の取引きに対して,強硬措置をとると決定。
DIA-105-1986-04-16-4台湾1986年04月16日1980年代訪米中の張京育新聞局長,台湾の防衛力強化は米国の利益にも合致する,と述べる。
DIA-105-1986-04-17-1台湾1986年04月17日1980年代行政院,「貿易業者補導管理弁法」を修正。登録認可を受けた貿易商は,輸出および輸入業務の経営ができるようになった。
DIA-105-1986-04-18-1台湾1986年04月18日1980年代中央銀行,1986年3月末のオフショア市場(13銀行)の総資産残高は70億8200万ドル,と発表。
DIA-105-1986-04-21-1台湾1986年04月21日1980年代外交部の邱進益スポークスマン,台湾の名称(「中国台北」)に対するアジア開発銀行の現在の措置のもとにおいて,台湾は同銀行の第19回理事会年次総会に代表を派遣して参加することはできない,と発表。
DIA-105-1986-04-23-1台湾1986年04月23日1980年代外交部,台湾とクウェートの間に,相互に公式の通商代表部を設立する協定が調印された,と発表。
DIA-105-1986-04-23-2台湾1986年04月23日1980年代フィリピンのアキノ大統領,台湾記者訪問団との会見で,フィリピンと台湾の実質関係発展の重要性を強調。
DIA-105-1986-04-23-3台湾1986年04月23日1980年代施啓揚法務部長,スワジランド新国王ムスワティ3世の即位式に特使として列席するため,台北を出発。
DIA-105-1986-04-23-4台湾1986年04月23日1980年代呉恵然工業局副局長,円高の機会に日本企業の対台湾投資誘致に力を入れるよう政府当局に提言。
DIA-105-1986-04-24-1台湾1986年04月24日1980年代行政院新聞局,蒋経国総統が4月18日に心臓手術を受けてペースメーカーを付けた,と発表。
DIA-105-1986-04-24-2台湾1986年04月24日1980年代朱撫松外交部長と訪台中のパラグアイのサルジバル外相,台北で「台湾・パラグアイ犯罪人引渡し条約」に調印。
DIA-105-1986-04-24-3台湾1986年04月24日1980年代銭純財務部長,アジア開発銀行の「アジア開発基金」への拠出金50万ドルを続行する,と言明。
DIA-105-1986-04-24-4台湾1986年04月24日1980年代中国外交部,同部にこのほど「台湾事務弁公室」が新設されたことを明らかにした。
DIA-105-1986-04-26-1台湾1986年04月26日1980年代経済部,今年第3回目の石油製品の値下げを実施。電力料金の再引下げも同日実施。
DIA-105-1986-04-26-2台湾1986年04月26日1980年代国際貿易局,米国が正式に1986~88年間の紡績品対米輸出量を1985年の水準に凍結するよう要求したことを明らかにした。
DIA-105-1986-04-30-1台湾1986年04月30日1980年代2月21日にミグ19型偵察機で韓国に亡命した中国空軍第1航空師団第4偵察連隊第3大隊所属の陳宝忠飛行員,桃園の中正国際空港に到着。
DIA-105-1986-04-30-2台湾1986年04月30日1980年代経済部,今年第4回目の石油製品の値下げを実施。
DIA-105-1986-05-01-1台湾1986年05月01日1980年代経済部,1986年度の大貿易商(年間輸出入実績1億ドル以上)は義新,高林,〓僑3社と公布。
DIA-105-1986-05-01-2台湾1986年05月01日1980年代第9回台湾・サウジアラビア経済協力会議,台北で開催。台湾側首席代表は李達海経済部長,サウジ側首席代表はアバルハイル財政・経済相。
DIA-105-1986-05-01-3台湾1986年05月01日1980年代「台湾民主党建党委員会」(許信良臨時主席),ニューヨークで設立。
DIA-105-1986-05-01-4台湾1986年05月01日1980年代中国石油公司,石油化学基本原料の価格を大幅に引き下げることを実施。
DIA-105-1986-05-02-1台湾1986年05月02日1980年代立法院,「外貨管理条例修正案」(金,銀を外貨管理項目より削除,貿易に関する外貨管理を許可制から申告制に改訂,非合法の外貨売買業者の刑罰を有期懲役2年以下から3年以下へと強化など)および「外国人投資修正案」(サービス業を外国人投資に開放)を通過。
DIA-105-1986-05-03-1台湾1986年05月03日1980年代朱撫松外交部長,コスタリカのアリアス大統領就任式に特使として参列するため,台北を出発。
DIA-105-1986-05-03-2台湾1986年05月03日1980年代中華航空のボーイング747型貨物機(王錫爵機長,董光興副機長,邱明志整備士),中国亡命を求めて広東省広州の白雲空港に着陸。
DIA-105-1986-05-05-1台湾1986年05月05日1980年代施純仁衛生署長,西暦2000年以前に政府は1000億元の予算で環境汚染を改善する,と述べる。
DIA-105-1986-05-06-1台湾1986年05月06日1980年代中国に亡命した中華航空の王錫爵機長,広州から北京の旧国際空港に到着。
DIA-105-1986-05-07-1台湾1986年05月07日1980年代蒋経国・国民党主席,同党中央常務委員会で「中央政策委員会は,誠心誠意をもって社会各界人士と意見の疎通に努め,政治的調和を図るべきである」と指示。
DIA-105-1986-05-07-2台湾1986年05月07日1980年代張京育新聞局長,中国は広東に着陸した中華航空機の乗員等を国際慣例に従って台湾に返還すべきだと言明。
DIA-105-1986-05-08-1台湾1986年05月08日1980年代行政院,「台湾が兵器を輸出しているのは,金儲けのためではなく,国益を増進することが目的である」と兵器輸出について初めて公式に認める。
DIA-105-1986-05-10-1台湾1986年05月10日1980年代梁粛戎国民党中央政策委員会副秘書長ら3名,党外公共政策研究会の尤清理事長ら7名と初会合,党外公共政策研究会の成立とその分会の設置に同意。
DIA-105-1986-05-12-1台湾1986年05月12日1980年代経済部,三菱自動車と台湾の中華自動車の合弁計画を認可。1991年までに年間4万2000台の小型トラックや商用車を生産,うち12.5%は中東,アフリカへ輸出。
DIA-105-1986-05-12-2台湾1986年05月12日1980年代国民党中央常務委員「12人小組」,(1)中央民意機構の調整,(2)戒厳令の撤廃,(3)新政党の設立,(4)地方自治の法制化など政治問題4項目について検討すると決定。
DIA-105-1986-05-14-1台湾1986年05月14日1980年代蒋経国・国民党主席,同党中央常務委員会で「中国共産党の統一工作は日ましに強まっている。われわれは同工作に対する臨機応変の措置が必要」と述べる。
DIA-105-1986-05-17-1台湾1986年05月17日1980年代中華航空の中国亡命貨物機の返還をめぐる中国民航と中華航空の直接交渉,香港で行なわれる。中国側代表は張瑞普・中国民航香港支配人ら3人,台湾側代表は鍾賛栄・中華航空香港支社長ら3人。
DIA-105-1986-05-17-2台湾1986年05月17日1980年代張京育新聞局長,「接触せず,交渉せず,妥協せず」の三不政策は台湾の基本的立場であり,決して変更することはない,と強調。
DIA-105-1986-05-17-3台湾1986年05月17日1980年代「党外公政会首都分会」,台北で正式に成立。
DIA-105-1986-05-18-1台湾1986年05月18日1980年代国防部,中山科学研究院がこのほど空対空ミサイル「天剣1型」と地対空赤外線ミサイル「天弓」の開発に成功した,と発表。
DIA-105-1986-05-18-2台湾1986年05月18日1980年代治安当局によると,街頭で政治活動をし治安に害を及ぼす恐れがある場合は活動を停止し解散を命じる。
DIA-105-1986-05-19-1台湾1986年05月19日1980年代党外の「5・19緑色行動委員会」が計画した200名の戒厳令廃止を要求するデモ隊,台北市内の竜山寺で1000人を超す警官隊と対立。
DIA-105-1986-05-20-1台湾1986年05月20日1980年代台湾東部の花蓮で震度6の地震が2回発生。
DIA-105-1986-05-20-2台湾1986年05月20日1980年代中華航空機亡命事件をめぐる中台3回目の直接交渉,乗員2人,機体,貨物を香港で引き渡すことで合意。
DIA-105-1986-05-20-3台湾1986年05月20日1980年代米ケネディ上院議員,ソラーズ下院議員ら5氏,「台湾民主化委員会」の結成を発表。
DIA-105-1986-05-21-1台湾1986年05月21日1980年代戴仲玉福建省政府主席死去,77歳。
DIA-105-1986-05-21-2台湾1986年05月21日1980年代呉梅村経済部次長,急激な円高の機会に日本から中古機械を輸入するよう国内産業を奨励していると述べる。
DIA-105-1986-05-23-1台湾1986年05月23日1980年代中華航空機の中国亡命事件で亡命を希望しない董光興副機長と邱明志整備士,台湾に帰還。
DIA-105-1986-05-23-2台湾1986年05月23日1980年代立法院,華僑帰国投資者の海外送金に関する規制を緩和した「華僑帰国投資条例修正案」を通過。
DIA-105-1986-05-24-1台湾1986年05月24日1980年代国民党と党外公共政策研究会,2度目の会合。
DIA-105-1986-05-24-2台湾1986年05月24日1980年代5月3日中国に亡命した中華航空機,台北に戻る。
DIA-105-1986-05-25-1台湾1986年05月25日1980年代南投県竹山鎮太極峡谷で山崩れ落石,死者28人。
DIA-105-1986-05-27-1台湾1986年05月27日1980年代立法院,「1987年度中央政府総予算案」を通過。歳出歳入ともに4332億4700万元,対前年度比5.1%増。
DIA-105-1986-05-28-1台湾1986年05月28日1980年代アルゼンチン沿岸警備艇,フォークランド諸島から北西約320キロの海域で,台湾の漁船「憲徳3号」を撃沈,1人死亡,1人行方不明,6人負傷。
DIA-105-1986-05-29-1台湾1986年05月29日1980年代連戦交通部長,中華航空貨物機の中国亡命事件に関連して劉徳敏民航局長が提出した辞表を受理。
DIA-105-1986-05-29-2台湾1986年05月29日1980年代蒋経国総統,レランド米下院議員一行と会見。
DIA-105-1986-05-29-3台湾1986年05月29日1980年代台湾省漁業局の統計によると,外国に抑留されている台湾漁船は28隻,船員161人。
DIA-105-1986-05-30-1台湾1986年05月30日1980年代外交部,アルゼンチン海軍が台湾漁船を撃沈したことに厳重に抗議するとともに,同国政府が国際法と 国際慣例にてらして善後措置を講ずるよう要望。
DIA-105-1986-05-30-2台湾1986年05月30日1980年代南アフリカ共和国のプリンス駐台湾大使,信任状を蒋経国総統に提出。
DIA-105-1986-05-31-1台湾1986年05月31日1980年代コスタリカのガロン第2副大統領,訪台。
DIA-105-1986-06-01-1台湾1986年06月01日1980年代ピネト・ビタル下院議長の率いるコロンビア下院議員団6名,訪台。
DIA-105-1986-06-03-1台湾1986年06月03日1980年代内政部,1985年1年間に摘発した麻薬不法使用・販売事件は合計896件で,1万6032グラムのヘロインと38グラムのモルヒネを押収した,と発表。
DIA-105-1986-06-03-2台湾1986年06月03日1980年代台湾政府,アルゼンチン海軍が台湾漁船を攻撃した事件について,アルゼンチン政府に公式抗議を提出。
DIA-105-1986-06-04-1台湾1986年06月04日1980年代国民党中央常務委員会,同党の大陸工作会主任に蕭昌楽,秘書処主任に張宗棟両氏を任命する人事異動を承認。
DIA-105-1986-06-05-1台湾1986年06月05日1980年代蒋経国総統,呉金賛立法委員を福建省政府委員兼主席に任命。
DIA-105-1986-06-05-2台湾1986年06月05日1980年代台湾省議会,米デュポン社が彰化浜海工業区に二酸化チタン工場を建設する計画に反対することを決議。
DIA-105-1986-06-05-3台湾1986年06月05日1980年代中央銀行の報告によると,在台外国銀行のほとんどは1985年に業務不振に陥り,欠損額は合計17億元。
DIA-105-1986-06-06-1台湾1986年06月06日1980年代張継正中央銀行総裁,当面の国内外情勢からみて台湾元が短期間に値上りする可能性の方が値下りの可能性に比べて大きい,と言明。
DIA-105-1986-06-09-1台湾1986年06月09日1980年代工業技術研究院,オランダのフィリップス社との間に外部からの委託生産を専門とした新鋭VLSI製造工場「台湾半導体製造公司」(ASMC)に関する合弁契約に調印。1989~90年に新竹工業園区で建設完成予定。月産能力3万枚で,工業技術院のモデル工場と合わせると合弁公司の月産能力は4万枚となる。
DIA-105-1986-06-09-2台湾1986年06月09日1980年代第15回米台「中国大陸問題研究会議」,台北で開催。
DIA-105-1986-06-09-3台湾1986年06月09日1980年代反体制雑誌『蓬莱島』の編集者である陳水扁,黄天福,李逸洋に対する実刑判決(名誉き損罪)に反対するのべ5000人のデモ隊,台北市議会前で抗議集会。
DIA-105-1986-06-09-4台湾1986年06月09日1980年代外交部,8月モスクワで開かれる女子バスケットボール世界選手権に台湾チームが参加することについて,「政治と無関係であり,台湾の基本国策にも抵触しない」との見解を表明。
DIA-105-1986-06-09-5台湾1986年06月09日1980年代傅次韓台湾電力公司董事長,1985年6月に発生した第3原子力発電所1号基の火災事故原因について,発電機を提供した米GE社の設計に問題がある,と報告。
DIA-105-1986-06-10-1台湾1986年06月10日1980年代立法院,取引価格を課税価格の計算根拠とする新関税評価制度を導入した「関税法修正案」を通過。
DIA-105-1986-06-10-2台湾1986年06月10日1980年代外交部,国際刑事警察機構執行委員会(インターポール)が中国加盟に関する1984年のルクセンブルグ決議案を採択したことについて,「絶対に受け入れることはできない」との談話を発表。
DIA-105-1986-06-10-3台湾1986年06月10日1980年代国際海空港警察協会(IAASP)第17回年次会,台北で開催。
DIA-105-1986-06-12-1台湾1986年06月12日1980年代宜蘭で「漢光3号」と名付けられた5日間にわたる陸海空三軍合同軍事演習終了。
DIA-105-1986-06-12-2台湾1986年06月12日1980年代第19回台韓閣僚級経済協力会議,ソウルで開催。
DIA-105-1986-06-14-1台湾1986年06月14日1980年代台湾省第13同郷鎮市民代表および村里長選挙,各地で挙行。投票率は前者64%,後者60%。
DIA-105-1986-06-14-2台湾1986年06月14日1980年代台湾とパラオ,双方の漁業協力を促進する旨共同コミュニケを発表。
DIA-105-1986-06-15-1台湾1986年06月15日1980年代ホンジュラスのレガラド三軍総司令官,訪台。
DIA-105-1986-06-15-2台湾1986年06月15日1980年代国民党台湾省第13回全省代表大会,台中で開催。
DIA-105-1986-06-16-1台湾1986年06月16日1980年代交通部,1985年2月~86年3月の間に台湾で発生した12件の航空事故(うち4件はパイロットのエラー)に関する調査報告を発表。
DIA-105-1986-06-16-2台湾1986年06月16日1980年代行政院,政党の数が多すぎれば国民の摩擦を強め国民の団結に有害であり,現時点では新党の設立を認めるわけにはいかない,と言明。
DIA-105-1986-06-16-3台湾1986年06月16日1980年代行政院原子力委員会,日本から輸入される農水産物について,放射能汚染の検査を施行する,と発表。
DIA-105-1986-06-17-1台湾1986年06月17日1980年代15日から開かれた国民党台湾省第13回党員代表大会,委員27名と候補委員13名を選出して閉会。
DIA-105-1986-06-17-2台湾1986年06月17日1980年代外交部,16日夜韓国西海岸に漂着した中国漁船(乗員19名)について,駐韓国大使館に対し,韓国側と協力し詳細な調査を指示。
DIA-105-1986-06-18-1台湾1986年06月18日1980年代蒋経国総統,次の人事異動を発令。総統府戦略顧問:宋長志,国防部長:汪道渕,国家安全会議秘書長:蒋緯国,行政院政務委員:蕭天讃。
DIA-105-1986-06-18-2台湾1986年06月18日1980年代フィリピンのアキノ大統領,簡又新立法委員を団長とする台湾投資調査訪問団と会見。
DIA-105-1986-06-20-1台湾1986年06月20日1980年代立法院,1987年1月から刑罰規定を廃止する「手形法修正案」を通過。
DIA-105-1986-06-22-1台湾1986年06月22日1980年代台湾省政府の統計によると,1984年の減反面積を上回る作付面積は7万313haで,作付計画面積を14%上回り,85年は同じく9万3000haで18%上回った。
DIA-105-1986-06-23-1台湾1986年06月23日1980年代日本の百貨店そごう,太平洋建設と台北に東南アジア最大のデパートを合弁で設立する契約に調印。
DIA-105-1986-06-26-1台湾1986年06月26日1980年代蒋経国総統,鄒堅副参謀総長を駐韓大使に任命。
DIA-105-1986-06-26-2台湾1986年06月26日1980年代交通部,ビデオ会議システムの開発に成功,と発表。
DIA-105-1986-06-27-1台湾1986年06月27日1980年代?国華行政院長,会期3日間の全国行政会議の開幕式で,7点の措置を公務員が国家と国民に奉仕するガイドラインとするよう指示。
DIA-105-1986-06-28-1台湾1986年06月28日1980年代シンガポールのリー・クァンユー首相,バーカー法相,トニー・タン文相,ラジャラトナム首相府相など13人を伴い,30日まで台湾を公式訪問。リー首相は1973年以来8回目の訪台,前6回は秘密扱い,最初の公式訪問は1985年11月5日。
DIA-105-1986-06-29-1台湾1986年06月29日1980年代行政院,1年間延長される「生産事業機械設備購入に適用する投資減税弁法」の修正案を公布。
DIA-105-1986-07-01-1台湾1986年07月01日1980年代中央銀行,輸出加工区の外貨業務をすべての指定銀行に開放し,交通銀行と中国国際商業銀行による寡占体制を解消することに決定。
DIA-105-1986-07-01-2台湾1986年07月01日1980年代コスタリカのデンゴ第1副大統領,訪台。
DIA-105-1986-07-01-3台湾1986年07月01日1980年代政府,VTRの輸入自由化を実施。
DIA-105-1986-07-02-1台湾1986年07月02日1980年代蒋経国総統,郭汝霖上将を副参謀総長に,陳齢上将を空軍総司令官に任命。
DIA-105-1986-07-02-2台湾1986年07月02日1980年代オーストラリアのウニストパック銀行(中国名は澳商西太平洋銀行),米国のシアトルファーストナショナルバンク台北支店を買収して同行の台北支店として開設。
DIA-105-1986-07-03-1台湾1986年07月03日1980年代立法院,「公務員俸給法」を通過。
DIA-105-1986-07-03-2台湾1986年07月03日1980年代李達海経済部長,日本企業の投資誘致については相互利益の原則のもとで行なう方針である,と述べる。
DIA-105-1986-07-05-1台湾1986年07月05日1980年代台湾電力公司,1985年7月7日に発生した第3原子力発電所1号基の火災は,米GE牡が提供した部品 のコンピューターデザインミスによるものと判定した,と発表。一方,同1号基は1年ぶりに試運転を開始。
DIA-105-1986-07-06-1台湾1986年07月06日1980年代マレーシアのアプドゥル・ラーマン前首相,訪台。
DIA-105-1986-07-10-1台湾1986年07月10日1980年代行政院,「環境保護小組」の設立を承認。
DIA-105-1986-07-10-2台湾1986年07月10日1980年代中央銀行,台湾の外貨準備高は310億ドルと発表。
DIA-105-1986-07-11-1台湾1986年07月11日1980年代中央銀行,1人当りの年間海外送金額を従来の3000ドルから5000ドルに引き上げることを実施。
DIA-105-1986-07-14-1台湾1986年07月14日1980年代米政府,台湾との繊維貿易交渉が妥結し,(1)有効期間は1986年1月1日に遡って1988年までの3年間,(2)対米輸出伸び率は,1985年の実績をペースに年間0.5%,(3)絹,麻などクォータの対象製品を増やす,と発表。
DIA-105-1986-07-14-2台湾1986年07月14日1980年代台湾の対外貿易発展協会とエクアドルの商工漁業省,キドで相互協力協定に調印。
DIA-105-1986-07-14-3台湾1986年07月14日1980年代国防部の葉昌桐副参謀総長,台湾の国防能力にふれて「台湾海峡の防衛だけにとどまらず,北はソ連のウラジオストクから南はベトナムのトンキン湾までの広大な範囲で偵察活動をつづけている」と言明。
DIA-105-1986-07-14-4台湾1986年07月14日1980年代1986年の国家建設研究会,215名の学者および専門家が参加して台北で開催。
DIA-105-1986-07-14-5台湾1986年07月14日1980年代?国華行政院長,第4回国際シーレーン安全会議で「台湾は実際に台湾本島,澎湖諸島,金門,馬祖などの大陸沿岸諸島と南沙群島を支配しており,台湾海峡を通過する船舶の密度は3カイリごとに1隻である」と述べる。
DIA-105-1986-07-15-1台湾1986年07月15日1980年代台湾初の香港華僑資本による先施百貨店,台北で正式にオープン。
DIA-105-1986-07-15-2台湾1986年07月15日1980年代経済建設委員会の葉万安副主任委員,国家建設研究会で報告した「台湾経済建設の長期展望」のなかで,西暦2000年には1人当りGNPは1万3400ドルに達成するだろう,と述べる。
DIA-105-1986-07-16-1台湾1986年07月16日1980年代台湾電力,米国の探鉱会社ロッキー・マウンテン・エナジー社との間で,台湾の国営企業として初の共同探鉱契約(台湾側は今後5年間,1800万ドルを投資してウラン鉱を探索)に調印。
DIA-105-1986-07-16-2台湾1986年07月16日1980年代蒋経国・国民党主席,中央常務委員会で「国民党と非国民党の立法委員は協力して,今後直面する多くの困難に対処しなければならない」と述べる。
DIA-105-1986-07-16-3台湾1986年07月16日1980年代インドネシアとの漁業協定発効,高雄から第1号の漁船が同国向けに出漁。
DIA-105-1986-07-17-1台湾1986年07月17日1980年代行政院主計処,「1985年台湾・福建地区農漁業センサス」の統計を発表。それによると,1985年の農家平均所得は,1世帯当り27万1278元(1980年比36.7%増),1人当り5万2069元(同47.9%増)。
DIA-105-1986-07-18-1台湾1986年07月18日1980年代台湾・南アフリカ経済協会と南アフリカ・台湾経済関係協会,第1回合同会議を台北で開催。台湾側は南アフリカのエネルギー原料と農産品,南アフリカ側は工業品と中小企業用機器の輸入をそれぞれ強化。
DIA-105-1986-07-19-1台湾1986年07月19日1980年代外交部,台湾は現在非常の時期にあり,共産国家の人士が観光,会議,スポーツ競技に参加するため来訪することを禁止している,と述べる。
DIA-105-1986-07-19-2台湾1986年07月19日1980年代中山科学研究院の程邦達副研究員,台湾が開発しているAT-3型高級練習機は,現在台湾空軍に配備されているF5EE型戦闘機よりも優れている,と述べる。
DIA-105-1986-07-20-1台湾1986年07月20日1980年代台湾の民間紙『聯合報』,国民党中央常務委員会の「12人小組」は,1986年来の中央民意代表増補選までに,(1)戒厳令を解除し,代わりに国家安全法を施行,(2)地方自治の法制化,など二つの問題を優先的に解決する方向を固めている,と報道。
DIA-105-1986-07-24-1台湾1986年07月24日1980年代?国華行政院長,外貨保有高の急増に対し,(1)外貨管理の緩和,(2)華僑・外国人の台湾への投資および本国人の対外投資に対する規制の緩和,(3)輸入規制の大幅解除,(4)関税の引き下げ,など4項目の措置をとるよう財政・経済両部に指示。
DIA-105-1986-07-27-1台湾1986年07月27日1980年代フォード六和の小型乗用車「マーキュリー・トレイサー」1500台,台中港からカナダ向け初輸出。
DIA-105-1986-07-28-1台湾1986年07月28日1980年代約2週間の日程で日本の主要都市を歴訪する台湾の投資貿易訪問団(団長は徐国安経済部工業局長),東京に到着。
DIA-105-1986-07-28-2台湾1986年07月28日1980年代1957年にノーベル物理学賞を受賞した中国系アメリカ人の楊振寧教授,中央研究院第17同院士会議に出席するため,初めて台湾を訪問。
DIA-105-1986-07-29-1台湾1986年07月29日1980年代台北卓球協会幹部,中国が第8回アジア卓球選手権(中国・深で開催)に台湾チームを招待したことについて,「チームを派遣しないだろう」と述べる。
DIA-105-1986-07-30-1台湾1986年07月30日1980年代裕隆自動車公司,台湾初の国産車「飛羚101」(排気量1800cc)を公開。
DIA-105-1986-08-01-1台湾1986年08月01日1980年代張継正中央銀行総裁,米国が公式に台湾元の切上げを求めてきたことを認める。
DIA-105-1986-08-02-1台湾1986年08月02日1980年代銭純財政部長,レーガン米大統領が台湾の実施している課税価格表を非難したことについて,「今年7月1日から米国の輸入品に対し,実際の取引価格に基づいて課税している」と台湾側の立場を弁明。
DIA-105-1986-08-03-1台湾1986年08月03日1980年代行政院衛生署,台湾の精神病患者数が5万6000人に対し,精神科医者数はわずかに200人,と指摘。
DIA-105-1986-08-04-1台湾1986年08月04日1980年代米台通商会議,ワシントンで開催。
DIA-105-1986-08-04-2台湾1986年08月04日1980年代中央選挙委員会,12月に行なわれる国民大会代表の定員数を前回(1980年)の76人から84人に増加する,と発表。うち地域選出者59人,山地同胞2人,職業団体16人,婦女団体7人。
DIA-105-1986-08-05-1台湾1986年08月05日1980年代8月8日からモスクワで開かれる第10回世界女子バスケットボール選手権に参加する24人の台湾代表チーム(団長は張建邦台北市議会長),台北を出発。
DIA-105-1986-08-06-1台湾1986年08月06日1980年代張京育新聞局長,(1)「党外公共政策研究会」とその分会組織の法的地位は,政府に登記していない以上非合法である,(2)ソ連で開催される第10回世界女子バスケットボール選手権大会に台湾代表チームを派遣することは,台湾の人たちの共産国旅行を制限するという政府の政策の変更を意味するものではない,と述べる。
DIA-105-1986-08-07-1台湾1986年08月07日1980年代経済部,アメリカの繊維輸入規制法案(修正ジェンキンズ法案)が米下院で廃案となったことに対し,歓迎の意向を表明。
DIA-105-1986-08-07-2台湾1986年08月07日1980年代経済建設委員会,1985年来の台湾地区の人口密度は1平方キロで535人,と高い人口圧力の存在を指摘。
DIA-105-1986-08-07-3台湾1986年08月07日1980年代行政院衛生署,今年3年間に1200万元の予算で喫煙反対運動を展開することを表明。
DIA-105-1986-08-07-4台湾1986年08月07日1980年代考試院,「公務員俸給法施行細則」を通過。
DIA-105-1986-08-07-5台湾1986年08月07日1980年代蒋経国総統,外交部の関鏞常務次長をサウジアラビア駐在特命全権大使に任命。
DIA-105-1986-08-08-1台湾1986年08月08日1980年代福建省の馬祖電信局,正式に成立。
DIA-105-1986-08-08-2台湾1986年08月08日1980年代財政部の白培英常務次長,課税価格表を1986年10月1日から正式に廃止する,と発表。
DIA-105-1986-08-08-3台湾1986年08月08日1980年代米国防総省,総額2億6000万ドル相当のS-2E/G型対潜航空機の保守部品やサービスなどを台湾に売却する旨米議会に通告。
DIA-105-1986-08-08-4台湾1986年08月08日1980年代党外公共政策研究会の謝長廷秘書長,党外人士と国民党との話合いには参加しない,と表明。
DIA-105-1986-08-11-1台湾1986年08月11日1980年代高雄港で解体待ちの4万トン級のタンカー「カナリ」号がガス爆発,死者18人,行方不明3人。
DIA-105-1986-08-11-2台湾1986年08月11日1980年代台湾の夕刊紙『自立晩報』,陳香梅女史が蒋経国総統から中国の鄧小平氏にあてた平和統一交渉に関する6項目の書簡を携行したとの香港の中国系誌『鏡報』の報道について,同女史の否定談話を掲載。
DIA-105-1986-08-12-1台湾1986年08月12日1980年代朱撫松外交部長,ドミニカ共和国のバラゲール新大統領の就任式に参加するため,台北を出発。
DIA-105-1986-08-13-1台湾1986年08月13日1980年代行政院新聞局,現行の外国映画輸入割当制の撤廃を実施。
DIA-105-1986-08-14-1台湾1986年08月14日1980年代行政院,「国家科学技術発展10ヵ年長期計画」を承認。1995年には研究開発経費をGNPの2%に引上げるとともに,研究用員を4万3000人に増加させる。
DIA-105-1986-08-15-1台湾1986年08月15日1980年代ブルネイ航空,台北路線に初飛行。
DIA-105-1986-08-15-2台湾1986年08月15日1980年代行政院環境保護小組,民間がゴミ処理施設に投資することを奨励する,と決議。
DIA-105-1986-08-16-1台湾1986年08月16日1980年代国際貿易局,日本企業が米国や欧州で生産した製品については,原則として輸入制限を撤廃すると決定。
DIA-105-1986-08-18-1台湾1986年08月18日1980年代中央銀行,輸出入に関する外貨管理を従来の許可制から申告制に切り替えることを実施。
DIA-105-1986-08-19-1台湾1986年08月19日1980年代中国石油公司の統計によると,1986年度に台湾が中東地域から輸入した原油の比率は,従来の80%から70%に低下した。
DIA-105-1986-08-20-1台湾1986年08月20日1980年代国民党中央常務委員会,1986年末に行なわれる中央民意代表増補選挙の同党公認候補者数は,国民大会代表改選議席84に対し61人,立法委員改選議席73のうち60人,全部で121人と決定。
DIA-105-1986-08-21-1台湾1986年08月21日1980年代20日から訪台した米上院外交委員会のルーガー委員長,貿易赤字に悩む米国の現状を説明,台湾が早急に市場開放策をとるよう要求。
DIA-105-1986-08-22-1台湾1986年08月22日1980年代ホンジュラス共和国のセペダ駐台湾大使,蒋経国総統に信任状を提出。
DIA-105-1986-08-22-2台湾1986年08月22日1980年代中型台風14号,台湾気象史上初めて台湾中西部に上陸,死者35名,農作物の損害額約40億元。
DIA-105-1986-08-23-1台湾1986年08月23日1980年代第12回対米買い付け団一行63名,台北を出発。
DIA-105-1986-08-23-2台湾1986年08月23日1980年代国際貿易局,北米または欧州地域で外国企業との合弁あるいは技術提携によって生産された自動車の輸入を許可すると公告,即日実施。
DIA-105-1986-08-25-1台湾1986年08月25日1980年代米国製たばこ,ワインなどの台湾市場開放をめぐる米台貿易協議会,台北で開催。
DIA-105-1986-08-27-1台湾1986年08月27日1980年代台湾外国為替市場で,1ドル当り36.99元と37元台を突破の元高。
DIA-105-1986-08-29-1台湾1986年08月29日1980年代国防部,7月19目木造船で台湾南部に上陸した大陸漁民12人は,亡命のために渡来したものではないことが判明,必要な食糧などを供与して釈放した,と発表。
DIA-105-1986-08-29-2台湾1986年08月29日1980年代陳宗鎔基隆港区検査処長,台湾漁船が不可抗力によって中国大陸の港湾に緊急避難し,帰国後直ちにその旨当局に報告した者に対して処罰しない,と言明。
DIA-105-1986-08-29-3台湾1986年08月29日1980年代外交部,中国とモンゴルがこのほど締結した領事協定に対し,台湾政府は一切承認しない,と表明。
DIA-105-1986-09-01-1台湾1986年09月01日1980年代第8回台湾・南アフリカ経済技術協力会議,台北で開催。蒋経国総統,南アフリカの首席代表ドビリエル貿易・工業相と会見。
DIA-105-1986-09-01-2台湾1986年09月01日1980年代経済部,3064品目の輸入許可証の免除を決定。これで台湾が公告した輸入許可証免除商品は合計1万4186品目に達する。
DIA-105-1986-09-01-3台湾1986年09月01日1980年代宏碁コンピューター公司,台湾初の32ビット型高性能コンピューターの商品化に成功した,と発表。
DIA-105-1986-09-02-1台湾1986年09月02日1980年代蕭万長国際貿易局長,政府は1987年6月までに合弁自動車会社の輸出義務比率を撤廃する,と発表。
DIA-105-1986-09-03-1台湾1986年09月03日1980年代経済建設委員会,「北部区域第2高速道路計画」の資金源および第1期工事特別予算案を可決。1987年から1989年までとする第1期の工事費325億元は,公債の発行と借款の方式で調達する。
DIA-105-1986-09-03-2台湾1986年09月03日1980年代台北地裁,林正杰台北市議員に対し,ひぼう罪で1年6ヵ月の有期懲役を判決。
DIA-105-1986-09-04-1台湾1986年09月04日1980年代「蒋介石先生の遺徳を顕彰する会」(代表は岸信介元首相,灘尾弘吉元衆院議長),東京で開催。参加者臓国会議員130名を告む3000名以上。
DIA-105-1986-09-04-2台湾1986年09月04日1980年代第1回台湾カナダ経済協力会議開催(バンクーバー)。
DIA-105-1986-09-07-1台湾1986年09月07日1980年代財政部,1986年6月末現在の台湾の公的対外債務は世界銀行の定義で40億6800万ドル,DSRは5%以下,之発表。
DIA-105-1986-09-07-2台湾1986年09月07日1980年代南アフリカ共和国のボタ外相,訪台。
DIA-105-1986-09-08-1台湾1986年09月08日1980年代経済部,小型乗用車と商用車を生産する富士重工業と台湾ベスパ社(韋士伯公司)の合弁申請を認可。合弁会社名「大慶汽車公司」,資本額1135万ドル,出資比率は富士重工35%,台湾ベスパ65%。
DIA-105-1986-09-10-1台湾1986年09月10日1980年代経済建設委員会,「太魯閣(タロコ)国家公園計画」(総面積9万2000ha)を可決。
DIA-105-1986-09-10-2台湾1986年09月10日1980年代第11回日台経済貿易会議,台北で開催。台湾側は呉玉良亜東関係協会理事長を団長,日本側は長谷川周重交流協会会長を団長として会議に参加。日本の台湾に対する技術移転などを盛り込んだ覚書が調印された(12日)。
DIA-105-1986-09-10-3台湾1986年09月10日1980年代蒋経国・国民党主席,台湾内部で団結を図ることが最も重要なことである,と同党中央常務委員会で強調。
DIA-105-1986-09-11-1台湾1986年09月11日1980年代趙耀東経済建設委員会主任委員,日本企業は余りにも儲け主義で技術移転を渋る傾向が強すぎると批判。
DIA-105-1986-09-11-2台湾1986年09月11日1980年代台湾電力,1985年7月7日火災のため運転を停止していた第3原子力発電所1号基の商業運転を再開。
DIA-105-1986-09-12-1台湾1986年09月12日1980年代ヤイター米通商代表部代表,台湾が合弁自動車会社の輸出比率を1987年6月から撤廃する方針を明らかにしたことについて,米国は通商法307条に基づく調査作業を中止する,と発表。
DIA-105-1986-09-13-1台湾1986年09月13日1980年代政府,1985年の経済成長率を4.7%から5.1%,1人当りGNPを3142ドルから3144ドルに修正。
DIA-105-1986-09-13-2台湾1986年09月13日1980年代米国在台協会,理事会,ディーン同協会理事長を米国在台協会台北事務所長に任命することを発表。1987年1月台北に赴任する予定。
DIA-105-1986-09-15-1台湾1986年09月15日1980年代トンガ王国ツポウ4世国王,訪台。
DIA-105-1986-09-15-2台湾1986年09月15日1980年代コスタリカのモソヘへ前大統領,訪台。
DIA-105-1986-09-16-1台湾1986年09月16日1980年代財政部と経済部,輸入品の関税引下げ10原則に基づいて,1800余品目の関税を大幅に引下げる,と決定。
DIA-105-1986-09-16-2台湾1986年09月16日1980年代国際貿易局,鉄鋼製品402品目の対米輸出に対し,輸出許可証を発行する,と発表。
DIA-105-1986-09-17-1台湾1986年09月17日1980年代中央選挙委員会,監察委員の一部改選は1987年1月10日に投票を行なう,と決定。
DIA-105-1986-09-18-1台湾1986年09月18日1980年代台湾ベルギー原子力協力協定調印。
DIA-105-1986-09-18-2台湾1986年09月18日1980年代台風16号が台東に上陸,死者11人,行方不明2人。
DIA-105-1986-09-20-1台湾1986年09月20日1980年代財政部,シルク製品を除く既成服の関税率を現行の60%から30%へ半減する,と公告。実施期間は1年。
DIA-105-1986-09-21-1台湾1986年09月21日1980年代ツバルのプアプア首相,訪台。
DIA-105-1986-09-25-1台湾1986年09月25日1980年代訪米日程を終えた第12回対米買い付け団,購入契約金額は3億6300万ドルであることを明らかにした。
DIA-105-1986-09-26-1台湾1986年09月26日1980年代?国華行政院長,(1)「中華民国」の国号,国旗,国歌は勝手に変更できない,(2)台湾は国交のない国に57の事務所を設置,673の政府または民間の国際組織に参加,140余ヵ国と実質関係を維持している,と述べる。
DIA-105-1986-09-26-2台湾1986年09月26日1980年代?国華行政院長,政府は社会の団結を図るために,少人数の街頭デモに対し寛容の態度をとっているが,これは決して政府の権威に対する公然たる挑戦を容認することを意味しない,と警告。
DIA-105-1986-09-26-3台湾1986年09月26日1980年代施啓揚法務部長,指名手配中の許信良前桃園県長が米国から帰国すれば,法律に基づき処理する,と言明。
DIA-105-1986-09-28-1台湾1986年09月28日1980年代「公共政策研究会」を中心とする党外人士135名が発起人となって,台北の円山大飯店で「民主進歩党」の結成を宣言。組党工作委員は費希平,尤清ら7名。
DIA-105-1986-09-29-1台湾1986年09月29日1980年代経済建設委員会,急速な経済発展のため,台湾では今後10年間にハイテク人材が不足することを予測。
DIA-105-1986-09-29-2台湾1986年09月29日1980年代米農務省,1985/86販売年度における台湾の米国産大豆輸入量は154万8000トン,米国にとって世界第3位の輸出先である,と発表。
DIA-105-1986-09-30-1台湾1986年09月30日1980年代施啓揚法務部長,「民主進歩党」の結成について,(1)現時点で新党を組織すべきではないという政府の立場に変更はない,(2)政府は法に照らして新党結成問題に対処する,と言明。
DIA-105-1986-09-30-2台湾1986年09月30日1980年代国民党中央政策委員会の梁粛戎副秘書長ら3人,(1)国民党と党外人士との対話を継続する,(2)党外人士が過激の行動をとらないよう望む,(3)仲介役が積極的に双方の対話を進めることを希望する,との声明を発表。
DIA-105-1986-10-01-1台湾1986年10月01日1980年代政府,課税価格表制度を廃止。
DIA-105-1986-10-02-1台湾1986年10月02日1980年代台湾,米国はワシントンで穀物輸入協定に調印。期間は1986年7月1日~1991年6月30日,輸入量はトウモロコシ860万トン,大豆100万トン,小麦285万トン,大豆570万トン,合計1815万トンで28億ドルに相当。
DIA-105-1986-10-03-1台湾1986年10月03日1980年代?国華行政院長,「憲政の漸進的な発展が必要であり,急進的な方策はとらない」と立法院で答弁。
DIA-105-1986-10-04-1台湾1986年10月04日1980年代国民党「12人小組」,原則として戒厳令を解除し,その代わりに国家安全法を制定する方針を決定。
DIA-105-1986-10-04-2台湾1986年10月04日1980年代米国亡命中の許信良氏ら,ロサンゼルスで「台湾民主党」の結成を中止,「民主進歩党海外組織」に切り替えると宣言。
DIA-105-1986-10-07-1台湾1986年10月07日1980年代蒋経国総統,米『ワシントン・ポスト』紙のグラハム社主との会談のなかで,「近い将来戒厳令を解除し,それに伴って国家安全法を講じる方針」と述べる。
DIA-105-1986-10-10-1台湾1986年10月10日1980年代蒋経国総統,双十節式典で「中国大陸は必ずわれわれの手で取り戻す」と強調。式典には25万人が参加,日本からは自民党の長谷川峻議員ら15人が参列。
DIA-105-1986-10-11-1台湾1986年10月11日1980年代国軍,台湾北部の湖口陸軍基地で「国光演習」と名付けた大規模な軍事合同演習を実施。
DIA-105-1986-10-12-1台湾1986年10月12日1980年代外交部,台湾政府は地震災害救助のため,エルサルバドル政府に20万ドルを贈与する,と発表。
DIA-105-1986-10-13-1台湾1986年10月13日1980年代台北税関,外国人華僑観光客が保証金を積まなくても,高価な身回り品を台湾に持ち込むことを認める新制度を1年間実験的に実施。
DIA-105-1986-10-14-1台湾1986年10月14日1980年代李厚高台湾省財政庁長,愛国奨券の発行を中止する考えはない,と述べる。
DIA-105-1986-10-15-1台湾1986年10月15日1980年代国民党中央常務委員会,挙手方式により,「動員戡乱(反乱鎮定)時期における国家安全法令」および「動員戡乱時期における民間社団組織」の法令政正を進める方針を決めた「12人小組」の結論を採択。
DIA-105-1986-10-15-2台湾1986年10月15日1980年代陸海空軍の軍事合同演習,台湾南部の屏東で挙行。
DIA-105-1986-10-15-3台湾1986年10月15日1980年代施啓揚法務部長,ひぼう罪の判決を受けた林正杰が9月27日,台北地裁に出頭した際に引き起こした群衆騒動事件について,公署を侮辱した容疑で目下取り調べ中,と述べる。
DIA-105-1986-10-15-4台湾1986年10月15日1980年代台湾新竹市出身のカリフォルニア大学の李遠哲教授,1986年のノーベル化学賞を受賞。
DIA-105-1986-10-16-1台湾1986年10月16日1980年代行政院,財政部が選出した履物類や帽子など144品目の関税引き下げを10月24日から1年間実施する提案を了承。
DIA-105-1986-10-17-1台湾1986年10月17日1980年代加重平均株価指数,台湾証券交易所開設(1962年2月)以来初めて1000ポイントを突破。
DIA-105-1986-10-17-2台湾1986年10月17日1980年代行政院,「華僑・外国人投資大貿易商基準」の廃止と「大貿易商基準」の修正を公布。1987年以降の大貿易商の認定基準は,前年度台湾全体の輸出入増加率に応じて調整する。
DIA-105-1986-10-18-1台湾1986年10月18日1980年代銀行公会,中長期および短期の銀行貸出金利について,最高金利は据置き,最低金利を0.5%引下げ。
DIA-105-1986-10-21-1台湾1986年10月21日1980年代内政部,キリスト教の新約教徒が布教活動を行なっている高雄県三民郷双連堀を山地管制区から山地管制遊覧区に開放することを決定。
DIA-105-1986-10-24-1台湾1986年10月24日1980年代外交部,韓国に亡命した中国の19型ジェット戦闘機1機(鄭菜田操縦士)について,駐ソウル大使館に対し,韓国と接触し事情聴取するよう訓令。
DIA-105-1986-10-25-1台湾1986年10月25日1980年代故蒋介石総統未亡人の宋美齢女史,ニューヨークから台北に到着。1975年9月から病気療養を理由に米国に滞在,台湾に戻ったのは11年ぶり。
DIA-105-1986-10-25-2台湾1986年10月25日1980年代「日本情報月間視察団」(団長は趙耀東経済建設委員会主任委員)一行40人,日本を訪問。
DIA-105-1986-10-28-1台湾1986年10月28日1980年代楊世緘新竹科学工業園区管理局副局長,経済部工業局長に就任。
DIA-105-1986-10-28-2台湾1986年10月28日1980年代財政部,「外国銀行支店および駐在員事務所設立審査基準」を改正。外国銀行の第2支店の設置,6ヵ月以上の定期預金の取り扱いなどが許可された。
DIA-105-1986-10-28-3台湾1986年10月28日1980年代レーガン米大統領,台湾が米国製たばこなどの輸入制限措置の改善に対する約束を履行しなかったことを理由に,米通商法301条を発動する,と発表。
DIA-105-1986-10-28-4台湾1986年10月28日1980年代中央銀行,台湾の外貨準備高が400億ドルの大台を突破した,と発表。
DIA-105-1986-10-29-1台湾1986年10月29日1980年代蒋経国・国民党主席,台湾中部に「国立中正大学」を設置する行政院の構想(1988年度開校予定)を支持する,と述べる。
DIA-105-1986-10-29-2台湾1986年10月29日1980年代「人民団体組織法」修正小組(座長は鄭水枝内政部政務次長),初会合で政党や政治団体について討議。
DIA-105-1986-10-30-1台湾1986年10月30日1980年代国防部,陳深景ら13名の反乱犯および134名の一般軍事犯を仮釈放。
DIA-105-1986-10-30-2台湾1986年10月30日1980年代藤尾正行前文部大臣を団長とする日本政界代表団一行7名,故蒋介石総統生誕100周年記念大会に出席するため,台北に到着。
DIA-105-1986-10-30-3台湾1986年10月30日1980年代呉伯雄内政部長,「人民団体組織法」と「選挙罷免法」の改正が完成する前に新政党結成の動きがあれば,政府は厳しく取締まる方針である,と言明。
DIA-105-1986-10-31-1台湾1986年10月31日1980年代故蒋介石総統生誕100周年記念大会,台北市の中正記念堂で挙行。宋美齢女史が主宰,5万人が参加。
DIA-105-1986-10-31-2台湾1986年10月31日1980年代中国石油公司,30億元を投資した新竹沖合にある長康(CBK)油田の開発に成功した,と発表。初期の生産量は天然ガスが日量100万立方メートル,石油が同4000バレル,埋蔵量で8年間の供給維持が可能。
DIA-105-1986-10-31-3台湾1986年10月31日1980年代台北市立木柵動物園(最終面積182ha)開園。
DIA-105-1986-11-01-1台湾1986年11月01日1980年代行政院,最低賃金を月額6150元から6900元(12.2%増)に引き上げることを実施。
DIA-105-1986-11-01-2台湾1986年11月01日1980年代財政部,金の輸入および販売禁止措置を撤廃することを実施。一般旅行者も最大62.5グラムの金を無税で持ち込むことが許される。
DIA-105-1986-11-03-1台湾1986年11月03日1980年代「国家安全法令」修正小組(座長は呉伯雄内政部長),初会合で国家安全法の立法の原則を決定。
DIA-105-1986-11-03-2台湾1986年11月03日1980年代徐国安工業局長,経済部常務次長に就任。
DIA-105-1986-11-04-1台湾1986年11月04日1980年代徐国安経済部次長,日本からの投資急増に対処するため,エレクトロニクス分野を中心に半導体など45品目の投資優先順位を付けるよう投資処に緊急指示。
DIA-105-1986-11-06-1台湾1986年11月06日1980年代「民主進歩党」の組党工作委員会(費希平ら18名),同工作委が11月3日に採択した党規約33条,基本綱領5項目34条,行動綱領139条の草案を発表。
DIA-105-1986-11-10-1台湾1986年11月10日1980年代「民主進歩党」,党員代表165人のうち150人が出席した第1回全国党員代表大会を台北で開催,費希平議長および31人の中央執行委員を選出,党規約草案を一部修正,党綱領草案を原案どおり採択。
DIA-105-1986-11-10-2台湾1986年11月10日1980年代「民主進歩党」の31人の中央執行委員の互選で,11人の常務委員が選ばれる。31人の中央執行委員,同党主席に江鵬堅立法委員を選出,任期1年。
DIA-105-1986-11-10-3台湾1986年11月10日1980年代呉伯雄内政部長,「民主進歩党」の発足について,「不法行為であり,政府と社会がそのことを容認することはできないだろう」との声明を発表。
DIA-105-1986-11-11-1台湾1986年11月11日1980年代立法院,「医療法」を通過。
DIA-105-1986-11-11-2台湾1986年11月11日1980年代国民党の馬樹礼中央委員会秘書長,?国華行政院長が立法院で「民主進歩党」に対する処置を説明するよう要求した張鴻学立法委員らに対し,「新党の設立には寛容と和解の立場で対処すべきだ」と説得。
DIA-105-1986-11-11-3台湾1986年11月11日1980年代中華航空の貨物機,米国ヒューストンに初乗り入れ。
DIA-105-1986-11-12-1台湾1986年11月12日1980年代台湾省農林庁,エクアドルなど南米産バナナの対日輸出が増えているので,今後台湾産バナナの対日輸出は大きな影響を受けるだろう,と警告。
DIA-105-1986-11-12-2台湾1986年11月12日1980年代蒋経国総統,コストメイヤー米下院議員らと会見。
DIA-105-1986-11-12-3台湾1986年11月12日1980年代彭真・中国全国人民代表大会常務委員長,「当面の問題のカギは国共両党が対等の立場で交渉を始めること」と台湾へ対話を呼びかけ。
DIA-105-1986-11-13-1台湾1986年11月13日1980年代行政院,1987年1月から陸軍第1特種兵の臨時召集を中止,同時に陸軍砲兵,工兵など5兵科の兵役年限を3年から2年に短縮することを了承。
DIA-105-1986-11-14-1台湾1986年11月14日1980年代朱撫松外交部長と金相台韓国駐台湾大使,台北で「台湾政府と大韓民国政府間航空運輸協定」に調印。
DIA-105-1986-11-14-2台湾1986年11月14日1980年代立法院,「毒性化学物資管理法」を通過。
DIA-105-1986-11-14-3台湾1986年11月14日1980年代「民主進歩党海外組織帰台代表団」一行7人,台北空港で4人がビザを持たないため,入国を拒否される。
DIA-105-1986-11-15-1台湾1986年11月15日1980年代台湾の東海岸でマグニチュード6.8と6.3の2回の大地震が発生,12人死亡。
DIA-105-1986-11-15-2台湾1986年11月15日1980年代蕭万長国際貿易局長,EC加盟国は政治的原因で台湾の特恵関税を許容していないが,しかし厳重な不公平待遇はとっていない,と述べる。
DIA-105-1986-11-16-1台湾1986年11月16日1980年代第3回台湾フランス経済協力会議,台北で挙行。
DIA-105-1986-11-18-1台湾1986年11月18日1980年代立法院,商港区域における漁撈,水産物養殖の禁止などを内容とする「商港法改正案」を通過。
DIA-105-1986-11-19-1台湾1986年11月19日1980年代経済建設委員会,苗栗県大安渓上流に鯉魚潭ダムを建設する計画(工期6年,工事費75億元)を承認。
DIA-105-1986-11-19-2台湾1986年11月19日1980年代交通部,台湾の電話設置台数は先月6日に600万台を突破,世界第16位にランクされた,と発表。
DIA-105-1986-11-19-3台湾1986年11月19日1980年代台湾プラスチックの王永慶董事長,日本企業は円高による不利益を回避するため,生産基地を台湾など海外に移し,台湾などの低賃金を利用して日本製品の対米輸出競争力の維持に努めている,と指摘。
DIA-105-1986-11-24-1台湾1986年11月24日1980年代台湾省政府委員会,台湾省政府主席が経済建設動員委員会主任委員を兼任してはならないことを決定。
DIA-105-1986-11-25-1台湾1986年11月25日1980年代北米事務協調委員会駐米国事務所,ワシントンでの5階建ての新築事務ビル(1985年2月起工,建築費用1200万ドル)をオープン。
DIA-105-1986-11-25-2台湾1986年11月25日1980年代立法院,魚類のほか,えび,かに等の飼料も管理する「飼料管理法修正案」を通過。
DIA-105-1986-11-26-1台湾1986年11月26日1980年代財政部,史上最大規模の200億元の建設公債を発行。期間5年,年利5.75%。
DIA-105-1986-11-26-2台湾1986年11月26日1980年代訪台中のカステン米上院議員,台湾の安全を守るための兵器近代化や,アジア開発銀行における台湾の地位確保について最大の努力をはらうことを言明。
DIA-105-1986-11-27-1台湾1986年11月27日1980年代李達海経済部長,日本企業が大量の資金を台湾に投資し,製造された商品をそのまま対外輸出するならば,対日入超と対米出超も急増するだろう,と指摘。
DIA-105-1986-11-27-2台湾1986年11月27日1980年代台湾省交通処,基隆-高雄間の南北高速鉄道の路線選定を終え,計画プランを行政院に提出したことを明らかにした。全長363.2km,工事費2700億元,1989年着工,6年以内に完成の予定。
DIA-105-1986-11-28-1台湾1986年11月28日1980年代カナダ駐台北貿易事務所,正式に設立。
DIA-105-1986-11-29-1台湾1986年11月29日1980年代外交部の邱進益スポークスマン,太平洋経済協力委員会はこのほど,台湾が「中華台北太平洋経済協力委員会」の名義で同会の正式会員に加入することを認めた,と述べる。
DIA-105-1986-11-30-1台湾1986年11月30日1980年代米国から台湾へ帰国しようとした亡命政治家許信良氏,成田空港でキャセイ航空から「台湾へのピザを所持していない」との理由で搭乗を拒否される。一方,台湾の中正国際空港で許氏の台湾入りを支持する数千人の群衆が警官隊と衝突騒ぎを起こす。
DIA-105-1986-12-01-1台湾1986年12月01日1980年代「民主進歩党」,11月30日中正国際空港周辺で起きた一部の活動家が警察と衝突した事件について,「警察に対する破壊行為に遺憾の意を表明するとともに,治安機関が法に基づき処分するよう希望する」と述べる。
DIA-105-1986-12-01-2台湾1986年12月01日1980年代連震東総統府資政,台北で病死,85歳。
DIA-105-1986-12-02-1台湾1986年12月02日1980年代許信良氏,フィリピン航空機でマニラから中正国際空港に到着。台湾当局は許氏が機外に出るのを認めないため,許氏は同機でマニラへUターン。
DIA-105-1986-12-03-1台湾1986年12月03日1980年代第10回台米工商連合会議,台北で開催。
DIA-105-1986-12-03-2台湾1986年12月03日1980年代中国外交部の馬毓真報道局長,「われわれは台湾独立や台湾の自決を擁護するいかなる理論行動にも断固反対する」と台湾の新しい政治動向について初めて論評。
DIA-105-1986-12-06-1台湾1986年12月06日1980年代国民大会代表および立法委員の増補選挙,台湾各地で投票が行なわれる。投票率は65.4%,即日開票。
DIA-105-1986-12-06-2台湾1986年12月06日1980年代総統府,蒋経国総統によって選ばれる海外華僑代表の立法委員27名と監察委員10名のリスト発表。
DIA-105-1986-12-07-1台湾1986年12月07日1980年代中央選挙委員会,1986年の中央民意代表の増補選挙の結果を発表。立法院選(改選議席73)は国民党59,「民主進歩党」12,無党派2,また国民大会代表選(改選議席84)では国民党68,「民主進歩党」11,民社党1,無党派4。得票率では,立法院選で国民党69.87%,「民主進歩党」22.17%,国民大会代表選で国民党68.31%,「民主進歩党」18.90%。
DIA-105-1986-12-08-1台湾1986年12月08日1980年代銭純財政部長,台湾の酒,たばこ市場開放をめぐる米政府との協議が合意に達し,1976年1月から米国産の酒,たばこの輸入を条件付きで開放する,と発表。米政府もただちに通商法第301条の台湾への適用を正式に撤廃。
DIA-105-1986-12-08-2台湾1986年12月08日1980年代合作金庫,11月3日の調印で吸収合併した台北市第十信用合作社の18支社を同金庫の支店として営業を開始。
DIA-105-1986-12-08-3台湾1986年12月08日1980年代中央銀行,今年8月27日から毎日実施してきた1日につき1ドル=0.01台湾元の元高誘導政策を放棄。
DIA-105-1986-12-09-1台湾1986年12月09日1980年代立法院,「1987年度所得税税率条例案」を通過。1人当りの扶養家族の控除額を3万元に引き上げる。
DIA-105-1986-12-09-2台湾1986年12月09日1980年代経済建設委員会,1986年の1人当りGNPは前年比17.6%増の3696ドルに達するだろう,と発表。
DIA-105-1986-12-09-3台湾1986年12月09日1980年代国際貿易局,工作機械(自主規制期間は1987年~91年,1985年の米国での市場シェアを基準とする)および鉄鋼(1987年上半期を自主規制期間とし,月2万トンベース)の対米輸出問題で米国と合意した,と発表。
DIA-105-1986-12-11-1台湾1986年12月11日1980年代第14回東亜経済人会議,2日間の日程を終え共同声明を採択して閉幕。台湾側の辜振甫団長,日本側の農水産品についての非関税障壁の撤廃を要望すると表明。
DIA-105-1986-12-12-1台湾1986年12月12日1980年代立法院,「特許法部分条文修正案」を通過。
DIA-105-1986-12-15-1台湾1986年12月15日1980年代蒋経国総統,米下院議員訪台団一行18名(団長は民主党のイエトロン下院議員)と会見。
DIA-105-1986-12-15-2台湾1986年12月15日1980年代新竹工業園区の何希淳管理局副局長,1996年に同工業園区の売上額は2154億元で,台湾の製造業の10%を占めることになろう,と述べる。
DIA-105-1986-12-16-1台湾1986年12月16日1980年代立法院,「医師法部分条文修正案」を通過。無免許で医療行為を行なった者には,1年以上3年以下の有期懲役または1万元以上5万元以下の罰金が課せられる。
DIA-105-1986-12-16-2台湾1986年12月16日1980年代立法院,「商務仲裁条例部分条分修正案」を通過。
DIA-105-1986-12-16-3台湾1986年12月16日1980年代李達海経済部長,台湾の対外投資累計金額2億6800万ドル(247件)は,韓国の38.4%にすぎない,と述べる。
DIA-105-1986-12-17-1台湾1986年12月17日1980年代台湾元の対米ドル相場が上昇,1ドル=35.97台湾元と36元台を突破。
DIA-105-1986-12-17-2台湾1986年12月17日1980年代1986年のノーベル化学賞受賞者李遠哲博士,訪台。
DIA-105-1986-12-18-1台湾1986年12月18日1980年代行政院,「1987年台湾経済建設計画」を可決。経済成長率8%,1人当りGNP4335ドル。
DIA-105-1986-12-19-1台湾1986年12月19日1980年代10月24日韓国に亡命した中国海軍航空部隊第5師団第15連隊所属の鄭菜田操縦士,台北に到着。
DIA-105-1986-12-19-2台湾1986年12月19日1980年代立法院,蒋経国総統が指名した鍾時益審計長の任命案に同意権を行使。
DIA-105-1986-12-22-1台湾1986年12月22日1980年代経済建設委員会,1987年の台湾元の対米ドル高値抵抗線を1ドル=35元と設定。
DIA-105-1986-12-23-1台湾1986年12月23日1980年代経済建設委員会,1987年の台湾の科学技術研究発展経費は367億元,GNPの1.2%に相当する,と発表。
DIA-105-1986-12-24-1台湾1986年12月24日1980年代財政部,1987年1月から証券交易税の徴収を回復する,と発表。
DIA-105-1986-12-24-2台湾1986年12月24日1980年代蒋経国総統,銭穆中央研究院士を総統府資政に招聘。
DIA-105-1986-12-25-1台湾1986年12月25日1980年代蒋経国総統,国民大会の憲法施行39周年大会で,動員戡乱反乱鎮定)時期における臨時条款(憲法の一部停止を含む条項)は,憲法と同じ尊厳と効力をもっている,と述べる。
DIA-105-1986-12-25-2台湾1986年12月25日1980年代蒋経国・国民党主席,労働行政の効率化を図るために,中央に労工局を設置するよう指示。
DIA-105-1986-12-26-1台湾1986年12月26日1980年代シンガポールのリー・クァンユー首相,30日まで台湾を訪問。
DIA-105-1986-12-27-1台湾1986年12月27日1980年代中国青年党,台北市で同党第14回中央執行委員会第3次全体会議を開催。
DIA-105-1986-12-29-1台湾1986年12月29日1980年代行政院,「国家安全法草案」(全文10条)を公布。「憲法,反共の国策に違反してはならず,分離主義的意識を主張するものであってはならない」(第2条),「現役の軍人以外は,軍事裁判にかけられることがない」(第8条)などが盛り込まれる。
DIA-105-1986-12-30-1台湾1986年12月30日1980年代立法院,「海関進口税則(関税定率法)部分修正案」を通過。最高税率が67.5%から57.5%に引き下げられ,実質税負担率の平均は7.67%から7.25%へと減少。このほか,免税13品目,減税1699品目,増税6品目。
DIA-105-1987-01-01-1台湾1987年01月01日1980年代張継正中央銀行総裁,1986年末現在の外貨準備高は460億ドル,85年末より238億ドル増加,と発表。
DIA-105-1987-01-01-2台湾1987年01月01日1980年代外国産たばこと酒,正式に輸入解禁。
DIA-105-1987-01-01-3台湾1987年01月01日1980年代刑罰規定を廃止する「手形法修正案」が発効。
DIA-105-1987-01-02-1台湾1987年01月02日1980年代米政府,台湾に対し約12億ドル相当の台湾製品を1986年からGSP(一般特恵関税)適用対象に含ませない,と発表。1985年のGSP適用品目の金額は32億ドル。
DIA-105-1987-01-08-1台湾1987年01月08日1980年代ディーン米国在台湾協会台北事務所長着任。
DIA-105-1987-01-08-2台湾1987年01月08日1980年代行政院,「国家安全法」草案を通過。
DIA-105-1987-01-09-1台湾1987年01月09日1980年代フィリピンのラウレル副大統領兼外相,台湾を非公式訪問。
DIA-105-1987-01-10-1台湾1987年01月10日1980年代台湾省議会,台北,高雄両市議会で行なわれた1986年増補監察委員選挙で,黄尊秋ら新しい監察委員22人が選出される。投票率91.7%。
DIA-105-1987-01-10-2台湾1987年01月10日1980年代交通部観光局,1986年に訪台した外国人・華僑観光客は161万385人で,前年比10.9%増,と発表。
DIA-105-1987-01-11-1台湾1987年01月11日1980年代台湾省農林庁,1987~89年の「米生産および水田転作計画」を発表。転作期間中の現物補助は現行の連続3年から6年に延長され,最終補助年限は1989年。
DIA-105-1987-01-13-1台湾1987年01月13日1980年代立法院,「台湾北部区域第2高速道路第1期工事特別預算案」(工期1987~89年度,預算額320億8155万5000元,うち建設公債発行額250億元)を通過。
DIA-105-1987-01-13-2台湾1987年01月13日1980年代米ブッシュ副大統領,『聯合報』系の『米国世界日報』の馬克任社長との会見の中で,「米国は台湾および中国とそれぞれに良好な関係を維持し,双方の確執のために調停役を担うことはありえないだろう」と述べる。
DIA-105-1987-01-13-3台湾1987年01月13日1980年代財政部,カナダのノバスコシア銀行に駐在員事務所の開設を認可。
DIA-105-1987-01-13-4台湾1987年01月13日1980年代経国総統,クレーツカ米下院議員と会見。
DIA-105-1987-01-15-1台湾1987年01月15日1980年代行政院,1988年のソウル・オリンピックに参加する,と表明。
DIA-105-1987-01-16-1台湾1987年01月16日1980年代立法院,ハイテク産業,大貿易商等に優遇措置を与える「奨励投資条例部分条文修正案」を通過。
DIA-105-1987-01-16-2台湾1987年01月16日1980年代考試院,新しい任用,俸給,考課規定に基づいた人事制度を実施。
DIA-105-1987-01-16-3台湾1987年01月16日1980年代中央気象局,7日後の天気を予報できるスーパー・コンピューター(CDC CYBER 205)の使用を開始。
DIA-105-1987-01-16-4台湾1987年01月16日1980年代台湾工商協進会の辜振甫理事長,「米国は,アジアのNICsが米ドルに対し,ほぼ同じ幅をもって為替レートを変動できるように,一連の方式を設定すべきである」とアジアNICs通貨の対米ドル「協調切り上げ」を提案。
DIA-105-1987-01-16-5台湾1987年01月16日1980年代ベーカー米財務長官,訪米中の辜濂松中国信託投資公司総経理と会見し,個人的意見として「米台自由貿易区」提案に原則的同意。
DIA-105-1987-01-17-1台湾1987年01月17日1980年代総統府戦略顧問顧祝同将軍死去,96歳。
DIA-105-1987-01-18-1台湾1987年01月18日1980年代台湾省政府,台湾農村の電化普及率は99.7%を達成した,と発表。
DIA-105-1987-01-18-2台湾1987年01月18日1980年代司法院,公設(国選)弁護人条例を実施。
DIA-105-1987-01-19-1台湾1987年01月19日1980年代経済部投資審議委員会,1986年の華僑・外国人投資が286件,投資7億7038万ドル(うち中華証券投資信託公司など3社が国外で発行した受益証券による投資7500万ドルが含まれる)に達し,前年比9.7%増,と発表。
DIA-105-1987-01-19-2台湾1987年01月19日1980年代国際貿易局の高官,韓国経済計画庁が「アジアNICs通貨の協調切り上げ」構想を公式に否定したことを明らかにし,台湾としては市場開放を速めて台湾元に対する米国の値上げ圧力を緩和するほかない,と述べる。
DIA-105-1987-01-20-1台湾1987年01月20日1980年代国防部,許金看,姚嘉文ら反乱罪受刑者26人および「感化教育」処分を受けた洪進諒ら5人を仮釈放。
DIA-105-1987-01-20-2台湾1987年01月20日1980年代経国総統,汪道淵国防部長,柏村参謀総長ら軍首脳を接見し,一切の挑戦に対処できるよう指示。
DIA-105-1987-01-21-1台湾1987年01月21日1980年代国際貿易局,西ドイツ政府がGATT(関税貿易一般協定)加入国に限るとしてきた同国政府機関または公共工事用の買い付け入札に,台湾企業の参加を認める方針を決定したことを明らかにした。
DIA-105-1987-01-23-1台湾1987年01月23日1980年代中国石油公司,新竹沖合のCBA(長安)油田2号油井(埋蔵量20億立方メートル,日産能力は天然ガス16万立方メートル,原油230バレル)のボーリングに成功,と発表。
DIA-105-1987-01-23-2台湾1987年01月23日1980年代兪国華行政院長,春節記者会見で「台湾は今世紀末までに先進国の隊列に並ぶことを確信する」と表明。
DIA-105-1987-01-24-1台湾1987年01月24日1980年代民進党中央評議委員会,同党の決議に違反して1月10日の増補監察委員選挙に立候補した黄玉嬌と林純子党員に党員資格3カ年停止,林文郎ら4党員に2カ年停止,王兆釧ら8党員に公開譴責処分を行なうと決定。
DIA-105-1987-01-24-2台湾1987年01月24日1980年代行政院,ビザの有効期間が切れてもそのまま台湾に滞在したり就職を続ける不法滞在外国人(約1000人でタイ国籍が多い)を重視し,内政部と経済部に対し取り締り対策の検討を指示。
DIA-105-1987-01-26-1台湾1987年01月26日1980年代行政院,政府は兵器供給源の多角化を図るため,高性能兵器の開発と購入に力を入れている,と強調。
DIA-105-1987-01-27-1台湾1987年01月27日1980年代外交部,米国政府がモンゴル人民共和国と国交を樹立したことについて,外モンゴルは「中華民国」の領土の一部分であるとの声明を発表。
DIA-105-1987-01-30-1台湾1987年01月30日1980年代米商務省の発表した貿易統計によれば,1986年に米国の台湾からの輸入は,前年比20%増の113億ドルであり,台湾は日本,カナダ,西ドイツに次ぐ第4位の対米輸出国となった。
DIA-105-1987-02-02-1台湾1987年02月02日1980年代民主進歩党,立法院党団(同党立法委員12人からなる立法院議員団の)成立を声明。
DIA-105-1987-02-03-1台湾1987年02月03日1980年代民主進歩党の海外訪問団(団長・周滄淵中央常務委員),米国と日本を訪問するため,台北を出発。2月17日から19日まで日本に滞在。
DIA-105-1987-02-04-1台湾1987年02月04日1980年代電信総局と米ATT社合弁の「美台電訊公司」(投資額1.8億元),新竹科学工業園区で着工式。1988年末までに5桁のデジタル交換機を年間20万回線生産する。
DIA-105-1987-02-04-2台湾1987年02月04日1980年代米議会のボーカス上院議員とモイニハン上院議員,台湾などの通貨の対米ドル為替相場切り上げをねらった「1987年公正通貨為替貿易法案」を提出。
DIA-105-1987-02-04-3台湾1987年02月04日1980年代兪国華行政院長,新聞の創刊とページ数の拡大に道を開くよう新聞局に具体策の検討を指示。現在,台湾の新聞社は31社に限定され,発行部数は370万部。
DIA-105-1987-02-05-1台湾1987年02月05日1980年代行政院,「社会秩序維持法」草案を通過。同法によると,現行の違警罰法(軽犯罪法)は廃止され,警察の拘留処分は治安法廷簡易裁判所の裁定を経なければならない。
DIA-105-1987-02-07-1台湾1987年02月07日1980年代福井県・福井新港に漂着した朝鮮民主主義人民共和国の小型船「ズ・ダン9082号」の金満鉄ら11人,日本の海上保安庁機で台北に移送。
DIA-105-1987-02-07-2台湾1987年02月07日1980年代国際貿易局,ECがイタリアに対し,台湾からの水産品輸入禁止を撤廃するとともに,その他の台湾製品の輸入割当を削減しないよう通告したことを明らかにした。
DIA-105-1987-02-08-1台湾1987年02月08日1980年代北朝鮮の小型船「ズ・ダン9082号」の金満鉄ら11人,台湾からの大韓航空の特別機でソウルに到着。
DIA-105-1987-02-08-2台湾1987年02月08日1980年代外交部,「ズ・ダン9082号」事件について,人道主義の精神に基づき金満鉄らの韓国に定住したい自由意思を尊重して亡命援助したとの声明を発表。
DIA-105-1987-02-10-1台湾1987年02月10日1980年代民主進歩党立法院党団,行政院長任期制の確立を求める主張を発表。
DIA-105-1987-02-11-1台湾1987年02月11日1980年代台湾元の対米ドル相場,前日比0.02元高の1ドル=34.99元と35台湾元を突破。
DIA-105-1987-02-11-2台湾1987年02月11日1980年代経済建設委員会,16項目の公共建設プロジェクトの施工計画を優先的に行なう,と発表。
DIA-105-1987-02-12-1台湾1987年02月12日1980年代中国鋼鉄公司,鉄鋼製品の販売価格を引き下げる,と発表。引き下げ幅は1トンにつき300~500元。
DIA-105-1987-02-13-1台湾1987年02月13日1980年代中央銀行,無形貿易にかかわる外為規制措置の緩和を1カ月後に実施する,と発表。
DIA-105-1987-02-13-2台湾1987年02月13日1980年代経国総統,ワロップ米上院議員と会見。
DIA-105-1987-02-14-1台湾1987年02月14日1980年代2月4日に結成した「2.28和平日促進会」(陳永興会長),2.28事件40周年を記念するため,一連の活動を開始。
DIA-105-1987-02-16-1台湾1987年02月16日1980年代台湾・バーレーン農業技術協力協定,マナマで調印。
DIA-105-1987-02-16-2台湾1987年02月16日1980年代台湾・韓国工業政策会議,台北で開催。
DIA-105-1987-02-18-1台湾1987年02月18日1980年代財政部,台湾で大量に生産されているか,もしくは競争力を有する商品の輸入関税をさらに引き下げる,と発表。
DIA-105-1987-02-20-1台湾1987年02月20日1980年代外交部,インド政府が「マクマホン・ライン」の南部地域に「アルナチャル・プラデシュ州」を新設しハことについて,「わが領土を不法に占領するものである」と非難する声明を発表。
DIA-105-1987-02-21-1台湾1987年02月21日1980年代内政部によれば,1950年に迷信宣伝,治安妨害の理由で禁止した一貫道(信者約50万人)を解禁した。
DIA-105-1987-02-23-1台湾1987年02月23日1980年代民主進歩党の立法委員11人,立法院の宣誓式典で,式順の順序をめぐって抗議し宣誓を拒否。
DIA-105-1987-02-24-1台湾1987年02月24日1980年代台湾初のVLSI(超大規模集積回路)メーカー「台湾集積回路製造公司」(TSMC),正式に発足。
DIA-105-1987-02-24-2台湾1987年02月24日1980年代兪国華行政院長,立法院第79会期での施政報告の中で,「兵器の近代化により,精兵政策を貫徹し,過去5年間で兵員3万5000人を削減した」と述べる。
DIA-105-1987-02-25-1台湾1987年02月25日1980年代国民党中央常務委員会,同党の人事異動を発表。副秘書長:宋楚瑜,高銘輝,組織工作会主任:潘振球,文化工作会主任:戴瑞明,社会工作会主任:趙守博,青年工作会主任:黄昆輝,台湾省党部主任委員:劉兆田,高雄市党部主任委員:黄順徳。
DIA-105-1987-02-25-2台湾1987年02月25日1980年代民主進歩党,機関紙『民進報週刊』を創刊。
DIA-105-1987-02-25-3台湾1987年02月25日1980年代レーガン米大統領の長女で,共和党全国委員会のモーリン・レーガン女史,台湾を訪問。
DIA-105-1987-02-26-1台湾1987年02月26日1980年代大阪高裁,中国人学生寮「光華寮」をめぐる控訴審で,「外交もしくは国家権力行使のための財産でない光華寮は,依然として台湾の所有に属する」と判決。
DIA-105-1987-02-26-2台湾1987年02月26日1980年代桃園地裁,1986年11月14日に「民主進歩党海外組織帰台代表団」の入国問題をめぐって,中正国際空港で騒ぎを起した呉大清台湾省議員ら13人の被告に実刑判決。
DIA-105-1987-02-27-1台湾1987年02月27日1980年代立法院,国民党推薦の倪文亜を院長に,劉濶才を副院長にそれぞれ選出。
DIA-105-1987-02-27-2台湾1987年02月27日1980年代台湾・EC紡織品貿易新協定によると,(1)有効期間は87年1月1日に遡って1991年までの5年間,(2)対EC輸出伸び率は,1986年の7.6万トンをベースに年平均2.36%。
DIA-105-1987-02-27-3台湾1987年02月27日1980年代交通部,自動車のレンタル,タクシーと旅行業に関する規制を緩和する一方,民間企業に小規模の通信網を開放する,と発表。
DIA-105-1987-02-27-4台湾1987年02月27日1980年代マレーシア政府の投資誘致訪台団,台北に到着。
DIA-105-1987-02-28-1台湾1987年02月28日1980年代交通部によれば,インドネシア政府は台湾に対し,同国で最長2カ月間のノービザ滞在を認めると通知してきた。
DIA-105-1987-02-28-2台湾1987年02月28日1980年代民主進歩党主催の「2・28事件記念会」,台北と高雄で同時に挙行される。
DIA-105-1987-03-01-1台湾1987年03月01日1980年代台湾電力公司,電気料金の引き下げを実施。
DIA-105-1987-03-01-2台湾1987年03月01日1980年代コスタリカの大統領府相,訪台。
DIA-105-1987-03-01-3台湾1987年03月01日1980年代元国連大使クーパースミス夫人を団長とする米国婦人訪台団,台北に到着。
DIA-105-1987-03-03-1台湾1987年03月03日1980年代国民党の梁粛戎中央政策会副秘書長ら3人と民主進歩党の費希平立法委員ら3人,立法院の議事運営で定期的に協議することに合意。
DIA-105-1987-03-04-1台湾1987年03月04日1980年代衛生署の統計によると,1986年末の台湾地区の医師は1万4278名で,人口1万人当り医師7.36名。
DIA-105-1987-03-04-2台湾1987年03月04日1980年代ロークス米国在台協会理事長,訪台。
DIA-105-1987-03-04-3台湾1987年03月04日1980年代経済建設委員会,国営の中国鋼鉄公司に対する保護措置を撤廃する旨を決議。
DIA-105-1987-03-05-1台湾1987年03月05日1980年代経国総統,次の台湾省政府一部首長の人事異動を発会。秘書長:李厚高,民政庁長:陳正雄,財政庁長:林振国,建設庁長:李存敬,省政府委員:黄鏡峯。
DIA-105-1987-03-05-2台湾1987年03月05日1980年代行政院,台湾最大の水力発電所となる「明潭揚水式水力発電工事プロジェクト」を可決。総工費約508億5700万元,1993年3月から一部商業運転開始,1996年6月完工,最終発電能力160万kW。
DIA-105-1987-03-05-3台湾1987年03月05日1980年代米台紡織品貿易交渉会議,ワシントンで開く。
DIA-105-1987-03-06-1台湾1987年03月06日1980年代外交部,1984~85年にかけて米国が軍事援助を停止した9カ月間,台湾がニカラグア反政府ゲリラから援助を求められたことについて,否定の談話を発表。
DIA-105-1987-03-08-1台湾1987年03月08日1980年代ハイチのレガラ内務・国防相,訪台。
DIA-105-1987-03-12-1台湾1987年03月12日1980年代監察院,正副院長の任期満了に伴い,院長に黄尊秋,副院長に馬空群の両氏を選出。
DIA-105-1987-03-12-2台湾1987年03月12日1980年代米デュポン社のコステロ社長,住民の抗議運動を考慮して,鹿港付近の彰浜工業区に二酸化チタン工場を建設する計画を断念した,との声明を発表。
DIA-105-1987-03-12-3台湾1987年03月12日1980年代中央銀行,無形貿易の支出に関する規制を撤廃するとともに,為替差益を求めて送入される資金に対する規制を厳しくする,と発表。
DIA-105-1987-03-12-4台湾1987年03月12日1980年代台湾のアジア太平洋科学技術協会と日本の東亜科学技術協力協会の第5回合同会議,台北で開催。
DIA-105-1987-03-13-1台湾1987年03月13日1980年代台湾・カナダ紡織品貿易交渉,ワシントンで妥結。有効期間は1987年1月1日から1991年12月31日までの5年間,クォータ対象は既成服と非既成服に分け,前者の年間輸出伸び率は平均0.5%,後者は1.2%。
DIA-105-1987-03-14-1台湾1987年03月14日1980年代中華経済研究院,台湾の原子力発電に対する依存度は30%(1985年は52%)にとどめるべきだと提言。
DIA-105-1987-03-15-1台湾1987年03月15日1980年代交通部,小型乗用車(9人乗り小型バスを含む)レンタル業とタクシーハイヤー業の設立を外資に開放する,と発表。
DIA-105-1987-03-16-1台湾1987年03月16日1980年代李鍾桂女史,青年反共救国団主任に就任。
DIA-105-1987-03-19-1台湾1987年03月19日1980年代国際貿易局,1986年12月末現在の輸出入業者は7万9300社,うち輸出入実績が1億ドル以上に達したものは35社,と発表。
DIA-105-1987-03-19-2台湾1987年03月19日1980年代中国石油公司,インドネシアのプルタミナと有効期間20カ年の液化天然ガス輸入契約に調印。1990年から年間150万トンを輸入,うち50万トンを台湾電力公司の発電用に,100万トンを一般家庭と工業用に供する。
DIA-105-1987-03-19-3台湾1987年03月19日1980年代台湾とインドネシア,台北で東ジャワ農業技術協力協定の継続延長に関する覚書に調印。
DIA-105-1987-03-20-1台湾1987年03月20日1980年代兪国華行政院長,「国家領土と主権を保全するために,政府は台湾を中国から離脱させようとする,いかなる主張も容認できない」と「住民自決」論を非難。
DIA-105-1987-03-23-1台湾1987年03月23日1980年代外交部の邱進益スポークスマン,中国とポルトガル両政府がポルトガル領マカオの中国返還(1999年12月20日)で実質的に合意したことについて,台湾政府は一切承認しないとの声明を発表。
DIA-105-1987-03-23-2台湾1987年03月23日1980年代朱撫松外交部長,政府は1997年以降の香港との経済,貿易,航空,海運などの問題について具体的な対策をすでに用意しており,時期が熟すれば公布する,と言明。
DIA-105-1987-03-23-3台湾1987年03月23日1980年代行政院第9回科学技術顧問会議,台北で開催。
DIA-105-1987-03-24-1台湾1987年03月24日1980年代台湾大学の学生約150人,立法院に押し掛け,学園の全面的自由化,民主化を訴える。
DIA-105-1987-03-24-2台湾1987年03月24日1980年代連戦交通部長,政府は3年内に電子メール,VAN(付加価値通信網),ビテオテックス,キャプテンシステムなどを漸次民営に開放する,と述べる。
DIA-105-1987-03-25-1台湾1987年03月25日1980年代朱撫松外交部長,台湾の外交部ないし国外駐在機構において,ニカラグア国内の反政府ゲリラ(コントラ)に対し,いかなる援助も提供していない,と言明。
DIA-105-1987-03-25-2台湾1987年03月25日1980年代行政院主計処の統計によると,1986年の国民の貯蓄額は1兆元を突破,貯蓄率も史上最高の37.44%を記録。
DIA-105-1987-03-25-3台湾1987年03月25日1980年代銭純財政部長,(1)1986年末現在の対外債務は総額34億ドル,(2)過去10年間,政府は対外債務をGNPの約11%に維持,対外債務返済率は4.5%以下に抑えていると報告。
DIA-105-1987-03-26-1台湾1987年03月26日1980年代施啓揚法務部長,1981年7月から1986年末までに「国家賠償法」の適用を申請したのは延べ2118件に達し,うち同法の適用を受けたのは292件で,申請件数の13.79%を占める,と述べる。
DIA-105-1987-03-27-1台湾1987年03月27日1980年代兪国華行政院長,(1)ここ5年間,中央政府総予算に占める国防予算の比率は53.5%から47%に低下,(2)過去10年間のGNPに占める国防予算の比率は平均7.73%,と立法院で答弁。
DIA-105-1987-03-27-2台湾1987年03月27日1980年代経国総統,余俊賢前監察院長を総統府資政に招聘。
DIA-105-1987-03-31-1台湾1987年03月31日1980年代国防部の張慧元スポークスマン,松山空港を民間に払下げる考えはない,と述べる。
DIA-105-1987-03-31-2台湾1987年03月31日1980年代行政院主計処の于建民主計長,オランダに発注した潜水艦2隻の建造費を含む総費用は290億元と発表。
DIA-105-1987-04-01-1台湾1987年04月01日1980年代銭純財政部長,1987年末の対外債務残高は24億ドルに減少する見込みである,と述べる。
DIA-105-1987-04-02-1台湾1987年04月02日1980年代国家安全会議の緯国秘書長,国家安全会議は元首の幕僚機構にすぎない,と立法院で答弁。
DIA-105-1987-04-02-2台湾1987年04月02日1980年代国民大会の何宜武秘書長,総統の選挙および総統の継承について,今後も憲法の規定に従って平和裡に政治権力の移譲が行なわれるだろう,と立法院で強調。
DIA-105-1987-04-02-3台湾1987年04月02日1980年代朱撫松外交部長,政府は暴力による政府の転覆を支持する者を除き,本国人の帰国を歓迎する,と華僑等への入国規制緩和の方針を明らかにした。
DIA-105-1987-04-03-1台湾1987年04月03日1980年代第14回日台大陸問題研究会議,東京で開催。
DIA-105-1987-04-04-1台湾1987年04月04日1980年代行政院シンクロトロン放射研究センター,台湾初のシンクロトロン放射加速器の結晶格子にはTBA方式を採用する,と発表。工期5年,総費用14億元。
DIA-105-1987-04-08-1台湾1987年04月08日1980年代エルサルバドルのアセベド外相,訪台。
DIA-105-1987-04-08-2台湾1987年04月08日1980年代米ユナイテッド航空,台北―ソウル―シカゴの新航路を開設。
DIA-105-1987-04-09-1台湾1987年04月09日1980年代行政院,合弁自動車産業の輸出比率義務づけの撤廃を正式に決定。
DIA-105-1987-04-10-1台湾1987年04月10日1980年代外交部,従来8種類に分れていた外国人に対するビザを外交ビザ,協定ビザ,ビジタービザ,居住ビザの4種類に簡素化した新規制を施行。
DIA-105-1987-04-10-2台湾1987年04月10日1980年代交通部の統計資料によれば,1986年に台湾が取扱った輸出入用中継のコンテナ数は410万標準個で,米国,日本に次いで世界第3位にランクされる。
DIA-105-1987-04-12-1台湾1987年04月12日1980年代行政院原子力委員会の閻振興主任委員,日本原子力基金会との間で,原子力発電所の運営と危機管理についての協力覚書に調印するため,台北を出発。
DIA-105-1987-04-13-1台湾1987年04月13日1980年代経国総統,訪台中の米国のニクレス上院議員,ドワイン下院議員ら4議員とそれぞれ個別に会見。
DIA-105-1987-04-14-1台湾1987年04月14日1980年代台北世界貿易センター,正式にWTCネットワーク(世界貿易センター商業情報網)に直結。
DIA-105-1987-04-14-2台湾1987年04月14日1980年代立法院,「屠殺税法」(1943年9月施行)の廃止を通過。
DIA-105-1987-04-15-1台湾1987年04月15日1980年代台湾警備総司令部,台湾国籍を取得して台北に居住するマレーシア華僑の丘景元に対し,中国の指令を受けて台湾で反乱活動を行なった容疑で,懲役12年,公民権剥奪8年の刑を言い渡した,と発表。
DIA-105-1987-04-15-2台湾1987年04月15日1980年代訪台中のオランダのヘンネカム下院内政委員長,台湾がオランダの造船所に建造発注した潜水艦2隻は予定の期限内に引き渡される,と言明。
DIA-105-1987-04-15-3台湾1987年04月15日1980年代経国総統,米国のロックフェラー上院議員,コリンス下院議員ら5人と会見。
DIA-105-1987-04-15-4台湾1987年04月15日1980年代コスタリカのカルピンスキー国会議長,訪台。
DIA-105-1987-04-15-5台湾1987年04月15日1980年代台湾元の対米ドル相場,1ドル=33.97元と前日比0.05台湾元高,33台湾元台に突入。
DIA-105-1987-04-16-1台湾1987年04月16日1980年代行政院,財政部,提出した消費財を含む862品目の輸入関税引き下げ案を通過。実施期限は1年間。
DIA-105-1987-04-16-2台湾1987年04月16日1980年代台湾,ワシントンでの米台通商交渉会議で,米国の66品目の関税引き下げ要求に対し,ピ-ナッツ,家畜の内臓等を除く62品目の関税引き下げに同意。
DIA-105-1987-04-16-3台湾1987年04月16日1980年代台湾,台北での米台保険交渉会議で,台湾に進出する米国の生命保険と損害保険会社について,年間それぞれ2社に限定することに同意。
DIA-105-1987-04-17-1台湾1987年04月17日1980年代グアテマラのカルピオ副大統領,訪台。
DIA-105-1987-04-17-2台湾1987年04月17日1980年代民主進歩党の江鵬堅主席,4月19日に予定していた総統府前広場での「国家安全法反対デモ」を5月24日に延期する,と発表。
DIA-105-1987-04-17-3台湾1987年04月17日1980年代経国総統,林洋港を司法院長,汪道淵を司法院副院長に任命。
DIA-105-1987-04-20-1台湾1987年04月20日1980年代成功大学航空字宙研究所と米国テネシー大学宇宙センター共催の「宇宙企業発展研究会」,台北で開幕。
DIA-105-1987-04-21-1台湾1987年04月21日1980年代米国,ワシントンでの米台繊維貿易交渉で,(1)1988年末で切れる繊維協定の1年間延長(89年末まで),(2)延長期間中の台湾製繊維製品の対米輸出伸び率を現行の0.5%から1%に引き下げる,などの事項に合意。
DIA-105-1987-04-21-2台湾1987年04月21日1980年代民主進歩党,「民進党社会運動部」5人小委員会(姚嘉文,謝長延,犬清,康寧禅,朱高正)を設置。
DIA-105-1987-04-22-1台湾1987年04月22日1980年代外交部の邱進益スポークスマン,台湾は1987年4月27日から29日まで大阪で開かれるアジア開発銀行第20回総会に参加しない,と発表。
DIA-105-1987-04-22-2台湾1987年04月22日1980年代経国総統,行政院一部首長の人事異動を発令。行政院副院長:連戦,外交部長:丁懋時,国防部長:鄭為元,交通部長:郭南宏,国軍退除役官民輔導(除退役将兵補導)委員会主任委員:張国英,青年輔導委員会主任委員:関中,新聞局長:邵玉銘。
DIA-105-1987-04-23-1台湾1987年04月23日1980年代台湾漁業訪問団,アルゼンチンのブエノスアイレスで,マルチネス副大統領を表敬訪問。
DIA-105-1987-04-26-1台湾1987年04月26日1980年代高雄県大社郷にある中国石油化学開発公司高雄AN(アクリロニトリル)工場が爆発,従業員10余人が負傷。日本からAN1万2000トンを緊急輸入。
DIA-105-1987-04-27-1台湾1987年04月27日1980年代国防部の張慧元スポースクマン,(1)台湾はイテンに対しいかなる武器も売却していない,(2)オランダに発注した2隻の潜水艦がテスト航海中に発生した故障説は単なる噂にすぎない,と述べる。
DIA-105-1987-04-28-1台湾1987年04月28日1980年代ホンジュラスのロペス外相,訪台。
DIA-105-1987-04-29-1台湾1987年04月29日1980年代張継正中央銀行総裁,台湾の保有外貨は中央銀行の名義で,国外150銀行に預金されている,と述べる。
DIA-105-1987-04-30-1台湾1987年04月30日1980年代経国総統,王飛を外交部政務次長,言百謙を国防部副部長にそれぞれ任命。
DIA-105-1987-05-01-1台湾1987年05月01日1980年代中国石油公司,エチレン等の7種類の石油化学原料価格の値上げを実施。
DIA-105-1987-05-01-2台湾1987年05月01日1980年代梅雨と豪雨の予報能力を高めるための米台「台湾地区中尺度実験計画」が開始,調査期間2カ月。
DIA-105-1987-05-04-1台湾1987年05月04日1980年代国民党中央政策委員会,党政協調会で内政部が管轄していた労働司を行政院直属の労働委員会に昇格させることを決定。
DIA-105-1987-05-04-2台湾1987年05月04日1980年代行政院環境保護小組,「環境政策綱領草案」を通過。
DIA-105-1987-05-04-3台湾1987年05月04日1980年代パナマ共和国のノリエガ国防軍総司令官,訪台。
DIA-105-1987-05-05-1台湾1987年05月05日1980年代内政部,山地行政(山地同胞約33万人)を推進するため,民政司に山地行政科を設置することに決定。
DIA-105-1987-05-06-1台湾1987年05月06日1980年代馬英九国民党中央委員会副秘書長,韓国を訪問。
DIA-105-1987-05-06-2台湾1987年05月06日1980年代中央選挙委員会,「台湾省各県市議会議員選挙区区分準則」を可決。それによると,最低2選挙区から最高13選挙区まで,各選挙区の定員数12人以下。
DIA-105-1987-05-06-3台湾1987年05月06日1980年代経済部工業局,最近中小企業の経営者から台湾元高による経営難を訴える声が高まっているが,これまでのところ,台湾元高による倒産の実例は少ない,と指摘。
DIA-105-1987-05-09-1台湾1987年05月09日1980年代台湾電力公司,台中火力発電工事資金として,交通,彰化,台湾,華南等国内の8銀行代表と台湾元建ての融資契約に調印。融資金額429億元,貸付期限15~20年,金利最初6年間年6%。
DIA-105-1987-05-10-1台湾1987年05月10日1980年代台湾省農林庁,1986年に台湾で使用された農薬は,3万9000トンで52億余元に相当する,と発表。
DIA-105-1987-05-10-2台湾1987年05月10日1980年代セントクリストファー・ネイビスのブカナン国会議長とシートン検事総長,訪台。
DIA-105-1987-05-14-1台湾1987年05月14日1980年代1985年の「第十信用合作社不正融資事件」の容疑者蔡辰洲,台北で病死。
DIA-105-1987-05-15-1台湾1987年05月15日1980年代外交部の邱進益スポークスマン,米国政府の要請で,台湾の民間がニカラグア反政府右派ゲリラ(コントラ)に食糧,衣服,医療品等の人道的援助として,200万ドルの資金を提供した,と述べる。
DIA-105-1987-05-19-1台湾1987年05月19日1980年代民主進歩党,戒厳令施行38周年紀念に当り,台北市の国父紀会館前広場で,全島の党員2000人を集めて抗議集会。集会後,総統府に抗議書を手渡す計画だったが,機動隊1000人に行進を阻止される。
DIA-105-1987-05-19-2台湾1987年05月19日1980年代台湾・スワジランド農業技術協定,交換公文方式で1990年4月30日まで延長。
DIA-105-1987-05-21-1台湾1987年05月21日1980年代国際貿易局,(1)農水産物,カラー印刷機などを含む756品目の輸入規制を即日撤廃,(2)フォークリフトなど5品目の輸入規制を1988年8月から撤退,と発表。
DIA-105-1987-05-22-1台湾1987年05月22日1980年代経済部,台湾電力公司に対し,グアテマラと協力して同国のウラン探鉱を進めるよう指示。
DIA-105-1987-05-25-1台湾1987年05月25日1980年代経済部,「対東南アジア地区投資促進計画」を通過。今後3年間で投資額1億5200万ドル,投資対象国はタイ,フィリピン,マレーシア,インドネシア。
DIA-105-1987-05-25-2台湾1987年05月25日1980年代国防部,緊急時の予備役軍人の動員能力をテストする「同心3号動員演習計画」を発令。予告なしの予備役軍人動員演習に99.03%が戦闘準備を完了。
DIA-105-1987-05-25-3台湾1987年05月25日1980年代『中華週報』によると,台湾政府はこのほど,米ビーチクラフト社から商業ベースで,同社の1900型輸送機12機を輸入した。
DIA-105-1987-05-26-1台湾1987年05月26日1980年代財政部,遊資の吸収を目的とする200億元の中央政府建設公債を発行。金利年5.75%。
DIA-105-1987-05-26-2台湾1987年05月26日1980年代劉松藩,蔡中涵立法委員,光華寮問題について,台湾政府は直ちに人員を日本に派遣し,台湾の立場を日本政府に強調すべきである,と立法院で緊急質問を提出。
DIA-105-1987-05-26-3台湾1987年05月26日1980年代原子力委員会の閻振興主任委員,同委員会は情報システムを大幅に強化したので,今後外国の経験を参考にして原子力発電所の安全運転を確保できる,と述べる。
DIA-105-1987-05-27-1台湾1987年05月27日1980年代国民党の経国主席,「5・19デモ」に関連して,「いかなる要因にもわれわれの力を分離させることなく,いかなる問題にもわれわれの和合を破壊させてはならない」と強調。
DIA-105-1987-05-28-1台湾1987年05月28日1980年代台湾の大手コンピューターメーカー宏碁電脳公司,ACER1100/20と命名した世界で最も速い32ビットパーンナルコンピューターの開発に成功した,と発表。
DIA-105-1987-05-28-2台湾1987年05月28日1980年代行政院,特定地域に対する民衆の街頭デモを禁止するのは憲法に違反しない,との法的見解を表明。
DIA-105-1987-05-29-1台湾1987年05月29日1980年代中国石油公司,新竹沖合の長井4号油田(CBL4)で日量5万立方メートルの天然ガスと100バレルの原油を生産できる豊富な天然ガス埋蔵量を発見した,と発表。
DIA-105-1987-05-29-2台湾1987年05月29日1980年代総統令:公債発行額の中央政府総予算額に対する上限比率を25%から40%に引き上げる。
DIA-105-1987-05-29-3台湾1987年05月29日1980年代立法院,第79会期を6月1日から7月17日までの47日間延長し,「国家安全法」など13項目の重要法案を審議することに決定。
DIA-105-1987-05-29-4台湾1987年05月29日1980年代行政院新聞局,内外の関係者を招いて「海賊版ビデオカセット公開処分デモンストレーション」を行なう。
DIA-105-1987-05-30-1台湾1987年05月30日1980年代国防部,美麗島事件(1979年12月)で服役中の黄信介,張俊宏のほか,顔明聖,黄華,周文竜,余素貞ら反体制運動家を仮釈放した,と発表。
DIA-105-1987-05-30-2台湾1987年05月30日1980年代立法院,1988年度中央政府総予算案を通過。歳出,歳入ともに4676億1368万7000元(1ドル=33元として計算すると141億7011万ドル),対前年比8.2%増。
DIA-105-1987-05-30-3台湾1987年05月30日1980年代行政院,台湾は依然戦争状態にあるので,現行の徴兵制度を志願兵制度に改制すべきではない,と表明。
DIA-105-1987-06-02-1台湾1987年06月02日1980年代立法院,「人体器官移植条例」を通過。
DIA-105-1987-06-02-2台湾1987年06月02日1980年代『経済日報』,日本の大蔵省は新たな市中銀行の台北支店開設を段階的に認める方針である,と報道。
DIA-105-1987-06-03-1台湾1987年06月03日1980年代特定の公衆場所で禁煙条例施行。
DIA-105-1987-06-04-1台湾1987年06月04日1980年代行政院,6月15日から1年間,家電製品,印刷器材などの農・工製品331品目の関税を平均32%引き下げることを決定。
DIA-105-1987-06-05-1台湾1987年06月05日1980年代三富自動車といすず自動車合弁のジープ「トルーバー」,米国向けに初輸出。第1回出荷分60台。
DIA-105-1987-06-05-2台湾1987年06月05日1980年代交通部,当面の最優先プロジェクトは台北区大衆快速輸送システム(MRTS)北部第2高速道路の建設,および中南部第2高速道路の設計である,と述べる。
DIA-105-1987-06-06-1台湾1987年06月06日1980年代亜東関係協会の馬紀壮駐日代表,「光華寮訴訟」の判決について,日本政府が三権分立の立場を堅持されるよう切望する,との談話を発表。
DIA-105-1987-06-07-1台湾1987年06月07日1980年代中央銀行,1987年4月現在のオフショア金融業務を扱っているのは台湾銀行,シティバンクなど内外15行で,総資産は67億4600万ドル,資金供給先はアジアが79%,資金流出先もアジアが83%,と発表。
DIA-105-1987-06-08-1台湾1987年06月08日1980年代兪国華行政院長,12日までの5日間,国交のないシンガポールを公式訪問。李達海経済部長,陳履安国家科学委員会主任委員,邵玉銘新聞局長,蕭万長国際貿易局長らが同行。
DIA-105-1987-06-08-2台湾1987年06月08日1980年代日本の田川誠一,河野洋平両衆議院議員,訪台。
DIA-105-1987-06-08-3台湾1987年06月08日1980年代郭南宏交通部長,台湾鉄道開設百周年記念式典で,1990年までに全島一周鉄道網の建設を完成すると述べる。
DIA-105-1987-06-09-1台湾1987年06月09日1980年代愈国華行政院長,シンガポールのウイ・キムウイ大統領を訪問。また,ゴー・チョクトン第1副首相,オン・テンチェォンン第2副首相とそれぞれ会談した後,リー・クアンユー首相と95分間会談。
DIA-105-1987-06-09-2台湾1987年06月09日1980年代行政院農業委員会,窒素肥料およびカリ肥料の販売価格を6月1日に遡って引き下げる,と発表。引き下げ幅は3.85%~29.41%,平均14%。
DIA-105-1987-06-10-1台湾1987年06月10日1980年代中国石油公司,米国コノコ石油会社など欧米5石油会社と共同で南米のエクアドル第16鉱区での探鉱開発に成功した,と発表。原油の日産能力1000バレル。中国石油公司出資額4600万ドル,出資比率20%。
DIA-105-1987-06-12-1台湾1987年06月12日1980年代民主進歩党,立法院付近で「国家安全法」制定に反対する大衆デモを行ない,民主進歩党に反対する「反共愛国陣戦」と「全民愛国会」と衝突。数人が負傷。
DIA-105-1987-06-13-1台湾1987年06月13日1980年代兪国華行政院長,6月10日から12日にかけ,台北市で発生した民衆による街頭デモ流血事件について,早急な調査と違法者に対する処置を指示。
DIA-105-1987-06-13-2台湾1987年06月13日1980年代『経済日報』,台湾政府はフィリピン政府との間に台湾企業が同国の輸出加工区に工場を設立し,第3国向け商品を生産することに原則同意した,と報道。
DIA-105-1987-06-15-1台湾1987年06月15日1980年代兪国華行政院長,第13回訪米買い付け団と会見,17億ドルに相当する米国製ジェット旅客機を10機購入(ボーイング社製6機,残り4機未定)する,と発表。
DIA-105-1987-06-15-2台湾1987年06月15日1980年代日華関係議員懇談会の灘尾弘吉会長,訪台。
DIA-105-1987-06-16-1台湾1987年06月16日1980年代立法院,「外貨管理条例修正草案」を通過。
DIA-105-1987-06-16-2台湾1987年06月16日1980年代会期2日間の第20回台韓経済協力会議(閣僚級),台湾が韓国車の輸入割当を2250台に増加することに同意した共同声明を発表して閉幕。
DIA-105-1987-06-16-3台湾1987年06月16日1980年代新華社によると,台湾の1万トン級貨物船「嘉華」号が中国の漁船に衝突して沈没させた事故の補償交渉は,台湾が中国側に賠償金88万ドルを支払うことで合意。
DIA-105-1987-06-17-1台湾1987年06月17日1980年代財政部と経済部,1987年6月30日満期の「民営生産事業機械設備購入に適用する投資減税措置」の1年間延長を決定。
DIA-105-1987-06-18-1台湾1987年06月18日1980年代ソロモン諸島のアレブア首相,訪台。
DIA-105-1987-06-18-2台湾1987年06月18日1980年代国防部,台湾はいかなる武器もイランに売却していない,と再度外電の報道を否定。
DIA-105-1987-06-19-1台湾1987年06月19日1980年代世界最大のコンテナ海運会社「長栄海運」(エバーグリーン),シンガポール港務局との間で,シンガポールのコンテナ埠頭長期優先使用契約に調印。
DIA-105-1987-06-20-1台湾1987年06月20日1980年代台北地検,「6・12事件」に関連した「反共愛国陣戦」の許承宗,呉東沂を重要参考人として喚問。
DIA-105-1987-06-20-2台湾1987年06月20日1980年代経国総統に面会を求める民主進歩党の国民大会代表11人,総統府に赴いたところ,警官に阻止される。
DIA-105-1987-06-22-1台湾1987年06月22日1980年代立法院,「手形法修正案」を通過。
DIA-105-1987-06-23-1台湾1987年06月23日1980年代立法院,「動員戡乱(反乱鎮定)時期における国家安全法」(全文10条)を通過。民主進歩党の立法委員13人,議長席前に座り込んで抗議の意思を表明。
DIA-105-1987-06-23-2台湾1987年06月23日1980年代立法院,「台湾省建設公債発行条例」を通過,「省(市)政府建設公債発行条例」と改称。
DIA-105-1987-06-23-3台湾1987年06月23日1980年代台北地検,「6・12事件」に関連した民主進歩党の謝長廷,洪奇昌,江蓋世を公務執行妨害など刑法違反容疑で喚問,取り調べる。
DIA-105-1987-06-25-1台湾1987年06月25日1980年代「台湾・パラグアイ犯罪人引渡し条約」(1986年4月24日調印)発効。
DIA-105-1987-06-25-2台湾1987年06月25日1980年代経済部,外国人投資の自動車工場に対する輸出比率の規定を廃止する,と発表。
DIA-105-1987-06-30-1台湾1987年06月30日1980年代台北市および台北県の三重,新店,永和などの市郷鎮を給水対象地域として建設された翡翠ダム完成。1979年着工,総投資額124億元。
DIA-105-1987-06-30-2台湾1987年06月30日1980年代立法院,「行政院労工委員会組織条例」を通過。
DIA-105-1987-06-30-3台湾1987年06月30日1980年代フィリピンのアキノ大統領,第3回台湾・フィリピン経済協力会議に出席した台湾経済代表団(団長・徐国安経済部次長以下65人)と会見。
DIA-105-1987-07-01-1台湾1987年07月01日1980年代修正手形法発効。服役中の手形犯1674人即日釈放,手形法違反容疑で指名手配中の2万3831人の指名手配も取り消し。
DIA-105-1987-07-01-2台湾1987年07月01日1980年代国際ライオンズクラブ第70回世界総会,台北で開催。
DIA-105-1987-07-01-3台湾1987年07月01日1980年代経国総統,「動員戡乱時期における国家安全法」を公布。
DIA-105-1987-07-01-4台湾1987年07月01日1980年代国民党中央常務委員会,馬樹礼同党中央委秘書長の後任に李煥教育部長,また,教育部長の後任に国立清華大学の毛高文学長をそれぞれ起用することを決定。
DIA-105-1987-07-02-1台湾1987年07月02日1980年代行政院,「動員戡乱時期における国家安全法施行細則」および「台湾地区戒厳令解除」を通過。
DIA-105-1987-07-02-2台湾1987年07月02日1980年代高雄の小港国際空港,新滑走路の使用を開始。
DIA-105-1987-07-03-1台湾1987年07月03日1980年代財政部税制改革委員会発足。
DIA-105-1987-07-03-2台湾1987年07月03日1980年代第13回対米買い付け団農産品買い付けグループ,台北を出発。買い付け予定金額4億3000万ドル。
DIA-105-1987-07-03-3台湾1987年07月03日1980年代空軍,台湾と金門島,東沙島の間にC-130Hハーキュリーズ型輸送機を就航させる。
DIA-105-1987-07-04-1台湾1987年07月04日1980年代経国総統,7月1日訪台したサウジアラビアのスルタン親王と会見。
DIA-105-1987-07-04-2台湾1987年07月04日1980年代中国石油公司,子会社「海外石油投資公司」を通じて,クアラルンプールでマレーシア国有探鉱会社との間でマレーシア沖合SK-7号鉱区の共同探鉱契約に調印。
DIA-105-1987-07-06-1台湾1987年07月06日1980年代台湾電力公司,1985年7月7日に発生した第3原子力発電所低圧タービンの火災事故に伴う補修費7490万ドルについて,弁償する米GE社と補償契約に調印。
DIA-105-1987-07-06-2台湾1987年07月06日1980年代呉伯雄内政部長,戒厳令が解除された後,公共事業を除く労働者のスト禁止も解除されるだろう,と述べる。
DIA-105-1987-07-06-3台湾1987年07月06日1980年代花蓮の多魯閣国立公園で山崩れ,死者3人。
DIA-105-1987-07-07-1台湾1987年07月07日1980年代立法院,「国家安全法施行細則」および「台湾地区戒厳令解除」を賛成多数で通過。
DIA-105-1987-07-07-2台湾1987年07月07日1980年代経国総統,軍事裁判による非軍人の受刑者のうち,刑期が満了していない者について,減刑と復活(公民権回復)を行なうよう国防部に指示。
DIA-105-1987-07-08-1台湾1987年07月08日1980年代交通部観光局。1987年上半期の訪台観光客は86万3528人で,前年同期比13%増加,と発表。
DIA-105-1987-07-11-1台湾1987年07月11日1980年代「中国自由党」(党員300数名),成立を宣言。
DIA-105-1987-07-12-1台湾1987年07月12日1980年代台湾省政府が発表した1986年家庭収支調査によると,1戸当り平均所得は37万2241元で,前年比6.9%増。
DIA-105-1987-07-13-1台湾1987年07月13日1980年代邱創煥台湾省主席,台湾の原子力発電所の廃棄物は,今後蘭嶼原子力廃棄物処理地に運ぶのをやめ,米国に運送し保管してもらう,と台湾省議会で答弁。
DIA-105-1987-07-14-1台湾1987年07月14日1980年代経国総統,台湾地区戒厳令を1987年7月15日午前零時から解除する,と宣言。
DIA-105-1987-07-14-2台湾1987年07月14日1980年代兪国華行政院長,「動員戡乱時期における国家安全法」を1987年7月15日から施行する,と宣布。
DIA-105-1987-07-14-3台湾1987年07月14日1980年代国防部,戒厳令解除で減刑・復権(公民権回復)に相当する受刑者は,237人(うち反乱罪適用者170人,その他の犯罪者67人),と発表。
DIA-105-1987-07-14-4台湾1987年07月14日1980年代内政部,7月15日から集会・デモをする場合,地元警察に3日前に申請するよう義務付けの暫定措置を発表。
DIA-105-1987-07-14-5台湾1987年07月14日1980年代邵玉銘新聞局長,戒厳令の解除について,(1)軍事管制範囲の縮小と普通行政,司法機関の職権の拡張,(2)市民権の大幅拡大,(3)行政は今後法律に基づいて行なわれる,という実質的意義を有する,と述べる。
DIA-105-1987-07-15-1台湾1987年07月15日1980年代民間の外貨保有および運用の自由化などが認められる「外貨管理条例修正案」発効。
DIA-105-1987-07-15-2台湾1987年07月15日1980年代軍法機関,「国家安全法」に基づき,審理中の被告292人(民間人84人,残り208人は軽犯罪の軍人)を司法機関に移管。また,彭明敏,許信良,張燦〓,史明ら15人の反乱罪容疑者の指名手配も台湾高等検察処に移管。
DIA-105-1987-07-15-3台湾1987年07月15日1980年代立法院,商港建設費徴収率を輸出入物品価格の1%以下とする「商港法第7条条文修正草案」を通過。
DIA-105-1987-07-16-1台湾1987年07月16日1980年代立法院,「行政院環境保護署組織条例」を通過。
DIA-105-1987-07-16-2台湾1987年07月16日1980年代兪国華行政院長,本国人が香港,マカオを観光の第1目的地とするのを禁止した行政命令(1979年4月26日)を廃止する,と発表。
DIA-105-1987-07-17-1台湾1987年07月17日1980年代台湾初の心臓移植,台湾大学病院で行なわれる。
DIA-105-1987-07-18-1台湾1987年07月18日1980年代第13回対米買い付け団工業製品買い付けグループ,台北を出発。買い付け予定金額18億5000万ドル。
DIA-105-1987-07-19-1台湾1987年07月19日1980年代行政院衛生署,台湾の死亡原因は,ガン,脳血管疾病,災害事故,心臓病,高血圧の順序,と発表。
DIA-105-1987-07-21-1台湾1987年07月21日1980年代第12回日台経済会議,東京で開催。
DIA-105-1987-07-22-1台湾1987年07月22日1980年代経済建設委員会,1988年春からとうもろこし,大豆の輸入自由化を実施することに決定。
DIA-105-1987-07-24-1台湾1987年07月24日1980年代経済部,台湾の医薬品販売会社や製薬会社が,中国産の朝鮮ニンジンやアカナツメなど4種類の漢方薬原料を第3国経由で輸入することを許可。
DIA-105-1987-07-25-1台湾1987年07月25日1980年代中国造船公司,同公司設立後12年間,商船146隻(最大級44.5万トン),軍用船舶58隻を建造,と発表。
DIA-105-1987-07-25-2台湾1987年07月25日1980年代台湾の加重平均株価指数,2000ポイントを突破。
DIA-105-1987-07-25-3台湾1987年07月25日1980年代新聞局,中国で出版された文学,学術書の第3国経由の輸入を認める,と述べる。
DIA-105-1987-07-29-1台湾1987年07月29日1980年代張継正中央銀行総裁,米国が台湾元の対米ドルレートを1台湾元切り上げるよう求めてきたことを明らかにした。
DIA-105-1987-07-30-1台湾1987年07月30日1980年代行政院,台湾・ウルグアイ農業技術協力協定(1986年7月14日期限切れ)の2年間有効期限延長を決定。
DIA-105-1987-07-31-1台湾1987年07月31日1980年代国防部の張慧元スポークスマン,台湾海峡で台湾の軍艦や警備艇が,操業中の中国漁船を強制退去させたとの外電の報道を否定。
DIA-105-1987-08-01-1台湾1987年08月01日1980年代行政院労工委員会(鄭水枝主任委員)成立。
DIA-105-1987-08-02-1台湾1987年08月02日1980年代トンガ王国のツイタ副首相,訪台。
DIA-105-1987-08-05-1台湾1987年08月05日1980年代国民党中央常務委員会,政策決定の機能を強化するため,同委員会の下に党務,政治,社会,財政経済,教育,法制の6専門小組を設けることに決定。
DIA-105-1987-08-05-2台湾1987年08月05日1980年代行政院組織法改正専門小組(座長は連戦行政院副院長,メンバーに政務委員,学者ら18人参加)発足。
DIA-105-1987-08-05-3台湾1987年08月05日1980年代陳錫蕃外交部国際組織司長,台湾学者5人が米シカゴ大学での「第3回台湾研究国際シンポジウム」に出席できなかったことについて,台湾の立場を歪曲するような国際会議の参加は適切ではない,と述べる。
DIA-105-1987-08-05-4台湾1987年08月05日1980年代米台間の公正な貿易を促進するための民間団体「台米平等貿易促進会」(議長は趙少康立法委員)発足。
DIA-105-1987-08-06-1台湾1987年08月06日1980年代兪国華行政院長,青少年の暴走族や「大家楽」(公設宝くじの当選番号を利用した富くじ。毎月15日,25日が抽せん日)など深刻な社会問題の対策を研究するよう指示。
DIA-105-1987-08-09-1台湾1987年08月09日1980年代財政部,輸出入貨物に対し一律0.5%の商港建設費の徴収を実施。
DIA-105-1987-08-10-1台湾1987年08月10日1980年代郵便料金,50%の値上げ。
DIA-105-1987-08-10-2台湾1987年08月10日1980年代邵玉銘新聞局長,第3国経由で輸入する中国大陸出叛物の作家の版権と印税は,他の国の作家と同等の待遇を受けるべきである,と述べる。
DIA-105-1987-08-10-3台湾1987年08月10日1980年代国軍東引島指揮部,中国の漁業監視船が馬祖島の北東に位置する東引島の海上で操業中の台湾漁船「台漁順吉6号」に銃撃し,漁民1人が死亡した,と発表。
DIA-105-1987-08-11-1台湾1987年08月11日1980年代張宝樹総統府資政を団長,馬樹礼前国民党中央委秘書長,馬紀壮亜東関係協会駐日代表の両氏を副団長とする台湾特使団9人,岸信介元首相の葬儀に参列。
DIA-105-1987-08-11-2台湾1987年08月11日1980年代兪国華行政院長,戒厳令解除後,台湾の安全を他の政府機関と協力して確保するよう国防部に指示。
DIA-105-1987-08-11-3台湾1987年08月11日1980年代経済部投資処,今後3年以内に対外投資目標額を15億ドルと定め,投資先は米国を第1優先,東南アジアを第2優先とする立案を経済部に提出。
DIA-105-1987-08-12-1台湾1987年08月12日1980年代国民党中央常務委員会,1987年第2期から地租の廃止を政府に提案する決議を通過。
DIA-105-1987-08-13-1台湾1987年08月13日1980年代洪昭南,趙少康ら立法委員11人と訪台中のゲイドス,アーチャーら米下院議員10人,議会間の連係強化や米台貿易,為替レート問題について意見交換。
DIA-105-1987-08-14-1台湾1987年08月14日1980年代行政院米台貿易特別小組,(1)台湾元の対米ドル相場は当分の間安定させる,(2)米台貿易の黒字はできるだけ拡大させない,と決議。
DIA-105-1987-08-17-1台湾1987年08月17日1980年代タイのバンチャイ・マハタニクーン投資局情報サービス部長を団長とする投資使節団一行4人,訪台。
DIA-105-1987-08-17-2台湾1987年08月17日1980年代パナマのディアス国会議長一行9人,訪台。
DIA-105-1987-08-18-1台湾1987年08月18日1980年代超党派の国会議員でつくる「台湾人元日本兵等の問題懇談会」会長有馬元治衆議院議員,台湾人元日本兵補償問題について台湾政府と協議するため,訪台。
DIA-105-1987-08-19-1台湾1987年08月19日1980年代王昭明経済委員会副主任,1987年の1人当りGNPは4952ドルに達する見通しである,と述べる。
DIA-105-1987-08-20-1台湾1987年08月20日1980年代第3回台豪経済貿易協会と豪台経済貿易協会の合同会議,台北で開催。
DIA-105-1987-08-22-1台湾1987年08月22日1980年代行政院環境保護署(簡又新署長),正式に発足。
DIA-105-1987-08-24-1台湾1987年08月24日1980年代ベルギーのフラマン社会党の上院議員訪問団(団長はブレマーカー議員)一行8人,訪台。
DIA-105-1987-08-24-2台湾1987年08月24日1980年代エルサルバドルのペルドモ経済相,訪台。
DIA-105-1987-08-25-1台湾1987年08月25日1980年代陳唐山「台湾人公共事務協会」会長,訪台。
DIA-105-1987-08-25-2台湾1987年08月25日1980年代マレーシアのラフィダ・アジズ貿易産業相とダイム・ザイヌディン蔵相,投資を誘致するため訪台。
DIA-105-1987-08-25-3台湾1987年08月25日1980年代洪昭男立法委員ら超党派中央民意代表16人と訪台中のルイス米下院議員ら7人,為替レート問題や米台間不均衡貿易などについて非公式会談。
DIA-105-1987-08-26-1台湾1987年08月26日1980年代国民党中央常務委員会,「労働組合法」の改正などを図る「中国国民党現段階における労働政策綱要」を可決。
DIA-105-1987-08-26-2台湾1987年08月26日1980年代国防部,金門島を観光地に開放することは考慮していない,と発表。
DIA-105-1987-08-27-1台湾1987年08月27日1980年代国防部の張慧元スポークスマン,同部は台湾と澎湖島沿岸20カイリ以内に入ってきた中国大陸の漁船を強制的に排除するよう海軍に命じた,と発表。
DIA-105-1987-08-27-2台湾1987年08月27日1980年代行政院,国庫券発行残高を現行の中央政府総予算歳出総額の25%から50%に引き上げることを可決。
DIA-105-1987-08-28-1台湾1987年08月28日1980年代国防部の張慧元スポークスマン,金門と馬祖両島は当面戒厳令を解除することはない,と強調。
DIA-105-1987-08-28-2台湾1987年08月28日1980年代ホンジュラスのフローレス新任大使,経国総統に信任状を提出。
DIA-105-1987-08-29-1台湾1987年08月29日1980年代台北の「経済と生活出版公司」,台湾で中国出版物解禁第1号として,中国共産党を除名された天体物理学者方励之氏の著作選集『我々が歴史を書く』を出版。
DIA-105-1987-08-29-2台湾1987年08月29日1980年代李達海経済部長,住民の反対で第5ナフサ工場建設が難航していることについて,石油化学工業発展のためにも建設しなければならない,と強調。
DIA-105-1987-08-29-3台湾1987年08月29日1980年代ウルグアイのパチェコ元大統領,訪台。
DIA-105-1987-08-30-1台湾1987年08月30日1980年代元政治犯143人が出席する「台湾政治受難者聯誼総会」,台北市内で結成大会,「台湾は独立すべきである」と明記された規約を可決。
DIA-105-1987-08-31-1台湾1987年08月31日1980年代行政院香港小組,9月1日から「行政院香港・マカオ小組」に改組することを決議,台湾に出入国する香港・マカオ華僑のビザ有効期間を3年に延長。
DIA-105-1987-08-31-2台湾1987年08月31日1980年代台湾の株価加重平均指数,3000ポイントを突破。
DIA-105-1987-09-02-1台湾1987年09月02日1980年代国民党中央常務委員会,都市と農村の生活環境の格差を縮小することなどに重点を置く「中国国民党現段階における農村建設強化政策綱要」を可決。
DIA-105-1987-09-02-2台湾1987年09月02日1980年代簡又新環境保護署長,多すぎる車両(1986年末の車両総数870万台,うちオートバイ720万台)による排気ガスが台湾の大気汚染の最大の原因である,と述べる。
DIA-105-1987-09-03-1台湾1987年09月03日1980年代英国のホワイトニー保守党議員,訪台。
DIA-105-1987-09-04-1台湾1987年09月04日1980年代行政院衛生署,血友病患者で輸血により感染したエイズ病患が台湾で初めて確認された,と発表。現時点でエイズの病原体をもつ台湾の患者は47人。
DIA-105-1987-09-04-2台湾1987年09月04日1980年代台北市近郊の陽明山で台南市連邦遊覧バス公司所属の遊覧バスが転落,死者22人,負傷者21人。
DIA-105-1987-09-04-3台湾1987年09月04日1980年代台韓経済協進委員会と韓台経済協力委員会の第20回合同会議,台北で開催。
DIA-105-1987-09-04-4台湾1987年09月04日1980年代交通銀行,米メリルリンチのロンドン法人を主幹事にして台湾初の1億5000万ドルのユーロCP発行を決定。
DIA-105-1987-09-05-1台湾1987年09月05日1980年代国防部,戒厳令が解除された7月15日から9月3日まで,海軍が台湾と澎湖島沿岸20カイリ以内に侵入してきた中国大陸漁船に対し,延べ15隻を臨検し,延べ143隻を排除した,と発表。
DIA-105-1987-09-05-2台湾1987年09月05日1980年代オコーナ米最高裁判事,訪台。
DIA-105-1987-09-06-1台湾1987年09月06日1980年代民主進歩党の欧州訪問団(団長は尤清立法委員)一行6人,台北を出発。
DIA-105-1987-09-06-2台湾1987年09月06日1980年代洪照男前国民大会代表,台北で「民主自由党」の成立を宣言。
DIA-105-1987-09-08-1台湾1987年09月08日1980年代民主進歩党支持者を含む数百名の群衆,荘勝恵妨害自由案件の審理に反対するため,台南高等裁判所分院前で抗議集会。
DIA-105-1987-09-08-2台湾1987年09月08日1980年代コスタリカのフォリオ国会議員,訪台。
DIA-105-1987-09-11-1台湾1987年09月11日1980年代民間の遠東航空,台北―金門線の定期航路を開設。乗客は金門島住民や軍人で,観光客には開放しない。
DIA-105-1987-09-12-1台湾1987年09月12日1980年代台湾日報社,民主進歩党の支持者数十名が記事内容を不満に同社台北事務所に乱入した事件について,非難の声明を発表。
DIA-105-1987-09-14-1台湾1987年09月14日1980年代国防部,9月6日から13日にかけ,金門島および馬祖地区の駐屯部隊が近付く中国の各種船舶に対し,合計2072発の機関銃弾と63発の砲弾を発射し,延べ856隻の船舶を排除した,と発表。
DIA-105-1987-09-14-2台湾1987年09月14日1980年代台湾の夕刊紙『自立晩報』の李永得と徐両記者,中国本土を取材するため,東京から北京へ出発。9月27日台湾に戻る。
DIA-105-1987-09-14-3台湾1987年09月14日1980年代中央銀行,貯蓄券60億元を発行。
DIA-105-1987-09-15-1台湾1987年09月15日1980年代中国造船公司と米国在台協会台北事務所,中国造船が米国大型軍艦の建造を受注するとの台北各紙の9月14日の報道に対し,それぞれ否定の声明を発表。
DIA-105-1987-09-16-1台湾1987年09月16日1980年代国民党の経国主席,中国大陸への「里帰り・親族訪問」の問題について,李登輝,兪国華,倪文亜,呉伯雄,何宜武5人の中央常務委員からなる特別小組を設けて具体策を検討するよう指示。
DIA-105-1987-09-17-1台湾1987年09月17日1980年代行政院,「動員戡乱時期における集会,デモ法」草案(全文33条)を通過。
DIA-105-1987-09-17-2台湾1987年09月17日1980年代国民党,「非常時期における人民団体組織法修正草案」について,政党は地方政党であると主張してはならないなどの4原則を決定。
DIA-105-1987-09-17-3台湾1987年09月17日1980年代李煥国民党中央委員会秘書長,日本政府と自民党共催の岸信介元首相の葬儀に参列。
DIA-105-1987-09-19-1台湾1987年09月19日1980年代台湾高裁検察署の陳涵首席検察官,「台湾政治受難者聯誼会」が会の規約に「台湾は独立すべきである」と明記したことを重視し,捜査を開始した,と表明。
DIA-105-1987-09-19-2台湾1987年09月19日1980年代台湾全国工業界米国貿易投資考察団(団長は董世芬中国石油化学公司理事長)一行94人,台北を出発。買い付け金額1億5000万ドル,投資金額3億ドルの予定。
DIA-105-1987-09-21-1台湾1987年09月21日1980年代丁懋時外交部長,国際民間組織の活動に参加することについて,中国で行なう以外のすべての学術,スポーツの行事に参加できるなどの基本原則を明示。
DIA-105-1987-09-24-1台湾1987年09月24日1980年代李達海経済部長,台湾企業が直接的に中国大陸との貿易や投資を行なうことは認めない,と述べる。
DIA-105-1987-09-24-2台湾1987年09月24日1980年代邵玉銘新聞局長,政府が検討している中国大陸への「里帰り・親族訪問」の問題について,貿易,観光,取材,報道などは含まれていない,と政府の方針を説明。
DIA-105-1987-09-24-3台湾1987年09月24日1980年代台湾の株価加重平均指数,4000ポイントを突破。
DIA-105-1987-09-26-1台湾1987年09月26日1980年代外交部の陳毓駒スポークスマン,9月10日エジプト国会議員訪問団一行10人が31年前の断交以来初めて台湾を訪問したことについて,単に商務・観光の私人訪問であり,政治的意識は全くない,と述べる。
DIA-105-1987-09-27-1台湾1987年09月27日1980年代行政院新聞局,『自立晩報』両記者の中国取材について,(1)今後2年間,同紙のすべての従業員の出国申請受理を停止する,(2)文書偽造の疑いで呉豊山社長と李永得,徐両記者を近く台北地裁に召喚する,と発表。
DIA-105-1987-09-27-2台湾1987年09月27日1980年代『中央日報』によれば,最近2カ月間,米国の13州が台湾に商務事務所を開設することを決定した。
DIA-105-1987-09-28-1台湾1987年09月28日1980年代国民党中央常務委員会5人特別小組,中国大陸への「里帰り・親族訪問」をめぐる中国側との折衝について,台湾赤十字社に仲介役を依頼する方針。
DIA-105-1987-09-29-1台湾1987年09月29日1980年代兪国華行政院長,台湾にはいわゆる「中国結」と「台湾結」(中国意識と台湾意識)という問題は存在していない,と述べる。
DIA-105-1987-09-30-1台湾1987年09月30日1980年代国民党中央常務委員会,遠洋漁業の開発を重点に置く漁業政策を可決。
DIA-105-1987-10-01-1台湾1987年10月01日1980年代中央銀行,(1)外国為替指定銀行に対する海外負債残高規制を撤廃,(2)外国為替指定銀行が先物を買入れ,直物で売出す場合,および銀行間スワップ取引により国内外から外貨を借入れる場合,ともに売持ち規制残高300万ドルの限度には算入しない,と発表。
DIA-105-1987-10-02-1台湾1987年10月02日1980年代財政部証券管理委員会,購入の際の株価に対する融資比率の引き下げについて,第1類(市場第1部)の銘柄を20%から10%に,第2類(市場第2部)を10%からゼロに,また金融株12種もゼロにすることを実施。
DIA-105-1987-10-02-2台湾1987年10月02日1980年代中央銀行,外国為替指定銀行の海外負債残高規制を再度復活する(10月2日現在の残高を超過してはならない),と発表。
DIA-105-1987-10-03-1台湾1987年10月03日1980年代外為市場に大量の米ドル売りが発生した結果,台湾元相場が1ドル=29.97元と30元の大台を突破。
DIA-105-1987-10-03-2台湾1987年10月03日1980年代台北地裁,「5・19事件」でペンチで警察の鉄条網を切断して逮捕された米国籍留学生スコットに対し,8カ月の有期懲役,3年の執行猶予を言い渡し,刑の執行の代わりに国外へ追放。
DIA-105-1987-10-04-1台湾1987年10月04日1980年代馬鎮方内政部政務次長,高雄市で成立した「中国民主正義党」(発起人は張大政)は非合法的である,と述べる。
DIA-105-1987-10-05-1台湾1987年10月05日1980年代張継正中央銀行総裁,台湾の外貨準備高が,660億ドルに達した,と発表。
DIA-105-1987-10-05-2台湾1987年10月05日1980年代呉化鵬蒙蔵(モンゴル・チベット)委員会委員長,チベット人の中国政府に反抗する活動について,政府はあらゆる方法で声援と支援を提供する,と言明。
DIA-105-1987-10-05-3台湾1987年10月05日1980年代富士重工と台湾の偉士伯(ベスパ)の合弁会社「大慶汽車(自動車)工業」,屏東県橋頭郷の同工場敷地でくわ入れ式を挙行。生産開始は1989年の予定。
DIA-105-1987-10-06-1台湾1987年10月06日1980年代蒙蔵委員会の陳孝賢主任秘書,台湾政府はチベット人の反共行動を支持するが,中国からの分離・独立の要求は支援しない,と同委員会の声明を発表。
DIA-105-1987-10-06-2台湾1987年10月06日1980年代経済建設委員会,主にタイやフィリピンからきた外国人不法就業者は,最低1万人以上に達していると指摘。
DIA-105-1987-10-10-1台湾1987年10月10日1980年代経国総統,総統府広場での国慶節祝賀大会に車椅子の上から短いメッセージを発表。
DIA-105-1987-10-11-1台湾1987年10月11日1980年代経国総統,台湾北部の湖口陸軍基地で行なわた「僑泰」と名付けられる軍事演習を主宰。
DIA-105-1987-10-12-1台湾1987年10月12日1980年代李達海経済部長,「海外経済協力発展基金」(基金額5億ドル)の設置構想について,すでに関係部門と協議したことを明らかにした。
DIA-105-1987-10-12-2台湾1987年10月12日1980年代台湾高裁検察処の葉金宝検察官,台湾独立を主張した「台湾政治受難者聯誼総会」の蔡有全,許曹徳を反乱罪容疑で召喚し訊問した後,2人を拘禁。
DIA-105-1987-10-12-3台湾1987年10月12日1980年代第1回台湾・パラグアイ経済協力会議,台北で開催。
DIA-105-1987-10-13-1台湾1987年10月13日1980年代ロークス米国在台協会理事長,訪台。
DIA-105-1987-10-14-1台湾1987年10月14日1980年代国民党中央常務委員会,現役の軍人と公務員を除く一般人の中国大陸在住の3親等以内の親族への訪問を解禁する,と正式に決議。
DIA-105-1987-10-14-2台湾1987年10月14日1980年代中国国務院の関係部門責任者,台湾当局の中国大陸への里帰り解禁について,歓迎の談話を発表。
DIA-105-1987-10-14-3台湾1987年10月14日1980年代財政部関税税率委員会,3571品目の関税引き下げ案を通過。関税率上限は現行の58%から53%となる。
DIA-105-1987-10-14-4台湾1987年10月14日1980年代台北高裁検察署,劉広声元「深商品検験局」弁公室副主任を中国スパイの容疑で起訴。
DIA-105-1987-10-15-1台湾1987年10月15日1980年代呉伯雄内政部長,住民の中国大陸への親族訪問は11月2日から申請を受理し,訪問は年1回に限り,1回の訪問期間は最長3カ月とする,と発表。
DIA-105-1987-10-15-2台湾1987年10月15日1980年代李達海経済部長,米台貿易不均衡改善のため,1988年6月から輸入物品3400余品目の関税を名目12.5%,実質5%まで引き下げる,など4項目の非常措置を講じる,と述べる。
DIA-105-1987-10-16-1台湾1987年10月16日1980年代中国政府,台湾住民の大陸内の旅行の自由などを定めた「台湾同胞の祖国大陸帰り,旅行接待方法に関する通知」(7条)を公布。
DIA-105-1987-10-17-1台湾1987年10月17日1980年代馬鎮方内政部政務次長,10月11日から日本に滞在している亡命政治家許信良氏の台湾帰還問題について,国家安全法に基づき台湾への入境は認めない,と表明。
DIA-105-1987-10-18-1台湾1987年10月18日1980年代セントルシアのコンプトン首相,訪台。
DIA-105-1987-10-20-1台湾1987年10月20日1980年代高雄市後勁地区の住民300数名,中国石油公司の第5ナフサ工場建設に反対するため,立法院前で陳情しようとしたところ,警官隊と衝突。2人が逮捕される。
DIA-105-1987-10-21-1台湾1987年10月21日1980年代何応欽総統府戦略顧問,台北で死去,97歳。
DIA-105-1987-10-21-2台湾1987年10月21日1980年代国民党中央常務委員会,10月5日に死去した周応竜・同党中央考核紀律委員会主任委員の後任に呉俊才総統府国策顧問を任命することに決定。
DIA-105-1987-10-21-3台湾1987年10月21日1980年代経済建設委員会,国際電信管理局が台湾とフィリピン,グアムをつなぐ海底ファイバーケーブルを敷設する国際合併企業への参加(台湾の出資額5200万ドル)を認可。
DIA-105-1987-10-25-1台湾1987年10月25日1980年代中華航空,ニューヨークとアムステルダム間の旅客線は赤字続きのため,運航を中止。
DIA-105-1987-10-26-1台湾1987年10月26日1980年代訪日中の劉松藩立法委員(一行17人),3万3000余人の「台湾人元日本兵」に対する弔慰金処理問題は日本の臨時国会で9月19日「補償法案」として通過したが,家族は弔慰金300万円を500万円に引上げるよう希望したと表明。
DIA-105-1987-10-26-2台湾1987年10月26日1980年代内政部警政署,10月25日から26日にかけて台湾を直撃した台風20号で死者が46人,行方不明16人,と発表。
DIA-105-1987-10-29-1台湾1987年10月29日1980年代行政院,台湾省政府に労工処,台北,高雄両市政府に労工局を設置することに決定。
DIA-105-1987-11-01-1台湾1987年11月01日1980年代「工党」(労働党),建党を宣言。
DIA-105-1987-11-02-1台湾1987年11月02日1980年代張継正中央銀行総裁,台湾の外資準備高が700億ドルに達した,と述べる。
DIA-105-1987-11-02-2台湾1987年11月02日1980年代鄭為之国防部長,オランダに発注した潜水艦2隻のうち1隻「海竜」号が年内に引き渡されることを明らかにした。2隻の潜水艦の建造費用は約269億4416万元。
DIA-105-1987-11-02-3台湾1987年11月02日1980年代台湾赤十字会,台北と高雄で台湾住民の中国大陸への親族訪問に関する渡航事務を開始。初日の訪問許可人数は1334人。
DIA-105-1987-11-03-1台湾1987年11月03日1980年代兪国華行政院長,「台湾独立」を主張する言論や行動はすべて,憲法と国家安全法にそむくものであり,「言論自由」の範囲には属さない,と強調。
DIA-105-1987-11-05-1台湾1987年11月05日1980年代行政院,「非常時期における人民団体組織法」を修正した「動員戡乱時期における人民団体法」の草案(全文11章67条)を採択。
DIA-105-1987-11-05-2台湾1987年11月05日1980年代行政院,3575品目の関税引き下げ修正草案を可決。修正比率は総品目の81%,引き下げ幅は平均50%。
DIA-105-1987-11-06-1台湾1987年11月06日1980年代民進党支持者百数名,同党の朱高正,尤清,王義雄,邱連輝ら4立法委員による「議事妨害」の懲罰を立法院紀律委員会にかけるとの国民党の提案に反対するため,立法院前で抗議集会,3ケ所の出入口を包囲。
DIA-105-1987-11-08-1台湾1987年11月08日1980年代第2回台湾・カナダ経済協力会議,台北で開催。
DIA-105-1987-11-09-1台湾1987年11月09日1980年代民進党第2回全国党員代表大会,台北で開催。
DIA-105-1987-11-10-1台湾1987年11月10日1980年代民進党員代表大会,第2期主席に姚嘉文氏を選出。また,「人民には台湾独立を主張する自由がある」との声明を大会決議案として,177票対6票で可決。
DIA-105-1987-11-10-2台湾1987年11月10日1980年代ワシントン発中央社電によれば,台湾電力が米国ユニオンパシフィック資源会社との合弁(1986年6月調印,5年間に投資額1800万ドル)で進めている米アリゾナ州のウラン鉱開発に3カ所の有望な鉱脈を発見した。
DIA-105-1987-11-10-3台湾1987年11月10日1980年代立法院,国庫券発行残高を当年度中央政府総予算歳出総額の25%から50%に引き上げる「国庫券発行条例修正案」を通過。
DIA-105-1987-11-11-1台湾1987年11月11日1980年代国民党中央常務委員会,同党中央委員会組織工作会主任に行政院青年補導委員会の関中主任委員を起用。
DIA-105-1987-11-11-2台湾1987年11月11日1980年代張継正中央銀行総裁,台湾の外貨準備高に占ある米ドルの比率は90%以上から81%となり,ドイツマルクが11%,日本円が6%,その他の外貨が2%,と述べる。
DIA-105-1987-11-11-3台湾1987年11月11日1980年代経済建設委員会,新式漁船の建設および輸入制限を解禁する「漁業発展方案」の修正案を通過。
DIA-105-1987-11-12-1台湾1987年11月12日1980年代永興航空,台湾初の観光航空路線(台中―花蓮間,片道1832元)を開設。
DIA-105-1987-11-13-1台湾1987年11月13日1980年代経済部のスポークスマン李模政務次長,同部としては経済自由化政策に反する輸出抑制策をとる考えはない,と述べる。
DIA-105-1987-11-13-2台湾1987年11月13日1980年代台北地裁,「5・19」騒乱事件等で起訴された民進党支持者荘勝恵ら5人に対し,公務妨害罪として3カ月から1年6カ月の有期懲役をそれぞれ言い渡し。
DIA-105-1987-11-14-1台湾1987年11月14日1980年代行政院の于建民主計長,環境保護や交通建設等のための支出として,1988年度中央政府追加予算に152億9357万9000元を計上した,と述べる。
DIA-105-1987-11-14-2台湾1987年11月14日1980年代経国総統,国防部の許歴農総政治部作戦部主任を行政院国軍除退役将兵補導委員会主任委員に任命。
DIA-105-1987-11-14-3台湾1987年11月14日1980年代宋美齢女史,米国で出版されたウェデマイヤー将軍の回顧録『戦争と平和について』の感想手記を発表。
DIA-105-1987-11-16-1台湾1987年11月16日1980年代楊世緘工業局長,2000年には台湾の年間工業総生産数は現在の1000億ドルから2500億~3000億ドルに達する一方,研究開発費も営業総額の約3%を占めると予測。
DIA-105-1987-11-16-2台湾1987年11月16日1980年代張継正中央銀行総裁,1987年度の台湾の外貨資産は為替相場の変動で3486億元の評価損が生じた,と発表。
DIA-105-1987-11-17-1台湾1987年11月17日1980年代台湾初の澎湖赤地下貯水池(建設総費用6000万元,最高貯水量127万トン),正式に使用。
DIA-105-1987-11-19-1台湾1987年11月19日1980年代中国空軍第49師団第145連隊所属の劉致遠中隊長,ミグ19型戦闘機で台湾に亡命。
DIA-105-1987-11-20-1台湾1987年11月20日1980年代第1回労資関係シンポジウム,台湾で開催。
DIA-105-1987-11-21-1台湾1987年11月21日1980年代国家社会主義の実施を主張する「中国民衆党」(王忠泉党準備委員会主任委員),台北で設立大会。
DIA-105-1987-11-23-1台湾1987年11月23日1980年代立栄海運所有のコンテナ船「立雄丸」(1万6858トン),ホルムズ海峡でイラン海軍の砲撃を受ける。
DIA-105-1987-11-23-2台湾1987年11月23日1980年代交通部,「台湾船員のペルシャ湾航行権益保障方案」を正式に実施。
DIA-105-1987-11-24-1台湾1987年11月24日1980年代中央銀行,インフレの圧力を軽減するために,通貨発行額を3000億元前後に維持している,と表明。
DIA-105-1987-11-25-1台湾1987年11月25日1980年代国民党の経国主席,同党中央常務委員会で,国民党は1988年に第13回全国代表大会を開催する,と宣言。また,中国とは絶対に接触せず,「台湾独立」の分離意識には断固として反対するという二大基本政策を堅持する,との談話を発表。
DIA-105-1987-11-25-2台湾1987年11月25日1980年代外交部の陳毓駒スポークスマン,台湾漁船「立群1号」が11月23日インドネシア領海付近で操業中,インドネシア海軍の砲撃を受け,死者3人,負傷者1人を出した事件について,台湾駐ジャカルタ中華商会を通じて,インドネシア政府に真相解明を求めた,と述べる。
DIA-105-1987-11-26-1台湾1987年11月26日1980年代シンガポールの李顕竜商工相,第2国防相訪台。
DIA-105-1987-11-28-1台湾1987年11月28日1980年代南アフリカ航空の台北発ヨハネスブルグ行きボーイング747型ジャンボジェット機,インド洋モーリシャス沖で墜落,台湾人旅客30人を含む159人全員絶望。
DIA-105-1987-11-30-1台湾1987年11月30日1980年代行政院,台湾警備総司令部は「国防部参謀本部組織法」第4条によって設置された常設軍事機関であり,その法的地位は戒厳令解除の影響を受けない,と言明。
DIA-105-1987-12-01-1台湾1987年12月01日1980年代邵玉銘新聞局長,1988年1月1日から新聞創刊を自由化し,登記を受理すると同時に,新聞のページ数制限を解除する,と発表。
DIA-105-1987-12-01-2台湾1987年12月01日1980年代教育部,国立中正大学の建設地は嘉義市から9キロ離れた嘉義県民雄郷に決定した,と発表。
DIA-105-1987-12-01-3台湾1987年12月01日1980年代総統府戦略顧問の何応欽将軍の公祭(準国葬),台北で挙行。日本からは自民党日華関係議員懇談会の灘尾弘吉会長を団長とする日本国会議員代表団26人が参列。
DIA-105-1987-12-01-4台湾1987年12月01日1980年代台湾警備総司令部,台東緑島監獄で賭博の取締りをめぐって,受刑者が放火したため,受刑者8人が焼死した,と発表。
DIA-105-1987-12-02-1台湾1987年12月02日1980年代国民党中央常務委員会,台湾省委員会の劉兆田主任委員を内政部政務次長,国防部の郭宗清常務次長を国防部副部長に任命することを決定。
DIA-105-1987-12-03-1台湾1987年12月03日1980年代行政院農業委員会,4日から米国産以外の果実輸入を暫定的に禁止する,と発表。
DIA-105-1987-12-06-1台湾1987年12月06日1980年代「工党」(現在党員数363人),第1回党員代表大会を台北で開催。初代党主席に王義雄立法委員,副主席に羅美文氏のほか,15人の中央委員が選出される。
DIA-105-1987-12-07-1台湾1987年12月07日1980年代帰国中の北米事務協調会の銭復駐米代表,台湾政府を敵視している「台湾人公共事務会」(FAPA,1982年に米国で成立)と協力することは難しい,と述べる。
DIA-105-1987-12-07-2台湾1987年12月07日1980年代何顕重財政部次長,公営銀行の民営化について,「国有民営」方式をとるだろう,と述べる。
DIA-105-1987-12-07-3台湾1987年12月07日1980年代国防部スポークスマン,保安処分で強制労働をしている台湾警備総司令部管轄の受刑者1500人が年内に法務部所属の刑務所に移監される,と発表。
DIA-105-1987-12-08-1台湾1987年12月08日1980年代第15回東亜経済人会議,台北で開催。
DIA-105-1987-12-08-2台湾1987年12月08日1980年代兪国華行政院長,日本交流協会の長谷川周重会長および魚本藤吉郎理事長と会見。
DIA-105-1987-12-08-3台湾1987年12月08日1980年代内政部,中国政府が発行した中国大陸で死亡した里帰りの台湾旅客の死亡証明書について,死亡認定の根拠にはなるが,書類の合法性は認めない,と原則的に決定。
DIA-105-1987-12-09-1台湾1987年12月09日1980年代経済建設委員会,1987年の1人当りGNPは4991ドル(1ドル=31.7台湾元で計算),と発表。
DIA-105-1987-12-11-1台湾1987年12月11日1980年代行政院,「東欧諸国に対する貿易実施要領」を採択,東ドイツ,ポーランド,チェコスロバキア,ハンガリー,ユーゴスラビァ,ブルガリア,ルーマニアとの直接貿易を許可。
DIA-105-1987-12-13-1台湾1987年12月13日1980年代行政院,いわゆる「台湾住民自決」,「人民には台湾独立を主張する自由がある」,あるいは「台湾独立の主張」を団体規約に明記した場合,政府は憲法第4条および国家安全法第2条の規定に違反した理由で,法的に対処する,と重ねて表明。
DIA-105-1987-12-16-1台湾1987年12月16日1980年代台湾がオランダに発注したソードフィッシュ型潜水艦「海竜号」,高雄港に到着。
DIA-105-1987-12-16-2台湾1987年12月16日1980年代シンガポールのリー・クワンユー首相,台湾を非公式訪問,20日まで。
DIA-105-1987-12-17-1台湾1987年12月17日1980年代行政院,「1988年台湾経済建設計画」を採択。経済成長率7.5%,1人当りGNP6183ドル(1ドル=28元で計算),農業1.5%,工業7%,サービス業8.4%。
DIA-105-1987-12-18-1台湾1987年12月18日1980年代郭南宏交通部長,第2高速道路の建設は北部,中部,南部において同時進行の方式で行なう,と述べる。
DIA-105-1987-12-18-2台湾1987年12月18日1980年代邱創煥台湾省政府主席,1988年1月から「愛国奨券」(公設宝くじ)の発売を暫定的に中止する,と発表。
DIA-105-1987-12-21-1台湾1987年12月21日1980年代周書楷台湾駐バチカン市国大使,台湾とバチカンの関係は当分の間変わらないだろう,と立法院で報告。
DIA-105-1987-12-21-2台湾1987年12月21日1980年代丁懋時外交部長,台湾の外交官の平均年齢は,大使が64.1歳,代表65.2歳,総領事53.1歳,領事54.2歳,と立法院で外交官老齢化の問題について答弁。
DIA-105-1987-12-21-3台湾1987年12月21日1980年代財政部,「中央政府台湾北部区域第2高速道路建設公債」第1期分60億元(年利5.75%)を発行。
DIA-105-1987-12-22-1台湾1987年12月22日1980年代外交部の陳毓駒スポークスマン,南米ウルグアイが中国との国交樹立を考慮していることについて,台湾政府は注意深く見守っている,と述べる。
DIA-105-1987-12-23-1台湾1987年12月23日1980年代外交部の陳毓駒スポークスマン,韓国の慮泰愚次期大統領が就任前に国交のない中国を訪問したいと希望を表明したことについて,事態の推移を注視している,と述べる。
DIA-105-1987-12-24-1台湾1987年12月24日1980年代経済部,石油製品の値下げを実施。値下幅は平均9.24%。
DIA-105-1987-12-25-1台湾1987年12月25日1980年代商工界人士および農民が結成した「中国民主正義党」,高雄県仁武郷で第1回党員代表大会を開催。主席団に張大政(党首)ら5氏が選出される。
DIA-105-1987-12-25-2台湾1987年12月25日1980年代経国総統,車イスに乗って台北市で開かれた憲法施行40周年記念式典に出席。民進党の国民大会代表11人,「国会を全面改選せよ」と叫んで総統の演説を妨害。 式典会場周辺には民進党系市民約4000人がデモ。
DIA-105-1987-12-29-1台湾1987年12月29日1980年代兪国華行政院長,米上院財政委員会のベンツェン委員長と会見。
DIA-105-1987-12-29-2台湾1987年12月29日1980年代台湾証券交易所,1987年の台湾株式市場の取引金額は2兆6600億余元で前年に比べて333%増,取引株数も約768億株で97%増,と発表。
DIA-105-1987-12-29-3台湾1987年12月29日1980年代内政部,台湾人元日本兵(3万8640人を基準)に対する1人当り200万円の日本政府の弔慰金は1988年後半から3年間にわたって支給することを明らかにした。
DIA-105-1987-12-30-1台湾1987年12月30日1980年代台湾・南アフリカ共和国犯罪人引渡し条約,台北で調印。
DIA-105-1987-12-30-2台湾1987年12月30日1980年代丁懋時外交部長,台湾は関税貿易一般協定(GATT)。および他の国際組織への復帰に努力している,と表明。
DIA-105-1988-01-01-1台湾1988年01月01日1980年代新聞発行自由化さる。
DIA-105-1988-01-01-2台湾1988年01月01日1980年代南回り鉄道の台東県卑南―太麻里(全長24.5㎞),正式に開通。
DIA-105-1988-01-03-1台湾1988年01月03日1980年代アルゼンチン政府,台湾漁船7隻が同国の領海で操業し,同国の漁港施設を使用することをはじめて正式に認可。
DIA-105-1988-01-04-1台湾1988年01月04日1980年代蕭万長国際貿易局長,台湾はGATTのみでなく,IMFへの再加入に関心をもっている,と言明。
DIA-105-1988-01-06-1台湾1988年01月06日1980年代中華台北オリンピック委員会,1988年のソウル・オリンピックに参加する,と発表。
DIA-105-1988-01-06-2台湾1988年01月06日1980年代外交部の陳毓駒スポークスマンの発表によると,フィジー政府は1987年12月21日,首都スバにある台湾の「亜東貿易センター」を「台湾駐フィジー共和国商務代表団」に昇格させることを承認した。
DIA-105-1988-01-07-1台湾1988年01月07日1980年代張世良ら立法委員113名,政府に対し日本との関係をさらに促進するため,早急に「日本関係法」を立法・成立させるよう共同提案。
DIA-105-1988-01-11-1台湾1988年01月11日1980年代張継正中央銀行総裁,現時点の外化準備高は755億ドル,1987年末より5億ドル増加した,と発表。
DIA-105-1988-01-11-2台湾1988年01月11日1980年代立法院,「動員戡乱(反乱鎮定)時期における集会・デモ法」(全文35条)を通過。
DIA-105-1988-01-12-1台湾1988年01月12日1980年代立法院,外国証券会社の支店設置などを認める「証券取引法部分条文修正草案」を可決。
DIA-105-1988-01-13-1台湾1988年01月13日1980年代蒋経国総統,心臓発作のため,台北市内の大直公邸で死去,77歳。
DIA-105-1988-01-13-2台湾1988年01月13日1980年代李登輝副総統,蒋経国総統の死去に伴い,20時8分に第7代総統の就任宣誓を挙行。
DIA-105-1988-01-13-3台湾1988年01月13日1980年代李登輝総統,故蒋経国総統の国喪期間中(1月14日~2月12日)における民衆の集会・デモおよび請願等の活動を一切禁止する,との緊急処分令を公布。
DIA-105-1988-01-13-4台湾1988年01月13日1980年代米ロックフェラー上院議員,訪台。
DIA-105-1988-01-14-1台湾1988年01月14日1980年代中国共産党中央委員会,台湾国民党の蒋経国党主席の死去につき,国民党中央委員会に弔電。また,中国共産党の趙紫陽総書記も哀悼の談話を発表。
DIA-105-1988-01-15-1台湾1988年01月15日1980年代台湾省政府労工処,台北市および高雄市政府労工局,それぞれ正式に成立。
DIA-105-1988-01-15-2台湾1988年01月15日1980年代鄭為元国防部長と柏村参謀総長,李登輝総統を支持する談話を発表。
DIA-105-1988-01-16-1台湾1988年01月16日1980年代台湾高等法院,台湾独立論を主張した「台湾政治受難者聯誼会」の蔡有全,許曹徳両被告に対し,予備反乱罪を適用してそれぞれ懲役11年,同10年の実刑判決。
DIA-105-1988-01-18-1台湾1988年01月18日1980年代李登輝総統,台湾訪問中の米ソラーズ下院アジア・太平洋小委員会委員長と会談。
DIA-105-1988-01-18-2台湾1988年01月18日1980年代中国鋼鉄公司の金懋暉総経理,台湾内部の需要に対処するため,同社は500億元投下して銑鉄生産能力を240万トン引き上げ,800万トンにすると発表。工期は4年。
DIA-105-1988-01-19-1台湾1988年01月19日1980年代第10回台湾・サウジアラビア経済技術協力会議,リヤドで開催。台湾側は李達海経済部長ら32人参加。
DIA-105-1988-01-19-2台湾1988年01月19日1980年代台湾航空の小型旅客機,台東県の蘭嶼島山中に墜落,乗客乗員10名死亡,生存者1名。
DIA-105-1988-01-19-3台湾1988年01月19日1980年代日本の日華関係議員懇談会,蒋経国前総統の葬儀に,灘尾弘吉会長,藤尾正行元文相,長谷川峻元運輸相らを弔問団として派遣することを決定。
DIA-105-1988-01-20-1台湾1988年01月20日1980年代立法院,3575品目についての「1988年海関進口税則(関税定率法)修正案」を可決。小型乗用車(3.5トン以下)の新関税率は55%から42.5%に引き下げ。
DIA-105-1988-01-20-2台湾1988年01月20日1980年代内政部および国防部,67カ所の集会・デモ禁止区域およびその周辺,うち一般禁止区域41カ所,重要軍事施設禁止区域26カ所を公告。1月22日より発効。
DIA-105-1988-01-22-1台湾1988年01月22日1980年代故蒋経国総統の遺体,台北の栄民病院から忠烈祠に移される。
DIA-105-1988-01-26-1台湾1988年01月26日1980年代宋美齢女史,国民党主席代行の選任問題は1988年7月の13期党大会で決めるべきだ,という内容の手紙を李煥国民党秘書長に送付。
DIA-105-1988-01-26-2台湾1988年01月26日1980年代台湾高等法院検察処,中共の統一戦線の任務をもち台湾へ渡来した容疑で,香港商人沈誠を反乱罪で起訴。
DIA-105-1988-01-27-1台湾1988年01月27日1980年代国民党中央常務委員会,第330回例会で兪国華中央常務委員が提出した李登輝中央常務委員を党主席代行に推挙する提案を全員一致(出席者27名)採択。
DIA-105-1988-01-27-2台湾1988年01月27日1980年代ハンガリー経済貿易訪問団(団長はハンガリー信用商業銀行のデムジャン総裁)一行20名,台北に到着。
DIA-105-1988-01-27-3台湾1988年01月27日1980年代国民党中央常務委員会,同党の第13期全国代表大会を1988年7月7日に開催することを正式に決定。
DIA-105-1988-01-30-1台湾1988年01月30日1980年代故蒋経国総統の葬儀,台北市円山の忠烈祠で挙行。式典には米国のスミス元司法長官,日本の福田赴夫元首相,シンガポールのリー・クァンユー首相,韓国の金貞烈首相,ドミニカのセニヨレ大統領ら外国弔問使節ならびに華僑,台湾各界代表など約3000人が参列。霊柩は桃園県の「大渓霊寝」と命名された仮墓所に安置。
DIA-105-1988-01-30-2台湾1988年01月30日1980年代経済部,レーガン米大統領が1月29日に台湾等4カ国・地域を1989年1月2日より一般特恵制度(GSP)適用対象から除外することを決定した,との米国在台協会の通知を受けたと発表。
DIA-105-1988-01-31-1台湾1988年01月31日1980年代立法委員米国議会考察団(国民党5名,民主進歩党3名,工党1名)一行9名,台北を出発。
DIA-105-1988-02-03-1台湾1988年02月03日1980年代外交部,ウルグアイが1988年2月3日,中国と国交を樹立することを決定したため,同国との外交関係を正式に中止する,との声明を発表。
DIA-105-1988-02-03-2台湾1988年02月03日1980年代国民党中央常務委員会,「中央民意代表機構充実案」を採択。要点は,(1)1989年から中央民意代表の定員を段階的に増やす,(2)第1期古参中央民意代表の自発的引退を奨励する,(3)海外在住あるいは長期療養のため第1期中央民意代表が職権を行使していない場合,自発的退職とみなす,(4)第1期国民大会代表欠員補充制度を廃止する。
DIA-105-1988-02-03-3台湾1988年02月03日1980年代台湾高等法院,反乱罪の容疑で軍事法廷から12年の有期懲役を言い渡された董立被告に対し,無罪を判決。1987年7月の戒厳令解除後,司法機関が軍事機関の有罪判決を棄却したのはこれが第1号。
DIA-105-1988-02-04-1台湾1988年02月04日1980年代対外貿易発展協会,対日輸出を強化する「1988年対日貿易促進計画」を正式に公布。
DIA-105-1988-02-04-2台湾1988年02月04日1980年代行政院,高卒の外国留学を認める「国外留学規程修正草案」を可決。
DIA-105-1988-02-05-1台湾1988年02月05日1980年代財政部,米リパブリック・ナショナルバンクの台北駐在員事務所開設を認可。
DIA-105-1988-02-05-2台湾1988年02月05日1980年代張継正中央銀行総裁,台湾の外貨準備高750億ドルは世界主要工業国の銀行100社に分散運用しており,その比率は米国が39.5%,英国22.6%,西ドイツ9.5%,フランス7.5%,スイス6.1%,日本4.9%,シンガポール4.1%,その他の地域5.7%。また,外貨別にみると,ドルが75.3%,西ドイツマルク14.6%,日本円8.4%,英国ポンド0.5%,スイスフラン0.7%,その他(0.4%,と監察院で報告。
DIA-105-1988-02-08-1台湾1988年02月08日1980年代1988年関税定率法修正案発効。輸入関税の引下げと同時に,農産品,電子部品等を含む861品目について輸出戻し税(1955年7月制定)が取り消しとなった。
DIA-105-1988-02-09-1台湾1988年02月09日1980年代交通部民航局,総額7億7383万ドル相当のB747―409型旅客機5機とB747―209型貨物機1機の購入について,米ボーイング社と正式に調印。
DIA-105-1988-02-09-2台湾1988年02月09日1980年代亜東関係協会,理事長に張宝樹総統府資政を選任。
DIA-105-1988-02-09-3台湾1988年02月09日1980年代外交部の陳毓駒スポークスマン,台湾が「中国・台北』(Taipei,China)の名称でマニラで開くADB(アジア開発銀行)総会に参加するだろうという報道は全く事実無根である,との談話を発表。
DIA-105-1988-02-10-1台湾1988年02月10日1980年代国民党中央常務委員会,台湾省主席は行政院長が指名し,台湾省議会の同意を得て任命することなどを内容にした「動員勘乱(反乱鎮定)時期における地方機構充実研究案」を採択。
DIA-105-1988-02-10-2台湾1988年02月10日1980年代国民党中央常務委員会,蒋経国総統の死去で恩赦減刑を検討するよう行政院に指示した李登輝党主席代行の臨時提案を採択。
DIA-105-1988-02-11-1台湾1988年02月11日1980年代行政院主計処,1987年の失業率は,82年以来最低の1.97%,と発表。
DIA-105-1988-02-12-1台湾1988年02月12日1980年代外交部,台湾の都市と姉妹都市を結んだ外国の都市は180市(うち米国120市)に達した,と発表。
DIA-105-1988-02-12-2台湾1988年02月12日1980年代李登輝総統,ローマ法王庁のトムコ枢機卿と会見。
DIA-105-1988-02-14-1台湾1988年02月14日1980年代農業委員会,1984年に水田転作6カ年計画を実施してから1987年末までに,水田の転作面積は13万ha余,に達したことを明らかにした。
DIA-105-1988-02-15-1台湾1988年02月15日1980年代フィリピン政府,偽造旅券で米国からマニラ経由で台北入りを図り,2月10日フィリピン当局によって身柄を拘束された反体制政治家許信良氏に対し,「政治亡命者」と認定。
DIA-105-1988-02-22-1台湾1988年02月22日1980年代李登輝総統,就任後初めての内外記者会見を行ない,(1)対中関係では,三不政策は不変,文化,学術交流について政府は検討中,(2)台湾独立は不法であり,歴史的にも伝統的にも受け入れられない,(3)国際機関への再加盟は,国家利益の損失がなければ参加,などを強調。
DIA-105-1988-02-22-2台湾1988年02月22日1980年代中華航空の台北―高雄間の定期便ボーイング737型旅客機にハイジャック未遂事件発生。犯人は旅客機の北京行きを要求,機上の公安要員によって逮捕。
DIA-105-1988-02-23-1台湾1988年02月23日1980年代兪国華行政院長,立法院第81会期第1回会議での施政報告の中で,政府は1989年7月から農民健康保険を全面的に実施する,と述べる。
DIA-105-1988-02-23-2台湾1988年02月23日1980年代民進党,「2・28事件」を記念するため,政府に対し事件の真相公表を求めるよう提案。
DIA-105-1988-02-24-1台湾1988年02月24日1980年代経済建設委員会,外国人・華僑の台湾への投資について,(1)公共安全や社会風俗に悪影響する業種または公共事業は禁止,(2)汚染度の高い業種や金融保険,新聞出版などの業種には制限を加える,以上を除くすべての業種に投資することができる案を可決。
DIA-105-1988-02-25-1台湾1988年02月25日1980年代兪国華行政院長を団長とする特使団,韓国の盧泰愚大統領の就任式典に参列。
DIA-105-1988-02-25-2台湾1988年02月25日1980年代外交部の陳毓駒スポークスマン,南沙群島に対する主権は完全に台湾にある,と述べる。
DIA-105-1988-02-25-3台湾1988年02月25日1980年代李登輝総統,有馬元治と永末英一両日本衆議院議員を接見し,台湾人元日本兵への遺族補償金問題の解決に奔走したことに謝意を表明。
DIA-105-1988-02-29-1台湾1988年02月29日1980年代国防部の張慧元スポークスマン,国産の新型長距離対艦ミサイル「雄風2型」の試射に成功と発表。
DIA-105-1988-02-29-2台湾1988年02月29日1980年代国際貿易局および対外貿易発展協会,市場分散の一環として,国交のないエジプト,ギリシア,メキシコ,ポルトガル,ブルネイに商務機構設置の意向を表明。
DIA-105-1988-02-29-3台湾1988年02月29日1980年代外交部の陳毓駒スポークスマン,南沙および西沙群島は台湾の領土の一部で,他国の意見によって変わるものではない,と述べる。
DIA-105-1988-03-02-1台湾1988年03月02日1980年代統一民主党(車轟党主席),正式に成立。
DIA-105-1988-03-04-1台湾1988年03月04日1980年代兪国華行政院長,「動員戡乱時期における臨時条款」の改訂・廃止権は国民大会にある,と指摘。
DIA-105-1988-03-04-2台湾1988年03月04日1980年代兪国華行政院長,「2・28事件」の死傷者数は,白崇禧将軍の1947年4月17日の調査報告によると1860人であり,一方,内乱罪で処分を受けた者は40数人に達し,全員がすでに刑期満了で出獄した,と述べる。
DIA-105-1988-03-06-1台湾1988年03月06日1980年代国際通貨基金(IMF),台湾の外貨準備高は,1987年1年間で203億ドル増の741億ドルに達し,世界第3位となった,と発表。
DIA-105-1988-03-08-1台湾1988年03月08日1980年代台湾とパラグアイが共同出資した「パラグアイ東方投資開発銀行」,アスンシオン市で設立。
DIA-105-1988-03-09-1台湾1988年03月09日1980年代立法院,趙少康立法委員等48名と行政院が提案した第1期国民大会代表欠員補充条例の廃止を可決。
DIA-105-1988-03-09-2台湾1988年03月09日1980年代行政院の邵玉銘新聞局長,台湾原子力委員会核エネルギー研究所の張憲義副所長が1月に失踪した事件に関連して,台湾は絶対に核兵器を製造せず,核エネルギー研究はすべて平和利用に限定する,との声明を発表。
DIA-105-1988-03-09-3台湾1988年03月09日1980年代経済建設委員会,総額300億元規模の「海外経済協力発展基金」の設立を可決。
DIA-105-1988-03-09-4台湾1988年03月09日1980年代監察院,1947年に楊亮功台監察使と何漢文監察委員が共同調査した「2・28事件調査報告」を公表。
DIA-105-1988-03-11-1台湾1988年03月11日1980年代鄭為元国防部長,休暇が明けても帰任しない原子力委員会核エネルギー研究所の張憲義副所長(大佐の軍籍を有する原子力専門家)を指名手配したと発表。
DIA-105-1988-03-11-2台湾1988年03月11日1980年代兪国華行政院長,西安事件の張学良将軍はすでに1937年1月4日に特赦,また元陸軍総司令官の孫立人将軍は1978年9月に除役,政府は両氏の生活および行動に対して何んら制限も加えていない,と立法院で答弁。
DIA-105-1988-03-14-1台湾1988年03月14日1980年代蔡友土立法委員ら6名,米国から輸入された果物は,1985年に5.1トン,86年6.89トン,87年10.165トン(果物輸入総量の約7割)と急増,台湾の果物農家に重大な打撃を与えない解決策を書面で米国在台協会に要望。
DIA-105-1988-03-15-1台湾1988年03月15日1980年代農業委員会,台湾糖業公司および養豚数5000頭以上の大手業者に対し,豚の価格暴落を防止するため,今後1カ月間,輸出規格原豚を内販しないで,全部輸出に回すよう通達。
DIA-105-1988-03-16-1台湾1988年03月16日1980年代張継正中央銀行総裁,同銀行を訪問調査した立法院財政委員会委員一行25名に対し,1988年2月末の外貨準備高は767億3626万ドル,うち有価証券が50.26%,定期預金46.92%,流動資金2.82%,と説明。
DIA-105-1988-03-16-2台湾1988年03月16日1980年代農民権益促進会の指導による良民代表ら3000人,米国からの農産物自由化の圧力に反対して,米国在台協会や国民党中央党部の前でデモして抗議書を手渡す。
DIA-105-1988-03-16-3台湾1988年03月16日1980年代蕭万長国際貿易局長,台湾の農産品の輸入関税は32%と高く,3000品目の農産品も輸入規制を受けているので,政府は農業保護政策を守っている,と述べる。
DIA-105-1988-03-18-1台湾1988年03月18日1980年代丁懋時外交部長,台湾は1988年4月28日にマニラで開かれるアジア開発銀行年次総会に,代表団を公式に派遣することに決定,ただ台湾が「中国・台北」の名称を受け入れたことを意味しない,と言明。
DIA-105-1988-03-20-1台湾1988年03月20日1980年代農業委員会,日本の商社やスーパーが3月18日から残存抗生物質が基準値を上回る台湾産豚肉の輸入を中断したことについて,政府は適切な対応措置をとる,と表明。
DIA-105-1988-03-21-1台湾1988年03月21日1980年代全島の2500名の養鶏農家,米国の七面鳥輸入に強く反対して,米国在台協会や国際貿易局の前でデモ。
DIA-105-1988-03-23-1台湾1988年03月23日1980年代鄭為元国防部長,台湾は南沙群島における中国とベトナムの海軍衝突に介入しない,と述べる。
DIA-105-1988-03-23-2台湾1988年03月23日1980年代米『ニューヨーク・タイムズ』紙,台湾は米国の圧力のもとで,プルトニウム生産の秘密施設の建設を中止した。また,1969年にカナダから購入した研究用の重水炉もすでに閉鎖した,と報道。
DIA-105-1988-03-24-1台湾1988年03月24日1980年代邵玉銘新聞局長,台湾政府が核兵器を開発しないという政策を変更していない,と再び述べる。
DIA-105-1988-03-24-2台湾1988年03月24日1980年代エクアドルのベニャエレラ副大統領,訪台。
DIA-105-1988-03-24-3台湾1988年03月24日1980年代台北地裁,現行法律に罰則がないとの理由で,1988年9月台湾の新聞として初めて公に中国で取材活動をした『自立晩報』の呉豊山社長と李永得記者に無罪判決。
DIA-105-1988-03-26-1台湾1988年03月26日1980年代台北県金山郷などの民衆,原発に反対するデモを行ない,抗議書を万里郷国聖村にある第2原子力発電所の廖水金所長に手渡す。
DIA-105-1988-03-27-1台湾1988年03月27日1980年代シンガポール経済貿易訪台団(団長は楊至耀貿易発展局主席)一行19名,台北に到着。
DIA-105-1988-03-28-1台湾1988年03月28日1980年代中国石油公司の関永実総経理,米アラスカのクックインレット原油を向う1年間輸入する契約を交わしたことを明らかにした。輸入量は日量3290バレル。
DIA-105-1988-03-29-1台湾1988年03月29日1980年代バハマのピンドリング首相兼蔵相,訪台。
DIA-105-1988-03-29-2台湾1988年03月29日1980年代朱高正立法委員が指導する1000余名の民進党員や群衆,古参国民大会代表らが居住する台北市郊外の大湖山荘に押しかけたところ,阻止しようとする警官隊と衝突,デモ隊と警官隊双方で30数名重軽傷。
DIA-105-1988-03-30-1台湾1988年03月30日1980年代国際貿易局,ソ連とアルバニアを除く東欧7カ国との直接貿易を解禁する「対東欧貿易緩和実施要点」を公布。
DIA-105-1988-03-30-2台湾1988年03月30日1980年代監察院国防委員会,「監察院の孫立人将軍と南部陰謀事件関係に対する調査報告書」を公布。
DIA-105-1988-03-31-1台湾1988年03月31日1980年代日本交流協会の魚本藤吉郎理事長死去。
DIA-105-1988-03-31-2台湾1988年03月31日1980年代黄主文ら立法委員,1989年度の実質の軍事予算は総予算の46.9%,名目上の33.7%より多い,と指摘。
DIA-105-1988-04-01-1台湾1988年04月01日1980年代行政院労工委員会,従業員500人以上700人以下の中規模公民営企業を対象に,労働条件と安全衛生の立入り検査を始める。従業員700人以上の大型企業に対する労働条件検査は,すでに1987年12月1日実施。
DIA-105-1988-04-04-1台湾1988年04月04日1980年代中国統一聯盟(陳映真主席),台北で成立。
DIA-105-1988-04-05-1台湾1988年04月05日1980年代李登輝総統,日本の佐々木良作民社党常任顧問・衆議院議員と会見。
DIA-105-1988-04-06-1台湾1988年04月06日1980年代国民党中央常務委員会,恩赦条例草案に汚職で有罪判決を受けた者にも恩赦を適用する,と決議。
DIA-105-1988-04-07-1台湾1988年04月07日1980年代民進党の朱高正立法委員,総予算審議をボイコットするため,議長席にいた劉潤才立法院副院長と衝突。
DIA-105-1988-04-07-2台湾1988年04月07日1980年代台湾省法規会,国家賠償法を実施した1981年7月から1988年度上半期までに賠償総額は6385万元と発表。
DIA-105-1988-04-07-3台湾1988年04月07日1980年代原子力委員会,4月6日第1原子力発電所から濃度の高い放射性物質ヨード131が検出されたので,同原発の運転停止を命令。
DIA-105-1988-04-08-1台湾1988年04月08日1980年代フィジーのマラ首相兼外相,訪台。
DIA-105-1988-04-08-2台湾1988年04月08日1980年代兪国華行政院長,国民党の党営事業は民営事業であり,工事を請負う時にいかなる特権をも持っていない,と述べる。
DIA-105-1988-04-08-3台湾1988年04月08日1980年代中国石油公司,5月からカナダの軽質油を6カ月にわたり日量5000バレル輸入する契約を交わした,と発表。
DIA-105-1988-04-09-1台湾1988年04月09日1980年代ナウル航空,3年ぶりにナウル―台北線再開。
DIA-105-1988-04-10-1台湾1988年04月10日1980年代マレーシアのペラ州政府・工商業代表団一行16名,訪台。
DIA-105-1988-04-11-1台湾1988年04月11日1980年代7日から台北で開催した第8回台湾・サウジアラビア文化・教育協力委員会会議,双方の文化協力を強化する共同コミュニケに調印。
DIA-105-1988-04-11-2台湾1988年04月11日1980年代民進党中央党執行委員会,3月29日の朱高正立法委員事件をめぐって,国民党に誠意がみられないということで,国民党との協議を中止する,と決議。
DIA-105-1988-04-11-3台湾1988年04月11日1980年代蕭万長経済部国際貿易局長,農産物の完全自由化は絶対に不可能である,と強調。
DIA-105-1988-04-12-1台湾1988年04月12日1980年代セントクリストファー・ネイビスのシモンズ首相一行5名,訪台。18日に兪国華行政院長と共同コミュニケに調印。
DIA-105-1988-04-14-1台湾1988年04月14日1980年代日本通運,台湾の南泰企業公司と合弁会社「華通公司」を設立。外資系企業が台湾の航空貨物運送業を経営するのはこれが初めて。
DIA-105-1988-04-15-1台湾1988年04月15日1980年代鄭為元国防部長,金門および馬祖から軍隊を引き揚げることに絶対同意しない,と言明。
DIA-105-1988-04-16-1台湾1988年04月16日1980年代立法院,「1988年犯罪減刑条例」を通過。
DIA-105-1988-04-17-1台湾1988年04月17日1980年代16日から高雄市で開いた民主進歩党第2回全国党員代表大会第1次臨時大会,「台湾の国際主権は独立しており,中華人民共和国には属さない」との決議を採択,閉幕。
DIA-105-1988-04-17-2台湾1988年04月17日1980年代交通部郵政総局,中国以外の世界各国と直接,間接通信ができる,と言明。
DIA-105-1988-04-18-1台湾1988年04月18日1980年代郭宗清国防部副部長,1983~88年度に3万5333人の兵員を削減,89年度からさらに1万人を削減する計画である,と言明。
DIA-105-1988-04-20-1台湾1988年04月20日1980年代経済建設委員会,水田であった農地を雑穀に転作した者に対し,これまでの現物補助を1988年1期作から現金で支給するとの農業委員会の提案を可決。
DIA-105-1988-04-22-1台湾1988年04月22日1980年代1988年犯罪減刑条例,故蒋経国総統死去百カ日に発効。恩赦を受けた人数は2万8659人,戴華光,白雅燦ら反乱罪受刑者30人も含まれる。
DIA-105-1988-04-22-2台湾1988年04月22日1980年代国民党籍の立法委員および党友15名,立法院の議事運営を円満に図るため,「集思」朝食会を組織。
DIA-105-1988-04-22-3台湾1988年04月22日1980年代フィリピンのアキノ大統領,台湾プラスチック代表団一行34人を接見。
DIA-105-1988-04-22-4台湾1988年04月22日1980年代陳竜吉環境保護署副署長,高雄住民の反対圧力を受けている「第5ナフサ工場環境評価報告書」について,内外の専門家らを招いて再び審査してもらう,と言明。
DIA-105-1988-04-25-1台湾1988年04月25日1980年代蒙蔵(モンゴル・チベット)委員会の呉化鵬委員長,チベットの精神指導者ダライ・ラマは台湾を訪問する意向である,と立法院で答弁。
DIA-105-1988-04-25-2台湾1988年04月25日1980年代張継正中央銀行総裁,アジア開発銀行への拠出金の増額申請を検討中,と述べる。現在の台湾出資額は2億7337万6000ドル,出資比率は1.2%。
DIA-105-1988-04-26-1台湾1988年04月26日1980年代米台貿易年次会議,台北で開催,29日まで。
DIA-105-1988-04-26-2台湾1988年04月26日1980年代「農民権益促進会」を中心とする中南部地区の農民500名,米農産品の輸入を不満として,米国在台協会や国民党中央党部の前で抗議デモ。
DIA-105-1988-04-27-1台湾1988年04月27日1980年代鄭為元国防部長,台湾の戦略が攻撃から防御に変わったため,地対地ミサイル「青蜂」の生産を中止した,と述べる。
DIA-105-1988-04-27-2台湾1988年04月27日1980年代王章清行政院秘書長,警察人数と人口の比例は1対541と低く,台湾は決して警察国家ではないと述べる。
DIA-105-1988-04-27-3台湾1988年04月27日1980年代王建経済部次長,米台貿易会議で政府は1988年末で期限切れとなる米台食用米輸出協定について,米国側の有効期間延長要求を拒否したことを明らかにした。
DIA-105-1988-04-28-1台湾1988年04月28日1980年代張継正中央銀行総裁を団長とする台湾の代表団10名,マニラで開会したアジア開発銀行(ADB)第21回年次総会に中国と3年ぶりに同席。台湾代表はADBが用意した「中国・台北」の名称部分を白い紙で覆い隠し,台湾の旗の形のバッジを胸につけて着席。
DIA-105-1988-04-29-1台湾1988年04月29日1980年代ADB総会に出席した台湾代表団,「中華民国」の名称を勝手に「中国・台北」と改めたのは不当である,と書面声明で抗議。
DIA-105-1988-05-01-1台湾1988年05月01日1980年代台湾省鉄道局の機関士1400余名,労働条件をめぐる当局側の対応を不満として,一斉休暇による24時間ストに突入。全島で9割強の列車が運行停止。
DIA-105-1988-05-01-2台湾1988年05月01日1980年代工党(労働党)の発起による戒厳令解除後初のメーデーデモが台北市内を行進,参加人数約1000名。
DIA-105-1988-05-01-3台湾1988年05月01日1980年代12の産業労働組合が結成する台湾初の聯盟組織「全国自主労工聯盟」,台北市で成立。
DIA-105-1988-05-01-4台湾1988年05月01日1980年代グアテマラのアロソン国会議員一行5名,訪台。
DIA-105-1988-05-03-1台湾1988年05月03日1980年代スワジランドのラミニ首相一行7名,訪台。7日に台北で兪国華行政院長と共同コミュニケに調印。
DIA-105-1988-05-03-2台湾1988年05月03日1980年代台米国会議員聯誼会(懇親会),立法院で成立。会員には立法委員25名,米上院議員4名,下院議員16名。
DIA-105-1988-05-05-1台湾1988年05月05日1980年代行政院,「証券商設置標準」を可決。20年にわたり禁止されてきた証券委託販売業の設立が解禁。
DIA-105-1988-05-05-2台湾1988年05月05日1980年代行政院,内政部提案の消費者保護法案を可決。
DIA-105-1988-05-06-1台湾1988年05月06日1980年代国防部の張慧元スポークスマン,高雄県興山村の村民が4月26日に発生した中山科学研究院第43工場の爆発事件に抗議したことについて,軍事施設を侵犯した者に対しては,追い払うかまたは逮捕する,と述べる。
DIA-105-1988-05-06-2台湾1988年05月06日1980年代丁懋時外交部長,パラグアイ,ホンジュラス,エルサルバドル等3カ国を訪問するため,台北を出発。
DIA-105-1988-05-06-3台湾1988年05月06日1980年代外交部の陳毓駒スポークスマン,中国がオーストリア民間航空会社ラウダ・エアの台北線就航を妨害したことは,台湾の国際的孤立を狙うものである,と非難。
DIA-105-1988-05-09-1台湾1988年05月09日1980年代行政院,戒厳令解除後,内政部警政署出入境管理局が国家安全法により,出入境不許可処分とした人数は634名(うち入境者282名,出境者352名)と公表。
DIA-105-1988-05-10-1台湾1988年05月10日1980年代立法院,農産品の税率を引き下げるなどを盛り込んだ「営業税法部分条文修正案」を可決。
DIA-105-1988-05-11-1台湾1988年05月11日1980年代「老兵自救聯盟」代表約600人,生活の保障と「戦士授田証」(政府が大陸反攻に成功したとき,退役軍人に土地を授与することを約束した文書)問題の解決を求めるため,国民党中央委員会前でデモ,警官隊と衝突。
DIA-105-1988-05-11-2台湾1988年05月11日1980年代台湾の大手コンピュータ・メーカー「エイサー」,100%出資の日本法人「日本エイサー」を東京に開設。
DIA-105-1988-05-12-1台湾1988年05月12日1980年代中国のアモイ空港から離陸した中国民航ボーイング737型旅客機(乗員・乗客118人),乗っ取り犯の張慶国と竜貴雲によって,午後9時31分台湾中部の清泉崗空軍基地に強制着陸。
DIA-105-1988-05-13-1台湾1988年05月13日1980年代乗っ取りの中国民航機,午前2時55分清泉崗空軍基地を出発,同4時1分アモイ空港に着陸。
DIA-105-1988-05-13-2台湾1988年05月13日1980年代邵玉銘新聞局長,中国民航機乗っ取り事件について,国際航空協定を尊重する精神と人道的考慮に基づいて,迅速に処理したと述べる。
DIA-105-1988-05-13-3台湾1988年05月13日1980年代桃園県観音郷住民約400名,台湾プラスチックの観音工業区における第6エチレンプラント建設構想に反対するため,観音郷公所などでデモを展開。
DIA-105-1988-05-14-1台湾1988年05月14日1980年代台北地方裁判所検察処,台湾への亡命を求めて中国民航機を乗っ取った張慶国と竜貴雲2人を民用航空法に違反した疑いで調査開始。
DIA-105-1988-05-14-2台湾1988年05月14日1980年代フィジーのガニラウ大統領一行6名,訪台。
DIA-105-1988-05-17-1台湾1988年05月17日1980年代台湾高等裁判所,中国大陸の国営事業から鰻の稚魚を直接購入した商人郭樹魁と林関民の2人に対し,反乱処罰条例第4条に違反した容疑で,それぞれ3年4カ月の有罪判決を言い渡し。
DIA-105-1988-05-18-1台湾1988年05月18日1980年代辜振甫工商協進会理事長を団長とする台湾の代表団,大阪で開かれる第6回太平洋経済協力会議(PECC)に参加。
DIA-105-1988-05-18-2台湾1988年05月18日1980年代国民党中央常務委員会,同党第13期全国代表大会組織法を修正承認。
DIA-105-1988-05-19-1台湾1988年05月19日1980年代経済部,「市場分散・貿易均衡5カ年(1988~92年)計画」を正式に審査・決定。
DIA-105-1988-05-20-1台湾1988年05月20日1980年代「雲林農民権益促進会」を主体とする台湾中南部地区の農民2000余人,米の政府買い入れ価格引き上げなど7項目の要求を訴えるため,台北市の立法院前でデモ,警官隊と衝突。逮捕者132人。
DIA-105-1988-05-21-1台湾1988年05月21日1980年代立法院国防委員会,「5・20事件」に類似する状況が生じたとき,緊急処分ないし局部戒厳令を実施するよう政府に要求。
DIA-105-1988-05-21-2台湾1988年05月21日1980年代トヨタ自動車,台湾での合弁会社「国瑞汽車(自動車)公司」で,1トン級トラック「ゼイス」を6月から生産・販売する,と発表。
DIA-105-1988-05-24-1台湾1988年05月24日1980年代「台湾・南アフリカ共和国政府間引き渡し条約」発効。
DIA-105-1988-05-24-2台湾1988年05月24日1980年代軍首脳で人事異動。総統府参軍長:郭汝霖上将,陸軍総司令:黄幸強上将,海軍総司令:葉昌桐上将。
DIA-105-1988-05-24-3台湾1988年05月24日1980年代エルサルバドルのカスティーヨ副大統領,訪台。
DIA-105-1988-05-25-1台湾1988年05月25日1980年代ワインバーガー前米国防長官,訪台。
DIA-105-1988-05-25-2台湾1988年05月25日1980年代日本交流協会,前田利一元駐韓国大使を理事長に選任。
DIA-105-1988-05-25-3台湾1988年05月25日1980年代李登輝総統,「5・20事件」について,関係機関は法律に基づき厳しく処分するとともに,農業政策を明確化し農民との対話を強化するよう指示。
DIA-105-1988-05-27-1台湾1988年05月27日1980年代立法院,1989年度中央政府総予算の中の外交予算75億4525万元(原案より1億8528万元削減),国防予算2553億1611万元(同5億1943万元削減)を可決。
DIA-105-1988-05-31-1台湾1988年05月31日1980年代立法院,1989年度中央政府総予算案を通過。歳入・歳出各5615億7044万8000元(1米ドル=28.5元で計算すると約1970.04億米ドル),うち1287億9540万6000元の赤字が計上され,史上最大の赤字予算となった。
DIA-105-1988-06-02-1台湾1988年06月02日1980年代銭純財政部長,銀行法が改正される前,政府系3商業銀行(第一,華南,彰化)の民営化は考慮しない,と述べる。
DIA-105-1988-06-02-2台湾1988年06月02日1980年代李登輝総統,辜振甫工商協進会理事長を総統府資政に招聘。
DIA-105-1988-06-03-1台湾1988年06月03日1980年代5月27日台北市に起きた日本人小学生の誘拐事件,一週間ぶりに無事解決。
DIA-105-1988-06-06-1台湾1988年06月06日1980年代第17回台米大陸問題検討会,台北で開催。
DIA-105-1988-06-06-2台湾1988年06月06日1980年代張継正中央銀行総裁,1987年7月の外貨管理緩和以後1988年3月までに,個人の名義で海外へ送金された外賀は8億3000余万ドル,と述べる。
DIA-105-1988-06-07-1台湾1988年06月07日1980年代立法院,「農会法部分条文修正案」および「漁会法部分条文修正案」を可決。両修正案とも入会後6カ月未満の会員には選挙権が与えられないことを明記。
DIA-105-1988-06-07-2台湾1988年06月07日1980年代外交部の陳毓駒スポークスマン,フィリピン政府がマニラで開いた「新しく民主主義を回復した国々の国際会議」に張燦〓ら台湾独立分子を招待したことは,きわめて非友好的行為である,と非難。
DIA-105-1988-06-07-3台湾1988年06月07日1980年代中国鋼鉄公司,米スチールマイニング社との間で,今後5年間に低揮発性コークス炭40万トン,推定金額1800万ドルを購入する契約に調印。
DIA-105-1988-06-07-4台湾1988年06月07日1980年代李達海経済部長,訪台中の米オクシデンタル石油のハマー会長が中国炭の輸入を許可するよう申し入れたことに対し,中国石炭,石油の輸入は認めない,と言明。
DIA-105-1988-06-08-1台湾1988年06月08日1980年代国民党海外工作会,国民党13全大会の海外(華僑)代表180名のリストを公表。うち160名は海外在住国民党員の選挙によるもの,20名は国民党支部から選抜されたもの。平均年齢52.9歳。
DIA-105-1988-06-08-2台湾1988年06月08日1980年代李登輝総統,台湾省各地に散在する公有地を現在の耕作者に払下げる措置をとるよう指示。
DIA-105-1988-06-09-1台湾1988年06月09日1980年代財政部証券管理委員会,20年来初めて26社の証券商許可証を発行。
DIA-105-1988-06-09-2台湾1988年06月09日1980年代台湾の加重平均株価指数,5000ポイントを突破。
DIA-105-1988-06-10-1台湾1988年06月10日1980年代内政部警政署出入境管理局,香港経由の中国大陸への親族訪問者の出入境証の有効期間を現行の半年から1年に延長するとともに,満期後さらに1年の延長申請を認めることを実施。
DIA-105-1988-06-13-1台湾1988年06月13日1980年代行政院台米貿易小組,米国が301条による報復措置で脅かしてきても,6月1日に再開した七面鳥の輸入問題(一羽のままなら認めるが,バラした肉や内臓は認めない)では米国に譲歩しないと決定。
DIA-105-1988-06-14-1台湾1988年06月14日1980年代行政院組織法研究修正特別小組,20カ条におよぶ最終修正草案を採択。それによると,(1)新たに衛生福利,文化,農業,労工(労働)の4部を増設,(2)経済部を工商部と改称,など。
DIA-105-1988-06-14-2台湾1988年06月14日1980年代立法院,企業化経営をめざす「大衆快速輸送法」(全文54条)を可決。
DIA-105-1988-06-15-1台湾1988年06月15日1980年代鍾栄吉監察委員,香港の富籤を利用してきたギャンブル「六合彩」を取り締まるべきだ,と提言。
DIA-105-1988-06-16-1台湾1988年06月16日1980年代台北地検,「5・20事件」関係者93名を公務妨害などの容疑で起訴。
DIA-105-1988-06-17-1台湾1988年06月17日1980年代立法院,労資紛争の調停期間中,操業停止やストライキなどを行なってはならないと明記する「労資争議処理法修正案」を可決。
DIA-105-1988-06-17-2台湾1988年06月17日1980年代章孝外交部次長,米国会議員の訪台人数が増加しており,上院100名中59名,下院435名中251名がすでに訪台した,と述べる。
DIA-105-1988-06-18-1台湾1988年06月18日1980年代『中央日報』,国民党は第13回全国代表大会で中央委員を現在の150名から180名に,中央委員候補を75名から90名にそれぞれ増加する,と報道。
DIA-105-1988-06-19-1台湾1988年06月19日1980年代第21回台韓経済協力会議,ソウルで開催。
DIA-105-1988-06-20-1台湾1988年06月20日1980年代『中央日報』,経済部の政府首脳に提出した報告を引用して,1985年の台湾の地下経済の取引総額は国民総生産の32%を占める,と報道。
DIA-105-1988-06-20-2台湾1988年06月20日1980年代行政院新聞局,東欧7カ国からの映画輸入を解禁する,と発表。
DIA-105-1988-06-20-3台湾1988年06月20日1980年代李登輝総統,第16回世界華商貿易会議で,2000年には台湾の1人当りGNPが1万5000ドルに達すると述べる。
DIA-105-1988-06-21-1台湾1988年06月21日1980年代丁懋時外交部長,スワジランドのマンバ外相と台北で「台湾・スワジランド王国政府間の(犯罪人)引き渡し条約」に調印。
DIA-105-1988-06-22-1台湾1988年06月22日1980年代国民党中央常務委員会,「中国の統一を達成するため台湾の経験を中国大陸に施行する」などを盛り込んだ「中国国民党政綱草案」(12章86条)を採択。
DIA-105-1988-06-23-1台湾1988年06月23日1980年代経済部,対外貿易発展協会の提出したベトナムへの貿易使節団派遣申請が行政院に認可されたと発表。
DIA-105-1988-06-24-1台湾1988年06月24日1980年代外交部の陳毓駒スポークスマン,台湾は1988年9月に北京で開く国際科学連合総会に参加せずと発表。
DIA-105-1988-06-25-1台湾1988年06月25日1980年代華山駅から万華駅まで(全長4.42㎞)の台北区鉄道地下化工事(1983年着工)の開通式挙行。営業開始は,1989年6月の予定。
DIA-105-1988-06-26-1台湾1988年06月26日1980年代台湾人公共事務会(FAPA,1982年米ロサンゼルスで成立),台湾分会を設立する,と発表。
DIA-105-1988-06-28-1台湾1988年06月28日1980年代国民党籍の呉勇雄立法委員,兪国華行政院長から王章清行政院秘書長を通じて32万6200元の贈賄をしかけられたことで,兪院長は責任をもって退任せよと発言。
DIA-105-1988-06-29-1台湾1988年06月29日1980年代立法院の集思会,呉勇雄立法委員を前日の問題発言を理由に,同会から除名。
DIA-105-1988-06-30-1台湾1988年06月30日1980年代台湾がオランダに発注した2隻日のソードフィッシュ型潜水艦「海虎号」,高雄港に到着。
DIA-105-1988-07-01-1台湾1988年07月01日1980年代財政部,金取引の営業税5%を廃止。
DIA-105-1988-07-01-2台湾1988年07月01日1980年代行政院,基本賃金を現行の月額6900元から8130元に引き上げることを実施。
DIA-105-1988-07-01-3台湾1988年07月01日1980年代国防部,軍人の海外観光旅行を解禁,年1回で旅行日数15日以内に限定。
DIA-105-1988-07-01-4台湾1988年07月01日1980年代経済部,石油価格の平均9.6%引き下げを実施。
DIA-105-1988-07-01-5台湾1988年07月01日1980年代台湾省交通処,全省の民営長距離バス33社に対し,バス料金の平均22.97%値上げを実施。
DIA-105-1988-07-01-6台湾1988年07月01日1980年代国際貿易局,大口物資の輪入自由化を実施。
DIA-105-1988-07-03-1台湾1988年07月03日1980年代シンガポールのリー・クワンユー首相,5日まで台湾を訪問。
DIA-105-1988-07-04-1台湾1988年07月04日1980年代中央研究院第18回院士会議,台北で開催。楊振寧,李政道,丁肇中,李遠哲ら米国籍中国人ノーベル賞受賞者4人が参加。
DIA-105-1988-07-06-1台湾1988年07月06日1980年代外交部,モンロビアに「台湾駐リベリア商務代表団」を設立した,と発表。現時点で便宜的に船籍をリベリアにおく台湾船は103隻。
DIA-105-1988-07-06-2台湾1988年07月06日1980年代中国政府,「台湾同胞の投資援助に関する国務院の規定」を発表。
DIA-105-1988-07-07-1台湾1988年07月07日1980年代国民党第13回全国代表大会,台北県林口の中正体育館で開幕。国民党員や30カ国,58友好政党,2国際組織の代表ら1万200。余名が参加。
DIA-105-1988-07-08-1台湾1988年07月08日1980年代国民党13全大会,李登輝党主席代行を党主席に選出。出席した1184名のうち,1176名が起立,賛成可決。
DIA-105-1988-07-08-2台湾1988年07月08日1980年代宋美齢女史,党大会で演説(李煥党秘書長が代読),「前進しても根本を忘れるな」などを強調。
DIA-105-1988-07-09-1台湾1988年07月09日1980年代国民党13全大会,同党中央評議委員に新たに厳家淦ら72名を選出。留任を合わせると全部で232名。
DIA-105-1988-07-10-1台湾1988年07月10日1980年代国民党13全大会,李登輝党主席の指名した謝東閔ら中央委員候補者180名のリストを発表。
DIA-105-1988-07-11-1台湾1988年07月11日1980年代国民党13全大会,「中国国民党政綱案」(12章88条),「中国国民党の現段階における党務革新綱領案」(8節19条)および「中国国民党党章(党規約)改正案」(13章52条)を通過。
DIA-105-1988-07-11-2台湾1988年07月11日1980年代対外貿易発展協会の「ベトナム市場調査団」一行6名,バンコク経由でホー・チ・ミン市を訪問。
DIA-105-1988-07-11-3台湾1988年07月11日1980年代『中央日報』,台湾は1986年度に金22,739トン,87年度金83,270トン,金貨4.5トン,88年1~6月金248,079トン,金貨9,214トン,合計367,802トンの金と金貨を輸入と報道。
DIA-105-1988-07-12-1台湾1988年07月12日1980年代国民党13全大会,第13期中央委員180名と中央委員候補90名を選出。
DIA-105-1988-07-12-2台湾1988年07月12日1980年代国民党13全大会,民間レベルでの交流が一段と緩和する「現段階における大陸政策案」を採択。
DIA-105-1988-07-13-1台湾1988年07月13日1980年代国民党13全大会,「中国問題の真の解決」と題する大会宣言を採択して閉幕。
DIA-105-1988-07-14-1台湾1988年07月14日1980年代国民党第13期中央委員会第1回全体会議,李登輝党主席指名の中央常務委員31名を承認。平均年齢63.7歳,台湾省籍が16名と台湾史上初めて過半数を占める。
DIA-105-1988-07-14-2台湾1988年07月14日1980年代国民党第13期中央評議委員主席団の陳立夫主席ら34名,中国向けに50億~100億ドル規模の長期低利ローン供与構想を表明。
DIA-105-1988-07-16-1台湾1988年07月16日1980年代台北―淡水間の北淡線(1901年開通),廃線。
DIA-105-1988-07-16-2台湾1988年07月16日1980年代労使紛争を専門的に処理する労工法廷,台湾高裁や台北地裁等で成立。
DIA-105-1988-07-16-3台湾1988年07月16日1980年代民進党籍の呉哲朗国民大会代表,台湾の政治家として初めて中国を訪問。
DIA-105-1988-07-17-1台湾1988年07月17日1980年代台湾省政府,1987年の台湾省家庭の1戸当りの実質所得は平均39万9289元で,前年比7.27%増と発表。
DIA-105-1988-07-18-1台湾1988年07月18日1980年代監察院,裕隆自動車が独占的に2200ccの小型ディーゼル・トラックを生産する問題について,処理が不適当という理由で,李達海経済部長ら9名を弾劾。
DIA-105-1988-07-19-1台湾1988年07月19日1980年代第13回日台貿易経済会議,台北で開催。
DIA-105-1988-07-19-2台湾1988年07月19日1980年代台湾退役軍人協会,老兵30数名の抗議のなかで成立。
DIA-105-1988-07-20-1台湾1988年07月20日1980年代李登輝総統,総統令をもって行政院改組に関する人事異動を発令。行政院副院長に施啓揚,内政部長に許水徳,外交部長に連戦,財政部長に郭婉容,法務部長に蕭天讃,経済部長に陳履安ら諸氏を起用。
DIA-105-1988-07-20-2台湾1988年07月20日1980年代台東地裁,1987年11月29日に起きた台東緑島監獄放火暴動の主犯黄廷欽に15年の有罪判決。
DIA-105-1988-07-20-3台湾1988年07月20日1980年代台湾省政府,曾文と烏山頭ダムの貯水量不足のため,麻豆以北,朴子以南の地区の2期稲作に休耕と公告。
DIA-105-1988-07-21-1台湾1988年07月21日1980年代李登輝総統,呉伯雄内政部長を台北市長に任命
DIA-105-1988-07-21-2台湾1988年07月21日1980年代謝昆山監察委員,国防部の新店軍人監獄は1988年4月30日に「雷震回顧録」を焼却した,と公表。
DIA-105-1988-07-21-3台湾1988年07月21日1980年代警政署,1987年7月15日(戒厳令解除)から88年7月14日までに民衆の集会・デモは1957回に及ぶと発表。
DIA-105-1988-07-22-1台湾1988年07月22日1980年代ワシントンの北米事務協調委員会在米事務所,近くマイアミに12番目の事務所を設置する,と発表。
DIA-105-1988-07-24-1台湾1988年07月24日1980年代米国から帰台する反体制活動家の陳婉真女史,中正国際空港で警官によって強制退去。また,「5・20事件」関係者とみられる同行の洪奇昌国民大会代表を出迎える民進党支持者400余名が警官と衝突,8名が負傷。
DIA-105-1988-07-25-1台湾1988年07月25日1980年代1988年国家建設研究会,台北で開催。
DIA-105-1988-07-27-1台湾1988年07月27日1980年代台北での台韓自動車交渉,台湾は韓国車の輸入枠を従来の2250台から1989年には3000台に増加,互恵の条件でさらに2000台の追加輸入枠を認めることで妥結。翌日,韓国側は合意していないと表明。
DIA-105-1988-07-28-1台湾1988年07月28日1980年代セントルシアのセイク外相,訪台。
DIA-105-1988-07-29-1台湾1988年07月29日1980年代国防部,同部には自力で開発したAT-3型ジュット練習機を輸出する計画はない,と言明。
DIA-105-1988-08-02-1台湾1988年08月02日1980年代内政部警政署出入境管理局,1987年7月15日から88年7月26日までに入境を申請した66万3650名のうち,不許可を受けたのはわずかに467名,と発表。
DIA-105-1988-08-03-1台湾1988年08月03日1980年代外交部の陳毓駒スポークスマン,1945年に調印した「中ソ友好同盟条約」の原本および関連書類が紛失あるいは焼却した事実はないことを明らかにした。
DIA-105-1988-08-04-1台湾1988年08月04日1980年代『工商時報』,台湾の金融当局は銀行の自己資本の最低比率をを,1992年までに国際決済銀行(BIS)規制並みの8%に引き上げる方針,と報道。
DIA-105-1988-08-05-1台湾1988年08月05日1980年代経済部,中国産の石炭など工農原料50品目の間接輸入を認める「大陸産品間接輸入処理原則」を実施。
DIA-105-1988-08-08-1台湾1988年08月08日1980年代外交部,蒋孝武シンガポール駐在通商代表団副代表を同団代表に昇格させた,と発表。
DIA-105-1988-08-08-2台湾1988年08月08日1980年代監察院,雷震が獄中で記述した回想録を焼却した責任問題で,国防部軍法局長呉松長少将および新店監獄長王禄生大佐を弾劾。
DIA-105-1988-08-08-3台湾1988年08月08日1980年代兪国華行政院長,政府はすでに「南港宜蘭トンネル道路」(全長約80㎞)の建設を決定した,と発表。
DIA-105-1988-08-09-1台湾1988年08月09日1980年代監察院内政・外交・司法委員会合同会議,政府が国家安全法第3条に基づき,政府の転覆を狙っている許信良元桃園県長が台湾へ戻ることを制限しているのは合法的措置であるとの趙純孝監察委員の調査案を採択。
DIA-105-1988-08-09-2台湾1988年08月09日1980年代台湾の加重平均株価指数,7000ポイントを突破。
DIA-105-1988-08-11-1台湾1988年08月11日1980年代空軍総司令部の高官,音速の2倍の速度をもつ台湾の国産防御用戦闘機IDFが近く台中清泉崗空軍基地でテスト飛行を行うことを明らかにした。また,米国から購入したB-1900型軽輸送機がはじめて姿を現わす。
DIA-105-1988-08-12-1台湾1988年08月12日1980年代国家安全会議,自由地区の増補中央民意代表の定員を579名,うち国民大会代表375名,立法委員150名,監察委員54名と原則的に決定。
DIA-105-1988-08-12-2台湾1988年08月12日1980年代張佐新聞局副局長,中国が7月30日にニューヨーク州立大学の熊教授を通じて,台湾に対し連合政府構想の呼びかけを伝えてきた外電について,中共の新しい台湾統一工作にすぎず,信じることはできないと述べる。
DIA-105-1988-08-15-1台湾1988年08月15日1980年代兪国華行政院長,パラグアイのストロエスネル大統領就任式に参列。
DIA-105-1988-08-16-1台湾1988年08月16日1980年代警政署出入境管理局,中国大陸への親族訪問の軸を四親等以内の親族まで拡大することを実施。
DIA-105-1988-08-16-2台湾1988年08月16日1980年代経済部国営事業委員会,経済建設委員会はすでに中国鋼鉄と中国石油化学両国営公司の株式それぞれ10%と20%を公開上場することに同意した,と表明。
DIA-105-1988-08-16-3台湾1988年08月16日1980年代第3回台湾・パラグアイ経済協力会議,アスンシオンで開催。陳履安経済部長らが参加。
DIA-105-1988-08-16-4台湾1988年08月16日1980年代国防部,「中共空軍将兵帰順優遇規定」を改正。帰順した中国空軍機に対する現行の賞金額を6割に減額。
DIA-105-1988-08-16-5台湾1988年08月16日1980年代北京で「台湾研究会」(会長・宦郷)が設立。
DIA-105-1988-08-17-1台湾1988年08月17日1980年代余玉賢農業委員会主任委員,「8・14水災」で被災した台湾中南部の農漁民に30億元を融資すると発表。
DIA-105-1988-08-18-1台湾1988年08月18日1980年代行政院,「大陸工作会報」(座長は施啓揚行政院副院長,委員は17~19人)を設立。初会議で9月11日に北京で開かれる国際科学連合第22回総会に民間学術団体名義で参加することが決定される。
DIA-105-1988-08-18-2台湾1988年08月18日1980年代台湾高裁,「台湾独立建国連盟」の荘国銘と黄光雄両被告に対し,反乱組織に参加した容疑で,それぞれ10年から6年8カ月に,5年から3年4カ月に減刑した有罪判決を言い渡す。
DIA-105-1988-08-19-1台湾1988年08月19日1980年代世界台湾同郷会聯合会第15回年次総会,台北県新店で開催。台湾への入境を拒否された李憲栄会長,東京から国際電話であいさつ。
DIA-105-1988-08-19-2台湾1988年08月19日1980年代外交部の陳毓駒スポークスマン,1954年6月台湾海軍に拿捕されたソ連籍のタンカーTaupse号のソ連船員3名をすでに8月19日にソ連に帰国させた,と述べる。
DIA-105-1988-08-19-3台湾1988年08月19日1980年代ソロモン諸島のアレブア首相一行4名,訪台。
DIA-105-1988-08-20-1台湾1988年08月20日1980年代証券管理委員会,信用取引融資比率を10%引き下げることを実施。平均株価指数,一時8000ポイントを突破。
DIA-105-1988-08-20-2台湾1988年08月20日1980年代韓哲洙韓国駐台湾大使,李登輝総統に信任状を提出。
DIA-105-1988-08-23-1台湾1988年08月23日1980年代行政院の周宏濤政務委員,これまで大陸工作を行なってきた「力行小組」が撤廃された,と述べる。
DIA-105-1988-08-24-1台湾1988年08月24日1980年代国民党,「大陸工作指導小組」(座長は馬樹礼中央常務委員,委員は9人)を設立。
DIA-105-1988-08-26-1台湾1988年08月26日1980年代外交部,フィリピン政府が南沙群島を同国の領土と明記した地図を発行する計画について,同群島は台湾の領土である,と反駁。
DIA-105-1988-08-27-1台湾1988年08月27日1980年代台湾高裁,台湾独立を主張して予備反乱罪を問われた「台湾政治受難者聯誼総会」の蔡有全と許曹徳両被告に対する差し戻し審で,それぞれ懲役11年と7年を言い渡す。両被告には減刑条例が適用されるため,蔡被告は,7年4カ月,許被告は4年8カ月となる。
DIA-105-1988-08-27-2台湾1988年08月27日1980年代台韓農産品貿易交渉,韓国梨(2500トン)およびリンゴ(5000トン)と台湾バナナの同額貿易取引に合意。
DIA-105-1988-08-30-1台湾1988年08月30日1980年代経済建設委員会の銭復主任委員,台湾は米国の七面鳥バラ肉の規制輸入量を1カ月220トン,年成長率5%,3年後に全面開放とする内容を9月1日から実施することを米側に通告したが,米側の回答はまだ受けていないので,予定期日どおり実施できない,と述べる。
DIA-105-1988-08-31-1台湾1988年08月31日1980年代陳思明財政部金融司長,ワシントンで開かれた米台金融交渉で,台湾での元建クレジット・カード市揚を米企業に開放することで合意した,と述べる。
DIA-105-1988-08-31-2台湾1988年08月31日1980年代経済建設委員会,台湾省政府提案の高屏渓上流の四重渓ダム建設計画(予算36.4億元,工期5年)を可決。
DIA-105-1988-09-01-1台湾1988年09月01日1980年代台湾赤十字会総会,「台湾人元日本兵」に対する弔慰金(一律200万円)の代理請求申請を受け付ける。受理は1993年3月末まで。
DIA-105-1988-09-01-2台湾1988年09月01日1980年代台湾電力,米ユニオンパシフィック・リソーシズ社と合弁でグランドキャニオン地区のウラン鉱開発を継続することについて,行政院の認可を得た,と発表。
DIA-105-1988-09-01-3台湾1988年09月01日1980年代南アフリカ共和国のボタ大統領,同国訪問中の李煥国民党秘書長と会見。
DIA-105-1988-09-01-4台湾1988年09月01日1980年代鉄道運賃値上げ。旅客が12.2%,貨物が20.8%。
DIA-105-1988-09-02-1台湾1988年09月02日1980年代陳履安経済部長,1960年に制定した投資奨励条例は1990年に廃止する,と述べる。
DIA-105-1988-09-02-2台湾1988年09月02日1980年代マレーシアの貿易投資使節団(団長はラフィダ・アジス貿易産業相)一行80余人,台湾を訪問。
DIA-105-1988-09-03-1台湾1988年09月03日1980年代国防部,スウェーデンのBofors兵器会社が防空ミサイル20発を台湾へ売却したとの外電を否定。
DIA-105-1988-09-03-2台湾1988年09月03日1980年代8月31日から台湾を訪問したホンジュラスのロペス外相,台湾と経済協力を強化する共同声明に調印。
DIA-105-1988-09-04-1台湾1988年09月04日1980年代民社党から除籍された沈朝江ら3氏,台中で民社党申央党部を設立。沈朝江氏が党主席。
DIA-105-1988-09-05-1台湾1988年09月05日1980年代台湾省政府,公共施設保留地の買収資金を調達するため,同政府が保有する彰化,華南,第一の3商業銀行の株式(持株比率51%)の一部売却を決定。
DIA-105-1988-09-06-1台湾1988年09月06日1980年代交通部民航局,米マクドネル・ダグラス社と4億4810万ドルに相当するMD-11型旅客機4機(中華航空にリースする)を購入する契約に調印。
DIA-105-1988-09-06-2台湾1988年09月06日1980年代長栄海運,イタリアの海運会社2社との間でスペース・チャーター航海契約を結び,地中海―米東海岸線のコンテナ便を共同運営する,と発表。
DIA-105-1988-09-07-1台湾1988年09月07日1980年代経済部,石油製品価格の平均6.8%引下げ実施。中国石油公司は年間収益が84.9億元減少の見込み。
DIA-105-1988-09-09-1台湾1988年09月09日1980年代国家安全会議,1990年の立法院増補選挙の定員を126名に増加する,と原則的に決定。
DIA-105-1988-09-09-2台湾1988年09月09日1980年代台湾初の中国里帰り船「昌号」,乗客67名を乗せて基隆を出港。那覇で「昌瑞号」に乗り換え上海に向う。
DIA-105-1988-09-11-1台湾1988年09月11日1980年代中央研究院の蘇仲卿,葉永田,周昌弘の3氏,北京で開かれた国際科学連合第22回総会に出席。
DIA-105-1988-09-11-2台湾1988年09月11日1980年代中国の丁関根中央政治局候補委員,国務院台湾事務弁公室主任を兼任。
DIA-105-1988-09-11-3台湾1988年09月11日1980年代マクファーランド前米大統領補佐官,訪台。
DIA-105-1988-09-13-1台湾1988年09月13日1980年代法務部調査局の調査報告によれば,台湾には地下投資公司が263社,その民間資金吸収額は6000億元。
DIA-105-1988-09-15-1台湾1988年09月15日1980年代監察院,高雄市政ビルの不正工事で蘇南成高雄市長ら17名を弾劾する案件を8票対5票で否決。
DIA-105-1988-09-15-2台湾1988年09月15日1980年代交通部,反核分子50名が乗船しているとみられる日本の平和の船「サンフラワー7号」の入港を拒否した,と発表。
DIA-105-1988-09-15-3台湾1988年09月15日1980年代葉昌桐海軍総司令,海軍はまだ韓国からのプリゲート艦6隻の購入を決定していない,と言明。
DIA-105-1988-09-16-1台湾1988年09月16日1980年代台湾の中華オリンピック代表団140名,ソウルで開かれる第24回オリンピック大会に参加。
DIA-105-1988-09-16-2台湾1988年09月16日1980年代台北地裁,「5・20事件」の被告79名にそれぞれ5カ月から3年の有罪判決,12名に無罪判決を言い渡し。
DIA-105-1988-09-16-3台湾1988年09月16日1980年代郭南宏交通部長,長栄海運(エバーグリーン・マリーン)が提出した新国際航空会社の設立申請に賛意。
DIA-105-1988-09-17-1台湾1988年09月17日1980年代北米事務協調委員会の丁懋時台湾駐米代表,ワシントンに着任。
DIA-105-1988-09-17-2台湾1988年09月17日1980年代トヨタ自動車の台湾合弁会社「国瑞汽車」(自動車)と「豊永公司」(部品製造)両社の開業披露式,中市の国瑞汽車工場で挙行。
DIA-105-1988-09-19-1台湾1988年09月19日1980年代鉄道地下化工事で建設した万華駅,使用開始。
DIA-105-1988-09-20-1台湾1988年09月20日1980年代台湾高裁,中国大陸へ初の取材訪問を企画した『自立晩報』の呉豊山社長と李永得記者の控訴審で,1988年3月24日の1審の無罪判決を支持。
DIA-105-1988-09-20-2台湾1988年09月20日1980年代兪国華行政院長,立法院第82会期の施政報告の中で。1988年の1人当りGNPは6000ドルを突破しようと発表。
DIA-105-1988-09-20-3台湾1988年09月20日1980年代郵政総局,ファクシミリを通じて日本,韓国等7カ国に手紙を伝送する「インテルポスト」業務を開始。
DIA-105-1988-09-21-1台湾1988年09月21日1980年代国民党中央常務委員会,9月12日に中国を訪問。李先念全国政治協商会議主席ら中国指導者と会見した胡秋原立法委員を国民党籍から除名する処分を可決。
DIA-105-1988-09-22-1台湾1988年09月22日1980年代行政院,「国際経済協力発展基金の保管および運用規則」を可決。
DIA-105-1988-09-23-1台湾1988年09月23日1980年代台湾の加重平均株価指数,8600ポイントを突破。
DIA-105-1988-09-23-2台湾1988年09月23日1980年代中国和平統一促進会,北京で発足。
DIA-105-1988-09-24-1台湾1988年09月24日1980年代財政部,1989年1月1日から証券取引所得税の徴収を再開する,ただし個人の上場株式売却高が年間300万円を超えない場合,89年1月1日から90年12月31日までの2年間,引き続き所得税の徴収を停止と発表。
DIA-105-1988-09-24-2台湾1988年09月24日1980年代陳履安経済部長,輸出の抑制や台湾元高によって貿易均衡を図るのではなく,輸出を重視しつつ輸入の強化を進めることが現段階の経済政策である,と述べる。
DIA-105-1988-09-26-1台湾1988年09月26日1980年代9月24日カナダに到着した台湾貿易投資訪問団バンクーバーで8340万ドルの小麦購入契約に調印。
DIA-105-1988-09-26-2台湾1988年09月26日1980年代財政部と経済部,台湾の実質関税率を現在の5%から1990年には3%に引き下げる方針を明らかにした。
DIA-105-1988-09-29-1台湾1988年09月29日1980年代台湾の加重平均株価指数,前週終値比175.96ポイント低下の8613.82ポイントとなる。株の急落に怒る投資家約600名,財政部に抗議デモ。
DIA-105-1988-09-30-1台湾1988年09月30日1980年代一般投資家約1000人,立法院を訪れて証券取引所得税の徴収再開の反対を陳情。
DIA-105-1988-10-02-1台湾1988年10月02日1980年代台湾省輸出入公会連合会の林資清理事長を団長とする民間のソ連貿易視察団一行58名,台北を出発,バンコク経由でソ連に向かった。
DIA-105-1988-10-02-2台湾1988年10月02日1980年代台湾省農林庁,1974年に設立された食糧平準基金はすでに760億元の赤字を出していることを明らかにした。
DIA-105-1988-10-03-1台湾1988年10月03日1980年代郭婉容財政部長,(1)年間300万元以上の株式売却に対する課税を同1000万元以上に改める,(2)証券取引税を0.3%から0.15%に半減する,と発表。
DIA-105-1988-10-03-2台湾1988年10月03日1980年代台湾プラスチック,宜蘭で第6ナフサ工場を建設する計画を断念した,と発表。
DIA-105-1988-10-04-1台湾1988年10月04日1980年代国民党中央工作指導小組,海外にいる中国の学者や留学生が台湾の海外駐在機構に台湾の短期訪問の手続(毎回5人以下)を申請することができる,と決定。
DIA-105-1988-10-06-1台湾1988年10月06日1980年代国防部軍事スポークスマン,民進党籍の陳声慶,蒋俊華両大尉の配属転換は正規な人事異動と述べる。
DIA-105-1988-10-07-1台湾1988年10月07日1980年代劉興善立法委員,中央と地方政府の権限を明確化するため,台湾地区を6省に区画することを提案。
DIA-105-1988-10-10-1台湾1988年10月10日1980年代将兵1万3892名が参加した史上最大規模の双十節の軍事パレード,台北の総統府前で行なわれる。李登輝総統,初めて三軍の総帥として閲兵を行なう。
DIA-105-1988-10-11-1台湾1988年10月11日1980年代高雄の漁民1000余名,工場廃水による漁業被害をめぐる補償交渉のもつれで,高雄林園石油化学工業区にデモをかける。区内18工場の大半が操業停止。
DIA-105-1988-10-12-1台湾1988年10月12日1980年代沈昌煥総統府秘書長,台湾の対ソ貿易視察団について,国民党中央常務委員会の席上で強く批判。
DIA-105-1988-10-12-2台湾1988年10月12日1980年代許水徳内政部長,中国に居住する台湾省籍同胞は1346名,うち400名が帰台申請を出している,と述べる。
DIA-105-1988-10-13-1台湾1988年10月13日1980年代連戦外交部長,ソ連に対する台湾の基本政策には何ら変更はなく,現段階における双方の貿易関係は依然,間接方式で維持すべきである,と強調。
DIA-105-1988-10-13-2台湾1988年10月13日1980年代交通部民航局,長栄海運が提出した新国際航空会社の設立申請(初期は貨物便が主体)を許可。
DIA-105-1988-10-13-3台湾1988年10月13日1980年代外交部の陳毓駒スポークスマン,サウジアラビアのバンダル駐米大使がファハド国王の特使として,中国を公式訪問したことについて,台湾は強い関心を持っている,と表明。
DIA-105-1988-10-15-1台湾1988年10月15日1980年代高雄林園石化工業区の公害紛争の補償交渉が解決。18工場の補償金支払額は,(1)北汕等3村居民7500人に対し,1人当り8万元,(2)中芸等4村居民1万1000人に対し,1人当り5万元,など合計12億7000万元。
DIA-105-1988-10-15-2台湾1988年10月15日1980年代国民党と政府の首脳による座談会,人民団体法草案,台湾省政府組織条例草案,第1回中央民意代表退職条例草案,台湾省議会組織条例草案,公職人員選挙・罷免法草案の5法案を優先的に立化法することを決定。
DIA-105-1988-10-16-1台湾1988年10月16日1980年代米国在住の反体制政治家謝聡敏氏,帰台。
DIA-105-1988-10-17-1台湾1988年10月17日1980年代李登輝総統,沈昌煥総統府秘書長の辞任を認め,後任に李元族簇総統府国策顧問を任命。
DIA-105-1988-10-18-1台湾1988年10月18日1980年代ロークス米国在台協会理事長,訪台。
DIA-105-1988-10-19-1台湾1988年10月19日1980年代国民党中央常務委員会,民間貿易視察団のソ連訪問に関する陳履安経済部長の報告を聴取したあと,ソ連との間接貿易は引き続き認めることを確認。
DIA-105-1988-10-20-1台湾1988年10月20日1980年代行政院,輪出入の実績規準を引き下げることを盛り込んだ「大貿易商標準」修正案を可決。
DIA-105-1988-10-20-2台湾1988年10月20日1980年代立法院,「廃棄物処理法部分条文修正案」を可決。
DIA-105-1988-10-20-3台湾1988年10月20日1980年代財政部,331品目の輸入関係税率を最高50%引き下げる,と発表。
DIA-105-1988-10-22-1台湾1988年10月22日1980年代19営業日連続して暴落中の台湾株式市場で,加重平均株価指数は前日比124.33ポイント上昇の5739.66ポイントと回復。
DIA-105-1988-10-23-1台湾1988年10月23日1980年代グアテマラのカブレラ外相とロペス通信・運輸・公共事業相,台湾を訪問。
DIA-105-1988-10-24-1台湾1988年10月24日1980年代中央銀行,120億元の国庫券(91日物が80億元,120日物が40億元)を発行。年利5.5%。
DIA-105-1988-10-24-2台湾1988年10月24日1980年代米財務省,台湾と韓国の通貨当局が人為的に為替操作をしているとの報告を議会に提出。
DIA-105-1988-10-25-1台湾1988年10月25日1980年代台湾省政府,台湾地区の農会会員80数万人が加入する農民健康保険を試験的に実施。
DIA-105-1988-10-25-2台湾1988年10月25日1980年代中国石油公司,米,オランダ等5社との合弁で,エクアドルの16号鉱区での油田試掘に成功した,と発表。16号鉱区の原油生産量は日量1万2116バレルが確認される。
DIA-105-1988-10-26-1台湾1988年10月26日1980年代鄭為元国防部長,参謀総長の任期は総統が情勢の変化に応じて決定する,との見解を表明。
DIA-105-1988-10-27-1台湾1988年10月27日1980年代台北地裁,5月12日中国民航旅客機の乗っ取り犯張慶国と竜貴雲2人に対し,3年半の懲役を判決。
DIA-105-1988-10-29-1台湾1988年10月29日1980年代台湾元の公示価格,前日比0.1元高の1ドル=28.49元。1日の上げ幅としては1979年2月1日に外為市場を開設して以来最高。
DIA-105-1988-10-29-2台湾1988年10月29日1980年代台韓自動車交渉,台湾が韓国製乗用車の1988年度輸入枠を現在の3000台から4000台に引き上げることに同意。
DIA-105-1988-10-29-3台湾1988年10月29日1980年代民進党第3回全国党員代表大会,台中で開催。228名の党員代表が参加。
DIA-105-1988-10-30-1台湾1988年10月30日1980年代民進党3中全会,党員代表の直接選挙により,黄信介氏を同党3代目主席に選出。
DIA-105-1988-10-30-2台湾1988年10月30日1980年代民進党,「台湾の希望はわれわれの手にある」と題する大会宣言を発表,国民党に「全中国を代表する」主張を放棄するよう要求。
DIA-105-1988-10-30-3台湾1988年10月30日1980年代経済部の統計によれば,1987年に台湾の製造業において倒産した企業数は,前年比87.9%増の1364社。
DIA-105-1988-10-30-4台湾1988年10月30日1980年代高速公路局,北部地区第2高速道路の建設について,用地取得難と労働力不足で,1991年に完工することは難しいだろう,という見解を表明。
DIA-105-1988-11-01-1台湾1988年11月01日1980年代台湾元の公示価格,先週末比0.16元高の1ドル328.33元。1日の上昇幅は10月29日の記録を更新。
DIA-105-1988-11-01-2台湾1988年11月01日1980年代李登輝総統,柏村参謀総長の1カ年再留任を発令。
DIA-105-1988-11-02-1台湾1988年11月02日1980年代中国大陸への里帰り解禁満1年。内政部の統計によると,里帰り申請したのは24万6000人で,うち20万9000人が実際に大陸を訪問した。
DIA-105-1988-11-02-2台湾1988年11月02日1980年代米国在住の反体制人士黄三氏,帰台。
DIA-105-1988-11-03-1台湾1988年11月03日1980年代行政院大陸工作会報,(1)大陸住民が親族の病気見舞いや葬儀のため,台湾を訪問できる期間は2カ月,特殊なケースの場合,さらに1回限りで1カ月の延長を認める,(2)訪台申請は4月9日から受理する,と決定。
DIA-105-1988-11-03-2台湾1988年11月03日1980年代毛高文教育部長,台湾の代表が第三国地区で中国と学術,スポーツ等の交流活動を共催することは認められない,と述べる。
DIA-105-1988-11-03-3台湾1988年11月03日1980年代経済部,台湾プラスチックが提出した桃園県観音工業区に第6ナフサ工場(投資額700億元,予定年生産量はエチレン45万トン,プロピレン22万トン,ブタジエン7万5000トン,1991年末完成)を建設する申請を認可。
DIA-105-1988-11-03-4台湾1988年11月03日1980年代財政部,台湾の公営・民営銀行の海外支店・子会社・事務所の設立制限を全面的に撤廃する,と発表。
DIA-105-1988-11-04-1台湾1988年11月04日1980年代財政部,中国から間接輸入される工農原料50品目に対し,最恵国税率(第2欄)を適用する,と決定。
DIA-105-1988-11-04-2台湾1988年11月04日1980年代法務部調査局彰化調査ステーション,台中市の電器商陳威らが中国からピストルなど中国製武器を地元の暴力団に転売したことを摘発。
DIA-105-1988-11-05-1台湾1988年11月05日1980年代基金総額300億元(約10億ドル)の海外経済協力発展基金(陳履安同基金主任委員),正式に発足。
DIA-105-1988-11-05-2台湾1988年11月05日1980年代台湾高等検察処,中国共産党員あるいは反乱分子が肉親の葬儀参列や病気見舞いの身分で,台湾に入境して発覚された場合,国家安全法によって処罰すると表明。
DIA-105-1988-11-09-1台湾1988年11月09日1980年代国防部,服務10年以上の将兵と下士官の現役軍人の海外観光(年1回,15日以内)を認める。
DIA-105-1988-11-09-2台湾1988年11月09日1980年代内政部,中国大陸同胞の来台病気見舞いや葬儀参列の受け付けを開始。
DIA-105-1988-11-09-3台湾1988年11月09日1980年代国民党,中国雲南省西部で起きた大地震被害に対し,党員および社会各界に救援物資を集めるよう呼びかけ。
DIA-105-1988-11-11-1台湾1988年11月11日1980年代中央社によると,台湾プラスチックループは,10月31日の記者会見で,米テキサス州で350億元(12.5億ドル)投資して石油化学プラントを建設すると発表。
DIA-105-1988-11-12-1台湾1988年11月12日1980年代国際貿易局,11月8日現在の台湾の貿易商は5万2656社,生産事業は2万7370社,と発表。
DIA-105-1988-11-13-1台湾1988年11月13日1980年代第2回全国農業会議,台北で開催。
DIA-105-1988-11-13-2台湾1988年11月13日1980年代米下院議員訪台団(団長はロステンコウスキ下院歳入委員長)一行25人,台北に到着。
DIA-105-1988-11-14-1台湾1988年11月14日1980年代中央銀行,120億元の国庫券(182日物が60億元,364日物が60億元)を発行。
DIA-105-1988-11-14-2台湾1988年11月14日1980年代証券管理委員会,株式市場の1日当り価格変動許容幅を各銘柄とも3%から5%に引き上げることを実施。
DIA-105-1988-11-14-3台湾1988年11月14日1980年代鄭為元国防部長,米国と韓国の協力を得て,今後11年間に総費用2490億元に湘当する第2代フリゲート艦建造計画(ミサイル搭載のフリゲート艦8隻と軽フリゲート艦16隻)を明らかにした。
DIA-105-1988-11-14-4台湾1988年11月14日1980年代立法院予算委員会,海軍による韓国の蔚山級軽フリゲート艦6隻購入について,猛烈な質疑を展開。
DIA-105-1988-11-14-5台湾1988年11月14日1980年代清華大学教授でオランダ在住の銭易女史,台湾が11月9日大陸からの台湾への葬儀出席,病気見舞いに限って解禁して以来,大陸中国人として初めて台湾に入境。
DIA-105-1988-11-15-1台湾1988年11月15日1980年代スイスのユニオンバンク,台北に事務所を開設。
DIA-105-1988-11-15-2台湾1988年11月15日1980年代鄭為元国防部長,台湾防衛の前線である金門,馬祖は絶対に放棄しない,と強調。
DIA-105-1988-11-17-1台湾1988年11月17日1980年代行政院,「第1期古参中央民意代表自主退職条例草案」を通過。
DIA-105-1988-11-17-2台湾1988年11月17日1980年代行政院,個人の通信衛星受信用アンテナの取り付けを認可することを決定。
DIA-105-1988-11-19-1台湾1988年11月19日1980年代行政院大陸工作会報,優秀な大陸同胞や海外にいる中国の学者,留学生の台湾訪問を承認。
DIA-105-1988-11-20-1台湾1988年11月20日1980年代『聯合報』,国民大会憲政検討委員会が「三不政策」(接触せず,妥協せず,交渉せず)を「三和政策」(平和共存,平和的競争,平和的統一)に替えるよう政府に提案した,と報道。
DIA-105-1988-11-21-1台湾1988年11月21日1980年代国防部,台湾は目下米国のRCA社と協力して,「長白計画」という防空システム計画を進めているが,物力と財力を考慮して,人工衛星の開発は当面考えていない旨明らかにした。
DIA-105-1988-11-21-2台湾1988年11月21日1980年代台湾政府,北米事務協調委員会を通じて,「米台自由貿易区協定」要望書を米行政部門に正式に提出。
DIA-105-1988-11-22-1台湾1988年11月22日1980年代外交部,大西洋のバハマとの外交関係を樹立することに同意した,と発表。
DIA-105-1988-11-24-1台湾1988年11月24日1980年代財政部,「証券商管理規則」(46条)を公布。
DIA-105-1988-11-24-2台湾1988年11月24日1980年代台湾初の公式ベトナム貿易訪問団一行42名,台北を出発,バンコク経由でホーチミン市など各地を訪問
DIA-105-1988-11-25-1台湾1988年11月25日1980年代台湾・インドネシア第4回経済協力会議,台湾は技術と資金を提供し,インドネシアは原料と人力を提供する旨の共同コミュニケに調印。
DIA-105-1988-11-28-1台湾1988年11月28日1980年代第12回アジア太平洋商工会議所連合総会,台北で開催。
DIA-105-1988-11-29-1台湾1988年11月29日1980年代青年党第15回全国代表大会,李氏を主席に,劉子鵬ら7氏を副主席に選出。
DIA-105-1988-11-29-2台湾1988年11月29日1980年代張継正中央銀行総裁,外貨準備高は740億ドル,9月末より50億ドル増加,と発表。
DIA-105-1988-12-01-1台湾1988年12月01日1980年代台北市の廖兆祥警察局長,1981年7月3日台湾大学図書館の付近で遺体となって発見された米カーネギー・メロン大学の陳文成助教授事件の再調査を命じる。
DIA-105-1988-12-02-1台湾1988年12月02日1980年代行政院大陸工作会報,外国籍の不定期の貨物船や客が中台間を運航する場合,必ず第三国地区の港を経由しなければならない,と決議。
DIA-105-1988-12-05-1台湾1988年12月05日1980年代『経済日報』,辜振甫工商協進会理事長は日米欧など先進7カ国に対して,アジア通貨単位(ACU)の設立を提案した,と報道。
DIA-105-1988-12-05-2台湾1988年12月05日1980年代許水徳内政部長,立法委員の定員が増加したため,1990年の立法委員の選挙区に小選区制が導入されるだろう,と述べる。
DIA-105-1988-12-06-1台湾1988年12月06日1980年代民進党立法委員党団,立法院会で「自主退職条例」等3法案に対する劉濶才主席の審議交付の処理を不満とし,議長席のマイクをたたき壊した。立法院史上,初の警察官導入。
DIA-105-1988-12-08-1台湾1988年12月08日1980年代内政部,台湾の人口政策は家族計画を続行するが,人口のマイナス成長を避けるため,1世帯の子供数は平均2人が望ましい,と指摘。
DIA-105-1988-12-10-1台湾1988年12月10日1980年代台湾が初めて自力で開発した防御型ジェット戦闘機IDFが完成,台中の中山科学研究院航空工業発展センターで出庫式。李登輝総統が「経国号」と命名。
DIA-105-1988-12-11-1台湾1988年12月11日1980年代中央銀行,各銀行の預金準備率を1~2%引き上げ。約600億元の資金が凍結される見込み。
DIA-105-1988-12-13-1台湾1988年12月13日1980年代日台経済交流を促進するための第16回東亜経済人会議,東京で開催。
DIA-105-1988-12-14-1台湾1988年12月14日1980年代連戦外交部長,このほどひそかに,ASEANのインドネシア,マレーシア,シンガポール(12月11日から3日間)を歴訪,帰台。
DIA-105-1988-12-15-1台湾1988年12月15日1980年代兪国華行政院長,ソ連のアルメニア大地震被害に対し,援助方式や金額を検討するよう外交部に指示。
DIA-105-1988-12-15-2台湾1988年12月15日1980年代行政院,「1989年台湾経済建設計画」を採択。経済成長率7%,1人限りGNP6715ドル,農業1.5%,工業5.8%,サービス業8.5%,消費者物価上昇率3%以下。
DIA-105-1988-12-16-1台湾1988年12月16日1980年代行政院原子力委員会の周仁章核エネルギー研究所長,同研究所は国産核反応器の開発と核燃料の研究に力を入れている,と述べる。
DIA-105-1988-12-18-1台湾1988年12月18日1980年代衛生署と環境保護署,デング熱予防治療センターを設立。
DIA-105-1988-12-19-1台湾1988年12月19日1980年代中国に残留している台湾籍元兵士謝源抜氏,台湾籍元兵士として初めて台湾に帰還。
DIA-105-1988-12-19-2台湾1988年12月19日1980年代フィリピンのラウレル副大統領,個人的な身分で3日間台湾を訪問。
DIA-105-1988-12-19-3台湾1988年12月19日1980年代民進党の費希平初代主席,同党内に台湾独立の思想が濃厚であるとともに,ファシズムの気風がみられるとの声明文を発表して,同党から脱退。
DIA-105-1988-12-19-4台湾1988年12月19日1980年代中国外交部,台湾当局がとった中国と国交のある国との復交を図る柔軟外交に対し,「二つの中国」あるいは「一つの中国,一つの台湾」をつくり上げるものだとして批判する声明を発表。
DIA-105-1988-12-20-1台湾1988年12月20日1980年代財政部関税税率委員会,1992年に名目関税率を7%,実効関税率を3.5%まで下げることを決定。
DIA-105-1988-12-20-2台湾1988年12月20日1980年代米ハーバード大学など米国の大学に留学中の中国大陸籍の銭穎一,徐邦泰,許成鋼,斐敏欣,呉牟人ら大学院生5人,台湾を訪問。
DIA-105-1988-12-20-3台湾1988年12月20日1980年代立法院,倪文亜立法院長の辞任および劉濶才副院長を代理院長とすることを決議。
DIA-105-1988-12-20-4台湾1988年12月20日1980年代米国トヨタ自動車販売,米国内で生産した乗用車カムリとカローラ・セダンを台湾に輸出する,と発表。
DIA-105-1988-12-21-1台湾1988年12月21日1980年代行政院,経済部の提出した「対日経済貿易強化計画」,を採択。1990年度予算に57億元を計上。
DIA-105-1988-12-23-1台湾1988年12月23日1980年代『聯合報』,フランス政府はこのほど,米国在台協会をモデルにして「フランス在台協会」を設立した,と報道。
DIA-105-1988-12-24-1台湾1988年12月24日1980年代経済部,サウジアラビア政府が台湾に対し,原油供給量を従来日量10万バレルから1989年には同6万バレル(40%)に減らすことを通告してきた,と発表。
DIA-105-1988-12-25-1台湾1988年12月25日1980年代李登輝総統,台北市で開かれた憲法施行紀念式典で,総統の任期をどう規定するか,深く慎重に検討してほしい,と提案。これより先,国民大会の何宜武秘書長,警察権の行使を指示して,「新総統,新国会」などの横断幕をかついで入場しようとしていた民進党籍国民大会代表11人を排除。
DIA-105-1988-12-26-1台湾1988年12月26日1980年代行政院,1989年より証券取引所得税の徴収再開について,分離課税方式を考慮しない,と表明。
DIA-105-1988-12-28-1台湾1988年12月28日1980年代李模経済部次長,台湾の業者が中国で商標や専売特許を申請することを原則的に認める,と言明。
DIA-105-1988-12-29-1台湾1988年12月29日1980年代行政院,住宅価格の暴騰を抑制するため,今後4年内に17万から22万戸の住宅建築用地の取得をめざす「中低所得者住宅建設計画」を可決。
DIA-105-1988-12-29-2台湾1988年12月29日1980年代呉三連総統府国策顧問,台北で死去,90歳。
DIA-105-1988-12-29-3台湾1988年12月29日1980年代米連邦家庭貸付銀行協会,台湾の太平洋電線電纜公司の米国での関係企業がテキサス州で貯蓄貸付機構8行を買収,と述べる。買収金額は3750万ドル。
DIA-105-1988-12-30-1台湾1988年12月30日1980年代新華社によると,1988年の中台貿易総額は前年比60%増の24億ドル,台湾商人が中国に投資した金額は4億ドル,投資項目は300数件に及ぶという。
DIA-105-1988-12-30-2台湾1988年12月30日1980年代立法院,個人の総合所得税免税額(基礎控除)を3万7000元に引き上げるなどを改正した「1989年度所得税税率条例」を通過。
DIA-105-1989-01-01-1台湾1989年01月01日1980年代国際商品統一分類(HS)制度実施。
DIA-105-1989-01-01-2台湾1989年01月01日1980年代米国,台湾製品に対する一般特恵制度(GSP)の適用資格を除外。
DIA-105-1989-01-01-3台湾1989年01月01日1980年代台湾証券交易所の統計によると1988年の同所証券取引総額は7兆9000億元(約2800億㌦)に達し,東京とニューヨークに次いで世界第3位。
DIA-105-1989-01-03-1台湾1989年01月03日1980年代全米精米業者協会(RMA),台湾産余剰米のダンピング輸出防止と台湾のコメ市場開放を求めて,米政府に通商法301条に基づく提訴を行なう方針である,と言明。
DIA-105-1989-01-04-1台湾1989年01月04日1980年代経済建設委員会,経済部と外交部の共同提案になる「カリブ海および中南米地区に輸出加工区を建設する法案」に原則的に同意。当初はコスタリカやパナマでそれぞれ30haの輸出加工区の建設に着手。
DIA-105-1989-01-05-1台湾1989年01月05日1980年代財政部,証券取引税を0.3%から0.15%へ引下げ。
DIA-105-1989-01-05-2台湾1989年01月05日1980年代米台経済協議,ワシントンで合意-(1)台湾側は米国産七面鳥およびあひるの肉について,1990年9月から全面的に輸入自由化,(2)米側は87年の割当を超過した台湾の工作機械の対米輸出分(731台)について,今後3年間に控除する,など。
DIA-105-1989-01-07-1台湾1989年01月07日1980年代兪国華行政院長,バハマ,ドミニカ,グアテマラの中米3ヵ国を訪問するため,台北を出発。
DIA-105-1989-01-07-2台湾1989年01月07日1980年代張宝樹亜東関係協会理事長,裕仁天皇の逝去に弔電。
DIA-105-1989-01-09-1台湾1989年01月09日1980年代外交部,1月10日から中米のバハマと外交関係を樹立する,と発表。
DIA-105-1989-01-09-2台湾1989年01月09日1980年代李登輝総統,台湾訪問中の米国のロックフェラー上院議員,ライトフード下院議員らと会見。
DIA-105-1989-01-09-3台湾1989年01月09日1980年代財政部,台湾は1988年に354.692㌧,総額51億3200万㌦の金を輸入,世界第1位を占める,と発表。
DIA-105-1989-01-10-1台湾1989年01月10日1980年代兪国華行政院長,バハマのピンドリング首相とナッソーで外交関係樹立の共同コミュニケーに調印。
DIA-105-1989-01-10-2台湾1989年01月10日1980年代中央銀行によれば,1988末現在の台湾の外貨準備高は738億㌦で,前年末に比べ12億㌦余り減少。
DIA-105-1989-01-10-3台湾1989年01月10日1980年代台湾元が急騰,前日比0.16元値上がりして,1㌦=27.87元となった。
DIA-105-1989-01-12-1台湾1989年01月12日1980年代中央銀行,120億元の国庫券(91日期と182日期2種各60億元)を発行。
DIA-105-1989-01-14-1台湾1989年01月14日1980年代マレーシア駐在の殷惟良台湾代表,立法院外交委員会で,台湾はマレーシアと国交がないため,南沙群島海域での台湾漁船をめぐる紛争の解決に著しく難渋している,と強調。
DIA-105-1989-01-16-1台湾1989年01月16日1980年代台湾の工商協進会とタイ国工業総会,経済産業協力合意書に調印。
DIA-105-1989-01-17-1台湾1989年01月17日1980年代外交部,中国外交部が1988年12月19日に,またパリ滞在中の中国の銭其外交部長が89年1月15日にそれぞれ「二つの中国」につながる台湾の弾力外交政策を非難したことについて,台湾政府は今後も引き続き「一つの中国」の基本政策を堅持するとの声明を発表。
DIA-105-1989-01-17-2台湾1989年01月17日1980年代新華社によると,台湾の蓬莢米を積んだインドネシア船がアモイに入港,40年ぶりに台湾米を輸入した。
DIA-105-1989-01-17-3台湾1989年01月17日1980年代経済部,中国大陸産品40品目の間接輸入を許可。これで同部が許可した中国の間接輸入品目は90に達する。
DIA-105-1989-01-17-4台湾1989年01月17日1980年代民進党支持者約1000人,台湾当局が終身立法委員に1人当たり400万元の退職金を支給することに反対するため,立法院周辺でデモを行なう。
DIA-105-1989-01-20-1台湾1989年01月20日1980年代立法院,政党結社の自由を初めて認める「動員戡乱(反乱鎮定)時期人民団体法」を可決。
DIA-105-1989-01-21-1台湾1989年01月21日1980年代台北地方裁判所検査処,栄星花園建設計画(香港の僑福建設が台北に4階建ての商店や駐車場を建設するプロジェクト)の収賄事件に関与した周伯倫(民進党籍),陳俊源(国民党籍)ら台北市議員6人を拘禁。
DIA-105-1989-01-24-1台湾1989年01月24日1980年代経済部の江丙坤国際貿易局長,経済協力開発機構(OECD)がパリで開催した「アジアNIEsとの非公式検討会」で,台湾が関税貿易一般協定(GATT)に加入できるよう協力してほしい,と要請。
DIA-105-1989-01-24-2台湾1989年01月24日1980年代中国石油公司,サウジアラビアが1989年2月から台湾に対する石油供給量を削減前の日量10万バレルに回復することを明らかにした。
DIA-105-1989-01-24-3台湾1989年01月24日1980年代陳履安経済部長,5年以内に台湾の産業汚染問題を徹底的に解決する,と述べる。
DIA-105-1989-01-25-1台湾1989年01月25日1980年代国民党,「人民団体法」の規定に従い,内政部に政党登記の申請書類を提出。
DIA-105-1989-01-26-1台湾1989年01月26日1980年代立法院,「動員戡乱時期公職人員選挙罷免法修正案」と「第1回古参中央民意代表退職条例」を可決。
DIA-105-1989-01-26-2台湾1989年01月26日1980年代米国防総省が議会に提出した報告によると,米国は1990会計年度内に総額6億6000万㌦(うち4億7500万㌦は米国対外兵器販売項目,1億8500万㌦は商業ベース輸出項目)相当の防御性兵器とサービスを台湾に提供。
DIA-105-1989-01-26-3台湾1989年01月26日1980年代経済建設委員会諮問委員会,環境保護問題と労資争議から生じる社会秩序の混乱に重大な関心を表明。
DIA-105-1989-01-28-1台湾1989年01月28日1980年代内政部著作権委員会の王全禄執行秘書,ワシントンでの米台著作権交渉は,著作権の保護期間を著作者の死後50年間とし,1965年に遡って適用することで合意した,と述べる。
DIA-105-1989-01-30-1台湾1989年01月30日1980年代財政部,スペインのサンタンデル銀行が提出した台北代表事務所設立申請を認可。
DIA-105-1989-02-01-1台湾1989年02月01日1980年代経済部,季節別電気料金制を実施。夏季料金(毎年6月10日~10月9日)はその他の期間より高い。
DIA-105-1989-02-03-1台湾1989年02月03日1980年代海外経済協力発展基金管理委員会,同基金から500万㌦を拠出して「アジア開発共同基金」(ADEF)の株式50万株を購入することを決議。
DIA-105-1989-02-03-2台湾1989年02月03日1980年代国家科学委員会とオーストリア国家科学基金,台北で「台湾・オーストリア科学協力覚書」に調印。
DIA-105-1989-02-05-1台湾1989年02月05日1980年代台湾,パラグアイの新政府を承認。
DIA-105-1989-02-09-1台湾1989年02月09日1980年代外交部,1989年1月パリで開かれた化学兵器禁止に関する国際会議について,台湾は化学兵器禁止協定を順守する,と従来の立場を表明。
DIA-105-1989-02-09-2台湾1989年02月09日1980年代米国務省,「1988年の経済政策および貿易慣行に関する国家報告」のなかで,台湾元を主要工業国の通貨同様,世界市場で売買するよう提言。
DIA-105-1989-02-11-1台湾1989年02月11日1980年代中央銀行の兪政副総裁,米国が提言した台湾元の国際化について(10日),台湾経済の実力がまだ小さいため時期尚早である,と反論。
DIA-105-1989-02-11-2台湾1989年02月11日1980年代台湾空軍総司令部,午前9時20分に台東の志航空軍基地を離陸したF5E型ジェット戦闘機(操縦士は林賢順中佐)が10分後に行方不明と発表。中国の新華社,同機が11日朝燃料切れのため,広東省豊順県に墜落,林中佐はパラシュートで脱出,救助されたと報道。
DIA-105-1989-02-11-3台湾1989年02月11日1980年代米商務省の統計によると,1988年に米国が台湾に輸出した金は543万6754オンスで,24億5400万㌦に相当。
DIA-105-1989-02-13-1台湾1989年02月13日1980年代台湾空軍総司令部,林賢順中佐が空軍機で中国へ飛行したことの連帯責任として,台東志航空軍基地737聯隊長の寧建中少将の配置換えを決定。
DIA-105-1989-02-14-1台湾1989年02月14日1980年代内政部,台湾最初の政党証書を国民党に交付。
DIA-105-1989-02-16-1台湾1989年02月16日1980年代『人民日報』,2月11日に広東省豊順県に墜落した台湾空軍機事件について,事故ではなく事実上の亡命であることを明らかにした。
DIA-105-1989-02-16-2台湾1989年02月16日1980年代米国のクラーク東アジア・太平洋担当国務次官補,米国は台湾関係法に従って台湾への武器輸出を続ける,ブッシュ大統領の訪中による影響は受けない,と述べる。
DIA-105-1989-02-17-1台湾1989年02月17日1980年代張継正中央銀行総裁,(1)外貨準備高は最近760億㌦に増加,(2)1988年末の公的対外債務残高は20億㌦以下に減少,と述べる。
DIA-105-1989-02-17-2台湾1989年02月17日1980年代台湾漁船志明号,台湾北東の尖閣諸島近海で韓国漁船山江号と衝突。山江号が沈没したため,台湾船は山江号の僚船3隻によって釜山港に入港(20日)させられた。双方の話し合いで志明号は基隆に帰港(28日)。
DIA-105-1989-02-19-1台湾1989年02月19日1980年代シンガポールのリー・クワンユー首相一行8人,訪台。オン・テンチョン第2副首相が随行。台湾訪問は23日までの5日間。
DIA-105-1989-02-19-2台湾1989年02月19日1980年代国民党,同党への支持基盤を拡大するため,台湾各地で大規模な民衆との対話キャンペーンを展開。
DIA-105-1989-02-20-1台湾1989年02月20日1980年代郭南宏交通部長,台湾とエジプトとの相互着陸権について,双方は暫定的に同意した,と述べる。
DIA-105-1989-02-20-2台湾1989年02月20日1980年代台湾核エネルギー学会の陳蘭皋理事長と日本原子力産業会議の森一久専務理事,台北で核エネルギー施設の安全協力などに関する覚書に調印。
DIA-105-1989-02-21-1台湾1989年02月21日1980年代行政院大陸工作会報,訪台を認められた中国大陸人民が台湾での滞在期限を過ぎても,大陸へ帰るのを拒否した場合は,一律強制送還するなどの措置を決定。
DIA-105-1989-02-22-1台湾1989年02月22日1980年代国家安全会議,中央民意機構増補代表の定員増について,(1)国民大会代表は375人(1992年に230人,任期6年後の98年に145人増やして375人を選出),(2)立法委員は150人(89年に130人,任期3年後の92年に20人増やして150人を選出),(3)監察委員は54人(92年に選出)に増やすことを決定。
DIA-105-1989-02-22-2台湾1989年02月22日1980年代中華航空,1989年6月1日より逐次国内線運航から撤退し,国際線業務を専門に推進することを決定。
DIA-105-1989-02-23-1台湾1989年02月23日1980年代新竹地裁の林敏沢判事ら4氏,同地裁が司法院前第4庁長呉天恵被告(ある事件の容疑者から請託を受けて裁判官に有利な判決を下すよう働きかけた容疑)に無罪の判決を下したことを不満として,集団辞職を表明。
DIA-105-1989-02-24-1台湾1989年02月24日1980年代立法院,第83会期の第1回会議で,院長に劉濶才,副院長に梁粛戎の両氏を選出。
DIA-105-1989-02-24-2台湾1989年02月24日1980年代李登輝総裁,国民党中央社会工作会の趙守博主任を行政院労工委員会主任委員に任命。
DIA-105-1989-02-24-3台湾1989年02月24日1980年代国防相のスポークスマン韋家慶少将,1988年に台湾・澎湖海域20カイリ内に不法に侵入した中国漁船は5200余隻に達した,と述べる。
DIA-105-1989-02-24-4台湾1989年02月24日1980年代亜東関係協会の張宝樹理事長,馬紀壮駐日代表一行,東京で行なわれた昭和天皇の大喪の礼に参列。
DIA-105-1989-02-25-1台湾1989年02月25日1980年代外交部の陳毓駒スポークスマン,ブッシュ米大統領の訪中について,同大統領が台湾海峡両側の仲介人となることはないだろう,と述べる。
DIA-105-1989-02-28-1台湾1989年02月28日1980年代農業委員会の余玉賢主任委員,小麦粉製品の価格上昇に関連して,1988年7月の大口物資輸入開放措置から除外された小麦の輸入自由化問題について検討中,と述べる。
DIA-105-1989-02-28-2台湾1989年02月28日1980年代兪国華行政院長,政府は1995年末までに全国民の健康保険制度を導入する,と発表。
DIA-105-1989-02-28-3台湾1989年02月28日1980年代フィリピン投資審査委員会,台湾の投資者およびフィリピンでの台湾投資は,フィリピン憲法と226号行政命令(1987年包括投資法)で規定されている基本的権利と保障を享受できるとの同委員会の決議を公布。
DIA-105-1989-02-28-4台湾1989年02月28日1980年代政府の調査報告によると,1987年11月の大陸訪問解禁以来25万人の台湾住民が渡航,合計10億㌦を消費した。
DIA-105-1989-03-01-1台湾1989年03月01日1980年代台湾省輸出入公会によると,台湾の民間が1989年10月アルメニア地震救済用に4万200㌦を贈与したことについて,ソ連駐タイ大使は感謝の意を表した。
DIA-105-1989-03-01-2台湾1989年03月01日1980年代中央選挙委員会,年末の増補立法委員選挙に伴い,台湾省の選挙区を従来の6から21に,また台北と高雄両院轄市を北と南の両選挙区に変更したことを可決。
DIA-105-1989-03-01-3台湾1989年03月01日1980年代中央銀行,「空地抵当貸付」および「投資公司貸付」に対し,厳しい信用緊縮措置を実施。
DIA-105-1989-03-02-1台湾1989年03月02日1980年代台湾省労工処,1988年に台湾で発生した労使争議件数は991件(争議参加人数は1万4082人)で,86年の1107件,87年の1037件に比べると減少した,と発表。
DIA-105-1989-03-02-2台湾1989年03月02日1980年代ベイク米国務省スポークスマン,米国は台湾独立運動を支持しないと同時に,台湾問題に対する台湾政策に変更はない,と言明。
DIA-105-1989-03-02-3台湾1989年03月02日1980年代李登輝総統,1552億元を早急に調達して,1989年6月までに公共施設保留地を買収するように財政部に指示。
DIA-105-1989-03-03-1台湾1989年03月03日1980年代米国在台湾協会,米財務省は1945~46年に米政府が租借法案に基づいて中華民国政府に供与した借款の償還を請求する,と発表。金額は元利合計1億8700万㌦。
DIA-105-1989-03-03-2台湾1989年03月03日1980年代台湾籍貨物船「光大2号」,香港から高雄に帰航する途中,外国タバコの密輪の疑いで中国税関の監視船に抑留される。11目夜釈放され,高雄に帰港。
DIA-105-1989-03-04-1台湾1989年03月04日1980年代国民党臨時中央常務委員会,李登輝主席の提出した中央政策会を中央委員会直属に改め,初代の主任委員に立法院党部の林棟書記長を任命する等の議案を可決。
DIA-105-1989-03-06-1台湾1989年03月06日1980年代李登輝総統一行36人,4日間にわたるシンガポール訪問に出発。連戦外交部長,鄭為元国防部長,陳履安経済部長,呉伯雄台北市長,邵玉銘新聞局長らが随行。
DIA-105-1989-03-06-2台湾1989年03月06日1980年代行政院労工委員会の統計によると,台湾内部ですでに2970団体の労働組合が結成され,組合加入者213万190人は労働者総数の38%を占める。
DIA-105-1989-03-06-3台湾1989年03月06日1980年代行政院主計処,台湾における1988年のGNPは1197億㌦に達し,世界第22位にランクされた,と発表。
DIA-105-1989-03-06-4台湾1989年03月06日1980年代国防部,中山科学研究院の技術を民間に移転するため,工業局に技術移転サービスセンターを開設と発表。
DIA-105-1989-03-07-1台湾1989年03月07日1980年代シンガポールを訪間中の低為元国防部長,シンガポールの一部の軍隊が台湾で訓練を行なっている「星光計画」は引き続き実施される,と述べる。
DIA-105-1989-03-09-1台湾1989年03月09日1980年代シンガポール訪問を終え帰台した李登輝総統,空港で記者会見し,シンガポールのリー・クアンユー首相が「台湾から来た李登輝総統」との表現を用いたことについて,「不満だが,受け入れられる」と述べる。
DIA-105-1989-03-09-2台湾1989年03月09日1980年代行政院,「国家体育建設中期計画」(投資額185億元,うち中央政府の負担金額97億元)を承認。
DIA-105-1989-03-10-1台湾1989年03月10日1980年代長栄グループの張栄発理事長,交通部に申請した新航空会社「長栄航空」(資本金100億元)の設立が認可され,1992年に運航を目指す,と発表。
DIA-105-1989-03-10-2台湾1989年03月10日1980年代フランス在台協会,台北で成立。
DIA-105-1989-03-10-3台湾1989年03月10日1980年代行政院主計処,台湾初の国富調査を実施。
DIA-105-1989-03-13-1台湾1989年03月13日1980年代国防部,2月11日の「林順賢中佐中国逃亡事件」で,陳齢空軍総司令官に過失処分,寧建中第737連隊長に免職処分,と発表。
DIA-105-1989-03-14-1台湾1989年03月14日1980年代郭婉容財政部長,証券市場国際化について,(1)海外投資家のファンド購入による間接投資,(2)外国投資機構が台湾証券市場に直接投資,(3)華僑,外国人が本国の証券会社に投資し,台湾の証券業務に参与する,との3段階に分けて実施する,と述べる。
DIA-105-1989-03-15-1台湾1989年03月15日1980年代財政部関税税率委員会,東ドイツ,ハンガリーおよびユーゴスラビアの3ヵ国の輸入品に対し,最恵国税率(第2欄税率)の適用を決議。
DIA-105-1989-03-15-2台湾1989年03月15日1980年代国民党中央常務委員会,鍾栄吉氏を同党中央社会工作会主任に任命する人事案を可決。
DIA-105-1989-03-17-1台湾1989年03月17日1980年代警政署,アイルランド籍のマジル神父に労働運動に参加したとの理由で,強制退去処分。
DIA-105-1989-03-17-2台湾1989年03月17日1980年代訪台中の米国ハイテク製品・技術輸出規制訪問団のニコラス団長,米国は共産国向けハイテク製品等の輸出を防ぐため,台湾にココム並みの輸出規制を要望と言明。
DIA-105-1989-03-19-1台湾1989年03月19日1980年代「フィリピン・台湾便益関係法」草案の主要推進者であるフィリピンのルマイ下院外交委アジア太平洋小委員会委員長一行,訪台。
DIA-105-1989-03-20-1台湾1989年03月20日1980年代第16回日華大陸問題研究会議,東京で開催。
DIA-105-1989-03-21-1台湾1989年03月21日1980年代王建経済部次長,行政院は対外貿易発展協会の在ハンガリー通商事務所開設を認可した,と述べる。
DIA-105-1989-03-23-1台湾1989年03月23日1980年代行政院,信用緊縮,貿易黒字の削減,物資需給の調節,公共投資の拡大など4原則に基づく経済建設委員会が採択した「当面の物価問題対応措置方案」を承認。
DIA-105-1989-03-24-1台湾1989年03月24日1980年代兪国華行政院長,国防部の5ヵ年兵員削減計画では,兵員数を1986年度の54万人から1990年度には51万4635人に減少,また総予算のうち国防支出の占める比率を1990年度には30.4%に引き下げる,と述べる。
DIA-105-1989-03-24-2台湾1989年03月24日1980年代農業委員会,台湾全地域で93の灌漑用水道が深刻に汚染されている,と発表。
DIA-105-1989-03-25-1台湾1989年03月25日1980年代立法院会議,出席委員数(126人)が立法委員総数(884人)の7分の1以上に達しないため,立法院成立以来初めて流会となる。
DIA-105-1989-03-29-1台湾1989年03月29日1980年代台湾初の「社会主義階級政党」を名乗る労働党,正式に成立。
DIA-105-1989-03-30-1台湾1989年03月30日1980年代ベトナムの小型貨物船(500㌧,ニャチャン1号),社会主義国ベトナムの船として初めて高雄港に入港。
DIA-105-1989-03-31-1台湾1989年03月31日1980年代ナウル共和国のデ・ロバート大統領,訪台。
DIA-105-1989-04-01-1台湾1989年04月01日1980年代中央銀行,銀行預金準備率(引上げ幅2~4%),信託投資公司の資金準備率(同2%),公定歩合(同1%),銀行預金最高金利(同0.25~3%)の引上げなど金融引き締め措置を実施。
DIA-105-1989-04-01-2台湾1989年04月01日1980年代第一陣の古参中央民意代表張群,裴存藩,劉延濤ら6人の退職,正式に発効。
DIA-105-1989-04-01-3台湾1989年04月01日1980年代警政署,「外国人不法就労者および在留期限超過者調査処分実施計画」を実施。
DIA-105-1989-04-03-1台湾1989年04月03日1980年代中央銀行,前日仲値の上下各2.25%以内で決定される当日の外為中心レート制度を廃止。廃止前の2日の最後の対米ドル中心レートは1㌦=27.28元。
DIA-105-1989-04-04-1台湾1989年04月04日1980年代鄭為元国防部長,1975年6月10日よりシンガポール軍の訓練を引き受ける「星光計画」を実施してから14年間に合計13万人のシンガポール軍に訓練基地(歩兵は恒春,砲兵は斗六,装甲兵は湖口)を提供したと答弁。
DIA-105-1989-04-06-1台湾1989年04月06日1980年代行政院,1989年5月4日から北京で開かれるアジア開発銀行の第22回年次総会に郭婉容財政部長を団長とする代表団を派遣する,と発表。
DIA-105-1989-04-07-1台湾1989年04月07日1980年代中華台北オリソピック委員会の張豊緒委員長,台湾の選手団の呼称について,北京当局と合意に達し,「中華・台北」(Chinese Taipei)の使用決定を発表。
DIA-105-1989-04-07-2台湾1989年04月07日1980年代『自由時代』誌の発行人鄭南榕氏,同誌に許世楷氏の「台湾共和国憲法草案」を転載した理由で反乱罪の容疑をかけられ,検察への出頭を拒否して焼身自殺。
DIA-105-1989-04-07-3台湾1989年04月07日1980年代行政院主計処,3月の台北地区の消費者物価指数は対前年同月比で4.94%増,1982年1月以来の最高を記録した,と発表。
DIA-105-1989-04-08-1台湾1989年04月08日1980年代連戦外交部長,「一つの中国,二つの対等の政府」という構想を表明。
DIA-105-1989-04-10-1台湾1989年04月10日1980年代バチカンのマカルキス枢機卿,訪台。
DIA-105-1989-04-11-1台湾1989年04月11日1980年代陳履安経済部長,台湾はフロン使用削減を検討しているが,モントリオール議定書に調印して,オゾン層の保護に協力する用意がある,と述べる。
DIA-105-1989-04-12-1台湾1989年04月12日1980年代ホンジュラス共和国のホセ・アスコナ・オヨ大統領,台湾を公式訪問。ロペス外相,パンティング経済相,リカルド三軍総司令官らが随行。4月16日まで滞在。
DIA-105-1989-04-12-2台湾1989年04月12日1980年代行政院労工委員会の趙守博主任委員,台湾にいる不法外国人労働者は約1万5000人,と推定。
DIA-105-1989-04-12-3台湾1989年04月12日1980年代林洋港司法院長,西独,ベルギー,スイス,フランスなど西欧7ヵ国を訪問するため,台北を出発。
DIA-105-1989-04-13-1台湾1989年04月13日1980年代伍廷槐空軍副総司令,台湾の国産戦闘機IDFを8年以内に250機生産する計画である,と述べる。
DIA-105-1989-04-13-2台湾1989年04月13日1980年代経済建設委員会の蕭万長副主任委員,重要公共建設事業の対米優先買付措置(1984年実施)について,今後行政院米台貿易特別小組の裁可を得る必要がなく,自主決定してよい,と述べる。
DIA-105-1989-04-14-1台湾1989年04月14日1980年代故経国総統の長男孝文氏が病死,55歳。
DIA-105-1989-04-14-2台湾1989年04月14日1980年代蕭天讃法務部長,中国が「一つの中国,二つの政府」という台湾側の構想に賢明な反応を示すならば,台湾は「動員戡乱時期臨時条款」(1948年5月20日公布施行)の廃止を検討する,と言明。
DIA-105-1989-04-14-3台湾1989年04月14日1980年代行政院労工委員会の趙守博主任委員,労働力不足は製造業で65.85%,建設業で79.96%,台湾全体では20万9000人に達している,と発表。
DIA-105-1989-04-16-1台湾1989年04月16日1980年代李登輝総統と訪台中のホンジュラスのアスコナ大統領,経済協力の強化などを内容とする共同コミュニケに署名。
DIA-105-1989-04-17-1台湾1989年04月17日1980年代行政院大陸工作会報,(1)現役軍人・警察官や大学・専門学校の校長らを除く公立学校教職員の大陸里帰り,(3)マスメディアの大陸取材や映画撮影,などを許可する新措置を発表。
DIA-105-1989-04-17-2台湾1989年04月17日1980年代中華台北青年体操選手団,4月21日から北京で開かれるアジア・ジュニア体操選手権大会に参加するため,北京に到着。台湾選手団の中国派遣はこれが初めて。
DIA-105-1989-04-17-3台湾1989年04月17日1980年代シンガポールの呉作棟第一副首相兼国防相,訪台。
DIA-105-1989-04-21-1台湾1989年04月21日1980年代中国の上海に逃亡した台湾の殺人犯である楊明宗容疑者,シンガポール警察の手を経て,中国捜査当局から台湾当局に引き渡された。中台双方の警察が犯人引き渡しで協力したのはこれが初めて。
DIA-105-1989-04-22-1台湾1989年04月22日1980年代台北地裁,1988年の「3・29大湖山荘事件」で起訴された朱高正立法委員に有期懲役1年6ヵ月,執行猶予4年の有罪判決を宣告。
DIA-105-1989-04-23-1台湾1989年04月23日1980年代中国新聞社によると,中国広州の『アジア経済時報』紙と台湾の『自立晩報』,『自立早報』紙が業務協力関係を結んだ。中台間の新聞提携合意は初めて。
DIA-105-1989-04-26-1台湾1989年04月26日1980年代国民党中央常務委員会,中国で広がっている学生の民主化運動を積極的に支持することを表明。
DIA-105-1989-04-27-1台湾1989年04月27日1980年代台湾銀行公会,貸出金利の上限を2%引上げることを実施。新金利は中長期13%,短期12%。一方,貸出金利の下限は据え置き。
DIA-105-1989-04-27-2台湾1989年04月27日1980年代米財務省,「国際経済および外為政策」と題する報告の中で,台湾の中央銀行が台湾元の値上げを制約するため,引き続き為替市場に介入を行なっている,と指摘。
DIA-105-1989-04-27-3台湾1989年04月27日1980年代行政院,全品目の61%に相当する4739品目の関税引き下げを通過。平均引ぎ下げ幅は23%,実質関税率は5.7%から4.7%に引き下げられる。
DIA-105-1989-04-28-1台湾1989年04月28日1980年代米通商代表部,発表した1989年外国貿易障壁報告の中で,包括通商法スーパー301条の対象候補国として,台湾を含む34ヵ国,地域を取り上げる。
DIA-105-1989-04-28-2台湾1989年04月28日1980年代1㌦=25.96台湾元と史上初めて25元台に突入。
DIA-105-1989-05-01-1台湾1989年05月01日1980年代財政部,日用品,建材,農工原料など378品目の関税率の1年間引き下げを実施。
DIA-105-1989-05-01-2台湾1989年05月01日1980年代郭婉容財政部長一行12人,アジア開発銀行(ADB)の第22回年次総会に出席するため,北京に到着。
DIA-105-1989-05-04-1台湾1989年05月04日1980年代北京でのADB総会の開幕式典に出席した郭婉容財政部長を団長とする台湾代表団,楊尚昆中国国家主席が入場したとき,および中国の国歌が演奏されたとき,ほかの参加国の代表団とともに起立。
DIA-105-1989-05-05-1台湾1989年05月05日1980年代郭婉容財政部長,ADB総会で演説を行ない,「中華民国はADBの創設会員国であり,その名称が勝手に変更されたこと(中国台北)に対し,重ねて厳正な抗議を表明する」と述べる。
DIA-105-1989-05-05-2台湾1989年05月05日1980年代行政院大陸工作会報,中国大陸住民の台湾内の遺産相続権を認める規定を決定。それによると,大陸側の相続分は2分の1,最高200万元となっている。
DIA-105-1989-05-05-3台湾1989年05月05日1980年代340人の媽祖信徒,神事のため,空路と海路に分けて中国福建省の州島訪問のため出発を敢行。
DIA-105-1989-05-06-1台湾1989年05月06日1980年代米ブレイディ財務長官,米上院銀行委員会の公聴会で,台湾元の切り上げは合理的水準にある,と発言。
DIA-105-1989-05-06-2台湾1989年05月06日1980年代行政院主計処,4月の消費者物価指数は前年同月比5.72%増,1982年1月以来の最高を記録した,と発表。
DIA-105-1989-05-08-1台湾1989年05月08日1980年代海軍総司令部と中国造船公司,PFG-2型ミサイル・フリゲート艦の建造契約に調印。
DIA-105-1989-05-09-1台湾1989年05月09日1980年代行政院大陸工作会報,中国大陸地区で発行された書類は,行政院が指定ないし設立した機構もしくは委託した人民団体の証明があれば,その効力を認める,などの規定を決定。
DIA-105-1989-05-09-2台湾1989年05月09日1980年代立法院,「華僑帰国投資条例」および「外国人投資条例」の修正案を可決。それによると,華僑・外国人の高度公害排出業種などへの投資は禁止されている。
DIA-105-1989-05-10-1台湾1989年05月10日1980年代経済建設委員会,1996年の開通をめざす「中南部区域第2高速道路建設計画」(本線436km,支線531km)を可決。
DIA-105-1989-05-10-2台湾1989年05月10日1980年代米国政府,国防総省が台湾に対して,売却価格4400万㌦相当の艦載防空ミサイル(SM1標準型)88基を供与することに同意した,と発表。
DIA-105-1989-05-12-1台湾1989年05月12日1980年代内政部,政党証書を民主進歩党に交付。
DIA-105-1989-05-12-2台湾1989年05月12日1980年代中華開発信託,フィリピン開発銀行と協力覚書交換。
DIA-105-1989-05-14-1台湾1989年05月14日1980年代ソ連太平洋経済協力委員会のアクラマコフ事務総長とソ連アカデミー世界経済国際関係研究所のイワノフ地域経済部長,オブザーバーとして台北で開かれる太平洋経済委員会(PECC)第22回国際年次総会に出席するため,台湾を訪問。ソ連政府関係者の訪台は初めて。
DIA-105-1989-05-15-1台湾1989年05月15日1980年代クローズド・エンド型の「中華民国台湾ファンド」(発行株数410万2000余株,上場価格1株14.55㌦),ニューヨーク証券取引所で上場。
DIA-105-1989-05-15-2台湾1989年05月15日1980年代施啓揚行政院副院長,特使としてパラグアイのロドリゲス大統領の就任式に列席。
DIA-105-1989-05-16-1台湾1989年05月16日1980年代台湾農民聯盟約600人,農民の権益を守るため,農業委員会や立法院の前でデモ。
DIA-105-1989-05-16-2台湾1989年05月16日1980年代対外貿易発展協会,ソ連に市場調査団を派遣。1988年10月の民間のソ連貿易視察団に次いでこれが2度目。
DIA-105-1989-05-16-3台湾1989年05月16日1980年代太平洋経済委員会第22回国際年次総会,台北で開催。
DIA-105-1989-05-18-1台湾1989年05月18日1980年代行政院,「自動車工業発展方針」の6ヵ年計画の修正を決定。小型乗用車と小型トラックの輸入関税率を1991年には30%まで引き下げるのが修正の重点。
DIA-105-1989-05-19-1台湾1989年05月19日1980年代台湾独立活動家鄭南榕氏の葬儀デモが台北で行なわれ,密入国した反体制派の陳婉真女史が姿を現わす一方,高雄県農権会の幹部詹益樺氏が焼身自殺。
DIA-105-1989-05-19-2台湾1989年05月19日1980年代台湾とタイの第1回経済協力会議,台北で開催。
DIA-105-1989-05-21-1台湾1989年05月21日1980年代李登輝総統,兪国華行政院長の辞表を正式に受理するとともに,後任に李煥国民党秘書長を指名。
DIA-105-1989-05-21-2台湾1989年05月21日1980年代邵玉銘新聞局長,中国の民主化運動について,台湾政府と国民は中国大陸同胞の自由と民主化を求める行動を支援する,との声明文を発表。
DIA-105-1989-05-23-1台湾1989年05月23日1980年代南アフリカ共和国のポタ外相,訪台。
DIA-105-1989-05-23-2台湾1989年05月23日1980年代行政院大陸工作会報,中国共産党員の台湾への入国は条件付きで認めることを決定。
DIA-105-1989-05-24-1台湾1989年05月24日1980年代国民党の沈昌煥中央常務委員,中国の民主化運動について,台湾の大陸関係部門が冷淡な態度をとっているのは理解できない,と批判。
DIA-105-1989-05-24-2台湾1989年05月24日1980年代立法院,1990年度(89年7月~90年6月)中央政府総予算案を可決。歳出,歳入ともに6804億3900万元,国防費の比率は89年度の34%から30.2%に引下げられた。
DIA-105-1989-05-25-1台湾1989年05月25日1980年代行政院,公共施設保留地の買上資金調達および資本市場拡大のため,省営第一,華南,彰化の商業銀行3行の公有株を51%保留して残りを売却することを承認。
DIA-105-1989-05-25-2台湾1989年05月25日1980年代経済建設委員会,米国が台湾を包括通商法スーパー301条適用対象国リストに入れなかったことを「賢明な決定」と評価。しかし,台湾は監視リストの最優先関心国にリストアップされている。
DIA-105-1989-05-25-3台湾1989年05月25日1980年代李登輝総統,謝森中・交通銀行理事長を中央銀行総裁に任命。
DIA-105-1989-05-28-1台湾1989年05月28日1980年代「経国号」と命名された台湾初の国産防御戦闘機(IDF),台湾中部の空軍基地でテスト飛行に成功。
DIA-105-1989-05-30-1台湾1989年05月30日1980年代立法院,李登輝総統が李煥国民党秘書長を第12代行政院長に指名する提案に対し,投票数250のうち賛成217票,反対24票,無効票9票で同意。得票率86.8%。
DIA-105-1989-05-31-1台湾1989年05月31日1980年代米国防総省,台湾に対する1億8000万㌦の航空機部品などの売却を承認した旨下院に通告。
DIA-105-1989-06-01-1台湾1989年06月01日1980年代李煥内閣発足。閣僚平均年齢60.46歳。
DIA-105-1989-06-01-2台湾1989年06月01日1980年代宋楚瑜国民党副秘書長,秘書長代理に就任。
DIA-105-1989-06-01-3台湾1989年06月01日1980年代国家安全会議の緯国秘書長,特使としてエルサルバドルのクリスチアニ大統領の就任式典に参列。
DIA-105-1989-06-01-4台湾1989年06月01日1980年代李登輝総統,辞任した兪国華行政院長を総統府資政に招聘。
DIA-105-1989-06-01-5台湾1989年06月01日1980年代英国貿易促進会,台湾住民の英国への入国ビザ手続きを台北で受理開始。
DIA-105-1989-06-03-1台湾1989年06月03日1980年代国民党第13期中央委員会第2回全体会議および中央評議委員会第2回会議(2中全会),台北で開催。
DIA-105-1989-06-04-1台湾1989年06月04日1980年代李登輝総統,中国の北京・天安門広場での民主化要求運動に対する武力鎮圧について,「ただちに虐殺を停止するように中共に要求する」との声明文を発表。
DIA-105-1989-06-05-1台湾1989年06月05日1980年代宋楚瑜国民党秘書長代理,秘書長に昇格。
DIA-105-1989-06-05-2台湾1989年06月05日1980年代国民党2中全会,中央常務委員31人の留任を決定。
DIA-105-1989-06-07-1台湾1989年06月07日1980年代教育部,明徳基金会が申請した中国の民主化運動家方励之夫妻の台湾訪問を認可。
DIA-105-1989-06-07-2台湾1989年06月07日1980年代行政院大陸工作会報,中国の旅券を放棄した大陸出身者の留学生や学者に台湾旅券の発給を考慮する,などの内容を盛り込んだ「大陸民主化運動支援措置」を決定。
DIA-105-1989-06-07-3台湾1989年06月07日1980年代北米事務協調会の丁懋時駐米代表,万一台湾海峡に戦争が発生すれば,米国は台湾関係法で処理しよう,と立法院で台米関係について報告。
DIA-105-1989-06-08-1台湾1989年06月08日1980年代行政院大陸工作会報,中国との民間間接電話対話,郵便通信を開放する,と決定。
DIA-105-1989-06-09-1台湾1989年06月09日1980年代経済建設委員会,「14項目建設工事人力需求対応措置方案」を採択,その中で条件付きで外国人労働者の導入をケース・バイ・ケースで認める。
DIA-105-1989-06-09-2台湾1989年06月09日1980年代台北地裁,1987年の「1・12事件」の被告謝長廷に1年6ヵ月,江蓋世と呉東沂にそれぞれ1年,許承宗に9ヵ月の有期懲役を判決。
DIA-105-1989-06-10-1台湾1989年06月10日1980年代交通部,午前9時から中国との第3国中継による国際ダイヤル通話を開放。
DIA-105-1989-06-10-2台湾1989年06月10日1980年代中央銀行,1人当りの海外からの年間送金額上限を従来の5万㌦から20万㌦に引き上げる,と発表。
DIA-105-1989-06-10-3台湾1989年06月10日1980年代亜東関係協会の馬紀壮駐日代表,台湾と日本の関係は安定して発展している,と立法院で報告。
DIA-105-1989-06-12-1台湾1989年06月12日1980年代ソロモン米国務次官補,米国が1982年7月14日に行った台湾に対する6項目(台湾への兵器供与の最終期日を設定しないことなど)の保証は,依然として米国の対台湾基本政策である,と述べる。
DIA-105-1989-06-13-1台湾1989年06月13日1980年代李煥行政院長,立法院で初の施政報告を行ない,主導的かつ積極的に大陸工作を展開する,と強調。
DIA-105-1989-06-16-1台湾1989年06月16日1980年代中央銀行,(1)住宅融資の最高限度を500万元に引き上げる,(2)中小企業およびハイテク産業に対し200億元の低利融資を提供する,(3)100万元以上の大型預金の金利協議制を廃止する,など3項目の金融措置を発表。
DIA-105-1989-06-16-2台湾1989年06月16日1980年代台湾県市長訪米友好代表団一行6人,台北を出発。
DIA-105-1989-06-19-1台湾1989年06月19日1980年代行政院香港・マカオ小組の施啓揚座長,香港住民の台湾移住の手続を簡略化するとともに,第3国移住の場合にも協力する,と述べる。
DIA-105-1989-06-19-2台湾1989年06月19日1980年代台湾の19日の株価指数,1万105.81ポイント(1966年=100)と史上初めての1万ポイントを突破。ただし,6月17日には瞬間的に1万13.42ポイントを記録。
DIA-105-1989-06-19-3台湾1989年06月19日1980年代エルサルバドルのメリノ副大統領一行8人,訪台。
DIA-105-1989-06-20-1台湾1989年06月20日1980年代李煥行政院長,「政府は軍事反攻をとらず,政治反攻によって中共政権を打倒する」と強調。
DIA-105-1989-06-20-2台湾1989年06月20日1980年代台湾初の自動車電話が使用開始。
DIA-105-1989-06-20-3台湾1989年06月20日1980年代台北での米台知的所有権会議,台湾側が知的所有権白書をまとめ,知的所有権の保護範囲,法律に基づく執行措置などを作成することで合意。
DIA-105-1989-06-21-1台湾1989年06月21日1980年代財政部証券管理委員会(SEC),台湾における外国証券会社の支店設置を認めると同時に,当面はその数を3社に限定する,と発表。
DIA-105-1989-06-23-1台湾1989年06月23日1980年代行政院大陸工作会報,台湾地区の人民や機構が大陸地区と間接の商品,サービス貿易を行なうことは従来通り認可するが,大陸地区で投資および技術協力を行うことは禁止する,との規定を決定。
DIA-105-1989-06-26-1台湾1989年06月26日1980年代「中国(台湾)」の名称でフィジーの首都スバで開かれた「南太平洋海域流し網漁業会議」に出席した台湾代表,流し網漁業禁止要請を拒否。
DIA-105-1989-06-26-2台湾1989年06月26日1980年代日本と台湾を基軸にアジアの将来を考える「アジア・オープン・フォーラム」第1回台北会議開幕。
DIA-105-1989-06-26-3台湾1989年06月26日1980年代台北地検,密入国した反体制派の陳婉真女史を国家安全法違反容疑で起訴(→5/19)。
DIA-105-1989-06-27-1台湾1989年06月27日1980年代永興航空のセスナ機,高雄国際空港で墜落,乗客乗員12人死亡。
DIA-105-1989-06-27-2台湾1989年06月27日1980年代経済部と行政院労工委員会共催の1989年全国労資関係会議,11年ぶりに台北で開催。
DIA-105-1989-06-28-1台湾1989年06月28日1980年代財政部,第2高速道路第2期建設公債190億元(年利10.75%)を発行。
DIA-105-1989-06-28-2台湾1989年06月28日1980年代外交部,世界各地の駐在機関に正式の通達を発し,台湾旅券への切り替えを望む中国大陸の留学生に対する旅券発給事務を開始するよう指示。
DIA-105-1989-06-29-1台湾1989年06月29日1980年代李登輝総統,韓国国会外務統一委員会の金顕煜委員長を団長とする国会議員訪台団一行6人と会見。
DIA-105-1989-06-30-1台湾1989年06月30日1980年代米台漁業代表,ワシントンで行なわれた第3回台米漁業会議で,北太平洋での流し網漁業に関する双方の合意事項に仮調印。台湾側は互恵の原則の下に操業規定違反の台湾漁船に対する米国側の臨検に同意。
DIA-105-1989-07-01-1台湾1989年07月01日1980年代交通部電信総局,付加価値通信網(VAN)の6項目の業務を実施。
DIA-105-1989-07-01-2台湾1989年07月01日1980年代公務員給与12%引上げ。
DIA-105-1989-07-01-3台湾1989年07月01日1980年代基本賃金8820元に引き上げ(現行基本賃金8130元は1988年7月1日から実施)。
DIA-105-1989-07-01-4台湾1989年07月01日1980年代台湾地区農民健康保険,全面的に実施。
DIA-105-1989-07-01-5台湾1989年07月01日1980年代中華航空,台北-カイロ定期便の第1号機として桃園国際空港を飛び立つ。
DIA-105-1989-07-03-1台湾1989年07月03日1980年代北京市国家安全局,民主化運動指導者と接触した台湾紙『自立晩報』北京特派員の黄徳北記者を拘置。
DIA-105-1989-07-05-1台湾1989年07月05日1980年代経済建設委員会,「台湾地区総合エネルギー計画(1989-2000年)」を承認。計画所要資金は9934億元で,うち30%がエネルギー環境保護設備に投下される。
DIA-105-1989-07-05-2台湾1989年07月05日1980年代経済部工業局の高幸陽主任秘書,台湾の自動車市場において,今年6月に外国輸入車の販売台数シェアが50%を超え,初めて国産車を上回った,と述べる。
DIA-105-1989-07-06-1台湾1989年07月06日1980年代台北地裁,栄星花園建設計画収賄事件の被告周伯倫に9年,陳俊源に8年,周陳阿春に3年6ヵ月の有期懲役を判決。ほか14人の被告は無罪。
DIA-105-1989-07-07-1台湾1989年07月07日1980年代行政院大陸工作会報,台湾訪問を認められた海外にいる中国留学生や学者らの台湾での滞在期間は原則として15日間とすることを決定。
DIA-105-1989-07-09-1台湾1989年07月09日1980年代台湾省1988年家庭収支調査によると,1戸当りの平均所得は前年比12.28%増の44万8315元,1人当りの平均所得は前年比14.98%増の10万3200元。
DIA-105-1989-07-11-1台湾1989年07月11日1980年代立法院,「銀行法部分条文修正案」(7月19日施行)を通過。修正案の主なポイントは,(1)民間の銀行業務への参入を許可,(2)預貸金利の自由化,(3)地下投資公司の取り締り,など。
DIA-105-1989-07-11-2台湾1989年07月11日1980年代北京市国家安全局,学生運動指導者の王丹氏と接触した容疑で,7月3日に拘置された台湾紙『自立晩報』の黄徳北記者を国外追放。また,同紙の徐記者にも48時間以内の国外退去を命じた。
DIA-105-1989-07-13-1台湾1989年07月13日1980年代非合法投資公司の鴻源機構,出資者の出資金払戻しを3ヵ月停止する,と発表。
DIA-105-1989-07-13-2台湾1989年07月13日1980年代行政院,「第2高速道路後続建設計画」を承認。4455億元投下して1996年末までに工事完了,全長430.7km。
DIA-105-1989-07-14-1台湾1989年07月14日1980年代財政部,「商業銀行の設立基準」草案を公表。新規に設立する銀行の最低資本金は100億元と規定。
DIA-105-1989-07-14-2台湾1989年07月14日1980年代米台著作権保護協定,ワシントンで仮調印。
DIA-105-1989-07-14-3台湾1989年07月14日1980年代行政院大陸工作会報,禁止令に違反して中国と直接貿易,投資,技術協力を行なった場合,3年以下の有期懲役または300万元以下の罰金に処する,と決定。
DIA-105-1989-07-15-1台湾1989年07月15日1980年代内政部,台湾地区の人口は初めて2000万人台を突破した,と発表。
DIA-105-1989-07-17-1台湾1989年07月17日1980年代李煥行政院長,地下投資公司問題を処理する特別小組の設置を指示。
DIA-105-1989-07-20-1台湾1989年07月20日1980年代外交部,1985年10月に中国と国交を結んだ中米のグレナダと外交関係を樹立した,と発表。
DIA-105-1989-07-22-1台湾1989年07月22日1980年代施啓揚行政院副院長,台湾訪問中のインドネシアのハルモコ情報相と会見,双方の高官の相互訪問を希望すると表明。
DIA-105-1989-07-25-1台湾1989年07月25日1980年代経済建設委員会,公営事業民営化推進小組第1回会議を台北で開催。座長は同委員会の銭復主任委員。
DIA-105-1989-07-25-2台湾1989年07月25日1980年代外交部の章孝厳政務次長,米国側は台湾側が提出した双方の係官立ち合いのもとで,台湾漁船「松慶1号」のサケ違法漁獲を確認するため,上船検査する提案について同意したことを明らかにした。
DIA-105-1989-07-25-3台湾1989年07月25日1980年代第14回日台経済貿易会議,東京で開催。
DIA-105-1989-07-26-1台湾1989年07月26日1980年代フランス上院台湾友好訪問団(団長はフォッシュ議員)一行8人,台湾を訪問。
DIA-105-1989-07-26-2台湾1989年07月26日1980年代経済建設委員会,第10期経済建設中期計画(1990-93年)ならびに1990年経済建設計画を採択。今後4年間の年平均経済成長率を7%,1993年の国民総生産(GNP)を2000億㌦,1人当り平均国民所得を1万㌦と設定。
DIA-105-1989-07-27-1台湾1989年07月27日1980年代台中県および南投県を中心とする台湾中部地域が豪雨に見舞われ,少なくとも10人が死亡。
DIA-105-1989-07-27-2台湾1989年07月27日1980年代警政署の統計によると,7月13日現在,台湾に滞在する在留期限を過ぎた不法外国人は3万1511人で,うちマレーシア人が1万4317人,フィリピン人が6117人。
DIA-105-1989-07-28-1台湾1989年07月28日1980年代連戦外交部長,エジプト,フランス,オーストリア,ノルウエー,スウェーデン,タイ諸国の21日間にわたる歴訪を終えて帰国。
DIA-105-1989-07-28-2台湾1989年07月28日1980年代刑事警察局,国際刑事警察機構(ICPO)を通じて,中国政府に中国大陸製武器の台湾への大量密輸の阻止に協力するよう要請。
DIA-105-1989-07-28-3台湾1989年07月28日1980年代24日から台北で開催された第22回台韓経済協力会議,台湾の韓国車の輸入枠を1988年の4000台から向う4年間にわたり毎年30%ずつ増加させることに同意。
DIA-105-1989-07-28-4台湾1989年07月28日1980年代農業委員会,豪雨に見舞われた雲林県,南投県,彰化県,台中県,台中市,苗栗県など6県市を農漁業自然災害区に指定した,と発表。
DIA-105-1989-07-29-1台湾1989年07月29日1980年代民進党第3回全国党員代表大会第2次臨時大会,陽明山中山楼で開催。国民党中央政策会の洪玉欽副主任委員が来賓として出席。
DIA-105-1989-07-30-1台湾1989年07月30日1980年代民進党臨時大会,党主席の任期を現行の1年から2年に延長することを決定。また,党中央5人小組が提出した「当面の重大行動綱領」を採択。
DIA-105-1989-07-31-1台湾1989年07月31日1980年代台北地裁,不法入国罪で起訴された反体制派の陳婉真被告に有期懲役5ヵ月または罰金刑を判決。
DIA-105-1989-08-02-1台湾1989年08月02日1980年代行政院の施啓揚副院長,香港が中国に返還される1997年後も,香港とマカオ駐在の台湾の人員と機構を存続させる,と言明。
DIA-105-1989-08-02-2台湾1989年08月02日1980年代香港紙『東方日報』,ベトナムのホーチミン市長を代表とする一行5人がこのほど極秘に台湾を訪問と報道。
DIA-105-1989-08-02-3台湾1989年08月02日1980年代経済建設委員会の蕭万長副主任委員,台湾が航空宇宙産業を発展させる時期はすでに成熟,2000年には生産高60億㌦に達する見込みである,と述べる。
DIA-105-1989-08-02-4台湾1989年08月02日1980年代エルサルバドルのアルバレンガ国会議長,訪台。
DIA-105-1989-08-03-1台湾1989年08月03日1980年代公営事業民営化推進小組第2回会議,民営化第1陣の公営企業として,中国鋼鉄,中国石油化学,華南,第一,彰化の3商業銀行,唐栄公司,中興紙業,農工企業公司および高雄硫酸アンモニア公司を指定。
DIA-105-1989-08-04-1台湾1989年08月04日1980年代経済部,今後5年間に50億元を投資して,新竹科学園区に半導体工場を設立する計画を決定。
DIA-105-1989-08-05-1台湾1989年08月05日1980年代栄民総医院,「人体器官移植条例」が公布された後の初の肝臓移植手術を行なう。
DIA-105-1989-08-07-1台湾1989年08月07日1980年代中央銀行,1日から1年までの期間の外資を台湾内の銀行同士で取引するコール市場を開設。
DIA-105-1989-08-07-2台湾1989年08月07日1980年代台湾・南アフリカ経済技術協力会議,台北で開催。
DIA-105-1989-08-09-1台湾1989年08月09日1980年代財政部,消費財を中心に4738品目の輸入関税率を平均23%引ぎ下げると同時に,金塊輸入に対する課税の撤廃を実施。
DIA-105-1989-08-09-2台湾1989年08月09日1980年代農業委員会,最近の一連の漁業不祥事件にかんがみ,今後1年間は一切の新しい漁業許可証の発行を停止するとともに,漁船の輸入や建造も認めない,と発表。
DIA-105-1989-08-09-3台湾1989年08月09日1980年代外交部,台湾住民の出入国は法によって定められるが,ブラックリストというのは存在しない,と強調。
DIA-105-1989-08-09-4台湾1989年08月09日1980年代労工委員会,本国人および外国人労働者の就業などを規定する「就業サービス法」を「国民就業法」と改称。
DIA-105-1989-08-09-5台湾1989年08月09日1980年代李煥行政院長,海部・日本新首相に祝電。
DIA-105-1989-08-11-1台湾1989年08月11日1980年代世界台湾同郷会連合会第16回年次大会,高雄市で開催。ひそかに入国した同会の李憲栄会長および「台湾独立建国連盟」の蔡正隆中央委員が会場に現われる。
DIA-105-1989-08-12-1台湾1989年08月12日1980年代台湾省輸出入公会シベリア貿易視察団(団長は林資清同公会理事長),バンコク経由で訪ソ。
DIA-105-1989-08-14-1台湾1989年08月14日1980年代教育部が台湾訪問を許可した中国大陸の米国留学生16人,台北に到着。
DIA-105-1989-08-14-2台湾1989年08月14日1980年代李煥行政院長・政府は原則的には外国人労働者の導入を考慮しないが,特定の需要がある場合には特別方式による導入を考慮してもよい,と述べる。
DIA-105-1989-08-14-3台湾1989年08月14日1980年代公営事業民営化推進小組,8月3日に決定された民営化の対象となった公営事業9社にさらに中国造船,台湾機械,中華工程など10社を加えることを確定。
DIA-105-1989-08-15-1台湾1989年08月15日1980年代警政署外事警官隊,世界台湾同郷会の李憲栄会長に対し7日間以内の出国命令の通知書を交付した,と言明。同警官隊は18日,同郷会の羅益世,蔡正隆両氏に対しても同じ措置をとった。李氏は8月25日出国。羅,蔡両氏は8月26日強制出国。
DIA-105-1989-08-16-1台湾1989年08月16日1980年代行政院台米漁業協力委員会,台湾漁船の保護強化のため,「漁業パトロール・保護船隊」の創設を決定。
DIA-105-1989-08-19-1台湾1989年08月19日1980年代労工委員会の洪慶麟副主任委員,「14項目建設工事人力需求対応措置方案」は,14項目建設の施工部門が非技術性の肉体労働の外国人労働者を雇用しうる唯一の根拠である,と述べる。
DIA-105-1989-08-21-1台湾1989年08月21日1980年代行政院大陸工作会報,台湾地区に不法入境した大陸地区の人民を雇用した者または就業を斡旋した者に対しては10万~50万元,違反事由が重大な者に対しては20万~100万元の罰金刑を科す,と決定。
DIA-105-1989-08-23-1台湾1989年08月23日1980年代中央銀行,公定歩合を2.25%,貸出金利を2~2.5%引上げることを実施。
DIA-105-1989-08-23-2台湾1989年08月23日1980年代行政院主計処,1989年のGNP総額は1514億㌦,1人当りGNPは7571㌦に達するだろう,と予測。
DIA-105-1989-08-23-3台湾1989年08月23日1980年代経済建設委員会,台湾電力公司の提出した「1990年緊急タービン発電機発電計画」を採択。台中火力発電所地点に緊急にタービン発電機4基,発電能力合計32万8000kWを建設し,90年7月に完工して電力供給を行なう。
DIA-105-1989-08-23-4台湾1989年08月23日1980年代劉濶才立法院長,韓国を訪問。
DIA-105-1989-08-24-1台湾1989年08月24日1980年代中央銀行の謝森中総裁,8月18日現在の外貨準備高は744億㌦,と発表。
DIA-105-1989-08-24-2台湾1989年08月24日1980年代米台北太平洋流し網漁業管理協定,ワシントンで調印,正式に発効。有効期限は1990年末まで。
DIA-105-1989-08-25-1台湾1989年08月25日1980年代国民党籍の趙少康立法委員らを中心とする「新国民党連線」,台北で結成。
DIA-105-1989-08-25-2台湾1989年08月25日1980年代8月21日からオーストラリアで開かれた第22回世界反共連盟大会の出席を拒否された台湾代表団の趙自斉団長,オーストラリア政府の措置に抗議の談話を発表。
DIA-105-1989-08-25-3台湾1989年08月25日1980年代台韓フルーツ貿易会議,89年9月からの1年間,台湾が韓国産なし2750㌧とりんご5500㌧を輸入,これと同額のバナナ160万カートンを韓国に輸出することに合意。
DIA-105-1989-08-26-1台湾1989年08月26日1980年代カタツムリ族と自称する「無住宅者団結組織」の市民約2万人,台北市で抗議デモを展開。
DIA-105-1989-08-26-2台湾1989年08月26日1980年代台湾の漁業行政担当官と海上警察官14人,「栄安」号と「海鶴」号2隻の巡視船に分乗し,4ヵ月にわたる北太平洋での台湾漁船の護衛と不法漁獲の監視で出発。
DIA-105-1989-08-27-1台湾1989年08月27日1980年代台北の株式市場での取引高1941億元(約75億㌦),1日当りの取引高として史上最高。
DIA-105-1989-08-30-1台湾1989年08月30日1980年代グアテマラ共和国のセレソ大統領,9月4日まで台湾を公式訪問。パレンシア外相,ピネダ経済相,ミシャーン大統領府相が随行。
DIA-105-1989-09-01-1台湾1989年09月01日1980年代台北新駅(地上6階,地下4階),使用開始。
DIA-105-1989-09-01-2台湾1989年09月01日1980年代許柯生国際貿易局長,同局が提出した新社会主義国貿易政策はすでに行政院の認可を得ており,ソ連,北朝鮮,アルバニア以外の国を直接貿易国とし,キューバに間接輸入措置をとる,と発表。
DIA-105-1989-09-02-1台湾1989年09月02日1980年代台湾で初めての地下鉄道(台北市内の華山-万華間,建設資金177億元,工事期間6年),運転開始。
DIA-105-1989-09-02-2台湾1989年09月02日1980年代陳定南・宜蘭県長,県下の機関や中学の公共場所に国旗の掲揚や孫文を除く政治家の肖像を掲げることをしなくてもよい,と指示。
DIA-105-1989-09-03-1台湾1989年09月03日1980年代フランス,西ドイツ等欧州諸国訪問から帰国した陳履安経済部長,ECは92年に単一市場に統合するが,台湾は欧州に対し,積極的な貿易政策をとると表明。
DIA-105-1989-09-05-1台湾1989年09月05日1980年代燁聯鋼鉄公司,欧州企業4社と総額5.8億㌦に達する台湾初の鋼粗材連続鋳造設備の建設契約に調印。
DIA-105-1989-09-06-1台湾1989年09月06日1980年代国防部,中国空軍ミグ19型ジェット戦闘機(操縦士は文浩中尉)が午後2時16分,福建省の竜渓空港から金門島の尚義空港に亡命した,と発表。
DIA-105-1989-09-07-1台湾1989年09月07日1980年代中央銀行,1人当りの海外からの年間送金額上限を20万㌦から50万㌦に引き上げることを実施。
DIA-105-1989-09-07-2台湾1989年09月07日1980年代台湾高等検察処,蕭天讃法務部長が桃園県蘆竹郷の第一ゴルフ場建設に関するスキャンダルに関与した事実はないとの調査報告の全文を発表。
DIA-105-1989-09-09-1台湾1989年09月09日1980年代張建邦交通部長,台湾に新幹線鉄道を建設する計画(時速300km,1997年までに完成)について,すでに企業化調査に着手していることを明らかにした。
DIA-105-1989-09-12-1台湾1989年09月12日1980年代中華台北オリンピック委員会の張豊緒会長,台湾が1998年に開かれるアジア大会開催国に立候補する,と言明。
DIA-105-1989-09-13-1台湾1989年09月13日1980年代余登発元高雄県長急死,後頭部に鈍器で直撃された外傷があり,死因不明。
DIA-105-1989-09-13-2台湾1989年09月13日1980年代台風19号で各地に重大な被害,死者19人。
DIA-105-1989-09-14-1台湾1989年09月14日1980年代ワシントンで開催された米台海運会議,台湾側は米側が台湾で海運およびトレーラーと関連する陸海合同輸送業を経営することに同意した草案に仮調印。
DIA-105-1989-09-14-2台湾1989年09月14日1980年代フィリピンのアキノ大統領,台湾東南アジア投資貿易視察団(団長は許勝発全国工業総会理事長)と会見。
DIA-105-1989-09-15-1台湾1989年09月15日1980年代ドミニカ共和国のチャールズ首相,訪台。
DIA-105-1989-09-15-2台湾1989年09月15日1980年代1947年の2・28事件を題材にした台湾映画「悲情城市」(侯孝賢監督),ベネチア国際映画祭のグランプリを受賞。
DIA-105-1989-09-15-3台湾1989年09月15日1980年代中国の銭其外交部長,台湾の弾力外交について,「経済貿易関係を利用して政治条件を出し,『二つの中国』あるいは『一つの中国,一つの台湾』をつくろうとしている」と『人民日報』で非難。
DIA-105-1989-09-15-4台湾1989年09月15日1980年代第15回訪米買い付け団,ワシントンで米国の業者と総額3.5億㌦の米国製品買付の16契約に調印。
DIA-105-1989-09-17-1台湾1989年09月17日1980年代中央銀行の謝森中総裁・台湾は発展途上国の対外債務の解消(ブレイディ構想)に協力するよう米政府から要請を受けたが,目下それを承諾していないと表明。
DIA-105-1989-09-19-1台湾1989年09月19日1980年代シンガポールの黄根成外相兼社会開発相,訪台。
DIA-105-1989-09-19-2台湾1989年09月19日1980年代李煥行政院長,行政院では100億元を投じ,1994年7月まで科学研究用の人工衛星を打ち上げる計画を,具体的なタイムテーブルとともに初めて公表。
DIA-105-1989-09-19-3台湾1989年09月19日1980年代李煥行政院長,「国軍現代化5ヵ年計画」について,1995年までに兵力総定員を50万人に削減する目標に到達させるが,軍事力は以前より強化される,と述べる。
DIA-105-1989-09-20-1台湾1989年09月20日1980年代ワシントンでの米台鉄鋼談判会議,台湾鉄鋼の対米輸出の割当量は毎月2万7500ショート・トンに同意。
DIA-105-1989-09-20-2台湾1989年09月20日1980年代黄昆輝特使の率いる特使団,南アフリカのデクラーク大統領の就任式に出席。
DIA-105-1989-09-20-3台湾1989年09月20日1980年代国民党文化工作会,余登発元高雄県長が殺害された事件について,党として干与しないことを声明。
DIA-105-1989-09-21-1台湾1989年09月21日1980年代宋楚瑜国民党秘書長ら一行,オブザーバーとして東京で開かれた国際民主同盟第4回会議に出席。
DIA-105-1989-09-21-2台湾1989年09月21日1980年代行政院の邵玉銘新聞局長,台湾政府は台湾訪問を希望しているソ連の新聞記者の入国を認める,と表明。
DIA-105-1989-09-24-1台湾1989年09月24日1980年代日本自由民主党青年議員訪台団,台北に到着。
DIA-105-1989-09-25-1台湾1989年09月25日1980年代陸軍,台湾が自力で開発完成した地対空「天弓ミサイル兵器システム」(主に天弓1型および2型ミサイル)を正式に作戦配備。
DIA-105-1989-09-25-2台湾1989年09月25日1980年代労工委員会,行政院が承認した外国人の不法就業を規制する「外国人来台不法就業防止要点」を公布。
DIA-105-1989-09-26-1台湾1989年09月26日1980年代台湾・パプアニューギニア電信技術協力覚書と太平洋地域通信衛星共同設置計画覚書,台北で調印。
DIA-105-1989-09-26-2台湾1989年09月26日1980年代行政院,退役軍人に発給した戦士授田証を買上げ補償する「戦士授田証処理条例草案」を公布。
DIA-105-1989-09-26-3台湾1989年09月26日1980年代中国の江沢民総書記,記者会見で台湾の解放で武力を使用しないとはいえない,と述べる。
DIA-105-1989-09-26-4台湾1989年09月26日1980年代邵玉銘新聞局長,政府は当面中国大陸記者の台湾取材を認めないと決定した,と発表。
DIA-105-1989-09-27-1台湾1989年09月27日1980年代高雄税関の取り締まり艇,高雄沖で密輸船「金満財号」に乗り,ひそかに入国を企てた米国に亡命していた反体制政治家の許信良元桃園県長を逮捕。
DIA-105-1989-09-27-2台湾1989年09月27日1980年代内政部警政署出入境管理局,政府の許可を得ないままで中国大陸へ旅行した者の再出国禁止期限を2年から1年に短縮する,と発表。
DIA-105-1989-09-29-1台湾1989年09月29日1980年代李煥行政院長,政府は国家の安全と社会の安定を維持するため,どうしても一部の人の出入国を制限する必要がある,と強調。
DIA-105-1989-10-02-1台湾1989年10月02日1980年代連戦外交部長,台湾とリベリアは外交関係を回復することを決定した,と発表。
DIA-105-1989-10-03-1台湾1989年10月03日1980年代中華航空がフランスのエアバス社に発注したA300-600R型(合計6機)の1機目,中正空港に到着。
DIA-105-1989-10-03-2台湾1989年10月03日1980年代第6回台仏経済協力会議,パリで開催。
DIA-105-1989-10-05-1台湾1989年10月05日1980年代立法院,商業登記法修正草案を通過。
DIA-105-1989-10-05-2台湾1989年10月05日1980年代第3回台湾・パラグアイ経済協力会議,台北で開催。
DIA-105-1989-10-06-1台湾1989年10月06日1980年代長栄(エバーグリーン)航空,米ボーイング社とマクドネル・ダグラス社との間に総額36億㌦のジャンボ旅客機26機(B747-400型8機,B767-300ER型4機,MD-11型14機)の買付契約に調印。
DIA-105-1989-10-07-1台湾1989年10月07日1980年代李登輝総統,第一ゴルフ場スキャンダル事件で疑いを持たれた蕭天讃法務部長の辞職を承認。後任に呂有文法務部政務次長が代理。
DIA-105-1989-10-07-2台湾1989年10月07日1980年代連戦外交部長,自由民主化傾向にあるハンガリーやポーランドなどの国家に対し,政府は機を逸せずに協力を考慮すると同時に,貿易機構設置を計画して開設する,と初めて台湾政府の東欧国家に対する態度を表明。
DIA-105-1989-10-09-1台湾1989年10月09日1980年代行政院大陸工作会報,「台湾地区と大陸地区人民関係暫定条例草案」初稿(全文54条)を決定。
DIA-105-1989-10-09-2台湾1989年10月09日1980年代連戦外交部長とリベリアのブル外相代理,台北で国交樹立コミュニケに調印。中国,10日にリベリアと断交。
DIA-105-1989-10-10-1台湾1989年10月10日1980年代民間主体の双十節式典,台北の総統府前で行われる。参加者25万人。
DIA-105-1989-10-10-2台湾1989年10月10日1980年代台湾の駐ジャカルタ中華商会,駐インドネシア台北経済貿易事務所と改称。
DIA-105-1989-10-11-1台湾1989年10月11日1980年代証券管理委員会,株式市場の1日当り価格変動許容幅を各銘柄とも5%から7%に引上げ。
DIA-105-1989-10-11-2台湾1989年10月11日1980年代農業委員会の統計によると,1988年の1戸当り平均農家所得は前年比9.9%増の38万2287元。
DIA-105-1989-10-11-3台湾1989年10月11日1980年代台北市郊外の土城刑務所前で,反体制政治家の許信良氏の釈放を求めるデモ隊約3000人と警官隊約2000人が衝突。双方で60人以上が負傷。台北県警察局,デモ隊を指導していた民進党の林正悉氏ら15人を逮捕。
DIA-105-1989-10-12-1台湾1989年10月12日1980年代立法院,土地税法修正案ならびに都市平均地権条例第20条修正案を通過。
DIA-105-1989-10-13-1台湾1989年10月13日1980年代外交部,中米のベリーズと外交関係を樹立した,と発表。中国,23日にベリーズと断交。
DIA-105-1989-10-13-2台湾1989年10月13日1980年代台湾高等検察処,許信良元桃園県長を陰謀,予備反乱罪の容疑で起訴。
DIA-105-1989-10-17-1台湾1989年10月17日1980年代先週のニューヨーク株式市場の株価暴落の影響を受けて,16日に329.48ポイント下落を演じた台湾株式市場,前日終値比41032ポイントの急反発。
DIA-105-1989-10-21-1台湾1989年10月21日1980年代鄧為元国防部長,退役軍人の「戦士授田証」の処理原則について,(1)6ヵ月間を1期とし,2年内に処理終了,(2)補償金であって退職金ではない,(3)個人の情況に応じて補償金額を決める,と表明。
DIA-105-1989-10-21-2台湾1989年10月21日1980年代フィリピンのマングラプス外相,個人的な身分で台湾をひそかに訪問,23日まで。
DIA-105-1989-10-22-1台湾1989年10月22日1980年代陳履安経済部長,台湾のGATT(関税貿易一般協定)加盟について,名称がどうであれ,台湾・膨湖・金門・馬祖という独立した関税領域を代表することに変わりはない,と弾力的な対応を示す。
DIA-105-1989-10-23-1台湾1989年10月23日1980年代スワジランド王国のムスワティ3世国王,27日まで台湾を公式訪問。
DIA-105-1989-10-23-2台湾1989年10月23日1980年代東京で開催された国際証券取引所連合(FIBV)の年次大会,台湾証券取引所を29番目の正式会員として加盟させる提案を採択。
DIA-105-1989-10-23-3台湾1989年10月23日1980年代ノルウェー台湾商務事務所,台北で開設。
DIA-105-1989-10-23-4台湾1989年10月23日1980年代経済建設委員会,電信,情報システム,自動化,民生電子,新素材の「5大スター工業」を今後優先的に発展させ,2000年の純付加価値を200億㌦(全世界に占めるシェアは3.7~4.6%)に引き上げる計算,と述べる。
DIA-105-1989-10-24-1台湾1989年10月24日1980年代第7回台湾・オランダ経済協力委員会会議,台北で開催。
DIA-105-1989-10-24-2台湾1989年10月24日1980年代外交部,チリ政府は台北に商務事務所を開設すると同時に,台湾住民のビザ申請の受理を開始する,と発表。
DIA-105-1989-10-24-3台湾1989年10月24日1980年代李煥行政院長,中国が台湾に対する武力解放と四つの堅持を放棄しないことが,台湾海峡両岸関係の最大の障害である,と強調。
DIA-105-1989-10-26-1台湾1989年10月26日1980年代花蓮発台北行き中華航空ボーイング737-200型旅客機,花蓮県秀林郷の山中に激突して墜落。乗客・乗員54人が死亡。
DIA-105-1989-10-27-1台湾1989年10月27日1980年代台湾省議会,省営3商銀(第一,華南,彰化)の公有株を51%を保留して残りを売却することを可決。
DIA-105-1989-10-28-1台湾1989年10月28日1980年代行政院大陸工作会報,中国大陸住民の台湾内にある遺産の相続分を2分の1とする規定を取り消すが,最高200万元までとする規定はそのまま維持すると決定。
DIA-105-1989-10-28-2台湾1989年10月28日1980年代台南県新営市で開かれた民進党第4回全国党員代表大会(出席者203人),新中央執行委員31人を選出。
DIA-105-1989-10-29-1台湾1989年10月29日1980年代民進党党員代表大会,主席に美麗島系の黄信介氏を再選して閉幕。
DIA-105-1989-10-30-1台湾1989年10月30日1980年代フィリピンの中国大使館,マングラプス比外相が台湾を訪問したことを強く批判。
DIA-105-1989-10-31-1台湾1989年10月31日1980年代農業委員会の「食糧平準基金業務運営」と題する報告によると,1976~89年に政府が政策的に米を輸出した結果,441億7871万元の赤字を記録した。
DIA-105-1989-10-31-2台湾1989年10月31日1980年代外国証券業の台湾支店開設申請,10月末の期限までに米国のメリルリンチとシエアソン・リーマン・ハットン2社のみ。
DIA-105-1989-11-01-1台湾1989年11月01日1980年代台湾の中華航空と中国の中国民航,双方の荷物直接積み換え業務を正式に開始。
DIA-105-1989-11-01-2台湾1989年11月01日1980年代ヒルズ米通商代表部代表・知的所有権の保護に改善がみられた台湾について,包括通商法スペシャル301条に基づく優先監視リストから一般監視リスト対象に振り換えることを決定した,と発表。
DIA-105-1989-11-02-1台湾1989年11月02日1980年代第2回台湾・ハイチ閣僚級合同委員会,台北で開催され,ハイチの農村建設に協力することで合意。
DIA-105-1989-11-03-1台湾1989年11月03日1980年代交通部,台北-宣蘭間の高速道路(全長40km)の建設工事を1990年までに着工,98年に開通予定と発表。
DIA-105-1989-11-04-1台湾1989年11月04日1980年代高雄地検,余登発元高雄県長の死亡事件についての死因調査最終報告を公布。それによると,死亡は自身がころんだのが原因で,他殺の疑いはないという。
DIA-105-1989-11-04-2台湾1989年11月04日1980年代行政院,チベットのダライラマが組織した亡命政権は非合法であり,政府はそれと往来するわけにはいかない,さらにチベットの独立に反対する,と書面答弁。
DIA-105-1989-11-05-1台湾1989年11月05日1980年代中華航空,10月26日発生した同社航空機事故で死亡した犠牲者1人について補償金342万元,と発表。
DIA-105-1989-11-06-1台湾1989年11月06日1980年代アジア太平洋経済協力会議台湾委員会の辜振甫主任委員,民間人の身分でキャンベラで開かれたアジア太平洋経済協力の第1回閣僚会議外活動に参加。
DIA-105-1989-11-06-2台湾1989年11月06日1980年代民進党の新潮流系党員を中心とする「新国家連線」,台北で正式に成立。
DIA-105-1989-11-06-3台湾1989年11月06日1980年代5日に米国から帰国した林義雄前台湾省議員,「台湾共和国基本法草案」を発表。
DIA-105-1989-11-07-1台湾1989年11月07日1980年代海外経済協力発展基金,今後国交のある国に優先的に貸付けを強化し,最高限度額を2000万㌦,最長期限を15年とすることを決定。
DIA-105-1989-11-08-1台湾1989年11月08日1980年代民進党雲林県党部,党紀違反を理由に同党籍の朱高正立法委員を除名。
DIA-105-1989-11-10-1台湾1989年11月10日1980年代9日から台北で開催された第11回台湾・サウジアラビア経済技術協力会議,テレビ,コンピューターなどの合弁計画を推進していくことに合意。
DIA-105-1989-11-10-2台湾1989年11月10日1980年代中央銀行,1人当りの海外からの年間送金額上限を現在の50万㌦から100万㌦に引き上げることを実施。
DIA-105-1989-11-10-3台湾1989年11月10日1980年代カナダのモントリオール銀行,台北事務所を開設。
DIA-105-1989-11-14-1台湾1989年11月14日1980年代中国造船,1990年1月7日から台湾海軍の第2代艦であるペリー級ミサイル・フリゲート艦の第一隻目の建造(全部で8隻)を始めることを明らかにした。
DIA-105-1989-11-16-1台湾1989年11月16日1980年代行政院,「公営事業民営移転条例」(1953年に公布実施)の修正案を承認。現従業員の権利損失補償および株式優先引受けなどの条項が増補された。
DIA-105-1989-11-16-2台湾1989年11月16日1980年代北米事務協調委員会,台湾政府は国家安全の理由に基づき,台湾独立を支持しているクラーク元米司法長官の台湾への入境を拒否した,と発表。
DIA-105-1989-11-16-3台湾1989年11月16日1980年代行政院,刑罰を重くし暴力犯罪の阻止を図る「治安に対する危害処罰暫定条例」を承認。
DIA-105-1989-11-18-1台湾1989年11月18日1980年代国際ライオンズクラブ第28回極東・東南アジア年次総会,林口の中正体育館で開催。
DIA-105-1989-11-20-1台湾1989年11月20日1980年代1989年7月1日開設した台北-カイロ航空路線,エジプト当局の通告で正式に閉鎖。
DIA-105-1989-11-20-2台湾1989年11月20日1980年代台湾省政府,省営3商銀(第一,華南,彰北)の公有株1億980万株(550余億元に相当)の売却を決定。
DIA-105-1989-11-21-1台湾1989年11月21日1980年代交通部国際電信管理局,ベトナムのホーチミン市との国際ダイヤル通話を全面的に開放。台湾はすでに東欧7ヵ国との国際ダイヤル通話を実現した。
DIA-105-1989-11-22-1台湾1989年11月22日1980年代密入国した米国在住の台湾独立建国連盟米国本部の郭倍宏主席,台北市郊外の中和市で開かれた民進党候補者の選挙演説会場で応援演説。
DIA-105-1989-11-23-1台湾1989年11月23日1980年代陳履安経済部長,米国籍中国人陳香梅女史が率いる中国大陸視察団に参加する動きをみせている一部の台湾企業家に対し厳しく警告。
DIA-105-1989-11-24-1台湾1989年11月24日1980年代交通部,台湾船の寄港禁止地区を中国,北朝鮮,ソ連,アルバニアなどに限定し,キューバは事前に申請し認可を得れば寄港を認める,と発表。
DIA-105-1989-11-24-2台湾1989年11月24日1980年代外交部,東ドイツ等東欧7ヵ国からの長期滞在ビザを含む訪台申請を全面開放する,と発表。
DIA-105-1989-11-24-3台湾1989年11月24日1980年代李登輝総統,呂有文法務部長代理を法務部長に任命。
DIA-105-1989-11-25-1台湾1989年11月25日1980年代李登輝総統,軍首脳の人事異動を発令。総統府参軍長:仲苓,国防部参謀総長:陳齢,空軍総司令:林文礼,聯合勤務総司令:羅本立,台湾警備総司令兼台湾軍管区司令:周仲南。
DIA-105-1989-11-27-1台湾1989年11月27日1980年代行政院衛生署の『人口分析』の統計によると,台湾の1988年の人口密度は1平方㌔㍍は550人で,世界で最も人口密度の高い地区の1つとなった。
DIA-105-1989-11-27-2台湾1989年11月27日1980年代外交部の陳毓駒スポークスマン,ニュージーランドの南太平洋流し網会議に出席した台湾代表団は,主催国から民間団体の名義で参加するよう要求されたことに抗議して,正式に会議を脱退する,と発表。
DIA-105-1989-11-28-1台湾1989年11月28日1980年代行政院大陸工作会報,中国の民主化運動活動家や海外在住の大陸籍中国人の台湾訪問の滞在期間を15日から30日に緩和し,また里帰りして中国に2年以上連続居住する台湾住民の再入境は原則として認めないと決定。
DIA-105-1989-11-29-1台湾1989年11月29日1980年代交通部,台湾の旅行業者が東ドイツ,ポーランド等東欧7ヵ国の旅行業者と業務交流することを認める,と発表。ソ連とアルバニアは除外。
DIA-105-1989-11-30-1台湾1989年11月30日1980年代米下院アジア太平洋小委員会のソラーズ委員長ら一行5人,立法委員などの選挙を観察するため訪台。
DIA-105-1989-11-30-2台湾1989年11月30日1980年代行政院,証券取引税条例修正案を通過,1990年1月から新株式取引税の適用税率を0.6%と決定。
DIA-105-1989-12-02-1台湾1989年12月02日1980年代増補立法委員,21の県市長および台湾省議会,台北・高雄両市議会の三つの選挙が行なわれる。総投票率75.39%。40の合法政党のうち,候補者を出したのが16。
DIA-105-1989-12-02-2台湾1989年12月02日1980年代李登輝総統,在外華僑から29人の立法委員を指名。
DIA-105-1989-12-03-1台湾1989年12月03日1980年代台南県長選の開票に不満をもつ民進党籍の李宗藩候補者を支持する選挙民,県政府の前で抗議行動。
DIA-105-1989-12-04-1台湾1989年12月04日1980年代外交部,12月1日のフィリピンの国軍将兵反乱事件について,台湾政府はいかなる手段であろうと,政権を奪取する企図には反対する,との声明を発表。
DIA-105-1989-12-05-1台湾1989年12月05日1980年代李登輝総統,柏村参謀総長を国防部長に任命。
DIA-105-1989-12-06-1台湾1989年12月06日1980年代李登輝国民党主席,党内に党務革新小組を設立するよう指示。
DIA-105-1989-12-08-1台湾1989年12月08日1980年代台南地検,台南県長選挙で新営鎮など8郷鎮の開票結果を再度点検し,間違いないとの結論を公表。
DIA-105-1989-12-11-1台湾1989年12月11日1980年代台湾の中国信託投資公司,同社を中心とする企業グループが米国のコンピューターメーカーであるワイズ・テクノロジーを総額2億6840万㌦で買収,と発表。
DIA-105-1989-12-11-2台湾1989年12月11日1980年代中国の反体制知識人で作家の劉賓雁氏,台湾を訪問。
DIA-105-1989-12-13-1台湾1989年12月13日1980年代ゼネラル石油,1990年1~3月に台湾の中国石油公司が国際市場で購入した中東産オマーン原油50万バレルを受託精製することを決定。日本の石油会社が台湾から石油の精製を受託するのはこれが初めて。
DIA-105-1989-12-13-2台湾1989年12月13日1980年代11月21日に漁船で韓国の済州島に密航,天安門事件に関連して政治亡命を主張した中国人男女12人,大韓航空で台北に到着。
DIA-105-1989-12-14-1台湾1989年12月14日1980年代行政院,「第10期経済建設中期計画(1990~93年)」および「1990年台湾経済建設計画」を通過。
DIA-105-1989-12-15-1台湾1989年12月15日1980年代経済建設委員会の銭復主任委員,今年から1993年までの間台湾の対米ドルレートは,1㌦=26元前後に維持できるだろう,という見解を表明。
DIA-105-1989-12-16-1台湾1989年12月16日1980年代中台間の商事紛争の仲裁機構である中国の海峡両岸経貿協調会(会長は鄭鴻業中国国際貿易促進委員会会長)と台湾の海峡両岸商務協調会(会長は張平沼立法委員)の初の合同会議,香港で開催。
DIA-105-1989-12-16-2台湾1989年12月16日1980年代北海道拓殖銀行の香港現地法人を主幹事とする内外銀行13行,香港で台湾の長栄海運向けに4億㌦を協調融資する契約に調印。
DIA-105-1989-12-16-3台湾1989年12月16日1980年代中央銀行,10月末現在の外貨準備高は734億1700万㌦,と発表。
DIA-105-1989-12-16-4台湾1989年12月16日1980年代6人の民進党および1人の無党派の県市長当選者,「民主県市長連盟」を台北で結成。
DIA-105-1989-12-18-1台湾1989年12月18日1980年代外交部,16日に中国民航の旅客機をハイジャックして日本の福岡空港で身柄を拘束された張振海について,日本の法律に基づいて裁判を行なうよう呼びかけ。
DIA-105-1989-12-19-1台湾1989年12月19日1980年代行政院大陸工作会報,張沼平立法委員が香港で中国との間に調印した海峡両岸経済貿易協調機構のいかなる仲裁結果についても,台湾政府はその法律上の効力を認めない,と言明。
DIA-105-1989-12-20-1台湾1989年12月20日1980年代台湾省第9回省議員77人と第11回県市長(新竹市,嘉義市は第3回)21人の就任宣誓式,各地で行なわれる。いずれも任期は4年。
DIA-105-1989-12-20-2台湾1989年12月20日1980年代台湾省議会,議長に簡明景,副議長に黄鎮岳を選出。
DIA-105-1989-12-20-3台湾1989年12月20日1980年代経済建設委員会,「米生産および水田転作継続6ヵ年計画(1990年1月~95年12月)」(総予算308億1500万元)を採択。
DIA-105-1989-12-20-4台湾1989年12月20日1980年代フィリピン駐在の台湾の代表機構「太平洋経済文化センター・マニラ事務所」,「駐フィリピン台北経済文化事務所」と改称。
DIA-105-1989-12-25-1台湾1989年12月25日1980年代11人の民進党籍国民大会代表,台北の憲法施行紀念式典で,終身議員の退職を求める抗議行動を行なう。
DIA-105-1989-12-26-1台湾1989年12月26日1980年代中央社によると,国民党中央はすでに動員戡乱時期臨時条款修正草案を検討するための「憲法小組」を正式に発足した。小組のメンバーは12人。
DIA-105-1989-12-26-2台湾1989年12月26日1980年代司法機関,推事を法官(判事),検察処を検察署,首席検察官を検察長など名称を変更。
DIA-105-1989-12-26-3台湾1989年12月26日1980年代行政院国家科学委員会の夏漢民主任委員,1995年に200ポンド以上の科学研究用の低空人工衛星を打上げる,と正式に発表。
DIA-105-1989-12-27-1台湾1989年12月27日1980年代国民党中央常務委員会,次の党組織の幹部人事の異動を可決。組織工作会主任:蕭万長,大陸工作会主任:鄭心雄,海外工作会主任:章孝厳,台湾省委員会主任委員:王述親,台北市委員主任委員:呉敦義,高雄市委員会主任委員:黄鏡峰。
DIA-105-1989-12-28-1台湾1989年12月28日1980年代立法院,「1990年度所得税税率条例」を可決。個人の免税額は4万2000元に引き上げられた。
DIA-105-1989-12-28-2台湾1989年12月28日1980年代立法院,「証券取引税条例部分条文修正案」を通過。証券取引税率が0.6%と確定。
DIA-105-1989-12-29-1台湾1989年12月29日1980年代国防部,フランスがフリゲート艦「ラファイエット」級16隻を台湾に売却するとのAFPの報道について,何もきいていない,と述べる。
DIA-105-1989-12-29-2台湾1989年12月29日1980年代立法院,「所得税法部分条文修正案」を可決,税金の徴収単位を「国幣」(銀元)から「新台幣」(新台湾元)と改めた。
DIA-105-1989-12-30-1台湾1989年12月30日1980年代経済部,海外経済協力発展基金の適用対象をハンガリー,ユーゴスラビア,チェコスロバキアなどの東欧諸国に積極的に拡大することを決定。
DIA-105-1989-12-30-2台湾1989年12月30日1980年代経済部と外交部,ソ連との直接貿易の解禁に同意する意向を表明。
DIA-105-1989-12-30-3台湾1989年12月30日1980年代士林分院裁判所,世界台湾同郷会の羅益世総幹事に不法入国の罪で10ヵ月の有期懲役を判決。