ID 国名 日付 年代 内容
DIA-103-1969-01-01-1モンゴル1969年01月01日1960年代党中央委員会,人民大会幹部会および閣僚会議は,モンゴル人民への新年の挨拶の中で次のように述べた。1968年度モンゴル工業生産総額は9.9%成長した。党と政府は平和外交を推進しモンゴルの国際的地位は強化された。第4次5ヵ年計画の4年目に当る1969年度国家経済目標の成功裡に達成されることを確信する。
DIA-103-1969-01-13-1モンゴル1969年01月13日1960年代1969年度モンゴル・ソ連バーター貿易議定書がウランバートルで調印された。モンゴルはソ連に皮革,羊毛,食肉,馬,家畜類,鉱工業製品,木材,毛織物,乳製品,なめし皮製品等を輸出し,ソ連から主として機械,設備や石油製品,建設資材,黒色金属等を大量に輸入する。
DIA-103-1969-01-17-1モンゴル1969年01月17日1960年代モンゴル労働組合中央評議会議長D.ヤダムスルンの卒いるモンゴル労組代表団は日本の総評の招待でウランバートル発空路東京へ向った。同代表団は1月28日東京到着。
DIA-103-1969-01-24-1モンゴル1969年01月24日1960年代1969-1970年ソ連モンゴル文化,科学協力計画がモスコーで調印された。
DIA-103-1969-01-25-1モンゴル1969年01月25日1960年代モンゴル外務省は1月24日モンゴル駐在中国臨時大使を呼び抗議覚え書を手渡した。要旨次の通り。 1969年1月10日~14日全モンゴル人口調査に先立ちモンゴル外務省は1968年12月10日付全外交代表団に協力を求めた。在ウランバートル外国外交代表団は積極的に人口調査に協力した。しかし中国大使館は病院,学校,建設公団関係中国人および大使館所属非外交官職員を人口調査に参加させることを拒否した。その結果これらの中国人はモンゴル居住の法的根拠を失った。これより生ずる一切の責任は中国側が負わねばならぬ。
DIA-103-1969-02-04-1モンゴル1969年02月04日1960年代モンゴル外務省は,中国鉄道員のモンゴル鉄道員抑留事件に抗議して,次の覚え書を発表した。同覚え書の要旨次の通り。 1969年2月3日,モスクワ=ウランバートル=北京間国際鉄道の第2客車がモンゴル国境の駅ザミイン・ウデに時間通り到着したとき,中国鉄道員は,国際鉄道協定で負った義務を乱暴に犯し,何の理由もなく列車を次の駅に発車させるのを拒否した。 この列車は,中国側の妨害により,2月3日22時48分から2月4日13時7分まで引き留められた。 モンゴル人民共和国外務省は,国際鉄道連絡規定をこのように乱暴に犯している事に対し断固抗議する。中国側はこの事件から生ずるあらゆる責任をすべて負わねばならない。
DIA-103-1969-02-06-1モンゴル1969年02月06日1960年代北朝鮮国会代表団モンゴル訪問。
DIA-103-1969-02-18-1モンゴル1969年02月18日1960年代モンゴル貿易代表団訪日。
DIA-103-1969-02-26-1モンゴル1969年02月26日1960年代ソ連援助の「メチュオリト」電波方向探知機稼動開始。
DIA-103-1969-03-08-1モンゴル1969年03月08日1960年代ウネン紙,中・ソ国境における武力衝突事件を論評。 3月8日付の党,政治機関紙は,3月2日中・ソ国境で起った武力衝突事件について同紙評論員(署名なし)による解説記事を掲載し「北京当局の忌むべき挑発」と非難した。
DIA-103-1969-03-12-1モンゴル1969年03月12日1960年代モンゴル,3月11日におこった鉄道員抑留事件で対中共非難声明を発表。
DIA-103-1969-03-13-1モンゴル1969年03月13日1960年代ウランバール市でモンゴル人民革命党中央委員会第6回総会が開かれた。同総会において「国家牧畜機械ステーションを農牧業協同組合組織に委託し,その修理基地を強化することについて」と題する決定が満場一致で採択された。
DIA-103-1969-03-16-1モンゴル1969年03月16日1960年代ソ連軍事代表団到着。団長レオノフ・通信兵元帥。
DIA-103-1969-03-17-1モンゴル1969年03月17日1960年代モンゴル人民軍48周年記念集会。政府・党首脳,ソ連軍代表団ら出席。ラハグワスレン国防相が演説し,中国を非難。
DIA-103-1969-03-17-2モンゴル1969年03月17日1960年代北京放送は,ソ連のモンゴル軍事力強化を報道し,非難した。
DIA-103-1969-03-25-1モンゴル1969年03月25日1960年代ソ連共産党中央委員会の招待でデー・モロムジャムツ党中央委員全政治局員兼書記,デー・ゴムボジャプ副首相,モンゴル党,政府指導者がモスクワに向けて出発した。なお同代表団は29日帰国。
DIA-103-1969-03-31-1モンゴル1969年03月31日1960年代モンゴル政府代表団,インド訪問(~4月5日まで)。
DIA-103-1969-04-03-1モンゴル1969年04月03日1960年代モスクワで始まったモンゴル・ソ連両国政府間経済・科学・技術協力委員会第4回会議に出席しているデー・ゴムポジャブ副首相は,このほどタス通信記者と会見し要旨次のように語った。 ソ連政府は,わが政府の要望を受け入れ,モンゴルの牧畜業の緊急かつ重要な需要を満たすために技術援助を与えることに決定した。1969年だけでもソ連援助で約31の大きな建築物や仔家畜用畜舎2300を建設する予定である。 この委員会は,1966~1970年度協定の実施状況に検討を加えた際,特に1968年度ソ連人の援助でモンゴルに二つの企業,修理所および搾乳所を建設したことを指摘した。 1968年度はモンゴルの牧畜業は,自然災害のために大きな損害を受けた。しかし,わが党,政府が手段を講じ,モンゴル人民が懸命に働き,またソ連が兄弟の如き援助をしたおかげで牧畜業の基本的諸目標を首尾よく達成した。
DIA-103-1969-04-03-2モンゴル1969年04月03日1960年代モスクワでモ,ソ科学・技術協力常設部会委員会第4回会議終了。議定書に調印。
DIA-103-1969-04-12-1モンゴル1969年04月12日1960年代70年第1四半期に操業を開始する予定の「オルビタ」宇宙通信ステーションの建設起工式がウランバートル市西方のナラングイン・エンゲルで行なわれた。
DIA-103-1969-04-12-2モンゴル1969年04月12日1960年代このほど,モスクワでモンゴル閣僚会議付属報道,ラジオ,テレビ国家委員会とソ連閣僚会議付属ラジオ,テレビ国家委員会の間にラジオ,テレビ部門における協力協定が調印された。
DIA-103-1969-04-18-1モンゴル1969年04月18日1960年代モンゴル人民軍代表団,ソ連訪問。 4月18日,グレチコ・ソ連国防相の招待でジェー・ラハグワスレン国防相(大将)を団長とするモンゴル人民軍代表団はモスクワに到着し,グレチコ国防相その他のクレムリンの指導者と会見した。
DIA-103-1969-04-20-1モンゴル1969年04月20日1960年代人民大会幹部会は,モンゴル憲法第22条と第47条に基づいて,第7期人民大会代議員選挙と第9期アイマク,ホト,ライオン,ソム,ホロー(以上すべてモンゴルの行政単位)人民代議員会議代議員選挙を,6月22日に施行する旨の法令を公布した。
DIA-103-1969-04-25-1モンゴル1969年04月25日1960年代ウランバートル市でソ連の技術援助でモンゴルに建設中の施設のためにソ連が1970年度モンゴルに設備と建設資材を供給することに関する議定書が調印された。
DIA-103-1969-05-01-1モンゴル1969年05月01日1960年代スフバートル広場でメーデー祝賀式典とパレード挙行。エヌ・ルブサンラブダン党中央委員会政治局員候補兼人民大会幹部会員がメーデー80周年記念の挨拶を行なった。要旨次のとおり。 毛一派が国内および国際舞台で進めている汚れた大国主義の排外的民族主義政策は民主主義社会主義勢力,世界共産主義運動の統一と,団結およびその活動に害を与え,帝国主義に益となっている。 こうした情勢下で社会主義諸国,世界共産主義運動および全進歩勢力の統一と団結を強化することが現在極めて緊急かつ重要な問題となっている。 モンゴルの共産主義者は1969年6月にモスクワで開催される共産党,労働者党国際会議は重要な任務を果たすものと見なしている。 1969年第1四半期のわが国の工業総生産は1968年同期より8.6%増加し,農牧業協同組合と国営農場は現在580万頭の仔家畜を飼育している。これは1968年同期を上回っている。 6月22日施行される人民大会およびアイマク,ホト,ライオン,ソム,ホローの人民代議員会議選挙は,党と人民の固い団結を再度明白に表明する重要な出来事となるので,全公民は,この選挙を政治上,勤労上の高い創造性をもって迎えることが現在の崇高かつ重要な目標となっている。
DIA-103-1969-05-20-1モンゴル1969年05月20日1960年代ポドゴルヌイ・ソ連最高会議幹部会議長,ウランバートル到着。モンゴル首脳と会談。この日の晩さん会でのポドゴルヌイ議長の演説は要旨次の通り。 両国間の協力,信頼,相互理解は高いレベルに達している。二つの平等,独立の社会主義国間の相互援助と団結の原則,国際主義の原則,はソ連・モンゴル間で初めて試練を経た。 モンゴルとの協力の問題は常にソ連党・中央委・政府の関心の中心にある。 モンゴルの友人達の高い国際的責任感は,彼等が国際場裡で自国の利益のみならず社会主義現代革命勢力の共通の利益をエネルギッシュに防衛していることによって証明される。 モンゴルの同志は世界党会議準備に積極的に参加している。 社会主義諸国の団結と国際共産主義運動の統一という最も重要な問題に直面しているこの際,毛一派がなが年行なっている分裂破壊活動は,特に見ぐるしく有害である。えせ革命的言辞にかくれて毛一派は事実上社会主義の敵として行動しており,反帝統一戦線を破壊している。中国指導部は公然たるソ連挑発を開始し,ソ中およびモンゴル・中国国家関係を一層悪化せしめている。毛一派の挑発政策は,社会主義諸国の断固たる反撃にあっており,ソ連・モンゴル両国は今後も協力友好および自己の利益の共同防衛の道を歩むであろう。
DIA-103-1969-05-21-1モンゴル1969年05月21日1960年代ポドゴルヌイ議長,ユー・ツェデンバル第1書記らモンゴル首脳と会談。
DIA-103-1969-05-23-1モンゴル1969年05月23日1960年代ポドゴルヌイ議長を迎えて,モンゴル・ソ連友好集会がウランバートルで開かれた。
DIA-103-1969-05-23-2モンゴル1969年05月23日1960年代ジュネーブの軍縮委の米ソ共同議長国は,7月3日の軍縮季から日本とモンゴルを討議に参加させると発表した。
DIA-103-1969-05-28-1モンゴル1969年05月28日1960年代北京放送は,ウランバートル報道としてポドゴルヌイ・ソ連最高会議幹部会議長のモンゴル人民共和国訪問を伝え「ソ連修正主義裏切り者集団の頭目ポドゴルヌイは5月20日から24日までモンゴルで活動し,モンゴルに対する支配を強化するとともに,気違いのように反中国をあおりたてた」と述べた。
DIA-103-1969-06-05-1モンゴル1969年06月05日1960年代6月5日から17日までモスクワで開かれた共産党・労働者党国際会議に出席したモンゴル党代表団のメンバーは次のとおり。 ユー・ツェデンバル党中央委員会第1書記兼首相 デー・モロムジャムツ党中央委員会政治局員兼書記 ベー・ラハムスレン党中央委員会政治局員候補兼書記 ベー・シャグダルスレン党中央委員兼党中央委員会部長 ベー・バルドー党中央委員兼党史研究所長 ツェー・ダヴァグスレン党中央委員兼「平和と杜会主義の諸問題」誌編集局常駐モンゴル党代表。
DIA-103-1969-06-12-1モンゴル1969年06月12日1960年代モンゴル外務省代表団,北鮮訪問。
DIA-103-1969-06-13-1モンゴル1969年06月13日1960年代共産党・労働者党国際会議に出席しているユー・ツェデンバル党第1書記(モンゴル代表団長)は要旨次のような演説を行なった。 現在の現実的情勢から出発するなら,毛沢東一派によって戦争が引き起される危険を無視したり,過小評価したりするのは重大な誤りだとはっきりいわなければならない。中国の内外政策における失敗がますます中国指導者の冒険主義をつよめているという事情は,われわれの関心を引かないではおかない。毛一派の反モンゴル政策と行動の土台にあるのは,わが国に対する大国主義的,排外主義的要求であり,これは中国軍国主義者,蒋介石一派から引きつがれたものである。毛沢東が日本社会党員グループとの会見でモンゴルを中国に合併する意図をのべたのはつい1964年のことである。毛沢東のこの大国主義的もくろみが実現されたなら,モンゴル勤労者がどんな苦しい状態におかれるかは想像にかたくない。これは中国国内のモンゴル人,チベット人,カザフ人,ウイグル人や他の少数民族がどんな圧迫や侮蔑をこうむり,かれらの権利と自由がどれほど乱暴に侵害されているかによって判断することができる。
DIA-103-1969-06-16-1モンゴル1969年06月16日1960年代モンゴル政府,中・ソ国境事件に関する3月13日付のソ連政府声明を支持する声明発表。
DIA-103-1969-06-20-1モンゴル1969年06月20日1960年代ブレジネフ・ツェデンバル会見。
DIA-103-1969-06-24-1モンゴル1969年06月24日1960年代第7期人民大会選挙および第9期地方行政機関代議員選挙の最終結果。6月24日ウランバートル市で中央選挙委員会は声明を発表し,去る6月22日実施された人民大会代議員選挙と地方行政機関代議員選挙に関する最終結果を発表した。 モンゴル人民大会,アイマク,ホト,ライオン,ソム,ホローの人民代議員会議選挙の投票者名簿に全国で57万7724名が登録され,(有権者数57万7724名)このうち57万7709名の有権者,すなわち99.99%が選挙に参加した。このうち人民大会選挙用紙に15枚,地方人民代議員会議選挙用紙に49枚合計64枚の無効投票用紙があった。人民大会代議員候補者に反対投票した者は13名,地方人民代議員会議代議員候補者に反対投票をした者は52名であった。 モンゴル人民大会は,アイマク,ホト,ライオン,ソム,地方ホト,ホローの人民代議員選挙の全選挙区において立候者が大多数の賛成を得られなかった選挙区はなかった。 第9期地方人民代議員会議選挙により,アイマク,ホト,ライオン,ソム,地方ホト,ホロ」の365の議会が選出された。 人民大会と地方各人民代議員会議には,合計1万4114名の代議員が選出された。うち人民大会に297名,アイマク,ホト人民代議員会議に1727名,ライオン人民代議員会議に445名,ソム人民代議員会議に9639名,地方ホト人民代議員会議に1390名,ホロー人民代議員会議に616名の代議員がそれぞれ選出された。人民大会全代議員の64.3%と,地方人民代議員会議全代議員の52.2%は,新人であった。 人民大会と地方人民代議員に選出された全代議員は,党員,非党員ブロックからの候補者である。 人民大会代議員の内訳は,モンゴル人民革命党員,党員候補252名(84.8%),非党員45名(15.2%),階層別にみると労働者69名(23.2%),協同組合員84名(28.3%),公務員,インテリゲンチャ144名(48.5%),婦人65名(21.9%)であった。 地方人民代議員会議代議員の内訳は,モンゴル人民革命党員,党員候補7837名(56.7%),非党員5980名(43.3%),階層別にみると,労働者2319名(16.8%),協同組合員5163名(37.3%),公務員,インテリゲンチャ6335名(45.9%),婦人3994名(28.9%)であった。 このほか,モンゴル人民大会および地方人民代議員全会議の代議員に2007名のモンゴル革命青年同盟員が選出された。
DIA-103-1969-06-24-2モンゴル1969年06月24日1960年代モンゴル,トルコと外交関係樹立。
DIA-103-1969-07-01-1モンゴル1969年07月01日1960年代南ベトナム臨時革命政府と相互に大使館を設置する旨決定。
DIA-103-1969-07-05-1モンゴル1969年07月05日1960年代"第7期人民大会第1回会議 7月4日と5日の両日,ウランバートル市政府庁舎において去る6月22日選出された第7期人民大会(国会)の第1回会議が開かれた。 (1)会期の模様 7月4目(第1日目) 今期人民大会会議は,まず人民大会の議長(1名)と副議長(4名)に次の者を選出した。 議長 ドンドグィン・ツェペグミド 副議長 ツェベグィン・アムガラン 〃 ジョアンガニイ・セレグバイ 〃 バザルイン・シレンデブ 〃 ジャムヤングィン・ラハクワスレン 次いで今会期の議題を次のように決定した。 ① 人民大会議長並びに副議長の選挙 ② 人民大会資格審査委員会の選挙 ③ 「モンゴルにおける水利法の遂行状況と今後の課題に関する」報告(報告者:テー・ラグチャー副首相) ④ 人民大会資格審査委員会の報告 ⑤ 組織上の問題 a 人民大会各常任委員会の選出 b 人民大会幹部会の選出 c 組閣 d 最高裁判所の選挙 e 国家検事の任命 人民大会幹部会令の承認に関する報告(報告者:ツェー・ゴトプ人民大会幹部会書記) 次いで人民大会資格審査委員会を選出し,内閣がその権限を人民大会に委任した後,テー・ラグチャー副首相が「水利法の遂行状況とモンゴルの水利事業建設における今後の課題」に関する報告を行った。この報告に関連して6名の代議員が発言してこの日の会議は終了した。 7月5日(第2日目) 第7期人民大会第1回会議は,2日目の7月5日午前9時から始まり7月4日行なわれたテー・ラグチャー副首相の報告を継続審議した。この報告に関連してデー・バートルら11名の代議員が発言した後,水利法の遂行状況と今後の課題に関する人民大会の決議を全会一致で採択した。 ついでツェー・ゴトブ人民大会幹部会書記の行なった1968年12月27日以降の,人民大会幹部会令を承認したあと,10の人民大会各常任委員会を選出した。第7期人民大会第1回会議は,最後に,人民大会幹部会(議長1,副議長1,書記1,幹部会員6),閣僚会議(首相1,第1副首相1,副首相5,各省,特別機関の長25名) を選出し最高裁判所の選挙とモンゴル国家検事を任命して終了した。なお,今回の人民大会会議において人民大会の任期は従来の3年から4年に,また地方人民代議員会議の任期も従来の2年から3年にそれぞれ延長する旨の1969年7月3日付人民大会幹部会令が承認された。これに伴い,憲法第22条と第47条がそれぞれ改正された。"
DIA-103-1969-07-10-1モンゴル1969年07月10日1960年代ウランバートルで,人民革命48周年記念祝賀会。
DIA-103-1969-07-10-2モンゴル1969年07月10日1960年代日本国会議員団,モンゴル訪問。 日本の党および国会議員の代表団は,平和友好機関連合執行委員会の招待で,モンゴル人民革命48周年記念式典に出席するためウランバートルに到着した。
DIA-103-1969-07-10-3モンゴル1969年07月10日1960年代ソ連の対モンゴル施設建設・消費物資供給援助協定調印。
DIA-103-1969-07-24-1モンゴル1969年07月24日1960年代1969年度モンゴル・中国間貿易協定調印。
DIA-103-1969-07-28-1モンゴル1969年07月28日1960年代"International Herald Tribune紙28,29日のH.Salisbury記者の“モンゴル”からのレポート""要旨。 中国・ソ連国境での戦闘準備は非常に進んでいる。ソ連の大軍が中国に対する作戦が予想される地域に配備されている。シベリア各地で新しい大規模な空軍施設が建設されている。現存設備は拡大された。モンゴルは軍事キャンプとなった。ソ連はモンゴルと中ソ国境の前線陣地に現代戦争兵器の最も進んだ兵器を配備している。ソ連の通信,運輸施設は拡充された。シベリア方面への外国人旅行が禁止されるなどで何がなされているかがますます不明となってきた。モンゴルはまだ旅行者を受け入れているがゴビ南部,東部地区への立入りは禁じている。1959年にモンゴルに行ったとき,ソ連兵の姿は非常に少なく,モンゴルの軍事支出も少なかった。3年前にはまだソ連兵は多くなく,中国人労働者の引揚げた後に,ソ連の建設部隊が若干入りこんでいた程度であった。1966年1月にソ連,モンゴル軍事協定が結ばれ,ソ連軍は必要に応じて駐屯できることになった。今回,ウランバートルの町にはソ連兵の姿が多く,ソ連軍事司令部は拡大され,町の郊外に移された。地方でソ連軍基地をみた。町のデパートは日曜毎にソ連兵,民間人であふれている。モンゴル全土にわたり,ミサイル,通信基地,空軍基地,レーダー網がある。中国はここ数年,その軍の主力を北部中国と満州に配置していた。そして最近,内モンゴル,甘粛,西新疆の原子力基地に兵力を増派した。西側軍事筋は中国軍はソ連国境に大軍を集結するのみならず,機能性も高め,また核を配備したと信じている。目下少なくとも,中ソ国境の両側には150万人の軍隊が集結しているとみられている。ワシントンの多くは最近中ソの局地戦の現実の可能性を信じるようになった。赤軍戦車隊は1939年8月と1945年8月に占めていた場所(KhalkhinGol)に配置されている。"
DIA-103-1969-07-31-1モンゴル1969年07月31日1960年代ラオス愛国戦線代表団到着。
DIA-103-1969-08-06-1モンゴル1969年08月06日1960年代モンゴル軍事代表団,訪ソ。 ベー・ドルジ国防相(大将)を団長とするモンゴル軍事代表団は,ソ連国防相の招待で同国を親善訪問のためモスクワに到着した。(11日帰国)
DIA-103-1969-08-15-1モンゴル1969年08月15日1960年代ソ連軍代表団,モンゴル訪問 I.I.フェジュンスキー将軍を団長とする5名からなるソ連軍事代表団は,モ・ソ両国軍がハルハ河において日本帝国主義を壊滅した歴史的戦闘(ノモンハン事件)の勝利30周年記念式典に参加するため,ウランバートルに到着した。(25日帰国)
DIA-103-1969-08-17-1モンゴル1969年08月17日1960年代ハルヒン・ゴル河畔で日本軍粉砕30周年記念式典。
DIA-103-1969-08-29-1モンゴル1969年08月29日1960年代北ベトナム政府通商代表団(団長グエン・タン外国貿易副大臣)本日ウランバートル到着(9月5日帰国)。
DIA-103-1969-09-05-1モンゴル1969年09月05日1960年代ソ連建設労働者は近くウランバートル第3火力発電所を完成する。この強力な新火力発電所は工業施設および第12,15居住区へ電力を供給する。彼等は現在チョイバルサン市に同型発電所建築中,ウランバートル第2火力発電所を拡張近代化している。
DIA-103-1969-09-09-1モンゴル1969年09月09日1960年代第4次5ヵ年計画(1966~1970)の最初の3年間でオートバイ5000台,テレビ7000台,洗濯機5400台,自転車2万4000台,ミシン1万6000台が大衆に販売された。1966~1968年の期間に人民の現金収入は9.3%増,賃金は19.6%増,商品小売総額は15.4%増。
DIA-103-1969-09-20-1モンゴル1969年09月20日1960年代ソ連国防大臣グレチコ元帥は本日モンゴル国防大臣ドルジ上級大将と会談,相互友好協力強化問題を話し合った。
DIA-103-1969-09-25-1モンゴル1969年09月25日1960年代首相ツエデンバルはアメリカ人教授ラティモアと会談。ラティモアはモンゴル科学院外国人メンバーに任ぜられた。
DIA-103-1969-09-29-1モンゴル1969年09月29日1960年代中国建国20周年祝賀集会が,ウランバートルでモンゴル平和友好諸団体連合執行委員会およびモ・中友好協会によって開かれた。
DIA-103-1969-10-01-1モンゴル1969年10月01日1960年代モンゴル閣僚会議は中国政府へ,中国人民共和国建国20周年記念に祝電を送った。なおモンゴル外務省も中国外務省へ祝電。
DIA-103-1969-10-03-1モンゴル1969年10月03日1960年代1970年度モンゴル・ブルガリヤ通商支払協定調印。モンゴルはブルガリヤヘ肉,羊毛,農産物その他を輸出し,ブルガリヤからメリヤス製品,薬品,タバコ,機械類を輸入する。
DIA-103-1969-10-07-1モンゴル1969年10月07日1960年代北朝鮮人民最高会議の招待で党中央委員会政治局員候補,人民大会幹部会副議長ナムスラィン・ルブサンラブタンを団長とするモンゴル代表団は10月7日ピョンヤン(平壌)を訪問した。
DIA-103-1969-10-14-1モンゴル1969年10月14日1960年代モンゴル,ルーマニア貿易協定調印。
DIA-103-1969-10-17-1モンゴル1969年10月17日1960年代北朝鮮貿易代表団ウランバートル到着。
DIA-103-1969-10-17-2モンゴル1969年10月17日1960年代コメコン代表団が,貿易,価格常設委員会出席のためウランバートルに到着した。
DIA-103-1969-10-17-3モンゴル1969年10月17日1960年代ツエデンバル党第1書記は17日,モスクワでブレジネフ党第1書記と会見,モンゴル・ソ連間の兄弟的友好関係をより密接にすることに関して話し合った。
DIA-103-1969-10-20-1モンゴル1969年10月20日1960年代ツエデンバル首相,東独,ソ連訪問より帰国。
DIA-103-1969-10-21-1モンゴル1969年10月21日1960年代モンゴル政府の招待でウランバートル訪問中のブ・イ・チョイコフ元帥を団長とするソ連軍事代表団は10月20日,ツェデンバル首相と会見した。
DIA-103-1969-10-24-1モンゴル1969年10月24日1960年代モンゴル・北鮮間の1970年度相互商品交換支払いに関する議定書が,ウランバートルで調印された。モンゴルは,北鮮に羊毛,皮革製品および他の品目を供給し,北鮮より建築資材,化学製品および消費物資を輸入する。
DIA-103-1969-10-28-1モンゴル1969年10月28日1960年代モンゴル・ポーランド両国は,1970年の商品交換に関する議定書に調印した。
DIA-103-1969-10-29-1モンゴル1969年10月29日1960年代ソビエト軍事代表団の来訪。 モンゴル革命党中央委員会および閣僚会議は,モンゴル政府の招きにより同国を訪れたジューコフ元帥を始めとする,ソビエト軍事代表団に対するレセプションを開催した。
DIA-103-1969-10-31-1モンゴル1969年10月31日1960年代モンゴル商業調達機構協議会は,労働組織の改善,商業,調達の経済効力などを討議して,10月31日終了した。 同会議でガンジョールジャップ商業調達大臣は「モンゴル商業,調達機構のはるかなる目標」という報告で,過去3年間で商品総販売高は14%増加した。労働人民の所得が増大した結果,必需品の販売は年々増加し,農村への商品販売量は同期間で14.5%増加した。また国内小売販売量は,1960年に比較して,10%増加した。」と述べた。
DIA-103-1969-11-04-1モンゴル1969年11月04日1960年代"農牧協同組合最高会議議長,L.リンチンは 過去10年間にモンゴル農牧協同組合は,経済上,組織上,大きな社会主義企業に発展したと述べた。要旨次のとおり。 モンゴル農牧協同組合は現在,共和国における家畜の93.4%を所有し,肉83.4%,羊毛74.2%,ミルク47.4%,穀物18.6%を供給するまでになった。 近年,農業は農牧協同組合の重要部門となり,1959年と比較し,播種面積は3.7倍に達し,共和国全体の3分の1を占めている。 協同組合の生産は年々増大し,例えば1959年と比較し,1968年は3.3%組合の財政所得を増加させた。従って組合員に対し,大きな物質援助が可能となり,今年の組合員1人当たりに対する賃金は,1959年と比較して,4.1%上昇した。 以上は,モンゴルの農牧業が党の指導のもとになし得た偉大なる成果である。"
DIA-103-1969-11-11-1モンゴル1969年11月11日1960年代国民経済の発展のため,種々の部門における労働者階級は,近年ますます前進しつつある。過去8年間を比較しても,工場労働者70%,運輸通信50%,建設20%の労働者が増加した。 現在,産業および建設の発展のため,専門技術労働者の養成が行なわれ,専門技術学校および労働青年のためのコースが国の至る所で開かれてきた。 加えて多くの技師,技術労働者,教師,医師などの高等専門技術者が,ソ連邦で教育を受け,それらはモンゴル技術教育の中心となっている。
DIA-103-1969-11-13-1モンゴル1969年11月13日1960年代熱出力3万キロカロリー,電力1万2000kwhの年間出力を持つ新電力センターがソビエトの援助によりチョイバルサン市に建設された。 この新熱電力プラントはチョイバルサン市の心臓となり,モンゴルの新しい経済地域の中心となろう。この熱電力は住宅,文化・公共施設のほかに,数十ヵ所の新しい工業計画炭坑,羊毛洗浄工場,肉コンビナート,そしてコンビナートの建設に供給されるであろう。 モンゴルは熱電力の強大な発展に大きな努力を払ってきた結果,国内各地域に電力プラントの建設を続け,この3年間で電力は2.5倍に増加した。
DIA-103-1969-11-14-1モンゴル1969年11月14日1960年代モンゴル・ハンガリー商品交換支払い議定書の調印。
DIA-103-1969-11-18-1モンゴル1969年11月18日1960年代モンゴル・ハンガリー経済科学技術協定の調印。
DIA-103-1969-11-25-1モンゴル1969年11月25日1960年代近年モンゴルの民間航空は急速に発展しつつある。現在すべてのアイマクの首府および町は(全農牧協同組合の40%が含まれる)ウランバートルと航空網により給ばれている。
DIA-103-1969-11-26-1モンゴル1969年11月26日1960年代モンゴル第3番目の大きさにあたる産業センターが,ソ連邦の援助により,チョイバルサン市に建設中である。 チョイバルサン市の近くでは,年間20万トンの石炭が採堀される予定で,これは本年12月に操業を開始する予定の,熱電力プラントの燃料となる予定である。このセンターには建築資材コンビナート,羊毛洗浄機械,食料品コンビナートおよび他の工場,住宅,文化厚生施設が建設されつつある。 同地区には,1日90トンの肉および肉製品を生産する肉コンビナートが,ブルガリアの援助により建設中である。計画の大半は1970年に達成され,チョイバルサン市の工業製品は,1968年に比較して,ほぼ5倍に増加する予定である。
DIA-103-1969-11-27-1モンゴル1969年11月27日1960年代6名よりなる日本の貿易商社代表団は,27日ウランバートルに到着した。その目的は,モンゴル外国貿易公団との,1970年度取引協定の調印である。
DIA-103-1969-11-27-2モンゴル1969年11月27日1960年代現在モンゴルでは,2万1千人以上が48の通常教育機関に登録されており,高等および専門中等教育機関には2万近くの学生が在籍している。 事実上,1万人中1908人が一つまたは複数の教育機関に登録されており,これは高度に発展した資本主義国より先んじている。 近年モンゴルは,教育の向上には非常な努力を払っており,夜間,季間,臨時の学校,講座,教室などの基礎教育網を有し,国民の千分の10がこれらの授業に出席している。 また若年牧畜労働者のための学校には,20万人以上の人々が登録されている。初めての工芸技術単科大学がウランバートルに設立された。これは国家の経済の多種にわたる高等専門有資格者を育成するためであり,最新の設備を備えた6学部と16の研究機関を有している。
DIA-103-1969-12-03-1モンゴル1969年12月03日1960年代モンゴル政府の招待により,南ベトナム解放民族戦線および南ベトナム臨時革命政府代表団本日ウランバートル到着。
DIA-103-1969-12-15-1モンゴル1969年12月15日1960年代今年度11ヵ月間の軽工業,食品工業生産総額は昨年同期間に較べ10%増,労働生産性は8%増,生産および販売国家計画を超過達成した。多くの工場が新経済制度,報奨金制を取り入れている。
DIA-103-1969-12-18-1モンゴル1969年12月18日1960年代北ベトナム,中国,北朝鮮,モンゴル,ソ連5ヵ国鉄道旅客運輸協定が12月18日ウランバートルで調印された。この協定は1970~1971年度におけるモスコーザバイカルスク-北京,北京-ハノイ,北京-平壌,北京-ウランバートル,ウランバートル-イルクーツク,モスコ-バイントムン各路線の旅客列車の運行および直通便の時間表を決定している。モンゴル交通省が5ヵ国代表を会議に招待した。同様な会議は1966年度にも開かれた。
DIA-103-1969-12-19-1モンゴル1969年12月19日1960年代ソ連・モンゴル国境地帯森林火事対策相互協力協定ウランバートルで調印。
DIA-103-1969-12-20-1モンゴル1969年12月20日1960年代農牧業組合運動勝利10周年祝賀集会が開かれ党,政府首脳出席。現在農牧業組合は全国農牧業生産総額の48.6%を生産している。食用肉の81.6%,羊毛の74%,牛乳の74.5%,穀物の10.8%を生産している。所有トラクター台数4000余,トラック2000台余,今年仔家畜570万頭を育てた。
DIA-103-1969-12-22-1モンゴル1969年12月22日1960年代ハルハ河対日戦闘勝利30周年に際しモンゴル政府はソ連の元帥,大将などに勲章を贈った。モスコー駐在モンゴル大使ロブサンチュルトムは空軍元帥アレクサンダ・ゴロバノフ,ソ連国防次官イワン・パブロブスキー大将その他に勲章を伝達した。伝達式にはモンゴル国防大臣ドルジ上級大将が出席。