DIA-211-1980-01-02-1 | ミャンマー | 1980年01月02日 | 1980年代 | ネーウィン大統領は,ラングーン駅ホールで,彼の選挙区であるマヤンゴン郡区住民代表に,人民議会報告。第2回人民議会第3次及び第4次会期の討議内容の報告は,サンユー国家評議会書記長が行ない,次の諸点を明らかにした。 ○1979/80年度は第3次4ヵ年計画の第2年度であり,この年の生産目標が提示された。目標は総生産で5.9%増,農業3.8%,畜産・漁業4.9%,林業3.6%,鉱業11.5%,工業11.1%の各増加,輸出25億9千万チャット。 ○1978/79年度の生産実績は,農業が5%増目標に対し7.5%増,鉱業は2億チャット目標に対し1億9千万チャット,工業の目標達成率は94%,貿易では97.4%の達成率,米買付は目標の1億6400万バスケットに対し,1億8千万バスケット以上となった。 |
DIA-211-1980-01-03-1 | ミャンマー | 1980年01月03日 | 1980年代 | サンユー国家評議会書記長はバハン郡選挙民への人民議会報告会で,次の諸点を明らかにした。 ○1978/79年度,畜産・漁業生産は目標の9億4千万チャットに対し,9億5千万チャットとなった。○78/79年度71の国営工場が建設中であり,全工業分野では,国営工場が1500,協同組合工場が1千,民間工業施設3万以上がある。砂糖,塩,タバコ,ロンジー,カヤの生産が前年より上回った。石油,ケロシン,ジーゼル油生産も伸びた。○今会計年度の米買付目標は1億7千万バスケットであり,目標は達成されよう。 |
DIA-211-1980-01-03-2 | ミャンマー | 1980年01月03日 | 1980年代 | Hlaingbwe郡,KNU反政府軍非難集会。 |
DIA-211-1980-01-04-1 | ミャンマー | 1980年01月04日 | 1980年代 | 第32回独立記念日。 |
DIA-211-1980-01-05-1 | ミャンマー | 1980年01月05日 | 1980年代 | アラカン州Myebon郡Taungsinkam地区で第34ビルマ連隊司令官らが出席し,赤旗共産軍非難集会。 |
DIA-211-1980-01-07-1 | ミャンマー | 1980年01月07日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相,レイン郡選挙区で,人民議会報告。報告のなかで,79/80年度の25億8千万チャットの輸出目標に対し,同年度の最初の6ヵ月の輸出は12億8千万チャットであった,と述べた。 |
DIA-211-1980-01-09-1 | ミャンマー | 1980年01月09日 | 1980年代 | 人民警察軍は,シャン州サルウィーン川流域で79年12月18日以来,ケシ栽培地1200エーカーを破壊。 |
DIA-211-1980-01-09-2 | ミャンマー | 1980年01月09日 | 1980年代 | Mong Hkat郡でビルマ共産党非難集会。 |
DIA-211-1980-01-12-1 | ミャンマー | 1980年01月12日 | 1980年代 | Mudon郡Setthwe村で7500人が,反政府軍非難集会。 |
DIA-211-1980-01-14-1 | ミャンマー | 1980年01月14日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,ミヤンマ宝石公社視察。 |
DIA-211-1980-01-14-2 | ミャンマー | 1980年01月14日 | 1980年代 | 米国の新駐ビルマ大使,Ms Patricia M Byrne,ネーウィン大統領に信任状提出。 |
DIA-211-1980-01-14-3 | ミャンマー | 1980年01月14日 | 1980年代 | ビルマ訪問中の中国文化使節団の姚仲明文化部副部長,U Mahn San Myat Shwe文化相を訪問。 |
DIA-211-1980-01-15-1 | ミャンマー | 1980年01月15日 | 1980年代 | ミヤンマ保険公社は,3月2日より,50のパイロット郡区で,農民向け耕作保険を開始する。 |
DIA-211-1980-01-19-1 | ミャンマー | 1980年01月19日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相は第1,第2工業相,鉱業相らとともに,16日からMagwe管区のMann油田,工業計画などを視察,本日ラングーンに帰着した。 |
DIA-211-1980-01-19-2 | ミャンマー | 1980年01月19日 | 1980年代 | 貿易相Khin Maung Gyi大佐は,78/79会計年度に全国898の米買付所中最高の成績をあげた,ラングーン管区Thongwa郡Myoma米買付所を表彰した。 |
DIA-211-1980-01-19-3 | ミャンマー | 1980年01月19日 | 1980年代 | Mongyawng郡Wanbo村で共産軍非難集会。 |
DIA-211-1980-01-20-1 | ミャンマー | 1980年01月20日 | 1980年代 | U Mya Maung労働・社会福祉相死去。 |
DIA-211-1980-01-21-1 | ミャンマー | 1980年01月21日 | 1980年代 | 建設公社は,HlaTun建設相を議長として,79/80年度調整会議を開いた。建設相は会合で,同年度に4億7千万チャットの新規工事がなされると述べた。 |
DIA-211-1980-01-21-2 | ミャンマー | 1980年01月21日 | 1980年代 | Pyinmana郡区の数ヵ村で第85ビルマ連隊主催で,1月10日から18日の間に,共産軍非難集会が開かれた。 |
DIA-211-1980-01-24-1 | ミャンマー | 1980年01月24日 | 1980年代 | ネーウィン大統領は1月15日から24日まで,東部軍区,北東軍区,北西軍区を視察。国家評議会のU Sao On,Ba Thaw准将,国防相Thura KyawHtin将軍らが同行した。 大統領は1月15日Kengtung訪問,国防省特別作戦局長Tun Yi少将,東部軍区司令官Hla Oo准将,第77軽歩兵師団長Chit Swe大佐,第88軽歩兵師団長Tun Khin大佐らの出迎えを受けた。大統領は16日,Mekhaung Yeikthaで野戦病院を視察,Mongyang,Mongkhak,Mongyawng,Monphyak,Tachilek,Monghsat,Mongtung,Mongping,Kengtung各郡区からの党幹部と会見した。17日にはLashio訪問,北東軍区司令官Aye San大佐,第99軽歩兵師団L Khun Phan大佐らの出迎えを受けた。18日にはLashioの野戦病院を視察,北部シャン州22郡代表と会見した。19日にはマンダレーを訪問,北西軍区司令官Than Nyunt大佐らの出迎えを受けた。20日にはAmarapuraなど訪問,21日にはMinbuに行き,中央軍区司令官Tuang Za Khai大佐,第88軽歩兵師団副司令官Than Shwe大佐らの出迎えを受け,再びマンダレーに戻った。23日にはBudalin郡を視察,24日ラングーンに戻った。 |
DIA-211-1980-01-25-1 | ミャンマー | 1980年01月25日 | 1980年代 | 英国,漁業開発に4417万チャット贈与。 |
DIA-211-1980-01-28-1 | ミャンマー | 1980年01月28日 | 1980年代 | ラオス国境Tonpeng郡で,ビルマ政府代表,ラオス代表に種子米50トンを寄贈。 |
DIA-211-1980-01-29-1 | ミャンマー | 1980年01月29日 | 1980年代 | モールメイン―ラングーン間客車が,Bilin郡でゲリラの地雷にふれ脱線6人が死亡,8人負傷。 |
DIA-211-1980-01-29-2 | ミャンマー | 1980年01月29日 | 1980年代 | Bhamo発:MomaukでKIA反政府軍非難集会。 |
DIA-211-1980-01-30-1 | ミャンマー | 1980年01月30日 | 1980年代 | 連邦国旗の全国リレー開始。 |
DIA-211-1980-02-01-1 | ミャンマー | 1980年02月01日 | 1980年代 | 全階層僧侶会議開催作業委員会開催。 |
DIA-211-1980-02-01-2 | ミャンマー | 1980年02月01日 | 1980年代 | 朝鮮民主主義人民共和国,シリアム郡の第1スズ精練工場計画実施援助協定に調印。 |
DIA-211-1980-02-04-1 | ミャンマー | 1980年02月04日 | 1980年代 | バングラデシュ親善使節団,マウン・マウン・カ首相U Myint Maung外相を訪問。 |
DIA-211-1980-02-04-2 | ミャンマー | 1980年02月04日 | 1980年代 | ガンビア貿易代表団,Khin Maung Gyi貿易相訪問。 |
DIA-211-1980-02-06-1 | ミャンマー | 1980年02月06日 | 1980年代 | サンユー国家評議会書記長,ラーマン・バングラデシュ内相と会見。Sein Lwin内相,U Myint Maung外相らも同席。ラーマン内相はThura Kyaw Htin国防相も訪問した。 |
DIA-211-1980-02-07-1 | ミャンマー | 1980年02月07日 | 1980年代 | U Ye Goung農林相は,国軍農業コースで演説し,農業状況について,現在国内消費用に十分な米があり,かなりの量も輸出できよう,塩も十分ある。しかし食用油生産には十分な注意が払われる必要がある,郡区単位の高収量ゴマ・落花生耕作を推進する必要がある,と述べた。高収量ポテト耕作拡大,小規模畜産拡大も強調した。 |
DIA-211-1980-02-07-2 | ミャンマー | 1980年02月07日 | 1980年代 | 鉱山相Than Tin准将は4~6日,ペグー山系とSinbaungwe郡の地質調査チームを視察した。鉱山相は4日,Paungwe東の調査基地を,Prome駐屯第66師将校らと訪問し,1975年以来,この地域では反乱軍が一掃されているとして,精力的な調査活動を調査チームに要請した。 |
DIA-211-1980-02-07-3 | ミャンマー | 1980年02月07日 | 1980年代 | Rathedaung郡Aukzigamg村で共産軍非難集会。 |
DIA-211-1980-02-08-1 | ミャンマー | 1980年02月08日 | 1980年代 | サンユー書記長,連邦記念日式典参加のためラングーンについた地方人民評議会幹部らを訪問。 |
DIA-211-1980-02-08-2 | ミャンマー | 1980年02月08日 | 1980年代 | 国軍参謀長の招待で連邦記念式に出席するペグー山系7郡23村代表250人がラングーン着。 |
DIA-211-1980-02-09-1 | ミャンマー | 1980年02月09日 | 1980年代 | サンユー書記長,連邦記念式出席の山岳部代表と会見。 |
DIA-211-1980-02-09-2 | ミャンマー | 1980年02月09日 | 1980年代 | イラワジ西岸のBhamo郡Papaung村で,KIA反政府軍非難集会。 |
DIA-211-1980-02-09-3 | ミャンマー | 1980年02月09日 | 1980年代 | Myebon郡Kwinchaung村区で,共産軍非難集会。 |
DIA-211-1980-02-10-1 | ミャンマー | 1980年02月10日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,第33回連邦記念日記念展示場視察。 |
DIA-211-1980-02-10-2 | ミャンマー | 1980年02月10日 | 1980年代 | Mergui東部郡の村で,KNU反政府軍非難集会。 |
DIA-211-1980-02-11-1 | ミャンマー | 1980年02月11日 | 1980年代 | 第33回連邦記念日討論会がサヤ・サン・ホールで開かれ,サンユー書記長が基調報告を行なった。同書記長は,諸民族の連邦精神強化,破壊分子の一掃,経済建設など国力の強化を討論会の政治目標としてあげるとともに,武装反政府軍は政府軍と人民の協力により崩壊しつつあるが,その一掃のため努力せねばならないと述べた。書記長は,反政府グループが各種の破壊活動,密輸,住民からの保護料徴収などを行ない,また共産党はその支配下住民にケシを作らせ,税金を取り,また強制的に追従者を集めていると非難し,反乱軍を孤立化させるための対策を強化し,民兵隊の結成などに努めねばならないと述べた。 なお多くの討論参加者は,その討議で民兵隊結成,訓練,武装化問題をとりあげた。 |
DIA-211-1980-02-11-2 | ミャンマー | 1980年02月11日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,連邦記念日レセプション開催。 |
DIA-211-1980-02-12-1 | ミャンマー | 1980年02月12日 | 1980年代 | チャイカサン広場で連邦記念日集会,15万人参加。ネーウィン大統領は集会宛にメッセージを送り,各民族の協力,破壊分子の一掃,国力の強化を訴えた。 |
DIA-211-1980-02-12-2 | ミャンマー | 1980年02月12日 | 1980年代 | Sein Lwin内相は連邦記念日に際し,ナガ地方のナガ族長老らに贈物を贈った。 |
DIA-211-1980-02-14-1 | ミャンマー | 1980年02月14日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,インヤ・レーク・ホテルでの第17回ビルマ宝石見本市予備展示場視察。 |
DIA-211-1980-02-15-1 | ミャンマー | 1980年02月15日 | 1980年代 | トングーの中央軍区本部で,中央軍区司令官らは,国軍参謀長の招待による山岳部からの代表150人を招宴した。 |
DIA-211-1980-02-16-1 | ミャンマー | 1980年02月16日 | 1980年代 | Daw Ni Ni Myint大統領夫人,連邦記念日展示場視察。Sein Tun協同組合相ら同行。 |
DIA-211-1980-02-17-1 | ミャンマー | 1980年02月17日 | 1980年代 | 全国リレーの連邦旗,ラングーン市ホールに帰る。 |
DIA-211-1980-02-18-1 | ミャンマー | 1980年02月18日 | 1980年代 | 国家評議会,第2回人民議会第5期会期を3月17日より開催すると布告。 |
DIA-211-1980-02-18-2 | ミャンマー | 1980年02月18日 | 1980年代 | 研究政策指導局農業,生物,林業科学各部合同シンポジウム開催。U Ye Goung農林相開催演説。 |
DIA-211-1980-02-19-1 | ミャンマー | 1980年02月19日 | 1980年代 | Minbya郡Yannaing村で,反乱軍非難集会。 |
DIA-211-1980-02-20-1 | ミャンマー | 1980年02月20日 | 1980年代 | ラングーン管区人民評議会,80/81年度耕作シーズンから低品質米作付を停止することを決定。130万エーカーに25万エーカーの特別高品質米,54万9千エーカーに高品質米,50万8千エーカーに地域的高品質米の作付が予定されている。 |
DIA-211-1980-02-21-1 | ミャンマー | 1980年02月21日 | 1980年代 | 農林省農業機械化局は,これまでに全国で5560本のチューブ井戸施設を作り,280万人が利益をえている。 |
DIA-211-1980-02-23-1 | ミャンマー | 1980年02月23日 | 1980年代 | ソ連大使館の第62回ソ連軍記念日レセプションに,Thura Kyaw Htin国防相出席。 |
DIA-211-1980-02-24-1 | ミャンマー | 1980年02月24日 | 1980年代 | 1979年のビルマへの観光客数は2万2208人。78年は2万1908人。国別では,フランス3963人,ドイツ2859人,アメリカ2445人,日本2031人など。 |
DIA-211-1980-02-25-1 | ミャンマー | 1980年02月25日 | 1980年代 | 西独経済使節団,Thura U Tun Tin計画・財政相を訪問。 |
DIA-211-1980-02-26-1 | ミャンマー | 1980年02月26日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,第17回ビルマ宝石展視察。 |
DIA-211-1980-02-26-2 | ミャンマー | 1980年02月26日 | 1980年代 | Khin Ohn労働相,78/79年モデル労働者514人表彰。 |
DIA-211-1980-02-29-1 | ミャンマー | 1980年02月29日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,宝石展再訪問。 |
DIA-211-1980-03-02-1 | ミャンマー | 1980年03月02日 | 1980年代 | 農民の日。ネーウィン大統領は,この日を記念し,農民に対し,農業を基礎とした工業国建設のなかでの農民の重要性を強調するメッセージを発表した。 |
DIA-211-1980-03-02-2 | ミャンマー | 1980年03月02日 | 1980年代 | ビレンドラ・ネパール国王夫妻,ビルマ訪問。 |
DIA-211-1980-03-02-3 | ミャンマー | 1980年03月02日 | 1980年代 | ミヤンマ保険公社,農民用生命・損害保険開始。 |
DIA-211-1980-03-03-1 | ミャンマー | 1980年03月03日 | 1980年代 | ビレンドラ・ネパール国王,ネーウィン大統領マウン・マウン・カ首相と個別に会見。 |
DIA-211-1980-03-03-2 | ミャンマー | 1980年03月03日 | 1980年代 | ミヤンマ保険公社は7州・管区50郡区で農民用生命・事故保険を推進しているが,これまでに233万8529人の農民評議会員のうち54万7826人が保険加入の意志を表明し,7万5176人が実際に加入した。 |
DIA-211-1980-03-03-3 | ミャンマー | 1980年03月03日 | 1980年代 | 各国大使館駐在武官,内外記者団,ビルマ国境タチレーク郡区内での麻業鎮圧作戦を見学。 |
DIA-211-1980-03-04-1 | ミャンマー | 1980年03月04日 | 1980年代 | ネパール国王,ビルマを出発。 |
DIA-211-1980-03-04-2 | ミャンマー | 1980年03月04日 | 1980年代 | タチレーク郡での第5次Mohein麻薬取締り作戦は,2月23日から29日の間に,10人の敵を殺し,1人を捕え,ライフル類と麻薬類を捕獲した。 |
DIA-211-1980-03-04-3 | ミャンマー | 1980年03月04日 | 1980年代 | UNDPとFAO,このほどビルマの漁業資源調査,植物保護に206万7千ドル援助を決定。 |
DIA-211-1980-03-06-1 | ミャンマー | 1980年03月06日 | 1980年代 | 農業公社で80/81年度農業経済計画調整会議。U Ye Goung農林相が開会演説を行ない,次の諸点を明らかにした。 ○80/81年度,農業部門の総国内生産目標は43億チャット。79/80年度比9.5%増。○イラワジ,ペグー,ラングーンの3管区で,エーカー当り60バスケットの米の収獲があげられれば,7百万エーカーの作付で4億2千万バスケットの米収獲が可能となる。この60バスケット収獲に努力すべきである。○米不作地での米作拡大,小麦,落花生,ゴマ,ひまわり,ジュート,綿,ポテトの増産も必要。 |
DIA-211-1980-03-08-1 | ミャンマー | 1980年03月08日 | 1980年代 | フィンランド外相,マウン・マウン・カ首相を訪問。なおビルマ・フィンランド航空協定調印。 |
DIA-211-1980-03-09-1 | ミャンマー | 1980年03月09日 | 1980年代 | ミヤンマ保険公社の農民保険,開始1週間で,9万9730人が加入。 |
DIA-211-1980-03-11-1 | ミャンマー | 1980年03月11日 | 1980年代 | フィンランド,ビルマに6万6千ドルの技術援助約束,調印。 |
DIA-211-1980-03-13-1 | ミャンマー | 1980年03月13日 | 1980年代 | 労働省社会保障局の社会保障計画は,現在58万6917人の労働者(41郡区の1万452工場・職場)に適用されている。うち37万4841人は1100の国営企業,3万3690人は1112の協同組合,17万8386人は8240の私企業施設に属している。 |
DIA-211-1980-03-14-1 | ミャンマー | 1980年03月14日 | 1980年代 | Mudon郡Nailon村で,反政府軍非難集会。 |
DIA-211-1980-03-15-1 | ミャンマー | 1980年03月15日 | 1980年代 | ビルマ社会主義計画党第11回中央委総会開催。ネーウィン議長が会合を主催し,サンユー書記長が人民議会について報告し,中央委の承認をえた。予算見積りも承認された。 |
DIA-211-1980-03-16-1 | ミャンマー | 1980年03月16日 | 1980年代 | ラングーン管区でのもみ米買付量は,3月15日現在で3250万バスケットに達し,3月末の目標3千万バスケットを上回った。 |
DIA-211-1980-03-16-2 | ミャンマー | 1980年03月16日 | 1980年代 | 農業公社は,ゴム1万3千トンを買い付ける計画である。全国のゴム生産地は20万5725エーカー,1万5397トンの生産が見込まれている。 |
DIA-211-1980-03-17-1 | ミャンマー | 1980年03月17日 | 1980年代 | 第2期人民議会第5回会期開催。459議員中,453人出席。サンユー国家評議会書記が国家評議会報告を,マウン・マウン・カ首相が閣僚会議報告を行ない,他に司法関係報告などがなされた。Tun Tin計画・財政相が1980年経済計画見通し,80/81年財政・経済報告,および1981年国家予算案を提出した。 |
DIA-211-1980-03-18-1 | ミャンマー | 1980年03月18日 | 1980年代 | 第2期人民議会第5回会期第2日。 |
DIA-211-1980-03-19-1 | ミャンマー | 1980年03月19日 | 1980年代 | 閣僚評議会,Sein Lwin准将を内務・宗教相専任に(従来運輸・通信相兼任),Thura Saw Pru少将を運輸・通信相に,U Lay Maungを外務相に発令。U Myint Maung外相は解任。またU Saw Hla Pru鉱山副大巨は運輸通信副大臣に,ラングーン管区選出入民議会議員U Myo Myintが鉱山副大臣に任命された。 |
DIA-211-1980-03-19-2 | ミャンマー | 1980年03月19日 | 1980年代 | 人民議会第3日。閣僚による答弁,81年経済目標への質問など。 |
DIA-211-1980-03-20-1 | ミャンマー | 1980年03月20日 | 1980年代 | 人民議会第4日。国家評議会サンユー書記らの答弁,予算案討議。 |
DIA-211-1980-03-21-1 | ミャンマー | 1980年03月21日 | 1980年代 | 第2期人民議会第5回会期終了。マウン・マウン・カ首相の閣僚会議報告に対する代表答弁,経済計画に対する計画相答弁などがあった。 |
DIA-211-1980-03-25-1 | ミャンマー | 1980年03月25日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,国産薬草展視察。 |
DIA-211-1980-03-25-2 | ミャンマー | 1980年03月25日 | 1980年代 | 政府軍は,南東軍区カレン州ビルマ・タイ国境のKNU反政府軍に対し攻撃をかけ,3月22日から25日の間に,2つのKNUキャンプを攻撃,KNU兵7人を殺し,1人を捕えた。政府軍の死傷はなかった。 |
DIA-211-1980-03-27-1 | ミャンマー | 1980年03月27日 | 1980年代 | 第35回国軍記念日。レジスタンス公園でパレード,式典が行なわれ,Thura Kyaw Htin国軍総参謀長が記念演説,反政府軍一掃などをよびかけた。 |
DIA-211-1980-03-28-1 | ミャンマー | 1980年03月28日 | 1980年代 | ネーウィン国家評議会議長,1980年国家予算法公布。この法律は4月1日に発効し,1980/81年度予算となる。また1980年経済計画生産・サービス目標法も公布された。これも4月1日に発効,80/81年度を対象。 |
DIA-211-1980-03-28-2 | ミャンマー | 1980年03月28日 | 1980年代 | 日本,印刷・映画・放送向けにビルマ政府に2億9119万6千円を贈与。 |
DIA-211-1980-03-29-1 | ミャンマー | 1980年03月29日 | 1980年代 | 閣僚会議経済調整委と州・管区人民評議会執行委議長ら,80/81年経済計画実行を討議。 |
DIA-211-1980-03-30-1 | ミャンマー | 1980年03月30日 | 1980年代 | Sinmalaik造船所で,沿岸タンカー完成(1690トン)。 |
DIA-211-1980-04-01-1 | ミャンマー | 1980年04月01日 | 1980年代 | ラングーンなどで青年ボランティア奉仕キャンプ開所式。 |
DIA-211-1980-04-02-1 | ミャンマー | 1980年04月02日 | 1980年代 | U Tun Tin副首相,故トン・ドク・タン大統領弔問のためベトナム大使館を訪問。 |
DIA-211-1980-04-02-2 | ミャンマー | 1980年04月02日 | 1980年代 | フィリュービン・ソ連外務次官,ビルマを非公式訪問。 |
DIA-211-1980-04-03-1 | ミャンマー | 1980年04月03日 | 1980年代 | サンユー国家評議会書記長,フィリュービン・ソ連外務次官と会見。U Tun Tin副首相,U Lay Maung外相ら同席。なお同次官はこの日ビルマを離れた。 |
DIA-211-1980-04-03-2 | ミャンマー | 1980年04月03日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相,眼病治療のためイギリスへ出発。 |
DIA-211-1980-04-04-1 | ミャンマー | 1980年04月04日 | 1980年代 | 第1回文盲対策労働者会議。 |
DIA-211-1980-04-05-1 | ミャンマー | 1980年04月05日 | 1980年代 | 僧職者作業委員会は,仏教の純化・永続化・普及のための全階層僧職者会議に出席する代表として235人を選出することを決定した。 |
DIA-211-1980-04-07-1 | ミャンマー | 1980年04月07日 | 1980年代 | 林業公社,経済計画調整会議。Ye Goung農林相ら出席。農林相は,79/80年の林業生産は前年を6.6%上廻り,同輸出は78/79年が4億5200万チャット,79/80年が5億5百万チャットの目標に対し約6千万チャット上廻った,と述べた。 |
DIA-211-1980-04-09-1 | ミャンマー | 1980年04月09日 | 1980年代 | ビルマ貿易代表団(団長Khin Maung Gyi貿易相),広東見本市参加のため,中国へ出発。 |
DIA-211-1980-04-09-2 | ミャンマー | 1980年04月09日 | 1980年代 | 中国,マッペ1万1千トン買付け契約。 |
DIA-211-1980-04-10-1 | ミャンマー | 1980年04月10日 | 1980年代 | OPEC特別基金,ビルマの外港建設計画に632万ドル供与約束。無利子。 |
DIA-211-1980-04-12-1 | ミャンマー | 1980年04月12日 | 1980年代 | ファン・バン・ドン・ベトナム首相ビルマ訪問。グエン・コ・タク外相,レ・カク貿易相らが同行。一行は,U Tun Tin首相代行,U Lay Maung外相らと会談,またサンユー国家評議会書記長とも会見した。U Tun Tin首相代行は,ベトナム首相のために夕食会を主催した。 |
DIA-211-1980-04-13-1 | ミャンマー | 1980年04月13日 | 1980年代 | ファン・バン・ドン・ベトナム首相,帰国。 |
DIA-211-1980-04-14-1 | ミャンマー | 1980年04月14日 | 1980年代 | 協同組合局は,70年協同組合法にもとづき,80年2月末までに,全国で,2万759の協同組合を設立した。うちわけは,中央協同組合1,郡区協同組合298,郡区協同組合連合15,初級協同組合連合175,初級協同組合1734,工業生産者協同組合499,協同組合(商業)1万5447,信用組合2578,サービス組合11,運輸組合1。 |
DIA-211-1980-04-16-1 | ミャンマー | 1980年04月16日 | 1980年代 | Pyuで,前線から帰還した第6ビルマ・ライフル大隊観迎式。 |
DIA-211-1980-04-17-1 | ミャンマー | 1980年04月17日 | 1980年代 | 農民生命保険加入者は,対象の7州・管区内50郡区の農民評議会員233万人のうち,35万9587人に達した。うちすでに死亡した116人と負傷者16人に対し,13万5575チャットが支払われた。 |
DIA-211-1980-04-17-2 | ミャンマー | 1980年04月17日 | 1980年代 | ビルマ貿易代表団,北京訪問。 |
DIA-211-1980-04-18-1 | ミャンマー | 1980年04月18日 | 1980年代 | (北京):ビルマ貿易代表団,中国対外貿易相らと会談。 |
DIA-211-1980-04-19-1 | ミャンマー | 1980年04月19日 | 1980年代 | (北京):Khin Maung Gyi貿易相,依林中国副首相らと会談。 |
DIA-211-1980-04-21-1 | ミャンマー | 1980年04月21日 | 1980年代 | 朝鮮民主主義人民共和国教育代表団訪問。 |
DIA-211-1980-04-23-1 | ミャンマー | 1980年04月23日 | 1980年代 | 農民評議会中央組織第4回会議開催。U Thaung Kyi議長が開会演説を行ない,農業生産の向上を訴えるとともに,農民評議会の拡大をよびかけ,1980年2月末までに,286の郡区評議会,1万2千以上の地区・村区評議会があり,760万人のメンバーがいると述べた。 |
DIA-211-1980-04-23-2 | ミャンマー | 1980年04月23日 | 1980年代 | 朝鮮民主主義人民共和国文化代表団到着。 |
DIA-211-1980-04-23-3 | ミャンマー | 1980年04月23日 | 1980年代 | ビルマ貿易代表団,中国より帰国。 |
DIA-211-1980-04-24-1 | ミャンマー | 1980年04月24日 | 1980年代 | 農民評議会中央組織第4回会議終了。 |
DIA-211-1980-04-24-2 | ミャンマー | 1980年04月24日 | 1980年代 | バングラデシュ貿易代表団到着。 |
DIA-211-1980-04-24-3 | ミャンマー | 1980年04月24日 | 1980年代 | U Mahn San Myat Shwe文化情報相,北朝鮮文化代表団と会見。 |
DIA-211-1980-04-25-1 | ミャンマー | 1980年04月25日 | 1980年代 | Khin Maung Win教育相,北朝鮮教育代表と会見。 |
DIA-211-1980-04-25-2 | ミャンマー | 1980年04月25日 | 1980年代 | サンユー計画党書記長,副参謀長Aye Ko少将らは,23~24日,マグエ,マンダレー両管区を訪問し,今朝,ラングーンに帰った。一行は23日,Pakokkuを訪ずれた後,24日マンダレーに入り,カチン,チン,シャン各州とザガイン,マグエ,マンダレー各管区の党幹部らと会談した。この会合で,サンユー書記長は,“地上にいる破壊分子”が,宗教を政治的動機に利用していることに警告した。また反政府軍掃討に際して,住民の協力をとりつける必要性をも強調した。 |
DIA-211-1980-04-25-3 | ミャンマー | 1980年04月25日 | 1980年代 | バングラデシュ貿易代表団,Khin Maung Gyi貿易相,Tint Swe第1工業相,U Lay Maung外相を訪問。 |
DIA-211-1980-04-26-1 | ミャンマー | 1980年04月26日 | 1980年代 | U Mahn San Myat Shwe情報文化相,ラングーで開催中の北朝鮮文化展を視察。 |
DIA-211-1980-04-26-2 | ミャンマー | 1980年04月26日 | 1980年代 | バングラデシュ貿易代表団,Thura Saw Pm運輸通信相を訪問。 |
DIA-211-1980-04-26-3 | ミャンマー | 1980年04月26日 | 1980年代 | Hla Tun建設相,22~26日,マンダレー,ザガイン両管区の建設計画,給水計画など視察。 |
DIA-211-1980-04-27-1 | ミャンマー | 1980年04月27日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相,英国から帰国。 |
DIA-211-1980-04-28-1 | ミャンマー | 1980年04月28日 | 1980年代 | バングラデシュ貿易代表団帰国。 |
DIA-211-1980-04-29-1 | ミャンマー | 1980年04月29日 | 1980年代 | マウン・ヤウン・カ首相,北朝鮮文化代表団と会見。 |
DIA-211-1980-04-30-1 | ミャンマー | 1980年04月30日 | 1980年代 | 北朝鮮教育代表団帰国。 |
DIA-211-1980-05-01-1 | ミャンマー | 1980年05月01日 | 1980年代 | 労働者の日。各地で集会,ネーウィン大統領は集会にメッセージを送り,国家建設と破壊分子一掃への労働者の協力をよびかけた。 |
DIA-211-1980-05-03-1 | ミャンマー | 1980年05月03日 | 1980年代 | ラングーン管区81年度高収穫米計画調整会議。U Aung Thein管区党地域委員会議長は開会演説で,79年にラングーン管区では6550万バスケットの米が生産され,買付目標2260万バスケットに対し,3270万が買付けされ,80年度の米作はエーカー当り52バスケットに達した,81年度はエーカー当り60バスケットとしたいと述べた。なお79/80年の全国の米作は5億1090万バスケット(目標は5億130万バスケット)。 |
DIA-211-1980-05-04-1 | ミャンマー | 1980年05月04日 | 1980年代 | 国軍副参謀総長Aye Ko少将,空軍副参謀長Ko Gyi准将らは,1日から4日まで,東部軍区の前線基地を視察した。一行は1日にNamsang訪問,第1特別作戦局長Tun Yi少将,東部軍区司令官Hla Co准将,第66軽歩兵師団長Tin Oo大佐,第77軽歩兵師団長Chit Swe大佐らにより情況説明を受けた。2日,一行は77師団前進基地を視察,サルウィーン東岸,Monghsuなどを訪ずれた。3日,一行はKengtungを訪問,第88軽歩兵師団Than Shwe大佐の説明,さらにLoimweのビルマ空軍第72中隊を視察した。 |
DIA-211-1980-05-06-1 | ミャンマー | 1980年05月06日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相,チトー国葬出席のためユーゴへ出発(11日帰国)。 |
DIA-211-1980-05-07-1 | ミャンマー | 1980年05月07日 | 1980年代 | 第1工業省傘下工業公社生産検討会議。開会演説を行ったTint Swe第1工業相は,次の諸点を明らかにした。○79/80年度の全公社の生産額は29億470万チャットで,78/79年の29億110万を上回った。○全公社の売上げは79/80年は28億8960万チャットで生産の99%,前年は94%であった。○輸出は1億5770万チャットが契約され,9470万チャットが船積みされた。○80年度中に,ガラス工場(バセイン),ジュート工場(ミヤウンミャ),ゴム・ボール工場(マウビ)が完成した。 |
DIA-211-1980-05-09-1 | ミャンマー | 1980年05月09日 | 1980年代 | 政府,Saw Tun駐スリランカ大使を駐日本大使に任命。 |
DIA-211-1980-05-11-1 | ミャンマー | 1980年05月11日 | 1980年代 | Minbyaで2万5千人が共産軍非難集会。 |
DIA-211-1980-05-12-1 | ミャンマー | 1980年05月12日 | 1980年代 | 農林省と国防省共催の第3回基礎養蜂訓練コースが終了。Ye Goung農林相が,ケシに替る農産物としての養蜂の重要性などを強調する閉会演説を行なった。 |
DIA-211-1980-05-14-1 | ミャンマー | 1980年05月14日 | 1980年代 | Magweで,前線から帰った第1ビルマ・ライフル大隊の歓迎式。 |
DIA-211-1980-05-17-1 | ミャンマー | 1980年05月17日 | 1980年代 | 国家評議会は,国家情報局副情報局長Bo Ni大佐を同局情報局長に任命した。 |
DIA-211-1980-05-17-2 | ミャンマー | 1980年05月17日 | 1980年代 | ラングーン管区優良農民表彰式。管区人民評議会U Aung Thein議長は,エーカー当り100バスケット以上の米の収穫をあげた全国の2万7千人の農民のうち1万2107人が,ラングーン管区に属していたと述べた。 |
DIA-211-1980-05-21-1 | ミャンマー | 1980年05月21日 | 1980年代 | 建設公社,81年度事業検討会議。Hla Tun建設相が開会あいさつを行ない,79/80年度中に同公社が完成させた建設工事について説明した。それらは,Basseinガラス工場,Myaungmyaジュート工場,Hmawbiボール工場,39の米倉庫,橋,住宅,道路建設など。 |
DIA-211-1980-05-22-1 | ミャンマー | 1980年05月22日 | 1980年代 | Swaで前線から帰った第84ビルマ連隊歓迎式。 |
DIA-211-1980-05-22-2 | ミャンマー | 1980年05月22日 | 1980年代 | ペグーで前線から帰った第105軽歩兵連隊歓迎会。 |
DIA-211-1980-05-24-1 | ミャンマー | 1980年05月24日 | 1980年代 | 仏教の純化・永続化・布教のための全階層僧侶会議,ラングーンで開催。ビルマ杜会主義共和国僧侶憲章草案の討議などを行なった。 |
DIA-211-1980-05-25-1 | ミャンマー | 1980年05月25日 | 1980年代 | 全階層僧侶会議第2日。ビルマ社会主義共和国僧侶組織基本規則草案の討議,僧侶資格規準規則草案の提出などがなされた。 |
DIA-211-1980-05-26-1 | ミャンマー | 1980年05月26日 | 1980年代 | 全階層僧侶会議第3日。1218人が出席。階層・地域別に選出された中央作業委員会僧侶リストが発表された。299名が選出された。中央作業委員会は直ちに会合を開き,議長,副議長,書記らを選出した。 |
DIA-211-1980-05-26-2 | ミャンマー | 1980年05月26日 | 1980年代 | Myebonで共産軍非難集会。 |
DIA-211-1980-05-27-1 | ミャンマー | 1980年05月27日 | 1980年代 | ネーウィン大統領は,計画党中央執行委,国家評議会,政府中央各機関の合同会議を開き,全階層僧侶会議開催を記念し,ビルマの独立に貢献した人々をたたえる国家功労賞(Naing-Ngant Gon-Yi)の創設と反政府活動者などへの大赦を提案,了承をえた。 国家評議会は5月28日付で大赦令を発表したが,その要旨は次の通り。 ○この大赦令以前に政治的犯罪を犯した者全員は特赦される。 ○政府に対して反乱を起していたものは,この布告から90日以内に政府,党,軍,警察などの機関を通じ合法活動に復帰すれば,いかなる処罰も行なわない。 ○しかし被害者による告訴のあった殺人,暴行,財産への加害については,この布告は適用しない。しかし殺人についても10年以上,その他の罪は3年以上を求刑されることはない。被害者の告訴期限は8月28日とする。 ○すでに服役中の者の最高刑は10年以内に減刑する。 ○この布告は布告後の犯罪には適用しない。 |
DIA-211-1980-05-27-2 | ミャンマー | 1980年05月27日 | 1980年代 | 全階層僧侶会議閉会。 |
DIA-211-1980-05-28-1 | ミャンマー | 1980年05月28日 | 1980年代 | Pauktaw郡で反政府軍非難集会。 |
DIA-211-1980-05-31-1 | ミャンマー | 1980年05月31日 | 1980年代 | 大赦令により,全国で3944人の囚人釈放。 |
DIA-211-1980-05-31-2 | ミャンマー | 1980年05月31日 | 1980年代 | 政府,ラオスに塩50トン贈る。これまでビルマはラオスに対し,79/80年度はたね米50トン,塩50トン,78/79年度は米200トン,たね米100トン,76/77年と77/78年度は各米300トンを贈っている。 |
DIA-211-1980-06-01-1 | ミャンマー | 1980年06月01日 | 1980年代 | アジア開発銀行総会に出席した,Thura U Tun Tin副首相兼計画・財政相らは,その後,インドネシア,日本,シンガポールを歴訪して帰国。 |
DIA-211-1980-06-02-1 | ミャンマー | 1980年06月02日 | 1980年代 | 80/81年度学期はじまる。全国の586の高校,1233の中学,2万1910の小学校で480万人の生徒が登録されている。小学生は385万人,中学生は約80万人,高校生は15万人である。教員数は10万9400人。 |
DIA-211-1980-06-03-1 | ミャンマー | 1980年06月03日 | 1980年代 | 世銀は中央ビルマのNyaunggyatダム計画に9千万ドルの借款をビルマに供与することになった。 |
DIA-211-1980-06-03-2 | ミャンマー | 1980年06月03日 | 1980年代 | 情報省情報放送局,テレビ実験放送開始。 |
DIA-211-1980-06-05-1 | ミャンマー | 1980年06月05日 | 1980年代 | ビルマの登録自動車台数は,4月30日現在で,9万6000台である。うち5万2000台がラングーン。 |
DIA-211-1980-06-07-1 | ミャンマー | 1980年06月07日 | 1980年代 | 国家評議会,国家功労賞受賞者名を発表。第1級賞として133名,第2級賞として108名が受賞した。第1級賞受賞者は現金3万チャット,第2級は1万5千チャットを贈られる。もし受賞者が60歳以上で公職についていない場合,1級で月6百チャット,2級で3百チャットの手当が終身つく。受賞者は全て,国家への顕著な貢献をし犠牲を払った者で,反英闘争,たとえばサヤ・サン蜂起や1938年石油ストライキ参加者,30人の同志,戦後の独立闘争参加者,パンロン協定署名者,オンサン政権閣僚,ネーウィン政権貢献者などとなっている。 |
DIA-211-1980-06-07-2 | ミャンマー | 1980年06月07日 | 1980年代 | U Khin Nyein労働・社会福祉副大臣辞任。 |
DIA-211-1980-06-11-1 | ミャンマー | 1980年06月11日 | 1980年代 | アジア開銀,ビルマの8港湾改修に1550万ドルのローン承認。10年据置,40年払い,年利1%。 |
DIA-211-1980-06-11-2 | ミャンマー | 1980年06月11日 | 1980年代 | U Mahn San Myat Shwe文化相,ソ連手芸展視察。 |
DIA-211-1980-06-12-1 | ミャンマー | 1980年06月12日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,大平首相の死で天皇に弔電。 |
DIA-211-1980-06-14-1 | ミャンマー | 1980年06月14日 | 1980年代 | Sein Tun協同組合相は,協同組合省協同組合局と零細工業局職員研修会で,マネージャー職における弱点が協同組合の発展を妨げていると指摘した。 |
DIA-211-1980-06-15-1 | ミャンマー | 1980年06月15日 | 1980年代 | ファルコ米国務省麻薬問題担当国務次官,ビルマ訪問。 |
DIA-211-1980-06-16-1 | ミャンマー | 1980年06月16日 | 1980年代 | 米国務次官ら,ミチナ訪問。北方軍区司令部で司令官Myint Lwin大佐からカチン州の情況説明を受く。一行は次にラシオを訪問,北東軍区司令官Aye San大佐より説明を受け,さらにメイミョーを訪問,北西軍区司令官Than Nyunt大佐より説明を受けた。 |
DIA-211-1980-06-17-1 | ミャンマー | 1980年06月17日 | 1980年代 | タイのシティ外相,ビルマ訪問。シティ外相は直ちにU Lay Maung外相を訪問し,その後同外相主催の夕食会に出席した。夕食会にはThura U Tun Tin副首相,Khin Maung Gyi貿易相が同席した。 |
DIA-211-1980-06-17-2 | ミャンマー | 1980年06月17日 | 1980年代 | 米国務次官一行,メイミョーからマンダレー訪問,同日ラングーン帰着。内務省幹部と会談。さらにU Lay Maung外相と会見。Sein Lwin内相主催の夕食会出席。 |
DIA-211-1980-06-17-3 | ミャンマー | 1980年06月17日 | 1980年代 | アラカン独立軍(AIA)議長Tun Shwe Maung,大赦令を受け入れ西部軍区司令部に出頭。 |
DIA-211-1980-06-18-1 | ミャンマー | 1980年06月18日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,タイのシティ外相と会見。U Lay Maung外相らも同席した。タイ外相はまたマウン・マウン・カ首相とも会見したが,この会見にはThura U Tun Tin副首相,Thura Kyaw Htin国防相,Sein Lwin内相,U Lay Maung外相も同席した。タイ外相は,さらにビルマ外務省を訪問後,帰国。 |
DIA-211-1980-06-18-2 | ミャンマー | 1980年06月18日 | 1980年代 | 米国務省麻薬問題担当国務次官,ビルマ出発。 |
DIA-211-1980-06-18-3 | ミャンマー | 1980年06月18日 | 1980年代 | “Mon Pyichit党”の兵士9名が7日から18日の間でMudon郡,Ye郡で大赦令受入れ投降。 |
DIA-211-1980-06-19-1 | ミャンマー | 1980年06月19日 | 1980年代 | “Pyithu Pyichit党北西軍区”のU Thet Tinら党員とその家族36人が大赦令を受入れ,タチレーク署(シャン州)に出頭。なお同党中央執行委員U Maung Galayらはすでに12日に同署に投降,18日には同党“中央軍区”の9人がマンダレーで投降している。 なお大赦令を受け入れ,これまでに全国で150人が合法世界に復帰した。 |
DIA-211-1980-06-19-2 | ミャンマー | 1980年06月19日 | 1980年代 | 政府,社会福祉・労働副大臣にU Pau Khan Thang(人民議会メンバー)を任命。 |
DIA-211-1980-06-21-1 | ミャンマー | 1980年06月21日 | 1980年代 | タイ北部に亡命していた,Pyithu Pyichit党のBohmu Aung元同党中央執行委員と他2人が,大赦令を受け入れ,バンコク経由,ラングーンに到着した。 |
DIA-211-1980-06-23-1 | ミャンマー | 1980年06月23日 | 1980年代 | ビルマ社会主義計画党中央委第12回会議開く。サンユー書記長による中央執行委報告などが提出され,討議された。 |
DIA-211-1980-06-24-1 | ミャンマー | 1980年06月24日 | 1980年代 | 計画党中央委第12回会議,各種報告を承認して閉会。 |
DIA-211-1980-06-25-1 | ミャンマー | 1980年06月25日 | 1980年代 | 第2期人民議会第1回臨時会期開催。451名出席。サンユー国家評議会書記が,評議会報告を提出,Sein Lwin内務・宗教相が閣僚会議を代表して,仏教紛争処理手続法案を提出。また辞任したU Lwin国家評議会メンバーの後任に,San Kyi准将を選出。その後,報告と法案の討議が行なわれた。 |
DIA-211-1980-06-25-2 | ミャンマー | 1980年06月25日 | 1980年代 | 中国経済代表団到着。 |
DIA-211-1980-06-26-1 | ミャンマー | 1980年06月26日 | 1980年代 | 人民議会第2日。サンユー書記長が国家評議会報告への質問に回答。Sein Lwin内務・宗教相が,仏教紛争処理手続法への質問に回答。なお同法は約75%の賛成投票で成立。議会はこの後,終了。 |
DIA-211-1980-06-26-2 | ミャンマー | 1980年06月26日 | 1980年代 | 中国経済代表団,Thura U Tun Tin副首相兼計画・財政相を訪問。 |
DIA-211-1980-06-27-1 | ミャンマー | 1980年06月27日 | 1980年代 | 中国経済代表団,Khih Maung Gyi貿易相訪問。 |
DIA-211-1980-06-28-1 | ミャンマー | 1980年06月28日 | 1980年代 | 中国経済代表団,Tint Swe第1工業相,Maung Cho第2工業相,Hla Tun建設相を歴訪。 |
DIA-211-1980-07-02-1 | ミャンマー | 1980年07月02日 | 1980年代 | Sein Tun協同組合相,マンダレーで協同組合商品展示場視察。 |
DIA-211-1980-07-02-2 | ミャンマー | 1980年07月02日 | 1980年代 | 住宅局業務検討会。Hla Tun建設相があいさつを行ない,現在ラングーンの人口は220万人であり,住宅局は79/80年度に3千戸を建設し,それに対し1万2千人が応募したと述べた。 |
DIA-211-1980-07-03-1 | ミャンマー | 1980年07月03日 | 1980年代 | ネーウィン国家評議会議長,仏教紛争処理手続法公布。 |
DIA-211-1980-07-03-2 | ミャンマー | 1980年07月03日 | 1980年代 | ラングーン管区党地域委員会と管区人民評議会執行委員会共催の市民権法起草についての説明会開催。 |
DIA-211-1980-07-03-3 | ミャンマー | 1980年07月03日 | 1980年代 | 中国経済代表団,ビルマと,79年7月12日調印の経済技術援助協定の実施協定調印。ラングーン・シリアム間ハイウェー橋,三精米工場などの8プロジェクト。 |
DIA-211-1980-07-06-1 | ミャンマー | 1980年07月06日 | 1980年代 | U Ye Goung農林相,故大平首相葬儀列席のため,日本へ出発。 |
DIA-211-1980-07-06-2 | ミャンマー | 1980年07月06日 | 1980年代 | シンガポール経済代表団,ビルマ入り。 |
DIA-211-1980-07-06-3 | ミャンマー | 1980年07月06日 | 1980年代 | 1980/81年度の高収量米の作付は,全国で72郡区となることがわかった。 |
DIA-211-1980-07-07-1 | ミャンマー | 1980年07月07日 | 1980年代 | サンユー書記長,マウン・マウン・カ首相,シンガポール経済代表団(Goh Chok Tong通産相代表)と会見。同代表団はまたThura U Tun Tin計画・財政相ら経済閣僚を訪問した。 |
DIA-211-1980-07-08-1 | ミャンマー | 1980年07月08日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,サンユー書記長,マウン・マウン・カ首相,ナショナル・アーカイブ訪問。 |
DIA-211-1980-07-08-2 | ミャンマー | 1980年07月08日 | 1980年代 | シンガポール経済代表団,マンダレー訪問。 |
DIA-211-1980-07-09-1 | ミャンマー | 1980年07月09日 | 1980年代 | 中国経済代表団帰国。 |
DIA-211-1980-07-09-2 | ミャンマー | 1980年07月09日 | 1980年代 | 政府閣議,Min Naung大佐(ラシオ郡人民議員)を内務・宗教省副大臣に任命。 |
DIA-211-1980-07-10-1 | ミャンマー | 1980年07月10日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,シンガポールのGoh通産相と会見。 |
DIA-211-1980-07-10-2 | ミャンマー | 1980年07月10日 | 1980年代 | 日本政府,ビルマに23台の救急車寄贈。 |
DIA-211-1980-07-11-1 | ミャンマー | 1980年07月11日 | 1980年代 | シンガポール経済使節団帰国。 |
DIA-211-1980-07-11-2 | ミャンマー | 1980年07月11日 | 1980年代 | Khin Maung Gyi貿易相,10~11日,モールメイン,マルタバンを視察。 |
DIA-211-1980-07-12-1 | ミャンマー | 1980年07月12日 | 1980年代 | U Ye Goung農林相,日本より帰国。 |
DIA-211-1980-07-14-1 | ミャンマー | 1980年07月14日 | 1980年代 | 農林省と国防省共催の第2回農業幹部訓練コース開会。U Ye Goung農林相は開会あいさつで,両省が開設したYwathagyiなどの農業・畜産村は,農村からの町への人口移動による都市拡大と農業人口減,住宅不足,失業などの問題への回答であると述べた。 |
DIA-211-1980-07-15-1 | ミャンマー | 1980年07月15日 | 1980年代 | 大統領官邸で計画党中央執行委,国家評議会,政府中央機関の合同会議が開かれ,ネーウィン大統領が発言,国家功労賞の受賞から除かれていた人々で,受賞に価する人々,たとえば国家,地方の政府機関,人民評議会等幹部,議員,ネーウィン政権以前の政府閣僚などへの年金支給などを提案した。また大赦令について,大規模反政府グルーブ指導層との接触があったことを明らかにし,彼等の大赦受入れを改めてよびかけた。 |
DIA-211-1980-07-16-1 | ミャンマー | 1980年07月16日 | 1980年代 | ビルマ五輪代表団,モスクワへ出発。 |
DIA-211-1980-07-17-1 | ミャンマー | 1980年07月17日 | 1980年代 | ビルマ共産党中央委員兼“北西軍区司令官”Bo Thet Tunと彼のグルーブは65の各種武器をもって,16日,アラカン州Minbya郡の政府軍陣地に出頭,17日Sittweに到着した。 |
DIA-211-1980-07-19-1 | ミャンマー | 1980年07月19日 | 1980年代 | 殉難者の日。 |
DIA-211-1980-07-19-2 | ミャンマー | 1980年07月19日 | 1980年代 | アラカン共産党議長Kyaw Zan Shwee他5人,Sittweで政府側に出頭。 |
DIA-211-1980-07-23-1 | ミャンマー | 1980年07月23日 | 1980年代 | ノルウェー政府,ビルマ電力公社のガス・タービン購入用に約185万ドル,同人員訓練に227万チャット,Paunglaung水力発電計画に820万ドルの贈与提供。 |
DIA-211-1980-07-24-1 | ミャンマー | 1980年07月24日 | 1980年代 | ブレム・タイ首相,ビルマ訪問。空港にはマウン・マウン・カ首相らが出迎え。ブレム首相は,夕刻,ネーウィン大統領を訪問,会談し,ネーウィン大統領主催の夕食会に出席した。タイ首相には,シッティ外相,サイユット参謀長,第三陸軍司令官シーマ中将,ピヤ中央情報局長官らが随行している。 |
DIA-211-1980-07-25-1 | ミャンマー | 1980年07月25日 | 1980年代 | Rathedaungでビルマ共産党のアラカン州軍第3中隊の政治委員ら6人が政府軍に出頭。 |
DIA-211-1980-07-25-2 | ミャンマー | 1980年07月25日 | 1980年代 | ブレム・タイ首相は午前10時,サンユー国家評議会書記を訪問,同11時,マウン・マウン・カ首相を訪問した。ビルマ,タイ両国は,両首相列席のもとで,両国の海洋境界協定に調印した。タイ首相は午後,シュエタゴン・パゴタなどを訪問し,夕刻マウン・マウン・カ首相主催夕食会に出席した。タイ首相は,カンボジア問題解決の重要性などを主張するあいさつを行った。 |
DIA-211-1980-07-25-3 | ミャンマー | 1980年07月25日 | 1980年代 | サイユット・タイ軍参謀長らは,麻薬問題でビルマ中央麻薬管理局副議長Aye Ko少将と会談した。 |
DIA-211-1980-07-26-1 | ミャンマー | 1980年07月26日 | 1980年代 | ブレム・タイ首相,帰国。 |
DIA-211-1980-07-28-1 | ミャンマー | 1980年07月28日 | 1980年代 | Rathedaungでアラカン共産党中央委員Nga Hla Pruと47人が政府軍に出頭。 |
DIA-211-1980-07-29-1 | ミャンマー | 1980年07月29日 | 1980年代 | ウーヌー元首相とその夫人は,ネーウィン大統領の帰国招請に応じ,仏教の発展につくすため,ラングーンに帰った。 |
DIA-211-1980-07-30-1 | ミャンマー | 1980年07月30日 | 1980年代 | 教育相Khin Maung Win博士,大使に転出のため辞任。 |
DIA-211-1980-07-30-2 | ミャンマー | 1980年07月30日 | 1980年代 | Pyithu Pyichit党中央執行委副議長,Saw Kya Doe退役准将,バンコクより帰国。 |
DIA-211-1980-07-31-1 | ミャンマー | 1980年07月31日 | 1980年代 | これまで政府の大赦令に応じて,国内外から,833人が政府側に出頭した。 |
DIA-211-1980-07-31-2 | ミャンマー | 1980年07月31日 | 1980年代 | Mohnyinで前線からの第15ビルマ連隊歓迎会。 |
DIA-211-1980-08-01-1 | ミャンマー | 1980年08月01日 | 1980年代 | 国家評議会,人民代表への退役年金支給に関する特別委員会(議長,Thura U Tun Tin副首相)設置。 |
DIA-211-1980-08-02-1 | ミャンマー | 1980年08月02日 | 1980年代 | ビルマ共産党北西管区Minbu・Kyaukpyu軍事地区生産委員ら35人が政府軍に出頭。 |
DIA-211-1980-08-03-1 | ミャンマー | 1980年08月03日 | 1980年代 | シンガポール代表団(団長,ラジャラトナム副首相),ビルマ訪問。 |
DIA-211-1980-08-05-1 | ミャンマー | 1980年08月05日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,ラジャラトナム・シンガポール副首相と会見。 |
DIA-211-1980-08-05-2 | ミャンマー | 1980年08月05日 | 1980年代 | ビルマ五輪代表団帰国。 |
DIA-211-1980-08-06-1 | ミャンマー | 1980年08月06日 | 1980年代 | ラジャラトナム・シンガポール副首相帰国。 |
DIA-211-1980-08-06-2 | ミャンマー | 1980年08月06日 | 1980年代 | ビルマ工業代表団(Tin Swe第1工業相団長),中国と北朝鮮へ出発。 |
DIA-211-1980-08-07-1 | ミャンマー | 1980年08月07日 | 1980年代 | 朝鮮人民民主主義共和国金日成主席の特使,黄長燁(党中央委国際部部長)到着。 |
DIA-211-1980-08-08-1 | ミャンマー | 1980年08月08日 | 1980年代 | (北京):ビルマ工業代表団,陳慕華中国副首相と会談。 |
DIA-211-1980-08-08-2 | ミャンマー | 1980年08月08日 | 1980年代 | 北朝鮮特使,U Lay Maung外相と会談。 |
DIA-211-1980-08-09-1 | ミャンマー | 1980年08月09日 | 1980年代 | 第44軽歩兵師団の一中隊は,南東軍区Bilin郡で,KNU軍と交戦,KNU第1旅団長Kyaw Hoe他3人を射殺した。 |
DIA-211-1980-08-10-1 | ミャンマー | 1980年08月10日 | 1980年代 | ビルマ政府,ソ連の新駐ビルマ大使として,Vladimir Nicolayevich Kuznetsovを承認。 |
DIA-211-1980-08-11-1 | ミャンマー | 1980年08月11日 | 1980年代 | ネーウィン大統領は,官邸に革命・独立闘争の仲間として,ウーヌー,ウ・バスエ,ウ・チョウ・ニィエン,タキン・ティン,ボ・キィン・マウン・ガレ,タキン・チ・マウン,ボーフム・オゥン,および30人の同志であるオンジー退役准将,ティン・ペ同准将,オゥン・シュエ同准将,マウン・マウン同准将,さらにタキン・ソー,タキン・チン・ミャ,ボー・テッ・トンらを招き昼食会開催。 |
DIA-211-1980-08-12-1 | ミャンマー | 1980年08月12日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,金日成主席特使と会見。 |
DIA-211-1980-08-12-2 | ミャンマー | 1980年08月12日 | 1980年代 | ニューヨーク・タイムス紙は,ビルマ軍は,79年11月にサルウィーンと中国国境の間で,共産軍に大攻勢をかけたが,政府軍の死者5百,負傷2千人に及んだとビルマ筋が述べているが,外国筋は,政府軍死者5千人,ゲリラ側はそれ以上と述べている,と報じた。また4月来,共産軍は攻勢に出,4月3日,1200人の共産軍が北シャンのMu-se(人口1万)を2日間占領,7月4日,東シャンMong Yawngと政府大隊本部を3日間占領したとも報じた(インター・ナショナル・ヘラルド・トリビューン8月13日)。 |
DIA-211-1980-08-13-1 | ミャンマー | 1980年08月13日 | 1980年代 | サンユー書記,北朝鮮特使と会見。同特使はその後帰国。 |
DIA-211-1980-08-13-2 | ミャンマー | 1980年08月13日 | 1980年代 | Pyithu Pyichit党中央執行委員Yangon Ba Swe,ラングーンに戻る。 |
DIA-211-1980-08-15-1 | ミャンマー | 1980年08月15日 | 1980年代 | Pythu Pyichit党南方軍区司令官Bo Yan Naing他2人,バンコク経由ラングーンに帰る。 |
DIA-211-1980-08-15-2 | ミャンマー | 1980年08月15日 | 1980年代 | KawthaungでPyithu Pyichit党南方軍区幹部ら62人が政府軍に帰順。 |
DIA-211-1980-08-20-1 | ミャンマー | 1980年08月20日 | 1980年代 | ネーウィン大統領は,サンユー書記,マウン・マウン・カ首相らとともに,オン・サン市場のラングーン管区郡区協同組合シンジケート販売センター,Kamayut郡およびMayangon郡協同組合,Kaba Ayeヒルの中央協同組合訓練学校を訪問,また中央協同組合執行委員と会談した。大統領は消費物資流通促進のための小売店の増設の重要性,食用油の十分な供給の必要性を強調した。 |
DIA-211-1980-08-21-1 | ミャンマー | 1980年08月21日 | 1980年代 | バングラデシュとの国境問題等討議のため,ビルマ代表団(団長Tin Ohn外務副大臣)が同国訪問。 |
DIA-211-1980-08-21-2 | ミャンマー | 1980年08月21日 | 1980年代 | 政府,U Hla Shwe駐米大使を駐ソ大使に任命。 |
DIA-211-1980-08-23-1 | ミャンマー | 1980年08月23日 | 1980年代 | Mongtungの政府軍に,シャン州革命軍(Kokang)のLo Hsing-minと部下145人が帰順。武器127点携行。 |
DIA-211-1980-08-24-1 | ミャンマー | 1980年08月24日 | 1980年代 | ネーウィン大統領は,Thura Kyaw Htin国防相,Ye Goung農林相らとともに,21~24日,中央軍区を視察した。一行は21日,Tharrawaddy,Promeを訪問,中央軍区司令官Tuang Za Khai大佐,第66軽歩兵師団長Tin Oo大佐らの出迎えを受けた。22日,一行は北Nawinダムを視察した。23日,一行はPadaung郡Sindeの工業訓練センターを視察,24日,ラングーンに戻った。 |
DIA-211-1980-08-24-2 | ミャンマー | 1980年08月24日 | 1980年代 | ビルマ代表団,ダッカでビルマ・バングラデシュ国境協力協定草案に調印し帰国。 |
DIA-211-1980-08-25-1 | ミャンマー | 1980年08月25日 | 1980年代 | 中央協同組合評議会第5回総会開催。開会演説を行ったU San Tint議長は,農民生活向上のための農業協同組合拡大の必要性を強調した。またこれにつづき,工業,手工業生産者組合の拡大,初級協組の強化なども主張した。 |
DIA-211-1980-08-26-1 | ミャンマー | 1980年08月26日 | 1980年代 | 大赦令による帰順者1848人に達す。 |
DIA-211-1980-08-27-1 | ミャンマー | 1980年08月27日 | 1980年代 | 伊東外相,ビルマ訪問。伊東外相は,U Lay Maung外相を訪問し,その後同外相主催の歓迎宴に出席した。歓迎宴にはThura U Tun Tin副首相らが同席。 |
DIA-211-1980-08-28-1 | ミャンマー | 1980年08月28日 | 1980年代 | 伊東外相,ネーウィン大統領と会見。伊東外相は,この日U Lay Maung外相との間で,ビルマの公共事業協力のために23億7300万円の贈与協定に調印し,その後ビルマを離れた。 |
DIA-211-1980-08-29-1 | ミャンマー | 1980年08月29日 | 1980年代 | ビルマ工業代表団,中国北朝鮮より帰国。 |
DIA-211-1980-08-29-2 | ミャンマー | 1980年08月29日 | 1980年代 | 米,ビルマ衛生援助に200万ドル約束。 |
DIA-211-1980-08-31-1 | ミャンマー | 1980年08月31日 | 1980年代 | Thaung Kyi計画党合同書記,英国より帰国。 |
DIA-211-1980-09-02-1 | ミャンマー | 1980年09月02日 | 1980年代 | U Lay Maung外相,ラオス訪問。U Tun Yin Lawシャン州人民評議会議長,国防省Sein Aung大佐らが同行。 |
DIA-211-1980-09-02-2 | ミャンマー | 1980年09月02日 | 1980年代 | (ビエンチャン):ビルマ外相到着。プーン副首相兼外相が歓迎夕食会。 |
DIA-211-1980-09-03-1 | ミャンマー | 1980年09月03日 | 1980年代 | ビルマ農業代表団(U Kyaw Htain農林副大臣団長),中国訪問に出発。 |
DIA-211-1980-09-03-2 | ミャンマー | 1980年09月03日 | 1980年代 | マンダレー管区Thabeikkyin郡Tagaung村民兵隊に,政府軍が火器を支給。 |
DIA-211-1980-09-03-3 | ミャンマー | 1980年09月03日 | 1980年代 | Minhlaで前線から帰った第1ビルマ連隊歓迎式。 |
DIA-211-1980-09-04-1 | ミャンマー | 1980年09月04日 | 1980年代 | 政府大赦令による帰順者,2189人に達す。 |
DIA-211-1980-09-04-2 | ミャンマー | 1980年09月04日 | 1980年代 | U Lay Maung外相一行,タイ訪問。 |
DIA-211-1980-09-05-1 | ミャンマー | 1980年09月05日 | 1980年代 | 日本の国際協力事業団,畜産開発流通公社に畜産用具を寄贈。6600万円分。 |
DIA-211-1980-09-06-1 | ミャンマー | 1980年09月06日 | 1980年代 | U Lay Maung外相一行,ラオス,タイ訪問より帰国。 |
DIA-211-1980-09-07-1 | ミャンマー | 1980年09月07日 | 1980年代 | ラングーン管区では今年1~8月の間に,2048件の交通事故が発生,172人が死亡,1368人が負傷した。1979年は259人死亡,1856人負傷。 |
DIA-211-1980-09-10-1 | ミャンマー | 1980年09月10日 | 1980年代 | ビルマ貿易代表団,ヨーロッパ,アフリカでの米輸出促進旅行から帰国。 |
DIA-211-1980-09-11-1 | ミャンマー | 1980年09月11日 | 1980年代 | 田中通産相一行,12時15分ラングーン着。空港にはMaung Cho第2工業相らが出迎え。田中通産相らは,この日Maung Cho第2工業相,Thura U Tun Tin副首相兼計画財政相,Ye Goung農林相,Tint Swe第1工業相,Than Tin鉱山相,Khin Maung Gyi貿易相らと会談した。Maung Cho第2工業相は,田中通産相一行を招き夕食会を開いた。 |
DIA-211-1980-09-12-1 | ミャンマー | 1980年09月12日 | 1980年代 | 田中通産相一行は,この日Syriam精油所,第1重工業公社工場などを視察した。Thura U Tun Tin副首相は,一行を招き夕食会を主催した。 |
DIA-211-1980-09-12-2 | ミャンマー | 1980年09月12日 | 1980年代 | 農業公社でイラワジ,ペグー,ラングーン三管区のモンスーン耕作進展状況検討会。Ye Goung農林相は,洪水被害の米作の代替作物への早期植替え,エーカー当り60バスケット収穫の達成をよびかけるとともに,ゴマの作付けが拡大したことに満足の意を表明した。 |
DIA-211-1980-09-13-1 | ミャンマー | 1980年09月13日 | 1980年代 | 田中通産相は,ネーウィン大統領,サンユー国家評議会書記を訪問した後,この日,タイに向った。 |
DIA-211-1980-09-14-1 | ミャンマー | 1980年09月14日 | 1980年代 | Thatonで前線帰還の第1軽歩兵連隊歓迎式。 |
DIA-211-1980-09-16-1 | ミャンマー | 1980年09月16日 | 1980年代 | 英国のアレクサンドラ王女,ビルマ訪問。ネーウィン大統領らが空港で出迎え。 |
DIA-211-1980-09-17-1 | ミャンマー | 1980年09月17日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,アレクサンドラ王女一行を招き夕食会主催。 |
DIA-211-1980-09-17-2 | ミャンマー | 1980年09月17日 | 1980年代 | ビルマ農業代表団,中国訪問より帰国。 |
DIA-211-1980-09-18-1 | ミャンマー | 1980年09月18日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,駐ビルマ英大使がアレクサンドラ王女のために開いた昼食会に出席。 |
DIA-211-1980-09-19-1 | ミャンマー | 1980年09月19日 | 1980年代 | アレクサンドラ王女一行帰国。 |
DIA-211-1980-09-19-2 | ミャンマー | 1980年09月19日 | 1980年代 | U Lay Maung外相,国連総会に出発。 |
DIA-211-1980-09-20-1 | ミャンマー | 1980年09月20日 | 1980年代 | 西独,ビルマの電力開発事業などに4億3400万チャットのローン供与。10年控えおき,50年払い,年利0.75%。 |
DIA-211-1980-09-22-1 | ミャンマー | 1980年09月22日 | 1980年代 | 農林省・国防省共催の第3回農業・畜産幹部訓練コース開催。 |
DIA-211-1980-09-23-1 | ミャンマー | 1980年09月23日 | 1980年代 | Thura U Tun Tin計画・財政相,IMF世銀総会出席のため出発。 |
DIA-211-1980-09-23-2 | ミャンマー | 1980年09月23日 | 1980年代 | Waingmawで前線から帰還の第40ビルマ連隊歓迎式。 |
DIA-211-1980-09-24-1 | ミャンマー | 1980年09月24日 | 1980年代 | 日本政府,建設省の中央訓練センターで建設公社に対し,訓練用機械(5600万円相当)を寄贈。 |
DIA-211-1980-09-25-1 | ミャンマー | 1980年09月25日 | 1980年代 | U Mahn San Myat Shwe文化情報相,ラングーンで公演するアメリカの南部管楽グループと会見。 |
DIA-211-1980-09-27-1 | ミャンマー | 1980年09月27日 | 1980年代 | 鉱山相Than Tin准将は,26日カヤ州のMawchi鉱山を視察,本日ラングーン帰着。 |
DIA-211-1980-09-28-1 | ミャンマー | 1980年09月28日 | 1980年代 | 農林省はモンスーン米作付が終り,作物の一部が開花期に入るにあたり,農民に対し,作物を病害などから守るため注意を深めるよう布告。 |
DIA-211-1980-09-29-1 | ミャンマー | 1980年09月29日 | 1980年代 | 建設相Hla Tun准将,25~28日,ペグーとイラワジ両管区の道路,橋建設工事など視察。 |
DIA-211-1980-09-30-1 | ミャンマー | 1980年09月30日 | 1980年代 | クズネッォフ駐ビルマ新ソ連大使,ネーウィン大統領に信任状提出。 |
DIA-211-1980-09-30-2 | ミャンマー | 1980年09月30日 | 1980年代 | 貿易省,1980/81年度米の購入価格を発表。購入価格は農産物交易公社の買入れセンターでの価格であり,10月1日より発効。(100バスケット当り)。 |
DIA-211-1980-10-01-1 | ミャンマー | 1980年10月01日 | 1980年代 | ビルマ社会主義計画党代表団(団長,U Htwe Han書記),北朝鮮訪問に出発。 |
DIA-211-1980-10-01-2 | ミャンマー | 1980年10月01日 | 1980年代 | ビルマ・スポーツ代表団,中国に出発。 |
DIA-211-1980-10-04-1 | ミャンマー | 1980年10月04日 | 1980年代 | Migyaungyeで,前線から帰還の第83ビルマ連隊歓迎会。 |
DIA-211-1980-10-04-2 | ミャンマー | 1980年10月04日 | 1980年代 | Pakokkuで,前線帰還の第87ビルマ連隊歓迎式。 |
DIA-211-1980-10-05-1 | ミャンマー | 1980年10月05日 | 1980年代 | Pinlaung郡Pankhun村で,反政府軍非難集会。 |
DIA-211-1980-10-05-2 | ミャンマー | 1980年10月05日 | 1980年代 | Mong Pingで前線からの第43ビルマ連隊歓迎式。 |
DIA-211-1980-10-07-1 | ミャンマー | 1980年10月07日 | 1980年代 | 西独,ビルマに2900万チャットのローン(発電機関係)と350万チャットの技術援助(石油開発),同2200万チャット技術援助(鉱物資源深査)供与。年利0.75%,50年払い,10年据えおき。 |
DIA-211-1980-10-08-1 | ミャンマー | 1980年10月08日 | 1980年代 | 米国務省のビルマ担当課長フレデリック・ブラウン,ビルマ訪問。 |
DIA-211-1980-10-09-1 | ミャンマー | 1980年10月09日 | 1980年代 | Taungdwingyiで,前線から帰った第103軽歩兵連隊の歓迎式。 |
DIA-211-1980-10-09-2 | ミャンマー | 1980年10月09日 | 1980年代 | Wakemaで前線からの第93ビルマ連隊歓迎式。 |
DIA-211-1980-10-09-3 | ミャンマー | 1980年10月09日 | 1980年代 | 米国務省のブラウン課長,Sein Lwin外相代行,U Thein Aung人民警察軍長官らを訪問。 |
DIA-211-1980-10-11-1 | ミャンマー | 1980年10月11日 | 1980年代 | ビルマ社会主義計画党中央委第13回会議開く。サンユー書記長が人民議会関係報告,Thaung Kyi合同書記が計画党の指導的委員会メンバー,農民,労働者,青年組織の中央指導委員会メンバーへの手当に関する報告,また政治年金に関する報告を行ない,それぞれ承認された。 |
DIA-211-1980-10-12-1 | ミャンマー | 1980年10月12日 | 1980年代 | ラングーン管区人民評議会は,各郡区人民評議会に,ビデオ・テープレコーダーとカセット・テープを使い,料金をとって上演している業者を取締るよう指示した。理由は,これらのテープが検閲を受けていず,政府の方針に反したり,犯罪を助長することにある。 |
DIA-211-1980-10-13-1 | ミャンマー | 1980年10月13日 | 1980年代 | 第二期人民議会第6回会期開催。442議員が出席(定員460人)。サンユー書記が国家評議会報告,マウン・マウン・カ首相が閣僚会議報告。ほかに司法報告,法務報告,検査報告提出。サンユー書記はまた政治年金法案を提出した。 |
DIA-211-1980-10-13-2 | ミャンマー | 1980年10月13日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相は閣僚会議報告のなかで,今年度の米の購入目標は達成されようと述べ,また農業の他に畜産と漁業にも重点がおかれていると述べた。工業については,工場への原材料と電力の確保に力を注いでいると指摘した。また流通と運輸も改善されねばならないと主張した。 サンユー書記はまた議会に,ビルマ・タイ海上国境協定の批准を求めた。 |
DIA-211-1980-10-14-1 | ミャンマー | 1980年10月14日 | 1980年代 | 人民議会第2日。各報告書への質疑,討論。 |
DIA-211-1980-10-15-1 | ミャンマー | 1980年10月15日 | 1980年代 | 人民議会第3日。討論についてのサンユー書記らの回答があった。議会はまた辞任した閣僚Khin Maung Winと人民司法評議会員となった二閣僚Khin Ohn准将とU Mahn San Myat Shweに代り,人民議会議員,U Kyaw Nyein(マンダレー北西郡区),Chit Hlaing海軍少将(Maubin郡),U Aung Kyaw Myint(Pagan-Nyaung Oo郡区)を閣僚会議メンバーに選出した。 |
DIA-211-1980-10-15-2 | ミャンマー | 1980年10月15日 | 1980年代 | Pasawng郡で反政府軍非難集会。 |
DIA-211-1980-10-16-1 | ミャンマー | 1980年10月16日 | 1980年代 | 人民議会終了。サンユー書記,マウン・マウン・カ首相が討論への最終回答を行なった後,議会は,ビルマ・タイ海上国境協定を批准,政治年金法を可決。 |
DIA-211-1980-10-16-2 | ミャンマー | 1980年10月16日 | 1980年代 | 新閣僚ポスト。Chit Hlaing海軍少将~社会福祉・労働相,U Kyaw Nyein~教育相,U Aung Kyaw Myint~情報文化相。 |
DIA-211-1980-10-17-1 | ミャンマー | 1980年10月17日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,政治年金法公布。 |
DIA-211-1980-10-17-2 | ミャンマー | 1980年10月17日 | 1980年代 | 麻薬法,関税法違反の貴金属,財産の押収に役立った情報提供者に報奨金支給。 |
DIA-211-1980-10-17-3 | ミャンマー | 1980年10月17日 | 1980年代 | Ohthegonで前線からの第6軽歩兵連隊歓迎式。 |
DIA-211-1980-10-17-4 | ミャンマー | 1980年10月17日 | 1980年代 | Lawk Sawk郡で反政府軍非難集会。 |
DIA-211-1980-10-18-1 | ミャンマー | 1980年10月18日 | 1980年代 | 政府,ひすい原石,宝石原石を発見した政府職員に報奨金制度導入。 |
DIA-211-1980-10-18-2 | ミャンマー | 1980年10月18日 | 1980年代 | Okpoで前線からの第1ビルマ連隊歓迎式。 |
DIA-211-1980-10-20-1 | ミャンマー | 1980年10月20日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,中国訪問,北京到着。U Lay Maung外相,国防情報部長Kan Nyunt中佐らが同行。 |
DIA-211-1980-10-21-1 | ミャンマー | 1980年10月21日 | 1980年代 | (北京):中国首相主催により,人民大会堂前で,ネーウィン大統領歓迎式典。鄧小平副首相と会談,同副首相主催昼食会出席。華国鋒党主席,葉剣英全人代常務委員長,趙首相と会談。趙首相主催夕食会出席。 |
DIA-211-1980-10-22-1 | ミャンマー | 1980年10月22日 | 1980年代 | (北京):ネーウィン大統領,李先念党副主席と会談。大統領はまた中国首相らを招き答礼夕食会。 |
DIA-211-1980-10-22-2 | ミャンマー | 1980年10月22日 | 1980年代 | 政府,日本の新駐ビルマ大使,橘正忠氏承認。 |
DIA-211-1980-10-23-1 | ミャンマー | 1980年10月23日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,中国訪問より帰国。 |
DIA-211-1980-10-24-1 | ミャンマー | 1980年10月24日 | 1980年代 | ビルマ経済代表団(団長,Tint Swe第1工業相),シンガポールへ出発。 |
DIA-211-1980-10-28-1 | ミャンマー | 1980年10月28日 | 1980年代 | Chaukで前線からの第13ビルマ連隊歓迎式。 |
DIA-211-1980-10-29-1 | ミャンマー | 1980年10月29日 | 1980年代 | ビルマ青年代表団,中国訪問に出発。 |
DIA-211-1980-10-30-1 | ミャンマー | 1980年10月30日 | 1980年代 | 情報省情報放送部,11月1日よりテレビ定期放送開始。午後7時30分より2時間。 |
DIA-211-1980-10-30-2 | ミャンマー | 1980年10月30日 | 1980年代 | Namsang郡で反政府軍非難集会。 |
DIA-211-1980-10-31-1 | ミャンマー | 1980年10月31日 | 1980年代 | 日本,ビルマに総額315億円のプロジェクト・ローンと商品援助供与。年利2.25%,10年据えおき,30年払い。 |
DIA-211-1980-11-02-1 | ミャンマー | 1980年11月02日 | 1980年代 | ビルマ経済代表団,シンガポールより帰国。 |
DIA-211-1980-11-03-1 | ミャンマー | 1980年11月03日 | 1980年代 | Thura U Tun Tin副首相,U Ye Goung農林相,Than Tin鉱山相,Tint Swe第1工業相,Hla Tun建設相,それぞれ世銀南アジア部長Wiehen氏と会談。 |
DIA-211-1980-11-04-1 | ミャンマー | 1980年11月04日 | 1980年代 | IDA,Nyaunggyatダム計画に9千万ドルの信用供与。同ダム計画の外国援助総額は1億5820万ドル(西独,日本,ノルウェー)。 |
DIA-211-1980-11-04-2 | ミャンマー | 1980年11月04日 | 1980年代 | ラオス農業調査団,ビルマ訪問。 |
DIA-211-1980-11-04-3 | ミャンマー | 1980年11月04日 | 1980年代 | 世銀南アジア部長Wiehen氏,Saw Pru運輸通信相を訪問。 |
DIA-211-1980-11-04-4 | ミャンマー | 1980年11月04日 | 1980年代 | Pa-an郡でKNU非難集会。 |
DIA-211-1980-11-05-1 | ミャンマー | 1980年11月05日 | 1980年代 | ラオス農業調査団,U Ye Goung農林相と会見。 |
DIA-211-1980-11-05-2 | ミャンマー | 1980年11月05日 | 1980年代 | 中国雲南省歌舞団,ビルマ訪問。 |
DIA-211-1980-11-06-1 | ミャンマー | 1980年11月06日 | 1980年代 | 雲南歌舞団,Aung Kyaw Myint情報文化相訪問。 |
DIA-211-1980-11-08-1 | ミャンマー | 1980年11月08日 | 1980年代 | Nawnghkio郡7ヵ村の民兵隊に,政府軍が兵器支給。 |
DIA-211-1980-11-09-1 | ミャンマー | 1980年11月09日 | 1980年代 | 農林省と国防省共催の農業畜産幹部訓練コース受講生40人,5~9日,Pyapon,Bogaleなどで畜産,漁業作業を視察。 |
DIA-211-1980-11-10-1 | ミャンマー | 1980年11月10日 | 1980年代 | Hmawbiに,第1シャン・ライフル大隊が前線より帰還。 |
DIA-211-1980-11-11-1 | ミャンマー | 1980年11月11日 | 1980年代 | 教育問題セミナー開く。国家評議会が主催し,サンユー書記,マウン・マウン・カ首相らが出席し,ネーウィン大統領が開会あいさつを行った。 |
DIA-211-1980-11-11-2 | ミャンマー | 1980年11月11日 | 1980年代 | Taingtaya基地で第44軽歩兵師団の現職研修開催。 |
DIA-211-1980-11-12-1 | ミャンマー | 1980年11月12日 | 1980年代 | 日本,ビルマの米作開発に21億円と大学図書館へのマイクロフィルム供給に3千万円を贈与。 |
DIA-211-1980-11-12-2 | ミャンマー | 1980年11月12日 | 1980年代 | Kyauktalonで,第81ビルマ連隊前線より帰還。 |
DIA-211-1980-11-13-1 | ミャンマー | 1980年11月13日 | 1980年代 | 教育セミナー終了。 |
DIA-211-1980-11-14-1 | ミャンマー | 1980年11月14日 | 1980年代 | 12月開催のビルマ援助会議準備会。英,米,仏,西独,日本など関係国大使と,Thura U Tun Tin計画・財政相らが出席。 |
DIA-211-1980-11-14-2 | ミャンマー | 1980年11月14日 | 1980年代 | ビルマ青年代表団,中国より帰国。 |
DIA-211-1980-11-15-1 | ミャンマー | 1980年11月15日 | 1980年代 | ラングーン管区の高収量米農作業支援のため,陸海空三軍兵士1300人が各地に出発。 |
DIA-211-1980-11-15-2 | ミャンマー | 1980年11月15日 | 1980年代 | 橘新駐ビルマ日本大使,ネーウィン大統領に信任状提出。 |
DIA-211-1980-11-16-1 | ミャンマー | 1980年11月16日 | 1980年代 | サンユー計画党書記長は15日,Thura Kyaw Htin総参謀長らとともにPromeを訪問,地方計画党指導者および第66歩兵師団幹部らと会談した。書記長らは16日,北Nawinダムを視察し,ラングーンに帰った。 |
DIA-211-1980-11-18-1 | ミャンマー | 1980年11月18日 | 1980年代 | ラオス農業調査団帰国。 |
DIA-211-1980-11-19-1 | ミャンマー | 1980年11月19日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相,Thura U Tun Tin副首相ら,Mayangon郡区の繊維工業公社第7繊維工場視察。 |
DIA-211-1980-11-20-1 | ミャンマー | 1980年11月20日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,インド訪問。ニューデリー到着。U Lay Maung外相,情報局長Bo Ni大佐,大統領府長官Aye Kyaw大佐らが同行。ネーウィン大統領は,この日,レディ・インド大統領,ガンジー首相を訪問,さらにインド大統領主催夕食会に出席した。 |
DIA-211-1980-11-21-1 | ミャンマー | 1980年11月21日 | 1980年代 | (ニューデリー):ネーウィン大統領,ガンジー首相主催昼食会出席,またインド大統領のために答礼宴を主催。 |
DIA-211-1980-11-21-2 | ミャンマー | 1980年11月21日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相,Thura U Tun Tin副首相ら,人民真珠・漁業公社視察。 |
DIA-211-1980-11-22-1 | ミャンマー | 1980年11月22日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,インドよりの帰途バングラデシュに立ち寄り,ダッカ空港でジアウル・ラーマン大統領と会談後,ラングーンに帰着。 |
DIA-211-1980-11-22-2 | ミャンマー | 1980年11月22日 | 1980年代 | 第109軽歩兵連隊,前線からTatkonに帰る。 |
DIA-211-1980-11-24-1 | ミャンマー | 1980年11月24日 | 1980年代 | 農林省・国防省共催の農業畜産幹部訓練コース終了。 |
DIA-211-1980-11-25-1 | ミャンマー | 1980年11月25日 | 1980年代 | ソ連青年代表団,ビルマ訪問。 |
DIA-211-1980-11-26-1 | ミャンマー | 1980年11月26日 | 1980年代 | 労働者評議会中央組織第4回会議開催。定員165人中156人が出席。マウン・マウン・カ中央組織議長が開会あいさつを行い,労働者評議会の組織は拡大しているとして,現在260の郡区評議会,9246の初級評議会があり,メンバーは143万1千人であると述べた。またThura U Tin Myat書記から,中央執行委報告が提出され,討議された。 |
DIA-211-1980-11-26-2 | ミャンマー | 1980年11月26日 | 1980年代 | UNDP/ADB,バルマに150万ドルの技術援助協定。 |
DIA-211-1980-11-26-3 | ミャンマー | 1980年11月26日 | 1980年代 | ベトナム大統領特使Dinb Nho Liem外務次官,ビルマ訪問。U Lay Maung外相と会見。 |
DIA-211-1980-11-27-1 | ミャンマー | 1980年11月27日 | 1980年代 | 労働者評議会中央組織第2回会議,中央執行委報告などを承認して閉会。 |
DIA-211-1980-11-28-1 | ミャンマー | 1980年11月28日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,ベトナム大統領特使と会見。サンユー書記長も同特使と会見した。 |
DIA-211-1980-11-29-1 | ミャンマー | 1980年11月29日 | 1980年代 | 第53ビルマ連隊,前線よりPaukkhaugに帰る。 |
DIA-211-1980-11-30-1 | ミャンマー | 1980年11月30日 | 1980年代 | ベトナム大統領特使帰国。 |
DIA-211-1980-11-30-2 | ミャンマー | 1980年11月30日 | 1980年代 | マンダレー管区Thabeikkyin郡の村で民兵隊に政府軍が兵器供与。 |
DIA-211-1980-12-02-1 | ミャンマー | 1980年12月02日 | 1980年代 | 第60回国家記念日,ラングーン市ホール前で記念式典。記念日の政治目標として,(1)愛国心の強化と全国民の団結,(2)全国の団結による経済発展に努力すること,(3)国家の永続と安定,統一のために努力すること,があげられている。 |
DIA-211-1980-12-03-1 | ミャンマー | 1980年12月03日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,人民議会での自己の選挙区たるMayangon郡区代表に,第2期人民議会第6回会期について報告。サンユー書記長が経済など詳細について報告した。 |
DIA-211-1980-12-04-1 | ミャンマー | 1980年12月04日 | 1980年代 | サンユー書記長,Bahan郡区代表に,人民議会報告。報告のなかで書記長は,昨年5億70万バスケットであった米作は,今年は5億6千万バスケットに達しようと述べた。 |
DIA-211-1980-12-04-2 | ミャンマー | 1980年12月04日 | 1980年代 | 韓国民族舞踊団,ビルマ訪問。 |
DIA-211-1980-12-06-1 | ミャンマー | 1980年12月06日 | 1980年代 | Thura U Tun Tin計画・財政相,第42回ビルマ援助国会議出席のため,フランスへ出発。 |
DIA-211-1980-12-07-1 | ミャンマー | 1980年12月07日 | 1980年代 | 韓国民族舞踊団帰国。 |
DIA-211-1980-12-08-1 | ミャンマー | 1980年12月08日 | 1980年代 | 農林省・国防省共催農業畜産幹部第4回訓練コース開会。28週間で120人が参加。U Ye Goung農林相が開会あいさつを行い,そのなかで1980/81年度の米作は目標の5億1680万バスケットに対し,現在の見通しでは6億3千万バスケットに達しようと述べた。 |
DIA-211-1980-12-10-1 | ミャンマー | 1980年12月10日 | 1980年代 | マダガスカル運輸相,ビルマ訪問。 |
DIA-211-1980-12-11-1 | ミャンマー | 1980年12月11日 | 1980年代 | 真珠・漁業公社が英国の援助で購入した漁業調査船が到着。 |
DIA-211-1980-12-11-2 | ミャンマー | 1980年12月11日 | 1980年代 | マダガスカル代表団,Khin Maung Gyi貿易相訪問。 |
DIA-211-1980-12-12-1 | ミャンマー | 1980年12月12日 | 1980年代 | サンユー書記長はThura Kyaw Htin総参謀長とともに,11~12日,モン州モールメイン訪問。州幹部と会談。 |
DIA-211-1980-12-12-2 | ミャンマー | 1980年12月12日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相,Hlaing郡区で人民議会報告。 |
DIA-211-1980-12-12-3 | ミャンマー | 1980年12月12日 | 1980年代 | マダガスカル代表団帰国。 |
DIA-211-1980-12-14-1 | ミャンマー | 1980年12月14日 | 1980年代 | 農産物交易公社は80/81年度,171カ郡に990の米買付所を開設した。今年度の買付目標は1億8千万バスケットである。地域別内訳けは次の通り。カッコ内が目標数字,単位百万バスケット。カチン州(2.61),カレン州(0.55),ザガイン管区(10.64),テナセリム管区(1),ペグー管区(50.69),マグエ管区(2.85),マンダレー管区(5.37),モン州(7.78),アラカン州(7.4),ラングーン管区(23.74),シャン州(0.129),イラワジ管区(67.19)。 |
DIA-211-1980-12-15-1 | ミャンマー | 1980年12月15日 | 1980年代 | ビルマ訪問中のソ連音楽団,Aung Kyaw Myint情報文化相を訪問。 |
DIA-211-1980-12-15-2 | ミャンマー | 1980年12月15日 | 1980年代 | 米大使館,情報・放送局にビデオカメラ寄贈。 |
DIA-211-1980-12-16-1 | ミャンマー | 1980年12月16日 | 1980年代 | ソ連労働代表団,ビルマ訪問。 |
DIA-211-1980-12-17-1 | ミャンマー | 1980年12月17日 | 1980年代 | ビルマ,バングラデシュ,国境のNaaf川国境議定書補完協定に調印。 |
DIA-211-1980-12-18-1 | ミャンマー | 1980年12月18日 | 1980年代 | ビルマ代表団(団長,Sein Lwin内務・宗教相)バングラデシュ訪問。 |
DIA-211-1980-12-19-1 | ミャンマー | 1980年12月19日 | 1980年代 | (ダッカ):ビルマ・バングラデシュ国境協力協定本調印。8月24日仮調印のもの。 |
DIA-211-1980-12-19-2 | ミャンマー | 1980年12月19日 | 1980年代 | 中国友好代表団,ビルマ訪問。 |
DIA-211-1980-12-20-1 | ミャンマー | 1980年12月20日 | 1980年代 | 第11軽歩兵連隊,前線からShweboに戻る。 |
DIA-211-1980-12-20-2 | ミャンマー | 1980年12月20日 | 1980年代 | 第38ビルマ連隊,前線よりBasseinに帰る。 |
DIA-211-1980-12-23-1 | ミャンマー | 1980年12月23日 | 1980年代 | ソ連労働代表団,労働者評議会中央組織本部訪問。 |
DIA-211-1980-12-24-1 | ミャンマー | 1980年12月24日 | 1980年代 | ソ連労働代表団,ソ連音楽団帰国。 |
DIA-211-1980-12-24-2 | ミャンマー | 1980年12月24日 | 1980年代 | Myauk-U郡Nakan村民兵隊に火器支給。 |
DIA-211-1980-12-25-1 | ミャンマー | 1980年12月25日 | 1980年代 | ビルマ代表団,バングラデシュより帰国 |
DIA-211-1980-12-27-1 | ミャンマー | 1980年12月27日 | 1980年代 | サンユー計画党書記長,病気治療のため英国に出発。 |
DIA-211-1980-12-28-1 | ミャンマー | 1980年12月28日 | 1980年代 | 中国友好代表団帰国。 |
DIA-211-1980-12-28-2 | ミャンマー | 1980年12月28日 | 1980年代 | Thayetに第44ビルマ連隊が前線より帰還。 |
DIA-211-1980-12-29-1 | ミャンマー | 1980年12月29日 | 1980年代 | ビルマ社会主義計画党中央委第14回会議開催。ネーウィン議長が開会演説を行ない,要旨次のように述べた。今日指摘する重要な問題はひとつであり,それは物価上昇にみあって政府職員の結与を引上げる点である。年金引上げも考慮せねばならない。事務系労働者は残業などがない者が多いことも考えねばならない。農民については,その収入が増加していることを指摘したい。かつてエーカー当り349バスケットであった米の収穫は来年は52.06バスケットとなろうとしており,収入はエーカー当り81.17チャットから約90チャット増え171.82チャットにもなろうとしている。いまや農民の生活はよくなっており,これ以上米価を引上げても生産増のため農民が一層働くかは疑問である。もちろん平均収量の低い農民の生活については配慮せねばならない。しかし全体的にみて,サラリーマンの生活への配慮が最も必要となっているといえよう。 |
DIA-211-1980-12-30-1 | ミャンマー | 1980年12月30日 | 1980年代 | 計画党中央委終了。 |
DIA-211-1980-12-31-1 | ミャンマー | 1980年12月31日 | 1980年代 | 第15軽歩兵連隊指揮官とPa-an郡計画党幹部は,18~29日の間,同郡のサルウィーン川西岸の6ヵ村区を巡回し,村人と経済,衛生などの問題を話し合うとともに,反乱軍の一掃について討議した。 |
DIA-211-1981-01-01-1 | ミャンマー | 1981年01月01日 | 1980年代 | 社会保障計画25周年記念セミナー開催。Chit Hlaing労働・社会福祉相が演説。 |
DIA-211-1981-01-02-1 | ミャンマー | 1981年01月02日 | 1980年代 | 閣僚会議経済調整委員会と州・管区人民評議会執行委議長との1981/82年度経済計画起草会議開く。マウン・マウン・カ首相らが出席。 |
DIA-211-1981-01-04-1 | ミャンマー | 1981年01月04日 | 1980年代 | 第33回独立記念日。 |
DIA-211-1981-01-04-2 | ミャンマー | 1981年01月04日 | 1980年代 | 国家評議会,ネーウィン大統領,サンユー国家評議会書記長,ウーヌー元首相,タキン・ソー,ウー・バ・スエ,.ボー・ヤン・ナインら66名に第一級国家功労賞を,77名に第二級国家功労賞を,ビルマ独立に功績のあった南機関の日本人,杉井満氏ら6名にオンサン賞を授与。また軍務,経済建設の第一線で活躍した人々にも,各級の表彰が発表された。 |
DIA-211-1981-01-06-1 | ミャンマー | 1981年01月06日 | 1980年代 | Swaで前線からの第84ビルマ連隊歓迎式。 |
DIA-211-1981-01-10-1 | ミャンマー | 1981年01月10日 | 1980年代 | Thaton:第1軽歩兵連隊,前線より帰還。第44軽歩兵師団司令部傘下部隊と家族らが歓迎。 |
DIA-211-1981-01-11-1 | ミャンマー | 1981年01月11日 | 1980年代 | Patheingyi:第4ビルマ連隊,前線より帰還。 |
DIA-211-1981-01-12-1 | ミャンマー | 1981年01月12日 | 1980年代 | 特別調査局年次調整会議開催。Sein Lwin 内務・宗教相は演説で,真実をつきとめて処罰せねばならないことなどを強調した。 |
DIA-211-1981-01-14-1 | ミャンマー | 1981年01月14日 | 1980年代 | 李鐘玉朝鮮民主主義人民共和国首相,ビルマ訪問。ネーウィン大統領と会談。 |
DIA-211-1981-01-14-2 | ミャンマー | 1981年01月14日 | 1980年代 | 農林省,81年度第3四半期,農業,畜産,林業検討会議。Ye Goung 農林相があいさつし,下ビルマでの油脂作物作付の重要性などを主張した。 |
DIA-211-1981-01-15-1 | ミャンマー | 1981年01月15日 | 1980年代 | 李鐘玉北朝鮮首相,マウン・マウン・カ首相と会談シリアム訪問,精油所およびスズ精練工場視察。ビルマ首相主催夕食会に出席。 |
DIA-211-1981-01-16-1 | ミャンマー | 1981年01月16日 | 1980年代 | 北朝鮮の李鐘玉首相,マウン・マウン・カ首相とともに,パガン,ニャウン・ウを見学。 |
DIA-211-1981-01-17-1 | ミャンマー | 1981年01月17日 | 1980年代 | 李鐘玉朝鮮首相,ビルマ出国。 |
DIA-211-1981-01-17-2 | ミャンマー | 1981年01月17日 | 1980年代 | Mong Yai 郡 Nakho 村で反政府軍非難集会。 |
DIA-211-1981-01-18-1 | ミャンマー | 1981年01月18日 | 1980年代 | Shwebo:Thaung Kyi 国家評議会委員は,選挙区民への人民議会報告で,国家功労賞,大赦令の意義を説明,農業での綿花,畜肉増産の重要注を主張,また燃料油価格を閣僚評議会がコントロールしてその値上りを押え,輸送と工場向けの石油,ジーゼル油,,工業用燃料の配分に重点をおいていると述べた。 |
DIA-211-1981-01-19-1 | ミャンマー | 1981年01月19日 | 1980年代 | Lay Maung 外相,タイ,ベトナムに出発。 |
DIA-211-1981-01-19-2 | ミャンマー | 1981年01月19日 | 1980年代 | タウンジー:東部軍区副司令官Myint Aung大佐,13~18日,Mon Nai, Namsang 郡などを視察。 |
DIA-211-1981-01-22-1 | ミャンマー | 1981年01月22日 | 1980年代 | 日本政府,ビルマに電話交換機部品購入用に3500万円贈与。 |
DIA-211-1981-01-22-2 | ミャンマー | 1981年01月22日 | 1980年代 | Bassein:イラワジ管区人民評議会執行委と管区内26郡区人民評議会議長による81年度第3四半期業務調整会議。Aye Khaing 管区評議会議長は,米の買付け目標の達成,冬期作の作付を強調した。 |
DIA-211-1981-01-22-3 | ミャンマー | 1981年01月22日 | 1980年代 | Kyaikto 郡 Theinzayat で前線からの第2ビルマ連隊歓迎式。 |
DIA-211-1981-01-23-1 | ミャンマー | 1981年01月23日 | 1980年代 | 人民警察軍業務調整会議。Sein Lwin 内務・宗教相があいさつし,警察官の規律を高める必要を強調した。なおビルマの重大犯罪件数は,1978年の8450件から,79年は7398件,80年は6451件と減少した。 |
DIA-211-1981-01-25-1 | ミャンマー | 1981年01月25日 | 1980年代 | Lay Maung 外相,タイ,ベトナム訪問より帰国。外相一行は19~21日,バンコクでタイ外相らと会談,22日から24日までベトナム訪問,この間ホーチミン市でファン・バン・ドン首相と会談した。一行は24日,ビエンチャン経由,バンコクに戻った。ビエンチャンでは,プーン・ラオス外相と会談した。 |
DIA-211-1981-01-26-1 | ミャンマー | 1981年01月26日 | 1980年代 | 趙紫陽中国首相,ラングーン到着。マウン・マウン・カ首相らが空港に出迎えた。中国首相はその後官邸にビルマ首相を訪問,会談し,またビルマ首相主催夕食会に出席した。 |
DIA-211-1981-01-26-2 | ミャンマー | 1981年01月26日 | 1980年代 | 農林省・国防省合同農業畜産幹部訓練第2回コース終了。Ye Goung 農林相はあいさつで,油脂作物,野菜,果物などの増産,畜産の目標達成などを指摘した。 |
DIA-211-1981-01-27-1 | ミャンマー | 1981年01月27日 | 1980年代 | 趙中国首相,マウン・マウン・カ首相らとともに午前,特別機でProme訪問,Shwedaungの繊維工場を視察,午後Sandowayに行き,Ngapaliの迎賓館に入った。 |
DIA-211-1981-01-28-1 | ミャンマー | 1981年01月28日 | 1980年代 | 趙中国首相,マウン・マウン・カ首相,Ngapali海岸で休養の後,ラングーンに戻る。なおNgapaliで中国,ビルマ両国外相の会談が開かれた。 |
DIA-211-1981-01-29-1 | ミャンマー | 1981年01月29日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,趙紫陽中国首相と会談。中国首相はまた重工業分社など訪問。さらに国家評議会を訪問,U Thaung Kyi 評議会員と会見した。 |
DIA-211-1981-01-30-1 | ミャンマー | 1981年01月30日 | 1980年代 | 中国首相,バンコクヘ。 |
DIA-211-1981-01-30-2 | ミャンマー | 1981年01月30日 | 1980年代 | 81年農民の日式典準備委第1回調整会議。U Thaung Kyi 副議長,計画党合同書記が演説し,計画党中央執行委は,十分な政治的目的を持って農民の日式典を行なうとし,その政治目的の中心として,農民評議会組織の拡充,農業正産向上への努力,国家の平安のために破壊分子打倒に協力すること,をあげた。 |
DIA-211-1981-01-31-1 | ミャンマー | 1981年01月31日 | 1980年代 | 国家評議会,南機関の故鈴木大佐のみさを夫人にオンサン賞授与。 |
DIA-211-1981-01-31-2 | ミャンマー | 1981年01月31日 | 1980年代 | 第76ビルマ連隊,前線よりマンイダレーに戻る。 |
DIA-211-1981-02-01-1 | ミャンマー | 1981年02月01日 | 1980年代 | オンサン賞受章の杉井満氏ら7日本人ビルマ入り。 |
DIA-211-1981-02-01-2 | ミャンマー | 1981年02月01日 | 1980年代 | 三軍および警察軍から1400人がラングーンから高収量米地帯へ労働奉仕に出発。 |
DIA-211-1981-02-02-1 | ミャンマー | 1981年02月02日 | 1980年代 | 第34回独立記念日および憲法記念日祝賀中央委会議。マウン・マウン・力首相らが出席。 |
DIA-211-1981-02-03-1 | ミャンマー | 1981年02月03日 | 1980年代 | “黄金の土地”作戦の名で,80年11月15日から81年1月29日まで,陸海空将兵,党員ら6500人が,Twa-nte, Syriam, Kayan など各郡で農作業奉仕を行った。 |
DIA-211-1981-02-03-2 | ミャンマー | 1981年02月03日 | 1980年代 | Pyu:第6ビルマ大隊,前線より帰る。 |
DIA-211-1981-02-04-1 | ミャンマー | 1981年02月04日 | 1980年代 | 第34回連邦記念日式典中央委員会第2次会議,Thaung Kyi 国家評議会員,マウン・マウン・カ首相らが出席して開く。 |
DIA-211-1981-02-04-2 | ミャンマー | 1981年02月04日 | 1980年代 | ビルマ・ファイブ・スター船舶公社発注でポーランドで建造された新石油タンカー(積載量1350トン),ラングーン到着。 |
DIA-211-1981-02-05-1 | ミャンマー | 1981年02月05日 | 1980年代 | 第2回労働者評議会開催委第3回会議。マウン・マウン・力首相らが出席。 |
DIA-211-1981-02-05-2 | ミャンマー | 1981年02月05日 | 1980年代 | Myitkyinaの Tatkon 村で1万3000人が反政府軍非難集会。 |
DIA-211-1981-02-06-1 | ミャンマー | 1981年02月06日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,政府,党軍高官,外交団など列席の下に,1954年から81年までの間に授与されたオンサン賞などの勲章を53人に授与。授与式の最初に,オンサン賞が旧南機関関係者の日本人故鈴木大佐夫人ら7人に授与された。 |
DIA-211-1981-02-06-2 | ミャンマー | 1981年02月06日 | 1980年代 | Sein Tun 協同組合相,ラングーン市 Botata-ung 郡区消費者協同組合による唐がらし,玉ねぎ,ポテト,マトンなど食品の家庭配達による販売を視察。 |
DIA-211-1981-02-07-1 | ミャンマー | 1981年02月07日 | 1980年代 | サンユー計画党書記長,イギリスでの療養から帰国。 |
DIA-211-1981-02-07-2 | ミャンマー | 1981年02月07日 | 1980年代 | 労働者評議会中央機関特別会議。 |
DIA-211-1981-02-08-1 | ミャンマー | 1981年02月08日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,連邦記念日用,チャイカサン広場展示場視察。 |
DIA-211-1981-02-08-2 | ミャンマー | 1981年02月08日 | 1980年代 | 第2回労働者評議会大会開催。820人の代議員中811人が出席。マウン・マウン・力評議会議長(首相)が開会演説。また中央機関報告が提出された。 |
DIA-211-1981-02-09-1 | ミャンマー | 1981年02月09日 | 1980年代 | 政府は,4月1日より,全公務員・軍人および年金受給者に対する現行の暫定生計費手当(月15~40チャット)を止め,月60~200チャットの追加手当を支給すると発表した。 |
DIA-211-1981-02-09-2 | ミャンマー | 1981年02月09日 | 1980年代 | 農林省・国防省共催の農業・畜産訓練第5次コース開く。研修生120人が参加。 |
DIA-211-1981-02-09-3 | ミャンマー | 1981年02月09日 | 1980年代 | 労働者評議会大会第2日。中央機関報告討議。 |
DIA-211-1981-02-10-1 | ミャンマー | 1981年02月10日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,サンユー書記長ら,インヤレーク・ホテルでの第18回ビルマ宝石展事前視察。 |
DIA-211-1981-02-10-2 | ミャンマー | 1981年02月10日 | 1980年代 | 労働者評議会大会第3日。中央機関メンバ」を選出。 |
DIA-211-1981-02-11-1 | ミャンマー | 1981年02月11日 | 1980年代 | 連邦記念日討論会開催。サンユー党書記長が基調報告。連邦記念日の政治目的として,諸民族の団結強化,経済計画達成のための全土的な生産力の完全利用,国民の団結強化による国内平和の達成をあげた。書記長はまた閉会演説で,出席者からの民兵隊をより広範な地域で系統的に結成し,義務を与えるべきだとの提案に対し,必要に応じ民兵隊を結成していくと答えた。なおネーウィン大統領は,連邦記念日レセプション・夕食会を開いた。 |
DIA-211-1981-02-11-2 | ミャンマー | 1981年02月11日 | 1980年代 | 第2回労働者評議会大会終了。U Ohn Kyaw を議長とする中央執行委員会を選出。 |
DIA-211-1981-02-12-1 | ミャンマー | 1981年02月12日 | 1980年代 | 第34回連邦記念日。チャイカサン広場で13万人が集まり記念集会が開かれた。ネーウィン大統領がメッセージを送り,国民の団結,生産力向上,平和の維持への努力を主張した。 |
DIA-211-1981-02-13-1 | ミャンマー | 1981年02月13日 | 1980年代 | 国家評議会主催ビルマ諸民族セミナー開催。中央,地方の政府,党幹部が参加。ネーウィン大統領が,各民族の文化,特性を互いに理解しあうことの重要性を強調する演説を行なった。 |
DIA-211-1981-02-13-2 | ミャンマー | 1981年02月13日 | 1980年代 | ペグー:第7,第8軽歩兵連隊,前線より帰還。 |
DIA-211-1981-02-13-3 | ミャンマー | 1981年02月13日 | 1980年代 | ラングーン管区人民評議会は郡区人民評議会に対し,取り入れ時の降雨にかかわらず,米の買付けを促進するよう求める指示を送った。 |
DIA-211-1981-02-13-4 | ミャンマー | 1981年02月13日 | 1980年代 | Pinlaung 郡 Htiyun 村で3000人が反政府軍非難集会。 |
DIA-211-1981-02-14-1 | ミャンマー | 1981年02月14日 | 1980年代 | 内務・宗教省,カセット・テープ録音を商業目的で行なう者をすべて登録制とする通達を関係者に伝達。 |
DIA-211-1981-02-14-2 | ミャンマー | 1981年02月14日 | 1980年代 | プーン・ラオス副首相兼外相,インドからの帰途,ラングーンに一泊。Lay Maung 外相と会談。 |
DIA-211-1981-02-14-3 | ミャンマー | 1981年02月14日 | 1980年代 | Kyaukseに第14軽歩兵連隊,前線より帰還。 |
DIA-211-1981-02-14-4 | ミャンマー | 1981年02月14日 | 1980年代 | 西独経済協力相 Rainer Offergeld 到着,マウン,マウン・力首相らと会談。 |
DIA-211-1981-02-15-1 | ミャンマー | 1981年02月15日 | 1980年代 | プーン・ラオス副首相帰途に。 |
DIA-211-1981-02-15-2 | ミャンマー | 1981年02月15日 | 1980年代 | 西独経済協力相,Kyunchaung 肥料工場,パガンなど視察。 |
DIA-211-1981-02-16-1 | ミャンマー | 1981年02月16日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,英国会議員A.G.Bottomley 氏にオンサン賞授与。 |
DIA-211-1981-02-16-2 | ミャンマー | 1981年02月16日 | 1980年代 | 第6次計画党青年リーダー研修会開催。Sein Tun協同組合相が演説し,反政府兵への大赦令の結果,国の生産力が増大し,米の買付量は1億8000万バスケットに近づいたと述べた。 |
DIA-211-1981-02-16-3 | ミャンマー | 1981年02月16日 | 1980年代 | マンダレー発:Wuntho 郡 Aung Zarni 地区強化隊発早式,Wunthoで挙行。 |
DIA-211-1981-02-16-4 | ミャンマー | 1981年02月16日 | 1980年代 | タチレーク:シャン州党地域委員会など,前線で戦う,第1ビルマ連隊,第5カチン・ライフル大隊,第88軽歩兵師団の代表に贈物を手交。 |
DIA-211-1981-02-16-5 | ミャンマー | 1981年02月16日 | 1980年代 | 北朝鮮経済代表団帰国。 |
DIA-211-1981-02-17-1 | ミャンマー | 1981年02月17日 | 1980年代 | Loilemに前線から第12ビルマ連隊帰還。 |
DIA-211-1981-02-17-2 | ミャンマー | 1981年02月17日 | 1980年代 | 西独経済協力相一行帰国。 |
DIA-211-1981-02-17-3 | ミャンマー | 1981年02月17日 | 1980年代 | Phekhonでカヤ州とシャン州の軍・政府幹部を含む1万人の反政府軍非難集会。 |
DIA-211-1981-02-19-1 | ミャンマー | 1981年02月19日 | 1980年代 | 研究政策指導局主催の農業,生物,林業科学シンポジウム開催。Ye Goung 農林省が農業などへの近代技術適用の重要性を強調する開会演説。 |
DIA-211-1981-02-19-2 | ミャンマー | 1981年02月19日 | 1980年代 | 閣僚会議は関税法違反で押収された麻薬,宝石類について,押収額の50%は国家に,20%は情報提供者に,さらに20%は公務員福祉基金に,残りの10%は押収のための調査などを行なった機関に属すると決めた。 |
DIA-211-1981-02-20-1 | ミャンマー | 1981年02月20日 | 1980年代 | ラングーン管区人民評議会,スピーカーの使用,フイルム・ショー・ホール開設など規制強化。 |
DIA-211-1981-02-21-1 | ミャンマー | 1981年02月21日 | 1980年代 | サンユー大統領,シリアムの国営スズ精練工場,石油精製所など視察。Aye Ko 国家評議会書記,マウン・マウン・力首相らが同行。 |
DIA-211-1981-02-22-1 | ミャンマー | 1981年02月22日 | 1980年代 | 中央協同組合評議会第6回大会開催。477人の代議員のうち399入出席。評議会議長 Sein Tun 協同組合相が開会演説。 |
DIA-211-1981-02-23-1 | ミャンマー | 1981年02月23日 | 1980年代 | 中央協同組合評議会大会第2日。執行委報告など討議。 |
DIA-211-1981-02-23-2 | ミャンマー | 1981年02月23日 | 1980年代 | 運輸通信省の郵便電信公社と港湾公社が合同で購入したコンピューター・センター,業務開始。 |
DIA-211-1981-02-23-3 | ミャンマー | 1981年02月23日 | 1980年代 | Wakema:第78トラクター・ステーション,農民への動力耕運機販売開始,1台1万6990チャット以上で,85台販売予定。 |
DIA-211-1981-02-23-4 | ミャンマー | 1981年02月23日 | 1980年代 | Yesagyo 郡 Kyetsugyin 村で農村青年のための図書館開館。 |
DIA-211-1981-02-24-1 | ミャンマー | 1981年02月24日 | 1980年代 | 80年3月2日に50カ郡で導入された農民向け生命保険は好評であり,今年3月2日からさらに50カ郡に導入されることになった。なお81年2月21日までの加入者は131万3749人であり,農民評議会員の56.18%である。保険金支払総額は634万1674チャットとなっている。 |
DIA-211-1981-02-24-2 | ミャンマー | 1981年02月24日 | 1980年代 | 第6回中央協同組合評議会大会終了。 |
DIA-211-1981-02-25-1 | ミャンマー | 1981年02月25日 | 1980年代 | 人民司法評議会と州・管区判事委員会の合同会議開催。Sein Lwin 内務・宗教相ら出席。 |
DIA-211-1981-02-25-2 | ミャンマー | 1981年02月25日 | 1980年代 | ソ連大使館でソ連軍建軍記念日レセプション,Kyaw Htin 国防相が出席。 |
DIA-211-1981-02-25-3 | ミャンマー | 1981年02月25日 | 1980年代 | 政府は,現在カセット・レコーダー業者の登録を4月30日までに行なう手続きをすすめているが,これら業者は全国で180人以上であることが判明した。 |
DIA-211-1981-02-25-4 | ミャンマー | 1981年02月25日 | 1980年代 | ネーウィン計画党書記長,Kyaw Htin 国防相,Ye Goung 農林相ら,中央軍区,南西軍区,酉部軍区,北西軍区への視察旅行に出発(82年1月3日まで)。 |
DIA-211-1981-02-26-1 | ミャンマー | 1981年02月26日 | 1980年代 | 第2721回カレン新年。 |
DIA-211-1981-02-27-1 | ミャンマー | 1981年02月27日 | 1980年代 | 第18回ビルマ宝石見本市終了。総売上げは4731万8836チャット(706万3778米ドル)。 |
DIA-211-1981-02-27-2 | ミャンマー | 1981年02月27日 | 1980年代 | Khin Maung Gyi 貿易相,24~27日,イラワジ管区の米買付所など視察。 |
DIA-211-1981-02-28-1 | ミャンマー | 1981年02月28日 | 1980年代 | Khin Maung Gyi 商業相,25日~28日,Bassein,Henzada などイラワジ管区の米の買付など視察。 |
DIA-211-1981-02-28-2 | ミャンマー | 1981年02月28日 | 1980年代 | Pyinmanaで地域強化活動開始式。 |
DIA-211-1981-03-02-1 | ミャンマー | 1981年03月02日 | 1980年代 | ネーウィン社会主義計画党議長は,1981年度農民の日に際しメッセージを発表,農民の団結,農民と労働者の団結,経済計画達成への努力などをよびかけた。 |
DIA-211-1981-03-03-1 | ミャンマー | 1981年03月03日 | 1980年代 | ペグー:第30ビルマ連隊,前線より帰還。 |
DIA-211-1981-03-04-1 | ミャンマー | 1981年03月04日 | 1980年代 | 商業省農産物交易公社は,3月3日現在,約1億9200万バスケットのもみ米を全国で買い付けた。これは80/81年度目標1億8000万バスケットを上廻る。地域別買付量は次の通り(単位:バスケット)。カチン州,2,184,191;カレン州672,732;サガイン管区13,830,228;テナセリム管区1,025,372;ペグー管区55,284,568;マグエ管区1,257,032;マンダレー管区4,267,817;モン州7,788,177;アラカン州8,248,107;ラングーン管区31,984,696;シャン州599,564;イラワジ管区64,832,126。 |
DIA-211-1981-03-04-2 | ミャンマー | 1981年03月04日 | 1980年代 | チェコ,ビルマに2200万ドル信用供与。 |
DIA-211-1981-03-05-1 | ミャンマー | 1981年03月05日 | 1980年代 | ネーウィン計画党議長,Ywathigyi民族グループ発展アカデミー卒業予定者と会見。 |
DIA-211-1981-03-06-1 | ミャンマー | 1981年03月06日 | 1980年代 | オーストラリア政府,Bassein―Monywa 道路建設に200万オーストラリア・ドル供与約束。 |
DIA-211-1981-03-09-1 | ミャンマー | 1981年03月09日 | 1980年代 | ネーウィン大統領は8~9日,プロームを訪問。地方幹部らと農業問題などを話し合い。計画党合同書記U Thaung Kyi,Kyaw Htin 国防相,U Ye Goung 農林相,Sein Tun 協同組合相,Aye Kyaw 大統領府長官,Kan Nyunt 国軍情報部長らが同行。 |
DIA-211-1981-03-12-1 | ミャンマー | 1981年03月12日 | 1980年代 | Magwe:第1ビルマライフル大隊,前線より帰る。 |
DIA-211-1981-03-13-1 | ミャンマー | 1981年03月13日 | 1980年代 | 日本政府,ビルマにテレビ機材買付に1200万チャットを贈与。 |
DIA-211-1981-03-14-1 | ミャンマー | 1981年03月14日 | 1980年代 | 社会主義計画党中央委員会第15回会議開催。82年度党予算など承認。 |
DIA-211-1981-03-16-1 | ミャンマー | 1981年03月16日 | 1980年代 | 第2期人民議会第7回会期開催。サンユー国家評議会書記が国家評議会報告,マウン・マウン・カ首相が閣僚会議報告,Tun Tin 計画・財政相が81年経済計画目標法案,81/82年財政・経済・社会報告,および81年国家予算案を提出した。このほか司法関係報告など。またサンユー書記は憲法修正法案を提出した。この憲法修正案は82年3月に解散予定の第2期人民議会を,新4カ年計画が82年4月1日にはじまることの関連上,第3期人民議会を81年11月に発足させる必要があることから,4年の任期を若干削減するため。 なお閣僚会議報告は,80/81年度の米作は6億バスケット(もみ米)以上,国家軍付は3月14日現在1億9790万バスケットであること,80/81年度輸出は3月14日現在29億7000万チャットとなったことを明らかにした。81/82年経済計画目標ではGDPが5.7%上昇(これまでの3年は平均6.7%上昇)とされ,農業生産は4.9%増,工業は8.7%,鉱業は31.4%増と見込まれている。輸出目標は37億5630万チャット。 |
DIA-211-1981-03-16-2 | ミャンマー | 1981年03月16日 | 1980年代 | オランダ,漁業開発に4000万クローネ借款供与。 |
DIA-211-1981-03-16-3 | ミャンマー | 1981年03月16日 | 1980年代 | 国家評議会員U Saw Dee Htoo 死去。 |
DIA-211-1981-03-17-1 | ミャンマー | 1981年03月17日 | 1980年代 | 人民議会第2日。国家評議会,閣僚会議,憲法改正法案,司法報告など討議。 |
DIA-211-1981-03-17-2 | ミャンマー | 1981年03月17日 | 1980年代 | Einme:第63ビルマ連隊,前線より戻る。 |
DIA-211-1981-03-18-1 | ミャンマー | 1981年03月18日 | 1980年代 | 人民議会第3日。憲法改正提案可決。これにより,通常4年の人民議会の任期は,議員の75%の同意で短縮あるいは延長されうることになった。これにもとづき,国家評議会は,82年3月まで任期のある第2期人民議会を81年11月9日で打ち切り,同日第3期人民議会を発足させることを議会に提案した。 |
DIA-211-1981-03-19-1 | ミャンマー | 1981年03月19日 | 1980年代 | 人民議会第4日。報告者への質疑応答。 |
DIA-211-1981-03-20-1 | ミャンマー | 1981年03月20日 | 1980年代 | オーストラリア,小麦粉5110万トン贈与。 |
DIA-211-1981-03-21-1 | ミャンマー | 1981年03月21日 | 1980年代 | 人民議会第5日。ネーウィン議長が麻薬,宝石の密輸取締り強化を強調する演説を行ない,閉会。 |
DIA-211-1981-03-22-1 | ミャンマー | 1981年03月22日 | 1980年代 | Bassein:第2チンライフル,前線より帰る。 |
DIA-211-1981-03-22-2 | ミャンマー | 1981年03月22日 | 1980年代 | Nattalin:第10軽歩兵連隊・前線より帰る。 |
DIA-211-1981-03-23-1 | ミャンマー | 1981年03月23日 | 1980年代 | ビルマ軍は,ラングーン駐在各国武官,ジャーナリストなどを,シャン州 Monghsat に招待,Loilam/Taku 地区での麻薬取引グループ一掃作戦Moe Hein Phase VIについて説明した。 |
DIA-211-1981-03-24-1 | ミャンマー | 1981年03月24日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,ラングーツの農林省 Myepadetha Kyun 展示場を視察。 |
DIA-211-1981-03-24-2 | ミャンマー | 1981年03月24日 | 1980年代 | シャン州を中心にビルマ共産党メンバー118人が,1月1日から3月21日の間に,政府側に投降した。 |
DIA-211-1981-03-25-1 | ミャンマー | 1981年03月25日 | 1980年代 | 中国放送・テレビ代表団,ビルマ訪問。 |
DIA-211-1981-03-26-1 | ミャンマー | 1981年03月26日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,国軍記念日軍展示物視察。 |
DIA-211-1981-03-26-2 | ミャンマー | 1981年03月26日 | 1980年代 | 国家評議会議長,1981年経済計画目標法,国家予算法公布。国家評議会はまた,第2期人民議会が81年11月9日に任期を終了,同日第3期人民議会発足と布告。 |
DIA-211-1981-03-26-3 | ミャンマー | 1981年03月26日 | 1980年代 | 日本,ビルマの林業開発に2100万チャット贈与。 |
DIA-211-1981-03-27-1 | ミャンマー | 1981年03月27日 | 1980年代 | 第36回国軍記念日。 |
DIA-211-1981-03-28-1 | ミャンマー | 1981年03月28日 | 1980年代 | 81年労働者の日式典中央委初会合。サンユー党総書記は今年の労働者の日の政治目標は,各省の労働者評議会の強化・拡大,81/82年経済計画成功への努力,全国の平和のための労働者の団結にあると述べた。 |
DIA-211-1981-03-29-1 | ミャンマー | 1981年03月29日 | 1980年代 | ネグロポンテ米国務次官補代理,ビルマ訪問。 |
DIA-211-1981-03-30-1 | ミャンマー | 1981年03月30日 | 1980年代 | Lay Maung 外相,米国務次官補代理と会見。 |
DIA-211-1981-03-30-2 | ミャンマー | 1981年03月30日 | 1980年代 | 閣僚会議経済調整委,州・管区人民評議会議長と81/82年経済計画達成について協議。 |
DIA-211-1981-03-31-1 | ミャンマー | 1981年03月31日 | 1980年代 | 第3期人民議会および各級人民評議会選挙は,81年10月4日と18日の間に挙行されると選挙委発表。 |
DIA-211-1981-03-31-2 | ミャンマー | 1981年03月31日 | 1980年代 | Barabash ソ連文化省次官,ビルマ訪問。 |
DIA-211-1981-04-01-1 | ミャンマー | 1981年04月01日 | 1980年代 | 中国放送・テレビ代表団帰国。 |
DIA-211-1981-04-02-1 | ミャンマー | 1981年04月02日 | 1980年代 | スイス,ビルマのオイル・パーム開発に3550万チャット贈与。 |
DIA-211-1981-04-02-2 | ミャンマー | 1981年04月02日 | 1980年代 | Namtu-Bawdwin 鉱山で新選鉱プラント完成。 |
DIA-211-1981-04-02-3 | ミャンマー | 1981年04月02日 | 1980年代 | マンダレー管区Lewe郡Elaで日本協力の冶金研究開発センター開設。 |
DIA-211-1981-04-02-4 | ミャンマー | 1981年04月02日 | 1980年代 | Monywa:第16軽歩兵連隊,前線より帰る。 |
DIA-211-1981-04-03-1 | ミャンマー | 1981年04月03日 | 1980年代 | Hleguで,ラングーン・マンダレー高速道路建設計画青年ボランティア奉仕キャンプ開設。Sein Lwin 内務相があいさつ。 |
DIA-211-1981-04-04-1 | ミャンマー | 1981年04月04日 | 1980年代 | 中央政治学院で第15回計画党青年マネージメントコース終了。計画党年中央組織委員長Sein Tun 大佐が閉会演説。 |
DIA-211-1981-04-05-1 | ミャンマー | 1981年04月05日 | 1980年代 | ラングーンの学生2000,イラワジ管区の労働奉仕に出発。 |
DIA-211-1981-04-06-1 | ミャンマー | 1981年04月06日 | 1980年代 | 農林省と国防省共催第3回農業:畜産幹部訓練コース終了。副参媒長 Aye Ko 中将はあいさつで,幹部達が麻薬代替作物耕作,80年大赦令帰順者の新開拓村計画を支援するよう求めるとともに,各軍大隊は,軍内で農作,畜産を行ない,人民の負担を軽くするよう求めた。 |
DIA-211-1981-04-07-1 | ミャンマー | 1981年04月07日 | 1980年代 | Shwedaungで繊維工場計画青年ボランティア奉仕キャンプ開設。 |
DIA-211-1981-04-09-1 | ミャンマー | 1981年04月09日 | 1980年代 | 州,管区選挙管理委員会設立。 |
DIA-211-1981-04-09-2 | ミャンマー | 1981年04月09日 | 1980年代 | Kyaukme 郡 Chaungchauk 村で2万人が集まり反政府軍非難集会。 |
DIA-211-1981-04-11-1 | ミャンマー | 1981年04月11日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,日本訪問に出発。Maung Maung 国家評議会員,Ye Goung 農林相,Maung Cho 第2工業相,Lay Maung 外相,Aye Ko 副国防相,Tin Oo 大統領補佐官らが同行。 |
DIA-211-1981-04-11-2 | ミャンマー | 1981年04月11日 | 1980年代 | 東京:ネーウィン大統領訪日。 |
DIA-211-1981-04-11-3 | ミャンマー | 1981年04月11日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相,輸出推進調整監督委と会合。同首相は,79/80年度は目標25億8880万チャットに対し26億7900万チャット,80/81年度は31億6960万チャットの目標に対し31億7540万チャットを輸出した,81/82年度の目標は37億5630万チャットであると述べた。 |
DIA-211-1981-04-12-1 | ミャンマー | 1981年04月12日 | 1980年代 | ビルマ貿易代表団,インドネシアヘ出発。 |
DIA-211-1981-04-12-2 | ミャンマー | 1981年04月12日 | 1980年代 | Bawlake 郡 Ywathit 村で約500人が反政府軍非難。 |
DIA-211-1981-04-13-1 | ミャンマー | 1981年04月13日 | 1980年代 | 東京:ネーウィン大統領,午前,伊東外相,田中通産相と会見。またマンスフィールド米大使とも会見した。大統領は午後,鈴木首相と会談,夕刻同首相主催の夕食会に出席した。 |
DIA-211-1981-04-13-2 | ミャンマー | 1981年04月13日 | 1980年代 | Mohnyin:第15ビルマ連隊,前線より帰る。 |
DIA-211-1981-04-13-3 | ミャンマー | 1981年04月13日 | 1980年代 | Danubyu:第108軽歩兵連隊,前線より帰る。 |
DIA-211-1981-04-14-1 | ミャンマー | 1981年04月14日 | 1980年代 | 東京:ネーウィン大統領は,福田元首相,三木元首相,田中元首相らと個別に会談した。 |
DIA-211-1981-04-15-1 | ミャンマー | 1981年04月15日 | 1980年代 | 東京:ネーウイン大統領,日本国天皇と会見。 |
DIA-211-1981-04-16-1 | ミャンマー | 1981年04月16日 | 1980年代 | 京都:ネーウィン大統領京都訪問。日本ビルマ文化協会幹部らと会見。 |
DIA-211-1981-04-17-1 | ミャンマー | 1981年04月17日 | 1980年代 | 京都:ネーウィン大統領,松下電器見学。 |
DIA-211-1981-04-17-2 | ミャンマー | 1981年04月17日 | 1980年代 | ラングーン:1980年にビルマを2万3845人の外国人観光客が訪問,約4930万チャット相当の外貨を使用した。79年は3750万チャット。 |
DIA-211-1981-04-18-1 | ミャンマー | 1981年04月18日 | 1980年代 | 奈良:ネーウィン大統領奈良訪問。 |
DIA-211-1981-04-18-2 | ミャンマー | 1981年04月18日 | 1980年代 | 労働省社会福祉局は80/81年度までに,全国1万698事業所(国営1099,協同組合1174,民間8425)の60万1894人の労働者を対象として社会福祉計画を進めている。 |
DIA-211-1981-04-18-3 | ミャンマー | 1981年04月18日 | 1980年代 | Thaton 郡 Mogaung 村で1万人が反政府軍非難集会。 |
DIA-211-1981-04-18-4 | ミャンマー | 1981年04月18日 | 1980年代 | Aungban:第78ビルマ連隊,前線より帰る。 |
DIA-211-1981-04-19-1 | ミャンマー | 1981年04月19日 | 1980年代 | ビルマ貿易代表団,インドネシアと中国の広東見本市を訪問し帰国。 |
DIA-211-1981-04-20-1 | ミャンマー | 1981年04月20日 | 1980年代 | 下関:ネーウィン大統領,三菱重工見学。 |
DIA-211-1981-04-21-1 | ミャンマー | 1981年04月21日 | 1980年代 | 長崎:ネーウィン大統領,旧南機関員と会見。 |
DIA-211-1981-04-21-2 | ミャンマー | 1981年04月21日 | 1980年代 | ラングーン:マウン・マウン・カ首相,Than Tin 鉱山相,マンダレー,メイミョー,パコックなどの鉱工業プロジェクトを視察(20~21日)。 |
DIA-211-1981-04-22-1 | ミャンマー | 1981年04月22日 | 1980年代 | 東京:ネーウィン大統領,地方から帰着。 |
DIA-211-1981-04-22-2 | ミャンマー | 1981年04月22日 | 1980年代 | Sandoway:Kyaw Nyein 教育相,技術高校など視察。 |
DIA-211-1981-04-22-3 | ミャンマー | 1981年04月22日 | 1980年代 | ラングーン:タイのクーデター未遂事件主謀者サン将軍は,4月16日,タイ国境からビルマのYe郡に入り,17日,ビルマ軍前哨基地に出頭,18日ラングーン到着,ビルマ当局の保護下におかれた。ビルマ当局はサン将軍の要請により米大使との会見を用意するとともに,タイ当局に事態を通告した。米国が亡命を認めぬ場合,ビルマ政府は反タイ活動をせぬ条件で亡命を受入れる用意がある(ワーキング・ピープルス・デイリー,4月23日)。 |
DIA-211-1981-04-23-1 | ミャンマー | 1981年04月23日 | 1980年代 | 東京:ネーウィン大統領,日本・ビルマ友好議員連盟小沢会長らと会見。 |
DIA-211-1981-04-24-1 | ミャンマー | 1981年04月24日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,日本より帰国。 |
DIA-211-1981-04-27-1 | ミャンマー | 1981年04月27日 | 1980年代 | 農林省・国防省共催第6回農業・畜産幹部訓練コース開催。Ye Goung 農林相があいさつし,農産物畜産物の多様な品種の生産拡大の必要性を主張した。 |
DIA-211-1981-04-27-2 | ミャンマー | 1981年04月27日 | 1980年代 | ハジ・ハンガリー副外務相,ビルマ訪問。 |
DIA-211-1981-04-29-1 | ミャンマー | 1981年04月29日 | 1980年代 | Lay Maung 外相,ハンガリー副外相と会見。 |
DIA-211-1981-05-01-1 | ミャンマー | 1981年05月01日 | 1980年代 | ネーウィン計画党議長は,81年度労働者の日大衆集会に対しメッセージを送り,労働者評議会組織の強化,81/82年度経済計画の量的および質的達成,および国内平和のために努力するよう要望した。 |
DIA-211-1981-05-02-1 | ミャンマー | 1981年05月02日 | 1980年代 | 各少数民族の歴史,文化,言語の保存などを目的として文化相を議長とし関係政府機関代表からなる機関が設けられることになった。 |
DIA-211-1981-05-04-1 | ミャンマー | 1981年05月04日 | 1980年代 | 農業公社・農業機械化局共催,田植え機研修第2回コース開催。 |
DIA-211-1981-05-07-1 | ミャンマー | 1981年05月07日 | 1980年代 | 特別調査局業務調整会議。国家情報局情報長官Bo Ni 大佐は,あいさつで,密輸取締り強化の必要などを主張した。 |
DIA-211-1981-05-07-2 | ミャンマー | 1981年05月07日 | 1980年代 | Kyaukpadaung:第83ビルマ連隊,前線より帰る。 |
DIA-211-1981-05-09-1 | ミャンマー | 1981年05月09日 | 1980年代 | ネーウィン大統領は,5日から9日の間,南西軍区,西部軍区,中央軍区各地を視察した。Kyaw Htin 国防相,Ye Goung 農林相,Tint Swe 第1工業相,Maung Cho 第2工業相,大統領軍事補佐官 Tin Oo 准将,国軍情報部長 Kan Nyunt 大佐らが同行した。 一行は,5日,Myaungmya ジュート工場,Bassein のガラス工場を視察,6日,Tada-U およびTantabinの石油採掘現場を視察,7日,Htonbo,Nyaungchedauk,Sinde の重工業公社工場群を見学,さらに Prome の第66軽歩兵師団を訪れた。8日,一行は北 Nawin ダムを視察し,9日午前ラングーンに戻った。 |
DIA-211-1981-05-09-2 | ミャンマー | 1981年05月09日 | 1980年代 | 商業省,2000CC以上の自動車輸入禁止発令。 |
DIA-211-1981-05-12-1 | ミャンマー | 1981年05月12日 | 1980年代 | 国家評議会,第3期人民議会および人民評議会の各地方別選挙区数を公表。 |
DIA-211-1981-05-13-1 | ミャンマー | 1981年05月13日 | 1980年代 | 計画財政省関税局は,80/81年度中に密輸品1億1490万チャット相当を押収した。 |
DIA-211-1981-05-14-1 | ミャンマー | 1981年05月14日 | 1980年代 | 計画党中央委第16回会議開催。ネーウィン党議長が演説,昨年ビルマ共産党と和平について交渉がもたれたが,決裂した旨,要旨次のような報告があった。 80年5月の大赦令期限終了後,タキン・バ・テェイン・チン共産党中央委議長より停戦と平和について交渉申し入れがあった。政府はこれに対し,停戦は不可能だが,代表団相互による秘密交渉は可能であると回答した。この交渉で共産党は,(a)共産党の存続許可,(b)党軍事力の存続許可,(c)基地として国境地区を認めること,を提案した。共産党は交渉中,この三要求に固執した。 政府は,この要求を受け入れることはできず,結局交渉を打ち切り,交渉団を引揚げた。 |
DIA-211-1981-05-15-1 | ミャンマー | 1981年05月15日 | 1980年代 | 計画党中央委員会。中央委政治報告草案,第4次4カ年計画ガイドライン草案など承認して閉会。 |
DIA-211-1981-05-15-2 | ミャンマー | 1981年05月15日 | 1980年代 | タイ士官学校代表団,10~15日ビルマ訪問。 |
DIA-211-1981-05-16-1 | ミャンマー | 1981年05月16日 | 1980年代 | ネーウィン党議長,党中央委員と夕食会。 |
DIA-211-1981-05-22-1 | ミャンマー | 1981年05月22日 | 1980年代 | サンユー党総書記,タウン・チー合同書記,Kyaw Htin 総参謀長ら,ラングーン管区党地域委の Sanchaung 郡区党支部の予備会議と党大会への代議員選挙第2日を視察。 |
DIA-211-1981-05-23-1 | ミャンマー | 1981年05月23日 | 1980年代 | 国家評議会,副第2工業相 U Khin Maung Ti の辞任を5月12日付で承認と発表。 |
DIA-211-1981-05-25-1 | ミャンマー | 1981年05月25日 | 1980年代 | ビルマ貿易代表団(Khin Maung Gyi 貿易相団長),ヨーロッパ,アフリカ歴訪に出発。 |
DIA-211-1981-05-28-1 | ミャンマー | 1981年05月28日 | 1980年代 | サンユー計画党第4回党大会開催委員会議長,ラングーン軍区司令部組織委予備会議と党大会代議員選挙を視察。 |
DIA-211-1981-05-30-1 | ミャンマー | 1981年05月30日 | 1980年代 | ラングーン管区人民評議会,優秀米作農民らに褒賞。最高収量は1エーカー当り310バスケット。 |
DIA-211-1981-05-31-1 | ミャンマー | 1981年05月31日 | 1980年代 | Wakema 郡で耕作ローン支給。高収量米はエーカー当り140チャット,普通米は70チャット。 |
DIA-211-1981-06-01-1 | ミャンマー | 1981年06月01日 | 1980年代 | ラングーンでベトナム側と会談するためのタイ代表団(アルン外務次官団長)到着。 |
DIA-211-1981-06-01-2 | ミャンマー | 1981年06月01日 | 1980年代 | 閣僚評議会,麻薬およびヤミ物資取締り協力者への褒賞規定公布。 |
DIA-211-1981-06-02-1 | ミャンマー | 1981年06月02日 | 1980年代 | マウン・マウン・力首相,故宋慶齢女史弔問で中国大使館訪問。 |
DIA-211-1981-06-02-2 | ミャンマー | 1981年06月02日 | 1980年代 | Ye Goung 農林相,FAOビルマ代表Lazoと会見。 |
DIA-211-1981-06-02-3 | ミャンマー | 1981年06月02日 | 1980年代 | Lay Maung 外相,アルン・タイ外務次官と会見。 |
DIA-211-1981-06-02-4 | ミャンマー | 1981年06月02日 | 1980年代 | Than Tin 鉱山相,1日,マンダー管区 Lewe 郡 Ela の金属研究開発センターを視察,本日ラングーン帰着。 |
DIA-211-1981-06-04-1 | ミャンマー | 1981年06月04日 | 1980年代 | 鉱山省,宝石および鉱物資源発見者への褒賞規定公表。 |
DIA-211-1981-06-04-2 | ミャンマー | 1981年06月04日 | 1980年代 | Phouneラオス副首相兼外相,ラングーン着。Lay Maung 外相と会談。 |
DIA-211-1981-06-04-3 | ミャンマー | 1981年06月04日 | 1980年代 | Vo Dong Gian ベトナム外務次官,Lay Maung 外相と会談。なおタイ・ベトナム外務次官会談はこの日終了,両国代表団は帰国した。 |
DIA-211-1981-06-04-4 | ミャンマー | 1981年06月04日 | 1980年代 | Kyaw Nyein 教育相,1~4日マンダーなどの教育情況視察。 |
DIA-211-1981-06-05-1 | ミャンマー | 1981年06月05日 | 1980年代 | サンユー計画党第4回大会開催委員長,参謀本部での党大会代議員選挙など視察。 |
DIA-211-1981-06-05-2 | ミャンマー | 1981年06月05日 | 1980年代 | マウン・マウン・力首相,ジアウル・ラーマン大統領の死で,バングラデシュ大使館弔問。 |
DIA-211-1981-06-05-3 | ミャンマー | 1981年06月05日 | 1980年代 | タイとの会談に出席するベトナム代表団(Vo Dong Gian 外務次官団長)到着。ベトナム・タイ外務次官会談開始。Lay Maung 外相が冒頭で歓迎あいさつ。 |
DIA-211-1981-06-05-4 | ミャンマー | 1981年06月05日 | 1980年代 | 日本,ラングーン総合病院建設に6129万チャット贈与。 |
DIA-211-1981-06-05-5 | ミャンマー | 1981年06月05日 | 1980年代 | ビルマ・ラオス外相会談。なおPhouneラオス外相はマウン・マウン・力首相を訪問した。 |
DIA-211-1981-06-06-1 | ミャンマー | 1981年06月06日 | 1980年代 | Than Tin 鉱山相は鉱山省業務調整会議で演説し,専門家養成の重要性,奥地の鉱山での食料自給の必要,出来高払い労働者への待遇改善を主張した。 |
DIA-211-1981-06-06-2 | ミャンマー | 1981年06月06日 | 1980年代 | ラオス外相一行,Pyinmabin家畜飼育農場視察。 |
DIA-211-1981-06-07-1 | ミャンマー | 1981年06月07日 | 1980年代 | ラオス外相一行,ラングーン市内見学。 |
DIA-211-1981-06-08-1 | ミャンマー | 1981年06月08日 | 1980年代 | 農林省農業機械化局の優秀トラクター運転手,井戸掘りチーム表彰式。Ye Goung 農林相はあいさつで,同局のトラクター保有数は第3次4カ年計画初年度の3215台から第3年度は3525台となり,耕作面積は125万4000エーカーから150万2000エーカーに増大したと述べた。 |
DIA-211-1981-06-08-2 | ミャンマー | 1981年06月08日 | 1980年代 | ビルマ教育使節団,3週間訪中し帰国。 |
DIA-211-1981-06-08-3 | ミャンマー | 1981年06月08日 | 1980年代 | ラオス副首相一行帰国。 |
DIA-211-1981-06-09-1 | ミャンマー | 1981年06月09日 | 1980年代 | サンユー計画党第4回大会開催委議長,ラングーンMingaladon郡区党支部の代議員選挙を視察。 |
DIA-211-1981-06-10-1 | ミャンマー | 1981年06月10日 | 1980年代 | Pyu:第5ビルマ連隊,前線より帰る。 |
DIA-211-1981-06-11-1 | ミャンマー | 1981年06月11日 | 1980年代 | ビルマ教育使節団,日本訪問に出発。 |
DIA-211-1981-06-12-1 | ミャンマー | 1981年06月12日 | 1980年代 | サンユー第4回計画党大会開催委議長,ラングーンInsein郡区党支部代議員選挙視察。 |
DIA-211-1981-06-13-1 | ミャンマー | 1981年06月13日 | 1980年代 | 第1期全国僧侶中央工作委員会第2回会合開催。Sein Lwin 内務・宗教相は,あいさつで,現在不良僧侶の追放が進められていることを明らかにした。 |
DIA-211-1981-06-14-1 | ミャンマー | 1981年06月14日 | 1980年代 | ビルマ貿易代表団(団長,Khin Maung Gyi 貿易相),西欧,アフリカ訪問より帰国。 |
DIA-211-1981-06-16-1 | ミャンマー | 1981年06月16日 | 1980年代 | 第1期全国僧侶中央工作委員会第2回会合終了。 |
DIA-211-1981-06-19-1 | ミャンマー | 1981年06月19日 | 1980年代 | サンユー第4回党大会開催委議長,ラングーンの:Hlaing郡およびBahan郡党支部の代議員選視察。 |
DIA-211-1981-06-22-1 | ミャンマー | 1981年06月22日 | 1980年代 | 農林省・国防省合同第4回農業・畜産幹部訓練コース終了。 |
DIA-211-1981-06-22-2 | ミャンマー | 1981年06月22日 | 1980年代 | タイから亡命のサン将軍,大赦をうけ帰国。 |
DIA-211-1981-06-25-1 | ミャンマー | 1981年06月25日 | 1980年代 | ミヤンマ農業銀行は,1981年に全国で,10億チャットのモンスーン耕作ローンを支給する計画である。1980年は’6億7210万チャットを支給し,6月13日までに90%を回収した。 |
DIA-211-1981-06-25-2 | ミャンマー | 1981年06月25日 | 1980年代 | サンユー計画党第4回大会開催委議長は,Maya-ngon郡区党支部の代議員選挙を視察。 |
DIA-211-1981-06-26-1 | ミャンマー | 1981年06月26日 | 1980年代 | 建設公社業務調整会議。Hla Tun 建設相が演説し,80/81年度建設工事は目標の8億8000万チャットに対し8億6000万チャットを達成し,81/82年度は仕事量は10億チャットに達しようと述べた。 |
DIA-211-1981-06-29-1 | ミャンマー | 1981年06月29日 | 1980年代 | ラングーン管区選挙小委員会は,第3期人民議会および各級人民評議会選挙が10月4日行なわれると発表した。 |
DIA-211-1981-07-01-1 | ミャンマー | 1981年07月01日 | 1980年代 | 国防省参謀本部,ラングーン軍区司令部共催で,陸海空3軍将兵1500人が,農作業支援に出発。 |
DIA-211-1981-07-01-2 | ミャンマー | 1981年07月01日 | 1980年代 | Sein Lwin 内務・宗教相,韓国訪問に出発。 |
DIA-211-1981-07-03-1 | ミャンマー | 1981年07月03日 | 1980年代 | 7月19日の第34回殉難者の日は,全国で次の政治目的をもって迎えられる。それらは,殉難者によって建設された国家統一を一層推進し強化すること,経済計画目標を達成すること,国家の平和を保障するためあらゆる破壊分子を一掃すること,である。当日は大衆集会は行なわず,郡区毎に記念行事が行なわれる。 |
DIA-211-1981-07-03-2 | ミャンマー | 1981年07月03日 | 1980年代 | ソウル:Sein Lwin 内務・宗教相,韓国訪問。 |
DIA-211-1981-07-05-1 | ミャンマー | 1981年07月05日 | 1980年代 | 情報・放送局テレビ部12人が,オーストラリアでの5カ月のテレビ生産・放送研修に出発。コロンボ計画にもとづく。 |
DIA-211-1981-07-06-1 | ミャンマー | 1981年07月06日 | 1980年代 | 農林省・国防省共催農業・畜産幹部訓練コース第7回開催。Ye Goung 農林相があいさつ。 |
DIA-211-1981-07-08-1 | ミャンマー | 1981年07月08日 | 1980年代 | 国家評議会主催ビルマ文学セミナー開催。ネーウィン大統領が司会。ネーウィン大統領はあいさつで,現在のビルマ語使用の乱れを指摘し,ビルマ民族の栄光を守るためにビルマ語の正しい使用を主張した。 |
DIA-211-1981-07-09-1 | ミャンマー | 1981年07月09日 | 1980年代 | Thaton:第1,軽歩兵連隊,前線より帰る。 |
DIA-211-1981-07-12-1 | ミャンマー | 1981年07月12日 | 1980年代 | Sein Tun 協同組合相,ペグー管区Letpadan郡のKantaya養魚協同組合を視察。 |
DIA-211-1981-07-14-1 | ミャンマー | 1981年07月14日 | 1980年代 | 計画党第4回大会開催委連絡情報委と作業グループ調整会議開催。マウン・マウン・力首相ら出席。 |
DIA-211-1981-07-15-1 | ミャンマー | 1981年07月15日 | 1980年代 | 政府,肉類,魚,野菜,果物,花の生産,流通研究のため,3代表団をタイ,マレーシア,シンガポール,フィリピンに派遣。 |
DIA-211-1981-07-15-2 | ミャンマー | 1981年07月15日 | 1980年代 | Sein Lwin 内務・宗教相,韓国より帰国。 |
DIA-211-1981-07-17-1 | ミャンマー | 1981年07月17日 | 1980年代 | 労働者評議会中央組織特別会議開催中央委第1回会合。マウン・マウン・力首相ら出席。 |
DIA-211-1981-07-18-1 | ミャンマー | 1981年07月18日 | 1980年代 | 国家評議会,モン州・Chaungzon郡区人民議会議員 Dr. Mehm Thet San を副大臣に任命。 |
DIA-211-1981-07-19-1 | ミャンマー | 1981年07月19日 | 1980年代 | 全国で,第34回殉難者の日式典。ラングーンではマウン・マウン・力首相ら参列。 |
DIA-211-1981-07-20-1 | ミャンマー | 1981年07月20日 | 1980年代 | ラングーン軍区司令部,東部軍区司令部など各軍区司令部で,第1回農業・畜産基礎訓練コース開催。 |
DIA-211-1981-07-20-2 | ミャンマー | 1981年07月20日 | 1980年代 | 国家評議会,第2工業省副大臣にDr. Mehm Thet San任命。 |
DIA-211-1981-07-21-1 | ミャンマー | 1981年07月21日 | 1980年代 | ラングーン管区人民評議会,郡区人民評議会に81/82年耕作シーズンの早期・中期モンスーン米作の作付を適切な時期に行なうよう指示。 |
DIA-211-1981-07-22-1 | ミャンマー | 1981年07月22日 | 1980年代 | Bassein:イラワジ管区農林漁畜産計画調整会議。油脂作物の増産などが検討された。 |
DIA-211-1981-07-22-2 | ミャンマー | 1981年07月22日 | 1980年代 | ビルマ・バレーボール・チーム,中国へ。 |
DIA-211-1981-07-23-1 | ミャンマー | 1981年07月23日 | 1980年代 | 計画党第4回大会開催委サンユー議長,大会会場を視察。 |
DIA-211-1981-07-24-1 | ミャンマー | 1981年07月24日 | 1980年代 | マンダレー管区で不良僧15人追放処分。 |
DIA-211-1981-07-27-1 | ミャンマー | 1981年07月27日 | 1980年代 | Hlegu 郡 Ywathagyiで,ラングーン管区各郡区代表による田植えコンテスト。Ye Goung 農林相ら参観。 |
DIA-211-1981-07-27-2 | ミャンマー | 1981年07月27日 | 1980年代 | ペグーとザガイン両管区で不良僧18人追放。 |
DIA-211-1981-07-30-1 | ミャンマー | 1981年07月30日 | 1980年代 | ビルマ連邦銀行,新デザインの25ピアス・コィン発行。 |
DIA-211-1981-07-31-1 | ミャンマー | 1981年07月31日 | 1980年代 | ビルマ・ファイブ・スター船舶公社,コンテナ輸送体制初導入。 |
DIA-211-1981-07-31-2 | ミャンマー | 1981年07月31日 | 1980年代 | Kyaw Htin 国防相,中国大使館の建軍記念日レセプションに出席。 |
DIA-211-1981-08-01-1 | ミャンマー | 1981年08月01日 | 1980年代 | 農林省,米作付の70%完了の現段階で一段と作物生育に注意せよとの指示を農民に発す。 |
DIA-211-1981-08-02-1 | ミャンマー | 1981年08月02日 | 1980年代 | ビルマ社会主義計画党中央委第17回会合。サンユー総書記が執行委報告,タウン・チー合同総書記が第4回党大会関係報告を行ない閉会。 |
DIA-211-1981-08-02-2 | ミャンマー | 1981年08月02日 | 1980年代 | 第4回党大会開催準備委会合。党大会議長団選出。 |
DIA-211-1981-08-03-1 | ミャンマー | 1981年08月03日 | 1980年代 | ビルマ社会主義計画党第4回党大会開催。サンユー総書記が中央委政治報告,Tun Wai 書記が第4次4カ年計画ガイドライン報告,タウン・チー合同総書記が党憲章修正報告など提出。サンユー総書記はその政治報告で要旨次の諸点を明らかにした。 ○大赦令による復帰者に対し政府の援助が与えられている。共産党との和平交渉は決裂した。 ○市民権法起草がすすめられている。連邦内諸民族の平等と固有の文化などの尊重が重視されている。 ○反政府軍活動地域は減少しつつある。 ○全世界の国々との友好路線を外交の基本とする。 ○第3次4カ年計画について,国内総生産は最初の3年間目標の5.5%増に対し6.7%増となった。投資では民間,協同組合部門が目標を下廻った。製造業稼動率は78/79年の67.58%から80/81年は72.76%に上昇した。農業生産向上,鉱物・燃料生産向上にも力が注がれた。 ○1981年1月末現在,計画党党員は150万902人,党友は98万1859人である。うち軍人党員は14万3747人。 |
DIA-211-1981-08-04-1 | ミャンマー | 1981年08月04日 | 1980年代 | 計画党大会第2日。政治報告など討議。 |
DIA-211-1981-08-05-1 | ミャンマー | 1981年08月05日 | 1980年代 | 計画党大会第3日。第4次4カ年計画ガイドラインなど討議。サンユー総書記が政治報告討議について回答。 |
DIA-211-1981-08-06-1 | ミャンマー | 1981年08月06日 | 1980年代 | 計画党大会第4日。中央委員選挙。 |
DIA-211-1981-08-07-1 | ミャンマー | 1981年08月07日 | 1980年代 | 計画党大会第5日。党役員選出結果発表。党中央委員260人を選出。○党中央委員会は直ちに第1回会議を開催,党中央執行委員会15人と同役員団を選出した。中央執行委議長にはネーウィン,総書記にはタウン・ティ,合同総書記にイエー・コー中将が選ばれた。また党の各種委員会のメンバーも選出された。なおサンユー前総書記は再任されていない。 |
DIA-211-1981-08-07-2 | ミャンマー | 1981年08月07日 | 1980年代 | 国家評議会,Aye Ko 国防副大臣の後任に Tin Sein 少将(人民議会メンバー)を任命。また国防省特別作戦局長 Tun Yi 少将を国防省副参謀総長(陸軍)に任命。 |
DIA-211-1981-08-08-1 | ミャンマー | 1981年08月08日 | 1980年代 | 計画党大会最終日。ネーウィン大統領は演説を行ない,来る10月の薪人民議会開催時に,大統領職を辞任すると宣言,その理由として,党内にスムースな指導者交代の慣行をつくること,自からが老齢に達したことを挙げたしかし党内の地位にはとどまると述べた。なおネーウィン大統領は経済問題にも言及,外国からの借入れに頼り投資することの危険性を強調した。 |
DIA-211-1981-08-11-1 | ミャンマー | 1981年08月11日 | 1980年代 | 計画党中央委第2回会議,人民議会候補リストなど承認。 |
DIA-211-1981-08-12-1 | ミャンマー | 1981年08月12日 | 1980年代 | 亀岡農林水産相,ラングーン訪問。Ye Goung 農林相と会談。 |
DIA-211-1981-08-12-2 | ミャンマー | 1981年08月12日 | 1980年代 | ペグー:第8軽歩兵連隊,前線より帰る。 |
DIA-211-1981-08-13-1 | ミャンマー | 1981年08月13日 | 1980年代 | 亀岡農林水産相,マウン・マウン・力首相,Tun Tin 副首相,Khin Maung Gyi 貿易相,Sein Tun 協同組合相らと会談。 |
DIA-211-1981-08-13-2 | ミャンマー | 1981年08月13日 | 1980年代 | ペグー:第7軽歩兵連隊,前線より帰る。 |
DIA-211-1981-08-14-1 | ミャンマー | 1981年08月14日 | 1980年代 | 亀岡農林水産相一行,マンダレー訪問。 |
DIA-211-1981-08-16-1 | ミャンマー | 1981年08月16日 | 1980年代 | 亀岡農林水産相,Hmawbi 郡 Minywa の高収量米ステーションなど視察,Ye Goung 農林相同行。 |
DIA-211-1981-08-17-1 | ミャンマー | 1981年08月17日 | 1980年代 | 亀岡農林水産相,帰途に。 |
DIA-211-1981-08-17-2 | ミャンマー | 1981年08月17日 | 1980年代 | Nyaunglebin:第20軽歩兵連隊,前線より帰る。 |
DIA-211-1981-08-18-1 | ミャンマー | 1981年08月18日 | 1980年代 | Khin Maung Gyi 貿易相,Okpo の精米所視察。 |
DIA-211-1981-08-20-1 | ミャンマー | 1981年08月20日 | 1980年代 | 労働者評議会中央組織特別会議,マウン・マウン・力議長(首相)があいさつ。 |
DIA-211-1981-08-21-1 | ミャンマー | 1981年08月21日 | 1980年代 | 労働者評議会中央組織特別会議終了。 |
DIA-211-1981-08-21-2 | ミャンマー | 1981年08月21日 | 1980年代 | Nawnghkio:第17軽歩兵連隊,前線より帰る。 |
DIA-211-1981-08-23-1 | ミャンマー | 1981年08月23日 | 1980年代 | 農林省,アジア開銀援助によるポンプかんがい地域開発プロジェクト委員会発足さす。 |
DIA-211-1981-08-24-1 | ミャンマー | 1981年08月24日 | 1980年代 | 農林省・国防省共催,第5回農業・畜産幹部訓練コース終了。 |
DIA-211-1981-08-25-1 | ミャンマー | 1981年08月25日 | 1980年代 | アメリカ大使館,ラングーン芸術・科学大学にマイクロフィルム施材寄贈。 |
DIA-211-1981-08-26-1 | ミャンマー | 1981年08月26日 | 1980年代 | 農民評議会中央組織第5回会議開催。Thaung Kyi 議長があいさつし,農業状況など報告した。 |
DIA-211-1981-08-27-1 | ミャンマー | 1981年08月27日 | 1980年代 | 農民評議会中央組織会議終了。 |
DIA-211-1981-08-30-1 | ミャンマー | 1981年08月30日 | 1980年代 | ビルマ文盲一掃キャンペーン中央委は,1969年以来196郡区でキャンペーンを行ない,7月末現在135郡区で文盲を一掃した。 |
DIA-211-1981-09-01-1 | ミャンマー | 1981年09月01日 | 1980年代 | Taunggyi:繊維交易公社のデパート開店。 |
DIA-211-1981-09-02-1 | ミャンマー | 1981年09月02日 | 1980年代 | ラングーン管区人民評議会 Kyaw Myint 議長ら,Kyauktan など米作地視察。なお同管区の早・中期モンスーン米作付は8月中に完了した。 |
DIA-211-1981-09-03-1 | ミャンマー | 1981年09月03日 | 1980年代 | Laymyethna:第2ビルマ・ライフル大隊,前線より戻る。 |
DIA-211-1981-09-04-1 | ミャンマー | 1981年09月04日 | 1980年代 | 貿易省,1981/82年度米の購入価格を発表。購入価格は農産物交易公社の買入れセンター価格,100バスケット当り(バスケット当り46ポンド)。 |
DIA-211-1981-09-05-1 | ミャンマー | 1981年09月05日 | 1980年代 | Tharrawaddy:本郡区9227農民に4日までに,81/82年度耕作ローン920万チャットが支給された。 |
DIA-211-1981-09-07-1 | ミャンマー | 1981年09月07日 | 1980年代 | ラングーン管区 Bahan 郡,第3期人民議会議員候補に,サンユー計画党書記長を選出。 |
DIA-211-1981-09-07-2 | ミャンマー | 1981年09月07日 | 1980年代 | 農林省・国防省共催,農業・畜産幹部第8回訓練コース開催。 |
DIA-211-1981-09-08-1 | ミャンマー | 1981年09月08日 | 1980年代 | Henzaza 郡でミヤンマ農業銀行は,水力ポンプ購入をみとめられた10人の農民に6万3650チャットめ,ローンを支給した。 |
DIA-211-1981-09-09-1 | ミャンマー | 1981年09月09日 | 1980年代 | マウン・マウン・力首相,第3期人民議会へのHlaing 第2区候補に選出。 |
DIA-211-1981-09-11-1 | ミャンマー | 1981年09月11日 | 1980年代 | 第64ビルマ連隊と Laikha 郡人民評議会の地域強化チームは,8月26日から9月8日まで農村地方を巡回し,住民と政治,経済,軍事などを話し合うとともに医療活動を行った。 |
DIA-211-1981-09-12-1 | ミャンマー | 1981年09月12日 | 1980年代 | 陸軍士官学校第61期卒業式。Tun Yi 副参謀長(陸軍)が記念演説。 |
DIA-211-1981-09-12-2 | ミャンマー | 1981年09月12日 | 1980年代 | Kyaw Nyein 教育相,9~12日,マンダレーの教育施設視察。 |
DIA-211-1981-09-14-1 | ミャンマー | 1981年09月14日 | 1980年代 | 第3期人民議会と各級人民評議会選挙は10月4日から18日の間挙行されるが,その有権者数は1700万人余である。人民議会議員475人,州・管区人民評議会員976人,郡区人民評議会員2万2850人,地区・村区人民評議会員16万3742人が選ばれる, |
DIA-211-1981-09-14-2 | ミャンマー | 1981年09月14日 | 1980年代 | 特別調査局81年第2四半期業務調整会議。Min Na-ung内務・宗教副大臣はあいさつで,特別調査局は過去4カ月,宗教界の浄化,経済犯罪の防止に全力をあげてきたと述べた。 |
DIA-211-1981-09-15-1 | ミャンマー | 1981年09月15日 | 1980年代 | Martaban:第102軽歩兵連隊,前線より帰る。 |
DIA-211-1981-09-16-1 | ミャンマー | 1981年09月16日 | 1980年代 | 農林省は全農民に,米作の豊かな実りを確保するため水の供給に注意するよう布告。なお同省はこれまでのところ気象条件は一部を除き大いに良好であったと述べている。 |
DIA-211-1981-09-17-1 | ミャンマー | 1981年09月17日 | 1980年代 | U Kyaw Soe 元内務宗教相,外務相死亡。 |
DIA-211-1981-09-19-1 | ミャンマー | 1981年09月19日 | 1980年代 | マンダレーで聾唖学校開校。Chit:Hlaing 社会福祉・労働相が開校記念演説。 |
DIA-211-1981-09-21-1 | ミャンマー | 1981年09月21日 | 1980年代 | 第2回農民評議会大会開催管理委第1回会合。Ye Goung 農林相ら出席。 |
DIA-211-1981-09-21-2 | ミャンマー | 1981年09月21日 | 1980年代 | Einme:第63ビルマ連隊,前線より帰る, |
DIA-211-1981-09-23-1 | ミャンマー | 1981年09月23日 | 1980年代 | Twante 郡で早場米の買い付けはじまる。 |
DIA-211-1981-09-23-2 | ミャンマー | 1981年09月23日 | 1980年代 | ヌハク・ラオス副首相,訪ソの途中ラングーン空港に立ち寄り。 |
DIA-211-1981-09-23-3 | ミャンマー | 1981年09月23日 | 1980年代 | 英国のグロスター公,ビルマ訪問。 |
DIA-211-1981-09-24-1 | ミャンマー | 1981年09月24日 | 1980年代 | グロスター公,Khin Maung Gyi 貿易相,Lay Maung 外相らと会見。 |
DIA-211-1981-09-24-2 | ミャンマー | 1981年09月24日 | 1980年代 | マウン・マウン・力首相は国防相,第2工業相,建設相,鉱山相,国軍情報部長らとともに,23~24日,マグェ,マンダレー,ペグー各管区の石油精製,石油・ガス開発,木材産業などを視察した。 |
DIA-211-1981-09-25-1 | ミャンマー | 1981年09月25日 | 1980年代 | グロスター公,ゼルマ訪問終了。 |
DIA-211-1981-09-26-1 | ミャンマー | 1981年09月26日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,芸能界代表と夕食会。 |
DIA-211-1981-09-26-2 | ミャンマー | 1981年09月26日 | 1980年代 | Mong Kung:4人の投降ビルマ共産党反政府兵が大衆集会で陳謝,第661戦術作戦司令部司令ら出席。 |
DIA-211-1981-09-27-1 | ミャンマー | 1981年09月27日 | 1980年代 | 管区人民評議会,郡区人民評議会に対し,花火類の製造,販売禁止を指令。 |
DIA-211-1981-09-28-1 | ミャンマー | 1981年09月28日 | 1980年代 | マンダレー:第76ビルマ連隊,前線より帰る。 |
DIA-211-1981-09-30-1 | ミャンマー | 1981年09月30日 | 1980年代 | Mongyai 郡 Hoya 村で,7000人以上が集まり,反政府軍非難集会,SSAグループ投降者が陳謝。第67ビルマ連隊司令官ら出席。 |
DIA-211-1981-10-01-1 | ミャンマー | 1981年10月01日 | 1980年代 | 第17回人民警察軍記念日。 |
DIA-211-1981-10-01-2 | ミャンマー | 1981年10月01日 | 1980年代 | 中国大使館,建国記念レセプション,Lay Maung 外相が出席。 |
DIA-211-1981-10-04-1 | ミャンマー | 1981年10月04日 | 1980年代 | 第5期人民議会および各級人民評議会選挙,全国で挙行。1700万人余の有権者が,475人の人民議会メンバー,976人の州・管区人民評議会メンバー,2万2850人の郡区人民評議会メンバー,16万3742人の町区・村区人民評議会メンバーを選出する。全国で16万3742の投票箱が設置された。 |
DIA-211-1981-10-05-1 | ミャンマー | 1981年10月05日 | 1980年代 | 選挙委員会,96人の人民議会メンバーの当選を,発表。サンユー国家評議会書記,マウン・マウン・力首相ら当選。 |
DIA-211-1981-10-06-1 | ミャンマー | 1981年10月06日 | 1980年代 | 選挙委員会,135人の人民議会当選者発表。 |
DIA-211-1981-10-06-2 | ミャンマー | 1981年10月06日 | 1980年代 | ラオスのヌハク副首相ソ連からの帰途,ラングーン空港立寄り。Lay Maung 外相が歓迎。 |
DIA-211-1981-10-07-1 | ミャンマー | 1981年10月07日 | 1980年代 | 選挙委員会,73人の人民議会メンバー発表。 |
DIA-211-1981-10-07-2 | ミャンマー | 1981年10月07日 | 1980年代 | 81年度モデル労働者計画中央委,543人のモデル労働者を選出。 |
DIA-211-1981-10-08-1 | ミャンマー | 1981年10月08日 | 1980年代 | 選挙委員会,26人の人民議会メンバー発表。 |
DIA-211-1981-10-08-2 | ミャンマー | 1981年10月08日 | 1980年代 | 中国陸上競技チーム,ビルマ訪問。 |
DIA-211-1981-10-09-1 | ミャンマー | 1981年10月09日 | 1980年代 | 選挙委員会,15人の人民議会メンバー発表。 |
DIA-211-1981-10-10-1 | ミャンマー | 1981年10月10日 | 1980年代 | 選挙委員会,10人の人民議会メンバー発表。 |
DIA-211-1981-10-10-2 | ミャンマー | 1981年10月10日 | 1980年代 | マウン・マウン・力首相,サダト大統領の死でエジプト大使館を弔問。 |
DIA-211-1981-10-11-1 | ミャンマー | 1981年10月11日 | 1980年代 | 選挙委員会,人民議会当選者14人発表。 |
DIA-211-1981-10-11-2 | ミャンマー | 1981年10月11日 | 1980年代 | ラオ・インド外相,ビルマ訪問,Lay Maung 外相らと会談。 |
DIA-211-1981-10-12-1 | ミャンマー | 1981年10月12日 | 1980年代 | 選挙委員会,人民議会当選者48人発表。 |
DIA-211-1981-10-12-2 | ミャンマー | 1981年10月12日 | 1980年代 | ラオ,インド外相,マウン・マウン・力首相と会談。Lay Maung 外相主催夕食会出席。 ◆Hla Tun 建設相,小坂建設省次官と会見。 |
DIA-211-1981-10-12-3 | ミャンマー | 1981年10月12日 | 1980年代 | 国家評議会,第3期人民議会第1回会期を11月9日に招集すると布告。 |
DIA-211-1981-10-14-1 | ミャンマー | 1981年10月14日 | 1980年代 | 選挙委員会,人民議会当選者8名を発表。 |
DIA-211-1981-10-15-1 | ミャンマー | 1981年10月15日 | 1980年代 | Ngamoyeik クリークにかかる Thuwunna 橋建設工事起工式。この橋は日本援助で建設される。 |
DIA-211-1981-10-15-2 | ミャンマー | 1981年10月15日 | 1980年代 | 選挙委員会,人民議会当選者43人を発表。 |
DIA-211-1981-10-15-3 | ミャンマー | 1981年10月15日 | 1980年代 | ラオ・インド外相帰国。 |
DIA-211-1981-10-15-4 | ミャンマー | 1981年10月15日 | 1980年代 | 選挙委員会,人民議会当選者3名を発表。 |
DIA-211-1981-10-16-1 | ミャンマー | 1981年10月16日 | 1980年代 | 選挙委員会,人民議会当選者4名を発表。 |
DIA-211-1981-10-16-2 | ミャンマー | 1981年10月16日 | 1980年代 | メイミヨー,Anisakhanで鉱業省第3鉱業公社による第1鉄鋼プロジェクト・コンプレックス開業式。Kyaw Htin 国防相,Hla Tun 建設相,Than Tin 鉱業相ら出席。同プロジェクトはイタリアの援助により,外資1億2070万チャット,国内資本1億2090万チャットを使用して完成した。このプロジェクトの完成でビルマ自内の鉄鋼需要の半分以上が自給可能となる。 |
DIA-211-1981-10-17-1 | ミャンマー | 1981年10月17日 | 1980年代 | 国軍士官学校第22期卒業式。Kyaw Htin 国防相があいさつ。 |
DIA-211-1981-10-19-1 | ミャンマー | 1981年10月19日 | 1980年代 | 教育省主催で,アカデミック教育目的の英語教育に関するセミナー開催。 |
DIA-211-1981-10-20-1 | ミャンマー | 1981年10月20日 | 1980年代 | インド通商代表団,ビルマ訪問。 |
DIA-211-1981-10-22-1 | ミャンマー | 1981年10月22日 | 1980年代 | Bassein:第11軽歩兵連隊,前線より帰る。 |
DIA-211-1981-10-23-1 | ミャンマー | 1981年10月23日 | 1980年代 | インド通商代表団帰国。 |
DIA-211-1981-10-24-1 | ミャンマー | 1981年10月24日 | 1980年代 | Sagaing:西独援助でビルマ鉄道公社の鉄道技術学校開校。 |
DIA-211-1981-10-26-1 | ミャンマー | 1981年10月26日 | 1980年代 | 米政府AID,ビルマのメイズ・油脂作物生産計画に750万ドル贈与を協定。これは28カ郡における落花生,ゴマ,ひまわりなど油脂作物とメイズの生産増強のため肥料,農機具,農業訓練などを援助するもので,総額3000万ドルの計画の第一次資金となる。 |
DIA-211-1981-10-27-1 | ミャンマー | 1981年10月27日 | 1980年代 | ラオスのプーン外相,モスクワからの帰途,ラングーン空港に立寄り,Lay Maung 外相が歓迎。 |
DIA-211-1981-10-29-1 | ミャンマー | 1981年10月29日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,ラングーン市内の養蜂所を視察。サンユー国家評議会書記マウン・マウン・力首相ら同行。 |
DIA-211-1981-10-30-1 | ミャンマー | 1981年10月30日 | 1980年代 | ネーウィン大統領,保健省国産薬品部とオン・サン博物餌を視察。サンユー書記ら同行。 |
DIA-211-1981-10-30-2 | ミャンマー | 1981年10月30日 | 1980年代 | 日本政府,ビルマに農業,都市水供給計画,文化協力で30億5000万円贈与協定。 |
DIA-211-1981-10-31-1 | ミャンマー | 1981年10月31日 | 1980年代 | マウン・マウン・力首相,Tun Tin 計画・財政相,Kyaw Htin 国防相ら,ヘリコプターで,Kyanginセメント工場,Htantabin油田を視察。 |
DIA-211-1981-11-01-1 | ミャンマー | 1981年11月01日 | 1980年代 | Danubyu:郡区党および農民評議会等機関代表と64村区の銀行委員らは会合し,同郡で1113万チャットに達している農業ローンの回収策を検討した。 |
DIA-211-1981-11-02-1 | ミャンマー | 1981年11月02日 | 1980年代 | 第34回独立記念日および憲法記念日祝賀準備中央委結成。委員長は首相。2つの記念日には,政治目的として,国家の発展に憲法にもとづき努力すること,経済計画の達成に努力すること,破壊分子一掃への全労働人民の参加,が掲げられている。 |
DIA-211-1981-11-02-2 | ミャンマー | 1981年11月02日 | 1980年代 | 農林省・国防省共催第6回農業・畜産幹部訓練コース終了式。 |
DIA-211-1981-11-05-1 | ミャンマー | 1981年11月05日 | 1980年代 | 第2回農民評議会大会開催運営委第3回会議,Ye Goung 農林相ら出席。 |
DIA-211-1981-11-06-1 | ミャンマー | 1981年11月06日 | 1980年代 | 社会主義計画党中央委第3回会議開催。会議の冒頭でマウン・マウン・力首相が,ミャンマ石油公社が81年6~10月間に3つの新大油田を発見したと発表。新油田はHtantabin,Kyontani,Pagan-Tuyintaung 各油田で,可採埋蔵量は合計で,原油14億300万バレル,ガス1兆8780億立方フィート(石油換算3億1400万バレル)。なお既存油田の可採埋蔵総量は石油7億3800万バレル,ガス3兆2800億立方フィート(石油換算5億4600万バレル)。さらにイラワジ・デルタに35カ所の有望地点が発見されていると報告された。この発表後ネーウイン議長が,ビルマの石油資源の意義について演説した。 |
DIA-211-1981-11-07-1 | ミャンマー | 1981年11月07日 | 1980年代 | 第2回労働者評議会大会開催委第2次会議開催。マウン・マウン・力首相らが出席。 |
DIA-211-1981-11-08-1 | ミャンマー | 1981年11月08日 | 1980年代 | ビルマ社会主義計画党総書記兼国家評議会員のU Thaung Kyi(59歳),心臓病で急死。なお計画党第4回中央委員会を開催,同氏の後任に Aye Ko 党合同総書記を選出,合同総書記には Tin Oo 中央執行委員(准将)を選出した。 |
DIA-211-1981-11-09-1 | ミャンマー | 1981年11月09日 | 1980年代 | 第3期人民議会第1回会期開催。474議員出席。議会はまず国家評議会を選出,次に国家評議会メンバーの互選により国家評議会議長にU San Yn,同書記にU Aye Ko を選出した。人民議会がこの選出を認めたことにより,規定により,大統領はU San Yu となった。人民議会は,国家評議会が提出した17名の閣僚会議メンバーを承認した。同様に人民司法評議会(9人),人民検察評議会(6人),人民監査評議会(6人)を承認した。また各評議会は互選でその長を選出,首相にはマウン・マウン・力が再選された(資料参照)。 |
DIA-211-1981-11-10-1 | ミャンマー | 1981年11月10日 | 1980年代 | 人民議会第2日。国家防衛治安問題委員会の結成を承認。同委は首相を議長とし,国家評議会員Tin Oo 准将,U Zaw Win,U Sein Lwin,U Tha Kyaw と計画・財政相,内務・宗教相,国防相,外相からなる。 |
DIA-211-1981-11-10-2 | ミャンマー | 1981年11月10日 | 1980年代 | 国家評議会・各省副大臣発令(資料参照)。 |
DIA-211-1981-11-12-1 | ミャンマー | 1981年11月12日 | 1980年代 | 第3期人民議会第1回会期終了。 |
DIA-211-1981-11-13-1 | ミャンマー | 1981年11月13日 | 1980年代 | 社会主義計画党中央委第5回会議。中央執行委員欠員補充で,国軍副参謀長 Tun Yi 少将選出。 |
DIA-211-1981-11-14-1 | ミャンマー | 1981年11月14日 | 1980年代 | Ye Goung 農林相,FAO総会へ出席。 |
DIA-211-1981-11-15-1 | ミャンマー | 1981年11月15日 | 1980年代 | 国家僧侶会議第1期第6回会議。 |
DIA-211-1981-11-20-1 | ミャンマー | 1981年11月20日 | 1980年代 | 韓国,農業機械化局に60万チャット分の農業機械を贈与。 |
DIA-211-1981-11-20-2 | ミャンマー | 1981年11月20日 | 1980年代 | Ye Goung 農林相,FAO総会より帰国。 |
DIA-211-1981-11-21-1 | ミャンマー | 1981年11月21日 | 1980年代 | 第61回国家記念日。ラングーンなどで式典。今年の記念日の政治スローガンは,国家精神強化への努力経済目標達成への全労働者の集団的努力,全破壊勢力一掃への戦い,となっている。 |
DIA-211-1981-11-21-2 | ミャンマー | 1981年11月21日 | 1980年代 | 朝鮮民主主義入民共和国経済代表団到着。 |
DIA-211-1981-11-23-1 | ミャンマー | 1981年11月23日 | 1980年代 | 農林省・国防省共催,第9回農業・畜産幹部訓練コース開催。 |
DIA-211-1981-11-23-2 | ミャンマー | 1981年11月23日 | 1980年代 | Than Tin 鉱山相,北朝鮮経済代表団と会見。 |
DIA-211-1981-11-25-1 | ミャンマー | 1981年11月25日 | 1980年代 | 第2回農民評議会大会開催。1111人の代議員中1093人が出席。U Soe 議長代行が開会演説を行ない,農民評議会が農業生産向上,政治的安定,土地紛争など社会的間題の解決のために努力するよう要請した。また中央機関からの活動報告が提出された。 |
DIA-211-1981-11-25-2 | ミャンマー | 1981年11月25日 | 1980年代 | マウン・マウン・力首相藤岡アジア開銀頭取と会見。 |
DIA-211-1981-11-26-1 | ミャンマー | 1981年11月26日 | 1980年代 | 第2回農民評議会大会,第2日。 |
DIA-211-1981-11-27-1 | ミャンマー | 1981年11月27日 | 1980年代 | 第2回喪民評議会大会第3日。中央機関メンバーを選出。 |
DIA-211-1981-11-27-2 | ミャンマー | 1981年11月27日 | 1980年代 | 1980年国家文学賞授与式。 |
DIA-211-1981-11-28-1 | ミャンマー | 1981年11月28日 | 1980年代 | 農民評議会大会終了。U Ye Goung を議長とする中央執行委員会を選出。 |
DIA-211-1981-11-28-2 | ミャンマー | 1981年11月28日 | 1980年代 | ネーウィン計画党議長,サンユー大統領,チャイカサン広場の農業展示会視察。Aye Ko 計画党総書記,Tin Oo 合同書記,マウン・マウン・カ首相,Tun Tin副首相,Kyaw Htin 国防相らが同行した。 |
DIA-211-1981-12-30-1 | ミャンマー | 1981年12月30日 | 1980年代 | 第35回連邦記念日祝賀中央委会合。Aye Ko 議長 Tin Oo 副議長ら出席。 |
DIA-211-1981-12-30-2 | ミャンマー | 1981年12月30日 | 1980年代 | 道路輸送公社旅客サービス局は82年1月1日から,ラングーンーマンダレー間直行バスを往復各2便運行させる。運賃は片道1人55チャット。 |
DIA-211-1981-12-31-1 | ミャンマー | 1981年12月31日 | 1980年代 | 1979年と1980年の映画に対するビルマ映画アカデミー賞授与式。 |
DIA-211-1982-01-01-1 | ミャンマー | 1982年01月01日 | 1980年代 | Myanma宝石公社は,81年12月から82年12月までに,一般市民からの手持宝石の購入を行なって,合計550万3000チャットに達す。 |
DIA-211-1982-01-02-1 | ミャンマー | 1982年01月02日 | 1980年代 | 例年どおり,農民の田植農繁期を支援するため国軍兵士による援農特別作戦が行なわれており,ラングーン軍管区所属の第6銃撃大隊,チン銃撃大隊,第6連隊,第5師団訓練センター,第28海軍基地隊などが,農村に援農隊を派遣。 |
DIA-211-1982-01-02-2 | ミャンマー | 1982年01月02日 | 1980年代 | Kalaw郡Nandaing村で,付近の25部落から約2万人が集まって反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1982-01-03-1 | ミャンマー | 1982年01月03日 | 1980年代 | 国家評議会は今年の国家功労賞およびそのための叙勲者を発表した。勲1等国家功労賞授賞者は19名で,現計画党総書記のAye Ko退役中将,現外相のChitHlaing退役海軍少将,現運輸・通信相のThura Saw Pru退役空軍少将,現副首相のTun Tin少将などが含まれている。 |
DIA-211-1982-01-03-2 | ミャンマー | 1982年01月03日 | 1980年代 | ネーウィン計画党議長は,Kyaw Htin国防相,Ye Goung農林相,Maung Cho第2工業相,国防省情報局長 Kan Nyunt大佐などと共に,12月25日から1月3日まで,中央,南西,西部,北西各軍管区地域を視察。特にHtantabinなどの新油田や工業施設を中心に視察。 |
DIA-211-1982-01-04-1 | ミャンマー | 1982年01月04日 | 1980年代 | 第34回独立記念日。 |
DIA-211-1982-01-07-1 | ミャンマー | 1982年01月07日 | 1980年代 | 閣僚評議会経済調整委員会は,各州・各管区の人民評議会長と第4次4カ年計画を検討する調整会議を開催。 |
DIA-211-1982-01-07-2 | ミャンマー | 1982年01月07日 | 1980年代 | 北朝鮮人民軍音楽舞踊団が来訪,各地で公演して23日帰国。 |
DIA-211-1982-01-10-1 | ミャンマー | 1982年01月10日 | 1980年代 | カレン反乱軍の活動領域付近のKawparanとPa-an間の新道路(20マイル)が開通。 |
DIA-211-1982-01-10-2 | ミャンマー | 1982年01月10日 | 1980年代 | Magwe大学校長U Ko Ko Layを団長とする教育視察団がマレーシアに向け出発。 |
DIA-211-1982-01-11-1 | ミャンマー | 1982年01月11日 | 1980年代 | アメリカのD・L・ディカロ国務省次官とC・D・テイラー同省次官補は1月6日,ラングーンに到着。7日,内務省Bo Ni大佐と麻薬撲滅について会談,9日,10日と麻薬生産地帯のシャン州Monghsatやタウンジーなどを視察して,11日に帰国。 |
DIA-211-1982-01-13-1 | ミャンマー | 1982年01月13日 | 1980年代 | 日本の石油会社が石油開発に乗り出す―出光石油開発が中心となって,計12社の出資で,マルタバン沖の石油開発を行なうための新会社「ビルマ石油開発」が新設されることが発表された。新会社はMOCと探鉱開発事業契約を結び,マルタバン湾の大陸だなでの試掘2本を行なう予定で,成功した場合,日本側が産出油を優遇価格で引き取ることができるとしている。新会社は試掘に必要な費用約37億円をMOCに融資(返済10年)するとともに技術者派遣などで協力する。 |
DIA-211-1982-01-14-1 | ミャンマー | 1982年01月14日 | 1980年代 | タイ外相Siddi Sivetsila元帥が来訪,マウン・マウン・カ首相,Chit Hlaing外相と会見,この後サンユー大統領と会談した。16日帰国。 |
DIA-211-1982-01-15-1 | ミャンマー | 1982年01月15日 | 1980年代 | モーリシャス,コモロの両貿易相が来訪して,ビルマ米買付に調印。 |
DIA-211-1982-01-16-1 | ミャンマー | 1982年01月16日 | 1980年代 | サンユー大統領,Aye Ko国評総書記,Tin Oo計画党総合書記および国評メンバーのU Zaw Win,U Sein Lwin,Dr.Maung Maungまたマウン・マウン・カ首相ほか関係閣僚らはYwathagyiの農薬・畜産農場などの農業諸施設を視察。 |
DIA-211-1982-01-20-1 | ミャンマー | 1982年01月20日 | 1980年代 | Sein Tun協同組合相を団長とする視察団が,インドネシア,マレーシアを歴訪後帰国。視察団は両国で,協同組合活動や物資流通システムなどを視察。 |
DIA-211-1982-01-24-1 | ミャンマー | 1982年01月24日 | 1980年代 | タイの国境警察隊約1000人は空軍の応援を得て21日と24日シャン高原を中心として麻薬の運搬を手広く扱っているLoimaw派軍のBan Htai Tetのキャンプを襲撃。90人の反乱軍兵士が戦死。20㌧の弾薬,4000丁の武器を押収。国警隊側死者は17名,負傷41名。Loimaw派軍リーダーのクンサー(Khun Sa)ことChan Chin Phu はビルマ領内に逃れた。なお同派軍は国境付近に合計15カ所の麻薬精製工場を持っている。 |
DIA-211-1982-01-25-1 | ミャンマー | 1982年01月25日 | 1980年代 | Loimaw派軍100人の部隊は国境付近タイ領内のメーサイ(Maesai)の警察署とFarmers Bankを襲撃,45分間にわたってタイ警察軍と交戦。警官1名,市民4名が殺され,5台の車が焼失。同派軍は銀行から金を奪った後,山間地方に逃れた。この襲撃は,21日,24日のタイ国境警察隊の同派軍キャンプ襲撃に対する報復攻撃と思われる。この後タイ軍は同派軍を追跡したが,ビルマ領内に逃げ込んで,組織は温存されていると伝えられる。 |
DIA-211-1982-01-25-2 | ミャンマー | 1982年01月25日 | 1980年代 | Tamwe第2区からU Pyi Soe(畜産販売公社総裁),Mayangon第1区からU Hla Shweがそれぞれ補選で人民議会メンバーに選出された。 |
DIA-211-1982-01-26-1 | ミャンマー | 1982年01月26日 | 1980年代 | サンユー大統領はAye Ko国家評議会総書記,マウン・マウン・カ首相,Sein Lwin,Zaw Win両国評メンバー,Tun Tin副首相,Kyaw Htin国防相,Hla Tun建設相などを伴ってKyanginのセメント工場(日本の援助),Htantabin新油田などを視察。 |
DIA-211-1982-01-30-1 | ミャンマー | 1982年01月30日 | 1980年代 | サンユー大統領,Aye Ko国評総書記,Tin Oo党統合書記らは,建設中の新国会議事堂を視察。 |
DIA-211-1982-02-02-1 | ミャンマー | 1982年02月02日 | 1980年代 | 北朝鮮総理李鐘玉はインドネシア訪問の途中,特別機でラングーン空港に立寄り,空港でマウン・マウン・カ首相,Chit Hlaing 外相と会談。 |
DIA-211-1982-02-03-1 | ミャンマー | 1982年02月03日 | 1980年代 | チン州Matupi地区に電気が開通。 |
DIA-211-1982-02-03-2 | ミャンマー | 1982年02月03日 | 1980年代 | 日本政府は亜鉛鉄板(学校建設用など)購入用として10億円,消防機材(消防車を含む)購入用として9億2000万円のグラントを供与する旨,ビルマ政府と調印。 |
DIA-211-1982-02-06-1 | ミャンマー | 1982年02月06日 | 1980年代 | ネーウィン計画党議長は2月1日から6日まで,北西および中央軍管区内の油田,工場,ダムなどを視察した。同行者はKyaw Htin国防相,Ye Goung農林相,Tint Swe第1工業相,Maung Cho第2工業相,Kan Nyuut大佐などである。 |
DIA-211-1982-02-06-2 | ミャンマー | 1982年02月06日 | 1980年代 | Kyaukkyi郡Kawpyin村で,村民3500人が出席して反乱軍抗議集会を開いた。 |
DIA-211-1982-02-07-1 | ミャンマー | 1982年02月07日 | 1980年代 | バングラデシュ外務次官H.R.Choudhuryが来訪。国境画定間題について討議,10日に合意が成立した。 |
DIA-211-1982-02-08-1 | ミャンマー | 1982年02月08日 | 1980年代 | ネーウィン議長とサンユー大統領は宝石見本市展示場を視察。 |
DIA-211-1982-02-10-1 | ミャンマー | 1982年02月10日 | 1980年代 | ネーウィン議長とサンユー大統領はKyaikka-sanの連邦記念日中央式典会場を視察。 |
DIA-211-1982-02-11-1 | ミャンマー | 1982年02月11日 | 1980年代 | 第35回連邦記念日に向けて,サンユー大統領主催の晩さん会が開かれ,各地方代表者を招待,ネーウィン議長も出席した。また記念討論会がこの日開かれ,Aye Ko国評総書記が,「連邦の統一の重要性」を強調した。 |
DIA-211-1982-02-12-1 | ミャンマー | 1982年02月12日 | 1980年代 | 連邦記念日―第35回連邦記念日中央集会がKyaikkasan広場で開かれ,サンユー大統領の記念メッセージをTin Oo計画党統合書記が代読した。年々,この中央式典会場に設けられた各州・各管区の陣列館が華やかになって,即売会を行なう館もある。また夜間には各民族代表による舞踊会も開かれている。 |
DIA-211-1982-02-12-2 | ミャンマー | 1982年02月12日 | 1980年代 | モン州とカレン州をつなぐDonthami橋が完成。これはThatonから87マイルの地点にあり,1976年に着工されたもの。工費913万チャット,長さ600フィート,幅24フィート。 |
DIA-211-1982-02-16-1 | ミャンマー | 1982年02月16日 | 1980年代 | 日本政府はビルマ政府に対し,テレビ放送機材の購入用として,1億9700万円のグラント供与に調印した。 |
DIA-211-1982-02-19-1 | ミャンマー | 1982年02月19日 | 1980年代 | OPEC国際開発基金はビルマ政府に対し,米の高収量品種普及プロジェクトのための肥料輸入用として,1500万㌦の借款を供与した。無利子,年0.75%サービス・チャージ,5年据置,15年延払い。 |
DIA-211-1982-02-20-1 | ミャンマー | 1982年02月20日 | 1980年代 | シャン州で活動するChang Chee-Punに率いられるシャン州立軍(SSA)別名「麻薬叛乱軍」(約3500人)に対し,政府軍は3個大隊を投入して掃討作戦を行なっている。同派軍は,ビルマ共産党と共闘関係にあるといわれているが,麻薬取引については独自で行なっている。 |
DIA-211-1982-02-20-2 | ミャンマー | 1982年02月20日 | 1980年代 | ラングーン大学物理学部のDr.Soe Myint Winを団長とする教育視察団が,アメリカに向け出発。 |
DIA-211-1982-02-23-1 | ミャンマー | 1982年02月23日 | 1980年代 | バングラデシュのサッタル大統領が公式訪問―サンユー大統領らが出迎えた。サンユー大統領は就任後,初めて国賓を迎えた。同日,両大統領は正式会談。25日,帰国に先立って共同コミュニケが発表され,親善友好関係の強化が唱われた。 |
DIA-211-1982-02-23-2 | ミャンマー | 1982年02月23日 | 1980年代 | 中国,橋梁建設に援助―1980年7月に交わした総額1億元の援助(八つのプロジェクトに対する援助)に関する修正追加協定が,中国とビルマとの間で成立した。これは,現在調査が進んでいるRangoon-Syriam間のコンクリート橋建設用として振替えるというもの。 |
DIA-211-1982-02-24-1 | ミャンマー | 1982年02月24日 | 1980年代 | Thaton郡Theinseik村で,付近の村民1万人が集まって反乱軍に対する抗議集会を開いた。 |
DIA-211-1982-02-24-2 | ミャンマー | 1982年02月24日 | 1980年代 | 2月14日から開かれた宝石見本市で,合計535万9000㌦の売買契約が成立した。これには外国から合計239名の宝石商が参加した。なお売上げは昨年より170万㌦不足。 |
DIA-211-1982-02-25-1 | ミャンマー | 1982年02月25日 | 1980年代 | Kyaikto郡Kyaikto町内で1万5000人の住民が集まって反乱軍に対する抗議集会を開いた。また同日,Bilin郡Daungyat村でも5000人の村民が集まって,さらにHminpale村でも5000人の村民がそれぞれカレン反乱軍に対する抗議集会を開いた。 |
DIA-211-1982-03-02-1 | ミャンマー | 1982年03月02日 | 1980年代 | 農民の日を記念する集会が各地で開かれたが,今年から中央式典は中止となった。またこの日に,ネーウィン計画党議長は特別メッセージを寄せ,農民連合会(Peasant Asiayone)の役割を強調するとともに,農業生産の増大が国の発展に最重要であると指摘,また反乱分子の掃討に努力するよう要請した。 |
DIA-211-1982-03-05-1 | ミャンマー | 1982年03月05日 | 1980年代 | ザガイン管区YwathitkyiにあるAcademy for Development of National Groupsの今年の卒業生を迎えて,Aye Ko総書記主催の晩さん会が開かれた。ネーウィン議長,サンユー大統領,Tin Oo統合書記らが出席。 |
DIA-211-1982-03-08-1 | ミャンマー | 1982年03月08日 | 1980年代 | ネーウィン党議長の指示により,各レベル学校における英語教育の充実に応えるため,教員に対する英語研修コースが各地で始まった。 |
DIA-211-1982-03-11-1 | ミャンマー | 1982年03月11日 | 1980年代 | 第6回計画党中央委開催―第6回党中央委員会が開かれ,ネーウィン議長が出席。Aye Ko総書記が中央執行委レポートを提出し,中央委メンバーの補充選挙が行なわれ,Khin Maung Win大佐,Maung Maung 大佐,Maung Maung Khin大尉の3名が選ばれた。 |
DIA-211-1982-03-15-1 | ミャンマー | 1982年03月15日 | 1980年代 | 第3期第2回人民議会(予算)開会―通常予算議会といわれる第3期第2回人民議会が開かれ,サンユー国家評議会議長は経済問題について報告。このなかで,当議長は「わが国の経済状況はきわめて良好である。わが国には食糧と石油があり,恵まれている」と述べた後,「生産増加のための投資には,原則として自己資金を充てるべきである。これまでは自己資金が不十分であったから外国借款を利用せねばならなかった。しかし,今後外国借款を利用する場合は,投資便益が大きく,最短期間で効果があがり,輸出の増進に寄与するプロジェクトに投資が優先されねばならない」「国営企業は,できるだけ国内原材料を使用することが肝心である。国外の原材料に依存する企業は不安定となる」「もし,国営企業が外国借款を利用する場合は,利子および元本を定期的に返済できるという経済的にフィージブルであることが確認されなければならない」などと述べた。またマウン・マウン・カ首相は閣僚評議会報告を提出して,第4次4カ年計画の概要を説明した。 |
DIA-211-1982-03-15-2 | ミャンマー | 1982年03月15日 | 1980年代 | 教育省副大臣にU Hla Shwe(Mayangon 1区)が任命された。 |
DIA-211-1982-03-16-1 | ミャンマー | 1982年03月16日 | 1980年代 | 水利用税法―Ye Goung農林相は,81/82年度から新設された水利用税の円滑な徴収を図るため,従来の予算法に含まれたものから分離して,水利用税法を割定すべく法案を議会に提出した。水利用税は,81/82年度の場合,灌漑用水利用者にはエーカー当り3.20チャット,洪水防堤利用者にはエーカー当り1.67チャットがそれぞれ課せられたが,来年度からはそれぞれエーカー当り10チャットとチャットに引き上げる,としている。3月25日付で発効。 |
DIA-211-1982-03-22-1 | ミャンマー | 1982年03月22日 | 1980年代 | ネーウィン議長は国軍ホールで開かれている国軍記念日展示会を視察。サンユー大統領,Aye Ko総書記,Tin Oo統合書記,マウン・マウン・カ首相,Tun Tin副首相,Kyaw Htin国防相らが同行。 |
DIA-211-1982-03-23-1 | ミャンマー | 1982年03月23日 | 1980年代 | オーストラリアの副首相兼資源・外国貿易相MR.J.D.Anthonyが来訪,マウン・マウン・カ首相らと会見。25日帰国。 |
DIA-211-1982-03-23-2 | ミャンマー | 1982年03月23日 | 1980年代 | 第27回目の各協同組合と国営企業との一括売買交渉が,ラングーンのチャイカサン広場で始まった。これは協同組合が,独自に,各種国営企業との間で産物,製品の売買契約を行なうもの。 |
DIA-211-1982-03-25-1 | ミャンマー | 1982年03月25日 | 1980年代 | ネーウィン議長は農業祭展示会(Myepadethakyun)を視察。Aye Ko総書記,Tin Oo統合書記,マウン・マウン・カ首相,Kyaw Htin国防相,Ye Goung農林相らが同行。 |
DIA-211-1982-03-26-1 | ミャンマー | 1982年03月26日 | 1980年代 | 日本の無償援助で完成した「製薬研究開発センター」(ラングーン市ジョゴン)の引渡式が行なわれた。 |
DIA-211-1982-03-26-2 | ミャンマー | 1982年03月26日 | 1980年代 | 木材公社管轄の第2家具製造工場(ラングーン市アーロン地区)が操業を開始した。 |
DIA-211-1982-03-27-1 | ミャンマー | 1982年03月27日 | 1980年代 | 第37回国軍記念日―抗日戦線結成の日を記念する国軍記念日中央式典がレジスタンス・パークで行なわれ,Kyaw Htin国防相・国軍総参謀長が演説した。 |
DIA-211-1982-03-29-1 | ミャンマー | 1982年03月29日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相は,Kyaw Htin国防相,Tban Tin鉱業相らと Tavoyの錫精錬プラントなどを視察。 |
DIA-211-1982-03-29-2 | ミャンマー | 1982年03月29日 | 1980年代 | タイ副首相Prachuab Suntrakoon大将を団長とする代表団が来訪。Bo Ni内務・宗教相を中心とする国防・治安関係者と会談。30日にはマウン・マウン・カ首相と会談。 |
DIA-211-1982-04-01-1 | ミャンマー | 1982年04月01日 | 1980年代 | Kyaw Htin農林副大臣はPegu管区内の100の農村事業計画を視察。 |
DIA-211-1982-04-02-1 | ミャンマー | 1982年04月02日 | 1980年代 | オーストラリア政府は1981/82年度食糧援助計画に基づき3650㌧の小麦粉をビルマ政府に贈与した。 |
DIA-211-1982-04-08-1 | ミャンマー | 1982年04月08日 | 1980年代 | 計画党青年部(Lanzin Youth)中央組織委員会主催の第3回党青年部セミナーが開かれ,同委議長U Sein Tunが演説し,「党青年部は18歳以下を対象として,18歳になってから1年以上,党における役割を全うしたものは党員候補になることができる」などと述べた。 |
DIA-211-1982-04-10-1 | ミャンマー | 1982年04月10日 | 1980年代 | Chit Hlaing外相はタイ,シンガポール,インドネシア3国の外相からの招待により,3国を訪問するため出発。閣僚評議会書記U Hla Tintらが同行(4月21日まで)。 |
DIA-211-1982-04-10-2 | ミャンマー | 1982年04月10日 | 1980年代 | 4月の叙勲が発表され,Aung San Thuriya賞の1名を含む33名に,サンユー大統領自ら各賞を手渡した。 |
DIA-211-1982-04-12-1 | ミャンマー | 1982年04月12日 | 1980年代 | ネーウィン計画党議長はMaymyoの第1スポンジ鋼工場(イタリアの援助)と第3鉱石公社を視察した。同行者はDr.Maung Maung,Kyaw Htin国防相,国防省情報局長Kan Nyunt大佐らである。 |
DIA-211-1982-04-12-2 | ミャンマー | 1982年04月12日 | 1980年代 | 10日と11日の間にラングーン市内2カ所で大火。Hlaing郡で工場ら12棟を含む1188戸が消失,5723人が羅災。Mayangon郡では700戸が焼失,4095人が羅災した。13日に,マウン・マウン・カ首相とBo Ni内相が現場を視察。 |
DIA-211-1982-04-17-1 | ミャンマー | 1982年04月17日 | 1980年代 | ビルマ暦1344年正月(水祭り)。 |
DIA-211-1982-04-17-2 | ミャンマー | 1982年04月17日 | 1980年代 | インドネシアを訪問中のChit H1aing外相は同国のMactar Kusumatadza外相と会談の後,スハルト大統領を表敬訪問した。 |
DIA-211-1982-04-18-1 | ミャンマー | 1982年04月18日 | 1980年代 | 貿易省副大臣U Khin Maung Yiを団長とする代表団が,中国,日本を訪問して帰国(3月29日から)。日本ではマッペ5000㌧,雑豆(バタービーンズ・Suntani・Suntapya)3000㌧の輸出契約に調印。中国では米13万㌧の契約に調印した。 |
DIA-211-1982-04-18-2 | ミャンマー | 1982年04月18日 | 1980年代 | ペグー管区 Paukkhang 選出の人民議会議員U Tin Aye が死亡。 |
DIA-211-1982-04-19-1 | ミャンマー | 1982年04月19日 | 1980年代 | Tun Tin財務計画相と同副大臣Dr.Maung Sheinは来訪中のフィンランド国会議員団と会談。 |
DIA-211-1982-04-20-1 | ミャンマー | 1982年04月20日 | 1980年代 | 人民議会メンバーは3月の国会報告のため,各人各自の選挙区で説明会を開始した。 |
DIA-211-1982-04-20-2 | ミャンマー | 1982年04月20日 | 1980年代 | 国家評議会法務委員会議長Dr.Maung Maungは関係者を集めて市民権法草案を説明した。この草案は同日付の各新聞に掲載され,内務省を中心として,各地で説明会が催された。 |
DIA-211-1982-04-21-1 | ミャンマー | 1982年04月21日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相はKyaw Htin国防相とともにAhloneの木材公社所属家具製造工場を視察。 |
DIA-211-1982-04-22-1 | ミャンマー | 1982年04月22日 | 1980年代 | 韓国国会代表団Chong Won Min(国防委メンバー)団長らが来訪。人民議会代表としてU Saw Nay Wai Htoo らが出迎えた。 |
DIA-211-1982-04-22-2 | ミャンマー | 1982年04月22日 | 1980年代 | Than Tin鉱業相は鉱業省主催の第3次4カ年計画評価セミナーにおいて,鉱業開発について説明,同計画期間中に完成したプロジェクトを次のように述べた。(1)第1銅山開発(Monywa-Salingyi),(2)スポンジ鋼第1号工場(Maymyo-Anisakhan),(3)冶金研究開発センター(Pyimana-Ela),(4)Heinze Tin Vesselプロジェクト(Yebyu-Kanbaunk),(5)Heinze Tin Concentrationプラント(Yebyu-Kanbauk),(6)Base Tin Cocentrationプラント(Tovoy),(7)Refined Tin Productionプラント(Syriam),(8)Mineral Ore Crushing and Concentrationプラント(Namtu-Bawdwin)。 |
DIA-211-1982-04-22-3 | ミャンマー | 1982年04月22日 | 1980年代 | 来訪中のフィンランド代表団は,マンダレーでのコンデンス・ミルク製造プラントに対する資金供与を含む借款契約に調印。またこれに先立ち同代表団は,シャン州で同国の援助で建設中のZawgyiおよび Tatkyiの水力発電プロジェクトを視察した。 |
DIA-211-1982-04-24-1 | ミャンマー | 1982年04月24日 | 1980年代 | タイの国立防衛大学のWallop Junnapiya少将ら16人の代表団が19日来訪。国防関係教育訓練施設などを視察した(24日まで)。 |
DIA-211-1982-04-26-1 | ミャンマー | 1982年04月26日 | 1980年代 | Chit Hlaing外相は来訪中の韓国国会代表団と会見。 |
DIA-211-1982-04-28-1 | ミャンマー | 1982年04月28日 | 1980年代 | 農林・水産部門の81/82年度第4四半期間調整会議が開かれ,席上Ye Goung農林相は,「81/82年度の全郡高収量品種普及プロジェクトは,全国139郡で実施され,81/82年度には,さらに20作物についてこれを適用,計169郡で実施する計画である」と述べた。 |
DIA-211-1982-04-28-2 | ミャンマー | 1982年04月28日 | 1980年代 | Bo Ni内務・宗教相は,26日タボイに赴き,タボイとメルグイで「ビルマ市民権法」について住民に説明,また付近のオイル・パーム農場を視察した。 |
DIA-211-1982-04-30-1 | ミャンマー | 1982年04月30日 | 1980年代 | ビルマはチリと22日付で外交関係を樹立。 |
DIA-211-1982-04-30-2 | ミャンマー | 1982年04月30日 | 1980年代 | 第62回国軍士官訓練コースが終了,陸軍参謀長Tun Yi少将らが出席した。 |
DIA-211-1982-05-01-1 | ミャンマー | 1982年05月01日 | 1980年代 | ネーウィン計画党議長は,1982年の「労働者の日」記念中央集会にメッセージを送り,「ビルマ式社会主義建設に向けての労働者の役割および第4次4カ年計画を成功に導くための労働者の役割」を強調し,4カ年計画の主眼は「国営企業の生産機能の改善,自給体制の達成,輸出の促進である」と述べた。 |
DIA-211-1982-05-02-1 | ミャンマー | 1982年05月02日 | 1980年代 | 各地で人民議会メンバーによる「市民権法」草案の説明会と住民代表との質疑応答。 |
DIA-211-1982-05-03-1 | ミャンマー | 1982年05月03日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相は今年度の優良青少年(Luye Chuns)を晩さん会招待。 |
DIA-211-1982-05-05-1 | ミャンマー | 1982年05月05日 | 1980年代 | Bo Ni内務・宗教相はアラカン州Sittweで市民権法についての説明会に出席。 |
DIA-211-1982-05-05-2 | ミャンマー | 1982年05月05日 | 1980年代 | ラングーン市内をサイクロンが急襲,家屋の半壊,倒木など広範囲に被害。なおこのサイクロンは,イラワジデルタ地方も襲い農作物にも被害が出た。 |
DIA-211-1982-05-06-1 | ミャンマー | 1982年05月06日 | 1980年代 | 国家評議会メンバーなどを集めて,教育に関する特別セミナーが開かれ,サンユー大統領,Aye Ko総書記,Tin Oo統合書記らが出席。大統領は「いまや新しい教育制度を確立する必要がある」と述べ,教育の新制度導入を検討するよう要請した。 |
DIA-211-1982-05-09-1 | ミャンマー | 1982年05月09日 | 1980年代 | Kengtung郡Kettaung村で,1万人の住民が出席して反乱軍に対する抗議集会が開かれた。当地区では軍・民一体となって反乱軍の掃討努力が続けられて,黒色地域の白色化が進んでいる。 |
DIA-211-1982-05-12-1 | ミャンマー | 1982年05月12日 | 1980年代 | 新駐ベトナム大使にU Kyaw Thantを任命。 |
DIA-211-1982-05-12-2 | ミャンマー | 1982年05月12日 | 1980年代 | 偽味の素に警告―カレン州Myawaddyを経て,タイから密輸入されている「味の素」「味泰」「味王」などの調味料の一部製品に硝酸カリや塩化ナトリウムなどの混入物が発見され,食用に適さないと新聞などで公告された。また同時に,タイから密輸入されている“Parrot”印のキャンディーを食べた子供がめまいや吐き気をもよおし,検査の結果,硫黄混入物が認められたとして,食べないよう警告。 |
DIA-211-1982-05-14-1 | ミャンマー | 1982年05月14日 | 1980年代 | 計画党統合書記Tin Oo准将は11日から14日まで,自身の選挙区Mudon郡で,議会報告,「市民権法」草案の説明を行なった。またカチン州のミチナ,バーモでもSaw Pru運輸・通信相らが,同様の説明会を行なった。また13日から15日にかけては,各閣僚が選挙区に戻って同様の説明会を行なった。 |
DIA-211-1982-05-18-1 | ミャンマー | 1982年05月18日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相,Tun Tin副首相,Kyaw Htin国防相,Tint Swe第1工業相らはThamaingの第1工業省管轄下のエナメル加工第1工場(金属工業公社)を視察した。 |
DIA-211-1982-05-19-1 | ミャンマー | 1982年05月19日 | 1980年代 | 電力公社(第2工業省)は,世銀(IDA)より,7010万SDR(約8000万㌦)の融資を受けることになった。これは現有および建設中の発電所の変電システムおよび発電施設の増・改良工事用。詳細は次のとおり。(1)Kyunchaung,Mann,Prome,Myanaungの火力発電システムの相互接続施設。(2)Lawpita,Sedawgyi,Kindat(建設中),Paung-Laung,Baluchaung水力発電システムの相互接続施設,この工事により,全変圧容量は330メガ・アンペアーとなる。なお融資条件は10年据置,50年延払い,無利子,サービス・チャージ(年)0.5%~0.75%。 |
DIA-211-1982-05-19-2 | ミャンマー | 1982年05月19日 | 1980年代 | オランダのBemhard皇太子とその一行が来訪,Tint Swe第1工業省と会談(24日まで)。 |
DIA-211-1982-05-20-1 | ミャンマー | 1982年05月20日 | 1980年代 | 第1工業省の81/82年度生産活動報告会議が闘かれ,当年度の同省関係工業生産の目標達成率は105.3%であったと発表された。 |
DIA-211-1982-05-20-2 | ミャンマー | 1982年05月20日 | 1980年代 | ビルマ政府の招待により,タイの外務次官Dr.Amn Panupongが来訪(22日まで)。 |
DIA-211-1982-05-23-1 | ミャンマー | 1982年05月23日 | 1980年代 | Kyaw Nyein教育大臣を団長とする人民議会代表団4名は,西独政府の招待で同国訪問のため出発。 |
DIA-211-1982-05-23-2 | ミャンマー | 1982年05月23日 | 1980年代 | WHO会議(ジュネーブ)に出席したTun Wai保健相が帰国。Saw Pru運輸・通信相が出迎えた。 |
DIA-211-1982-05-24-1 | ミャンマー | 1982年05月24日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相,Tun Tin,Kyaw Htin両副首相,Sein Tun協組相,Saw Pru運輸・通信相,Tint Swe第1工業相,Maung Cho第2工業相,Hla Tun建設相,Than Tin鉱業相,Khin Maung Gyi貿易相らは,建設中の Pazundaing精米工場(100㌧)を視察。 |
DIA-211-1982-05-26-1 | ミャンマー | 1982年05月26日 | 1980年代 | 運輸・通信省は81/82年度同省活動報告および計画調整会議を開催。席上Saw Pru運輸・通信相は,81/82年度の成長率は運輸部門5.3%,通信部門16.4%であったと発表。 |
DIA-211-1982-05-29-1 | ミャンマー | 1982年05月29日 | 1980年代 | Hmawbiの陸軍士官訓練学校第13期生卒業式に出席した陸軍参謀長Tun Yi少将は「偉大な独立運動の勝利という伝統を誇るわが国軍将兵は,常に人民と手をとりながら国防と治安の責任を全うするよう」との訓辞を述べた。 |
DIA-211-1982-05-29-2 | ミャンマー | 1982年05月29日 | 1980年代 | ランスの対外貿易相Michel Jobert一行が来訪。マウン・マウン・カ首相,Tun Tin計画・財務相,Khin Maung Gyi貿易相らと会談した(~6月1日)。 |
DIA-211-1982-05-31-1 | ミャンマー | 1982年05月31日 | 1980年代 | シャン州Nawnghkioで当郡地域の治安維持を統轄するための統合キャンプを設置,その開所式が開かれ,8000人の村民が出席。これは計画党郡支部,郡人民評議会,民兵隊,駐留国軍部隊,人民警察隊の五つの組織をまとめて,同地区の治安維持に備えるもの。 |
DIA-211-1982-05-31-2 | ミャンマー | 1982年05月31日 | 1980年代 | 各州・管区の人民警察隊本部長を集めて,82年度第1四半期定例総会が開かれ,Bo Ni 内相,Thein Aung 人民警察隊長官,Hla Tin同副長官らが出席した。 |
DIA-211-1982-06-02-1 | ミャンマー | 1982年06月02日 | 1980年代 | 第3回仏教僧侶評議会中央作業委員会が開かれ,Bo Ni内務・宗教相も出席。 |
DIA-211-1982-06-03-1 | ミャンマー | 1982年06月03日 | 1980年代 | Hmawbiの農林省中央農場で,国内で開発した自動田植機のデモンストレーションが行なわれ,Kyaw Htain農林副大臣らが出席した。 |
DIA-211-1982-06-03-2 | ミャンマー | 1982年06月03日 | 1980年代 | チン族の国家評議会メンバーThakin Aung Min(64歳)が死亡。独立前はチン族代表として,ドーバマ・アシアヨンに加わり,1939年から42年まで獄中,その後BIAに参加。1945年から47年までチン・ヒルAFPFL書記。1948年に政界を引退後,62年まで農業に従事。62年からMindat郡農民評議会議長,革命評議会諮問委,憲法起草委メンバーを経て,第1期より人民議会メンバー(Matupi 1区)および国評メンバーとなった。 |
DIA-211-1982-06-04-1 | ミャンマー | 1982年06月04日 | 1980年代 | サンユー大統領は,マンダレー,ザガイン,マグウェ,ペグー各管区を訪れ,国営工場,油田試掘井などを視察(5月3日~),また各地区で人民評議会メンバーと会談。同行者は国評メンバーのU Sein Lwin,U Zaw Win,U Ba Thaw,U Tha Kyaw等。 |
DIA-211-1982-06-05-1 | ミャンマー | 1982年06月05日 | 1980年代 | ネーウィン議長は党執行部を集めて,在来の医薬の開発と普及を進めるよう指示。 |
DIA-211-1982-06-06-1 | ミャンマー | 1982年06月06日 | 1980年代 | 仏教僧侶に対する「称号」授与式が開かれた。秀れた功績を示した現役僧侶に対して,その栄誉を讃えるため,政府は各種の「称号」を与えることとして,このほど,“Abhidhaja Maha Rattha Guru”,“Agga Maha Pandita”の称号授与式が行なわれた。以後毎年行なわれることとなった。 |
DIA-211-1982-06-09-1 | ミャンマー | 1982年06月09日 | 1980年代 | 農林省は第4次4カ年計画期間中に,工芸用作物開発プロジェクトを推進すると発表。ジュート,砂糖キビなどが対象で,このためUNDPから184万3000㌦の援助(3年9月間)を受けるほか,農林省は特別予算1131万チャットを計上していることを明らかにした。 |
DIA-211-1982-06-10-1 | ミャンマー | 1982年06月10日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相は,Tun Tin,Kyaw Htin両副首相とともにPa-anに建設中のセメント工場(仏援助)とThaton建設中のゴム製品工場を視察。 |
DIA-211-1982-06-11-1 | ミャンマー | 1982年06月11日 | 1980年代 | ビルマ会計評議会法(1972年)に基づき,人民監察評議会は,6月9日付で,ビルマ会計評議会を再設置。 |
DIA-211-1982-06-15-1 | ミャンマー | 1982年06月15日 | 1980年代 | ラングーンで交通緩和特別作戦―ラングーン市内の交通手段の改善を図るための特別作戦Myinpyan”プロジェクトのPhase-Iが開始された。これはラッシュ・アワー時などで,特別に設置された監視委員によって交通整理や交通指導などを行なうもの。 |
DIA-211-1982-06-15-2 | ミャンマー | 1982年06月15日 | 1980年代 | 共産軍の投降相次ぐ―最近シャン高原でビルマ共産軍将兵の投降が増え出しており,5月26日には,BCP第4047旅団副司令官Kaw Leinとその部下10人,6月1日に,共産党政治将校Kham Lunと4人の部下,6月9日に,同軍小隊長Hla Shweが,それぞれ政府軍東部師団のLaikha駐屯地に投降した。これで4月1日から6月14日までのBCP投降者は合計67名となり,押収武器は69丁。なお計画党と人民評議会は協議の上,投降者の生命の安全を保障するための措置をとっている。 |
DIA-211-1982-06-16-1 | ミャンマー | 1982年06月16日 | 1980年代 | Kyaw Htain農林副大臣はジャカルタで開かれたFAOアジア・太平洋地域会議に出席して帰国。 |
DIA-211-1982-06-16-2 | ミャンマー | 1982年06月16日 | 1980年代 | Namtu郡Mongyin村で,村民,政府軍第4連隊兵士らが,BCP,KIA反乱軍の活動を批難する集会開催。 |
DIA-211-1982-06-17-1 | ミャンマー | 1982年06月17日 | 1980年代 | ハンガリー大統領来訪―ハンガリーのMadame Pal Losconczi大統領が公式訪問(21日まで)。 |
DIA-211-1982-06-21-1 | ミャンマー | 1982年06月21日 | 1980年代 | 政府税関局査察官はプローム市内の密輸品取引センターを急襲。衣料663ベール,自転車用チェーン1600本,雲母3699Vissなどの密輸品計2000万チャット相当を押収した。 |
DIA-211-1982-06-25-1 | ミャンマー | 1982年06月25日 | 1980年代 | Mawkmai村で,村民2390名が集まって反乱軍に対する抗議集会が開かれた。 |
DIA-211-1982-06-26-1 | ミャンマー | 1982年06月26日 | 1980年代 | アラカン州Buthidaung2区選出の入民議会メンバーU Hla Thanが死亡。 |
DIA-211-1982-06-28-1 | ミャンマー | 1982年06月28日 | 1980年代 | サンユー大統領はペグー管区を訪れ,党支部,人民評議会,軍組織委員会などの役員を集めて,現状の諸問題と政策について説明,質疑応答をした。同行者はThura U Min Thein,U Sein Lwin,U Zaw Win,U Khin Maung,U Van Kulhらの国評メンバーとKyaw Htin国防相,Ye Goung農林相,ラングーン軍管区司令部Myo Aung准将らである。 |
DIA-211-1982-06-28-2 | ミャンマー | 1982年06月28日 | 1980年代 | 元共産党員で1963年の和平交渉の際,ビルマ共産党代表団員であったThakin Thet Tin と Daw Khin Swe夫妻は交渉決裂後Thet Tinが北京へ,Khin Sweは党本部のあったペグー山中へそれぞれ戻った。その後Thet Tinは1967年にChaukで政府軍に投降,Khin Sweは1965年にイラワジ地区で捕われ,72年に恩赦で釈放となった。この夫妻には62年に北京で生まれた息子(Mang Sinh)があり,この息子は78年にビルマ共産党に加わり,今年6月15日にMong Yangの政府軍キャンプに投降,この日,政府の計らいで同地で両親と対面した。 |
DIA-211-1982-06-29-1 | ミャンマー | 1982年06月29日 | 1980年代 | J・H・ホルドリッジ米国国務省東アジア・太平洋担当国務次官補が来訪。30日にYe Goung農林相,Bo Ni内務・宗教相,Chit Hlaing外相らと会談(7月1日まで)。 |
DIA-211-1982-06-30-1 | ミャンマー | 1982年06月30日 | 1980年代 | 日本政府は,ビルマ政府に対し贈与計52億6000万円(82/83年度用)を供与するとの交換公文に調印した。内訳は次のとおり。テレビ放送網拡充17億3000万円,中央農業開発訓練センター19億1000万円,ラングーン総合病院設備16億2000万円。 |
DIA-211-1982-07-01-1 | ミャンマー | 1982年07月01日 | 1980年代 | 政府軍東部師団所属部隊と第66歩兵師団との特別混成攻撃部隊は,6月27日から7月1日まで,タイ・ビルマ国境Mong Hsat郡Loi Lan地域で,ビルマ共産軍部隊と7回にわたって戦闘,共産軍所有のヘロイン精製施設3個所を破壊,大量の生アヘン,ヘロインを押収,共産軍兵士4名戦死,2名を捕虜にしたと発表。 |
DIA-211-1982-07-02-1 | ミャンマー | 1982年07月02日 | 1980年代 | ネーウイン計画党議長は,行先を公表せず外国旅行に出発―なお同行者は,議長夫人,Kyaw Htin国防相,Maung Cbo第2工業相,Lay Maung人民検察評議会員らである。空港にはサンユー大統領らが見送った(なお議長一行は7月21日に帰国。この間西独などを訪問して,武器の買付交渉を行なったといわれている)。 |
DIA-211-1982-07-02-2 | ミャンマー | 1982年07月02日 | 1980年代 | 日本政府,円借供与―1982/83年度用の円借款として,総額345億2000万円を供与するむねの覚書が交換された。内訳は,(1)バルーチャン水力発電所拡張工事,(2)LPGプラント第2期工事分,(3)チャンギン・セメント工場用輸送力増強プロジェクト等のプロジェクト用に265億5000万円,また商品借款は,縫製工場用機械・設備,編物製品,安全ガラス,種馬,四プロ用部品・機械の購入用として79億8000万円である。 |
DIA-211-1982-07-02-3 | ミャンマー | 1982年07月02日 | 1980年代 | ビルマ初のカラープリント工場が操業開始。 |
DIA-211-1982-07-02-4 | ミャンマー | 1982年07月02日 | 1980年代 | PapunのMoeheinホールで,市民1000人および第19連隊将兵が出席して,反乱軍に対する抗議集会。 |
DIA-211-1982-07-06-1 | ミャンマー | 1982年07月06日 | 1980年代 | 第5回対ビルマ援助国会議一世銀主催による第5回援助国会議が東京で開かれ,日本,西独など12カ国,5機関が出席。ビルマ側はU Tun Tin財務・計画相らが出席、席上日本政府は合計402億円の円借款供与をプレッジした。 |
DIA-211-1982-07-07-1 | ミャンマー | 1982年07月07日 | 1980年代 | U Chit Hlaing外相は,中国,北朝鮮を公式訪問するため出発。U Aung Htay情報省副大臣ら同行。 |
DIA-211-1982-07-08-1 | ミャンマー | 1982年07月08日 | 1980年代 | ビルマ政府,パナマ政府と外交関係樹立(7月15日発効)。 |
DIA-211-1982-07-09-1 | ミャンマー | 1982年07月09日 | 1980年代 | U Chit Hlaing外相平壌に到着。許副総理兼外相らが出迎えた。この日両外相が会談。 |
DIA-211-1982-07-09-2 | ミャンマー | 1982年07月09日 | 1980年代 | U Hla Pe文化省副大臣が辞任。 |
DIA-211-1982-07-11-1 | ミャンマー | 1982年07月11日 | 1980年代 | U Chit Hlaing外相,金日成主席と会談。 |
DIA-211-1982-07-12-1 | ミャンマー | 1982年07月12日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相はU Ye Goung農林相らと,Phugyi貯水池改良計画の現状を視察した。 |
DIA-211-1982-07-12-2 | ミャンマー | 1982年07月12日 | 1980年代 | ベトナムのDr.Tong Tran Daq農林副大臣を団長とする農業ミッションが来訪。13日にU Ye Goung農林相と会見(24日に帰国)。 |
DIA-211-1982-07-13-1 | ミャンマー | 1982年07月13日 | 1980年代 | U Chit Hlaing外相は北朝鮮訪問の公式日程を終え,北京に到着,同日黄華外相と会談した。 |
DIA-211-1982-07-16-1 | ミャンマー | 1982年07月16日 | 1980年代 | 北京を訪問中のU Chit Hlaing外相は,鄧小平副主席,趙紫陽首相らと会談。 |
DIA-211-1982-07-18-1 | ミャンマー | 1982年07月18日 | 1980年代 | U Chit Hlaing外相一行は,北朝鮮,中国の公式訪問を終えて帰国,首相らが出迎えた。 |
DIA-211-1982-07-19-1 | ミャンマー | 1982年07月19日 | 1980年代 | 第35回殉難者の日(Arzani Day)―アウン・サン廟ではマウン・マウン・カ首相,アウン・サン未亡人のDaw Khin Kyiらが花輪を献げ,黙とうした。 |
DIA-211-1982-07-19-2 | ミャンマー | 1982年07月19日 | 1980年代 | オーストリア外相Dr.Willibald P.Pahsが来訪,U Chi Hlaing外相と会談。21日には,大統領および首相らと会談。 |
DIA-211-1982-07-20-1 | ミャンマー | 1982年07月20日 | 1980年代 | 人民議会メンバー(Pabedan郡選出),人民司法評議会議長,在郷軍人会議長のU Mounmoun Kyaw Winn(国家功労賞―1等)が死亡。同氏は1962年まで国軍の軍務局長,その後駐中国大使などを経て,1971年に准将で退役,74年からは人民議会メンバー。 |
DIA-211-1982-07-21-1 | ミャンマー | 1982年07月21日 | 1980年代 | Laikha郡Myoma村の村民4700人が反乱軍に対する抗議集会。 |
DIA-211-1982-07-21-2 | ミャンマー | 1982年07月21日 | 1980年代 | ベトナム外相グエン・コ・タクが来訪。これはU Chit Hlaing外相の招待による公式訪問。 |
DIA-211-1982-07-23-1 | ミャンマー | 1982年07月23日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相は来訪中のグエン・コ・タクベトナム外相一行と会談,同外相は24日にサンユー大統領と会見(25日に帰国)。 |
DIA-211-1982-07-24-1 | ミャンマー | 1982年07月24日 | 1980年代 | 日本政府招待による新聞記者団(団長U Khin Maung Aye新聞・出版物公社総裁)5名が日本を訪問,(2週間滞在)。NHK,朝日新聞社,アジア経済研究所等を視察。 |
DIA-211-1982-07-29-1 | ミャンマー | 1982年07月29日 | 1980年代 | War Vetrans Organization(在郷軍人会)第3回中央委員会が開かれ,ネーウィン計画党議長は大統領辞職後,初めて公式の場で演説した。内容はビルマ国軍の誕生と歴史について。 |
DIA-211-1982-08-04-1 | ミャンマー | 1982年08月04日 | 1980年代 | 中国対外経済関係・貿易部次官Jia Shiを団長とする中国貿易代表団が来訪。8月5日にU Khin Maung Gyi貿易相と会談。 |
DIA-211-1982-08-04-2 | ミャンマー | 1982年08月04日 | 1980年代 | 40人から成るビルマ政府派遣文化使節団が中国訪問。 |
DIA-211-1982-08-06-1 | ミャンマー | 1982年08月06日 | 1980年代 | Than Tin鉱山相,同省副大臣U Myo MyintらはSyriamに建設中の錫精錬プラントを視察。 |
DIA-211-1982-08-06-2 | ミャンマー | 1982年08月06日 | 1980年代 | イギリス政府はガスタービン発電機3台およびその関連機材購入用として220万ボンドのグラント供与のためビルマ政府とENに調印。 |
DIA-211-1982-08-11-1 | ミャンマー | 1982年08月11日 | 1980年代 | 情報文化相U Aung Kyaw Myintを団長とする文化使節団が中国と北朝鮮を訪問するため出発(9月1日まで)。 |
DIA-211-1982-08-11-2 | ミャンマー | 1982年08月11日 | 1980年代 | U Bo Ni内務・宗教相は駐ビルマ中国大使と会談。 |
DIA-211-1982-08-12-1 | ミャンマー | 1982年08月12日 | 1980年代 | ビルマ航空のマンダレー発Kyauktu行きのTwin Otter機が悪天候のためMindat近郊山間部で墜落,乗客・乗員計8名死亡。 |
DIA-211-1982-08-14-1 | ミャンマー | 1982年08月14日 | 1980年代 | 中央政治科学院で第9回計画党青年部の地方メンバーに対するリーダー訓練コースの終了式。中央組織委議長U Sein Tunが「生産向上のために集団の力を活用しよう」と述べた。 |
DIA-211-1982-08-16-1 | ミャンマー | 1982年08月16日 | 1980年代 | 駐バングラ大使にU Thein Hanを任命。 |
DIA-211-1982-08-17-1 | ミャンマー | 1982年08月17日 | 1980年代 | 密輸摘発―税関局は,82/83年度第1四半期の密輸摘発状況について発表。この間4575件を摘発,2400万チャット相当の物資を押収。このうち,密輸取締法に基づいて,摘発に加わった政府職員に計11万3496チャット,民間の情報提供者に計39万7637チャットが報奨として支払われた。 |
DIA-211-1982-08-19-1 | ミャンマー | 1982年08月19日 | 1980年代 | Nawnghkio郡Pinti村で,計画党支部,人民評議会の主催する反乱軍抗議集会が開かれ,付近の57個村から5000人の村民が集まり,SSA軍の破壊活動に抗議した。 |
DIA-211-1982-08-21-1 | ミャンマー | 1982年08月21日 | 1980年代 | U Khin Maung Gyi貿易相はU Khin Maung Yi同省副大臣,U Soe農民連合会中央委議長,AFPTC総裁Nyunt Swe大佐らと,ラングーン,ペグー管区内の米倉庫および精米所を視察。 |
DIA-211-1982-08-22-1 | ミャンマー | 1982年08月22日 | 1980年代 | Mongmit郡Mobon村で,村民2500人がBCPへの抗議集会。 |
DIA-211-1982-08-23-1 | ミャンマー | 1982年08月23日 | 1980年代 | U Bo Ni内務・宗教相を団長とする代表団は,マンダレー給水プロジェクトに関するアジア開発銀行との調整打合せのためマニラに向った。 |
DIA-211-1982-08-24-1 | ミャンマー | 1982年08月24日 | 1980年代 | 西独援助―西独政府はビルマ政府に対し,1982/83年度分の経済協力協定に調印。内訳はつぎのとおり。 (1)プロジェクト借款:1億700万マルク,Yenwe多目的ダムプロジェクト(発電分),Phaungdaw水力発電所など6プロジェクト。(2)商品借款:2000万マルク,ボードウィン鉱山拡張工事などの機材。(3)贈与:945万マルク,農村給水計画など。なお借款条件は10年据置,50年延払い,年利0.75%, |
DIA-211-1982-08-25-1 | ミャンマー | 1982年08月25日 | 1980年代 | U Win Htain鉱山省副大臣と8人のメンバーは北朝鮮に向け出発。鉱山,精錬,選鉱施設等を視察のため。 |
DIA-211-1982-08-25-2 | ミャンマー | 1982年08月25日 | 1980年代 | U Chit Hlaing外相の招待によるシンガポールのダナバラン外相が来訪。8月26日にマウン・マウン・カ首相と会談。 |
DIA-211-1982-08-27-1 | ミャンマー | 1982年08月27日 | 1980年代 | シンガポールのダナバラン外相はサンユー大統領,Aye Ko国評書記長,Tin Oo計画党副総書記らと会見(この日帰国)。 |
DIA-211-1982-08-27-2 | ミャンマー | 1982年08月27日 | 1980年代 | U Win Htein鉱山省副大臣を団長とする鉱業代表団は平壌を訪問(9月15日まで)。 |
DIA-211-1982-08-28-1 | ミャンマー | 1982年08月28日 | 1980年代 | Bhamo市内で反乱軍に対する抗議集会,3万人の住民が出席。席上,KIA投降兵を代表してLaphai Zau Phanが,「私は6年間,KIAに参加していたが,KIAは住民を殺りくし,略奪の限りを尽している。罪を償うために,これからはKIAの全滅まで皆さんとともに闘うことを誓う」と演説した。 |
DIA-211-1982-08-30-1 | ミャンマー | 1982年08月30日 | 1980年代 | ラングーン管区Pabedan郡の人民議会補選が行なわれ,U Myo Htun Lynnが選ばれた。 |
DIA-211-1982-08-31-1 | ミャンマー | 1982年08月31日 | 1980年代 | ビルマ赤十字評議会メンバーU Kyee MyintとDr.K.Khin Hlaingはソ連赤十字の招待による視察旅行より帰国。 |
DIA-211-1982-09-01-1 | ミャンマー | 1982年09月01日 | 1980年代 | ビルマはブラジルと外交関係を樹立。 |
DIA-211-1982-09-03-1 | ミャンマー | 1982年09月03日 | 1980年代 | 貿易省副大臣U Ba Hlaはモールメンに建設中の国営デパートを視察。 |
DIA-211-1982-09-04-1 | ミャンマー | 1982年09月04日 | 1980年代 | Laikbaで第64連隊主催の反乱軍に対する抗議集会が開かれ,6500人の村民が出席。投降した反乱軍兵士が住民に謝罪した。 |
DIA-211-1982-09-04-2 | ミャンマー | 1982年09月04日 | 1980年代 | シャン州党地方委員会メンバーは,Panglong郡Warli村で,最近投降したBCPメンバーAi Yi Ekらと会談,BCPの活動状況などを聴取。 |
DIA-211-1982-09-04-3 | ミャンマー | 1982年09月04日 | 1980年代 | 6月23日付で辞職願を提出していた人民議会Kehsi郡のU Sai Wunnaの辞職が認められた。 |
DIA-211-1982-09-04-4 | ミャンマー | 1982年09月04日 | 1980年代 | 自民党の小沢辰男代議士を団長とする日本・ビルマ友好議員連盟代表団一行5名が来訪。人民議会メンバーU Saw Nay Wai Htooらが出迎えた。 |
DIA-211-1982-09-04-5 | ミャンマー | 1982年09月04日 | 1980年代 | 国軍下士官第10期訓練コースが終了。陸軍参謀長Tun Yi中将は卒業生に対し,「国軍は国民とともに反乱軍の掃討にいっそうの努力をしなければならない」などの訓辞を述べた。 |
DIA-211-1982-09-07-1 | ミャンマー | 1982年09月07日 | 1980年代 | 人民議会Buthidaung2区の補選でDr.Aye Tunが選ばれた。 |
DIA-211-1982-09-08-1 | ミャンマー | 1982年09月08日 | 1980年代 | 来訪中の日本・ビルマ友好議員連盟代表団はU Chit Hlaing外相と会談。 |
DIA-211-1982-09-08-2 | ミャンマー | 1982年09月08日 | 1980年代 | 人民議会ザガイン管区Wetlet 1区の補選でCol Aung Khinが選ばれた。 |
DIA-211-1982-09-08-3 | ミャンマー | 1982年09月08日 | 1980年代 | 米価,2年間据置き―貿易省は布告第1号/82を出し,今年度産米の政府買上げ価格を発表。これによると各等級,品種ともに,昨年度に引き続き据置いた。80年9月に平均6%引上げて以来,2年間据置かれることとなった。なお,生産者の販売手続きおよび規則は例年どおり,したがって171郡の生産者はAFPTCにだけ販売でき,その他の地区では,余剰米のみにつき,居住郡内に限って自由販売できる。 |
DIA-211-1982-09-09-1 | ミャンマー | 1982年09月09日 | 1980年代 | ハチみつからの加工食品,医薬品を生産する技術を視察するためにDr.Tin Ooを団長とする6名の代表団が中国に向け出発。 |
DIA-211-1982-09-11-1 | ミャンマー | 1982年09月11日 | 1980年代 | インド国防大学の学生視案団が来訪。 |
DIA-211-1982-09-13-1 | ミャンマー | 1982年09月13日 | 1980年代 | Mong Yangで付近の63カ村から3600名が集まって,反乱軍に対する抗議集会。 |
DIA-211-1982-09-13-2 | ミャンマー | 1982年09月13日 | 1980年代 | イギリスの農水・食糧担当相Lord Ferrersが来訪。Ye Goung農林相,U Khin Maung Gyi貿易相らと会談(18日帰国)。 |
DIA-211-1982-09-14-1 | ミャンマー | 1982年09月14日 | 1980年代 | 第7回中央協同組合評議会が,ラングーンのチャイカサン広場で開かれ,協組相兼中央協組評議長U Sein Tunが基調報告を行なった。 |
DIA-211-1982-09-19-1 | ミャンマー | 1982年09月19日 | 1980年代 | U Chit Hlaing外相は英国外相の招待により英国訪問のため出発,陸軍参謀長Tun Yi中将らが同行。 |
DIA-211-1982-09-19-2 | ミャンマー | 1982年09月19日 | 1980年代 | Mong Kungで付近の村民7000人が出席してBCPに対する抗議集会。投降兵士が謝罪。 |
DIA-211-1982-09-20-1 | ミャンマー | 1982年09月20日 | 1980年代 | UNICEFは第4次4カ年期間中に,3億700万㌦および追加計画用に1億8600万㌦の援助を供与するむね,ビルマ政府と調印。これは婦人・子供の保健,給水,衛生,初等教育,ライ病対策等の計画に供与される。 |
DIA-211-1982-09-23-1 | ミャンマー | 1982年09月23日 | 1980年代 | U Than Tin鉱山大臣は22日から23日まで,ミチナなどカチン州内の鉱山を視察。 |
DIA-211-1982-09-23-2 | ミャンマー | 1982年09月23日 | 1980年代 | 英国を公式訪問中のU Chit Hlaing外相はロンドンでピム外相と会談。 |
DIA-211-1982-09-25-1 | ミャンマー | 1982年09月25日 | 1980年代 | Meiktilaの第1空軍パイロット訓練学校での第43期卒業式に,空軍参諜長Ko Gyi少将が出席。 |
DIA-211-1982-09-25-2 | ミャンマー | 1982年09月25日 | 1980年代 | カチン州Mogaung郡Namti村で1万人の村民が出席して,麻薬撲滅のためのデモ行進,集会が行なわれた。 |
DIA-211-1982-09-26-1 | ミャンマー | 1982年09月26日 | 1980年代 | ラングーン市内の環境改善のための特別計画Galonプロジェクトは今年も9月から開始され,各郡単位で奉仕活動が続けられ,党青年部,警察隊などの動員もあって,清掃作業が各地で進んでいる。 |
DIA-211-1982-09-28-1 | ミャンマー | 1982年09月28日 | 1980年代 | Pya Gehaの販売センターがMyepadetbaで1O月1日から開設,オープンすることとなった。Pya Gehaは麻薬撲滅運動の一環として,転作のための養蜂を指導育成するため内務省が設置した訓練センター。なおセンターでは畜産販売公社で生産されているとり肉,ナピーなどが販売される。 |
DIA-211-1982-09-28-2 | ミャンマー | 1982年09月28日 | 1980年代 | KNU反乱軍,ラングーンを襲う―KNU第7旅団第20大隊所属Thaw Thi少尉ことMabu Ngwe Aungに率いられた5名のカレン反乱軍が,M-72,M-29ロケット砲などで武装して,夜9時,ラングーン市内のビルマ放送局,Kamayut警察署などを急襲。早朝まで何度か政府軍と銃撃戦を交え,反乱軍2名が死亡,3名を捕えた。警官2名が死亡した。なおNgwe Aungは1977年のアラカン州分離陰謀計画事件で死刑の判決を受けていたが,80年の恩赦で釈放された元計画党員。 |
DIA-211-1982-09-29-1 | ミャンマー | 1982年09月29日 | 1980年代 | 情報省放送局長U Tin Aung Tunを団長とする放送・テレビ視察団が,中国と北朝鮮を訪問するため出発(10月16日まで)。 |
DIA-211-1982-09-29-2 | ミャンマー | 1982年09月29日 | 1980年代 | Khesiで第773戦術部隊兵士や約3000人の住民がBCPに対する抗議集会,投降兵士が謝罪。 |
DIA-211-1982-09-30-1 | ミャンマー | 1982年09月30日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相はTun Tin,Kyaw Htin両副首相らとPegu管区Daik-Uの食料加工コンプレックスなどを視察。 |
DIA-211-1982-10-02-1 | ミャンマー | 1982年10月02日 | 1980年代 | NIB(国家情報局)情報戦術司令官にU Thein Toeが,1年間の試用期間を経て任命された。 |
DIA-211-1982-10-05-1 | ミャンマー | 1982年10月05日 | 1980年代 | U Chit Hlaing外相は第37回国連総会に出席して一般演説を行なった。 |
DIA-211-1982-10-07-1 | ミャンマー | 1982年10月07日 | 1980年代 | 上ビルマを中心として油料作物が不作であったために,食料油の不足が深刻になってきて,政府は緊急に輸入手当てを行なった。この度第2船が到着。 |
DIA-211-1982-10-08-1 | ミャンマー | 1982年10月08日 | 1980年代 | 計画党第7回中央委員会が開かれ,ネーウィン議長が基調演説を行ない,「市民権法」についての考え方,その背景について述べ,早期に制定することを要請した。 |
DIA-211-1982-10-08-2 | ミャンマー | 1982年10月08日 | 1980年代 | Mansiで1000人の住民が出席して,反乱軍に対する抗議集会。 |
DIA-211-1982-10-09-1 | ミャンマー | 1982年10月09日 | 1980年代 | U Chit Hlaing外相は国連総会出席の帰途,韓国を公式訪問。10月12日に,ソウルで全斗煥大統領と会談した。 |
DIA-211-1982-10-09-2 | ミャンマー | 1982年10月09日 | 1980年代 | 週休2日制―計画党は公務員および国営企業職員を対象に週休2日制(土曜,日曜)を導入することを決定,議会で検討することを指示した。この決定を受けて11日に開かれた人民議会でこれを決定して,閣僚評議会布告第4/82号を発令(10月11日付)した。これによると1日の労働時間を事務職員7時間,現場労働者8時間として,土曜,日曜を休日にすることとした。なお国防省はこの適用から除外された。 |
DIA-211-1982-10-11-1 | ミャンマー | 1982年10月11日 | 1980年代 | 人民議会―第3期第3回人民議会が開会,国家評議会,閣僚評議会,司法評議会の各基調報告が提出された。閣僚評議会報告では,今年度の輸出目標は42億5000万チャットと設定しているが,これまでのところ不振であることを表明,経済調整委員会が,輸出可能産品の輸出実現に努力するよう関係省庁,国営企業に指示したことを明らかにした。また農業については米の生産は平年並は確保できるとの見通し,石油は,消費量が増大したため,開発がさらに必要となったことなどが指摘された。 |
DIA-211-1982-10-13-1 | ミャンマー | 1982年10月13日 | 1980年代 | U Chit Hlaing外相は韓国での公式訪問を終えて,日本を公式訪問,15日に桜内外相と会談した。 |
DIA-211-1982-10-15-1 | ミャンマー | 1982年10月15日 | 1980年代 | 「市民権法」制定―人民議会5日目にU Bo Ni内務・宗教相は「ビルマ市民権法」(Burma Citizenship Law)を説明,質疑応答の後,原案どおり可決され,15日付で国家評議会議長が発布した。この法律は1976年に第1次草案が発表された後,今日まで全国レベルで説明会を開いて,修正を重ねて第4次草案が国会に提出されたもの。これによると市民のタイプを,(1)市民(citizen),(2)準市民(associate citizen),(3)帰化市民(naturalized citizen)と三つに分けて,それぞれ血の濃さによって区分した。 |
DIA-211-1982-10-15-2 | ミャンマー | 1982年10月15日 | 1980年代 | Hsihsen郡Nawngyindon村でPadaung族,Pa-O族が,またHsenwin郡Nam-hsalat村では村民2000人が,Mogaungでは7000人の住民が,Shwegu郡Sitha村で1500人が,同郡Lan Ku村で1000人が,それぞれ出席して反乱軍に対する抗議集会が開かれた。 |
DIA-211-1982-10-20-1 | ミャンマー | 1982年10月20日 | 1980年代 | 麻薬撲滅計画の一環として,政府が麻薬中毒患者の厚生と社会復帰を援助する目的で設立した農業畜産センターが,プローム郡Wetliganでオープン。 |
DIA-211-1982-10-21-1 | ミャンマー | 1982年10月21日 | 1980年代 | モールメンのMyomatada通りで,国営百貨店がオープン。 |
DIA-211-1982-10-23-1 | ミャンマー | 1982年10月23日 | 1980年代 | 1981/82年度の模範労働者と最優秀社会主義労働者が発表された。模範労働者は国営の365工場計20万4247人の労働者のなかからⅠ等級からⅢ等級まで,合計569名が選ばれ,このうちⅠ等級の57名(うち婦人5名)が,最優秀社会主義労働者として選ばれた。 |
DIA-211-1982-10-23-2 | ミャンマー | 1982年10月23日 | 1980年代 | チェコのPavol Bahyl 一般機械相が来訪,Maung Cho第2工業相,また27日にはマウン・マウン・カ首相と会談(6日間)。 |
DIA-211-1982-10-23-3 | ミャンマー | 1982年10月23日 | 1980年代 | アメリカ国務省極東太平洋担当ダニエル次官補が来訪,26日帰国するまで,ビルマ政府関係閣僚と麻薬コントロールについて意見交換した。 |
DIA-211-1982-10-27-1 | ミャンマー | 1982年10月27日 | 1980年代 | 副首相兼国防相Kyaw Htin大将は軍幹部とともに,25日から27日まで東部軍管区地域の前線などを視察した。 |
DIA-211-1982-10-30-1 | ミャンマー | 1982年10月30日 | 1980年代 | カレン州Hlaingbwe郡で文盲撲滅運動を終了した記念集会が開かれた。 |
DIA-211-1982-11-01-1 | ミャンマー | 1982年11月01日 | 1980年代 | ネーウィン議長は10月30日から11月1日までプローム地区を視察,地区党員とのこん談会で,農村エネルギーの確保にバイオ・ガスの生産を勧めたいと指示した。 |
DIA-211-1982-11-03-1 | ミャンマー | 1982年11月03日 | 1980年代 | ラオスのスファヌボン大統領はモスクワ訪問の途中,ラングーンに1時間立寄り,空港でマウン・マウン・カ首相と会談した。 |
DIA-211-1982-11-05-1 | ミャンマー | 1982年11月05日 | 1980年代 | アメリカのE・K・ロウソン商務担当国務次官補が来訪,U Tun Tin財務・計画相,Maung Cho 第2工業相らと会談(7日まで)。 |
DIA-211-1982-11-06-1 | ミャンマー | 1982年11月06日 | 1980年代 | Than Tin鉱山相とWin Htain同省副大臣は3日から6日まで,アラカン山中の地質調査現場を視察。 |
DIA-211-1982-11-07-1 | ミャンマー | 1982年11月07日 | 1980年代 | ネパールのB.M.Singb Karki国王直選元老院議長がバンコク訪問の途中,空港に立寄り,U Tin Ohn外務省副大臣と会談。 |
DIA-211-1982-11-07-2 | ミャンマー | 1982年11月07日 | 1980年代 | 第27回カレン州記念日の中央式典がPa-Anのカレン州人民評議会ホールで開かれ,1万人の住民が参加。 |
DIA-211-1982-11-09-1 | ミャンマー | 1982年11月09日 | 1980年代 | ネーウィン計画党議長は7日から9日まで,南東軍管区域内の工場などを視察,Tin Oo准将,Kyaw Htin国防相,Sein Tun協組相,Maung Cho第2工業相らが同行。 |
DIA-211-1982-11-09-2 | ミャンマー | 1982年11月09日 | 1980年代 | 日本の円借―1982/83年度の対ビルマ円借款供与協定の調印が行なわれた。総額402億5400万円,内訳はプロジェクト借款333億5400万円,商品借款69億円(四プロ用)。プロジェクトは,(1)鉄道近代化Pbase-I,(2)LPGプラントPhase-Ⅱ,(3)Yedashe精糖工場,(4)Ywama製鋼場改良,(5)近代精米工場,(6)米ぬか油工場,(7)第2紙パルプ工場用のE.S.。 |
DIA-211-1982-11-10-1 | ミャンマー | 1982年11月10日 | 1980年代 | 中国の繊維工業相建秀一行が来訪。 |
DIA-211-1982-11-11-1 | ミャンマー | 1982年11月11日 | 1980年代 | 中国の繊維工業相一行は,マウン・マウン・カ首相と会談・その後シュリアムのガラス工場などを視察。 |
DIA-211-1982-11-12-1 | ミャンマー | 1982年11月12日 | 1980年代 | ソ連のブレジネフ書記長の追悼にマウン・マウン・カ首相が大使公邸を訪れ,記帳。 |
DIA-211-1982-11-13-1 | ミャンマー | 1982年11月13日 | 1980年代 | マレーシアの副首相兼内相Dato’Musa Hitamと一行15名の代表団が来訪。同日U Tun Tin副首相と会談。また15日には,サンユー大統領,マウン・マウン・カ首相らと別々に会談した。 |
DIA-211-1982-11-16-1 | ミャンマー | 1982年11月16日 | 1980年代 | 来訪中の中国繊維工業相はMayangonの第7繊維工場を視察。なお一行はこの先,12日にSbwedaung繊維工場,13日にMeiktila繊維工場,14日にKyanchaungの尿素工場をそれぞれ視察している(17日に帰国)。 |
DIA-211-1982-11-25-1 | ミャンマー | 1982年11月25日 | 1980年代 | 農民連合第2回中央委員会がサヤサン・ホールで開かれ,同委議長Ye Goung農林相が中央委基調報告を行なった。同農林相はこのなかで,今年度の農業生産の見通しを述べ,稲作は一部地域で悪天候があったため,目標を下回ることが予想されるが,いまのところ37億700万バスケット(約1470万㌧)の見込みであることを明らかにし,政府の籾買上げ目標は2億700万バスケットであると発表した。 |
DIA-211-1982-11-25-2 | ミャンマー | 1982年11月25日 | 1980年代 | 国家評議会は大統領府官房長にAung Myint Baw大佐(BC/7869),国家評議会官房長にTin Hlaing大佐(BC/7857)をそれぞれ任命した。 |
DIA-211-1982-11-26-1 | ミャンマー | 1982年11月26日 | 1980年代 | 農民連合中央委員会は中央委報告など五つの決議を採択,閉会した。この日中央委メンバーU Hlaing Myint は「全郡HYV普及特別計画」について言及,今年度の対象地域は,稲作について82郡,畑作物19作物については87郡で実施しているが,稲作は今年不調,油脂作物,メイズ,豆類は好調であると述べた。 |
DIA-211-1982-11-27-1 | ミャンマー | 1982年11月27日 | 1980年代 | 象牙海岸商務局長Sognan-Boua Jonusと一行が来訪,輸出米の精米施設,輸送施設などを視察した。29日にKhin Maung Yi貿易省副大臣と会談した。 |
DIA-211-1982-11-28-1 | ミャンマー | 1982年11月28日 | 1980年代 | 運輸省特別査察委員会は1981年から,ラングーン市内で使用されている自動車車輌のうち未登録あるいは老朽化して未整備のものについて摘発を進めているが,1982年については,これまでに1006台を摘発。なお,前年は914台,このなかには35年以上前に登録された車輌も数台あった。 |
DIA-211-1982-11-29-1 | ミャンマー | 1982年11月29日 | 1980年代 | Aung Kyaw Myint文化相は,ビルマで公演中の中国の藩陽曲技団一行と会見。曲技団は約1カ月滞在。 |
DIA-211-1982-11-30-1 | ミャンマー | 1982年11月30日 | 1980年代 | 国連海洋法会議に出席のためTin Ohn外務副大臣一行が出発。なお同法にビルマは調印。 |
DIA-211-1982-12-02-1 | ミャンマー | 1982年12月02日 | 1980年代 | Khin Maung Gyi貿易相と同省副大臣はアラカン州を訪れ,精米工場,輸出用米の貯蔵施設などを視察。 |
DIA-211-1982-12-03-1 | ミャンマー | 1982年12月03日 | 1980年代 | 労働者連合会中央委員会のための準備委員会が開かれた。 |
DIA-211-1982-12-03-2 | ミャンマー | 1982年12月03日 | 1980年代 | ペグー山中Kyundate村でDaik-U郡党支部の主催による反乱軍に対する抗議集会が開かれ3000人の村民が出席。 |
DIA-211-1982-12-04-1 | ミャンマー | 1982年12月04日 | 1980年代 | Mergui東郡のTamoke村で村民2500人が出席して,反乱軍に対する抗議集会。 |
DIA-211-1982-12-06-1 | ミャンマー | 1982年12月06日 | 1980年代 | デンマーク政府はビルマ政府に対し,1億3500万デンマーク・クローネ(1億1900万チャット)の借款供与に調印。借款条件は10年据置,35年延払い,無利子。用途は,(1)Sagaing製粉工場,(2)鉱石運搬用バージ,(3)小型船舶修理工場用の設備と機械,(4)モデル農協用の農業機械,(5)米ぬかペレットプラント,(6)飼料工場,(7)Ann-Minbu間道路建設用の機械・材料。 |
DIA-211-1982-12-07-1 | ミャンマー | 1982年12月07日 | 1980年代 | 第2回労働者連合会中央委員会がチャイカサン・ホールで開かれ,Ohn Kyaw労働・社会福祉相が開会演説。現在,連合会メンバーは合計156万人でほとんどの職場で組織されている。 |
DIA-211-1982-12-08-1 | ミャンマー | 1982年12月08日 | 1980年代 | サンユー大統領は6日から8日まで,カヤ州を訪れ,Loikawでは同州計画党幹部と会って,現状を説明・タンジーでも同様の会合を持った。同行者はTin Oo准将,Kyaw Htin国防相,国評メンバーのU Sein Lwin,U Zaw Winらであった。 |
DIA-211-1982-12-10-1 | ミャンマー | 1982年12月10日 | 1980年代 | ナショナル・デー(国家記念日)―第62回ナショナルデー中央式典がラングーン市庁前広場で行なわれた。この日は,1920年のラングーン大学生による英国植民地政府に対する抗議のボイコット運動を記念した日で,この事件は,後の独立運動昂揚に大きく影響した。ビルマ暦Tazaungmon月の新月より数えて1O日目と定められているため,毎年月日が変わる。 |
DIA-211-1982-12-13-1 | ミャンマー | 1982年12月13日 | 1980年代 | 第18回青年計画党マネジメント・コースが中央政治科学院で開会,Sein Tun中央組織委員会議長が開会演説,出席者は190人。 |
DIA-211-1982-12-14-1 | ミャンマー | 1982年12月14日 | 1980年代 | Ohn Kyaw労働・福祉相は1981/82年度の模範労働者を招いて晩さん会。 |
DIA-211-1982-12-14-2 | ミャンマー | 1982年12月14日 | 1980年代 | ソ連コンソモールの青年代表団3名が,親善訪問(21日まで)。 |
DIA-211-1982-12-15-1 | ミャンマー | 1982年12月15日 | 1980年代 | ラングーン大学の新学長にDr.Maung Diが任命された。 |
DIA-211-1982-12-17-1 | ミャンマー | 1982年12月17日 | 1980年代 | 国家情報局と人民警察隊および犯罪監察局は今年7月から10月末までに,モールメン,ムドン,Paung地区で合計105 Viss(171kg)の生阿片を押収した。 |
DIA-211-1982-12-18-1 | ミャンマー | 1982年12月18日 | 1980年代 | ベトナム保健省のNguyen Tang Am次官一行が来訪,12月20日に,Tun Wai保健相と会談。 |
DIA-211-1982-12-21-1 | ミャンマー | 1982年12月21日 | 1980年代 | 日本の無償援助―1982/83年度分の対ビルマ無償援助総額33億円の供与をするむね調印。このうち9億円は小形棒鋼,亜鉛鉄板,24億円は化学肥料,農薬,農業機械などの購入用である。 |
DIA-211-1982-12-23-1 | ミャンマー | 1982年12月23日 | 1980年代 | サンユー大統領は21日から23日まで,モン州,カレン州を訪れ,地区党幹部などに国内情勢を説明。Tin Oo准将,Kyaw Htin国防相,U Zaw Winらが同行。 |
DIA-211-1982-12-23-2 | ミャンマー | 1982年12月23日 | 1980年代 | 日本の国際交流基金派遣の宝塚歌劇団が来訪,28日までラングーンで公演。 |
DIA-211-1982-12-27-1 | ミャンマー | 1982年12月27日 | 1980年代 | 農林省管轄の研究所会議が開かれ,Ye Goung農林相が出席。 |
DIA-211-1982-12-27-2 | ミャンマー | 1982年12月27日 | 1980年代 | MEIC総裁Soe Nyunt中佐を団長とする貿易代表団が,インドから帰国,インド各地でマッペと,Pediseinの売込商談を行なってきた。 |
DIA-211-1982-12-27-3 | ミャンマー | 1982年12月27日 | 1980年代 | Monghsu郡Hosu村で3000人の住民による反乱軍に対する抗議集会。 |
DIA-211-1982-12-29-1 | ミャンマー | 1982年12月29日 | 1980年代 | フィンランド政府は借款協定に調印。マンダレー管区協同組合連合会のコンデンス・ミルクプラントと五つの農協用の農機などの購入用として1500万チャット(214万㌦)の供与。 |
DIA-211-1982-12-29-2 | ミャンマー | 1982年12月29日 | 1980年代 | 今年度経済成長は7・1%見込―閣僚評議会経済調整委員会は州・管区人民評議会幹部と経済計画調整会議を開き,首相は今年度の経済成長率は目標5.9%に対し,これまでの推計では7.1%になろうと述べた。 |
DIA-211-1983-01-02-1 | ミャンマー | 1983年01月02日 | 1980年代 | イランはビルマ米5万㌧の買付契約。イ政府貿易公社からの代表が12月28日から滞在していたもの。 |
DIA-211-1983-01-04-1 | ミャンマー | 1983年01月04日 | 1980年代 | 1月4日から、マンダレー、ザガイン地区でもTV放送開始。これは、日本の無償援助により、ラングーンから、ザガイン中継所まで映像が送られ、当地区て放送されるもの。 |
DIA-211-1983-01-04-2 | ミャンマー | 1983年01月04日 | 1980年代 | 国家評議会は僧侶に対する栄誉称号授与者を発表。最高称号のAbhidaja Maha Rahta Guru賞にペグーの僧侶Myoma Sathintaikに、またAgga Maha Pandita賞に5名の僧侶を選んだ。 |
DIA-211-1983-01-04-3 | ミャンマー | 1983年01月04日 | 1980年代 | 国評は、今年度の国家功労賞、および軍人功労賞受賞者を発表。国家功労賞1等にU Pinnya Thiha、2等にThakin Myaなど77名が選ばれた。 |
DIA-211-1983-01-06-1 | ミャンマー | 1983年01月06日 | 1980年代 | Bhamo郡Na Long、Ta Shaing、Ma Kwc地区でカチン反乱軍と戦闘、国軍17名死亡、42名負傷。 |
DIA-211-1983-01-06-2 | ミャンマー | 1983年01月06日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相、U Tun Tin計画・財務相、Kyaw Htin国防相、Tint Swe第1工業相らInscinの繊維公社のメリヤス製品工場を視察。 |
DIA-211-1983-01-07-1 | ミャンマー | 1983年01月07日 | 1980年代 | アメリカ政府は、メイズ・油脂作物生産プロジェクトおよびPrimary Health Care Project用としての無償援助(PL-480)1.195億チャットを供与するむねの協定に調印。 |
DIA-211-1983-01-07-2 | ミャンマー | 1983年01月07日 | 1980年代 | イギリス貿易担当国務大臣Pctcr Reesを団長とする貿易代表団が来訪、貿易副大臣U Khin Maung Yiらが出迎えた。 |
DIA-211-1983-01-08-1 | ミャンマー | 1983年01月08日 | 1980年代 | ベトナム・対外貿易相Le Khacが来訪。貿易相U Khin Maung Gyiらが出迎え、第1回目の会議を行なった。11日に帰国。 |
DIA-211-1983-01-11-1 | ミャンマー | 1983年01月11日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相、Tuu Tin副首相、Kyaw Htin国防相らは10日・11日とKawlinの鉱山、Salingyiの第1銅鉱山、Kindat多目的ダム建設現場、Sedawgyiダム、ザガインのTV中継所などを視察。 |
DIA-211-1983-01-12-1 | ミャンマー | 1983年01月12日 | 1980年代 | ビルマ・中国文化交流計画に基づき、中国教育部副部長Zhang Wcnsongら一行が来訪。1月13日にU Kyaw Nyein教育相と会談。 |
DIA-211-1983-01-13-1 | ミャンマー | 1983年01月13日 | 1980年代 | ソ連のFluerash民謡オーケストラ団が公演のため到着、U Aung Kyaw Myint情報相が会見。 |
DIA-211-1983-01-13-2 | ミャンマー | 1983年01月13日 | 1980年代 | 12月にマンダレーとラングーンでそれぞれ行なわれた協同組合と政府公社との集団―括売買契約で合計2億3370万チャット(ラングーン1億3500万チャット、マンダレー9870万チャット)の契約が完了(1982/83年度第4四半期分で、第30回目)。これで今年度の成約額は計39億7820万チャットとなる(ラングーン10億6330万チャット、マンダレー29億1490万チャット)。 |
DIA-211-1983-01-14-1 | ミャンマー | 1983年01月14日 | 1980年代 | WPD紙社説によれば、1982年4月から11月までに6856万9000チャットの密輸を摘発。密輸情報提供・協力者への報償は123万4000チャット(1980/81年)から392万チャット(1981/82年)へ増加。 |
DIA-211-1983-01-16-1 | ミャンマー | 1983年01月16日 | 1980年代 | Mong Kung郡Khe-oon-oay村で、2100人の村民(Pa-o族、Palaung族)が集まり、対BCP抗議集合。 |
DIA-211-1983-01-17-1 | ミャンマー | 1983年01月17日 | 1980年代 | ユーゴ政府は、両国技術援助計画に基づき、総額25万㌦相当の2基の掘削設備を贈与。 |
DIA-211-1983-01-18-1 | ミャンマー | 1983年01月18日 | 1980年代 | サルウィン西岸、Hlarkar村のセメント工場付近で、14カ村から52万人が集まって反乱軍に対する抗議集会。 |
DIA-211-1983-01-19-1 | ミャンマー | 1983年01月19日 | 1980年代 | モーリシャス商工相が来訪、Khin Maung Gyi貿易相らが出迎え、期間中(22日まで)ビルマ米の輸入契約を結ぶ。 |
DIA-211-1983-01-19-2 | ミャンマー | 1983年01月19日 | 1980年代 | サンユー大統領、17日~19日にかけてイラワジ、アラカン州を訪問。地区指導者を集めて政治・経済・社会情勢についてガイダンス、当局者の意見を聴取。 |
DIA-211-1983-01-25-1 | ミャンマー | 1983年01月25日 | 1980年代 | 世銀や西独の援助によって、韓国の三星企業が建設中のKindatダム工事のうち、Pan Laung川の転流工事が完成した。 |
DIA-211-1983-01-26-1 | ミャンマー | 1983年01月26日 | 1980年代 | U Khin Maung Yi貿易副大臣を団長とする貿易代表団(インドネシア・スリランカ)が帰国。当代表団は訪問期間中に米の輸出契約を結んだ。インドネシア4万5000㌧、中国10万㌧(スリランカ向け)。 |
DIA-211-1983-01-26-2 | ミャンマー | 1983年01月26日 | 1980年代 | マレーシアのNational Paddy and PriceAuthority議長Datuk Hazi Bashir Ismailを団長とするマレーシア貿易代表団が来訪(29日まで)。 |
DIA-211-1983-01-27-1 | ミャンマー | 1983年01月27日 | 1980年代 | Hopan郡、VinghingのBCPキャンプを第99歩兵師団部隊が攻撃。国軍10名死亡、19名負傷、BCP29名死亡。 |
DIA-211-1983-01-28-1 | ミャンマー | 1983年01月28日 | 1980年代 | テナセリム管区Launglon郡Kadetgyi村で45カ村1万5000人の村民が、反乱軍抗議集合。 |
DIA-211-1983-01-29-1 | ミャンマー | 1983年01月29日 | 1980年代 | Kyaw Htin副首相兼国防相招請によって、マレーシアの国軍最高司令官Ghazali Seth大将夫妻は26日から29日まで公式訪問。この間ビルマ国軍中将と会談、マンダレーなどを訪問。 |
DIA-211-1983-01-31-1 | ミャンマー | 1983年01月31日 | 1980年代 | 1月26日から1月31日まで、Pang Yang郡サルウィーン河東岸のBCP Loi Ho-Lakキャンプを第77師団部隊が攻撃、これを占領。国軍1名死亡、1名負傷、BCP5名死亡、22名投降、16丁の小火器、3個の手榴弾、34個の地雷を押収。 |
DIA-211-1983-02-02-1 | ミャンマー | 1983年02月02日 | 1980年代 | 1月29日より2月2日まで国軍部隊はTanYan郡Salween河東岸のBCP Loi Pang Lomキャンプを攻撃、国軍3名死亡、31名負傷、BCP14名死亡・武器多数押収。 |
DIA-211-1983-02-02-2 | ミャンマー | 1983年02月02日 | 1980年代 | 日本政府はTVスタジオ、スタジオ設備などの購入用として、4億6968万6000円の贈与、このほど覚書交換(EN)。 |
DIA-211-1983-02-03-1 | ミャンマー | 1983年02月03日 | 1980年代 | U Aung Htay情報副大臣は来訪中の中国ジャーナリスト代表団(団長:新華社通信海外サービス局国内ニュース部長Mr.Meng Fan)と会見。 |
DIA-211-1983-02-04-1 | ミャンマー | 1983年02月04日 | 1980年代 | ネーウィン、サンユー等の首脳チャイカサン広場の連邦記念日展示館を視察。同行者はKyaw Hdn国防相、Aye Ko計画党総書記、Tin Oo准将、Zaw Win国評メンバー、Maung Cho第2工業相、Ye Goung農林相など。 |
DIA-211-1983-02-05-1 | ミャンマー | 1983年02月05日 | 1980年代 | ユーゴ大統領ペタール・スタンボリッチが公式訪問。サンユー大統領、マウン・マウン・カ首相らと会見。8日付で両国共同コミュニケを発表(8日帰国)。 |
DIA-211-1983-02-09-1 | ミャンマー | 1983年02月09日 | 1980年代 | MOCと日本ビルマ石油開発が日本の資金援助(石油公団)で、マルタバン湾で海底油田の試掘を行なっていたが(82・2・5協定)、このほど有望な天然ガス田を発見、試掘に成功した。3地点から3900万平方フィート/日。 |
DIA-211-1983-02-11-1 | ミャンマー | 1983年02月11日 | 1980年代 | サンユー大統領夫妻は第36回連邦記念日式典に出席する地方代表などを招いて晩餐会を開いた。 |
DIA-211-1983-02-11-2 | ミャンマー | 1983年02月11日 | 1980年代 | チャイカサン広場サヤサン・ホールで第36回連邦記念日討論会が開かれ、国評総書記Aye Koが開会演説を行なった。 |
DIA-211-1983-02-11-3 | ミャンマー | 1983年02月11日 | 1980年代 | 国営デパート2号店オープン。貿易省繊維交易公社経営の国営デパート2号店でラングーンの旧大丸ビルの1階に開設。 |
DIA-211-1983-02-12-1 | ミャンマー | 1983年02月12日 | 1980年代 | 第36回連邦記念日。中央式典会場では、各地区代表者を含めて15万人が参加。計画党副書記Tin Oo准将が、サンユー大統領のメッセージを代読。 |
DIA-211-1983-02-13-1 | ミャンマー | 1983年02月13日 | 1980年代 | Kyaw Htin国防相は連邦記念日に出席した山岳少数民族代表を招いて晩餐会。 |
DIA-211-1983-02-13-2 | ミャンマー | 1983年02月13日 | 1980年代 | 2月8日~13日にかけて、Myawaddy郡Me Pale村近郊で第44師団がカレン反乱軍と戦闘、国軍1名死亡、カレン6名死亡。 |
DIA-211-1983-02-13-3 | ミャンマー | 1983年02月13日 | 1980年代 | 2月8日~13日にかけてPa-Pun郡Kadangti村の国軍キャンプが500名のカレン反乱軍部隊によって攻撃されたが、これを撃退。国軍11名死亡、65名負傷、カレン側41名死亡。 |
DIA-211-1983-02-14-1 | ミャンマー | 1983年02月14日 | 1980年代 | 農林副大臣U Hlamg MyintはPaungの製塩公社工場を視察。 |
DIA-211-1983-02-16-1 | ミャンマー | 1983年02月16日 | 1980年代 | ネーウィン議長は15、16日の2日間Dedaye、Bogale両郡の反日抗戦時の旧跡を訪れた。同行者は、Tin Oo准将、Kyaw Htin大将、U Sein Ban(議長室長)、Kan Nyunt大佐(軍情報局長)ら。 |
DIA-211-1983-02-17-1 | ミャンマー | 1983年02月17日 | 1980年代 | 2月11日~17日にかけてTavoy郡Myitla村の国軍キャンプを150名のカレン反乱軍が攻撃、国軍3 名死亡、22名負傷、カレン兵5名死亡、地雷7個押収。 |
DIA-211-1983-02-18-1 | ミャンマー | 1983年02月18日 | 1980年代 | 麻薬取締中央委員会議長、内務・宗教相U Bo Niは、Wetliganの農畜産Breedingセンターを視察 (19日まで)。 |
DIA-211-1983-02-18-2 | ミャンマー | 1983年02月18日 | 1980年代 | 建設相U Hla Tunは16日から18日にかけて、Lashioなどの北東軍管区地域の建設現場を視察。 |
DIA-211-1983-02-19-1 | ミャンマー | 1983年02月19日 | 1980年代 | スリランカ外務副大臣Tyronne Fcrnandoが来訪。U Tin Ohn外務副大臣らが出迎えた。 |
DIA-211-1983-02-21-1 | ミャンマー | 1983年02月21日 | 1980年代 | U Tuu Tin計画・財務相は、来訪中のADB理事団と会見。Ye Goung農林相、Tint Swe第1工業相、Maung Cho第2工業相、Khin Maung Gyi貿易相、Sein Tun協同組合相らが同席。 |
DIA-211-1983-02-22-1 | ミャンマー | 1983年02月22日 | 1980年代 | 麻薬撲滅運動中央委員会議長U Bo Ni内務・宗教相は、Taungyiで開かれた麻薬反対集会(4万人出席)に出席の後、Taunglaylon Yebet(懲役囚)農作業キャンプ、Kathckwinリハビリテーション・モデルキャンプなどを視察。 |
DIA-211-1983-02-23-1 | ミャンマー | 1983年02月23日 | 1980年代 | カチン州Waingmaw郡Khatcho村で、付近の村民3000名が集まって、反乱軍に対する抗議集会を開催。 |
DIA-211-1983-02-23-2 | ミャンマー | 1983年02月23日 | 1980年代 | Chit Hlaing外相は、来訪中のスリランカ外務副大臣と会見した。 |
DIA-211-1983-02-24-1 | ミャンマー | 1983年02月24日 | 1980年代 | 22日から宝石見本市。3日間でヒスイ原石146が売約、505万5104米㌦(K3909万1119.23)。 |
DIA-211-1983-02-25-1 | ミャンマー | 1983年02月25日 | 1980年代 | ラングーン管区内の生産者協同組合の連合会を結成するための調整会議が開かれ、Sein Tun協組相らが出席。 |
DIA-211-1983-02-27-1 | ミャンマー | 1983年02月27日 | 1980年代 | 細見卓OECF総裁が来訪、U Tuu Tin計画・財務相と会見。28日にマウン・マウン・カ首相と会 見。3月1日にSindc、Htonboの4プロジェクトを視察、Maung Cho第2工業相が同行。 |
DIA-211-1983-02-27-2 | ミャンマー | 1983年02月27日 | 1980年代 | Mong Hsu郡Mong Awt村のシャン反乱軍キャンプを攻撃。国軍死亡1名、負傷1名、反乱軍死亡15名、9丁の小火器を押収。 |
DIA-211-1983-02-28-1 | ミャンマー | 1983年02月28日 | 1980年代 | YwathitkyiのAcadcmy for the Development of Nationar Groupsの第14期生は、Aye Ko計画党総書記主催の晩餐会に招かれた。ネーウィン議長、サンユー大統領、マウン・マウン・カ首相、Tin Oo准将らが出席。またこの日、党本部に生徒たちが招かれ、Aye Ko総書記が「連邦統一と団結のための青年の役割を強調。 |
DIA-211-1983-03-02-1 | ミャンマー | 1983年03月02日 | 1980年代 | 1983年農民の日。記念集会が各地で開かれた。これに向けてネーウィン議長は特別メッセージを送り、経済開発のための農業生産の重要性を強調するとともに、農業国から脱皮し、農業を基礎とした産業を興す必要性を説いた。 |
DIA-211-1983-03-03-1 | ミャンマー | 1983年03月03日 | 1980年代 | 2、3日、Hsi-hseng郡Nam Pawn近郊で国軍第55師団は、200人のBCPおよび赤パオ反乱軍合同部隊と戦闘、国軍6名死亡、14名負傷、反乱軍14名死亡、武器多数押収。 |
DIA-211-1983-03-04-1 | ミャンマー | 1983年03月04日 | 1980年代 | Kengtung郡Kathpa村で5000人の村民が反乱軍抗議集会、第88歩兵師団、第4チン銃大隊兵士らも出席。集会には投降共産軍兵士が出席して謝罪。 |
DIA-211-1983-03-04-2 | ミャンマー | 1983年03月04日 | 1980年代 | Moung Yaungで、当郡党支部主催の反BCP集会が開かれ、付近の住民3700人が集まった。 |
DIA-211-1983-03-05-1 | ミャンマー | 1983年03月05日 | 1980年代 | 1983年度労働者の日、式典中央委員会が結成され、議長にU Aye Ko、副議長にTin Oo准将とマウン・マウン・カ首相、メンバーにはDr.Mg.Mg., U Zaw Win、U Sein Lwin、U Ye Goungらが選ばれた。 |
DIA-211-1983-03-06-1 | ミャンマー | 1983年03月06日 | 1980年代 | 2月25日に続き3月6日にBCP Loi Pang Lomキャンプを延べ1000人の部隊で再攻撃。同キャンプは国軍が占拠、この戦闘で国軍27名死亡、BCP83名死亡、157の各種武器を押収。 |
DIA-211-1983-03-06-2 | ミャンマー | 1983年03月06日 | 1980年代 | 400名の共産軍大部隊がKeng Tung郡Wan Ho Hatの国軍キャンプを襲撃、政府軍14名死亡、21名負傷、BCP18名死亡。 |
DIA-211-1983-03-07-1 | ミャンマー | 1983年03月07日 | 1980年代 | Kcngtung郡Katlaung村で5000人が出席してBCPに対する抗議集会、東方師団司令官Thein Han大佐も出席。 |
DIA-211-1983-03-09-1 | ミャンマー | 1983年03月09日 | 1980年代 | Kentung郡Katlaik村で2000人が集会、BCP兵士が謝罪。 |
DIA-211-1983-03-10-1 | ミャンマー | 1983年03月10日 | 1980年代 | 計画党第8回中央委員会が開かれ、第1日目は人民議会に提出する諸事項について説明。 |
DIA-211-1983-03-12-1 | ミャンマー | 1983年03月12日 | 1980年代 | Mongyaiの国軍・警察隊合同キャンプが400名のBCP・シャン族合同軍に攻撃された。国軍2名負傷、反乱軍4名死亡。 |
DIA-211-1983-03-14-1 | ミャンマー | 1983年03月14日 | 1980年代 | 第3期第4回人民議会(定例)開会。定数474名のうち467名出席(98.52%)。国評総書記U Ayc Koは国家評議会報告を提出。閣僚評議会報告(マウン・マウン・カ首相)、司法、検察評議会報告も同時に行なわれた。 |
DIA-211-1983-03-15-1 | ミャンマー | 1983年03月15日 | 1980年代 | 農林省を分轄。農林水産省が農林省と水産・畜産省とに分轄、農林省は農業公社、農業機械化局、灌漑局など、水産・畜産省は人民真珠漁業公社、漁業局などをそれぞれ所管する。新設された水産・畜産相に、Tin Sein少将(前国防省副大臣)、同省副大臣にSein Tun海軍大尉が任命され、国防省副大臣の後任に国軍主計総監Aung Khin少将、主計総監後任にMyo Aung准将(ラングーン師団司令官)らがそれぞれ任命された。 |
DIA-211-1983-03-17-1 | ミャンマー | 1983年03月17日 | 1980年代 | 人民議会4日目。予算案について質疑応答。なおU Tun Tin財務計画相は1983/84年度の経済成長目標を5.0%に設定したと発表。また1982/83年度の経済成長率は目標5.9%に対し7.1%(暫定)、米の生産量は、6.44億バスケット、輸出は目標42.5億チャットを下回ったことなどが発表された。 |
DIA-211-1983-03-18-1 | ミャンマー | 1983年03月18日 | 1980年代 | Mong Ton郡のタイ国境付近のLahu族反乱軍キャンプを国軍が攻撃、国軍1名死亡、Lahu族兵士21名死亡。 |
DIA-211-1983-03-18-2 | ミャンマー | 1983年03月18日 | 1980年代 | 人民議会閉会。 |
DIA-211-1983-03-20-1 | ミャンマー | 1983年03月20日 | 1980年代 | 安倍外務大臣一行来訪。 |
DIA-211-1983-03-20-2 | ミャンマー | 1983年03月20日 | 1980年代 | 農林副大臣U Hlaing Myintは19~20日、ザガイン、マンダレー地区の建設中の製材工場などを視察。 |
DIA-211-1983-03-21-1 | ミャンマー | 1983年03月21日 | 1980年代 | 安倍外相一行、サンユー大統領と会見。 |
DIA-211-1983-03-22-1 | ミャンマー | 1983年03月22日 | 1980年代 | ネーウィン議長は20日から22日まで、北西および中央軍管区内のKawlin Special Metal第2工場、Kyaysintaung Copperプロジェクト(Salingyi)、Ycni No.2Paper Millなどの工業・鉱山施設を視察した。同行者はKyaw Htin国防相ら。 |
DIA-211-1983-03-23-1 | ミャンマー | 1983年03月23日 | 1980年代 | 人民議会メンバー・シャン州Pang Waing郡区選出U Ohn Pe死亡。 |
DIA-211-1983-03-24-1 | ミャンマー | 1983年03月24日 | 1980年代 | 麻薬取締基金に基づいて、国防省・警察局からそれぞれ2名、計4名が9カ月間の農事指導(養ほう)を受けるため出発。 |
DIA-211-1983-03-25-1 | ミャンマー | 1983年03月25日 | 1980年代 | ネーウィン議長、サンユー大統領、第38回国軍記念日展示会場を視察した。Aye Ko総書記、Tin Oo准将らが同行した。 |
DIA-211-1983-03-26-1 | ミャンマー | 1983年03月26日 | 1980年代 | 23日から26日まで貿易副大臣U Ba Hlaはアラカン(Rakhine)州内の貿易施設、精米工場などを視察。 |
DIA-211-1983-03-27-1 | ミャンマー | 1983年03月27日 | 1980年代 | 政府軍はSaw Law郡Mang KyiのBCPキャンプを照明弾などで攻撃、国軍側損傷なし、反乱軍22名死亡、武器(60mm臼砲含)49を押収。 |
DIA-211-1983-03-27-2 | ミャンマー | 1983年03月27日 | 1980年代 | 第38回国軍記念日。レジスタンス公園でパレード、Kyaw Htin参謀長演説。夜、サンユー夫妻主催による記念晩餐会、ネーウィン議長らも出席。 |
DIA-211-1983-03-30-1 | ミャンマー | 1983年03月30日 | 1980年代 | 閣僚評議会と各州・管区人民評議会議長との1983/84年度経済調整委員会が開かれ、83/84年度経済計画などについて討議。 |
DIA-211-1983-03-30-2 | ミャンマー | 1983年03月30日 | 1980年代 | 第31回の協同組合と各国営公社との集団売買契約交渉がラングーンで開かれた。 |
DIA-211-1983-03-31-1 | ミャンマー | 1983年03月31日 | 1980年代 | アメリカの無償援助Amendment No.2メイズおよび油脂作物生産プロジェクト用860万㌦(肥料・機械・訓練)。 |
DIA-211-1983-04-01-1 | ミャンマー | 1983年04月01日 | 1980年代 | Maymyo国軍士官学校第24期卒業式が行なわれ、Kyaw Htin国防相らが出席。 |
DIA-211-1983-04-01-2 | ミャンマー | 1983年04月01日 | 1980年代 | 1983年度全国人口センサス開始。1973年以来10年振り。全国で合計17万人の調査員と3万4000人の監査員が活動を開始。 |
DIA-211-1983-04-03-1 | ミャンマー | 1983年04月03日 | 1980年代 | Mong Yawngで住民3500人によるBCP抗議集会、投降BCP兵士が謝罪。 |
DIA-211-1983-04-04-1 | ミャンマー | 1983年04月04日 | 1980年代 | 国軍の対反乱軍作戦の成果を発表。国軍は民衆と協力しつつ、各反乱軍活動地域で確たる戦果を収めている。1983年から各地域で特別作戦が行なわれてきたが、1月の初めから4月4日までに計345回の戦闘を行なった。国軍側の死亡99名、負傷388名に対して、反乱軍側は死亡286名、逮捕者24名であり、151丁の武器が押収された。 |
DIA-211-1983-04-05-1 | ミャンマー | 1983年04月05日 | 1980年代 | ソ連ウクライナ女子バレーチームが来訪。 |
DIA-211-1983-04-06-1 | ミャンマー | 1983年04月06日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相、眼病治療のため英国へ(5月8日帰国)。この間の首相代理はKyaw Htin国防大臣。 |
DIA-211-1983-04-06-2 | ミャンマー | 1983年04月06日 | 1980年代 | Bruno Cortiイタリア外務次官が来訪(4月10日まで)。 |
DIA-211-1983-04-07-1 | ミャンマー | 1983年04月07日 | 1980年代 | 「東部軍管区地域の戦闘情況発表」。軍当局は83年当初からこれまでの東部軍管区地域における反乱軍掃討作戦Min Yan Aung、Lay Maung Aung作戦の戦果を発表。これまで5回の大戦闘を含む計150回の戦闘があった。 |
DIA-211-1983-04-07-2 | ミャンマー | 1983年04月07日 | 1980年代 | 4月8日付WPD、中央・南東軍管区内の反乱軍との戦闘状況発表。同軍管区内で、83年初頭から今まで、3回の大戦闘を含む計118回の戦闘があった。 |
DIA-211-1983-04-07-3 | ミャンマー | 1983年04月07日 | 1980年代 | 来訪中のイタリア外務次官はChit Hlaing外相と会談。 |
DIA-211-1983-04-10-1 | ミャンマー | 1983年04月10日 | 1980年代 | ラングーン大学学長Dr.Maung Diを団長とする教育使節団が西ドイツに向け出発。 |
DIA-211-1983-04-11-1 | ミャンマー | 1983年04月11日 | 1980年代 | 中央公務員研修学校校長にU Maung Maung、人民真珠漁業公社総裁にU Saw Myiatがそれぞれ任命された。 |
DIA-211-1983-04-13-1 | ミャンマー | 1983年04月13日 | 1980年代 | 麻薬取締特別作戦第Ⅶ次Moe Hein作戦によって、これまでにタイ・ビルマ国境を中心にヘロイン10.8キログラム、モルヒネ74.5キログラム、生阿片594ガロンを摘発した。同時に47丁の銃火器、現金4万6000チャット、7300バーツおよびヒスイ109キログラムを押収、さらに精製施設、精製用の薬品・用具など多数を捕獲した。 |
DIA-211-1983-04-14-1 | ミャンマー | 1983年04月14日 | 1980年代 | ビルマ正月(Thingyan)、ビルマ暦1344年。 |
DIA-211-1983-04-16-1 | ミャンマー | 1983年04月16日 | 1980年代 | 観光客増加。ビルマヘの観光客は年々増え続け、1982年度は合計3万536名(81年は2万8080名)。また観光収入は82年は7200万チャットで、81年より4.3%増。 |
DIA-211-1983-04-16-2 | ミャンマー | 1983年04月16日 | 1980年代 | サンユー大統領は5日~6日、チン州のKalemyo、Hakaを訪れ、チン州各地区、ザガイン管区西部地区の党、人民評議会、軍関係者と会談、政治・経済・社会状況についてガイダンス。同行者はKyaw Htin国防相ら。 |
DIA-211-1983-04-17-1 | ミャンマー | 1983年04月17日 | 1980年代 | 第66歩兵部隊Pegu Yomaに居た66名のカレン反乱軍を攻撃。同隊に対し、2月18日、3月4日、7日と三波に亘っての攻撃で、国軍5名死亡、13名負傷カレン5名死亡。さらにこの地区で4月6日に再攻撃、カレン24名死亡、27名が投降、10名が逃亡し、武器多数を押収した。 |
DIA-211-1983-04-17-2 | ミャンマー | 1983年04月17日 | 1980年代 | 2月に開かれた第20回宝石見本市の売上げは、総額6790万チャットで、前回に比べ63.9%増であった。 |
DIA-211-1983-04-19-1 | ミャンマー | 1983年04月19日 | 1980年代 | Ye Goung農林相は下ビルマ稲作開発計画PhascⅠ~Ⅱの視察のため、Pyapon、Dedaye郡を訪問。 |
DIA-211-1983-04-21-1 | ミャンマー | 1983年04月21日 | 1980年代 | 日本政府は、5000万円の無償供与するためEN。ラングーン大学などの語学設備用。 |
DIA-211-1983-04-21-2 | ミャンマー | 1983年04月21日 | 1980年代 | タイの国軍大学のChirdhai Loudler少将率いる12名の同大学代表団が親善訪問(24日まで)。 |
DIA-211-1983-04-22-1 | ミャンマー | 1983年04月22日 | 1980年代 | サンユー大統領はチャイカサン広場のサヤサンホールに自身の選挙区Bahanからの代表者1300人を集め、人民議会報告を行なった。 |
DIA-211-1983-04-22-2 | ミャンマー | 1983年04月22日 | 1980年代 | Kyaw Nyein教育相はTaunggyiてシャン州内の各レベル教師と教育政策、教育水準などについて協議。 |
DIA-211-1983-04-24-1 | ミャンマー | 1983年04月24日 | 1980年代 | TunTin副首相・計画財務相、自身の選挙区Nattalinで選挙区民に対し人民議会報告を行なった。 |
DIA-211-1983-04-24-2 | ミャンマー | 1983年04月24日 | 1980年代 | セイシェル共和国大統領France Albert Reneは北朝鮮訪問の途中ラングーンに立寄り、空港でTun Tin副首相と会談した。 |
DIA-211-1983-04-24-3 | ミャンマー | 1983年04月24日 | 1980年代 | 計画財務副大臣U Aye Ko、MEB総裁U Mg.Mg.Hun、税関局次長Kyi Swe中佐らは21日~24日、Myitkyina、Putao、Machambawを視察、それぞれ住民および当局と会談。 |
DIA-211-1983-04-24-4 | ミャンマー | 1983年04月24日 | 1980年代 | 教育省副大臣U HlaShwcはSandoway(Rakhine州)の教育施設を視察。もう1人の教育省副大臣Dr.Mg.Mg.Ayeは基礎教育局長U Than Ooと23日Tavoy単科大学を視察。 |
DIA-211-1983-04-27-1 | ミャンマー | 1983年04月27日 | 1980年代 | 1983年度国内歳入局年次会議が開かれ、計画・財務大臣Tun Tinらが出席。経済計画を達成するためにも国内の歳入を増加させねばならず、また増加のために民間資本部門からも利潤税をさらに集める必要があるなどと述べた。 |
DIA-211-1983-04-29-1 | ミャンマー | 1983年04月29日 | 1980年代 | Merguiに新空港が完成。 |
DIA-211-1983-04-30-1 | ミャンマー | 1983年04月30日 | 1980年代 | 国評総書記U Aye KoはTaikkyiで、3600名の住民代表を集め人民議会報告を行なった。 |
DIA-211-1983-05-01-1 | ミャンマー | 1983年05月01日 | 1980年代 | 1983年度労働者の日に向けて、ネーウィン議長は特別メッセージを発表。経済計画の達成と破壊分子の一掃を強調。各地で記念集会が開かれた。 |
DIA-211-1983-05-02-1 | ミャンマー | 1983年05月02日 | 1980年代 | 人民議会報告のため、議員は全国各地それぞれの選挙区で住民を集めて報告会。 |
DIA-211-1983-05-06-1 | ミャンマー | 1983年05月06日 | 1980年代 | U Kyaw Nyein教育相は、各地区の職員養成学校の校長、教師などを集め、1984/85学校年度(9月~8月)の教育計画について説明した。 |
DIA-211-1983-05-07-1 | ミャンマー | 1983年05月07日 | 1980年代 | スウェーデンが200万㌦相当の武器をビルマ政府に売却していたことは明らかである、と報道(バンコク・ポスト紙)。 |
DIA-211-1983-05-07-2 | ミャンマー | 1983年05月07日 | 1980年代 | J.Leabua Jonathanレソト首相は北朝鮮への訪問途中、ラングーン空港に立寄り、U Tin Ohn外務副大臣が出迎えた。 |
DIA-211-1983-05-08-1 | ミャンマー | 1983年05月08日 | 1980年代 | Mongyawngで4300名の住民が集まって、反BCP集会。12名の元BCP党員が謝罪。 |
DIA-211-1983-05-08-2 | ミャンマー | 1983年05月08日 | 1980年代 | 4月6日以降、ロンドンで眼病の治療をしていたマウン・マウン・カ首相が帰国。 |
DIA-211-1983-05-10-1 | ミャンマー | 1983年05月10日 | 1980年代 | Mogaungで6カ村6200名の住民が集まって、反BCP集会。 |
DIA-211-1983-05-11-1 | ミャンマー | 1983年05月11日 | 1980年代 | 内務・宗教相の特別調査局(Bureau of Special Investigation)の第1四半期調整会議が開かれ、同省副大臣U Min Naung、NIBの長官Kyaw Htoon大佐らが出席した。 |
DIA-211-1983-05-12-1 | ミャンマー | 1983年05月12日 | 1980年代 | バングラデシュのエルシャド大統領来訪(マウン・マウン・カ首相の招待)。バングラデシュ戒厳司令官H・M・エルシャド中将夫妻一行が特別機て到着。同行者はSycd Najmuddin Hashim情報相、Mahabbat Jan Chowdhury少将(内務相)、Abdul Mannan少将らである。 |
DIA-211-1983-05-12-2 | ミャンマー | 1983年05月12日 | 1980年代 | エルシャド・バングラデシュ大統領、サンユー大統領と会見。同席者Aye Ko国評総書記、Chit Hlaing外相ら。夜、マウン・マウン・カ首相主催の晩餐会。 |
DIA-211-1983-05-13-1 | ミャンマー | 1983年05月13日 | 1980年代 | Tin Oo准将は10日~13日にかけて、Mudon郡内の、自分の選挙区3カ所で人民議会報告を行なった。 |
DIA-211-1983-05-13-2 | ミャンマー | 1983年05月13日 | 1980年代 | エルシャド・バングラデシュ大統領一行は公式日程を終えて帰国。帰国に先立ち、共同声明を発表し、隣国同志、の友好強化と協力、国連外交の尊重、インド洋中立地帯宣言の推進などを強調した。また大統領一行は、この日シュウェーダゴン・パゴダとアウンサン廟を参拝。 |
DIA-211-1983-05-13-3 | ミャンマー | 1983年05月13日 | 1980年代 | 1983年度第1四半期、麻薬取締中央委調整会議が開かれ、当委議長Bo Ni内務・宗教相が出席した。 |
DIA-211-1983-05-13-4 | ミャンマー | 1983年05月13日 | 1980年代 | 5月5日に人民議会Nyaungu郡第1区選出のU Thein Tunが死亡したと発表。 |
DIA-211-1983-05-17-1 | ミャンマー | 1983年05月17日 | 1980年代 | Tin Oo准将(Mudon郡第1区選出)は5月17日付で人民議会メンバーと国評メンバーの辞職願が受理された。 |
DIA-211-1983-05-17-2 | ミャンマー | 1983年05月17日 | 1980年代 | 国家評議会はBo Ni内務・宗教相は職務を停止されたと発表。 |
DIA-211-1983-05-19-1 | ミャンマー | 1983年05月19日 | 1980年代 | ネーウィン議長、サンユー大統領、Aye Ko国評総書記、マウン・マウン・カ首相、Kyaw Htin国防大臣、Aung Kyaw Myint情報・文化相は現在ラングーンで開かれている1983年度の書籍・雑誌・カレンダーのカバーデザイン展示会を視察。 |
DIA-211-1983-05-23-1 | ミャンマー | 1983年05月23日 | 1980年代 | ネーウィン議長、サンユー大統領、Aye Ko国評総書記、マウン・マウン・カ首相、Kyaw Htin国防相、U Aung Kyaw Myint情報・文化相らカバーデザイン展示会を再視察。(注:19日に同じメンバーを同行して視察したばかり。Tin Oo准将、Bo Ni内務・宗教相の辞任があっただけに政治的な意味か。Tin Oo准将はこの時点ではまだ党の副書記の位置にあったはずなのに出てこないのは、すでに政治的生命が終わったことを印象づけるデモンストレーションか。) |
DIA-211-1983-05-23-2 | ミャンマー | 1983年05月23日 | 1980年代 | ラシオでシャン州反麻薬集会が開かれ、ラシオ、Naunghkio、Kyaukmeなど16郡から4万名が集まった。国防相副大臣で麻薬取締中央委副議長Aung Khin少将、内務・宗教副大臣U Min Naungらが出席、各郡代表者がそれぞれ報告、訴え、BCPや反乱軍の果たしている麻薬拡大の役割を指摘した。 |
DIA-211-1983-05-25-1 | ミャンマー | 1983年05月25日 | 1980年代 | ラオスのPhoune Sipaseuth副首相兼外相一行がモンゴル訪問の途中ラングーンへ立寄り、U Tin Ohn外務次官と1時間に亘って空港で会談。 |
DIA-211-1983-05-25-2 | ミャンマー | 1983年05月25日 | 1980年代 | 国政諮問会議メンバーの李英燮を代表とする韓国の親善代表団が来訪。Chit Hlaing外相が出迎え、会談。 |
DIA-211-1983-05-27-1 | ミャンマー | 1983年05月27日 | 1980年代 | 韓国国政諮問会議代表団はサンユー大統領と会談。Aye Ko国評総書記、Chit Hlaing外相、Aung Myint Baw大佐(大統領室官房長)らが同席。このあとマウン・マウン・カ首相と会談、さらにU Saw Pru運輸・通信大臣と会見、28日帰国。 |
DIA-211-1983-05-27-2 | ミャンマー | 1983年05月27日 | 1980年代 | Hmawbi士官訓練学校第65期終了式が行なわれ、陸軍参謀長Tun Yi中将ら、軍幹部らが出席した。 |
DIA-211-1983-05-30-1 | ミャンマー | 1983年05月30日 | 1980年代 | 運輸・通信省は1982/83年度計画実績評価および1983/84年度計画調整会議を開いた。 |
DIA-211-1983-05-30-2 | ミャンマー | 1983年05月30日 | 1980年代 | 労働・社会福祉相Ohn Kyawはジュネーブで開かれるILO年次総会に出席のため出発(6月12日帰国)。 |
DIA-211-1983-05-30-3 | ミャンマー | 1983年05月30日 | 1980年代 | Thanbyuzayat第2区選出U Man San Hlaingは人民議会メンバーを辞職、同時に人民司法評議会メンバーも辞職(5月20日付)。 |
DIA-211-1983-05-31-1 | ミャンマー | 1983年05月31日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相は、自分の選挙区Hlaing第2区の選挙民を集めて、人民議会報告を行なった。 |
DIA-211-1983-06-02-1 | ミャンマー | 1983年06月02日 | 1980年代 | IDA(世銀)は、ラングーン港施設改善計画に5000万㌦の借款供与を決定、計画コストは計9750万㌦で内貸分は4750万㌦、コンテナー埠頭の新設含む。 |
DIA-211-1983-06-03-1 | ミャンマー | 1983年06月03日 | 1980年代 | 5月中旬~6月初旬にかけて人民議会メンバーによる議会報告が全国的に続けられている。 |
DIA-211-1983-06-04-1 | ミャンマー | 1983年06月04日 | 1980年代 | 5月31日~6月4日まで畜・水産相Tin Sein少将はアラカン州各地の畜・水産施設を視察。アラカンは以後ヤカイン(Rakine)と表記。 |
DIA-211-1983-06-07-1 | ミャンマー | 1983年06月07日 | 1980年代 | 国評は憲法に基づき、U Bo Niの内務・宗教大臣の職務を解除したと発表(6月7日付)。また6月8日付でU Bo Ni(Kyaiklat第1区)とU Thein Aung(Taungtha第2区)の人民議会辞職願を受理したと発表。 |
DIA-211-1983-06-08-1 | ミャンマー | 1983年06月08日 | 1980年代 | 建設公社は1983/84年度の建設計画調整会議を開き、Hla Tun建設相らが出席。 |
DIA-211-1983-06-09-1 | ミャンマー | 1983年06月09日 | 1980年代 | Tun Wai保健相は、このほど終わった第12回東南アジアゲームに出場した選手団を招待し、労をねぎらった。Saw Pru運輸・通信相らが同席。 |
DIA-211-1983-06-13-1 | ミャンマー | 1983年06月13日 | 1980年代 | 農林省は布告第1号/83を出し、雨期の始まりが遅いことに鑑み、農民は今後の気象状況を把握して、生産増に努力するよう要請。これは例年ではすでに雨期に入っているにもかかわらず、今年の降雨量が少なく、このままでは農産物に影響が出てくることが予想されるため、異例の警告を発したもの。なおラングーン地区で、今年これまでの雨量は405㍉であり、これは例年の70%にしかならない。 |
DIA-211-1983-06-14-1 | ミャンマー | 1983年06月14日 | 1980年代 | Hla Tun建設相は、内務・宗教副大臣U Paw Thein建設副大臣U Po Hanとともに、ラングーンに建築中のMaha Wizaya Zediを視察。 |
DIA-211-1983-06-16-1 | ミャンマー | 1983年06月16日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相はKyaw Htin副首相・国防相と、建築中のコンテナー埠頭と、新造船MVマンダレー号を視察。 |
DIA-211-1983-06-16-2 | ミャンマー | 1983年06月16日 | 1980年代 | Than Tin鉱業相とU Myo Myint副大臣は、14日~16日Namtu Bawdwin鉱山、同地に建設中の砕鉱・精錬工場(500㌧)、MaymyoのNo.1 Iron Projcctを視察。 |
DIA-211-1983-06-17-1 | ミャンマー | 1983年06月17日 | 1980年代 | 人民司法評議会議長U Tin Aung Heinはシャン州各地を視察、地方司法当局と懇談。 |
DIA-211-1983-06-22-1 | ミャンマー | 1983年06月22日 | 1980年代 | 第1期全国僧侶評議会第4回執行委員会が、Kaba Ayeホールで開かれた。 |
DIA-211-1983-06-22-2 | ミャンマー | 1983年06月22日 | 1980年代 | 人民議会メンバーによる選挙区民のための人民議会報告が各地で行なわれているが、Minbu 1区では1500名の選挙区民が集まって、Thura U Aung Peが報告。 |
DIA-211-1983-06-24-1 | ミャンマー | 1983年06月24日 | 1980年代 | 国家評議会は6月24日付で、主計総監Myo Aung准将(Dagon人民議会メンバー)とNIB監査委メンバーKan Nyunt大佐(Moulwein 1区選出)の辞職を認めた。 |
DIA-211-1983-06-24-2 | ミャンマー | 1983年06月24日 | 1980年代 | Kungyangon選出の畜・水産相Tin Sein少将辞任。 |
DIA-211-1983-06-24-3 | ミャンマー | 1983年06月24日 | 1980年代 | 人民議会Tavoy第2区U Soe Tinの人民議会メンバーと、人民検察評議会メンバーの辞職を受理。 |
DIA-211-1983-06-26-1 | ミャンマー | 1983年06月26日 | 1980年代 | 北朝鮮対外文化交流委員会副議長O Mun Hwan教授ら(2名)の代表団が来訪(10日間)。教育副大臣Dr.Maung Maung Ayeらが出迎えた。 |
DIA-211-1983-06-27-1 | ミャンマー | 1983年06月27日 | 1980年代 | 北朝鮮のO Mun Hwan教授らは、Kyaw Nyein教育相と会談。 |
DIA-211-1983-06-27-2 | ミャンマー | 1983年06月27日 | 1980年代 | 国評はセラミック工業公社総裁にKhin Kyaw Nyoを任命。 |
DIA-211-1983-06-28-1 | ミャンマー | 1983年06月28日 | 1980年代 | 第4期人民議会議長U Saw Han Theinを団長とする人民議会代表団(7名)は韓国国会と日本・ビルマ友好議員連盟の招待で両国を訪問するため出発。 |
DIA-211-1983-06-29-1 | ミャンマー | 1983年06月29日 | 1980年代 | 日本政府は1983/84年度分総額54億1000万円の無償援助供与に関する交換公文の内訳発表。12億8000万円:テレビ放送施設拡充、6億9000万:教科書出版機能改良、15億5000万:Post Harvest Technology Application Centre、19億9000万:Nurses Training Centre。 |
DIA-211-1983-06-30-1 | ミャンマー | 1983年06月30日 | 1980年代 | ヤカイン州人民評議会て、1983/84年度同州協同組合経済計画を討議、協同組合活動の充実化と活性化が強調された。 |
DIA-211-1983-07-01-1 | ミャンマー | 1983年07月01日 | 1980年代 | Kyaw Htain農林副大臣ら農業関係当局は、イラワジ管区を訪れ、今期籾の作付状況などを視察。各地の農林省出先と作付指導について協議。 |
DIA-211-1983-07-01-2 | ミャンマー | 1983年07月01日 | 1980年代 | マンダレー市で、市内の犯罪一掃や市街地のクリーンアップをめざすためのGalonプロジェクトがスタートした。 |
DIA-211-1983-07-05-1 | ミャンマー | 1983年07月05日 | 1980年代 | カチン州Mankhein村で、3000人の村民が集まって反麻薬集会を開いた。 |
DIA-211-1983-07-06-1 | ミャンマー | 1983年07月06日 | 1980年代 | U Maung Maung Khin映画公社総裁を団長とする映画代表団が、2週間の予定で中国を訪問するため出発。 |
DIA-211-1983-07-06-2 | ミャンマー | 1983年07月06日 | 1980年代 | U Tin Ohn外務副大臣を団長とする親善使節団が中国と北朝鮮を訪問するため出発。U Chit Hlaing外相が見送った。7月20日帰国。 |
DIA-211-1983-07-07-1 | ミャンマー | 1983年07月07日 | 1980年代 | 農業公社は麻薬撲滅運動の一貫として麻薬生産者に対する転作指導を行なっているが、このほど、Pinlaung地区の70名の耕作者に合計2万5000本のコーヒー苗木を供与した。 |
DIA-211-1983-07-07-2 | ミャンマー | 1983年07月07日 | 1980年代 | Hla Tun建設相はLi Song Ho駐ビルマ北朝鮮大使と会談。 |
DIA-211-1983-07-07-3 | ミャンマー | 1983年07月07日 | 1980年代 | U Hlaing Myint農林副大臣とU Tha Tun製塩公社総裁らはHtanbinchaungの製塩所を視察。 |
DIA-211-1983-07-09-1 | ミャンマー | 1983年07月09日 | 1980年代 | 7月5日から9日まで、Mong Pan、Mong Nai、Kun Hingなどで反乱軍抗議集会が開かれ、前SSPP(Shanpyi Toetye Party)議長Hao LinことSai Hla Aung(6月21日に投降)が、住民に謝罪した。 |
DIA-211-1983-07-12-1 | ミャンマー | 1983年07月12日 | 1980年代 | 鈴木善幸前首相が来訪、13日にサンユー大統領を表敬訪問。 |
DIA-211-1983-07-13-1 | ミャンマー | 1983年07月13日 | 1980年代 | カヤ州人民評議会、同州党委員会などが集まって、1983/84年度同州経済計画実施についての調整会議を行なった。 |
DIA-211-1983-07-14-1 | ミャンマー | 1983年07月14日 | 1980年代 | 北朝鮮を訪問中のU Thin Ohn外務副大臣は金日成主席、許談外相と会見。 |
DIA-211-1983-07-19-1 | ミャンマー | 1983年07月19日 | 1980年代 | Arzani Day(殉難者の日)。アウンサン廟ではマウン・マウン・カ首相ら政府要人、アウンサン将軍未亡人Daw Khin Kyiらが式典に出席。また一般国民も1万2800人が訪れた。 |
DIA-211-1983-07-20-1 | ミャンマー | 1983年07月20日 | 1980年代 | スファヌボン・ラオス大統領とその一行はモスクワ訪問途中、ラングーンに立寄り(1時間)、Chit Hlaing外相と会談。 |
DIA-211-1983-07-20-2 | ミャンマー | 1983年07月20日 | 1980年代 | インセインのラングーン管区地裁第6号法廷で前内相U Bo Niに対する審理裁判が開始された〔Section 3 of the Public Property Protection Law(1963)〕。U Bo Niは、83年1月12日、シンガポール経由でイギリスに行き、2万5000㌦を引き出して私的に使ったということに関して、5月19日から取調べを受けていた。 |
DIA-211-1983-07-21-1 | ミャンマー | 1983年07月21日 | 1980年代 | 第9回計画党中央委員会が開かれ、中央委メンバーTin Oo准将、U Bo Ni、Tin Sein少将、Myo Aung准将、Kan Nylunt大佐、党綱紀委メンバーU Thein Aungらの辞任を認めたとAye Ko総書記が発表。 |
DIA-211-1983-07-22-1 | ミャンマー | 1983年07月22日 | 1980年代 | 第3期人民議会第1回特別議会が召集された。国評総書記Aye Koが国評報告を提出した。このなかで、U Bo Ni、Tin Ooの辞任について説明があり、今会議はこのため召集されたものと述べた。 |
DIA-211-1983-07-22-2 | ミャンマー | 1983年07月22日 | 1980年代 | 内務・宗教相にMin Goung少将、畜産・水産相にU Sein Tunがそれぞれ任命された。 |
DIA-211-1983-07-22-3 | ミャンマー | 1983年07月22日 | 1980年代 | 国評は軍幹部の人事異動を発表。陸軍参謀長にSaw Maung少将(前軍務局長)、軍務局長にKhin Maung Kyaw少将(前第2特別作戦部長)。主計総監にG. Tuang Za Khai准将(中央師団司令官)らがそれぞ れ発表された。 |
DIA-211-1983-07-22-4 | ミャンマー | 1983年07月22日 | 1980年代 | U Bo Niに対する地裁6号法廷の審理は、この日夫人のDaw Khin Nuも召喚された。 |
DIA-211-1983-07-22-5 | ミャンマー | 1983年07月22日 | 1980年代 | 国評は教育副大臣にDr.Maung Di、畜・水産副大臣にKhin Maung Win大佐をそれぞれ任命した。 |
DIA-211-1983-07-27-1 | ミャンマー | 1983年07月27日 | 1980年代 | シャン州監察委議長Ba Than大佐らは、Hopong渓谷開発計画など同州内の灌漑計画を視察。 |
DIA-211-1983-07-28-1 | ミャンマー | 1983年07月28日 | 1980年代 | AFPTC(農業・農産物交易公社)は、今年度第1四半期業務調整会議を開き、雑豆とメイズの輸出促進のため、購入を強化することなどが討議された。 |
DIA-211-1983-07-30-1 | ミャンマー | 1983年07月30日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相、Kyaw Htin国防相、Saw Pru運輸・通信相、Tint Swe第1工業相、Maung Cho第2工業相、軍情報局長Aung Koe大佐らは、モニワ近郊Kyesintaungの第1号銅山開発プロジェクトなどを視察。 |
DIA-211-1983-08-02-1 | ミャンマー | 1983年08月02日 | 1980年代 | 麻薬患者のリハビリテーションとケシ栽培者の転業を支援するためのモデル農業・畜産センターがシャン州Pekhon町で開設され、開所式にMin Naung内務・宗教副大臣らが出席。 |
DIA-211-1983-08-03-1 | ミャンマー | 1983年08月03日 | 1980年代 | Chit Hlaing外相はマレーシアとフィリピンへ公式訪問するため出発。 |
DIA-211-1983-08-03-2 | ミャンマー | 1983年08月03日 | 1980年代 | Ye Gaung農林相はペグー管区農業関係機関の当局者を集め、同管区内の稲作状況について討議。 |
DIA-211-1983-08-05-1 | ミャンマー | 1983年08月05日 | 1980年代 | マレーシアを訪問中のChit Hlaing外相は、マハティール首相と会談。 |
DIA-211-1983-08-08-1 | ミャンマー | 1983年08月08日 | 1980年代 | Tin Oo前准将とU Bo Niの公共財産不正使用について検察側が起訴。起訴状によると、Tin Oo前 准将は80年4月15日から81年3月28日までの間に、18.9万チャットの公金を不正に私用で使用した公金流用について、またU Bo Niは83年1月にTin Oo准将の命令により、U Bo Ni夫人のイギリス旅行のために軍情報局から10万チャットを流用したことなどによる。 |
DIA-211-1983-08-10-1 | ミャンマー | 1983年08月10日 | 1980年代 | 国評は、国家司法委員会を改造、議長にDr.Maung Maungを再任、国評メンバーU Than Tinなど11名のメンバーを選んだ。 |
DIA-211-1983-08-10-2 | ミャンマー | 1983年08月10日 | 1980年代 | Hlaing Myint農林副大臣はTaungdwingyi郡のYanpai管理森林などを視察。 |
DIA-211-1983-08-10-3 | ミャンマー | 1983年08月10日 | 1980年代 | Yaqub Khanパキスタン外相とその一行がバンコクからダッカへ移動の途中、ラングーンに立寄り、Hla Shwe外務副大臣と空港で会談。 |
DIA-211-1983-08-10-4 | ミャンマー | 1983年08月10日 | 1980年代 | フィリピンを訪問中のChit Hlaing外相はビラタ首相と会談。8月11日帰国。 |
DIA-211-1983-08-10-5 | ミャンマー | 1983年08月10日 | 1980年代 | Ye Goung農林相はイラワジ稲作地帯の稲作付状況、灌漑施設などを視察。 |
DIA-211-1983-08-11-1 | ミャンマー | 1983年08月11日 | 1980年代 | Langkha郡Wan Hak村で村民1000人がPa-O族反乱軍(赤パオ)に対する抗議集会。 |
DIA-211-1983-08-13-1 | ミャンマー | 1983年08月13日 | 1980年代 | ベトナム・ビルマ親善スポーツ計画に基づき、ベトナムの卓球チームが来訪。 |
DIA-211-1983-08-15-1 | ミャンマー | 1983年08月15日 | 1980年代 | Tin Oo前准将とU Bo Niに対する起訴事実のうち残りの三つのケースについての審理が開始された。 |
DIA-211-1983-08-17-1 | ミャンマー | 1983年08月17日 | 1980年代 | 北朝鮮最高人民会議・常設会議議長楊亨燮を団長とする議会代表団が来訪、第3期人民議会議長Hla Shweらが出迎えた。 |
DIA-211-1983-08-17-2 | ミャンマー | 1983年08月17日 | 1980年代 | ミヤンマ宝石公社は今年度に入ってから7月末まで一般から総額117万チャット相当の宝石を買い上げた。販売者は評価額から所得税を差し引いた分を受取る。 |
DIA-211-1983-08-18-1 | ミャンマー | 1983年08月18日 | 1980年代 | 来訪中の北朝鮮最高人民会議代表団はサンユー大統領と会見、国評総書記Aye Ko、同メンバーSein Lwin、Chit Hlaing外相らが出席。また同日、一行は第3期人民議会議長を始めとする人民議会メン’バーとも意見を交換、ビルマ製薬公社工場を視察した。 |
DIA-211-1983-08-18-2 | ミャンマー | 1983年08月18日 | 1980年代 | ミチナで4000人が集まり麻薬追放集会開く。 |
DIA-211-1983-08-19-1 | ミャンマー | 1983年08月19日 | 1980年代 | 来訪中の北朝鮮代表団一行は、北朝鮮の援助で建設されたSyriumの錫精錬工場(第2鉱業公社)を視察。 |
DIA-211-1983-08-19-2 | ミャンマー | 1983年08月19日 | 1980年代 | プロジェクト無償協定に基づきアメリカは総額510万㌦の援助をするとの調印を行なった。これは286郡を対象とする農村保健改良のための機械供与に使われる。 |
DIA-211-1983-08-19-3 | ミャンマー | 1983年08月19日 | 1980年代 | Hsipaw郡Pangnyu村で1000人の村民が集まり反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1983-08-20-1 | ミャンマー | 1983年08月20日 | 1980年代 | Mohnyin郡Namma村で3700名、Wainmaw郡Aung Mye村で3000名の村民が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1983-08-20-2 | ミャンマー | 1983年08月20日 | 1980年代 | カチン州Mohnyinで、1万人の村民が集まり反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1983-08-20-3 | ミャンマー | 1983年08月20日 | 1980年代 | 今年は雨期の到来が2週間ほど遅れたが、田植は各地で順調に行なわれ、計画党主催の田植コンテストが各地で催されている。 |
DIA-211-1983-08-21-1 | ミャンマー | 1983年08月21日 | 1980年代 | 北朝鮮代表団は、人民議会議長Aung Khinの案内でマンダレー、パガンなどを視察旅行、22日には、SingaingのPaleik繊維工場を視察し、24日にラングーンに戻る。 |
DIA-211-1983-08-22-1 | ミャンマー | 1983年08月22日 | 1980年代 | Tavoy郡第2区で人民議会補選が行なわれ、U Toe Chitが選ばれた。 |
DIA-211-1983-08-23-1 | ミャンマー | 1983年08月23日 | 1980年代 | シャン州Kengtung郡で、密輸されてきた農薬を使用して1名が死亡、数名が異常を訴えている。この農薬はPhosdyeというブランドで、隣接国で生産され、この付近の村では広く使われている。当局はこの農薬使用に警告を発した。 |
DIA-211-1983-08-24-1 | ミャンマー | 1983年08月24日 | 1980年代 | 北朝鮮代表団はChit Hlaing外相と会談、この後帰国した。 |
DIA-211-1983-08-25-1 | ミャンマー | 1983年08月25日 | 1980年代 | イギリス、工業・情報技術担当国務相Kenneth Bakerが来訪、第1工業相Tint Sweと会談。26日にはSaw Pru運輸・通信相と会談。28日帰国。 |
DIA-211-1983-08-26-1 | ミャンマー | 1983年08月26日 | 1980年代 | Tin Oo前准将とU Bo Niに対する地裁審理が続いているが、Tin Oo前准将は、Pya Gehaなど政府プロジェクトの建設に際し、国防省から特別予算を引き出しながら、その多くを使用したり、着服していたことが判明し、すでに辞任したMyo Aung主計総監、Kan Nyunt情報局長らとの関係も疑われている。 |
DIA-211-1983-08-28-1 | ミャンマー | 1983年08月28日 | 1980年代 | 人民議会の補選が行なわれ、Tin Oo准将辞任のため空席となっていたMudon郡第1区ではU Kyaw Khainが選ばれ、他5名の新議員が選出された。 |
DIA-211-1983-08-31-1 | ミャンマー | 1983年08月31日 | 1980年代 | 稲垣厚生政務次官を団長とする日本の親善使節団が3日間の予定で来訪。 |
DIA-211-1983-09-01-1 | ミャンマー | 1983年09月01日 | 1980年代 | ネーウィン議長は8月29日~9月1日までの間、Nyawngchedaukの重工業公社第3工場、北ナウィンダムなどを視察した。同行者はKyaw Htin国防相、Ye Goung農林相、TintSwe第1工業相、Maung Cho第2工業相らである。 |
DIA-211-1983-09-01-2 | ミャンマー | 1983年09月01日 | 1980年代 | Tun Tin財務・計画相は来訪中の稲垣厚生政務次官と会談。 |
DIA-211-1983-09-02-1 | ミャンマー | 1983年09月02日 | 1980年代 | 内務・宗教相Min Gaung少将は8月29日から9月2日までマンダレーを訪れ、警察などを視察、また僧侶評議会のメンバーの高僧とも会談。 |
DIA-211-1983-09-02-2 | ミャンマー | 1983年09月02日 | 1980年代 | Maymyo―Mandalay間鉄道で列車が脱線、転覆して44名が死亡(うち軍人10名)、198名が負傷した。 |
DIA-211-1983-09-04-1 | ミャンマー | 1983年09月04日 | 1980年代 | サンユー大統領夫妻は、ハンガリー大統領の招待を受けて、ハンガリー公式訪問のため出発。同行者はKyaw Htin国防相、Chit Hlaing内相、国防省情報局長Aung Koe大佐らである。大統領として初の外遊。 |
DIA-211-1983-09-05-1 | ミャンマー | 1983年09月05日 | 1980年代 | ハンガリーを公式訪問中のサンユー大統領は、Losonczi大統領と会談。 |
DIA-211-1983-09-06-1 | ミャンマー | 1983年09月06日 | 1980年代 | Saw Pru運輸・通信相、Tint Swe第1工業相らは、工業用オイルの貯蔵タンク建設現場やオイル・タンカーなどを視察。 |
DIA-211-1983-09-07-1 | ミャンマー | 1983年09月07日 | 1980年代 | Mawkamiで住民2000人が集まって反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1983-09-08-1 | ミャンマー | 1983年09月08日 | 1980年代 | 1983年度米価据置(貿易省布告No.3/83)。これによると各種各等級とも全て前年度と同価格で、これで3年間連続据置となった。買上げ手続は前年と変更なし。 |
DIA-211-1983-09-09-1 | ミャンマー | 1983年09月09日 | 1980年代 | ハンガリーを公式訪問中のサンユー大統領一行は、日程を終えロンドンに到着。 |
DIA-211-1983-09-11-1 | ミャンマー | 1983年09月11日 | 1980年代 | Tun Tin副首相兼財務計画相はIMF年次総会出席のため、ワシントンに向け出発。同相はワシントンの後、西独、フランスを訪問して、経済協力問題について協議する。 |
DIA-211-1983-09-11-2 | ミャンマー | 1983年09月11日 | 1980年代 | C.Sambre氏を団長とするパプア・ニューギニア議会代表団が来訪。15日に帰国。 |
DIA-211-1983-09-13-1 | ミャンマー | 1983年09月13日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相は、畜産公社のAung-Mye-Ya基地などを視察。Zaw Win計画党中央執行委員、Saw Pru運輸・通信相らが同行。 |
DIA-211-1983-09-14-1 | ミャンマー | 1983年09月14日 | 1980年代 | Khin Maung Tintモールメン単科大学学長を団長とする教育視察団が、中国の教育施設を視察するため出発。 |
DIA-211-1983-09-14-2 | ミャンマー | 1983年09月14日 | 1980年代 | Mongyaiの町民ホールで6500人の住民が反乱軍抗議集会を開いた。席上、政府軍に投降した前SSPP(シャン州進歩党)議長HsolinことSai Hla Aungが住民に謝罪。このなかで、すでにBCPと共闘しているシャン人は少なくなっており、彼らにも投降を勧めていると語った。 |
DIA-211-1983-09-15-1 | ミャンマー | 1983年09月15日 | 1980年代 | Kyauktada郡地裁第1号法廷で、8人に対する密輸事件が審理され、いずれも有罪が確定した。ほとんどは錫、ヒスイなどの密輸出などである。 |
DIA-211-1983-09-17-1 | ミャンマー | 1983年09月17日 | 1980年代 | 政府は駐ビルマ・アメリカ新大使Daniel AO Donohueを承認。同氏は国務省東アジア・太平洋担当次官補を務めていた。 |
DIA-211-1983-09-21-1 | ミャンマー | 1983年09月21日 | 1980年代 | Working People’s Daily紙は「反乱軍を一掃しよう」との社説で、「第4回計画党大会(1981年8月)で採択された21項目決議に基づいて、各地で反乱軍一掃のための、軍と人民との共同による特別作戦が行なわれ、多くの“灰色地区”が“白色地区”となった」と指摘。 |
DIA-211-1983-09-22-1 | ミャンマー | 1983年09月22日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相、Zaw Win計画党中執委らはラングーン市内および近郊の第1工業省管轄工場を視察。 |
DIA-211-1983-09-23-1 | ミャンマー | 1983年09月23日 | 1980年代 | サンユー大統領夫妻一行は、ハンガリー公式訪問と英国訪問を終えて帰国。 |
DIA-211-1983-09-24-1 | ミャンマー | 1983年09月24日 | 1980年代 | スリランカ大統領の特使としてH・W・ジャヤワルデネ氏が来訪。外相代行のKhin Maung Gyi貿易相らが出迎えた。 |
DIA-211-1983-09-27-1 | ミャンマー | 1983年09月27日 | 1980年代 | サンユー大統領はスリランカ大統領特使と会談。Aye Ko国評総書記、Sein Lwin国評メンバー、マウン・マウン・カ首相らが同席。特使帰国。 |
DIA-211-1983-09-27-2 | ミャンマー | 1983年09月27日 | 1980年代 | 文化交流計画に基づき、韓国芸能団が来訪。28日にAung Kyaw Myint情報・文化相と会見。一行はこの後、アウンサン廟を見学。 |
DIA-211-1983-09-28-1 | ミャンマー | 1983年09月28日 | 1980年代 | 情報省副大臣Aung Htay(Mingala-Tau-ngnyunt 1区選出)の人民議会メンバーと副大臣の辞任が承認された。国評は同日付で、副大臣が1名追加された協同組合省副大臣にPau Khan Thang現社会福祉・労働省副大臣を、情報文化省副大臣にU Taik Soe、社会福祉・労働省副大臣にKyaw Htoon大佐をそれぞれ任命した。 |
DIA-211-1983-09-28-2 | ミャンマー | 1983年09月28日 | 1980年代 | ラングーン地裁6号法廷は、前内務・宗教相U Bo Niに対し、三つの公金不正使用に関し、無期懲役刑を言い渡した。 |
DIA-211-1983-09-29-1 | ミャンマー | 1983年09月29日 | 1980年代 | 政府は「近日中に、全斗煥韓国大統領が公式訪問する」と発表。 |
DIA-211-1983-09-29-2 | ミャンマー | 1983年09月29日 | 1980年代 | Mongnai郡Maiktang村で1500人の住民がBCP、シャン反乱軍に対する抗議集会を開いた。 |
DIA-211-1983-09-29-3 | ミャンマー | 1983年09月29日 | 1980年代 | 第10回計画党中央委員会開かる。ネーウィン議長が開会を宣言。Aye Ko党総書記が基調報告、Tin Oo前准将の辞任に伴い副書記となったU Sein Lwin、Ba Thaw党監査委員書記長らがそれぞれ報告した。 |
DIA-211-1983-10-01-1 | ミャンマー | 1983年10月01日 | 1980年代 | Momaukで2000人の住民が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1983-10-03-1 | ミャンマー | 1983年10月03日 | 1980年代 | 第3期第5回人民議会開かる。国家評議会報告、閣僚評議会報告などが提出され、審議が行なわれた。 |
DIA-211-1983-10-06-1 | ミャンマー | 1983年10月06日 | 1980年代 | 人民議会終了。今会期中に、大学教育法(1973年)、基礎教育法(1973年)などの改正が行なわれた。 |
DIA-211-1983-10-08-1 | ミャンマー | 1983年10月08日 | 1980年代 | 全斗煥韓国大統領来訪。サンユー大統領の招待により全斗煥韓国大統領一行が午後4時30分、大韓航空特別機で到着。 |
DIA-211-1983-10-08-2 | ミャンマー | 1983年10月08日 | 1980年代 | ビルマ航空機(Twin Otter)はLonkhinからミーチナへ飛行する予定で離陸直後に墜落、乗客ら6人が死亡、5人が負傷した。 |
DIA-211-1983-10-09-1 | ミャンマー | 1983年10月09日 | 1980年代 | アウンサン廟で爆弾テロ。韓国要人ら19名が死亡、48名が負傷。午前10時25分、全斗煥大統領が訪問する予定となっていた、アウンサン廟の天井裏に仕掛けられたリモコン爆弾が爆発、すでに待機していた徐錫俊副首相ら韓国随行員ら16名と、ビルマ側新聞記者ら3名が死亡、またビルマ側情報文化相、同省副大臣ら48名が重軽傷を負った。事件を聞いたネーウィン計画党議長とサンユー大統領はそれぞれ迎賓館を訪れ、全大統領に哀悼の意を表した。全大統領一行は予定を繰り上げ午後4時35分帰国の途につきサンユー大統領は弔問状を手渡した。政府は10日から12日まで各政府機関での半旗を指示した。 |
DIA-211-1983-10-10-1 | ミャンマー | 1983年10月10日 | 1980年代 | 閣僚評議会は布告第19/83を発令、アウンサン廟爆弾事件真相究明のための調査委員会を設置した。委員長には内務・宗教相Min Gaung少将、メンバーには陸軍参謀長Saw Maung少将、国軍情報局長Aung Koe大佐、警察庁長官Thein Aungらが任命された。 |
DIA-211-1983-10-10-2 | ミャンマー | 1983年10月10日 | 1980年代 | 爆弾事件で負傷した韓国随行団員13名が韓国に送還された。 |
DIA-211-1983-10-10-3 | ミャンマー | 1983年10月10日 | 1980年代 | 朝鮮人1人逮捕。爆弾テロ事件の犯人と思われる朝鮮人1人がPazundaung運河を渡ろうとした際、住民に発見され、午後9時半、Nyaungdan埠頭で捕えられた。捕えられる直前、この男は手榴弾で自殺を企って重傷を負った。この際住民が巻添えになって2人が負傷。 |
DIA-211-1983-10-11-1 | ミャンマー | 1983年10月11日 | 1980年代 | 10月11日付WPD紙社説は、アウンサン廟爆弾テロ事件にかんし、韓国との友好・協力関係がこのことによって変化することはないと強調するとともに、「犯人が誰であろうと厳しく罰せられなくては済まない」としている。 |
DIA-211-1983-10-11-2 | ミャンマー | 1983年10月11日 | 1980年代 | 爆弾テロ事件による犠牲者の国民葬に出席のため、Chit Hlaing外相を団長とする政府代表団がソウルに向け出発、国防副大臣Aung Khin少将らが含まれている。 |
DIA-211-1983-10-11-3 | ミャンマー | 1983年10月11日 | 1980年代 | 爆弾テロ事件を調査するための韓国政府調査団(団長Won Kyungスポーツ相)一行が全大統領の特使として来訪、サンユー大統領らと会見した。12日帰国。 |
DIA-211-1983-10-11-4 | ミャンマー | 1983年10月11日 | 1980年代 | Namtu郡Nam Haing村で住民2500人が反BCP集会を開いた。 |
DIA-211-1983-10-11-5 | ミャンマー | 1983年10月11日 | 1980年代 | 午前7時半頃、Kawhmu郡Thakhutpin村の住民が不審な2人の男を発見、警察官が尋問したところ男1人は手榴弾を投げて自爆、1人は逃走した。 |
DIA-211-1983-10-11-6 | ミャンマー | 1983年10月11日 | 1980年代 | 爆弾テロ事件の韓国政府随行団16遺体が、ソウルに送られた。 |
DIA-211-1983-10-12-1 | ミャンマー | 1983年10月12日 | 1980年代 | 朝鮮人2人目を逮捕。前日Thakhutpin村で発見され逃亡していた朝鮮人が午前9時20分、Kwinwaing村の水田に隠れていたところを住民に発見され手榴弾で自爆を企ったが負傷して捕まった。 |
DIA-211-1983-10-13-1 | ミャンマー | 1983年10月13日 | 1980年代 | ソウルを弔問のため訪れているChit Hlaing外相らは国民葬に出席、16日帰国。 |
DIA-211-1983-10-14-1 | ミャンマー | 1983年10月14日 | 1980年代 | ビルマ政府は新駐ビルマ日本国大使塚本氏を承認。 |
DIA-211-1983-10-14-2 | ミャンマー | 1983年10月14日 | 1980年代 | 内務・宗教副大臣Min Naung(Kyaunggon第2区)と貿易副大臣Khin Maung Yi(Tabayin第1区)の辞任が10月7日付で承認された。なお2人は人民議会メンパーも辞任。 |
DIA-211-1983-10-14-3 | ミャンマー | 1983年10月14日 | 1980年代 | カレン州Papun第1区選出の人民議会メンバーU Saw Aung Htooの辞任が認められた。 |
DIA-211-1983-10-17-1 | ミャンマー | 1983年10月17日 | 1980年代 | 政府爆弾テロ事件調査委員会はこれまでに現場から、不発弾や電池など、また捕えられた2人の朝鮮人の所持品を押収、調査を続けているが、WPD紙の報道として当局はこの事件の犯人は先に捕えられた2人の朝鮮人たちの仕業によるものと確信したと報じた。 |
DIA-211-1983-10-25-1 | ミャンマー | 1983年10月25日 | 1980年代 | 来訪中の韓国外相特使とともに駐ビルマ外交団代表(フィリピン、インドネシア、スリランカ各大使)が、病院で治療中の、爆弾テロ容疑者の2人の朝鮮人に会って尋問。この尋問は、外交団と外相特使と別々に行なわれた。 |
DIA-211-1983-10-28-1 | ミャンマー | 1983年10月28日 | 1980年代 | 人口センサス中間報告。4月1日~5日までに行なわれた1983年度人口センサスの中間報告が発表され、これによると3月末現在の全国人口は3531万3905人(男1751万人、女1780万人)で、10年間に639万人の増加となった。都市人口は全体の23.95%、主な都市の人口は次のとおり、ラングーン(245万8712)、マンダレー(53万2895)、モールメイン(21万9991)である。 |
DIA-211-1983-10-28-2 | ミャンマー | 1983年10月28日 | 1980年代 | Mogaung郡内の村民10万800人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1983-10-28-3 | ミャンマー | 1983年10月28日 | 1980年代 | Namtiで住民、兵士7300人が出席して反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1983-10-30-1 | ミャンマー | 1983年10月30日 | 1980年代 | Chit Hlaing外相はイギリスを公式訪問するためロンドンに向かった。11月9日帰国。 |
DIA-211-1983-11-01-1 | ミャンマー | 1983年11月01日 | 1980年代 | ラングーン管区各地で、今年度産米の政府買付センターが開設され集荷が始まった。 |
DIA-211-1983-11-02-1 | ミャンマー | 1983年11月02日 | 1980年代 | Waingmawで住民800人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1983-11-02-2 | ミャンマー | 1983年11月02日 | 1980年代 | 農林関係の、第2四半期調整会議が行なわれ、Ye Goung農林相は、今年度作物の作柄について述べ、雨期のスタートが遅れたものの、以後天候も順調であったため、稲作およびその他の作物も概ね順調に成育した。また当局の「ロスの最少限努力」が実って、ほとんどの作物は前年を上回るだろうと述べた。 |
DIA-211-1983-11-03-1 | ミャンマー | 1983年11月03日 | 1980年代 | Namsang郡Mongsit村で村民1200人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1983-11-04-1 | ミャンマー | 1983年11月04日 | 1980年代 | 北朝鮮と断交。政府・閣僚評議会は、先に設立した「爆弾テロ事件調査委員会」の報告に基づき、当事件は北朝鮮の指示に基づいて派遣された1人の現役少佐と2人の現役大尉による犯行であるとして、北朝鮮の国家承認を取消し、外交関係を断絶すると発表、さらに在ビルマ北朝鮮外交団の48時間以内の国外退去を命令した。なお捕えられた朝鮮人はZin Mo少佐とKang Min Chul大尉である。 |
DIA-211-1983-11-05-1 | ミャンマー | 1983年11月05日 | 1980年代 | Ye Goung農林相は第22回FAO総会に出席のためローマへ。27日帰国。 |
DIA-211-1983-11-06-1 | ミャンマー | 1983年11月06日 | 1980年代 | 48時間以内の国外退去命令に基づき、北朝鮮外交団全員が、北朝鮮差向けの特別機で帰国した。 |
DIA-211-1983-11-07-1 | ミャンマー | 1983年11月07日 | 1980年代 | ミーチナ近郊Thanlan-nangwe村で村民1500人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1983-11-12-1 | ミャンマー | 1983年11月12日 | 1980年代 | サンユー大統領は、Kyaw Htin国防相らとペグー管区内の稲作状況、タピオカ・澱粉工場、グルタミン酸工場などの建設状況を視察した。 |
DIA-211-1983-11-13-1 | ミャンマー | 1983年11月13日 | 1980年代 | パリで開かれていた第22回UNESCO総会に出席していたKyaw Nyein教育相が帰国。 |
DIA-211-1983-11-14-1 | ミャンマー | 1983年11月14日 | 1980年代 | Tin Oo元准将に無期懲投。ラングーン地裁第6号法廷はTin Oo元准将(前計画党副書記)の公金流用などに関する判決公判が行なわれ、Tin Oo元准将に関わる五つの犯罪に対して全て終身刑の判決を言い渡した。またBo Ni元内相に対してはTin Oo元准将に関わる三つのケースについて10年の実刑判決が追加された。 |
DIA-211-1983-11-16-1 | ミャンマー | 1983年11月16日 | 1980年代 | 1982/83年度の模範労働者(685名)、最優秀社会主義労働者(72名)がそれぞれ発表された。模範労働者は各州と各管区からそれぞれ選抜される。 |
DIA-211-1983-11-18-1 | ミャンマー | 1983年11月18日 | 1980年代 | 1967年3月にSriksetra博物館から盗まれて行方不明となっていたビュー時代のブロンズ像4体がアメリカ人のディーラーから返還された。 |
DIA-211-1983-11-21-1 | ミャンマー | 1983年11月21日 | 1980年代 | ラングーン=シュリアム間橋梁建設計画(ペグー河、中国援助決定)のための中国政府予備設計調査団(12名)が来訪。 |
DIA-211-1983-11-22-1 | ミャンマー | 1983年11月22日 | 1980年代 | 爆弾テロ犯人に対する裁判開始。ラングーンのミンガラドン陸軍施設内に特設されたラングーン地裁第8号法廷は、爆弾テロ事件の容疑者として起訴された2人の朝鮮人に対する審理を開始した。この日警察庁特別情報局次長Tin Hlaingが2人の朝鮮人に対する起訴状を朗読した。Zin Mo少佐とKang Min Chul大尉はいずれも負傷のため陸軍病院に入院していたが、この日は回復して出席。また特別法廷は外交団と公認新聞記者団に限って公開。 |
DIA-211-1983-11-23-1 | ミャンマー | 1983年11月23日 | 1980年代 | 爆弾テロ犯人に対する裁判2日目は、検察尋問が行なわれた。犯行はすでに死亡したもう1人の北朝鮮大尉を含む3人で行なわれたこと、彼らは北朝鮮人民軍Kang Chang Suの指令を受けていたこと、9月22日か23日にラングーンに北朝鮮船で到着後、事件3日前まで北朝鮮大使館参事官Chon Chang Huiらが住んでいる家に隠まわれていたことなどが明らかにされた。 |
DIA-211-1983-11-23-2 | ミャンマー | 1983年11月23日 | 1980年代 | オーストラリア外相Bill Hayden夫妻が来訪、Chit Hlaing外相と会談。 |
DIA-211-1983-11-23-3 | ミャンマー | 1983年11月23日 | 1980年代 | Monghsuで5000人の住民と陸軍第77歩兵師団、第104歩兵連隊将兵が出席して反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1983-11-24-1 | ミャンマー | 1983年11月24日 | 1980年代 | 塚本新駐ビルマ日本大使がサンユー大統領に信任状を提出。 |
DIA-211-1983-11-24-2 | ミャンマー | 1983年11月24日 | 1980年代 | 来訪中のオーストラリア外相はTun Tin副首相と会談。 |
DIA-211-1983-11-24-3 | ミャンマー | 1983年11月24日 | 1980年代 | 爆弾テロ事件裁判3日目。この日も検察官尋問が行なわれ、外務省儀典局次長らに対する証人喚問が行なわれた。このなかで強制退去させられた北朝鮮外交団の財産は中国大使館が管理代行していること、3人の容疑者がラングーンに到着するまでの詳細が明らかにされた。 |
DIA-211-1983-11-25-1 | ミャンマー | 1983年11月25日 | 1980年代 | 爆弾テロ事件裁判4日目。引き続き証人喚問が行なわれ、この日事件前後に犯人を見たという目撃者に対する質問が行なわれ、犯行に使用された爆弾の威力なども証言された。また、この日Kang Min Chul大尉を同行して10月6日から8日までに野宿した地点、アウンサン廟などで現場検証を行なった。 |
DIA-211-1983-11-28-1 | ミャンマー | 1983年11月28日 | 1980年代 | 爆弾テロ事件裁判5日目。証人喚問が行なわれた。 |
DIA-211-1983-11-30-1 | ミャンマー | 1983年11月30日 | 1980年代 | 中国赤十字代表団来訪、12月14日まで。 |
DIA-211-1983-11-30-2 | ミャンマー | 1983年11月30日 | 1980年代 | 中国政府対外貿易部長陳慕華を団長とする貿易代表団が来訪、サンユー大統領と会見。この後マウン・マウン・カ首相、Tun Tin副首相とも会談。 |
DIA-211-1983-11-30-3 | ミャンマー | 1983年11月30日 | 1980年代 | 爆弾テロ事件裁判6日目。第90連隊第2小隊長Maung Maung Aung中尉の、2人の朝鮮人逮捕時の状況についての証言などがあった。 |
DIA-211-1983-12-01-1 | ミャンマー | 1983年12月01日 | 1980年代 | 農民連合第3回中央委員会が開かれ、Ye Goung中央委議長(農林省)が開会演説、このあと質疑応答、このなかでメイズ、ソルガムの輸出開発が強調された。 |
DIA-211-1983-12-01-2 | ミャンマー | 1983年12月01日 | 1980年代 | 爆弾テロ事件裁判7日目。 |
DIA-211-1983-12-02-1 | ミャンマー | 1983年12月02日 | 1980年代 | Sein Tun協同組合相は、11月29日~12月2日にかけて、ピンマナ、メイミヨー、マンダレーなどの協同組合活動を視察した。 |
DIA-211-1983-12-02-2 | ミャンマー | 1983年12月02日 | 1980年代 | 農民連合第3回中央委は決議文が採択され閉会。 |
DIA-211-1983-12-03-1 | ミャンマー | 1983年12月03日 | 1980年代 | Tun Tin計画・財務相は来訪中の中国対外貿易部長陳慕華と経済協力関係について会談、5日に帰国。 |
DIA-211-1983-12-05-1 | ミャンマー | 1983年12月05日 | 1980年代 | サンユー大統領は4日、5日とテナセリム地方を訪れ、メルグイで当地区各種当局高官を集め、政治・経済・社会状況についてガイダンス。メルグイのタピオカ澱粉工場を視察。同行者はKyaw Htin国防相、国評メンバーZaw Win、Tint Swe第1工業相らである。 |
DIA-211-1983-12-05-2 | ミャンマー | 1983年12月05日 | 1980年代 | 爆弾テロ事件裁判8日目。Sein Win弁護士による陳述などが行なわれた。 |
DIA-211-1983-12-06-1 | ミャンマー | 1983年12月06日 | 1980年代 | 日本の無償援助交換公文、総額33.54億円で、うち25億円は食糧増産援助、8.54億円は淡水エビ養殖センター設立に使用される。 |
DIA-211-1983-12-06-2 | ミャンマー | 1983年12月06日 | 1980年代 | 爆弾テロ事件裁判9日目。この日で、検察・弁護側双方の陳述が終わり、審理が終了。判決を待つだけとなった。 |
DIA-211-1983-12-08-1 | ミャンマー | 1983年12月08日 | 1980年代 | Mong Yawngで住民1200人、第882作戦部隊、第3チン銃隊将兵などがBCP抗議集会。 |
DIA-211-1983-12-08-2 | ミャンマー | 1983年12月08日 | 1980年代 | アメリカ上院議員Mrs.Paula HawkinsとMr.James Abdnorが来訪、Min Gaung内務・宗教相、Chit Hlalng外相と会談。 |
DIA-211-1983-12-09-1 | ミャンマー | 1983年12月09日 | 1980年代 | 爆弾テロ事件犯人に死刑。爆弾テロ事件を審理してきたラングーン地裁第8号法廷は、被告Zin Mo少佐とKang Min Chul大尉の2人に死刑の判決を言い渡した。7日以内に控訴しない場合は刑が確定する。両被告の罪名は殺人、同未遂、武器不法所持等である。 |
DIA-211-1983-12-09-2 | ミャンマー | 1983年12月09日 | 1980年代 | 第2期労働者連合第3回中央委員会が開かれる。11日閉会、決議文採択。 |
DIA-211-1983-12-13-1 | ミャンマー | 1983年12月13日 | 1980年代 | Tun Wai保健相は来訪中のイギリスの王立産婦人科大学総長と会談。 |
DIA-211-1983-12-15-1 | ミャンマー | 1983年12月15日 | 1980年代 | Hopong郡Sangaw村で2000人の住民と第11前線歩兵連隊将兵が反乱軍抗議集会を開き、元Pa-O族反乱軍兵士らが謝罪した。 |
DIA-211-1983-12-15-2 | ミャンマー | 1983年12月15日 | 1980年代 | Ye Goung農林省はHlegu郡Ohn-hue-gon村のモデル稲作圃場を視察。 |
DIA-211-1983-12-20-1 | ミャンマー | 1983年12月20日 | 1980年代 | 新駐中国大使にU Hla Shweが任命された。 |
DIA-211-1983-12-20-2 | ミャンマー | 1983年12月20日 | 1980年代 | 第34回協同組合・国営公社集団買付交渉がラングーンで開かれた。 |
DIA-211-1983-12-21-1 | ミャンマー | 1983年12月21日 | 1980年代 | 油料作物の政府買付促進のための調整会議が開かれ、協同組合省と、マンダレー、シャン州など6州・管区の代表が協議した。 |
DIA-211-1983-12-21-2 | ミャンマー | 1983年12月21日 | 1980年代 | 国軍兵士による農作業援助の第Ⅱ次特別作戦(Shwewamye作戦)が開始され、この日2000人の国軍兵士がThongwa郡に派遣された。 |
DIA-211-1983-12-22-1 | ミャンマー | 1983年12月22日 | 1980年代 | Putao空港の新滑走路が完成、竣工式にはSaw Hla Pru運輸・通信副大臣らが出席。 |
DIA-211-1983-12-24-1 | ミャンマー | 1983年12月24日 | 1980年代 | 人民議会Tabayin第1区で補選の結果Tun Shwe大佐が信任された。 |
DIA-211-1983-12-27-1 | ミャンマー | 1983年12月27日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相、Kyaw Htin国防相ら閣僚は、建設中の人民議会議事堂と国家評議会会館を視察。なおすでに建設は80%の段階である。 |
DIA-211-1983-12-28-1 | ミャンマー | 1983年12月28日 | 1980年代 | Than Tin鉱山相、Win Htein同省副大臣らは26日~28日まで、Tavoy Palaw郡などの鉱山施設を視察した。 |
DIA-211-1983-12-30-1 | ミャンマー | 1983年12月30日 | 1980年代 | ビルマ政府はラオス政府に対し100㌧の食塩を贈与。ラオス国境TongPei郡Meng Mong村で現物が引き渡され、ビエンチャンで贈与式が行なわれた。 |
DIA-211-1983-12-30-2 | ミャンマー | 1983年12月30日 | 1980年代 | 北部師団および東部師団による1983年度の軍事作戦(Zwe Ye Man作戦、Lay Man Aung作戦)の状況が報告され、北部師団関係では9月にLahe郡内でナガ族反乱軍と戦闘(8人死亡)、10月にはPannyo村、12月にはKhamti郡内で戦闘して、10人を捕え、22人が投降した。また東部師団関係では、1年間にLahu族反乱軍Ei Bwi派と72回にわたり戦闘、反乱軍92人死亡、80人が投降。またAiSarに率いられるKya-U派Lahu族反乱軍とも戦闘、反乱軍13人が投降した。 |
DIA-211-1983-12-30-3 | ミャンマー | 1983年12月30日 | 1980年代 | 陸軍参謀長Saw Maung少将、海軍参謀長Mg Mg Win海軍大佐、空軍参謀長Ko Gi少将、国軍軍務局長Khin Maung少将、主計総監Tuan Za Khai准将らはKyauktan郡内のHYV種稲作収穫状況を視察。 |
DIA-211-1983-12-30-4 | ミャンマー | 1983年12月30日 | 1980年代 | Ye Goung農林相は、27日から30日までイラワジ管区内の稲作収穫状況を視察した。 |
DIA-211-1984-01-04-1 | ミャンマー | 1984年01月04日 | 1980年代 | サンユー大統領夫妻主催の独立記念日晩さん会が開かれ,ネーウィン議長夫妻らが出席。 |
DIA-211-1984-01-04-2 | ミャンマー | 1984年01月04日 | 1980年代 | 1984年度国家功労賞授賞者が発表され,第1等功労賞は元運輸・通信相U Tun Lin,元陸軍参謀長Tun Yi中将,マウン・マウン・カ首相,Kyaw Htin国防相,元計画・財務相U Lwinら127名,第2等には131名がそれぞれ受賞。また同日付で軍人勲功賞が発表され,最高栄誉のThura賞は,第47連隊Soe Aung少佐ら,60名の兵士に与えられた。 |
DIA-211-1984-01-05-1 | ミャンマー | 1984年01月05日 | 1980年代 | スリランカ大蔵・計画相Ronnie De Melが来訪(1月10日まで)。 |
DIA-211-1984-01-06-1 | ミャンマー | 1984年01月06日 | 1980年代 | カレン反乱軍,Mae Sot近郊で,ビルマ政府軍と激戦,政府軍側2個所の基地占拠(バンコクポスト)。 |
DIA-211-1984-01-06-2 | ミャンマー | 1984年01月06日 | 1980年代 | 来訪中のスリランカ蔵相,マウン・マウン・カ首相およびMaung Cho第2工業相と別個に会談。 |
DIA-211-1984-01-07-1 | ミャンマー | 1984年01月07日 | 1980年代 | サンユー大統領は6日,7日と北部シャン州を訪れ,地区指導者を集めて,政治・社会・経済情勢に関わる基本政策を説明。Kyaw Htin国防相,国評メンバーZaw Win,党中執委Tun Yi中将,Than Tin鉱業相らが同行。 |
DIA-211-1984-01-07-2 | ミャンマー | 1984年01月07日 | 1980年代 | モーリシャス貿易・船運相Kader Bhayatを団長とする米買付代表団が来訪。 |
DIA-211-1984-01-09-1 | ミャンマー | 1984年01月09日 | 1980年代 | 州・管区行政幹部と政府との間で,1984/85年度経済計画調整会議が開かれ,マウン・マウン・カ首相,Tun Tin計画・財務相らも出席。この中で84/85年度の経済成長率を6%と計画し,輸出の増加が最重点であることなどが明らかにされた。 |
DIA-211-1984-01-09-2 | ミャンマー | 1984年01月09日 | 1980年代 | サンユー大統領,来訪中のスリランカ蔵相と会談。 |
DIA-211-1984-01-09-3 | ミャンマー | 1984年01月09日 | 1980年代 | 国軍兵士による援農特別作戦第Ⅲ次Shwewamye作戦が開始された。Hlegu,ThongwaなどのHYV普及地域での稲刈作業を行なう。 |
DIA-211-1984-01-10-1 | ミャンマー | 1984年01月10日 | 1980年代 | シャン統一軍(SUA)は最近,150名の兵力を向けてLahu族軍本拠地(Doi Lang)を攻撃,これを占拠(バンコク・ポスト)。 |
DIA-211-1984-01-12-1 | ミャンマー | 1984年01月12日 | 1980年代 | アメリカ議会麻薬取締委員会議長Charles B. Rangelを団長とするアメリカ議会代表団一行7名が来訪。Ye Goung農林相,Chit Hlaing外相らと会談。 |
DIA-211-1984-01-13-1 | ミャンマー | 1984年01月13日 | 1980年代 | 第66師団によるカレン族軍に対する政府軍の大攻勢が開始され,タイ・ビルマ国境付近を中心に激戦が展開されている。この戦闘には政府軍約2000名の兵士が投入され,M84を中心とする重火器攻撃が主体。 |
DIA-211-1984-01-13-2 | ミャンマー | 1984年01月13日 | 1980年代 | カレン州Papun第1区で人民議会補選が行なわれ,Daw Naw Clo Htooが当選。またヤカイン州Buthidaung郡第1区ではKaung Hla Pru中佐が当選。 |
DIA-211-1984-01-14-1 | ミャンマー | 1984年01月14日 | 1980年代 | 稲の収穫が全国各地でピークを迎え,各地で村民が共同で行なう“集団販売”がAFPTCに対して進められている。 |
DIA-211-1984-01-16-1 | ミャンマー | 1984年01月16日 | 1980年代 | アメリカ国務省国際麻薬問題担当次官補L Di Carloが来訪,Chit Hlaing外相らと会談。 |
DIA-211-1984-01-17-1 | ミャンマー | 1984年01月17日 | 1980年代 | サンユー大統領は来訪中の藤岡アジア開銀総裁と会見。 |
DIA-211-1984-01-17-2 | ミャンマー | 1984年01月17日 | 1980年代 | イラワジ管区Kyaunggon第2区で人民議会補選が行なわれ,Tun Kyi大佐が当選。 |
DIA-211-1984-01-18-1 | ミャンマー | 1984年01月18日 | 1980年代 | ラフ族軍(Lahu State Army)は最近SUAの攻撃を受けたりして窮地に追いこまれたために,リーダーPhya Cha-eurは35人の兵士とともにビルマ政府軍にこのほど投降した。LSAは300人の兵力を有し,1932年8月からDoi Langに本拠地を築いて,麻薬運搬を行なっていた(バンコク・ポスト)。 |
DIA-211-1984-01-18-2 | ミャンマー | 1984年01月18日 | 1980年代 | 第19回東南アジア諸国中央銀行頭取会議がラングーンで開かれ,8カ国,2国際銀行の総裁らが出席,Tun Tin副首相が開会演説を行なった。 |
DIA-211-1984-01-24-1 | ミャンマー | 1984年01月24日 | 1980年代 | 政府軍によるカレン反乱軍への大攻撃が続いており,カレン族軍の重要な密輸基地であるMae Taw Wah村の市場が攻撃され,商店,民家など300戸が焼失,4000人のカレン族難民がタイ側に逃れてきた(バンコク・ポスト)。 |
DIA-211-1984-01-24-2 | ミャンマー | 1984年01月24日 | 1980年代 | Kutkaiで第99歩兵師団前線部隊兵士など4500人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1984-01-25-1 | ミャンマー | 1984年01月25日 | 1980年代 | 畜・水産副大臣Aung Win大佐は,22日から25日にかけて,ヤカイン州内の水産・畜産施設を視察。 |
DIA-211-1984-01-26-1 | ミャンマー | 1984年01月26日 | 1980年代 | 農林省で,83/84年度第3四半期調整会議が開かれ,Ye Goung農林相は,今年度の農業生産はおおむね順調にいっており,目標も達成されようと述べた。 |
DIA-211-1984-01-27-1 | ミャンマー | 1984年01月27日 | 1980年代 | サンユー大統領は26,27日とカチン州のMyt-kyinaとPutaoを訪れ,地区幹部に対し,政治・経済ガイダンスを行なった。Kyaw Htin国防相,Zaw Win国評メンバー,Tun Yi中将などが同行。 |
DIA-211-1984-01-28-1 | ミャンマー | 1984年01月28日 | 1980年代 | Kawkareik郡Kyondo村で住民3000人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1984-01-29-1 | ミャンマー | 1984年01月29日 | 1980年代 | 第37回連邦記念日準備中央委員会が開かれ,Aye Ko同委議長らが出席,中央会場などを視察。 |
DIA-211-1984-01-30-1 | ミャンマー | 1984年01月30日 | 1980年代 | シャン州Hopongで1000人の住民が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1984-01-31-1 | ミャンマー | 1984年01月31日 | 1980年代 | シャン州Hsipaw郡第2区で人民議会補選,U Sai Aung Tunが当選。 |
DIA-211-1984-02-02-1 | ミャンマー | 1984年02月02日 | 1980年代 | Sein Tun畜・水産相は1月30日から2月2日まで,シャン州内の畜産,淡水魚養殖施設などを視察。 |
DIA-211-1984-02-03-1 | ミャンマー | 1984年02月03日 | 1980年代 | ラングーン市内の交通事故が多発しているため,プローム通りなど主要道路でのサイカー(三輪力車)の通行を禁止した。現在,ラングーン市の登録車輛台数は6万台で,年間の交通事故は3000件に達している。 |
DIA-211-1984-02-04-1 | ミャンマー | 1984年02月04日 | 1980年代 | Khin Maung Gyi貿易相はBassein地区での籾集荷状況を視察。 |
DIA-211-1984-02-05-1 | ミャンマー | 1984年02月05日 | 1980年代 | 84年度連邦記念日(第37回)の統一スローガンは,(1)国民団結と連邦精神の昂揚,(2)国家経済発展のための全民族の動員,(3)統一と団結による全反乱軍の一掃,と決まった。 |
DIA-211-1984-02-06-1 | ミャンマー | 1984年02月06日 | 1980年代 | サンユー大統領は,Aye Ko総書記,マウン・マウン・カ首相らと連邦記念日中央式典会場,各州・管区の展示館を視察。 |
DIA-211-1984-02-06-2 | ミャンマー | 1984年02月06日 | 1980年代 | オーストリー国務相Erich Schmidtが来訪,Tun Tin副首相,Tint Swe第1工業相らと会談(2月8日まで)。 |
DIA-211-1984-02-07-1 | ミャンマー | 1984年02月07日 | 1980年代 | Magwe管区Chauk第1区選出のThakin Khin Zawは人民議会と国家評議会メンバーを辞任。 |
DIA-211-1984-02-08-1 | ミャンマー | 1984年02月08日 | 1980年代 | Aye Ko計画党総書記は連邦記念日中央式典に出席する各民族代表と会談。 |
DIA-211-1984-02-08-2 | ミャンマー | 1984年02月08日 | 1980年代 | ネーウィン議長はサンユー大統領,Kyaw Htin国防相らとともに第21回宝石見本市会場を視察。 |
DIA-211-1984-02-11-1 | ミャンマー | 1984年02月11日 | 1980年代 | 第37回連邦記念日に向けての中央討論会がチャイカサン広場サヤサンホールで開かれ,Aye Ko党総書記が基調演説を行なった。 |
DIA-211-1984-02-11-2 | ミャンマー | 1984年02月11日 | 1980年代 | サンユー大統領夫妻は連邦記念日式典の代表者を招待して晩さん会を開いた。ネーウィン議長も出席。 |
DIA-211-1984-02-12-1 | ミャンマー | 1984年02月12日 | 1980年代 | 第37回連邦記念日中央式典がチャイカサン広場で行なわれ,各州・管区からの代表者を含め,15万人が出席,ネーウィン議長の特別メッセージが,Sein Lwin党副総書記によって読み上げられた。 |
DIA-211-1984-02-13-1 | ミャンマー | 1984年02月13日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相はソ連のアンドロポフ書記長の逝去に対し,ソ連大使館で記帳。 |
DIA-211-1984-02-15-1 | ミャンマー | 1984年02月15日 | 1980年代 | 国防省付Hla Oo少将,東部師団司令官Aye San准将,第88歩兵師団司令官Tun Kyi大佐らはKe-ngtung地区を視察。 |
DIA-211-1984-02-15-2 | ミャンマー | 1984年02月15日 | 1980年代 | 政府軍はカレン族軍の重要前線基地Klerdyを攻撃,これを占拠(バンコク・ポスト)。 |
DIA-211-1984-02-15-3 | ミャンマー | 1984年02月15日 | 1980年代 | ソ連・ウズベク共和国労働組合連合会書記長Akram Tashmatovを団長とするソ連代表団が来訪,農民連合会,労働者連合会代表と会談。 |
DIA-211-1984-02-17-1 | ミャンマー | 1984年02月17日 | 1980年代 | Ohn Kyaw社会福祉・労働相は16,17日とTavoy,Mergui地区の福祉施設などを視察。 |
DIA-211-1984-02-18-1 | ミャンマー | 1984年02月18日 | 1980年代 | カレン族軍の重要根拠地Maw Po Kayが政府軍によって攻撃され,カレン族軍はこれを放棄したと発表。なおこれにより1000人のカレン族難民が国境を越えた。これで現在までにタイ領内のキャンプに収容されている難民は6000人となった(バンコク・ポスト)。 |
DIA-211-1984-02-19-1 | ミャンマー | 1984年02月19日 | 1980年代 | KNLA(カレン民族解放軍)が先に放棄したMae Taw Wah基地に,政府軍(400人)が進駐。これに対しKNLAは特別攻撃隊を編成して奪回の準備に入った(バンコク・ポスト)。 |
DIA-211-1984-02-21-1 | ミャンマー | 1984年02月21日 | 1980年代 | ビルマ政府軍部隊(2000人)が,タイ領メーホンソンの対岸のカレン軍根拠地(ビルマ領内)を新たに攻撃,KNLA第20大隊が応戦しているが,すでにこの付近から1200人のカレン族難民が国境を越えた(バンコク・ポスト)。 |
DIA-211-1984-02-21-2 | ミャンマー | 1984年02月21日 | 1980年代 | 日本政府は総額4億3945万円の無償援助供与のための交換公文を締結。内訳は3億8945万円がTV局施設拡大,残り5000万円がラングーン大学科学実験室の研究機械購入用にそれぞれ使用される。 |
DIA-211-1984-02-22-1 | ミャンマー | 1984年02月22日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相とTun Tin副首相は造船公社のドック・ヤードを視察。 |
DIA-211-1984-02-22-2 | ミャンマー | 1984年02月22日 | 1980年代 | Bilin付近の住民1万人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1984-02-22-3 | ミャンマー | 1984年02月22日 | 1980年代 | 外相招待で中国の呉学謙外相ら一行が公式訪問。 |
DIA-211-1984-02-23-1 | ミャンマー | 1984年02月23日 | 1980年代 | KNUリーダーBo Mya将軍は,ビルマ政府軍の大攻勢により,カレン族軍が窮地に陥っているため,このほどSUAのKhun Saに支援を要請したといわれている(バンコク・ポスト)。 |
DIA-211-1984-02-23-2 | ミャンマー | 1984年02月23日 | 1980年代 | サンユー大統領,来訪中の呉学謙・中国外相と会談。 |
DIA-211-1984-02-23-3 | ミャンマー | 1984年02月23日 | 1980年代 | チェコのLubomir Strougal首相一行が来訪(25日まで)。 |
DIA-211-1984-02-24-1 | ミャンマー | 1984年02月24日 | 1980年代 | サンユー大統領は公式訪問中のチェコ首相と会談。 |
DIA-211-1984-02-25-1 | ミャンマー | 1984年02月25日 | 1980年代 | 来訪中のチェコ首相はマウン・マウン・カ首相の案内で,チェコ政府援助によるMalun第2工場(トラクター組立)を視察。帰国に先立ち共同声明が発表された。 |
DIA-211-1984-02-25-2 | ミャンマー | 1984年02月25日 | 1980年代 | Thaton郡Htaunguhmu村で,村民3500人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1984-02-27-1 | ミャンマー | 1984年02月27日 | 1980年代 | ネーウィン議長は24日から27日まで,中央軍管区内の経済施設,Kyawswa村で建設中の第3化学肥料工場などを視察。党中執委マウン・マウン博士,Kyaw Htin国防相,Maung Cho第2工業相らが同行。 |
DIA-211-1984-02-27-2 | ミャンマー | 1984年02月27日 | 1980年代 | ペグー管区プローム第2区で人民議会補選,U Kin Hlaingが当選。 |
DIA-211-1984-02-29-1 | ミャンマー | 1984年02月29日 | 1980年代 | 第21回宝石見本市がこのほど終了。ヒスイなど売上総額は4024万5510チヤツト(489万ドル)であった。 |
DIA-211-1984-03-02-1 | ミャンマー | 1984年03月02日 | 1980年代 | 84年度農民の日記念集会が各地で行なわれ,ネーウィン議長が特別メッセージを発表。 |
DIA-211-1984-03-02-2 | ミャンマー | 1984年03月02日 | 1980年代 | Tun Tin計画・財務相の招待により西独経済協力相Dr. Juergen Warnkeとその一行が来訪。 |
DIA-211-1984-03-04-1 | ミャンマー | 1984年03月04日 | 1980年代 | Khin Maung Gyi貿易相を団長とする政府貿易代表団が,マレーシア,シンガポールを訪問して帰国。 |
DIA-211-1984-03-05-1 | ミャンマー | 1984年03月05日 | 1980年代 | Maw Po Kayをめぐって政府軍とカレン軍の激戦が続いているが,政府軍は2000人の部隊で猛攻,カレン軍は街はずれにざん壕を築き,機関銃を据えつけて必死に防戦,タイ領内Ban Mae Tarnからも連日戦闘の様子が手にとるように見える(バンコク・ポスト)。 |
DIA-211-1984-03-05-2 | ミャンマー | 1984年03月05日 | 1980年代 | ネーウィン議長は私邸に,Ywathikyiの民族アカデミー第15期卒業予定者を招き,懇談,またこの先Aye Ko党総書記は,党中央委員会議室に彼らを招いて,少数民族社会での役割について訓辞。 |
DIA-211-1984-03-06-1 | ミャンマー | 1984年03月06日 | 1980年代 | 来訪中の西独経済協力相はMaung Cho第2工業相の案内で,西独援助によるプロジェクトのうちKindaダム,第3化学肥料工場,シンデ工業訓練センターなどを視察。 |
DIA-211-1984-03-07-1 | ミャンマー | 1984年03月07日 | 1980年代 | 来訪中の西独経済協力代表団はビ政府との間で,84/85年度の借款供与協定に調印。総額8000万マルクで利子0.75%,10年据置,50年延払い。内訳はThayetmyoセメント工場改良,ディーゼル機関車購入,Kinda水力発電施設など。 |
DIA-211-1984-03-08-1 | ミャンマー | 1984年03月08日 | 1980年代 | 計画党第11回中央委員会が2日間にわたって開かれ,Aye Ko総書記が基調報告を提出,中央委メンバーU Min Naung,U Khin Maung Yi,U Tun Kyawの辞任が発表された。 |
DIA-211-1984-03-10-1 | ミャンマー | 1984年03月10日 | 1980年代 | ソ連・ビルマ文化交流計画にもとづくソ連舞踊団が来訪。なおこの先2月末からはアメリカの現代音楽団が公演している。 |
DIA-211-1984-03-12-1 | ミャンマー | 1984年03月12日 | 1980年代 | 第3期第6回人民議会開会-第1日目,U Ohn Kyaingが議長に選ばれ,Aye Ko国評総書記が国評報告を提出。また閣僚評議会報告,国家予算案,84/85年度経済計画がそれぞれ提出された。 |
DIA-211-1984-03-12-2 | ミャンマー | 1984年03月12日 | 1980年代 | 83/84年度GDPは5.6%-人民議会に提出された経済報告のなかで,83/84年度の経済概況が発表され,これによると83/84年度のGDP成長率は5.6%(暫定)であった。なお部門別では農業4.8%,林業5.2%,畜・水産10.2%,鉱業23.9%,製造業9%,電力11%,建設8.1%,等であり,工業の年間平均操業率は73%であった。輸出は目標および前年度水準に達成せず,外貨獲得のための緊急措置が強調された。 |
DIA-211-1984-03-12-3 | ミャンマー | 1984年03月12日 | 1980年代 | 84/85年度目標は6.3%-人民議会に提出された84/85年度経済計画のなかで,GDPの成長率は6.3%と設定され,部門別では農業4.6%,畜・水産9.3%,林業5.3%,鉱業19.1%,製造業11.1%などそれぞれ設定された。なお輸出目標は42.698億チヤツト(対前年度実績比18.8%増)である。 |
DIA-211-1984-03-12-4 | ミャンマー | 1984年03月12日 | 1980年代 | 戦闘の続くMaw Po Kay付近でカレン軍を追撃してきたビルマ政府軍部隊は国境を越え,タイ国境警備警察隊と衝突・タイ側兵士2名が戦死(バンコク・ポスト)。 |
DIA-211-1984-03-15-1 | ミャンマー | 1984年03月15日 | 1980年代 | Loilem郡Loilemで7000人の住民が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1984-03-16-1 | ミャンマー | 1984年03月16日 | 1980年代 | 第3期第6回人民議会が終了。84/85年度国家予算法が成立。 |
DIA-211-1984-03-16-2 | ミャンマー | 1984年03月16日 | 1980年代 | 国家評議会はマグウェ管区Yesagyo郡Nathnyun村人民評議会の解散を命じた。 |
DIA-211-1984-03-17-1 | ミャンマー | 1984年03月17日 | 1980年代 | ビルマ空軍の戦闘機がMaw Po Kayを空爆(バンコク・ポスト)。 |
DIA-211-1984-03-20-1 | ミャンマー | 1984年03月20日 | 1980年代 | Kyaw Htin国防相は第39回国軍記念日展示館を視察。国防副大臣Aung Khin少将ら軍幹部が同行。 |
DIA-211-1984-03-23-1 | ミャンマー | 1984年03月23日 | 1980年代 | ネーウィン議長とサンユー大統領はともに国軍記念日展示館を視察。 |
DIA-211-1984-03-24-1 | ミャンマー | 1984年03月24日 | 1980年代 | 国軍,対反乱軍との戦果を発表-国軍参謀本部は1983年4月から84年3月24日までに行なった反乱軍掃討作戦の戦果の内容を発表。これによるとこの間に16回の大戦闘を含め合計2731回にわたり各種反乱軍と交戦し,政府軍戦死528名,1370名が負傷した。また反乱軍側は戦死2464名,逮捕者640名,投降者1342名。反乱軍からは81mm臼砲(117門)60mm臼砲(7門)無反動砲(417門),M-18対空機関砲など多数の武器・弾薬が押収された。 |
DIA-211-1984-03-25-1 | ミャンマー | 1984年03月25日 | 1980年代 | マンダレーで大火災。2700戸が焼失,2万3250人が羅災。 |
DIA-211-1984-03-26-1 | ミャンマー | 1984年03月26日 | 1980年代 | 日本の無償援助によって建設された中央農業開発訓練センター(Hlegu郡Zayatkwin村)の引渡式が行なわれた。 |
DIA-211-1984-03-27-1 | ミャンマー | 1984年03月27日 | 1980年代 | 第39回国軍記念日(レジスタンス・デー)中央式典がレジスタンス公園で行なわれ,軍によるパレードの後,Kyaw Htin国軍参謀総長が演説。 |
DIA-211-1984-03-29-1 | ミャンマー | 1984年03月29日 | 1980年代 | 日本政府は,亜鉛鉄板購入用として9億円分の無償援助を行なう旨調印。 |
DIA-211-1984-03-30-1 | ミャンマー | 1984年03月30日 | 1980年代 | 建設省は全国主要道路上の橋梁を通過する車輛に通行料金を課すことを決定。車輛によって2チヤツト(牛車)から15チヤツト(大型)まで。 |
DIA-211-1984-03-30-2 | ミャンマー | 1984年03月30日 | 1980年代 | 国軍士官学校(メイミヨウ)第25期卒業式が行なわれ,Kyaw Htin国防相が訓辞。 |
DIA-211-1984-03-30-3 | ミャンマー | 1984年03月30日 | 1980年代 | 閣僚評議会経済調整委員会は,各州・管区代表らを含めての1984/85年度経済計画実施について検討会。 |
DIA-211-1984-04-01-1 | ミャンマー | 1984年04月01日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相,オーストラリア訪問-ホーク首相の招待により公式訪問のため出発。Chit Hlaing外相,Than Tin鉱業相などが同行,ニュージーランドも訪問する。2日にキャンベラ到着,ホーク首相と第1回の会談。 |
DIA-211-1984-04-04-1 | ミャンマー | 1984年04月04日 | 1980年代 | ビルマ政府軍部隊はMaw Po Kayに対し新たな攻撃を開始。この攻撃はほぼ4日間にわたって行なわれ,この結果約1000人のカレン族難民がタイ側に避難。カレン軍は300人が戦死,900人が負傷した(パンコク・ポスト)。 |
DIA-211-1984-04-04-2 | ミャンマー | 1984年04月04日 | 1980年代 | 計画党青年部指導者訓練第24回のコースが開かれた。これは計画党員の青年部および大学生などの党員候補者に対して行なわれるもの。 |
DIA-211-1984-04-04-3 | ミャンマー | 1984年04月04日 | 1980年代 | オーストラリアを訪問中のマウン・マウン・カ首相はBass海峡の海底油田基地を視察。 |
DIA-211-1984-04-06-1 | ミャンマー | 1984年04月06日 | 1980年代 | Sein Tun協同組合相はHlaing郡の協同組合小売店を視察。 |
DIA-211-1984-04-07-1 | ミャンマー | 1984年04月07日 | 1980年代 | 政府関係職員に対する功労賞および永年勤続賞などの各賞の授与式が行なわれ,サンユー大統領が出席。 |
DIA-211-1984-04-07-2 | ミャンマー | 1984年04月07日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相はオーストラリアの公式日程を終え,ニュージーランドに到着。 |
DIA-211-1984-04-09-1 | ミャンマー | 1984年04月09日 | 1980年代 | ラングーン管区の裁判官調整会議が開かれ,人民司法評議会議長U Tin Aung Heinが出席,裁判の公正と迅速を強調。 |
DIA-211-1984-04-10-1 | ミャンマー | 1984年04月10日 | 1980年代 | 米国政府はメイズ,油脂作物生産計画用に700万ドルの無償援助を供与するとの協定に調印。これは化学肥料,農業機械の購入用。 |
DIA-211-1984-04-11-1 | ミャンマー | 1984年04月11日 | 1980年代 | ネーウィン議長とサンユー大統領はラングーン大学のコンピューター・センターを視察。 |
DIA-211-1984-04-11-2 | ミャンマー | 1984年04月11日 | 1980年代 | 国家評議会は建設省副大臣に,U Kyin Hlaingを任命。 |
DIA-211-1984-04-11-3 | ミャンマー | 1984年04月11日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相はニュージーランド訪問を終え,香港に到着,当地で静養の後18日に帰国。 |
DIA-211-1984-04-11-4 | ミャンマー | 1984年04月11日 | 1980年代 | Mansi郡の1000人の住民が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1984-04-13-1 | ミャンマー | 1984年04月13日 | 1980年代 | ビルマ政府軍部隊はMaw Po Kayの付近にあるカレン軍前線基地3個所を同時攻撃(バンコク・ポスト)。 |
DIA-211-1984-04-14-1 | ミャンマー | 1984年04月14日 | 1980年代 | ビルマ新年(ビルマ暦1346年)。 |
DIA-211-1984-04-14-2 | ミャンマー | 1984年04月14日 | 1980年代 | ビルマ政府軍部隊はMaw Po Kay付近のカレン軍所有の製材所,KNU Takerniキャンプを攻撃,これを破壊(バンコク・ポスト)。 |
DIA-211-1984-04-16-1 | ミャンマー | 1984年04月16日 | 1980年代 | ビルマ政府軍は現在第55,第66師団からの部隊がMaw Po Kay付近でカレン軍を攻撃中であるが,新たに6輛の戦車を中心とする機甲部隊が到着,戦闘配置についた(バンコク・ポスト)。 |
DIA-211-1984-04-17-1 | ミャンマー | 1984年04月17日 | 1980年代 | 1983年中にビルマを訪れた外国人は2万9995人。昨年に比べ85人の増加,観光収入は8200万チヤツトで前年度比9%増。 |
DIA-211-1984-04-19-1 | ミャンマー | 1984年04月19日 | 1980年代 | 今年度の優良青少年(Luyechun)に対する訓練キャンプが各地で開設。優良青少年計画中央委員議長Dr. Maung Di(教育副大臣)は各地のキャンプを視察。 |
DIA-211-1984-04-20-1 | ミャンマー | 1984年04月20日 | 1980年代 | ネーウィン議長は15日から20日まで建設中のKindaダム,メイミヨー士官学校,Paleik繊維工場などを視察。党中執委Dr. Maung Maung,Kyaw Htin国防相,Tun Yi中将,Ye Goung農林相らが同行。 |
DIA-211-1984-04-20-2 | ミャンマー | 1984年04月20日 | 1980年代 | KNUの密輸基地Wang Khaに対し,ビルマ政府軍が猛砲撃。現在タイ領内のキャンプに収容されているカレン族難民は約1万人(バンコク・ポスト)。 |
DIA-211-1984-04-21-1 | ミャンマー | 1984年04月21日 | 1980年代 | 協同組合副大臣・中央協組連合会議長U San Tintは18日から21日にかけて,シャン州各地を訪れ,各地の協組関係者と会談。 |
DIA-211-1984-04-22-1 | ミャンマー | 1984年04月22日 | 1980年代 | インド商務省次官Abid Hussainを団長とするインド政府経済代表団が来訪。代表団は23日にKhin Maung Gyi貿易相,Tint Swe第1工業相,24日にMaung Cho第2工業相らと会談,25日帰国。 |
DIA-211-1984-04-24-1 | ミャンマー | 1984年04月24日 | 1980年代 | ネー・ウィン議長はSyriamの石油精製所,錫精錬工場を視察。Kyaw Htin国防相,Ye Goung農林相,Saw Pru運輸相らが同行。 |
DIA-211-1984-04-26-1 | ミャンマー | 1984年04月26日 | 1980年代 | サンユー大統領は自身の選挙区ラングーン市Bahan郡の選挙民代表を集め,人民議会報告を行なった。Aye Ko国評書記長,Sein Lwin党副総書記らも出席。 |
DIA-211-1984-04-26-2 | ミャンマー | 1984年04月26日 | 1980年代 | Kyawkme郡Pang Sam村で3000人の住民が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1984-04-26-3 | ミャンマー | 1984年04月26日 | 1980年代 | タイ国防大学のChoowit少将を団長とするタイ国軍代表団が来訪。 |
DIA-211-1984-04-27-1 | ミャンマー | 1984年04月27日 | 1980年代 | ビルマ政府軍第55歩兵師団部隊はMae LahのKNU武器庫を砲撃,またMae Po Kay付近ではなお各所で激戦が続いている(バンコク・ポスト)。 |
DIA-211-1984-04-29-1 | ミャンマー | 1984年04月29日 | 1980年代 | ビルマ政府軍はカレン族軍に対し,兵士の投降を呼びかけるビラを散布。このなかで,カレン軍は随所でビルマ政府軍によって追い詰められていることなどが書かれている(ネーション・レビュー)。 |
DIA-211-1984-04-29-2 | ミャンマー | 1984年04月29日 | 1980年代 | サンユー大統領は病気治療のため英国に向け出発。夫人同伴。 |
DIA-211-1984-04-30-1 | ミャンマー | 1984年04月30日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相はBogale,Kyaiklatでの石油試掘状況を視察。Kyaw Htin国防相らが同行。 |
DIA-211-1984-05-01-1 | ミャンマー | 1984年05月01日 | 1980年代 | 1984年度労働者の日記念集会が各地で開かれ,ネーウィン議長は特別メッセージを発表。 |
DIA-211-1984-05-02-1 | ミャンマー | 1984年05月02日 | 1980年代 | Chit Hlaing外相はネパール,インド,バングラを訪問するため出発。文化省副大臣U Than Mamgらが同行。 |
DIA-211-1984-05-03-1 | ミャンマー | 1984年05月03日 | 1980年代 | Tun Wai保健相はWHO第37回総会に出席のためジュネーブに向け出発。27日帰国。 |
DIA-211-1984-05-03-2 | ミャンマー | 1984年05月03日 | 1980年代 | ネパールを訪問中のChit Hlaing外相はバハドゥール・カトリ首相と会談。またこの後6日にはビレンドラ国王と会見。 |
DIA-211-1984-05-04-1 | ミャンマー | 1984年05月04日 | 1980年代 | ビルマ政府軍によるカレン軍基地に対する攻撃は依然として続けられており,Wangkhaに対する砲撃も再開。またPalu地区では政府軍第75,76大隊がカレン軍基地を攻撃,激戦が続いている(バンコク・ポスト)。 |
DIA-211-1984-05-05-1 | ミャンマー | 1984年05月05日 | 1980年代 | Aye Ko国評書記長は自身の選挙区Taikkyi第1区の選挙民を集めて人民議会報告を行なった。 |
DIA-211-1984-05-06-1 | ミャンマー | 1984年05月06日 | 1980年代 | 農産物交易公社の年次調整会議の席上,Khin Maung Gyi貿易相は輸出の増加のために,雑豆,飼料,鉱産物などの伝統的輸出産品の拡大とともに,米の品質向上に努めることを指示した。 |
DIA-211-1984-05-07-1 | ミャンマー | 1984年05月07日 | 1980年代 | ビルマ政府軍は新たに三塔峠付近のカレン軍基地を攻撃,このために付近のカレン族,モン族住民3000人が国境を越えてタイ領内に避難。このため全国境でこの3日間で新たに5800名の難民が増加(バンコク・ポスト)。 |
DIA-211-1984-05-07-2 | ミャンマー | 1984年05月07日 | 1980年代 | Chit Hlaing外相はカトマンズでの日程を終わり,ニューデリーに到着。9日にはザイール・シン大統領,ベンカタラマン国防相らと会見。 |
DIA-211-1984-05-08-1 | ミャンマー | 1984年05月08日 | 1980年代 | ミーチナ郡Pammati村の住民5000人が麻薬追放のための集会。 |
DIA-211-1984-05-08-2 | ミャンマー | 1984年05月08日 | 1980年代 | 各国営公社で,昨年度の経営総括と今年度の計画を検討するための調整会議が行なわれた。 |
DIA-211-1984-05-09-1 | ミャンマー | 1984年05月09日 | 1980年代 | モンゴル外務副大臣T. Gombosurenが来訪。12日までの滞在期間中,Khin Maung Gyi外相代理らと会見。 |
DIA-211-1984-05-11-1 | ミャンマー | 1984年05月11日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相は自身の選挙区Hlaing第2区の選挙民代表を集めて人民議会報告。 |
DIA-211-1984-05-11-2 | ミャンマー | 1984年05月11日 | 1980年代 | アウンサン廟爆弾テロ事件の犯人を逮捕する際,協力した7人の住民とKNU反乱軍兵士逮捕に協力した3人の住民に対し,内務・宗教大臣より,それぞれ表彰状と記念品が授与された。 |
DIA-211-1984-05-11-3 | ミャンマー | 1984年05月11日 | 1980年代 | Chit Hlaing外相はインドでの日程を終えて,バングラのダッカに到着。12日にエルシャド大統領,ドハ外相と会見,同夜帰国。 |
DIA-211-1984-05-12-1 | ミャンマー | 1984年05月12日 | 1980年代 | ネーウィン議長は11日から12日にかけてSal-ingyiの第1銅精練プロジェクトを視察。Kyaw Htin国防相・Maung Cho第2工業相らが同行。 |
DIA-211-1984-05-16-1 | ミャンマー | 1984年05月16日 | 1980年代 | 食糧援助計画にもとづき,オーストラリア政府はビルマ政府に対し4380トンの小麦粉を贈与。 |
DIA-211-1984-05-17-1 | ミャンマー | 1984年05月17日 | 1980年代 | カレン軍は激戦の末,一時政府軍によって占拠されていたMae Laの基地を奪回,さらにWang Kha,Palu付近でも攻勢に転じている(ネーション・レビュー)。 |
DIA-211-1984-05-19-1 | ミャンマー | 1984年05月19日 | 1980年代 | 麻薬撲滅のための特別作戦(第Ⅳ次Nga Ye Pan作戦)により,1983/84年度中にケシ畑1万1110エーカーを破壊。州別ではシャン州1万1077エーカー,カチン州33エーカー,チン州2エーカーである。同作戦により生阿片3176kg,ヘロイン48kg,モルヒネ40kg,マリファナ916kg,などが押収された。なお同時に進めてきた第Ⅷ次Moe Hein作戦では606.95Vissの生阿片が押収された。 |
DIA-211-1984-05-20-1 | ミャンマー | 1984年05月20日 | 1980年代 | 国境地帯に前進してきていたビルマ政府軍部隊は徐々に撤退を開始した(バンコク・ポスト)。 |
DIA-211-1984-05-22-1 | ミャンマー | 1984年05月22日 | 1980年代 | 1983/84年現在の製造業工場は合計4万1141で,このうち従業員50人以上の工場は665で全体の1.6%である(WPD社説)。 |
DIA-211-1984-05-22-2 | ミャンマー | 1984年05月22日 | 1980年代 | 勇敢な兵士に贈られる国軍功労賞の贈呈式が各師団で行なわれた。 |
DIA-211-1984-05-23-1 | ミャンマー | 1984年05月23日 | 1980年代 | 第1工業副大臣U Maung Ohnを団長とする工業代表団が中国に出発。6月13日帰国。 |
DIA-211-1984-05-26-1 | ミャンマー | 1984年05月26日 | 1980年代 | 第3期第6回人民議会の報告会が各地で行なわれているが,Chit Hlaing外相は自身の選挙区Maubin第1区で行なった。 |
DIA-211-1984-05-26-2 | ミャンマー | 1984年05月26日 | 1980年代 | フランス運輸相Charles Fitermanと一行が到着。Saw Pru運輸・通信相らが出迎えた。30日帰国。 |
DIA-211-1984-05-28-1 | ミャンマー | 1984年05月28日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相は来訪中のフランス運輸相一行と会見。 |
DIA-211-1984-05-28-2 | ミャンマー | 1984年05月28日 | 1980年代 | 国軍兵士による援農特別作戦(Myaseinyaung作戦)にもとづき,ラングーン師団は特別部隊を編成して準備を開始。 |
DIA-211-1984-05-29-1 | ミャンマー | 1984年05月29日 | 1980年代 | サンユー大統領夫妻は英国での病気治療を終え,帰国。ネーウィン議長ほか首脳が出迎えた。 |
DIA-211-1984-05-29-2 | ミャンマー | 1984年05月29日 | 1980年代 | ソ連のバドミントン・チームが来訪。 |
DIA-211-1984-05-30-1 | ミャンマー | 1984年05月30日 | 1980年代 | 農林副大臣U Hlaing Myintはペグー山中の木材センターなどを視察。 |
DIA-211-1984-06-01-1 | ミャンマー | 1984年06月01日 | 1980年代 | 第67期陸軍士官訓練コースの終了式がHmawbiの士官訓練学校で行なわれ,陸軍参謀長Saw Maung少将らが出席。 |
DIA-211-1984-06-02-1 | ミャンマー | 1984年06月02日 | 1980年代 | 農林副大臣U Kyaw Htain農林副大臣は5月28日から2日までザガイン,マンダレー地区の農業生産状況を視察。 |
DIA-211-1984-06-02-2 | ミャンマー | 1984年06月02日 | 1980年代 | ILO年次総会に出席するため労働・社会福祉副大臣U Kyaw Thanら一行がジュネーブに向け出発。 |
DIA-211-1984-06-03-1 | ミャンマー | 1984年06月03日 | 1980年代 | UNDPは飲料水改良のための調査(130万ドル)を行なう旨ビルマ政府と調印。 |
DIA-211-1984-06-04-1 | ミャンマー | 1984年06月04日 | 1980年代 | Mongmit郡Mobon村で2000人の住民が反乱軍抗議集会。投降したBCP兵士が住民に謝罪。 |
DIA-211-1984-06-04-2 | ミャンマー | 1984年06月04日 | 1980年代 | バングラデシュ食糧相A. G. Mahmud一行が来訪。 |
DIA-211-1984-06-04-3 | ミャンマー | 1984年06月04日 | 1980年代 | 日本政府は9.8億円の無償と430億円の借款を供与する旨ビルマ政府と交換公文。無償援助は,建設中の看護訓練センター用の会館,宿舎の建設と設備機械購入用。円借は270.2億円が,(1)ラングーン国際空港建設第Ⅰ期工事,(2)鉄道近代化第2段階,(3)第2医療・工業用アルコール・プラント改良工事,残り160億円が商品借款(100億円一般商品借款,60億円四プロ用)に充てられる。 |
DIA-211-1984-06-05-1 | ミャンマー | 1984年06月05日 | 1980年代 | 来訪中のバングラ食糧相はTun Tin副首相,Khin Maung Gyi貿易相らと会談。6月帰国。 |
DIA-211-1984-06-09-1 | ミャンマー | 1984年06月09日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相は,国評メンパーTun Yi中将,Kyaw Htin国防相,Chit Hlaing外相,Maung Cho第2工業相らとともにプローム,シンデ地区の工業施設を視察。 |
DIA-211-1984-06-09-2 | ミャンマー | 1984年06月09日 | 1980年代 | 第1期僧侶評議会中央執行委員会第5回会談がKaba Ayeで開かれ,Min Gaung内務・宗教相があいさつ。 |
DIA-211-1984-06-09-3 | ミャンマー | 1984年06月09日 | 1980年代 | マグウェ管区Chauk郡第1区で人民議会補選,U Thein Myintが当選。 |
DIA-211-1984-06-12-1 | ミャンマー | 1984年06月12日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相はこのほど完成した新総合病院(ラングーン)を視察。 |
DIA-211-1984-06-13-1 | ミャンマー | 1984年06月13日 | 1980年代 | 1984年内に卓越した僧侶活動を行なった僧侶に対して贈られるAbhidaya Maha Rattha Guruなどの賞の授与式が行なわれた。 |
DIA-211-1984-06-14-1 | ミャンマー | 1984年06月14日 | 1980年代 | ネーウィン議長夫妻西欧へ-ネーウィン議長夫妻は,Kyaw Htin国防相,Maung Cho第2工業相,Lay Maung人民検察評議会員などを伴い西欧諸国に向け出発。(注)行く先は公表されなかったが,西ドイツ,フランス,スイス,オーストリアなどを歴訪したことが後日判明。8月9日に帰国した際にはルフト・ハンザの特別機で帰国した。 |
DIA-211-1984-06-15-1 | ミャンマー | 1984年06月15日 | 1980年代 | Mong Yan郡区人民議会議員UN Khun Nawの辞任が認められた。 |
DIA-211-1984-06-16-1 | ミャンマー | 1984年06月16日 | 1980年代 | Tun Tin副首相訪中-Tun Tin副首相兼財務・計画相は,中国政府との間で経済協力関係について話し合うため訪中。財務・計画副大臣Dr. Maung Sheinらが同行。 |
DIA-211-1984-06-17-1 | ミャンマー | 1984年06月17日 | 1980年代 | 利潤税法にもとづき,年間収入8000チヤツトを超える所得があった者につき,申告制を実施するとして,6月末日までに昨年度の収入を申告するよう布告が発表された。 |
DIA-211-1984-06-20-1 | ミャンマー | 1984年06月20日 | 1980年代 | サンユー大統領はラングーン管区の各種・各レベル行政機関責任者を集めて基調報告を行ない,このなかで「国内の反乱分子は軍と人民の協力によって,現在窮地に陥っている。一掃するまでなお努力を続けたい」などと述べた。 |
DIA-211-1984-06-21-1 | ミャンマー | 1984年06月21日 | 1980年代 | Tangyan郡Mong Kaung村で2000人の住民がBCPに対する抗議集会。 |
DIA-211-1984-06-21-2 | ミャンマー | 1984年06月21日 | 1980年代 | 中国を訪問中のTun Tin副首相とその代表団は北京で鄧小平ら中国首脳と会見,経済協力などについて話し合った。 |
DIA-211-1984-06-21-3 | ミャンマー | 1984年06月21日 | 1980年代 | 協同組合と国営公社との間で第36回合同購買契約会が開かれた。 |
DIA-211-1984-06-22-1 | ミャンマー | 1984年06月22日 | 1980年代 | 政府は100チヤツト紙幣流通停止の噂を否定する声明を発表。(注)5月中旬より,偽100チヤツト紙幣が出回って銀行窓口ではしばしば100チヤツト紙幣の厳重なチェックが行なわれていたことなどから,流通が停止されるのではないかとの噂が広がり,多くの人々が100チヤツトの交換を銀行に持ち込んでパニック状態となっていた。これについて政府が根拠のない噂であるとして,100チヤツト紙幣は今後も通常どおり流通すると声明したもの。 |
DIA-211-1984-06-23-1 | ミャンマー | 1984年06月23日 | 1980年代 | 中国・ビルマ経済・技術協力協定調印。シュリアム橋建設に対する援助などが含まれている。 |
DIA-211-1984-06-28-1 | ミャンマー | 1984年06月28日 | 1980年代 | Tun Tin副首相は中国から帰国。 |
DIA-211-1984-06-28-2 | ミャンマー | 1984年06月28日 | 1980年代 | Min Gaung内務・宗教相はHtonboi,Tamartaung採石場およびマンダレー中央刑務所を視察。 |
DIA-211-1984-06-30-1 | ミャンマー | 1984年06月30日 | 1980年代 | ビルマ政府軍部隊(第66師団)はWang Kha近郊のカレン軍基地を砲撃。 |
DIA-211-1984-07-01-1 | ミャンマー | 1984年07月01日 | 1980年代 | サンユー大統領訪日-サンユー大統領夫妻は日本を公式訪問するため,日航特別機で日本に向かい,同日夕羽田空港に到着。赤坂の迎賓館で歓迎式。同行者は国評メンバーZaw Win,Chit Hlaing外相,Ye Goung農林相,Tint Swe第1工業相ら。 |
DIA-211-1984-07-02-1 | ミャンマー | 1984年07月02日 | 1980年代 | 訪日中のサンユー大統領は皇居で天皇陛下と謁見。この日宮中晩さん会。 |
DIA-211-1984-07-02-2 | ミャンマー | 1984年07月02日 | 1980年代 | 中央政治科学校(校長Soe Myint准将)で,第50期基礎政治コースが開校。ここではビルマ社会主義の基礎理念などの講議が行なわれる。 |
DIA-211-1984-07-02-3 | ミャンマー | 1984年07月02日 | 1980年代 | Min Gaung内務・宗教相はマンダレーの給水施設工事現場などを視察。 |
DIA-211-1984-07-03-1 | ミャンマー | 1984年07月03日 | 1980年代 | 訪日中のサンユー大統領は中曽根首相と会談。またChit Hlaing外相は安倍外相と会談。 |
DIA-211-1984-07-04-1 | ミャンマー | 1984年07月04日 | 1980年代 | サンユー大統領一行は日本・ビルマ友好議員連盟(会長小沢辰男)と日本・ビルマ協会(会長大鷹淑子)主催の晩さん会に出席。 |
DIA-211-1984-07-04-2 | ミャンマー | 1984年07月04日 | 1980年代 | 国評メンバー,計画党副総書記U Sein Lwinは自身の選挙区(マンダレー北西第2区)で人民議会報告。 |
DIA-211-1984-07-05-1 | ミャンマー | 1984年07月05日 | 1980年代 | サンユー大統領は公式日程を終え,京都に移動。このあと,大阪,広島などを回り,松下電器,東洋工業などの工場を視察した後,11日に帰国。 |
DIA-211-1984-07-10-1 | ミャンマー | 1984年07月10日 | 1980年代 | ミヤンマ宝石公社購入センターでは4月1日から6月末までに,合計1241.6万チヤツト相当の宝石を一般から購入した。 |
DIA-211-1984-07-10-2 | ミャンマー | 1984年07月10日 | 1980年代 | 日本政府は青少年訓練センター(Youth Training Centre Project)建設用の第1期分として無償援助55億円を供与する協定に調印。 |
DIA-211-1984-07-11-1 | ミャンマー | 1984年07月11日 | 1980年代 | 文化省芸術局長Thein Sein中佐を団長とする民族芸能団がソ連公演に向け出発。両国文化交流計画にもとづく。 |
DIA-211-1984-07-14-1 | ミャンマー | 1984年07月14日 | 1980年代 | Sein Lwin党副総書記はモン州,ラングーン管区内の地方党支部幹部を集め,党の基本政策ガイドラインを説明。 |
DIA-211-1984-07-15-1 | ミャンマー | 1984年07月15日 | 1980年代 | カレン軍は政府軍に占拠されているWangkha付近の高地に対し反撃,これを奪回した。当高地は4月の攻勢の際,政府軍第75大隊によって占拠され,Wang-khaへの砲撃陣地となっていたもの(バンコク・ポスト)。 |
DIA-211-1984-07-15-2 | ミャンマー | 1984年07月15日 | 1980年代 | 教育副大臣Dr. Maung Diは11日から15日にかけて,マンダレー地区にある教育施設を視察,教育関係者と会談。 |
DIA-211-1984-07-18-1 | ミャンマー | 1984年07月18日 | 1980年代 | 国軍兵士による援農特別作戦第Ⅱ次Myasein-young作戦が開始され,1800名の兵士がデルタ地帯に向け出発。 |
DIA-211-1984-07-19-1 | ミャンマー | 1984年07月19日 | 1980年代 | 第37回“殉難者の日”中央追悼式がアウンサン廟(爆弾テロ事件によって屋根が落ちたまま修復されていない)で行なわれ,マウン・マウン・カ首相,Daw Khin Kyiアウンサン未亡人らが出席。また全国各地でも追悼式が行なわれた。 |
DIA-211-1984-07-21-1 | ミャンマー | 1984年07月21日 | 1980年代 | Sein Lwin計画党副総書記は20日から21日にかけて,テナセリム地方の党支部を視察,幹部に対し基本政策ガイドライン。 |
DIA-211-1984-07-21-2 | ミャンマー | 1984年07月21日 | 1980年代 | ラングーン市内Kemmendine地区で手榴弾が投げ込まれ,爆発,数名が負傷。犯人不明。 |
DIA-211-1984-07-21-3 | ミャンマー | 1984年07月21日 | 1980年代 | ビルマ政府はロスアンジェルス・オリンピック大会にボクシング選手1名と役員を派遣することを決定。 |
DIA-211-1984-07-22-1 | ミャンマー | 1984年07月22日 | 1980年代 | Sein Lwin計画党副総書記はアラカン州各地区の党支部幹部に対し基本政策ガイドライン。 |
DIA-211-1984-07-24-1 | ミャンマー | 1984年07月24日 | 1980年代 | Mong Nai郡Wanye村で村民800人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1984-07-24-2 | ミャンマー | 1984年07月24日 | 1980年代 | マンダレー管区Myitha郡のKinda多目的ダム本体工事がこのほど完了。U Kyaw Htain農林副大臣が出席して竣工式が行なわれ,建設に当った韓国の現代グループの代表者らも出席。 |
DIA-211-1984-07-25-1 | ミャンマー | 1984年07月25日 | 1980年代 | Botataung Daily紙編集長U Theinを団長とするジャーナリスト代表団が訪中。 |
DIA-211-1984-07-26-1 | ミャンマー | 1984年07月26日 | 1980年代 | 農林省は84/85年度第1四半期の農林事業計画実施状況の検討と調整を行なうための会議を開き,Ye Goung農林省はこれまでのところ,農林生産は順調であるとしながら,品質向上とロスの削減に努力するよう要請。 |
DIA-211-1984-07-28-1 | ミャンマー | 1984年07月28日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相は27日,28日をつうじて重工業公社の第4工場(Htonbo)と第5工場(Nyaung-chidauk)とを視察,同行者はTint Swe第1工業相,Than Tin鉱業相,Hla Tun建設相らである。 |
DIA-211-1984-07-28-2 | ミャンマー | 1984年07月28日 | 1980年代 | Sein Lwin計画党副総書記はマグウェ管区内の地方党支部幹部,29日にはカヤ州,シャン州の党支部幹部に対し,それぞれ基本政策のガイドライン。 |
DIA-211-1984-07-30-1 | ミャンマー | 1984年07月30日 | 1980年代 | KNU議長Bo Mya将軍は記者団とのインタビューに答え,「Khun SaのSUAと同盟することはない。むしろ麻薬を扱い,少数民族を圧迫している彼らに銃を向けて闘わざるをえない」などと述べSUAとの連合を否定した(バンコク・ポスト)。 |
DIA-211-1984-07-31-1 | ミャンマー | 1984年07月31日 | 1980年代 | 内務・宗教副大臣U Paw Theinはメキシコで開かれる国際人口会議出席のため出発。 |
DIA-211-1984-08-01-1 | ミャンマー | 1984年08月01日 | 1980年代 | 保健省副大臣Dr. Tun Hla Pruはヤカイン州内の医療施設等を視察(7月30日~8月1日)。 |
DIA-211-1984-08-02-1 | ミャンマー | 1984年08月02日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相,Tun Tin副首相らはビルマ放送局の施設,放送状況などを視察。 |
DIA-211-1984-08-03-1 | ミャンマー | 1984年08月03日 | 1980年代 | 国軍および人民警察による援農特別作戦(第3次Myaseinyaung作戦が開始され,1800人の兵士・警察がイラワジデルタ各地に向け出発。 |
DIA-211-1984-08-03-2 | ミャンマー | 1984年08月03日 | 1980年代 | Ye Gaung農林相は2日,3日とペグー,マグウェ管区内の稲作状況,北ナウィンダムなどの灌漑施設等を視察。 |
DIA-211-1984-08-05-1 | ミャンマー | 1984年08月05日 | 1980年代 | Sein Lwin党副総書記はチン州,カチン州,ザガイン管区,マンダレー管区の計画党地方支部幹部に対し,党基本政策等を説明,質疑応答(4~5日)。 |
DIA-211-1984-08-06-1 | ミャンマー | 1984年08月06日 | 1980年代 | 計画党綱紀委員U Maung Maungは自身の選挙区Maymyo第2区で人民議会報告。 |
DIA-211-1984-08-08-1 | ミャンマー | 1984年08月08日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相,Tun Tin副首相,Ye Gaung農林相らはHleguの新設精米所(日産100トン)と日本の無償援助による中央農業開発訓練センターを視察。 |
DIA-211-1984-08-08-2 | ミャンマー | 1984年08月08日 | 1980年代 | Sein Tun協組相はペグー管区内の協同組合の活動状況などを視察。 |
DIA-211-1984-08-09-1 | ミャンマー | 1984年08月09日 | 1980年代 | 計画党中央委政治・経済・文化委員会メンバーU Kan LianはKhin-Uの自身の選挙区で人民議会報告。 |
DIA-211-1984-08-09-2 | ミャンマー | 1984年08月09日 | 1980年代 | ネーウィン議長夫妻はルフトハンザ特別機で西独から帰国,サンユー大統領らが出迎え。 |
DIA-211-1984-08-11-1 | ミャンマー | 1984年08月11日 | 1980年代 | Botataung紙編集長U Theinを団長とするジャーナリスト代表団は2週間の予定で中国の視察・交流を終えて帰国。 |
DIA-211-1984-08-12-1 | ミャンマー | 1984年08月12日 | 1980年代 | 各州・管区で人民評議会が中心となって,今年度の経済計画実施状況を報告・調整するための会議が開かれ,いずれも計画目標達成に全力を注ぐことを確認した。 |
DIA-211-1984-08-13-1 | ミャンマー | 1984年08月13日 | 1980年代 | カレン反乱軍部隊はWang Kha付近の第300高地をビルマ政府軍から奪回,なお激しい戦闘が続いている(『バンコク・ポスト』)。 |
DIA-211-1984-08-15-1 | ミャンマー | 1984年08月15日 | 1980年代 | 社会福祉関係機関による計画調整会議(年2回)がラングーンで開かれ,社会福祉・労働相Ohn Kyawらが出席。同相は「社会福祉は国民の立場に立って行なわれると同時に国家の利益となるよう進めなければならない」など,と述べた。 |
DIA-211-1984-08-16-1 | ミャンマー | 1984年08月16日 | 1980年代 | 協同組合副大臣U Pau Khan ThangはHlaing郡メリヤス製造協同組合を視察。 |
DIA-211-1984-08-17-1 | ミャンマー | 1984年08月17日 | 1980年代 | 第19回農業・畜産幹部候補生訓練コースが終了。Ye Gaung農林相,Sein Tun協組相,Tint Swe第1工業相,Sein Tun畜・水産相らが出席。なお同コースは1980年5月から開始して19回目,合計2255名の幹部侯補を送り出した。 |
DIA-211-1984-08-18-1 | ミャンマー | 1984年08月18日 | 1980年代 | ラングーン管区Dawbon郡選出の人民議会メンバーU Hla Minが死亡。 |
DIA-211-1984-08-23-1 | ミャンマー | 1984年08月23日 | 1980年代 | 運輸・通信省計画実施局は1984/85年度第1四半期の計画実施状況の報告,調整会議を行なった。同省の計画実施の目標達成率は116.31%と順調であると指摘された。 |
DIA-211-1984-08-23-2 | ミャンマー | 1984年08月23日 | 1980年代 | マグウェ管区では管内油脂作物の集団買付を促進するため,協同組合など関係諸機関が集まって調整会議。 |
DIA-211-1984-08-24-1 | ミャンマー | 1984年08月24日 | 1980年代 | 第8回農業・畜産多角化のための訓練講習会が,各州・管区で一斉に始まった。ラングーン管区では農林副大臣U Kyaw Htainが出席,農業と畜産の同時改良の必要性を強調。 |
DIA-211-1984-08-26-1 | ミャンマー | 1984年08月26日 | 1980年代 | 1983/84年度の優良農民(農産物の生産,栽培,販売それぞれに顕著な成績を収めたものに対して与えられる)に対する表彰式が行なわれ,農林副大臣U Kyaw Htainが出席。 |
DIA-211-1984-08-26-2 | ミャンマー | 1984年08月26日 | 1980年代 | 情報・族送局長U Tin Aungを団長とする情報関係代表団は西独を訪問するため出発(9月12日帰国)。 |
DIA-211-1984-08-26-3 | ミャンマー | 1984年08月26日 | 1980年代 | Kengtung郡計画党青年部はGyobyuとYepusan間の村落道路(500フイート)の修復工事に奉仕。 |
DIA-211-1984-08-27-1 | ミャンマー | 1984年08月27日 | 1980年代 | イギリスの産婦人科教授D. V. I. Fairweatherが来訪,Tun Wai保健相らと会談。 |
DIA-211-1984-08-27-2 | ミャンマー | 1984年08月27日 | 1980年代 | シャン州Kyaukme第1区で人民議会補選が行なわれ,Dr. Tun Myintが選出された。 |
DIA-211-1984-08-29-1 | ミャンマー | 1984年08月29日 | 1980年代 | 9月1日から衛星を使ってテレビのニュース放送を試験的に開始すると発表(実際には9月7日より)。 |
DIA-211-1984-08-29-2 | ミャンマー | 1984年08月29日 | 1980年代 | 建設公社総裁U Khin Maungを団長とする建設代表団は中国に向け出発。また同日スポーツ・体育局長U Myint Tunを団長とするスポーツ交流団も中国に向け出発。 |
DIA-211-1984-08-31-1 | ミャンマー | 1984年08月31日 | 1980年代 | シャン州Monyang郡で人民議会補選が行なわれ,U Sai Hla Seinが選出された。 |
DIA-211-1984-09-01-1 | ミャンマー | 1984年09月01日 | 1980年代 | ラングーン市各地で計画党青年部員のための政治訓練コースが開始。 |
DIA-211-1984-09-03-1 | ミャンマー | 1984年09月03日 | 1980年代 | ネーウィン議長とサンユー大統領は来訪中のヒース英元首相と会談。 |
DIA-211-1984-09-03-2 | ミャンマー | 1984年09月03日 | 1980年代 | Phaungyiの中央協組訓練学校で農業協同組合の財務管理者訓練セミナーが開かれ,Sein Tun協組相が出席,「財務管理の改善は協組発展の重大な要因である」などと述べた。 |
DIA-211-1984-09-03-3 | ミャンマー | 1984年09月03日 | 1980年代 | チン州HaKaに水力発電所が完成,このほど発電を開始した。 |
DIA-211-1984-09-05-1 | ミャンマー | 1984年09月05日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相はTwante漁業基地を視察。この基地はビルマで最初の本格的な沿岸漁業基地で海洋漁業および内水面養殖,研究開発も行なっている。同行者はKyaw Htin国防相,Ye Gaung農林相,Chit Hlaing外相ら。 |
DIA-211-1984-09-06-1 | ミャンマー | 1984年09月06日 | 1980年代 | 各地で油脂作物の収穫が始まっているが,今年度は順調な生産が見込まれており,政府は買上げの促進を図るため集団買付を勧めている。 |
DIA-211-1984-09-08-1 | ミャンマー | 1984年09月08日 | 1980年代 | ラングーン管区の田植えコンテストがHleguで行なわれた。これは稲の田植えのスピード,正確さを競い合うもので各郡から勝ち抜いたグループが参加,チームワークと個人技での勝負。全国各地で農林省と人民評議会が後援して行なわれている。 |
DIA-211-1984-09-11-1 | ミャンマー | 1984年09月11日 | 1980年代 | 駐ベトナム大使にU Aung Khinが任命された。 |
DIA-211-1984-09-11-2 | ミャンマー | 1984年09月11日 | 1980年代 | Chit Hlaing外相らは元インドネシア外相アダム・マリクの死に弔意を表わすためにインドネシア大使館に弔問。 |
DIA-211-1984-09-11-3 | ミャンマー | 1984年09月11日 | 1980年代 | モン州内の郡協同組合連合会が第7回年次総会を開き,州内10郡の協組代表者らが出席,1984/85年度の活動計画の報告・調整。 |
DIA-211-1984-09-11-4 | ミャンマー | 1984年09月11日 | 1980年代 | 貿易省の主催する輸入業務訓練コースが開かれ,同省副大臣U Ba Hlaが出席,これには45の局,公社からの代表64名が受講。 |
DIA-211-1984-09-11-5 | ミャンマー | 1984年09月11日 | 1980年代 | 人民司法評議会議長U Tin Aung Heinはペグー管区Yedashe郡で人民議会報告。 |
DIA-211-1984-09-12-1 | ミャンマー | 1984年09月12日 | 1980年代 | 協同組合と公社との間での集団一括買売契約を行なう第37回集団契約会がラングーンで行なわれた。 |
DIA-211-1984-09-14-1 | ミャンマー | 1984年09月14日 | 1980年代 | 西独政府は五星船公社に対する2隻の貨物船購入用に8835万ドイツマルクの借款供与のEN調印。 |
DIA-211-1984-09-15-1 | ミャンマー | 1984年09月15日 | 1980年代 | 英国国防大学のM. Gow大将を団長とする国軍代表団が来訪。 |
DIA-211-1984-09-17-1 | ミャンマー | 1984年09月17日 | 1980年代 | 人民検察評議会議長U Myint Maungはペグー管区内の司法関係者を集め,司法の充実とスピード化について強調。 |
DIA-211-1984-09-19-1 | ミャンマー | 1984年09月19日 | 1980年代 | Chit Hlaing外相は第39回国連総会出席のためニューヨークに向け出発。 |
DIA-211-1984-09-19-2 | ミャンマー | 1984年09月19日 | 1980年代 | マンダレー地区を対象とする国軍兵士による特別援農作戦(Manshwewa)がスタート。これは稲作だけでなく農業土木なども手伝う。 |
DIA-211-1984-09-20-1 | ミャンマー | 1984年09月20日 | 1980年代 | 日本政府は総額46.9億円の無償援助を供与する旨のENに調印。農業増産のための化学肥料,農薬,農機具購入(25億円),野菜・果実研究開発プロジェクト用の資機材購入(21.9億円)に使用される。 |
DIA-211-1984-09-21-1 | ミャンマー | 1984年09月21日 | 1980年代 | 陸軍士官養成学校(Hmawbi)で第12期下士官訓練コースがスタート,陸軍参謀長Saw Maung中将ら国軍幹部が出席。 |
DIA-211-1984-09-21-2 | ミャンマー | 1984年09月21日 | 1980年代 | Hla Tun建設相はシュウェーダゴンパゴタ近くに建設中のMaha Wizaya Zediを視察。 |
DIA-211-1984-09-23-1 | ミャンマー | 1984年09月23日 | 1980年代 | ヤカイン州Ponnagyun郡選出の人民議会メンバーU San Kyaw Shweは同郡で人民議会報告。 |
DIA-211-1984-09-24-1 | ミャンマー | 1984年09月24日 | 1980年代 | ネーウィン議長はサンユー大統領とともに新設されたラングーン総合病院を視察。Aye Ko国評書記長,Sein Lwin党副総書記,マウン・マウン・カ首相,Kyaw Htin国防相らが同行。 |
DIA-211-1984-09-24-2 | ミャンマー | 1984年09月24日 | 1980年代 | カチン州Tatkonで8000人の住民が麻薬追放の集会。 |
DIA-211-1984-09-28-1 | ミャンマー | 1984年09月28日 | 1980年代 | 国軍幹部を対象に連隊レベルの組織に関わる講習会が中央政治科学校で開かれ,陸軍参謀長Saw Maung中将らが出席。 |
DIA-211-1984-09-29-1 | ミャンマー | 1984年09月29日 | 1980年代 | 英国政府外交担当国務大臣Richard Luceらが来訪。外務副大臣U Hla Shweの招待によるもの。 |
DIA-211-1984-09-30-1 | ミャンマー | 1984年09月30日 | 1980年代 | 9月中旬から下旬にかけてBassein,Myaung-myaなどの米作地帯で,自家飯米が不足し始めた農民などが政府の米倉庫を襲う「米騒動」が起こったといわれる。公式報道はないが,政府による供出が厳しかったために端境期に入ってとくに小農民層で自家飯米が欠乏する者が増え,彼らは配給米割当てがないところから米倉庫を襲ったものと思われる。 |
DIA-211-1984-10-01-1 | ミャンマー | 1984年10月01日 | 1980年代 | 来訪中の英国外国担当国務大臣Richard Luceは,Maung Maung Gyi外相代理と会談。午後にはAye Ko計画・財務副大臣らと会談。2日帰国。 |
DIA-211-1984-10-02-1 | ミャンマー | 1984年10月02日 | 1980年代 | エチオピア情報・国民指導相Dr. F. Gdele-Gi-orgisが来訪。 |
DIA-211-1984-10-02-2 | ミャンマー | 1984年10月02日 | 1980年代 | 労働者リクリエーションセンターがラングーンにオープン。 |
DIA-211-1984-10-03-1 | ミャンマー | 1984年10月03日 | 1980年代 | 日本の無償援助によって建設された新ラングーン総合病院がオープン。建設工費35億円。 |
DIA-211-1984-10-03-2 | ミャンマー | 1984年10月03日 | 1980年代 | 来訪中のエチオピア政府情報相はAung Kyaw Myint情報・文化相と会談。10月4日帰国。 |
DIA-211-1984-10-03-3 | ミャンマー | 1984年10月03日 | 1980年代 | 第39回国連総会に出席しているChit Hlaing外相は一般演説を行ない,国連を中心とする平和と協力を強調。 |
DIA-211-1984-10-04-1 | ミャンマー | 1984年10月04日 | 1980年代 | マンダレー警察は市内で5.5kgのヘロインを隠し持っていた中国人系麻薬取引者を逮捕。 |
DIA-211-1984-10-06-1 | ミャンマー | 1984年10月06日 | 1980年代 | Mg. Mg. Aye教育副大臣は基礎教育局長Khin Mg.Phyuらとラングーン市内の小・中学校を視察。 |
DIA-211-1984-10-06-2 | ミャンマー | 1984年10月06日 | 1980年代 | 情報・放送局長U Win Sweら政府情報関係代表団はマスコミ事情視察のため西独などに向け出発。 |
DIA-211-1984-10-07-1 | ミャンマー | 1984年10月07日 | 1980年代 | モン州Paung地区Zinkyaik小規模水力発電所が完成した。U Kyaw Za第2工業副大臣が出席して完工式。 |
DIA-211-1984-10-08-1 | ミャンマー | 1984年10月08日 | 1980年代 | 国家評議会は高齢者および長期病気療養者に対する特別財政援助を決定,このほど全国で合計4623名を対象者とすると発表。これは1人当り,1月100チヤツトの扶助が供与される。 |
DIA-211-1984-10-08-2 | ミャンマー | 1984年10月08日 | 1980年代 | 人民日報国際関係主筆Liao Hujinを団長とする中国新聞界代表団が来訪。10月24日まで各地を視察。 |
DIA-211-1984-10-09-1 | ミャンマー | 1984年10月09日 | 1980年代 | ネーウィン党議長は6日から9日まで中央および西部軍管区内の工業施設などを視察。国評メンバーMg. Mg. 博士,Kyaw Htin国防相,Maung Cho第2工業相らが同行。 |
DIA-211-1984-10-11-1 | ミャンマー | 1984年10月11日 | 1980年代 | 第12回計画党中央委総会が開かれ,第1日目,ネーウィン議長が開会を宣言。Aye Ko総書記が中央執行委報告を提出した。 |
DIA-211-1984-10-11-2 | ミャンマー | 1984年10月11日 | 1980年代 | 米価4年連続据置。貿易省は布告第1号/84を発令し,今年度産米の政府購入米価を発表。これによると全品種・等級とも昨年と同様とした。これにより米価は4年連続据置となった。購入手続,自主流通米の取扱い等も昨年と同様。品種・等級別価格は以下のとおり。1984/85年度政府買上米価(100バスケット当りチャット)-Ngasein(普通900;上等990;特上1060),Meedon(940;1000;1060),Ematha(955;1050;1125),Special Ema-tha(1035;1140;1220),Ngakywe(1090;1200;1300),Kaukhnyin(900;990;1060)。 |
DIA-211-1984-10-11-3 | ミャンマー | 1984年10月11日 | 1980年代 | 文化省文化調査局長Dr. Ye Htutを団長とする政府文化使節団が中国に向け出発。 |
DIA-211-1984-10-12-1 | ミャンマー | 1984年10月12日 | 1980年代 | 第12回計画党中央委総会第2日目はAye Ko総書記の基調報告に関する質疑応答が行なわれ,採択されネーウィン議長が承認のサインをした。また同日,1985年8月に第5回党大会を開くことを決定。このための準備委員会,中央委選挙管理委員会などが結成された。 |
DIA-211-1984-10-15-1 | ミャンマー | 1984年10月15日 | 1980年代 | 第3期第7回人民議会(定例)が開かれる。第1日目は出席可能定数471名のうち466名が出席。国評報告,閣僚評議会報告などが提出された。 |
DIA-211-1984-10-15-2 | ミャンマー | 1984年10月15日 | 1980年代 | 西独社との合弁設立を発表。人民議会に提出された国評報告のなかで,重工業公社は西独のFritz Warner社と合弁会社を設立する旨の協定に調印したことを明らかにした。外国民間資本との合弁は1962年以来初めて。「長期20カ年計画のガイドラインに従った相互経済・工業協力原則に基づくもの」と説明されている。 |
DIA-211-1984-10-15-3 | ミャンマー | 1984年10月15日 | 1980年代 | 3法案が提出さる。人民議会で「開発法」,「電気法」,「民間学習塾法」の3法案が提出された。「開発法」はラングーンの総合開発を行なうため現存のラングーン市開発委員会(RCDC)を強化し,必要であれば全国地方都市にも同様の開発委員会を設立できるようにするためのもの。「民間学習塾法」は,近年個人学習塾が激増しているため,これを規制する法律。 |
DIA-211-1984-10-16-1 | ミャンマー | 1984年10月16日 | 1980年代 | 人民議会2日目,各基調報告に関する質疑応答。 |
DIA-211-1984-10-16-2 | ミャンマー | 1984年10月16日 | 1980年代 | 国家評議会員にU San Maung(Kyauktada),人民監察評議会員に現国防副大臣Aung Khin少将,国防副大臣に現陸軍参謀長Saw Maung中将らが任命された。 |
DIA-211-1984-10-16-3 | ミャンマー | 1984年10月16日 | 1980年代 | カチン州人民評議会は1985/86年度経済計画へのカチン州開発のためのプロボーザル策定に関する調整会議を行なった。 |
DIA-211-1984-10-17-1 | ミャンマー | 1984年10月17日 | 1980年代 | 人民議会第3日目は各報告書および3法案の審議が行なわれた。 |
DIA-211-1984-10-18-1 | ミャンマー | 1984年10月18日 | 1980年代 | 人民議会終了。提出された各報告書,3法案がいずれも可決,採択された。また85年に予定される総選挙のための選挙委員会が結成され,委員長にU Ba Mawが任命された。 |
DIA-211-1984-10-20-1 | ミャンマー | 1984年10月20日 | 1980年代 | 教育副大臣Dr. Maung Diを団長とする代表団がUNESCO主催の第39回国際教育会議に出席するため,スイスに出発。 |
DIA-211-1984-10-21-1 | ミャンマー | 1984年10月21日 | 1980年代 | IWTCはラングーン=バセイン間に10月25日から,ノンストップ・フェリーを就航させることに決定。この間12時間に短縮。 |
DIA-211-1984-10-22-1 | ミャンマー | 1984年10月22日 | 1980年代 | 「開発法」,「民間学習塾法」,「電気法」の3法が布告された。 |
DIA-211-1984-10-24-1 | ミャンマー | 1984年10月24日 | 1980年代 | ビルマ在郷軍人会総会がサヤサンホールで開かれ,同会中央執行委議長U Myint Maungが開会演説。同会は現在,メンバーは294郡10万2910人(1982年は291郡8万7930人)である。 |
DIA-211-1984-10-24-2 | ミャンマー | 1984年10月24日 | 1980年代 | 文化省考古学局長U Oak Garを団長とする代表団はソ連に向け出発(2週間),11月13日帰国。 |
DIA-211-1984-10-25-1 | ミャンマー | 1984年10月25日 | 1980年代 | 農林省は1984/85年度第2四半期の調整会議を開き,Ye Gaung農林相らが出席。同相は「今年度の米の作柄は一部で洪水被害に会ったが,全般的に良好である」と述べた。 |
DIA-211-1984-10-28-1 | ミャンマー | 1984年10月28日 | 1980年代 | サンユー大統領訪中。サンユー大統領夫妻は李先念主席の招待を受けて中国を公式訪問するため出発。ネーウィン議長らが見送った。サンユー個人としては1959年以来2度目の訪中。同行者は国評メンバーU Tha Kyaw,人民検察評議会議長U Myint Maung,Tun Tin副首相ら。 |
DIA-211-1984-10-29-1 | ミャンマー | 1984年10月29日 | 1980年代 | サンユー大統領一行は昆明に一泊した後,夕方北京に到着。李先念主席と第1回目の会談。大統領は「両国間にある“Paukphaw”の精神で友好を深めるために訪中した」と述べた。またこの日人民大会堂での歓迎宴で,大統領は,両国の友好が不変であることを強調するとともに,ビルマの経済開発のため中国援助が必要であると述べた。 |
DIA-211-1984-10-30-1 | ミャンマー | 1984年10月30日 | 1980年代 | サンユー大統領は趙紫陽総理と会談。また午後には周恩来未亡人鄧穎超と会談。 |
DIA-211-1984-10-31-1 | ミャンマー | 1984年10月31日 | 1980年代 | サンユー大統領は鄧小平と会見。 |
DIA-211-1984-10-31-2 | ミャンマー | 1984年10月31日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相はストローガル首相の招きで,チェコを公式訪問するため出発。 |
DIA-211-1984-10-31-3 | ミャンマー | 1984年10月31日 | 1980年代 | Ye Gaung農林相は第30回コロンボ計画諮問会議に出席のためクアラルンプルへ出発。 |
DIA-211-1984-11-01-1 | ミャンマー | 1984年11月01日 | 1980年代 | サンユー大統領一行は北京から徐州に移動,胡耀邦総書記と会談。また一行はこの日徐州から上海に移動。 |
DIA-211-1984-11-02-1 | ミャンマー | 1984年11月02日 | 1980年代 | 1983/84年度最優秀社会主義労働者および模範労働者が発表された。最優秀社会主義労働者にはNamti精糖所のU Thar Tintら70名(男65名,女5名)が選ばれた。また模範労働者には合計729名が選ばれた。これは全国519の工場,24万4417名の労働者のなかから選ばれたもの。 |
DIA-211-1984-11-03-1 | ミャンマー | 1984年11月03日 | 1980年代 | サンユー大統領一行は上海でZeng Shan病院などを視察,広州に移動。 |
DIA-211-1984-11-04-1 | ミャンマー | 1984年11月04日 | 1980年代 | サンユー大統領一行は広東省で開かれている交易見本市を視察。 |
DIA-211-1984-11-05-1 | ミャンマー | 1984年11月05日 | 1980年代 | 来訪中の西独議会経済協力委員会代表団はSein Tun農林相代行,Saw Pru運輸・通信相らと会談。(一行は1日に来訪。5日に帰国)。 |
DIA-211-1984-11-06-1 | ミャンマー | 1984年11月06日 | 1980年代 | サンユー大統領一行は深経済特区を視察。 |
DIA-211-1984-11-06-2 | ミャンマー | 1984年11月06日 | 1980年代 | Tang Yan郡Hwekyain村の住民2500人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1984-11-07-1 | ミャンマー | 1984年11月07日 | 1980年代 | サンユー大統領一行は中国訪問を終えて帰国,空港にはネーウィン議長,Aye Ko総書記らが出迎えた。 |
DIA-211-1984-11-07-2 | ミャンマー | 1984年11月07日 | 1980年代 | ネーウィン議長は11月3日から7日まで西部軍管区地域を視察。国評メンバーDr. Mg. Mg.,Kyaw Htin国防相,人民検察評議会員U Lay Maungらが同行。 |
DIA-211-1984-11-10-1 | ミャンマー | 1984年11月10日 | 1980年代 | 畜・水産副大臣Aung Win大佐は5日から10日までテナセリム管区内の冷凍施設などを視察。 |
DIA-211-1984-11-12-1 | ミャンマー | 1984年11月12日 | 1980年代 | ノルウェー石油・エネルギー省顧問H. H. Ramnを団長とするエネルギーおよび工業界代表団が来訪。海底油田開発に関する協議のため,同代表団は13日にTun Tin首相代行Maung Cho第2工業相らと会談,その後マン油田などを視察して16日帰国。 |
DIA-211-1984-11-13-1 | ミャンマー | 1984年11月13日 | 1980年代 | 日本政府は1984/85年度円借款として,総額461.43億円を供与する旨ビルマ政府とEN交換。内訳はつぎのとおり。ブロジェクト援助(300.33億円)(1)ラングーン国際空港建設 Phase-Ⅱ,(2)第2パルプ・紙工場拡張,(3)南ナウィン灌漑計画,(4)Thilawa乾ドッグ建設に関わるES;商品援助(161.10億円)-(1)一般商品(105億円),(2)四プロ用(56.1億円)。 |
DIA-211-1984-11-15-1 | ミャンマー | 1984年11月15日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相はチェコを公式訪問するため,プラハに到着。ストロウガル首相と第1回会談。 |
DIA-211-1984-11-17-1 | ミャンマー | 1984年11月17日 | 1980年代 | 第64回ナショナルデー記念式典が行なわれ,ラングーンでは市庁前で記念式典および民族舞踊コンテストなどが催された。 |
DIA-211-1984-11-20-1 | ミャンマー | 1984年11月20日 | 1980年代 | ネーウィン議長インド訪問。同行者は国評メンバーDL. Mg. Mg. ,Kyaw Htin国防相,党議長室長U Set Tun,国軍情報局長Khin Nyunt大佐ら。ニューデリー空港にはラジブ・ガンジー首相らが出迎え,インディラ・ガンジー廟を参拝,シン大統領と会談。 |
DIA-211-1984-11-21-1 | ミャンマー | 1984年11月21日 | 1980年代 | ネーウィン議長はラジブ首相と会談,帰国。 |
DIA-211-1984-11-21-2 | ミャンマー | 1984年11月21日 | 1980年代 | 国立図書館のDaw Than Than Ayeを団長とする図書館関係者は中国の視察のため出発。 |
DIA-211-1984-11-21-3 | ミャンマー | 1984年11月21日 | 1980年代 | カチン州Mogaung郡選出人民議会メンバーU Tin Aungが死亡。 |
DIA-211-1984-11-22-1 | ミャンマー | 1984年11月22日 | 1980年代 | 世銀副総裁W. D. Hopperが来訪。28日帰国までの間に,Tun Tin副首相,Maung Cho第2工業相らと会談。また世銀援助によるKindaダム,地下水灌漑プロジェクト,Ye-U運河灌漑施設などを視察。 |
DIA-211-1984-11-24-1 | ミャンマー | 1984年11月24日 | 1980年代 | マグウェ管区Magyikan村で村民が建設したバイオ・ガス貯蔵タンクが完成,これで同管区内で合計30の貯蔵タンクが完成したことになる。 |
DIA-211-1984-11-24-2 | ミャンマー | 1984年11月24日 | 1980年代 | Khin Maung Gyi貿易相はインドとの二国間貿易を協議するためインドへ。12月4日帰国。 |
DIA-211-1984-11-26-1 | ミャンマー | 1984年11月26日 | 1980年代 | 貿易副大臣U Ba Hlaはペグーおよびラングーン管区内のAFPTCによる籾買付センターを視察。 |
DIA-211-1984-11-29-1 | ミャンマー | 1984年11月29日 | 1980年代 | 農民連合第4回中央委総会が開かれ,Ye Gaung議長(農林相)が開会演説。 |
DIA-211-1984-11-29-2 | ミャンマー | 1984年11月29日 | 1980年代 | 西独経済担当国務相Dr. Von Wurzenが来訪。Maung Cho第2工業相,Tun Tin副首相らと会談。 |
DIA-211-1984-11-29-3 | ミャンマー | 1984年11月29日 | 1980年代 | 中国鉄道相陳璞如が来訪,Hla Tun建設相らが出迎えた。 |
DIA-211-1984-11-29-4 | ミャンマー | 1984年11月29日 | 1980年代 | ミチナで5500人の住民が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1984-11-30-1 | ミャンマー | 1984年11月30日 | 1980年代 | 来訪中の中国鉄道相陳璞如はTun Tin副首相,Hla Tun建設相らと会談。12月5日に帰国するまで,マンダレー,パガンを訪れ,インセインの車輛修理工場などを視察した。 |
DIA-211-1984-12-01-1 | ミャンマー | 1984年12月01日 | 1980年代 | 10月の人民議会で成立した「民間学習塾法」についての説明会が全国各地で行なわれており,ラングーンでもMaung Di教育副大臣自ら関係者を集めて説明会を行なった。 |
DIA-211-1984-12-01-2 | ミャンマー | 1984年12月01日 | 1980年代 | 来訪中の西独経済担当国務相はMaung Cho第2工業相の案内でKyaw Zwaの第3肥料工場,Nyaung Chidaukの第5重工業工場などを視察。 |
DIA-211-1984-12-02-1 | ミャンマー | 1984年12月02日 | 1980年代 | ザガイン管区Kale郡1区選出の人民議会メンバーU Soe Winが死亡。 |
DIA-211-1984-12-04-1 | ミャンマー | 1984年12月04日 | 1980年代 | サンユー大統領は来訪中の中国鉄道相と会談。 |
DIA-211-1984-12-05-1 | ミャンマー | 1984年12月05日 | 1980年代 | 中国全国人民代表大会常務委員会副主任葉飛を団長とする全人代代表団が来訪。 |
DIA-211-1984-12-05-2 | ミャンマー | 1984年12月05日 | 1980年代 | 中国雲南省選抜サッカーチーム,四川省の重慶舞踊団が来訪。 |
DIA-211-1984-12-06-1 | ミャンマー | 1984年12月06日 | 1980年代 | サンユー大統領は来訪中の中国全人代代表団と会見。Aye Ko総書記らも同席。 |
DIA-211-1984-12-06-2 | ミャンマー | 1984年12月06日 | 1980年代 | 第2期労働者連合第4回中央委員会がサヤサンホールで開かれ,同中央委議長U Ohn Kyaw(労働・福祉相)が開会演説。 |
DIA-211-1984-12-07-1 | ミャンマー | 1984年12月07日 | 1980年代 | ネーウィン議長はYeni第2製紙工場,Ela冶金研究開発センター,Thayetkhon特殊金属採掘調査プロジェクトらを視察し,マンダレーへ,Kyaw Htin国防相,Tint Swe第1工業相,Maung Cho第2工業相らが同行。 |
DIA-211-1984-12-07-2 | ミャンマー | 1984年12月07日 | 1980年代 | 中国全人代代表団はパガンへ。 |
DIA-211-1984-12-07-3 | ミャンマー | 1984年12月07日 | 1980年代 | イタリー公共事業次官Mario Tassoneを団長とするイタリー国会議員代表団が来訪。 |
DIA-211-1984-12-08-1 | ミャンマー | 1984年12月08日 | 1980年代 | 中国全人代代表団はYwathitkyiの民族アカデミーを訪れ,マンダレーを訪問。10日に帰国。 |
DIA-211-1984-12-09-1 | ミャンマー | 1984年12月09日 | 1980年代 | Sein Tun協組相は4日から6日にかけて,モン州およびカレン州の協同組合活動の拡大のための調整会議に出席。 |
DIA-211-1984-12-09-2 | ミャンマー | 1984年12月09日 | 1980年代 | 来訪中のイタリー国会代表団は人民議会議長団と会談。10日にChit Hlaing外相と会談。 |
DIA-211-1984-12-09-3 | ミャンマー | 1984年12月09日 | 1980年代 | Keng Tungで当郡計画党青年部主催による麻薬撲滅集会が開かれた。 |
DIA-211-1984-12-10-1 | ミャンマー | 1984年12月10日 | 1980年代 | ソ連政府遺跡保護・保全局長Vadim N. Anto-novを団長とするソ連文化使節団が来訪。Aung Kyaw Myint情報・文化相らと会談。 |
DIA-211-1984-12-11-1 | ミャンマー | 1984年12月11日 | 1980年代 | ソ連赤十字副総裁A. F. Reshetovを団長とする赤十字代表団が来訪。ビルマ赤十字副総裁Hla Bu大佐らが出迎え。19日帰国。 |
DIA-211-1984-12-12-1 | ミャンマー | 1984年12月12日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相はチェコを公式訪問して帰国。Tun Tin,Kyaw Htin両副首相らが出迎え。 |
DIA-211-1984-12-12-2 | ミャンマー | 1984年12月12日 | 1980年代 | オランダ政府対外貿易省次官J. W. A. Huibregtseを団長とする経済代表団が来訪,13日にTun Tin財務・計画相と会談して両国の経済協力促進を協議。15日帰国。 |
DIA-211-1984-12-16-1 | ミャンマー | 1984年12月16日 | 1980年代 | セネガル商業相Addou Rahmane Toureがビルマ米の買付のため来訪,18日帰国。 |
DIA-211-1984-12-17-1 | ミャンマー | 1984年12月17日 | 1980年代 | 軍および警察による特別援農作戦(第2次Shwewamye)が開始され,1800人の兵士・警察官で編成された特別援農団がイラワジデルタ地帯の稲刈作業を支援するため各地に向け出発。 |
DIA-211-1984-12-18-1 | ミャンマー | 1984年12月18日 | 1980年代 | Aung Kyaw Myint情報・文化相は来演中の中国重慶舞踊団と会談,同団は19日帰国。 |
DIA-211-1984-12-18-2 | ミャンマー | 1984年12月18日 | 1980年代 | 日本政府は11.5億円の無償援助を供与する旨ビルマ政府とEN交換。これは漁船修理施設建設のため。 |
DIA-211-1984-12-21-1 | ミャンマー | 1984年12月21日 | 1980年代 | 第7回計画党青年部(Lanzin Youth)指導者訓練コースが開かれ,中央組織委議長Kyaw Nyein教育相が青年部の役割を強調,「現在青年部はほぼ700万人を組織している」と述べた。 |
DIA-211-1984-12-22-1 | ミャンマー | 1984年12月22日 | 1980年代 | カレン新年(2724年)を祝う政府主催の式典がPa-anで行なわれ,カレン州計画党地区委員会議長U Kyaw Khin Win,第44歩兵師団副司令官Tin Aye大佐ら,住民1万人が出席した。 |
DIA-211-1984-12-24-1 | ミャンマー | 1984年12月24日 | 1980年代 | 12月24日付WPD紙掲載の「Labang Kha報告」によれば,カチン州Momauk郡におけるKIA,BCPの活動領域は84年1月現在で14%を占めていたが,政府軍と住民の共同による反撃で12月現在その領域は5%にまで縮小した。 |
DIA-211-1984-12-27-1 | ミャンマー | 1984年12月27日 | 1980年代 | 各地で第4期人民議会,各レベル人民評議会総選挙のための準備委員会が発足した。 |
DIA-211-1984-12-28-1 | ミャンマー | 1984年12月28日 | 1980年代 | 政府各省および各州・管区人民評議会執行委員会代表が集まり,1985/86年度経済計画に関わる調整会議が開かれた。席上マウン・マウン・カ首相は「85/86年度は第4次4カ年計画の最終年度であり,計画達成に全力を注ぐよう。とりわけ輸出拡大に最大の努力が必要である」などと述べた。 |
DIA-211-1984-12-28-2 | ミャンマー | 1984年12月28日 | 1980年代 | 1983/84年度の最優秀社会主義労働者および模範労働者に対するメダル・賞状の授与式が行なわれ,同夜,対象者をねぎらう晩さん会が開かれ,Sein Lwin党副総書記,マウン・マウン・カ首相,Tun Tin副首相らが出席。 |
DIA-211-1984-12-28-3 | ミャンマー | 1984年12月28日 | 1980年代 | ラングーン管区Dawbon郡の人民議会補選でU Tun Tinが選出さる。 |
DIA-211-1985-01-02-1 | ミャンマー | 1985年01月02日 | 1980年代 | Saw Pru運輸通信相はSaw Hla Pru副大臣とともに港湾開発プロジェクトに基づき建造されたモーターランチを視察。 |
DIA-211-1985-01-04-1 | ミャンマー | 1985年01月04日 | 1980年代 | 国家評議会は,1985年度国家功労賞および軍人勲功賞受賞者を発表。国家功労賞1等にU Kyaw Theinら4名,同賞2等にU Tin Winら7名が選ばれた。また軍人勲功賞のうちThura賞には8名,勇敢賞に114名などが選ばれた。 |
DIA-211-1985-01-04-2 | ミャンマー | 1985年01月04日 | 1980年代 | 国家評議会は僧侶に対する栄誉称号授与者を発表。最高称号のAbhidaja Maha Rahta Guruにマンダレーの僧侶Maha Nandi Senarama Taikら3名が選ばれた。 |
DIA-211-1985-01-04-3 | ミャンマー | 1985年01月04日 | 1980年代 | 閣僚評議会は独立功労者4名に対し年金を支給するとして,U Po Myanなどを選んだ。一時金2万チャット,毎月200チャットが支給される。 |
DIA-211-1985-01-04-4 | ミャンマー | 1985年01月04日 | 1980年代 | サンユー大統領夫妻は独立記念日を記念する晩さん会を催し,ネーウィン議長夫妻,政府・党首脳,外交団などが出席。 |
DIA-211-1985-01-07-1 | ミャンマー | 1985年01月07日 | 1980年代 | 国軍士官のための第35回政治訓練コース(連隊ごと)が開かれ,開講式に海軍参謀長Maung Maung Win海軍少将が出席。 |
DIA-211-1985-01-09-1 | ミャンマー | 1985年01月09日 | 1980年代 | 農民連合中央執行委メンバーは今年度実施中の計画進行状況を視察のため各地に出発。 |
DIA-211-1985-01-10-1 | ミャンマー | 1985年01月10日 | 1980年代 | 建設公社は第3四半期業務調整会議を開いた。席上,Hla Tun建設相は,計画の達成を強調し,道路,橋梁,空港の建設が第1プライオリティーであるなどと述べた。 |
DIA-211-1985-01-10-2 | ミャンマー | 1985年01月10日 | 1980年代 | 保健省副大臣Dr.Tun Hla Pruを団長とする訪ベトナム代表団が出発(19日帰国)。 |
DIA-211-1985-01-11-1 | ミャンマー | 1985年01月11日 | 1980年代 | ネーウィン議長は教育省ビルマ語局を視察。ビルマ語とビルマ文化の保護・育成が重要であると述べた。 |
DIA-211-1985-01-11-2 | ミャンマー | 1985年01月11日 | 1980年代 | 文化交流計画に基づき,ベトナム森林相Phan Xuan Dotを団長とする林業視察団が来訪。18日に帰国するまでYe Goung農林相らと会談。 |
DIA-211-1985-01-13-1 | ミャンマー | 1985年01月13日 | 1980年代 | 農民の日記念式典準備委が結成され,議長に,Aye Ko国評書記長が選ばれた。 |
DIA-211-1985-01-14-1 | ミャンマー | 1985年01月14日 | 1980年代 | 国軍・警察隊による,援農特別作戦(第2次Shwewamy作戦)が開始され,1800名の将兵による援農隊が,各小隊に別れてイラワジデルタに向かった。 |
DIA-211-1985-01-16-1 | ミャンマー | 1985年01月16日 | 1980年代 | サンユー大統領は14日から16日まで,Pyapon,Einmeなどを訪れ,イラワジ管区内の各組織役員と会談。 |
DIA-211-1985-01-17-1 | ミャンマー | 1985年01月17日 | 1980年代 | ラングーン発マンダレー行夜行急行列車が,Tawkywein=Kanyuntkwin間で反乱軍が敷設した地雷の爆発で脱線,数名の乗客が負傷。 |
DIA-211-1985-01-18-1 | ミャンマー | 1985年01月18日 | 1980年代 | ネーウィン議長とサンユー大統領は第22回宝石見本市会場を視察。Aye Ko党総書記,Sein Lwin副総書記らも同行。 |
DIA-211-1985-01-21-1 | ミャンマー | 1985年01月21日 | 1980年代 | ネーウィン議長はPutaoを訪れ,当地の軍,政府関係者から地方情勢を聴取,指示。Kyaw Htin国防相Maung Cho第2工業相らが同行。 |
DIA-211-1985-01-22-1 | ミャンマー | 1985年01月22日 | 1980年代 | インドネシア外相Mochtar Kusumaatmadjaが来訪,Chit Hlaing外相の招待。 |
DIA-211-1985-01-23-1 | ミャンマー | 1985年01月23日 | 1980年代 | ネーウィン訪欧(訪問先は公表されなかったが,西独と判明)。Kyaw Htin国防相,Maung Cho第2工業相らが同行。サンユー大統領ら首脳が見送り。 |
DIA-211-1985-01-23-2 | ミャンマー | 1985年01月23日 | 1980年代 | サンユー大統領は来訪中のインドネシア外相と会談,また同外相はマウン・マウン・カ首相とも別個に会談。 |
DIA-211-1985-01-26-1 | ミャンマー | 1985年01月26日 | 1980年代 | 連邦記念日に向けてKyaikkassan広場で設営された各州・管区および政府,公社などの合計23のパビリオンが一般に公開された。 |
DIA-211-1985-01-27-1 | ミャンマー | 1985年01月27日 | 1980年代 | Khin Maung Gyi貿易相は24日から27日まで,イラワジ管区内の籾買付センターを視察。 |
DIA-211-1985-01-27-2 | ミャンマー | 1985年01月27日 | 1980年代 | Tun Wai保健相は23日から27日までイラワジ各地の保健・医療施設を視察。 |
DIA-211-1985-01-27-3 | ミャンマー | 1985年01月27日 | 1980年代 | Aung Kyaw Myint文化情報相は来演中のインド文化使節団と会見。 |
DIA-211-1985-01-29-1 | ミャンマー | 1985年01月29日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相はカレン州,モン州内の工場施設(セメント,タイヤ,ゴム製品,製塩工場など)を視察。Tun Tin副首相,Ye Goung農林相らが同行。 |
DIA-211-1985-01-30-1 | ミャンマー | 1985年01月30日 | 1980年代 | 連邦記念日に向けて行なわれる連邦旗の全国リレーが開始され,第1地点のバセインに送られた。 |
DIA-211-1985-01-31-1 | ミャンマー | 1985年01月31日 | 1980年代 | カチン州Mogaungで人民議会補選が行なわれ,Maung Aye大佐が選出された。 |
DIA-211-1985-02-04-1 | ミャンマー | 1985年02月04日 | 1980年代 | ネーウィン議長は西独訪問を終え,ルフトハンザ特別機で帰国。 |
DIA-211-1985-02-04-2 | ミャンマー | 1985年02月04日 | 1980年代 | マレーシアのDaim Zainuddin蔵相夫妻来訪,Tun Tin財務・計画相らが出迎えた。同蔵相は5日にサンユー大統領,マウン・マウン・カ首相と会談,7日に帰国。 |
DIA-211-1985-02-06-1 | ミャンマー | 1985年02月06日 | 1980年代 | 第51回基礎政治講習会がミンガラドンの中央政治科学校で開講。当校校長Soe Myint准将が開会演説。 |
DIA-211-1985-02-06-2 | ミャンマー | 1985年02月06日 | 1980年代 | 第22回宝石見本市が始まり,16カ国354人の宝石業者が参加。 |
DIA-211-1985-02-08-1 | ミャンマー | 1985年02月08日 | 1980年代 | ネーウィン議長,サンユー大統領ら首脳は第38回連邦記念日の中央会場を視察。 |
DIA-211-1985-02-08-2 | ミャンマー | 1985年02月08日 | 1980年代 | Aye Ko党総書記は連邦記念日中央式典への各州,各民族代表らを慰問。 |
DIA-211-1985-02-08-3 | ミャンマー | 1985年02月08日 | 1980年代 | Kyaukme郡Mong Long村で5000人の住民による反乱軍抗議集会,最近投降したBCP兵士が住民に謝罪。 |
DIA-211-1985-02-09-1 | ミャンマー | 1985年02月09日 | 1980年代 | Kyaw Htin国防相は連邦記念日への山岳少数民族代表を慰問。 |
DIA-211-1985-02-11-1 | ミャンマー | 1985年02月11日 | 1980年代 | 連邦記念日を記念してKyaikkassan広場で討論会が開かれ,Aye Ko党総書記が特別演説。各組織,民族,地方代表が出席,反乱軍のせん滅が強調された。またこの日,サンユー大統領夫妻による晩さん会が開かれ,民族代表らが招待された。 |
DIA-211-1985-02-11-2 | ミャンマー | 1985年02月11日 | 1980年代 | オランダのPrince Clausが来訪。Chit Hlaing外相が出迎えた。12日にTun Tin副首相と会談,16日帰国。 |
DIA-211-1985-02-12-1 | ミャンマー | 1985年02月12日 | 1980年代 | 第38回連邦記念日。中央式典会場では10万人が集まり,サンユー大統領の特別メッセージをSein Lwin党副総書記が読み上げた。 |
DIA-211-1985-02-13-1 | ミャンマー | 1985年02月13日 | 1980年代 | 第22回宝石見本市が終了。売上高は合計933.3万㌦とこれまでの最高。 |
DIA-211-1985-02-16-1 | ミャンマー | 1985年02月16日 | 1980年代 | ネーウィン議長は14日,15日にかけMergui近郊Bokepyin郡にある真珠養殖場(Pearl Island)などを視察。Kyaw Htin国防相らが同行。 |
DIA-211-1985-02-16-2 | ミャンマー | 1985年02月16日 | 1980年代 | 第37回チン民族・州記念日の式典が州都Hakaで行なわれた。 |
DIA-211-1985-02-18-1 | ミャンマー | 1985年02月18日 | 1980年代 | 韓国サッカーチーム来訪。 |
DIA-211-1985-02-19-1 | ミャンマー | 1985年02月19日 | 1980年代 | Young Ho Lee韓国スポーツ相が来訪。20日にChit Hlaing外相と会談。 |
DIA-211-1985-02-20-1 | ミャンマー | 1985年02月20日 | 1980年代 | Khin Maung Gyi貿易相らはGyobingaukの100㌧精米所(ADB借款),5000㌧米倉庫(世銀借款)などを視察。 |
DIA-211-1985-02-22-1 | ミャンマー | 1985年02月22日 | 1980年代 | 日本政府は84/85年度無償援助の一部として,10.57億円の供与EN。TV Sub-Station(3.71億円),医療機器(6.86億円)など。 |
DIA-211-1985-02-27-1 | ミャンマー | 1985年02月27日 | 1980年代 | 2月15日から27日までKIA第2大隊の兵士,シャン族,パオ族,ロイマウ軍などの反乱軍兵士30数名が,各地の政府軍部隊に投降(なお政府はこれ以降,ほぼ1週間ごとに反乱軍兵士の投降を発表するが,日誌では1ヵ月ごとの集計を掲載)。 |
DIA-211-1985-02-27-2 | ミャンマー | 1985年02月27日 | 1980年代 | 昆明で開かれるビルマ・中国合同国境監視委員会出席のため,Hla Shwe外務副大臣らが出発(なお中国との国境協定は1960年,61年と北京で調印されたが,国境を示す礎石が多くの個所で破壊されているため,この修復について協議する)。 |
DIA-211-1985-03-01-1 | ミャンマー | 1985年03月01日 | 1980年代 | ネーウィン議長とサンユー大統領はYwathikyiの民族アカデミー第16回卒業生を招き晩さん会。 |
DIA-211-1985-03-02-1 | ミャンマー | 1985年03月02日 | 1980年代 | 農民の日記念集会が各地で開かれ,ネーウィン議長は特別メッセージを発表。「農業生産の増加が経済発展に最も寄与する」として増産に全力を注ぐよう呼びかけた。 |
DIA-211-1985-03-02-2 | ミャンマー | 1985年03月02日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相,Tun Tin副首相,Kyaw Htin国防相らはBassein,Kyaiklat,Payagonの油田地帯を視察。 |
DIA-211-1985-03-04-1 | ミャンマー | 1985年03月04日 | 1980年代 | 中国の李先念国家主席が公式訪問。サンユー大統領らが出迎え,沿道には3万4000人の国民が歓迎,5日にネーウィン議長と会談,同日サンユー大統領と第1回目の公式会談,夜,晩さん会。 |
DIA-211-1985-03-05-1 | ミャンマー | 1985年03月05日 | 1980年代 | 李先念主席に随行した姫鵬飛国務委員はTun Tin副首相と,また徐信副参謀総長はKyaw Htin副首相とそれぞれ会談。7日には対外経済貿易部副部長Lee YuejianはKhin Maung Gyi貿易相と会談。 |
DIA-211-1985-03-11-1 | ミャンマー | 1985年03月11日 | 1980年代 | 李先念国家主席一行が帰国。7日から10日まで一行はTint Swe第1工業相の案内で,パガン,マンダレー,サンドウェーを訪問。10日にはネーウィン議長と2回目の会談。 |
DIA-211-1985-03-13-1 | ミャンマー | 1985年03月13日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相はチェルネンコ書記長追悼のため,ソ連大使館を弔問。 |
DIA-211-1985-03-14-1 | ミャンマー | 1985年03月14日 | 1980年代 | 第13回計画党中央委第1日目,ネーウィン議長が開会演説,Aye Ko総書記が中央執行委報告を提出。Sein Lwin副総書記が85/86年度予算案を説明。 |
DIA-211-1985-03-14-2 | ミャンマー | 1985年03月14日 | 1980年代 | Mongkhsu郡Mong Awk村で3500人の村民が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1985-03-15-1 | ミャンマー | 1985年03月15日 | 1980年代 | 閣僚評議会は開発法(1984)に基づきRCDC(ラングーン市開発委員会)の改組を布告。独立機関とした。 |
DIA-211-1985-03-17-1 | ミャンマー | 1985年03月17日 | 1980年代 | Kyauktagaでの反乱軍抗議集会に元KNU兵士が住民に謝罪。 |
DIA-211-1985-03-18-1 | ミャンマー | 1985年03月18日 | 1980年代 | 第3期第8回人民議会開会。今期定数470名のうち468名が出席,国評報告,閣僚評議会報告,85/86年度予算案および経済計画などが発表された。 |
DIA-211-1985-03-18-2 | ミャンマー | 1985年03月18日 | 1980年代 | 1985/86年度経済計画が発表され,GDP目標6.9%が示された。部門別目標は,農業5.1%,畜・水産5.7%.林業6.9%,鉱業13.8%,工業14.1%としており,輸出目標を44.38億チャット,輸入目標57.6億チャットとした。なお84/85年度のGDP確定伸び率は6.6%。 |
DIA-211-1985-03-22-1 | ミャンマー | 1985年03月22日 | 1980年代 | 人民議会が閉会した。この間1985年度予算,人民議会法改正案など9法案が可決された。人民議会法改正では,副大統領制の導入が盛り込まれている。 |
DIA-211-1985-03-22-2 | ミャンマー | 1985年03月22日 | 1980年代 | 来訪中の日本・森山外務政務次官はマウン・マウン・カ首相,Tun Tin副首相と会談。 |
DIA-211-1985-03-23-1 | ミャンマー | 1985年03月23日 | 1980年代 | ネーウィン議長,サンユー大統領はじめ国家および軍部首脳は第40回国軍記念日展示場を視察。 |
DIA-211-1985-03-23-2 | ミャンマー | 1985年03月23日 | 1980年代 | 国防省は反乱軍掃討作戦の戦果を発表。これによると84年3月24日から85年3月20日までの各師団による反乱軍掃討作戦中に起きた大規模戦闘は20回,その他の戦闘は計3014回に達した。政府軍の戦死者566名,負傷1195名,反乱軍戦死者1870名,捕虜506名,投降者は920名,また82mm臼砲1門,60mm臼砲4門など多数の武器・弾薬を捕獲した。 |
DIA-211-1985-03-24-1 | ミャンマー | 1985年03月24日 | 1980年代 | 教育省副大臣Dr.Mg.Mg.Ayeら教育視察団がオーストラリアに向け出発。4月17日帰国。 |
DIA-211-1985-03-25-1 | ミャンマー | 1985年03月25日 | 1980年代 | 来訪中のマレーシア公共事業相Y.B.Datin Paduka Radidah Azizは,マウン・マウン・カ首相らと会談。29日帰国。 |
DIA-211-1985-03-27-1 | ミャンマー | 1985年03月27日 | 1980年代 | 第40回国軍記念日,レジスタンス公園で中央式典と国軍によるパレード。Kyaw Htin国防相・国軍参謀総長演説。 |
DIA-211-1985-03-28-1 | ミャンマー | 1985年03月28日 | 1980年代 | 閣僚評議会経済調整委員会は各州・管区の人民評議会執行部に対し,85/86年度の経済計画を説明。 |
DIA-211-1985-03-30-1 | ミャンマー | 1985年03月30日 | 1980年代 | 米政府の招待により,新聞・出版公社総裁U.Khin Maung Ayeらがアメリカに向け出発。 |
DIA-211-1985-03-31-1 | ミャンマー | 1985年03月31日 | 1980年代 | ネーウィン議長はKyaw Htin国防相を伴い29日~31日にかけて,カチン州各地を視察。ミチナでは在郷軍人会と会談。 |
DIA-211-1985-03-31-2 | ミャンマー | 1985年03月31日 | 1980年代 | 3月中に合計32名の反乱軍が投降。 |
DIA-211-1985-04-01-1 | ミャンマー | 1985年04月01日 | 1980年代 | 日本の無償援助と技術協力によるラングーンのThuwunna橋が完成(全長300㍍)。 |
DIA-211-1985-04-03-1 | ミャンマー | 1985年04月03日 | 1980年代 | 青年計画党勤労青年を対象とする第16回訓練および指導者育成コースが始まった。 |
DIA-211-1985-04-05-1 | ミャンマー | 1985年04月05日 | 1980年代 | 日本の無償援助総額14.7億円の供与EN。棒鋼・亜鉛鉄板の購入(9億円),家畜衛生研究所用の機械(5.7億円)。 |
DIA-211-1985-04-05-2 | ミャンマー | 1985年04月05日 | 1980年代 | メイミヨーの士官学校で第26期卒業式が行なわれ,Kyaw Htin国防相,三軍参謀長らが出席。 |
DIA-211-1985-04-07-1 | ミャンマー | 1985年04月07日 | 1980年代 | 人民司法評議会議長U Tin Aung Heinは3月28日から4月6日にかけて,マグウェ,マンダレー,ザガイン管区の司法事情を視察。 |
DIA-211-1985-04-08-1 | ミャンマー | 1985年04月08日 | 1980年代 | Chit Hlaing外相の招待で,バングラデシュ人的資源・労働相Anisul Islamが来訪。9日にサンユー大統領,Ye Goung農林相,Chit Hlaing外相らと会談,10日に帰国。 |
DIA-211-1985-04-08-2 | ミャンマー | 1985年04月08日 | 1980年代 | 世銀等の援助で韓国の現代グループが建設していたKindaダムがこのほど完成。竣工式が行なわれ,計画党マンダレー管区委議長U Ye Myintらが出席。 |
DIA-211-1985-04-08-3 | ミャンマー | 1985年04月08日 | 1980年代 | ザガイン管区人民評議会は,84/85年度中に密輸品930万チャット相当と不正取引のヒスイ6090.5viss,木材1353.9立方㌧を押収した。 |
DIA-211-1985-04-10-1 | ミャンマー | 1985年04月10日 | 1980年代 | 人民監察評議会議長U Ohn Tinは5日~9日までヤカイン州各地区の監察支部を視察。 |
DIA-211-1985-04-10-2 | ミャンマー | 1985年04月10日 | 1980年代 | Min Gaung内務・宗教相はラングーン市の消防施設を視察。 |
DIA-211-1985-04-10-3 | ミャンマー | 1985年04月10日 | 1980年代 | 鉱山省は85/86年度鉱業計画目標と実施に関わる調整会議。 |
DIA-211-1985-04-11-1 | ミャンマー | 1985年04月11日 | 1980年代 | サンユー大統領は自身の選挙区Bahan郡の選挙民に対し,人民議会報告。 |
DIA-211-1985-04-17-1 | ミャンマー | 1985年04月17日 | 1980年代 | ビルマ正月(ビルマ暦1347年)。 |
DIA-211-1985-04-18-1 | ミャンマー | 1985年04月18日 | 1980年代 | ネーウィン議長は4月16日~18日までKindaダムと付近の農村を視察。国評メンバーDr.Mg.Mg.,Kyaw Htin国防相,人民検察評議会U Lay Mg.らが同行。 |
DIA-211-1985-04-19-1 | ミャンマー | 1985年04月19日 | 1980年代 | 国際青年年を記念して,植樹活動のための青年奉仕隊が結成され,Taikkyiでキャンプ開設。 |
DIA-211-1985-04-19-2 | ミャンマー | 1985年04月19日 | 1980年代 | 85年度優良青少年団(Luye Chuns)が各地でキャンプ活動,訓練,学習,視察などを行なっている。 |
DIA-211-1985-04-20-1 | ミャンマー | 1985年04月20日 | 1980年代 | 国評書記長Aye Koは自身の選挙区Taikkyi1区の選挙民に人民議会報告。副大統領制導入などについて説明。 |
DIA-211-1985-04-22-1 | ミャンマー | 1985年04月22日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相は自身の選挙区Hlaing2区の選挙民に人民議会報告を行なう。このなかで輸出の不振は輸出価格の下落が原因であったと説明。 |
DIA-211-1985-04-23-1 | ミャンマー | 1985年04月23日 | 1980年代 | 8月の第5回党大会に向けて,各地で大会代議員の選出が進んでいるが,計画党副総書記Sein LwinはBahan郡第36班の選出大会を視察。 |
DIA-211-1985-04-24-1 | ミャンマー | 1985年04月24日 | 1980年代 | 国軍情報部発表によれば,東部師団による麻薬撲滅のための特別作戦(第6次Moe Hein)がMong Kwan,Mong Yawn,Loi Lang,Mong Hsat地域で2月24日から3月15日まで行なわれた。当作戦は東部師団下の第88歩兵師団が参加。生アヘン4033.13キログラム,ヘロイン62.17キログラム,モルヒネ264.18キログラム,マリファナ347.91キログラムなどを押収。また84/85年度中に全国でケシ畑2万1206エーカーを破壊した。 |
DIA-211-1985-04-25-1 | ミャンマー | 1985年04月25日 | 1980年代 | 人民監察評議会議長U Ohn TinはDaik-Uのタピオカ,グルタミン酸ソーダ,かん詰などの食品工業を視察。 |
DIA-211-1985-04-25-2 | ミャンマー | 1985年04月25日 | 1980年代 | 内務・宗教副大臣Khin Maung WinはDalla郡の地区党支部を視察。 |
DIA-211-1985-04-25-3 | ミャンマー | 1985年04月25日 | 1980年代 | 農林省および貿易省はそれぞれ85/86年度経済計画実施に関わる調整会議。 |
DIA-211-1985-04-26-1 | ミャンマー | 1985年04月26日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相は25,26日にHla Tun建設相とメイミヨーの第1製鉄工場などを視察。 |
DIA-211-1985-04-27-1 | ミャンマー | 1985年04月27日 | 1980年代 | Kya-in-Seikkyiで3500人による反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1985-04-29-1 | ミャンマー | 1985年04月29日 | 1980年代 | Sein Lwin党副総書記はラングーン各地区の党支部での党大会代議員選出状況を視察。 |
DIA-211-1985-04-30-1 | ミャンマー | 1985年04月30日 | 1980年代 | 4月中にBCP,Lahuなどの反乱軍41名が投降。 |
DIA-211-1985-05-01-1 | ミャンマー | 1985年05月01日 | 1980年代 | 1985年度労働者の日記念集会が各地で開かれ,ネーウィン議長は特別メッセージ,労働者連合の役割を強調。 |
DIA-211-1985-05-01-2 | ミャンマー | 1985年05月01日 | 1980年代 | 第38回WHO総会に出席のためTun Wai保健相ら代表団がスイスへ。 |
DIA-211-1985-05-02-1 | ミャンマー | 1985年05月02日 | 1980年代 | 選挙委員会は第4期人民議会の選挙区と定数を発表。定数は合計489名で15名増。州管区別の定数は次のとおり。カチン(20),カヤ(8),カレン(14),チン(13),ヤカイン(26),モン(20),シャン(62),ザガイン(58),テナセリム(13),ペグー(51),マグウェ(39),マンダレー(56),ラングーン(58),イラワジ(51)。 |
DIA-211-1985-05-04-1 | ミャンマー | 1985年05月04日 | 1980年代 | ネーウィン議長夫妻訪中。鄧小平党中央顧問会議議長の招待を受けて,ネーウィン議長夫妻が中国へ。計画党議長として訪中は初めて。国評メンバーDr.Mg.Mg.,Kyaw Htin国防相,U Lay Maungらが同行。北京では陳慕華国務委員らが出迎え。9日に帰国するまで,趙紫陽首相,彭真全人代常務委員長,陳慕華国務委員,胡耀邦党総書記,鄧小平ら首脳と会談。 |
DIA-211-1985-05-04-2 | ミャンマー | 1985年05月04日 | 1980年代 | パキスタン大統領公式訪問。Zia-ul-Haq大統領が国賓として来訪。6日の帰国までサンユー大統領と2回にわたり会談。Aye Ko党総書記,マウン・マウン・カ首相らも同席。パ側同行者はYaqub Khan外相,Saifullah Khan商業・石油相ら。6日に共同声明発表。 |
DIA-211-1985-05-07-1 | ミャンマー | 1985年05月07日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相はKyawswa肥料工場,Mann Thanbayakan石油精製所などを視察。Tint Swe第1工業相,Chit Hlaing外相らが同行。 |
DIA-211-1985-05-07-2 | ミャンマー | 1985年05月07日 | 1980年代 | Namtu郡Mansam村で3000人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1985-05-08-1 | ミャンマー | 1985年05月08日 | 1980年代 | Sein Lwin党副総書記は,自身の選挙区マンダレー2区で,人民議会報告。 |
DIA-211-1985-05-12-1 | ミャンマー | 1985年05月12日 | 1980年代 | Tun Tin副首相とMaung Cho第2工業・エネルギー相は4月20日から訪日,経済協力について協議,この後,Tun Tinはマレーシア,Maung Choは西独を訪問して帰国。 |
DIA-211-1985-05-14-1 | ミャンマー | 1985年05月14日 | 1980年代 | ネーウィン議長とサンユー大統領は中央銀行を視察。Sein Lwin党副総書記らが同行。 |
DIA-211-1985-05-14-2 | ミャンマー | 1985年05月14日 | 1980年代 | ラオスのスファヌボン大統領がソ連からの帰途,ラングーン空港に立ち寄り,Chit Hlaing外相と会談。 |
DIA-211-1985-05-15-1 | ミャンマー | 1985年05月15日 | 1980年代 | ルーマニア首相Constantin Dascalescuが公式訪問,16日にサンユー大統領,マウン・マウン・カ首相,Aye Ko党総書記らと会談。また随行した対外貿易・国際経済協力相Alexandru RosuはKhin Mg.Gyi貿易相と会談。17日に共同声明を発表して帰国。 |
DIA-211-1985-05-15-2 | ミャンマー | 1985年05月15日 | 1980年代 | 測量局長(Survey Department)U Sein Lwinを団長とする中国・ビルマ国境監視委員会代表団が訪中。 |
DIA-211-1985-05-22-1 | ミャンマー | 1985年05月22日 | 1980年代 | 計画党第4回中央委員会,ネーウィン議長が開会演説。 |
DIA-211-1985-05-23-1 | ミャンマー | 1985年05月23日 | 1980年代 | 運輸・通信省は85/86年度開発計画調整会議を開き,Saw Pru同相が運輸・通信網の拡大の重要性を指摘。 |
DIA-211-1985-05-26-1 | ミャンマー | 1985年05月26日 | 1980年代 | Ye Goung農林相はペグー管区の農業生産・開発計画調整会議に出席,農民の共同作業による生産の拡大を強調。 |
DIA-211-1985-05-26-2 | ミャンマー | 1985年05月26日 | 1980年代 | Mongkatの住民がBCP抗議集会。 |
DIA-211-1985-05-27-1 | ミャンマー | 1985年05月27日 | 1980年代 | 第1期僧侶評議会第6回中央委総会がKaba Ayeで開かれた。 |
DIA-211-1985-05-28-1 | ミャンマー | 1985年05月28日 | 1980年代 | Hlaing Myint農林副大臣,U Kyaw中央農民連合副書記長はToungooの1万2000㌧製材所などを視察。 |
DIA-211-1985-05-29-1 | ミャンマー | 1985年05月29日 | 1980年代 | 中国全人代常務委員会招待により,U Thant Sinを代表とする人民議会代表団(4名)が訪中。 |
DIA-211-1985-05-30-1 | ミャンマー | 1985年05月30日 | 1980年代 | 第2回全国僧侶評議会総会が開かれ,新しい中央委員会(Maha Nayaka)47名を選出。 |
DIA-211-1985-05-30-2 | ミャンマー | 1985年05月30日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相はTun Tin,Kyaw Htin両副首相らとHlegu郡Ywathagyi村の農業・畜産モデル村第1号を視察。 |
DIA-211-1985-05-31-1 | ミャンマー | 1985年05月31日 | 1980年代 | 中央政治科学校内で,第5回党大会会場の設営が完成,Aye Ko党総書記らが視察。 |
DIA-211-1985-05-31-2 | ミャンマー | 1985年05月31日 | 1980年代 | 訪中している人民議会代表団は北京で彭真全人代議長と会談。このあと6月2日に上海,3日に広州を経て9日に帰国。 |
DIA-211-1985-05-31-3 | ミャンマー | 1985年05月31日 | 1980年代 | Kyaw Htain農林副大臣は,農林関係の今年度開発計画の説明のため,イラワジ地区を訪問。 |
DIA-211-1985-05-31-4 | ミャンマー | 1985年05月31日 | 1980年代 | 5月中の反乱軍投降者は52名。 |
DIA-211-1985-06-03-1 | ミャンマー | 1985年06月03日 | 1980年代 | 全国各地で第5回党大会への代議員選出が行なわれているが,Aye Ko党総書記をはじめ,Sein Lwin,Kyaw Htin,Zaw Win,Tun Yiら中執委メンバーはラングーン市内の各地区党支部での代議員選出を視察。 |
DIA-211-1985-06-03-2 | ミャンマー | 1985年06月03日 | 1980年代 | イタリーの外務副大臣Dr.Bruno Contiが来訪,Hla Shwe外務副大臣が出迎え,4日にChit Hlaing外相と会談,6日帰国。 |
DIA-211-1985-06-04-1 | ミャンマー | 1985年06月04日 | 1980年代 | 国軍参謀本部内の計画党支部で第5回党大会のための準備委員会が開かれ,代議員を選出,Aye Ko,Sein Lwin,Kyaw Htinら党幹部が出席。 |
DIA-211-1985-06-07-1 | ミャンマー | 1985年06月07日 | 1980年代 | ネーウィン議長はメディカル・チェックのため西独へ出発。Kyaw Htin国防相,Mg.Cho第2工業エネルギー相らが同行,7月15日ルフトハンザ特別機で帰国。 |
DIA-211-1985-06-13-1 | ミャンマー | 1985年06月13日 | 1980年代 | 建設公社は85/86年度開発計画実施と第1四半期業務との調整会議。 |
DIA-211-1985-06-18-1 | ミャンマー | 1985年06月18日 | 1980年代 | 6月18日付WPD紙はHtain Lin署名の論文「Manaoの美しい土地を破壊する反逆集団BCPとKIA」を掲載。(Manaoとはカチン族が呼称するカチン高原)このなかで,反乱軍が住民の生活を脅かし,住民が築いた種々の施設を破壊していると指摘。 |
DIA-211-1985-06-19-1 | ミャンマー | 1985年06月19日 | 1980年代 | 全国各地で,10月に予定されている各レベル議会選挙をスムースに行なうための準備会議が開かれた。 |
DIA-211-1985-06-23-1 | ミャンマー | 1985年06月23日 | 1980年代 | 第5回党大会に向けて,全国各地で勤労奉仕隊による清掃,修復などが行なわれている。 |
DIA-211-1985-06-27-1 | ミャンマー | 1985年06月27日 | 1980年代 | フィンランド政府は総額3165万フィンランドマルク(4300万チャット)の無償供与EN。これはMonywa合板工場用の機械購入とサービス提供。 |
DIA-211-1985-06-28-1 | ミャンマー | 1985年06月28日 | 1980年代 | サンユー大統領とAye Ko党総書記は第5回党大会の会場施設を視察。 |
DIA-211-1985-06-30-1 | ミャンマー | 1985年06月30日 | 1980年代 | 6月中の反乱軍投降者は32名。 |
DIA-211-1985-07-02-1 | ミャンマー | 1985年07月02日 | 1980年代 | Sein Lwin党副総書記はラングーン管区人民評議会幹部と会談,社会・経済状況についてヒアリング。 |
DIA-211-1985-07-03-1 | ミャンマー | 1985年07月03日 | 1980年代 | 中国の文化部部長朱穆之が来訪,Tun Tin副首相(8日),サンユー大統領(9日)らと会談,10日帰国。 |
DIA-211-1985-07-04-1 | ミャンマー | 1985年07月04日 | 1980年代 | 各協同組合と政府公社との製品売買一括契約交渉がラングーンで行なわれた。 |
DIA-211-1985-07-04-2 | ミャンマー | 1985年07月04日 | 1980年代 | 開発法によりその権限が強化されたラングーン市開発委員会では,開発事業の調整会議。 |
DIA-211-1985-07-05-1 | ミャンマー | 1985年07月05日 | 1980年代 | Sein Lwin党副総書記はペグー管区党委員会,党支部などの幹部に対し第5回党大会の説明。 |
DIA-211-1985-07-06-1 | ミャンマー | 1985年07月06日 | 1980年代 | インド政府外務担当国務相S.K.Alam Khanが来訪,サンユー大統領,マウン・マウン・カ首相Tun Tin副首相,Chit Hlaing外相らと8日に会談,9日帰国。 |
DIA-211-1985-07-06-2 | ミャンマー | 1985年07月06日 | 1980年代 | Kyaikto郡Kha-hnwe村で村民1200人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1985-07-12-1 | ミャンマー | 1985年07月12日 | 1980年代 | 第69期陸軍士官訓練コースの終了式がHmawbiの陸軍士官養成学校で行なわれ,陸軍参謀長Saw Maung中将が演説。 |
DIA-211-1985-07-12-2 | ミャンマー | 1985年07月12日 | 1980年代 | ビルマ連銀総裁にU Kyaw Myint(計画・財務省予算局長)。 |
DIA-211-1985-07-13-1 | ミャンマー | 1985年07月13日 | 1980年代 | Sein Lwin党副総書記はBasseinのイラワジホールで,イラワジ管区党支部幹部に対し,第5回党大会について説明。中執委Zaw Winが同席。 |
DIA-211-1985-07-13-2 | ミャンマー | 1985年07月13日 | 1980年代 | Chit Hlaing外相の招待により,アルジェリア大統領特使M.ben Ahmed AMelghani政治局員が来訪。14日にサンユー大統領,マウン・マウソ・カ首相と別個に会議,16日帰国。 |
DIA-211-1985-07-15-1 | ミャンマー | 1985年07月15日 | 1980年代 | ビルマはキプロスと外交関係樹立。 |
DIA-211-1985-07-16-1 | ミャンマー | 1985年07月16日 | 1980年代 | Sein Lwin党副総書記は各省の党支部役員に対し,第5回党大会について説明。 |
DIA-211-1985-07-17-1 | ミャンマー | 1985年07月17日 | 1980年代 | Aye Ko党総書記,Sein Lwin,Kyaw Htin,Dr.Mg.Mg.ら党幹部は第5回党大会会場を下見。 |
DIA-211-1985-07-18-1 | ミャンマー | 1985年07月18日 | 1980年代 | 全国各地で第5回党大会を歓迎する集会が開かれ,掲示板を設置,奉仕活動が行なわれている。 |
DIA-211-1985-07-18-2 | ミャンマー | 1985年07月18日 | 1980年代 | ユーゴスラビア対外貿易次官Dr.Milenko Bojanicを団長とする貿易代表団が来訪,マウン・マウン・カ首相,Khin Mg.Gyi貿易相,Saw Pru運輸・通信相,Than Tin鉱山相らと会談。 |
DIA-211-1985-07-19-1 | ミャンマー | 1985年07月19日 | 1980年代 | 第38回殉難者の日(Arzani Day),新装なった殉難者廟で,マウン・マウン・カ首相らが出席して献花式が行なわれ,10時37分BBSは全国放送でサイレンを流し,国民は2分間の黙とうを捧げた。全ての国旗は半旗。 |
DIA-211-1985-07-23-1 | ミャンマー | 1985年07月23日 | 1980年代 | 李源京・韓国外相が来訪,24日にサンユー大統領,マウン・マウン・カ首相と別個に会談,25日に帰国した。 |
DIA-211-1985-07-24-1 | ミャンマー | 1985年07月24日 | 1980年代 | 午後2時10分,ラングーン発マンダレー行列車が地雷により爆破,脱線,乗客61人が死亡,112人が負傷。公式発表はないがカレン反乱軍(KNU)による第5回党大会に向けての示威行動。 |
DIA-211-1985-07-25-1 | ミャンマー | 1985年07月25日 | 1980年代 | Pa-an郡Windayai村で村民1500人によるKNU反乱軍に対する抗議集会。 |
DIA-211-1985-07-27-1 | ミャンマー | 1985年07月27日 | 1980年代 | 第5回党大会を記念して,全国各地で田植コンテストが行なわれた。 |
DIA-211-1985-07-28-1 | ミャンマー | 1985年07月28日 | 1980年代 | Kawkareik郡Kyondo村で,村民2000人がKNU反乱軍に対する抗議集会。 |
DIA-211-1985-07-29-1 | ミャンマー | 1985年07月29日 | 1980年代 | カチン州Kamaingで1600人の村民によるKIA反乱軍に対する抗議集会。 |
DIA-211-1985-07-30-1 | ミャンマー | 1985年07月30日 | 1980年代 | 第5回党大会に出席する各地区,支部代議員が会場宿泊所に到着し始める。 |
DIA-211-1985-07-30-2 | ミャンマー | 1985年07月30日 | 1980年代 | カナダ政府は畜・水産省に対し,家畜育成技術指導を行なうことに合意・調印した。 |
DIA-211-1985-07-31-1 | ミャンマー | 1985年07月31日 | 1980年代 | 7月中の反乱軍投降者はPa-O族など51名。 |
DIA-211-1985-08-01-1 | ミャンマー | 1985年08月01日 | 1980年代 | 第5回党大会の準備委員会が開かれ,党大会での議長団などを選出した。 |
DIA-211-1985-08-02-1 | ミャンマー | 1985年08月02日 | 1980年代 | 第5回社会主義計画党大会開かれる。中央政治科学院特設会場(ミンガラドン)で,全国からの代議員計1186名(定数1191名)が集まった。ネーウィン議長が開会演説,「党のためより国のために奉仕することが重要である」などと述べた。この後,Aye Ko総書記が政治基調報告,Sein Lwin副総書記が党則改正案(副議長制の導入,中央委定員増加など)をそれぞれ説明。 |
DIA-211-1985-08-02-2 | ミャンマー | 1985年08月02日 | 1980年代 | 第5次4カ年計画発表。第5回党大会第1日目,U Than Hlaing党本部書記が第5次4カ年計画(1986~90年)のガイドラインを説明,これによる主要目標指標はつぎのとおり。人口増加率(年平均)1.96%,GDP(同)6.1%,総投資額141.8億チャット(国営70.6%,民間29.4%),輸出額(最終年度)72.7億チャット,輸入額(同)91.3億チャット。 |
DIA-211-1985-08-02-3 | ミャンマー | 1985年08月02日 | 1980年代 | 党勢さらに拡大。Aye Ko総書記は政治基調報告のなかで,第5回党大会時(1985年1月末現在)の党勢について次のように発表した。正式党員230万人(男190万人,女40万人),党員120万人,党班1万3881,党細胞11万1002,党友グループ4万5117,党支部281,組織委員会27。なお正式党員の世代別構成は,18~25歳14.73%,26~60歳78.41%,61歳以上6.86%となっている。 |
DIA-211-1985-08-03-1 | ミャンマー | 1985年08月03日 | 1980年代 | 第5回党大会2日目は,政治基調報告などに対する代議員との質疑応答が行なわれた。 |
DIA-211-1985-08-03-2 | ミャンマー | 1985年08月03日 | 1980年代 | Mogaung郡Theindawgyi村で2700人の村民がKIA反乱軍に対する抗議集会。 |
DIA-211-1985-08-06-1 | ミャンマー | 1985年08月06日 | 1980年代 | 中央委選出。党大会第5日目に,中央委員会委員の選出が行なわれ,前回より20名増加され,280名の新委員が発表された(「参考資料」参照)。また,同日第1回中央委総会が開かれた。 |
DIA-211-1985-08-06-2 | ミャンマー | 1985年08月06日 | 1980年代 | Kyauktaga郡Nanza村民兵隊に対する政府軍による武器引渡式が行なわれた。 |
DIA-211-1985-08-07-1 | ミャンマー | 1985年08月07日 | 1980年代 | 党大会最終日,新しい中央執行委員会委員が選出され,2名増員の17名が確定(「参考資料」参照)。なお,今回から新しく導入された副議長にサンユー(大統領)が選ばれ,Dr.Mg.Mg.とZaw Winが引退,陸軍参謀長Saw Maung中将,Hla Tun建設相,Than Tin鉱山相が新任された。 |
DIA-211-1985-08-08-1 | ミャンマー | 1985年08月08日 | 1980年代 | Aye Ko党総書記は計画党地域委員会執行部に対し,第5回党大会で採択された決議,決定などについて説明。 |
DIA-211-1985-08-12-1 | ミャンマー | 1985年08月12日 | 1980年代 | ビルマ・バングラデシュ国境画定に関する画定地図の確認が行なわれ,協定調印。 |
DIA-211-1985-08-17-1 | ミャンマー | 1985年08月17日 | 1980年代 | ビルマ政府はアフリカの飢餓諸国に対し,国連をつうじて,米500㌧を贈った。 |
DIA-211-1985-08-19-1 | ミャンマー | 1985年08月19日 | 1980年代 | Sein Lwin党副総書記はマンダレー,ザガイン管区の党地域委員会執行部に対し,第5回党大会の報告。 |
DIA-211-1985-08-19-2 | ミャンマー | 1985年08月19日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相,Tun Tin副首相,Kyaw Htin国防相らはPa-anのセメント工場,Thatonのタイヤ・ゴム工場などを視察。 |
DIA-211-1985-08-19-3 | ミャンマー | 1985年08月19日 | 1980年代 | Kyaikto郡Moke-kha-Phaw村で1500人の村民がKNU反乱軍に対する抗議集会。 |
DIA-211-1985-08-21-1 | ミャンマー | 1985年08月21日 | 1980年代 | Sein Tun協同組合相は17日から21日まで,マグウェ,ペグー,マンダレー各管区の協同組合施設を視察。 |
DIA-211-1985-08-22-1 | ミャンマー | 1985年08月22日 | 1980年代 | 全国農民連合中央委第5回総回が開かれ,Ye Goung同委議長が開会演説。 |
DIA-211-1985-08-23-1 | ミャンマー | 1985年08月23日 | 1980年代 | ベトナム政府教育局長Nguyen Minh Quangを団長とする4人の教育視察団が来訪,9月3日帰国。 |
DIA-211-1985-08-26-1 | ミャンマー | 1985年08月26日 | 1980年代 | 国連常駐ビルマ代表にU Mg.Mg.Gyiを任命。 |
DIA-211-1985-08-26-2 | ミャンマー | 1985年08月26日 | 1980年代 | Kyaw Htin国防相の招待により,タイ国軍最高司令官Arthit Kamlang-ek大将とその一行が来訪。Kyaw Htin国防相,陸軍参謀長Saw Maung中将らと,また27日にはサンユー大統領,Aye Ko党総書記とも会談,28日帰国。 |
DIA-211-1985-08-28-1 | ミャンマー | 1985年08月28日 | 1980年代 | 全国労働者連合第2期中央委員会特別会談が開かれ,同委議長Ohn Kyaw労相が開会演説。 |
DIA-211-1985-08-31-1 | ミャンマー | 1985年08月31日 | 1980年代 | Waw郡Naungpatlaya村,Pegu郡Htongyi村の民兵隊に対する武器引渡し式がそれぞれ行なわれた。 |
DIA-211-1985-08-31-2 | ミャンマー | 1985年08月31日 | 1980年代 | 8月中の反乱軍投降者はカチン族,Moheinグループなど40名。 |
DIA-211-1985-09-01-1 | ミャンマー | 1985年09月01日 | 1980年代 | Sein Lwin党副総書記はマグウェ管区の地域組織委員会執行部に対し,第5回党大会の報告。 |
DIA-211-1985-09-01-2 | ミャンマー | 1985年09月01日 | 1980年代 | 日本の首相特使として自民党の藤尾正行政調会長が来訪。Chit Hlaing外相また2日にサンユー大統領らと会談,3日に帰国。 |
DIA-211-1985-09-04-1 | ミャンマー | 1985年09月04日 | 1980年代 | 測量局長U Sein Lwinを団長とする代表団が,ビルマ・中国国境監視委員会に出席のため,北京へ。 |
DIA-211-1985-09-05-1 | ミャンマー | 1985年09月05日 | 1980年代 | 米国のニクソン元大統領が来訪,ネーウィン議長と会談。 |
DIA-211-1985-09-06-1 | ミャンマー | 1985年09月06日 | 1980年代 | 中央協同組合評議会第12回総会がHleguの中央協同組合訓練学校で開かれ,同評議会議長Sein Tun協同組合相が開会演説。 |
DIA-211-1985-09-07-1 | ミャンマー | 1985年09月07日 | 1980年代 | Sein Lwin党副総書記はモン州,カレン州の党地域委員会,党支部役員に対し,第5回党大会の報告。 |
DIA-211-1985-09-09-1 | ミャンマー | 1985年09月09日 | 1980年代 | 選挙運動開始。第4期人民議会のための,各選挙区ごとの候補者名が発表された。人民議会は1選挙区1人の候補者で信任投票を行naう。選挙期間中は特別な運動はないが,投票所には候補者の経歴が貼付され,街には投票を呼びかける掲示板やたれ幕が設けられた。また各レベル人民評議会選挙での候補者リストも各選挙区ごとに,人民議会メンバーによる承認が終わりしだい発表されている。 |
DIA-211-1985-09-10-1 | ミャンマー | 1985年09月10日 | 1980年代 | マンダレー南西郡法廷はヘロイン密売・運搬をしていた6人に対し,死刑を判決。 |
DIA-211-1985-09-10-2 | ミャンマー | 1985年09月10日 | 1980年代 | ソ連リトアニア共和国のバレーボール・チームが来訪,ビルマ・チームと親善試合。 |
DIA-211-1985-09-11-1 | ミャンマー | 1985年09月11日 | 1980年代 | 文化交流計画に基づき,ビルマ映画界代表団が訪中。 |
DIA-211-1985-09-13-1 | ミャンマー | 1985年09月13日 | 1980年代 | 人民評議会候補者公認のため,Sittweを訪れているSaw Pru運輸・通信相は党地域委員会,党支部幹部に対し,第5回党大会の報告。 |
DIA-211-1985-09-15-1 | ミャンマー | 1985年09月15日 | 1980年代 | Pinlaung郡内の民兵隊に武器引渡し式。 |
DIA-211-1985-09-16-1 | ミャンマー | 1985年09月16日 | 1980年代 | Chit Hlaing外相は第40回国連総会へ出発。 |
DIA-211-1985-09-17-1 | ミャンマー | 1985年09月17日 | 1980年代 | 日本政府は総額25.41億円の無償供与EN。化学肥料,農薬,農機具の購入(農業増産援助25億円),視聴覚教育機材(4100万円)。 |
DIA-211-1985-09-18-1 | ミャンマー | 1985年09月18日 | 1980年代 | 文化交流計画に基づいて,文化省芸術局舞踊・演劇課長U Ye Nweを団長とする芸術使節団が訪中(2週間)。 |
DIA-211-1985-09-23-1 | ミャンマー | 1985年09月23日 | 1980年代 | イギリス政府農業・水産・食糧担当Belstead卿が来訪。 |
DIA-211-1985-09-23-2 | ミャンマー | 1985年09月23日 | 1980年代 | 米価5年連続据置。貿易省は布告第7号/85を発令,今年度産米の政府購入米価を発表。これによると全品種,等級とも昨年と同様とした。これで米価は5年連続据置となった。購入手続,自主流通米の取扱い等も昨年と同様。買上米価(100バスケット当りチャット)は以下のとおり。Ngasein(普通900,上等990,特上1060),Meedon(同940,同1000,同1060),Ematha(同955,同1050,同1125),Special Ematha(同1035,同1140,同1220),Ngakywe(同1090,同1200,同1300),Kaukhnyin(同900,同990,同1060)。 |
DIA-211-1985-09-25-1 | ミャンマー | 1985年09月25日 | 1980年代 | 文化交流計画に基づいてビルマのボクシング代表団がソ連に向け出発。 |
DIA-211-1985-09-26-1 | ミャンマー | 1985年09月26日 | 1980年代 | 中国の芸術視察団が来訪。Aung Kyaw Myint情報文化相と会談。 |
DIA-211-1985-09-27-1 | ミャンマー | 1985年09月27日 | 1980年代 | 第13期陸軍下士官訓練コースの終了式が行なわれ,陸軍参謀長Saw Maung中将が,「国家は軍のためならず,軍は国家のためにあり」などと訓辞。 |
DIA-211-1985-09-27-2 | ミャンマー | 1985年09月27日 | 1980年代 | マンダレーで各協同組合と政府公社との集団売買契約が行なわれ,合計1.13億算の契約。 |
DIA-211-1985-09-30-1 | ミャンマー | 1985年09月30日 | 1980年代 | ネーウィン議長は26日~30日まで東部,北東師団地域を視察。この間Kengtung,Lashioなどの前線を訪問,少数民族代表と会談。Kyaw Htin国防相らが同行。 |
DIA-211-1985-09-30-2 | ミャンマー | 1985年09月30日 | 1980年代 | 9月中の反乱軍投降者はカレン軍など41名。 |
DIA-211-1985-10-01-1 | ミャンマー | 1985年10月01日 | 1980年代 | 1985年度世界食糧デー記念行事委員会は米,小麦などの生産性の高い地域について,このほど調査した結果を発表。作物別の高生産地域はつぎのとおり。米―(1)Henzada,(2)Gyobingauk,(3)Tharrawaddy,小麦―Tada-U,胡麻―Zalun,サンフラワー―Pyawbwe,Gram―Gyobingauk,バタービーン―kale,砂糖キビ―Lewe,ポテト―Kalaw。 |
DIA-211-1985-10-03-1 | ミャンマー | 1985年10月03日 | 1980年代 | 第23回UNESCO総会代表団(団長:ビルマ語委員会事務局長U San Lwin)が出発。 |
DIA-211-1985-10-04-1 | ミャンマー | 1985年10月04日 | 1980年代 | 有権者数発表。10月6日からの総選挙に際し,有権者数と議席数が発表された。人口3498万人(82/83年現在),有権者数1934万人,議席数―人民議会489,州・管区人民評議会976,郡人民評議会2万2850,町・村人民評議会16万6763,全国投票所数16万6763。 |
DIA-211-1985-10-04-2 | ミャンマー | 1985年10月04日 | 1980年代 | 外国人傭兵殺さる。カレン州Maela地区で政府軍第44歩兵師団所属の第5歩兵戦闘部隊は約150人のカレン軍と戦闘。この戦闘で多くのカレン軍戦死者が出たが,そのなかに数名の傭兵と思われる白人兵士が認められた。このうち1名については所持していたパスポートなどからフランス人(28歳)と確認,その所持品を公開した。反乱軍が外人を雇っていたことが判明したのははじめて。 |
DIA-211-1985-10-05-1 | ミャンマー | 1985年10月05日 | 1980年代 | 政府,イスラエル空軍機によるPLO本部爆撃を非難する声明を発表。 |
DIA-211-1985-10-06-1 | ミャンマー | 1985年10月06日 | 1980年代 | 総選挙開始。人民議会および各レベル人民評議会選挙が始まった。投票は各選挙とも同時に行なわれ,10月20日までに終了する予定。第1日目はラングーンの全選挙区で,投票。即日開票の結果,サンユー大統領など全員が信任された。 |
DIA-211-1985-10-07-1 | ミャンマー | 1985年10月07日 | 1980年代 | モロッコ国王特使Mohamed Ben Aissa文化相が来訪。Khin Maung Gyi外相代理,8日にサンユー大統領と会談,8日帰国。 |
DIA-211-1985-10-09-1 | ミャンマー | 1985年10月09日 | 1980年代 | Chit Hlaing外相,国連総会から帰国。 |
DIA-211-1985-10-09-2 | ミャンマー | 1985年10月09日 | 1980年代 | 奥田敬和を団長とする6人の国会議員団が来訪,11日帰国。 |
DIA-211-1985-10-11-1 | ミャンマー | 1985年10月11日 | 1980年代 | 文化交流計画に基づき,9人のバドミントン・チームがソ連へ。 |
DIA-211-1985-10-12-1 | ミャンマー | 1985年10月12日 | 1980年代 | 農業機械化局がチャーターしたビルマ航空機F-27がPutao空港着陸に失敗,パイロット等2名が死亡,飛行機は大破。 |
DIA-211-1985-10-14-1 | ミャンマー | 1985年10月14日 | 1980年代 | 党本部職員に対する第52回マネジメントコースが開かれ,中央政治科学院U Soe Myintが開講演説。 |
DIA-211-1985-10-16-1 | ミャンマー | 1985年10月16日 | 1980年代 | カチン州Waingmaw郡選出のL Kum Hpag准将が死亡,26日補欠選挙が行なわれ,U D Ja Yawが当選した。 |
DIA-211-1985-10-18-1 | ミャンマー | 1985年10月18日 | 1980年代 | 1984/85年度の模範労働者および最優秀社会主義労働者が発表された。最優秀社会主義労働者にYwathitkyiの繊維工場労働者Daw Htay Htayなど69名。また模範労働者には637名が選ばれた。 |
DIA-211-1985-10-19-1 | ミャンマー | 1985年10月19日 | 1980年代 | 人民議会および各レベル人民評議会選挙の投票が全て終了,人民議会489名の議員が確定。 |
DIA-211-1985-10-19-2 | ミャンマー | 1985年10月19日 | 1980年代 | ペグーのPayagale人民警察は石油闇取引の一斉取締を行ない,3台のトラックから,ガソリン2508ガロン,ディーゼル油46ガロンを押収。 |
DIA-211-1985-10-20-1 | ミャンマー | 1985年10月20日 | 1980年代 | IMFおよび世銀の年次総会に出席したTun Tin計画・財務相が帰国。アメリカからの帰途,韓国を訪問,Shin Byong Hyun計画相らと会談。 |
DIA-211-1985-10-23-1 | ミャンマー | 1985年10月23日 | 1980年代 | 農産物交易公社で第2四半期の営業実績検討および調整会議が行なわれ,Khin Maung Gyi貿易相は輸出増加に全力をあげるなどと訓令。 |
DIA-211-1985-10-23-2 | ミャンマー | 1985年10月23日 | 1980年代 | 文化交流計画に基づき中国湖南省のバレーボール・チームが来訪。 |
DIA-211-1985-10-25-1 | ミャンマー | 1985年10月25日 | 1980年代 | 公社総裁人事。以下の公社新総裁が任命された。ビルマ外国貿易銀行(MFTB)U Mg.Mg.Than,ビルマ農業銀行(MAB)U Nyunt Hlaing,建設公社U Khin Mg.Mg.,ビルマ宝石公社U Hla Thein。 |
DIA-211-1985-10-25-2 | ミャンマー | 1985年10月25日 | 1980年代 | 文化交流計画に基づきインドネシアのサッカー・チームが来訪。 |
DIA-211-1985-10-25-3 | ミャンマー | 1985年10月25日 | 1980年代 | Laikha村で,住民7600人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1985-10-27-1 | ミャンマー | 1985年10月27日 | 1980年代 | ソ連閣僚評議会副議長Yakov Petrovich Ryabovはインドネシアへの公式訪問の途中,ラングーン空港に立寄り,Chit Hlaing外相と会談。 |
DIA-211-1985-10-28-1 | ミャンマー | 1985年10月28日 | 1980年代 | Mogaungで500人の村民が,BCP,KIAに対する抗議集会。 |
DIA-211-1985-10-28-2 | ミャンマー | 1985年10月28日 | 1980年代 | カチン州Karmaingで2200人,Mohnyinで5000人の住民がそれぞれBCP,KIAに対する抗議集会。 |
DIA-211-1985-10-29-1 | ミャンマー | 1985年10月29日 | 1980年代 | ネーウィン議長は26~29日まで,北西師団管区内のKyunchaung肥料工場,Sale肥料工場などを視察。Kyaw Htin国防相,Maung Cho第2工業相らが同行。 |
DIA-211-1985-10-30-1 | ミャンマー | 1985年10月30日 | 1980年代 | カレン州人民評議会議長U Kyaw Khin WinはPa-an郡内の村落を視察,治安対策,開発計画などを協議。 |
DIA-211-1985-10-30-2 | ミャンマー | 1985年10月30日 | 1980年代 | Waingmaw郡Washawng村で1600人の住民による反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1985-10-31-1 | ミャンマー | 1985年10月31日 | 1980年代 | 10月中の反乱軍投降者は43名。 |
DIA-211-1985-11-03-1 | ミャンマー | 1985年11月03日 | 1980年代 | 高額紙幣廃止。閣僚評議会は布告「特別第1号/85」を発令,K100,K50,K20紙幣を廃貨とすると発表。同布告ではこれらの紙幣所持者は11月11日から12月31日までの間に,最寄のビルマ経済銀行(Myanma Economic Bank)に提出,預金しなければならない。預金する場合,1家は1口座に限定され,その際国民登録証を提示しなければならない。このため国内の全銀行は4日~5日の2日間閉鎖。 (筆者注―高額紙幣の廃止は1964年5月にも行なわれ,この時は国有化政策の補完的措置として,インド人,中国人商人の経済実権を奪うことを目的とした。今回の措置は人民議会での説明によれば,闇取引,密輸などで退蔵されるブラックマネーを吸い上げ,これに関わっている反乱軍の財政資金を奪うためとしているが,一方では窮迫する国家財政の補てんという意味も小さくない。なおラングーンではこの後一部銀行窓口で混乱が見られたが,市民には,大きな動揺はなかった。またK50,K20は1979年4月28日に発行されたが,直後に偽札が出回ったため,当局が回収して以後新札発行を控えており事実上市中には出回っていなかった) |
DIA-211-1985-11-03-2 | ミャンマー | 1985年11月03日 | 1980年代 | 社会主義計画党中央委員会が開かれ,第4期人民議会に上提する法案などを討議。 |
DIA-211-1985-11-04-1 | ミャンマー | 1985年11月04日 | 1980年代 | 第4期第1回人民議会開会。第1日目,ネーウィン党議長が開会宣言。489名の議員全員が出席,この後国家評議会,閣僚評議会,人民司法,検察,監査各評議会メンバーの選出が行なわれた(資料431ページ参照)。なお国家評議会は16人のメンバーが入れ替わり,新設された副議長にAye Ko党総書記が選ばれ副大統領を兼任する。新メンバーにはChit Hlaing前外相,Hla Tun前建設相が入った。また閣僚評議会では前農林相Ye Goungが外相に,前協同組合相Sain Tunがエネルギー相に起用され,前海軍参謀長Mg.Mg.Win海軍少将が畜・水産相として,その他2名の現役軍人が新たに入閣した。 |
DIA-211-1985-11-04-2 | ミャンマー | 1985年11月04日 | 1980年代 | 国家機構の人事異動に伴い国軍幹部の異動が行なわれ,Kyaw Htin国防相が兼任していた国軍参謀総長に前陸軍参謀長Saw Maung中将が任命され,陸軍参謀長に前南西師団司令官Than Shwe准将が任命された。 その他は以下のとおり。海軍参謀長Maung Maung Kbin大佐(前Captain Naval Staff),空軍参謀長Tin Tun大佐(前Colonel Air Staff),軍務局長Pe Myaing准将(前ラングーン師団司令官),主計総監Phone Myint准将(前中央師団司令官)。 |
DIA-211-1985-11-04-3 | ミャンマー | 1985年11月04日 | 1980年代 | 道路交通管理局は1977年以来車検を一度も受けず,登録料未払いの全車種の自動車(二輪車を含む)は,86年1月1日より,運転不許可とする旨通告。 |
DIA-211-1985-11-05-1 | ミャンマー | 1985年11月05日 | 1980年代 | 人民議会2日目は,高額紙幣廃貨法などについて質疑応答,また各省副大臣が選出された(「参考資料」参照)。 |
DIA-211-1985-11-05-2 | ミャンマー | 1985年11月05日 | 1980年代 | 国防治安委員会が改造され,議長にマウン・マウン・カ首相メンバーにChit Hlaing,Tun Yi,Tha Kyaw(いずれも国評メンバー)と計画・財務,内務・宗教,国防,外務のそれぞれ担当相。 |
DIA-211-1985-11-05-3 | ミャンマー | 1985年11月05日 | 1980年代 | 人民議会選挙委員会は総選挙の結果を報告。これによると以下のとおり。投票率96.67%(有権者1865万750,投票者1802万8876。なお前々回93.58%,前回94.6%)。信任率は人民議会100%,州・管区人民評議会976のうち975名信任,1名不信任,郡人民評議会2万1813のうち2万1644名信任(99.23%)。町村人民評議会16万6763名のうち15万6361名信任(99.03%)。 |
DIA-211-1985-11-05-4 | ミャンマー | 1985年11月05日 | 1980年代 | Tanai郡内で1500人の村民がKIAに対する抗議集会。 |
DIA-211-1985-11-06-1 | ミャンマー | 1985年11月06日 | 1980年代 | 人民議会3日目,各法案の質疑応答,議会内各委員会の選出が行なわれた。 |
DIA-211-1985-11-06-2 | ミャンマー | 1985年11月06日 | 1980年代 | 連邦銀行はK75新紙幣を発行。 |
DIA-211-1985-11-07-1 | ミャンマー | 1985年11月07日 | 1980年代 | 人民議会終了。Aye Ko党総書記が特別総括演説。当議会では国家情報局法,高額紙幣廃貨法,道路・橋梁法など八つの法律が審議され,可決。 |
DIA-211-1985-11-08-1 | ミャンマー | 1985年11月08日 | 1980年代 | 第30回カレン州記念日式典がPa-anで行なわれ,1万人の住民が出席。 |
DIA-211-1985-11-09-1 | ミャンマー | 1985年11月09日 | 1980年代 | サンユー大統領病気治療のため訪米。病気治療のため,日本経由でアメリカに向かった。どこの病院で治療を受けたか公表されなかったが,11月末に,動脈手術を行なったとの情報が伝えられた。 |
DIA-211-1985-11-09-2 | ミャンマー | 1985年11月09日 | 1980年代 | Aye Ko党総書記は各州・管区人民評議会議長に対し,地方行政に関する基本的ガイドラインを説明。 |
DIA-211-1985-11-09-3 | ミャンマー | 1985年11月09日 | 1980年代 | イギリス防衛担当国務次官Michael Heseltineが来訪,Kyaw Htin国防相と会談,13日帰国。 |
DIA-211-1985-11-15-1 | ミャンマー | 1985年11月15日 | 1980年代 | 国家評議会は法律委員会議長にDr.Maung Maung他11名のメンバーを任命。 |
DIA-211-1985-11-15-2 | ミャンマー | 1985年11月15日 | 1980年代 | 計画・財務省は通達第45号を発令し,高額紙幣の廃貨は反乱軍やその他不法者によって退蔵されたブラックマネーを回収するためで,一般国民は5000チャットまでは無税で,他の通貨と交換することができる。しかし,これを利用して悪徳分子が利益を得ているため交換業務を一時停止した旨布告。 |
DIA-211-1985-11-16-1 | ミャンマー | 1985年11月16日 | 1980年代 | 廃貨回収管理中央委員会は第5号通達を出し,廃貨提示額の25%だけを他通貨と交換することができ,11月30日までに提示し,残額の支払い規則については,追って通達するとした。 |
DIA-211-1985-11-18-1 | ミャンマー | 1985年11月18日 | 1980年代 | 国軍・警察合同による特別援農作戦Shwewamye作戦の第一陣が,稲作地に向け出発。 |
DIA-211-1985-11-18-2 | ミャンマー | 1985年11月18日 | 1980年代 | Ye Goung外相の招待により,バングラデシュ外相Humayun Rasheed Choudhuryが来訪。19日にマウン・マウン・カ首相と,20日にKhin Maung Gyi貿易相とそれぞれ会談,21日帰国。 |
DIA-211-1985-11-19-1 | ミャンマー | 1985年11月19日 | 1980年代 | Aung Kyaw Myint情報文化相は来訪中の中国歌舞団と会談。 |
DIA-211-1985-11-20-1 | ミャンマー | 1985年11月20日 | 1980年代 | 新華社通信外報部長を団長とする中国報道団(5人)が来訪,25日に情報・文化相と会談,30日帰国。 |
DIA-211-1985-11-22-1 | ミャンマー | 1985年11月22日 | 1980年代 | 五星船公社が西独に発注していた貨物船2隻のうち,1万3000㌧の“MV Magwe”号がラングーンに到着,Saw Pru運輸・通信相が視察,もう一隻はすでに完成した1万4000㌧の“MV Sagaing”号である。 |
DIA-211-1985-11-22-2 | ミャンマー | 1985年11月22日 | 1980年代 | Aung Kyaw Myint情報文化相は来訪中のチェコ国立人形劇団代表と会談。 |
DIA-211-1985-11-25-1 | ミャンマー | 1985年11月25日 | 1980年代 | 第3期農民連合中央委員会が開かれ,同委議長Ye Goung外相が開会演説。このなかで,同連合は合計1万3192町村に支部があり,会員は計757万7733人であると述べた。 |
DIA-211-1985-11-26-1 | ミャンマー | 1985年11月26日 | 1980年代 | 第1工業相の招待により,中国紡織工業部部長呉文英を団長とする5名の代表団が来訪。27日に第1工業相と会談,ビルマ各地の繊維工場を視察,12月2日帰国。 |
DIA-211-1985-11-26-2 | ミャンマー | 1985年11月26日 | 1980年代 | 第3期農民連合総会が28日まで開かれ,250名の中央委メンバーの選出が行なわれ,議長にThan Nyunt農林相が就任。 |
DIA-211-1985-11-27-1 | ミャンマー | 1985年11月27日 | 1980年代 | Tazaungmon満月祭(Sangha Day)。 |
DIA-211-1985-11-29-1 | ミャンマー | 1985年11月29日 | 1980年代 | Aye Ko党総書記は各省庁,公社,協同組合,その他団体の代表を集め,食糧価格の値下げ方法についてガイドラインを説明。 |
DIA-211-1985-11-30-1 | ミャンマー | 1985年11月30日 | 1980年代 | 11月中の反乱軍投降者は計57名。 |
DIA-211-1985-12-01-1 | ミャンマー | 1985年12月01日 | 1980年代 | Than Tin鉱業相は2週間のオーストラリア訪問を終え帰国。 |
DIA-211-1985-12-03-1 | ミャンマー | 1985年12月03日 | 1980年代 | 来演中のソ連バラエティーショー団代表がAung Kyaw Myint情報・文化相と会談。 |
DIA-211-1985-12-04-1 | ミャンマー | 1985年12月04日 | 1980年代 | 在郷軍人会中央執行委議長U Myint Maungは来訪中のカナダ在郷軍人相と会談,また6日にはマウン・マウン・カ首相,Ye Goung外相らと会談。 |
DIA-211-1985-12-06-1 | ミャンマー | 1985年12月06日 | 1980年代 | 第65回National Day(Amyoza hnei)。 |
DIA-211-1985-12-06-2 | ミャンマー | 1985年12月06日 | 1980年代 | Chipwe郡で反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1985-12-15-1 | ミャンマー | 1985年12月15日 | 1980年代 | 模範労働者計画中央委議長Ohn Kyaw労相主催による1985年度模範労働者に対する招待宴があり,Sein Lwin党副総書記,マウン・マウン・カ首相らが出席。またこの日,模範労働者に賞状とメダルが授与された。 |
DIA-211-1985-12-16-1 | ミャンマー | 1985年12月16日 | 1980年代 | アメリカ極東・太平洋問題担当国務次官補Paul D Wolfowitzが来訪。Tun Tin副首相Ye Goung外相と会談,17日帰国。 |
DIA-211-1985-12-17-1 | ミャンマー | 1985年12月17日 | 1980年代 | フランス対外関係担当国務次官Jean Michel Bayletが来訪。18日にTun Tin副首相,Ye Goung外相,Saw Pru運輸・通信相らと会談,21日帰国。 |
DIA-211-1985-12-19-1 | ミャンマー | 1985年12月19日 | 1980年代 | 在郷軍人会中央委特別会議が開かれ,全国から630人の代表が出席,Myint Maung同委議長が開会演説,国家建設と統一事業に軍人会として果たすべき役割は大きく,組織的な活動を拡大していくことが強調された。 |
DIA-211-1985-12-22-1 | ミャンマー | 1985年12月22日 | 1980年代 | Kyauktaga警察は,横流しなどの不正取引により流通しているガソリンの摘発を行ない,2150ガロンを押収した。 |
DIA-211-1985-12-23-1 | ミャンマー | 1985年12月23日 | 1980年代 | 第4期人民議会緊急会議。緊急人民議会が招集され,Aye Ko副大統領が開会演説。Sein Lwin国評書記長が国家評議会報告を提出。このなかで当議会では,高額紙幣廃貨法の改正について討議するためと説明。当初の通達では総額5000チャットまでは,その25%を即時交換,残額分については12月末までに返還するとしていたが,この議会で,12月末まで1000チャットまでの分について全額返還し,残りは預金という形をとることになった。また,議会での当問題についての質疑応答のなかで,各地で反乱軍や不法分子が,いろいろな手段を使って,手持のK100紙幣を交換していることが暴露された。 なお緊急議会は1日で終了。 |
DIA-211-1985-12-24-1 | ミャンマー | 1985年12月24日 | 1980年代 | 建設省および農林省では管轄企業の模範労働者に対する表彰式が行なわれ,それぞれ担当大臣が出席。 |
DIA-211-1985-12-24-2 | ミャンマー | 1985年12月24日 | 1980年代 | ソ連青年団代表が来訪。 |
DIA-211-1985-12-24-3 | ミャンマー | 1985年12月24日 | 1980年代 | Bhamoで5000人の住民が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1985-12-24-4 | ミャンマー | 1985年12月24日 | 1980年代 | ソ連在郷軍人委員会委員V Y Petrenko退役中将を団長とする代表団が来訪,25日にビルマ在郷軍人会議長U Myint Maungらと会談。 |
DIA-211-1985-12-28-1 | ミャンマー | 1985年12月28日 | 1980年代 | Myitkyina郡Aden村で,1700人がKIAに対する抗議集会。 |
DIA-211-1985-12-30-1 | ミャンマー | 1985年12月30日 | 1980年代 | Khin Maung Gyi貿易相はYan Naung Soe(大佐)副大臣とともにイラワジ,ペグー,ラングーン各管区の籾の政府買付状況を視察。 資料 第4期人民議会で選出された各評議会メンバーおよび主要議会内委員会メンバーは次のとおり。 (1)人民検察評議会 U Myint Maung 議長 Magwe―2区 U Khin Ohn Kawa―2区 U Lay Maung Insein―1区 U Hla Tint Paungde―2区 U Hla Shwe Mayangon―1区 Hla Oo 少将 Danubyu―1区 (2)人民監察評議会 U Ohn Tin 議長 Salingyi―2区 U Sein Tun Labutta―1区 U Sein Ya Myanaung―1区 Tuang Za Khai 少将 Toungoo―1区 U Hla Phone Myaungmya―1区 Aung Khin 少将 Myanaung―2区 (3)人民司法評議会 U Tin Aung Hein 議長 Yedashe―1区 Ko Gyi 少将 Letpadan―1区 Khin Maung Kyaw 少将 Wetlet―2区 U Tuang Hmung Pegu―2区 U Tun Tin Mogok―1区 U Ba Maw Mudon―1区 Dr.Maung Maung Aye Maubin―2区 U Win Maung Moulmeingyun―1区 Aye San 准将 Nyaung-U―1区 〔議会内委員会〕 (1)財務計画委員会 U Han Shwe,U Thein Tun,U Tin Oo,U Kyaw Myint,U Nyunt Maung (2)農林畜産・協同組合委員会 U Mg.Mg.Oo,U |
DIA-211-1986-01-01-1 | ミャンマー | 1986年01月01日 | 1980年代 | 12月26日から来訪中のV.Y.Petrenko退役中将を団長とするソ連在郷軍人会代表団帰国。 |
DIA-211-1986-01-02-1 | ミャンマー | 1986年01月02日 | 1980年代 | 全国各地で独立記念日と憲法記念日に向けて,国民集会が開かれた。 |
DIA-211-1986-01-02-2 | ミャンマー | 1986年01月02日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相は来訪中のM.Narasimhamアジア開銀副総裁と会談。Tun Tin副首相,Sein Tunエネルギー相,Saw Pru運輸相らが同席。 |
DIA-211-1986-01-02-3 | ミャンマー | 1986年01月02日 | 1980年代 | カチン州Mansiで住民1000人がKIA反乱軍に対する抗議集会。 |
DIA-211-1986-01-03-1 | ミャンマー | 1986年01月03日 | 1980年代 | 駐カナダ大使にU Ba Thwin任命。 |
DIA-211-1986-01-04-1 | ミャンマー | 1986年01月04日 | 1980年代 | 独立記念日・憲法記念日。大統領官廷で晩さん会。ネーウィン議長夫妻らが出席。全国各地で記念式典。 |
DIA-211-1986-01-04-2 | ミャンマー | 1986年01月04日 | 1980年代 | 国家功労賞発表―国家評議会は1986年度国家功労賞第1等にU Hla Phone元外相・ラングーン師団司令官など74名が,また第2等にU Khin Winなど39名を選んだ。また軍人勲功賞のうちThura賞に第47連隊Aung Tun少佐ら2名,勇敢賞に50名,また分野別功労者として計43名が選ばれた。 |
DIA-211-1986-01-04-3 | ミャンマー | 1986年01月04日 | 1980年代 | 国家評議会は僧侶に対する栄誉称号授与者を発表。最高称号のAbhidaja Maha Rahta Guru賞にマンダレーの僧侶Bhaddanta SobhitaがまたAggaMaha Pandita賞に7僧侶がそれぞれ選ばれた。 |
DIA-211-1986-01-04-4 | ミャンマー | 1986年01月04日 | 1980年代 | 1985年12月1日から10日までの間にカチン反乱軍など19名が政府軍に投降,また12月12日から19日までの間にパオ族(赤)反乱軍など14名が,政府軍に投降した。 |
DIA-211-1986-01-05-1 | ミャンマー | 1986年01月05日 | 1980年代 | Kya-in-Seikkyiで住民3000人が反KNU抗議集会。 |
DIA-211-1986-01-06-1 | ミャンマー | 1986年01月06日 | 1980年代 | 閣僚評議会と人民評議会執行部との経済調整委員会が開かれ,第5次4ヵ年計画に関わるプロポーザルについて検討。 |
DIA-211-1986-01-10-1 | ミャンマー | 1986年01月10日 | 1980年代 | Sein Lwin党副総書記はラングーン市党委員会執行部に対し,経済問題,組織に関するガイダンス。党中執委U Tun Yiらも出席。 |
DIA-211-1986-01-11-1 | ミャンマー | 1986年01月11日 | 1980年代 | カレン新年(カレン暦2725年)を祝う祝賀会がカレン州各地で行なわれ,ラングーン市でも多数のカレン族による記念集会が開かれた。 |
DIA-211-1986-01-13-1 | ミャンマー | 1986年01月13日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相,Kyaw Htin副首相,Tint Swe第1工業相,Khin Maung Gyi貿易相らは,ベグー管区Daik-U郡内のグルタミン工場(中国援助),タピオカでんぶん工場,製鑵工場などを視察。 |
DIA-211-1986-01-14-1 | ミャンマー | 1986年01月14日 | 1980年代 | ラングーン管区内の民営工場登録に関する調整会議が開かれ,管区人民評議会中執委U Han Theinは民間工業の活性化の必要性と重要性について強調。 |
DIA-211-1986-01-15-1 | ミャンマー | 1986年01月15日 | 1980年代 | 文化省でU Than Mg.同省副大臣などが出席して頽廃的音楽,ダンス,衣裳などの流行を抑えるための会議が開かれ,伝統文化や生活を崩すような流行を抑制するための9項目について協議。 |
DIA-211-1986-01-15-2 | ミャンマー | 1986年01月15日 | 1980年代 | 第34回カヤ州記念日中央式典がロイコウで開かれ,州人民評議会議長U Kyaw Dinが記念演説。 |
DIA-211-1986-01-15-3 | ミャンマー | 1986年01月15日 | 1980年代 | 中国貴州省曲技団が 来訪,28日まで公演。 |
DIA-211-1986-01-15-4 | ミャンマー | 1986年01月15日 | 1980年代 | Kawkareikで7000人の住民によるカレン反乱軍(KNU)に抗議する集会。 |
DIA-211-1986-01-16-1 | ミャンマー | 1986年01月16日 | 1980年代 | リークアンユー首相一行来訪―マウン・マウン・カ首相招待による3日間の公式訪問。この間ネーウイン議長,Aye Ko計画党総書記,Sein Lwin同副総書記,Kyaw Htin副首相,Ye Goung外相らと会談。両国の親善と経済関係促進について話し合った。18日帰国。 |
DIA-211-1986-01-20-1 | ミャンマー | 1986年01月20日 | 1980年代 | 来訪中の日本輸入可能性調査団(外務省特別顧問小田部団長以下官民合同)はSein Tunエネルギー相,Tint Swe第1工業相,Than Tin鉱業相,Khin Mg Gyi貿易相らと会談。 |
DIA-211-1986-01-20-2 | ミャンマー | 1986年01月20日 | 1980年代 | 連邦記念日に向けて全国各地をリレーする連邦旗がラングーン市庁舎から出され,最初のリレー地ペグーに向かった。 |
DIA-211-1986-01-21-1 | ミャンマー | 1986年01月21日 | 1980年代 | サンユー大統領帰国―11月初旬よりアメリカのヒューストンで病気治療中であったサンユー大統領が帰国。ネーウィン議長自ら空港に出迎えた。 |
DIA-211-1986-01-22-1 | ミャンマー | 1986年01月22日 | 1980年代 | ビルマ宝石公社は85年4月1日から86年1月1日までに合計395万4940チャットの宝石を市民から買い上げた。これで81年6月の買付センター開設以来合計1666万7567チャトツを買い付けたことになる。 |
DIA-211-1986-01-26-1 | ミャンマー | 1986年01月26日 | 1980年代 | Aung Kyaw Myint情報文化相は来訪中の中国貴州省曲技団一行と会見。 |
DIA-211-1986-01-29-1 | ミャンマー | 1986年01月29日 | 1980年代 | AyeKo党総書記は計画党中央委本部で開かれた各大衆組織・団体の代表者を集めて,党の基本政策についてのガイダンス。このなかで第5次4ヵ年計画における経済開発9項目,組織改革のための6項目の重点目標を発表。Sein Lwin副総書記,Tun Yi中執委らも出席。 |
DIA-211-1986-01-29-2 | ミャンマー | 1986年01月29日 | 1980年代 | マウソ・マウン・カ首相,Ye Goung外相,Sein Tunエネルギー相,Tint Swe第1工業相,Myint Lwin(少将)建設相らはシュリアムの第1号工業訓練センター,第3縫製工場,第1精油所などを視察。 |
DIA-211-1986-01-31-1 | ミャンマー | 1986年01月31日 | 1980年代 | 廃貨調査中央委員会は通達を出し,3000チャット以上1万チャットまでの申請額については2月3日から新貨による払い戻しを開始すると発表。 |
DIA-211-1986-01-31-2 | ミャンマー | 1986年01月31日 | 1980年代 | 1月1日から30日までの間に共産党,パオ族軍,カレン族軍など66名の反乱軍が政府軍に投降。 |
DIA-211-1986-02-01-1 | ミャンマー | 1986年02月01日 | 1980年代 | Aung Kyaw Myint情報文化相は来訪中の日本伝統舞踊団と会見。 |
DIA-211-1986-02-01-2 | ミャンマー | 1986年02月01日 | 1980年代 | フランス国会対外関係委副議長などフランス国会代表団が来訪。人民議会代表らと会見。 |
DIA-211-1986-02-02-1 | ミャンマー | 1986年02月02日 | 1980年代 | Sein Lwin党副総書記はThanNyunt(准将)農林相らと,ペグー管区各地区の農業状況,農業団体の活動などを視察。 |
DIA-211-1986-02-03-1 | ミャンマー | 1986年02月03日 | 1980年代 | 第39回連邦記念日式典中央委(議長Sein Lwin党副総書記)第3回会議が開かれ,最終打合せ。 |
DIA-211-1986-02-05-1 | ミャンマー | 1986年02月05日 | 1980年代 | 西独大統領来訪―西独大統領Dr.Rlchard von Weizsackerはサンユー大統領の招待により国賓として来訪。病後の大統領に代わってAye Ko副大統領が来訪中の接待役。6日にネーウィン議長,サンユー大統領らと会談。10日帰国。 |
DIA-211-1986-02-06-1 | ミャンマー | 1986年02月06日 | 1980年代 | 西独大統領に随行した西独経済協力相Dr. Jungen WarnkerはSein Tunエネルギー相,Maung Cho第2工業相,Maung Shein計画・財務副大臣らと経済協力について会談。 |
DIA-211-1986-02-08-1 | ミャンマー | 1986年02月08日 | 1980年代 | ネーウィン議長は Kyaikkasan広場に設置された第39回連邦記念日に向けての各州・管区,公社の展示館を視察。Aye Ko総書記,Sein Lwin副総書記らが同行。 |
DIA-211-1986-02-08-2 | ミャンマー | 1986年02月08日 | 1980年代 | Sein Lwin副総書記は第39回連邦記念日中央式典に出席する各州・管区代表らと会談。 |
DIA-211-1986-02-08-3 | ミャンマー | 1986年02月08日 | 1980年代 | Kyaukkyi郡内の村民が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1986-02-09-1 | ミャンマー | 1986年02月09日 | 1980年代 | 第23回宝石見本市は18日から25日の間に開かれるが,ネーウィン議長は展示場を視察,展示品の価格などについて細かいコメント,指示を行なった。Aye Ko総書記,Sein Lwin副総書記,Kyaw Htin国防相らが同行。 |
DIA-211-1986-02-11-1 | ミャンマー | 1986年02月11日 | 1980年代 | 連邦記念日の前夜恒例のサンユー大統領主催による晩さん会が開かれ,ネーウィン議長夫妻,党・国家指導部,各地区代表者,外交団などが出席。 |
DIA-211-1986-02-11-2 | ミャンマー | 1986年02月11日 | 1980年代 | 連邦記念日記念討論会最終日に,Sein Lwin副総書記は「民族融和と団結が国家発展のための前提である」などと演説。 |
DIA-211-1986-02-11-3 | ミャンマー | 1986年02月11日 | 1980年代 | ソ連の親善テニスチーム来訪。 |
DIA-211-1986-02-12-1 | ミャンマー | 1986年02月12日 | 1980年代 | 第39回連邦記念日(ピードゥンズネ)中央式典がラングーン市 Kyaikkasan広場で行なわれた。 |
DIA-211-1986-02-12-2 | ミャンマー | 1986年02月12日 | 1980年代 | Kyaukkyi郡Htongyi村で3000人の住民が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1986-02-13-1 | ミャンマー | 1986年02月13日 | 1980年代 | モールメン大学の開校式が行なわれ,モン州計画党委員会議長・南東師団司令官Nyan Lin大佐らが出席。当大学はラングーン,マンダレーに次ぐ第3番目の総合大学となり,この下にDegree Collegeが各州・管区の中心都市で開設された。 |
DIA-211-1986-02-17-1 | ミャンマー | 1986年02月17日 | 1980年代 | 日本政府は3億4922万円の無償援助と361.5億円の円借款を供与する旨のE/Nをビルマ政府と締結。無償はTVサブステーション用の設備機械,円借はうち160億円が商品借款,201.5億円が,(1)南ナウィン水力発電,(2)ガス・タービン発電所,(3)苛性ソーダプラント,(4)ラングーン国際空港拡張第3次分,(5)国際通信網改良,などのプロジェクト援助用。 |
DIA-211-1986-02-18-1 | ミャンマー | 1986年02月18日 | 1980年代 | カチン州唯一の地方大学(Degree Conege)がミチナで開設された。 |
DIA-211-1986-02-20-1 | ミャンマー | 1986年02月20日 | 1980年代 | ラングーン市シュウェーダゴン・パゴダ南玄関横に建設が進められているMaha Wizaya Zedi(スリランカより,釈迦の遺髪が寄贈された)の建設支援委議長Min Gaung内務・宗教大臣らが現場を視察。 |
DIA-211-1986-02-21-1 | ミャンマー | 1986年02月21日 | 1980年代 | 州都Hakaで第38回チン州記念日およびチン族のための中央式典が行なわれ,チン州計画党委議長U.E.KimNginらが出席。 |
DIA-211-1986-02-21-2 | ミャンマー | 1986年02月21日 | 1980年代 | ネーウィン議長主催により,国内芸術家を招待しての晩さん会が開かれ,サンユー大統領,Aye Ko副大統領らが出席。映画,舞台などの俳優,歌手,音楽家などが招かれた。 |
DIA-211-1986-02-23-1 | ミャンマー | 1986年02月23日 | 1980年代 | 政府はメキシコ地震の救援金として1万ドルをメキシコ政府に供与。 |
DIA-211-1986-02-24-1 | ミャンマー | 1986年02月24日 | 1980年代 | ネーウィン議長は来訪中のタイ副首相兼外相Siddhi Savetsila空軍大将と会談。同将はYe Goung外相とも会談,27日に帰国。 |
DIA-211-1986-02-25-1 | ミャンマー | 1986年02月25日 | 1980年代 | Shwekyin郡Win-kha-neint村の村民5000人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1986-02-27-1 | ミャンマー | 1986年02月27日 | 1980年代 | 協同組合中央評議会第12回総会が開かれ,議長U Than Hlaing協同組合相が開会演説。28日までの2日間。 |
DIA-211-1986-02-28-1 | ミャンマー | 1986年02月28日 | 1980年代 | Kyaukme郡Mong Ngow村で4000人の住民が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1986-02-28-2 | ミャンマー | 1986年02月28日 | 1980年代 | 2月中の反乱軍投降者数はラフ族,共産軍,シャン族軍など37名。 |
DIA-211-1986-03-01-1 | ミャンマー | 1986年03月01日 | 1980年代 | 農民の日を記念して全国各地で農産物展示会が開かれた。 |
DIA-211-1986-03-02-1 | ミャンマー | 1986年03月02日 | 1980年代 | 農民の日。記念集会に向けてネーウィン議長が特別声明を発表。このなかで農業増産のために農民連合の役割強化と農民の協同による計画の達成を強調。 |
DIA-211-1986-03-02-2 | ミャンマー | 1986年03月02日 | 1980年代 | 農民の日を記念する集会が全国各地で開かれた。 |
DIA-211-1986-03-02-3 | ミャンマー | 1986年03月02日 | 1980年代 | Mongkung郡 Kaphwee村で住民2400人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1986-03-03-1 | ミャンマー | 1986年03月03日 | 1980年代 | 86年度労働者の日中央実行委員会が結成され,議長にAye Ko党総書記が任命された。 |
DIA-211-1986-03-04-1 | ミャンマー | 1986年03月04日 | 1980年代 | ADNG(民族発展アカデミー)第17期卒業生をねぎらうための晩さん会が開かれ,ネーウィン議長,サンユー大統領らが出席。この後卒業生を集めて党中央委本部でAye Ko総書記が民族の融和と発展に尽くすよう要請。 |
DIA-211-1986-03-04-2 | ミャンマー | 1986年03月04日 | 1980年代 | ラングーン市西部人口密集地Kamayut地区で大火災。民家1850戸焼失,1万8000人が被災,このうち3600人が借家人または間借人であった。 |
DIA-211-1986-03-04-3 | ミャンマー | 1986年03月04日 | 1980年代 | 人民議会閉会。 |
DIA-211-1986-03-04-4 | ミャンマー | 1986年03月04日 | 1980年代 | 貿易省布告第1号(86)―貿易省は次のような内容の布告を発令。(1)社会主義経済体制確立法(1965年)第2章に基づき,観光に関わるすべての業務は,ホテル・旅行公社(HTC)によって行なわれるもので貿易省がこれを管理・統轄する。(2)すべての観光業務(ホテル,その他宿泊施設,案内,輸送)は登録,認定された者のみ行なうことができる。 |
DIA-211-1986-03-05-1 | ミャンマー | 1986年03月05日 | 1980年代 | ネーウィン議長,サンユー大統領,Aye Ko総書記,Sein Lwin副総書記らは建設中のMaha Wizaya Zediを視察。 |
DIA-211-1986-03-06-1 | ミャンマー | 1986年03月06日 | 1980年代 | 第4回計画党中央委が開かれ,ネーウィン議長が開会演説,Aye Ko総書記が中執委報告などを行なった。 |
DIA-211-1986-03-10-1 | ミャンマー | 1986年03月10日 | 1980年代 | 第4期第2回人民議会開会―第1日目,定数489名中485名出席。Sein Lwinが国家評議会報告,首相が閣僚評議会報告などそれぞれの基調報告と,法案提出を行なった。 |
DIA-211-1986-03-10-2 | ミャンマー | 1986年03月10日 | 1980年代 | 第5次4ヵ年計画―Tun Tin計画・財務相は1985/86年度経済報告と1986/87年度よりスタートする第5次4ヵ年計画について説明。これによると第4次4ヵ年計画目標達成率は98.4%で,4年間の年平均成長率はGDP5.5%,農業4.7%,畜水産業6.4%,林業4.1%,鉱業12.7%,製造業6.1%であった。また第5次計画の目標はGDP4.5%で,部門別構成比では最終年度で生産54.4%,サービス25.6%,商業20%,また所有形態別生産額比では国営40.9%,協同組合9.2%,民間49.9%などとなっている。第5次計画の第1年度(1986/87)の目標はGDP3.6%,農業2.2%,畜水産4.6%,林業2.8%,鉱業5.3%,製造業5.1%。輸出42.817億チャット,輸入57.555億チャット,籾生産量7億3730万バスケットなどである。 |
DIA-211-1986-03-10-3 | ミャンマー | 1986年03月10日 | 1980年代 | 副大臣交替―閣僚評議会は計画・財務副大臣にU Kyaw MyintおよびU.Nyunt Maung(前FERD局長),第1工業副大臣にU Khin Maung Maung(前建設公社総裁),第2工業副大臣にU Oo Saw Hla,鉱業副大臣にU Ko Ko Thanをそれぞれ任命。 |
DIA-211-1986-03-10-4 | ミャンマー | 1986年03月10日 | 1980年代 | 新人事一人民議会は次の人事を承認。・人民司法評議会員―(1)Dr. Mehm Thet San(前第2工業副大臣)。(2)U Myo Myint(前鉱業副大臣)。(3)U Win Maung。・人民検察評議会員―(1)U Kyaw Khin Win。(2)U Soe Myint。(3)Sein Win准将。・人民監察評議会員―(1)Dr. Maung Shein(前計画・財務副大臣)。(2)U Maung Ohn(前第1工業副大臣)。(3)U Aye Ko(前計画・財務副大臣)。 |
DIA-211-1986-03-12-1 | ミャンマー | 1986年03月12日 | 1980年代 | 人民議会2日目,3日目は各基調報告に対する質疑応答が行なわれたが,経済報告に関しては各質問者とも輸出増進を強調。 |
DIA-211-1986-03-12-2 | ミャンマー | 1986年03月12日 | 1980年代 | 雲南省省長He Zhiqiangを団長とする中国雲南省代表団が来訪,マウン・マウン・カ首相,Ye Goung外相らと会談。この間人民議会などを視察。 |
DIA-211-1986-03-13-1 | ミャンマー | 1986年03月13日 | 1980年代 | 利潤税改正法成立―「利潤税法改正法」(1986年度人民議会法第2号)と「不法手段による財産の所有・取引取締法」(同第3号)が人民議会で採択,サンユー大統領が署名して発効。 |
DIA-211-1986-03-19-1 | ミャンマー | 1986年03月19日 | 1980年代 | ネーウィン議長はKyaw Htin国防相,Sein Tunエネルギー相,Saw Maung(中将)参謀総長らとともに16日から19日まで北西軍管区地域のSedawgyi,Kinda,Kobinchaungなどのダムサイトを視察。 |
DIA-211-1986-03-19-2 | ミャンマー | 1986年03月19日 | 1980年代 | Khin Mg.Gyi貿易相は来訪中のモーリシャス貿易相Dr.B.Ghurburrun一行と会談。同貿易相は20日にSaw Pru運輸相とも会談。 |
DIA-211-1986-03-20-1 | ミャンマー | 1986年03月20日 | 1980年代 | マウソ・マウン・カ首相はTun Tin副首相らとともに南西軍管区内のTheindaw鉱山プロジェクト(メルグイ近郊),Pahtawpahtet製氷工場などを視察。 |
DIA-211-1986-03-20-2 | ミャンマー | 1986年03月20日 | 1980年代 | 駐ビルマ外国武官,国連麻薬取締計画代表らはシャン高原南東部で展開されている第10次Mohein作戦本部を訪れ,実情視察。 |
DIA-211-1986-03-21-1 | ミャンマー | 1986年03月21日 | 1980年代 | タイ国王女来訪―ネーウィン議長の招待によりタイのMaha Chakri Siridhorn王女が来訪。12日間にわたり,ビルマ各地の仏跡,遺跡などを見学したほか,マウン・マウン・カ首相,ネーウィン議長などと会談。 |
DIA-211-1986-03-21-2 | ミャンマー | 1986年03月21日 | 1980年代 | アメリカのEdwin Meese司法長官とその一行が来訪,首相,外相,内相らと会談,22日帰国。 |
DIA-211-1986-03-23-1 | ミャンマー | 1986年03月23日 | 1980年代 | 国防省,戦果発表―1985/86年度における反乱軍掃討作戦の戦果は次のとおり。実施した特別作戦はZweyeman作戦(北部師団),Yemin-aung作戦(北東師団),Layman-aung作戦(東部作戦),Yandaing-aung作戦(南東および中央師団)。85年3月21日から86年3月20日まで政府軍は2回の大戦闘を含む2514回の戦闘を行なった。政府軍戦死者416名,負傷者1095名,反乱軍側戦死1870名,捕虜506名,投降920名。捕獲した武器は82mm臼砲117門,60mm臼砲5門,57mm無反動砲4門など多数。 |
DIA-211-1986-03-25-1 | ミャンマー | 1986年03月25日 | 1980年代 | ネーウィン議長はAye Ko総書記,Sein Lwin副総書記らとともに第41回国軍記念日展示館を視察。 |
DIA-211-1986-03-25-2 | ミャンマー | 1986年03月25日 | 1980年代 | 国防相はこの1年間の政府軍による麻薬軍団掃討作戦の戦果を発表。85年10月から86年1月までの間に,Loimaw軍(クンサー)との間で24回の戦闘を行ない,Mongpong,MongtonではSSAと連携しているWa族,KMT軍と9回にわたって戦闘したとしている。 |
DIA-211-1986-03-25-3 | ミャンマー | 1986年03月25日 | 1980年代 | ソ連ウズベク作家協会議長U Umarbekovら一行が両国文化交流計画に基づき来訪。4月2日帰国。 |
DIA-211-1986-03-27-1 | ミャンマー | 1986年03月27日 | 1980年代 | 国家評議会は独立功労賞授賞者を発表。勲1等に元首相U Sein Winら6名,2等に25名,3等に61名。 |
DIA-211-1986-03-27-2 | ミャンマー | 1986年03月27日 | 1980年代 | 第41回国軍記念日パレードがレジスタンス公園を中心に行なわれた。同夜ネーウィン議長主催の晩さん会が行なわれ,外国武官団,政府・党要人,在郷軍人らが招待された。 |
DIA-211-1986-03-30-1 | ミャンマー | 1986年03月30日 | 1980年代 | ザガインに電話自動交換施設が開設。 |
DIA-211-1986-03-31-1 | ミャンマー | 1986年03月31日 | 1980年代 | 第5次4ヵ年計画の説明のため,各州・管区人民評議会幹部らを集め経済閣僚会議(ECC)のメンバーが出席。 |
DIA-211-1986-03-31-2 | ミャンマー | 1986年03月31日 | 1980年代 | 3月中の反乱軍投降者数はカレン,ビルマ共産党(BCP),カレンニ,など41名。 |
DIA-211-1986-04-02-1 | ミャンマー | 1986年04月02日 | 1980年代 | ネーウィン議長は病気治療のため外国へ(行先は明らかにされていないが,西独か),Ni Ni Myint夫人,Kyaw Htin国防相,人民検察評議会員U Lay Maungらが同行。 |
DIA-211-1986-04-02-2 | ミャンマー | 1986年04月02日 | 1980年代 | ラオス副首相兼外相Phohe Sipaseuth がソ連訪問の途中,ラングーン空港に立ち寄り,Ye Goung外相と一時間会談。 |
DIA-211-1986-04-04-1 | ミャンマー | 1986年04月04日 | 1980年代 | Museで5000人の村民が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1986-04-05-1 | ミャンマー | 1986年04月05日 | 1980年代 | 軍功賞授与式。軍人に対する功労賞各賞の授与式がThabin Hallで行なわれた。サンユー大統領らが出席。最高称号のThura賞には第84連隊のAye Myint少佐(軍籍11248)などに贈られた。 |
DIA-211-1986-04-07-1 | ミャンマー | 1986年04月07日 | 1980年代 | Maymyoの国軍士官学校で第27期卒業式が行なわれ,国軍参謀総長Saw Maung中将ら軍首脳が出席。 |
DIA-211-1986-04-08-1 | ミャンマー | 1986年04月08日 | 1980年代 | 優秀な警察官を対象とする功労賞授与式が行なわれ,Min Gaung内務・宗教相が出席。今年度の最高栄誉のYebala賞には28名が選ばれた。 |
DIA-211-1986-04-08-2 | ミャンマー | 1986年04月08日 | 1980年代 | 1985/86年度分日本の無償援助の一部として,11億円の交換公文。学校,病院,橋,一般家屋用の棒鋼,亜鉛鉄板。 |
DIA-211-1986-04-09-1 | ミャンマー | 1986年04月09日 | 1980年代 | 計画党の各組織執行部,政府機関首脳などを対象にAye Ko党総書記は党の基本ガイドラインを説明した。このなかで特に経済諸目標の達成,輸出拡大,価格の安定などを強調,Sein Lwin副総書記は各省庁,各組織間の連絡・調整・相互援助を密にするよう指示。 |
DIA-211-1986-04-09-2 | ミャンマー | 1986年04月09日 | 1980年代 | Than Hlaing協同組合相は7日から9日まで,マグウェ,マンダレー地区の協同組合活動を視察。 |
DIA-211-1986-04-09-3 | ミャンマー | 1986年04月09日 | 1980年代 | ラングーン警察当局はラングーン河で密輸船の一斉取締りを行ない,密輸船2隻からヤンマーディーゼル・エンジン10台,50グラム入味の素4970袋など合計45万チャット相当の密輸入品を摘発。 |
DIA-211-1986-04-10-1 | ミャンマー | 1986年04月10日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相訪中―趙紫陽首相の招待を受けてのもの。Ye Goung外相,Sein Tunエネルギー相,Aung Kyaw Myint情・文相らが同行。同日昆明到着,和志強雲南省長と会談。11日北京着,趙首相と会談。同夜晩さん会の席上趙首相は「中国の現代化政策は円滑に進んでいる」などと述べた。12日李先念主席,13日鄧小平らと会談,14日趙首相と2回目の会談のあと15日まで天津で大港石油コンプレックスなどを視察。16日から17日まで広州,瀋陽に滞在,18日に香港に出て,4月23日に帰国。 |
DIA-211-1986-04-12-1 | ミャンマー | 1986年04月12日 | 1980年代 | Myint Maung人民検察評議会議長はタウンジー地区の司法施設を視察。 |
DIA-211-1986-04-17-1 | ミャンマー | 1986年04月17日 | 1980年代 | Myitta郡に完成したKinda多目的ダムからの灌慨用の給水が開始。 |
DIA-211-1986-04-19-1 | ミャンマー | 1986年04月19日 | 1980年代 | 985年年間にビルマを訪れた観光客は総計3万2950人で,これは前年より2名増加。 |
DIA-211-1986-04-20-1 | ミャンマー | 1986年04月20日 | 1980年代 | Sein Lwin党副総書記は18日から20日までヤカイン州内の各地で,地区組織役員に対して政策ガイドラインを示す。 |
DIA-211-1986-04-21-1 | ミャンマー | 1986年04月21日 | 1980年代 | 英議会対外関係委議長Sir Anthony Kershawを団長とする7名の英議会代表団が来訪,22日Tun Tin副首相と会談,23日帰国。 |
DIA-211-1986-04-22-1 | ミャンマー | 1986年04月22日 | 1980年代 | Sein Lwin党副総書記は省庁,公社首脳を集め政策ガイダンス。 |
DIA-211-1986-04-24-1 | ミャンマー | 1986年04月24日 | 1980年代 | サンユー大統領は自身の選挙区Bahan第1区の選挙民1200人に対し人民議会報告。 |
DIA-211-1986-04-26-1 | ミャンマー | 1986年04月26日 | 1980年代 | Aye Ko党総書記は自身の選挙区Taikkyi第1区の選挙民に対して人民議会報告。特に高額紙幣廃止についての事情と成果を説明。また同第2区では国軍参謀総長Saw Maung中将が同様の報告。 |
DIA-211-1986-04-27-1 | ミャンマー | 1986年04月27日 | 1980年代 | 各地で今年度優良青年団(Luyechun)に対する訓練のための特別キャンプ開設。 |
DIA-211-1986-04-28-1 | ミャンマー | 1986年04月28日 | 1980年代 | 第4回膏年計画党(Lsnzin Youth)全国セミナー―SayaSanホールで開かれ,青年計画党中央組織委議長Kyaw Nyein教育相が開会演説,30日まで討論会が行なわれ,青年計画党の現状が以下のように報告された。 青年計画党現況 メンバー数 Lanzin Youth (高校生以上) 1,988,656人 うち学生 590,066人 農民 1,125,546人 労働者 273,044人 Shesaung Youth(中学生5~8年) 1,208,808人 うち学生901,195人農民 117,318人 TezaYouth(小学生1~4年) 4,392,170人 |
DIA-211-1986-04-30-1 | ミャンマー | 1986年04月30日 | 1980年代 | ラングーン-マンダレー間鉄道(Nyaunglebin-Tamwi)間で反乱軍の仕掛けた地雷が爆発,下り貨物列車が脱線,乗員に被害なし。 |
DIA-211-1986-04-30-2 | ミャンマー | 1986年04月30日 | 1980年代 | 4月中に政府軍に投降した反乱軍はカレン・ヤカイン独立党(Amyo-tha Lut-myaukyay Party),カチン族軍など合計56名。 |
DIA-211-1986-05-01-1 | ミャンマー | 1986年05月01日 | 1980年代 | 労働者の日を記念する集会が各地で開かれた。またこの日に向けて,ネーウィン議長は特別声明を発表。社会・経済の発展と安定のために労働者の役割は大きく,経済計画目標達成のためにも全力を注ぐよう要請。 |
DIA-211-1986-05-01-2 | ミャンマー | 1986年05月01日 | 1980年代 | Tun Wai保健相は第39回WHO総会出席のため,ジュネープヘ,5月25日帰国。 |
DIA-211-1986-05-02-1 | ミャンマー | 1986年05月02日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相はKyaw Nyein教育相主催によるLuyechun歓迎宴に出席。 |
DIA-211-1986-05-05-1 | ミャンマー | 1986年05月05日 | 1980年代 | Sein Lwinは2日から5日までマンダレー,ザガイン,マグウェ各管区の農村開発状況などを視察。また地区担当官に対する政策ガイダンス。Tun Yi党中執委,参謀総長Saw Maung中将などが同行。 |
DIA-211-1986-05-06-1 | ミャンマー | 1986年05月06日 | 1980年代 | Dr.Klaus Roseを団長とする3名の西独国会議員団が来訪。7日人民議会代表と会談,10日帰国。 |
DIA-211-1986-05-07-1 | ミャンマー | 1986年05月07日 | 1980年代 | 各地で人民議会メンバーによる選挙区民に対する議会報告が続けられている。 |
DIA-211-1986-05-07-2 | ミャンマー | 1986年05月07日 | 1980年代 | JICA援助により建設されていた野菜・果樹研究開発センター(Hlegu郡Yemongalay)の引渡し式が行なわれた。 |
DIA-211-1986-05-08-1 | ミャンマー | 1986年05月08日 | 1980年代 | フィンランド対外貿易相Jermu Laineが来訪。U Than Hlaing貿易相代行(協組相)らと会談。9日第1工業相と会談,12日帰国。 |
DIA-211-1986-05-09-1 | ミャンマー | 1986年05月09日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相はHlaing選挙区で議会報告,利潤税改正法などを説明,Myint Lwin建設相らが出席。 |
DIA-211-1986-05-10-1 | ミャンマー | 1986年05月10日 | 1980年代 | Ye Goung外相はニュージーランド,オーストラリア,インドネシア,シンガポール,タイへの歴訪を終え帰国。 |
DIA-211-1986-05-12-1 | ミャンマー | 1986年05月12日 | 1980年代 | RCDC(ラングーン市開発委)は市内に流通している主要商品の価格引下げのための調整委員会を開き,Dr.Chit協組副大臣は供給の円滑化と価格引下げに努力せよと指示。 |
DIA-211-1986-05-14-1 | ミャンマー | 1986年05月14日 | 1980年代 | Tun Tin副首相はマニラで開かれていた第19回アジア開銀総会に出席して帰国。 |
DIA-211-1986-05-15-1 | ミャンマー | 1986年05月15日 | 1980年代 | JICA援助による淡水エビ養殖センター(Thaketa)の開所式が行なわれた。 |
DIA-211-1986-05-16-1 | ミャンマー | 1986年05月16日 | 1980年代 | イラワジ管区党,政府機関,人民評議会役員は管区内今期稲作作付に関する調整会議。 |
DIA-211-1986-05-17-1 | ミャンマー | 1986年05月17日 | 1980年代 | Than Hlaing協組相はラシオで付近の協組役員と会談。 |
DIA-211-1986-05-19-1 | ミャンマー | 1986年05月19日 | 1980年代 | Sein Lwin党副総書記は自身の選挙区モン州モールメイン第1区で議会報告,反乱軍掃討のための人民の協力を強調。 |
DIA-211-1986-05-20-1 | ミャンマー | 1986年05月20日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相,Tun Tin副首相,Ye Goung外相,Tint Swe第1工業相らは,19,20日シャン州,カヤ州などの工業施設(Seikthaメタノール工場等)を視察。 |
DIA-211-1986-05-21-1 | ミャンマー | 1986年05月21日 | 1980年代 | Minbu,Magwe地方にもテレビ放送開始。 |
DIA-211-1986-05-21-2 | ミャンマー | 1986年05月21日 | 1980年代 | TinAungHein人民司法評議会議長は15日から21日まで,マンダレー,マグウェ管区内の司法担当者と会談,施設を視察。 |
DIA-211-1986-05-21-3 | ミャンマー | 1986年05月21日 | 1980年代 | 国内歳入局は86年度第1回調整会議を開き,Kyaw Myint計画・財務副大臣は歳入増加のための一層の努力をする必要があるなどと述べた。 |
DIA-211-1986-05-22-1 | ミャンマー | 1986年05月22日 | 1980年代 | Tun Yi党中執委高収量稲作普及監理委議長は全国各州・管区担当者を集め高収量稲作の一層の普及拡大の方策を検討するよう指示。 |
DIA-211-1986-05-26-1 | ミャンマー | 1986年05月26日 | 1980年代 | マンダレー市南西街区で317戸が焼失,2700人が罹災。 |
DIA-211-1986-05-26-2 | ミャンマー | 1986年05月26日 | 1980年代 | Dinawhso郡Dawtsu村で2500人の住民が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1986-05-28-1 | ミャンマー | 1986年05月28日 | 1980年代 | 新駐ネパール大使にDr.Tha Hlaingを任命。 |
DIA-211-1986-05-28-2 | ミャンマー | 1986年05月28日 | 1980年代 | 国軍参謀総長Saw Maung中将招待により,インド陸軍参謀長Krishnaswamy Sundarji大将とその一行が来訪。31日帰国。 |
DIA-211-1986-05-29-1 | ミャンマー | 1986年05月29日 | 1980年代 | ネーウィン議長は病気療養を終えて,オランダのMartinair機で帰国。サンユー大統領ら首脳が出迎え。 |
DIA-211-1986-05-31-1 | ミャンマー | 1986年05月31日 | 1980年代 | ラングーン管区高収量稲作普及監理委が開かれHla Tun党中執委らが出席。 |
DIA-211-1986-05-31-2 | ミャンマー | 1986年05月31日 | 1980年代 | Kyaw Nyein教育相は29日から31日までマンダレー大学を始めとして上ビルマ地区の教育施設を視察。 |
DIA-211-1986-05-31-3 | ミャンマー | 1986年05月31日 | 1980年代 | 5月中に共産軍,モヘイン軍など合計47名の反乱軍が政府軍に投降。 |
DIA-211-1986-06-01-1 | ミャンマー | 1986年06月01日 | 1980年代 | 繊維交易公社はバセインに初の総合デパートを開設。 |
DIA-211-1986-06-02-1 | ミャンマー | 1986年06月02日 | 1980年代 | Ohn Kyaw社会福祉・労働相は第72回ILO総会出席のためジュネープへ,22日帰国。 |
DIA-211-1986-06-02-2 | ミャンマー | 1986年06月02日 | 1980年代 | Ywathikyiの民族開発アカデミーで第21期入講式が行なわれ,北西師団司令官TunKyi大佐らが出席。入講者の内訳はカレン州20名,チン州20名,ペグー管区5名,モン州6名,カヤ州15名,ザガイン管区22名,マグウェ管区11名,ヤカイン州12名,カレン州18名,テナセリム管区16名,マンダレー管区5名,ラングーン管区2名,シャン州43名,イラワジ管区5名。 |
DIA-211-1986-06-09-1 | ミャンマー | 1986年06月09日 | 1980年代 | 青年計画党中央組織委は関係教育機関などと計画党青年団の訓練・教育方法についての検討会を開き,同委議長 Kyaw Nyein教育相らが出席。 |
DIA-211-1986-06-10-1 | ミャンマー | 1986年06月10日 | 1980年代 | チン州,カチン州の党,政府首脳が高収量稲作普及のための特別会議を開き,UTin Latt党中央委らが出席。 |
DIA-211-1986-06-10-2 | ミャンマー | 1986年06月10日 | 1980年代 | アメリカの国連大使Vernon A.Waltersが来訪,Ye Goung外相と会談,11日帰国。 |
DIA-211-1986-06-11-1 | ミャンマー | 1986年06月11日 | 1980年代 | 中国外交部条約局次長Shen Weilingを団長とする代表団が中国,ビルマ国境合同監視委員会に出席のため来訪。25日に帰国。 |
DIA-211-1986-06-12-1 | ミャンマー | 1986年06月12日 | 1980年代 | 第3次国連・ビルマ麻薬取締計画(1986~91)に関わる契約調印が行なわれた。これは国連側が必要経費1,053万9509ドル,ビルマ側が955万2000チャットを拠出するというもの。 |
DIA-211-1986-06-13-1 | ミャンマー | 1986年06月13日 | 1980年代 | Htwe Han党中央委事務局長はカヤ州,シャン州の高収量稲作作付状況を視察。 |
DIA-211-1986-06-14-1 | ミャンマー | 1986年06月14日 | 1980年代 | Tun Wai保健相は11日から13日までマンダレー管区各地の医療・保健施設を視察。 |
DIA-211-1986-06-15-1 | ミャンマー | 1986年06月15日 | 1980年代 | 国内歳入局は所得税申告に関する指示.これによると1985/86年度内に個人所得8000チャット以上,法人(含協同組合)10000チャット以上あるものは6月30日までに所定の申告用紙に記入して当局に申告するようにとしてある。 |
DIA-211-1986-06-18-1 | ミャンマー | 1986年06月18日 | 1980年代 | 仏教僧侶評議会第2回全国中央委総会が開かれ,Min Gaung内務・宗教相が歓迎の辞。現在の僧侶の数は合計31万2851(Tahans12万4319,Samanes18万8532)で,寺院(Kyaungtaik)は4方7987,うち大寺院(Sarth-intaikgyi)は2524である。なおこの会議では特に,にせ僧侶の根絶と仏教の浄化が強調された。 |
DIA-211-1986-06-18-2 | ミャンマー | 1986年06月18日 | 1980年代 | 新聞・印刷公社報道部長Hla Tunを代表とするビルマ・ジャーナリスト代表団がソ連へ向け出発。 |
DIA-211-1986-06-20-1 | ミャンマー | 1986年06月20日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相,Ye Goung外相,Sein Tunエネルギー相,Than Tin鉱山相らは16日から20日までElaの冶金研究開発セミナー,メイミョー第1製鉄所,モニワ銅山などを視察。 |
DIA-211-1986-06-20-2 | ミャンマー | 1986年06月20日 | 1980年代 | Kyaw Than協組副大臣は17日から19日までヤカイン州各地の協組活動状況を視察。 |
DIA-211-1986-06-22-1 | ミャンマー | 1986年06月22日 | 1980年代 | ヤカイン州Sittweでテレビ局開設,放送開始。 |
DIA-211-1986-06-22-2 | ミャンマー | 1986年06月22日 | 1980年代 | カヤ州Shadaw村で500人の住民が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1986-06-23-1 | ミャンマー | 1986年06月23日 | 1980年代 | 駐米大使にネパール大使U Myo Aungを任命。 |
DIA-211-1986-06-24-1 | ミャンマー | 1986年06月24日 | 1980年代 | 国際交流基金の招待により日本の教育事情視察のため,基礎教育局次長U Soe Nyuntを団長とする10人の代表団が訪日。 |
DIA-211-1986-06-25-1 | ミャンマー | 1986年06月25日 | 1980年代 | 各レベル協同組合と国営公社との第44回集団売買契約が27日まで行なわれた. |
DIA-211-1986-06-26-1 | ミャンマー | 1986年06月26日 | 1980年代 | 各地で田植が開始されているが,計画党高収量稲作普及監理委メンバーは各地で高収量稲作の普及拡大のために党の指導方針を説明,現地の事情を聴取している. |
DIA-211-1986-06-27-1 | ミャンマー | 1986年06月27日 | 1980年代 | 国家評議会は会計検査院のメンバー15名を発表,議長にU Ohn Tin人民監察評議会議長,メンバーに同委員Dr.Maung Sheinらを任命した。 |
DIA-211-1986-06-28-1 | ミャンマー | 1986年06月28日 | 1980年代 | カレン州Kyaikto村の村落民兵隊に対する武器引渡し式が行なわれ,モン州人民評議会,第4戦術師団,第96連隊首脳らが出席。 |
DIA-211-1986-06-30-1 | ミャンマー | 1986年06月30日 | 1980年代 | 運輸・通信省はテレビ受像機,ビデオ・レコーダーについてライセンス制にすると発表。これによると所有者は受像機,ビデオともに購入証または関税支払証明を添えて登録する。ライセンス取得者はそれぞれ2台まで所有でき,年間受信料は受像機120チャット,ビデオ60チャットである。 |
DIA-211-1986-06-30-2 | ミャンマー | 1986年06月30日 | 1980年代 | 6月中に自パオ軍,BCP,カレン軍など合計50名の反乱軍が政府軍に投降。 |
DIA-211-1986-07-03-1 | ミャンマー | 1986年07月03日 | 1980年代 | 計画党ラングーン管区地区委員会は定例総会を開き,今期稲作の高収量品種普及拡大について討議。 |
DIA-211-1986-07-03-2 | ミャンマー | 1986年07月03日 | 1980年代 | Mawkmaiで住民1650人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1986-07-07-1 | ミャンマー | 1986年07月07日 | 1980年代 | 三軍兵士による田植えを中心とする特別援農作戦(Myaseinyaung)が開始。 |
DIA-211-1986-07-07-2 | ミャンマー | 1986年07月07日 | 1980年代 | Lawksak郡Hpawngseng村で3200人による反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1986-07-08-1 | ミャンマー | 1986年07月08日 | 1980年代 | ネーウィン議長は3日から8日まで中央,西部,南西軍管区地域の重要工業施設(重工業公社第5号工場など)を視察。 Kyaw Htin国防相,Sein Tunエネルギー相,Maung Cho第2工業相らが同行。 |
DIA-211-1986-07-09-1 | ミャンマー | 1986年07月09日 | 1980年代 | 協同組合省は各レベル協組職員に対する米買付,精米に関わる訓練コースを開始。これは86/87年度産米から一部協組が買付を行なうための準備。 |
DIA-211-1986-07-11-1 | ミャンマー | 1986年07月11日 | 1980年代 | ラングーン管区Kungyangong区選出人民議会メンバーU Tin Soeの辞職が認められた。 |
DIA-211-1986-07-12-1 | ミャンマー | 1986年07月12日 | 1980年代 | 計画党シャン州地区委執行部は同州内郡委執行部を集め,党中央委ガイドラインの徹底実行を指示。 |
DIA-211-1986-07-14-1 | ミャンマー | 1986年07月14日 | 1980年代 | Ye Goung外相,ベトナム大使館でレズアン書記長死去に対する弔問。 |
DIA-211-1986-07-14-2 | ミャンマー | 1986年07月14日 | 1980年代 | UNICEF理事James P.Grantが来訪,Tun Wai保健相などと会談。20日帰国。 |
DIA-211-1986-07-15-1 | ミャンマー | 1986年07月15日 | 1980年代 | 文化省は骨董品の取引について,取引は考古学局が認めたものに限り,さらに宝石公社および考古学局で鑑定し,価格が定められたものにつき,公定価格でのみ取引できると通達。 |
DIA-211-1986-07-16-1 | ミャンマー | 1986年07月16日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相はユーゴスラビア,ルーマニアを公式訪問するため出発。訪問途中ロンドンでメディカル・チエックをする。Ye Goung外相(8月7日に合流),Than Tin鉱山相らが同行。 |
DIA-211-1986-07-18-1 | ミャンマー | 1986年07月18日 | 1980年代 | サンユー大統領はエネルギー省関係役員に対し,エネルギー増産を強く指示。この会議にはAye Ko党総 書記,Sein Lwin党副総書記,Tun Tin副首相,:Kyaw Htin副首相らも出席。 |
DIA-211-1986-07-19-1 | ミャンマー | 1986年07月19日 | 1980年代 | 第39回殉難者の日中央追悼式が殉難者廟(Arzani Mausoleum)で行なわれ,Tun Tin首相代行が国家を代表して献花,全国で半旗,黙とうが行なわれ,この日だけで10万人の民衆が廟に参拝。 |
DIA-211-1986-07-19-2 | ミャンマー | 1986年07月19日 | 1980年代 | Pa-anで近郊農村からの住民多数がカレン反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1986-07-20-1 | ミャンマー | 1986年07月20日 | 1980年代 | Aung Kyaw Myint情文相は来訪中の中国図書館関係者代表団と会談。 |
DIA-211-1986-07-22-1 | ミャンマー | 1986年07月22日 | 1980年代 | 三軍兵士による第2次合同援農作戦が開始され,イラワジ管区などへ合計4500人の部隊が派遣された。 |
DIA-211-1986-07-23-1 | ミャンマー | 1986年07月23日 | 1980年代 | 第72期陸軍士官候補生養成コースの終了式が行なわれ,陸軍参謀長Than Shwe准将らが出席。 |
DIA-211-1986-07-24-1 | ミャンマー | 1986年07月24日 | 1980年代 | KyaiktoおよびBilin,また25日にはThatonで,カレン反乱軍から村落を防衛するための民兵隊の結団式が行なわれ,当地駐屯政府軍部隊から武器が引渡された。 |
DIA-211-1986-07-25-1 | ミャンマー | 1986年07月25日 | 1980年代 | 新紙幣発行―ビルマ連邦銀行はK15,K35の新紙幣を発行。これで流通紙幣はK1,K5,K10,K25,K75とともに7種類となった。 |
DIA-211-1986-07-26-1 | ミャンマー | 1986年07月26日 | 1980年代 | Kyaw Than協組副大臣はマンダレー管区内各地の協組活動を視察。 |
DIA-211-1986-07-28-1 | ミャンマー | 1986年07月28日 | 1980年代 | 在郷軍人会第4回中央委員会が開かれ,議長U Myint Maungが開会演説。 |
DIA-211-1986-07-29-1 | ミャンマー | 1986年07月29日 | 1980年代 | 情報省ビデオ審査局は輸入ビデオテープはすべて当局により審査され,許可を受けなければならないと通達。 |
DIA-211-1986-07-30-1 | ミャンマー | 1986年07月30日 | 1980年代 | 第1回在郷軍人会総会で特別スポンサーとしてネーウィン議長が出席。席上,ビルマ国軍の歴史について言及,アウンサン亡き後は自分が国軍を指導してきたことを強調。31日の最終日に役員を選出,議長にU Myint Maungが選ばれた。 |
DIA-211-1986-07-31-1 | ミャンマー | 1986年07月31日 | 1980年代 | 青年計画党中央組織委副議長Dr.Maung Di教育副大臣を団長とする青年代表団が訪ソ。8月13日帰国。 |
DIA-211-1986-07-31-2 | ミャンマー | 1986年07月31日 | 1980年代 | 7月中にカチン,ラフ,カヤ,カレンなどの反乱軍合計40名が政府軍に投降。 |
DIA-211-1986-08-01-1 | ミャンマー | 1986年08月01日 | 1980年代 | カレン州Hlaingbweでカレン州反乱軍一掃のための監理委員会が開かれ,反乱軍掃討のためのさまざまな方法や住民の協力について討議。各州各地で同様の集会が開かれ,掃討作戦委員会が設立された。 |
DIA-211-1986-08-04-1 | ミャンマー | 1986年08月04日 | 1980年代 | 三軍兵士による第3次援農作戦が開始され,5個中隊1500人が各地に派遣された。 |
DIA-211-1986-08-04-2 | ミャンマー | 1986年08月04日 | 1980年代 | イラワジ,ラングーン管区内で田植が始まり,各地で計画党が主催する田植コンテストが行なわれている。 |
DIA-211-1986-08-05-1 | ミャンマー | 1986年08月05日 | 1980年代 | ヤカイン州の各省庁,人民評議会,計画党支部役員は同州経済計画実施のための調整会議。 |
DIA-211-1986-08-08-1 | ミャンマー | 1986年08月08日 | 1980年代 | 農業公社は86/87年度第1四半期経済計画調整会議を開き,Than Nyunt(准将)農林相は今季稲作はぜひとも目標の生産量を達成しなければならないと述べた。 |
DIA-211-1986-08-11-1 | ミャンマー | 1986年08月11日 | 1980年代 | ラングーン市旅客輸送監理委員会は,旅客総数が140万人に増えたことによる輸送体系の改善を検討する準備会議を開催。 |
DIA-211-1986-08-11-2 | ミャンマー | 1986年08月11日 | 1980年代 | ガソリン不足深刻―全国各地でガンリン不足が深刻になっており,ガソリンの闇価は公定価格の3.5チャット/ガロンに対し,ほぼ7~8倍で取引されている。これはガソリンが全量配給割当制であるため,自動車保有者で実際には車を動かさずにガソリンの配給だけ受けて,横流しする分が闇取引となるもの。 |
DIA-211-1986-08-11-3 | ミャンマー | 1986年08月11日 | 1980年代 | 首相,ユーゴを公式訪問―マウン・マウン・カ首相はロンドンのメディカル・チェックを終えて,Ye Goung外相,Than Tin鉱業相らとともにベオグラードに到着。空港にはBranko大統領が出迎えた。12日大統領と正式会談,13日Bor鉱山などを視察。 |
DIA-211-1986-08-12-1 | ミャンマー | 1986年08月12日 | 1980年代 | マンダレー大学で前線部隊兵士への慰問として計1万チャット相当の物資が北東師団へ贈られた。 |
DIA-211-1986-08-13-1 | ミャンマー | 1986年08月13日 | 1980年代 | Khin Maung Gyi貿易相はソ連,ヨーロッパ各地での米の輸出商談を終えて帰国。同相はソ連で今年度産米10万トンの輸出契約とオランダ市場への復帰などに成功したといわれる。 |
DIA-211-1986-08-13-2 | ミャンマー | 1986年08月13日 | 1980年代 | カチン州Waingmaw郡内の対反乱軍民兵隊の結団式が行なわれ,武器が引渡された。北部師団司令官Kyaw Ba大佐らが出席。 |
DIA-211-1986-08-14-1 | ミャンマー | 1986年08月14日 | 1980年代 | 首相,ルーマニ7を公式訪問―マウン・マウン・カ首相一行はベオグラードからブカレストに到着。 15日Constantin Dascalescu首相と会談,16日石油化学プラントなどを視察。17日ミュンヘンに向け出発。31日帰国。 |
DIA-211-1986-08-15-1 | ミャンマー | 1986年08月15日 | 1980年代 | Pa-anで1500人の住民,政府軍兵士が対KNU抗議集会を開き,また民兵隊への武器引渡式が行なわれた。 |
DIA-211-1986-08-15-2 | ミャンマー | 1986年08月15日 | 1980年代 | Mingala Taungnyunt第1区選出のTin Pe大佐(RCDC議長)は人民議会メンバーを辞任。 |
DIA-211-1986-08-16-1 | ミャンマー | 1986年08月16日 | 1980年代 | Than Hlaing協組相らは14日から16日までペグー管区内の農村,農業施設,協組などを視察。 |
DIA-211-1986-08-16-2 | ミャンマー | 1986年08月16日 | 1980年代 | モン州計画党地区委議長U Thein Aungらはモン州Kyaikmaraw郡内の各村落での反乱軍掃討のための活動状況を視察。 |
DIA-211-1986-08-19-1 | ミャンマー | 1986年08月19日 | 1980年代 | 日本政府は42億6300万円の一般無償供与E/N。これは青少年センター建設第3期分(18.34億円),灌漑技術センター建設(24.29億円)である。 |
DIA-211-1986-08-20-1 | ミャンマー | 1986年08月20日 | 1980年代 | Pau Khan Thang労働・社会福祉副大臣を団長とする代表団が中国に向け出発。同日,ビルマ赤十字代表団も訪中。 |
DIA-211-1986-08-20-2 | ミャンマー | 1986年08月20日 | 1980年代 | 労働者連合中央委副議長U Kyi Theinはソ連訪問から帰国。 |
DIA-211-1986-08-20-3 | ミャンマー | 1986年08月20日 | 1980年代 | Kya-in-Seikkyi郡数ヵ村で,いずれも1000人の住民が反乱軍掃討に関する討論会を開いた。 |
DIA-211-1986-08-22-1 | ミャンマー | 1986年08月22日 | 1980年代 | モン州人民評議会では油脂作物,冬作物の作付に関する調整会議。同様の会議がマグウェ管区でも行なわれた。 |
DIA-211-1986-08-23-1 | ミャンマー | 1986年08月23日 | 1980年代 | ザガイン管区Lahe郡内の3ヵ村の対反乱軍民兵隊の結団式,武器引渡しが行なわれた。 |
DIA-211-1986-08-24-1 | ミャンマー | 1986年08月24日 | 1980年代 | 三軍兵士による援農特別Shweminwun作戦がマンダレー管区,ザガイン管区で開始された。これは上ビルマの稲作,綿花栽培などへの援農。 |
DIA-211-1986-08-27-1 | ミャンマー | 1986年08月27日 | 1980年代 | ラオスのスファヌボン大統領がジンバブエ訪問の帰途,空港に立寄りTint Swe外相代行と会談。 |
DIA-211-1986-08-27-2 | ミャンマー | 1986年08月27日 | 1980年代 | イギリス国務次官Peter Bottomleyが来訪,運輸・通信省の招待。30日まで。 |
DIA-211-1986-08-27-3 | ミャンマー | 1986年08月27日 | 1980年代 | イギリス政府はラングーン市内配電網プロジェクト用として640万ポンドの無償援助。 |
DIA-211-1986-08-27-4 | ミャンマー | 1986年08月27日 | 1980年代 | アメリカ政府はビルマ農業研究所(ARI)畑作試験研究用として450万ドルの無償援助。 |
DIA-211-1986-08-29-1 | ミャンマー | 1986年08月29日 | 1980年代 | Kyaukkyi郡Thazi村で住民1万人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1986-08-29-2 | ミャンマー | 1986年08月29日 | 1980年代 | 第4期第2回人民議会議長UTinWanは来訪中の日本国会議員団(4人)と会見。 |
DIA-211-1986-08-29-3 | ミャンマー | 1986年08月29日 | 1980年代 | Hlaingbwe郡Kwanter村で住民4200人がカレン反乱軍掃討のための抗議集会。 |
DIA-211-1986-08-31-1 | ミャンマー | 1986年08月31日 | 1980年代 | PapunでKNU反乱軍掃討のための討論集会。 |
DIA-211-1986-08-31-2 | ミャンマー | 1986年08月31日 | 1980年代 | 8月中にナガ,ヤカイン共産党など合計57名の反乱軍が政府軍に投降。 |
DIA-211-1986-09-05-1 | ミャンマー | 1986年09月05日 | 1980年代 | 第22回計画党員のための政策インストラクター訓練講習会が開かれ,中央政治科学校校長U Ye Myintが開講演説。43名の訓練生で18週間行なわれる。 |
DIA-211-1986-09-05-2 | ミャンマー | 1986年09月05日 | 1980年代 | Ywathitkyi繊維工場内で新しい中学校が建設され,このほど開校した。 |
DIA-211-1986-09-06-1 | ミャンマー | 1986年09月06日 | 1980年代 | Maha Wizaya Zedi建設委員会が開かれ,これまで当建設のために一般から寄せられた寄付金などを報告。 |
DIA-211-1986-09-07-1 | ミャンマー | 1986年09月07日 | 1980年代 | Mudon郡Yaungdaung村で住民5000人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1986-09-09-1 | ミャンマー | 1986年09月09日 | 1980年代 | 首相,訪日―マウン・マウン・カ首相は中曽根首相の招待を受けて訪日。10日富士市大昭和製紙工場視察,11日中曽根首相と会談,12日皇居で天皇に謁見,13日から京都,奈良,広島などを訪問し,18日帰国。Kyaw Htin国防相,Ye Goung外相,Maung Cho第2工業相らが同行。日本との二国間では政治・経済ともに特別な話し合いは行なわれなかった。 |
DIA-211-1986-09-11-1 | ミャンマー | 1986年09月11日 | 1980年代 | Myawaddy郡Thingan-nyinaung村で住民1000人が反乱軍抗議集会。民兵隊への武器引渡し。 |
DIA-211-1986-09-11-2 | ミャンマー | 1986年09月11日 | 1980年代 | Mudon郡Kwanhlar村で住民1000人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1986-09-13-1 | ミャンマー | 1986年09月13日 | 1980年代 | Papun郡Tagundaing村で住民1100人がKNU抗議集会。 |
DIA-211-1986-09-13-2 | ミャンマー | 1986年09月13日 | 1980年代 | 労働者連合中央執行委U Tin Ayeらはバセイン地区のガラス,第4合板工場などを視察。 |
DIA-211-1986-09-15-1 | ミャンマー | 1986年09月15日 | 1980年代 | 西独670万ドイツマルクの無償援助。基礎教育のための教科書印刷機械購入用。 |
DIA-211-1986-09-15-2 | ミャンマー | 1986年09月15日 | 1980年代 | Kyonmathwe郡Thalaykho村で民兵隊への武器供与式,1000人が抗議集会。 |
DIA-211-1986-09-16-1 | ミャンマー | 1986年09月16日 | 1980年代 | 米価6年連続据置,買上方式変更―貿易省は布告第3,4,5号/86を発令,政府買上米価を6年連続据置くと決定。布告第3号によれば,全ての籾,米ぬか,砕米の買付,輸送,保管業務について,民間商人,ブローカーはその取引が禁止されるとしている。また布告第4,5号において,買上げ方法をこれまでのAFPTC一括買上げから,一部地域では協同組合が買上げることとした。なおAFPTCと協組が共同で買上げる地域はベグー,ラングーン,イラワジ各管区とモン,ヤカイン各州で,その他の地域は全て協組が買上げることとなった。なお買上米価はつぎのとおり。 |
DIA-211-1986-09-17-1 | ミャンマー | 1986年09月17日 | 1980年代 | Taik Soe情報副大臣を団長とするテレビ放送代表団が訪中。 |
DIA-211-1986-09-18-1 | ミャンマー | 1986年09月18日 | 1980年代 | 首相,シンガポールを公式訪問―マウン・マウン・カ首相はリー首相の招待を受けて日本からシンガポールに到着。19日リー首相と公式会談,リー首相はビルマの妥協しない中立外交政策を高く評価,21日帰国。 |
DIA-211-1986-09-18-2 | ミャンマー | 1986年09月18日 | 1980年代 | マグウェ管区人民評議会,計画党支部役員は今期油脂作物買上げについての調整会議。 |
DIA-211-1986-09-20-1 | ミャンマー | 1986年09月20日 | 1980年代 | Hlaingbwe郡Patkyaw村で民兵隊への武器引渡し式。住民7000人がカレン反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1986-09-22-1 | ミャンマー | 1986年09月22日 | 1980年代 | Kawkareik郡 Kawdaingyin,Myapadaing村で民兵隊への武器引渡式,3000人が抗議集会。 |
DIA-211-1986-09-23-1 | ミャンマー | 1986年09月23日 | 1980年代 | U Tin Wanを団長とする人民評議会代表団(11名)は日本・ビルマ友好議員連盟の招待により訪日。10月5日まで。 |
DIA-211-1986-09-23-2 | ミャンマー | 1986年09月23日 | 1980年代 | ザガイン管区党委議長・北西師団司令官Tun Kyi大佐はWuntho,Kawlin郡などの農業生産状況,前線部隊を視察。 |
DIA-211-1986-09-24-1 | ミャンマー | 1986年09月24日 | 1980年代 | 記録・文書局長U Win Peを団長とする作家代表団が訪中。10月11日帰国。 |
DIA-211-1986-09-25-1 | ミャンマー | 1986年09月25日 | 1980年代 | Ye Goung外相は第41回国連総会出席のためニューヨークへ。10月8日帰国。 |
DIA-211-1986-09-25-2 | ミャンマー | 1986年09月25日 | 1980年代 | ビルマ訪問中の中国共産党青年団が帰国。 |
DIA-211-1986-09-25-3 | ミャンマー | 1986年09月25日 | 1980年代 | Papun 郡 Weinaung村で住民500人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1986-09-27-1 | ミャンマー | 1986年09月27日 | 1980年代 | Moulmein郡 Kadoe村で,住民5000人が反乱軍抗議集会。民兵隊への武器引渡式。 |
DIA-211-1986-09-30-1 | ミャンマー | 1986年09月30日 | 1980年代 | 教育省は布告第1号/86を発令,正しいビルマ語を守るためにすべての公用文,公文書は1978年1月に教育省国語審議会が刊行した“ビルマ語綴字法”に基づいて作成する旨通達。 |
DIA-211-1986-09-30-2 | ミャンマー | 1986年09月30日 | 1980年代 | Thandaung郡Leiktho村で民兵隊への武器引渡式。 |
DIA-211-1986-09-30-3 | ミャンマー | 1986年09月30日 | 1980年代 | アメリカは畑作改良・開発のための機械・肥料および技術協力として464万ドル無償供与。 |
DIA-211-1986-09-30-4 | ミャンマー | 1986年09月30日 | 1980年代 | 9月中にシャン,カレンニ,カチンなど合計61名の反乱軍が政府軍に投降。 |
DIA-211-1986-10-01-1 | ミャンマー | 1986年10月01日 | 1980年代 | 人民警察隊記念日。各地で記念集会。 |
DIA-211-1986-10-01-2 | ミャンマー | 1986年10月01日 | 1980年代 | ビルマ伝統舞踊団が中国公演のため訪中。 |
DIA-211-1986-10-02-1 | ミャンマー | 1986年10月02日 | 1980年代 | 首相は,Kyaw Htin国防相,Tint Swe第1工業相,Sein Tunエネルギー相,Saw Pru運輸・通信相らとKyaw Swa第3肥料工場(西独援助),Seikthaのメタノール工場などを視察。 |
DIA-211-1986-10-03-1 | ミャンマー | 1986年10月03日 | 1980年代 | 首相はKyaw Htin国防相とスポーツ・健康教育局のプラネタリウムおよび屋内体育館を視察。 |
DIA-211-1986-10-05-1 | ミャンマー | 1986年10月05日 | 1980年代 | 全国各地で第4期第3回人民議会開会に当って,街の清掃などの記念奉仕が行なわれた。 |
DIA-211-1986-10-08-1 | ミャンマー | 1986年10月08日 | 1980年代 | Than Hlaing協組相は各管区代表を集め,籾買付方法,手続変更について指示。 |
DIA-211-1986-10-08-2 | ミャンマー | 1986年10月08日 | 1980年代 | Tun Tin計画・財務相はIMF,世銀の年次総会に出席して帰国。 |
DIA-211-1986-10-08-3 | ミャンマー | 1986年10月08日 | 1980年代 | 第40回連邦記念日中央式典準備委が結成され,議長にSein Lwin党副総書記,副議長にTun Yi党中執委,マウン・マウン・カ首相らが選ばれた。 |
DIA-211-1986-10-08-4 | ミャンマー | 1986年10月08日 | 1980年代 | Loktha Pyithu Nezin紙編集長U Sao Kai Hpaを団長とするジャーナリスト代表団が訪中。 |
DIA-211-1986-10-09-1 | ミャンマー | 1986年10月09日 | 1980年代 | 計画党中央委第5回大会,ネーウィン議長開会宣言,Aye Ko総書記が中執委基調報告を行なった。2日間。 |
DIA-211-1986-10-09-2 | ミャンマー | 1986年10月09日 | 1980年代 | 西独政府は1500万ドイツマルクの借款供与。商品借款で,無利子(サービス料1%),10年据置,50年延払い。 |
DIA-211-1986-10-11-1 | ミャンマー | 1986年10月11日 | 1980年代 | 10人の青年代表団が訪日(青年計画党員)。 |
DIA-211-1986-10-13-1 | ミャンマー | 1986年10月13日 | 1980年代 | ネーウィン議長は人民議会堂で展示されているビルマ製の金・銀製骨董品を視察。 |
DIA-211-1986-10-13-2 | ミャンマー | 1986年10月13日 | 1980年代 | 第4期第3回人民議会―第1日目Sein Lwin国評書記が国家評議会報告,マウン・マウン・カ首相が閣僚評議会報告。閣評報告では輸出の不振と輸入製品価格の高騰で貿易収支がさらに悪化し,また国内物価にも影響し始めていること,このため輸出の増加が急務であることを強調。なお4月1日から10月13日までで,輸出実績は11億8820万チャットであることを明らかにした。16日に閉会するまで「賭博法」および「政治恩給修正法」などが成立。またAung Toeを議長とする新選挙管理委員会が任命された。 |
DIA-211-1986-10-17-1 | ミャンマー | 1986年10月17日 | 1980年代 | 計画党中央委本部で党地方委執行部を集めて,Aye Ko党総書記,Sein Lwin副総書記が経済などの党の基本ガイドラインを説明。今年度の籾の生産量は6億8730万バスケットが見込まれると発表。 |
DIA-211-1986-10-19-1 | ミャンマー | 1986年10月19日 | 1980年代 | Monywaで電話自動交換施設がオープン。 |
DIA-211-1986-10-20-1 | ミャンマー | 1986年10月20日 | 1980年代 | Min Gaung内・宗相は「賭博法」について説明,同法は1899年に制定されたものでは不十分でまた現状に即さない。また全国で多額の賭金での賭博が流行しており,社会不安の原因となっている。金額の多寡にかかわらず賭博は一切禁止されるなどと語った。 |
DIA-211-1986-10-21-1 | ミャンマー | 1986年10月21日 | 1980年代 | 首相,Tun Tin副首相,Ye Goung外相,Sein Tunエネルギー相,Tint Swe第1工業相,Than Tin鉱業相,Maung Cho第2工業相らはモン,カレン両州内のタイヤ・ゴム工場などの工業施設を視察。 |
DIA-211-1986-10-22-1 | ミャンマー | 1986年10月22日 | 1980年代 | 第14期下士官養成学校(Hmawbi)の卒業式が行なわれ,陸軍参謀長Than Shwe准将が祝辞,軍首脳出席。 |
DIA-211-1986-10-22-2 | ミャンマー | 1986年10月22日 | 1980年代 | 中国共青団の招待により,計画党青年部代表団が訪中。中国から黒竜江省視察団,体操チーム,映画代表団がそれぞれ来訪。 |
DIA-211-1986-10-24-1 | ミャンマー | 1986年10月24日 | 1980年代 | Maung Di教育副大臣を団長とする代表団が英国,フランスの教育施設を視察するため出発。 |
DIA-211-1986-10-24-2 | ミャンマー | 1986年10月24日 | 1980年代 | Dr.Chit協組副大臣を団長とする代表団が協組活動視察のため,中国,日本,韓国,インドネシア,タイに出発。 |
DIA-211-1986-10-24-3 | ミャンマー | 1986年10月24日 | 1980年代 | Thandaung郡Pathichaung村で反KNU抗議集会。 |
DIA-211-1986-10-25-1 | ミャンマー | 1986年10月25日 | 1980年代 | 模範労働者選考委員会は85/86年度模範労働者を発表。最優秀社会主義労働者61名,模範労働者第II等148名,同第III等445名である。 |
DIA-211-1986-10-25-2 | ミャンマー | 1986年10月25日 | 1980年代 | Papunで住民3000人がKNU抗議集会。 |
DIA-211-1986-10-26-1 | ミャンマー | 1986年10月26日 | 1980年代 | 廃貨に伴い,銀行に預入されていた分についての払戻しが11月4日から7日までの間に行なわれると発表。 |
DIA-211-1986-10-27-1 | ミャンマー | 1986年10月27日 | 1980年代 | 来訪中の黒竜江省副省長Liu ZhngliはTun Tin副首相と会談。 |
DIA-211-1986-10-28-1 | ミャンマー | 1986年10月28日 | 1980年代 | ネーウィン議長は教育省国語審議局で国語教育についての基本ガイダンス。サンユー大統領,AyeKo総書記,Sein Lwin副総書記らが出席。 |
DIA-211-1986-10-29-1 | ミャンマー | 1986年10月29日 | 1980年代 | 関税局長Tun Shwe大佐訪中。 |
DIA-211-1986-10-29-2 | ミャンマー | 1986年10月29日 | 1980年代 | Pa-anで電話自動交換施設がオープン。 |
DIA-211-1986-10-31-1 | ミャンマー | 1986年10月31日 | 1980年代 | Papun郡Lagunpyo村で600人がKNU抗議集会。 |
DIA-211-1986-10-31-2 | ミャンマー | 1986年10月31日 | 1980年代 | 10月中にカチン,カレンなど合計85名の反乱軍が政府軍に投降。 |
DIA-211-1986-11-01-1 | ミャンマー | 1986年11月01日 | 1980年代 | Ye郡Lamaungの村で,住民2000人がカレン軍抗議集会,席上カレン反乱軍投降兵が住民に謝罪。 |
DIA-211-1986-11-03-1 | ミャンマー | 1986年11月03日 | 1980年代 | Kyi Nyunt内務・宗教副大臣はラングーン市西部地区の給水施設等を視察。 |
DIA-211-1986-11-04-1 | ミャンマー | 1986年11月04日 | 1980年代 | カレン州Pa-anとラングーンを結ぶ定期バス路線とターミナルが開設され,営業開始。 |
DIA-211-1986-11-05-1 | ミャンマー | 1986年11月05日 | 1980年代 | Saw Hlaing外務副大臣は中国・ビルマ国境画定協定に調印のため訪中。11月7日に北京で第1次中国・ビルマ合同国境監視協定に調印。 |
DIA-211-1986-11-05-2 | ミャンマー | 1986年11月05日 | 1980年代 | 中国黒竜江省文化財監察委副議長Sun Jichangら代表団が来訪。Than Maung情文副大臣らと会談。 |
DIA-211-1986-11-06-1 | ミャンマー | 1986年11月06日 | 1980年代 | 高収量陸稲栽培を視察するための中国代表団が来訪。 |
DIA-211-1986-11-06-2 | ミャンマー | 1986年11月06日 | 1980年代 | 警察当局は今年5月8日に,ヤカイン共産党(赤旗派)中央委員会メンバーKhineSoeに率いられた24人の同派反乱軍がMinbya警察署を襲撃,警察官1名が死亡,3名が負傷また市民2人も死亡したと発表。またこの際,反乱軍は33丁の小火器,現金16万チャットを奪った。しかし,政府軍の必死の追撃によって5月17日までに16名が逮捕され,2名を殺したなどと発表。 |
DIA-211-1986-11-07-1 | ミャンマー | 1986年11月07日 | 1980年代 | マルタ共和国大統領Dr.Agatha Barbaraがサンユー大統領の招待で国賓として来訪。サンユー大統領,Aye Ko総書記らが出迎え。8日にサンユー大統領と公式会談をしたのち,パガン等を見学,11日帰国。 |
DIA-211-1986-11-07-2 | ミャンマー | 1986年11月07日 | 1980年代 | テナセリムで付近の農村民兵隊への武器引渡し式。 |
DIA-211-1986-11-09-1 | ミャンマー | 1986年11月09日 | 1980年代 | Mergui西部で農村民兵隊への武器引渡し式。 |
DIA-211-1986-11-12-1 | ミャンマー | 1986年11月12日 | 1980年代 | 計画党高収量稲作普及監理メンバーはインセイン郡Zigon地区の高収量稲の収穫状況およびモデル圃場などを視察。 |
DIA-211-1986-11-12-2 | ミャンマー | 1986年11月12日 | 1980年代 | 新しく制定された賭博法にもとづき,各地で賭博の実行犯が摘発されている。その多くは,中国式の数字合わせ(富くじ)でタイから流行してきたとされる賭博で“Che-hti”の実行者である。 |
DIA-211-1986-11-14-1 | ミャンマー | 1986年11月14日 | 1980年代 | 86年度第1期海軍幹部候補生養成コースの卒業式が行なわれ,海軍参謀長Mg.Mg.Khin海軍少将らが出席。 |
DIA-211-1986-11-15-1 | ミャンマー | 1986年11月15日 | 1980年代 | Aung Kyaw Myint情文相は来訪中の黒竜江省文化財監察委代表団と会見。 |
DIA-211-1986-11-17-1 | ミャンマー | 1986年11月17日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相は来訪中のニュージーランド科学・技術相と会談。 |
DIA-211-1986-11-17-2 | ミャンマー | 1986年11月17日 | 1980年代 | Aung Kyaw Myint情文相は,来演中のフランス人形劇団代表と会見。 |
DIA-211-1986-11-17-3 | ミャンマー | 1986年11月17日 | 1980年代 | 国軍将兵による特別援農第5次Shwewamye作戦が開始された。 |
DIA-211-1986-11-18-1 | ミャンマー | 1986年11月18日 | 1980年代 | ネーウィン議長は11月14日から18日までMonywaの仏典石碑(Maha Ledi石刻碑),銅鉱山,関連施設などを視察。Kyaw Htin国訪相,MinGaung内務・宗教相,Than Tin鉱業相らが同行。 |
DIA-211-1986-11-19-1 | ミャンマー | 1986年11月19日 | 1980年代 | ネーウィン議長はサンユー大統領,Aye Ko総書記,Sein Lwin副総書記,マウン・マウン・カ首相,Tun Tin副首相,Kyaw Htin副首相ら政府・党首脳とともにインヤーレークホテルの第24回宝石見本市会場を視察。宝石見本市は通常年1回開かれるが,外貨不足のため,2月に続いて2回目である。 |
DIA-211-1986-11-19-2 | ミャンマー | 1986年11月19日 | 1980年代 | 河北日報副編集長Hu Yuquanを団長とする7名の中国ジャーナリスト代表団が来訪。20日にAung Kyaw Myint情文相と会見。 |
DIA-211-1986-11-20-1 | ミャンマー | 1986年11月20日 | 1980年代 | 農民連合中央委第2回総会が開かれ,同委議長・農林相Than Nyunt准将らが出席。2日間開かれる。 |
DIA-211-1986-11-24-1 | ミャンマー | 1986年11月24日 | 1980年代 | 国家評議会事務局はビルマ独立年史に登場する独立功労者の選択基準について説明。これによると現在までに独立に軍事的,政治的に貢献したと認められた者は第1列2340名,第2列5867名,第3列1万619名合計1万8826名となっており,これは76年10月31日までに申請・認可された者で,それ以降は新たに認めていない。 |
DIA-211-1986-11-24-2 | ミャンマー | 1986年11月24日 | 1980年代 | 第66回国民記念日(Amyotha ne)式典が各地で開かれた。 |
DIA-211-1986-11-27-1 | ミャンマー | 1986年11月27日 | 1980年代 | サンユー大統領バングラ訪問―エルシャド大統領の招待を受けて,サンユー大統領夫妻はバングラデシュを公式訪問,ダッカ空港ではエルシャド大統領らが出迎え,この日晩さん会の席上で両大統領は両国の友好関係が進んでいることに満足の意を表明した。28日に両大統領公式会談。27日にM.R.Chowdhury首相と会談。30日に共同声明を発表して帰国。なお随行者はVan Kulh,Maha San Myat Shwe(いずれも国評メンバー)。Tun Tin副首相,Ye Goung外相,Min Goung内務・宗教相,Khin Maung Gyi貿易相らである。 |
DIA-211-1986-11-27-2 | ミャンマー | 1986年11月27日 | 1980年代 | 連邦銀行は25ピアスの新コインを発行,12月1日より流通。 |
DIA-211-1986-11-27-3 | ミャンマー | 1986年11月27日 | 1980年代 | Thaung Tut教育副大臣を団長とする第40回国際教育会議出席のためジュネーブへ。 |
DIA-211-1986-11-29-1 | ミャンマー | 1986年11月29日 | 1980年代 | 国軍将兵による稲刈のための特別援農第2次Shwewamye作戦が開始された。 |
DIA-211-1986-11-30-1 | ミャンマー | 1986年11月30日 | 1980年代 | 11月中に政府軍に投降した反乱軍はカチン・パオ,共産党,ラフ族軍など合計31名。 |
DIA-211-1986-12-01-1 | ミャンマー | 1986年12月01日 | 1980年代 | 第24回宝石見本市に参加している宝石商をねぎらうために鉱業相主催の晩さん会が開かれ,とくに長い間見本市に参加している宝石商を表彰。 |
DIA-211-1986-12-03-1 | ミャンマー | 1986年12月03日 | 1980年代 | シンガポール第1副首相Goh Chok Tongが来訪。Tun Tin副首相出迎え(7日帰国)。ネーウィン議長,サンユー大統領,マウン・マウン・カ首相らと会談。両国の貿易拡大について協議。 |
DIA-211-1986-12-06-1 | ミャンマー | 1986年12月06日 | 1980年代 | Kyaukkyi郡 Kawpyi村で2700人の住民が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1986-12-09-1 | ミャンマー | 1986年12月09日 | 1980年代 | ソ連の映画代表団来訪,17日帰国。 |
DIA-211-1986-12-10-1 | ミャンマー | 1986年12月10日 | 1980年代 | 今年度模範労働者を集めて晩さん会。Sein Lwin党副総書記,Ye Goung外相らが出席。 |
DIA-211-1986-12-12-1 | ミャンマー | 1986年12月12日 | 1980年代 | Dr.Chit協組副大臣はペグー管区各地の協組活動状況を視察。関係者と会談。 |
DIA-211-1986-12-13-1 | ミャンマー | 1986年12月13日 | 1980年代 | 国軍将兵による援農特別第3次Shwewamye作戦が開始され,1500人がイラワジデルタに派遣された。 |
DIA-211-1986-12-15-1 | ミャンマー | 1986年12月15日 | 1980年代 | 15日から24日まで貿易省でインド貿易見本市が開かれる。ディーゼル・エンジン,農業機械,ポンプ,精米機などが展示された。 |
DIA-211-1986-12-15-2 | ミャンマー | 1986年12月15日 | 1980年代 | 第12回ヤカイン州記念日中央式典がSittweで行われ,計画党州委議長,西部師団長らが出席。 |
DIA-211-1986-12-17-1 | ミャンマー | 1986年12月17日 | 1980年代 | 中国文芸協会役員Yang Wenhanを団長とする作家代表団が来訪。 |
DIA-211-1986-12-18-1 | ミャンマー | 1986年12月18日 | 1980年代 | Aung Win農林副大臣は来訪中の中国農業研究センター副所長Xia Huaを団長とする農業・農村開発視察団と会談。 |
DIA-211-1986-12-19-1 | ミャンマー | 1986年12月19日 | 1980年代 | 党中執委Tun Yiなど高収量稲作監理委らがラングーン管区内の籾の買付および配給状況を視察。 |
DIA-211-1986-12-22-1 | ミャンマー | 1986年12月22日 | 1980年代 | インド対外関係相Shri Narayan Datt Tiwariが来訪。23日にサンユー大統領,Ye Goung外相らと会談。23日海洋国境協定に調印,25日帰国。 |
DIA-211-1986-12-25-1 | ミャンマー | 1986年12月25日 | 1980年代 | ネーウィン議長は20日から25日までラシオ,マンダレーなどの各種施設,協同組合などを視察。Kyaw Htin国防相,Saw Maung参謀総長らが同行。 |
DIA-211-1986-12-26-1 | ミャンマー | 1986年12月26日 | 1980年代 | 閣評はRCDC議長にAung Khin大佐(BC/6980)を任命,ラングーン市長兼任。 |
DIA-211-1986-12-27-1 | ミャンマー | 1986年12月27日 | 1980年代 | Shwewamye第3次作戦開始。 |
DIA-211-1986-12-30-1 | ミャンマー | 1986年12月30日 | 1980年代 | RCDCは計画党の指示にもとづき,RCDC管内で1月1日より,配給帳なしで,米は所定の協組小売店で購入できると発表。他の州,管区は2月1日から籾換算12バスケット(1人当り年間)まで自由に購入できることになった。 |
DIA-211-1986-12-30-2 | ミャンマー | 1986年12月30日 | 1980年代 | 閣内経済委員会(ECC)は州・管区人民評議会議長に対し,1987/88年度経済計画について説明。 |
DIA-211-1987-01-01-1 | ミャンマー | 1987年01月01日 | 1980年代 | 青年奉仕活動計画中央委は,役員会を開き1987/88年度活動計画につき協議,同委議長Kyaw Nyein 教育相らが出席。 |
DIA-211-1987-01-01-2 | ミャンマー | 1987年01月01日 | 1980年代 | 86年12月中の反乱軍の投降者は,BCP(ビルマ共産党),KIA(カチン反乱軍)など合計39名。 |
DIA-211-1987-01-02-1 | ミャンマー | 1987年01月02日 | 1980年代 | アメリカ上院予算委員Mark O.Hattfieldが来訪,Min Gaung 内務宗教相と会談。 |
DIA-211-1987-01-04-1 | ミャンマー | 1987年01月04日 | 1980年代 | 1987年度各賞の発表―国家評議会は1987年度の国家功労賞第Ⅰ等をU Tuang Za Khai など8名に,第Ⅱ等をBo Yang Aung とU Kyaw Win とに授与した。また,軍人勲功賞のうちThura 賞にZaw Win 大尉(BC 15581,第2歩兵連隊)他1名,勇敢賞に19名,分野別功労賞に合計86名が選ばれた。 |
DIA-211-1987-01-04-2 | ミャンマー | 1987年01月04日 | 1980年代 | 国家評議会は僧侶に対する栄誉称号授与を発表。最高称号のAbhidaja Maha Rattha Guru 賞にマグウェの僧侶Bhaddanta Sasana,Agga Maha Pandita賞にBhaddanta Kumara など6名。 |
DIA-211-1987-01-04-3 | ミャンマー | 1987年01月04日 | 1980年代 | 閣僚評議会は,サヤサン革命の闘士,ドーバマアシアヨンのメンバーで独立運動に貢献した12名に対する恩給供与を発表。これは一時金として1万チヤツト,年金として月額200チヤツトを支給するもの。 |
DIA-211-1987-01-04-4 | ミャンマー | 1987年01月04日 | 1980年代 | 第39回独立記念日に際し,サンユー大統領夫妻主催の晩さん会が開かれ,ネーウィン議長ら党・国家幹部,外交団などが出席。 |
DIA-211-1987-01-05-1 | ミャンマー | 1987年01月05日 | 1980年代 | タイ陸軍総司令官Chavalit Yongchaiyudh 大将が,Saw Maung 大将の招待で来訪。8日に帰国するまで,サンユー大統領,Aye Ko 党総書記,Kyaw Htin 国防相らと会談。マンダレー,メイミヨーなどを訪問。 |
DIA-211-1987-01-06-1 | ミャンマー | 1987年01月06日 | 1980年代 | モスクワ・バスケットボール連盟会長Aleksei Korobkov を団長とするモスクワ青年チームが来訪。 |
DIA-211-1987-01-07-1 | ミャンマー | 1987年01月07日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相,Tun Tin 副首相,Kyaw Htin 国防相らは,国営ワニ牧場,淡水エビ養殖場などを視察。 |
DIA-211-1987-01-07-2 | ミャンマー | 1987年01月07日 | 1980年代 | タイ外務次官Prapas Limpabandhu を団長とする代表団が来訪。Mei Sai/Mei Houk 付近の国境画定協議のため(~9日まで)。 |
DIA-211-1987-01-08-1 | ミャンマー | 1987年01月08日 | 1980年代 | Namsang で,住民3000人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1987-01-09-1 | ミャンマー | 1987年01月09日 | 1980年代 | 国軍による特別援農作戦(第2次Shweminwun)が開始され,ザカインなどに派遣された。 |
DIA-211-1987-01-10-1 | ミャンマー | 1987年01月10日 | 1980年代 | 参謀総長Saw Maung 大将は,9,10日にラシオ北方で,このほどの戦闘によって共産軍の本拠地を占拠したPangsai(Kyuhkok)を訪れ,前線部隊(第99歩兵師団),陸軍野戦病院などを視察。(注:Pangsai 地区は1970年3月に共産軍によって占拠され,その後共産軍は赤色政権根拠地の重要拠点として建設。約1500人の共産軍が駐屯していた。86年11月16日から,政府軍第99および第33歩兵師団特別混成攻撃部隊は,同地区を攻略,18回の大戦闘で政府軍175名,反乱軍591名が戦死,1月6日に政府軍は,Pangsai 基地を占拠して,なお攻撃中であると発表された) |
DIA-211-1987-01-12-1 | ミャンマー | 1987年01月12日 | 1980年代 | Ye Goung 外相の招待を受けて,スリランカのACS Hameed 外相が来訪。15日帰国するまで大統領,首相,外相らと会談。またシュリアムのガラス工場などを視察。 |
DIA-211-1987-01-13-1 | ミャンマー | 1987年01月13日 | 1980年代 | 共産軍Pangsai 基地を攻略した特別攻撃部隊は,さらに激しい追撃作戦を展開,BCP第1旅団本部のあるNawngma,Mankio,Kunkai などの橋頭堡を占領。 |
DIA-211-1987-01-13-2 | ミャンマー | 1987年01月13日 | 1980年代 | モーリシャスの貿易・船舶相Dr.B.Ghurburrunら,代表団が来訪。16日まで。 |
DIA-211-1987-01-13-3 | ミャンマー | 1987年01月13日 | 1980年代 | Mohnyin 郡Hopang 村で住民4800人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1987-01-14-1 | ミャンマー | 1987年01月14日 | 1980年代 | 浜野剛外務政務次官が来訪(~16日まで)。この間マウン・マウン・カ首相らと会談。 |
DIA-211-1987-01-14-2 | ミャンマー | 1987年01月14日 | 1980年代 | Papun 郡Kanamaung 村で,住民3500人が,またHlaingbwe では1万3000人がそれぞれ反乱軍抗議集会。また第66歩兵師団副司令官Khin Aung Bala 大佐が出席して,民兵隊への武器供与。 |
DIA-211-1987-01-15-1 | ミャンマー | 1987年01月15日 | 1980年代 | 中国広西芸術団が来訪。 |
DIA-211-1987-01-16-1 | ミャンマー | 1987年01月16日 | 1980年代 | 第40回連邦記念日に向けての連邦旗全国リレーが始まり,ラングーン市庁舎から出発。 |
DIA-211-1987-01-16-2 | ミャンマー | 1987年01月16日 | 1980年代 | カチン州Waingmaw 郡Aungmyay 村で住民600人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1987-01-17-1 | ミャンマー | 1987年01月17日 | 1980年代 | Than Hlaing 協組相は,12日から17日まで,イラワジ,ペグー管区における協同組合による籾の買付状況を視察。 |
DIA-211-1987-01-18-1 | ミャンマー | 1987年01月18日 | 1980年代 | サンユー大統領は,病気治療のため,アメリカに向け出発。ネーウィン大統領は自ら見送った。 |
DIA-211-1987-01-19-1 | ミャンマー | 1987年01月19日 | 1980年代 | モン族反乱軍Nai Seikno 派はモールメン=Kyaikkami 間の道路を通行中の自動車に放火,24日にはYe=Dayu 間の橋を爆破,さらに2月22日にはTagndaing 付近の道路を地雷で爆破。 |
DIA-211-1987-01-21-1 | ミャンマー | 1987年01月21日 | 1980年代 | ヤカイン州Buthidaung 1区で人民議会補選が行なわれ,Tha Tun Aye 大佐が選出。 |
DIA-211-1987-01-22-1 | ミャンマー | 1987年01月22日 | 1980年代 | Aung Kyaw Myint 情文相は,来訪中のソ連テレビ・ラジオ関係代表団と会談。25日帰国。 |
DIA-211-1987-01-22-2 | ミャンマー | 1987年01月22日 | 1980年代 | Muse 郡Monpaw 村で,住民1000人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1987-01-23-1 | ミャンマー | 1987年01月23日 | 1980年代 | 新・駐ビルマ日本大使大鷹弘を承認。 |
DIA-211-1987-01-23-2 | ミャンマー | 1987年01月23日 | 1980年代 | Aye Ko 総書記,Sein Lwin 副総書記,マウン・マウン・カ首相らはプラネタリウム館を視察。 |
DIA-211-1987-01-25-1 | ミャンマー | 1987年01月25日 | 1980年代 | 連邦記念日に向けて,チャイカサン広場で建設された各州・管区,省・公社のパピリオンが一般公開。 |
DIA-211-1987-01-25-2 | ミャンマー | 1987年01月25日 | 1980年代 | Mongshu 郡Monesan 村で住民4500人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1987-01-26-1 | ミャンマー | 1987年01月26日 | 1980年代 | Tun Tin 副首相は,来訪中のADB局長Paolo Nardi などの代表団と会談。25~30日まで滞在。 |
DIA-211-1987-01-27-1 | ミャンマー | 1987年01月27日 | 1980年代 | 新・駐ビルマアメリカ大使Burton Levin を承認。 |
DIA-211-1987-01-28-1 | ミャンマー | 1987年01月28日 | 1980年代 | ビルマはバヌアッツ共和国と外交関係を樹立。 |
DIA-211-1987-01-28-2 | ミャンマー | 1987年01月28日 | 1980年代 | Pa-an 郡Wutkyee 村で住民,民兵隊など3000人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1987-01-30-1 | ミャンマー | 1987年01月30日 | 1980年代 | 高収量稲作中央監理委(計画党)Tun Yi らはペグー管区各地区の籾買付状況を視察。 |
DIA-211-1987-02-01-1 | ミャンマー | 1987年02月01日 | 1980年代 | 畜・水産相Maung Maung Win 海軍少将,同省副大臣Maung Maung Aye 大佐は,水産公社・協組の鮮魚市場,小売店などを視察。 |
DIA-211-1987-02-02-1 | ミャンマー | 1987年02月02日 | 1980年代 | 第40回連邦記念日式典中央委議長Sein Lwin 副総書記は式典会場,展示場などを視察。 |
DIA-211-1987-02-03-1 | ミャンマー | 1987年02月03日 | 1980年代 | 1月1日からRCDC管内に限って,協同組合店で配給帳なしで,公定価格で自由に米を購入できるようになったが,2月1日から全国に適用することとなった。 |
DIA-211-1987-02-03-2 | ミャンマー | 1987年02月03日 | 1980年代 | Kunghing 郡Falem 村の民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-02-04-1 | ミャンマー | 1987年02月04日 | 1980年代 | Ela で住民3500人が反乱軍抗議集会。民兵隊へ武器供与。 |
DIA-211-1987-02-04-2 | ミャンマー | 1987年02月04日 | 1980年代 | Mongnai 郡Seikhpe 村で住民1200人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1987-02-06-1 | ミャンマー | 1987年02月06日 | 1980年代 | 教育省職業教育局長Dr.Khin Maung Win を団長とする代表団がアメリカに向け出発。 |
DIA-211-1987-02-07-1 | ミャンマー | 1987年02月07日 | 1980年代 | サンユー大統領,アメリカのヒューストンの病院での治療を終えて帰国。空港にはネーウィン議長らが出迎え。 |
DIA-211-1987-02-08-1 | ミャンマー | 1987年02月08日 | 1980年代 | ネーウィン議長,サンユー大統領,Aye Ko 副大統領らは第40回連邦記念日の展示館を視察。またこの日Sein Lwin 式典実行委議長は各民族代表と晩さん会。 |
DIA-211-1987-02-08-2 | ミャンマー | 1987年02月08日 | 1980年代 | Saw Maung 参謀総長の招待により,シンガポール陸軍参謀長Winston W.L.Choo 少将を団長とする国軍代表団が来訪。9日,サンユー大統領らと会談,11日帰国。 |
DIA-211-1987-02-10-1 | ミャンマー | 1987年02月10日 | 1980年代 | 12月から激しい戦闘が続いているMuse 郡Hsi Hsi Wan,Ta-pang,Pangsai,Manhio などで,政府軍はこれまでにBCP,KIAとの間で11回の戦闘を行ない,BCP将兵708名が投降,計146丁の武器を捕獲した。 |
DIA-211-1987-02-11-1 | ミャンマー | 1987年02月11日 | 1980年代 | サンユー大統領は第40回連邦記念日のための,特別晩さん会を大統領官廷で開いた。ネーウィン議長出席。 |
DIA-211-1987-02-11-2 | ミャンマー | 1987年02月11日 | 1980年代 | チヤイカサン広場のサヤサンホールで,連邦記念日のための特別討論会が開かれ,Sein Lwin 党副総書記が開会演説。このなかで,外貨不足は多くの場面で原材料不足をもたらしていることを指摘。 |
DIA-211-1987-02-12-1 | ミャンマー | 1987年02月12日 | 1980年代 | 第40回連邦記念日中央式典が行なわれ,国家評議会メンバー Tun Yi がサンユー大統領のメッセージを代読。 |
DIA-211-1987-02-12-2 | ミャンマー | 1987年02月12日 | 1980年代 | カチン州ミチナ,チン州Haka,Falam,Kennedy Hilltop などから,テレビ放送を試験的に開始。 |
DIA-211-1987-02-13-1 | ミャンマー | 1987年02月13日 | 1980年代 | Taunggyi 郡第1区選出Hla Maw 大佐,Nawnghkio 郡選出Thein Sain 大佐が,それぞれ人民議会を辞任。 |
DIA-211-1987-02-13-2 | ミャンマー | 1987年02月13日 | 1980年代 | ビルマ政府は,国連に対しビルマがLLDC(最貧途上国)に分類されるよう申請したと伝えられた。 |
DIA-211-1987-02-17-1 | ミャンマー | 1987年02月17日 | 1980年代 | 1986/87年度分として,日本政府は3.28億円の無償援助供与。これは学校教育用の紙,薬品,ラジオアイソトープ,テレビ受像機など。 |
DIA-211-1987-02-17-2 | ミャンマー | 1987年02月17日 | 1980年代 | ソ連青年代表団来訪。 |
DIA-211-1987-02-18-1 | ミャンマー | 1987年02月18日 | 1980年代 | カチン州Waingmaw 郡内の3カ村で対反乱軍民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-02-20-1 | ミャンマー | 1987年02月20日 | 1980年代 | Mongmaw 郡選出の人民議会メンバーU Thet Shiが辞任。 |
DIA-211-1987-02-21-1 | ミャンマー | 1987年02月21日 | 1980年代 | Tachileik 郡Monglin 村で約1000人の村民がBCPに対する抗議集会。 |
DIA-211-1987-02-22-1 | ミャンマー | 1987年02月22日 | 1980年代 | カレン州KawkareikのYepugyi村で,民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-02-22-2 | ミャンマー | 1987年02月22日 | 1980年代 | Yan Naung Soe,Tin Gyi 大佐の両貿易副大臣はそれぞれNatalin,Okpo 郡,ヤカイン州における米の買付状況を19~22日の間に視察。 |
DIA-211-1987-02-23-1 | ミャンマー | 1987年02月23日 | 1980年代 | Tun Tin 計画・財務相は来訪中の国連広報担当事務次長明石康と会談。 |
DIA-211-1987-02-23-2 | ミャンマー | 1987年02月23日 | 1980年代 | Thandaung 郡で住民3000人,カチン州N’Jangyang で450人がそれぞれ反乱軍抗議集会,いずれも民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-02-24-1 | ミャンマー | 1987年02月24日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相,Kyaw Htin 国防相,Tint Swe 第1工業相,Sein Tun エネルギー相らはシッタン製紙工場などを視察。 |
DIA-211-1987-02-25-1 | ミャンマー | 1987年02月25日 | 1980年代 | Lahe,Nauyun 郡の民兵隊へ武器供与。引渡し式には北西師団司令官Tun Kyi 准将,北部師団司令官Kyaw Ba 准将らも出席。 |
DIA-211-1987-02-26-1 | ミャンマー | 1987年02月26日 | 1980年代 | ペグー管区Shwekyin 村とKya-in-Seikkyi 郡 Shwelin,Tagundaing,Thanbaya 村でそれぞれカレン反乱軍一掃のため民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-02-27-1 | ミャンマー | 1987年02月27日 | 1980年代 | 内務・宗教相はHkamti などのナガ族長老に対し感謝状と記念品を贈呈。 |
DIA-211-1987-02-28-1 | ミャンマー | 1987年02月28日 | 1980年代 | 2月中の反乱軍投降者は合計58名(KIA,KNU,パオ,BCPなど)。 |
DIA-211-1987-03-04-1 | ミャンマー | 1987年03月04日 | 1980年代 | 民族アカデミー第18期卒業生が政府の招待により,Hlegu の家畜育種センターなどを視察。 |
DIA-211-1987-03-05-1 | ミャンマー | 1987年03月05日 | 1980年代 | 第6回計画党中央委員会が開かれ,ネーウィン議長が開会演説,Aye Ko 総書記が中執委報告,Sein Lwin 副総書記が1987/88年度国家予算法案を提示。6日も開かれ,質疑応答のうえ,ほぼ原案どおり採択。 |
DIA-211-1987-03-05-2 | ミャンマー | 1987年03月05日 | 1980年代 | Falam 郡第1区選出のU Sing Kho Khas が人民議会を辞任。 |
DIA-211-1987-03-06-1 | ミャンマー | 1987年03月06日 | 1980年代 | 日本政府は,構造改善無償援助として鋼棒購入用に11億円を供与。 |
DIA-211-1987-03-07-1 | ミャンマー | 1987年03月07日 | 1980年代 | 外国武官団および国連麻薬撲滅計画担当官らは,国防省 Khin Nyunt 大佐の案内で,シャン高原中部で展開された第2次Moe Hein作戦の戦果を視察するため,タウンジーを訪れた。Khin Nyunt 大佐は,86/87年度に当作戦地域内だけで,4万225エーカーのケシ畑を破壊し,数個所の麻薬精製所を摘発した,と述べた。 |
DIA-211-1987-03-08-1 | ミャンマー | 1987年03月08日 | 1980年代 | Aung Kyaw Myint 情文相は,来訪中のソ連芸術家代表団と会談。 |
DIA-211-1987-03-09-1 | ミャンマー | 1987年03月09日 | 1980年代 | 第4期人民議会開会―第1日目,国評,閣評,人民検評などの各報告が提出され,87/88年度予算案および経済計画が説明された。経済計画説明によれば,1986/87年度のGDP成長率は当初目標3.6%に対し,3.7%であった。国際経済変動からの影響が大きく,輸出価格の低落,輸入品価格の高騰がビルマ経済を圧迫したと説明されている。なお87/88年度計画目標はつぎのとおりである。GDP5%,農業5.4%,畜・水産5.8%,林業5.0%,鉱業0.8%,製造業11%,輸出33.229億チヤツト,1人当り国民所得2.3%,1人当り消費1.6%。 |
DIA-211-1987-03-10-1 | ミャンマー | 1987年03月10日 | 1980年代 | 人民議会2日目は,各提出報告に対する質疑応答が開始された。 |
DIA-211-1987-03-11-1 | ミャンマー | 1987年03月11日 | 1980年代 | Aung Kyaw Myint 情文相は,来訪中のインド舞踊団と会談。 |
DIA-211-1987-03-12-1 | ミャンマー | 1987年03月12日 | 1980年代 | モン州Ye 郡Lamaing 村で,パゴダ祭の人混みの中で,手投弾が爆発,20人が死亡,113名が負傷した。なお犯人はモン族反乱軍兵士で,1人は逮捕された。 |
DIA-211-1987-03-12-2 | ミャンマー | 1987年03月12日 | 1980年代 | KIA 軍はWaingmaw 郡Mahkamati 村に侵入,民家,協組店舗などから計8700チヤツト相当の物資略奪。 |
DIA-211-1987-03-14-1 | ミャンマー | 1987年03月14日 | 1980年代 | チャウセスク・ルーマニア大統領が来訪―サンユー大統領と第1回公式会談,15日ネーウィン議長と会見,16日第2回公式会談後,共同声明発表。帰国。 |
DIA-211-1987-03-14-2 | ミャンマー | 1987年03月14日 | 1980年代 | KNU 軍Nai Seikno 派はKyaikmaraw 郡Oo-lay 村を襲撃,村民2名を射殺,放火し,民家232戸(1286人)焼失。 |
DIA-211-1987-03-16-1 | ミャンマー | 1987年03月16日 | 1980年代 | 国家評議会,人民議会が採択した「87/88年度予算法」などを承認(法案発効最終手続)。このなかで,「不動産譲渡制限法」が成立,全ての外国人は不動産譲渡を禁止されることとなった。 |
DIA-211-1987-03-17-1 | ミャンマー | 1987年03月17日 | 1980年代 | Aye Ko 総書記,Sein Lwin 副総書記は,計画党執行部,人民評議会役員,農民連合会役員などを集め,87/88年度経済計画に関わる党のガイドラインを説明。 |
DIA-211-1987-03-18-1 | ミャンマー | 1987年03月18日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相,Kyaw Htin 副首相らはLaydauntkan の第1号農業・畜産育種村およびHmawbi 郡Hlapada 村の淡水エビ養殖場などを視察。 |
DIA-211-1987-03-18-2 | ミャンマー | 1987年03月18日 | 1980年代 | Tachileik 郡Tale 村の中学校で1万人の住民が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1987-03-23-1 | ミャンマー | 1987年03月23日 | 1980年代 | 国軍戦果発表―国防省は1986年3月21日から87年3月20日までの主要戦果について以下のように発表。 (1)北部師団地域:当師団管轄地域では,反乱軍掃討のための特別作戦(Zweyemaw,Thureintun)を展開,3回の大戦闘を含む451回の戦闘を行なった。このなかでは,KIA第2旅団本部Tanaiyang 基地,ナガ族軍Lahe 旅団本部,BCP第101連隊Sinjai 基地などを占拠した。(2)北東師団地域:BCP,KIA の重要拠点Pangsai,Mentang 基地などを占拠,激闘を繰り返した。この間の戦死者は政府軍175名,反乱軍591名を数えた。(3)南東師団地域:KNU軍との間で,Kawkareik,Kya-in-Seikkyi,Than-byuzayat などで戦闘,KNU第6旅団,モン愛国党の基地,錫鉱密輸基地などを占拠。(4)東部師団地域:カレン=反乱軍ma-da-ta 隊Wan Ponglan 基地,Tharyar 基地などを攻略,またSUAの四つの麻薬精製工場などを占拠した。 |
DIA-211-1987-03-23-2 | ミャンマー | 1987年03月23日 | 1980年代 | 国防省副大臣Saw Maung 大将は第42回国軍記念日に向けて開かれている国軍歴史展示場を視察。 |
DIA-211-1987-03-23-3 | ミャンマー | 1987年03月23日 | 1980年代 | KIA軍はMohnyin 軍Myothitkale 村付近の鉄道に地雷を爆発させた。 |
DIA-211-1987-03-24-1 | ミャンマー | 1987年03月24日 | 1980年代 | ネーウィン議長,サンユー大統領,国軍歴史展示場を視察。 |
DIA-211-1987-03-26-1 | ミャンマー | 1987年03月26日 | 1980年代 | 1986年度中に警察当局が押収した麻薬は,生アヘン2006kg,ヘロイン54kg,マリファナ6万6229kgであった。 |
DIA-211-1987-03-27-1 | ミャンマー | 1987年03月27日 | 1980年代 | 第42回国軍記念日を記念して,ネーウィン議長夫妻は,私邸で特別晩さん会を催し,国軍幹部,在郷軍人会メンバー,外国武官団などを招待。またこの日,レジスタンス公園では,国軍部隊による記念パレードが行なわれた。 |
DIA-211-1987-03-28-1 | ミャンマー | 1987年03月28日 | 1980年代 | イギリスの対外・英連邦担当国務大臣Timothy Renton が26日から来訪,28日帰国。 |
DIA-211-1987-03-29-1 | ミャンマー | 1987年03月29日 | 1980年代 | KNU軍はPa-an 郡Payaseik 村を略奪・放火,民家14戸が焼失。 |
DIA-211-1987-03-30-1 | ミャンマー | 1987年03月30日 | 1980年代 | 閣僚評議会経済調整委は,州・管区人民評議会議長を集め,87/88年度経済計画について説明。首相,副首相らが出席。 |
DIA-211-1987-03-30-2 | ミャンマー | 1987年03月30日 | 1980年代 | Htantabin で,4400人の住民が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1987-03-31-1 | ミャンマー | 1987年03月31日 | 1980年代 | 3月中の反乱軍投降者数は計93名(SUA,BCP,ナガ,モン族など)。 |
DIA-211-1987-04-01-1 | ミャンマー | 1987年04月01日 | 1980年代 | 中国石油工業部長王濤を団長とする8人の代表団が来訪。8日まで滞在し,この間首相,外相,エネルギー相,第1工業相らと会談,マン石油精製工場などを視察。 |
DIA-211-1987-04-03-1 | ミャンマー | 1987年04月03日 | 1980年代 | ネーウィン議長夫妻海外へ。行先,目的は公表されなかったが,アメリカ,西独を訪問したことは確実である。空港にはサンユー大統領はじめ首脳が見送った。 |
DIA-211-1987-04-05-1 | ミャンマー | 1987年04月05日 | 1980年代 | Aung Kyaw Myint 情文相は,来訪中のフランス曲技団代表と会談。 |
DIA-211-1987-04-05-2 | ミャンマー | 1987年04月05日 | 1980年代 | Thang Hlaing 協組相は,2日から5日まで,ザガイン,マンダレー管区の協組活動状況を視察。 |
DIA-211-1987-04-06-1 | ミャンマー | 1987年04月06日 | 1980年代 | 計画党青年部農村指導者養成第22回コース(受講者400名)が開講。開講式にはKyaw Nyein 教育相・党青年部中央組織委議長が出席。 |
DIA-211-1987-04-07-1 | ミャンマー | 1987年04月07日 | 1980年代 | 新任の駐ビルマ日本大使大鷹弘は,サンユー大統領に信任状提出。 |
DIA-211-1987-04-07-2 | ミャンマー | 1987年04月07日 | 1980年代 | Sein Lwin 党副総書記は7日,8日,モン州のMudon,Chaungzon 郡の党および人民評議会幹部に対し,政策ガイドラインを説明。党中執委Saw Maung 大将,党中央委書記U Thein Ngwe らが同行,輸出の拡大とそのための農業増産の必要性,物価抑制を強調。 |
DIA-211-1987-04-08-1 | ミャンマー | 1987年04月08日 | 1980年代 | 新任駐ビルマ韓国大使Byong Hyon Kwon が信任状提出。 |
DIA-211-1987-04-09-1 | ミャンマー | 1987年04月09日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相タイを公式訪問―Ye Goung 外相,Tint Swe 第1工業相,Chit Swe 少将(国防省付)らが同行,14日まで滞在。この間プレム首相と公式会談,相互に友好関係の増進が強調された。なおプレム首相は,カンプチア問題解決のために,ビルマが果たすべき役割は大きいことを指摘。タイ国王とも会見。一行はシンガポール経由で帰国。 |
DIA-211-1987-04-10-1 | ミャンマー | 1987年04月10日 | 1980年代 | メイミョーの国軍士官学校で,第28期卒業式が行なわれ,国軍参謀総長Saw Maung 大将ら国軍幹部が出席。 |
DIA-211-1987-04-13-1 | ミャンマー | 1987年04月13日 | 1980年代 | ビルマ新年(ビルマ暦1349年)。 |
DIA-211-1987-04-13-2 | ミャンマー | 1987年04月13日 | 1980年代 | シヤン州計画党執行部U Kyaw Tun,同州人民評議会議長U Ba Than は,1月にビルマ共産軍から解放されたMuse 郡内のPangsai,MongPaw,Manghioなどを訪れ,地域開発の推進について当地域住民と協議。 |
DIA-211-1987-04-15-1 | ミャンマー | 1987年04月15日 | 1980年代 | KNU軍Nai Seikno 派は,Ye 郡Hanga 村のパゴダ祭に手榴弾を爆発。8人死亡,14人負傷。 |
DIA-211-1987-04-17-1 | ミャンマー | 1987年04月17日 | 1980年代 | 4月3日から,中国政府の招待で訪中していたKhin Mg.Gyi 貿易相を団長とする貿易代表団が帰国。同代表団は北京で万里副総理,鄭拓彬対外経済貿易部部長らと会談。席上ビルマ米15万トンの輸出契約がなされた。また雲南省ではHe Zhigiang 知事と国境貿易に関する協議,さらに第61回春の広州見本市を訪問。 |
DIA-211-1987-04-18-1 | ミャンマー | 1987年04月18日 | 1980年代 | U Kyaw Min 情報・放送局長らは情報活動視察のためイギリスへ。 |
DIA-211-1987-04-18-2 | ミャンマー | 1987年04月18日 | 1980年代 | KNU 郡Nai Seikno 派はYe 郡Mawkanin 村で,祭の行列に手榴弾を投げ込み,3名死亡,6名負傷。 |
DIA-211-1987-04-19-1 | ミャンマー | 1987年04月19日 | 1980年代 | Tun Tin 計画・財務相は大阪で開かれる第20回アジア開銀総会に出席のため訪日。日本では倉成外務大臣,安倍総務会長らと経済協力について協議。同相はその後,オーストラリア,ニュージーランド,シンガポールを訪問,5月15日帰国。 |
DIA-211-1987-04-21-1 | ミャンマー | 1987年04月21日 | 1980年代 | Ye 郡Lamaing 村で住民5000人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1987-04-23-1 | ミャンマー | 1987年04月23日 | 1980年代 | サンユー大統領は,Bahan 郡第1区の選挙民代表1200人に対し人民議会報告。Aye Ko 総書記,Sein Lwin 副総書記も出席。大統領はこのなかで,経済状況について詳しく説明,とくに輸出の減少は輸出価格の低落が原因であると述べ,ビルマ産品の輸出価格の下落状況を数字で示した。席上,選挙民代表から(1)米の配給と価格,(2)10歳になった子供の登録義務,(3)電力不足などについて質問があり,Aye Ko 総書記が答弁。 |
DIA-211-1987-04-24-1 | ミャンマー | 1987年04月24日 | 1980年代 | ラングーン管区党委員会高収量稲作監理中央委議長U Hla Tun (党中執委)は,21日から24日まで,ラングーン管区各地区の稲作地での米の買付状況など視察。 |
DIA-211-1987-04-24-2 | ミャンマー | 1987年04月24日 | 1980年代 | マンダレー管区Madaya 郡に建設されたSedawgyi ダムがこのほど完成。灌漑用の配水を開始した。 |
DIA-211-1987-04-24-3 | ミャンマー | 1987年04月24日 | 1980年代 | Mongyang で1000人の住民が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1987-04-25-1 | ミャンマー | 1987年04月25日 | 1980年代 | Aye Ko 総書記,Saw Maung 大将,Sein Lwin 副総書記らはそれぞれの選挙区で人民議会報告。Aye Ko 総書記は87/88年度の債務支払額は2723億チヤツトになると報告。 |
DIA-211-1987-04-27-1 | ミャンマー | 1987年04月27日 | 1980年代 | Kyaukkyi 郡Mon 村で住民2万人が反乱軍抗議集会。民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-04-27-2 | ミャンマー | 1987年04月27日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相,Hlaing 2区で人民議会報告。第1工業相,参謀総長,建設相らが出席。 |
DIA-211-1987-04-27-3 | ミャンマー | 1987年04月27日 | 1980年代 | Zeedaw 村付近を航行中のIWTC所属客船“Sindaw”号が,カレン反乱軍の射撃を受け,乗客8人が死亡,58人が負傷。 |
DIA-211-1987-04-27-4 | ミャンマー | 1987年04月27日 | 1980年代 | 12月から1月にかけ,政府軍の大攻勢を受けたPangsai などに展開していたKIA,BCP反乱軍はその後も守勢にまわって,4月22日までに計1045名が投降した。 |
DIA-211-1987-04-29-1 | ミャンマー | 1987年04月29日 | 1980年代 | 1986/87年度第4四半期の農林関係事業評価会議が開かれ,農林相Than Nyunt 准将らが出席。 |
DIA-211-1987-04-30-1 | ミャンマー | 1987年04月30日 | 1980年代 | 計画・財務省と各レベル人民評議会執行部は,税収調整会議を開いた。同省副大臣U Nyunt Mg.は86/87年度の税収入は32.28億チヤツトの目標のところ,実績は33.03億チヤツトであった,などと述べた。 |
DIA-211-1987-04-30-2 | ミャンマー | 1987年04月30日 | 1980年代 | Tun Wai 保健相は第40回WHO総会に出席のため,ジュネーブへ。帰途訪日。 |
DIA-211-1987-04-30-3 | ミャンマー | 1987年04月30日 | 1980年代 | 4月中の反乱軍投降者数は計52名。 |
DIA-211-1987-05-01-1 | ミャンマー | 1987年05月01日 | 1980年代 | 1987年度労働者の日に向けて,ネーウィン議長の特別メッセージを発表。経済計画目標達成と破壊分子の一掃を強調。 |
DIA-211-1987-05-02-1 | ミャンマー | 1987年05月02日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相,Kyaw Nyein 教育相は,チャイカサン広場のピーダウンズ・ホールで開かれた優良青年団を招待して,晩さん会開催。 |
DIA-211-1987-05-04-1 | ミャンマー | 1987年05月04日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相,Ye Goung 外相,Than Tin 鉱業相,Saw Maung 大将,Tint Swe 第1工業相らはメイクティラの繊維工場,Thazi のかん詰工場,Elaの冶金研究開発センター等を視察。 |
DIA-211-1987-05-06-1 | ミャンマー | 1987年05月06日 | 1980年代 | 米およびジュートの生産・買付・配給に関する計画党のガイドラインを徹底するための会議が開かれ,党中執委Tun Yi,Ctit Hlaing,Hla Tun,Saw Pru,Sein Tun などが出席。 |
DIA-211-1987-05-06-2 | ミャンマー | 1987年05月06日 | 1980年代 | ラングーン市内で横行している鉄道切符のダフ屋に対する一斉取締りが行なわれ,14名の女性を含む72名が逮捕された。一連の取締りで,7日に9名,8日に33名,9日に18名が逮捕された。これは手に入りにくい急行券を高く売りつけるもの。 |
DIA-211-1987-05-08-1 | ミャンマー | 1987年05月08日 | 1980年代 | 高収量稲作監理委幹部は,4月21日から5月8日まで,主要稲作地で,作付に関する党のガイドラインを周知させるため視察,地方当局と協議。 |
DIA-211-1987-05-10-1 | ミャンマー | 1987年05月10日 | 1980年代 | 国家僧侶評議委員会(State Sangha Maha Nayaka Committee)と宗教局がスポンサーとなって建設された山岳部仏教伝道者養成センターで開所式(Hlegu 郡)。 |
DIA-211-1987-05-12-1 | ミャンマー | 1987年05月12日 | 1980年代 | ラングーン市シュウェーダゴン・パゴダ南東隣に建立されたMaha Wizaya Zedi への釈迦尊遺髪の納式が終了。この遺髪はスリランカから贈呈されたもの。 |
DIA-211-1987-05-12-2 | ミャンマー | 1987年05月12日 | 1980年代 | ソ連高等特別技術教育省次官Victor I.Zubarev を団長とする教育代表団が,両国文化交流計画にもとづき来訪。教育省副大臣Dr.Maung Di が出迎え(5月20日まで)。また同便でKalev バレーボール・チームが来訪。 |
DIA-211-1987-05-15-1 | ミャンマー | 1987年05月15日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相はInsein,Ywamaの金属工業公社所属の製鋼所を視察。 |
DIA-211-1987-05-18-1 | ミャンマー | 1987年05月18日 | 1980年代 | スイスの無償・技術援助で建設が進められているKyaunggon 橋梁は,ほぼ95%の工事が完了。 |
DIA-211-1987-05-18-2 | ミャンマー | 1987年05月18日 | 1980年代 | Kyonpyaw 郡のジュート工場の民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-05-18-3 | ミャンマー | 1987年05月18日 | 1980年代 | Bilin 郡Bilinkyo 村にKNU軍が侵入,放火し,民家5戸が焼失。 |
DIA-211-1987-05-19-1 | ミャンマー | 1987年05月19日 | 1980年代 | Kyaw Nyein 教育相は,来訪中のソ連高等特別技術教育省次官と会談。 |
DIA-211-1987-05-20-1 | ミャンマー | 1987年05月20日 | 1980年代 | 全国各選挙区で人民議会員による議会報告会が開かれている。 |
DIA-211-1987-05-20-2 | ミャンマー | 1987年05月20日 | 1980年代 | ネーウィン議長夫妻帰国。ネーウィン議長夫妻とKyaw Htin 国防相はアメリカから帰国。この間ヨーロッパ(西独)にも滞在したといわれる。 |
DIA-211-1987-05-20-3 | ミャンマー | 1987年05月20日 | 1980年代 | チン州Falam で民兵隊の結団式があり,第1戦術師団司令官Aung Khin 大佐らが出席。 |
DIA-211-1987-05-21-1 | ミャンマー | 1987年05月21日 | 1980年代 | Bokepyin 郡でKNU第10,第3歩兵中隊所属のSmart 伍長以下計12名が政府軍に投降。 |
DIA-211-1987-05-21-2 | ミャンマー | 1987年05月21日 | 1980年代 | Matupi 郡Matupi Myoma で,住民2000人が反乱軍抗議集会。民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-05-22-1 | ミャンマー | 1987年05月22日 | 1980年代 | 第1工業省で1986/87年度活動報告会が開かれ,Tint Swe 第1工業相らが出席。 |
DIA-211-1987-05-23-1 | ミャンマー | 1987年05月23日 | 1980年代 | 中国国務院副総理喬石と12名の代表団が来訪。空港にはTun Tin 副首相らが出迎え。25日サンユー大統領,Aye Ko 総書記,首相,国防相,外相らと会談。 また別個にTun Tin 副首相とも会談。28日帰国。 |
DIA-211-1987-05-24-1 | ミャンマー | 1987年05月24日 | 1980年代 | チン州Mindat で,1000人の住民が反乱軍抗議集会。民兵隊の武器供与。 |
DIA-211-1987-05-25-1 | ミャンマー | 1987年05月25日 | 1980年代 | ソ連外務次官I.A.Rogachev が来訪。26日,Ye Goung 外相,28日,首相と会談。同日帰国。 |
DIA-211-1987-05-26-1 | ミャンマー | 1987年05月26日 | 1980年代 | 全中国労働組合連合会事務局Yu Qinghe らが来訪。労働者連合中央委の招待。27,28日,石油精製所,シュリアム橋などを視察。労働者連合副議長U Ba Nyein らと会談。6月1日帰国。 |
DIA-211-1987-05-26-2 | ミャンマー | 1987年05月26日 | 1980年代 | Indaw で住民1800人が反乱軍抗議集会。民兵隊への武器供与。 |
DIA-211-1987-05-26-3 | ミャンマー | 1987年05月26日 | 1980年代 | KNUはBilin 郡Laisawlaw 村に侵入,村民2名を射殺。 |
DIA-211-1987-05-27-1 | ミャンマー | 1987年05月27日 | 1980年代 | Banmauk で4300人の住民と第42連隊兵士は反乱軍抗議集会。民兵隊へ武器供与。 |
DIA-211-1987-05-27-2 | ミャンマー | 1987年05月27日 | 1980年代 | Kanpetlet 郡Kanpetlet Myoma の民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-05-27-3 | ミャンマー | 1987年05月27日 | 1980年代 | 情報省は6月1日より毎日30分間,教育番組専門のテレビ放送を開始すると発表。 |
DIA-211-1987-05-29-1 | ミャンマー | 1987年05月29日 | 1980年代 | Hmawbi の陸軍幹部候補養成学校で第73期卒業式が行なわれ,陸軍参謀長Than Shwe 少将らが出席。 |
DIA-211-1987-05-29-2 | ミャンマー | 1987年05月29日 | 1980年代 | Waingmaw 郡Madein 村をKIA軍が襲撃,放火,民家4戸が焼失。また同日,Momauk 郡Konlaw 村で小学校,民家などに放火,村民2名死亡。 |
DIA-211-1987-05-30-1 | ミャンマー | 1987年05月30日 | 1980年代 | 政府軍は5月16日から30日までの間にテナセリム郡Sarawa クリーク上流域のBCPメルグイ軍団の基地を攻撃,4回の戦闘の結果これを占拠。なおメルグイ軍団は計45名おり,うち5名が戦死。また同期間に政府軍はYebyu 郡のKNUのNahi Taung 基地を攻撃,KNU 11名戦死,政府軍1名戦死。 |
DIA-211-1987-05-31-1 | ミャンマー | 1987年05月31日 | 1980年代 | 5月中の反乱軍投降者数は計46名。 |
DIA-211-1987-06-02-1 | ミャンマー | 1987年06月02日 | 1980年代 | Ohn Kyaw 社会福祉・労相は第73回ILO総会出席のためジュネーブへ。 |
DIA-211-1987-06-02-2 | ミャンマー | 1987年06月02日 | 1980年代 | レストラン・飲料交易公社監察局は,ラングーン市内に出回っている偽マンダレービール,ラムなどを摘発(石油不足,原材料不足によってビールなど飲料生産が低下,さらに輸送の欠陥もあって,不足状態が続いている)。 |
DIA-211-1987-06-02-3 | ミャンマー | 1987年06月02日 | 1980年代 | Tamu 郡Kuntaung 村で民兵隊へ武器供与。 |
DIA-211-1987-06-03-1 | ミャンマー | 1987年06月03日 | 1980年代 | Taunggyi 郡第1区で人民議会補選,Soe Myint 大佐が選出。 |
DIA-211-1987-06-03-2 | ミャンマー | 1987年06月03日 | 1980年代 | Pyinmana 郡Kyitaungkan 村とThabyegon 村で民兵隊へ武器供与。 |
DIA-211-1987-06-05-1 | ミャンマー | 1987年06月05日 | 1980年代 | 陸軍参謀長Than Shwe 少将は陸軍幹部らとともに6月2日から5日まで,このほどKIA軍との戦闘があったNahpaw,Momauk,Mansi,Mohnyin などの陸軍前線基地を視察。戦闘状況の説明を受けた。この間6回の大規模な戦闘が行なわれ,Kazu の中隊本部,Jabu 基地,Pajao 基地などを占領。戦死者は政府軍5名,反乱軍35名。政府軍は75mm無反動砲を含む多数の武器を鹵獲。 |
DIA-211-1987-06-05-2 | ミャンマー | 1987年06月05日 | 1980年代 | アメリカ政府は農業プロジェクトに対する無償援助の第1号修正協定に調印。87年度用として肥料,農機具購入用および技協として550万ドル供与。 |
DIA-211-1987-06-07-1 | ミャンマー | 1987年06月07日 | 1980年代 | 第2期第3回全国僧侶評議会中央委員会が開かれ,Min Gaung 内・宗教相が出席。 |
DIA-211-1987-06-08-1 | ミャンマー | 1987年06月08日 | 1980年代 | サンユー大統領訪韓―全斗煥大統領の招待により,大統領夫妻は12日まで滞在。9日,全大統領と公式会談,無名戦士の墓,オリンピック・スタジアム,三星電気工場などを訪問。晩さん会で,全大統領は「ビルマの経済開発を支援する用意がある」などと述べた。10日大宇自動車・重工,11日蔚山石油化学,現代重工・電気工場などを視察,共同声明発表。 |
DIA-211-1987-06-08-2 | ミャンマー | 1987年06月08日 | 1980年代 | Mergui 西郡の3カ村の民兵隊へ武器供与。 |
DIA-211-1987-06-09-1 | ミャンマー | 1987年06月09日 | 1980年代 | Bassein 東郡Kyitha 村で民兵隊へ武器供与。 |
DIA-211-1987-06-10-1 | ミャンマー | 1987年06月10日 | 1980年代 | 農民連合中央委副議長U Chit Swe を団長とする代表団訪ソ。23日帰国。 |
DIA-211-1987-06-12-1 | ミャンマー | 1987年06月12日 | 1980年代 | KIA軍ミーチナの高等学校に放火,16名負傷。 |
DIA-211-1987-06-13-1 | ミャンマー | 1987年06月13日 | 1980年代 | 農林相Than Nyunt 准将は11日から13日まで,イラワジ管区各地区の農業施設を視察。 |
DIA-211-1987-06-13-2 | ミャンマー | 1987年06月13日 | 1980年代 | KIA軍は,Myitkyina 郡Nantkhaung 運河に侵入,金品略奪,村民1名死亡。 |
DIA-211-1987-06-14-1 | ミャンマー | 1987年06月14日 | 1980年代 | 国税局は,86/87年度所得・利潤税の申告(年収8000チヤツトを超えるもの)を5月30日まで行なうよう通達。 |
DIA-211-1987-06-15-1 | ミャンマー | 1987年06月15日 | 1980年代 | ビルマ連邦銀行は,新しい5pyas コインを発行すると発表(6月30日より流通)。 |
DIA-211-1987-06-16-1 | ミャンマー | 1987年06月16日 | 1980年代 | チン州Falam 第2区で人民議会補選が行なわれ,U Thawng Khan Maung が,またシャン州MongmawではU Sai Hla Ooがそれぞれ選出。 |
DIA-211-1987-06-16-2 | ミャンマー | 1987年06月16日 | 1980年代 | マンダレー管区Lewe 郡Kungyan,Sigon 村で住民3000人が反乱軍抗議集会。民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-06-17-1 | ミャンマー | 1987年06月17日 | 1980年代 | U Tun Wai 保健相は15日から17日まで,マンダレー管区内の保健,病院施設等を視察。 |
DIA-211-1987-06-17-2 | ミャンマー | 1987年06月17日 | 1980年代 | U Gae Ta No を団長とする人民議会代表団が,ソ連を親善訪問するため出発。28日帰国。 |
DIA-211-1987-06-18-1 | ミャンマー | 1987年06月18日 | 1980年代 | シャン州Nawnghkio で人民議会補選,Aung Phone 大佐が選出。 |
DIA-211-1987-06-18-2 | ミャンマー | 1987年06月18日 | 1980年代 | Thanbyuzayat 郡Ankhe 村で民兵隊への武器供与。東南師団司令官Nyan Lin 准将らが出席。, |
DIA-211-1987-06-20-1 | ミャンマー | 1987年06月20日 | 1980年代 | Kutkai で住民7700人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1987-06-20-2 | ミャンマー | 1987年06月20日 | 1980年代 | Naga 軍はLehe 郡Montonshaung 村に侵入。放火で民家8戸焼失。なお,同軍Tangun 派は4月28日にHkamti 郡Sinthay 村に侵入,村民2名射殺。 |
DIA-211-1987-06-22-1 | ミャンマー | 1987年06月22日 | 1980年代 | Ye Goung 外相は,来訪中のカナダ外務省次官Earl Drake と会談。 |
DIA-211-1987-06-23-1 | ミャンマー | 1987年06月23日 | 1980年代 | 基礎教育局次長U Nyunt Yin を団長とする代表団が,交流基金の招きで訪日。 |
DIA-211-1987-06-23-2 | ミャンマー | 1987年06月23日 | 1980年代 | 6月21日にHeho からMonghsat へ向う途中,行方不明となっていたBACのF27旅客機は,Hopon 郡Pansauk 村付近で,墜落,破壊しているのが発見された。36人の乗客と4人の乗員は絶望。 |
DIA-211-1987-06-23-3 | ミャンマー | 1987年06月23日 | 1980年代 | 計画党中央委本部で,党および政府首脳を集め,87/88年度の米の配給方法についての調整会議が開かれ,党中執委Tun Yi Chit Hlaing,Hla Tun およびKhin Maung Gyi 貿易相らが出席。 |
DIA-211-1987-06-24-1 | ミャンマー | 1987年06月24日 | 1980年代 | ビルマ赤十字協会中央評議会メンバーDr.Aye Maung を団長とする代表団が訪ソ。 |
DIA-211-1987-06-24-2 | ミャンマー | 1987年06月24日 | 1980年代 | 雲南省水泳チームが来訪。 |
DIA-211-1987-06-26-1 | ミャンマー | 1987年06月26日 | 1980年代 | Sittwe 郡Aung Naing 村で民兵隊へ武器供与。 |
DIA-211-1987-06-26-2 | ミャンマー | 1987年06月26日 | 1980年代 | Pale 郡2区選出の人民議会員Than Shwe 中佐辞任。 |
DIA-211-1987-06-28-1 | ミャンマー | 1987年06月28日 | 1980年代 | KIA軍はHopang 付近で鉄道を,またMomauk 付近でNanttein 橋を爆破。 |
DIA-211-1987-06-29-1 | ミャンマー | 1987年06月29日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相,インドネシア公式訪問―Kyaw Htin 国防相,Ye Goung 外相,Than Tin 鉱山相,Aung Kyaw Myint 情文相らが同行。30日,スハルト大統領と会見。7月4日までの間,東カリマタン油田,バリ島などを訪問。 |
DIA-211-1987-06-29-2 | ミャンマー | 1987年06月29日 | 1980年代 | Yamethin 郡Shwedathazi,Nankhwedaung 村の民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-06-30-1 | ミャンマー | 1987年06月30日 | 1980年代 | Pyawbwe 郡Kyaukchet 村の民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-06-30-2 | ミャンマー | 1987年06月30日 | 1980年代 | 6月中の反乱軍投降者数99名(BCP,KIA,ラフ族,ナガ族,KNUなど)。 |
DIA-211-1987-07-01-1 | ミャンマー | 1987年07月01日 | 1980年代 | 第99歩兵隊師団部隊は,6月末現在も,Mong Ya,Mong Hawn,Namtawn(いずれもMuse郡)地区で,BCP,KIA軍と激戦を展開中,政府軍部隊は6月2日,Mong Ya,3日Mong Hawn,8日Kha-bauk,14日にNamtawn をそれぞれ攻略,基地を占拠。これまでに25回の戦闘で,政府軍2名戦死,12名負傷,反乱軍12名戦死,22名を捕え,60mm臼砲を含む67丁の武器を鹵獲。また第88歩兵師団部隊はMong Ton 郡Mahin Taung 地区を攻略,東部師団部隊はBawlake 郡Hwe Ponglao のカレン=反乱軍中央本部を占拠(6月7日)。さらに南東師団管内では,第44歩兵師団部隊はMyawaddy 付近でKNU第7旅団と2回にわたって交戦,Thekaya 基地を占拠,14台の車を含む多数の武器を押収。反乱軍3名戦死。また同部隊はPapun 郡内で,6月14日Du Tu Hta およびDagwin の軍事・木材密輸基地を占拠。500トンの製材などを押収。 |
DIA-211-1987-07-02-1 | ミャンマー | 1987年07月02日 | 1980年代 | 東部師団司令官Tun Shwe 准将は,シャン州党地委幹部とともに,Phekon 村などの前線基地を視察。住民と懇談。 |
DIA-211-1987-07-04-1 | ミャンマー | 1987年07月04日 | 1980年代 | 首相,マレーシアを公式訪問―マウン・マウン・カ首相一行はバリ島からクアラルンプールに到着。マハティール首相と公式会談。8日にシンガポールへ移動するまでにペナンの錫精錬工場などを視察。またマレーシア国王に表敬などした。 |
DIA-211-1987-07-04-2 | ミャンマー | 1987年07月04日 | 1980年代 | Hlaingbwe 郡のEidu 管理森林がKNU軍によって放火された。 |
DIA-211-1987-07-05-1 | ミャンマー | 1987年07月05日 | 1980年代 | Ramree 郡内の民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-07-07-1 | ミャンマー | 1987年07月07日 | 1980年代 | 日本政府は総額49.74億円の無償供与。内訳はSeed Bank(16.13億円),中央林業開発訓練センター(27.25億円),海員訓練プロジェクト(5.91億円)。 |
DIA-211-1987-07-08-1 | ミャンマー | 1987年07月08日 | 1980年代 | Rathedaung 郡内,Myebon 郡内の民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-07-08-2 | ミャンマー | 1987年07月08日 | 1980年代 | Than Hlaing 協組相,Myint Lwin 建設相は6日から8日までペグー管区,モン州の協組活動を視察。 |
DIA-211-1987-07-08-3 | ミャンマー | 1987年07月08日 | 1980年代 | Minbya 郡内のMyoma など4カ村の民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-07-09-1 | ミャンマー | 1987年07月09日 | 1980年代 | シャン州Mong Ton 郡区選出の人民議会員U Mu Lein が死亡。 |
DIA-211-1987-07-11-1 | ミャンマー | 1987年07月11日 | 1980年代 | 北部師団の戦闘部隊と第1戦術部隊は5月22日から,KIAの重要拠点Nahpaw 基地,Pajao 基地(Zaw Hmaing 隊)を攻略。6月初めまでに占拠。このほど陸軍参謀長Than Shwe 少将ら国軍幹部が現場を視察。なおKIA基地から大量のヒスイを押収。 |
DIA-211-1987-07-12-1 | ミャンマー | 1987年07月12日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相一行は,インドネシア,マレーシア公式訪問を終え,シンガポールから帰国。空港には党中執委Tun Yi らが出迎えた。 |
DIA-211-1987-07-13-1 | ミャンマー | 1987年07月13日 | 1980年代 | 陸軍兵士1500人による特別援農作戦(第Ⅱ次Myaseinyaung)が開始され,ラングーン管区内の高収量稲作の田植えに派遣された。 |
DIA-211-1987-07-15-1 | ミャンマー | 1987年07月15日 | 1980年代 | 5月中に陸軍部隊によるKIAのPajao,Naphaw 両基地の攻略の際,政府軍は同基地より,精製ヘロイン6.028kg(120万ドル相当)押収。 |
DIA-211-1987-07-17-1 | ミャンマー | 1987年07月17日 | 1980年代 | Hmawb iの国軍士官訓練学校で,第74期士官訓練コースの終了式が行なわれ,陸軍参謀長Than Shwe 少将らが出席。 |
DIA-211-1987-07-17-2 | ミャンマー | 1987年07月17日 | 1980年代 | 西独政府は一般商品借款2730万マルクを供与。これは無利子,50年延払い。 |
DIA-211-1987-07-19-1 | ミャンマー | 1987年07月19日 | 1980年代 | 第40回「殉難者の日」記念追悼式が,アウンサン廟で行なわれ,マウン・マウン・カ首相,Aung Kyaw Myint 情文相らが出席。また同様の追悼式が各地で行なわれた。 |
DIA-211-1987-07-19-2 | ミャンマー | 1987年07月19日 | 1980年代 | Sein Lwin 党副総書記がアメリカでの病気治療を終えて帰国。 |
DIA-211-1987-07-20-1 | ミャンマー | 1987年07月20日 | 1980年代 | Taungupで500人ほどの住民が反乱軍抗議集会。民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-07-21-1 | ミャンマー | 1987年07月21日 | 1980年代 | サンユー大統領が手術のため,国軍総合病院に緊急入院。病名は公表されないが,手術は成功したと発表された。 |
DIA-211-1987-07-22-1 | ミャンマー | 1987年07月22日 | 1980年代 | 中国重量挙げチーム来訪。 |
DIA-211-1987-07-22-2 | ミャンマー | 1987年07月22日 | 1980年代 | Gwa 郡Ywama,Kyeintali 村で,またPaletwa 郡でも民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-07-23-1 | ミャンマー | 1987年07月23日 | 1980年代 | 第14回協同組合中央評議会開催。同評議会議長Than Hlaing 協組相が開会演説。このなかで,協組の組織状況が報告された。それによると,各種協同組合は,計2万1000,メンバー数740万人(うち常勤メンバー18万人),職員7万2000人,86/87年度売上高125億チヤツト。 |
DIA-211-1987-07-23-2 | ミャンマー | 1987年07月23日 | 1980年代 | KIA軍はWaingmaw 郡のLaizar 吊橋を爆破。 |
DIA-211-1987-07-25-1 | ミャンマー | 1987年07月25日 | 1980年代 | この頃,中部・上ビルマを中心に特に都市部で,米配給の遅滞がひんぱんになり,米の闇価が急騰,一部地域では住民が,政府の米貯蔵所,運搬車,小売店などを襲う事件が相次いでいる。 |
DIA-211-1987-07-27-1 | ミャンマー | 1987年07月27日 | 1980年代 | 国軍参謀総長,タイを公式訪問―Saw Maung 大将はタイ国軍総司令官Chavalit Yongchaiyudh 大将の招待により,タイを訪問。海軍参謀長Mg.Mg.Khin海軍少将,東部師団司令官Tun Shwe 准将,南東師団司令官Nyan Lin 准将,中央師団司令官Aye Thoung 准将,国軍情報局長Khin Nyunt 大佐,参謀本部付Thein Win 空軍大佐らが同行。一行は30日に帰国するまで,プレム首相,Chavalit 大将らと会談。 |
DIA-211-1987-07-29-1 | ミャンマー | 1987年07月29日 | 1980年代 | サンユー大統領退院。 |
DIA-211-1987-07-29-2 | ミャンマー | 1987年07月29日 | 1980年代 | 中国雲南省バドミントン・チーム来訪。 |
DIA-211-1987-07-30-1 | ミャンマー | 1987年07月30日 | 1980年代 | Thanbyuzayat 郡Kayinthaung 村民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-07-31-1 | ミャンマー | 1987年07月31日 | 1980年代 | 在郷軍人会中央委が開かれ,Myint Mg.同委議長らが出席。 |
DIA-211-1987-07-31-2 | ミャンマー | 1987年07月31日 | 1980年代 | 7月中の反乱軍投降者数は計58名(BCP,KNU,Pa-O,SURAなど)。 |
DIA-211-1987-08-01-1 | ミャンマー | 1987年08月01日 | 1980年代 | 地方都市での米不足を補うため,政府は,不足地帯に米を緊急輸送し始めた。 |
DIA-211-1987-08-06-1 | ミャンマー | 1987年08月06日 | 1980年代 | 西独連邦相Wolfgang Schauble が来訪。首相,副首相,第2工業相ら,7日に内務・宗教相,外相らと会談。その後,タウンジー,パガンなどを訪問,西独援助によるKyunchaung 肥料工場を視察して,14日に帰国。 |
DIA-211-1987-08-06-2 | ミャンマー | 1987年08月06日 | 1980年代 | Bilin 郡のWinka,Kawkadut,Leikkhone 村の民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-08-06-3 | ミャンマー | 1987年08月06日 | 1980年代 | 北部師団地域では,7月末に中国国境付近に展開するカチン軍に対し,政府軍攻撃部隊が攻撃を再開,7月23日にKIA第251大隊のJahoukawn 基地を占拠,24日第1大隊のLweyinhing 基地を占拠した後,27日第3旅団本部を攻略,30日には第3旅団の密輸基地を攻撃。この間政府軍13名戦死,20名負傷,KIA24名戦死。政府軍部隊はなお反乱軍を追撃中である。 |
DIA-211-1987-08-07-1 | ミャンマー | 1987年08月07日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相は,ペグー,ラングーン管区内の主要な米倉庫,精米所を視察。Tun Tin,Kyaw Htin 両副首相らが同行。 |
DIA-211-1987-08-08-1 | ミャンマー | 1987年08月08日 | 1980年代 | KIA軍は,Mansi 郡Tonhone 吊橋を爆破。また同日,Waingmaw 郡Hsadon 村で手榴弾を爆発,2名死亡。 |
DIA-211-1987-08-09-1 | ミャンマー | 1987年08月09日 | 1980年代 | 郵電局は,ラジオ,テレビの受信料を改正。テレビの場合,商業用は年間120チヤツト,家庭用9チヤツト。 |
DIA-211-1987-08-09-2 | ミャンマー | 1987年08月09日 | 1980年代 | Hlaingbwe 郡Ahtet-yebyu 村でカレン反乱軍に対する抗議集会が開かれた。 |
DIA-211-1987-08-10-1 | ミャンマー | 1987年08月10日 | 1980年代 | ネーウィン議長,政策変更を宣言―ネーウィン党議長は,党中執委,国家評議会の幹部を緊急招集し,特別調整委員会を開いた。席上ネーウィン議長は,これまでの政策および計画について,党および政府指導部が必ずしも事実を正確に報告しなかったことを遺憾として,現在の局面打開のためには,憲法の改正を含めて,政策の変更を指示した。なおAye Ko 総書記は政治・経済に関する基調報告。 |
DIA-211-1987-08-11-1 | ミャンマー | 1987年08月11日 | 1980年代 | KNU軍Ohn Hmoke Sein 派はPa-an 郡Aukpinnaing 村に侵入,村民4名を拉致。 |
DIA-211-1987-08-13-1 | ミャンマー | 1987年08月13日 | 1980年代 | マレーシア・ペナン州政府首相Dr.Lim Chong Eu が来訪。Khin Mg.Gyi 貿易相と会談。14日,首相と会談,15日帰国。 |
DIA-211-1987-08-13-2 | ミャンマー | 1987年08月13日 | 1980年代 | ザガインでは,党・政府幹部が米の配給について,緊急調整会議を開き,北東師団司令官Tun Kyi 准将らが出席。 |
DIA-211-1987-08-15-1 | ミャンマー | 1987年08月15日 | 1980年代 | 各地で田植コンテストが,中央農民評議会と党地方委との共催で行なわれている。これは集団による田植作業の普及のため。 |
DIA-211-1987-08-15-2 | ミャンマー | 1987年08月15日 | 1980年代 | Muse 郡Monkoe,Phaunghsai の民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-08-16-1 | ミャンマー | 1987年08月16日 | 1980年代 | 米不足地帯への米の緊急配給が行なわれており,AFPTC はマンダレー向けに1万3907トン,シャン州に7000トン,ザガインに6600トンなどを急送した。 |
DIA-211-1987-08-17-1 | ミャンマー | 1987年08月17日 | 1980年代 | シャン州MougPyin,Letthe,Namon 村の民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-08-18-1 | ミャンマー | 1987年08月18日 | 1980年代 | ビルマ航空公社(BAC)は,安全運航を徹底するため,スタッフの充実を図ることとした。BAC 保有機は現在12機。 |
DIA-211-1987-08-18-2 | ミャンマー | 1987年08月18日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相,Tun Tin,Kyaw Htin 両副首相らはペグー,イラワジ管区内の米倉庫,精米所を視察。 |
DIA-211-1987-08-20-1 | ミャンマー | 1987年08月20日 | 1980年代 | FAO事務局長Dr.Edovard Saouma が来訪,外相,農林相ら,また21日にサンユー大統領と会見。大統領は手術後初めて公式の場に姿を現わした。22日帰国。 |
DIA-211-1987-08-22-1 | ミャンマー | 1987年08月22日 | 1980年代 | 党中執委,国評,その他幹部は,8月10日のネーウィン議長の指示にもとづき,短・長期的経済・政治に関わる政策の評価および政策の変更について具体的な検討をする調整会議を開いた。ネーウィン議長,サンユー大統領らも出席。 |
DIA-211-1987-08-24-1 | ミャンマー | 1987年08月24日 | 1980年代 | 陸軍将兵による特別援農作戦(Shweminwun)が,ザカインを中心に開始され,陸軍第42連隊,第120歩兵連隊などが参加,なお同作戦は全国各地で開始された。 |
DIA-211-1987-08-26-1 | ミャンマー | 1987年08月26日 | 1980年代 | 協同組合省は87/88年度第1四半期計画調整会議を開き,Than Hlaing 協組相らが出席。 |
DIA-211-1987-08-27-1 | ミャンマー | 1987年08月27日 | 1980年代 | Thongwa 郡Amgbansein,Minywa-athin 村の民兵隊に武器供与。またKyangin セメント工場労働者により民兵隊が結成され,武器供与。 |
DIA-211-1987-08-28-1 | ミャンマー | 1987年08月28日 | 1980年代 | ネーウィン議長は26日から28日まで,プローム,ペグー地区の協同組合店など消費物資の流通,価格状況などを視察。Kyaw Htin 国防相,Saw Mg.大将らが同行。 |
DIA-211-1987-08-29-1 | ミャンマー | 1987年08月29日 | 1980年代 | 農林省副大臣U Aung Win は,Ingabo のパーム油精製所,パーム・プランテーションなどを視察。 |
DIA-211-1987-08-31-1 | ミャンマー | 1987年08月31日 | 1980年代 | 8月中の反乱軍投降者数計59名。 |
DIA-211-1987-09-01-1 | ミャンマー | 1987年09月01日 | 1980年代 | 農産物取引を自由化―閣僚評議会は布告第6号を発令,農産物の取引を一部自由化すると発表。自由化されるのは,1966年9月27日付で出された貿易省令第10,第11号によって国家統制品目となった籾,メイズ,マッペ,ペディセイン,バター豆,サンタニ,サンタピア,ペスィンゴン,ペインの9品目である。これら9品目について,1987年度収穫時から,全ての国民が自由に買付,販売,輸送,貯蔵,取引をすることができる。取引をする者は「私企業法」に基づき,登録することが義務づけられ,生産者は土地税を,金納(現行)から物納に改正される。 |
DIA-211-1987-09-01-2 | ミャンマー | 1987年09月01日 | 1980年代 | 国軍参謀本部発表によれば,8月中も北部中国国境でBCP,KIAと,また南部タイ国境ではKNUとそれぞれ一進一退の戦闘を行なったと発表。カチン州北部では8月15日,政府軍部隊はBCP第101連隊本部のあるKambaiti キャンプなどを攻撃,16日これを占拠。同基地はBCP第101連隊によって1973年に建設され,密輸の重要拠点であった。さらに政府軍はKIA軍250名の部隊と交戦,16日にAlawbon 拠点を占拠。タイ国境付近では,第44歩兵師団がKNU軍所有のMaw Po Ke 製材所を攻略(8月12日),これを占拠。 |
DIA-211-1987-09-01-3 | ミャンマー | 1987年09月01日 | 1980年代 | Papun 郡Kyauk-taung で,住民300人がKNU抗議集会。 |
DIA-211-1987-09-02-1 | ミャンマー | 1987年09月02日 | 1980年代 | Yawnghwe 郡Sankar 村で民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-09-03-1 | ミャンマー | 1987年09月03日 | 1980年代 | Yedashe 郡内の数カ村の民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-09-03-2 | ミャンマー | 1987年09月03日 | 1980年代 | Waingmaw 郡Khalayan 村で,住民1100人がKIA抗議集会。席上,投降したKIA軍兵士が謝罪。 |
DIA-211-1987-09-05-1 | ミャンマー | 1987年09月05日 | 1980年代 | 25チャット以上の紙幣廃止―国家評議会は,現在流通している25,35,75チャット紙幣の流通を廃止すると発表。補償方法などについては発表されなかったが,国家公務員,政府企業職員,年金・恩給受給者に対しては,支払い済の8月分給与・年金については,他の紙幣と交換すると発表。(注:この発表後,マンダレー,ラングーンなどで,とくに学生達がこれに反発,デモ,騒動が発生,軍が出動したと伝えられた。なおこの措置の背景については,「前文」参照)。 |
DIA-211-1987-09-05-2 | ミャンマー | 1987年09月05日 | 1980年代 | Nyaunglebin 郡およびKyauktaga 郡,Waingmaw 郡Makhamti 村の民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-09-06-1 | ミャンマー | 1987年09月06日 | 1980年代 | 全教育機関を無期限閉鎖―教育省は小学校から大学まで全ての教育機関は,無期限閉鎖すると発表。これは,本来10月初めから1カ月ほどのThadingyut 休校を前倒しに実施したものと説明している。 |
DIA-211-1987-09-06-2 | ミャンマー | 1987年09月06日 | 1980年代 | Tangyan 郡Detta Man-taung 村で住民2500人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1987-09-06-3 | ミャンマー | 1987年09月06日 | 1980年代 | カチン州Chipwe 郡Langyang Susi 村で住民700人が反乱軍抗議集会。民兵隊へ武器供与。 |
DIA-211-1987-09-07-1 | ミャンマー | 1987年09月07日 | 1980年代 | ザガイン管区Pale 郡2区の人民議会補選でHla Wai 中佐が選出。 |
DIA-211-1987-09-08-1 | ミャンマー | 1987年09月08日 | 1980年代 | フィンランド政府は,2000万フィンランドマルクの借款供与。条件は無利子,サービス料0.75%,7年据置。25年延払い。配電網施設など。 |
DIA-211-1987-09-10-1 | ミャンマー | 1987年09月10日 | 1980年代 | Thanatpin 郡で民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-09-11-1 | ミャンマー | 1987年09月11日 | 1980年代 | Daik-U の民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-09-12-1 | ミャンマー | 1987年09月12日 | 1980年代 | Ye Goung 外相は第42回国連総会に出席のため,ニューヨークに出発。途中,ニューデリーに立ち寄り,インドとの間で領海画定協定について協議,覚書に調印。 |
DIA-211-1987-09-15-1 | ミャンマー | 1987年09月15日 | 1980年代 | Tun Tin 副首相は,世銀・IMF年次総会出席のため訪米。 |
DIA-211-1987-09-15-2 | ミャンマー | 1987年09月15日 | 1980年代 | 新紙幣発行―連邦銀行は,廃貨紙幣に代わる新紙幣(45,90チヤツト)を発行,直ちに流通。これまで全ての紙幣に使用されていたアウン・サンの肖像に代わって,45チヤツトは1930年の油田ストライキの英雄Thakin Pho Hla Gyi,また90チヤツトはサヤサン革命の指導者サヤサンの肖像が使われている。 |
DIA-211-1987-09-16-1 | ミャンマー | 1987年09月16日 | 1980年代 | UNDP計画政策局長W.H.Draper が来訪。17日,サンユー大統領と会見。また第5次計画用として,6550万ドルの無償供与。UNDPは1951年から86年まで,計1.239億ドルを無償供与。21日帰国。 |
DIA-211-1987-09-16-2 | ミャンマー | 1987年09月16日 | 1980年代 | 文化省副大臣U Than Maung を団長とする文化使節団が訪中。10月4日帰国。 |
DIA-211-1987-09-16-3 | ミャンマー | 1987年09月16日 | 1980年代 | Mohnyin 郡Narphaw 村で500人の住民が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1987-09-17-1 | ミャンマー | 1987年09月17日 | 1980年代 | Pyu 郡の民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-09-21-1 | ミャンマー | 1987年09月21日 | 1980年代 | 労働省とILO共催の生産性向上セミナーが,職業訓練センターで開かれ,労働者連合からの代表27名が出席。 |
DIA-211-1987-09-22-1 | ミャンマー | 1987年09月22日 | 1980年代 | 日本政府は総額73.3億円の無償援助と329億円の円借款を供与。円借款の内訳はプロジェクト(ラングーン配電網,バルーチャウン第2発電所,混式再生タービン発電所)160億円。一般商品借款110億円,四プロ用50億円。 |
DIA-211-1987-09-22-2 | ミャンマー | 1987年09月22日 | 1980年代 | Oktwin 郡の民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-09-23-1 | ミャンマー | 1987年09月23日 | 1980年代 | Maungdaw で反乱軍抗議集会。席上,投降してきたBCP兵士が謝罪。 |
DIA-211-1987-09-23-2 | ミャンマー | 1987年09月23日 | 1980年代 | Tangyan 郡Mongkong 村で反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1987-09-24-1 | ミャンマー | 1987年09月24日 | 1980年代 | 国連総会でYe Goung 外相が一般演説。 |
DIA-211-1987-09-25-1 | ミャンマー | 1987年09月25日 | 1980年代 | マンダレー管区では,管区内の農業,畜産,水産部門で高い生産実績を示した生産者を表彰。 |
DIA-211-1987-09-27-1 | ミャンマー | 1987年09月27日 | 1980年代 | Myawaddy 郡Thingan Nyi Naung 村で,住民1500人が反乱軍抗議集会。民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-09-30-1 | ミャンマー | 1987年09月30日 | 1980年代 | 閣僚評議会は土地税に関する布告第9号を発令し,地域別,作物別税率(物納)を次のように定めた。 |
DIA-211-1987-09-30-2 | ミャンマー | 1987年09月30日 | 1980年代 | 1988年度連邦記念日準備委員会が発足,議長にSein Lwin 副総書記が選出された。 |
DIA-211-1987-09-30-3 | ミャンマー | 1987年09月30日 | 1980年代 | 教育省は,閉鎖されている全教育機関を10月26日から再開すると発表。 |
DIA-211-1987-09-30-4 | ミャンマー | 1987年09月30日 | 1980年代 | ビルマ国立歌舞団訪中。 |
DIA-211-1987-09-30-5 | ミャンマー | 1987年09月30日 | 1980年代 | 9月中の反乱軍投降者数計32名。 |
DIA-211-1987-10-01-1 | ミャンマー | 1987年10月01日 | 1980年代 | ネーウィン議長は9月28日から1日まで,Kinda ダム,Kyunchaung 化学肥料工場などを視察。Kyaw Htin 国防相,Sein Tun エネルギー相,Mg.Cho 第2工業相らが同行。 |
DIA-211-1987-10-02-1 | ミャンマー | 1987年10月02日 | 1980年代 | Thaton 郡で前線の兵士に贈るための寄付集めが行なわれ,総額1万9000チヤツト相当が集まった。 |
DIA-211-1987-10-03-1 | ミャンマー | 1987年10月03日 | 1980年代 | Tun Wai 保健相は,先月ジャカルタで行なわれた第14回東南ア競技会(SEAG)での入賞者を招いて,その功労を犒った。 |
DIA-211-1987-10-05-1 | ミャンマー | 1987年10月05日 | 1980年代 | 計画党青年部指導者第10回訓練講習会が開始。 |
DIA-211-1987-10-06-1 | ミャンマー | 1987年10月06日 | 1980年代 | 農林省は布告第6号を発令。農産物取引自由化に伴う農産物生産管理の通達(1978年9月16日付)の扱い方について指示。これによると,生産管理(作物の選択,生産目標等)は,これまでどおり,人民評議会執行委により指導されるとしている。 |
DIA-211-1987-10-08-1 | ミャンマー | 1987年10月08日 | 1980年代 | 第7回計画党中央委が開かれ,Aye Ko 総書記が中執委レポートを提出。2日目にネーウィン議長が特別演説を行ない,ビルマ式社会主義遂行の過程で直面した問題,とりわけ非ビルマ人との問題について言及,しかし,農産物取引自由化により,非ビルマ人にもビジネスができるよう配慮したことを強調,さらに適切な政策変更が必要である,などと述べた。 |
DIA-211-1987-10-10-1 | ミャンマー | 1987年10月10日 | 1980年代 | Mongkai 郡Lwelan 村で住民1500人がMohein 反乱軍に対する抗議集会。 |
DIA-211-1987-10-11-1 | ミャンマー | 1987年10月11日 | 1980年代 | ラングーン発Nyaung-U 行きBACのF-27がHtanaung 村付近で墜落,乗員,乗客49名(うち外人観光客36名)は絶望。 |
DIA-211-1987-10-12-1 | ミャンマー | 1987年10月12日 | 1980年代 | 第4期第5回人民議会開会―第1日目,国家評議会,閣僚評議会などから基調報告が提出された。なお,閣僚評議会報告のなかで,とくに輸出不振による外貨不足が深刻であることを強調,このため輸出の拡大と輸入の削減,国内においては無駄やロスの低下の必要性などが指摘されている。 |
DIA-211-1987-10-13-1 | ミャンマー | 1987年10月13日 | 1980年代 | 人民議会第2日目は各基調報告の質疑応答,さらに農産物取引自由化に伴い,「私企業法」の改正案が第1工業相より提出された。これによると「私企業法」で定められている登録ができる“National”を“Citizen”に改正すること,そして農産物の卸売,輸送も私企業が扱うことができるとするなどに改正する。また質疑応答のなかで,「土地税」を金納から物納に変えた理由は,種籾用を確保すること,また国家公務員や軍人達に食糧を供給するためであり,取引登録業者はその税を物または現金のどちらででも納入することができること,などを明らかにした。 |
DIA-211-1987-10-14-1 | ミャンマー | 1987年10月14日 | 1980年代 | 政府軍部隊は,カチン州東部域中国国境周辺で,KIA,BCP両軍の本拠地を攻略,Kamaiti などのBCP基地,Sadone およびMawswi のKIA第3旅団(400名)本部を攻撃,これを占拠。 |
DIA-211-1987-10-15-1 | ミャンマー | 1987年10月15日 | 1980年代 | 人民議会最終日,当議会で採択された法律は,“Profit Tax Law,”“Private Enterprises Rights Law”など5法律の改正法である。 |
DIA-211-1987-10-15-2 | ミャンマー | 1987年10月15日 | 1980年代 | Mogaung 郡Hsarhmaw 村で,住民2300人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1987-10-17-1 | ミャンマー | 1987年10月17日 | 1980年代 | 第24回UNESCO総会に出席のため,教育省副大臣U Thaung Tut が訪仏。 |
DIA-211-1987-10-18-1 | ミャンマー | 1987年10月18日 | 1980年代 | ザガイン管区などの各地方で,農作物に対する納税方法が,人民評議会などから説明されている。 |
DIA-211-1987-10-19-1 | ミャンマー | 1987年10月19日 | 1980年代 | 閣僚評議会,農産物取引に対する徴税方法について,布告第10号,第11号を発令。要旨は次のとおり。(1)農産物(精製後)を買付,輸送,貯蔵,販売,委譲しようとするものは居住地域の当局に登録すること。(2)取引に関わる利潤税は,現物または,現金にて納入。ただし,取引額が月額1万チヤツト,または年額12万チヤツト以下の場合は登録する必要なし。(3)籾米および精米を取引する者は貿易省に登録する。籾米を買付,精米した後販売する者は買付けた籾米の10%(籾ないしは現金)を所定の税務署に納入,これにもとづき,納税した者はそれ以後の所得については免税される。(4)登録を済ませた業者は当座預金口座を開設し,その証明を提示した者に限って,卸売登録証明書が発行される。また業者は売上台帳の記載が義務づけられ,当局の要請にしたがい,これを提示しなければならない。(5)農民,漁民,製造業者は,自ら生産している作物については,その卸売,買付について登録する必要はない。 |
DIA-211-1987-10-20-1 | ミャンマー | 1987年10月20日 | 1980年代 | サンユー大統領は,ユーゴ,ルーマニア,西独を公式訪問するため出発。国評U Ba Thaw,Tun Tin 副首相,Ye Goung 外相,Mg.Cho 第2工業相,Saw Mg.大将らが同行。 |
DIA-211-1987-10-21-1 | ミャンマー | 1987年10月21日 | 1980年代 | サンユー大統領一行は,ベオグラードに到着,Lazar Mojsov 大統領と会談。23日にルーマニアを訪問,24日にチャウセスク大統領と会談,27日に共同声明発表。同日ボンに到着,28日西独大統領と,また29日に政府首脳と会見。 |
DIA-211-1987-10-22-1 | ミャンマー | 1987年10月22日 | 1980年代 | 閣僚評議会は布告第12号を発令,登録卸売業者の納税方法を指示,マッペなど17品目については一律取引高の5%とするなど。 |
DIA-211-1987-10-28-1 | ミャンマー | 1987年10月28日 | 1980年代 | ネーウィン議長は第25回宝石見本市会場を視察。Aye Ko 総書記,Sein Lwin 副総書記らが同行。 |
DIA-211-1987-10-28-2 | ミャンマー | 1987年10月28日 | 1980年代 | 中国親善サッカー・チーム来訪。 |
DIA-211-1987-10-28-3 | ミャンマー | 1987年10月28日 | 1980年代 | 閣僚評議会は布告第14号を発令,卸売業者の納税手続きについて通達。 |
DIA-211-1987-10-28-4 | ミャンマー | 1987年10月28日 | 1980年代 | Waingmaw 郡内で進められている反乱軍掃討のための軍民協力特別作戦(Thurein Tun)での功労者に対する表彰式が行なわれた。これは,なお続行中の政府軍による対KIA・BCP攻略作戦において,政府軍に対して補給,側面からの支援を行なうために,付近の住民を特別に表彰したもの。 |
DIA-211-1987-10-30-1 | ミャンマー | 1987年10月30日 | 1980年代 | 西独訪問中のサンユー大統領はコール首相と会談。同日ミュンヘンに到着。 |
DIA-211-1987-10-31-1 | ミャンマー | 1987年10月31日 | 1980年代 | 10月中の反乱軍投降者は計38名(パオ,KNU,SURA,BCPなど)。 |
DIA-211-1987-11-03-1 | ミャンマー | 1987年11月03日 | 1980年代 | サンユー大統領一行は,ユーゴ,ルーマニア,西独公式訪問を終えて帰国。空港にはAye Ko 総書記,Sein Lwin 副総書記らが出迎え。 |
DIA-211-1987-11-03-2 | ミャンマー | 1987年11月03日 | 1980年代 | 模範労働者計画中央委は,1986/87年度模範労働者を発表。内訳は633工場,27万7883人のなかから,最優秀社会主義労働者61人,第Ⅱ等模範労働者172人,第Ⅲ等496人がそれぞれ選ばれた。 |
DIA-211-1987-11-04-1 | ミャンマー | 1987年11月04日 | 1980年代 | 貿易局長U Tin Aung Tun を団長とする政府貿易代表団はオーストラリアから帰国。これは10月20日から29日まで,シドニー,メルボルンで開かれたビルマ貿易展に参加したもの。 |
DIA-211-1987-11-05-1 | ミャンマー | 1987年11月05日 | 1980年代 | 第25回宝石見本市開かる。前年度の第24回までの宝石の売上げは計1億1142万ドル。第25回の売上げ見込みは1884万ドルである。なお,7カ国275人の宝石業者(バイヤー)がすでに到着している。 |
DIA-211-1987-11-05-2 | ミャンマー | 1987年11月05日 | 1980年代 | Than Nyunt 農林相を団長とする代表団は,第24回FAO総会に出席のためローマへ向かった。 |
DIA-211-1987-11-05-3 | ミャンマー | 1987年11月05日 | 1980年代 | 軍参謀本部は駐ビルマ外国武官団および内外の新聞記者をカレン各地区の視察に招待。同州内の農村,カレン族反乱軍により破壊された個所などを視察。Pa-anでは,同州人民評議会議長U Saw Aung Pwint がカレン州の状況について説明。このなかで,KNU軍の総兵力は現在2600で,国民と人民との協力で窮地に追い込まれている,と述べた。なお,国軍情報局長Khin Nyunt 大佐らが同行。またカレン州についての基礎統計を次のように発表した。人口110万2602(都市10万6450,農村99万6152),うちカレン族76万9377(70%)。全国のカレン族人口は240万(全人口6.3%),カレン州人民評議会定数55人のうちカレン族36人,郡人民評議会は426人のうちカレン族325人,なお国軍情報局長Khin Nyunt 大佐らが同行。 |
DIA-211-1987-11-07-1 | ミャンマー | 1987年11月07日 | 1980年代 | 第32回カレン州記念日式典がPa-anで行なわれ,1万人のカレン族,人民評議会議長,第22歩兵師団司令官(Tin Hla 大佐)らが出席。 |
DIA-211-1987-11-09-1 | ミャンマー | 1987年11月09日 | 1980年代 | 第58回基礎政治講習会が中央政治科学校で始まり,U Ye Myint 校長が開会演説。党中央本部要員など336名が参加。 |
DIA-211-1987-11-10-1 | ミャンマー | 1987年11月10日 | 1980年代 | 1987年度特別援農作戦(Shwewamye)の実施に関する調整会議が,計画党とラングーン師団幹部との間で行なわれた。 |
DIA-211-1987-11-10-2 | ミャンマー | 1987年11月10日 | 1980年代 | ビルマ・東欧間貿易促進セミナーが貿易省で行なわれ,貿易省副大臣Tin Gyi 大佐,UNCTAD代表らも参加(12日まで)。 |
DIA-211-1987-11-10-3 | ミャンマー | 1987年11月10日 | 1980年代 | 民間取引業者に対する取引税率のうち,落花生(5%)胡麻(5%),サンフラワー(5%),小麦(5%)などについて税率が発表された。 |
DIA-211-1987-11-10-4 | ミャンマー | 1987年11月10日 | 1980年代 | 油料作物(落花生,胡麻,サンフラワーなど),小麦を取扱う民間業者に対する取引税および規則を次のように発表した(閣僚評議会布告)―(1)市民権を有する民間業者は登録後,統制解除された全ての穀物,作物の購買,輸送,貯蔵および販売事業を行なうことができる。(2)民間事業者は,私企業法および利潤税法に基づき,油料作物,小麦の卸売業に関して,収益に対し一律5%の税を支払わなければならない。(3)油料作物,小麦の卸売業を行なう者は人民評議会に登録しなければならない。(4)税は所定の税務センターで支払う。 |
DIA-211-1987-11-12-1 | ミャンマー | 1987年11月12日 | 1980年代 | 西独政府は1987年度用として,3500万ドイツマルクの借款供与。エネルギー,工業,農業部門の進行中のプロジェクト用の資材購入。 |
DIA-211-1987-11-13-1 | ミャンマー | 1987年11月13日 | 1980年代 | 中国対外経済貿易部副部長Lu Xuejian を団長とする代表団が来訪,Tun Tin 計画・財務相,Khin Mg.Gyi 貿易相らと会談。16日まで滞在。この間,中国政府が8000万人民元の無利子借款(ラングーン=シュリアム間橋梁建設への追加)を盛り込んだ,中国・ビルマ経済技術協力協定に調印。なお,中国はこれまでに,織物工場,火力発電所,精米工場,室内競技場等の建設に協力してきた。 |
DIA-211-1987-11-14-1 | ミャンマー | 1987年11月14日 | 1980年代 | 第4カチン銃隊,第99歩兵師団などの国軍兵士,労働者,住民,民兵隊員および投降反乱軍兵士などは共同で,Muse 郡,Pangsai 地区(いずれもBCP,KIA軍から奪回)内の主要な場所,建物などの清掃のための奉仕活動を開始。 |
DIA-211-1987-11-15-1 | ミャンマー | 1987年11月15日 | 1980年代 | 第67回国民の日(ナショナル・デー)を記念して,ラングーン市庁舎前で記念集会・展示会が開かれ,また全国各地で記念集会が開かれた。 |
DIA-211-1987-11-16-1 | ミャンマー | 1987年11月16日 | 1980年代 | 国軍将兵による特別援農作戦(Shwewamye)が開始され,各地へ稲刈作業のため派遣された。 |
DIA-211-1987-11-16-2 | ミャンマー | 1987年11月16日 | 1980年代 | 第25回宝石見本市の売上総額は928.4万ドルとなった。 |
DIA-211-1987-11-16-3 | ミャンマー | 1987年11月16日 | 1980年代 | 人民司法評議会議長U Tin Aung Hein は10日から16日までシャン州各地区の司法施設を視察。また人民検察評議会議長U Myint Maung はモン州各地区の司法施設を視察。 |
DIA-211-1987-11-17-1 | ミャンマー | 1987年11月17日 | 1980年代 | Tangyan で住民1200人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1987-11-17-2 | ミャンマー | 1987年11月17日 | 1980年代 | Bilin 郡Laykay 村の民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-11-17-3 | ミャンマー | 1987年11月17日 | 1980年代 | Khin Mg.Gyi貿易相は民間卸売業者の登録手続き,徴税方法などについて,マンダレーの関係者に対し説明。 |
DIA-211-1987-11-18-1 | ミャンマー | 1987年11月18日 | 1980年代 | 中国文化代表団来訪,19日 Than Maung 文化省副大臣と会談(30日まで)。 |
DIA-211-1987-11-20-1 | ミャンマー | 1987年11月20日 | 1980年代 | アン英王女来訪―アン王女とその一行が親善訪問。空港にはマウン・マウン・カ首相が出迎え,迎賓館でネーウィン議長が出迎えた。この日,首相主催による晩さん会,21日からマンダレー,パガンを訪れ,23日帰国。 |
DIA-211-1987-11-20-2 | ミャンマー | 1987年11月20日 | 1980年代 | Hsenwi Myoma で住民3800人の反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1987-11-21-1 | ミャンマー | 1987年11月21日 | 1980年代 | 韓国漢陽大学親善サッカー・チーム来訪。 |
DIA-211-1987-11-21-2 | ミャンマー | 1987年11月21日 | 1980年代 | 1986年度国民文学賞授賞式がSarpay Beikman で行なわれ,Aung Kyaw Myint 情文相が出席。 |
DIA-211-1987-11-22-1 | ミャンマー | 1987年11月22日 | 1980年代 | Lashio 郡Sint-in 村で住民1万200人による反乱軍抗議集会。これは10月9日に,当村近郊で乗合バスが反乱軍によって攻撃され,乗客5人が殺され,4人が負傷したことに対する抗議。 |
DIA-211-1987-11-23-1 | ミャンマー | 1987年11月23日 | 1980年代 | Natogyi 郡の10カ村の農民270名が,今期土地税を物納する際,集団で行なった。 |
DIA-211-1987-11-24-1 | ミャンマー | 1987年11月24日 | 1980年代 | Magwe 郡党支部で,農民に対し土地税納入についての新手続の説明会が行なわれ,Khin Mg.Gyi 貿易相自ら説明。 |
DIA-211-1987-11-24-2 | ミャンマー | 1987年11月24日 | 1980年代 | 造船公社が建造したタグボート2隻および500トン積載能力のある艀の協同組合省への引き渡し式が行なわれ,Than Hlaing 協組相らが出席。 |
DIA-211-1987-11-26-1 | ミャンマー | 1987年11月26日 | 1980年代 | ネーウィン議長はタイのブミポン国王60歳の誕生を祝って,ヒスイ製の釈迦尊像を贈ることになり,その像の献納式(Anekaja)が大統領官邸で行なわれた。ネーウィン議長,サンユー大統領など国家・党首脳が出席。 |
DIA-211-1987-11-28-1 | ミャンマー | 1987年11月28日 | 1980年代 | Aung Kyaw Myint 情文相は,来訪中の中国文化代表団を招いて昼食会。 |
DIA-211-1987-11-28-2 | ミャンマー | 1987年11月28日 | 1980年代 | Hkamti 郡Kaung-hein 村の住民350人が反乱軍抗議集会,民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-11-30-1 | ミャンマー | 1987年11月30日 | 1980年代 | ネーウィン議長はタイのブミポン国王60歳の誕生を祝って,すでにビルマで献納式を終えたヒスイの釈迦尊像を贈呈するためバンコクを訪問,同日ブミポン国王と会見,その日のうちに帰国。国評Mg.Mg.博士,Ye Goung 外相らが随行。 |
DIA-211-1987-11-30-2 | ミャンマー | 1987年11月30日 | 1980年代 | 11月中の反乱軍投降者数14名。 |
DIA-211-1987-12-01-1 | ミャンマー | 1987年12月01日 | 1980年代 | UNDPと建設省共催による給水・衛生事業のためのマイクロコンピューター研修コースが行なわれ,Chit Hlaing 建設副大臣が出席。研修には住宅局,建設公社,灌漑局,農業機械化局などから12名が出席。 |
DIA-211-1987-12-02-1 | ミャンマー | 1987年12月02日 | 1980年代 | 第3回農民連合中央委員会が開かれ,同委議長Than Nyunt 農林相が開会演説。農民連合の会員は現在780万人,このうち計画党員は11万人。 |
DIA-211-1987-12-02-2 | ミャンマー | 1987年12月02日 | 1980年代 | 大韓航空機社長Byong Hyon Kwon が来訪,Saw Pru 運輸・通信相と会見。同相は大韓航空機(爆破)捜索に対し,ビルマ側はできるだけの協力をする,と述べた。 |
DIA-211-1987-12-03-1 | ミャンマー | 1987年12月03日 | 1980年代 | 第3回農民連合中央委員は所定の質疑を終え,閉会,六つの決議を採択。 |
DIA-211-1987-12-03-2 | ミャンマー | 1987年12月03日 | 1980年代 | 中国国家教育部副部長Zhou Shiyan を団長とする6名の教育代表団が来訪,Kyaw Nyein 教育相と会談。 |
DIA-211-1987-12-05-1 | ミャンマー | 1987年12月05日 | 1980年代 | 麻薬撲滅委議長Min Gaung 内務・宗教相の招待で,ノルウェーの保健・社会福祉相Mrs.Tove Astrid S.Gerhardsen が来訪。7日にYe Goung 外相,8日にOhn Kyaw 社会福祉・労相,Tun Wai 保健相らと会談。 |
DIA-211-1987-12-05-2 | ミャンマー | 1987年12月05日 | 1980年代 | 各地で,稲作農民が土地税(物納)を集団で納入することが行なわれている。これは地区計画党支部,人民評議会の指導と監督のもとに行なわれている。 |
DIA-211-1987-12-05-3 | ミャンマー | 1987年12月05日 | 1980年代 | Kyaukkyi 郡Myanma Myetye 村で住民2100人の反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1987-12-06-1 | ミャンマー | 1987年12月06日 | 1980年代 | 中国北京放送局長Zhang Shuyi を団長とする放送ジャーナリスト代表団が来訪。Aung Kyaw Myint 情文相と会談(18日まで滞在)。 |
DIA-211-1987-12-06-2 | ミャンマー | 1987年12月06日 | 1980年代 | Chipwe 郡内の住民500人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1987-12-07-1 | ミャンマー | 1987年12月07日 | 1980年代 | ラングーン市Thingangyun 郡Nanwingon で火災,130戸焼失(罹災者992人)。また9日には,Hlaing で383戸焼失(2514人)。 |
DIA-211-1987-12-08-1 | ミャンマー | 1987年12月08日 | 1980年代 | 人民検察評議会議長Myint Maung は,ヤカイン州を訪れ,司法関係者と協議。 |
DIA-211-1987-12-09-1 | ミャンマー | 1987年12月09日 | 1980年代 | 韓国外務省次官Hong Soon Young が来訪。大韓航空機捜索に関して,Min Goung 内務・宗教相,Saw Pru 運輸・通信相らと会談。 |
DIA-211-1987-12-10-1 | ミャンマー | 1987年12月10日 | 1980年代 | 第3回労働連合中央委員会が開かれ,同委議長Ohn Kyaw 労相が開会演説。メンバーは1年間で7万5991人増えて203万7122人。 |
DIA-211-1987-12-10-2 | ミャンマー | 1987年12月10日 | 1980年代 | ソ連体操チーム来訪。 |
DIA-211-1987-12-14-1 | ミャンマー | 1987年12月14日 | 1980年代 | 1986/87年度各級模範労働者に対する表彰式が行なわれ,模範労働者計画中央委議長Ohn Kyaw 労相が出席。また模範労働者のための記念晩さん会が開かれ,政府首脳も出席。 |
DIA-211-1987-12-14-2 | ミャンマー | 1987年12月14日 | 1980年代 | 大韓航空機関係者はビルマ政府提供の捜索船で,アンダマン海上のNarcondam 島付近で,12日に残がいを発見。15日に,ラングーンでこれを公開。 |
DIA-211-1987-12-14-3 | ミャンマー | 1987年12月14日 | 1980年代 | 国軍将兵による第Ⅲ次特別援農作戦(Shwewamye)がスタート。ラングーン師団からは1500人の将兵が,イラワジ・デルタなどに派遣された。 |
DIA-211-1987-12-15-1 | ミャンマー | 1987年12月15日 | 1980年代 | ラジーブ・ガンディー・インド首相が来訪―ネーウィン議長,サンユー大統領と会見。この日マウン・ マウン・カ首相主催の晩さん会。相互に両国の友好関係増進を強調。16日,カ首相と公式会談後帰国。 |
DIA-211-1987-12-18-1 | ミャンマー | 1987年12月18日 | 1980年代 | 郵電公社は,増加する電話不正使用,電話料金未払いに対する一斉摘発を開始。このなかには,電話局職員が,料金をごまかすことに手を貸すという悪質な不正もあった。 |
DIA-211-1987-12-19-1 | ミャンマー | 1987年12月19日 | 1980年代 | 模範労働者は各隊に分かれて,各地の施設,工場などを研修視察。 |
DIA-211-1987-12-19-2 | ミャンマー | 1987年12月19日 | 1980年代 | Daik U 郡内の工場労働者から成る民兵隊に対して軍事教練が行なわれ,武器が供与された。 |
DIA-211-1987-12-20-1 | ミャンマー | 1987年12月20日 | 1980年代 | カレン新年。カレン新年(2727年)を祝う中央式典がPa-anの人民評議会広場で行なわれた。 |
DIA-211-1987-12-20-2 | ミャンマー | 1987年12月20日 | 1980年代 | このほど閉会した国連総会で,先にビルマ政府が申請していたLLDC移行が承認され,ビルマは今後LLDCに分類されることになった(2月13日参照)。 |
DIA-211-1987-12-21-1 | ミャンマー | 1987年12月21日 | 1980年代 | 教育省主催の第8回管理者訓練コースが始まり,Kyaw Nyein 教育相が開会演説。このコースには,16省および党中央委事務局などから30名が参加。 |
DIA-211-1987-12-21-2 | ミャンマー | 1987年12月21日 | 1980年代 | 人民司法評議会議長U Tin Aung Hein は15日から21日までイラジワ管区内の司法施設を視察。関係当局を協議。 |
DIA-211-1987-12-22-1 | ミャンマー | 1987年12月22日 | 1980年代 | 西独政府は950万マルクの無償援助(各種資機材)を供与。交換公文調印。 |
DIA-211-1987-12-25-1 | ミャンマー | 1987年12月25日 | 1980年代 | Kawhum 郡から8頭の牛を船で密輸出しようとしていた者に対する裁判の結果,主犯に懲役10年の刑が言い渡された。 |
DIA-211-1987-12-25-2 | ミャンマー | 1987年12月25日 | 1980年代 | Kyain Seikkyi 郡Khale Taguntaing 村の住民2000人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1987-12-29-1 | ミャンマー | 1987年12月29日 | 1980年代 | 1988/89年度年次経済計画を検討するための調整会議が開かれた。これは州・管区人民議会と各省庁との調整を行なうもので,マウン・マウン・カ首相,Tun Tin 計画・財務相,Kyaw Htin 国防相らが出席。 |
DIA-211-1987-12-29-2 | ミャンマー | 1987年12月29日 | 1980年代 | Htantabin郡 Hnebyaw 町の民兵隊に武器供与。 |
DIA-211-1987-12-29-3 | ミャンマー | 1987年12月29日 | 1980年代 | Kutkai 郡Tamghkam 村にKIA軍が侵入,民家などで略奪。 |
DIA-211-1987-12-31-1 | ミャンマー | 1987年12月31日 | 1980年代 | 計画党高収量稲作中央監理委員会メンバーのTun Yi らは,11日から31日までの間に,ヤカイン,モン,シャン各州,ザガイン,マンダレー各管区などの稲作地での収穫状況を視察,作柄等を調査。 |
DIA-211-1987-12-31-2 | ミャンマー | 1987年12月31日 | 1980年代 | 12月中の反乱軍投降者数は計47名(パオ,KIA,KNUなど)。 |
DIA-211-1988-01-02-1 | ミャンマー | 1988年01月02日 | 1980年代 | Kawkareikで住民8000人がKNU反乱軍抗議集会。これは12月14日にKNU軍が,同郡Myauk-Kya-inn村に放火して民家55戸が焼失,70万チャット相当が略奪されたことに抗議したもの。 |
DIA-211-1988-01-04-1 | ミャンマー | 1988年01月04日 | 1980年代 | 第40回独立記念日。記念晩さん会が大統領官邸で開かれ,ネーウィン議長夫妻らが出席。 |
DIA-211-1988-01-06-1 | ミャンマー | 1988年01月06日 | 1980年代 | デンマーク外相Ellemann-Jensenが来訪。Ye Goung外相の招待によるもので,サンユー大統領(6日),マウン・カ首相,Tun Tin財務・計画相(8日)らと会談,10日帰国。 |
DIA-211-1988-01-06-2 | ミャンマー | 1988年01月06日 | 1980年代 | ラングーン警察はこの1週間で,Che-htiギャンブルの胴元に対する一斉摘発を行ない,計240名逮捕,65万3000チャットを押収。 |
DIA-211-1988-01-06-3 | ミャンマー | 1988年01月06日 | 1980年代 | Pa-an郡Htone-Taung村の村民500人が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1988-01-08-1 | ミャンマー | 1988年01月08日 | 1980年代 | 教育相U Kyaw Nyein(マンダレー北西第1区選出)が辞任。 |
DIA-211-1988-01-10-1 | ミャンマー | 1988年01月10日 | 1980年代 | マンダレー発ラングーン行列車がラングーン市Pazundaung駅通過直後,列車内に仕掛られた爆弾の爆発。乗客8人が死亡,40人が負傷。 |
DIA-211-1988-01-11-1 | ミャンマー | 1988年01月11日 | 1980年代 | 倉成前外相が来訪,マウン・カ首相,Ye Goung外相,Tun Tin計画相らと会談,15日帰国。 |
DIA-211-1988-01-11-2 | ミャンマー | 1988年01月11日 | 1980年代 | Aung Kyaw Myint情文相は来演中の中国伝統歌舞・奇術団代表と会見。 |
DIA-211-1988-01-11-3 | ミャンマー | 1988年01月11日 | 1980年代 | ハンガリーのDr.Gabor Nagy外務副大臣が来訪,Ye Goung外相(14日),マウン・カ首相(15日)らと会談。 |
DIA-211-1988-01-15-1 | ミャンマー | 1988年01月15日 | 1980年代 | 10日の列車爆破の犯人として,KNU軍工作員2人が警察当局に出頭,自首。 |
DIA-211-1988-01-15-2 | ミャンマー | 1988年01月15日 | 1980年代 | KIA軍第8大隊第1小隊がNamtu郡Mawtauk村に侵入,村民2名を射殺。 |
DIA-211-1988-01-19-1 | ミャンマー | 1988年01月19日 | 1980年代 | 人民司法評議会議長U Tin Auag Heinはラングーン管区各部の司法当局,裁判所等の業務を視察。 |
DIA-211-1988-01-19-2 | ミャンマー | 1988年01月19日 | 1980年代 | モーリシャスのD.Gungah貿易・海運相を団長とする代表団が来訪。21日まで。 |
DIA-211-1988-01-20-1 | ミャンマー | 1988年01月20日 | 1980年代 | アメリカ上院麻薬撲滅委員会議長Charles B.Rangelを団長とする代表団が来訪。Ye Goung外相,Min Gaung内・宗相らと会談。 |
DIA-211-1988-01-20-2 | ミャンマー | 1988年01月20日 | 1980年代 | ソ連の作曲家(2名)が来訪,Aung Kyaw Myint情文相と会見。27日まで。 |
DIA-211-1988-01-25-1 | ミャンマー | 1988年01月25日 | 1980年代 | 連邦記念日に向けて各地をリレーされている連邦旗は,Henzadaに到着,またチャイカサン広場では各州管区,省・庁,公社のパピリオンが完成。 |
DIA-211-1988-01-25-2 | ミャンマー | 1988年01月25日 | 1980年代 | Kutkai郡Namchet村にKIA軍が侵入,放火,村民1名射殺。 |
DIA-211-1988-01-26-1 | ミャンマー | 1988年01月26日 | 1980年代 | 1988年度農民の日記念式典準備委員会が開かれ。同委議長Aye ko社会主議計画党総書記が農民の日の目的などについて説明。 |
DIA-211-1988-01-27-1 | ミャンマー | 1988年01月27日 | 1980年代 | ネーウィン議長は1月23日から27日まで,マンダレーなど北西軍管区地域の工場,籾買付状況などを視察。Kyaw Htin国防相,Tint Swe第1工業相,Than Tin鉱業相,Saw Maung参謀総長らが同行。 |
DIA-211-1988-01-28-1 | ミャンマー | 1988年01月28日 | 1980年代 | 日本JICAの無償援助によりこのほど完成した漁船修理工場(Kemmendine)の引渡式が行なわれた。 |
DIA-211-1988-01-29-1 | ミャンマー | 1988年01月29日 | 1980年代 | 計画党中央委事務局員,外交団,外国武官団,報道関係者らは,28,29日にわたって,北部師団管区カチン州の前線に赴き,昨年政府軍が奪回したKIA,BCP基地などを視察。 |
DIA-211-1988-01-31-1 | ミャンマー | 1988年01月31日 | 1980年代 | 1月中の反乱軍投降者数は合計36名(KIA,KNU,SUAなど)。 |
DIA-211-1988-02-01-1 | ミャンマー | 1988年02月01日 | 1980年代 | Pegu郡Phayalay村で民兵隊への武器引渡し式が行なわれた。第3戦術師団より。 |
DIA-211-1988-02-05-1 | ミャンマー | 1988年02月05日 | 1980年代 | Mongpyin郡Hkampaw村で,当村を襲撃したBCP86大隊を批難する集会が開かれ,住民270人が出席。なおこの襲撃で村民6人が死亡,5人が負傷,民家54戸が焼失。 |
DIA-211-1988-02-06-1 | ミャンマー | 1988年02月06日 | 1980年代 | サンユー大統領は連邦記念日に向けて開設された各州・管区等のパビリオンを視察。Aye Ko副大統領。Sein Lwin副総書記らが同行。 |
DIA-211-1988-02-07-1 | ミャンマー | 1988年02月07日 | 1980年代 | 第41回シャン州記念日式典がKengtungで開かれ,同州人民評議会議長U Ba Thanが演説,第88歩兵師団将兵,住民1万人が出席。 |
DIA-211-1988-02-08-1 | ミャンマー | 1988年02月08日 | 1980年代 | Sein Lwin党副総書記は連邦記念日式典に参加する各民族代表を招いて晩さん会。 |
DIA-211-1988-02-09-1 | ミャンマー | 1988年02月09日 | 1980年代 | 国軍参謀総Saw Maung大将は,連邦記念日式典に参加する各民族代表を訪問。民族代表は参謀総長の招待により市内の家具製造工場などを見学。 |
DIA-211-1988-02-10-1 | ミャンマー | 1988年02月10日 | 1980年代 | Khin Maung Gyi貿易相らの代表団一行がインドから帰国(1月23日から渡印)。 |
DIA-211-1988-02-10-2 | ミャンマー | 1988年02月10日 | 1980年代 | Kengtungで反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1988-02-11-1 | ミャンマー | 1988年02月11日 | 1980年代 | サンユー大統領主催の連邦記念日を祝う晩さん会が開かれ,ネーウィン議長夫妻らが出席。 |
DIA-211-1988-02-11-2 | ミャンマー | 1988年02月11日 | 1980年代 | 連邦記念日記念討論会が開かれ,Sein Lwin議長らが記念演説。 |
DIA-211-1988-02-11-3 | ミャンマー | 1988年02月11日 | 1980年代 | フランスのJacque Douflagues運輸相が帰国。 |
DIA-211-1988-02-12-1 | ミャンマー | 1988年02月12日 | 1980年代 | カチン州Momaukの国立高校で行われていた連邦記念日祝賀式典でKIAによる時限爆弾が爆発。12人死亡,100人以上負傷。 |
DIA-211-1988-02-12-2 | ミャンマー | 1988年02月12日 | 1980年代 | 第41回連邦記念日中央式典がチャイカサン広場で行なわれ,サンユー大統領のメッセージが代読された。 |
DIA-211-1988-02-14-1 | ミャンマー | 1988年02月14日 | 1980年代 | Saw Maung国軍参謀総長主催の連邦記念日祝賀会が開かれ,三軍各参謀長,各民族代表らが出席。 |
DIA-211-1988-02-15-1 | ミャンマー | 1988年02月15日 | 1980年代 | Pa-an郡Bawthabyu村で反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1988-02-16-1 | ミャンマー | 1988年02月16日 | 1980年代 | ソ連青年代表団が来訪。 |
DIA-211-1988-02-17-1 | ミャンマー | 1988年02月17日 | 1980年代 | 日本政府は総額28.19億円の無償援助を供与(E/N)。これは肥料(24億円),紙,薬品等の購入用。 |
DIA-211-1988-02-18-1 | ミャンマー | 1988年02月18日 | 1980年代 | Claude Birrauxを団長とするフランス議会代表団が来訪。22日帰国。 |
DIA-211-1988-02-20-1 | ミャンマー | 1988年02月20日 | 1980年代 | Ohn Kyaw社会福祉・労働相らは,17日から20日までアラカン州の医療施設,州労働局などを視察。 |
DIA-211-1988-02-22-1 | ミャンマー | 1988年02月22日 | 1980年代 | ネーウィン議長,サンユー大統領らは医療研究局における調査活動の現状を視察。Aye Ko党総書配,Sein Lwia副総書記,マウン・カ首相らが同行。 |
DIA-211-1988-02-24-1 | ミャンマー | 1988年02月24日 | 1980年代 | シャン州Kutkaiで反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1988-02-24-2 | ミャンマー | 1988年02月24日 | 1980年代 | Momauk郡Myothit村でKIA抗議集会。 |
DIA-211-1988-02-25-1 | ミャンマー | 1988年02月25日 | 1980年代 | Namhsanで,2月12日に水力発電所を破壊したパラウン族反乱軍に対する抗議集会が開かれ,1500人が出席。 |
DIA-211-1988-02-25-2 | ミャンマー | 1988年02月25日 | 1980年代 | マレーシアのマハティール首相が,マウン・カ首相の招待で公式訪問。27日の帰国までネーウィン議長,サンユー大統領,マウン・カ首相らと会見。 |
DIA-211-1988-02-25-3 | ミャンマー | 1988年02月25日 | 1980年代 | ラシオ発の貨物列車が地雷の爆発により脱線。被害状況不明。 |
DIA-211-1988-02-27-1 | ミャンマー | 1988年02月27日 | 1980年代 | 模範労働者と活躍した陸上競技者への表彰式が行なわれ,Kyin Maung Gyi貿易相らが出席。 |
DIA-211-1988-02-27-2 | ミャンマー | 1988年02月27日 | 1980年代 | Bhamo郡Monpa村でKIAに対する抗議集会と民兵隊への武器供与式。 |
DIA-211-1988-02-29-1 | ミャンマー | 1988年02月29日 | 1980年代 | タイのMaha Vajiralongkorn皇太子がネーウィン議長の招待で来訪。5日までの間に同議長,サンユー大統領らと会見。 |
DIA-211-1988-02-29-2 | ミャンマー | 1988年02月29日 | 1980年代 | 2月中の反乱軍投降者数計39人(KIAなど)。 |
DIA-211-1988-03-01-1 | ミャンマー | 1988年03月01日 | 1980年代 | 「農民の日」に寄せてネーウィン議長のメッセージが発表された。このなかで農民連合の組織拡大とリーダーシップの維持,経済計画の目標達成などが強調された。 |
DIA-211-1988-03-01-2 | ミャンマー | 1988年03月01日 | 1980年代 | 民族発展アカデミー(ADNG)第19期卒業生を招いて晩さん会が開催され,ネーウィン議長,サンユー大統領,Aye Ko総書記,Sein Lwin副総書記らが出席。 |
DIA-211-1988-03-02-1 | ミャンマー | 1988年03月02日 | 1980年代 | モルディブのIlyas Ibrahim通産相一行が来訪。 |
DIA-211-1988-03-02-2 | ミャンマー | 1988年03月02日 | 1980年代 | 各地で農民の日を祝う集会が開かれた。 |
DIA-211-1988-03-03-1 | ミャンマー | 1988年03月03日 | 1980年代 | マグウェ管区Sedoktan郡で水道供給設備が完成。 |
DIA-211-1988-03-04-1 | ミャンマー | 1988年03月04日 | 1980年代 | Langkho郡Oonlaung村で,550人による反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1988-03-04-2 | ミャンマー | 1988年03月04日 | 1980年代 | ラングーン市Tamwe地区で大火,299人が被災。被害額は20万チャット。 |
DIA-211-1988-03-06-1 | ミャンマー | 1988年03月06日 | 1980年代 | Aung Kyaw Myint情文相は,中国芸術代表団(2月24日来訪)と会見。 |
DIA-211-1988-03-07-1 | ミャンマー | 1988年03月07日 | 1980年代 | ネーウィン議長はKyaw Htin国防相,Saw Maung参謀総長らとともに中央管区地域のダム施設などを視察。 |
DIA-211-1988-03-07-2 | ミャンマー | 1988年03月07日 | 1980年代 | 6日からビルマを訪れているラナスのSrithirath外務次官はYe Goung外相と会談。 |
DIA-211-1988-03-09-1 | ミャンマー | 1988年03月09日 | 1980年代 | Aung Kyaw Myint情文相は8日に来訪したアメリカの青少年交流楽団と会見。 |
DIA-211-1988-03-09-2 | ミャンマー | 1988年03月09日 | 1980年代 | 中国赤十字代表団が来訪。 |
DIA-211-1988-03-10-1 | ミャンマー | 1988年03月10日 | 1980年代 | 第8回計画党中央委開会。Aye Ko総書記,Sein Lwin副総書記がそれぞれ基調報告を提出。 |
DIA-211-1988-03-11-1 | ミャンマー | 1988年03月11日 | 1980年代 | 党中央委2日目,基調報告について質疑応答。 |
DIA-211-1988-03-14-1 | ミャンマー | 1988年03月14日 | 1980年代 | 第6期第4回人民議会開会。第1日目定員482人中481人出席。国家評議会報告,閣僚評議会報告,1988/89年度予算案および年次計画などが提出された。 |
DIA-211-1988-03-15-1 | ミャンマー | 1988年03月15日 | 1980年代 | 人民議会第2日目,各報告についての質疑。新しい運輸・通信相にU Sein Ya,教育相にDr.Kyaw Seinが任命された。 |
DIA-211-1988-03-15-2 | ミャンマー | 1988年03月15日 | 1980年代 | ラングーンで学生暴動―12日夜,ラングーン大学付近で学生と付近の住民との争いがもとで,騒動が拡大,鎮圧した警官隊と学生たちが衝突,学生1名が死亡。13日,ラングーン工科大学構内で学生たちが抗議集会。治安部隊が出動して,多数の学生が連行された(この時連行された学生たちのうち74名が,護送車のなかで窒息死したことが後で明らかとなった)。16,17日には市内各地で学生たちが中心となった暴動が発生,国営百貨店(旧大丸)が焼き討ちされたりした。政府は17日に調査委員会を設置して真相究明に乗り出した。 |
DIA-211-1988-03-18-1 | ミャンマー | 1988年03月18日 | 1980年代 | 人民議会が閉会。 |
DIA-211-1988-03-18-2 | ミャンマー | 1988年03月18日 | 1980年代 | Monghsat郡Mongkwan村北東部のジャングルで,Loimaw派反乱軍と政府軍が衝突。政府軍はヘロイン精製施設を占拠。 |
DIA-211-1988-03-19-1 | ミャンマー | 1988年03月19日 | 1980年代 | Pasawng郡で,1300名の住民がカレンニ反乱軍に対する抗議集会。 |
DIA-211-1988-03-19-2 | ミャンマー | 1988年03月19日 | 1980年代 | 第14回モン州の日記念式典。 |
DIA-211-1988-03-20-1 | ミャンマー | 1988年03月20日 | 1980年代 | ラシオで大火,2096戸が焼失,113人が焼死,被災者は2万556人,被害額は5760万チャット。 |
DIA-211-1988-03-21-1 | ミャンマー | 1988年03月21日 | 1980年代 | KNU軍がKyaikhtiyo Payagonなどを襲撃,住民5人が死亡,16人が負傷。 |
DIA-211-1988-03-24-1 | ミャンマー | 1988年03月24日 | 1980年代 | ネーウィン議長,サンユー大統領らは国軍記念日展示場を視察。 |
DIA-211-1988-03-24-2 | ミャンマー | 1988年03月24日 | 1980年代 | 政府軍は2月21日から,ミーチナの北方でKIA軍根拠地を攻撃,17回の戦闘により,KIA側戦死者5名,捕虜2名,武器多数を押収。 |
DIA-211-1988-03-25-1 | ミャンマー | 1988年03月25日 | 1980年代 | 国軍参謀本部戦果発表。1987年3月20日から88年3月20日までの戦果について次のように発表―北部師団は29回の大戦闘,706回の小戦闘,反乱軍側戦死376名,捕虜97名。北東師団は2回の大戦闘,711回の小戦闘,反乱軍側戦死204名,捕虜56名,投降59名。東部師団は2回の大戦闘,686回の小戦闘,反乱軍側戦死513名,捕虜89名,投降177名。南東師団は2回の大戦闘,1057回の小戦闘,反乱軍側戦死413名,捕虜84名,投降77名。またThurein Tun作戦(北部師団),Aung Hein Mee作戦(北東師団),Kyaw Naing Soe作戦(東部師団),Zwe Aung Lin作戦(南東師団),Pyi Nyein Kyaw作戦(中央師団)においては,35回の大戦闘を含む3046回の戦闘が行なわれ,国軍側592名戦死,1666名が負傷,反乱軍側1688名戦死,378名が捕虜,武器多数押収。 |
DIA-211-1988-03-27-1 | ミャンマー | 1988年03月27日 | 1980年代 | 第43回国軍記念日,レジスタンス公園では国軍パレード,夜サンユー大統領主催の晩さん会,ネーウィン議長らが出席。 |
DIA-211-1988-03-27-2 | ミャンマー | 1988年03月27日 | 1980年代 | 22日から26日までU Hlaing Myint農林副大臣がマンダレー,ザガイン地区の林業と製材施設などを視察。 |
DIA-211-1988-03-27-3 | ミャンマー | 1988年03月27日 | 1980年代 | カレン州Pa-anとモン州タトンとを結ぶ鉄道開通。 |
DIA-211-1988-03-29-1 | ミャンマー | 1988年03月29日 | 1980年代 | タトン郡PeinnedawでKNU抗議集会。 |
DIA-211-1988-03-30-1 | ミャンマー | 1988年03月30日 | 1980年代 | 22日に来訪したソ連ラトビア労働組合評議会代表団一行が帰国。 |
DIA-211-1988-03-30-2 | ミャンマー | 1988年03月30日 | 1980年代 | Bilin郡Thinbawgyee村で,8000人の住民による反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1988-03-31-1 | ミャンマー | 1988年03月31日 | 1980年代 | ペグー管区Mezaung村で民兵隊に対する武器供与。 |
DIA-211-1988-03-31-2 | ミャンマー | 1988年03月31日 | 1980年代 | 3月中の反乱軍投降者数はKIAなど31人。 |
DIA-211-1988-04-08-1 | ミャンマー | 1988年04月08日 | 1980年代 | 国家評議会は布告第50号/88を出し,ラングーン工科大学での学生と住民との衝突について,調査委員会の設置期間を延長することを決めた。 |
DIA-211-1988-04-09-1 | ミャンマー | 1988年04月09日 | 1980年代 | 政府職員功労者に対する勲章授与式が行なわれ,サンユー大統領が授与。同時に各州・管区の人民評議会議長(10名)への認証を行なった。 |
DIA-211-1988-04-11-1 | ミャンマー | 1988年04月11日 | 1980年代 | ネーウィン議長外遊に出発(西独,イギリス)。 |
DIA-211-1988-04-11-2 | ミャンマー | 1988年04月11日 | 1980年代 | 日本政府は11億円の無償供与(交換公文)。 |
DIA-211-1988-04-12-1 | ミャンマー | 1988年04月12日 | 1980年代 | 人民警察官功労者に対する勲章授与。Min Gaung内・宗相出席。 |
DIA-211-1988-04-13-1 | ミャンマー | 1988年04月13日 | 1980年代 | 国軍は3月19日からMoe Hein第12次作戦を開始。ワー族反乱軍司令部Pa-Chi基地,BCP San-chu基地そのほかを占拠,武器,麻薬精製装置などを押収した。 |
DIA-211-1988-04-17-1 | ミャンマー | 1988年04月17日 | 1980年代 | 2日からインドを訪問していたビルマの文化代表団(団長:Aung Kyaw Myint情文相)が帰国。 |
DIA-211-1988-04-17-2 | ミャンマー | 1988年04月17日 | 1980年代 | 前年のビルマ入国観光客数は合計4万2175人。 |
DIA-211-1988-04-18-1 | ミャンマー | 1988年04月18日 | 1980年代 | Tun Tinr副首相兼財務・計画相は,経済協力問題協議のため東京へ,外務,大蔵,通産省などを訪問。ビルマの対日債務問題,とくにLLDC移行に伴う債務の無償化について要請。日本政府側は「経済改革の推進」を勧告した,といわれている。なお同相は帰路マニラのADB年次総会に出席して5月8日に帰国。 |
DIA-211-1988-04-20-1 | ミャンマー | 1988年04月20日 | 1980年代 | サンユー大統領はBahan郡の選挙区民に対し,人民議会報告。 |
DIA-211-1988-04-21-1 | ミャンマー | 1988年04月21日 | 1980年代 | タイ国軍最高司令官代行Chavalit大将ら国軍親善代表団が来訪,カ首相らと会談。 |
DIA-211-1988-04-21-2 | ミャンマー | 1988年04月21日 | 1980年代 | アメリカのエネルギー長官John S Herrisonが来訪。Ye Goung外相と会見。22日帰国。 |
DIA-211-1988-04-22-1 | ミャンマー | 1988年04月22日 | 1980年代 | カレン州Pa-an郡Thayagon村で反乱軍抗議集会。住民1800人出席。 |
DIA-211-1988-04-23-1 | ミャンマー | 1988年04月23日 | 1980年代 | Aye Ko総書記,Saw Maung大将が自選挙区民に人民議会報告。 |
DIA-211-1988-04-25-1 | ミャンマー | 1988年04月25日 | 1980年代 | Law ksawk郡のHsat-tne,Myny-me村で3000名による反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1988-04-26-1 | ミャンマー | 1988年04月26日 | 1980年代 | バングラデシュのエルシャド大統領来訪。サンユー大統領の招待で,両大統領が公式会談。28日帰国。 |
DIA-211-1988-04-26-2 | ミャンマー | 1988年04月26日 | 1980年代 | Tun Wai保健相ら一行,第41回WHO総会出席のため,ジュネーブへ。 |
DIA-211-1988-04-30-1 | ミャンマー | 1988年04月30日 | 1980年代 | 4月中の反乱軍投降者数はKIA,BCP,SUAなど計54人。 |
DIA-211-1988-05-01-1 | ミャンマー | 1988年05月01日 | 1980年代 | 労働者の日。ネーウィン議長のメッセージが発表され,各部門労働者が,全力で経済計画の達成に努力するよう要請。またこの日各地で記念集会。 |
DIA-211-1988-05-02-1 | ミャンマー | 1988年05月02日 | 1980年代 | カ首相ら一行はマンダレー管区内の金鉱山,(Thabeikkyin郡Kwinthenze)などを視察。 |
DIA-211-1988-05-04-1 | ミャンマー | 1988年05月04日 | 1980年代 | Luyehun(優良青少年)のための晩さん会が開かれ,Sein Lwin党副総書記,カ首相らが出席。 |
DIA-211-1988-05-04-2 | ミャンマー | 1988年05月04日 | 1980年代 | Ye Goung外相が訪中。 |
DIA-211-1988-05-05-1 | ミャンマー | 1988年05月05日 | 1980年代 | Surapol中将を団長とするタイの士官学校代表(17名)が来訪。9日帰国までの間,カ首相らと会談。 |
DIA-211-1988-05-09-1 | ミャンマー | 1988年05月09日 | 1980年代 | Seia Lwin党副総書記,自選挙区で人民議会報告。 |
DIA-211-1988-05-09-2 | ミャンマー | 1988年05月09日 | 1980年代 | 中国オリンピック委議長Li Menghuaらが来訪。12日帰国。 |
DIA-211-1988-05-10-1 | ミャンマー | 1988年05月10日 | 1980年代 | 大鷹大使は,教育相Dr.Kyaw Seinと会談。 |
DIA-211-1988-05-11-1 | ミャンマー | 1988年05月11日 | 1980年代 | 内・宗省副大臣Khin Maung Win大佐とU Kyi NyuntはYeguの上下水道施設などを視察。 |
DIA-211-1988-05-12-1 | ミャンマー | 1988年05月12日 | 1980年代 | サンユー大統領,Sein Lwin党副総書記,カ首相,Tun Tin財務・計画相らはシリアムの環境保全プロジェクトを視察。 |
DIA-211-1988-05-13-1 | ミャンマー | 1988年05月13日 | 1980年代 | 元商工相Aung Gyi元准将がサンユー大統領など国家首脳に宛てた書簡が,街中に出回り始めた。この書簡は5月9日付となっており,内容は,現政権の無策ぶりについて痛烈に批判し,経済改革を早期に抜本的に行なうようにと具申している。なおこの書簡に続いて6月初めまでにさらに2通の書簡が送付されたといわれており,これが,学生たちを勇気づけ反政府運動を啓発したことは確実である。 |
DIA-211-1988-05-14-1 | ミャンマー | 1988年05月14日 | 1980年代 | 西独援助による第3化学肥料工場(Myayde)は1985年に完成後,順調な生産を続け,現在1日当り,硫安360㌧,尿素600㌧を生産している。 |
DIA-211-1988-05-15-1 | ミャンマー | 1988年05月15日 | 1980年代 | Sein Lwin副総書記,Ssw Maung大将ら一行は,15日から18日までシャン州,マンダレー管区,ザガイン管区の政治・経済状況を視察,関係者に対するガイダンス。 |
DIA-211-1988-05-16-1 | ミャンマー | 1988年05月16日 | 1980年代 | 駐日ビルマ大使にU Ba Thwinを任命。 |
DIA-211-1988-05-18-1 | ミャンマー | 1988年05月18日 | 1980年代 | Kyaw Than協組省副大臣らはイラワジ管区各地区の協同組合活動について協議。 |
DIA-211-1988-05-23-1 | ミャンマー | 1988年05月23日 | 1980年代 | Than Hlaing協組相はラシオで協組活動について関係者と協議。 |
DIA-211-1988-05-25-1 | ミャンマー | 1988年05月25日 | 1980年代 | Tun Tin計画・財務相を団長とする代表団が,訪中。経協問題などについて協議。6月5日帰国。 |
DIA-211-1988-05-26-1 | ミャンマー | 1988年05月26日 | 1980年代 | ネーウィン議長帰国。 |
DIA-211-1988-05-28-1 | ミャンマー | 1988年05月28日 | 1980年代 | 社会福祉・労働省副大臣U Pau Khan Thangら一行,ILO総会出席のためジュネーブへ。 |
DIA-211-1988-05-31-1 | ミャンマー | 1988年05月31日 | 1980年代 | 5月中の反乱軍投降者数は36人。 |
DIA-211-1988-06-01-1 | ミャンマー | 1988年06月01日 | 1980年代 | ラングーン大学経済学部長Dr.Khin Mauag Nyuntを団長とする教育代表団がアメリカより帰国。 |
DIA-211-1988-06-02-1 | ミャンマー | 1988年06月02日 | 1980年代 | カヤ州Dimahso郡Daukmange村で,民兵隊への武器供与式。 |
DIA-211-1988-06-03-1 | ミャンマー | 1988年06月03日 | 1980年代 | Tint Swe第1工業相を団長とする代表団が,バングラデシュを公式訪問,10日帰国。 |
DIA-211-1988-06-03-2 | ミャンマー | 1988年06月03日 | 1980年代 | イギリスのエネルギー担当国務次官Mr.Cecil Parkinson一行が来訪。5日帰国。 |
DIA-211-1988-06-03-3 | ミャンマー | 1988年06月03日 | 1980年代 | 政府軍はロケット砲を所持したKNU兵士2名を逮捕。KNUは外国人から武器の使用訓練を受けていたという。 |
DIA-211-1988-06-04-1 | ミャンマー | 1988年06月04日 | 1980年代 | Pa-anで反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1988-06-06-1 | ミャンマー | 1988年06月06日 | 1980年代 | 新聞,出版公社は西独の国際ジャーナリズム研究所との共催でジャーナリストのためのセミナーを開催。Taik Soe情報副大臣,Than Mauna文化副大臣らが出席。 |
DIA-211-1988-06-08-1 | ミャンマー | 1988年06月08日 | 1980年代 | Thaung Tut教育副大臣はラングーン市内の小・中学校における教科書,文具の配給状況などを視察。またTun Wai保健相はマンダレー管区内の病院等を視察。 |
DIA-211-1988-06-10-1 | ミャンマー | 1988年06月10日 | 1980年代 | カチン州Myomaで住民1600人が出席して,民兵隊への武器供与式。 |
DIA-211-1988-06-16-1 | ミャンマー | 1988年06月16日 | 1980年代 | ミーチナからプータオに向けて飛行していたBAC機がプータオ付近で消息を断つ。18日に墜落した飛行機を発見,乗員,乗客4人死亡。 |
DIA-211-1988-06-18-1 | ミャンマー | 1988年06月18日 | 1980年代 | ラングーンで学生デモ。3月の暴動の際逮捕された学生たちの釈放を求めて,ラングーン工科大学生らが,構内デモ。学生たちは12日頃より,反政府ポスター,ビラなどを作製,構内で集会,デモを繰り返していた。治安警察が出動して,構内を囲んだが衝突はなかった。 |
DIA-211-1988-06-19-1 | ミャンマー | 1988年06月19日 | 1980年代 | ネーウィン議長は16日から19日まで中央,南西,西部師団管内の精米所,工場などを視察。Kyaw Htin副首相,Sein Tunエネルギー相,Than Tin鉱業相,Saw Maung大将らが同行。 |
DIA-211-1988-06-20-1 | ミャンマー | 1988年06月20日 | 1980年代 | ラングーン大学本部および経済学部を21日から閉鎖。 |
DIA-211-1988-06-21-1 | ミャンマー | 1988年06月21日 | 1980年代 | ラングーン大学薬学部と歯学部,また工科大学を22日から閉鎖。 |
DIA-211-1988-06-21-2 | ミャンマー | 1988年06月21日 | 1980年代 | 市内で暴動,夜間外出禁止令。学生たちの反政府デモに呼応して,市内各地で市民による小規模デモがあり,警官隊と衝突した。このためラングーン管区人民評議会は第1号布告を出し,集会,デモなどを禁止し,夜6時から朝6時までの外出を禁止した。同様の騒乱がペグー,プローム,モールメインなどでも発生,同市にそれぞれ夜間外出禁止令が出された。 |
DIA-211-1988-06-21-3 | ミャンマー | 1988年06月21日 | 1980年代 | 国際交流基金招待による教育システム視察団が訪日。 |
DIA-211-1988-06-22-1 | ミャンマー | 1988年06月22日 | 1980年代 | 政府当局は21日の暴動に関する正式発表。暴動はラングーン市内Sanchaung,Kamayut,Hlaing,Insein地区で発生,警察派出所,映画館,工場などを襲撃,77人が逮捕された(うち10人が学生)。 |
DIA-211-1988-06-24-1 | ミャンマー | 1988年06月24日 | 1980年代 | 日本政府36億5480万円の無償供与。 |
DIA-211-1988-06-25-1 | ミャンマー | 1988年06月25日 | 1980年代 | 韓国の大統領特使Young Choo Kimが来訪。28日までの滞在期間中,サンユー大統領,Ye Goung外相らと会談。 |
DIA-211-1988-06-29-1 | ミャンマー | 1988年06月29日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相はブルガリア公式訪問に出発。 |
DIA-211-1988-06-30-1 | ミャンマー | 1988年06月30日 | 1980年代 | ラングーン管区人民評議会は第2号布告を出し,夜間外出禁止を午後8時から午前4時までに短縮すると発表。 |
DIA-211-1988-06-30-2 | ミャンマー | 1988年06月30日 | 1980年代 | Thaton郡,Kyaukkyi郡内でKNU敷設の地雷が爆発。住民1人死亡,3人負傷。 |
DIA-211-1988-06-30-3 | ミャンマー | 1988年06月30日 | 1980年代 | 6月中の反乱軍投降者数は36人。 |
DIA-211-1988-06-30-4 | ミャンマー | 1988年06月30日 | 1980年代 | 6月28日から30日にかけてKya-in-seikkyi郡内で,KNU軍は勢力拡大のためモン族反乱軍を攻撃。この攻撃によりモン族側5人死亡。 |
DIA-211-1988-07-02-1 | ミャンマー | 1988年07月02日 | 1980年代 | Claude Cheyssonを団長とするEC代表団(7人)が到着,6日まで滞在してTun Tin財務・計画相らと会見,医療施設(2500万チャット)の贈与協定に調印。 |
DIA-211-1988-07-03-1 | ミャンマー | 1988年07月03日 | 1980年代 | ラングーン管区党地域委と同管区人民評議会は,公認の米卸売業者,肉・魚等の取引業者等と会合し,市内の物価高騰に対する対策などを協議。 |
DIA-211-1988-07-07-1 | ミャンマー | 1988年07月07日 | 1980年代 | 3月,6月の暴動で警察に拘留されていた学生らが釈放された。内訳はラングーン240名,モールメイン73名,ペグー50名,プローム27名で,8日までに全員が釈放されたと発表。 |
DIA-211-1988-07-07-2 | ミャンマー | 1988年07月07日 | 1980年代 | マウン・マウン・カ首相,Ye Goung外相らはブルガリアの公式訪問に出発。 |
DIA-211-1988-07-08-1 | ミャンマー | 1988年07月08日 | 1980年代 | 3月,6月の騒乱・暴動で拘留されたり,放校されていた学生たちに対し,教育省は復学を申請し得ると発表。 |
DIA-211-1988-07-09-1 | ミャンマー | 1988年07月09日 | 1980年代 | ラングーン管区人民評議会は外出禁止令を全面解除。ペグー,プローム,モールメインも同様。 |
DIA-211-1988-07-11-1 | ミャンマー | 1988年07月11日 | 1980年代 | インドの歳入担当国務大臣S.A.Kumar Panjaら一行が到着,14日まで滞在,貿易相らと会見。 |
DIA-211-1988-07-11-2 | ミャンマー | 1988年07月11日 | 1980年代 | アメリカ政府は農業増産計画用として367.5万㌦の無償供与(交換公文)。 |
DIA-211-1988-07-11-3 | ミャンマー | 1988年07月11日 | 1980年代 | ブルガリアを訪問中のマウン・マウン・カ首相はZhikov大統領らと会談。 |
DIA-211-1988-07-12-1 | ミャンマー | 1988年07月12日 | 1980年代 | ミーチナ郡Taktkon村でKIA軍に対する抗議集会,住民4600人が参加。 |
DIA-211-1988-07-13-1 | ミャンマー | 1988年07月13日 | 1980年代 | タウンジーで暴動,死者3人,負傷者20人。10日から12日にかけてタウンジー市内で住民による暴動が発生。これはマーケットで新入僧らが中心になって煽動,12日に当局は刑法144条を適用,また16日にも同様の暴動が発生して2人が死亡,11人が負傷。 |
DIA-211-1988-07-16-1 | ミャンマー | 1988年07月16日 | 1980年代 | プロームで暴動,刑法144条適用。 |
DIA-211-1988-07-19-1 | ミャンマー | 1988年07月19日 | 1980年代 | 第41回目の殉難者の日式典が殉難者廟で行なわれ,TunTin臨時代理首相らが出席。 |
DIA-211-1988-07-19-2 | ミャンマー | 1988年07月19日 | 1980年代 | Min Gaung内・宗相が辞任。 |
DIA-211-1988-07-19-3 | ミャンマー | 1988年07月19日 | 1980年代 | プロームおよびPaungdeで小規模の暴動。数名の死傷者。またラングーンでも18日に暴動。 |
DIA-211-1988-07-22-1 | ミャンマー | 1988年07月22日 | 1980年代 | プロームに戒厳令。プロームでは連日反政府暴動が発生。警官隊と衝突し,治安が乱れたことから,戒厳令を施行。Aye Kyaw大佐が司令官に就任。 |
DIA-211-1988-07-22-2 | ミャンマー | 1988年07月22日 | 1980年代 | 計画党第9回中央委総会が開かれ,Aye Ko総書記は臨時党大会と経済改革ガイドライン,またSein Lwin副総書記は党綱領の改正案を提示。 |
DIA-211-1988-07-23-1 | ミャンマー | 1988年07月23日 | 1980年代 | 計画党臨時大会,ネーウィン議長辞任を表明。ビルマ社会主義計画党臨時大会がサヤサン・ホールで開催。ネーウィン議長は,サンユー,Aye Ko,Sein Lwin,Tun Tin,Kyaw Htinら幹部とともに辞任することを提案。また同演説のなかで,「先般の暴動は政府に対する不信感から起こったものであり,国民の信を問うため,単一政党制か複数政党制かの国民投票を実施すること」を提案,さらに経済改革の実行を約束,また演説後半ではアウンジー元准将の書簡に触れ,事実に反すると批難した。さらにネーウィン議長は学生と住民による暴動に際し,「今までは軍の発砲を許していなかったが,今後さらに暴動が起こったら,脅しや空砲ではなく,軍は発砲しなければならない。だからことは簡単に済まないだろう」と,また「私は完全に政治の舞台から身を引く」などと述べた。Aye Ko総書記は,経済改革について説明,各部門とも生産効率の悪さ,合理的な企業運営がなされていないことを指摘,貿易,工業部門などの統制を解除するなどの改革案を提示した。 |
DIA-211-1988-07-24-1 | ミャンマー | 1988年07月24日 | 1980年代 | 臨時党大会2日目,前日の諸提案について討議。 |
DIA-211-1988-07-24-2 | ミャンマー | 1988年07月24日 | 1980年代 | 27日から人民議会の緊急召集が布告された。 |
DIA-211-1988-07-25-1 | ミャンマー | 1988年07月25日 | 1980年代 | Sein Lwinが党議長に。臨時党大会最終日において,ネーウィン議長,サンユー副議長の辞任が認められ,新議長に。Sein Lwin(前副総書記)が選ばれた。またAye Ko総書記は留任,Kyaw Htinが副総書記に就任。 |
DIA-211-1988-07-26-1 | ミャンマー | 1988年07月26日 | 1980年代 | 計画党中央委員会第10回大会が開かれ,Sein Lwin議長が演説,経済改革の実施にむけて協力を求めた。この日,3月暴動の責任を問われ,マウン・マウン・カ首相とMyint Maung人民検察評議会議長が解任された。 |
DIA-211-1988-07-27-1 | ミャンマー | 1988年07月27日 | 1980年代 | 第4期人民議会緊急招集。人民議会の緊急会議が開かれ,大統領(国評議長)にSein Lwin党議長,国評書記長にKyaw Htin党副総書配,首相Tun Tin前副首相,人民検察評議会議長にDr.Maung Maungが選出された。 |
DIA-211-1988-07-27-2 | ミャンマー | 1988年07月27日 | 1980年代 | 私企業権利法(Private Enterprises Right Law 1977)が,経済改革施行に伴ない廃法となった。 |
DIA-211-1988-07-27-3 | ミャンマー | 1988年07月27日 | 1980年代 | Tun Tinの首相昇格に伴い,Ye Gaunt外相,Thai Tin鉱業相が副首相に就任。またSaw Maung大将が国防相に,Pe Myaing少将(軍務局長)が内・宗相に,Than Shwe中将(陸軍参謀長)が国防副大臣にそれぞれ任命された。 |
DIA-211-1988-07-27-4 | ミャンマー | 1988年07月27日 | 1980年代 | 26日夜半からMyedeで暴動(約450名)。刑法144条適用,警察隊と衝突,1人死亡,5人負傷。 |
DIA-211-1988-07-27-5 | ミャンマー | 1988年07月27日 | 1980年代 | 中国雲南省の副省長Zhu Kuiを団長とする貿易代表団来訪,国境貿易について協議(8月7日まで)。 |
DIA-211-1988-07-29-1 | ミャンマー | 1988年07月29日 | 1980年代 | シュウェーダゴン・パゴダでSein Lwin政権誕生に抗議して学生たちが集会。混乱なし。 |
DIA-211-1988-07-30-1 | ミャンマー | 1988年07月30日 | 1980年代 | 反体制派のアウンジー元准将,AP通信員Sein Win,作家のターヤーら10名が逮捕された。 |
DIA-211-1988-08-02-1 | ミャンマー | 1988年08月02日 | 1980年代 | シュウェーダゴン・パゴダ付近で,学生,僧侶ら約200人が集会。 |
DIA-211-1988-08-02-2 | ミャンマー | 1988年08月02日 | 1980年代 | ラングーン各地で数百人規模の反政府デモ,暴動が発生。 |
DIA-211-1988-08-02-3 | ミャンマー | 1988年08月02日 | 1980年代 | Sein Lwin党議長は,国家,党の指導者を集め,反体制運動に対する基本方針を発表。秩序を乱す者に対しては法に従い厳しく取締ることを指示。また公務員の綱紀を正すことを強調。 |
DIA-211-1988-08-03-1 | ミャンマー | 1988年08月03日 | 1980年代 | ラングーン全域に戒厳令。Sein Lwin大統領は午後7時ラングーン市全域に戒厳令を施行することを指令。戒厳令司令官にMyo Nyunt准将(ラングーン師団司令官)を任命した。なお市域内の学校は通常どおりとする。 |
DIA-211-1988-08-03-2 | ミャンマー | 1988年08月03日 | 1980年代 | ラングーン市内では戒厳令施行前,各地で反政府デモが行なわれ,下町地区では約3000人のデモにふくれあがった。 |
DIA-211-1988-08-04-1 | ミャンマー | 1988年08月04日 | 1980年代 | ラングーン市内で1万人規模のデモ。国軍部隊が威嚇発砲。またペグーでも約800人が反政府暴動,149人が逮捕された。 |
DIA-211-1988-08-05-1 | ミャンマー | 1988年08月05日 | 1980年代 | 各地で反政府デモ,軍との衝突はほとんどない。米,食用油,魚肉などの価格が急騰。 |
DIA-211-1988-08-05-2 | ミャンマー | 1988年08月05日 | 1980年代 | 来訪中の雲南省貿易代表団と政府との間で国境貿易に関する協定が調印された。 |
DIA-211-1988-08-06-1 | ミャンマー | 1988年08月06日 | 1980年代 | ペグーで反政府デモ隊に警察隊が発砲,3人死亡,18人負傷。地方都市(Thanatpin,Yenaunggyanなど)でも警察隊がデモ隊に発砲,多数の死傷者。ラングーンはデモ行進が行なわれたが,平静。 |
DIA-211-1988-08-07-1 | ミャンマー | 1988年08月07日 | 1980年代 | 反政府デモは全国各地に広がり,この日マンダレーでは,市民,学生,僧侶ら3000人がデモ。治安部隊が出動した。ラングーンの治安当局は7日までにデモの参加者ら計207人を逮捕,うち学生50人。 |
DIA-211-1988-08-07-2 | ミャンマー | 1988年08月07日 | 1980年代 | 反政府運動が盛り上がるなかで,学生たちは次第にアウンサン・スーチー(Aung San Suu Kyi)の下に結集し始めた。また学生たちは8日のゼネストを呼びかけた。 |
DIA-211-1988-08-08-1 | ミャンマー | 1988年08月08日 | 1980年代 | ラングーンでは,各地区でデモや集会,職場放棄が実行され,十数万人が参加。この他13の都市でも同様のデモ,集会が開かれた。8日深夜から末明にかけ,ラングーンの中心部で,デモ隊を解散させようとした国軍が発砲・数名が死亡した。政府発表ではこの日,全国で4人が死亡,12人が負傷,としていた。またラングーンだけで,仏僧21人を含む822人が逮捕された。 |
DIA-211-1988-08-09-1 | ミャンマー | 1988年08月09日 | 1980年代 | ラングーンでは市内全域で大規模な反政府デモ。国軍は各地で制圧のため発砲・政府発表で死者5人,負傷者55人,逮捕者1451人。各地方都市でも同様の状態と伝えられたが,詳細は不明。 |
DIA-211-1988-08-09-2 | ミャンマー | 1988年08月09日 | 1980年代 | 政府は全教育機関を無期限閉鎖。 |
DIA-211-1988-08-10-1 | ミャンマー | 1988年08月10日 | 1980年代 | ラングーンで,デモ隊と国軍が各地で衝突。郊外では,バリケードが築かれ,武装闘争を開始したところもあり,国軍は随所で鎮圧行動を続けている。またデモ隊の一部は,政府官庁舎,警察署,倉庫などを襲撃している。死傷者も多数にのぼり,地方都市でも同様の状況。とくにラングーン総合病院では集会に対して,国軍が発砲,医師・看護婦13人が射殺された。 |
DIA-211-1988-08-10-2 | ミャンマー | 1988年08月10日 | 1980年代 | 外務省は各国公館にたいし,必要のない外出を避けるように警告。 |
DIA-211-1988-08-11-1 | ミャンマー | 1988年08月11日 | 1980年代 | ラングーン病院構内での国軍による射殺事件に抗議して,同病院構内で抗議集会,アウンサン・スーチー,Tip Oo元大将らが出席。 |
DIA-211-1988-08-11-2 | ミャンマー | 1988年08月11日 | 1980年代 | ラングーン市北オカラッパ地区で住民と治安部隊が激しい銃撃戦。またタケタ地区では国営米倉庫が住民に襲われ,地方都市でも略奪,武装暴徒の乱暴がひん発している。 |
DIA-211-1988-08-11-3 | ミャンマー | 1988年08月11日 | 1980年代 | 仏教僧侶評議会指導部は,国営新聞,ラジオを通じて国民に平静を呼びかける声明を発表。 |
DIA-211-1988-08-12-1 | ミャンマー | 1988年08月12日 | 1980年代 | 国営放送によると9日から11日までに,ラングーンで死者は53人,負傷者196人,逮捕者1564人である。 |
DIA-211-1988-08-12-2 | ミャンマー | 1988年08月12日 | 1980年代 | 12日夜,Tun Tin首相は,国営放送を通じて,国民に対して秩序の維持を呼びかけた。同時にSein Lwin党議長・大統領の辞任が承認されたこと,また新議長・大統領は19日に緊急党中央委を開いて選出すると発表。 |
DIA-211-1988-08-15-1 | ミャンマー | 1988年08月15日 | 1980年代 | ビルマ法律家協会は,政府に対して,言論・集会の自由,複数政党制の採用,死亡者(騒動による)数の公表などを要求する声明を発表。 |
DIA-211-1988-08-15-2 | ミャンマー | 1988年08月15日 | 1980年代 | ラングーン,マンダレーでは小規模なデモ,集会が続いているが,いちおう平静を保ち始めている。しかし地方では略奪,武装蜂起が続いている。 |
DIA-211-1988-08-17-1 | ミャンマー | 1988年08月17日 | 1980年代 | 政府は15日から,反政府デモによる逮捕者を漸次釈放している。 |
DIA-211-1988-08-17-2 | ミャンマー | 1988年08月17日 | 1980年代 | ラングーン総合病院構内で10日の発砲犠牲者の弔い集会(1万人)が開かれた。街では「全ビルマ学生連盟」1の名で,パンフレット,ポスターが現われた。 |
DIA-211-1988-08-19-1 | ミャンマー | 1988年08月19日 | 1980年代 | Dr.Maung Maungが新議長・大統領に選出のされた。計画党中央委総会と人民議会が緊急召集され,Sein Lwinの後任としてDr.Maung Maungが選出された。また国民の不平・不満を受けつけ,処理するための請願委員会(Tin Aung Hein議長)の設置,計画党員でなくても国会議員選挙に立候補できる制度などを決定。しかし単一政党制は保持することが表明された。 |
DIA-211-1988-08-19-2 | ミャンマー | 1988年08月19日 | 1980年代 | ラングーン,マンダレーなどで大規模な抗議集会,デモ。 |
DIA-211-1988-08-21-1 | ミャンマー | 1988年08月21日 | 1980年代 | 陸軍士官学校の教官団が,全軍将校に向けて,声明を発表し,「軍は国民奉仕を第一義としなければならない」と訴えた。 |
DIA-211-1988-08-22-1 | ミャンマー | 1988年08月22日 | 1980年代 | ラングーンでは数十万人規模のデモ。地方都市でも反政府デモと集会が頻発。国軍は発砲を控えている。この頃より,デモは徐々に組織化されてきた。 |
DIA-211-1988-08-22-2 | ミャンマー | 1988年08月22日 | 1980年代 | 政府請願委員会は,国民に調査票を配布して,国民の意見を収集,審議すると発表。 |
DIA-211-1988-08-24-1 | ミャンマー | 1988年08月24日 | 1980年代 | ラングーン,マンダレーなどで連日,大規模なデモ,集会。一般市民,政府職員,警察官らの姿も見られるようになった。 |
DIA-211-1988-08-24-2 | ミャンマー | 1988年08月24日 | 1980年代 | マウンマウン大統領は午後8時,国営放送を通じて声明を発表,9月12日に計画党臨時大会を召集し,複数政党制導入の是非を問う国民投票について審議する。もし国民投票の実施が否決されれば現中執委メンバー全員は辞任するなどと述べた。 |
DIA-211-1988-08-25-1 | ミャンマー | 1988年08月25日 | 1980年代 | 政府はこれまでに逮捕した者のうち計1693人を釈放した。また同日,アウンジー元准将,AP通信のセインウィン記者ら11人の政治犯を釈放した。 |
DIA-211-1988-08-26-1 | ミャンマー | 1988年08月26日 | 1980年代 | ラングーンでは大規模デモが続き,主要な政府機関,銀行,鉄道,空港などが閉鎖されたままになつている。 |
DIA-211-1988-08-26-2 | ミャンマー | 1988年08月26日 | 1980年代 | インセイン刑務所で囚人による暴動が発生,建物一棟が放火され,鎮圧部隊が出動,政府発表では死者36人,負傷135人,1700人が脱走,シトウェ刑務所でも暴動。1600人が脱走。 |
DIA-211-1988-08-26-3 | ミャンマー | 1988年08月26日 | 1980年代 | Tin Oo元大将は,マウンマウン大統領にあてて,一党独裁制の廃止と暫定政権樹立をもとめる建白書を提出した。 |
DIA-211-1988-08-26-4 | ミャンマー | 1988年08月26日 | 1980年代 | アウンサン・スーチー女史は,ラングーン市内での50万人の集会で演説し,暫定政権早期樹立を訴えた。 |
DIA-211-1988-08-27-1 | ミャンマー | 1988年08月27日 | 1980年代 | 全国的にゼネスト状態が続いており,精油所など主要な国営工場も閉鎖されたままになっている。 |
DIA-211-1988-08-27-2 | ミャンマー | 1988年08月27日 | 1980年代 | マグウェ刑務所で暴動。囚人513人が脱走。 |
DIA-211-1988-08-27-3 | ミャンマー | 1988年08月27日 | 1980年代 | 反体制派の12グループが会合,運動の統合を協議し,「民主化連盟」として発足することに合意。 |
DIA-211-1988-08-28-1 | ミャンマー | 1988年08月28日 | 1980年代 | ラングーン大学構内で数十万人の学生等が集結し,,All Burma Students’ Unionを結成。14人の暫定執行委員会を選出し,議長にMin Ko Naingが選ばれた。 |
DIA-211-1988-08-29-1 | ミャンマー | 1988年08月29日 | 1980年代 | ウーヌー元首相らは新党を結成。League for Democracy and Peaceで,元大統領のMahn Win Maungが党首,ウーヌーが後見人となり,元政治家,外交官,軍人などがメンバーで計21人となっている。 |
DIA-211-1988-08-29-2 | ミャンマー | 1988年08月29日 | 1980年代 | 国営放送は全国的に略奪,放火,諸施設への襲撃,暴動が発生していることを伝えた。 |
DIA-211-1988-08-31-1 | ミャンマー | 1988年08月31日 | 1980年代 | 国営放送はこれまでに9カ所の刑務所で囚人による暴動が発生,約9000人の囚人が脱走したと伝えた。 |
DIA-211-1988-08-31-2 | ミャンマー | 1988年08月31日 | 1980年代 | 政府は,(1)公務員の給与は30日に支払い済みであること,(2)精油所労働者は直ちに職場に復帰すること,(3)米価引下げのために米穀商は協力してほしいことなどを訴えた。 |
DIA-211-1988-09-01-1 | ミャンマー | 1988年09月01日 | 1980年代 | マウンマウン大統領は,反対勢力が求めている暫定政権樹立について,12日に開かれる予定の党大会まで待ってほしいと述べ,これを拒否。しかし学生連盟の結成を承認。 |
DIA-211-1988-09-01-2 | ミャンマー | 1988年09月01日 | 1980年代 | 政府関係職員を含む全国の労働者がゼネスト。ラングーンでは50万人の集会・デモ。これに対し政府は国営放送をつうじて,冷静な行動と国軍への協力を呼びかけた。 |
DIA-211-1988-09-02-1 | ミャンマー | 1988年09月02日 | 1980年代 | ビルマ各地で反体制派が事実上制圧した市町村は全国で50を超えたと伝えられ,これらの街では自警団が組織され,警官,計画党員らが協力しているところもあるという。これらのなかにはザガイン,モンユワ,ペグー,プローム,マンダレー,モールメインなどが含まれている。 |
DIA-211-1988-09-02-2 | ミャンマー | 1988年09月02日 | 1980年代 | 学生連盟は,暫定政府の樹立と完全民主化をもとめて8日からゼネストを行なうことを決定。学生連盟には111の組織と20万人が結集している。 |
DIA-211-1988-09-02-3 | ミャンマー | 1988年09月02日 | 1980年代 | アメリカのS.Solarz。下院議員は8月27日からビルマを訪問中であるが,2日マウンマウン大統領およびスーチー女史らと別個に会談。 |
DIA-211-1988-09-04-1 | ミャンマー | 1988年09月04日 | 1980年代 | タウンジーで計画党員310人が離党。ラングーンでは総合病院で数千人の集会。 |
DIA-211-1988-09-05-1 | ミャンマー | 1988年09月05日 | 1980年代 | スーチー女史,Tin Oo 元国防相,学生指導者らは共同声明を発表。(1)単一政党制の廃止,(2)複数政党制の導入と民主化の実現,(3)暫定政権の樹立。 |
DIA-211-1988-09-05-2 | ミャンマー | 1988年09月05日 | 1980年代 | ラングーン市南オカラパッ地区で住民自警団と私服の軍情報部隊が衝突。16人死亡,40人負傷。 |
DIA-211-1988-09-05-3 | ミャンマー | 1988年09月05日 | 1980年代 | ラングーンでは20万人規模のデモ。 |
DIA-211-1988-09-05-4 | ミャンマー | 1988年09月05日 | 1980年代 | 西独政府はビルマの政治惰勢が沈静化するまで,援助を停止すると発表。 |
DIA-211-1988-09-06-1 | ミャンマー | 1988年09月06日 | 1980年代 | ラングーシ市内各地の公共施設等で略奪が相次いでいる。 |
DIA-211-1988-09-06-2 | ミャンマー | 1988年09月06日 | 1980年代 | 計画党中央本部の書記局員,職員,青年計画党員ら約1000人が共同声明を発表し,暫定政権の樹立を要求。また外務省職員のうち187人が党籍離脱。 |
DIA-211-1988-09-07-1 | ミャンマー | 1988年09月07日 | 1980年代 | 「30人の志士」の1人Bo Ye Htutら9人のベテラン政治家が,国軍将兵に対し,反体制運動の支持とネーウィン元議長との断絶を呼びかける集会を開いた。レラングーンなどで,反体制側による新聞,パンフレットが多数発行されて,また国営新聞も反体制運動を詳しく報道し始めた。 |
DIA-211-1988-09-07-2 | ミャンマー | 1988年09月07日 | 1980年代 | 政府は略奪行為に対する警告を行ない,警備を強化すると発表。なおこれまでに38カ所で略奪が行われ略奪者5人が死亡,6人が負傷,88人を逮捕。また人民議会周辺を立ち入り禁止にすると発表。 |
DIA-211-1988-09-08-1 | ミャンマー | 1988年09月08日 | 1980年代 | 東京ビルマ大使館では,大使および参事官を除く10数名の館員が計画党籍を離脱。 |
DIA-211-1988-09-08-2 | ミャンマー | 1988年09月08日 | 1980年代 | 反体制派の呼びかけで,早朝からゼネスト。ラングーンで80万人,マンダレーで70万人などのデモが行なわれた。 |
DIA-211-1988-09-08-3 | ミャンマー | 1988年09月08日 | 1980年代 | 国営3銀行の職員が結成した銀行労組は,8日から民主化が実現するまで銀行業務を停止すると発表。 |
DIA-211-1988-09-09-1 | ミャンマー | 1988年09月09日 | 1980年代 | ミンガラドン駐屯の空軍兵士200人が制服姿でデモ行進に参加。 |
DIA-211-1988-09-09-2 | ミャンマー | 1988年09月09日 | 1980年代 | ウーヌー元首相らは暫定政府を樹立したと発表。大統領にMahn Win Maung,国防相にTin Oo元大将ら26人の閣僚を指名したと発表。このうちTin Oo元大将は参加を否定。なおウーヌー元首相は12日にこれを撤回して,民主平和連盟として総選挙に参加する旨発表。 |
DIA-211-1988-09-10-1 | ミャンマー | 1988年09月10日 | 1980年代 | 午前8時から計画党中央委員会が開かれ,当初12日に予定されていた臨時党大会を繰上げて開催。代議員総数の約90%にあたる968人が出席。複数政党制にもとずく総選挙の実施を決議した。この際マウンマウン議長は演説を行ない,(1)臨時人民議会を11日に繰上げ開催する,(3)選挙管理委員会を発足させる,(3)総選挙後の新議会で新政府を樹立する,などと述べた。 |
DIA-211-1988-09-11-1 | ミャンマー | 1988年09月11日 | 1980年代 | 臨時人民議会が召集され,総選挙を3カ月以内に実施すること,計画党を唯一の政党とすると定めた憲法条項を廃止すること,また計画党の法的適格性は選挙の実施まで有効であることを決定。 |
DIA-211-1988-09-11-2 | ミャンマー | 1988年09月11日 | 1980年代 | 反体制側は政府の決定に反発して,暫定政府の即時樹立を要求して,10万人規模のデモ。 |
DIA-211-1988-09-11-3 | ミャンマー | 1988年09月11日 | 1980年代 | 選挙管理委を任命(5人)。 |
DIA-211-1988-09-12-1 | ミャンマー | 1988年09月12日 | 1980年代 | 反体制派のスーチー女史,ティンウー元大将,アウンジー元准将は連名で,マウンマウン議長あての書簡を発表。このなかで,総選挙を拒否し,現政権の退陣と暫定政権樹立までデモ,ストを続けると表明。 |
DIA-211-1988-09-12-2 | ミャンマー | 1988年09月12日 | 1980年代 | ラングーンでは,空・海軍が反体制派についたとの噂が流れたが,国営放送はこれを否定。マウンマウン議長は特別声明を発表し,国軍は軍規を守り,秩序回復につとめるよう呼びかけた。またソウマウン国防相も国営放送をつうじて,「国軍の結束が崩れれば,ビルマは独立を失う」と述べ,軍の分裂をまねく行動に警告した。また同国防相は,単一政党制を廃し,自由かつ民主的な選挙を行なうとした政府の決定を,国軍として支持すると述べた。 |
DIA-211-1988-09-12-3 | ミャンマー | 1988年09月12日 | 1980年代 | 反政府指導者3名は,14~15日にも,ラングーンで民主主義実現のための「国民会議」を開くと発表。このため全国14の州・管区で代議員を選出するための集会が開かれていると発表。 |
DIA-211-1988-09-12-4 | ミャンマー | 1988年09月12日 | 1980年代 | 全ビルマ学生連盟が正式に設立。 |
DIA-211-1988-09-13-1 | ミャンマー | 1988年09月13日 | 1980年代 | 反政府側指導者5人(スーチー,ティンウー,アウンジー,ウーヌー,ボーヤンナイン)は,学生側指導者と統一的な反政府組織を結成するために会合。また同日,スーチー女史ら3人は選挙管理委メンバーと会見。現状では総選挙を実施するのは困難であり,現政権下での選挙は拒否すると言明。ラングーンでは学生を中心とするデモが終日行なわれ,物不足はますます深刻になっている。また商店はほとんど閉じたままで,多くの公務員は職場復帰を拒否している。 |
DIA-211-1988-09-14-1 | ミャンマー | 1988年09月14日 | 1980年代 | ラングーンでは10万人規模のデモが行なわれた。反政府指導者は学生たちに対し,平和的な運動を行なうよう呼びかけた。 |
DIA-211-1988-09-14-2 | ミャンマー | 1988年09月14日 | 1980年代 | 頻発する略奪に対し,軍は発砲を開始,各地で死傷者が出た。 |
DIA-211-1988-09-15-1 | ミャンマー | 1988年09月15日 | 1980年代 | 急進的な学生らを中心にラングーン,マンダレー,モンユワ,プローム,モールメインなどで「決死隊」が組織されている。 |
DIA-211-1988-09-15-2 | ミャンマー | 1988年09月15日 | 1980年代 | 反政府側指導者と政権側との水面下交渉が始まったとの情報が飛び交った。 |
DIA-211-1988-09-16-1 | ミャンマー | 1988年09月16日 | 1980年代 | マウンマウン議長は声明を出し,国軍兵士,警察官,政府職員は計画党からの離脱の自由を認めると発表した。 |
DIA-211-1988-09-16-2 | ミャンマー | 1988年09月16日 | 1980年代 | ラングーン市内で急進派学生と国軍兵士が小競合い |
DIA-211-1988-09-16-3 | ミャンマー | 1988年09月16日 | 1980年代 | 日本大使館は在留邦人に対し国外退去を勧告した。 |
DIA-211-1988-09-17-1 | ミャンマー | 1988年09月17日 | 1980年代 | ビルマ全土で大規模なデモ,ストが行なわれ,各地で国軍との衝突が伝えられた。ラングーンでは貿易省本部が学生たちに一時占拠されたが,国軍部隊が銃撃して奪回,ミニゴン警察署なども学生たちの襲撃を受け,夜半にかけて険悪な情勢となった。 |
DIA-211-1988-09-17-2 | ミャンマー | 1988年09月17日 | 1980年代 | ソウマウン国防相は,三軍の将兵に向けて声明を発表し,「もはや国軍に計画党員は存在しない,全軍の将兵は国家の統一と尊厳のため,尽力すべきだ」と述べた。(注―後日判明したところでは,15日頃から国軍各師団司令官,参謀本部付高官らが集結して,軍の態度について協議。この間ネーウィン等旧政権指導者,反体制派支持の元軍人らとも合議したという) |
DIA-211-1988-09-17-3 | ミャンマー | 1988年09月17日 | 1980年代 | スーチー女史は声明を発表して,共産主義者Thakin Tin Myaは顧問の一人であるが,共産主義的政治を導入するつもりはないこと,また民主化運動は最終段階に入っており,武装闘争の必要はないなどと語った。 |
DIA-211-1988-09-18-1 | ミャンマー | 1988年09月18日 | 1980年代 | 国軍がクーデター,全権を掌握。午後4時,国営放送をつうじて,ソウマウン大将(国軍総参謀長)は,内閣,議会を解散し,全権を掌握したことを発表。ソウマウン大将を議長とする19人の国軍指導部による国家秩序回復委員会を設立。Than Shwe中将,Mg Mg Khin海軍参謀長,Tin Tun空軍参謀長ら及び各師団司令官,参謀本部主計総監,情報局長ら,軍指導部全員が含まれている。この声明のなかで,同大将は民主的な総選挙を実施することを表明。また午後8時から午前4時までの夜間外出禁止および5人以上の集会・デモの禁止を布告。さらに政府職員の職場復帰を通告,26日までに復帰しない場合は解雇するとした。 |
DIA-211-1988-09-18-2 | ミャンマー | 1988年09月18日 | 1980年代 | クーデター直後,学生らは各地で抗議行動を開始,18日夜から19日にかけて,国軍との衝突,またデモ隊に対し,国軍の無差別発砲が行なわれ,多数の死傷者が出た。ビルマ学生連盟は直ちに軍に対する批難声明を発表,学生達に徹底抗戦を呼びかけた。 |
DIA-211-1988-09-19-1 | ミャンマー | 1988年09月19日 | 1980年代 | 集会・デモ禁止令を無視して各地で抗議デモが行なわれ,ラングーンでは随所で国軍が発砲。死者は500人を超えたとの情報もある。 |
DIA-211-1988-09-19-2 | ミャンマー | 1988年09月19日 | 1980年代 | ラングーン市内は国軍兵士を満載したトラック,装甲車によって占領され,過激派学生達は地下に潜って,タイ国境カレン族反乱軍領域に逃れ始めた。 |
DIA-211-1988-09-20-1 | ミャンマー | 1988年09月20日 | 1980年代 | 軍政府は計画党以外の政党を禁止する法律および計画党への国庫からの助成金を出す法律を廃止した。また国名をビルマ連邦(Union of Burma)に変更。 |
DIA-211-1988-09-20-2 | ミャンマー | 1988年09月20日 | 1980年代 | 軍政は閣僚名簿を発表(首相は空席)。Saw Maung大将(国防相兼外相),Mg.M.Khin海軍少将(計画・財務,鉱業,エネルギー相),Tin Tun空軍少将(運輸・通信相),Phone Myint少将(内務・宗教,情文相),Aung Aye Kyaw准将(教育,労働・社会福祉相),Seing Aung准将(第1,第2工業相),Chit Swe准将(農林・水産相),Abel大佐(貿易相),Dr.Pe Thin(保健相)。 |
DIA-211-1988-09-20-3 | ミャンマー | 1988年09月20日 | 1980年代 | 学生・僧侶などの市民管理下にあった102の市・町村を国軍が奪還・制圧。 |
DIA-211-1988-09-21-1 | ミャンマー | 1988年09月21日 | 1980年代 | ビルマ各地で国軍の制圧行動に対し,反体制側が散発的に抵抗,軍は発砲を続けている。 |
DIA-211-1988-09-21-2 | ミャンマー | 1988年09月21日 | 1980年代 | 国家秩序回復委は,選挙管理法を公布。複数政党制による総選挙の実施を確認。行政区別に選挙委を設置し,1973年の旧選挙法を廃止した。 |
DIA-211-1988-09-21-3 | ミャンマー | 1988年09月21日 | 1980年代 | ソウマウン議長は反政府指導者(スーチー女史ら3人)に返書を送り,国家の治安と安定を回復した後,自由で公正な選挙を実施して,その後政権から退くことを表明。反政府デモを自制し,総選挙の実施に協力するよう申し入れた。 |
DIA-211-1988-09-22-1 | ミャンマー | 1988年09月22日 | 1980年代 | 反政府指導者3人は,ソウマウン議長の総選挙への参加・協力を促した返書に対し,これを拒否することを決定。 |
DIA-211-1988-09-22-2 | ミャンマー | 1988年09月22日 | 1980年代 | 国営放送は,国家秩序回復委が選挙後,新たに選ばれたものに政権を移譲することを約束する旨伝えた。 |
DIA-211-1988-09-22-3 | ミャンマー | 1988年09月22日 | 1980年代 | ソウマウン議長は空席としていた首相に就任。 |
DIA-211-1988-09-24-1 | ミャンマー | 1988年09月24日 | 1980年代 | 反政府指導者3人は,軍政に対する「統一戦線」を結成すると表明。また軍政に対し,(1)国軍の発砲によって殺された一般市民についての釈明,(2)民主化をもとめて逮捕された人の釈放,(3)暫定政権樹立を即時協議することなどの3項目を要求した。 |
DIA-211-1988-09-24-2 | ミャンマー | 1988年09月24日 | 1980年代 | クーデター以降の死者は合計300名を超えると正式発表。 |
DIA-211-1988-09-26-1 | ミャンマー | 1988年09月26日 | 1980年代 | 「ビルマ社会主義計画党」は,「国民統一党」(NUP)と名称を変え,選挙委に登録した。議長は元運輸・通信相U Tha Kyaw。 |
DIA-211-1988-09-26-2 | ミャンマー | 1988年09月26日 | 1980年代 | KNUキャンプに逃れてきた学生達のうち700人の学生が「ビルマ民主学生戦線」(BDSF)を結成することで合意。 |
DIA-211-1988-09-27-1 | ミャンマー | 1988年09月27日 | 1980年代 | 「国民民主連盟」(NLD)結成,これまでの「全国民主統一連盟」の名称を変更して,執行部を発表。議長にアウンジー元准将,副議長にティンウー元大将,書記長にアウンサン・スーチー女史が就任した。中執委は12人,うち少数民族代表3人,中央委は37人,うち少数民族代表7人,直ちに選管委に登録。またウーヌー元首相らは「民主主義党」として登録。 |
DIA-211-1988-09-27-2 | ミャンマー | 1988年09月27日 | 1980年代 | 政党登録法を制定。 |
DIA-211-1988-10-01-1 | ミャンマー | 1988年10月01日 | 1980年代 | ペグー管区秩序回復委議長,中央師団司令官Aye Thoung准将は当地の仏教高僧と会談,協力を要請。 |
DIA-211-1988-10-02-1 | ミャンマー | 1988年10月02日 | 1980年代 | シャン州北部Mong Yang地区でBCP軍が9月30日より政府軍陣地に対し大攻撃をかけている。これに対し政府軍は空軍の支援を得て反撃に転じ,拠点を奪回しつつある。この戦闘でBCP200名が戦死。 |
DIA-211-1988-10-02-2 | ミャンマー | 1988年10月02日 | 1980年代 | マンダレー全市が平静化。 |
DIA-211-1988-10-03-1 | ミャンマー | 1988年10月03日 | 1980年代 | 政府職員に対する職場復帰の期限のこの日,各職場での復帰率の平均は96.65%であった。なおもっとも高かったのは保健省の99.13%,低かったのはエネルギー省の93%であった。 |
DIA-211-1988-10-03-2 | ミャンマー | 1988年10月03日 | 1980年代 | 貿易相Abel大佐は中国大使館商務担当参事官と会見。 |
DIA-211-1988-10-03-3 | ミャンマー | 1988年10月03日 | 1980年代 | 参謀本部は9月19日に東部シャン州Mong Hpayakでラオス反政府軍(ラオ統一反乱軍)と交戦したことをこのほど明らかにした。捕獲品のなかに星条旗も含まれていた。 |
DIA-211-1988-10-04-1 | ミャンマー | 1988年10月04日 | 1980年代 | 人民民主党(党首はアウンサンの実兄U Aung Than)が登録。 |
DIA-211-1988-10-04-2 | ミャンマー | 1988年10月04日 | 1980年代 | 銀行業務が再開,1人当り週に1万チャットまでの引出しが可能となった。 |
DIA-211-1988-10-05-1 | ミャンマー | 1988年10月05日 | 1980年代 | Abel貿易相は複数政党制を実現するためにも,物価の安定が重要であることを強調。またラングーン市では,主に食料品の政府在庫を一般向けに放出。 |
DIA-211-1988-10-05-2 | ミャンマー | 1988年10月05日 | 1980年代 | 元赤旗共産党議長Thakin Soeを党首とする統一発展党が登録。 |
DIA-211-1988-10-08-1 | ミャンマー | 1988年10月08日 | 1980年代 | 第1特別作戦本部長Sein Aung少将は,このほどMong YangでのBCPとの戦闘で傷ついた将兵が入院している陸軍病院を視察。また各担当大臣は,管轄施設のダメージ状況などの視察を始めた。 |
DIA-211-1988-10-09-1 | ミャンマー | 1988年10月09日 | 1980年代 | 金属工業公社所属の貨物船が300㌧の砕米などをシンガポール向けに輸出するため出発。 |
DIA-211-1988-10-09-2 | ミャンマー | 1988年10月09日 | 1980年代 | 国連総会でビルマ政府代表U Mg Mg Gyiは,軍政は複数政党制を導入し,総選挙を実施することを確約しており,ビルマの政治体制はビルマ人自身が決めることになるなどと述べた。 |
DIA-211-1988-10-11-1 | ミャンマー | 1988年10月11日 | 1980年代 | 国家秩序回復委スポークスマンは,「登録を済ませた政党は,政党独自が開く会合については,刑法144条を適用しない」と言明。 |
DIA-211-1988-10-11-2 | ミャンマー | 1988年10月11日 | 1980年代 | これまで計画党が所有していた国家財産(建物,基金,自動車等)の全てが,国家に返却された。 |
DIA-211-1988-10-11-3 | ミャンマー | 1988年10月11日 | 1980年代 | 各大臣は省庁の高官を集め,行政能力の回復,事務の迅速化,汚職の追放などを指示。 |
DIA-211-1988-10-13-1 | ミャンマー | 1988年10月13日 | 1980年代 | 選挙管理委メンバーは,オーストラリア大使,日本大使などと会談,選挙実施などを説明。 |
DIA-211-1988-10-13-2 | ミャンマー | 1988年10月13日 | 1980年代 | Mong Yangで政府軍と共産軍との激戦が続いており,各地で前線兵士への慰問品が届けられている。 |
DIA-211-1988-10-13-3 | ミャンマー | 1988年10月13日 | 1980年代 | 各地で武器の摘発が行なわれている。 |
DIA-211-1988-10-14-1 | ミャンマー | 1988年10月14日 | 1980年代 | Hmawbi陸軍士官候補第16期訓練終了式に出席した陸軍参謀長Than Shwe中将は,「国軍兵士は規律を厳守して,国家と市民に対し常に忠誠でなければならない」などと述べた。 |
DIA-211-1988-10-14-2 | ミャンマー | 1988年10月14日 | 1980年代 | 選挙管理委議長U Ba Htayは登録を済ませた各政党代表者2人を呼び,総選挙までの手順等について,また現在の政府状況などについても説明。 |
DIA-211-1988-10-14-3 | ミャンマー | 1988年10月14日 | 1980年代 | 貿易相Abel大佐はシンガポール臨時代理大使と会見,二国間貿易について話し合った。 |
DIA-211-1988-10-17-1 | ミャンマー | 1988年10月17日 | 1980年代 | 国家秩序回復委情報委は記者会見し,国境地帯に逃れている学生の帰還については,希望する者の安全を保障する,などと述べた。 |
DIA-211-1988-10-17-2 | ミャンマー | 1988年10月17日 | 1980年代 | タイ国境Methawaw付近で,KNU軍と政府軍との激戦が続いている。 |
DIA-211-1988-10-18-1 | ミャンマー | 1988年10月18日 | 1980年代 | 夜間外出禁止を1時間短縮して,夜9時から朝4時までとした。 |
DIA-211-1988-10-18-2 | ミャンマー | 1988年10月18日 | 1980年代 | 韓国政府は合計15万㌦の医薬品を保健省に寄贈。 |
DIA-211-1988-10-20-1 | ミャンマー | 1988年10月20日 | 1980年代 | 貿易相Abel大佐は商工会議所のメンバーおよび米取引業者を集め,民間取引の活性化とその役割について説明。 |
DIA-211-1988-10-21-1 | ミャンマー | 1988年10月21日 | 1980年代 | 10月1日から21日までの間に政府軍は合計83回にわたって,各種反乱軍と戦闘,この間政府軍戦死者56名,負傷者110名。 |
DIA-211-1988-10-22-1 | ミャンマー | 1988年10月22日 | 1980年代 | ラングーン市内を中心に,陸軍兵士たちによるクリーン作戦が開始され,市内の清掃が行なわれている。 |
DIA-211-1988-10-23-1 | ミャンマー | 1988年10月23日 | 1980年代 | 約40人の高校生らがMayangon第3高等学校で反政府集会を開いた。治安部隊が出動して銃撃戦の末,1人が死亡,2人が負傷した。これらの学生は秘密に軍事訓練を行ない,治安部隊からの武器の強奪を企てていたと説明。 |
DIA-211-1988-10-24-1 | ミャンマー | 1988年10月24日 | 1980年代 | 政府はタイ国境付近に逃れている学生たちに対し,航空機から,軍の真の姿勢を説明するビラを投下。 |
DIA-211-1988-10-24-2 | ミャンマー | 1988年10月24日 | 1980年代 | 政府軍は,KIA,共産軍,KNUの攻撃に対し,各地で反撃に転じている状況を説明。 |
DIA-211-1988-10-27-1 | ミャンマー | 1988年10月27日 | 1980年代 | 治安部隊はラングーン市内Thayettaw寺院内から武器,弾薬など多数発見,これを押収。これらの武器はいずれも9月17日に,貿易省を守っていた治安部隊が襲撃された際,盗み出されたもの。 |
DIA-211-1988-10-27-2 | ミャンマー | 1988年10月27日 | 1980年代 | 鉄道公社は世銀融資により,中国製客車65輛を購入するため交渉を開始。 |
DIA-211-1988-10-28-1 | ミャンマー | 1988年10月28日 | 1980年代 | Saw Maung大将は第39期参謀士官訓練コース終了式に出席し,演説。このなかで同大将は「軍は人民のなかから生まれたもの。常に人民と共になければならない」「軍人は如何なる政治組織にも加わってはならない」などと述べた。 |
DIA-211-1988-10-29-1 | ミャンマー | 1988年10月29日 | 1980年代 | 貿易省は,経済改革の一環として,民間および協同組合が独自に取引業を行ないやすくするため,これまでこうした民間取引を規制していた法令・規則5種穎を廃止する旨通達。なお同日付でエネルギー省は,石油製品および天然ガス製品の販売・取引は国営企業,協同組合および公認民間取引者のみが扱うことができる旨を通達。 |
DIA-211-1988-10-31-1 | ミャンマー | 1988年10月31日 | 1980年代 | 10月までに登録申請した政党は合計73党になった。登録申請し,許可された政党は事務所を設立,街角にはこうしたサインボードが目立つようになった。 |
DIA-211-1988-10-31-2 | ミャンマー | 1988年10月31日 | 1980年代 | 中国政府は,スポーツ用具を寄贈。 |
DIA-211-1988-10-31-3 | ミャンマー | 1988年10月31日 | 1980年代 | 国営新聞の価格をこれまでの1日25ピアから1チャットに引き上げると発表(11月1日から)。 |
DIA-211-1988-11-01-1 | ミャンマー | 1988年11月01日 | 1980年代 | マンダレーでロウソクの灯がもとで,火事となり合計238戸の民家が焼失,1077人が焼け出された。 |
DIA-211-1988-11-03-1 | ミャンマー | 1988年11月03日 | 1980年代 | タボイ地区Thayetchaung郡内で政府軍はBCP Tin Shein派軍と交戦。この際2人の共産軍兵士を捕虜とした。彼らの証言によると,BCPは同地区で35人の学生たちに対し軍事訓練を与え,学生たちから保護料を取っていたという。 |
DIA-211-1988-11-04-1 | ミャンマー | 1988年11月04日 | 1980年代 | 国家秩序回復委情報委は記者会見で要旨次のように説明。(1)10月末まで計751の学生が帰還,(2)帰還した学生は逮捕されていない,(3)ソ連の軍事顧問を受け入れたとする外電報道は事実でない,(4)スーチー女史の夫Michael Ariと2人の息子(英国籍)は7月22日以来,1週間のビザでこれまで数回の延長をしてきたが,最終的に11月3日に期限が切れる。スーチー女史に対する政治的圧力ではない。単純なビザ問題である。 |
DIA-211-1988-11-08-1 | ミャンマー | 1988年11月08日 | 1980年代 | 国営新聞には連日,国家秩序回復委からのメッセージが掲載され,「法と秩序と平和が確保された時にのみ国民の生活,財産,安全が保鉦され自由と平和を享受することができる。国軍はこのための義務を果すことに全力を挙げるが,連邦の全民族の協力をお願いする」などの内容となっている。 |
DIA-211-1988-11-09-1 | ミャンマー | 1988年11月09日 | 1980年代 | 内宗相兼情報相Phone Hyint少将は関係省庁担当官を集め,汚職の追放と撤底摘発を行なうよう指示。 |
DIA-211-1988-11-09-2 | ミャンマー | 1988年11月09日 | 1980年代 | シャン州秩序回復委・北東師団司令官Maung Thint大佐は,開設された中国,ビルマ国箋貿易における関税徴収の方法などについて関係者と協議。 |
DIA-211-1988-11-09-3 | ミャンマー | 1988年11月09日 | 1980年代 | ビルマ国営放送はラジオ・テレビともに12月1日から商業広告放送(CM)を開始すると発表。 |
DIA-211-1988-11-10-1 | ミャンマー | 1988年11月10日 | 1980年代 | 貿易省は,対外貿易の自由化に関する法令改正を発表。1947年の輸出入管理法,1955年の業者登録法等を改正した。これによると,合弁企業,民間会社なども輸出入業務を行なうことができ,それぞれの登録料などを定めた。 |
DIA-211-1988-11-10-2 | ミャンマー | 1988年11月10日 | 1980年代 | 15人から成るカレンニ反乱軍攻撃部隊がローピタ発電所をロケット砲で攻撃,変圧器3基が破壊され,ラングーン,マンダレー向け送電に影響が出ている。 |
DIA-211-1988-11-11-1 | ミャンマー | 1988年11月11日 | 1980年代 | これまでに919人の学生が帰還。 |
DIA-211-1988-11-12-1 | ミャンマー | 1988年11月12日 | 1980年代 | 10月25日にシュウェーダゴン・パゴダで約50人の高校生らが反政府スローガンを叫んでデモ行進した事件で,9人の学生が逮捕,うち5人は釈放された。 |
DIA-211-1988-11-13-1 | ミャンマー | 1988年11月13日 | 1980年代 | 治安部隊は学生地下組織の学生民主運動(Sanchaung)のメンバー6人を逮捕。その後さらに4人を逮捕。彼らは「新社会のための民主党」のメンバー証を所持していた。 |
DIA-211-1988-11-18-1 | ミャンマー | 1988年11月18日 | 1980年代 | 建設相Tin Tun空軍少将はシンガポール大使と,また秩序回復委書記長Khin Nyunt准将はオーストラリア大使と,貿易相Abel大佐はエジプト大使とそれぞれ会談。 |
DIA-211-1988-11-19-1 | ミャンマー | 1988年11月19日 | 1980年代 | 農産物交易公社(AFPTC)は全国161郡で籾の買付を開始した。購入価格の上限は,100バスケット当りつぎのとおり。Ngakywe(K2000),Mee-don(K1900),Special Ematha(K1900),Ematha(K1800),Ngasein(K1700),Kaukhnyin(K1700)。 |
DIA-211-1988-11-19-2 | ミャンマー | 1988年11月19日 | 1980年代 | 学生地下組織“Revolution in Time Association”のメンバー4人が逮捕された。 |
DIA-211-1988-11-19-3 | ミャンマー | 1988年11月19日 | 1980年代 | 畜・水産省はビルマ海域での漁業権を売却する旨発表。入札方式による外貨建。 |
DIA-211-1988-11-19-4 | ミャンマー | 1988年11月19日 | 1980年代 | Myawaddy付近を通行中の自動車が次々にKNU軍の攻撃を受け,4人が死亡1人が負傷。 |
DIA-211-1988-11-20-1 | ミャンマー | 1988年11月20日 | 1980年代 | 特別作戦第2本部長Chit Swe少将は陸軍病院を訪ね,傷病将兵を見舞った。 |
DIA-211-1988-11-21-1 | ミャンマー | 1988年11月21日 | 1980年代 | WDP紙はアメリカの議員Dana Rohrabacherがこのほどタイ領からビルマ領内へ不法入国し,反政府学生組織と接触した旨のBangkok Post紙(11月17日付)およびNation紙(11月16日付)の記事を転載して,こうした行為を激しく非難。 |
DIA-211-1988-11-21-2 | ミャンマー | 1988年11月21日 | 1980年代 | Thandaung郡Laiktho村の高圧電線塔がKNU軍によって破壊された。 |
DIA-211-1988-11-22-1 | ミャンマー | 1988年11月22日 | 1980年代 | 選管委書記長U Aye Maungは日本大使館熊田参事官と会見。 |
DIA-211-1988-11-23-1 | ミャンマー | 1988年11月23日 | 1980年代 | 駐ビルマ・アメリカ大使Burton Levinは,一時帰国の際VOAのインタビューに答えて「軍政は総選挙を実施することを約束している」などと述べた。 |
DIA-211-1988-11-23-2 | ミャンマー | 1988年11月23日 | 1980年代 | All-Burma Students Democracy Movement(Ma-Ka-Da)所属の学生達6名が逮捕された。 |
DIA-211-1988-11-23-3 | ミャンマー | 1988年11月23日 | 1980年代 | 国軍はタイ国境付近にいる学生たちに帰還を呼びかけるビラを同付近上空からまいた。 |
DIA-211-1988-11-24-1 | ミャンマー | 1988年11月24日 | 1980年代 | 元大統領が政党結成。U Win Maung元大統領(議長),Bohmu Aung元国防相(副議長),ら元政治家たちが民主平和連盟(LFDP)を結成,登録した。中央委には,Thakin Thein Pe ,Dr.Vom Ko Hau,U Ba Swe,Thakin Chitらが含まれている。 |
DIA-211-1988-11-24-2 | ミャンマー | 1988年11月24日 | 1980年代 | ソウマウン大将は新任駐ビルマ・マレーシア大使の信任状を受理,軍政になって初めての信任状奉呈である。 |
DIA-211-1988-11-24-3 | ミャンマー | 1988年11月24日 | 1980年代 | 8月以降閉鎖中だったラングーン動物園および歴史博物館が12月1日から再開する,とWPD紙報道。 |
DIA-211-1988-11-25-1 | ミャンマー | 1988年11月25日 | 1980年代 | 秩序回復委は,インド放送(All India Radio)が行なった「ビルマ国軍への国民の献金・慰問は,国民の意志ではなく,国軍の誇大宣伝だ」などとする一連の放送に反発,「事実無根で,内政干渉もはなはだしい」などの声明を発表。 |
DIA-211-1988-11-27-1 | ミャンマー | 1988年11月27日 | 1980年代 | カチン州Mohnyinの警察署及び政府軍第15連隊本部が,約400人のKIA反乱軍第5,第11大隊によって襲撃され,約2時間にわたって激戦,KIA5名戦死,政府軍3名と住民3名が死亡。なおKIA軍は警察署から23丁の武器と25万5619チャットを奪った。 |
DIA-211-1988-11-27-2 | ミャンマー | 1988年11月27日 | 1980年代 | Saw Maung大将ら軍幹部は,国軍前線兵士に寄せた国民の献金や慰問に感謝するため,Kaba Aye寺院で高僧を集め“Soon”(僧に食物を与える)の儀式を行なった。 |
DIA-211-1988-11-27-3 | ミャンマー | 1988年11月27日 | 1980年代 | 全国仏教僧侶委員会(State Sangha Maha Nayaka)は2日間の総会を終えた。政治問題については特に討議されなかった。 |
DIA-211-1988-11-27-4 | ミャンマー | 1988年11月27日 | 1980年代 | ラングーン市内の寺院内で手榴弾が爆発,1人の僧侶が負傷したが,この僧は,手榴弾,火炎びんなど手製の武器を退蔵していたことが解り逮捕された。 |
DIA-211-1988-11-28-1 | ミャンマー | 1988年11月28日 | 1980年代 | 監査・代理業公社は,ラングーン市内に輸入自動車の販売ショールームを開設。 |
DIA-211-1988-11-28-2 | ミャンマー | 1988年11月28日 | 1980年代 | ソ連大使は教育省に対し,科学・技術関係書籍を寄贈。 |
DIA-211-1988-11-29-1 | ミャンマー | 1988年11月29日 | 1980年代 | 人民警察軍長官Thura Pe Aung大佐は,各地の警察,警備状況を視察。 |
DIA-211-1988-11-29-2 | ミャンマー | 1988年11月29日 | 1980年代 | 北部シャン州秩序回復委議長Tin Oo大佐(北東師団副司令官)はこのほど開設された中国との国境貿易中継地Kutkai,Namphatka,Muse,Kyuhkok,Namkhamを視察。 |
DIA-211-1988-11-29-3 | ミャンマー | 1988年11月29日 | 1980年代 | Ye=Moulmein間を運行中の列車がモン反乱軍敷設の地雷爆破で破壊され,また10人の反乱軍による射撃を受け乗客26名が死亡,31名が負傷した。 |
DIA-211-1988-11-30-1 | ミャンマー | 1988年11月30日 | 1980年代 | 外資法(Foreign Investment Law)制定。これにより民間外資による企業設立が可能となった。外資比率は35%から100%まで。また外資委員会を設立する。 |
DIA-211-1988-11-30-2 | ミャンマー | 1988年11月30日 | 1980年代 | モスクワで駐ソ大使U Tin TunはRogachev外務次官と会談。 |
DIA-211-1988-11-30-3 | ミャンマー | 1988年11月30日 | 1980年代 | 農水相Chit Swe少将はマレーシア大使と会談。 |
DIA-211-1988-11-30-4 | ミャンマー | 1988年11月30日 | 1980年代 | 11月末までの政党登録は合計118。 |
DIA-211-1988-12-01-1 | ミャンマー | 1988年12月01日 | 1980年代 | 貿易相Abel大佐は記者会見で,外資法について説明。このなかで,外資は輸出促進企業を最優先し,国有化しないことを保証するなどと述べた。 |
DIA-211-1988-12-01-2 | ミャンマー | 1988年12月01日 | 1980年代 | 中国との国境貿易について説明。国営企業は輸出額の100%,協同組合は75%,民間企業は60%相当分の物資を輸入することができる。なお協組民間企業はそれぞれ25%,40%分についてはビルマ輸出入公社(MEIC)が発注する輸入物資に充てることになった。 |
DIA-211-1988-12-02-1 | ミャンマー | 1988年12月02日 | 1980年代 | エネルギー相Mg Mg Khin海軍少将は中国大使と会談,石油輸入について話し合う。 |
DIA-211-1988-12-03-1 | ミャンマー | 1988年12月03日 | 1980年代 | 第68回ナショナル・デー(国民休日)の記念式典が行なわれ,ラングーン師団司令官Myo Nyunt准将らが出席。 |
DIA-211-1988-12-06-1 | ミャンマー | 1988年12月06日 | 1980年代 | 計画・財務,エネルギー・鉱山相Mg Mg Khin海軍少将らは北部シヤン州各地区を訪問,中国との国境貿易の現状などを視察,同相は「対外経済開放政策にもとづき,他の国境貿易も開設する準備をしている」などと述べた。 |
DIA-211-1988-12-07-1 | ミャンマー | 1988年12月07日 | 1980年代 | 外資法に基づく外国投資委員会が設立。議長に計画財務相,その他10名の閣僚から成る。 |
DIA-211-1988-12-08-1 | ミャンマー | 1988年12月08日 | 1980年代 | 各地で稲刈りが始まっているが,今年度産米の収穫は好調で,政府の買付けも順調である。 |
DIA-211-1988-12-09-1 | ミャンマー | 1988年12月09日 | 1980年代 | 秩序回復委は記者会見。この中で中国との国境貿易は順調で,すでに貿易省出張所はLashio,Muse,Kyhkokに開設されていること,これまでに海外各国から合計19社が漁業権購入について交渉を開始していることなどを明らかにした。 |
DIA-211-1988-12-12-1 | ミャンマー | 1988年12月12日 | 1980年代 | ソウマウン大将はタイ大使と会談。 |
DIA-211-1988-12-13-1 | ミャンマー | 1988年12月13日 | 1980年代 | 貿易相Abel大佐は中国大使と会談,経済,技術・観光協力などについて話し合った。 |
DIA-211-1988-12-13-2 | ミャンマー | 1988年12月13日 | 1980年代 | 政府は食糧品などを安価で販売する福祉商店を各地で開設している。福祉商店価格と実勢とは次のように差がある。かっこ内実勢価格,米5.75チャット(9~10チャット),食用油19チャット(40チャット),玉ねぎ18~20チャット(28~30チャット),トリ肉35チャット(70~80チャット),魚24チャット(45~50チャット)。 |
DIA-211-1988-12-14-1 | ミャンマー | 1988年12月14日 | 1980年代 | タイ国軍最高司令官代行Chavalit大将とその一行が到着。ソウマウン大将と会見。国境に居るビルマ人学生の送還について協議,また両大将は両国の親善と友好関係を進めることに合意。同日中に帰国。また一行に同行した記者団に対し,外務省政務局長U Ohn Gyawが現在の諸状況について説明。 |
DIA-211-1988-12-16-1 | ミャンマー | 1988年12月16日 | 1980年代 | 秩序回復委は記者会見で,(1)帰還を希望する学生は,在タイ・ビルマ大使館で5000バーツが提供される,(2)Chavalit大将は学生帰還について全面協力すると約束,(3)12月15日まで合計1587人の学生が帰還したなどを明らかにした。 |
DIA-211-1988-12-16-2 | ミャンマー | 1988年12月16日 | 1980年代 | Aung Gyi元准将を総裁とする連邦民族民主党(UNDP)が登録,Aung Gyi元准将は11月末に,スーチー女史の周りには共産主義者がいるとしてNLDを脱退した。 |
DIA-211-1988-12-19-1 | ミャンマー | 1988年12月19日 | 1980年代 | ビルマ海域の漁業権売却について,日本(大洋漁業,三和貿易),タイ,マレーシア,韓国などの水産会社11社と仮契約を結んだことを明らかにした。 |
DIA-211-1988-12-19-2 | ミャンマー | 1988年12月19日 | 1980年代 | 西独から19人の観光客が到着,軍政になって最初の観光団。 |
DIA-211-1988-12-20-1 | ミャンマー | 1988年12月20日 | 1980年代 | マレーシア大使,選管委議長と会見。 |
DIA-211-1988-12-20-2 | ミャンマー | 1988年12月20日 | 1980年代 | タイ政府は,ビルマ人学生の帰還者を収容するための受入れキャンプをタークに設営,オープンした。 |
DIA-211-1988-12-20-3 | ミャンマー | 1988年12月20日 | 1980年代 | 秩序回復委は全国の夜間外出禁止時間を1時間短縮して,午後10時から午前4時までとすると発表。 |
DIA-211-1988-12-22-1 | ミャンマー | 1988年12月22日 | 1980年代 | ソウマウン大将はエジプト大使の信任状奉呈を受けた。また貿易相Abel大佐はソ連大使と会談。 |
DIA-211-1988-12-22-2 | ミャンマー | 1988年12月22日 | 1980年代 | ビルマ赤十字代表団が,タークのビルマ人学生帰還キャンプを支援するため出発。 |
DIA-211-1988-12-23-1 | ミャンマー | 1988年12月23日 | 1980年代 | 秩序回復委は内外記者団との記者会見で,22日までに学生1683名が帰還したと発表。 |
DIA-211-1988-12-23-2 | ミャンマー | 1988年12月23日 | 1980年代 | ラングーン市内の食料品卸売価格が下落し始め,おおむね20~50%の値下がりとなった。 |
DIA-211-1988-12-26-1 | ミャンマー | 1988年12月26日 | 1980年代 | ソウマウン大将は中国大使と会談,Khin Nyunt准将らも同席。 |
DIA-211-1988-12-26-2 | ミャンマー | 1988年12月26日 | 1980年代 | タイ領のキャンプに出頭したビルマ人学生たちの第1陣80名がラングーンに到着,Khin Nyunt准将らが出迎えた。 |
DIA-211-1988-12-27-1 | ミャンマー | 1988年12月27日 | 1980年代 | アウンサン将軍の未亡人でスーチー女史の実母Maha Thisi Thudhamma Daw Khin Kyi(77歳)が死去。彼女は1942年ラングーンの病院看護婦長を務めていた頃,アウンサン将軍と結婚,3人の子供(息子2人,娘1人)を生んだ。なお葬儀は1月2日。 |
DIA-211-1988-12-27-2 | ミャンマー | 1988年12月27日 | 1980年代 | ビルマ人学生第2陣51人がラングーンに帰還,ラングーン師団司令官Myo Nyunt准将が歓迎のあいさつ。 |
DIA-211-1988-12-29-1 | ミャンマー | 1988年12月29日 | 1980年代 | 中国手工芸輸出入公社責任者を団長とする貿易代表団が来訪。 |
DIA-211-1988-12-30-1 | ミャンマー | 1988年12月30日 | 1980年代 | 国家秩序回復委は1月2日に予定されているアウンサン将軍未亡人の葬儀に関し,国民は平和裡に葬送するよう要請。 |
DIA-211-1988-12-30-2 | ミャンマー | 1988年12月30日 | 1980年代 | 秩序回復委は記者会見で,(1)ビルマ人学生の帰還はタイ政府との協力でスムースに行なっている,(2)VOAが放送した3分の1の政府職員が免職されたというのは事実無限,(3)約90万人の政府および政府企業職員のうち退職したのは494人であることなどを明らかにした。 |
DIA-211-1988-12-30-3 | ミャンマー | 1988年12月30日 | 1980年代 | 国防相は,タイ,ビルマ国境で続いていたKNU軍との激戦について報告。このほど重要拠点のMethawawを政府軍が奪回したこと,また3カ月間の激戦で政府軍側は242人が戦死,KNU軍400人が戦死し,多数が負傷したなどと発表。 |
DIA-211-1988-12-31-1 | ミャンマー | 1988年12月31日 | 1980年代 | これまでに登録申請を済ませた政党は合計190となった。 |
DIA-211-1988-12-31-2 | ミャンマー | 1988年12月31日 | 1980年代 | アウンサン将軍未亡人の葬儀委員会が結成され,委員長にBohmu Aung元国防相,メンバーにTin Oo元大将らがいる。 |
DIA-211-1989-01-01-1 | ミャンマー | 1989年01月01日 | 1980年代 | SLORC議長ソウマウン(Saw Maung)大将,同委第1書記Khin Nyunt准将,情文相Phone Myint准将らはアウンサン将軍未亡人Daw Khin Kri(77歳)逝去に際し,弔問のためスーチー女史宅を訪れ,スーチー女史,女史の兄U Aung San U(外国在住)らと会談。なお,未亡人の遺体はシュウェーダゴン・パゴダ前のタキン・コドウ・フマインの墓地隣に埋葬された。 |
DIA-211-1989-01-03-1 | ミャンマー | 1989年01月03日 | 1980年代 | SLORCは1989年度の僧侶に対する栄誉称号授与者を発表,最高称号のAbdhihaza Maha Rattha Guruに2名,Agga Maha Panditaに10名をそれぞれ選んだ。 |
DIA-211-1989-01-03-2 | ミャンマー | 1989年01月03日 | 1980年代 | SLORCは1989年度国家功労賞を発表。第1等国家功労賞(Naing-Ngan Goat-yi)にU Pe Myaing,U Myint Lwinが選ばれ,Thiha Thura賞2名,Thura賞21名をそれぞれ発表。 |
DIA-211-1989-01-04-1 | ミャンマー | 1989年01月04日 | 1980年代 | 第41回独立記念日晩さん会がソウマウン大将共催で開かれ,選管委,外交団などが招かれた。 |
DIA-211-1989-01-06-1 | ミャンマー | 1989年01月06日 | 1980年代 | SLORC記者会見で「タイ国境より帰国した学生たちは,当局により逮捕されたり,殺害されたりしている」とのVOA,BBC,インド国営放送の報道を否定,事実無根であると説明。 |
DIA-211-1989-01-06-2 | ミャンマー | 1989年01月06日 | 1980年代 | 貿易省布告89年1号において,商人・資本家組合の設置が発表される。 |
DIA-211-1989-01-07-1 | ミャンマー | 1989年01月07日 | 1980年代 | 貿易相Abel大佐はラングーン近郊の米貯蔵所を視察,米価値上がりに警告。 |
DIA-211-1989-01-07-2 | ミャンマー | 1989年01月07日 | 1980年代 | ラングーン師団司令官Myo Nyunt准将は,このほどタイから帰国した学生たちの歓迎会に出席。 |
DIA-211-1989-01-08-1 | ミャンマー | 1989年01月08日 | 1980年代 | 陸軍兵士を動員してのラングーン市内の清掃キャンペーンを開始。 |
DIA-211-1989-01-11-1 | ミャンマー | 1989年01月11日 | 1980年代 | ラングーン管区LORC議長Myo Nyunt准将は管区内郡LORCメンバー400人と会談。 |
DIA-211-1989-01-12-1 | ミャンマー | 1989年01月12日 | 1980年代 | Saw Maung議長は選挙法の内容について中央選管委と協議。 |
DIA-211-1989-01-12-2 | ミャンマー | 1989年01月12日 | 1980年代 | 逃亡学生第5陣76名がラングーンに帰還。 |
DIA-211-1989-01-13-1 | ミャンマー | 1989年01月13日 | 1980年代 | 逃亡学生第6陣32名が帰還。 |
DIA-211-1989-01-14-1 | ミャンマー | 1989年01月14日 | 1980年代 | 逃亡派学生第6陣に同行した外人記者団と学生および政府関係者との記者会見が開かれ,帰還学生に対する逮捕はないことを言明,この日第7陣28名が帰還。 |
DIA-211-1989-01-14-2 | ミャンマー | 1989年01月14日 | 1980年代 | 畜水相・農林相Chit Swe少将がマレーシアへ。 |
DIA-211-1989-01-15-1 | ミャンマー | 1989年01月15日 | 1980年代 | 貿易相Abel大佐はペグー管区内の精米・集米施設等を視察。 |
DIA-211-1989-01-17-1 | ミャンマー | 1989年01月17日 | 1980年代 | Saw Maung議長は来訪中のAsiaweek誌らの記者と会見,陸軍参謀長Than Shwe中将らも出席。 |
DIA-211-1989-01-17-2 | ミャンマー | 1989年01月17日 | 1980年代 | 計画・財務相Mg.Mg.Khin空軍少将,世銀代表団と会見。 |
DIA-211-1989-01-18-1 | ミャンマー | 1989年01月18日 | 1980年代 | SLORCは,合名会社の登録料等の改正を発表した(SLORC法89-1号)。 |
DIA-211-1989-01-20-1 | ミャンマー | 1989年01月20日 | 1980年代 | 来訪中の在タイ外国人記者クラブ所属記者団がラングーンでKhin Nyunt准将,Abel大佐らと会見。要旨つぎのとおり,(1)国内秩序が取戻されれば選挙は実施。(2)選挙活動は徐々に許される。(3)軍政は選挙を実施するのみの政府である。(4)政党間の対立が起これば,われわれはこれをコントロールする。 |
DIA-211-1989-01-21-1 | ミャンマー | 1989年01月21日 | 1980年代 | SLORCは,会社の登録料等の改正を発表した(SLORC法89-2号)。 |
DIA-211-1989-01-22-1 | ミャンマー | 1989年01月22日 | 1980年代 | 貿易相,モーリシャスの貿易代表団と会見。 |
DIA-211-1989-01-22-2 | ミャンマー | 1989年01月22日 | 1980年代 | KNU基地から87名の逃亡学生が帰還。 |
DIA-211-1989-01-22-3 | ミャンマー | 1989年01月22日 | 1980年代 | 外人記者団,タウンジーで,帰還学生と会見。 |
DIA-211-1989-01-23-1 | ミャンマー | 1989年01月23日 | 1980年代 | 選管委は,各政党の宣伝用印刷物,ビデオなどの発行に際し,印刷・出版物登録法に基づいて審査すると通達。 |
DIA-211-1989-01-24-1 | ミャンマー | 1989年01月24日 | 1980年代 | SLORC第1書記Khin Nyunt准将は,東独臨時代理大使と,選管委議長U Ba Htayはマレーシア大使と,計画・財務相Mg.Mg.Khin少将は,韓国大使とそれぞれ会談。 |
DIA-211-1989-01-25-1 | ミャンマー | 1989年01月25日 | 1980年代 | 教育機関が閉鎖しているため,民間では「補習教室」が盛んに開かれている。これに対し政府は「これらの民間教室が反政府運動の温床になっている」として批判,さらに「治安が回復次第,速やかに教育施設を再開する」と述べ,教師,父兄を呼びかけた。 |
DIA-211-1989-01-26-1 | ミャンマー | 1989年01月26日 | 1980年代 | 関税法(Tariff Act,1953)改正,米以外の農・水産物の国境貿易に関わる輸出関税率を改正。豆類は20%,香辛料10%,生鮮魚25%など(SLORC法89-4号)。 |
DIA-211-1989-01-27-1 | ミャンマー | 1989年01月27日 | 1980年代 | 国家の籾買い上げ目標量は1億1946万4000バスケット(約249万㌧)で,1月26日現在の買い上げ量は6040万バスケット(約126万㌧)である。 |
DIA-211-1989-01-27-2 | ミャンマー | 1989年01月27日 | 1980年代 | バングラデシュから帰国した4名の学生によると,多くの米がバングラデシュに闇で輸出されている,という。 |
DIA-211-1989-01-28-1 | ミャンマー | 1989年01月28日 | 1980年代 | Bo Yan Naing死亡(71歳)。30人の志士の1人,1970年にウーヌー派軍(PDP)に加わり,タイに亡命,1980年8月に特赦によって帰国。 |
DIA-211-1989-01-28-2 | ミャンマー | 1989年01月28日 | 1980年代 | 運輸・通信省は2月1日からの新旅客・貨物運賃を発表した。 |
DIA-211-1989-01-31-1 | ミャンマー | 1989年01月31日 | 1980年代 | 選管委,アメリカ代理大使と会見。 |
DIA-211-1989-02-01-1 | ミャンマー | 1989年02月01日 | 1980年代 | タイ赤十字代表団が保健省の招きで来訪。亡命学生に対する協力に応えたもので4日間。 |
DIA-211-1989-02-01-2 | ミャンマー | 1989年02月01日 | 1980年代 | ビルマ輸出入公社(MEIC)は中国との国境貿易で,これまでに1500㌧(18万㌦)のメイズを輸出,この収入で合計1050万チヤット相当の消費財を輸入,これまでに(2ヵ月間)3500万チヤットの関税収入を得た。 |
DIA-211-1989-02-03-1 | ミャンマー | 1989年02月03日 | 1980年代 | オーストラリア上院議員シャハトが来訪。中央選管委議長U Ba Htayと会見,投票方法などについて意見交換,同議員は選挙法関係文献,オーストラリアの投票風景などのビデオ・テープを寄贈。 |
DIA-211-1989-02-04-1 | ミャンマー | 1989年02月04日 | 1980年代 | ソウマウンSLORC議長は来訪中のタイ赤十字代表団と会見。 |
DIA-211-1989-02-05-1 | ミャンマー | 1989年02月05日 | 1980年代 | WPD紙は,1月27日付のAsiaweekに掲載された同誌記者とソウマウン議長との会見内容を全文転載。このなかでネーウィン元議長やSein Lwinとの関係について「彼らは引退したのである。クーデター決起について事前に彼らに相談したり,知らせたことはない。われわれだけで決断したのだ。ネーウィンは私にとって父親のようなもので,相談しに行くこともある」など,と述べた。 |
DIA-211-1989-02-06-1 | ミャンマー | 1989年02月06日 | 1980年代 | Kyondo付近で,マイクロバスがKNU軍に攻撃され,乗客9名死亡,11名負傷。 |
DIA-211-1989-02-08-1 | ミャンマー | 1989年02月08日 | 1980年代 | 中央選管委議長U Ba Htayは来訪中のAFP記者たちと会見,「自由で公正な選挙を行なうよう選挙法を策定中である」と述べた。 |
DIA-211-1989-02-09-1 | ミャンマー | 1989年02月09日 | 1980年代 | 政府は,公務員および国営企業職員の給与を4月1日から大幅に引き上げると発表。 |
DIA-211-1989-02-09-2 | ミャンマー | 1989年02月09日 | 1980年代 | SLORCは閣僚の担当を以下のように変更。Mg.Mg.Khin海軍少将(鉱業,エネルギー),Tin Tun空軍少将(運輸・通信,社会福祉・労働),Aung Ye Kyaw准将(建設,協相),Chit Swe少将(畜水,農林),Abel大佐(計画・財務,貿易),Dr.Pe Thein(保健,教育)。 |
DIA-211-1989-02-09-3 | ミャンマー | 1989年02月09日 | 1980年代 | SLORC第26回記者会見。(1)ビルマ海域での漁業権売却は,計217業者(タイ141,マレイシア40,香港20,シンガポール10,韓国6)となり,契約者(既操業)は110業者で,年間1760万㌦の収入見込。漁船トン当り年60チヤット,漁獲トン当り15チヤット,(2)今年産米収穫量6億4950万バスケット(籾)見込,(3)石けん,歯みがき粉,びん,粉ミルク,砂糖,繊維製品は騒乱時に工場が破壊されたため,生産されておらず,国境貿易で中国から輸入している。 |
DIA-211-1989-02-09-4 | ミャンマー | 1989年02月09日 | 1980年代 | 全国民主連盟(NLP)は新中執委を発表。U Tin Oo(議長),Daw Aung San Suu Kyi(書記長),U Win Tin(書記),U Chit Khine(書記)。メンバー:U Kyi Maung,U Aung Shwe,U Lwin,U Aung Lwin,Daw Myint Myint Khin。 |
DIA-211-1989-02-10-1 | ミャンマー | 1989年02月10日 | 1980年代 | Mogaung郡Lwe Law村でKIAの地雷が爆発,婦人1名が死亡。 |
DIA-211-1989-02-10-2 | ミャンマー | 1989年02月10日 | 1980年代 | アジア経済研究所代表団(桐生,野口)は,Ohn Gyaw外次官と会見,席上同次官は「選挙スケジュールは間もなく発表され,選挙法は3月1日に発表される」と述べた。 |
DIA-211-1989-02-12-1 | ミャンマー | 1989年02月12日 | 1980年代 | 第42回連邦記念日。例年行なわれる展示場,中央記念式典,連邦旗リレーは全て中止,小規模の式典が地区別に行なわれた。なおソウマウン議長夫妻主催の晩さん会は例年どおり行なわれ,各民族代表団らが出席。 |
DIA-211-1989-02-13-1 | ミャンマー | 1989年02月13日 | 1980年代 | Pa-an郡Hton-ai村に60名のKNU軍が侵入,略奪,放火。警察隊が応戦。 |
DIA-211-1989-02-14-1 | ミャンマー | 1989年02月14日 | 1980年代 | 貿易相Abel大佐は香港上海銀行代表団と会見。 |
DIA-211-1989-02-15-1 | ミャンマー | 1989年02月15日 | 1980年代 | 政府はバングラデシュのサイクロン被害に際し,米300㌧を寄贈。 |
DIA-211-1989-02-16-1 | ミャンマー | 1989年02月16日 | 1980年代 | 中央選管委,総選挙スケジュールを発表。これによると,3月1日に選挙法案を公示。その後各段階の準備を経て,14ヵ月後に選挙を実施するとした。 |
DIA-211-1989-02-16-2 | ミャンマー | 1989年02月16日 | 1980年代 | 木材公社は,このほど香港,日本などの木材業者に対して,チーク材の競売を行ない,総額300万㌦を売上げ。 |
DIA-211-1989-02-16-3 | ミャンマー | 1989年02月16日 | 1980年代 | Mergui市の中心街で火災。2日間にわたって燃え,2059戸が焼失,3700家族,2万2008人が罹災。後日この火災はNLD書記長スーチー女史の同市訪問(2月17日予定)を妨害するため軍政当局が仕掛けたものとNLDが非難。 |
DIA-211-1989-02-17-1 | ミャンマー | 1989年02月17日 | 1980年代 | 日本政府,ビルマ政府を承認,大鷹大使はソウマウン議長と会見,日本政府は同政権の政情安定化努力を評価し,同政権を承認したことを伝えた。 |
DIA-211-1989-02-19-1 | ミャンマー | 1989年02月19日 | 1980年代 | 米・食用油価格が高騰。SLORCは卸売業者に対して価格安定に協力するよう強く要請。 |
DIA-211-1989-02-20-1 | ミャンマー | 1989年02月20日 | 1980年代 | SLORC第1書記Khin Nyunt准将,フランスのテレビ局記者等と会見。 |
DIA-211-1989-02-20-2 | ミャンマー | 1989年02月20日 | 1980年代 | タイ首相の特使として,タイ政府鉱・林産品密輸取締委議長らが来訪,21日にソウマウン議長と会見。 |
DIA-211-1989-02-21-1 | ミャンマー | 1989年02月21日 | 1980年代 | 保健相・教育相Dr.Pe Theinは日本・昭和天皇の大喪の礼出席のため訪日,3月4日帰国。 |
DIA-211-1989-02-22-1 | ミャンマー | 1989年02月22日 | 1980年代 | KIA軍250人の部隊がMohnyin郡Nammaの政府軍駐屯部隊および鉄道駅を襲撃,駅舎に放火され,米4万バスケトが焼失,政府軍2名,反乱軍3名死亡。 |
DIA-211-1989-02-22-2 | ミャンマー | 1989年02月22日 | 1980年代 | KNU軍がMyawaddy市内にロケット砲撃,市民1名死亡,7名負傷。 |
DIA-211-1989-02-24-1 | ミャンマー | 1989年02月24日 | 1980年代 | SLORC議長ソウマウン大将,選管委と選挙法案公示について協議。 |
DIA-211-1989-02-24-2 | ミャンマー | 1989年02月24日 | 1980年代 | SLORC第28回記者会見。(1)軍政が暫定政権をつくることはない,(2)全ビルマ学生民主戦線(ABSDF)は1月1日に反軍政闘争戦線を結成,KNUが武器を供与,訓練。 |
DIA-211-1989-02-25-1 | ミャンマー | 1989年02月25日 | 1980年代 | ソウマウン議長来訪中のタイ教育代表団(団長:チュラロンコン大政治学部長Dr.Kramol)と会見。 |
DIA-211-1989-02-28-1 | ミャンマー | 1989年02月28日 | 1980年代 | 中央選管委,政党登録申請を締め切る。合計233政党が登録された。 |
DIA-211-1989-03-01-1 | ミャンマー | 1989年03月01日 | 1980年代 | 選挙法案を発表。中央選管委は選挙法案を発表。各政党,個人のコメントを受け付けるとした。これによると選挙区はこれまでどおり489区,1区1議席の小選挙区制,選挙権は18歳以上,被選挙権は21歳以上である。 |
DIA-211-1989-03-01-2 | ミャンマー | 1989年03月01日 | 1980年代 | ソウマウン議長は民族発展アカデミー第20期卒業式で演説,軍政は治安と秩序を回復することにのみ全力を注ぐと強調。 |
DIA-211-1989-03-03-1 | ミャンマー | 1989年03月03日 | 1980年代 | 日本政府はMergui火災の被災者用に,毛布,医薬品など総額1805万円相当の救援物資を寄贈。 |
DIA-211-1989-03-04-1 | ミャンマー | 1989年03月04日 | 1980年代 | 政府職員給与改定表を発表。政府は,国家公務員,政府企業職員の俸給を大幅に引き上げ改定を発表。これによると平均109%の引き上げで,日払い最低賃金額を現行8.50チヤットから15チヤットに,月払い最低賃金は100チヤットから450チヤットに,最高賃金は1500チヤットから2000チヤットに,それぞれ引き上げた。適用は国軍を含む約120万人。4月1日から実施,なお俸給引き上げは1972年10月以来17年ぶり。 |
DIA-211-1989-03-05-1 | ミャンマー | 1989年03月05日 | 1980年代 | ラングーン師団司令官Myo Nyunt准将は北オカラパに建設中のWaibagi(西)サテライト・タウンを視察。 |
DIA-211-1989-03-06-1 | ミャンマー | 1989年03月06日 | 1980年代 | ラングーン管区物価監視委員会は,ラングーン市の商人を集めて会議を行なった。そこでは,多くの商品価格が下落しているにもかかわらず,米と食用油の価格は上がっていること,精米1ビー当り6チヤットで売るように指導しているが,商人たちが団結して実行しないので,うまくいっていないこと等が,話し合われた。 |
DIA-211-1989-03-08-1 | ミャンマー | 1989年03月08日 | 1980年代 | オーストラリア政府は,選挙管理委に対して,投票箱のサンプルを寄贈。 |
DIA-211-1989-03-08-2 | ミャンマー | 1989年03月08日 | 1980年代 | 第26回宝石見本市が開かれ,第1日目のオークションで144万㌦の売上げ。 |
DIA-211-1989-03-10-1 | ミャンマー | 1989年03月10日 | 1980年代 | SLORC第30回記者会見。(1)タイ,ビルマ国境地域でThanmani Bo Khin Maungを総裁とする民主統一同盟が結成され,Zali Mawが副総裁,Maung Aung(U Nuの息子)が書記長,(2)KNU軍は88年11月1日からこれまで,合計25回にわたり民衆を攻撃,36人が死亡,75人が負傷,(3)逃亡学生の帰還は2619人。 |
DIA-211-1989-03-10-2 | ミャンマー | 1989年03月10日 | 1980年代 | ビルマ政府はこのほど韓国ソウルに大使館を開設,これまでは駐日大使館が兼務していた。 |
DIA-211-1989-03-10-3 | ミャンマー | 1989年03月10日 | 1980年代 | SLORC第1書記Khin Nyunt准将は,駐ビルマ・アメリカ大使Barton Levinと会談。 |
DIA-211-1989-03-12-1 | ミャンマー | 1989年03月12日 | 1980年代 | KNU軍Myawaddyを砲撃。市民3人死亡,3人負傷。 |
DIA-211-1989-03-15-1 | ミャンマー | 1989年03月15日 | 1980年代 | 貿易相Abel大佐は,米価高騰に対し,米取引業者は価格安定に努力するよう要請。 |
DIA-211-1989-03-15-2 | ミャンマー | 1989年03月15日 | 1980年代 | 第26回宝石見本市最終日,これまでの売上総額は1128万㌦。 |
DIA-211-1989-03-16-1 | ミャンマー | 1989年03月16日 | 1980年代 | 選管委は各政党に対し,党本部には必ず党名を明記したサインボードを掲示し,連絡員を常時置くよう通達。 |
DIA-211-1989-03-16-2 | ミャンマー | 1989年03月16日 | 1980年代 | 民間業者が輸出。輸出の民間取引自由化後,最初の輸出が行なわれ,シンガポール向けに120㌧の竹材が船積みされた。 |
DIA-211-1989-03-17-1 | ミャンマー | 1989年03月17日 | 1980年代 | 陸軍司令官Than Shwe中将は来訪中のタイ代表団(団長;Dr.Visarn Chanarat)と会見。 |
DIA-211-1989-03-17-2 | ミャンマー | 1989年03月17日 | 1980年代 | SLORC第31回記者会見。(1)西欧諸国は国連人権委年次総会で,ビルマを糾弾しようとしたが,アジア諸国はビルマの立場を理解してくれたため,西欧諸国は考え直さざるを得なくなった,(2)逃亡学生の帰還は2635名。 |
DIA-211-1989-03-18-1 | ミャンマー | 1989年03月18日 | 1980年代 | 米価の安定を図るため,精米および販売委員会を設立。これは精米業者協会とラングーン管区協同組合連合会が協力して設立したもの。 |
DIA-211-1989-03-20-1 | ミャンマー | 1989年03月20日 | 1980年代 | 学生約20名がラングーン大学正門前から構内に入ろうとし,シュプレヒコールを行なったため,10名が警察に逮捕された。このため,指導者ミン・コー・ナインと数十名の学生が,釈放を要求して警察署を取り巻き,群衆を含めて300名の人々が夕方まで騒いだ。 |
DIA-211-1989-03-21-1 | ミャンマー | 1989年03月21日 | 1980年代 | 国民民主党のSoe Thinおよびミン・コー・ナインに率いられた約100名の学生が,20日に逮捕された学生たちの釈放を求めてKamayut交差点に集合,デモ。このため,ミン・コー・ナイン他数名が逮捕された。また市内アノーヤータ街でも約50名の学生が反軍政デモ。 |
DIA-211-1989-03-22-1 | ミャンマー | 1989年03月22日 | 1980年代 | SLORCは「利潤税法」,「所得税法」,「所得税規準」を改正した。 |
DIA-211-1989-03-23-1 | ミャンマー | 1989年03月23日 | 1980年代 | 陸軍司令官Than Shwe中将ら国軍首脳は,国軍記念日展示場を視察。 |
DIA-211-1989-03-23-2 | ミャンマー | 1989年03月23日 | 1980年代 | 同軍北部師団は,88年3月21日から89年3月20日までの戦果を発表。3回の大戦闘を含む計429回の交戦。 |
DIA-211-1989-03-23-3 | ミャンマー | 1989年03月23日 | 1980年代 | SLORCは1989/90年度国家予算法を発表。経常支出は66.23億チヤット。 |
DIA-211-1989-03-24-1 | ミャンマー | 1989年03月24日 | 1980年代 | SLORC第32回記者会見。計画・財務相Abel大佐は,1988/89年度の経済実績および89/90年度年次計画を説明。(1)GDP実質成長率は88/89年度0.2%,89/90年度目標は3.4%,(2)輸出は88/89年度20.07億チヤット,対前年度比21.2%増,(3)89/90年度の外国投資見込みは85.2億チヤット。(4)過去26年間の投資実績を見ると,政府部門に偏りすぎた。今後は協同組合および民間部門の投資を奨励する。(5)今までの統計は20年計画によって69-70年不変価格で計算してきたが,89-90年度からは,1985-86不変価格で計算する。(6)今まで国営企業の予算は独立採算制によってきたが,89-90年度からはすべて国家予算によって,国家が統括して運営する。 |
DIA-211-1989-03-24-2 | ミャンマー | 1989年03月24日 | 1980年代 | 第44歩兵師団はカレン州HlaingbweのKNU軍拠点を攻撃,26日に奪取,国軍側戦死38名,負傷189名,KNU側戦死74名。 |
DIA-211-1989-03-25-1 | ミャンマー | 1989年03月25日 | 1980年代 | 約100人の学生たちがNLD本部前から大学通りに出て,反軍政デモを行なおうとして治安部隊に阻止された。このため一部学生はスーチー女史邸に逃げたが,2人が逮捕された。 |
DIA-211-1989-03-25-2 | ミャンマー | 1989年03月25日 | 1980年代 | 東部師団は3月20日までの1年間の戦果を発表。17回の大戦闘を含む計768回の交戦。148名戦死。 |
DIA-211-1989-03-27-1 | ミャンマー | 1989年03月27日 | 1980年代 | ラングーン市内Yankin高校前広場で約20名の学生がデモ,3名が逮捕された。またNLD本部前でも約200名がデモをしようとして治安部隊に阻止された。 |
DIA-211-1989-03-27-2 | ミャンマー | 1989年03月27日 | 1980年代 | マンダレー市マハムニ・パゴダ前で約100名の学生がデモ行進,市街に入って500名にふくれ上がったが,治安部隊によって解散させられた。 |
DIA-211-1989-03-27-3 | ミャンマー | 1989年03月27日 | 1980年代 | 第44回国軍記念日。中央式典でSaw Maung大将は「国を破壊する分子とは徹底的に戦うことが国軍将兵の任務である」と演説,記念晩さん会には,ネーウィン元議長が在郷軍人会会長の肩書で招待され,国軍首脳と歓談している写真がWPD紙一面トップに掲載された。 |
DIA-211-1989-03-27-4 | ミャンマー | 1989年03月27日 | 1980年代 | 内務・宗教省は,ラングーン市内の道路および街区名を英語標記からビルマ語標記に変えると発表。 |
DIA-211-1989-03-28-1 | ミャンマー | 1989年03月28日 | 1980年代 | WPD紙は,ビルマ語版(Lokhta Pyithu Nezein)の部数を16万部から20万部に増刷(4月1日から)すると発表。 |
DIA-211-1989-03-29-1 | ミャンマー | 1989年03月29日 | 1980年代 | 保健相・教育相Dr.Pe Theinを団長とする代表団が訪中のため出発。 |
DIA-211-1989-03-31-1 | ミャンマー | 1989年03月31日 | 1980年代 | SLORCは「国営企業法」(State-owned Economic Enterprises Law=SLORC法89-9号)を公布。国家が将来とも独占所有する企業(分野)を定め,現存国営企業の一部民営化の方向を明らかにした。将来ともに国営専有とする企業・分野は以下の12業種。(1)チーク材の伐採・輸出,(2)木材樹の管理・植林,(3)石油,天然ガスの採掘,販売,製品製造,(4)真珠,ヒスイ,宝石の採掘,輸出,(5)魚・エビの養殖,生産,(6)郵便・通信,(7)航空・鉄道,(8)銀行・保険,(9)放送,(10)鉱物資源の採掘・輸出,(11)発電,(12)治安・国防関連製品の製造。なお同法の制定により,1965年の「社会主義経済制度確立権限付与法」を廃棄した。 |
DIA-211-1989-03-31-2 | ミャンマー | 1989年03月31日 | 1980年代 | 貿易省会社登録局は,3月中に登録許可された株式会社および合弁会社を公表。株式会社は合計21社,その他登録会社31社,合弁会社は,三井物産と三星(韓国)が認可された。 |
DIA-211-1989-04-01-1 | ミャンマー | 1989年04月01日 | 1980年代 | ビルマ商船法改正(SLORC法89-10号)。 |
DIA-211-1989-04-02-1 | ミャンマー | 1989年04月02日 | 1980年代 | SLORCは外国漁船漁業許可法を制定した(SLORC法89-11号)。それには,ビルマの経済水域内で操業する外国漁船の義務として,免許料,鮮魚税,保険料等を外貨で支払うこと,ビルマと船籍のある国の両国の国旗を掲げること,漁場へ入出時にはビルマ側担当者の検閲を受けること,等が定められている。 |
DIA-211-1989-04-02-2 | ミャンマー | 1989年04月02日 | 1980年代 | 2日付WPD紙,3月27日にネーウィン元議長が,Khin Nyunt准将らと国軍記念日展示場を視察した時の写真を掲載。 |
DIA-211-1989-04-03-1 | ミャンマー | 1989年04月03日 | 1980年代 | 畜水相・農林相Chit Swe少将は駐ビルマ大鷹大使と会見,また同大使は第一・第二工業相Sein Aung少将に会見。 |
DIA-211-1989-04-04-1 | ミャンマー | 1989年04月04日 | 1980年代 | WPD紙は3日,4日付で,「なぜ国軍は国家権力を奪取せねばならなかったのか」と題する米国を批難する論評を掲載。このなかで,「米国は1988年9月に,13日の臨時人民議会開催に合わせて,空母1隻と艦船5隻をラングーン南方190海里の沖合に派遣し,示威演習を行なった。このためビルマ当局は警告した」との事実を明らかにした。 |
DIA-211-1989-04-05-1 | ミャンマー | 1989年04月05日 | 1980年代 | 政府職員に対して4月分給与の3分の1について前払いすることを決定・実施(ビルマ正月用)。 |
DIA-211-1989-04-06-1 | ミャンマー | 1989年04月06日 | 1980年代 | マンダレー管区物価統制委員会議長Tin Htay大佐は,委員会と油料作物商人との間で開かれた会議において,自由な国境貿易は認めるが,自己の利益しか考えず,国内需給を無視した輸出は承認できない,と述べた。 |
DIA-211-1989-04-07-1 | ミャンマー | 1989年04月07日 | 1980年代 | SLORC第34回記者会見。(1)「口では人権を唱え実際には法を犯して騒動を引き起している政党がある」とNLDを批難,(2)タイ国境地帯に学生により組織された23の部隊約1800人が,KNU軍と行をともにしている。これらの学生部隊と接触することは犯罪行為である。(3)学校の早期再開のために準備を進めている。 |
DIA-211-1989-04-08-1 | ミャンマー | 1989年04月08日 | 1980年代 | 治安警察隊はBahan区で反国軍ビラを配っていたLubaung Thit民主党の2人の青年を逮捕。 |
DIA-211-1989-04-11-1 | ミャンマー | 1989年04月11日 | 1980年代 | タイ外務省次官Prapasが来訪,選管委,貿易相らと会談,12日に貿易協定に調印。13日帰国。 |
DIA-211-1989-04-13-1 | ミャンマー | 1989年04月13日 | 1980年代 | 貿易相Abel大佐を団長とする貿易代表団が訪中。広州見本市に参加。4月22日まで。 |
DIA-211-1989-04-17-1 | ミャンマー | 1989年04月17日 | 1980年代 | 政府はペルーとの間で外交関係を樹立。 |
DIA-211-1989-04-18-1 | ミャンマー | 1989年04月18日 | 1980年代 | SLORC第1書記Khin Nyunt准将は,ラングーンの人民議会堂前広場に建設中の人民公園を視察。 |
DIA-211-1989-04-19-1 | ミャンマー | 1989年04月19日 | 1980年代 | SLORC第35回記者会見。(1)88年12月22日,KNU軍重要拠点Methawawを奪回,(2)89年1~3月にKNU第21大隊本部(Methaye),第22大隊本部(Mawhpoke)をそれぞれ奪回。さらに2月18日より,KNU軍1000人が守るMe-La拠点を占拠,この間66回にわたる大戦闘で,国軍177名戦死,377名が負傷,KNU側600人以上が戦死。 |
DIA-211-1989-04-21-1 | ミャンマー | 1989年04月21日 | 1980年代 | オーストラリア外務省ビルマ・フィリピン担当課長が中央選管委と,選挙支援について協議。 |
DIA-211-1989-04-21-2 | ミャンマー | 1989年04月21日 | 1980年代 | KNU軍はKawkareik郡Kyondo村を攻撃,略奪。 |
DIA-211-1989-04-23-1 | ミャンマー | 1989年04月23日 | 1980年代 | SLORC第1書記Khin Nyunt准将,ラングーン師団司令官Myo Nyunt准将らは市内の市場,米倉庫などを視察。 |
DIA-211-1989-04-24-1 | ミャンマー | 1989年04月24日 | 1980年代 | SLORCは教育機関の再開について協議。6月初旬に大学を除いて再開することを確認。席上,Khin Nyunt准将はビルマ正月(水祭り)の際,祭を利用して反政府運動が行なわれたことを明らかにした。 |
DIA-211-1989-04-26-1 | ミャンマー | 1989年04月26日 | 1980年代 | 北西師団司令官Tun Kyi准将を団長とするスポーツ代表団が訪中。 |
DIA-211-1989-04-26-2 | ミャンマー | 1989年04月26日 | 1980年代 | 第1号合弁企業設立。貿易省傘下の国営公社3社と民間企業家との合弁による第1号合弁企業が,資本金5000万チヤットで設立された。一次産品(米,チーク以外)の取引を行なう。 |
DIA-211-1989-04-26-3 | ミャンマー | 1989年04月26日 | 1980年代 | 50人のKNU部隊がMyawaddyを攻撃,民兵2名,市民5人が殺され,99戸の家屋,店舗などが焼失。 |
DIA-211-1989-04-27-1 | ミャンマー | 1989年04月27日 | 1980年代 | 駐ビルマ・ラオス大使が選管委議長と会談。席上U Ba Htay議長は選挙法案について,政党や市民から約5万通のコメントが届いており,慎重に検討していることを明らかにした。 |
DIA-211-1989-04-27-2 | ミャンマー | 1989年04月27日 | 1980年代 | SLORC第36回記者会見。(1)88年9月18日から89年4月19日まで,全国で793名が逮捕され,うち72名が釈放された。(2)全ビルマ学生連盟のAung Dinは4月24日に逮捕された。(3)4月28日からタイ国軍最高司令官Chavalit大将の招待で国軍首脳が訪タイする。(4)水祭りに乗じて騒動を煽動したNLDの11人を逮捕した。(5)農民は自由に農作物の栽培,販売ができ,政府は作付け面積に応じて農業資金を貸付ける。 |
DIA-211-1989-04-28-1 | ミャンマー | 1989年04月28日 | 1980年代 | 陸軍司令官Than Shwe中将を団長とする国軍代表団が訪タイ,5月3日に帰国。この間Chavalit大将,チャーチャーイ首相などと会談。 |
DIA-211-1989-04-29-1 | ミャンマー | 1989年04月29日 | 1980年代 | KNU軍,Pa-anを攻撃,略奪。 |
DIA-211-1989-05-01-1 | ミャンマー | 1989年05月01日 | 1980年代 | SLORC議長ソウマウン大将は,「労働者の日」に際し,国民への声明を発表。労働者は綱紀を厳守して生産活動に邁進するよう,要望。 |
DIA-211-1989-05-02-1 | ミャンマー | 1989年05月02日 | 1980年代 | 内務・宗教相Phoue Myint少将は国際赤十字代表団と会見。 |
DIA-211-1989-05-02-2 | ミャンマー | 1989年05月02日 | 1980年代 | KNU軍部隊40人がKwakareik西方のTamainggon政府軍キャンプを攻撃,さらに付近の町も攻撃して,略奪。 |
DIA-211-1989-05-02-3 | ミャンマー | 1989年05月02日 | 1980年代 | 貿易省は,株式会社3社,合名会社8社の登録を許可する旨発表した。 |
DIA-211-1989-05-02-4 | ミャンマー | 1989年05月02日 | 1980年代 | ラングーン市庁舎で物価監視委員会の定例会議が開かれ,価格が急騰している米や食料油の価格を再統制することを米商人たちが提案したが,ラングーン管区LORC議長Myo Nyunt准将は,物価の統制は行なわないが,基礎的消費財の価格を抑えるよう努力すると言明した。 |
DIA-211-1989-05-04-1 | ミャンマー | 1989年05月04日 | 1980年代 | カレン州LORC議長Myo Myint大佐は,Pa-anで開かれた調整会議で,最近KNU軍のPa-anの拠点を奪回した,と述べた。 |
DIA-211-1989-05-05-1 | ミャンマー | 1989年05月05日 | 1980年代 | ソウマウン議長は,ビルマの現代史を正確に分析,記録するため,教育省に対して独立運動以降の歴史編纂を命じた。これにより,ラングーン大学歴史学部が内外のビルマ史専門家を集めて作業を開始。 |
DIA-211-1989-05-05-2 | ミャンマー | 1989年05月05日 | 1980年代 | SLORC第37回記者会見で,新社会建設民主党(Myint Ko Naing派)の議長Moe Thee Zunが軍に逮捕されることを怖れて地下に潜ったとの報道は間違い。彼は自らの意志で地下に潜入した,などと説明。 |
DIA-211-1989-05-08-1 | ミャンマー | 1989年05月08日 | 1980年代 | SLORC第2書記Tin Oo准将は地方行政官講習会の席上,「総選挙は,国軍の四つの目的が達成されれば,必ずスケジュールどおり実施される」と述べた。 |
DIA-211-1989-05-08-2 | ミャンマー | 1989年05月08日 | 1980年代 | 農産物交易公社の定例会議で,貿易相Abel大佐は,以下のように述べた。(1)88年9月以降外貨準備高は順調に伸びており,以前交渉のあった外国の諸組織からの援助もくるようになった。(2)米は十分にあるのだが,悪徳商人が価格を操作している。(3)月給を十分に引き上げたので,公務員は不正を働かないで職務に励んでほしい。 |
DIA-211-1989-05-09-1 | ミャンマー | 1989年05月09日 | 1980年代 | 運輸・通信相Tin Tun少将は来訪中の世銀のエコノミストO Ktay Yenalらと会談。10日に貿易相Abel大佐とも。 |
DIA-211-1989-05-10-1 | ミャンマー | 1989年05月10日 | 1980年代 | SLORC,国軍法(1959年)を改正。Chief of StaffはCommander-in-Chiefとするなど。 |
DIA-211-1989-05-10-2 | ミャンマー | 1989年05月10日 | 1980年代 | 保健相・教育相Pe Thein博士は,ダゴン郡区とボーダタウン郡区の高等学校を訪問し,教師が私塾の教師をした場合,厳しく処分すると訓示した。 |
DIA-211-1989-05-12-1 | ミャンマー | 1989年05月12日 | 1980年代 | 農林相Chit Swe少将は来訪中のアジア開銀ミッションと会談。 |
DIA-211-1989-05-12-2 | ミャンマー | 1989年05月12日 | 1980年代 | SLORC第38回記者会見。(1)政府軍はKNUの重要拠点Wankhaを攻略。大きな損害を与えた。(2)BCPからKokang軍とWa族軍がすでに同盟関係から脱退,独自に行動。Kokang軍はKokang民主党を結成,Wa族軍はPansangに布陣している。(2)今年産米の収穫高6億4950万バスケット,(3)観光ビザを7日から14日に延長。 |
DIA-211-1989-05-13-1 | ミャンマー | 1989年05月13日 | 1980年代 | 畜水省計画統計局長U Tin Maung Myintを団長とする水産代表団訪タイ。 |
DIA-211-1989-05-14-1 | ミャンマー | 1989年05月14日 | 1980年代 | 4月1日から9日までの間に各地でBCPの投降者が続出。北部師団域ではBCP第202大隊所属の中隊長自らが政府軍に投降。 |
DIA-211-1989-05-16-1 | ミャンマー | 1989年05月16日 | 1980年代 | 選管委は州・管区および郡選管委の議長を集め,選挙手続の確定作業の調整会議を開いた。 |
DIA-211-1989-05-18-1 | ミャンマー | 1989年05月18日 | 1980年代 | SLORC第39回記者会見。(1)KNUの旧Wankha基地が5月16日に陥落。同基地はMyawaddyへの攻撃拠点で,これまで25回にわたってロケット砲(205発)が打ち込まれ,6人の住民が死亡。(2)逃亡学生の帰還は3157名。(3)現在の組合商店の米価および政府指導米価は,1ピー当り9.5チヤット。 |
DIA-211-1989-05-20-1 | ミャンマー | 1989年05月20日 | 1980年代 | タイ商業相Dr.Subin Pinkhayanを団長とするタイ商工界代表団(計46名)が来訪。22日にソウマウン議長と会見,その後計画・財務相・貿易相Abel佐と両国間の投資,貿易,銀行業務,関税,旅客業等について意見交換。 |
DIA-211-1989-05-23-1 | ミャンマー | 1989年05月23日 | 1980年代 | タイ国軍副最高司令官Pat Akkanibut大将を団長とするタイ国軍代表団は,国境問題について協議。 |
DIA-211-1989-05-24-1 | ミャンマー | 1989年05月24日 | 1980年代 | SLORCと中央選管委が合同会議。ソウマウン大将,U Ba Htay議長らが出席,3月に提示した選挙法に対する各政党からのコメントについて協議。 |
DIA-211-1989-05-24-2 | ミャンマー | 1989年05月24日 | 1980年代 | SLORC現代史編纂委第1回会議が開かれ,ソウマウン議長は,「1947年憲法がどのように策定されたか,1962年になぜ改革評議会が設立されたのか,正確に記述する必要がある」などと述べた。 |
DIA-211-1989-05-24-3 | ミャンマー | 1989年05月24日 | 1980年代 | ラングーン管区物価監視委員会は定例会議を開き,乾物,魚介類,生鮮野菜等の価格安定について協議した。 |
DIA-211-1989-05-25-1 | ミャンマー | 1989年05月25日 | 1980年代 | スイス船運業協会会長,タイ警察庁副長官らが来訪,担当閣僚と会談。 |
DIA-211-1989-05-25-2 | ミャンマー | 1989年05月25日 | 1980年代 | SLORCは,国境周辺の少数民族の経済・社会の発展と安定のために,特別委員会を設置,議長にThan Shwe中将。また5月31日付でKhin Nyunt准将を議長とする作業委が設立された。 |
DIA-211-1989-05-26-1 | ミャンマー | 1989年05月26日 | 1980年代 | 国名をミャンマーMyanmarに変更。SLORC第40回記者会見で,国名の英語表記をBurmaからMyanma(後にMyanmar)に変更すると発表(→6/18)。 |
DIA-211-1989-05-27-1 | ミャンマー | 1989年05月27日 | 1980年代 | SLORC第1書記Khin Nyunt准将,計画・財務相・貿易相Abel大佐,畜水相・農林相Chit Swe少将らは,シャン州Tachilekを訪れ,国境地帯の開発やタイとの国境貿易の実態について視察した。 |
DIA-211-1989-05-28-1 | ミャンマー | 1989年05月28日 | 1980年代 | バングラデシュ商業省次官Khorshed Alamが来訪。貿易相,第一・第二工業相らと会談,6月1日に,両国間の国境および一般貿易協定に調印。往復貿易総額2000万㌦。 |
DIA-211-1989-05-28-2 | ミャンマー | 1989年05月28日 | 1980年代 | KNU軍,Kyaukkyi郡Kyeindawmyaung村を襲撃,4人の村民を射殺。 |
DIA-211-1989-05-29-1 | ミャンマー | 1989年05月29日 | 1980年代 | SLORC第41回記者会見。(1)国名をミャンマーに改称したのは,廃貨をするためとするデマは事実無根。(2)このデマのため,金と自動車価格が暴騰した。(3)廃貨は実施しない。 |
DIA-211-1989-05-30-1 | ミャンマー | 1989年05月30日 | 1980年代 | 国境地帯に住む少数民族の発展のためという理由で,SLORCは,「国境地帯および少数民族発展のための中央実行委員会を組織し,議長にThan Shwe中将を選出した。 |
DIA-211-1989-05-31-1 | ミャンマー | 1989年05月31日 | 1980年代 | WPD紙は,米上院議員P Moynihanの質問状への回答として,5月中旬からほぼ1ヵ月にわたって独立直後からのカレン族反乱軍の破壊活動を日誌にして発表している。 |
DIA-211-1989-06-01-1 | ミャンマー | 1989年06月01日 | 1980年代 | Mg.Mg.Khin海軍司令官は,来訪中のシンガポール議会国防・外交問題委議長Chandra Dasと会談。 |
DIA-211-1989-06-02-1 | ミャンマー | 1989年06月02日 | 1980年代 | 第42回SLORC記者会見。(1)政府軍はKNU経営の製材所3ヵ所を占拠,(2)タイとの木材取引は24ヵ所で国境貿易(公式)が行なわれ,タイの木材業者21業者と売渡し契約。これまでにチーク材4万5000㌧,堅木材6万3000㌧が売却され,売上げ1400万㌦。88/89年度は4700万㌦の予定。 |
DIA-211-1989-06-03-1 | ミャンマー | 1989年06月03日 | 1980年代 | ラングーン管区LORC議長Myo Nyunt准将は,市内の教育施設を視察。関係者と学校再開について協議。 |
DIA-211-1989-06-03-2 | ミャンマー | 1989年06月03日 | 1980年代 | 貿易省は,株式会社27社,合名会社91社,外国企業5社の営業登録を許可する旨発表した。 |
DIA-211-1989-06-08-1 | ミャンマー | 1989年06月08日 | 1980年代 | Than Shwe中将は来訪中のタイ国軍代表団と会見。当代表団は国境問題を協議するためで,9日にビルマ側代表東南師団司令官Nyan Linn准将と会談。 |
DIA-211-1989-06-09-1 | ミャンマー | 1989年06月09日 | 1980年代 | SLORC第43回記者会見。(1)政府軍は中国国境付近のKIA拠点を攻略,5拠点を奪回,(2)新憲法は選挙で成立した政権によって策定され,新憲法によって政権が承認されることになる。 |
DIA-211-1989-06-10-1 | ミャンマー | 1989年06月10日 | 1980年代 | 貿易省は第2号合弁企業を設立。 |
DIA-211-1989-06-11-1 | ミャンマー | 1989年06月11日 | 1980年代 | イラワジ管区LORC議長Myint Aung准将は,バセインでのLORCの会議の席上で,農民が満足のいくように作付けさせるための援助をすること,貧民にまず米を配給すること,等について演説した。 |
DIA-211-1989-06-13-1 | ミャンマー | 1989年06月13日 | 1980年代 | KNU軍は,Hlaingwa村で乗合バスを攻撃,死傷者10数名。 |
DIA-211-1989-06-15-1 | ミャンマー | 1989年06月15日 | 1980年代 | 国連代表U Aung Thantは第76回ILO総会で演説。 |
DIA-211-1989-06-16-1 | ミャンマー | 1989年06月16日 | 1980年代 | 第5回全国僧侶評議会中央委員会が3日間の会期を終了。 |
DIA-211-1989-06-16-2 | ミャンマー | 1989年06月16日 | 1980年代 | SLORC第44回記者会見。(1)全インド放送(AIR)は,パゴダ内で僧侶が軍の発砲で殺害されたなどのデマを盛んに流している,(2)状況が許されれば,直ちに学校は再開される,(3)帰還した逃亡学生3115名,(4)外資への漁業権売却について,58社から申請,うち13社と契約,11社が操業中。 |
DIA-211-1989-06-18-1 | ミャンマー | 1989年06月18日 | 1980年代 | SLORCは(Union of Myanmar)への国名変更を正式に決定。同時にラングーン(Rangoon)をヤンゴン(Yangon〉とした他,地名,都市・州名・河川名などもビルマ語表記に改称した。以下,本日誌では,決定にしたがい固有名詞を一部変更した。なお本書509ページ参照。 |
DIA-211-1989-06-19-1 | ミャンマー | 1989年06月19日 | 1980年代 | 全国の小学校が一斉に再開。 |
DIA-211-1989-06-21-1 | ミャンマー | 1989年06月21日 | 1980年代 | NLD派騒ぎ,スーチー女史一時連行。市内のNLD事務所前でTin Oo議長,スーチー女史らが約500名の支持者を前に演説。うち100名ほどがミニゴン交差点で治安都隊と衝突,3名が逮捕。この際スーチーも連行されたが,20分後に釈放。しかし群衆がこれに抗議,治安部隊と再び衝突,1名が死亡。 |
DIA-211-1989-06-22-1 | ミャンマー | 1989年06月22日 | 1980年代 | 政府,スーチー女史を激しく批難。SLORC第45回記者会見。(1)NLDはいたずらに軍政を批判,国民を煽動して騒動を画策している,(2)NLDはビルマ共産党と手を結んでいる,(3)スーチー女史は,学校再開を妨害,国家の分裂を策動している,(4)米上院ソラーズ議員はミャンマーに内政干渉している。(5)3月13日から6月21日までの逮捕者は195名,(6)為替レートの変更はしない。 |
DIA-211-1989-06-23-1 | ミャンマー | 1989年06月23日 | 1980年代 | 第77期陸軍士官訓練コース終了式で,陸軍司令官Than Shwe中将が演説。 |
DIA-211-1989-06-25-1 | ミャンマー | 1989年06月25日 | 1980年代 | SLORCは,NLDを中心とする反軍政運動が強化されているため,これらに対して厳しく取締る方針を宣言した。 |
DIA-211-1989-06-27-1 | ミャンマー | 1989年06月27日 | 1980年代 | SLORC布告第3号/89を発し,政党のパンフレット配布等に関して要旨次のように通告。(1)27日現在,選管委に登録されている政党は226党,内務・宗教省に登録されている協会組織は57団体。(2)いずれにも登録せず,パンフレット,書籍等を不法に出版している不法組織は48,不法学生組織は51。(3)1962年の印刷・出版業者登録法に基づぎ,全ての出版物は免許申請することになっている。これに違反するものは厳罰に処す。 |
DIA-211-1989-06-27-2 | ミャンマー | 1989年06月27日 | 1980年代 | シンガポールの貿易使節団が来訪し,計画・財務相・貿易相Abel大佐らと,外国企業の投資,銀行業務,支店の開設,両国の貿易の増進等について話し合った。 |
DIA-211-1989-06-30-1 | ミャンマー | 1989年06月30日 | 1980年代 | 選挙法公布。選管委は選挙法”Pyithu Hluttaw Election Rules”を公布。15章106条から成る。 |
DIA-211-1989-06-30-2 | ミャンマー | 1989年06月30日 | 1980年代 | SLORC第46回記者会見。(1)スーチー女史は6月21日のミニゴン交差点事件の後,25日にもNLDインセイン地区支部で約1000人の群衆を前に,また29日にはTamweで約1000人を前に演説。国軍を挑発,群衆を煽動した。これらの敵対行為には厳しい措置で臨む,(2)NLDのU Aung Lwinら4名を逮捕,NLD中執委U Win Tinらの裁判を開始。 |
DIA-211-1989-07-01-1 | ミャンマー | 1989年07月01日 | 1980年代 | SLORC第1書記Khin Nyunt准将はヤンゴン市内の道路,橋梁,公園などの建設現場を視察。 |
DIA-211-1989-07-02-1 | ミャンマー | 1989年07月02日 | 1980年代 | 政府はヤンゴン市協同組合店で7月3日から米を1ピー当り8.5チヤットで販売すると発表。米価は高騰を続け,1ピー当り18~20チヤットにまで値上がりしている。 |
DIA-211-1989-07-03-1 | ミャンマー | 1989年07月03日 | 1980年代 | カナダのトルドー元首相が来訪。ソウマウン議長と会見。 |
DIA-211-1989-07-03-2 | ミャンマー | 1989年07月03日 | 1980年代 | マレーシアの運輸相Ling Liong Sikが来訪。5日にはソウマウン議長と会談。 |
DIA-211-1989-07-03-3 | ミャンマー | 1989年07月03日 | 1980年代 | 計画・財務相・貿易相Abel大佐は,調整会議の席上,経済開放政策を採っているので,外国の援助を受けるが,どの国にも従属するようなことがあってはならないと述べた。 |
DIA-211-1989-07-05-1 | ミャンマー | 1989年07月05日 | 1980年代 | SLORC議長ソウマウン大将は,特別記者会見を開き要旨次のように述べた。(1)7月3日,NLDが選管委を通じて,SLORCとの直接対話を申し入れてきたが,SLORCとしては特定の政党とだけ対話するつもりはない,国民全てに自分の考えを明らかにしたい,(2)国軍は一貫して中立であり,1962年の軍政とは異なる。NUPとは一切関係ない,(3)選挙後は政権を必ず移譲する,(4)ある政党が盛んに使っている「対決」という言葉は危険である,スーチー女史には自重を促したい。 |
DIA-211-1989-07-07-1 | ミャンマー | 1989年07月07日 | 1980年代 | ヤンゴン市内荒れる。市内各地で小規模な反軍政デモが行なわれ,合計30名が逮捕された。 |
DIA-211-1989-07-07-2 | ミャンマー | 1989年07月07日 | 1980年代 | ヤンゴン市庁舎前で爆弾が爆発。3名死亡,4名負傷。 |
DIA-211-1989-07-07-3 | ミャンマー | 1989年07月07日 | 1980年代 | シュリアム製油所構内で爆弾が爆発,10数名が死傷。 |
DIA-211-1989-07-07-4 | ミャンマー | 1989年07月07日 | 1980年代 | 第42回殉難者の日追悼式は政府主催で行なわれるが,これに参加する政党代表の申請が始まり,これまでに36政党が申し込みを済ませた。NLDはこれを拒否して独自に市民追悼式を呼びかけている。 |
DIA-211-1989-07-07-5 | ミャンマー | 1989年07月07日 | 1980年代 | 畜水相・農林相Chit Swe少将は,森林局で行なわれた州管区局長会議において,タイ国境地帯の森林伐採権の販売は50区画に上っており,森林の保護のため89年分の伐採権の販売は本日で中止する,と述べた。 |
DIA-211-1989-07-11-1 | ミャンマー | 1989年07月11日 | 1980年代 | 貿易省と私企業家との懇談会が開かれ,貿易局長が,政府は私企業家が活動しやすいようにできるだけ援助を行なう,と述べた。 |
DIA-211-1989-07-11-2 | ミャンマー | 1989年07月11日 | 1980年代 | モン州LORC議長Nyan Lin准将は,モーラミャイン(モールメン(市内の新しい市場を視察し,農産物交易公社と協同組合が,市民に安価な米を販売している様子も見物した。 |
DIA-211-1989-07-12-1 | ミャンマー | 1989年07月12日 | 1980年代 | 鉱業相・エネルギー相Mg.Mg.Khin海軍少将は,来訪中のトルドー・カナダ前首相と会談。 |
DIA-211-1989-07-12-2 | ミャンマー | 1989年07月12日 | 1980年代 | 農産物交易公社で行なわれた籾米買い上げに関する会議で,貿易相Abel大佐は,以下のように述べた。「現在米の国際市況がいいので,多くの米を輸出していたが,国内市場を優先させ,輸出用の米を取り崩して民生用に放出している」。「国有の精米所を民間の業者も使用できるようにしたい」。 |
DIA-211-1989-07-13-1 | ミャンマー | 1989年07月13日 | 1980年代 | SLORC第48回記者会見で,今年度産米について,政府は十分な在庫があるとして,米価高騰は悪質な商人の投機と,噂や流言のためであり,鎮静化に協力するよう要請。 |
DIA-211-1989-07-14-1 | ミャンマー | 1989年07月14日 | 1980年代 | 貿易省傘下の3公社と民間業者との間で,紙,印刷機器,写真用機材等の販売を行なう第3号合弁企業が設立された。 |
DIA-211-1989-07-15-1 | ミャンマー | 1989年07月15日 | 1980年代 | 貿易省傘下の農産物交易公社と民間業者との間で,籾と精米以外の農産物の取引を行なう第4号合弁企業が設立された。 |
DIA-211-1989-07-16-1 | ミャンマー | 1989年07月16日 | 1980年代 | SLORCは第42回殉難者の日追悼式について特別声明を発表,要旨次のとおり。(1)追悼式は国家行事とする,(2)16日に殉難者の9遺族を招待してリハーサルを行なったが,アウンサンの遺族は欠席,(3)式典には各政党より10名ずつの代表を招待,式典出席を決めた政党はNUP,UNDP,LDPなど合計70政党,(4)国家行事とは別に,追悼集会を開く動きあるが,許可しない,(5)追悼式を利用して政治宣伝を行なうことを禁止する。 |
DIA-211-1989-07-17-1 | ミャンマー | 1989年07月17日 | 1980年代 | 裁判権を特別軍事法廷に,SLORCは布告第2号/89を出し,全ての裁判権は戒厳令に基づき,当該師団司令官に委ね,SLORC規則違反事犯については,特別軍事法廷で裁くとした。 |
DIA-211-1989-07-17-2 | ミャンマー | 1989年07月17日 | 1980年代 | SLORC第49回記者会見,(1)殉難者の日追悼式典をめぐるNLDの動きは国家に敵対する行為,(2)シュリアムおよび市庁舎前の爆破主犯はNLDの地区リーダー。 |
DIA-211-1989-07-17-3 | ミャンマー | 1989年07月17日 | 1980年代 | シュウェーダゴン・パゴダ境内で市民・僧侶らが反政府デモ・集会,数名逮捕。 |
DIA-211-1989-07-19-1 | ミャンマー | 1989年07月19日 | 1980年代 | 第42回殉難者の日追悼式典(政府主催)が行なわれ,8遺族が出席。なおこの日,NLD主催の市民追悼集会は当局の厳しい監視のため実現せず,散発的な小人数グループによる集会が各地で行なわれた。 |
DIA-211-1989-07-20-1 | ミャンマー | 1989年07月20日 | 1980年代 | 政治犯に恩赦,88年9月18日までの不法行為につき,20日までに服役している刑囚に対し,死刑は無期,無期は10年,それ以下の刑は3分の2に減刑,刑期2年以下は釈放などの恩赦を発表。なお,国家反逆罪および非合法団体令に基づく刑囚は除外。 |
DIA-211-1989-07-20-2 | ミャンマー | 1989年07月20日 | 1980年代 | 来訪中の雲南対外経済関係・貿易局次長を団長とする中国視察団は,貿易相Abel大佐と会談。 |
DIA-211-1989-07-21-1 | ミャンマー | 1989年07月21日 | 1980年代 | スーチー女史を自宅軟禁。SLORC第50回記者会見。スーチー女史とティンウー元大将に対し反乱防御法に基づき1年間の自宅軟禁措置をとったと発表。スーチー女史は7月19日のVOA放送で「われわれは国民の生命を尊重しないSLORCとは異なり,国民の生命を第一義とする。軍政に対する諸発表はファシズムがわが国を支配していることを示しており,ファシズムに反対し,民主主義に向けての戦いを継続しなければならない」などと述べていることは国家および国軍の分裂を企図するものであること,またティンウー元大将は,88年9月の騒動の際,国軍脱走兵を利用して,国軍の分裂を策動した,などの理由を説明,しかし,NLDの政党活動は禁止しないなどと述べた。 |
DIA-211-1989-07-21-2 | ミャンマー | 1989年07月21日 | 1980年代 | 特別恩赦に基づき,第1陣として110名の政治犯が釈放された。この後,連日各地の刑務所から釈放され,7月末までに合計1万6715名が釈放された。 |
DIA-211-1989-07-21-3 | ミャンマー | 1989年07月21日 | 1980年代 | 市庁舎で開かれた配給および販売のための会議において,SLORC第2書記長Tin Oo准将は,政府は手持ちの米2万9600㌧を放出し,1ピー6チヤットで売り出すと言明。 |
DIA-211-1989-07-22-1 | ミャンマー | 1989年07月22日 | 1980年代 | 物価安定のため,第1号合弁企業が食用油を放出(→4/26)。 |
DIA-211-1989-07-24-1 | ミャンマー | 1989年07月24日 | 1980年代 | シャン州Namhsanで住民2100名が反乱軍抗議集会。 |
DIA-211-1989-07-24-2 | ミャンマー | 1989年07月24日 | 1980年代 | 商品検査代理公社で開かれた貿易省主催の企業者のための貿易業務研修集会において,貿易相Abel大佐は,現在530以上の企業登録がなされており,国家はあらゆる援助をすると言明。また,輸入業者61,輸出業者243が登録されたと発表。 |
DIA-211-1989-07-25-1 | ミャンマー | 1989年07月25日 | 1980年代 | 来訪中のスーチー女史の夫Dr.Michael ArisがSLORCメンバーMyo Myint准将と会談。 |
DIA-211-1989-07-25-2 | ミャンマー | 1989年07月25日 | 1980年代 | 外務省政務局長U Aung Gyaw,スーチー女史の夫がヤンゴン空港到着後,「当局に連行されたと報じた外電は事実無根だ」とし,同氏は女史宅に滞在し自由であると説明。 |
DIA-211-1989-07-26-1 | ミャンマー | 1989年07月26日 | 1980年代 | マレーシア鉱山公社の代表団が来訪。鉱業相・エネルギー相Mg.Mg.Khin少将と会談。 |
DIA-211-1989-07-26-2 | ミャンマー | 1989年07月26日 | 1980年代 | 韓国の大宇社が自社製品(家電中心)を国営デパートの3階で販売開始,委託販売形式。 |
DIA-211-1989-07-26-3 | ミャンマー | 1989年07月26日 | 1980年代 | マンダレーで大火災,1554戸焼失,1978世帯,9504人が焼けだされた。 |
DIA-211-1989-07-27-1 | ミャンマー | 1989年07月27日 | 1980年代 | シュリアム製油所爆破事件の主犯3人に,軍事法廷で死刑判決。 |
DIA-211-1989-07-28-1 | ミャンマー | 1989年07月28日 | 1980年代 | SLORC第51回記者会見。(1)一部政党は「国民を代表して」という表現を使うが,2200万人有権者を必表しているわけではないから,表現は間違いである,(2)印刷出版業者登録法に関連して,出版物の検閲免除申請期限(7月25日)内に免除を受けた政党は135政党で,残り85政党は申請しなかった,(3)スーチー女史は自宅監禁しているのではなく,外出制限しているもので,現在,健康状態は良好で,ハンガーストライキをしているというのは単なる噂である。 |
DIA-211-1989-07-28-2 | ミャンマー | 1989年07月28日 | 1980年代 | 7月17日のシュウェーダゴン・パゴダでの騒動事件で逮捕されていた者のうち7人が軍事法廷で5年間の懲役刑。 |
DIA-211-1989-07-29-1 | ミャンマー | 1989年07月29日 | 1980年代 | 貿易省輸入登録事務所は,輸出入登録委によって認可された輸出業者は243,輸入業者は61と発表。 |
DIA-211-1989-07-30-1 | ミャンマー | 1989年07月30日 | 1980年代 | 貿易省会社登録事務所に認可された会社は7月末までに,株式会社56,外資会社および外国企業支店10,パートナーシップ155。 |
DIA-211-1989-08-01-1 | ミャンマー | 1989年08月01日 | 1980年代 | 貿易省は北シャン州合弁会社を設立,資本金1000万チヤット,一般商品取引公社と民間企業による合弁。 |
DIA-211-1989-08-02-1 | ミャンマー | 1989年08月02日 | 1980年代 | 貿易省は第5号合弁企業を設立,資本金5000万チヤット。貿易省傘下3公社と民間企業による。 |
DIA-211-1989-08-02-2 | ミャンマー | 1989年08月02日 | 1980年代 | SLORCは第1号特別指令を発し,(1)情勢の安定次第,政党活動の制限を緩和,(2)政党に関わる出版物の検閲免除を受けた政党は党活動に関わる政策,理念,計画等を内容とする文書のみ出版できる,(3)法秩序の回復に従って,戒厳令の緩和を実施する,(4)戒厳令違反者に対しては厳罰でのぞむ。 |
DIA-211-1989-08-03-1 | ミャンマー | 1989年08月03日 | 1980年代 | 教育省は中学校を8月14日から再開すると発表。 |
DIA-211-1989-08-03-2 | ミャンマー | 1989年08月03日 | 1980年代 | 貿易省は第6号合弁企業を設立,資本金5億チヤット。 |
DIA-211-1989-08-03-3 | ミャンマー | 1989年08月03日 | 1980年代 | 恩赦に基づき釈放された政治犯は3日までに計1万7657名。 |
DIA-211-1989-08-04-1 | ミャンマー | 1989年08月04日 | 1980年代 | KNU第1大隊所属の1個小隊22名がThatonで政府軍に投降。 |
DIA-211-1989-08-05-1 | ミャンマー | 1989年08月05日 | 1980年代 | NLDと共産党との関係を暴露。SLORC第1書記Khin Nyunt准将は特別記者会見で,ビルマ共産党(BCP)の地下組織の活動に関し要旨次のように説明。(1)昨年の騒動の際,略奪・デモ・首切殺人等の反政府活動はBCPの工作であり,NLDがBCPの影響を受けている確かな証拠がある。(2)BCPは権力奪取の手段として,アウンサン将軍の未亡人を利用してきたが,昨年の騒動以降,スーチーを指導者に仕立て,利用してきた。スーチー女史は無自覚のうちにBCPに誘導された。BCPは,7月19日に,蜂起の計画が失敗すると8月8日に再度計画を立てた。(3)スーチー女史はBCPの戦術を熟知していなかったため,利用された。元BCP党員に対する油断があった。(4)NLDにはBCPの工作員が浸透し,スーチー女史に政府との対決路線を取らせることになった。(5)スーチー女史の周囲には共産主義者が数多く集まっていた。(6)スーチー女史はKNU議長Bo Myaと全ビルマ学生戦線からの支持を取りつけていた。また外国公館と接触もあった。BCP中央委U Kyaw Zawからの書簡のなど証拠物件多数が,スーチー女史宅(7月20日に家宅捜査)から発見された。(7)NLD内部では,印刷出版業者登録法,殉難者の日式典をめぐって,内部対立が生じ, |
DIA-211-1989-08-08-1 | ミャンマー | 1989年08月08日 | 1980年代 | 選管委はアウンジー元准将のNLDからの正式離党届を受理。これによると8月4日付でアウンジーからNLDの財務に責任がなくなるため2日付でNLDを離党したとある。 |
DIA-211-1989-08-08-2 | ミャンマー | 1989年08月08日 | 1980年代 | ヤンゴン市内で,88年のゼネストを記念して,集会・デモが行なわれるとの噂があったが,市内の数ヵ所で小グループによるデモ,パンフ配布などがあり,5人が逮捕された。 |
DIA-211-1989-08-10-1 | ミャンマー | 1989年08月10日 | 1980年代 | SLORCが退役軍人法を制定。会員対象は独立前後を問わず,軍に所属した者全てが,任意で加盟できる。会員は予備役として国家の防衛と安全に対し責任を有する。会員はいかなる政党にも属してはならない。同組織は独自の経済活動を行なうことができ,国家から資金の貸与もうけられる。 |
DIA-211-1989-08-10-2 | ミャンマー | 1989年08月10日 | 1980年代 | 10日まで釈放された政治家は1万8721名。 |
DIA-211-1989-08-11-1 | ミャンマー | 1989年08月11日 | 1980年代 | SLORC第53回記者会見。(1)来訪中のスーチー女史の夫Michael Arisは,英大使館領事と30分にわたり面談。席上同氏は「政府の配慮により,さらに2週間滞在できることになり,女史も元気である。心配は無用である」,「家族の健康については2人の医師が面倒見ている」などと述べた。(2)モン州愛国党(Mon Pyithit Party)の副議長Nai Seik Noは8月8日に,Phaya Thonzu基地で病死,(3)KNUの勢力は3500,MPPは750,ABSDFは200である。 |
DIA-211-1989-08-13-1 | ミャンマー | 1989年08月13日 | 1980年代 | 新駐日大使にU Mya Theinが任命された。前大使U Ba Thwinは1年の任期で,外務省国連・経済担当局長に任命。 |
DIA-211-1989-08-14-1 | ミャンマー | 1989年08月14日 | 1980年代 | 全国の中学校1702校が一斉に授業を再開。また729の高校が間もなく再開されると発表。 |
DIA-211-1989-08-15-1 | ミャンマー | 1989年08月15日 | 1980年代 | 市庁舎で開かれた物価の安定および下落のための会議において,ヤンゴン管区LORC議長Myo Nyunt准将は,政府米の放出にも関わらず,米や肉,魚の価格が下落しないのは,悪徳商人が価格をつり上げているからだ,と述べた。 |
DIA-211-1989-08-16-1 | ミャンマー | 1989年08月16日 | 1980年代 | 騒動のため閉鎖されていたヤンゴン市内35映画館のうち12館は4月18日に再開,さらに6館が4月18日から,残る17館は近日中に再開。 |
DIA-211-1989-08-17-1 | ミャンマー | 1989年08月17日 | 1980年代 | 約30人のKNU軍がHlwasingou村を襲い,放火。 |
DIA-211-1989-08-18-1 | ミャンマー | 1989年08月18日 | 1980年代 | ソウマウン議長は中央選管委メンバーと会談,選挙日程の準備が予定どおり進行されるよう要請。 |
DIA-211-1989-08-18-2 | ミャンマー | 1989年08月18日 | 1980年代 | 貿易省は,同省とシンガポールのSKS Marketing(PTE)Limited社との間で合弁会社を設立,建材,文具,家電,印刷物などの販売,資本金5000万チヤットで50%ずつ。 |
DIA-211-1989-08-18-3 | ミャンマー | 1989年08月18日 | 1980年代 | SLORC第54回記者会見。(1)8月1日より90年1月31日までに,18歳以上の国民に対する市民権調査カードを配布して,市民権認定作業を行なう,(2)7月7日より,8月18日まで戒厳令違反者の逮捕はヤンゴンで181名,その他地域で27名,計208名。 |
DIA-211-1989-08-18-4 | ミャンマー | 1989年08月18日 | 1980年代 | 選管委はLDP(民主平和連盟)の議長U Win Maung(元大統領)の死去に伴い,議長にBohmu Aung(元国防相,30人の志士の1人),副議長にThakin Chitが就任したと発表。 |
DIA-211-1989-08-21-1 | ミャンマー | 1989年08月21日 | 1980年代 | 教育省高等教育局は各大学教育学部の授業を10月2日より再開すると発表。 |
DIA-211-1989-08-21-2 | ミャンマー | 1989年08月21日 | 1980年代 | 北シャン州国鏡域および少数民族発展実行委が開かれ,国境地域住民に対する物資の円滑な供給方法などについて協議。 |
DIA-211-1989-08-25-1 | ミャンマー | 1989年08月25日 | 1980年代 | SLORC第55回記者会見。(1)中学校は再開されたが,その状況によって,間もなく高校も再開される,(2)90および45チヤット紙幣の偽札が出回ったため,廃貨が実施されるとの噂があるが,絶対にしない,(3)一部外国の報道で軍政を非人道的ときめつけているが,われわれは犯罪行為者に対して厳罰で臨んでいる,(4)公務員給与が1人当り200チヤット上がる,代わりに米などの配給が廃止されるとの噂もデマである。 |
DIA-211-1989-08-26-1 | ミャンマー | 1989年08月26日 | 1980年代 | ヤンゴン管区LORC議長Myo Nyunt准将は,米価高騰の要因として,賄賂をもらった役人と悪徳商人とが国民のための米を横流ししていることをあげ,このような不正を厳しく取り締まると述べた。 |
DIA-211-1989-08-27-1 | ミャンマー | 1989年08月27日 | 1980年代 | SLORC第1書記Khin Nyunt准将は24日から27日まで北部シャン州のKunglon,Muse,Lashioなど国境地域および少数民族の開発事業の進捗状況を視察。 |
DIA-211-1989-08-27-2 | ミャンマー | 1989年08月27日 | 1980年代 | 貿易省は,貿易省傘下の3公社とマレーシアのBurmal Holding社との合弁企業設立を発表,社名は,Myanmar-Malaysia International Ltd.資本金1億チヤット,出資比率はマレーシア側60%,輸出入業。 |
DIA-211-1989-08-28-1 | ミャンマー | 1989年08月28日 | 1980年代 | ヤンゴン管区選管委は,投票の実地演習を行なった。 |
DIA-211-1989-08-30-1 | ミャンマー | 1989年08月30日 | 1980年代 | マンダレー管区LORC議長Tun Kyi准将は,同管区内の米販売業者を集め,米価安定に協力するよう要請。 |
DIA-211-1989-08-31-1 | ミャンマー | 1989年08月31日 | 1980年代 | 計画・財務相・貿易相Abel大佐は各銀行幹部を集め,開放経済に応じた銀行制度の改変を行なう準備をしていることを明らかにした。 |
DIA-211-1989-08-31-2 | ミャンマー | 1989年08月31日 | 1980年代 | クアラルンプルで開かれていた東南アジア競技大会で,ミャンマー・チームは金メダル10個を獲得し,フィリピンに次いで6位。 |
DIA-211-1989-09-01-1 | ミャンマー | 1989年09月01日 | 1980年代 | SLORC第56回記者会見。(1)7月10日のヤンゴン市庁舎爆破事件主犯のKNU第6旅団所属Ko Ko Naingおよび協力者が8月21日逮捕された,(2)Ko Ko Naingは2月にKNUに入隊,フランス人指導官により爆破工作の訓練を受け,6月22日にヤンゴンに潜入,10日に爆破,3名が死亡,4名重傷,これは全てBo Myaの指令による,(3)Ko Ko Naingは8月21日,再びヤンゴンでテロを行なうため,移動中にKawkareikで逮捕されたもの。 |
DIA-211-1989-09-03-1 | ミャンマー | 1989年09月03日 | 1980年代 | SLORC第1書記Khin Nyunt准将は,人民議会堂前に建設中の人民公園を視察。 |
DIA-211-1989-09-04-1 | ミャンマー | 1989年09月04日 | 1980年代 | SLORC第2書記Tin Oo准将はヤンゴンLORC幹部を集め米価高騰に対し,政府保有米を大量に放出し,1ピー6チヤットで販売することを明らかにした。 |
DIA-211-1989-09-04-2 | ミャンマー | 1989年09月04日 | 1980年代 | ミャンマー投資,貿易銀行を開設。 |
DIA-211-1989-09-05-1 | ミャンマー | 1989年09月05日 | 1980年代 | 計画・財務相・貿易相Abel大佐は来訪中のUNDP第1次評価ミッション・チームと会見。同チームは経済改革に関わるマネージメント・システムなどの改革についてその可能性を調査する。 |
DIA-211-1989-09-07-1 | ミャンマー | 1989年09月07日 | 1980年代 | 養魚法が制定される(SLORC法89-14号)。 |
DIA-211-1989-09-08-1 | ミャンマー | 1989年09月08日 | 1980年代 | 陸軍司令官Than Shwe中将は,来訪中のタイ国防大学代表団と会談。 |
DIA-211-1989-09-08-2 | ミャンマー | 1989年09月08日 | 1980年代 | SLORC第57回記者会見。(1)一部政党は,政府が政治家を逮捕していると非難しているが,逮捕は政治家という理由ではなく,法を犯しているからである,(2)政治家を拷問しているとか,逮捕された500人の学生がポーターとしてこき使われているとの外国の報道は事実無根,(3)7月17日から9月8日までの逮捕者は計189名,うちヤンゴン市内162名。 |
DIA-211-1989-09-09-1 | ミャンマー | 1989年09月09日 | 1980年代 | SLORC第1書記Khin Nyunt准将,特別記者会見。このなかで,故Ba Maw首相の娘婿U ye Htoonが某国大使館員を通じて,現金を受取り,学生運動を煽動していた,と発表。また外国人ジャーナリストBetil LintnerとChristopher Gunnessを名ざしで,またBBCなど外国放送3局,Bangkok Post紙など新聞8紙,Asiaweekなど5週刊誌に対し,デマを流したり,反政府学生集団を支援しているとして非難した。さらにNLDについてつぎのように言及,(1)NLDはAmg Gyi,Tin Oo,Suu Kyiの三派で構成されていた。Suu Kyiは有識者,法律家,左翼に支持され,騒動時の主力であった。Aung Gyiはこれら左翼シンパを嫌って脱退,(2)Tin OoやSuu KyiはSLORCを認めようとせず,常に国軍批判を続け,Suu KyiはNLDに参加している愛国的旧軍人連盟のアドバイスを受けようとしなかった。常にDemocratic Party for New Society(学生組織)とコンタクトして活動を続けていた。 |
DIA-211-1989-09-14-1 | ミャンマー | 1989年09月14日 | 1980年代 | 政府は反政府宣伝を続けている外国放送局に雇われているビルマ人の名前を公表。BBC,VOA,AIRなどで,このなかにU Nuの娘や娘婿が含まれている。 |
DIA-211-1989-09-16-1 | ミャンマー | 1989年09月16日 | 1980年代 | 陸軍ホールで開かれている歴史記録展示会(88年騒動など最近暴露された共産党とNLDとの関係など)に政党の中執委が招待され,143政党553人が出席。 |
DIA-211-1989-09-18-1 | ミャンマー | 1989年09月18日 | 1980年代 | SLORCメンバーで南東師団司令官Nyan Lin准将を団長とするタイとの第1回国境会議代表団がチェンマイに向け出発。 |
DIA-211-1989-09-19-1 | ミャンマー | 1989年09月19日 | 1980年代 | WPD紙は,昨年8月の騒動時に発生した暴徒による警察官襲撃事件を紹介。警察官の死者は全国で30名,また各省庁別の損害額を発表,損害総額は6.28億チヤット。 |
DIA-211-1989-09-20-1 | ミャンマー | 1989年09月20日 | 1980年代 | 教育省は,商業学校,服装・栄養学校などの私立専門学校を10月9日から再開すると発表。 |
DIA-211-1989-09-20-2 | ミャンマー | 1989年09月20日 | 1980年代 | タイ工業相Banharn Silpa-archaを団長とする経済使節団(民間企業5社含)が来訪,22日にソウマウン議長らと会見,23日帰国。 |
DIA-211-1989-09-21-1 | ミャンマー | 1989年09月21日 | 1980年代 | 計画・財務相・貿易相Abel大佐は特別記者会見で要旨次のように述べた。(1)米価の高騰は悪徳な商人の投機によるもの,(2)国家は政府職員・病院等のために年間1.2億バスケットを購入しているが,今年は8500万バスケットを購入した,(3)米価は7月はじめに1ピー22~23チヤットに暴騰したため,7月24日から配給制にもどした。 |
DIA-211-1989-09-21-2 | ミャンマー | 1989年09月21日 | 1980年代 | 貿易省の省令により,精米業者および豆類の加工業者の再登録が義務づけられた。 |
DIA-211-1989-09-22-1 | ミャンマー | 1989年09月22日 | 1980年代 | SLORC第58回記者会見。(1)モイニハン米上院議員は,1974年からの麻薬撲滅のためのミャンマーに対するアメリカ援助(8000万㌦)は全く意味のないもので,ネーウィンはアジアのノリエガだと言った,(2)政府・国軍は麻薬撲滅のため,多大な努力を払っている。この1年間に押収したヘロインは170kg,これに生アヘンを加えると1800万㌦相当を押収した,(3)Lintnerの著作OutrageのゴーストライターはU ye Htoonであり,ほとんどはでっち上げ。 |
DIA-211-1989-09-22-2 | ミャンマー | 1989年09月22日 | 1980年代 | アメリカ・コカコーラ社は,第一工業省とコーラ等の量産・販売に関する契約に調印。 |
DIA-211-1989-09-22-3 | ミャンマー | 1989年09月22日 | 1980年代 | KIA軍がMogaung郡Mayan村に侵入,略奪・放火。 |
DIA-211-1989-09-23-1 | ミャンマー | 1989年09月23日 | 1980年代 | 貿易省はミャンマー金属工業(第一工場)とシンガポールのNC Wood-work & Construction(Pte)Ltd.社との合弁設立を発表。木製ドアの製造,販売。ビルマ側出資51%。資本金1チヤット。 |
DIA-211-1989-09-24-1 | ミャンマー | 1989年09月24日 | 1980年代 | Bangkok Post紙,ミャンマー国籍不法滞在者79人がタイ当局に逮捕され,うち67人が女子学生で売春をしていたと報道。 |
DIA-211-1989-09-28-1 | ミャンマー | 1989年09月28日 | 1980年代 | 教育省は技術・農業高校が10月23日より再開されると発表。 |
DIA-211-1989-09-28-2 | ミャンマー | 1989年09月28日 | 1980年代 | シンガポールとの合弁で設立された販売センターが国営デパート第1号店で営業開始。 |
DIA-211-1989-09-29-1 | ミャンマー | 1989年09月29日 | 1980年代 | 南東師団司令官Nyan Lin准将を団長とする第44回国連総会代表団が出発。 |
DIA-211-1989-09-29-2 | ミャンマー | 1989年09月29日 | 1980年代 | SLORC第59回記者会見。(1)スーチー女史は民主主義闘争のあり方について,武力闘争を主張する学生たちとは一線を画するとしながらも,学生たちに同情することによって,学生を煽動していた,(2)逃亡学生の帰還者は計3439名,(3)再開している小・中・高校は計3万3931校,出席率は92.4%。 |
DIA-211-1989-09-30-1 | ミャンマー | 1989年09月30日 | 1980年代 | 保健相・教育相Dr.Pe Theinはインドネシア,シンガポール訪問に出発。 |
DIA-211-1989-10-02-1 | ミャンマー | 1989年10月02日 | 1980年代 | 運輸・通信相Tin Tun少将は運輸事情視察のため,マレーシアを訪問。 |
DIA-211-1989-10-03-1 | ミャンマー | 1989年10月03日 | 1980年代 | 石油・天然ガス公社は,韓国ユーコン社(油公)との間で内陸油田の探査・採掘に関し,契約,調印。生産分与方式。 |
DIA-211-1989-10-03-2 | ミャンマー | 1989年10月03日 | 1980年代 | NLD青年部長Soe Thein,同党ヤンゴン管区組織委員長U Ngwe Hlaing,同党書記U Win Tinら7名のNLD幹部が,闇堕胎などの罪で,3~10年の懲役刑。 |
DIA-211-1989-10-04-1 | ミャンマー | 1989年10月04日 | 1980年代 | マレーシア鉱業界代表団が来訪,エネルギー相Mg.Mg.Khin少将,貿易相Abel大佐らと会談。 |
DIA-211-1989-10-05-1 | ミャンマー | 1989年10月05日 | 1980年代 | 第2号軍事法廷は作家のU Ba Thaw(Maung Thaw Ko退役海軍中佐)に対し,軍の分裂を策謀したとして20年,また弁護士Nay Minに対しBBCにねつ造ニュースを送ったとして14年のそれぞれ懲役刑を言い渡した。またビルマ民主勢力統一戦線(Da-Nya-Ta)議長Thanmani Bo Khin,Sein Mya元大佐,Zali Maw,Maung Aung(Da-Nya-Ta書記長),Myint Thein,Tun Aung Kyaw,Moe Thee Zun(新社会民主党議長)らの逃亡者に対して,非合法組織結成などの罪で指名手配。 |
DIA-211-1989-10-05-2 | ミャンマー | 1989年10月05日 | 1980年代 | マレーシアを訪問中の運輸・通信相Tin Tun少将はマレーシアとの間で航空協定に調印。 |
DIA-211-1989-10-06-1 | ミャンマー | 1989年10月06日 | 1980年代 | ミャンマー航空機ハイジャック。Mergui発ヤンゴン行ミャンマー航空機(乗員4名,乗客79名)が2人組に乗取られ,タイのウタパオ飛行場に着陸。犯人は機内で,(1)スーチーの釈放,(2)政治犯の釈放,(3)暫定政府の樹立,(4)戒厳令の撤廃など7項目の要求を発表。タイ当局の説得により,7日早朝までに全員釈放し,犯人は投降,午前8時同機はヤンゴンに帰着。 |
DIA-211-1989-10-06-2 | ミャンマー | 1989年10月06日 | 1980年代 | SLORC第60回記者会見。水牛や牛が輸出されているとの噂があるが,政府が定めた禁制品目16種のなかに生きている水牛や牛等が入っており,この輸出は違法である。これを行なっているのは,国境地帯に住む反乱軍である。 |
DIA-211-1989-10-06-3 | ミャンマー | 1989年10月06日 | 1980年代 | 元国軍情報局長,大統領特別軍事顧問,計画党副総書記Tin Oo元准将と,元内務・宗教相Bo Ni大佐が釈放された。この2人は83年に逮捕され,Tin Ooは無期懲役,Bo Niは10年の実刑判決を受け服役中であった。 |
DIA-211-1989-10-07-1 | ミャンマー | 1989年10月07日 | 1980年代 | 第44回国連総会で代表団共同団長U Ohn Gyaw外務省政務局長が演説。経済改革の実施,麻薬撲滅の努力,自由・公正な選挙の実施などについて強調した。 |
DIA-211-1989-10-09-1 | ミャンマー | 1989年10月09日 | 1980年代 | 歴史編纂委員会第2回会議が開催され,ソウマウン議長が出席。歴史的事実を正確に記すことが重要,1958年の選挙管理内閣については当事者が生存している間に,事情を聴取しておくべぎだ,などと述べた。 |
DIA-211-1989-10-09-2 | ミャンマー | 1989年10月09日 | 1980年代 | 商品検査代理公社で開かれた貿易省主催の企業者のための貿易業務研修集会において,貿易相Abel大佐は,現在830以上の企業登録がなされており,うち輸出業者が370を超えると発表。 |
DIA-211-1989-10-10-1 | ミャンマー | 1989年10月10日 | 1980年代 | 人民議会堂前に完成した人民広場と公園がオープン,開園式にAung ye Kyaw少将など軍幹部らが出席。 |
DIA-211-1989-10-11-1 | ミャンマー | 1989年10月11日 | 1980年代 | SLORC情報委メンバーU Kyaw Sunnを代表とする情報関係代表団が訪中,18日帰国。 |
DIA-211-1989-10-12-1 | ミャンマー | 1989年10月12日 | 1980年代 | エネルギー相Mg Mg Khin少将は,錫産出国7ヵ国を訪問のため出発,20日帰国。 |
DIA-211-1989-10-12-2 | ミャンマー | 1989年10月12日 | 1980年代 | 貿易省傘下のホテル・観光産業はオーストリアの民間企業との間で,ホテル建設(ヤンゴン,マンダレー,パガン)のための合弁企業設立に調印。工費は計1億1000万㌦,1993年完工,15年間合弁ベース,その後はビルマ側に引き渡される。 |
DIA-211-1989-10-13-1 | ミャンマー | 1989年10月13日 | 1980年代 | SLORC第1書記Khin Nyunt准将は11日から3日間,シャン州東部の国境地域を視察,少数民族開発状況などで意見交換。 |
DIA-211-1989-10-13-2 | ミャンマー | 1989年10月13日 | 1980年代 | 農産物交易(公社)はタイのRice Engineering Supply Co.Ltd.社と合弁でMyanmar Rice Engineering Co.Ltd.を設立。精米施設,精米工場用の部品などの製造,販売。 |
DIA-211-1989-10-13-3 | ミャンマー | 1989年10月13日 | 1980年代 | 外国企業代理人登録に関する布告。貿易省は国内で営業する外国企業の代理人の活動について,1955年の外国企業代理人登録法に基づき登録を義務づける布告を発した。 |
DIA-211-1989-10-16-1 | ミャンマー | 1989年10月16日 | 1980年代 | 陸軍士官学校第17期士官訓練コース終了式で,陸軍司令官Than Shwe中将は,「国軍が権力を握らなかったら,国内は内戦状態となり,独立が失われたにちがいない」などと演説。 |
DIA-211-1989-10-16-2 | ミャンマー | 1989年10月16日 | 1980年代 | 世銀・ADB・IMF合同ミッションが来訪,計画・財務相Abel大佐と会談。 |
DIA-211-1989-10-18-1 | ミャンマー | 1989年10月18日 | 1980年代 | 陸軍司令官Than Shwe中将らが訪中。訪中団は,内務・宗教相Phone Myint少将,SLORC第1書記Khin Nyunt准将,北部師団司令官Kyaw Ba准将ら24名である。30日帰国,この間李鵬首相ら中国首脳と会談,軍事施設,工場などを視察。 |
DIA-211-1989-10-18-2 | ミャンマー | 1989年10月18日 | 1980年代 | ヤンゴン第3軍事法廷は市庁舎爆破事件の主犯3人に対し,死刑の判決。 |
DIA-211-1989-10-20-1 | ミャンマー | 1989年10月20日 | 1980年代 | 内陸油田開発に関し,外資企業の受入れを要請した結果,49社からプロポーザルがあり,14の企業に契約の用意ありとの返答が出された。(筆者注:89年末までに契約した外資系企業は合計9社で,アメリカ2社,イギリス2社,カナダ,オーストラリア,オランダ,韓国,日本各1社である) |
DIA-211-1989-10-20-2 | ミャンマー | 1989年10月20日 | 1980年代 | SLORC第61回記者会見。7月19日以降の特別軍事法廷での処理件数は,7~8月の2ヵ月間で最高裁712件,州・管区裁判所9774件,郡裁判所7万9178件,合計8万9664件。このうち死刑判決は計100件。しかし過去,死刑判決を受け,執行されたのは韓国大統領爆破事件のジン・モーだけである,などの説明があった。 |
DIA-211-1989-10-23-1 | ミャンマー | 1989年10月23日 | 1980年代 | 中央選管委議長U Ba Htayは各レベル選管委メンバーの研修会で「一部の政党が選管委を批難し,同委の分裂を図っている」,「今回の選挙では,政府は選挙に参加せず,中立的な立場をとるので何ら選挙に疑いを持つ必要はない」などと述べた。 |
DIA-211-1989-10-26-1 | ミャンマー | 1989年10月26日 | 1980年代 | 農林相Chit Swe少将は来訪中のIMF理事Dr.JE Ismailと会見。 |
DIA-211-1989-10-27-1 | ミャンマー | 1989年10月27日 | 1980年代 | 日本・外務省南東アジア一課河野課長が,ソウマウン議長と会見,同課長はODAの継続案件につき慎重に検討している旨発言。 |
DIA-211-1989-10-27-2 | ミャンマー | 1989年10月27日 | 1980年代 | 石油・天然ガス公社はオランダのShell開発BV社と鉱区”G”につき,石油,ガスの探査・採掘契約(生産分与)を交わした。 |
DIA-211-1989-10-30-1 | ミャンマー | 1989年10月30日 | 1980年代 | 石油・天然ガス公社は日本・出光石油開発と鉱区”D”につき探査・採掘契約。 |
DIA-211-1989-10-31-1 | ミャンマー | 1989年10月31日 | 1980年代 | 計画・財務相・貿易相Abel大佐は来訪中の上海の国外経済関係技術協力公司代表団と会談。 |
DIA-211-1989-11-01-1 | ミャンマー | 1989年11月01日 | 1980年代 | タイ漁業資源調査船RV Chulabborn号到着。ミャンマー経済水域の漁業資源調査のため。 |
DIA-211-1989-11-02-1 | ミャンマー | 1989年11月02日 | 1980年代 | タイの農業・協組副相Dr.Charoen Kanthawongsが来訪。農林相Chit Swe少将と会談。 |
DIA-211-1989-11-03-1 | ミャンマー | 1989年11月03日 | 1980年代 | 内務・宗教省は布告第3号を発し,カチン独立機構(KIO),カレン民族連合(KNU),新モン州党(NMSP),カレンニ民族進歩党(KNPP)を非合法組織と認定。またSLORC第63回記者会見で,上記組織の他に,反乱軍として非合法組織と認定されているものは以下のとおり。ビルマ共産党(BCP),シャン州進歩党(SSPP),シャン州立軍(SSA),シヤン民族人民解放機構(SNPLO),シャン統一革命軍(SURA),ワー民族機構(WNO),アラカン解放党(ALP),パラウン州解放党(PSLP)。 |
DIA-211-1989-11-03-2 | ミャンマー | 1989年11月03日 | 1980年代 | 運輸・通信相・社会福祉・労働相Tin Tun少将は,シンガポールのコンピューター・システムのGMと会見。 |
DIA-211-1989-11-03-3 | ミャンマー | 1989年11月03日 | 1980年代 | ミャンマー・タイ両国の漁業局は,ミャンマー経済水域の漁業資源調査と海洋学的調査のための共同調査協定に調印した。 |
DIA-211-1989-11-06-1 | ミャンマー | 1989年11月06日 | 1980年代 | SLORC首脳と中央選管委が選挙期日について協議。この席で5月27日の選挙が決定された。 |
DIA-211-1989-11-06-2 | ミャンマー | 1989年11月06日 | 1980年代 | 石油・天然ガス公社はPetro Canada(Myanmar)Ltd.と鉱区“E”での石油採掘に関する契約。 |
DIA-211-1989-11-07-1 | ミャンマー | 1989年11月07日 | 1980年代 | 総選挙は1990年5月27日に実施することが発表された。 |
DIA-211-1989-11-07-2 | ミャンマー | 1989年11月07日 | 1980年代 | 貿易相Abel大佐を団長とする貿易代表団がマレーシア,韓国,日本に向け出発。日本では17~22日の間に中山外相らと会談予定。 |
DIA-211-1989-11-08-1 | ミャンマー | 1989年11月08日 | 1980年代 | Myawaddy付近でKNU敷設の地雷が数ヵ所で爆発,10数名が重軽傷。 |
DIA-211-1989-11-09-1 | ミャンマー | 1989年11月09日 | 1980年代 | 農林相Chit Swe少将は第25回FAO総会出席のため,ローマに出発。 |
DIA-211-1989-11-10-1 | ミャンマー | 1989年11月10日 | 1980年代 | 国軍指揮官・参謀大学の第40期養成コース終了式で,ソウマウン議長が演説。「総選挙は実施するが,それまで戒厳令は解かない」,「為替レートの変更は性急であり,インフレを招く怖れがあるので実施しない」,「現在の対外債務残高は60億㌦」などと述べた。 |
DIA-211-1989-11-10-2 | ミャンマー | 1989年11月10日 | 1980年代 | 選管委は総選挙までの日程を次のように発表。総選挙実施・投票日1990年5月27目(日)。立候補者登録1989年12月28日~90年1月3日。立候補者の審査・認定 1990年1月5日~1月9日。立候補者の辞退・取消 1990年1月22日。 |
DIA-211-1989-11-10-3 | ミャンマー | 1989年11月10日 | 1980年代 | 石油・天然ガス公社は鉱区“B”について,アメリカのAmoco Myanmar Petroleum社と契約。 |
DIA-211-1989-11-11-1 | ミャンマー | 1989年11月11日 | 1980年代 | ヤンゴン市内の米価下落。市内の米小売価格は,Ngasein種でピー当り20~22チヤットから10~12チヤット。またカチン州でも24チヤットから18チヤットまで下落。 |
DIA-211-1989-11-13-1 | ミャンマー | 1989年11月13日 | 1980年代 | 石油・天然ガス公社は鉱区“F”について,アメリカのUnocal社と契約。 |
DIA-211-1989-11-13-2 | ミャンマー | 1989年11月13日 | 1980年代 | 選管委は登録している207政党に対し,総選挙に候補を出すかどうかを12月11日までに申告するよう通達。 |
DIA-211-1989-11-16-1 | ミャンマー | 1989年11月16日 | 1980年代 | 運輸・通信相Tin Tun少将は来訪中のタイ運輸・通信副相Nikhonと会談。 |
DIA-211-1989-11-17-1 | ミャンマー | 1989年11月17日 | 1980年代 | 石油・天然ガス公社は鉱区“I”につき英国のCroft開発Myanmar Ltd.社と契約。 |
DIA-211-1989-11-17-2 | ミャンマー | 1989年11月17日 | 1980年代 | SLORC第65回記者会見。(1)国軍は選挙によって樹立される政府に政権を移譲した後には本来の任務たる国防・治安・法秩序の維持に専念する,(2)民主平和連盟(LDP)の名誉総裁U Nuは88年9月9日に,1947年憲法に基づいた正当な首相であることを宣言し,暫定政府(並行政府)を樹立した。これは国家反逆罪に相当する。この政府のメンバーはいまだに辞任も,解散もしていない。選挙への参加は許されない。 |
DIA-211-1989-11-17-3 | ミャンマー | 1989年11月17日 | 1980年代 | SLORC第1書記Khin Nyunt准将はヤンゴン市内の学校教師を集め,共産党の政権奪取陰謀計画について説明。このなかで88年9月10日に開かれたBCP中央委・軍事委の様子を写したビデオ・テープを公開した。このテープは,最近,政府軍が共産軍本部を占拠した際に押収されたもの。 |
DIA-211-1989-11-18-1 | ミャンマー | 1989年11月18日 | 1980年代 | タイの農業・協組副相Udon Tantisunthornが来訪。この間タイとビルマ間に,友好のための橋を建設する話が協議された。 |
DIA-211-1989-11-20-1 | ミャンマー | 1989年11月20日 | 1980年代 | 選管委は選挙の際に政党のシンボルとして使用できるシンボル・マークを公示。このシンボルには,(1)宗教や宗教建造物に関するもの,(2)太陽,月,星などの天体物,(3)生物,(4)武器などは含まれない。 |
DIA-211-1989-11-20-2 | ミャンマー | 1989年11月20日 | 1980年代 | Myitkyina近郊の道路上で,KIAによる地雷が爆発,住民2人が死亡。 |
DIA-211-1989-11-21-1 | ミャンマー | 1989年11月21日 | 1980年代 | シンガポールの経済開発局のミッションが,ミャンマー宝石公社を視察。 |
DIA-211-1989-11-24-1 | ミャンマー | 1989年11月24日 | 1980年代 | 石油・天然ガス公社は鉱区“B”についてオーストラリアのBHP石油社と契約。 |
DIA-211-1989-11-29-1 | ミャンマー | 1989年11月29日 | 1980年代 | 運輸・通信相Tin Tun少将は,交通法規を実情に合わせて改正すると述べた。また,現在の車輛台数は全国で15万8000台,ヤンゴンで8万5000台,免許保持者は全国で85万人であるとした。 |
DIA-211-1989-11-29-2 | ミャンマー | 1989年11月29日 | 1980年代 | 中国雲南省知事を団長とする代表団が来訪。12月7日まで滞在し,この間,(1)雲南省がマンダレーとRashioにデパート,(2)雲南省対外経済局傘下の企業の支店,事務所の設置,(3)合弁でNamkhamで錫,Momaukで石炭の探査。また苛性ソーダプラントの合弁,小規模セメント工場(シャン州)企業化調査のなどについて実施する旨の覚書調印。 |
DIA-211-1989-11-30-1 | ミャンマー | 1989年11月30日 | 1980年代 | ミャンマー宝石公社は,個人所有の宝石を売却して外貨を取得する方法として,次のような通達を出した。宝石を外貨で売りたいものは,89年12月1日から90年5月31日までに宝石公社にその旨申し込むと,公社は500チヤットの検査料をとって,宝石を宝石市や政府の宝石店に陳列する。売れたら,売価の10%の手数料を公社が取り,売り主は,60%を外貨で,30%をチャットで受け取る。宝石が売れなかった場合は,公社が設定した価格の2%を公社が取り,持ち主に返す。売却希望者は,宝石が合法的に入手されたものであることを証明しなければならない。 |
DIA-211-1989-12-01-1 | ミャンマー | 1989年12月01日 | 1980年代 | SLORC第67回記者会見。(1)登録政党は必ず選挙に参加されたい。参加しない政党は登録を取消される,(2)12月1日より交通規則厳守のための取締りを90年6月まで行なう,(3)NLDは下部の組織が違法な印刷物を配布していることに責任を取るべきで,政府としては厳しく取締る。 |
DIA-211-1989-12-02-1 | ミャンマー | 1989年12月02日 | 1980年代 | 日本の山田宝石から購入した50台のバスが,ヤンゴン港に到着。 |
DIA-211-1989-12-04-1 | ミャンマー | 1989年12月04日 | 1980年代 | ヤンゴンの公共交通問題に関する会議が開かれ,新規に120台のバスが導入されることになった。 |
DIA-211-1989-12-04-2 | ミャンマー | 1989年12月04日 | 1980年代 | 貿易省と中国雲南省の使節との間で,雲南省がマンダレーとRashioにデパートを開き,雲南省の産品を販売すること,雲南省対外経済関係局と貿易庁の支所を開設し,ヤンゴン,昆明の旅行業務を行なうこと,に関して覚え書きが交わされた。 |
DIA-211-1989-12-04-3 | ミャンマー | 1989年12月04日 | 1980年代 | シンガポールの貿易・産業担当国務相Mr.Mah Baw Tanを団長とする財界代表団40名が来訪。関係閣僚,6日にはソウマウン議長とも会談。 |
DIA-211-1989-12-05-1 | ミャンマー | 1989年12月05日 | 1980年代 | 選管委は第337号声明を発表し,各政党は少なくとも,3選挙区に立候補者を立てなければならない旨通達。 |
DIA-211-1989-12-05-2 | ミャンマー | 1989年12月05日 | 1980年代 | 鉱業省と中国雲南省の使節との間で,シャン州Namkham地域の錫開発とカチン州の石炭貿易について覚え書き交換。また,第1鉱業省と同使節の間で,苛性ソーダのプラント建設(シッタン)と,小セメントプラント建設(ムーセー)のための企業化調査について覚え書き交換。 |
DIA-211-1989-12-06-1 | ミャンマー | 1989年12月06日 | 1980年代 | ヤンゴン市内の米価はさらに下落,Ngasein種で1ピー当り10~12チヤットから6~10チヤットに値下がり。 |
DIA-211-1989-12-06-2 | ミャンマー | 1989年12月06日 | 1980年代 | 退級軍人会会長Aung Khin退役少将は来訪中のソ連退役軍人委員会メンバーと会談。 |
DIA-211-1989-12-06-3 | ミャンマー | 1989年12月06日 | 1980年代 | シンガポールの貿易・産業担当国務相一行と,鉱業・エネルギー相Maung Maung Khin少将,第一・第二工業相Sein Aung少将が,両国の経済,鉱工業,エネルギー問題等について会談。 |
DIA-211-1989-12-07-1 | ミャンマー | 1989年12月07日 | 1980年代 | 陸運局は,フランスのルノー社から,バス200台を購入。うち50台は,12月26目に到着予定。 |
DIA-211-1989-12-07-2 | ミャンマー | 1989年12月07日 | 1980年代 | ソウマウン議長は来訪中のマレーシア空軍参謀長Tan Sri Mohammadと会見。 |
DIA-211-1989-12-08-1 | ミャンマー | 1989年12月08日 | 1980年代 | SLORC第68回記者会見。(1)受刑者の被選挙権は認められない,(2)各政党は最近3選挙区に候補者を立てる必要あり,複数政党による連合組織も同様で,かつ単独政党としてもそれぞれ3選挙区に立てなければならない,(3)反乱軍は”rebel”でなく”insurgent”である,(4)政府軍は1日から4日までの間にKNUの拠点Myawaddy地区のThitkara,Mauphathu基地を攻略・占拠。 |
DIA-211-1989-12-11-1 | ミャンマー | 1989年12月11日 | 1980年代 | タイ国軍第3管区司令官Siri Siwaphanが来訪。第2回タイ・ビルマ国境委員会出席のため。 |
DIA-211-1989-12-12-1 | ミャンマー | 1989年12月12日 | 1980年代 | 中央選管委とヤンゴン管区選管委とが合同協議。席上11日までの立候補届出状況が発表され,これによると以下のとおり。3選挙区以上に候補者を立てた政党は合計104党。内訳は300選挙区以上6党,101~200選挙区4党,51~100選挙区3党,11~50選挙区30党,3~10選挙区61党。 |
DIA-211-1989-12-15-1 | ミャンマー | 1989年12月15日 | 1980年代 | SLORC第69回記者会見。U Nuは並行政府を正式に解散しない限り,反逆罪を適用され,選挙資格を失う。などと発表(→11/17)。 |
DIA-211-1989-12-15-2 | ミャンマー | 1989年12月15日 | 1980年代 | 政党別立候補者教。3選挙区以上に候補者を立てた政党は計117政党。立候補選挙区数別でみた政党は次のとおり。〔300選挙区以上〕―NLD(326選挙区),NUP(450),民主党(424),UNDP(342),複数政党民主統一戦線(320),民主平和連盟(400)。〔101~200選挙区〕―AFPFL主流本部(129),国民再建民主戦線(123),元学生民主協会(107),AFPFL政党本部(120)。〔51~100選挙区〕―4党。〔11~50選挙区〕―31党。〔3~10選挙区〕―72党。 |
DIA-211-1989-12-17-1 | ミャンマー | 1989年12月17日 | 1980年代 | 選管委は外務省に対して,外国在住ビルマ人にも投票権があり,その手続きを進めるよう要請。 |
DIA-211-1989-12-18-1 | ミャンマー | 1989年12月18日 | 1980年代 | ヤンゴン管区LORC Myo Nyunt議長は,建設資材業者を集めて,資材価格高騰のために建設プロジェクトの進行が遅れている実状を話し,価格を引き下げるよう要求。 |
DIA-211-1989-12-20-1 | ミャンマー | 1989年12月20日 | 1980年代 | ミャンマー航空は,ヤンゴンからペナン経由シンガポール便を週1便で,12月28日から運航すると発表。 |
DIA-211-1989-12-20-2 | ミャンマー | 1989年12月20日 | 1980年代 | KNU軍はShwegun近郊で2隻の客船を襲撃,乗客数名負傷。 |
DIA-211-1989-12-21-1 | ミャンマー | 1989年12月21日 | 1980年代 | 12月9日から韓国を訪問していた鉱山相・エネルギー相Maung Maung Khin海軍少将を団長とする代表団が帰国。 |
DIA-211-1989-12-22-1 | ミャンマー | 1989年12月22日 | 1980年代 | 第3回特別軍事法廷はNLD議長Tin Oo元大将を国家反逆罪などで3年の実刑判決。1988年の騒動時に国軍兵士を煽動し,国軍分裂を策動したなどの罪。 |
DIA-211-1989-12-22-2 | ミャンマー | 1989年12月22日 | 1980年代 | SLORC第70回記者会見。U Nuは依然として並行政府を取消していない。しかし当該政府のメンバーでLDPの執行委であるU Ye Goung NyuntはSLORCに対して,執行委を辞任したと通報。 |
DIA-211-1989-12-23-1 | ミャンマー | 1989年12月23日 | 1980年代 | 中国の対外経済関係局副主任を団長とする代表団が来訪。貿易相,農林相などと会談。27日帰国。 |
DIA-211-1989-12-27-1 | ミャンマー | 1989年12月27日 | 1980年代 | SLORC第1書記Khin Nyunt准将,ヤンゴン各地の建設現場を視察。 |
DIA-211-1989-12-28-1 | ミャンマー | 1989年12月28日 | 1980年代 | 中国作家協会代表団来訪。 |
DIA-211-1989-12-29-1 | ミャンマー | 1989年12月29日 | 1980年代 | 政府軍第44師団攻撃部隊は,KNU第6旅団本部のある重要拠点Phalu基地を攻略,これを占拠。反乱軍側死者55名,政府軍側戦死22名,負傷52名。 |
DIA-211-1989-12-29-2 | ミャンマー | 1989年12月29日 | 1980年代 | SLORC第71回記者会見で,U Nuの反国家的言動について,歴史的かつ詳細に説明。またSLORCはU Nuの暫定政府のメンバー14人に対し,法的措置を講じると発表,14人は以下のとおり。U Nu,Bohmu Aung,ThakinChit,U Than Sein,Thakin Thein Pe,U Vum Ko Hau,U Ba Swe,Bohmu Tun Tin,Thakin Khin Aung,U Ba Tun,U Nyunt Aung,U Saw Nge Doe,U Thein Maung,U San Ohn。 |
DIA-211-1989-12-31-1 | ミャンマー | 1989年12月31日 | 1980年代 | Kawkareik-Myawaddy間道路でKNUによる地雷が爆発,車で通過中の住民2名が死亡,12名が負傷。 |