ID 国名 日付 年代 内容
DIA-211-1990-01-02-1ミャンマー1990年01月02日1990年代国家法秩序回復評議会(SLORC),サガイン管区・マグウェイ管区・シャン州の計10町村で戒厳令解除。
DIA-211-1990-01-03-1ミャンマー1990年01月03日1990年代政府軍はミャワディを訪れているタイ軍代表団に対して,カレン軍一掃のための攻撃に対する理解と協力を要請。
DIA-211-1990-01-04-1ミャンマー1990年01月04日1990年代ソウマウン(Saw Maung)SLORC議長は独立記念目にメッセージを発表し,「公正で自由な選挙」の実施を訴えた。
DIA-211-1990-01-05-1ミャンマー1990年01月05日1990年代自宅軟禁中の国民民主連盟(NLD)書記長アウンサン・スーチー(Aung San Suu Kyi)女史が,ヤンゴン市内の選挙区から出馬するために立候補届を出していたことが明らかになった。
DIA-211-1990-01-08-1ミャンマー1990年01月08日1990年代国民統一党(NUP:旧社会主義計画党)の立候補者U Labang Grongが,スーチー女史には立候補資格がないとの異議申し立てを選挙管理委員会に提出。
DIA-211-1990-01-10-1ミャンマー1990年01月10日1990年代ヤンゴン市バハン地区選挙管理委員会がスーチー女史の立候補を認める決定。
DIA-211-1990-01-10-2ミャンマー1990年01月10日1990年代Chit Swe農林水産・畜産相がタイの農業・協同組合副相と会談し,漁業開発に関する覚書に調印。
DIA-211-1990-01-14-1ミャンマー1990年01月14日1990年代Chit Swe農林水産・畜産相ら代表団がマレーシア訪問に出発。25日まで。
DIA-211-1990-01-15-1ミャンマー1990年01月15日1990年代ミャンマー中央銀行は3月1日より新1チャット紙幣を発行すると発表。
DIA-211-1990-01-15-2ミャンマー1990年01月15日1990年代選挙管理委員会は各政党の代表者を集めて,選挙で使用するシンボルマークについて協議。同様の協議が22,29日にも。
DIA-211-1990-01-15-3ミャンマー1990年01月15日1990年代シンガポール企業が自動車製造で合弁に調印。
DIA-211-1990-01-16-1ミャンマー1990年01月16日1990年代ヤンゴン市選挙管理委員会はバハン地区選挙管理委員会が先に出していた決定を覆し,スーチー女史の立候補を却下する決定。これに反発してNLDは,中央選管に対して同女史の立候補を認めるように申し立て。政府はこの決定に対する国民の反発を予想して,ヤンゴン市内各所に大量の武装兵士を配備して警戒を強化。
DIA-211-1990-01-16-2ミャンマー1990年01月16日1990年代政府軍はThe Ba Bowのカレン軍キャンプを攻撃し,双方に約30人の死者。住民約1000人がタイに避難。
DIA-211-1990-01-18-1ミャンマー1990年01月18日1990年代SLORCは記者会見でスーチー女史が少数民族反乱軍と接触していると非難。さらに「某大使館」が「扇動的な文書」を配布していると警告。
DIA-211-1990-01-19-1ミャンマー1990年01月19日1990年代ソウマウン議長がU Ba Htay選挙管理委員会委員長らと会見し,選挙運動や選挙後の新議会について協議。
DIA-211-1990-01-23-1ミャンマー1990年01月23日1990年代タイ企業がスズの共同探鉱・生産契約に調印。
DIA-211-1990-01-25-1ミャンマー1990年01月25日1990年代英国企業が石油の共同生産契約に調印。
DIA-211-1990-01-30-1ミャンマー1990年01月30日1990年代Than Shwe中将はタイ軍Singhasovapat中将らの代表団と会談。
DIA-211-1990-01-31-1ミャンマー1990年01月31日1990年代政府軍はカレン民族同盟(KNU)のWaleyキャンプ第6前線司令部,カチン独立軍(KIA)の第4師団司令部を占領。
DIA-211-1990-01-31-2ミャンマー1990年01月31日1990年代Abel計画・財務・貿易相は16日の会談に引続き,IMFのミッションと技術援助資金について協議。
DIA-211-1990-02-01-1ミャンマー1990年02月01日1990年代タイのPong Sarasin副首相が,4日までミャンマーを訪問しソウマウン議長らSLORCメンバーと会談。訪問中に,両国間の貿易促進と漁業の合弁締結のための覚書に調印。
DIA-211-1990-02-01-2ミャンマー1990年02月01日1990年代香港企業が衣料品製造・販売で合弁に調印。
DIA-211-1990-02-02-1ミャンマー1990年02月02日1990年代SLORCは政府軍がWaleyのカレン軍基地とMonghawのカチン軍基地を制圧したと発表。
DIA-211-1990-02-04-1ミャンマー1990年02月04日1990年代選挙管理委員会は各州・管区の選管支部の代表者を集め,選挙準備について協議。
DIA-211-1990-02-06-1ミャンマー1990年02月06日1990年代Khin Nyunt准将がシャン州国境地帯の視察に出発。7日まで。
DIA-211-1990-02-09-1ミャンマー1990年02月09日1990年代政府軍は9日間の攻撃の末,Three Pagodas Passの新モン州党(NMSP)の司令部を制圧。NMSPの指導者はタイ当局が政府軍のタイ領侵犯を黙認したと非難。
DIA-211-1990-02-09-2ミャンマー1990年02月09日1990年代Abel計画・財務・貿易相がIMF副理事らの代表団と会談。
DIA-211-1990-02-10-1ミャンマー1990年02月10日1990年代タイ国軍は,カレン軍攻撃のためにタイ領内に侵入したミャンマー国軍部隊に攻撃して8人を殺害,2人を捕虜にした。
DIA-211-1990-02-11-1ミャンマー1990年02月11日1990年代25の少数民族政党がヤンゴンで会議を開催し,民主的で平等な新連邦制の樹立を政策目標とすることを表明。
DIA-211-1990-02-12-1ミャンマー1990年02月12日1990年代SLORCは記者会見で,政府軍がカレン軍攻撃のためにタイ領内に侵入したという報道を否定。
DIA-211-1990-02-12-2ミャンマー1990年02月12日1990年代タイ国軍が国境侵犯を犯した3人のミャンマー軍兵士をミャンマー当局に引き渡し。
DIA-211-1990-02-13-1ミャンマー1990年02月13日1990年代Tin Tun空軍少将ら一行がシンガポール・タイへの外遊に出発。
DIA-211-1990-02-14-1ミャンマー1990年02月14日1990年代シンガポール企業が鉄鋼業で合弁に調印。
DIA-211-1990-02-15-1ミャンマー1990年02月15日1990年代日本の出光石油開発が液化天然ガスの探鉱開発で契約に調印。
DIA-211-1990-02-16-1ミャンマー1990年02月16日1990年代ラオス商業相が15日からKhin Nyunt准将,Than Shwe中将,Tin Oo准将,Abel計画・財務・貿易相らと会談し,経済・貿易分野での協力に合意。
DIA-211-1990-02-16-2ミャンマー1990年02月16日1990年代SLORCのスポークスマンは,現在8人の野党政治家が取調べを受けていることを公表。同時に数百人の反政府政治家が捕らわれているとの外国報道を否定。
DIA-211-1990-02-16-3ミャンマー1990年02月16日1990年代SLORCは政府軍がカチン軍Khasanキャンプを占拠したと発表。さらにミャンマー軍によるタイ領侵犯の事実を重ねて否定。
DIA-211-1990-02-20-1ミャンマー1990年02月20日1990年代韓国工業科学技術研究所顧問らの代表団がソウマウン議長はじめSLORCメンバーと会談。
DIA-211-1990-02-22-1ミャンマー1990年02月22日1990年代タイの経済使節団が26日まで来訪。Abel計画・財務・貿易相,Sein Aung工業相,Maung Maung Khinエネルギー・鉱業相らと会見。
DIA-211-1990-02-23-1ミャンマー1990年02月23日1990年代SLORCは27日より選挙運動を解禁すると発表し,同時にその運動規則も発表。禁止事項は「国家の独立と統一を乱す行為」「SLORCや現政府の非難・中傷」「国軍の分裂策動」「学生に対する扇動」など。また集会やキャンペーン活動もすべて事前許可制,国営ラジオ・テレビの政見放送も事前原稿チェック。
DIA-211-1990-02-23-2ミャンマー1990年02月23日1990年代SLORCは立候補が3選挙区以下の政党と,立候補者をたてない政党の計37政党に解散命令。これにより立候補政党は97に。
DIA-211-1990-02-23-3ミャンマー1990年02月23日1990年代西ドイツ企業,機械生産・販売で合弁に調印。
DIA-211-1990-02-24-1ミャンマー1990年02月24日1990年代政府軍はThana Kwaiのカレン軍基地を攻撃,占拠し,160人のカレン人・タイ人を拘束。
DIA-211-1990-02-25-1ミャンマー1990年02月25日1990年代西ドイツ議員の使節団が来訪,選挙管理委員会委員長らと会見。使節団は27日に声明を発表し,SLORCが選挙操作と人権侵害を行なっていると非難。
DIA-211-1990-02-28-1ミャンマー1990年02月28日1990年代政府は先のカレン軍攻撃時に捕えた70人のタイ労働者を釈放。
DIA-211-1990-03-01-1ミャンマー1990年03月01日1990年代政府は3月27日より新200チャット札を発行すると発表。同時にこれは古い札を新札に更新するためで,貨幣量増加のためではないことを強調。
DIA-211-1990-03-01-2ミャンマー1990年03月01日1990年代政府は輸入制限の緩和を発表。
DIA-211-1990-03-02-1ミャンマー1990年03月02日1990年代貿易省は2月中に51の輸入業者,20の輸出業者の登録を許可したと発表。
DIA-211-1990-03-03-1ミャンマー1990年03月03日1990年代Pe Thein保健・教育相ら代表団が国連の会議出席のためタイに出発。
DIA-211-1990-03-05-1ミャンマー1990年03月05日1990年代シンガポール国軍参謀長ら一行が来訪。ソウマウン議長と7日に会談し,8日帰国。
DIA-211-1990-03-05-2ミャンマー1990年03月05日1990年代タイでの会議に出席中のPe Thein保健・教育相は,5月の選挙前に国内の大学は再開されないと言明。
DIA-211-1990-03-05-3ミャンマー1990年03月05日1990年代政府軍,KNUのMaudaungキャンプを占拠。
DIA-211-1990-03-06-1ミャンマー1990年03月06日1990年代Tin Tun運輸通信・福祉労働相,Abel計画・財務・貿易相が世界銀行アジア支局の使節団と会談。
DIA-211-1990-03-07-1ミャンマー1990年03月07日1990年代タイのSirisumpan副首相ら代表団が来訪。9日ソウマウン議長らと会談し同日帰国。
DIA-211-1990-03-08-1ミャンマー1990年03月08日1990年代ミャワディの国境検問所で菓子箱に仕掛けられていた爆弾が爆発し,7人死亡,9人負傷。当局はカレン軍の犯行と非難,カレン軍はこれを否定。ミャンマー当局はこの国境を封鎖。
DIA-211-1990-03-09-1ミャンマー1990年03月09日1990年代タイ国防大学代表団来訪。同日ソウマウン議長と会見し,11日帰国。
DIA-211-1990-03-10-1ミャンマー1990年03月10日1990年代タイ・ミャンマー当局が合同で400人のミャンマー人をメーソット(タイ)からミャワディに移送。
DIA-211-1990-03-11-1ミャンマー1990年03月11日1990年代SLORCは,カイン州・バゴー管区・マンダレー管区・サガイン管区・マグウェイ管区の計14市町で戒厳令を解除。
DIA-211-1990-03-12-1ミャンマー1990年03月12日1990年代Maung Aye准将ら代表団が国境問題に関する会議出席のためタイに出発。19日帰国。
DIA-211-1990-03-13-1ミャンマー1990年03月13日1990年代タイのChavalit国軍大将ら一行が来訪し,ソウマウン大将と会談。
DIA-211-1990-03-15-1ミャンマー1990年03月15日1990年代タイ陸軍情報参謀次長ら一行が来訪。ソウマウン議長らSLORCメソバーと会談し,19日帰国。
DIA-211-1990-03-20-1ミャンマー1990年03月20日1990年代ヤンゴン市Tamwe地区で大火,763家屋が焼失。
DIA-211-1990-03-21-1ミャンマー1990年03月21日1990年代Sayar Chai選挙管理委員会委員は,総選挙はミャンマー国内の問題であるので外国からのオブザーバーは必要ない,と言明。
DIA-211-1990-03-21-2ミャンマー1990年03月21日1990年代アメリカ国務省は,ミャンマー政府に対して都市住民の郊外強制移住をやめるよう要請。
DIA-211-1990-03-21-3ミャンマー1990年03月21日1990年代Ye市付近で政府軍と新モン州党(NMSP)が戦闘。政府側は43人のモン軍ゲリラ死亡と発表。モン側は30人の政府軍兵士,10人のモン軍兵士死亡と発表。
DIA-211-1990-03-22-1ミャンマー1990年03月22日1990年代マレーシア国軍参謀長ら代表団来訪。ソウマウン議長らと会談し,24日帰国。
DIA-211-1990-03-23-1ミャンマー1990年03月23日1990年代ソウマウン議長,SLORCメンバーの階級昇進を発表。
DIA-211-1990-03-27-1ミャンマー1990年03月27日1990年代国軍記念日。ソウマウン議長はこの日の演説のなかで外国からの圧力を非難。同時にBBC,VOA,All India Radioらの放送局と,スーチー女史やウーヌーなどの政治家を名指しで非難。
DIA-211-1990-03-29-1ミャンマー1990年03月29日1990年代90年度国家予算法発効。
DIA-211-1990-03-29-2ミャンマー1990年03月29日1990年代韓国企業,電気製品生産での合弁とホテル建設の契約に調印。
DIA-211-1990-03-31-1ミャンマー1990年03月31日1990年代Maung Maung Khinエネルギー・鉱業相ら代表団がベトナムに出発。ベトナム閣僚会議副議長らと会談し,4月9日帰国。
DIA-211-1990-04-02-1ミャンマー1990年04月02日1990年代ヤンゴン放送によれば,KNUと反政府学生組織がモン州南部の村で通信用鉄塔を爆破,警官2人が死亡。
DIA-211-1990-04-02-2ミャンマー1990年04月02日1990年代Pe Thein保健・教育相,UNESCOの太平洋地域教育顧問と会談。
DIA-211-1990-04-03-1ミャンマー1990年04月03日1990年代前年7月に合意された韓国企業との合弁による織物工場の操業開始式典開催。
DIA-211-1990-04-04-1ミャンマー1990年04月04日1990年代中国外務省情報局次長らの代表団が来訪。選挙管理委員会委員長,Abel計画・財務・貿易相らと会談し,11日帰国。
DIA-211-1990-04-04-2ミャンマー1990年04月04日1990年代Tin Tun運輸通信・福祉労働相ら代表団がインドネシアに出発。11日,スハルト大統領を表敬訪問し,19日帰国。
DIA-211-1990-04-06-1ミャンマー1990年04月06日1990年代Phone Myint内務・宗教・情報文化相ら代表団がロンドンで開催される麻薬取締りのための閣僚会議に出発。15日帰国。
DIA-211-1990-04-06-2ミャンマー1990年04月06日1990年代SLORCは記者会見で,無所属の候補者は国営放送での政見放送を許可されないと発表。
DIA-211-1990-04-09-1ミャンマー1990年04月09日1990年代在タイ国のミャンマー大使はバンコクで,両国間の国境問題委員会の設置に関する覚書に調印。
DIA-211-1990-04-09-2ミャンマー1990年04月09日1990年代政府軍,4機の戦闘機を使ってKNUの司令部付近を爆撃。これにともなって多くのカレン人がタイ側に国境を越えて避難。
DIA-211-1990-04-11-1ミャンマー1990年04月11日1990年代SLORCはバゴー管区の10市で戒厳令を解除。
DIA-211-1990-04-11-2ミャンマー1990年04月11日1990年代Khin Nyunt少将は,「新議会は総選挙後すぐには設定されない。適切な新憲法が制定されて初めて強力な政府が生まれる」と言明。これによってSLORCは総選挙後もすぐには政権を委譲せず,新憲法の制定を優先する方針を示した。
DIA-211-1990-04-11-3ミャンマー1990年04月11日1990年代日本企業ダイチが空港・工業団地・発電所建設などの新都心開発で大規模な合弁に調印。
DIA-211-1990-04-11-4ミャンマー1990年04月11日1990年代中国放送テレビ代表団来訪。17日まで。(中国は2月,衛星を使った放送設備をミャンマーから一括受注している)
DIA-211-1990-04-14-1ミャンマー1990年04月14日1990年代バングラデシュ国軍代表団がKhin Nyunt少将らSLORCメンバーと会見。
DIA-211-1990-04-17-1ミャンマー1990年04月17日1990年代SLORCはヤンゴン管区の7町村で戒厳令を解除。
DIA-211-1990-04-19-1ミャンマー1990年04月19日1990年代SLORCはサガイン管区・マンダレー管区・マグウェイ管区の計10市で戒厳令解除。
DIA-211-1990-04-20-1ミャンマー1990年04月20日1990年代SLORCは記者会見で,今までに約5万家屋が郊外の衛星地区に移住したと発表。また,現在72の市町村で戒厳令が解除され,残りは89市町村であることを公表。選挙に関しては,ウーヌー,スーチー女史らを非難。
DIA-211-1990-04-20-2ミャンマー1990年04月20日1990年代Chit Swe農林水産・畜産相がFAOの会議に出席するため中国に出発。5月3日帰国。
DIA-211-1990-04-20-3ミャンマー1990年04月20日1990年代タイ企業で,沖合いのブロック‘8’での錫の探査・採掘の契約に調印。
DIA-211-1990-04-22-1ミャンマー1990年04月22日1990年代日本企業,ヤンゴン国際ホテル建設の合弁に調印。
DIA-211-1990-04-23-1ミャンマー1990年04月23日1990年代Abel計画・財務・貿易相が,日本の海外経済協力基金(OECF)代表団,ILO事務次長らと会談。
DIA-211-1990-04-24-1ミャンマー1990年04月24日1990年代Abel計画・財務・貿易相が,IMF財務部長と会談。
DIA-211-1990-04-26-1ミャンマー1990年04月26日1990年代選挙管理委員会は,「選挙の結果は3週間以内に明らかになる。ただし全体の60%は1週間以内に判明するだろう」との見通しを発表。
DIA-211-1990-04-26-2ミャンマー1990年04月26日1990年代ミャンマー漁業法発表,公布。
DIA-211-1990-04-26-3ミャンマー1990年04月26日1990年代SLORCは記者会見で,NLDのスーチー女史とKyi Maung,外国の報道機関を非難。
DIA-211-1990-04-30-1ミャンマー1990年04月30日1990年代Abel計画・財務・貿易相,世界銀行の経済担当官と会見。
DIA-211-1990-05-01-1ミャンマー1990年05月01日1990年代Khin Nyunt少将,「西側の2大使館」が釈放されたばかりの囚人にインタビューをし,それをもとに虚偽の報道を行なっている,とラジオを通じて非難。
DIA-211-1990-05-01-2ミャンマー1990年05月01日1990年代Abel計画・財務・貿易相ら代表団がユーゴスラビアに出発。15日まで。
DIA-211-1990-05-02-1ミャンマー1990年05月02日1990年代アムネスティ・インターナショナルが,軍事政権は反政府政治家に対して拷問を加えていると批判。SLORCスポークスマンは4日,これを否定し,「内政干渉」であると非難。
DIA-211-1990-05-02-2ミャンマー1990年05月02日1990年代Phone Myint内務・宗教・情報文化相ら代表団が中国に向けて出発。
DIA-211-1990-05-03-1ミャンマー1990年05月03日1990年代イギリス企業が,石油探査・採掘で合弁に調印。
DIA-211-1990-05-03-2ミャンマー1990年05月03日1990年代Pe Thein保健・教育相が,WHOの会議出席のためスイスに出発。14日まで。
DIA-211-1990-05-04-1ミャンマー1990年05月04日1990年代SLORCは記者会見で,アムネスティ,BBC,バンコク・ポストらの報道を非難。同時に自由民主党(LDP)のウーヌーを批判。
DIA-211-1990-05-04-2ミャンマー1990年05月04日1990年代OPECはミャンマーの教育事業のために730万ドルの融資を決定。
DIA-211-1990-05-05-1ミャンマー1990年05月05日1990年代ミャワディ付近のタイ国境で,香辛料の箱に入っていた爆弾が爆発し,3人死亡,11人負傷。
DIA-211-1990-05-08-1ミャンマー1990年05月08日1990年代ミャワディの当局は,9カ所のタイ国境路のうち8カ所を閉鎖。タイからの爆破物の密輸を防止するためと説明。
DIA-211-1990-05-10-1ミャンマー1990年05月10日1990年代ソウマウン議長は治安秩序回復評議会の会議上で演説し,スーチー女史らNLDのメンバーの行動を批判。また,NLD,LDPそれぞれの内部対立の状況を強調。
DIA-211-1990-05-11-1ミャンマー1990年05月11日1990年代SLORCのスポークスマンは,新憲法の起草は選挙で選ばれた代表者によって行なわれるものであって,SLORCはこれに対してなんら口出しする立場にない,と言明。
DIA-211-1990-05-15-1ミャンマー1990年05月15日1990年代ソウマウン議長は,Khin Nyunt少将らSLORCメンバーと共に選挙管理委員会委員長と会談。
DIA-211-1990-05-15-2ミャンマー1990年05月15日1990年代SLORCはチン,マグウェー,サガイン,マンダレーの各州/管区の計11市町村で戒厳令を解除。
DIA-211-1990-05-16-1ミャンマー1990年05月16日1990年代当局は,さきに閉鎖したミャワディ付近の国境路を再び開放。
DIA-211-1990-05-18-1ミャンマー1990年05月18日1990年代ヤンゴン放送は,エーヤーワディ管区で先月以来34人の政治家が,違法な集会や演説を行なった罪で逮捕されたと報道。
DIA-211-1990-05-18-2ミャンマー1990年05月18日1990年代SLORCはバゴー管区の6町村で戒厳令解除。
DIA-211-1990-05-18-3ミャンマー1990年05月18日1990年代SLORCは記者会見で,選挙を前にした外国人の入国規制に関する外国報道を否定し,「ビザは与えられるべき人には与えられる」と言明。
DIA-211-1990-05-19-1ミャンマー1990年05月19日1990年代SLORCはサガイン・マグウェー・バゴー各管区の計20の市町村で戒厳令を解除。
DIA-211-1990-05-21-1ミャンマー1990年05月21日1990年代Khin Nyunt少将,内外の記者をともなって強制移住後の「衛星居住地区」を視察。
DIA-211-1990-05-22-1ミャンマー1990年05月22日1990年代SLORCはマンダレー・マグウェー各管区の計13町村で戒厳令解除。
DIA-211-1990-05-23-1ミャンマー1990年05月23日1990年代当局は最終的に61人の外国人記者に選挙報道のための取材を許可。
DIA-211-1990-05-24-1ミャンマー1990年05月24日1990年代ヤンゴン放送は,当局がバゴー管区でLDP候補者のTin Ohnを含む9人を逮捕したと報道。
DIA-211-1990-05-24-2ミャンマー1990年05月24日1990年代SLORCはサガイン・マンダレー・マグウェーの各管区の計16町村で戒厳令を解除。
DIA-211-1990-05-26-1ミャンマー1990年05月26日1990年代ヤンゴン放送は,ヤンゴンの南東約200kmのThanbyuzayatで爆破事件があり14人が負傷した,と報道。
DIA-211-1990-05-26-2ミャンマー1990年05月26日1990年代SLORCはヤンゴン・マンダレーの26地区で戒厳令解除。
DIA-211-1990-05-27-1ミャンマー1990年05月27日1990年代総選挙実施。立候補者総数2296人,立候補政党93党,総有権者数2081.8万人。選挙は小選挙区制で,選挙区総数は492。そのうち7区が延期されたため,合計485の議席が争われた。
DIA-211-1990-05-29-1ミャンマー1990年05月29日1990年代この日までの開票でNLDの圧勝がほぼ確定。NLD議長代行のKyi Maungは政権の即時移譲をアピール。
DIA-211-1990-05-30-1ミャンマー1990年05月30日1990年代NLDは独自集計で,少なくとも310議席を獲得したと発表。
DIA-211-1990-05-30-2ミャンマー1990年05月30日1990年代ソウマウン議長は演説で,選挙が公正かつ自由なものであったことを強調。またSLORCは法に基づく政府が組織されるまで,法と秩序の維持という任務を継続すると言明。さらに,1988年のような動乱は決して許されないと警告。
DIA-211-1990-05-30-3ミャンマー1990年05月30日1990年代アメリカ政府は声明を発表し,SLORCが選挙の結果を尊重して政権を移譲するよう要請。
DIA-211-1990-06-01-1ミャンマー1990年06月01日1990年代NLDは幹部会議を開き声明を発表。その内容は,「国民の圧倒的支持と付託にこたえて民主国家を樹立する」「国民はスーチー総書記長,ティン・ウー議長に対する支持と民主化への願いを示した」など。Kyi Maung議長代行は,「選挙管理委員会の発表で票が確定する前にスーチー女史らの釈放要求や,憲法・政府樹立などについて口をはさむのは避けたい」と言明。
DIA-211-1990-06-01-2ミャンマー1990年06月01日1990年代SLORCは記者会見で,以下の点を強調。(1)選挙は自由公正なものであった。(2)政権は法と憲法に基づいて成立する強力な政府にのみ移譲する。(3)それまでSLORCは現在の任務を遂行し続ける。(4)憲法起草にどれだけ時間がかかるかわからない。
DIA-211-1990-06-01-3ミャンマー1990年06月01日1990年代タイの企業が錫探査・採掘で合弁に調印。
DIA-211-1990-06-02-1ミャンマー1990年06月02日1990年代韓国の企業が繊維産業で合弁に調印。
DIA-211-1990-06-02-2ミャンマー1990年06月02日1990年代Phone Myint内務・宗教・情報文化相が,中国援助による劇場建設に携わっているエンジニアを夕食に招待。
DIA-211-1990-06-03-1ミャンマー1990年06月03日1990年代韓国企業が電気製品製造・販売で合弁に調印。
DIA-211-1990-06-03-2ミャンマー1990年06月03日1990年代20余りの少数民族組織と民主化運動組織の連合であるビルマ民主連合(DAB)は声明を発表し,憲法起草へのDAB参加を要求。
DIA-211-1990-06-04-1ミャンマー1990年06月04日1990年代SLORCは外国人記者の入国を再び禁止。
DIA-211-1990-06-05-1ミャンマー1990年06月05日1990年代シンガポール議員らの代表団が来訪。Tin Tun運輸通信・福祉労働相らと会談し,航空機乗入れ,港湾建設のための合弁などについて協議。
DIA-211-1990-06-06-1ミャンマー1990年06月06日1990年代日本企業の代表団が来訪し,Abel計画・財務・貿易相らと会談。
DIA-211-1990-06-06-2ミャンマー1990年06月06日1990年代ECは声明を発表し,政権の早期移譲と政治犯の釈放をSLORCに要請。同時にECが新政権に対する経済協力の準備があることを表明。
DIA-211-1990-06-06-3ミャンマー1990年06月06日1990年代タイ当局は,タイ領内にいる1000人余りのカレン人難民らをミャンマーに送還。
DIA-211-1990-06-08-1ミャンマー1990年06月08日1990年代SLORCは記者会見で,公務員に対し,「政党政治から距離をおき,本来の職務に専念し」,NLDに対する故意の優遇行為を止めるよう警告。また,6日にタイ当局が送還した難民のうち,766人が当局の取調べを受けていることを公表。
DIA-211-1990-06-08-2ミャンマー1990年06月08日1990年代選挙管理委員会は立候補者に対し,選挙費用出納簿を作成して,当選発表日から60日以内に提出するよう指示。
DIA-211-1990-06-10-1ミャンマー1990年06月10日1990年代Tin Tun運輸通信・福祉労働相,ジュネーブでのILO会議に出発。19日帰国。
DIA-211-1990-06-12-1ミャンマー1990年06月12日1990年代ビルマ民主連合(DAB)は会合を開催。Bo Mya議長は,新政権と停戦交渉が実現するまで,軍事政権との戦いを継続すると言明。16日までの会合の結果DABは声明を発表し,連邦制の確立を要求。
DIA-211-1990-06-14-1ミャンマー1990年06月14日1990年代ジュネーブでのILO会議に出席中のTin Tun運輸通信・福祉労働相はこの日の会議での演説で,ミャンマーの開放経済体制を強調。同時に外国からの投資を歓迎すると言明。
DIA-211-1990-06-16-1ミャンマー1990年06月16日1990年代ウーヌーらがつくる民主平和連盟(LDP)が,SLORCに対して速やかな政権移譲を要求。
DIA-211-1990-06-16-2ミャンマー1990年06月16日1990年代NLD当選者U Mya Maung死去。
DIA-211-1990-06-17-1ミャンマー1990年06月17日1990年代Khin Nyunt少将は国営ラジオのなかで,外国のマスコミと一部の外交官は虚偽の噂を広めることによって国内の統一を揺るがし,それによってわが国を影響下におこうとしていると非難。
DIA-211-1990-06-18-1ミャンマー1990年06月18日1990年代ソウマウン議長は演説で,憲法起草には十分な時間をかける必要があると述べ,早期政権移譲の意志のないことを表明。
DIA-211-1990-06-20-1ミャンマー1990年06月20日1990年代NLD,SLORCとの対話を要求。
DIA-211-1990-06-20-2ミャンマー1990年06月20日1990年代選挙管理委員会は,悪天候のために5つの選挙区の開票結果が未到着である,と説明。
DIA-211-1990-06-20-3ミャンマー1990年06月20日1990年代ミャンマー観光法施行。
DIA-211-1990-06-21-1ミャンマー1990年06月21日1990年代中国雲南省運輸局次長が来訪。Tin Tun運輸通信・福祉労働相,Abel計画・財務・貿易相らと会談。
DIA-211-1990-06-22-1ミャンマー1990年06月22日1990年代SLORCのスポークスマンは記者会見で,NLDとの対話の用意があると言明。早期の政権移譲については否定。
DIA-211-1990-06-25-1ミャンマー1990年06月25日1990年代Chit Swe農林水産・畜産相は演説で,森林伐採は地球温暖化の唯一の原因ではないこと,ミャンマーの木材貿易は外貨不足を補うためのものでないことを強調。
DIA-211-1990-06-25-2ミャンマー1990年06月25日1990年代Aung Ye Kyaw建設・協同組合相が中国雲南省対外経済/交通局交通部次長ら代表団と会談。
DIA-211-1990-06-25-3ミャンマー1990年06月25日1990年代当局はタイ国境付近で不法に操業をしていたタイ人木材業者・労働者ら約120人を逮捕。
DIA-211-1990-06-27-1ミャンマー1990年06月27日1990年代イギリス企業がホテル建設・改装で合弁に調印。
DIA-211-1990-06-28-1ミャンマー1990年06月28日1990年代NLDは28,29の両日,選挙後初の中央委員会総会を開催し,50人の委員が参加して今後の方針について討議。
DIA-211-1990-06-29-1ミャンマー1990年06月29日1990年代NLDは中央委員会総会後声明を発表し,SLORCに対して政治犯の釈放と政権の平和的移譲を要請。
DIA-211-1990-07-02-1ミャンマー1990年07月02日1990年代ミャンマー中央銀行法施行。
DIA-211-1990-07-02-2ミャンマー1990年07月02日1990年代麻薬取締り中央委員会書記Thura Pe Aung,アメリカ国務省麻薬担当局アジア・アフリカ部長と会談。
DIA-211-1990-07-03-1ミャンマー1990年07月03日1990年代ソウマウン議長,国防省で演説。そのなかで「一部の政党はSLORCが政権移譲を渋っているとの噂を流しているが,大切なことはまず憲法起草である」として,早期の政権移譲のないことを示唆。さらに「軽々に憲法を起草することは少数民族との紛争を深刻化させるだけである」として早期の憲法起草も否定。さらに憲法起草に関してSLORCが「必要な助言と援助」を与える,として起草に介入することを表明。
DIA-211-1990-07-04-1ミャンマー1990年07月04日1990年代オーストラリア外務貿易相,ソウマウン議長に早期政権移譲と抑留中のNLD指導部の解放を求めたメッセージを送付。
DIA-211-1990-07-05-1ミャンマー1990年07月05日1990年代中国大使,NLD党本部を訪問。NLD筋によると,大使はミャンマー内政に干渉するつもりはないとしたうえで,スーチー女史の解放を「個人的に」望んでいるとした。
DIA-211-1990-07-06-1ミャンマー1990年07月06日1990年代Myo Nyuntヤンゴン司令部少将が,軍部は憲法起草に介入しないと言明。
DIA-211-1990-07-08-1ミャンマー1990年07月08日1990年代UNESCOアジア太平洋支局長,Pe Thein保健・教育相と会談。11日まで滞在。
DIA-211-1990-07-12-1ミャンマー1990年07月12日1990年代NLD,スーチー女史の釈放を求めた書簡をSLORCに送付。
DIA-211-1990-07-13-1ミャンマー1990年07月13日1990年代Khin Nyunt少将は記者会見で,当初1年とされていたスーチー女史の自宅軟禁を19日(自宅軟禁1年目)以降も継続することを表明。
DIA-211-1990-07-13-2ミャンマー1990年07月13日1990年代アメリカ下院議員39人が,早期政権移譲と政治犯釈放を求める書簡をソウマウン議長に送付。同時に日本の外務大臣に,政権移譲が実現するまでの援助停止を求める書簡を送付。
DIA-211-1990-07-13-3ミャンマー1990年07月13日1990年代ビルマ民主連合(DAB),政権移譲の意志のないSLORCに対して今後も闘争を続けるとの声明を発表。
DIA-211-1990-07-17-1ミャンマー1990年07月17日1990年代SLORCは,今年6ヵ月間に,ヘロイン105キロ,アヘン585キロを押収したと発表。
DIA-211-1990-07-19-1ミャンマー1990年07月19日1990年代アウンサン将軍の殉難43周年記念日の追悼式典がヤンゴンほか各地でおこなわれた。NLDは式典に参加する形で予定していた反政府デモを,軍当局との衝突を避けるために中止。式典後,若者らによる小規模の反政府デモ。
DIA-211-1990-07-20-1ミャンマー1990年07月20日1990年代スーチー女史,自宅軟禁1年目を向かえても解放されず。ここ数日,軍は反政府行動を警戒して警備を強化。
DIA-211-1990-07-22-1ミャンマー1990年07月22日1990年代マレーシア貿易局の代表団来訪。閣僚らと2国間貿易について会談し,26日帰国。
DIA-211-1990-07-23-1ミャンマー1990年07月23日1990年代オーストラリア外務貿易相,スーチー女史が解放されないことについて「深い失望」を表明。
DIA-211-1990-07-23-2ミャンマー1990年07月23日1990年代農業局,今年前半の雨量は適当で,作物の生育状況は好調,と発表。
DIA-211-1990-07-24-1ミャンマー1990年07月24日1990年代100人余りの高校生がヤンゴン市内で反政府デモ。スーチー女史の解放を求めるビラなどを配布。
DIA-211-1990-07-25-1ミャンマー1990年07月25日1990年代バンコクのミャンマー大使館で早朝,爆弾が爆発。けが人はなし。
DIA-211-1990-07-26-1ミャンマー1990年07月26日1990年代アメリカ国務省のスポークスマン,SLORCに早期政権移譲とスーチー女史の解放を求める声明を発表。
DIA-211-1990-07-26-2ミャンマー1990年07月26日1990年代UNICEF代表団,Chit Swe農林水産・畜産相,Pe Thein保健・教育相らと会談し,1991~95年のプロジェクトについて協議。
DIA-211-1990-07-27-1ミャンマー1990年07月27日1990年代SLORCは選挙後初めて政権移譲の手続きを明示。その手順は,(1)SLORCが憲法起草のための国民会議の設立を手助けし,この会議には全政党・全少数民族代表・学者・法律家らが参加。(2)国民会議は憲法起草のための指針・基本原則を策定。(3)制憲議会はこれに基づいて憲法を起草してSLORCに提出,SLORCは国民投票実施。(4)国民投票で採択され,SLORCがこれに満足すれば憲法は承認される。(5)新政府はこの憲法に基づいて樹立され,そこで初めて政権は移譲される。SLORCはこの手続き明示によって,今回選ばれた議会は制憲議会にすぎないこと,憲法制定にSLORCが積極的に関与することを明らかにし,同時に政権移譲をはるか先に延期することによって現軍事政権の既成事実化を図る意図を明白にした。
DIA-211-1990-07-28-1ミャンマー1990年07月28日1990年代NLDは28~29日,選挙後初の党大会を開催。議員379人(当選総数392人)を含む約500人が参加。
DIA-211-1990-07-29-1ミャンマー1990年07月29日1990年代NLD,党大会後に「ガンジーホール宣言」を発表。主な内容は,(1)今回選出された議会は単なる制憲議会ではなく,国民議会である。(2)SLORCは9月までに新議会を召集するべきである。(3)国民議会以外の場で起草された憲法は効力を持たない。(4)NLDはすでに憲法の原案を作成している。(5)SLORCはNLDと速やかに対話を開始するべきである,など。
DIA-211-1990-07-30-1ミャンマー1990年07月30日1990年代昭和シェル,ミャンマーでの石油探鉱権獲得。
DIA-211-1990-07-30-2ミャンマー1990年07月30日1990年代U Tha Tun検事総長,第2回アジア太平洋地域検事総長会議出席のためソウルに出発。
DIA-211-1990-08-02-1ミャンマー1990年08月02日1990年代マンダレーで少数の学生デモ,これに約200人の僧侶が加わり,治安当局とにらみ合い。
DIA-211-1990-08-02-2ミャンマー1990年08月02日1990年代Abel計画・財務・貿易相,日本の経済金融政策研究所長と会談。
DIA-211-1990-08-04-1ミャンマー1990年08月04日1990年代Khin Nyunt少将は演説で,発表した憲法制定の手続きは変更しないとし,「ある政党(NLDをさす)の要求を受け入れるつもりはない」と言明。
DIA-211-1990-08-08-1ミャンマー1990年08月08日1990年代ヤンゴンの西側外交筋によると,88年の民主化要求デモ2周年のこの日,マンダレーで僧侶と学生が反政府デモを行ない,これに当局が発砲。僧侶2人,学生2人が死亡したとの情報もあるが,政府はこれを否定。
DIA-211-1990-08-09-1ミャンマー1990年08月09日1990年代アメリカ難民委員会は声明を発表し,ミャンマー政府が麻薬取締りへの協力,政治犯釈放と政権移譲,および戒厳令の解除を行なわなければ経済制裁もありうると警告。
DIA-211-1990-08-09-2ミャンマー1990年08月09日1990年代タイ企業,食品製造・販売で合弁に調印。
DIA-211-1990-08-10-1ミャンマー1990年08月10日1990年代WPD紙は,三つの都市で若者による小規模なデモがあったが,当局が到着したときに解散した,と報道。
DIA-211-1990-08-10-2ミャンマー1990年08月10日1990年代SLORCは記者会見で,8日のマンダレーのデモはNLDが仕組んだものである,と非難。
DIA-211-1990-08-13-1ミャンマー1990年08月13日1990年代タイの代表団,両国国境委員会出席のため来訪。
DIA-211-1990-08-16-1ミャンマー1990年08月16日1990年代当局は民主党(DP)のSann Linnを反政府運動に学生を扇動したとして逮捕。
DIA-211-1990-08-16-2ミャンマー1990年08月16日1990年代IMF代表団,Abel計画・財務・貿易相と会談。
DIA-211-1990-08-17-1ミャンマー1990年08月17日1990年代ソウマウン議長,Khin Nyunt少将,アメリカ企業代表団と会見。
DIA-211-1990-08-17-2ミャンマー1990年08月17日1990年代タイ地方政府行政アカデミー理事来訪し,Abel計画・財務・貿易相と麻薬取締りについて会談。
DIA-211-1990-08-18-1ミャンマー1990年08月18日1990年代アメリカ企業,漁業開発で合弁に調印。
DIA-211-1990-08-18-2ミャンマー1990年08月18日1990年代国営放送は,496.5カラットのルビーを密輸犯から押収したと発表。
DIA-211-1990-08-20-1ミャンマー1990年08月20日1990年代シンガポール・ヤンゴン間の航路開設。同国貿易使節団がこの第1便で来訪し,主要閣僚と会談。
DIA-211-1990-08-22-1ミャンマー1990年08月22日1990年代タイのラノン県に国境連絡事務所を開設することに合意。
DIA-211-1990-08-22-2ミャンマー1990年08月22日1990年代中国の麻薬取締り代表団が来訪,Phone Myint内務・宗教・情報文化相,Khin Nyunt少将らと会談。
DIA-211-1990-08-23-1ミャンマー1990年08月23日1990年代Myo Nyuntヤンゴン司令部少将は演説で新しい燃料供給規制について説明し,これが燃料不足によるものでないことを強調。
DIA-211-1990-08-24-1ミャンマー1990年08月24日1990年代SLORCは記者会見で,NLDが8日のマンダレーでのデモについてパンフレットを配布していると非難。同時に「一部の大使館」は内政に干渉していると非難。
DIA-211-1990-08-24-2ミャンマー1990年08月24日1990年代バングラデシュ企業が,海老の養殖・流通で合弁に調印。
DIA-211-1990-08-24-3ミャンマー1990年08月24日1990年代Chit Swe農林水産・畜産相は演説で,米輸出国への復帰の必要性を強調。
DIA-211-1990-08-25-1ミャンマー1990年08月25日1990年代タイ農業副大臣が来訪。Chit Swe農林水産・畜産相らと漁業協力について会談。
DIA-211-1990-08-27-1ミャンマー1990年08月27日1990年代高級官僚からなる使節団が,シンガポール議会外務国防委員会の招きで同国へ出発。31日帰国。
DIA-211-1990-08-27-2ミャンマー1990年08月27日1990年代Myo Nyuntヤンゴン司令部少将は演説で,戒厳令下ではいかなる憲法も効力を持たず,したがって選挙後の議会開催にタイムリミットはない,と言明。
DIA-211-1990-08-29-1ミャンマー1990年08月29日1990年代NLDと22の少数民族政党で結成するUNLDは共同声明を発表し,9月中の国会召集とSLORCとの対話開始,およびスーチー女史の解放を要求。
DIA-211-1990-08-30-1ミャンマー1990年08月30日1990年代自民党の渡辺美智雄議員,ソウマウン議長と会談。この席でソウマウン議長は,政権移譲より憲法制定が先であり政権移譲だけの話合いはしない,スーチー女史の釈放は政治活動停止か出国が条件でなければ行なわない,と言明。
DIA-211-1990-08-30-2ミャンマー1990年08月30日1990年代NLDとUNLDは,SLORCが9月中に国会を召集しなければ,両党が共同で政府を樹立するという共同声明を発表。
DIA-211-1990-08-31-1ミャンマー1990年08月31日1990年代WPD紙は,「過去の過ち(88年の民主化要求デモをさす)を繰り返すな」という内容の社説を発表し,暗に先のNLD/UNLDの要求に警告。
DIA-211-1990-08-31-2ミャンマー1990年08月31日1990年代シンガポール企業,石油関連企業へのコンサルティングで合弁に調印。
DIA-211-1990-09-02-1ミャンマー1990年09月02日1990年代Myo Nyuntヤンゴン司令部少将,国営放送で「NLDは明確な政策を欠き,政権をとる準備がない」と演説。
DIA-211-1990-09-06-1ミャンマー1990年09月06日1990年代SLORCは,NLDのKyi Maung議長代行・Chit Khaing総書記代行を国家機密を漏らしたとして,またマンダレーのNLD幹部4人を治安を乱したとして逮捕。
DIA-211-1990-09-06-2ミャンマー1990年09月06日1990年代マンダレーの青年僧侶組織,軍人とその家族への宗教儀式拒否を決定。
DIA-211-1990-09-07-1ミャンマー1990年09月07日1990年代米国国務省は声明を発表し,NLD幹部逮捕を非難するとともに,政治犯釈放と政権移譲を要請。
DIA-211-1990-09-07-2ミャンマー1990年09月07日1990年代ソウマウン議長は演説で,現在の戒厳令下では憲法は存在せず,政権移譲の期限もないと言明。
DIA-211-1990-09-08-1ミャンマー1990年09月08日1990年代NLDの幹部は今後議長・書記長を選出せずに中央執行委員会全体で党を運営することを決定。また,U Aung Shweをスポークスマンに選出。
DIA-211-1990-09-08-2ミャンマー1990年09月08日1990年代Myo Nyuntヤンゴン司令部少将,国営放送で,武器を兵士から奪おうとした政党があると警告。
DIA-211-1990-09-09-1ミャンマー1990年09月09日1990年代ビルマ民主連盟(DAB)筋によると,マンダレーでNLD幹部逮捕に抗議する500人規模のデモ。
DIA-211-1990-09-09-2ミャンマー1990年09月09日1990年代WPD紙は社説で,騒乱と軍に対する反乱を慎むようにと警告。
DIA-211-1990-09-10-1ミャンマー1990年09月10日1990年代SLORCの発表によると,マンダレーで僧・学生ら約200人(AFP電によると1000人)による反政府デモが発生。治安部隊が出動してデモ隊と衝突,軍人6人・警官5人負傷,少年僧2人逮捕。発砲はなし。
DIA-211-1990-09-11-1ミャンマー1990年09月11日1990年代Khin Nyunt少将は演説で,憲法起草の第一段階は全ての団体からの意見の集約であると強調。同時に僧侶にSLORCへの協力を要請。
DIA-211-1990-09-13-1ミャンマー1990年09月13日1990年代ヨーロッパ議会,SLORCを非難する声明を発表。同時にミャンマーからの木材輸入一時凍結を要請。
DIA-211-1990-09-13-2ミャンマー1990年09月13日1990年代SLORCはNLD幹部のKhin Maung Sweと情報官のSein Hla Ooを召喚して尋問。
DIA-211-1990-09-13-3ミャンマー1990年09月13日1990年代NLDはSLORCに宛てた書簡のなかで,両者が合意できる部分(議会召集の必要性,憲法起草のための国民会議召集)での話合いに合意。
DIA-211-1990-09-17-1ミャンマー1990年09月17日1990年代マンダレー第9高校での騒動が反政府デモに発展。治安部隊が出動して催涙ガスを発射,群衆は投石で応酬。治安部隊3人が負傷。学生ら50人余りが逮捕。
DIA-211-1990-09-17-2ミャンマー1990年09月17日1990年代外交筋によると,この日,軍が西ドイツ大使館からビルマ人職員を連行して尋問。同様のことが以前米国大使館,英国大使館でも発生。
DIA-211-1990-09-18-1ミャンマー1990年09月18日1990年代国営放送は,先に496.5カラットのルビーを密輸しようとした4人を終身刑に処することを発表。
DIA-211-1990-09-20-1ミャンマー1990年09月20日1990年代SLORCはNLD幹部のU Kyee Hlaを,違法文書発行の罪で逮捕。
DIA-211-1990-09-21-1ミャンマー1990年09月21日1990年代先の軍による大使館侵入に対する日本と西側各国による共同の抗議を,口頭でイタリア大使によって政府に伝達。28日ミャンマー外務省はこれを「単純な外交辞令を誇張したもの」として否定。
DIA-211-1990-09-23-1ミャンマー1990年09月23日1990年代Phone Myint中将,Tin Oo少将,Abel准将,Pe Thein大佐らがサガイン管区・マンダレー・マグウェー管区を視察。26日まで。
DIA-211-1990-09-24-1ミャンマー1990年09月24日1990年代韓国国防大学代表団が来訪。SLORCメンバーらと会談。
DIA-211-1990-09-25-1ミャンマー1990年09月25日1990年代国連麻薬取締り基金代表団らが来訪。Phone Myint内務・宗教・情報文化相,Khin Nyunt少将らと会談。
DIA-211-1990-09-26-1ミャンマー1990年09月26日1990年代タイのNarudol Dejpradiyudh中将はミャンマー訪問後の会見で,SLORCは憲法起草後に再び選挙を予定していると言明。
DIA-211-1990-09-28-1ミャンマー1990年09月28日1990年代米国は,在ミャンマー大使館のミャンマー人職員の尋問に関し,当局および在米ミャンマー大使に対して抗議。
DIA-211-1990-10-01-1ミャンマー1990年10月01日1990年代SLORCは,現在までにSLORCに対して送付された要請・分書類を歴史上の証拠として記録する,との布告を発表。
DIA-211-1990-10-04-1ミャンマー1990年10月04日1990年代SLORCは次期米国駐ミャンマー大使に予定されていたフレデリック・ブリーランド氏の受け入れを拒否。
DIA-211-1990-10-05-1ミャンマー1990年10月05日1990年代NLDは執行委員会を開いて今侵の対策について協議。9日まで。
DIA-211-1990-10-05-2ミャンマー1990年10月05日1990年代SLORCは在ミャンマーの外国大使館に対して文書を送付。内容は,「SLORCは事実上の政府(de facto government)である」「諸外国の圧力は容認できない」など。
DIA-211-1990-10-08-1ミャンマー1990年10月08日1990年代貿易省貿易局長ら代表団がシンガポール貿易開発庁の招きでシンガポールに出発。12日まで。
DIA-211-1990-10-09-1ミャンマー1990年10月09日1990年代シンガポール企業がタバコ生産で合弁に調印。
DIA-211-1990-10-10-1ミャンマー1990年10月10日1990年代SLORCは夜間外出禁止を1時間減らして,夜11時から朝4時までに変更。
DIA-211-1990-10-10-2ミャンマー1990年10月10日1990年代英国企業がビジネスコンサルタントで合弁に調印。
DIA-211-1990-10-11-1ミャンマー1990年10月11日1990年代NLDは執行委員会の後声明を発表し,SLORCとの対話による民政移管を求めていく方針を明示。
DIA-211-1990-10-11-2ミャンマー1990年10月11日1990年代環境と開発に関するアジア太平洋会議で,ミャンマー代表のU Ba Thwinはミャンマーの森林開発の妥当性を強調。
DIA-211-1990-10-11-3ミャンマー1990年10月11日1990年代SLORCはLDPの党員名簿からウーヌーら6人の名前を抹消。彼らが臨時政府樹立宣言を撤回しないためと説明。
DIA-211-1990-10-17-1ミャンマー1990年10月17日1990年代バンコクのミャンマー大使館で早朝爆弾が爆発。死傷者なし。
DIA-211-1990-10-17-2ミャンマー1990年10月17日1990年代米国麻薬取締り局の代表団がミャンマー麻薬取締り委員会書記らと会見。
DIA-211-1990-10-18-1ミャンマー1990年10月18日1990年代ソウマウン議長,Khin Nyunt少将はヤンゴンの大僧正評議会(サンガ・マハナヤカ)の最高幹部らと会見。18~20日のうちに僧侶が軍人への宗教的施しを拒むなどの反政府行動をやめないと,断固たる措置をとることを示唆。
DIA-211-1990-10-20-1ミャンマー1990年10月20日1990年代ソウマウン謹長は国営放送で,反政府活動をしている僧侶の取締りを発表し,21日以降,大僧正評議会の傘下に属している9の組織以外の全ての僧侶組織に解散を命令。これは反政府行動をしている青年僧侶協会などの取締りを合法化するのが狙い。
DIA-211-1990-10-21-1ミャンマー1990年10月21日1990年代SLORCは,マンダレーなどの地方軍管区司令官に対して,反政府行動の拠点となっている僧院での捜索・逮捕を認める権限を付与。国営ラジオは反政府運動の指導的僧侶を逮捕したと発表。同放送はマンダレーの強硬派青年僧グループが,仏教行事への不参加運動中止の決定をしたと発表。
DIA-211-1990-10-22-1ミャンマー1990年10月22日1990年代ソウマウン議長はマンダレーとサガインの僧院を訪れ,大僧正評議会の高僧らと会見。マンダレーでは軍隊が113の僧院を捜索し,僧侶多数を逮捕,反政府運動のビラ・文書類を押収。
DIA-211-1990-10-23-1ミャンマー1990年10月23日1990年代当局は22日夜から23日にかけてNLD本部・支部を捜索。書類・ビラなどを押収し,党関係者多数を逮捕。(その後の情報によると今回の弾圧によるNLD逮捕者は,中央執行委員6人,当選議員16人を含む50人以上。
DIA-211-1990-10-23-2ミャンマー1990年10月23日1990年代米国国務省スポークスマンは今回のSLORCによる僧侶・NLDへの弾圧を「人権の完全な無視」であると批判。
DIA-211-1990-10-31-1ミャンマー1990年10月31日1990年代合法的僧侶組織を規定した「僧侶組織に関する法」施行。
DIA-211-1990-11-02-1ミャンマー1990年11月02日1990年代当局はNLD当選議員のMaung Maung Kyawに1年の禁固刑を命令。
DIA-211-1990-11-02-2ミャンマー1990年11月02日1990年代ソウマウン議長,南西司令部を視察。演説で「西側ジャーナリズムが求めるような人権は容認しない」と言明。
DIA-211-1990-11-03-1ミャンマー1990年11月03日1990年代緒方貞子氏を代表とする国連人権委員会一行が人権に関する調査のため来訪。9日まで滞在。
DIA-211-1990-11-05-1ミャンマー1990年11月05日1990年代WPD紙は来訪中の緒方氏に対し,第2次大戦期の英国と日本による人権抑圧を調査せよと要求する特集を掲載。
DIA-211-1990-11-09-1ミャンマー1990年11月09日1990年代「ミャンマー母子福祉協会法」施行。
DIA-211-1990-11-09-2ミャンマー1990年11月09日1990年代タイ企業が,タイ国境地帯での石炭共同採掘の契約に調印。
DIA-211-1990-11-09-3ミャンマー1990年11月09日1990年代NLD幹部のMaung Koが軍拘留施設で死亡。
DIA-211-1990-11-10-1ミャンマー1990年11月10日1990年代バンコク発タイ航空機が2人組のミャンマー反政府学生に乗っ取られ,カルカッタに到着。乗っ取りから8時間半後には人質は全員解放され,犯人も投降。犯人の目的は軍政批判の対外アピールで,インド政府は犯人をミャンマーに引き渡さないことを決定。
DIA-211-1990-11-12-1ミャンマー1990年11月12日1990年代ロイター電は,NLDがSLORCの提示した憲法起草の手続きを承認したと報道。
DIA-211-1990-11-12-2ミャンマー1990年11月12日1990年代ビルマ民主同盟(DAB)は,カイン州マナプロウで会合を開き,暫定政府樹立などについて協議。
DIA-211-1990-11-12-3ミャンマー1990年11月12日1990年代タイ軍事使節団が来訪。ソウマウン議長らSLORCメンバーと会談。
DIA-211-1990-11-13-1ミャンマー1990年11月13日1990年代ソウマウン議長は国営テレビで,9日に軍拘留施設で死亡したMaung Koの死因は自殺であるとして,拷問死であるという報道を否定。
DIA-211-1990-11-17-1ミャンマー1990年11月17日1990年代DABは12日からの会合終了後,独自の憲法起草と暫定政府設立の計画を公表。
DIA-211-1990-11-18-1ミャンマー1990年11月18日1990年代ソウマウン議長は演説で,平和を乱さないという協約に調印するならば大学再開に反対しない,と言明。
DIA-211-1990-11-19-1ミャンマー1990年11月19日1990年代軍事法廷はNLDのKyi Maungに10年,同Chit Khaingに7年の懲役を命令。
DIA-211-1990-11-19-2ミャンマー1990年11月19日1990年代AP電は,9月に逮捕された英国大使館のミャンマー人情報官が3年の懲役を言い渡されたと報道。
DIA-211-1990-11-21-1ミャンマー1990年11月21日1990年代スウェーデンは西側諸国の支持を受けて,国連総会第3委員会にミャンマーの政治犯釈放や政権移譲などに関する決議案を提出。
DIA-211-1990-11-21-2ミャンマー1990年11月21日1990年代アメリカ国務省スポークスマンは,NLD指導者らの逮捕を非難。
DIA-211-1990-11-26-1ミャンマー1990年11月26日1990年代「民間企業法」制定。
DIA-211-1990-11-27-1ミャンマー1990年11月27日1990年代タイのNation紙は,軍が中国からの総額12億ドルの武器購入に調印したと報道。
DIA-211-1990-11-28-1ミャンマー1990年11月28日1990年代ミャワディの国境で爆弾が爆発。7人が負傷。
DIA-211-1990-11-29-1ミャンマー1990年11月29日1990年代ミャンマー当局はミャワディの国境を閉鎖。
DIA-211-1990-11-29-2ミャンマー1990年11月29日1990年代社会福祉省の代表団が中国に出発。12月10日帰国。
DIA-211-1990-11-30-1ミャンマー1990年11月30日1990年代タイ企業が鉛採掘の共同生産に調印。
DIA-211-1990-12-03-1ミャンマー1990年12月03日1990年代WPD紙は国民民主党(PND)議長のSein Winらが逃亡し,国境地帯で暫定政府設立に関与していると報道。
DIA-211-1990-12-04-1ミャンマー1990年12月04日1990年代外務省政治局長ら代表団がラナスに出発。9日まで。
DIA-211-1990-12-04-2ミャンマー1990年12月04日1990年代WPD紙は,NLD議員5名と無所属議員2名が暫定政府樹立計画の罪を逃れるために逃亡したと報道。
DIA-211-1990-12-04-3ミャンマー1990年12月04日1990年代ロイター電は,11月28日の爆弾事件以降,当局が33人の反政府運動家を逮捕したと報道。
DIA-211-1990-12-05-1ミャンマー1990年12月05日1990年代Tin Tun運輸通信・福祉労働相が中国に出発。
DIA-211-1990-12-05-2ミャンマー1990年12月05日1990年代WPD紙は,さらに3人のNLD議員が逃亡したと報道。
DIA-211-1990-12-07-1ミャンマー1990年12月07日1990年代Khin Nyunt少将は記者会見で,僧侶77人,NLD党員48人,「共産主義者」80人を逮捕したと発表。さらに米国大使館一等書記官Martin Adamsが,マンダレーで反政府僧侶と接触したと初めて名指しで非難。
DIA-211-1990-12-09-1ミャンマー1990年12月09日1990年代9日と10日のWPD紙は,マンダレーでの暫定政府樹立計画に関与および反政府活動を行なったとして,当選議員44人を含む53人のNLD党員の写真を掲載。
DIA-211-1990-12-10-1ミャンマー1990年12月10日1990年代ビエンチャン放送は,ミャンマー代表団がラオス訪問中に,国境地帯の麻薬取締りに関する覚書に調印したと報道。
DIA-211-1990-12-10-2ミャンマー1990年12月10日1990年代ソウマウン議長は演説で,スーチー女史は外国人と結婚しているから国の指導者にはなれないと言明。
DIA-211-1990-12-12-1ミャンマー1990年12月12日1990年代Khin Nyunt少将ら22人の代表団がアジア防衛会議・展示会に出席するためバンコクに到着。17日帰国。
DIA-211-1990-12-12-2ミャンマー1990年12月12日1990年代Pe Thein保健・教育相,WHO東南アジア局長と会見。
DIA-211-1990-12-14-1ミャンマー1990年12月14日1990年代ベネズエラと外交関係樹立に関する覚書交換。
DIA-211-1990-12-16-1ミャンマー1990年12月16日1990年代当局はミャワディの国境再開のための条件をタイ側に提示。
DIA-211-1990-12-17-1ミャンマー1990年12月17日1990年代WPD紙は,日本社会党の土井たか子委員長が人権抑圧の例としてミャンマーをあげたことに反論し,日本のビルマ統治時代の行為を批判。
DIA-211-1990-12-18-1ミャンマー1990年12月18日1990年代弾圧を逃れたNLD系議員らが,カイン州Manerplawで暫定政府「ビルマ連邦国民連合政府」樹立を宣言。首相には国民民主党(PND)のSein Winが就任。DABは暫定政府の支持を表明,DABと暫定政府によるビルマ民主戦線(DFB)設立を宣言。NLDヤンゴン本部は暫定政府樹立にかかわった8人の除名を発表。
DIA-211-1990-12-18-2ミャンマー1990年12月18日1990年代Khin Nyunt少将は,Bangkok Post紙に,NLD系議員が非合法組織である民族軍と暫定政府を設立したことは大きな過ちになろう,との談話を送付。
DIA-211-1990-12-19-1ミャンマー1990年12月19日1990年代バングラデシュ企業が,漁業および海産物加工販売で合弁に調印。
DIA-211-1990-12-19-2ミャンマー1990年12月19日1990年代デクエヤル国連事務総長がスーチー女史の解放を求めたとの報道に関して,外務省が声明を発表し,女史がミャンマーを出国するならば解放されるであろうと言明。
DIA-211-1990-12-20-1ミャンマー1990年12月20日1990年代選挙管理委員会は,PNDの非合法化を発表。
DIA-211-1990-12-26-1ミャンマー1990年12月26日1990年代選挙管理委員会は,暫定政府樹立に関与した8人の国民議会議員の資格を抹消。
DIA-211-1990-12-28-1ミャンマー1990年12月28日1990年代11月29日以来閉鎖されていたミャワディの国境が再開。
DIA-211-1990-12-29-1ミャンマー1990年12月29日1990年代韓国企業が繊維業で合弁に調印。
DIA-211-1990-12-30-1ミャンマー1990年12月30日1990年代Nation紙は,暫定政府のSein Winらがバンコクの西側大使館と接触し,暫定政府承認を求めたと報道。
DIA-211-1990-12-30-2ミャンマー1990年12月30日1990年代12月18日,NLD系議員らによって設立された暫定政府 「ビルマ連邦国民連合政府」の閣僚名簿 首相,兼国防相 Dr Sein Win 国民民主党(PND)―バゴー管区Paukkhaung選挙区選出議員  内務・外務相 Peter Linbin 無所属―マンダレー管区Pyin-Oo-Lwin(1)選挙区選出議員  大蔵相 U Win Ko 国民民主連盟(NLD)―サガイン管区Ye-U(2)選挙区選出議員  貿易・協同組合相 U Than Kywe 国民民主連盟(NLD)―バゴー管区Shwedaung(1)選挙区選出議員  教育・保健・情報相 U Hla Pe 国民民主連盟(NLD)―マンダレー管区Pyawbwe(2)選挙区選出議員  法務相 U Thein Oo 国民民主連盟(NLD)―マンダレー管区マンダレー南西(2)選挙区選出議員  建設・鉱物/エネルギー相 U Bo Hla Tint 国民民主連盟(NLD)―マンダレー管区Mogok(2)選挙区選出議員  福祉・労働相 U Tun Oo 国民民主連盟(NLD)―バゴー管区Kyaukkyi選挙区選出議員  農業相 U Zaw Myint Aung 国民民主連盟(NLD)―マンダレー管区Amarapura(1)選挙区選出議員
DIA-211-1991-01-01-1ミャンマー1991年01月01日1990年代SLORC第一書記Khin Nyunt少将,ヤンゴン市内の建設現場を視察。計画・財務兼貿易相Abel准将は来訪中のイスラエル・アジア商工会議所会頭と会談。
DIA-211-1991-01-03-1ミャンマー1991年01月03日1990年代計画・財務兼貿易相Abel准将は,アメリカの臨時代理大使と会談。マンダレー管区LORC議長・中央軍管理司令官Tun Kyi少将は,マンダレー大学薬学部を視察。
DIA-211-1991-01-04-1ミャンマー1991年01月04日1990年代第43回独立記念日。SLORC議長Saw Maung上級大将は特別声明を発表,独立達成までの国軍の役割を強調するとともに,独立を守るためには今後も国軍が重要な役割を果たすと言明。
DIA-211-1991-01-04-2ミャンマー1991年01月04日1990年代独立記念日を祝う晩さん会が開かれ,Saw Maung上級大将らSLORCメンバー,国軍幹部,大使らが出席した。
DIA-211-1991-01-04-3ミャンマー1991年01月04日1990年代SLORCは,布告第2号および第3号を出し,本年度の仏教僧侶に与えられる栄誉称号および国家功労賞授賞者をそれぞれ発表した。
DIA-211-1991-01-04-4ミャンマー1991年01月04日1990年代モウラミヤイン(旧モールメン)に政府企業ミャンマーホテル・旅行サービスが経営するホテルがオープン。
DIA-211-1991-01-05-1ミャンマー1991年01月05日1990年代SLORC第一書記Khin Nyunt少将はヤンゴン大学薬学部を視察,大学再開のための準備を進めるよう指示。第二書記Tin Oo少将はヤンゴン郊外のハイウエイ建設現場を視察。
DIA-211-1991-01-07-1ミャンマー1991年01月07日1990年代ヤンゴン市内で,夕方4時から6時半までのラッシュ時にシャトルバスを運行。市内中心部から各郊外住宅地まで10ルートを開設。
DIA-211-1991-01-07-2ミャンマー1991年01月07日1990年代Namti-Mogaung間の鉄道で,反乱軍の敷設した地雷が爆発,枕木が破壊される。
DIA-211-1991-01-08-1ミャンマー1991年01月08日1990年代SLORC第一書記Khin Nyunt少将は,6日から8日まで,Tachilek経由でシャン州東部地域の少数民族住民開発計画現場などを視察。
DIA-211-1991-01-08-2ミャンマー1991年01月08日1990年代1990年1月1日から12月末までに国軍が国内で押収した麻薬は,ヘロイン51.82㌔,モルヒネ4.7㌔,生アヘン998.2㌔,マリファナ35.1㌔など価格換算で2200万㌦に達すると発表される。
DIA-211-1991-01-08-3ミャンマー1991年01月08日1990年代KNU軍がカレン州Paya Tonzuのタイ籍木材代採会社の出張所に放火,一部が消失した。
DIA-211-1991-01-10-1ミャンマー1991年01月10日1990年代文部省は,ヤンゴン大学の薬学部と歯学部を1月15日から再開すると発表。
DIA-211-1991-01-10-2ミャンマー1991年01月10日1990年代ミャンマー海域で操業中の合弁漁業船(タイ船籍)をABSDF(全ビルマ学生民主戦線)が襲い,本社に身代金50万バーツを要求。1月3日に身代金を把んだのち,漁船を燃やして逃亡したことがこのほど判明。
DIA-211-1991-01-10-3ミャンマー1991年01月10日1990年代計画・財務兼貿易相Abel准将は,来訪中の中国・雲南省外事局長一行と会談。国境貿易などについて意見交換。
DIA-211-1991-01-11-1ミャンマー1991年01月11日1990年代農林・畜産相Chit Swe中将は,アイヤワディ管区内の経済施設を視察(~13日)。
DIA-211-1991-01-12-1ミャンマー1991年01月12日1990年代SLORC第一書記Khin Nyunt少将は,ヤンゴン師団司令官Myo Nyunt少将らとともに郊外Kyauktauの道路建設現場などを視察。さらに13日もヤンゴン市内の各種建設現場を視察。
DIA-211-1991-01-14-1ミャンマー1991年01月14日1990年代ヤンゴン大学第2薬学部,15日から再開に先立ち,学生たちを集めてガイダンスを実施。
DIA-211-1991-01-14-2ミャンマー1991年01月14日1990年代KNU軍および新モン州党(NMSP)がPayathonzuで営業するタイの木材会社の出張所を別個に攻撃,これを焼失させた。
DIA-211-1991-01-16-1ミャンマー1991年01月16日1990年代運輸・通信相Tin Tun中将は来訪中のソ連国家水資源開発委代表団と会見。
DIA-211-1991-01-16-2ミャンマー1991年01月16日1990年代SLORC第一書記Khin Nyunt少将は,Lashioで,当地の国境地域開発委メンバーと会談。席上KIA反乱軍北部シャン州指導者U Mahtu Nawと会談,当指導者はカチン族社会の発展のために政府と協力することを約束した。
DIA-211-1991-01-16-3ミャンマー1991年01月16日1990年代Ye-Mawlamyine間を通過中の鉄道地雷掃破車がKNUの地雷爆発により破壊される。
DIA-211-1991-01-17-1ミャンマー1991年01月17日1990年代情報・文化・内務・宗教相Phone Myint中将は,人民警察隊期末総会(年2回)で演説,治安維持での警察隊の役割を強調。
DIA-211-1991-01-18-1ミャンマー1991年01月18日1990年代SLORC副議長Than Shwe大将は,17,18日の2日間にわたってBhamo,Myitkyina地区の地域開発プロジェクトを視察,また引き続き21日までの間にカチン州各地区,Khanti,Kalay等を訪問。
DIA-211-1991-01-20-1ミャンマー1991年01月20日1990年代計画・財務兼貿易相Abel准将はアイヤワルディ地区の米の集荷状況を視察。
DIA-211-1991-01-21-1ミャンマー1991年01月21日1990年代WPD紙は,1月12日付より,国軍リーダー史を連載,同軍の幹部の変せんを紹介している。
DIA-211-1991-01-21-2ミャンマー1991年01月21日1990年代国軍南東師団部隊はTaninthanyi管区タイ国境近くのYadanabon鉱山およびBokpujnのモン反乱軍Nai Win Yoe派の本部拠点(200名)を攻略,これを占拠。
DIA-211-1991-01-21-3ミャンマー1991年01月21日1990年代Mogaung-Myitkyina間の鉄道でKIA敷設の地雷が爆発,通行中の貨客車が爆破され乗客3名が死亡,4名が負傷。
DIA-211-1991-01-23-1ミャンマー1991年01月23日1990年代タイ国境に樹立された臨時革命政府に参加していたNLD選出議員U Than KyweとU Myint Aungがタイ経由で帰国逮捕。その後,情報局の取調べを受け,3月2日に釈放された。
DIA-211-1991-01-23-2ミャンマー1991年01月23日1990年代SLORC副議長Than Shwe大将は,第28回宝石見本市の会場を視察。
DIA-211-1991-01-23-3ミャンマー1991年01月23日1990年代中国雲南省外事局次長を団長とする代表団が来訪。24日に外務省政治局長U Ohn Gyawと会見。
DIA-211-1991-01-24-1ミャンマー1991年01月24日1990年代Khin Nyunt少将は来訪中の河野雅治・日本外務省南東アジア第一課長と会談。
DIA-211-1991-01-24-2ミャンマー1991年01月24日1990年代アイヤワルディ地区Kongyi村を航行中の舟に30人のKIA・ABSDF反乱軍が発砲,6人が死亡。
DIA-211-1991-01-25-1ミャンマー1991年01月25日1990年代Saw Maung議長,第28回宝石見本市を視察。
DIA-211-1991-01-25-2ミャンマー1991年01月25日1990年代第108回SLORC記者会見。席上Khin Nyunt少将は,ビルマ共産党(BCP)は1989年の党創立50周年に向けて,政権奪取を企図し,88年の騒動を煽動したなどと述べた。またこのなかで,KNUがヤンゴンのタイ大使館などを爆破したり,スーチー女史の救出作戦を実施しようとしていた事実などを発表した。
DIA-211-1991-01-28-1ミャンマー1991年01月28日1990年代羅干・中国国務院秘書長が来訪。
DIA-211-1991-01-28-2ミャンマー1991年01月28日1990年代Kawkareik郡南Kammayaik村に対し,約20人のKNU軍が白砲などで攻撃,村民1名が死亡,6名が負傷した。
DIA-211-1991-01-29-1ミャンマー1991年01月29日1990年代Khin Nyunt少将はKokang,Mongko地区の麻薬撲滅作戦を視察。また同地区で開かれた麻薬撲滅のための住民集会に出席,麻薬生産の幣害について説明。
DIA-211-1991-01-31-1ミャンマー1991年01月31日1990年代Saw Maung議長は来訪中の羅干・中国国務院秘書長と会見。また同日中国の援助により建設された国民劇場の引渡し式が行なわれた。
DIA-211-1991-01-31-2ミャンマー1991年01月31日1990年代第109回SLORC記者会見で,SLORC情報委U Than Kyweは,民主化運動グループの一部がインドから資金援助を受けていたことを明らかにした。
DIA-211-1991-02-01-1ミャンマー1991年02月01日1990年代貿易相Abel准将は,来訪中のモーリシャス貿易相一行と会談。
DIA-211-1991-02-01-2ミャンマー1991年02月01日1990年代Bhamoで反乱軍批難集会。席上投降してきたABSDFメンバーが住民に謝罪。
DIA-211-1991-02-03-1ミャンマー1991年02月03日1990年代MyitkyinaのKhatcho波止場で,爆破用のTNT火薬がセットされていたのが発見された。
DIA-211-1991-02-04-1ミャンマー1991年02月04日1990年代SLORC議長Saw Maung上級大将は,各州管区LORCとSLORCとの調整会議において演説。「アウンサン・スーチーを拘束しているのは,彼女がアウンサン将軍の娘であるので外敵から保護するためでもある」などと述べた。
DIA-211-1991-02-04-2ミャンマー1991年02月04日1990年代内務・宗教相Phone Myint中将は,国家情報局に58政党の代表を集め,SLORCの基本姿勢などについて説明。
DIA-211-1991-02-05-1ミャンマー1991年02月05日1990年代エネルギー相Mg.Mg.Khin海軍中将は,Dalaの石油試掘1号井の作業開始式に出席。
DIA-211-1991-02-05-2ミャンマー1991年02月05日1990年代第28回宝石見本市が終了,売上げは1150万㌦。
DIA-211-1991-02-06-1ミャンマー1991年02月06日1990年代1月中に,ABSDF(全ビルマ学生民主戦線)所属第411大隊のメンバー11人が政府軍に投降した。
DIA-211-1991-02-08-1ミャンマー1991年02月08日1990年代シンガポールのECI Minerals Private Ltd社と鉱山省・第3鉱山公社との合弁設立が発表された。内陸・海底鉱山の開発。
DIA-211-1991-02-08-2ミャンマー1991年02月08日1990年代政府軍第69連隊MonkyatキャンプにABSDFメンバー12名が投降。
DIA-211-1991-02-09-1ミャンマー1991年02月09日1990年代SLORC第一書記Khin Nyunt少将は,12日の連邦記念日に出席する各民族文化使節団を集め講演。
DIA-211-1991-02-10-1ミャンマー1991年02月10日1990年代Monghsatの政府駐屯地にSUA(シャン統一軍)兵士7名が投降。
DIA-211-1991-02-10-2ミャンマー1991年02月10日1990年代Hpa-an郡Hton-aing村で,住民がKNU抗議集会。
DIA-211-1991-02-11-1ミャンマー1991年02月11日1990年代中央選管委は声明第911号を出し,愛国民主青年戦線(PDYF)が,BCPおよびABSDFに協力して反国家的行動をしたとして,政党登録を取消す旨発表した。
DIA-211-1991-02-12-1ミャンマー1991年02月12日1990年代SLORC議長Saw Maung上級大将は,第44回連邦記念日に向けて,特別声明を発表。民族統一と各民族団結を基礎とした憲法の制定の必要性を強調。またこの夜,民族代表を招いて,Saw Maung議長主催の晩さん会が開かれた。
DIA-211-1991-02-13-1ミャンマー1991年02月13日1990年代SLORC第一書記Khin Nyunt少将は,2月初旬からラングーン市域の建設現場を連日精力的に視察。
DIA-211-1991-02-16-1ミャンマー1991年02月16日1990年代SLORC第二書記Tin Oo少将と海軍中将Maung Maung Khinはカヤおよびシャン州の建設現場を視察。
DIA-211-1991-02-17-1ミャンマー1991年02月17日1990年代北東師団各部隊に1月中旬から2月初めにかけて,ABSDF反乱軍の計23名が投降。
DIA-211-1991-02-19-1ミャンマー1991年02月19日1990年代計画・財務相Abel准将は来訪中のアジア開銀代表団と会談。また農水相Chit Swe中将は,CIRDAPの代表団と会見。
DIA-211-1991-02-21-1ミャンマー1991年02月21日1990年代Saw Maung議長は,ADNG(少数民族発展アカデミー)第22期卒業予定者を集め,民族団結の重要性などについて講話。
DIA-211-1991-02-22-1ミャンマー1991年02月22日1990年代Saw Maung議長は来訪したタイ国軍最高司令官Sunthorn Kongsompong大将一行と会見。一行は22日10時半に到着,その日のうちに帰国。
DIA-211-1991-02-24-1ミャンマー1991年02月24日1990年代国境開発委議長Khin Nyunt少将は,Wa族代表をヤンゴンに招待し,開発計画について協議。
DIA-211-1991-02-25-1ミャンマー1991年02月25日1990年代WPD紙は2月初めより,U Nu元首相の政権奪取計画についてその詳細を連載中。
DIA-211-1991-02-26-1ミャンマー1991年02月26日1990年代SLORCの招待で,タイ,スリランカ,日本などから仏教高僧が到着。27日に,Kabaayeで喜捨,称名授与などが,Saw Maung議長によって行なわれた。
DIA-211-1991-03-01-1ミャンマー1991年03月01日1990年代エネルギー相Mg.Mg.Khin海軍中将は,ソ連大使と会談。
DIA-211-1991-03-02-1ミャンマー1991年03月02日1990年代Saw Maung議長は農民の日に向けて特別声明を発表。
DIA-211-1991-03-02-2ミャンマー1991年03月02日1990年代ヤンゴン市内Mayangon区で火災,家屋356戸が焼失,1497人が焼け出された。
DIA-211-1991-03-03-1ミャンマー1991年03月03日1990年代政府の招待で来訪中の各国高僧たちが,パガンなどの仏教名所を訪問。
DIA-211-1991-03-04-1ミャンマー1991年03月04日1990年代計画・財務省主催で91年度第1回民間企業経営・経理ワークショップが開催された。
DIA-211-1991-03-04-2ミャンマー1991年03月04日1990年代外務省政務局長U Ohn Gyawを団長とする代表団が,麻薬撲滅などタイとの協力関係を協議する調整会議に出席するため出発。
DIA-211-1991-03-06-1ミャンマー1991年03月06日1990年代SLORCは淡水漁業法(SLORC Law No.1/91)を制定。
DIA-211-1991-03-07-1ミャンマー1991年03月07日1990年代来訪中のシンガポール空軍参謀長Michael Teo准将は,タウンジー,マンダレーを視察。3日間滞在して8日帰国。
DIA-211-1991-03-08-1ミャンマー1991年03月08日1990年代SLORC副議長Than Shwe大将は,Myeikの国軍前線部隊将兵およびその家族を慰問,国民は国軍の努力に感謝しているから,さらに努力せよなどと訓辞。さらに9日,同大将は,Mudonで,国軍将兵に対して「適切な教育も受けず政治にのみ関心のある学生はリーダーにはなれない,人に利用されるだけだ」などと述べた。その後同大将は13日まで,カインおよびモン州各地を視察。
DIA-211-1991-03-12-1ミャンマー1991年03月12日1990年代政府はラオスとの間で航空協定に調印。
DIA-211-1991-03-14-1ミャンマー1991年03月14日1990年代ザガイン管区YwathikyiのADNG(少数民族発展アカデミー)で卒業式,SLORCメンバーTun Kyi少将らが出席。
DIA-211-1991-03-15-1ミャンマー1991年03月15日1990年代国境地域・少数民族発展作業委が調整会議。同委議長Khin Nyunt少将が基調報告。
DIA-211-1991-03-17-1ミャンマー1991年03月17日1990年代Saw Maung議長,第46回国軍記念日に向けて準備中の国軍歴史資料館を視察。
DIA-211-1991-03-17-2ミャンマー1991年03月17日1990年代Paung郡Hsin村の住民がKNU敷設の地雷に触れ片足を失う。
DIA-211-1991-03-18-1ミャンマー1991年03月18日1990年代フィリピン国際商工会議所会頭を団長とする貿易代表団が来訪。19日に運輪・通信相Tin Tun中将,第一,第二工業相Sein Aung中将と会談。
DIA-211-1991-03-20-1ミャンマー1991年03月20日1990年代SLORCメンバー,建設・協同組合相Aung Ye Kyaw中将はシャン州各地の建設現場を挽察。
DIA-211-1991-03-21-1ミャンマー1991年03月21日1990年代MFB(ミャンマー経済銀行)の支店長を集めての調整会議開催。
DIA-211-1991-03-21-2ミャンマー1991年03月21日1990年代2月中に国軍各部隊へ投降した反乱軍兵士は,ABSDF,KNUなど合計42名に達した。
DIA-211-1991-03-22-1ミャンマー1991年03月22日1990年代貿易省は布告第8号/91を発表し,シンガポールのNatsteel社(本社英国)との合弁企業が設立されたことを発表。合弁企業名はMyanmar-Natsteel Hardware Centre Ltd.。
DIA-211-1991-03-23-1ミャンマー1991年03月23日1990年代SLORC副議長Than Shwe大将らは,国軍記念日軍隊パレードのリハーサルを視察。
DIA-211-1991-03-23-2ミャンマー1991年03月23日1990年代SLORC第二書記Tin Oo少将は,カイン州Papun地区の第11,第55,第66各師団前線本部を視察。
DIA-211-1991-03-24-1ミャンマー1991年03月24日1990年代国軍本部は90年3月から91年3月までの各方面軍の戦果を発表。これによると北部師団では反乱軍157名戦死,125名逮捕,151名が投降,北東師団では148名戦死,48名逮捕,91名が投降。また東部師団では,反乱軍209名戦死,50名逮捕,163名投降。南東師団では,合計1147回の戦闘,609名戦死,64名逮捕,116人が投降。
DIA-211-1991-03-24-2ミャンマー1991年03月24日1990年代Mawlamyine(旧モーメルン)市内で,深夜,侵入してきた9名の所属不明の武装団と警察隊が交戦,住民2人が死亡,8人が重傷。
DIA-211-1991-03-25-1ミャンマー1991年03月25日1990年代Ye-Mawlamyineを通過中の列車に,新モン州党(NMSP)反乱軍が攻撃,政府軍が応戦,5人の乗客が負傷。
DIA-211-1991-03-27-1ミャンマー1991年03月27日1990年代第46回国軍記念日,中央式典がヤンゴン市レジスタンス公園で行なわれ,Saw Maung上級大将が特別演説。憲法策定のために国軍は国民と協力しつつ準備している,いかなる外国人,機関も内政に干渉することを許さない。
DIA-211-1991-03-27-2ミャンマー1991年03月27日1990年代SLORCは,各級国軍功労賞を発表。各師団司令長官がほぼ受賞。
DIA-211-1991-03-28-1ミャンマー1991年03月28日1990年代SLORCは1991年度国家予算法を制定,これによると,国防省の予算割当は全体の40.7%となっている。
DIA-211-1991-03-29-1ミャンマー1991年03月29日1990年代SLORCは商業税法(改正)を制定。また30日に所得税改正法を制定。
DIA-211-1991-03-30-1ミャンマー1991年03月30日1990年代外務省政務局長U Ohn Gyaw一行は韓国訪問のため出発。
DIA-211-1991-04-01-1ミャンマー1991年04月01日1990年代国防省で国境地域民族開発中央委総会が開かれ,Than Shwe大将が開会演説。KokangおよびWa族反乱軍指導部がBCPの傘下から脱出したことを明らかにした。
DIA-211-1991-04-01-2ミャンマー1991年04月01日1990年代SLORC第一書記Khin Nyunt少将は高等教育局での調整会議の席上,外交団のなかにルールを犯して,反政府勢力と接触している者がいた事実などを暴露。
DIA-211-1991-04-03-1ミャンマー1991年04月03日1990年代国軍第66歩兵師団部隊は3月16日からKNUの重要拠点Hpaw HtaとManeplawを攻略,激戦の末3月29日までに当拠点への進入路の六つのキャンプを占領,国軍側20名が戦死,79名が負傷,KNU85名が戦死。
DIA-211-1991-04-04-1ミャンマー1991年04月04日1990年代UNDP主催の第1回民間企業のための金融・マネージメント講習会開催。
DIA-211-1991-04-04-2ミャンマー1991年04月04日1990年代第一,第二工業相Sein Aung中将は来訪中の韓国貿易協会代表団と会見。
DIA-211-1991-04-05-1ミャンマー1991年04月05日1990年代Pyin-Oo Lwinの国軍士官学校第32期卒業式が行なわれ,陸軍司令官Than Shwe中将が記念演説,この後同中将は国境地域を視察。
DIA-211-1991-04-05-2ミャンマー1991年04月05日1990年代ヤンゴン市Motlama駅で,列車内から手榴弾2個が発見。
DIA-211-1991-04-06-1ミャンマー1991年04月06日1990年代KNU軍はKawkareik市内にロケット弾8発を撃ち込み,このため市民4名が負傷。またMawton村にも40名のKNU軍,ABSDF,モスリム反乱軍合同隊が侵入,駐屯部隊と交戦,このため11人の住民が負傷。
DIA-211-1991-04-07-1ミャンマー1991年04月07日1990年代Meiktila市街地で大火災,約7000戸焼失。
DIA-211-1991-04-08-1ミャンマー1991年04月08日1990年代88年8月10日,騒動時に警官の首を切り落した犯人グループの裁判が軍事法廷で開かれ,首犯格の27名に終身刑が求刑された。
DIA-211-1991-04-09-1ミャンマー1991年04月09日1990年代計画・財務省は,金融制度規則(Financial Institutions of Myanmar Rules)および農業・農村開発銀行規則を発表。
DIA-211-1991-04-09-2ミャンマー1991年04月09日1990年代Hpa-an郡Eindu村で住民5800人が集まり,反乱軍抗議集会。
DIA-211-1991-04-10-1ミャンマー1991年04月10日1990年代貿易相Abel准将を団長とする貿易代表団が昆明に向け出発。
DIA-211-1991-04-10-2ミャンマー1991年04月10日1990年代約20人のKNU軍がHpa-an郡Tayohkla村に侵入,住民から10万チャット相当の宝石および15頭の家畜などを略奪。
DIA-211-1991-04-11-1ミャンマー1991年04月11日1990年代SLORC副議長Than Shwe大将はMongnai,Langhkoなど南部シャン州の前線部隊を訪問。
DIA-211-1991-04-11-2ミャンマー1991年04月11日1990年代騒動時にタイ国境に逃れていた学生のうち15人が帰国。14日に両親に引渡された。
DIA-211-1991-04-11-3ミャンマー1991年04月11日1990年代Khin Nyunt少将は,政府軍に投降してきたPNO(パオ民族機構)指導者と会談。
DIA-211-1991-04-13-1ミャンマー1991年04月13日1990年代ミャンマー正月,旧暦1353年となる。15日まで国民休日。
DIA-211-1991-04-14-1ミャンマー1991年04月14日1990年代Mudon-Kkale間道路の橋がKNUによって破壊された。
DIA-211-1991-04-17-1ミャンマー1991年04月17日1990年代各地でMeiktila火災による被害者への見舞金が集められており,現地では政府による再建が始まった。
DIA-211-1991-04-18-1ミャンマー1991年04月18日1990年代SLORC議長Saw Maung上級大将は,Namhsaのルビー鉱山,Mogok採石場などを視察。
DIA-211-1991-04-18-2ミャンマー1991年04月18日1990年代ソウルで開かれていた第47回ESCAP総会に出席していた外務省政務局長U Ohn Gyaw一行らが帰国。
DIA-211-1991-04-18-3ミャンマー1991年04月18日1990年代3月1日から13日までの間に政府軍部隊に投降した反乱軍は,KNLP,SURAなど計29名に達した。
DIA-211-1991-04-19-1ミャンマー1991年04月19日1990年代移民・マンパワー局で調整会議。市民権法に基づく国民登録を迅速かつ完全に行なうよう指示。
DIA-211-1991-04-19-2ミャンマー1991年04月19日1990年代3月14日から21日の間に,投降した反乱軍は,ABSDF,KIAなど28名。
DIA-211-1991-04-20-1ミャンマー1991年04月20日1990年代労働相Tin Tun中将は,北京で開かれるアジア・太平洋労働担当閣僚会議に出席のため出発。
DIA-211-1991-04-20-2ミャンマー1991年04月20日1990年代昆明および広州見本市を訪れていた貿易相Abel准将が帰国。
DIA-211-1991-04-20-3ミャンマー1991年04月20日1990年代3月22日から31日までの間に,投降した反乱軍はKIA,PSLA(パラウン族解放軍)など30名。
DIA-211-1991-04-20-4ミャンマー1991年04月20日1990年代Hpa-anからShwegunに向かう途中の2隻の客船がKNU軍の銃火を浴び,乗客2名が負傷。
DIA-211-1991-04-21-1ミャンマー1991年04月21日1990年代Than Shwe大将は,来訪中のパキスタン国軍代表団と会見。
DIA-211-1991-04-23-1ミャンマー1991年04月23日1990年代選管委はNLDが3月26日付で新しい執行部を決定したと発表。これによると,中執委は10名で,議長U Aung Shwe,書記長U Lwin,会計総括U Nyunt Waiとなっている。
DIA-211-1991-04-25-1ミャンマー1991年04月25日1990年代文部省はMawlamyine大学が5月14日から,Magway Degree Collegeが5月15日からそれぞれ再開されると発表。
DIA-211-1991-04-27-1ミャンマー1991年04月27日1990年代22日からカンチャナブリで開かれていたタイとの国境委員会定例会議に出席していた東部師団司令官Maung Aye少将一行が帰国。
DIA-211-1991-04-28-1ミャンマー1991年04月28日1990年代文部省はヤンゴン大学農学部が5月15日から再開されると発表。
DIA-211-1991-04-29-1ミャンマー1991年04月29日1990年代内務・宗教相Phone Myint中将とSLORC第二書記Tin Oo少将はヤカイン州各地を視察。
DIA-211-1991-05-01-1ミャンマー1991年05月01日1990年代Saw Maung議長は,労働者の日に向けて特別声明を発表,中央式典・集会は開かれず。
DIA-211-1991-05-01-2ミャンマー1991年05月01日1990年代文部省はPathein(パセイン)Degree Collegeは5月6日から再開されると発表。
DIA-211-1991-05-02-1ミャンマー1991年05月02日1990年代小沢辰男衆議院議員が来訪。要人とは公式会談せず,4日に帰国。
DIA-211-1991-05-02-2ミャンマー1991年05月02日1990年代SLORC第一書記Khin Nyunt少将はこのほど投降したパラウン族解放軍(PSLA)指導者U Ai Mongと会談,パラウン族住民の開発に協力することで両者が合意。
DIA-211-1991-05-02-3ミャンマー1991年05月02日1990年代中国との国境貿易の中継地にこのほど国営企業(レストラン・飲食公社)直営のMuse Motelが開設された。
DIA-211-1991-05-06-1ミャンマー1991年05月06日1990年代Khin Nyunt少将はKengtung東方のMongla村で行なわれたヘロイン精製所破壊を視察,当地域の住民発展計画について協議した。
DIA-211-1991-05-09-1ミャンマー1991年05月09日1990年代在郷軍人会会長Tun Tin退役中将はマンダレーを訪れ,マンダレー支部と活動について協議。
DIA-211-1991-05-09-2ミャンマー1991年05月09日1990年代外務省政務局長U Ohn Gyawは中国での麻薬取締に関する合同会議出席のため出発。
DIA-211-1991-05-10-1ミャンマー1991年05月10日1990年代SLORCは「連邦法に基づく民族発展のための大学設置」法を布告(SLORC Law第9号/91)。
DIA-211-1991-05-10-2ミャンマー1991年05月10日1990年代東芝シンガポールが出資した修理・サービスセンターがオープン。
DIA-211-1991-05-10-3ミャンマー1991年05月10日1990年代Hpa-an郡Kya-inn村にKNU軍が侵入発砲,村民3名が死亡,多数が負傷した。
DIA-211-1991-05-12-1ミャンマー1991年05月12日1990年代SLORC第一書記Khin Nyunt少将はKyauktanなどヤンゴン郊外の各種建設現場を視察。
DIA-211-1991-05-13-1ミャンマー1991年05月13日1990年代ヤンゴン管区LORC議長Myo Nyunt少将は,ヤンゴン大学で,学生,父兄などを集め大学再開に当って演説。
DIA-211-1991-05-14-1ミャンマー1991年05月14日1990年代SLORCは非合法組織法に基づいて,8政党の解散を決定した。MNDA,MNSP,NDAA,SSA,NDA(カチン),KDA,PNO,PSLP。
DIA-211-1991-05-14-2ミャンマー1991年05月14日1990年代計画・財務相Abel准将は来訪中の小宅OECF理事と会談。
DIA-211-1991-05-14-3ミャンマー1991年05月14日1990年代SLORCは第110回記者会見を行ない,Khin Nyunt少将が,スーチー女史の政治活動参加の経緯などについて説明。また総選挙候補者の選挙費用会計報告は569人がまだ済んでいないなどと述べた。
DIA-211-1991-05-15-1ミャンマー1991年05月15日1990年代運輸・通信相Tin Tun中将は来訪中の韓国の大宇社副社長Gil-Yong Umと会談。
DIA-211-1991-05-15-2ミャンマー1991年05月15日1990年代農水相Chit Swe中将は中国とフィリピンを訪問するために出発。
DIA-211-1991-05-15-3ミャンマー1991年05月15日1990年代NLD選出議員ですでに逃亡者とされていたU Si Maungが自分の選挙区Lay Myat Hnar郡内でマラリアのため1月30日に死亡していたことがこのほど確認された。
DIA-211-1991-05-16-1ミャンマー1991年05月16日1990年代国軍および警察隊が今年に入って4カ月間で,合計5900万㌦の麻薬を押収したと発表。
DIA-211-1991-05-19-1ミャンマー1991年05月19日1990年代SLORC副議長Than Shwe大将は,アイヤワルディー地区で最近完成したばかりの36マイル道路(Mawlamywinegyunn-Maubin間)などを視察。
DIA-211-1991-05-19-2ミャンマー1991年05月19日1990年代ミャンマー航空社は5月31日から週2便で香港間に空路を開設することを発表。
DIA-211-1991-05-21-1ミャンマー1991年05月21日1990年代Khin Nyunt少将は貿易省で開かれた経済担当官会議に出席して演説,国民の福祉を守るためにも経済発展が必要であることを認識しているなどと述べた。また平貨切下げについては影響が大きいとの理由で実施することにメリットを見出せないとの見解を示した。
DIA-211-1991-05-24-1ミャンマー1991年05月24日1990年代SLORC議長Saw Maung上級大将は,国軍幹部第41回講習会終了式で演説,「われわれは兵士である。いかなる政党や政治家にも関心はない。国家の治安維持のために戦っているのだ」などと述べた。
DIA-211-1991-05-25-1ミャンマー1991年05月25日1990年代Palaw郡Pawutkon村に約40人のKNU-ABSDF合同隊が侵入,民家に放火,金品を略奪,16戸が焼失。
DIA-211-1991-05-26-1ミャンマー1991年05月26日1990年代4月1日から21日の間に,KNPP,ABSDFなど反乱軍から合計45名が投降した。
DIA-211-1991-05-29-1ミャンマー1991年05月29日1990年代運輸・通信相Tin Tun中将は世銀運輸調査団と会談。
DIA-211-1991-05-30-1ミャンマー1991年05月30日1990年代SLORC副議長Than Shwe大将は,ADNG第2回訓練講習会で演説,ミャンマー国の独立は誰からも犯されることはないなどと述べた。
DIA-211-1991-06-01-1ミャンマー1991年06月01日1990年代運輸・通信相Tin Tun中将は来訪中の韓国経済使節団と会見。
DIA-211-1991-06-01-2ミャンマー1991年06月01日1990年代SLORCメンバーAung Ye Kyaw中将,Tin Oo少将はカチン州のPutao,Machambaw地区を視察,当地の少数民族代表らと会見。
DIA-211-1991-06-01-3ミャンマー1991年06月01日1990年代WPD紙は1日から「南機関と関係史」を連載。
DIA-211-1991-06-03-1ミャンマー1991年06月03日1990年代新駐日大使にU Thein Hanを任命。同氏は,元陸軍中将で国軍政治科学校校長などをつとめた。
DIA-211-1991-06-03-2ミャンマー1991年06月03日1990年代中央選管委は選挙時の各候補者の会計収支報告の監査を行なっているが,期日までに報告しなかった候補者(落選者を含む)を逐次発表し始めた。
DIA-211-1991-06-03-3ミャンマー1991年06月03日1990年代Museで5月28日から,中国・ミャンマー貿易見本市が開かれている。
DIA-211-1991-06-04-1ミャンマー1991年06月04日1990年代中央選管はYesagyo第2区選出NLD議員U Tin Maungの辞職願を受理した。
DIA-211-1991-06-04-2ミャンマー1991年06月04日1990年代マンダレーでチン州開発中央委員会が開かれ,チン州の開発について協議,中央師団司令官Tun Kyi少将らが出席。
DIA-211-1991-06-06-1ミャンマー1991年06月06日1990年代SLORC第二書記Tin Oo少将は中央協同組合訓練校および中央官吏養成所などを視察。
DIA-211-1991-06-06-2ミャンマー1991年06月06日1990年代Manerplawの臨時革命政府に加わっていたKyaukkyi郡の3名のNLD指導者が5月末に当局に出頭。この3人は3月初めから地下に潜っていた。
DIA-211-1991-06-07-1ミャンマー1991年06月07日1990年代ヤンゴン大学構内で反政府ビラを配っていた3人の学生が逮捕された。
DIA-211-1991-06-09-1ミャンマー1991年06月09日1990年代運輸・通信,労働相Tin Tun中将はILO第78回総会に出席のためジュネーブに出発。
DIA-211-1991-06-09-2ミャンマー1991年06月09日1990年代WPD紙は,1988年の騒動時にヤンゴン入りし,政党指導者などと会見したアメリカのソラーズ上院議員の行動に対し,はなはだしい内政干渉であるとの論文を掲載。
DIA-211-1991-06-10-1ミャンマー1991年06月10日1990年代政府はサイクロンの大被害を受けたバングラデシュに対し,米500㌧を寄付。
DIA-211-1991-06-10-2ミャンマー1991年06月10日1990年代このほどミャンマー商工会議所の支援のもとに設立されることに決まった商業・開発銀行(Commercial and Development Bank Ltd)の株主構成を検討する会合が開かれ,資本金は,10億チャットとすることなどが決まった。
DIA-211-1991-06-10-3ミャンマー1991年06月10日1990年代Ywathitkyiの少数民族発展アカデミーで,少数民族社会での教員を養成するための民族発展大学コースが開設された。
DIA-211-1991-06-10-4ミャンマー1991年06月10日1990年代KNU軍とコンタクトを取り,地下活動を続けていたNLD地区指導者4名が,5月31目に当局によって逮捕されていたことがこのほど発表された。
DIA-211-1991-06-12-1ミャンマー1991年06月12日1990年代映画女優のKhine Khine Ooが,ビデオや舞台などで頽廃的な演技を続け,ミャンマー文化を傷つけたとして,当局は5年間の活動禁止処分にした。
DIA-211-1991-06-12-2ミャンマー1991年06月12日1990年代日本政府は,ミャンマー政府に対し,30億円の債務救済無償援助を供与するとし,このほど交換公文に調印。これは,5月末にミャンマー政府が対日債務(約400億円)のうち,30億円を返還したその見返り。
DIA-211-1991-06-14-1ミャンマー1991年06月14日1990年代内務・宗教相Phone Myint中将は,インセイン中央刑務所を視察。
DIA-211-1991-06-15-1ミャンマー1991年06月15日1990年代カヤ州開発委が開かれ,AungbanとLoikawを結ぶ鉄道新線の計画が検討された。
DIA-211-1991-06-16-1ミャンマー1991年06月16日1990年代ヤンゴン市長杯市民マラソン大会が開かれ,合計2689人が参加,優勝タイムは男子で2時間27分台。
DIA-211-1991-06-17-1ミャンマー1991年06月17日1990年代中国,シンガポールを訪れていた歴史研究グループがこのほど帰国。このグループにはヤンゴン大学歴史学部長Daw Ni Ni Myint(Ne Wein夫人)も含まれていた。
DIA-211-1991-06-17-2ミャンマー1991年06月17日1990年代タイ国軍陸軍参謀次長Vijit Sookmarkを団長とする代表団が来訪,Khin Nyunt少将らが出迎え。Than Shwe大将と会談。また同日タイ外務次官Wichian Watanakunが来訪。同次官は18日にSaw Maung議長と会談。
DIA-211-1991-06-18-1ミャンマー1991年06月18日1990年代来訪中のタイ外務次官との間で,両国国境(Ruak河地点)画定に関する覚書を交換。
DIA-211-1991-06-19-1ミャンマー1991年06月19日1990年代運輸・通信相Tin Tun中将は来訪中の中国国家航空技術輸出入公司副総裁と会談。
DIA-211-1991-06-19-2ミャンマー1991年06月19日1990年代農水相Chit Swe中将は来訪中のイスラエル農業使節団と会談。
DIA-211-1991-06-19-3ミャンマー1991年06月19日1990年代Chuangzon郡Mudun村で,付近の45部落からの住民1万2000人が反乱軍への抗議集会。
DIA-211-1991-06-20-1ミャンマー1991年06月20日1990年代ミャンマー仏教僧侶代表団がラオスに向け出発。
DIA-211-1991-06-20-2ミャンマー1991年06月20日1990年代NIB(国家情報局)特別監査部は,民間業者がパーム油およびパーム・落花生混合油の価格を不当に吊り上げているとして業者に警告。
DIA-211-1991-06-20-3ミャンマー1991年06月20日1990年代貿易省はミャンマー商工会議所役員会の人事を刷新する旨通達,新会頭にU Ko Ko Gyi(旧軍人)を任命した。
DIA-211-1991-06-21-1ミャンマー1991年06月21日1990年代Hmawbiの国軍士官養成所で第81期生卒業式が行なわれ,陸軍司令官,国軍副総司令官Than Shwe大将が演説。「軍が強くなければ国は強くならない」などと述べた。
DIA-211-1991-06-21-2ミャンマー1991年06月21日1990年代NIBはThazi郡の判事を汚職の罪で告発。
DIA-211-1991-06-25-1ミャンマー1991年06月25日1990年代SLORCと各州・管区LORCメンバーとの調整会議でSaw Maung議長が演説。選挙を実施したのはSLORCの責務であり,これから法に基づいて,どうするかは中央選管委の責任である,などと述べた。
DIA-211-1991-06-27-1ミャンマー1991年06月27日1990年代フランス政府は,ミャンマーの対仏債務合計4.97億フランのキャンセレーションを実施する旨の覚書を手渡した。
DIA-211-1991-06-27-2ミャンマー1991年06月27日1990年代貿易省はマンダレー商工会議所の再設立を認可した。
DIA-211-1991-06-28-1ミャンマー1991年06月28日1990年代貿易省は輸入許可税(Import Licence Fees)規則を布告。CIF価格2万5000チャット以下の場合許可税は625チャット,100万チャット以上の場合5万チャットなど。
DIA-211-1991-06-28-2ミャンマー1991年06月28日1990年代各地で反乱軍の投降兵士が増加傾向にあるなかで,KNU軍Tun Myint隊の27名と,Saw Po Nyein派の13名が相次いで,国軍部隊に投降した。また5月25日から30日までの間に合計107名の投降者があり,5月中の投降者は合計180名に達した。
DIA-211-1991-06-30-1ミャンマー1991年06月30日1990年代ヤンゴン市環状道路が完成し,その開通式が行なわれ,Khin Nyunt少将らが出席。
DIA-211-1991-06-30-2ミャンマー1991年06月30日1990年代これまでに,外国企業の支店登録43件,外国企業パートナーシップ26件など貿易省に登録された企業数および輸出入業者数が発表された。
DIA-211-1991-07-02-1ミャンマー1991年07月02日1990年代農水相Chit Swe中将は第16回農業関係者訓練講習会に出席,農業の多角化,多毛作化および果実輸出の奨励などを強調。
DIA-211-1991-07-02-2ミャンマー1991年07月02日1990年代タイで不法就労していたミャンマー国籍の236人がタイ政府により強制送還された。
DIA-211-1991-07-02-3ミャンマー1991年07月02日1990年代KNU軍がThayetchaung村に侵入,村の中学校に向け発砲,8人の生徒が負傷した。
DIA-211-1991-07-03-1ミャンマー1991年07月03日1990年代タイでの不法就労ミャンマー人計440名が強制送還。
DIA-211-1991-07-03-2ミャンマー1991年07月03日1990年代国軍部隊はMansi郡内でKIAテロリストとその妻を逮捕。
DIA-211-1991-07-05-1ミャンマー1991年07月05日1990年代10歳未満の女子を他国に売却したとして,数名が逮捕された。
DIA-211-1991-07-08-1ミャンマー1991年07月08日1990年代91年度第2回貿易ワークショップが開かれ,貿易相Abel准将が演説。輸出の促進のために,民間業者の活動をさらに奨励する必要がある,などと述べた。
DIA-211-1991-07-10-1ミャンマー1991年07月10日1990年代新中国大使Liang FengがSaw Maung議長に信任状を提出。
DIA-211-1991-07-10-2ミャンマー1991年07月10日1990年代SLORCは議会選挙法改正法を発表。重罪犯に対する被選挙権失効に関する規則を制定。
DIA-211-1991-07-11-1ミャンマー1991年07月11日1990年代政府はピナツボ火山被災者のため500㌧の米をフィリピンに援助。
DIA-211-1991-07-11-2ミャンマー1991年07月11日1990年代UNDPは国境周辺民族発展計画プロジェクトに総額130万㌦の援助を供与する協定に調印。
DIA-211-1991-07-12-1ミャンマー1991年07月12日1990年代Khin Nyunt少将は来訪中のタイ保健省次官一行と会談。
DIA-211-1991-07-12-2ミャンマー1991年07月12日1990年代Myawady-Kawkareik間道路を通行中のトラックがKNU軍に襲撃され,積荷100万チャット相当が焼失。
DIA-211-1991-07-15-1ミャンマー1991年07月15日1990年代Palaw郡Mali島でツバメの巣を盗採していた3人の武装団を逮捕。彼らはKNU軍の一部と判定された。
DIA-211-1991-07-16-1ミャンマー1991年07月16日1990年代運輸の円滑化と安全を図るための運輸関係当局調整会議が開かれ,SLORC第二書記Tin Oo少将が出席。
DIA-211-1991-07-17-1ミャンマー1991年07月17日1990年代SLORCは布告第33号/91を出し,法律審査中央委員会を設立した。議長に検事総長U Tha Tunが任命された。
DIA-211-1991-07-17-2ミャンマー1991年07月17日1990年代保健相Pe Thein大佐を団長とする代表団がタイに向け出発。
DIA-211-1991-07-17-3ミャンマー1991年07月17日1990年代ミャンマー通信社国際局長U Kyaw Minを団長とするジャーナリスト代表団がソ連に向け出発。
DIA-211-1991-07-17-4ミャンマー1991年07月17日1990年代中国雲南省から農業視察団が来訪。
DIA-211-1991-07-18-1ミャンマー1991年07月18日1990年代現在ラオスとの間で国境画定作業が行なわれていることが発表された。
DIA-211-1991-07-18-2ミャンマー1991年07月18日1990年代政府は洪水被災者用として中国政府に米1500㌧を寄付。
DIA-211-1991-07-19-1ミャンマー1991年07月19日1990年代第44回殉難者の日(Arzani Day),殉難者廟で追悼式典が行なわれ,内務・宗教相Phone Myint中将らが出席。また遺家族も招待され,アウンサンの長男を代表して親族が出席。
DIA-211-1991-07-21-1ミャンマー1991年07月21日1990年代チンドウィン河の水位が危険ラインを突破したため,Hkamti付近の住民1万7570人(3210戸)が避難をはじめた。
DIA-211-1991-07-22-1ミャンマー1991年07月22日1990年代エネルギー相Maung Maung Khin海軍中将は,各石油試掘現場を視察。
DIA-211-1991-07-22-2ミャンマー1991年07月22日1990年代SLORC第一書記Khin Nyunt少将家族と親しいと偽わって,多額の現金を詐取していた女性が逮捕された。
DIA-211-1991-07-23-1ミャンマー1991年07月23日1990年代1990年7月30日に行なわれたNLD本部での第8回記者会見について,当局の承認を得ないでパンフレットを配布したとして3人のNLDメンバーが逮捕された。
DIA-211-1991-07-24-1ミャンマー1991年07月24日1990年代計画・財務兼貿易相Abel准将は,来訪中の世銀代表団と会談。また25日,来訪中の韓国貿易振興公団総裁と会談。
DIA-211-1991-07-24-2ミャンマー1991年07月24日1990年代タイでのミャンマー人不法就労者84名が送還される。また25日にはさらに160人がKawthoungに送還された。
DIA-211-1991-07-27-1ミャンマー1991年07月27日1990年代SLORC第一書記Khin Nyunt少将はTwantay,Kungyangonなどで各種建設現場を視察。
DIA-211-1991-07-29-1ミャンマー1991年07月29日1990年代Dr.Sein Winの併行政府に協力したとして,NLDメンバー,現役政府職員など7名が逮捕された。
DIA-211-1991-07-30-1ミャンマー1991年07月30日1990年代KNU軍第11大隊第2小隊兵士7名が投降,7月中の反乱軍投降者は46名。
DIA-211-1991-08-01-1ミャンマー1991年08月01日1990年代ヤンゴン市警総監Khin Maung Tun警察大佐を団長とするジャーナリスト一行が,モスクワに向け出発。
DIA-211-1991-08-01-2ミャンマー1991年08月01日1990年代タイにいたミャンマー人不法就労者をさらに63名送還。
DIA-211-1991-08-02-1ミャンマー1991年08月02日1990年代ヤンゴン=マンダレー間の鉄道線路に爆弾を仕掛けたKNU軍に協力した4人がこのほど逮捕されていたことが発表された。この爆弾は爆発直前に発見された。
DIA-211-1991-08-03-1ミャンマー1991年08月03日1990年代タイにいたミャンマー人不法就労者のうち125人がモーラミャインに送還された。
DIA-211-1991-08-04-1ミャンマー1991年08月04日1990年代SLORC第二書記Tin Oo少将は,ヤンゴン市関係者らに対し,物価の安定のため肉,魚,野菜などの流通の円滑化に努力するよう指示。
DIA-211-1991-08-05-1ミャンマー1991年08月05日1990年代SLORC第一書記Khin Nyunt少将はHamti地区の洪水被害状況を視察。
DIA-211-1991-08-05-2ミャンマー1991年08月05日1990年代計画・財務兼貿易相Abel准将は,ミャンマー経済銀行の第1回訓練講習会で廃貨の噂を強く否定した。
DIA-211-1991-08-06-1ミャンマー1991年08月06日1990年代Than Shwe大将は来訪中のマレーシア士官学校副校長SHJ Jaafarを団長とする軍事使節団と会談。
DIA-211-1991-08-06-2ミャンマー1991年08月06日1990年代シンガポールとの間を週2便の予定で,Tradewinds航空が運航を開始。
DIA-211-1991-08-06-3ミャンマー1991年08月06日1990年代NIB当局は,バングラデシュとの国境周辺で計66人を闇ドル,密輸取引などで摘発,計1100万チャットの闇資金を押収した。
DIA-211-1991-08-07-1ミャンマー1991年08月07日1990年代Kyunsu郡Linlum村沿岸で操業中の3隻の漁船が10人のKNU軍に次々と襲われ,物資を略奪され,船員12人が殺された。
DIA-211-1991-08-07-2ミャンマー1991年08月07日1990年代トリ肉などをヤンゴン市内で買だめしては値段を不当に吊り上げていたとして,9人のブローカーが逮捕された。
DIA-211-1991-08-08-1ミャンマー1991年08月08日1990年代NLD Oktwin郡議長U Hla Myint(当郡第2区で当選)が賭博の容疑で他1名とともに逮捕された。
DIA-211-1991-08-08-2ミャンマー1991年08月08日1990年代国軍部隊はMongton郡内でSUAが隠匿していた生アヘン101㌔を押収。
DIA-211-1991-08-09-1ミャンマー1991年08月09日1990年代SLORCは,「国家を危険分子から守る法」(the Law safeguarding the state from the danger of subversive elements)を改正した。これによると,同法の適用がこれまで3年としていた部分について,5年とした(注:スーチー女史の軟禁期間の延長を狙ったもの)。
DIA-211-1991-08-12-1ミャンマー1991年08月12日1990年代チンドウィン河に続いて下流のイラワジ河(Ayeyarwaddy)一帯でも洪水被害が広がって,Kyonpyaw,Yekyi郡では避難し始めている。
DIA-211-1991-08-13-1ミャンマー1991年08月13日1990年代貿易相Abel准将は来訪中のシンガポール中小企業協会代表と会談。
DIA-211-1991-08-16-1ミャンマー1991年08月16日1990年代政府はこのほど,Pyay Taungdanで試掘を続けていた第105号井から石油を採掘することに成功し,Thanlyin精油所に送油を開始したことを公表した。これはミャンマー石油公団が独自に試掘していたもの。
DIA-211-1991-08-17-1ミャンマー1991年08月17日1990年代洪水はサルウィン河流域でも広がり始め,Khin Nyunt少将はHpa-anを訪れ,洪水状況を視察。
DIA-211-1991-08-18-1ミャンマー1991年08月18日1990年代8月になって投降した反乱軍は,KNU,ABSDFなど39名に達した。
DIA-211-1991-08-18-2ミャンマー1991年08月18日1990年代NLD Alon郡執行部U Thein NaingがChe-hti賭博の容疑で逮捕された。
DIA-211-1991-08-19-1ミャンマー1991年08月19日1990年代SLORCは第111回の記者会見を開き,席上,計画・財務相Abel准将は,90チャット,200チャットの廃貨について再び強く否定。これは海外のマスコミが故意に流した悪意の噂であると述べた。
DIA-211-1991-08-20-1ミャンマー1991年08月20日1990年代Saw Maung議長夫妻は中国を公式訪問するため出発。同行者は,SLORC第一書記Khin Nyunt少将,東部師団司令官Maung Aye少将,北東師団司令官Maung Thint少将,計画・財務兼貿易相Abel准将,外務省副大臣U Ohn Gyawらである。一行は雲南の昆明経由で北京に到着,25日の帰国までに楊尚昆国家主席,江沢民総書記,李鵬首相ら中国首脳と会談,両国間の友好関係が強調された。
DIA-211-1991-08-20-2ミャンマー1991年08月20日1990年代ヤンゴン市内で,密造酒を保持していたNLD党員を逮捕。
DIA-211-1991-08-21-1ミャンマー1991年08月21日1990年代YCDC議長(ヤンゴン市長)U Ko Layは,カナダで開かれる都市環境会議に出席のため出発。
DIA-211-1991-08-22-1ミャンマー1991年08月22日1990年代ヤンゴン管区内の民間および協同組合で生産された工業製品展示会が27日まで開かれる。
DIA-211-1991-08-28-1ミャンマー1991年08月28日1990年代DSI(国軍情報部)は,7月末から8月初にかけて,ABSDFがヤンゴン,Waw,Pyawbweなどの破壊活動を目的として派遣した工作員30数名を逮捕したことを,証拠物件とともに公表。
DIA-211-1991-08-28-2ミャンマー1991年08月28日1990年代社会福祉相Tin Tun中将および農水相Chit Swe中将はイラワジデルタ地帯の洪水被害地を視察。またSLORCは洪水対策のために,救済・復興委員会を設立した。
DIA-211-1991-08-30-1ミャンマー1991年08月30日1990年代国軍情報部は,8月20日から25日の間に,Dr.Sein Winの革命政府(併行政府)から派遣されたり,同政府と連絡しているNLD工作員など20数名を摘発したことを公表。
DIA-211-1991-09-01-1ミャンマー1991年09月01日1990年代SLORC第二書記Tin Oo少将は,米の供給は充分であり,余剰もある,また食用油についても心配する事態ではないと述べた。
DIA-211-1991-09-01-2ミャンマー1991年09月01日1990年代NLD元中執委メンバーで,現在収監中のU Chit Khaing(マンダレー,Taungtha第1区当選)が国会議員の辞表を提出,中央選管委はこれを受理したと発表。
DIA-211-1991-09-02-1ミャンマー1991年09月02日1990年代国家公務員および政府企業職員に対する国家への忠誠度等を測るアンケート調査が実施されている(情報筋)。
DIA-211-1991-09-03-1ミャンマー1991年09月03日1990年代ABSDF第207大隊から工作員として派遣されていた2人がヤンゴン市内でDSIに摘発された。
DIA-211-1991-09-04-1ミャンマー1991年09月04日1990年代8月30日にカヤ州Maesae近郊で,乗合バスがKNPP軍に襲われ,略奪されたことが判明。
DIA-211-1991-09-07-1ミャンマー1991年09月07日1990年代Ohn Gyaw外務省副大臣は来訪中のラオス麻薬対策委代表と会談し,麻薬撲滅のために両国が共同して努力するための覚書を交換。
DIA-211-1991-09-07-2ミャンマー1991年09月07日1990年代Kyunzu郡内の住民1万2600名が,KNUに対する抗議集会。
DIA-211-1991-09-07-3ミャンマー1991年09月07日1990年代Myeik-Kawthong間国境貿易商業会議所設立,タイとの国境貿易拡大のため。また9日には,国境貿易業者協会も設立された。さらに10日にはミャンマー経済銀行の支店もオープン。
DIA-211-1991-09-11-1ミャンマー1991年09月11日1990年代DSIはMawlamyineで,手榴弾などを携行していたABSDF工作員2名を摘発。
DIA-211-1991-09-12-1ミャンマー1991年09月12日1990年代中央選管委は,Dr.Sein Winが設立した併行政府に協力するとされていたNLD議員に対し,正否を確めたところ,現在認定されているNLD議員369名のうち221名の議員から,同政府には協力をしないとの回答があったとし,その全議員のリストを公表した。
DIA-211-1991-09-14-1ミャンマー1991年09月14日1990年代エネルギー相Mg Mg Khin海軍中将は,マレーシアで開かれる石油開発戦略会議に出席するため出発。
DIA-211-1991-09-14-2ミャンマー1991年09月14日1990年代SLORC副議長Than Shwe大将は,国家の安定のためには,経済発展が必要であり,そのための努力を集中する意味で,1992年を「経済の年」とすることを明らかにした。
DIA-211-1991-09-15-1ミャンマー1991年09月15日1990年代SLORC第一書記Khin Nyunt少将は,Kyaikkasanスタジアムで開かれた国民体育大会の席上,1995年度の東南アジア競技大会を招致することを明らかにした。
DIA-211-1991-09-16-1ミャンマー1991年09月16日1990年代YCDCは,新夕刊紙Myodaw(City News)を発行するための準備委を開いた。
DIA-211-1991-09-16-2ミャンマー1991年09月16日1990年代中央選管委は声明第966号を発表し,現在,選出された候補者全員の資格要件および会計報告を慎重に行なっていることを公表した。
DIA-211-1991-09-18-1ミャンマー1991年09月18日1990年代同日付から22日付までのWPD紙は,88年9月18日のSLORC設立以来の,SLORC布告・声明・法律の一覧表を掲載。
DIA-211-1991-09-18-2ミャンマー1991年09月18日1990年代SLORC副議長Than Shwe大将は,来訪中のナイジェリア政府代表団と会見。
DIA-211-1991-09-18-3ミャンマー1991年09月18日1990年代外務大臣にU Ohn Gyaw外務副大臣を任命。
DIA-211-1991-09-18-4ミャンマー1991年09月18日1990年代Kawkareik郡内で,20人のKNU軍が通行中のバスなどを略奪,乗客2人死亡,5人が重傷。
DIA-211-1991-09-21-1ミャンマー1991年09月21日1990年代SLORC第二書記Tin Oo大将は,ヤカイン州Sittway(旧Akyab)で,州内の政治・経済問題について州担当官と協議。
DIA-211-1991-09-21-2ミャンマー1991年09月21日1990年代南東師団司令官Myint Aung少将は,デルタ地帯で洪水の被害にあった農民と会談し,稲の再播種・移植の方法について協議。
DIA-211-1991-09-22-1ミャンマー1991年09月22日1990年代国家公務員,政府企業職員に対する国家忠節度などの審査の結果,およそ1000数百人の職員が免職,戒告などの処分を受けた(公表されず)。
DIA-211-1991-09-23-1ミャンマー1991年09月23日1990年代SLORC副議長Than Shwe大将は中央選管委メンバーと懇談,意見交換。
DIA-211-1991-09-23-2ミャンマー1991年09月23日1990年代ヤンゴン市中央部Thamada映画館近くでKNU軍による手榴弾(アメリカ製)が爆発。6名が負傷。
DIA-211-1991-09-24-1ミャンマー1991年09月24日1990年代SLORCは,ミャンマー歴史委員会法(Myanmar historical commission law)を制定。
DIA-211-1991-09-25-1ミャンマー1991年09月25日1990年代先に,Dr.Sein Winの併行政府を支持しないとの回答のあったNLD議員の他にさらに23名のNLD議員から同様の回答があり,これで合計244名となった。
DIA-211-1991-09-26-1ミャンマー1991年09月26日1990年代U Ohn Gyaw外相は第46回国連総会出席のため出発。
DIA-211-1991-09-26-2ミャンマー1991年09月26日1990年代Khin Nyunt少将は,来訪中の雲南省副知事と会談。
DIA-211-1991-09-27-1ミャンマー1991年09月27日1990年代Than Shwe大将はHmawbyの陸軍下士官養成所第19期卒業式で演説。
DIA-211-1991-09-30-1ミャンマー1991年09月30日1990年代8月中に投降した反乱軍はKNU,KIA,SURAなど41名。
DIA-211-1991-09-30-2ミャンマー1991年09月30日1990年代民間銀行の第1号としてミャンマー市民銀行(Myanmar Citizens Bank Ltd)が設立された。
DIA-211-1991-10-01-1ミャンマー1991年10月01日1990年代Ye郡内の国軍部隊に8人のKNU軍が投降。
DIA-211-1991-10-01-2ミャンマー1991年10月01日1990年代第99師団部隊に投降したKIA軍から1㌔のヘロインを押収。
DIA-211-1991-10-01-3ミャンマー1991年10月01日1990年代Khin Nyunt少将は第27回人民警察隊創設記念式典に出席。
DIA-211-1991-10-01-4ミャンマー1991年10月01日1990年代中央選管委はNLDなど6政党が,UNUおよびSein Winの併行政府を支持しない旨の誓約文を選管委に提出していることを発表。NLDの他に,愛国的軍人同盟(POCL),民主労働党(DLP),人民義勇機構(PVO),AFPFL(original)(Hq),国民民主人権党(NDPHR)などである。また2日と3日には,同様の誓約文を寄せた合計16政党の名を公表。
DIA-211-1991-10-02-1ミャンマー1991年10月02日1990年代Khin Nyunt少将は,中国との国境地域Museなどを視察。
DIA-211-1991-10-04-1ミャンマー1991年10月04日1990年代Khin Nyunt少将は,各省庁の局長全員を集め,綱紀粛清と滅私奉公を強調した。これまでに4545人の政府職員,政府企業職員が,職務を全うせず綱紀を乱したとして処分されていたことを明らかにした。
DIA-211-1991-10-04-2ミャンマー1991年10月04日1990年代中央選管委はさらに11政党が,併行政府を支持しない旨の誓約書を提出していたことを明らかにした。これで合計33政党が提出済。また,5日には14政党が提出。
DIA-211-1991-10-05-1ミャンマー1991年10月05日1990年代U Ohn Gyaw外相は第46回国連総会で一般演説を行ない,SLORCは憲法制定に向け努力していることなどを表明。なお,同総会で同外相は副議長に選出された。
DIA-211-1991-10-05-2ミャンマー1991年10月05日1990年代Myawady郡内の村落にKNU軍が放火,またKNUの別隊はKyaikmaraw郡内を通行中のバス乗客を略奪。
DIA-211-1991-10-06-1ミャンマー1991年10月06日1990年代建設相Aung Ye Kyaw中将は中国の援助で建設中のYangon-Tauyin間橋梁現場を視察。当橋梁はトラス橋で,ほぼ半分程度が完成。
DIA-211-1991-10-06-2ミャンマー1991年10月06日1990年代NLD議員のうちさらに19人がSein Winの併行政府を支持しない旨の誓約書を中央選管委に提出,これで合計263名となった。これは全NLD当選者392名に対し,67%に当たる。
DIA-211-1991-10-07-1ミャンマー1991年10月07日1990年代NLD中執委で元労働・工業相U Shweが議員辞職願を提出。中央選管委は受理。なおU Shweは8月以来,当局によって軟禁されており,取調中の辞表。また8月にNLDメンバーからも辞職。
DIA-211-1991-10-08-1ミャンマー1991年10月08日1990年代計画・財務相Abel准将は来訪中のIMFアジア局次長と会談。
DIA-211-1991-10-09-1ミャンマー1991年10月09日1990年代軍政当局は,KNU軍隊(約300名)が,9月2日にデルタ南部のBogaleに上陸,政府軍部隊と交戦し,これまでに5人のKNU軍兵士を捕えたが,なお交戦中であることを発表。当地区にKNU軍部隊が作戦行動をしたのは,1972年以来のことで,軍政当局は衝撃を受けているといわれる。
DIA-211-1991-10-10-1ミャンマー1991年10月10日1990年代SLORCは家内工業振興法(Promotion of cottage industries law)を制定。
DIA-211-1991-10-10-2ミャンマー1991年10月10日1990年代SLORC当局は,土地・家屋の取引に際し,脱税行為をしていたマンダレーの84名のリストと脱税額を公表。これは実際の取引額(84名の合計1億8530万チャット)を不当に低く申告(同3935万チャット)していたというもの。
DIA-211-1991-10-10-3ミャンマー1991年10月10日1990年代KawkareikでKNUを非難する抗議集会。
DIA-211-1991-10-11-1ミャンマー1991年10月11日1990年代SLORC副議長Than Shwe大将は,Bogale地区のKNU軍との戦闘状況を視察。なお同郡内では,政府軍による索敵作戦が続けられており,KNUのリーダー格1人が死亡,3名が投降。
DIA-211-1991-10-11-2ミャンマー1991年10月11日1990年代農水相Chit Swe中将は来訪中の雲南省副知事と会談。
DIA-211-1991-10-13-1ミャンマー1991年10月13日1990年代貿易相Abel准将は広州見本市視察のため中国へ出発。バンコクでのIMF・世銀総会にも出席して18日帰国。
DIA-211-1991-10-13-2ミャンマー1991年10月13日1990年代デルタ地帯でのKNU軍掃討作戦を展開中の政府軍部隊は,KNU軍5人の死体を捕獲,多数の武器弾薬を押収した。
DIA-211-1991-10-14-1ミャンマー1991年10月14日1990年代Khin Nyunt少将は,KNU軍との戦闘が続いているデルタ地帯の政府軍部隊を視察。戦闘は,KNU軍が少人数の部隊で各地に散開して,ゲリラ戦を行なっているため,いまのところ全滅は難しい状況で,戦闘はBogale南部デルタのかなり広範囲で行なわれている。また,10月4日から13日まで,KNU軍の戦死者は75人と確認された。
DIA-211-1991-10-15-1ミャンマー1991年10月15日1990年代1991年度ノーベル平和賞をアウン・サン・スーチー女史が授賞することが発表された。ミャンマーではどの新聞,ラジオ,テレビもこのニュースは伝えなかった。
DIA-211-1991-10-15-2ミャンマー1991年10月15日1990年代中央選管委は,さらに7政党が,Sein Winの併行政府を支持しない旨の誓約書を提示したと発表。これで合計54政党が提出。
DIA-211-1991-10-15-3ミャンマー1991年10月15日1990年代国軍当局は10月1日から4日までの間に,Tanintharyi管区(旧テナセリム管区)内でBCP軍と21回の戦闘を行ない,BCP21人が戦死,3人が投降したほか,54名が逃亡したと発表。
DIA-211-1991-10-16-1ミャンマー1991年10月16日1990年代マンダレー管区内で,不動産取引に際し,過少申告をしていた57名を追加して発表。
DIA-211-1991-10-16-2ミャンマー1991年10月16日1990年代デハタでのKNU軍との戦闘でKNU軍7名がさらに戦死,13名が投降。
DIA-211-1991-10-16-3ミャンマー1991年10月16日1990年代18政党が新たに併行政府への不支持を表明。中央選管委に伝えた。これで合計72政党。
DIA-211-1991-10-19-1ミャンマー1991年10月19日1990年代Myaungmyaで,1万2000人の住民がKNU抗議集会。また同様の集会がデルタのNgaputaw,Laymyethnaなどでも開かれた。
DIA-211-1991-10-20-1ミャンマー1991年10月20日1990年代Pathein(旧パセイン)市内で,住民5万人によるKNU抗議集会が開かれた。またBogale郡内各地でも同様の集会が開かれた。
DIA-211-1991-10-21-1ミャンマー1991年10月21日1990年代KNU軍との戦闘はNgaputaw郡内で続いており,17日から当日までKNU軍42名が戦死。
DIA-211-1991-10-24-1ミャンマー1991年10月24日1990年代Mawlamyine市内に政府企業直営のThan Lwinホテルが開業。
DIA-211-1991-10-24-2ミャンマー1991年10月24日1990年代デルタ地帯のEinme,Kyaunggounなど各地でKNU抗議集会が開かれた。
DIA-211-1991-10-25-1ミャンマー1991年10月25日1990年代1992年を“経済の年”として,そのための特別プロジェクトを検討するための,SLORC閣僚間調整会議が開かれた。
DIA-211-1991-10-25-2ミャンマー1991年10月25日1990年代Yebyu郡Padaukkon村に10人のKNU軍が侵入,村長を略奪,村民1人が死亡。
DIA-211-1991-10-27-1ミャンマー1991年10月27日1990年代10月22日から25日までの間に国連人権委派遣の横田教授が来訪,関係者と会談。
DIA-211-1991-10-28-1ミャンマー1991年10月28日1990年代SLORC議長Saw Maung上級大将は国軍幹部会議の席上,演説し,法を犯す者は自らを犯す者であり,許すことはできない,などと述べた。
DIA-211-1991-10-28-2ミャンマー1991年10月28日1990年代ミャンマー・テレビは,放送開始時間をこれまでより30分早くして6時半とし,放送時間を延長することを決定。
DIA-211-1991-10-28-3ミャンマー1991年10月28日1990年代9月中の反乱軍投降者は合計41名に達した。
DIA-211-1991-10-28-4ミャンマー1991年10月28日1990年代Mudon郡Beyan村で政府軍部隊は,ABSDF第206大隊部隊と交戦,ABSDFが遺棄した大量の武器を押収,公開。
DIA-211-1991-11-01-1ミャンマー1991年11月01日1990年代SLORCと閣僚との調整会議が開かれ,円滑な物流の促進について協議。
DIA-211-1991-11-01-2ミャンマー1991年11月01日1990年代第113回SLORC記者会見が行なわれ,デルタ地帯でのKNU軍との戦闘について詳細な報告が行なわれた。これまでに,KNU軍247人が戦死,6人捕虜,政府軍側は17人が戦死,警察隊18人が死亡,銃弾8万4113発など多数の武器を押収,現在少人数の残存部隊を捜索中である。
DIA-211-1991-11-02-1ミャンマー1991年11月02日1990年代新聞・雑誌公団総裁U Soe Nyuntは日本政府の招待で訪日。
DIA-211-1991-11-04-1ミャンマー1991年11月04日1990年代NIBは民間登録会社が,チーク材などを密輸したほか,偽情報を外国に提供していたとして,Myanmar Parami社の代表などを摘発。
DIA-211-1991-11-04-2ミャンマー1991年11月04日1990年代さらに17人のNLD選出議員がSein Winの併行政府を支持しないとの誓約書を提出,これで合計280名となった。
DIA-211-1991-11-06-1ミャンマー1991年11月06日1990年代農水相Chit Swe中将は第26回FAO総会に出席するためローマに出発。
DIA-211-1991-11-07-1ミャンマー1991年11月07日1990年代ヤカイン州国税局職員16人が汚職の疑いで摘発された。
DIA-211-1991-11-10-1ミャンマー1991年11月10日1990年代SLORC議長をはじめとする首脳陣は,ヤンゴン市内の僧院でKathina式(僧に黄色僧衣を喜捨すること)に出席。
DIA-211-1991-11-11-1ミャンマー1991年11月11日1990年代ヤンゴン-モーラミャイン間鉄道のHninpale駅付近でKNU敷設の地雷が爆発。列車は脱線,乗客5人が死亡,5人が負傷した。
DIA-211-1991-11-12-1ミャンマー1991年11月12日1990年代マンダレーで,さらに151人が不動産取引の不正申告でNIBに摘発された。
DIA-211-1991-11-13-1ミャンマー1991年11月13日1990年代中国人民解放軍副参謀長何其宗中将を団長とする軍事使節団が来訪,Than Shwe大将らが出迎えた。
DIA-211-1991-11-13-2ミャンマー1991年11月13日1990年代林宗棠中国航空宇宙産業相が来訪。
DIA-211-1991-11-14-1ミャンマー1991年11月14日1990年代Saw Maung議長は中国軍使節団代表と会談。
DIA-211-1991-11-14-2ミャンマー1991年11月14日1990年代ヤンゴンでも不動産取引の不正申告をしていた34名がNIBによって摘発された。
DIA-211-1991-11-15-1ミャンマー1991年11月15日1990年代ヤンゴン管区LORC議長Myo Nyunt少将は,Cocos島を視察,同島の開発計画について協議。
DIA-211-1991-11-15-2ミャンマー1991年11月15日1990年代ヤンゴン市Hline郡内で火災,432戸が焼失,6000人が焼け出された。
DIA-211-1991-11-16-1ミャンマー1991年11月16日1990年代タイ国軍第3軍司令官Piroj Charnturai中将を団長とする代表団が両国国境委員会に出席して帰国。
DIA-211-1991-11-16-2ミャンマー1991年11月16日1990年代UNDPのEconomic Policy Formulationプロジェクトに基づく経済顧問として,桐生稔・中部大学教授が着任,計画・財務相Abel准将と会談。1962年以来,外国人顧問を受け入れたのは初めて。
DIA-211-1991-11-16-3ミャンマー1991年11月16日1990年代Thaton郡Withaw村で通過中の牛車がKNU敷設の地雷に触れて爆発し,村民1人が死亡。
DIA-211-1991-11-19-1ミャンマー1991年11月19日1990年代Than Shwe大将はアイヤワルディ地区を訪れ,KNU軍との戦闘個所,石油試掘状況などを視察。
DIA-211-1991-11-19-2ミャンマー1991年11月19日1990年代エネルギー相Mg.Mg.Khin海軍中将はミャンマー石油化学公団会議で,国営企業の完全操業を強く訴えた。
DIA-211-1991-11-21-1ミャンマー1991年11月21日1990年代バングラデシュのMustafizur Rahman外相が来訪。10月以来ミャンマー領内からバングラデシュヘ逃亡する難民が増え続けている問題について協議した。ミャンマー側は,これら難民は不法侵入者であり,住民登録をしていないバングラデシュ国民であると主張,物別れ。なお同外相は22日にSaw Maung議長とも会談。
DIA-211-1991-11-23-1ミャンマー1991年11月23日1990年代貿易省は,不正取引をしているとしてブラック・リストに上げられた輸出入業者の名前を公表。
DIA-211-1991-11-24-1ミャンマー1991年11月24日1990年代SLORCはラオス,カンボジア,タイなどから高僧を招待し,特別帰衣式を開催。Saw Maung議長など国軍首脳が出席。
DIA-211-1991-11-24-2ミャンマー1991年11月24日1990年代Than Shwe大将はヤカイン州のバングラデシュ国境地帯を視察。
DIA-211-1991-11-25-1ミャンマー1991年11月25日1990年代中央選管委は,NLD選出議員のうち資格要件が欠如しているとして3人の議員資格を取下げた。
DIA-211-1991-11-26-1ミャンマー1991年11月26日1990年代NLDのBokepyin選出議員U Ohn Myintが辞表提出,中央選管はこれを受理。また中央選管はカチン民族会議(KNC)が政党登録を取消したと発表。
DIA-211-1991-11-28-1ミャンマー1991年11月28日1990年代農水相Chit Swe中将は来訪中のタイの農業・協同組合相Dr.Anatと会談。29日にThan Shwe中将と会見。
DIA-211-1991-11-28-2ミャンマー1991年11月28日1990年代さらに12人のNLD選出議員がSein Winの併行政府を支持しない旨表明した。これで合計292名に達した。
DIA-211-1991-11-29-1ミャンマー1991年11月29日1990年代ヤンゴン市Kyimyindineで民家など500戸が焼失,4000人が焼け出された。
DIA-211-1991-11-30-1ミャンマー1991年11月30日1990年代広島市平和祈念碑協会代表団が来訪,Khin Nyunt少将らと会談。平和祈念碑が贈呈された。
DIA-211-1991-12-02-1ミャンマー1991年12月02日1990年代マングラプス・フィリピン外相が来訪。これは7月のASEAN拡大首脳会議で,ミャンマーの民主化を説得するため同外相の派遣を決めたが,ミャンマー政府側はASEAN代表としての訪問を拒否,フィリピン外相として迎えたもの。
DIA-211-1991-12-02-2ミャンマー1991年12月02日1990年代10月中の反乱軍投降者はKNU,ABSDFなど43名。
DIA-211-1991-12-03-1ミャンマー1991年12月03日1990年代Than Shwe大将は来訪中のマングラプス・フィリピン外相と会談。この日同外相はOhn Gyaw外相,4日には検事総長U Tha Tun,中央選管委議長U Ba Htayらとも会談。
DIA-211-1991-12-04-1ミャンマー1991年12月04日1990年代NLDのカヤ州オルグとPasawng郡議長の2人が,KNPP(カレンニ民族進歩党・非合法)に資金を供与した罪で逮捕される。
DIA-211-1991-12-05-1ミャンマー1991年12月05日1990年代カチン州Sumprabum郡選出議員U Zaw Ein(カチン民族民主会議KSNCD)の辞表を中央選管委が受理。
DIA-211-1991-12-06-1ミャンマー1991年12月06日1990年代運輸・通信相Tin Tun中将は来訪中の大宇社副会長Gil Yong Umと会談。
DIA-211-1991-12-06-2ミャンマー1991年12月06日1990年代中央選管は新社会民主党(DPNS)の登録を取消した。
DIA-211-1991-12-06-3ミャンマー1991年12月06日1990年代ヤンゴン大学で第54,55期生の卒業式が行なわれた。
DIA-211-1991-12-10-1ミャンマー1991年12月10日1990年代ヤンゴン大学構内で,200~300人の学生たちがスーチー女史の釈放を要求して,ゲリラ的に集会,ビラ配布を行ない,人民警察隊とにらみ合いを続けた。この日スーチー女史にノーベル平和賞が授与され,代理として長男のマイケルが出席。
DIA-211-1991-12-10-2ミャンマー1991年12月10日1990年代ヤンゴン市Thuwunnaにある青年スポーツ訓練センターで1991年度全国体育大会が開催された。
DIA-211-1991-12-10-3ミャンマー1991年12月10日1990年代中央選管委は5名のNLD選出議員の資格を取消した。
DIA-211-1991-12-11-1ミャンマー1991年12月11日1990年代ヤンゴン大学構内で午前中再び500人の学生が集会,構内でデモ行進したが,2時間後に散会。
DIA-211-1991-12-11-2ミャンマー1991年12月11日1990年代教育省は騒動に鑑み,全国のすべての総合および単科,専門大学を一時的に閉鎖すると発表。
DIA-211-1991-12-11-3ミャンマー1991年12月11日1990年代マンダレー構内の切符売場に爆弾が投げられ,2人が死亡,18人が負傷した。
DIA-211-1991-12-12-1ミャンマー1991年12月12日1990年代SLORC第一書記Khin Nyunt中将は,SLORCの招きでヤンゴンを訪問中の,国内各少数民族代表と会談。
DIA-211-1991-12-12-2ミャンマー1991年12月12日1990年代NLD選出議員4名が資格を取消された。
DIA-211-1991-12-13-1ミャンマー1991年12月13日1990年代ミャンマー航空は1月9日からジャカルタ往復便を運航すると発表。
DIA-211-1991-12-13-2ミャンマー1991年12月13日1990年代ヤンゴンでは学校閉鎖に伴い,学生たちが続々と故郷に帰り出した。当局は帰郷を支援するため特別のバス加よび鉄道輸送を提供している。
DIA-211-1991-12-15-1ミャンマー1991年12月15日1990年代ヤンゴン市で,市長杯市民マラソン大会が開かれ,2万4864名のランナーが参加。
DIA-211-1991-12-15-2ミャンマー1991年12月15日1990年代中央選管委は,NLD中執委がスーチー女史を党から除名した旨届け出たことを明らかにした。NLD中執委は,12月11日付でスーチー女史が,テロリストとコンタクトを取り,外国から支援を受けているとして除名したと説明している。
DIA-211-1991-12-16-1ミャンマー1991年12月16日1990年代U Ohn Gyaw外相は来訪中のラオス外務次官と会談。また17日には,同外相は,日本の斉藤外務審議官と会談。
DIA-211-1991-12-17-1ミャンマー1991年12月17日1990年代斉藤外務審議官は滞在中にMg.Mg.Khin海軍中将,Abel准将,中央選管委メンバーらと会談したが,実質的な話し合いは行なわれなかった。
DIA-211-1991-12-17-2ミャンマー1991年12月17日1990年代中央選管委はさらに5人のNLD選出議員の資格を取消した。
DIA-211-1991-12-20-1ミャンマー1991年12月20日1990年代中央選管委はさらに4人のNLD選出議員の資格を取消した。
DIA-211-1991-12-20-2ミャンマー1991年12月20日1990年代国軍南東師団部隊は11日からKNU軍の重要拠点Nat-ein-taungを攻略,19日にこれを占領。
DIA-211-1991-12-23-1ミャンマー1991年12月23日1990年代11月中の反乱軍投降者は36名。
DIA-211-1991-12-23-2ミャンマー1991年12月23日1990年代ミャンマー漁業公団職員26名が汚職で処分された。同公団総裁も戒告処分。2年間で3.1億チャット分の製品が横流しされていた。
DIA-211-1991-12-23-3ミャンマー1991年12月23日1990年代中央選管委は5名のNLD選出議員の資格を取消し。
DIA-211-1991-12-24-1ミャンマー1991年12月24日1990年代Khin Nyunt少将は政府局長級役人を集めて,国内外問題について演説。「スーチー女史が平和的に出国するなら,いつでも家族のもとへ帰ることができる」などと述べた。
DIA-211-1991-12-26-1ミャンマー1991年12月26日1990年代Kandawgyi(ロイヤル湖)で伝統的手こぎ船競争が行なわれ,Saw Maung議長以下SLORC首脳が観戦。
DIA-211-1991-12-27-1ミャンマー1991年12月27日1990年代中央選管委は4人のNLDおよび1人のDOKNU(カヤン民族統一民主機構)選出議員の資格を取消した。またカレン州民族機構(KSNO)の政党登録を取消した。
DIA-211-1991-12-30-1ミャンマー1991年12月30日1990年代中央選管委は4人のNLD選出議員の資格を取消した。
DIA-211-1992-01-02-1ミャンマー1992年01月02日1990年代中央選挙管理委員会はAFPFLの政党登録を抹消。またこの日,9人のNLD同会議員が併行政府への反対を表明。
DIA-211-1992-01-03-1ミャンマー1992年01月03日1990年代中央選挙管理委員会は5人のNLD国会議員の資格無効を発表。
DIA-211-1992-01-04-1ミャンマー1992年01月04日1990年代第44回独立記念日に向けて,Saw Maung議長が特別メッセージ。またこの日92年度の各級国家功労賞受賞者を発表。
DIA-211-1992-01-08-1ミャンマー1992年01月08日1990年代SLORCはAmyothar Partyなど6政党の登録を抹消。
DIA-211-1992-01-09-1ミャンマー1992年01月09日1990年代ミャンマー航空はジャカルタ(シンガポール経由)便を開設。
DIA-211-1992-01-12-1ミャンマー1992年01月12日1990年代国軍第66師団はPapun,東方BwadoのKNU軍第20大隊本部を攻撃,占拠。
DIA-211-1992-01-16-1ミャンマー1992年01月16日1990年代社会党の井上哉国会議員来訪,Ohn Gyaw外相らと会談。
DIA-211-1992-01-19-1ミャンマー1992年01月19日1990年代SLORC第一書記Khin Nyunt少将は教育委員会席上で,(1)大学再開を早急に準備する,(2)大学での騒動の責任の端は教職員にある,(3)12月の騒動には一部外国大使館員が関与していた,などと述べた。
DIA-211-1992-01-21-1ミャンマー1992年01月21日1990年代Saw Maung議長は各レベルSLORC議長との二者会談で演説。「ロヒンジャー問題はわれわれの問題ではない」などと述べた。
DIA-211-1992-01-22-1ミャンマー1992年01月22日1990年代SLORC布告第2号/92によって政党の資格が失われる要件を発表。(1)国会議員が1人も選出されなかった。(2)中央組織だけで地方支部を持たない。(3)家族や知人だけで粗織された。(4)3年間粗織活動を認められなかった政党については資格が失われる。
DIA-211-1992-01-24-1ミャンマー1992年01月24日1990年代ミャンマー商工会議所第1回総会が開かれた。
DIA-211-1992-01-24-2ミャンマー1992年01月24日1990年代NLDはTin Oo前議長,U Kyin Maung前中央委員などに12名の党員除名と国会議員の資格取消を発表。
DIA-211-1992-01-27-1ミャンマー1992年01月27日1990年代大学教員の訓練・再教育キャンプがHleguの中央行政学校で開始された。
DIA-211-1992-01-27-2ミャンマー1992年01月27日1990年代SLORC第1書記KLin Nyunt少将は司法関係者との懇談会で演説。「ミャンマーにリーダーがいないというのは事実に反する。リーダーは国家元首としてのSaung Maung上級大将である」などと述べた。
DIA-211-1992-01-29-1ミャンマー1992年01月29日1990年代人事異動。SLORCメンバーにMaung Hla少将(現国軍人事局長),Kyaw Min少将(現北西師団司令官),Soe Myint小将(現南東師団司令官)ら3名を新たに任命。これで,メンバーは合計22名となった。また運輸・通信省を運輸,通信,鉄道の3省に分割,新たに7名の大臣,11名の副大臣が任命された。
DIA-211-1992-02-01-1ミャンマー1992年02月01日1990年代KNPP(カレン民族進歩党:KAYINNI)によるテロ行為がLIOIKAW周辺で頻発。
DIA-211-1992-02-05-1ミャンマー1992年02月05日1990年代KNU軍討伐作戦を続けている行政府軍部隊は,KNU第6大隊,ABSDF第204,205,206部隊の本拠地Kyaikdon,Kya-in-Seikkyiを攻略,基地を占拠。また,KNU第101大隊本部も占拠した。
DIA-211-1992-02-06-1ミャンマー1992年02月06日1990年代海軍司令官にThan Nyunt少将,空軍司令官にThein Win少将が任命された。
DIA-211-1992-02-07-1ミャンマー1992年02月07日1990年代中央選挙管理委員会はこれまでに合計311名のNLD国会議員が亡命政府(Dr.Sein Win)への非難抗議書に署名したと発表。
DIA-211-1992-02-13-1ミャンマー1992年02月13日1990年代内務・宗教省ha政党の資産に関する規則および罰則規定を発表。
DIA-211-1992-02-14-1ミャンマー1992年02月14日1990年代中国との間で,サテライト地上局(モールメン)および付設の発電所建設援助協定に調印。
DIA-211-1992-02-18-1ミャンマー1992年02月18日1990年代第29回宝石見本市,3月1日までに877.13万㌦売上げ。
DIA-211-1992-02-19-1ミャンマー1992年02月19日1990年代SLORCはこれまでに公布した法律,規則等137の全リストを公表。
DIA-211-1992-02-20-1ミャンマー1992年02月20日1990年代ベンガル系住民のバングラデシュ領内への越境流出者が20万人を超え,いまでも1日平均1000~2000人単位で越境している。これに関してSLORCは声明を発表。「ミャンマー国内には歴史的に“Rohingya”という民族は存在していない」などと説明。
DIA-211-1992-02-24-1ミャンマー1992年02月24日1990年代ラオスのKhamtay Siphandone首相が公式訪問,27日に共同声明。
DIA-211-1992-02-27-1ミャンマー1992年02月27日1990年代ソウマウン議長は少数民族発展大学卒業式で「軍政は公正な選挙を行ない,複数政党制による政治体制確立を目指しているが,憲法制定はそのための最重要課題である」などと訓示。
DIA-211-1992-02-29-1ミャンマー1992年02月29日1990年代タイのNation紙は,タイ国境付近で,2月12日ABSDFが,ミャンマー国軍のスパイの容疑で80名を捕まえ,そのうち15名を処刑したと伝えた。
DIA-211-1992-03-05-1ミャンマー1992年03月05日1990年代農林省を農業省と森林省に分轄。
DIA-211-1992-03-09-1ミャンマー1992年03月09日1990年代大学教職員特別研修始業式でKhin Nyunt少将は,「公務員は国家に与えられた任務を遂行することが本務であり,政治に参加することは許されない」などと述べた。
DIA-211-1992-03-12-1ミャンマー1992年03月12日1990年代SLORCは“The Tariff Law”を公布。
DIA-211-1992-03-19-1ミャンマー1992年03月19日1990年代ヤンゴン市北オカラバで大火。2000戸焼失。さらに,翌日900戸焼失,羅災者は合計2万9000人。
DIA-211-1992-03-19-2ミャンマー1992年03月19日1990年代中央選管委は,アウンジー(Aung Gyi)元准将の連邦民族民主党(UNDP)の政党登録を抹消した。これによって,残っている政党は9政党となったが,このうち90年選挙で選出議員を出していない2政党は資格要件を満たせないため,政党として残るのは次の7政党である。(1)国民民主連盟(NLD),(2)シャン民族民主連盟(SNLD),(3)国民統一党(NUP),(4)連邦パオ民族機構(UPNO),(5)ラフ民族発展党(LNDP),(6)ムロ民族連帯機構(MKNSO),(7)シャン州コーカン民主党(SKDP)。
DIA-211-1992-03-20-1ミャンマー1992年03月20日1990年代内務・宗教省が内務省と宗教省とに分轄。
DIA-211-1992-03-23-1ミャンマー1992年03月23日1990年代3月21日,23日の国営新聞社説で,「1991年の調査では,ミャンマー国内に居住するベンガル系住民は約40万人であり,最近調査した結果,このなかからバングラデシュヘ流出した住民は1万3555名であり,20万人とされる難民のほとんどは,不法にミャンマー側へ越境してきた者たちである」と説明した。
DIA-211-1992-03-26-1ミャンマー1992年03月26日1990年代1992年度国家予算を発表。
DIA-211-1992-03-27-1ミャンマー1992年03月27日1990年代第47回国軍記念日,式典でSaw Maung議長が演説。
DIA-211-1992-03-29-1ミャンマー1992年03月29日1990年代Ohn Gyaw外相および外交団がバングラデシュ国境付近の難民を視察。
DIA-211-1992-03-31-1ミャンマー1992年03月31日1990年代計画・財務相は1992/93年度を「経済の年」とすることを発表。部門別の目標を発表した。GDP5.8%,農業5.9%,工業11.0%。
DIA-211-1992-04-02-1ミャンマー1992年04月02日1990年代バングラデシュヘの難民問題調査のため,国連人権委員会代表が来訪。Khin Nyunt少将らと会見。
DIA-211-1992-04-04-1ミャンマー1992年04月04日1990年代大学教職員特別研修修了式でKhin Nyunt少将は「国内には135種の少数民族が確認されているが,ベンガル系難民が自称しているロヒンジャーという民族は存在していない」「軍政は宗教的迫害はいっさい行なっていない」などと述べた。
DIA-211-1992-04-07-1ミャンマー1992年04月07日1990年代韓国政府,国境地域開発計画用に揚水ポンプ190台(14万㌦)を供与。
DIA-211-1992-04-23-1ミャンマー1992年04月23日1990年代SLORCはSaw Maung議長の辞任と後任にThan Shwe大将が就いたこと,辞任の理由は医師の判断とした上で公務に耐えられる状態にないと発表。なおThan Shwe大将は首相と国防相を兼任する。
DIA-211-1992-04-23-2ミャンマー1992年04月23日1990年代Ohn Gyaw外相,難民問題協議のためバングラ訪問。
DIA-211-1992-04-24-1ミャンマー1992年04月24日1990年代SLORCは,(1)政治犯の釈放,(2)制憲国民会議の準備会議を2ヵ月以内に,(3)制憲国民会議をその後6ヵ月以内に開き,憲法草案の原則を提示すると発表。
DIA-211-1992-04-25-1ミャンマー1992年04月25日1990年代大物政治犯釈放,自宅軟禁中のU Nu,Bohum Aung,U Than Sein,U Ba Swe等が解放され,数百名の政治犯が釈放された。
DIA-211-1992-04-25-2ミャンマー1992年04月25日1990年代スーチー女史と家族との面会が許可。
DIA-211-1992-04-25-3ミャンマー1992年04月25日1990年代Ohn Gyaw外相,バングラでRahman外相と会談,5月中に難民帰還作業のための両国会議開催に同意。
DIA-211-1992-04-26-1ミャンマー1992年04月26日1990年代NLD中央執行委員U Chit Khaing,スーチー女史の私設秘書Ma Theingi,UNDP中央執行委員U Po Aung等の政治犯釈放。
DIA-211-1992-04-28-1ミャンマー1992年04月28日1990年代国軍作戦本部司令官Maung Hla少将は,Hpa-anで開かれた作戦会議で,カレン州での軍事行動を全面停止すると発表。
DIA-211-1992-05-02-1ミャンマー1992年05月02日1990年代スーチー女史の夫Michael Arisが面会のため来訪,16日まで滞在。
DIA-211-1992-05-03-1ミャンマー1992年05月03日1990年代第1回国民体育祭開催。
DIA-211-1992-05-06-1ミャンマー1992年05月06日1990年代般刑事犯260名が釈放され,5月末まで各地の刑務所より合計約2000人が釈放。
DIA-211-1992-05-08-1ミャンマー1992年05月08日1990年代Ohn Gyaw外相は,記者会見の席上,「スーチー女史が治安に脅威を与えると考えられる間は軟禁措置が続くであろう」などと述べた。
DIA-211-1992-05-18-1ミャンマー1992年05月18日1990年代スーチー女史の長男John Christopherが面会のため,また25日には次男も来訪。
DIA-211-1992-05-20-1ミャンマー1992年05月20日1990年代アメリカ議会下院外交委員会で,ミャンマー情勢に関する公聴会が行なわれ,ソロモン東アジア担当国務次官補が証言。「アメリカは,ミャンマーの人権尊重を求める国際勢力の先頭に立つ必要がある」などと述べた。
DIA-211-1992-05-21-1ミャンマー1992年05月21日1990年代SLORC第書記Khin Nyunt少将は第3期大学教員再教育セミナーで「教員は,誠実さと集団の努力によって破壊分子の危険から学生を守らなければならない」などと述べた。
DIA-211-1992-05-22-1ミャンマー1992年05月22日1990年代MFTB(ミャンマー外国貿易銀行)は,合法的に外資を得て,銀行口座を有する者は,輸入のための外資送金が可能と発表。
DIA-211-1992-05-29-1ミャンマー1992年05月29日1990年代SLORCは,制憲国民会議(National Convention)の準備会議を6月23日に開くと発表。またこれに出席する政党と員数を発表。NLD15名,シャン民族民主連盟6名,NUP3名,その他1名ずつ。なお,議長には宗教相Myo Nyunt少将。
DIA-211-1992-06-02-1ミャンマー1992年06月02日1990年代Myanmar National Bank Ltd.が開設された。資本金10億チャットで官民合弁。
DIA-211-1992-06-05-1ミャンマー1992年06月05日1990年代Khint Nyunt少将,人口抑制計画の推進を指示。
DIA-211-1992-06-11-1ミャンマー1992年06月11日1990年代“Saving Bank Law”制定。
DIA-211-1992-06-14-1ミャンマー1992年06月14日1990年代ヤンゴン国際空港ホテル着工。
DIA-211-1992-06-16-1ミャンマー1992年06月16日1990年代MOGE(ミャンマー石油ガス会社)は,米石油会社2社との間で,廃棄油井の再開発契約に調印。
DIA-211-1992-06-17-1ミャンマー1992年06月17日1990年代ヤンゴン市内で交通機関を利用する通勤客は1日180万人(3年前は110万人)。
DIA-211-1992-06-19-1ミャンマー1992年06月19日1990年代文具などの貿易販売合弁会社Myanmar Borneo Co.Ltd(シンガポール)設立。
DIA-211-1992-06-23-1ミャンマー1992年06月23日1990年代制憲国民会議準備会議が開催。
DIA-211-1992-06-24-1ミャンマー1992年06月24日1990年代香港のUnimax社が縫製品製造のため合弁会社設立。
DIA-211-1992-06-30-1ミャンマー1992年06月30日1990年代これまでに釈放された政治犯は429名。
DIA-211-1992-06-30-2ミャンマー1992年06月30日1990年代制憲国民会議第2回準備会議開催。
DIA-211-1992-07-01-1ミャンマー1992年07月01日1990年代タイ外務省経済局長来訪。
DIA-211-1992-07-06-1ミャンマー1992年07月06日1990年代Khint Nyunt少将,日本の桐生中部大教授らと会談。対日関係などについて意見交換。
DIA-211-1992-07-10-1ミャンマー1992年07月10日1990年代制憲国民会議第3回準備会議開催。
DIA-211-1992-07-12-1ミャンマー1992年07月12日1990年代柿沢弘治外務政務次官来訪,Khint Nyunt少将らと会見。
DIA-211-1992-07-17-1ミャンマー1992年07月17日1990年代Khint Nyunt少将は,医師に対する特別研修会の席上,「反乱軍が武装闘争路線を放棄して帰順すれば,制憲国民会議に代表を参加させることができる」などと述べた。
DIA-211-1992-08-04-1ミャンマー1992年08月04日1990年代Ohn Gyaw外相,国境交渉のためラオス訪問。
DIA-211-1992-08-10-1ミャンマー1992年08月10日1990年代Khint Nyunt少将Maungdawの難民受け入れキャンプを視察。
DIA-211-1992-08-10-2ミャンマー1992年08月10日1990年代通信教育大学(Distance University)が再開。同大学はかつて全国各地の大学内に設置されていた通信教育部が大学として独立したもので,本校はヤンゴン市にある。
DIA-211-1992-08-17-1ミャンマー1992年08月17日1990年代洪水のためBago付近の8町村の水田などが冠水。
DIA-211-1992-08-21-1ミャンマー1992年08月21日1990年代ミャンマー宝石会社とVESグループが合弁会社設立。
DIA-211-1992-08-21-2ミャンマー1992年08月21日1990年代9月13日から日刊紙Mirrorを再刊すると発表。
DIA-211-1992-08-24-1ミャンマー1992年08月24日1990年代91年12月11日から閉鎖中の大学・単科大学が一斉に授業再開。
DIA-211-1992-09-01-1ミャンマー1992年09月01日1990年代Khin Nyunt少将,北部シャン州およびカチン州のリーダーと会見。
DIA-211-1992-09-01-2ミャンマー1992年09月01日1990年代Ohn Gyaw外相は第10回非同盟運動サミット(ジャカルタ)に出席。1979年の脱退から13年ぶりの復帰。
DIA-211-1992-09-10-1ミャンマー1992年09月10日1990年代1988年9月以来全国で施行されていた夜間外出禁止令が解除。
DIA-211-1992-09-11-1ミャンマー1992年09月11日1990年代民間銀行YADANABON BANKがマンダレーで開業。
DIA-211-1992-09-17-1ミャンマー1992年09月17日1990年代Than Shwe議長は,SLORC調整会議で「軍は長期にわたって政権を担当する意志はない」と述べた。
DIA-211-1992-09-18-1ミャンマー1992年09月18日1990年代“The Salt Law”付布。
DIA-211-1992-09-20-1ミャンマー1992年09月20日1990年代中国の援助によるYangon-Thanlyin橋の主要部分が完成。
DIA-211-1992-09-22-1ミャンマー1992年09月22日1990年代郵電公社が外貨払いの電話架設の受付開始(1500㌦)。
DIA-211-1992-09-24-1ミャンマー1992年09月24日1990年代新閣僚発表。貿易相にTun Kyi少将,副首相にMg.Mg.Khin海軍中将,Tin Tun中将など。
DIA-211-1992-09-26-1ミャンマー1992年09月26日1990年代89年7月布告のヤンゴン南部及び中央軍管区における戒厳令を解除(10の軍管区のうち3軍管区に施行されていた)。
DIA-211-1992-09-28-1ミャンマー1992年09月28日1990年代SLORCは郡SLORCの組織を変更,メンバーに民間人(官吏)を登用。
DIA-211-1992-10-02-1ミャンマー1992年10月02日1990年代制憲国民会議開催委員会が設立。議長に宗教相Myo Nyunt少将,また国民会議の出席者は,(1)政党代表者,(2)選出議員代表,(3)民族代表,(4)農民代表,(5)労働者代表,(6)有識者・技術者代表,(7)国家公務員代表,(8)その他招待者などとなる。
DIA-211-1992-10-06-1ミャンマー1992年10月06日1990年代The First Private Bank開設。
DIA-211-1992-10-07-1ミャンマー1992年10月07日1990年代内務省はこれまでの“Township Zone”を“District”に改称すると発表。
DIA-211-1992-10-10-1ミャンマー1992年10月10日1990年代年中央宝石見本市閉幕。売り上げは890万㌦。
DIA-211-1992-10-30-1ミャンマー1992年10月30日1990年代“National Drug Law”公布。
DIA-211-1992-11-03-1ミャンマー1992年11月03日1990年代森林法“The Forest Law”公布。
DIA-211-1992-11-05-1ミャンマー1992年11月05日1990年代制憲国民会議を93年1月9日より開催すると発表。
DIA-211-1992-11-10-1ミャンマー1992年11月10日1990年代タイ国軍最高司令官Aphichari空軍元帥が来訪。Than Shwe議長らと会見。
DIA-211-1992-11-14-1ミャンマー1992年11月14日1990年代第1工業相Seing Aung中将,日本,韓国を訪問。
DIA-211-1992-11-22-1ミャンマー1992年11月22日1990年代Khint Nyunt少将,ヤカイン州のバングラデシュ国境付近の難民受け入れキャンプを視察。
DIA-211-1992-11-30-1ミャンマー1992年11月30日1990年代軍政発足以来初めての本格的国際会議となる第34回コロンボプラン諮問委員会をインヤレイクホテルで開催。19カ国代表が参加。
DIA-211-1992-11-30-2ミャンマー1992年11月30日1990年代スーチー女史の夫のマイケル・アリスがロンドンでの記者会見で「女史はいま生命に関わる重大な危機に直面している」などと述べた。
DIA-211-1992-12-01-1ミャンマー1992年12月01日1990年代農業省は今期の稲作生産は6.6億バスケットと予測。なお,目標は7億バスケット。
DIA-211-1992-12-07-1ミャンマー1992年12月07日1990年代国連人権委員会メンバーが来訪。
DIA-211-1992-12-09-1ミャンマー1992年12月09日1990年代Nahtogyi-Myingyan間(18。14マイル)の鉄道完成。
DIA-211-1992-12-16-1ミャンマー1992年12月16日1990年代Texco Myanmar Co.はMyiek沖合47マイルの海底油田試掘を開始。
DIA-211-1992-12-21-1ミャンマー1992年12月21日1990年代ミャンマー農業農村開発銀行は村落銀行規則を公布。
DIA-211-1992-12-22-1ミャンマー1992年12月22日1990年代協同組合法公布。
DIA-211-1992-12-29-1ミャンマー1992年12月29日1990年代マンダレー市開発法“The City of Mandalay Development Law”公布。
DIA-211-1992-12-30-1ミャンマー1992年12月30日1990年代12月に入ってバングラからの難民受け入れが本格化し,これまでに合計5891人が帰還した。
DIA-211-1993-01-05-1ミャンマー1993年01月05日1990年代ミャワディー銀行株式会社,設立。
DIA-211-1993-01-15-1ミャンマー1993年01月15日1990年代農業関連資材(肥料,トラクター,殺虫剤等)輸入に対し税控除措置を発表。
DIA-211-1993-01-18-1ミャンマー1993年01月18日1990年代サンヨー販売サービスセンター,ヤンゴンに開設。
DIA-211-1993-01-22-1ミャンマー1993年01月22日1990年代タイミリタリー銀行事務所,ヤンゴンに開設。
DIA-211-1993-01-23-1ミャンマー1993年01月23日1990年代経済貿易協力委員会の設置につきタイと合意。
DIA-211-1993-01-27-1ミャンマー1993年01月27日1990年代麻薬・抗精神性薬物法公布。
DIA-211-1993-01-27-2ミャンマー1993年01月27日1990年代外国為替証書の発行と使用に関する規則発表。2月1日より使用開始。
DIA-211-1993-02-01-1ミャンマー1993年02月01日1990年代銭・中国外相,訪緬。1988年以来外相クラスが訪緬するのはこれが初めて。
DIA-211-1993-02-18-1ミャンマー1993年02月18日1990年代13人のノーベル賞受賞者,アウンサン・スーチー女史の解放に関し公開書簡を発表(BP)。
DIA-211-1993-02-18-2ミャンマー1993年02月18日1990年代ミャンマー政府,機構改革。財政計画省を国家計画経済開発省と財政・歳入省に分割。
DIA-211-1993-02-18-3ミャンマー1993年02月18日1990年代キンニュンSLORC第一書記,国際的な人権侵害批判に対する反発の演説。
DIA-211-1993-02-18-4ミャンマー1993年02月18日1990年代「タイはミャンマーと建設的な関係を継続する」とスーンシリ外相,表明。「ミャンマーはタイの立場を理解する」とオンジョー外相,表明(BP)。
DIA-211-1993-02-22-1ミャンマー1993年02月22日1990年代ノーベル賞受賞者,国連に(武器禁輸,経済制裁など)制裁要請(BP)。
DIA-211-1993-02-27-1ミャンマー1993年02月27日1990年代ミャンマー輸出入サービス(Myanmar Export Import Service),オーシャンセンターを開設。
DIA-211-1993-03-01-1ミャンマー1993年03月01日1990年代ミャンマー・ユニマックス・インターナショナル株式会社,工場設立。香港のユニマックスのミャンマー支社とミャンマー連邦持株会社(エーベル計画経済開発相が経営部長)が合弁で建設。
DIA-211-1993-03-01-2ミャンマー1993年03月01日1990年代財政・歳入省,特別高価格収入印紙を発行。
DIA-211-1993-03-01-3ミャンマー1993年03月01日1990年代ソニーのショールームとサービスセンター,開設。
DIA-211-1993-03-04-1ミャンマー1993年03月04日1990年代ミンアウン農業相,1993/94の籾生産高は8億バスケットが目標と発表。1200万エーカーの雨期米と400万エーカーの夏期米を作付する。
DIA-211-1993-03-19-1ミャンマー1993年03月19日1990年代タイの国家安全保障委員会,不法滞在を続けているビルマ人「学生」に対し「安全キャンプ」に入ることを強く要請(BP)。
DIA-211-1993-03-25-1ミャンマー1993年03月25日1990年代退職・現役国家公務員の出資により,第9合弁公社(Joint Venture Coporation No 9)設立。
DIA-211-1993-03-26-1ミャンマー1993年03月26日1990年代1993年度国家予算法公布。
DIA-211-1993-04-01-1ミャンマー1993年04月01日1990年代ヤンゴンシティ銀行,設立。
DIA-211-1993-04-01-2ミャンマー1993年04月01日1990年代ミャンマーホテル・観光サービスとタイのBaiyoke Suite Hotel Co Ltdの間でカンドージーホテルの改装契約締結。
DIA-211-1993-04-01-3ミャンマー1993年04月01日1990年代開発委員会法公布。
DIA-211-1993-04-08-1ミャンマー1993年04月08日1990年代スーチー女史の夫,マイケル・アリスと息子のクリス,訪緬。
DIA-211-1993-04-17-1ミャンマー1993年04月17日1990年代ビルマ語新聞紙名がThe Loktah Pyithu NezinからMyanmar Alin,英字紙がThe Working People’s DailyからThe New Light of Myanmarに変更。
DIA-211-1993-04-19-1ミャンマー1993年04月19日1990年代ミャンマー国家オリンピック協議会法公布。
DIA-211-1993-04-22-1ミャンマー1993年04月22日1990年代ヤンゴン国際空港に,運輸省とBen Foods Ltd.の合弁で免税店,開設。
DIA-211-1993-04-24-1ミャンマー1993年04月24日1990年代スーンシリ・タイ外相,今後もミャンマーと建設的な関係を継続すると表明(BP)。
DIA-211-1993-05-06-1ミャンマー1993年05月06日1990年代SLORC布告(NO.3/93)により,海外に在住し,他国の市民権を既に得ている者でも,1年以内に理由を添えて申請用紙を提出した場合,帰国が許可されることになる。
DIA-211-1993-05-08-1ミャンマー1993年05月08日1990年代ヤンゴン-タンリン橋,7月31日に開通。ティンウーSLORC第二書記,中緬友好関係の証であると演説。
DIA-211-1993-05-08-2ミャンマー1993年05月08日1990年代訪比中のオンジョー外相は,ミャンマーが民主的な自由経済国家を目指しており,将来的にはASEAN加盟を希望していると述べた。ただし,スーチー女史の政治参加に関してはきわめて否定的。一方,ロムロ比外相はミャンマーのASEAN加盟を支援すると表明(BP)。
DIA-211-1993-05-21-1ミャンマー1993年05月21日1990年代スーチー女史は現SLORC政権を批判する小冊子を公開。米国のクリントン大統領,ミャンマー政府に対して,スーチー女史の早期解放と1990年度の選挙結果の尊重を要請(BP)。
DIA-211-1993-05-24-1ミャンマー1993年05月24日1990年代キンニュンSLORC第一書記,シンガポールを訪問。オンジョー外相や工エーベル計画・経済開発相らも同行(BP)。
DIA-211-1993-05-28-1ミャンマー1993年05月28日1990年代中緬国境のキューコクとワンティンを結ぶ新たな橋が完成。これは第2次世界大戦中「援蒋ルート」として有名だったルート。
DIA-211-1993-06-11-1ミャンマー1993年06月11日1990年代タイ企業47社に対して木材伐採権の供与停止をミャンマー側が通達(BP)。
DIA-211-1993-06-16-1ミャンマー1993年06月16日1990年代植物検疫法公布。
DIA-211-1993-06-20-1ミャンマー1993年06月20日1990年代ミャンマー農業協同組合工業フェア開催(~26日)。
DIA-211-1993-07-04-1ミャンマー1993年07月04日1990年代タイの木材会社,森林伐採権供与停止決定に関し,インパクトはそれほど受けていないが,両国のより友好な関係を望むと表明(BP)。
DIA-211-1993-07-08-1ミャンマー1993年07月08日1990年代ダゴン百貨店,開店。
DIA-211-1993-07-14-1ミャンマー1993年07月14日1990年代児童法公布。
DIA-211-1993-07-22-1ミャンマー1993年07月22日1990年代スーチー女史の夫マイケル・アリス,訪緬。
DIA-211-1993-07-22-2ミャンマー1993年07月22日1990年代ミャンマー保険法公布。
DIA-211-1993-07-28-1ミャンマー1993年07月28日1990年代国連難民高等弁務官・緒方貞子氏,ミャンマーを非公式訪問。
DIA-211-1993-07-28-2ミャンマー1993年07月28日1990年代ミャンマー・中国経済技術協力合意,締結。中国は無利子5000万元の借款をミャンマーに対して行なうと表明。
DIA-211-1993-07-31-1ミャンマー1993年07月31日1990年代アモコ,ミャンマー当局と新たな石油採掘の契約を締結(BP)。
DIA-211-1993-08-04-1ミャンマー1993年08月04日1990年代ホテル・観光省とエメラルド・ローズ・ガーデン,国際規格のホテル建設合弁契約を締結。
DIA-211-1993-08-13-1ミャンマー1993年08月13日1990年代タイの国防大臣および友好使節団,訪緬。
DIA-211-1993-08-13-2ミャンマー1993年08月13日1990年代国境地域・民族開発法公布。
DIA-211-1993-08-15-1ミャンマー1993年08月15日1990年代ミャンマー国際航空(Myanmar Airways Intenational),運航開始。同社は運輸省とシンガポールのHighsonic Enterprise Pte Ltd.の合弁。
DIA-211-1993-08-17-1ミャンマー1993年08月17日1990年代1995年度を観光の年とすることを発表(BP)。
DIA-211-1993-08-23-1ミャンマー1993年08月23日1990年代豆類の輸出の伸びを発表。1991/92年度は194万トン,92/93年度は373万トンを輸出。
DIA-211-1993-08-24-1ミャンマー1993年08月24日1990年代マンダレー管区タダウ郡国際空港建設に関する会議開催。
DIA-211-1993-08-29-1ミャンマー1993年08月29日1990年代ラジオヤンゴンによると,外国人旅行者のラーショ・バモーなどの国境近辺の訪問も可能となった。
DIA-211-1993-09-01-1ミャンマー1993年09月01日1990年代中国総領事館がマンダレーに近々再開設に合意したことを発表。8月13日にミャンマー総領事館,雲南省の昆明に開設。
DIA-211-1993-09-15-1ミャンマー1993年09月15日1990年代連邦団結開発協会(Union Solidarity and Development Association),設立。
DIA-211-1993-09-17-1ミャンマー1993年09月17日1990年代ミャンマー・タイ合同委員会,開催。
DIA-211-1993-09-17-2ミャンマー1993年09月17日1990年代Chit Swe森林相,インドネシアを訪問。スハルト大統領と会見。
DIA-211-1993-09-28-1ミャンマー1993年09月28日1990年代通信郵電省より衛星放送の受信免許に関する通達。それによると,衛星放送受信機を持っているものは,登録書と規定の登録料を支払わなければならない。
DIA-211-1993-10-01-1ミャンマー1993年10月01日1990年代ホテル・観光省とシンガポールのナラワットランド社,ナラワット・インターナショナル・ホテルの建設で合意。
DIA-211-1993-10-02-1ミャンマー1993年10月02日1990年代カチン独立機構が帰順。カチン反乱軍は安全を保障され,和解後も兵器を保持してもよい,SLORCの指導のもとで州の開発計画を進めるなどで合意。
DIA-211-1993-10-23-1ミャンマー1993年10月23日1990年代ミャンマー・ホテル・観光法公布。
DIA-211-1993-10-28-1ミャンマー1993年10月28日1990年代東南アジアにおける麻薬撲滅に関する合意書,ミャンマー,タイ,ラオス,中国,国連国際麻薬管理プログラムの間で結ばれる。
DIA-211-1993-11-05-1ミャンマー1993年11月05日1990年代ミャンマー中央銀行,1993年12月1日から3年もの,5年ものの国債を発行。
DIA-211-1993-11-05-2ミャンマー1993年11月05日1990年代国連高等難民弁務官事務所(UNHCR)とミャンマー政府の間でミャンマーのムスリム住民の帰還に関する合意書,締結。
DIA-211-1993-11-05-3ミャンマー1993年11月05日1990年代ストランドホテルの改築,終了。
DIA-211-1993-11-09-1ミャンマー1993年11月09日1990年代国連人権委員会の横田洋三氏,訪緬。
DIA-211-1993-11-11-1ミャンマー1993年11月11日1990年代ウ・チョウバホテル観光相は,観光業が短期的には経済を活性化するとの見解を示す。
DIA-211-1993-11-11-2ミャンマー1993年11月11日1990年代タイのバンコク航空との提携により,チェンマイ―バガン,マンダレーを結ぶフライトが週3回になる。
DIA-211-1993-11-15-1ミャンマー1993年11月15日1990年代ホテル観光省とシンガポールのストレイツ・グリーンフィールド株式会社の間で,五つ星ホテルを建設契約が締結,着工式。
DIA-211-1993-11-18-1ミャンマー1993年11月18日1990年代ホテル・観光省とタイのLP持株会社,ヤンゴンに270部屋の五つ星ホテル建設契約締結。この席で観光ビザを14日間から28日間に延長することを発表。
DIA-211-1993-11-18-2ミャンマー1993年11月18日1990年代システムビルト社(国内資本)とホテル・観光省,四つ星のパーク・ビュー・ホテルの建設契約締結。
DIA-211-1993-11-18-3ミャンマー1993年11月18日1990年代ミャンマー・オリエンタル銀行,開設。
DIA-211-1993-11-21-1ミャンマー1993年11月21日1990年代貿易省とブック・プロモーション・サービス(タイ)の合弁で,洋書専門店であるインワ・ブックストア,オープン。
DIA-211-1993-11-23-1ミャンマー1993年11月23日1990年代動物健康・発展法公布。
DIA-211-1993-11-23-2ミャンマー1993年11月23日1990年代キンニュンSLORC第一書記,カヤイン州,モン州の反政府軍に対して和平の呼びかけを行なう。
DIA-211-1993-11-29-1ミャンマー1993年11月29日1990年代ホテル・観光省とLP持株会社の合弁でホテル・ソフィテル・ヤンゴン,建設決定。
DIA-211-1993-12-04-1ミャンマー1993年12月04日1990年代観光雑誌の『トゥディ』,発刊。
DIA-211-1993-12-09-1ミャンマー1993年12月09日1990年代これまでに55県303郡でUSDAが結成。累計数は374。
DIA-211-1993-12-14-1ミャンマー1993年12月14日1990年代ミャンマー持株会社とシンガポールのRothmans Myanmar Holdings Pte Ltd.が,Rothmans of Pall Mall Myanmar Pte Ltdという合弁のたばこ工場を設立することで合意。
DIA-211-1993-12-14-2ミャンマー1993年12月14日1990年代ホテル・観光省とシンガポールのアプライド・インベストメント(アジア)はミャンマー・スワン・インベストメント有限会社を設立し,マンダレー・ホテルの改修契約を締結。
DIA-211-1993-12-14-3ミャンマー1993年12月14日1990年代ミャンマー中央銀行,12月1日から今日までに1340万チャットの国債を販売したと発表。
DIA-211-1993-12-15-1ミャンマー1993年12月15日1990年代ミョードーホテル,着工式。
DIA-211-1993-12-17-1ミャンマー1993年12月17日1990年代Salon Kyun(カウトン郡)にホテル・観光省がマレーシアのアトランティック・アウトライン・ミャンマー有限会社とリゾート合弁契約。
DIA-211-1993-12-18-1ミャンマー1993年12月18日1990年代ミャンマー貿易フェア,シャン州タチレクで30日まで開催。
DIA-211-1993-12-20-1ミャンマー1993年12月20日1990年代キンニュンSLORC第一書記,20日からインドネシアを訪問。スハルト大統領と会見(~25日)。
DIA-211-1993-12-23-1ミャンマー1993年12月23日1990年代スーチー女史の家族,来緬。
DIA-211-1993-12-24-1ミャンマー1993年12月24日1990年代ヤダナガス田,60億立方メートルの埋蔵量があり,30年間採掘が可能であると発表。
DIA-211-1994-01-18-1ミャンマー1994年01月18日1990年代制憲国民会議全体会議再開。出席者数668人。
DIA-211-1994-01-20-1ミャンマー1994年01月20日1990年代国際ビジネスセンター設立。
DIA-211-1994-01-24-1ミャンマー1994年01月24日1990年代日本政府,NGOを通じた1件300万円から500万円程度の小規模無償援助の再開決定。
DIA-211-1994-01-24-2ミャンマー1994年01月24日1990年代ネウィン元大統領(84),療養のためにシンガポールを訪問。
DIA-211-1994-02-01-1ミャンマー1994年02月01日1990年代国連人権委員会(UNCHR)のW・ブラッター氏,ミャティン内務相と,ムスリム住民の帰還について会談。
DIA-211-1994-03-01-1ミャンマー1994年03月01日1990年代ティンウーSLORC第二書記,開発委員会の調整会議で演説し,1994/95年度を「全般的開発の年」(All-round Economic Year)とすると発表。
DIA-211-1994-03-05-1ミャンマー1994年03月05日1990年代タイのマハ・チャクリ・シリンダホーン王女,訪緬(~6日)。
DIA-211-1994-03-08-1ミャンマー1994年03月08日1990年代ミャンマー会計評議会法公布。
DIA-211-1994-03-17-1ミャンマー1994年03月17日1990年代ミャンマー中央銀行,ミャンマー・メイフラワー銀行とプライム商業銀行に操業許可。
DIA-211-1994-03-21-1ミャンマー1994年03月21日1990年代マンダレー国際空港,ハンタワディ国際空港,着工式。
DIA-211-1994-03-23-1ミャンマー1994年03月23日1990年代制憲国民会議全体会議開催(~31日)。出席者数666人。
DIA-211-1994-03-27-1ミャンマー1994年03月27日1990年代500,100,50チャット,50ピャーの各種の新紙幣発行。
DIA-211-1994-03-28-1ミャンマー1994年03月28日1990年代シンガポールのゴー・チョクトン首相,訪緬(~31日)。
DIA-211-1994-03-29-1ミャンマー1994年03月29日1990年代DBS銀行(シンガポール),ヤンゴンに代表事務所設置。
DIA-211-1994-03-29-2ミャンマー1994年03月29日1990年代ミャンマー国民投資法公布。
DIA-211-1994-04-01-1ミャンマー1994年04月01日1990年代ミャンマー貿易見本市開催(~12日)。
DIA-211-1994-04-05-1ミャンマー1994年04月05日1990年代制憲国民会議全体会議再開(~9日)。645人出席。9月1日までの休会を宣言。
DIA-211-1994-04-19-1ミャンマー1994年04月19日1990年代タイのプラソン外相,訪緬。
DIA-211-1994-04-20-1ミャンマー1994年04月20日1990年代中国,「ブッダの歯」を6月5日まで貸与。
DIA-211-1994-04-22-1ミャンマー1994年04月22日1990年代ミャンマー,タイ,ベトナム,カンボジア,ラオス,中国の6カ国,メコン川流域の観光開発フォーラムの結成を合意。
DIA-211-1994-05-09-1ミャンマー1994年05月09日1990年代中国企業主催の「中国軽工業機械フェア」が開催(~13日)。
DIA-211-1994-05-11-1ミャンマー1994年05月11日1990年代ベトナムのボー・ヴァン・キエト首相,訪緬(~14日)。
DIA-211-1994-05-29-1ミャンマー1994年05月29日1990年代KNUの指導者ボーミャ,ASEAN各国首脳に対する公開書簡を発し,7月のASEAN外相会議にミャンマーを招待しないように要請。
DIA-211-1994-05-29-2ミャンマー1994年05月29日1990年代クンサー軍がミャンマー軍と最大規模の衝突。
DIA-211-1994-06-07-1ミャンマー1994年06月07日1990年代科学技術開発法公布。
DIA-211-1994-06-08-1ミャンマー1994年06月08日1990年代野性動植物保護法公布。
DIA-211-1994-06-08-2ミャンマー1994年06月08日1990年代タイ農民銀行事務所開設のライセンスを,トゥン・ファンデーション銀行,ヤンゴン・ボウザー銀行は,操業ライセンスを取得。
DIA-211-1994-06-09-1ミャンマー1994年06月09日1990年代タンシュエ議長,ラオス訪問。議長就任以来初めての外遊(~13日)。
DIA-211-1994-06-09-2ミャンマー1994年06月09日1990年代ミャンマー・メイフラワー銀行,ヤンゴンに代表事務所開設。
DIA-211-1994-06-11-1ミャンマー1994年06月11日1990年代ラオス=ミャンマー国境協定締結。
DIA-211-1994-06-14-1ミャンマー1994年06月14日1990年代トゥン・ファンデーション銀行,ヤンゴンに代表事務所開設。
DIA-211-1994-06-15-1ミャンマー1994年06月15日1990年代丸紅春名会長を団長とする経団連ミッション訪緬(~18日)。
DIA-211-1994-07-06-1ミャンマー1994年07月06日1990年代マラヤン・バンキング(メイ・バンク)ヤンゴンに事務所開設。
DIA-211-1994-07-06-2ミャンマー1994年07月06日1990年代タイのアユタヤ・パブリック銀行とシンガポールのユニオン銀行,事務所開設のライセンス取得。
DIA-211-1994-07-21-1ミャンマー1994年07月21日1990年代クリントン米大統領,アウンサン・スーチー女子の釈放を要求。
DIA-211-1994-07-22-1ミャンマー1994年07月22日1990年代ASEAN外相会議,ミャンマーは議長国招待で初めて参加。
DIA-211-1994-08-05-1ミャンマー1994年08月05日1990年代サイアム・シティ・バンク,ヤンゴンに代表事務所開設。
DIA-211-1994-08-13-1ミャンマー1994年08月13日1990年代タイ政府当局,7月21日にタイに逃げてきたモン難民に対し,帰国を勧告。
DIA-211-1994-08-13-2ミャンマー1994年08月13日1990年代トータルとユノカル,ヤダナ天然ガス田開発計画のコンソーシアムを締結。
DIA-211-1994-08-16-1ミャンマー1994年08月16日1990年代ミャンマーとカンボジア両国政府,19年ぶりに国交回復。
DIA-211-1994-08-22-1ミャンマー1994年08月22日1990年代中国,マンダレーに総領事館開設。
DIA-211-1994-09-02-1ミャンマー1994年09月02日1990年代制憲国民会議全体会議再開。出席者数667人。
DIA-211-1994-09-06-1ミャンマー1994年09月06日1990年代ミャンマー鉱山法公布。
DIA-211-1994-09-07-1ミャンマー1994年09月07日1990年代キンニュン第一書記,中国訪問(~14日)。
DIA-211-1994-09-08-1ミャンマー1994年09月08日1990年代プライム・コマーシャル銀行開設。
DIA-211-1994-09-09-1ミャンマー1994年09月09日1990年代ミャンマー政府,タイと天然ガスの販売契約締結。
DIA-211-1994-09-29-1ミャンマー1994年09月29日1990年代タンシュエSLORC議長,国営企業の順次民営化を表明。
DIA-211-1994-10-18-1ミャンマー1994年10月18日1990年代ベラード商業銀行(マレーシア)に操業ライセンス付与。アジア・ヤンゴン・インターナショナル銀行,事務所開設。
DIA-211-1994-10-24-1ミャンマー1994年10月24日1990年代ミャンマー中央銀行,グローバル・コマーシャル銀行(カンボジア),香港上海銀行(香港),バンコク銀行(タイ)に代表事務所の設置を許可。
DIA-211-1994-10-24-2ミャンマー1994年10月24日1990年代大和総研,経済開発省,財政歳入省,ミャンマー中央銀行の共催で,債券・資本市場および民営化に関するセミナー開催。
DIA-211-1994-10-31-1ミャンマー1994年10月31日1990年代米国のハバード国務次官補代理訪緬(~11月2日)。SLORC首脳と会談(1日)。
DIA-211-1994-11-01-1ミャンマー1994年11月01日1990年代シンガポール企業との合弁でエア・マンダレー,操業開始。
DIA-211-1994-11-02-1ミャンマー1994年11月02日1990年代ティンウー第二書記,訪中(~17日)。
DIA-211-1994-11-10-1ミャンマー1994年11月10日1990年代キンニュン第一書記,国連高等難民弁務官事務所ブラッター・アジア局長と会見。
DIA-211-1994-11-10-2ミャンマー1994年11月10日1990年代民間投資促進ための税制措置に関する通達(94年通達第141号)。
DIA-211-1994-11-10-3ミャンマー1994年11月10日1990年代ミャンマー国際航空,ヤンゴン=クアラルンプール間就航。
DIA-211-1994-11-12-1ミャンマー1994年11月12日1990年代日本政府,1994年度中に政府開発援助を一部再開の方向で検討開始。
DIA-211-1994-11-15-1ミャンマー1994年11月15日1990年代国連人権委員会横田洋三特使,キンニュン第一書記と会見。
DIA-211-1994-11-15-2ミャンマー1994年11月15日1990年代オーバーシーズ・チャイニーズ・バンキングコーポレーション,事務所開設。
DIA-211-1994-11-20-1ミャンマー1994年11月20日1990年代国連開発計画(UNDP)のラフューディン・アーメド副総裁,国連特使としてヤンゴン入り。
DIA-211-1994-11-20-2ミャンマー1994年11月20日1990年代エーベル経済開発相,アジア開発銀行の地域部会に出席(~26日)。
DIA-211-1994-11-20-3ミャンマー1994年11月20日1990年代アラブ・バングラデシュ銀行,クラング・タイ銀行,事務所開設のライセンス取得。
DIA-211-1994-11-25-1ミャンマー1994年11月25日1990年代ウ・ウィンセイン鉄道相,亀井運輸大臣の招待で日本を訪問。
DIA-211-1994-11-29-1ミャンマー1994年11月29日1990年代大和証券株式会社の使節団,訪緬。資本市場の育成と民営化に関する合意書締結。
DIA-211-1994-12-01-1ミャンマー1994年12月01日1990年代タイ訪問中のオンジョー外相,チュアン首相と会談。
DIA-211-1994-12-01-2ミャンマー1994年12月01日1990年代神戸商工会議所,訪緬。視察団には貿易会社,銀行,商社など15人が参加。
DIA-211-1994-12-09-1ミャンマー1994年12月09日1990年代タイ農民銀行,代表事務所開設。
DIA-211-1994-12-17-1ミャンマー1994年12月17日1990年代ユナイテッド・オーバーシーズ・バンク,代表事務所開設。
DIA-211-1994-12-19-1ミャンマー1994年12月19日1990年代アユタヤ・パブリック銀行(タイ),代表事務所開設。
DIA-211-1994-12-22-1ミャンマー1994年12月22日1990年代ノーザンテレコム,ロックシリー,ミャンマー郵便通信公社の三者が移動電話ネットワークの普及に関する合意書締結。
DIA-211-1994-12-26-1ミャンマー1994年12月26日1990年代中国,李鵬首相,初のミャンマー公式訪問(~28日)。
DIA-211-1995-01-06-1ミャンマー1995年01月06日1990年代ASEAN6カ国の高級事務レベル協議で,12月の首脳会議にインドシナ3国とともにミャンマーを招待することで合意。
DIA-211-1995-01-09-1ミャンマー1995年01月09日1990年代政府,民営化委員会設立を通達。当面,51の国営企業の民営化を進める予定。民営化評価委員会も設置。
DIA-211-1995-01-11-1ミャンマー1995年01月11日1990年代インドネシアと農業,畜産,漁業技術協力に関する合意書締結。
DIA-211-1995-01-12-1ミャンマー1995年01月12日1990年代貿易省,1990年2月8日付けのコメ卸売り業に関する通達を廃止し,コメ流通の自由化を通達。
DIA-211-1995-01-18-1ミャンマー1995年01月18日1990年代タクシン・シナワトラ・タイ外相,来訪。オンジョー外相,タンシュエSLORC議長,キンニュン第一書記と会見。
DIA-211-1995-01-18-2ミャンマー1995年01月18日1990年代フランス貿易銀行,代表事務所開設の免許取得。
DIA-211-1995-01-25-1ミャンマー1995年01月25日1990年代トゥンチー貿易相,日本貿易使節団と会談。
DIA-211-1995-01-26-1ミャンマー1995年01月26日1990年代政府,政治犯47人を釈放。
DIA-211-1995-01-26-2ミャンマー1995年01月26日1990年代政府,帰国制限を受けた海外在住ミャンマー人に対して,帰国許可の申請期間を1995年12月まで延長すると発表。
DIA-211-1995-01-26-3ミャンマー1995年01月26日1990年代日本の通産省,88年5月から停止していた対ミャンマー海外投資保険の引受けを7年ぶりに再開。
DIA-211-1995-01-27-1ミャンマー1995年01月27日1990年代ミャンマー国軍,カレン民族同盟(KNU)の本拠地マナプロウを制圧。
DIA-211-1995-02-02-1ミャンマー1995年02月02日1990年代タイ石油開発生産(PTTEP)とフランスのトタール社,アメリカのユノカル社の3社,ミャンマー石油ガス公社とヤダナガス田の天然ガスの長期購入契約に正式調印。全長400キロのパイプラインを総額7億5000万ドルで建設する予定。
DIA-211-1995-02-03-1ミャンマー1995年02月03日1990年代SLORC,KNUボーミャ議長との和平交渉には応じないと表明。
DIA-211-1995-02-04-1ミャンマー1995年02月04日1990年代政府,政治犯23人を釈放。
DIA-211-1995-02-08-1ミャンマー1995年02月08日1990年代ミャンマー農産物交易公社(Myanma Agricultural Produce Trading),360トン規模の精米所(アーロン郡)運転開始。
DIA-211-1995-02-14-1ミャンマー1995年02月14日1990年代ウ・ヌー・元首相死去。享年88歳。
DIA-211-1995-02-17-1ミャンマー1995年02月17日1990年代シンガポールのケッペル銀行,ヤンゴンに代表事務所を開設。
DIA-211-1995-02-17-2ミャンマー1995年02月17日1990年代インド,ヤンゴンで貿易フェアを開催(~25日)。
DIA-211-1995-02-18-1ミャンマー1995年02月18日1990年代ミャンマー政府,丸紅と包括的経済協力協定を締結。
DIA-211-1995-02-21-1ミャンマー1995年02月21日1990年代ミャンマー国軍,KNUの最後の拠点コムラを制圧。
DIA-211-1995-02-21-2ミャンマー1995年02月21日1990年代住友商事ミッション,キンニュンSLORC第一書記と会見。包括的経済協力協定を締結。
DIA-211-1995-02-22-1ミャンマー1995年02月22日1990年代ミャンマー国際航空(MIA),ヤンゴン=ダッカ便を就航。
DIA-211-1995-02-23-1ミャンマー1995年02月23日1990年代タイの貿易投資委員会(BOT)使節団来訪。経済協力合意書に調印。
DIA-211-1995-02-23-2ミャンマー1995年02月23日1990年代ミャンマー・ユニバーサル銀行,開業。
DIA-211-1995-02-23-3ミャンマー1995年02月23日1990年代ティンウーSLORC第2書記・陸軍参謀長,タイを訪問。
DIA-211-1995-02-23-4ミャンマー1995年02月23日1990年代東京銀行,スタンダード・チャータード銀行(英),エービーエム・アムロ銀行(オランダ),代表事務所開設免許取得。
DIA-211-1995-02-25-1ミャンマー1995年02月25日1990年代ミャンマー貿易フェア開催(~3月3日まで)。外国企業100社が参加し,来場者は14万人にのぼる。
DIA-211-1995-02-27-1ミャンマー1995年02月27日1990年代シンガポールのケッペル銀行,対ミャンマー投資ファンド設置の方針を表明。
DIA-211-1995-02-28-1ミャンマー1995年02月28日1990年代ミャンマー鉱山省とオーストラリアのパシフィック・アーク・エキスプロレーション社と,砂金の採掘契約を締結。
DIA-211-1995-03-07-1ミャンマー1995年03月07日1990年代政府と三菱商事,包括的経済協力協定締結。投資促進,技術移転,人材育成,産業政策のマスタープランづくりなどがねらい。
DIA-211-1995-03-08-1ミャンマー1995年03月08日1990年代政府,伊藤忠と包括的経済協力協定を締結。
DIA-211-1995-03-08-2ミャンマー1995年03月08日1990年代アメリカのエディーバウワー社,人権擁護団体の圧力でミャンマーを撤退。
DIA-211-1995-03-09-1ミャンマー1995年03月09日1990年代タンシュエSLORC議長,ベトナム訪問(~13日)。共同宣言を採択。
DIA-211-1995-03-15-1ミャンマー1995年03月15日1990年代政府,政治犯31人を釈放。ティンウー元NLD議長も含まれる。
DIA-211-1995-03-17-1ミャンマー1995年03月17日1990年代日本政府,閣議でミャンマーに対する無償資金協力供与を正式決定。国境地域に対する食糧増産援助。
DIA-211-1995-03-21-1ミャンマー1995年03月21日1990年代政府,カレンニー民族進歩党(KNPP)と和平合意。
DIA-211-1995-03-27-1ミャンマー1995年03月27日1990年代ミャンマー第二の国営放送,ミャワディ放送が始まる。
DIA-211-1995-03-29-1ミャンマー1995年03月29日1990年代制憲国民会議の全体会議開催。出席者は683人中633人。自治管区,自治区の設置に関する提案書を各代表グループが提出。
DIA-211-1995-03-30-1ミャンマー1995年03月30日1990年代カルタサスミタ・インドネシア国家計画開発大臣,来訪。
DIA-211-1995-03-31-1ミャンマー1995年03月31日1990年代政府,94/95年度のコメ輸出が100万3000トンにのぼったと発表。
DIA-211-1995-04-02-1ミャンマー1995年04月02日1990年代ミャンマー・エコノミック・ホールディングズとシンガポールのアジア・パシフィック・ブルワリーがタイガービール工場の建設契約を締結。
DIA-211-1995-04-03-1ミャンマー1995年04月03日1990年代トゥンチー貿易相,訪印(~12日)。
DIA-211-1995-04-03-2ミャンマー1995年04月03日1990年代ブリティッシュ・ビジネス・アソシエーション(英国)来訪。
DIA-211-1995-04-05-1ミャンマー1995年04月05日1990年代福田博外務審議官来訪。SLORC首脳と会談。
DIA-211-1995-04-07-1ミャンマー1995年04月07日1990年代制憲国民会議,7日に10月24日まで休会を宣言。
DIA-211-1995-04-08-1ミャンマー1995年04月08日1990年代オーストラリアの資源開発会社エンパイア・オイル(パシフィック),ミャンマー石油ガス公社と,ヤカイン州内の鉱区で石油・天然ガスの共同探査・生産を行なうことで合意。
DIA-211-1995-04-10-1ミャンマー1995年04月10日1990年代第1回民営化委員会開催。民営化にあたって,国内民間への払下げを優先することを確認。
DIA-211-1995-04-11-1ミャンマー1995年04月11日1990年代マレーシアのメイバンク,ヤンゴンに代表事務所開設。
DIA-211-1995-04-12-1ミャンマー1995年04月12日1990年代アメリカのチャールズ・ロブ上院議員,キンニュンSLORC第一書記と会見。
DIA-211-1995-04-12-2ミャンマー1995年04月12日1990年代政府,インドのマニプール州モレとミゾラム州チャンパイを拠点とする国境貿易を認可。
DIA-211-1995-04-20-1ミャンマー1995年04月20日1990年代南アフリカと国交樹立。
DIA-211-1995-04-26-1ミャンマー1995年04月26日1990年代国民警察維持原則法(The People’s Police Force Maintenance of Discipline Law),公布。
DIA-211-1995-04-28-1ミャンマー1995年04月28日1990年代日本の融資で建設中のサウスナウィンダムが完成。
DIA-211-1995-04-30-1ミャンマー1995年04月30日1990年代アジア・ウェルス銀行(ミャンマー),開業。
DIA-211-1995-05-02-1ミャンマー1995年05月02日1990年代日本の通産省,対ミャンマー貿易保険を17日付けで全面再開すると発表。
DIA-211-1995-05-08-1ミャンマー1995年05月08日1990年代ヌハク・プームサバン・ラオス大統領,来訪(~12日)。貿易協定,二国間経済協力協定,農業協力協定を締結。
DIA-211-1995-05-10-1ミャンマー1995年05月10日1990年代大阪商工会議所ミッション,来訪。
DIA-211-1995-05-13-1ミャンマー1995年05月13日1990年代韓国の大宇自動車,国営のミャンマー重工業と合弁販売会社「ミャンマー大宇自動車」を設立することで合意。
DIA-211-1995-05-16-1ミャンマー1995年05月16日1990年代ミャンマー・オリエンタル銀行,マンダレーに支店開設。
DIA-211-1995-05-18-1ミャンマー1995年05月18日1990年代日本,10億円無償援助の公文書交換。
DIA-211-1995-05-24-1ミャンマー1995年05月24日1990年代フランスのソシエ・ジェネラル銀行,代表事務所開設免許取得。
DIA-211-1995-06-03-1ミャンマー1995年06月03日1990年代ミャンマー国際航空,ヤンゴン=クンミン間就航。
DIA-211-1995-06-05-1ミャンマー1995年06月05日1990年代タンシュエSLORC議長,インドネシア,シンガポールを歴訪。ASEAN外遊は就任以来初めて。
DIA-211-1995-06-05-2ミャンマー1995年06月05日1990年代ミャンマー・メイフラワー銀行,モーラミャインに支店開設。
DIA-211-1995-06-06-1ミャンマー1995年06月06日1990年代経済大学,2年間の経営学修士コースを開始。
DIA-211-1995-06-06-2ミャンマー1995年06月06日1990年代シンガポールの政府系企業,シンガポール・テクノロジーズ・コンストラクション社がマンダレーの新国際空港を設計・建設する覚書に調印。
DIA-211-1995-06-08-1ミャンマー1995年06月08日1990年代タンシュエ首相,キンニュン第一書記らSLORC首脳,ジャカルタからシンガポール入り。二国間経済協力協定に調印し,協力推進合同委員会の設置で合意(~11日)。
DIA-211-1995-06-12-1ミャンマー1995年06月12日1990年代エイベル国家計画・経済開発相,シンガポールで日本経済新聞記者と会見し,2年後をめどに証券取引所の開設準備を進めると表明。
DIA-211-1995-06-15-1ミャンマー1995年06月15日1990年代ミャンマー農産物交易公社,95/96年度は150万トンのコメの輸出計画を表明。
DIA-211-1995-06-16-1ミャンマー1995年06月16日1990年代日本,ミャンマーに対し40億円の債務救済援助を供与。
DIA-211-1995-06-19-1ミャンマー1995年06月19日1990年代ダガン・ナショナル・インドネシア銀行,代表事務所開設免許を取得。
DIA-211-1995-06-20-1ミャンマー1995年06月20日1990年代第2回ミャンマー国際エキスポ95開催(~23日)。
DIA-211-1995-06-23-1ミャンマー1995年06月23日1990年代ヨーマ銀行,マンダレーに支店間設
DIA-211-1995-06-29-1ミャンマー1995年06月29日1990年代SLORC,新モン州党(NMSP)と和平協定を締結。
DIA-211-1995-06-29-2ミャンマー1995年06月29日1990年代1996年のミャンマー観光年に向けて,ミャンマー観光年実行委員会設立さる。
DIA-211-1995-07-06-1ミャンマー1995年07月06日1990年代バングラデシュ・ナショナル銀行,代表事務所開設免許を取得。
DIA-211-1995-07-08-1ミャンマー1995年07月08日1990年代遅浩田・中国国防相,タンシュエSLORC議長と会談。
DIA-211-1995-07-08-2ミャンマー1995年07月08日1990年代真珠の生産流通を規定する,ミャンマー真珠法公布。
DIA-211-1995-07-14-1ミャンマー1995年07月14日1990年代日本通産省.ミャンマー向け海外投資保険の引受を弾力化し,総額10億円以下の場合は自動的に引受け。
DIA-211-1995-07-18-1ミャンマー1995年07月18日1990年代ミャンマー工業開発委員会設立。
DIA-211-1995-07-18-2ミャンマー1995年07月18日1990年代三井造船と三井物産,ミャンマーの国営造船所,ミャンマー・シップヤード近代化に協力と発表。
DIA-211-1995-07-24-1ミャンマー1995年07月24日1990年代麻薬王と呼ばれるクンサー率いるモンタイ軍から2000人が離脱。
DIA-211-1995-07-26-1ミャンマー1995年07月26日1990年代ミャンマー石油天然ガス公社,アメリカ,アルコ(ARCO)と天然ガス採掘合意書締結。
DIA-211-1995-07-27-1ミャンマー1995年07月27日1990年代オンジョー外相,ASEAN外相会議に先立ち,バリ条約受諾書を議長国ブルネイに提出。
DIA-211-1995-07-29-1ミャンマー1995年07月29日1990年代オンジョー外相,ASEAN外相会議に議長国ゲストとして参加。
DIA-211-1995-08-03-1ミャンマー1995年08月03日1990年代ミャンマーとブルネイ,航空協定締結。
DIA-211-1995-08-04-1ミャンマー1995年08月04日1990年代タイのクルン・タイ銀行,ヤンゴンに代表事務所開設。
DIA-211-1995-08-07-1ミャンマー1995年08月07日1990年代民営化委員会,4映画館,2工場の民営化を決定。
DIA-211-1995-08-08-1ミャンマー1995年08月08日1990年代タイのサイアム・セメントが,ミャンマーに工場進出を発表。
DIA-211-1995-08-08-2ミャンマー1995年08月08日1990年代IMFミッション,第4条項コンサルテーションのため来訪(~23日)。
DIA-211-1995-08-11-1ミャンマー1995年08月11日1990年代民営化委員会,17の映画館の民営化を決定。
DIA-211-1995-08-25-1ミャンマー1995年08月25日1990年代世界銀行ミッション,来訪。
DIA-211-1995-08-25-2ミャンマー1995年08月25日1990年代海外経済協力基金ミッション,来訪。
DIA-211-1995-08-26-1ミャンマー1995年08月26日1990年代アジア・ウェルス銀行,クレディットカード発行を開始。
DIA-211-1995-08-27-1ミャンマー1995年08月27日1990年代エア・マンダレー社,ヤンゴン=チェンマイルートを就航。
DIA-211-1995-08-28-1ミャンマー1995年08月28日1990年代政府,三井物産と総額七億ドルの天然ガス利用プロジェクトの事業化で合意。
DIA-211-1995-09-08-1ミャンマー1995年09月08日1990年代アメリカのオルブライト国連大使,北京からヤンゴン入りし,キンニュンSLORC第一書記と会談。
DIA-211-1995-09-08-2ミャンマー1995年09月08日1990年代メイフラワー銀行,マンダレーに5番目の支店を開設。
DIA-211-1995-09-11-1ミャンマー1995年09月11日1990年代日本のJCB社,ミャンマー外国貿易銀行と提携。
DIA-211-1995-09-29-1ミャンマー1995年09月29日1990年代宝石の採掘,流通に関する,ミャンマー宝石法公布。
DIA-211-1995-10-05-1ミャンマー1995年10月05日1990年代10月24日開催予定の制憲国民会議の全体会議が1カ月延期となる。
DIA-211-1995-10-06-1ミャンマー1995年10月06日1990年代日商岩井,政府と輸出産業支援の覚書を締結。10月中に産業分野別の事業化検討グループを設置することで合意。
DIA-211-1995-10-09-1ミャンマー1995年10月09日1990年代ヤンゴン工業地区作業監督委員会,設立。
DIA-211-1995-10-09-2ミャンマー1995年10月09日1990年代三井海上火災,外国損保で初めてミャンマーに駐在員事務所を開設。
DIA-211-1995-10-10-1ミャンマー1995年10月10日1990年代麻薬王クンサー,引退を表明。
DIA-211-1995-10-18-1ミャンマー1995年10月18日1990年代丸紅,ミャンマー農業公社と共同で,輸出用農産物を開発することで合意。
DIA-211-1995-10-23-1ミャンマー1995年10月23日1990年代日本政府,ミャンマーに対し43億円程の円借款供与を表明。
DIA-211-1995-10-30-1ミャンマー1995年10月30日1990年代日本,看護学校改修のため16億2500万円の無償資金協力の公文書交換。
DIA-211-1995-11-01-1ミャンマー1995年11月01日1990年代運輸省,ミャンマー・エアウェイズ社,タイのクロン・ソンバット社とヤンゴン・エアウェイズ社の設立契約を締結。同社はエア・マンダレー,ミャンマー・エアウェイズとともに,国内航路をカバーする。
DIA-211-1995-11-04-1ミャンマー1995年11月04日1990年代ミャンマー・ユニーバサル銀行,支店をマグウェに開設。
DIA-211-1995-11-14-1ミャンマー1995年11月14日1990年代マウンマウンキン副首相率いる友好使節団,タイを訪問(~17日)。
DIA-211-1995-11-22-1ミャンマー1995年11月22日1990年代クンサー,改めて引退を表明。
DIA-211-1995-11-25-1ミャンマー1995年11月25日1990年代フランス貿易銀行,ヤンゴンに駐在員事務所を開設。
DIA-211-1995-11-25-2ミャンマー1995年11月25日1990年代タイ資本によるアンダマン・クラブ・リゾート,開業。
DIA-211-1995-11-28-1ミャンマー1995年11月28日1990年代制憲国民会議全体会議再開。立法,司法,行政の章の草案を各代表グループが報告。NLDは29日からボイコット。95年中は12月21日まで継続。
DIA-211-1995-11-29-1ミャンマー1995年11月29日1990年代フランスのソシエ・ジェネラル銀行,ヤンゴンに代表事務所開設。
DIA-211-1995-11-29-2ミャンマー1995年11月29日1990年代オランダのアイ・エヌ・ジー銀行,代表事務所開設免許を取得。
DIA-211-1995-12-03-1ミャンマー1995年12月03日1990年代トヨタ自動車,ヤンゴンにアフタサービス拠点を開設。
DIA-211-1995-12-05-1ミャンマー1995年12月05日1990年代ヤンゴン大学の一部学生が大規模な学生集会を開こうとしたが,公安当局の警備態勢強化のため中止。
DIA-211-1995-12-06-1ミャンマー1995年12月06日1990年代日本とミャンマーの航空交渉が終了。ヤンゴン=日本間を週3便運航することで合意。運航はミャンマーがハイジャック防止3条約に加盟後。
DIA-211-1995-12-07-1ミャンマー1995年12月07日1990年代インド航空,カルカッタ=ヤンゴン間就航。
DIA-211-1995-12-08-1ミャンマー1995年12月08日1990年代タイのオリエンタル・ホテル,ミャンマーのバガン・ホテル・ホールディング会社と合弁で,マンダリン・オリエンタル・バガン・リゾート・ホテルの建設を契約。2年以内に完成予定。
DIA-211-1995-12-15-1ミャンマー1995年12月15日1990年代タンシュエSLORC議長,キンニュン同第一書記やオンジョー外相ら,バンコクのASEAN首脳会議に出席。
DIA-211-1995-12-15-2ミャンマー1995年12月15日1990年代マンダレー国際空港建設に関し,航空局とタイのイタリアン・タイ・デベロップメント・パブリック会社が暫定的な契約を締結。
DIA-211-1995-12-15-3ミャンマー1995年12月15日1990年代ラオ・アヴィエーション,ヤンゴン=ヴィエンチャン間就航。
DIA-211-1995-12-22-1ミャンマー1995年12月22日1990年代富士銀行,代表事務所をヤンゴンに開設。
DIA-211-1995-12-26-1ミャンマー1995年12月26日1990年代マンダレー都市開発計画を千代田化工建設㈱が受注。
DIA-211-1996-01-05-1ミャンマー1996年01月05日1990年代クンサー率いるモンタイ軍,投降を開始。2月末までに,1万3000人以上が帰順(New Light of Myanmar,2月2日)。
DIA-211-1996-01-07-1ミャンマー1996年01月07日1990年代タンシュエ議長,キンニュン第1書記ら,訪中(~14日)。8日,江沢民国家主席と会談。経済協力協定等に調印。
DIA-211-1996-01-08-1ミャンマー1996年01月08日1990年代95年12月22日から休会していた国民会議,再開。各代表グループが報告。
DIA-211-1996-01-18-1ミャンマー1996年01月18日1990年代カレン民族同盟とモーラミャインにて和平交渉。95年12月に続くもの。
DIA-211-1996-01-24-1ミャンマー1996年01月24日1990年代安田火災海上,ヤンゴン事務所開設。
DIA-211-1996-01-27-1ミャンマー1996年01月27日1990年代ラナリット・カンボジア第1首相,来訪(~29日)。
DIA-211-1996-01-28-1ミャンマー1996年01月28日1990年代サンユ元大統領,死去。享年78歳。
DIA-211-1996-02-08-1ミャンマー1996年02月08日1990年代建設省と三井物産,ミンガラードン工業団地建設に合意,調印。
DIA-211-1996-02-09-1ミャンマー1996年02月09日1990年代オンジョー外相,米国のクンサー引き渡し要求を拒否。
DIA-211-1996-02-15-1ミャンマー1996年02月15日1990年代ミャンマー産業開発銀行(MIDB),およびミャンマー畜産漁業開発銀行(MLFDB)設立。
DIA-211-1996-02-15-2ミャンマー1996年02月15日1990年代富士銀行ヤンゴン事務所開設。邦銀としては,東京三菱に次ぎ2行目。
DIA-211-1996-02-21-1ミャンマー1996年02月21日1990年代ヤンゴンにてカレン民族同盟との和平交渉(~23日)。
DIA-211-1996-02-27-1ミャンマー1996年02月27日1990年代日本,50億円の債務救済無償供与協定に調印。
DIA-211-1996-03-13-1ミャンマー1996年03月13日1990年代日本,ヤンゴン伝染病病院への医療機器(9万4500㌦相当)供与協定に調印。
DIA-211-1996-03-17-1ミャンマー1996年03月17日1990年代バンハーン・タイ首相,来訪(~18日)。国境貿易協定に調印。
DIA-211-1996-03-18-1ミャンマー1996年03月18日1990年代喜劇風刺家U Papa Layらと国民民主連盟(NLD)幹部,計4人に対し,懲役7年の判決。政府を揶揄したことによる不敬罪。
DIA-211-1996-03-25-1ミャンマー1996年03月25日1990年代95年度国家補正予算法,公布。
DIA-211-1996-03-28-1ミャンマー1996年03月28日1990年代国民会議全体会議開催。代表586人中527人が出席。立法・行政・司法の3項目に関する基本原則を確認。30日の審議終了後,休会。
DIA-211-1996-03-29-1ミャンマー1996年03月29日1990年代96年度国家予算法,公布。
DIA-211-1996-03-31-1ミャンマー1996年03月31日1990年代国営紙,5カ年計画(1996~2000年度)の概要を紹介。
DIA-211-1996-04-01-1ミャンマー1996年04月01日1990年代政府職員銀行(GEB),設立。
DIA-211-1996-04-05-1ミャンマー1996年04月05日1990年代ミャンマー経済銀行(MEB),大和総研と合弁で,ミャンマー証券取引センター(MSEC)設立に合意,調印。
DIA-211-1996-04-08-1ミャンマー1996年04月08日1990年代三井物産,米ユノカル,仏トタールの日米欧3社連合,ヤダナ天然ガス利用プロジェクトに関する合意書に調印(契約調印は12月18日)。
DIA-211-1996-04-16-1ミャンマー1996年04月16日1990年代NLDが計画した新年記念行事の開催を,政府が不許可。スーチー宅前にバリケード設置し,支持者の入場を阻止。
DIA-211-1996-04-20-1ミャンマー1996年04月20日1990年代ノルウェー・スウェーデンの名誉総領事を務めた英国系ミャンマー人実業家ジェームズ・ニコルズ氏,ファックス不法所持の容疑で,逮捕。5月17日に,懲役3年の実刑判決。
DIA-211-1996-04-23-1ミャンマー1996年04月23日1990年代米ペプシコ,地元資本との合弁事業解消を決定。
DIA-211-1996-04-28-1ミャンマー1996年04月28日1990年代中国軍事代表団,来訪(~5月3日)。
DIA-211-1996-04-30-1ミャンマー1996年04月30日1990年代ウィンティン財政歳入相,アジア開発銀行年次総会出席(~5月2日)。
DIA-211-1996-05-05-1ミャンマー1996年05月05日1990年代財政歳入相,日本訪問(~11日)。
DIA-211-1996-05-08-1ミャンマー1996年05月08日1990年代セインアウン第1工業相,インドネシア訪問(~18日)。スハルト大統領と会談。
DIA-211-1996-05-10-1ミャンマー1996年05月10日1990年代財政歳入省,邦銀6行(第一勧業,三和,さくら,住友,あさひ,東海)に駐在員事務所の開設を認可(『日本経済新聞』5月11日)。
DIA-211-1996-05-14-1ミャンマー1996年05月14日1990年代エイベル国家計画経済開発相,日本訪問(~19日)。
DIA-211-1996-05-17-1ミャンマー1996年05月17日1990年代民間航空局,イタリアン・タイ社とマンダレー新空港の建設契約を締結。タイ輸出入銀行から1億5000万ドル融資も決定。
DIA-211-1996-05-18-1ミャンマー1996年05月18日1990年代NLD,26日から議員総会を開催すると発表。
DIA-211-1996-05-19-1ミャンマー1996年05月19日1990年代政府,国営紙を通じてNLD議員総会の中止を勧告。同時に,関係者の大量拘束を開始。
DIA-211-1996-05-21-1ミャンマー1996年05月21日1990年代農林水産品や手工業品など,主要輸出品目に対する商業税免除を発表。
DIA-211-1996-05-22-1ミャンマー1996年05月22日1990年代ウィードマン米国務省次官補(後に駐ミャンマー米国代理大使),軍政を非難。
DIA-211-1996-05-22-2ミャンマー1996年05月22日1990年代橋本首相,NLD関係者の大量拘束に懸念を表明。
DIA-211-1996-05-22-3ミャンマー1996年05月22日1990年代サイアム・シティー銀行(タイ)と現地のメイ・フラワー銀行,合弁銀行設立の覚書に調印。
DIA-211-1996-05-26-1ミャンマー1996年05月26日1990年代第1回NLD党大会開催(~28日)。開会式には,議員17人の他,支持者およそ300人が参加。
DIA-211-1996-05-27-1ミャンマー1996年05月27日1990年代マレーシア総理府副大臣,来訪。
DIA-211-1996-05-28-1ミャンマー1996年05月28日1990年代フィリピン外務省,NLD関係者の大量拘束に懸念を表明。
DIA-211-1996-05-29-1ミャンマー1996年05月29日1990年代内閣改造を実施。
DIA-211-1996-06-01-1ミャンマー1996年06月01日1990年代財政歳入省,FEC口座開設および取引時に課していた10%の手数料を廃止。
DIA-211-1996-06-07-1ミャンマー1996年06月07日1990年代「新治安維持法」公布(「参考資料」参照)。
DIA-211-1996-06-08-1ミャンマー1996年06月08日1990年代スーチー,通常どおり週末演説会実施。新治安維持法に基づく当局の介入なし。
DIA-211-1996-06-08-2ミャンマー1996年06月08日1990年代ソールウィン労働相,ジュネーブでのILO年次総会出席(~20日)。委員会では,ミャンマー国内の強制労働が批判された。
DIA-211-1996-06-13-1ミャンマー1996年06月13日1990年代外相,ラオス訪問(~15日)。
DIA-211-1996-06-17-1ミャンマー1996年06月17日1990年代外相,ASEANメコン河流域国協力閣僚会議(クアラルンプル)に出席(~18日)。
DIA-211-1996-06-17-2ミャンマー1996年06月17日1990年代タイ工業相,タイ石油公社(PTT)総裁ら,35人の産業視察団,来訪(~19日)。
DIA-211-1996-06-20-1ミャンマー1996年06月20日1990年代テインウィン運輸相,インドネシア訪問。
DIA-211-1996-06-22-1ミャンマー1996年06月22日1990年代4月20日に逮捕されていたジェームズ・ニコルズ氏,死亡。
DIA-211-1996-06-24-1ミャンマー1996年06月24日1990年代保険業法,公布。
DIA-211-1996-06-28-1ミャンマー1996年06月28日1990年代カレン民族同盟と和平交渉。合意に至らず。
DIA-211-1996-06-28-2ミャンマー1996年06月28日1990年代建設省,シンガポール企業のシマデブと工業団地建設契約を締結。日本の三井物産に続き2件目。
DIA-211-1996-07-02-1ミャンマー1996年07月02日1990年代公共事業公社,ヤンゴン=マンダレー間の高速道路建設に関し,国内企業4社とBOT契約を締結。
DIA-211-1996-07-03-1ミャンマー1996年07月03日1990年代在ヤンゴン米国大使館の向かいの公園で,小規模な爆発。「国民の要望」と題する政府看板を破壊。
DIA-211-1996-07-04-1ミャンマー1996年07月04日1990年代国境地域民族発展省,Sibin Thayar Yay銀行を設立。
DIA-211-1996-07-09-1ミャンマー1996年07月09日1990年代デンマークのビール会社カールスバーグ,合弁事業計画を撤回。
DIA-211-1996-07-10-1ミャンマー1996年07月10日1990年代オランダのビール会社ハイネケン,投資計画を撤回。
DIA-211-1996-07-10-2ミャンマー1996年07月10日1990年代マレーシア運輸相,来訪(~12日)。
DIA-211-1996-07-12-1ミャンマー1996年07月12日1990年代日本航空とミャンマー国際航空,協力協定を締結。
DIA-211-1996-07-17-1ミャンマー1996年07月17日1990年代全日空,関西空港=ヤンゴン直行定期便就航。
DIA-211-1996-07-19-1ミャンマー1996年07月19日1990年代スーチー,殉難者追悼式典出席。
DIA-211-1996-07-20-1ミャンマー1996年07月20日1990年代外相,ジャカルタで開催のASEAN閣僚会議に,オブザーバー資格で出席(~21日)。
DIA-211-1996-07-23-1ミャンマー1996年07月23日1990年代外相,ASEAN地域フォーラム(ARF)にオブザーバー参加。
DIA-211-1996-07-23-2ミャンマー1996年07月23日1990年代メイ・フラワー銀行,外貨業務を開始。
DIA-211-1996-07-25-1ミャンマー1996年07月25日1990年代米上院,ミャンマー制裁措置を含む外国援助法案を可決。
DIA-211-1996-07-29-1ミャンマー1996年07月29日1990年代テレビ・ビデオ法,公布。
DIA-211-1996-08-01-1ミャンマー1996年08月01日1990年代SLORC,第1回記者会見を開催。昨年11月脱退したNLD代表86人の,国民会議への再参加を認めない旨表明。
DIA-211-1996-08-04-1ミャンマー1996年08月04日1990年代タイ副首相兼外相のアムヌアイ,来訪(~7日)。第3回ミャンマー・タイ合同委員会出席。国境問題と経済協力を柱に関係強化に合意。
DIA-211-1996-08-05-1ミャンマー1996年08月05日1990年代カールスバーグ,ハイネケン製品の輸入・販売を禁止。
DIA-211-1996-08-08-1ミャンマー1996年08月08日1990年代「農業省」が「農業灌漑省」,「貿易省」が「商業省」へ改称。
DIA-211-1996-08-12-1ミャンマー1996年08月12日1990年代タンシュエ議長・キンニュン第1書記ら,マレーシア公式訪問(~16日)。訪問中,ASEAN加盟を正式申請。
DIA-211-1996-08-15-1ミャンマー1996年08月15日1990年代95年3月以来閉鎖状態にあった,タイ国境のミャワディー税関を再開(BKK Post,15日)。
DIA-211-1996-08-15-2ミャンマー1996年08月15日1990年代インド亡命のNLD党員と共謀し,反政府活動を行なったとして,19人を逮捕。
DIA-211-1996-08-20-1ミャンマー1996年08月20日1990年代映画法,公布。目的は,映画産業振興と伝統文化の堕落防止。
DIA-211-1996-08-23-1ミャンマー1996年08月23日1990年代ミンテイン中将率いる国軍代表団,ベトナム訪問(~29日)。
DIA-211-1996-08-28-1ミャンマー1996年08月28日1990年代国家計画経済開発相,第6回メコン河流域6カ国経済協力閣僚会議参加(~30日)。
DIA-211-1996-08-30-1ミャンマー1996年08月30日1990年代ミャンマー銀行2行(MEB,MICB)とタイ銀行6行との間で,銀行業務に関する覚書調印。
DIA-211-1996-08-30-2ミャンマー1996年08月30日1990年代全ビルマ学生民主戦線(ABSDF)第203大隊がベイで帰順開始。9月5日までに,131人(家族を含む)が投降。
DIA-211-1996-09-02-1ミャンマー1996年09月02日1990年代政府,2度目の記者会見。亡命NLD党員による反政府活動を非難。
DIA-211-1996-09-03-1ミャンマー1996年09月03日1990年代バングラデシュ外相,来訪(~5日)。
DIA-211-1996-09-06-1ミャンマー1996年09月06日1990年代トゥン・ファンデーション銀行とマレーシアのメイ・バンク,合弁銀行設立のための覚書を締結。
DIA-211-1996-09-13-1ミャンマー1996年09月13日1990年代ロイヤル・ブルネイ航空,ヤンゴン=ロンドン(アブダビ経由)便を就航。
DIA-211-1996-09-20-1ミャンマー1996年09月20日1990年代ティンウー第2書記,石油・ガソリン不足の噂を否定。
DIA-211-1996-09-21-1ミャンマー1996年09月21日1990年代外相,第51回国連総会出席のため,ニューヨークへ出発。27日,声明を発表。
DIA-211-1996-09-21-2ミャンマー1996年09月21日1990年代コンピューター科学開発法,公布。
DIA-211-1996-09-27-1ミャンマー1996年09月27日1990年代当局,NLDが計画した全ビルマ会議を阻止するため,スーチー自宅前の道路を封鎖。関係者多数を拘束。
DIA-211-1996-09-28-1ミャンマー1996年09月28日1990年代スーチー自宅前での市民との週末対話集会が,道路封鎖により中止。
DIA-211-1996-09-30-1ミャンマー1996年09月30日1990年代米国大統領,対ミャンマー制裁強化法案に署名,発効。
DIA-211-1996-10-01-1ミャンマー1996年10月01日1990年代政府,第3回記者会見。10月27,28日,NLD党員159人に出頭を求め,市民400人を一時拘束した,と報告。
DIA-211-1996-10-01-2ミャンマー1996年10月01日1990年代財政歳入相,IMF・世銀総会参加(~3日)。
DIA-211-1996-10-02-1ミャンマー1996年10月02日1990年代科学技術省,新設。大臣U Thaung,副大臣U Thein Tun。
DIA-211-1996-10-03-1ミャンマー1996年10月03日1990年代アメリカ,対ミャンマー制裁措置の一環として,軍政高官とその家族へのビザ発給を停止。
DIA-211-1996-10-04-1ミャンマー1996年10月04日1990年代外務省,米国政府高官とその家族に対するビザ発給停止。アメリカの制裁政策に対する報復措置。
DIA-211-1996-10-07-1ミャンマー1996年10月07日1990年代マイヤーズ米国代理大使,帰国。
DIA-211-1996-10-08-1ミャンマー1996年10月08日1990年代NLD支持者ら63人を解放。拘束者全員の解放が完了(政府発表)。
DIA-211-1996-10-15-1ミャンマー1996年10月15日1990年代ミャンマー航空とタイKrong Sombat社の合弁会社「ヤンゴン航空」,3路線を就航。
DIA-211-1996-10-15-2ミャンマー1996年10月15日1990年代中央銀行,新紙幣を発行。
DIA-211-1996-10-16-1ミャンマー1996年10月16日1990年代タンシュエ議長・キンニュン第1書記ら一行,カンボジアを訪問(~19日)。
DIA-211-1996-10-17-1ミャンマー1996年10月17日1990年代カンボジアと観光協力協定,航空事業協定,協力合同委員会設置等に調印。
DIA-211-1996-10-20-1ミャンマー1996年10月20日1990年代マレーシア外相・運輸相,来訪(~22日)。
DIA-211-1996-10-22-1ミャンマー1996年10月22日1990年代ヤンゴン主要大学の学生が,警察当局に抗議して500人規模のデモ。
DIA-211-1996-10-23-1ミャンマー1996年10月23日1990年代NLD副議長のチーマウンを拘束。学生デモへのNLD関与につき事情聴取。
DIA-211-1996-10-25-1ミャンマー1996年10月25日1990年代治安当局,スーチーに外出自粛を要請。
DIA-211-1996-10-28-1ミャンマー1996年10月28日1990年代NLD副議長のチーマウンを解放。
DIA-211-1996-10-29-1ミャンマー1996年10月29日1990年代EU外相理事会,対ミャンマー制裁措置を決定。
DIA-211-1996-10-29-2ミャンマー1996年10月29日1990年代日本石油,米国テキサコ,英国プレミア,共同でミャンマーでの天然ガス商業生産に参入。タイへの供給契約を締結。
DIA-211-1996-10-29-3ミャンマー1996年10月29日1990年代スーチー,山口日本大使と松富南東アジア1課長と会談。本格的援助の凍結継続を要請。
DIA-211-1996-11-01-1ミャンマー1996年11月01日1990年代政府,第4回定例記者会見を開催。スーチー自宅前での週末集会を禁止することを公式に表明。
DIA-211-1996-11-02-1ミャンマー1996年11月02日1990年代アジット・シンASEAN事務局長,ミャンマーのASEAN加盟準備視察のため,来訪(~9日)。
DIA-211-1996-11-05-1ミャンマー1996年11月05日1990年代タイ陸軍司令官チェーター・タナチャロー,来訪(~6日)。
DIA-211-1996-11-06-1ミャンマー1996年11月06日1990年代コンドル航空,フランクフルトから初の欧州直行便を就航。
DIA-211-1996-11-09-1ミャンマー1996年11月09日1990年代スーチーの乗った車,約200人の群衆に囲まれ襲撃を受ける。スーチーは無事。
DIA-211-1996-11-09-2ミャンマー1996年11月09日1990年代アジット・シンASEAN事務局長,ミャンマーのASEAN加盟につき,前向きな発言。
DIA-211-1996-11-10-1ミャンマー1996年11月10日1990年代ウィードマン米国代理大使,スーチー襲撃事件につき,関係者の処罰を要求。
DIA-211-1996-11-11-1ミャンマー1996年11月11日1990年代梶山官房長官,スーチー襲撃事件に対し,遺憾の意を表明。
DIA-211-1996-11-12-1ミャンマー1996年11月12日1990年代マレーシア航空,ヤンゴン=クアラルンプール間を週2便就航。
DIA-211-1996-11-13-1ミャンマー1996年11月13日1990年代財政歳入相,マレーシア訪問(~16日)。
DIA-211-1996-11-18-1ミャンマー1996年11月18日1990年代ミャンマー観光年,開幕。97年5月までの半年間。
DIA-211-1996-11-22-1ミャンマー1996年11月22日1990年代NLD,ヤンゴン地区集会をスーチー宅で開催。党員ら約200人が出席。
DIA-211-1996-11-26-1ミャンマー1996年11月26日1990年代日本政府,40億円の債務救済無償援助の供与決定。
DIA-211-1996-11-28-1ミャンマー1996年11月28日1990年代タンシュエ議長率いる外交団,ASEAN非公式首脳会議出席のため,シンガポール経由でジャカルタ訪問(~12月1日)。
DIA-211-1996-11-30-1ミャンマー1996年11月30日1990年代タンシュエ議長,ASEAN非公式首脳会議(ジャカルタ)に出席。会議では,ミャンマー・カンボジア・ラオスのASEAN同時加盟が合意。3カ国加盟時期については適当な時期に発表するとした。
DIA-211-1996-12-02-1ミャンマー1996年12月02日1990年代ヤンゴン主要大学の学生約1500人が,自治組織の再結成などを要求して抗議デモ。3日未明,学生約300人を拘束。
DIA-211-1996-12-05-1ミャンマー1996年12月05日1990年代NLD,独立運動記念集会を開催。
DIA-211-1996-12-06-1ミャンマー1996年12月06日1990年代再び,学生デモ発生。学生ら264人を拘束。
DIA-211-1996-12-09-1ミャンマー1996年12月09日1990年代ヤンゴン市内の大学,事実上の閉鎖状態に。
DIA-211-1996-12-09-2ミャンマー1996年12月09日1990年代財政歳入相,第1回WTO閣僚会議(~13日)に出席。
DIA-211-1996-12-10-1ミャンマー1996年12月10日1990年代ミャンマー国際航空,ヤンゴン=シンガポール=ジャカルタ便を就航。
DIA-211-1996-12-12-1ミャンマー1996年12月12日1990年代国連総会,ミャンマー政府に対し,民主勢力との政治対話や政治犯釈放などを求める決議を採択。今回で6回目。
DIA-211-1996-12-13-1ミャンマー1996年12月13日1990年代ヤンゴン市庁舎に,戦車を配置。
DIA-211-1996-12-18-1ミャンマー1996年12月18日1990年代EUの欧州委員会,ミャンマーに対する優遇関税率の適用停止を決定。
DIA-211-1996-12-18-2ミャンマー1996年12月18日1990年代スポーツ省(大臣Sein Win大佐),新設。
DIA-211-1996-12-23-1ミャンマー1996年12月23日1990年代マレーシア運輸相,来訪(~25日)。
DIA-211-1996-12-25-1ミャンマー1996年12月25日1990年代ヤンゴン郊外の仏教寺院,カバイェ・パゴダで爆弾が爆発。4人が死亡,18人が径我。
DIA-211-1997-01-04-1ミャンマー1997年01月04日1990年代国民民主連盟(NLD),第49回独立記念日祝賀会をスーチー宅で開催。党員ら500人以上が出席。96年5月NLD議員総会以来の大規模集会。
DIA-211-1997-01-10-1ミャンマー1997年01月10日1990年代橋本首相,スハルト・インドネシア大統領との会談で,ミャンマーの人権問題について,ASEAN加盟が圧政の隠れ蓑にならないように要望。
DIA-211-1997-01-10-2ミャンマー1997年01月10日1990年代消防法(The Fire Services Law),公布。
DIA-211-1997-01-13-1ミャンマー1997年01月13日1990年代ミャンマー中央銀行修正法,公布。
DIA-211-1997-01-15-1ミャンマー1997年01月15日1990年代カレン民族同盟(KNU)ら反政府少数民族15組織,軍政打倒・NLDとの共闘・ASEAN加盟反対を含むメータロウタ宣言を採択。
DIA-211-1997-01-15-2ミャンマー1997年01月15日1990年代外相,ベトナム訪問(~18日)。
DIA-211-1997-01-18-1ミャンマー1997年01月18日1990年代96年12月の学生デモで逮捕されたNLD党員ら20人が,治安維持法(50年)違反の罪で懲役7年の判決を受けたと,政府発表。
DIA-211-1997-01-28-1ミャンマー1997年01月28日1990年代フンセン・カンボジア第2首相,来訪(~31日)。
DIA-211-1997-01-28-2ミャンマー1997年01月28日1990年代ペプシコ,ミャンマーからの早期完全撤退を表明。
DIA-211-1997-01-29-1ミャンマー1997年01月29日1990年代富士銀行,地元大手のヨーマ銀行と合弁銀行設立で合意。
DIA-211-1997-01-30-1ミャンマー1997年01月30日1990年代ミャンマー農業村落開発銀行(MARDB)修正法,公布。
DIA-211-1997-02-04-1ミャンマー1997年02月04日1990年代タイ政府,タチレイッ=チャイントン間の道路建設(164キロ)のため,3億バーツのソフトローン供与を決定(合意文書の調印は17日)。
DIA-211-1997-02-07-1ミャンマー1997年02月07日1990年代運輸相,ヤンゴン国際空港拡張事業で,凍結されている円借款の再開を待たず,工事を推進すると発言(公式表明は3月8日)。
DIA-211-1997-02-12-1ミャンマー1997年02月12日1990年代NLD,スーチー宅で連邦記念日50周年記念集会を開催。
DIA-211-1997-02-12-2ミャンマー1997年02月12日1990年代国軍,KNUへの軍事攻撃を開始。
DIA-211-1997-02-21-1ミャンマー1997年02月21日1990年代スハルト・インドネシア大統領,来訪(~23日)。政府首脳の他,ネーウィン元大統領とも会談。
DIA-211-1997-03-02-1ミャンマー1997年03月02日1990年代ミャンマー市民修正法,公布。
DIA-211-1997-03-03-1ミャンマー1997年03月03日1990年代日本政府,40億円の債務救済無償供与協定に調印。
DIA-211-1997-03-03-2ミャンマー1997年03月03日1990年代国家食料法,公布。
DIA-211-1997-03-04-1ミャンマー1997年03月04日1990年代国有企業修正法公布(参考資料参照)。
DIA-211-1997-03-08-1ミャンマー1997年03月08日1990年代マレーシア・パブリック銀行,ミャンマー市民銀行と合弁銀行設立で合意。
DIA-211-1997-03-11-1ミャンマー1997年03月11日1990年代雲南機械進出口公司,鉄道運輸省に5000万ドル相当の鉄道設備を融資付きで輸出することに合意。
DIA-211-1997-03-13-1ミャンマー1997年03月13日1990年代タイ石油公社,エタグン天然ガス田からのガス購入契約に調印。
DIA-211-1997-03-16-1ミャンマー1997年03月16日1990年代マンダレーで,数百人の仏教僧・住民が,モスクやイスラーム教徒の商店などを襲撃。翌日,夜間外出禁止令が布告。以降10日間で,ヤンゴンを含む6都市へ波及(政府筋)。
DIA-211-1997-03-17-1ミャンマー1997年03月17日1990年代在ヤンゴン・ブルネイ大使館,開設。
DIA-211-1997-03-18-1ミャンマー1997年03月18日1990年代さくら銀行,ヤンゴン事務所を開設。
DIA-211-1997-03-21-1ミャンマー1997年03月21日1990年代国家補正予算法,公布。
DIA-211-1997-03-24-1ミャンマー1997年03月24日1990年代EU定例外相理事会,ミャンマーからの輸入品に対する一般特恵関税の適用停止を決定。広範な強制労働の存在が理由。
DIA-211-1997-03-25-1ミャンマー1997年03月25日1990年代中国政府代表団,無償資金援助を含む経済協力の推進に関する覚書に調印。
DIA-211-1997-03-25-2ミャンマー1997年03月25日1990年代ブルネイ投資商業銀行,ヤンゴン事務所を開設。
DIA-211-1997-03-26-1ミャンマー1997年03月26日1990年代1997年度国家予算法,公布。
DIA-211-1997-03-29-1ミャンマー1997年03月29日1990年代カムタイ・ラオス首相,来訪(~4月1日)。
DIA-211-1997-03-31-1ミャンマー1997年03月31日1990年代政府,国営紙上で1997年度経済目標等を発表。
DIA-211-1997-04-01-1ミャンマー1997年04月01日1990年代政府,月初めの定例記者会見を見送り。以降,97年中は定例記者会見なし。
DIA-211-1997-04-03-1ミャンマー1997年04月03日1990年代ミャンマー畜産漁業開発銀行(MLFDB),カンボジアのグローバル商業銀行と合弁銀行設立で合意。
DIA-211-1997-04-06-1ミャンマー1997年04月06日1990年代ティンウー第2書記の自宅で,小包が爆発。同書記の長女が死亡。
DIA-211-1997-04-07-1ミャンマー1997年04月07日1990年代外相,ニューデリーで開催の第12回非同盟諸国外相会議(~8日)に出席。
DIA-211-1997-04-14-1ミャンマー1997年04月14日1990年代NLD,仏暦正月の式典をスーチー宅で開催。党員や支持者約600人が参加。
DIA-211-1997-04-17-1ミャンマー1997年04月17日1990年代オーストラリアのビール醸造大手フォスターズ・ブルーイング,96年末でミャンマー市場から撤退と発表。
DIA-211-1997-04-22-1ミャンマー1997年04月22日1990年代米国政府,新規投資の禁止を含む対ビルマ経済制裁を発表(発効は5月21日)。
DIA-211-1997-04-25-1ミャンマー1997年04月25日1990年代米国政府,ミャンマーのASEAN加盟反対を公式に表明。
DIA-211-1997-04-26-1ミャンマー1997年04月26日1990年代政府,3月のモスク襲撃事件で拘束した仏教僧ら226人を解放。
DIA-211-1997-04-28-1ミャンマー1997年04月28日1990年代建設省,タイ企業ロジャナ工業団地開発とフラインターヤー工業団地開発で合意。
DIA-211-1997-05-03-1ミャンマー1997年05月03日1990年代連邦団結発展協会(USDA),ASEAN加盟支持および米国の経済制裁に反対する集会を,全国で開始。
DIA-211-1997-05-07-1ミャンマー1997年05月07日1990年代デソト国連事務次長補,来訪(~10日)。9日にスーチーと,10日にキンニュンと会談。
DIA-211-1997-05-13-1ミャンマー1997年05月13日1990年代ミャンマー国際航空,エアー・マンダレーと協力協定を締結。
DIA-211-1997-05-16-1ミャンマー1997年05月16日1990年代チャワリット・タイ首相,来訪(~17日)。
DIA-211-1997-05-21-1ミャンマー1997年05月21日1990年代ティンウーNLD副議長,NLD党員ら多数が当局により拘束されたと発表。
DIA-211-1997-05-22-1ミャンマー1997年05月22日1990年代日本政府,NLD関係者の大量拘束につき,憂慮の念を表明。
DIA-211-1997-05-22-2ミャンマー1997年05月22日1990年代ド・ムオイ・ベトナム共産党書記長,来訪(~24日)。
DIA-211-1997-05-27-1ミャンマー1997年05月27日1990年代当局,NLDの予定していた1990年総選挙7周年記念集会を,スーチー宅の道路封鎖強化で,実力阻止。
DIA-211-1997-05-31-1ミャンマー1997年05月31日1990年代ASEAN,クアラルンプールで開催の特別外相会議で,カンボジア・ラオス・ミャンマー3カ国の7月加盟を決定。
DIA-211-1997-06-02-1ミャンマー1997年06月02日1990年代日本政府,20億円の債務救済無償供与協定に調印。
DIA-211-1997-06-02-2ミャンマー1997年06月02日1990年代国家計画経済開発省と経団連,第1回日本・ミャンマー合同経済会議を開催(~3日)。
DIA-211-1997-06-03-1ミャンマー1997年06月03日1990年代経団連の日本・ミャンマー経済委員会代表,キンニュン第1書記と会談。
DIA-211-1997-06-05-1ミャンマー1997年06月05日1990年代NLD,独自憲法案の起草を完了したと発表。
DIA-211-1997-06-10-1ミャンマー1997年06月10日1990年代マレーシア外相,来訪。ASEAN加盟承認を伝達。
DIA-211-1997-06-12-1ミャンマー1997年06月12日1990年代平林内閣外政審議室長,キンニュン第1書記と会談。タンシュエ議長宛ての橋本首相の親書を手交。
DIA-211-1997-06-12-2ミャンマー1997年06月12日1990年代安田火災海上保険,ミャンマー国営保険会社と合弁で,損害保険会社設立に合意。
DIA-211-1997-06-13-1ミャンマー1997年06月13日1990年代ASEAN加盟準備委員会(委員長:キンニュン第1書記)発足。
DIA-211-1997-06-19-1ミャンマー1997年06月19日1990年代英国政府,対ミャンマー貿易促進活動に関する資金援助の打切りを決定。
DIA-211-1997-06-21-1ミャンマー1997年06月21日1990年代デンバー・サミット,プログレス・レポートの中で,SLORCに対しスーチーの安全を要請。
DIA-211-1997-06-26-1ミャンマー1997年06月26日1990年代保険業法細則(Rules),公布。
DIA-211-1997-07-04-1ミャンマー1997年07月04日1990年代OISCAと農業灌漑省,パコックに農林業研修センターを開設。
DIA-211-1997-07-07-1ミャンマー1997年07月07日1990年代日本ミャンマー交流促進議員連盟代表団7人,来訪(~9日)。
DIA-211-1997-07-12-1ミャンマー1997年07月12日1990年代政府,国営紙上で高額紙幣(200チャットと500チャット紙幣)廃貨の噂を否定。
DIA-211-1997-07-16-1ミャンマー1997年07月16日1990年代故アウンサン将軍の息子アウンサンウー氏,大学図書館や障害者に寄付(~18日)。
DIA-211-1997-07-17-1ミャンマー1997年07月17日1990年代アウンシュエNLD議長とキンニュン第1書記,ヤンゴン市内で会談。
DIA-211-1997-07-18-1ミャンマー1997年07月18日1990年代日本政府,米国マサチューセッツ州のビルマ制裁法を政府調達協定違反として,WTOに提訴。
DIA-211-1997-07-22-1ミャンマー1997年07月22日1990年代国営スタンドでのガソリン販売価格を7.2倍に引上げ。同時に数量制限を大幅に緩和。
DIA-211-1997-07-23-1ミャンマー1997年07月23日1990年代ミャンマー,ラオスとともにASEAN加盟。外相は,23日加盟式典,24~25日外相会議,27日ASEAN地域フォーラム,28~29日拡大外相会議に出席。
DIA-211-1997-07-24-1ミャンマー1997年07月24日1990年代ソーマウン前SLORC議長,心臓発作のため死去。68歳。
DIA-211-1997-07-25-1ミャンマー1997年07月25日1990年代政府,国営紙上で500チャット紙幣廃貨の噂を,再度否定。
DIA-211-1997-07-26-1ミャンマー1997年07月26日1990年代日本ミャンマー友好議員連盟の小沢衆議院議員,来訪(~27日)。
DIA-211-1997-07-29-1ミャンマー1997年07月29日1990年代池田外相,クアラルンプールでオンジョー・ミャンマー外相と会談。
DIA-211-1997-07-30-1ミャンマー1997年07月30日1990年代米国資源大手のニューモント・ミネラル・エクスプロレーション,ミャンマー金鉱山開発から撤退を決定。
DIA-211-1997-08-06-1ミャンマー1997年08月06日1990年代貿易商業相,訪中(~18日)。8日,昆明貿易フェア97開催式に参加。
DIA-211-1997-08-07-1ミャンマー1997年08月07日1990年代カナダ政府,自国産業界に対ビルマ新規投資の自粛を要請。
DIA-211-1997-08-12-1ミャンマー1997年08月12日1990年代小・中・高校の新学期,始まる。通常の6月開始より2カ月遅れ。
DIA-211-1997-08-14-1ミャンマー1997年08月14日1990年代中銀,秘密通達を出し,外国送金制限(月に5万ドル以下)を実施。
DIA-211-1997-08-15-1ミャンマー1997年08月15日1990年代タイ西部ターク県メソトとミャンマー南東部ミヤワディを結ぶ友好橋,開通。
DIA-211-1997-08-15-2ミャンマー1997年08月15日1990年代特別裁判所,スーチーのいとこら民主化勢力4人に対し,国家反逆罪などで懲役10~30年の判決。
DIA-211-1997-08-18-1ミャンマー1997年08月18日1990年代高村外務政務次官,キンニュン第1書記と会談。ヤンゴン国際空港拡張事業への円借款再開に難色を示す。
DIA-211-1997-08-20-1ミャンマー1997年08月20日1990年代キンマウン准将,農業灌漑省副大臣に就任。
DIA-211-1997-08-28-1ミャンマー1997年08月28日1990年代財政歳入相,外国送金制限について,公式に説明。
DIA-211-1997-09-02-1ミャンマー1997年09月02日1990年代インドネシアのアストラ・グループ,関連会社をヤンゴンに設立。
DIA-211-1997-09-11-1ミャンマー1997年09月11日1990年代ヤンゴン航空(タイ企業とミャンマー国際航空の合弁会社),ミャンマー航空とメイフラワー・グループに売却される。
DIA-211-1997-09-12-1ミャンマー1997年09月12日1990年代日本政府,ミャンマーの洪水被害に対し,5万ドルと救済物資を緊急援助。
DIA-211-1997-09-12-2ミャンマー1997年09月12日1990年代タイ入国管理局,バンコクにある反政府勢力拠点の「ビルマ連邦国民連合政府」事務所を捜索。「閣僚」3人を逮捕。
DIA-211-1997-09-16-1ミャンマー1997年09月16日1990年代アウンシュエNLD議長らとキンニュン第1書記との会談,成立せず。スーチー書記長が会談から除外されているため。
DIA-211-1997-09-16-2ミャンマー1997年09月16日1990年代韓国のハナ銀行,ヤンゴン事務所を開設。
DIA-211-1997-09-18-1ミャンマー1997年09月18日1990年代ロンドンで病気療養中のエーチョー情報相,死亡。59歳。
DIA-211-1997-09-18-2ミャンマー1997年09月18日1990年代マンダレー・コンピューター科学技術大学,開設。
DIA-211-1997-09-19-1ミャンマー1997年09月19日1990年代外相,第52回国連総会出席のため,ニューヨークへ出発(~10月7日)。
DIA-211-1997-09-19-2ミャンマー1997年09月19日1990年代財政歳入相,世銀・IMF合同年次総会(23~25日)参加のため,香港へ出発。
DIA-211-1997-09-23-1ミャンマー1997年09月23日1990年代ネーウィン元大統領,インドネシア訪問(~25日)。24日スハルト大統領と会談。
DIA-211-1997-09-24-1ミャンマー1997年09月24日1990年代国民統一党(NUP),党創立9周年記念大会を開催。
DIA-211-1997-09-24-2ミャンマー1997年09月24日1990年代外相,ニューヨークでASEAN外相会議に参加。
DIA-211-1997-09-24-3ミャンマー1997年09月24日1990年代米国テキサコ,エタグン天然ガス開発からの撤退を表明。自社権益は共同事業者の英国プレミアへ売却。代わって,マレーシアのペトロナスが事業参加の予定。
DIA-211-1997-09-26-1ミャンマー1997年09月26日1990年代政府,ケニアと外交関係樹立。
DIA-211-1997-09-27-1ミャンマー1997年09月27日1990年代NLD,スーチー宅で創立記念集会を開催(~28日)。約750人が出席。
DIA-211-1997-09-30-1ミャンマー1997年09月30日1990年代韓国長期信用銀行,ヤンゴン事務所を開設。
DIA-211-1997-10-03-1ミャンマー1997年10月03日1990年代キンニュン第1書記ら代表団,シンガポール訪問(~4日)。両国間の閣僚級作業委員会に参加。
DIA-211-1997-10-14-1ミャンマー1997年10月14日1990年代国家計画経済開発相,ASEAN経済閣僚会議参加のためマレーシア訪問(~19日)。
DIA-211-1997-10-14-2ミャンマー1997年10月14日1990年代アマコスト元駐日大使・アーミテージ元国防次官補・アブラモウィッツ元駐タイ大使ら米国共和党系代表団,来訪(~16日)。15日にスーチーと,16日にはキンニュンと会談。
DIA-211-1997-10-14-3ミャンマー1997年10月14日1990年代フィリピン大統領,来訪(~17日)。
DIA-211-1997-10-17-1ミャンマー1997年10月17日1990年代三井海上火災保険,国営ミャンマー・インシュランスと合弁保険会社設立の基本覚書を締結。
DIA-211-1997-10-21-1ミャンマー1997年10月21日1990年代スーチー,ヤンゴン郊外タケタでのNLD地区集会に参加。自宅外での集会参加は,約1年ぶり。
DIA-211-1997-10-27-1ミャンマー1997年10月27日1990年代中国政府,1億元の低利借款供与契約に調印。
DIA-211-1997-10-28-1ミャンマー1997年10月28日1990年代当局,スーチーのNLDマヤンゴン地区青年部の集会への参加を阻止。集会も,強制的に解散。
DIA-211-1997-10-29-1ミャンマー1997年10月29日1990年代タイ外相,来訪(~30日)。
DIA-211-1997-10-30-1ミャンマー1997年10月30日1990年代山口日本大使,スーチーと会談。
DIA-211-1997-11-05-1ミャンマー1997年11月05日1990年代当局,ヤンゴンのタムウェ支部で集会を開こうとしたNLD党員約50人を連行。
DIA-211-1997-11-10-1ミャンマー1997年11月10日1990年代ASEAN事務局長,来訪(~16日)。12日にタンシュエ議長と,16日にはキンニュン第1書記と会談。
DIA-211-1997-11-14-1ミャンマー1997年11月14日1990年代タイ外務省,18日にバンコクで開催予定のASEAN・EUの合同協力委員会会合の延期を発表。
DIA-211-1997-11-15-1ミャンマー1997年11月15日1990年代SLORC解散。代わって,国家平和開発評議会(SPDC)設立。メンバーは19人。
DIA-211-1997-11-15-2ミャンマー1997年11月15日1990年代内閣,大幅改造(参考資料参照)。
DIA-211-1997-11-16-1ミャンマー1997年11月16日1990年代新規に33人の副大臣を任命。
DIA-211-1997-11-22-1ミャンマー1997年11月22日1990年代トゥンチー前貿易商業相他数人の前閣僚,汚職の疑いで取り調べ。
DIA-211-1997-11-24-1ミャンマー1997年11月24日1990年代NLD,スーチー宅で「国民の日」を記念する集会を開催。約350人が参加。
DIA-211-1997-11-28-1ミャンマー1997年11月28日1990年代小渕外相,衆院外務委でヤンゴン国際空港拡張事業へのODA再開に前向きな発言。
DIA-211-1997-12-01-1ミャンマー1997年12月01日1990年代政府,死刑囚・終身および長期禁固刑受刑者らに対し,恩赦を実施。
DIA-211-1997-12-06-1ミャンマー1997年12月06日1990年代ソールウィン・ホテル観光相,国民会議開催委員会委員長に就任。副委員長に,セイントゥワー宗教相,ピーソウン社会福祉・救済・再定住相が就任。
DIA-211-1997-12-09-1ミャンマー1997年12月09日1990年代開発委員会修正法,公布。
DIA-211-1997-12-10-1ミャンマー1997年12月10日1990年代ミャンマー産業開発銀行理事会メンバー変更。第2工業相が委員長,第1工業相が副委員長に就任。
DIA-211-1997-12-12-1ミャンマー1997年12月12日1990年代政府,チーマウンNLD副議長の辞任を発表。ティンウーNLD副議長はこれを否定。
DIA-211-1997-12-15-1ミャンマー1997年12月15日1990年代タンシュエ議長,クアラルンプールにて,ASEAN非公式首脳会議に参加(~16日)。
DIA-211-1997-12-15-2ミャンマー1997年12月15日1990年代ASEAN拡大首脳会議,来春ロンドンで開催予定の第2回アジア欧州会議(ASEM)首脳会合に,ミャンマーを加えないことを確認。
DIA-211-1997-12-16-1ミャンマー1997年12月16日1990年代タンシュエ議長,アナン国連事務総長とクアラルンプールで会談。国連特使としてデソト事務次長補の受入れを表明。
DIA-211-1997-12-18-1ミャンマー1997年12月18日1990年代当局,NLD中央執行委員5人を内務省へ呼び,スーチーの自宅外活動自粛を要請。
DIA-211-1997-12-20-1ミャンマー1997年12月20日1990年代再度,内閣改造を実施。閣僚8人の所管省が変更,1人が新規入閣。
DIA-211-1997-12-22-1ミャンマー1997年12月22日1990年代東京海上火災保険,ヤンゴン事務所を開設。
DIA-211-1997-12-30-1ミャンマー1997年12月30日1990年代ミャンマー警察規律維持修正法公布。
DIA-211-1998-01-04-1ミャンマー1998年01月04日1990年代国民民主連盟(NLD),独立50周年記念集会をスーチーNLD書記長宅で開催。
DIA-211-1998-01-08-1ミャンマー1998年01月08日1990年代セインアウン前第1工業相,死去。68歳。
DIA-211-1998-01-19-1ミャンマー1998年01月19日1990年代国防省戦略研究室,トゥン・ファウンデーション銀行と共催で「経済セミナー」を開催(~22日)。
DIA-211-1998-01-20-1ミャンマー1998年01月20日1990年代デソト国連事務次長補,来訪(~23日)。21日外相,22日キンニュン第1書記,スーチーと個別に,23日タンシュエ議長と会談。
DIA-211-1998-01-23-1ミャンマー1998年01月23日1990年代日本貿易振興会(JETRO)のヤンゴン事務所,開設。
DIA-211-1998-01-27-1ミャンマー1998年01月27日1990年代ミャンマー航空機,サンドウェー空港で離陸に失敗。14名が死亡。
DIA-211-1998-02-03-1ミャンマー1998年02月03日1990年代ミャンマー商工会議所,日本商工会議所と「経済協力委員会」の設立で合意。
DIA-211-1998-02-05-1ミャンマー1998年02月05日1990年代富士通,パソコンなど情報通信機器の現地生産・販売に進出(新聞報道日)。
DIA-211-1998-02-10-1ミャンマー1998年02月10日1990年代政府,商業省傘下の官民共同出資会社(JVC)9社を清算する方針(新聞報道日)。
DIA-211-1998-02-12-1ミャンマー1998年02月12日1990年代NLD,「連邦の日」記念集会をスーチー宅で開催。
DIA-211-1998-02-12-2ミャンマー1998年02月12日1990年代雲南機械設備輸出入公司,水力発電所建設に2億5000万ドルの融資を決定(ミャンマー電力公社との覚書調印日,ただし実施契約調印は10月6日)。
DIA-211-1998-02-17-1ミャンマー1998年02月17日1990年代タンシュエ,フィリピンを公式訪問(~19日)。第1書記ら随行。
DIA-211-1998-02-21-1ミャンマー1998年02月21日1990年代ミンガラードン工業団地が完成。三井物産とミャンマー建設省の合弁事業。
DIA-211-1998-02-24-1ミャンマー1998年02月24日1990年代日本政府,20億円の債務救済無償援助の公文を交換。
DIA-211-1998-02-25-1ミャンマー1998年02月25日1990年代キンニュン,二男を勘当。二男の国際結婚が原因とされる。
DIA-211-1998-03-01-1ミャンマー1998年03月01日1990年代政府,全ビルマ学生民主戦線(ABSDF)地下活動家ら40人を逮捕と発表(記者会見日)。
DIA-211-1998-03-10-1ミャンマー1998年03月10日1990年代マハティール・マレーシア首相来訪(~11日)。政府首脳と会談。同行のアブドラ外相は,スーチーを含むNLD幹部とも会談。
DIA-211-1998-03-11-1ミャンマー1998年03月11日1990年代日本政府,ヤンゴン国際空港整備に対し,25億円の円借款供与を表明。
DIA-211-1998-03-11-2ミャンマー1998年03月11日1990年代民主カレン仏教徒機構(DKBA),カレン族難民キャンプを襲撃(~3月下旬)。
DIA-211-1998-03-24-1ミャンマー1998年03月24日1990年代ゴー・チョク・トン・シンガポール首相,来訪(~25日)。
DIA-211-1998-03-29-1ミャンマー1998年03月29日1990年代インド政府,ミャンマー政府に対する1000万ドルの借款協定(インドからの資本財輸出に対する貿易金融)に調印。
DIA-211-1998-03-29-2ミャンマー1998年03月29日1990年代中国輸出入銀行,1億5000万元の融資契約に調印。
DIA-211-1998-03-31-1ミャンマー1998年03月31日1990年代日本政府,ミャンマー政府および国連麻薬統制計画(UNDCP)と共同で「麻薬セミナー」を開催(~4月1日)。
DIA-211-1998-04-01-1ミャンマー1998年04月01日1990年代日米両政府,シャン州でのケシ栽培撲滅活動に,合計380万ドルの援助を表明。米国の現政権に対する援助は初めて。
DIA-211-1998-04-06-1ミャンマー1998年04月06日1990年代政府,「1949年売春取締法を改正する法律」を公布。
DIA-211-1998-04-07-1ミャンマー1998年04月07日1990年代政府,リチャードソン米国連大使の来訪提案を拒否。
DIA-211-1998-04-14-1ミャンマー1998年04月14日1990年代チェッタ・タイ陸軍司令官,来訪(~15日)。
DIA-211-1998-04-25-1ミャンマー1998年04月25日1990年代タンシュエ,ブルネイ訪問(~27日)。第1書記ら随行。
DIA-211-1998-04-27-1ミャンマー1998年04月27日1990年代EU理事会,軍政幹部に対する査証発給制限など,対ミャンマー制裁措置の6カ月延長を決定。
DIA-211-1998-05-04-1ミャンマー1998年05月04日1990年代マウンエー陸軍司令官を団長とする軍事代表団,ベトナム訪問(~8日)。
DIA-211-1998-05-07-1ミャンマー1998年05月07日1990年代政府,3人の副相(SPDC議長府副相,外務副相,建設副相)を任命。
DIA-211-1998-05-08-1ミャンマー1998年05月08日1990年代セヴェリノASEAN事務局長,来訪(~11日)。
DIA-211-1998-05-20-1ミャンマー1998年05月20日1990年代タイ警察,領内に不法滞在するビルマ連邦国民連合政府(NCGUB)幹部らを逮捕。
DIA-211-1998-05-21-1ミャンマー1998年05月21日1990年代経団連,ヤンゴンで第2回「ミャンマー=日本経済協力会議」を開催(~22日)。
DIA-211-1998-05-27-1ミャンマー1998年05月27日1990年代NLD,スーチー宅で90年総選挙記念集会を開催(~28日)。国会の早期開催など13項目の要求を採択。
DIA-211-1998-05-27-2ミャンマー1998年05月27日1990年代原口外務審議官,タンシュエに民主化・人権改善を求める橋本首相の親書を手交。
DIA-211-1998-05-29-1ミャンマー1998年05月29日1990年代日本政府,20億円の債務救済無償援助の公文を交換。
DIA-211-1998-05-29-2ミャンマー1998年05月29日1990年代ボルキア・ブルネイ国王,来訪(~31日)。
DIA-211-1998-06-02-1ミャンマー1998年06月02日1990年代労働相,ジュネーブで開催の第86回ILO会議(~18日)に出席。
DIA-211-1998-06-02-2ミャンマー1998年06月02日1990年代トヨタ自動車,ヤンゴンに駐在員事務所を開設(新聞報道日)。
DIA-211-1998-06-04-1ミャンマー1998年06月04日1990年代日本の国会議員有志,「ミャンマー政府支援促進議員連盟」(会長:武藤嘉文)を結成。
DIA-211-1998-06-05-1ミャンマー1998年06月05日1990年代シェーファー・ドイツ外務担当国務大臣,セインアウンNCGUB首相と会談。
DIA-211-1998-06-05-2ミャンマー1998年06月05日1990年代SPDC,1997年11月15日に設立された顧問グループを解散。
DIA-211-1998-06-06-1ミャンマー1998年06月06日1990年代シャン族民主連盟(SNLD),アラカン民主連盟(ALD),モン族民主戦線(MNDF),ゾミ会議(ZNC)の少数民族4政党,軍政に国会開催要求を提出。
DIA-211-1998-06-13-1ミャンマー1998年06月13日1990年代マウンマウンキン副首相兼投資委員会(MIC)委員長,来日(~17日)。
DIA-211-1998-06-21-1ミャンマー1998年06月21日1990年代グエン・マイン・カム・ベトナム副首相兼外相,来訪(~24日)。
DIA-211-1998-06-23-1ミャンマー1998年06月23日1990年代NLD,8月21日までに90年総選挙結果に基づく国会開催を要求。
DIA-211-1998-06-25-1ミャンマー1998年06月25日1990年代NLD青年党員約50人と武装警官が乱闘。スーチーは事件に抗議し,自宅前で座り込み(~26日)。
DIA-211-1998-06-29-1ミャンマー1998年06月29日1990年代タイ石油公社,ヤダナ・ガス田とカンチャナブリ県を結ぶパイプライン(海上360km,陸上60km)の完成を発表。
DIA-211-1998-07-02-1ミャンマー1998年07月02日1990年代NLD,90年選挙選出議員への移動制限に抗議する書簡をタンシュエ宛に発出。
DIA-211-1998-07-03-1ミャンマー1998年07月03日1990年代日本政府,食糧増産無償援助(8億円)供与の公文を交換。
DIA-211-1998-07-07-1ミャンマー1998年07月07日1990年代スーチー,ヤンゴン郊外で当局による移動妨害(~8日)。
DIA-211-1998-07-13-1ミャンマー1998年07月13日1990年代キンニュン,ブルネイ,シンガポール訪問(~17日)。
DIA-211-1998-07-19-1ミャンマー1998年07月19日1990年代スーチー,軍政の主催する「殉難者の日」(父アウンサン将軍の命日)式典に出席。その後,自宅で独自の式典を開催。
DIA-211-1998-07-20-1ミャンマー1998年07月20日1990年代スーチー,再び当局から移動制限。
DIA-211-1998-07-22-1ミャンマー1998年07月22日1990年代オンジョー外相,ASEAN外相会議,ARF閣僚会議,ASEAN拡大外相会議出席のためフィリピン訪問(~30日)。
DIA-211-1998-07-24-1ミャンマー1998年07月24日1990年代スーチー,当局の移動妨害に抗議し,車内籠城(~29日)。
DIA-211-1998-07-29-1ミャンマー1998年07月29日1990年代車内籠城を続けるスーチーを,当局が自宅に強制送還。
DIA-211-1998-07-30-1ミャンマー1998年07月30日1990年代オルブライト米国務長官,スーチーの強制送還を人権侵害として批判。オーストラリアと共同で,国連に関与を要請。
DIA-211-1998-08-06-1ミャンマー1998年08月06日1990年代エーベルSPDC議長府相,BIMST-EC経済担当閣僚会議出席のためタイ訪問(~9日)。
DIA-211-1998-08-07-1ミャンマー1998年08月07日1990年代アウンシュエNLD議長,軍政からの会談申し込みを拒否。スーチーの同席が認められないことが理由。
DIA-211-1998-08-07-2ミャンマー1998年08月07日1990年代SPDC,トゥンチー前商業相,ミンアウン前農業灌漑相らの不正蓄財を調査する委員会を設置。
DIA-211-1998-08-07-3ミャンマー1998年08月07日1990年代ミャンマー=マレーシア貿易促進委員会,開催。
DIA-211-1998-08-09-1ミャンマー1998年08月09日1990年代外国人活動家18人,ヤンゴン市内で民主化運動支援のビラをまいて逮捕。14日に懲役5年の判決が出た後,15日に国外退去処分。
DIA-211-1998-08-11-1ミャンマー1998年08月11日1990年代日,米,豪,英,仏,独など8カ国,スーチーと軍政の対話を求める書簡を軍政に発出。
DIA-211-1998-08-12-1ミャンマー1998年08月12日1990年代スーチー,移動制限に抗議し,再び車内籠城(~24日)。
DIA-211-1998-08-17-1ミャンマー1998年08月17日1990年代在日ビルマ人協会の3人,日本政府へ難民認定を返上(記者会見日)。
DIA-211-1998-08-18-1ミャンマー1998年08月18日1990年代キンニュン,アウンシュエと会談。軍政幹部とNLD首脳との会談は97年7月以来。
DIA-211-1998-08-18-2ミャンマー1998年08月18日1990年代政府,96年12月から閉鎖されている全国主要大学の卒業・進級試験を開始。
DIA-211-1998-08-21-1ミャンマー1998年08月21日1990年代NLD,90年総選挙結果に基づく国会を,近日中に独自開催するとの声明を発表。
DIA-211-1998-08-24-1ミャンマー1998年08月24日1990年代学生約100人,学生連盟の合法化などを求めてヤンゴンでデモ。
DIA-211-1998-08-24-2ミャンマー1998年08月24日1990年代内務相,NLD中央執行委員と会談。治安と法を乱す行為を慎むように要請。
DIA-211-1998-08-24-3ミャンマー1998年08月24日1990年代ヤンゴン発タチレイッ行きミャンマー航空機,墜落(27日発見)。
DIA-211-1998-08-29-1ミャンマー1998年08月29日1990年代スーチー,9月中の独自国会開催を表明。
DIA-211-1998-09-01-1ミャンマー1998年09月01日1990年代日本人を含む3人のジャーナリスト,国外退去処分。
DIA-211-1998-09-02-1ミャンマー1998年09月02日1990年代ヤンゴン工科大学構内で学生デモ。
DIA-211-1998-09-02-2ミャンマー1998年09月02日1990年代世銀,ミャンマーの債務返済遅延を受け,同国債権を未収金未計上ステータス(non-accrual status,事実上の貸倒)と認定。
DIA-211-1998-09-08-1ミャンマー1998年09月08日1990年代国営紙,スーチーの国外追放を論評。
DIA-211-1998-09-08-2ミャンマー1998年09月08日1990年代日本政府,米マサチューセッツ州のミャンマー制裁法に関し,WTOに紛争処理小委員会(パネル)の設置を要請。
DIA-211-1998-09-08-3ミャンマー1998年09月08日1990年代運輸相,第4回ASEAN運輸相会議(9~10日)参加のため,シンガポール訪問(~11日)。
DIA-211-1998-09-10-1ミャンマー1998年09月10日1990年代政府,「文化遺産地域を保護および維持する法律」を公布。
DIA-211-1998-09-13-1ミャンマー1998年09月13日1990年代国営紙,ティンウーNLD副議長の再拘束を論評。
DIA-211-1998-09-14-1ミャンマー1998年09月14日1990年代日本大使館,11万4000ドルの草の根無償援助契約に調印。
DIA-211-1998-09-16-1ミャンマー1998年09月16日1990年代NLD,少数民族政党と共同で国会議員など10人からなる「国会議員代表者委員会」(CRPP)を設置(「参考資料」参照)。90年選挙での選出議員251人より権限委任を受ける。
DIA-211-1998-09-16-2ミャンマー1998年09月16日1990年代タイ陸軍司令官,タンシュエと会談。
DIA-211-1998-09-16-3ミャンマー1998年09月16日1990年代農業灌漑相,第20回ASEAN農業林業担当閣僚会議(17~18日)出席のため,ベトナム訪問(~22日)。
DIA-211-1998-09-17-1ミャンマー1998年09月17日1990年代CRPP,初の声明で88年以降軍政が制定した法律の無効を宣言。
DIA-211-1998-09-17-2ミャンマー1998年09月17日1990年代外相,第53回国連総会出席のため訪米(~10月9日)。9月30日国連総会で演説。
DIA-211-1998-09-18-1ミャンマー1998年09月18日1990年代政府,「政治問題委員会」を設置(「参考資料」参照)。
DIA-211-1998-09-22-1ミャンマー1998年09月22日1990年代ミャンマー・タイ国境貿易調整会議,タイのメソットで開催。
DIA-211-1998-09-22-2ミャンマー1998年09月22日1990年代ヤンゴン市中心部で,小規模な学生デモ。
DIA-211-1998-09-23-1ミャンマー1998年09月23日1990年代DKBA,新モン州党(NMSP),シャン州民族人民解放機構(SSNPLO),カチン独立機構(KIO)など約20の少数民族組織,NLDおよびCRPP不支持を表明(~10月にかけ国営紙掲載)。
DIA-211-1998-09-24-1ミャンマー1998年09月24日1990年代軍政の動員による反NLD集会が,主要都市で開始。
DIA-211-1998-09-27-1ミャンマー1998年09月27日1990年代ネーウィン元大統領,病気療養のためシンガポールへ出発。
DIA-211-1998-09-30-1ミャンマー1998年09月30日1990年代財政歳入相,第53回世銀・IMF年次総会出席のため,訪米。
DIA-211-1998-10-01-1ミャンマー1998年10月01日1990年代会計検査院長官を更迭。新長官にティンエー准将。
DIA-211-1998-10-01-2ミャンマー1998年10月01日1990年代エーベル,大メコン圏経済協力会議およびASEAN経済閣僚会議出席のため,フィリピン訪問(~11日)。
DIA-211-1998-10-12-1ミャンマー1998年10月12日1990年代英国外務省主催のミャンマーに関する非公式会議,ロンドン郊外で開催(~13日)。
DIA-211-1998-10-13-1ミャンマー1998年10月13日1990年代スズキ自動車,ミャンマー自動車・ディーゼルエンジン工業公団(MADI)との合弁事業計画を発表。
DIA-211-1998-10-16-1ミャンマー1998年10月16日1990年代NLD,当局に拘束されている979人の党員の解放を要求する書簡を,タンシュエ宛に発出。
DIA-211-1998-10-21-1ミャンマー1998年10月21日1990年代WTO,米マサチューセッツ州のミャンマー制裁法に関する紛争処理小委員会(パネル)を設置。
DIA-211-1998-10-26-1ミャンマー1998年10月26日1990年代EU外相理事会,ミャンマー制裁措置の継続を決定。
DIA-211-1998-10-26-2ミャンマー1998年10月26日1990年代アジア・ウェルス銀行,17番目の支店を開設。
DIA-211-1998-10-27-1ミャンマー1998年10月27日1990年代デソト国連事務次長補,再び来訪(~30日)。27日スーチーと,28日キンニュンと会談。
DIA-211-1998-11-04-1ミャンマー1998年11月04日1990年代中国語紙「緬甸華報」,販売開始。中国語紙の発行は約30年ぶり。
DIA-211-1998-11-09-1ミャンマー1998年11月09日1990年代商業相,輸出収入の多い企業に優遇措置を与えると発表。国内企業,外国企業のそれぞれ上位10社が対象。
DIA-211-1998-11-11-1ミャンマー1998年11月11日1990年代バングラデシュ外相,来訪(~13日)。ナーフ川北部の国境画定で合意。
DIA-211-1998-11-13-1ミャンマー1998年11月13日1990年代NLD,約1200人の市民に米を配給。30日にも実施。
DIA-211-1998-11-13-2ミャンマー1998年11月13日1990年代タイ・ファーマーズ銀行とサイアム・シティー銀行は,ミャンマーでの合弁銀行設立計画を撤回(新聞報道日)。
DIA-211-1998-11-14-1ミャンマー1998年11月14日1990年代内閣改造を実施。オンジョー外相を更迭(後任ウィンアウン駐英大使),ティンフラ軍事相を副首相兼任に,ティングエ運輸相を首相府相へ異動(後任フラミンシュエ第2工業相),第2工業相にソールイン少将任命,最高裁判事および公務員選抜研修院メンバーを更迭,など。
DIA-211-1998-11-16-1ミャンマー1998年11月16日1990年代ミンアウン前農業灌漑相,死去。67歳(新聞報道日)。
DIA-211-1998-11-16-2ミャンマー1998年11月16日1990年代メイフラワー銀行,11番目の支店をマンダレーに開設(新聞報道日)。
DIA-211-1998-11-18-1ミャンマー1998年11月18日1990年代政府,1000チャット紙幣の発行を決定。流通は25日より。
DIA-211-1998-11-20-1ミャンマー1998年11月20日1990年代日本商工会議所,ミャンマー商工会議所と共同で,ヤンゴンにて「ビジネス協議会」を開催。
DIA-211-1998-11-20-2ミャンマー1998年11月20日1990年代中国政府,水力発電所建設向け約5200万ドルの融資に合意。中国国際信託投資公司(CITIC)が実施。
DIA-211-1998-11-20-3ミャンマー1998年11月20日1990年代武藤元総務庁長官,副首相兼MIC委員長,情報相と会談。
DIA-211-1998-11-23-1ミャンマー1998年11月23日1990年代シーサワート・ラオス首相,来訪(~26日)。
DIA-211-1998-11-23-2ミャンマー1998年11月23日1990年代スーチー,軍政がNLD議員の辞職,党員の離党,地方支部の解散を強要していると批判(記者会見)。
DIA-211-1998-11-25-1ミャンマー1998年11月25日1990年代国連と世銀,軍政に条件付き援助を申し出。条件はスーチーを含むNLDとの対話,金額は10億ドルとされる(International Herald Tribune報道日)。
DIA-211-1998-11-27-1ミャンマー1998年11月27日1990年代JETRO,ヤンゴンで初めて「CLM(カンボジア・ラオス・ミャンマー)産業協力セミナー」を開催。
DIA-211-1998-12-02-1ミャンマー1998年12月02日1990年代政府,英国とデンマーク政府関係者への入国査証の発給を停止。
DIA-211-1998-12-10-1ミャンマー1998年12月10日1990年代国際仏教大学,開校。
DIA-211-1998-12-12-1ミャンマー1998年12月12日1990年代NLD,国会開会準備のため,金融・経済,教育,外交,国防など10委員会設置。
DIA-211-1998-12-15-1ミャンマー1998年12月15日1990年代タンシュエ,ASEAN首脳会議(~16日)参加。
DIA-211-1999-01-01-1ミャンマー1999年01月01日1990年代未加工農産物,天然ガス,原油を除くほとんどの商品に税率8%の輸出税を施行。
DIA-211-1999-01-03-1ミャンマー1999年01月03日1990年代ウィンアウン外相,欧州連合(EU)・アメリカとの友好関係回復の希望を表明。
DIA-211-1999-01-07-1ミャンマー1999年01月07日1990年代国連麻薬取締計画と共催で地域に根ざした麻薬撲滅セミナー開催。
DIA-211-1999-01-15-1ミャンマー1999年01月15日1990年代タイ当局,ミャンマーに麻薬密売人の捜索で協力要請。
DIA-211-1999-01-16-1ミャンマー1999年01月16日1990年代ユニセフの協力で,人口動態統計の調査に着手。
DIA-211-1999-01-18-1ミャンマー1999年01月18日1990年代ホール米下院議員,ミャンマーには人道援助が必要と強調。
DIA-211-1999-01-22-1ミャンマー1999年01月22日1990年代アンダマン海で領海を巡りタイとの間で小競り合い,ホットライン開設へ。
DIA-211-1999-01-27-1ミャンマー1999年01月27日1990年代インセインに3000回線のデジタル交換局を中国が無償で提供。
DIA-211-1999-01-28-1ミャンマー1999年01月28日1990年代生産効率の悪い国営衣料工場,製粉所,革製品工場,精米所などを民営化。
DIA-211-1999-01-30-1ミャンマー1999年01月30日1990年代水稲生産高の半分まで輸出を許可。民間企業による開墾を大々的に推進。
DIA-211-1999-02-08-1ミャンマー1999年02月08日1990年代軍政幹部,スーチー国民民主連盟(NLD)書記長は単なる民間人である,政党代表とは認めないと発言。
DIA-211-1999-02-12-1ミャンマー1999年02月12日1990年代国家の発展には全民族の団結が不可欠。連邦記念日にタンシュエ議長演説。
DIA-211-1999-02-15-1ミャンマー1999年02月15日1990年代ウィンアウン外相がASEAN4カ国を歴訪(~20日)。
DIA-211-1999-02-18-1ミャンマー1999年02月18日1990年代第1工業省の副大臣を入れ替え,新任はチョーウィン准将。
DIA-211-1999-02-20-1ミャンマー1999年02月20日1990年代タニンダーリ管区,カチン州でも民間企業による開墾を促進。
DIA-211-1999-02-24-1ミャンマー1999年02月24日1990年代米英,ヤンゴンで開催のインターポール・ヘロイン会議をボイコット。
DIA-211-1999-02-26-1ミャンマー1999年02月26日1990年代インドのラグナート外務次官,来訪。
DIA-211-1999-02-27-1ミャンマー1999年02月27日1990年代加藤前自民党幹事長がシャン州コカン地区を訪問。キンニュン第1書記をはじめとする外相,内相ら閣僚,朝海駐ミャンマー日本大使らが同行。
DIA-211-1999-03-04-1ミャンマー1999年03月04日1990年代タンシュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長,国境地帯のヤカイン,チン両州を視察。
DIA-211-1999-03-05-1ミャンマー1999年03月05日1990年代アメリカが麻薬対策支援を再開の用意ありとの報告書を公表。
DIA-211-1999-03-07-1ミャンマー1999年03月07日1990年代タイのティーラ海軍司令官が友好関係強化で親善訪問。
DIA-211-1999-03-08-1ミャンマー1999年03月08日1990年代タンシュエSPDC議長がタイを公式訪問(~9日)。
DIA-211-1999-03-10-1ミャンマー1999年03月10日1990年代ラジオ・ベトナムとミャンマー・ラジオ・テレビ局,協力覚書に調印。
DIA-211-1999-03-12-1ミャンマー1999年03月12日1990年代1998年度追加予算を発表。国防省支出が99億チャット(開発予算の27%)で突出。
DIA-211-1999-03-14-1ミャンマー1999年03月14日1990年代アメリカとの不和は誤解に基づく一時的なもの。キンニュン第1書記,アメリカの「青年社長組織」使節団を歓迎する行事の席上で友好関係の構築に向け発言。
DIA-211-1999-03-16-1ミャンマー1999年03月16日1990年代ミャンマー・タイ合同国境委員会会合を開催(タイ,プーケット)。
DIA-211-1999-03-18-1ミャンマー1999年03月18日1990年代カンボジアとの間で相互に大使館を開設。
DIA-211-1999-03-22-1ミャンマー1999年03月22日1990年代キンニュン第1書記,ラオスを公式訪問(~24日)。
DIA-211-1999-03-26-1ミャンマー1999年03月26日1990年代政府,イギリスで政治的活動を行わない限り夫を見舞った後のスーチーの再入国を保証すると表明。
DIA-211-1999-03-27-1ミャンマー1999年03月27日1990年代スーチーの夫マイケル・アリスが死亡(53歳)。ミャンマー政府は弔意を表明。
DIA-211-1999-03-30-1ミャンマー1999年03月30日1990年代シンガポールのリー・シャンロン副首相,来訪。タンシュエ議長,キンニュン第1書記と会談。
DIA-211-1999-04-01-1ミャンマー1999年04月01日1990年代1998年度の関税収入は計画を上回る67億チャットに。
DIA-211-1999-04-15-1ミャンマー1999年04月15日1990年代ラオスのソムサワット副首相兼外相,来訪。
DIA-211-1999-04-16-1ミャンマー1999年04月16日1990年代スーチーの末子,ミャンマーに入国し母と再会。
DIA-211-1999-04-19-1ミャンマー1999年04月19日1990年代アジア開銀,ミャンマー経済は低成長と高インフレが続くと予測。
DIA-211-1999-04-23-1ミャンマー1999年04月23日1990年代スーチー,言葉だけでない具体的活動を国連人権委に要請。
DIA-211-1999-04-25-1ミャンマー1999年04月25日1990年代政府,タイ提案のメソート・ヤンゴン道路の舗装計画に不同意。
DIA-211-1999-04-27-1ミャンマー1999年04月27日1990年代NLD,軍政との対話再開を希望と表明。
DIA-211-1999-04-30-1ミャンマー1999年04月30日1990年代NLD所属当選議員の辞任および脱退が各地に拡大。
DIA-211-1999-05-01-1ミャンマー1999年05月01日1990年代ヤンゴン管区内の工業団地への電力供給,24時間態勢に。
DIA-211-1999-05-06-1ミャンマー1999年05月06日1990年代赤十字国際委員会の代表がインセイン刑務所を訪問。
DIA-211-1999-05-11-1ミャンマー1999年05月11日1990年代医科大学3校で1年生の授業を開始。
DIA-211-1999-05-11-2ミャンマー1999年05月11日1990年代政府,多国籍軍によるユーゴ空爆を非難。
DIA-211-1999-05-14-1ミャンマー1999年05月14日1990年代ASEAN労相会議をヤンゴン市内のホテルで開催。ミャンマー国内の強制労働問題にキンニュン第1書記が根拠のない主張と反論。インフラ建設プロジェクトに労賃を支払った労働者のみ使うことを指示したと表明。
DIA-211-1999-05-20-1ミャンマー1999年05月20日1990年代マレーシアとの間で貿易促進・投資協力の覚書に調印(カウンター・トレードを盛込む)。
DIA-211-1999-05-21-1ミャンマー1999年05月21日1990年代アメリカ,対ミャンマー制裁を1年延長。
DIA-211-1999-05-23-1ミャンマー1999年05月23日1990年代スーチーの長男も来訪し,母と再会。
DIA-211-1999-05-27-1ミャンマー1999年05月27日1990年代ASEAN商工会議所会議を開催。ミャンマーは自由貿易地域への早期加入を表明。
DIA-211-1999-05-29-1ミャンマー1999年05月29日1990年代ウィンアウン外相,韓国を公式訪問。
DIA-211-1999-06-05-1ミャンマー1999年06月05日1990年代キンニュン第1書記がフランスの雑誌との単独インタビューに応じ,対米関係,野党への対応など,外交,内政全般について見解を明らかにした(The New Light of Myanmar紙報道)。
DIA-211-1999-06-07-1ミャンマー1999年06月07日1990年代キンニュン第1書記が訪中(~11日)。羅幹国務委員と会談し経済技術協力協定に調印。5000万元の無利子借款協定も調印。
DIA-211-1999-06-13-1ミャンマー1999年06月13日1990年代キンニュン第1書記,マンデラ大統領の招きで南アを訪問し,首相代理としてムベキ新大統領の就任式に出席。エーベルSPDC議長府相,ウィンアウン外相が同行。
DIA-211-1999-06-13-2ミャンマー1999年06月13日1990年代欧州産肉・乳製品の輸入を禁止。
DIA-211-1999-06-18-1ミャンマー1999年06月18日1990年代国際労働機関(ILO),すべての会議からミャンマーを締め出す。
DIA-211-1999-06-23-1ミャンマー1999年06月23日1990年代マサチューセッツ州のビルマ法は違憲と米控訴裁判所。
DIA-211-1999-06-26-1ミャンマー1999年06月26日1990年代ウィンアウン外相,マレーシアを訪問。
DIA-211-1999-06-30-1ミャンマー1999年06月30日1990年代マレーシアのアヌアル・ムサ農村開発相,来訪。地方開発を視察。
DIA-211-1999-07-07-1ミャンマー1999年07月07日1990年代シンガポール企業との合弁によって製造されている「ミャンマービール」,ベルギーで開催のコンテストで金賞。
DIA-211-1999-07-09-1ミャンマー1999年07月09日1990年代教育省が文民のミョーニュン,第2工業省がアウンテインリン准将を副大臣に追加。新首席裁判官にアウントウが任命された。
DIA-211-1999-07-09-2ミャンマー1999年07月09日1990年代EU代表団,ミャンマー政府と野党に対話呼びかけ。
DIA-211-1999-07-10-1ミャンマー1999年07月10日1990年代船員,外交官,政府派遣専門家以外のすべての国外就労者を対象とした国外就労法を施行。労働局への登録,手数料の支払いを義務づけ。
DIA-211-1999-07-13-1ミャンマー1999年07月13日1990年代スーチー,ASEANの不干渉政策は言い訳と批判。
DIA-211-1999-07-14-1ミャンマー1999年07月14日1990年代ウィンアウン外相,スリランカ,バングラデシュを歴訪(~20日)。
DIA-211-1999-07-16-1ミャンマー1999年07月16日1990年代軍政,野党との対話再開の条件(10人委員会の撤廃)を提示。
DIA-211-1999-07-17-1ミャンマー1999年07月17日1990年代キンニュン第1書記,司法の汚職一掃を訴え。
DIA-211-1999-07-19-1ミャンマー1999年07月19日1990年代殉難者の日記念行事を挙行。
DIA-211-1999-07-24-1ミャンマー1999年07月24日1990年代野党NLD,軍政が提案した対話再開の条件を拒否。
DIA-211-1999-07-26-1ミャンマー1999年07月26日1990年代3月実施の大学入試,合格者は28%にあたる11万2700人。
DIA-211-1999-07-26-2ミャンマー1999年07月26日1990年代ASEAN地域フォーラム(ARF)会合で,オルブライト米国務長官が,ミャンマーの政治状況の行詰りに落胆していると批判。
DIA-211-1999-07-30-1ミャンマー1999年07月30日1990年代ビチャイ・タイ副首相,来訪(~8月2日)。
DIA-211-1999-08-01-1ミャンマー1999年08月01日1990年代チョータン空軍司令官一行,タイを親善訪問(~6日)。
DIA-211-1999-08-03-1ミャンマー1999年08月03日1990年代タイ当局,ミャンマー人を含む外国人労働者の在留を許可。
DIA-211-1999-08-04-1ミャンマー1999年08月04日1990年代1998年度の来訪旅行者数は10%増の約30万人。
DIA-211-1999-08-05-1ミャンマー1999年08月05日1990年代オーストラリア,ミャンマーに独自の人権委員会の設暉を提案。
DIA-211-1999-08-15-1ミャンマー1999年08月15日1990年代マレーシアのリン・リョンシク運輸相が来訪。
DIA-211-1999-08-15-2ミャンマー1999年08月15日1990年代キンマウンウィン外務副大臣,アフリカ4カ国とイランをSPDC議長特使として訪問(~31日)。
DIA-211-1999-08-16-1ミャンマー1999年08月16日1990年代ヤンゴン外語大,東京のランゲージスクールと共同で日本語会話コースを開講。
DIA-211-1999-08-24-1ミャンマー1999年08月24日1990年代タイのスリン外相来訪。ミャンマー・タイ二国間協力合同委員会でタイ首相の公式訪問を合意。
DIA-211-1999-08-25-1ミャンマー1999年08月25日1990年代タイとの間で文化協力を含む2協定に調印。
DIA-211-1999-08-26-1ミャンマー1999年08月26日1990年代ASEAN観光局会議を主催。観光客の域内誘致で協力を強化へ。
DIA-211-1999-08-26-2ミャンマー1999年08月26日1990年代タイ在住難民・移入者に関するハイレベル協議に同意。
DIA-211-1999-08-26-3ミャンマー1999年08月26日1990年代タイのスリン外相の要請に応じて,違法入国,越境漁業などで拘束されたタイ人53人を無条件解放へ。
DIA-211-1999-08-26-4ミャンマー1999年08月26日1990年代エーヤーワディ管区の町でNLD党員ゼロ宣言。
DIA-211-1999-09-03-1ミャンマー1999年09月03日1990年代赤十字国際委員会,政治犯を含む囚人多数と面会。
DIA-211-1999-09-03-2ミャンマー1999年09月03日1990年代違法行為を繰り返したイギリス人男性活動家に禁固12年の判決。
DIA-211-1999-09-06-1ミャンマー1999年09月06日1990年代マレーシアのザヒディ国軍司令官が友好訪問,タンシュエ議長と会談。
DIA-211-1999-09-07-1ミャンマー1999年09月07日1990年代在外ミャンマー大使館,個人旅行者への査証発給を停止。
DIA-211-1999-09-09-1ミャンマー1999年09月09日1990年代「フォアーナイン」蜂起呼びかけは失敗,軍が反乱を封じ込め。
DIA-211-1999-09-09-2ミャンマー1999年09月09日1990年代「フォアーナイン」当日,外国大使館武官と国防省職員との親善ゴルフ大会を開催。
DIA-211-1999-09-14-1ミャンマー1999年09月14日1990年代大衆組織の連邦団結発展協会(USDA)が年次総会を開催(~16日),加入者数は1180万人に。
DIA-211-1999-09-17-1ミャンマー1999年09月17日1990年代非常事態法違反のイギリス人女性に7年の実刑判決。
DIA-211-1999-09-22-1ミャンマー1999年09月22日1990年代スーチー,オーストラリアのミャンマーに対する人権アプローチは民主化を阻害と発言。
DIA-211-1999-09-30-1ミャンマー1999年09月30日1990年代ASEAN域内関税の撤廃で合意,ミャンマーは2008年までに。
DIA-211-1999-10-01-1ミャンマー1999年10月01日1990年代「強健なビルマ学生戦士」と名乗る武装グループ,タイのミャンマー大使館を占拠。政治犯の釈放,スーチーNLD書記長との対話,国会の開催を要求。政府は要求を,拒否。
DIA-211-1999-10-02-1ミャンマー1999年10月02日1990年代タイ当局との交渉で武装グループは,スクンパン副外相ら政府高官2人を人質の身代わりにしヘリコプターでタイ・ミャンマー国境地帯に逃走。
DIA-211-1999-10-05-1ミャンマー1999年10月05日1990年代在タイ大使館占拠事件で政府が会見。タイの対応を批判し2国間関係の悪化を示唆。
DIA-211-1999-10-11-1ミャンマー1999年10月11日1990年代EU,対ミャンマー制裁を6カ月延長。
DIA-211-1999-10-12-1ミャンマー1999年10月12日1990年代タイ首相,ミャンマーに関係正常化を呼びかけ。
DIA-211-1999-10-14-1ミャンマー1999年10月14日1990年代政府,在タイ・ミャンマー大使館占拠犯の逮捕・起訴が関係正常化の条件とタイに表明。
DIA-211-1999-10-14-2ミャンマー1999年10月14日1990年代デソト国連事務総長特使6回目の訪問。政府,野党幹部と会談(~18日)。
DIA-211-1999-10-16-1ミャンマー1999年10月16日1990年代連邦団結発展協会を始めとする民間団体,テロ非難の大規模集会を開催。
DIA-211-1999-10-16-2ミャンマー1999年10月16日1990年代タイ軍,越境のミャンマー軍と交戦。
DIA-211-1999-10-21-1ミャンマー1999年10月21日1990年代日本・ミャンマー商工会議所ビジネス協議会第2回合同会議が東京で開催。
DIA-211-1999-11-02-1ミャンマー1999年11月02日1990年代日本・総理府主催の東南アジア青年の船,ミャンマーに寄港。
DIA-211-1999-11-03-1ミャンマー1999年11月03日1990年代韓国のハン・ドクスー通産相,来訪(~6日)。
DIA-211-1999-11-04-1ミャンマー1999年11月04日1990年代政府報告書,国際機関による対ミャンマー支援の妨害がアメリカの方針と批判。
DIA-211-1999-11-04-2ミャンマー1999年11月04日1990年代当局,NLD青年・女性部の党員を全員釈放。
DIA-211-1999-11-05-1ミャンマー1999年11月05日1990年代政府,ケシ栽培面積は31%減少と発表。米国は評価せず。
DIA-211-1999-11-05-2ミャンマー1999年11月05日1990年代政府,国連人権調査官の報告書を偏向と批判。
DIA-211-1999-11-07-1ミャンマー1999年11月07日1990年代インドネシアのワヒド大統領が来訪。タンシュエSPDC議長,キンニュン第1書記らと会談し,友好関係の継続を確認。
DIA-211-1999-11-09-1ミャンマー1999年11月09日1990年代政府,実刑判決のイギリス人女性を釈放。
DIA-211-1999-11-12-1ミャンマー1999年11月12日1990年代シンガポールのテオ・チーヒアン教育相が来訪。
DIA-211-1999-11-13-1ミャンマー1999年11月13日1990年代国境貿易の振興でインドと合意。
DIA-211-1999-11-15-1ミャンマー1999年11月15日1990年代NLDと同盟関係にある少数民族組織の幹部を拘束。
DIA-211-1999-11-16-1ミャンマー1999年11月16日1990年代ミャンマー最長のボミャトゥン橋(エーヤーワディ管区)が開通。
DIA-211-1999-11-24-1ミャンマー1999年11月24日1990年代タイ航空,ヤンゴン便の座席数削減提案を受け入れ。
DIA-211-1999-11-24-2ミャンマー1999年11月24日1990年代米下院議員のトム・キャンベル夫妻が来訪。第1書記,内相と会談。
DIA-211-1999-11-25-1ミャンマー1999年11月25日1990年代ミャンマー・タイ国境を再開。
DIA-211-1999-11-28-1ミャンマー1999年11月28日1990年代小渕首相,マニラのASEAN非公式首脳会議でタンシュエSPDC議長と個別に非公式会談。
DIA-211-1999-11-28-2ミャンマー1999年11月28日1990年代金・韓国大統領とタンシュエ議長が会談,二国間経済関係を民間まで広げることで合意。
DIA-211-1999-11-30-1ミャンマー1999年11月30日1990年代米最高裁,マサチューセッツ州法を巡る審理を決定。
DIA-211-1999-11-30-2ミャンマー1999年11月30日1990年代マウンマウンSPDC議長府相を解任。
DIA-211-1999-12-01-1ミャンマー1999年12月01日1990年代中国・ミャンマー国境地帯協力管理会合を開催,合意文書に署名。
DIA-211-1999-12-01-2ミャンマー1999年12月01日1990年代橋本前首相,タンシュエ議長,マウンエー副議長らと会談。
DIA-211-1999-12-01-3ミャンマー1999年12月01日1990年代30人の志士の1人であるボーアウンを中心とする退役軍人グループが,軍部,野党,少数民族代表との三者協議を呼びかけ。
DIA-211-1999-12-08-1ミャンマー1999年12月08日1990年代米上院議員が政府幹部,スーチーと会談。
DIA-211-1999-12-09-1ミャンマー1999年12月09日1990年代経団連ミャンマー委員会,人材育成面での支援を検討。
DIA-211-1999-12-10-1ミャンマー1999年12月10日1990年代「スーチー氏は否定的姿勢から脱却を」,Asiaweek誌との会見でキンニュン第1書記が意向を表明。
DIA-211-1999-12-21-1ミャンマー1999年12月21日1990年代ウィンアウン外相が訪中。経済,投資,科学,技術の分野における協力関係の強化を中国側閣僚と協議(~29日)。
DIA-211-1999-12-24-1ミャンマー1999年12月24日1990年代国防省医務局次長のアウンナインが新駐日大使に正式着任。
DIA-211-1999-12-27-1ミャンマー1999年12月27日1990年代ティンウーSPDC第2書記,ラオスを友好訪問。麻薬抑圧での協力,国境地帯の道路改善などを協議(~30日)。