DIA-202-1990-01-01-1 | カンボジア | 1990年01月01日 | 1990年代 | GSOCフン・セン(Hun Sen)首相,対立各派との和解の成否に関わらず,1991年までに総選挙を行なうと表明。 |
DIA-202-1990-01-02-1 | カンボジア | 1990年01月02日 | 1990年代 | マルタン(Martin)・フランス外務省アジア課長,雑誌インタビューで,政治的合意に引き入れなければDKは外部から合意を破壊しようとするであろう,と表明。 |
DIA-202-1990-01-03-1 | カンボジア | 1990年01月03日 | 1990年代 | コステロ(Costello)・オーストラリア外務次官補,エヴァンズ(Evans)・オーストラリア外相のカンボジア和平案について関係諸国と協議するためにキャンベラを出発。エヴァンズ和平案は,GSOCの代わりに国連が統治すること,およびCGDKの国連議席の空席化を提案。 |
DIA-202-1990-01-03-2 | カンボジア | 1990年01月03日 | 1990年代 | アラタス(Alatas)・インドネシア外相,インドネシアはカンボジア紛争解決に向けてのオーストラリアの努力を歓迎し,自国も各派間の対話の仲介努力を継続する,と表明。 |
DIA-202-1990-01-03-3 | カンボジア | 1990年01月03日 | 1990年代 | 中山・日本外相,チャチャイ(Chatichai)・タイ首相との会談で,紛争解決後のカンボジア経済再建に備えて外務省職員を現地調査のためにプノンペンに派遣すると表明。 |
DIA-202-1990-01-04-1 | カンボジア | 1990年01月04日 | 1990年代 | コステロ・オーストラリア外務次官補,バンコクでのDKキュー・サンパン(Khieu Samphan)議長との会談の後,「キュー・サンパンがわれわれと会うのに同意したということは,DKがより現実的で柔軟になりつつあるということであるとしか言えない」と表明。 |
DIA-202-1990-01-04-2 | カンボジア | 1990年01月04日 | 1990年代 | シハヌーク(Norodom Sihanouk)殿下,DKを和解から排除すべきであるというプノンペン政府の主張は,DKの政権復帰を招きかねないと警告。 |
DIA-202-1990-01-04-3 | カンボジア | 1990年01月04日 | 1990年代 | GSOC,1990年度のベトナムとの経済・文化・科学・技術協力協定,および商品交換に関する議定書に調印。 |
DIA-202-1990-01-04-4 | カンボジア | 1990年01月04日 | 1990年代 | VONADK,ベトナムは12月26日に約1800人の兵士を戦場に送っており,彼らはカンボジア警察の制服を着ていると放送。 |
DIA-202-1990-01-05-1 | カンボジア | 1990年01月05日 | 1990年代 | DKはオーストラリアのエヴァンズ提案を拒絶し,三派の暫定政府およびプノンペン政府が総選挙まで権力を共有することを主張。 |
DIA-202-1990-01-07-1 | カンボジア | 1990年01月07日 | 1990年代 | GSOCフン・セン首相,コステロ・オーストラリア外務次官補と会談。エヴァンズ案に対しては柔軟な態度を示し,国連におけるカンボジア議席の空席化を唯一の条件として,最高国民評議会(SNC)の設置とそれへのキュー・サンパンの参加,および国際監視機構(ICM)における国連の関与に同意。 |
DIA-202-1990-01-07-2 | カンボジア | 1990年01月07日 | 1990年代 | VONADK,DKがバッタンバンを攻撃し炎上させたと放送。 |
DIA-202-1990-01-07-3 | カンボジア | 1990年01月07日 | 1990年代 | GSOCティア・バン(Tea Banh)国防相,タイ国境付近において反政府ゲリラの勢力が拡大していること,および政府軍が主要都市・道路に集結するためにいくつかの地点を放棄したことを容認。 |
DIA-202-1990-01-08-1 | カンボジア | 1990年01月08日 | 1990年代 | GSOCチュン・バン・ロン(Chun Ban Rong)外務省広報部長,DKのバッタンバン攻撃を否定。 |
DIA-202-1990-01-09-1 | カンボジア | 1990年01月09日 | 1990年代 | ロガチョフ(Rogachev)・ソ連外務次官,中国外務省とカンボジア問題を協議するために北京に到着。 |
DIA-202-1990-01-09-2 | カンボジア | 1990年01月09日 | 1990年代 | SPK,1989年にはクレープ・ゴムを88年比5000トン増の3万5000トン輸出したと報道。 |
DIA-202-1990-01-11-1 | カンボジア | 1990年01月11日 | 1990年代 | GSOCフン・セン首相,あらゆる犠牲を払って新兵を補充することを命令。 |
DIA-202-1990-01-11-2 | カンボジア | 1990年01月11日 | 1990年代 | GSOCウン・ブンタ(Un Buntha)計画省総合計画局次長,カンボジア北西部の戦闘により,1989年の籾の収穫は計画を15%下回る267万トンであると発表。 |
DIA-202-1990-01-11-3 | カンボジア | 1990年01月11日 | 1990年代 | デクエヤル国連事務総長,国連はカンボジアにおいて役割を果たす用意があると表明。 |
DIA-202-1990-01-12-1 | カンボジア | 1990年01月12日 | 1990年代 | SPK,農業省によれば,1989年末時点の乾期作植付総面積は2万5500ヘクタールであると報道。 |
DIA-202-1990-01-12-2 | カンボジア | 1990年01月12日 | 1990年代 | SPK,1989年の工業生産総額は計画を%10上回り,88年比26%増,そのために国家歳入は計画を8%上回り,88年比33%増であると報道。 |
DIA-202-1990-01-14-1 | カンボジア | 1990年01月14日 | 1990年代 | GSOCウン・ブンタ計画省総合計画局次長,予想される東ヨーロッパ物資の減少を相殺するために,近隣資本主義諸国からの輸入を倍増することを望むと表明。 |
DIA-202-1990-01-15-1 | カンボジア | 1990年01月15日 | 1990年代 | カンボジア紛争に関する第1回国連安全保障理事会常任理事国外務次官・局長級会議,15,16日パリで開会。 |
DIA-202-1990-01-16-1 | カンボジア | 1990年01月16日 | 1990年代 | 国連安全保障理事会常任理事国外務次官・局長級会議で,カンボジア紛争の解決において国連がより一層重要な役割を果たすこと,および国連の直接監督下で自由選挙を行うことで常任理事国5カ国が合意。当会議は16項目の声明を発表して閉会。 |
DIA-202-1990-01-16-2 | カンボジア | 1990年01月16日 | 1990年代 | KPRP,16~19日,第5回中央委員会第10回総会をプノンペンにて開催し,エヴァンズ和平案を検討。 |
DIA-202-1990-01-17-1 | カンボジア | 1990年01月17日 | 1990年代 | タイ国会議員与野党含め90名,チャチャイ・タイ首相に対カンボジア政策の再考およびカンボジア諸派に対する援助・避難揚所の提供中止を求める書簡に署名。 |
DIA-202-1990-01-18-1 | カンボジア | 1990年01月18日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,最高国民評議会はプノンペン政府の完全解体後に設置することを要求し,国連安全保障理事国外務次官・局長級会議で示唆されたその首席への就任を拒絶。 |
DIA-202-1990-01-18-2 | カンボジア | 1990年01月18日 | 1990年代 | 欧州議会,自由選挙の実施までのカンボジアの国連議席の空席化要求決議を採択し,DKの政権復帰阻止が対カンボジア政策の中心であると表明。 |
DIA-202-1990-01-22-1 | カンボジア | 1990年01月22日 | 1990年代 | DK,ヘン・サムリン軍から奪還した後に新本部を建設中のプノンマライ(Phnom Malai)に記者を案内。 |
DIA-202-1990-01-22-2 | カンボジア | 1990年01月22日 | 1990年代 | EC,カンボジア医療援助として50万ECU(65万ドル)の拠出を表明。国境なき医師団(仏,ベルギー),世界の医師団(仏)が実施母体。 |
DIA-202-1990-01-24-1 | カンボジア | 1990年01月24日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,CGDKの大統領および最高国防評議会議長の辞任を発表。 |
DIA-202-1990-01-24-2 | カンボジア | 1990年01月24日 | 1990年代 | GSOCフン・セン首相,エヴァンズ和平案を踏まえた3項目を提唱。(1)GSOCとCGDKは現支配地域を統治するために維持される。(2)最高国民評議会は両政府(each side)が任命した代表からなる。(3)国連の監視団は総選挙実施まで権限を行使する。また国連はベトナム軍撤兵を検証する。 |
DIA-202-1990-01-25-1 | カンボジア | 1990年01月25日 | 1990年代 | ラナリット(Ranariddh)・ANS総参謀長,自軍がDKに埋没しないようにと西側諸国に軍事援助の拡大を要求。 |
DIA-202-1990-01-26-1 | カンボジア | 1990年01月26日 | 1990年代 | GSOC,第18回国会を開催。チア・シム(Chea Sim)国会議長,DKの「ジェノサイド体制」の復活阻止の保証を強調。 |
DIA-202-1990-01-29-1 | カンボジア | 1990年01月29日 | 1990年代 | コンポンスプー(Kompong Speu)の病院院長,1989年9月以来地雷による負傷者は80人/月へと倍増,と言明。 |
DIA-202-1990-01-31-1 | カンボジア | 1990年01月31日 | 1990年代 | GSOC第18回国会閉会。フン・セン首相兼外相に対して新たな積極外交を促し,さらに今後の全フォーラムにおいてカンボジア国を代表して交渉を進めるための外交行動綱領策定の権限を委託することを決定。 |
DIA-202-1990-02-01-1 | カンボジア | 1990年02月01日 | 1990年代 | PPDS,1989~90年乾期の米の植付は全国で16万ヘクタールであるとの農業省の報告を報道。 |
DIA-202-1990-02-03-1 | カンボジア | 1990年02月03日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,民主カンプチアからカンボジアへの国名変更,および民主カンプチア政府からカンボジア国民政府への政府名称変更を発表。 |
DIA-202-1990-02-03-2 | カンボジア | 1990年02月03日 | 1990年代 | インドシナ共産党60周年記念式典挙行。 |
DIA-202-1990-02-03-3 | カンボジア | 1990年02月03日 | 1990年代 | SPK,コンポンソム港湾市に,フランスのルコフィ社の設備援助で建設された第2冷凍工場が落成したと報道。 |
DIA-202-1990-02-04-1 | カンボジア | 1990年02月04日 | 1990年代 | GSOCフン・セン首相,親族による首相名の乱用に対して警告。 |
DIA-202-1990-02-04-2 | カンボジア | 1990年02月04日 | 1990年代 | オーストラリア調査団(団長メリレス〔Merilless〕・オーストラリア外務省国際機関局局長),エヴァンズ和平案の実現可能性調査のために,プノンペン到着。 |
DIA-202-1990-02-05-1 | カンボジア | 1990年02月05日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,20年間におよぶ亡命の終了,および帰国を北京にて表明。 |
DIA-202-1990-02-07-1 | カンボジア | 1990年02月07日 | 1990年代 | プノンペン発共同電,以下2点を報道。(1)リエルの対米ドルレートが急落し,公定レートが1米ドル=260リエルであるにも関わらず,1米ドル=440リエルで取り引きする業者が出現。(2)米ドルにほぼ連動している金の価格も大幅に上昇しており,7日現在,1チイ(約3.75グラム)当り2万4000~2万7000リエル。 |
DIA-202-1990-02-10-1 | カンボジア | 1990年02月10日 | 1990年代 | インドシナ3国外務次官会議,10,11日,プノンペンにて開催。(1)総選挙前にGSOCとNGCを解散する,(2)国連が総選挙を組織する,(3)総選挙までの過渡期は国連のカンボジア議席は空席化する,との共同コミュニケを発表。GSOC解散と国連管理の総選挙を初めて一致して受諾。 |
DIA-202-1990-02-10-2 | カンボジア | 1990年02月10日 | 1990年代 | DKキュー・サンパン議長,KPNLFソン・サン議長,およびシハヌーク殿下,バンコクにて会談し,ジャカルタ非公式会談へのDKの出席を要請。エヴァンズ和平案に対する統一認識を確認。 |
DIA-202-1990-02-11-1 | カンボジア | 1990年02月11日 | 1990年代 | 第2回国連安全保障理事会常任理事国外務次官・局長級会議,11,12日,ニューヨークにて開催。 |
DIA-202-1990-02-12-1 | カンボジア | 1990年02月12日 | 1990年代 | ASEAN高官,国連の役割の重要性,およびジャカルタ非公式協議はDK抜きでも進められるべきであるという点で合意。 |
DIA-202-1990-02-12-2 | カンボジア | 1990年02月12日 | 1990年代 | DKキュー・サンパン議長,シハヌーク宛書簡にてジャカルタ非公式協議出席を表明。 |
DIA-202-1990-02-13-1 | カンボジア | 1990年02月13日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,チャチャイ・タイ首相にDKキュー・サンパン議長のジャカルタ非公式協議出席意図を伝達。 |
DIA-202-1990-02-13-2 | カンボジア | 1990年02月13日 | 1990年代 | 国連安全保障理事会常任理事国外務次官・局長級会議,共同声明を発表。国連の活動が効果をあげるためには,外国軍撤退の検証,外部からの軍事援助の停止,および4派軍の指定地域への再集結・封じ込めが重要であると表明。 |
DIA-202-1990-02-15-1 | カンボジア | 1990年02月15日 | 1990年代 | 河野・日本外務省南東アジア一課課長,プノンペンに到着。 |
DIA-202-1990-02-17-1 | カンボジア | 1990年02月17日 | 1990年代 | 第8回ASEAN-EC外相会談。ECは妥協し,国連管理の選挙へのDK参加を承認。共同声明は,ジャカルタ非公式協議へのDKの建設的参加を要請。 |
DIA-202-1990-02-20-1 | カンボジア | 1990年02月20日 | 1990年代 | GSOCティア・バン国防相,反政府軍に対する中国・米国その他諸国からの軍事援助は,ベトナム兵撤退に関わらず,増大していると言明。 |
DIA-202-1990-02-20-2 | カンボジア | 1990年02月20日 | 1990年代 | オーストラリア国営海外通信社(OTCI),カンボジアの国際電信網の開発契約に署名。 |
DIA-202-1990-02-21-1 | カンボジア | 1990年02月21日 | 1990年代 | GSOCフン・セン首相とシハヌーク殿下,バンコクにおける2者会談で初の共同コミュニケを発表。(1)カンボジアにおける適切な水準の国連の存在は不可欠かつ奨励されるべき。(2)カンボジアの国家主権および一体性の象徴として最高国民評議会の設立は不可欠。 |
DIA-202-1990-02-22-1 | カンボジア | 1990年02月22日 | 1990年代 | 河野・日本外務省南東アジア一課課長,カンボジア現地調査を終了。 |
DIA-202-1990-02-23-1 | カンボジア | 1990年02月23日 | 1990年代 | 米ニューヨーク・タイムズ紙,在プノンペン東欧外交筋からの情報として,1989年10月24日,GSOCフン・セン首相の要請に基づき,ベトナムはバッタンバン防衛を援助するための約3000人の兵士派遣を了承した,と報道。 |
DIA-202-1990-02-23-2 | カンボジア | 1990年02月23日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,ウッダーミアンチャイ(Odder Meanchey)州自由村(Phum Sereipheap)に帰国。 |
DIA-202-1990-02-26-1 | カンボジア | 1990年02月26日 | 1990年代 | 第3回ジャカルタ非公式協議(JIM-Ⅲ)開会。28日までの予定で,ASEAN6カ国,ベトナム,ラオス,フランス,オーストラリア,およびカンボジア4派が出席。 |
DIA-202-1990-03-01-1 | カンボジア | 1990年03月01日 | 1990年代 | 第3回ジャカルタ非公式協議,閉幕。「ジェノサイド」の用語をめぐるDKとGSOC・ベトナムの対立のために,共同声明の採択に失敗。 |
DIA-202-1990-03-01-2 | カンボジア | 1990年03月01日 | 1990年代 | ゴ・ディエン(Ngo Dien)・駐カンボジア・ベトナム大使,ベトナム兵がカンボジアに残留しているとの報道を否定。ただし,「あらゆる適切な形態でカンボジア人を援助している」と言明。 |
DIA-202-1990-03-05-1 | カンボジア | 1990年03月05日 | 1990年代 | GSOC閣僚会議,軍務服務決議を発表。1989年7月国会で承認された義務兵役法に基づくものであり,即時発効。主な規定は以下のとおり。(1)国家公務員および国防機関労働者を除く18歳以上の男子は軍務服務義務を有する。(2)17歳以上の男子はすべて現役または予備役として登録する義務あり。(3)兵卒から曹長までの者は3年間の兵役後,除隊を認められる。 |
DIA-202-1990-03-06-1 | カンボジア | 1990年03月06日 | 1990年代 | チャチャイ・タイ首相,タイ国境居住のカンボジア難民3000人の帰国計画を策定するよう,内務省および国防省に指示。 |
DIA-202-1990-03-06-2 | カンボジア | 1990年03月06日 | 1990年代 | チャチャイ・タイ首相,タイは義務を尽くしたと考えており,カンボジア人は自分たち自身で自分たちの将来を管理するべきであると述べ,新たなカンボジア会談の主催国になるつもりはないことを表明。 |
DIA-202-1990-03-06-3 | カンボジア | 1990年03月06日 | 1990年代 | SPK,ゴム園総局は1989年,新たに5770ヘクタールの植付けを行ない,ゴム園は計5万2685ヘクタールに復興されたと報道。 |
DIA-202-1990-03-12-1 | カンボジア | 1990年03月12日 | 1990年代 | 第3回国連安全保障理事会常任理事国外務次官・局長級会議,パリにて開催。 |
DIA-202-1990-03-13-1 | カンボジア | 1990年03月13日 | 1990年代 | 国連安全保障理事会常任理事国外務次官・局長級会議,共同声明を発表。国内統治においても国連が一定の役割を果たすべきであること,および最高国民評議会には全ての意見を反映する代表が含まれるべきであることを表明。 |
DIA-202-1990-03-14-1 | カンボジア | 1990年03月14日 | 1990年代 | GSOC,タイ国境居住カンボジア難民の帰国に対し支持を表明。 |
DIA-202-1990-03-15-1 | カンボジア | 1990年03月15日 | 1990年代 | カンボジア国家銀行,1990年3月15日付閣僚会議令第11号に基づき,100リエル紙幣を発行。 |
DIA-202-1990-03-26-1 | カンボジア | 1990年03月26日 | 1990年代 | タイ外務省筋,難航しているカンボジア和平協議の再開のためにタイが関係国に働きかけることになったと言明。 |
DIA-202-1990-03-29-1 | カンボジア | 1990年03月29日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,4派会談の6月開催という国連安全保障理事会提案を受諾。ただし,各派が個別に代表されるべきであり,反政府派とヘン・サムリン政権の2派としてではないと付言。 |
DIA-202-1990-03-29-2 | カンボジア | 1990年03月29日 | 1990年代 | 第1次国連実情調査団(団長プラトリー元国連開発計画代表),和平後の運輸・通信の必要性調査のためにプノンペン到着。 |
DIA-202-1990-03-29-3 | カンボジア | 1990年03月29日 | 1990年代 | EC,約67万ECU(約83万ドル)のカンボジア緊急援助の追加を決定。関与団体は,国境なき医師団(仏,ベルギー,世界の医師団(仏)。 |
DIA-202-1990-04-03-1 | カンボジア | 1990年04月03日 | 1990年代 | SPK,プノンペン市郊外のChak Angre電池工場の入札を30日に行なうので,国内外の応札者は4月25日までに見積額を提出するようにと報道。Chak Angre電池工場は1965年に華僑投資家が設立したものであり,ポル・ポト政権下では閉鎖されていたが,89年に操業再開。 |
DIA-202-1990-04-04-1 | カンボジア | 1990年04月04日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,4月15日に4派がバンコクにて会談することを提案。 |
DIA-202-1990-04-05-1 | カンボジア | 1990年04月05日 | 1990年代 | DK,シハヌーク殿下の4派会談提案を受諾。 |
DIA-202-1990-04-07-1 | カンボジア | 1990年04月07日 | 1990年代 | GSOCフン・セン首相,健康状態を理由にシハヌーク殿下の4派会談提案を拒否。 |
DIA-202-1990-04-07-2 | カンボジア | 1990年04月07日 | 1990年代 | チャチャイ・タイ首相,シハヌーク殿下とフン・セン首相の会談の日本開催を,海部・日本首相に提案。 |
DIA-202-1990-04-09-1 | カンボジア | 1990年04月09日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,9項目の和平提案を発表。停戦実施のために国連安全保障理事会常任理事国の共同派兵を要請すると同時に,以下の2点でGSOC側に譲歩。(1)和平の前提条件として両政府を解体するという要求を引き下げ,かつGSOCの非政治的末端行政機携の存続を承認。(2)最高国民評議会の議席はGSOCとNGCとで等分するというGSOCの要求を受諾。 |
DIA-202-1990-04-11-1 | カンボジア | 1990年04月11日 | 1990年代 | タイ軍部筋,シハヌーク殿下が帰国後居住のウッダーミアンチャイ州自由村がGSOC軍に包囲されたために,タイに脱出せざるを得なかったと言明。 |
DIA-202-1990-04-13-1 | カンボジア | 1990年04月13日 | 1990年代 | 第1次国連実情調査団,調査終了。 |
DIA-202-1990-04-14-1 | カンボジア | 1990年04月14日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,自由村に帰国。 |
DIA-202-1990-04-18-1 | カンボジア | 1990年04月18日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,東京会談への日本政府の招待を拒絶。 |
DIA-202-1990-04-18-2 | カンボジア | 1990年04月18日 | 1990年代 | 『バンコク・ポスト』紙西側外交官筋の話として,EC12カ国は対カンボジア政策については各国独自の判断で対応することを確認した,と報道。 |
DIA-202-1990-04-21-1 | カンボジア | 1990年04月21日 | 1990年代 | SPK,カンボジア工業省がプノンペンの第1・第2清涼飲料製造・製氷工場を,タイのバナチャイ・インタートレーディング・グループ(タイ・コカコーラ会社)に,期間20年,年間約18万ドルで貨与した,と報道。 |
DIA-202-1990-04-24-1 | カンボジア | 1990年04月24日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,チャチャイ・タイ首相の要請に応じ,6月第1週にフン・セン首相と東京で会談することに同意したと表明。 |
DIA-202-1990-04-24-2 | カンボジア | 1990年04月24日 | 1990年代 | 第2次国連実情調査団(団長アンビ国連事務次長秘書),カンボジアの立法・司法・行政・経済の調査のためプノンペン到着。 |
DIA-202-1990-04-26-1 | カンボジア | 1990年04月26日 | 1990年代 | KPNLFソン・サン議長,東京会談への日本政府の招待を受諾。 |
DIA-202-1990-04-27-1 | カンボジア | 1990年04月27日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,ANS最高司令官職を息子のラナリットに委譲。 |
DIA-202-1990-04-27-2 | カンボジア | 1990年04月27日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,米国のANSへの援助供与を否定。 |
DIA-202-1990-05-01-1 | カンボジア | 1990年05月01日 | 1990年代 | GSOCフン・セン首相,チャワリット(Chavalit)・タイ副首相兼国防相と会談。東京会議出席に同意。 |
DIA-202-1990-05-01-2 | カンボジア | 1990年05月01日 | 1990年代 | GSOC,リエルの対米ドル交換レートを65%切り下げ,1ドル=218リエルから360リエルに変更。 |
DIA-202-1990-05-04-1 | カンボジア | 1990年05月04日 | 1990年代 | タン・ニエン・バイ(Tang Nghiem Bai)・ベトナム外務次官,DKはNGCの単なる一部分として和平に参加すべきと表明。 |
DIA-202-1990-05-07-1 | カンボジア | 1990年05月07日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,祖国の再建に貢献するために「カンボジア大統領職およびカンボジア抵抗勢力指導者としての立場」からの長期間離脱を宣言し,東京会議不参加を表明。 |
DIA-202-1990-05-08-1 | カンボジア | 1990年05月08日 | 1990年代 | 銭其中国外相とディン・ニョ・リエム・ベトナム外務次官,北京にて会談。両国間では初めてカンボジア問題について討議。 |
DIA-202-1990-05-08-2 | カンボジア | 1990年05月08日 | 1990年代 | VONADK,シハヌーク殿下の復職を要望するDKの声明を放送。 |
DIA-202-1990-05-09-1 | カンボジア | 1990年05月09日 | 1990年代 | GSOCフン・セン首相,東京会議出席を表明。 |
DIA-202-1990-05-09-2 | カンボジア | 1990年05月09日 | 1990年代 | 第2次国連実情調査団,調査終了。 |
DIA-202-1990-05-10-1 | カンボジア | 1990年05月10日 | 1990年代 | ソ連の無償援助で建設されたコンポン・ソム(Kompong Som)市ラジオ・テレビ局,開設式挙行。 |
DIA-202-1990-05-13-1 | カンボジア | 1990年05月13日 | 1990年代 | VDK,シハヌーク殿下は,訪日はするがGSOCフン・セン首相と会談はせず,代わりにKPNLFソン・サン議長にGSOCフン・セン首相と会談するように要望していると報道。 |
DIA-202-1990-05-16-1 | カンボジア | 1990年05月16日 | 1990年代 | カンボジア人プロテスタント信者,プノンペンにて公式礼拝を15年ぶりに挙行。 |
DIA-202-1990-05-19-1 | カンボジア | 1990年05月19日 | 1990年代 | 在プノンペン東欧外交筋,ブルガリアの対カンボジア援助の停止および医療スタッフの引き上げを言明。 |
DIA-202-1990-05-20-1 | カンボジア | 1990年05月20日 | 1990年代 | DKに対する憎悪記念集会,チュウンエク虐殺犠牲者集団墓地にて開催。 |
DIA-202-1990-05-20-2 | カンボジア | 1990年05月20日 | 1990年代 | KPNLFサク・ストサカン(Sak Sutsakhan)司令官および他高官9名,「自由民主主義党」の結成を発表。 |
DIA-202-1990-05-21-1 | カンボジア | 1990年05月21日 | 1990年代 | GSOC,シハヌーク殿下の帰国を11年来初めて承認すると政府筋が表明。 |
DIA-202-1990-05-23-1 | カンボジア | 1990年05月23日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,東京会議でGSOCフン・セン首相との停戦協定に署名する用意があると表明。 |
DIA-202-1990-05-24-1 | カンボジア | 1990年05月24日 | 1990年代 | KPNLF報道官,「自由民主主義党」は将来の総選挙に備えたものにすぎないとして,KPNLFの内部分裂を否定。 |
DIA-202-1990-05-25-1 | カンボジア | 1990年05月25日 | 1990年代 | チャワリット・タイ副首相兼国防相,DKが東京会議でタイの停戦案に署名することを受諾したと言明。 |
DIA-202-1990-05-25-2 | カンボジア | 1990年05月25日 | 1990年代 | 第4回国連安全保障理事会常任理事国外務次官・局長級会議,ニューヨークにて開催。 |
DIA-202-1990-05-26-1 | カンボジア | 1990年05月26日 | 1990年代 | 国連安全保障理事会常任理事国外務次官・局長級会議,包括的解決のみがカンボジアに永続的な平和と安定をもたらすとの声明を発表。 |
DIA-202-1990-05-26-2 | カンボジア | 1990年05月26日 | 1990年代 | GSOCティア・バン国防相,反政府軍への軍事援助停止の保証があればGSOCは停戦案に従う用意があると表明。 |
DIA-202-1990-05-26-3 | カンボジア | 1990年05月26日 | 1990年代 | 第3次国連実惰調査団(団長パヤンドール国連難民高等弁務官アジア・オセアニア支部福祉部長),タイから帰国する難民の再定住に関する調査のため,プノンペン到着。 |
DIA-202-1990-05-29-1 | カンボジア | 1990年05月29日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,東京会議に参加するために,NGC大統領職に復帰すると表明。 |
DIA-202-1990-06-01-1 | カンボジア | 1990年06月01日 | 1990年代 | GSOCフン・セン首相,DKの停戦協定調印は受け入れられないと表明。 |
DIA-202-1990-06-02-1 | カンボジア | 1990年06月02日 | 1990年代 | DKのキユー・サンパン議長,チャワリット・タイ国防相兼副首相による5項目提案の文面にいかなる修正も求めないとの声明を発表。 |
DIA-202-1990-06-02-2 | カンボジア | 1990年06月02日 | 1990年代 | タイ軍部および貿易筋,DKがタイ木材業者に支配地域における伐採許可を与えていると表明。 |
DIA-202-1990-06-02-3 | カンボジア | 1990年06月02日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,東京到着。 |
DIA-202-1990-06-03-1 | カンボジア | 1990年06月03日 | 1990年代 | DKキュー・サムファン議長(NGC副大統領),KPNLFソン・サン議長(NGC首相),およびGSOCフン・セン首相,東京到着。 |
DIA-202-1990-06-04-1 | カンボジア | 1990年06月04日 | 1990年代 | 東京会議開会。DKキユー・サンパン議長,開幕会議に出席せず。開会後25分間で休会。 |
DIA-202-1990-06-04-2 | カンボジア | 1990年06月04日 | 1990年代 | DKキユー・サンパン議長,カンボジア4派の会議であり,カンボジアの正当な国民政府とプノンペンかいらい政権との会議ではない,ということを東京会議が考慮にいれなかったことを遺憾に思う,と声明。 |
DIA-202-1990-06-05-1 | カンボジア | 1990年06月05日 | 1990年代 | 東京会議閉会。シハヌーク殿下およびGSOCフン・セン首相,「フン・セン氏代表団」の長および「ノロドム・シハヌーク代表団」の長として,共同コミュニケに調印。主要合意点は以下のとおり。(1)武力行使の自発的自粛を緊急に実施する。(2)国連の適切な関与の下でパリ国際会議を召集し,全外国軍の撤退・外国からの軍事援助の停止を監督・検証するために必要な諸措置を講ずる。(3)最高国民評議会の創設はカンボジアの中立,国家主義,国家的統一を象徴するために不可欠であり,両派同数の著名人士により構成する。 |
DIA-202-1990-06-05-2 | カンボジア | 1990年06月05日 | 1990年代 | DKキユー・サンパン議長,当コミュニケはDKを拘束するものではないと表明。 |
DIA-202-1990-06-06-1 | カンボジア | 1990年06月06日 | 1990年代 | チャチャイ・タイ首相,東京会議は成功と評価し,DKとの対話を継続し包括的和平を追求すると表明。 |
DIA-202-1990-06-06-2 | カンボジア | 1990年06月06日 | 1990年代 | 海部・日本首相,東京会議の成果を高く評価し,今後もカンボジア問題に積極的に関与すると表明。 |
DIA-202-1990-06-06-3 | カンボジア | 1990年06月06日 | 1990年代 | GSOCフン・セン首相,東京会議における共同コミュニケの調印はあくまでもGSOCとNGCの2政府間によるものであるとの認識を強調し,当コミュニケに参加するか否かはDK次第であり,GSOCには受け入れる用意であると表明。 |
DIA-202-1990-06-07-1 | カンボジア | 1990年06月07日 | 1990年代 | チャチャイ・タイ首相,DKを説得しカンボジア和平過程に参加させるようにと,ハノイでの中越外務次官級会議を前にバンコク入りしている徐敦信・中国外務次官補に要請。 |
DIA-202-1990-06-07-2 | カンボジア | 1990年06月07日 | 1990年代 | 李金華・中国外務省スポークスマン,停戦にはカンボジア4派の合意が不可欠として,東京会談共同コミュニケに対する不支持を表明。 |
DIA-202-1990-06-07-3 | カンボジア | 1990年06月07日 | 1990年代 | ベトナム,東京会議共同コミュニケを包括的解決に向けての新たな前進と評価。 |
DIA-202-1990-06-08-1 | カンボジア | 1990年06月08日 | 1990年代 | プノンペン発ロイター電,カンボジア筋および外交筋によるとして,GSOC閣僚1人,高官3人および軍将校2人が新政党「民主自由党」結成計画発覚の後,留置されていると報道。留置されているのは以下の6人。ウン・バン(Ung Phan)交通・運輸・郵政相,カン・マン(Kan Man)外務省欧米局副局長,トウン・サライ(Thoun Sray)社会学院長,ヌー・セン・カン(Nou Saing Khan)交通・運輸・郵政省計画課課長,オン・サム(On Sum)国防相情報局長,カイ・マトゥーリ(Kay Mathury)人民軍建設旅団中佐。 |
DIA-202-1990-06-08-2 | カンボジア | 1990年06月08日 | 1990年代 | 『ワシントン・ポスト』紙,西側非政府救援隊の報告を引用して,ソ連および東欧諸国は対GSOC援助を1991年1月までに停止し,その後はハードカレンシーによる現金取引に切り替える予定であり,GSOCは金準備の売却,5万6000人の一時解雇を既に実施したと報道。 |
DIA-202-1990-06-08-3 | カンボジア | 1990年06月08日 | 1990年代 | シェワルナゼ・ソ連外相,GSOCフン・セン首相との会談にて,東京会議の成果に対する満足の意を表明。 |
DIA-202-1990-06-09-1 | カンボジア | 1990年06月09日 | 1990年代 | VONADK,外国筋によるとして,ソ連・東欧の対GSOC援助打ち切りについて放送。東独,チェコスロバキア,ブルガリアおよびハンガリーは全援助停止。ポーランドはアンコールワット調査を行なう係官2人のみを残し,全援助停止。ソ連は機械部品の供与,燃料用石油の供給を停止し,顧問および専門家を2000人から900人に削減。また,ソ連・東欧の援助が打ち切られたために,ベトナムおよびGSOCは行政官・要員を大幅削減。 |
DIA-202-1990-06-09-2 | カンボジア | 1990年06月09日 | 1990年代 | 徐敦信・中国外務次官補,ハノイ到着。11~13日,グエン・コ・タック(Nguyen Co Thach)・ベトナム外相,チャン・クアン・コ(Tran Quang Co)同外務次官等と会談。 |
DIA-202-1990-06-14-1 | カンボジア | 1990年06月14日 | 1990年代 | ベーカー(Baker)・米国務長官,チャチャイ・タイ首相に,東京会談に対する満足を表明。 |
DIA-202-1990-06-14-2 | カンボジア | 1990年06月14日 | 1990年代 | SPK,最高国民評議会へのGSOC代表を公表。フン・セン首相,ティア・バン国防相,コン・サム・オル(Kong Som Ol)副首相,ホー・ナム・オン首相補佐相,シン・ソン(Sin Song)内相,チェム・スングオン(Chem Snguon)国会常任委員,の6人。 |
DIA-202-1990-06-15-1 | カンボジア | 1990年06月15日 | 1990年代 | 徐敦信・中国外務次官補,中越会談ではいかなる進展もなかったと表明。GSOCの解体・暫定政権および国連平和維持軍の派遣が中越の主要対立点。 |
DIA-202-1990-06-16-1 | カンボジア | 1990年06月16日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,GSOCフン・セン首相に対して,同派は最高国民評議会の2議席をDKに留保するとのKPNLFの立場を尊重し,ラナリット殿下・ANS最高司令官,チャウセン・コーサル(Chau Sen Coosal)閣下・元カンボジア国会議長のみを代表として派遣すると表明。 |
DIA-202-1990-06-18-1 | カンボジア | 1990年06月18日 | 1990年代 | KPNLF,最高国民評議会代表を任命。イエン・ムリ(Ien Muli)戦線書記長,ソン・スベール(Son Subert)対外問題担当戦線副書記長。 |
DIA-202-1990-06-18-2 | カンボジア | 1990年06月18日 | 1990年代 | プノンペン発UPI電,KPRP政治局が改革派指導者に対する弾圧を続行していると報道。解任されたのは以下の3人。キュー・カナリット(Khieu Kanarith)・『カンプチア』紙編集長,イット・キム・セン(Yith Kim Seng)公衆衛生相,メン・サム・アン(Men Sam An)党中央政治局員・党組織部長。 |
DIA-202-1990-06-21-1 | カンボジア | 1990年06月21日 | 1990年代 | チャン・クアン・コ・ベトナム外務次官,ハノイ放送のインタビューに答えて,カンボジア問題の主要な障害は中国のDKに対する固執であると強調。 |
DIA-202-1990-06-22-1 | カンボジア | 1990年06月22日 | 1990年代 | GSOC軍,コンポン・トム州スタン(Stung)地区をソ連供与のMig-21で空爆。 |
DIA-202-1990-06-28-1 | カンボジア | 1990年06月28日 | 1990年代 | KPRPヘン・サムリン書記長,KPRP39周年記念演説で,「KPRPは断固として複数政党の考えを拒否する。それは党の弱体化を招き,結局はカンボジアにジェノサイド政権の復活を許すことになるものと見なされる。ただマルクス・レーニン主義路線に従うことによってのみ,わが人民はジェノサイド政権の危険から免れる」と言明。 |
DIA-202-1990-06-29-1 | カンボジア | 1990年06月29日 | 1990年代 | 米上院情報委員会,非公開投票で,KPNLFおよびシハヌーク派に対する秘密援助予算の非承認を決定。 |
DIA-202-1990-06-30-1 | カンボジア | 1990年06月30日 | 1990年代 | VONADK,29日付けのDKの和平提案を報道。提案の要旨は以下のとおり。(1)包括的な政治的解決は5月26日の国連安保理常任理事5カ国の結論要旨の枠内で実施されるべきである。(2)国連平和維持軍は外国軍の撤退,カンボジア4派の武装解除,および外部からの軍事援助の停止を監督・監視する。(3)過渡期の暫定権力として,4派対等の最高国民評議会を設置し,シハヌーク殿下がその首班となる。 |
DIA-202-1990-07-05-1 | カンボジア | 1990年07月05日 | 1990年代 | GSOC閣僚会議,通常会議を開催。議長はGSOCフン・セン首相。 |
DIA-202-1990-07-06-1 | カンボジア | 1990年07月06日 | 1990年代 | VONADK,DKの6月26日付和平提案に対する支持を表明しているシハヌーク殿下の6月30日付書簡を報道。 |
DIA-202-1990-07-12-1 | カンボジア | 1990年07月12日 | 1990年代 | GSOC国家評議会,通常会議を開催。議長はKPRPヘン・サムリン書記長。 |
DIA-202-1990-07-13-1 | カンボジア | 1990年07月13日 | 1990年代 | 米国務省,インドシナ戦争中にカンボジアで行方不明になった米兵(MIA)の遣体調査のための使節をプノンペンに派遣することで,GSOCと合意したと発表。 |
DIA-202-1990-07-14-1 | カンボジア | 1990年07月14日 | 1990年代 | GSOCティア・バン国防相,ウン・バン交通・運輸・郵政相を含む政府高官6人が不法政治組織の設立を試みた科で自宅軟禁されていることを追認。 |
DIA-202-1990-07-16-1 | カンボジア | 1990年07月16日 | 1990年代 | 第5回国連安全保障理事会常任理事国外務次官・局長級会議,パリにて開催。 |
DIA-202-1990-07-17-1 | カンボジア | 1990年07月17日 | 1990年代 | 国連安全保障理事会常任理事国外務次官・局長級会議,最高国民評議会の設置に関するカンボジア4派の合意が重要であると声明。 |
DIA-202-1990-07-18-1 | カンボジア | 1990年07月18日 | 1990年代 | ベーカー米国務長官,米ソ会談後の記者会見で,ベトナムとの対話再開およびNGCの国連代表権に対する支持撤回を表明。「クメール・ルージュの復権を阻止するためにわれわれのできることをすることが非常に重要である」。ただし,ベトナムとの関係正常化は否定。 |
DIA-202-1990-07-19-1 | カンボジア | 1990年07月19日 | 1990年代 | チャチャイ・タイ首相,米国の対カンボジア政策の変更について,カンボジア問題の包括的解決をめざすタイの姿勢に合致するもの,と評価。 |
DIA-202-1990-07-19-2 | カンボジア | 1990年07月19日 | 1990年代 | アラタス・インドネシア外相,米国の対カンボジア政策の変更について,包括的解決の実現努力を促進するものではない,と批判。 |
DIA-202-1990-07-19-3 | カンボジア | 1990年07月19日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,米国の対カンボジア政策の変更について,抵抗勢力を一層硬化させるものと,批判。 |
DIA-202-1990-07-19-4 | カンボジア | 1990年07月19日 | 1990年代 | ワシントン発AP電,消息筋によるとして,米国の対カンボジア政策の突然の変更は,中央情報局および国防省情報部がDKの軍事的進展は政権を掌握した15年前と酷似していると報告した後に行なわれた,と報道。 |
DIA-202-1990-07-19-5 | カンボジア | 1990年07月19日 | 1990年代 | 金桂華・中国外務省スポークスマン,包括的な政治的解決に関する合意の達成以前に国連のカンボジア議席を空席化するべきではなく,カンボジア問題の解決にはカンボジア4派の利益・立場を考慮すべきであると表明。 |
DIA-202-1990-07-20-1 | カンボジア | 1990年07月20日 | 1990年代 | ソロモン・米国務次官補,上院外交委員会東アジア・太平洋小委員会で,米政府がGSOCと接触する用意があること,および同政権・ベトナムに対し人道的援助を開始する意向があることを,証言。 |
DIA-202-1990-07-20-2 | カンボジア | 1990年07月20日 | 1990年代 | GSOC外務省スポークスマン,ベーカー米国務長官の18日の声明に対する歓迎を表明。 |
DIA-202-1990-07-23-1 | カンボジア | 1990年07月23日 | 1990年代 | ASEAN6カ国外相,カンボジア問題に関する共同声明を発表。要旨は以下のとおり。(1)武力による政権獲得は許されず,停戦が緊急に必要。(2)国連監視下の選挙を通じたカンボジア人民の選択を支持する。(3)最高国民評議会樹立以前の国連カンボジア代表権の変更は,包括的な政治的解決を阻害する。樹立後に最高国民評議会が国連代表権を有するべきである。 |
DIA-202-1990-07-23-2 | カンボジア | 1990年07月23日 | 1990年代 | KPNLFソン・サン議長,最高国民評議会の構成等を協議するための4派会合を提案。シハヌーク殿下,同日受諾。 |
DIA-202-1990-07-23-3 | カンボジア | 1990年07月23日 | 1990年代 | KPRP第5期党中央委員会第11回総会,開会。 |
DIA-202-1990-07-24-1 | カンボジア | 1990年07月24日 | 1990年代 | 第23回ASEAN外相会議,開会。 |
DIA-202-1990-07-24-2 | カンボジア | 1990年07月24日 | 1990年代 | 米国MIA調査専門家団,プノンペン到着。 |
DIA-202-1990-07-25-1 | カンボジア | 1990年07月25日 | 1990年代 | ASEAN外相会議,共同声明採択。カンボジア問題に関する部分の要旨は以下のとおり。(1)包括的かつ永続的な解決は,パリ国際会議の再開によってのみ達成される。(2)最高国民評議会はカンボジアの統一・独立・主権を具現し,国連代表権を有するべきである。国連総会開会までに設立されることを期待する。(3)カンボジアの国連代表権問題は微妙な政治問題であり,最高国民評議会が創設されていない現時点での代表権の変更は,包括的な政治的解決を阻害する。 |
DIA-202-1990-07-26-1 | カンボジア | 1990年07月26日 | 1990年代 | 米軍用機,米軍人と思われる6遺体を積んで出国。 |
DIA-202-1990-07-26-2 | カンボジア | 1990年07月26日 | 1990年代 | 徐敦信・中国外務次官補,最高国民評議会を国連総会開会までに設立せよとのASEANの主張に対する支持をプラパート(Prapas)・タイ副外相に対して表明。 |
DIA-202-1990-07-26-3 | カンボジア | 1990年07月26日 | 1990年代 | PPDK,4派会合を呼びかけたKPNLFソンサン議長の書簡に対するGSOCフン・セン首相の返書を報道。返書でGSOCフン・セン首相は,6月5日調印の東京会談声明に従って最高国民評議会第1回会合を開くことが重要である,と主張。 |
DIA-202-1990-07-30-1 | カンボジア | 1990年07月30日 | 1990年代 | KPRP第5期党中央委員会第11回総会,閉会。党と国家の歴史的任務を裏切った科で,ウン・バン・前交通・運輸・郵政相の党中央委員会から除名することを決定し,健康上の理由から党中央委員会委員を辞任したいとのチェン・ボン(Chheng Phon)情報・新聞・文化相の申請を承認。 |
DIA-202-1990-08-03-1 | カンボジア | 1990年08月03日 | 1990年代 | GSOC,第19回国会を開催。チア・シム国会議長,開会演説で,米国の対カンボジア政策の変更および米国・ベトナム会談に対する歓迎を表明。 |
DIA-202-1990-08-03-2 | カンボジア | 1990年08月03日 | 1990年代 | DKキュー・サンパン議長,最高国民評議会の設立に関するASEANおよび国連安保理常任理事5カ国によるイニシアチブに対する支持,および最高国民評議会の構成に関するカンボジア各派の会議への参加の意思を表明。 |
DIA-202-1990-08-04-1 | カンボジア | 1990年08月04日 | 1990年代 | 米上院,カンボジア紛争に対する米国の秘密援助を削除した1991会計年度情報予算を承認。 |
DIA-202-1990-08-06-1 | カンボジア | 1990年08月06日 | 1990年代 | チン・スアン・ラン・ベトナム国連代表団大使およびクイン・アジア太平洋問題担当米国務次官補,ニューヨークのベトナム国連代表団本部で初の公式会談。 |
DIA-202-1990-08-07-1 | カンボジア | 1990年08月07日 | 1990年代 | エヴァンズ・オーストラリア外相,「クメール・ルージュの役割という基礎的問題を検討せずに,ただプノンペン政権を承認し,援助を再開することはカンボジアに内戦という運命を担わせることである」と言明。 |
DIA-202-1990-08-08-1 | カンボジア | 1990年08月08日 | 1990年代 | GSOC国会,以下の辞任を承認。ワンディ・カオン(Vandi Kaon)国家評議会議員,ウン・バン交通・運輸・郵政相,チュン・ボン情報・文化相,イット・キムセム公衆衛生相。 |
DIA-202-1990-08-08-2 | カンボジア | 1990年08月08日 | 1990年代 | 李鵬・中国首相,中国・インドネシア外交関係再開記念式典後,中国はDKをカンボジアにおける支配勢力としては決して支持しない,と表明。 |
DIA-202-1990-08-09-1 | カンボジア | 1990年08月09日 | 1990年代 | GSOC国会,以下の就任を承認。チエム・スングオン(Chem Snguon)国家評議会議員,ロス・チューン(Ros Chuun)交通・運輸・郵政相,ハン・チュオン(Hang Chuon)情報・文化相,イム・チャイリ(Yim Chaili)公衆衛生相,ヨス・ソン(Yos Son)教育相。第19回国会,閉会。 |
DIA-202-1990-08-10-1 | カンボジア | 1990年08月10日 | 1990年代 | バンコク発ロイター電,「過渡期においては,政治的・軍事的現状維持がカンボジア人民の生活および利益に対して不可欠である」とのGSOCチア・シム国会議長の発言,およびGSOCは総選挙まで完全な行政権力を維持する決意を公に声明しているようであるとの外交筋の見解を報道。 |
DIA-202-1990-08-11-1 | カンボジア | 1990年08月11日 | 1990年代 | 国家建設・防衛統一戦線第4回大会,開会。議長はチア・シム。 |
DIA-202-1990-08-14-1 | カンボジア | 1990年08月14日 | 1990年代 | KPRP中央委員会政治局会議,以下の幹部の人事異動を決定。(1)サイ・チューム(Say Chhum)農業相の職務を解任し副首相専任とする。(2)グオン・ネル・(Nguon Nhel)・プノンペン党委書記を農業相に任命。(3)シム・カ(Sim Ka)党中央委監査委副委員長を解任し,プノンペン市党委書記に任命。(4)トン・コン(Thong Khon)・プノンペン市党委副書記・市人民委委員長を情報・文化次官に任命。(5)ホク・ランディー(Hok Langdi)・スワーイリエン州党委副書記・州人民委委員長を解任し,プノンペン市党委副書記・市人民委委員長に任命。(6)エル・ワンサラト(El Vansarat)少将国防次官を解任し,党中央委監査委員会に任命。(7)クム・チアサオポアン(Khoem Cheasaophoan)党中央委組織委副委員長を解任し,国務監査次官に任命。(8)ウム・サリット(Um Sarit)・バンテアイミアンチャイ州党委書記を解任し,党中央委組織委副委員に任命。(9)チム・チュオン(Chhim Chuon)労働組合連盟副議長を解任し,党中央委組織委副委員長任命。(10)タン・チン(Thang Chhin)党中央委監査委付専門家の職務から解任し,党中央委組織委副委員長に任命。(11)プーク・サムーン(Phouk Samoeun・ |
DIA-202-1990-08-14-2 | カンボジア | 1990年08月14日 | 1990年代 | SPK,カンボジア国家銀行が最近,1米ドル=360リエルから460リエルに約22%切り下げたと放送。 |
DIA-202-1990-08-18-1 | カンボジア | 1990年08月18日 | 1990年代 | 『ネイション』紙,ベトナム筋の情報として,8月5日および13日,ハノイにて,チャン・クアン・コ外務次官と張徳維・中国大使が会談したと報道。 |
DIA-202-1990-08-22-1 | カンボジア | 1990年08月22日 | 1990年代 | シハヌーク殿下(NGC大統領),DKキユー・サンパン議長(NGC副大統領)およびKPNLFソン・サン議長(NGC首相),北京にて会談。共同声明で,最高国民評議会の設置を協議するためにジャカルタ会談に参加するとの意向を表明。 |
DIA-202-1990-08-22-2 | カンボジア | 1990年08月22日 | 1990年代 | GSOCフン・セン首相,ジャカルタ会談が最高国民評議会の設置を議題とすることに対する拒絶を表明。その理由として,最高国民評議会は東京会談の共同コミュニケによってすでに設置されており,ジャカルタ会談は最高国民評議会の第1回会合であるべきであると言明。 |
DIA-202-1990-08-27-1 | カンボジア | 1990年08月27日 | 1990年代 | 第6回国連安全保障理事会常任理事国外務次官・局長級会議,27,28日,ニューヨークにて開催。 |
DIA-202-1990-08-28-1 | カンボジア | 1990年08月28日 | 1990年代 | 国連安全保障理事会常任理事国外務次官・局長級会議,カンボジア包括的和平最終提案で合意達成。最終提案は以下の5項目に関するもの。(1)総選挙までの期間のカンボジア統治に関する哲定的取決め,(2)過渡期における軍事的取決め,(3)国連主導下の選挙,(4)人権擁護,(5)国際的保障。会議終了時の共同声明では,最高国民評議会の速やかな設置を提唱。 |
DIA-202-1990-08-30-1 | カンボジア | 1990年08月30日 | 1990年代 | GSOCホー・ナム・ホン首相補佐官,国連安保理常任理事5カ国のカンボジア包括的和平最終提案を拒絶はしないが,カンボジアの国連代表権の変更に際し国連の中立性が示され,かつクメール・ルージュの武装解除が保証されねばならない,と表明。 |
DIA-202-1990-08-31-1 | カンボジア | 1990年08月31日 | 1990年代 | 国連発新華社電,ニューヨークの米国連代表部で米国・ベトナム第二次会談が行われたと報道。 |
DIA-202-1990-08-31-2 | カンボジア | 1990年08月31日 | 1990年代 | ベトナム外務省スポークスマン,「カンボジア問題に関する5項目文書を作成した常任理事5カ国の努力を歓迎し,高く評価する」と表明。 |
DIA-202-1990-08-31-3 | カンボジア | 1990年08月31日 | 1990年代 | プノンペン発AFP,KPRP内の強硬派が改革派との権力闘争で優位に立っており,現在はチア・シムとフン・センとの党指導力を巡る争いが焦点である,と報道。 |
DIA-202-1990-08-31-4 | カンボジア | 1990年08月31日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,NGCは国連安保理常任理事5カ国の最終提案を受諾すると表明。 |
DIA-202-1990-09-04-1 | カンボジア | 1990年09月04日 | 1990年代 | KPNLFソン・サン議長,ジャカルタ到着。 |
DIA-202-1990-09-05-1 | カンボジア | 1990年09月05日 | 1990年代 | ラナリット殿下,DKキユー・サンバン議長,およびGSOC代表団(団長GSOCホー・ナム・ホン首相補佐官),ジャカルタ到着。 |
DIA-202-1990-09-06-1 | カンボジア | 1990年09月06日 | 1990年代 | ベーカー米国務長官,米上院外交関係委員会で,GSOCとの直接対話開始の意図を証言。 |
DIA-202-1990-09-06-2 | カンボジア | 1990年09月06日 | 1990年代 | GSOCホー・ナム・ホン首相補佐官,米国とあらゆるレベルでいかなる問題についても協議する用意がある旨を表明。 |
DIA-202-1990-09-06-3 | カンボジア | 1990年09月06日 | 1990年代 | PPDS,KPRP中央委書記局が4日にエ・カン(He Kan)プノンペン市常任委員・市人民委副委員長の停職を承認したと報道。 |
DIA-202-1990-09-06-4 | カンボジア | 1990年09月06日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,カンボジア抵抗勢力の長として,要旨以下の3点からなる4日付声明を発表。(1)現在カンボジアにはKPNLFソン・サン議長(NGC首相)とGSOCフン・セン首相の二人の首相がおり,GSOCフン・セン首相のカウンターパトはKPNLFソン・サン議長である。(2)1990年6月5日に東京で署名したシハヌーク・フン・セン共同声明を取り消すことを望む。(3)カンボジア抵抗勢力はカンボジアに二つの政府が存在するというGSOCフン・セン首相の考えを拒絶し,対等の4派という構図のみを受け入れる。 |
DIA-202-1990-09-07-1 | カンボジア | 1990年09月07日 | 1990年代 | GSOCフン・セン首相,ジャカルタ到着。 |
DIA-202-1990-09-07-2 | カンボジア | 1990年09月07日 | 1990年代 | シェワルナゼ・ソ連外相,シハヌーク殿下と対話の用意があると表明。 |
DIA-202-1990-09-07-3 | カンボジア | 1990年09月07日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,ジャカルタでの協議に対する欠席を表明し,さらに最高国民評議会の構成をGSOCから6名と抵抗3派から各2名の計12名とし,その際に全構成員が望めば議長を13人目の構成員として選出できるとする案を提示。 |
DIA-202-1990-09-07-4 | カンボジア | 1990年09月07日 | 1990年代 | ラナリット殿下,シハヌーク殿下と対話の意図を表明したシェルワルナゼ・ソ連外相の発言に対する歓迎の意を表明。 |
DIA-202-1990-09-09-1 | カンボジア | 1990年09月09日 | 1990年代 | ジャカルタにおける4派の非公式協議開始。共同議長は,フランスとインドネシア。 |
DIA-202-1990-09-09-2 | カンボジア | 1990年09月09日 | 1990年代 | AFP,カンボジア筋によるとして,ジャカルタでGSOCフン・セン首相がモンジョー(Monjo)駐インドネシア米大使と会談したと報道。 |
DIA-202-1990-09-10-1 | カンボジア | 1990年09月10日 | 1990年代 | ジャカルタにおける4派の非公式協議,終了。以下の3点についての4派の合意を内容とする共同声明を発表。(1)国連安保理常任理事国による最終提案を紛争解決の枠組みとして受諾する。(2)以下の12名からなる最高国民評議会の設置。チャウ・セン・コーサル,チェム・スングオン,ホー・ナム・ホン,フン・セン,イエン・ムーリ,キユー・サンパン,コン・サム・オル,ノロドム・ラナリット,シン・ソン,ソン・サン,ソン・セン(Son Sen),ティア・バン。(3)12名の構成員が望めば議長を選出でき,その際には議長は13人目の構成員となる。(4)最高国民評議会第1回会合を速やかに開く。 |
DIA-202-1990-09-11-1 | カンボジア | 1990年09月11日 | 1990年代 | ブッシュ米大統領,カンボジアおよびベトナムに対する貿易禁止措置をさらに1年間延長するとの大統領命令を公布。キミット米国務次官,カンボジアで総選挙が実施されるまで,カンボジアおよびベトナムに対する貿易禁止政策の変更はない,と表明。 |
DIA-202-1990-09-12-1 | カンボジア | 1990年09月12日 | 1990年代 | 『人民日報』,中国は最高国民評議会内の全勢力と接触する用意がある,との銭其・中国外相の声明を報道。 |
DIA-202-1990-09-13-1 | カンボジア | 1990年09月13日 | 1990年代 | ラナリット殿下,最高国民評議会の第1回会合にシハヌーク殿下を招待すべきであると表明。 |
DIA-202-1990-09-15-1 | カンボジア | 1990年09月15日 | 1990年代 | SPK,カンボジア国家銀行が1米ドル=510リエルに切り下げると発表したと放送。 |
DIA-202-1990-09-17-1 | カンボジア | 1990年09月17日 | 1990年代 | 北京外交筋,カンボジア問題解決のために,グエン・バン・リン(Nguyen Van Linh)・ベトナム共産党書記長が秘密裡に中国を訪問し,李鵬・中国首相と会談したことを確認。 |
DIA-202-1990-09-17-2 | カンボジア | 1990年09月17日 | 1990年代 | GSOCホー・ナム・ホン首相補佐官,GSOCソク・アン外務次官と張青・中国外務省アジア局次官とがジャカルタで会談したと言明。 |
DIA-202-1990-09-17-3 | カンボジア | 1990年09月17日 | 1990年代 | 最高国民評議会第1回会合,バンコクにて開会。議長としてのシハヌーク殿下選出および国連代表団の構成をめぐり紛糾。 |
DIA-202-1990-09-17-4 | カンボジア | 1990年09月17日 | 1990年代 | KPRP中央委員会政治局第17回会議で,以下の人事を決定。(1)フン・セン,外相の職務から解任。(2)ネイ・ペナ(Ney Pena),党中央委宣伝教育委委員長の職務を解任し党中央委統制委委員長に任命。(2)ディット・ムンティ(Dit Munti),外務次官および党中央委外交関係委委員長の職務を解任し,党中央委宣伝教育委員長に任命。(4)ホー・ナム・ホン,首相補佐官の職務を解任し,外相に任命。 |
DIA-202-1990-09-18-1 | カンボジア | 1990年09月18日 | 1990年代 | 最高国民評議会1回会合に出席中のラナリット殿下,パリへ出発。 |
DIA-202-1990-09-19-1 | カンボジア | 1990年09月19日 | 1990年代 | カンボジア国連代表団,最高国民評議会議長が選出されるまで,国連議席を「無人」(unattended)にすると声明。 |
DIA-202-1990-09-19-2 | カンボジア | 1990年09月19日 | 1990年代 | 最高国民評議会第1回会合,延期決定。 |
DIA-202-1990-09-20-1 | カンボジア | 1990年09月20日 | 1990年代 | 国連安全保障理事会,常任理事5カ国の最終提案を承認。 |
DIA-202-1990-09-20-2 | カンボジア | 1990年09月20日 | 1990年代 | ニューヨークにおけるベトナム・米高級レベル協議,カンボジア問題について言及。各代表は,レ・マイ(Le Mai)・ベトナム外務次官およびソロモン・米東アジア・太平洋担当国務次官補佐。 |
DIA-202-1990-09-22-1 | カンボジア | 1990年09月22日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,GSOCの要求に応じて,自分が議長を務める場合には最高国民評議会に1議席を追加するようにと,NGC各派に北京から呼びかけ。 |
DIA-202-1990-09-25-1 | カンボジア | 1990年09月25日 | 1990年代 | GSOC高官,GSOCがシハヌーク殿下の妥協案を受諾したという「アメリカの声(VOA)」の報道は誤報であると言明。 |
DIA-202-1990-09-26-1 | カンボジア | 1990年09月26日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,NGC側3派の指導者は9月23日に,GSOCフン・セン首相は通常の構成員に留まるべきであるとの点で合意したと表明。 |
DIA-202-1990-09-26-2 | カンボジア | 1990年09月26日 | 1990年代 | GSOCフン・セン首相,最高国民評議会の構成について受け入れ可能なものとして以下の3案を提案。(1)シハヌーク殿下が議長,GSOCフン・セン首相が副議長,(2)共同議長,(3)1カ月交代の持回り議長。 |
DIA-202-1990-09-27-1 | カンボジア | 1990年09月27日 | 1990年代 | ソマルガ(Sommaruga)・赤十字国際委員会委員長,政治犯訪問の許可をGSOCフン・セン首相から得たと公表。 |
DIA-202-1990-09-28-1 | カンボジア | 1990年09月28日 | 1990年代 | GSOCホー・ナム・ホン外相,最高国民評議会は国連代表団や停戦・武装解除といったより重要な議題に移るべきであると言明。 |
DIA-202-1990-09-28-2 | カンボジア | 1990年09月28日 | 1990年代 | ド・ボース(De Beauce)・フランス国際文化関係大臣,アリアンス・フランセーズ新支部の開設のため,プノンペン到着。 |
DIA-202-1990-09-29-1 | カンボジア | 1990年09月29日 | 1990年代 | PPDS,GSOC農業省が22~23日,1990年農業計画実施状況検討会議を開き,降雨不順および洪水の長期化により,90年計画の実施には多くの否定的側面があるという結論に達したと,報道。 |
DIA-202-1990-09-30-1 | カンボジア | 1990年09月30日 | 1990年代 | アリアンス・フランセーズ,プノンペンに開設さる。 |
DIA-202-1990-10-01-1 | カンボジア | 1990年10月01日 | 1990年代 | ド・ボース・フランス国際文化関係大臣,出国。 |
DIA-202-1990-10-03-1 | カンボジア | 1990年10月03日 | 1990年代 | 東ドイツ大使館,業務終了。 |
DIA-202-1990-10-04-1 | カンボジア | 1990年10月04日 | 1990年代 | SPK,反政府軍による鉄道への妨害行為は,1~8月で,計103メートルにおよぶ13橋架の爆破および線路5.5キロメートルと5機関車の破壊であり,損失は5億リエルと見積られる,と報道。 |
DIA-202-1990-10-04-2 | カンボジア | 1990年10月04日 | 1990年代 | DK,「カンボジア侵略というベトナムの行動を正当化するため」のフンセンの最高国民評議会副議長選出には断固として反対する,と表明。 |
DIA-202-1990-10-04-3 | カンボジア | 1990年10月04日 | 1990年代 | エール・フランスおよびエール・カンプチア,パリ・プノンペン間の直行便就航について合意。第1便は30日パリ・オルリー空港発予定。 |
DIA-202-1990-10-07-1 | カンボジア | 1990年10月07日 | 1990年代 | VOK,KPNLFソン・サン議長のスビン(Subin)・タイ外相宛4日付書簡について報道。同書簡で,KPNLFソン・サン議長は,タイ政府に対し最高国民評議会再開の手配を要請し,フランスイおよびンドネシアの最高国民評議会参加を提唱。 |
DIA-202-1990-10-07-2 | カンボジア | 1990年10月07日 | 1990年代 | GSOCフン・セン首相,7~10日,インド訪問。 |
DIA-202-1990-10-09-1 | カンボジア | 1990年10月09日 | 1990年代 | KPNLF設立11周年記念日。 |
DIA-202-1990-10-10-1 | カンボジア | 1990年10月10日 | 1990年代 | GSOCヘン・サンリン国家評議会議長,カンボジア・ジャーナリスト協会によるPracheachonの5周年記念セミナーで,思想的に不安定で,資本主義的報道の自由に幻想を抱いている者もいる,と非難。 |
DIA-202-1990-10-11-1 | カンボジア | 1990年10月11日 | 1990年代 | GSOC,「腐敗に対抗すること,および社会において倹約精神を増進することに関する党および政府のコミュニケ」を発表。 |
DIA-202-1990-10-12-1 | カンボジア | 1990年10月12日 | 1990年代 | 米上院,非共産主義抵抗勢力に対して人道・開発援助として3億2000万ドルを供与する計画を承認。 |
DIA-202-1990-10-14-1 | カンボジア | 1990年10月14日 | 1990年代 | GSOC外務省,訪米中の芸術大学ダンス団団員に,米国務省が自発的帰国意思の有無についてインタビューするとしたことに対して,「政治的目的のための圧力」であると非難する声明を発表。 |
DIA-202-1990-10-15-1 | カンボジア | 1990年10月15日 | 1990年代 | 第45回国連総会,安保理最終提案に沿った早急な政治的解決,および最高国民評議会への国連代表権付与等を内容とする決議案を満場一致で採択。 |
DIA-202-1990-10-22-1 | カンボジア | 1990年10月22日 | 1990年代 | AFP,カンボジア筋によるとして,9月上旬,ジャカルタでの4派協議の後,GSOCソク・アン外務次官が中国高官と会見した,と報道。 |
DIA-202-1990-10-22-2 | カンボジア | 1990年10月22日 | 1990年代 | バンコク航空スポークスマン,バンコク・プノンペン間の直行便就航を表明。第1便は25日飛行。 |
DIA-202-1990-10-22-3 | カンボジア | 1990年10月22日 | 1990年代 | Pracheachon,カンボジア問題解決に関する第45回国連総会決議に対し,歓迎を表明。 |
DIA-202-1990-10-25-1 | カンボジア | 1990年10月25日 | 1990年代 | KPLNFソン・サン議長,書簡で最高国民評議会の全構成員に早期再開を呼かけ。 |
DIA-202-1990-10-25-2 | カンボジア | 1990年10月25日 | 1990年代 | PPDK,プノンペンの仏教僧の第8回年次総会に際して,僧侶を人民の道徳的・物質的厚生に貢献していると賞賛したGSOCチア・シム国会議長の演説を放送。 |
DIA-202-1990-10-27-1 | カンボジア | 1990年10月27日 | 1990年代 | グエン・コ・タック・ベトナム外相,カンボジア紛争を終わらせるためにGSOCに圧力をかけるべきであるとの中国の提案を却下。記者会見で同外相は,最高国民評議会の指導者をめぐる各派の対立は「カンボジアの内政問題」であると言明。 |
DIA-202-1990-10-27-2 | カンボジア | 1990年10月27日 | 1990年代 | グエン・コ・タック・ベトナム外相,9月上旬にグエン・バン・リン・ベトナム共産党書記長と江沢民・中国共産党書記長が秘密理に会見したことを確認。 |
DIA-202-1990-10-31-1 | カンボジア | 1990年10月31日 | 1990年代 | PPDK,最高国民評議会GSOC側代表6人によるソン・サン議長の25日付書簡に対する30日付返書を報道。同返書で,GSOC側は,最高国民評議会は代表を選ぶためにのみ設立されたのではないとして,停戦や軍事援助の停止のような緊急問題を扱うための早期再開を主張。また,共同議長および輸番制議長を提案し,その過程ではどの派も支配的地位にあってはならないと主張。 |
DIA-202-1990-11-01-1 | カンボジア | 1990年11月01日 | 1990年代 | SPK,3派からの逃亡者が6~9月で2733人(元ポルポト派1458人,元ソンサン派736人,元シハヌーク派539人)にのぼったと報道。 |
DIA-202-1990-11-02-1 | カンボジア | 1990年11月02日 | 1990年代 | ボライ(Borai)発ロイター電,タイ軍部筋によるとして,10万人近くのタイ人がDK支配地域のパイリンで宝石採掘に従事していると,報道。 |
DIA-202-1990-11-06-1 | カンボジア | 1990年11月06日 | 1990年代 | GSOC,臨時国会開催。以下の人事を承認。フン・センの外相解任,サイ・チェーン(Say Chhum)の農業相解任,タン・サロエン(Tang Saroem)の商業相解任,ホー・ナム・ホンの補佐相から外相への異動,グオン・ネルの農業相就任,ニム・ワンダ(Nhim Vanda)の商業相就任。 |
DIA-202-1990-11-07-1 | カンボジア | 1990年11月07日 | 1990年代 | GSOC,ベトナム,ラオス,カンボジア問題に関するパリ国際会議共同議長宛共同覚書を公表。 |
DIA-202-1990-11-08-1 | カンボジア | 1990年11月08日 | 1990年代 | GSOCホー・ナム・ホン外相,パリ国際会議の共同議長であるインドネシアとフランスに宛てて,カンボジア和平に関するGSOCの基本的立場(特に国連の役割を総選挙実施に限定し,総選挙実施前の政府解体を拒否)を詳述した覚書を送付。 |
DIA-202-1990-11-09-1 | カンボジア | 1990年11月09日 | 1990年代 | 『ネイション』紙,タイ外務省筋によるとして,銭其・中国外相が,スビン・タイ外相との会談で,最高国民評議会の構成員がGSOCフンセン首相を副議長に選出すれば,中国は無条件でその選択を支持すると表明した,と報道。 |
DIA-202-1990-11-09-2 | カンボジア | 1990年11月09日 | 1990年代 | パリ国際会議再開のための準備協議,ジャカルタで開催。出席国は,国連安保理常任理事5カ国(米,英,仏,ソ,中),国連事務総長代理,およびパリ国際会議の3委員会の共同議長国(オーストラリア,インド,マレーシア,ラオス,日本)。カンボジア4派は出席せず。 |
DIA-202-1990-11-10-1 | カンボジア | 1990年11月10日 | 1990年代 | パリ国際会議再開のための準備会議,閉会。 |
DIA-202-1990-11-12-1 | カンボジア | 1990年11月12日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,平壌で,バルトシェビッチ(Bartoshevich)・駐朝鮮民主主義人民共和国ソ連大使とカンボジア問題について会談。カンボジア問題に関する初のシハヌーク殿下とソ連外交官との会談。 |
DIA-202-1990-11-14-1 | カンボジア | 1990年11月14日 | 1990年代 | GSOC郵政・電気通信省,オーストラリア国営海外通信社の協力で建設された衛星受信局の開設式を挙行。 |
DIA-202-1990-11-22-1 | カンボジア | 1990年11月22日 | 1990年代 | 中国外務省報道官,国連安保理が最終和平提案を承認して以後,中国はDKに武器供給をしていない,と表明。これは中国初の公式表明。 |
DIA-202-1990-11-23-1 | カンボジア | 1990年11月23日 | 1990年代 | 国連安保理常任理事5カ国およびインドネシア高官,パリにてカンボジア問題に関する協議を開始。 |
DIA-202-1990-11-24-1 | カンボジア | 1990年11月24日 | 1990年代 | 第7回国連安全保障理事会常任理事国外務次官・局長級会議,開会。 |
DIA-202-1990-11-25-1 | カンボジア | 1990年11月25日 | 1990年代 | 国連安全保障理事会常任理事国外務次官・局長級会議,和平案の最終文案を採択して閉会。 |
DIA-202-1990-11-25-2 | カンボジア | 1990年11月25日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,4派の指導者による会議をパリにて開催することを提案。 |
DIA-202-1990-11-25-3 | カンボジア | 1990年11月25日 | 1990年代 | バンコク発AFP電,GSOCが商業省に籾,精米,材木,ゴム,タバコ,とうもろこし,大豆に関する排他的取引権を付与したというSPKの放送を報道。 |
DIA-202-1990-11-27-1 | カンボジア | 1990年11月27日 | 1990年代 | プノンペン発UPI電,シハヌーク殿下がDKを他の3派の連合から排除した和平案を提案していると報道。 |
DIA-202-1990-11-27-2 | カンボジア | 1990年11月27日 | 1990年代 | SPK,年初以来,カンボジア赤十字は9870トンの救援物資を各種国際組織から受け取ったと報道。 |
DIA-202-1990-11-29-1 | カンボジア | 1990年11月29日 | 1990年代 | GSOCフン・セン首相,シハヌーク殿下提案の4派によるパリ会議には出席せずと表明。その理由として,「そのような会議が開催されれば,すでに設置された最高国民評議会の存続が危うくなる」と言明。さらに,12名の最高国民評議会代表による会議,もしくはパリ国際会議の共同議長によって召集される最高国民評議会第2回会合であれば出席する用意があると表明。 |
DIA-202-1990-11-29-2 | カンボジア | 1990年11月29日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,DKの存在はカンボジアの平和に不可欠,と述べ,27日付プノンペン発UPI電を否定。 |
DIA-202-1990-11-29-3 | カンボジア | 1990年11月29日 | 1990年代 | ハノイ発AFP電,ソ連はGSOCに対する武器供給を停止したとのハミドゥリン(Khamidulin)・駐ベトナムソ連大使の談話を報道。 |
DIA-202-1990-11-30-1 | カンボジア | 1990年11月30日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,最高国民評議会代表に対し,パリでともに会合することを提案。 |
DIA-202-1990-12-03-1 | カンボジア | 1990年12月03日 | 1990年代 | シエムリアブ(Siem Reap)発ロイター電,GSOCはソ連の石油供給の削減を埋め合わせるために,シンガポール人および日本人とバータ取引交渉を行なっている,とのニム・ワンダ商業省の談話を報道。 |
DIA-202-1990-12-03-2 | カンボジア | 1990年12月03日 | 1990年代 | アムネスティ・インターナショナル,その報告書において,GSOCの89年の死刑廃止および拘禁・審理手続を規定する新法律を賞賛。 |
DIA-202-1990-12-06-1 | カンボジア | 1990年12月06日 | 1990年代 | プノンペン発ロイター電,GSOCの1991~95年の5カ年計画について報道し,当計画では,カンボジアの所得水準を1970年時点まで回復させる努力の一環として,農業が強調されていると言明。 |
DIA-202-1990-12-06-2 | カンボジア | 1990年12月06日 | 1990年代 | プノンペン発ロイター電,「米不足は子供の栄養に悪影響を与える程である」とのチア・コン(Chea Kong)農業省計画統計局長の談話を報道。 |
DIA-202-1990-12-08-1 | カンボジア | 1990年12月08日 | 1990年代 | SPK,GSOC閣僚協議会が財政省と中央銀行に対して,社会経済の再建・開発のための資金調達を目的とする国債を発行するように命じたと放送。 |
DIA-202-1990-12-11-1 | カンボジア | 1990年12月11日 | 1990年代 | シハヌーク殿下,最高国民評議会の議長・副議長については以後言及せず,その解決は12名の代表に任せる,と声明。 |
DIA-202-1990-12-11-2 | カンボジア | 1990年12月11日 | 1990年代 | 通商・経済・科学・技術協力に関するソ連―カンボジア政府間委員会のソ連側代表団とGSOC,通商・経済・科学・技術協力についての議定書に調印。 |
DIA-202-1990-12-12-1 | カンボジア | 1990年12月12日 | 1990年代 | PPDS,最高国民評議会各代表者に対して,最高国民評議会を近日中にバンコクで開催することを提案したGSOCフン・セン首相の11日付書簡を放送。 |
DIA-202-1990-12-14-1 | カンボジア | 1990年12月14日 | 1990年代 | デュマ(Dumas)・フランス外相とアラタス・インドネシア外相,最高国民評議会各代表者に対して,最高国民評議会をパリで20~21日に開催することを書簡で提案。 |
DIA-202-1990-12-15-1 | カンボジア | 1990年12月15日 | 1990年代 | GSOCフン・セン首相,フランスおよびインドネシア両外相の最高国民評議会開催提案を受諾。しかしパリには21日にしか到着できないと表明。 |
DIA-202-1990-12-16-1 | カンボジア | 1990年12月16日 | 1990年代 | DKキユー・サンパン議長およびKPNLFソン・サン議長,フランスおよびインドネシア両外相の最高国民評議会開催提案を受諾。 |
DIA-202-1990-12-19-1 | カンボジア | 1990年12月19日 | 1990年代 | KPRP中央委員会政治局,パリで開催される最高国民評議会に於けるGSOC側代表の立場について会議。ヘンサムリンKPRP書記長,カンボジア人の主権および自治権は何人にもかついかなる組織によっても決して侵害されたり決定されえないと表明。 |
DIA-202-1990-12-20-1 | カンボジア | 1990年12月20日 | 1990年代 | GSOCフン・セン首相,以下の3点が満たされれば国連の和平提案を受諾すると表明。(1)カンボジアの主権の尊重,(2)国連憲章の遵守,(3)クメール・ルージュという「ジェノサイド政権」の復権を阻止するための手段。 |
DIA-202-1990-12-21-1 | カンボジア | 1990年12月21日 | 1990年代 | 最高国民評議会,パリにて開会。 |
DIA-202-1990-12-22-1 | カンボジア | 1990年12月22日 | 1990年代 | SPK,カンボジア国民銀行がリエルの公定為替レートを1ドル=600リエルに改定したと放送。 |
DIA-202-1990-12-23-1 | カンボジア | 1990年12月23日 | 1990年代 | 最高国民評議会,閉会。対話継続で合意。 |
DIA-202-1990-12-27-1 | カンボジア | 1990年12月27日 | 1990年代 | バンコク発AP電,国連世界食糧計画によるとして,1991年にカンボジアは9万~10万トンの食糧不足に直面すると報道。 |
DIA-202-1990-12-29-1 | カンボジア | 1990年12月29日 | 1990年代 | アランヤプラテート発AP電,西側情報筋によるとして,DKに対する武器供給を中止したという主張にもかかわらず,中国はDKへの軍事援助を行なっている,と報道。 |
DIA-202-1991-01-03-2 | カンボジア | 1991年01月03日 | 1990年代 | GSOC閣僚会議全体会議,開催。議長はフン・セン(Hun Sen)。1991~95年社会経済復興開発計画を採択。 |
DIA-202-1991-01-04-1 | カンボジア | 1991年01月04日 | 1990年代 | SPK,90年12月28日に,ヘン・サムリン(Heng Samrin)議長によって国家評議会が開かれた,と報道。 |
DIA-202-1991-01-07-1 | カンボジア | 1991年01月07日 | 1990年代 | GSOC建国12周年記念日。 |
DIA-202-1991-01-07-2 | カンボジア | 1991年01月07日 | 1990年代 | SPK,カンボジア国の1990年度の税収について,1989年の23億リエルから36億8400万リエルに増加し,これは財政省が設定した目標を1億8400リエル上回った,と報道。 |
DIA-202-1991-01-12-1 | カンボジア | 1991年01月12日 | 1990年代 | KPRP,党統制任務を全国的に総轄するための第5回会合,開会式。議長はセイ・プタン(Say Phuthang)党中央委統制委委員長。 |
DIA-202-1991-01-14-1 | カンボジア | 1991年01月14日 | 1990年代 | KPRP,党統制任務を全国的に総轄するための第5回会合,閉会式。議長はヘン・サムリン党中央委書記長。 |
DIA-202-1991-01-17-1 | カンボジア | 1991年01月17日 | 1990年代 | KPRP,中央委員会第12回総会,開始。議長はヘン・サムリン党中央委書記長。 |
DIA-202-1991-01-19-1 | カンボジア | 1991年01月19日 | 1990年代 | SPK,1990年の敵側からの帰順者は3043名,内訳はポル・ポト派1627名,ソン・サン派815名,シハヌーク派601名である,と報道。 |
DIA-202-1991-01-20-1 | カンボジア | 1991年01月20日 | 1990年代 | KPRP,中央委員会第12回総会,コミュニケ発表。以下の人事異動を承認,(1)タン・サロエン(Tang Saroem)党中央委員の引退,(2)シム・カ(Sim Ka)党中央委統制委副委員長の解任とプノンペン市党委書記への任命,(3)ネイ・ペナ(Ney Pena)の党中央委統制委副委員長への任命,(4)キム・ボ(Khim Bo)・タケオ州党委書記の中央委正委員への任命。 |
DIA-202-1991-01-21-1 | カンボジア | 1991年01月21日 | 1990年代 | SPK,国防相コミュニケによるとし,人民軍は1990年中に9453名の敵方兵士(内訳:戦死5735名,捕虜1213名,投降1144名(ママ))を戦線離脱させた,と報道。 |
DIA-202-1991-01-23-1 | カンボジア | 1991年01月23日 | 1990年代 | SPK,GSOC国会常設委員会が22~23日に開かれて,第20回国会の議事日程等を検討した,と報道。 |
DIA-202-1991-01-23-2 | カンボジア | 1991年01月23日 | 1990年代 | チア・チャント(Chea Chanto)計画相,1991年度年次計画会議において,1990年度の成果を報告。要旨以下のとおり。食料:計画の83%達成。畜産:計画の103%達成(291万7100頭に増加)。ゴム工業:栽培面積は計画の97%(5万2000㌶),クレープゴムの生産は3万4700㌧。林業:21万8000立方㌧の生産。漁業:計画の130%,10万4000㌧漁穫高。 |
DIA-202-1991-01-25-1 | カンボジア | 1991年01月25日 | 1990年代 | SPK,1990年のカンボジア―ベトナム間貿易は1989年の10倍に拡大した,と報道。 |
DIA-202-1991-01-28-1 | カンボジア | 1991年01月28日 | 1990年代 | GSOC第1期第20回国会,開会,議長はチア・シム(Chea Sim)国会議長。 |
DIA-202-1991-01-28-2 | カンボジア | 1991年01月28日 | 1990年代 | GSOC,以下のベトナムとの合意文書に調印。(1)1991年経済文化科学技術協力協定,(2)カンボジアに対するベトナム人専門家派遣に関する一般原則についての議定書,(3)1991~95年期間の交易と支払に関する条約,(4)1991年の交易と支払に関する議定書。 |
DIA-202-1991-01-31-1 | カンボジア | 1991年01月31日 | 1990年代 | FUNCINPECケック・シソダ(Khek Sysoda),FUNCINPEC内に自由民主主義を信奉する派閥が形成された,と記者会見で言明。FUNCINPEC内の分派の存在が報告されたのは初めて。 |
DIA-202-1991-02-02-1 | カンボジア | 1991年02月02日 | 1990年代 | グエン・コ・タク(Nguyen Co Thach)・ベトナム外相,アラタス(Alatas)・インドネシア外相,アヴィス(Avice)・フランス外務次官,およびアーメド(Ahmed)・国連事務総長特使,共同声明にて,国連安保理常任理事国による90年8月28日の枠組み文書の受け入れとカンボジアの国家主権の尊重,およびカンボジア紛争の包括的政治解決の緊急性について,言明。 |
DIA-202-1991-02-02-2 | カンボジア | 1991年02月02日 | 1990年代 | カンプチア国家建設防衛統一戦線,インドシナ共産党創設61周年記念式典を主催。議長はチア・ソット(Chea Soth)副首相。 |
DIA-202-1991-02-04-1 | カンボジア | 1991年02月04日 | 1990年代 | GSOC第1期第20回国会,閉会。(1)90年の社会経済開発計画と国家財政予算状況,および91年の国家財政予算についての閣僚会議の報告を承認。(2)徴税に関する8法律の採択。(3)現国会議員の任期の1年延長を承認。 |
DIA-202-1991-02-04-2 | カンボジア | 1991年02月04日 | 1990年代 | GSOCホー・ナムホン(Hor Namhong)外相,国会議員の任期延長は今回が最後であり,GSOCは紛争が解決されるか否かに関わらず1992年に総選挙を行なう,とBBCのインタビューで言明。 |
DIA-202-1991-02-06-1 | カンボジア | 1991年02月06日 | 1990年代 | シハヌーク,GSOCの総選挙実施計画について,「そのような選挙はベトナムのカンボジア併合を合法化するのに役立つにすぎない」として非難する声明を発表。 |
DIA-202-1991-02-10-1 | カンボジア | 1991年02月10日 | 1990年代 | SPK,GSOC内務省が2月4~7日に,1990年の活動を再検討し1991年の目標を設定するための会議を開催した,と報道。また,当会議に提出された報告書によるとし,1990年には,負傷2491名,捕虜424人,投降16名を含む3331名の反動分子を戦線離脱させた,と報道。 |
DIA-202-1991-02-10-2 | カンボジア | 1991年02月10日 | 1990年代 | シソフォン(Sisophon)発UPI電,雨季明け以来,GSOCとNGC間の戦闘が特に北西部で激化し,10万人以上の国内の避難民のために,GSOCは初めてキャンプを設けざるを得なかった,と報道。 |
DIA-202-1991-02-11-1 | カンボジア | 1991年02月11日 | 1990年代 | GSOC・SNC代表,カンボジアに関するパリ国際会議共同議長に宛てた書簡で,代表メンバーの交代を通知。シン・ソン(Sin Song),コン・サムオル(Kong Sam-ol),チェム・スングオン(Chem Snguon)に代わって,ディット・ムンティ(Dit Munty),イム・チュウンリム(Im Chhulim),シン・セン(Sin Sen)が就任。 |
DIA-202-1991-02-11-2 | カンボジア | 1991年02月11日 | 1990年代 | GSOC全国中央徴兵評議会,1990年の徴兵・戦場への派兵状況の再検討と1991年の目標を設定するための会議,開催。 |
DIA-202-1991-02-11-3 | カンボジア | 1991年02月11日 | 1990年代 | SPK,2月8~9日の工業省の1990年の活動を再検討し,1991年の目標を設定するための会議について報道。当会議における報告によれば,工業省は1989年以来24企業単位に自主経営経済システムの採用を許可し,9単位について私営部門に貸与する協定に調印した。また,1990年には,中央工業部門は工業生産年次計画の274%,1989年の生産高の308%を達成した。 |
DIA-202-1991-02-13-1 | カンボジア | 1991年02月13日 | 1990年代 | アコール(Accor)(フランスのホテル経営グループ),「ホテル・カンボジアーナ」と運営管理契約を締結。契約発行日は1991年3月28日。 |
DIA-202-1991-02-18-1 | カンボジア | 1991年02月18日 | 1990年代 | カンプチア国家建設防衛統一戦線第4期全国評議会第5回会議,開始。 |
DIA-202-1991-02-20-1 | カンボジア | 1991年02月20日 | 1990年代 | SPK,1月28日に締結された交易協力条約のもとでカンボジア・ベトナム間貿易は増大するとの予想を報道。1991年の予想は以下の通り。カンボジアの対ベトナム輸出:材木2000立方㌧,大豆3000㌧,インゲン豆500㌧,メイズ4000㌧,タバコ葉300㌧,タイヤ3000個,など計65万米㌦相当。ベトナムの対カンボジア輸出:セメント1万5000㌧,服地100万㍍,モスキートネッティング100万㍍,など計80万米㌦相当。 |
DIA-202-1991-02-20-2 | カンボジア | 1991年02月20日 | 1990年代 | カンプチア国家建設防衛統一戦線第4期全国評議会,第5回会議,終了。 |
DIA-202-1991-02-28-1 | カンボジア | 1991年02月28日 | 1990年代 | GSOC臨時国会,開会。 |
DIA-202-1991-03-01-1 | カンボジア | 1991年03月01日 | 1990年代 | GSOC臨時国会,閉会。チア・シム国会議長,閉会演説で,今後の和平交渉におけるGSOCの立場について以下の3点を強調。(1)カンボジア問題の包括的政治解決は,ポル・ポト政権の復活を阻止する具体的措置を提供しなければならない。(2)自由かつ公正な選挙によって新政府が樹立されるまで,政治的にも軍事的にも現状が維持されるべきである。(3)カンボジア問題の政治的解決における国連の重要な役割は,国連憲章,主権尊重の原則,およびカンボジア人の自決権に従わねばならない。 |
DIA-202-1991-03-05-1 | カンボジア | 1991年03月05日 | 1990年代 | KPNLF,創設12周年記念日。 |
DIA-202-1991-03-07-1 | カンボジア | 1991年03月07日 | 1990年代 | 中国外務省報道官,「軍事援助の終了は,カンボジア問題の包括的政治解決の構成要素である」と述べ,包括的政治解決が達成されるまで軍事援助を継続するとの中国の意向を表明。 |
DIA-202-1991-03-09-1 | カンボジア | 1991年03月09日 | 1990年代 | プノンペン発AFP電,カンボジア人民軍がバーラン(Bar Lang)をDKから奪還したので,政府財政の好転が期待できる,とのGSOCマオ・トラ(Mao Thora)商業省対外交易部部長の談話を報道。 |
DIA-202-1991-03-10-1 | カンボジア | 1991年03月10日 | 1990年代 | SPK,中国が3月7日に示した軍事援助継続の意向について,「カンボジア人民に対する偽善であり,カンボジア問題の包括的解決の主要障害は中国である」と非難。 |
DIA-202-1991-03-11-1 | カンボジア | 1991年03月11日 | 1990年代 | カンダール(Kandal)州ポンネアルエ(Ponhea Loe)郡コンポンルオン(Kompong Luong)のイスラム寺院の開設式,チア・シム国会議長の出席のもとで,開催。イスラム寺院の再建は1979年以来初めて。 |
DIA-202-1991-03-12-1 | カンボジア | 1991年03月12日 | 1990年代 | プノンペン発AFP,GSOCマオ・トラ商業省対外交易部部長によるとして,1991年のソ連の対GSOC援助は,80%の削減,すなわち4000万リエル(6億7000万米㌦(ママ))の削減であると,報道。 |
DIA-202-1991-03-12-2 | カンボジア | 1991年03月12日 | 1990年代 | 日本外務省報道官,池田・在バンコク大使館公使が日本独自の和平案を,北京でのNGC側3派代表者の会議で説明する,と言明。日本案は,国連安保理常任理事国案を補強する形で,(1)各派の武装解除は国連による検証の下で段階的にすすめることで,各派の疑念を解消する,(2)「過去の政策と行動への復帰を阻止する」ための特別委員会を国連に設置する,等を柱とするもの。 |
DIA-202-1991-03-13-1 | カンボジア | 1991年03月13日 | 1990年代 | シハヌーク,北京においてNGCとカンボジア低抗勢力の指導者会議を主宰。出席は,シハヌークNGC大統領,ソン・サンNGC首相,キュー・サンパンNGC外交担当副大統領,およびシハヌークの個人代表のラナリット(Norodom Ranariddh)の4名。 |
DIA-202-1991-03-15-1 | カンボジア | 1991年03月15日 | 1990年代 | 北京におけるNGCとカンボジア抵抗勢力の指導者会議,終了。主要合意点は以下のとおり。(1)国連安保理常任理事5カ国の1990年8月28日付け枠組み文書,1990年9月10日のジャカルタにおける共同声明,1990年9月20日付けの国連安全保障理事会第668号決議,1990年11月26日の和平協定案,および1990年12月23日のパリにおける共同声明,に対する全面的支持を確認。(2)カンボジア紛争の包括的政治解決を促進するために,上記の全文書,特に国連安全保障理事会第668号決議の実施を受け入れるように,全関係者に呼びかけること。 |
DIA-202-1991-03-21-1 | カンボジア | 1991年03月21日 | 1990年代 | FUNCINPEC創設10周年記念日。 |
DIA-202-1991-03-21-2 | カンボジア | 1991年03月21日 | 1990年代 | タプラヤ(Ta Phraya)(タイ)発AFP電,DKの519部隊が,KPNLF軍を援助するためにトマープオク(Thmar Puok)に向かっている,と報道。 |
DIA-202-1991-03-24-1 | カンボジア | 1991年03月24日 | 1990年代 | SPK,ソ連が経済困難のために,ソ連人技術者(気象学者,水道・電力設備勤務の専門家,エアー・カンプチアのパイロット等)を本国帰還させる準備がなされている,と報道。 |
DIA-202-1991-03-25-1 | カンボジア | 1991年03月25日 | 1990年代 | KPNLFソン・サン議長,日本政府の招待で来日。 |
DIA-202-1991-03-26-1 | カンボジア | 1991年03月26日 | 1990年代 | バンコク発AFP,3月22日以来,カンボジア人民軍が,ソ連製MIG-19とMIG-20を投入して,パイリン(Pailin)およびサムロット(Samlot)付近の貴金属産出地域を攻撃している,と報道。 |
DIA-202-1991-03-28-1 | カンボジア | 1991年03月28日 | 1990年代 | 『バンコクポスト』紙,キュー・サンパン(Khieu Samphan),イエン・サリ(Ieng Sary),イエン・チリト(Ieng Thirith)およびソン・セン(Son Sen)を含むDK幹部が,バヌンマライ(Phanum Malai)付近で,反攻作戦を協議するために会合をもった,と報道。 |
DIA-202-1991-03-28-2 | カンボジア | 1991年03月28日 | 1990年代 | KPNLFソン・サン議長,東京における記者会見で,「ベトナムに対する禁輸措置を18カ月間延長してほしい。ベトナムは経済的,政治的,社会的困難に直面しており,国連案を受け入れざるを得なくなるであろう」と言明。 |
DIA-202-1991-03-30-1 | カンボジア | 1991年03月30日 | 1990年代 | KPNLFソン・サン(Son Sann)議長,離日。 |
DIA-202-1991-04-02-1 | カンボジア | 1991年04月02日 | 1990年代 | ハノイ発共同電,ハノイの東側情報筋によるとして,3月末のラオス党大会期間中に,ヴィエンチャンにて,GSOCヘン・サムリン国家評議会議長とフン・セン首相が,中国共産党代表団長の普朝柱中央委員と会談した,と報道。 |
DIA-202-1991-04-04-1 | カンボジア | 1991年04月04日 | 1990年代 | Nhan Dan紙,1989年のカンボジアからのベトナム軍撤退は「不可逆的決断」であり,たとえカンボジア問題に政治的解決がもたらされずにクメール・ルージュがその機に乗じて政権復帰を果たしても,ベトナムは決して軍隊を展開しない,とコメソト。 |
DIA-202-1991-04-04-2 | カンボジア | 1991年04月04日 | 1990年代 | GSOC閣僚会議閉会。 |
DIA-202-1991-04-06-1 | カンボジア | 1991年04月06日 | 1990年代 | バンコク発AFP電,カンボジア人民軍によるここ数週間の砲撃と空爆の結果,DKがパイリンから撤退した,と報道。 |
DIA-202-1991-04-07-1 | カンボジア | 1991年04月07日 | 1990年代 | 『バンコクポスト』紙,消息筋によるとして,ソロモン(Solomon)米国務次官補がラナリットに対して,非共産低抗勢力に対する米国の援助は1991年が最後であると語った,と報道。 |
DIA-202-1991-04-10-1 | カンボジア | 1991年04月10日 | 1990年代 | ソロモン米国務次官補,下院外交委アジア・太平洋小委員会に対して,非共産抵抗勢力がDKと軍事協力を行っているとの疑惑があるために,米政府は1990年12月以降,1991会計年度分の非共産抵抗勢力に対する非軍事援助2000万米㌦の供与を中断していると,証言。 |
DIA-202-1991-04-17-1 | カンボジア | 1991年04月17日 | 1990年代 | GSOC,「米帝国主義・追従政権に対する人民の勝利」16周年記念式典,挙行。 |
DIA-202-1991-04-21-1 | カンボジア | 1991年04月21日 | 1990年代 | GSOCフン・セン首相,健康診断を理由に来日。 |
DIA-202-1991-04-22-1 | カンボジア | 1991年04月22日 | 1990年代 | デュマ(Dumas)・フランス外相,アラタス・インドネシア外相(以上PICC共同議長国),およびデクエヤル(de Cuellar)国連事務総長,カンボジア各派に対して,5月1日から少なくともジャカルタにおける和平会議が終了するまで,停戦するように共同声明で呼びかけ。 |
DIA-202-1991-04-23-1 | カンボジア | 1991年04月23日 | 1990年代 | VOK,FUNCINPECとKPNLFが,4月22日のPICC共同議長国と国連事務総長による停戦の呼びかけを歓迎している,と放送。 |
DIA-202-1991-04-24-1 | カンボジア | 1991年04月24日 | 1990年代 | PPDS,4月22日のPICC共同議長国と国連事務総長による停戦の呼びかけについて,カンボジア人民とGSOCの熱望に合致していると評価したGSOCの声明を放送。 |
DIA-202-1991-04-26-1 | カンボジア | 1991年04月26日 | 1990年代 | DKキュー・サンパン議長,4月22日のPICC共同議長国と国連事務総長による停戦の呼びかけを受諾する,と表明。 |
DIA-202-1991-04-29-1 | カンボジア | 1991年04月29日 | 1990年代 | AP電,援助関係者および西側外交筋によるとして,凍結されていた米国の対非共産抵抗勢力援助のうち,700万米㌦が解除された,と報道。 |
DIA-202-1991-05-01-1 | カンボジア | 1991年05月01日 | 1990年代 | PICC共同議長国と国連事務総長の呼びかけによる自主停戦,発効。 |
DIA-202-1991-05-02-1 | カンボジア | 1991年05月02日 | 1990年代 | GSOC国防省,NGC側3派が「停戦遵守に誠実でなく」,「直ちに違反をやめなければ,カンボジア国防省は自衛権を行使する」とする声明を発表。 |
DIA-202-1991-05-02-2 | カンボジア | 1991年05月02日 | 1990年代 | GSOCホー・ナムホン外相,ソ連がGSOCに2100万米㌦相当の借款を優遇条件で供与する予定である,とソ連とポーランドを訪問後のパリにて言明。 |
DIA-202-1991-05-03-1 | カンボジア | 1991年05月03日 | 1990年代 | 海部・日本首相,シンガポールにおける政策演説で,カンボジア和平達成後に「カンボジア復興に関する国際会議」を日本で開催する用意がある,と表明。 |
DIA-202-1991-05-03-2 | カンボジア | 1991年05月03日 | 1990年代 | GSOC閣僚会議,「通貨交換および貴金属・宝石の取引の管理に関する回覧」を発表。主要点は以下の2点。(1)個人あるいは個人グループは,財政省および国家銀行の許可なく通貨交換を行うことは禁じられる。(2)カンボジア人,外国人,および法人は,財政省および国家銀行の事前の許可なしに,貴金属および宝石をカンボジア国の領土外で流通させることを禁じられる。 |
DIA-202-1991-05-06-1 | カンボジア | 1991年05月06日 | 1990年代 | SPK,農業省によるとして,今雨季の米作の目標は,作付面積194万㌶,収穫247万5000㌧である,と報道。 |
DIA-202-1991-05-09-1 | カンボジア | 1991年05月09日 | 1990年代 | GSOCティア・バン(Tie Banh)国防相,「停戦を宣言してから事態は非常に良くなってきており,戦闘は減少した」と言明。 |
DIA-202-1991-05-11-1 | カンボジア | 1991年05月11日 | 1990年代 | バンコク発AFP電,アムネスティ・インターナショナルの報告書によるとして,DK内で,個人的・経済的自由を求めた30名が,内部反逆を先導した咎で処刑された,と報道。 |
DIA-202-1991-05-12-1 | カンボジア | 1991年05月12日 | 1990年代 | 国連停戦調査ミッション(団長ディブアマ(Dibuama)少将,DKマック・ベン(Mak Ben)およびコー・ブンヘン(Kor Bunheng)・キュー・サンパン事務所付特使と会談。 |
DIA-202-1991-05-13-1 | カンボジア | 1991年05月13日 | 1990年代 | ディブアマ・国連停戦調査ミッション団長,KPNLF軍およびNAIC司令部を訪問した後,「アンピル(Ampil)とブンタクアン(Bun Thakuan)で会った人々は皆,停戦をジャカルタにおける会談まで維持すると誓約した」と言明。 |
DIA-202-1991-05-13-2 | カンボジア | 1991年05月13日 | 1990年代 | カンボジア人民軍の1990-91年の政治的・軍事的活動と1991年雨季の目標に関する会議,開催。議長はヘン・サムリン,その他出席者は,チア・シム,フン・セン,ブー・タン(Bou Thang),ティア・バン,シン・ソン,ポル・サルーエン(Pol Saroeun)など。 |
DIA-202-1991-05-14-1 | カンボジア | 1991年05月14日 | 1990年代 | 国連停戦調査ミッション,プノンペン入り。GSOCケー・キミヤン(Ke Kimyan)第一国防次官と会談。 |
DIA-202-1991-05-16-1 | カンボジア | 1991年05月16日 | 1990年代 | カンボジア人民軍の1990-91年の政治的・軍事的活動と1991年の雨季の目標に関する会議,閉会。 |
DIA-202-1991-05-17-1 | カンボジア | 1991年05月17日 | 1990年代 | 国連停戦調査ミッション,プノンペンからバンコクに到着。ディブアマ団長,各派は善意をもって暫定停戦実行に取り組んでおり,当初はいくつかの停戦違反があったが,現在は停戦が遵守されていることは明らかである,と記者会見にて言明。 |
DIA-202-1991-05-18-1 | カンボジア | 1991年05月18日 | 1990年代 | DK,声明において,自主停戦の期限を1991年6月5日以前とするべきであると主張。声明の要点は以下の3点。(1)ベトナムおよびプノンペン側の停戦延長の要求は,彼らが国連安保理の1990年8月28日の枠組み文書および1990年11月26日の協定草案を拒絶していることから,国際社会の注意をそらせることを目的とした,混乱を生み出すごまかしである。(2)ベトナムおよびプノンペン側が不実な行動をとっている状態では,停戦期限を1991年6月5日以前に設定するべきである。(3)DKは停戦,停戦監視,ベトナム軍撤退の管理・検証,およびその他カンボジア問題解決過程の検証作業は,包括的合意およびカンボジアに関するパリ国際会議の枠組みにおいてなされるべきであるとの立場である。 |
DIA-202-1991-05-20-1 | カンボジア | 1991年05月20日 | 1990年代 | GSOC,ジェノサイド的ポル・ポト政権に対する憎悪記念集会,チェウンエク(Cheung Ek)集団墓地にて開催。 |
DIA-202-1991-05-21-1 | カンボジア | 1991年05月21日 | 1990年代 | GSOC,1991~93年のソ連・カンボジア国間の文化科学技術協力に関する議定書,調印。 |
DIA-202-1991-05-24-1 | カンボジア | 1991年05月24日 | 1990年代 | SPK,プノンペンの80万市民のためには脱穀済みの米が1万3000㌧/月必要であり,これには国家公務員のための4500㌧/月が含まれる,と報道。また,米価上昇を防ぐために,市営食料会社は1日当り5~6㌧の脱穀済みの米を等級に応じて95~107リエル/㌔で売り出しているが,自由市場では150~170リエル/㌔である,とも報道。 |
DIA-202-1991-05-26-1 | カンボジア | 1991年05月26日 | 1990年代 | SPK,農業省が,森林の乱伐を防止するために,製材所数および政府部局が購入する木材製品を制限する指令を布告した,と報告。また,農業省によるとして,国内森林面積は内戦前の1300万㌶から700万㌶に減少した,と報道。 |
DIA-202-1991-05-29-1 | カンボジア | 1991年05月29日 | 1990年代 | GSOC,1991年ソ連・カンボジア国間の経済貿易協定,調印。 |
DIA-202-1991-06-01-1 | カンボジア | 1991年06月01日 | 1990年代 | DKキュー・サンパン議長,「1991年6月2~4日のジャカルタにおけるパリ国際会議共同議長とカンボジア各派間の会議」に関する声明を発表。同声明において,「できるだけ早い時期にパリ国際会議調整委員会の再開に道を開くために,プノンペン勢力が,1990年11月26日の協定草案を受諾するように要請する」と言明。 |
DIA-202-1991-06-01-2 | カンボジア | 1991年06月01日 | 1990年代 | GSOCフン・セン首相,ジャカルタ国際空港にて,「カンボジアの特別な問題は,ジェノサイドに関するものであり,それがわれわれが提案する最優先事項である。法廷だけではなく,さらに,ジェノサイドの復活について反対を宣言しない党派は,選挙への参加を禁止する措置をもとられるべきであろう。」と言明。 |
DIA-202-1991-06-01-3 | カンボジア | 1991年06月01日 | 1990年代 | シハヌーク,スハルト(Suharto)・インドネシア大統領の招待に応じて,ジャカルタ入り。 |
DIA-202-1991-06-02-1 | カンボジア | 1991年06月02日 | 1990年代 | PICC共同議長国,SNC,および国連特別代表による和平会議,ジャカルタにて開会。アラタス・インドネシア外相,開会演説において,「1990年11月26日の協定は,受諾も拒絶もしなくてもよい提案と見なされる。対立勢力およびパリ国際会議参加国すべてにとって受け入れられるようにするために,いくつかの建設的修正が加えられるかもしれないが,そうした変更は枠組み文書に適合したものでなければならない。」と言明。 |
DIA-202-1991-06-02-2 | カンボジア | 1991年06月02日 | 1990年代 | シハヌークとGSOCフン・セン首相,シハヌークの滞在ホテルにて会談。DKの同意を条件として,SNC議長にシハヌーク,副議長にフン・センがそれぞれ就任すること,およびSNCの構成員をGSOC側から7人,NGO側から7人の計14人とすることで合意。 |
DIA-202-1991-06-02-3 | カンボジア | 1991年06月02日 | 1990年代 | GSOCフン・セン首相,協定草案に対する修正案を正式に提案。主要項目は以下の5点。(1)和平協定はジェノサイドについて明示的に言及する。(2)カンボジアにおけるジェノサイドに責任を有する者を裁くために国際法廷を設置する。(3)最終的に制定されるカンボジア憲法にはジェノサイドの復活を阻止する条項を含ませる。(4)移行期間中は国連の監視の下で,全部隊を別々のキャンプに集結させる。(5)UNTACの権限に対し制限を設ける。 |
DIA-202-1991-06-03-1 | カンボジア | 1991年06月03日 | 1990年代 | SPK,GSOC閣僚会議が,最近,工業省の下にエネルギー局を設置することを承認した,と報道。 |
DIA-202-1991-06-03-2 | カンボジア | 1991年06月03日 | 1990年代 | シハヌーク,DKキュー・サンパン議長が6月2日のシハヌークとGSOCフン・セン首相間の合意および停戦延長を拒否した,と言明。 |
DIA-202-1991-06-03-3 | カンボジア | 1991年06月03日 | 1990年代 | サイアム商業銀行,カンボジア国家銀行と合弁でカンボジア南業銀行を設立する協定を締結。株式の70%をサイアム商業銀行が,30%をカンボジア国家銀行が所有する。 |
DIA-202-1991-06-04-1 | カンボジア | 1991年06月04日 | 1990年代 | 『バンコクポスト』紙,DKが,パイリンで宝石採取や伐採活動を行っているタイ人およびその他外国人に対してカンボジア人民軍の大規模攻撃に備えるように警告し,もはや彼らの安全を保障できないと表明した,と報道。 |
DIA-202-1991-06-04-2 | カンボジア | 1991年06月04日 | 1990年代 | ジャカルタにおけるカンボジア和平協議,閉会。アラタス・インドネシア外相,「期待したほどの進展はなかった」が,未解決の議題およびその解決方法を明らかにするにあたっての「実質的な」進展はあった,と記者会見にて言明。 |
DIA-202-1991-06-04-3 | カンボジア | 1991年06月04日 | 1990年代 | SPKRN,GSOCが最近,ソ連との1991~93年文化科学協力協定に調印した,と報道。 |
DIA-202-1991-06-05-1 | カンボジア | 1991年06月05日 | 1990年代 | シハヌークとGSOCフン・セン首相,対話継続を確認。シハヌークの報道官,二人は「この対話を続けることで合意し,簡単なことではないが,和平を前進するために努力するとの結論に達した。」と言明。 |
DIA-202-1991-06-06-1 | カンボジア | 1991年06月06日 | 1990年代 | 民主カンプチア国民軍最高司令部,「全戦場および全国の全部隊へのガイダンス」で,国連案がベトナムおよびその傀儡によって受諾されるまで戦い続ける,として正式に戦闘再開を宣言。 |
DIA-202-1991-06-07-1 | カンボジア | 1991年06月07日 | 1990年代 | シハヌーク,FUNCINPEC代表のチャウセン・コーサル(Chausen Coosal)に代わって一般構成員としてSNCに加わることを表明。 |
DIA-202-1991-06-07-2 | カンボジア | 1991年06月07日 | 1990年代 | 銭其・中国外相,記者会見にて,「シハヌーク殿下がSNCの議長を務めることで最終的には各派が合意するだろう。副議長の人選はある派が反対しているが二次的な問題であり,関係各派が柔軟さと建設的な態度を見せれば話し合いで解決するだろう。」と言明。 |
DIA-202-1991-06-08-1 | カンボジア | 1991年06月08日 | 1990年代 | GSOCフン・セン首相,シハヌークのSNC参加に対する歓迎の意を表明。 |
DIA-202-1991-06-11-1 | カンボジア | 1991年06月11日 | 1990年代 | SPK,工業省によるとして,プノンペンにある10工場の私企業へのリース収入が177万6000米㌦/年であり,これは1989年以前の10倍以上に相当する,と報道。 |
DIA-202-1991-06-12-1 | カンボジア | 1991年06月12日 | 1990年代 | SPK,プノンペン航空が1991年6月18日からプノンペン・シンガポール間直行便を週1便の割合で就航させる,と報道。同報道によると,プノンペン航空は,香港在住カンボジア人のチュルン・ユハク(Chrun Yuhak)によって設立されたものであり,ペリタ航空(Pelita Air)のジェット機を賃借りする。 |
DIA-202-1991-06-15-1 | カンボジア | 1991年06月15日 | 1990年代 | UPI,プノンペンに支局設置。米国報道機関の支局は1979年以来初めて。 |
DIA-202-1991-06-15-2 | カンボジア | 1991年06月15日 | 1990年代 | ポイペト(Poi Pet)・アランヤプラテート(Aranyaprathet)間のカンボジア・タイ国境,公式に開放。 |
DIA-202-1991-06-18-1 | カンボジア | 1991年06月18日 | 1990年代 | SPK,工業省がプノンペンにある二つの織物工場を,タイ企業のフルダ(Fuldaa)にリースした,と報道。 |
DIA-202-1991-06-19-1 | カンボジア | 1991年06月19日 | 1990年代 | カンボジア人民軍創設40周年記念日。 |
DIA-202-1991-06-22-1 | カンボジア | 1991年06月22日 | 1990年代 | SPK,GSOCは今年日本にむけて5000立方㍍の角材・挽材を輸出する予定である,と報道。 |
DIA-202-1991-06-22-2 | カンボジア | 1991年06月22日 | 1990年代 | シハヌーク,5項目からなる和平案を提案。 |
DIA-202-1991-06-23-1 | カンボジア | 1991年06月23日 | 1990年代 | GSOC,FUNCINPEC,KPNLF,およびDK,無期限の全面的停戦に合意。シハヌーク,「停戦は全員に支持された。少なくとも紙の上では,もはやカンボジアに戦争はないといえる。地面の上でもそうなることを希望する。」と言明。 |
DIA-202-1991-06-24-1 | カンボジア | 1991年06月24日 | 1990年代 | SNC緊急会合,パタヤにて開会。合意点および確認点は以下の4点。(1)シハヌークが今後のSNC会合を召集し議長を務める。(2)SNCの旗および歌は決定されたが,総選挙までは,各派がすでに用いている旗および歌を使用してもよい。(3)無期限の全面的停戦,および外国からの軍事援助の停止。これは6月24日から発効。(4)シハヌークがSNCの国連代表団の長となる。 |
DIA-202-1991-06-25-1 | カンボジア | 1991年06月25日 | 1990年代 | SNCパタヤ緊急会合第2日,SNC本部をプノンペンに設置することで合意。 |
DIA-202-1991-06-25-2 | カンボジア | 1991年06月25日 | 1990年代 | KPRP結党40周年記念日。 |
DIA-202-1991-06-26-1 | カンボジア | 1991年06月26日 | 1990年代 | SNCパタヤ緊急会合,共同コミュニケを発表して,閉会。 |
DIA-202-1991-06-28-1 | カンボジア | 1991年06月28日 | 1990年代 | KPNLFソン・サン議長,KPNLF軍に停戦実施を命令。 |
DIA-202-1991-06-29-1 | カンボジア | 1991年06月29日 | 1990年代 | KPNLF軍サク・ストサカン(Sak Sutsakhan)最高司令官,KPNLF内の二つの分派はKPNLFソン・サン議長の下で団結することに合意した,と表明。 |
DIA-202-1991-06-29-2 | カンボジア | 1991年06月29日 | 1990年代 | KPRP中央委政治局会議,開催。議長はヘン・サムリン。 |
DIA-202-1991-07-01-1 | カンボジア | 1991年07月01日 | 1990年代 | カンボジア商業銀行(カンボジア国家銀行とサイアム商業銀行の合弁銀行),営業開始。 |
DIA-202-1991-07-03-1 | カンボジア | 1991年07月03日 | 1990年代 | SPK,カンボジア国家銀行がリエルの公定為替レートを1㌦=800リエルに改定した,と報道。 |
DIA-202-1991-07-07-1 | カンボジア | 1991年07月07日 | 1990年代 | SPK,農業省地形測量局の最近の報告によれば,政府が土地所有権に関する新政策を発布して以降,土地所有証書とともに282区画が農民に分配された,と報道。 |
DIA-202-1991-07-10-1 | カンボジア | 1991年07月10日 | 1990年代 | GSOC情報・文化省,旧王室博物館とシルバー・パゴダを修復のために閉鎖する,と発表。 |
DIA-202-1991-07-13-1 | カンボジア | 1991年07月13日 | 1990年代 | GSOCチア・シム国会議長,渡辺美智雄・自民党国会議員の招待で来日。 |
DIA-202-1991-07-15-1 | カンボジア | 1991年07月15日 | 1990年代 | GSOCフン・セン首相,ホー・ナムホン外相,およびイム・チュウンリム,SNC非公式会合に出席するため北京入り。GSOC閣僚の訪中は1979年以来初めて。 |
DIA-202-1991-07-16-1 | カンボジア | 1991年07月16日 | 1990年代 | SNC非公式会合,北京にて開会。議長はシハヌーク。出席者は,NGC側はシハヌークを含む6人全員,GSOC側はフン・セン,ホー・ナムホン,およびイム・チュウンリムの3人。 |
DIA-202-1991-07-16-2 | カンボジア | 1991年07月16日 | 1990年代 | GSOCチア・シム国会議長,離日。 |
DIA-202-1991-07-17-1 | カンボジア | 1991年07月17日 | 1990年代 | シハヌークとGSOCフン・セン首相,SNC北京非公式会合の協議開始前に共同コミュニケを発表。合意点以下の2点。(1)シハヌークがNGC大統領職を退き,中立の立場で正式にSNC議長に就任すること。(2)SNC副議長は設けない。 |
DIA-202-1991-07-17-2 | カンボジア | 1991年07月17日 | 1990年代 | SNC北京非公式会合,共同コミュニケを発表して,閉会。 |
DIA-202-1991-07-17-3 | カンボジア | 1991年07月17日 | 1990年代 | シハヌーク,NGC大統領を辞職し,SNC議長に正式就任。 |
DIA-202-1991-07-17-4 | カンボジア | 1991年07月17日 | 1990年代 | 国連安保理常任理事5カ国とPICC共同議長国,北京にてカンボジア問題に関する協議を開始。 |
DIA-202-1991-07-17-5 | カンボジア | 1991年07月17日 | 1990年代 | 李鵬・中国首相,GSOCフン・セン首相を含むSNCメンバーを人民大会堂での夕食会に招待。 |
DIA-202-1991-07-18-1 | カンボジア | 1991年07月18日 | 1990年代 | 国連安保理常任理事5カ国とPICC共同議長国の協議終了。共同コミュニケで,無期限停戦,武器援助受け入れ停止,およびSNC本部のプノンペン設置などでSNCが合意したことを評価し歓迎の意を表明。 |
DIA-202-1991-07-19-1 | カンボジア | 1991年07月19日 | 1990年代 | ASEAN外相会議,共同声明にて「SNCが機能している以上,SNCを承認するべきである」として,加盟6カ国がSNCに大使派遣することを決定。 |
DIA-202-1991-07-19-2 | カンボジア | 1991年07月19日 | 1990年代 | GSOCヘン・サムリン国家評議会議長とチア・シム国会議長,シハヌークがNGC大統領職を辞してSNC議長に就任したことに対する祝辞を連名の書簡にて表明。 |
DIA-202-1991-07-22-1 | カンボジア | 1991年07月22日 | 1990年代 | シハヌークとGSOCフン・セン首相,「カンボジア経済社会復興開発援助受け入れのための委員会」の創設に合意。メンバーは以下の12人。委員長:ノロドム・シハヌーク,SNC議長。副委員長:ヘン・サムリンGSOC国家評議会議長,チア・シムGSOC国会議長,およびフン・センGSOC閣僚会議議長。事務局長:コン・サムオルGSOC閣僚会議副議長。その他メンバー:ホー・ナムホンGSOC外相,ヨス・ソン(Yos Son)GSOC教育相,ヒム・チェム(Him Chhem)GSOC情報・文化省次官,トラン・イェウトェク(Tram Ievtoek)GSOC交通・運輸・郵政省次官,イト・プラン(It Prang)GSOC工業省次官,チア・ソン(Chhea Song)GSOC農業省次官,ミ・サムディ(Mi Samedi)GSOC公衆衛生省次官・カンボジア赤十字事務局長。 |
DIA-202-1991-07-23-1 | カンボジア | 1991年07月23日 | 1990年代 | 国際連合,1991年6月のSNCパタヤ緊急会合で採択されたカンボジアの新国旗を正式に掲揚。 |
DIA-202-1991-07-26-1 | カンボジア | 1991年07月26日 | 1990年代 | KPRP中央委政治局,全体会議開催。議長はヘン・サムリン。 |
DIA-202-1991-08-08-1 | カンボジア | 1991年08月08日 | 1990年代 | KPRP中央委員会第13回総会,開会。議長はヘン・サムリンKPRP書記長。 |
DIA-202-1991-08-11-1 | カンボジア | 1991年08月11日 | 1990年代 | KPRP中央委員会第13回総会,閉会。以下の人事を決定。(1)ホー・ノン(Ho Non)党中央委員を「多くの点における不適性,特に私利のための泥棒行為」のために,中央委員会から除名。(2)健康上の理由で党中央委員書記局を辞したいとのメン・サムアン(Men Sam-an)の要請を承認。 |
DIA-202-1991-08-14-1 | カンボジア | 1991年08月14日 | 1990年代 | GSOC第1期第21回国会,開会。議長チア・シム国会議長。 |
DIA-202-1991-08-17-1 | カンボジア | 1991年08月17日 | 1990年代 | SPK,ゴム園総局によるとして,Singapore Engineering Company,Franco-Sino(台湾),およびオランダの企業(企業名は報道されず)の3外国企業が,ゴム開発のための投資権を申請したと報道。また,1991年1~7月のクレープゴムの輸出は前年同期比2983㌧増の1万2680㌧であると報道。 |
DIA-202-1991-08-19-1 | カンボジア | 1991年08月19日 | 1990年代 | GSOC第1期第21回国会,閉会。 |
DIA-202-1991-08-20-1 | カンボジア | 1991年08月20日 | 1990年代 | 国連停戦ミッション(団長ディブアマ少将),DK支配地区に到着,調査開始。 |
DIA-202-1991-08-21-1 | カンボジア | 1991年08月21日 | 1990年代 | VONADK,8月17日付けの「カンボジアの軍事力に関する民主カンプチア党の覚書」を放送。この覚書は,Ⅰ.ヘム・サムリン政権のA-3武装警察,Ⅱ.ヘム・サムリンの行政警察,Ⅲ.民主カンプチア党の地元ゲリラ戦力,以上3章からなる。 |
DIA-202-1991-08-23-1 | カンボジア | 1991年08月23日 | 1990年代 | 国連停戦調査ミッション(団長ディブアマ少将),プノンペン到着。 |
DIA-202-1991-08-24-1 | カンボジア | 1991年08月24日 | 1990年代 | 徐敦信・中国外務次官とグエン・ディ・ニエン(Ngnyen Dy Nien)・ベトナム外務次官,カンボジア各派による和平努力を促進することで合意。両者は,SNC会合にオブザーバー参加するために訪タイ中。 |
DIA-202-1991-08-25-1 | カンボジア | 1991年08月25日 | 1990年代 | GSOCフン・セン首相,記者団に対して,「各派軍隊および兵器の40%削減を受け入れる」と表明。 |
DIA-202-1991-08-26-1 | カンボジア | 1991年08月26日 | 1990年代 | SNC会合,パタヤにて開会。武装解除問題を討議。GSOCは軍の40%解体を提案。DKは,NGC側とGSOC側が兵力6000人を残して軍の大部分を解体することを提案。 |
DIA-202-1991-08-26-2 | カンボジア | 1991年08月26日 | 1990年代 | シハヌークSNC議長,国連事務総長に宛てた書簡で,包括的政治解決の枠組みにおける第一歩として,1991年9月に少なくとも200名の国連監視団を派遣するように,と要請。 |
DIA-202-1991-08-27-1 | カンボジア | 1991年08月27日 | 1990年代 | SNCパタヤ会合2日目,国連安保理案(1991年11月26日付け)に以下の2点の修正を求めることで合意。(1)軍の全面武装解除に代えて,各派の兵員・武器の70%を削減し,残り30%はUNTAC管理下に置くこと。(2)国連事務総長特使の最終決定権に代えて,SNC議長に最終決定権を与えること。 |
DIA-202-1991-08-28-1 | カンボジア | 1991年08月28日 | 1990年代 | SNCパタヤ会合,3日目。選挙実施に関して以下の2点で合意。(1)総選挙に参加する政党には最低5000人の党員が必要。(2)18歳以上に選挙権付与。 |
DIA-202-1991-08-29-1 | カンボジア | 1991年08月29日 | 1990年代 | SNCパタヤ会合,共同コミュニケを発表して閉会。 |
DIA-202-1991-08-29-2 | カンボジア | 1991年08月29日 | 1990年代 | 国連安保理常任理事5カ国とPICC共同議長国,パタヤにて協議。 |
DIA-202-1991-08-30-1 | カンボジア | 1991年08月30日 | 1990年代 | 国連安保理常任理事5カ国,PICC共同議長国,およびSNCの合同会議,SNCが修正した国連和平案修正案を検討。共同コミュニケにて基本的に合意する旨を表明。 |
DIA-202-1991-09-01-1 | カンボジア | 1991年09月01日 | 1990年代 | シハヌーク,VOAのインタビューに応えて,国際社会がGSOCフン・セン首相を擁護しなければ,SNCにおいて彼は強硬派に代わられて,交渉はより困難になるであろう,と言明。 |
DIA-202-1991-09-03-1 | カンボジア | 1991年09月03日 | 1990年代 | KPRP中央委政治局,SNCパタヤ会合(8月26~29日)の成果についての報告・検討会議。 |
DIA-202-1991-09-04-1 | カンボジア | 1991年09月04日 | 1990年代 | SPKRN,KPRP中央委政治局のプレスコミュニケを放送。KPRP中央委政治局,当コミュニケにおいて,カンボジア政府側構成員の努力と歩み寄りのおかげでSNCパタヤ会合では非常に満足のいく成果が達成された,と言明。 |
DIA-202-1991-09-05-1 | カンボジア | 1991年09月05日 | 1990年代 | SPK,閣僚会議がリエル貨の価値を安定させるために,金および貴金属の自由市場における取引を一時停止した,と報道。1テール(約37.7㌘)当り46万リエルから,8月中旬には60万リエルにまで高騰していた金の価格は,この取引一時停止措置がとられて以来,50万リエル前後に低下した。と説明。 |
DIA-202-1991-09-07-1 | カンボジア | 1991年09月07日 | 1990年代 | SPK,チャン・ソエウン(Chan Soeun)・プノンペン市徴税局局長によるとして,8月中旬に金・貴金属の取引が停止されたために,8月の税収は700万リエルの減収になった,と報道。 |
DIA-202-1991-09-09-1 | カンボジア | 1991年09月09日 | 1990年代 | SPK,タル・ナイム(Tal Naiim)・カンボジア商業銀行副総裁によるとして,カンボジア商業銀行は開業以来2カ月間で,37万1655米㌦および81万7000リエルの預金を獲得し,5万5370米㌦相当の外貨を両替した,と報道。 |
DIA-202-1991-09-10-1 | カンボジア | 1991年09月10日 | 1990年代 | ウィチィアン・ワッタナクン(Wichian Watthanakhun)・タイ外務次官,洪水被害救済のための1000万バーツ相当の援助物資とともに,プノンペン到着。タイ政府レベル役人のカンボジア訪問は,1975年以来初めて。 |
DIA-202-1991-09-13-1 | カンボジア | 1991年09月13日 | 1990年代 | GSOCホー・ナムホン外相,和平協定が調印されれば,全政治犯を釈放する用意があり,しかも政治犯のうち幾人かはまもなく釈放されるであろう,と外国人記者団に対して表明。 |
DIA-202-1991-09-17-1 | カンボジア | 1991年09月17日 | 1990年代 | SNC国連代表団,第46回国連総会オープニングセッションに出席。GSOC閣僚(GSOCフン・セン首相,GSOCホー・ナムホン外相)が国連総会に出席したのは,1979年以来初めて。 |
DIA-202-1991-09-19-1 | カンボジア | 1991年09月19日 | 1990年代 | SNC,ニューヨークにおいて,総選挙の方法として,各州ごとの比例代表制を採用することに合意。出席者は,シハヌークSNC議長のほか,KPNLF代表としてソン・サン,イエン・ムーリ(Ieng Mouli),FUNCINPEC代表としてノロドム・ラナリット(Norodom Ranariddh),DK代表としてキュー・サンパン,ソン・セン(Son Sen),GSOC代表としてフン・セン,ホー・ナムホン。 |
DIA-202-1991-09-20-1 | カンボジア | 1991年09月20日 | 1990年代 | SNC,国連安保理常任理事5カ国,PICC共同議長国,およびアーメド国連事務総長特別代表,SNCの合意事項を承認。SNCの合意事項は以下の3点。(1)総選挙には各州ごとの比例代表制を採用すること。(2)SNC議長が欠席している時,もしくは構成員間で非常に見解の異なる問題について決断を下すことを望まない時には,国連事務総長代表が最終決断を下すこと。(3)SNCパタヤ会合(8月26日~29日)において軍事面で合意された事項に関する1990年11月26日付けの国連和平案の修正。 |
DIA-202-1991-09-21-1 | カンボジア | 1991年09月21日 | 1990年代 | SNC,国連安保理常任理事5カ国,およびPICC共同議長国,共同コミュニケ発表。同日午後,PICC参加全18カ国が加わったPICC調整委員会非公式会合にて,10月末の和平協定調印にむけた日程を確認。 |
DIA-202-1991-09-26-1 | カンボジア | 1991年09月26日 | 1990年代 | シハヌーク,第46回国連総会で演説。全カンボジアを代表する代表団の長としての演説は,この20年来初めて。 |
DIA-202-1991-09-30-1 | カンボジア | 1991年09月30日 | 1990年代 | SPK,ピッチ・ウォン(Pich Vong)税関副長官によるとして,今年度8月までの税収は,1990年通年の2倍に相当する112億9800万リエルに達しており,年目標額を2%上回っており,その90%は輸出入税であると,報道。 |
DIA-202-1991-10-03-1 | カンボジア | 1991年10月03日 | 1990年代 | GSOCおよび,フランス籍のCompagnie Europeenne des Petroles(CEP)とイギリス籍のEnterprise Oil間の石油開発契約の調印式。両企業は合弁でコンポン・ソム(Kompong Som)沖の石油開発を行なうためにGSOCと契約を締結。 |
DIA-202-1991-10-09-1 | カンボジア | 1991年10月09日 | 1990年代 | KPNLF創設12年記念日。 |
DIA-202-1991-10-12-1 | カンボジア | 1991年10月12日 | 1990年代 | プノンペン発AFP電,ウン・バン(Ung Phan)元GSOC交通・運輸・郵政相が10月8日に秘密裡に釈放されたと,報道。 |
DIA-202-1991-10-12-2 | カンボジア | 1991年10月12日 | 1990年代 | GSOCホー・ナムホン外相,1975年以前にカンボジアで所有財産を有していた外国政府に対しては,証書さえあれば,カンボジアの法律に基づいてその所有権を認める,と表明。 |
DIA-202-1991-10-14-1 | カンボジア | 1991年10月14日 | 1990年代 | プノンペン発AFP電,国家銀行地方支部の代表者が,国家銀行とは別に日常銀行業務を行なう国営商業銀行を設立することに,10月第2週の週末に合意したと,報道。 |
DIA-202-1991-10-14-2 | カンボジア | 1991年10月14日 | 1990年代 | KPNLF軍,KPNLFソン・サン議長に対して,次週のパリ会議に出席させるように要求する声明を発表。 |
DIA-202-1991-10-14-3 | カンボジア | 1991年10月14日 | 1990年代 | VOK,ウン・バン元GSOC交通・運輸・郵政相,オン・サム(On Sum)元国防省情報局局長,およびヌー・セン・カン(Nu Saing Khan)元交通・運輸・郵政省計画課課長が,10月8日に釈放された,と放送。 |
DIA-202-1991-10-14-4 | カンボジア | 1991年10月14日 | 1990年代 | KPNLFソン・サン議長,世界銀行/IMF総会にスペシャルゲストとして出席したカンボジア代表団の長として,カンボジアへの援助について,選挙によってカンボジア新政権が成立した後に,ベトナムとラオスに対する援助と並行して行なわれるようにとアピール。 |
DIA-202-1991-10-16-1 | カンボジア | 1991年10月16日 | 1990年代 | 国連安全保障理事会,UNAMICの派遣を承認。 |
DIA-202-1991-10-17-1 | カンボジア | 1991年10月17日 | 1990年代 | KPRP第14回中央委員会開会。出席者は,ヘン・サムリン,チア・シム,フン・セン,サイ・プタン(Say Phuthang),ブー・タン(Bou Thang),チア・ソット(Chea Soth),サー・ケン(Sar Kheng),サイ・チューム(Say Chhum),マト・リ(Mat Ly),ティア・バン,メン・サムアン,ネイ・ペナ,グオン・ネル(Nguon Nhel),シン・ソン,シム・カ,ポル・サルーエン,ケー・キミヤンの17名。 |
DIA-202-1991-10-17-2 | カンボジア | 1991年10月17日 | 1990年代 | KPRP中央委員会に続いて,KPRP臨時党大会開会。GSOCフン・セン首相,同大会において,「来るべき選挙において,我が党がノロドム・シハヌーク殿下を大統領として支持することを提案するが……それがカンボジアを新たな政治的危機から救う最良の方法であろう」と言明。 |
DIA-202-1991-10-18-1 | カンボジア | 1991年10月18日 | 1990年代 | KPRP臨時党大会閉会。同大会において,(1)カンプチア人民革命党からカンボジア人民党に改称し,(2)自由民主主義制度と複数政党制を綱領で承認。その他決定された点は以下の5点。(1)KPRP中央委委員および委員候補はCPP中央委委員および委員候補になる。(2)KPRP中央委政治局員は全員,CPP中央委常設委委員になる。(3)KPRP中央委統制委およびその議長は,CPP中央委統制委およびその議長となる。(4)ヘン・サムリンをCPP名誉議長に任命する。(5)チア・シムをCPP中央委議長に,フン・センをCPP中央委副議長に任命する。 |
DIA-202-1991-10-21-1 | カンボジア | 1991年10月21日 | 1990年代 | カンボジアに関するPICC調整委員会,開会。 |
DIA-202-1991-10-23-1 | カンボジア | 1991年10月23日 | 1990年代 | PICC参加18カ国とSNC,「カンボジア紛争の包括的政治解決に関する協定」に調印。主要点は以下のとおり。(1)調印国は国連安保理に対してUNTACの設立を要請する。(2)移行期間中はSNCがカンボジアの主権,独立,統一を具現する唯一の正統な機関である。SNC構成員は,国連組織下で自由・公正な選挙を実施することを保証する。(3)カンボジア国内に残る外国軍,顧問,兵員は全て撤退しなければならない。(4)停戦は当協定発行と同時に実施され,国外からのあらゆる軍事援助も直ちに中止される。(5)カンボジア国民は自由・公正な選挙を通じて,自らの政治的将来を決定する権利を有する。 |
DIA-202-1991-10-24-1 | カンボジア | 1991年10月24日 | 1990年代 | 『バンコクポスト』紙,ポチェントン(Pochentong)空港の改装および新国際空港建設について,タイ企業のフルダ(Fuldaa)とGSOCが契約を締結したと報道。 |
DIA-202-1991-10-24-2 | カンボジア | 1991年10月24日 | 1990年代 | GSOCフン・セン首相,ソロモン・米国務次官補と初めて会談。 |
DIA-202-1991-10-25-1 | カンボジア | 1991年10月25日 | 1990年代 | SNC,プノンペンにおける各派代表者の居住条件について,パリで合意。コミュニケの内容は,(1)全SNC構成員は,シハヌーク殿下のもとでSNCがその責務を果せるようにするために,できる限りすみやかにプノンペンに居住する,(2)SNCがその責務を独立して遂行できるようにするために,パリ合意に調印した国々からの寄付金を受け取る国際基金を設立する,(3)SNC構成員は,住居における安全を保障するために,武器を携行した警備員を10人までもつ権利があるが,住居外ではボディーガードは3人まで,また私的な旅行の際にはボディーガードの武器携行は許されない。 |
DIA-202-1991-10-26-1 | カンボジア | 1991年10月26日 | 1990年代 | ベトナム共産党の援助によって建設された,社会学研究所の開設式典,挙行。 |
DIA-202-1991-10-27-1 | カンボジア | 1991年10月27日 | 1990年代 | VODKおよびVONADK,放送終了。 |
DIA-202-1991-10-28-1 | カンボジア | 1991年10月28日 | 1990年代 | VGNUFC放送開始。第一声は,「カンボジアに対するベトナムの侵略戦争を終結させる和平協定を正確にかつ全面的に履行するためのスローガン」。 |
DIA-202-1991-10-28-2 | カンボジア | 1991年10月28日 | 1990年代 | GSOCとハンガリー企業のNawa Oil Co., 石油開発契約に調印。 |
DIA-202-1991-10-31-1 | カンボジア | 1991年10月31日 | 1990年代 | CPPチア・シム議長,シハヌークの69歳の誕生日を祝福し,民族和解と和平実現に対するシハヌークの貢献を感謝する,と言明。 |
DIA-202-1991-11-02-1 | カンボジア | 1991年11月02日 | 1990年代 | GSOC国防省における集会にて,カンボジア人民軍がCPP新綱領に対する支持を誓約。 |
DIA-202-1991-11-02-2 | カンボジア | 1991年11月02日 | 1990年代 | チュン・リエン(Chun Rieng)中央銀行総裁,500リエル紙幣を2億リエル相当分発行することを発表。 |
DIA-202-1991-11-04-1 | カンボジア | 1991年11月04日 | 1990年代 | メコン河下流域暫定委員会第70回本会議,カンボジアの正式復帰採択に失敗。同本会議は,メコン委員会構成国(タイ,ラオス,ベトナム)代表とSNCとの私的協議に移行。 |
DIA-202-1991-11-04-2 | カンボジア | 1991年11月04日 | 1990年代 | SPK,工業省によるとして,1989年の新経済政策の導入以来,プノンペンにある22の国営企業がリースという形態で民営化された,と報道。 |
DIA-202-1991-11-05-1 | カンボジア | 1991年11月05日 | 1990年代 | SPK,内務省によるとして,10月第4週に45人の政治犯を含む110人が釈放され,これで10月に釈放された囚人は484人の政治犯を含む1144人になった,と報道。 |
DIA-202-1991-11-07-1 | カンボジア | 1991年11月07日 | 1990年代 | シハヌーク,在仏カンボジア大使館を通じた声明で,チャクラポン(Norodom Chakkrapong)NAIC最高司令官にNAICの解散と武器の国連への引き渡しを命じたことを公表。 |
DIA-202-1991-11-07-2 | カンボジア | 1991年11月07日 | 1990年代 | メコン河下流域暫定委員会構成国とSNC間の協議,終了。 |
DIA-202-1991-11-07-3 | カンボジア | 1991年11月07日 | 1990年代 | GSOCと以下の外国企業,石油開発協定に調印。調印したのは,オーストラリア企業のAOEおよびSANTO,英国企業のPOPL,スペイン企業のREPROLの4企業。 |
DIA-202-1991-11-09-1 | カンボジア | 1991年11月09日 | 1990年代 | UNAMIC,プノンペン到着。隊長はアタウル・カリム(Ataul Karim)在インドネシア・バングラデシュ大使。 |
DIA-202-1991-11-09-2 | カンボジア | 1991年11月09日 | 1990年代 | 中国代表団,中国大使館開設について協議するためにプノンペン到着。中国代表団の訪問は,GSOC成立以来初めて。 |
DIA-202-1991-11-13-1 | カンボジア | 1991年11月13日 | 1990年代 | ゴ・ディエン(Ngo Dien),在カンボジア・ベトナム大使,帰国。彼の就任は1979年。 |
DIA-202-1991-11-14-1 | カンボジア | 1991年11月14日 | 1990年代 | シハヌーク,モニク妃,およびラナリット,帰国。 |
DIA-202-1991-11-15-1 | カンボジア | 1991年11月15日 | 1990年代 | GSOCシン・セン(Sin Sen)内務次官,「クメール・ルージュの身の安全を保障するのは非常に難しい。人々はクメール・ルージュとその協力者を見かければ,かつて,クメール・ルージュ時代に起こったことを考える」と言明。 |
DIA-202-1991-11-15-2 | カンボジア | 1991年11月15日 | 1990年代 | シハヌーク,帰国後初の記者会見で次の2点を表明。(1)ポル・ポト他DKの指導者たちを国際裁判にかけたいのであれば,米国はタイ軍部の協力を得るべきである。(2)息子のラナリットはCPPと同盟を結ぶ予定である。 |
DIA-202-1991-11-15-3 | カンボジア | 1991年11月15日 | 1990年代 | コスト(Costes)・フランスSNC大使,シハヌークに信任状を捧呈。 |
DIA-202-1991-11-15-4 | カンボジア | 1991年11月15日 | 1990年代 | SPK,農業省の報告によるとして以下の諸点を報道。(1)1991年の雨季および乾季の籾の収集高は224万7000㌧であるが,約900万人の人口を勘案すると,1992年には17万9640㌧の米が不足する。(2)洪水の被害は,水田18万㌶,牛・水牛1150頭。 |
DIA-202-1991-11-16-1 | カンボジア | 1991年11月16日 | 1990年代 | シハヌーク,王宮前の大衆集会における演説で,ポル・ポトに対する非難,およびGSOCに対する尊重を表明。 |
DIA-202-1991-11-16-2 | カンボジア | 1991年11月16日 | 1990年代 | GSOCフン・セン首相,CPPとFUNCINPEC間には「事実上の協力関係」がある,と表明。 |
DIA-202-1991-11-16-3 | カンボジア | 1991年11月16日 | 1990年代 | シンガポール外務省,カンボジアおよびベトナムに対する投資禁止措置を解除する旨を声明。 |
DIA-202-1991-11-17-1 | カンボジア | 1991年11月17日 | 1990年代 | DKソン・セン国民軍最高司令官,帰国。DK幹部のプノンペン入りは1979年以来初めて。 |
DIA-202-1991-11-18-1 | カンボジア | 1991年11月18日 | 1990年代 | トワイニング(Twining)米国SNC特使,シハヌークに信任状を捧呈。 |
DIA-202-1991-11-18-2 | カンボジア | 1991年11月18日 | 1990年代 | スナイ(Sunai)タイ・SNC大使,シハヌークに信任状を捧呈。 |
DIA-202-1991-11-18-3 | カンボジア | 1991年11月18日 | 1990年代 | 今川・日本SNC大使,シハヌークに信任状を捧呈。 |
DIA-202-1991-11-20-1 | カンボジア | 1991年11月20日 | 1990年代 | バーンズ(Burns)英国外交ミッション団長,英国大使としての信任状をシハヌークに捧呈。 |
DIA-202-1991-11-20-2 | カンボジア | 1991年11月20日 | 1990年代 | シハヌーク,国家元首への復帰を表明。「ロン・ノル(Lon Nol)による1970年のクーデターは全面的に違法であり,決して既成事実として認められなかった。私は,カンボジアの国家元首としてのシハヌークのために正義を要求する」。 |
DIA-202-1991-11-21-1 | カンボジア | 1991年11月21日 | 1990年代 | CPPフン・セン副議長とFUNCINPECラナリット事務総長,CPPとFUNCINPEC間の協力関係樹立に関するメモランダムに署名。式典の司会はCPPチア・シム議長。 |
DIA-202-1991-11-21-2 | カンボジア | 1991年11月21日 | 1990年代 | シハヌークSNC議長,アーサ(Arsa)・タイ外相,およびアンヴァール(Anvars)国連難民高等弁務官事務所アジア局局長,プノンペンにて,カンボジア難民帰還に関するメモランダムに署名。 |
DIA-202-1991-11-21-3 | カンボジア | 1991年11月21日 | 1990年代 | カンボジア人民軍とFUNCINPEC軍,両軍間の協力に関するメモランダムの調印についての協議開始。 |
DIA-202-1991-11-21-4 | カンボジア | 1991年11月21日 | 1990年代 | KPNFLソン・サン識長とイエン・ムーリ(Ieng Mouli)事務局長,プノンペン入り。 |
DIA-202-1991-11-22-1 | カンボジア | 1991年11月22日 | 1990年代 | VGNUFC,DKキュー・サンパン議長とソン・セン副議長による1991年11月21日付け声明を放送。同声明は,「民主カンプチア党は,ノロドム・シハヌーク殿下が1970年3月18日以来今日までカンボジアの合法かつ正当な国家元首であるということを,厳粛かつ公式に表明したい」と言明。 |
DIA-202-1991-11-23-1 | カンボジア | 1991年11月23日 | 1990年代 | SNC,プノンペンにおける初会合。デュマ・仏外相が臨席。出席者は,ディット・ムンティ(Dit Munti),ホー・ナムホン,フン・セン,ノロドム・ラナリット,シン・セン,ソン・サン,ソン・セン,ティア・バン,イエン・ムーリ。 |
DIA-202-1991-11-25-1 | カンボジア | 1991年11月25日 | 1990年代 | プノンペン発AFP電,自由市場でのリエルの対米ドル相場の急上昇を受けて,カンボジア国家銀行が公定レートを1米㌦=1000リエルから1米㌦=800リエルに引き上げたと報道。 |
DIA-202-1991-11-25-2 | カンボジア | 1991年11月25日 | 1990年代 | カンボジア人民軍とFUNCINPEC軍,軍事協力協定に調印。 |
DIA-202-1991-11-27-1 | カンボジア | 1991年11月27日 | 1990年代 | DKキュー・サンパン議長,プノンペン入り。しかし,宿舎に群衆が押しかけたために,ソン・セン等同派のSNC代表と共に,同日午後,バンコクに脱出。 |
DIA-202-1991-11-28-1 | カンボジア | 1991年11月28日 | 1990年代 | チャン・フィ・チョン(Tran Huy Chuong)・ベトナムSNC大使,シハヌークに信任状を捧呈。 |
DIA-202-1991-12-01-1 | カンボジア | 1991年12月01日 | 1990年代 | GSOC商業省,「食料および農産物の流通にとって良い状況を創出するため」のガイドラインをSPKを通じて発表。米の政府供出の割当,および価格設定を廃止。 |
DIA-202-1991-12-03-1 | カンボジア | 1991年12月03日 | 1990年代 | SNC,パタヤにて開催。「DKのSNC代表およびその随員」ができるだけ早急にプノンペンに帰国し,1992年2月にUNTACが設立されるまではSNC本部に居住することに同意。 |
DIA-202-1991-12-03-2 | カンボジア | 1991年12月03日 | 1990年代 | プノンペン航空,プノンペン・バンコク間にフライト開始。 |
DIA-202-1991-12-05-1 | カンボジア | 1991年12月05日 | 1990年代 | シハヌーク,FUNCINPECとGSOC間の連合は中断した,と記者会見にて言明。 |
DIA-202-1991-12-09-1 | カンボジア | 1991年12月09日 | 1990年代 | カンパン(Khamphan)・ラオスSNC大使,シハヌークに信任状を捧呈。 |
DIA-202-1991-12-12-1 | カンボジア | 1991年12月12日 | 1990年代 | 傅学章(Fu Xuezhan)・中国SNC常駐代表,シハヌークに信任状を捧呈。 |
DIA-202-1991-12-15-1 | カンボジア | 1991年12月15日 | 1990年代 | SPK,GSOCヌオン・サレット(Nuon Saret)内務次官がクラーク(Clark)アムネスティ・インターナショナル事務局長との会談において,10月23日の和平協定調印以来,GSOCは1034名の囚人を釈放し,再教育センターのT6とT7を廃止してその抑留者を解放したと語った,と報道。 |
DIA-202-1991-12-17-1 | カンボジア | 1991年12月17日 | 1990年代 | GSOCソク・イーサン(Sok Ey San)工業省次官の辞職を求める抗議デモ,プノンペンにて約40人の工場労働者によって実行。 |
DIA-202-1991-12-19-1 | カンボジア | 1991年12月19日 | 1990年代 | プノンペン発AFP,カン・マン(Kann Man)元外務省高官によるとして,1990年5月に新党結成計画の発覚のために逮捕された6人(カン・マン,ウン・パン元交通・運輸・郵政相,ヌー・センカン(Nou Saingkhan)元交通・運輸・郵政省計画課課長,カン・マトゥーリ(Khan Mathory)元中佐,トウン・サライ(Though Saray)元経済技術局局長,アン・ソウン(An Soum)元中佐)が,「自由社会民主党(FSDP)」の結成計画を推進する決心をした,と報道。 |
DIA-202-1991-12-20-1 | カンボジア | 1991年12月20日 | 1990年代 | GSOCフン・セン首相,ロス・チューン(Ros Chhun)交通・運輸・郵政相および3人の同省次官を解雇すると表明。 |
DIA-202-1991-12-21-1 | カンボジア | 1991年12月21日 | 1990年代 | 警察による学生逮捕に抗議する学生デモ,プノンペンにて勃発。 |
DIA-202-1991-12-22-1 | カンボジア | 1991年12月22日 | 1990年代 | GSOC,夜間外出禁止令発令。 |
DIA-202-1991-12-23-1 | カンボジア | 1991年12月23日 | 1990年代 | GSOC,プノンペンにおける全学校・大学休校措置を実施。 |
DIA-202-1991-12-26-1 | カンボジア | 1991年12月26日 | 1990年代 | SPK,GSOCヘン・サムリン国家評議会議長が,シハヌークの息子チャクランポンを閣僚会議議長(首相)顧問に,またシハヌークの娘ボバ・デヴィ(Bopha Devi)を情報・文化省次官に任命した,と報道。 |
DIA-202-1991-12-26-2 | カンボジア | 1991年12月26日 | 1990年代 | 石油資源開発(JAPEX)とGSOC工業省,JAPEXがカンボジア沖合鉱区で石油を生産物分与方式で探鉱・開発することに関する契約の締結を発表。共同プロジェクトの名称はカンボジア石油開発(CAMPEX)。 |
DIA-202-1991-12-27-1 | カンボジア | 1991年12月27日 | 1990年代 | GSOC臨時国会開会。デモ規制法採択。 |
DIA-202-1991-12-28-1 | カンボジア | 1991年12月28日 | 1990年代 | UNAMIC,4派の軍事代表で構成する混成軍事作業グループ(MMWG)を設置。初会合。 |
DIA-202-1991-12-28-2 | カンボジア | 1991年12月28日 | 1990年代 | SPKRN,デモ規制法の全文を放送。 |
DIA-202-1991-12-30-1 | カンボジア | 1991年12月30日 | 1990年代 | DKキュー・サンパン議長,プノンペン入り。SNC,プノンペンにおける初会合。出席者はDKソン・サン副議長を除くメンバー11名,およびUNAMICカリム団長,国連安保理常任理事5カ国代表など。(1)UNTACの早期派遣を求める書簡を国連事務総長に送付する,(2)毎週火曜日に定例会合を開く,以上2点で合意。 |
DIA-202-1991-12-31-1 | カンボジア | 1991年12月31日 | 1990年代 | DKキュー・サンパン議長,バンコクへ帰還。 |
DIA-202-1992-01-11-1 | カンボジア | 1992年01月11日 | 1990年代 | SNC会合,UNTACの国連事務総長特別代表に明石康事務次長が9日選出されたことを歓迎。 |
DIA-202-1992-01-14-1 | カンボジア | 1992年01月14日 | 1990年代 | プノンペン政府のSPK通信,ポト派が5~7日にコンポントム州で政府軍陣地などを攻撃と報道。 |
DIA-202-1992-01-16-1 | カンボジア | 1992年01月16日 | 1990年代 | 緒方貞子国連難民高等弁務官,難民帰還問題の実情調査のため19日までカンボジアを訪問。 |
DIA-202-1992-01-19-1 | カンボジア | 1992年01月19日 | 1990年代 | ポト派放送,ベトナム軍とプノンペン政府軍がコンポントムでポト派支配地区を攻撃と報道。 |
DIA-202-1992-01-22-1 | カンボジア | 1992年01月22日 | 1990年代 | 明石代表,任命後初のカンボジア訪問(7日間)。 |
DIA-202-1992-01-25-1 | カンボジア | 1992年01月25日 | 1990年代 | シアヌーク殿下,プノンペン訪問中のベトナムのグエン・マイン・カム外相と会談。主権と領土保全の相互尊重,協力促進をうたう共同コミュニケに調印。 |
DIA-202-1992-01-30-1 | カンボジア | 1992年01月30日 | 1990年代 | プノンペン政府の国会,サル・ケン人民党常任委員を副首相兼内相に,チャクラポン殿下を副首相に,シン・ソン内相を新設の国家公安相にそれぞれ選出。 |
DIA-202-1992-01-30-2 | カンボジア | 1992年01月30日 | 1990年代 | SPK通信,ポト派が26日にコンポントムの国道6号線を砲撃したと報道。 |
DIA-202-1992-02-11-1 | カンボジア | 1992年02月11日 | 1990年代 | 銭其=中国外相が公式来訪(12日まで)。 |
DIA-202-1992-02-14-1 | カンボジア | 1992年02月14日 | 1990年代 | ポト派放送,カンボジアに軍事顧問を含め「ベトナム侵略軍」2万3700人がいると報道。 |
DIA-202-1992-02-26-1 | カンボジア | 1992年02月26日 | 1990年代 | コンポントム州上空で国連ヘリ銃撃。 |
DIA-202-1992-03-15-1 | カンボジア | 1992年03月15日 | 1990年代 | 明石代表が正式に着任。UNTAC発足。 |
DIA-202-1992-03-25-1 | カンボジア | 1992年03月25日 | 1990年代 | プノンペン政府国防省,ポト派の攻撃がコンポントム,シエムアプ,バタンバン各州で激化と表明。 |
DIA-202-1992-03-29-1 | カンボジア | 1992年03月29日 | 1990年代 | プノンペン放送によると,国防省スポークスマンは,国道12号線でポト派が攻撃をかけていると言明。 |
DIA-202-1992-03-30-1 | カンボジア | 1992年03月30日 | 1990年代 | タイからのカンボジア難民の帰還開始。 |
DIA-202-1992-04-01-1 | カンボジア | 1992年04月01日 | 1990年代 | SNC会合,コンポントム情勢など討議。 |
DIA-202-1992-04-05-1 | カンボジア | 1992年04月05日 | 1990年代 | プノンペン政府の国会,情報文化省を情報報道省と文化省に分割。情報報道相にディット・ムンティ,文化相にハン・チュオン,教育相にイム・チュンリム,社会問題傷病者相にド・ソハンを任命。 |
DIA-202-1992-04-06-1 | カンボジア | 1992年04月06日 | 1990年代 | SNC会合,選挙法とコンポントム情勢を討議。 |
DIA-202-1992-04-09-1 | カンボジア | 1992年04月09日 | 1990年代 | 明石代表,ポト派が支配区への国連要員の立ち入りを拒否していることを非難。 |
DIA-202-1992-04-11-1 | カンボジア | 1992年04月11日 | 1990年代 | ポト派放送,「ベトナム侵略当局」の下での総選挙を拒否すると主張。 |
DIA-202-1992-04-18-1 | カンボジア | 1992年04月18日 | 1990年代 | ガリ国連事務総長,カンボジア訪問(3日間)。 |
DIA-202-1992-04-29-1 | カンボジア | 1992年04月29日 | 1990年代 | 「クメールの声」放送によると,ソン・サン氏は同放送との会見で,(1)ベトナム人不法入植者の出国を要求する,(2)カンボジアでの唯一の権威の主体はSNCであり,プノンペン政府の存在を容認できない,と言明。 |
DIA-202-1992-04-30-1 | カンボジア | 1992年04月30日 | 1990年代 | ポト派放送,停戦第2段階への移行前にプノンペン政府を解体するよう要求。 |
DIA-202-1992-05-09-1 | カンボジア | 1992年05月09日 | 1990年代 | UNTAC軍事部門のサンダーソン司令官,6月13日に停戦第2段階に移行と発表。 |
DIA-202-1992-05-26-1 | カンボジア | 1992年05月26日 | 1990年代 | 明石代表,SNC会合でポル・ポト派に停戦違反の中止など12項目を申し入れ。ポト派は武装解除前にペトナム軍撤退の検証,SNCの機能強化を要求。 |
DIA-202-1992-05-27-1 | カンボジア | 1992年05月27日 | 1990年代 | 「クメールの声」放送によると,ラナリット殿下はベトナム兵がカンボジアに残存していると言明。 |
DIA-202-1992-06-03-1 | カンボジア | 1992年06月03日 | 1990年代 | キュー・サムフアン氏,明石代表に,ベトナム軍撤退の検証とSNCの機能強化を重ねて要求。 |
DIA-202-1992-06-03-2 | カンボジア | 1992年06月03日 | 1990年代 | ポト派,権力奪取の意図はないとの声明発表。 |
DIA-202-1992-06-04-1 | カンボジア | 1992年06月04日 | 1990年代 | SPK通信,プリアウィヒア州でポト派がプノンペン政府軍を攻撃と報道。 |
DIA-202-1992-06-05-1 | カンボジア | 1992年06月05日 | 1990年代 | SNC会合。ポト派,武装解除を改めて拒否。 |
DIA-202-1992-06-10-1 | カンボジア | 1992年06月10日 | 1990年代 | SNC会合物別れ。ポト派,(1)ベトナム系住民を選挙から排除するための選挙法草案修正,(2)外国援助がプノンペン政府の手に入らない保証,を新たに要求。 |
DIA-202-1992-06-13-1 | カンボジア | 1992年06月13日 | 1990年代 | 停戦第2段階に移行。ポト派は参加拒否。 |
DIA-202-1992-06-13-2 | カンボジア | 1992年06月13日 | 1990年代 | ソン・サン派機関紙,ベトナム兵残留を主張。 |
DIA-202-1992-06-15-1 | カンボジア | 1992年06月15日 | 1990年代 | 日本の国会でPKO協力法成立。 |
DIA-202-1992-06-15-2 | カンボジア | 1992年06月15日 | 1990年代 | ポト派,SNC強化のため,政策執行機関として4派委員会を主要5行政分野に設置するよう提案。 |
DIA-202-1992-06-15-3 | カンボジア | 1992年06月15日 | 1990年代 | コンポントム北部の国道12号沿いやプリアウィヒア州でプノンペン政府軍がポト派に反撃。 |
DIA-202-1992-06-20-1 | カンボジア | 1992年06月20日 | 1990年代 | 東京でカンボジア復興国際会議(22日まで)。 |
DIA-202-1992-06-21-1 | カンボジア | 1992年06月21日 | 1990年代 | コンポントム州北方で国連ヘリ銃撃。 |
DIA-202-1992-06-22-1 | カンボジア | 1992年06月22日 | 1990年代 | 東京で拡大SNC会合。明右代表,ベトナム軍撤退検証への4派のオブザーバー参加など11項目を提案。 |
DIA-202-1992-06-23-1 | カンボジア | 1992年06月23日 | 1990年代 | キュー・サムファン氏,東京で,明石代表の提案では不十分だと言明。 |
DIA-202-1992-06-24-1 | カンボジア | 1992年06月24日 | 1990年代 | コンポントム州で国連ヘリ銃撃。 |
DIA-202-1992-06-24-2 | カンボジア | 1992年06月24日 | 1990年代 | ポト派,既存の行政機構と警察の中に,SNC諮問機関を設置することを提案。 |
DIA-202-1992-06-24-3 | カンボジア | 1992年06月24日 | 1990年代 | プノンペン放送,ポト派がコンポントム,プリアウィヒア,コンポンチャム,バタンバン,シエムレアプ各州で軍事攻勢を強めていると報道。 |
DIA-202-1992-06-28-1 | カンボジア | 1992年06月28日 | 1990年代 | 「クメールの声」によると,ラナリット殿下は同放送との会見で,「ベトナム兵はプノンペン政府軍やベトナム人不法入植者の中に実際に紛れ込んでいる。SNCには実権がないことも事実だ」と言明。 |
DIA-202-1992-06-28-2 | カンボジア | 1992年06月28日 | 1990年代 | チア・シム人民党議長(国会議長),プノンペンでの式典で,シアヌーク殿下の大統領選出馬支持を確認。 |
DIA-202-1992-07-01-1 | カンボジア | 1992年07月01日 | 1990年代 | UNTACによるプノンペン政府主要行政部門の管理開始。 |
DIA-202-1992-07-08-1 | カンボジア | 1992年07月08日 | 1990年代 | ポト派,SNC会合で武装解除を改めて拒否し,プノンペン政府が維持される限り,ベトナム軍撤退は監視できないし,自由かつ公正な選挙は望めないと主張。フン・セン首相はポト派制裁を呼びかけ。 |
DIA-202-1992-07-08-2 | カンボジア | 1992年07月08日 | 1990年代 | 「クメールの声」放送によると,ソン・サン氏は,カンボジア在留を許されるベトナム人は1975年(ポル・ポト政権成立)以前に居住していた者に限ると言明。 |
DIA-202-1992-07-11-1 | カンボジア | 1992年07月11日 | 1990年代 | ポト派放送,プノンベン政府が存続するなら民主カンボジア政府を復活させ,ベトナムとの全面闘争を再開するとの9日付民主カンボジア国民軍声明を発表。 |
DIA-202-1992-07-13-1 | カンボジア | 1992年07月13日 | 1990年代 | ポト派,プノンペン政府の段階的解体に合わせて4週間で完全武装解除するとの12日付声明を発表。 |
DIA-202-1992-07-21-1 | カンボジア | 1992年07月21日 | 1990年代 | 国連安保理,ポト派の武装解除要求決議を採択。 |
DIA-202-1992-07-28-1 | カンボジア | 1992年07月28日 | 1990年代 | 人民党臨時大会(2日間)。チャクラポン殿下,コン・サムオルの両副首相を中央委常任委員に選出。 |
DIA-202-1992-08-05-1 | カンボジア | 1992年08月05日 | 1990年代 | AFP,徐敦信中国外務次官がバンコクでポル・ポトと会い,態度軟化を求めたと報道。 |
DIA-202-1992-08-05-2 | カンボジア | 1992年08月05日 | 1990年代 | ポト派,SNC会合で,UNTACが和平協定の履行を妨げていると非難。明石代表,職権で選挙法採択。 |
DIA-202-1992-08-11-1 | カンボジア | 1992年08月11日 | 1990年代 | シニムレアブ上空で国連ヘリ銃撃。 |
DIA-202-1992-08-17-1 | カンボジア | 1992年08月17日 | 1990年代 | UNTAC,政党仮登録の受け付け開始。 |
DIA-202-1992-08-20-1 | カンボジア | 1992年08月20日 | 1990年代 | UNTAC,カンポト州で7月21日に起きたベトナム系住民8人殺害はポト派の仕業だったと発表。 |
DIA-202-1992-08-22-1 | カンボジア | 1992年08月22日 | 1990年代 | 日タイ両国がポト派に行政諮問機関(ACB)設置案を提示。ポト派は諮問委員会(CC)の設置を提案。 |
DIA-202-1992-08-22-2 | カンボジア | 1992年08月22日 | 1990年代 | プノンペン政府,総選挙前に大統領選挙を実施し,シアヌーク殿下を実権ある大統領に選出するよう提案。 |
DIA-202-1992-08-28-1 | カンボジア | 1992年08月28日 | 1990年代 | ポト派,コンポンチャム州でUNTAC要員5人と通訳2人の身柄を一時拘束。 |
DIA-202-1992-08-28-2 | カンボジア | 1992年08月28日 | 1990年代 | フン・セン首相が演説で,ポト派のCC提案を拒否。日本とタイの動きを「時間の無駄」と批判。 |
DIA-202-1992-08-29-1 | カンボジア | 1992年08月29日 | 1990年代 | フン・セン首相が記者会見で,パリ協定に明示されていない「諮問機関」の設置を拒否すると言明。 |
DIA-202-1992-08-31-1 | カンボジア | 1992年08月31日 | 1990年代 | 「クメールの声」によると,ラナリット殿下は大統領選を遅くとも総選挙と同時に実施するよう提案。 |
DIA-202-1992-09-03-1 | カンボジア | 1992年09月03日 | 1990年代 | ポト派放送,明石代表の辞任を要求するカナダ在住カンボジア人粗織の声明を報道。 |
DIA-202-1992-09-10-1 | カンボジア | 1992年09月10日 | 1990年代 | SNC会合で刑法を採択。ポト派は「民族的憎悪を挑発する行為」の処罰規定を拒否。 |
DIA-202-1992-09-20-1 | カンボジア | 1992年09月20日 | 1990年代 | UNTAC軍事監視員の日本の陸上自衛官8人,プノンペン到着。 |
DIA-202-1992-09-21-1 | カンボジア | 1992年09月21日 | 1990年代 | ポト派放送,UNTAC代表とベトナムとプノンペン政府がパリ協定に違反していると重ねて非難。 |
DIA-202-1992-09-22-1 | カンボジア | 1992年09月22日 | 1990年代 | SNC会合,カンボジアからの原木搬出を12月31日付で禁止することを決定。 |
DIA-202-1992-09-25-1 | カンボジア | 1992年09月25日 | 1990年代 | 陸上自衛隊施設大隊の先遣隊第1陣が到着。 |
DIA-202-1992-09-30-1 | カンボジア | 1992年09月30日 | 1990年代 | ソン・サン氏,ベトナム人不法入植者全員の総選挙前の本国送還を要求。 |
DIA-202-1992-10-05-1 | カンボジア | 1992年10月05日 | 1990年代 | 総選挙の有権者登録開始。 |
DIA-202-1992-10-12-1 | カンボジア | 1992年10月12日 | 1990年代 | ポト派,総選挙不参加の声明発表。 |
DIA-202-1992-10-13-1 | カンボジア | 1992年10月13日 | 1990年代 | 国連安保理,総選挙の93年5月までの実施を確認するとともに,ポト派を名指しで非難し,日本とタイに10月末まで同派説得の継続を要請する決議を採択。 |
DIA-202-1992-10-14-1 | カンボジア | 1992年10月14日 | 1990年代 | 陸上自衛隊施設大隊の本隊376人が到着。 |
DIA-202-1992-10-15-1 | カンボジア | 1992年10月15日 | 1990年代 | UNTAC,国道6号と21号の橋がポト派により爆破され,コーコン州でポト派によるとみられるベトナム系住民10人の殺害事件があったと発表。 |
DIA-202-1992-10-20-1 | カンボジア | 1992年10月20日 | 1990年代 | キュー・サムファン氏がSNC会合で,ベトナム人入植者200万人は事実上の変装ベトナム兵だと主張。 |
DIA-202-1992-10-22-1 | カンボジア | 1992年10月22日 | 1990年代 | 日本とタイがポト派に調停案を提示。 |
DIA-202-1992-10-25-1 | カンボジア | 1992年10月25日 | 1990年代 | UNTAC,シエムレアプ州上空で国連ヘリが銃撃されたと発表。 |
DIA-202-1992-10-29-1 | カンボジア | 1992年10月29日 | 1990年代 | ポト派放送,UNTAC代表の行動はパリ協定違反だと改めて非難。 |
DIA-202-1992-10-29-2 | カンボジア | 1992年10月29日 | 1990年代 | ポト派,日タイ調停案を拒否。 |
DIA-202-1992-10-31-1 | カンボジア | 1992年10月31日 | 1990年代 | ポト派放送,「人民はもはやUNTACを信用していない」とする29日付スポークスマン声明を報道。 |
DIA-202-1992-11-05-1 | カンボジア | 1992年11月05日 | 1990年代 | シエムレアプ州で国連ヘリ銃撃。 |
DIA-202-1992-11-08-1 | カンボジア | 1992年11月08日 | 1990年代 | 北京でSNC特別会合。ポト派,武装解除と総選挙参加を重ねて拒否。 |
DIA-202-1992-11-30-1 | カンボジア | 1992年11月30日 | 1990年代 | ポト派,カンポジア民族統一党の設立準備発表。 |
DIA-202-1992-11-30-2 | カンボジア | 1992年11月30日 | 1990年代 | 国連安保理決議,93年5月までの総選挙実施を再確認し,ポト派支配地区への石油製品禁輸など呼びかけ。 |
DIA-202-1992-12-01-1 | カンボジア | 1992年12月01日 | 1990年代 | ポト派,コンポントム州でUNTAC軍事監視員6人を拘束(4日解放)。 |
DIA-202-1992-12-14-1 | カンボジア | 1992年12月14日 | 1990年代 | シアヌーク殿下,UNTACとプノンペン政府が政治テロを阻止できないなら協力をやめると声明。 |
DIA-202-1992-12-16-1 | カンボジア | 1992年12月16日 | 1990年代 | ポト派,コンポントム州でUNTAC軍事監視員2人を拘束(17日解放)。 |
DIA-202-1992-12-17-1 | カンボジア | 1992年12月17日 | 1990年代 | カンダル州でラナリット派幹部が撃たれ死亡。 |
DIA-202-1992-12-18-1 | カンボジア | 1992年12月18日 | 1990年代 | ポト派,クラチエ州でウルグアイ兵らUNTAC要員11人を拘束(19,20日に解放)。 |
DIA-202-1992-12-18-2 | カンボジア | 1992年12月18日 | 1990年代 | コンポンチャム州でラナリット派活動家射殺。 |
DIA-202-1992-12-20-1 | カンボジア | 1992年12月20日 | 1990年代 | タケオ州でラナリット派活動家の射殺体発見。 |
DIA-202-1992-12-22-1 | カンボジア | 1992年12月22日 | 1990年代 | バタンバン州バベルで砲撃戦激化。 |
DIA-202-1992-12-26-1 | カンボジア | 1992年12月26日 | 1990年代 | UNTAC,シエムレアプ州でポト派の迫撃砲攻撃により要員33人が避難したと発表。 |
DIA-202-1992-12-27-1 | カンボジア | 1992年12月27日 | 1990年代 | コンポンチナン州で漁村が襲われ,ベトナム人12人を含む14人殺害。 |
DIA-202-1992-12-28-1 | カンボジア | 1992年12月28日 | 1990年代 | バタンバン州のラナリット派事務所にロケット砲が撃ち込まれ,活動家2人死亡。 |
DIA-202-1992-12-31-1 | カンボジア | 1992年12月31日 | 1990年代 | シエムレアプ州のUNTAC陣地がポル・ポト派の砲撃を受け,要員44人がヘリで脱出。 |
DIA-202-1993-01-12-1 | カンボジア | 1993年01月12日 | 1990年代 | シエムレアプ近郊でUNTAC文民警官宿舎がロケット砲などで攻撃され,日本人警官宿舎全焼。 |
DIA-202-1993-01-15-1 | カンボジア | 1993年01月15日 | 1990年代 | ポト派,UNTACの明石代表がパリ協定を履行していないと名指し非難。 |
DIA-202-1993-01-28-1 | カンボジア | 1993年01月28日 | 1990年代 | 北京でSNC会合。総選挙の日取りを5月23~25日と決定(のちに移動投票日を含め28日までと変更)。 |
DIA-202-1993-02-01-1 | カンボジア | 1993年02月01日 | 1990年代 | UNTAC,プノンペン政権軍が5州でポト派拠点への大規模攻撃を開始したと指摘。 |
DIA-202-1993-02-09-1 | カンボジア | 1993年02月09日 | 1990年代 | シアヌーク殿下,北京から約3カ月ぶりに帰国。 |
DIA-202-1993-02-10-1 | カンボジア | 1993年02月10日 | 1990年代 | プノンペンでSNC会合。ポト派の反対を押し切り,宝石の輸出禁止を決定。 |
DIA-202-1993-02-11-1 | カンボジア | 1993年02月11日 | 1990年代 | ミッテラン仏大統領,カンボジア訪問(~12日)。 |
DIA-202-1993-02-12-1 | カンボジア | 1993年02月12日 | 1990年代 | ポト派のキュー・サムファン議長,ガリ国連事務総長への書簡で総選挙中止を要請。 |
DIA-202-1993-03-01-1 | カンボジア | 1993年03月01日 | 1990年代 | UNTAC,ベトナム兵3人発見と発表。 |
DIA-202-1993-03-02-1 | カンボジア | 1993年03月02日 | 1990年代 | シアヌーク殿下,北京へ出発。 |
DIA-202-1993-03-09-1 | カンボジア | 1993年03月09日 | 1990年代 | 明石代表,新たにベトナム兵5人発見と発表。 |
DIA-202-1993-03-10-1 | カンボジア | 1993年03月10日 | 1990年代 | 武装集団がシエムレアプ市南方にあるトンレサップ湖沿いの漁村を襲い,ベトナム系住民33人を殺害。 |
DIA-202-1993-03-20-1 | カンボジア | 1993年03月20日 | 1990年代 | 通貨不安でリエル急落。一時,1ドル=6000リエルに。(21日に1ドル=3000リエルへ回復)。 |
DIA-202-1993-03-27-1 | カンボジア | 1993年03月27日 | 1990年代 | シエムレアプ州でUNTACのバングラデシュ部隊が襲撃され,兵士1人死亡。 |
DIA-202-1993-03-31-1 | カンボジア | 1993年03月31日 | 1990年代 | コンポントム州で映画館が襲撃され,29人死亡。 |
DIA-202-1993-04-02-1 | カンボジア | 1993年04月02日 | 1990年代 | シアヌーク殿下,北京から帰国。コンポンスプー州でUNTACのブルガリア部隊が襲撃され,兵士3人死亡。 |
DIA-202-1993-04-04-1 | カンボジア | 1993年04月04日 | 1990年代 | プノンペンでSNC会合。シアヌーク殿下,UNTACへの武力攻撃を非難。明石代表,民間人襲撃は許容できないと警告。フン・セン首相,ポト派の民間人襲撃を理由にキュー・サムファン議長を裁判にかけるよう要求。明石代表,難民37万5000人の帰還完了と報告。 |
DIA-202-1993-04-07-1 | カンボジア | 1993年04月07日 | 1990年代 | 総選挙の選挙戦開始。ガリ国連事務総長,カンボジア訪問(~8日)。 |
DIA-202-1993-04-08-1 | カンボジア | 1993年04月08日 | 1990年代 | コンポントム州で国連ボランティア(UNV)の選挙監視員,中田厚仁さん射殺される。 |
DIA-202-1993-04-10-1 | カンボジア | 1993年04月10日 | 1990年代 | プノンペンでSNC会合。明石代表,ポト派がUNTAC要員やベトナム系住民への攻撃を続けるなら非合法化もあり得ると警告。 |
DIA-202-1993-04-13-1 | カンボジア | 1993年04月13日 | 1990年代 | ポト派,プノンペンの事務所を閉鎖。 |
DIA-202-1993-04-14-1 | カンボジア | 1993年04月14日 | 1990年代 | シアヌーク殿下,北朝鮮へ出発。 |
DIA-202-1993-04-19-1 | カンボジア | 1993年04月19日 | 1990年代 | UNTACによると,ポト派がコンポンスプー州の村を襲い,UNTACのブルガリア兵1人死亡。 |
DIA-202-1993-04-30-1 | カンボジア | 1993年04月30日 | 1990年代 | コンポンチャム州でUNTACのコロンビア人文民警官が撃たれて死亡。 |
DIA-202-1993-05-03-1 | カンボジア | 1993年05月03日 | 1990年代 | ポト派が州都シエムレアプを攻撃。空港を一時占拠。 |
DIA-202-1993-05-04-1 | カンボジア | 1993年05月04日 | 1990年代 | バンテアイミアンチェイ州アンピルでUNTACの車列が武装集団に襲われ,高田晴行警部補死亡。 |
DIA-202-1993-05-05-1 | カンボジア | 1993年05月05日 | 1990年代 | バタンバン市の南東で武装集団が鉄道を爆破,列車を襲撃し,乗客13人死亡。 |
DIA-202-1993-05-07-1 | カンボジア | 1993年05月07日 | 1990年代 | コンポンスプー州でUNTAC施設襲われ,フィリピン人文民警官がショック死。 |
DIA-202-1993-05-15-1 | カンボジア | 1993年05月15日 | 1990年代 | UNTACのウルグアイ兵,プノンペンで射殺される。国連機関職員の家族の国外退去開始。 |
DIA-202-1993-05-19-1 | カンボジア | 1993年05月19日 | 1990年代 | 選挙戦終了。 |
DIA-202-1993-05-21-1 | カンボジア | 1993年05月21日 | 1990年代 | コンポンチャム州でUNTACの中国工兵部隊駐屯地が砲撃され,中国兵2人死亡。 |
DIA-202-1993-05-22-1 | カンボジア | 1993年05月22日 | 1990年代 | シアヌーク殿下,北京から帰国。 |
DIA-202-1993-05-23-1 | カンボジア | 1993年05月23日 | 1990年代 | 総選挙の投票開始。 |
DIA-202-1993-05-25-1 | カンボジア | 1993年05月25日 | 1990年代 | 固定投票所での投票終了。 |
DIA-202-1993-05-28-1 | カンボジア | 1993年05月28日 | 1990年代 | 総選挙の投票終了。最終投票率は89.04%。 |
DIA-202-1993-05-29-1 | カンボジア | 1993年05月29日 | 1990年代 | 明石代表,総選挙は「自由かつ公正」に行なわれたと宣言。総選挙の開票開始。フンシンペックがリード。 |
DIA-202-1993-05-31-1 | カンボジア | 1993年05月31日 | 1990年代 | 人民党,投開票に不正があったとし,開票結果の発表中断および一部での選挙やり直しを要求。 |
DIA-202-1993-06-03-1 | カンボジア | 1993年06月03日 | 1990年代 | シアヌーク殿下,自ら国家元首と首相を兼務し,フンシンペックのラナリット党首と人民党のフン・セン副議長を副首相とする大連立政権の樹立を発表。 |
DIA-202-1993-06-04-1 | カンボジア | 1993年06月04日 | 1990年代 | シアヌーク殿下,連立構想を撤回。 |
DIA-202-1993-06-05-1 | カンボジア | 1993年06月05日 | 1990年代 | ラナリット殿下,フン・セン氏と異母弟チャクラポン殿下の連立政権参加を拒否。 |
DIA-202-1993-06-06-1 | カンボジア | 1993年06月06日 | 1990年代 | 人民党,選挙結果の凍結を要求。 |
DIA-202-1993-06-08-1 | カンボジア | 1993年06月08日 | 1990年代 | 人民党,制憲議会の14日招集を受諾。 |
DIA-202-1993-06-10-1 | カンボジア | 1993年06月10日 | 1990年代 | 明石代表,総選挙の最終結果をSNC会合で発表。制憲議会120議席の党派別内訳はフンシンペック58(得票率45.47%),人民党51(同38.22%),仏教自由民主党10(同3.81%),ムリナカ党1。人民党は受け入れ拒否。 |
DIA-202-1993-06-12-1 | カンボジア | 1993年06月12日 | 1990年代 | チャクラポン殿下,東部7州の「自治区」創設を宣言。 |
DIA-202-1993-06-14-1 | カンボジア | 1993年06月14日 | 1990年代 | 制憲議会招集。国家安定のためシアヌーク殿下に全権を付与。 |
DIA-202-1993-06-15-1 | カンボジア | 1993年06月15日 | 1990年代 | チャクラポン殿下,シン・ソン国家公安相らとともにベトナムに脱出。自治区崩壊。シアヌーク殿下,各政党の要請を受け暫定国民政府の樹立を提案。 |
DIA-202-1993-06-16-1 | カンボジア | 1993年06月16日 | 1990年代 | ラナリット殿下とフン・セン首相,共同首相就任に合意。 |
DIA-202-1993-06-20-1 | カンボジア | 1993年06月20日 | 1990年代 | 人民党,選挙結果受け入れを正式表明。 |
DIA-202-1993-06-24-1 | カンボジア | 1993年06月24日 | 1990年代 | ポト派,政府への顧問としての参加意思を表明。 |
DIA-202-1993-07-01-1 | カンボジア | 1993年07月01日 | 1990年代 | 暫定国民政府が制憲議会で承認され,正式発足。ポト派のチャン・ユラン特使がプノンペン入り。 |
DIA-202-1993-07-05-1 | カンボジア | 1993年07月05日 | 1990年代 | シエムレアプ州で政府軍とポト派が衝突。 |
DIA-202-1993-07-07-1 | カンボジア | 1993年07月07日 | 1990年代 | ポト派,北部国境沿いのプリアウィヒア寺占拠。 |
DIA-202-1993-07-13-1 | カンボジア | 1993年07月13日 | 1990年代 | キュー・サムファン氏がプノンペンに帰還,シアヌーク殿下と会談し,4派統合軍の創設および新政府へのポト派顧問の参加を求める。シアヌーク殿下はこの問題を協議する円卓会議の9月半ば開催を提案。 |
DIA-202-1993-07-15-1 | カンボジア | 1993年07月15日 | 1990年代 | シアヌーク殿下,北朝鮮へ出発。 |
DIA-202-1993-07-21-1 | カンボジア | 1993年07月21日 | 1990年代 | ポト派放送,暫定国民政府は依然「ベトナム侵略者の政府」だと非難。 |
DIA-202-1993-08-02-1 | カンボジア | 1993年08月02日 | 1990年代 | UNTACによると,カンポト州でポト派とみ られる集団が列車を襲撃し,10人死亡,30人負傷。 |
DIA-202-1993-08-04-1 | カンボジア | 1993年08月04日 | 1990年代 | 明石代表,ポト派放送がベトナム系住民の殺害をあおっていると批判。 |
DIA-202-1993-08-10-1 | カンボジア | 1993年08月10日 | 1990年代 | コンポンチナン州でベトナム系住民6人殺害。 |
DIA-202-1993-08-15-1 | カンボジア | 1993年08月15日 | 1990年代 | ポト派,同派の国軍・政府参加問題を話し合う円卓会議の22~25日開催を正式提案(政府側は拒否)。 |
DIA-202-1993-08-20-1 | カンボジア | 1993年08月20日 | 1990年代 | 政府軍,バンテアイミアンチェイ州のポト派拠点チャット村を制圧。 |
DIA-202-1993-08-22-1 | カンボジア | 1993年08月22日 | 1990年代 | ラナリット殿下,ポト派に戦闘・虐殺停止を要求。 |
DIA-202-1993-08-23-1 | カンボジア | 1993年08月23日 | 1990年代 | ラナリツト,フン・セン両共同首相がベトナム訪問(~25日)。国境問題,ベトナム人のカンボジア入国問題に関する2合同委員会の設置で合意。 |
DIA-202-1993-08-24-1 | カンボジア | 1993年08月24日 | 1990年代 | フンシンペック,立憲君主制の採用呼びかけ。 |
DIA-202-1993-08-27-1 | カンボジア | 1993年08月27日 | 1990年代 | 人民党,立憲君主制を受け入れ。 |
DIA-202-1993-08-30-1 | カンボジア | 1993年08月30日 | 1990年代 | ラナリット,フン・セン両共同首相,ソン・サン制憲議会議長,チア・シム同副議長ら,シアヌーク殿下との会談のため北朝鮮へ出発。 |
DIA-202-1993-09-03-1 | カンボジア | 1993年09月03日 | 1990年代 | ラナリット殿下,北朝鮮から帰国し,シアヌーク殿下の王位復帰が決まったと言明。 |
DIA-202-1993-09-06-1 | カンボジア | 1993年09月06日 | 1990年代 | シアヌーク殿下,北京でキュー・サムファン氏と会談。 |
DIA-202-1993-09-09-1 | カンボジア | 1993年09月09日 | 1990年代 | シアヌーク殿下,国民あてメッセージで「直腸近くに腫瘍が発見され,手術が必要」と発表。 |
DIA-202-1993-09-15-1 | カンボジア | 1993年09月15日 | 1990年代 | 羽田外相,カンボジア訪問。 |
DIA-202-1993-09-21-1 | カンボジア | 1993年09月21日 | 1990年代 | 制憲議会,新憲法を採択。 |
DIA-202-1993-09-23-1 | カンボジア | 1993年09月23日 | 1990年代 | シアヌーク殿下,北京から帰国。 |
DIA-202-1993-09-24-1 | カンボジア | 1993年09月24日 | 1990年代 | 新憲法発効。シアヌーク殿下が国王に復位。シアヌーク国王,ラナリット殿下を第1首相,フン・セン氏を第2首相に指名し,王国政府発足。 |
DIA-202-1993-09-26-1 | カンボジア | 1993年09月26日 | 1990年代 | 明石代表,プノンペンから離任。 |
DIA-202-1993-09-30-1 | カンボジア | 1993年09月30日 | 1990年代 | ラナリット第1首相とフン・セン第2首相が連名でキュー・サムファン氏に書簡を送り,円卓会議開催の前にポト派による新憲法と新政府の承認などを要求。 |
DIA-202-1993-10-01-1 | カンボジア | 1993年10月01日 | 1990年代 | キュー・サムファン氏がプノンペン入りし,国王と憲法への支持を表明。シアヌーク国王と会見し,ポト派を含む統合軍の創設と同派の顧問としての政府参加を改めて要求。 |
DIA-202-1993-10-04-1 | カンボジア | 1993年10月04日 | 1990年代 | シアヌーク国王,治療継続のため中国へ出発。 |
DIA-202-1993-10-07-1 | カンボジア | 1993年10月07日 | 1990年代 | シアヌーク国王,北京で前立腺近くの癌除去手術受ける。 |
DIA-202-1993-10-13-1 | カンボジア | 1993年10月13日 | 1990年代 | タイ国境近くで政府軍とポト派の戦闘始まる。 |
DIA-202-1993-10-19-1 | カンボジア | 1993年10月19日 | 1990年代 | 国営AKP通信,ポト派兵士が合計2000人投降したと報道。 |
DIA-202-1993-10-20-1 | カンボジア | 1993年10月20日 | 1990年代 | キュー・サムファン氏,ラナリット第1首相あての書簡で,各派が参加する真の国民政府が樹立されればポト派支配区を返還すると表明。 |
DIA-202-1993-10-21-1 | カンボジア | 1993年10月21日 | 1990年代 | キュー・サムファン氏が声明で,(1)ベトナムが併合したカンボジア領を返還するのと同時に,ポト派支配区を政府に返還する,(2)政府の権力構造の99%はベトナムが樹立したまま残っている,(3)円卓会議が開催できないなら,各派代表による委員会を設置すべきだと表明。 |
DIA-202-1993-10-25-1 | カンボジア | 1993年10月25日 | 1990年代 | 国会議長にチア・シム人民党議長を選出。 |
DIA-202-1993-10-28-1 | カンボジア | 1993年10月28日 | 1990年代 | キュー・サムファン氏がシアヌーク国王にメッセージを送り,人民党首脳が国会,政府の要職を占めたのは合法性を装ったクーデターだと批判。 |
DIA-202-1993-10-29-1 | カンボジア | 1993年10月29日 | 1990年代 | 国会が王国政府の閣僚名簿を承認。ラナリット第1首相,ポト派政府顧問の受け入れ条件として,(1)憲法と王国政府の承認,(2)政治的・軍事的敵対行動の中止,(3)兵力と支配区の無条件放棄,の三つを要求。 |
DIA-202-1993-11-07-1 | カンボジア | 1993年11月07日 | 1990年代 | シアヌーク国王の北京事務所,国王は癌の化学・放射線治療の終わる94年5月か6月まで帰国できないと発表。 |
DIA-202-1993-11-16-1 | カンボジア | 1993年11月16日 | 1990年代 | 国営放送によると,11月第2週にシエムレアプ州などでポト派が軍事攻勢。政府軍はポト派28人を殺害。 |
DIA-202-1993-11-21-1 | カンボジア | 1993年11月21日 | 1990年代 | シアヌーク国王,声明を発表。ポト派が,(1)戦闘停止,(2)支配区放棄,(3)兵力解体・政府軍への合流,の3条件を満たすなら,ポル・ポト,イエン・サリ,ヌオン・チア,タ・モク以外のポト派幹部に共同大臣,共同副大臣,共同長官,顧問のポストを与えることを提案。 |
DIA-202-1993-11-24-1 | カンボジア | 1993年11月24日 | 1990年代 | ラナリット第1首相,ポト派を閣僚にするのは憲法違反だと言明。 |
DIA-202-1993-11-28-1 | カンボジア | 1993年11月28日 | 1990年代 | キュー・サムファン氏,ポト派放送を通じ,同派に政府ポストが与えられるなら,敵対的戦闘行動を停止し,支配区を開放すると表明。 |
DIA-202-1993-12-17-1 | カンボジア | 1993年12月17日 | 1990年代 | ラナリット第1首相,タイでキュー・サムファン氏と会談。 |
DIA-202-1993-12-25-1 | カンボジア | 1993年12月25日 | 1990年代 | ラナリット第1首相,ポト派がシアヌーク国王の3条件を実行するなら,同派に閣僚ポストを与えるため憲法を改正すべきだと表明。 |
DIA-202-1993-12-30-1 | カンボジア | 1993年12月30日 | 1990年代 | AFP,政府軍がシエムレアプ州のポト派重要拠点アンロンウェンを攻撃と報道。 |
DIA-202-1994-01-12-1 | カンボジア | 1994年01月12日 | 1990年代 | チュアン・タイ首相がカンボジアを公式訪問し,ポト派不支持を約束。 |
DIA-202-1994-01-17-1 | カンボジア | 1994年01月17日 | 1990年代 | ラナリット,フン・セン両首相率いる政府代表団訪中(~21日)。中国と無利子借款協定に調印。 |
DIA-202-1994-02-05-1 | カンボジア | 1994年02月05日 | 1990年代 | 政府,シエムレアプ州のポト派重要拠点アンロンウェンを制圧したと発表。 |
DIA-202-1994-02-16-1 | カンボジア | 1994年02月16日 | 1990年代 | ベトナムのグエン・マイン・カム外相,カンボジア訪問(~18日)。 |
DIA-202-1994-02-24-1 | カンボジア | 1994年02月24日 | 1990年代 | ポト派,アンロンウェン奪回と発表。 |
DIA-202-1994-03-10-1 | カンボジア | 1994年03月10日 | 1990年代 | 東京で第2回カンボジア復興国際会議(~11日)。 |
DIA-202-1994-03-19-1 | カンボジア | 1994年03月19日 | 1990年代 | 政府,ポト派本拠地バタンバン州パイリンを制圧と発表。 |
DIA-202-1994-04-02-1 | カンボジア | 1994年04月02日 | 1990年代 | ベトナムのボー・バン・キエト首相がカンボジア訪問(~3日)。国境・ベトナム人住民問題解決のための専門家委員会設置で合意。経済貿易協力協定などに調印。 |
DIA-202-1994-04-08-1 | カンボジア | 1994年04月08日 | 1990年代 | シアヌーク国王,半年ぶりに帰国。 |
DIA-202-1994-04-11-1 | カンボジア | 1994年04月11日 | 1990年代 | プノンペンからシアヌークビルヘ車で向かっていた英国人2人,オーストラリア人1人の旅行者が武装集団に拉致される。 |
DIA-202-1994-04-14-1 | カンボジア | 1994年04月14日 | 1990年代 | マハティ一ル・マレーシア首相がカンボジア訪問(~16日)。 |
DIA-202-1994-04-19-1 | カンボジア | 1994年04月19日 | 1990年代 | ポト派,パイリンを奪回と発表。 |
DIA-202-1994-04-22-1 | カンボジア | 1994年04月22日 | 1990年代 | シアヌーク国王,5月2~7日にプノンペンの王宮で政府側とポト派の首脳による円卓会議を開催するよう提案。 |
DIA-202-1994-04-23-1 | カンボジア | 1994年04月23日 | 1990年代 | 国鉄総裁,プルサト州で列車がポト派に襲撃され,6人死亡,35人負傷と発表。 |
DIA-202-1994-04-23-2 | カンボジア | 1994年04月23日 | 1990年代 | キュー・サムファン氏がシアヌーク国王に電報を送り,円卓会議を「安全が確保される中立の場所」で行なうよう要請。 |
DIA-202-1994-04-30-1 | カンボジア | 1994年04月30日 | 1990年代 | バタンバン州でポト派とみられる集団が仏僧らの平和行進を襲撃し,3人死亡。日本人1人を含む一部参加者を一時拘束。 |
DIA-202-1994-05-01-1 | カンボジア | 1994年05月01日 | 1990年代 | キュー・サムファン氏がプノンペンでの円卓会議開催を正式に拒否。 |
DIA-202-1994-05-03-1 | カンボジア | 1994年05月03日 | 1990年代 | 政府,シアヌーク国王の新たな3段1階和平案((1)全土での停戦,(2)政府軍とポト派の各2人から成る合同停戦監視委員会の設置,(3)平壌での円卓会議開催)の受け入れを発表。ポト派は停戦受諾を留保。 |
DIA-202-1994-05-06-1 | カンボジア | 1994年05月06日 | 1990年代 | シアヌーク国王,和平実現のため(1)ポト派も参加する総選挙の再実施,(2)憲法改正によるポト派の政府参加の2選択肢を提示。 |
DIA-202-1994-05-09-1 | カンボジア | 1994年05月09日 | 1990年代 | ポト派,円卓会議の平壌開催を受諾。 |
DIA-202-1994-05-17-1 | カンボジア | 1994年05月17日 | 1990年代 | シアヌーク国王,事前の停戦なしに円卓会議を27日に平壌で開くことを提案。政府側,ポト派とも受諾。 |
DIA-202-1994-05-18-1 | カンボジア | 1994年05月18日 | 1990年代 | シアヌーク国王,北京に戻る。 |
DIA-202-1994-05-25-1 | カンボジア | 1994年05月25日 | 1990年代 | キュー・サムファン氏,合同停戦監視委員会への中立5カ国の参加を提案。 |
DIA-202-1994-05-27-1 | カンボジア | 1994年05月27日 | 1990年代 | 平壌で政府とポト派の首脳による円卓会議開催(~28日)。政府側,6月15日からの停戦と合同停戦監視委員会の設置を求める国王提案を受諾。ポト派は拒否し,(1)停戦討議前に,新政府・国軍創設の基礎となる政策綱領の策定,(2)停戦監視委員会への5カ国参加を要求。閣僚級の円卓委員会の設置と6月15日のプノンペン開催で合意。 |
DIA-202-1994-06-11-1 | カンボジア | 1994年06月11日 | 1990年代 | シアヌ-ク『ファ-・イ-スタン・エコノミック・レビュー』誌とのインタビューで,首相に就任する構想を示す。 |
DIA-202-1994-06-15-1 | カンボジア | 1994年06月15日 | 1990年代 | プノンペンで政府側とポル・ポト派の円卓委員会開催(~16日)。停戦問題などで合意できず。 |
DIA-202-1994-06-17-1 | カンボジア | 1994年06月17日 | 1990年代 | 内務省,ポト派代表にプノンペンからの退去を要求。▲閣議,投資法案を承認。 |
DIA-202-1994-06-19-1 | カンボジア | 1994年06月19日 | 1990年代 | シアヌーク国王,首相就任を望まないとの声明発表。 |
DIA-202-1994-06-20-1 | カンボジア | 1994年06月20日 | 1990年代 | ポト派,プノンペン事務所を閉鎖。 |
DIA-202-1994-06-20-2 | カンボジア | 1994年06月20日 | 1990年代 | ラナリット,フン・セン両首相率いる政府代表団,インドネシア訪問(~22日)。経済技術協力協定に調印。 |
DIA-202-1994-07-01-1 | カンボジア | 1994年07月01日 | 1990年代 | シアヌーク国王・国会がポト派非合法化法案を可決しても署名しないと表明。 |
DIA-202-1994-07-03-1 | カンボジア | 1994年07月03日 | 1990年代 | 政府がチャクラポン殿下,シン・ソン元国家公安相らのクーデター計画鎮圧と発表。チャクラポンはシアヌーク国王の指示でマレーシアヘ出国。シン・ソンは軟禁。4日 ▲シリゥット副首相兼外相,サム・ラシシー経済財政相ら15議員がポト派非合法化法案の上程に反対を表明。6日 ▲AFP,クーデター計画への関与容疑でシン・セン内務次官逮捕と報道。 |
DIA-202-1994-07-07-1 | カンボジア | 1994年07月07日 | 1990年代 | 国会,ポト派非合法化法案を一部修正のうえ出席議員103人の全会一致で可決。 |
DIA-202-1994-07-11-1 | カンボジア | 1994年07月11日 | 1990年代 | レポト派,「カンボジア国民統合救国臨時政府」の樹立を宣言。 |
DIA-202-1994-07-15-1 | カンボジア | 1994年07月15日 | 1990年代 | チア・シム国会議長(国家元首代理)がポト派非合法化法に署名。 |
DIA-202-1994-07-26-1 | カンボジア | 1994年07月26日 | 1990年代 | ポト派,米仏豪に対し,王国政府への「軍事援助」停止を要求。 |
DIA-202-1994-07-26-2 | カンボジア | 1994年07月26日 | 1990年代 | ポト派がカンポト州で列車襲撃。13人死亡,外国人3人を含む300人が人質に。 |
DIA-202-1994-07-31-1 | カンボジア | 1994年07月31日 | 1990年代 | ラナリット第1首相,ポト派が外国人人質3人の身代金(15万ドル)要求と言明。 |
DIA-202-1994-08-04-1 | カンボジア | 1994年08月04日 | 1990年代 | 国会が投資法案を可決。 |
DIA-202-1994-08-16-1 | カンボジア | 1994年08月16日 | 1990年代 | ポト派放送,外国人人質解放条件として,王国政府への「軍事援助」停止を要求。 |
DIA-202-1994-08-17-1 | カンボジア | 1994年08月17日 | 1990年代 | ラナリット第1首相,マレーシア訪問(~21日)。 |
DIA-202-1994-08-19-1 | カンボジア | 1994年08月19日 | 1990年代 | 7月のクーデター計画との関連で拘束されていたタイ人14人のうち5人釈放。 |
DIA-202-1994-08-26-1 | カンボジア | 1994年08月26日 | 1990年代 | 国会,ベトナムからの不法入国者締め出しを狙う移民法案を可決。 |
DIA-202-1994-08-30-1 | カンボジア | 1994年08月30日 | 1990年代 | 人民党,クーデター未遂事件に関与したチャクラポン,シン・ソン,シン・センの3人を除名。 |
DIA-202-1994-08-30-2 | カンボジア | 1994年08月30日 | 1990年代 | キュー・サムファン氏,シアヌ一ク国王に書簡を寄せ,外国人人質解放の条件としてポト派非合法化の撤回とプノンペン事務所再開を提示。 |
DIA-202-1994-09-02-1 | カンボジア | 1994年09月02日 | 1990年代 | 豪外相,4月に誘拐された豪州人1人,英国人2人の遺体を確認と言明。 |
DIA-202-1994-09-03-1 | カンボジア | 1994年09月03日 | 1990年代 | シン・ソン,軟禁中の国防省から脱走。 |
DIA-202-1994-09-22-1 | カンボジア | 1994年09月22日 | 1990年代 | チア・シム国会議長(国家元首代理),移民法に署名。 |
DIA-202-1994-10-20-1 | カンボジア | 1994年10月20日 | 1990年代 | 国会,サム・ランシー経済財政相など3閣僚の更迭を含む内閣改造を承認。 |
DIA-202-1994-10-25-1 | カンボジア | 1994年10月25日 | 1990年代 | シリウット副首相兼外相が辞任。 |
DIA-202-1994-10-28-1 | カンボジア | 1994年10月28日 | 1990年代 | 国会,新副首相にイン・キエト公共事業・運輸相(兼任),新外相にウン・フオト教育相,新教育相にトル・ラ氏を任命する内閣改造を承認。 |
DIA-202-1994-10-28-2 | カンボジア | 1994年10月28日 | 1990年代 | 軍事法廷が7月のクーデター未遂事件の首謀者で逃亡中のチャクラポンとシン・ソンに禁固20年,シン・センに同18年,タイ人9人に同2~5年(執行猶予付き)の判決。 |
DIA-202-1994-11-01-1 | カンボジア | 1994年11月01日 | 1990年代 | フン・セン第2首相,ポト派が7月に誘拐した外国人人質3人を殺害と発表。 |
DIA-202-1994-11-02-1 | カンボジア | 1994年11月02日 | 1990年代 | シン・ソン,タイで不法入国容疑により逮捕される。 |
DIA-202-1994-11-10-1 | カンボジア | 1994年11月10日 | 1990年代 | 北朝鮮軍事代表団(団長・崔光朝鮮人民軍総参謀長)が公式訪問。 |
DIA-202-1994-11-22-1 | カンボジア | 1994年11月22日 | 1990年代 | 王国政府,95年のコメ不足を30万㌧と予想し,国際社会にコメ援助を要請。 |
DIA-202-1994-12-04-1 | カンボジア | 1994年12月04日 | 1990年代 | 政府が国王の要請を入れてシン・センヘの恩赦に同意。 |
DIA-202-1994-12-31-1 | カンボジア | 1994年12月31日 | 1990年代 | ラナリット,フン・セン両首相が声明で,94年のポト派投降者数を5000人以上と発表。同派非合法化法が制定された7月以降では約3000人。 |
DIA-202-1995-01-02-1 | カンボジア | 1995年01月02日 | 1990年代 | マレーシアとの合弁会社,「カンボジア王国航空」が就航。 |
DIA-202-1995-01-02-2 | カンボジア | 1995年01月02日 | 1990年代 | ポル・ポト派,バタンバン州で10日間にわたる軍事攻勢開始。住民4万人が避難。 |
DIA-202-1995-01-03-1 | カンボジア | 1995年01月03日 | 1990年代 | イエオ・ニン・ホン・シンガポル国防相,来訪。 |
DIA-202-1995-01-04-1 | カンボジア | 1995年01月04日 | 1990年代 | シアヌーク国王,北京から帰国。 |
DIA-202-1995-01-10-1 | カンボジア | 1995年01月10日 | 1990年代 | タイ・チュアン首相,1994年7月のカンボジア・クーデタ未遂事件の首謀者,シン・ソン元公安相の身柄引渡しを拒否。 |
DIA-202-1995-01-14-1 | カンボジア | 1995年01月14日 | 1990年代 | 政府,『クメール青年の声』紙をラナリット,フン・セン両共同首相誹誇の罪で発禁(その後罰金を支払い発禁が解除)。 |
DIA-202-1995-01-14-2 | カンボジア | 1995年01月14日 | 1990年代 | ラナリット第1首相,ベトナム訪問。ド・ムオイ書記長らとベトナム系住民,国境線画定,ベトナム向け物資の領内通過問題などを協議。ベトナム系住民が許可証を所持しているかぎり追放しないと約束。国境問題では両国の作業委員会の設置に合意。 |
DIA-202-1995-01-16-1 | カンボジア | 1995年01月16日 | 1990年代 | タイ・カンボジア国境での諸問題協議のため,タイ王国軍との国境活動調整委員会が発足。 |
DIA-202-1995-01-20-1 | カンボジア | 1995年01月20日 | 1990年代 | ウン・フオト外相,ラオス訪問。ラオス外相と両国の協力覚え書き調印。 |
DIA-202-1995-01-23-1 | カンボジア | 1995年01月23日 | 1990年代 | シアヌーク国王,ポル・ポト派に武装闘争放棄を要求。ポル・ポトとタ・モク参謀長の引退を条件にポル・ポト派は98年選挙への参加が可能,と言明。 |
DIA-202-1995-01-27-1 | カンボジア | 1995年01月27日 | 1990年代 | ポル・ポト派,シアヌーク国王の提案を拒否。 |
DIA-202-1995-01-28-1 | カンボジア | 1995年01月28日 | 1990年代 | タルボット米国務次官,ロード東アジア担当国務次官補,プノンペン訪問(~29日)。軍の改革を条件に兵器供与以外の対カンボジア援助の継続を約束。 |
DIA-202-1995-02-01-1 | カンボジア | 1995年02月01日 | 1990年代 | 世界銀行,カンボジアの93年末現在の債務総額が3億8300万ドル(うち長期債務は2億3940万ドル)と発表。 |
DIA-202-1995-02-01-2 | カンボジア | 1995年02月01日 | 1990年代 | 南アフリカとの外交関係樹立。 |
DIA-202-1995-02-02-1 | カンボジア | 1995年02月02日 | 1990年代 | アゼルバイジャン共和国との外交関係樹立。 |
DIA-202-1995-02-05-1 | カンボジア | 1995年02月05日 | 1990年代 | キアト・チョン蔵相,開発,協力問題協議のためオーストラリア訪問(~8日)。 |
DIA-202-1995-02-06-1 | カンボジア | 1995年02月06日 | 1990年代 | フランスのドブレ協力相, 公式訪問(~10日),援助問題に関し実務協議。 |
DIA-202-1995-02-16-1 | カンボジア | 1995年02月16日 | 1990年代 | カンボジア人民党(CPP)第19回中央委員会開催(~17日)。フンシンペック党との協力強化を決議。 |
DIA-202-1995-02-21-1 | カンボジア | 1995年02月21日 | 1990年代 | シアヌーク国王,アンコール寺院内で記者会見し,「現政府を高く評価はしない力容認する」と述べ,自らを首班とする国民和解政府構想の放棄を示唆。 |
DIA-202-1995-02-22-1 | カンボジア | 1995年02月22日 | 1990年代 | 情報省,2月7日現在カンボジア公務員の実数は,登録者数14万6311人,そのうち実際に存在しない“幽霊公務員”が3487人と発表。 |
DIA-202-1995-02-22-2 | カンボジア | 1995年02月22日 | 1990年代 | 唐家旋・中国外務次官,来訪。ウン・フオト外相と協力,援助問題を協議,カンボジア国王,王室への中国の支持を再確認。同次官の訪問は93年5月以降,中国からの最も高いレベルのもの。 |
DIA-202-1995-02-25-1 | カンボジア | 1995年02月25日 | 1990年代 | ウン・フオト外相ら代表団がインドシナ総合開発フオーラム出席のため訪日(~28日)。 |
DIA-202-1995-02-27-1 | カンボジア | 1995年02月27日 | 1990年代 | 現地紙『クメール青年の声』編集長チャン・ロッタ,政府誹誇の罪で禁固1年,罰金2000ドルの刑を宣告さる。新聞への実刑判決は新体制発足後初めて。新聞統制強まる。 |
DIA-202-1995-02-28-1 | カンボジア | 1995年02月28日 | 1990年代 | ラナリット第1,フン・セン第2首相,ガリ国連事務総長に,国連人権センターの閉鎖を要求(3月25日撤回)。 |
DIA-202-1995-03-02-1 | カンボジア | 1995年03月02日 | 1990年代 | シアヌ-ク国王,日本の3000万トルの資金援助によるプノンペン港改修着工式 に出席。 |
DIA-202-1995-03-03-1 | カンボジア | 1995年03月03日 | 1990年代 | チア・シム国会議長ら国会代表団,訪中(~7日)。 |
DIA-202-1995-03-03-2 | カンボジア | 1995年03月03日 | 1990年代 | ヨー・チュートン・シンガポール通産・運輸相と実業家約50人の大型代表団,カンボジア訪問。 |
DIA-202-1995-03-03-3 | カンボジア | 1995年03月03日 | 1990年代 | 内務省,ポル・ポト派ゲリラが2月にバタンバン,シエムレアプ,コンポンスプー,コンポンチュナン各州で攻撃を強化,政府軍兵士,13人,警官4人,民間人35人が死亡,ゲリラ側も20人が死亡,155人が投降,と発表。 |
DIA-202-1995-03-10-1 | カンボジア | 1995年03月10日 | 1990年代 | タオ・センフオ農水産・森林相,カンボジアの森林面積の国土比が70年の73%から現在40%までに落ちたと言明。 |
DIA-202-1995-03-15-1 | カンボジア | 1995年03月15日 | 1990年代 | パリで開催の第3回カンボジア復興国際委員会(ICORC)(14~15日)で,95年度4億7300万ドル,96年度分8億7700万ドル,計13億5000万ドルの拠出が表明された(フン・セン第2首相の言明による)。 |
DIA-202-1995-03-21-1 | カンボジア | 1995年03月21日 | 1990年代 | ウン・フオト外相,タイ訪問(~24日)。タイとの関係改善を協議。 |
DIA-202-1995-03-22-1 | カンボジア | 1995年03月22日 | 1990年代 | シアヌーク国王,精密検査のため北京へ。 |
DIA-202-1995-03-22-2 | カンボジア | 1995年03月22日 | 1990年代 | 情報省,94年1月から同日までにポル・ポト派の投降・帰順者の数が7236人に達したと発表。 |
DIA-202-1995-03-23-1 | カンボジア | 1995年03月23日 | 1990年代 | サル・ケン内相,ラナリット,フン・セン両首相の国連人権センター閉鎖要求に反対と言明。 |
DIA-202-1995-03-25-1 | カンボジア | 1995年03月25日 | 1990年代 | カンボジア国立銀行,リエル新紙幣と硬貨を発行。紙幣は1000~1万リエルの7種類。 |
DIA-202-1995-03-29-1 | カンボジア | 1995年03月29日 | 1990年代 | フン・セン第2首相,ティア・バン国防相ら,タイ訪問(~31日)。国境地域の安全問題を協議。タイ側と投資促進・保護協定観光協定に調印。 |
DIA-202-1995-04-02-1 | カンボジア | 1995年04月02日 | 1990年代 | ラタナキリ州北東部でベトナム戦争中の行方不明米兵(MIA)について,米側との合同調査を開始。 |
DIA-202-1995-04-05-1 | カンボジア | 1995年04月05日 | 1990年代 | シアヌーク国王,北京から帰国。 |
DIA-202-1995-04-09-1 | カンボジア | 1995年04月09日 | 1990年代 | カンボジア初の貿易見本市開幕。外国からも40社余が参加。 |
DIA-202-1995-04-12-1 | カンボジア | 1995年04月12日 | 1990年代 | キュー・サムファン暫定民族団結救国政府首相兼国防相,同日発表のカンボジア正月新年メッセージの中で,ゲリラ戦と人民戦争の続行,民族大団結の強化,あらゆる形式の闘争強化を呼びかけ。 |
DIA-202-1995-04-16-1 | カンボジア | 1995年04月16日 | 1990年代 | カンボジア正月,シアヌーク国王新年メッセージで「ポル・ポトは地獄に落ちよ」と同派を非難。 |
DIA-202-1995-04-29-1 | カンボジア | 1995年04月29日 | 1990年代 | ラナリット第1首相,国連人権センター閉鎖要求を撤回。 |
DIA-202-1995-04-30-1 | カンボジア | 1995年04月30日 | 1990年代 | 政府,原木,加工材の全面禁輸を発表。 |
DIA-202-1995-05-01-1 | カンボジア | 1995年05月01日 | 1990年代 | マレーシア,アリストン社のフロティング・カジノ,「ナガ・リゾート・カジノ」がプノンペンでオープン。 |
DIA-202-1995-05-01-2 | カンボジア | 1995年05月01日 | 1990年代 | ポル・ポト派軍,バタンバン州トレンを占拠。難民1万6000人以上が流出。 |
DIA-202-1995-05-05-1 | カンボジア | 1995年05月05日 | 1990年代 | フン・セン第2首相ら対独戦勝50周年記念に国王代理として出席のため訪仏(~13日)。 |
DIA-202-1995-05-06-1 | カンボジア | 1995年05月06日 | 1990年代 | タイ,カンボジア国境問題に関する両国合同委員会がプノンペンで開催され,国境協力機構の設置に合意。 |
DIA-202-1995-05-06-2 | カンボジア | 1995年05月06日 | 1990年代 | チア・シム国会議長ら国会代表団,1週間の予定で訪米。滞在中マッケイン上院議員,ロード国務次官補らと会談。 |
DIA-202-1995-05-13-1 | カンボジア | 1995年05月13日 | 1990年代 | サム・ランシー前蔵相,フンシンペック党から除名さる。 |
DIA-202-1995-05-13-2 | カンボジア | 1995年05月13日 | 1990年代 | 仏教自由民主党のソン・サン議長,執行委員会を開催し,イエン・ムリ副議長の除名を決定。 |
DIA-202-1995-05-17-1 | カンボジア | 1995年05月17日 | 1990年代 | サル・ホー税関局長,カンボジアの通関税収は1ヵ月当り1400万ドル,その大部分は木材輸出によるものと言明。 |
DIA-202-1995-05-18-1 | カンボジア | 1995年05月18日 | 1990年代 | 仏教自由民主党のイエン・ムリ副議長は,同党理事会を招集,ソン・サン議長が行った決議の無効を決定。 |
DIA-202-1995-05-20-1 | カンボジア | 1995年05月20日 | 1990年代 | プノンペン地方裁判所,『セレイピアプ・トメイ』(新自由)紙編集長に,ラナリット,フン・セン両共同首相の名誉毀損のかどで禁固1年,罰金500万リエルの刑を宣告。新政権発足以来,新聞編集者への実刑判決は2件目。 |
DIA-202-1995-05-23-1 | カンボジア | 1995年05月23日 | 1990年代 | カンボジア人民党代表団,北朝鮮訪問。平壌で北朝鮮労働党代表団と会談(24日)。 |
DIA-202-1995-05-25-1 | カンボジア | 1995年05月25日 | 1990年代 | フン・セン第2首相,国防,内務両相,国軍総参謀長,国家警察長官ら,軍事情勢検討会議を開催,総参謀長が,ポル・ポト派ゲリラは過去6カ月の乾季作戦中にパイリン,プノンマライ,タサン,ウェアルウェン,アンロンベン,プレアビヘアルなどの主要基地を確保し,同派の推定兵力は中核正規軍4000人,民兵6000人と報告。 |
DIA-202-1995-05-26-1 | カンボジア | 1995年05月26日 | 1990年代 | アジア開発銀行(ADB),3億9000万ドルのカンボジア経済発展支援のための5カ年計画を発表。マリクADB代表団長とキアト・チョン蔵相が了解覚書に調印。 |
DIA-202-1995-05-27-1 | カンボジア | 1995年05月27日 | 1990年代 | 新政権初のヴァル・フォト駐米大使,ワシントンに着任。 |
DIA-202-1995-05-31-1 | カンボジア | 1995年05月31日 | 1990年代 | 政府,95年5月までの外国投資承認総額は3億7400万ドルと発表。対象プロジェクトはホテル,石油,繊維,食品加工など。投資国はシンガポール,タイ,マレーシアの順。 |
DIA-202-1995-06-12-1 | カンボジア | 1995年06月12日 | 1990年代 | 日本,プノンペン港改修,母子福祉センター,予防接種事業の3プロジェクトに33億1000万円無償供与。 |
DIA-202-1995-06-14-1 | カンボジア | 1995年06月14日 | 1990年代 | ウン・フォト外相訪中。16日李鵬首相,銭其外相と個別会談。 |
DIA-202-1995-06-22-1 | カンボジア | 1995年06月22日 | 1990年代 | サム・ランシー前経済財政相の議員資格剥奪が国会で確定。 |
DIA-202-1995-07-03-1 | カンボジア | 1995年07月03日 | 1990年代 | 中国,輸送機2機購入とカンボジア全土での通信網建設,プノンペン競技場修復用に860万ドル借款供与。 |
DIA-202-1995-07-04-1 | カンボジア | 1995年07月04日 | 1990年代 | 『アレイトー』紙,キュー・サムファン民主カンプチア議長が「98年総選挙には新党を結成して参加」と言明した旨報道。 |
DIA-202-1995-07-15-1 | カンボジア | 1995年07月15日 | 1990年代 | 国連人口基金(UNFAP),95年央のカンボジアの総人口は推定1040万人,年間増加率約2.6%,全人口の50%が16歳以下,女性人口が54%と発表。 |
DIA-202-1995-07-18-1 | カンボジア | 1995年07月18日 | 1990年代 | 国会,言論の自由抑圧になると内外から批判されている新聞法案を可決。 |
DIA-202-1995-07-19-1 | カンボジア | 1995年07月19日 | 1990年代 | アジア開銀,東部6州の道路改良,マーケット新・増設,公共事業用に2520万ドルの期限40年・無利子の借款供与。 |
DIA-202-1995-07-26-1 | カンボジア | 1995年07月26日 | 1990年代 | ポル・ポト派チャン・ユラン外相,王国政府と無条件で話し合いに応じると言明。しかし,ティア・バン国防相,無条件降伏あるのみ,とこれを拒否。 |
DIA-202-1995-07-28-1 | カンボジア | 1995年07月28日 | 1990年代 | カンボジア,ASEANに東南アジア友好協力条約の批准書を提出,正式にASEANへのオブザーバー加盟手続きを完了。 |
DIA-202-1995-07-28-2 | カンボジア | 1995年07月28日 | 1990年代 | フン・セン第2首相,97年までに兵力を現行13万人から9万人,2000年までに6万人に削減と言明。 |
DIA-202-1995-08-01-1 | カンボジア | 1995年08月01日 | 1990年代 | ブルネイで開催の第2回ASEAN地域フォーラムに初参加。 |
DIA-202-1995-08-01-2 | カンボジア | 1995年08月01日 | 1990年代 | クリストファー米国国務長官,プノンペン訪問。家族厚生,初等教育,技術支援,民主化促進計画に1202万ドル,人道援助としてコメ540万ドル分の供与を発表。投資保護協定に調印。最恵国待遇付与を約束。 |
DIA-202-1995-08-05-1 | カンボジア | 1995年08月05日 | 1990年代 | 仏教自由民主党,幹部会でソン・サン議長ら5人の除名を決定。 |
DIA-202-1995-08-08-1 | カンボジア | 1995年08月08日 | 1990年代 | ベトナムの国家主席,プノンペン訪問(~9日)。国境問題等を討議。 |
DIA-202-1995-08-08-2 | カンボジア | 1995年08月08日 | 1990年代 | 仏教自由民主党幹部のメアス・チャン・リープ議員,党内抗争に抗議して国会内でピストル自殺。 |
DIA-202-1995-08-23-1 | カンボジア | 1995年08月23日 | 1990年代 | 河野外相,プノンペン訪問。プノンペン電話システム改善に1700万ドル,洪水被災農家緊急援助用の米買い付け用資金620万ドル,アンコール・ワット修復用51万8000ドルの供与を約束。 |
DIA-202-1995-08-31-1 | カンボジア | 1995年08月31日 | 1990年代 | チア・シム国家元首代行兼国会議長,新聞法に代理署名。9月9日発効。 |
DIA-202-1995-08-31-2 | カンボジア | 1995年08月31日 | 1990年代 | シアヌーク国王,インドネシア公式訪問(~9月2日)。 |
DIA-202-1995-09-05-1 | カンボジア | 1995年09月05日 | 1990年代 | シアヌーク国王,マレーシア公式訪問(~7日)。 |
DIA-202-1995-09-05-2 | カンボジア | 1995年09月05日 | 1990年代 | プノンペン・ポチェントン空港改修のため仏,マレーシア,カンボジア各企業BOT方式による総工費1億2000万ドルの合弁事業契約に調印。 |
DIA-202-1995-09-30-1 | カンボジア | 1995年09月30日 | 1990年代 | 仏教自由民主党ソン・サン派本部と同派大会用寺院の2カ所で爆弾が炸裂,同派大会に集まったソン・スベール国会副議長(ソン・サン氏の子息)ら34人が重軽傷。 |
DIA-202-1995-10-05-1 | カンボジア | 1995年10月05日 | 1990年代 | 日本・カンボジア実務者協議,中部コンポンチャム州のメコン川上に延長1キロの架橋について基本合意。アジア・ハイウェー構想の一環で,97年着工,工期約2年,総工費百数十億円の見込み。 |
DIA-202-1995-10-08-1 | カンボジア | 1995年10月08日 | 1990年代 | ポル・ポト派,プノンペン=プルサット間の鉄道を2カ所,シアヌークビル近郊の鉄橋を1カ所爆破。 |
DIA-202-1995-10-09-1 | カンボジア | 1995年10月09日 | 1990年代 | ユー・ホクリ共同内相,警察軍将校の85%を降格ないし解雇し,警察軍大佐を1000人余から62人に,警察軍将校449人を75人に削減したこと,警察軍兵力6万7000人を1万3400人に縮小する計画であると発表。 |
DIA-202-1995-10-10-1 | カンボジア | 1995年10月10日 | 1990年代 | カンボジア人民党(CPP)代表団(団長,グオン・ネル中央常任委員),ベトナム訪問。ド・ムオイ共産党書記長と会談,両党関係強化で合意。 |
DIA-202-1995-10-17-1 | カンボジア | 1995年10月17日 | 1990年代 | フンシンペック党とカンボジア人民党(CPP)は,重要な地方行政単位である郡の長(170人)および郡警察の長を両党間で同数ずつ配分することで合意。 |
DIA-202-1995-10-27-1 | カンボジア | 1995年10月27日 | 1990年代 | 農林漁業省,カンボジア6州で冠水,干ばつ,害虫のため5万6213ヘクタールの稲が被災したと発表。 |
DIA-202-1995-11-09-1 | カンボジア | 1995年11月09日 | 1990年代 | サム・ランシー前経済財政相,新党「クメール国民党」を結成し,党首に就任。フン・セン第2首相は同党を合法政党として認めず。 |
DIA-202-1995-11-17-1 | カンボジア | 1995年11月17日 | 1990年代 | シリウッド殿下(前外相,フンシンペック党幹事長),フン・セン第2首相暗殺謀議の容疑で逮捕さる。 |
DIA-202-1995-11-21-1 | カンボジア | 1995年11月21日 | 1990年代 | シリウッド殿下,シアヌーク国王の口添えでフランスに亡命。 |
DIA-202-1995-12-14-1 | カンボジア | 1995年12月14日 | 1990年代 | シアヌーク国王,73年以来初めてベトナム公式訪問(~16日)。レ・デュク・アイン国家主席,ド・ムオイ共産党書記長,ファン・バン・カイ副首相,ファン・バン・ドン元首相(現党中央委顧問),ボー・グエン・ザップ将軍(元国防相)らと会談。 |
DIA-202-1996-01-02-1 | カンボジア | 1996年01月02日 | 1990年代 | フンシンペック党,国外退去したシリヴット書記長に代わり同党所属の国民 議会第1副議長ロイ・シム・チェアンが書記長に就任,と発表。 |
DIA-202-1996-01-07-1 | カンボジア | 1996年01月07日 | 1990年代 | シハヌーク国王,国営放送を通じ1月末より病気治療のため北京に向かい,4月中旬の新年までには帰国の予定と発表。 |
DIA-202-1996-01-08-1 | カンボジア | 1996年01月08日 | 1990年代 | 在カンボジア・タイ大使館,カンボジア国軍兵士50人がタイで2カ月間の訓練を受けるためカンボジアを出発したと発表。 |
DIA-202-1996-01-08-2 | カンボジア | 1996年01月08日 | 1990年代 | ポル・ポト派ラジオ放送,ロード米国務次官補(東アジア・大平洋担当)のカンボジア訪問を批判(1月14日参照)。 |
DIA-202-1996-01-09-1 | カンボジア | 1996年01月09日 | 1990年代 | アメリカ太平洋軍ブラムレット副司令官来訪,軍事援助について協議。 |
DIA-202-1996-01-11-1 | カンボジア | 1996年01月11日 | 1990年代 | カンボジア人民党,第20回中央委員会開催。ソク・アン(大臣会議官房担当相),イン・チュムリム(内務政務次官),ディット・ムンティ(国民議会議員)を新たに中央執行委員に選出。 |
DIA-202-1996-01-14-1 | カンボジア | 1996年01月14日 | 1990年代 | ロード米国務次官補,来訪(~16日)。経済協力およびインドシナ戦争中の行方不明兵士問題を協議。 |
DIA-202-1996-01-16-1 | カンボジア | 1996年01月16日 | 1990年代 | 国民議会,「誘拐・人身売買禁止法」を採択。最高刑は懲役20年。誘拐,人身売買,児童売春に対する批判に応えたもの。 |
DIA-202-1996-01-17-1 | カンボジア | 1996年01月17日 | 1990年代 | ラナリット第1首相,ベトナム人農民によるスワイリエン,プレイウェーン,コンポンチャム州での越境開墾に不快感を表明。 |
DIA-202-1996-01-18-1 | カンボジア | 1996年01月18日 | 1990年代 | ヴェン・セレヴット観光相,95年の観光,商用による外国人の入国者数は22万人(前年比25%の増)と発表。 |
DIA-202-1996-01-18-2 | カンボジア | 1996年01月18日 | 1990年代 | ゥン・フオト外相,インドとの貿易拡大,合弁事業の促進に関する覚書に署名。 |
DIA-202-1996-01-18-3 | カンボジア | 1996年01月18日 | 1990年代 | ユネスコ,地方のラジオ放送網の整備のために9000㌦相当の放送機材を供与。 |
DIA-202-1996-01-19-1 | カンボジア | 1996年01月19日 | 1990年代 | ラナリット第1首相,森林伐採問題で世界銀行の支援を受けることを発表,96年を「森林再生年」とすることを表明。 |
DIA-202-1996-01-20-1 | カンボジア | 1996年01月20日 | 1990年代 | シハヌーク国王,ミッテラン前仏大統領の葬儀出席後パリから帰国。 |
DIA-202-1996-01-23-1 | カンボジア | 1996年01月23日 | 1990年代 | クメール国民党(サム・ランシー党首)の中央執行委員3人が党内での意見対立から,また1人が健康上の理由から執行委員を辞任。同党首によれば,95年11月の結党以来の党員数は,約6万6000人,うち中央執行委員は4人減の38人。 |
DIA-202-1996-01-25-1 | カンボジア | 1996年01月25日 | 1990年代 | ウン・フオト外相ら代表団,ミャンマー公式訪問。国交回復とミャンマー国内のカンボジア凍結資産問題麻薬問題など協議。 |
DIA-202-1996-01-26-1 | カンボジア | 1996年01月26日 | 1990年代 | トル・ペン・レアト国立銀行総裁,95年のインフレ率が3.5%と発表。 |
DIA-202-1996-01-26-2 | カンボジア | 1996年01月26日 | 1990年代 | 国連開発計画(UNDP),18カ月間のエイズ対策集中プロジェクトを開始と発表。 |
DIA-202-1996-01-27-1 | カンボジア | 1996年01月27日 | 1990年代 | シハヌーク国王,病気治療のため北京に再出発。 |
DIA-202-1996-01-27-2 | カンボジア | 1996年01月27日 | 1990年代 | ラナリット第1首相ら政府代表団がミャンマーを公式親善訪問。 |
DIA-202-1996-02-05-1 | カンボジア | 1996年02月05日 | 1990年代 | フン・セン第2首相,国連国際薬物管理プログラムのジアコメリ局長と会談。麻薬取締りのための協力を要請される。 |
DIA-202-1996-02-06-1 | カンボジア | 1996年02月06日 | 1990年代 | フンシンペック所有のラジオ局パーソナリティ,エク・モンクル氏,白昼市内で狙撃され,重傷を負う。 |
DIA-202-1996-02-07-1 | カンボジア | 1996年02月07日 | 1990年代 | 三井物産,コンポンチャム州で日本向け食用油用胡麻,黒胡椒の実験栽培に着手と発表。 |
DIA-202-1996-02-08-1 | カンボジア | 1996年02月08日 | 1990年代 | 在カンボジア・ドイツ大使館,コンポントム州で農村貧困層向けの地域開発プロジェクトを開始と発表。 |
DIA-202-1996-02-15-1 | カンボジア | 1996年02月15日 | 1990年代 | イエン・ムーリー情報相は,ロン・ノル系新聞Republic Newsに対し,30日間の発行停止処分を発表・情報省は,度重なる警告に反して同紙がクメール共和国時代の国旗を使用し,国王を批判する記事を掲載し続けたための措置であると説明。 |
DIA-202-1996-02-17-1 | カンボジア | 1996年02月17日 | 1990年代 | パノフ・ロシア外務次官,来訪。 |
DIA-202-1996-02-24-1 | カンボジア | 1996年02月24日 | 1990年代 | 「全国地雷の日」記念日。 |
DIA-202-1996-02-25-1 | カンボジア | 1996年02月25日 | 1990年代 | 映画「キリング・フィールド」に出演し,84年度アカデミー助演男優賞受賞の俳優ハイン・ニョル氏がロスアンジェルスの自宅で射殺される。キュー・カナリット情報次官が弔意を表明。フン・セン第1首相はポル・ポト派による「政治的犯行」と非難。 |
DIA-202-1996-02-29-1 | カンボジア | 1996年02月29日 | 1990年代 | テア・バン国防相,ポル・ポト派の拠点パイリンと東北部への補給路にあたるプノンヴェン山脈の一部を奪還と発表。 |
DIA-202-1996-03-03-1 | カンボジア | 1996年03月03日 | 1990年代 | セレイ・コサル・バタンバン州副知事,政府軍がポル・ポト派の拠点のパイリンまで8~10キロの地点に進撃,と発表。 |
DIA-202-1996-03-04-1 | カンボジア | 1996年03月04日 | 1990年代 | コンポンスプー州でポル・ポト派兵士357人が政府軍に投降。 |
DIA-202-1996-03-07-1 | カンボジア | 1996年03月07日 | 1990年代 | ペチェフ・ブルガリア国防次官,来訪。両国間の軍事技術援助協定に署名。 |
DIA-202-1996-03-07-2 | カンボジア | 1996年03月07日 | 1990年代 | 外務省,ASEAN事務局に正式に加盟申請したことを発表。 |
DIA-202-1996-03-13-1 | カンボジア | 1996年03月13日 | 1990年代 | フランス法律家代表団15人来訪。ラナリット第1首相と会談。 |
DIA-202-1996-03-14-1 | カンボジア | 1996年03月14日 | 1990年代 | クメール国民党反主流,臨時党大会を開催。サム・ランシー党首(前経済財務相)解任を決議。新党首にグォン・ソウ副党首を選出,党創立記念日も96年3月14日に変更。 |
DIA-202-1996-03-21-1 | カンボジア | 1996年03月21日 | 1990年代 | 政府軍,パイリンにあるポル・ポト派の最大拠点を制圧。 |
DIA-202-1996-03-21-2 | カンボジア | 1996年03月21日 | 1990年代 | フンシンペック第2回党大会(~22日)。ラナリット第1首相を議長に再選。 |
DIA-202-1996-03-23-1 | カンボジア | 1996年03月23日 | 1990年代 | カンボジア警察,元赤軍派「よど号」ハイジャックメンバー,田中義三をカンボジア・ベトナム国境で,北朝鮮外交官と共に出国しようとしたところを身柄拘束,逮捕。 |
DIA-202-1996-04-02-1 | カンボジア | 1996年04月02日 | 1990年代 | イン・フオト外務・経済協力相がジャカルタを訪問(~3日)。ASEAN議長国インドネシアのアラタス外相に,ASEAN正式加盟の申請書を提出。 |
DIA-202-1996-04-04-1 | カンボジア | 1996年04月04日 | 1990年代 | イギリス政府,国連人権センター・カンボジア事務所の運営費として30万ドルを拠出,と発表。 |
DIA-202-1996-04-05-1 | カンボジア | 1996年04月05日 | 1990年代 | ケネス・クイン駐カンボジア・アメリカ大使,オラル・キャンプなどのポル・ポト派投降者のために23トン(30万ドル相当)の食糧,衣料を供与する旨発表。 |
DIA-202-1996-04-10-1 | カンボジア | 1996年04月10日 | 1990年代 | ベトナムのボー・バン・キエト首相,来訪。ラナリット第1首相,フン・セン第2首相と国境問題について協議。 |
DIA-202-1996-04-14-1 | カンボジア | 1996年04月14日 | 1990年代 | インド政府,シハヌーク国王の要請に応えて200万ルピー相当の医薬品をカンボジア政府に供与することを決定。医薬品はポル・ポト派との戦闘で負傷した政府軍兵士のために利用される。 |
DIA-202-1996-04-18-1 | カンボジア | 1996年04月18日 | 1990年代 | シハヌーク国王夫妻,ラナリット第1首相らとともにフランス訪問(~5月1日)。 |
DIA-202-1996-04-18-2 | カンボジア | 1996年04月18日 | 1990年代 | 張万年中央軍事委員会副主席ら,中国人民解放軍代表団,来訪。ラナリット,フン・セン両首相,チア・シム国民議会議長,ケ・キムヤン国軍司令官らと会談。 |
DIA-202-1996-04-26-1 | カンボジア | 1996年04月26日 | 1990年代 | ケネス・クイン駐カンボジア・アメリカ大使,アメリカ・ベトナム復員軍人基金のカンボジア復興援助事業に145万ドル寄贈。 |
DIA-202-1996-04-30-1 | カンボジア | 1996年04月30日 | 1990年代 | 観光省,96年第1四半期に6万5000人の外国人が入国と発表。前年同時期に比べて32%の伸び。国内観光客は約4万8600人,商用は約1万5000人。 |
DIA-202-1996-04-30-2 | カンボジア | 1996年04月30日 | 1990年代 | カンボジア内務省,1.5㌧のマリファナを焼却処分。 |
DIA-202-1996-05-04-1 | カンボジア | 1996年05月04日 | 1990年代 | 公務員の週休2日制導入される。 |
DIA-202-1996-05-08-1 | カンボジア | 1996年05月08日 | 1990年代 | アメリカ政府,カンボジアに最恵国待遇適用の方針を決定。 |
DIA-202-1996-05-09-1 | カンボジア | 1996年05月09日 | 1990年代 | 政府,韓国との国交樹立の方針を閣議決定。外交関係樹立の覚書に調印(15日)。 |
DIA-202-1996-05-14-1 | カンボジア | 1996年05月14日 | 1990年代 | マレーシア外相,来訪。カンボジアのASEAN加盟について協議。 |
DIA-202-1996-05-18-1 | カンボジア | 1996年05月18日 | 1990年代 | クメール国民党執行委員で『クメールの理想』紙のトゥン・ブンリ編集長,白昼2人組に射殺される。 |
DIA-202-1996-06-06-1 | カンボジア | 1996年06月06日 | 1990年代 | 各報道機関,政府高官の情報として民主カンプチアのポル・ポト元首相がタイ・カンボジア国境地帯の拠点で病気のため死亡と報道。 |
DIA-202-1996-06-06-2 | カンボジア | 1996年06月06日 | 1990年代 | ロイ・シム・チェアン書記長ら,フンシンペック代表団が中国共産党の招きで中国を公式訪問(~17日)。 |
DIA-202-1996-06-20-1 | カンボジア | 1996年06月20日 | 1990年代 | バンハーン・タイ首相,来訪(~22日)。通商技術協力協定に調印。 |
DIA-202-1996-06-25-1 | カンボジア | 1996年06月25日 | 1990年代 | カンボジア人民党,中央委員会を開催(~26日)。フンシンペックとの連立政権維持を確認。 |
DIA-202-1996-07-08-1 | カンボジア | 1996年07月08日 | 1990年代 | 米国際開発庁,3000万ドル規模の初等教育援助事業に着手と発表。 |
DIA-202-1996-07-09-1 | カンボジア | 1996年07月09日 | 1990年代 | カンボジア在留ベトナム人問題で両国外務省がプノンペンで協議(~11日)。 |
DIA-202-1996-07-10-1 | カンボジア | 1996年07月10日 | 1990年代 | ラナリット第1首相,フン・セン第2首相,ケアット・チョン経済相らカンボジア支援国会議(東京)に出席(~12日)。 |
DIA-202-1996-07-10-2 | カンボジア | 1996年07月10日 | 1990年代 | チア・シム国民議会議長ら,マレーシアを訪問。12日にマハティール首相と会見。 |
DIA-202-1996-07-11-1 | カンボジア | 1996年07月11日 | 1990年代 | カンボジアのNGOが「自由で公正な選挙のための連合」(COFFEL)を結成。有権者への啓蒙,選挙人登録,投票監視にあたる予定。 |
DIA-202-1996-07-14-1 | カンボジア | 1996年07月14日 | 1990年代 | フン・セン第2首相ら,中国,韓国を訪問(~17日)。 |
DIA-202-1996-07-20-1 | カンボジア | 1996年07月20日 | 1990年代 | フンシンペック反主流派,「世界大会」をパリで開催。新執行部を選出。 |
DIA-202-1996-07-21-1 | カンボジア | 1996年07月21日 | 1990年代 | ジャカルタで開催のASEAN外相会議,カンボジアの97年ASEAN加盟の正式申請を受理。 |
DIA-202-1996-08-01-1 | カンボジア | 1996年08月01日 | 1990年代 | フンシンペック,プノンペンで臨時党大会を開催。 |
DIA-202-1996-08-08-1 | カンボジア | 1996年08月08日 | 1990年代 | イエン・サリ元民主カンプチア副首相兼外相,約3000人の兵士とともに政府に投降。ポル・ポト派,ラジオ放送を通じてイエン・サリに死刑宣告,と放送。 |
DIA-202-1996-08-14-1 | カンボジア | 1996年08月14日 | 1990年代 | 政府軍に投降したイエン・サリらが国防省幹部と会談。プノンマライ,パイリン地区の支配権の維持および98年総選挙への参加を認めるよう要求。 |
DIA-202-1996-08-18-1 | カンボジア | 1996年08月18日 | 1990年代 | 国民統合救国臨時政府(ポル・ポト派),同派ラジオ放送を通じて新閣僚名簿を発表。 |
DIA-202-1996-08-20-1 | カンボジア | 1996年08月20日 | 1990年代 | 国民議会,国籍法を採択。 |
DIA-202-1996-08-25-1 | カンボジア | 1996年08月25日 | 1990年代 | イエン・サリ,Bangkok Post紙のインタビューに答えて,民主カンプチア政権時代の大量虐殺への関与を否定。 |
DIA-202-1996-08-30-1 | カンボジア | 1996年08月30日 | 1990年代 | 官僚の腐敗を批判し,首相を「泥棒の親玉」と揶揄したため名誉毀損の罪で告訴され,服役中のNew Liberty News紙のヘン・ヴィペック元編集長,恩赦により釈放。 |
DIA-202-1996-09-12-1 | カンボジア | 1996年09月12日 | 1990年代 | アメリカ議会,カンボジアに対する最恵国待遇付与を承認。 |
DIA-202-1996-09-12-2 | カンボジア | 1996年09月12日 | 1990年代 | 韓国外務省,16日よりプノンペンに代表事務所を開設すると発表。 |
DIA-202-1996-09-12-3 | カンボジア | 1996年09月12日 | 1990年代 | チア・シム国民議会議長ら,オーストラリアの首都キャンベラ訪問。 |
DIA-202-1996-09-13-1 | カンボジア | 1996年09月13日 | 1990年代 | プレイウェーン州の農民約50人,食糧援助を求めて国民議会前で集会。同州が78年以来最悪の洪水の被害を受けたことが原因。 |
DIA-202-1996-09-14-1 | カンボジア | 1996年09月14日 | 1990年代 | シハヌーク国王,イエン・サリの恩赦を認める勅令に署名。 |
DIA-202-1996-09-17-1 | カンボジア | 1996年09月17日 | 1990年代 | イエン・ムーリー情報相,ハノイ訪問(~20日)。ド・ムオイ書記長,ファン・バン・カイ副首相と会見。 |
DIA-202-1996-09-25-1 | カンボジア | 1996年09月25日 | 1990年代 | クリントン米大統領,カンボジアに対する最恵国待遇適用措置を承認。 |
DIA-202-1996-10-12-1 | カンボジア | 1996年10月12日 | 1990年代 | ドラミュラ・スイス大統領,来訪(~14日)。 |
DIA-202-1996-10-12-2 | カンボジア | 1996年10月12日 | 1990年代 | アレンデ・キューバ外務次官,来訪(~13日)。 |
DIA-202-1996-10-16-1 | カンボジア | 1996年10月16日 | 1990年代 | FAO,「世界食糧デー」にあたり,今後の森林保全分野での協力強化を表明。 |
DIA-202-1996-10-16-2 | カンボジア | 1996年10月16日 | 1990年代 | ミャンマーのタン・シュエ国家法秩序回復評議会(SLORC)議長,来訪(~19日)。 |
DIA-202-1996-10-22-1 | カンボジア | 1996年10月22日 | 1990年代 | フン・セン第2首相,パイリン郊外でイエン・サリと会談。 |
DIA-202-1996-10-22-2 | カンボジア | 1996年10月22日 | 1990年代 | アブドゥール・マレーシア外相,来訪(~24日)。 |
DIA-202-1996-10-23-1 | カンボジア | 1996年10月23日 | 1990年代 | 政府,パリ和平協定調印5周年記念式典を開催。 |
DIA-202-1996-10-28-1 | カンボジア | 1996年10月28日 | 1990年代 | 日本政府,洪水の被害を受けた国道6号線の補修のために15万㌦を無償供与することを表明。 |
DIA-202-1996-10-28-2 | カンボジア | 1996年10月28日 | 1990年代 | フランス企業,カンボジア政府からプノンペン市の地図作成および土地・建物の区画毎の所有権調査を約2000万ドルで受注。 |
DIA-202-1996-11-02-1 | カンボジア | 1996年11月02日 | 1990年代 | カンボジア王国航空(RAC)プノンペン=広州便を就航。 |
DIA-202-1996-11-03-1 | カンボジア | 1996年11月03日 | 1990年代 | 政府,コンポントム州でポル・ポト派兵士3400人が投降,と発表。 |
DIA-202-1996-11-04-1 | カンボジア | 1996年11月04日 | 1990年代 | ゴー・チョクトン・シンガポール首相,来訪(~5日)。ウン・フオト外相と両国間の投資促進協定に署名。シンガポール企業の将来における国有化の禁止およびカンボジアでの収益の本国送金の自由を保障。 |
DIA-202-1996-11-04-2 | カンボジア | 1996年11月04日 | 1990年代 | サム・ランシー・クメール国民党議長,プノンペンで出家。 |
DIA-202-1996-11-07-1 | カンボジア | 1996年11月07日 | 1990年代 | イエン・サリ元民主カンプチア副首相らとともに政府軍に投降した,元ポル・ポト派兵士約4400人の政府軍への編入式典がプノンマライで行なわれた。 |
DIA-202-1996-11-09-1 | カンボジア | 1996年11月09日 | 1990年代 | オーストラリア税関,カンボジアからシドニーに入港した船舶から5トンのマリファナ(末端価格3900万ドル相当)を発見,押収。 |
DIA-202-1996-11-15-1 | カンボジア | 1996年11月15日 | 1990年代 | トマス・ハマバーグ国連カンボジア人権特別代表,カンボジアの人権状況に関する報告書を国連総会に提出。子どもの人権,地雷による平和的生存権の侵害,司法制度の整備の遅れなど主要な人権問題を指摘。 |
DIA-202-1996-11-18-1 | カンボジア | 1996年11月18日 | 1990年代 | ウン・フオト外相,ビエンチャンでラオスとの二国間協力委員会に出席(~21日)。 |
DIA-202-1996-11-18-2 | カンボジア | 1996年11月18日 | 1990年代 | 国民議会,環境法を採択。国家環境保全計画の策定,開発における環境影響調査,環境基金の設置等について規定。 |
DIA-202-1996-11-19-1 | カンボジア | 1996年11月19日 | 1990年代 | フン・セン第2首相の義弟,コー・サムート内務省経済警察副長官,プノンペン市内で暗殺される。 |
DIA-202-1996-11-21-1 | カンボジア | 1996年11月21日 | 1990年代 | カンボジア・ラオス両政府高官,97年7月のASEAN加盟を目標に準備を進めていることを表明。 |
DIA-202-1996-11-22-1 | カンボジア | 1996年11月22日 | 1990年代 | バタンバン州でフンシンペック人民党所属の政府軍同士が武力衝突。 |
DIA-202-1996-11-29-1 | カンボジア | 1996年11月29日 | 1990年代 | ラナリット第1首相,フン・セン第2首相ら,ASEAN非公式首脳会議に出席のためジャカルタ訪問(~12月1日)。 |
DIA-202-1996-11-30-1 | カンボジア | 1996年11月30日 | 1990年代 | クメール国民党系「カンボジア公務員自由労働組合」結成。組合員190人。月額4ドルのベースアップを要求。 |
DIA-202-1996-11-30-2 | カンボジア | 1996年11月30日 | 1990年代 | サル・ケン内相,オーストラリア訪問(~12月7日)。 |
DIA-202-1996-12-02-1 | カンボジア | 1996年12月02日 | 1990年代 | トゥアンク・ジャファール・マレーシア国王夫妻,公式訪問(~5日)。 |
DIA-202-1996-12-12-1 | カンボジア | 1996年12月12日 | 1990年代 | シハヌーク国王,剃髪し,出家。僧侶としての修行期間は1週間。 |
DIA-202-1996-12-17-1 | カンボジア | 1996年12月17日 | 1990年代 | 文化宗教省・アデナウアー財団,バタンバンで「開発のための仏教」セミナーを共催。 |
DIA-202-1997-01-10-1 | カンボジア | 1997年01月10日 | 1990年代 | 労働法,国会通過。労働者のスト権および組合結成権が明記される。 |
DIA-202-1997-01-10-2 | カンボジア | 1997年01月10日 | 1990年代 | エイ・チエン415師団長を含む民主カンプチア(DK)離脱派の幹部兵士19人(イエン・サリは含まず)に王国軍(RCAF)の将校階級を授与する旨を,ティア・バン国防相が公表。エイ・チエンはパイリンの統治者としても認められる。 |
DIA-202-1997-01-23-1 | カンボジア | 1997年01月23日 | 1990年代 | 独立・中立・平和・協力のカンボジアのための民族統一戦線(FUNCINPEC)ラナリット議長,民族統一戦線(NUF)の結成を提唱。同日,クメール国民党(KNP)サム・ランシ議長,NUF参加を表明。 |
DIA-202-1997-01-24-1 | カンボジア | 1997年01月24日 | 1990年代 | カンボジア人民党(CPP)臨時党大会,党中央委に若手党員85人を新規選出。これで党中央委委員は計153人に(~27日)。 |
DIA-202-1997-01-28-1 | カンボジア | 1997年01月28日 | 1990年代 | 民主民族統一運動(DNUM),NUFへは加盟しない旨を公表。 |
DIA-202-1997-01-28-2 | カンボジア | 1997年01月28日 | 1990年代 | フン・セン第2首相,ミャンマー公式訪問(~31日)。 |
DIA-202-1997-02-10-1 | カンボジア | 1997年02月10日 | 1990年代 | 韓国と,投資促進・保護協定および経済・科学・技術協力協定を締結。 |
DIA-202-1997-02-14-1 | カンボジア | 1997年02月14日 | 1990年代 | ヘン・ブン・ヘン・シアムリアプ州副知事を含むFUNCINPEC党員15人,アンロンヴェン付近で消息を断つ。 |
DIA-202-1997-02-16-1 | カンボジア | 1997年02月16日 | 1990年代 | 共同首相両名の命令により,ウン・サミー・バッドンボーン州知事(CPP),セレイ・コーサル同州副知事(FUNCINPEC)および第5管区司令官両名(CPP,FUNCINPEC各1人)の計4人,プノンペンに召還される。 |
DIA-202-1997-02-18-1 | カンボジア | 1997年02月18日 | 1990年代 | ニェック・ブン・チャイ副総参謀長およびカン・サヴーン第4管区司令官,タイ領内でタ・モク側代表と交渉。 |
DIA-202-1997-02-20-1 | カンボジア | 1997年02月20日 | 1990年代 | フン・セン第2首相,14日消息を断ったFUNCINPEC党員15人について,DKの捕虜となったとの見解を表明。また,一行は政府に無断で対DK交渉を行おうとした,として強い不満を示す。 |
DIA-202-1997-02-21-1 | カンボジア | 1997年02月21日 | 1990年代 | ラナリット第1首相,対DK交渉団は捕虜にはなっておらず,DKと交渉を続けている,としてフン・セン第2首相の20日発言内容を否定。 |
DIA-202-1997-02-27-1 | カンボジア | 1997年02月27日 | 1990年代 | NUF正式発足。加盟政党は,FUNCINPEC,仏教自由民主党(BLDP)ソン・サン派,KNP,およびクメール中立党。 |
DIA-202-1997-03-03-1 | カンボジア | 1997年03月03日 | 1990年代 | スルン・ヴォン・ヴァンナックKNP警備長ら3人,フン・セン第2首相の義弟殺害(96年12月19日)容疑で逮捕される。 |
DIA-202-1997-03-19-1 | カンボジア | 1997年03月19日 | 1990年代 | FUNCINPEC年次党大会(~21日)。シリウッド殿下の恩赦を国王に要請する旨を議決。 |
DIA-202-1997-03-20-1 | カンボジア | 1997年03月20日 | 1990年代 | 第6回「平和のための行進」(指導はゴーサナンダ師),バッドンボーン市を出発。 |
DIA-202-1997-03-26-1 | カンボジア | 1997年03月26日 | 1990年代 | イン・キエット,サー・ケン両副首相,CPPとFUNCINPECが,二重国籍者の立候補の許可を含む選挙実施原則について合意したと公表。 |
DIA-202-1997-03-30-1 | カンボジア | 1997年03月30日 | 1990年代 | 国会議事堂前,KNPによる集会(約200人参加)において,手榴弾4発が爆発。16人死亡,約120人負傷。サム・ランシーKNP議長は無事。 |
DIA-202-1997-04-15-1 | カンボジア | 1997年04月15日 | 1990年代 | ウン・パン国務相(FUNCINPEC),TV放送にて,ラナリットの党指導能力を否定し,FUNCINPECに新たな党首を求める旨,表明。 |
DIA-202-1997-04-17-1 | カンボジア | 1997年04月17日 | 1990年代 | トーン・チャイ・シアムリアプ州知事,ウン・パン国務相に対する支持を表明。 |
DIA-202-1997-04-17-2 | カンボジア | 1997年04月17日 | 1990年代 | シリウッド殿下,帰国を断念し,パリに帰着。 |
DIA-202-1997-04-18-1 | カンボジア | 1997年04月18日 | 1990年代 | FUNCINPEC執行委員会,ウン・パン,トーン・チャイおよびその支持者3人の計5人の除名を決議。 |
DIA-202-1997-04-19-1 | カンボジア | 1997年04月19日 | 1990年代 | フン・セン第2首相,ラナリット第1首相からの離反を望むFUNCINPEC党員には政治的・財政的支援を行う旨を表明。 |
DIA-202-1997-04-29-1 | カンボジア | 1997年04月29日 | 1990年代 | サー・ケン副首相兼内相,国軍と警察当局に対して政治的中立性を堅持するように求める「紛争解決合同委員会」声明を発表。同声明には,両内相,両国防相,王国軍総参謀長,王国軍副総参謀長,警察長官,副警察長官の署名あり。 |
DIA-202-1997-05-16-1 | カンボジア | 1997年05月16日 | 1990年代 | ロン・サリン在バンコク・カンボジア大使館2等書記官(FUNCINPEC),アンロンヴェンを訪問し,DK側と会談。 |
DIA-202-1997-05-19-1 | カンボジア | 1997年05月19日 | 1990年代 | ラナリット第1首相,開校式典演説において,キュー・サンパンの新党結成の動きを歓迎すると言明。 |
DIA-202-1997-05-21-1 | カンボジア | 1997年05月21日 | 1990年代 | DKラジオ放送,キュー・サンパンが,自ら新たに結成した民族団結党(NSP)はNUFを支持すると表明。 |
DIA-202-1997-05-25-1 | カンボジア | 1997年05月25日 | 1990年代 | シハヌークヴィル港にて,ラナリットFUNCINPEC議長宛貨物78箱押収される。中身は対戦車砲を含む武器約2トン。CPPは同武器輸入の不法性を主張。FUNCINPECは同武器はラナリット議長の私設護衛部隊用に購入したものであると主張。 |
DIA-202-1997-05-29-1 | カンボジア | 1997年05月29日 | 1990年代 | ラナリット第1首相,フン・センが戦車を持っているから自身にも対戦車砲が必要である,として武器輸入を正当化する旨,表明。 |
DIA-202-1997-05-31-1 | カンボジア | 1997年05月31日 | 1990年代 | ASEAN臨時外相会議,カンボジアの加盟を第30回定例外相会議において承認することを確認。 |
DIA-202-1997-06-01-1 | カンボジア | 1997年06月01日 | 1990年代 | FUNCINPEC反ラナリット派,トーン・チャイを議長,ドゥオン・ケムを副議長,ウン・パンを書記長に選出。 |
DIA-202-1997-06-05-1 | カンボジア | 1997年06月05日 | 1990年代 | ペン・ソヴァン元人民革命党書記長,新党結成を発表。党名はカンボジア民族支持党。 |
DIA-202-1997-06-10-1 | カンボジア | 1997年06月10日 | 1990年代 | DK幹部ソン・センとその妻ユン・ヤトがポル・ポトの命令により粛清される。 |
DIA-202-1997-06-13-1 | カンボジア | 1997年06月13日 | 1990年代 | DKラジオ放送,停止。 |
DIA-202-1997-06-14-1 | カンボジア | 1997年06月14日 | 1990年代 | ニェック・ブン・チャイ副総参謀長,記者会見にてソン・センの死亡写真を公開し,ポル・ポトがアンロンヴェンから逃亡している旨を公表。 |
DIA-202-1997-06-16-1 | カンボジア | 1997年06月16日 | 1990年代 | ラナリット,3週間前にキュー・サンパンと会談した事実を公表。 |
DIA-202-1997-06-17-1 | カンボジア | 1997年06月17日 | 1990年代 | DKラジオ放送,再開。(1)6月9日夕から14日にかけてポル・ポトが裏切り行為を働いたが,すでにすべて解決している,(2)キュー・サンパンを党首とするNSPと国民統合救国臨時政府がNUFを支持する,等を放送。 |
DIA-202-1997-06-17-2 | カンボジア | 1997年06月17日 | 1990年代 | ラナリット護衛部隊とCPP系護衛部隊,ラナリット第1首相私邸付近にて武力抗争。ラナリット護衛部隊2人死亡。 |
DIA-202-1997-06-18-1 | カンボジア | 1997年06月18日 | 1990年代 | DKラジオ放送,ポル・ポトがDK派内一派に対して降伏した,と放送。 |
DIA-202-1997-06-18-2 | カンボジア | 1997年06月18日 | 1990年代 | フン・セン第2首相,ラナリットが対DK交渉を行う理由が理解できないと強調。さらに,連立政権を維持するのかDK側につくのか選択するようにラナリットに要求すると表明。 |
DIA-202-1997-06-22-1 | カンボジア | 1997年06月22日 | 1990年代 | ニェック・ブン・チャイ副総参謀長,アンロンヴェンでポル・ポトを見て,その生存と拘束されていることを確認した,と言明。 |
DIA-202-1997-07-01-1 | カンボジア | 1997年07月01日 | 1990年代 | 第2回カンボジア支援国会合,パリにて開催。 |
DIA-202-1997-07-04-1 | カンボジア | 1997年07月04日 | 1990年代 | ラナリット,出国。フランスへ。 |
DIA-202-1997-07-04-2 | カンボジア | 1997年07月04日 | 1990年代 | DK,国民統合臨時政府を解体し,現行憲法を順守する旨,表明。 |
DIA-202-1997-07-05-1 | カンボジア | 1997年07月05日 | 1990年代 | フン・セン派部隊とラナリット派部隊,軍事衝突。フン・セン派の勝利に終わる(~6日)。 |
DIA-202-1997-07-05-2 | カンボジア | 1997年07月05日 | 1990年代 | フン・セン第2首相,各メディアに対して軍事行動に関する声明文を配布。軍事行動の理由として,ラナリット一派が,(1)政府の許可なく不法にDKと交渉したこと,(2)不法に武器を輸入したこと,(3)武装部隊を密かにプノンペンに移動させたこと,等をあげる。 |
DIA-202-1997-07-07-1 | カンボジア | 1997年07月07日 | 1990年代 | サー・ケン内相,ホー・ソック内務次官を国家反逆罪容疑で逮捕したと発表。 |
DIA-202-1997-07-08-1 | カンボジア | 1997年07月08日 | 1990年代 | 第2首相派幹部,ホー・ソック内務次官(FUNCINPEC)が,拘束中にCPP兵士によって殺害されたことを認める。 |
DIA-202-1997-07-08-2 | カンボジア | 1997年07月08日 | 1990年代 | ラナリット第1首相,パリにて,フン・セン第2首相の軍事行動を「クーデター」として非難し,カンボジア国内において抵抗活動を指導する意図を表明。 |
DIA-202-1997-07-09-1 | カンボジア | 1997年07月09日 | 1990年代 | カンボジア外務省,「97年7月危機の背景―ラナリットの挑発戦略」と題する白書を公刊。 |
DIA-202-1997-07-10-1 | カンボジア | 1997年07月10日 | 1990年代 | ASEAN緊急外相会議,カンボジアのASEAN加盟の延期を決定。 |
DIA-202-1997-07-10-2 | カンボジア | 1997年07月10日 | 1990年代 | 米国,対カンボジア援助(人道援助は除く)の30日間凍結を発表。 |
DIA-202-1997-07-11-1 | カンボジア | 1997年07月11日 | 1990年代 | 国連安保理緊急会合,カンボジアの当事者全員に対して1991年のパリ和平協定の完全な遵守を要請する議長声明を採択。 |
DIA-202-1997-07-15-1 | カンボジア | 1997年07月15日 | 1990年代 | CPP・FUNCINPEC合同運営委員会,ウン・フオト外相をラナリットに代わる第1首相として選出することを決定。 |
DIA-202-1997-07-24-1 | カンボジア | 1997年07月24日 | 1990年代 | フン・セン第2首相,チア・シム国会議長と連名のシハヌーク国王宛書簡で,シリラット国連大使の早期召還を求める。 |
DIA-202-1997-07-25-1 | カンボジア | 1997年07月25日 | 1990年代 | 「アンロンヴェン人民裁判」。ポル・ポトの罪状としては,(1)ソン・セン殺害,(2)タ・モクとヌオン・チアの抑留と殺害意図,(3)国民和平の妨害,が言い渡され,終身刑が課されたと伝えられる。 |
DIA-202-1997-07-28-1 | カンボジア | 1997年07月28日 | 1990年代 | 国会開会。97議員出席(定数120)。出席議員の内訳はCPP50人,FUNCINPEC41人,BLDP5人,諸派1人。 |
DIA-202-1997-07-28-2 | カンボジア | 1997年07月28日 | 1990年代 | 台湾外交部,在カンボジア台湾代表部の閉鎖を発表。 |
DIA-202-1997-08-02-1 | カンボジア | 1997年08月02日 | 1990年代 | アラタス・インドネシア外相らASEAN3カ国特使,プノンペンでフン・セン第2首相と会談。 |
DIA-202-1997-08-06-1 | カンボジア | 1997年08月06日 | 1990年代 | 国会,ラナリットの議員不逮捕特権の剥奪を採決。さらに,第1首相にウン・フオト外相を賛成86票,反対4票,棄権6票,無効1票にて選出。 |
DIA-202-1997-08-06-2 | カンボジア | 1997年08月06日 | 1990年代 | ラナリットを支持して帰国を拒否している国会議員らによる政治組織「カンボジア民主主義者同盟」(UCD),ウン・フオト選出に対する非難声明をバンコクにて発表。 |
DIA-202-1997-08-07-1 | カンボジア | 1997年08月07日 | 1990年代 | チア・シム国会議長,国王に代わり,ウン・フオトを第1首相に任命する勅令に署名。 |
DIA-202-1997-08-08-1 | カンボジア | 1997年08月08日 | 1990年代 | 軍事裁判所,ラナリットに対する逮捕状を発行。 |
DIA-202-1997-08-08-2 | カンボジア | 1997年08月08日 | 1990年代 | 米国,対カンボジア援助(人道援助を除く)の凍結継続を発表。 |
DIA-202-1997-08-22-1 | カンボジア | 1997年08月22日 | 1990年代 | ペン・ソヴァン元人民革命党書記長,出国。 |
DIA-202-1997-08-25-1 | カンボジア | 1997年08月25日 | 1990年代 | 国連人権センター,7月の軍事衝突下におけるラナリット派幹部兵士の殺害事例と不審な死体の事例についての報告書を政府に提出。 |
DIA-202-1997-08-29-1 | カンボジア | 1997年08月29日 | 1990年代 | シハヌーク国王,北京より特別機でシアムリアプに帰国。 |
DIA-202-1997-09-01-1 | カンボジア | 1997年09月01日 | 1990年代 | ケアット・チョン経済財務相,1997年GDP成長率の予測値を当初6.5%から3%以下に下方修正せざるをえないと表明。 |
DIA-202-1997-09-02-1 | カンボジア | 1997年09月02日 | 1990年代 | シハヌーク国王,国連総会におけるカンボジア代表者としてウン・フオトとフン・センを任命する文書に署名。 |
DIA-202-1997-09-09-1 | カンボジア | 1997年09月09日 | 1990年代 | イエン・ムーリー,BLDPイエン・ムーリー派年次大会にて,ウン・フオトを第1首相として支持する旨を表明。 |
DIA-202-1997-09-12-1 | カンボジア | 1997年09月12日 | 1990年代 | フン・セン第2首相,ラナリット派閣僚の更迭とFUNCINPEC反ラナリット派の起用を主眼とする内閣改造案を国会に提案。 |
DIA-202-1997-09-15-1 | カンボジア | 1997年09月15日 | 1990年代 | 国会,王国軍の政治的中立性を規定した軍隊法を採決。 |
DIA-202-1997-09-16-1 | カンボジア | 1997年09月16日 | 1990年代 | 国会,内閣改造提案を否決。投票結果は,賛成67票,反対14票,棄権9票で必要得票数(議席総数の3分の2=80議席以上)を満たさず。 |
DIA-202-1997-09-19-1 | カンボジア | 1997年09月19日 | 1990年代 | 国連信任状委員会,カンボジアの国連代表権問題の解決を棚上げする旨を決定。 |
DIA-202-1997-09-23-1 | カンボジア | 1997年09月23日 | 1990年代 | IMF,カンボジア政府には改革実施能力が欠けているとして,拡大構造調整融資を凍結する旨を公表。 |
DIA-202-1997-10-16-1 | カンボジア | 1997年10月16日 | 1990年代 | 米人記者ネイト・テイヤー,アンロンヴェンにてポル・ポトにインタビュー。ポル・ポトに対する外国報道機関の取材は1979年以来初めて。 |
DIA-202-1997-10-17-1 | カンボジア | 1997年10月17日 | 1990年代 | ソン・チャイBLDPソン・サン派議員,帰国。国外脱出したラナリット支持議員のうち最初の帰国者。帰国理由について,国外に残る議員と政府間の仲介のためと説明。 |
DIA-202-1997-10-21-1 | カンボジア | 1997年10月21日 | 1990年代 | タオ・セン・フオ農林水産相(FUNCINPEC)帰国。国外に留まっていたのは健康上の理由であると言明。 |
DIA-202-1997-10-25-1 | カンボジア | 1997年10月25日 | 1990年代 | シハヌーク国王,シアムリアプより北京に向けて出国。 |
DIA-202-1997-10-25-2 | カンボジア | 1997年10月25日 | 1990年代 | CPP,第23回党中央委員会開催。チア・シムCPP中央委議長,7月のフン・センの判断を党全体が支持している旨,および武力行使は平和維持のために不可欠であった旨を演説にて表明。ヘン・サムリン中央委名誉議長,7月5~6日の事件はラナリット等過激主義者によってひき起こされたこと,および政府の行為は合法的かつ正しいものであったこと,等を内容とする党声明を発表(~27日)。 |
DIA-202-1997-10-28-1 | カンボジア | 1997年10月28日 | 1990年代 | イエン・サリ,政府軍ヘリにてプノンペン到着。同氏の首都訪問は1979年以来初めて。 |
DIA-202-1997-10-28-2 | カンボジア | 1997年10月28日 | 1990年代 | 国会,政党法を採択。 |
DIA-202-1997-10-30-1 | カンボジア | 1997年10月30日 | 1990年代 | イエン・サリ,記者会見にて,(1)7月5~6日の武力衝突に関してフン・セン第2首相を支持すること,(2)ラナリット派軍と闘っている王国軍に協力すること,等を表明。 |
DIA-202-1997-10-30-2 | カンボジア | 1997年10月30日 | 1990年代 | 韓国と国交正常化成立。 |
DIA-202-1997-10-31-1 | カンボジア | 1997年10月31日 | 1990年代 | イン・キエット副首相兼公共事業・運輸相(FUNCINPEC),帰国。 |
DIA-202-1997-11-26-1 | カンボジア | 1997年11月26日 | 1990年代 | 国連総会,「近年のカンボジアにおいて最も深刻な人権侵害はDKによって犯されたとする特別代表の報告を支持し,DKの指導者の誰ひとりとしてその罪の責任を問われていないことを憂慮する」旨の決議を採択。DKを非難する類の国連決議は初めて。 |
DIA-202-1997-12-01-1 | カンボジア | 1997年12月01日 | 1990年代 | カンボジア民主主義者同盟メンバー25人,在外政治家の帰国保証問題等の調査のため,一時帰国。代表者はシリラット国連大使(~2日)。 |
DIA-202-1997-12-08-1 | カンボジア | 1997年12月08日 | 1990年代 | サム・ランシーKNP議長,フン・セン第2首相と会談。両者の会談は3年ぶり。サム・ランシーは会談後,ラナリットの帰国問題について,今月中に裁判と判決を済ませ,国王恩赦の手続きを進めることで,フン・センと合意したと語る。 |
DIA-202-1997-12-09-1 | カンボジア | 1997年12月09日 | 1990年代 | 総額1000万ドル融資の第1陣として,280万ドル相当の軍用トラック等,中国より到着。 |
DIA-202-1997-12-10-1 | カンボジア | 1997年12月10日 | 1990年代 | トゥン・チャナレット,地雷廃絶キャンペーンの代表者として,ノーベル平和賞授与式出席。 |
DIA-202-1997-12-12-1 | カンボジア | 1997年12月12日 | 1990年代 | サム・ランシーKNP議長,シハヌーク国王に接見。サム・ランシーは接見後,国王はラナリットに有罪判決が下れば申請を待たずに恩赦を出す意向がある,と伝える。 |
DIA-202-1997-12-19-1 | カンボジア | 1997年12月19日 | 1990年代 | 国会,選挙法採択。次回総選挙日を1998年7月26日に定める。 |
DIA-202-1998-01-16-1 | カンボジア | 1998年01月16日 | 1990年代 | EU,総選挙のための資金援助を決定。総額は1150万米ドル。 |
DIA-202-1998-01-26-1 | カンボジア | 1998年01月26日 | 1990年代 | 国会,国家選挙委員会(NEC)メンバーを任命。委員長はチェン・ポン。 |
DIA-202-1998-02-01-1 | カンボジア | 1998年02月01日 | 1990年代 | ウン・フオト,「大衆党」を旗揚げ。結成時点で少なくとも5名のFUNCINPEC選出国会議員を含む。 |
DIA-202-1998-02-01-2 | カンボジア | 1998年02月01日 | 1990年代 | ロイ・シム・チアン,「新社会党」を旗揚げ。創設メンバーに6人のFUNCINPEC選出国会議員を含む。 |
DIA-202-1998-02-05-1 | カンボジア | 1998年02月05日 | 1990年代 | 日本,4項目提案。提案要旨は以下のとおり。(1)ラナリットに対してクメール・ルージュ(KR)との関係の断絶を求める。(2)ラナリットとフン・セン両者に対して停戦に合意し,軍の再統合を行うように求める。(3)フン・センに対して,ラナリットの裁判を迅速に済ませて,恩赦が付与されうるようにするように求める。(4)フン・センに対して,ラナリットの帰国と選挙活動への自由な参加を保証するように求める。 |
DIA-202-1998-02-17-1 | カンボジア | 1998年02月17日 | 1990年代 | フン・セン,日本による4項目提案を支持する旨を表明。 |
DIA-202-1998-02-27-1 | カンボジア | 1998年02月27日 | 1990年代 | ラナリット,自派部隊に対して2月27日から政府軍との交戦を停止するように命じた旨の声明発表。 |
DIA-202-1998-02-27-2 | カンボジア | 1998年02月27日 | 1990年代 | カンボジア政府,ラナリット派部隊との戦闘を中止する旨,発表。 |
DIA-202-1998-03-03-1 | カンボジア | 1998年03月03日 | 1990年代 | サム・ランシー,自党の名称を「サム・ランシー党」に改称する旨,公表。 |
DIA-202-1998-03-04-1 | カンボジア | 1998年03月04日 | 1990年代 | ラナリットに対する武器密輸罪の裁判,開廷。ラナリット欠席のまま,禁固5年の有罪判決が午される。 |
DIA-202-1998-03-18-1 | カンボジア | 1998年03月18日 | 1990年代 | ラナリットに対するKRとの謀議の罪に関する裁判,開廷。ラナリット欠席のまま,禁固30年の有罪判決,および約5000万米ドルの損害賠償命令が下される。 |
DIA-202-1998-03-21-1 | カンボジア | 1998年03月21日 | 1990年代 | フン・セン,ラナリットに対する国王恩赦に支持を表明。 |
DIA-202-1998-03-21-2 | カンボジア | 1998年03月21日 | 1990年代 | シハヌーク国王,ラナリットに恩赦を付与。即日発効。 |
DIA-202-1998-03-26-1 | カンボジア | 1998年03月26日 | 1990年代 | ティア・バン国防相,KRの兵士1500人以上が幹部から離反し,アンロンヴェンを支配しているのはこうした離反者達であること,およびポル・ポトを含む幹部は逃亡していると発表。さらに,離反者達は政府軍に統合する用意がある旨を表明。 |
DIA-202-1998-03-27-1 | カンボジア | 1998年03月27日 | 1990年代 | KRラジオ放送,アンロンヴェン陥落の情報を否定。 |
DIA-202-1998-03-30-1 | カンボジア | 1998年03月30日 | 1990年代 | ラナリット,9カ月ぶりに帰国。 |
DIA-202-1998-03-31-1 | カンボジア | 1998年03月31日 | 1990年代 | 選挙法改正。 |
DIA-202-1998-04-06-1 | カンボジア | 1998年04月06日 | 1990年代 | キュー・サンパン。KRラジオ放送にてアンロンヴェンを奪回したと主張。タイ国軍も確認。 |
DIA-202-1998-04-15-1 | カンボジア | 1998年04月15日 | 1990年代 | ティア・バン国防相,アンロンヴェンの制圧を発表。KRから約3000人が投降し,タ・モクにしたがっているのは200人にすぎないと発表。 |
DIA-202-1998-04-16-1 | カンボジア | 1998年04月16日 | 1990年代 | タイ国軍,ポルポトの死亡を確認。 |
DIA-202-1998-04-18-1 | カンボジア | 1998年04月18日 | 1990年代 | ASEAN3カ国(タイ,インドネシア,フィリピン)会合,カンボジア総選挙の当初予定(7月26日)どおりの実施を支持し,対立各派が恒久停戦に達する必要性を強調。 |
DIA-202-1998-04-19-1 | カンボジア | 1998年04月19日 | 1990年代 | 人民党,総選挙で与党になった場合にはフン・センを首相とする旨,決定。 |
DIA-202-1998-04-22-1 | カンボジア | 1998年04月22日 | 1990年代 | ラナリット,シアムリアプにて,シハヌーク国王と面会。 |
DIA-202-1998-04-23-1 | カンボジア | 1998年04月23日 | 1990年代 | ティア・バン国防相,KRとの間で非公式に進めていた投降交渉が決裂したことを公表。「ポト派が提示した要求は受け入れることのできないものであった」と言明。 |
DIA-202-1998-05-05-1 | カンボジア | 1998年05月05日 | 1990年代 | フン・セン,ラナリット,「7月政変」以来初めて接触。フン・センは,電話でラナリットに対してラナリット派国会議員を登院させるよう依頼。 |
DIA-202-1998-05-08-1 | カンボジア | 1998年05月08日 | 1990年代 | 憲法院の構成員(9人)のうち,政府が選出する3人について,国会採択。 |
DIA-202-1998-05-13-1 | カンボジア | 1998年05月13日 | 1990年代 | KRラジオ放送,放送停止。 |
DIA-202-1998-05-15-1 | カンボジア | 1998年05月15日 | 1990年代 | 政府軍にラナリット派兵士を再編入するための両者間協議,政府側がラナリット側代表の1人に反対したため,決裂。 |
DIA-202-1998-05-18-1 | カンボジア | 1998年05月18日 | 1990年代 | 投票者登録,プノンペンにて開始。有権者数は推計640万人。 |
DIA-202-1998-05-19-1 | カンボジア | 1998年05月19日 | 1990年代 | ラナリット,国民統一戦線(NUF)議長を辞任。 |
DIA-202-1998-05-27-1 | カンボジア | 1998年05月27日 | 1990年代 | 米国,カンボジア総選挙に対する援助を700万米ドルから約70%削減して230万米ドルにすることを表明。政府とNECなどの政府関係機関は援助対象から排除することも表明。 |
DIA-202-1998-06-05-1 | カンボジア | 1998年06月05日 | 1990年代 | カンボジア政府,アンロンヴェンで同地域の統合式典開催。政府軍によると,同地域からのKR投降者は兵士約3500人,非戦闘員約2万4000人。 |
DIA-202-1998-06-09-1 | カンボジア | 1998年06月09日 | 1990年代 | 政府軍にラナリット派兵士を再編入するための両者間協議の2回目,議題をめぐり再度決裂。 |
DIA-202-1998-06-12-1 | カンボジア | 1998年06月12日 | 1990年代 | NEC,総選挙参加登録政党全39政党の資格審査終了。全党に参加資格ありと発表。 |
DIA-202-1998-06-13-1 | カンボジア | 1998年06月13日 | 1990年代 | カンボジア政府,KR幹部5人が政府側に投降したと宣言。投降者には,チョン・チュン,チャン・ヨラン,マク・ベン,イン・ソピアップ,カオ・ブン・ヘン。投降者らは,タ・モクとヌオン・チアとの関係を絶つ等の声明を発表。 |
DIA-202-1998-06-15-1 | カンボジア | 1998年06月15日 | 1990年代 | 憲法院,第1回公式会合。チャン・ソックを憲法院の長として選出。 |
DIA-202-1998-06-19-1 | カンボジア | 1998年06月19日 | 1990年代 | サム・ランシーとソン・スベール,共同声明にて,事態の改善が見られなければ総選挙をボイコットすると表明。 |
DIA-202-1998-06-20-1 | カンボジア | 1998年06月20日 | 1990年代 | ASEAN3カ国と「カンボジアの友」(FOC)諸国,合同会議開催。カンボジア総選挙の準備状況の最終評価として,全体としては自由・公正な選挙に必要な環境が整いつつあると結論。 |
DIA-202-1998-06-25-1 | カンボジア | 1998年06月25日 | 1990年代 | 総選挙の選挙活動,開始。 |
DIA-202-1998-06-28-1 | カンボジア | 1998年06月28日 | 1990年代 | ASEAN3カ国代表団,カンボジア訪問。代表団長のタイ外相,「選挙準備は順調に進んでいる」と評価。 |
DIA-202-1998-07-05-1 | カンボジア | 1998年07月05日 | 1990年代 | バンコク・ポスト,キュー・サンパン側代表がカンボジア政府と交渉していること,およびキュー・サンパンがヌオン・チアとタ・モクと決別したことをタイ国軍筋が確認したことを報道。 |
DIA-202-1998-07-05-2 | カンボジア | 1998年07月05日 | 1990年代 | サム・ランシー,ソン・スベール,「(総選挙の枠組みに)とどまり続けるが暴力が生じたら引き揚げる権利を留保する」旨の共同声明を発表。 |
DIA-202-1998-07-07-1 | カンボジア | 1998年07月07日 | 1990年代 | バンコク・ポスト,政府側に投降したチャン・ユランが「キュー・サンパンはタ・モクに拘束されていると考えられる」と言明したと報道。 |
DIA-202-1998-07-21-1 | カンボジア | 1998年07月21日 | 1990年代 | タイ,米国,フランス,インドネシア,ドイツ,日本,英国およびオーストラリアからなる外交団,フン・セン第2首相に対して覚書を提出。内容は以下のとおり。(1)すべての国際監視員に対して,選挙プロセス全体に対する「自由かつ無制限のアクセス」を保証すること。(2)The Committee for Free and Fair Elections,The Coalition for Free and Fair Elections,およびThe Neutral and Impartial Committee for Free Election in Cambodiaという三つのNGOに対して,投票所および開票所において,国際監視員と同様の監視スペースを保証すること。(3)上記三つのNGOからの監視員に対して便宜供与を行うこと。 |
DIA-202-1998-07-24-1 | カンボジア | 1998年07月24日 | 1990年代 | 国際合同監視団(JIOG),有権者登録と選挙運動について,「概ね順調に行われ,受け入れることのできる水準である」旨の声明を発表。 |
DIA-202-1998-07-26-1 | カンボジア | 1998年07月26日 | 1990年代 | 総選挙,投票日。混乱なく投票終了。 |
DIA-202-1998-07-27-1 | カンボジア | 1998年07月27日 | 1990年代 | JIOG,総選挙の投開票について「自由で公正」だと評価する声明を発表。 |
DIA-202-1998-07-27-2 | カンボジア | 1998年07月27日 | 1990年代 | ラナリット,サム・ランシー,共同記者会見にて,「開票と集計作業中に不正行為が行われた可能性がある,不正についての調査が行われるまで選挙結果を受け入れない」と表明。 |
DIA-202-1998-07-28-1 | カンボジア | 1998年07月28日 | 1990年代 | 米国共和党・民主党シンクタンク合同監視団,総選挙の投開票について「概ね評価でき,比較的成功した」とする声明を発表。 |
DIA-202-1998-07-30-1 | カンボジア | 1998年07月30日 | 1990年代 | フン・セン,シハヌーク国王と会談。フン・セン,人民党,FUNCINPECおよびサム・ランシー党の3党による「挙国政府」を目指す方針を表明。 |
DIA-202-1998-08-05-1 | カンボジア | 1998年08月05日 | 1990年代 | NEC,暫定開票結果を発表。得票率は人民党が41.4%,FUNCINPECが31.7%,サム・ランシー党が14.3%。投票総数は490万票(有権者数は540万人),投票率は90.7%。 |
DIA-202-1998-08-07-1 | カンボジア | 1998年08月07日 | 1990年代 | NEC,数百カ所の投票所の投票の数え直し,および議席配分方式の変更を求めたFUNCINPECとサム・ランシー党による要求を却下。 |
DIA-202-1998-08-10-1 | カンボジア | 1998年08月10日 | 1990年代 | NECスポークスマン,「野党から300を超える異議申し立てを受け取ったが軽微な技術上のミスがあっただけで,『いかなる不正も見いだせなかった』」と述べる。 |
DIA-202-1998-08-10-2 | カンボジア | 1998年08月10日 | 1990年代 | ラナリットとサム・ランシー,アナン国連事務総長宛に,現在NECが用いている議席配分方式は「民意を歪曲する危険性が高い」として非難するアピール文を提出。 |
DIA-202-1998-08-11-1 | カンボジア | 1998年08月11日 | 1990年代 | フン・セン,第3党のサム・ランシー党を排除して,人民党とFUNCINPECの2党による連立を提案。 |
DIA-202-1998-08-16-1 | カンボジア | 1998年08月16日 | 1990年代 | チャム・プラシット商務相,辞任。人民党も離党。 |
DIA-202-1998-08-19-1 | カンボジア | 1998年08月19日 | 1990年代 | 国連人権高等弁務官カンボジア事務所,5月20日~7月26日の間に30件以上の政治的動機に基づく殺人があったとする申し立てに対して,「政治的動機に基づくかもしれない事例は,半分に満たない」とする報告書を公表。 |
DIA-202-1998-08-24-1 | カンボジア | 1998年08月24日 | 1990年代 | ラナリットとサム・ランシーの指導による座り込み抗議行動,国会議事堂前の公園にて開始される。 |
DIA-202-1998-08-31-1 | カンボジア | 1998年08月31日 | 1990年代 | 憲法院,選挙は適正に行われたとして,FUNCINPECとサム・ランシー党からの異議申し立てを却下。 |
DIA-202-1998-09-02-1 | カンボジア | 1998年09月02日 | 1990年代 | シハヌーク,5者会談をシエムリアプで開催する旨,提案。5者とは,人民党,FUNCINPEC,サム・ランシー党,国家選挙委員会および憲法院。 |
DIA-202-1998-09-03-1 | カンボジア | 1998年09月03日 | 1990年代 | シンガポール外相,ASEANを代表して,カンボジア総選挙の投開票作業は「カンボジア国民の意思を反映しうる程度に自由かつ公正」であるとするJIOGの評価を支持する旨,および新たな国会が新政府を承認できるように,カンボジアの当事者達が国民融和と団結の精神に則って対立を解決できるように支援する旨の声明を発表。 |
DIA-202-1998-09-05-1 | カンボジア | 1998年09月05日 | 1990年代 | シハヌーク提唱(9月2日)による5者協議,第1回会合。特に成果は見られず。 |
DIA-202-1998-09-06-1 | カンボジア | 1998年09月06日 | 1990年代 | シハヌーク提唱(9月2日)による5者協議,第2回会合。特に成果は見られず。 |
DIA-202-1998-09-07-1 | カンボジア | 1998年09月07日 | 1990年代 | フン・セン私邸に手榴弾投げ込まれる。この事件を受けて,カンボジア内務省はサム・ランシーの逮捕を命令。 |
DIA-202-1998-09-07-2 | カンボジア | 1998年09月07日 | 1990年代 | サム・ランシー,国連事務総長特別代表部事務所に保護される。同氏を支持する群衆に対して警官隊が発砲。 |
DIA-202-1998-09-07-3 | カンボジア | 1998年09月07日 | 1990年代 | シハヌーク提唱(9月2日)による,5者協議,終了。成果なし。 |
DIA-202-1998-09-08-1 | カンボジア | 1998年09月08日 | 1990年代 | 国連事務総長特別代表部事務所のあるホテル前に集結していたサム・ランシー支持のデモ群衆,強制排除される。 |
DIA-202-1998-09-09-1 | カンボジア | 1998年09月09日 | 1990年代 | ASEAN,カンボジア情勢に関する共同声明を発表。骨子は以下のとおり。(1)自制と対話による事態の解決を求める,(2)新国会での政権樹立を望む,(3)7月の総選挙結果に沿ったかたちでの政情の安定を希望する。 |
DIA-202-1998-09-11-1 | カンボジア | 1998年09月11日 | 1990年代 | シハヌーク国王,ラナリットとサム・ランシーに対する公開書簡にて,新国会に参加するように促す。 |
DIA-202-1998-09-16-1 | カンボジア | 1998年09月16日 | 1990年代 | ラナリット,シハヌーク国王との会談にて,FUNCINPECが24日開会の新国会に参加すると約束。 |
DIA-202-1998-09-17-1 | カンボジア | 1998年09月17日 | 1990年代 | サム・ランシー,自党が新国会に参加する旨,表明。 |
DIA-202-1998-09-23-1 | カンボジア | 1998年09月23日 | 1990年代 | 人民党,FUNCINPECおよびサム・ランシー党の3党首,シハヌーク国王主催のもとで会談。24日の国会開会後,各党代表者による新政府樹立に向けた交渉に入る旨,合意。 |
DIA-202-1998-09-24-1 | カンボジア | 1998年09月24日 | 1990年代 | 新国会,シエムリアプ離宮にて開会宣言。 |
DIA-202-1998-09-29-1 | カンボジア | 1998年09月29日 | 1990年代 | 人民党,FUNCINPECおよびサム・ランシー党の3党公式協議,初会合。NECに投票用紙再点検の要望を提出することで合意。 |
DIA-202-1998-10-09-1 | カンボジア | 1998年10月09日 | 1990年代 | 3党公式協議,中断。 |
DIA-202-1998-10-10-1 | カンボジア | 1998年10月10日 | 1990年代 | NEC,各選挙委員会からの報告を再検討したが重大な誤りは見つからなかったと発表。 |
DIA-202-1998-10-11-1 | カンボジア | 1998年10月11日 | 1990年代 | FUNCINPECおよびサム・ランシー党,10日発表の国家選挙委員会の検討結果を認めない旨を表明。 |
DIA-202-1998-10-24-1 | カンボジア | 1998年10月24日 | 1990年代 | フン・セン,町村・日本外務政務次官との会談にて,国会議長をFUNCINPECとの共同ポストにしてもよいと表明。 |
DIA-202-1998-10-28-1 | カンボジア | 1998年10月28日 | 1990年代 | 人民党,シハヌーク国王に対して,サム・ランシー党抜きで政党間協議を再開するように要請。 |
DIA-202-1998-10-31-1 | カンボジア | 1998年10月31日 | 1990年代 | FUNCINPEC,声明にて,人民党との2党連立を否定し,サム・ランシー党を含む3党会談を提唱し,共同国会議長案を拒否。 |
DIA-202-1998-11-05-1 | カンボジア | 1998年11月05日 | 1990年代 | FUNCINPECとサム・ランシー党,共同政策綱領を発表。 |
DIA-202-1998-11-12-1 | カンボジア | 1998年11月12日 | 1990年代 | ラナリット,帰国。王宮にてフン・センやチア・シムとの会談を開始。 |
DIA-202-1998-11-13-1 | カンボジア | 1998年11月13日 | 1990年代 | 人民党とFUNCINPEC,連立政権樹立に合意した旨,発表。合意内容は以下の通り。(1)フン・センを首相とする。(2)「上院」を新設し,チア・シムをその議長とする。(3)現在の国会を「下院」とし,ラナリットをその議長とする。(4)ラナリット派部隊を政府軍に統合する。(5)FUNCINPEC側政治家・軍人5人(チャクラポン,シリウッド,ネアック・ブンチャイを含む)に恩赦を与える。 |
DIA-202-1998-11-23-1 | カンボジア | 1998年11月23日 | 1990年代 | 人民党とFUNCINPEC,閣僚配分等を定めた政府協定を合意。 |
DIA-202-1998-11-25-1 | カンボジア | 1998年11月25日 | 1990年代 | 国会,再開。ラナリットが国会議長に選出される(出席議員115名,賛成105票)。 |
DIA-202-1998-11-30-1 | カンボジア | 1998年11月30日 | 1990年代 | 国会,新内閣(フン・セン首相)承認。 |
DIA-202-1998-12-04-1 | カンボジア | 1998年12月04日 | 1990年代 | KR派兵士の対政府投降式,プレアヴィヒア寺院にて開催。メアッ・ソピア王国軍副参謀総長,「これがクメール・ルージュの最後の残党である。クメール・ルージュの終焉である」と言明。ただし,タ・モク,キュー・サンパン,およびヌオン・チアは投降者の中には含まれず。 |
DIA-202-1998-12-07-1 | カンボジア | 1998年12月07日 | 1990年代 | 国連安保理,新政府によって任命された国連代表団を受け入れるべきだとする国連信任状委員会の報告を支持。 |
DIA-202-1998-12-25-1 | カンボジア | 1998年12月25日 | 1990年代 | キュー・サンパン,ヌオン・チア,政府側に投降。 |
DIA-202-1999-01-01-1 | カンボジア | 1999年01月01日 | 1990年代 | 付加価値税,導入。 |
DIA-202-1999-01-03-1 | カンボジア | 1999年01月03日 | 1990年代 | キュー・サンパンとヌオン・チア,パイリンに帰還。キュー・カナリット政府スポークスマン,逮捕令状が発行されていないので,彼ら2人が行くのは自由だ,と語る。 |
DIA-202-1999-01-15-1 | カンボジア | 1999年01月15日 | 1990年代 | FUNCINPEC,ソン・サン党を吸収。合併記念式典,開催。 |
DIA-202-1999-01-20-1 | カンボジア | 1999年01月20日 | 1990年代 | シリウッド殿下,3年ぶりに帰国。 |
DIA-202-1999-01-20-2 | カンボジア | 1999年01月20日 | 1990年代 | カンボジアとアメリカ,12品目の繊維製品輸出割当に合意。同日,貿易協定調印。 |
DIA-202-1999-01-25-1 | カンボジア | 1999年01月25日 | 1990年代 | プノンペンの公立学校の教職員が給与引き上げを要求して無期限ストに突入。参加率は9割以上。 |
DIA-202-1999-01-28-1 | カンボジア | 1999年01月28日 | 1990年代 | フン・セン首相,王国軍総司令官を辞任。後任はケ・キム・ヤン総参謀長。 |
DIA-202-1999-01-29-1 | カンボジア | 1999年01月29日 | 1990年代 | 大臣会議,教職員のスト(25日~)への対策として,大臣,長官,次官,および政府アドバイザーの給与を7割(2000米ドル)切り下げる旨,決定。 |
DIA-202-1999-02-04-1 | カンボジア | 1999年02月04日 | 1990年代 | フン・セン首相,マレーシア公式訪問。経済・貿易・工業協力拡大協定,調印。 |
DIA-202-1999-02-08-1 | カンボジア | 1999年02月08日 | 1990年代 | クメール・ルージュ(KR)兵士,3800人の投降式典,サムロートにて開催。 |
DIA-202-1999-02-09-1 | カンボジア | 1999年02月09日 | 1990年代 | KR兵士1700人の政府軍への統合式典,アンロンヴェンにて開催。 |
DIA-202-1999-02-09-2 | カンボジア | 1999年02月09日 | 1990年代 | フン・セン首相,中国公式訪問(~12日)。犯罪人引渡条約,経済・観光・文化に関する諸合意,債務軽減に関する枠組み,等に合意。 |
DIA-202-1999-02-17-1 | カンボジア | 1999年02月17日 | 1990年代 | 政府,今月初めに政府軍に編入された元KRの将校6人を少将に任命するとともに,ケ・プオクに軍階級を授与。 |
DIA-202-1999-02-25-1 | カンボジア | 1999年02月25日 | 1990年代 | カンボジア支援国会合(世銀主催)東京にて開催(~26日)。17カ国・6国際機関,総額4億7000万ドルの援助を表明。今後3カ月ごとにカンボジアの改革プロセスを検討する定期会合を開催することで合意。日本は最大額の1億ドル(無償資金援助・技術協力)のほか,円借款の31年ぶりの再開方針を表明。 |
DIA-202-1999-03-04-1 | カンボジア | 1999年03月04日 | 1990年代 | 上院の設置に関する憲法改正案,採択(定数122のうち賛成106,反対5,欠席11)。 |
DIA-202-1999-03-06-1 | カンボジア | 1999年03月06日 | 1990年代 | ティア・バン国防相,王国軍がKR幹部タ・モクをタイ国境地帯で拘束し,プノンペンに移送したと,発表。 |
DIA-202-1999-03-07-1 | カンボジア | 1999年03月07日 | 1990年代 | ニェック・ブン・チャイ前国軍副参謀総長,1年8カ月ぶりに帰国。 |
DIA-202-1999-03-09-1 | カンボジア | 1999年03月09日 | 1990年代 | 軍事検察,タ・モクを1994年ポルポト派非合法化法に基づき国家転覆罪で訴追。 |
DIA-202-1999-03-12-1 | カンボジア | 1999年03月12日 | 1990年代 | 国連専門家グループによる事務総長宛の報告書,公表。1975年4月17日~1997年1月7日までに犯された人道に対する犯罪,大量虐殺の責任者を裁くために,国連が特別国際法廷を設置することを国連に勧告するとの結論。 |
DIA-202-1999-03-12-2 | カンボジア | 1999年03月12日 | 1990年代 | ホー・ナム・ホン外相,アナン国連事務総長との会談で国際法廷の設置に反対を表明。 |
DIA-202-1999-03-12-3 | カンボジア | 1999年03月12日 | 1990年代 | シハヌーク国王,上院議長と副議長の任命に関する勅令に署名。 |
DIA-202-1999-03-13-1 | カンボジア | 1999年03月13日 | 1990年代 | 全国の州知事・市長,国王の署名を得て正式決定。 |
DIA-202-1999-03-15-1 | カンボジア | 1999年03月15日 | 1990年代 | フン・セン首相,インドネシア公式訪問(~17日)。 |
DIA-202-1999-03-17-1 | カンボジア | 1999年03月17日 | 1990年代 | アナン国連事務総長,12日公表の報告書に基づき,国連総会と国連安保理に対してKR指導者を裁くための国際法廷の設置を勧告。 |
DIA-202-1999-03-18-1 | カンボジア | 1999年03月18日 | 1990年代 | シハヌーク国王,上院議員を承認。 |
DIA-202-1999-03-19-1 | カンボジア | 1999年03月19日 | 1990年代 | 泰華孫・中国国連大使,国際法廷の設置に対して反対の旨の声明を発表。 |
DIA-202-1999-03-19-2 | カンボジア | 1999年03月19日 | 1990年代 | FUNCINPEC,1997年7月以来初めての党大会を開催(~21日)。ニェック・ブン・チャイを含む党運営委員会を選出。 |
DIA-202-1999-03-22-1 | カンボジア | 1999年03月22日 | 1990年代 | カンボジア・ベトナム合同国境委員会,ホーチミン市にて初会合。 |
DIA-202-1999-03-25-1 | カンボジア | 1999年03月25日 | 1990年代 | 上院発足。今期に限り任期は5年。5年後に上院選挙を予定。 |
DIA-202-1999-03-25-2 | カンボジア | 1999年03月25日 | 1990年代 | フン・セン首相,ハマーベルグ国連事務総長特使と会談。フン・セン首相,タ・モク等の裁判は国内で行う方針を再び主張。 |
DIA-202-1999-04-02-1 | カンボジア | 1999年04月02日 | 1990年代 | 大臣会議,公務員給与の30%引き上げ(実施は5月分より)を決定。 |
DIA-202-1999-04-02-2 | カンボジア | 1999年04月02日 | 1990年代 | 内務省,銃所持禁止を発表。首都プノンペンで銃の摘発,開始される。 |
DIA-202-1999-04-08-1 | カンボジア | 1999年04月08日 | 1990年代 | 外務省,ASEAN諸国大使を含む各国大使を任命。 |
DIA-202-1999-04-14-1 | カンボジア | 1999年04月14日 | 1990年代 | フン・セン首相,国営放送でのクメール正月の挨拶において,「カンボジア全土を一つの政権が支配したのはわが国の歴史で初めてである」と言明。 |
DIA-202-1999-04-28-1 | カンボジア | 1999年04月28日 | 1990年代 | 国会,対人地雷禁止法を可決。 |
DIA-202-1999-04-30-1 | カンボジア | 1999年04月30日 | 1990年代 | カンボジア,ASEAN加盟。記念式典はハノイにて開催。ASEANは10カ国体制に。 |
DIA-202-1999-05-01-1 | カンボジア | 1999年05月01日 | 1990年代 | カンボジア王国労働者自由労働組合主催による,工場労働者らによるデモ行進,平穏に終了。引率者はサム・ランシー。 |
DIA-202-1999-05-09-1 | カンボジア | 1999年05月09日 | 1990年代 | カンボジア政府,民主カンプチア時代のS-21刑務所(Toul Sleng)長だったカン・ケック・イウ(通称Duch)を逮捕。 |
DIA-202-1999-05-18-1 | カンボジア | 1999年05月18日 | 1990年代 | カンボジア国会,対人地雷全面禁止条約(オタワ条約)を批准。 |
DIA-202-1999-05-24-1 | カンボジア | 1999年05月24日 | 1990年代 | ラナリット下院議長,ベトナム公式訪問(~31日)。Le Ka Phieu共産党書記長,Tran Duc Luong国家主席,Phan Van Khai首相,Nong Duc Manh国会議長と個別会談。訪問終了にあたり,交渉による国境問題の早期解決および諸分野での協力促進に向けた両国政府の努力を両国国会は全面的に支持する旨の共同コミュニケ,発表。 |
DIA-202-1999-05-26-1 | カンボジア | 1999年05月26日 | 1990年代 | カンボジア紙『レアスメイ・カンプチア』,タ・モクがポル・ポトの死因について,「命令による処刑であり心臓発作ではなかった」と述べた旨,報道。 |
DIA-202-1999-06-04-1 | カンボジア | 1999年06月04日 | 1990年代 | カンボジア最大の労組,労働者自由労働組合,労働条件・環境の改善を政府に要求。労働省は実態調査の意図を表明。 |
DIA-202-1999-06-07-1 | カンボジア | 1999年06月07日 | 1990年代 | 1994年の外国人旅行客3人の殺害事件に関し,誘拐と殺害の罪に問われているヌオン・パエット元KR部隊長,プノンペン地裁で有罪判決,終身刑を下される。 |
DIA-202-1999-06-09-1 | カンボジア | 1999年06月09日 | 1990年代 | Le Kha Phieuベトナム共産党書記長,来訪(~10日)。ベトナム共産党書記長のカンボジア訪問は1989年のNguyen Van Linh以来。未解決の国境問題を2000年末までに解決するために交渉を進める旨を含む共同コミュニケ,発表。 |
DIA-202-1999-06-09-2 | カンボジア | 1999年06月09日 | 1990年代 | カンボジア・ベトナム経済・文化・科学技術協力政府間協力委員会,第3回会議,開催。 |
DIA-202-1999-06-13-1 | カンボジア | 1999年06月13日 | 1990年代 | チェム・スングオン下院副議長,死去。死因は肝臓ガン。 |
DIA-202-1999-06-14-1 | カンボジア | 1999年06月14日 | 1990年代 | カンボジア支援国会議(四半期会合),プノンペンにて開催(~16日)。 |
DIA-202-1999-06-14-2 | カンボジア | 1999年06月14日 | 1990年代 | チア・シム上院議長,訪日(~21日)。 |
DIA-202-1999-06-17-1 | カンボジア | 1999年06月17日 | 1990年代 | カンボジア国会代表団(団長ラナリット国会議長),李鵬全人代常務委員の招待により中国訪問(~24日)。 |
DIA-202-1999-06-25-1 | カンボジア | 1999年06月25日 | 1990年代 | 大臣会議,軍人,警察官に対する刑事告発を事実上不可能にしていた国家公務員法第51条を修正。 |
DIA-202-1999-06-29-1 | カンボジア | 1999年06月29日 | 1990年代 | 人民党(CPP),チェム・スングオンの後任としてグオン・ネルを国会副議長に指名。 |
DIA-202-1999-07-01-1 | カンボジア | 1999年07月01日 | 1990年代 | 国会,グオン・ネルを国会副議長に選出。チェム・スングオンの議席には,ドゥオン・ヴァンナが繰り上げ当選。 |
DIA-202-1999-07-01-2 | カンボジア | 1999年07月01日 | 1990年代 | 大学生ら約100人が,プノンペンにて,隣国による領土浸食に対する抗議デモを実施。翌2日にはベトナム大使館を訪問。ベトナム大使館側は面会を拒否。 |
DIA-202-1999-07-06-1 | カンボジア | 1999年07月06日 | 1990年代 | シハヌーク国王,北朝鮮訪問。国王の訪朝は1994年5月以来。 |
DIA-202-1999-07-09-1 | カンボジア | 1999年07月09日 | 1990年代 | 大臣会議,プレアヴィヒア寺院を世界遺産に指定するようにユネスコに申請することを決定。 |
DIA-202-1999-07-20-1 | カンボジア | 1999年07月20日 | 1990年代 | チア・シム上院議長,ベトナム公式訪問。Nong Duc Manh国会議長らと会談(~24日)。 |
DIA-202-1999-07-22-1 | カンボジア | 1999年07月22日 | 1990年代 | ケ・キム・ヤン国軍総司令官を代表とするカンボジア高級軍事代表団,ベトナム公式訪問(~26日)。 |
DIA-202-1999-08-11-1 | カンボジア | 1999年08月11日 | 1990年代 | 下院,刑法改正案,可決。人道に対する罪,戦争犯罪,および大量虐殺の三つの罪に限り,裁判を行わずに容疑者の身柄の拘置期限を,6カ月から3年に延長するもの。 |
DIA-202-1999-08-12-1 | カンボジア | 1999年08月12日 | 1990年代 | ホー・ナム・ホン外相,KR国際法廷の判事の過半数を外国人が占めるという国連の提案に対して,「カンボジアの主権を脅かす」として拒否。 |
DIA-202-1999-08-15-1 | カンボジア | 1999年08月15日 | 1990年代 | イエン・サリ,パイリンで開催された民主民族統一運動(DNUM)年次大会にて,KR指導者の投降を特筆すべき業績と評価する一方で,「いくつかの外国の不適切なアイディアによってこれらの業績は灰燼に帰してしまう」としてKR指導者の国際裁判に警告。 |
DIA-202-1999-08-20-1 | カンボジア | 1999年08月20日 | 1990年代 | 大臣会議,KR指導者裁判のための特別法廷設置に関して国連と交渉することを承認。 |
DIA-202-1999-08-20-2 | カンボジア | 1999年08月20日 | 1990年代 | 上院,国家公務員法第51条改正案,可決。 |
DIA-202-1999-08-25-1 | カンボジア | 1999年08月25日 | 1990年代 | 国連チーム(団長Zacklin法務担当次官),カンボジア訪問。KR指導者裁判のための特別法廷に関してカンボジア政府と協議(~31日)。 |
DIA-202-1999-09-07-1 | カンボジア | 1999年09月07日 | 1990年代 | 軍事検察,タ・モクを大量虐殺罪で追起訴。 |
DIA-202-1999-09-09-1 | カンボジア | 1999年09月09日 | 1990年代 | 検察,カン・ケック・イウ(通称Duch)を大量虐殺罪で起訴。 |
DIA-202-1999-09-14-1 | カンボジア | 1999年09月14日 | 1990年代 | 1998年3月実施の国勢調査の結果最終報告,発表。国勢調査は1962年以来36年ぶり。 |
DIA-202-1999-09-20-1 | カンボジア | 1999年09月20日 | 1990年代 | フン・セン首相,第54回国連総会における一般演説で,KR指導者の裁判について,「虐殺の犠牲になった人々に正義をもたらす必要性と,国民の和解を進めやっと獲得した平和を守るより大きな必要性とのバランスを注意深くとる」と表明。 |
DIA-202-1999-10-19-1 | カンボジア | 1999年10月19日 | 1990年代 | フン・セン首相,ポルポト派裁判の法廷設置問題について,アメリカの調停案を受託する旨,表明。 |
DIA-202-1999-10-20-1 | カンボジア | 1999年10月20日 | 1990年代 | フン・セン首相,Phan Vai Khaiベトナム首相,Sisavath Keobounphanhラオス首相の出席による3カ国の非公式首脳会議,ヴィエンチャンにて開催。 |
DIA-202-1999-10-21-1 | カンボジア | 1999年10月21日 | 1990年代 | フン・セン首相,ラオス公式訪問(~23日)。 |
DIA-202-1999-10-21-2 | カンボジア | 1999年10月21日 | 1990年代 | カンボジアとラオス,電力供給,道路整備協力,犯罪者送還の3協定に調印。 |
DIA-202-1999-10-22-1 | カンボジア | 1999年10月22日 | 1990年代 | IMF理事会,カンボジアに対する拡大構造調整融資(1999~2002年)を決定。 |
DIA-202-1999-10-27-1 | カンボジア | 1999年10月27日 | 1990年代 | カンボジア支援国会合(四半期会合),プノンペンにて開催。 |
DIA-202-1999-11-02-1 | カンボジア | 1999年11月02日 | 1990年代 | サム・ランシー党,党本部にて創設4周年を祝賀。 |
DIA-202-1999-11-06-1 | カンボジア | 1999年11月06日 | 1990年代 | チア・ソパラ・プノンペン特別市第1副知事,同市知事に昇進。 |
DIA-202-1999-11-28-1 | カンボジア | 1999年11月28日 | 1990年代 | フン・セン首相,ASEAN首脳会議に初の正式参加。 |
DIA-202-1999-12-14-1 | カンボジア | 1999年12月14日 | 1990年代 | カンボジア,ラオス,麻薬犯罪対策に関する条約,調印。 |