ID 国名 日付 年代 内容
DIA-202-2000-01-05-1カンボジア2000年01月05日2000年代カンボジア政府,シハヌーク国王が以下の人民党軍人の陸軍中将への昇格に同意した旨,公表。モル・ループ王国軍情報局長,チア・ダラ王国軍作戦局長,プオン・シパン王国空軍将校団副団長の3人。
DIA-202-2000-01-06-1カンボジア2000年01月06日2000年代大臣会議,元クメール・ルージュ(KR)幹部に対する特別法廷設置法案を採択。
DIA-202-2000-01-07-1カンボジア2000年01月07日2000年代ベトナム航空,ホーチミン~シアムリアプ直行便運行開始。
DIA-202-2000-01-10-1カンボジア2000年01月10日2000年代小渕首相,プノンペン到着。日本の首相の公式訪問は43年ぶり(~11日)。
DIA-202-2000-01-11-1カンボジア2000年01月11日2000年代ソク・アン上級国務大臣,KR特別法廷設置法案を大臣会議にて再検討すると,表明。
DIA-202-2000-01-11-2カンボジア2000年01月11日2000年代シハヌーク国王,以下の人民党軍人の陸軍中将への昇格に同意。マウン・サンパン国防省兵站局長,ニエン・パート国防事業局長,チャウ・ピルン資材技術局長の3人。
DIA-202-2000-01-12-1カンボジア2000年01月12日2000年代国民議会,国家会計監査院を設置する法案を82対9で採択。
DIA-202-2000-01-13-1カンボジア2000年01月13日2000年代民主主義学生運動(Students Movement for Democracy)の学生70人以上,カンボジア・ベトナム国境委員会委員長ヴァー・キム・ホンの解任,およびカンボジア・ベトナム国境に関する1982/1983年条約と1985年条約の破棄を主張して,プノンペン市内をデモ。
DIA-202-2000-01-17-1カンボジア2000年01月17日2000年代チューク・リン元KR司令官,1994年の外国人観光客の誘拐・殺害容疑で逮捕される。
DIA-202-2000-01-17-2カンボジア2000年01月17日2000年代フン・セン首相,同日付内務省宛書簡にて,モンドルキリー州の対ベトナム木材違法輸出問題の調査期間中は,同州知事チャオン・ブン・カン(F)と副知事を職務停止とし,プノンペンから派遣される特別調査団と即時に交代させる旨を指示。
DIA-202-2000-01-18-1カンボジア2000年01月18日2000年代人民党とFUNCINPECが全国の州・郡レベルで合同委員会を設立すると発表。
DIA-202-2000-01-21-1カンボジア2000年01月21日2000年代司法官職高等評議会,容疑者の不当釈放の疑いですでに職務停止にあったプノンペン市地裁長官ウム・サリットと同市検察長官カン・チューンの更迭を決定。これは司法官職高等評議会が1993年に設置されてから初の措置。
DIA-202-2000-01-25-1カンボジア2000年01月25日2000年代プノンペンのT3刑務所,閉鎖。
DIA-202-2000-01-26-1カンボジア2000年01月26日2000年代ペン・シモン財政省関税局長,キアット・チョン財政相が10数人の税関職員を職務停止にしたと語る。
DIA-202-2000-01-27-1カンボジア2000年01月27日2000年代プノンペン市第1副市長にタン・シナ(F),同第3副市長にライ・ヴィラック(F)が任命される。
DIA-202-2000-01-31-1カンボジア2000年01月31日2000年代フン・セン首相,「カンボジアが共和国になることは想定するべきではなく,『侵略的な軍事クーデター』のみが君主制を終わらせうるが,それは違法である」と表明。
DIA-202-2000-02-01-1カンボジア2000年02月01日2000年代セレイ・コサル(F),心臓疾患で辞任したイン・キム・アウン(F)に代わる上院議員に任命される。
DIA-202-2000-02-03-1カンボジア2000年02月03日2000年代人民党とFUNCINPECの国会議員87人が連名で,サム・ランシーの議員免責特権の剥奪と法律の適用を求める非難声明を発表。
DIA-202-2000-02-03-2カンボジア2000年02月03日2000年代モン・モニ・チャリヤ・プノンペン地裁予審判事,1994年の外国人観光客の誘拐・殺害の容疑者であるサム・ビットが任意出頭期限までに出頭しなかったと言明。
DIA-202-2000-02-06-1カンボジア2000年02月06日2000年代サム・ランシー,20以上の縫製工場の労働者代表200人と会見し,最低賃金の月60ドルへの引き上げ要求を支持すると表明。
DIA-202-2000-02-07-1カンボジア2000年02月07日2000年代人民党中央委,第26回定期総会開催(~8日)。
DIA-202-2000-02-11-1カンボジア2000年02月11日2000年代サム・ランシー党,年次大会開催(~12日)。
DIA-202-2000-02-12-1カンボジア2000年02月12日2000年代フン・セン首相とアナン国連事務総長,KR特別法廷問題について,バンコクで会談。
DIA-202-2000-02-17-1カンボジア2000年02月17日2000年代フン・セン首相,インド公式訪問(~18日)。
DIA-202-2000-02-18-1カンボジア2000年02月18日2000年代ノン・ドゥク・マイン・ベトナム国会議長,カンボジア公式訪問(~23日)。
DIA-202-2000-02-19-1カンボジア2000年02月19日2000年代フン・セン首相,ミャンマー公式訪問(~21日)。
DIA-202-2000-03-03-1カンボジア2000年03月03日2000年代グエン・ズィ・ニエン・ベトナム外相,カンボジア公式訪問(~5日)。
DIA-202-2000-03-08-1カンボジア2000年03月08日2000年代106人のチャーム人からなるメッカ巡礼団,出発。カンボジアのチャーム人によるメッカ巡礼は約30年ぶり。
DIA-202-2000-03-09-1カンボジア2000年03月09日2000年代ラルフ・ボイス・アメリカ東アジア・大平洋担当国務次官補,カンボジア訪問。KR裁判に関して「両者(国連とカンボジア)が合意に達することは,ワシントンの雰囲気を改善することに結びつく」旨を発言。
DIA-202-2000-03-16-1カンボジア2000年03月16日2000年代KR裁判に関する国連使節団(団長ハンス・コレル法務担当国連事務次長),プノンペン到着(~22日)。
DIA-202-2000-03-19-1カンボジア2000年03月19日2000年代FUNCINPEC,党大会開催(~21日)。
DIA-202-2000-03-19-2カンボジア2000年03月19日2000年代コレル法務担当国連事務次長,チューンエクのキリングフィールドを訪問し,「政権を追われた後のKR指導者に国連議席を与えていたことは国連の過ちであった」と表明。
DIA-202-2000-03-25-1カンボジア2000年03月25日2000年代モハモントレイ寺のウム・スム僧正,闘病の末,死去。享年82歳。同僧はモハニカイ派第2位の高僧。
DIA-202-2000-04-05-1カンボジア2000年04月05日2000年代カンボジア支援国会議(四半期会合),開催(~6日)。
DIA-202-2000-04-10-1カンボジア2000年04月10日2000年代フン・セン首相,発展途上国グループ(G77)首脳会議に出席(~14日)。
DIA-202-2000-04-24-1カンボジア2000年04月24日2000年代シサワート・ケーオブンパン・ラオス首相,カンボジア公式訪問(~27日)。
DIA-202-2000-04-26-1カンボジア2000年04月26日2000年代メコン川委員会(MRC)4ヵ国(タイ,ベトナム,ラオス,カンボジア)代表,メコン川管理・開発協力協定に調印。
DIA-202-2000-05-03-1カンボジア2000年05月03日2000年代ホック・ランディ国家警察長官,ケオ・タ・コンポート州警察副長官およびブン・トゥン内務省行政長官をコンポート州内のマリファナ栽培に関与した容疑で逮捕したと発表。
DIA-202-2000-05-04-1カンボジア2000年05月04日2000年代ロン・サリン議員(F),チャムラオン・チアット(F)に代わってウッドーミアンチェイ州知事に就任することを公表。勅令による正式就任は4月12日付。チャムラオン元知事は国防省顧問に異動。
DIA-202-2000-05-18-1カンボジア2000年05月18日2000年代アレクサンダー・ダウナー・オーストラリア外相,カンボジア公式訪問(~20日)。
DIA-202-2000-05-24-1カンボジア2000年05月24日2000年代カンボジア支援国会議(世銀主催),パリにて開催。参加支援国・機関は,今後1年間でカンボジア政府に対して総計5億4800万ドルの援助を誓約。カンボジア政府の諸改革の進捗状況を検討するために半期会合を開催することに合意(~26日)。
DIA-202-2000-05-29-1カンボジア2000年05月29日2000年代国民議会,商品とサービスの質に関する法律を賛成93票(出席98人)にて可決。
DIA-202-2000-06-01-1カンボジア2000年06月01日2000年代フン・セン首相,シンガポール公式訪問(~3日)。
DIA-202-2000-06-07-1カンボジア2000年06月07日2000年代フン・セン首相,小渕前首相の葬儀参列のため訪日。
DIA-202-2000-06-11-1カンボジア2000年06月11日2000年代カンボジア・ラオス国境線画定作業開始記念式典,ラオス・チャムパサック州にて開催。
DIA-202-2000-06-14-1カンボジア2000年06月14日2000年代チュアン・リークパイ・タイ首相,カンボジア公式訪問。陸上国境線調査画定に関する了解覚書,文化財密輸取締協定,盗難車密輸取締協定の3文書に調印(~16日)。
DIA-202-2000-06-20-1カンボジア2000年06月20日2000年代国民議会,保険法を賛成90人(出席95人)にて可決。
DIA-202-2000-06-21-1カンボジア2000年06月21日2000年代縫製工場労働者による職場放棄・街頭デモが自然発生的に拡大。
DIA-202-2000-06-24-1カンボジア2000年06月24日2000年代縫製工場の労使,労働条件の改善に合意。合意事項は・未経験工の就業2ヵ月以降の給与は最低月30ドルであること,超過勤務時には食事時間が与えられること,月単位の皆勤手当の給付,当初3年間のベースアップの実施,勤続1年以上の者に対するボーナスの給付の5点。
DIA-202-2000-06-26-1カンボジア2000年06月26日2000年代シソワット・シリラット国防省共同大臣,ベトナム公式訪問(~7月2日)。
DIA-202-2000-07-03-1カンボジア2000年07月03日2000年代人民党中央委,第27回定期総会開催(~4日)。
DIA-202-2000-07-04-1カンボジア2000年07月04日2000年代コレル法務担当国連事務次長,来訪(~7日)。
DIA-202-2000-07-13-1カンボジア2000年07月13日2000年代労働諮問委員会,縫製工場従業員の最低賃金を月45ドルへ引き上げることを決議。適用は8月分給与から。
DIA-202-2000-07-13-2カンボジア2000年07月13日2000年代カンボジア使用者・実業協会連盟,発足式開催。
DIA-202-2000-07-18-1カンボジア2000年07月18日2000年代プノンペン特別市地裁,1994年の外国人観光客の誘拐・殺害容疑で起訴されたチューク・リン元KR司令官に対して無罪判決。無罪判決の理由として,同司令官が,1994年7月施行の「ポル・ポト派非合法化法」に定められた免責期間内に政府に投降したことを指摘。
DIA-202-2000-07-20-1カンボジア2000年07月20日2000年代検察側,チューク・リンに関する控訴状を提出。
DIA-202-2000-07-28-1カンボジア2000年07月28日2000年代カンボジアとタイ,観光客誘致協力に関する協定に調印。スローガンは「二つの王国,一つの目的地」。
DIA-202-2000-07-29-1カンボジア2000年07月29日2000年代白南淳・北朝鮮外相,カンボジア公式訪問(~31日)。
DIA-202-2000-08-01-1カンボジア2000年08月01日2000年代国民議会,国家会計監査院の役員候補の任命を否決。
DIA-202-2000-08-08-1カンボジア2000年08月08日2000年代国民議会,核不拡散条約(NPT)を批准。
DIA-202-2000-08-16-1カンボジア2000年08月16日2000年代フン・セン首相,フィリピン公式訪問(~18日)。
DIA-202-2000-08-17-1カンボジア2000年08月17日2000年代ソ・パン副警察長官(F),コンポート州でFUNCINPEC党員のパク・チューンとその妻が6月3日に殺害された事件に関して,同州ロボーク行政区長のイム・ナム(C)を委託殺人の容疑で逮捕した,と発表。
DIA-202-2000-08-18-1カンボジア2000年08月18日2000年代大臣会議,「村議会の選出に関する法律」案を採択。
DIA-202-2000-08-19-1カンボジア2000年08月19日2000年代フン・セン首相,ブルネイ訪問(~21日)。
DIA-202-2000-08-25-1カンボジア2000年08月25日2000年代プノンペン大学法経学部の学生11人が学士号を取得。学士号の授与は1992年の同学部再開以来初めて。
DIA-202-2000-08-27-1カンボジア2000年08月27日2000年代グエン・タン・ズン・ベトナム副首相,カンボジア公式訪問(~30日)。1970年代前半および1979~1989年に死亡したベトナム人義勇兵の遺骨捜索・返還に関する協定に調印。
DIA-202-2000-08-30-1カンボジア2000年08月30日2000年代中国とカンボジア,270万ドル相当の対カンボジア軍事援助供与文書に調印。
DIA-202-2000-09-11-1カンボジア2000年09月11日2000年代内務省,司法省,女性省,および外務省,性犯罪の疑いの強い外国人について,裁判所による有罪判決の有無に関わらずブラックリストを作成することによって,国外追放・再入国阻止をはかる方針を表明。
DIA-202-2000-09-15-1カンボジア2000年09月15日2000年代IMF理事会,対カンボジア「貧困削減・成長ファシリティー」(1999~2002年,総額8160万ドル)の第2次分1080万ドルの融資実施を承認。
DIA-202-2000-10-02-1カンボジア2000年10月02日2000年代在プノンペン国連関係諸機関,洪水被災者救援のために1070万ドル以上の支援金を求めるアピールを発表。
DIA-202-2000-10-04-1カンボジア2000年10月04日2000年代ヌオン・パエットに対する控訴審,終身刑を下した第1審判決(1999年6月7日)を支持。
DIA-202-2000-10-17-1カンボジア2000年10月17日2000年代エイ・チエン・パイリン知事宅にロケット弾が撃ち込まれる。事件当時,同知事は不在。
DIA-202-2000-10-20-1カンボジア2000年10月20日2000年代ヴァン・スン・ヘン・プレイヴェーン州選出国会議員(C),心臓発作のため死去。享年56歳。
DIA-202-2000-10-21-1カンボジア2000年10月21日2000年代国連難民高等弁務官事務所,バッドンボーン州サムロット郡にて,約50万人に達する難民帰還任務の終了を宣言し,撤退記念式典開催。
DIA-202-2000-10-25-1カンボジア2000年10月25日2000年代プノンペン市内主要部で,「カンボジアの自由の戦士」(Cambodian Freedom Fighters)名のビラがまかれる。ビラは,現政権を「ベトナムの傀儡」と非難し,その転覆を主張。
DIA-202-2000-10-26-1カンボジア2000年10月26日2000年代第22回ASEAN農相会議,プノンペンにて開催(~27日)。カンボジアがASEAN閣僚級会議の主催国になるのは初めて。
DIA-202-2000-10-31-1カンボジア2000年10月31日2000年代中国外務省報道官,定期記者会見にて,民主カンプチアと中国の関係について「通常の国家間関係」であったとの認識,および「KR問題は純粋にカンボジアの国内問題であり」「自主的な裁判と判決はカンボジア政府と国民に任されている」と,表明。
DIA-202-2000-11-02-1カンボジア2000年11月02日2000年代サム・ランシー党,結成5周年記念式典を開催。
DIA-202-2000-11-08-1カンボジア2000年11月08日2000年代カンボジア王国軍,創設47周年記念式典を開催。フン・セン首相,治安維持や災害復旧活動など平時における国軍の役割を強調。
DIA-202-2000-11-13-1カンボジア2000年11月13日2000年代江沢民・中国国家主席,カンボジア公式訪問。中国国家主席のカンボジア訪問は37年ぶり(~14日)。経済貿易関係の強化,「一つの中国」政策に対するカンボジアの支持,内政不干渉の原則の確認,などを骨子とする共同声明を発表。
DIA-202-2000-11-24-1カンボジア2000年11月24日2000年代武装集団,国防省付近にて反政府武力行動。軍警察や警察部隊によって約4時間後に鎮圧される。
DIA-202-2000-11-24-2カンボジア2000年11月24日2000年代在カンボジア・ベトナム大使館,27日に予定されていたチャン・ドゥク・ルオン・ベトナム国家主席のカンボジア訪問の延期を発表。
DIA-202-2000-11-25-1カンボジア2000年11月25日2000年代24日の反政府武力行動の首謀者として,リチャード・キリ・キムなるカンボジア系アメリカ人,シアムリアプにてカンボジア当局に逮捕される。
DIA-202-2000-11-25-2カンボジア2000年11月25日2000年代「カンボジアの自由の戦士」,24日の反政府武力行動について,同集団の指導者チュン・ヤシット名にて犯行声明文,発表。
DIA-202-2000-12-18-1カンボジア2000年12月18日2000年代フン・セン首相,公務員給与の10%引き上げを表明。適用は2001年1月から。
DIA-202-2000-12-19-1カンボジア2000年12月19日2000年代ソン・サン,パリにて死去。享年89歳。死因は心臓発作。
DIA-202-2000-12-20-1カンボジア2000年12月20日2000年代シハヌーク国王,王宮内式典にて,「体力がずいぶん弱くなった」旨,言明。
DIA-202-2000-12-28-1カンボジア2000年12月28日2000年代国民議会,国家会計監査院の役員候補の任命を否決。否決されたのは8月に否決されたのと同一候補のチェン・ヴン(C),チア・ペン・チアン(F),サム・ラムセック(F)。
DIA-202-2000-12-31-1カンボジア2000年12月31日2000年代ソン・サンの葬儀,シハヌーク国王の主催により,プノンペン市内ボトゥム寺にて営まれる。
DIA-202-2001-01-02-1カンボジア2001年01月02日2000年代国民会議、クメール・ルージュ(KR)特別法廷設置法案を賛成92、反対0で可決。
DIA-202-2001-01-08-1カンボジア2001年01月08日2000年代小川日本大使、大使公邸での新年会で、KR特別法廷設置法の国会通過を歓迎し、特別法廷ができるだけ速やかに開始されることを望む旨を表明。
DIA-202-2001-01-09-1カンボジア2001年01月09日2000年代フン・セン首相、バンコクで記者団に対して、「イエン・サリを出廷させれば、カンボジアは再び戦争になるだろう」と言明。
DIA-202-2001-01-10-1カンボジア2001年01月10日2000年代フン・セン首相、「われわれはポル・ポト虐殺体制下で殺された人々のために正義を見いださねばならず、また最も深刻な罪を犯して最も重い責任のある者を裁きべきであるので、KR裁判は数人の最高指導者を対象とする」とシアムルアプ州の道路建設プロジェクト起工式で言明。
DIA-202-2001-01-11-1カンボジア2001年01月11日2000年代国民会議、村行政法案を採択。
DIA-202-2001-01-15-1カンボジア2001年01月15日2000年代サー・ケン副首相、国会で、国家選挙委員会を構成員に少なくとも1人のサム・ランシー党のメンバーを入れて改造するのが望ましいとの意見は表明。
DIA-202-2001-01-15-2カンボジア2001年01月15日2000年代上院、KR特別法廷設置法案を賛成51、反対0で可決。
DIA-202-2001-01-18-1カンボジア2001年01月18日2000年代国民議会、村議会選挙法案を可決。サー・ケン副首相、村議会選挙は2002年1月には実施できるだろうと表明。
DIA-202-2001-01-18-2カンボジア2001年01月18日2000年代国民議会、国家選挙委員会にサム・ランシー党から1人の参加を認める。
DIA-202-2001-01-19-1カンボジア2001年01月19日2000年代フン・セン首相、ウッドーミアンチェイ州アンロンヴェーンを訪問。同地住民に対して、「この裁判(=KR特別法廷)は最高指導者達に対するものであることを理解してほしい。1200万の人々を裁判にかけるようなことはしない」と語り、裁判にかけられるのはタモクトとドゥイを含む一握りの幹部に限られる旨を表明。
DIA-202-2001-01-23-1カンボジア2001年01月23日2000年代フン・セン首相、「平和のためのアジア議員連合」(Asian Association of Parliaments for peace)の会合におけるスピーチで、「1980年代にKRに議席を与えていた以上、国連がKR指導者達の裁判を要求するのは偽善的である」および「イエン・サリの訴追は戦端を開きかねない」と表明。
DIA-202-2001-01-23-2カンボジア2001年01月23日2000年代世銀、カンボジア支援国会合半期会合、開催。
DIA-202-2001-01-29-1カンボジア2001年01月29日2000年代IMF理事会、「貧困削減戦略ファシリティー」に関わる第2回レビューを承認。
DIA-202-2001-01-30-1カンボジア2001年01月30日2000年代この承認をうけて835万7000SDR(約1100万ドル相当)の融資、即時実行。
DIA-202-2001-02-01-1カンボジア2001年02月01日2000年代上院、村行政法を賛成53、反対0で採択。
DIA-202-2001-02-12-1カンボジア2001年02月12日2000年代憲法院、KR特別法廷設置法を検討し、1956年刑法の適用を言及している同法第3条は死刑をっ間接的に容認することとなり、現行憲法と矛盾すると指摘。
DIA-202-2001-02-13-1カンボジア2001年02月13日2000年代遅治田・中国国防相、来訪(~17日)。
DIA-202-2001-02-14-1カンボジア2001年02月14日2000年代上院、村議会選挙法案を満場一致で採択。
DIA-202-2001-02-20-1カンボジア2001年02月20日2000年代初の国防白書、公刊。
DIA-202-2001-02-27-1カンボジア2001年02月27日2000年代ソク・アン内閣官房相、「間接的に死刑について言及しているKR特別放置設置法案の第3条を削除して、憲法院の勧告に沿った新たな条項を挿入することになろう」と言明。
DIA-202-2001-03-01-1カンボジア2001年03月01日2000年代シン・ソン上院議員(人民党)、死亡。子音は脊髄ガン。
DIA-202-2001-03-12-1カンボジア2001年03月12日2000年代ノヴ・サム・バッドンボーン州知事(人民党)、解任。
DIA-202-2001-03-15-1カンボジア2001年03月15日2000年代カンポット地方裁判所、イム・ナン元ロボーク村長とリット・カに対して、禁固刑17年の判決。
DIA-202-2001-03-17-1カンボジア2001年03月17日2000年代リブレル・フランス大使、ソク・アン内閣官房相に刑法案を提出。同法案はフランスによる5年来の支援によって作成されたもの。
DIA-202-2001-03-19-1カンボジア2001年03月19日2000年代チア・シム国家元首代行、村議会選挙法と村行政法に署名。
DIA-202-2001-03-20-1カンボジア2001年03月20日2000年代ラナリット、FUNCINPECの年次大会兼創設20周年記念祝典で、「1998年の選挙では人民党はFUNCINPECから票を奪われなかった」「実際のところ、FUNCINPECが票を失ったのは、サム・ランシー党やFUNCINPECを裏切った者たちが指導するその他の党のためである」「われわれは人民党とよりよいコミュニケーションをたもたねばならず、サム・ランシー党には気をつけなければならない」等、表明。
DIA-202-2001-03-21-1カンボジア2001年03月21日2000年代フン・セン首相、村議会選挙の投票日を2002年2月3日に設定する旨を表明。その理由として「足し上げると9になり、9は縁起のよい数字である」と言明。
DIA-202-2001-03-23-1カンボジア2001年03月23日2000年代フン・セン首相、大臣会議にて、2003年の総選挙でどの政党が勝利しようとも、連立政権が維持されるべきであり、2大政党の協力は安定のために不可欠であると表明。
DIA-202-2001-03-27-1カンボジア2001年03月27日2000年代サー・ケン副首相、村議会選挙の概要説明で、費用は2400万ドルに達する見込みであり、カンボジア政府はその10%を支出する予定であると言明。
DIA-202-2001-03-29-1カンボジア2001年03月29日2000年代土地政策審議会(Council of Land Policy)会合。6月のドナー会合までに土地政策の概要に関する声明案を作成することを決定。
DIA-202-2001-04-02-1カンボジア2001年04月02日2000年代在カンボジア・アメリカ大使館、カンボジア政府に対して拘留者(不法入国の容疑でモンドルキリー州で逮捕せれた24人の少数民族系ベトナム人)の「人道上の利益」を尊重するように求めるとともに、国連が彼らを保護の必要な難民であると認定した場合には、アメリカに再定住させる用意がある旨の公式アピールを発表。
DIA-202-2001-04-02-2カンボジア2001年04月02日2000年代チア・シム上院議長、1週間の中国訪問から帰国。
DIA-202-2001-04-02-3カンボジア2001年04月02日2000年代サム・ランシー、自党員に対する脅迫と殺人が止まらない限り、村議会選挙をボイコットする、と表明。
DIA-202-2001-04-03-1カンボジア2001年04月03日2000年代フン・セン首相、ベトナム中部高原から流入してきた24人について、「ベトナム当局に引き渡すことなく、もし第三国が彼らを引き受けるのであれば、それが望ましい」と表明。
DIA-202-2001-04-04-1カンボジア2001年04月04日2000年代IMFと世銀、「カンボジア政府は歳入を増加させるために、民間資本に対する税軽減措置を廃止ないしは見直すべきである」との共同声明を発表。
DIA-202-2001-04-07-1カンボジア2001年04月07日2000年代チア・ソン農業相(人民党)、死亡。死因は肝臓病。享年60歳。
DIA-202-2001-04-09-1カンボジア2001年04月09日2000年代アメリカ大使館、国連難民高等弁務官によって24人のベトナム人が難民認定されたとの声明を発表。
DIA-202-2001-04-09-2カンボジア2001年04月09日2000年代フン・セン首相、韓国訪問(~11日)。
DIA-202-2001-04-12-1カンボジア2001年04月12日2000年代24人のベトナム少数民族のうち10人が、ロサンジェルスに向けカンボジア出国。
DIA-202-2001-04-18-1カンボジア2001年04月18日2000年代さらに8人のベトナム少数民族がアメリカに向けてカンボジア出国。
DIA-202-2001-04-20-1カンボジア2001年04月20日2000年代残り6人のベトナム少数民族がアメリカに向けてカンボジア出国。
DIA-202-2001-05-01-1カンボジア2001年05月01日2000年代カンボジア王国労働者自由労働組合、プノンペン市内の行進は実施したものの、ストは行わず。
DIA-202-2001-05-03-1カンボジア2001年05月03日2000年代カナダとの2004年繊維製品輸出協定に調印。クオータの引き上げ率が11%。
DIA-202-2001-05-06-1カンボジア2001年05月06日2000年代ゴー・チョク・トン・シンガポール首相、来訪(~10日)。
DIA-202-2001-05-18-1カンボジア2001年05月18日2000年代李鵬・中国全人代常務委委員長、来訪(~21日)。
DIA-202-2001-05-20-1カンボジア2001年05月20日2000年代カンボジア王国労働者自由労働組合、チア・ビチアを委員長に再選出。任期は2年。
DIA-202-2001-05-24-1カンボジア2001年05月24日2000年代人民党とFUNCINPEC、(1)2002年2月の選挙を中立で暴力のないものにするためにより一層に協力する、(2)民主主義の原則に基づいて行動する、(3)選挙結果をめぐる争いは避ける、(4)選挙から生じる諸問題を解釈するために共の努力する、以上4点を内容とする共同声明書に調印。
DIA-202-2001-06-04-1カンボジア2001年06月04日2000年代カンボジアとタイ、シャム湾の領海紛争が解決するまでは、沖合でのガスや石油の発掘を両国ともに行わない旨の協定を締結。
DIA-202-2001-06-11-1カンボジア2001年06月11日2000年代リチャード・キリ・キムを含む32人の「カンボジア自由の戦士達」容疑者に対する裁判がプノンペン地裁で開始される。アメリカ国籍3人のうち2人は欠席裁判。
DIA-202-2001-06-12-1カンボジア2001年06月12日2000年代カンボジア支援国会合、東京で開催(~13日)。世銀、IMF、ADB等の国際機関のほか、15ヵ国の援助供与国が参加。今年度分として、総額6億1500万ドルの支援が公約される。
DIA-202-2001-06-17-1カンボジア2001年06月17日2000年代トン・シヴ・エンの葬儀、ボトゥム寺にて営まれる。女史は、カンボジアで最初の女性国会議員。
DIA-202-2001-06-18-1カンボジア2001年06月18日2000年代タクシン・タイ首相、カンボジア訪問(~19日)。経済貿易協定に調印。
DIA-202-2001-06-20-1カンボジア2001年06月20日2000年代プノンペン地裁、「カンボジア自由の戦士」裁判、結審。アメリカ国籍3人に終身刑、カンボジア国籍1人に終身刑の判決。
DIA-202-2001-06-21-1カンボジア2001年06月21日2000年代シリラッド共同国防相、元KR兵士のサム・ビットは1994年の外国人誘拐事件の犯人として終身刑を課されているヌオン・パエットの当時の上官。1997年に政府に投降。
DIA-202-2001-06-28-1カンボジア2001年06月28日2000年代人民党、創立「50周年」記念集会。
DIA-202-2001-06-28-2カンボジア2001年06月28日2000年代シリラッド、FUNCINPECのNo.2である書記長職に復帰。クオン・プライヴットに代わって上院議員に就任することも国王に承認される。ヴェン・セレイヴット観光相とホン・スン・フーオット保健相は、党の役職からはずれる。
DIA-202-2001-07-11-1カンボジア2001年07月11日2000年代国民議会、KR特別法廷設置法の修正案(死刑を削除)を採択。
DIA-202-2001-07-12-1カンボジア2001年07月12日2000年代シハヌーク国王、文書で、「私は(KR特別裁判を)政府、上院、国会および設立されるであろう法廷に任せる」と自身が干渉するつもりはない旨を表明。
DIA-202-2001-07-17-1カンボジア2001年07月17日2000年代金永南・朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議常任委員会長、来訪(~20日)。
DIA-202-2001-07-20-1カンボジア2001年07月20日2000年代国民会議、改正土地法を採択。
DIA-202-2001-07-21-1カンボジア2001年07月21日2000年代村議会選挙のための選挙人登録、開始(~8月16日)。
DIA-202-2001-07-23-1カンボジア2001年07月23日2000年代上院、KR特別法廷設置法の修正案を採択。
DIA-202-2001-07-25-1カンボジア2001年07月25日2000年代人民党、定期大会、開催(~26日)。フン・セン首相(人民党中央委副議長)、開会演説および閉会演説において、党員に対して、来るべき村議会選挙に際し、他党候補者に対して政治的動機に基づく暴力をふるわないようにアピール。ホック・ランディ国家警察庁長官が党中央委に21人目の常任委員会委員に選出される。
DIA-202-2001-07-27-1カンボジア2001年07月27日2000年代チャワリット・タイ国防相、来訪(~28日)。
DIA-202-2001-07-27-2カンボジア2001年07月27日2000年代フン・セン首相とチャワリット・タイ国防相、総合国境委員会にて、両国国境地帯において、不法漁業、不法就労者、武器や麻薬の取引、車輌や文化遺産の密輸に対する取り締まりを強化すること、通過地点を増やすこと、2001~2005年のカンボジア王国軍兵士50人の訓練にタイが協力すること、等に合意。総合国境委員会の開催は、1995年9月以来2回目。
DIA-202-2001-08-07-1カンボジア2001年08月07日2000年代憲法院、KR特別法廷設置法(修正済)を承認。
DIA-202-2001-08-10-1カンボジア2001年08月10日2000年代シハヌーク国王、KR特別法廷設置法(修正済)に署名。
DIA-202-2001-08-15-1カンボジア2001年08月15日2000年代ブンニャン・ヴォラチット・ラオス首相、来訪(~17日)。
DIA-202-2001-08-16-1カンボジア2001年08月16日2000年代ウィーデメン在カンボジア・アメリカ大使、イエン・サリが裁判にかけられなければアメリカは特別法廷への支持を取り下げ、国連に対してもこの問題から足を洗うことを期待する旨を表明。
DIA-202-2001-08-17-1カンボジア2001年08月17日2000年代キュー・サンパンの書簡(16日付)、公開される。
DIA-202-2001-08-19-1カンボジア2001年08月19日2000年代村議会選挙のための有権者登録、締め切る。
DIA-202-2001-08-20-1カンボジア2001年08月20日2000年代国家選挙委員会、村議会選挙のための選挙人登録は、有資格者の79.08%と発表。
DIA-202-2001-08-21-1カンボジア2001年08月21日2000年代国会、内閣改造を承認。チャム・サルン(元農業次官)が農業相に、ニエヴ・シトン(元最高裁検察官)が司法相に、リー・トゥイ(元農村開発省次官)が農業開発相に就任。
DIA-202-2001-08-23-1カンボジア2001年08月23日2000年代メガワティ・インドネシア大統領、来訪(~24日)。
DIA-202-2001-09-03-1カンボジア2001年09月03日2000年代サー・ケン副首相、村議会選挙に関して有権者の83.06%という登録率に政府として満足している旨を表明。
DIA-202-2001-10-08-1カンボジア2001年10月08日2000年代フン・セン首相、アメリカ主導によるアフガニスタン空爆に対する支持を表明。
DIA-202-2001-10-14-1カンボジア2001年10月14日2000年代村議会選挙、候補者受付開始。
DIA-202-2001-10-16-1カンボジア2001年10月16日2000年代村議会選挙、候補者登録受付終了、国家選挙委員会報道官、15日時点、全24州のうち22州からの報告によるとして、人民党は全1621村のうち1118村に計1万6099人に候補者を立て、FUNCINPECは989村に計1万3769人の候補者を立て、サム・ランシー党は899村に計1万3225人の候補者を擁立したと言明。
DIA-202-2001-10-24-1カンボジア2001年10月24日2000年代パイリン市にて銃器焼却式典開催。エイ・チエン市長主催、ティア・バン共同国防相主席。
DIA-202-2001-11-13-1カンボジア2001年11月13日2000年代フン・セン首相、タイ公式訪問(~15日)。
DIA-202-2001-11-26-1カンボジア2001年11月26日2000年代チャン・トゥク・ルオン・ベトナム国家主席、来訪(~18)。カンボジア・ベトナム間貿易協定、投資奨励保護協定を調印、
DIA-202-2001-11-26-2カンボジア2001年11月26日2000年代国民議会、国際刑事裁判所の設立に関わるローマ文書を批准。
DIA-202-2001-12-06-1カンボジア2001年12月06日2000年代中国共産党中央執行委第6位の尉健行、来訪(~10日)。
DIA-202-2001-12-18-1カンボジア2001年12月18日2000年代人民党定期党大会、開催。
DIA-202-2001-12-26-1カンボジア2001年12月26日2000年代ソク・アン国務大臣、コンポントム州における式典で、2001年度分の1万5000人の除隊を公約どおり終了したと宣言。政府の最終目標は、7万~8万規模まで縮小することだと述べる。
DIA-202-2002-01-21-1カンボジア2002年01月21日2000年代カンボジア、ベトナムおよび国連高等難民弁務官事務所(UNHCR)の三者、カンボジア領内にベトナムから流入しUNHCRの保護下にある山岳少数民族約1000人の本国送還を開始する準備として、UNHCRがベトナム中部高原を訪問することに、合意。
DIA-202-2002-02-03-1カンボジア2002年02月03日2000年代村議会選挙、投票日。
DIA-202-2002-02-05-1カンボジア2002年02月05日2000年代国家選挙委員会(NEC)、村議会選挙では有権者数430万、投票率83%と報告。
DIA-202-2002-02-06-1カンボジア2002年02月06日2000年代国際通貨基金(IMF)理事会、「貧困削減・成長ファシリティ」第4回レビューを終了し、835万7000SDR(1040万ドル相当)の融資の即時実施を承認。カンボジアの要請に応じて、現行の支援取り決めを2003年2月28日まで約4カ月延長することも承認。
DIA-202-2002-02-08-1カンボジア2002年02月08日2000年代コレル国連法務担当事務次官、国連はクメール・ルージュ(KR)特別法廷設置問題に関するカンボジア政府との協議を打ち切る旨発表。
DIA-202-2002-02-15-1カンボジア2002年02月15日2000年代ケ・ポク病死。享年72歳。
DIA-202-2002-02-18-1カンボジア2002年02月18日2000年代第3次「カンボジア自由の戦士」(CFF)裁判、プノンペン市地裁で開廷。被告は20人。
DIA-202-2002-02-28-1カンボジア2002年02月28日2000年代プノンペン市地裁、CFFメンバー容疑者として起訴された20人のうち19人に有罪判決を下す。
DIA-202-2002-03-04-1カンボジア2002年03月04日2000年代バッドンボーン州地裁、CFFメンバー容疑者21人の裁判開始。CFF裁判としては第4次。
DIA-202-2002-03-07-1カンボジア2002年03月07日2000年代NEC、村議会選挙の確定結果を発表。
DIA-202-2002-03-10-1カンボジア2002年03月10日2000年代トゥール・スラエン虐殺記念館の被害者の頭蓋骨で作られたカンボジア全土地図(通称「どくろ地図」)、撤去。
DIA-202-2002-03-21-1カンボジア2002年03月21日2000年代「独立・中立・平和・協力のカンボジアのための民族統一戦線」(FUNCINPEC)党、年次大会開催。
DIA-202-2002-03-24-1カンボジア2002年03月24日2000年代UNHCRプノンペン代表、UNHCRがカンボジア流入ベトナム山岳民族の帰還に関して2002年1月21日にカンボジアとベトナムとの間で取り交わした合意を破棄し、帰還作業を取り止める旨、公表。
DIA-202-2002-03-25-1カンボジア2002年03月25日2000年代バッドンボーン州地裁、CFF容疑者18人に有罪判決。
DIA-202-2002-04-09-1カンボジア2002年04月09日2000年代ヴァジュペイー・インド首相、来訪(~11日)。
DIA-202-2002-04-16-1カンボジア2002年04月16日2000年代ラッタナキリー州とモンドルキリー州のUNHCRの難民キャンプに収容されていたベトナム山岳少数民族、計900人以上のプノンペン移送、完了。
DIA-202-2002-04-22-1カンボジア2002年04月22日2000年代サム・ランシー党の創設メンバーのひとりであるスルン・ヴォン・ヴァンナク同党運営委委員、離党。
DIA-202-2002-05-22-1カンボジア2002年05月22日2000年代元KR兵士サム・ビット、1994年のカンポット州の列車襲撃事件へ関与した容疑で逮捕され、同日起訴される。
DIA-202-2002-06-03-1カンボジア2002年06月03日2000年代プノンペンに移送されていたベトナムから流入した山岳少数民族のうち、第1陣50人がアメリカに向けて出発。
DIA-202-2002-06-13-1カンボジア2002年06月13日2000年代ソク・アン大臣会議官房国務大臣、国境問題に関する国会答弁で、対ベトナム国境について、両国が1982年、83年、85年に調印した条約は、カンボジアの主権と領土保全に影響を及ぼすものではなく、これらの協定を引き続き履行することが両国の国境問題に関する交渉の基礎となる、と言明。
DIA-202-2002-06-14-1カンボジア2002年06月14日2000年代国会、エイズ対策およびエイズ感染者に対する差別禁止を定めたエイズ関連法案を可決。
DIA-202-2002-06-20-1カンボジア2002年06月20日2000年代第6回カンボジア支援国会合、プノンペンで開催(~21日)。22カ国と7国際機関が出席し、6億3500万ドルの対カンボジア開発援助供与を公約。うち日本は1億1500万ドル。
DIA-202-2002-07-05-1カンボジア2002年07月05日2000年代国会、国会議席数を2003年総選挙時に1議席増加して、計123議席にすることを決定。増加1議席は、ウッドーミアンチェイ州選挙区に割り当てられる。
DIA-202-2002-07-06-1カンボジア2002年07月06日2000年代サム・ランシー党、1997年7月政変の祈念式典を党本部で開催。
DIA-202-2002-07-11-1カンボジア2002年07月11日2000年代ラナリット、1997年7月の軍事衝突時および1980年代のレジスタンス闘争時の戦死者に対する祈念式典で、内部分裂はFUNCINPEC党を弱めるだけである、団結のみが来年の総選挙での「はなはだしい災難」を回避することができる、と呼びかけ。
DIA-202-2002-07-16-1カンボジア2002年07月16日2000年代高等裁判所、チューク・リンに対して1994年のコンポート州列車攻撃事件に関して召喚状を発行。
DIA-202-2002-07-29-1カンボジア2002年07月29日2000年代東ティモールと外交関係樹立。
DIA-202-2002-08-08-1カンボジア2002年08月08日2000年代国会、カン・サヴーンの内務相就任提案を否決。
DIA-202-2002-08-20-1カンボジア2002年08月20日2000年代ロビンソン国連人権高等弁務官、アジア3カ国歴訪の2カ国目として来訪(~22日)。
DIA-202-2002-08-21-1カンボジア2002年08月21日2000年代国会、国家選挙委員会法改正案を採択。これにより、国家選挙委員会は内務省によって選出され国会によって承認された5人によって構成されることになる。
DIA-202-2002-08-21-2カンボジア2002年08月21日2000年代ファン・ヴァン・チャ・ベトナム国防相、公式訪問(~24日)。
DIA-202-2002-09-04-1カンボジア2002年09月04日2000年代最高裁、高等裁判所が1999年にヌオン・パエットに下した有罪判決(終身刑)を支持。
DIA-202-2002-09-05-1カンボジア2002年09月05日2000年代高等裁判所、チューク・リンに対して、1994年の外国人誘拐殺害の罪で終身刑を宣告。この判決は、プノンペン地裁が2000年に下した無罪判決を覆すもの。
DIA-202-2002-09-08-1カンボジア2002年09月08日2000年代ウン・フオト、FUNCINPEC党に復党したと言明。
DIA-202-2002-09-24-1カンボジア2002年09月24日2000年代傅全有・中国人民解放軍参謀長来訪(~29日)。25日、シリラット共同国防相、ティアバン共同国防相との会見で、カンボジア王国軍の将校の訓練と軍病院の改装のために、2億4000万ドルの追加援助を行う旨を表明。
DIA-202-2002-09-25-1カンボジア2002年09月25日2000年代フン・セン首相、傅全有・中国人民解放軍参謀長との会談で、カンボジアは引き続き「一つの中国」政策を支持すると明言。
DIA-202-2002-10-25-1カンボジア2002年10月25日2000年代国会、国家選挙委員会を承認。委員長は、ウム・スウスデイ。
DIA-202-2002-11-04-1カンボジア2002年11月04日2000年代ASEAN首脳会議に出席するために来訪中の朱鎔基・中国首相、1950年以降にカンボジアへ貸し付けた借款の返済を全額(推定10億ドル)免除すると表明。
DIA-202-2002-11-04-2カンボジア2002年11月04日2000年代ネアック・ブン・チャイ、『カンボジア・デイリー』紙の電話取材で、現在の上院議員期終了後は議員を続けるつもりはないがFUNCINPEC党を離党することはないと言明。
DIA-202-2002-12-09-1カンボジア2002年12月09日2000年代NEC、2003年上下両院選挙日程を発表。
DIA-202-2002-12-10-1カンボジア2002年12月10日2000年代災害対策国家委員会、2002年の干魃と洪水の被害額は、3300万ドルと発表。うち、洪水の被害額は1200万ドル、と報告。
DIA-202-2002-12-12-1カンボジア2002年12月12日2000年代チア・シム人民党中央委委員長、「人民党中央委は、常設委が、人民党中央委副委員長であるフン・センを全会一致で唯一の首相候補として指名したことを、厳粛に宣言するものである。」との声明文を発表。
DIA-202-2002-12-16-1カンボジア2002年12月16日2000年代国会、2003年度予算を採択。予算規模は2兆8300万リエル(7億750万ドル)。2002年度支出総額(6億8700万ドル)を上回る。
DIA-202-2002-12-18-1カンボジア2002年12月18日2000年代国連総会、KR特別法廷設置交渉の再開を国連事務総長に要求する決議を採択。
DIA-202-2002-12-19-1カンボジア2002年12月19日2000年代ソク・アン大臣会議官房国務大臣、前日の国連総会決議を歓迎する旨を表明。
DIA-202-2002-12-23-1カンボジア2002年12月23日2000年代プノンペン市地裁、サム・ビットに1994年の列車襲撃事件を指揮した罪で、終身刑を宣告。
DIA-202-2003-01-06-1カンボジア2003年01月06日2000年代ソク・アン大臣官房国務大臣,国連本部で,コレル国連法務担当事務次官らと,クメール・ルージュ(KR)特別法廷設置問題について協議。2002年1月の国連側による協議打ち切り宣言以来,初めての直接会談。
DIA-202-2003-01-17-1カンボジア2003年01月17日2000年代国会議員選挙のための有権者登録,開始。
DIA-202-2003-01-21-1カンボジア2003年01月21日2000年代国会,「著作権および特許に関する法律」を採択。
DIA-202-2003-01-29-1カンボジア2003年01月29日2000年代プノンペン特別市で,反タイ暴動。在プノンペン・タイ大使館ほかタイ企業などが襲撃される。
DIA-202-2003-01-30-1カンボジア2003年01月30日2000年代タイ政府,空軍輸送機をポーチェントン空港に派遣し,在留タイ人を引き上げ。
DIA-202-2003-01-30-2カンボジア2003年01月30日2000年代タイ政府,タイ・カンボジア国境検問所を全て閉鎖。
DIA-202-2003-02-03-1カンボジア2003年02月03日2000年代国会,新・投資法を採択。
DIA-202-2003-02-04-1カンボジア2003年02月04日2000年代タイ人検査官チーム,1月29日の反タイ暴動で被った被害を調査するために,タイ軍機で到着。
DIA-202-2003-02-10-1カンボジア2003年02月10日2000年代チア・ソパラ・プノンペン特別市長,解任される。
DIA-202-2003-02-10-2カンボジア2003年02月10日2000年代コシット・タイ代理大使,着任。
DIA-202-2003-02-19-1カンボジア2003年02月19日2000年代テープ・ニタ国家選挙委員会(NEC)事務局長,有権者登録の終了宣言。
DIA-202-2003-02-20-1カンボジア2003年02月20日2000年代国際通貨基金(IMF)理事会,「貧困削減・成長ファシリティー」第6回レビューを終了し,840万SDR(1200万ドル相当)の融資の即時実施を承認。融資総額5850万SDR(8000万ドル相当)の最終供与。
DIA-202-2003-03-13-1カンボジア2003年03月13日2000年代コレル国連法務担当事務次官,カンボジア政府とKR特別法廷設置について協議するため,プノンペン到着。
DIA-202-2003-03-17-1カンボジア2003年03月17日2000年代コレル国連法務担当事務次官,KR特別法廷設置に向けてのカンボジア政府と国連の合意案を公表。
DIA-202-2003-04-02-1カンボジア2003年04月02日2000年代ロイ・シム・チエン元フンシンペック党事務局長,死去。享年61歳。
DIA-202-2003-04-24-1カンボジア2003年04月24日2000年代チャッチャベート・タイ大使,プノンペンに帰任。
DIA-202-2003-04-24-2カンボジア2003年04月24日2000年代人民党,臨時党大会開会。
DIA-202-2003-05-13-1カンボジア2003年05月13日2000年代国連総会,KR特別法廷設置に関わるカンボジア・国連合意を承認。
DIA-202-2003-07-01-1カンボジア2003年07月01日2000年代ポル・ポトの最初の妻,キュー・ポナリ死去。享年83歳。
DIA-202-2003-07-06-1カンボジア2003年07月06日2000年代フンシンペック党,1997年7月政変の6周年記念式典をカンダール州で開催。
DIA-202-2003-07-27-1カンボジア2003年07月27日2000年代任期満了に伴う国会議員選挙,投票日。登録選挙民は585万人。投票率は登録者の86.7%(519万人)。
DIA-202-2003-07-28-1カンボジア2003年07月28日2000年代国会議員選挙の非公式結果により,人民党の圧勝が確実になる。
DIA-202-2003-07-29-1カンボジア2003年07月29日2000年代シリウッド・フンシンペック党事務局長とサム・ランシー・サム・ランシー党首,共同記者会見にて,28日公表の暫定結果を拒否し,いくつかの選挙区での票の数え直しと再投票を求めて,2党が協力すると表明。
DIA-202-2003-07-30-1カンボジア2003年07月30日2000年代ヘン・サムリン人民党中央委名誉委員長,人民党がフン・センの首相擁立を取り消すことはない,人民党は選挙に勝利したのでフン・センを候補として維持する権利があると言明。
DIA-202-2003-08-04-1カンボジア2003年08月04日2000年代ラナリットとサム・ランシー,フンシンペック党とサム・ランシー党が「民主主義者同盟」(Alliance of Democrats)を結成する旨の合意に署名。
DIA-202-2003-08-06-1カンボジア2003年08月06日2000年代「自由公正な選挙のための委員会」(Comfrel)と「自由公正な選挙のための中立不偏の委員会」(Nicfec),7月27日総選挙に関する報告書を公表。選挙の遂行状況は賞賛に値するが,選挙運動中に主に与党による票の買収行為が観察されたと指摘し,NECは票の真価について調査するべきだと主張。
DIA-202-2003-08-08-1カンボジア2003年08月08日2000年代シハヌーク国王,公開書簡で,フン・センの首相就任を擁護し,もしフン・センが望むならシリウッド・フンシンペック党事務局長かサム・ランシーが,人民党のサー・ケンとともに副首相に就任すればよいと示唆。また,チア・シムが上院議長,ヘン・サムリンが国会議長を務めるべきだと主張。
DIA-202-2003-08-12-1カンボジア2003年08月12日2000年代キュー・カナリット人民党報道官,人民党はひとつの党とのみ連立を望んでおり,したがって1党は人民党と連立し,もう1党は野党になる,と言明。ただし,人民党と連立政権を組む党の特定は避ける。また,サム・ランシーとラナリットが要求しているフン・センの降板は非現実的として否定。
DIA-202-2003-08-12-2カンボジア2003年08月12日2000年代ネアック・プン・チャイ・フンシンペック党副事務局長,フンシンペック党とサム・ランシー党が2008年の合併に合意したと表明。次回総選挙には,ひとつの党として参加すると言明。エン・チャイ・イアン・サム・ランシー党事務局長もこの発言内容を認める。
DIA-202-2003-08-27-1カンボジア2003年08月27日2000年代ヘン・サムリン,「憲法上規定されていない以上,われわれには民主主義者同盟と協議する必要はない」と表明。
DIA-202-2003-08-28-1カンボジア2003年08月28日2000年代カシエ・ヌウ民主主義者同盟報道官,「民主主義者同盟はサー・ケン内務省共同大臣を新首相候補として支持し,われわれはフン・セン以外の人物を首相候補として検討している」旨を言明。
DIA-202-2003-08-30-1カンボジア2003年08月30日2000年代NEC,7月27日国会選挙の確定結果を発表。
DIA-202-2003-10-04-1カンボジア2003年10月04日2000年代シハヌーク国王,国会議員の宣誓式を主催。第3期国会発足。
DIA-202-2003-11-05-1カンボジア2003年11月05日2000年代シハヌーク国王,人民党,フンシンペック党,およびサム・ランシー党が,シハヌークが取り持った王宮での会議で,人民党による首相指名を支持し,3党連立の新政権を組閣することに合意した旨を声明文にて発表。
DIA-202-2003-11-14-1カンボジア2003年11月14日2000年代ソン・チャイ・サム・ランシー党国会議員,国王の声明文は会合についての国王のメモであり,合意ではない,と発言。
DIA-202-2003-12-02-1カンボジア2003年12月02日2000年代人民党,救国民族統一戦線結成25周年記念式典を開催。
DIA-202-2003-12-06-1カンボジア2003年12月06日2000年代人民党,フンシンペック党,およびサム・ランシー党,シハヌーク臨席の3党協議で,12月15日以降に国会を開会することに合意。
DIA-202-2003-12-09-1カンボジア2003年12月09日2000年代アナン国連事務総長,KR特別法廷設置に関する国連・カンボジア合意の批准を,カンボジアの新国会の優先的審議事項とするように訴える。
DIA-202-2003-12-10-1カンボジア2003年12月10日2000年代ボウ・サルーン世銀カンボジア事務所広報官,人民党と民主主義者同盟の間の政治的行き詰まりが解消するまで,支援国会合は無期限に延期する,と表明。
DIA-202-2003-12-10-2カンボジア2003年12月10日2000年代民主主義者同盟,新たな連立政権の政策協定案を発表。18項目の最初に,国防と領土的統一に関する民主主義者同盟の政策を掲げ,全市民に対して政府が身分証明書を発行すること,王国軍と警察の政治的中立を確保すること,パリ和平協定以前にベトナムと締結された領土に関する協定を全て無効にすること,等を主張。
DIA-202-2003-12-15-1カンボジア2003年12月15日2000年代第3期国民議会,正式に開会。開会宣言は議員最年長のチア・ソット人民党議員による。3党の議員が国会で顔を合わすのは総選挙後初めて。審議はなく,開会式典のみで閉会。
DIA-202-2003-12-27-1カンボジア2003年12月27日2000年代シハヌーク国王,フン・センの首相続投を支持し,他の2政党も同様に彼を首相として受け入れるよう呼びかけ。
DIA-202-2003-12-29-1カンボジア2003年12月29日2000年代フン・セン,7月27日選挙で人民党が第1党になった以上,自分には首相を続ける権利がある旨,発言。
DIA-202-2004-01-07-1カンボジア2004年01月07日2000年代人民党,ポル・ポト政権崩壊25周年記念集会,開催。
DIA-202-2004-01-22-1カンボジア2004年01月22日2000年代チア・ヴィチア王国労働者自由労働組合委員長,街頭で射殺される。
DIA-202-2004-01-26-1カンボジア2004年01月26日2000年代アブドゥラ・マレーシア首相,来訪。
DIA-202-2004-02-16-1カンボジア2004年02月16日2000年代アルバート・フィリピン外務長官来訪(~17日)。
DIA-202-2004-03-06-1カンボジア2004年03月06日2000年代マット・リー人民党中央委員兼国王顧問,死去。享年74歳。
DIA-202-2004-03-08-1カンボジア2004年03月08日2000年代カンボジア・タイ国境委員会第6回会合,アユタヤで開催。
DIA-202-2004-03-10-1カンボジア2004年03月10日2000年代クメール・ルージュ(KR)特別法廷のロジと財政について協議するための国連使節団,来訪(~20日)。
DIA-202-2004-03-15-1カンボジア2004年03月15日2000年代フン・センとラナリット,人民党とフンシンペック党の連立に合意。
DIA-202-2004-03-18-1カンボジア2004年03月18日2000年代国連使節団,KR特別法廷の費用は5000万ドルを下らない,と表明。
DIA-202-2004-03-19-1カンボジア2004年03月19日2000年代呉儀中国副総理,来訪(~26日)。
DIA-202-2004-03-24-1カンボジア2004年03月24日2000年代在プノンペン・アメリカ大使館,カンボジア政府の地対空ミサイル破壊処分を,テロ対策意識の表れとして賞賛。
DIA-202-2004-03-28-1カンボジア2004年03月28日2000年代人民党とフンシンペック党の合同作業部会,第1回会合。
DIA-202-2004-03-29-1カンボジア2004年03月29日2000年代フン・セン,新政府についてサム・ランシーと協議するつもりはない,と表明。
DIA-202-2004-03-31-1カンボジア2004年03月31日2000年代携帯型地対空ミサイルの破壊式典,コンポンスプー州で開催。
DIA-202-2004-04-05-1カンボジア2004年04月05日2000年代トル・ラ副首相兼教育相(フンシンペック党),死去。享年60歳。
DIA-202-2004-04-11-1カンボジア2004年04月11日2000年代ラッタナキリー州とモンドルキリー州の当局,国境警備強化を指示。
DIA-202-2004-04-12-1カンボジア2004年04月12日2000年代国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)プノンペン代表,カンボジア北西部国境地帯の警備強化を批判。
DIA-202-2004-04-14-1カンボジア2004年04月14日2000年代シバヌーク国王,ベトナム中部高原少数民族の保護を呼びかけ。
DIA-202-2004-04-19-1カンボジア2004年04月19日2000年代フン・セン首相,中国公式訪問(~25日)。
DIA-202-2004-04-27-1カンボジア2004年04月27日2000年代ジャマーリー・パキスタン首相,来訪(~28日)。
DIA-202-2004-05-07-1カンボジア2004年05月07日2000年代王国労働者自由労働組合の指導者の1人,ロッ・ソヴァンナレット,殺害される。
DIA-202-2004-05-10-1カンボジア2004年05月10日2000年代フン・セン首相,ラオス公式訪問(~12日)。一般旅券保持者の相互ビザ免除に合意。
DIA-202-2004-05-11-1カンボジア2004年05月11日2000年代シハヌーク国王,平壌より公開書簡で3党(人民党,フンシンペック党,サム・ランシー党)の緊急会合を提案。
DIA-202-2004-05-13-1カンボジア2004年05月13日2000年代人民党,「一括投票」(国会承認を必要とする政府と国会の全任命を一回の投票で一括承認すること)の要求撤回を発表。
DIA-202-2004-05-14-1カンボジア2004年05月14日2000年代フンシンペック党所属閣僚,2003年7月総選挙以来,初めて閣議に出席。
DIA-202-2004-05-15-1カンボジア2004年05月15日2000年代シハヌーク国王,3党会合の提案を拒否されたことに対して遺憾表明。
DIA-202-2004-05-18-1カンボジア2004年05月18日2000年代カンボジア・タイ合同文化委員会,初会合(~19日)。客観的で冷静で公平に歴史教育を評価する可能性を模索することで合意。
DIA-202-2004-05-18-2カンボジア2004年05月18日2000年代ホー・ナムホン外務・国際協力相,カンボジア政府は,ベトナム中部高原からカンボジアに越境する少数民族を難民とみなしていない,と言明。
DIA-202-2004-05-25-1カンボジア2004年05月25日2000年代人民党とフンシンペック党の合同作業部会,計14回の会合を経て,作業終了。両党が提案した政策項目計73項目のうち,68項目に決着。
DIA-202-2004-06-02-1カンボジア2004年06月02日2000年代フン・センとラナリット,「一括投票」に合意。政策綱領の残る5項目にも合意。
DIA-202-2004-06-26-1カンボジア2004年06月26日2000年代フン・センとラナリット,人民党6割,フンシンペック党4割の閣僚配分に合意し,連立協定に仮調印。
DIA-202-2004-06-28-1カンボジア2004年06月28日2000年代国連教育科学文化機関(ユネスコ)第28回世界遺産委員会,アンコール・ワット遺跡群の危機リストからの削除を決定(~7月7日)。
DIA-202-2004-06-30-1カンボジア2004年06月30日2000年代人民党とフンシンペック党,連立協定調印式典。
DIA-202-2004-06-30-2カンボジア2004年06月30日2000年代民主主義者同盟,人民党とフンシンペック党の連立協定を歓迎。
DIA-202-2004-07-08-1カンボジア2004年07月08日2000年代国会,「一括投票」を実施するための憲法改正案,人民党とフンシンペック党議員による全会一致で採択。サム・ランシー党議員は全員欠席。
DIA-202-2004-07-08-2カンボジア2004年07月08日2000年代キュー・カナリット政府報道官,カンボジア政府は,UNHCRに対して,ラッタナキリー州にいる山岳少数民族の難民申請の審査を認める用意がある,と表明。
DIA-202-2004-07-12-1カンボジア2004年07月12日2000年代上院,「一括投票」を実施するための憲法改正案,採択。
DIA-202-2004-07-13-1カンボジア2004年07月13日2000年代チア・シム,タイへ出国。
DIA-202-2004-07-15-1カンボジア2004年07月15日2000年代国会,「一括投票」により,新政府を承認し,ラナリットを議長に選出。サム・ランシー党議員は全員欠席。
DIA-202-2004-07-16-1カンボジア2004年07月16日2000年代新政府,初閣議。
DIA-202-2004-07-18-1カンボジア2004年07月18日2000年代フン・セン,サム・ランシー党が反乱軍を組織しようとしていると非難。
DIA-202-2004-07-21-1カンボジア2004年07月21日2000年代カンボジア,ラオス,ベトナムの首相による第3回会議,シアムリアプで開催。
DIA-202-2004-07-22-1カンボジア2004年07月22日2000年代チア・シム,帰国。
DIA-202-2004-07-27-1カンボジア2004年07月27日2000年代フン・セン,人民党内の派閥対立を否定する声明,発表。
DIA-202-2004-08-03-1カンボジア2004年08月03日2000年代サム・ランシー,ラナリットを民主主義者同盟の議長から外すと言明。
DIA-202-2004-08-10-1カンボジア2004年08月10日2000年代キンニュン・ミャンマー首相,来訪。
DIA-202-2004-08-24-1カンボジア2004年08月24日2000年代サム・ランシー党から50人以上がフンシンペック党に移籍。
DIA-202-2004-08-25-1カンボジア2004年08月25日2000年代ムー・ソチュア前女性問題・退役軍人相,フンシンペック党からサム・ランシー党へ移籍。
DIA-202-2004-08-31-1カンボジア2004年08月31日2000年代国会,世界貿易機関(WTO)加盟議定書を批准。
DIA-202-2004-08-31-2カンボジア2004年08月31日2000年代ラナリット,王位継承の意志がないこと,および王位継承者として異母弟のシハモニを支持すると言明。
DIA-202-2004-09-02-1カンボジア2004年09月02日2000年代憲法院,サム・ランシー党議員から提出されていた違憲審査要請を却下。
DIA-202-2004-09-03-1カンボジア2004年09月03日2000年代大臣会議,18歳~30歳の国民に18ヵ月間の兵役を義務づける兵役法案を承認。
DIA-202-2004-09-06-1カンボジア2004年09月06日2000年代上院,WTO加盟議定書を批准。
DIA-202-2004-09-23-1カンボジア2004年09月23日2000年代セレイ・コサル,フンシンペック党の党内改革の一環として,事務次長が22人から5人へ減員されたと言明。
DIA-202-2004-10-04-1カンボジア2004年10月04日2000年代国会,KR特別法廷の設置に関する国連との合意を全会一致で批准。
DIA-202-2004-10-07-1カンボジア2004年10月07日2000年代ラナリット,シハヌーク国王の退位を国会で発表。
DIA-202-2004-10-08-1カンボジア2004年10月08日2000年代国会,王位継承評議会法を可決。
DIA-202-2004-10-11-1カンボジア2004年10月11日2000年代上院,王位継承評議会法を可決。
DIA-202-2004-10-13-1カンボジア2004年10月13日2000年代カンボジアのWTO加盟,発効。
DIA-202-2004-10-14-1カンボジア2004年10月14日2000年代王位継承評議会,ノロドム・シハモニを全会一致で新国王に選出。
DIA-202-2004-10-20-1カンボジア2004年10月20日2000年代シハモニ殿下とシハヌーク・モニク夫妻,北京より帰国。
DIA-202-2004-10-28-1カンボジア2004年10月28日2000年代シハモニ国王,戴冠式(~30日)。即位は29日夜。
DIA-202-2004-12-06-1カンボジア2004年12月06日2000年代支援国会合(~7日)。主要援助国・機関,総額5億400万ドルの支援を公約。
DIA-202-2004-12-08-1カンボジア2004年12月08日2000年代国連使節団,KR特別法廷の予算について最終協議をするために来訪(~11日)。
DIA-202-2004-12-10-1カンボジア2004年12月10日2000年代国連使節団とKR特別法廷のための費用分担について合意。総費用5620万ドルのうち国連は4300万ドル,カンボジアは1320万ドルを拠出。
DIA-202-2005-01-13-1カンボジア2005年01月13日2000年代米国系大手石油企業シェブロンテキサコ、同社の子会社シェブロン・オーバーシーズ・ペトロリアム社がカンボジア海域(ブロックA鉱区)で石油を発見したと発表。
DIA-202-2005-01-28-1カンボジア2005年01月28日2000年代人民党第5期中央委員会第31回総会(~29日)。中央委常設委員にチア・チャント、ウク・ラブン、チアム・イヤプ、エク・サムオル、ソム・キムスーオ、クオン・スダリ、ペン・パンニャ、チャイ・タンの8人の新規追加を決定。これで常設委員は計28人に。
DIA-202-2005-02-03-1カンボジア2005年02月03日2000年代国会、サム・ランシー、チアム・チャンニー、チア・ポイ(いずれもサム・ランシー党議員)の不逮捕特権の剥奪可決。
DIA-202-2005-02-07-1カンボジア2005年02月07日2000年代国会、サム・ランシー党議員のボイコットのため定足数に満たず、不成立。
DIA-202-2005-02-09-1カンボジア2005年02月09日2000年代上院、議員任期を昨年に引き続きさらに1年延長を決定。
DIA-202-2005-02-09-2カンボジア2005年02月09日2000年代駐カンボジア日本大使、日本がクメール・ルージュ(KR)法廷に2150万ドルを拠出すると表明。
DIA-202-2005-02-14-1カンボジア2005年02月14日2000年代国会、議院規則を改正。会期中の議員発言を規制するため、発言は13人以上のグループを組織する議員にのみ認められる。
DIA-202-2005-03-02-1カンボジア2005年03月02日2000年代チア・シム、ホック・ランディに付き添われて病気治療のためバンコクに出国。ヘン・サムリン、この急の出国は党内派閥対立によるものではないと言明。
DIA-202-2005-03-05-1カンボジア2005年03月05日2000年代チア・シム帰国。
DIA-202-2005-03-10-1カンボジア2005年03月10日2000年代軍事裁判所調査判事、タ・モクとカン・ケック・イウ(通称ドイ)を収監延長のため「戦争犯罪と外国人に危害を加えた罪」で再起訴したと言明。
DIA-202-2005-03-28-1カンボジア2005年03月28日2000年代国連、KR裁判支援会議をニューヨークにて開催。13カ国から計3848万ドルの支援公約を得る。
DIA-202-2005-04-29-1カンボジア2005年04月29日2000年代「民主カンプチア時代に犯された罪のカンボジア法の下における訴追手続きに関するカンボジア・国連協定」発効。
DIA-202-2005-05-17-1カンボジア2005年05月17日2000年代国会、通常国会の成立に必要な定足数を減らす憲法改正案を可決。議員総数の3分の2以上の賛成が必要な議案が上程されていない限り定足数を87から74に削減。
DIA-202-2005-05-31-1カンボジア2005年05月31日2000年代ソク・アン副首相兼大臣官房国務大臣、各国の駐カンボジア大使に対して、KR裁判のカンボジア政府負担分に対する支援を公式に求める。カンボジア政府負担分1330万ドルのうちカンボジア政府が用意できるのは150万ドルのみと語る。
DIA-202-2005-06-16-1カンボジア2005年06月16日2000年代シアムリアプのインターナショナル・スクールで学童と教師を人質にした立てこもり事件。同日午後、警官隊の突入により主犯逮捕、人質解放される。
DIA-202-2005-06-28-1カンボジア2005年06月28日2000年代人民党、結党54周年記念式典。
DIA-202-2005-07-30-1カンボジア2005年07月30日2000年代カンボジア政府と国連、KR特別裁判部を首都郊外に新設された王国軍司令部内に設置することに合意。
DIA-202-2005-08-09-1カンボジア2005年08月09日2000年代軍事裁判所、チアム・チャンニー議員に対して、政府転覆を計画した罪で禁固刑7年を言い渡す。
DIA-202-2005-08-10-1カンボジア2005年08月10日2000年代シハモニ国王、初の中国公式訪問(~23日)。
DIA-202-2005-08-22-1カンボジア2005年08月22日2000年代国会、サム・ランシー党議員の出席を得て再開。ただし、不逮捕特権を剥奪された3人(サム・ランシー、チアム・チャンニー、チア・ポイ)は欠席。
DIA-202-2005-09-14-1カンボジア2005年09月14日2000年代最高裁、1997年国会議事堂前手榴弾襲撃事件にフン・セン首相が関与していたと主張するサム・ランシーの訴えを証拠不十分として却下。サム・ランシーは2004年2月に提訴したが、プノンペン特別市地裁と控訴審ともに証拠不十分として却下していた。
DIA-202-2005-09-29-1カンボジア2005年09月29日2000年代サー・ケン副首相とグエン・タン・ズン・ベトナム副首相の主催により、第2回カンボジア・ベトナム国境地域発展協力会議をシアムリアプで開催。
DIA-202-2005-10-10-1カンボジア2005年10月10日2000年代ベトナムを公式訪問中のフン・セン首相、ファン・ヴァン・カイ・ベトナム首相と「1985年カンボジア・ベトナム国境画定条約の補足協定」に署名。
DIA-202-2005-10-10-2カンボジア2005年10月10日2000年代マム・ソナンドBeehive FM 105ラジオ・オーナー兼ディレクター、フン・センに対する名誉毀損の容疑で逮捕される。
DIA-202-2005-10-12-1カンボジア2005年10月12日2000年代フン・セン首相、ベトナムから帰国。
DIA-202-2005-10-14-1カンボジア2005年10月14日2000年代インド、KR裁判費用のカンボジア負担分に対して100万ドルの支援を表明。
DIA-202-2005-10-14-2カンボジア2005年10月14日2000年代ルン・チューン・カンボジア独立教師協会長、フン・センに対する名誉毀損の容疑で逮捕される。
DIA-202-2005-11-02-1カンボジア2005年11月02日2000年代経済・財務省、外国貿易銀行(FTB)がカナディア銀行とINGホールディングに売却されたと公表。
DIA-202-2005-11-11-1カンボジア2005年11月11日2000年代国会、「1985年カンボジア・ベトナム国境画定条約の補足協定」を批准。
DIA-202-2005-11-14-1カンボジア2005年11月14日2000年代フンシンペック党、臨時党大会。フン・センが基調演説者として招待される。
DIA-202-2005-11-21-1カンボジア2005年11月21日2000年代人民党、臨時党大会(~23日)。主な決定事項は下記の7点。(1)2003-2005年の活動総括と2006年の目標。(2)「1985年カンボジア・ベトナム国境画定条約の補足協定」の締結に対する強い支持。(3)民主カンプチア時代に犯された罪を裁くための特別裁判部をカンボジアの法の下に設置することを促進するためのカンボジア政府と国連の協力に対する支持。(4)第2期上院選挙に党が参加することの確認。(5)人民党副総裁のフン・センを第4期国会における首相候補として指名すること。(6)人民党とラナリットを総裁とするフンシンペック党との協力を強化する立場の確認。(7)新たな環境で党の指導力を強化するために、中央委員会を153人から物故した6名を除き268人に増員すること。
DIA-202-2005-11-24-1カンボジア2005年11月24日2000年代KR特別裁判部事務局長にシエン・ビソット前KR裁判に関する政府作業部長が、同事務次長にミシェル・リー国連調整官が就任。
DIA-202-2005-11-25-1カンボジア2005年11月25日2000年代上院、「1985年カンボジア・ベトナム国境画定条約の補足協定」を批准。
DIA-202-2005-11-30-1カンボジア2005年11月30日2000年代シハモニ国王、「1985年カンボジア・ベトナム国境画定条約の補足協定」を公布するための勅令に署名。
DIA-202-2005-12-06-1カンボジア2005年12月06日2000年代ホー・ナム・ホン副首相兼外務・国際協力省、グエン・ジー・ニエン・ベトナム外相と「1985年カンボジア・ベトナム国境画定条約の補足協定」の批准書を交換。
DIA-202-2005-12-12-1カンボジア2005年12月12日2000年代サム・ランシー党事務局長のエン・チャイ・イアン、辞意を表明。サム・ランシーとの軋轢は否定。
DIA-202-2005-12-15-1カンボジア2005年12月15日2000年代ペン・ソバン民族維持党党首、同党を解散する意志を表明。本人以下党員は主要3党のいずれかに合流すると言明。
DIA-202-2005-12-22-1カンボジア2005年12月22日2000年代プノンペン特別市地裁、欠席裁判でサム・ランシーに対して2つの罪状で計18ヶ月の禁固刑と被害者への補償金計1万4000ドルの有罪判決を下す。罪状は、(1)ラジオ放送(Beehive FM 105)でラナリットが2004年に人民党と連立政府を樹立する際にフン・センから3000万ドルと航空機1機を受け取ったと述べ、ラナリットの名誉を毀損したこと、(2)「フン・センが敵対者を暗殺し、かつ1997年3月の手榴弾襲撃事件に関与していた」と訴訟を起こしてフン・センの名誉を毀損したこと。
DIA-202-2005-12-28-1カンボジア2005年12月28日2000年代EU、KR裁判のカンボジア政府負担分へ約120万ドルの支援を表明。
DIA-202-2006-01-16-1カンボジア2006年01月16日2000年代ヒル米国務次官補の来訪後,2005年12月~2006年1月に名誉毀損罪で逮捕されていた人権活動家が釈放される。
DIA-202-2006-01-22-1カンボジア2006年01月22日2000年代上院議員選挙。人民党が57議席中45議席を獲得。
DIA-202-2006-02-05-1カンボジア2006年02月05日2000年代国王,サム・ランシーに恩赦。
DIA-202-2006-02-06-1カンボジア2006年02月06日2000年代チアム・チャンニー(サム・ランシー党議員)が釈放される。
DIA-202-2006-02-10-1カンボジア2006年02月10日2000年代サム・ランシー,亡命先から帰国。
DIA-202-2006-02-11-1カンボジア2006年02月11日2000年代フン・セン首相,サム・ランシーと会談。
DIA-202-2006-02-12-1カンボジア2006年02月12日2000年代クメール・ルージュ(KR)裁判事務局を国軍本部敷地内に設立。
DIA-202-2006-02-26-1カンボジア2006年02月26日2000年代国家土地紛争解決機関を大臣会議官房内に設置。
DIA-202-2006-02-28-1カンボジア2006年02月28日2000年代国会,サム・ランシー,チア・ポイ,チアム・チャンニー(いずれもサム・ランシー党議員)の不逮捕特権回復を可決。
DIA-202-2006-03-02-1カンボジア2006年03月02日2000年代国会,憲法第90条第8項改正を可決。大臣会議形成に必要な賛成数を定数の3分の2から過半数に変更。
DIA-202-2006-03-02-2カンボジア2006年03月02日2000年代共同大臣制廃止。ニェック・ブンチャイ共同国防大臣,シリヴット共同内務大臣が離職。
DIA-202-2006-03-02-3カンボジア2006年03月02日2000年代支援国会合(~3日)。計6億100万ドルの拠出約束。
DIA-202-2006-03-03-1カンボジア2006年03月03日2000年代ラナリット,国会議長を辞任。
DIA-202-2006-03-04-1カンボジア2006年03月04日2000年代ラナリット,開発評議会共同議長を辞任。
DIA-202-2006-03-06-1カンボジア2006年03月06日2000年代ファン・ヴァン・カイ・ベトナム首相が来訪。経済特区,国道78号線建設,国境標設置などについて合意。
DIA-202-2006-03-06-2カンボジア2006年03月06日2000年代国会,商事仲裁法を可決。
DIA-202-2006-03-07-1カンボジア2006年03月07日2000年代ベトナムと40品目の免税,国境経済特区建設などの通商関係に関する覚書に調印。
DIA-202-2006-03-07-2カンボジア2006年03月07日2000年代国会,国会内委員会委員長職のうちフンシンペック党議員2人をサム・ランシー党議員に交代。
DIA-202-2006-03-08-1カンボジア2006年03月08日2000年代国連,KR裁判司法官の外国人候補者12人を指名。
DIA-202-2006-03-14-1カンボジア2006年03月14日2000年代ラナリット,シリヴットをフンシンペック党党首代行に任命し,国外へ(~8月)。
DIA-202-2006-03-20-1カンボジア2006年03月20日2000年代上院,チア・シムを議長に再任。チヴァン・モニラック第1副議長,テップ・ゴーン第2副議長。
DIA-202-2006-03-21-1カンボジア2006年03月21日2000年代国会,シリヴット上級大臣を解任,ニェック・ブンチャイの上級大臣継続を可決。
DIA-202-2006-03-22-1カンボジア2006年03月22日2000年代シリヴット,フンシンペック党党首代行を辞任。ニェック・ブンチャイが事務局長に就任。
DIA-202-2006-03-23-1カンボジア2006年03月23日2000年代国会,ヘン・サムリン議長,グオン・ネル第1副議長,ユー・ホックリー第2副議長を選出。
DIA-202-2006-03-23-2カンボジア2006年03月23日2000年代シアムリアプ州,カンダール州知事などのフンシンペック党知事が解任される。
DIA-202-2006-04-12-1カンボジア2006年04月12日2000年代温家宝・中国首相が来訪。約6億ドルの経済協力に合意。貿易,科学,技術,文化,国際犯罪防止などに関する協力合意文書11件に調印。
DIA-202-2006-04-18-1カンボジア2006年04月18日2000年代プノンペン市副知事のうち,3人のフンシンペック党員が解任される。
DIA-202-2006-05-08-1カンボジア2006年05月08日2000年代最高司法官職評議会,KR裁判司法官(カンボジア人17人,外国人12人)を承認。
DIA-202-2006-05-23-1カンボジア2006年05月23日2000年代国会,ネップ・ブンチン労働・職業訓練大臣を解任,ヴォーン・ソット新大臣を承認。
DIA-202-2006-05-29-1カンボジア2006年05月29日2000年代3G携帯電話の使用禁止を発表。
DIA-202-2006-05-30-1カンボジア2006年05月30日2000年代国会,名誉毀損罪から禁固刑を廃止し,罰金刑に限定する刑法改正案を可決。
DIA-202-2006-05-31-1カンボジア2006年05月31日2000年代バサック川沿岸第14村の土地収用に関して,暴動発生。
DIA-202-2006-06-06-1カンボジア2006年06月06日2000年代世銀,汚職の疑いで3プロジェクトを凍結,760万ドルの返還を要求。
DIA-202-2006-06-15-1カンボジア2006年06月15日2000年代国連とEC,KR裁判に630万ドルを寄付。
DIA-202-2006-06-15-2カンボジア2006年06月15日2000年代縫製工場の免税期間を2年延長。
DIA-202-2006-06-23-1カンボジア2006年06月23日2000年代「国家戦略開発計画(NSDP)2006-2010」開始。
DIA-202-2006-06-28-1カンボジア2006年06月28日2000年代世銀,新規援助の供与を再開。
DIA-202-2006-06-29-1カンボジア2006年06月29日2000年代縫製業協会,最低賃金引き上げ交渉の用意を表明。労組は7月3日予定の全国ストライキを回避。
DIA-202-2006-07-03-1カンボジア2006年07月03日2000年代KR裁判司法官就任の宣誓式開催。
DIA-202-2006-07-05-1カンボジア2006年07月05日2000年代シェブロン社子会社,ソク・アン副首相とタイ湾沖での石油採掘について合意。
DIA-202-2006-07-10-1カンボジア2006年07月10日2000年代国家選挙委員会の委員数を拡大。
DIA-202-2006-07-21-1カンボジア2006年07月21日2000年代元KR軍参謀タ・モクがプノンペン市内の獄中にて死亡(享年81歳)。
DIA-202-2006-07-26-1カンボジア2006年07月26日2000年代国会,Sino-Hydropower社(中国)の水力発電所建設投資保証を可決。
DIA-202-2006-07-26-2カンボジア2006年07月26日2000年代民事訴訟法施行。
DIA-202-2006-08-10-1カンボジア2006年08月10日2000年代タクシン・タイ首相,来訪。
DIA-202-2006-08-22-1カンボジア2006年08月22日2000年代反汚職捜査機関を大臣会議官房内に設置。
DIA-202-2006-08-30-1カンボジア2006年08月30日2000年代国会,訴追免除法を可決。
DIA-202-2006-09-01-1カンボジア2006年09月01日2000年代国会,重婚禁止法を可決。
DIA-202-2006-09-07-1カンボジア2006年09月07日2000年代ベトナムとの国境標設置記念式典開催。
DIA-202-2006-09-09-1カンボジア2006年09月09日2000年代人民社会主義共同体戦線党結成。シソワット・トミコ党首。
DIA-202-2006-10-01-1カンボジア2006年10月01日2000年代2007年コミューン選挙の選挙人登録開始(~20日)。
DIA-202-2006-10-06-1カンボジア2006年10月06日2000年代チア・ヴィチア殺害事件控訴審,延期。
DIA-202-2006-10-09-1カンボジア2006年10月09日2000年代フン・セン首相,豪州訪問(~14日)。
DIA-202-2006-10-14-1カンボジア2006年10月14日2000年代BHB Billiton社(豪州)と三菱商事,モンドルキリー州でのボーキサイト等の採掘権獲得。
DIA-202-2006-10-15-1カンボジア2006年10月15日2000年代スラユット・タイ首相,来訪。
DIA-202-2006-10-16-1カンボジア2006年10月16日2000年代国会,セレイ・コサル上級大臣を解任,他に9人のフンシンペック党員の次官職の交代を承認。
DIA-202-2006-10-18-1カンボジア2006年10月18日2000年代フンシンペック党臨時党大会で,ラナリット党首を解任。ケオ・プット・レスマイ党首,ルー・ライスレン第1副党首,シソワット・シリラット第2副党首が就任。
DIA-202-2006-10-24-1カンボジア2006年10月24日2000年代国会,ケオ・プット・レスマイ副首相,マリー・ラナリット上級大臣を承認。
DIA-202-2006-10-25-1カンボジア2006年10月25日2000年代国会,徴兵法を可決。
DIA-202-2006-11-16-1カンボジア2006年11月16日2000年代ノロドム・ラナリット党結成。ラナリット党首,チャクラポン副党首。
DIA-202-2006-11-19-1カンボジア2006年11月19日2000年代盧武鉉・韓国大統領,来訪(~22日)。
DIA-202-2006-11-23-1カンボジア2006年11月23日2000年代プノンペン地裁,違法伐採事件でカム・コーン前ラッタナキリー州知事に有罪判決。
DIA-202-2006-11-25-1カンボジア2006年11月25日2000年代KR裁判内部規則の策定に失敗。
DIA-202-2006-11-27-1カンボジア2006年11月27日2000年代国会,フンシンペック党のユー・ホックリー国会第2副議長を解任し,同党のホン・スン・フオットを新副議長として承認。
DIA-202-2006-12-04-1カンボジア2006年12月04日2000年代フン・セン首相,ダラットにてラオス,ベトナム首相と会談(~5日)。
DIA-202-2006-12-05-1カンボジア2006年12月05日2000年代ソク・アン副首相,国連宛書簡でKR裁判の弁護人問題解決に向けた対話を要請。
DIA-202-2006-12-12-1カンボジア2006年12月12日2000年代ノロドム・ラナリット党のラナリットとチム・セアク・レングが国会議員を,チャクラポンが上院議員を免職される。国会,3名の不逮捕特権剥奪を可決。
DIA-202-2006-12-12-2カンボジア2006年12月12日2000年代シハヌークヴィル空港,2007年1月再開へ。
DIA-202-2006-12-14-1カンボジア2006年12月14日2000年代国会,2007年予算11億ドルを承認。
DIA-202-2006-12-15-1カンボジア2006年12月15日2000年代国会,国会議員選挙法改正を可決。
DIA-202-2006-12-17-1カンボジア2006年12月17日2000年代ラナリットが重婚禁止法違反で告訴されたことが判明。
DIA-202-2006-12-21-1カンボジア2006年12月21日2000年代ヘン・ポー前プノンペン市警察長官,2003年裁判官殺害事件関与の容疑で逮捕。
DIA-202-2007-01-14-1カンボジア2007年01月14日2000年代シハヌークヴィル・カンケン空港,20数年ぶりに再開。
DIA-202-2007-02-05-1カンボジア2007年02月05日2000年代フン・セン首相,王族が政治から離脱するのを後押しするつもりはないが,自発的に身を引くなら2008年総選挙までは彼らに財政支援を行ってよい,と発言。
DIA-202-2007-02-07-1カンボジア2007年02月07日2000年代ニエック・ブン・チャイ・フンシンペック党事務局長,前々日のフン・セン発言を支持すると発言。
DIA-202-2007-02-08-1カンボジア2007年02月08日2000年代フンシンペック党,声明文を発表し,ニエック・ブン・チャイ事務局長の発言は,その参加が常にカンボジアに政治危機と不安定を引き起こしている少数の王族に言及したものであり,良き伝統と文化を守っている王族の名誉と威厳に影響を与える意図はないものだと表明。
DIA-202-2007-02-21-1カンボジア2007年02月21日2000年代アメリカ大使館,カンボジア政府に対する直接援助の禁止をアメリカ政府が解除したと発表。
DIA-202-2007-02-24-1カンボジア2007年02月24日2000年代ホイ・ヴティ射殺される。ホイは自由労働組合(FTU)のSuntex工場の委員長。FTU指導者の殺害は3人目。
DIA-202-2007-02-25-1カンボジア2007年02月25日2000年代チア・モニイFTU委員長,ホイ・ヴティの殺害はFTU組合員を恐れさせ縫製工場に対抗してストやデモを行わせないようにするためのものであると憤りを表明。
DIA-202-2007-02-28-1カンボジア2007年02月28日2000年代軍事裁判所,カン・ケック・イウ通称ドゥッチ元民主カンプチアS-21強制収容所長の戦争犯罪を再認定し,拘留を2008年まで延長することを決定。
DIA-202-2007-03-04-1カンボジア2007年03月04日2000年代人民党中央委員会年次総会。(1)党への事前相談なしに土地を収用した党員を除名する権限をフン・セン党中央委副委員長への付与,(2)カム・クーン前ラッタナキリー州知事の中央委員会からの除名,(3)クメール・ルージュ(KR)の幹部の起訴に賛成,(4)フンシンペック党との協力関係の維持,等を決定。
DIA-202-2007-03-12-1カンボジア2007年03月12日2000年代マハ・ゴサナンダ僧,死去。享年80歳。
DIA-202-2007-03-13-1カンボジア2007年03月13日2000年代プノンペン特別市裁判所,欠席裁判でラナリット・ノロドム・ラナリット党(NRP)党首に対して18カ月の禁固と罰金15万ドルの支払いを命じる。ラナリット党首は,フンシンペック党本部の売却代金を横領し,自分名義の土地を購入したとフンシンペック党に堤訴されていた。
DIA-202-2007-04-01-1カンボジア2007年04月01日2000年代第2回村評議会選挙,投票日。
DIA-202-2007-04-06-1カンボジア2007年04月06日2000年代控訴裁判所,チア・ヴィチア殺害事件に関し,プノンペン特別市裁判所が2005年8月に下した2人の男性に対する有罪判決を支持。チア・ヴィチアは2004年1月に殺害された当時,FTU委員長。
DIA-202-2007-04-10-1カンボジア2007年04月10日2000年代ケム・ソッカ・カンボジア人権センター長,人権党の登録申請書を内務省に提出。
DIA-202-2007-04-10-2カンボジア2007年04月10日2000年代「民主カンプチア時代の上級指導者であり,カンボジア刑法,国際人道法および慣習法ならびにカンボジアにより承認された国際条約上の重要な違反で,1975年4月17日から1979年1月6日までの期間に行われたことに最も責任を持つ者」を裁くカンボジア裁判所特別裁判部(ECCC)外国人裁判官団,カンボジア弁護士協会(CBA)に対して,4月末までに外国人弁護士の参加料を引き下げなければ,ECCCの弁護師団から排除されることになろうと発言。
DIA-202-2007-04-13-1カンボジア2007年04月13日2000年代ECCCカンボジア人裁判官団,外国人弁護士団のCBAに対する最後通牒に対してカンボジア政府と国連の合意内容と精神に一致していないと非難。
DIA-202-2007-04-18-1カンボジア2007年04月18日2000年代国際労働機関(ILO),チア・ヴィチア殺害事件の捜査・審理は透明性に欠け,罰されないという風潮を助長する,と非難声明。
DIA-202-2007-04-25-1カンボジア2007年04月25日2000年代国家選挙管理委員会,村評議会選挙の確定結果を発表。全国1621村中,人民党が1591村,サム・ランシー党が28村,NRP2村で勝利。
DIA-202-2007-04-28-1カンボジア2007年04月28日2000年代CBA,外国人弁護士の参加料を500ドルに引き下げることを決定。
DIA-202-2007-05-09-1カンボジア2007年05月09日2000年代キュー・カナリット政府報道官,ライ・プロハ観光相(フンシンペック党所属)を解任したと発表。
DIA-202-2007-05-18-1カンボジア2007年05月18日2000年代国会,トン・コン観光省次官(人民党所属)の観光相への昇任を承認。
DIA-202-2007-05-27-1カンボジア2007年05月27日2000年代人民社会主義共同体戦線党(党首シソワット・トミコ),NRPに合流。
DIA-202-2007-06-12-1カンボジア2007年06月12日2000年代ECCC,内部規則を採択。
DIA-202-2007-06-19-1カンボジア2007年06月19日2000年代政府,「カンボジア開発協力フォーラム」(CDCF)を開催(~20日,プノンペン)。
DIA-202-2007-06-20-1カンボジア2007年06月20日2000年代政府,2007年度分として計6億8920万ドルの援助公約を得たと発表。
DIA-202-2007-06-25-1カンボジア2007年06月25日2000年代シエムリアプ発シハヌークヴィル行きPMT航空U4 241便,コンポート州で墜落。乗員乗客22人,全員死亡。
DIA-202-2007-07-02-1カンボジア2007年07月02日2000年代トミコ,NRPを辞めてフンシンペック党に入党。
DIA-202-2007-07-12-1カンボジア2007年07月12日2000年代ウク・ソンチアットとセレイ・コサル,NRPを離党し,フンシンペック党に再入党。2人はラナリットのアドバイザー。
DIA-202-2007-07-14-1カンボジア2007年07月14日2000年代ムット・チャンタNRP報道官,NRPがフンシンペック党との共同戦線に加わる可能性はない,と言明。
DIA-202-2007-07-17-1カンボジア2007年07月17日2000年代ルー・ライスレン・フンシンペック党次長,NRP離党者100人の歓迎式典で,ラナリットはフンシンペック党で指導力を発揮することは今や期待されていない,と発言。
DIA-202-2007-07-18-1カンボジア2007年07月18日2000年代ECCC共同検察官,最初の付託書を共同捜査判事に提出。記者会見では訴追者5人の名は伏せる。
DIA-202-2007-07-22-1カンボジア2007年07月22日2000年代人権党,第1回総会。
DIA-202-2007-07-31-1カンボジア2007年07月31日2000年代ECCC,共同捜査判事の命令に従ってカン・ケック・イウを人道に対する罪で起訴し,仮拘留。
DIA-202-2007-08-23-1カンボジア2007年08月23日2000年代カン・ケック・イウ,仮拘留命令に異議申立。
DIA-202-2007-08-27-1カンボジア2007年08月27日2000年代ラナリットNRP党首,同日付書簡で「いかなる状況下でもフンシンペック党に戻らないことを決心した」と宣言。
DIA-202-2007-09-19-1カンボジア2007年09月19日2000年代ECCC,共同捜査判事の命令に従って,ヌオン・チア元民主カンプチア人民代表議会長(通称ブラザーNo.2)を人道に対する罪と戦争犯罪で起訴し,仮拘留。
DIA-202-2007-10-03-1カンボジア2007年10月03日2000年代控訴裁判所,プノンペン特別市裁判所による有罪判決の取り消しを求めるラナリットNRP党首の訴えを却下し,18カ月の禁固刑と罰金15万ドルの支払を命じる。
DIA-202-2007-10-18-1カンボジア2007年10月18日2000年代フンシンペック党,年次大会。2008年総選挙の首相候補としてノロドム・アルンラスメイを選出。アルンラスメイは同党首ケオ・プット・ラスメイの妻であり,シハヌーク前国王の娘。
DIA-202-2007-11-12-1カンボジア2007年11月12日2000年代ECCC,共同捜査判事の命令に従って,イエン・サリ元民主カンプチア外務相を人道に対する罪と戦争犯罪で,イエン・チリト元民主カンプチア社会問題相を人道に対する罪で起訴し,仮拘留。
DIA-202-2007-11-12-2カンボジア2007年11月12日2000年代ヌオン・チア,仮拘留命令に異議申立。
DIA-202-2007-11-19-1カンボジア2007年11月19日2000年代ECCC,共同捜査判事の命令に従って,キュー・サンパン元民主カンプチア国家元首を人道に対する罪と戦争犯罪で起訴し,仮拘留。
DIA-202-2007-11-20-1カンボジア2007年11月20日2000年代ECCC予審,カン・ケック・イウの仮拘留命令に対する異議申立を審理。これはECCCの初審理。
DIA-202-2007-12-03-1カンボジア2007年12月03日2000年代ECCC予審,カン・ケック・イウの異議申立を却下。
DIA-202-2007-12-12-1カンボジア2007年12月12日2000年代イエン・チリト,仮拘留命令に対する異議申立。
DIA-202-2008-01-12-1カンボジア2008年01月12日2000年代人民党臨時党大会(~13日)。フン・センを党の首相候補とすること,フンシンペック党との連立を維持することを決定。
DIA-202-2008-02-26-1カンボジア2008年02月26日2000年代カン・ケック・イウ(通称ドゥッチ)元民主カンプチアS-21強制収容所長,チュウン・エク殺害所を訪問。
DIA-202-2008-02-27-1カンボジア2008年02月27日2000年代カン・ケック・イウ,S-21強制収容所(現ツールスレン虐殺博物館)を訪問。民主カンプチア崩壊後,初の訪問。
DIA-202-2008-03-03-1カンボジア2008年03月03日2000年代サマック・タイ首相,来訪。カンボジアによるプレア・ヴィヒア寺院の世界遺産登録申請に対して支持表明。
DIA-202-2008-03-20-1カンボジア2008年03月20日2000年代カンボジア裁判所特別裁判部(ECCC)予審,ヌオン・チア元民主カンプチア人民代表議会議長(通称ブラザーNo.2)の拘留命令に対する異議申立を棄却。
DIA-202-2008-03-29-1カンボジア2008年03月29日2000年代政府,カンボジア人女性と韓国人男性の婚姻を受理しないことを決定。
DIA-202-2008-04-01-1カンボジア2008年04月01日2000年代国会,新行政単位法を採択。カエップ特別市とシハヌークヴィル特別市を州に再編すること,郡,州・特別市に村評議会議員により選出される評議会を設置することを規定。
DIA-202-2008-04-03-1カンボジア2008年04月03日2000年代外務省,シハモニ国王が3月31日にASEAN憲章の批准書を認証したと発表。
DIA-202-2008-04-04-1カンボジア2008年04月04日2000年代労働諮問委員会,縫製・製靴工場労働者の最低賃金の6ドル引き上げを承認。最低賃金は56ドル/月に。
DIA-202-2008-04-10-1カンボジア2008年04月10日2000年代タイ外務省,在バンコク・カンボジア大使を召喚し,カンボジアがプレア・ヴィヒア寺院周辺の係争区域を侵害していると抗議。
DIA-202-2008-04-12-1カンボジア2008年04月12日2000年代政府,タイ政府に向け声明文を発表。タイとの友好関係を約束すること,しかしカンボジアがプレア・ヴィヒア寺院周辺の係争区域を変更しないとする2000年の両政府合意に反しているというタイの主張は否定すること,保安隊は同寺院観光客の安全確保とカンボジア領内の地雷撤去を行っていることを主張。
DIA-202-2008-04-15-1カンボジア2008年04月15日2000年代潘基文・国連事務総長,「歴史の最も暗黒な章のひとつ」を閉じるために国際社会がECCCに助力するように要求。なお,4月15日はポル・ポトの命日,死亡から10年。
DIA-202-2008-04-18-1カンボジア2008年04月18日2000年代在インドネシア・カンボジア大使,ASEAN憲章の批准書をASEAN事務局に提出。
DIA-202-2008-04-19-1カンボジア2008年04月19日2000年代ロン・リット(ロン・ノル元クメール共和国大統領の息子),35年ぶりに帰国。
DIA-202-2008-04-27-1カンボジア2008年04月27日2000年代国家選挙委員会(NEC),申請12党のうち11党に選挙参加資格を確認。
DIA-202-2008-05-06-1カンボジア2008年05月06日2000年代ソク・アン官房長官とウィラポン・タイ外務次官,カンボジアによるプレア・ヴィヒア寺院の世界遺産登録をタイ政府が支持すること,および同寺院の世界遺産登録は共同国境委員会の国境画定作業に影響を及ぼすものではない旨を共同発表。
DIA-202-2008-06-22-1カンボジア2008年06月22日2000年代政府,プレア・ヴィヒア寺院の国境検問所を閉鎖。
DIA-202-2008-06-30-1カンボジア2008年06月30日2000年代シハヌーク前国王,フンシンペック党に対して自分の名と肖像を選挙運動に用いないように要請。
DIA-202-2008-07-07-1カンボジア2008年07月07日2000年代国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会,プレア・ヴィヒア寺院の世界遺産登録を承認。
DIA-202-2008-07-09-1カンボジア2008年07月09日2000年代ECCC予審,イエン・チリトの拘留命令に対する異議申立を棄却。
DIA-202-2008-07-15-1カンボジア2008年07月15日2000年代警察,プレア・ヴィヒア寺院に侵入したタイ人3人を逮捕。
DIA-202-2008-07-22-1カンボジア2008年07月22日2000年代ASEAN非公式外相会合,プレア・ヴィヒア寺院周辺地域の領有を巡るカンボジアとタイの対立について協議。ASEANとしての積極的な関与は否定。
DIA-202-2008-07-25-1カンボジア2008年07月25日2000年代ECCC共同検察官,カン・ケック・イウの容疑に関する最終付託書を提出。
DIA-202-2008-07-27-1カンボジア2008年07月27日2000年代第4期国会総選挙。人民党が勝利宣言。
DIA-202-2008-07-28-1カンボジア2008年07月28日2000年代サム・ランシー党(SRP),人権党,フンシンペック党,ノロドム・ラナリット(NRP)党,総選挙結果を受け入れないと共同宣言。
DIA-202-2008-07-28-2カンボジア2008年07月28日2000年代タイ軍,ボンティアイ・ミアンチェイ州のタ・モアン遺跡を包囲。
DIA-202-2008-07-30-1カンボジア2008年07月30日2000年代最高裁,プノンペン特別市地裁がラナリットに対して2007年3月に下した判決を支持。
DIA-202-2008-08-07-1カンボジア2008年08月07日2000年代自由・公正な選挙のための委員会(Comfrel),2008年総選挙は自由で公正な選挙のための国際基準に達していなかったとの評価を発表。
DIA-202-2008-08-08-1カンボジア2008年08月08日2000年代ECCC共同捜査判事,カン・ケック・イウをS-21強制収容所における彼の役割に関して戦争犯罪と人道に対する罪で起訴。
DIA-202-2008-08-16-1カンボジア2008年08月16日2000年代警察,カンボジア労組同盟による反タイ示威運動を阻止。
DIA-202-2008-08-21-1カンボジア2008年08月21日2000年代ECCC共同検察官,カン・ケック・イウの起訴状に法的不備があるとして異議申立。
DIA-202-2008-09-02-1カンボジア2008年09月02日2000年代NEC,2008年総選挙の最終公式結果を発表。
DIA-202-2008-09-03-1カンボジア2008年09月03日2000年代第2回国勢調査の暫定結果,発表。総人口は1338万8900人。うち男性650万人,女性690万人。
DIA-202-2008-09-16-1カンボジア2008年09月16日2000年代ECCC予審,ヌオン・チアの拘留を最長1年間延長することを命令。
DIA-202-2008-09-21-1カンボジア2008年09月21日2000年代ラナリット,シアムリアプに帰国。
DIA-202-2008-09-24-1カンボジア2008年09月24日2000年代第4期国会,招集。人権党の3議員は欠席。
DIA-202-2008-09-25-1カンボジア2008年09月25日2000年代国会,新大臣会議を承認。
DIA-202-2008-09-25-2カンボジア2008年09月25日2000年代シハモニ国王,ラナリットに恩赦。
DIA-202-2008-10-02-1カンボジア2008年10月02日2000年代ラナリット,政界引退を発表。
DIA-202-2008-10-03-1カンボジア2008年10月03日2000年代軍,プレア・ヴィヒア寺院付近の係争区域でタイ軍と交戦。
DIA-202-2008-10-04-1カンボジア2008年10月04日2000年代NRP,ラナリットが党首を辞した旨を発表。
DIA-202-2008-10-06-1カンボジア2008年10月06日2000年代タイ軍兵士2人,プレア・ヴィヒア寺院付近の警備中に地雷に遭い重傷。
DIA-202-2008-10-12-1カンボジア2008年10月12日2000年代ノロドム・シリヴッド(フンシンペック党所属国会議員,元内務共同大臣),政界引退を宣言。
DIA-202-2008-10-13-1カンボジア2008年10月13日2000年代ソンポン・タイ外相,来訪。フン・セン首相と会談。フン・セン首相,会談後の記者会見で「24時間以内にタイ軍が係争区域から撤退しなければ,戦争が始まる」と発言。
DIA-202-2008-10-15-1カンボジア2008年10月15日2000年代軍,プレア・ヴィヒア寺院付近の係争区域でタイ軍と交戦。カンボジア兵3人死亡。
DIA-202-2008-10-17-1カンボジア2008年10月17日2000年代ECCC予審,イエン・サリの拘留命令に対する異議申立を棄却。
DIA-202-2008-10-28-1カンボジア2008年10月28日2000年代ECCC予審,キュー・サンパンの拘留命令に対する異議申立を棄却。
DIA-202-2008-11-07-1カンボジア2008年11月07日2000年代政府,プレア・ヴィヒア寺院で国旗掲揚式典を開催。
DIA-202-2008-11-10-1カンボジア2008年11月10日2000年代ECCC予審,イエン・サリとイエン・チリトの拘留を最長1年間延長することを命令。
DIA-202-2008-11-13-1カンボジア2008年11月13日2000年代ECCC予審,キュー・サンパンの拘留を最長1年間延長することを命令。
DIA-202-2008-12-04-1カンボジア2008年12月04日2000年代第2回カンボジア開発協力フォーラム(~5日)。
DIA-202-2008-12-05-1カンボジア2008年12月05日2000年代ECCC予審,共同検察官による8月21日付異議申立の審理を終了し,カン・ケック・イウに関する捜査終了を命令。
DIA-202-2008-12-06-1カンボジア2008年12月06日2000年代シハモニ国王,ラナリットを主席国王アドバイザーに任命。
DIA-202-2009-01-02-1カンボジア2009年01月02日2000年代国防省およびテレビ局(TV3)前にて爆発物発見。
DIA-202-2009-01-07-1カンボジア2009年01月07日2000年代「虐殺政権(KR政権)に対する勝利」30周年記念式典開催。
DIA-202-2009-01-08-1カンボジア2009年01月08日2000年代ヌオン・チアの弁護人が,カンボジア特別法廷(ECCC)事務総長セアン・ヴィソットを汚職で告訴。
DIA-202-2009-01-09-1カンボジア2009年01月09日2000年代中曽根外相,来訪(~10日)。
DIA-202-2009-01-11-1カンボジア2009年01月11日2000年代フンシンペック党員合計35人が人民党に移籍していたことが判明。
DIA-202-2009-01-14-1カンボジア2009年01月14日2000年代フン・セン首相,クウェート訪問。
DIA-202-2009-01-22-1カンボジア2009年01月22日2000年代カエ・キムヤーン国軍最高司令官の退任発表。
DIA-202-2009-01-23-1カンボジア2009年01月23日2000年代中央銀行,2月1日から預金準備率の16%から12%への引き下げ発表。
DIA-202-2009-01-26-1カンボジア2009年01月26日2000年代日本,シハヌークヴィル港湾整備に7000万ドル借款供与決定。
DIA-202-2009-01-27-1カンボジア2009年01月27日2000年代フランス・パリ刑事裁判所,ホー・ナムホン外相がサム・ランシーを名誉毀損で訴えた事件で有罪判決。サム・ランシーは,控訴へ。
DIA-202-2009-02-02-1カンボジア2009年02月02日2000年代バンコクにてタイとの合同国境画定委員会,開催(~4日)。
DIA-202-2009-02-16-1カンボジア2009年02月16日2000年代ECCC,ドゥイッ被告の公判前手続き実施(~17日)。
DIA-202-2009-02-19-1カンボジア2009年02月19日2000年代ベトナム系携帯電話会社metfone,サービス開始。
DIA-202-2009-02-24-1カンボジア2009年02月24日2000年代フン・セン首相,CAMBO-Sixなどのスポーツ賭博の閉鎖を命令。
DIA-202-2009-03-06-1カンボジア2009年03月06日2000年代大臣会議新庁舎,落成式。
DIA-202-2009-03-12-1カンボジア2009年03月12日2000年代国民議会,カエ・キムヤーンの副首相就任人事を含め,新閣僚10人を承認。
DIA-202-2009-03-13-1カンボジア2009年03月13日2000年代ユネスコ代表団がプレア・ヴィヒア寺院を訪問。
DIA-202-2009-03-20-1カンボジア2009年03月20日2000年代日本,ECCCに2100万ドル供与を決定。
DIA-202-2009-03-30-1カンボジア2009年03月30日2000年代ECCC,ドゥイッ被告の一審審問実施(~9月17日)。
DIA-202-2009-04-02-1カンボジア2009年04月02日2000年代政府,失業対策として有給の職業訓練学校の設置を発表。
DIA-202-2009-04-03-1カンボジア2009年04月03日2000年代プレア・ヴィヒア寺院周辺でタイ軍とカンボジア軍の銃撃戦発生。Phnom Penh Postによれば,タイ兵3人が死亡。寺院脇の市場が焼失。
DIA-202-2009-04-10-1カンボジア2009年04月10日2000年代フン・セン首相,ASEANサミット出席のため,タイ訪問(~12日)。アピシット・タイ首相と会談。
DIA-202-2009-04-23-1カンボジア2009年04月23日2000年代ムー・ソクフオ議員,フン・セン首相を名誉毀損で訴える。
DIA-202-2009-04-28-1カンボジア2009年04月28日2000年代第14回政府・開発パートナー調整委員会(CDCC),開催。
DIA-202-2009-04-29-1カンボジア2009年04月29日2000年代ティア・バニュ国防相,プラウィット・タイ国防相とシアムリアプにて会談。
DIA-202-2009-04-30-1カンボジア2009年04月30日2000年代フン・セン首相,ムー・ソクフオ議員とコン・サムオン弁護士を反訴。
DIA-202-2009-05-04-1カンボジア2009年05月04日2000年代ASEAN経済閣僚会議,シアムリアプで開催(~5日)。
DIA-202-2009-05-08-1カンボジア2009年05月08日2000年代政府,河川・海岸等から採取した砂の輸出を禁止。
DIA-202-2009-05-11-1カンボジア2009年05月11日2000年代政府,タイ政府に4月3日のプレア・ヴィヒア寺院周辺での銃撃戦で破壊された市場の補償210万ドルを要求。タイ政府は拒否。
DIA-202-2009-05-17-1カンボジア2009年05月17日2000年代地方議会選挙,人民党が圧勝。
DIA-202-2009-05-18-1カンボジア2009年05月18日2000年代ロシア系携帯電話会社Beeline社,サービス開始。
DIA-202-2009-05-19-1カンボジア2009年05月19日2000年代カエ・キムヤーン副首相,国家薬物対策機関総裁に就任。
DIA-202-2009-05-27-1カンボジア2009年05月27日2000年代第17回EU-ASEAN閣僚会合がプノンペンで開催(~28日)。
DIA-202-2009-05-29-1カンボジア2009年05月29日2000年代国民議会,障害者法案を承認。
DIA-202-2009-06-01-1カンボジア2009年06月01日2000年代ECCC,ヘレン・ジャーヴィス広報部長が被害者部長に就任。
DIA-202-2009-06-01-2カンボジア2009年06月01日2000年代フン・セン首相,韓国訪問(~5日)。韓国-ASEAN首脳会議参加,李明博大統領と会談。
DIA-202-2009-06-10-1カンボジア2009年06月10日2000年代ムー・ソクフオ議員が首相を訴えた事件につき,プノンペン裁判所が訴えを却下。
DIA-202-2009-06-10-2カンボジア2009年06月10日2000年代アピシット・タイ首相,来訪。フン・セン首相と会談。タイは過去に密輸された7つの遺物をカンボジアに返還。
DIA-202-2009-06-18-1カンボジア2009年06月18日2000年代弁護士協会,コン・サムオン弁護士の弁護士協会会規違反を認定。
DIA-202-2009-06-22-1カンボジア2009年06月22日2000年代国民議会,ムー・ソクフオ議員とホー・ヴァン議員の不逮捕特権の剥奪を可決。
DIA-202-2009-06-23-1カンボジア2009年06月23日2000年代ECCC,ロバート・プティ共同国際検事の9月1日付辞任を発表。
DIA-202-2009-06-23-2カンボジア2009年06月23日2000年代ベトナム系SACOM銀行がプノンペン支店を開設。
DIA-202-2009-06-26-1カンボジア2009年06月26日2000年代プノンペン裁判所,野党系新聞発行者ハン・チャクラに名誉毀損罪で有罪判決(禁固1年)。ハン・チャクラは控訴へ。
DIA-202-2009-06-27-1カンボジア2009年06月27日2000年代ノロドム・ラナリット党,愛国党に党名変更。
DIA-202-2009-07-03-1カンボジア2009年07月03日2000年代タイ,ベトナム南部出身のクメール・クロム僧ティム・サックホーンの難民申請を承認。サックホーンは第三国へ。他の56人はポイペトからカンボジアに追放。
DIA-202-2009-07-07-1カンボジア2009年07月07日2000年代コン・サムオン弁護士,人民党に移籍。フン・セン首相は同氏への訴え取り下げ。
DIA-202-2009-07-14-1カンボジア2009年07月14日2000年代フン・セン首相,フランス訪問。タイ湾沖の石油の採掘権をフランスTOTAL社に付与することを発表。
DIA-202-2009-07-17-1カンボジア2009年07月17日2000年代民間企業私有地を不法占拠していたとされるトンレバサック地区の「グループ78」地域について,強制立退きを実施。
DIA-202-2009-07-20-1カンボジア2009年07月20日2000年代首都プノンペンの新ごみ埋め立て場の使用開始。
DIA-202-2009-07-24-1カンボジア2009年07月24日2000年代ECCC広報官に前田優子氏就任。
DIA-202-2009-07-24-2カンボジア2009年07月24日2000年代大臣会議,商業仲裁センター設立小法令を承認。
DIA-202-2009-07-28-1カンボジア2009年07月28日2000年代カンボジア・アンコール航空(カンボジア政府51%,ベトナム航空49%),就航。
DIA-202-2009-08-04-1カンボジア2009年08月04日2000年代プノンペン裁判所,ムー・ソクフオ議員に有罪判決。
DIA-202-2009-08-05-1カンボジア2009年08月05日2000年代ホー・ナムホン外相,タイ訪問(~7日)。カシット・タイ外相とバンコクにて会談。
DIA-202-2009-08-11-1カンボジア2009年08月11日2000年代19州から関連省庁に土地問題の解決を求めて陳情が実施される。
DIA-202-2009-08-11-2カンボジア2009年08月11日2000年代控訴裁判所,野党系新聞発行者ハン・チャクラの6月の有罪判決を支持。
DIA-202-2009-08-14-1カンボジア2009年08月14日2000年代ベトナム投資家代表団,来訪。合計4億2000万ドル分の投資プロジェクトに署名。
DIA-202-2009-08-18-1カンボジア2009年08月18日2000年代国民議会,ASEAN域内の農産物の関税撤廃に向けたASEAN物品貿易法を承認。
DIA-202-2009-08-22-1カンボジア2009年08月22日2000年代フン・セン首相,タイがプレア・ヴィヒア寺院周辺の兵力を30人まで削減したならば,カンボジア軍の兵士を近くの基地まで後退させることを発表。
DIA-202-2009-08-24-1カンボジア2009年08月24日2000年代ポル・サルーン国軍最高司令官,ソンキッティ・チャッカーバート・タイ国軍司令官とプノンペンで会談。寺院周辺の兵力削減に合意。
DIA-202-2009-08-27-1カンボジア2009年08月27日2000年代BHBビリトン社と三菱商事,モンドルキリー州のボーキサイト採掘コンセッションから撤退。
DIA-202-2009-08-27-2カンボジア2009年08月27日2000年代タイとの間で,国道68号線に関する借款契約に署名。4120万ドル。
DIA-202-2009-08-28-1カンボジア2009年08月28日2000年代中央銀行,リエルを買い支えるために600万ドルを支出することを決定。
DIA-202-2009-08-31-1カンボジア2009年08月31日2000年代鉱工業・エネルギー省,バイオ燃料のMH社工場周辺での環境汚染問題から工場の操業停止を命令。改善後,9月11日再開。
DIA-202-2009-09-04-1カンボジア2009年09月04日2000年代政府,世銀との土地管理プロジェクト(LMAP)の終了を決定。
DIA-202-2009-09-17-1カンボジア2009年09月17日2000年代カンボジアとタイ,国境での1日当たり40台のトラック相互乗り入れに関する覚書に署名。
DIA-202-2009-09-22-1カンボジア2009年09月22日2000年代プノンペン裁判所,ホー・ヴァン議員に無罪,『カンボジア・デイリー』のケヴィン・ドイルとヌー・ヴァンナリンに有罪判決。
DIA-202-2009-09-28-1カンボジア2009年09月28日2000年代フン・セン首相,演説にてタイ政府が国境問題を国内で政治利用していると非難。
DIA-202-2009-09-29-1カンボジア2009年09月29日2000年代第15回政府・開発パートナー調整委員会,開催。
DIA-202-2009-09-29-2カンボジア2009年09月29日2000年代ケッツァーナ台風(台風16号)によりコンポントム州などで合計42人が死亡。
DIA-202-2009-10-03-1カンボジア2009年10月03日2000年代日メコン外相会談,シアムリアプにて開催。岡田外相,来訪。
DIA-202-2009-10-12-1カンボジア2009年10月12日2000年代国民議会,1日から審議されてきた新刑法典について,全条文の可決作業を終了。
DIA-202-2009-10-15-1カンボジア2009年10月15日2000年代フン・セン首相,訪中(~17日)。温家宝首相と会談。
DIA-202-2009-10-21-1カンボジア2009年10月21日2000年代プアタイ党のチャワリット元タイ首相が私的来訪。フン・セン首相と会談。
DIA-202-2009-10-21-2カンボジア2009年10月21日2000年代国民議会,非暴力デモ法を可決。
DIA-202-2009-10-22-1カンボジア2009年10月22日2000年代李明博韓国大統領,来訪。
DIA-202-2009-10-23-1カンボジア2009年10月23日2000年代フン・セン首相,タイ・ホアヒンにてASEANサミットに出席(~25日)。
DIA-202-2009-10-25-1カンボジア2009年10月25日2000年代サム・ランシー党首,スヴァーイリアン州にてベトナム国境の杭を引き抜く。
DIA-202-2009-10-27-1カンボジア2009年10月27日2000年代カンボジア,UNESCO世界遺産委員会のメンバーに初選出。
DIA-202-2009-10-28-1カンボジア2009年10月28日2000年代控訴裁判所,ムー・ソクフオ議員の有罪判決を支持。同議員は上訴。
DIA-202-2009-11-04-1カンボジア2009年11月04日2000年代タクシン元タイ首相がフン・セン首相の私的顧問兼政府経済顧問に任命されていたことが明らかになる。5日にタイ・カンボジア両国大使が召還。
DIA-202-2009-11-05-1カンボジア2009年11月05日2000年代フン・セン首相,日メコン首脳会議出席のため訪日。
DIA-202-2009-11-10-1カンボジア2009年11月10日2000年代タクシン元タイ首相,来訪(~14日)。12日にタイ,カンボジア両国はそれぞれに駐在する相手方の一等書記官を追放。
DIA-202-2009-11-15-1カンボジア2009年11月15日2000年代フン・セン首相,シンガポールでAPECに出席。
DIA-202-2009-11-16-1カンボジア2009年11月16日2000年代国民議会,サム・ランシーの不逮捕特権剥奪を可決。
DIA-202-2009-11-16-2カンボジア2009年11月16日2000年代カンボジア航空サービス社勤務のタイ人技師シワラック・チュティポンをスパイ容疑で逮捕。
DIA-202-2009-11-19-1カンボジア2009年11月19日2000年代首都プノンペンのルッセイケオ地区にて火災発生。200軒以上が焼失。
DIA-202-2009-11-23-1カンボジア2009年11月23日2000年代ECCC,ドゥイッ被告の一審最終弁論(~27日)。検察は禁固40年を求刑。
DIA-202-2009-11-27-1カンボジア2009年11月27日2000年代政府,タイからの国道68号線に関する借款供与を辞退。
DIA-202-2009-12-01-1カンボジア2009年12月01日2000年代国民議会,2010年予算法を可決。自動車および不動産へ新しく課税することを決定。軍事費は前年度比24.2%増。
DIA-202-2009-12-02-1カンボジア2009年12月02日2000年代ECCC,アンドリュー・ケーリーを国際共同検事に任命。
DIA-202-2009-12-04-1カンボジア2009年12月04日2000年代大臣会議,外国人不動産所有法案を承認。
DIA-202-2009-12-07-1カンボジア2009年12月07日2000年代コンポート州のコムチャイダムの第1期工事が終了。193.2MW。
DIA-202-2009-12-08-1カンボジア2009年12月08日2000年代プノンペン裁判所,タイ人技師シワラックにスパイ罪の有罪判決。11日にシハモニ国王が恩赦付与。13日にタクシン元タイ首相が来訪し,シワラックに面会。シワラックは14日に釈放。
DIA-202-2009-12-11-1カンボジア2009年12月11日2000年代大臣会議,反汚職法案を承認。
DIA-202-2009-12-17-1カンボジア2009年12月17日2000年代ノン・ドゥック・マイン・ベトナム共産党書記長,来訪(~19日)。
DIA-202-2009-12-19-1カンボジア2009年12月19日2000年代亡命申請中のウイグル人20人(逃走した2人を除く)を中国へ送還。
DIA-202-2009-12-21-1カンボジア2009年12月21日2000年代中国の習近平副主席,来訪。総額12億ドルの各種経済開発援助プロジェクトに合意。
DIA-202-2009-12-29-1カンボジア2009年12月29日2000年代国民議会,土地収用法を可決。
DIA-202-2009-12-30-1カンボジア2009年12月30日2000年代スヴァーイリアン州裁判所,ベトナム国境事件に関してサム・ランシーに出頭命令。