DIA-209-1980-01-02-1 | インドネシア | 1980年01月02日 | 1980年代 | アフガニスタン問題の態度―外務省はアフガニスタンに対する外国勢力(特に名指しせず)の干渉について遺憾であることを声明。またハムカMUI(Majelis Ulamah Indonesia)総裁は,ソ連のアフガニスタンからの即時撤退を求め,ソ連の介入が世界戦争を挑発するものであると述べた。 |
DIA-209-1980-01-03-1 | インドネシア | 1980年01月03日 | 1980年代 | スハルト大統領,西部ジャワのスカブミにASEAN大学を建設することに同意。 |
DIA-209-1980-01-03-2 | インドネシア | 1980年01月03日 | 1980年代 | 回教系のグループ(GPA,PMII,IPNU)の学生ら30人,ソ連のアフガニスタン軍事介入に抗議して,ソ連大使館にデモ。 |
DIA-209-1980-01-04-1 | インドネシア | 1980年01月04日 | 1980年代 | 反ソデモ―青年,学生(KNPI,HMI,AMPI,BKBMI等)約50人がソ連大使館に抗議デモ。これに関連してシュペチコソ連大使は「インドネシアはアフガニスタンの情勢よりも混迷している」と述べる。またメダン・スラバヤでも反ソデモ生じる。 |
DIA-209-1980-01-07-1 | インドネシア | 1980年01月07日 | 1980年代 | 80/81年度予算案が提出される。総額は対前年比52%増の10兆5000億ルピア。国内歳入は9兆ルピアで対前年比66%増で,うち石油収入は71%を占める。外国援助は0.5%増のみである。 |
DIA-209-1980-01-10-1 | インドネシア | 1980年01月10日 | 1980年代 | モフタル外相はインドネシアでの反ソデモは,ソ連のアフガニスタン進攻に対する政府,国民の反対を表すものと述べる。 |
DIA-209-1980-01-10-2 | インドネシア | 1980年01月10日 | 1980年代 | 開発プロジェクトの遅延―アドワル鉱業エネルギー省監査総局長は,政府プロジェクト実施の遅れは79/80年度で40%であり,その原因が,①国内での物資調達の困難,②土地取得難,③プロジェクトコストの上昇,④過去の遅延プロジェクト実施の優先,⑤技術者不足等にあると述べた。 |
DIA-209-1980-01-11-1 | インドネシア | 1980年01月11日 | 1980年代 | 西イリアンで軍事演習行なう。 |
DIA-209-1980-01-11-2 | インドネシア | 1980年01月11日 | 1980年代 | 総選挙法の審議―国会特別委員会は総選挙法の審議を1月29日まで延長することを決定。延長は2度目でその理由は,選挙キャンペーン規則,キャンペーン終了から投票日までの冷却期間,投票および開票方法等について野党と妥協できなかったため。 |
DIA-209-1980-01-12-1 | インドネシア | 1980年01月12日 | 1980年代 | 高校生200人がソ連大使館にデモ。警察の抑制によってソ連大使館内には入れず。またサソノジャカルタ軍司令官は5人以上の集会を禁止。 |
DIA-209-1980-01-16-1 | インドネシア | 1980年01月16日 | 1980年代 | 佐々木通産相の訪イ―15日に訪イした佐々木通産相に対してイ政府は,前年以上の対日石油供給を約束した。また対日要請として,日本からの農産加工部門への投資,えびやオイルパーム等の輸入関税引下げ,東カリマンタンの石炭開発,LNG基地増設に対する資金協力,アルミナ工場の建設に対する協力案件等があげられた。 |
DIA-209-1980-01-16-2 | インドネシア | 1980年01月16日 | 1980年代 | ジャカルタのバス運転手,1~2ヵ月のボーナスを要求してストライキを行なう。約4000人が参加。 |
DIA-209-1980-01-17-1 | インドネシア | 1980年01月17日 | 1980年代 | バンドンで約300人が反ソデモを行ない,ソ連国旗を焼いた。 |
DIA-209-1980-01-21-1 | インドネシア | 1980年01月21日 | 1980年代 | モフタル外相,フィリピン訪問,ロムロ外相とカンボジア問題,南フィリピン問題等について協議。 |
DIA-209-1980-01-22-1 | インドネシア | 1980年01月22日 | 1980年代 | ジャカルタ警察軍,バス運転手のストを禁止。 |
DIA-209-1980-01-22-2 | インドネシア | 1980年01月22日 | 1980年代 | プルモノシディ公共事業相は,79/80年度の移住用土地整備事業は75%完成と述べた。また同年度の中部ジャワから外領への移住計画は全く進んでいない。 |
DIA-209-1980-01-24-1 | インドネシア | 1980年01月24日 | 1980年代 | インドネシア民主党(PDI)のサバン・シレイト委員長は,アリ・サディキン元ジャカルタ州知事と電話で会談した後で,もしサディキン氏が望むならばPDIは彼に門戸を開放していると述べた。 |
DIA-209-1980-01-25-1 | インドネシア | 1980年01月25日 | 1980年代 | 自動車の国産化―スハルトヨ基礎金属工業総局長は自動車国産化について次のように述べた。第Ⅰカテゴリー(3/4トン~2トン車),第Ⅱカテゴリー(2トン~3.5トン車)の後部車体,燃料タンクを80年度中に100%国産化を図る。第Ⅲカテゴリー(3.5トン~5トン)については81年度中に。輸入部品の割合は40%,500品目以下とする。 |
DIA-209-1980-01-27-1 | インドネシア | 1980年01月27日 | 1980年代 | スヤル森林局長は,これまで日本や台湾の業者を仲介して行なわれていた合板の対米輸出をインドネシアの業者が直接に行なうようにすると述べた。 |
DIA-209-1980-01-29-1 | インドネシア | 1980年01月29日 | 1980年代 | ガルーダ航空のパイロットがストライキを行なう。ストライキの原因は4人のパイロットが解雇されたためで,約120人が参加した。 |
DIA-209-1980-01-29-2 | インドネシア | 1980年01月29日 | 1980年代 | プルタミナは2月1日より対日石油輸出価格割増金を1バーレルあたり2ドル引下げ9.0~9.5ドルとすることを発表。1月1日より輸出量の40%に11~11.5ドルの割増金が課されていた。 |
DIA-209-1980-01-29-3 | インドネシア | 1980年01月29日 | 1980年代 | マルトノ移住担当副大臣は新しい農業基本法,土地改革法の必要性があると述べた。その理由は従来の制度が政府役人の個人的利益に利用され,社会的不満が生じていることである。 |
DIA-209-1980-02-01-1 | インドネシア | 1980年02月01日 | 1980年代 | 石油開発―プルタミナと日本インドネシア石油は10年間で70億円の融資買油契約を結んだ。プルタミナは見返りとして北スマトラの「クアラシンパンバラット」およびジャワの「チュマラスラタン」油田の生産量の40%(1000~1200万バーレル)を供給する。 |
DIA-209-1980-02-01-2 | インドネシア | 1980年02月01日 | 1980年代 | プリンセン氏を代表とする死刑廃止を要求するグループ9人はカルティジョ国会副議長を国会に訪ねる。 |
DIA-209-1980-02-02-1 | インドネシア | 1980年02月02日 | 1980年代 | オーストラリアの外相訪イ―訪イ中のピーコック豪外相はスハルト大統領と会談後記者会見で次のように述べた。ソ連のアフガニスタン進攻とインドネシアの東チモール併合に類似性はない。ソ連は武力で既存政権をくつがえしたが,インドネシアは東チモールを植民地から解放して後に内戦が残った。 |
DIA-209-1980-02-04-1 | インドネシア | 1980年02月04日 | 1980年代 | マリク副大統領は死刑廃止グループ代表と会見した際に,同副大統領が死刑廃止に賛成であることを表明。 |
DIA-209-1980-02-04-2 | インドネシア | 1980年02月04日 | 1980年代 | プルタミナは石油輸出価格を1バーレルあたり2ドル引上げ,ミナス原油は29.5ドルとなった。最高値は北スマトラライト種の32.75ドル。 |
DIA-209-1980-02-04-3 | インドネシア | 1980年02月04日 | 1980年代 | 政府は1月3日付で,輸入100品目の関税を,79年11月のルピア切下げ以前の水準に戻すことを決定した。 |
DIA-209-1980-02-05-1 | インドネシア | 1980年02月05日 | 1980年代 | 国会特別委員会は総選挙法の5度目の採決延期を行なった。これは党ゴルカルが多数決による決定を好まなかったため。 |
DIA-209-1980-02-05-2 | インドネシア | 1980年02月05日 | 1980年代 | スハルト大統領はウィジョヨ経済調整大臣などの関係者に対して,開発プロジェクト許可手続きを速やかに行なうように指示した。 |
DIA-209-1980-02-05-3 | インドネシア | 1980年02月05日 | 1980年代 | スダルソノ農相は,森林開発権(PHP)所有者が生産木材の一部加工義務を徹底するように指示した。また80/81年の木材輸出目標は27.1億ドルと述べた。 |
DIA-209-1980-02-06-1 | インドネシア | 1980年02月06日 | 1980年代 | 政府は1978年投資優先リストに代替する新投資リストを発表した。同リストは2月15日より発効。 |
DIA-209-1980-02-07-1 | インドネシア | 1980年02月07日 | 1980年代 | スダルソノ農相は1980年の米生産目標1844.2万トン,肥料価格は1kgあたり70ルピアに据置くことを明らかにした。 |
DIA-209-1980-02-08-1 | インドネシア | 1980年02月08日 | 1980年代 | アリ・サイド検事総長は死刑廃止に反対を表明。 |
DIA-209-1980-02-11-1 | インドネシア | 1980年02月11日 | 1980年代 | 教育文化相の更迭要求―国会は野党の学園正常化政策についての政府説明要求を否決した。また軍の厳戒下の中で,全国41大学からの学生2500人が国会に押しかけ,教育文化大臣の辞任を訴えた。 |
DIA-209-1980-02-11-2 | インドネシア | 1980年02月11日 | 1980年代 | スダルモノ官房長官はスハルト大統領と会談後,政府がスバンドリオ元副首相,オマル・ダニ元空軍司令官の大統領特赦を検討中であると述べた。 |
DIA-209-1980-02-13-1 | インドネシア | 1980年02月13日 | 1980年代 | ハルトルト基礎化学総局長は1980年のセメントの輸出見込みを140万トンと述べた。 |
DIA-209-1980-02-13-2 | インドネシア | 1980年02月13日 | 1980年代 | インドネシアウレマ審議会(MUI)はインドネシアにおいて死刑はいぜんとして必要であり,イスラム教義上からも死刑は合法と声明。 |
DIA-209-1980-02-17-1 | インドネシア | 1980年02月17日 | 1980年代 | ホルブルック・スハルト会談―ホルブルック米国国務次官補はスハルト大統領と会談し,米国がASEANを支持することを再表明した。また米国は2国間ベースでASEAN諸国に武器供与を続けると述べた。 |
DIA-209-1980-02-18-1 | インドネシア | 1980年02月18日 | 1980年代 | マリク副大統領は外国人記者協会で,政府は商業大巨の許可を条件に,ゴムおよび木材の対中国直接輸出を再開したと述べた。 |
DIA-209-1980-02-20-1 | インドネシア | 1980年02月20日 | 1980年代 | 政府は国会で初めて対外債務残高を公表した。79年9月現在の債務残高は118億ドルである。 |
DIA-209-1980-02-21-1 | インドネシア | 1980年02月21日 | 1980年代 | スギアント自動車工業会長(GAAKINDO)は国会第Ⅳ委員会で,80年の自動車生産は11万台(対前年比10%増)の見込みと述べた。 |
DIA-209-1980-02-22-1 | インドネシア | 1980年02月22日 | 1980年代 | 10日間にわたりシャム湾および南シナ海で行なわれてきたタイおよびインドネシア海軍の共同演習が終了した。 |
DIA-209-1980-02-25-1 | インドネシア | 1980年02月25日 | 1980年代 | 対中関係―シェーデル西独大使は北京転任にあたりスハルト大統領と会談した後に,同大統領がイ中関係を近い将来に正常化すると語ったと述べた。 |
DIA-209-1980-02-28-1 | インドネシア | 1980年02月28日 | 1980年代 | 華僑の国籍取得に関する規制―インドネシア国籍に関する大統領令およびそれに関する決定(1月31日付)が発表される。同令はインドネシア国籍を有しない外国系住民への国籍賦与を定めたものであり,大統領は同令の実施を8月17日までに実行することを指示。 |
DIA-209-1980-02-28-2 | インドネシア | 1980年02月28日 | 1980年代 | 80/81年度予算法,国会で成立。 |
DIA-209-1980-02-29-1 | インドネシア | 1980年02月29日 | 1980年代 | 総選挙法可決される。開発統一党(PPP)のNU系およびインドネシア民主党(PDI)は棄権。 |
DIA-209-1980-03-02-1 | インドネシア | 1980年03月02日 | 1980年代 | 政党の選挙シンボルマーク―マムフド内相は,各政党が民族の分裂を引起さず国家の安定を保証するものであればいかなる選挙シンボルマークを使用できると述べた。また政党は新しいマークを使用できる規定もあると述べた。 |
DIA-209-1980-03-03-1 | インドネシア | 1980年03月03日 | 1980年代 | 北スラウェシ州知事にマンティク中将(第Ⅰ軍管区司令官)が任命される。 |
DIA-209-1980-03-06-1 | インドネシア | 1980年03月06日 | 1980年代 | 代替エネルギー開発スタルヨ・シギット鉱業省次官は予算委員会で,灯油価格1リットル35ルピアと低廉のために石炭等の代替エネルギーの利用が困難と述べる。また現在世銀借款によってスマトラのブキット・アッサム炭鉱を国内供給向けに開発中と述べる。 |
DIA-209-1980-03-06-2 | インドネシア | 1980年03月06日 | 1980年代 | 米国,輸入特恵対象国にインドネジアを含むことを決定。 |
DIA-209-1980-03-07-1 | インドネシア | 1980年03月07日 | 1980年代 | マレーシアのクアラルンプールで6日より開催されたASEAN・EC会議は共同声明を発表し,アフガニスタン・カンボジアからの外国軍の撤退等を呼びかけた。また同会議でASEAN・EC経済協力協定が調印された。 |
DIA-209-1980-03-08-1 | インドネシア | 1980年03月08日 | 1980年代 | ASEAN・EC会議について―クアラルンプールで行なわれたASEAN・EC会議についてモフタル外相は記者会見で,次のように述べた。インドネシアは,「アフガニスタンおよびカンボジアの抵抗勢力に可能なすべての援助を行なう」というシンガポールの意見に同調しない。これらの問題は平和的,政治的手段で解決するべきである。 |
DIA-209-1980-03-10-1 | インドネシア | 1980年03月10日 | 1980年代 | 80/81年度のプルタミナ予算は60億ドル(3兆7500億ルピア)と発表される。うち4.5%を探鉱に,国内販売拡充に2.5%を使用。 |
DIA-209-1980-03-11-1 | インドネシア | 1980年03月11日 | 1980年代 | 軍事力の強化―スハルト大統領は国軍大学(AKABRI)の卒業式で,国民のために近代装備による軍事力の強化を行なうこと,国防に重要なことは銃後の国民の精神であることを述べた。なお卒業生236人のうち陸軍101人,空軍40人,海軍37人,警察58人である。出身社会層別にみると軍人の子息50%,公務員の子息25%である。 |
DIA-209-1980-03-11-2 | インドネシア | 1980年03月11日 | 1980年代 | 非公式にマレーシアを訪問中のマリク副大統領はイ大使主催の昼食会で,ASEANはオーストラリア,ニュージーランド,日本,米国を一層引つけるべきであること,米ソにより戦争準備が進められていることが明らかである等と述べた。 |
DIA-209-1980-03-11-3 | インドネシア | 1980年03月11日 | 1980年代 | 対中国関係―黄華中国外相は訪問中のマニラで,中国はインドネシアおよびシンガポールとの外交関係を望むこと,イ・中両国とも国交正常化の意向であると語った。 |
DIA-209-1980-03-11-4 | インドネシア | 1980年03月11日 | 1980年代 | NU系学生約30人はソ連大使館へデモをかけ,ソ連大使館員の行動監視,旅行制限,ソ連文化センターの閉鎖等をアピールした。 |
DIA-209-1980-03-12-1 | インドネシア | 1980年03月12日 | 1980年代 | ハビビ調査技術相およびマスターズ米国大使は,米国の贈与24万ドルによってインドネシアの自動車産業に関する調査を行なう協定に調印した。 |
DIA-209-1980-03-14-1 | インドネシア | 1980年03月14日 | 1980年代 | 1980年国軍演習総合司令部が設置され,ヒマワン・スタント中将(Kostranas:司令官)が司令官に任命された。 |
DIA-209-1980-03-14-2 | インドネシア | 1980年03月14日 | 1980年代 | 軍人事―第12陸軍師団(バリ)のM.サニフ司令官(准将)は第2陸軍師団司令官(北スマトラ)に転出し,後任にウントン・スソダディ准将(前戦略予備軍参謀長)が任命される。戦略予備軍参謀長にはジョニ・アブドルラフマン准将が任命される。また北スラウェシ知事に任命されたマンティク第Ⅰ軍管区司令官の後任にウィヨゴ少将(戦略予備軍司令官)が任命された。 |
DIA-209-1980-03-14-3 | インドネシア | 1980年03月14日 | 1980年代 | ハッタ元副大統領死去。 |
DIA-209-1980-03-17-1 | インドネシア | 1980年03月17日 | 1980年代 | 黄華中国外相はシンガポールでの記者会見で,中国がASEAN諸国の共産党あるいは共産主義運動に対する態度を決定していないと述べた。 |
DIA-209-1980-03-20-1 | インドネシア | 1980年03月20日 | 1980年代 | 第1軍管区司令官に転出したウィヨゴ前戦略予備軍司令官の後任にイスマイル准将(前ブキット・バリサン師団長)が任命された。 |
DIA-209-1980-03-21-1 | インドネシア | 1980年03月21日 | 1980年代 | 200海里専管水域を宣言。 |
DIA-209-1980-03-23-1 | インドネシア | 1980年03月23日 | 1980年代 | 国軍の総合演習―国軍総合演習が(3月23~4月1日)スマトラのリアウ,南シナ海で開始された。Latgab80と呼ばれ,国軍はじまって以来の大演習で,4軍および民兵約100大隊が参加。 |
DIA-209-1980-03-25-1 | インドネシア | 1980年03月25日 | 1980年代 | 対中国貿易―スハディ貿易総局長は,イ・中直接貿易を国交正常化後に行なう準備をしているが,政府はまだ直接取引を行なう決定をしていないと述べた。1976年以後対中貿易は香港およびシンガポール経由で行なっており,貿易量は年間2億ドルにのぼり,直接取引により両国は間接取引よりも10~30%の外貨の節約になると述べた。 |
DIA-209-1980-03-26-1 | インドネシア | 1980年03月26日 | 1980年代 | スハルト・フセイン会談―スハルト大統領はマレーシアのフセイン首相とクアンタンで会談した。両首脳は両国間の領海問題,共同軍事演習,南フィリピンの回教徒反乱軍問題の仲介の用意等について話し合った。 |
DIA-209-1980-03-27-1 | インドネシア | 1980年03月27日 | 1980年代 | 国軍の課題―スハルト大統領はパカンバルーで行なわれた国軍指導者会議にマレーシアからの帰路に出席して,開会式で演説した。要旨は次のとおり。現在の国家および国民の課題は政治的,経済的民主主義を確立すること,軍の二重機能の課題は1982年の総選挙を成功させること,1980年代に軍事力を強化すること等。 |
DIA-209-1980-03-31-1 | インドネシア | 1980年03月31日 | 1980年代 | 韓国と共同石油開発協定を調印。 |
DIA-209-1980-04-01-1 | インドネシア | 1980年04月01日 | 1980年代 | 投資活動の行詰り―イスマイル・サレ投資調整庁長官代行は,すでに許可された投資案件の20.5%の884件が資金難や経営能力不足で行詰ってきいると述べた。うち690件が国内資本投資,158件が外資である。 |
DIA-209-1980-04-03-1 | インドネシア | 1980年04月03日 | 1980年代 | プルタミナはタイ石油公社に対して1日あたりの石油供給を従来の5000バーレルから1万バーレルに増量する協定に調印した。価格は1バーレルあたり29.55ドル。なおタイ側は1日2万バーレルを要請している。 |
DIA-209-1980-04-08-1 | インドネシア | 1980年04月08日 | 1980年代 | アグス・スドノ労働組合総連合(FBSI)議長は70%以上の労働者賃金を引上げる要求を行なった。78年11月のルピア切下げ以後127件の争議が未解決であるとも述べた。 |
DIA-209-1980-04-09-1 | インドネシア | 1980年04月09日 | 1980年代 | 憲法擁護委員会(YLKB)のアジス・サレほか9人は,2月13日付の外国人のインドネシア国籍取得に関する大統領令が1945年憲法に違反するから,その実施を急ぐべきでないと批判した。 |
DIA-209-1980-04-09-2 | インドネシア | 1980年04月09日 | 1980年代 | パキスタンと原子力平和利用協力協定が調印される。 |
DIA-209-1980-04-09-3 | インドネシア | 1980年04月09日 | 1980年代 | 更迭されたウィドド陸軍参謀長の後任にポニマン中将(陸軍副参謀長)が任命された。 |
DIA-209-1980-04-10-1 | インドネシア | 1980年04月10日 | 1980年代 | スペチコ・ソ連大使,スハルト大統領と会談―スペチコソ連大使はスハルト大統領と会談した後の記者会見で,インドネシアはアフガニスタン,カンボジア,イラン問題解決に積極的な役割を果し得ると述べた。また会談ではスハルト大統領に対してアフガニスタンにおけるソ連のプレゼンスについて説明し,スハルト大統領はインドネシアの立場を明らかにしたと述べた。 |
DIA-209-1980-04-10-2 | インドネシア | 1980年04月10日 | 1980年代 | 反華僑暴動―南スラウェシ州のウジュンパンダンで反華僑暴動が発注した。一時は夜間外出禁止令が敷かれた。 |
DIA-209-1980-04-12-1 | インドネシア | 1980年04月12日 | 1980年代 | 米国・イラン断交について―モハメド・ナシル世界イスラミック会議副議長は,米国・イラン断交に関して米国を批判した。要旨は,断交によって両国の紛争を一層高め,バニサドル氏等の穏健派を追いつめること,カーターは選挙選での人気挽回のために世界の利益を犠牲にしようとしていることなどである。 |
DIA-209-1980-04-14-1 | インドネシア | 1980年04月14日 | 1980年代 | スガマBAKIN長官は10~11日のウジュンパンダンでの反華僑暴動に関して7人を逮捕したと述べた。 |
DIA-209-1980-04-15-1 | インドネシア | 1980年04月15日 | 1980年代 | オランダのファン・アフト首相が訪イした。 |
DIA-209-1980-04-16-1 | インドネシア | 1980年04月16日 | 1980年代 | スハルト大統領は陸軍降下部隊記念日の演説で,ティン夫人がプロジェクト入札をコミッシヨンで決定しているということと,大統領に愛人がいるという流言を公式に否定した。 |
DIA-209-1980-04-17-1 | インドネシア | 1980年04月17日 | 1980年代 | 国軍の課題―ユスフ国肪相はポニマン新陸軍参謀長の就任式で,80年代の国軍の課題が国民と軍の連帯と統合を強化すること,軍人は憲法および共和国の統一を擁護すること,国民参加による国軍の発展を促進すること,Sapta Marga(7つの誓い)にもとづく職業軍人意識の実現であると述べた。 |
DIA-209-1980-04-18-1 | インドネシア | 1980年04月18日 | 1980年代 | ダウト教育文化省は国会に教育方案を提出した。 |
DIA-209-1980-04-18-2 | インドネシア | 1980年04月18日 | 1980年代 | スドモ国軍副司令官は各軍管区,師団等の司令官に対して,SARA(種族,宗教,人種,社会グループの反目)にもとづく社会的騒擾に厳しく対蹠するように指令した。 |
DIA-209-1980-04-22-1 | インドネシア | 1980年04月22日 | 1980年代 | 米国より買付けたF-5Eジェット戦闘機のうち8機はマディウン(中部ジャワ)空軍基地に到着した。 |
DIA-209-1980-04-23-1 | インドネシア | 1980年04月23日 | 1980年代 | バタム島開発―スダルソノ・バタム島工業開発局長はシンガポールで実業家150人を招き,バタム島開発について説明した。同島の未熟練労働者の日給は1500ルピア,近くのタンジュンピナンからの労働力移動も可能,熟練労働者は2年を限度に外国人雇用も可能,投資額にかかわらず免税期間を6年とする,輸入関税の免除,マネジメントスタッフおよび外国人コンサルタントの雇用は自由等々。 |
DIA-209-1980-04-24-1 | インドネシア | 1980年04月24日 | 1980年代 | バンドン会議25周年―西部ジャワのバンドンで,バンドン会議25周年式典が行なわれ,中国からは邵天任外務省条約局次長が出席した。同次長は記者会見で,イ中正常化が早ければ早いほど良いと述べた。 |
DIA-209-1980-04-24-2 | インドネシア | 1980年04月24日 | 1980年代 | スハルトヨ基礎金属工業総局長は,将来に自動車生産グループを7グループに削減すると述べた。 |
DIA-209-1980-04-26-1 | インドネシア | 1980年04月26日 | 1980年代 | スハルト・プレム会談―プレムタイ国首相はジャカルタでスハルト大統領と会談し,記者会見で次の要旨を述べた。イ・タイ両国は国連決議にもとづきカンボジア問題解決に努力すること,両国は集団であるいは個別に脅威に対蹠すること,等に合意した。カンボジア問題で両国の防衛,安全のための協力について話し合った。イ指導者はタイが中国と密接な関係を結ぶことがASEANの立場を反映していないとして不安を表明した。イがタイに対する石油供給を増大することを求めた。 |
DIA-209-1980-04-28-1 | インドネシア | 1980年04月28日 | 1980年代 | マンシュリ直接税総局長は,4月1日より外貨建預金の利子等に課税すると発表した。 |
DIA-209-1980-04-29-1 | インドネシア | 1980年04月29日 | 1980年代 | 対中国関係―ジャカルタで25日より開催されていたアジア・アフリカ法律会議に出席していた中国代表団(団長は邵天任条約局次長)はスハルト大統領と会談した。曹学民元駐インドネシア大使も団員に含まれている。 |
DIA-209-1980-05-01-1 | インドネシア | 1980年05月01日 | 1980年代 | 国内石油製品価格が平均で50%引上げられ,1リットルあたりスーパーガソリンは220ルピア(旧価格140ルピア),灯油37.5ルピア(12.5ルピア)となった。 |
DIA-209-1980-05-03-1 | インドネシア | 1980年05月03日 | 1980年代 | 土地問題―ジョグジャカルタ州は311人の過剰土地所有地主あるいは不在地主の所有する土地約2.4万haの土地を,1m^2あたり5ルピアで耕作農民に配分する土地改革の実施を検討中である。 |
DIA-209-1980-05-08-1 | インドネシア | 1980年05月08日 | 1980年代 | IGGI援助決定―アムステルダムで開催されたIGGI会議は80/81年度の対イ援助額を21億ドルと決定した。同援助額はIGGIはじまっていらい初の対前年減額となった。総額のうち11億ドルが国際機関の援助である。2国間ベースの援助では,日本2.8億ドル,西独9500万ドル,オーストラリア4500万ドル,フランス7400万ドル等である。 |
DIA-209-1980-05-09-1 | インドネシア | 1980年05月09日 | 1980年代 | 治安活動の強化―ユスフ国防相は中部ジャワのグロボガン,スマラン,クラテンのかつて共産党勢力の強かった地域を視察した後,これら地域の治安活動を強化すると述べた。 |
DIA-209-1980-05-09-2 | インドネシア | 1980年05月09日 | 1980年代 | シンジケートローンの取入れ―チラチャップ,パリクパパン,ソロンの精油所拡張工事資金の一部にあてるため,政府はロンドン市場でシンジケートローンの取入れを行ない,ロイドバンクインターナショナル等40行からの3.5億ドルの借款契約に調印した。 |
DIA-209-1980-05-10-1 | インドネシア | 1980年05月10日 | 1980年代 | ガルーダ航空,国内運賃の約20%引上げを実施した。 |
DIA-209-1980-05-14-1 | インドネシア | 1980年05月14日 | 1980年代 | ナスチオン退役大将,サディキン元ジャカルタ州知事ら50人が署名したスハルト大統領を名指しで批判する文書が国会に提出された。 |
DIA-209-1980-05-19-1 | インドネシア | 1980年05月19日 | 1980年代 | 軍人の農村駐留―ユスフ国防相はスハルト大統領と会談後,国民防衛施設の改善および軍人訓練を目的として,軍人を本年6月末までに農村部に駐留させると述べた。また空軍は8月に3個中隊のジェット戦闘機を配備すると述べた。 |
DIA-209-1980-05-19-2 | インドネシア | 1980年05月19日 | 1980年代 | マリク副大統領はスハルト大統領と会談後の記者会見で,インドネシアが現在のところASEAN首脳会議を必要と感じていないが,マルコス大統領,プレム首相はその必要を感じていると述べた。 |
DIA-209-1980-05-19-3 | インドネシア | 1980年05月19日 | 1980年代 | ハルヨノプルタミナ総裁は5月20日より石油輸出価格を2ドル引上げると発表した。 |
DIA-209-1980-05-19-4 | インドネシア | 1980年05月19日 | 1980年代 | 石油開発―プルタミナは外国石油会社と3件の生産分与方式の石油開発契約を結び,1~5月で6件の契約となった。契約はトータル・ナツナ(ナツナ島),トータルスパス(東カリマンタン),ユニオン・テキサス(中スラウェシのトミン島)。 |
DIA-209-1980-05-20-1 | インドネシア | 1980年05月20日 | 1980年代 | インドネシア体育協会(KONI)はモスクワオリンピック不参加決定を発表した。 |
DIA-209-1980-05-21-1 | インドネシア | 1980年05月21日 | 1980年代 | ストウォ元プルタミナ総裁の責任問題―スダルモノ官房長官は,3月に国会に提出されたストウォ元プルタミナ総裁の責任問題についてのGolkarの有志7人の議員の質問状に対して,スハルト大統領を代弁して要旨次のとおり答えた。政府は100億ドル以上のプルタミナの債務問題の責任についてストウォ元総裁を告訴する根拠はないと考える。ストウォはプルタミナ経営に失敗したが,彼自身は国家開発に貢献しようとした。政府はストゥォのプルタミナ建設における貢献を無視しない。 |
DIA-209-1980-05-21-2 | インドネシア | 1980年05月21日 | 1980年代 | ワルダナ蔵相は1979/80年度予算実績で歳入が8兆0779億ルピア(予算6兆9340億ルピア),歳出が8兆0660億ルピアになったと報告した。 |
DIA-209-1980-05-26-1 | インドネシア | 1980年05月26日 | 1980年代 | ムルトポ情報相はフゲン・サントソ元警察軍参謀長のハワイアンバンド「ハワイアンシニアーズ」のテレビ出演を禁止することを明らかにした。 |
DIA-209-1980-05-30-1 | インドネシア | 1980年05月30日 | 1980年代 | ニュージーランドと共同声明―28日に訪イしたマルドーンニュージーランド首相は訪問予定を終了し,両国政府は共同声明を発表した。両国はアフガニスタンおよびカンボジア問題の政治的解決が必要であることに合意し,ソ連によるアフガニスタン進攻および占領に重大な関心を表明した等。 |
DIA-209-1980-05-31-1 | インドネシア | 1980年05月31日 | 1980年代 | フランスとブキットアサム石炭火力発電所の技術協力協定に調印した。 |
DIA-209-1980-06-03-1 | インドネシア | 1980年06月03日 | 1980年代 | 土地問題―スハルト大統領は末端灌漑設備拡充に地主が協力しないために,灌漑拡充のために土地問題を解決する決定を行なった。それによると地主で自ら耕作を行なわないものの土地を耕作者に移譲することの促進あるいは生産分与方式による土地の耕作の導入,土地取得者に対するBRI(農民銀行)からの融資(期間5~6年),もし地主が土地耕作者から土地の返還を求める場合は5~6年の猶予期間を置き,それまでに耕作者が投資したコストを返却すること等。 |
DIA-209-1980-06-05-1 | インドネシア | 1980年06月05日 | 1980年代 | スパルジョ・ルスタム中部ジャワ州知事が再任されたが,就任式会場から何人かの人間が飛び出してきたことについての質問に対して,マフムド内相は式が平穏に行なわれたと答弁した。 |
DIA-209-1980-06-11-1 | インドネシア | 1980年06月11日 | 1980年代 | 非同盟運動―訪イ中のヨシプユーゴスラヴィア外相とモフタル外相は共同声明で,非同盟運動の国際的緊張を柔げる役割,武力による主権国家への干渉の危険性についての意見が一致したことを明らかにした。 |
DIA-209-1980-06-14-1 | インドネシア | 1980年06月14日 | 1980年代 | スナルソ国会内務委員会委員長は,中国人問題調整委員会(BKMC)がインドネシアに居住するすべての人種に平等の権利が与えられるべきとアピールしたと述べた。 |
DIA-209-1980-06-16-1 | インドネシア | 1980年06月16日 | 1980年代 | 対中国関係―モフタル外相は国会第Ⅰ委員会で,インドネシアが積極的な対中政策をとること,対中復交を急がないこと,中国と必要なコンタクトを得るためにイが国連に恒常的な代表を置いていること,中国人の経済活動に対する均衡を得るための安全措置(中国製品に対する国産品の保護,シンガポールが中国製品の独占エージェントになることの阻止,香港経由でのインドネシアの中国への旅行許可等)を行なっていると述べた。 |
DIA-209-1980-06-16-2 | インドネシア | 1980年06月16日 | 1980年代 | 世銀は西部ジャワのスララヤ発電所プロジェクトに2.53億ドルの融資を承認した。融資条件は期間20年,グレースピリオド5年,年利8.25%。なおアジア開銀も2.56億ドルの協調融資を行なう。 |
DIA-209-1980-06-17-1 | インドネシア | 1980年06月17日 | 1980年代 | 国防治安省は7月1日より個人の武器所有を禁止することを発表し,軍人および警察官も6月30日までに所有武器の再登録を命じた。 |
DIA-209-1980-06-19-1 | インドネシア | 1980年06月19日 | 1980年代 | ベトナム外相の訪イ―グエン・コ・タックベトナム外相が訪イし,記者会見で,ベトナムおよびインドネシアは親密な隣人であり,東南アジアを平和と安定地域にすることに共通の願望を抱いていると述べた。滞イ中に両国は大陸棚問題を含む2国間の問題について協議する。ASEANがカンボジアからのベトナム軍の撤退を要求していることについては両国の立場が異なること,ベトナムは中国が他の国に障害を与えないことを要求すると述べた。 |
DIA-209-1980-06-19-2 | インドネシア | 1980年06月19日 | 1980年代 | インドネシア,シンガポール両空軍はマディウンのイスワユディ基地で東部ジャワの防空を主とする共同演習を開始した。コードネームはElang Indopuraで期間は約一週間である。 |
DIA-209-1980-06-20-1 | インドネシア | 1980年06月20日 | 1980年代 | ムハマディア学校に補助金停止―ルクマン・ハルンムハマディア会長は記者会見で,全国1万2000校のムハマディア学校に対する政府補助金支出が停止されたと述べた。理由については教育文化相がラマダン中の休校を禁止したことに対してムハマディアがこれに従わなかったためと思うと述べた。 |
DIA-209-1980-06-21-1 | インドネシア | 1980年06月21日 | 1980年代 | 内相および国防相の意見の相違―マフムド内相は記者会見で,ユスフ国防相が現在の政治情勢が平穏で治安を乱す物理的行動はないと声明したことについて,内相と国防相の意見の相違は立場の違いであり,現在は憲法を破壊しようとする一部グループが存在すると述べた。 |
DIA-209-1980-06-21-2 | インドネシア | 1980年06月21日 | 1980年代 | ベトナム外相,カンボジア問題について―グエン・コ・タックベトナム外相はモフタル外相との会談後の記者会見で,両国はカンボジア問題解決の方法について意見が不一致であることに同意したこと,インドネシアがASEAN諸国の中で同問題についてもっとも理解しているとの印象を得たと述べた。 またモフタル外相は,紛争解決についてASEANと協議せずにベトナムと解決のための新方式を推進できないこと,ベトナムにASEANが敵対的であると考えるべきでないと述べた。 |
DIA-209-1980-06-26-1 | インドネシア | 1980年06月26日 | 1980年代 | クアラルンプールで行なわれたASEAN外相会議で,ソ連のアフガニスタンの介入,ベトナムのカンボジア侵攻を批判し,カンボジアのポルポト政府の承認の継続を明らかにした共同声明を発表した。 |
DIA-209-1980-06-27-1 | インドネシア | 1980年06月27日 | 1980年代 | ムナシルNU事務局長は,宗教省,MUI(ウラマ審議会),クリスチャンおよびカトリック教回,仏教,ヒンズー代表で設立を決定した宗教間協議委員会に反対すると述べた。NUはMUIと無関係であるとも述べた。 |
DIA-209-1980-06-27-2 | インドネシア | 1980年06月27日 | 1980年代 | 西独と1.2億マルクの経済協力協定に調印。 |
DIA-209-1980-07-02-1 | インドネシア | 1980年07月02日 | 1980年代 | スハルト大統領を批判―ヤシン退役少将は,スハルト大統領批判文書を流布した疑いで南ジャカルタ裁判所で取調べを受けた。 |
DIA-209-1980-07-04-1 | インドネシア | 1980年07月04日 | 1980年代 | スハルト大統領およびシンガポールのリー首相はジャカルタで会談した。 |
DIA-209-1980-07-07-1 | インドネシア | 1980年07月07日 | 1980年代 | スマルリン行政改革相は過去3年間のOpstibの活動によって4535件の不正を摘発し7080人を処分したと述べた。 |
DIA-209-1980-07-08-1 | インドネシア | 1980年07月08日 | 1980年代 | カンボジア問題―モフタル外相はインドがカンボジアのヘンサムリン政権を承認(7日)したことについて,ASEANがカンボジア問題解決に努力し,インドに対して承認を急がないように呼びかけていたにもかかわらず承認したとして遺憾の意を表明した。 |
DIA-209-1980-07-10-1 | インドネシア | 1980年07月10日 | 1980年代 | インドネシア,西独両政府は科学協力協定に調印。 |
DIA-209-1980-07-12-1 | インドネシア | 1980年07月12日 | 1980年代 | アミンイスカンダル国会議員(PPP)は,対中復交がインドネシアにおける地下破壊組織を自由に活動させるという理由で対中復交に反対の表明を行なった。 |
DIA-209-1980-07-16-1 | インドネシア | 1980年07月16日 | 1980年代 | ハルタルト基礎工業総局長は1979年より禁止されていたセメントを,1回限りの条件で10万トン緊急輸入すると発表した。 |
DIA-209-1980-07-23-1 | インドネシア | 1980年07月23日 | 1980年代 | 対中国関係―スダルソノ駐ベトナム大使はスハルト大統領と会談後記者会見で,ベトナム,ASEANおよび中国の関係について述べた。カンボジア問題の解決は長びく。ベトナムの主敵は中国である。ハノイはベトナム軍がカンボジアから撤退すればポルポト政府は中国軍を招き入れることおよび中国は米国と共同でタイを侵略の基地としていると信じている。ハノイはASEANに反対していないし,ASEANと友好関係を望んでいる。 |
DIA-209-1980-07-24-1 | インドネシア | 1980年07月24日 | 1980年代 | 株式市場―現時点での証巻市場上場企業は5社で,1.7万人の民間株主が1000万株,300億ルピアの株式を保有している。上場企業はP.T Semen Cibinong,P.T Centex,P.T Tifico,P.T BAT Indonesia,P.T Richardson。 |
DIA-209-1980-07-26-1 | インドネシア | 1980年07月26日 | 1980年代 | 石油開発の問題―世界的な石油開発ラッシュのためにプルタミナはオイルリグの不足に直面している。現在2000メートル級のリグコストは200~300万ドルで,この2~3年に掘削コストは30~70%上昇。プルタミナの所有リグは36基,インドネシアで操業する外国石油会社の所有リグは60基である。 |
DIA-209-1980-07-28-1 | インドネシア | 1980年07月28日 | 1980年代 | 米の輸入延期―アリフィンBulog(食糧庁)長官は60万トンの米輸入を9月まで延期すると述べた。Bulogは備蓄用に本年度にすでに150万トン買入れ,現在のストックは前年より30万トン増の230万トンである。Bulogの倉庫能力は130万トンに過ぎないために倉庫の増築を計画中である。Bulogはジャカルタで1日500トンの米を供給しているが,これは1日あたりの消費量2000トンの4分の1にあたる。また本年は公務員軍人に国産米を配給する。 |
DIA-209-1980-07-29-1 | インドネシア | 1980年07月29日 | 1980年代 | 石油開発投資―ウィスヌ・ヒダヤト外国石油会社契約部長によると1980年の石油会社による投資額は5.91億ドルで過去2年間の5.41億ドルを上回る。1980/81年度のプルタミナの開発予算は1.183億ドルでプルタミナ自身の投資は2930万ドル,INOCO(日本)の借款は8400万ドル。1979年の外国石油会社の開発投資は45鉱区で3.381億ドルである。1978年に126本掘削され30%が生産,79年には130本で23%が生産,80年1~5月で61本16%が生産。1983/84年には日産183万バーレルの生産が可能である。 |
DIA-209-1980-07-29-2 | インドネシア | 1980年07月29日 | 1980年代 | プルタミナによるとカルテックスインドネシア社は1980年上半期にスマトラ中部で7油田を発見した。1日あたり生産量は4.2万バーレルである。 |
DIA-209-1980-07-31-1 | インドネシア | 1980年07月31日 | 1980年代 | 45年組事務局人事が決定し,総議長にスロノ大将,議長団にルクミト,マスフディ,ヨス・マスダイン夫人,イスラン・ラジャミルが選出された。事務局長はガトットスワルジョ。スハルト大統領は顧問。 |
DIA-209-1980-08-05-1 | インドネシア | 1980年08月05日 | 1980年代 | ムハマディア校のラマダン休校―ハムカMUI(ウラマ審議会)議長は教育文化相がムハマディア学校への補助金を停止したことに対して,要旨次のとおり述べた。教育文化相の決定によってラマダン中にムハマディア学校を休校できるのでうれしいことである。スハルト大統領は補助金の打切りを望まなかったことを知っているが,教育文化相はそうではない。 |
DIA-209-1980-08-06-1 | インドネシア | 1980年08月06日 | 1980年代 | 対カンボジア政策を批判―サヌシ民主党(PDI)総裁は政府の対カンボジア政策が誤りで,インドネシアはポルポト政権を支持すべきでないと述べた。ポト,サムリン両政権とも合法的でないからインドネシアは中立を守るべきとも述べた。 |
DIA-209-1980-08-14-1 | インドネシア | 1980年08月14日 | 1980年代 | ハイドロクラッカープラント建設―プルタミナはドマイのハイドロクラッカープラントの設計および建設プロジェクトをスペインのCent Union and Technucas Reanidus Engeneering社および米国のUnion Oil Product Company社と契約した。建設コストは約9億ドルで,スペインの輸出クレジット2.9億ドル,オーストラリア1.5億ドル,シンジケートローン2億ドル,プルタミナの香港子会社Hebrides Enterprise社から1.6億ドルの資金が調達される。 |
DIA-209-1980-08-16-1 | インドネシア | 1980年08月16日 | 1980年代 | 大統領の独立記念演説―スハルト大統領は恒例の独立記念演説を行なった。その要旨は次のとおり。国家の安定は開発を継続させる前提条件である。しかし安定は国民の口を封じることを意味しない。民主主義と政治制度を発展させるためには外国の思想等を洗い直さなければならない。国内での意見の相違に反対しない。本年の米の生産は2000万トンで対前年比200万トン増の見込みである。パレスチナ人の闘争を支持しイスラエルが占領地を返還することを求める。ベトナムのタイ領侵犯に遺憾の意を表す。新国際経済秩序(NIEO)を推進すべきである。 |
DIA-209-1980-08-19-1 | インドネシア | 1980年08月19日 | 1980年代 | 国軍士官学校の教課に独語および中国語が取入れられることが明らかにされた。 |
DIA-209-1980-08-19-2 | インドネシア | 1980年08月19日 | 1980年代 | 対ソ連関係―アミン・イスカンダル議員(PPP)は外交関係について述べた。要旨次のとおり。インドネシアとソ連の関係はやや改善されたが依然として正常でない。ソ連がアフガニスタンから,ベトナムがカンボジアから撤退すればイ・ソ関係は良くなる。インドネシアがモロッコのカサブランカで行なわれたイスラム外相会議(8日17日)に欠席したことは悔まれる。インドネシアは反イスラエル行動にイニシアチブをとるべきである。 |
DIA-209-1980-08-19-3 | インドネシア | 1980年08月19日 | 1980年代 | 1~7月のドマイ港からの石油輸出は179万トンで前年同期の220万トンを下回った。この減少は海外の需要減によるものである。 |
DIA-209-1980-08-19-4 | インドネシア | 1980年08月19日 | 1980年代 | 商品市場―ラジウス商相はゴム,コーヒー,たばこ,こしょうの輸出拡大を目的としてジャカルタに商品市場を開設することを検討していること,手始めに81年にゴム取引市場を開設することを明らかにした。 |
DIA-209-1980-08-22-1 | インドネシア | 1980年08月22日 | 1980年代 | 国軍の農村工作活動(ABRI Masuk Desa)が開始された。 |
DIA-209-1980-08-23-1 | インドネシア | 1980年08月23日 | 1980年代 | 日本の防衛力の増強―サイディマン駐日大使はスハルト大統領と会談後の記者会見で日本の防衛力増強について述べたが,その要旨は次のとおり。日本の防衛力増強は東南アジアにとって危険なものとならないし,日本軍国主義の復活にもならない。日本はGNPの2%を防衛に支出する能力がある。軍備増強は防衛の範囲を超えていないが,日本は防衛力増強についてASEANと協議することが肝要である。日本は法によって武器輸出が禁じられている。日本は日米中軍事同盟などによって対ソ関係を犠牲にすることはない。 |
DIA-209-1980-08-25-1 | インドネシア | 1980年08月25日 | 1980年代 | ムハマディア中央事務局は若年層を正しく訓練するためにラマダン中の休校は不可欠として休校を決定した。ただし年間240~250日の授業日数を維持すると述べた。 |
DIA-209-1980-08-25-2 | インドネシア | 1980年08月25日 | 1980年代 | 開発統一党の内紛―国会の各委員長の決定は開発統一党(PPP)に与えられた一部の委員長ポストが内紛によって決定されず,委員長指名は28日に延期となった。これはNU系がMI系のスダルジ第Ⅶ(金融・商業)委員会委員長の更迭を要求しているため。 |
DIA-209-1980-08-26-1 | インドネシア | 1980年08月26日 | 1980年代 | ブーラク航空は西部ジャワのクラワンで墜落し,乗員乗客31人が死亡。原因は過激派が爆破した疑いが強い。 |
DIA-209-1980-08-26-2 | インドネシア | 1980年08月26日 | 1980年代 | プルタミナは9月1日より日本向け石油輸出プレミアムを1バーレルあたり1.522ドル引下げると発表。 |
DIA-209-1980-08-29-1 | インドネシア | 1980年08月29日 | 1980年代 | イドハム・ハリド開発統一党(PPP)総裁の裁定によって国会第Ⅶ委員長はスダルジ氏の留任が決定。 |
DIA-209-1980-09-02-1 | インドネシア | 1980年09月02日 | 1980年代 | 南フィリピン問題―パンガベアン調整相は,フィリピン政府とモロ民族解放戦線(MNLF)が9月5~6日にジャカルタで交渉のための会議を行なう予定があったという噂を否定し,比政府もMNLFもそのような場所提供のいかなる申出を行なっていないと述べた。またPLOのジャカルタ事務所の開設はパレスチナ問題解決に役に立たないし,PLOとインドネシアの財政負担を増すだけであると述べた。 |
DIA-209-1980-09-02-2 | インドネシア | 1980年09月02日 | 1980年代 | ASEANとベトナム―モフタル外相はサウスチャイナモーニング紙(2日付)でのインタビューでASEANとベトナムの関係について述べた。要旨次のとおり。ASEANはベトナムに対し東南ア地域を外部の勢力から自由にすることを呼びかけた。ベトナムを外部の勢力から自由にすることを呼びかけた。ベトナムがタイに対して他の攻撃をしないと信ずる。ハノイの意図はカンボジア西部のクメールルージュを包囲,排除すること。ベトナムとASEANの間には現実の紛争はない。紛争はベトナムと中国の間にあり,ASEANはそれに巻込まれないように努力。ASEANはポル・ポトを擁護しているのではなく,彼が国連の議席を占める法的権利を擁護しているのである。 |
DIA-209-1980-09-03-1 | インドネシア | 1980年09月03日 | 1980年代 | 米の値上げ―政府は限定閣僚会議で,11月より食料価格を引上げることを決定した。1kgあたりのもみは120ルピア(現行105ルピア),精米195ルピア(175ルピア),メーズ95ルピア(67ルピア),大豆240ルピア(210ルピア),グリンピー290ルピア(260ルピア),ピーナツ390ルピア(300ルピア)。 |
DIA-209-1980-09-06-1 | インドネシア | 1980年09月06日 | 1980年代 | ジャカルタで開催されたASEAN議員会議(AIPO)はソ連およびベトナムを批判する共同声明を発表した。 |
DIA-209-1980-09-06-2 | インドネシア | 1980年09月06日 | 1980年代 | サヌシ・ハルジャディナタ民主党(PPI)総裁はスドモKopkamtib司令官と同席で記者会見し,2年越しのPDI内紛が解決したと述べた。 |
DIA-209-1980-09-07-1 | インドネシア | 1980年09月07日 | 1980年代 | インドネシア,マレーシア両空軍は北スマトラで共同演習(MalindoⅥ)を行なった。 |
DIA-209-1980-09-09-1 | インドネシア | 1980年09月09日 | 1980年代 | 米輸入のストップ―アリフィンBulog長官は現在の米の増産が続けば81年の米輸入をストップすることを検討しているが,スハルト大統領がストップに慎重であると述べた。また国家備蓄を現在の250万トンを300万トンにすると述べた。 |
DIA-209-1980-09-11-1 | インドネシア | 1980年09月11日 | 1980年代 | シンガポール海軍とスラバヤで海軍共同演習を行なった。 |
DIA-209-1980-09-13-1 | インドネシア | 1980年09月13日 | 1980年代 | 対豪軍事協力―オーストラリア政府と両国海軍の共同演習手続きドキュメントに調印した。同ドキュメントは年次共同海軍演習を高度の水準で行なうことを取決めている。これにもとづき第1回の演習がスラバヤで11月に行なわれる予定。 |
DIA-209-1980-09-15-1 | インドネシア | 1980年09月15日 | 1980年代 | インドネシアの東チモール併合以後断交しているポルトガル政府はオランダ政府を通じて東チモール問題について直接話し合うことを求めた。 |
DIA-209-1980-09-16-1 | インドネシア | 1980年09月16日 | 1980年代 | 私有武器の供出―スドモKopkamtib司令官は治安当局が犯罪防止作戦の一環として10月1日より市民の武器(空気銃を含む)所有を禁止し,また企業の火薬類使用を規制すると発表した。所有武器は最寄りの警察に提出することが義務づけられ,重点目標地域はランポン,ジャカルタ,パレンバン,西部ジャワとすると述べた。 |
DIA-209-1980-09-18-1 | インドネシア | 1980年09月18日 | 1980年代 | ポニマン陸軍参謀長はマレーシアと軍事訓練手続きを共通にすると述べた。 |
DIA-209-1980-09-20-1 | インドネシア | 1980年09月20日 | 1980年代 | 共産分子の監視―アミル・マフマド内相は国会で,すでに釈放された共産主義者の監督強化を行なうと述べた。また最近の犯罪増加は共産分子の政治的目的実現の努力と関係し,PKI幹部は回教を通じて戦うように教えられている等と述べた。 |
DIA-209-1980-09-20-2 | インドネシア | 1980年09月20日 | 1980年代 | アリフィンBulog長官は本年の米の当初輸入計画250万トンを100万トンに引下げるとともに輸入米の砕米率を10~15%(従来は25%)に引下げると述べた。すでに本年輸入分のタイ米11.5万トン,ビルマ米5.8万トン,日本米15万トンの船積みの延期が行なわれた。 |
DIA-209-1980-09-23-1 | インドネシア | 1980年09月23日 | 1980年代 | イラン・イラク戦争について―インドネシア外務省はイラン・イラク戦争についての見解を明らかにしたがその要旨次のとおり。両国が敵意を解消するように努力することを訴える。超大国が両国の内政に干渉しないことを望む。中東の政治的安定と安全が中東問題の平和的解決をもたらす。回教の同胞愛にもとづき両国が紛争の解決をみつけることができると信じる。 |
DIA-209-1980-09-24-1 | インドネシア | 1980年09月24日 | 1980年代 | ロックフェラーチェースマンハッタン銀行会長がジャカルタを訪問し,記者会見で,インドネシアが1975年の金融不安から立直り国際的信用を取戻し,極東でもっとも政治的に安定していると述べた。 |
DIA-209-1980-09-27-1 | インドネシア | 1980年09月27日 | 1980年代 | スマトラのリアウ州知事にイマム・ムナンダル第Ⅰ軍管区副司令官が任名された。 |
DIA-209-1980-09-27-2 | インドネシア | 1980年09月27日 | 1980年代 | Centex社の利益―Centex社は株主総会で1979年度の利益が26億9000万ルピア,普通配当7億6800万ルピア,特別配当3億8400万ルピア,配当率20%と発表した。役員報酬合計は4000万ルピア。総売上げは131億8800万ドル,輸出額29億0600万ルピアである。5月の石油値上げによって生産コストは月額4000万ルピア増加した。 |
DIA-209-1980-10-03-1 | インドネシア | 1980年10月03日 | 1980年代 | 開発統一党の内紛―開発統一党(PPP)のNU派とMI派の内紛が解決せず,同党に配分された4つの委員長ポストは空席のまま国会は1980-81年会期が開催されることになった。委員長空席の委員会は第Ⅰ(政治防衛),第Ⅳ(農業労働),第Ⅷ(福祉)および予算委員会である。 |
DIA-209-1980-10-04-1 | インドネシア | 1980年10月04日 | 1980年代 | 国会議長の訪日―北朝鮮訪問からの帰路訪日したダルヤトモ国会議長は,在日大使館で記者会見し,日本の軍拡は主権を守るための防衛目的であること,中国政府は華僑が二重国籍を放棄すべきであると明言したこと,イ・中正常化にインドネシアが慎重なのはイが共産主義を怖れているためではないと語った。 |
DIA-209-1980-10-07-1 | インドネシア | 1980年10月07日 | 1980年代 | 中部スラウェシ青年協会の4人の学生(ジャカルタ在住)が国会を訪ずれ,エディ・スロソ大佐の同州知事の任命が民意を反映せず非民主的であるとする書簡をカルティジョ副議長に手渡した。 |
DIA-209-1980-10-08-1 | インドネシア | 1980年10月08日 | 1980年代 | スダルモノ官房長官は,政府が閣議でタイ政府の石油供給日量5万バーレルの要請に応じて日量3万バーレル(現行1万バーレル)に増加させることを決定したと述べた。 |
DIA-209-1980-10-11-1 | インドネシア | 1980年10月11日 | 1980年代 | カルテックス社の契約期限―スブロト鉱業相はカルテックスインドネシア社の請負契約が1983年に期限切れになるが,その後について政府は何の決定もしていないと述べた。カルテックスはカンガルー地域(ミナス鉱区を含み,日量約80万バーレル生産)の権利をPS方式での契約継続を望んでいるが,同地域についてはプルタミナが直接操業する可能性もある。 |
DIA-209-1980-10-17-1 | インドネシア | 1980年10月17日 | 1980年代 | 民主党(PDI)のサヌシ・ハルジャディナタ総裁はスドモKopkamtib司令官と会談後,1975年以来2期務めた総裁の地位の辞意を表明した。 |
DIA-209-1980-10-17-2 | インドネシア | 1980年10月17日 | 1980年代 | 南カリマンタン州知事にミスタル・チョクロクスモ准将の任名が決定した。前任者はスバルジョ。 |
DIA-209-1980-10-23-1 | インドネシア | 1980年10月23日 | 1980年代 | カンボジア問題―モフタル外相は22日の国連総会でのカンボジア問題についてのASEAN提案(同問題解決のための国際会議を1981年中に開催を求めた)が97対23(棄権22)で採択されたことに関連して,ASEANが政治的勝利を求めているのではなく,問題の解決を求めていること,ベトナムに敵対するのではなくベトナムの問題解決のための協力を求めていることを述べた。 |
DIA-209-1980-10-24-1 | インドネシア | 1980年10月24日 | 1980年代 | イスナエニ国会副議長は1982年の総選挙に立候補しないが,もし求められれば民主党(PDI)の委員長にとどまることを明らかにした。 |
DIA-209-1980-10-24-2 | インドネシア | 1980年10月24日 | 1980年代 | 防犯キャンペーン活動Opsgatによって民間の武器供出を10月15日としていたが,ジャカルタ警察は期限を31日まで延期した。 |
DIA-209-1980-10-27-1 | インドネシア | 1980年10月27日 | 1980年代 | 国会議長暗殺未遂事件について―スギハルトGolkar委員長はダルヤトモ国会議長が9月に北朝鮮を訪問した際に同議長の暗殺未遂事件があったことを明らかにした。その要旨次のとおり。ダルヤトモ議長はピョンヤンでからくもCIA要員の暗殺から脱した。議長が遭った交通事故(9月27日,議長の乗ったベンツ車にトラックが衝突)は単なる事故でなく,北朝鮮とインドネシアの友好を妨害しようとした暗殺事件である。犯人はCIA要員以外に考えられない。1965年のインドネシアにおける共産クーデターはCIAの工作の可能性がある。 |
DIA-209-1980-10-28-1 | インドネシア | 1980年10月28日 | 1980年代 | インドネシア大学で「青年の誓い」の日を祝う集会が開かれ,ジャカルタの学生約3000人が集まった。詩人レンドラ氏等も出席しスハルト政権の非民主性を非難した。 |
DIA-209-1980-10-31-1 | インドネシア | 1980年10月31日 | 1980年代 | バタム島開発契約―インドネシア,シンガポール両国政府は有効期限5年間のバタム島工業開発のための経済協力協定に調印した。同協定の内容は,財およびサービスのマーケティング,工業,金融,運輸等の共同事業の促進,税制の簡素化,二重課税の防止,輸出入手続の簡素化,移民手続きの簡素化等を行なう。またインドネシアの要請で入国するシンガポールの第3国人顧問,専門家,技術者に対するクレームはインドネシア政府が責任を負う。 |
DIA-209-1980-11-04-1 | インドネシア | 1980年11月04日 | 1980年代 | 田中通産相訪イ―インドネシアを訪問した田中六助通産大臣はスハルト大統領と会談した後で記者会見したが,その要旨次のとおり。インドネシアがエネルギー開発部門で対日依存度を低下させることに日本は反対しない。最近の中東危機にもかかわらず,イが対日石油供給を続けることを感謝する。日本政府はバリクパパン・チラチャップの精油所建設に5億ドルの銀行融資をすることを決定している。 |
DIA-209-1980-11-04-2 | インドネシア | 1980年11月04日 | 1980年代 | スブロト鉱業相は田中通産相との会談で,1983年よりLNG輸出を年間300万トン増量すると約束した。現在はバダック,アルンからLNG750万トンを輸出。 |
DIA-209-1980-11-10-1 | インドネシア | 1980年11月10日 | 1980年代 | ラジウス商相は1kgあたり600ルピアに急騰した砂糖価格をBulogの供給50%増によって400ルピアに下げると述べた。 |
DIA-209-1980-11-11-1 | インドネシア | 1980年11月11日 | 1980年代 | モフタル外相は国会外務委員会で,イラン・イラク戦争についてインドネシアの立場がどちらにも加担できないこと,紛争が平和的に解決することを望むことを明らかにした。 |
DIA-209-1980-11-11-2 | インドネシア | 1980年11月11日 | 1980年代 | P.T.グッドイヤー社は株式市場に上場し,上場企業は合計6社となった。 |
DIA-209-1980-11-12-1 | インドネシア | 1980年11月12日 | 1980年代 | スブロト鉱業相はチラチャップ,ドマイ・バリクパパンの精油プラントの拡張によって,1983年に精油能力80万バーレル(現在40万バーレル)になると述べた。 |
DIA-209-1980-11-14-1 | インドネシア | 1980年11月14日 | 1980年代 | プルタミナの重油横領事件―ピート・ハルヨノプルタミナ総裁は1~8月に約39万トンの重油(1200万ドル相当)が横領され,シンガポールに売却されたことを認めた。8隻のタンカー,プルタミナ職員16人,インドネシア人所有のシンガポールにある企業等が関与し,横領重油は1トン150ドルで売却された。 |
DIA-209-1980-11-17-1 | インドネシア | 1980年11月17日 | 1980年代 | レーガン米国新大統領について―アスハリ駐米大使はスハルト大統領と会談後,記者会見でレーガン米国新大統領選出について述べた。要旨次のとおり。レーガン新政権はインドネシアにとって原則的には障害でない。米国産業界は,所得減税,雇用増大等で新政権に期待している。キッシンジャー氏はレーガン大統領のアドバイザーになるであろう。 |
DIA-209-1980-11-20-1 | インドネシア | 1980年11月20日 | 1980年代 | 砂糖価格の急騰―アリフィンBulog長官はクリスマス中の砂糖価格をジャワで1kgあたり400ルピア,外領で475ルピアに維持すると述べた。11月の砂糖輸入35万トン(1トンあたり600ドル)12月に20万トン(1000ドル)を行なう。砂糖価格急騰の原因はBulogのストックが不十分であったこと,Bulogが買付けた砂糖の代金支払いに不都合があったために業者が出荷を拒否したためである。 |
DIA-209-1980-11-20-2 | インドネシア | 1980年11月20日 | 1980年代 | ユスフ国防相はスハルト大統領と会談後の記者会見で,80年の最後まで全国的に治安状況は良好であること,これまでに民間人の武器5.2万丁が供出されたと述べた。 |
DIA-209-1980-11-21-1 | インドネシア | 1980年11月21日 | 1980年代 | スハルト大統領は対外国援助依存度を低下させるが,依然として外国援助の導入を行ないまた外国間資本投資を歓迎すると述べた。 |
DIA-209-1980-11-21-2 | インドネシア | 1980年11月21日 | 1980年代 | 対外経済依存の引下げ―スギハルトGolkar委員長は国会で,インドネシア対外経済援助依存について述べた。要旨次のとおり。現在の外貨準備は72億ドルに達し,インドネシアが外国援助から解放される時期である。我々はいかなるグラント,借款受入れについても自主決定すべきである。IGGI制度によってインドネシアの経済は打撃を受けた。IGGIは強いインドネシアを作ることを恐れて,ハイドロクラッカー,メタノール,アロマティクの各プロジェクトに対する援助を拒否した。 |
DIA-209-1980-11-22-1 | インドネシア | 1980年11月22日 | 1980年代 | 原子力発電所の建設―原子力庁(BATAN)は,政府の承諾を得れば1982年に原子力発電所を着工し,1989年に完成すると発表した。建設予定地は中部ジャワのジェパラ,建設費6.72億ドル,能力638メガワット。 |
DIA-209-1980-11-24-1 | インドネシア | 1980年11月24日 | 1980年代 | 国会の国軍会派はプレスリリースで,政府が外国援助を引続き導入することを支持すると声明した。 |
DIA-209-1980-11-25-1 | インドネシア | 1980年11月25日 | 1980年代 | イエン・サリ民主カンボジア副首相は,ジャカルタで行なわれたコロンボプラン閣僚会議出席のため訪イした。モフタル外相と会談したが,スハルト大統領には会えず。 |
DIA-209-1980-11-25-2 | インドネシア | 1980年11月25日 | 1980年代 | 自動車の国産化―スハルトヨ基礎金属工業総局長はジョグジャカルタで行なわれた四輪商業自動車標準化会議で自動車国産化について述べた。1983/84年度に商業車の85%の部品を生産し,残る15%についてはASEAN諸国から輸入する。政府はエンジン,サスペンション,パワートレイン,ステアリングの生産プロジェクトを促進する。政府は四輪商業車の標準化を優先させる。なお1979年の自動車生産台数は9.8万台,1980年は16万台,1981年に20~21万台の予想。 |
DIA-209-1980-11-26-1 | インドネシア | 1980年11月26日 | 1980年代 | ユスフ国防相はディポネゴロ師団の農村駐留活動および中部ジャワ(特にソロ,スマラン)の経済状況を視察する名目で同地を訪れ,国民が治安維持に協力するように呼びかけた。 |
DIA-209-1980-11-27-1 | インドネシア | 1980年11月27日 | 1980年代 | 過激行動について―マフムド内相はバンジャルマシンで行なわれた南カリマンタン州のチョクロクスモ知事任命式において,1982年の総選挙を妨害しようとする目的をもった悪意の行動の徴候がみられること,過激行動等の古くからの病気が再発していると述べた。 |
DIA-209-1980-11-28-1 | インドネシア | 1980年11月28日 | 1980年代 | スハルト大統領はパキスタンおよびインド訪問に出発した。 |
DIA-209-1980-12-01-1 | インドネシア | 1980年12月01日 | 1980年代 | プレスカウンシルはこれまで報道を禁じられていたソロおよびスマランの暴動(11月19~25日)が終了したことを発表した。 |
DIA-209-1980-12-01-2 | インドネシア | 1980年12月01日 | 1980年代 | スハルト大統領はパキスタン訪問を終えた。両国は共同声明で,原子力発電開発で協力することを明らかにした。 |
DIA-209-1980-12-04-1 | インドネシア | 1980年12月04日 | 1980年代 | スハルト大統領はインド訪問を終えた。 |
DIA-209-1980-12-04-2 | インドネシア | 1980年12月04日 | 1980年代 | スドモKopkamtib司令官は国会でSapujagatの成果として5.2万丁の火器が供出されたと述べた。 |
DIA-209-1980-12-08-1 | インドネシア | 1980年12月08日 | 1980年代 | 石油生産量―ハルヨノプルタミナ総裁は予算委員会で,1980/81年の石油生産量は5.785億バーレル,日量158.5万バーレルに達する見込み,1981/82年度には日量162.5万バーレルの生産が予想されると述べた。 |
DIA-209-1980-12-10-1 | インドネシア | 1980年12月10日 | 1980年代 | 政府は米国航空宇宙局(NASA)とパラパB_1およびB_2静止衛星打上げに調印した。 |
DIA-209-1980-12-11-1 | インドネシア | 1980年12月11日 | 1980年代 | ムルトノGolkar総裁は記者会見で,11月に生じた反華僑暴動は,11月19~20日は学生間の非政治騒動であったが20~22日の騒ぎはあるグループが政治事件にしたと述べた。 |
DIA-209-1980-12-11-2 | インドネシア | 1980年12月11日 | 1980年代 | 破壊分子を現場射殺命令―スドモKopkamtib司令官はメダンで軍幹部に11月のソロ,スマランでの暴動に関してブリーフし,いかなる破壊分子をも犯行現場で射殺するように命令した。 |
DIA-209-1980-12-12-1 | インドネシア | 1980年12月12日 | 1980年代 | 日本の投資活動批判―マリク副大統領はジャカルタで行なわれた日本・ASEAN経済委員会会議で,日本がASEAN産品に市場を開放するように要請するとともに,日本の対ASEAN投資は一方通行で技術移転を行なっていないと述べた。 |
DIA-209-1980-12-13-1 | インドネシア | 1980年12月13日 | 1980年代 | パプアニューギニアのチャン首相は訪イを終えて,両国は共同声明で通商,観光,文化および教育の交流を促進することを明らかにした。また1979年12月の国境協定にもとづく大陸棚協定に調印した。 |
DIA-209-1980-12-16-1 | インドネシア | 1980年12月16日 | 1980年代 | OPEC閣僚会議―15日よりOPEC閣僚会議がバリ島のプルタミナコッテジホテルで開催され,石油価格を32ドルから36ドルに,最高41ドルに引上げを決定した。 |
DIA-209-1980-12-18-1 | インドネシア | 1980年12月18日 | 1980年代 | 石油値上げの影響―スブロト鉱業相はバリ島で行なわれたOPEC会議の石油価格引上げ決定は,インドネシアのサウジからの原油輸入価格を上昇させ国内製品価格に影響し,現行の石油補助金8900億ルピアを1兆ルピアに増額するか製品値上げを行なわなければならないと述べた。 |
DIA-209-1980-12-22-1 | インドネシア | 1980年12月22日 | 1980年代 | ゴム生産者協会(Gapkindo)によると,80年のゴム輸出額は11億ドルに達する見込み。 |
DIA-209-1980-12-24-1 | インドネシア | 1980年12月24日 | 1980年代 | モフタル外相はシンガポールおよびマレーシアからの帰国後の記者会見で,カンボジア問題解決のための国際会議を行なう機が熟していること,81年はじめのニューデリーでの非同盟外相会議にヘンサムリン政権の出席を阻止することでリタウディンマレーシア外相と合意したことを述べた。 |
DIA-209-1980-12-27-1 | インドネシア | 1980年12月27日 | 1980年代 | 軍人事―ヨガ・スガマ治安秩序回復司令部(Kopkamtib)参謀長が更迭され,後任にウィジョヨ・スヨノ第Ⅱ軍管区司令官が任命された。スガマ前参謀長はBAKIN長官の地位にはとどまる。 |
DIA-209-1980-12-27-2 | インドネシア | 1980年12月27日 | 1980年代 | 反乱活動の可能性―スドモKopkamtib司令官はウィジョヨ・スヨノKopkamtib参謀長就任式で,次の10年,30年間にインドネシアでは反乱活動が生じ得ること,1950年以後4年に一度の割合で反乱活動等が生じていると述べた。 |
DIA-209-1980-12-29-1 | インドネシア | 1980年12月29日 | 1980年代 | 閣議で1981/82年度予算案が検討され,81年1月に国会に提出されることになった。 |
DIA-209-1980-12-30-1 | インドネシア | 1980年12月30日 | 1980年代 | ユスフ国防相は軍人の規律を厳守することを指示し,犯罪を犯したり軍の名誉を傷つけた軍人を断固処分すると述べた。 |
DIA-209-1980-12-30-2 | インドネシア | 1980年12月30日 | 1980年代 | 国際電話会社を国有化―インドネシアの国際電信電話業を独占してきたP.T.INDOSAT社をインドネシア政府が米国ITT社から購入した。購入価格は4361万6000ドル。スマルリン国務相は,将来もITT社が通信部門開発の技術協力を行なうこと,政府のINDOSAT株式取得協定は11月20日,補足協定は12月6日に調印され,これにもとづき株式取得の契約が成立した。ITT社は1967年6月の協定にもとづき国際電話業務を行なってきた。 |
DIA-209-1980-12-31-1 | インドネシア | 1980年12月31日 | 1980年代 | ウイジョヨ・スヨノ第Ⅱ軍管区司令官の後任にウィヨゴ中将(第Ⅰ軍管区司令官)が任命された。ウィヨゴ中将の後任にスシロ・スダルマン中将(AKABRI学長)が任命された。 |
DIA-209-1981-01-02-1 | インドネシア | 1981年01月02日 | 1980年代 | 軍人事――ウィジョヨ・スヨノ Kopkamtib参謀長(前第Ⅱ軍管区司令官)の後任に,ウィヨゴ中将が任命された。任命式でユスフ国防相は,総選挙前の治安維持が1981年の国軍の任務だと述べた。 |
DIA-209-1981-01-05-1 | インドネシア | 1981年01月05日 | 1980年代 | 81/82年度予算案,国会に提出――総額は対前年比31.7%増の13兆9000億ルピア。人件費,補助金の増加により経常歳出が開発歳出を上回った。開発歳出に占める外国援助は24.4%に落ちた。 |
DIA-209-1981-01-05-2 | インドネシア | 1981年01月05日 | 1980年代 | スハルト大統領は,予算案提出の演説の中で,公認の公営賭博場の閉鎖とインドネシア国営テレビ放送のコマーシャルを4月1日から禁止すると発表した。 |
DIA-209-1981-01-05-3 | インドネシア | 1981年01月05日 | 1980年代 | 人口センサス速報――1980年人口センサスによると同年の人口は1億4738万人。過去10年間の年平均人口増加率は2.34%であった。 |
DIA-209-1981-01-07-1 | インドネシア | 1981年01月07日 | 1980年代 | ジャカルタの人口――1980年センサスによるとジャカルタの人口は650万人,過去10年間の年平均増加率は4%。 |
DIA-209-1981-01-08-1 | インドネシア | 1981年01月08日 | 1980年代 | 1981/82年度の輸出――スハディ貿易総局長は本年度の輸出目標額が260億ドル,うち石油輸出額が198億ドルと述べる。貿易収支黒字額は79.7億ドル。 |
DIA-209-1981-01-08-2 | インドネシア | 1981年01月08日 | 1980年代 | 対イギリス繊維製品輸出割当増加で合意――ラディウス商相とイギリスのノット商相は,EC評議会で決定された輸出割当量の大幅増加で合意,ノット商相はECへの勧告を約束した。合意に達したのは,ズボン70万本(EC決定33万本),婦人用ブラウス50万枚(同24万枚),紳士用シャツ80万枚(同18万枚)。 |
DIA-209-1981-01-08-3 | インドネシア | 1981年01月08日 | 1980年代 | イ・タイ合同空軍演習,タイのコラート空港で開会式。両国合同の空軍演習は初めて。 |
DIA-209-1981-01-09-1 | インドネシア | 1981年01月09日 | 1980年代 | イ・マ合同軍事演習“Malindo Ⅱ”,マラッカ海峡で開始。 |
DIA-209-1981-01-12-1 | インドネシア | 1981年01月12日 | 1980年代 | 日・イ首脳会談――10日に訪イした鈴木首相はスハルト大統領と会談し,インドネシア製品への市場開放,農業・中小企業部門への経済協力,民族資本との提携などの要請に同意,また石油需給安定と代替エネルギー開発のための日イエネルギー委員会の設置に同意した。 |
DIA-209-1981-01-12-2 | インドネシア | 1981年01月12日 | 1980年代 | 伊東外相とモフタル外相はジャカルタで科学技術協力協定に調印した。 |
DIA-209-1981-01-12-3 | インドネシア | 1981年01月12日 | 1980年代 | エステートのHGUの更新――ダルジョノ農業総局長は,すでに期限の切れているエステートのHGU(土地使用権)が更新あるいは延長されたと述べた。対象エステート件数は612件,30万8445ha。 |
DIA-209-1981-01-15-1 | インドネシア | 1981年01月15日 | 1980年代 | 1982年総選挙,選挙委員会発足。委員長はマフムド内相,副委員長ムジョノ法相,アリ・ムルトポ情報相。 |
DIA-209-1981-01-16-1 | インドネシア | 1981年01月16日 | 1980年代 | 訪イ中のサム・ナン米上院軍事委員会議員は,米の要請する日本の軍備増強は北方への自衛を目的とするものでマラッカ海峡への日本のプレゼンスは不可能,と説明し,また米第7艦隊によるアジアの安全保障にASEANは反対ではないと理解した,と述べた。 |
DIA-209-1981-01-16-2 | インドネシア | 1981年01月16日 | 1980年代 | インドネシア民主党(PDI)全国大会(14日~)――全国大会において,スナワル・スコワティ議員は,スドモ Kopkamtib 司令官と会談後,新総裁就任を発表した。 |
DIA-209-1981-01-17-1 | インドネシア | 1981年01月17日 | 1980年代 | サヌシ前PDI総裁離党――民主党総裁にとどまれなかったサヌシ・ハルジャディナタ前総裁はPDIからの離党を明らかにし,「PDIは国民の闘いの武器にはならない」と批判した。またアブドル・マジッド(PNI系),ザカリア・ライブ(Murba 系),Ny.D.ワランドゥ(Parkindo 系),ウセプ・ラヌウィジャヤ(PNI系)の4名は1月16日付の「実在の宣言(Deklarasi Eksistansi)」を発表し,「今大会は非合法である」と非難した。 |
DIA-209-1981-01-21-1 | インドネシア | 1981年01月21日 | 1980年代 | イリアンジャヤ州知事にブシリ・スルヨウィノト前パプア・ニプーギニア大使が任命された。 |
DIA-209-1981-01-25-1 | インドネシア | 1981年01月25日 | 1980年代 | ニューデリー非同盟諸国外相会議(2月9日~)への民主カンボジア代表(ポル・ポト政権)の出席をインドが拒否したことに対し,インドネシア,マレーシア,シンガポール3国は抗議。 |
DIA-209-1981-01-27-1 | インドネシア | 1981年01月27日 | 1980年代 | 対中関係――スカルディ議員(ゴルカル副議長)は,26日の中国趙紫陽首相の「東南アジアの共産主義活動への支援は中止せず」との発言に関連して,イ政府の中国との国交凍結は正しい措置であると評価した。 |
DIA-209-1981-01-29-1 | インドネシア | 1981年01月29日 | 1980年代 | 軍人事――レオ・ロプリサ第Ⅲ軍管区司令官が更迭され,後任にヒマワン・スタント中将(国家戦略司令部司令官)が任命された。また第Ⅶ陸軍区(中部ジャワ)司令官スコチョ少将が更迭され,イスマイル少将(戦略予備軍司令官)が任命された。 |
DIA-209-1981-01-29-2 | インドネシア | 1981年01月29日 | 1980年代 | 韓国と石油開発協力――訪イ中の朴鳳煥韓国動力資源部長官は,両国がエネルギーおよび天然資源開発に協力することに合意した。 |
DIA-209-1981-01-31-1 | インドネシア | 1981年01月31日 | 1980年代 | プルタミナは2月1日から石油輸出価格プレミアムを1バーレル当り1.2ドルから2ドルへ引上げを発表,これでミナス原油は1バーレル37ドルとなる。 |
DIA-209-1981-02-02-1 | インドネシア | 1981年02月02日 | 1980年代 | PDIの内紛――スコワティ新総裁は,1月の党全国大会における新執行部の選出を非難したウセプ・ラヌウィジャヤ,アブドゥル・マジッド,ザカリア・ライブ,ワランドゥの4人を党から除名し,国会議員の資格を剥奪した。 |
DIA-209-1981-02-07-1 | インドネシア | 1981年02月07日 | 1980年代 | スハルト大統領は訪イ中のブンチュウタイ国副首相に,現在の日量1万バーレルの石油供給継続を約束した。 |
DIA-209-1981-02-07-2 | インドネシア | 1981年02月07日 | 1980年代 | 西部ジャワ,バンドン工科大学の学生委員会は「国軍の社会政治的役割」と題する政治討論会に,ナスチオン退役軍人,ダルソノ元ASEAN事務局長,シャフルディン元首相を招き,スハルト大統領の政治姿勢,総選挙の実施方法について学生約1500人と意見を交換した。 |
DIA-209-1981-02-12-1 | インドネシア | 1981年02月12日 | 1980年代 | 投資優遇策――政府は2月7日付政令をもって新投資優遇策を発表した。これによると国内資本および外国資本を問わず,労働集約,外貨獲得,重要地域,新規インフラ建設,巨大リスク事業などの投資に対して最長10年間の法人税減税および利子配当税50%減税を行なう。 |
DIA-209-1981-02-12-2 | インドネシア | 1981年02月12日 | 1980年代 | マフムド内相は,第1回選挙委員会会議で,総選挙キャンペーンで「パンチャシラ」および「憲法」問題を争点にすることを禁止すると述べた。 |
DIA-209-1981-02-13-1 | インドネシア | 1981年02月13日 | 1980年代 | 韓国に発注していた新造のLST(1800トン)2隻が到着した。 |
DIA-209-1981-02-14-1 | インドネシア | 1981年02月14日 | 1980年代 | アラムシャ宗教相は1980年センサスの暫定報告により,ムスリムの人口は全人口の70%,ジャワ人口の95%を占めると発表した。 |
DIA-209-1981-02-15-1 | インドネシア | 1981年02月15日 | 1980年代 | モフタル外相はニューデリーで行われた非同盟会議からの帰路,マニラでロムロ比外相と会談し,カンボジアにおける反ベトナム戦線の指導者としてシアヌーク殿下を認めることに同意した。 |
DIA-209-1981-02-16-1 | インドネシア | 1981年02月16日 | 1980年代 | イ・マ首脳会談――スハルト大統領はマハティールマレーシア首相代行とサバ州のタワオで非公式会談を行い,ニューデリーでの非同盟外相会議,タイフでのイスラム首脳会談,LPGおよび石炭開発についてのイ・マ協力,サバにおけるインドネシア人農園労働者(約3000人)の問題などについて話し合った。 |
DIA-209-1981-02-16-2 | インドネシア | 1981年02月16日 | 1980年代 | ジャカルタ州の予算(1981/82)――総額は対前年比23%増の1760億ルピアで,うち国庫補助金は726億ルピアである。 |
DIA-209-1981-02-17-1 | インドネシア | 1981年02月17日 | 1980年代 | 石油生産量上向く――スブロト鉱相によると,1979年の石油開発努力の結果,1981年1月に日産163万バーレル,2月に160万バーレルの水準に達した。1980年1年間の日産平均は157.7万バーレル。 |
DIA-209-1981-02-18-1 | インドネシア | 1981年02月18日 | 1980年代 | 内閣改造――ウマル・スノ・アジ最高裁判所長官が解任され,後任にムジョノ法相,新法相にアリ・サイド検察庁長官,新検察庁長官にイスマイル・サレー内閣官房長官兼投資調整庁(BKPM)長官代行が任命された。イスマイル・サレー氏の後任には,スハルトヨ基礎金属工業総局長がBKPM長官に,ムルディオノ准将が内閣官房長官に決定した。 |
DIA-209-1981-02-20-1 | インドネシア | 1981年02月20日 | 1980年代 | イ・マ合同軍事演習,西カリマンタンで開始。 |
DIA-209-1981-02-23-1 | インドネシア | 1981年02月23日 | 1980年代 | 全国地方首長会議,ジャカルタで開催(~27日)――開会の演説でスハルト大統領は,国家目標である「6つの成功」の6番目,国家開発の重要性を強調し,その前提となる治安維持の強化が必要だと述べた。 |
DIA-209-1981-02-24-1 | インドネシア | 1981年02月24日 | 1980年代 | 軍の農村工作――イスマイル第Ⅶ軍区(ディポネゴロ)司令官は,第3次 ABRI Masuk Desa 遂行のために中部ジャワにある約10団体のGALI(不良青年グループ)を利用しないと述べた。 |
DIA-209-1981-02-24-2 | インドネシア | 1981年02月24日 | 1980年代 | イ政府,東京市場で100億円の円建て債を発行すると発表。利率7.5%,返済期間10年(据え置き3年)。 |
DIA-209-1981-02-25-1 | インドネシア | 1981年02月25日 | 1980年代 | スブロト鉱相,3月1日からタイへの石油輸出を1日1万バーレルから1万5000バーレルに引上げると発表。 |
DIA-209-1981-02-25-2 | インドネシア | 1981年02月25日 | 1980年代 | プリブミ問題――スマルリン行革相は全国地方首長会議で,政府がプリブミとノンプリブミを区別しないこと,弱小企業とはプリブミに限らないと述べた。
弱小企業とは,資本の50%以上をプリブミが所有し,役員および監査役の半数以上がプリブミであり,資本金が商業部門で2500万ルピア以下,工業,建設部門で1億ルピア以下。 |
DIA-209-1981-02-26-1 | インドネシア | 1981年02月26日 | 1980年代 | インドネシア銀行の発表によると,現在のプルタミナの同銀行からの借入残高は1兆3840億ルピア。建設中のハイドロクラッカー・プラントは政府間借款と政府手持ちの外貨準備からで同銀行からは出資されていない。 |
DIA-209-1981-02-27-1 | インドネシア | 1981年02月27日 | 1980年代 | ジュンブル事件――スドモKopkamtib司令官は記者会見で,1月10日から27人が死亡している東部ジャワ,ジュンブルでの事件について,これは純粋な刑事事件であるが,ある政治グループが総選挙との関連でこれを利用したと述べた。警察は同事件の容疑者として118人を逮捕,取調べ中である。また,国会議員によって流された,死者は45人という情報を否定した。 |
DIA-209-1981-02-28-1 | インドネシア | 1981年02月28日 | 1980年代 | 81/82年度予算案,国会で可決。 |
DIA-209-1981-03-08-1 | インドネシア | 1981年03月08日 | 1980年代 | ハルタワン東部ジャワ警察司令官が更迭され,後任にパモジ准将が決定。 |
DIA-209-1981-03-08-2 | インドネシア | 1981年03月08日 | 1980年代 | すでに第Ⅱ軍管区司令官に就任したヒマワン・スタント中将の後任としてコストラナス司令官にスカルディ海軍少将(第Ⅱ軍管区副司令官)が決定された。 |
DIA-209-1981-03-11-1 | インドネシア | 1981年03月11日 | 1980年代 | バンドンで警察署襲撃される――バンドン,チチェンドのパシールカルキ警察署に小銃を持った15人のグループが押し入り,警察官3人を射殺した後,拘留者4人を解放し書類を焼き捨てて逃走した。 |
DIA-209-1981-03-13-1 | インドネシア | 1981年03月13日 | 1980年代 | プルタミナの1981/82年度予算は約81億ドル。 |
DIA-209-1981-03-14-1 | インドネシア | 1981年03月14日 | 1980年代 | プルタミナは日本の電力会社4社との間で,バダクガス田からLNGを100万 BTU 当り5.87ドル(旧契約は5.49ドル)で年間320万トンを1983年から20年間輸出することで合意したと発表した。 |
DIA-209-1981-03-16-1 | インドネシア | 1981年03月16日 | 1980年代 | フォード元大統領訪イ(~20日)――フォード米元大統領は,スハルト大統領との会談でレーガン大統領からの親書を手渡した。その会談内容について,フォード大統領が「インドネシア政府が中国と国交を回復することを勧めた」のに対し,スハルト大統領は「中国との国交回復を急ぐ必要は感じていない」と答えたことが帰国前の記者会見で明らかにされた。 |
DIA-209-1981-03-19-1 | インドネシア | 1981年03月19日 | 1980年代 | バンドンのチチェンドの警察署襲撃事件(3月11日)についてスドモ Kopkamtib 司令官は次のように発表した。15人の犯人グループによる襲撃の目的は武器・資金集めであり,背後に政治的目的があるとみられる。また軍部機密漏洩のかどで,マンダラ紙,シナール・インドネシア・バル-紙を処分,記者を逮捕した。 |
DIA-209-1981-03-21-1 | インドネシア | 1981年03月21日 | 1980年代 | 賭博場労働者約5000人が4月1日の賭博場閉鎖後の失業対策を要求して労働移民省の前で集会。 |
DIA-209-1981-03-21-2 | インドネシア | 1981年03月21日 | 1980年代 | 日本の軍備増強について――モフタル外相は,最近のニューヨークでのヘイグ国務長官との会談において,「日本の軍事的役割の増大はASEANにとって重圧であり,第二次世界大戦の苦い経験を思い出さざるを得ない。むしろ日本は経済協力により積極的な役割を果たすべきである。」と述べたことを明らかにした。 |
DIA-209-1981-03-23-1 | インドネシア | 1981年03月23日 | 1980年代 | 武器供出作戦終了――ウィジョヨ・スヨノ Kopkamtib 参謀長は80年9月20日より開始された同作戦(Sapujagat)は3月18日に終了し,全国で5.6万丁の銃器が供出されたと述べた。 |
DIA-209-1981-03-24-1 | インドネシア | 1981年03月24日 | 1980年代 | カンボジア問題――アブドルガニ元外相は,インドネシアが勇気をもってヘン・サムリン政権を暫定政府として認める冒険をすべし,と述べた。 |
DIA-209-1981-03-25-1 | インドネシア | 1981年03月25日 | 1980年代 | イ・タイ首脳会談――タイ訪問中のスハルト大統領はプレム首相との会談で,カンボジア問題について国連の国際会議の早期開催へ向けASEANとして協同歩調をとること,また二国間貿易で1981年にタイから米40万トンを輸入することを確認した。
モフタル外相は帰国後の記者会見で,両首脳はカンボジア問題で難民問題,外国からの脅威の2点で意見が一致しなかったこと,カンボジア問題は本質的にはベトナムと中国の問題でありASEANが直接関係する問題ではないとイ政府は考えていること,を明らかにした。 |
DIA-209-1981-03-26-1 | インドネシア | 1981年03月26日 | 1980年代 | タイ訪問中のスハルト大統領は,在タイインドネシア人会において,国民協議会の大統領任命議員制(920人の3分の1)が憲法改正を不可能にしているとの批判に対し,「任命制が非民主的だと考えられるなら,1945年憲法の改憲に関する条項(37条)について国民投票を行なう必要がある」と述べた。 |
DIA-209-1981-03-27-1 | インドネシア | 1981年03月27日 | 1980年代 | シアヌーク殿下と接触――モフタル外相は,アンワル・サニ前国連大使を4月にピョンヤンに派遣して,シアヌーク殿下と会談させることを明らかにした。 |
DIA-209-1981-03-27-2 | インドネシア | 1981年03月27日 | 1980年代 | 国軍総合演習(~4月1日)がバンダ海で開始。 |
DIA-209-1981-03-28-1 | インドネシア | 1981年03月28日 | 1980年代 | 国軍幹部会議,アンボンで開催(~30日)――ユスフ国防相直属の特殊部隊設置を発表。同時期に行なわれている国軍総合演習での新購入武器を視察。 |
DIA-209-1981-03-28-2 | インドネシア | 1981年03月28日 | 1980年代 | ガルーダ航空ハイジャック事件――国営ガルーダ航空が乗っ取られ,タイのドンムアン空港に着陸,犯人グループは政治犯人の釈放と身代金150万ドルを要求した。ユスフ国防相はスドモ国軍副司令官を担当に任命し,ベニ・ムルダニ BAKIN 副長官をプレム首相との会談のため派遣した。 |
DIA-209-1981-03-30-1 | インドネシア | 1981年03月30日 | 1980年代 | マフムド内相は総選挙運営審議会,総選挙管理委員会の委員長にそれぞれアリ・サイド法相,イスマイル・サレー検察庁長官を任命。また5月1日から選挙登録を開始すると発表した。 |
DIA-209-1981-03-31-1 | インドネシア | 1981年03月31日 | 1980年代 | 国軍の近代化――ユスフ国防相は国軍幹部会議で近代化の具体策について述べた。1979/80年度より軍組織の編成変えを行なって,1980/81年度には従来の60大隊を100大隊に増加した。1981/82年には装備の改善を行なう。ジャワ以外の地域に国軍の教育訓練センターを設立する。 |
DIA-209-1981-03-31-2 | インドネシア | 1981年03月31日 | 1980年代 | ガルーダ航空ハイジャック事件は,インドネシアの特殊部隊の奇襲により解決。スドモKopkamtib司令官は次のように発表した。犯人は5人でバンドンのチチェンドの警察署を襲った者であり,コマンド・ジハドと名乗っている。コマンド・ジハドは政府にデッチ上げられたものではない。 |
DIA-209-1981-03-31-3 | インドネシア | 1981年03月31日 | 1980年代 | ミハエル・アーマコスト米国務次官補は,81年の米の対イ軍事援助額が対前年比50%増の4800万ドルであると発表した。 |
DIA-209-1981-04-01-1 | インドネシア | 1981年04月01日 | 1980年代 | 村長の給与ランクがⅡ-A以上に決定された。最低賃金は月4万ルピア。 |
DIA-209-1981-04-07-1 | インドネシア | 1981年04月07日 | 1980年代 | 新投資優先リストの発表――投資調整庁(BKPM)は4月1日付で新投資優先リストを発表した。新リストでは外国資本への開放業種は296業種(旧リストでは402業種),国内資本への開放業種は639業種(同599業種)となり,製造業以外の業種にも優先業種が定められた。 |
DIA-209-1981-04-08-1 | インドネシア | 1981年04月08日 | 1980年代 | 武器供出作戦の続行――ウィヨゴ・アトモダルミント第Ⅱ軍管区司令官は3月18日に終了した同作戦が警察軍により続行されると発表した。 |
DIA-209-1981-04-10-1 | インドネシア | 1981年04月10日 | 1980年代 | ジャカルタ,スンブル・ワラス病院で看護婦300人が賃金50%引上げを要求してストライキを起こした。 |
DIA-209-1981-04-10-2 | インドネシア | 1981年04月10日 | 1980年代 | ブルネイのスルタン,ハサナル・ボルキアーが訪イ,アダム・マリク副大統領と会談。同席したパンガベアン調整相は記者会見で,ブルネイのASEAN加盟に賛意を表明した。 |
DIA-209-1981-04-12-1 | インドネシア | 1981年04月12日 | 1980年代 | スナンダル東部ジャワ州知事は,総選挙のキャンペーンの一方法として野党とゴルカルの合同立会演説会を東部ジャワ支部で行なうことを提案した。 |
DIA-209-1981-04-14-1 | インドネシア | 1981年04月14日 | 1980年代 | プルタミナ人事――ピート・ハルヨノ総裁が更迭され,ユド・スンボノ国内流通担当理事(陸軍准将,1929年生れ)が新総裁に決定した。 |
DIA-209-1981-04-15-1 | インドネシア | 1981年04月15日 | 1980年代 | ユスフ国防相タイ訪問――ユスフ国防相は,ポニマン陸軍参謀長,ルディニ戦略予備軍司令官らと共にタイを訪問,バンコクでプレム首相にスハルト大統領の親書を手渡し,カンボジア問題などについて会談を行なった。 |
DIA-209-1981-04-17-1 | インドネシア | 1981年04月17日 | 1980年代 | ユスフ国防相は,1983年までに総費用2500億ルピアで,全兵舎の改築を行なうと発表した。 |
DIA-209-1981-04-18-1 | インドネシア | 1981年04月18日 | 1980年代 | 政府は,4月20日~27日の期間にインドネシア円建て国債100億円を日本で公募すると発表。条件は利率年8.6%,返済期間10年。 |
DIA-209-1981-04-20-1 | インドネシア | 1981年04月20日 | 1980年代 | イスラム過激派対策――スドモ Kopkamtib 司令官はムスリム指導者との集会で,イスラム過激派の活働について以下のとおり説明した。1977年イスマイル・プラノトの率いる「コマンド・ジハド」,ハサン・ティロの「インドネシアムスリム解放戦線」,1978年ジャエラニの「イスラム革命闘争グループ」,1980年にかけてワルマンの「コマンド・ジハド」,ガルーダ航空ハイジャック事件を起こしたイムロンの率いる「インドネシアイスラム革命評議会」,以上5グループによりテロ活動が行なわれてきた。当局は「革命評議会」がイランのホメイニ師に支援を求めた書簡を発見したが,詳細は主犯イムロンを逮捕し取調べ中である。なお,政府はハイジャック事件を総選挙に関連してイスラムの威信低下に利用したという流言を否定した。 |
DIA-209-1981-04-20-2 | インドネシア | 1981年04月20日 | 1980年代 | スブロト鉱相はプルタミナ新執行部就任式で,プルタミナの4つの課題として,石油増産,国家歳入の増加,国内需要増加への対応,プルタミナの活動活発化をあげた。 |
DIA-209-1981-04-21-1 | インドネシア | 1981年04月21日 | 1980年代 | 1982年後選挙の選挙民登録期間が5月1日から7月20日に決定された。 |
DIA-209-1981-04-23-1 | インドネシア | 1981年04月23日 | 1980年代 | プルタミナは,米ナトマス社がスマトラのイボンヌ油田第3号井で日産7400バーレルの新油田を発見したと発表。 |
DIA-209-1981-04-24-1 | インドネシア | 1981年04月24日 | 1980年代 | プルタミナは,5月1日から石油のプレミアムを50セント引下げて1バーレル当り1.5ドルとすると発表。これでミナス原油は36.5ドル/バーレル。 |
DIA-209-1981-04-25-1 | インドネシア | 1981年04月25日 | 1980年代 | マフムド内相は,1982年の総選挙の日程は5月3,4,5,6日のうちいずれかになると述べた。また,村長が国家公務員として全国で3万3919人任命され,そのうち1万1511人に内相によって任命書が手渡されたことを明らかにした。 |
DIA-209-1981-04-26-1 | インドネシア | 1981年04月26日 | 1980年代 | スハルト批判文書を国会に提出した「50人グループ」の選挙,被選挙権について,マフムド内相は審査を行なうことを明らかにした。 |
DIA-209-1981-04-28-1 | インドネシア | 1981年04月28日 | 1980年代 | 81/82年度の政治動向予測――ムルトポ情報相は,閣議でのヨガ・スガマ BAKIN 長宮の政治報告について記者会見で説明した。それによると,政党が国民の期待にそわず,また政党人の自覚が不足している。治安上の問題は多いが,いまだ地方的で国家全体には影響していない。問題のある地域は,イリアン・ジャヤ,アチェ,西部ジャワ,ジャカルタ,中部ジャワ,ランポンである。 |
DIA-209-1981-04-29-1 | インドネシア | 1981年04月29日 | 1980年代 | 軍人事――インドネシア艦隊司令官プラソジョ・マフディ少将が更迭されルドルフ・カセンダ中将が任命された。同時に,第Ⅳ軍管区司令官がスブロト・ユドノ海軍少将からセノ・ハルトノ陸軍中将に,第XV陸軍区司令官がスミトロ少将からセバスティアン・スコチョ准将に交代した。 |
DIA-209-1981-04-30-1 | インドネシア | 1981年04月30日 | 1980年代 | シパスート・スハルト会談――プーン・シパスートラオス副首相兼外相はインドシナ三国の特使として訪イし,スハルト大統領と会談したが記者会見には応じなかった。会談に同席したモフタル外相は,両者はカンボジア問題について意見を交換したと述べた。 |
DIA-209-1981-05-01-1 | インドネシア | 1981年05月01日 | 1980年代 | 木材輸出規制強化――4月22日付関係4総局長の共同布告により合板を生産する木材一貫工場の発展のため,合板工場を所有する業者は木材の輸出量と国内木材工業への供給量との比率をこれまでの1対2から1対4とする。ただし,現在合板工場を建設中のHPH(森林開発権)所有者は,工場を2年以内に完成するとの条件付で,輸出2,国内工業向け1の比率を許可される。 |
DIA-209-1981-05-05-1 | インドネシア | 1981年05月05日 | 1980年代 | イスマイル・サレー最高検察庁長官は,1980年5月のスハルト批判文書の件で大統領に謝罪文を提出(3月23日)したヤシン退役少将の起訴取り下げを決定。 |
DIA-209-1981-05-07-1 | インドネシア | 1981年05月07日 | 1980年代 | ハビビ国務相の発表によると,国防省管轄下のムナンロケット工場がヌルタニオ社に移管された。同社は1986年までに射程200km の誘導ミサイル製造を計画している。 |
DIA-209-1981-05-11-1 | インドネシア | 1981年05月11日 | 1980年代 | 軍人事――第Ⅷ陸軍区司令官のウィルタミン中将が更迭されムルギト准将に,第Ⅱ陸軍区司令官がサニフ准将からエディ・スドゥラジャ准将に,第IX陸軍区司令官がムルギト准将からラデン・パンジ・ヘンリー・サントソ大佐に,第Ⅹ陸軍区司令官がスディマン・サレー少将からハルヨノ・P准将に異動が発表された。 |
DIA-209-1981-05-11-2 | インドネシア | 1981年05月11日 | 1980年代 | インドネシア労働組合総連合(FBSI)のボゴール支部の発表によると,ボゴールでは81年1~5月に15件のストが起こっており,前年同期比90%増である。 |
DIA-209-1981-05-11-3 | インドネシア | 1981年05月11日 | 1980年代 | バリクパパン,チラチャップ精油プラント拡張契約が締結された。 |
DIA-209-1981-05-12-1 | インドネシア | 1981年05月12日 | 1980年代 | エマン・ヨガサラ基礎金属工業総局長は,自動車工業奨励策として現在の26エージェント,24組立工場を8グループにまとめる計画を発表した。6月末を期限として各グループのグループ化計画が提出される。 |
DIA-209-1981-05-13-1 | インドネシア | 1981年05月13日 | 1980年代 | ハイジャック事件にナスティオン関与説――スドモKopkamtib司令官は,ガルーダ航空ハイジャック事件の主犯イムロンが,ナスティオン退役大将,イスハク・ジュアルサ退役中将の2人と4回にわたり連絡をとっていたとして,特別対策本部によるこの2退役軍人の喚問を行なうと発表した。 |
DIA-209-1981-05-13-2 | インドネシア | 1981年05月13日 | 1980年代 | インドネシア第Ⅵ海軍区とフィリピン南海軍司令部の主催でイ・フィリピン海軍合同演習Copatphilindo Vが開始。 |
DIA-209-1981-05-14-1 | インドネシア | 1981年05月14日 | 1980年代 | IGGI援助決定――12,13日,アムステルダムで開催されたIGGI会議で,援助額は前年と同額の21億ドルと決定された。このうち,日本の援助は前年同額の580億円で,金利が2.75%から3%に引上げられた。米国援助は食糧援助打切りにより5500万ドル減の1億6000万ドルとなった。 |
DIA-209-1981-05-15-1 | インドネシア | 1981年05月15日 | 1980年代 | ジェンガワ事件――開発統一党のヒズブラ・フダスワルディ,イマム・フルメイン議員らの発表によると,東ジャワのジェンガワで,5月7日,国営タバコプランテーション会社PTP XXVIIで1979年大統領令に基づき再分配された土地を耕作する農民と会社側との紛争に軍が介入し,立ちのきを拒否した農民に発砲,翌8日8人の農民を逮捕した。リーダー格の農民は逃走中。ジェンガワでのPTPの土地をめぐる衝突は1979年に続き2回目。 |
DIA-209-1981-05-15-2 | インドネシア | 1981年05月15日 | 1980年代 | ジャカルタ陸軍区のノルマン・サソノ司令官は,ナスティオン退役大将がハイジャック事件との関連について14日に発表した声明の中で,1979年同事件の主犯イムロンを情報局関係者と思い訪問に応じたとしているが,イムロンと国防省情報局とは無関係であると述べた。 |
DIA-209-1981-05-15-3 | インドネシア | 1981年05月15日 | 1980年代 | 80/81年度財政実績――アリ・ワルダナ蔵相の発表によると,経常歳入が予算を1.2兆ルピア上回ったため,その余剰により開発歳出が増加し経常歳出をも上回る5兆9000億ルピアとなった。国家歳入11兆7210億ルピア,国家歳出11兆7160億ルピアで財政余剰は47億ルピアであった。 |
DIA-209-1981-05-15-4 | インドネシア | 1981年05月15日 | 1980年代 | スハルト大統領は,シンガポールのシアーズ大統領の葬儀のためシンガポールを訪問,リー首相と非公式に会談した。会談内容は発表されなかった。 |
DIA-209-1981-05-16-1 | インドネシア | 1981年05月16日 | 1980年代 | ナツナ島ラナイ空港がオープン。同空港は2250メートルの滑走路を有する。 |
DIA-209-1981-05-16-2 | インドネシア | 1981年05月16日 | 1980年代 | イ・ベトナム大陸棚交渉がジャカルタで開催。 |
DIA-209-1981-05-23-1 | インドネシア | 1981年05月23日 | 1980年代 | アラムシャ宗教相はスハルト大統領と会談後,MUIの議長ハムカの辞任(5月19日)とその経緯について公式に発表した。MUIはムスリムの他の宗教儀式への出席禁止を4月23日に決定したが,決定の手続方法に問題があったため責任をとってハムカが辞任したのであり,決定の内容には問題はない。なお後任はK.H.ハサン・バズリ氏に決定された。 |
DIA-209-1981-05-29-1 | インドネシア | 1981年05月29日 | 1980年代 | 石油減産――OPECジュネーブ総会(25,26日)から帰国したスブロト鉱相は,現在は日産164万バーレルであり,OPECの10%減産協定には従うが,輸出の大半が長期契約に基づいているため減産には問題が生じる,と述べた。 |
DIA-209-1981-05-29-2 | インドネシア | 1981年05月29日 | 1980年代 | ASEAN経済閣僚会議ジャカルタで開催(~30日)――スハルト大統領は開会式で,現在はASEAN地域拡大の段階ではなく域内の関係強化が課題であることを強調した。会議では,自動車の分業生産構想が合意に達し,インドネシアはディーゼルエンジンを受け持ち,各国との部品の融通にあたり特恵関税50%引下げが決定した。 |
DIA-209-1981-06-01-1 | インドネシア | 1981年06月01日 | 1980年代 | 予定されていた故スカルノ大統領記念式典は,ジャカルタ警察の警告によって中止された。同警察は,アブドゥル・ガフル青年問題担当副大臣の勧告を得られなかったため,と中止理由を説明した。 |
DIA-209-1981-06-01-2 | インドネシア | 1981年06月01日 | 1980年代 | プルタミナのユド・スンボノ総裁の発表によると,現在国内石油消費量は50万バーレル/日であり,年11~12%増加して6年後には消費量が倍増する見通しである。 |
DIA-209-1981-06-03-1 | インドネシア | 1981年06月03日 | 1980年代 | 北朝鮮桂応泰副首相訪イ――桂応泰副首相はパンガベアン調整相,スハルト大統領と会談を行なったが,内容については公式発表なし。 |
DIA-209-1981-06-04-1 | インドネシア | 1981年06月04日 | 1980年代 | 81/82年度の警察軍の予算は650億ルピアで前年度の192億ルピアの3.4倍である。予算増額の主な目的は警官の質的向上,装備の近代化である。 |
DIA-209-1981-06-04-2 | インドネシア | 1981年06月04日 | 1980年代 | ウラムリ予算総局長は,開発プロジェクト(DIP)が中央からの資金の遅れと土地の値上がりのため実行が遅れていることを明らかにした。 |
DIA-209-1981-06-05-1 | インドネシア | 1981年06月05日 | 1980年代 | アリ・ワルダナ蔵相は5月のOPEC減産協定の影響について次のように説明した。石油収入の減少は免れないが今年度予算は日量161.5万バーレルとして計算しているので影響はない。石油生産は6月から日産164万バーレルに減産,そのうち110万バーレルを輸出している。 |
DIA-209-1981-06-07-1 | インドネシア | 1981年06月07日 | 1980年代 | コーラン朗読コンクール(MTQ)がアチェで開催され,開会式でスハルト大統領は,イスラム説教会の警察への届出制を解除すること,会の運営にあたりAMPI(ゴルカル後援の青年組織)を動員することを明らかにした。 |
DIA-209-1981-06-08-1 | インドネシア | 1981年06月08日 | 1980年代 | ウジュンパンダン空港にA-4スカイホークが配備された。 |
DIA-209-1981-06-09-1 | インドネシア | 1981年06月09日 | 1980年代 | アフマド・アファンディ副大臣は,ビマス返済状況について,未返済額が1370億ルピアと発表した。 |
DIA-209-1981-06-10-1 | インドネシア | 1981年06月10日 | 1980年代 | 81年の米の輸入目標は150万トンであり,価格はトンあたり425ドル(267.75ルピア/キロ)である。 |
DIA-209-1981-06-13-1 | インドネシア | 1981年06月13日 | 1980年代 | 総選挙審議会と各政党の執行委員会は,1982年総選挙における各政党の順番とシンボルマークについて合意した。合意内容は,(1)PPP,(2)ゴルカル,(3)PDIでPDIのシンボルマークの牛の目が大きくなった点を除き1977年総選挙と変更はない。 |
DIA-209-1981-06-13-2 | インドネシア | 1981年06月13日 | 1980年代 | ジェンガワ事件――インドネシア・タイムズによると,5月7日に軍と農民が武力衝突を起こした東ジャワ,ジュンブルでは,50人以上の農民がバニュワンギ,マドゥラ,ジャカルタへいまだ逃亡中である。野党第一党PPPの支持者の多いジュンブルの選挙民登録数を少なくするために,地方当局が土地紛争を利用している疑いが持たれている。 |
DIA-209-1981-06-14-1 | インドネシア | 1981年06月14日 | 1980年代 | スダルソノ農相は,国営プランテーション労働者への年金支給の最低限を月500ルピアから6000ルピアへ6月1日にさかのぼって引上げると発表した。同時に,年金支給総額の増加に便乗して生産物価格を引上げることを禁止した。該当する年金受給者は全国で約4万5000人である。 |
DIA-209-1981-06-19-1 | インドネシア | 1981年06月19日 | 1980年代 | ASEAN――外相会議マニラで開催されたASEAN外相会議に出席したモフタル外相は記者会見で次のように述べた。カンボジア問題の解決のため,ASEANが国連による国際会議を提唱するのは,ベトナムへの攻撃ではなく対話の場をつくる目的からである。また,米ヘイグ国務長官の中国に対する武器輸出規制の格付け変更の発言に関して,米の対中武器輸出は武装共産党の残存するアジアにとって不安定要因であり,地域の軍事バランスを損うものである上,その件に関して事前にインドネシアに何も知らされなかったことに対し驚きを表明した。 |
DIA-209-1981-06-23-1 | インドネシア | 1981年06月23日 | 1980年代 | スジャルウォ森林総局長の発表によると,1981年の木材輸出は対前年比60%減の550万m3の見通しである。価格は現在105ドル/m3であるが採算価格は150~170ドル/m3である。 |
DIA-209-1981-06-24-1 | インドネシア | 1981年06月24日 | 1980年代 | 退役軍人経済評議会の代表タヒルが,1983年大統領選においてスハルト大統領へ支持を表明したのに対し,スハルト大統領は,次期大統領は総選挙とMPRにかかっていると答弁した。 |
DIA-209-1981-06-26-1 | インドネシア | 1981年06月26日 | 1980年代 | 大蔵省は6月19日付でコーヒー,こしょうの輸出関税5%を撤廃すると発表した。 |
DIA-209-1981-06-26-2 | インドネシア | 1981年06月26日 | 1980年代 | イスナエニ国会副議長(PDI)は,国会でスハルト大統領を次期大統領として推薦する,と非公式に述べた。 |
DIA-209-1981-06-27-1 | インドネシア | 1981年06月27日 | 1980年代 | 全斗煥大統領訪イ――韓国の大統領,閣僚団は25日に訪イ,26日に全・スハルト会談,ユスフ国防相・周永福国防部長官会談,経済閣僚会談等の日程を終え,27日共同声明を発表した。共同声明では,インドネシアが韓国の南北朝鮮統一と国連加盟の意向を支持すると共に,韓国がカンボジア問題に対するASEANの立場を支持し,また2国間経済協力関係が拡大したことを評価した。具体的な成果としては,LNGの対韓安定供給,合弁投資による合板工場建設,電子機械に関する技術提携で合意に達し,ミサイル積載高速哨戒艇を韓国に追加発注した。 |
DIA-209-1981-07-02-1 | インドネシア | 1981年07月02日 | 1980年代 | 「開発の父」の称号――スハルト大統領への「開発の父」の称号贈与の件に関してスダルモノ官房長官は「称号贈与について政府は何の指令も出していない。大統領自身もそのような個人崇拝を望んでいない。」と述べた。 |
DIA-209-1981-07-02-2 | インドネシア | 1981年07月02日 | 1980年代 | 対中関係――アダム・マリク副大統領は,マニラでのマルコス大統領就任式の際,中国代表と会談したことを明らかにし,1982年総選挙の後に中イ国交正常化を検討することになろうと見通しを述べた。 |
DIA-209-1981-07-03-1 | インドネシア | 1981年07月03日 | 1980年代 | ニフラニ出入国管理総局長は,インドネシア国籍取得手続未完了の中国系住民は約80万人と発表した。 |
DIA-209-1981-07-03-2 | インドネシア | 1981年07月03日 | 1980年代 | プルタミナは7月1日にさかのぼって原油輸出価格のプレミアムを1バーレル当り1.5ドルから1.25ドルに値下げすると発表した。 |
DIA-209-1981-07-06-1 | インドネシア | 1981年07月06日 | 1980年代 | PDI内紛――党除名と同時に国会議員の資格を剥奪された旧PDI議員5名が,ダルヤトモ国会議長による「不法な介入」として抗議書簡を国会に提出した。 |
DIA-209-1981-07-07-1 | インドネシア | 1981年07月07日 | 1980年代 | モフタル外相は,パリ在留中のシアヌーク殿下に来る国連会議(7月13日)でのASEANの立場を説明し意見を交換するために,外務省高官を派遣したことを明らかにした。 |
DIA-209-1981-07-08-1 | インドネシア | 1981年07月08日 | 1980年代 | 海軍の増強――スラバヤのウジュン海軍基地で,韓国製戦車揚陸船(LST)と西独製潜水艦の就航式が行なわれた。 |
DIA-209-1981-07-09-1 | インドネシア | 1981年07月09日 | 1980年代 | 総選挙準備――マフムド総選挙審議会議長は,82年総選挙の立候補者が各自の選挙番号,名前,所属政党のシンボルマークを事務所に掲示し所属党内に配布すること,各党執行部が党の立候補者のリストを情報局の許可を得て配布することを許可した。ただし,これらの目的は紹介でありキャンペーンではないのでスローガンなどを添付することは禁じられた。以上の許可は,3党のシンボルマークが官報81年50号に発表された6月23日より有効である。 |
DIA-209-1981-07-11-1 | インドネシア | 1981年07月11日 | 1980年代 | 空軍は,米国から購入した輸送機21機により,69年より廃止されていた第31航空輸送中隊を復活させ,同時に第32中隊を創設すると発表した。 |
DIA-209-1981-07-13-1 | インドネシア | 1981年07月13日 | 1980年代 | ハルン・ザイン労相は,未解決の労働争議を処理する新組織を労働省に設置すると発表した。この組織は,FBSI,Kopkamtib からの代表,工業相,商業相,行政改革担当国務相,労働保護総局長他11名から成る。 |
DIA-209-1981-07-22-1 | インドネシア | 1981年07月22日 | 1980年代 | 米特別難民顧問団団長マーシャル・グリーン(元駐イ大使)が訪イし,スハルト大統領と会談した。会談内容については難民問題のみ討議した,と説明された。 |
DIA-209-1981-07-23-1 | インドネシア | 1981年07月23日 | 1980年代 | 旧共産党員の選挙権について――パンガベアン調整相は82年の総選挙において,9・30事件に関わりブル島に抑留されていたBカテゴリーの共産主義者1万人と東チモールの旧フレティリンのメンバーに選挙権を認めると発表した。ただし被選挙権は認めない。 |
DIA-209-1981-07-24-1 | インドネシア | 1981年07月24日 | 1980年代 | インドネシアウレマ審議会(MUI)の前議長ハムカ死去。 |
DIA-209-1981-07-25-1 | インドネシア | 1981年07月25日 | 1980年代 | アチェ州議会は,ゴルカル,PDI推薦のハディ・タエブ氏を24票で知事に選出した。対立候補はガザリ・アムナ氏(PPP推薦,15票),モハマド・アリ氏(ゴルカル推薦,1票)。 |
DIA-209-1981-07-25-2 | インドネシア | 1981年07月25日 | 1980年代 | パプア・ニューギニア政府は,パプア領内で不法政治活動に従事していたインドネシア人3人をジャヤプラに強制送還した。 |
DIA-209-1981-07-27-1 | インドネシア | 1981年07月27日 | 1980年代 | NUジャカルタ執行委員会は,ファフルラジ委員長によりスハルト四選支持の声明を発表した。PPPジャカルタ支部も兼任のファフルラジ支部長により同様の声明を発表した。 |
DIA-209-1981-07-27-2 | インドネシア | 1981年07月27日 | 1980年代 | カンボジア問題国連国際会議(7月13日)についてモフタル外相は帰国後次のように述べた。ASEANと中国の解決への提案は異なっており,ASEANの修正案は中国の拒否する表現を排除しただけのことであって妥協ではない。 |
DIA-209-1981-07-27-3 | インドネシア | 1981年07月27日 | 1980年代 | アラムシャ宗教相は,レバランで説教することを禁じられたウレマのブラックリスト(Troop Info)がジャカルタで流布している件に関して,「これは政府とムスリムを敵対させようとする策謀である。政府はイスラム布教活動を制限しないし,説教を禁止されたウレマもいない。」と述べた。 |
DIA-209-1981-07-28-1 | インドネシア | 1981年07月28日 | 1980年代 | インドネシア全国青年委員会(KNPI)の執行部は,KNPIがブラックリストを配布したといううわさを否定した。 |
DIA-209-1981-07-28-2 | インドネシア | 1981年07月28日 | 1980年代 | カルテックス石油会社の下請け企業労働者は,断食明けのボーナスを求めて16日からストライキを起こし,最高3500人が参加したが,ハルン・ザイン労相により断食明け前に2万5000ルピアを供与することが決定され解決した。カルテックスの従業員の最低賃金は月18万7000ルピア,下請け企業労働者は月3万3000ルピアである。 |
DIA-209-1981-08-06-1 | インドネシア | 1981年08月06日 | 1980年代 | 汚職撲滅作戦補佐官会議において,ウィジョヨ・スヨノ Kopkamtib 参謀長は,現在の国家の緊急課題は①土地紛争,②労働紛争,③不法徴収,④治安,⑤公務員・労働者採用時の不正,であると述べた。 |
DIA-209-1981-08-06-2 | インドネシア | 1981年08月06日 | 1980年代 | 駐マレーシア大使にライス・アビン少将(前国防省政治戦略一般計画担当補佐官),駐比大使にレオ・ロプリサ中将(前第Ⅲ軍管区司令官)が任命された。 |
DIA-209-1981-08-10-1 | インドネシア | 1981年08月10日 | 1980年代 | アラムシャ宗教相は,MUI中央委員会との会合で,スハルト大統領がイスラムを政治的目的に利用しているグループのあることを憂慮していると伝えた。 |
DIA-209-1981-08-12-1 | インドネシア | 1981年08月12日 | 1980年代 | 商業省外国貿易総局は,鉄鋼の原料輸入をクラカトウ社とその輸入代理店ダルマ・ニアガ社だけに制限すると発表した。 |
DIA-209-1981-08-13-1 | インドネシア | 1981年08月13日 | 1980年代 | ジャヤディ・スジョノ東ジャワ地方選挙委員会副議長によると,東部ジャワで選挙権を与えられていない者は4209人,禁止されたグループに所属しているが選挙権は与えられている者が48万6207人,と発表した。 |
DIA-209-1981-08-13-2 | インドネシア | 1981年08月13日 | 1980年代 | 土地問題――マフムド内相は,現在問題になっているのは土地の投機と土地売買時の全権委任状(kuasa mutlak)の問題であると述べた。 |
DIA-209-1981-08-13-3 | インドネシア | 1981年08月13日 | 1980年代 | イ・マ首脳会談――マハティール首相は外国訪問の第一国目として来イし,スハルト大統領と会談した。訪問の目的はマハティール首相の前政権路線継承の説明であり,対中関係,サバへの移民問題も討議された。 |
DIA-209-1981-08-15-1 | インドネシア | 1981年08月15日 | 1980年代 | 大統領独立記念演説――スハルト大統領は国会で恒例の演説を行った。前半部分では現在の選挙制度と政治体制を取り上げ,任命議員制度の目的は国家の立憲的安定であり終身大統領制を意図するものではないこと,憲法37条を援用すれば改憲は可能であるがその場合には国民に37条援用の可否を問う国民投票を前もって行うべきことを説明した。後半は経済と開発政策の成果の説明に費やされた。80年のGDP成長率は9.6%(7%から上方修正),これは2020万トンの米の生産(前年比13%増)と製造業の21%成長によるものであり,世界的景気後退にもかかわらず開発政策の成功を示すものである。 |
DIA-209-1981-08-18-1 | インドネシア | 1981年08月18日 | 1980年代 | ルスラン・アブドゥルガニ元外相は青年全国会議(KNPI)において,インドネシアの政治活動には一党制が望ましいと述べた。 |
DIA-209-1981-08-19-1 | インドネシア | 1981年08月19日 | 1980年代 | 特殊部隊コパサンダの第1部隊が新設された。基地は西部ジャワのタクタカン(セラン近郊),司令官はウィスモヨ大佐である。 |
DIA-209-1981-08-19-2 | インドネシア | 1981年08月19日 | 1980年代 | マフムド内相は15日付で,法に基づく土地改革の実施を急ぐよう指示した。 |
DIA-209-1981-08-19-3 | インドネシア | 1981年08月19日 | 1980年代 | アチェの尿素肥料プラント(ASEAN共同プロジェクト)に対する日本の追加融資56.7億円が東京で契約された。これは当初見積り3.13億ドルでは9000万ドル(199億円)の不足が生じたためである。 |
DIA-209-1981-08-20-1 | インドネシア | 1981年08月20日 | 1980年代 | インドネシア・ウレマ審議会(MUI)の新総裁にシュフリ・ゴザリ氏が選出された。 |
DIA-209-1981-08-20-2 | インドネシア | 1981年08月20日 | 1980年代 | 米イ通商租税協定が調印された。訪イしたW.ブロック米大統領顧問とバックレイ国務次官補はスハルト大統領と会談し,インドネシアの兵力増強について討議した。 |
DIA-209-1981-08-25-1 | インドネシア | 1981年08月25日 | 1980年代 | ウィジョヨ・スヨノ Kopkamtib 参謀長は,治安維持補佐官会議で,都市,農村にそれぞれ異なった形態で犯罪防止組織(pos kamlin)を設置すると述べた。 |
DIA-209-1981-08-27-1 | インドネシア | 1981年08月27日 | 1980年代 | スドモ Kopkamtib 司令官はハルン・ザイン労相,アグス・スドノFBSI議長らと会談し,「労使紛争は治安を乱し,第3者により政治的に利用される恐れもある。」と述べ,パンチャシラに基づく労使関係を導くよう協力を要請した。 |
DIA-209-1981-08-27-2 | インドネシア | 1981年08月27日 | 1980年代 | スハルトヨ BKPM 長官は,砂糖,パーム油工場の設備,部品は,新規あるいは拡張プロジェクトにおいては国産品のみを使用し輸入を禁止すると発表した。 |
DIA-209-1981-08-28-1 | インドネシア | 1981年08月28日 | 1980年代 | PPPのヌディン・ルビス議員は,党の直面している問題は,公務員,特に宗教省,教育文化省の役人が総選挙の同党立候補者になれないこと,シンボルマーク掲示に適する場所がゴルカルに独占されていることだと述べた。 |
DIA-209-1981-08-29-1 | インドネシア | 1981年08月29日 | 1980年代 | ワルドヨ食糧作付総局長は,ビマス・インマス計画により農家所得が上昇したため,81年の肥料・殺虫剤に対する政府補助金(80年は1200億ルピア)を削減する可能性があると述べた。また,政府の米買付けの際の品質規準を引上げると発表した。 |
DIA-209-1981-09-01-1 | インドネシア | 1981年09月01日 | 1980年代 | プルタミナは1985年8月からLNGを年165万トン韓国に輸出することで基本的合意に達したと発表した。 |
DIA-209-1981-09-03-1 | インドネシア | 1981年09月03日 | 1980年代 | 第4回日・ASEANシンポジウム開催。福田元首相が出席。 |
DIA-209-1981-09-04-1 | インドネシア | 1981年09月04日 | 1980年代 | イ・マ空軍合同演習(Elang Malindo Ⅶ),マレーシアのバターワース基地で開始。 |
DIA-209-1981-09-07-1 | インドネシア | 1981年09月07日 | 1980年代 | 日・イエネルギー合同委員会開催――ジャカルタで初の合同委が開かれ,日本に対する石油・天然ガスの安定供給,インドネシアに対する代替エネルギーの資本・技術協力で合意に達した。 |
DIA-209-1981-09-09-1 | インドネシア | 1981年09月09日 | 1980年代 | 一党制について――アダム・マリク副大統領はスハルト大統領と会談後,アブドゥルガニ氏の一党制に関する発言(8月18日)について次のように述べた。一党制の構想は革命と旧体制の時代に現れたが独裁につながり易い。それがインドネシアに適するかどうかは国民に問うべきである。 |
DIA-209-1981-09-10-1 | インドネシア | 1981年09月10日 | 1980年代 | ムルトポ情報相は,インドネシアジャーナリスト連盟(PWI)の集会でインドネシアの政治体制について,ゴルカルを多数与党とし他の政党を野党と位置づけると述べた。またスハルト大統領を「開発の父」とすることについて,世論を広く汲み上げた結果であり自分の独走ではないと述べた。 |
DIA-209-1981-09-11-1 | インドネシア | 1981年09月11日 | 1980年代 | プルタミナは10日にさかのぼり,6種類の原油の公式販売価格を20~50セント引下げると発表した。 |
DIA-209-1981-09-14-1 | インドネシア | 1981年09月14日 | 1980年代 | 政府は10月1日付で新投資優先リストを発表した。新リストでは国内資本への開放業種が拡大され2345業種(旧リストでは639業種),外国資本への開放業種は324業種(同296業種)である。 |
DIA-209-1981-09-14-2 | インドネシア | 1981年09月14日 | 1980年代 | 対中関係――趙紫陽首相がASEAN訪問の際に中国とASEANの共産党活動を「党と党との関係」として支援を肯定したのに対しモフタル外相は次のように述べた。ネパール訪問中にイ中関係正常化は時間の問題と述べたが,もっと慎重にならざるを得ない。問題は中国政府と中国共産党をどう区別するかにある。 |
DIA-209-1981-09-16-1 | インドネシア | 1981年09月16日 | 1980年代 | スフド工相は,国内組立自動車のエンジンを900cc,1300cc,1600cc,2000cc,の4種類に制限し標準化すると発表した。 |
DIA-209-1981-09-16-2 | インドネシア | 1981年09月16日 | 1980年代 | 天然ゴム輸出税15%が徹廃された。 |
DIA-209-1981-09-19-1 | インドネシア | 1981年09月19日 | 1980年代 | 土地問題――内務省は土地売買の全権委任状(kuasa mutlak)をアダットに準ずるものであるとして継続を決定した。ただし法的修正を行う。 |
DIA-209-1981-09-21-1 | インドネシア | 1981年09月21日 | 1980年代 | 世界銀行報告によると,81/82年度のインドネシアに対する世銀借款は7プロジェクト,総計6億7300
万ドル。 |
DIA-209-1981-09-22-1 | インドネシア | 1981年09月22日 | 1980年代 | ダルヨノ農業総局長は,全権委任状(kuasa mutlak)の悪用が見られるため,発行制限を検討中であると述べた。 |
DIA-209-1981-09-22-2 | インドネシア | 1981年09月22日 | 1980年代 | 宗教政策――アラムシャ宗教相は,異教徒の出席可能な宗教儀式を規定した9月1日付の通達は「政府による宗教への介入」だとするゴルカル,PDI議員の批判に対し,同令は治安維持と宗教的寛容を目的とし介入ではない,と説明した。また,同通達の原案となったMUIの決定をめぐる論争が故ハムカ議長の辞任の原因となったことを認めた。スハルト大統領はこの問題について取り沙汰するのを止めるよう指示した。 |
DIA-209-1981-09-23-1 | インドネシア | 1981年09月23日 | 1980年代 | 刑事訴訟法が国会で可決された。1941年オランダ植民地政府による公布の旧法に代わり,79年9月に国会に法案が提出されていた。 |
DIA-209-1981-09-24-1 | インドネシア | 1981年09月24日 | 1980年代 | アリ・サイド法相は,中国人不法入国者は全国で1374人であるとし,1.1万人といううわさを否定した。 |
DIA-209-1981-09-24-2 | インドネシア | 1981年09月24日 | 1980年代 | スドモ Kopkamtib 司令官は,旧PKI幹部の政治活動について注意を喚起したスギハルト議員(ゴルカル)の発言に対して,「旧PKIの政府役人は存在しないが旧PKIについての情報は公表する前に当局へ直接連絡すべきである」と述べた。 |
DIA-209-1981-09-24-3 | インドネシア | 1981年09月24日 | 1980年代 | イ・インド首脳会談――23日来イしたガンディー首相はスハルト大統領と会談し,カンボジア問題等について討議した。 |
DIA-209-1981-09-25-1 | インドネシア | 1981年09月25日 | 1980年代 | PPPの内紛のために80年中は空席となっていた国会第Ⅰ委員会(国防・治安)議長に同党のハリド・マワルディ議員が選出された。 |
DIA-209-1981-09-28-1 | インドネシア | 1981年09月28日 | 1980年代 | 国際コーヒー機構(ICO)は,コーヒーの世界的供給過剰による価格低下を防ぐため,81/82年度のインドネシアの輸出割当量を前年度比5.4万トン減の13.8万トンと決定した。 |
DIA-209-1981-09-29-1 | インドネシア | 1981年09月29日 | 1980年代 | 国鉄は,81/82~85/86年度の投資は外国援助5.25億ドルプラス国内投資9350億ルピアと発表した。 |
DIA-209-1981-10-01-1 | インドネシア | 1981年10月01日 | 1980年代 | 総選挙立候補者リスト提出――ゴルカルのアミル・ムルトノ,PPPのナロ,PDIのスコワティ各総裁は総選挙審議会副議長アリ・サイド法相に各党の立候補者リストを提出した。当初の選挙準備計画では9月27日にリスト提出の予定であった。 |
DIA-209-1981-10-04-1 | インドネシア | 1981年10月04日 | 1980年代 | PDIのスコワティ総裁は,同党の総選挙立候補者のうち旧国民党系が減少したことを明らかにした。 |
DIA-209-1981-10-06-1 | インドネシア | 1981年10月06日 | 1980年代 | 英イ経済閣僚会議においてスマルリン国務相は,81年,82年の経済成長率について8%を期待できると述べた。 |
DIA-209-1981-10-07-1 | インドネシア | 1981年10月07日 | 1980年代 | 経済閣僚会議において,1982年1月1日からKUDの農民からの籾の買付け価格を1kg当り120ルピアから135ルピアに値上げすると決定した。 |
DIA-209-1981-10-13-1 | インドネシア | 1981年10月13日 | 1980年代 | スダルソノ農相は,81年の米の生産は2280万トンであり,現在の備蓄量は270万トンであるが目標は500万トンであると述べた。 |
DIA-209-1981-10-14-1 | インドネシア | 1981年10月14日 | 1980年代 | インドネシア経済の展望――スミトロ・ジョヨハディクスモ博士はインドネシア経済情勢について次のように述べた。同国経済は日米欧の経済に影響されるが,世界経済は30年代に匹敵する不況であるため,インドネシアも81,82年は予算,国際収支面で困難になろう。これに対処するには開発部門の効率化,一次産品輸出の促進が必要である。1980年の経済成長率は9.6%であったが,81,82年には7%に低下しよう。 |
DIA-209-1981-10-15-1 | インドネシア | 1981年10月15日 | 1980年代 | 汚職撲滅作戦(Opstib)の成果――スドモ Kopkamtib 司令官とスマルリン国務相は77年6月から81年8月まで行われた同作戦により,政府役人による公金横領(3948億ドル)などの容疑で汚職8660件を調査,7534人を処分したと発表した。犯罪の件数の多い分野は,①建設,②資機材の購入,③税関,④税務署,⑤許認可業務,である。 |
DIA-209-1981-10-27-1 | インドネシア | 1981年10月27日 | 1980年代 | PPP立候補者リスト再提出――10月1日に提出されたPPPのリストは特定の派閥に偏っていたため再提出を求めたが,党内が一致せず当初予定より約1カ月遅れで漸く提出された。リストではナフダトゥール・ウラマ(NU)が7議席減って49議席,ムスリミン・インドネシア(MI)29議席,イスラム連盟(SI)16議席,イスラム教育党(Perti)5議席となった。 |
DIA-209-1981-10-27-2 | インドネシア | 1981年10月27日 | 1980年代 | ソロで暴動――スドモ Kopkamtib 司令官の発表によると,24日ソロでアラブ系人とベチャ運転手との衝突が原因でベチャ運転手約20人によりアラブ系人の家に対し投石,破壊事件が起きた。ソロはすでに平常に戻っており事件に関与した者は逮捕された。 |
DIA-209-1981-10-27-3 | インドネシア | 1981年10月27日 | 1980年代 | スラバヤで暴動――法務省職員採用試験の不備に抗議して受験者約7000人がデモを行い,試験場,バイクなどを破壊,放火した。 |
DIA-209-1981-10-28-1 | インドネシア | 1981年10月28日 | 1980年代 | PPP内紛――スギアン・シワン南スマトラ地方執行委員会議長(MI系)は,総選挙に向け同党のイメージ改善をはかるため10月初めにJ.ナロ総裁(MI系,南スマトラ出身)の辞任を求める声明を出したが,地方委員会内で27日に要求が却下された経緯を明らかにした。 |
DIA-209-1981-10-30-1 | インドネシア | 1981年10月30日 | 1980年代 | PPP内紛――同党のチャリク・アリ議員(NU)は,27日に提出されたリストは党中央執行委員会のNU,SI,Pertiのメンバーとの会合を持たずにナロ総裁の独断で決定,提出されたもので総選挙法違反であるとして,政府にリストの再検討を要請した。また同議員は,ナロ総裁がいる限り党内分裂が続き,82年総選挙ではゴルカルが勝利するだろう,と述べた。 |
DIA-209-1981-10-30-2 | インドネシア | 1981年10月30日 | 1980年代 | アチェで暴動――スドモ Kopkamtib 司令官の発表によると,25日バンダ・アチェ市ディポネゴロ通りで騒動があった。26日同市内の自動車修理工と顧客との間でタイヤが許可なく替えられていたことで口論となり住民を巻きこむ投石事件に発展した。両事件に関与した者は逮捕された。 |
DIA-209-1981-10-30-3 | インドネシア | 1981年10月30日 | 1980年代 | PDIのスコワティ総裁は,同党のT.A.M.シマトゥパン議員(パルキンド系)を党法規違反で除名したと発表した。 |
DIA-209-1981-11-01-1 | インドネシア | 1981年11月01日 | 1980年代 | ゴルカルの選挙公約――ゴルカルは全国幹部会議(10月30,31日)において,総選挙の公約を次のとおり決定したと発表した。①パンチャシラと45年憲法の擁護,②公明正大な総選挙の実施,③全部門の均衡した開発の推進と継続,雇用創出,住宅改善,④ゴルカルの勝利により全国的規模の開発計画を保証,⑤スハルト大統領を「開発の父」とし,次期大統領として支持。 |
DIA-209-1981-11-02-1 | インドネシア | 1981年11月02日 | 1980年代 | PPP立候補者リスト問題――マフムド内相は,10月27日に提出されたPPPの立候補者リストがナロ総裁の独断であるとして徹回,再提出を求めていたNUの要請を退け,同リストを合法と認めた。また,政府が総選挙を通じNUの中核を排除しようとしているという憶測を否定した。 |
DIA-209-1981-11-02-2 | インドネシア | 1981年11月02日 | 1980年代 | シンガポールの楊林豊国防国務相が非公式に訪イし,ユスフ国防相と会談した。 |
DIA-209-1981-11-04-1 | インドネシア | 1981年11月04日 | 1980年代 | コンパス紙によると,26日に暴動が発生したバンダ・アチェ市で,28日に夜間外出禁止令が発令,2日に解除された。 |
DIA-209-1981-11-04-2 | インドネシア | 1981年11月04日 | 1980年代 | インドネシア全国青年委員会(KNPI)全国大会において新総裁にアウリア・ラーマン氏が選出された。 |
DIA-209-1981-11-05-1 | インドネシア | 1981年11月05日 | 1980年代 | マスターズ米駐イ大使,ホルドリッジ国務次官補はユスフ国防相と会談した。大使は離任の挨拶を行い,ユスフ国防相を米国に招待するとのワインバーガー国防長官の意向を伝えた。 |
DIA-209-1981-11-06-1 | インドネシア | 1981年11月06日 | 1980年代 | ジャカルタで暴動――スドモKopkamtib司令官の発表によると,5日ジャカルタでベチャ運転手約数百人を含む数千人が,警察署,軍支部を襲撃,車3台を破壊した。 |
DIA-209-1981-11-11-1 | インドネシア | 1981年11月11日 | 1980年代 | PPP総選挙立候補者リスト問題――PPPのNUジャカルタ支部はナロ総裁の提出した同党のリストを合法と認めると発表した。 |
DIA-209-1981-11-11-2 | インドネシア | 1981年11月11日 | 1980年代 | 82/83年度石油需給の見通し――プルタミナのスンボノ総裁は,82/83年度の石油生産は日産164万バーレル(前年度比4.7万バーレル増)であるが,国内消費の5.2万バーレル増加によって石油輸出量は横ばいになろうと述べた。また同国の原油・LNGの予想埋蔵量は1060億バーレル,確認埋蔵量は167億バーレル,そのうち75億バーレルをすでに採掘している。81/82年度には300本の掘削予定がある。 |
DIA-209-1981-11-11-3 | インドネシア | 1981年11月11日 | 1980年代 | ルピアの持出し,持込みの上限を5万ルピアにすると発表された。この理由はニセ札防止のための措置とのこと。 |
DIA-209-1981-11-12-1 | インドネシア | 1981年11月12日 | 1980年代 | イ・タンザニア首脳会談――8日に訪イしたニエレレ大統領は,帰国前の記者会見で次のように述べた。東チモール問題に関して,アフリカ統一機構(OAU)の態度としてはインドネシアに反対するが,タンザニア自身としては反対ではない。 |
DIA-209-1981-11-18-1 | インドネシア | 1981年11月18日 | 1980年代 | ユスフ国防相は,国軍による農村工作(Masuk Desa)の目的は国民と国軍の連帯であり,総選挙とは何ら関係がないと述べた。 |
DIA-209-1981-11-20-1 | インドネシア | 1981年11月20日 | 1980年代 | 81/82年度貿易収支の見通し――スギト外国為替総局長は予算委員会で,81/82年度上期の貿易収支は1.03億ドルの赤字であり,下期も6.93億ドルの赤字と見積られることから年度末で7.96億ドルの赤字となろうと述べた。現在の外貨準備高は72億ドルである。 |
DIA-209-1981-11-21-1 | インドネシア | 1981年11月21日 | 1980年代 | ワルダナ蔵相は予算委員会の演説で,「過去数年の快適さから脱け出しベルトを締めなければならない」と訴えた。82/83年度予算見積りについて,各省,政府機関,国会は経常歳出増を5%以内に抑えるよう要請された。また補助金政策については,経済社会への安定機能を認めながらも再検討の必要があると述べた。81/82年度の食糧,石油製品,肥料に対する補助金は2.1兆ルピアにのぼる。 |
DIA-209-1981-11-24-1 | インドネシア | 1981年11月24日 | 1980年代 | 東チモールの独立に関する国連決議――国連総会で東チモールの独立に関する決議が行われた結果,賛成54票(80年から4票減),反対42票(同7票増),棄権46票であった。 |
DIA-209-1981-11-25-1 | インドネシア | 1981年11月25日 | 1980年代 | PPP内紛――サイフディン・ズフリ同党議長(NU系)は11月19日に党総裁に辞表を提出したことを明らかにした。離党の理由は,党の一致,存続に責任が持てなくなったためとし,MI系は和解を拒絶し解決への努力を怠っていると非難した。同党のアブドルラフマン・ワヒド議員(NU系)は同事件を「社会に基礎をおく宗教組織をPPPという枠組から解放するための最初の公式な行動」として重要視し,インドネシアの政治の発展に影響を及ぼすだろうと述べた。 |
DIA-209-1981-11-27-1 | インドネシア | 1981年11月27日 | 1980年代 | 総選挙立候補者リスト,選挙委員会(PPI)が承認――マフムドPPI議長,アリ・サイド副議長を始めPPIのメンバーは各党の立候補者リストに署名した。立候補者数は,PPP 625,ゴルカル719,PDI456,計1850人である。このリストは12月15日から各地方で公表され,1月15日までPPIがリストに対する抗議を受けつけ,2月9日に最終決定リストが提出される。 |
DIA-209-1981-11-28-1 | インドネシア | 1981年11月28日 | 1980年代 | イリアンジャヤの過激武装戦線(GPK),ピアス・アバム代表がインドネシア共和国への忠誠を誓う宣誓式典がメラウケで行われた。 |
DIA-209-1981-12-01-1 | インドネシア | 1981年12月01日 | 1980年代 | スフド工相は,自動車と同様エレクトロニクス製品についても,国産化の準備として現在組立てられている部品を標準化する方針を発表した。 |
DIA-209-1981-12-02-1 | インドネシア | 1981年12月02日 | 1980年代 | 有権者数――マフムド内相の発表によると,総人口1億4653万2407人のうち選挙権を有するのは8213万9195人,そのうち非合法団体所属者は153万6936人。一方,選挙権の与えられなかった非合法団体所属者は158万0020人,外国系インドネシア人4万3084人。 |
DIA-209-1981-12-02-2 | インドネシア | 1981年12月02日 | 1980年代 | スダルモノ官房長官は,経済閣僚会議後,非石油輸出を促進するために,①輸出品の品質向上,②輸出手続の簡素化,③倉庫,輸送コスト低下への政府援助,④大プロジェクトの資財輸入の見返りに非石油産品の買い取りを義務づける,などを実施すると述べた。 |
DIA-209-1981-12-05-1 | インドネシア | 1981年12月05日 | 1980年代 | ジャカルタ労働監督局によると,81年1~10月のジャカルタでのストライキ発生は59件であり,75~80年では126件にのぼる。 |
DIA-209-1981-12-07-1 | インドネシア | 1981年12月07日 | 1980年代 | トヨタの合弁組立工場(Mobilindo)でボーナスの額をめぐってストライキ発生。 |
DIA-209-1981-12-07-2 | インドネシア | 1981年12月07日 | 1980年代 | アリ・サイド法相は,国家の安定を損う恐れのある者の出入国制限を行う方針を発表した。国防・治安関係犯罪人は6カ月,政治社会関係犯罪人は1年の出入国申請の差止め,刑・民事犯罪人,出入国法違反者は1年,経済社会関係犯罪人は2年,麻薬関係犯罪人は無期限の出国禁止となる。 |
DIA-209-1981-12-08-1 | インドネシア | 1981年12月08日 | 1980年代 | PPP立候補リスト問題――同党のNU執行委員会が明らかにしたところによると,ナロ総裁の提出したリストでは77年総選挙で議席を得たNU系の29人が下位に順位を変更され,82年選挙では落選不可避である。 |
DIA-209-1981-12-09-1 | インドネシア | 1981年12月09日 | 1980年代 | ラディウス商相は,先進国からの大プロジェクトの資材輸入の見返りに同国非石油産品の買いつけを義務づける政策は,先進国の保護主義への対抗措置であり双方の貿易活発化に有効であるとして,82年1月1日から実施すると発表した。 |
DIA-209-1981-12-10-1 | インドネシア | 1981年12月10日 | 1980年代 | ウトヨ・ウスマン労働保護総局長の発表によると,ジャカルタ特別区の最低賃金を1日(7時間労働)600ルピアから700ルピアに82年1月1日から引上げる。 |
DIA-209-1981-12-15-1 | インドネシア | 1981年12月15日 | 1980年代 | クラカトウ製鉄所は生産能力年50万トンのところ1981年の生産実績は25万トンの見込みである。81年1~6月の赤字は830億ルピアであり77~80年の累積赤字は3000億ルピアである。 |
DIA-209-1981-12-16-1 | インドネシア | 1981年12月16日 | 1980年代 | スフド工相は1985年にモーターバイクを完全国産化することを11月25日付で決定した。 |
DIA-209-1981-12-21-1 | インドネシア | 1981年12月21日 | 1980年代 | 大蔵省は汚職による予算の脱漏防止のため,特別監視委員会を設置すると発表した。 |
DIA-209-1981-12-22-1 | インドネシア | 1981年12月22日 | 1980年代 | PPPによる82/83年度予算案――ハムザ・ハズ議員により次のような同党の次年度予算案見込みが発表された。予算総額は15.2兆ルピア,歳出面では公務員給与,補助金の増加で経常歳出が8.1兆ルピアに増加,開発歳出7.1兆ルピアを上回る。石油製品への補助金は特に下層にとって必要である。 |
DIA-209-1981-12-22-2 | インドネシア | 1981年12月22日 | 1980年代 | 自動車エージェント・組立工場連盟(GAAKINDO)のスギャント会長の発表によると,81年1~11月の自動四輪車の生産は19万7299台(前年同期比12.88%増)で,81年全体では21万台に達する見込みである。82年の見通しは81年の横ばいの21万台から最高で20%増の25.2万台である。 |
DIA-209-1981-12-23-1 | インドネシア | 1981年12月23日 | 1980年代 | パンガベアン調整相は,最近多発している犯罪は総選挙前の社会混乱を狙う危険分子が起こしている可能性もあると述べ,極左,極右の潜在勢力への注意を喚起した。 |
DIA-209-1981-12-24-1 | インドネシア | 1981年12月24日 | 1980年代 | CIPAYUNGグループはMPRの機能低下,DPRの国民からの乖離,軍の威信低下,政府の介入による政党の内紛などをあげた1981年を回顧する声明を発表した。 |
DIA-209-1981-12-24-2 | インドネシア | 1981年12月24日 | 1980年代 | カルテックスの契約改更――24日付コンパス紙によると,スブロト鉱相は82年11月に切れるカルテックス(同国原油の45%生産)との請負契約に引き続き生産分与(PS)契約を結ぶ方向で交渉中であることを明らかにした。カルテックスはすでに生産施設を備えているため,新PS契約では他企業とは異なる条件をインドネシア側は望んでいる。 |
DIA-209-1981-12-26-1 | インドネシア | 1981年12月26日 | 1980年代 | スバンドリオ減刑――法務省の発表によると,9・30事件に関わり死刑判決を受けていたスバンドリオ元第一副首相とウマル・ダニ元空軍司令官は,1980年12月14日付大統領決定に基づき終身刑に減刑された。 |
DIA-209-1981-12-28-1 | インドネシア | 1981年12月28日 | 1980年代 | ゴルカルによる82/83年度予算案――リファイ議員により次のような次年度予算案見込みが発表された。予算総額は15~16兆ルピア,最重要課題は開発の継続である。そのためには,総選挙前に各種補助金の段階的削減を始めるのが望ましい。更に経常歳出,特に公務員給与,財の購入,地方補助金を削減すべきである。また輸出促進策としてルピア切下げは緊急だとは思わない。 |
DIA-209-1981-12-29-1 | インドネシア | 1981年12月29日 | 1980年代 | スドモ Kopkamtib 司令官は,犯罪防止のためジャカルタのRT,RWに82年1月から武器を持たせて防犯活動を強化すると述べた。ウィジョヨ・スヨノ Kopkamtib 参謀長によると,RT,RWの武装には退役軍人を使用する。 |
DIA-209-1982-01-04-1 | インドネシア | 1982年01月04日 | 1980年代 | 石油燃料値上げ―3日付の大統領令により,4日より石油燃料の国内販売価格が60~67%引上げられた。ガソリンは1㍑150ルピアから240ルピア,灯油は1㍑37.5ルピアから60ルピアとなった。これに追随する形で,陸・海・空運賃,電気料金など公共料金も値上げされた。 |
DIA-209-1982-01-05-1 | インドネシア | 1982年01月05日 | 1980年代 | 82/83年度予算案,国会に提出―総額は15兆6073億ルピア(対前年度比12.3%増)。石油会社からの税収が6.4%の伸びにとどまったため,公務員給与の据置き,食糧・石油燃料補助金の39%削減などによって開発歳出(8兆6058億ルピア,同34.5%増)を確保した。 |
DIA-209-1982-01-05-2 | インドネシア | 1982年01月05日 | 1980年代 | 82/83年度の国際収支―国会に提出された今年度国際収支予想は,輸出264億㌦,うち石油輸出は189億㌦。輸入246億㌦,経常収支△46億㍉,総合収支△12億㌦。 |
DIA-209-1982-01-05-3 | インドネシア | 1982年01月05日 | 1980年代 | インドネシア民族系企業連盟(HIPPI)会長のプロボストジョ氏は,石油燃料の大幅値上げを伴う補助金削減よりも,ルピア切下げの方が政府財源確保に有効だとして政府を批判。 |
DIA-209-1982-01-12-1 | インドネシア | 1982年01月12日 | 1980年代 | インドネシア共産党(PKI)がブレジネフ・ソ連書記長の75歳の誕生祭に祝辞を送ったとのモスクワ放送(81年12月19日)について,イ外務省は政府の憂慮の念を公式にソ連駐イ大使に伝えた。 |
DIA-209-1982-01-13-1 | インドネシア | 1982年01月13日 | 1980年代 | 食糧価格小幅値上げ―アリフィンBulog長官は平均1%の食糧販売価格の引上げを発表した。米は1kg230ルピアから232.5ルピアとなった。 |
DIA-209-1982-01-15-1 | インドネシア | 1982年01月15日 | 1980年代 | ソ連大使館前でデモ―インドネシア全国青年委員会(KNPI)はPKIに関するモスクワ放送はインドネシアに対する内政干渉だとして,ソ連大使館前でデモを行なった。 |
DIA-209-1982-01-15-2 | インドネシア | 1982年01月15日 | 1980年代 | インドネシア大学学長にヌグロホ・ノトスサント教授が就任した。 |
DIA-209-1982-01-15-3 | インドネシア | 1982年01月15日 | 1980年代 | 81年の石油生産・開発活動―スブロト鉱相の発表によれば,81年の石油生産は159万bpd,掘削井319本,地震探査27・5万km。81年中に12生産分与契約が新たに諦結され,35億ドルが投資された。 |
DIA-209-1982-01-15-4 | インドネシア | 1982年01月15日 | 1980年代 | 81年のストライキ状況―スドモ治安秩序回復司令部(Kopkamtib)司令官によれば,81年中のストは145件・計3643入が参加し,損失労働時間は43万5261時間。 |
DIA-209-1982-01-19-1 | インドネシア | 1982年01月19日 | 1980年代 | スジャルウォ・ジャカルタ警察司令官の発表によると,18日,警察によるベチャの強行規制に抗議してベチャがタナ・アバン警察署を投石で襲撃した。 |
DIA-209-1982-01-19-2 | インドネシア | 1982年01月19日 | 1980年代 | 非石油輸出振興パッケージ発表―16日付で大統領令による輸出振興措置が発表された。主要な措置は,(1)中央銀行への外貨集中義務の廃止,(2)輸出入支払方法の自由化(従来はLC決済が原則),(3)輸出金融の金利引下げ(12%→6%),(4)輸出保険制度の創設,などである。 |
DIA-209-1982-01-19-3 | インドネシア | 1982年01月19日 | 1980年代 | カウンター・パーチェス(CP)制度について―スダルモノ官房長官は,同制度は82年1月以降に発注する5億ルピア以上の政府プロジェクトに適用されると発表した。さらにカウンター・パーチェス不履行の企業に対しては不履行分の50%の罰金を課する,と述べた。 |
DIA-209-1982-01-19-4 | インドネシア | 1982年01月19日 | 1980年代 | サルジョノ水産総局長は,トロール漁を全面禁止する意向を認め,2月の国会で立法化,83年1月から実施することになろう,と述べた。 |
DIA-209-1982-01-19-5 | インドネシア | 1982年01月19日 | 1980年代 | ワルダナ蔵相は,輸入税算定の為替交換レートの改定を蔵相令として発表した。これにより2月1日以降1ドル=640ルピアとなった。 |
DIA-209-1982-01-19-6 | インドネシア | 1982年01月19日 | 1980年代 | 農民貸付返済状況―ソリヒン経済閣僚会議事務局長によれば,期限切れ農民貸付1153億ルピアのうち81年12月までに返済されたのは288億ルピア(25%)にすぎない。 |
DIA-209-1982-01-20-1 | インドネシア | 1982年01月20日 | 1980年代 | アサハン・アルミ精練所開所式―総額20億㌦の同プロジェクトの第1期工事が完成。アルミ地金年産能力7万5000㌧,84年第3期工事完成時には年産22万5000㌧となる予定。電力はシグラ・グラ,タンガ両ダムから50万kWが供給される。 |
DIA-209-1982-01-20-2 | インドネシア | 1982年01月20日 | 1980年代 | イ・タイ合同空軍演習がジョクジャカルタ空軍基地で行なわれた。 |
DIA-209-1982-01-23-1 | インドネシア | 1982年01月23日 | 1980年代 | 81年度の日本からのIGGI援助580億円供与が契約された。使途は灌漑など11プロジェクト。条件は利率年3%,返済期間30年(据置き10年)。 |
DIA-209-1982-01-26-1 | インドネシア | 1982年01月26日 | 1980年代 | モフタル外相マレーシア訪問(~28日)―ガザリ外相と会談,カンボジア間題を討議した。 |
DIA-209-1982-01-26-2 | インドネシア | 1982年01月26日 | 1980年代 | プルタミナは,タイへの原油輸出契約を更新した。82年分の契約は前年を5000bpd下回る1万bpd。 |
DIA-209-1982-01-28-1 | インドネシア | 1982年01月28日 | 1980年代 | キャリントン英外相来イ(~30日)―29日モフタル外相と会談,カンボジア問題について討議,同時にバリクパパン精油所プロジェクトに対し2億2500万㌦の輸出信用を契約。30日,スハルト大統領,アダム・マリク副大統領と会談。 |
DIA-209-1982-01-28-2 | インドネシア | 1982年01月28日 | 1980年代 | イスナエニ国会副議長(PDI)がルーマニア大使に任命された。 |
DIA-209-1982-02-01-1 | インドネシア | 1982年02月01日 | 1980年代 | ニッケル採鉱会社PT.INCOは,在庫圧迫のため2系列のうち1系列を閉鎖。 |
DIA-209-1982-02-02-1 | インドネシア | 1982年02月02日 | 1980年代 | 81年の汚職撲滅作戦(Opstib)の成果―スドモ Kopkamtib司令官は,81年中に1127件の汚職事件を調査,1504人の役人を取調べ,うち1429人を処分,75人を起訴した,と発表した。 |
DIA-209-1982-02-03-1 | インドネシア | 1982年02月03日 | 1980年代 | 北朝鮮首相来イ(~8日)―李鐘玉首相は,崔貞根貿易部長,鄭松男対外経済事業部長らを伴い来イ。4日スハルト大統領と会談し,金日成主席の親書を手渡し,二国間貿易の促進,非同盟連帯の強化などを討議した。 |
DIA-209-1982-02-05-1 | インドネシア | 1982年02月05日 | 1980年代 | 韓国国会議長来イ(~12日)―丁来赫議長は6日スハルト大統領と会談し,全斗煥大統領の親書を手渡した。 |
DIA-209-1982-02-05-2 | インドネシア | 1982年02月05日 | 1980年代 | 投資調整庁(BKPM)のフランクフルト事務所が開所された。 |
DIA-209-1982-02-05-3 | インドネシア | 1982年02月05日 | 1980年代 | 家庭用液化ガスが20%以上値上げされた。 |
DIA-209-1982-02-07-1 | インドネシア | 1982年02月07日 | 1980年代 | PDIジャカルタ支部カソリック系の立候補者9人は党中央執行委員会の干渉に抗議してPDI立候補者リストからの離脱を表明した。 |
DIA-209-1982-02-09-1 | インドネシア | 1982年02月09日 | 1980年代 | ソ連大使館員スパイ事件―ノルマン・サソノ・ジャカルタ陸軍区司令官の発表によると,4日国防省のスダルヤント中佐がソ連大使館付武官補エゴロフ中佐に秘密文書を手渡す際逮捕された。エゴロフ中佐の釈放後の6日,ともに出国しようとしたソ連国営航空アエロフロートのアレクサンダー・フィネンコ所長を逮捕した。エゴロフ中佐は国外追放を命じられ,フィネンコ支配人は5年間にわたるスパイ容疑で取調べ中である。 |
DIA-209-1982-02-09-2 | インドネシア | 1982年02月09日 | 1980年代 | CP 制について―政府は購入を義務づけるインドネシア産品11品目を各国政府に通告した。それらは,ゴム,コーヒーなど農産品6品目とセメント・合板・繊維製品など工業製品5品目から成る。 |
DIA-209-1982-02-09-3 | インドネシア | 1982年02月09日 | 1980年代 | 立候補者最終リスト提出―ゴルカル,PPP,PDIの立候補者は最終的にそれぞれ715人,592人,438人,計1745人で,暫定リストから55人削除された。選挙委員会(PPI)はこれに署名,受領した。同委員会は,選挙キャンペーン期間3月15~28日,冷却期間4月29~5月3日,投票日5月4日という選挙日程を発表した。 |
DIA-209-1982-02-10-1 | インドネシア | 1982年02月10日 | 1980年代 | KNPIの率いる200人がソ連大使館前でスパイ事件に抗議してデモ行進を行なった。 |
DIA-209-1982-02-15-1 | インドネシア | 1982年02月15日 | 1980年代 | ソ連スパイ事件―スドモKopkamtib司令官はアエロフロートジャカルタ事務所の閉鎖を命じると共に,同航空のインドネシアへの乗入れを禁止し,アレクサンダー・フィネンコ所長をスパイ容疑で国外追放したと発表した。 |
DIA-209-1982-02-15-2 | インドネシア | 1982年02月15日 | 1980年代 | 木材輸出規制強化―ハディノト雑工業総局長は,81年4月の決定の改定を15日付で発表した。新決定によると,木材輸出量は82年に最高400万m3,83年300万m3,84年150万m3,85年にゼロとする。発効は3月1日から。 |
DIA-209-1982-02-17-1 | インドネシア | 1982年02月17日 | 1980年代 | マレーシア副首相来イ―ヒタム副首相は18日スハルト大統領と会談し,カンボジア問題,マレーシアへの労働力移動問題,共産党問題等について討議した。ユスフ国防相との会談では,国境問題が討議された。 |
DIA-209-1982-02-18-1 | インドネシア | 1982年02月18日 | 1980年代 | プルタミナの債務―ユド・スンボノ・プルタミナ総裁は国会で,81年9月末時点のプルタミナの長期債務は2兆7610億ルピア,短期債務は7100億ルピアであり,返済総額は2月現在で1兆4940億ルピア(うち利子支払いは5780億ルピア)である,と述べた。 |
DIA-209-1982-02-19-1 | インドネシア | 1982年02月19日 | 1980年代 | 日本の農林水産省は,木材輸出規制の強化についてインドネシアに抗議,協議を要請した。 |
DIA-209-1982-02-22-1 | インドネシア | 1982年02月22日 | 1980年代 | スドモKopkamtib司令官は,大学内の治安について次のように述べた。大学運動は鎮静化しているが,学内治安維持のため,民兵組織(Hansip),大学学生組織(Menwas)等のメンバーから成る治安システム(Sis Kamling)を設置する。 |
DIA-209-1982-02-22-2 | インドネシア | 1982年02月22日 | 1980年代 | モフタル外相,ベトナム大使と会議―チン・スアン・ラン大使は,インドシナ3国外相会談(16日)での6項目声明をモフタル外相に手渡し,ASEANとインドシナ3国との会談を提案した。外相は会談後,「同提案については慎重に検討する。重要なのはインドシナ・中国関係である」と述べた。 |
DIA-209-1982-02-22-3 | インドネシア | 1982年02月22日 | 1980年代 | モフタル外相は,ベトナム大使と会談後,ラウェウディン国連事務次長と会談,カンボジア問題を討議した。 |
DIA-209-1982-02-25-1 | インドネシア | 1982年02月25日 | 1980年代 | イ・マレーシア領海・領空に関する条約締結―ガザリ・マ外相が来イ。インドネシアが主張する群 島国家理論をマレーシアが承認し東西マレーシア間におけるマレーシアの伝統的権利をインドネシアが承認する条約を諦結した。 |
DIA-209-1982-02-25-2 | インドネシア | 1982年02月25日 | 1980年代 | 日本の農林水産省は,トロール漁全面禁止措置に対しインドネシアに抗議,協議を要請した。 |
DIA-209-1982-02-25-3 | インドネシア | 1982年02月25日 | 1980年代 | 環境法,国会で可決。 |
DIA-209-1982-02-27-1 | インドネシア | 1982年02月27日 | 1980年代 | 82/83年度予算,国会で可決。 |
DIA-209-1982-03-03-1 | インドネシア | 1982年03月03日 | 1980年代 | 日・イ租税条約調印―海外での所得に対する二重課税を避けるため,所得者の本国で課税することで交渉がまとまった。発効は83年からの予定。 |
DIA-209-1982-03-08-1 | インドネシア | 1982年03月08日 | 1980年代 | 国軍幹部会議バンドンで開催(~12日)―主要な議題は,(1)国軍の二重機能の制度化に向けての国軍内の意思統一,(2)82/83年度国防費支出計画,である。 |
DIA-209-1982-03-09-1 | インドネシア | 1982年03月09日 | 1980年代 | インドネシア経済状勢―スミトロ博士は,欧米先進国不況が輸出を通じインドネシアに浸透していることを認め,世界不況が回復に向かうのは82年末か83年初めとなろうとの予測を述べた。 |
DIA-209-1982-03-10-1 | インドネシア | 1982年03月10日 | 1980年代 | 石油製品値上げに伴う賃上げ状況―インドネシア労働組合総連合(FBSI)アグス・スドノ議長の発表によると,FBSI登録企業11万社のうちの5%のみが,石油製品値上げに伴い15~25%の賃上げを行なった。 |
DIA-209-1982-03-10-2 | インドネシア | 1982年03月10日 | 1980年代 | アサハン・プロジェクト向け最終円借款42億円(総額615億5000万円)が東京で契約された。 |
DIA-209-1982-03-12-1 | インドネシア | 1982年03月12日 | 1980年代 | 沢木駐インドネシア大使の後任に山崎好夫氏が決定。 |
DIA-209-1982-03-15-1 | インドネシア | 1982年03月15日 | 1980年代 | インドネシアィスラム革命評議会リーダー,イムロンに対しジャカルタ地裁は死刑を宣告。イムロンはイスラム狂信教団を組織(80年6月),バンドンの警察署襲撃,ガルーダ航空ハイジャック事件(81年3月)の容疑で起訴されていた。 |
DIA-209-1982-03-15-2 | インドネシア | 1982年03月15日 | 1980年代 | ゴルカルの選挙目標―アミル・ムルトノ・ゴルル議長は,ゴルカルの目標は少なくとも77年総選挙と同 率の得票率を達成し,ジャカルタ・アチェを奪回することであり,全議席を獲得しようとは思っていない,と述べた。 |
DIA-209-1982-03-15-3 | インドネシア | 1982年03月15日 | 1980年代 | 選挙期間中の調査活動の禁止―内務省は,3月14日から6月9日までに予定されているインドネシア人,外国人による全ての調査活動の延期を,各州・県・市に通達した。ただし,政府関係機関が管轄,あるいは同機関と協力して行なうものは,開発計画の遅延を防ぐため続行される。 |
DIA-209-1982-03-15-4 | インドネシア | 1982年03月15日 | 1980年代 | KADIN,BKPMは,政府の優先する砂糖工場,自動車エンジン工場,石油・ガス産業プロジェクトへの金融,フィージリティ・スタディを行なう共同委 員会を設置することを決定した。 |
DIA-209-1982-03-18-1 | インドネシア | 1982年03月18日 | 1980年代 | ゴルカル選挙キャンペーンで騒乱事件―ジャカルタバンテン広場での第1回選挙キャンペーンで騒乱が発生,陸軍特殊部隊が出動した。 |
DIA-209-1982-03-19-1 | インドネシア | 1982年03月19日 | 1980年代 | バンテン広場騒乱事件について―ゴルカル・PPP・PDIの指導者はスドモKopkamtib司令官と会談し,事件の主謀者を非難する共同声明を発表すると共に,治安強化を当局に要請した。スドモ司令官によれば,事件は「破壊活動分子」により事前に計画されたものである。 |
DIA-209-1982-03-20-1 | インドネシア | 1982年03月20日 | 1980年代 | 石油減産決定―OPEC臨時総会(19日)において,4月以降のインドネシアの産油量は130万bpdに決定された。 |
DIA-209-1982-03-24-1 | インドネシア | 1982年03月24日 | 1980年代 | 石油減産の影響―スブロト鉱相は,石油減産しても開発予算は堅持するむね明らかにした。一方,公用車・役所の省エネルギーを推進し監督委員会を設置する。また82/83年度中には石油製品の再値上げの予定はないと述べた。 |
DIA-209-1982-03-25-1 | インドネシア | 1982年03月25日 | 1980年代 | ハビビ調査・技術担当国務相訪日―バビビ国務相は田沢農相と会談し,丸太輸出規制,トロール漁禁止などの政策について説明した。 |
DIA-209-1982-03-25-2 | インドネシア | 1982年03月25日 | 1980年代 | マフムド内相は,西ジャワで選挙防害のパンフレットが流布していることを明らかにした。内容は,PKI支持,ゴルカル非難,白票の呼びかけ等である。 |
DIA-209-1982-03-27-1 | インドネシア | 1982年03月27日 | 1980年代 | PDIを離党していたT・A・M・シマトゥパン氏はゴルカルを開発の実施に唯一成功しているとして入党を発表し,PDI系団体にゴルカル加盟を呼びかけた。 |
DIA-209-1982-03-29-1 | インドネシア | 1982年03月29日 | 1980年代 | イリアン・ジャヤの部族リーダー350人は37万人の部族を代表してゴルカルへの忠誠を表明した。 |
DIA-209-1982-03-29-2 | インドネシア | 1982年03月29日 | 1980年代 | 輸出港に関する新規制―ヌルヤディン運輸相は,非石油・ガス輸出の促進のためタンジュン・プリオク,タンジニン・プラ,ブラワン,ウジュンパンダンの4港を輸出港に指定,そこから第3国を経由せず直接輸出先へ出荷する規制を発表した。 |
DIA-209-1982-03-30-1 | インドネシア | 1982年03月30日 | 1980年代 | メダン,ポロニァ空軍基地にA-4スカイホーク戦闘爆撃機隊が配備された。 |
DIA-209-1982-03-31-1 | インドネシア | 1982年03月31日 | 1980年代 | 石油需給見通し―スブロト鉱相は,先進国の石油備蓄とりくずしは限界に近づいており,現在の石油供給過剰は遅くともあと3カ月で解消しよう,との見通しを述べた。 |
DIA-209-1982-03-31-2 | インドネシア | 1982年03月31日 | 1980年代 | 対日石油輸出,20年延長契約―プルタミナのスンボノ総裁は,ジャパンインドネシアオイルとの間で,現行の石油輸出契約を82年から20年間延長すること,輸出量は現行10万bpdを基準に毎年協議すること,で合意,契約に調印した。 |
DIA-209-1982-04-01-1 | インドネシア | 1982年04月01日 | 1980年代 | 低金利融資,民間銀行にも許可―1月18日付輸出促進政策の一環である低利子輸出信用(6%)は当初国立銀行のみが融資を許されていたが,4月1日より民間銀行,州開発銀行も融資できることになった。 |
DIA-209-1982-04-02-1 | インドネシア | 1982年04月02日 | 1980年代 | バンテン広場騒乱事件について―スドモKopkamtib司令官による同事件に関する公式発表は次のとおり。逮捕者318人のうち274人を釈放(ほとんどが中高生),残り44人は取調べ中で総選挙前に起訴を行なう。彼らの多くはPPP党員・支持者であるが党の政策とは無関係である。また事件後に「同事件は政府に反対する国民感情を反映したもの」とするパンフレットが流布したことは,「破壊活動分子」の存在を裏付けるものである。 |
DIA-209-1982-04-02-2 | インドネシア | 1982年04月02日 | 1980年代 | バンカーオイル(船舶用燃料油)値下げ―プルタミナは,輸出促進のため船舶用重油をトン当り245㌦から195㌦へ,発動機油を345㌦から325㌦へ,軽油を355㌦から325㌦に引下げた。 |
DIA-209-1982-04-06-1 | インドネシア | 1982年04月06日 | 1980年代 | 法務省は408人の役人(うち80人は裁判官)に訓戒・昇進さし止め,解雇の処分を与えると発表した。理由は汚職,婚姻法違反などである。 |
DIA-209-1982-04-07-1 | インドネシア | 1982年04月07日 | 1980年代 | 石油減産―スブロト鉱相によると,OPEC決定による減産分30万bpdは,カルテックスが20万bpdを,Total Indonesie(仏)等3社が残りの10万bpdを引受ける。政府は,減産に伴う国家予算の見直しは行なわないが,必要があれば外国借款を増加する意向である。 |
DIA-209-1982-04-08-1 | インドネシア | 1982年04月08日 | 1980年代 | 選挙前治安維持―スドモKopkamtib司令官はバンテン広場騒乱事件後2度目の3党指導者との会談を行なった。Kopkamtibは,ジャカルタ,ジョクジャカルタでの午後6時以降のキャンペーン禁止,キャンペーン動員規模の縮小,を勧告した。一方,野党側から,(1)公務員の野党キャンペーンへの参加禁止,(2)ゴルカルのシンボル掲示場所:の優遇,(3)騒乱事件に対する治安当局側の過剰反応,が問題として提起された。 |
DIA-209-1982-04-12-1 | インドネシア | 1982年04月12日 | 1980年代 | 情報省は,週間誌『テンポ』に対しバンテン広場騒乱事件に関する好ましくない記事を掲載したとして,発行禁止を発表した。 |
DIA-209-1982-04-13-1 | インドネシア | 1982年04月13日 | 1980年代 | PPPによる第4回ジャカルタ選挙キャンペーン中に数件の交通事故が発生。ノルマン・サソノ・ジャカルタ陸軍区司令官の発表(17日)によると,6人死亡,40人負傷市バス17台破損。 |
DIA-209-1982-04-13-2 | インドネシア | 1982年04月13日 | 1980年代 | キャンペーン期間について―スドモKopkamtib司令官は,「45日のキャンペーン期間は長すぎる。次回からはテレビ・印刷物を利用し,2週間で充分だと考えている」と述べた。 |
DIA-209-1982-04-14-1 | インドネシア | 1982年04月14日 | 1980年代 | ゴルカル中央執行委員会は,4月13日のPPPキャンペーン中にゴルカルのマークやビラが多数紛失したことについて,Kopkamtibに抗議書を提出した。スドモ司令官は,Kopkamtibと3政党の合意(4月8日)を破ればキャンペーン禁止もあり得る,とPPPに対し警告を与えた。 |
DIA-209-1982-04-16-1 | インドネシア | 1982年04月16日 | 1980年代 | Pelita紙に警告―Kopkamtibと3政党との合意事項(4月8日)を破ればキャンペーンを禁止させるとの当局の姿勢を,「選挙法違反」としたチャリク・アリ氏(PPP)の談話が16日付Pelita紙に掲載。これに対し,スドモKopkamtib司令官は非常時のキャンペーン禁止は違法ではないと述べて同紙に警告を与えた。 |
DIA-209-1982-04-18-1 | インドネシア | 1982年04月18日 | 1980年代 | 農村電化計画―バツバラ住宅担当副大臣によると,82年3月末までに電化されたのは4169村。第3次5カ年計画終了時(84年3月)の目標は6437村。 |
DIA-209-1982-04-20-1 | インドネシア | 1982年04月20日 | 1980年代 | ユスフ国防相,サウジ,エジプト,仏歴訪(~30日)―ユスフ国防相は,ムバラク・エジプト大統領,ミッテラン仏大統領にスハルト大統領の親書を手渡した。両大統領は82年内に訪イの意向を明らかにした。 |
DIA-209-1982-04-21-1 | インドネシア | 1982年04月21日 | 1980年代 | イ銀は,モルガン,東銀等26行によるコンソーシアムローン3億㌦に調印した。期間10年,金利LIBORプラス0.375%。 |
DIA-209-1982-04-26-1 | インドネシア | 1982年04月26日 | 1980年代 | ゴルカル最終キャンペーンで騒乱(~25日)―スドモKopkamtib司令官はジャカルタ市内での騒乱の被害について次のように発表した。死亡は軍の流弾によるものであり,警察官,民兵各1を含む6人。負傷97人。逮捕者130人で大部分がPPP党員であった。 |
DIA-209-1982-04-28-1 | インドネシア | 1982年04月28日 | 1980年代 | 総選挙審議会と情報省は,4月30日から5月4日まで選挙キャンペーンに関する報道を禁止すると発表した。 |
DIA-209-1982-04-29-1 | インドネシア | 1982年04月29日 | 1980年代 | 選挙キャペーンの総括―スドモKopkamtib司令官は,今回のキャンペーンにより政治教育がいまだ目的を達しておらず今後の改善を要することがわかった,と述べた。同司令官の発表によれば,45日間で死者36人。原因の内訳は自動車事故25,騒乱3,流弾8。 |
DIA-209-1982-04-30-1 | インドネシア | 1982年04月30日 | 1980年代 | スドモKopkanltib司令官は,総選挙当日の治安について,治安を乱す者には警告なく即告射殺さえ辞さないむね明らかにした。 |
DIA-209-1982-05-03-1 | インドネシア | 1982年05月03日 | 1980年代 | 渡辺蔵相,スハルト大統領と会談―渡辺蔵相は,カウンター・パーチェス制,トロール漁の全面禁止,木材輸出規制などの諸政策について,より現実的な政策運営を要請した。またスフドエ業相とも会談,アサハン・プロジェクトについて意見交換した。 |
DIA-209-1982-05-04-1 | インドネシア | 1982年05月04日 | 1980年代 | 総選挙実施―スハルト政権下3回目の選挙は平穏のうちに行なわれた。投票率91.5%,確定得票率・議席数は,ゴルカル64.3%,246議席(前回より+14),PPP27.8%,94議席(-5),PDI7.9%,24議席(-5)であった(「参考資料」参照)。 |
DIA-209-1982-05-05-1 | インドネシア | 1982年05月05日 | 1980年代 | 野党による抗議―ヌディン・ルビス議員(PPP)は,PPP支持者にアチェで投票通知状が送られず投票できなかったり,投票箱が所定の場所になかったり,二重投票が行なわれたりしたことを明らかにした。 |
DIA-209-1982-05-07-1 | インドネシア | 1982年05月07日 | 1980年代 | Pelita紙発禁―情報省は,5日付Pelita紙が選挙委員会(PPI)発表でない開票経過を報道し,政府と報道機関との協定に違反したとして,発禁処分にした。 |
DIA-209-1982-05-07-2 | インドネシア | 1982年05月07日 | 1980年代 | 政府はユーロ市場で変動利付国債2億ドルを発行する契約を結んだ。主幹事はスイス・バンク・コーポレーション。期間10年,金利LIBORプラス0.25%。 |
DIA-209-1982-05-08-1 | インドネシア | 1982年05月08日 | 1980年代 | 二重投票の可能性を否定―スガマBAKIN長官は選挙手続規制から二重投票の可能性はないと述べた。 |
DIA-209-1982-05-08-2 | インドネシア | 1982年05月08日 | 1980年代 | 82年度経済予測―スミトロ博士は82/83年度のGDP成長率を6.5%,インフレ率を13%と予測した。 |
DIA-209-1982-05-08-3 | インドネシア | 1982年05月08日 | 1980年代 | 蔵相令により外国企業の生命保険業への参入が許可された。従来は損害保険のみが認められていた。 |
DIA-209-1982-05-10-1 | インドネシア | 1982年05月10日 | 1980年代 | マフムド内相は,野党から相次ぐ抗議に対して総選挙結果は有効と述べた。スドモKopkamtib司令官は証拠なく選挙不正を訴えることを禁じ,不正行為で逮捕されたのはジャカルタ,中部ジャワ,アチェなどで38人にのぼる,と発表した。 |
DIA-209-1982-05-10-2 | インドネシア | 1982年05月10日 | 1980年代 | インドネシア,中所得国に―世銀報告によると,81年のインドネシアの1人当り国民所得は520㌦となり,中所得国に格上げされた。 |
DIA-209-1982-05-11-1 | インドネシア | 1982年05月11日 | 1980年代 | ジャカルタでのゴルカル勝利について―HIPPI会長プロボストジョ氏はジャカルタでのゴルカルのキャンペーンはそれほど有効であったと思われず,得票は公務員(45万票),とその家族(45万票),軍人の家族(35万票),華僑(40万票)に負うところが大きい,との見解を述べた。 |
DIA-209-1982-05-12-1 | インドネシア | 1982年05月12日 | 1980年代 | アリフィンBulog長官によれば,82年の米の輸入予定は17万3000㌧。輸入国は台湾,ビルマ。 |
DIA-209-1982-05-14-1 | インドネシア | 1982年05月14日 | 1980年代 | イダム・ハリッドNU総裁は,6日に辞職を届出ていたが,NU内の調整統一のため辞職を撤回した。 |
DIA-209-1982-05-15-1 | インドネシア | 1982年05月15日 | 1980年代 | ユスフ国防相訪韓―ユスフ国防相は陸海空参謀長らと共に周永福韓国国防相の招きで訪韓。 |
DIA-209-1982-05-17-1 | インドネシア | 1982年05月17日 | 1980年代 | 対中関係―モフタル外相は対中関係について次のように述べた。中国は国際会議においてインドネシアの立場を支持しており,国連の両国代表は定期的に接触している。これは国交正常化に近づきつつあることを意味しているが,同時に接触の場があれば正常化を急ぐ必要もない。 |
DIA-209-1982-05-20-1 | インドネシア | 1982年05月20日 | 1980年代 | 新米駐イ大使アグレマン問題―ヘイグ米国務長官は,インドネシア政府が新駐イ大使としてモートン・アブラモウィッツ氏へのアグレマンを拒否したと発表,遺憾の意を表明した。 |
DIA-209-1982-05-21-1 | インドネシア | 1982年05月21日 | 1980年代 | 中国卓球代表団,第6回アジア卓球選手権大会参加のため来イ。 |
DIA-209-1982-05-22-1 | インドネシア | 1982年05月22日 | 1980年代 | 新米駐イ大使アグレマン問題―モフタル外相は同問題に関し次のように述べた。5月初旬にモートン・アブラモウィッツ氏へのアグレマンを要請されたが,21日米国側から取消しを通告してきた。インドネシア政府が公式に拒否したことはない。 |
DIA-209-1982-05-25-1 | インドネシア | 1982年05月25日 | 1980年代 | BKPM使節団訪米・加(~6月4日)―スマルリン国務相を団長とする使節団はバンクーバー,ニューヨーク等で会合を開き,インドネシアの投資機会について説明を行なう。ニューヨークではBKPM事務所の開所式が行なわれる(6月1日)。 |
DIA-209-1982-05-26-1 | インドネシア | 1982年05月26日 | 1980年代 | 外国新聞発禁―当局は,蘭・英・仏・豪州各国の計7紙が4月1日より発禁処分になっていることを発表した。発禁理由は,政府に対し批判的な記事が国内反政府分子に不当に利用される恐れがあるため。なお,『ル・モンド』紙(仏)などは公式には発禁ではないが数週間発行されていない。 |
DIA-209-1982-05-26-2 | インドネシア | 1982年05月26日 | 1980年代 | 82年ECを向け繊維製品輸出割当合意―インドネシア側は前年比10%増を要求していたが,6%増で交渉が妥結した。 |
DIA-209-1982-05-26-3 | インドネシア | 1982年05月26日 | 1980年代 | インドネシアの失業率3・5%―ハルン・ザイン労相は,中央統計局とILOによる統計に基づき,全労働入口は5900万,失業率3.5%と発表した。しかし,就業時間が週40時間以下の潜在失業者数は3000万と推計される。 |
DIA-209-1982-05-27-1 | インドネシア | 1982年05月27日 | 1980年代 | ウィジョヨ調整相訪日(~31日)―29日鈴木首相と会談,途上国に対する積極的な援助姿勢を求めるスハルト大統領の親書を手渡した。 |
DIA-209-1982-05-29-1 | インドネシア | 1982年05月29日 | 1980年代 | ムルトポ情報相は,スハルト大統領が第4次開発内閣に若い世代をできるだけ登用する意向であることを明らかにした。 |
DIA-209-1982-06-01-1 | インドネシア | 1982年06月01日 | 1980年代 | 石油需給見通し―OPEC監視委員会に出席したスブロト鉱相によれば,石油需要は第3四半期から回復し始めると予想される。OPECの生産上限は7月総会で上方修正される可能性もある。 |
DIA-209-1982-06-02-1 | インドネシア | 1982年06月02日 | 1980年代 | 警察軍幹部会議開催―アワルディン警察軍参謀長は今後2年間の警察軍の課題として次の4項目を掲げた。(1)政治的過熱,(2)犯罪率の増加,(3)警察軍の技術向上,(4)社会問題への即応性の向上。 |
DIA-209-1982-06-02-2 | インドネシア | 1982年06月02日 | 1980年代 | スバンバン空軍中将が新駐タイ大使に起用され,タイ政府に承認された。前任者のハスナン・ハビブ氏は駐米大使に転出した。 |
DIA-209-1982-06-05-1 | インドネシア | 1982年06月05日 | 1980年代 | 治安強化―ユスフ国防相は,第3軍管区(スラウェシ,南・東カリマンタン)の軍の装備を早急に強化する必要があり,特にマカッサル海峡,中央・北スラウェシは要注意地域であると述べた。 |
DIA-209-1982-06-08-1 | インドネシア | 1982年06月08日 | 1980年代 | プジョ・プラストヨ現駐ラオス大使の駐ベトナム大使への転出がベトナム政府に承認された。 |
DIA-209-1982-06-09-1 | インドネシア | 1982年06月09日 | 1980年代 | イ外務省は,反乱分子追跡のためインドネシア国軍が5月3回に亘り越境したとのパプア・ニューギニア政府による非難に対し,そのような事実はないと発表した。 |
DIA-209-1982-06-10-1 | インドネシア | 1982年06月10日 | 1980年代 | IGGI援助決定―82/83年度の援助約束額は19億2590万㌦(前年度21億㌦)と決定された。日本の援助は631億7000万円と前年度比9%増加したが,米国は9500万㌦同10%減少した。 |
DIA-209-1982-06-11-1 | インドネシア | 1982年06月11日 | 1980年代 | 桜内外相訪イ中止―日本外務省の発表によると,13日から訪イ予定であった桜内外相はイ政府首脳との会談日程が合わないため訪問を取り止めた。モフタル外相とはシンガポールでのASEAN拡大外相会議(17,18日)にて会談を行なう。 |
DIA-209-1982-06-12-1 | インドネシア | 1982年06月12日 | 1980年代 | FBSIは,最低賃金に関する全国的,公式な規定を要求する方針を明らかにした。アグス・スドノ議長によれば,FBSI登録企業11万社では,最低賃金は現在1人1日450ルピアから1000ルピアまでの格差がある。 |
DIA-209-1982-06-13-1 | インドネシア | 1982年06月13日 | 1980年代 | 桜内外相訪イ中止について―モフタル外相はこの件の経緯について次のように述べた。外相の訪イは当初6月20日から予定されていたが5月末日本側の都合で13日~16日に変更された。今回の中止も突然東京で一方的に発表されたが,両国で同時に発表すべきであった。中止理由は日本側の時間不足であるが,イ側が時間調整できなかったような印象を与える発表は遺憾である。 |
DIA-209-1982-06-13-2 | インドネシア | 1982年06月13日 | 1980年代 | スハルト大統領は前立腺肥大症の手術のため,陸軍病院に18日まで入院。 |
DIA-209-1982-06-18-1 | インドネシア | 1982年06月18日 | 1980年代 | 国内石油消費の低下―スブロト鉱相の発表によると,1~5月の石油燃料消費は当初予測の48万5000bpdに対し平均40万5000bpdと16%低下している。主にガソリン,灯油,航空用燃料が低下している一方,ディーゼル油の消費は増加している。消費低下の理由として,鉱相は石油燃料値上げ(1月),省エネキャンペーン,地方電化プログラムの推進,をあげている。 |
DIA-209-1982-06-20-1 | インドネシア | 1982年06月20日 | 1980年代 | ハビビ調査・技術担当国務相が訪日(~30日)し,政府首脳との会談,民間企業視察を行なう。 |
DIA-209-1982-06-21-1 | インドネシア | 1982年06月21日 | 1980年代 | 国防法審議―ユスフ国防相は国防法について問題になっている2点について次のように述べた。(1)国防相と国軍最高司令官の地位を分割するか否かについては,大統領が人事権を持っており国会で審議する必要はない。(2)警察が軍内部に位置することについても変更の必要はない。 |
DIA-209-1982-06-21-2 | インドネシア | 1982年06月21日 | 1980年代 | 82年の米生産予測―アファンディ食糧生産担当副大臣は,82年の米生産は2316万㌧との予測を発表した。 |
DIA-209-1982-06-23-1 | インドネシア | 1982年06月23日 | 1980年代 | イ銀は日本興業銀行を主幹事とする円建て協調融資130億円に調印した。期間10年,金利は日本の長期プライムレート,プラス0.2%。 |
DIA-209-1982-06-25-1 | インドネシア | 1982年06月25日 | 1980年代 | 第17陸軍区(イリアン・ジャヤ)司令官にラジャ・カミ・スンビリン・メリアラ大佐が任命された。 |
DIA-209-1982-06-28-1 | インドネシア | 1982年06月28日 | 1980年代 | パプァ・ニューギニア国境警戒強化―メリアラ第17陸軍区司令官は,パプア・ニューギニアの反乱分 子に対する警戒強化のため,ジャヤプラ,ジャヤウィジャヤ,パニライ,メラウケの4カ所に大隊区(KODIM)を設置すると発表した。 |
DIA-209-1982-06-29-1 | インドネシア | 1982年06月29日 | 1980年代 | 潜在的共産分子に警戒―ノルマン・サソノ・ジャカルタ陸軍区司令官は潜在的な共産主義活動に対処するため18人の特別チームを設置した。同司令官の発表によると,ジャカルタに居住する旧PKI党員は5580人,うち旧幹部は36人。現在まだ刑期を終えていない旧PKI幹部は45人。 |
DIA-209-1982-06-30-1 | インドネシア | 1982年06月30日 | 1980年代 | 国策大綱(GBHN)草案準備チーム―スダルモノ官房長官を議長,スマルリン国務相を副議長とし,その他アフマド・ウィラナタクスマ国防治安審議会事務局長,ムルディオノ内閣書記,ハリス・スフド国防省社会政治部長,ベニ・ムルダニ国家情報調整庁副長官ら計11名から成るチームが設置され,大統領と会談した。同チームは,国防治安審議会が収集した資料に基づきGBHNの最終原案を起草する。原案は大統領に提出され,大統領により国民協議会(83年3月)に提出される。 |
DIA-209-1982-06-30-2 | インドネシア | 1982年06月30日 | 1980年代 | シアヌーク・スハルト会談―シアヌーク殿下はASEAN歴訪の環として29日に来イ。スハルト大統領は会談の席で,インドネシアは反越三派連合政府に対し軍事援助は行なわないが農業,技術協力は行なう用意がある,と述べた。 |
DIA-209-1982-07-01-1 | インドネシア | 1982年07月01日 | 1980年代 | ハビビ調査・技術担当国務相訪米(~22日)―2日ハビビ国務相はヌルタニオ社長としてボーイング社との協力協定に調印。12日より国防総省,国務省を訪問,陸海空3軍と防衛産業に関する協定に調印した。 |
DIA-209-1982-07-01-2 | インドネシア | 1982年07月01日 | 1980年代 | 来イ中のペトレスコ・ルーマニア副首相はウィジョヨ調整相と会談し,82年に200万㌧,83年以降は500万㌧の原油輸入を希望すると述べた。両国は経済協力の促進に関する覚書に調印した。 |
DIA-209-1982-07-02-1 | インドネシア | 1982年07月02日 | 1980年代 | 石油生産見通し―スブロト鉱相によると,政府は84年4月までに石油生産を180万bpdに,長期的には200万bpdに増加する計画である。 |
DIA-209-1982-07-03-1 | インドネシア | 1982年07月03日 | 1980年代 | 食糧調達庁(Bulog)のアリフィン長官はタイから米10万㌧を輸入する契約を結んだ。 |
DIA-209-1982-07-07-1 | インドネシア | 1982年07月07日 | 1980年代 | シパダン島領有権問題―「5月以来同島近辺で外国による軍事行動がある」という新聞報道(6日付『シナルハラパン』紙)に対し,スドモKopkamtib司令官は事実無根だとして同紙に警告を発し,次のように述べた。シパダン島はインドネシアとマレーシア両国が領有権を主張しているが,両国外相会談で交渉中てあり外国軍隊の存在はあり得ない。 |
DIA-209-1982-07-15-1 | インドネシア | 1982年07月15日 | 1980年代 | 森林開発権(HPH)の取消―スジャルウォ森林総局長の発表によると,HPHを保持する500企業のうち現在257企業を調査済みであるが,127企業は明らかに権利不履行であるためHPHを取消す予定である。権利不履行は6億㌦に相当する。また同総局長は木材輸出について85年に全面停止する決定を再確認した。 |
DIA-209-1982-07-19-1 | インドネシア | 1982年07月19日 | 1980年代 | HIPPI会長のプロボストジョ氏は,チョクロプラノロ・ジャカルタ特別州知事の後任にスプラプト現内務省次官を推薦した。 |
DIA-209-1982-07-20-1 | インドネシア | 1982年07月20日 | 1980年代 | スハルト大統領はKNPI会議での演説で,「第4次5カ年計画が国家に対する私の最後の貢献になる」と述べて,83年3月に4選されればその5年を最後の任期とする意向を明らかにした。 |
DIA-209-1982-07-20-2 | インドネシア | 1982年07月20日 | 1980年代 | 日系企業トーブ・インドネシア・スチールの脱税事件に対する判決公判がジャカルタ地裁で開かれ,同社に対し脱税分と追徴金計22億5200万ルピア,経理担当被告に対し懲役2年6ヵ月,罰金3000万ルピアの実刑が言い渡された。 |
DIA-209-1982-07-26-1 | インドネシア | 1982年07月26日 | 1980年代 | ユスフ国防相・米首脳会談―25日訪米したユスフ国防相はレーガン大統領と会談し,スハルト大統領からの親書を手渡した。レーガン大統領は10月にスハルト大統領の訪米を招請した。ワインバーガー国防長官との会談では,米イ国軍間の友好・協力関係,インドネシア国軍装備の近代化などが討議された。 |
DIA-209-1982-07-27-1 | インドネシア | 1982年07月27日 | 1980年代 | スドモKopkamtib司令官の発表によれば,1~6月のストライキ発生は100件,損失労働時間19万時間,原因は71%が賃上げ要求,業種では繊維・製薬業に多数発生していると発表した。 |
DIA-209-1982-07-27-2 | インドネシア | 1982年07月27日 | 1980年代 | ソ連最高会議幹部会代表団来イ―バウカウスカス副議長を団長とする一行はスハルト大統領,ダルヤトモ国会議長をはじめイ政府首脳と会談した。今回の来イは国会代表団訪ソ(79年8月)の答礼で,74年10月以来の訪問である。 |
DIA-209-1982-07-29-1 | インドネシア | 1982年07月29日 | 1980年代 | 国民協議会(MPR)の議題―ムルトポ情報相によれば,83年3月のMPRにおける主要議題は次の4点である。(1)第4次5カ年計画,(2)憲法第37条の問題,(3)群島国家理論,(4)スハルト4選。(2)に関して情報相は,憲法改正の条件を規定している37条の是非を国民投票にかける権限をMPRが大統領に与えることを希望すると述べた。 |
DIA-209-1982-07-29-2 | インドネシア | 1982年07月29日 | 1980年代 | 来イ中のイラン特使はスハルト大統領との会談で,東チモール問題に対する従来のイランのインドネシア支持は再度見直す必要がある,と述べた。 |
DIA-209-1982-07-30-1 | インドネシア | 1982年07月30日 | 1980年代 | イ・マ外相会談―29日来イしたガザリ・マレーシア外相は,モフタル外相と会談し,グエン・コ・タク・ベトナム外相との会談内容について報告した。 |
DIA-209-1982-07-31-1 | インドネシア | 1982年07月31日 | 1980年代 | インドネシア全国青年委員会(KNPI)アウリア・ラフマン議長はマフムド内相と会談後次のような声明を発表した。KNPIはMPRに対し,憲法37条修正に関する決定とスハルトへの「開発の父」の称号授与を行なうことを要請する。KNPIはパンチャシラと憲法に反対する者に対抗するため「82年幹部会」をMPRに設置し37条問題解決の牽引力とすることを提案する。 |
DIA-209-1982-07-31-2 | インドネシア | 1982年07月31日 | 1980年代 | 繊維製品輸出状況についてラディウス工業相の発表によると,7月末時点でEC向け輸出割当量の40%しか輸出しておらず82年中に輸出量達成は難しい。 |
DIA-209-1982-08-02-1 | インドネシア | 1982年08月02日 | 1980年代 | 越新聞記者協会代表団が来イし,イ新聞記者協会と会談,10日共同声明を発表した。 |
DIA-209-1982-08-03-1 | インドネシア | 1982年08月03日 | 1980年代 | 江崎ミッション来イ(~6日)―5日スハルト大統領と会談,大統領の10月訪日を招請した。ラディウス商相ら経済関係閣僚との会談ではCP制,トロール漁禁止,木材輸出規制等の政策について討議,イ側は再考の意志のないことを明らかにした。 |
DIA-209-1982-08-09-1 | インドネシア | 1982年08月09日 | 1980年代 | スマルリン国務相によると,82年度の公務員採用は27万4235人。 |
DIA-209-1982-08-11-1 | インドネシア | 1982年08月11日 | 1980年代 | 徐相喆韓国動力燃料部長官が来イし,スハルト大統領,スブロト鉱相,ユド・スンボノ・プルタミナ総裁と会談した。 |
DIA-209-1982-08-12-1 | インドネシア | 1982年08月12日 | 1980年代 | スハルト大統領,4選受諾―アフマド・ラモ国民協議会副議長は,スハルト大統領が83~88年を任期とする共和国大統領に再選される用意があると述べたことを明らかにした。 |
DIA-209-1982-08-13-1 | インドネシア | 1982年08月13日 | 1980年代 | CP制について一スハディ外国貿易総局長は,インドネシアヘの輸出の見返りに引取ったインドネシア産品を第3国に再輸出することを認めると発表した。ただし,原産国がインドネシアであることを明らかにし,また従来からの販路を妨げてはならない。 |
DIA-209-1982-08-13-2 | インドネシア | 1982年08月13日 | 1980年代 | イ・マ合同軍事演習“Kakar-MalindoVI”が北スマトラで開始(~20日)。 |
DIA-209-1982-08-16-1 | インドネシア | 1982年08月16日 | 1980年代 | ユスフ・ハシム議員(PPP)は大統領演説の中の「単一イデオロギー制」に対し懸念を表明,来るMPRでは「政党と大衆組織に関する法」(No.3/1975)を修正してパンチャシラ以外のイデオロギーに依拠する政党の存在を禁止するか否か問題となろうと語った。 |
DIA-209-1982-08-16-2 | インドネシア | 1982年08月16日 | 1980年代 | 第37回独立記念大統領演説―スハルト大統領による恒例の演説の要点は次のとおり。(1)政権内の世代交替は自然なプロセスであり45年世代は今や最後の奉公の時となっている。(2)あらゆる社会政治勢力はパンチャシラを唯一のイデオロギーとすべきである。なぜならパンチャシラ以外のイデオロギーに依拠する勢力の存在は狂信グループを生み過激分子を刺激しやすい。(3)81年の経済は世界不況下にもかかわらず7.6%のGDP成長と7%の低インフレを成し遂げた。確かに現在国際収支は悪化しているが外貨準備はほぼ安全圏にあり,ルピア切下げの必要はない。政府は従来通りの管理されたフロート制を維持する意向である。 |
DIA-209-1982-08-18-1 | インドネシア | 1982年08月18日 | 1980年代 | 新型の農村工作―“Manungal IX Operasi”と称される農村工作が開始され,まず第5,第6陸軍区(ジャカルタ,西ジャワ)から選抜された1個中隊が担当陸軍区を越え北スマトラ,アチェに派遣された。 |
DIA-209-1982-08-20-1 | インドネシア | 1982年08月20日 | 1980年代 | マフムド内相は「単一イデオロギー制」は「単一政党制」を意味しないと言明した。しかし,大統領演説は明らかに現在のパンチャシラ民主主義には改善の余地があることを示しており,MPR後に必要な法的措置がとられることになろう,と語った。 |
DIA-209-1982-08-23-1 | インドネシア | 1982年08月23日 | 1980年代 | 政府は富士銀行初め18行との間で82年2度目の円建て協調融資100億円を受けることで合意した。期間10年,金利は日本の長期プライムレートで,半年または1年ごとに改定するフロート制。 |
DIA-209-1982-08-23-2 | インドネシア | 1982年08月23日 | 1980年代 | 81/82年度の対外債務返済―イ銀発表によると,81/82年度の債務返済額は16億4900万㌦,DSRは11.6%。前年度はそれぞれ13億4400万㌦,8.3%であった。 |
DIA-209-1982-08-23-3 | インドネシア | 1982年08月23日 | 1980年代 | イスラム・リーダー55人は,パンチャシラの学校用教科書(PMP)がイスラム教示に抵触するとして,教科書の改訂を求める署名を6月18日付で国会に提出。 |
DIA-209-1982-08-23-4 | インドネシア | 1982年08月23日 | 1980年代 | イ・比海軍合同演習,両国国境海域で開始。 |
DIA-209-1982-08-24-1 | インドネシア | 1982年08月24日 | 1980年代 | 東部ジャワの地方治安秩序回復司令部(Kopkamtibda)の下に,旧PKIや政治指導者への警戒を行なう11人特別チームが設置された。 |
DIA-209-1982-08-25-1 | インドネシア | 1982年08月25日 | 1980年代 | プルタミナ・カルテックス契約交渉―プルタミナの発表によると,カルテックスとの生産請負契約は83年11月に切れ,その後は71年に締結した生産分与契約が有効となる。その生産分与契約の条件改定についてプルタミナは81年6月に交渉を開始したが未だ合意に達していない。プルタミナは同社の取り分が利益の85%以上であることを希望している。 |
DIA-209-1982-08-25-2 | インドネシア | 1982年08月25日 | 1980年代 | 国防法,特別委での審議終了―マナフ・ルビス特別委議長によれば,32章から成る原案は最終案では49章に拡充され,名称も「国家の基本的防衛・治安の準備に関する法案」に改変された。さらに,国軍の一重機能に関する新たな章が設けられた。 |
DIA-209-1982-08-26-1 | インドネシア | 1982年08月26日 | 1980年代 | スブロト鉱相は,プルタミナが対日輸出価格を引下げる予定であるという噂を否定した。 |
DIA-209-1982-08-27-1 | インドネシア | 1982年08月27日 | 1980年代 | プルタミナは,探鉱コストの上昇のため日本インドネシア石油協力から8810万㌦の追加融資を受けることになりこれに調印した。これで融資総額は2億4810万㌦となった。 |
DIA-209-1982-08-30-1 | インドネシア | 1982年08月30日 | 1980年代 | ハ・バン・ラウ越外務次官が来イ,パンガベアン調整相(外相代理)と会談し,カンボジアからの撤退の可能性について討議した。 |
DIA-209-1982-08-31-1 | インドネシア | 1982年08月31日 | 1980年代 | パンチャシラ教科書(PMP)の改訂作業が終了,スハルト大統領の承認を得て教育省に提出された。改訂に当った特別チームのリーダー,ムルディオノ内閣書記は,これでパンチャシラ論争も終わろう,と語った。 |
DIA-209-1982-09-01-1 | インドネシア | 1982年09月01日 | 1980年代 | スブロト鉱相は,カルテックスとプルタミナの契約条件をめぐる交渉間題に関連して,「外国企業を国有化する計画はない」と言明した。 |
DIA-209-1982-09-01-2 | インドネシア | 1982年09月01日 | 1980年代 | アブドゥラフマン漁業総局長によれば,トロール漁全面禁止により影響を受けるのは民族系企業77社,外資系企業106社。 |
DIA-209-1982-09-01-3 | インドネシア | 1982年09月01日 | 1980年代 | 旱ばつの影響―閣議で取上げられ,灌漑設備のない水田は雑穀生産に切りかえるよう呼びかけられた。被害は全水田面積950万ha中25万haに及んでいる。 |
DIA-209-1982-09-02-1 | インドネシア | 1982年09月02日 | 1980年代 | ダルヤトモ国会議長は,MPRでの問題の焦点は次の二つに絞られよう,と語った。(1)「単一イデオロギー制」により各政党独自の基本原則を排除するかどうか。(2)MPRの3分の1の議員の任命制を廃止すべきかどうか。 |
DIA-209-1982-09-06-1 | インドネシア | 1982年09月06日 | 1980年代 | 国防法が国会で可決。 |
DIA-209-1982-09-07-1 | インドネシア | 1982年09月07日 | 1980年代 | Pelita紙解禁。新編集部により8日から発行。 |
DIA-209-1982-09-07-2 | インドネシア | 1982年09月07日 | 1980年代 | 報道法,国会で可決。 |
DIA-209-1982-09-08-1 | インドネシア | 1982年09月08日 | 1980年代 | リー・スハルト会談―スハルト大統領は7日来イしたリー・クアン・ユー・シンガポール首相と会談し,カンボジア問題,軍事協力LNG輸出,観光業協力,バタム島開発等について討議した。同首相は軍事協力についてASEAN内3国,4国合同演習の可能性を示唆した。LNG輸出についてはナツナ・ガス田のLNGをバタム島にパイプラインで運んで液化しシンガポールに供給する構想を明らかにした。 |
DIA-209-1982-09-09-1 | インドネシア | 1982年09月09日 | 1980年代 | 国会の国軍任命議員は,新国防法が国軍の持つ社会政治的役割を明記し(26,28章),国軍の二重機能を制度化したことを高く評価する,と発表。 |
DIA-209-1982-09-10-1 | インドネシア | 1982年09月10日 | 1980年代 | ラビー・ナマリウ・ニューギニア外相が7日来イし,国境問題に関する協定の批准書を交換した。これにより,国境にまたがった部族であっても不法に越境した者は逮捕,強制送還する。 |
DIA-209-1982-09-11-1 | インドネシア | 1982年09月11日 | 1980年代 | 1977~82年DPR閉会。期間中,村落行政法, 総選挙法,刑事訴訟法,国防法等55法案が立法化された。 |
DIA-209-1982-09-11-2 | インドネシア | 1982年09月11日 | 1980年代 | ナロPPP総裁はスハルト大統領と会談し,「PPPは単一イデオロギー制が同党のイスラムの性格を否定しない限り,これに同意する」と語った。また,同党は政党法改正をMPRで要求する方針である。 |
DIA-209-1982-09-13-1 | インドネシア | 1982年09月13日 | 1980年代 | GBHN草案準備グループ,最終案を大統領に提出。 |
DIA-209-1982-09-13-2 | インドネシア | 1982年09月13日 | 1980年代 | ユスフ・ハシム議員(PPP)は,「単一イデオロギー制」に関するナロ総裁と大統領との合意事項(11日)は「ナロの個人的見解」だとして非難,意見調整のためPPP全国大会の開催を要求した。 |
DIA-209-1982-09-13-3 | インドネシア | 1982年09月13日 | 1980年代 | スダルモノ官房長官は,ASEAN内多国間軍事演習に関するリー首相の提案について,可能性を検討すると語った。 |
DIA-209-1982-09-13-4 | インドネシア | 1982年09月13日 | 1980年代 | 訪韓したスブロト鉱相は徐相喆動力資源部長官と会談,LNG輸出について討議した。輸出計画は85~87年,輸出量は年150万㌧から200万㌧に修正されたが,価格,輸送条件は合意に達しなかった。 |
DIA-209-1982-09-13-5 | インドネシア | 1982年09月13日 | 1980年代 | 国営石炭会社タンバン・バツバラは,韓国5企業の コンソーシアム,キデコ・ジャヤ・アグンとの間で3年間の生産請負契約に調印した。 |
DIA-209-1982-09-14-1 | インドネシア | 1982年09月14日 | 1980年代 | イ銀,円建て国債100億円を東京で起債。期間7年,金利年9%。 |
DIA-209-1982-09-14-2 | インドネシア | 1982年09月14日 | 1980年代 | 海・空軍合同演習がジャワ海で開始。 |
DIA-209-1982-09-15-1 | インドネシア | 1982年09月15日 | 1980年代 | スミトロ博士開発計画の見直し要請―スミトロ博士は世界経済情勢とインドネシアの対応について次のように語った。世界不況の回復は84年まで望めない。インドネシアの外貨準備は現在60~70億㌦と輸入6ヵ月分の水準だが83年4月に30~40億㌦だと危機的水準となる。開発プロジェクトのうち契約済のものは必ず完成させ,計画段階のものは延期し新計画を厳しく選択することが新内閣の課題となる。 |
DIA-209-1982-09-15-2 | インドネシア | 1982年09月15日 | 1980年代 | チョクロプラノロ・ジャカルタ特別州知事の後任に,スプラプト内務次官(退役陸軍少将)が任命された。 |
DIA-209-1982-09-16-1 | インドネシア | 1982年09月16日 | 1980年代 | 新内務次官にダルヨノ陸軍少将が任命された。 |
DIA-209-1982-09-18-1 | インドネシア | 1982年09月18日 | 1980年代 | スマルリン国務相は,不動産会社の所有する土地の有効利用を推進するため,28日までに建設の意向のない場合に罰則を課すると発表。不動産会社所有の土地は全国で7000ha(5000haがジャカルタ),うち40%が未利用である。 |
DIA-209-1982-09-19-1 | インドネシア | 1982年09月19日 | 1980年代 | スハルト大統領は新国防法(No.20/1982)に調印した。これは国防に関する旧法No.29/1954に代わるものである。 |
DIA-209-1982-09-25-1 | インドネシア | 1982年09月25日 | 1980年代 | スワンディMPR/DPR書記によると,MPRの日程に関する政府案は1983年3月1~11日。82年10月からの準備期間も含めMPRの総費用は20億ルピア。 |
DIA-209-1982-09-27-1 | インドネシア | 1982年09月27日 | 1980年代 | 「50人グループ」は,スハルト大統領の独立記念演説を「パンチャシラを一方的に解釈し政権維持の手段に使っている」とした批判文書を国会に送った。 |
DIA-209-1982-09-28-1 | インドネシア | 1982年09月28日 | 1980年代 | PPPの中の一派ナフダトゥール・ウラマ(NU)は,スハルト4選支持は国家開発の論理的帰結だとして,署名入り支持声明を大統領に提出した。 |
DIA-209-1982-10-01-1 | インドネシア | 1982年10月01日 | 1980年代 | 1982~87年 PPR/MPR 開会―DPR/MPR議員460人,MPR専任議員460人計920人のうち915人が宣誓を終えた。 |
DIA-209-1982-10-01-2 | インドネシア | 1982年10月01日 | 1980年代 | DPR/MPRの青年議員102人は,党を超えた協力組織である「82年幹部会」を設置することで合意。 |
DIA-209-1982-10-02-1 | インドネシア | 1982年10月02日 | 1980年代 | 国会議長にアミルマフムド前内相,副議長に各派・政党からアミル・ムルトノ(ゴルカル),ヌディン・ルビス(PPP),ハルヤント(PDI),ハリス・スフド(国軍),スナンダル(地方代表)が選出された。なお,暫定内相にはスダルモノ官房長官が任命された。 |
DIA-209-1982-10-03-1 | インドネシア | 1982年10月03日 | 1980年代 | MPR総会の日程が1983年3月1~11日に,正副大統領選出が10日に決定。 |
DIA-209-1982-10-05-1 | インドネシア | 1982年10月05日 | 1980年代 | アブドゥルラフマン第1陸軍区(アチェ)司令官は,イスラム過激派の一派であるハッサン・ティロ活動に対する撲滅キャンペーン(82年4月~)の成果として,2人射殺,13人逮捕,と発表した。 |
DIA-209-1982-10-06-1 | インドネシア | 1982年10月06日 | 1980年代 | 外務省は,東チモールの生活環境調査を要求する米上院議員署名入りの書簡(9月28日付)が送付されていたことを明らかにしたが,国家主権侵害だとしてこれを拒否した。 |
DIA-209-1982-10-07-1 | インドネシア | 1982年10月07日 | 1980年代 | スハルト,スペイン訪問(~10日)―80年スペイン国王来イの答礼。一行はウィジョヨ調整相,モフタル外相スダルモノ官房長官兼暫定内相を含む71名。 |
DIA-209-1982-10-07-2 | インドネシア | 1982年10月07日 | 1980年代 | ユスフ国防相は,83年4月より18歳以上の全国民に年6週間の兵役を義務づける考えを明らかにした。 |
DIA-209-1982-10-08-1 | インドネシア | 1982年10月08日 | 1980年代 | ブルタミナ・カルテックス契約交渉について―スンボノ・プルタミナ総裁は,「カルテックスがインドネシアで操業を継続するならばプルタミナの条件を受入れる以外にない」と語った。同総裁によれば,生産分与契約におけるプルタミナと外国契約者との間の利益の分与割合はそれぞれ,(1)生産量15万bpd以下の場合,85:15,(2)15万~25万 bpd の場合90:10,(3)25万bpd以上の場合95:5,でありカルテックスは(3)に当たる。 |
DIA-209-1982-10-09-1 | インドネシア | 1982年10月09日 | 1980年代 | 日系企業P.T.カリマンタン・スチールの脱税事件に対する判決公判がジャカルタ地裁で開かれ,同社に対し脱税分と追徴金計43億1900万ルピア,副社長と経理担当の日本人被告4人に対し各々懲役3年。罰金3000万ルピアの実刑が言い渡された。 |
DIA-209-1982-10-09-2 | インドネシア | 1982年10月09日 | 1980年代 | 日本政府は,インドネシアの自国船優先の大統領令に対し,海運自由の原則に反するとしてイ政府に再考を申し出た。これは先進国海運会議(加盟14カ国)で検討されていた対抗措置の一環。 |
DIA-209-1982-10-10-1 | インドネシア | 1982年10月10日 | 1980年代 | スハルト訪米(~16日)―70,75年に続き3回目の訪問。12日,両国大統領会談で,両国関係,米・ASEAN関係,カンボジア問題,対中政策,南北包括交渉,IDA出資問題などが討議された。スハルトが日本のシーレーン防衛と対中武器輸出に対し懸念を表明したのに対し,レーガンはそれらがASEANの脅威にならないことを保証する,と述べた。同日,モフタル外相,シュルツ国務長官も会談。同日の晩餐会で,81年11月より空席であった駐イ大使にジョン・ホルドリッジ・アジア太平洋問題担当国務次官補の起用が発表された。 |
DIA-209-1982-10-16-1 | インドネシア | 1982年10月16日 | 1980年代 | スハルト訪韓(~19日)―18日両国大統領会談,19日共同声明発表。LNG対韓輸出の条件については合意に達しなかった。全大統領による「太平洋首脳会議」の提案についてスハルトは「検討に値する」と評価したが,モフタル外相は「意見交換の場であれば現在の国際組織で充分機能している」として否定的なイ側の立場を明らかにした。 |
DIA-209-1982-10-19-1 | インドネシア | 1982年10月19日 | 1980年代 | スハルト訪日(~22日)―21日両国首脳会談で,スハルトは対中国とバランスのとれたASEAN各国への経済援助を要請すると共に,米国による日本の防衛力増強要請に対し懸念を表明,鈴木首相は近隣諸国へ脅威を与えるものではないことを説明した。モフタル外相も20日,日本の分担として米国が要請する1000カイリの航路帯は東南アジアに達する可能性があると述べ,ASEAN地域内の防衛は自らで行なうと言明した。 |
DIA-209-1982-10-23-1 | インドネシア | 1982年10月23日 | 1980年代 | 東カリマンタン治安当局の発表によると,バリクパパンの製油所建設所でベクテルの雇用者5000人のうち3000人が起こしていたストライキが終息した。 |
DIA-209-1982-10-23-2 | インドネシア | 1982年10月23日 | 1980年代 | マ外相来イ(~26日)―両国外相は,シパダン,リギタン島領有問題の話合い解決を再確認した。 |
DIA-209-1982-10-25-1 | インドネシア | 1982年10月25日 | 1980年代 | クローセン世銀総裁来イ(~30日)―総裁はスハルト大統領などとの会談で,石油情勢と世界景気の見通しは予想以上に悲観的であるとし,インドネシアは補助金削減,税制見直し,非石油産業促進などの政策努力を行なうべきだと語った。 |
DIA-209-1982-10-27-1 | インドネシア | 1982年10月27日 | 1980年代 | マフムド国会議長は,スハルト大統領が「MPRにおいてGBHNが承認されれば『開発の父』の称号を受諾に同意する」と語ったことを明らかにした。 |
DIA-209-1982-10-27-2 | インドネシア | 1982年10月27日 | 1980年代 | 政府は,ディーゼル油を使用する自動車の販売税の引上げを発表。これはガソリンより安価なディーゼル油の節約を狙った措置である。 |
DIA-209-1982-10-28-1 | インドネシア | 1982年10月28日 | 1980年代 | グエン・コ・タック越外相来イ―29日両国外相会議。会談内容については発表なし。会談を通じ「両国間の国益に衝突はない(ハノイ放送)」ことが確認されたが,モフタル外相は「越側から何ら新しい提案はなかった」と語った。 |
DIA-209-1982-10-28-2 | インドネシア | 1982年10月28日 | 1980年代 | プラウィロ商相は,国際市況悪化で輸出不振のパーム油の輸出税(5%)を撤廃。 |
DIA-209-1982-11-02-1 | インドネシア | 1982年11月02日 | 1980年代 | スダルソノ農相によると,権利遂行の警告を受けていた127の森林開発権(HPH)所有業者のうち,3度警告を受けた40業者のHPH取消が決定された。 |
DIA-209-1982-11-02-2 | インドネシア | 1982年11月02日 | 1980年代 | ジア・パキスタン大統領来イ(~6日)―3日スハルト大統領と会談,6日共同声明発表。会談では2国間経済関係の他,インドネシアの東チモール統合への支持表明(従来は棄権),ジア大統領の訪中報告が行なわれた。ジア大統領は,イ中関係については討議せず中国からのインドネシア宛親書もない,と語った。 |
DIA-209-1982-11-03-1 | インドネシア | 1982年11月03日 | 1980年代 | ワインバーガー米国務長官来イ―スハルト大統領,ユスフ国防相と会談。同長官はインドネシアへの軍事援助増額(82年度4000万㌦,83年度5000万㌦)の意向を表明した。また日本の軍備増強に対するASEANの憂慮を理解するが日本には攻撃目的はない,と説明した。 |
DIA-209-1982-11-04-1 | インドネシア | 1982年11月04日 | 1980年代 | ムルトポ情報相は,旱ばつ長期化のため83年の米の生産は前年比30万㌧増にとどまる,と述べ,これまでの予測を大幅に下方修正した。 |
DIA-209-1982-11-05-1 | インドネシア | 1982年11月05日 | 1980年代 | ラフマト・サレー・イ銀総裁は,世界不況の影響は深刻化しつつあると語り,外貨準備対策として,(1)観光業の奨励,(2)輸出金融等の輸出促進をあげた。 |
DIA-209-1982-11-06-1 | インドネシア | 1982年11月06日 | 1980年代 | パンチャシラに関する宗教団体同共声明―MUI(イスラム),MAWI(カソリック),DGI(プロテスタント),WALUBI(仏教),PHD(ヒンドゥー)の各宗教団体は,パンチャシラはいかなる宗教信仰にも抵触しないので,各々の宗教の原則に疑問を持つことがないよう,全加盟員に呼びかける声明を発表した。 |
DIA-209-1982-11-08-1 | インドネシア | 1982年11月08日 | 1980年代 | 東チモール問題―国連非植民地化委員会でウイットラム前豪首相は,東チモールの独立は非現実的であり国連の議事から除くべきだと主張した。 |
DIA-209-1982-11-09-1 | インドネシア | 1982年11月09日 | 1980年代 | 輸入制限措置―ラディウス商相は2年間の暫定措置として以下の制限を発表。(1)電気,化学,自動車,金属など7業種における輸入業者許可制。(2)タイヤ,バティック製品など国産可能品の輸入割当制。 |
DIA-209-1982-11-09-2 | インドネシア | 1982年11月09日 | 1980年代 | ワルダナ蔵相は,外貨節約のため15日より2万5000ルピアから15万ルピアへの出国税6倍引上げを発表。 |
DIA-209-1982-11-10-1 | インドネシア | 1982年11月10日 | 1980年代 | シッティ・タイ外相来イ(~11日)―11日,スハルト大統領,モフタル外相と会談。シッティ外相は,帰国後イ越外相会談でベトナムの態度に主な進展が見られなかったこと,イ首脳はタイ一行の訪中(12月)を歓迎,いくつかの問題を中国首脳との間で論じてほしいと同外相に要請したこと,を明らかにした。 |
DIA-209-1982-11-11-1 | インドネシア | 1982年11月11日 | 1980年代 | 原油価格引下げ―スンボノ・プルタミナ総裁は19種の輸出原油価格の平均1.03%引下げを発表。従来1ドルであったディファレンシャルを76年時のOPEC決定通り53~59㌣とするものでOPEC協定違反ではない。ミナス原油はバレル当り35㌦から34.53㌦となった。総裁は値下げの背景として,(1)需要期にもかかわらず需要不振,(2)低硫分油種の競争力低下,(3)産油量がOPEC決定上限を下回る126万bpdに低下,などの点をあげた。 |
DIA-209-1982-11-15-1 | インドネシア | 1982年11月15日 | 1980年代 | 肥料・殺虫剤,食糧買上げ価格引上げ―スダルモノ農相は,15日より肥料を90(現行70)Rp/kg,殺虫剤を1500(同1230)Rp/lに,また83年2月1日よりモミのKUD買上げ価格を145(同135)Rp/kg,Bulog買上げ価格を156(同145)Rp/kgに,米を238(同214)Rp/kgに値上げすると発表。 |
DIA-209-1982-11-15-2 | インドネシア | 1982年11月15日 | 1980年代 | マリク,ブレジネフ書記長葬儀に参列―13日に訪ソ。15日葬儀に出席,チーホノフ首相と会談し,二国間関係について討議した。この他モスクワで,黄華中国外相,ガンジー・インド首相,アラファトPLO議長,ブッシュ米副大統領らと会談。 |
DIA-209-1982-11-17-1 | インドネシア | 1982年11月17日 | 1980年代 | イザアク・ヒンドム・イリアンジャヤ州知事は,同州を2~3州に分割する案を提出,スハルト大統領と原則的に合意に達した。しかし大統領は,分割は開発との関連で慎重に協議しなければならない,と語った。 |
DIA-209-1982-11-17-2 | インドネシア | 1982年11月17日 | 1980年代 | スギノ移民総局長によると,現在1434人の外国人を拘留中。うちほとんどが中国人で,全体の90%が不法入国の疑いで取調べ中。 |
DIA-209-1982-11-22-1 | インドネシア | 1982年11月22日 | 1980年代 | チャウシェスク・ルーマニア大統領来イ(~24日)―初の東欧国家元首の来イ。22,23日両首脳会談で主に経済協力問題を討議。チャウシェスク大統領はイ中関係について「討議はしなかったが,ルーマニアは両国関係正常化を強く望んでいる。」と語った。23日,経済・技術・科学協力協定に調印。24日共同声明発表。 |
DIA-209-1982-11-22-2 | インドネシア | 1982年11月22日 | 1980年代 | イ・マ空軍合同演習“Elang Malindo Ⅷ”,ジョクジャカルタで開始。 |
DIA-209-1982-11-27-1 | インドネシア | 1982年11月27日 | 1980年代 | 25日より開催された国会予算委員会の審議においてワルダナ蔵相は,83/84年度の経常予算は前年度を上回ることはできないと,各省庁に緊縮を訴えた。 |
DIA-209-1982-11-27-2 | インドネシア | 1982年11月27日 | 1980年代 | 27日付報道によると,ジャカルタで陸軍降下部隊数十人が警察官詰所を襲撃,警察官16人を射殺した。これは数日前,降下部隊の一員が警官に路上尋問され抵抗したため,射殺された事件の報復措置である(『読売』)。 |
DIA-209-1982-11-29-1 | インドネシア | 1982年11月29日 | 1980年代 | プルタミナの債務―スンボノ・プルタミナ総裁は,プルタミナの債務残高の元本部分は81年4月の1兆2000億ルピアから82年10月には7200億ルピアに減少した。利子分6300億ルピアと合計して1兆3500億ルピアである。債務残高の元本部分は,82年12月に6200億,83年4月に4900億㌦と漸減する予定である。 |
DIA-209-1982-11-29-2 | インドネシア | 1982年11月29日 | 1980年代 | 外務省,ホルドリッジ新米大使を承認と発表。 |
DIA-209-1982-12-01-1 | インドネシア | 1982年12月01日 | 1980年代 | マリク副大統領はCP制は有効でないとの見解を明らかにし,輸出促進にはむしろ東欧・中国などの新市場開招の方が有効である,と語った。 |
DIA-209-1982-12-02-1 | インドネシア | 1982年12月02日 | 1980年代 | 反政府勢力50人グループは,「スハルト4選前に3回目の任期中に国策大綱をどこまで遂行したかを国民の前に明示し意見を聞き入れるべきだ」とする意見書をMPRに提出した(共同)。 |
DIA-209-1982-12-02-2 | インドネシア | 1982年12月02日 | 1980年代 | 食糧補助金削減―アリフィンBulog長官は,83年度の食糧補助金は,国際市況が国内販売価格を上回った時のみ支給するとの方針を発表。国際市況低迷が続き補助金を完全に削減できれば1884億ルピアの節約となる。 |
DIA-209-1982-12-04-1 | インドネシア | 1982年12月04日 | 1980年代 | Kopkamtib・海・空・警察軍参謀長更迭―ウィジョヨ・スヨノKopkamtib参謀長が更迭され予備役に編入された。スギト海軍参謀長が更迭,後任にロムリ国防省作戦参謀長(海軍中将)が任命された。チャフヤディ空軍参謀長の後任にはスカルディ国家戦略司令部(Kostranas)司令官(空軍中将),新Kostranas司令官にはルスマン少将が任命された。また,アワルディン警察軍参謀長の後任にはスジャルウォ・ジャカルタ警察軍区司令官(少将)が任命された。新ジャカルタ司令官はスジョコ准将。 |
DIA-209-1982-12-06-1 | インドネシア | 1982年12月06日 | 1980年代 | イ商工会議所(KADIN)は,セメント価格の急騰により中小規模の建設請負会社が操業停止に陥っている現状にかんがみ,政府の価格安定措置を要請。 |
DIA-209-1982-12-08-1 | インドネシア | 1982年12月08日 | 1980年代 | タイ商業大臣,米輸出問題討議のため来イ。 |
DIA-209-1982-12-11-1 | インドネシア | 1982年12月11日 | 1980年代 | 東チモール問題国連総会決議―東チモール独立推進団体フレティリンへの支持票50,反対46,棄権50。前年はそれぞれ54,42,46であった。 |
DIA-209-1982-12-13-1 | インドネシア | 1982年12月13日 | 1980年代 | 国軍人事異動について―ユスフ国防相は次のように述べた。海・空・警察軍参謀長の異動に続き地理的な移動をも伴う国軍内の大規模な再編成があろう。一連の異動は83年3月のMPRまでに完了する予定である。これは国軍の世代交替の一過程であり国軍の将来の発展のために今こそ断行すべき重要な努力である。 |
DIA-209-1982-12-16-1 | インドネシア | 1982年12月16日 | 1980年代 | パプア・ニューギニア,ポートモレスビーのインドネシア大使館員ポルアンが殺害された事件(14日)に関し,モフタル外相は,同事件は反インドネシア政府分子の犯罪でありOPM(自由パプア運動)に関係がある,と語った。 |
DIA-209-1982-12-17-1 | インドネシア | 1982年12月17日 | 1980年代 | エブレン・トルコ大統領来イ―18日スハルト大統領と会談,国際問題,2国間貿易関係について討議,通商・技術協力協定に調印した。 |
DIA-209-1982-12-18-1 | インドネシア | 1982年12月18日 | 1980年代 | 出国税免税資格制限―サラムン納税総局長の発表によると,11月に発表された免税適用範囲から,大臣以下の公務員,軍人,国営企業従業員が除外された。 |
DIA-209-1982-12-20-1 | インドネシア | 1982年12月20日 | 1980年代 | 東銀等16行はイ政府への175億円のシンジケートローンに調印。利子は日本の長期プライムレート(6ヵ月ごとに見直し),期間10年。 |
DIA-209-1982-12-21-1 | インドネシア | 1982年12月21日 | 1980年代 | ソン・サン民主カンボジア連合政府首相来イ―スハルト大統領と会談後,同首相は「来イ目的は軍事援助の要請ではなく,助言である」と語った。 |
DIA-209-1982-12-22-1 | インドネシア | 1982年12月22日 | 1980年代 | スハルトヨBKPM長官は,83年の投資目標として,外国投資は日本,香港を中心に82年と同程度,国内投資と合わせて45億㌦程度,と語った(BN誌)。 |
DIA-209-1982-12-22-2 | インドネシア | 1982年12月22日 | 1980年代 | 自動車輸入業者は82~83年の自動車市場について次のような見解を明らかにした。82年の売上は前年比10~15%減と見込まれる。83年は,(1)国内不況,(2)輸入税引上げによる価格上昇,(3)石油燃料値上がり,(4)ルピア安傾向,により一層の不振が予想される。 |
DIA-209-1982-12-23-1 | インドネシア | 1982年12月23日 | 1980年代 | ユネスコ,カソリック団体,西側外交官,国際機関役員等が東チモールを訪問,調査した結果,住民の飢餓状況,治安当局による住民の人権侵害などはなかったとの報告が報道(New York Times紙)。 |
DIA-209-1982-12-25-1 | インドネシア | 1982年12月25日 | 1980年代 | 82年の農業生産―スダルソノ農相は,82年の農業生産は世界不況と長期旱ばつで二重の打撃を受けたと語った。農相によれば51万haが水不足,うち18万haで全く収穫がなく収穫面積は前年比2.3%減であった。しかし生産性向上により収穫量は同6.95%増の2383万7000㌧と見積られる。 |
DIA-209-1982-12-27-1 | インドネシア | 1982年12月27日 | 1980年代 | ノルマン・サソノ第V陸軍区(ジャカルタ)司令官が更迭され,後任にトリ・ストリスノ第Ⅳ陸軍区(南スマトラ)司令官(少将)が就任した。ストリスノの後任にはバンディオコ准将が決定。 |
DIA-209-1982-12-27-2 | インドネシア | 1982年12月27日 | 1980年代 | 食料品輸入規制―ラディウス商相は,11月の工業製品輸入規制の補足として,清涼飲料・果物缶詰など必需品ではない食料品の輸入規制措置を発表。目的は,(1)外貨の効率利用,(2)国内産業育成,(3)雇用創出。また,緑豆,とうもろこし,大豆など主要農産物のチェックプライスは今後Bulogが取締ることとし,丁字,小麦粉,パーム油,ココナツ油など8品目の農産物は商業省の許可する輸入業者のみが取扱うこととした。 |
DIA-209-1982-12-29-1 | インドネシア | 1982年12月29日 | 1980年代 | ハルヨノ第Ⅹ陸軍区(南カリマンタン)司令官が更迭,後任にシャムスディン准将が任命された。 |
DIA-209-1982-12-29-2 | インドネシア | 1982年12月29日 | 1980年代 | マリク副大統領は,83/84年度予算について,前年度は上回るだろうが「厳しい年」になろう,問題は政治よりも経済にあり,開発プロジェクトの厳しい制限が必要となろう,と語った。 |
DIA-209-1982-12-29-3 | インドネシア | 1982年12月29日 | 1980年代 | ワルダナ蔵相は27日より完全ノックダウン方式によるジープの輸入関税・輸入販売税の引上げを発表。 |
DIA-209-1983-01-06-1 | インドネシア | 1983年01月06日 | 1980年代 | 83/84年度予算案、国会に提出―総額は16兆5654億ルピア、前年度比6.1%増、実質ではマイナスの伸び。債務返済が45%増、開発歳出に占める外国援助の割合が30%に増大したのが目立つ。大統領は予算節減のため公務員への公用車支給の廃止、会議・視察旅行等の削減、を実行する旨表明。なお、同予算案は原油価格34㌦/b、140万b/dの生産を前提にしている。 |
DIA-209-1983-01-07-1 | インドネシア | 1983年01月07日 | 1980年代 | 石油製晶販売価格引上げ―油種により11.8~70.6%値上げ。灯油は1㍑60→100ルピア、ガソリン240→320ルピア、ディーゼル油・重油75→125ルピアへ。 |
DIA-209-1983-01-07-2 | インドネシア | 1983年01月07日 | 1980年代 | 公共料金値上げ―通信省は石油製品値上げに伴う陸・海・空運賃、郵便、電話料金の値上げを発表。 |
DIA-209-1983-01-07-3 | インドネシア | 1983年01月07日 | 1980年代 | 東ジャワ警察は共産主義カレンダー1.8万枚を押収。スラウェシ、マルク、イリアン、東チモール方面へ配布されるべく2.4万枚用意されていたものという。 |
DIA-209-1983-01-08-1 | インドネシア | 1983年01月08日 | 1980年代 | 83年産米見通し―アファンディ副大臣は83年中天候が順調ならば2460万㌧も可能との見通しを発表。 |
DIA-209-1983-01-11-1 | インドネシア | 1983年01月11日 | 1980年代 | トルドー加首相来イ(~13日)―12日、スハルト大統領初め主要閣僚と会談。会談内容について同首相は(1)ブキット・アサム炭鉱計画をCP制の枠外とするよう要請したがイ側は拒否、(2)カンボジア問題では政治的解決を求めるASEANの立場を支持する、と語った。なお(1)については加政府のCP制同意が2月25日明らかにされた。 |
DIA-209-1983-01-11-2 | インドネシア | 1983年01月11日 | 1980年代 | 電気料金値上げ―スブロト鉱相は電気料金を2月1日より37.5%アップの74.72ルピア/kWhと発表。 |
DIA-209-1983-01-12-1 | インドネシア | 1983年01月12日 | 1980年代 | 政治的集会の禁止―スドモKopkamtib長官は、MPR期間中の治安維持のため2月15日以降の政治的集会は全て3月15日以降に延期するよう命じた。 |
DIA-209-1983-01-13-1 | インドネシア | 1983年01月13日 | 1980年代 | 豪労働党議員来イ―グレース・エバンズ上院議員に対しパンガベアン調整相は東モチールの現状を説明。これに対し同議員は、東チモールに関する労働党内の誤解を解く一助としたい、と語った。 |
DIA-209-1983-01-14-1 | インドネシア | 1983年01月14日 | 1980年代 | 83年の投資目標―スハルトヨBKPM(投資調整庁)長官は、83年の投資許可額は前年比23%増の5兆7500億ルピアとの目標を掲げた。うち国内投資は同17%増の4.5兆ルピア、外国投資は同52%増の20億㌦。 |
DIA-209-1983-01-14-2 | インドネシア | 1983年01月14日 | 1980年代 | タイ原油輸入契約:量減少―プルタミナによると83年のタイの原油輸入は前年比50%減の5000b/d。 |
DIA-209-1983-01-15-1 | インドネシア | 1983年01月15日 | 1980年代 | P・T.Jasa Margaの社債発行に許可―BAPEPAM(資本市場管理局)は国営道路建設会社Jasa Margaの237億ルピアの社債発行を許可。社債発行はスハルト政権下初。資金は高速道路、架僑建設に充てられる。条件は年15.5%、期間5年。 |
DIA-209-1983-01-16-1 | インドネシア | 1983年01月16日 | 1980年代 | フレティリン残党の活動―チモール独立革命戦線(フレティリン)の指導者アビリオ・アラウジョ、ラモス・ホルタ両氏がリスボンで公開した「フレティリン再編強化に関する資料」によると、運動メンバーは現在6500人、6部隊編成で、イ政府や西側外交筋のいう「反対勢力600人」は誤りである。同時に発表されたチモール避難民の談話によれば、活動は1982年10月スハルト訪米中に激化し、現在は81年に較べ10倍にも活発化している(Washington Post紙)。 |
DIA-209-1983-01-17-1 | インドネシア | 1983年01月17日 | 1980年代 | 石油製品輸入・委託精製の減少―プルタミナは83年度の石油製品輸入が前年度の7280万バレルから2412万バレルへ大幅に減少する見通しを発表。これは(1)83年に精製能力が40万b/d増加、(2)国内需要が前年度比1.5%増の263億㍑推定にとどまるため。シンガポールへの委託精製は従来の1年契約から3カ月契約に切り替えられる。 |
DIA-209-1983-01-17-2 | インドネシア | 1983年01月17日 | 1980年代 | 陸軍士官57名退役―ウィジョヨ・スヨノ大将、スダルモノ官房長官他中将8名、少将10名、准将38名。 |
DIA-209-1983-01-18-1 | インドネシア | 1983年01月18日 | 1980年代 | フレティリン残党の活動―旧指導者フェルナンデスは、現存勢力は散在し活動力なし、と語った。政府発表では、勢力は200人、支援者200人(Indonesia Times紙)。 |
DIA-209-1983-01-21-1 | インドネシア | 1983年01月21日 | 1980年代 | 犯罪撲滅運動Operasi Sickle開始―首都・中ジャワ等で開始。首都では警察官1100人を動員。 |
DIA-209-1983-01-23-1 | インドネシア | 1983年01月23日 | 1980年代 | 豪国防相来イ(~29日)―シンクレア国防相はスハルト大統領初め主要閣僚との会談後、26日、(1)両国の防衛協力強化の必要を確認し、83年の両国合同計画に1000万A㌦の支出を約束。更に83年中に巡回艇1隻を供与。(2)東チモールについては豪政府内に問題はない旨表明。28日、東チモール、イリアンジャヤ訪問。豪閣僚の東チモール訪問は75年以降初めて。 |
DIA-209-1983-01-25-1 | インドネシア | 1983年01月25日 | 1980年代 | 鉱相、蔵相中東訪問(~29日)―スブロト、ワルダナ両氏はファハド・サウジ国王とジャビル・クウェート首長にスハルト大統領の親書を手渡した。 |
DIA-209-1983-01-27-1 | インドネシア | 1983年01月27日 | 1980年代 | 観光業の振興―ヌルヤディン運輸通信相は観光業振興の具体策を発表。(1)観光ビザの廃止、(2)イリアンジャヤ、アンボン、メナドへの国際線乗入れ許可、(3)観光施設の整備、(4)民芸品産業の育成。 |
DIA-209-1983-01-27-2 | インドネシア | 1983年01月27日 | 1980年代 | 82、83年の産米状況―スダルソノ農相によると、82年の産米高は旱魃の被害を生産性の向上で補い前年比6.95%増の2384万㌧。83年は耕地面積の拡大により同4.8%増の2500万㌧の見通し。 |
DIA-209-1983-02-01-1 | インドネシア | 1983年02月01日 | 1980年代 | カピッツァ・ソ連外務次官来イ(~3日)―モフタル外相との会談で両国関係改善を討議。 |
DIA-209-1983-02-01-2 | インドネシア | 1983年02月01日 | 1980年代 | スタンボリッチ・ユーゴ大統領来イ。 |
DIA-209-1983-02-02-1 | インドネシア | 1983年02月02日 | 1980年代 | 旧ダルル・イスラムのメンバー逮捕―当局は全土で190人を逮捕と発表。 |
DIA-209-1983-02-03-1 | インドネシア | 1983年02月03日 | 1980年代 | 83年度の外国借款必要額―ワルダナ蔵相によると、83年度に49.53億㌦の借款が必要。内訳は、政府間ソフトローン13.25億㌦(食糧援助2500万㌦を含む)、セミソフトローン26.1億㌦、コマーシャルローン10億㌦083年度のDSRは16.7%と推定される。 |
DIA-209-1983-02-05-1 | インドネシア | 1983年02月05日 | 1980年代 | 旧ダルル・イスラム指導者裁判―非合法過激グループ、Darul Islam/Tentara Islam Indonesiaの国家元首ジャエラニの公判、ジャカルタ地裁で開始。 |
DIA-209-1983-02-05-2 | インドネシア | 1983年02月05日 | 1980年代 | 社債発行に関する規定―大蔵相は社債発行の資格として(1)―般企業の場合、資本金5億ルピア、払込資本金1億ルピア、総資産1億ルピア以上、(2)銀行・金融機関の場合、資本金2.5憶ルピア、払込資本金2億ルピア、総資産10億ルピア以上、蔵相の許可必要、と発表。 |
DIA-209-1983-02-07-1 | インドネシア | 1983年02月07日 | 1980年代 | カモジャン地熱発電所始動―同国初の地熱発電一期工事(3万kW)が完成。総工費約4000万㌦、うち2400万㌦はニュージーランド政府によるグラント。 |
DIA-209-1983-02-08-1 | インドネシア | 1983年02月08日 | 1980年代 | マリク副大統領、北朝鮮訪問(~14日)―11日金日成主席と会談、スハルト大統領の親書を手渡す。 カンボジア問題では非同盟諸国会議にシアヌーク大統領の出席を求めることで見解一致。朝鮮統一問題については、インドネシアは仲介役になることはないが平和的統一を支持する、外国軍の半島駐留が北朝鮮にとって統一の障害となっている、と語った。 |
DIA-209-1983-02-10-1 | インドネシア | 1983年02月10日 | 1980年代 | 政党法改正要求―ゴルカルはパンチャシラを唯一の政治原理とすれぽ政党法(No.3/1975)の改正が必要と主張。 |
DIA-209-1983-02-11-1 | インドネシア | 1983年02月11日 | 1980年代 | 新米大使着任―81年11月以来空席だった駐イ米大使のポストにホルドリッジ前国務次官補が着任。 |
DIA-209-1983-02-12-1 | インドネシア | 1983年02月12日 | 1980年代 | 副大統領候補―有力候補の中でこれまでに意思なしと表明したのはイダム・ハリドNU総裁、ウィジョヨ調整相、ムルトポ情報相、アラムシャ宗教相。未だ意思表示ないのはマフムド国会議長、ユスフ国防相。マリク現副大統領については意思不明(Pelita紙)。 |
DIA-209-1983-02-12-2 | インドネシア | 1983年02月12日 | 1980年代 | 陸軍人事異動―第Ⅱ軍管区司令官にヨギ・スワルディ・メメト前シリワンギ陸軍区司令官が就任。同日メメト氏は少将から中将に昇格。 |
DIA-209-1983-02-14-1 | インドネシア | 1983年02月14日 | 1980年代 | 海軍基地移動―ユスフ国防相は近い将来現スラバヤ基地を南ランポン、トゥルク・ラタイに移動する計画があり優先的に推進する旨発表。総費用約50億㌦の予定。更に海軍を東部・中央・西部機動部隊・予備部隊に再編成し、潜水艦を新たに導入する予定を明らかにした。 |
DIA-209-1983-02-14-2 | インドネシア | 1983年02月14日 | 1980年代 | PN・Aneka Tambang(国営鉱業会社)赤字―スブロト鉱相によると鉱産物価格の低落により同社の82年の欠損は30億ルピア。83年には60億ルピアに達する見込み。 |
DIA-209-1983-02-15-1 | インドネシア | 1983年02月15日 | 1980年代 | 対中直接貿易―マリク副大統領は、たとえば中国が香港に事務所・銀行を開設、そこを通じて取引・決済を行なう形での直接貿易を考える時がきている、と語った。これに対し商業省は21日、対中直接貿易は外交関係が修復されれば可能、とのコメントを発表。 |
DIA-209-1983-02-16-1 | インドネシア | 1983年02月16日 | 1980年代 | 債務残高の推移―ワルダナ蔵相によると、82年3月の債務残高は164億㌦、うち145億㌦が政府債務、残りが国営企業の債務。政府債務は82年9月に154億㌦、83年3月推定で156億㌦。 |
DIA-209-1983-02-17-1 | インドネシア | 1983年02月17日 | 1980年代 | 潤滑油輸入制限―ラディウス商相は、プルタミナの精製能力増により84年以降の潤滑油の輸入禁止を発表。83年は総需要の20%に当たる3~3.5万キロリットルが輸入されるが、輸入業者は国営商社のみに限られる(IT紙)。 |
DIA-209-1983-02-19-1 | インドネシア | 1983年02月19日 | 1980年代 | 豪企業、カーボンブラック計画から撤退―合弁相手の豪企業は正式調印(81年10月)にも拘わらず撤退。理由はBKPMがプルタミナとの合弁はインドネシア企業に限るとしたため、とされている(IT紙)。 |
DIA-209-1983-02-23-1 | インドネシア | 1983年02月23日 | 1980年代 | カウンターパーチェス制(CP制)の成果―外務省マンクスウォンド海外貿易総局長によるど、2月8日までのCP制の契約額は3.48億㌦、実績6560万㌦。 |
DIA-209-1983-02-23-2 | インドネシア | 1983年02月23日 | 1980年代 | 石油製品輸入にCP制導入―プルタミナは、シンガポールで生産過剰のディーゼル油、灯油等の輸入をプルタミナのLSWR(低硫分残渣油)、スマトラライトとのCP制でならば応じる用意がある、と表明。 |
DIA-209-1983-02-23-3 | インドネシア | 1983年02月23日 | 1980年代 | プルタミナ財政危機説―プルタミナは財政難から下請業者への支払いが遅延。その額は2.5億から5億㌦にも達する可能性もあるという(Asian Wall Journal紙)。 |
DIA-209-1983-02-23-4 | インドネシア | 1983年02月23日 | 1980年代 | ボロブドゥール遺跡修復完了。 |
DIA-209-1983-02-23-5 | インドネシア | 1983年02月23日 | 1980年代 | イ・マ国境協定を批准―イの群島理論とマの伝統的権利を保障したイ・マ国境協定が国会で批准さる。 |
DIA-209-1983-02-25-1 | インドネシア | 1983年02月25日 | 1980年代 | 与党3派、スハルト会談―ゴルカル、国軍、地方代表のMPR3派はスハルト氏を次期大統領候補に正式に指名。これに対しスハルトは、国民議会が決めるならば受ける用意がある、との意思表明。 |
DIA-209-1983-02-25-2 | インドネシア | 1983年02月25日 | 1980年代 | 与党3派、次期副大統領統―候補にウマル・ウィラハディクスマ氏推薦―同上会談にて大統領は同意表明。同日ウマル現会計検査院院長も指名受諾の意思表明。 |
DIA-209-1983-02-26-1 | インドネシア | 1983年02月26日 | 1980年代 | 2野党、副大統領候補に賛同―PPP、PDI代表は25日与党3派によるウマル氏指名に賛意を表明。 |
DIA-209-1983-02-26-2 | インドネシア | 1983年02月26日 | 1980年代 | 83/84年度予算案、国会で原案通り可決。 |
DIA-209-1983-03-01-1 | インドネシア | 1983年03月01日 | 1980年代 | 国民協議会(MPR)開催(~11日)―大統領は冒頭演説で(1)パンチャシラ問題、(2)対中関係、(3)東チモール、(4)独立積極外交、(5)第4次5カ年計画、にふれた。(1)ではパンチャシラを全社会政治勢力の唯一の政治原理とすべきことを提唱するに至った経緯を説明、(2)では中国が東南アジアの共産主義支援を止める確証がない限り国交正常化は時期尚早とし、(3)では「東チモール問題」は存在しない、と言明した。 |
DIA-209-1983-03-01-2 | インドネシア | 1983年03月01日 | 1980年代 | スンボノ・プルタミナ総裁訪日―安倍外相と会談し、イ原油の安定的輸入を要請。 |
DIA-209-1983-03-02-1 | インドネシア | 1983年03月02日 | 1980年代 | PPP、PDI、次期正副大統領候補としてスハルルト氏、ウマル氏の指名を正式に決定。 |
DIA-209-1983-03-03-1 | インドネシア | 1983年03月03日 | 1980年代 | MPR審議(~6日)―(1)国策大綱(GBHN)に関する布告案、(2)大統領指名、(3)副大統領指名、(4)「開発の父」の称号授与、(5)唯一の政治原理パンチャシラ、(6)憲法改正に関連する国民投票、(7)総選挙、(8)MPR全権受託者への権限委任、(9)MPR総会の議事日程の1布告案・8決議案を審議。これらは全て9日、本会議にて可決。 |
DIA-209-1983-03-07-1 | インドネシア | 1983年03月07日 | 1980年代 | 石油価格、「フローティング価格」へ―スンボノ・プルタミナ総裁は、インドネシア原油の販売価格を2月23日分から「フローティング価格」としロンドンのOPEC石油相会議で決定された価格に従う旨発表した。 |
DIA-209-1983-03-07-2 | インドネシア | 1983年03月07日 | 1980年代 | アサハン計画融資返済期限延長―日本側協調融資団は2100億円の融資返済期限を57年末から59年末に延長することを決定。 |
DIA-209-1983-03-07-3 | インドネシア | 1983年03月07日 | 1980年代 | 陸軍人事異動―陸軍参謀長がポニマン大将からルディニ中将へ、第3軍管区司令官がヒマワン・スタント中将からスパルジョ中将へ交代。 |
DIA-209-1983-03-07-4 | インドネシア | 1983年03月07日 | 1980年代 | 非同盟諸国ニューデリー会議(~11日)―モフタル外相出席。10日、ベトナム等10カ国から要請のあった「東チモール問題」は正式に議題から却下された。 |
DIA-209-1983-03-10-1 | インドネシア | 1983年03月10日 | 1980年代 | スハルト大統領四選―MPRは満場一致でスハルト氏を次期5年間の大統領として選出。 |
DIA-209-1983-03-11-1 | インドネシア | 1983年03月11日 | 1980年代 | MPR、ウマル氏を副大統領に選出。 |
DIA-209-1983-03-11-2 | インドネシア | 1983年03月11日 | 1980年代 | スハルト大統領は所信表明。演説の中で、次期5年間はわれわれ45年世代が歴史的任務を遂行、完成するための最後の時期となろう、と語った。 |
DIA-209-1983-03-12-1 | インドネシア | 1983年03月12日 | 1980年代 | Journal Ekvin紙、9日付対日石油輸出の記事がOPEC会議に悪影響を与えたとして発禁さる。 |
DIA-209-1983-03-15-1 | インドネシア | 1983年03月15日 | 1980年代 | 新内閣の5課題(Pancakrida)―スハルト大統領は(1)開発の続行、(2)行政の浄化・効率化、(3)パンチャシラの浸透、(4)独立積極的外交の展開、(5)87年総選挙の実施を第4次内閣の課題として掲げた。 |
DIA-209-1983-03-16-1 | インドネシア | 1983年03月16日 | 1980年代 | 第4次開発内閣発表―新内閣は調整大臣3名、通常大臣21名(4名増)、国務大臣8名(4名増)、副大臣5名(1名減)計37名で構成される。新人16名、軍人12名。 |
DIA-209-1983-03-16-2 | インドネシア | 1983年03月16日 | 1980年代 | 10億㌦ジャンボローン調印―モーガン・ギャランティ・トラストを主幹事に邦銀18行を含む72行による協調融資がニュー・ヨークで調印。財政補填に充てられる。金利はLIBORプラス年0.5%、米プライムレート・プラス年0.2%の2本立て。返済期間8年。 |
DIA-209-1983-03-18-1 | インドネシア | 1983年03月18日 | 1980年代 | 豪新聞記者東チモール訪問―West Australian紙のオスリバン記者は東チモールについて、飢餓も紛争もなく豪国内の報道程悪い状況ではないと語った(IT紙) |
DIA-209-1983-03-19-1 | インドネシア | 1983年03月19日 | 1980年代 | 第4次開発内閣発足。 |
DIA-209-1983-03-22-1 | インドネシア | 1983年03月22日 | 1980年代 | イ原油5㌦値下げ公式に発表―OPEC決定(14日)を受けプルタミナはイ原油5㌦値下げを2月23日に遡って実施すると発表。ミナス原油は1バレル34.53㌦から29.53㌦へ。LNG価格も自動的に値下げ、ただし実施は通告日から。 |
DIA-209-1983-03-22-2 | インドネシア | 1983年03月22日 | 1980年代 | 開発政策の転換―マリク前副大統領は原油値下げ後の開発政策について、開発は続行するが、従来の大型プロジェクト中心の路線は再検討の必要あり、と語った。 |
DIA-209-1983-03-22-3 | インドネシア | 1983年03月22日 | 1980年代 | 新Kopkamtib司令官―大統領令によりベニ・ムルダニ国軍最高司令官のKopkamtib司令官兼任が決定。 |
DIA-209-1983-03-25-1 | インドネシア | 1983年03月25日 | 1980年代 | 東南アジアにおける米ソ関係―モフタル外相は、(1)東南アジアではソ勢力は兵站補給の面で米勢力に立遅れている、(2)越にとってもソ連への傾斜は望ましい方向ではなく、ASEAN・インドシナの分極状態は今後5年のうちに解消しよう、との見解を述べた。 |
DIA-209-1983-03-27-1 | インドネシア | 1983年03月27日 | 1980年代 | 新イリアン・ジャヤ州知事にスギヨノ陸軍大佐が就任。73年より東ジャワ、マラン市長。1928年生。 |
DIA-209-1983-03-28-1 | インドネシア | 1983年03月28日 | 1980年代 | 労働省の課題―着任したスドモ労相は、(1)省内の士気向上、(2)パンチャシラ労使関係の実践、すなわち雇用者側はレイオフを避け労働者側はストライキを避ける、(3)深刻化する失業への対策、(4)職業訓練の拡充、を同省の課題として掲げた。 |
DIA-209-1983-03-30-1 | インドネシア | 1983年03月30日 | 1980年代 | ルピア27.6%切下げ―ワルダナ調整相は1㌦=702ルピアから970ルピアへの切下げを発表、この背景を以下のように説明した。(1)原油5㌦値下げで83年度予算における石油会社税は1.5兆ルピアの減収、(2)しかしこれ以上の歳出削減は無理、(3)外国借款はDSRが3月末に20%近くなったことから困難、(4)公的外貨準備も3月10日で33憶㌦に減少。同時にラディウス蔵相はルピア資金の有効利用のため大型プロジェクトの見直しを決定したと発表。 |
DIA-209-1983-04-01-1 | インドネシア | 1983年04月01日 | 1980年代 | 観光ビザの廃止―ASEAN、日、米を含む26カ国からの2カ月以内の観光旅行客はビザ不要となった(3月19日付大統領令)。 |
DIA-209-1983-04-04-1 | インドネシア | 1983年04月04日 | 1980年代 | 米国務次官補来イ―ウォルフォリッツ東アジア・太平洋問題担当国務次官補はスハルト大統領初め主要閣僚と会談し、米国の対イ援助問題、世銀との関係、東チモール問題、イ中関係等について討議。 |
DIA-209-1983-04-05-1 | インドネシア | 1983年04月05日 | 1980年代 | スコー蘭開発協力相来イ(~14日)―経済関係閣僚とIGGI会議の事前協議。IGGI援助増額を示唆。 |
DIA-209-1983-04-06-1 | インドネシア | 1983年04月06日 | 1980年代 | ヘイドン豪外相来イ―ホーク政権下初の閣僚来イ。東チモール問題、カンボジア問題について意見調整のためイ首脳と会談。会談後の8日、豪外相は2問題は微妙でなお両国にくい違いがあることを認め、東チモールで国際的に監督された自決権が行使されていないことを憂慮する、と語った。 |
DIA-209-1983-04-07-1 | インドネシア | 1983年04月07日 | 1980年代 | ルピア切下げ後の政策―イ銀行協会ムナ会長は、(1)通貨不安解消に伴う金融緩和措置、(2)安価な輸入品攻勢に対する保護、(3)インフレ対策、を要請。 |
DIA-209-1983-04-07-2 | インドネシア | 1983年04月07日 | 1980年代 | 移住計画の進捗状況―マルトノ移住相によれば79~82年度に46.2万戸が移住を完了、84年3月までに50万戸の目標も達成可能。しかし10.5万戸が現在旱魃の被害を受けておりうち5万戸に月50キログラムの米が配給されよう。 |
DIA-209-1983-04-08-1 | インドネシア | 1983年04月08日 | 1980年代 | カンボジア問題―モフタル外相は越のタイ侵攻について、ASEANを政治的解決者でなく当事者としてしまうもの、政治的解決は遠のいた、として厳しく非難。 |
DIA-209-1983-04-09-1 | インドネシア | 1983年04月09日 | 1980年代 | ムバラク・エジプト大統領来イ。 |
DIA-209-1983-04-11-1 | インドネシア | 1983年04月11日 | 1980年代 | 商相令により輸入鉄綱製品、セメントの国内販売価格引上げ。セメントの値上げ幅は3~8%。 |
DIA-209-1983-04-13-1 | インドネシア | 1983年04月13日 | 1980年代 | 83年の砂糖生産―製糖協議会によると、83年は前年の160万㌧から165~170万㌧へ増産、輸入は44%減の36万㌧にとどまる見通し。これは150万㌧へ14%の減産を見込む米大使館報告(8日)を否定するもの。 |
DIA-209-1983-04-14-1 | インドネシア | 1983年04月14日 | 1980年代 | ボンタンLNG基地爆発―東カリマンタンのボンタン基地で爆発事故が発生、第2基の熱交換機が損傷。第1基と建設中の第3、4基に被害はなかった。 |
DIA-209-1983-04-14-2 | インドネシア | 1983年04月14日 | 1980年代 | ルピア50%デノミの噂でジャカルタ市内一時混乱。 |
DIA-209-1983-04-14-3 | インドネシア | 1983年04月14日 | 1980年代 | パプア・ニューギニア領越境問題―モフタル外相によると、プポモ駐ニューギニア大使はニューギニアの外務省に呼ばれ建設中のイリアン縦貫道路がニューギニア領内に越境しておりイ政府の対応がなければ外相レベルの協議を必要とする、との抗議を受けた。 |
DIA-209-1983-04-14-4 | インドネシア | 1983年04月14日 | 1980年代 | スドモ労相は、労働者を意味する語として、“majikan”(地主・主人)に対置されて労働者階級の意味あいを持つ“buruh”の使用を止め、“””tenaga kerja”、もしくは“karyawan”を使用することを決定。 |
DIA-209-1983-04-15-1 | インドネシア | 1983年04月15日 | 1980年代 | ニューギニア政府からの越境の抗議に対し、イ政府は国防・外務・内務省合同の調査団をイリアンに派遣。 |
DIA-209-1983-04-16-1 | インドネシア | 1983年04月16日 | 1980年代 | 米政府援助供与協定に調印―米国政府食糧援助PL-480の枠内で、小麦8.8万㌧、1500万㌦、米5万㌧、1500万㌦、計3000万㌦が調印さる。条件は返済期間31年据置き5年、利子年3%当初5年間は2%。 |
DIA-209-1983-04-16-2 | インドネシア | 1983年04月16日 | 1980年代 | 陸軍人事異動―第6陸軍区新司令官(シリワンギ師団)にエディ・スドラジャト少将任命。 |
DIA-209-1983-04-16-3 | インドネシア | 1983年04月16日 | 1980年代 | アファンディ農相は、農産物、畜産の輸入規制の方針を発表。 |
DIA-209-1983-04-19-1 | インドネシア | 1983年04月19日 | 1980年代 | イ・ニューギニア合同国境委員会会議(~21日)―共同新聞発表(21日)は以下の通り。(1)イ当局がイリアン縦貫道路の越境を認める声明を発表、(2)道路の位置再調整は衛星写真で行なう(5月11日)、(3)道路の越境部分を閉鎖、(4)道路建設作業を延期、(5)国境指標を増加。 |
DIA-209-1983-04-21-1 | インドネシア | 1983年04月21日 | 1980年代 | 公務員の離婚・重婚に許可制―政令により、全ての公務員は離婚に上司の許可が必要となった。大臣、大使、知事等は大統領の、各省上級官吏は内務省の許可を受ける。重婚に関しても従来正妻の承認のみ必要としたが条件が厳しくなり、女性公務員は第二夫人となることを禁じられた。 |
DIA-209-1983-04-21-2 | インドネシア | 1983年04月21日 | 1980年代 | 83年の州知事改選―ダルヨノ内務次官によると北・南スマトラ、ランポン、中カリマンタン、南スラウェシ、西・東ヌサテンガラ、バリの8州で知事が改選。 |
DIA-209-1983-04-23-1 | インドネシア | 1983年04月23日 | 1980年代 | 日政府援助供与協定に調印―82年度IGGI援助の枠内で、プロジェクト借款2.65億㌦、技術援助920万㌦が調印さる。プロジェクトは(1)バカル水力発電所、(2)ジャボタベック鉄道計画、(3)首都洪水制御システム、(4)通信機器供与。借款条件は返済期間30年据置10年、利子年3%。この他に、米自給計画へのグラント22億円。 |
DIA-209-1983-04-23-2 | インドネシア | 1983年04月23日 | 1980年代 | ボンタンLNG基地爆発の被害―スンボノ・プルタナ総裁によると、爆発による船積26回分の損失はボンタンの残りの1基とアルン基地の稼動率上昇により7~8回分、約3.8億㌦に抑えられる見込み。 |
DIA-209-1983-04-29-1 | インドネシア | 1983年04月29日 | 1980年代 | 金融政策の変更―ラディウス蔵相は、(1)国立銀行の3カ月・6カ月定期預金の金利自由化、(2)定期・貯蓄預金金利への課税撤廃、を発表。 |
DIA-209-1983-04-29-2 | インドネシア | 1983年04月29日 | 1980年代 | 豪外相、訪イについて―帰国したヘイドン外相はインドネシア訪問の成果について、(1)インドネシア政府の東チモールでの開発努力を認める、(2)対ベトナム援助は反対を受けた、と報告した。 |
DIA-209-1983-05-01-1 | インドネシア | 1983年05月01日 | 1980年代 | 日イ首脳会談―スハルト大統領は訪イ中(4/30~5/2)の中曽根首相との会談で、カンボジア問題を説明し、原油・LNGの安定的輸入、米20万㌧援助、途上国向け特恵枠拡大などを要請した。これに対し首相は(1)カンボジア問題でのASEANの立場を支持、(2)日本の防衛政策を説明、(3)83年度円借款675億円(7%増)、米14万㌧援助、ガルングン火山防災に3.6億円のグラント、特恵枠50%拡大などを約束、(4)中国政府からのイ中関係正常化の用意ありとの伝言を伝えた。大統領は(2)に理解を示し、(4)についてはイ中関係再開に否定的な見解を示した。 |
DIA-209-1983-05-03-1 | インドネシア | 1983年05月03日 | 1980年代 | 新DPA(最高諮問委員会)発足―83~88年の任期を務める40名は、委員長のパンガベアン前調整相の他、ムルトポ前情報相、ダウド・ユスフ前教育相など。 |
DIA-209-1983-05-06-1 | インドネシア | 1983年05月06日 | 1980年代 | プルタミナの新監査委員会―5名のうちスプロト鉱相、ラディウス蔵相、スマルリン国務相は留任、新任はスダルモノ官房長官とハビビ国務相(IT紙)。 |
DIA-209-1983-05-06-2 | インドネシア | 1983年05月06日 | 1980年代 | 大型開発プロジェクトの見直し―ワルダナ調整相は、国際収支赤字縮小のため輸入コンポーネントの多いプロジェクトを見直す方針を発表。まず次の4プロジェクト総額50億㌦を10億㌦に縮小する(14日付大統領令で決定)。(1)アロマティックセンター(15億㌦)、PTA工場は縮小、パラキシレン工場延期、(2)オレフィンセンター(16億㌦)、エチレン工場延期、塩ビモノマー工場継続、(3)ムシ製油所(13.5億㌦)延期、(4)ビンタン・アルミナ工場(6億㌦)延期。 |
DIA-209-1983-05-09-1 | インドネシア | 1983年05月09日 | 1980年代 | イ・タイ合同海軍演習、タイ、スラタニ空軍基地で開始。 |
DIA-209-1983-05-09-2 | インドネシア | 1983年05月09日 | 1980年代 | 鉱業省開発プロジェクトの見直し―見直しの対象となるのは管轄プロジェクトの約半分にあたる106億㌦。これが20億㌦に縮小される。 |
DIA-209-1983-05-13-1 | インドネシア | 1983年05月13日 | 1980年代 | FBSI(イ労働組合総連合)賃上げ要請―石油製品値上げ、ルピア切下げにより15%の賃上げは妥当と政府に要求(Antara通信)。 |
DIA-209-1983-05-13-2 | インドネシア | 1983年05月13日 | 1980年代 | PPP、2議員を除名―PPPは6日付でイマム・ンフワン、ルクマヌル・ハミム両PPP副議長兼国会議員を、ナロ総裁批判文書をまとめたかどで除名した。 |
DIA-209-1983-05-13-3 | インドネシア | 1983年05月13日 | 1980年代 | 連続射殺事件―LBH(法律助成研究所)は、最近の射殺事件は法の行使を無視するものであり政府は実力行使を止めるべしと非難した。 |
DIA-209-1983-05-15-1 | インドネシア | 1983年05月15日 | 1980年代 | 国際LNG会議ジャカルタで開催(~19日)。 |
DIA-209-1983-05-16-1 | インドネシア | 1983年05月16日 | 1980年代 | 82/83年度決算報告―ラディウス蔵相は、前年度国庫は24億ルピアの黒字を確保した旨報告。石油会社税の減収が響き開発支出は7.4兆ルピアへ予算比15%減。 |
DIA-209-1983-05-16-2 | インドネシア | 1983年05月16日 | 1980年代 | 軍人事異動―国軍士官学校総長プラソジョ・マフディ海軍中将の後任にアリエド・リヤディ空軍中将を任命。 |
DIA-209-1983-05-17-1 | インドネシア | 1983年05月17日 | 1980年代 | イ・豪合同海軍演習開始。 |
DIA-209-1983-05-17-2 | インドネシア | 1983年05月17日 | 1980年代 | PPP内紛―PPP内でナロ総裁派とイダム・ハリド議長との対立激化。同日の中央執行委員会には議長派欠席。その席で、(1)ナロ総裁の政策支持、(2)総裁排除の策謀拒否をうたった16日付「支持書」が回覧された。すでにPPP議員95人中60人が署名したという。 |
DIA-209-1983-05-19-1 | インドネシア | 1983年05月19日 | 1980年代 | 軍人事異動―第8陸軍区司令官にムルギト中将に代わりスラルソ少将が就任。ムルギト中将はフヌヒリ中将の後任で国軍大学(AKABRI)総長に任命された。 |
DIA-209-1983-05-19-2 | インドネシア | 1983年05月19日 | 1980年代 | プロジェクト見直し―スハルト大統領は全ての政府機関に対し管轄プロジェクトの見直しを指令。 |
DIA-209-1983-05-20-1 | インドネシア | 1983年05月20日 | 1980年代 | 日イ漁業協議、東京で開催―21日、西イリアン沖のエビ漁の混獲問題について、漁具の改良、混獲魚の有効利用を共同で開発研究していくことで合意。 |
DIA-209-1983-05-21-1 | インドネシア | 1983年05月21日 | 1980年代 | 連続射殺事件―ムルダニ最高司令官は、治安当局による犯罪撲滅運動は法を遵守したものであり現在まで射殺の届出はない、と射殺事件の責任を否定した。 |
DIA-209-1983-05-21-2 | インドネシア | 1983年05月21日 | 1980年代 | 83年の米輸入―Bulogはストック補充のため90万㌧の輸入必要との見通しを発表。 |
DIA-209-1983-05-23-1 | インドネシア | 1983年05月23日 | 1980年代 | LPG基地建設、正式契約―プルタミナは、日本企業連合(ジャパン・インドネシア・オイル、新日鉄、トーメン)との間でビンタン島LPG基地建設を契約。生産されるLPG年産45万㌧は全量日本へ輸出される。 |
DIA-209-1983-05-25-1 | インドネシア | 1983年05月25日 | 1980年代 | BPKP(国庫開発監視委員会)設立―ハルモコ情報相は、開発資金の有効利用のため汚職を防ぐ狙いでワルダナ調整相の管轄下に同委員会の設置を発表。 |
DIA-209-1983-05-25-2 | インドネシア | 1983年05月25日 | 1980年代 | 連続射殺事件―ジャカルタLBHは、治安当局による犯罪撲滅作戦で射殺された犯罪容疑者は、1~5月にジャカルタで34、中ジャワで86にのぼり、東・西ジャワを合わせれば300を超えよう、と発表。 |
DIA-209-1983-05-26-1 | インドネシア | 1983年05月26日 | 1980年代 | イ・マ海軍合同演習開始。 |
DIA-209-1983-05-30-1 | インドネシア | 1983年05月30日 | 1980年代 | 軍人事異動―国防研究所(LEMHANAS)所長ユウォノ中将の後任にスビヤクト少将、第13陸軍区司令官はウイスモヨ准将に代わりラジャクダ大佐が任命された。 |
DIA-209-1983-05-31-1 | インドネシア | 1983年05月31日 | 1980年代 | 民間大手銀行バンク・セントラル・アジアのルヤディ総裁は国会公聴会にて、民間銀行の海外支店開設を許可するよう銀行法改正を要求。 |
DIA-209-1983-05-31-2 | インドネシア | 1983年05月31日 | 1980年代 | イ外務省、イ・北イエメン国交樹立合意を発表。 |
DIA-209-1983-06-01-1 | インドネシア | 1983年06月01日 | 1980年代 | 新金融政策―ワルダナ調整相は次のような閣議決定を発表。(1)国立商銀の貸出・定期預金金利の自由化、ただし中小企業金融(KIK、KMKP)、農業金融(BIMAS、核エステート金融等)等の金利は現行のまま、(2)貯蓄性預金(Tabanas)の金利上方改訂、(3)輸出金融の金利自由化、上限9%、(4)全銀行貸出額の上限撤廃、(5)国内での外貨預金に対する利子課税(20%)撤廃。 |
DIA-209-1983-06-01-2 | インドネシア | 1983年06月01日 | 1980年代 | 公務員に特別ボーナス支給―ラディウス蔵相は公務員・軍人・年金生活者に対し7月1日に0.75~1.25カ月分のボーナスを支給すると発表。 |
DIA-209-1983-06-01-3 | インドネシア | 1983年06月01日 | 1980年代 | 外国人労働者への特別課徴金引上げ―外国人就業規則が改訂され、労働許可証更新の際に徴収される特別税が1人月100ルピアから400ルピアへ引上げられた。 |
DIA-209-1983-06-01-4 | インドネシア | 1983年06月01日 | 1980年代 | ソ連外交官のスパイ活動―政府は、スパイ活動が確認されているソ連外交官2人のビザ更新を認めず事実上国外追放することを決定(Sinar Harapan紙)。 |
DIA-209-1983-06-01-5 | インドネシア | 1983年06月01日 | 1980年代 | ハビビ国務相、欧州歴訪―1日ベルギーにてセーブル社とのロケット共同生産協定、FN兵器会社とのライフル生産協定に調印。その後、蘭・西独・仏・スペイン・伊歴訪。20日英サッチャー首相と会談。 |
DIA-209-1983-06-02-1 | インドネシア | 1983年06月02日 | 1980年代 | シティ・タイ外相来イ―3日スハルト大統領と会談。越軍の国境線からの撤退に関連するタイ提案について協議。 |
DIA-209-1983-06-03-1 | インドネシア | 1983年06月03日 | 1980年代 | ホーク豪首相来イ(~5日)―首相就任後初の外遊。4日スハルト大統領、モフタル外相と会談。(1)東チモール問題について同首相は、両国に見解の相違はあるが両国関係の改善は必要。東チモールにおけるイ政府の開発努力を確認・支持し国際赤十字・ユニセフによる援助活動に150万A㌦を拠出する。豪議員調査団によるチモール訪問後に豪政府の立場を再検討する、と語った。(2)カンボジア問題について、ASEANの同意なしに対越援助をしないことを確約した。 |
DIA-209-1983-06-03-2 | インドネシア | 1983年06月03日 | 1980年代 | セト・マ軍最高司令官来イ(~8日)―スハルト大統領、ムルダニ最高司令官と会談。兵器の共同購入・生産、イ・マ3軍合同演習等について協議。 |
DIA-209-1983-06-03-3 | インドネシア | 1983年06月03日 | 1980年代 | 失業率8.7%―労働省のスハルソノ・サギル博士によると、80年人口調査では総労働人口は5211万人、失業率8.7%。83年度の新規参入労働人口は約130万人。 |
DIA-209-1983-06-08-1 | インドネシア | 1983年06月08日 | 1980年代 | 83年度の米輸入計画―アリフィンBulog長官によると、日米からの食糧援助の他にタイ・ビルマ・台湾・フィリピンから計56万㌧を輸入する予定である(Antara放送)o |
DIA-209-1983-06-08-2 | インドネシア | 1983年06月08日 | 1980年代 | 83年の食糧援助―アリフィンBulog長官によると、米19万トン(米より5万トン、日14万㌧)、小麦9.8万㌧(米8.3万㌧、豪1万㌧、仏0.5万㌧)が契約済み。 |
DIA-209-1983-06-09-1 | インドネシア | 1983年06月09日 | 1980年代 | 200カイリ排他的経済水域への入漁料―アブドゥルラフマン漁業総局長は、経済水域への外国船の入漁料を(1)漁船1㌧当り年6㌦、(2)総漁獲高の8%、と設定。 |
DIA-209-1983-06-10-1 | インドネシア | 1983年06月10日 | 1980年代 | Jasa Marga社債発行計画―国営道路建設会社の同社は2月に引続き、8月に400億ルピア、12月・翌2月に各300億ルピア、計1000億ルピアを社債で調達する計画を発表。利率は前回の17%に対し15.5%とする。 |
DIA-209-1983-06-11-1 | インドネシア | 1983年06月11日 | 1980年代 | 皆既日食、中・東ジャワ、イリアン等で観測さる |
DIA-209-1983-06-13-1 | インドネシア | 1983年06月13日 | 1980年代 | IGGI会議開催(~14日)―83/84年度援助約束額は22。4億㌦(前年度19.3億㌦)。日本675億円(同632億円)。米国1億0640万㌦(食糧援助含む)(同9500万㌦)とともに増加。西独・英国等は約束額未発表。 |
DIA-209-1983-06-17-1 | インドネシア | 1983年06月17日 | 1980年代 | スズ生産国連盟(ATPC)設立―スブロト鉱相はバンコクでタイ、マレーシア代表と連盟協約に調印。 |
DIA-209-1983-06-18-1 | インドネシア | 1983年06月18日 | 1980年代 | 民間銀行の金利協定―Perbanas(民間商業銀行協会)は、国立銀行との金利引上げ競争を避けるため民間銀行の預金金利のガイドラインを定めた(Sinar Harapan紙)。 |
DIA-209-1983-06-19-1 | インドネシア | 1983年06月19日 | 1980年代 | 通信衛星打上げ―米スペースシャトル、チャレンジャーに積んだパラパB1は順調にカリマンタン上空で静止軌道にのった。20日政府、打上げ成功を発表。 |
DIA-209-1983-06-22-1 | インドネシア | 1983年06月22日 | 1980年代 | 旧共産党(PKI)代表、マルクス生誕100年祭に出席―モフタル外相は、4月11~17日ベルリンのマルクス生誕100年祭に旧PKI代表が出席、イ政府非難文書を配布したことに対し憂慮を表明。 |
DIA-209-1983-06-24-1 | インドネシア | 1983年06月24日 | 1980年代 | 経常収支赤字縮小の見込み―シレガル中銀総裁は、原油値下げで90~100億㌦に達するとみられた経常赤字が60~65億㌦に抑えられる見通し、と報告。 |
DIA-209-1983-06-24-2 | インドネシア | 1983年06月24日 | 1980年代 | ASEAN外相会議出席のためモフタル外相訪タイ。 |
DIA-209-1983-06-25-1 | インドネシア | 1983年06月25日 | 1980年代 | シアヌーク民主カンボジア大統領来イ(~29日)―27日スハルト大統領と会談。内容は公表されず。 |
DIA-209-1983-06-26-1 | インドネシア | 1983年06月26日 | 1980年代 | イ政府軍、フレティリンと停戦協定―信頼筋によると、3月21日、23日にフレティリン指導者はイ政府軍高官と接触し、停戦と引換えに国連監督下での自決権を要求した。イ政府とフレティリンとの接触は75年10月以来初(Washington Post紙)。米国のイ大使館は24日接触を否定。モフタル外相は29日接触の事実は認めたが紛争や休戦協定の存在を否定。 |
DIA-209-1983-06-29-1 | インドネシア | 1983年06月29日 | 1980年代 | 対中関係―来イ中のシアヌーク大統領は「中国はインドネシアが同意する時機に国交回復する用意がある」との中国側の伝言をイ首相に伝えた、と語った。 |
DIA-209-1983-06-30-1 | インドネシア | 1983年06月30日 | 1980年代 | 豪政府、フレティリン指導者にビザ発行―モフタル外相は、豪政府が29日フレティリン2指導者に豪滞在を許可するビザを発行したことに対し、憂慮を表明。 |
DIA-209-1983-07-02-1 | インドネシア | 1983年07月02日 | 1980年代 | 新金融政策の成果―国立銀行Bank Bumi Daya総裁によると、15~18%への預金金利引上げによって国立銀行の預金総額は6月1カ月で8~9%増加した。 |
DIA-209-1983-07-06-1 | インドネシア | 1983年07月06日 | 1980年代 | 円建て協調融資調印―イ政府は興銀を初め25金融機関から240億円の協調融資を導入。 |
DIA-209-1983-07-06-2 | インドネシア | 1983年07月06日 | 1980年代 | アサハン・アルミ地金国内向けに初出荷―83年国内引取り分4800㌧のうち500㌧を積んだ第1船がジャカルタへ向かった。7月中にメダン、スラバヤにも出荷。 |
DIA-209-1983-07-08-1 | インドネシア | 1983年07月08日 | 1980年代 | 83年上期の石油開発―スプロト鉱相によると上期の探鉱調査地域は前年同期比34%増、掘削油井数は同24%増と好調に推移。 |
DIA-209-1983-07-09-1 | インドネシア | 1983年07月09日 | 1980年代 | 労働省内にKADIN、FBSI大学、および他省からのメンパーから成る賃金調査委員会が設置。 |
DIA-209-1983-07-09-2 | インドネシア | 1983年07月09日 | 1980年代 | 政府批判「50人グループ」は月刊誌『フォルム・コムニカシオン・ナショナル』を発行(日経)。 |
DIA-209-1983-07-09-3 | インドネシア | 1983年07月09日 | 1980年代 | スト中の賃金カット制の導入―スドモ労相は(1)スト中の労働者の賃金をカットすべきこと、(2)ストの主要原因である断食明けボーナス要求は労働者の法的権利ではなく慣例化していなければ廃止すべきことを主張。 |
DIA-209-1983-07-16-1 | インドネシア | 1983年07月16日 | 1980年代 | モフタル外相、南太平洋諸島歴訪(~8月2日)―ソロモン島、西サモア、フィジー、ニュージーランド、パプア・ニューギニア歴訪。15日外相は、歴訪の目的は2国間関係の強化と東チモール問題への理解を求めること、と語った。28日イ・ソロモン大使級国交樹立で合意。 |
DIA-209-1983-07-20-1 | インドネシア | 1983年07月20日 | 1980年代 | 政府の汚職僕滅作戦を批判―プライトノ内務省査察官は、政府の作戦は膨大なエネルギーと費用を費しても小規模な汚職を暴くだけであり国民の期待からは程遠い、と批判。 |
DIA-209-1983-07-21-1 | インドネシア | 1983年07月21日 | 1980年代 | 連続射殺事件について―マフムド国会議長は未知の機関によるこの行為は治安改善に役立ったとして肯定。22日サルウォノ議員は法を無視した発言、と非難。 |
DIA-209-1983-07-22-1 | インドネシア | 1983年07月22日 | 1980年代 | 豪議員代表団、東チモール視察のため来イ(~8月3日)―労働党モリソン議員を団長とする5名の代表団はジャカルタで大統領、国会議長、調整相、内相らと会談。28日~8月1日東チモール視察。30日代表団は視察の成果を次のように語った。開発の成果を確認、フレティリンの活動は見当らず軍事的衝突のないことを住民に確認した。ただし小規模の反乱グループは存在する。 |
DIA-209-1983-07-23-1 | インドネシア | 1983年07月23日 | 1980年代 | カウンターパーチェス(CP)制の成果―商業省によると、CP制の導入された82年1月から83年6月末までにCP制による外国取引契約額は5.76億㌦、実績は1.58億㌦。 |
DIA-209-1983-07-25-1 | インドネシア | 1983年07月25日 | 1980年代 | イ・シンガポール海軍合同演習、南シナ海で開始。 |
DIA-209-1983-07-26-1 | インドネシア | 1983年07月26日 | 1980年代 | 南シナ海で新油田―インドネシア石油はコノコ社等米3社と共同開発しているナツナB鉱区で6000b/d、3000b/dの2油井の原油生産を確認した、と発表。 |
DIA-209-1983-07-27-1 | インドネシア | 1983年07月27日 | 1980年代 | ムルトポ、連続射殺事件を肯定―前情報相・現DPA副議長は、現行のシステムが犯罪撲滅で有効でないならば最後の手段は国民のために「根絶」することである、この行為は国防治安政策に沿ったものであり当局が責任を負い説明し得るものである、との声明を発表。これに対し29日ジャカルタLBHは、国軍の政策として同事件を正当化するのは大きな誤りとして非難。 |
DIA-209-1983-07-27-2 | インドネシア | 1983年07月27日 | 1980年代 | スタンバック石油生産契約、プルタミナが引継ぐ―スプロト鉱相はスタンバックの生産分与契約3件のうち11月に期限切れとなる南スマトラの1契約を更新せず、代わってプルタミナが生産を行なう、と発表。 |
DIA-209-1983-07-28-1 | インドネシア | 1983年07月28日 | 1980年代 | Pelita Ⅳのパーム油精製工場―国営エステートPTPIVのパーム油工場の開所式にて、スハルト大統領はパーム油工場は現在25、今後5年間に39増設、うち10は世銀融資、29は民間、作付面積は30万から40万㌶に拡大、総額530億ルピア、との計画を発表。 |
DIA-209-1983-07-28-2 | インドネシア | 1983年07月28日 | 1980年代 | スズ生産国連合第1回会議―スプロト鉱相出席。スズ価格、過剰在庫問題が討議された。鉱相は30日、スズ価格は第3四半期に改善しよう、と語った。 |
DIA-209-1983-07-29-1 | インドネシア | 1983年07月29日 | 1980年代 | 連続射殺事件について―中ジャワ警察司令部のハルヨノ中佐は、「謎の射殺隊」は名射手の中堅将校、犯罪者に関する正確なデータを持っており誤って射たれることはない、と語った(Merdeka紙)。 |
DIA-209-1983-07-30-1 | インドネシア | 1983年07月30日 | 1980年代 | 国営企業に共産主義者―スカルディ・ゴルカル議長は、国営社会保険会社Astekの社員17人が共産主義者として逮捕され、また、他の国営企業にも共産主義が浸透している可能性がある、と語った。 |
DIA-209-1983-07-30-2 | インドネシア | 1983年07月30日 | 1980年代 | グレシク肥料工場始動―国営Petrokimia Gresikのリン酸肥料工場始動。年産50万㌧。これでリン酸肥料の国内供給量は100万㌧となる。 |
DIA-209-1983-07-30-3 | インドネシア | 1983年07月30日 | 1980年代 | 新駐日大使にウィヨゴ・アトモダルミント退役陸軍中将―政府は前第Ⅱ軍管区司令官を新大使に任命。31日、日本政府はアグレマン付与。 |
DIA-209-1983-08-01-1 | インドネシア | 1983年08月01日 | 1980年代 | 豪議員団の東チモール視察について―カラスカラオ東チモール州知事はスハルト大統領に視察の成果を報告。同知事によると、現在反乱グループの勢力は500以下。武器は100丁。 |
DIA-209-1983-08-02-1 | インドネシア | 1983年08月02日 | 1980年代 | アンダラス・セメント工場始動。年産100万㌧。 |
DIA-209-1983-08-03-1 | インドネシア | 1983年08月03日 | 1980年代 | 経済閣僚会議―(1)投資・事業許可取得、納税等の手続き簡素化、(2)使用済み潤滑油の再精製の禁止、を決定。(2)は潤滑油の国産化に伴い使用済み潤滑油の再利用を禁止しプルタミナが一括して回収するもの。 |
DIA-209-1983-08-04-1 | インドネシア | 1983年08月04日 | 1980年代 | チラチャプ製油所始動―精製能力20万b/dの新設備稼動により合計30万b/d、石油製品年産4770万キロリットル。総コストは11.8億㌦、うちルピア支出分は2億㌦。 |
DIA-209-1983-08-04-2 | インドネシア | 1983年08月04日 | 1980年代 | 潤滑油の輸入禁止―スプロト鉱相は3製油所の完成で84年初には潤滑油の国内生産は年20万㌧に達し内需を上回るための輸入を禁止する方針を発表。 |
DIA-209-1983-08-09-1 | インドネシア | 1983年08月09日 | 1980年代 | 83年度非石油輸出42億㌦、達成可能―サレー商相は、(1)世界景気回復、(2)輸出促進政策により目標の42億㌦をも超える、という商業省の見通しを発表。 |
DIA-209-1983-08-10-1 | インドネシア | 1983年08月10日 | 1980年代 | ナイジェリア大使はマフムド国会議長との会談の中で、国連での東チモール決議において従来の棄権からイ支持に変わる可能性を示唆した。 |
DIA-209-1983-08-11-1 | インドネシア | 1983年08月11日 | 1980年代 | ASEAN高級事務レベル会議、ジャカルタで開催―11月に予定されるレーガン大統領との会談議事について協議。 |
DIA-209-1983-08-11-2 | インドネシア | 1983年08月11日 | 1980年代 | 国立開発銀行(Bapindo)への中銀融資―Bapindo幹部によると、中銀からの融資はBapindoの総貸出額の65%について続行。利子は年4~6%から10%に引上げ、融資対象は特に優先度の高い案件に限られる。 |
DIA-209-1983-08-12-1 | インドネシア | 1983年08月12日 | 1980年代 | 対韓国LNG輸出契約―プルタミナと韓国電力会社(KEPCO)は、86年から20年間年200万㌧のLNGをアチェ、アルン基地から輸出する契約に調印。 |
DIA-209-1983-08-13-1 | インドネシア | 1983年08月13日 | 1980年代 | レーガン大統領ASEAN歴訪予定―モフタル外相は米大統領が11月にASEAN歴訪を行なうことを正式に発表。最初の訪問国であるイ来訪は6~7日。5日にASEAN外相がジャカルタに集まり会談内容の詰めを行なう予定。 |
DIA-209-1983-08-15-1 | インドネシア | 1983年08月15日 | 1980年代 | プルタミナ・カルテックス契約交渉開始―初の公式折衝。イ側代表のスタン・アシン・プルタミナ理事はカルテックス側が取り分として13.5%を提示していることを明らかにした。 |
DIA-209-1983-08-16-1 | インドネシア | 1983年08月16日 | 1980年代 | 第38回独立記念大統領演説―演説の骨子次の通り。(1)汚職撲滅のため厳格な措置を続行、(2)パンチャシラを唯一の政治原理とすることを再確認、(3)不況に対する経済調整策の説明と税制改革の推進、(4)PelitaⅣにおける年平均GDP成長率5%、農業3%、工業9.5%。人口成長率2%以下へ抑制、移住計画の強化。 |
DIA-209-1983-08-16-2 | インドネシア | 1983年08月16日 | 1980年代 | マリク前副大統領、政策批判―IT紙とのインタヴューの中で、教育、開発、協同組合、対中国交問題の諸点において政府の政策はパンチャシラ、憲法、国策大綱に沿っておらず国民の期待に応えていないと批判。 |
DIA-209-1983-08-16-3 | インドネシア | 1983年08月16日 | 1980年代 | プルタミナ、中銀債務の元金完済―スンボノ総裁は、中銀に対する債務を完全に償還したと発表。今後利息分6000億ルピアを5年間にわたり支払う計画である。 |
DIA-209-1983-08-18-1 | インドネシア | 1983年08月18日 | 1980年代 | 世俗国家論―スナワルPDI総裁は、パンチャシラは宗教ではないとする大統領演説に基づきインドネシアは政教分離した世俗国家である、と表明。 |
DIA-209-1983-08-18-2 | インドネシア | 1983年08月18日 | 1980年代 | PPPのシンボル変更についで―スダルジ議長とアリ・タミン副議長の意見対立が表面化。前者はPPPがパンチャシラを唯一の原理とするならばカーバ神殿のシンボルは適切ではなく変更すべきだ、と主張し、後者はパンチャシラとカーバ神殿とは矛盾しないと主張。 |
DIA-209-1983-08-18-3 | インドネシア | 1983年08月18日 | 1980年代 | 日本国会議員団・モフタル会談―外相との会談で議員団の代表岡田衆院副議長は対中国交正常化を提言し東南アジアにとって日中イの協力関係は重要、来週の訪中でも両国国交正常化について協議する、と語った。 |
DIA-209-1983-08-20-1 | インドネシア | 1983年08月20日 | 1980年代 | イ・マ陸軍合同演習コタ・キナバルで開始。第9陸軍区200人が参加。 |
DIA-209-1983-08-22-1 | インドネシア | 1983年08月22日 | 1980年代 | モフタル外相、北欧訪問―ノルウェー、デンマーク歴訪。外相は東チモール問題は首脳会談の議題に含まれていない、と言明した。 |
DIA-209-1983-08-22-2 | インドネシア | 1983年08月22日 | 1980年代 | イ・タイ海軍合同演習、ジャワ海で開始。 |
DIA-209-1983-08-24-1 | インドネシア | 1983年08月24日 | 1980年代 | 新中ジャワ州知事―内務相ルスタム前知事の後任にイスマイル前第7陸軍区司令官(退役陸中将)就任。 |
DIA-209-1983-08-24-2 | インドネシア | 1983年08月24日 | 1980年代 | 100億円円建て債発行。円建て債は81年以来3度目。 |
DIA-209-1983-08-26-1 | インドネシア | 1983年08月26日 | 1980年代 | 新東ジヤワ州知事―国民協議会・国会副議長となったスナンダル前知事の後任にワホノ前大蔵省関税総局長(退役陸軍中将)が就任。 |
DIA-209-1983-08-29-1 | インドネシア | 1983年08月29日 | 1980年代 | Kopkamtibとイスラム指導者との合同チーム設立―ムルダニ司令官の呼びかけで国家統―とレジリアンス堅持のための「社会対話チーム」(Komsos)設立。議長はスゲン・ウィジャヤ陸軍准将。イスラム側にはMUI(イ・ウレマ協会)有力者、PPP議員等が参加。 |
DIA-209-1983-08-30-1 | インドネシア | 1983年08月30日 | 1980年代 | スミトロ博士の経済見通し―同博士は、イ経済は現在は悪いが84年にはLNG・非石油輸出が増加して上向こう、との見通しを発表。ただ輸入は引続き減少して原材料が割高となるため、インフレ率は83年を上回る15%程度と予測している。 |
DIA-209-1983-08-31-1 | インドネシア | 1983年08月31日 | 1980年代 | プルタミナ、原油輸出を管理―スンボノ総裁は外国企業を含めて原油の全輸出を管理する方針を発表。外国企業によるイ原油のスポット売りを防ぐため。 |
DIA-209-1983-09-01-1 | インドネシア | 1983年09月01日 | 1980年代 | 83/84年度国会の議事―国会議長・副議長はスハルト大統領との会談で、10月より始まる次期国会での議事として(1)税制改革、(2)Pelita Ⅳ、(3)政党法、総選挙法、等について協議。この中で大統領は(1)を最優先するよう指示した。 |
DIA-209-1983-09-01-2 | インドネシア | 1983年09月01日 | 1980年代 | 建設機械輸入関税の引上げ―小松製作所、三菱重工、キャタピラー(米)の3社がブルドーザー、油圧ショベル等の生産を9月より開始するのに伴い、これらの建設機械の輸入関税を10%から30%に引上げ。 |
DIA-209-1983-09-01-3 | インドネシア | 1983年09月01日 | 1980年代 | 呉作棟シンガポール国防相来イ―スハルト大統領他、国防相、最高司令官と両国軍の協力について討議。 |
DIA-209-1983-09-02-1 | インドネシア | 1983年09月02日 | 1980年代 | イ・マ海軍合同演習、南シナ海で開始。 |
DIA-209-1983-09-07-1 | インドネシア | 1983年09月07日 | 1980年代 | 農業金融のこげつき―ソリヒン開発査察総官によると、返済期限切れの農業融資は7月末で1440億ルピアに達した(IT紙)。 |
DIA-209-1983-09-07-2 | インドネシア | 1983年09月07日 | 1980年代 | 国連基本的人権委員会、東チモール決議―モフタル外相は、同委員会がジュネーブ会議で東チモールにおける基本的人権を求める決議を行なったことに対し、外国による誤った報道に基づくものとして遣憾の意を表明。 |
DIA-209-1983-09-09-1 | インドネシア | 1983年09月09日 | 1980年代 | 韓国へのLNG輸出、自国船で―プルタミナは国内船舶業者2社との間で韓国向けLNGの輸送契約に調印。自国船によるLNG輸送は初めて。 |
DIA-209-1983-09-10-1 | インドネシア | 1983年09月10日 | 1980年代 | 世俗国家論争―国会の与党ABRI(国軍)は、インドネシアは世俗国家か否かをめぐる論争は国家の統一を乱すだけであり止めるべし、とする声明を発表。これは8月18日のスナワルPDI総裁の発言を機に起こった論争に対するもの。 |
DIA-209-1983-09-10-2 | インドネシア | 1983年09月10日 | 1980年代 | 初の国産飛行機―国営ヌルタニオ社製造の小型航空機CN-235型機の始動式にスハルト大統領出席。本格生産は85年から。社長ハビビ国務相によるとすでに同機124機を受注している。 |
DIA-209-1983-09-12-1 | インドネシア | 1983年09月12日 | 1980年代 | ムルダニ国防相、タイ・マ公式訪問(~16日)。帰途シンガポールを非公式訪問、李首相と会談。 |
DIA-209-1983-09-13-1 | インドネシア | 1983年09月13日 | 1980年代 | 83年の産米状況―アファンディ農相は83年の産米は82年より良好であり2320万㌧に達しよう、と語った。 |
DIA-209-1983-09-15-1 | インドネシア | 1983年09月15日 | 1980年代 | 84/85年度予算も緊縮継続―ラディウス蔵相は次年度も予算を大幅に増額する意向のないことを表明。 |
DIA-209-1983-09-16-1 | インドネシア | 1983年09月16日 | 1980年代 | ビルマから米輸入契約―83年に入り3度目、6万㌧の買付け契約。これで計14.5万㌧。 |
DIA-209-1983-09-19-1 | インドネシア | 1983年09月19日 | 1980年代 | 石油製品補助金削減、継続の方針―スプロト鉱相は、国内価格が国際的標準に近づくまで今後も漸次補助金削減、石油製品価格引上げを行なう方針を発表。 |
DIA-209-1983-09-19-2 | インドネシア | 1983年09月19日 | 1980年代 | Pelita Ⅳの非石油輸出―サレー商相は、今後5年間で非石油輸出を90億㌦に倍増する計画を発表。 |
DIA-209-1983-09-20-1 | インドネシア | 1983年09月20日 | 1980年代 | Pelita Ⅳの肥料工場―シドゥハルタ基礎化学工業総局長によると、5年間に3工場が新設または拡張される計画。うち2工場は尿素肥料計57万㌧、1工場はリン酸肥料工場50万㌧。 |
DIA-209-1983-09-21-1 | インドネシア | 1983年09月21日 | 1980年代 | 国連総会、東チモール問題に関する決議を延期―国連総会はノルウェーからの提案に基づき東チモール問題に関する決議を84年総会まで延期することを決定した。 |
DIA-209-1983-09-22-1 | インドネシア | 1983年09月22日 | 1980年代 | ムシ製油所計画修正交渉合意―受注していた日本企業連合はプルタミナとの交渉で、当初計画(10.5億㌦)を3分割し、第1期の現設備の応急措置(1億㌦)を83年末までに再契約することで合意(日経)。 |
DIA-209-1983-09-22-2 | インドネシア | 1983年09月22日 | 1980年代 | 日本政府借款、調印―IGGI枠の日本政府援助83年度分、675億円が調印。融資対象はバカル水力発電、グレシク地熱発電、ジャボタベック鉄道網等13案件。 |
DIA-209-1983-09-23-1 | インドネシア | 1983年09月23日 | 1980年代 | 日イ合同経済委員会開催―両国の経済人が投資・貿易・技術移転などについて意見交換。イ側は輸出向け製造業への日本からの投資、技術移転を要望した。今後、両国経済委員会を常設することで両国合意。 |
DIA-209-1983-09-23-2 | インドネシア | 1983年09月23日 | 1980年代 | 東チモールで政府軍・ゲリラ衝突―リスボンのチモール避難民の証言によると、3月合意された停戦が破れ8月より両者が再度衝突。8月9日政府駐屯兵をゲリラが射殺、その報復として政府軍が住民を虐殺した。8月中旬より国軍降下部隊が到着、計2万の兵力でゲリラ討伐作戦を開始した(Washington Post紙)。 |
DIA-209-1983-09-25-1 | インドネシア | 1983年09月25日 | 1980年代 | ソ連経済代表団来イ(~28日)―グリシン外国貿易次官を団長とする代表国は、ワルダナ調整相初め蔵相、商相、官房長官、外務次官等と会談。貿易促進、ソ連による電力開発への協力参加、について協議された。 |
DIA-209-1983-09-27-1 | インドネシア | 1983年09月27日 | 1980年代 | Pelita Ⅳの林業―スジャルウォ林業相は5年間で合板を300立方㍍から450立方㍍、製材を250立方㍍から370立方㍍に増産し、林業製品輸出を31億㌦に増加する計画を発表。 |
DIA-209-1983-09-30-1 | インドネシア | 1983年09月30日 | 1980年代 | 排他的経済水域法案、国会で可決―同法により200カイリ水域内における漁獲、海洋資源開発・保護の権利が保障される。経済水域を侵犯した場合は最低2.25億ルピアの罰金が科され船舶等は没収される。 |
DIA-209-1983-10-01-1 | インドネシア | 1983年10月01日 | 1980年代 | ゴルカル次期総裁について―スダルモノ官房長官はゴルカル全国大会で総裁に選出されれば受諾する用意のある旨表明。これはダルヤトモ前国会議長、ムルトポ前情報相らによる非公式な推薦に応えたもの。 |
DIA-209-1983-10-01-2 | インドネシア | 1983年10月01日 | 1980年代 | 66年組全国評議会、ゴルカル次期総裁にスダルモノ官房長官を支持する声明を発表。 |
DIA-209-1983-10-01-3 | インドネシア | 1983年10月01日 | 1980年代 | スンボノ・プルタミナ総裁訪日―中曽根首相との会談で、総裁はLPG開発への協力を要請。これに対し首相は前向きな姿勢を表明すると共にイ原油輸入のシェアを現在の15%に維持することを約束した。 |
DIA-209-1983-10-03-1 | インドネシア | 1983年10月03日 | 1980年代 | レーガン大統領ASEAN歴訪延期―モフタル外相はアキノ暗殺事件に伴う来イ延期決定に遺憾の意を表明。 |
DIA-209-1983-10-04-1 | インドネシア | 1983年10月04日 | 1980年代 | 上期の工業製品輸出20%増―商業省鉱工業輸出総局長によると、合板・製材・肥料等を中心に83年上期の工業製品輸出は前年同期比20%増を記録した。 |
DIA-209-1983-10-05-1 | インドネシア | 1983年10月05日 | 1980年代 | 初の対日石炭輸出―国営石炭会社Tambang Batubaraは日本向け第一船に5500㌧を船積みしたと発表。 |
DIA-209-1983-10-06-1 | インドネシア | 1983年10月06日 | 1980年代 | 科学技術応用庁(BPPT)による降雨実験―ハビビ国務相は西ジャワで人口雨を降らせる実験を行なったと発表。1日の首都部の雨はこの実験によるものという。 |
DIA-209-1983-10-07-1 | インドネシア | 1983年10月07日 | 1980年代 | オレフィンセンターから日本企業撤退―プルタミナと同プロジェクトの合弁契約(15%出資)を結んでいた東燃石油化学は9月21日付でエクソン・ケミカル社に全権利義務を譲渡し完全撤退した、と発表。 |
DIA-209-1983-10-11-1 | インドネシア | 1983年10月11日 | 1980年代 | 豪から小麦のグラント―Bulogは、豪政府に小麦無償援助10万㌧を申し入れていたが、3.5万㌧、665万A㌦で合意、調印。 |
DIA-209-1983-10-12-1 | インドネシア | 1983年10月12日 | 1980年代 | 2野党、ゴルカル次期総裁にスダルモノを支持。 |
DIA-209-1983-10-14-1 | インドネシア | 1983年10月14日 | 1980年代 | 政府転覆計画が発覚―ジョクジャカルタ軍情報当局によると、反政府計画が発覚、大学生4人、高校生1人を含む6人を逮捕。リーダー格は旧ワルマン過激グループのメンバー。当局は無許可の印刷所を差押え、数千枚のパンフレット、イラン大使館の刊行物等を押収(Sinar Harapan紙)。 |
DIA-209-1983-10-14-2 | インドネシア | 1983年10月14日 | 1980年代 | 米生産増加率2.5~3%―アファンディ農相は、従来の増加率3.3%はもはや収穫逓減の法則により困難であり、今後は2.5~3%に安定しよう、と語った。 |
DIA-209-1983-10-15-1 | インドネシア | 1983年10月15日 | 1980年代 | 対外債務残高―ラディウス蔵相によると、9月末現在の債務残高は178億㌦、83年度下期(10~3月)の返済予定額は20億㌦、DSRは未だ管理できる範囲にあり今後も外国借款を活用していく方針である。 |
DIA-209-1983-10-17-1 | インドネシア | 1983年10月17日 | 1980年代 | 紙幣印刷技術太平洋地域諸国会議に中国代表団出席―日、米、豪等10カ国で構成する同会議に中国人民銀行造幣局次長を団長とする中国代表団がオブザーバーとして出席。 |
DIA-209-1983-10-17-2 | インドネシア | 1983年10月17日 | 1980年代 | 集団労働協約―スドモ労相は、マルチ・アストラ社の労使協定締結式で、現在の集団労働協約に関する法(1954年No21)は現状に合わず改正が必要、と語った。 |
DIA-209-1983-10-17-3 | インドネシア | 1983年10月17日 | 1980年代 | イ・マ陸軍合同演習、西カリマンタンで開始。 |
DIA-209-1983-10-18-1 | インドネシア | 1983年10月18日 | 1980年代 | 自動車国産化に拍車―エマン・ヨガサラ基礎金属総局長は、9月28日付工業相令により86年度の自動車完全国産化に向けて84年1月より主要部品の段階的国産化が組立業者に対し義務づけられる、と発表。内容は(1)商業車(3.5~5㌧)、多目的車のホイールリム、シャーシは84年1月以降、(2)商業車(0.75~1㌧)のアクセル、プロペラシャフトは84年7月以降、(3)全商業車のエンジンは85年1月以降、(4)全商業車のブレーキは85年7月以降、(5)全商業車のクラッチ、ステアリングシステム、トランスミッションは86年1月以降、国産品使用が義務づけられる。 |
DIA-209-1983-10-19-1 | インドネシア | 1983年10月19日 | 1980年代 | ブン・カルノ大学開校延期について―ヌグロホ教育相は、10月13日開校予定の同大学が「行政上の理由」により私立大学調整庁の許可が得られないことについて、同大学がパンチャシラに基づくものでない限り許可は与えられない、と語った。 |
DIA-209-1983-10-20-1 | インドネシア | 1983年10月20日 | 1980年代 | 第3回ゴルカル全国大会開催(~25日)―大会では、次期(83~88年)活動計画・規約改正の採択、新執行部選出が行なわれた。討議の中で、ゴルカルは今後個人加盟制が採用される方針が打出された。25日スダルモノ官房長官を全会致て新総裁に選出、サルウォノ・クスマアトマジャ幹事長を初め副幹事長、中央執行委員、委員会(14設置)委員長ら計45名の新執行部を選出、うち67%が若い世代から登用。執行部には現役軍人は就任できないことが新たに規定された。 |
DIA-209-1983-10-28-1 | インドネシア | 1983年10月28日 | 1980年代 | Pelita Ⅳの移住計画―マルトノ移住相によると、5年間の移住目標は80~100万戸(SH紙)。 |
DIA-209-1983-10-31-1 | インドネシア | 1983年10月31日 | 1980年代 | 83年度のDSR―ワルダナ調整相は国際財務責任者協会年次大会の席上、DSRは82年度の22%から83年度に24%に達する見込みであることを明らかにした。 |
DIA-209-1983-10-31-2 | インドネシア | 1983年10月31日 | 1980年代 | ボンタンLNG増設完成―新2系列完成により既存2系列と合わせ年間640万㌧。全量日本へ輸出される。増設総工費10.3億㌦。 |
DIA-209-1983-11-01-1 | インドネシア | 1983年11月01日 | 1980年代 | バリクパパン製油所始動―精製能力20万b/dの新設備稼動により合計26万b/d。 |
DIA-209-1983-11-01-2 | インドネシア | 1983年11月01日 | 1980年代 | 蘭から小麦2万㌧の援助供与契約に調印。 |
DIA-209-1983-11-02-1 | インドネシア | 1983年11月02日 | 1980年代 | 籾買上げ価格引上げ―ハルモコ情報相によると、経済閣僚会議にて籾買上げ価格が84年2月より1キログラム145ルピアから165ルピアに引上げられることが決定。新米価は270ルピア/キログラムとなるo |
DIA-209-1983-11-04-1 | インドネシア | 1983年11月04日 | 1980年代 | コール西独首相来イ(~5日)―初の西独首相の来訪。5日スハルト大統領と経済・技術協力について協議。 |
DIA-209-1983-11-04-2 | インドネシア | 1983年11月04日 | 1980年代 | 電子部品の輸入制限要求―APPI(イ電気製品生産者協会)は工業相に対し、輸入品が国内の電子部品産業の発達を阻害しているとして輸入制限措置を要求。 |
DIA-209-1983-11-05-1 | インドネシア | 1983年11月05日 | 1980年代 | 税制改革案、国会に上程―ラディウス蔵相は所得税法、付加価値税・奢侈品販売税法、国税通則法の3法案を国会に提出。10日より審議開始。 |
DIA-209-1983-11-06-1 | インドネシア | 1983年11月06日 | 1980年代 | 反日暴動事件指導者に禁固6年―最高裁判所は74年1月田中元首相来イの際の反日暴動(マラリ事件)の指導者、元インドネシア大学自治会委員長ハリマン・シレガルに対し、禁固4年の高裁判決を破棄、6年の判決を下した(読売)。 |
DIA-209-1983-11-08-1 | インドネシア | 1983年11月08日 | 1980年代 | 国防省機構改革―大統領令に基づき国防治安省も他省と同様、次官、査察総官と3総局、1庁、2センターが設置され、新官僚がポニマン国防相により任命された。新次官はヨギ・スパルディ前国防省行政部長。 |
DIA-209-1983-11-09-1 | インドネシア | 1983年11月09日 | 1980年代 | 海外出稼ぎ労働者―スドモ労相によると、公式統計による海外労働者は現在6.7万人、うち中東は5万人。83年度中に目標10万人を達成できる見通し。 |
DIA-209-1983-11-12-1 | インドネシア | 1983年11月12日 | 1980年代 | ゴルカル新執行部、マフムド国会議長に全国大会の内容を報告。23日にはユスフ会計検査院長官に報告。 |
DIA-209-1983-11-14-1 | インドネシア | 1983年11月14日 | 1980年代 | イ・マ国境委員会会議3年ぶりにクアラルンプルで開催された同会議にムルダニ最高司令官出席。マ側代表はムサ副首相。両国はサバ・サラワクとカリマンタンとの国境付近で対共産ゲリラ作戦を協力して行なうこと、同作戦の目的でナツナ島のイ国軍の設備を共同使用することで合意。15日ムルダニ司令官は、マ・越が領有権を争っているトゥルンプ・ラヤンラヤン島についてもマを支援する用意がある旨表明。 |
DIA-209-1983-11-14-2 | インドネシア | 1983年11月14日 | 1980年代 | スハルト大統領を野党最高審議会会長に―PPPのムイス議員は、大統領がゴルカルの最高審議会会長に選出されたのを受けて、PPPの最高審議会会長にも大統領を選出したい意向を表明。PDIのアスマスブラタ議員も同様の要請を表明。 |
DIA-209-1983-11-15-1 | インドネシア | 1983年11月15日 | 1980年代 | 社会保険の普及―国営社会保険会社Astekは、法律によってAstekへの加盟を企業に義務づける必要性を主張。9月末現在同社加盟は8602社、187.6万人。 |
DIA-209-1983-11-17-1 | インドネシア | 1983年11月17日 | 1980年代 | プルタミナ、船舶発注―プルタミナのインデラ理事は、タンカー11隻(1500㌧、3500㌧)、バージ7隻を国内業者に、タンカー5隻(8.5万㌧)を外国に発注したと発表。 |
DIA-209-1983-11-17-2 | インドネシア | 1983年11月17日 | 1980年代 | イ・マ陸軍合同演習、クアラルンプルで開始。22日ルディニ陸軍参謀長、演習視察のため訪マ。 |
DIA-209-1983-11-18-1 | インドネシア | 1983年11月18日 | 1980年代 | シェイソン仏外相来イ。 |
DIA-209-1983-11-20-1 | インドネシア | 1983年11月20日 | 1980年代 | アレサナ・西サモア首相来イ―21日スハルト大統領と会談。国連の東チモール決議でのイ支持を約束。 |
DIA-209-1983-11-23-1 | インドネシア | 1983年11月23日 | 1980年代 | 野党の最高審議会会長問題―スハルト大統領はムルディオノ内閣書記を通じ、野党の最高審議会会長には就任しない旨表明。理由は、スハルト大統領は一市民としてはゴルカルのメンバーであるため。 |
DIA-209-1983-11-24-1 | インドネシア | 1983年11月24日 | 1980年代 | オルショフスキ・ポーランド外相来イ。 |
DIA-209-1983-11-25-1 | インドネシア | 1983年11月25日 | 1980年代 | ヘイドン豪外相非公式に来イ(~27日)。 |
DIA-209-1983-11-26-1 | インドネシア | 1983年11月26日 | 1980年代 | 不法外国人労働者に国外退去命令―スドモ労相は11月15~21日に外国人労働者の特別調査“Operasi MawasI”を実施、南カリマンタンの6製材企業、165人の外国人労働者を調査した、と発表。このうち43人が不法滞在、BKPMへの届出不備等により国外退去を命じられた。 |
DIA-209-1983-11-27-1 | インドネシア | 1983年11月27日 | 1980年代 | エッセブシィ・チュニジア外相来イ。28日両国通商協定に調印。 |
DIA-209-1983-11-28-1 | インドネシア | 1983年11月28日 | 1980年代 | プルタミナ・カルテックス新契約―27日で期限切れとなったカルテックスの請負契約は生産分与契約に切換えられ両社間で調印された。生産分与比はイ側:カルテックス側が88:12で合意に達した。期間は18年。 |
DIA-209-1983-11-28-2 | インドネシア | 1983年11月28日 | 1980年代 | スタンバック契約鉱区、プルタミナに返還―スタンバックが請負契約により開発してきたリアウ、南スマトラの「旧鉱区」(2万b/d)は契約切れに伴いプルタミナに返還された。 |
DIA-209-1983-11-28-3 | インドネシア | 1983年11月28日 | 1980年代 | 83年投資目標達成可能―スハルトヨBKPM長官によると11月末現在総投資許可額は5兆ルピアに達しており目標6兆ルピア達成は可能。 |
DIA-209-1983-11-28-4 | インドネシア | 1983年11月28日 | 1980年代 | CN-235型機の総代理店―トーメンはヌルタニオ社製造の同機の総代理店に指定された。通常と異なり海外での販売権も許可される。 |
DIA-209-1983-12-01-1 | インドネシア | 1983年12月01日 | 1980年代 | 旧中国大使館、ジャカルタ市が接収―ジャカルタ市当局は1965~85年マスタープランに基づいてガジャマダ通りの大使館を全て移転させるため1日付で旧中国大使館を接収。駐車場ビルを建設する予定。 |
DIA-209-1983-12-01-2 | インドネシア | 1983年12月01日 | 1980年代 | Pdita Ⅳの工業プロジェクト―ハルタルト工相によると5カ年計画前半84~86年度の工業プロジェクトヘの政府投資総額は135~150億㌦。 |
DIA-209-1983-12-01-3 | インドネシア | 1983年12月01日 | 1980年代 | 工業省に新総局―ハルタルト工相は、繊維・食品等の産業別の総局を今後新設する意向を表明。 |
DIA-209-1983-12-02-1 | インドネシア | 1983年12月02日 | 1980年代 | カルテックスとの生産分与契約―スンボノ・プルタミナ総裁は両者が生産分与比率88:12で合意したことについて、カルテックスが契約期間18年間に30.6億㌦の投資を行なうことを条件としており投資しない場合95:5への比率変更もあり得る、88:12という比率は満足できるものではないが、最大限の成果だった、と語った。 |
DIA-209-1983-12-03-1 | インドネシア | 1983年12月03日 | 1980年代 | ソマレPNG首相来イ(~11日)―5日スハルト大統領との会談で、首相はパプア自由運動(OPM)を支援しないことを確約した。会談後首相は、イによるニューギニア侵略の脅威は払拭された、道路の越境事件は「国境問題」ではなかった、として友好関係を強調した。 |
DIA-209-1983-12-03-2 | インドネシア | 1983年12月03日 | 1980年代 | ゴルカル、個人登録制を採用―ゴルカル新執行部と経済閣僚との会談で、スダルモノ新総裁はゴルカルは近い将来個人登録制を採用すると発表。 |
DIA-209-1983-12-08-1 | インドネシア | 1983年12月08日 | 1980年代 | NU中央執行委員会(Tanfidziah)会議―ジャカルタに22支部から35指導者が集合。9日、パンチャシラを唯一のイデオロギーとして受入れる、84年4月にNU大会を開催する旨の声明を発表。 |
DIA-209-1983-12-10-1 | インドネシア | 1983年12月10日 | 1980年代 | 政府物資調達チームによる節約額―ギナンジャール副大臣は、80年のチーム設置以来3年間で500億ルピアを節約したと報告。 |
DIA-209-1983-12-11-1 | インドネシア | 1983年12月11日 | 1980年代 | スルタン・サウジ第2副首相兼国防相来イ―12日ポニマン国防相と会談。 |
DIA-209-1983-12-13-1 | インドネシア | 1983年12月13日 | 1980年代 | 移住計画の目標達成―マルトノ移住相は、同日現在移住を完了した家族は50万9349戸、約250万人に達しPelita Ⅲの目標50万戸を突破した、と発表。このうち移住地から再移動したのは543戸にすぎない。12月10日現在の移住の順番待ちは4.7万戸。 |
DIA-209-1983-12-14-1 | インドネシア | 1983年12月14日 | 1980年代 | イ・マ首脳会談―スハルト大統領はスダルモノ官房長官、ムルダニ司令官と共に訪マ。14、15日2回に亘りマハティール首相と会談。会談では、カンボジア問題、ATPCについて協議、国内情勢報告も行なった。2国間問題では73年貿易協定の見直しで合意。 |
DIA-209-1983-12-14-2 | インドネシア | 1983年12月14日 | 1980年代 | 対外債務残高―同日付米大使館報告は、対外債務は83年末に220億㌦(前年末175億㌦)まで増大、83年中の債務返済額は27億㌦(前年25億㌦)、84年3月末のDSRは22%、と推定している。 |
DIA-209-1983-12-14-3 | インドネシア | 1983年12月14日 | 1980年代 | ゴルカル、法律改正要求―ナピティプル副幹事長は、政府に旧PKIへの警戒強化と警察の予算増加を訴えると共に、87年総選挙までに以下の立法・法律改正を行なうことを要請した。(1)パンチャシラを唯一のイデオロギーとすること、(2)総選挙法(69年No.15)改正、(3)国会/国民協議会議員の身分に関する法(69年No.16)改正、(4)ゴルカル・政党法(69年No.3)改正、など。 |
DIA-209-1983-12-15-1 | インドネシア | 1983年12月15日 | 1980年代 | 税制3法案、国会を通過―与野党は、課税対象者の拡大、税率の簡素化(3段階)を評価、徴税当局の効率化を求めた。施行は84年1月から。 |
DIA-209-1983-12-18-1 | インドネシア | 1983年12月18日 | 1980年代 | NUシトゥボンド会議―8日NUのTanfidziahがパンチャシラを受入れる声明を発表したため、NUの最高議決機関Syuriahとの対立が再燃、妥協をはかるための会議が東ジャワ、シトゥポンドにて開催された。21日妥協点として発表された声明では、(1)パンチャシラはイスラム教示に矛盾せずNUはこれを受入れる、(2)1926年基本政策に立返りNU自体政治組織とはならずNUの政治的意図をPPPを通じ発現していく、ことがうたわれた。 |
DIA-209-1983-12-19-1 | インドネシア | 1983年12月19日 | 1980年代 | 日本よりシンジケートローン2件―シレガル中銀総裁は東京で250億円の協調融資に調印。三菱銀行を主幹事とする125億円は変動金利(6カ月毎見直し)、興銀を主幹事とする125億円は固定金利。 |
DIA-209-1983-12-23-1 | インドネシア | 1983年12月23日 | 1980年代 | イ・蘭、租税教育で協力―ラディウス蔵相は1983年租税教育トレーニングプロジェクトに調印。租税、関税総局の官僚が蘭にてトレーニングを受ける。 |
DIA-209-1983-12-25-1 | インドネシア | 1983年12月25日 | 1980年代 | ムルダニ司令官、東チモール訪問―国防相は州都ディリの住民集会にて、フレティリンは闘争を停止し降服するよう呼びかけ、降服した者は不当な扱いを受けないことを確約した。 |
DIA-209-1983-12-27-1 | インドネシア | 1983年12月27日 | 1980年代 | イ・シ首脳会談―スハルト大統領はスダルモノ官房長官、ムルダニ司令官らと訪シ、リー首相と会談。カンボジア問題、バタム島開発等について協議。対豪関係についてリー首相は11月のホーク首相との会談で緊張が解けた旨報告。スハルト大統領はイはパンチャシラ国家として領土拡大・内政干渉は行なわないことを強調。 |
DIA-209-1983-12-31-1 | インドネシア | 1983年12月31日 | 1980年代 | 84年経済見通し―KADINのサドリ元鉱相は、84年は83年より明るく、成長率は5カ年計画目標の5%には達しないものの4%程度となろう、この上昇基調は85~86年まで持続しよう、との見通しを発表(IT)。 |
DIA-209-1984-01-02-1 | インドネシア | 1984年01月02日 | 1980年代 | 財政拡大を要求-ハルヤント国会副議長(PDI,インドネシア民主党)は,84/85年度は第4次5カ年計画の初年度として緊縮財政は避けるべきであり規模は22.5~24兆ルピアが適当(前年度16.6兆ルピア),と語った。 |
DIA-209-1984-01-03-1 | インドネシア | 1984年01月03日 | 1980年代 | ブルック蘭外相来イ-3日,モフタル外相との会談で,南北対話,東南アジア情勢,東チモールにおける人権問題について討議,また「違法な殺人」の停止をイ政府に要請。 |
DIA-209-1984-01-03-2 | インドネシア | 1984年01月03日 | 1980年代 | 83年の汚職摘発-サレー検察庁長官によると83年中に357官僚に関わる1076件,総額1070億ルピアに及ぶ汚職が摘発され,そのうち44億ルピアが回収された。 |
DIA-209-1984-01-05-1 | インドネシア | 1984年01月05日 | 1980年代 | 84/85年度の米輸入-アリフィンBulog(食糧調達庁)長官によると,84/85年度輸入契約は15万トン,そのほかに83年度契約繰越分が35万トン。 |
DIA-209-1984-01-05-2 | インドネシア | 1984年01月05日 | 1980年代 | 83年の犯罪-ハルモコ情報相によると83年の犯罪件数は前年の12万8674件から10万1840件に減少したが,種類別では殺人が増加した。 |
DIA-209-1984-01-06-1 | インドネシア | 1984年01月06日 | 1980年代 | 政治社会的動乱の可能性-ムイス国会議員(PPP,開発統一党)は動乱を招き得る原因として,(1)イデオロギー問題,(2)宗教,(3)汚職,(4)世代交替に伴う政治社会集団の衝突,をあげ,政府の注意を促した。 |
DIA-209-1984-01-06-2 | インドネシア | 1984年01月06日 | 1980年代 | 連続射殺事件について-ムルダニ最高司令官は蘭外相との会談後,83年4月以降の連続射殺事件の犠牲者は3000~4000人,との外電を誇大報道と非難,「殺人」は政府とは無関係であり暴力団の衝突によるもの,との説明をくり返した。 |
DIA-209-1984-01-06-3 | インドネシア | 1984年01月06日 | 1980年代 | 83年の投資許可状況-スハルトヨBKPM(投資調整庁)長官によると,83年の国内投資許可案件は368件,総額7兆5572億ルピア(前年比93.2%増),外国投資は55件,25.2億ドル(同95.2%増)ときわめて好調であった。 |
DIA-209-1984-01-09-1 | インドネシア | 1984年01月09日 | 1980年代 | 84/85年度予算案,国会に提出-総額20兆5604億ルピア,前年度比24.1%増。前年度の6.1%増より伸び率は高いが,経常歳出(38.8%増),なかでも人件費22.8%増,対外債務支払91.5%増,石油製品補助金64.2%増の高い伸び率が目立ち,開発歳出は12.6%増にとどまった。食糧補助金は全面停止された。 |
DIA-209-1984-01-10-1 | インドネシア | 1984年01月10日 | 1980年代 | ゴルカル,個人登録制へ-83年10月大会決議に基づき個人登録が開始され,スハルト大統領が会員第一号として登録。 |
DIA-209-1984-01-10-2 | インドネシア | 1984年01月10日 | 1980年代 | 隔週誌EXPO発禁処分-政財界癒着を含む「インドネシア億万長者」に関する12月末の記事に対する処分。 |
DIA-209-1984-01-10-3 | インドネシア | 1984年01月10日 | 1980年代 | イ・マ海兵隊合同演習,バニュワンギで開始。 |
DIA-209-1984-01-10-4 | インドネシア | 1984年01月10日 | 1980年代 | 83年の集団労働協約-スドモ労相によると,83年中に労使間で集団労働協約が締結されたのは3484件,労働規約が改訂されたのは885社。 |
DIA-209-1984-01-12-1 | インドネシア | 1984年01月12日 | 1980年代 | 石油製品販売価格引上げ-航空機用燃料,ハイオクガソリンを除く5油種で値上げ。灯油は1l100→150ルピア,工業用ディーゼル油125→200ルピアなど。この値上げにより84/85年度の石油製品への補助金は1.6兆ルピア節約されて1.1兆ルピアとなる。前提となっている内需見積りは前年度実績比32.2%増の2700万kl。 |
DIA-209-1984-01-18-1 | インドネシア | 1984年01月18日 | 1980年代 | ASEAN肥料プラント開所-ASEANプロジェクトの一環である尿素肥料プラントがアチェ州ロクスマウェに完成。ASEAN各国関係大臣が参列。生産能力年産57万トン。総工費4.1億ドル,うち70%は日本政府借款,残りは,ASEAN各国の株式保有による共同出資。 |
DIA-209-1984-01-18-2 | インドネシア | 1984年01月18日 | 1980年代 | アルンLNG拡張プラント開所-ASEAN肥料プラントに燃料を供給する第4・5基が同時に開所。これでアルンプラントの総生産量は2万5600トン/日。拡張工費8.416億ドルはすべて日本政府借款。 |
DIA-209-1984-01-21-1 | インドネシア | 1984年01月21日 | 1980年代 | イ・PNG関係-COMINAC出席のため来イしたエペルPNG情報相は,(1)イリアンジャヤへの移住計画は開拓に役立つと評価,(2)イはPNG侵略の意図ありとの前発言(83年9月)を撤回し謝罪,(3)自由パプア運動(OPM)は同国内で問題となっていない,と語った。 |
DIA-209-1984-01-24-1 | インドネシア | 1984年01月24日 | 1980年代 | 83年のストライキ-スドモ労相によると83年中のスト件数は前年の172件から75件に減少した。 |
DIA-209-1984-01-26-1 | インドネシア | 1984年01月26日 | 1980年代 | 第1回非同盟諸国情報相会議(COMINAC)開催-(~30日)ジャカルタにて加盟101カ国出席の下で,新国際情報通信秩序設立への具体的手段として通信関税の引下げ,通信設備の整備,国家通信機関の設立,加盟国間の協力等について討議。30日,6項目ジャカルタアピールを採択して閉幕。 |
DIA-209-1984-01-27-1 | インドネシア | 1984年01月27日 | 1980年代 | 84年の産米予想-アファンディ農相は,84年の産米は前年比5.1%増の2470万トンとの推定を発表。また84/85年度のビマス計画の目標は828万ha(前年度実績798万ha),インスス計画は492万ha(同456万ha)。 |
DIA-209-1984-01-27-2 | インドネシア | 1984年01月27日 | 1980年代 | 旅券手数料引上げ-蔵相令により外国旅行抑制と外貨稼得の目的で旅券取得・変更・更新に関わる手数料が大幅に引上げられた。取得の場合35%,外国人は50%,期間延長は6~10倍など。 |
DIA-209-1984-01-31-1 | インドネシア | 1984年01月31日 | 1980年代 | 国産冷延鋼板の保護のため,冷延鋼板の輸入・国内販売は鉄鋼製品集中購買局の管理下に置かれることが決定された(日経)。 |
DIA-209-1984-02-01-1 | インドネシア | 1984年02月01日 | 1980年代 | 新金融政策-中央銀行は,(1)中央銀行債務証書(Sertifikat Bank Indonesia)の発行,(2)再割引制度(Fasilitas Diskonto)の二つの新措置を導入。(1)は国立・民間商業銀行や金融機関に売却することにより滞留している短期資金にはけ口を与えること,(2)は流動性が逼迫している民間商銀に資金を供給すること,を目的としている。 |
DIA-209-1984-02-01-2 | インドネシア | 1984年02月01日 | 1980年代 | 公務員・軍人の給与・年金引上げ-当初4月実施の予定であった15%引上げを2カ月繰上げて実施。 |
DIA-209-1984-02-01-3 | インドネシア | 1984年02月01日 | 1980年代 | イ・ベルギー外相会談-国連カンボジア問題委副議長国であるベルギーのティンデマンズ外相は,ASEANによるイニシャティブ,83年9月のASEANアピールへの完全な支持を表明。 |
DIA-209-1984-02-03-1 | インドネシア | 1984年02月03日 | 1980年代 | PPPのパンチャシラ受入れ-ナロ総裁は,共産主義に対抗する最大の武器はすべての社会政治勢力によるパンチャシラの受入れである,とアピール。 |
DIA-209-1984-02-03-2 | インドネシア | 1984年02月03日 | 1980年代 | 灌漑設備使用料の徴収-スヨノ公共事業相は灌漑設備使用料を地方開発基金(Ipeda)を通じて農民から徴収する方針を発表。 |
DIA-209-1984-02-03-3 | インドネシア | 1984年02月03日 | 1980年代 | インドシナ会議声明(1月29日)に対する反応-モフタル外相はASEAN常任委員長として,ASEANはASEAN提案(83年9月)に対する反応を期待していたが同声明には目新しいものはない,同声明はASEAN対インドシナという印象を与える,とコメント。 |
DIA-209-1984-02-06-1 | インドネシア | 1984年02月06日 | 1980年代 | 通信衛星パラパB2,予定の軌道に乗らず失敗。 |
DIA-209-1984-02-09-1 | インドネシア | 1984年02月09日 | 1980年代 | 政治関係5法案,国会上程準備-スパルジョ内相は内務省での5法案の準備はすでに完了したと発表。5法案とは,(1)政党・ゴルカル法(No.3/1975年),(2)国会・国民協議会議員構成法(No.16/1969年),(3)総選挙法(No.15/1969年),の改正案と(4)社会団体法,(5)国民投票法,の立法案。 |
DIA-209-1984-02-10-1 | インドネシア | 1984年02月10日 | 1980年代 | インドシナ会議声明について-モフタル外相は,同声明はASEANを交渉の場へ招請しているという意味で「積極的」,と評価。 |
DIA-209-1984-02-13-1 | インドネシア | 1984年02月13日 | 1980年代 | ムルダニ司令官訪越(~17日)-14日バン・チェン・ズン国防相,15日グエン・コ・タク外相,ファン・バン・ドン首相,レ・ズアン書記長と会談。同日中越国境地帯の基地視察の際,インドネシア国軍と国民は越をASEANの脅威とはみていない旨発言。 |
DIA-209-1984-02-14-1 | インドネシア | 1984年02月14日 | 1980年代 | モフタル外相,アンドロポフ・ソ連書記長の国葬に参列のため訪ソ(~17日)。 |
DIA-209-1984-02-16-1 | インドネシア | 1984年02月16日 | 1980年代 | ドマイ・ハイドロクラッカー開所-処理能力5.5万BPSD。総工費14.5億ドル。 |
DIA-209-1984-02-20-1 | インドネシア | 1984年02月20日 | 1980年代 | シアヌーク民主カンボジア連合政府大統領非公式来イ(~3月4日)-訪越中のムルダニ司令官の発言に関連して同大統領はカンボジアによる抵抗がなくなれば越はASEANにとって避け得ない脅威となろう,と語った。21日スハルト大統領と会談。 |
DIA-209-1984-02-20-2 | インドネシア | 1984年02月20日 | 1980年代 | 週刊誌Topik発禁処分-B.M.Diah氏以下ムルデカグループの編集する同誌は「貧困」に関する記事により発禁処分。 |
DIA-209-1984-02-22-1 | インドネシア | 1984年02月22日 | 1980年代 | スハルト大統領一行ブルネイ訪問-同国独立記念式典に参列。23日大統領は比,タイ,シ首脳と個別に会談。同日モフタル外相は比,タイ外相と会談,ムルダニ司令官訪越とシアヌーク大統領来イについて報告した。 |
DIA-209-1984-02-24-1 | インドネシア | 1984年02月24日 | 1980年代 | CSIS(国際戦略研究センター)代表団訪越-25,26日,越国際関係研究所との「東南アジアの平和と安定」に関するセミナーで両国代表団は外国の介入排除で一致,カンボジア問題では意見の相違と連続的対話の必要性が認識された。27日ファン・パン・ドン首相と会談,首相はイが地域問題の解決に重要な役割を担っている,と語った。 |
DIA-209-1984-02-24-2 | インドネシア | 1984年02月24日 | 1980年代 | 84/85年度予算案,国会で原案通り可決。 |
DIA-209-1984-02-25-1 | インドネシア | 1984年02月25日 | 1980年代 | カレステンツ西独大統領来イ(~29日)-27日,スハルト大統領との会談で二国間関係を討議,カンボジア問題でASEANの立場への支持を表明。 |
DIA-209-1984-02-26-1 | インドネシア | 1984年02月26日 | 1980年代 | ムルダニ司令官,エルシャド大統領の招請でバングラデシュを公式訪問(~28日)。 |
DIA-209-1984-02-28-1 | インドネシア | 1984年02月28日 | 1980年代 | カンボジア問題と対中関係正常化-マリク前副大統領は香港でのアジア新聞財団の年次大会の演説において,同問題解決の糸口としてASEANは中越ソ3カ国会談の開催を求めるべきこと,このためにはASEAN代表として中国と対話できる立場にあるインドネシアの対中関係正常化が必要であること,を提唱。3月8日にもジャカルタにて同様の趣旨で講演。 |
DIA-209-1984-02-29-1 | インドネシア | 1984年02月29日 | 1980年代 | ムルダニ司令官シンガポール訪問(~3月2日)。Goh Chok Tongシ国防相と会談。 |
DIA-209-1984-03-01-1 | インドネシア | 1984年03月01日 | 1980年代 | 電気料金31.5%引上げ。 |
DIA-209-1984-03-05-1 | インドネシア | 1984年03月05日 | 1980年代 | トムソン・ニュージーランド国防相来イ(~9日)-ポニマン国防相,ムルダニ司令官と軍事訓練協力,地域問題について討議。 |
DIA-209-1984-03-06-1 | インドネシア | 1984年03月06日 | 1980年代 | 学生の政治活動-マリク前副大統領は若い世代に新体制の重要性を認識させ政治的覚醒を促すため大学・高校での政治討論を政府は許可すべきだと語った。 |
DIA-209-1984-03-06-2 | インドネシア | 1984年03月06日 | 1980年代 | 日本使節団来イ(~9日)-大来外務省顧問を団長とする使節団はスハルト大統領初め蔵相,農相らと日本の経済協力について意見交換,非石油輸出産品の品質向上・販売,職業訓練,中小企業育成等の分野での人的・技術的・資金的協力について討議した。 |
DIA-209-1984-03-07-1 | インドネシア | 1984年03月07日 | 1980年代 | 84/85年度の米・砂糖の輸入-Bulogによると米の輸入は30万トン(前年度150万トン),砂糖は輸入なし(同80万トン)の予定で合わせて6億ドルの節約になる見込み。 |
DIA-209-1984-03-07-2 | インドネシア | 1984年03月07日 | 1980年代 | イリアン住民,蘭へ亡命-蘭大使館に亡命を求めていたイリアン住民4人が亡命を許可された。 |
DIA-209-1984-03-08-1 | インドネシア | 1984年03月08日 | 1980年代 | 外国人労働者に対する規制強化-スドモ労相によると,第4次5カ年計画中に外国人労働者を年15%ずつ削減していくため,一度取消となった労働許可の再発行は認めない,管理部門以外の技術者・オペレーター等に対しては安易に許可を更新しない,削減計画を推進する省庁を超えた特別チームを設置する,との方針を発表。3月1日現在の外国人労働者数は官民合わせて1万5851人,このうち管理部門は2865人にすぎない。 |
DIA-209-1984-03-09-1 | インドネシア | 1984年03月09日 | 1980年代 | カンボジア問題と対中関係正常化-マリク前副大統領による提案(2月28日,3月8日)に対しモフタル外相は正常化は尚早であること,ASEANはカンボジア問題解決に重要な役割を果たしており中越ソに解決を委ねないこと,同問題討議のため訪中する考えのないことを明らかにした。 |
DIA-209-1984-03-10-1 | インドネシア | 1984年03月10日 | 1980年代 | ビチャイ副首相来イ(~14日)-12日スハルト大統領らとカンボジア問題について会談。 |
DIA-209-1984-03-11-1 | インドネシア | 1984年03月11日 | 1980年代 | グエン・コ・タク越外相来イ(~13日)-12日スハルト大統領,モフタル外相と会談。会談後タク外相は両国は東南アジアの脅威は中国との見解で一致したと語ったが,モフタル外相はこれを否定した。タク外相はまたASEAN提案を拒否したことを明らかにした。 |
DIA-209-1984-03-12-1 | インドネシア | 1984年03月12日 | 1980年代 | 大型協調融資調印-政府は邦銀23行を含む78行による7.5億ドルの融資を導入。利率はLIBORプラス0.75%と米プライムレートプラス0.2%の2本立て。 |
DIA-209-1984-03-13-1 | インドネシア | 1984年03月13日 | 1980年代 | タイからの米輸入-来イ中のビチャイ副首相は84年の輸入量は20万トンで合意されたと発表。 |
DIA-209-1984-03-14-1 | インドネシア | 1984年03月14日 | 1980年代 | 越に対する柔軟姿勢-ムルダニ司令官は,越によるカンボジア占領は領土的野心に基づくものでなく中国の脅威に対する自己防衛だと語った。 |
DIA-209-1984-03-15-1 | インドネシア | 1984年03月15日 | 1980年代 | アロマティックセンターの建設開始-83年のプロジェクト見直しで棚上げされていた同センターは,川下部門である高純度テレフタル酸の生産系列が当初の25万トンから15万トンに縮小されて着工。総工費5.9億ドル川上部門は棚上げされたまま。 |
DIA-209-1984-03-15-2 | インドネシア | 1984年03月15日 | 1980年代 | イ・PNG国境問題事務レベル会議開催-300人に上るインドネシアからの不法越境者の措置について討議。 |
DIA-209-1984-03-16-1 | インドネシア | 1984年03月16日 | 1980年代 | ソン・サン民主カンボジア首相来イ(~20日)-17日スハルト大統領にカンボジア情勢の推移を報告。 |
DIA-209-1984-03-19-1 | インドネシア | 1984年03月19日 | 1980年代 | 第4次5カ年計画(Repelita IV)署名式-スハルト大統領は4月より実施される5カ年計画書に署名,正式に大統領令として発布。 |
DIA-209-1984-03-20-1 | インドネシア | 1984年03月20日 | 1980年代 | 原子炉建設着工-西ジャワ,セルポンの同国第3にして最大の原子炉。出力3万kW。 |
DIA-209-1984-03-20-2 | インドネシア | 1984年03月20日 | 1980年代 | モフタル外相訪タイ・マ・シ(~21日)-各国外相に越外相来イの結果を報告。 |
DIA-209-1984-03-22-1 | インドネシア | 1984年03月22日 | 1980年代 | pribumiとnon-pribumi-KADIN(イ商工会議所)主催のセミナーにてムルダニ司令官は人種による両者の区別を産すべきではない旨の講演を行なった。 |
DIA-209-1984-03-24-1 | インドネシア | 1984年03月24日 | 1980年代 | イスラム過激派による脅迫(22~23日)-在ジャカルタ英仏伊大使館に「イスラミック・ジハド」と名のるグループから,レバノン駐留国際監視軍に参加すればイ在住の国民が処罰を受けようとの脅迫状が送付された(The Times)。 |
DIA-209-1984-03-26-1 | インドネシア | 1984年03月26日 | 1980年代 | 豪国軍最高司令官来イ-マクナマラ最高司令官はベネット陸軍参謀長・次期最高司令官を伴い来イ,スハルト大統領,ムルダニ司令官らと会談。 |
DIA-209-1984-03-29-1 | インドネシア | 1984年03月29日 | 1980年代 | PNG領空侵犯問題-PNG政府は外務省にインドネシア大使を召喚し,27日インドネシア機による領空侵犯がありPNG政府はこれに対して駐PNG大使館職員削減を考えている,イ政府に対し高官レベルの会談を要請する,との外交通牒を言い渡した。 |
DIA-209-1984-03-30-1 | インドネシア | 1984年03月30日 | 1980年代 | 豪のイ軍事力に対する脅威-豪政府の機密文書「国防政策の戦略的基本方針」が漏洩。この中でイ・PNG国境地域での事件がイによる軍事攻撃に発展する可能性があり豪政府はPNG支援の用意があること,更には豪北岸・沿海地域もイによる軍事攻撃の可能性があること,東チモールはいまだに両国にとって重大な意味をもっていること,が記されている(National Times)。 |
DIA-209-1984-03-30-2 | インドネシア | 1984年03月30日 | 1980年代 | ジャカルタに警察機動部隊-スジョコ・ジャカルタ警察司令官は84/85年度中に緊急事態に対応できる大隊級の機動部隊を新設する方針を発表。 |
DIA-209-1984-04-01-1 | インドネシア | 1984年04月01日 | 1980年代 | モフタル外相訪ソ(~4日)-外相訪ソは74年以来。2,3日グロムイコ外相とカンボジア問題,二国間経済問題を討議。グロムイコ外相はイ・越の対話を歓迎するとともにインドシナ・ASEANの間の交渉を要請。 |
DIA-209-1984-04-01-2 | インドネシア | 1984年04月01日 | 1980年代 | 外国人労働者に対する規制強化-外国人労働者削減計画に伴い,労働許可発給の窓口が労働省に一本化された。 |
DIA-209-1984-04-03-1 | インドネシア | 1984年04月03日 | 1980年代 | 83年の石油生産・開発状況-鉱業省の発表によると,83年の石油生産は前年比6%増の5.18億バレル,平均142万b/d,83年末現在224油田,5107油井,生産分与(P.S.)契約は39社の外国企業と78鉱区で結ばれている。プルタミナの発表によると,83年中の掘削油井数は264本,P.S.契約外国企業による開発投資は39.4億ドル(81年32億ドル,83年39.2億ドル)。 |
DIA-209-1984-04-03-2 | インドネシア | 1984年04月03日 | 1980年代 | PNG領空侵犯問題-PNG政府による外交通牒(3月29日)に対し,イ国軍情報部マンガウェアン空軍中将はイリアンで3月27,28日空軍演習NuriⅢを実施したが領空侵犯の事実はない,と発表。 |
DIA-209-1984-04-04-1 | インドネシア | 1984年04月04日 | 1980年代 | 金融緩和措置-中銀発表によると5日より,(1)中銀再割引率を17.5%から16.5%へ引下げ,(2)中銀債務証書割引率を15%から14%へ引下げ,(3)中銀から国立商業銀行・地方開発銀行への低利融資の返済時期延長・利率1%引下げ,(4)インターバンクレートの決済期限を7日間から90日間へ延長,を実施する。 |
DIA-209-1984-04-05-1 | インドネシア | 1984年04月05日 | 1980年代 | PNG領空侵犯問題-48時間以内にイ政府から満足できる説明がなければ更なる外交手段を考慮する,とのPNGの再通告(4日)に対し,イ政府は侵犯の事実を再度否定し外相会談の用意ありとの意向を発表。 |
DIA-209-1984-04-07-1 | インドネシア | 1984年04月07日 | 1980年代 | プルタミナ経営改善-スハルト大統領は,プルタミナのコミサリス,理事を召集し,同社の経営体質の改善,販売網の整備を指示,特にコスト計算・販売・精製についてはコミサリスの下に3チームを設置することを決定した。 |
DIA-209-1984-04-12-1 | インドネシア | 1984年04月12日 | 1980年代 | 駐PNG大使館付武官イスマイル大佐帰着。 |
DIA-209-1984-04-14-1 | インドネシア | 1984年04月14日 | 1980年代 | ナマリウPNG外相来イ-当初15日帰国予定を17日まで延長してモフタル外相と両国関係改善のため会談。17日共同声明にて,(1)両国は主権尊重・内政不干渉で一致,(2)イは領空侵犯を否定,(3)PNGはイ武官の国外追放を否定,(4)両国は越境者の帰国に協力,(5)PNGは国境付近の反イ活動を支援しない,(6)両国間ホットライン創設,で見解が一致した旨発表。 |
DIA-209-1984-04-14-2 | インドネシア | 1984年04月14日 | 1980年代 | ムジョノ最高裁判所長官死去。56歳。 |
DIA-209-1984-04-14-3 | インドネシア | 1984年04月14日 | 1980年代 | スコー蘭開発協力相来イ-経済関係閣僚とイIGGI会議の事前協議。IGGI援助の増額を示唆。 |
DIA-209-1984-04-16-1 | インドネシア | 1984年04月16日 | 1980年代 | 原油価格改定-プルタミナは4月1日にさかのぼって,ドゥリ重質油を1バレル27.85ドルから25.95ドルに,アルン産コンデンセートを30.95ドルから29.00ドルに,低硫黄重油を27.00ドルから27.25ドルに改定すると発表。 |
DIA-209-1984-04-18-1 | インドネシア | 1984年04月18日 | 1980年代 | 開発積極論-ウィジョヨ政府顧問は,KADINでの講演にて,同国経済は政策の成功により景気回復が本格化しつつあり政府は開発に対して慎重になる必要はない,と述べた。 |
DIA-209-1984-04-18-2 | インドネシア | 1984年04月18日 | 1980年代 | 大統領令により,所得税,法人税などの83年末までの未納分は84年1月現在の所得・資産リストを提出する等の手続により免税される。 |
DIA-209-1984-04-18-3 | インドネシア | 1984年04月18日 | 1980年代 | ヌルタニオは,西独のメッサーシュミット社よりNB-109型小型ヘリコプターの生産技術供与で契約。 |
DIA-209-1984-04-19-1 | インドネシア | 1984年04月19日 | 1980年代 | カンボジア問題-モフタル外相はASEAN常任委議長として越の今期攻勢を非難する声明を発表。 |
DIA-209-1984-04-19-2 | インドネシア | 1984年04月19日 | 1980年代 | オフィスビル供給過剰-REI(イ不動産協会)は,オフィスの供給過剰による価格低落で業者の共倒れの恐れが出てきたことから,REIがオフィス価格を監督すること,新オフィスビルの建設区域の規制をジャカルタ市当局に要請すること,で合意した。 |
DIA-209-1984-04-24-1 | インドネシア | 1984年04月24日 | 1980年代 | 民間銀行の拡充-Perbanas(民間商業銀行協会)は,民間商銀は今後5年間で支店を現在の200に加えて新たに500(州都に160,町村に340)設置する計画を発表。 |
DIA-209-1984-04-25-1 | インドネシア | 1984年04月25日 | 1980年代 | カンボジア問題-ホルドリッジ米大使はイ越の接触に関するコメントを初めて公にし,米政府はイ政策の主旨が越との対話の維持にあると理解している,と語った。 |
DIA-209-1984-04-25-2 | インドネシア | 1984年04月25日 | 1980年代 | PNG領内のイリアン難民-過去数カ月間に越境したイリアン住民1140人の帰国を許可することを閣議で決定。 |
DIA-209-1984-04-30-1 | インドネシア | 1984年04月30日 | 1980年代 | アーティット・タイ国軍最高司令官来イ。スハルト大統領,ムルダニ司令官とカンボジア問題を討議。 |
DIA-209-1984-04-30-2 | インドネシア | 1984年04月30日 | 1980年代 | イ・カナダ繊維交渉妥結-サレー商相の発表によると,カナダ側代表団と商,工業省,API(イ繊維協会)は84年の繊維製品輸出割当について合意。シャツ57万5000,その後2年は年7%の伸び,ズポン57万5000,その後2年6%の伸び。業界は83年実績(シャツ152万,ズボン77万)に基づく輸出枠を要求していた。 |
DIA-209-1984-05-01-1 | インドネシア | 1984年05月01日 | 1980年代 | 日イ科学技術協力-来イ中の岩動科学技術庁長官の立合の下で日本原子力研究所,理化学研究所とBATAN(国家原子力庁)との間でそれぞれ協力協定調印。 |
DIA-209-1984-05-02-1 | インドネシア | 1984年05月02日 | 1980年代 | 航空運賃値上げ-政府はガルーダ国営航空会社の運賃15~20%引上げを発表。他社も最高15%で追随。 |
DIA-209-1984-05-02-2 | インドネシア | 1984年05月02日 | 1980年代 | 義務教育制度の創設-スハルト大統領は7~12歳の児童を対象とする初等義務教育制度を創設,80年代末に2600万人の教育を目標とする旨演説。現在7~12歳の児童は約2300万人,うち1143万人が未教育。 |
DIA-209-1984-05-03-1 | インドネシア | 1984年05月03日 | 1980年代 | カンボジア問題-モフタル外相は,越側に政治的解決を望む姿勢なしとして,一連の解決努力は一時休止しなければならない,今後暫くは政治的解決への可能性は少ない,と発言。 |
DIA-209-1984-05-03-2 | インドネシア | 1984年05月03日 | 1980年代 | ウォルフォウィッツ米国務次官補来イ-4日スハルト大統領にレーガン大統領の訪中について報告。 |
DIA-209-1984-05-04-1 | インドネシア | 1984年05月04日 | 1980年代 | 83/84年度決算報告-歳出入共に16兆5654億ルピアに対し実績は歳入18兆3150億ルピア,歳出18兆3110億ルピア。 |
DIA-209-1984-05-05-1 | インドネシア | 1984年05月05日 | 1980年代 | 84年の米生産-アファンディ農相は当初見通しの2470万トンを修正,2500万トン以上も可能,と語った。 |
DIA-209-1984-05-07-1 | インドネシア | 1984年05月07日 | 1980年代 | ASEAN合同軍事演習を提案-マリク前副大統領はASEAN内に意見の不一致のないことを越に誇示するためタイ・カンボジア国境付近での合同軍事演習を提案した。 |
DIA-209-1984-05-07-2 | インドネシア | 1984年05月07日 | 1980年代 | ソ連新大使着任-セミボロス新大使は19日スハルト大統領に信任状を提出。83年12月より空席。 |
DIA-209-1984-05-07-3 | インドネシア | 1984年05月07日 | 1980年代 | 対タイ原油輸出84/85年度分5000b/dで契約。 |
DIA-209-1984-05-07-4 | インドネシア | 1984年05月07日 | 1980年代 | ムナウィル宗教相訪サウジ・エジプト。 |
DIA-209-1984-05-08-1 | インドネシア | 1984年05月08日 | 1980年代 | ASEAN外相会議ジャカルタで開催-ASEAN各国の意見一致を強調する8項目声明を発表。モフタル外相は越外相会談(3月12日)にてヘン・サムリン政権をも含む政府樹立というインドネシア提案を提出したが期待した反応は得られなかったと語った。またスハルト大統領は各国外相に対しイの立場はASEANと同一,と強調。 |
DIA-209-1984-05-09-1 | インドネシア | 1984年05月09日 | 1980年代 | 公的対外債務-ラディウス蔵相によると83年12月末の公的対外債務は,政府債務199.52億ドル,国営企業債務17.32億ドル,計216.84億ドル(83年3月末は196.65億ドル)。ただしここに含まれていないプルタミナ,ガルーダの債務を加算すると総額234.16億ドルに達する。 |
DIA-209-1984-05-10-1 | インドネシア | 1984年05月10日 | 1980年代 | 84/85年度の公的対外債務-ハムザ・ハズ予算委副委員長によると84/85年度末の公的対外債務(推定)は278億ドル(83年12月末217億ドル),DSRは21.3%。 |
DIA-209-1984-05-10-2 | インドネシア | 1984年05月10日 | 1980年代 | ブッシュ米副大統領非公式に来イ-11日スハルト大統領との会談で,米中親交はASEANを害するものでないことを保証,またこの訪問がレーガン訪イ中止の代用ではないと説明。 |
DIA-209-1984-05-11-1 | インドネシア | 1984年05月11日 | 1980年代 | イ・マ海軍合同演習,マラッカ海狭にて開始。 |
DIA-209-1984-05-11-2 | インドネシア | 1984年05月11日 | 1980年代 | モフタル外相外遊-訪チュニジア(~13日),スウェーデン(~16日),米国(21~25日),22日シュルツ国務長官とカンボジア問題等を討議。 |
DIA-209-1984-05-15-1 | インドネシア | 1984年05月15日 | 1980年代 | アリ・ムルトポ退役陸軍中将・前情報相死去。現DPA(最高諮問委員会)副議長,59歳。 |
DIA-209-1984-05-17-1 | インドネシア | 1984年05月17日 | 1980年代 | イ・シ海軍合同演習,パカンバル基地にて開始。 |
DIA-209-1984-05-18-1 | インドネシア | 1984年05月18日 | 1980年代 | Fokus誌発禁処分-情報省は同誌の「200人の億万長者」(10日号)に関する記事により発禁を命じた。 |
DIA-209-1984-05-18-2 | インドネシア | 1984年05月18日 | 1980年代 | イリアンジャヤで軍事演習(~20日)-ジャヤプラを中心にカフピ第4軍管区司令官の指揮で演習。 |
DIA-209-1984-05-19-1 | インドネシア | 1984年05月19日 | 1980年代 | イスラム雑誌に警告-国家情報調整庁(BAKIN)ヨガ・スガマ長官はジョクジャカルタ発行のAl Ikhwanに対し50~60年代のイスラム反乱の指導者に関する記事は誤解を招くものとして警告。 |
DIA-209-1984-05-20-1 | インドネシア | 1984年05月20日 | 1980年代 | インドネシア民主党の会員登録開始。 |
DIA-209-1984-05-22-1 | インドネシア | 1984年05月22日 | 1980年代 | ソ連商船に対し4港を解放-スカムダニKADIN会頭は東側諸国との輸出促進策の一環としてサマリンダ,ポンティアナク,タンジュンプリオク,ブラワンの4港におけるソ連商船の入港を認めると発表。 |
DIA-209-1984-05-25-1 | インドネシア | 1984年05月25日 | 1980年代 | モフタル外相訪日(~29日)-28日安倍外相,29日中曽根首相と会談,(1)環太平洋地域協力,(2)新ラウンド,(3)カンボジア問題等を討議。モフタル外相は(1)特別な機構を作るのではなくASEAN外相拡大会議を利用するのが良い,(2)79年東京ラウンドの実施が不充分であり新たなものを考えるのは不適当,との見解を示した。 |
DIA-209-1984-05-28-1 | インドネシア | 1984年05月28日 | 1980年代 | 人事異動-故ムジョノ最高裁判所長官の後任にアリ・サイド法相,新法相にイスマイル・サレー最高検察庁長官,新検察庁長官にハリ・スハルトBP7(パンチャシラ普及機関)長官が任命された。 |
DIA-209-1984-05-29-1 | インドネシア | 1984年05月29日 | 1980年代 | 小企業向け新型ローン-中央銀行は従来の小口投資金融(KIK),長期運転資金金融(KMKP)に加え,より大口かつ短期の運転資金金融(KMK;Kredit Modal kerja)の創設を発表。 |
DIA-209-1984-05-30-1 | インドネシア | 1984年05月30日 | 1980年代 | ムリチャ水力発電所着工-棚上げされていた中ジャワの同発電所(18.5kw)が復活。総工費4.3億ドル。 |
DIA-209-1984-05-30-2 | インドネシア | 1984年05月30日 | 1980年代 | PNGにてTempo誌記者逮捕-国境北部のイリアン越境者のキャンプを取材した同誌記者がPNG政府により「治安上の理由」で逮捕,翌日釈放。 |
DIA-209-1984-05-31-1 | インドネシア | 1984年05月31日 | 1980年代 | PPP全国大会の日誌決定-PPP中央執行部(DPP)は大会を8月20~23日に開催し,ダルスサミン氏を長とする大会準備委員会を設置することを決定。ただしこの会議にはNUのイダム・ハリドらは欠席。 |
DIA-209-1984-06-01-1 | インドネシア | 1984年06月01日 | 1980年代 | 政治関係5法案,国会に上程。 |
DIA-209-1984-06-03-1 | インドネシア | 1984年06月03日 | 1980年代 | ラオ印外相来イ(~8日)-4日外相会談にてカンボジア問題等について意見交換。 |
DIA-209-1984-06-04-1 | インドネシア | 1984年06月04日 | 1980年代 | IGGI会議開催-84/85年度援助約束額は24.6億ドル(前年度22.4億ドル)。日本は716億円(同675億円)。 |
DIA-209-1984-06-04-2 | インドネシア | 1984年06月04日 | 1980年代 | PPP内紛-中央執行部のイダム・ハリド,ヌディン・ルビスらは,全国大会準備委員会は執行部内の一派により一方的に設置され非合法,と非難。 |
DIA-209-1984-06-07-1 | インドネシア | 1984年06月07日 | 1980年代 | ハビビ国務相訪日(~21日)-9日日イ科学技術フォーラム設立に関する覚書に調印。21日中曽根首相,外相,科学技術庁長官らと会談,両国間の留学生交流,生命科学等の技術協力の促進について討議。 |
DIA-209-1984-06-13-1 | インドネシア | 1984年06月13日 | 1980年代 | プルタミナ総裁更迭-スダルモノ官房長官はユド・スンボノ総裁が更迭され新総裁にアブドゥルラフマン・ラムリTambang Timah(国営スズ会社)総裁が任命されたと発表。ラムリ総裁の後任にはスジャトミコ駐シンガポール大使が任命された。 |
DIA-209-1984-06-16-1 | インドネシア | 1984年06月16日 | 1980年代 | 付加価値税の実施さらに延期-スダルモノ官房長官は7月1日に実施が延期されていた付加価値税・奢侈品販売税について,税務当局・納税者共に準備が不充分で実施すれば経済を不安定化するとして最大限86年1月まで実施を再延期する旨,大統領決定として発表。 |
DIA-209-1984-06-16-2 | インドネシア | 1984年06月16日 | 1980年代 | 豪大使の東チモール視察問題-ヘイドン豪外相は,6月初旬に計画されていた東チモール視察がイ政府により延期,ついで中止されたことは豪国内に重大な懸念を引き起こしている,と語った。 |
DIA-209-1984-06-16-3 | インドネシア | 1984年06月16日 | 1980年代 | 国会,女性差別撤廃条約を批准。 |
DIA-209-1984-06-18-1 | インドネシア | 1984年06月18日 | 1980年代 | 最高諮問委員会(DPA)人事-DPA特別会議にて故ムルトポDPA副議長の後任にマクムン・ムロド退役陸軍大将(元陸軍参謀長)が任命された。 |
DIA-209-1984-06-18-2 | インドネシア | 1984年06月18日 | 1980年代 | 付加価値税改正を要求-GINSI(輸入業者協会)は輸入品に付加価値税を課するのは不当であり直接輸入コスト上昇につながるとして,輸入品を課税対象から除外するよう要請。 |
DIA-209-1984-06-19-1 | インドネシア | 1984年06月19日 | 1980年代 | 開発慎重論-スミトロ経済顧問は,今後2~3年の開発政策の運営には注意を要するとして,プロジェクトは選別的に行ない棚上げプロジェクトの安易な復活は控えるべきとの旨発言。 |
DIA-209-1984-06-19-2 | インドネシア | 1984年06月19日 | 1980年代 | PPP内紛-NU内のイダム・ハリドらのグループはナロ総裁の計画とは別個に党大会を開催する予定,と発表。 |
DIA-209-1984-06-20-1 | インドネシア | 1984年06月20日 | 1980年代 | KADIN代表団訪ソ(~27日)-スカムダニKADIN会頭を団長とする一行30名が訪ソ。26日ソ連商工会議所との間で貿易・経済・科学技術等に関する協力協定に調印。 |
DIA-209-1984-06-20-2 | インドネシア | 1984年06月20日 | 1980年代 | イリアン越境者問題-スギヨノ・イリアンジャヤ州副知事は同日現在870人の住民が帰国したと発表。 |
DIA-209-1984-06-21-1 | インドネシア | 1984年06月21日 | 1980年代 | 工業法,国会で可決-工業開発における(1)国民参加の機会均等,(2)国家の自律性,(3)国民福祉の向上,(4)天然資源保護,を規定した基本的大綱を立法化。 |
DIA-209-1984-06-22-1 | インドネシア | 1984年06月22日 | 1980年代 | 円建て協調融資調印-政府は財政補填のため400億円の協調融資を導入。 |
DIA-209-1984-06-23-1 | インドネシア | 1984年06月23日 | 1980年代 | 農業金融のこげつき-ワルドヨ副大臣によると1970年以来のビマス信用貸付総額8000億ルピアのうち期限切れ未返済額は現在1850億ルピア(83年9月時は1440億ルピア)。 |
DIA-209-1984-06-24-1 | インドネシア | 1984年06月24日 | 1980年代 | NU,社会団体法案を評価-マシクルを長とするNU中央委員会(Pengurus Besar)会合は,同法案は諸宗教団体の統一と発展をもたらすとの認識で一致。 |
DIA-209-1984-06-26-1 | インドネシア | 1984年06月26日 | 1980年代 | NU,PPP全国大会開催を支持-NUは党大会に関する初の正式な声明として,NU宗教評議会(Syuriah)のアブドルラフマン・ワヒド,マシクル両氏の署名入りで,8月の党大会開催を支持しPPPの運営に積極的な役割を果たす旨表明。 |
DIA-209-1984-06-26-2 | インドネシア | 1984年06月26日 | 1980年代 | ASEAN外相会議の議題について-モフタル外相は7月の同会議では,カンボジア問題よりも域内経済協力問題に重点が置かれようと語った。また拡大外相会議は環太平洋共同体(Pacific Basin Community)の会合ではない,われわれは最初からそのような機構形成の構想には反対している,と語った。 |
DIA-209-1984-06-26-3 | インドネシア | 1984年06月26日 | 1980年代 | 豪大使の東チモール視察問題-モフタル外相はヘイドン豪外相宛て書簡にて,7月の豪労働党大会開催の前に視察が許可される旨を通知。 |
DIA-209-1984-06-27-1 | インドネシア | 1984年06月27日 | 1980年代 | PPP内紛和解-PPPのナロ総裁,イダム・ハリド,スパルジョ内相の3者会談が行なわれ,8月のPPP全国大会開催に向け協力すること,大会準備委員会に新たに委員を追加すること,で合意。 |
DIA-209-1984-06-29-1 | インドネシア | 1984年06月29日 | 1980年代 | イスラム説教に対する取締り-ストリスノ・ジャカルタ司令官は,中央ジャカルタで反政府的なイスラム説教用の小冊子を押収,また10人の説教師に対し断食明け説教を禁止したと発表。 |
DIA-209-1984-06-29-2 | インドネシア | 1984年06月29日 | 1980年代 | イ軍隊のPNG越境問題-21~22日に53人のイ兵士による越境侵入,村落破壊行為があったとのPNG政府による抗議通牒(28日)に対し,モフタル外相は両国関係悪化を意図するグループの介在の可能性があり慎重な調査を要する,とコメント。30日国境地域視察中のムルダニ司令官はイ国軍兵士による越境はないと否定。 |
DIA-209-1984-07-01-1 | インドネシア | 1984年07月01日 | 1980年代 | 東チモール問題-東チモール視察中のムルダニ司令官は,フレティリンは新国家建設の野望を捨て投降すべしとの呼びかけを行なった。 |
DIA-209-1984-07-04-1 | インドネシア | 1984年07月04日 | 1980年代 | 豪大使の東チモール視察(~7日)-6月初めの予定が遅延。ダルリンプル駐イ大使,マーフィー武官はカルラスカラオ州知事,ルジト陸軍区司令官と会談。7日空港にて100人の住民が反豪デモ。 |
DIA-209-1984-07-04-2 | インドネシア | 1984年07月04日 | 1980年代 | PPPの組織再編・世代交替を要求-国会の開発統一派(FPP)スダルジ議長は,船頭の多すぎる現在の党組織を改革し中央執行委員会(DPP)総裁と幹事長に最高権限を与えるべきこと,イダム・ハリドら旧リーダーは次世代に道を譲るべきこと等の見解を発表。 |
DIA-209-1984-07-05-1 | インドネシア | 1984年07月05日 | 1980年代 | 鉱業省人事-スブロト鉱相はウィヤルソ石油・ガス総局長の更迭,後任のスダルノ・マルトスウォジョ・プルタミナLNGプロジェクト部長の任命を正式に発表。 |
DIA-209-1984-07-05-2 | インドネシア | 1984年07月05日 | 1980年代 | ジャカルタの失業者数-労働省によると6月現在の首都の失業者数は25万人,25歳以下の若年労働者が大部分を占める。 |
DIA-209-1984-07-07-1 | インドネシア | 1984年07月07日 | 1980年代 | イ豪関係-外相の召換で一時帰国したマルパウン駐豪大使はスハルト大統領に東チモール問題をめぐる豪国内の情勢を報告,大統領は関係改善を指示した。 |
DIA-209-1984-07-07-2 | インドネシア | 1984年07月07日 | 1980年代 | 合板工場の乱立-スハルト大統領は経済閣僚会議にて合板工場の乱立により木材の需給関係がくずれないよう政府が指導すべき旨指令した。 |
DIA-209-1984-07-08-1 | インドネシア | 1984年07月08日 | 1980年代 | ナマリウPNG外相来イ-ASEAN拡大外相会議にオブザーバーとして出席のため来イ。10日ムルダニ司令官と会談,両国関係の懸案問題を討議。 |
DIA-209-1984-07-08-2 | インドネシア | 1984年07月08日 | 1980年代 | バカル・マ副国防相来イ(~14日)-大統領初めポニマン国防相,ムルダニ司令官と両国軍事協力について討議。ピンダッド(陸軍兵器),ヌルタニオ(航空機)等の国営企業や士官学校を視察。 |
DIA-209-1984-07-09-1 | インドネシア | 1984年07月09日 | 1980年代 | ASEAN外相会議,ジャカルタで開催-9日カンボジア問題で越の早期撤退を要求する特別声明を発表。10日外交・経済問題全般にわたる共同声明を発表。 |
DIA-209-1984-07-11-1 | インドネシア | 1984年07月11日 | 1980年代 | 米,日,豪外相来イ-ASEAN拡大外相会議に出席のためシュルツ国務長官,安倍外相,ヘイドン外相が来イ。安倍外相は13日スハルト大統領とカンボジア問題等について討議。 |
DIA-209-1984-07-11-2 | インドネシア | 1984年07月11日 | 1980年代 | イ米外相会談-シュルツ国務長官は東チモールに,おけるイ政府の軍事行動,人道主義団体等の訪問の制限を憂慮する書簡(上院22名,下院123名の署名入り)を手渡した。13日スハルト大統領との会談で,米中関係と東チモール問題を討議。 |
DIA-209-1984-07-12-1 | インドネシア | 1984年07月12日 | 1980年代 | ASEAN拡大外相会議開催(~13日)-ASEAN外相に米,日,加,豪,ニュージーランド外相を加えて開催。モフタル外相は太平洋経済協力についてASEAN6カ国にこの5カ国を加えた計11カ国による,特に人的資源開発に重点を置く緩やかな協力体制を提案した。 |
DIA-209-1984-07-13-1 | インドネシア | 1984年07月13日 | 1980年代 | イ豪外相会談-来イ中のヘイドン外相はモフタル外相,ムルダニ司令官と会談,豪労働党大会(11日)決議について説明。ムルダニ司令官は同決議にある国際組織による東チモール視察は内政干渉だとして拒否。 |
DIA-209-1984-07-14-1 | インドネシア | 1984年07月14日 | 1980年代 | 日本のIGGIベース円借款84/85年度分716億円が調印。 |
DIA-209-1984-07-18-1 | インドネシア | 1984年07月18日 | 1980年代 | モフタル外相訪エジプト(~20日)。 |
DIA-209-1984-07-18-2 | インドネシア | 1984年07月18日 | 1980年代 | 投資許可減少-スハルトヨBKPM(投資調整庁)長官によると,84年上期の国内・外国投資許可額は9230億ルピア(前年上期3.8兆ルピア)に減少,通年目標の6.5兆ルピアは2.5兆ルピアに修正された。減少の原因は(1)新税法実施による投資免税措置の撤廃,(2)ドル高・高金利等の国際環境,(3)83年末のかけこみ投資(12月だけで4兆ルピア)。これに対しKADINのサドリ教授初め財界は,投資許可減少は国外要因でなく,新税法,外国人労働者規制,BKPMの官僚的手続等の国内要因によるものと反論。 |
DIA-209-1984-07-19-1 | インドネシア | 1984年07月19日 | 1980年代 | パンチャシラに対する脅威-ムルダニ司令官はPGRI(インドネシア教師連盟)会合にて,共産主義者,自由主義者,右派が宗教を利用してパンチャシラ非難を行なうことがあり学生に対する影響が大きい,として警戒を呼びかけた。 |
DIA-209-1984-07-21-1 | インドネシア | 1984年07月21日 | 1980年代 | ムハマド・ゴーベル氏死去。54歳。P・T・ナショナル・ゴーベル他8社の社長。国会議員,PPP副総裁。 |
DIA-209-1984-07-22-1 | インドネシア | 1984年07月22日 | 1980年代 | PPPのシンボルについて-ミンタレジャ前PPP総裁は,PPPは宗教に固執するのでなく開発に重点を置くべきであり党シンボルはカーバ神殿からパンチャシラの中の神への信仰を表わす星のシンボルに変えるべきである,と語った。 |
DIA-209-1984-07-23-1 | インドネシア | 1984年07月23日 | 1980年代 | イ・PNG合同国境委員会開催(~26日)-スラバヤにて外務次官を団長とする両国代表団30人ずつが出席。(1)84年末で期限切れとなる現行国境協定に代わる新協定,(2)イリアン越境者の帰国手続,(3)国境地域へのイの移住計画,について討議された。 |
DIA-209-1984-07-25-1 | インドネシア | 1984年07月25日 | 1980年代 | アラファトPLO議長来イ(~26日)-スハルト大統領は政治的支援を続ける旨約束。 |
DIA-209-1984-07-27-1 | インドネシア | 1984年07月27日 | 1980年代 | 東チモール問題-モフタル外相は国連を通じて同問題についてポルトガル政府と接触していることを認めた。28日ポ政府はこれを否定。 |
DIA-209-1984-08-01-1 | インドネシア | 1984年08月01日 | 1980年代 | ビマス計画の停止-経済閣僚会議はビマス計画による農民への低利信用を打切ることを決定。今後は特に非力な農民に限り援助を続けることとする。 |
DIA-209-1984-08-02-1 | インドネシア | 1984年08月02日 | 1980年代 | 東チモール情勢-モフタル外相はフレティリンの現有勢力は民兵(Hansip)からの脱走者が加わって100人以上に増えたこと,フレティリンが外国人攻撃に戦略を変えたことが豪大使による視察の延期の理由の一つであったこと,を明らかにした。 |
DIA-209-1984-08-03-1 | インドネシア | 1984年08月03日 | 1980年代 | イ・マ合同軍事演習,西ジャワで開始。6日ガザリ・マ国軍司令官,ムルダニ司令官の招きで来イ。 |
DIA-209-1984-08-04-1 | インドネシア | 1984年08月04日 | 1980年代 | ルーマニア通商代表団来イ(~9日)-経済関係閣僚,KADINメンバーと会談。 |
DIA-209-1984-08-05-1 | インドネシア | 1984年08月05日 | 1980年代 | スパルジョ内相訪PNG(~9日)-PNG国会議事堂開所式に参列のため。5日ソマレ首相にスハルト大統領の親書を手渡した。7日ナマリウ外相との会談でイリアン越境者の送還を監督する両国合同チームの設置で合意。同日訪問中のホーク豪首相と会談,両国関係は改善へ向かった,と伝えられた。 |
DIA-209-1984-08-07-1 | インドネシア | 1984年08月07日 | 1980年代 | PPP全国大会の準備-ナロ総裁はウマル副大統領との会談で,大会前にPPP内紛は解決されたこと,新執行部には若手を起用すること,大会では個人加盟制,非ムスリムへの党加盟解放が決議される予定であること,を明らかにした。 |
DIA-209-1984-08-13-1 | インドネシア | 1984年08月13日 | 1980年代 | マドゥラセメントプロジェクト民間移管-棚上げされていた同政府プロジェクト(当初計画2.8億ドル)は正式にインドセメント社(Liem Sioe Liongグループ)に移管。引受価格は86億ルピア(Jakarta Post紙)。 |
DIA-209-1984-08-14-1 | インドネシア | 1984年08月14日 | 1980年代 | PPP全国大会への地方代表選出について-NUのアリ・マシュムSyuriah委員長は全国大会への各地方支部2名の代表選出について,大会準備委は地方支部の決定とは別に名簿を用意しており支部の決定が拒否されることもある,とのNU内の憂慮を表明(Jakarta Post紙)。 |
DIA-209-1984-08-14-2 | インドネシア | 1984年08月14日 | 1980年代 | KADIN代表団,台湾訪問(~19日)。 |
DIA-209-1984-08-16-1 | インドネシア | 1984年08月16日 | 1980年代 | 第39回独立記念大統領演説-演説の要旨次のとおり。45年世代は次世代が開発を持続していくためのフレームワーク作りに責任を負うている。パンチャシラは開発における最良の概念であり宗教と対立するどころかその発展を保証している。パンチャシラをインドネシア社会の唯一の原則とすることを骨子とする政治関係5法案は国民の創意と自由を減ずるものではない。第3次5カ年計画の実績はGDP成長年平均6%(計画6.5%),農業6.5%,工業8.9%であった。 |
DIA-209-1984-08-16-2 | インドネシア | 1984年08月16日 | 1980年代 | 国会新会期の課題-アミルマフムド国会議長は開会された今会期の主要な課題として,政治関係5法案と延期されている付加価値税法の審議,PNGへの議員団派遣,イ豪関係の修復等をあげた。 |
DIA-209-1984-08-18-1 | インドネシア | 1984年08月18日 | 1980年代 | イリアン越境者問題-モフタル外相は,PNGのキャンプで54人が死亡したことは遺憾であるがPNG政府の責任として非難するものではない,キャンプへの国連,赤十字による救援には反対しないが本国送還への介入は拒否する旨表明。 |
DIA-209-1984-08-19-1 | インドネシア | 1984年08月19日 | 1980年代 | ラムリ,プルタミナ総裁訪日(~24日),訪韓(~30日)-中曽根首相(22日)初め政府首脳と石油・LNGの安定供給について討議。 |
DIA-209-1984-08-20-1 | インドネシア | 1984年08月20日 | 1980年代 | 第1回PPP全国大会開催(~23日)-スハルト大統領の演説で開会。満場一致で新総裁(84~88年)にナロを再選。22日党綱領改訂が採択され,(1)PPPはパンチャシラのみを基本原則とし,(2)非ムスリムにも門戸開放する個人加盟制を採用,(3)Presidenを廃止し諮問委員会を設置することを決定。執行委員会(32名),諮問委員会(11名)の新メンバー発表。幹事長マルディンシャ(西スマトラ支部出身),執行委員H・ザムロニら9名,諮問委委員長イマム・ソフワンなど。党内派の内訳はMI 20,NU 13,SI 5,Perti 5,でNU,特にイダム・ハリド前Presidenのグループは大きく後退した。 |
DIA-209-1984-08-20-2 | インドネシア | 1984年08月20日 | 1980年代 | DPA議長・外相,訪ルーマニア-建国記念式典に参列のためイ政府代表として訪問したパンガベアンDPA議長とモフタル外相は,チァウシェスク大統領初めル政府首脳と会談。この機会に訪ル中の李先念中国国家主席とも会談。 |
DIA-209-1984-08-22-1 | インドネシア | 1984年08月22日 | 1980年代 | 対ソ機密漏洩事件判決-ジャカルタ,バンテン軍事裁判所は,スダルヤント海軍中佐に対し76年から82年にかけてソ連に軍事機密文書を流したとして懲役10年,軍籍剥奪の実刑を言い渡した。 |
DIA-209-1984-08-27-1 | インドネシア | 1984年08月27日 | 1980年代 | ムナウィル宗教相,訪サウジ-インドネシア人のメッカ巡礼視察のため。84年の巡礼者は3万8126人。 |
DIA-209-1984-08-30-1 | インドネシア | 1984年08月30日 | 1980年代 | スダルモノ官房長官は内閣改造の噂を否定。 |
DIA-209-1984-08-31-1 | インドネシア | 1984年08月31日 | 1980年代 | 政治関係5法案審議-イ・教会審議会(DGI)シマトゥパン会長は国会公聴会にて,社会団体法案は政府に社会団体への指導(pembinaan),解散権を与えており政府が共産主義の名の下に社会団体を解散させることも充分あり得る,との懸念を表明。 |
DIA-209-1984-09-01-1 | インドネシア | 1984年09月01日 | 1980年代 | 経済成長見通し-スミトロ経済顧問は84,85年のGDP成長率は4.5%程度(81年固定価格)と予測。 |
DIA-209-1984-09-01-2 | インドネシア | 1984年09月01日 | 1980年代 | 商用ビザの廃止-観光ビザに続き商用ビザも2カ月以内の滞在に限り不要。対象は日本を含む28カ国。 |
DIA-209-1984-09-01-3 | インドネシア | 1984年09月01日 | 1980年代 | 外国人雇用許可手続きの簡素化-4月の労働相令を再改訂し,窓口を労働省から再度BKPMに移すと共に申請書類を16種類から4種類に簡素化。 |
DIA-209-1984-09-03-1 | インドネシア | 1984年09月03日 | 1980年代 | 自民党日イ国民議員連盟の視察団来イ(~10日)。 |
DIA-209-1984-09-05-1 | インドネシア | 1984年09月05日 | 1980年代 | アダム・マリク前副大統領死去。67歳。 |
DIA-209-1984-09-07-1 | インドネシア | 1984年09月07日 | 1980年代 | PPPの選挙シンボル-PPPのA・ムイス議員はシンボルの変更は多くの支持者の棄権,あるいはかえって過激化を招く可能性があるとし,リドワン・サイルィ議員はPPP大会決議が最大限の譲歩でありシンボル変更は受入れられない,との見解を表明。 |
DIA-209-1984-09-07-2 | インドネシア | 1984年09月07日 | 1980年代 | インターバンクレート異常な高騰-83年3月ルピア切下げ前の50%を上回る80%を記録。急速なルピア安でドル買いラッシュが起こり,そのためのルピア資金調達がインターバンクマネーに殺到したため。 |
DIA-209-1984-09-10-1 | インドネシア | 1984年09月10日 | 1980年代 | 5法案審議-ムハマディアは国会の公聴会で,社会団体法案の内容に対する意見書を提出,同法案がムスリムに不利にならないことを確認するまではムハマディアはパンチャシラ単一綱領を受諾しない旨表明,またPPPに対し選挙シンボルを変更しないよう要請した。 |
DIA-209-1984-09-10-2 | インドネシア | 1984年09月10日 | 1980年代 | NU内紛和解-対立していたイダム・ハリド派(チプテグループ)とアリ・マシュムらSyuriahメンバー(シトゥボンドグループ)はスラバヤの故ワヒド・ハシム邸にて会談,1926年の精神に回帰しNU全国大会開催に向け協力することで合意。 |
DIA-209-1984-09-12-1 | インドネシア | 1984年09月12日 | 1980年代 | タンジュンプリオク暴動事件-ムルダニ司令官による発表(13日)の要旨次のとおり。7日北ジャカルタ同地区ラワ・バダク・モスク周辺で扇動的ポスターを除去した治安隊員に対し,10日4人が襲撃を行ない逮捕された。12日午後7時半同モスクでアミル・ビキ,サリフィン,M・ナシールが説教を行ない4人の釈放を要求,11時ごろ約1500人の大衆を扇動して警察署を襲撃した。15人の治安隊は威嚇射撃の後直接射撃。大衆はなお襲撃を続けたが12時ジャカルタ治安部隊の出動で事態は鎮静化した。死者9,重軽傷者53(死者数は12月最終的に30前後に修正)。これは宗教を利用した悪質な破壊行為であり当局は扇動者を厳しく取締る。 |
DIA-209-1984-09-15-1 | インドネシア | 1984年09月15日 | 1980年代 | イ国会議員代表団,訪ユーゴスラビア(~21日),ポーランド(~26日)。 |
DIA-209-1984-09-16-1 | インドネシア | 1984年09月16日 | 1980年代 | 世銀年次報告,イ経済運営を評価-過去1年半の為替・金融・財政面の経済調整措置は効果をあげつつあるとし,イ政府の短期的景気循環への対応と中期的な国際収支管理の能力を評価。今後5年間の5%成長達成のためにはまだ多額の資本借入れを必要とするが現在の対外債務レベルは適正,としている。 |
DIA-209-1984-09-18-1 | インドネシア | 1984年09月18日 | 1980年代 | バングラデシュに対する米15万トン輸出契約調印。 |
DIA-209-1984-09-19-1 | インドネシア | 1984年09月19日 | 1980年代 | CSIS代表団訪ソ・ハンガリ-―19~20日モスクワでソ連科学アカデミー東洋研究所との共催で第5回イ・ソセミナーを開催。27日ハンガリー国際関係研究所との共催で第1回イ・ハンガリーセミナーを開催。 |
DIA-209-1984-09-19-2 | インドネシア | 1984年09月19日 | 1980年代 | イ・タイ海軍合同演習開始。 |
DIA-209-1984-09-20-1 | インドネシア | 1984年09月20日 | 1980年代 | 5法案審議-国会の公聴会でイスラム学生連盟(HMI)は,社会団体法案は権力の中央集権化をすすめ 社会生活における国民の自由に干渉するものとし,社会団体に対する政府の指導権は支配の色の強い“pembina an”から“pelayanan”に変えるべきだ,との見解を表明。 |
DIA-209-1984-09-20-2 | インドネシア | 1984年09月20日 | 1980年代 | 合板業界不況-イ合板協会(Apkindo)は価格引下げ競争に歯止めをかけるため協会加盟の89企業を8コンソーシアムに組織することで合意(Jakarta Post紙)。 |
DIA-209-1984-09-20-3 | インドネシア | 1984年09月20日 | 1980年代 | ムシ製油所工事開始-棚上げされていた同プロジェクトの第1期工事開始。旧設備の精製ユニットの交換で生産効率化,省エネ化をはかるもの。 |
DIA-209-1984-09-22-1 | インドネシア | 1984年09月22日 | 1980年代 | 金融政策-中銀はインターバンクレートの安定と銀行のインターバンクマネーへの依存体質改善のため次の措置を発表。(1)国立・民間商業銀行のインターバンクマネー借入れは各銀行保有ルピア預金総額の7.5%を上限とする。(2)この規制の代償として中銀は流動性不足の銀行に対し「特別融資」を行なう。当初利率26%,6カ月・12カ月の混合。(3)再割引制度(fasilitas diskonto)の割引率も同日より16.5%から26%へ引上げ,(4)以上の融資拡大による通貨供給量の増加を調整するため中銀債務証書を当面週1回から3回に増発する。 |
DIA-209-1984-09-24-1 | インドネシア | 1984年09月24日 | 1980年代 | 5法案審議特別委員会設置-国会派4派から成りスハルディマン(ゴルカル)を長とする特別委設置。 |
DIA-209-1984-09-25-1 | インドネシア | 1984年09月25日 | 1980年代 | イ・マ空軍合同演習,マラッカ海峡で開始。 |
DIA-209-1984-09-28-1 | インドネシア | 1984年09月28日 | 1980年代 | 国軍再編計画-ムルダニ司令官は国会第1委にて国軍の効率の向上と世代交替を目的とする1985再編計画の骨子を説明。(1)同計画によって45年世代の引退を完了し職業的キャリアに基づく昇進制度を確立,(2)軍管区(kowilhan)の廃止と国家戦略司令部(kostranas)の分割,(3)陸軍区(kodam)と陸軍戦略予備軍(kostrad)の再編,(4)警察軍区(Polda)の27への増加を含む警察軍配備網の拡充(各軍の計画詳細は「参考資料」参照)。 |
DIA-209-1984-10-01-1 | インドネシア | 1984年10月01日 | 1980年代 | 投資許可手続の簡素化-減少している投資の促進策としてBKPM長官令により許可手続が従来の2段階から1段階に簡素化された。 |
DIA-209-1984-10-01-2 | インドネシア | 1984年10月01日 | 1980年代 | 中銀による融資残高-9月22日に発表された特別融資は29日まで20行,2000億ルピア,既設の再割引制度は9月1カ月で34行,1000億ルピアにのぼった(Kompas紙)。 |
DIA-209-1984-10-01-3 | インドネシア | 1984年10月01日 | 1980年代 | インドネシア工科大学(Institut Teknologi Indonesia ; ITI)開校-ハビビ国務相が開校宣言。 |
DIA-209-1984-10-02-1 | インドネシア | 1984年10月02日 | 1980年代 | タンジュンプリオク事件について-ムルダニ司令官は国会にて事件の前後関係を説明。過去数年反政府過激グループの活動は治安を脅かすまでに発展,この数カ月は政府のパンチャシラ政策を批判し反政府世論を盛り上げるビラ類が多数流布していた。ビラのなかには高等教育を受け政府に関係あった者が書いたとみられる内容のものも含まれている。 |
DIA-209-1984-10-03-1 | インドネシア | 1984年10月03日 | 1980年代 | 東側諸国との貿易促進策-経済閣僚会議は東側諸国との貿易業者指定制(78年商相令No.234)の廃止など貿易促進のための諸措置を決定。 |
DIA-209-1984-10-04-1 | インドネシア | 1984年10月04日 | 1980年代 | コタ地区で3件の連続爆破事件-リム・スイ・リオングループのパンク・セントラル・アジア(BCA)のガジャマダ,プチェノガン2支店とグロドック・プラザの3カ所で連続して爆発が発生。ムルダニ司令官,ストリスノ・ジャカルタ司令官によると死者2,負傷者18,逮捕者2(16日までに30に増加),反政府過激グループによる犯行である。その後の取調べでBCA本店が爆破の第1目標だったことが判明。 |
DIA-209-1984-10-04-2 | インドネシア | 1984年10月04日 | 1980年代 | 5法案審議-アミルマフムド国会議長は,国会内4派には意見対立はなく反対意見は外部団体から国会に提出されているが85年半ばには5法案とも国会を通過させる意向であると語った。 |
DIA-209-1984-10-04-3 | インドネシア | 1984年10月04日 | 1980年代 | PNG政府に遺憾の意-ニューヨークで国連総会出席中のモフタル外相は,前日ナマリウPNG外相と越境したイリアン住民の送還に関して討議し合意に達したにも拘らず,国連総会の場でナマリウ外相が同問題を取上げ対イ非難演説を行なったことに対し強い驚きと遺憾の意を表明(Kompas紙)。 |
DIA-209-1984-10-08-1 | インドネシア | 1984年10月08日 | 1980年代 | イ・シ海軍合同演習マラッカ海峡で開始。 |
DIA-209-1984-10-09-1 | インドネシア | 1984年10月09日 | 1980年代 | コタ地区爆破事件について-ストリスノ・ジャカルタ司令官は,タンジュンプリオク事件と同事件はセミクライマックスであり同一犯人グループにより次の犯行が行なわれる可能性があるとして警戒を呼びかけた。 |
DIA-209-1984-10-10-1 | インドネシア | 1984年10月10日 | 1980年代 | 経済使節団訪ソ・東欧-ワルダナ調整相を団長とする使節団はソ連(~13日),ハンガリー(~17日),チェコ(~20日),東独(~22日)を訪問,各国首脳と会談,貿易・経済協力に関する協定に調印。 |
DIA-209-1984-10-15-1 | インドネシア | 1984年10月15日 | 1980年代 | 対中直接貿易の可能性-モフタル外相は大統領との会談後,政権分離で対中貿易を奨励しているマレーシアと同様インドネシアも対中直接貿易を再開する時が来ると確信する,との従来とは異なる見解を表明。 |
DIA-209-1984-10-16-1 | インドネシア | 1984年10月16日 | 1980年代 | イ・マ陸軍合同演習バリクパパンで開始。21日バカル・マ副国防相が来イ,演習視察。 |
DIA-209-1984-10-17-1 | インドネシア | 1984年10月17日 | 1980年代 | 東ジャカルタで爆破事件-ラヤ・ボゴール通りのヌードル工場スーパー・ミーで爆発が発生。ジャカルタ警察は4日の爆破事件と同種のテロと断定。 |
DIA-209-1984-10-18-1 | インドネシア | 1984年10月18日 | 1980年代 | ゴルカル幹部会議開催(~20日)-全国より450人出席。20日の20周年記念式典より村落レベルでの幹部育成プログラムを開始。85年末までに全国で800万人を対象に政治教育を行なうことを目標とする。 |
DIA-209-1984-10-18-2 | インドネシア | 1984年10月18日 | 1980年代 | 84年の米生産-アファンディ農相は当初推定を上回る2549.7万トン(対前年比6.4%増)と発表。 |
DIA-209-1984-10-19-1 | インドネシア | 1984年10月19日 | 1980年代 | 農村での政党活動-マルディンシャPPP幹事長とハルヤントPDI委員長は,ゴルカルと同様に2政党にも農村での活動を認めるよう政府に要請。 |
DIA-209-1984-10-22-1 | インドネシア | 1984年10月22日 | 1980年代 | クバヨラン・バル地区のサリナ・ジャヤ・デパートが放火されほぼ全焼。当局は2人を逮捕。 |
DIA-209-1984-10-23-1 | インドネシア | 1984年10月23日 | 1980年代 | モリス米国務省インドネシア担当官東チモールを視察(~27日)。 |
DIA-209-1984-10-24-1 | インドネシア | 1984年10月24日 | 1980年代 | 軍人事-新ジャカルタ警察軍区司令官にスダルマジ前東ジャワ警察軍区司令官が就任。前任者スジョコは警察軍副司令官へ。この他5警察軍区で異動。 |
DIA-209-1984-10-24-2 | インドネシア | 1984年10月24日 | 1980年代 | プラスチック原料輸入規制-同日付商相令によりポリエチレン等のプラスチック原料の輸入は国内産業保護の目的で国営商社3社のみが取扱うことに決定。 |
DIA-209-1984-10-27-1 | インドネシア | 1984年10月27日 | 1980年代 | モフタル外相訪PNG(~29日)-29日79年協定に代わる両国国境協定に調印。外相は,ソマレ首相,ナマリウ外相との会談で両国関係が改善に向かったこと,イリアンジャヤのジャヤプラにPNG領事館の開設を要請したこと,を明らかにした。 |
DIA-209-1984-10-29-1 | インドネシア | 1984年10月29日 | 1980年代 | チランダクの海兵隊弾薬庫で爆発-弾薬庫6基のうち3基が全壊。半径1km以内の住民が避難。11月10日の政府視察の結果によると,死者17,重傷45,軽傷95,被害戸数は全壊106棟,半壊918棟,軽微なもの2617棟。 |
DIA-209-1984-10-29-2 | インドネシア | 1984年10月29日 | 1980年代 | OPEC,原油減産を決定-11月1日より2カ月間の暫定措置として15%減産を決定。インドネシアは130万b/dから118.9万b/dへ。31日ラディウス蔵相は,減産による外貨収入減は1.96億ドル,これは84/85年度輸出総額の約1%にすぎず影響は微少である,と語った。 |
DIA-209-1984-11-02-1 | インドネシア | 1984年11月02日 | 1980年代 | オーストリア,IGGIメンバーに-官民合わせ41名の経済使節団を率いて来イ中(10月31日~)のステガー副首相は85年よりIGGIに加わる旨発表。 |
DIA-209-1984-11-03-1 | インドネシア | 1984年11月03日 | 1980年代 | BCA爆破事件について-事件の主謀者は拘留中のラフマット・バスキであり,タンジュンプリオク事件の報復として元閣僚らの助けを得て爆破を計画。彼はイ学生青年行動戦線の幹部として78年MPRを妨害して投獄,82年よりカーバ青年運動の副議長(Tempo誌)。 |
DIA-209-1984-11-03-2 | インドネシア | 1984年11月03日 | 1980年代 | PNGのイリアン住民キャンプで暴行事件-越境したイリアン住民を収容しているブラックウォーターキャンプで約700人がイ検証チーム7人を暴行,スギヨノ・イリアン州副知事を含む3人が負傷。 |
DIA-209-1984-11-05-1 | インドネシア | 1984年11月05日 | 1980年代 | 対中直接貿易-モフタル外相は米商工会議所主催の昼食会で,イ政府は中国に通商代表部を開設する可能性を検討している,中国の自由化政策を見る限りもはや20年前の中国ではない,と語った。 |
DIA-209-1984-11-06-1 | インドネシア | 1984年11月06日 | 1980年代 | アサハンプロジェクト完工式-77年7月に着工。アサハン川に2基のダム(出力計51.3kW),クアラタンジュンにアルミ精練所(3系列,年産22.5万トン),港湾等インフラを含め総工費4140億円。 |
DIA-209-1984-11-06-2 | インドネシア | 1984年11月06日 | 1980年代 | イ越大陸棚交渉,ハノイで開始(~9日)。 |
DIA-209-1984-11-07-1 | インドネシア | 1984年11月07日 | 1980年代 | 東欧諸国との貿易促進-経済閣僚会議は東欧諸国との経済協力協定(10月)に基づく次のような具体的措置を決定。(1)ワルダナ調整相を長とする一般経済協力チーム,サレー商相を長とする貿易チームを設置。(2)東欧諸国におけるビザ発給にBAKINの許可は不要,(3)東欧貿易のエージェントとなる国内海運会社を指定。 |
DIA-209-1984-11-08-1 | インドネシア | 1984年11月08日 | 1980年代 | ダルソノ退役陸軍中将逮捕-検察庁の発表(18日)によると,当局は一連の爆破事件との関連で元シリワンギ師団司令官ダルソノ中将を逮捕。タンジュンプリオク事件後の9月18日同事件を契機に破壊・脅迫活動を起図するイスラムグループの集会に参加した容疑。 |
DIA-209-1984-11-08-2 | インドネシア | 1984年11月08日 | 1980年代 | 国軍とウラマの懇親会-ムルダニ司令官は東ジャワのウラマ約1800人とクディリで会合。同様の会合を12日中ジャワ,14日西ジャワでそれぞれ約4000人,2000人のウラマを集めて開催。 |
DIA-209-1984-11-12-1 | インドネシア | 1984年11月12日 | 1980年代 | 北朝鮮経済使節団来イ(~16日)-崔正根外国貿易相を団長とする一行20名。12日ゴム3万トン輸出契約に調印。15日サレー商相,スハルト大統領と会談。 |
DIA-209-1984-11-13-1 | インドネシア | 1984年11月13日 | 1980年代 | 国営サリナ・デパート(ジャカルタ,タムリン通り)で火災が発生,全焼。 |
DIA-209-1984-11-13-2 | インドネシア | 1984年11月13日 | 1980年代 | ロソンチ・ハンガリー大統領来イ(~18日)-副首相,副外相,副外国貿易相ら一行50余人。14日1960年以上初のイ・ハンガリー首脳会談。 |
DIA-209-1984-11-14-1 | インドネシア | 1984年11月14日 | 1980年代 | イ豪海軍合同演習,豪北岸で開始。 |
DIA-209-1984-11-15-1 | インドネシア | 1984年11月15日 | 1980年代 | 対中直接貿易-ムルダニ司令官は,「国軍は直接貿易の安全を守る用意がある」と語った。 |
DIA-209-1984-11-17-1 | インドネシア | 1984年11月17日 | 1980年代 | ガルーダ国営航空会社総裁更迭-16年間務めたウィウェコ・スポノ総裁が更迭,移任にP.A.G.ルメンタ・ムルパティ航空会社総裁が任命された。 |
DIA-209-1984-11-19-1 | インドネシア | 1984年11月19日 | 1980年代 | 総選挙法案でPPP妥協-PPPのカーバ神殿のシンボルマーク変更問題をめぐって紛糾していた国会内の特別委員会の審議でPPPが妥協し法案採択を投票で行なうという異常事態は回避された。 |
DIA-209-1984-11-20-1 | インドネシア | 1984年11月20日 | 1980年代 | フィリピンへ米借款-アリフィンBulog長官は米10万トンの借款を決定したと発表。 |
DIA-209-1984-11-20-2 | インドネシア | 1984年11月20日 | 1980年代 | 登録務税者数-サラムン税務総局長によると6月末現在71万4029人と前年同期の66万9027人より増加。 |
DIA-209-1984-11-21-1 | インドネシア | 1984年11月21日 | 1980年代 | 対中直接貿易-イ外務省は中国側より,あらゆる形でのインドネシアとの接触を強化していく用意がある旨の前向きの解答を受け取ったと発表。 |
DIA-209-1984-11-21-2 | インドネシア | 1984年11月21日 | 1980年代 | PDI内紛和解-10月に対立が顕在化したスナワル総裁とハルヤント中央執行委委員長は,スパルジョ内相の仲介で妥協し幹部会議開催で合意に達した。 |
DIA-209-1984-11-22-1 | インドネシア | 1984年11月22日 | 1980年代 | 民間商業銀行の合併-民間商銀協会ニョマン・ムナ会長は,資本基盤強化のため今後5年間に最低15行が合併しよう,と語った(Jakarta Post紙)。 |
DIA-209-1984-11-23-1 | インドネシア | 1984年11月23日 | 1980年代 | ダルソノ逮捕に抗議文書-陸,海,空,警察軍を代表してそれぞれアジス・サレ元農相,アリ・サディキン元ジャカルタ州知事,スウィトノ退役准将,フゲン退役大将の4退役軍人の署名入りで,ダルソノ逮捕は不当だとする21日付文書が検察庁長官宛てに送付(日経)。 |
DIA-209-1984-11-26-1 | インドネシア | 1984年11月26日 | 1980年代 | タイ国軍最高司令官,非公式来イ-バリでムルダニ司令官と予定外の非公式会談。 |
DIA-209-1984-11-26-2 | インドネシア | 1984年11月26日 | 1980年代 | カナダ,ニュージーランド,英の各大使,東チモール視察。 |
DIA-209-1984-11-27-1 | インドネシア | 1984年11月27日 | 1980年代 | 石油補助金を節約-ラディウス蔵相によるとプルタミナの石油生産コスト削減(1l当り248ルピアから236ルピアへ)の結果,84/85年度の石油製品補助金の予算1兆1400億ルピアのうち5700億ルピアの節約が可能になった。 |
DIA-209-1984-11-29-1 | インドネシア | 1984年11月29日 | 1980年代 | 中国人拘留者-スギノ移民総局長によると,1959年の中国人に対する小売業規制令によって逮捕された無国籍中国人3000人が現在も帰還先がないまま拘留されている。この他に1500人の中国人が不法入国で拘留中。 |
DIA-209-1984-11-30-1 | インドネシア | 1984年11月30日 | 1980年代 | バンドン30周年記念会議開催予定-モフタル外相は1955年の第1回アジア・アフリカ会議(バンドン会議)を記念して1985年4月にバンドンで特別会議を開催すると発表。 |
DIA-209-1984-12-01-1 | インドネシア | 1984年12月01日 | 1980年代 | 雑穀の最低価格引上げ-メイズ,大豆,緑豆の最低価格が4.8~7.1%引上げられた。 |
DIA-209-1984-12-02-1 | インドネシア | 1984年12月02日 | 1980年代 | シンガポールへの委託精製を再開-スブロト鉱相は,国内の精製施設がフル稼動できないため,シンガポールへの委託精製を再開することを発表(日経)。 |
DIA-209-1984-12-02-2 | インドネシア | 1984年12月02日 | 1980年代 | ヒタム・マ副首相来イ(~4日)-3日ムルダニ司令官と一般国境協定に調印。72年の旧協定に代わる新協定ではサラワク・カリマンタン国境地域だけでなく陸,海,空を含む広範な国境地域を協力の対象とする。 |
DIA-209-1984-12-03-1 | インドネシア | 1984年12月03日 | 1980年代 | PPP,2党員を解職処分-PPPは,同党はもはやイスラム政党ではない旨の発言をしたシャリフディン・ハラハプ,タマム・アフダ両氏に対し,党除名は免除する代り執行部役員を解職処分にすることを決定。 |
DIA-209-1984-12-03-2 | インドネシア | 1984年12月03日 | 1980年代 | 邦人特派員に国外退去令-情報省は最近の政治社会不安に関する記事を理由として,朝日新聞,FEER誌の2支局長に退去令を通告。 |
DIA-209-1984-12-04-1 | インドネシア | 1984年12月04日 | 1980年代 | 対中輸出商談-在香港のインドネシア商社,コモディティーズ・センター支配人のロバート・チョイ氏は11月24日広州で70万ドルの非石油製品輸出契約を結んだことを明らかにした。この商談は香港を経由したものだが近い将来直接貿易でL/C開設による支払い方式が実現することが期待される,と語った。 |
DIA-209-1984-12-08-1 | インドネシア | 1984年12月08日 | 1980年代 | 第27回NU全国大会開催(~12日)-大統領初め閣僚,国軍司令官ら来賓を含め約7000人が参加して東ジャワ,シトゥボンドで開催。12日パンチャシラを受入れ1926年の精神に立戻るとの83年12月全国協議会決定を承認し,さらに「政治の場から手を引きメンバーに政党選択の自由を与える」として事実上PPPから撤退することを決議した。同日新執行部が発表されSyuriah議長にアフマド・シディック,Tanfizdiyah議長にアヴドゥルラフマン・ワヒドが就任。 |
DIA-209-1984-12-10-1 | インドネシア | 1984年12月10日 | 1980年代 | 繊維業界の現状-繊維協会(API)のフランス・セダ会長は,84年の繊維製品輸出は推定で3.5億ドルと前年の2.7億ドルより増加するが国内の需要減退は著しい,と語った。 |
DIA-209-1984-12-11-1 | インドネシア | 1984年12月11日 | 1980年代 | 資産税の規準緩和-蔵相令により60年1月より実施される資産税の課税対象は1400万ルピア以上から8000万ルピア以上に引上げられ,税率は1%から0.5%に引下げられた。規準緩和により申告漏れを防ぐのが狙い。 |
DIA-209-1984-12-11-2 | インドネシア | 1984年12月11日 | 1980年代 | 自動車業界不況-自動車協会(Gaakindo)の予測によれば84年の四輪車生産台数は前年の15万5180台を下回り最高でも15万台程度となる見通し。これは全生産能力37.5万台の40%にあたる。 |
DIA-209-1984-12-12-1 | インドネシア | 1984年12月12日 | 1980年代 | ナマリウPNG外相来イ-モフタル外相と国境協定の批准書を交換。両国外相会談にて,越境者の本国送還の方法について再検討。 |
DIA-209-1984-12-12-2 | インドネシア | 1984年12月12日 | 1980年代 | 韓国外相来イ(~16日)-李源京外相は13日大統領,外相と会談。韓国の無償援助による職業訓練センター設立計画に調印。 |
DIA-209-1984-12-12-3 | インドネシア | 1984年12月12日 | 1980年代 | ミサイル購入-国防省はエアロスペース社(英)と地対空ミサイル「レーピア」購入を契約。1.2億ドル。 |
DIA-209-1984-12-17-1 | インドネシア | 1984年12月17日 | 1980年代 | 最近の爆破・火災の多発について-ムルダニ司令官は9月の事件以来初の外国人記者団との会見で,(1)10月のBCA爆破事件は明らかに政府に対する報復である,(2)最近の連続火災は同事件との関連の可能性がある,と語った。 |
DIA-209-1984-12-18-1 | インドネシア | 1984年12月18日 | 1980年代 | 科学技術研究センター(PUSPITEK)開所-ハビビ国務相が推進役となって西ジャワ,セルポンに設立。LIPI,BATAN,BPPTの監督下に研究開発を進める。 |
DIA-209-1984-12-19-1 | インドネシア | 1984年12月19日 | 1980年代 | タンジュンプリオク事件の容疑者-ジャカルタ地方検察庁は同事件に関与した44人の容疑者を北ジャカルタ地方裁判所に起訴。このうち何人が政府転覆罪容疑かは不明。 |
DIA-209-1984-12-19-2 | インドネシア | 1984年12月19日 | 1980年代 | ルピア切下げ説-輸入業者協会(GINSI)ザリフ・アフマド会長は,11月からの原油減産の影響として今年度中に1ドル=1400ルピアへのルピア切下げがあろう,との見通しを語った。 |
DIA-209-1984-12-19-3 | インドネシア | 1984年12月19日 | 1980年代 | 輸入の減少-GINSI会長は,輸入減少の原因として(1)輸入規制措置,(2)ドル高,(3)国内高金利,を指摘。 |
DIA-209-1984-12-22-1 | インドネシア | 1984年12月22日 | 1980年代 | 総選挙法,国民協議会・国会・地方議会議員構成法改正案,国会にて原案通り全会一致で可決。 |
DIA-209-1984-12-24-1 | インドネシア | 1984年12月24日 | 1980年代 | 85年の展望-アミル・マフムド国会議長は,85(1)政治面では社会団体法などの立法化の影響が直接・間接に現われてくること,(2)経済面では石油情勢,(3)社会年には,全般では世代交替の進展,が政府にとって注意すべき問題となろう,と語った。 |
DIA-209-1984-12-26-1 | インドネシア | 1984年12月26日 | 1980年代 | 外相訪越予定を延期-モフタル外相は越外相訪イの答礼として1月に予定していた訪越を日程の都合により延期すると発表。 |
DIA-209-1984-12-27-1 | インドネシア | 1984年12月27日 | 1980年代 | 製紙業界不況-製紙協会(APKI)によると,84年下期からの需要減退で価格はコスト割れしており,加盟22企業中10企業で操業停止,5企業で50%操業。 |
DIA-209-1985-01-01-1 | インドネシア | 1985年01月01日 | 1980年代 | 丸太輸出禁止措置実施―資源保護および合板産業育成のため,原木輸出を全面禁止。 |
DIA-209-1985-01-03-1 | インドネシア | 1985年01月03日 | 1980年代 | タンジュン・プリオク事件公判開始―北ジャカルタ地裁にて,84年9月のタンジュン・プリオク暴動の主犯4人の公判がはじまる。 |
DIA-209-1985-01-03-2 | インドネシア | 1985年01月03日 | 1980年代 | 内閣改造について―スダルモノ官房長官は,84年9月のムジョノ最高裁長官死去に伴う内閣改造のうわさを否定。 |
DIA-209-1985-01-05-1 | インドネシア | 1985年01月05日 | 1980年代 | 電子・電機製品38品目を新たに輸入規制―商業相令1525号/1984により,家庭用冷蔵庫,洗濯機などが対象。従来のものと合わせて電子・電機製品計77品目が輸入制限となった(時事,5日)。 |
DIA-209-1985-01-07-1 | インドネシア | 1985年01月07日 | 1980年代 | 85/86年度予算案,国会(DPR)に提出―総額は23兆460億ルピアで,前年度比12.1%増。歳入面では経常歳入に占める石油・ガス部門の割合が60%(前年度64%)に低下。所得税収は25.4%増加したが,開発歳入は1%減。歳出面では,歳出総額に占める外国援助の割合が18.5%(前年度21.5%)に減少したが,債務返済額は逆に32.5%増。4月の公務員給与引き上げのため人件費も29.1%増加する一方,開発歳出は1.8%増にとどまった。政府は85/86年度の経済成長率を84/85年度実績予想の4.5~4.6%並みと見込んでいる。 |
DIA-209-1985-01-07-2 | インドネシア | 1985年01月07日 | 1980年代 | バンク・セントラル・アジア(BCA)爆破事件分離裁判開始―84年10月のBCA爆破事件の主犯ラフマト・バスキの裁判が西ジャカルタ地裁で開始。10日からは他被告の公判が個別に開始(5月9,15日参照)。 |
DIA-209-1985-01-09-1 | インドネシア | 1985年01月09日 | 1980年代 | 84/85年度開発予算支出の遅れ―スマルリン国家企画院(BAPPENAS)長官は,84年12月1日現在で,プロジェクト援助,輸出クレジットを除く予算額3兆28億ルピアのうち未使用残高が2兆1100億ルピアであることを明らかにした(4月25日参照)。 |
DIA-209-1985-01-10-1 | インドネシア | 1985年01月10日 | 1980年代 | 石油製品価格引き上げ―ラディウス蔵相は,4月の付加価値税導入後,石油製品価格を10%引き上げることを決定した,と発表。 |
DIA-209-1985-01-11-1 | インドネシア | 1985年01月11日 | 1980年代 | ムルダニ国軍最高司令官,シンガポールへ―リー・シンガポール首相等と地域防衛に関して会談。 |
DIA-209-1985-01-11-2 | インドネシア | 1985年01月11日 | 1980年代 | 対中直接貿易は政経分離で―モフタル外相はスカムダニ・インドネシア商工会議所(KADIN)会頭に対して,中国との直接貿易再開にあたっての政経分離の原則を示した。 |
DIA-209-1985-01-16-1 | インドネシア | 1985年01月16日 | 1980年代 | ケーニヒ東独外相来イ(~21日)―モフタル外相ワルダナ調整相等と経済協力などについて会談。 |
DIA-209-1985-01-17-1 | インドネシア | 1985年01月17日 | 1980年代 | モフタル外相南アジア諸国歴訪へ(~25日)―インド,パキスタン,ビルマ,スリランカ歴訪。各国に対し4月のバンドン会議30周年式典への参加を要請。 |
DIA-209-1985-01-17-2 | インドネシア | 1985年01月17日 | 1980年代 | 中銀,割引債制度(SBPU)創設―シレガル・インドネシア銀行総裁は,流動性不足解消,金融市場の発展を目的として,割引債(3種類,期間30~90日)を2月1日より発行する,と発表。28日には,SBPU額面を最低5000万ルピア,最高10億ルピアとする,と通達。 |
DIA-209-1985-01-17-3 | インドネシア | 1985年01月17日 | 1980年代 | 対中出船の許可制撤廃―海運会社アンディカ・ライン社のハルトト社長は,政府が1月初めから中国向け輸出品を運ぶインドネシア貨物船に対する出港許可制限を全面撤廃している,と述べた。ただし同社長によれば,外国船に対する中国への出港許可制限は継続(JP紙,17日)。 |
DIA-209-1985-01-18-1 | インドネシア | 1985年01月18日 | 1980年代 | KADIN代表,中国側とシンガポールで接触―スカムダニKADIN会頭は,数日前にシンガポールで直接貿易再開の件で中国側と接触したことを明らかにした。 |
DIA-209-1985-01-21-1 | インドネシア | 1985年01月21日 | 1980年代 | ボロブドゥール遺跡爆破―21日未明,9個の時限爆弾により2基の仏像および9基のストゥーパを爆破。ヌグロホ教育文化相は,テロリストの仕業である,と発言。22日に3人の容疑者を逮捕。27日までにさらに27人を逮捕。 |
DIA-209-1985-01-22-1 | インドネシア | 1985年01月22日 | 1980年代 | 中国向け棒鋼初輸出―アリボウォ・クラカトウ製鉄社長は,1月初めに香港経由で5000㌧の棒鋼を中国へ初輸出したことを明らかにした。同製鉄は,年内に計4万㌧の棒鋼を対中輸出する計画。 |
DIA-209-1985-01-23-1 | インドネシア | 1985年01月23日 | 1980年代 | 中国,バンドン会議30周年式典に参加か―中国外務省スポークスマンは,インドネシア側の正式な招待に対しては前向きに考慮する,と発言。 |
DIA-209-1985-01-23-2 | インドネシア | 1985年01月23日 | 1980年代 | ホテルで爆発事故―アチェ州ロ・スマウェのパンタイ・サムドラ・ホテルの敷地内で爆発事故。死傷者なし。 |
DIA-209-1985-01-24-1 | インドネシア | 1985年01月24日 | 1980年代 | 日本から経団連ミッション来イ(~27日)―一行は稲山会長を団長とする30名。スハルト大統領は経団連側との会談で,合板関税の引き下げを強く要請。 |
DIA-209-1985-01-30-1 | インドネシア | 1985年01月30日 | 1980年代 | ドマイのハイドロクラッカー・プラント操業開始。 |
DIA-209-1985-01-31-1 | インドネシア | 1985年01月31日 | 1980年代 | ソロ宮殿全焼―6棟の建物がほぼ全焼。死傷者はなかった。捜査当局は出火原因を漏電と発表。 |
DIA-209-1985-01-31-2 | インドネシア | 1985年01月31日 | 1980年代 | 東チモールを外国人観光客に開放か―タヒル観光・通信相は観光・通信省の作業部会において,外国人観光客が必要条件を満たす場合に限り東チモールを訪れることができる,と発言。 |
DIA-209-1985-01-31-3 | インドネシア | 1985年01月31日 | 1980年代 | 85/86年度の石油輸出について―ワルダナ調整相は,85/86年度の石油輸出歳入はOPEC軽質油価格1バレル当り1㌦値下げにより3億㌦低下し,非石油輸出を含む全輸出額は当初予算案の1.4%減となろう,と述べた。 |
DIA-209-1985-02-02-1 | インドネシア | 1985年02月02日 | 1980年代 | 軍用トラック爆発―ジョクジャカルタの南約15kmの地点で,爆薬を積んだ軍用トラックが爆発。 |
DIA-209-1985-02-03-1 | インドネシア | 1985年02月03日 | 1980年代 | デクエヤル国連事務総長来イ(~7日)―カンボジア問題等についてモフタル外相と会談。4日にスハルト大統領と1時間会談。 |
DIA-209-1985-02-04-1 | インドネシア | 1985年02月04日 | 1980年代 | 第1回イ・加経済会議(~6日)―49人が参加してデンパサールにて開催。 |
DIA-209-1985-02-04-2 | インドネシア | 1985年02月04日 | 1980年代 | ボロブドゥール修復について―グラ・アノム再建チームリーダーは,ボロブドゥール修復を4月までに行なうことをヌグロホ教育文化相に報告。 |
DIA-209-1985-02-11-1 | インドネシア | 1985年02月11日 | 1980年代 | 政党・ゴルカル法改正案,国会を通過。 |
DIA-209-1985-02-12-1 | インドネシア | 1985年02月12日 | 1980年代 | 外国航空機のバリ島乗り入れについて―ルスミン運輸相は,ガルーダ航空との相互乗り入れを条件として外国航空便のデンパサール乗り入れを認めることを明らかにした。 |
DIA-209-1985-02-12-2 | インドネシア | 1985年02月12日 | 1980年代 | 関税総局長更迭―バンバン・スジャルト総局長が更迭され,同職務はラディウス蔵相が兼任。 |
DIA-209-1985-02-13-1 | インドネシア | 1985年02月13日 | 1980年代 | 米国からの食糧援助協定調印―25万㌧の小麦購入のための協定で,総額は4000万㌦。30年返済。 |
DIA-209-1985-02-13-2 | インドネシア | 1985年02月13日 | 1980年代 | 国民投票法案,国会特別委員会で審議開始。 |
DIA-209-1985-02-13-3 | インドネシア | 1985年02月13日 | 1980年代 | 国防関連法案の検討―ポニマン国防治安相は国会で,RepelitaⅣ(第4次5ヵ年計画)最終年度に,義勇軍法,国防義務法,予備役法,国民訓練法の4法を制定予定である,と述べた。 |
DIA-209-1985-02-13-4 | インドネシア | 1985年02月13日 | 1980年代 | 投資調整庁(BKPM)長官人事―スハルトヨ長官が更迭され,ギナンジャール国産品振興担当副大臣が兼職のまま長官代行に就任。 |
DIA-209-1985-02-14-1 | インドネシア | 1985年02月14日 | 1980年代 | ナフダトゥール・ウラマ(NU)の指導者,大統領と会談―会談でワヒド議長らNU側は,パンチャシラへの忠誠,イスラム国家の概念の拒否,を表明。 |
DIA-209-1985-02-15-1 | インドネシア | 1985年02月15日 | 1980年代 | サグリン・ダム貯水開始。 |
DIA-209-1985-02-17-1 | インドネシア | 1985年02月17日 | 1980年代 | イタリア外交ミッション来イ(~24日)―団長はジオルジオ開発協力局長。イタリアの援助プロジェクトの検討等についてワルダナ調整相等と会談。 |
DIA-209-1985-02-18-1 | インドネシア | 1985年02月18日 | 1980年代 | ルピア切り下げを否定―シレガル中銀総裁は,たとえ原油価格が1バレル当り28㌦から25㌦に下がってもルピア切り下げは行なわない,と発言。 |
DIA-209-1985-02-18-2 | インドネシア | 1985年02月18日 | 1980年代 | トルコ国防相来イ(~25日)―ゼキ国防相は,ポニマン国防治安相ハビビ調査・技術担当国務相と防衛協力等について会談。またスハルト大統領を表敬訪問。 |
DIA-209-1985-02-19-1 | インドネシア | 1985年02月19日 | 1980年代 | 通信料金値上げ―タヒル観光・通信相は記者会見で,2月20日から電信電話料金を,3月1日から郵便料金を,それぞれ値上げすることを明らかにした。 |
DIA-209-1985-02-20-1 | インドネシア | 1985年02月20日 | 1980年代 | 公的対外債務について―ラディウス蔵相は,84年12月末現在の債務残高が235億㌦であり,85年3月までには246億㌦となる見込みである,と述べた。 |
DIA-209-1985-02-20-2 | インドネシア | 1985年02月20日 | 1980年代 | 第2回イ・越セミナー終わる―18日よりジャカルタで開催。主催の国際戦略研究所(CSIS)は,両国間に一致点が見られず,越側に妥協の努力がなかった,と発表。越側代表はファン・ビン国際問題研究所所長。 |
DIA-209-1985-02-21-1 | インドネシア | 1985年02月21日 | 1980年代 | 国軍大学(AKABRI)校長人事―ムルギト陸軍中将が更迭され,後任にカピ・スリアディルジャ海軍中将が就任。 |
DIA-209-1985-02-22-1 | インドネシア | 1985年02月22日 | 1980年代 | 84年の国営企業業績―ハルタルト工業相によると,84年の64国営企業の総売り上げは1兆5500億ルピアであった。また,国営企業からの政府収入は1142億ルピアで,うち法人税収入は前年比9.7%増の555.4億ルピア,配当金・ロイアルティ収入は同10.46%減の215億ルピア。 |
DIA-209-1985-02-25-1 | インドネシア | 1985年02月25日 | 1980年代 | カンボジア問題について―モフタル外相は,東南アジアの安定のために米国に対しベトナムとの関係正常化を要請。また,ファン・バン・ドン越首相とシアヌークDK元首との会談設定の用意がある,と発言。 |
DIA-209-1985-02-25-2 | インドネシア | 1985年02月25日 | 1980年代 | 新出版ライセンス(SIUPP)発効―旧出版ライセソス(SIT)に代わるもので全出版物に適用。 |
DIA-209-1985-02-26-1 | インドネシア | 1985年02月26日 | 1980年代 | 比とバーター取引―ハルタルト工業相は,比に年間10~15万㌧のアンモニアを輸出し,比から5年間で44万㌧のリン酸を輸入することを明らかにした。3月4日にジャカルタで取引契約を調印。 |
DIA-209-1985-02-27-1 | インドネシア | 1985年02月27日 | 1980年代 | 金鉱,鉱山の9請負開発契約調印―内訳は,スマトラ島3件,カリマンタン島6件。 |
DIA-209-1985-02-27-2 | インドネシア | 1985年02月27日 | 1980年代 | サリナ・ジャヤ・デパート再開―ジャカルタ南部クバヨラン・バルのサリナ・ジャヤ・デパートが,84年10月の火災以来約5ヵ月ぶりに再開。 |
DIA-209-1985-02-28-1 | インドネシア | 1985年02月28日 | 1980年代 | 85/86年度予算案,国会で全会一致で可決。 |
DIA-209-1985-03-01-1 | インドネシア | 1985年03月01日 | 1980年代 | 国民投票法案,国会通過―これにより,1945年憲法改正には,憲法第37条(憲法改正には国民協議会議員3分の2以上の出席で3分の2以上の賛成が必要)の適用の可否を国民投票にかけ,軍人を含む有権者の90%以上の投票のうち90%以上の賛成が必要となった。同法案はいわゆる政治関係5法案の一つ。 |
DIA-209-1985-03-01-2 | インドネシア | 1985年03月01日 | 1980年代 | ウォルフォウィツ=モフタル会談―2月28日より来イ中のウォルフォウィツ米国国務次官補は,1時間にわたりモフタル外相と会談。モフタル外相は,米国の外交政策において東南アジアの独自性を重視するよう要請。ウォルフォウィツ次官補は,4日スハルト大統領と会談。 |
DIA-209-1985-03-02-1 | インドネシア | 1985年03月02日 | 1980年代 | メダン・ペナン間の海底ケーブル完成―スハルト大統領は,同ケーブルを使ったテレビ電話でマハティール・マ首相と5分間会話。 |
DIA-209-1985-03-03-1 | インドネシア | 1985年03月03日 | 1980年代 | カナダ工業相来イ(~5日)―スティーブン工業相は,4日スハルト大統領と会談。また同工業相は繊維などインドネシア製品の輸入制限の見直しを示唆。 |
DIA-209-1985-03-04-1 | インドネシア | 1985年03月04日 | 1980年代 | 対東欧貿易促進特別委員会設立―スカムダニKADIN会頭は,KADINが非石油製品の輸出市場多角化の一環として同委員会を設置する,と述べた。 |
DIA-209-1985-03-05-1 | インドネシア | 1985年03月05日 | 1980年代 | 新国民協議会(MPR)副議長―マンティク前北スラウェシ州知事がMPR副議長(地方代表)に就任。4月30日に就任式。 |
DIA-209-1985-03-06-1 | インドネシア | 1985年03月06日 | 1980年代 | 輸出補助金全廃へ―サレー商業相は閣議後の記者会見で,2月28日米国でのGATT補助金・相殺関税条項調印をうけて,86年4月1日から輸出証明書交付制度への補助金を,87年4月1日より90年までに段階的に輸出低利融資制度への補助金を,それぞれ廃止することを明らかにした。 |
DIA-209-1985-03-06-2 | インドネシア | 1985年03月06日 | 1980年代 | 中国,バンドン会議30周年式典参加へ―中国外交部スポークスマンは,バンドン会議30周年式典に代表団を派遣することを明らかにした。 |
DIA-209-1985-03-07-1 | インドネシア | 1985年03月07日 | 1980年代 | 輸入関税引き下げ―ラディウス蔵相は,付加価値税・奢侈品販売税導入のため,4月からほとんどの品目で実施の意向と表明。 |
DIA-209-1985-03-09-1 | インドネシア | 1985年03月09日 | 1980年代 | 在シンガポールの新インドネシア大使館開所。 |
DIA-209-1985-03-13-1 | インドネシア | 1985年03月13日 | 1980年代 | ユーゴスラビア首相来イ(~16日)―ミルカ・プラニンク首相は14日,非同盟運動等に関してスハルト大統領と会談。 |
DIA-209-1985-03-13-2 | インドネシア | 1985年03月13日 | 1980年代 | 軍用ダンプカー爆発―バンドン郊外で弾薬を積んだ軍用ダンプカーが爆発。多数の死傷者。 |
DIA-209-1985-03-14-1 | インドネシア | 1985年03月14日 | 1980年代 | モフタル外相,ベトナムを訪問(~17日)―訪越前の記者会見でモフタル外相は,タク・越外相との会談では二国間問題に重点を置くと発言。 |
DIA-209-1985-03-16-1 | インドネシア | 1985年03月16日 | 1980年代 | 東ジャワでバス爆発事件―16日未明,バニュワンギ郊外でバリ島行きのバスが爆破。7人死亡,14人負傷。現場から手製の時限爆弾が発見された。 |
DIA-209-1985-03-17-1 | インドネシア | 1985年03月17日 | 1980年代 | モフタル外相,ベトナムから帰国―途中バンコクでシッティ外相と会談。帰国後の記者会見でモフタル外相は,越側がカンボジア問題解決の5項目を示したことを明らかにした。内容は未公表(4月6日参照)。 |
DIA-209-1985-03-18-1 | インドネシア | 1985年03月18日 | 1980年代 | マハティール・マ首相来イ―カンボジア問題についてモフタル外相,スハルト大統領と会談。リタウディン外相,ガザリ国軍司令官,カリルヤアコブ教育相が随行。 |
DIA-209-1985-03-18-2 | インドネシア | 1985年03月18日 | 1980年代 | イリアン問題について―カピ・スリアディルジャ第Ⅳ軍管区司令官はパラヒヤンガン大学のセミナー論集の中で,「自由パプア」・「大メラネシア」という概念がイリアン・ジャヤ住民のなかに残っており,「メラネシア同胞連帯運動」という組織がインドネシアからの分離独立運動を促している,と述べた(A通信,18日)。 |
DIA-209-1985-03-19-1 | インドネシア | 1985年03月19日 | 1980年代 | モフタル=ダナバラン会談―モフタル外相は急拠来イしたダナバラン・シ外相とカンボジア問題について会談。 |
DIA-209-1985-03-20-1 | インドネシア | 1985年03月20日 | 1980年代 | アチェの新肥料プラント開所―アチェ州ロ・スマウェのPT Iskandar Muda肥料プラントの開所式にはスハルト大統領が出席。 |
DIA-209-1985-03-21-1 | インドネシア | 1985年03月21日 | 1980年代 | 繊維産業再編成について―ハルタルト工業相は,繊維産業の再編成の第一段階は85年7月までに完了し,全段階を86年3月までに完了させる,と述べた。 |
DIA-209-1985-03-21-2 | インドネシア | 1985年03月21日 | 1980年代 | 港湾業務の不正追放について―スハルト大統領はムルダニ国軍司令官に対し,不正追放キャンペーンの遂行を指示。 |
DIA-209-1985-03-25-1 | インドネシア | 1985年03月25日 | 1980年代 | 投資手続の簡素化について―ギナンジャールBKPM長官は,書類審査期間の短縮,行政上の必要条件の削減など投資手続の簡素化を4月1日より行なうことを発表。またスハルト大統領は政府の投資政策として,(1)資本財・一次産品投資,(2)国内資源利用投資,(3)輸出品生産投資,(4)雇用吸収・労働の質向上のための投資,(5)技術開発投資,(6)外島投資,(7)環境保護,以上7点を優先することを説明。 |
DIA-209-1985-03-26-1 | インドネシア | 1985年03月26日 | 1980年代 | ニュージーランド通商団来イ(~28日)―一行はムーア貿易相を団長とする約90人。サレー商業相は同貿易相と会談後,ニュージーランドはイ側からの非石油製品輸入制限を緩和する意向である,と述べた。 |
DIA-209-1985-03-30-1 | インドネシア | 1985年03月30日 | 1980年代 | カピツァ・ソ連外務次官来イ(~4月2日)―モフタル外相とカンボジア問題等について会談。カピツァ外務次官は,ASEANとインドシナ3国との間でのカンボジア問題に関する国際会議の開催が東南アジアの安全保障にとって重要である,と発言。 |
DIA-209-1985-04-01-1 | インドネシア | 1985年04月01日 | 1980年代 | 付加価値税・奢侈品販売税実施―従来の販売税に代わる新税で84年1月実施の予定が延期されていたもの。税率は付加価値税を10%,奢侈品販売税を10%と20%,と販売税より簡素化。 |
DIA-209-1985-04-01-2 | インドネシア | 1985年04月01日 | 1980年代 | ジャカルタ新国際空港(チェンカレン)営業開始。 |
DIA-209-1985-04-02-1 | インドネシア | 1985年04月02日 | 1980年代 | リー・シンガポール首相来イ(~4日)―ウジュンパンダンにてスハルト大統領と,カンボジア問題,二国間貿易問題などについて2回にわたり会談。 |
DIA-209-1985-04-04-1 | インドネシア | 1985年04月04日 | 1980年代 | 新通商政策発表―大統領令4号/1985により輸出振興等の政策として,(1)輸出入手続の簡素化,(2)港湾使用料の引下げ,(3)島間交易手続の改善等を定め,5 月より実施。これによりスイスに本社のあるSociete General de Surveillance社が,国から港湾監督業務を委託されているSucofindo社の代理業者として港湾業務を実質的に代行することになった(諸規程については「参考資料」参照)。 |
DIA-209-1985-04-05-1 | インドネシア | 1985年04月05日 | 1980年代 | PPP(開発統一党)シンボルマーク変更―PPPは4日の党決定に従い,総選挙シンボルマークをカーバ神殿から星のマークに変更すると発表した。 |
DIA-209-1985-04-06-1 | インドネシア | 1985年04月06日 | 1980年代 | イ越外相会談の内容について―モフタル外相は3月15日の会談内容を記者会見で初めて公表。それによるとタク越外相はカンボジアからの撤兵の条件として,カンボジア人民の自決権行使にはポル・ポト派は除外される等の5項目を提示した(3月17日参照)。 |
DIA-209-1985-04-07-1 | インドネシア | 1985年04月07日 | 1980年代 | 対中直接貿易問題―スカムダニKADIN会頭は記者会見で,1月29日シンガポールにて呉中国外相と対中直接貿易について会談したことを明らかにした。 |
DIA-209-1985-04-09-1 | インドネシア | 1985年04月09日 | 1980年代 | サッチャー英首相来イ(~11日)―英首相として初めての訪問。 |
DIA-209-1985-04-09-2 | インドネシア | 1985年04月09日 | 1980年代 | 陸軍区(Kodam)再編成―ルディニ陸軍参謀長は従来の16陸軍区が9陸軍区および1首都軍区に再編されるにあたり,新陸軍区の管轄区域,名称等の詳細を発表。再編後の陸軍区,連隊区(Korem)は社会政治的機能を担う部局を有することを明らかにした。 |
DIA-209-1985-04-12-1 | インドネシア | 1985年04月12日 | 1980年代 | ベトナム国防相兼軍最高司令官来イ(~17日)―ベトナムのバン・ティエン・ズン将軍は,ムルダニ国軍最高司令官,モフタル外相スハルト大統領と会談。会談内容は不明。 |
DIA-209-1985-04-13-1 | インドネシア | 1985年04月13日 | 1980年代 | KADINに対中代表団派遣延期を要請―アトモ・スルヨ外務省対外経済総局長は,対中代表団派遣をバンドン会議記念式典以降,できれば11月の北京国際貿易博覧会開催時まで延期するようKADIN側に要請した(A通信,13日)。 |
DIA-209-1985-04-14-1 | インドネシア | 1985年04月14日 | 1980年代 | ワルダナ調整相,ポーランド訪問(~17日)。 |
DIA-209-1985-04-15-1 | インドネシア | 1985年04月15日 | 1980年代 | 初の国産タンカー完成―PT PAL Indonesiaは,三井造船と合弁で3500㌧のタンカーを完成。 |
DIA-209-1985-04-16-1 | インドネシア | 1985年04月16日 | 1980年代 | インドネシア共産党(PKI)と中国共産党の関係について―豪訪問中の胡中国総書記は,キャンベラでのFEER誌とのインタビューで,イ中共産党間にいかなる関係もないと述べた。 |
DIA-209-1985-04-19-1 | インドネシア | 1985年04月19日 | 1980年代 | 所得税納税者51%増―サラムン国税総局長の発表によると,税法改正,積極的納税キャンペーン等により,3月29日現在の納税者数は84年同期比で51%増の82万人に達した。雇用主を通しての勤労納税者数を合わせると172万人に達する見込。 |
DIA-209-1985-04-19-2 | インドネシア | 1985年04月19日 | 1980年代 | プルタミナ,BPと技術協力協定―ロンドンで,ブリティッシュ・ペトロリアムとの間でドマイ,チラチャップ,バリクパパンの3製油所運転に関する商業ベースの協力に合意。 |
DIA-209-1985-04-22-1 | インドネシア | 1985年04月22日 | 1980年代 | 呉中国外相来イ(~26日)―呉外相はバンドン会議30周年記念式典参加のため,9・30事件以来初の中国外相としてジャカルタ入りした。25日にはスハルト大統領を表敬訪問し,5分間会見した。 |
DIA-209-1985-04-22-2 | インドネシア | 1985年04月22日 | 1980年代 | ベトナム,バンドン会議記念式典に代表派遣―インドネシア外務省筋は,当初代表派遣中止と発表していたベトナムが,駐イ大使を式典に派遣することを明らかにした(共同)。 |
DIA-209-1985-04-23-1 | インドネシア | 1985年04月23日 | 1980年代 | タイと合同空軍演習,メダンにて開始(~26日)―タイ空軍機が初めてインドネシアに着陸。 |
DIA-209-1985-04-24-1 | インドネシア | 1985年04月24日 | 1980年代 | バンドン会議30周年記念式典開催(~25日)―KP紙によると,93カ国・機関代表250人が出席(24日現在で8カ国・機関が未着)し,バンドンのムルデカ記念館で開かれた。モフタル外相が開会宣言。続いてスハルト大統領は,バンドン精神の尊重,第三世界の新たな団結と連帯を訴えた。25日に新バンドン宣言を採択。 |
DIA-209-1985-04-24-2 | インドネシア | 1985年04月24日 | 1980年代 | モフタル・呉外相会談―モフタル外相は,カンボジア問題,イ中関係,直接貿易等に関して呉外相と会談。会談後の記者会見でモフタル外相は,中国との関係正常化の時期ではないと述べた。 |
DIA-209-1985-04-25-1 | インドネシア | 1985年04月25日 | 1980年代 | 84/85年度財政実績発表,予算達成できず―経常歳入実績15兆9055億ルピア(予算16兆1494億ルピア),同歳出9兆4290億ルピア(同10兆1010億ルピア),開発歳入実績3兆4780億ルピア(同4兆4110億ルピア),同歳出9兆9519億ルピア(同10兆4593億ルピア)といずれも当初予算を下回った。 |
DIA-209-1985-04-25-2 | インドネシア | 1985年04月25日 | 1980年代 | インドネシア商品取引所仮開所―取引商品を天然ゴムに限って開始。立会メンバーは17社。 |
DIA-209-1985-04-27-1 | インドネシア | 1985年04月27日 | 1980年代 | 陸軍区司令官人事―新第1陸軍区(スマトラ)司令官にスリプト前第Ⅲ陸軍区司令官,新第Ⅶ陸軍区(スラウェシ)にナナ・ナルンダナ前第1陸軍区司令官が任命された。 |
DIA-209-1985-05-01-1 | インドネシア | 1985年05月01日 | 1980年代 | 税関職員半数を一時解雇―大統領令4号/1985に基づく,税関業務の民間委託に伴うもの。 |
DIA-209-1985-05-01-2 | インドネシア | 1985年05月01日 | 1980年代 | 国軍人事―第Ⅳ陸軍区(カリマンタン)司令官に,フェイサル・タンジュン前バンドン陸軍養成教育司令部(Kobangdiklat)中央歩兵隊司令官が任命された。 |
DIA-209-1985-05-01-3 | インドネシア | 1985年05月01日 | 1980年代 | 貿易代表団訪中について―ムルダニ国軍最高司令官は,KADINミッションの5月の訪中計画を再考,中止するよう望むと述べた。 |
DIA-209-1985-05-03-1 | インドネシア | 1985年05月03日 | 1980年代 | KADIN副会頭秘かに訪中―KP紙3日は,スハルト大統領実弟のプロボストゥジョ副会頭が3月29日から4月1日まで一企業人として訪中し,張勁夫国務委員等の要人と会談したことを明らかにした。 |
DIA-209-1985-05-04-1 | インドネシア | 1985年05月04日 | 1980年代 | 藤尾自民党政調会長来イ(~7日)―4月発表の日本の対外経済政策説明のためASEAN諸国歴訪中の藤尾政調会長は,6日スハルト大統領と会談。スハルト大統領は,日本の総石油輸入量の15%をインドネシア産石油とするよう要請した。 |
DIA-209-1985-05-08-1 | インドネシア | 1985年05月08日 | 1980年代 | 米国へ投資誘致ミッション出発―約40人の一行で,団長はスマルリンBAPPENAS長官。 |
DIA-209-1985-05-08-2 | インドネシア | 1985年05月08日 | 1980年代 | 国軍人事―第Ⅷ陸軍区(マルク・イリアンジャヤ)司令官にH・シマンジュンタク前第ⅩⅤ陸軍区司令官が任命された。 |
DIA-209-1985-05-09-1 | インドネシア | 1985年05月09日 | 1980年代 | BCA爆破事件判決―西ジャカルタ地裁は主犯のラフマト・バスキ被告に対し懲役17年の判決。また9日までに他3被告に対し懲役10~15年の判決。 |
DIA-209-1985-05-11-1 | インドネシア | 1985年05月11日 | 1980年代 | 初の灯油輸出―ドマイ製油所からシンガポール,バングラデシュ向けに各々合計20万バレルの灯油が初輸出された(A通信,13日)。 |
DIA-209-1985-05-11-2 | インドネシア | 1985年05月11日 | 1980年代 | 国軍人事―空軍区廃止と同時に新設された第Ⅰ空軍管区司令官にイマム・スウォンソ前第Ⅳ空軍区司令官,第Ⅱ空軍管区司令官にワルドヨ・クスモ前第Ⅰ空軍区司令官が任命された。 |
DIA-209-1985-05-13-1 | インドネシア | 1985年05月13日 | 1980年代 | ルーマニア首相来イ(~15日)―ダスカレスク首相はスハルト大統領,ワルダナ調整相と会談。 |
DIA-209-1985-05-13-2 | インドネシア | 1985年05月13日 | 1980年代 | 国軍人事―第Ⅴ陸軍区(東ジャワ)司令官にサイフル・スルン前第Ⅷ陸軍区(東ジャワ)参謀長を任命。 |
DIA-209-1985-05-15-1 | インドネシア | 1985年05月15日 | 1980年代 | BCA爆破事件判決―西ジャカルタ地裁は,スカルノ時代の元軽工業相のサヌシ被告に懲役19年の判決。また15日までにさらに2被告に対し懲役15~16年の判決。 |
DIA-209-1985-05-15-2 | インドネシア | 1985年05月15日 | 1980年代 | 国軍人事―海軍区廃止と同時に新設された西部海軍管区司令官にルスディ・ルスリ海軍少将,東部海軍管区司令官にガトット・スワルディ海軍少将が任命された。 |
DIA-209-1985-05-17-1 | インドネシア | 1985年05月17日 | 1980年代 | ベトナムと貿易・経済関係促進の覚え書き―来イ中のベトナム貿易ミッションは・インドネシアとの二国間貿易・経済関係改善のための覚え書きに調印。また,香港・シンガポールを介さずに7月にベトナムが直接衣料買付を行なうとの契約をも結んだ。 |
DIA-209-1985-05-17-2 | インドネシア | 1985年05月17日 | 1980年代 | 国軍人事―第Ⅳ陸軍区(中ジャワ)司令官にハルスディヨノ前第Ⅱ陸軍区司令官が任命された。 |
DIA-209-1985-05-20-1 | インドネシア | 1985年05月20日 | 1980年代 | 国軍人事―ヨギ・スワルディ・メメット前第Ⅱ軍管区(ジャワ・マドゥラ)司令官は,西ジャワ州知事に就任。 |
DIA-209-1985-05-22-1 | インドネシア | 1985年05月22日 | 1980年代 | 国軍人事―陸軍特殊機動部隊(Kopasandha)から名称変更した陸軍特殊部隊(Kopassus)の新司令官にパンジャイタン大佐が任命された。 |
DIA-209-1985-05-23-1 | インドネシア | 1985年05月23日 | 1980年代 | ソ連の全アジアフォーラムに反対―モフタル外相は,訪ソ中のラジーブ・インド首相とソ連との間で出された全アジア安保会議構想に反対の意を表明した。 |
DIA-209-1985-05-24-1 | インドネシア | 1985年05月24日 | 1980年代 | チェコからミッション(~28日)―貿易促進を目的として,ロリチェク副首相ら一行14人が来イ。 |
DIA-209-1985-05-25-1 | インドネシア | 1985年05月25日 | 1980年代 | 外国投資誘致策に関して―ギナンジャールBKPM長官とモフタル外相は,外国投資誘致活動に関する合意書を発表。それによると,3箇所のBKPM海外代表部を閉鎖し,その代わりに第一段階として12都市の大使館・領事館に投資誘致専門職員を配置する。 |
DIA-209-1985-05-26-1 | インドネシア | 1985年05月26日 | 1980年代 | 32人集団脱獄―中央ジャカルタのサレンバ拘置所から凶悪犯を含む32人が集団脱獄。当局は脱獄因に対して射殺やむなしの強硬姿勢を表明。 |
DIA-209-1985-05-28-1 | インドネシア | 1985年05月28日 | 1980年代 | 対中関係について―ムルダニ国軍司令官は国会で,対中直接貿易再開はイ側にとって利益であり,共産主義には警戒しつつも現実的に対応していると述べて,国軍が政府の政策を支持,擁護することを表明。 |
DIA-209-1985-05-29-1 | インドネシア | 1985年05月29日 | 1980年代 | カンボジア問題に関して―28日にバンコクでのASEAN高官会議に出席したモフタル外相はクアラルンプールで記者会見し,「カンボジア問題が解決して初めて米越関係改善が可能である」と発言。 |
DIA-209-1985-05-30-1 | インドネシア | 1985年05月30日 | 1980年代 | プルタミナ,83/84年度利益―スブロト鉱業相の発表によると,83/84年度利益は税込で3兆2697億9000万ルピアであることが明らかになった。 |
DIA-209-1985-05-31-1 | インドネシア | 1985年05月31日 | 1980年代 | 社会団体法案,国会通過―全社会団体がパンチャシラを唯一の基本原則とすることを謳う社会団体法案は,作業委員会で検討の後,(1)活動の凍結・解散には最高裁判断が必要,(2)自由集会に制度的保障,(3)宗教信仰上の「聖地」を容認,(4)バンチャシラの宗教化と宗教のバンチャシラ化を否定,の4修正条項を加えて国会を通過。これにより84年6月1日に上程された政治関係5法案はすべて成立の運びとなった。 |
DIA-209-1985-06-01-1 | インドネシア | 1985年06月01日 | 1980年代 | 漁業法案,国会を通過―水産資源の保護などを目的。 |
DIA-209-1985-06-03-1 | インドネシア | 1985年06月03日 | 1980年代 | ヌグロホ・ノトスサント教育文化相死去。 |
DIA-209-1985-06-04-1 | インドネシア | 1985年06月04日 | 1980年代 | IGGI会議開催(~5日)―85/86年度援助約束額は24.06億㌦(前年度24.6億㌦)。内訳は世銀などの多国間援助18.3億㌦,二国間援助5.7億㌦。日本は754億円(同716億円)。仏・西独は未約束。 |
DIA-209-1985-06-04-2 | インドネシア | 1985年06月04日 | 1980年代 | 北スマトラで大火―パーム油やゴムのプランテーション約2万haが焼失し,トバ湖周辺の森林も被害。以後約1ヵ月以上延焼。 |
DIA-209-1985-06-05-1 | インドネシア | 1985年06月05日 | 1980年代 | スマルリン臨時教育文化相就任―ヌグロホ前相死去に伴う暫定措置。BAPPENAS長官と兼務。 |
DIA-209-1985-06-06-1 | インドネシア | 1985年06月06日 | 1980年代 | 米の調達量,昨年同期を下回る―Bulog(食糧調達庁)の発表によると,米収穫時の降雨,Bulogの米購入資金不足により,2~5月の米調達量は97.7万㌧と前年同期の134万㌧を大幅に下回った。 |
DIA-209-1985-06-07-1 | インドネシア | 1985年06月07日 | 1980年代 | 米国の繊維輸入制限に反発―インドネシア繊維協会は,米国で繊維・アパレル法案が9月に予定どおり施行されれば,対米繊維輸出額が前年比約85%減になるとして,7月に来イする米国綿花輸出ミッションとの会談に応じないことを決定。 |
DIA-209-1985-06-07-2 | インドネシア | 1985年06月07日 | 1980年代 | 9・30事件犯の再登録―ハリ・スギマン内務省社会・政治総局長が国会で明らかにしたところによると,82年より開始された9・30事件のPKI関係の元逮捕者・刑事犯(約170万人)に対する再登録作業を85年末までに終了する。 |
DIA-209-1985-06-07-3 | インドネシア | 1985年06月07日 | 1980年代 | 豪,東チモールに75万豪㌦援助―8日発のKP紙特派員電によると,ヘイドン豪外相は,豪政府はユニセフの東チモール援助計画継続のために75万豪㌦の基金の用意がある,と述べた。 |
DIA-209-1985-06-13-1 | インドネシア | 1985年06月13日 | 1980年代 | 日本,イ原油輸入水準維持を約束―訪日中のギナンジャールBKPM長官は中曽根首相との会談後,日本側はイ原油輸入水準を全原油輸入の15%に維持することを約束したと述べた。 |
DIA-209-1985-06-14-1 | インドネシア | 1985年06月14日 | 1980年代 | 報告義務違反の投資プロジェクトに警告―サニョトBKPM副長官は,報告義務違反の363の内外投資プロジェクトに対し,許可取消しの可能性もあると警告した。 |
DIA-209-1985-06-14-2 | インドネシア | 1985年06月14日 | 1980年代 | 世銀のプロジェクトローン―移住計画に1億6000万㌦,港湾業務の改善に1億1100万㌦,計2億7100万㌦を融資。 |
DIA-209-1985-06-14-3 | インドネシア | 1985年06月14日 | 1980年代 | 第1四半期の非石油製品輸出減少―中銀の発表によると,84年同期比3.2%減の17億4000万㌦にとどまった。 |
DIA-209-1985-06-17-1 | インドネシア | 1985年06月17日 | 1980年代 | PPP内部対立和解―スパルジョ内相の仲介により,対立していたナロ総裁とスダルジ委員長はPPPの統一維持のための5項目の宣言に同意。表面上は対立に終止符。 |
DIA-209-1985-06-17-2 | インドネシア | 1985年06月17日 | 1980年代 | 84年の観光外貨収入―前年比18.2%増の5億1970万㌦。内訳は,シンガポール人8000万㌦,日本人7770万㌦など(A通信,18日)。 |
DIA-209-1985-06-17-3 | インドネシア | 1985年06月17日 | 1980年代 | 国軍人事―第Ⅸ陸軍区(ヌサトゥンガラ)の参謀長に,ウィスモヨ・アリスムナンダール前Kopasandba司令官が任命された。 |
DIA-209-1985-06-18-1 | インドネシア | 1985年06月18日 | 1980年代 | アサハン・アルミ,生産拡大へ―スハルト大統領は,アサハン・アルミ生産量を現在の年産22万5000㌧から1990年までに年産40万㌧に拡大するよう望む,と発言した。 |
DIA-209-1985-06-24-1 | インドネシア | 1985年06月24日 | 1980年代 | イ・米繊維交渉(~29日)―バリ島にて開催。両者は,米側がイ繊維輸入量割り当てを85年6月30日から88年7月1日までの間,31品目,年間2億8500万平方ヤードとすることで同意。 |
DIA-209-1985-06-24-2 | インドネシア | 1985年06月24日 | 1980年代 | 投資許可取り消し―サニョトBKPM副長官は,6月18日までに327件(うち9件は外国投資)の投資許可取り消しを行なったことを明らかにした。 |
DIA-209-1985-06-26-1 | インドネシア | 1985年06月26日 | 1980年代 | 国軍人事―4人の新陸軍参謀長補佐官が以下のように任命された。治安担当グデ・アウェト・サラ准将,作戦担当サハラ・ラジャグッグッ准将,人事担当シャウカト・バンジャランサリ准将,企画および経理担当スカルト准将。またルディニ陸軍参謀長は,国軍改革は86年4月1日までに完了し,兵員給与はすべて銀行振込とすることを明らかにした。 |
DIA-209-1985-06-27-1 | インドネシア | 1985年06月27日 | 1980年代 | 東京でASEAN経済閣僚会議(~28日)―日本が発表した輸入関税引下げ実施案をめぐって討議。インドネシアは合板関税引下げ見送りに対して不満を表明。 |
DIA-209-1985-06-27-2 | インドネシア | 1985年06月27日 | 1980年代 | 一連の破壊行為の容疑者6人を逮捕―東ジャワ検察当局は,1月のボロブドゥール遺跡爆破,3月の東ジャワのバス爆破事件など一連の爆破事件の容疑者としてイスラム過激派コマンド・ジハッドの6人を逮捕。 |
DIA-209-1985-06-27-3 | インドネシア | 1985年06月27日 | 1980年代 | 欧州議会の非難に反発―ブリュッセルで7月開催される欧州議会において,インドネシアによる元PKI政治犯処刑決定を非難のニュースに対して,アミルマフムド国会議長は内政干渉であると反発。 |
DIA-209-1985-06-29-1 | インドネシア | 1985年06月29日 | 1980年代 | BKPM,30社に株式譲渡を勧告―サニョト副長官は,30社の合弁企業の責任者に対し,株式の過半数をインドネシア側に譲るように勧告した。 |
DIA-209-1985-07-01-1 | インドネシア | 1985年07月01日 | 1980年代 | 企業登録制度実施―企業登録に関する法律3号/1982により,85年6月30日以前に設立の企業は86年7月1日迄,85年7月1日以降に設立の企業は事業ライセンス取得後3ヵ月以内に,商業省の地方出先機関へ登録することになった。登録は5年ごとに更新。ただし,公益企業や個人・家族経営の小規模企業は対象から除外。 |
DIA-209-1985-07-02-1 | インドネシア | 1985年07月02日 | 1980年代 | 輸入自動車部品関税引下げ―蔵相令551号が公布され,組立コストの削減と組立現地化を目的として,輸入自動車部品のうち完全現地組立生産用部品11品目の関税率が85年4月から87年3月31日まで一時的にゼロに引き下げられる。 |
DIA-209-1985-07-02-2 | インドネシア | 1985年07月02日 | 1980年代 | 国軍指導者会議開催(~6日)―内容は,国軍再編成の検討と評価,85/86年度活動計画など。 |
DIA-209-1985-07-02-3 | インドネシア | 1985年07月02日 | 1980年代 | モフタル=リタウディン会談―ジャカルタでカンボジア問題について協議。リタウディン・マ外相は間接対話構想の意義を強調。 |
DIA-209-1985-07-03-1 | インドネシア | 1985年07月03日 | 1980年代 | 85年の米生産見積り―ハルモコ情報相によると,85年の米生産は前年比0.61%増の2598万㌧の見込み。 |
DIA-209-1985-07-04-1 | インドネシア | 1985年07月04日 | 1980年代 | KADIN事務局長訪中明らかになる―KP紙4日の報道で,直接貿易に関するKADIN側の意向を中国側に説明するため,ワレアン事務局長が6月17日から5日間訪中していたことが明らかになった。 |
DIA-209-1985-07-05-1 | インドネシア | 1985年07月05日 | 1980年代 | イ・中直接貿易再開に関する覚え書き調印―シンガポールでKADINと中国国貿促との間で調印。内容は,(1)貿易取引決済方法,(2)ビザ申請手続方法,(3)両国各々の寄港地など6項目。ただし,イ側の要請により,覚え書きへの両国公式名称の使用は省かれた。 |
DIA-209-1985-07-08-1 | インドネシア | 1985年07月08日 | 1980年代 | ASEAN外相会議(~9日)―クアラルンプールにて開催。モフタル外相は記者会見で,外相会議で合意したカンボジア問題解決のための間接対話構想と,米越関係正常化やベトナムでの米国未還兵捜索問題の解決とを関連づける必要を強調。 |
DIA-209-1985-07-08-2 | インドネシア | 1985年07月08日 | 1980年代 | 石油産業関連サービス部門のインドネシア化―ギナンジャールBKPM長官はKADINの建設業部会会議で,陸上の掘削,調査,探鉱などの分野における外国企業の活動を86年より禁止し,国内企業および合弁企業の活動のみに許可する,と発言。 |
DIA-209-1985-07-08-3 | インドネシア | 1985年07月08日 | 1980年代 | 軍管区(Kowilhan)を全廃―国軍機構改革の一環として,8日に第Ⅰ軍管区,9日に第Ⅲ軍管区,13日に第Ⅳ軍管区,第Ⅱ軍管区をそれぞれ廃止。 |
DIA-209-1985-07-08-4 | インドネシア | 1985年07月08日 | 1980年代 | シャレヵット・イスラム(SI),正式にパンチャシラ受け入れ―SIの執行委員会で,党の唯一の原則としてパンチャシラを受け入れることを正式決定。またハルソノ・チョクロアミノト新総裁を選任。 |
DIA-209-1985-07-09-1 | インドネシア | 1985年07月09日 | 1980年代 | 北スマトラの森林火災について―スハルディマン・ゴルカル副議長は,北スマトラ森林火災が過激派の仕業であるとし,破壊行為を非難した。 |
DIA-209-1985-07-09-2 | インドネシア | 1985年07月09日 | 1980年代 | 85年の外国投資優先業種リスト発表―大統領決定55号で発表。投資対象業種として,農業,基礎資材,中間財の製造業を優先。また地方振興策により,ジャワ島外への投資が優遇されている。リストは3年間有効。 |
DIA-209-1985-07-10-1 | インドネシア | 1985年07月10日 | 1980年代 | パサール・バル火災―中央ジャカルタのパサール・バル・ショッピングプラザで火災。360以上の店舗が焼壊。 |
DIA-209-1985-07-12-1 | インドネシア | 1985年07月12日 | 1980年代 | 石油輸出低下―中央統計局の『統計月報』によると,85年1~3月の石油輸出は10億6200万㌧(前年同期比18.74%減),23億㌦(同20.58%減)と大きく低下。(JP紙,12日) |
DIA-209-1985-07-15-1 | インドネシア | 1985年07月15日 | 1980年代 | 国立銀行,短期金利引下げ―1年以内の預金金利を18%から17%へ。これは7月初めのSBPU割引率の引き下げ(19.5%から18%へ)に続くもの。 |
DIA-209-1985-07-16-1 | インドネシア | 1985年07月16日 | 1980年代 | 国家戦略司令部(Kostranas)廃止。 |
DIA-209-1985-07-18-1 | インドネシア | 1985年07月18日 | 1980年代 | クラーク加外相来イ(~21日)―イ側の入超となっている両国貿易不均衡是正協議のため来イ。加側は900万加㌦の職業訓練プログラムへの資金協力を約束。 |
DIA-209-1985-07-19-1 | インドネシア | 1985年07月19日 | 1980年代 | 元PKI残存党員問題―ハリ・スハルト検事総長は記者会見で,ソ連・ブルガリア・東独大使館は各国居住の元PKI党員の情報提供を拒否,と発言。 |
DIA-209-1985-07-20-1 | インドネシア | 1985年07月20日 | 1980年代 | 国営ラジオ局(RRI)本社ビル火災―西メダン・ムルデカ通りのRRI本社ビルで火災。2人死亡。 |
DIA-209-1985-07-20-2 | インドネシア | 1985年07月20日 | 1980年代 | インドネシア・イスラム審議会(MUI)第3回総会開催(~23日)―大会では,MUIのパンチャシラ受け入れなどを決定。 |
DIA-209-1985-07-23-1 | インドネシア | 1985年07月23日 | 1980年代 | 政府,イ・中直接貿易再開を正式に承認―6閣僚,国軍司令官,中銀総裁,BAKIN長官に対し,対中貿易窓口のKADIN支援を求める大統領令9号/1985を公布。 |
DIA-209-1985-07-26-1 | インドネシア | 1985年07月26日 | 1980年代 | 新教育文化相,正式決定―フアド・ハッサン前外務省開発研究所所長を新教育文化相に任命決定。30日に正式に就任。 |
DIA-209-1985-07-26-2 | インドネシア | 1985年07月26日 | 1980年代 | KADIN訪中団出発(~8月3日)―一行はKADIN関係者9名,実業家118名の計127名。シンガポールでビザ取得後北京入りし,上海,広州も訪問。スカムダニ団長(KADIN会頭)は,今回の訪中が対中外交関係正常化とは無関係であることを強調。 |
DIA-209-1985-07-29-1 | インドネシア | 1985年07月29日 | 1980年代 | ムボウUNESCO事務局長来イ(~8月2日)―31日のジョクジャカルタでの多種メディア訓練センター落成式典に参加。30日にスハルト大統領と会談。 |
DIA-209-1985-07-29-2 | インドネシア | 1985年07月29日 | 1980年代 | ペトレスク・ルーマニア副首相来イ(~8月1日)―31日に経済・技術協力の議定書を調印。 |
DIA-209-1985-08-01-1 | インドネシア | 1985年08月01日 | 1980年代 | インドネシア・フェア開催(~9月15日)―独立40周年を記念し,国産品振興を目的としてジャカルタ中心部の独立記念塔広場で開催。 |
DIA-209-1985-08-01-2 | インドネシア | 1985年08月01日 | 1980年代 | 中国在留の元PKI党員について―モフタル外相は,中国にはもはや元PKIメンバーはいないとの中国側からの説明があった,と発言(A通信,1日)。 |
DIA-209-1985-08-02-1 | インドネシア | 1985年08月02日 | 1980年代 | シレガル中銀総裁,ルピア切下げの噂を否定。 |
DIA-209-1985-08-03-1 | インドネシア | 1985年08月03日 | 1980年代 | KADIN訪中成果―中国から合板1.25億㌦,セメント1億㌦,ゴム7500万㌦,繊維6000万㌦など,計3億5250万㌦の買付引き合いがあった。 |
DIA-209-1985-08-07-1 | インドネシア | 1985年08月07日 | 1980年代 | 中銀,SBPU金利さらに引き下げ―中銀はSBPU金利を7日より18%から17%へ引き下げた。 |
DIA-209-1985-08-09-1 | インドネシア | 1985年08月09日 | 1980年代 | 国軍人事―ジャヤ(ジャカルタ)陸軍区司令官にスギトKostrad空挺部隊長が任命された。 |
DIA-209-1985-08-09-2 | インドネシア | 1985年08月09日 | 1980年代 | 中国国貿促代表団来イ(~19日)―一行は王耀庭国貿促委員長を団長とする43名。王団長は19日,今回の訪問の成果を評価すると述べた。しかし契約成立はなく,数量等の具体的交渉は以後に持ち越された。 |
DIA-209-1985-08-10-1 | インドネシア | 1985年08月10日 | 1980年代 | 国内初の石炭火力発電所開所―エネルギー資源多角化政策の一環として,西ジャワのスララヤ石炭火力発電所が運転開始。ただし,国内炭鉱開発の遅れに伴い,86年まで豪産石炭を原料炭として利用する。 |
DIA-209-1985-08-12-1 | インドネシア | 1985年08月12日 | 1980年代 | 第1回ASEAN青年実業家会議開催(~15日)―ヘイグ前米国国務長官,村田通産相,ダイム・マ蔵相,ウォン・シ国務相,ホセ比中銀総裁等350人参加。 |
DIA-209-1985-08-13-1 | インドネシア | 1985年08月13日 | 1980年代 | 政府,金融関連3法案を国会に提出か―ラディウス蔵相は,政府が金融機関に対する公的信用を増大させるため銀行,保険,年金に関する3法案を国会に提出することを明らかにした。 |
DIA-209-1985-08-13-2 | インドネシア | 1985年08月13日 | 1980年代 | 原油価格引き下げ―プルタミナ筋は,8月1日に遡って,OPEC適用外のドゥリ油田の重質油価格を1.95㌦,その他7油田の重質油・中質油価格を,7月のOPEC決定に従い0.5㌦,0.2㌦,それぞれ引き下げると発表。16日にスブロト鉱業相は,この発表内容を確認。 |
DIA-209-1985-08-13-3 | インドネシア | 1985年08月13日 | 1980年代 | インドセメント社の株式買収―ラディウス蔵相は,政府がインドセメント社の株式の35%,約3643億ルピアを6月25日付で買収したことを明らかにした。 |
DIA-209-1985-08-15-1 | インドネシア | 1985年08月15日 | 1980年代 | 元外相らに恩赦―アリ最高裁長官によると,スハルト大統領は9・30事件に加担したとして死刑判決を受けていたスバンドリオ元外相とオマル・ダニ元空軍大将に対し,終身禁固刑に減刑する恩赦を発表。 |
DIA-209-1985-08-15-2 | インドネシア | 1985年08月15日 | 1980年代 | 元PKI党員の処刑について―アリ最高裁長官は,元PKI中央委員ムニールを含む幾人かの元PKI指導者が,すでに処刑されていることを認めた。 |
DIA-209-1985-08-16-1 | インドネシア | 1985年08月16日 | 1980年代 | 独立40周年記念式典大統領演説―スハルト大統領は演説の中で,独立40周年の成果を誇示。政治面では,政・軍界の世代交代の推進と国家の唯一原則としてのバンチャシラの堅持,国軍機構改革の推進を強調。経済面では,米の自給達成を自賛するとともにルピア切り下げの可能性を否定し,脱石油化工業政策,経済構造改革への強い意欲を示した。 |
DIA-209-1985-08-18-1 | インドネシア | 1985年08月18日 | 1980年代 | 独立40周年に伴う恩赦―政府は全国で2万1463人に対して恩赦を与え,うち3450人以上を17日に釈放したことを明らかにした(A通信,18日)。 |
DIA-209-1985-08-19-1 | インドネシア | 1985年08月19日 | 1980年代 | ダルソノ公判開始―タンジュン・プリオク暴動に関連して国家反逆罪で起訴されていたダルソノ元ASEAN事務総長の公判が中央ジャカルタ地裁で開始。 |
DIA-209-1985-08-20-1 | インドネシア | 1985年08月20日 | 1980年代 | 豪労働党政権,東チモールの主権で柔軟な態度―ホーク豪首相はインドネシア国営テレビTVRIの録画番組に出演し,労働党政権としては初めて,インドネシアの東チモールに対する主権を認めると発言。また同首相は,豪はインドネシアを脅威とは感じないと述べ,その理由としてイ・豪軍事協力計画の存在をあげた。 |
DIA-209-1985-08-20-2 | インドネシア | 1985年08月20日 | 1980年代 | タイ国軍最高司令官来イ(~24日)―アーティット最高司令官はルディニ陸軍参謀長の招きで来イし,ムルダニ国軍最高司令官,ポニマン国防治安相等と会談。 |
DIA-209-1985-08-20-3 | インドネシア | 1985年08月20日 | 1980年代 | 国軍人事―バンバン・トリアントロ前陸軍副参謀長は,国軍参謀本部社会政治機能(Sospol)担当最高責任者に就任。陸軍副参謀長には,非45年世代のトリ・ストリスノ前ジャヤ陸軍区司令官が就任。 |
DIA-209-1985-08-21-1 | インドネシア | 1985年08月21日 | 1980年代 | グェン・コ・タク越外相来イ(~25日)―22日のモフタル外相との会談で,タク越外相は「間接対話構想」の有効性に対しポル・ポト派承認につながるとして難色を示した。会談内容の詳細は不明。またタク越外相は25日スハルト大統領とも会談(10月10日も参照)。 |
DIA-209-1985-08-22-1 | インドネシア | 1985年08月22日 | 1980年代 | BCA爆破事件判決―西ジャカルタ地裁は,犯人の1人アミル・ウィジャヤに対し懲役14年の判決。 |
DIA-209-1985-08-29-1 | インドネシア | 1985年08月29日 | 1980年代 | マレーシア首相,ナトゥナ島視察―マハティール・マ首相一行はムルダニ国軍司令官とともに,ナトゥナ島のラナイ・ダタール空港を視察。インドネシアは同空港でのマ軍訓練に許可を与えている。 |
DIA-209-1985-08-30-1 | インドネシア | 1985年08月30日 | 1980年代 | 元PKI幹部3人の処刑,確認さる―イスマイル・サレー法相は,ルストモ前PKI特別委員会委員長等3人を,7月マドゥラ島にて処刑したことを確認(KP紙,30日)。 |
DIA-209-1985-08-30-2 | インドネシア | 1985年08月30日 | 1980年代 | パラパ衛星軌道はずれる―タヒル観光・通信相は記者会見で,全国でテレビ放送,電話回線が中断したのはパラパ衛星が軌道をはずれたためである,と述べた。衛星は9月2日に軌道に復帰。 |
DIA-209-1985-08-30-3 | インドネシア | 1985年08月30日 | 1980年代 | 開発予算に追加分―30日付政府規則39号によると,84/85年度未使用分2兆787億8000万ルピアが85/86年度開発予算に繰り入れられた。 |
DIA-209-1985-08-31-1 | インドネシア | 1985年08月31日 | 1980年代 | 東チモールに道義的義務―サントス・ポルトガル国務相は,ラジオのインタビューで,ポルトガルは東チモールに対して道義的義務を負うと述べた。 |
DIA-209-1985-09-01-1 | インドネシア | 1985年09月01日 | 1980年代 | インドネシア,東独の国際ライプチヒ秋季フェアに参加(~7日)。 |
DIA-209-1985-09-02-1 | インドネシア | 1985年09月02日 | 1980年代 | 新海軍本部,ジャカルタ東部チランカプに完成。 |
DIA-209-1985-09-03-1 | インドネシア | 1985年09月03日 | 1980年代 | イ・中貿易事務レベル交渉開始―繊維取引に関する事務レベル交渉がジャカルタで開始。 |
DIA-209-1985-09-03-2 | インドネシア | 1985年09月03日 | 1980年代 | 中国共産党,元PKI幹部処刑を非難―3日付人民日報は,元PKI幹部処刑を「インドネシア当局による非人道的行為」として強く非難。 |
DIA-209-1985-09-04-1 | インドネシア | 1985年09月04日 | 1980年代 | 非同盟諸国外相会議(~9日)―ルアンダで開催され,モフタル外相が出席。会議では東チモール問題が議題として取り上げられ,激しい議論がなされた。86年の第8回会議開催国はジンバブエに決定。 |
DIA-209-1985-09-04-2 | インドネシア | 1985年09月04日 | 1980年代 | 輸出金融,合弁にも適用―中銀は外資系合弁企業に対し,従来内資企業にのみ認められていた年利9%の輸出促進融資制度金融を適用可能とすると決定。 |
DIA-209-1985-09-05-1 | インドネシア | 1985年09月05日 | 1980年代 | 外銀活動の緩和―ラディウス蔵相は,11の外国銀行に対して,輸出融資業務に限ってジャカルタ地区以外での活動を認めると述べた。5日より実施。 |
DIA-209-1985-09-05-2 | インドネシア | 1985年09月05日 | 1980年代 | 元PKI党員に投票権―政府は大統領令により,87年総選挙への投票権を条件付きで元PKI党員に与えることを表明。 |
DIA-209-1985-09-07-1 | インドネシア | 1985年09月07日 | 1980年代 | 日本・韓国へ投資誘致ミッション(~14日)―一行はスマルリンBAPPENAS長官,ギナンジャールBKPM長官等64名。日本との間では11件の合弁契約が成立。 |
DIA-209-1985-09-08-1 | インドネシア | 1985年09月08日 | 1980年代 | プレム・タイ首相来イ(~9日)―プレム首相はシッティ外相,スリー総理府相等16人とともに来イ。カンボジア問題や繊維・アパレル法案問題等についてスハルト大統領等と会談。同首相はASEANサミットを提案した。 |
DIA-209-1985-09-10-1 | インドネシア | 1985年09月10日 | 1980年代 | 87年総選挙の日程発表―スパルジョ内相は,次回総選挙を87年4月23日に実施すると発表。 |
DIA-209-1985-09-11-1 | インドネシア | 1985年09月11日 | 1980年代 | 米の輸出について―アリフィンBulog長官はスハルト大統領との会談後,インドネシアからの米の輸出の可能性を否定した。 |
DIA-209-1985-09-13-1 | インドネシア | 1985年09月13日 | 1980年代 | スハルト大統領,東欧歴訪―13~16日トルコ,16~19日ルーマニア,19~21日ハンガリーを公式訪問し,2日間ジュネーブで休養後帰国。モフタル外相,ムルダニ国軍司令官・スマルリンBAPPENAS長官が同行。 |
DIA-209-1985-09-19-1 | インドネシア | 1985年09月19日 | 1980年代 | 新規シンジケートローン導入せず―ラディウス蔵相は,4月に緊急用に借入れたシンジケート・ローンが未使用のため,85/86年度は新規ローン借入れを行なわないと述べた。 |
DIA-209-1985-09-20-1 | インドネシア | 1985年09月20日 | 1980年代 | 台湾から通商ミッション来イ―計135人の一行で,ジャカルタで5日間の台湾製品展示会を開いたほか,スラバヤ,メダンで製品カタログ展を開催。 |
DIA-209-1985-09-21-1 | インドネシア | 1985年09月21日 | 1980年代 | 法人税還付について―サラムン国税総局長は,84年に予納された1000社の法人税超過支払い分1000億ルピアを遅くとも10月末までに払い戻すと発言した(10月11日参照)。 |
DIA-209-1985-09-24-1 | インドネシア | 1985年09月24日 | 1980年代 | ASEAN国際議連第8回大会(~28日)―ジャカルタで開かれた大会では,米国の繊維・アパレル貿易法案への非難,保護主義の撤廃,カンボジア問題に関するベトナム非難などを,コミュニケとして発表。 |
DIA-209-1985-09-25-1 | インドネシア | 1985年09月25日 | 1980年代 | ハルモコ情報相,北朝鮮を訪問(~28日)―両国関係の拡大と非同盟諸国間の情報協力促進を目的。 |
DIA-209-1985-09-25-2 | インドネシア | 1985年09月25日 | 1980年代 | KADIN第6回全国大会(~28日)―大会ではスカムダニ会頭を88年までの会頭に再選するとともに,副会頭を4人から5人に増やし,プロポストゥジョ,バラムリ,トニー・アグス・アルディ(以上再任),シスウォノ,サモラ(以上新任)を副会頭に選任。 |
DIA-209-1985-09-26-1 | インドネシア | 1985年09月26日 | 1980年代 | 商業車の完全組立計画を延期―ハルタルト工業相は,87年に開始予定だった商業車の完全組立計画を市場の悪化により延期すると発言。 |
DIA-209-1985-09-27-1 | インドネシア | 1985年09月27日 | 1980年代 | マドゥラ沖油田,商業生産開始―韓国資本のコデコ・エネルギー会社との共同開発によるマドゥラ沖の石油・天然ガス田の商業生産開始。 |
DIA-209-1985-09-27-2 | インドネシア | 1985年09月27日 | 1980年代 | 投資プロジェクトの許可取消について―ギナンジャールBKPM長官は,外資56件,内資592件の計648件,7123億ルピアの投資プロジェクトの許可取消を行なったと発表。 |
DIA-209-1985-09-28-1 | インドネシア | 1985年09月28日 | 1980年代 | 予算目標見直しの必要―スプロト鉱業相は,石油・天然ガス部門の収入が予算額を下回る見込みのため,Repelita Ⅳで設定された予算目標を見直す必要を強調。 |
DIA-209-1985-10-01-1 | インドネシア | 1985年10月01日 | 1980年代 | 政府高官等に税申告を義務づけ―1日付大統領決定71号により,政府高官,国軍幹部,外交官は課税対象となる個人所得,資産収入および納税額を毎年9月末に大統領に提出することが義務づけられた。 |
DIA-209-1985-10-04-1 | インドネシア | 1985年10月04日 | 1980年代 | 対中関係について―ムルダニ国軍司令官は4日発売のAsiaweek誌とのインタビューで,対中直接貿易を再開しても中国に対するわれわれの態度は変わらないと発言。 |
DIA-209-1985-10-05-1 | インドネシア | 1985年10月05日 | 1980年代 | 国軍創立40周年記念式典―クマヨラン旧空港にて33大隊が参加。スハルト大統領は式典演説のなかで国軍の二重機能擁護を強調。また,国軍が軍国主義・権威主義的政治体制を生み出すことはないと述べた。 |
DIA-209-1985-10-05-2 | インドネシア | 1985年10月05日 | 1980年代 | 米国投資ミッション来イ(~12日)―一行は13社,21名。ハーベイ団長(米国商工会議所会頭)は11日,イ国内市場の弱さ,土地取得手続の複雑さ,国内製品の高コストなどを指摘し,イ側と合意に到達できずと発言。 |
DIA-209-1985-10-07-1 | インドネシア | 1985年10月07日 | 1980年代 | モリソン豪駐イ大使,東チモールを訪問。 |
DIA-209-1985-10-07-2 | インドネシア | 1985年10月07日 | 1980年代 | パプア・ニューギニア(PNG)との合同国境委員会―ラバウルにてスパルジョ内相とギヘノPNG外相との間で「国境線画定と調査に関する覚え書き」に調印。 |
DIA-209-1985-10-07-3 | インドネシア | 1985年10月07日 | 1980年代 | バティック協同組合連盟(GKBI)会長交代―ブスタニル協同組合相は,300億ルピアの負債を抱えて経営危機状態にあるGKBI会長に,スラルソ協同組合振興理事会会長を任命。 |
DIA-209-1985-10-08-1 | インドネシア | 1985年10月08日 | 1980年代 | マハティール・マ首相来イ(~9日)―マレーシア国産車「プロトン・サガ」をスハルト大統領に献上。スハルト大統領との会談では,両国間のパーム油等の価格競争回避の努力を続けることで同意。また同大統領は対中正常化をしないと言明,中国が東南アジアの共産勢力への支持取りやめを約束していないと付言した。 |
DIA-209-1985-10-09-1 | インドネシア | 1985年10月09日 | 1980年代 | 先進国の保護主義を非難―ソウルで開催されたIMF・世銀総会で,ラディウス蔵相は,世界経済の減速は先進国の保護主義拡大によって深刻な問題と化していると発言。 |
DIA-209-1985-10-10-1 | インドネシア | 1985年10月10日 | 1980年代 | 東チモール間題について―モフタル外相は国連総会から帰国後の記者会見で,デクエヤル国連事務総長からポルトガルが東チモールヘの領土的野心を持っていないとの情報を得たことで,東チモール問題はもはや国連の重要問題とはなるまいとの見解を表明。 |
DIA-209-1985-10-10-2 | インドネシア | 1985年10月10日 | 1980年代 | カンボジア間題について―モフタル外相は,国連総会の際にASEAN各国外相と会談し,その席で,8月のタク越外相来イ時にモフタル外相が提案したカンボジア問題解決のための12項目に対してASEAN各国外相が同意したことを明らかにした(8月21日参照)。 |
DIA-209-1985-10-11-1 | インドネシア | 1985年10月11日 | 1980年代 | 法人税還付を迅速化―サルウォノ国税総局公共サービス局長は,法人税還付に要する期間を現在の13ヵ月から1ヵ月に短縮すると述べた(9月21日参照)。 |
DIA-209-1985-10-13-1 | インドネシア | 1985年10月13日 | 1980年代 | 西独国防相来イ(~17日)―ウルネル西独国防相は,ポニマン国防治安相,ムルダニ国軍司令官等と軍事協力について会談。 |
DIA-209-1985-10-14-1 | インドネシア | 1985年10月14日 | 1980年代 | 非石油製品輸出促進ミッション訪越(~21日)―5月のベトナム・ミッション来イに対するもの。団長はパンチャ・ニアガ社のオダン社長。 |
DIA-209-1985-10-14-2 | インドネシア | 1985年10月14日 | 1980年代 | 国軍防衛研修所研修団訪越(~21日)―年間カリキュラムの一環として,ベトナムの経済・防衛戦略に対する知識を深めることが目的。一行は25名。 |
DIA-209-1985-10-15-1 | インドネシア | 1985年10月15日 | 1980年代 | 米国の繊維・アパレル法案に対する抗議行動―インドネシア繊維労働組合の代表20人は米国大使館に押しかけ,10日米下院を通過した繊維・アパレル法案に対する抗議文書を大使館側に手渡した。 |
DIA-209-1985-10-16-1 | インドネシア | 1985年10月16日 | 1980年代 | Bulog,財政危機―アリフィン長官は,Bulogの中銀からの金融ローンが1.9兆ルピアに達していると発言。 |
DIA-209-1985-10-17-1 | インドネシア | 1985年10月17日 | 1980年代 | ゴルカルの87年総選挙目標―パンガベアン・ゴルカル顧問は,得票率で67.7%,国会(DPR)議席で7割獲得が目標となろう,と述べた。 |
DIA-209-1985-10-17-2 | インドネシア | 1985年10月17日 | 1980年代 | 商業車組立用部品の輸入関税撤廃―蔵相令825号による。期間は85年4月1日から87年3月31日まで。 |
DIA-209-1985-10-17-3 | インドネシア | 1985年10月17日 | 1980年代 | 不法滞在者の収容について―サレー法相は,バンドン等に収容されている1200人の不法国内滞留者(主として中国人)を,スンバ島の収容所に収容すると発表。収容者に3人の日本人が含まれていることが判明。 |
DIA-209-1985-10-18-1 | インドネシア | 1985年10月18日 | 1980年代 | ゴルカル第3回全国大会(~20日)。 |
DIA-209-1985-10-20-1 | インドネシア | 1985年10月20日 | 1980年代 | ソロのバティック・クリスの工場,倉庫焼失。 |
DIA-209-1985-10-22-1 | インドネシア | 1985年10月22日 | 1980年代 | バキル・ハサン,新アンタラ通信社長に就任。 |
DIA-209-1985-10-24-1 | インドネシア | 1985年10月24日 | 1980年代 | 86/87年度予算について―ラディウス蔵相は,石油収入の減少により86/87年度予算は今年度を下回るとの見通しを示した。また,赤字予算・ルピア切下げは行なわず,あくまで均衡予算でいくことを確認した。 |
DIA-209-1985-10-26-1 | インドネシア | 1985年10月26日 | 1980年代 | 米国援助の乳牛プロジェクト―フタソイト畜産・漁業振興担当副大臣は,農家等の個人投資家と結びついた初の外資プロジェクトとして,5000頭の米国産乳牛による395万ドルのプロジェクトを中部ジャワで開始する,と述べた。 |
DIA-209-1985-10-28-1 | インドネシア | 1985年10月28日 | 1980年代 | リャボフ・ソ連副首相来イ(~11月1日)―スハルト政権下来イのソ連要人としては最高位。29日のワルダナ調整相との会談で,イ・ソ共同委員会設置に調印。また同調整相によると,ソ連側からの1億8000万ドルの病院建設用ソフトローン供与について合意ならず。 |
DIA-209-1985-10-29-1 | インドネシア | 1985年10月29日 | 1980年代 | USAID,民間銀行の中小企業融資保証援助200万㌦を調印。 |
DIA-209-1985-11-01-1 | インドネシア | 1985年11月01日 | 1980年代 | ベトナムと500万㌦の売買契約―10月16日から25日まで訪越したパンチャ・ニアガ社のオダン社長は,セメント,肥料,ナッツなど500万㌦の売買契約をベトナム側と調印したと発表。86年に貿易代表事務所をベトナムに開設したい意向を明らかにした。 |
DIA-209-1985-11-02-1 | インドネシア | 1985年11月02日 | 1980年代 | 西ジャワ・チレゴン工業団地に九つの新規プラント開所―資本投下総額は2億1200万㌦で,9プラントの内訳は,金属部門6プラント,化学部門3プラント。 |
DIA-209-1985-11-04-1 | インドネシア | 1985年11月04日 | 1980年代 | 政府,84年以来の税制改革の一環として,土地・建物税法案と印紙税法案を国会に提出。 |
DIA-209-1985-11-05-1 | インドネシア | 1985年11月05日 | 1980年代 | 外資系石油会社従業員大量解雇―カルテックス・パシフィック・インドネシア社の従業員637人は,以前PKI系労組の組合員であったことを理由に解雇。 |
DIA-209-1985-11-06-1 | インドネシア | 1985年11月06日 | 1980年代 | プルタミナも従業員大量解雇―以前PKIに関わりを持ったとの理由で,962人の従業員を解雇。 |
DIA-209-1985-11-06-2 | インドネシア | 1985年11月06日 | 1980年代 | 米の生産量推計上方修正―ハルモコ情報相は85年の米生産量推計を2598万㌧から2631万㌧に修正。また86年はもみ米の生産者価格下限をキロ当り175ルピアに据置き。 |
DIA-209-1985-11-06-3 | インドネシア | 1985年11月06日 | 1980年代 | 国連事務総長,カンボジア問題解決に関する12項目提案を歓迎―モフタル外相は国連40周年式典から帰国後の記者会見で,デクエヤル事務総長に対して12項目提案を説明した際「歓迎」されたと発言。また,米国コロンビア大学講演でも12項目提案の説明を行なった,と述べた(詳細は「参考資料」参照)。 |
DIA-209-1985-11-07-1 | インドネシア | 1985年11月07日 | 1980年代 | 85/86年度上半期の財政実績―ラディウス蔵相によると,同期の政府歳入総額は9兆7967億ルピア(年度目標の42.5%)で,前年同期比32.5%増。一方,ネットの石油・LNG輸出額は31.76億㌦で前年同期比30.7%減。非石油製品輸出額は30.50億㌦で前年同期比7.4%増に止まった。経常収支赤字は12.82億㌦。 |
DIA-209-1985-11-09-1 | インドネシア | 1985年11月09日 | 1980年代 | 対パプア・ニューギニア(PNG)関係について―モフタル外相はCSIS主催の第2回イ・PNGセミナーの席上,PNG側にイリアン・ジャヤの「ジャワ化」,越境者問題などの懸念があること,インドネシアはPNGに対して領土的野心は持たないこと,自由パプア運動(OPM)が依然活動していること,などを述べた。 |
DIA-209-1985-11-11-1 | インドネシア | 1985年11月11日 | 1980年代 | 実業家80人訪中―15日から30日まで開催される北京フェア参加のため。団長はダルヨノKADIN貿易部長。スカムダニKADIN会頭は,中国との貿易協定締結後北京にKADINの貿易代表部を設けたい意向を明らかにした。 |
DIA-209-1985-11-12-1 | インドネシア | 1985年11月12日 | 1980年代 | スハルト大統領,ローマへ(~15日)―第23回FAO総会参加のため。14日に大会で演説。期間中にコシガ伊大統領,ミッテラン仏大統領と,国際南洋材機構本部のジャカルタ誘致などについて会談。 |
DIA-209-1985-11-12-2 | インドネシア | 1985年11月12日 | 1980年代 | 政府,ホンダに乗用車エンジン生産を許可―兼松江商,プロスペクト・モーター社との合弁で,1000ccと2000ccの乗用車エンジン年産計2万5000台を計画。 |
DIA-209-1985-11-13-1 | インドネシア | 1985年11月13日 | 1980年代 | 84/85年度プルタミナ決算―ファイシャル・プルタミナ財務局長によると,84/85年度税引後利益は6101億ルピアで,前年度比19%増。 |
DIA-209-1985-11-16-1 | インドネシア | 1985年11月16日 | 1980年代 | スハルト・ガンディー会談―スハルト大統領はFAO総会からの帰国途中インドを訪問し,ラジープ・ガンディー首相と一時間会談。非同盟運動の基本方針の堅持などについて意見が一致。 |
DIA-209-1985-11-22-1 | インドネシア | 1985年11月22日 | 1980年代 | 86/87年度開発予算は縮小か―スマルリンBAPPENAS長官は国会予算委員会で,86/87年度開発予算が85/86年度を下回ると予想。また82/83~84/85年度の開発予算未使用残高が4兆ルピア(10月第2週現在)であることを掲げて,政府プロジェクトの見直しや実施優先基準の再考の必要性を強調した。 |
DIA-209-1985-11-23-1 | インドネシア | 1985年11月23日 | 1980年代 | スマラン港の拡張・近代化工事竣工―総工費1億800万㌦で,1万㌧クラスの接岸能力の港に改良。名称も「タンジュン・エマス」港と改名。 |
DIA-209-1985-11-26-1 | インドネシア | 1985年11月26日 | 1980年代 | インドネシア全労組連盟(FBSI)大会開催(~12月1日)―大会では,インドネシア全勤労者協会(SPSI)への名称変更を決定。また難航の末,12月1日早朝イマム・スダルウォ新議長(55歳)を選出。 |
DIA-209-1985-11-26-2 | インドネシア | 1985年11月26日 | 1980年代 | 朴成哲・北朝鮮副主席来イ(~30日)―ウマル副大統領と協力拡大などについて会談。またスハルト大統領を表敬し,北朝鮮に招待した。 |
DIA-209-1985-11-26-3 | インドネシア | 1985年11月26日 | 1980年代 | 85/86年度政府資本参加―総額は3673億ルピア。うち9割がインドセメント社の株式取得(8月13日参照)。 |
DIA-209-1985-11-28-1 | インドネシア | 1985年11月28日 | 1980年代 | ネットバック方式の導入について―スブロト鉱業相は,石油価格にネットバック(精製コストなどを除いた価格)方式を導入しても国際石油価格にはそれほど影響を与えまいとの楽観的な見方を示した。 |
DIA-209-1985-11-28-2 | インドネシア | 1985年11月28日 | 1980年代 | イ・マ,ナトゥナ島の海・空軍共同利用協定に調印―27日からサラワク州クチンで開かれた第14回イ・マ国境委員会の席上,ムルダニ国軍司令官とムサ・マ副首相との間で調印。同司令官はその内容として,マ軍のナトゥナ島のイ空軍施設の軍事演習での使用などをあげた。 |
DIA-209-1985-11-29-1 | インドネシア | 1985年11月29日 | 1980年代 | カンボジア問題解決に関してカクテルパーティーを提案―モフタル外相は,カンボジア四派にベトナムを加え,インドネシアがホスト役を務める「カクテルパーティー」をインドネシアで開くことを提唱。これにはASEAN各国の同意が必要であることを強調した。 |
DIA-209-1985-11-30-1 | インドネシア | 1985年11月30日 | 1980年代 | 17人の新地方警察長官任命―17人中8人は少将クラス(以前は4人)。今回の惜置は警察組織の再編プログラムの一環で,併来の指揮系統の改革が目的。 |
DIA-209-1985-12-03-1 | インドネシア | 1985年12月03日 | 1980年代 | マレーシア国王夫妻来イ(~7日)。 |
DIA-209-1985-12-03-2 | インドネシア | 1985年12月03日 | 1980年代 | 社会主義諸国との貿易について―スビヤクト国軍防衛研修所所長は,「挙動不審でない実業家に対しては国防当局は偏見をもたない」と述べ,社会主義諸国との貿易促進に対し間接的に不安を表明。これに対してパンチャ・ニアガ社のオダン社長は,こうした国防当局の懸念が社会主義諸国との貿易促進を妨げている,と反論。 |
DIA-209-1985-12-04-1 | インドネシア | 1985年12月04日 | 1980年代 | 大統領,ILO第10回アジア地域会議で演説―スハルト大統領は,先進国の保護主義政策を非難,雇用創出の必要を訴えた。会議はジャカルタで開かれ,39ヵ国が参加。13日まで開催。 |
DIA-209-1985-12-04-2 | インドネシア | 1985年12月04日 | 1980年代 | 来年の経済運営も慎重に―シレガル中銀総裁は,不確実な下で慎重な経済運営が必要であると述べ,ルピア切り下げを否定した。 |
DIA-209-1985-12-05-1 | インドネシア | 1985年12月05日 | 1980年代 | 砂糖,自給体制へ―イ砂糖協会スジャイ会長は,85年の生産見通し176万㌧,84年末のストック86.7万㌧により,もはや輸入の必要はなくなろうと述べた。 |
DIA-209-1985-12-06-1 | インドネシア | 1985年12月06日 | 1980年代 | インドネシア民主党(PDI)内紛棚上げ―5日のPDI幹部とスパルジョ内相との間の会合を受けて,PDIの対立する2派は相違点を棚上げにし,党大会を開催して協議することで合意に達した。 |
DIA-209-1985-12-07-1 | インドネシア | 1985年12月07日 | 1980年代 | 第41回ムハマディア全国大会開催(~11日)―ソロで開催。大会では,ファフルディン議長を4選するとともに,組織の唯一原則としてパンチャシラを受け入れることを決定。また政府に対し女性労働力輸出の禁止などを要求した。 |
DIA-209-1985-12-09-1 | インドネシア | 1985年12月09日 | 1980年代 | ジョクジャカルタの国営テレビ(TVRI)局で爆弾事件。 |
DIA-209-1985-12-09-2 | インドネシア | 1985年12月09日 | 1980年代 | ASEAN各国,カクテルパーティー提案に理解―7日からタイ,シンガポールを訪問していたモフタル外相は帰国後の記者会見で,訪問先の両国からインドネシアの提唱する「カクテルパーティー」に対して,理解を得ることができた,と述べた。 |
DIA-209-1985-12-10-1 | インドネシア | 1985年12月10日 | 1980年代 | スハルト大統領,カンボジア問題解決のイニシアチブをインドネシアがとる,と発言。 |
DIA-209-1985-12-11-1 | インドネシア | 1985年12月11日 | 1980年代 | イ・米有識者会議(~14日)―CSISと米国アジア財団の共催により,バリ島で開催。モフタル外相の基調演説の後,両国間の経済関係などについて協議。イ側は米国の保護主義的傾向に対して懸念を表明。 |
DIA-209-1985-12-14-1 | インドネシア | 1985年12月14日 | 1980年代 | モフタル外相訪豪(~18日)―カンボジア問題,国境問題等を議題とし,16日に豪政府首脳と会談。同外相は記者会見で,インドネシアは豪に対する脅威ではない,と述べた。また同外相は17日,ポル・ポト派を除くカンボジア各派がカクテルバーティーに肯定的姿勢を示している,との見方を表明した。 |
DIA-209-1985-12-16-1 | インドネシア | 1985年12月16日 | 1980年代 | 韓国へもLNG輸出を計画―スブロト鉱業相は83年締結の対韓国LNG輸出契約(87年から20年間)に関して,早ければ86年には37.5万立方㍍のLNGを韓国へ輸出できる,との見方を示した。 |
DIA-209-1985-12-19-1 | インドネシア | 1985年12月19日 | 1980年代 | 国会,最高裁法案を可決―11月初めに提出された最高裁法案は,裁判官の任命等の項目で議論どなったが,修正ののちに国会を通過。 |
DIA-209-1985-12-19-2 | インドネシア | 1985年12月19日 | 1980年代 | モフタル外相,マニラにてロムロ元比外相の葬儀に参列。非公式にASEAN外相会議行なわれる。 |
DIA-209-1985-12-21-1 | インドネシア | 1985年12月21日 | 1980年代 | 土地・建物税法,印紙税法成立―税制システムの簡素化と租税収入増加が目的。前者は,従来の土地税,道路税など七つの税法を統合し,固定資産に課税対象額の一律0.5%の税を課すもの。後者は,印紙税の種類を従来の100余から2種類にしたもの。2法は,86年1月1日より施行。 |
DIA-209-1985-12-23-1 | インドネシア | 1985年12月23日 | 1980年代 | 初のイ・越実務者レベル協議(~24日)―ジャカルタで開催。イ側のカンボジア問題解決のための12項目提案と越側の3月に出された5項目提案との間でいくつかの項目で合意したが,双方の見解の相違を埋めるには至らなかった。団長は,越側がニェン外務次官,イ側がナナ・ストレスナ外務省政治局長。 |
DIA-209-1985-12-23-2 | インドネシア | 1985年12月23日 | 1980年代 | 中国からの原綿輸入の遅れについて―スカムダニKADIN会頭は,中国からの400万㌧の原綿を積んだ輸送船の到着が遅れていることを重視。原因はSGSの事務所が中国にいまだないことにあるとし,適切に処置されねばイ中貿易関係に悪影響を与えよう,と述べた。 |
DIA-209-1985-12-27-1 | インドネシア | 1985年12月27日 | 1980年代 | ボゴール・ジャカルタ間電話不通(~28日)―原因は不明。 |
DIA-209-1985-12-28-1 | インドネシア | 1985年12月28日 | 1980年代 | 14の製紙工場,操業開始―14のプラントで年産計46万3800㌧を生産。これにより,既存の工場と合わせて,インドネシアは紙・パルプの自給体制を確立。 |
DIA-209-1985-12-28-2 | インドネシア | 1985年12月28日 | 1980年代 | 関税・物品税総局,再組織化へ―ラディウス蔵相は,27日付蔵相令により86年3月1日をもって現在の1万3000人の人員の大幅削減,組織の編成替えを行なうことを明らかにした。これは,4月発令の大統領令4号をフォローアップするもの。 |
DIA-209-1985-12-30-1 | インドネシア | 1985年12月30日 | 1980年代 | ジャカルタのTVRI局で火災―フィルム編集室,グラフィック設備等に被害。スハルト大統領は,徹底的な原因究明を指示。 |
DIA-209-1985-12-30-2 | インドネシア | 1985年12月30日 | 1980年代 | 85年の外交成果―モフタル外相は年末記者会見の席上,(1)東チモール問題に関するインドネシアの立場が国際的に理解されてきたこと,(2)国連において海洋法に関する協定が取り入れられ,インドネシアの主張する群島理論の概念が認められてきたこと,などを掲げ,85年は外交面での成功の年である,と述べた。 |
DIA-209-1986-01-07-1 | インドネシア | 1986年01月07日 | 1980年代 | 86/87年度予算案,国会(DPR)へ――総額21兆4216億ルピア(前年度比7%減)の超緊縮型予算案が提出された。歳入内訳は,経常歳入17兆8325億野(同4.5%減),うち石油・ガス部門の占める割合は55%(前年度60%)に低下,土地・建物税など新税導入による税収増を見込む。開発歳入は3兆5891億ルピア(同17.8%減)。歳出内訳は,経常歳出13兆1256億ルピア(同5.9%増),うち債務返済は同18.7%増,食糧備蓄費4174億ルピアが新設された。開発歳出は8兆2960億ルピア(同22.1%減)。原則として新規プロジェクトは許可されない方針(JP紙,8日)。 |
DIA-209-1986-01-08-1 | インドネシア | 1986年01月08日 | 1980年代 | ダルソノ退役中将に懲役10年の判決――中央ジャカルタ地裁は,84年のタンジュン・プリオク暴動事件後,バンク・セントラル・アシア(BCA)爆破事件の引き金となつた政府批判文書作成の中心人物であるとして,ダルソノに国家反逆罪を適用(JP紙,9日)。 |
DIA-209-1986-01-08-2 | インドネシア | 1986年01月08日 | 1980年代 | インドネシア大学(UI新学長任命――ヌグロホ前学長(兼教育文化相)死去以後,空席となっていたUI新学長にスユディ博士が任命され,15日より執務開始(JP紙,8日・16日)。 |
DIA-209-1986-01-09-1 | インドネシア | 1986年01月09日 | 1980年代 | インドネシア商品取引所(ICE)正式に開所――85年4月にゴム取引で仮開所。9日以降,コーヒー取引も開始(JP紙,10日)。 |
DIA-209-1986-01-09-2 | インドネシア | 1986年01月09日 | 1980年代 | 85年投資許可状況――外国投資許可件数は新規50件,拡張31件で,許可額は計8.6億㌦(前年比20.5%減)。ただし,71件,4.04億㌦が許可取消。一方,国内投資許可件数は新規248件,拡張97件で,許可額は計3兆7497億ルピア(前年比78.6%増)。ただし,640件,5842億ルピアが許可取消(JP紙,10日)。 |
DIA-209-1986-01-09-3 | インドネシア | 1986年01月09日 | 1980年代 | 比にプロペラ機貸与――8日から訪比中のムルダニ国軍最高司令官からベール比参謀総長へ引き渡された。
貸与機はCN-212(イ・西共同開発)2機で280万㌦相当。貸与期間は3カ月で延長も可能(JP紙,10日)。 |
DIA-209-1986-01-12-1 | インドネシア | 1986年01月12日 | 1980年代 | 月刊誌2誌発禁――1985年12月31日付情報相決定により『サリナ』誌が,1月2日付情報相決定により『アスリ』誌が,それぞれ発禁処分(JP紙,13日)。 |
DIA-209-1986-01-12-2 | インドネシア | 1986年01月12日 | 1980年代 | インドネシア民主党(PDI)総裁スナワル・スコワティ,心臓マヒで死去(JP紙,14日)。 |
DIA-209-1986-01-13-1 | インドネシア | 1986年01月13日 | 1980年代 | テロ事件犯に減刑措置――84年のバンク・セントラル・アシア(BCA)爆破事件で,終身刑判決を受けたトゥアシカル被告に対し,二審のジャカルタ高裁から懲役17年に減刑すべしとの判定(JP紙,14日)。 |
DIA-209-1986-01-16-1 | インドネシア | 1986年01月16日 | 1980年代 | 87年総選挙予算について――スパルジョ内相によれば,総額1320億ルピア。これは85/86年度予算から30.3%,86/87年度予算から60.3%,87/88年度予算から9.4%,それぞれ拠出される(JP紙,18日)。 |
DIA-209-1986-01-21-1 | インドネシア | 1986年01月21日 | 1980年代 | 中国国貿促代表団来イ(~28日)――中国側の税関検査業務不備で難航した,輸入品遅延問題打開のため来訪。中国側は,国営輸出入物資検査公社をSGS社の代理会社とすることで局面を打開(JP紙,22日)。 |
DIA-209-1986-01-22-1 | インドネシア | 1986年01月22日 | 1980年代 | ベトナム,10万㌧の米を買付け――越側の当初要求30万㌧に対し,イ側は10万㌧と回答。1月末に送られる見通し(JP紙,23日)。 |
DIA-209-1986-01-23-1 | インドネシア | 1986年01月23日 | 1980年代 | 対中貿易促進で合意――15日から訪中している実業家代表団の成果について,スカムダニ・インドネシア商工会議所(KADIN)会頭は,イ側からセメント25万㌧,中国側から石炭,原綿,などの契約に合意したと発表(JP紙,25日)。 |
DIA-209-1986-01-23-2 | インドネシア | 1986年01月23日 | 1980年代 | レーガン米大統領,新駐イ大使にウォルフォウィツ国務次官補を指名(JP紙,27日)。 |
DIA-209-1986-01-25-1 | インドネシア | 1986年01月25日 | 1980年代 | 爆破事件主犯,イランへ逃亡か――84年12月のマランの教会爆破,85年1月のボロブドゥール遺跡爆破,同3月の東ジャワのバス爆破の一連の事件の公判が行なわれているマラン地裁で,主犯のムラダワリはすでにイランへ逃亡した,と共犯者が供述(JP紙,27日)。 |
DIA-209-1986-01-27-1 | インドネシア | 1986年01月27日 | 1980年代 | レイオフに関して――スドモ労働相は,企業倒産による大量失業を防ぐため,レイオフを企業に認める新規則を検討,と発言。また28日,スハルト大統領は,効率向上のため労働者多数はレイオフし,他の経済部門に適する新技術を訓練する必要がある,と述べた(JP紙28日・29日)。 |
DIA-209-1986-01-28-1 | インドネシア | 1986年01月28日 | 1980年代 | イ・中貿易代表事務所設置について――スカムダニKADIN会頭によると,設置はするが緊急に設置する必要はないという点で,両者が合意(JP紙,29日)。 |
DIA-209-1986-01-28-2 | インドネシア | 1986年01月28日 | 1980年代 | 第1陸軍区新司令官――スリプト陸軍少将の後任に83~85年に駐米武官を務めたジャロット・スパドモ陸軍少将が就任(KP紙,29日)。 |
DIA-209-1986-01-29-1 | インドネシア | 1986年01月29日 | 1980年代 | 公的対外債務について――ラディウス蔵相によると,85年3月までの公的対外債務残高は210億㌦(利子を除く),86年3月時点でのデッド・サービス・レシオ(DSR)は21.5%の見込み(JP紙,30日)。 |
DIA-209-1986-01-30-1 | インドネシア | 1986年01月30日 | 1980年代 | 陸軍戦略予備軍(Kostrad)新司令官就任――退役するスエノ陸軍中将の後任に,第1陸軍区司令官スリブト陸軍少将が就任(JIP紙,30日)。 |
DIA-209-1986-02-01-1 | インドネシア | 1986年02月01日 | 1980年代 | イリアン越境者問題について――1月31日に来訪したパプア・ニューギニア(PNG)のバギ外相は,イ側との共同声明のなかで,(1)国境地帯をパプア独立運動(OPM)の聖域としない,(2)イリアン問題はイ国内の問題であり,PNGは内政干渉しない,の2点をもとに,越境者問題が両国関係を悪化させることはないことを確認。同外相は,スハルト大統領,ムルダニ国軍司令官等を表敬した(JP紙,3日)。 |
DIA-209-1986-02-06-1 | インドネシア | 1986年02月06日 | 1980年代 | モフタル外相,米国,日本など歴訪へ――10日のシュルツ米国務長官との会談では,最近のASEANのカンボジア問題解決への取組みを報告。また17日,安倍外相と会談し,国際南洋材機構(ITTO)本部のジャカルタ誘致に理解を要請(JP紙,7日・18日)。 |
DIA-209-1986-02-08-1 | インドネシア | 1986年02月08日 | 1980年代 | 東チモール問題について――アリ国連大使は(1)東チモール統合は国際的に認知された,(2)次の国連総会の議題になるまい,との見解を示した(JP紙,10日)。 |
DIA-209-1986-02-08-2 | インドネシア | 1986年02月08日 | 1980年代 | 国営企業の民営化について――ハルタルト工業相は,現在ある215の国営企業の一部を民営化する計画だが,国営企業と民間企業の合弁を14社設立するであろう,と述べた(JP紙,10日)。 |
DIA-209-1986-02-10-1 | インドネシア | 1986年02月10日 | 1980年代 | ムルダニ司令官,新聞を批判――ムルダニ国軍司令官は,ダルソノ公判(1月)報道を引き合いに出しながら,(1)まだ偏向的でセンセーショナルな新聞報道が存在,(2)国家の安定を脅かす報道に対しては新聞社の自己検閲が必要である,と発言した(JP紙11日)。 |
DIA-209-1986-02-10-2 | インドネシア | 1986年02月10日 | 1980年代 | 85年の国営企業実績――ハルタルト工業相によれば,85年の国営企業の純利益は1856.4億ルピア(前年比14.3%増)で赤字額は757.5億ルピア(同39.8%減)へ減少。総売上高も2兆430億ルピア(同26.7%増)(JP紙,11日)。 |
DIA-209-1986-02-10-3 | インドネシア | 1986年02月10日 | 1980年代 | 国産航空機の受注契約締結――ハビビ調査・技術担当国務相は,国産機CN-235を先週のサウジアラビア,ヨルダン向けに続き,トルコ向け52機・3.2億㌦,韓国向け10機・6000万㌦の受注契約を結んだと発表。また2月初め,大統領決定5号により,国営航空機製造会社の名称P.T.IPTNの‘N’がNurtanioからNusantaraに変更となつた(JP紙,11日)。 |
DIA-209-1986-02-12-1 | インドネシア | 1986年02月12日 | 1980年代 | カナダ通商相来イ(~14日)――ケレハー加通商相は,(1)対イ貿易不均衡是正のため,対イ輸出を削減する,(2)カナダは米国のジェンキンズ法案のような保護法導入の考えはない,と発言(JP紙,14日)。 |
DIA-209-1986-02-13-1 | インドネシア | 1986年02月13日 | 1980年代 | 予算案見直しか――ラディウス蔵相は,石油価格下落が続けば5.月にも86/87年度予算の見直しがあるかもしれないが,予算実施前には行なわない,と述べた(JP紙,14日)。 |
DIA-209-1986-02-14-1 | インドネシア | 1986年02月14日 | 1980年代 | コーヒー輸出好調か――ダルヨノ・コーヒー輸出業会会長によると,85年10月から86年9月の輸出額見込みは,前年度比44.3%増の9.4億㌦(JP紙,15日)。 |
DIA-209-1986-02-19-1 | インドネシア | 1986年02月19日 | 1980年代 | 86/87年度政府資本参加――ラディウス蔵相は,P.T.ITPN,P.T.PALなど計12社へ総額2074億野の政府資本参加の追加を行なう,と述べた(JP紙,20目)。 |
DIA-209-1986-02-19-2 | インドネシア | 1986年02月19日 | 1980年代 | 第2回イ・越実務者レベル協議(~20日)――85年12月に行なわれた第1回協議から続くもので,ハノイで開催。カンボジア問題が中心議題とされるが,詳細は不明。団長はイ側ナナ・ストレスナ外務省政治局長,越側ニェン外務次官(JP紙,24日)。 |
DIA-209-1986-02-27-1 | インドネシア | 1986年02月27日 | 1980年代 | 86/87年度予算案,国会で全会一致で可決(JP紙28日)。 |
DIA-209-1986-02-27-2 | インドネシア | 1986年02月27日 | 1980年代 | 国営企業の民営化は時期尚早――パンライキム教授は,(1)民間企業の国営企業買い取り資金の不足,(2)資本市場の未成熟,などにより,国営企業の民営化に消極的見解を示した(JP紙,28日)。 |
DIA-209-1986-02-28-1 | インドネシア | 1986年02月28日 | 1980年代 | 国軍ヘリコプター墜落――北スマトラ州シマルングン県でヘリコプターが墜落し,乗員6人全員が死亡。
6人のなかに,ジャロット・スパドモ第1陸軍区司令官(1月に就任したばかり)を含む(JP紙,3月1日)。 |
DIA-209-1986-02-28-2 | インドネシア | 1986年02月28日 | 1980年代 | 北朝鮮外相来イ(~3月4日)――金永南・北朝鮮外相は,3月3日スハルト大統領を表敬訪問。(JP紙,3月1日)。 |
DIA-209-1986-03-01-1 | インドネシア | 1986年03月01日 | 1980年代 | 石油生産量は現在150万b/d――ラディウス蔵相は,石油価格下落による歳入減を補うため石油生産量を現在150万b/dに増産している,と発言。また,蔵相令998号/1985に基づき,1日付で新税関局長8人の任命と税関組織の改編を実施したと発表(JP紙,3日)。 |
DIA-209-1986-03-03-1 | インドネシア | 1986年03月03日 | 1980年代 | モフタル=露ヘイドン会談――2月28日から3日まで非公式訪問中のヘイドン豪外相は席上,(1)チモール海の海洋資源開発に関する事務協議は5月の見込み,(2)在豪の東チモール出身者にフレティリンの支持者はおらず,豪政府もフレティリンのメンバーには政治的亡命を認めない,と発言。また,モフタル外相は,総選挙後までスハルト大統領訪豪の可能性はない,と述べた。一方,当初予定されたスハルト大統領との会談は,大統領が3・4両日の公式日程をすべてキャンセルしたため,ウマル副大統領との会談に変更(JP紙,4日)。 |
DIA-209-1986-03-03-2 | インドネシア | 1986年03月03日 | 1980年代 | 「新秩序(ナルデ・パル)セミナー」開催(~5日)――新秩序体制成立20周年を記念して開催。開会宣言でムルダニ国軍司令官は20年間の成果を称えるとともに,今後20年間の基本原則として,(1)国家の安定,(2)リベラリズムやマルクス主義への警戒,(3)全国民の協力強化,(4)憲法の遵守,㈲諸局面を考慮に入れた諸問題の解決,が重要である,と述べた(JP紙5日)。 |
DIA-209-1986-03-05-1 | インドネシア | 1986年03月05日 | 1980年代 | 綿花輸入独占について――サレー商相は月例閣議の席上,商相令70号によりP.T.Cerat Bina Tekstil Indonesia(CBTI)を唯――の綿花輸入会社に指定した,と報告(JP紙,6日)。 |
DIA-209-1986-03-05-2 | インドネシア | 1986年03月05日 | 1980年代 | 大統領,全27州の知事と会談――スハルト大統領は州知事に対し,地域開発計画の優先事項の再検討を要請(JP紙,6日)。 |
DIA-209-1986-03-06-1 | インドネシア | 1986年03月06日 | 1980年代 | ムルダニ,再び新聞を批判――Tempo誌主催のセミナーに参加したムルダニ国軍司令官は「新聞はかつてない報道の自由を享受しているが,報道の自由をはき違えた偏向報道も多い」「国民を代表している政府が報道活動を監視しなければ,誰が監視するのか」などと述べ,特にダルソノ公判報道を批判した(JP紙,7日)。 |
DIA-209-1986-03-06-2 | インドネシア | 1986年03月06日 | 1980年代 | イ,国際スズ機構(ITC)再建策を拒否――政府は,(1)再建資金が拠出可能な国内経済状態にない,(2)再建策によっても供給過剰状態の回避は困難,としてITC再建策に反対する立場を明らかにした(JP紙8日)。 |
DIA-209-1986-03-07-1 | インドネシア | 1986年03月07日 | 1980年代 | ASEANサミットについて――モフタル外相は,リタウディン・マ外相の「1987年マニラ開催」という発言(5日)に対し,開催地についてはまだ合意していない,と述べた(JP紙,8日)。 |
DIA-209-1986-03-10-1 | インドネシア | 1986年03月10日 | 1980年代 | 25.5億㌦のスタンド・バイ・クレジット借入れ決定を確認――シレガル中銀総裁は,石油価格下落による緊急事態に備え,1000億円の円ローン(7日に東京で調印)を含む総額25.5億㌦のスタンド・バイ・クレジット借入れを行なった,と発表(JP紙,11日)。 |
DIA-209-1986-03-10-2 | インドネシア | 1986年03月10日 | 1980年代 | 213人の越境者を送還――PNGへ越境:した213人のイリアン・ジャヤ住民は,飛行機でジャヤプラへ送還された(JP紙,11日)。 |
DIA-209-1986-03-12-1 | インドネシア | 1986年03月12日 | 1980年代 | スジョノ前国家開発総監死去――東京女子医大病院にて。病名は多発性十二指腸かいよう(JP紙,13日)。 |
DIA-209-1986-03-13-1 | インドネシア | 1986年03月13日 | 1980年代 | 適正原油価格は20~25㌦/b――スプロト鉱業相は,OPEC内で適正価格水準を決める必要があり,それは20~25㌦/bあたりになろう,と述べた(JP紙,14日)。 |
DIA-209-1986-03-13-2 | インドネシア | 1986年03月13日 | 1980年代 | ルピア切リ下げを否定――スミトロ教授は,3月初めからのドル買い殺到の動きに対し,(1)外貨準備高は十分な水準にある,(2)経済悪化への対応にはさまざまな選択がある,(3)米ドルは前年比30%下落しておりルピア切り下げを行なう必要はない,と発言(JP紙,14日)。 |
DIA-209-1986-03-15-1 | インドネシア | 1986年03月15日 | 1980年代 | ドル買いの動き弱まる――中銀が14日と15日に対米ドルレートを2ルピアずつ切り上げ,1㌦=1130野から1126ルピアとなり,ドル需要が減少(JP紙17日)。 |
DIA-209-1986-03-15-2 | インドネシア | 1986年03月15日 | 1980年代 | PNG国軍司令官,スハルトを表敬――フアイ司令官との会談でスハルト大統領は,PNGへの軍事的侵攻の意志はないことを強調。一方,プアイ司令官は,PNGは自由パプア独立運動(OPM)を認めていない,と述べた(JP紙,17日)。 |
DIA-209-1986-03-16-1 | インドネシア | 1986年03月16日 | 1980年代 | ロンギ・ニュージーランド首相来イ(~21日)――ロンギ首相は17日,スハルト大統領と会談し,南太平洋地域の安定にとつて両国関係緊密化が重要,との見解で一致。またモフタル外相はニュージーランドの非核政策について考慮に値する,と述べた(JP紙18日)。 |
DIA-209-1986-03-19-1 | インドネシア | 1986年03月19日 | 1980年代 | マルコス前比大統領の亡命について――モフタル外相は,比新政府からの要請を受けて,マルコス亡命を受け入れない,と述べた(KP紙,20日)。 |
DIA-209-1986-03-22-1 | インドネシア | 1986年03月22日 | 1980年代 | 社会主義圏からの投資について――ギナンジャール投資調整庁(BKPM)長官は,治安当局からの推薦なしに社会主義圏からの投資が可能である,と発言。しかし同長官は,その際にも国内の共産主義に対する心理的立場に配慮すべきである,と述べた(JP紙24日)。 |
DIA-209-1986-03-24-1 | インドネシア | 1986年03月24日 | 1980年代 | 一連の爆破犯に懲役刑――マラン地裁は,1984年12月のマラン教会爆破,1985年1月のボロブドゥール遺跡爆破,同3月の東ジャワのパス爆破の3件の爆破事件犯3人に対し,主犯格2人に懲役20年,共犯1人に懲役13年の判決(JP紙,25日)。 |
DIA-209-1986-03-24-2 | インドネシア | 1986年03月24日 | 1980年代 | ガザリ・マ国軍参謀総長来イ(~29日)(JP紙25日)。 |
DIA-209-1986-03-24-3 | インドネシア | 1986年03月24日 | 1980年代 | ルディニ陸軍参謀長訪越――1985年4月のズン越国防相来イの返礼と清報収集,イ越軍関係強化のため(VNA,27日。KP紙,29日)。 |
DIA-209-1986-03-29-1 | インドネシア | 1986年03月29日 | 1980年代 | 輸出補助金(SE)制度,4月以降も存続――商業省は,新制度の準備が完了していないため,3月31日で廃止予定だったSE制度をしばらく存続させる,と発表。ただし,従来の85%の額で実施(JP紙,31日)。 |
DIA-209-1986-03-30-1 | インドネシア | 1986年03月30日 | 1980年代 | ベアズレー豪国防相来イ(~4日)――同国防相は31日スハルト大統領を表敬し,豪はインドネシアを脅威とは思わない,と述べた(JP紙,31日・4月1日)。 |
DIA-209-1986-03-31-1 | インドネシア | 1986年03月31日 | 1980年代 | イスラム学生協議会(HMI),パンチャシラを受け入れ――24日からパダンで開かれていたHMI第16回総会において,(1)組織の基本原則としてパンチャシラを受け入れること,(2)組織規定にイスラムのアイデンティティに関する記述を新たに明記すること,を決定(JP紙,4月1日)。 |
DIA-209-1986-04-01-1 | インドネシア | 1986年04月01日 | 1980年代 | フセイン・ヨルダン国王来イ(~6日)(KP紙,2日)。 |
DIA-209-1986-04-01-2 | インドネシア | 1986年04月01日 | 1980年代 | 輸入関税払戻し制度を導入――サレー商相は,7月に完全廃止されるSE制度に代るものとして,輸入関税払戻し(ドロー・パック)制度を導入する,と発表(KP紙,2日)。 |
DIA-209-1986-04-02-1 | インドネシア | 1986年04月02日 | 1980年代 | ウォルフォウィツ新駐イ米国大使着任(KP紙,3日)。 |
DIA-209-1986-04-03-1 | インドネシア | 1986年04月03日 | 1980年代 | 肥料・殺虫剤価格値上げ――政府は,新年度予算における補助金大幅削減に呼応して,肥料価格をキロ当りで100ルピアから125ルピアへ,殺虫剤価格をリッター当りで1500ルピアから2100~3000ルピアへの値上げを3日から実施すると発表(JP紙,4日)。 |
DIA-209-1986-04-05-1 | インドネシア | 1986年04月05日 | 1980年代 | 商用車国産化計画延期――5日付工業相令117号により,商用車の国産化期限を1986年1月から1990年1月まで延期(JP紙,23日)。 |
DIA-209-1986-04-06-1 | インドネシア | 1986年04月06日 | 1980年代 | KADIN貿易ミッション,東欧へ(~26日)――スカムダニKADIN会頭を団長とする訪問団は,9~12日ユーゴスラビア,13~14日ブルガリア,15~16日ルーマニア,17~18日ポーランド,19~21日チェコスロバキア,22~23日ハンガリー,24~26日オーストリアを訪問(JP紙,8日)。 |
DIA-209-1986-04-08-1 | インドネシア | 1986年04月08日 | 1980年代 | 越・タイ間の直接会談を提唱――訪越を中止したモフタル外相は,カンボジア問題解決のために越・タイ間の直接会談が必要,と述べ,9日にバンコクでシッティ・タイ外相にこの件を伝えることを明らかにした(KP紙,9日)。 |
DIA-209-1986-04-08-2 | インドネシア | 1986年04月08日 | 1980年代 | 86/87年度インドネシア債権国会議(IGGI)援助約束額見通しについて――3月30日に来イしたスコーIGGI議長はスハルト大統領表敬の際,(1)額は前年度とほぼ同じ24億㌦程度,(2)既存の継続プロジェクト優先,などと述べた(KP紙9日)。 |
DIA-209-1986-04-09-1 | インドネシア | 1986年04月09日 | 1980年代 | ワインバーガー米国防長官,バリ島に立ち寄る――豪からの帰途バリ島に立ち寄つた同長官は,インドネシアへのF-16機売込みについて,(1)全12機のうち4機は訓練用,(2)1機3500万㌦だが,これにはパイロット訓練,メンテナンスを含む,と説明(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1986-04-10-1 | インドネシア | 1986年04月10日 | 1980年代 | スハルト大統領蓄財報道――豪・シドニーの保守系有力紙『シドニー・モーニング・ヘラルド』(SMH)は,スハルト大統領の資産に関する特集記事を掲載,蓄財などマルコス前比大統領との類似点を指摘。筆者は,同紙の外報部長D・ジェンキンズ(読売,11日など)。 |
DIA-209-1986-04-11-1 | インドネシア | 1986年04月11日 | 1980年代 | 海・空軍新参謀長任命――海軍参謀長にルドルフ・カセンダ前海軍兵姑担当副参謀長,空軍参謀長にウトモ前国軍参謀本部国防機能担当参謀が就任(KP紙,12日)。 |
DIA-209-1986-04-13-1 | インドネシア | 1986年04月13日 | 1980年代 | ハビビ国務相,訪豪中止――10日付SMH紙記事との関連で,同国務相は13日から予定されていた訪豪を急遽取りやめ。しかしニュージーランドは予定どおり訪問(JP紙,14日)。 |
DIA-209-1986-04-14-1 | インドネシア | 1986年04月14日 | 1980年代 | アウグスト・イ駐豪大使,10日付SMH紙記事に関してヘイドン豪外相に正式に抗議(JP紙,15日)。 |
DIA-209-1986-04-15-1 | インドネシア | 1986年04月15日 | 1980年代 | サヌシ元軽工業相の再公判開始――85年5月に懲役19年の刑を受けたサヌシ被告に対し,83年に2度にわたり大統領暗殺を企てたとの新たな疑いにより,中央ジャカルタ地裁にて再公判が開始(KP紙,16日)。 |
DIA-209-1986-04-15-2 | インドネシア | 1986年04月15日 | 1980年代 | PDI第3回全国大会(~18日)――予定より1日延長。スコワティ総裁死去に伴う新総裁選出が急務とされたが,各派のコンセンサスが得られず紛糾。結局,スパルジョ内相をはじめとする政府関係者へ事態収拾が委ねられた(KP紙,16~19日)。 |
DIA-209-1986-04-17-1 | インドネシア | 1986年04月17日 | 1980年代 | 米国のリビア爆撃について――外務省筋によると,モフタル外相は「米国の行為は国連憲章・非同盟精神の侵害である」と非難(JP紙,18日)。 |
DIA-209-1986-04-17-2 | インドネシア | 1986年04月17日 | 1980年代 | モフタル=タク会談――ニューデリーでの非同盟諸国外相会議に出席したモフタル外相は,タク越外相と1時間会談(JP紙,19日)。 |
DIA-209-1986-04-22-1 | インドネシア | 1986年04月22日 | 1980年代 | 豪観光客へのビザ政策,急遽変更――バリ島に着いた78人の豪観光客は「ビザがない」との理由でングラ・ライ空港に足止め。モフタル外相はJP紙との電話インタビューで「従来ノービザで入国できた豪観光客へのビザ政策を変更した。これは政府決定である」と確認。足止め観光客の一部は豪へ引き返した(JP紙,23日)。翌23日,タヒル観光・通信相は22日の措置について「24時間限りのもの」と述べ,ピザ政策変更の撤回を確認(KP紙,24日)。 |
DIA-209-1986-04-23-1 | インドネシア | 1986年04月23日 | 1980年代 | 国軍人事――第Ⅰ陸軍区新司令官にアリ・ゲノ前第Ⅰ陸軍区参謀長が就任(KP紙,24日)。 |
DIA-209-1986-04-25-1 | インドネシア | 1986年04月25日 | 1980年代 | 1985/86年度財政実績発表――ラディウス蔵相によると,経常歳入実績19兆2529億ルピア(予算比3.1%増),同歳出11兆9515億ルピア(同3.6%減),開発歳入実績3兆5725億ルピア(予算比18.2%減),同歳出10兆8731億ルピア(同2.1%増)であった(KP紙,26日)。 |
DIA-209-1986-04-25-2 | インドネシア | 1986年04月25日 | 1980年代 | 米の生産見通し――ワルドヨ食糧増産担当副大臣によると,1986年は,前年比0.18%増の2659万㌧の見込み(KP紙,26日)。 |
DIA-209-1986-04-27-1 | インドネシア | 1986年04月27日 | 1980年代 | 中国へ石油輸出――スプロト鉱業相は,4月から中国向け石油輸出を開始したことを確認。石油は中国南部地区で精製される見込み(JP紙28日)。 |
DIA-209-1986-04-28-1 | インドネシア | 1986年04月28日 | 1980年代 | ASEAN特別外相会議(~29日)――レーガン米大統領との会談を前にパリ島にて開催。会議では,(1)ASEAN・米国相互の利益・重要性について尊重する,(2)カンボジア問題に関してシアヌーク8項目提案をASEANは支持する,(3)次期ASEAN首脳会議は1987年7月にマニラで行なう,以上3点を主とする共同声明を発表(KP紙,29日・30日)。 |
DIA-209-1986-04-29-1 | インドネシア | 1986年04月29日 | 1980年代 | レーガン米大統領,バリ島訪問(~5月2日)――5月4~6日の東京サミット出席の途中に立ち寄る。スハルト大統領が出迎え。5月1日にはスハルト大統領,ASEAN各国外相と会談(KP紙,30日)。 |
DIA-209-1986-05-01-1 | インドネシア | 1986年05月01日 | 1980年代 | スハルト=レーガン会談――会談では(1)二重課税の防止,(2)バリ島・ホノルル間の民間航空路開設,などで合意。イ側は,保護主義の回避,投資の拡大などを要請。米側は,投資環境の改善,知的所有権保護への努力などを要請。またレーガン大統領はシアヌーク8項目提案について,ASEANの努力を評価する一方,ポル・ポト派の扱いには難色を示した(KP紙2日など)。 |
DIA-209-1986-05-01-2 | インドネシア | 1986年05月01日 | 1980年代 | 経済紙『プリオリタス』発刊(JP紙,2日)。 |
DIA-209-1986-05-02-1 | インドネシア | 1986年05月02日 | 1980年代 | PDI新執行部決定――4月の全国大会での執行部人事をめぐる紛糾は,スパルジョ内相の仲介により終結。新総裁にはスルヤディ(47歳),書記長にはダルヤント(48歳)が就任,その他執行部人事も決定した。第4回全国大会は1993年に開催の予定(KP紙,3日)。 |
DIA-209-1986-05-06-1 | インドネシア | 1986年05月06日 | 1980年代 | ムハマディア,東京サミット声明を批判――アミン・イスカンダル,ルクマン・ハルン両ムハマディア幹部は,東京サミットで国際テロの黒幕をリビアと名指しした声明が出されたことに対し,不当で不適切であると批判(JP紙,7日)。 |
DIA-209-1986-05-07-1 | インドネシア | 1986年05月07日 | 1980年代 | 5月6日付新包括経済政策公表――ワルダナ調整相によると,同政策は,(1)非石油製品輸出の促進,(2)民間投資の振興と外国投資誘致,を目的とし,大統領令3件,政府規則4件,蔵相令3件,商相令2件,複数大臣の共同令7件,から成る。主な内容は,(1)輸入関税払戻し(ドローパック)制度の導入,(2)輸出向け生産に限り原材料輸入を自由化,(3)保税区域の設置,(4)外資参入業種の拡大,(5)外資系合弁の再投資の認可,(6)外資系合弁の株式過半数の現地化プロセス緩和とその助成,(7)一部外資系合弁の流通・販売権の認可など(詳細は「参考資料」を参照。KP紙,9日)。 |
DIA-209-1986-05-09-1 | インドネシア | 1986年05月09日 | 1980年代 | 米週刊誌2誌発禁――『タイム』『ニューズウィーク』(5月12日号)2誌が発禁処分(日経,10日)。 |
DIA-209-1986-05-12-1 | インドネシア | 1986年05月12日 | 1980年代 | ダルソノ,懲役刑減刑――ジャカルタ高裁は,1月にダルソノ退役中将に下された懲役10年の刑を7年に減刑することを決定。一方ダルソノは,13日,「人権に関わる問題」として減刑措置を拒否し,最高裁へ上告(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1986-05-13-1 | インドネシア | 1986年05月13日 | 1980年代 | 85/86年度DSRは25.2%――ラディウス蔵相によると,同年度の債務返済用供出額(利子を含む)29億471万ルピア,石油を含む純輸出総額116億880万ルピアにより,DSRは25.2%。また累積債務額は,85年9月末時点で248億㌦(KP紙,14日)。 |
DIA-209-1986-05-14-1 | インドネシア | 1986年05月14日 | 1980年代 | ジャカルタで同時多発ゲリラ事件――日・米両国大使館に手製砲弾が打ち込まれ,また加大使館の入っているウィスマ・メトロポリタンの駐車場で同大使館公用車が爆発した。事件後「反帝旅団」と名乗る組織が犯行声明を出したが,犯人に日本人が含まれている模様(KP紙,15日など)。 |
DIA-209-1986-05-17-1 | インドネシア | 1986年05月17日 | 1980年代 | クリス豪移住相来イ(~20日)――SMH紙報道事件後初の豪閣僚として来訪。イスマイル・サレー法相等と会談。同移住相は「両国は互いの文化を十分認識する必要がある。SMH紙報道について豪政府は謝罪できないと言明している」と述べた。会談の議題は(1)ガラム島のベトナム難民問題,(2)イリアン・ジャヤ越境者問題,(3)在豪東チモール住民の状況,など(KP紙,19日)。 |
DIA-209-1986-05-19-1 | インドネシア | 1986年05月19日 | 1980年代 | PDI,次期大統領にスハルトを推挙――PDI執行部はスハルト大統領を表敬。スルヤディ総裁は,4月の党大会決定として,スハルト再選支持を表明(KP紙,20日)。 |
DIA-209-1986-05-20-1 | インドネシア | 1986年05月20日 | 1980年代 | 台湾とLNG販売契約協定調印――スプロト鉱業相は,台湾との間でLNGの20年長期売買契約協定に先週調印した,と発表。積出は1989年から150万㌧/年の予定。価格は固定価格を使わない見込み(JP紙,23日)。 |
DIA-209-1986-05-26-1 | インドネシア | 1986年05月26日 | 1980年代 | 中国向け鉄鋼輸出を中止――アリボウォ・クラカトウ製鉄社長は,7月から輸出補助金廃止に伴う採算悪化のため,中国向け鉄鋼輸出を中止する,と発言。ただし,日・米向けは増やす意向。また同社長は,輸出向け,国内一般向け,製品輸出業者・開発プロジェクト向け,の三段階に分けて価格設定を行なう,と述べた(JP紙,27・28日)。 |
DIA-209-1986-05-27-1 | インドネシア | 1986年05月27日 | 1980年代 | イ・PNG実務者レベル協議(~28日)――会議では「両国相互尊重・協力・友好条約」の調印が図られたが,イ側が外務省以外の他省庁の意向も含める必要があるとして難色,調印には至らず(KP紙,29日)。 |
DIA-209-1986-05-28-1 | インドネシア | 1986年05月28日 | 1980年代 | 自動車生産台数増加か――ヨガサラ金属・機械工業会会長によると,86年1~3月の自動車生産台数は前年同期比4.9%増の3万9860台(JP紙,29日)。 |
DIA-209-1986-05-30-1 | インドネシア | 1986年05月30日 | 1980年代 | H.Crouch著The Army and Politics in Indonesia,発禁処分――英語版,インドネシア語版(86年翻訳)とも(KP紙,31日)。 |
DIA-209-1986-06-02-1 | インドネシア | 1986年06月02日 | 1980年代 | 大統領令4号違反者は国家反逆罪――ムルダニ国軍司令官はスハルト大統領の発言として,大統領令4号/1985に違反して密輸を行なった場合には国家反逆罪相当の措置を適用する,と述べた(KP紙,3日)。 |
DIA-209-1986-06-02-2 | インドネシア | 1986年06月02日 | 1980年代 | 86年の外国投資優先業種リスト発表――5月31日付大統領決定22号で発表。外国投資への開放業種は85年の475業種から926業種へ大幅に拡大。国内投資のみに限定されるのはわずか191業種となつた(KP紙,3日)。 |
DIA-209-1986-06-03-1 | インドネシア | 1986年06月03日 | 1980年代 | モフタル外相,韓国を訪問(~5目)――同外相は,貿易不均衡是正のため韓国側にインドネシア向け輸出努力の強化を要請。さらに,(1)両国間は経済協力促進のため合同委員会を設置することに同意した,(2)難航中の対韓LNG輸出契約交渉打開のため7月に改めてジャカルタで協議する,と述べた(JP紙,6日)。 |
DIA-209-1986-06-04-1 | インドネシア | 1986年06月04日 | 1980年代 | 豪首相,対イ関係維持に意欲――ホーク豪首相は閣議で,豪防衛専門家の「北からの脅威に備える必要がある」とのレポートに対し,対イ関係を適切で,平和的,建設的なものにしていく,と発言(JP紙,6日)。 |
DIA-209-1986-06-13-1 | インドネシア | 1986年06月13日 | 1980年代 | KADIN,共産圏との貿易拡大を志向――スカムダニ会頭は,4月の東欧への貿易ミッション参加者との話し合いで,共産圏との貿易拡大を目的としたコンソーシアムの設立に同意した,と述べた(JP紙,14日)。 |
DIA-209-1986-06-13-2 | インドネシア | 1986年06月13日 | 1980年代 | ジャカルタで爆弾事件――午後10時頃,中央ジャカルタのブローラ通りで爆発。調査では,時限装置などは発見されず(JP紙14日)。 |
DIA-209-1986-06-16-1 | インドネシア | 1986年06月16日 | 1980年代 | 陸軍新副参謀長就任――トリ・ストリスノ陸軍副参謀長の参謀長就任に先立ち,新陸軍副参謀長にエディ・スドラジャト国軍参謀本部国防機能担当参謀作戦担当補佐官が就任(KP紙,17日)。 |
DIA-209-1986-06-17-1 | インドネシア | 1986年06月17日 | 1980年代 | シ空軍と合同演習(~20日)――イ空軍はシンガポール空軍と合同演習「エラン・インドプラⅣ」を実施(KP紙,17日)。 |
DIA-209-1986-06-17-2 | インドネシア | 1986年06月17日 | 1980年代 | 国軍機構改革について――退任間近のルディニ陸軍参謀長は国軍機構改革について,(1)改革を好ましくないと思う者が見受けられる,(2)短期的には行き過ぎも不可避だが,改革の効果は後になって現れるものである,(3)改革は,私が人気取りのために行なつているのではない,(4)国軍は「小さくて効果的な軍隊」の方向へ発展していく,(5)国内外からの脅威に効果的に対処できる軍隊を目指す必要がある,等と述べた(JP紙,18日)。 |
DIA-209-1986-06-18-1 | インドネシア | 1986年06月18日 | 1980年代 | 新陸軍参謀長,新警察軍司令官就任――トリ・ストリスノ新陸軍参謀長,サヌシ新警察軍司令官が,それぞれ正式に就任。これにより,国軍内から45年世代は姿を消した(KP紙,19日)。 |
DIA-209-1986-06-18-2 | インドネシア | 1986年06月18日 | 1980年代 | IGGI会議開催(~19日)――86/87年度援助約束額は前年度比4.8%増の25.2億㌦。内訳は,世銀などの国際機関からの援助16.8億㌦,二国間援助8.4億㌦。日本は800億円(前年度比6%増)で,内貨充当比率を前年度の3.5%から26%へ大幅に引き上げ。また,オーストリアとスペインが初参加(KP紙,20日)。 |
DIA-209-1986-06-18-3 | インドネシア | 1986年06月18日 | 1980年代 | F-16機の共同整備について――ムルダニ国軍司令官は,米国にF-16機8機を注文していることを明らかにした。また同機を購入するシンガポール,タイに対して共同整備の可能性を研究したいと述べ,その理由として整備費用が安く済むことをあげた(JP紙,19日)。 |
DIA-209-1986-06-21-1 | インドネシア | 1986年06月21日 | 1980年代 | 87年総選挙用シンボルマーク公表――届け出順に,PPPは星,ゴルカルは菩提樹と綿・稲穂の連,PDIは野牛の頭部。いずれもパンチャシラを象徴する五角形の内部に描かれている(KP紙,23日)。 |
DIA-209-1986-06-23-1 | インドネシア | 1986年06月23日 | 1980年代 | アサハン・アルミの債務返済繰延べ了承――日本の輸銀と13の金融機関は,日本アサハン・アルミ会社の280億円(1.65億㌦)の債務返済を2年間延期することを承認した(JP紙,23日)。 |
DIA-209-1986-06-23-2 | インドネシア | 1986年06月23日 | 1980年代 | インドネシア航空ショー'86開催――(~7月1日)――ジャカルタ・クマヨラン飛行場にて,20力国から237社が参加。スハルト大統領は演説の中で,群島国家インドネシアにとっての航空機産業の重要性を強調。ショーでは,国軍次期主力戦闘機候補のF-16とミラージュ2000のデモ飛行が注目を集めた(JP紙,24日など)。 |
DIA-209-1986-06-24-1 | インドネシア | 1986年06月24日 | 1980年代 | 輸入関税払戻し制度導入について――7月1日から実施される同制度は,大蔵省管轄の機関P4BMが担当し,手続にはコンピューターを導入(KP紙,25日)。 |
DIA-209-1986-06-24-2 | インドネシア | 1986年06月24日 | 1980年代 | ゴー・チョク・トン・シンガポール副首相来イ――同副首相は24日,航空ショーを見学。25日にスハルト大統領と会談。29日,バタム島を訪問(KP紙,30日他)。 |
DIA-209-1986-06-24-3 | インドネシア | 1986年06月24日 | 1980年代 | ASEAN外相会議(~25日)――マニラで開催。会議では,87年に第3回ASEAN首脳会議をマニラで開催することを確認したほか,(1)経済情勢,(2)カンボジア問題,(3)パプア・ニューギニア(PNG)のASEAN加盟問題,等について協議された(KP紙,25日他)。 |
DIA-209-1986-06-26-1 | インドネシア | 1986年06月26日 | 1980年代 | ASEAN拡大外相会議(~27日)(KP紙,27日他)。 |
DIA-209-1986-07-03-1 | インドネシア | 1986年07月03日 | 1980年代 | 対中貿易について――スカムダニKADIN会頭は,中国国内で外国検査会社の操業が認められないので,中国からの輸入はコスト高だが香港経由として継続する,と述べた(JP紙,4日)。 |
DIA-209-1986-07-07-1 | インドネシア | 1986年07月07日 | 1980年代 | 国軍首脳部,大統領に謁見――謁見後の記者会見でムルダニ国軍司令官は,(1)大統領任期制限の動き,(2)人権問題,(3)移住政策による環境破壊,(4)独立戦争時.のスハルトの役割への疑問,等が今の時期にマスコミに取り上げられていることを批判。4月の豪紙報道等についても「大統領は汚職をしていない」と大統領を擁護した(KP紙,8日)。 |
DIA-209-1986-07-08-1 | インドネシア | 1986年07月08日 | 1980年代 | 大統領制論議について――アミルマフムド国会議長は,国会には大統領制論議を要求する会派はなく,論議を行なう政治的意志もない,と述べた(JP紙,9日)。 |
DIA-209-1986-07-10-1 | インドネシア | 1986年07月10日 | 1980年代 | 石油製品価格値下げ――9日付大統領決定28号に基づき,10目より実施。値下げ幅は,航空機用燃料が24%,ディーゼル用が9%など。自動車用ガソリン等は据え置き(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1986-07-10-2 | インドネシア | 1986年07月10日 | 1980年代 | 海賊版密輸で懲役刑――米国ニューヨーク連邦地裁は,インドネシア人ダルマワンに対し,約5000点の海賊版カセットテープを米国へ密輸した罪で執行猶予つき懲役3カ月の判決を言い渡した。またインドネシアの貿易担当官がダルマワンに便宜を図ったとの話に対して,モフタル外相は11日,政府は関与していない,と全面否定した(JP紙,12日)。 |
DIA-209-1986-07-11-1 | インドネシア | 1986年07月11日 | 1980年代 | 豪労働党,イの東チモール統合を初承認――ホバートで開催された党大会にて。しかし大会公式表明では,イの東チモール統合に対する懸念も明記(KP紙,11日)。 |
DIA-209-1986-07-12-1 | インドネシア | 1986年07月12日 | 1980年代 | スダルジ派PPP代表,ジャカルタで会合――13の地方支部からの21人は,ナロ議長のPPP支配に反発,スダルジ党国会代表への権力移譲を求める声明を発表した(KP紙,14日)。 |
DIA-209-1986-07-13-1 | インドネシア | 1986年07月13日 | 1980年代 | ジャカルタ南部,ラグナン動物園近くの警察宿舎前で爆弾事件。14日には,モナス広場内レストランで不発弾1個が発見された(朝日,16日)。 |
DIA-209-1986-07-15-1 | インドネシア | 1986年07月15日 | 1980年代 | 対日LPG輸出契約調印――プルタミナと日本側7社(日石,出光,コスモ,昭和シェル,共石,三井,三菱)との間で,1988年から10年契約,年間195万㌧(KP紙,16日)。 |
DIA-209-1986-07-15-2 | インドネシア | 1986年07月15日 | 1980年代 | アブドゥル・ガファール・マレーシア副首相来イ(KP紙,16日)。 |
DIA-209-1986-07-17-1 | インドネシア | 1986年07月17日 | 1980年代 | 東チモール併合10周年――マリオ東チモール州知事は,東チモールをもはや特別視せず,他州と同じ扱いを願う,と述べた(KP紙,18日)。 |
DIA-209-1986-07-21-1 | インドネシア | 1986年07月21日 | 1980年代 | ラディウス蔵相,市中銀行金利引き下げの可能性を否定(KP紙,22日)。 |
DIA-209-1986-07-23-1 | インドネシア | 1986年07月23日 | 1980年代 | 87年総選挙国会議員・地方議会議員の地方別議席振り分け発表(KP紙,24日。国会議員等の議席配分は「参考資料」を参照)。 |
DIA-209-1986-07-24-1 | インドネシア | 1986年07月24日 | 1980年代 | アチェ特別行政区知事選――イブラヒム・ハサン前Bulog副長官が38票中35票を獲得して当選(KP紙,25日)。任命は8月27日(JP紙,8月28日)。 |
DIA-209-1986-07-24-2 | インドネシア | 1986年07月24日 | 1980年代 | サグリン水力発電所,正式に運転開始――総出力は4基で700MWと国内最大規模。式典にはスハルト大統領が出席(KP紙,25日)。 |
DIA-209-1986-07-25-1 | インドネシア | 1986年07月25日 | 1980年代 | スダルジ,PPP中央委員から除名――タムリンPPP副事務局長によると,24日の地方代表大会会議の席上,ナロ議長によりスダルジ党国会代表を中央委員から除名すると発表(JP紙,28日)。 |
DIA-209-1986-07-25-2 | インドネシア | 1986年07月25日 | 1980年代 | 産業用電力料金引き下げ――平均下げ幅はkWh当り6%。9月支払分から実施。ただし,ホテルを含む商業建築物向け料金は据え置き(KP紙,26日)。 |
DIA-209-1986-07-26-1 | インドネシア | 1986年07月26日 | 1980年代 | 東ジャワの3プロジェクト開所――内訳は,トゥルンガグンの排水プロジェクト,スラバヤ・グンポル間の高速道路,パスルアンのプロモ種養鶏プロジェクト。スハルト大統領が各開所式に出席(KP紙,27日)。 |
DIA-209-1986-07-28-1 | インドネシア | 1986年07月28日 | 1980年代 | 東チモールに関する発言について――モフタル外相は,欧州議会でソアレス・ポルトガル首相が行なった「東チモールでインドネシアによる人権侵害行為があった」などの発言について,「歴史的事実に反しており,残念なこと」とコメントした(KP紙,29日)。 |
DIA-209-1986-07-30-1 | インドネシア | 1986年07月30日 | 1980年代 | ITTO本部,横浜に設置――ITTO本部誘致をめぐってジャカルタと横浜が競ったが,結局横浜に決定(KP紙,31日。なお2月6日参照)。 |
DIA-209-1986-07-30-2 | インドネシア | 1986年07月30日 | 1980年代 | 開発プロジェクト実施促進チーム結成――29日付大統領決定32号に基づき,世銀など外国援助による開発プロジェクトの実施促進を目的。メンバーは,ラディウス蔵相,スマルリンBAPPENAS長官,ギナンジャールBKPM長官など(KP紙,31日)。 |
DIA-209-1986-08-01-1 | インドネシア | 1986年08月01日 | 1980年代 | 出入国手続の簡素化――政府は,(1)インドネシア人が6カ月(商用の場合12カ月)間に数回にわたって出国する場合,出国許可は1回(従来は出国の度ごと)のみとする,(2)台湾・香港からの観光客には,3~10人のグループで30日間滞在(延長なし)の査証を発給する,(3)台湾・香港から商用で入国する場合,査証は不要(グループの必要もない)となろう,と発表(KP紙,JP紙,2日)。 |
DIA-209-1986-08-01-2 | インドネシア | 1986年08月01日 | 1980年代 | ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長演説について――モフタル外相は,ゴルバチョフ書記長のウラジオストク演説に対して,「よい始まりだが道は長い。ソ連が実際に諸問題へどう取り組むかにかかっている」とコメント(JP紙,2日)。 |
DIA-209-1986-08-05-1 | インドネシア | 1986年08月05日 | 1980年代 | ナトゥナ島沖カカプ油田操業開始――プルタミナと米国系マラトン・ペトロリアム・インドネシア社との共同で操業。現在の日産1.2万がを将来は2.2万がへ拡大の予定(KP紙6日)。 |
DIA-209-1986-08-05-2 | インドネシア | 1986年08月05日 | 1980年代 | OPECの生産割当量――OPECは,イラクを除き9・10月に限つて全体の生産量を日産1600万バレルに維持し,各国別生産枠割当制へ復帰。インドネシアの割当量は日産118.9万バレル(KIP紙,6日)。 |
DIA-209-1986-08-08-1 | インドネシア | 1986年08月08日 | 1980年代 | イ・マ軍事演習(2日~)――トリ・ストリスノ陸軍参謀長は,マレーシア陸軍と「第9回クカル・マリンド」と称する合同軍事演習をマ領ピナン島で実施し,8日に終了した,と述べた(JP紙,9日)。 |
DIA-209-1986-08-09-1 | インドネシア | 1986年08月09日 | 1980年代 | ジャカルタ湾汚染について――エミル・サリム人口・環境相は,ジャカルタ湾に大量の魚の死該が発生したことを確認,調査を実施中である,と述べた(JP紙,11日)。 |
DIA-209-1986-08-09-2 | インドネシア | 1986年08月09日 | 1980年代 | 鉄鋼等の輸入独占――9日付商相令22号により,鉄鋼,非鉄金属の輸入権は,P.T.Krakatau Steel,P.T.Tambang Timah, P.T.Giwang Selogamの3社にのみ与えられる(JP紙,15日)。 |
DIA-209-1986-08-12-1 | インドネシア | 1986年08月12日 | 1980年代 | 丁子の輸入について――インドネシアたばこ工場連合会の「当分の間,国内丁子価格下落防止のため丁子輸入の禁止を望む」との要求(KP紙9日)に対して,丁子輸入元P.T.Mertju Buanaのプロボステジョ社長は,P.T.Megaと共に丁子の輸入を続けると言明した(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1986-08-14-1 | インドネシア | 1986年08月14日 | 1980年代 | 外国人に初の開発勲章授与――ハルタルト工業相から,P.T.インドネシア・アサハン・アルミニウムの瀬尾社長,P.T.National Gobelの木下社長の2人に,外国人としては初めての最高開発勲章(Satya Lencana Pembangunan)が授与された(KP紙,15日)。 |
DIA-209-1986-08-14-2 | インドネシア | 1986年08月14日 | 1980年代 | 外相,シンガポール訪問――モフタル外相は,シンガポール,タイ首脳とシアヌークCGDK国家元首との会談内容の詳細を得るため,ダナバラン・シ外相と会談(KP紙,18日。JP紙,20日)。 |
DIA-209-1986-08-15-1 | インドネシア | 1986年08月15日 | 1980年代 | 独立41周年記念大統領演説――例年よりもやや短い1時間余の演説。内容は,(1)経済面・開発面で非常に大きな試練に直面していることを認識(2)長期開発の観点から,脱石油,非石油輸出振興のためここ数年のうちに効率と生産性の向上が最重要,(3)開発の土台としてのパンチャシラ遵守が肝要,など(KP紙,18日)。 |
DIA-209-1986-08-19-1 | インドネシア | 1986年08月19日 | 1980年代 | シアヌークCGDK国家元首来イ(~22日)――スロノ調整相,モフタル外相等が出迎え。20日,スハルト大統領,モフタル外相と会談。同元首は席上,カンボジア問題解決におけるインドネシアの役割を評価した(KP紙,20日・21日)。またモフタル外相は,「カンボジア問題解決のため中国指導部と直接会わなければならないと感じる」と述べた(KP紙,23日)。 |
DIA-209-1986-08-20-1 | インドネシア | 1986年08月20日 | 1980年代 | プラスチック原料輸入について――P.T.Golden Mississippiのシダルタ調査開発部長によると,政府は8月初めに,プラスチック原料の独占輸入業者としてP.T.Mega Eltraを指名した,と発言(JP紙,21日)。 |
DIA-209-1986-08-21-1 | インドネシア | 1986年08月21日 | 1980年代 | 次期主力戦闘機について――ハビビ国務相は,「次期主力戦闘機の機種決定は未定」と発言(6月18日も参照。JP紙,22日)。 |
DIA-209-1986-08-21-2 | インドネシア | 1986年08月21日 | 1980年代 | 金・銀の輸出再開――9日付商相令により,非石油輸出振興の一環として,1982年1月18日付商相令により中止された金・銀輸出を再開(KP紙,21日)。 |
DIA-209-1986-08-21-3 | インドネシア | 1986年08月21日 | 1980年代 | ルーガー米上院外交委員長来イ(~24日)――同委員長はスハルト大統領と会談し,「知的所有権の保護が外国投資誘致の上で重要である」と述べた(KP紙22日,23日)。 |
DIA-209-1986-08-21-4 | インドネシア | 1986年08月21日 | 1980年代 | アーティット・タイ国軍司令官来イ(KP紙22日)。 |
DIA-209-1986-08-23-1 | インドネシア | 1986年08月23日 | 1980年代 | P.T.IPTN創立10周年式典――式典に出席したスハルト大統領は,「航空機産業でのわれわれの成功は,自立化への信念を強めるものであり,国際競争力を持つようになると確信する」と述べた。また,同社の敷地面積拡張が大統領によって正式に認可された(KP紙,25日)。 |
DIA-209-1986-08-24-1 | インドネシア | 1986年08月24日 | 1980年代 | アキノ比大統領来イ(~26日)――5人の閣僚を含む22人が比大統領に同行。空港には,スハルト大統領はじめ全閣僚,全友好国大使らが出迎え。25日の首脳会談でスハルト大統領は(1)歴史的経験をふまえ,共産主義への警戒が必要,(2)比国内の分離主義者を支援する意志はない,等と発言。また,経済・政治・社会に関する両国閣僚会議も同時に各々開催された。アキノ大統領にとっては初の外遊先(KP紙,25日・26日)。 |
DIA-209-1986-08-27-1 | インドネシア | 1986年08月27日 | 1980年代 | 渡辺前通産相,スハルト大統領と会談――会談で,渡辺日イ友好議員連盟会長はイ側の投資阻害要因をいくつか指摘。これに対してスハルト大統領は,(1)対外債務の支払繰延べは行なわない,(2)日本への債務返済分の一部を再貸付して欲しい,と述べた(JP紙,28日)。 |
DIA-209-1986-08-29-1 | インドネシア | 1986年08月29日 | 1980年代 | 3冊を発禁処分――バリ・スハルト検事総長により,D.ジェンキンズ著Suharto and His Generals,ロビソン著Culture, Politics and Economy in the Political History of the New Order,ダルソノ退役中将の公判口述集Menuntut Janji Order Baruの3冊を発禁(KP紙,29日)。 |
DIA-209-1986-08-30-1 | インドネシア | 1986年08月30日 | 1980年代 | 国軍指導者会議(28日~)――スハルト大統領は会議閉会に際して,「国軍の役割は独立闘争時と比べても依然重要である。若い軍人たちにも独立闘争時の精神を持ち続けてもらいたい」と発言。またムルダニ国軍司令官によれば,会議の主要議題は,(1)国家開発,(2)87年総選挙,に関するもの(JP紙9月1日)。 |
DIA-209-1986-09-01-1 | インドネシア | 1986年09月01日 | 1980年代 | F-16型戦闘機12機購入契約に調印――政府は8月30日に米国ゼネラル・ダイナミック社との間で,F-16型戦闘機12機の購入契約に調印した,と1日発表。購入費用は通常の35%引きの3億3700万㌦。またP.T.IPTNは,同22機の部品を生産し,米国からの技術援助を受ける(KP紙,2日)。 |
DIA-209-1986-09-01-2 | インドネシア | 1986年09月01日 | 1980年代 | 非同盟諸国首脳会議(~6日)――ジンバブエのハラレにて開催。インドネシア代表としてウマル副大統領が出席。インドネシアは次期開催国に立候補したが,コンセンサスは成立しなかった(KP紙,3日)。 |
DIA-209-1986-09-04-1 | インドネシア | 1986年09月04日 | 1980年代 | 再公判で元軽工業相に懲役20年――中央ジャカルタ地裁は,2度にわたる大統領暗殺未遂容疑で再公判中のサヌシ被告に懲役20年の判決。同被告は1985年5月,すでに84年の暴動事件連座で懲役19年の判決を受けていた(KP紙,6日)。 |
DIA-209-1986-09-05-1 | インドネシア | 1986年09月05日 | 1980年代 | 豪軍機のイ領内着陸禁止について――ヘイドン豪外相は,イ側から突然豪軍機のイ領内着陸禁止を通達された,と発表(KP紙,6日)。イ外務省スポークスマンはこの措置を確認(KP紙,7日)。しかし豪側筋によると,ムルダニ国軍司令官は8日,モリソン豪駐イ大使と会談し,豪軍機のイ領内着陸許可を向こう1週間以内に再び与える,と言明した(JP紙,9日)。 |
DIA-209-1986-09-10-1 | インドネシア | 1986年09月10日 | 1980年代 | 食糧備蓄費について――アリフィンBulog長官は,86/87年度予算で新設された食糧備蓄費4174億野がBulogにまだ移転されていないことを明らかにした(KP紙,11日)。 |
DIA-209-1986-09-11-1 | インドネシア | 1986年09月11日 | 1980年代 | シ海軍と合同演習(~16日)――イ海軍はシ海軍とタンジュン・ピナンにて合同演習を開催。コードネームは「シー・イーグル9」(KP紙,16日)。 |
DIA-209-1986-09-11-2 | インドネシア | 1986年09月11日 | 1980年代 | スダルジ派,PPP宣言を発表――ジャカルタの党事務所で発表された宣言の内容は,(1)スハルト大統領の再選を支持する,(2)ナロ議長,マルディンシャ事務局長の執行部には従わない,など。これに対し,マルディンシャ事務局長は12日,「11日の声明を読み上げたものは地方指導部でもPPP党員でもない」と発言(KP紙,24日)。 |
DIA-209-1986-09-12-1 | インドネシア | 1986年09月12日 | 1980年代 | ルピア,45%の大幅切り下げ――ラディウス蔵相はテレビ・ラジオを通じて,(1)国際収支の改善,(2)開発の遂行,を目的としたルピア切り下げを発表。これにより1㌦=1134ルピアから1644ルピアへ為替レートを変更(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1986-09-13-1 | インドネシア | 1986年09月13日 | 1980年代 | 生活必需9品目の価格凍結――スマルリンBAPPENAS長官は,米,魚,食用油など9品目の価格凍結を実施する,と述べた(KP紙14日)。 |
DIA-209-1986-09-16-1 | インドネシア | 1986年09月16日 | 1980年代 | ミッテラン仏大統領来イ(~19日)――スハルト大統領との会談では,(1)貿易不均衡(仏側の出超)の是正,(2)ソフトローンの供与,等が話し合われた。仏大統領は,P.T.IPTN,バンドン工科大学等を視察(KP紙17・18日)。 |
DIA-209-1986-09-19-1 | インドネシア | 1986年09月19日 | 1980年代 | 大統領,ジャカルタ市内を視察――スハルト大統領はアリフィンBulog長官,ギナンジャールBKPM長官と共に,3時間にわたり市内6カ所の市場を視察。同大統領は視察後,「切り下げ実施後の物価高騰はないと判断している」と述べた(KP紙,20日)。 |
DIA-209-1986-09-20-1 | インドネシア | 1986年09月20日 | 1980年代 | 各軍アカデミーから548人が国軍に新規入隊――式典でスハルト大統領は,あらゆるものの前衛としての国軍を強調。548人の内訳は,陸軍227人,海軍73人,空軍55人,警察軍193人(KP紙,21日)。 |
DIA-209-1986-09-22-1 | インドネシア | 1986年09月22日 | 1980年代 | 賃上げについて――スドモ労働相は労働団体代表との会談の席上,「民間企業は物価上昇に見合う分だけ賃金を上げる必要がある」と述べた(JP紙,23日)。
しかし同労働相は25日,「インフレにつながる危険があるため,向こう3カ月間の賃上げはすべきではない」と発言(KP紙,26日)。 |
DIA-209-1986-09-27-1 | インドネシア | 1986年09月27日 | 1980年代 | 国会議員立候補者暫定名簿,選挙管理委員会に提出――内訳はPPP800名,ゴルカル800名,PDI616名(KP紙,29日)。一方スダルジ派PPPは%日,188名分の名簿を独自に提出(KP紙,10月1日)。 |
DIA-209-1986-09-27-2 | インドネシア | 1986年09月27日 | 1980年代 | ゴルカルとPDIの選挙協カーサルウォノ・ゴルカル幹事長とスルヤディPDI総裁との間で,PDIの票が少ない場合にはゴルカルが票を分けることで同意。ただし全地域には適用されない(KP紙,30日)。 |
DIA-209-1986-09-28-1 | インドネシア | 1986年09月28日 | 1980年代 | スカルノ=ハッタ空港,4時間停電――原因は空港内コンピュータ・ルームので電気系統の故障。停電中,飛行機はハリム空港を利用(KP紙,29日)。 |
DIA-209-1986-09-29-1 | インドネシア | 1986年09月29日 | 1980年代 | マレーシア国防相来イ(~10月3日)――アブドゥラー・マ国防相は30日,スハルト大統領を表敬(KP紙,10月1日)。 |
DIA-209-1986-09-29-2 | インドネシア | 1986年09月29日 | 1980年代 | ハビビ=ワィンバーガー会談――訪米中のハビビ国務相は会談後,米国側からスーパー・コンピュータの供与(引き渡しは1988年か90年)を受けることになった,と発表(JP紙,10月2日)。 |
DIA-209-1986-09-30-1 | インドネシア | 1986年09月30日 | 1980年代 | 1987年の米生産目標――アファンディ農業相によると,86年目標比2%増の2711万㌧(JP紙10月1日)。 |
DIA-209-1986-10-02-1 | インドネシア | 1986年10月02日 | 1980年代 | 切り下げ後のフォローアップ策――スマルリン蔵相代理はフォローアップ策として,(1)企業の資産再評価を1987年1月1日より認める,(2)政府開発プロジェクトのコントラクター向け費用の補填,(3)出国税を15万鮮から25万野へ引き上げ(6日から実施),の各措置を発表(詳細は「参考資料」を参照。KP紙,3日)。 |
DIA-209-1986-10-05-1 | インドネシア | 1986年10月05日 | 1980年代 | 国軍記念日第4回式典――出席したスハルト大統領は,「現在の困難に際して,国家規律の向上が必要である」と演説。また式典を指揮したエディ・スドラジャト陸軍副参謀長(少将)が中将へ,ムルディオノ内閣書記(准将)が少将へ,それぞれ昇進(KP紙,6日)。 |
DIA-209-1986-10-08-1 | インドネシア | 1986年10月08日 | 1980年代 | ラタン輸出について――7日付商相令274号により,8日からラタン原木の輸出を禁止。また同半製品も1989年1月1日より輸出禁止(KP紙,8日). |
DIA-209-1986-10-08-2 | インドネシア | 1986年10月08日 | 1980年代 | 元PKI党員9人を処刑――ダマニク国軍中央情報局長により発表。処刑の期日,場所については公表せず(KP紙,9日)。 |
DIA-209-1986-10-08-3 | インドネシア | 1986年10月08日 | 1980年代 | 最高裁,高裁判決を支持し,ダルソノ退役中将(懲役7年)の上告を却下(JP紙11日)。 |
DIA-209-1986-10-09-1 | インドネシア | 1986年10月09日 | 1980年代 | 『シナル・ハラパン』紙,無期限発禁処分――情報相令8号による。発禁理由は,(1)同紙8日付1面に「輸入規則撤廃」の記事を掲載,(2)一連のルピア切り下げ反対の記事,等が国内の安定を脅かす,というもの(JP紙,10日)。 |
DIA-209-1986-10-13-1 | インドネシア | 1986年10月13日 | 1980年代 | ラジープ印首相来イ(~14日)――同首相は13日,スハルト大統領と会談し,非同盟運動の危機回避のために協力することで同意。しかし同首相は,次期非同盟諸属首脳会議主催国については「次はラ米諸国の番」とイ側を牽制(KP紙,14日)。 |
DIA-209-1986-10-14-1 | インドネシア | 1986年10月14日 | 1980年代 | 世銀・ADB,援助額引き上げ――ラディウス蔵相によると,世銀・ADBは「プロジェクト・コスト総額に占める援助額比率を60%から80%へ引き上げ」というイ側提案に同意(JP紙,15日)。 |
DIA-209-1986-10-16-1 | インドネシア | 1986年10月16日 | 1980年代 | 食糧の自給について――アリフィンBulog長官・は,86年内の大豆自給達成は不可能,30万㌧の輸入が必要,との見方を示した(JP紙17日)。現時点での貯蔵米265万㌧のうち,固定貯蔵分115万㌧を30万㌧削減することを示唆(JP紙,18日〉。 |
DIA-209-1986-10-17-1 | インドネシア | 1986年10月17日 | 1980年代 | 地方レベルでの候補者決定について――スダルモノ・ゴルカル総裁は,(1)地方レベルでの候補者の決定権を,従来の中央執行部から地方執行部へ移す方向で準備を進めている,(2)この変更は87年,92年の総選挙では実施されないだろう,と発言。さらに「ゴルカルが大勝しても民主主義は消えない。なぜなら他の2政党は依然として存在するからだ」と述べた(KP紙,19日)。 |
DIA-209-1986-10-18-1 | インドネシア | 1986年10月18日 | 1980年代 | ゴルカル指導者会議(~20日)。 |
DIA-209-1986-10-20-1 | インドネシア | 1986年10月20日 | 1980年代 | ASEAN=EC会議(~21日)――ジャカルタにて開催。ポルトガルは欠席,フィリピンとブルネイは外相代理が出席。21日には,(1)国際金融の自由化,(2)ECのASEAN諸国への投資拡大,を骨子とする共同宣言を発表(KP紙,21日)。 |
DIA-209-1986-10-20-2 | インドネシア | 1986年10月20日 | 1980年代 | スハルト,次期大統領選挙立候補要請を受諾――ゴルカル創立22周年記念レセプションの席上,スハルト大統領はゴルカルからの次期大統領選挙立候補要請に対して,「将来に対する重大な責務を考えると身が引き締まる思いがする。しかし,次の任期途中で能力がふさわしくなくなったなら,すぐに代えてほしい。再び私に与えちれた信任に対して,敬意と感謝を表したい」と述べ,要請を受諾(KP紙,21日)。 |
DIA-209-1986-10-20-3 | インドネシア | 1986年10月20日 | 1980年代 | 製材などの一部を輸出禁止――最終製品輸出促進を目的とし,18日付商相令305・306号により,ラミンなど3種類の製材と原皮の輸出を20日より禁止(JP紙,20日)。 |
DIA-209-1986-10-20-4 | インドネシア | 1986年10月20日 | 1980年代 | イ・PNG第5回国境委員会(~22日)――バンドンにて開催。バギPNG外相は21目,スハルト大統領と会談。イ側代表はスパルジョ内相(KP紙,21日)。 |
DIA-209-1986-10-21-1 | インドネシア | 1986年10月21日 | 1980年代 | 韓国へ初のLNG積出――アルンLNGプラントから12万8297立方㍍を,韓国のピョンテクLNG基地へ向けタンカー2隻で積出。価格面では未合意(KP紙,22日)。 |
DIA-209-1986-10-22-1 | インドネシア | 1986年10月22日 | 1980年代 | 東チモールの大学生の亡命騒ぎについて――モフタル外相は,20日に生じた東チモールの大学生4人が在イ・ナランダ大使館に亡命を求めた事件について,「イ側の立場からすれば,オランダ大使館が彼らに亡命を認める理由はない」と述べた(KP紙23日)。 |
DIA-209-1986-10-22-2 | インドネシア | 1986年10月22日 | 1980年代 | ニューヨークにインドネシア・パビリオンがオープン――インドネシア産品の輸出振興が目的。サリナ・ジャヤ・デパートが出店(KP紙,23日)。 |
DIA-209-1986-10-23-1 | インドネシア | 1986年10月23日 | 1980年代 | 国内初のメタノール精製所開所――東カリマンタンのブニュ島での開所式には,スハルト大統領夫妻が出席。ラムリ・プルタミナ総裁によれば,同精製所は,『日産1000㌧(年産33万㌧)のメタノールを生産、(KP紙,24日)。 |
DIA-209-1986-10-24-1 | インドネシア | 1986年10月24日 | 1980年代 | 1987/88年度予算について――ラディウス蔵相は,(1)ルピア切り下げを行なったので,開発予算は名目値で86/87年度を上回る,(2)しかし予算全体では86/87年度を下回る,との見方を示した(KP紙,25日)。 |
DIA-209-1986-10-25-1 | インドネシア | 1986年10月25日 | 1980年代 | 切リ下げ後のフォローアップ策――内容は,(1)国内調達が困難な59品目の輸入関税を撤廃,その他49品日の輸入関税を現行の10~40%から――律5%へ引き下げ,(2)317品目中165品目の輸入独占・規制の撤回,(3)スワップ取引の上限規制撤廃,(4)国立銀行からのルピア資金獲得については外資系企業も国内企業と同じ扱い,(5)外資系企業が他社(国内企業を含む)の製品を輸出することが可能,など(詳細は「参考資料」を参照。RP紙,26日)。 |
DIA-209-1986-10-27-1 | インドネシア | 1986年10月27日 | 1980年代 | イ・PNG相互友好条約調印――ポートモレスビーにて調印。モフタル外相によれば,スハルト大統領は今回の調印について「両国にとって歴史的なものである」と述べた(KP紙,29日)。 |
DIA-209-1986-10-27-2 | インドネシア | 1986年10月27日 | 1980年代 | P.T.Tambang Timah,85年は創業以来初めて1200万㌦の赤字(JP紙,28日)。 |
DIA-209-1986-10-29-1 | インドネシア | 1986年10月29日 | 1980年代 | 大統領,豪閣僚と会談――スハルト大統領は,4月のSMH紙報道事件以来初めて,ケリン豪基幹工業相と会談。同相は国際スズ生産国会議(ITPC)出席のたりらめ24日に来イ(JP紙,30日)。 |
DIA-209-1986-10-31-1 | インドネシア | 1986年10月31日 | 1980年代 | 外国人労働者の就業規制を緩和――スドモ労働相によると,28日付労働相令1110号により,輸出入交渉や国際展覧会参加等の場合には,政府の労働許可がなくとも商用ビザを所有する外国人労働者の就業が可能となる。ただし,外国人報道関係者については特別ビザが必要(KP紙,11月1日)。 |
DIA-209-1986-11-01-1 | インドネシア | 1986年11月01日 | 1980年代 | スハルト大統領,「英雄の日」に因んで,スカルノ前大統領とハッタ元副大統領に対し「独立宣言英雄(Pahlawan Proklamator)」の称号を贈る(KP紙,4日)。 |
DIA-209-1986-11-05-1 | インドネシア | 1986年11月05日 | 1980年代 | 病虫害対策のための大統領令――スハルト大統領は,大発生したトビイロウンカ(新種)による被害拡大を重視。関係閣僚に対し,トビイロウンカに有効でなくかつ天敵を死滅させる,57種類の殺虫剤の使用を禁止する大統領令3号を施行。また,87年2月1日からもみ米の生産者価格下限を,キロ当り175ルピアから190ルピアへ引き上げると発表(JP紙,6日)。 |
DIA-209-1986-11-05-2 | インドネシア | 1986年11月05日 | 1980年代 | 韓国,石油開発断念か――ソウル発の聯合通信によると,韓国資源エネルギー相は,経済的理由によりマドゥラ島近くでの石油開発を断念すると発言。しかし李コデコ・エネルギー会社副社長は,すぐにこの報道を否定(JP紙,6日)。 |
DIA-209-1986-11-06-1 | インドネシア | 1986年11月06日 | 1980年代 | 新大使任命――西独大使にスカルディ前空軍参謀長,オランダ大使にロムリ前海軍参謀長が任命された(KP紙,7日)。 |
DIA-209-1986-11-07-1 | インドネシア | 1986年11月07日 | 1980年代 | 4件の合弁企業設立で合意――日本を訪問中のギナンジャールBKPM長官は,日本の吉田工業,日本航空,三井農林とそれぞれ合弁企業(計4社)の設立に合意した,と発表。しかし同長官は,日本からの直接投資の落ち込みに懸念を示した(JP紙7日・8日)。 |
DIA-209-1986-11-08-1 | インドネシア | 1986年11月08日 | 1980年代 | 台湾とのLNG交渉終了――1984年3月から続いた交渉が終了。12月仮調印,87年正式調印のはこびとなった。同契約は年間150万㌧,1990年から20年間にわたってLNG輸出を行なうというもの(KP紙,15日)。 |
DIA-209-1986-11-11-1 | インドネシア | 1986年11月11日 | 1980年代 | マルタのアガサ大統領来イ(~15日)――同大統領は,ヨーロッパ向け貿易中継地としてマルタを使うよう要請。また,スダルモノ官房長官によれば,マルタは次期非同盟諸国首脳会議の開催国としてインドネシアを支持する意向(KP紙,11日・12日)。 |
DIA-209-1986-11-12-1 | インドネシア | 1986年11月12日 | 1980年代 | 副大統領候補について――アミルマフムド国会議長は,「社会や組織が副大統領候補を推測することは禁止されてはいない」と発言。また「国民協議会(MPR)執行部は,18州から104通のスハルト再選支持の声明を受け取っている」と述べた(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1986-11-12-2 | インドネシア | 1986年11月12日 | 1980年代 | 病害虫対策に70億ルピアを用意――ワルドヨ副大臣とアファンディ農業相によると,これは新殺虫剤(日本からの援助による)購入などに充てられる(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1986-11-13-1 | インドネシア | 1986年11月13日 | 1980年代 | 国軍大学(AKABRI)校長人事――カピ・スリアディルジャ校長の韓国大使就任に伴い,新校長にはスギアトモ前海軍アカデミー校長が就任(KP紙,15日)。 |
DIA-209-1986-11-13-2 | インドネシア | 1986年11月13日 | 1980年代 | 各州知事,会計検査院(Bepeka)長官らと会談――スパルジョ内相と27州の州知事は,ユスフBepeka長官と会談。ユスフ長官は,国家予算のできる限り効率的な使用を要請。会談にはムルダニ国軍司令官も同席(KP紙,15日)。 |
DIA-209-1986-11-13-3 | インドネシア | 1986年11月13日 | 1980年代 | ルピア切り下げ関連記事に関し,経済誌Forum Ekonomi10月号発禁(JP紙,13日)。 |
DIA-209-1986-11-13-4 | インドネシア | 1986年11月13日 | 1980年代 | 大統領,石油価格18㌦/bを積極的に支持――スブロト鉱業相によると,スハルト大統領は,ファハド・サウジアラビア国王から18㌦/b支持を要請する親書を受け取り,これに賛意を表明(JP紙,15日)。 |
DIA-209-1986-11-13-5 | インドネシア | 1986年11月13日 | 1980年代 | 35億㌦のシンジケート・ローン供与――銀行団は,米国3行,日本4行,アラブ1行で,インドネシア側と香港で会合。8年で返済を完了し,利子は当初6年がLIBOR上乗せ1%の上下0.625ポイントのフロート,残る2年が同上下0.75ポイントのフロートの見込み(AWSJ紙14日・15日)。一方銀行筋は,供与額を35億㌦から40億㌦へ増額する可能性も示唆した(AWSJ紙,20日)。 |
DIA-209-1986-11-15-1 | インドネシア | 1986年11月15日 | 1980年代 | ハビビ国務相訪日(~29日)特にハイテク関連の協力拡大を目的(JP紙,17日)。 |
DIA-209-1986-11-16-1 | インドネシア | 1986年11月16日 | 1980年代 | ムルダニ,プサントレンを訪問――ムルダニ国軍司令官は,東ジャワ・シトゥボンドにあるサラフィヤのプサントレン(イスラム系の寄宿制教育機関)を訪問しプサントレンの重要性を強調(KP紙,17日)。 |
DIA-209-1986-11-17-1 | インドネシア | 1986年11月17日 | 1980年代 | 政府,ヘルツォーク・イスラエル大統領のシンガポール訪問に対して不快感を表明(KP紙,18日)。 |
DIA-209-1986-11-19-1 | インドネシア | 1986年11月19日 | 1980年代 | マ・イ陸軍,東ジャワ・マランで合同演習(~25日)――コードネームは「ダルササ2」(JP紙,20日)。 |
DIA-209-1986-11-25-1 | インドネシア | 1986年11月25日 | 1980年代 | 合板プラントへの新規参入について――ギナンジャールBKPM長官は,需給バランス維持のため,現在102社ある合板プラントへの新規参入および拡張を認めないとの意向を示した(JP紙26日)。 |
DIA-209-1986-11-26-1 | インドネシア | 1986年11月26日 | 1980年代 | 24,25日付AWSJ紙発禁――24,25日付同紙では,1面トップにスハルト大統領親族の最近の経済活動に関する記事を連載(JP紙,26日)。 |
DIA-209-1986-11-26-2 | インドネシア | 1986年11月26日 | 1980年代 | プルタミナ,初のLNGスポット売り――アミン・プルタミナスポークスマンによると,米国ボストン向けに8万6795立方㍍を輸出(JP紙,27日)。 |
DIA-209-1986-12-01-1 | インドネシア | 1986年12月01日 | 1980年代 | 産業部門の開放について――ハルタルト工業相は,肥料を除く全産業部門を民間投資に開放する意向を表明。肥料産業の除外は,(1)補助金の影響が大きい,(2)戦略産業の一つである,ため(KP紙2日)。 |
DIA-209-1986-12-02-1 | インドネシア | 1986年12月02日 | 1980年代 | 戦略企業への政府資本参加――ハビビ国務相によると,1986/87年度の総額は1兆696億ルピア。内訳は,P.T.IPTNへ7309億ルピア,P.T.PALへ2929億ルピア,P.T.Pindadへ458億ルピア(KP紙,4日)。 |
DIA-209-1986-12-03-1 | インドネシア | 1986年12月03日 | 1980年代 | プロテスタント系キリスト教会は,2日からの会合で,パンチャシラを団体の唯一原則として受け入れることに同意(JP紙,5日)。 |
DIA-209-1986-12-03-2 | インドネシア | 1986年12月03日 | 1980年代 | コーヒー輸出好調――定例経済報告によると,1985年10月から86年9月までのコーヒー輸出額は,前年度比59.5%増の8億9970万㌦に達した(KP紙,4日)。 |
DIA-209-1986-12-08-1 | インドネシア | 1986年12月08日 | 1980年代 | 87年総選挙立候補者暫定名簿決定――選挙管理委員会の署名により決定。1987年1月6日から2月5日まで,マスコミ等を通じ公表される。名簿の内訳は,PPP761名,ゴルカル792名,PDI535名。正式名簿決定は87年2月(KP紙,9日。なお9月27日参照)。 |
DIA-209-1986-12-08-2 | インドネシア | 1986年12月08日 | 1980年代 | 1986/87年度上半期(4~9月)の歳入実績――ラディウス蔵相によると,経常歳入は7兆4734億ルピア(予算比41.9%)。うち石油・LNG収入は2兆9597億ルピア(同30.4%),非石油・LNG収入は4兆5137億ルピア(同55.8%)。開発歳入は1兆5455億ルピア(同43.1%),うちプログラム援助は3973億ルピア(同488%)(KP紙,9日)。 |
DIA-209-1986-12-08-3 | インドネシア | 1986年12月08日 | 1980年代 | 国営企業への政府資本参加――ラディウス蔵相によると,1986/87年度上半期での総額は597ルピア,主要例は,Bank Tabungan Negaraの公共住宅向け貸付用に300億ルピア,P.T.Kertas Kraft Acehに75億ルピア,P.T.KTSMに17億ルピアなど(JP紙,9日)。 |
DIA-209-1986-12-09-1 | インドネシア | 1986年12月09日 | 1980年代 | DSR,40%に近づく――ラディウス蔵相は国会予算委員会において,(1)DSRはすでに30%を超えており,40%に迫っている,(2)対外債務は期限内に返済しなければならない,と発言。さらに(1)累積債務額は293億㌦(うち元本267億㌦),(2)1986/87年度上半期の対外債務返済分支出は1兆7890億ルピア(うち元本9300億ルピア)であることを明らかにした(KP紙,10日,JP紙,10日)。 |
DIA-209-1986-12-12-1 | インドネシア | 1986年12月12日 | 1980年代 | 分離主義者を逮捕――アチェでハサン・ティロ等13人の分離主義者を,8日からの数日間に逮捕したことを,アリ・ゲノ第Ⅰ陸軍区司令官が確認(JP紙,12日)。 |
DIA-209-1986-12-12-2 | インドネシア | 1986年12月12日 | 1980年代 | 移住地について――マルトノ移住相は,自発的移住を除き,スマトラ島への一般的移住を終了する意向を示した(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1986-12-12-3 | インドネシア | 1986年12月12日 | 1980年代 | 台湾軍の伯村参謀総長来イ。ムルダニ国軍司令官と会談(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1986-12-13-1 | インドネシア | 1986年12月13日 | 1980年代 | トビイロウンカの被害――ワルドヨ副大臣によると,5.3万ha,5万㌧程度の見込み(JP紙15日)。 |
DIA-209-1986-12-13-2 | インドネシア | 1986年12月13日 | 1980年代 | 綿花輸入独占を撤回――商業相は,9日付でP.T.CBTIの綿花輸入を禁止し,代わりに国営商社6社が綿花輸入を行なう,と発表(JP紙,15日)。 |
DIA-209-1986-12-16-1 | インドネシア | 1986年12月16日 | 1980年代 | 新関税総局長就任――1985年2月以来ラディウス蔵相が兼任してきた関税総局長に,ハルジョノ密輸撲滅局長が兼務のまま就任(KP紙,17日)。 |
DIA-209-1986-12-17-1 | インドネシア | 1986年12月17日 | 1980年代 | 砂糖を輸入――アリフィンBulog長官は,1987年3月までに予想されるストック不足を補うため,86年中に16万2500㌧,3400万㌦の砂糖を輸入する,と述べた(KP紙,18日)。 |
DIA-209-1986-12-19-1 | インドネシア | 1986年12月19日 | 1980年代 | 米輸出を確認――アリフィンBulog長官は,1984年に輸入した米60~70万㌧を,85年に輸出したことを認めた。しかし,さらに米を輸出する計画はBulogにはないと述べた(JP紙,20日)。 |
DIA-209-1986-12-20-1 | インドネシア | 1986年12月20日 | 1980年代 | 行政裁判法(UU Peradilan Tata Usaha Ne-gara)成立――国会内4会派は,行政裁判法成立に同意した。条文は,当初の141から145に変更(KP紙,22日)。 |
DIA-209-1986-12-20-2 | インドネシア | 1986年12月20日 | 1980年代 | OPECの生産割当量――ジュネーブで開催されたOPEC総会で,イラクを除き,1987年から18㌦/bの減産体制確立で合意。これによりインドネシアの生産量は87年について第Ⅰ四半期113.3万b/d,第Ⅱ四半期113.3万b/d,第Ⅲ四半期119万b/d,第Ⅳ四半期131.2万b/d,と割り当てられた模様(KP紙,21日・22日など)。 |
DIA-209-1986-12-22-1 | インドネシア | 1986年12月22日 | 1980年代 | 順油価格引き上げ――スプロト鉱業相は,基準油種ミナスの原油価格を,12月の13.5㌦/bに対し1987年2月1日から17.56㌦/bへ引き上げると発表(KP紙23日)。 |
DIA-209-1986-12-22-2 | インドネシア | 1986年12月22日 | 1980年代 | ソラーズ米上院外交小委員会委員長来イ(~24日)――23日にはスハルト大統領を表敬(KP紙,24日)。 |
DIA-209-1986-12-23-1 | インドネシア | 1986年12月23日 | 1980年代 | 戦略企業向け原材料輸入規制緩和を指示――スハルト大統領は,P.T.IPTN,P.T.PAL,P.T.Pindad向け原材料の輸入関税免除などを関係閣僚に指示。これは非石油(とくに非伝統部門)輸出振興と国際競争力強化を日的としたもの(KP紙,24日)。 |
DIA-209-1986-12-28-1 | インドネシア | 1986年12月28日 | 1980年代 | 正副大統領,クリスマス式典に出席――スハルト大統領とウマル副大統領は,プロテスタント系とカトリック系合同の公務員クリスマス式典に初めて出席。なお,プロテスタント系とカトリック系が合同で式典を開催したのも初めて(KP紙,29日)。 |
DIA-209-1987-01-05-1 | インドネシア | 1987年01月05日 | 1980年代 | 国軍人事―国軍参謀本部国防機能担当参謀にスジャナ前同社会政治機能担当参謀補佐官が,同社会政治機能担当参謀にスギアルト前同国防機能担当参謀人事担当補佐官が就任。これにより,国軍内からは45年世代がすべて姿を消した(KP紙,6日)。 |
DIA-209-1987-01-05-2 | インドネシア | 1987年01月05日 | 1980年代 | スカルノ革命基金について―スハルディマン・ゴルカル事務局長は,(1)オランダ,スイス,イギリスの銀行に約160億ドルのスカルノ革命基金が1960年以来存在している,(2)これらはまだ政府によって使われていない,(3)この基金を引き出せるのはスカルノとスバンドリオだけである,などと発言(JP紙,6日)。 |
DIA-209-1987-01-06-1 | インドネシア | 1987年01月06日 | 1980年代 | 87/88年度予算案,国会(DPR)へ―総額22兆7831億ルピア(前年度比6.4%増)の予算案が提出された。歳入内訳は,経常歳入17兆2361億ルピア(同3.3%減),うち石油・ガス部門の占める割合は一挙に40%(前年度55%)へ低下,付加価値税などの税収増などによる非石油収入の大幅増を見込んでいる。開発歳入は,ルピア建て援助額の増加などで5兆5470億ルピア(前年度比54.6%増)へ増加した。一方歳出内訳は,経常歳出が15兆265億ルピア(同14.5%増),うち債務返済支出は同61.1%増と急増した。開発歳出は7兆7566億ルピア(同6.5%減)で,なかでもルピア支出は同51.3%減と切り詰められた。また今回の予算案では,公務員給与や年金の引き上げが見送られたほか,石油製品向け補助金や昨年新設された食糧備蓄費が廃止された(KP紙,7日)。 |
DIA-209-1987-01-06-2 | インドネシア | 1987年01月06日 | 1980年代 | 1987年総選挙暫定候補者名簿公表(~2月5日)。(KP紙,7日)。 |
DIA-209-1987-01-09-1 | インドネシア | 1987年01月09日 | 1980年代 | 国軍人事―第Ⅷ陸軍区司令官にウィスモヨ・アリスムナンダール前第IX陸軍区参謀長が就任(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1987-01-11-1 | インドネシア | 1987年01月11日 | 1980年代 | 日本の田村通産相来訪(~14日)―同通産相は12日にスハルト大統領を表敬した際,(1)日本は従来の貿易政策を変え,ニューエイド・プランとも言うべき政策を行なう,(2)ルピア建て援助を拡大させる,などと述べた(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1987-01-12-1 | インドネシア | 1987年01月12日 | 1980年代 | 経済成長見通し―スミトロ大統領経済顧問は87年の成長率について3.03%の成長が可能との見方を示したが,「投資や生産面が悪ければ1.47%となり,86年の1.6%を下回ろう」とも述べた。また,86年12月のドル買い殺到に関連して,現時点でルピア切り下げを行なう理由はないと言明した(KP紙,12日)。 |
DIA-209-1987-01-12-2 | インドネシア | 1987年01月12日 | 1980年代 | 国軍人事―第Ⅳ陸軍区司令官にスティヨノ前第Ⅷ陸軍区司令官が就任。ハルスディヨノ・ハルタス前第Ⅳ陸軍区司令官は国軍参謀本部社会政治機能担当参謀補佐官に就任(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1987-01-12-3 | インドネシア | 1987年01月12日 | 1980年代 | イブヌ・ストウォ,インドネシア赤十字中央委員会委員長に就任(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1987-01-13-1 | インドネシア | 1987年01月13日 | 1980年代 | バングラデシュのエルシャド大統領来訪(~17日)(KP紙,14日)。 |
DIA-209-1987-01-14-1 | インドネシア | 1987年01月14日 | 1980年代 | 米の生産について―アファンディ農業相は,87年の米の生産目標を2730万トンと発表。一方エコノミストのサドリ教授は米生産について,害虫の被害や作付け転換により人口増加率や米の消費増加が生産増を上回れば,米輸入の可能性も出てくると警告(JP紙,14日)。 |
DIA-209-1987-01-15-1 | インドネシア | 1987年01月15日 | 1980年代 | 1月15日付包括経済政策発表―繊維,鉄鋼,機械,電機の4業種,300品目(CCCN)の輸入規制を緩和。内容は103品目を輸入規制から関税による調整へ転換,142品目を登録輸入業者システムへ転換,55品目の輸入関税を引き下げる,など。これらは,86年10月のルピア切り下げフォローアップ策に引き続く措置(KP紙,15日)。 |
DIA-209-1987-01-15-2 | インドネシア | 1987年01月15日 | 1980年代 | DPR,インドネシア商工会議所(KADIN)法案を全会一致で可決―当初の7章13条が特別委の審議後8章14条へ改訂(KP紙,16日)。 |
DIA-209-1987-01-21-1 | インドネシア | 1987年01月21日 | 1980年代 | 体操の名前を変更―アブドゥル・ガフル青年・体育担当国務相は,スハルト大統領と会談後,中国系の体操の名前について,Tai Chi をSenam Tara Indonesia,Wai Tan Kung をSenam Sehat Indonesia と改名すると発表(KP紙,22日)。 |
DIA-209-1987-01-27-1 | インドネシア | 1987年01月27日 | 1980年代 | メタノール精製所,一時的に運転停止―プルタミナ側の説明によると,原因はボイラーの排水管に漏れが生じたため(JP紙,28日)。 |
DIA-209-1987-01-28-1 | インドネシア | 1987年01月28日 | 1980年代 | 治安当局,経済紙『プリオリタス』に最終警告を発する(JP紙29日)。 |
DIA-209-1987-01-30-1 | インドネシア | 1987年01月30日 | 1980年代 | メッカ巡礼費用引き上げ―86年の321.2万ルピアから87年は前年比42%増の456万ルピアへ。ムナウィル宗教相によると,費用引き上げはルピア切り下げに伴うもの(KP紙,31日)。 |
DIA-209-1987-01-31-1 | インドネシア | 1987年01月31日 | 1980年代 | 86年の自動車生産上向く―生産台数は16万2474台(前年比16.5%増)で,商用車が12万8613台,乗用車が3万3861台。企業グループ別生産台数は,,多い順にアストラ,サリム,プロスペクトモーター,クラマユダ(KP紙,2月2日)。 |
DIA-209-1987-02-01-1 | インドネシア | 1987年02月01日 | 1980年代 | 公共交通料金引き上げ―84年3月の値上げ以来のもので,値上げ幅は5.26~20%。市バス,タクシーなどは1日から,鉄道,長距離交通などは8日から実施(KP紙,1月20日)。 |
DIA-209-1987-02-03-1 | インドネシア | 1987年02月03日 | 1980年代 | バンク・ヌガラ・インドネシア,バンク・ブミ・ダヤ,ロンドンに支店を開設(KP紙,4日)。 |
DIA-209-1987-02-04-1 | インドネシア | 1987年02月04日 | 1980年代 | スハルト大統領,定例閣議の席上,全閣僚に対し国営企業の状況報告を求める―同大統領によれば,その報告は国営企業民営化に関する重大な資料となる(KP紙,5日)。 |
DIA-209-1987-02-05-1 | インドネシア | 1987年02月05日 | 1980年代 | 自動車工業で規制緩和―ハルタルト工業相によると,内容は(1)2.5トンまでの車のローカルコンテントは1990年まで継続する(当初は87年まで),(2)2.5~24トンの車,ジープ,セダン,ワゴンはローカルコンテント義務から除外する,(3)セダンとステーションワゴンには引きつづき100%の輸入関税を課すがその他の車種の輸入部品への関税は免除,など。また,(1)品質上国内調達が難しい場合,(2)部品リスト以外で輸入が禁止されている部品の場合,輸入が可能となる。これらの措置は,上昇していた輸入関税を引き下げ,部品価格を低下させようとするもの(KP紙,6日など)。 |
DIA-209-1987-02-05-2 | インドネシア | 1987年02月05日 | 1980年代 | スハルト大統領,マレーシア,シンガポールを訪問(~7日)―5日,ジョホール・バルでのマハティール・マ首相との会談では,比の国民投票の結果に好感を表明。また二国間問題では,(1)すず,パーム油問題,(2)インドネシア人労働者問題,などが議題となった。続いて6日には,シンガポールでリー・クアン・ユー首相と会談した。両首脳会談においては,ASEAN共同市場・自由貿易地域構想について「まだその段階にはない」という点で意見が一致した。大統領にはモフタル外相,ムルダニ国軍司令官,スダルモノ官房長官,ムルディオノ内閣書記らが同行(KP紙,6,7日)。 |
DIA-209-1987-02-10-1 | インドネシア | 1987年02月10日 | 1980年代 | 国営クラカトウ製鉄,86年は黒字―アリウィボウォ同製鉄社長によると,86年営業実績は453億ルピアの黒字(85年は136億ルピアの赤字)となった。また売り上げ高は前年比51%増の4280億ルピア,輸出額は同79.7%増の557万ドルに達した(KP紙,11日)。 |
DIA-209-1987-02-11-1 | インドネシア | 1987年02月11日 | 1980年代 | トビイロウンカによる被害―ワルドヨ食糧増産担当副大臣によると,86年の被害面積は5.8万ha,稲への被害は8万トン程度に留まった模様(KP紙,12日)。 |
DIA-209-1987-02-13-1 | インドネシア | 1987年02月13日 | 1980年代 | アサハン・アルミ,資本追加に同意―2200億円の負債軽減のため,東京にて120億円の資本追加に同意。返済利子率も7%から6.5%へ下げられた模様(JP紙,14日)。 |
DIA-209-1987-02-17-1 | インドネシア | 1987年02月17日 | 1980年代 | 日本の輸銀から9億ドルの借款―来訪中の田中輸銀総裁とラディウス蔵相との間で調印。同借款は,世銀融資プロジェクト実施用の協調融資として用いられる初めてのもの。対象プロジェクトは21件で,2ステップローンで返済される(KP紙,18日)。 |
DIA-209-1987-02-18-1 | インドネシア | 1987年02月18日 | 1980年代 | 選挙参加3団体へ2.5億ルピアずつの大統領援助(Banpres)―前回選挙の際は2億ルピア。なお20年間での大統領援助の累計額は2511.4億ルピア(KP紙,19日)。 |
DIA-209-1987-02-19-1 | インドネシア | 1987年02月19日 | 1980年代 | 86年の米の生産量―ワルドヨ副大臣によると,前年比0.91%増の2674.8万トン(KP紙,20日)。 |
DIA-209-1987-02-19-2 | インドネシア | 1987年02月19日 | 1980年代 | 元インドネシア共産党(PKI)関係者の選挙参加について―ハリ・スギマン内務省社会政治問題総局長は,元PKI党員あるいは支持者141万333人中137万230人は選挙で投票できよう,と述べた。しかし,カテゴリーA~Cの約4万人の投票は不可能(JP紙,21日)。 |
DIA-209-1987-02-20-1 | インドネシア | 1987年02月20日 | 1980年代 | モフタル外相,タイを訪問(~21日)―タイ側とASEANサミットなどについて会談。同外相は,月初めのスハルト外遊に同行後,イラン,カナダ,インド,タイを歴訪(JP紙,21日など)。 |
DIA-209-1987-02-21-1 | インドネシア | 1987年02月21日 | 1980年代 | インドネシア債権国(IGGI)会議議長来訪(~28日)―IGGIの新議長ピエト・ブクマン蘭開発協力相は24日,スハルト大統領と会談(KP紙,22日など)。 |
DIA-209-1987-02-21-2 | インドネシア | 1987年02月21日 | 1980年代 | 総選挙候補者正式名簿,選挙委員会にて署名―正式名簿は,2月26日から3月27日まで公表。また選挙委員会は,暫定名簿公表期間中に291通,1468人の候補者に関する手紙を受け取ったことを明らかにした(KP紙,22日)。 |
DIA-209-1987-02-23-1 | インドネシア | 1987年02月23日 | 1980年代 | 冷間正延工場プラント運転開始―年産85万トンの生産能力を持ち,1200人を雇用。開所式でスハルト大統領は,「政府による産業保護には期限があることを知らなければならない。保護は国民の犠牲に基づくものである」と述べた。同プラントの出資比率は,国営クラカトウ製鉄40%,カオリン・インダ・ウタマ社(インドセメント・グループとメトロポリタン・グループが出資)40%,セスティアチェアSA社(仏・西の合弁)20%(JP紙,24日)。 |
DIA-209-1987-02-24-1 | インドネシア | 1987年02月24日 | 1980年代 | 二つのホテルの民営化―タヒル観光・郵政・通信相は,国営の親会社ホテル・インドネシア・インターナショナル社の負担が増大したとして,西ジャワのサムドラビーチ・ホテルとバリのプトゥリ・バリ・ホテルを民営化する意向を示した(JP紙,25日)。 |
DIA-209-1987-02-24-2 | インドネシア | 1987年02月24日 | 1980年代 | プルタミナ,日本とLPGプロジェクト向け融資契約に調印―(1)アチェのアルン向けに7億ドル,(2)東カリマンタンのボンタン向けに1.8億ドル,の計8.8億ドル。(1)は86年7月分から,(2)は86年10月分から,価格は中東ものの基本価格にトン当り3ドル上乗せで,10年契約。積み出しは88年第1四半期から(JP紙,25日など)。 |
DIA-209-1987-02-28-1 | インドネシア | 1987年02月28日 | 1980年代 | 87/88年度予算案,DPRを通過(KP紙,3月2日)。 |
DIA-209-1987-03-01-1 | インドネシア | 1987年03月01日 | 1980年代 | インドのシン外務担当国務相来訪(~2日)―同国務相は2日,モフタル外相と会談(KP紙,2日) |
DIA-209-1987-03-03-1 | インドネシア | 1987年03月03日 | 1980年代 | ムウィニ・タンザニア大統領来訪(4日)。 |
DIA-209-1987-03-04-1 | インドネシア | 1987年03月04日 | 1980年代 | 国営企業評価チームを編成―ハルモコ情報相によると,スハルト大統領は,国営企業を監督する関係閣僚から出された報告書の評価を行なうチームを結成したと発表。メンバーは,ワルダナ経済調整相を長とし,スマルリン国家経済企画庁(BAPPENAS)長官,ラディウス蔵相,スダルモノ官房長官,スガンディ開発会計検査院(BPKP)長官,シレガル中銀総裁から構成(KP紙,5日)。 |
DIA-209-1987-03-05-1 | インドネシア | 1987年03月05日 | 1980年代 | シェワルナゼ・ソ連外相来訪(~9日)―モフタル外相との会談は6日,延べ5時間にわたって行なわれたが,カンボジア問題に関してソ連側からは新しい提案はなかった。7日にはスハルト大統領を表敬。また,共同声明の発表は当初7日の予定だったが,8日に延期された(KP紙,6,7日など)。 |
DIA-209-1987-03-10-1 | インドネシア | 1987年03月10日 | 1980年代 | シグール米国務次官補来訪(~11日)―2日間の公式訪問(JP紙,11日)。 |
DIA-209-1987-03-12-1 | インドネシア | 1987年03月12日 | 1980年代 | 第6回ASEAN経済相エネルギー協力会議,ジャカルタで開催(~13日)(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1987-03-12-2 | インドネシア | 1987年03月12日 | 1980年代 | パプア・ニューギニア(PNG)のディロ外相来訪―13日には,ジャカルタで相互友好協力条約を調印。またディロ外相は,PNGのASEANへの加盟希望を正式に表明した。14日にはスハルト大統領を表敬(KP紙,13,14日など)。 |
DIA-209-1987-03-14-1 | インドネシア | 1987年03月14日 | 1980年代 | フィッシャー東独外相来訪(~17日)―16日にはスハルト大統領と会談(KP紙,15日など)。 |
DIA-209-1987-03-17-1 | インドネシア | 1987年03月17日 | 1980年代 | スマトラ,アチェのプロジェクト開所―開所式にはスハルト大統領が出席。プロジェクトの内容は,ベラワン―メダン―タンジュン・ムラワの高速道路,ベラワン港の防波提・コンテナターミナル,32の橋,16の発電所,など(KP紙,18日など)。 |
DIA-209-1987-03-19-1 | インドネシア | 1987年03月19日 | 1980年代 | 台湾との間でLNG売買契約調印―ジャカルタにて調印。契約は20年で,年間150万トン。積み出しは1990年から開始(KP紙,20日)。 |
DIA-209-1987-03-19-2 | インドネシア | 1987年03月19日 | 1980年代 | PNGのASEAN加盟について―モフタル外相は,「PNGはすでに南太平洋フォーラムに加盟しており,ASEANに加盟することはできない。PNGはASEANに加盟しないだろう。ASEANと協力協定を結びたいだけであろう」と述べた(JP紙,20日)。 |
DIA-209-1987-03-20-1 | インドネシア | 1987年03月20日 | 1980年代 | PNG国会代表団来訪―アミルマフムドDPR/MPR議長等が出迎え。23日にはスハルト大統領を表敬(KP紙,21,24日など)。 |
DIA-209-1987-03-20-2 | インドネシア | 1987年03月20日 | 1980年代 | 北京での国連軍縮セミナー出席のためイ代表団出発―モフタル外相は,「特別なメッセージを持たせてはいないが,中国側からのアプローチを避けはしない。たまたま会議が北京で開催されているだけで,セミナーに出席してはいけない理由はない」と述べた。代表団のメンバーは,アリ国連大使,ナナ・ストレスナ外務省政治総局長,ユスフ・ワナンディ国際戦略研究所(CSIS)所長,ルクマン・ハルン・インドネシア宗教平和委員会事務局長(JP紙,21日)。 |
DIA-209-1987-03-21-1 | インドネシア | 1987年03月21日 | 1980年代 | コナブル世銀総裁来訪(~25日)―86年7月の総裁就任以来初のアジア訪問(KP紙,22日など)。 |
DIA-209-1987-03-21-2 | インドネシア | 1987年03月21日 | 1980年代 | 米国フロリダ基地から,デルタ・ロケットにてパラパB-2P通信衛星打ち上げ(KP紙,25日)。 |
DIA-209-1987-03-23-1 | インドネシア | 1987年03月23日 | 1980年代 | 中国,ジャカルタ・フェアに参加の意向―スカムダニKADIN会頭によると,来イ中の中国国貿促代表との会談で,中国側は87年6月開催のジャカルタ・フェアに参加の意向を示した(JP紙,25日)。 |
DIA-209-1987-03-24-1 | インドネシア | 1987年03月24日 | 1980年代 | 選挙運動期間始まる―期間は4月17日までの25日間。開発統一党(PPP)は24日から,ゴルカルは25日から,インドネシア民主党(PDI)は27日から街頭運動を開始(KP紙,25日など)。 |
DIA-209-1987-04-01-1 | インドネシア | 1987年04月01日 | 1980年代 | インドネシア・ウラマ協議会(MUI)代表,スハルト大統領と会談―ハサン・バスリMUI代表は,イスラムではコーランの一節を特定の利益のために用いることを禁じている,と述べた(KP紙,2日)。 |
DIA-209-1987-04-01-2 | インドネシア | 1987年04月01日 | 1980年代 | 政府,輸出クレジットの金利を従来の9%から11.5%へ引き上げ―ただし4月1日以前に取り引きを終えた輸出品や10月1日より前に船積みされる輸出品には従来の金利が適用される(JP紙,2日)。 |
DIA-209-1987-04-02-1 | インドネシア | 1987年04月02日 | 1980年代 | 金永南北朝鮮外相来訪(~3日)―3日にはスハルト大統領を表敬後,次の訪問国であるタイへ向かった(JP紙,3日)。 |
DIA-209-1987-04-04-1 | インドネシア | 1987年04月04日 | 1980年代 | ガルーダ機,メダン空港で墜落事故―バンダ・アチェ発メダン経由ジャカルタ行きのDC-9型機がメダン・ポローニア空港で墜落,炎上。在メダン日本総領事館副領事ら日本人乗客4人を含む29人が死亡(KP紙,5日など)。 |
DIA-209-1987-04-04-2 | インドネシア | 1987年04月04日 | 1980年代 | メタノール・プラント,運転再開へ―プルタミナ筋によると,1月末から運転を停止していた東カリマンタン・ブニュ島のメタノール・プラントは,運転再開へ向けて試運転を開始(JP紙,8日)。 |
DIA-209-1987-04-05-1 | インドネシア | 1987年04月05日 | 1980年代 | ジョグジャカルタでPPP・ゴルカル両選挙運動員が衝突―関係者が7日に明らかにしたところによると,衝突で8人が負傷した模様(JP紙,8日)。 |
DIA-209-1987-04-09-1 | インドネシア | 1987年04月09日 | 1980年代 | 86年の銀行業績―国立・民間を合わせ,全体で前年比28%の増益を示した。業績第1位は,国立のバンク・ヌガラ・インドネシア(KP紙,9日)。 |
DIA-209-1987-04-09-2 | インドネシア | 1987年04月09日 | 1980年代 | 1987/88年度の非石油輸出は15%の伸びが可能―ウィジョヨ前国家開発企画庁長官は,ルピア切り下げ後行なわれている規制緩和政策が変わらなければ,87/88年度の非石油輸出目標である76.02億ドル(前年度比15%増)は達成可能,との見方を示した(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1987-04-09-3 | インドネシア | 1987年04月09日 | 1980年代 | ニエレレ前タンザニア大統領来訪(~12日)―同前大統領は2度目の訪問。10日,スハルト大統領を表敬(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1987-04-10-1 | インドネシア | 1987年04月10日 | 1980年代 | PPPの選挙運動,メダンで禁止―治安当局によると,PPPが運動の許可証を持っていなかったため(JP紙,11日) |
DIA-209-1987-04-12-1 | インドネシア | 1987年04月12日 | 1980年代 | スペインのナルシソ・セラ国防相来訪(~17日)(KP紙,14日)。 |
DIA-209-1987-04-12-2 | インドネシア | 1987年04月12日 | 1980年代 | 投資ミッション,シンガポールを訪問(~14日)―ミッションはギナンジャール投資調整庁(BKPM)長官を団長に50人の実業家で構成。シンガポールではセミナーを開催。またシンガポールのゴー・チョク・トン第一副首相,リー・シエン・ロン商工相らとも会談(JP紙,15日など)。 |
DIA-209-1987-04-13-1 | インドネシア | 1987年04月13日 | 1980年代 | 独占禁止法制定支持発言―イスマイル・サレー法相は,「ゴルカルは独占禁止法制定の必要があると考えている」と発言(KP紙,14日)。18日には,これに対しスカムダニKADIN会頭が支持を表明した(JP紙,20日)。 |
DIA-209-1987-04-17-1 | インドネシア | 1987年04月17日 | 1980年代 | 総選挙運動期間終了―18日から22日までの5日間は冷却期間。 |
DIA-209-1987-04-22-1 | インドネシア | 1987年04月22日 | 1980年代 | ムルダニ国軍司令官,東モチールを視察―同司令官は「東チモ-ルの人々はむだなことを夢見るべきではない」と繰り返した(JP紙,24日など)。 |
DIA-209-1987-04-23-1 | インドネシア | 1987年04月23日 | 1980年代 | 総選挙投票日(KP紙,24日)。 |
DIA-209-1987-04-24-1 | インドネシア | 1987年04月24日 | 1980年代 | 空軍,国営ヌサンタラ(IPTN)社と向こう5年間にわたる協力協定に調印(KP紙,25日)。 |
DIA-209-1987-04-25-1 | インドネシア | 1987年04月25日 | 1980年代 | 総選挙暫定結果―選挙委員会によると,投票率91.09%でPPPが63議席,ゴルカルが299議席,PDIが38議席をそれぞれ獲得(KP紙,27日)。 |
DIA-209-1987-04-26-1 | インドネシア | 1987年04月26日 | 1980年代 | 26日付Asiaweek 誌,アチェ特別州のイスラムに関する記事で発禁処分(JP紙,28日)。 |
DIA-209-1987-04-28-1 | インドネシア | 1987年04月28日 | 1980年代 | タイのシッティ外相来訪―同外相は5月にモスクワ訪問の予定(JP紙,29日)。 |
DIA-209-1987-04-28-2 | インドネシア | 1987年04月28日 | 1980年代 | 日本商社とベトナムとの取引について―モフタル外相は,日本商社がベトナムとの取引を行なおうとしていることに対して批判的見解を発表。また同外相は,ベトナム訪問の意向を表明(JP紙,29日)。 |
DIA-209-1987-04-28-3 | インドネシア | 1987年04月28日 | 1980年代 | 各軍参謀長,大将位(4ツ星クラス)へ昇進―トリ・ストリスノ陸軍参謀長ら各軍の参謀長は,国軍最高位である大将へ昇進。これで現役ではムルダニ国軍司令官を含め5人が大将位に就いた(KP紙,29日)。 |
DIA-209-1987-04-29-1 | インドネシア | 1987年04月29日 | 1980年代 | シンガポールのダナバラン外相来訪(KP紙,30日)。 |
DIA-209-1987-04-30-1 | インドネシア | 1987年04月30日 | 1980年代 | 第7回ASEAN=EC共同委員会,ジャカルタで開催(~5月1日)(KP紙,5月1日)。 |
DIA-209-1987-05-01-1 | インドネシア | 1987年05月01日 | 1980年代 | 外相,再び「カクテル・パーティー」を提唱―モフタル外相は,1985年に提案したカンボジア問題をめぐるカンボジア国内各派間の非公式会議,いわゆるカクテル・パーティーを再び提唱し,インドネシアはその開催国となる用意があると述べた(KP紙,2日)。 |
DIA-209-1987-05-02-1 | インドネシア | 1987年05月02日 | 1980年代 | スハルト大統領,新しい歴史の教科書の編纂を要請―アラムシャ社会・福祉調整相によると,とくに書き換えの重点を置くべき個所は1950~65年の部分の記述(KP紙,4日)。 |
DIA-209-1987-05-02-2 | インドネシア | 1987年05月02日 | 1980年代 | アジア開発銀行(ADB)から3060万ドルの借款供与の予定―ラディウス蔵相によると,同借款はハサヌディン大学など六つの教育プロジェクト向け(JP紙,4日)。 |
DIA-209-1987-05-04-1 | インドネシア | 1987年05月04日 | 1980年代 | ヘイドン=スハルト会談―カンボジア問題,南太平洋地域でのリビアの動き,豪ジャ-ナリストのインドネシアへの入国禁止問題,日米貿易摩擦などについて,40分間にわたり会談。会談後ヘイドン豪外相は,「両国関係は現在良好である」と発言(KP紙,5日)。 |
DIA-209-1987-05-04-2 | インドネシア | 1987年05月04日 | 1980年代 | 米国輸銀,1億ドルのソフト・ローン供与を表明―訪問中のボーン米国輸銀総裁はスハルト大統領を表敬し,テレコミ・運輸向けローンを9月以前に供与したいとの意向を示した(KP紙,5日)。 |
DIA-209-1987-05-05-1 | インドネシア | 1987年05月05日 | 1980年代 | 国際通貨基金(IMF),国際収支改善のため6億900万ドル(4億6290万SDR)の借款供与を約束(JP紙,6日)。 |
DIA-209-1987-05-07-1 | インドネシア | 1987年05月07日 | 1980年代 | 中銀,各金利引き上げを発表―内容は,(1)中銀割引債(SBPU)金利を年利17%から19%へ(6カ月もの),(2)中銀再割引制度(Fasilitas Diskonto)金利を年利18.5%から20%へ,(3)中銀債務証書(SBI)金利を30日もので年利14%から16%へ,90日もので同15%から17%へ,(4)スワップ取引プレミアムの最低利率を8%から9%へ,それぞれ引き上げるというもの。SBI金利引き上げは6日から,その他は8日から実施(KP紙,8日)。 |
DIA-209-1987-05-07-2 | インドネシア | 1987年05月07日 | 1980年代 | 投資規制を一部緩和―ギナンジャールBKPM長官によると,(1)自家発電を望む企業は電力公社(PLN)に許可を求める必要はない,(2)エビ養殖,冷蔵などを「サービス業」から「製造業」へカテゴリー変更を行なって電力料金の引き下げを図る,など。これらの措置は6日から有効(JP紙,9日)。 |
DIA-209-1987-05-08-1 | インドネシア | 1987年05月08日 | 1980年代 | モフタル外相,6月初めにベトナムを訪問する意向を表明(JP紙,9日)。 |
DIA-209-1987-05-11-1 | インドネシア | 1987年05月11日 | 1980年代 | ブユン・ナスチオン弁護士,弁護士活動を1年間禁止―イスマイル・サレー法相によると,86年1月のダルソノ公判における法廷侮辱行為のため(KP紙,16日)。 |
DIA-209-1987-05-15-1 | インドネシア | 1987年05月15日 | 1980年代 | アチェでイスラム服をまとった集団が行進―アチェ特別州ピディー県のシグリにて。集団は「アラーは偉大なり」と叫びながら赤と薄緑の旗を掲げて行進。また西アチェ県のメウラボでも同様の動きが発生(KP紙,16日)。 |
DIA-209-1987-05-18-1 | インドネシア | 1987年05月18日 | 1980年代 | 潤滑油価格値上げ―80年2月1日以来7年振りの措置。プルタミナ筋によると,値上げの理由は生産価格と販売価格との差を調整するため。値上げにより平均100%以上価格が上昇するが,工業部門などへの影響は少ないとの説明がなされた(KP紙,19日)。 |
DIA-209-1987-05-18-2 | インドネシア | 1987年05月18日 | 1980年代 | イ・豪,国際捜査・救援訓練(SAR)を実施―コードネームは「Ausindo-1」(JP紙,19日)。 |
DIA-209-1987-05-18-3 | インドネシア | 1987年05月18日 | 1980年代 | 中国,ジャカルタ・フェアに参加―6月に開催されるジャカルタ・フェアに参加する中国実業家は187人,45社。また,台湾も大規模な展示会を予定(KP紙,19日)。 |
DIA-209-1987-05-21-1 | インドネシア | 1987年05月21日 | 1980年代 | 大統領夫妻の今年のハラール(ラマダン明けのパーティー)は中止する,と発表―スダルモノ官房長官によれば,現在の経済状況を鑑み質素な生活をこころがけねばならない,という理由のため(KP紙,22日)。 |
DIA-209-1987-05-25-1 | インドネシア | 1987年05月25日 | 1980年代 | 87年の投資優先業種リスト(DSP)公表―サニョトBKPM副長官によると,製造業などでいくつかの業種を一つの業種にまとめ,いくつかの業種にまたがる投資が可能になるように,243の業種に関する規定を撤廃した。投資対象業種数は86年の1429業種から1043業種へ,うち外資への開放業種は86年の926業種から659業種へ,投資禁止業種は86年の75業種から36業種へ,それぞれ変更になった。とくに,農業,林業,運輸・通信,観光,金融,保険衛生,住宅,公共事業は,全開放業種とも外資の参入が可能。ただし,今まで外資参入可能であった製造業6業種,サービス業2業種は,外資の参入が禁止となった(KP紙,26日など)。 |
DIA-209-1987-05-25-2 | インドネシア | 1987年05月25日 | 1980年代 | シアヌークCGDK国家元首の1年間辞任について―モフタル外相は米国などを訪問後の記者会見で,「シアヌーク辞任はASEANのカンボジア問題解決の努力に何の助けともならない。辞任は再考すべきである」と述べた(KP紙,26日)。すでに同外相は,帰国途中に立ち寄ったバンコクにおいて,ベトナム訪問延期をほのめかしていた(JP紙,25日)。また同外相は,米国に対してパラパB-2R通信衛星の打ち上げを要請したことを明らかにした(KP紙,26日)。 |
DIA-209-1987-05-29-1 | インドネシア | 1987年05月29日 | 1980年代 | MPR開催準備のための9人チーム発足―委員長はムルディオノ内閣書記。コスマス・バトゥバラ国務相,ギナンジャール副大臣らが委員となっている(KP紙,26日)。 |
DIA-209-1987-06-01-1 | インドネシア | 1987年06月01日 | 1980年代 | 国際コーヒー機構(ICO)理事会議,デンパサールで開催(~5日)―生産国と消費国から各々8カ国が参加。会議では83年来採られてきたクォーター制の見直しについて議論がなされた(KP紙,2日など)。 |
DIA-209-1987-06-02-1 | インドネシア | 1987年06月02日 | 1980年代 | ソ連,人工衛星打ち上げを正式に申し入れ―スタニスラフ在イ・ソ連大使はタヒル観光・郵便・通信相との会談後,パラパB-2R通信衛星の打ち上げとインドネシア人女性宇宙飛行士とソ連人飛行士との共同飛行をイ側に申し入れたことを明らかにした。これに対してイ側スポークスマンは,政府はソ連の提案を真剣に考慮している,と述べた(JP紙,3日)。 |
DIA-209-1987-06-02-2 | インドネシア | 1987年06月02日 | 1980年代 | マレーシアのオマル外相,モフタル外相と会談―オマル外相は,9日からピョンヤンで開催される南南協力会議出席の際に,シアヌークCGDK国家元首と非公式に接触するように努める,と述べた(KP紙,3日)。 |
DIA-209-1987-06-06-1 | インドネシア | 1987年06月06日 | 1980年代 | 1987年総選挙,確定結果公表―選挙委員会発表の確定結果によると,4月の暫定結果公表時点に比べてPPPは2議席減らして61議席に,逆にPDIは2議席増やして40議席になった。ゴルカルの議席数は299議席と変わらず。また確定投票率は前回をわずかに下回る91.3%であった(KP紙,7日)。 |
DIA-209-1987-06-06-2 | インドネシア | 1987年06月06日 | 1980年代 | 国軍人事―アリ・ゲノ第Ⅰ陸軍区司令官が更迭され,後任にアスモノ前第Ⅴ陸軍区参謀長(国軍アカデミー[AMN]1961年卒)が就任(KP紙,8日)。 |
DIA-209-1987-06-08-1 | インドネシア | 1987年06月08日 | 1980年代 | ソ連の議会代表団来訪(~14日)―同代表団はDPRなどを訪問し,アミルマフムドMPR/DPR議長らと会談(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1987-06-11-1 | インドネシア | 1987年06月11日 | 1980年代 | 中国の家族計画担当者使節,来訪(~16日)―同使節は,インドネシアで採用している家族計画システムに関心を示した(JP紙,15日)。 |
DIA-209-1987-06-11-2 | インドネシア | 1987年06月11日 | 1980年代 | 工業省などの手続簡素化―おもな内容は,(1)工業許可の種類を4から2へ,(2)5年間のみ有効だった許可を操業期間中有効に,(3)拡張規模が許可書に記載した生産能力の30%を超えない場合には拡張許可を受ける必要なし,(4)品目ごとに必要とされた許可を業種ごとに,など(KP紙,12日)。 |
DIA-209-1987-06-12-1 | インドネシア | 1987年06月12日 | 1980年代 | 中銀,短期金利を引き上げ―外貨,外貨建て有価証券の投機的な動きを抑えることを目的。3カ月もの以下のSBPU短期金利については12日から,SBI金利については10日から実施。SBI金利の引き下げは5月に行なわれたばかり(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1987-06-15-1 | インドネシア | 1987年06月15日 | 1980年代 | ASEAN外相会議,シンガポールで開催(~17日)(KP紙,16日など)。 |
DIA-209-1987-06-18-1 | インドネシア | 1987年06月18日 | 1980年代 | インドネシア債権国(IGGI)会講,87/88年度の援助約束額は前年比25.4%増の31.61億ドルへ―世銀など国際機関からの授助はほぼ前年並みであったものの,二国間援助は86/87年度の8.38億ドルから14.8億ドルへ大幅に増加。総額中9億ドルはルピア支出・プログラム援助向けのソフト・ローン。日本の援助約束額は前年度の800億円から880億円へ(KP紙,19日)。 |
DIA-209-1987-06-18-2 | インドネシア | 1987年06月18日 | 1980年代 | シンガポールにてASEAN拡大外相会議開催(~20日)―主としてカンボジア問題の解決をめぐって討議がなされた。会議では,ASEANは引き続きCGDKの非共産派を支持していくとの見解が示され,ポル・ポト派への支持の後退,ベトナムへの接近姿勢が見られた(KP紙,19日)。 |
DIA-209-1987-06-18-3 | インドネシア | 1987年06月18日 | 1980年代 | エミル・サリム人口・環境担当国務相,シアヌークCGDK国家元首と会談したことを明らかにする―ピョンヤンの南南協力会議(9~13日)から帰国した同国務相は,会議出席の折,シアヌークCGDK国家元首と2回(8,12日)会談し,帰国後その内容をスハルト大統領に報告したことを明らかにした。ただし会談の内容についてはコメントを控えた。また同国務相は,会議出席の際にベトナム副外相とも会談していたと述べた。同国務相は途中シンガポールへ急拠立ち寄り,ASEAN外相会議出席のモフタル外相と会談した後に帰国(KP紙,19日)。 |
DIA-209-1987-06-23-1 | インドネシア | 1987年06月23日 | 1980年代 | 情報省人事―情報省次官にマンガウェアン前国軍参謀本部兵站担当補佐官,新聞・映像総局長にシナガ前政治・国防担当調整相付け専門員,一般情報総局長にスジプト前情報相秘書がそれぞれ就任(KP紙,24日)。 |
DIA-209-1987-06-26-1 | インドネシア | 1987年06月26日 | 1980年代 | モフタル外相,ベトナム訪問の意向―同外相は,7月末にベトナムを訪問する意向を表明。その際,シアヌークCGDK国家元首の「新提案」とASEANの「新提案」を持っていくことを明らかにしたが,それらの内容についてはコメントを避けた(JP紙,27日)。 |
DIA-209-1987-06-29-1 | インドネシア | 1987年06月29日 | 1980年代 | ビルマのカー首相来訪(~7月4日)―同首相はウマル副大統領と会談。同行したのは,国防相,外相,鉱業相,情報文化相(KP紙,30日)。また30日にはスハルト大統領と会談し,同大統領をビルマに招待。同大統領はビルマの大統領をインドネシアに招待(KP紙,7月1日)。 |
DIA-209-1987-06-29-2 | インドネシア | 1987年06月29日 | 1980年代 | 経済紙『プリオリタス』,発禁処分―ハルモコ情報相によると,発禁の理由は,(1)経済紙でありながら,経済記事75%,その他25%という規則を守らなかったこと,(2)正しくない報道,事実に基づかない報道を行なったこと,のため。同紙は86年5月に発刊されたばかり(KP紙,30日)。 |
DIA-209-1987-07-02-1 | インドネシア | 1987年07月02日 | 1980年代 | 南ジャカルタ地裁,有名ファッションモデル殺しの容疑で,シラジュッディン(パ・デ)被告に対し無期懲役の判決(KP紙,3日)。 |
DIA-209-1987-07-02-2 | インドネシア | 1987年07月02日 | 1980年代 | 政府,シム・ジェ・フンFEER誌記者の滞在ピザの更新を認めない,と発表(JP紙,3日)。同記者は20日にインドネシアを出国(JP紙,20日)。 |
DIA-209-1987-07-04-1 | インドネシア | 1987年07月04日 | 1980年代 | モフタル外相,北朝鮮を公式訪問(~7日)―6日のピョンヤン放送によると,同外相は5日,北朝鮮の金永南外相らと「友好的に」会談(JP紙,7日)。また金主席とも7日に会談(JP紙,8日)。しかし,肝心のシアヌークCGDK国家元首との会談は実現せず(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1987-07-05-1 | インドネシア | 1987年07月05日 | 1980年代 | 韓国から貿易ミッション来訪(~8日)―メンバーは韓国の羅雄培商工相を団長とする20名(KP紙,7日)。 |
DIA-209-1987-07-06-1 | インドネシア | 1987年07月06日 | 1980年代 | 弁護士などの監督について―アリ・サイド最高裁長官とイスマイル・サレー法相は,「地方裁判所は弁護士や公証人の監督を行なう」との共同布告に調印。監督チームは地裁の裁判官2名と書記官1名で構成(JP紙,7日)。これに対して弁護士側は,共同布告の詳細な説明を要求(JP紙,11日)。 |
DIA-209-1987-07-09-1 | インドネシア | 1987年07月09日 | 1980年代 | ASEAN経済閣僚会議,シンガポールにて開催(~11日)―席上,シンガポールのリー首相は,欧米諸国からの投資を促進させるため規制緩和政策を進める必要を強調した(KP紙,10日)。また,会議でイ側は,ASEAN共同市場構想に再度反対を表明(JP紙,11日)。 |
DIA-209-1987-07-11-1 | インドネシア | 1987年07月11日 | 1980年代 | 県レベル地方議会(DPRD-Ⅱ)の新議員,ジャカルタを除き任命(KP紙,14日)。 |
DIA-209-1987-07-13-1 | インドネシア | 1987年07月13日 | 1980年代 | アジア開発銀行(ADB),ジャカルタに事務所を開設(KP紙,14日)。 |
DIA-209-1987-07-13-2 | インドネシア | 1987年07月13日 | 1980年代 | マレーシアのリタウディン国防相来訪(~14日)―同国防相はスハルト大統領との会談後,「両国の軍事協力の発展に同意でき満足である」と発言(JP紙,15日)。 |
DIA-209-1987-07-14-1 | インドネシア | 1987年07月14日 | 1980年代 | ポルカス(サッカーくじ)について―スハルト大統領はナニ・スダルソノ社会相と会談し,社会的に不利益をもたらすような害が現われてくるなら,ポルカスの実施を再検討する,と述べた(KP紙,15日)。 |
DIA-209-1987-07-18-1 | インドネシア | 1987年07月18日 | 1980年代 | 州レベル地方議会(DPRD-Ⅰ)の新議員任命(KP紙,20日)。 |
DIA-209-1987-07-18-2 | インドネシア | 1987年07月18日 | 1980年代 | 国軍各アカデミーの合同卒業式―新たに636人の将校が誕生。内訳は陸軍278人,海軍92人,空軍69人,警察軍197人(KP紙,19日)。 |
DIA-209-1987-07-20-1 | インドネシア | 1987年07月20日 | 1980年代 | シンガポールのリー商工相来訪(~24日)―同商工相は21日,スハルト大統領を表敬したほか,ラフマト・サレー商業相,ムルダニ国軍司令官,トリ・ストリスノ陸軍参謀長らと会談(KP紙,21日)。 |
DIA-209-1987-07-20-2 | インドネシア | 1987年07月20日 | 1980年代 | 米国の反パーム油キャンペーンについて―ハラハプ商品作物生産振興担当副大臣はスハルト大統領との会談後,健康に害悪があるとする米国のキャンペーンに対し「誤解している」と述べた(KP紙,21日)。またスハルト大統領は22日,米国の反パーム油キャンペーンに対してマレーシアと共同歩調をとるようイ側関係者に指示した(JP紙,23日)。 |
DIA-209-1987-07-20-3 | インドネシア | 1987年07月20日 | 1980年代 | LNG売却代金の過剰受取分を払戻し―プルタミナは,86年3月から87年1月までにLNG代金として過剰に受け取った5億7700万ドルを今後4.4年間にわたり年利6.5%の利子付で日本企業へ払戻す,と発表。対象となる日本企業は,関西電力,中部電力など6社(JP紙,21日)。 |
DIA-209-1987-07-21-1 | インドネシア | 1987年07月21日 | 1980年代 | マレーシアに中型ヘリを輸出か―22日付日経,産業新聞は,国営ヌサンタラ社が,マレーシアへ中型ヘリコプターを輸出する契約を結んだと報道。 |
DIA-209-1987-07-23-1 | インドネシア | 1987年07月23日 | 1980年代 | カンボジア問題解決に関する国際会議について―来訪中のフランスのディディエール外務次官はモフタル外相との会談後,カンボジア問題解決に関する国際会議の主催国となる用意があることを明らかにした(JP紙,24日)。 |
DIA-209-1987-07-23-2 | インドネシア | 1987年07月23日 | 1980年代 | 中銀,SBPUとSBIの取引に競売方式を導入―6月に起こった金融不安を収束させるための措置で,中・銀は代理業者PT Ficorinvest を通じて,市中銀行に対するSBPUとSBIの売買額を監督する(KP紙,17日など)。 |
DIA-209-1987-07-24-1 | インドネシア | 1987年07月24日 | 1980年代 | 南太平洋非核地域構想について―来訪中のフランスのディディエール外務次官は,南太平洋非核地域構想について反対を表明した(JP紙,25日)。 |
DIA-209-1987-07-27-1 | インドネシア | 1987年07月27日 | 1980年代 | 通信衛星の打ち上げについて―タヒル通信・郵政相は,インドネシアに商業ベースの通信衛星打ち上げセンターの建設を予定していると発言。また,(1)7月15日から7月23日の期間で中国へ衛星打ち上げ打診チームを派遣し,その結果を大統領に報告したこと,(2)8月24日に同様のチームをソ連へ派遣する予定であること,を明らかにした(KP紙,28日)。 |
DIA-209-1987-07-28-1 | インドネシア | 1987年07月28日 | 1980年代 | モフタル=タク会談で非公式会談提案に合意―27日にベトナム入りしたモフタル外相は,28日,ホー・チ・ミンでベトナムのグエン・コ・タク外相と1時間余り会談(KP紙,29日)。翌29日の共同声明で,カンボジア各派間の非公式会談提案について合意したと発表(JP紙,30日)。 |
DIA-209-1987-07-29-1 | インドネシア | 1987年07月29日 | 1980年代 | 四つの高速道路の建設・運営を民間企業へ―国営高速道路会社PT Jasa Marga のユウォノ・コロパキン会長は,チカンペック―パダララン間など四つの高速道路の建設・運営を官民合弁で行なう意向を明らかにした(JP紙,30日)。 |
DIA-209-1987-08-04-1 | インドネシア | 1987年08月04日 | 1980年代 | 3種類の重油価格を値上げ―スブロト鉱業相によると,対象はドゥリ,ビマ,チンタの各重油で,新価格はバレル当り10~74セント値上げされる。ただし,実施開始日については明言せず(KP紙,6日)。 |
DIA-209-1987-08-08-1 | インドネシア | 1987年08月08日 | 1980年代 | 陸軍特殊部隊(Kopassus)隊長人事―新隊長にはクンタラ副隊長が就任(KP紙,9日)。 |
DIA-209-1987-08-10-1 | インドネシア | 1987年08月10日 | 1980年代 | 大統領,関係閣僚に対し干害の実態調査と対策措置の検討を指示―対象は東西ヌサトゥンガラ,ジョクジャカルタ,カリマンタン,スラウェシ,マルク,東チモールなど。また,農業省と科学技術応用庁(BPPT)がいくつかの地域で人工雨を降らすための研究を行なっていることが明らかにされた(KP紙,11日)。 |
DIA-209-1987-08-10-2 | インドネシア | 1987年08月10日 | 1980年代 | セメント会社の株式を日本企業に売却―PT Semen Cibinong が全株式の42.84%,2600万ドルを三菱鉱業セメントに譲渡するとの報道がなされたが(『日経産業新聞』,11日),12日,スラメト常務はそれを確認(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1987-08-10-3 | インドネシア | 1987年08月10日 | 1980年代 | ベトナム,中国へ肥料を輸出―PT Pupuk Kaltim 筋によると,15日にベトナム向けの5000トン,22日に中国向けの1万トンをそれぞれ輸出することを明らかにした(JP紙,11日)。 |
DIA-209-1987-08-11-1 | インドネシア | 1987年08月11日 | 1980年代 | 国軍人事―新第Ⅴ陸軍区司令官にスゲン・スブロト前陸軍参謀長兵站担当補佐官(国軍アカデミー60年卒)が就任。サイフル・スルン前司令官は国会議員へ転出(KP紙,12日)。 |
DIA-209-1987-08-12-1 | インドネシア | 1987年08月12日 | 1980年代 | 米国の1987年維維アパレル法案に抗議―インドネシア繊維協会(API)のフランス・セダ会長は,同法案はGATTや現存の二国間協定などに違反しているとして,在ジャカルタ米国大使館においてウォルフォウィツ駐イ大使に抗議の声明書を手渡した(JP紙,13日)。 |
DIA-209-1987-08-12-2 | インドネシア | 1987年08月12日 | 1980年代 | 国軍人事―新第Ⅸ陸軍区司令官にジョコ・プロモノ前武器弾薬センター司令官が就任(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1987-08-14-1 | インドネシア | 1987年08月14日 | 1980年代 | モフタル外相,マレーシアを訪問―同外相は,ソ連から帰国したばかりのマレーシアのオマル外相とカンボジア問題について会談(JP紙,14日)。 |
DIA-209-1987-08-15-1 | インドネシア | 1987年08月15日 | 1980年代 | 大統領独立記念日演説―演説の概要は,(1)1994年の第5次5カ年計画終了までに経済発展の「離陸」段階に至れるよう強固な土台を作らねばならない,(2)国軍はパンチャシラ民主主義の堅持,発展のために二重機能を実行し続ける,(3)経済好転の徴候はあるが,高い成長率を望めない苦しい時期が続くので,今後も外貨獲得などへの努力が引き続き必要である,(4)国民を惑わすような経済分析や経済研究,ドル買いなどの投機的行為は慎まなければならない,など(JP紙,18日など)。 |
DIA-209-1987-08-16-1 | インドネシア | 1987年08月16日 | 1980年代 | ASEAN緊急外相会議―バンコクで開かれた同会議でインドネシアが呼び掛けた「カクテル・パーティー」提案は,シンガポールとタイが難色を示したため,支持を得られなかったとの報道に対して,モフタル外相はその報道を否定した(JP紙,18日)。 |
DIA-209-1987-08-20-1 | インドネシア | 1987年08月20日 | 1980年代 | 西ジャワに多目的核反応炉と核燃料生産設備が開所―西ジャワ州スロポンの科学技術開発センターに開所。建設開始は1983年(KP紙,21日)。 |
DIA-209-1987-08-20-2 | インドネシア | 1987年08月20日 | 1980年代 | ベトナムのASEAN提案拒否について―モフタル外相は,「ベトナムが拒否しても,それはカクテル・パーティーを行なわねばならないということを拒否したことにはならず,依然として7月29日のイ越外相会談の合意は有効である」と述べた(KP紙,21日)。 |
DIA-209-1987-08-20-3 | インドネシア | 1987年08月20日 | 1980年代 | アセアン・アチェ肥料(AAF)工場から初めてベトナム向けに肥料輸出―AAF筋によると,8月中に1万トンの予定(」JP紙,21日)。 |
DIA-209-1987-08-21-1 | インドネシア | 1987年08月21日 | 1980年代 | 陸軍戦略予備軍(Kostrad)司令官人事―新司令官にサハラ・ラジャ・グクグク前第Ⅸ陸軍区司令官(国軍アカデミー61年卒)が就任。前任のスリプト少将は陸軍参謀本部へ(KP紙,22日)。 |
DIA-209-1987-08-24-1 | インドネシア | 1987年08月24日 | 1980年代 | 国軍人事―新第Ⅱ陸軍区司令官にスナルディ前第Ⅱ陸軍区参謀長が就任(KP紙,28日)。 |
DIA-209-1987-08-25-1 | インドネシア | 1987年08月25日 | 1980年代 | マレーシア国軍との合同演習について―8月に6日間にわたるイ・マ両軍の合同演習がブリタールで行なわれたが,マ軍のヤアコブ陸軍司令官が今後の演習拡大を希望したのに対して,イ側のムルダニ国軍司令官は記者会見の席上,合同演習を今以上に拡大する必要はない,と述べた(KP紙,27日)。 |
DIA-209-1987-08-26-1 | インドネシア | 1987年08月26日 | 1980年代 | 日本から投資ミッション来訪(~31日)―島本輸銀副頭取を団長とする48人(KP紙,9月1日)。 |
DIA-209-1987-08-26-2 | インドネシア | 1987年08月26日 | 1980年代 | 福田元首相来訪(KP紙,28日)。 |
DIA-209-1987-08-28-1 | インドネシア | 1987年08月28日 | 1980年代 | プルタミナ,中部電力へのLNG販売契約に同意―内容は,1987年10月2日から3年3カ月間に212万トンのLNGを中部電力向けに販売するというもの。プルタミナがヌサンタラ社(8月初めにプルタミナと日商岩井との間で設立)を通じて中部電力へ売却する(JP紙,29日)。 |
DIA-209-1987-08-29-1 | インドネシア | 1987年08月29日 | 1980年代 | スハルト大統領,フィリピンのアキノ大統領に親書を送付―クーデター騒ぎを抑えたことを称賛(KP紙,9月1日)。 |
DIA-209-1987-08-29-2 | インドネシア | 1987年08月29日 | 1980年代 | 新週刊誌『エディトール』発刊―7月下旬に『テンポ』誌から若手記者など約30人が移籍して発刊。バックはパニン・グループ(JP紙,29日;KP紙,7月20日など)。 |
DIA-209-1987-08-31-1 | インドネシア | 1987年08月31日 | 1980年代 | 大統領,14人の大使を任命―駐日大使にヨギ・スパルディ前国防治安省次官,駐メキシコ・キューバ大使にデイビット・ナピトゥプル前ゴルカル国会議員など(KP紙,9月1日)。 |
DIA-209-1987-09-01-1 | インドネシア | 1987年09月01日 | 1980年代 | ポルトガルの対東チモール政策に,変更の兆し―消息筋によると,ポルトガル社民党の書簡のなかに「東モチールの民族自決」の文字が見当たらず,「東モチール問題の解決には,チモール民族の文化的宗教的アイデンティティの尊重とポルトガルの文化的遣産保持の保障が必要」というに留まっている。これについてポ政府筋はコメントを控えた(ロイター/JP紙,3日)。 |
DIA-209-1987-09-02-1 | インドネシア | 1987年09月02日 | 1980年代 | 原子力発電所建設について―ハビビ国務相は閣議後の記者会見で,(1)89年に初の原子力発電所の建設を開始する,(2)建設は7年で終えて96年から操業開始,(3)現在三つのコンソーシアムがあるが,どこに建設を依頼するかは未定,と発言(JP紙,3日)。 |
DIA-209-1987-09-03-1 | インドネシア | 1987年09月03日 | 1980年代 | ソロのスルタン,マンクネゴロ8世(64歳)死去(KP紙,4日)。 |
DIA-209-1987-09-04-1 | インドネシア | 1987年09月04日 | 1980年代 | インドネシア・韓国鉱物エネルギー共同委員会,ジャカルタで開催(~5日)(KP紙,5日)。 |
DIA-209-1987-09-05-1 | インドネシア | 1987年09月05日 | 1980年代 | インドネシア大学,キャンパスを移転―新キャンパスは西ジャワ州ボゴール県デポックに立地。新キャンパスの開所式にはスハルト大統領らが出席(KP紙,6日)。 |
DIA-209-1987-09-07-1 | インドネシア | 1987年09月07日 | 1980年代 | ハルモコ情報相,ソ連,トルコを訪問(~17日)―インドネシア国営テレビ(TVRI)のアレックス社長などが同行(KP紙,8日)。 |
DIA-209-1987-09-08-1 | インドネシア | 1987年09月08日 | 1980年代 | 大統領,西ジャワに四つの製茶工場を開所―スカブミ,チアンジュール,ガルット,タシクマラヤに開所したもので,総投資額は140億ルピア(うち75%は大統領資本援助)。いずれも生産能力は年間1500トン(乾燥茶)(KP紙,9日)。 |
DIA-209-1987-09-09-1 | インドネシア | 1987年09月09日 | 1980年代 | 第14回東南アジア・スポーツ競技大会(SEA Games ⅩⅣ),ジャカルタで開催(~20日)―参加国はASEAN6カ国,ビルマ,民主カンボジアの計8カ国。ベトナムとラオスは不参加(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1987-09-09-2 | インドネシア | 1987年09月09日 | 1980年代 | 著作権法改正法案,国会を通過―1982年法律第6号を改正したもの(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1987-09-09-3 | インドネシア | 1987年09月09日 | 1980年代 | ブルネイのスルタン,非公式訪問―スルタンはイ側に対して,無利子で1億ドルを融資すると発表(25年返済,7年はグレイス・ピリオド),インドセメント社やヌサ・ドゥア・ホテルの株式買取り,ビンタン島のアルミ・プロジェクトへの融資などに意欲を見せた(JP紙,11日)。 |
DIA-209-1987-09-11-1 | インドネシア | 1987年09月11日 | 1980年代 | ASEANサミットについて―モフタル外相は,数人の国会議員からASEANサミット実施の再検討を提案する書簡をもらったことを明らかにした(KP紙,12日)。 |
DIA-209-1987-09-12-1 | インドネシア | 1987年09月12日 | 1980年代 | 国策大綱(GBHN)原案作成9人チーム,GBHN原案を大統領に提出(KP紙,14日)。 |
DIA-209-1987-09-12-2 | インドネシア | 1987年09月12日 | 1980年代 | 議定書法案,国会を通過(KP紙,14日)。 |
DIA-209-1987-09-14-1 | インドネシア | 1987年09月14日 | 1980年代 | ポルトガル国会代表団の東チモール訪問について―デクエヤル国連事務総長は,10月か11月に訪問が行なわれる可能性があると述べた(KP紙,15日)が,インドネシアのアリ国連大使は訪問に難色を示し,「視察のための訪問ならわれわれは歓迎しない」と述べた(JP紙,16日)。 |
DIA-209-1987-09-14-2 | インドネシア | 1987年09月14日 | 1980年代 | ASEAN高級事務レベル運営委員会,ジャカルタで開催(~15日)―同委員会は,ASEANサミットへの準備について進展があったとし,もう一度サミット前に同委員会を開催することで同意した(JP紙,16日)。 |
DIA-209-1987-09-14-3 | インドネシア | 1987年09月14日 | 1980年代 | 不正を働いた税官吏を解雇または行政処分―ラディウス蔵相は,その数は約200人であると発言。また納税者数は8月末現在で132万人であり,向こう5年間で年20%ずつ税収を増やしていく必要があることを明らかにした(JP紙,15日)。 |
DIA-209-1987-09-16-1 | インドネシア | 1987年09月16日 | 1980年代 | 民間検査会社ソシエテ・ジェネラル・スルベイヤンス(SGS)社との契約更新について―サレー商相は1988年4月まで有効の契約をさらに3年間分更新を行なう意向を明らかにした(JP紙,17日)。 |
DIA-209-1987-09-18-1 | インドネシア | 1987年09月18日 | 1980年代 | 東チモール州知事任命―マリオ前知事が再任された(KP紙,19日)。 |
DIA-209-1987-09-22-1 | インドネシア | 1987年09月22日 | 1980年代 | マルク州知事にスコソ中将(前国軍参謀本部所属)が任命される(KP紙,23日)。 |
DIA-209-1987-09-23-1 | インドネシア | 1987年09月23日 | 1980年代 | Kadin 全国大会開催(~24日)―23日は従来のKadin の大会,24日は従来のKadin に協同組合と国営企業の代表を加えた会議となり,計437人が参加。1月のKadin 法制定により新Kadin が発足する1988年9月までの期間の暫定執行部の選出も行なわれ,従来のKadin から27名,国営企業から3名,協同組合から3名の計33名で執行部が構成されることになった。また暫定的な会頭としてスカムダニ現会頭を再選(KP紙,25日など)。 |
DIA-209-1987-09-23-2 | インドネシア | 1987年09月23日 | 1980年代 | 東南スラウェシ州知事にアララ前知事が再任される(KP紙,25日)。 |
DIA-209-1987-09-24-1 | インドネシア | 1987年09月24日 | 1980年代 | 日本の塩川文相来訪(~30日)(KP紙,25日)。 |
DIA-209-1987-09-26-1 | インドネシア | 1987年09月26日 | 1980年代 | 長距離バスで火災,41人が負傷―マドゥラからバニュワンギへ向かう途中の事故(KP紙,28日)。 |
DIA-209-1987-09-29-1 | インドネシア | 1987年09月29日 | 1980年代 | パラパB-2R通信衛星の打ち上げについて―タヒル通信・郵政相は,米国輸銀が打ち上げ費用に新たな融資を行なわないため,西欧のArianespace によって打ち上げられる,と述べた(KP紙,30日)。 |
DIA-209-1987-09-30-1 | インドネシア | 1987年09月30日 | 1980年代 | 日本の近藤経企庁長官来訪(~10月2日)―同長官はスハルト大統領との会談で,ルピア建てプロジェクト援助の比率増大の要請に対し,前向きに検討すると発言(JP紙,10月1日)。 |
DIA-209-1987-10-01-1 | インドネシア | 1987年10月01日 | 1980年代 | 新DPR・MPR 議員の任命および宣誓式―500人のDPR議員とそれに500人を加えた計1000人のMPR議員が誕生。2日にはDPR/MPRの正副議長などの執行部を選出,88年3月開催のMPRに向けて準備委員会を結成(執行部の詳細については「参考資料」参照。KP紙,2日など)。 |
DIA-209-1987-10-03-1 | インドネシア | 1987年10月03日 | 1980年代 | 通信衛星の打ち上げについて―タヒル通信・郵政相は,西欧のArianespace による打ち上げ予定を変更して米国のNASA から打ち上げる,と発表(KP紙,4日)。 |
DIA-209-1987-10-04-1 | インドネシア | 1987年10月04日 | 1980年代 | 日本の平井労相来訪(~6日)(KP紙,5日)。 |
DIA-209-1987-10-04-2 | インドネシア | 1987年10月04日 | 1980年代 | 韓国貿易振興会(Kotra)代表団来訪(~7日)―一行は40人。大宇,ラッキー金星,現代などの各社の代表を含む(JP紙,5日)。 |
DIA-209-1987-10-05-1 | インドネシア | 1987年10月05日 | 1980年代 | 第42回国軍記念日式典―落下傘降下も空中飛行もなく例年に比べ質素な式典となった(KP紙,6日)。 |
DIA-209-1987-10-06-1 | インドネシア | 1987年10月06日 | 1980年代 | ウイヨゴ前駐日大使,ジャカルタ首都特別州知事に就任(KP紙,7日)。 |
DIA-209-1987-10-07-1 | インドネシア | 1987年10月07日 | 1980年代 | 肥料価格値上げと殺虫剤向け補助金の削減―政府は,8日から肥料価格をキロ当り125ルピアから135ルピアへ値上げし,同じく8日から殺虫剤価格に占める補助金の割合をそれまでの75%から55%へ引き下げると発表。肥料・殺虫剤価格に関する変更は86年4月1日以来のもの。また88年2月からもみ米基本価格をキロ当り190ルピアから210ルピアへ値上げすることも明らかにした(KP紙,8日)。 |
DIA-209-1987-10-10-1 | インドネシア | 1987年10月10日 | 1980年代 | スジャナ国軍参謀本部国防機能担当参謀,国防治安省次官を兼務―ヨギ・スパルディ前次官が新駐日大使に転出したため(KP紙,11日)。 |
DIA-209-1987-10-10-2 | インドネシア | 1987年10月10日 | 1980年代 | 若者に対する軍事教練について―サイディマン退役中将は,国家規律向上のため,就職前の若者に対して3~4カ月の短期の軍事教練を課すべきである,と主張した(KP紙,12日)。 |
DIA-209-1987-10-17-1 | インドネシア | 1987年10月17日 | 1980年代 | ゴルカル指導者会議開催(~20日)(KP紙,21日)。 |
DIA-209-1987-10-19-1 | インドネシア | 1987年10月19日 | 1980年代 | ジャカルタ郊外で列車衝突事故―死者151人,病院に収容された重傷者174人で,インドネシア史上最悪の列車衝突事故となった(KP紙,20・21日)。 |
DIA-209-1987-10-19-2 | インドネシア | 1987年10月19日 | 1980年代 | スハルト大統領,Bulog に対しストック米の市場注入を指示―ブスタニルBulog 長官によると,指示の内容は,88年2~4月の食糧事情を考えてストック米を減らすこと,Bulogが市場介入する際に十分な注意が必要であること,など。また同長官は,すでにジャカルタ地区で1日当り約1000トンのストック米を注入したが,旱魃が続いてもストック米は十分にある,と述べた(KP紙,20日)。 |
DIA-209-1987-10-22-1 | インドネシア | 1987年10月22日 | 1980年代 | 比のコンセプシオン商工相来訪―同商工相と会談したスハルト大統領は,マニラでのASEANサミット開催を強く支持した。またこれとは別に来訪していた比のオプレ元労働相は,反アキノの立場とは別にASEANサミット開催は歓迎する,と述べた(KP紙,23日)。 |
DIA-209-1987-10-23-1 | インドネシア | 1987年10月23日 | 1980年代 | 在比米軍基地問題について―モフタル外相は,「在比米軍基地問題が当事者二国間の問題であるというイ側の立場を変えるつもりはないが,そうではあっても基本的にイ側にはその問題について討論する用意がある」と述べた(KP紙,24日)。 |
DIA-209-1987-10-24-1 | インドネシア | 1987年10月24日 | 1980年代 | 34件の金鉱開発計画調印―すでにDPR,BKPM,大統領の承認済みのもので,年内調印予定の60件のうちの一部(KP紙,26日)。 |
DIA-209-1987-10-27-1 | インドネシア | 1987年10月27日 | 1980年代 | PNG与党への選挙資金供与疑惑について―「在PNGインドネシア大使館の軍事担当アタシェがテド・ディロ前PNG国軍司令官に対し,豪の実業家が提供した与党人民行動党向けの選挙資金を渡した」との新聞報道について,バグス・スミトロ駐PNG大使は「知らない」とコメント(KP紙,28日)。 |
DIA-209-1987-10-31-1 | インドネシア | 1987年10月31日 | 1980年代 | ウジュンパンダンで若者を中心に暴動―10月1日から実施されたオートバイ使用時のヘルメット着用義務付け措置に反対して,約800~900人の群衆が自動車に投石するなど混乱。警察と軍は31日夜までほぼ全市にわたって警戒体制を採った(KP紙,11月2日)。 |
DIA-209-1987-11-02-1 | インドネシア | 1987年11月02日 | 1980年代 | 大統領,ムルダニ国軍司令官の定年延長を認可―これによって,退役年齢の55歳を迎えたムルダニ国軍司令官は,1年ごとの更新で60歳まで現役予備役将校を務めることが可能となった(KP紙,3日)。 |
DIA-209-1987-11-02-2 | インドネシア | 1987年11月02日 | 1980年代 | スタント婦人問題担当国務相死去。63歳(KP紙,3日)。 |
DIA-209-1987-11-02-3 | インドネシア | 1987年11月02日 | 1980年代 | フィジーへの貿易ミッション―6日にはスバで両国の貿易に関するコミュニケを発表。団長はプリマ・コメクシンド・トレーディング社ハシム・ジョジョハディクスモ社長(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1987-11-07-1 | インドネシア | 1987年11月07日 | 1980年代 | ベトナムのトゥラン・ファン・ファク文化相,スハルト大統領を表敬―1日からベトナム舞踊団とともに来訪していた同文化相は表敬の際,ベトナムのファン・フン首相からスハルト大統領宛ての親書を手渡した(KP紙,8日)。 |
DIA-209-1987-11-09-1 | インドネシア | 1987年11月09日 | 1980年代 | 比のアキノ大統領,駐イ大使を通じてスハルト大統領を正式にASEANサミットへ招待(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1987-11-09-2 | インドネシア | 1987年11月09日 | 1980年代 | シンガポールのヤム教育相,アルジェリアのムスタファ商業相,スハルト大統領を表敬(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1987-11-10-1 | インドネシア | 1987年11月10日 | 1980年代 | ムルダニ国軍司令官,イがPNG与党に選挙資金を供与したとの報道を否定(KP紙,11日)。 |
DIA-209-1987-11-13-1 | インドネシア | 1987年11月13日 | 1980年代 | 若者に対する軍事教練について―ポニマン国防治安相は,「軍事教練は財政的に見ても緊急性から見てもまだ実施の必要はないし,国家規律の向上と直接に結びつくものでもない」と述べた(KP紙,14日。10月10日も参照)。 |
DIA-209-1987-11-13-2 | インドネシア | 1987年11月13日 | 1980年代 | インドネシア合板協会(Apkindo),中国と新たに合板売買契約を調印―内容は88年1月から3年間で450万立方メートルをインドネシアから輸出する,というもの(KP紙,16日)。 |
DIA-209-1987-11-15-1 | インドネシア | 1987年11月15日 | 1980年代 | ベトナムのフォ・バン・キエト副首相兼計画相をはじめとする12人の代表団来訪(~21日)―16日にはスハルト大統領を表敬したほか,モフタル外相,ムルダニ国軍司令官,KADIN 幹部らとも会談。代表団は三つに分かれて,チャクン保税区域,西ジャワ州の農業試験場,セメント会社のセメン・クジャン社,国営航空機製造会社のヌサンタラ社(IPTN)などを視察(KP紙,17日など)。 |
DIA-209-1987-11-15-2 | インドネシア | 1987年11月15日 | 1980年代 | ナフダトゥール・ウラマ(NU)指導者会議開催(~16日)―約500人が参加してチラチャップで開かれた会議では,アブドゥルラーマン・ワヒド議長に対する退陣要求が噴出。しかし結局「NUが再び政治の場へ戻ることはない」という結論に落ち着いた(JP紙,19日)。 |
DIA-209-1987-11-16-1 | インドネシア | 1987年11月16日 | 1980年代 | 比のマングラプス外相来訪(~17日)―同外相は17日,スハルト大統領,モフタル外相と会談。席上スハルト大統領は「ASEANサミットが無事マニラで開催されると確信している」と発言。またマングラプス外相は,ASEANサミットでは在比米軍基地問題を議題として取り上げない意向を明らかにした(JP紙,18日)。 |
DIA-209-1987-11-16-2 | インドネシア | 1987年11月16日 | 1980年代 | OPECのルクマン議長来訪(~19日)―OPEC諸国歴訪の第2弾としての訪問。17日にスハルト大統領と会談。同大統領はOPECの石油価格安定策に対して支持を表明した(KP紙,17,18日)。 |
DIA-209-1987-11-18-1 | インドネシア | 1987年11月18日 | 1980年代 | イリアンジャヤ州知事にイザック・ヒンドム前知事が再任―同知事は11月12日に任期が切れた後17日まで暫定知事を務めた(JP紙,19日)。 |
DIA-209-1987-11-18-2 | インドネシア | 1987年11月18日 | 1980年代 | バリ島でASEAN事務レベル協議(~20日)―ASEANサミットの声明草案を準備するため(JP紙,19日)。 |
DIA-209-1987-11-20-1 | インドネシア | 1987年11月20日 | 1980年代 | 大統領,新婦人問題担当国務相にインドネシア婦人会議(Kowani)のムルプラトモ議長を任命(KP紙,21日)。 |
DIA-209-1987-11-21-1 | インドネシア | 1987年11月21日 | 1980年代 | 日本の枝村新駐イ大使,スハルト大統領を表敬(KP紙,23日)。 |
DIA-209-1987-11-23-1 | インドネシア | 1987年11月23日 | 1980年代 | プルタミナ,日本側コンソーシアムとの間でパラキシレン生産契約を締結―チラチャップで91年から操業開始の予定。日本側コンソーシアムは,ファーイースト・オイル・トレーディング社,日商岩井,伊藤忠の3社で構成(JP紙,24日)。 |
DIA-209-1987-11-23-2 | インドネシア | 1987年11月23日 | 1980年代 | イ・越事務レベル協議―バリ島で開催され,2日間の予定が1日で終了。同協議では,カンボジア問題に関するカクテル・パーティーの実施について「多くの点で同意した」ことが明らかにされた(JP紙,24日など)。 |
DIA-209-1987-11-23-3 | インドネシア | 1987年11月23日 | 1980年代 | インドネシア弁護士協会(IKADIN)。「弁護士および公証人に対する監視に関する布告」に抗議して,3日間すべての裁判をボイコットすると決定(JP紙,24日)。 |
DIA-209-1987-11-23-4 | インドネシア | 1987年11月23日 | 1980年代 | マレーシアのアリ新国軍司令官,スハルト大統領を表敬(KP紙,24日)。 |
DIA-209-1987-11-24-1 | インドネシア | 1987年11月24日 | 1980年代 | 移住地の家屋崩壊について―マルトノ移住相は,資金不足のため,移住地に建てた約1万6000軒の家屋が崩壊したり使えなくなったりしていることを明らかにした(KP紙,25日)。 |
DIA-209-1987-11-27-1 | インドネシア | 1987年11月27日 | 1980年代 | 東ヌサトゥンガラ州パンタル島で大規模な地震が発生。死者37人,行方不明75人(KP紙,28日)。 |
DIA-209-1987-11-29-1 | インドネシア | 1987年11月29日 | 1980年代 | バタム島でスハルト=リー会談―席上スハルト大統領は,(1)ASEANサミット開催には種々の危険が伴っているが,その危険を乗り越えて滞りなく開催されなければならない,(2)シンガポールのリー首相との間に見解の相違点はない,と発言。またカンボジア問題については,すでにASEAN内に基本的合意があるとして,会談では話し合われなかった模様(KP紙,30日)。 |
DIA-209-1987-12-01-1 | インドネシア | 1987年12月01日 | 1980年代 | 繊維工業の再編成について―ハルタルト工業相は,品質向上を目的として,88年第1四半期から繊維工業の大規模な再編成を行なうことを明らかにした。部分的には世銀からの資金も使う予定(JP紙,2日)。 |
DIA-209-1987-12-03-1 | インドネシア | 1987年12月03日 | 1980年代 | 出入国に関する規則の変更―スラルソ出入国管理総局長によると,内容は(1)30万ドル以上投資したかまたは3年以上居住した外国人の恒久居住権取得を容易にする,(2)12月1日から観光目的でバタム島を訪れるシンガポール人に1年間有効の特別旅行者パスを交付する,(3)インドネシア人女性と結婚した外国人男性の国内居住許可を厳しくし,労働省から労働許可を取った場合にのみ認める,など(JP紙,4日)。 |
DIA-209-1987-12-04-1 | インドネシア | 1987年12月04日 | 1980年代 | 外相,比紙報道を間接的に批判―「スハルト大統領のASEANサミット出席日程を見ると,インドネシアには比の治安警備に対する信頼が欠けているようだ」との『マニラ・クロニクル』紙報道に対して,モフタル外相は,「比はスハルト大統領がASEANのなかで最初にサミット出席を明言した政府首脳であることを忘れている」と述べた(KP紙,5日)。 |
DIA-209-1987-12-04-2 | インドネシア | 1987年12月04日 | 1980年代 | イ・マ合同軍事演習について―マレーシアのリタウディン国防相によると,88年初めにサバ・サラワク沖やマラッカ海峡で軍事演習を行なうことを明らかにした。これに対してマレーシアを訪問中のムルダニ国軍司令官も同意を表明(JP紙,8日)。 |
DIA-209-1987-12-09-1 | インドネシア | 1987年12月09日 | 1980年代 | ポルカスの継続が決定―ナニ・スダルソノ社会相は,存続が取りざたされていたサッカーくじのポルカスを今後も継続することを決定したと発表。ただし,くじの名称をサッカー・ポルカス賞金くじ(Kupon Berhadiah Porkas Sepakbola)から賞金付きスポ-ツ貢献くじ(KuPon Sumbangan Olahraga Berhadiah)へ変更し,1枚当りの値段を300ルピアから600ルピアへ引き上げる(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1987-12-10-1 | インドネシア | 1987年12月10日 | 1980年代 | ムハマディア最高協議委員会,ジョクジャカルタで開催(KP紙,11日)。 |
DIA-209-1987-12-14-1 | インドネシア | 1987年12月14日 | 1980年代 | マニラでASEANサミット開催(~15日)―スハルト大統領は,夫人を伴わず14日早朝マニラ入りし,15日,日本の竹下首相と会談後帰国した。サミットでの討議概要は,(1)平和・自由・中立地域(ZOPFAN)構想実現への努力の継続,(2)カンボジア問題の早期解決,(3)太平洋諸国との協力強化,(4)ASEAN域内貿易における特恵貿易協定の改善(適用除外品目数の削減,ASEAN再保険会社の設立など),(5)ASEAN生産者協会,ASEAN域内貿易協会などの設立,(6)1992年を「ASEAN観光年」とすること,(7)ASEAN合弁プロジェクト認可過程の改善,など。一方,スハルト=竹下会談でイ側は,日本からの20億ドルにおよぶASEAN・日本開発基金の供与を歓迎するとともに,円高によるイ側の債務負担額増加に対して日本側の理解を求めた。サミットは15日,「マニラ宣言」を採択して閉幕(KP紙,15,16日など)。またワルダナ調整相は16日,35件のプロジェクトをASEAN・日本開発基金のインドネシア分の対象とすることを明らかにしたが,具体的なプロジェクト名は挙げなかった(JP紙,17日)。 |
DIA-209-1987-12-16-1 | インドネシア | 1987年12月16日 | 1980年代 | 東チモールに関する西側報道を批判―「ローマ法皇が『インドネシアは,東チモールの民族的・宗教的・文化的アイデンティティの保全に特別の考慮を払うべきである』と語った」という西側の報道に対して,モフタル外相は,「法皇の見方は一面的であり,地域文化は全く脅かされていない」「西側報道は依然としてインドネシアを非難する傾向を持ち合わせており,誤解を与えている」と反発(JP紙,17日など)。 |
DIA-209-1987-12-18-1 | インドネシア | 1987年12月18日 | 1980年代 | 新国軍参謀本部の建物,東ジャカルタのチランカップに開所(KP紙,19日)。 |
DIA-209-1987-12-18-2 | インドネシア | 1987年12月18日 | 1980年代 | ベトナムに2万トンの米を貸与する協定に調印―ブスタニルBulog 長官は「米の貸与が行なえるのはインドネシアが米の自給に何ら問題のないことを表している」と述べた。ベトナムへの貸与米は翌週船積みし,米で貸与分の返済を行なう予定。さらに同長官は,フィジーにも1.5~2万トンの米を貸与する予定であることを明らかにした(JP紙,19日)。 |
DIA-209-1987-12-21-1 | インドネシア | 1987年12月21日 | 1980年代 | 在比米軍基地の存続問題について―モフタル外相は,「ASEAN外相間で在比米軍基地の存続に同意したとの28ページにわたる秘密文書がある」との報道を強く否定(JP紙,22日)。 |
DIA-209-1987-12-22-1 | インドネシア | 1987年12月22日 | 1980年代 | 米軍との合同空軍演習について―比のクラーク空軍基地のルイス副司令官は前週,「米軍との共同空軍訓練へインドネシアが参加できないということはない。すべてはインドネシア政府の判断にかかっている」と述べた(JP紙,22日)。 |
DIA-209-1987-12-24-1 | インドネシア | 1987年12月24日 | 1980年代 | 12月24日政策パッケージ公表―同パッケージは非石油製品輸出の促進と観光開発を目的としたもの。内訳は政府規則1件,大統領布告4件,大統領令1件,共同大臣布告2件,蔵相布告8件,工業相布告1件,運輸相布告2件,観光・通信・郵政相布告5件,内相規則1件,内相令1件,保健相布告1件,情報相布告1件,労相布告3件,法相布告1件,商相布告1件,投資調整庁(BKPM)長官布告2件,資本市場管理庁(BAPEPAM)長官布告5件,資本市場管理庁長官回状1件,商業省対外取引総局長布告2件,大蔵省関税総局長回状1件,法務省出入国管理総局長回状1件,通貨・有価証券取引委員会(PPUE)委員長布告1件,の合計58件の規程から成る(内容の詳細については「参考資料」を参照)(KP紙,26日)。 |
DIA-209-1987-12-30-1 | インドネシア | 1987年12月30日 | 1980年代 | パラパB-2R通信衛星打ち上げについて―タヒル通信・郵政相は,同衛星が90年10月に米国のマクドネル・ダグラス社によって打ち上げられることを明らかにした(KP紙,31日)。 |
DIA-209-1988-01-04-1 | インドネシア | 1988年01月04日 | 1980年代 | 外国からの来訪者歓迎式典を簡素化―スダルモノ国家官房長官によると,1988年1月から,空港出迎えは外相だけが行ない,大統領謁見はムルデカ宮殿にて行なうことになる(KP紙,5日)。 |
DIA-209-1988-01-04-2 | インドネシア | 1988年01月04日 | 1980年代 | 石油製品価格について―スダルモノ国家官房長官とスブロト鉱業・エネルギー相は,ともに「石油製品価格の値上げはない」と言明(KP紙,5日)。 |
DIA-209-1988-01-05-1 | インドネシア | 1988年01月05日 | 1980年代 | 1988/89年度予算案発表―総額は28兆9636億ルピア(前年度比27.1%増)。歳入面では,経常歳入が21兆8030億ルピア(同26.5%増)で,うち石油ガス収入が8兆8558億ルピア(同27.6%増),非石油ガス収入が12兆9472億ルピア(同25.7%増)。税収の伸びでは,輸出税が同103.7%増,輸入税が同61.4%増,付加価値税・奢侈品販売税が同35.0%増を見込む。開発歳入は7兆1606億ルピア(同29.1%増)で,プログラム援助は同858.8%増の大幅増となった。一方歳出面では,経常歳出が20兆660億ルピア(同33.5%増)で,うち対外債務返済分が10兆6080億ルピア(同56.8%増)となり,経常歳出の52.8%を占めるに至った。公務員・軍人給与の引き上げは3たび見送られた。開発歳出は8兆8976億ルピア(同14.7%増)で,うち省庁向け資金が同49.0%増となった(KP紙,6日)。 |
DIA-209-1988-01-06-1 | インドネシア | 1988年01月06日 | 1980年代 | 日本の田村通産相,アジア太平洋貿易会議出席のためバリを訪問(KP紙,8日)。 |
DIA-209-1988-01-06-2 | インドネシア | 1988年01月06日 | 1980年代 | イタリアのゴリア首相来訪(~7日)―マレーシア,シンガポールを訪問後の来訪。6日にスハルト大統領を表敬し,カンボジア問題,アフガニスタン問題,イラン・イラク戦争,米ソ軍縮交渉,不透明な世界経済情勢,などについて会談。7日には次の訪問国インドへ向かった(KP紙,7日など)。 |
DIA-209-1988-01-08-1 | インドネシア | 1988年01月08日 | 1980年代 | 西カリマンタン州知事にパルジョコ・スルヨクスモ准将就任(KP紙,9日)。 |
DIA-209-1988-01-09-1 | インドネシア | 1988年01月09日 | 1980年代 | 米不足の心配を否定―食糧調達庁(Bulog)のブスタニル・アリフィン長官は,「在庫米は150万㌧あり,米不足の心配はない」と発言。またスクリヤ・アトマジャ副長官は,「市場介入用に60万㌧の米があり,うち30万㌧を放出したため米価はキロ当り430~450ルピアで安定している」と述べた(JP紙,11日)。 |
DIA-209-1988-01-15-1 | インドネシア | 1988年01月15日 | 1980年代 | 国軍人事―国軍参謀本部国防機能担当参謀にスディブヨ・ラハルジョ海軍中将(前国軍参謀本部作戦担当補佐官)が就任(KP紙,16日)。 |
DIA-209-1988-01-18-1 | インドネシア | 1988年01月18日 | 1980年代 | パプア・ニューギニア(PNG)のウィンティ首相来訪(~21日)―スハルト大統領招待の公式訪問。1時間余の同首相との会談でスハルト大統領は,「インドネシアは少しも他国の脅威とはならない」と語った(KP紙,19日など)。 |
DIA-209-1988-01-19-1 | インドネシア | 1988年01月19日 | 1980年代 | 国営企業の民営化について―工業省は,建設業や小規模工業で業績のよくない五つの国営企業の民間への売却を検討していることを示唆(KP紙,20日)。 |
DIA-209-1988-01-21-1 | インドネシア | 1988年01月21日 | 1980年代 | 国民協議会(MPR)準備委員会の成果報告,同委員会のスプラプト委員長からスフドMPR/国会(DPR)議長へ提出される(KP紙,22日)。 |
DIA-209-1988-01-21-2 | インドネシア | 1988年01月21日 | 1980年代 | アメリカのシグール国務次官補来訪―同次官補はレーガン大統領からスハルト大統領へ宛てた親書を持参(内容は不明)。40分間の両者の会談で,同次官補は,アメリカでの通商法案の成立について否定的な見方を示した(KP紙,22日)。 |
DIA-209-1988-01-23-1 | インドネシア | 1988年01月23日 | 1980年代 | 軍人法案に九つの問題点―DPIの特別委員会で,バラムリDPR議員は,軍人の地位,軍人の育成,軍隊の権限,など九つの点で軍人法案には問題があると指摘した(KP紙,25日)。 |
DIA-209-1988-01-24-1 | インドネシア | 1988年01月24日 | 1980年代 | トリ・ストリスノ陸軍参謀長,パキスタンを訪問―同参謀長は,パキスタンのジア大統領から軍人勲章を授与された(KP紙,26日)。 |
DIA-209-1988-01-25-1 | インドネシア | 1988年01月25日 | 1980年代 | シンガポールのダナバラン外相来訪(~29日)―同外相は,モフタル外相と2時間余にわたり二国間問題を中心に会談(KP紙,26日)。 |
DIA-209-1988-01-26-1 | インドネシア | 1988年01月26日 | 1980年代 | 二つの社会団体の活動を禁止―フェイサル・タミン内務省社会関係局長は,1987年12月10日付け内相布告120,121号に基づき,社会団体法を受け入れていないとの理由で,インドネシア・イスラム学徒(Pelajar Islam Indonesia)およびマルハエニズム青年運動(Geeakan Pemuda Marhaenis)の二団体の活動を禁止することを明らかにした(KP紙,27日)。 |
DIA-209-1988-01-27-1 | インドネシア | 1988年01月27日 | 1980年代 | シンガポールでアジア航空ショー開催―インドネシアからはハビビ科学技術担当国務相,ムルダニ国軍司令官,ウトモ空軍参謀長らが参加(KP紙,28日)。 |
DIA-209-1988-01-28-1 | インドネシア | 1988年01月28日 | 1980年代 | スパルジョ内相,欧州議会代表の29日からの東チモール訪問を確認(JP紙,29日)。 |
DIA-209-1988-01-28-2 | インドネシア | 1988年01月28日 | 1980年代 | ワルドヨ副大臣,「外国のインドネシア研究者は米の輸入が不可避と言っているが,自給体制は続く」と発言(KP紙,2月1日)。 |
DIA-209-1988-01-29-1 | インドネシア | 1988年01月29日 | 1980年代 | ウィジョヨ特使,日本を訪問―同特使は竹下首相と会談し,スハルト大統領名の親書を手渡した(KP紙,2月1日)。 |
DIA-209-1988-01-30-1 | インドネシア | 1988年01月30日 | 1980年代 | 87年10月時に任命未了のMPR議員を任命―アリ・サイド最高裁長官ら6名のMPR議員と2名のMPR/DPR議員,追加任命(KP紙,2月1日)。 |
DIA-209-1988-01-31-1 | インドネシア | 1988年01月31日 | 1980年代 | パラパA―2通信衛星,12年間の役目を終え,軌道を離れる(KP紙,2月1日)。 |
DIA-209-1988-02-01-1 | インドネシア | 1988年02月01日 | 1980年代 | カンボジア問題について―モフタル外相は,「中国が三派統一のために影響力を行使することを望む」との見解を示した(JP紙,2日)。 |
DIA-209-1988-02-02-1 | インドネシア | 1988年02月02日 | 1980年代 | 西ジャワ州カモジャンの地熱発電所2,3号基開所―開所式にはスハルト大統領夫妻も列席。同発電所はニュージーランドの援助で1982年に建設を開始しており,出力は各々55MW(KP紙,3日)。 |
DIA-209-1988-02-02-2 | インドネシア | 1988年02月02日 | 1980年代 | 東チモールの状況について―1月に東チモールを訪れたオランダ人のラーイ欧州議会議員は,(1)東チモールで人権抑圧が行なわれているという話を正当化する証拠はない,(2)東チモールのインドネシアへの統合は東チモール人の自由意志に基づいている,と述べ,ポルトガル政府に対してインドネシアとの外交関係再開を呼びかけた(JP紙,3日)。 |
DIA-209-1988-02-02-3 | インドネシア | 1988年02月02日 | 1980年代 | モフタル外相,ソ連,フランスを歴訪(~10日)―バンコク経由でモスクワ,パリへ。その後イランを経由して帰国。モスクワには4~7日に滞在し,5日ソ連のゴルバチョフ書記長と会談。同書記長はカンボジア問題解決に対するインドネシアの積極的な役割を称えた。また6日,モフタル外相は,(1)ソ連との間でカンポジア問題について見解の相違はあるが,早期解決が必要という点では一致,(2)ソ連側からスハルト大統領訪ソの招待を受け,前向きに検討するが,時期は大統領選挙後になろう。逆にソ連のシェワルナゼ外相を再びインドネシアに招待したい,(3)ペレストロイカはインドネシアの規制緩和と同じもの,などと述べた(KP紙,7,8日など)。 |
DIA-209-1988-02-03-1 | インドネシア | 1988年02月03日 | 1980年代 | アメリカからのF-16の引き渡しについて―ムルダニ国軍司令官によると,F-16は1989年1月から引き渡しが開始され,89年末までに少なくとも8機が引き渡される予定(JP紙,4日)。 |
DIA-209-1988-02-05-1 | インドネシア | 1988年02月05日 | 1980年代 | 税関検査業務について―国営検査会社PT Sucofindoのニョマン・ムナ社長は,「税関検査業務を委託されているスイスの民間検査会社SGSとの契約は88年5月からさらに3年間更新されるが,将来はSGSを吸収していきたい」との意向を示した(JP紙,5日)。 |
DIA-209-1988-02-06-1 | インドネシア | 1988年02月06日 | 1980年代 | トリ・ストリスノ陸軍参謀長,ベトナムを訪問(~11日)―ベトナムの国防相の招待によるもの。ハノイのほか,8日にはホーチミンも訪問(KP紙,7日)。 |
DIA-209-1988-02-08-1 | インドネシア | 1988年02月08日 | 1980年代 | PT Inalumの負債について―同社高官によると,アルミ市況は回復したものの,同社の負債4110億円は円高によって16億㌦から25億㌦へ増大した。また同社は,アルミ生産100万㌧を達成(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1988-02-10-1 | インドネシア | 1988年02月10日 | 1980年代 | 次期国軍司令官を発表。―ムルダニ国軍司令官は記者会見の席上,スハルト大統領が3月7日付けでトリ・ストリスノ陸軍参謀長を国軍司令官に任命する予定であることを公表。後任の陸軍参謀長には2月20日付けでエディ・スドゥラジャト同副参謀長が任命されることも明らかにされた。ただし,治安秩序回復司令部(Kopkamtib)司令官の地位について,ムルダニ国軍司令官は「いい質問だがまだ答えられない」と述べた。新内閣発足の1カ月も前に国軍司令官人事が公表されるのは異例のこと(KP紙,11日)。 |
DIA-209-1988-02-11-1 | インドネシア | 1988年02月11日 | 1980年代 | プルタミナ,ボンタンLNGプラント5号基建設契約に調印―千代田・三菱コンソーシアムとの契約で契約調印額は3.16億㌦,1989年12月に完成予定。この5号基の建設は,台湾向けの年1500万㌧のLNG輸出に対応するもので,台湾の中華石油公社へは90年1月から輸出の予定(JP紙,12日)。 |
DIA-209-1988-02-12-1 | インドネシア | 1988年02月12日 | 1980年代 | カンボジア問題について―帰国後の記者会見でモフタル外相は「カクテル・パーティー案を放棄した」との11日のロイター電を否定,開催地としてジャカルタが適当との見解を示した。また対中関係について,(1)外交代表部がないからといって接触がないわけではない,(2)呉外相とは6回会った,(3)昔と比べてファンダメンタルな変化が見られる,などと述べた(JP紙,13日など)。 |
DIA-209-1988-02-14-1 | インドネシア | 1988年02月14日 | 1980年代 | PNGのポカスイ国防相来訪(~19日)―14日にムルダニ国軍司令官と会談したほか,17日にはマゲランの国軍アカデミーなどを見学。帰国を前に,同国防相は,「PNG軍はインドネシア国軍から国家建設の過程について学ばなければならない」と述べ,両軍の共同軍事演習の可能性も考慮していることを示唆した(KP紙,22日など)。 |
DIA-209-1988-02-15-1 | インドネシア | 1988年02月15日 | 1980年代 | ムルダニ国軍司令官,マレーシアを訪問(~16日)(KP紙,17日)。 |
DIA-209-1988-02-18-1 | インドネシア | 1988年02月18日 | 1980年代 | インドネシア共産党(PKI)の残党について―ヨガ・スガマ国家情報調整庁(Bakin)長官は,「1月にブダベストで開かれた共産主義の会議にインドネシア人35人が参加,彼らは25~40歳の新顔で,PKIの残党が海外に新組織を作ってきているようだ」と述べた(JP紙,19日など)。 |
DIA-209-1988-02-20-1 | インドネシア | 1988年02月20日 | 1980年代 | 現職閣僚,中国訪問か―20日のNHKニュースは,インドネシア中央政界に近い消息筋の話として,「マルトノ移住相が休暇の名目で1987年9月に。香港経由で中国に入り,1週間滞在した」と報じた。 |
DIA-209-1988-02-22-1 | インドネシア | 1988年02月22日 | 1980年代 | 民間テレビ放送局について―民間テレビ会社であるPT Rajawali Citra Televisi Indonesia(RCTI)のバンバン社長は,「放映時間は1日18時間,1988年12月から89年3月まで1日5時間の試験放送を行なう予定である」と発表(KP紙,23日)。 |
DIA-209-1988-02-22-2 | インドネシア | 1988年02月22日 | 1980年代 | イランのベラヤチ外相来訪(~24日)―1987年のモフタル外相のイラン訪問に対する返礼としての公式訪問(KP紙,23日)。 |
DIA-209-1988-02-22-3 | インドネシア | 1988年02月22日 | 1980年代 | DPR,1982年法律第20号(国軍法)を改正するとともに,軍人法を成立させる(KP紙,23日)。 |
DIA-209-1988-02-22-4 | インドネシア | 1988年02月22日 | 1980年代 | 国軍人事―陸軍参謀長にエディ・スドゥラジャト前同副参謀長が就任。同副参謀長にはサハラ・ラジャグクグク前陸軍戦略予備軍司令官がタパヌリ族として初めての就任(KP紙,23日)。 |
DIA-209-1988-02-26-1 | インドネシア | 1988年02月26日 | 1980年代 | スハルト大統領,副大統領適格者5条件を明示―ゴルカル会派のスガンディ代表によると,5条件は,(1)パンチャシラと1945年憲法を遵守すること,(2)能力が優れていること,(3)あらゆる社会階層に受け入れられること,(4)社会政治団体に支持されていること,(5)とくに支配的な役割を果たしている社会政治団体に支持されていること,の五つ(KP紙,27日)。 |
DIA-209-1988-02-26-2 | インドネシア | 1988年02月26日 | 1980年代 | オーストラリアのヘイドン外務・商業相来訪(~28日)―モフタル外相との会談の議題は,二国間の政治経済問題,チモール海峡などの地域問題カンボジア問題など(KP紙,27日)。 |
DIA-209-1988-02-27-1 | インドネシア | 1988年02月27日 | 1980年代 | トリ・ストリスノ,24日付け大統領布告により新国軍司令官に就任(KP紙,28日)。 |
DIA-209-1988-02-27-2 | インドネシア | 1988年02月27日 | 1980年代 | 1988/89年度予算案,DPRを通過(KP紙,29日)。 |
DIA-209-1988-03-01-1 | インドネシア | 1988年03月01日 | 1980年代 | MPR開催(~11日)・―1983年以来5年ぶりの開催で,むこう5年間の国策大綱(GBHN)の決定,正副大統領の選出などが行なわれた。国策大綱の審議では,開発統一党(PPP)がすべての学校教育での宗教教育の実施,村落レベルでの政党組織化の許可などを主張して最終投票に持ち込まれたが,これらの主張は圧倒的大差で否決された。正副大統領選出は11日に行なわれ,大統領にスハルト(再選),副大統領にゴルカル総裁のスダルモノ(初)がそれぞれ無投票で選ばれた。MPRで採択された決定は,MPR規則の改訂に関する1983年MPR決定1号の改正・補足(1号),国策大綱(2号),総選挙(3号),大統領の責任行為(4号),国家開発の成功と安定における大統領の責務と権限(5号)の五つ(KP紙,2~12日など)。 |
DIA-209-1988-03-05-1 | インドネシア | 1988年03月05日 | 1980年代 | 対中関係について―国際戦略研究所(CSIS)のユスフ・ワナンディ所長は,(1)向こう5年聞のうちに対中外交関係を回復できると楽観的に見ている,(2)スハルト大統領がMPRで行なった演説はそのよいシグナルである,(3)政府高官も国交回復を確信している,(4)高級事務レベル協議を開いて話し合うことは可能,(5)ジャカルタと北京に外交代表部の設置が望ましい,などと述べた(KP紙,7日)。 |
DIA-209-1988-03-09-1 | インドネシア | 1988年03月09日 | 1980年代 | 治安秩序回復司令部の組織替えについて―同司令部のムルダニ司令官は,設立当時に比べ現実とかけ離れてしまったとして,組織替えを示唆した。新組織の名称は未定(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1988-03-13-1 | インドネシア | 1988年03月13日 | 1980年代 | オーストラリアのジャーナリストへのビザ発給禁止措置,解除へ―Australian Associated Press(AAP)のジェイムズ記者によると,インドネシア政府はAAPの特派員に1年間有効のビザを発給した。これまでは5週間有効のビジネス・ピザ(JP紙,14日)。 |
DIA-209-1988-03-15-1 | インドネシア | 1988年03月15日 | 1980年代 | 国軍人事―陸軍戦略予備軍(Kostrad)の新司令官にジャヤ陸軍区のスギト司令官が就任。前任のサハラ・ラジャグクグク陸軍中将はすでに陸軍副参謀長に就任(KP紙,17日)。 |
DIA-209-1988-03-17-1 | インドネシア | 1988年03月17日 | 1980年代 | 国軍人事―第Ⅵ陸軍区司令官にマウラニ前陸軍参謀長作戦担当補佐官が就任(KP紙,18日)。前任のフェイザル・タンジュン陸軍少将は22日,バンドンの陸軍士官学校校長に就任。前校長はダルワント労働省次官(KP紙,23日)。 |
DIA-209-1988-03-23-1 | インドネシア | 1988年03月23日 | 1980年代 | 第5次開発内閣任命―同内閣の閣僚名簿の公表は21日。正副大統領以下38閣僚(前内閣より1閣僚ポスト増)の顔ぶれは留任9,ポスト異動10,新任19の構成。「継続と革新」を旗印とした実務型内閣の色彩が強い(KP紙,24日)。これら閣僚のうち,最高検察庁長官および中央銀行総裁は25日に任命(KP紙,26日)。 |
DIA-209-1988-03-23-2 | インドネシア | 1988年03月23日 | 1980年代 | トリ・ストリスノ国軍司令官,アジア兵器博覧会(DSA)出席のためマレーシアのクアラルンプールを訪問(JP紙,26日)。 |
DIA-209-1988-03-26-1 | インドネシア | 1988年03月26日 | 1980年代 | インドネシア民主党(PDI)内紛―PDT中央執行部は,26日付けで西ジャワ支部の活動停止と8人の党員除名を決定(KP紙,28日)。 |
DIA-209-1988-03-29-1 | インドネシア | 1988年03月29日 | 1980年代 | 国産初のロケットを打ち上げ―Garut県Staspro PameungpeukからRX-150,RX-250/150,RX-250/250を打ち上げ(KP紙,31日)。 |
DIA-209-1988-03-29-2 | インドネシア | 1988年03月29日 | 1980年代 | 国軍人事―国軍参謀本部社会政治機能担当参謀にハルスディヨノ・ハルタス前同補佐官が就任。前任のスギアルト陸軍中将は移住相へ転出(KP紙,30日)。 |
DIA-209-1988-03-30-1 | インドネシア | 1988年03月30日 | 1980年代 | 政府,1980年大統領布告第10号の廃止と物資調違許可権限の総局長クラスへの委譲を発表―規制緩和政策の一環としての物資流通の円滑化を目指した措置で,4月1日より実施(KP紙,31日)。 |
DIA-209-1988-04-04-1 | インドネシア | 1988年04月04日 | 1980年代 | アラタス新外相,ASEAN歴訪(~7日)―同外相は,前外相モフタルの路線を継承することを表明(KP紙,5日など)。 |
DIA-209-1988-04-04-2 | インドネシア | 1988年04月04日 | 1980年代 | 商業省とインドネシア商工会議所(KADIN)との協力強化について―シレガル商業相によると,商業省はKADINとの間で3カ月ごとに会合を開き,必要ならそれ以外にも特別の会合を開くなどして連絡を密にする(KP紙,7日)。 |
DIA-209-1988-04-08-1 | インドネシア | 1988年04月08日 | 1980年代 | ルーマニアのチャウシェスク大読領来訪(~10日)―同大統領の訪問は1982年に次ぎ2度目。同大統領はインドネシアの後,オーストラリア,ベトナム,中国を訪問。同大統領と会談したスハルト大統領は10日,「対中国交正常化は,中国側にかかっている」と述べた(KP紙,9日など)。 |
DIA-209-1988-04-09-1 | インドネシア | 1988年04月09日 | 1980年代 | ESCAP総会に参加する中国の劉述卿外務次官,アラタス外相を表敬訪問し,2時問にわたり会談(KP紙,11日)。 |
DIA-209-1988-04-10-1 | インドネシア | 1988年04月10日 | 1980年代 | ソ連のロガチェフ外務次官来訪(~16日)―ASEAN歴訪中の同次官は記者会見で,「ASEANの支持を得たインドネシアのカンボジア和平への積極的取り組みをソ連は支持する。カンボジア和平の鍵は中国とベトナムの手にある」と発言(KP紙,11日など)。 |
DIA-209-1988-04-11-1 | インドネシア | 1988年04月11日 | 1980年代 | 投資調整庁(BKPM)の新長官にサニョト前副長官が就任(KP紙,12日)。 |
DIA-209-1988-04-11-2 | インドネシア | 1988年04月11日 | 1980年代 | インドネシア,ニカラグアと正式に外交関係を締結―ただし両国大使は常駐せず(KP紙,12日)。 |
DIA-209-1988-04-11-3 | インドネシア | 1988年04月11日 | 1980年代 | ムルダニ国防治安相,マレーシアを訪問(~12日)―マレーシアのリタウディン国防相が出迎え。12日にはマハティール首相と会談(JP紙,12日)。ムルダニ国防治安相は南沙群島問題に触れ,「東南アジア地域は南沙群島をめぐる中国とベトナムの争いについて過度に心配すべきではない」と述べた(JP紙,13日)。 |
DIA-209-1988-04-12-1 | インドネシア | 1988年04月12日 | 1980年代 | 韓国の崔外相来訪,スハルト大統領と会談―同外相は,韓国企業からの投資増を約束。民間=民間協力の必要を強調(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1988-04-12-2 | インドネシア | 1988年04月12日 | 1980年代 | ベネズエラのジャイム・ルシンチ大統領来訪(~14日)(JP紙,13日)。 |
DIA-209-1988-04-13-1 | インドネシア | 1988年04月13日 | 1980年代 | 国軍人事―第Ⅶ陸軍区司令官にルスマディ・シッディク前国軍参謀本部領土担当補佐官(陸軍准将)が就任(KP紙,14日)。 |
DIA-209-1988-04-13-2 | インドネシア | 1988年04月13日 | 1980年代 | イリアンジャヤ州知事にバルナバス・スエブ前同州議会議長が就任(KP紙,14日)。 |
DIA-209-1988-04-17-1 | インドネシア | 1988年04月17日 | 1980年代 | インドネシア債権国会議(IGGI)のピエト・ブクマン議長来訪(~26日)―18日にはラディウス経済担当調整相,26日にはスハルト大統領と会談(KP紙,27日)。 |
DIA-209-1988-04-19-1 | インドネシア | 1988年04月19日 | 1980年代 | サルウォ・エディ・ウィボウォDPR議員,議員の職を辞任―同議員は1987年総選挙で初当選したばかり。辞職について,「理由はまだ公にできない」としている。同議員は,元陸軍特殊戦闘部隊(RPKAD:現在のKopassusの前身)隊長(KP紙,19日)。 |
DIA-209-1988-04-20-1 | インドネシア | 1988年04月20日 | 1980年代 | 預金利子への課税に反対―スカムダニKADIN会頭は,大量の資本逃避や銀行貸出金利の上昇を招くとして,政府が検討している預金利子への課税に反対の立場を表明した(KP紙,22日)。 |
DIA-209-1988-04-21-1 | インドネシア | 1988年04月21日 | 1980年代 | インドネシア,台北輸入フェアへの参加を決定―イ・台貿易委員会のフディオノ副委員長は,8月26日から9月4日に開催される同フェアに参加するため,KADINのミッションを台湾に派遣すると発表(JP紙,22日)。 |
DIA-209-1988-04-21-2 | インドネシア | 1988年04月21日 | 1980年代 | 対中関係について―ムルディオノ国家官房長官は「イ・中両国にすぐに通商代表部を開設する緊急性はまだない。国交がなくても直接貿易はうまくいっている」と述べた(KP紙,23日)。 |
DIA-209-1988-04-23-1 | インドネシア | 1988年04月23日 | 1980年代 | BKPM,アメリカへ投資促進ミッションを派遣―26日にはニューヨークで投資セミナーを開催。サニョトBKPM長官はその成果として,化学,化粧品など米国企業11社がインドネシアへの投資を検討していることを明らかにした(KP紙,29日など)。 |
DIA-209-1988-04-24-1 | インドネシア | 1988年04月24日 | 1980年代 | 預金利子への課税について―政府筋は預金利子への課税の検討を行なっていることの説明として,(1)確実な財源の確保と非石油ガス収入の増加が主な理由,(2)利子課税は83年の付加価値税導入に関する法律第7号にも合致,(3)税率は最低税率の15%を適用の予定(通常の所得税率は15,25,35%),などを挙げた(KP紙,25日)。また25日,スマルリン蔵相は国立銀行2行の幹部任命式の席上,「政府は預金利子への課税およびTabanas,Taska以外の貯蓄(Tabungan)の創設を目下検討中である」と述べた(KP紙,26日)。 |
DIA-209-1988-04-25-1 | インドネシア | 1988年04月25日 | 1980年代 | ゴルカル全体会議開催(~5月6日)―議題はゴルカル所属DPR議員の交代,10月開催予定の全国大会など(KP紙,26日など)。 |
DIA-209-1988-04-28-1 | インドネシア | 1988年04月28日 | 1980年代 | 共産主義について―スドモ政治・治安担当調整相は,「政権内部に共産主義が浸透している」旨の新聞報道には耳を貸さないよう忠告。ただし「誰が共産主義の浸透について発言したか」については,何も触れなかった(JP紙,29日)。 |
DIA-209-1988-04-30-1 | インドネシア | 1988年04月30日 | 1980年代 | ムルダニ外相代理,枝村駐イ大使との間で215億円(1億7230万㌦)の円借款供与協定に調印(JP紙,5月2日)。 |
DIA-209-1988-05-02-1 | インドネシア | 1988年05月02日 | 1980年代 | 日本の国会議員4名,スハルト大統領を表敬訪問―藤波国会議員ら4名は枝村大使とともにスハルト大統領を表敬し,「竹下首相の願いと日本国民の気持ちは一緒」などと述べた(KP紙,3日)。 |
DIA-209-1988-05-02-2 | インドネシア | 1988年05月02日 | 1980年代 | オーストラリアのモリソン駐イ大使,スダルモノ副大統領に対し同国訪問を要請(KP紙,3日)。 |
DIA-209-1988-05-03-1 | インドネシア | 1988年05月03日 | 1980年代 | 農園労働者の賃金引き上げ―農業相・労働相共同布告により,1988年4月1日に遡って農園労働者の賃金を平均14%引き上げ(KP紙,4日)。 |
DIA-209-1988-05-04-1 | インドネシア | 1988年05月04日 | 1980年代 | 米の借り入れ計画報道について―ブスタニル・アリフィンBulog長官は,「インドネシアはアメリカ合衆国から50万㌧の米を借り入れる計画である」との報道を否定した(JP紙,5日)。 |
DIA-209-1988-05-05-1 | インドネシア | 1988年05月05日 | 1980年代 | 日本の宇野外相来訪(~7日)―7日にはスハルト大統領を表敬訪問。しかし,期待された日本の対インドネシア援助額の具体的な額の明示はなかった(KP紙,6日など)。 |
DIA-209-1988-05-06-1 | インドネシア | 1988年05月06日 | 1980年代 | PNGのポカスイ国訪相来訪(~8日)―イリアンジャヤ州ジャヤプラでムルダニ国防治安相と会談(KP紙,9日など)。 |
DIA-209-1988-05-07-1 | インドネシア | 1988年05月07日 | 1980年代 | ムルディオノ国家官房長官,大統領夫妻のハラール(ラマダン明けのパーティー)は今年も大統領官邸を市民一般に公開しない,と発表(JP紙,10日)。 |
DIA-209-1988-05-10-1 | インドネシア | 1988年05月10日 | 1980年代 | 外務省人事―政治総局長にジョン・ロウハナペシ前駐ベトナム大使が,対外経済関係総局長にプジ・クンタルソノ前在ニューヨーク・インドネシア駐米代表部代表が,それぞれ就任(KP紙,11日)。 |
DIA-209-1988-05-11-1 | インドネシア | 1988年05月11日 | 1980年代 | 日本の石油輸入について―ギナンジャール鉱業・エネルギー相は,日本側が石油輸入量を4月の32万b/dから5月は34.4万b/dへ増加することを表明した,と述べた(JP紙,13日)。 |
DIA-209-1988-05-12-1 | インドネシア | 1988年05月12日 | 1980年代 | ランポン州知事にプジョノ・プラニョト前イリアンジャヤ州副知事が就任(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1988-05-14-1 | インドネシア | 1988年05月14日 | 1980年代 | 日本への石油販売価格について―プルタミナのラムリ総裁は,「5月分は基本価格(GSP)で行なうが,6月分はOPEC総会の結果を待って決める」と述べた(KP紙,16日)。 |
DIA-209-1988-05-14-2 | インドネシア | 1988年05月14日 | 1980年代 | 車両輸出―ハルタルト工業相は,7月に香港へ9台のバスを,同じく7月にイギリスへフォークリフトを,それぞれ輸出することを明らかにした(JP紙,16日)。 |
DIA-209-1988-05-16-1 | インドネシア | 1988年05月16日 | 1980年代 | インドネシアの駐マレーシア大使,ヒマワン・スタント退役陸軍中将からスナルン・ジャジュスマン退役陸軍少将へ交代(KP紙,16日)。 |
DIA-209-1988-05-17-1 | インドネシア | 1988年05月17日 | 1980年代 | 投資誘致ミッションの派遣について―アフマド・アズBKPM副長官によると,今年中に日本,韓国,台湾,香港へ3回,オーストラリア,ECへ2回,アメリカへ1回,それぞれ投資誘致ミッションを派遣する予定(JP紙,19日)。 |
DIA-209-1988-05-20-1 | インドネシア | 1988年05月20日 | 1980年代 | ムルダニ国防治安相,国家幹部候補養成のための特別教育機関設立を要望―タマンシスワでの講演のなかでこの考えを表明。同国防治安相によると,この機関はエリート養成機関とは異なる。これに対してタマンシスワのキ・スラットマン会長は,「提案自体は非常によいが,非現実的である。国軍アカデミー(AKABRI)のようなものを想定しているのではないか」などと述べた(KP紙,23日)。 |
DIA-209-1988-05-22-1 | インドネシア | 1988年05月22日 | 1980年代 | スペインのゴンザレス首相来訪(~24日)(KP紙,23日など)。 |
DIA-209-1988-05-24-1 | インドネシア | 1988年05月24日 | 1980年代 | PT Inalumの電力供給量削減―トバ湖からの用水供給量低下のため,1日当り50MWから15MWへ電力供給量を削減した。国営電力公社(PLN)からは何のクレームもないが,周辺住民から抗議の声が出ている(JP紙,25日)。 |
DIA-209-1988-05-24-2 | インドネシア | 1988年05月24日 | 1980年代 | 債券発行について―資本市場管理庁(Bapepam)は国営高速道路会社PT Jasa Margaの第6回債券発行(時価総額1100億ルピア)を認可。5月27日から6月7日にかけて750億ルピアを年利17%で売却へ。残り350億ルピアについては未定(JP紙,25日)。 |
DIA-209-1988-05-24-3 | インドネシア | 1988年05月24日 | 1980年代 | ジャカルタ非公式会議について―アラタス外相は,(1)7月にジャカルタでカンボジア問題に関する非公式会議を開催するが,正式な日時は未定,(2)シアヌークCGDK国家元首は同会議参加に同意した,(3)同会議は「交渉」の場ではない,などと述べた(JP紙,25日)。 |
DIA-209-1988-05-26-1 | インドネシア | 1988年05月26日 | 1980年代 | イランのアガザデ石油相来訪―同石油相はスハルト大統領を表敬。またギナンジャール鉱業・エネルギー相は記者会見で,すでに契約済みのサウジアラビア以外に,イランからも特別質の石油を輸入する考えであることを明らかにした(KP紙,27日)。 |
DIA-209-1988-05-27-1 | インドネシア | 1988年05月27日 | 1980年代 | ベトナム軍5万人のカンボジアからの撤収発表について―アラタス外相は,「もし撤収がカンボジア問題の全面解決努力の一部としてのものならば歓迎する」と述べた(KP紙,28日)。 |
DIA-209-1988-05-27-2 | インドネシア | 1988年05月27日 | 1980年代 | ECとの間で音楽録音に関する著作権の法的保護合意を承認―5月27日付け大統領布告17号による。これにより,不法とされた音楽カセットテープが著作権料を支払うことによって販売を認められる。ムルディオノ国家官房長官によると,同様の合意を7月6日にアメリカとの間で結ぶ予定(KP紙,28日)。 |
DIA-209-1988-05-31-1 | インドネシア | 1988年05月31日 | 1980年代 | ブルンジとの間で国交締結(JP紙,6月1日)。 |
DIA-209-1988-06-01-1 | インドネシア | 1988年06月01日 | 1980年代 | 鉱業・エネルギー省人事―次官にシラライ前陸軍参謀長作戦担当補佐官,監査役にワルドヨ・クスモ前空軍副参謀長,石油ガス総局長にスイトゥノ・パトゥモスキスモ前プルタミナ生産開発担当理事,がそれぞれ就任した(KP紙,2日)。 |
DIA-209-1988-06-03-1 | インドネシア | 1988年06月03日 | 1980年代 | PKIの残党について―スドモ政治・治安担当調整相は,「すべての書類をチェックし直し,PKIの残党について再調査を行なう。注意は必要だが,不安になる必要はない。PKIの残党の状況について何かあれば,治安秩序回復司令部ないし政治・治安担当調整相事務所まで知らせてほしい」と述べた(KP紙,4日)。 |
DIA-209-1988-06-07-1 | インドネシア | 1988年06月07日 | 1980年代 | ジャカルタ非公式会議へのベトナム参加について―アラタス外相は4日,国連軍縮総会で同席したベトナムのグエン・コ・タク外相と90分間にわたり会談(JP紙,6日)。帰国後の記者会見でアラタス外相は,「非公式会議にベトナムは参加しよう。どのレベルの高官が出席するかは未定だが,十分位が高く,決定権を持つ人物となろう」と述べた(KP紙,8日)。 |
DIA-209-1988-06-09-1 | インドネシア | 1988年06月09日 | 1980年代 | プラムディア著作の小説を発禁―スドモ政治・治安担当調整相およびスカルトン最高検察庁長官は記者会見で,プラムディア・アナンタ・トゥール著作の小説Rumah Kacaを6月8日付け最高検察庁長官布告により発禁処分としたことを明らかにした。理由は「パンチャシラに反する共産主義マルクス主義の方向を持った部分が随所に見られるため」(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1988-06-09-2 | インドネシア | 1988年06月09日 | 1980年代 | ムルダニ国防治安相,フィリピン,日本,韓国を歴訪。15~16日は東京で開催のアジア太平洋治安問題高官会議に出席(KP紙,10日など)。 |
DIA-209-1988-06-13-1 | インドネシア | 1988年06月13日 | 1980年代 | マレーシアのマハティール首相来訪(~14日)―同首相はジョグジャカルタでスハルト大統領と2時間会談。席上同首相は対外債務問題について触れ,「インドネシアやマレーシアのような途上国が,円高を理由として対外債務付加分を支払うよう強制されるのは公正ではない。債務返済の困難は途上国の不正によるのではない」と述べた(KP紙,14日など)。 |
DIA-209-1988-06-13-2 | インドネシア | 1988年06月13日 | 1980年代 | 新北スマトラ州知事にシレガル前第Ⅲ陸軍区司令官が就任(KP紙,14日)。 |
DIA-209-1988-06-15-1 | インドネシア | 1988年06月15日 | 1980年代 | IGGI会議闘催―1988/89年度の援助約束額は40.15億㌦(前年度比27%増),うち2国間援助は21億7769万㌦(同47.1%増),国際機関などからの援助は18億3804万㌦(同9.4%増)。日本のIGGIベース援助額は1761億円(14億㌦。前年度比130.7%増)の大幅増で,このほかに主として構造調整向け特別借款として9億㌦の供与を決めた。IGGIベース以外のものを含めた会議参加国・機関全体の構造調整向け特別借款は23億6417万㌦に達した(KP紙,16日)。 |
DIA-209-1988-06-17-1 | インドネシア | 1988年06月17日 | 1980年代 | 国軍人事―新第Ⅲ陸軍区司令官に,アリー・スデウォ前ジャヤ陸軍区参謀長が就任(KP紙,18日)。 |
DIA-209-1988-06-20-1 | インドネシア | 1988年06月20日 | 1980年代 | トリ・ストリスノ国軍司令官・マレーシアを訪問(~22日)(KP紙,21日)。 |
DIA-209-1988-06-20-2 | インドネシア | 1988年06月20日 | 1980年代 | 東カリマンタン州知事にアルダンス前副知事が就任(KP紙,21日)。 |
DIA-209-1988-06-21-1 | インドネシア | 1988年06月21日 | 1980年代 | ポルトガルのソアレス大統領,東チモールについて―同大統領はKP紙とのインタビューに答え,(1)ポルトガルは東チモールをもはや要求はしない,(2)東チモール問題の完全解決やイ=ポ関係正常化といったきわめて政治的な面については両者間になお見解の相違がある,と述べた(KP紙,24日)。 |
DIA-209-1988-06-22-1 | インドネシア | 1988年06月22日 | 1980年代 | 南スラウェシ州知事にアフマド・アミルディン前知事が再任(KP紙,23日)。 |
DIA-209-1988-06-27-1 | インドネシア | 1988年06月27日 | 1980年代 | 政府職員の職務監督研修について―サルウォノ行政改革担当国務相は,「第1段階として100人の上級職員(閣僚,知事を含む)の職務監督研修から始め,1988年末には第3段階までの研修を終わらせたい」との意向を表明。参加閣僚らを前にスハルト大統領は,「職務監督を嫌がる必要はない」と述べた(KP紙,28日)。 |
DIA-209-1988-06-28-1 | インドネシア | 1988年06月28日 | 1980年代 | ゴルカル所属DPR議員,ポルカス(サッカーくじ)廃止を求める―ゴルカル会派のラフマト・ウィトラーDPR議員は,「ポルカスは社会や国家規律にマイナスの影響を及ぼしているので,廃止すべきである。そのかわりにタバコ税を引き上げるべきだ」などと述べた(KP紙,28日)。 |
DIA-209-1988-06-29-1 | インドネシア | 1988年06月29日 | 1980年代 | 日本の瓦防衛庁長官来訪(~7月1日)―日本の防衛庁長官としては初めての訪問で,ムルダニ国防治安相の招待によるもの。会談後ムルダニ国防治安相は,(1)日本の自衛隊はインドネシアにとって脅威とはならない,(2)瓦長官は日本と東南アジア諸国との間でのシーレーン防衛について特別の協力を要請しなかった,などと発言した(JP紙,7月1日)。またスハルト大統領は,「インドネシアは日本の防衛政策を十分理解している。ただし,円高が一層進行して防衛費がGNP比1%を超え,東南アジア全体の国防費と同額程度にまでなってしまう,ということに注意しなければならない」と述べた(KP紙,7月1日)。 |
DIA-209-1988-06-30-1 | インドネシア | 1988年06月30日 | 1980年代 | アラタス外相,ジャカルタ非公式会議日程について大統領に報告―同外相は報告後,(1)ジャカルタ非公式会議は7月25日から2~3日間ボゴール宮殿で開催する,(2)同会議の招待状はすべて発送した,と述べた(KP紙,7月1日)。 |
DIA-209-1988-07-01-1 | インドネシア | 1988年07月01日 | 1980年代 | ラタン半製品の輸出を禁止―商業相布告190号により,7月1日からラタン半製品の輸出を全面禁止。この措置は当初1989年1月からの予定だったのを6カ月操り上げて実施したもの(JP紙,2日)。 |
DIA-209-1988-07-01-2 | インドネシア | 1988年07月01日 | 1980年代 | ベトナムのドアン・クェ人民軍参謀総長,トリ・ストリスノ国軍司令官を表敬訪問(JP紙,2日)。 |
DIA-209-1988-07-01-3 | インドネシア | 1988年07月01日 | 1980年代 | 東ヌサトゥンガラ州知事にヘンドリクス・ヘルナンデス前州議会議長が就任((JP紙,2日)。 |
DIA-209-1988-07-04-1 | インドネシア | 1988年07月04日 | 1980年代 | 第21回ASEAN外相会議開催(~5日)―タイのバンコクで開かれた会議で各国外相は,カンボジア4派およびベトナムがジャカルタ非公式会議を支持し,積極的に参加し,解決の努力をしていくよう,強く提案。またASEANとベトナムとの仲介役としてのインドネシアのモフタル前外相の役割を評価。アラタス外相は,「ジャカルタ非公式会議は会議であって協議の場ではない」と述べた(KP紙,6日など)。 |
DIA-209-1988-07-04-2 | インドネシア | 1988年07月04日 | 1980年代 | 韓国貿易ミッション来訪,フォーラムを開催―一行は韓国工業機械振興会(Kosami)の郭会長以下13名。4日のフォーラムで韓国側は掘削機械,繊維,自動車,鉄鋼,化学,事務機などの分野で専門的な技術移転を行ないたい意向を示し,合弁バー・トナー獲得に積極的な態度を見せた(JP紙,5日)。 |
DIA-209-1988-07-04-3 | インドネシア | 1988年07月04日 | 1980年代 | 規制緩和について―ラディウス経済調整相は各州知事に対して,各州の規制緩和と脱官僚化の実施状況について報告するよう求めた。また同調整相は「向こう5年間の経済面での最優先事項は規制緩和の継続と監視の強化である」と述べた(KP紙5日)。 |
DIA-209-1988-07-05-1 | インドネシア | 1988年07月05日 | 1980年代 | マレーシア国軍との人員交流計画―マレーシアのリタウディン国防相は訪問中のエディ・スドゥラジャト陸軍参謀長に対して,「両国軍間,とくに陸軍間の上級・下級軍人の相互訪問プログラムを一層進めるべきである」と述べた(JP紙,9日)。 |
DIA-209-1988-07-06-1 | インドネシア | 1988年07月06日 | 1980年代 | ASEAN拡大外相会議開催(~9日)(KP紙,8日)。 |
DIA-209-1988-07-06-2 | インドネシア | 1988年07月06日 | 1980年代 | 米軍機によるイラン民間機撃墜について―ムルダニ外相代理は,「非常に残念に思う。犠牲者の遣族に心からお悔やみを申し上げる」と述べた(KP紙,7日)。 |
DIA-209-1988-07-06-3 | インドネシア | 1988年07月06日 | 1980年代 | 繊維の輸出割当枠について―ハルモコ情報相は,1988年7月から繊維・同製品の輸出割当枠をこれまでの前年輸出実績の40%から同75%へ引き上げたことを明らかにした(KP紙,8日)。 |
DIA-209-1988-07-09-1 | インドネシア | 1988年07月09日 | 1980年代 | 米国のシュルツ国務長官来訪(~11日)―同国務長官は10日,ムルダニ国防治安相,トリ・ストリスノ国軍司令官らとゴルフを楽しんだ(KP紙,11日)。スハルト大統領との会談は11日に行なわれ,席上米国務長官は,(1)米国はクメール・ルージュの復活を拒否する,(2)新生カンポジアの指導体制にシアヌークは重要な役割を果たすと信じる,などと述べた。一方イ外務省において,米国との間で二重課税撤廃協定に調印(KP紙,12日)。 |
DIA-209-1988-07-11-1 | インドネシア | 1988年07月11日 | 1980年代 | シアヌークのCGDK大統領辞任について―アラタス外相は「理解できるし失望を感じてはいない」と述べ,シアヌークがスハルト大統領へ詑び状を送ってきたこと,その手紙のなかに「シアヌークが7月末にジャカルタを訪問すること」が書かれていたこと,を明らかにした(KP紙,12日)。 |
DIA-209-1988-07-12-1 | インドネシア | 1988年07月12日 | 1980年代 | 賞金付きスポーツ貢献くじ(KSOB)および賞金付き社会貢献証(TSSB)の資金吸い上げ額―スバディオ社会相によると,二つのくじの1988年資金吸い上げ予定額は9624億ルピア(KSOBが3744億ルピア,TSSBが5880億ルピア)で,これは87年販売実績の2212億ルピアの約4倍に当たる(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1988-07-13-1 | インドネシア | 1988年07月13日 | 1980年代 | スハルト大統領,サルウォ・エディ・ウィボウォDPR議員の辞職を了承(KP紙,14日)。 |
DIA-209-1988-07-23-1 | インドネシア | 1988年07月23日 | 1980年代 | シアヌーク前CGDK大統領,スハルト大統領の私客として来訪(~27日)―空港ではスパルジョ社会調整相が出迎え(KP紙,25日)。 |
DIA-209-1988-07-25-1 | インドネシア | 1988年07月25日 | 1980年代 | カンボジア問題解決のためのジャカルタ非公式会議開催(~29日)―ジャカルタ郊外のボゴール宮殿にて開催。カンボジア4派,ASEAN各国,ベトナム,ラナスの代表が初めて一堂に会した。25日にはフン・センPRK首相から7項目の提案がなされた。26日にはシンガポールのダナバラン外相,ソン・サン派のソン・サン代表からも提案があった。27日にはカンボジア4派代表がスハルト大統領を表敬訪問した後,シアヌーク前CGDK大統領とも会談した。シアヌーク前CGDK大統領は独自提案を行なった。会議のなかでの不一致点の主なものは,(1)ポル・ポト派復活阻止のために採られるべき措置について,(2)民族和解政府,国際監視の中身について,(3)カンボジア問題解決についての国際会議の場所と日程について,など。ベトナムのグエン・コ・タク外相は「具体的な項目で合意に至らなかったからといってこの会議が重要でないということはない。カンボジア問題解決について4派間で共通認識に到達したこと自体,意味を持っている」と述べた。会議は予定を1日延長して29日に終了した(KP紙,26~28日など)。 |
DIA-209-1988-07-28-1 | インドネシア | 1988年07月28日 | 1980年代 | ラタン輸出業者向け低利融資を検討―モイ中銀総裁は,7月1日のラタン半製品輸出禁止措置に続く措置として,ラタン製品輸出業者および生産者に対し,年利9%の低利の輸出クレジットを適用することを検討していることを明らかにした(KP紙,29日)。 |
DIA-209-1988-08-02-1 | インドネシア | 1988年08月02日 | 1980年代 | プルタミナ,日本向けLPGの初の積み出し―アチェ特別州アルンのブラン・ランチャン港から日本の堺港へ。これは1986年締結の10年契約によるもので,88年中に計8隻分の積み出しを予定(JP紙,3日)。 |
DIA-209-1988-08-04-1 | インドネシア | 1988年08月04日 | 1980年代 | ゴルカルのアチェ支部大会,支部長にアプドゥラー・ムダ前アチェ地方警察長官を選出(KP紙,5日)。 |
DIA-209-1988-08-04-2 | インドネシア | 1988年08月04日 | 1980年代 | 国軍指導者会議開催(~6日)―非45年世代による初めての指導者会議(KP紙,5日など)。 |
DIA-209-1988-08-05-1 | インドネシア | 1988年08月05日 | 1980年代 | プルタミナ,大阪ガスとLNGの追加売買契約に調印―プルタミナ筋は,大阪ガスとの間で5.5年間に145万㌧のLNG売買契約をすでに結んでいたことを明らかにした(KP紙,6日)。 |
DIA-209-1988-08-09-1 | インドネシア | 1988年08月09日 | 1980年代 | 最高諮問委員会(DPA)の執行部選出―パンガベアン前委員長が留任,副委員長には留任のマクムン・ムロドのほか,3人が新任(KP紙,11日)。 |
DIA-209-1988-08-09-2 | インドネシア | 1988年08月09日 | 1980年代 | 3冊の本を発禁処分―スドモ政治・治安担当調整相は,スカルトン最高検察庁長官との協議の結果,3日付けで,Pramoedya Ananta Toer著のGadis Pantaiなど3冊を発禁処分(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1988-08-10-1 | インドネシア | 1988年08月10日 | 1980年代 | 大蔵省新税務総局長にマリイ・ムハマド前同省国営企業局長が就任(JP紙,11日)。 |
DIA-209-1988-08-11-1 | インドネシア | 1988年08月11日 | 1980年代 | 韓国,西スマトラ州パダンの高速道路建設用に1300万㌦のソフト・ローン供与を予定―駐イ韓国大使によると,これは韓国経済開発協力基金(EDCF)が供与する初のソフト・ローン(JP紙,12日)。 |
DIA-209-1988-08-12-1 | インドネシア | 1988年08月12日 | 1980年代 | 国軍人事―第Ⅸ陸軍区司令官にシントン・パンジャイタン前バンドン陸軍歩兵装備センター司令官(陸軍少将)が就任(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1988-08-12-2 | インドネシア | 1988年08月12日 | 1980年代 | PDIのDPR議員11名とMPR議員4名を罷免―スフドMPR/DPR議長が確認。ダルヤントPDI書記長は,「議員資格に欠けるためMPR/DPR執行部に議員交代を申請した」と発言(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1988-08-13-1 | インドネシア | 1988年08月13日 | 1980年代 | 会計検査院(Bepeka)人事決まる―9日付け大統領布告220号により,ユスフ長官,マラトン副長官の留任,および5人の新委員が就任(KP紙,15日など)。 |
DIA-209-1988-08-13-2 | インドネシア | 1988年08月13日 | 1980年代 | イラン・イラク戦争停戦後の国連平和維持軍にインドネシアから軍人を派遣―ムルダニ国防治安相によると,陸軍戦略予備軍のスタルト中佐をはじめ15名を派遣。16日に出発,イラク領域内に駐留(KP紙,15日)。 |
DIA-209-1988-08-14-1 | インドネシア | 1988年08月14日 | 1980年代 | 東チモール訪問のため欧州議会代表団来訪(~20日)―一行は英,西独,仏,オランダから各1名ずつの議員4名で,西独の議員は社民党員(KP紙,15日)。 |
DIA-209-1988-08-16-1 | インドネシア | 1988年08月16日 | 1980年代 | 大統領独立記念日演説―スハルト大統領は第5次開発内閣の基本方針として,(1)国家開発の推進,(2)国家規律の向上,(3)パンチャシラの啓蒙,(4)積極的な外交政策の実施,(5)1992年総選挙の実施,を挙げた。また第5次五カ年計画の概要について,(1)年平均成長率目標5%,(2)人口増加率を現在の年2.1%から年1.9%へ,(3)1人当り国民生産を年平均3.1%ずつ上昇させる,(4)幼児死亡率を現在の62%から50%へ,(5)義務教育期間の延長(6年から9年へ),(6)債務返済比率を現在の35%から25%へ,などを明らかにした(KP紙,18日など)。 |
DIA-209-1988-08-18-1 | インドネシア | 1988年08月18日 | 1980年代 | パキスタンの故ジア大統領の葬儀に副大統領らを派遣―スハルト大統領は18日,ジア大統領の死に深く哀悼の意を表明(KP紙,19日)。また20日の葬儀出席のため,スダルモノ副大統領夫妻ら48人がパキスタンへ出発(KP紙,20日)。 |
DIA-209-1988-08-18-2 | インドネシア | 1988年08月18日 | 1980年代 | PT Astra Internasional,ベトナム政府と合弁企業設立か―香港発のAFP電によると,同社はホーチミン市にベトナム政府との合弁Indovina International Ltd(本社は香港)を設立(KP紙,19日)。しかしPT Astra Internasionalのアミヌディン渉外担当部長はこの報道を否定(JP紙,20日)。 |
DIA-209-1988-08-19-1 | インドネシア | 1988年08月19日 | 1980年代 | プルタミナ人事―新プルタミナ総裁にファイサル・アブダウ前プルタミナ財務担当理事が就任。ラムリ前総裁は駐米大使に転出(KP紙,20日)。 |
DIA-209-1988-08-20-1 | インドネシア | 1988年08月20日 | 1980年代 | 陸軍指導者会議開催(KP紙,22日)。 |
DIA-209-1988-08-22-1 | インドネシア | 1988年08月22日 | 1980年代 | アラタス外相,「ジャカルタ非公式会議で結成された作業部会の第1回会合を10月17日にジャカルタで開催する」と発表(KP紙,23日)。 |
DIA-209-1988-08-24-1 | インドネシア | 1988年08月24日 | 1980年代 | 中ジャワ州知事にイスマイル退役陸軍中将が再任(KP紙,25日)。 |
DIA-209-1988-08-24-2 | インドネシア | 1988年08月24日 | 1980年代 | ソシロ・スダルマン観光・郵政・通信相,オーストラリアを訪問(~28日)―ブリスベーンで開催される88年万国博のインドネシア・デー(25日)に参加のため(JP紙,25日など)。 |
DIA-209-1988-08-25-1 | インドネシア | 1988年08月25日 | 1980年代 | 大統領,10人の大使を任命―駐米大使にラムリ退役少将(前プルタミナ総裁)など(KP紙,26日)。 |
DIA-209-1988-08-26-1 | インドネシア | 1988年08月26日 | 1980年代 | 東ジャワ州知事にスラルソ前法務省出入国管理総局長(退役中将)が就任(KP紙,27日)。 |
DIA-209-1988-08-29-1 | インドネシア | 1988年08月29日 | 1980年代 | バリ州知事にイダ・バグス・オカ教授が就任(KP紙,30日)。 |
DIA-209-1988-08-30-1 | インドネシア | 1988年08月30日 | 1980年代 | 西ヌサトゥンガラ州知事にワルシト前第Ⅸ陸軍区参謀長(准将)が就任(KP紙,31日)。 |
DIA-209-1988-08-31-1 | インドネシア | 1988年08月31日 | 1980年代 | 政府,石油部門の規制緩和で,政府/プルタミナと外国コントラクターとの間の契約条件を変更―ギナンジャール鉱業・エネルギー相は,開発を止めれば2001年に,また現在の開発ペースでは2012年にインドネシアが石油輸入国になると認識。外国コントラクターとの契約10条件のうち6条件を変更(KP紙,9月1日)。 |
DIA-209-1988-09-02-1 | インドネシア | 1988年09月02日 | 1980年代 | ゴルカル支部長選出―南スマトラ州支部大会はハタ・ムスタファ,ジョグジャカルタ特別州支部大会はハメンクブオノ9世の長男マンクブミ,マルク州支部大会はカロロスをそれぞれ支部長に選出(KP紙,2日)。 |
DIA-209-1988-09-03-1 | インドネシア | 1988年09月03日 | 1980年代 | 第9回イ・豪大陸棚協議ジャカルタで開催(~4日)―両国政府に対し,チモール海域に「協力地帯」を設けるよう提案することで同意(KP紙,5日)。 |
DIA-209-1988-09-04-1 | インドネシア | 1988年09月04日 | 1980年代 | ゴルカル支部長選出―ジャカルタ首都特別州支部大会は現副知事のバソフィ・スディルマン准将を支部長に選出(KP紙,5日)。 |
DIA-209-1988-09-05-1 | インドネシア | 1988年09月05日 | 1980年代 | 治安秩序回復司令部(Kopkamtib),国家安定強化支援調整庁(Bakorstanas)へ組織替え―5日付け大統領布告29号により治安秩序回復司令部を廃止し,「国家安定の回復・維持のために省庁・機関間の調整を行なう」国家安定強化支援調整庁を新設。ムルダニ国防治安相のKopkamtib司令官兼務を解き,新機関初代長官にトリ・ストリスノ国軍司令官が就任(KP紙,7日)。 |
DIA-209-1988-09-06-1 | インドネシア | 1988年09月06日 | 1980年代 | スダルモノ副大読領,ゴルカル総裁再選に意欲―スダルモノ副大統領は,「副大統領がゴルカル総裁に選出されることは禁止されていない」と述べ,10月のゴルカル総裁再選に強い意欲を示した(KP紙,7日)。 |
DIA-209-1988-09-07-1 | インドネシア | 1988年09月07日 | 1980年代 | ゴルカル支部長選出―東カリマンタン州支部大会はスカエディ退役陸軍大佐,ランポン州支部大会はストモ退役陸軍大佐(再選),北スマトラ州支部大会はムディオノ陸軍大佐を,それぞれ選出(KP紙,7日)。 |
DIA-209-1988-09-07-2 | インドネシア | 1988年09月07日 | 1980年代 | 合板製造業への新規参入を制限―ハルモコ情報相は「供給過剰状態への対応と森林資源保護のため,合板製造業への新会社の参入を今後許可しないことを政府が決定した」ことを明らかにした(JP紙,8日)。 |
DIA-209-1988-09-09-1 | インドネシア | 1988年09月09日 | 1980年代 | 豪のベアズレー国防相,インドネシアを非公式訪問―同国防相はムルダニ国防治安相との会談後記者会見し,「豪イ関係は冷静かつ暖かなものであり,現状のままでよい」と発言(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1988-09-09-2 | インドネシア | 1988年09月09日 | 1980年代 | ポルトガル,チモール海域でのイ豪共同の石油開発計画を批判―ポルトガルはこの計画が重大な国際法違反である,との見解を示した(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1988-09-10-1 | インドネシア | 1988年09月10日 | 1980年代 | ゴルカル支部長選出―中ジャワ州支部大会はスパルト同州副知事を支部長に選出(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1988-09-10-2 | インドネシア | 1988年09月10日 | 1980年代 | 米国へ投資誘致ミッションを派遣一行はサニョトBKPM長官を団長とする20名。アトランタ,ジョージア,ボストンなどを訪問(JP紙,12日)。 |
DIA-209-1988-09-11-1 | インドネシア | 1988年09月11日 | 1980年代 | 1989年の第9回非同盟諸国首脳会議開催国はユーゴスラビアに―キプロスのニコシアで開催されていた非同盟諸国閣僚会議において,首脳会議開催国として立候補したインドネシアはもう一つの立候補国ニカラグアとの調整がつかず,そろって立候補を辞退。代わってユーゴスラビアが開催国に決定(KP紙,12日)。アラタス外相は帰国後,インドネシアが92年の第10回同会議開催国に立候補する意向を示した(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1988-09-12-1 | インドネシア | 1988年09月12日 | 1980年代 | 南スマトラ州知事にバスリ陸軍准将(前駐イラン大使館駐在武官)が就任(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1988-09-12-2 | インドネシア | 1988年09月12日 | 1980年代 | バリ島ヌサ・ドゥアにイ・日合弁のホテルを建設―国際会議場を隣接させるヌサ・インダ・ホテル建設のための投資額は7500万㌦で,1990年末か91年初めに完成予定。日本側の出資者は日本興業銀行を代表に,トーメンなど(JP紙,13日)。 |
DIA-209-1988-09-14-1 | インドネシア | 1988年09月14日 | 1980年代 | ゴルカル支部長選出―西ジャワ州支部大会はアグス・ムヒディン陸軍大佐(現西ジャワ州議会国軍会派代表副議長)を支部長に選出(KP紙,15日)。 |
DIA-209-1988-09-16-1 | インドネシア | 1988年09月16日 | 1980年代 | ハビビ国務相,カナダを訪問(~21日)―科学技術振興に関する意見交換のため(JP紙,17日)。 |
DIA-209-1988-09-19-1 | インドネシア | 1988年09月19日 | 1980年代 | 木材チップ,低級製材品の輸出を禁止―シレガル商業相は,9月19日付け商業相布告292号により,9月20日から木材チップ,低級製材品の輸出を禁止する。と発表した(KP紙,20日)。 |
DIA-209-1988-09-21-1 | インドネシア | 1988年09月21日 | 1980年代 | ゴルカル支部長選出―西スマトラ州大会は,パダン教育大学学長ジャミル・バカルを,南スラウェシ州支部大会は,アリム・バクリ退役大佐をそれぞれ支部長に選出(KP紙,21日)。 |
DIA-209-1988-09-22-1 | インドネシア | 1988年09月22日 | 1980年代 | スハルト大統領,ブルネイのスルタンから1等勲章(Darjah Kerabat Makhota Brunei)を授かる―同勲章を授かった国家元首としては初(JP紙,22日)。 |
DIA-209-1988-09-23-1 | インドネシア | 1988年09月23日 | 1980年代 | イ豪関係について―豪のエバンス外相は記者会見のなかで,「豪にとって最優先されるのは南太平洋諸国との関係だ」と述べた(KP紙,28日)。 |
DIA-209-1988-09-27-1 | インドネシア | 1988年09月27日 | 1980年代 | スマルリン蔵相,IMF・世銀会議に出席―同蔵相は,通貨調整による債務負担の増大した発展途上国保護のため新返済モデルの必要を主張(KP紙,29日)。 |
DIA-209-1988-09-27-2 | インドネシア | 1988年09月27日 | 1980年代 | 旧PKI関係者の摘発―情報省のラフマト・アフィフ監査長官によると,4月1日から8月末までに37人の,情報省職員が旧PKIの関係者として摘発され,同時に14人が「まだ共産主義と関わりがないという身の潔白を行なっていない」として摘発された(KP紙,30日)。 |
DIA-209-1988-09-30-1 | インドネシア | 1988年09月30日 | 1980年代 | 西独のコール首相来訪(~10月3日)―ハリム空港ではハビビ国務相が出迎え。同首相は,同日すぐにジョグジャカルタおよびボロブドゥール遺跡へ向かい,10月1日にはバンドンの国営航空機製造会社PT IPTNを訪問した後ジャカルタへ戻り,スハルト大統領,スダルモノ副大統領と会談。その後バリ経由で次の訪問国オーストラリアへ(KP紙,10月1日)。 |
DIA-209-1988-10-02-1 | インドネシア | 1988年10月02日 | 1980年代 | 元副大統領のジョグジャカルタ特別州知事スリ・スルタン・ハメンクブオノ9世,米国のジョージ・ワシントン大学病院にて急死(KP紙,4日)。 |
DIA-209-1988-10-05-1 | インドネシア | 1988年10月05日 | 1980年代 | 第43回国軍記念日式典―式典の席上,スハルト大統領は現在に至る国軍の役割を評価,パンチャシラの堅持などを説き,過去から学ぶ必要を強調。質素な内容で,式典は約1時間余で終了(KP紙,6日)。 |
DIA-209-1988-10-05-2 | インドネシア | 1988年10月05日 | 1980年代 | 『ムルデカ』紙に厳重警告―情報省は9月30日付け『ムルデカ』紙に対し,同紙社説の記述が「9月30日運動を記念する」という意味にとられやすい表現だ,などとして厳重に警告(KP紙,6日)。 |
DIA-209-1988-10-05-3 | インドネシア | 1988年10月05日 | 1980年代 | 日本向けLNGの追加販売契約調印―プルタミナは日本の東邦ガスとの間で,9.5年間にわたり80万㌧のLNG追加販売契約を結んだと発表(JP紙,6日)。 |
DIA-209-1988-10-06-1 | インドネシア | 1988年10月06日 | 1980年代 | 肥料価格の引き上げと農薬向け補助金の削減―政府は,10月6日より尿素肥料価格をキロ当り135ルピアから165ルピアへ,などの肥料価格引き上げ,および国内販売用農薬向け補助金比率の小売価格比55%から40%への引き下げを実施(KP紙,7日)。 |
DIA-209-1988-10-09-1 | インドネシア | 1988年10月09日 | 1980年代 | イラクから原油輸入―ギナンジャール鉱業・エネルギー相は「来訪中のイラクのシャラビ石油相との会談の結果,カウンター・トレード契約でイラクと3万b/dの原油の買付契約を結ぶ」と述べた(JP紙,11日)。 |
DIA-209-1988-10-11-1 | インドネシア | 1988年10月11日 | 1980年代 | 『テンポ』誌に厳重警告―情報省は『テンポ』 誌に対し,「10月8日発売号に旧PKI傘下の組織会員からの投書を掲載した」として厳重警告(KP紙,12日)。 |
DIA-209-1988-10-12-1 | インドネシア | 1988年10月12日 | 1980年代 | イリアンジャヤ沖での英国青年死亡事件について―スハルト大統領は国連総会から帰国したアラタス外相に対し,同事件の真相究明を指示(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1988-10-17-1 | インドネシア | 1988年10月17日 | 1980年代 | 第1回ジャカルタ非公式会議作業委員会,ジャカルタで開催(~19日)―同作業委員会にはクメール・ルージュの代表は参加せず。期待された成果はほとんどなく,1989年1月第2週に第2回ジャカルタ非公式会議を開くことを決定したに留まった(KP紙,18日など)。 |
DIA-209-1988-10-17-2 | インドネシア | 1988年10月17日 | 1980年代 | 第20回ASEAN経済閣僚会議,タイのパタヤで開催(~18日)―インドネシアからはラディウス経済調整相を団長に,ハルタルト工業相,シレガル商業相はじめ総局長クラス数人が参加(KP紙,18日など)。 |
DIA-209-1988-10-17-3 | インドネシア | 1988年10月17日 | 1980年代 | 旧PKIシンパの摘発―スマトラ北部地域治安秩序回復司令部司令官のアフマド・スジャイ中佐によると,ゴルカル西スマトラ州パヤクンブ市前支部長が旧PKIシンパであったことが9月3日に判明(KP紙,18日)。 |
DIA-209-1988-10-18-1 | インドネシア | 1988年10月18日 | 1980年代 | ゴルカル総裁選への出馬について―スダルモノ副大統領兼ゴルカル総裁は,「副大統領職とゴルカル総裁との兼務は重労働なの臨副大統領職に専念したい」と述べ,事実上総裁選への出馬を辞退。同時に「旧PKI傘下の青年組織に所属していた」との噂を全面的に否定した。一方ワホノ開発査察長官はKP紙の質問に「総裁選出の覚悟はできている」と答えた(KP紙,19日)。 |
DIA-209-1988-10-18-2 | インドネシア | 1988年10月18日 | 1980年代 | 7人の求職者死亡―東ジャワ州事務所の公務員募集で,殺到した群衆のなかの7人が死亡(JP紙19日)。 |
DIA-209-1988-10-20-1 | インドネシア | 1988年10月20日 | 1980年代 | 第4回ゴルカル全国大会開催(~25日)―スハルト大統領は開会のあいさつのなかで,「自由競争に基づく自由主義もナサコム体制もいずれも国民を開発の実現へ向かわせ得るものではない」と述べるとともに,共産主義への警戒を呼びかけた。同大会では,執行部役員の資格などに関する新規約の採択を行なった後,25日,新総裁にワホノ開発査察長官,新幹事長にラフマト・ウィトラーら中央執行部を選出して閉会した(KP紙,21~26日。新執行部については「参考資料」を参照)。 |
DIA-209-1988-10-20-2 | インドネシア | 1988年10月20日 | 1980年代 | タイのチャーチャーイ首相来訪(~22日)―同首相が8月に就任して以来初の公式訪問。21日にはスハルト大統領と会談。同首相のほか,シッティ外相,チャワリット国軍最高司令官代行らも同行(KP紙,21日など)。 |
DIA-209-1988-10-21-1 | インドネシア | 1988年10月21日 | 1980年代 | 旧PKIシンパの摘発―スマトラ南部治安秩序回復司令部司令官のサタル・ジャエラニ中佐によると,ゴルカル南スマトラ州支部執行部役員アフマドがかつてPKIのシンパであったことが判明(KP紙,22日)。 |
DIA-209-1988-10-22-1 | インドネシア | 1988年10月22日 | 1980年代 | 豪のエバンス外相来訪(~25日)―同外相は25日,スハルト大統領を表敬。同外相からのオーストラリア訪問要請に対してスハルト大統領は,「時期を見計らってから」と慎重な態度を示した(KP紙,26日)。 |
DIA-209-1988-10-27-1 | インドネシア | 1988年10月27日 | 1980年代 | 規制綬和を目的とした10月27日付け政策パッケージ発表―金融,財政,銀行関係の規制緩和を狙った措置で,49の諸規程からなる。おもな内容は,(1)銀行および非銀行金融機関の設立および活動条件の緩和,(2)外国銀行の支店設立および活動条件の緩和と外銀との合弁での銀行設立の認可,(3)国立銀行の資金調達源としとの民間銀行の認可,(4)資本市場育成のための措置として銀行預金利子への一律15%課税の実施(11月14日から),など(KP紙,28日。詳細は「参考資料」を参照)。 |
DIA-209-1988-10-29-1 | インドネシア | 1988年10月29日 | 1980年代 | オランダのルベルス首相来訪(~11月5日)―公式訪問開始の2日前にジャカルタに到着(KP紙,30日)。31日にはスハルト大統領を表敬訪問。席上同大統領は,1992年に形成されるヨーロッパ統一市場が閉鎖的なものとならないよう求めた。一方ルベルス首相から質問された「2人の旧PKI党員の処刑」という問題について,スハルト大統領はその事実を確認し,処刑がこの時期になされた理由として「改心の機会を与えてきたがそれを拒絶したため」と答えた(KP紙,11月1日)。 |
DIA-209-1988-11-01-1 | インドネシア | 1988年11月01日 | 1980年代 | 東チモールでボーイスカウト全国大会開催(~8日)―開会式にはスハルト大統領夫妻が出席。2日にはイマクラタ・コンセプティオ大聖堂ほか5件のプロジェクトの開所式に出席(KP紙,3日)。 |
DIA-209-1988-11-04-1 | インドネシア | 1988年11月04日 | 1980年代 | 国軍について―スハルト大統領は,「1966年当時のスカルノ大統領失脚は憲法の規定に沿ったもので,国軍のクーデターではない。国軍はいままでにクーデターを起こしたことはない」と述べた(KP紙,6日)。 |
DIA-209-1988-11-04-2 | インドネシア | 1988年11月04日 | 1980年代 | NGO3団体,イリアンジャヤのパルプ工場建設に反対―4日付けJawa Post紙によると,インドネシア環境フォーラム(Walhi)ら3団体は,環境破壊と社会構造変化を引き起こすとして,PT Astra Scott Sellulosaの建設計画の白紙撤回を求めた(JP紙,5日)。 |
DIA-209-1988-11-05-1 | インドネシア | 1988年11月05日 | 1980年代 | 中銀,2民間銀行の手形交換を禁止―モイ中銀総裁によると,この措置は2民間銀行の経営が改善されるまでの一時的措置(KP紙,7日)。 |
DIA-209-1988-11-06-1 | インドネシア | 1988年11月06日 | 1980年代 | PNGのソマレ外相(前首相)来訪―7~9日にメダンで開催されるイ・PNG国境委員会参加のため。また11日ソマレ外相は,イ側が提案した国境警備隊の設立について,「自由パプア運動(OPM)の問題はインドネシア側の問題である」として提案を退けた(JP紙,12日)。7日から第7回イ・PNG国境委員会では,89年1月にPNGがジャヤプラに,同年4月にインドネシアがPNGのバニモに,それぞれ領事館を開設すること,などで合意(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1988-11-08-1 | インドネシア | 1988年11月08日 | 1980年代 | 88/89年度上半期財政実績―同期の収入実績は予算比43.8%の12兆6978億ルピア,内訳は石油ガス収入が4兆4350億ルピア,非石油ガス収入が8兆2628億ルピア。税収では所得税収入が予算比36%・前年同期比18.6%増,付加価値税収入が予算比38.5%・前年同期比17.8%増。一方同期の支出実績は予算比43.8%の12兆6947億ルピア(KP紙,8日)。 |
DIA-209-1988-11-09-1 | インドネシア | 1988年11月09日 | 1980年代 | 韓国の盧大統領夫妻来訪(~12日)行は126名。盧大統領は9・10日,スハルト大統領と二国間問題,世界経済における保護主義台頭の問題などについて会談し,両国外相を長とする共同委員会の設立,二重関税の不採用などに同意した(KP紙,11日など)。 |
DIA-209-1988-11-10-1 | インドネシア | 1988年11月10日 | 1980年代 | Bakorstanas,事務局を設立して活動を開始―トリ・ストリスノBakorstanas長官によると,同事務局は機能上国軍参謀本部敷地に所在する活動ユニットとなる。事務局長にはスディブヨ・ラハルジョ国軍参謀本部国防機能担当参謀が就任(KP紙,11日)。 |
DIA-209-1988-11-11-1 | インドネシア | 1988年11月11日 | 1980年代 | 関係閣僚,PT Inti Indorayon Utamaを視察―北スマトラ州北タパヌリ県のパルプ工場である同社の森林伐採などの環境破壊をめぐる周辺住民との対立について,スドモ政治治安調整相は,「問題は政治問題となっている。国家安定を脅かす可能性があり,穏便かつ早急に解決しなければならない」と述べた(KP紙,14日)。 |
DIA-209-1988-11-12-1 | インドネシア | 1988年11月12日 | 1980年代 | 12人の豪ジャーナリスト,東チモール訪問(~14日)―12人はカラスカラナ東チモール州知事と会談。会談で同知事は,これまで東チモールに対するインドネシアの立場を批判してきた豪ジャーナリズムの態度を非難,一方豪ジャーナリストたちは,併合後13年間の発展による変化を認めた(KP紙,日13など)。 |
DIA-209-1988-11-13-1 | インドネシア | 1988年11月13日 | 1980年代 | 豪のグラティオン防衛軍参謀長(国軍司令官相当)来訪(~19日)―同参謀長は14日のスハルト大統領との会談で,「オーストラリアはインドネシアを脅威とは考えていない」ことを強調(KP紙,15日)。 |
DIA-209-1988-11-14-1 | インドネシア | 1988年11月14日 | 1980年代 | ゴルカル内部の「身辺浄化」について―ゴルカルのワホノ総裁は,「ゴルカル内部の旧PKI残党分子を摘発することはゴルカル指導部の責務であり,その際軍に協力を要請できる」と述べた(KP紙,15日)。 |
DIA-209-1988-11-15-1 | インドネシア | 1988年11月15日 | 1980年代 | 「豚脂肪混入騒動」報道で3紙を調査―スドモ政治・治安調整相はPelitaなど3紙について,「原データを誤って報道した可能性がある」として最高検察庁に調査を命じたことを明らかにした(KP紙,16日)。 |
DIA-209-1988-11-19-1 | インドネシア | 1988年11月19日 | 1980年代 | 高速道路開通および石油化学工場開所―ジャカルタ=チカンペク間の高速道路開通式,11の石油化学工場の開所式にスハルト大統領が出席(KP紙,20日)。 |
DIA-209-1988-11-21-1 | インドネシア | 1988年11月21日 | 1980年代 | 11月21日政策パッケージ発表―同政策パッケージは政府規則3件,大統領布告1件,運輸相・商業相共同布告1件,商業相布告7件,蔵相布告2件,運輸相布告4件の計18件から成る。おもな内容は,(1)海運業に関する規制緩和,(2)プラスチック原料の輸入独占撤廃,(3)生産活動を行なう外資系合弁企業の卸売部門での製品販売認可(KP紙,22日。詳細は「参考資料」を参照)。 |
DIA-209-1988-11-21-2 | インドネシア | 1988年11月21日 | 1980年代 | スポーツくじの改廃―ハルヤティ社会相は,賞金付きスポーツ貢献くじ(KSOB)と賞金付き社会貢献証(TSSB)を89年1月1日をもって廃止し,代わりに賞金付き社会慈善寄付(SDSB)を創設することを明らかにした(KP紙,22日)。 |
DIA-209-1988-11-22-1 | インドネシア | 1988年11月22日 | 1980年代 | ゴルカル中央執行部委員の1人が辞任―ゴルカルのラフマト・ウィトラー幹事長は,10月のゴルカル全国大会で選出された中央執行部委員サルトヨの辞表を18日に受け取ったことを明らかにした(KP紙,23日)。 |
DIA-209-1988-11-28-1 | インドネシア | 1988年11月28日 | 1980年代 | 第18回インドネシア・ジャーナリスト連合(PWI大会,東カリマンタン州サマリンダで開催(~12月1日)―スハルト大統領が開会を宣言。大会では,『ブリタ・ユダ』紙代表のスゲン・ウィジャヤ退役陸軍准将を新会長に選出(KP紙,29日など)。 |
DIA-209-1988-12-01-1 | インドネシア | 1988年12月01日 | 1980年代 | 農薬向け補助金を89年から廃止―ラディウス経済担当調整相は,89年1月1日より農薬向けの補助金を廃止する,と発表(KP紙,2日)。 |
DIA-209-1988-12-02-1 | インドネシア | 1988年12月02日 | 1980年代 | OPEC総会について―ギナンジャール鉱業・エネルギー相は,OPEC加盟国の総生産量1850万b/d,石油価格18㌦/bへの回復を目指すというOPEC総会の合意について,「今後の石油価格上昇が可能になった」と評価,16㌦/bで組んだ88/89年度予算の達成に楽観的な見方を示した(KP紙,3日)。 |
DIA-209-1988-12-03-1 | インドネシア | 1988年12月03日 | 1980年代 | スハルト大統領に金メダル―同大統領は贈呈式で,米国の人口研究所ワーネス所長から,人口抑制に功績があったとして「グローバル・メディア賞」とともに金メダルを贈られた(KP紙,4日)。 |
DIA-209-1988-12-05-1 | インドネシア | 1988年12月05日 | 1980年代 | 西ジャワに国家原子力庁放射性廃棄物処理施設開所―西ジャワ州スルポンの科学技術開発センターに開所。開所式に出席したスハルト大統領は,量に限界のある石油に代わるエネルギー資源としての原子力の必要性を強調した(KP紙,6日)。 |
DIA-209-1988-12-05-2 | インドネシア | 1988年12月05日 | 1980年代 | PDIの13人のMPR/DPR議員,罷免―11月29日付け大統領布告322号により,PDI会派所属の2人の新MPR議員と11人の新MPR/DPR議員が解職となった(KP紙,6日)。 |
DIA-209-1988-12-05-3 | インドネシア | 1988年12月05日 | 1980年代 | インドのナトワル・シン対外問題担当国務相来訪―6日にはアラタス外相と会談,カンボジア問題について意見を交換(JP紙,7日)。 |
DIA-209-1988-12-06-1 | インドネシア | 1988年12月06日 | 1980年代 | ベトナムのチャン・ホアン情報相来訪(~12日)―8日にはスハルト大統領を表敬訪問。10日にはハルモコ情報相との間で覚え書きが交され,両国の情報・コミュニケーションの面での協力強化を図っていくことで同意(KP紙,14日など)。 |
DIA-209-1988-12-08-1 | インドネシア | 1988年12月08日 | 1980年代 | 「身辺浄化」の基準について―トリ・ストリスノ国軍司令官は,「身辺浄化」について「明確な定義・基準はなく,問題が出てくればケース・バイ・ケースで対応しなければならない」と述べた(KP紙,9日)。 |
DIA-209-1988-12-12-1 | インドネシア | 1988年12月12日 | 1980年代 | プルタミナ,石油精製施設2基を建設予定―プルタミナのアブダウ総裁によると,向こう5年間のプルタミナの計画のなかで2基の石油精製施設を建設予定(JP紙,13日)。 |
DIA-209-1988-12-14-1 | インドネシア | 1988年12月14日 | 1980年代 | 12人の新MPR/DPR議員と5人の新MPR議員任命―このなかには先に罷免されたPDIの11人のMPR/DPR議員の後任,国軍会派のイブラヒム・サレー陸軍准将の後任のアツィム・ザヒム陸軍大佐などが含まれている(KP紙,15日)。 |
DIA-209-1988-12-15-1 | インドネシア | 1988年12月15日 | 1980年代 | KADIN全国大会開催(~17日)―ジャカルタのホテル・ホリゾンで開催。スダルモノ副大統領が開会宣言。大会では,1987年1月のKADIN法成立を受けて国営企業や協同組合の代表も参加。注目の会頭選挙では民間企業の推すプロボステジョ前副会頭と国営企業・協同組合の推すソティナン・アルジャンギ前工業省軽工業総局長の争いとなったが,結局ソティオン氏を会頭に選出(KP紙,18日など)。 |
DIA-209-1988-12-19-1 | インドネシア | 1988年12月19日 | 1980年代 | ムルダニ陸軍大将(国防治安相),退役へ―1987年10月以来退役年齢(55歳)を1年以上延長されてきた56歳のムルダニ陸軍大将は,他の将校たち11人とともに現役を引退し,退役生活へ(KP紙,20日)。 |
DIA-209-1988-12-20-1 | インドネシア | 1988年12月20日 | 1980年代 | 12月20日付け政策パッケージ発表―資金調達多角化,資本市場の発展を目的。おもな内容は,(1)ジャカルタ以外にメダン,スラバヤに民間株式市場の開設を認可,(2)リース,ベンチャー・キャピタル,クレジット。カード,消費者金融などの会社設立認可,(3)損害保険,生命保険などの会社設立を認可,など(KP紙,21日。詳細は「参考資料」を参照)。 |
DIA-209-1988-12-23-1 | インドネシア | 1988年12月23日 | 1980年代 | ガルーダ・インドネシア,ベトナムのホーチミン市と合弁で航空会社設立予定か―ホーチミン市のグエン・コン・アイ副市長は,ベトナム国営のエアー・ベトナムと競争可能な民間航空会社を作るため,ベトナム政府に対して設立許可を要請(UPI/JP紙,23日)。一方ガルーダ・インドネシア筋は26日,この報道を全面的に否定(JP紙,27日)。 |
DIA-209-1988-12-24-1 | インドネシア | 1988年12月24日 | 1980年代 | 日本向け石油輸出価格値上げ―ギナンジャール鉱業・エネルギー相は,89年1月の日本向けミナス原油の輸出価格を88年12月の12.5㌦/bから20%引き上げて15㌦/bとすると発表した(KP紙,26日)。 |
DIA-209-1988-12-27-1 | インドネシア | 1988年12月27日 | 1980年代 | SDSBの実施見直しを求めてガジャマダ大学講師および同大学学生代表5人,ジョグジャカルタ特別州政府に押しかける(KP紙,28日。11月21日も参照)。 |
DIA-209-1988-12-28-1 | インドネシア | 1988年12月28日 | 1980年代 | リオウ州知事にスリプト陸軍少将(DPR国軍会派代表)が就任(KP紙,29日)。 |
DIA-209-1988-12-30-1 | インドネシア | 1988年12月30日 | 1980年代 | 自然保護団体,政府を告訴―インドネシア環境フォーラム(Walhi)は,北スマトラ州のPT Inti Indorayon Utamaをめぐって環境問題が生じていることに鑑み,「政府が北スマトラ州の同社に対して,必要な環境調査を行なわずに操業許可を与えた」として,インドネシア法律援助協会(YLBHI)を通じて,政府とPT Inti Indorayon Utamaを告訴した,と発表(JP紙,31日)。 |
DIA-209-1989-01-01-1 | インドネシア | 1989年01月01日 | 1980年代 | 東チモール州開放―政府は東チモール州に対して,住民の往来の自由の認可,他州と同じ行政権の付与,住民移動を統括していた治安当局による特別委員会の廃止,などの措置を講じた(『朝日』1日)。 |
DIA-209-1989-01-02-1 | インドネシア | 1989年01月02日 | 1980年代 | スハルト大統領,5期目限りの引退を示唆―自伝のなかで,スハルト大統領は「88年の大統領任命は私にとって最後のものとなろう。93年の任期終了まで務めると私は72歳になる。インドネシア人の平均寿命56歳からするとそれはかなりの歳だ」と述べ,今期限りで引退する意向を示した(JP紙,2日など。→4/1)。 |
DIA-209-1989-01-06-1 | インドネシア | 1989年01月06日 | 1980年代 | 89/90年度予算案発表―予算総額は前年度比26.3%増の36兆5749億ルピア,特に開発予算の伸びの大きい久々の積極型予算。歳入面では,経常歳入が同15.8%増の25兆2498億ルピア,うち非石油ガス収入が同34%増の17兆3501億ルピアに対して,石油ガス収入は同10.8%減の7兆8997億ルピア。開発歳入は同58.2%増の11兆3251億ルピアと大幅増加。一方歳出面では,経常歳出が同16.8%増の23兆4450億ルピア,うち人件費が4年ぶりの公務員・軍人給与引き上げなどで同23.9%増。債務返済向け支出は同14.9%増の12兆2368億ルピアで,経常歳出に占める比率は前年度予算の53%から52.2%へとわずかに減少(KP紙,8日)。 |
DIA-209-1989-01-07-1 | インドネシア | 1989年01月07日 | 1980年代 | 政府,スハルト大統領が日本の昭和天皇の大喪の礼へ参列する,と発表(『日経』8日)。 |
DIA-209-1989-01-07-2 | インドネシア | 1989年01月07日 | 1980年代 | アラタス外相,シアヌーク氏と会談―パリで開催中の化学兵器使用問題に関する国際会議に出席した外相,会期中にシアヌーク氏のパリの自宅で会談。席上外相はシアヌーク氏に対し,2月18日から開催予定の第2回ジャカルタ非公式会議にスハルト大統領が同氏を招待する旨を伝えた。シアヌーク氏は招待に感謝したものの,「ラナリット王子がシアヌーク派の代表である」として同会議には出席しない意向を示した(KP紙,12日)。 |
DIA-209-1989-01-09-1 | インドネシア | 1989年01月09日 | 1980年代 | ベトナムのASEAN加盟要請について―スハルト大統領は,「バンドン平和五原則の精神に基づき,インドネシアはベトナムのASEAN加盟は支障ないと考える」と述べた(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1989-01-12-1 | インドネシア | 1989年01月12日 | 1980年代 | ルディニ内相,高級住宅および非生産的と評価された土地に対する「特別土地・建物税」の準備を内務省官僚に指示(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1989-01-13-1 | インドネシア | 1989年01月13日 | 1980年代 | 北スマトラ州インド・レーヨン・ウタマ社による環境破壊問題に関する政府報告書発表―事実上工場の操業を追認する結果を示した(KP紙,14日)。 |
DIA-209-1989-01-15-1 | インドネシア | 1989年01月15日 | 1980年代 | 付加価値税課税範囲拡大および奢侈品販売税税率引き上げを実施―88年12月13日付け大統領布告56号,および88年12月27日付け政府規則28号・29号に基づく措置。付加価値税(税率10%)の新たな課税範囲に含まれたのは国内航空運賃,通信サービス。また奢侈品販売税の税率が引き上げられた(従来の10・20%を10・20・30%へ)のはアルコール飲料,乗用車,公共交通用以外の軽自動車など。1月15日から実施(KP紙,9日)。 |
DIA-209-1989-01-17-1 | インドネシア | 1989年01月17日 | 1980年代 | カンボジア問題。フランス,キプロス,タイ歴訪から帰国したアラタス外相は,カンボジア問題は89年中に解決される,との見通しを示した(KP紙,18日)。 |
DIA-209-1989-01-18-1 | インドネシア | 1989年01月18日 | 1980年代 | 韓国・三星グループの李会長,スハルト大統領と会談―同会長によると,同グループはアグロビジネス(PT Astra Internationalと合弁)や化学調味料など,合わせて6000万㌦の直接投資を計画(KP紙,20日)。 |
DIA-209-1989-01-18-2 | インドネシア | 1989年01月18日 | 1980年代 | ブルネイへ自動車輸出―Indo Mobilグループは,自社生産のスズキ自動車製SJ401型サンタナ60台を1台6000㌦の廉価でブルネイへ輸出した(KP紙,19日)。 |
DIA-209-1989-01-19-1 | インドネシア | 1989年01月19日 | 1980年代 | タイのチャーチャーイ首相来訪(~20日)―マレーシアを訪問後の非公式訪問。19日夜のスハルト大統領との会談では,2月の第2回ジャカルタ非公式会議実現のための諸点について両者が合意(KP紙,20日)。 |
DIA-209-1989-01-19-2 | インドネシア | 1989年01月19日 | 1980年代 | 前駐タンザニア大使の密輸発覚―タンザニア外務省は,大使夫妻が1月10日に184体の象牙細工等大量の密輸容疑で拘束された,と発表(KP紙,20日)。 |
DIA-209-1989-01-20-1 | インドネシア | 1989年01月20日 | 1980年代 | 原油価格,公式価格水準へ復帰―プルタミナは日本の石油各社に対して,ミナス原油の2月引き渡し価格を前月の1バレル当り15㌦から公式価格の同17.56㌦へ引き上げると通告した(『朝日』21日)。またその他の原油についても同様の値上げを通告(『日経』24日)。 |
DIA-209-1989-01-21-1 | インドネシア | 1989年01月21日 | 1980年代 | ブルネイのバンダル・スリ・ブガワンでASEAN外相会議開催―2月の第2回ジャカルタ非公式会議準備のためのもの。会議では,(1)カンボジア問題解決を探る国際会議に先立ち米・中・ソ・日などアジア太平洋地域の大国を含めた何らかの会議を開催する必要がある,(2)これによって第2回ジャカルタ非公式会議の成果が国際会議に出される以前にこれら大国から信任される,との認識が示された(KP紙,22日)。 |
DIA-209-1989-01-23-1 | インドネシア | 1989年01月23日 | 1980年代 | 東チモールのカトリック司教,政府見解を批判―23日付けHerald Tribuneによると,ベロ神父は,(1)「人権侵害はない」という主張はまやかしである,(2)政府によりいまだ拘束されている者もいる,(3)取り調べや尋問ではひどい暴行が加えられている,などと述べた。 |
DIA-209-1989-02-03-1 | インドネシア | 1989年02月03日 | 1980年代 | 対中国国交正常化について―スハルト大統領はアラタス外相に対し,(1)イ中関係の正常化の実現時期,(2)正常化実現の過程で想定される危険性,について検討するよう指示した(KP紙,4日)。 |
DIA-209-1989-02-03-2 | インドネシア | 1989年02月03日 | 1980年代 | 10の港湾建設で国家に損害―アズワル・アナス運輸相によると,会計検査院の調査の結果,アチェ特別州,東ヌサトゥンガラ州,西カリマンタン州,南カリマンタン州,リオウ州,中ジャワ州などの計10ヵ所で港湾設備が使われないままにされていることが明らかになった。その建設費用総額は265億ルピア(KP紙,4日)。 |
DIA-209-1989-02-09-1 | インドネシア | 1989年02月09日 | 1980年代 | ランポンで暴動事件,29人が死亡―軍は,ランポン州ワイ・ジェパラ郡で生じた「コマンド・ムジャヒデン・フィサビッラー」(Komando Mujahidin Fisabillah)と名乗るグループによる暴動事件を平定した,と発表。治安部隊は2人,グループ側はリーダー2人を含む27人が死亡。そのほかワイ・ジェパラの軍や警察の出張所が同グループにより襲撃された。8日,治安当局は8人を逮捕,武器を押収した(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1989-02-10-1 | インドネシア | 1989年02月10日 | 1980年代 | ランポン事件について―スルヤディPDI総裁は,「この種の事件はイデオロギー問題となる傾向がある。彼らは国家イデオロギーのパンチャシラを受け入れたくなかったのであろう」と述べた(KP紙,11日)。 |
DIA-209-1989-02-11-1 | インドネシア | 1989年02月11日 | 1980年代 | ランポン事件について―スハルト大統領は,「この事件は宗教を悪用しようとする人物がまだ存在することを明らかにした」と述べ,事件と宗教との関係を否定した(KP紙,12日)。 |
DIA-209-1989-02-13-1 | インドネシア | 1989年02月13日 | 1980年代 | ランポン事件について―スハルト大統領はランポン事件について,「事件は自らの欲望を充たしたいグループによって引き起こされたもので,社会一般からは受け入れられていない。彼らの行動は違法行為である」と述べた。同時に,外国から事件について質問されたときには問題の所在を明確に説明するよう求めた(KP紙,14日)。 |
DIA-209-1989-02-13-2 | インドネシア | 1989年02月13日 | 1980年代 | クドゥン・オンボ・ダム建設予定地からの立ち退き拒否問題について―スバンディ水資源総局長は記者会見の席上,すでに入水を開始したダム建設予定地から立ち退き拒否住民1798世帯が早急に立ち退くことを要求,その方法としてジャワ島以外への移住か近隣3地区への移動かを選択するよう求めた(KP紙,14日)。 |
DIA-209-1989-02-15-1 | インドネシア | 1989年02月15日 | 1980年代 | 国軍人事―第Ⅳ陸軍区(中ジャワ)司令官にウィスモヨ・アリスムナンダール(Wismoyo Arismunandar)陸軍中将(前第Ⅶ陸軍区司令官)が就任。前任のスティヨノ陸軍中将は陸軍監察長官へ(KP紙,16日)。 |
DIA-209-1989-02-16-1 | インドネシア | 1989年02月16日 | 1980年代 | 第2回ジャカルタ非公式会議作業委員会開催(~17日)(KP紙,18日)。 |
DIA-209-1989-02-19-1 | インドネシア | 1989年02月19日 | 1980年代 | 第2回ジャカルタ非公式会議開催(~21日)―ジャカルタ市内のホテル・インドネシアで開催。会議にはカンボジア四派,ASEAN各国,ベトナム,ラオスの代表が出席。出席者は「対立するカンボジア四派間での話し合いの成果を待つ」という点で合意したのみに終わった。会議の成果は「ジャカルタ非公式会議議長による合意文書」として発表。会議で問題となった主な点は,(1)全面的政治解決の文脈に沿ったベトナム軍のカンボジア領内からの撤退,(2)ポル・ポト派の復活阻止と外国からの干渉防止の保証,(3)問題解決過程を監視するための明確な基準の必要,など。出席者は5月の中ソ首脳会議の成果への期待を表明した(KP紙,22日など)。 |
DIA-209-1989-02-21-1 | インドネシア | 1989年02月21日 | 1980年代 | 英国青年殺しで地元警察官に禁固刑―88年半ばにイリアン・ジャヤ沖でヨットの英国青年が殺害された事件で,ビアクの軍事裁判所法廷は,容疑者の警察官に18ヵ月の禁固刑を言い渡した(KP紙,22日)。 |
DIA-209-1989-02-22-1 | インドネシア | 1989年02月22日 | 1980年代 | スハルト大統領,日本を訪問(~26日)―日本の昭和天皇の大喪の礼参列のため夫人とともに特別機で羽田空港に22日朝到着(KP紙,23日)。 |
DIA-209-1989-02-23-1 | インドネシア | 1989年02月23日 | 1980年代 | 中国と国交正常化の方向を目指していくことで同意―日本に滞在中のスハルト大統領は,同じく大喪の礼参列のため日本を訪れた中国の銭外相と約25分間直接会談。ムルディオノ国家官房長官,ロウハナペシ外務省政治総局長も同席。大統領との会談前にムルディオノ国家官房長官は65分間にわたって銭外相と会談。同国家官房長官によると,銭外相は,(1)政府対政府だけでなく党対党の関係でも中国は干渉しない,(2)中国はインドネシアの旧共産党と長いこと関係を持っていない,などと述べた(KP紙,24日)。 |
DIA-209-1989-02-23-2 | インドネシア | 1989年02月23日 | 1980年代 | 外国石油開発コントラクターに再び優遇策―88年8月31日に出された石油部門の規制緩和策のフォローアップ策。長期的に開発を行なう外国コントラクターを優遇するのが目的(KP紙,23日)。 |
DIA-209-1989-02-23-3 | インドネシア | 1989年02月23日 | 1980年代 | 補助金つき低利制度金融について―モイ中銀総裁は,輸出低利融資,中小企業向け低利融資(KIK/KMKP)などの補助金つき低利制度金融を減らしていく方針を明らかにした。その理由として,(1)これらの低利制度金融はインフレ傾向を持っていること,(2)融資資金の回収が困難になっていること,などを挙げた(KP紙,24日)。 |
DIA-209-1989-02-24-1 | インドネシア | 1989年02月24日 | 1980年代 | スナヤン競技場で騒乱事件―ロック・コンサートから帰る若者たちが11台の自動車を破壊するなどの騒乱を引き起こした(『日経』26日)。 |
DIA-209-1989-02-28-1 | インドネシア | 1989年02月28日 | 1980年代 | 1989/90年度予算案,国会で承認(KP紙,3月1日)。 |
DIA-209-1989-03-01-1 | インドネシア | 1989年03月01日 | 1980年代 | アラタス外相,オーストラリアを訪問(~4日)―3日に行なわれた記者会見でアラタス外相は,「インドネシアは豪での報道の自由を理解し尊重するが,同様に責任を伴うことが必要」と述べた。またチモール海共同開発ではなお相違点を残した(KP紙,6日など)。 |
DIA-209-1989-03-01-2 | インドネシア | 1989年03月01日 | 1980年代 | 対中国国交正常化について―トリ・ストリスノ国軍司令官は,「国交正常化を目指すという政府の決定は十分な信頼の下であらゆる側面から支持されなければならない」と述べた(KP紙,2日)。 |
DIA-209-1989-03-01-3 | インドネシア | 1989年03月01日 | 1980年代 | バンドン市東部カチャピリンの土地紛争―1日付けKP紙によると,2月27日にカチャピリン地区で8軒の家屋が市政府により強制撤去された(KP紙,2日)。 |
DIA-209-1989-03-03-1 | インドネシア | 1989年03月03日 | 1980年代 | インドネシア民主党(PDI)再び内紛―東ジャワ州のPDI党員12人はジャカルタのPDI本部を訪れ,現在のスルヤディ総裁率いる指導部への不信任声明を発表。声明には16人が署名(KP紙,4日)。 |
DIA-209-1989-03-06-1 | インドネシア | 1989年03月06日 | 1980年代 | 国会,国家教育システム法案を承認―これまで宗教教育の取り扱いなどで紛糾(KP紙,7日)。 |
DIA-209-1989-03-07-1 | インドネシア | 1989年03月07日 | 1980年代 | ジョグジャカルタ王家のマンクブミ皇太子,スルタン・ハメンク・ブオノⅩ世に即位(KP紙,8日)。 |
DIA-209-1989-03-07-2 | インドネシア | 1989年03月07日 | 1980年代 | アラタス外相,タイを訪問(~9日)―8日にはタイのシッティ外相と会談。記者会見でアラタス外相は,カンボジア4派が2月の第2回ジャカルタ非公式会議後も協議を続けていくことを望む姿勢を示した(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1989-03-11-1 | インドネシア | 1989年03月11日 | 1980年代 | 新国立図書館開所―開所式にはスハルト大統領夫妻が出席。建物は2階建で3棟からなり,面積は1万6579平方㍍(KP紙,12日)。 |
DIA-209-1989-03-13-1 | インドネシア | 1989年03月13日 | 1980年代 | ブルネイのイサ内務相兼情報相来訪―14日にハルモコ情報相と会談後,テレビ,ラジオ面での協力条約を両国間で調印(KP紙,14日など)。 |
DIA-209-1989-03-14-1 | インドネシア | 1989年03月14日 | 1980年代 | 『悪魔の詩』を発禁―スハルト大統領と会談したスカルトン最高検察庁長官によると,14日付け最高検察庁長官布告21号により,社会の平穏を脅かす恐れがあるとして,同書を発禁(KP紙,15日)。 |
DIA-209-1989-03-21-1 | インドネシア | 1989年03月21日 | 1980年代 | ビマ事件について―ルディニ内務相は大統領と会談後,「ビマで騒乱事件があり,先週45人が逮捕された。この事件には2月に発生したランポン事件と関連した要素が入り込んでいる」と発言した(KP紙,23日)。一方,トリ・ストリスノ国軍司令官は23日,「ビマ事件はランポン事件とは関係がない。今のところ事件の詳細を述べる準備がない」と述べるとともに,ビマ事件で11人が死亡したとの情報を否定(KP紙,25日)。 |
DIA-209-1989-03-21-2 | インドネシア | 1989年03月21日 | 1980年代 | 192件の繊維工場開所―ジャカルタ・チャクンの工業団地を中心に6州で計192の繊維工場が開所。スハルト大統領は,繊維工業の発展を評価,今後の国内繊維工業の構造強化に期待を表明(KP紙,22日)。 |
DIA-209-1989-03-23-1 | インドネシア | 1989年03月23日 | 1980年代 | クドゥン・オンボ・ダム建設地からの立ち退き拒否騒動について―三つの水力発電所の開所あいさつのなかでスハルト大統領は,「かつて中ジャワ地方の師団司令官だったのでわかるのだが,クドゥン・オンボ地域は以前共産党(PKI)の拠点だった。おそらくその残存分子がいてまちがった情報を流しているので,住民が犠牲になっているのだろう」と述べた(KP紙,25日)。 |
DIA-209-1989-03-25-1 | インドネシア | 1989年03月25日 | 1980年代 | 88年10月27日政策パッケージのフォローアップ政策発表―内容は,(1)銀行間の合併に関する規定,(2)庶民信用銀行(Bank Perkreditan Rakyat)に関する規定,(3)資本金の意味づけ,(4)輸出クレジットの意味づけ,(5)外貨クレジットの意味づけ,など(KP紙,27日)。 |
DIA-209-1989-03-25-2 | インドネシア | 1989年03月25日 | 1980年代 | 新海軍参謀長人事―海軍参謀長にアリフィン前東部海軍管区司令官が就任(KP紙,27日)。 |
DIA-209-1989-03-27-1 | インドネシア | 1989年03月27日 | 1980年代 | 各州知事,大統領に1989/9O年度開発項目リストを提出(KP紙,28日)。 |
DIA-209-1989-03-29-1 | インドネシア | 1989年03月29日 | 1980年代 | 最高諮問委員会(DPA),国軍司令官と懇談―懇談のテーマは,(1)国家規律の向上,(2)国内の監視体制の強化を通じた国防治安の確立,(3)ダイナミックな国家安定,の3点(KP紙,30日)。 |
DIA-209-1989-03-29-2 | インドネシア | 1989年03月29日 | 1980年代 | 中銀,再割引制度金利をこれまでの年利18%から同16%へ2%引き下げ(KP紙,30日)。 |
DIA-209-1989-03-29-3 | インドネシア | 1989年03月29日 | 1980年代 | 国営ガルーダ航空,国内線部門を子会社のムルパティ・ヌサンタラ航空へ委譲する意向を発表―2月5日に国営ガルーダ航空の子会社としての地位を明確にしたムルパティ・ヌサンタラ航空への国内線部門の委譲は遅くとも91年半ばまでに終了させる予定。国営ガルーダ航空は国際線部門に専念することになる。それに先立って31日に,国営ガルーダ航空から譲り受たF-28型ジェット機2機がムルパティ・ヌサンタラ航空の二つの国内航路で運航を開始(KP紙,30日)。 |
DIA-209-1989-03-30-1 | インドネシア | 1989年03月30日 | 1980年代 | 政府,付加価値税を新たに課する21品目を決定―主なものは建設,国内航空路,通信などに関するもの。同品目に該当する企業は4月26日までに納税管理事務所(4月1日からは納税サービス事務所に名称変更)へ登録しなければならない(KP紙,31日)。 |
DIA-209-1989-03-31-1 | インドネシア | 1989年03月31日 | 1980年代 | 国軍人事―新第Ⅱ陸軍区司令官にスワルディ前第Ⅱ陸軍区参謀長が就任。前任のスナルディ陸軍中将はバンドン陸軍教育養成センター司令官に転出(KP紙,31日)。 |
DIA-209-1989-03-31-2 | インドネシア | 1989年03月31日 | 1980年代 | 政府,1988/89年度補正予算の原案を国会に提出(KP紙,31日)。 |
DIA-209-1989-04-01-1 | インドネシア | 1989年04月01日 | 1980年代 | スハルト大統領の自伝,市販開始―ハルモコ情報相は市販開始の遅れについて,「印刷上の問題のためで,修正個所はない」と説明した(KP紙,2日)。 |
DIA-209-1989-04-04-1 | インドネシア | 1989年04月04日 | 1980年代 | 五つのプロジェクト開所―東カリマンタン州ボンタンの国営肥料工場3号基の開所式でスハルト大統領は,肥料や農薬の適正使用を呼びかけた。西ジャワ州の4件の農化学プロジェクトも開所(KP紙,5日)。 |
DIA-209-1989-04-06-1 | インドネシア | 1989年04月06日 | 1980年代 | 外国への渡航許可手続廃止について―政府の進める規制緩和・脱官僚制に沿った措置で,17日から国家公務員・軍人・国会議員とその家族の渡航者は出入国管理事務所への出頭が免除される(KP紙,7日)。 |
DIA-209-1989-04-07-1 | インドネシア | 1989年04月07日 | 1980年代 | 電力料金の値上げについて―ギナンジャール・鉱業・エネルギー相は,詳細なデータを使って「将来の投資のための資金の一部は国営電力会社が独力で調達しなければならない」と説明し,国民に対して料金値上げの趣旨への理解を求めた(KP紙,8日)。 |
DIA-209-1989-04-08-1 | インドネシア | 1989年04月08日 | 1980年代 | 再植林保証基金,6月1日をもって廃止へ―伐採された木材1立方㍍につき4㌦の再植林保証基金が廃止され,代わりに森林伐採権(HPH)保有者に対し,再植林基金を同7㌦課することになった。同基金は1年後に同10㌦へ引き上げられる予定(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1989-04-10-1 | インドネシア | 1989年04月10日 | 1980年代 | 豪のウールコット外務・商業次官来訪(~12日)―西太平洋地域経済協力に関するホーク豪首相の構想について大統領や関係閣僚に説明した(KP紙,11日)。 |
DIA-209-1989-04-12-1 | インドネシア | 1989年04月12日 | 1980年代 | スドモ政治調整相,大統領に謝罪―同調整相の「将来大統領候補が複数になれば,各会派が各々候補者を立てるような事態になるかもしれない。その際,何らかの国民的コンセンサスが必要となる」という発言に対して,大統領が不満を示したため(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1989-04-12-2 | インドネシア | 1989年04月12日 | 1980年代 | アフガニスタンの反政府勢力ムジャヒディーン,支援を求めて来訪―ムジャヒディーンのヘクマチャール代表はアラタス外相と会談。この訪問はアジア太平洋8ヵ国への支援要請行脚の一環(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1989-04-13-1 | インドネシア | 1989年04月13日 | 1980年代 | ルディニ内相,学生たちと直接対話―インドネシア青年全国委員会事務所での直接対話で,同内相は「意欲や意思の表明はデモではなく正しい秩序と言動によって行なうべきである」と述べた(KP紙,14日)。 |
DIA-209-1989-04-18-1 | インドネシア | 1989年04月18日 | 1980年代 | ジャカルタ芸術劇場で開催予定だった台湾の劇団によるインドネシア初の京劇公演,突然中止―すでに劇団員は来訪,準備完了状態での公演中止。24日まで毎日公演の予定だった(KP紙,19日)。 |
DIA-209-1989-04-18-2 | インドネシア | 1989年04月18日 | 1980年代 | 「言論の自由を求め圧制に反対する学生集会」開催―ジャカルタ,バンドン,ボゴールの公立・私立の高等教育機関の学生数百人がジャカルタ教育大学キャンパスに集結,次々に演説を開始。過激な行動を避けるなどの点で合意した。調整役は同大学学生コミュニケーション・フォーラム(KP紙,19日)。 |
DIA-209-1989-04-20-1 | インドネシア | 1989年04月20日 | 1980年代 | 学生運動について―スドモ政治調整相は,コスゴロ大学生運動のメンバーを前に,「今のところ学生運動が正常だと言えたにしても,この種の運動は他者に利用されるまで続けてしまう傾向がある。そうすれば1974年のマラリ事件の時のように国家開発に害を及ぼすことになる」と述べた(KP紙,21日)。 |
DIA-209-1989-04-20-2 | インドネシア | 1989年04月20日 | 1980年代 | 大統領夫妻,タマン・ミニに石油ガス博物館・科学センター(総工費110億ルピア),スポーツ博物館(同45億ルピア),ミニ・モノレール(同1450億ルピア)の三つの施設を開所(JP紙,21日)。 |
DIA-209-1989-04-21-1 | インドネシア | 1989年04月21日 | 1980年代 | ナロ,PPP第2回全国大会準備運営委員会のメンバー表を発表(KP紙,22日)。 |
DIA-209-1989-04-21-2 | インドネシア | 1989年04月21日 | 1980年代 | バタム島の空港拡張工事開始―ハビビ国務相(バタム島開発公社総裁)は,同島のハン・ナディム空港の第2期拡張工事の開始式に出席(JP紙,22日)。 |
DIA-209-1989-04-21-3 | インドネシア | 1989年04月21日 | 1980年代 | 環境保護グループ,国営テレビを告訴へ―インドネシア環境フォーラム(Walhi)は,国営テレビ(TVRI)が北スマトラ州のパルプ工場PT Inti Indorayon Utamaによる環境汚染を否定する報道をしたとして,告訴の方針を明らかにした。これに対して政府は,「国家開発を妨害している」としてWalhiを非難(JP紙,25日)。 |
DIA-209-1989-04-22-1 | インドネシア | 1989年04月22日 | 1980年代 | PPP反ナロ派,ナロ派とは別のPPP第2回全国大会運営委員会メンバー表を発表(KP紙,23日)。 |
DIA-209-1989-04-25-1 | インドネシア | 1989年04月25日 | 1980年代 | ピエト・ブクマンIGGI議長(オランダの開発協力相),来訪―今年度の供与予定額については言明を避けた(KP紙,26日)。 |
DIA-209-1989-04-29-1 | インドネシア | 1989年04月29日 | 1980年代 | インドのシン外相来訪―シン外務国務相はインドネシア来訪以前にニューデリーでベトナムのタク外相と,バンコクでタイのシッティ外相と会談済み。アラタス外相はシン外相との会談後,1954年にジュネーブで設立された国際監視委員会をカンボジア停戦和平後の監視に役立てたいとの提案に難色を示した(KP紙,5月1日)。 |
DIA-209-1989-04-30-1 | インドネシア | 1989年04月30日 | 1980年代 | シアヌークCGDK国家元首来訪(~5月5日)―公式訪問。30日にはスハルト大統領を表敬訪問したほか,先に到着したインドのシン外相と会談,5月1日には同じくインドネシアを訪問中のアメリカのクエール副大統領と会談した(KP紙,5月1日)。 |
DIA-209-1989-04-30-2 | インドネシア | 1989年04月30日 | 1980年代 | アメリカのクエール副大統領夫妻来訪(~5月2日)―ASEAN歴訪の一環としての訪問。スダルモノ副大統領,スダルマン前駐米大使等が出迎え。クエール副大統領は5月1日にスハルト大統領ほか閣僚多数と会談後,ジョグジャカルタを訪問(KP紙,5月1日ほか)。 |
DIA-209-1989-05-02-1 | インドネシア | 1989年05月02日 | 1980年代 | シアヌーク=フン・セン会談(~3日)―会談での大きな問題点は,ベトナム軍のカンボジア領内からの撤退に対する国際監視の方法とカンボジアでの新政府樹立,の2点。シアヌーク元首は4日,「PRKが憲法を要求通り改正すれば89年末にクメール・ルージュ抜きのCGDK国家元首として帰国する用意がある」と述べた。一方フン・センPRK首相は,「外国の援助を受けたままのCGDKではカンボジアの状況を元にもどすことはできない」と述べた(KP紙,5日)。 |
DIA-209-1989-05-02-2 | インドネシア | 1989年05月02日 | 1980年代 | スマルリン蔵相,中国の北京で開かれるアジア開銀総会出席のため出発(JP紙,3日)。 |
DIA-209-1989-05-03-1 | インドネシア | 1989年05月03日 | 1980年代 | 奢侈品販売税の税率変更―1月に実施された奢侈品販売税税率引き上げを改訂(KP紙,5日)。 |
DIA-209-1989-05-03-2 | インドネシア | 1989年05月03日 | 1980年代 | 非石油輸出促進のためのチームを設立へ―月例経済関係閣僚会議終了後,スハルト大統領はシレガル商業相に対して,商業省,工業省,農業省,その他関係政府機関の官僚からなる,非石油輸出促進のためのチームを調整するように指示した(JP紙,5日)。 |
DIA-209-1989-05-03-3 | インドネシア | 1989年05月03日 | 1980年代 | ムルディオノ国家官房長官,今年もラマダン明けパーティーには正副大統領公邸を開放しない,と発表(JP紙,5日)。 |
DIA-209-1989-05-04-1 | インドネシア | 1989年05月04日 | 1980年代 | 日本の竹下首相来訪(~5日)―竹下首相はスハルト大統領と会談し,アジア太平洋地域の平和と繁栄の重要性の面からも,インドネシアへの援助を今後も引き続き行なうことを約束した。これに対してスハルト大統領は,債務を着実に返済していくことを確認した(KP紙,5日)。また両者の会談の結果,1989/90年度の日本からインドネシアへの援助額は,直接借款が20億㌦,技術協力・無償援助が1.1億㌦,それぞれ用意されることが明らかになった(JP紙,6日)。 |
DIA-209-1989-05-06-1 | インドネシア | 1989年05月06日 | 1980年代 | ルディニ内相,PPP内紛でいずれの立場にも立たず―ルディニ内相はPPPの内紛について「政府がすでにナロ派側に立っているという報道があるが正しくない。自分はPPP全国大会が真に民主的に行なわれるよう導いていくだけだ」と述べた(KP紙,9日)。 |
DIA-209-1989-05-10-1 | インドネシア | 1989年05月10日 | 1980年代 | アメリカのウォルフォウィッツ駐イ大使,離任の挨拶―同大使は,「石油価格の急落や債務負担の増加に悩むインドネシアの成功の鍵は,経済の規制緩和政策と開放である。と同時に政治面での開放も必要であり,世代交代という新しい段階にすでに入ったインドネシアでも,アメリカに見られるような政治上の変化が起こることを願いかつ信じる」と挨拶した(KP紙,11月)。 |
DIA-209-1989-05-11-1 | インドネシア | 1989年05月11日 | 1980年代 | 1989年投資禁止業種リスト(DNI)を発表―同リストの目的は投資家の参入業種選択を容易にするため。主な内容は,(1)75業種が外国企業の投資参入を禁止(うち55業種は国内企業・協同組合などの参入も禁止),(2)35業種は小規模企業の投資向けに留保,など(KP紙,12日。詳細は「参考資料」を参照)。 |
DIA-209-1989-05-12-1 | インドネシア | 1989年05月12日 | 1980年代 | フィリピンのラモス国防長官来訪(~16日)―ラモス長官の初のASEAN歴訪の一環で,インドネシア訪問はムルダニ国防治安相の招待によるもの(KP紙,13日)。13日にはスハルト大統領と会談し,アキノ大統領からの親書を手渡した(KP紙,14日)。 |
DIA-209-1989-05-13-1 | インドネシア | 1989年05月13日 | 1980年代 | ポルトガル議会の東チモール訪問について,ポルトガル,インドネシア双方が合意―アラタス外相の発言によると,国連事務総長の努力で東チモール問題に関する両者の話し合いが再開。ポルトガル議会代表団は,先に訪問した豪やイギリスなどの代表団の場合と同様,訪問場所の特定は行なわない意向(KP紙,15日)。 |
DIA-209-1989-05-13-2 | インドネシア | 1989年05月13日 | 1980年代 | 投資家向けに投資情報ガイドを出版へ―サニョトBKPM長官によると,同書の出版は投資禁止業種リスト発表に引き続く投資促進策の一環(KP紙,15日)。 |
DIA-209-1989-05-13-3 | インドネシア | 1989年05月13日 | 1980年代 | 東京銀行,スラバヤに支店を開設(JP紙,16日)。 |
DIA-209-1989-05-17-1 | インドネシア | 1989年05月17日 | 1980年代 | 韓国から投資ミッション来訪(~21日)―一行はKotra副会長を団長とする23名(JP紙,13日)。 |
DIA-209-1989-05-20-1 | インドネシア | 1989年05月20日 | 1980年代 | 新学校設立で国軍とタマン・シスワが協力書に調印―ムルダニ国防治安相によると,両者共同で設立される新学校の名はタマン・マディヤ・タルナ・ヌサンタラ(TMTN)。卒業生は高卒待遇(KP紙,22日)。 |
DIA-209-1989-05-22-1 | インドネシア | 1989年05月22日 | 1980年代 | 1988/89年度財政実績―当初予算比14%増・前年度財政実績比22%増。石油ガス収入額は予算比7.6%増の9兆5270億ルピアとなった(KP紙,23日)。 |
DIA-209-1989-05-23-1 | インドネシア | 1989年05月23日 | 1980年代 | 石油ガス関連サービスへの付加価値税徴収を延期―スマルリン蔵相によると,石油ガス開発,地熱などに関するサービス活動への付加価値税の課税は,開発活動が商業生産になるまで延期される(JP紙,24日)。 |
DIA-209-1989-05-24-1 | インドネシア | 1989年05月24日 | 1980年代 | 第1回ASEAN情報相会議,ジャカルタで開催(~25日)(KP紙,25日)。 |
DIA-209-1989-05-25-1 | インドネシア | 1989年05月25日 | 1980年代 | 東チモールのベロ神父の書簡について―ムルダニ国防治安相は,「国連事務総長あてに送付されたベロ神父の書簡(2月8日付け)は,全く個人の見解である」と述べた(KP紙,26日)。 |
DIA-209-1989-05-29-1 | インドネシア | 1989年05月29日 | 1980年代 | ムハマディア中央指導部,スハルト大統領を表敬(KP紙,30日)。 |
DIA-209-1989-05-30-1 | インドネシア | 1989年05月30日 | 1980年代 | 第3回公務員団体(Korpri)全国大会開催(~6月2日)(KP紙,31日)。 |
DIA-209-1989-05-31-1 | インドネシア | 1989年05月31日 | 1980年代 | 東チモール州への観光目的の訪問について―スダルマン観光・郵政・通信相は,東チモール州の8県を観光目的の訪問が可能な県として決定したことを発表(KP紙,6月1日)。 |
DIA-209-1989-06-02-1 | インドネシア | 1989年06月02日 | 1980年代 | 国家情報調整庁(BAKIN)の新長官任命―前任のヨガ・スガマ長官は健康問題によりスハルト大統領に進退伺いを出し了承された。後任として同副長官のスディブヨ中将が新長官に任命された(KP紙,3日)。 |
DIA-209-1989-06-03-1 | インドネシア | 1989年06月03日 | 1980年代 | 大統領,後継論議に警告―ムルディオノ国家官房長官は,スハルト大統領が5月3日の月例経済閣僚会議の開始前に最近の後継論議に関して異例の発言を行なったことを明らかにした。内容は,(1)次期大統領をめぐる問題は現在のMPRの権限ではなく,次期MPRに委ねられる,(2)私が5回大統領に選ばれたのはMPRの意向でそれを信用して受け入れた,(3)MPR各会派は各々侯補者を立てる権利を持つが,最終的に候補者を一人に絞るように協議されるべき,など(JP紙,6日など)。 |
DIA-209-1989-06-03-2 | インドネシア | 1989年06月03日 | 1980年代 | 国営ガルーダ航空,ジャカルタ=バタム島=ホーチミン線を開設―週2便で運行を開始(JP紙,7日)。 |
DIA-209-1989-06-05-1 | インドネシア | 1989年06月05日 | 1980年代 | 第18回新聞出版者会議開催(~8日)―開会式ではスダルモノ副大統領が挨拶(KP紙,6日)。 |
DIA-209-1989-06-08-1 | インドネシア | 1989年06月08日 | 1980年代 | スハルト大統領,国連から国連人口賞を授与される―とくに家族計画の成功に対して贈られたもの(KP紙,10日)。またアメリカ滞在中にブッシュ大統領とも二国間問題を中心に会談(KP紙,11日)。 |
DIA-209-1989-06-08-2 | インドネシア | 1989年06月08日 | 1980年代 | 新聞報道へ注文―ハルモコ情報相は,「新聞報道はこれまでの開発の影響に対して批判的な論調をとるべきではない」と述べた(KP紙,9日)。 |
DIA-209-1989-06-12-1 | インドネシア | 1989年06月12日 | 1980年代 | 大統領帰国―スハルト大統領は帰国後の記者会見で,「国家の安定を進めるからといって個人や集団の自由と権利を制限しようとするのではない。開発は生活レベルと社会福祉の向上のための手段なのである」と述べた。またスイス経由となったのは「時差調整」と説明された(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1989-06-12-2 | インドネシア | 1989年06月12日 | 1980年代 | 宗教裁判所法(UU Peradilan Agama)案,DPR本会議で議論へ―同法案は1988年12月13日にDPRに上程,その後89年1月28日まで政府説明が行なわれてきた。本会議での議論は通常は10~20日程度だが,今回は異例の措置として最大限4ヵ月と12日まで議論継続が可能となった。政府側答弁者はシャザリ宗教相とサレー法相が代表となり,7日間割り当てられた(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1989-06-13-1 | インドネシア | 1989年06月13日 | 1980年代 | 第32回インドネシア債権国会議(IGGI)開催(~14日)―1989/90年度の援助約束額は前年度約束額比7%増の42億9750万㌦(世銀の勧告額は42億㌦),うち二国間援助は21億3200㌦,国際機関からの援助が21億6550万㌦。構造調整向けの特別借款は経済好調を反映して前年度比21.5%減の18億5510万㌦に留まった。日本からはIGGIベースの二国間援助14.6億㌦のほかに特別借款として9.5億㌦が供与される(KP紙,15日)。 |
DIA-209-1989-06-13-2 | インドネシア | 1989年06月13日 | 1980年代 | ベロ神父の書簡問題について―バチカンのインドネシア代表であるカナリニ神父は,東チモールのカトリック教会はベロ神父の書簡問題には一切関わっていないことを言明した(JP紙,14日)。 |
DIA-209-1989-06-15-1 | インドネシア | 1989年06月15日 | 1980年代 | 9人の北スマトラ州の農民,パルプ工場を告訴―弁護士によると,メダン地裁で第1回公判が開かれ,彼らの居住地であるマルジャンジ村の近くのアサハン川が,PT Inti Indorayon Utamaからの排水によって汚染されたとして,工場側に3000万ルピアの損害賠償と環境悪化についての特別調査を要求した(JP紙,16日)。 |
DIA-209-1989-06-16-1 | インドネシア | 1989年06月16日 | 1980年代 | スラバヤ証券取引所開設―インドネシア初の民間の証券取引所。関係筋は,89年末までに10社以上の上場を見込んでいる(KP紙,16日)。 |
DIA-209-1989-06-17-1 | インドネシア | 1989年06月17日 | 1980年代 | パプア・ニューギニア国会議員代表団,スハルト大統領を表敬(KP紙,19日)。 |
DIA-209-1989-06-17-2 | インドネシア | 1989年06月17日 | 1980年代 | 第22回ジャカルタ・フェア開催(~7月16日)―スダルモノ副大統領が開会の挨拶(KP紙,18日)。 |
DIA-209-1989-06-19-1 | インドネシア | 1989年06月19日 | 1980年代 | 7人の東チモール人学生,在外公館にポルトガル行きのビザの発給を求めて来訪―7人のうち6人はバリの学生,1人はジャカルタの学生。2人は日本大使館を,5人はバチカン大使館を訪れ,ポルトガルへの政治亡命を求めてパスポートの発給と身柄の保護を要請した。両大使館はノーコメントだが,この件との関連でアラタス外相はバチカン大使館を訪問(KP紙,20日)。 |
DIA-209-1989-06-21-1 | インドネシア | 1989年06月21日 | 1980年代 | 開放論議について―DPR第2委員会公聴会にアリフィアン国家科学院研究員とスミトロ退役大将が出席,政治面での開放を求めた。(KP紙,22日)。 |
DIA-209-1989-06-26-1 | インドネシア | 1989年06月26日 | 1980年代 | 対中国国交正常化プロセスについて―国軍防衛研修所のスビヤクト所長は,「中国は国際的な共産主義運動を指導することを放棄したわけではない」と述べ,対中国国交正常化見直しを要請した(JP紙,27日)。 |
DIA-209-1989-06-27-1 | インドネシア | 1989年06月27日 | 1980年代 | 後継論議について―DPR第2委員会に参考人として出席したムルディオノ国家官房長官は,「大統領職は王が皇太子に授けるようなものではない。大統領は国家の長として,指導者が現われてくるような状況を作り出すのである」と述べた(KP紙,28日)。 |
DIA-209-1989-06-27-2 | インドネシア | 1989年06月27日 | 1980年代 | インドネシア弁護士協会(Persahi),8月に北京で開かれる人権会議出席を取り止め(JP紙,28日)。 |
DIA-209-1989-06-27-3 | インドネシア | 1989年06月27日 | 1980年代 | 熱帯森林保護をめぐって―シンガポール,マレーシアを訪問して帰国したハラハプ林業相は,西側の環境保護運動に対して反キャンペーンを展開することで両国と同意したことを明らかにした(JP紙,28日)。 |
DIA-209-1989-06-28-1 | インドネシア | 1989年06月28日 | 1980年代 | 対中国国交正常化問題について―アラタス外相は「中国で起こった事態と国交正常化プロセスとを関係づける必要はない」と述べた(KP紙,29日)。 |
DIA-209-1989-07-03-1 | インドネシア | 1989年07月03日 | 1980年代 | 第22回ASEAN外相会議,ブルネイのバンダル・スリ・ブガワンで開催(~4日)―アラタス外相は,8月4日にパリで開催予定のカンボジア問題に関する国際会議への期待を表明。その際ジャカルタ非公式会議の成果を踏まえる必要を強調。一方豪のホーク首相が提唱した「アジア太平洋貿易フォーラム」の設立提案についてASEANは,提案自体は時宜を得たものとしながらも,新組織設立よりASEANのような既存組織を活用すべきとの理由から不支持の方針を固めた(KP紙,5日)。 |
DIA-209-1989-07-04-1 | インドネシア | 1989年07月04日 | 1980年代 | 対中国国交正常化プロセスについて―ムルダニ国防治安相は,「中国との国交関係正常化プロセスはあわてず急がずに続けていくことが望ましい。この問題に関して政府はまだ見解を固めていない。出ているコメントは個人の見解だ」と述べた(KP紙,5日)。 |
DIA-209-1989-07-04-2 | インドネシア | 1989年07月04日 | 1980年代 | マレーシアと国境付近の森林を共同で開発へ―ハラハプ林業相によると,先週のマレーシア訪問で調印した協定により,両国が国境付近の森林を保全し,木材製品の多角化を目指すことになった(JP紙,5日)。 |
DIA-209-1989-07-06-1 | インドネシア | 1989年07月06日 | 1980年代 | ASEAN拡大外相会議開催(~8日)―日本は,6日,カンボジア問題が完全に政治的に解決した後,復興のための国際委員会を設立することを提案。一方,豪のエバンス外相はホーク構想の重要性を強調したが,ASEANの支持は得られず(KP紙,7日など)。 |
DIA-209-1989-07-06-2 | インドネシア | 1989年07月06日 | 1980年代 | 国際金融公社(IFC),PT Astra Internationalへ3750万㌦の資本参加―インドネシア人経営企業への出資は初めて。この出資は,アストラの株式上場を目的としたもの(JP紙,7日)。 |
DIA-209-1989-07-08-1 | インドネシア | 1989年07月08日 | 1980年代 | 韓国に木材製品関税の引き下げを要請―スハルト大統領は韓国の韓商工相の表敬を受けた際,インドネシア製の木材製品への輸入関税の引き下げを要請,その理由として国内の木材製品輸出の収益の一部を国内の植林事業に利用したいことを挙げた(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1989-07-09-1 | インドネシア | 1989年07月09日 | 1980年代 | トリ・ストリスノ国軍司令官,オーストラリアを訪問(~14日)―出迎えた豪のグラティオン国軍司令官は「今回の訪問は両国関係が好転してきたことを示している」と述べた。トリ・ストリスノ国軍司令官も,「両国関係には疑心暗鬼のところもあるが,今後は関係改善が必要だ」と評した(KP紙,12日など)。 |
DIA-209-1989-07-12-1 | インドネシア | 1989年07月12日 | 1980年代 | 個人高額納税者を表彰―スマルリン蔵相によると,1987年の個人高額納税者150人に対して表彰が行なわれた。おもな表彰者は,スドノ・サリム,スドウィカトモノ,ボブ・ハサンなど(KP紙,14日)。 |
DIA-209-1989-07-13-1 | インドネシア | 1989年07月13日 | 1980年代 | ベトナムのタク外相来訪(~14日)―アラタス外相とカンボジア問題解決について話し合うため(KP紙,14日)。話し合いの結果,両者は来たる30~31日に開催されるカンボジアに関する国際会議がジャカルタ非公式会議(JIM)の成果を補充する会議である必要があるという点で意見が一致した(KP紙,15日)。 |
DIA-209-1989-07-15-1 | インドネシア | 1989年07月15日 | 1980年代 | 原子力発電所について―国家原子力庁のジャリ・アヒムサ総局長によると,ジャワ島の電力源として2000年に国内最初の原子力発電所を操業させる予定。発電能力は600MW,中ジャワ北岸に立地(KP紙,17日)。 |
DIA-209-1989-07-15-2 | インドネシア | 1989年07月15日 | 1980年代 | 日本のLNG追加購入について―プルタミナのアブダウ総裁によると,LNG価格引き下げ措置の見返りとして,日本側が90年から向こう10年間で計2128万㌧のLNGを追加購入することで原則合意(JP紙,15日)。 |
DIA-209-1989-07-17-1 | インドネシア | 1989年07月17日 | 1980年代 | 対中国国交正常化について―アタラス外相は,「中国で生じた事態は今のところまだ国交正常化に影響を与えてはいない。ただし国交正常化に至るまでには技術的な問題が残る」と発言した(KP紙,18日)。 |
DIA-209-1989-07-17-2 | インドネシア | 1989年07月17日 | 1980年代 | フィリピンのラウレル副大統領,非公式に来訪(~19日)―同副大統領の訪問はスダルモノ副大統領の招待による。スハルト大統領とも会談(JP紙,19日)。 |
DIA-209-1989-07-20-1 | インドネシア | 1989年07月20日 | 1980年代 | 六つの農有機化学プラント開所―スハルト大統領はそのうちの一つであるPT Indo Acidatama Chemicalの開所式に出席(KP紙,21日)。 |
DIA-209-1989-07-20-2 | インドネシア | 1989年07月20日 | 1980年代 | 国営企業の構造改善政策発表―6月28日付け蔵相布告740号および741号によるものであるが,7月20日に初めて公表された。具体的改善方法を明記(KP紙,21日)。 |
DIA-209-1989-07-22-1 | インドネシア | 1989年07月22日 | 1980年代 | 国軍アカデミーの合同卒業式―ムルデカ宮殿における式典で,陸軍261人,海軍86人,空軍72人,警察軍216人の計635人の新将校誕生(KP紙,23日)。 |
DIA-209-1989-07-23-1 | インドネシア | 1989年07月23日 | 1980年代 | 大統領,言論表明に関する4原則を要求―スハルト大統領は,国民が留意すべき点として,(1)合理的かつ健全で分別ある思想により抑制される範囲のものに限る,(2)多くの国民の利害対立をもたらすものは禁止,(3)民族の統一を妨げるものは禁止,(4)パンチャシラに対立するものは禁止,の4点を要求した(KP紙,24日)。 |
DIA-209-1989-07-29-1 | インドネシア | 1989年07月29日 | 1980年代 | 陸軍戦闘訓練センター,第1期分が開所―場所は南スマトラ州オガン・コムリン県バトゥラジャ。敷地面積は4万3000ha(KP紙,30日)。 |
DIA-209-1989-07-30-1 | インドネシア | 1989年07月30日 | 1980年代 | フランスのパリで「カンボジアに関する国際会議」開催―カンボジア4派,ベトナム,ラオス,国連安全保障理事会理事国5ヵ国(米,ソ,英,仏,中),ASEAN6ヵ国,日本,オーストラリア,インド,カナダ,非同盟諸国会議議長団(ジンバブエ),国連事務総長,の23の代表が参加,約1ヵ月間開催される予定(KP紙,8月1日)。会議では三つの作業部会と一つの小委員会が設立され,第2回外相会議が開かれる8月28日までに成果をまとめることになった(KP紙,8月2日)。 |
DIA-209-1989-08-01-1 | インドネシア | 1989年08月01日 | 1980年代 | 独立パブア運動(OPM)の指導者自首―第Ⅷ陸軍区のアビノウォ司令官はOPM指導者のエヒヤツ・アオムが投降した,と発表した(KP紙,2日)。 |
DIA-209-1989-08-01-2 | インドネシア | 1989年08月01日 | 1980年代 | イリアン・ジャヤ州ジャヤウィジャヤ県クリマ郡でマグニチュード6の地震発生―5日までに死亡者は116人,行方不明者100人以上へと増加(KP紙,6日)。 |
DIA-209-1989-08-02-1 | インドネシア | 1989年08月02日 | 1980年代 | 大統領夫妻,ブルネイを訪問(~3日)―ブルネイのスルタンの招待による訪問(KP紙,4日)。またスハルト大統領は3日,所得分配構造の長期的な推移など,開発政策の成果を詳しく発表(KP紙,5日)。 |
DIA-209-1989-08-03-1 | インドネシア | 1989年08月03日 | 1980年代 | ムハマディアのジョグジャカルタ支部,11月開催の第28回NU全国大会に会場を提供と発表―これに対してNU側も前向きの姿勢を示した(KP紙,4日)。 |
DIA-209-1989-08-06-1 | インドネシア | 1989年08月06日 | 1980年代 | NUの政治的役割について―NUのアブドゥルラーマン・ワヒド議長は,「NUは政治的組織ではないが,他の政治組織や大衆組織の持つような政治的役割を持つことができる」と発言した(KP紙,8日)。 |
DIA-209-1989-08-07-1 | インドネシア | 1989年08月07日 | 1980年代 | 国軍指導者会議開催(~9日)―トリ・ストリスノ国軍司令官は,「国軍は,常に社会の全階層の希望の実現と参加とを進める」と述べた(KP紙,8日)。 |
DIA-209-1989-08-08-1 | インドネシア | 1989年08月08日 | 1980年代 | ASEAN設立22周年記念式典,ジャカルタのASEAN事務局で開催(KP紙,9日)。 |
DIA-209-1989-08-08-2 | インドネシア | 1989年08月08日 | 1980年代 | 大統領,原子力発電所建設計画の早期準備を指示―スハルト大統領は「危険のないものはない。大事なのは危険を小さくすることだ」と述べた(KP紙,9日)。 |
DIA-209-1989-08-09-1 | インドネシア | 1989年08月09日 | 1980年代 | ガルーダ航空の国内路線をムルパティ航空に委譲―東インドネシアなどの19路線の委譲を1989年内に終え,ガルーダ航空は国際線中心に(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1989-08-10-1 | インドネシア | 1989年08月10日 | 1980年代 | アメリカに対するシンガポールの米軍軍艦修理施設引き受け要請について―トリ・ストリスノ国軍司令官は,「シンガポールの利害にのみ基づくものであろうが,今後シンガポールに外国の軍事基地が建設されることのないよう求める」と評した(KP紙,8日)。 |
DIA-209-1989-08-10-2 | インドネシア | 1989年08月10日 | 1980年代 | 政府,1987年の高額納税法人149企業を表彰―上位10社の内訳は国営企業9社と民間企業1社。 |
DIA-209-1989-08-12-1 | インドネシア | 1989年08月12日 | 1980年代 | NGOの代表24名,内相と初めての会談―13団体の代表24名はルディニ内相と1時間余にわたって会談。内相によると,今回の会談は,4月にベルギーで開かれた第5回「インドネシアに関する国際NGOフォーラム」(INGI)が世銀に人権問題などを含む書簡を送ってインドネシア民族と国家の名を傷つけたという政府側主張にもとづくもの(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1989-08-14-1 | インドネシア | 1989年08月14日 | 1980年代 | Walhi,告訴を棄却される―中ジャカルタ地裁は,WalhiがPT IIUを告訴していた件(→1988/12/30)について,PTIIUが環境破壊を引き起こしているという証拠が不十分だとして,告訴を棄却すると発表した(KP紙,15日)。この後28日,Walhiは再告訴を断念(KP紙,30日)。 |
DIA-209-1989-08-14-2 | インドネシア | 1989年08月14日 | 1980年代 | インドネシア,PNGとの間で国境改定作業開始―改定作業は,南北760kmの国境線に沿って国境の印となる14のモニュメントを建てる,など(KP紙,15日)。 |
DIA-209-1989-08-15-1 | インドネシア | 1989年08月15日 | 1980年代 | 東チモール問題に関する国際的非難について―国連特別委員会において18の個人および団体から出されていたインドネシア非難に対して,インドネシア側は「根拠のない非難だ。東チモールで民族自決・脱植民地化が実現して13年を経た」と反論(KP紙,16日)。 |
DIA-209-1989-08-15-2 | インドネシア | 1989年08月15日 | 1980年代 | アメリカ下院議員代表団来訪―一行はファセル下院外交委員長を団長とする7名(KP紙,19日)。 |
DIA-209-1989-08-16-1 | インドネシア | 1989年08月16日 | 1980年代 | 大統領独立記念日演説―スハルト大統領は,(1)国策大網の決定と正副大統領の選出はムシャワラにより行なう,(2)GBHNの決定は大統領の独占的貢献ではなく他の社会政治勢力も同様,(3)現在よりも優れた選挙の方法があるという見解を持つ社会政治勢力があれば,その見解と現在の方法とを比較検討することを妨げる理由はない,などと述べた。対中国国交正常化については中国が関係正常化にあたってバンドン平和五原則に基づくことを明言している点を歓迎した上で,「双方がいかなるレベルでも各々の国内問題に干渉しないという方向を堅持すると言う立場に立ちながら進めている段階である」と述べた(KP紙,18日)。 |
DIA-209-1989-08-18-1 | インドネシア | 1989年08月18日 | 1980年代 | 「8月5日事件」について―国軍情報センターは,1989年8月5日にバンドン工科大学(ITB)構内をルディニ内相が訪問した際に一部学生が騒乱を引き起こしたことを明らかにしたが,詳細は不明。同センターはITBに対して正式な説明を求めた(KP紙,19日)。 |
DIA-209-1989-08-22-1 | インドネシア | 1989年08月22日 | 1980年代 | 日本ASEAN投資会社,アストラ・グループと合弁を設立―合弁会社はPT Astra Rubber Sealで,出資比率はアストラ・グループが51%(KP紙,23日)。 |
DIA-209-1989-08-28-1 | インドネシア | 1989年08月28日 | 1980年代 | 第2回インドネシア開発統一党(PPP)全国大会開催(~31日)―大会ではナロ派と反ナロ派との対立で人事が進まず紛糾,予定を1日延長して31日,総裁にイスマイル・ハサン,事務局長にジャリル(ともに新任)ら執行部を選出して閉会(KP紙,9月1日など)。 |
DIA-209-1989-08-28-2 | インドネシア | 1989年08月28日 | 1980年代 | カンボジア問題に関する閣僚会議,フランスのパリで再開(~30日)―参加国のうち,アメリカ,ソ連,中国,イギリスは外相を送ってこなかった。会議では基本的な問題でカンボジア各派間に依然見解の相違があることが明らかになり,向こう6ヵ月の間に議長団のフランスとインドネシアは全参加者と協議を積み重ねていくことになった(KP紙,9月1日)。 |
DIA-209-1989-09-01-1 | インドネシア | 1989年09月01日 | 1980年代 | 第10回非同盟諸国首脳会議議長国について―アラタス外相は第9回会議開催地ベオグラードで,「インドネシアはすでに次回会議の議長国に立候補しており,辞退する意志はない」と述べた(KP紙,2日)。 |
DIA-209-1989-09-02-1 | インドネシア | 1989年09月02日 | 1980年代 | 大統領,第9回非同盟諸国首脳会議出席のためベオグラードへ出発―7日までベオグラードに滞在した後,ソ連を訪問する予定(KP紙,3日)。 |
DIA-209-1989-09-03-1 | インドネシア | 1989年09月03日 | 1980年代 | ルディニ内相夫妻,オーストラリアを訪問(~8日)―キャンベラ,パースなどを訪問。豪側筋によると,今回の訪問は表敬の意味が濃いもので,豪のヘイデン総督,ホーク首相などと会談(KP紙,6日など)。 |
DIA-209-1989-09-04-1 | インドネシア | 1989年09月04日 | 1980年代 | ITBの学生,ハンストを開始―「8月5日事件」に対する学長の措置に反対する学生たちが大学構内でハンストを開始(KP紙,6日。→8/18)。 |
DIA-209-1989-09-04-2 | インドネシア | 1989年09月04日 | 1980年代 | 第9回非同盟諸国首脳会議,ベオグラードで開催(~7日)―102の加盟国から75人の国家元首または政府首脳が出席。同会議に出席したスハルト大統領は5日,非同盟運動におけるインドネシアの立場を出席者に説明。次回開催国は1991年にガーナで開かれる非同盟諸国閣僚会議に委ねられることになった(KP紙,9日)。 |
DIA-209-1989-09-06-1 | インドネシア | 1989年09月06日 | 1980年代 | 大統領,ソ連を訪問(~12日)―一行は6日,タシケントに到着。7日,スハルト大統領は「インドネシアはかつて1960年のイリアン・ジャヤ解放闘争の際にソ連から受けた援助を忘れたことはない」と発表。サマルカンド,レニングラードを訪問後,11日にモスクワでゴルバチョフ書記長と会談,同書記長の進めるペレストロイカを賞賛した。インドネシア産オイル・パ-ムのソ連での加工プラント建設で合意(KP紙,7~11日)。 |
DIA-209-1989-09-10-1 | インドネシア | 1989年09月10日 | 1980年代 | 大韓航空,ソウルからジャカルタへ乗り入れ開始―国営ガルーダ航空は10月から(KP紙,11日)。 |
DIA-209-1989-09-11-1 | インドネシア | 1989年09月11日 | 1980年代 | 陸軍指導者会議開催(KP紙,12日)。 |
DIA-209-1989-09-11-2 | インドネシア | 1989年09月11日 | 1980年代 | 日本政府から1940万円のソフトローン―ムルダニ外相代理と日本の枝村駐イ大使との間で調印のソフトローンは,日本ASEAN開発基金の一部(KP紙,12日)。 |
DIA-209-1989-09-12-1 | インドネシア | 1989年09月12日 | 1980年代 | インドネシア全労働者連合(SPSI)執行部幹部1人が活動停止処分―コスマス労働相は,幹部のアグス・スドノ委員が組織利益にマイナスの言動をとったために活動停止になったとの報道を確認(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1989-09-12-2 | インドネシア | 1989年09月12日 | 1980年代 | 台湾から投資ミッション来訪―一行は中華民国全国工業総工会の加盟企業110社の代表(KP紙,14日)。 |
DIA-209-1989-09-12-3 | インドネシア | 1989年09月12日 | 1980年代 | 戦略部門の国営企業10社,戦略産業管理庁(BPIS)に移管―10社のうち,21日には工業省から4社を,27日には観光・郵政・通信省から1社を,それぞれBPISへ移管することが明らかにされた。また残る5社の移行時期は未定。BPIS長官はハビビ国務相(KP紙,16日)。 |
DIA-209-1989-09-13-1 | インドネシア | 1989年09月13日 | 1980年代 | 大統領,後継論議に対して再度警告―ソ連から帰国途中のスハルト大統領は機内記者会見で,「後継問題などで憲法にのっとらない動きが出た場合,憲法に基づく秩序を維持するために,たとえ将軍でも政治家でも誰であってもぶっ叩く」と述べた(KP紙,14日)。 |
DIA-209-1989-09-15-1 | インドネシア | 1989年09月15日 | 1980年代 | 第10回インドネシア国内学生運動(GMNI)総会開催(~19日)―同総会には300人が出席。執行部人事は1日延びて19日に決まった(KP紙,19,20日)。 |
DIA-209-1989-09-18-1 | インドネシア | 1989年09月18日 | 1980年代 | 学生運動について―ムルダニ国防治安相は,「学生と政府との間で闘争しているとの印象を作り出してはいけない」と述べた(KP紙,19日)。 |
DIA-209-1989-09-18-2 | インドネシア | 1989年09月18日 | 1980年代 | 日本の合板卸売協会代表団,大統領を表敬―一行は29人でインドネシア合板協会のボブ・ハサン会長の案内でスハルト大統領を表敬(KP紙,19日)。 |
DIA-209-1989-09-19-1 | インドネシア | 1989年09月19日 | 1980年代 | 大統領発言について―トリ・ストリスノ国軍司令官は,「大統領がぶっ叩くといったのは憲法に従わない活動に対してであって,制度としての政治社会勢力や国軍は関係ない」と述べた(KP紙,20日)。 |
DIA-209-1989-09-19-2 | インドネシア | 1989年09月19日 | 1980年代 | 学生運動について―スハルト大統領は青年層に対する政治教育の重要性を強調,現在の政治社会システムを通じて意見を表明するよう求めた(KP紙,20日)。 |
DIA-209-1989-09-19-3 | インドネシア | 1989年09月19日 | 1980年代 | PNG,領事館をイリアン・ジャヤ州のジャヤプラに開設―PNG側は豪のマスコミを含む140人の代表団を送り込んだ(KP紙,19日)。 |
DIA-209-1989-09-21-1 | インドネシア | 1989年09月21日 | 1980年代 | 東チモール問題,国連総会で次回まで議題とせず延期―この決定は20日に行なわれた国連総会の東チモール問題に関する委員会で討議された結果。アラタス外相によると,延期の理由は,インドネシア,ポルトガル双方の対話が依然必要なため。延期提案はブルネイが発議,ルクセンブルクが支持した(KP紙,22日)。 |
DIA-209-1989-09-23-1 | インドネシア | 1989年09月23日 | 1980年代 | 第3回ジャカルタ非公式会議について―アラタス外相は,インドネシアは第3回JIMの主催国となる用意のあることを明らかにした(KP紙,25日)。 |
DIA-209-1989-09-25-1 | インドネシア | 1989年09月25日 | 1980年代 | トリ・ストリスノ国軍司令官,マレーシアを訪問―リタウディン国防相と会談(KP紙,26日)。 |
DIA-209-1989-09-29-1 | インドネシア | 1989年09月29日 | 1980年代 | 大統領夫妻,フィリピンのマルコス前大統領の死去に際し,弔電を送る―ムルディオノ国家官房長官によると「友人として」の行為(KP紙,30日)。 |
DIA-209-1989-09-30-1 | インドネシア | 1989年09月30日 | 1980年代 | 企業家の行動について―PT Pembangunan Jayaのチプトラ会長は,「国内の状況が望ましくない状況となり危険が事業活動に及んでくれば,きっと企業家は資本と事業資産を海外へ逃避させるであろう。(大統領の)後継が安定下でなされることが保証されるならば企業家は国内で事業を行なえると確信できよう」と述べた(KP紙,10月2日)。 |
DIA-209-1989-10-03-1 | インドネシア | 1989年10月03日 | 1980年代 | チビノン地区の環境汚染について―サリム国務相は,チビノンのセメント会社に対し,大気汚染に適切な措置をとるように指示(KP紙,4日)。 |
DIA-209-1989-10-04-1 | インドネシア | 1989年10月04日 | 1980年代 | 米など穀物の政府買付価格と肥料価格の引き上げ―月例経済閣僚会議の席で,1990年1月1日から乾燥もみ米の政府買付価格を現在のキロ当たり250ルピアから270ルピアへ引き上げる。さらに肥料価格も種類別に価格が引き上げられた(KP紙,5日)。 |
DIA-209-1989-10-04-2 | インドネシア | 1989年10月04日 | 1980年代 | 東欧諸国の実業家のビザ取得を簡素化―ハルモコ情報相によると,東欧諸国との貿易関係拡大を目的として,東欧からの実業家を対象とした「到着時ビザ発給制度」(滞在期間1ヵ月以内)を導入(JP紙,5日)。 |
DIA-209-1989-10-05-1 | インドネシア | 1989年10月05日 | 1980年代 | 第44回国軍記念日式典(KP紙,6日)。 |
DIA-209-1989-10-05-2 | インドネシア | 1989年10月05日 | 1980年代 | 外為レート,1日に2回設定へ―朝はスワップ・再スワップ,外国通貨取引,輸出為替割引,夕方はスポット取引について。実施は9日から(KP紙,7日)。 |
DIA-209-1989-10-06-1 | インドネシア | 1989年10月06日 | 1980年代 | シンガポールのリー首相来訪(~7日)―ムルデカ宮殿でスハルト大統領と会談。会談のなかでリー首相は米軍基地の肩がわり構想について,「軍事基地を作るためのものではなく,アメリカの軍機や軍艦の修理のみを行なう施設」と記者会見で説明(KP紙,7日)。両者の会談は1時間半にわたり,カンボジア問題やバタム島開発についても話し合われた(KP紙,8日)。 |
DIA-209-1989-10-06-2 | インドネシア | 1989年10月06日 | 1980年代 | 大統領,中国建国40周年記念式典に祝電―国際戦略問題研究所(CSIS)のユスフ・ワナンディ所長は,4日付けロイター電が「1日にスハルト大統領が中国の楊尚昆国家主席あてに祝電を打っていた」と報道した点について,「これはおそらく初めてのことであり,中国との国交正常化に対するインドネシア側の前向きの姿勢を示したもの」と評した(KP紙,7日)。 |
DIA-209-1989-10-06-3 | インドネシア | 1989年10月06日 | 1980年代 | チーク製材の輸出,1990年から禁止へ―理由は国内手工業の原材料を確保するため(KP紙,9日)。 |
DIA-209-1989-10-09-1 | インドネシア | 1989年10月09日 | 1980年代 | ローマ法王来訪(~14日)―ハリム国際空港に到着したローマ法王は地面に口付け。ジャカルタ,ジョグジャカルタ,マウメレ(フローレス島),東チモール,メダンでミサを行なった(KP紙,10~17日など)。 |
DIA-209-1989-10-09-2 | インドネシア | 1989年10月09日 | 1980年代 | チマチャン村の住民77人,土地問題の解決を求めてDPRへ押し掛ける―到着後2時間して,村民の代表21人がゴルカル会派執行部と会談した(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1989-10-09-3 | インドネシア | 1989年10月09日 | 1980年代 | ポルトガル議会代表団の東チモール訪問について―アラタス外相によると,最近国連の場でのポルトガル代表との会談の結果,1990年に同国議会の代表団が東チモールを訪問する予定(JP紙,,10日)。 |
DIA-209-1989-10-10-1 | インドネシア | 1989年10月10日 | 1980年代 | スラバヤ=マドゥラ架橋建設構想―ハビビ国務相と日イ科学技術協力フォーラムの大来佐武郎議長の発表によると,スラバヤ=マドゥラ間2.7kmの架橋に対してインドネシアと日本が共同で,145億円を投入,1990年代中の完成を目指すことになった(JP紙,11日)。 |
DIA-209-1989-10-13-1 | インドネシア | 1989年10月13日 | 1980年代 | 特許法がDPR承認を経て成立―8ヵ月におよぶ審議の末,同法は1991年8月1日から施行される。また特許に関する諸問題を専門に扱う6人の裁判官が任命された(KP紙,14日)。 |
DIA-209-1989-10-14-1 | インドネシア | 1989年10月14日 | 1980年代 | 対中国国交正常化について―インドネシア大学のジュウォノ・スダルソノ教授は,「もはや中国,中国共産党,インドネシア共産党といった『亡霊』におびえる必要のない時にきている」と述べ,「24年前の9・30事件を忘れてよいといってるのではなく,国交正常化をそれが妨げてはならないといっているだけだ」と補足,華人に対する政策の再検討を求めた(KP紙,16日)。 |
DIA-209-1989-10-14-2 | インドネシア | 1989年10月14日 | 1980年代 | 製材,木材加工品全品目の輸出税を引き上げ―スマルリン蔵相によると,10日付け蔵相布告1134号により,1989年11月1日より実施(KP紙,16日)。 |
DIA-209-1989-10-17-1 | インドネシア | 1989年10月17日 | 1980年代 | ゴルカル指導者会議開催(~19日)。―ジャカルタ市のセルバ・グナ宮殿にて開催(KP紙,18日)。 |
DIA-209-1989-10-18-1 | インドネシア | 1989年10月18日 | 1980年代 | 第12回国民体育大会開催(KP紙,19日)。 |
DIA-209-1989-10-18-2 | インドネシア | 1989年10月18日 | 1980年代 | アメリカ企業,紙パルプ投資を断念し撤退―アメリカのスコット社は,イリアン・ジャヤ州においてアストラ・グループとの合弁で総投資額6億5400万㌦の紙パルプ工場建設を予定していた(JP紙,18日付け)。 |
DIA-209-1989-10-19-1 | インドネシア | 1989年10月19日 | 1980年代 | PLO,大使館を開設(KP紙,20日)。 |
DIA-209-1989-10-20-1 | インドネシア | 1989年10月20日 | 1980年代 | F-16戦闘機2機,空軍へ―インドネシアがアメリカのジェネラル・ダイナミックス社に発注した12機のうちの2機(JP紙,23日)。 |
DIA-209-1989-10-21-1 | インドネシア | 1989年10月21日 | 1980年代 | 国軍人事―国軍士官学校(Sesko)の新校長にプトゥ・スクレタ中将(前陸軍参謀長付作戦担当補佐官)が就任(KP紙,23日)。 |
DIA-209-1989-10-23-1 | インドネシア | 1989年10月23日 | 1980年代 | ジャカルタ首都特別州,東京都と姉妹都市関係を締結(JP紙,24日)。 |
DIA-209-1989-10-24-1 | インドネシア | 1989年10月24日 | 1980年代 | イギリスのフィリップ公来訪―スハルト大統領と40分間会談。世界環境基金(WWF)からの資金・技術援助を約束した(KP紙,25日)。 |
DIA-209-1989-10-27-1 | インドネシア | 1989年10月27日 | 1980年代 | 11月1日から航空・海運運賃値上げ―10月16日付け運輸相布告61号および62号により,国営ガルーダ航空は路線ごとに約20%,国営海運会社PT Pelniは等級ごとに5~20%の値上げを行なう(KP紙,28日)。 |
DIA-209-1989-10-28-1 | インドネシア | 1989年10月28日 | 1980年代 | 政府,5紙に警告―情報省はMedia Indonesia,Sinar Pagi,Suara Karya,Merdeka,Pikiran Rakyatの5紙に対して,「毒入りビスケット事件」との関連で毒入り食品の品目を広げて報道し,多くの国民の生活に広く影響を与えたという理由で警告を発した(KP紙,29日)。 |
DIA-209-1989-11-01-1 | インドネシア | 1989年11月01日 | 1980年代 | 工業団地の開発・運営を民間などすべての企業に開放―ラディウス経済調整相によると,10月27日付け大統領布告53号により,国営企業,地方公営企業,協同組合,民間企業,外資系企業,合弁企業のいずれも工業団地の開発および運営が認められる(KP紙,2日)。 |
DIA-209-1989-11-01-2 | インドネシア | 1989年11月01日 | 1980年代 | 韓国の崔外相来訪(~3日)―2日には「ASEAN事務局と韓国との定期協議」に関する文書を交換,調印した(KP紙,3日など)。 |
DIA-209-1989-11-01-3 | インドネシア | 1989年11月01日 | 1980年代 | 新大使任命―駐韓国大使にルドルフ・カセンダ前海軍参謀長,在ウィーン国連常駐代表部代表兼駐オーストリア大使にロウハナペシ外務省政治問題総局長,など計6人が任命された(JP紙,2日)。 |
DIA-209-1989-11-01-4 | インドネシア | 1989年11月01日 | 1980年代 | 政府,PT CRMIに出資―アリウィボウォ工業副大臣によると,出資額は3月当初予定の7500万㌦を上回る1億4500万㌦となる見込み(JP紙,2日)。 |
DIA-209-1989-11-01-5 | インドネシア | 1989年11月01日 | 1980年代 | バタム島への外資100%の投資について―BKPMのナピトゥプル部長は,バタム島への100%外資の直接投資(ただし商業生産開始後5年内に株式の5%を現地資本へ売却)が認可されたことを確認(JP紙,2日)。 |
DIA-209-1989-11-03-1 | インドネシア | 1989年11月03日 | 1980年代 | 英・チャールズ皇太子,ダイアナ王妃来訪(~7日)(KP紙,4日など)。 |
DIA-209-1989-11-03-2 | インドネシア | 1989年11月03日 | 1980年代 | チマチャン村の土地問題について―ルディニ内相は,「ゴルフ場建設予定地にある農家280戸のうち190戸についてはすでに土地の賠償などが終わっており,残りのうち28戸がいかなる補償の申し出をも拒否し続けている」と説明(JP紙,4日)。 |
DIA-209-1989-11-03-3 | インドネシア | 1989年11月03日 | 1980年代 | 日本の経団連代表団,来訪―斎藤英四郎会長を代表とする一行20人は,工業団地建設と鋳鉄プラントへの投資に同意。同代表団は6日にスハルト大統領を表敬,スマルリン蔵相らと会談(JP紙,7日など)。 |
DIA-209-1989-11-05-1 | インドネシア | 1989年11月05日 | 1980年代 | APEC閣僚会議開催(~7日)―12ヵ国から25人の閣僚が出席。主唱者の豪のホーク首相は,APECは経済ブロック化を目指さないことを強調(KP紙,6日)。 |
DIA-209-1989-11-07-1 | インドネシア | 1989年11月07日 | 1980年代 | 国営ガルーダ航空,株式を公開か―国営ガルーダ航空のスパルノ社長は滞在先のニューヨークで,同社が1990年末か1991年初めに株式を公開する意向であることを明らかにした(KP紙,8日)。これに対してアズワル・アナス運輪相やスマルリン蔵相は,「新聞を読んで初めて知った」と驚きを隠さず(KP紙,9日)。 |
DIA-209-1989-11-09-1 | インドネシア | 1989年11月09日 | 1980年代 | サルウォ・エディ・ウィボウォ退役中将死去-享年64歳。高血圧と脳内出血のため(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1989-11-10-1 | インドネシア | 1989年11月10日 | 1980年代 | 首都高速道路,一部完成―トマン=チャワン=ラワマングン間一部分の開通(KP紙,11日)。 |
DIA-209-1989-11-11-1 | インドネシア | 1989年11月11日 | 1980年代 | 国営企業52社の株式公開を90年から開始―スマルリン蔵相によると,このなかには工業,金融,農業,ホテル業が含まれている(KP紙,12日)。 |
DIA-209-1989-11-12-1 | インドネシア | 1989年11月12日 | 1980年代 | 大統領,バタム島にゴルフ場を開所―開所後のゴルフに参加したのはスハルト大統領,ムルダニ国防治安相,トリ・ストリスノ国軍司令官,スドモ政治調整相のほか,ハビビ国務相ら閣僚(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1989-11-18-1 | インドネシア | 1989年11月18日 | 1980年代 | 新しい学生組織―教育文化省のスカジ高等教育総局長によると,「学問の自由,学術的言論の自由,学問の独立性,高等教育機関の運営」に関する政府規則を準備しており,これに基づいて各大学,各学部レベルで学生会(senat mahasiswa)が作られるが,それらは各大学,各学部の内部機関となる(KP紙,21日)。 |
DIA-209-1989-11-23-1 | インドネシア | 1989年11月23日 | 1980年代 | 5000重量㌧以上の船舶の購入について―アズワル・アナス運輸相は,5000重量㌧以上の船舶を国内で使用するために外国から購入することを認めることを明らかにした。これに対して28日,ハビビ国務相は,「5000重量㌧以上の船舶の輸入は禁止されているが,リースならかまわぬ」と述べた(KP紙,24,29日)。 |
DIA-209-1989-11-23-2 | インドネシア | 1989年11月23日 | 1980年代 | SGSとの契約を延長せず―スマルリン蔵相は,「政府はすでにスイスの輸入検査会社SGSとの契約を延長しないことに決定した。輸入業者協会の要請があっても決定の変更はない。ただしSGSから税関への業務移管は徐々に行なっていく」と述べた(JP紙,25日)。 |
DIA-209-1989-11-23-3 | インドネシア | 1989年11月23日 | 1980年代 | トリ・ストリノス国軍司令官,マレーシアを訪問(~25日)―第18回国境委員会出席のため,クアラルンプルを訪問。マレーシア側とは,カリマンタンの両国国境地域での協力について話し合った(KP紙,24日)。 |
DIA-209-1989-11-25-1 | インドネシア | 1989年11月25日 | 1980年代 | 第28回ナフダトゥール・ウラマ(NU)全国大会開催(~29日)―ジョグジャカルタの南4kmのポンドック・プサントレン・アルムナウィルで開催。スハルト大統領が開会の挨拶を行ない,実利的な政治活動を行なうことなく,奉仕を広めるよう求めた(KP紙,26日)。新執行部は28日に決定,Syuriyah議長にアフマド・シディックが,Tanfidziyah議長にアブドゥルラーマン・ワヒドがそれぞれ再選された(KP紙,29日など)。 |
DIA-209-1989-11-28-1 | インドネシア | 1989年11月28日 | 1980年代 | 第8回インドネシア=PNG国境委員会,ポートモレスビーで開催(~30日)―イ側は境界線に沿ってチェック点を設けることを提案(JP紙,29日)。 |
DIA-209-1989-11-28-2 | インドネシア | 1989年11月28日 | 1980年代 | 汚職を働いた者の名前をテレビで公表―ハルモコ情報相によると,国営テレビは裁判所で罪が明らかになった場合にのみ,汚職や密輸を働いた者を写真入りでテレビニュース番組で公表する方針(JP紙,29日)。 |
DIA-209-1989-11-29-1 | インドネシア | 1989年11月29日 | 1980年代 | 第22回ASEAN経済閣僚会議,ブルネイのバンダル・スリ・ブガワンで開催(~12月1日)―ASEAN内経済協力やアジア太平洋経済協力,ASEAN事務局の組織改革の可能性などが議題(JP紙,12月1日)。 |
DIA-209-1989-12-01-1 | インドネシア | 1989年12月01日 | 1980年代 | 汚職者のテレビを通じた公表について―サヌシ警察軍司令官は,最高検察序長官の発案によるこのアィディアに賛意を示した(JP紙,2日)。 |
DIA-209-1989-12-04-1 | インドネシア | 1989年12月04日 | 1980年代 | 国交正常化問題を話し合うため中国代表団来訪(~11日)―一行は徐敦信外務次官兼アジア局長を団長とする7人。中国への債務返還問題については両国それぞれが特別作業委員会を作り,検討を続けていくことになった。また中国大使館の立地場所については,消息筋によるとクニンガン地区が有力となっており,館員は20人程度となる模様(KP紙,10日)。 |
DIA-209-1989-12-05-1 | インドネシア | 1989年12月05日 | 1980年代 | 土地収容問題で東ジャワの農民93人,DPRへ押し掛ける―東ジャワ州シトゥボンド県バニュプティ郡スンブルアニャル村ブラングアン部落の住民93人はDPRのゴルカル会派を訪れ,プロジェクトで収容された土地に対する賠償金問題の解決と農業を続けていくための代替地の手当を涙ながらに要請(KP紙,7日)。 |
DIA-209-1989-12-06-1 | インドネシア | 1989年12月06日 | 1980年代 | ASEAN法律家協会(ALA)大会開催(~10日)―スダルモノ副大統領が開会の挨拶(JP紙,7日)。 |
DIA-209-1989-12-08-1 | インドネシア | 1989年12月08日 | 1980年代 | 貨物用航空機のチャーター業を認可―運輸省によると,空運を使った非石油輸出物資輸送の促進を目的とした措置(KP紙,9日)。 |
DIA-209-1989-12-08-2 | インドネシア | 1989年12月08日 | 1980年代 | ムハマディア指導者会議開催(~11日)―議題は,1990年12月予定の第42回全国大会の準備など組織内の問題。アチェ特別州ロクスマエにて開催(KP紙,9日)。 |
DIA-209-1989-12-11-1 | インドネシア | 1989年12月11日 | 1980年代 | インドネシアと豪,「チモール海峡での共同開発地域に関する条約」を締結―締結は豪空軍機内で,チモール海峡の共同開発地域の上空にて行なわれた。イ側からはアラタス外相とギナンジャール鉱業・エネルギー相が,豪側からはエバンス外相,クック天然資源相が締結に立ち合った。アラタス外相は,「この条約は感情に対する理性の勝利である」と発言。エバンス外相も「過去40年の両国関係のなかでかつてない重要な条約」と評価した(KP紙,12日)。チモール海峡地域の油田共同開発は1991年に開始される予定(JP紙,12日)。 |
DIA-209-1989-12-11-2 | インドネシア | 1989年12月11日 | 1980年代 | 西ジャワ州スルポンの科学技術センターに数ヵ所の実験施設が開所―開所したのは核燃料実験施設,ラジオアイソトープ生産センターなど。スハルト大統領夫妻が開所式に出席(KP紙,12日)。 |
DIA-209-1989-12-11-3 | インドネシア | 1989年12月11日 | 1980年代 | F-16型戦闘機2機がアメリカから到着―空軍の注文している全12機の一部で,1990年の10月までに全12機を受け取る予定(KP紙,12日)。 |
DIA-209-1989-12-11-4 | インドネシア | 1989年12月11日 | 1980年代 | 国軍,シンガポール軍との初の陸上合同演習をシンガポールで開始―この演習は89年3月にジャヵルタで締結された両国の定期陸上演習に関する協定にもとづくもの(共同/JP紙,12日)。 |
DIA-209-1989-12-11-5 | インドネシア | 1989年12月11日 | 1980年代 | ジャンビ州の新知事にアブドゥルラーマン・サユティ前同州副知事が就任(KP紙,12日)。 |
DIA-209-1989-12-11-6 | インドネシア | 1989年12月11日 | 1980年代 | 国軍人事―国軍防衛研修所の新所長にスカルト前国軍士官学校司令官が就任(KP紙,12日)。 |
DIA-209-1989-12-12-1 | インドネシア | 1989年12月12日 | 1980年代 | 内相,大統領就任への野心を否定―ルディニ内相は,「新聞紙上に私の名前が出るのは,自分が大統領になるという政治的キャンペーンではない。私は大統領になる野心など持っていないことを神に誓う。スハルト大統領の信頼のもとで国内政治の発展のために懸命に尽くしているだけだ」と述べた(KP紙,13日)。 |
DIA-209-1989-12-12-2 | インドネシア | 1989年12月12日 | 1980年代 | ポルトガル,チモール海峡に関する条約締結を厳しく非難―ポルトガル政府は,条約締結への抗議の意味を込めて在豪のポルトガル大使を本国へ召還するとともに,ポルトガル外務省は在ポルトガルの豪大使を呼び,抗議文書を手渡した(KP紙,14日)。 |
DIA-209-1989-12-13-1 | インドネシア | 1989年12月13日 | 1980年代 | 「毒入りビスケット事件」で11人を起訴―スドモ政治調整相によると,起訴されたのは工場の経営者,毒性物質を中国から運んだ船長など(JP紙,14日)。 |
DIA-209-1989-12-14-1 | インドネシア | 1989年12月14日 | 1980年代 | アチェ特別州などに紙パルプ工場が開所―開所したのはアチェ特別州ロクスマエに立地するPT Kertas Kraft Acehなど8ヵ所。これら各工場全体の投資額は7億5700万㌦で,年間生産能力はパルプが16.5万㌧,紙が31.7万㌧(KP紙,15日)。 |
DIA-209-1989-12-14-2 | インドネシア | 1989年12月14日 | 1980年代 | 宗教裁判所法(UU Pemdilan Agama),DPRの承認を得て成立(KP紙,14日)。 |
DIA-209-1989-12-20-1 | インドネシア | 1989年12月20日 | 1980年代 | 国営スズ公社PT Tambang Timahの新総裁にクントロ・マンクスブロト氏が就任。同氏は前PT Tambang Batubara Bukit Asam社長(JP紙,21日)。 |
DIA-209-1989-12-20-2 | インドネシア | 1989年12月20日 | 1980年代 | ビンタン島の海洋汚染問題―シンガポールからの産業廃棄物で海洋汚染が進んでいるとされるビンタン島北部海域での調査の結果,汚染状況は化学加工残余物によってPHが10.7と基準を大幅に上回るなど,相当進んでいることが明らかになった(KP紙,22日)。 |
DIA-209-1989-12-21-1 | インドネシア | 1989年12月21日 | 1980年代 | スジャトモコ前国連大学学長死去―病名は心臓麻痺。享年67歳(KP紙,22日)。 |
DIA-209-1989-12-21-2 | インドネシア | 1989年12月21日 | 1980年代 | 国軍,外国マスコミ報道を否定―国軍スポークスマンのヌルハディ准将は,「イリアン・ジャヤで最近住民の抵抗運動(旗を掲揚して独立を宣言など)があり,400人が逮捕され,少なくとも3人がPNGへ亡命した」とのAFP電を否定した(JP紙,22日)。 |
DIA-209-1989-12-30-1 | インドネシア | 1989年12月30日 | 1980年代 | 偽造農薬について―スカルトン最高検察庁長官はワルドヨ農業相らとともに記者会見し,「農薬の偽造は国家反逆罪相当の罪である」と述べ,最近の2件のケースが複数の場所で発覚したため調査を行なっていることを明らかにした(KP紙,31日)。 |