ID 国名 日付 年代 内容
DIA-209-1990-01-01-1インドネシア1990年01月01日1990年代T. B. Simatupang元国軍司令官死去。
DIA-209-1990-01-03-1インドネシア1990年01月03日1990年代ジャカルタ特別市政庁,最低賃金引上げを決定。1600ルピアから2100ルピアプラス日当500ルピアへ。
DIA-209-1990-01-04-1インドネシア1990年01月04日1990年代大統領,90年度国家予算案を国会に提出,歳出入とも42兆8731億ルピア,前年度比約17%増。原油価格を1バレル=16.5ドル(前年度14ドル)で見積り。主要点は,(1)債務償還率は総支出の33%から30%へ低下,(2)非石油税収20%拡大,(3)公務員給与の10%引上げ,(4)外国援助0.3%低下。また特に「富の公平な分配と社会正義実現のため民間会社に対して株式の25%を協同組合に放出するよう」求めた。6日,ラデイウス調整相はこれを「強制ではない」と説明。
DIA-209-1990-01-05-1インドネシア1990年01月05日1990年代外相,外務省政務総局長にWiryono Sastrohandoyo前オーストリア大使兼ジュネーブ国連機関大使(前任者John Louhannapessyとのポスト交換)就任。
DIA-209-1990-01-05-2インドネシア1990年01月05日1990年代ジャボタベク地域の最低賃金,日刊紙Media Indonesiaの調査をJP紙5日が転載。89年末現在政府の最低賃金はジャカルタ市1600ルピア,ボタベク1400ルピアだが,この地域の数十万の労働者はこの額を受け取っていない。
DIA-209-1990-01-09-1インドネシア1990年01月09日1990年代アラタス外相,バンコクで民主カンボジア3派,タイ首脳らと会談。14~15日ベトナムのホー市を訪問し,カンボジアのフン・セン首相と会談。
DIA-209-1990-01-09-2インドネシア1990年01月09日1990年代税関業務委託問題。輸入業者協会(Ginsi),91年5月で失効するスイス検査会社(SGS)への関税業務委託契約の続行を希望。
DIA-209-1990-01-10-1インドネシア1990年01月10日1990年代バタム島工業開発でシンガポールと協定調印。イ側はサリム・グループのPT Herwido Rintis,シ側は政府系の2社。
DIA-209-1990-01-10-2インドネシア1990年01月10日1990年代Agrobank(インドネシア最初の農業銀行)開業。
DIA-209-1990-01-10-3インドネシア1990年01月10日1990年代イ・ソ間初の合弁事業設立協定調印。イ産やし油をソ連で加工,食料と洗剤を生産。ソ連側はモスクワ油脂製品工場,ソ連輸出業者連盟,イ側サリム・グループの合弁,社名はMosalim。イ・ソ双方折半出資。建設地ウズベク共和国,資金1580万ドル。
DIA-209-1990-01-10-4インドネシア1990年01月10日1990年代枝村駐イ日本大使離任。後任は国広道彦大使。
DIA-209-1990-01-11-1インドネシア1990年01月11日1990年代イリアンジャヤ知事,「マングローブ伐採は規則どおり」と主張。日本の新聞が現地の熱帯林保護運動Jatanの主張を報道したことに答えたもの(→2/14)。
DIA-209-1990-01-11-2インドネシア1990年01月11日1990年代スズ生産国協会,3月以降輸出量5%削減に合意。
DIA-209-1990-01-11-3インドネシア1990年01月11日1990年代都市・環境問題調査開発センター(P4L)の発表,ジャカルタ市4000企業のうち,廃棄物の試験サンプルを定期的に同センターへ報告しているのは158企業のみ。
DIA-209-1990-01-13-1インドネシア1990年01月13日1990年代ギナンジャール・エネルギー相発表,1月のミナス原油は19.24ドルへ。4年ぶりの高水準(→2/17)。
DIA-209-1990-01-13-2インドネシア1990年01月13日1990年代日本海外経済協力基金,ジャカルタ東部地区の洪水防止事業に全額借款供与(60億円)で同意(JP紙13日)。
DIA-209-1990-01-15-1インドネシア1990年01月15日1990年代商工会議所発表,東部諸州で支部設立計画。
DIA-209-1990-01-15-2インドネシア1990年01月15日1990年代統一開発党書記長(Matori Abdul Jalil),「パンチャシラ民主主義政治制度の高揚に努める」と語る。
DIA-209-1990-01-16-1インドネシア1990年01月16日1990年代西ドイツ,国防治安省に対し,100万マルク援助供与で調印。
DIA-209-1990-01-16-2インドネシア1990年01月16日1990年代ジャカルタ発『日経』によると,政府は2003年から原子力発電運転開始,2015年までに出力60万~100万kW級原発を7基以上連続的に建設する計画を最終的に固めた。建設資金は1基につき10億~15億ドル。軽水炉型1号機は95年または96年までに実施可能性調査を終え2003年に運転。中ジャワ北部ムリア山麓に複数基,他に中ジャワ・ルンバン湾に面したラセム,東ジャワ州シトゥボンドなどが候補にあがっている。
DIA-209-1990-01-16-3インドネシア1990年01月16日1990年代プルタミナ,2月積み対日原油供給を日本側の要求に比べ37%削減(日量22万バレルへ。要求量35万バレル)と通告,1月に続き2カ月連続(→2/17)。
DIA-209-1990-01-16-4インドネシア1990年01月16日1990年代ジャカルタでインドネシア民間企業会議(DPSN)が台湾経済研究協会と了解覚書調印。これにより台湾は中規模40工場をインドネシアに移転し,また毎年インドネシアの中小企業者1万人に経営面の訓練を与える。
DIA-209-1990-01-16-5インドネシア1990年01月16日1990年代UNDP,政府とNGO(非政府組織)への保健・技術援助で調印。
DIA-209-1990-01-16-6インドネシア1990年01月16日1990年代ジャカルタ市議会前で土地問題に関する住民(ジャカルタ西部地区)デモ。
DIA-209-1990-01-17-1インドネシア1990年01月17日1990年代ソ連最高会議代表団来訪(~24日)。18日のラディウス調整相との会談で18件の合弁企業推進を討議。
DIA-209-1990-01-17-2インドネシア1990年01月17日1990年代宗教相,外国人説教師に政府政策の遵守を要望。
DIA-209-1990-01-17-3インドネシア1990年01月17日1990年代マレーシア外相来訪。5日間,両国青年対話集会(マリンドⅡ)に出席のため。
DIA-209-1990-01-17-4インドネシア1990年01月17日1990年代アメリカ大使,東ティモール州都ディリを訪問。青年ら20人がデモ。
DIA-209-1990-01-18-1インドネシア1990年01月18日1990年代シレガル商業相,日本の「そごう」デパートの進出計画に関連して,外資の小売業進出は禁止されている,と警告(→2/17)。
DIA-209-1990-01-18-2インドネシア1990年01月18日1990年代タンゲラン地区農民,土地問題で国民議会に直訴。
DIA-209-1990-01-18-3インドネシア1990年01月18日1990年代政府,国連常任理事国によるカンボジア問題共同声明(16日,パリ)に支持を表明。
DIA-209-1990-01-19-1インドネシア1990年01月19日1990年代マレーシア,麻薬所持で逮捕した南スラウェシ出身者にコタ・キナバル刑務所で絞首刑執行。ジャカルタの同国大使館へは数日前から抗議行動があった。
DIA-209-1990-01-19-2インドネシア1990年01月19日1990年代民主党(PDI)Soerjadi委員長,党執行部分裂に関する噂をつよく否定。なおNico Daryanto書記長によると,現在の党員数は45万8116人(半数は中部ジャワ)。
DIA-209-1990-01-22-1インドネシア1990年01月22日1990年代政治・治安関係閣僚級調整会議,スドモ調整相司会のもと,犯罪発生とベチャ一掃問題について討議。同相は会議後,ジャカルタ市のベチャ一掃計画(89年12月開始,3月末達成を予定)は準備不足,と批判。
DIA-209-1990-01-22-2インドネシア1990年01月22日1990年代外務省,南シナ海紛争管理でワークショップ開催。Asean諸国とカナダから67人が参加。3日間。アラタス外相,同海域の資源管理を提案。
DIA-209-1990-01-23-1インドネシア1990年01月23日1990年代ジャカルタでソ連のチャプリン外務次官を団長とする代表団とイ側外務省代表団とが領事問題で協議。
DIA-209-1990-01-24-1インドネシア1990年01月24日1990年代スハルト大統領,「コングロムラトが急速に拡大しているが,心配はない」と語る(→89/12/31)。
DIA-209-1990-01-25-1インドネシア1990年01月25日1990年代「イスラム過激分子」に17年拘留の判決。88年8月から89年2月までにパンチャシラと政府の転覆を唆す言動を行なったという理由。2月7日にももう1人が同じ理由で同じ判決を受けた。
DIA-209-1990-01-26-1インドネシア1990年01月26日1990年代エネルギー相,国内市場における天然ガス価格の規制を廃止し,外国投資を誘致すると発表。
DIA-209-1990-01-27-1インドネシア1990年01月27日1990年代中部ジャワで26日ダムが決壊し,洪水。29日の報道では死者152,避難者2万4320人。
DIA-209-1990-01-29-1インドネシア1990年01月29日1990年代宗教相,90年のメッカ巡礼費を3.3%引き上げと発表。532万ルピアへ。89年は5万7904人が巡礼。
DIA-209-1990-01-29-2インドネシア1990年01月29日1990年代中銀発表,中銀信用(liquidity credit)の削減(2月1日以降)と輸出信用助成金の停止(3月1日以降)を発表。88年10月,12月の改革措置を補足。中銀信用は低金利(平均5%で通常の3分の1)のためインフレを促し,金融政策を困難なものとしていた。また商銀貸付けは20%を協同組合と小規模企業にとどめること。
DIA-209-1990-01-30-1インドネシア1990年01月30日1990年代政府,東部諸州での鉱業開発に奨励措置,エネルギー相の発表。
DIA-209-1990-01-31-1インドネシア1990年01月31日1990年代日・イ・エネルギー合同委,東京で開催(~2月1日)。イ側,日本に省エネ技術などを求め,日側はエネルギーの長期供給をもとめた。
DIA-209-1990-02-01-1インドネシア1990年02月01日1990年代食糧調達庁長官,米と砂糖は値上げせず,と国会発表。現在米価は中級米で1kg当り550ルピア(政府指定価格525ルピア)。
DIA-209-1990-02-01-2インドネシア1990年02月01日1990年代世界熱帯雨林運動,政府に対してCimacanゴルフ場(西部ジャワ)建設計画の中止を要請。JP紙1日。
DIA-209-1990-02-01-3インドネシア1990年02月01日1990年代国立銀行,1日より金利引下。プライムレートは16%へ,定期預金(各種)は14%から15.5%の範囲へ。
DIA-209-1990-02-03-1インドネシア1990年02月03日1990年代バンドン工科大学生に3年の禁固刑。89年8月のルディニ内相の工科大学訪問に反対デモをかけた。
DIA-209-1990-02-04-1インドネシア1990年02月04日1990年代日本政府使節団来訪(~7日)。プリタⅤの進捗およびプリタⅥの計画策定で討議。
DIA-209-1990-02-05-1インドネシア1990年02月05日1990年代JP紙5日によると,アメリカの労働連合AFL-CIOは,インドネシアが労働者の権利を侵害しているため,特恵関税(GSP)の適用を除外するよう同国政府に要請した。このためJ. Soedradjad副商業相は最近ワシントンを訪問し,「誤解」解消のため説明を行なった。
DIA-209-1990-02-06-1インドネシア1990年02月06日1990年代国軍の二重機能。国家防衛会議のMachmud Subarkah事務局長が必要性を議会で証言。
DIA-209-1990-02-06-2インドネシア1990年02月06日1990年代ムルディオノ官房長官,国会で「中国は,外交関係を持つ国からの輸入には12%の関税を課しているが,インドネシアには17%を適用」と語る。
DIA-209-1990-02-06-3インドネシア1990年02月06日1990年代日本,中部ジャワ洪水被災者に2万5000ドル寄付。
DIA-209-1990-02-07-1インドネシア1990年02月07日1990年代ストリスノ国軍司令官,国会第1委員会の聴聞会で,「元共産主義政治犯の投票権行使については,内相によって設置されたチームが決定する要件を彼らが満たしている限り,何ら問題はない」とし,また,強固な共産主義者(A群)は814人,元党員(B群)3万7670人,(C群)86万0388人,定期報告を要する元党員(D群)97万2784人,合計現在187万人いる,と発表。なお内相は同日,「B群に対して次回選挙で投票権を認められよう。国家安定調整庁ならびに戦略情報庁(BAIS)の審査を受けたものでパンチャシラの堅持を誓約した者が対象」と表明。C群は87年までに選挙権を回復。
DIA-209-1990-02-08-1インドネシア1990年02月08日1990年代オーストラリアと二国間問題で外交折衝,ジャカルタで開催。定期的対話は78年以来中断していた。
DIA-209-1990-02-08-2インドネシア1990年02月08日1990年代世銀と中等教育開発(教員20万人の能力向上)に1億5420万ドル(84年に続き2回目)援助供与協定調印。
DIA-209-1990-02-09-1インドネシア1990年02月09日1990年代台湾と二重課税防止条約にする覚書に調印。
DIA-209-1990-02-10-1インドネシア1990年02月10日1990年代東部ジャワ・ケルド山が大噴火。事後調査で死者32人,家屋損害数千戸,コーヒー園約3500haを破壊。
DIA-209-1990-02-13-1インドネシア1990年02月13日1990年代インドネシア開発銀行(Bapindo),ASEAN金融公社(AFC)を介した日本8銀行からの7500万ドルの協調融資に関する協定に調印。おもに輸出信用むけ。
DIA-209-1990-02-13-2インドネシア1990年02月13日1990年代国広道彦大使,信任状提出。
DIA-209-1990-02-14-1インドネシア1990年02月14日1990年代ワルドヨ農相,ジャカルタでの全国州知事会議で,食料,特に米の自給体制の確立を要望。89年産米は前年比4.5%の伸び,90年目標は89年比4.15%増。
DIA-209-1990-02-14-2インドネシア1990年02月14日1990年代イリアンジャヤ知事,同州でのマングローブ伐採に違法な行為があった,と言明(→1/11)。
DIA-209-1990-02-14-3インドネシア1990年02月14日1990年代「行政の効率化を求めるような平和的デモは容認せよ」,ガジャマダ大学教授の国会証言。
DIA-209-1990-02-14-4インドネシア1990年02月14日1990年代バンドン市,市内のあらゆる建造物,寺院,墓地で漢字の使用を禁止。市当局者によると,情報省88年11月1日付回状に基づく措置という。3月17日に撤回。
DIA-209-1990-02-15-1インドネシア1990年02月15日1990年代第2期デジタル電話交換器(STD Ⅱ)契約で,日米抗争激化。日本電気と米国AT & T社の受注合戦で米国側は大統領がさる2日スハルト大統領に親書を送り,米国側に有利な取りまとめを要請した。こうした米国側の意思表示(日本が圧力をかけた,との趣旨)に関連しムルディオノ国務相は15日「どの国もこの問題でインドネシアに干渉せず,また圧力をかけていない」と表明。
DIA-209-1990-02-15-2インドネシア1990年02月15日1990年代ベチャによる交差点付近での営業の禁止令発効。バスシェルター,駐車場,ガソリンステーション等での営業は許可。側道から出ることは不許可。ジャカルタ市身分証保持者には職業の転換,不保持者には帰村をせまる。スドモ調整相が13日の大集会で説明。
DIA-209-1990-02-15-3インドネシア1990年02月15日1990年代IPTN社(社長はハビビ調査技術相)はロッキード社との間に長期協力協定を締結。共同研究,ライセンス付与,および航空機の保守が対象。また,同日,スウェーデンのリース会社がIPTNから96年現物引渡しの条件でN-250型航空機24機の購入契約を結んだ。
DIA-209-1990-02-16-1インドネシア1990年02月16日1990年代国軍スポークスマン,故スカルノ大統領の宮殿護衛部隊員4人(6将軍の暗殺に直接かかわった)の死刑執行を確認。20日オランダは,対イ援助延期を考慮と発表(→4/14)。インドネシア法務援助財団(YLBHI)のAbdul Hakim Garuda Nusantara会長は(JP紙17日),強い遺憾の意を表し,死刑廃止を政府に訴えた。
DIA-209-1990-02-17-1インドネシア1990年02月17日1990年代スハルト大統領,州知事を公邸に迎え,社会的不均衡の是正に努力を続けるよう,要請。
DIA-209-1990-02-17-2インドネシア1990年02月17日1990年代Salleh法相,日本「そごう」デパートのインドネシア進出計画に法令違反の判断。同社が地元法人(Sogo Lestari Indonesia,Gadjah Tunggalグループの完全子会社)と結んだ技術援助,商標貸与協定が,外国業者による小売り活動を禁止した法令に違反したという。技術提携の枠を越え仕入の内容から管理まで支配し,そごう社員が5年間も技術指導する点も違法という。1月はじめ投資調整庁が許可して以来地元小売り業者が反対の声をあげ,法務省が調査(→1/18,3/1)。
DIA-209-1990-02-17-3インドネシア1990年02月17日1990年代プルタミナは2月積み日本向け価格を1バレル=0.08ドル値上げ(ミナスは19.32ドル)。同時に3月積み対日原油供給を日本側の要求に比べ50%削減すると通告。
DIA-209-1990-02-17-4インドネシア1990年02月17日1990年代ジャカルタ知事,住宅地では今年末までベチャの営業を許可。これまでは「3月末で全廃する」と主張。
DIA-209-1990-02-19-1インドネシア1990年02月19日1990年代蔵相,国会で新年度予算補足説明。対外返済元本40億3000万ドル,同利子27億6000万ドル。石油収益算定は,原油輸出2億7460万バレル(1バレル=16.5ドル),石油製品輸出6230万バレル(1バレル=18.74ドル),LNG輸出9890億BTU(100万BTU=2.80ドル),LPG輸出230万トン(1トン=113ドル)。
DIA-209-1990-02-20-1インドネシア1990年02月20日1990年代ウィルヨノ外務省政務総局長,国会で「東欧諸国の事態に即応するための代表部,欧州統合市場に関する問題に対処する事務所の2代表事務所を近くベルギーに開設する」と証言。
DIA-209-1990-02-20-2インドネシア1990年02月20日1990年代バンドン工科大学学生に3年の拘留判決(→2/3)。
DIA-209-1990-02-20-3インドネシア1990年02月20日1990年代日本,NGO,地方行政機関,医療奉仕団体などに4件の無償援助供与で調印。
DIA-209-1990-02-20-4インドネシア1990年02月20日1990年代オーストラリアも第2デジタル電話交換器入札合戦に参加を表明(→2/15)。なお米輸出入銀行総裁は,スハルト大統領と会見後「AT & Tが落札すれば同プロジエクトに対して財政支援を行なう」と表明。
DIA-209-1990-02-24-1インドネシア1990年02月24日1990年代ギナンジャル鉱山相,イリアンジャヤ銅鉱山会社(Freeport Indonesia Inc)の契約更新に精練工場の布設義務付けを再確認。現契約は93年まで。なおAWSJ紙3月1日によると,ス大統領は,同社が新規の法律に従えば,現契約を2003年まで延長する意向という。内容は同社がイ籍会社となること,インドネシア人に20%の株保有を認めること(現在は8.9%)という。
DIA-209-1990-02-24-2インドネシア1990年02月24日1990年代インドネシア労働組合連合(SPSI),第17回年次会議開催。コスマス人力相によると,90年を「賃金の年」と位置付け,連合会各支部に事態の展開をモニターするよう要請。13州は最低賃金案を未提出。
DIA-209-1990-02-26-1インドネシア1990年02月26日1990年代大統領,第Ⅱ期デジタル電話システム(STDI Ⅰ・Ⅱ)プロジェクト国際競争入札は,限定ベースで再度実施と決定。今後は入札に参加した11社のうち有力5社(→3/6)が対象(→2/15)。
DIA-209-1990-02-26-2インドネシア1990年02月26日1990年代カンボジア問題非公式会議,ジャカルタで開催。
DIA-209-1990-02-27-1インドネシア1990年02月27日1990年代新年度予算案無修正で国会通過。
DIA-209-1990-03-01-1インドネシア1990年03月01日1990年代「そごう,ジャカルタで開店」。社名をSogo Lestari IndonesiaからPanen Lestari Indonesiaと改め,政府の認可を得たもの(→1/18,2/17)。1月以来の紛議の結果,法的に日本「そごう」の名称は消えたが,JP紙は「日本の巨大な小売り企業の支店第1号である『そごうデパート』がジャカルタに開店した」と報道。
DIA-209-1990-03-02-1インドネシア1990年03月02日1990年代日本の輸出入銀行および市中銀行6行,184億8400万円のバイヤーズ・クレジット供与を発表。スマトラにおける尿素およびアンモニア工場の建設用。
DIA-209-1990-03-03-1インドネシア1990年03月03日1990年代スハルト大統領,リアウを訪問。燃料の国内価格は非効率利用抑制のため低めに押さえることは得策でない,と発言。エネルギー相も2月27日に同様の発言。
DIA-209-1990-03-04-1インドネシア1990年03月04日1990年代スハルト大統領,林紹良ら31人の大企業ナーナー31人を前に富を分け与えよと力説(→1/4)。
DIA-209-1990-03-04-2インドネシア1990年03月04日1990年代韓国Hyundai,セメント工場建設契約をSemen Cibinong Co.と締結。1億7000万ドル。92年4月完成。
DIA-209-1990-03-05-1インドネシア1990年03月05日1990年代華人の経済支配問題,International Herald Tribune紙5日は,外交官・ジャーナリズムの声として12月以降華人に対する暴力ざたが多発,と報道。またNahdlatl UlamaのWahid会長の言として「大統領は成長と社会的公正の均衡を見いだせないでいる」と報道。
DIA-209-1990-03-05-2インドネシア1990年03月05日1990年代スハルト大統領,土地所有者への補償を公正に。国家土地庁(BPN)の会議で。
DIA-209-1990-03-06-1インドネシア1990年03月06日1990年代ムルディオノ国務相,第2期インドネシア・デジタル電話システム(STD-Ⅱ)調達についてAlcatel(仏,米),Ericsson(スウェーデン),NEC(日),AT & T(米)および富士通(日本)の5社に入札の機会を与えると発表。入札は6カ月以内に実施(→2/26)。
DIA-209-1990-03-06-2インドネシア1990年03月06日1990年代副工業相,ジャカルタおよび周辺域での新規の工業団地開発申請を一時的に受理停止と発表。
DIA-209-1990-03-06-3インドネシア1990年03月06日1990年代会計監査庁,プルタミナ社の財政・経営状況に「無条件(に良好)」の報告を提出。
DIA-209-1990-03-07-1インドネシア1990年03月07日1990年代KADINと日本・経団連代表による第10回年次日イ経済委員会(JIEC),ジャカルタで開く。
DIA-209-1990-03-07-2インドネシア1990年03月07日1990年代オーストラリアとの防衛事務官会議,ジャカルタで終わる。89年7月のトリ国軍司令官の訪豪に続くもの。
DIA-209-1990-03-07-3インドネシア1990年03月07日1990年代インドネシアの建設3社,合弁でマレーシアの南北ハイウェイ建設の一部を受注。
DIA-209-1990-03-08-1インドネシア1990年03月08日1990年代インドネシア製のボギー・コンテナー(BFC)貨車150両(383万ドル)のマレーシア輸出で協定調印。
DIA-209-1990-03-08-2インドネシア1990年03月08日1990年代クウェート,道路建設に2000万ドル借款供与調印。
DIA-209-1990-03-09-1インドネシア1990年03月09日1990年代「共同」9日によるとインドネシア政府は,原子力発電所建設調査費約14億円をODAに無償供与要請。2月1日援助要請の書簡を日本政府に送ったという。
DIA-209-1990-03-09-2インドネシア1990年03月09日1990年代国際アムネスティ,スハルト大統領にPKI死刑囚6人の死刑執行中止を要請。
DIA-209-1990-03-09-3インドネシア1990年03月09日1990年代政府,10日からセメント価格を17~24%引上げ。増産奨励のため。セメント生産設備能力は年間1742万トン,89年の実際の生産は設備能力の80.9%の1409万トン。『日経産業新聞』14日によると,国営3社が増産意向表明。
DIA-209-1990-03-12-1インドネシア1990年03月12日1990年代空軍参謀長にSiboen空軍中将が就任。新参謀長は,防衛大学卒。なおサヌシ国警長官も55歳であるが,任期が1年延長された(7日国軍司令官発表)。
DIA-209-1990-03-14-1インドネシア1990年03月14日1990年代ラディウス調整相,大企業の株式放出計画で指令発表。財政状況の良好な全ての民間企業は株式の25%までを協同組合などに放出する,というもの。
DIA-209-1990-03-14-2インドネシア1990年03月14日1990年代繊維および繊維製品の生産輸出業筋は14日,KP紙に対し,量を超えた輸出をしたため米欧諸国から輸入禁止措置をうけつつあると憂慮を表明(→3/19)。
DIA-209-1990-03-15-1インドネシア1990年03月15日1990年代ムルディオノ国務相,「台湾との経済および貿易関係に影響を及ぼすことなく中国との外交関係を正常化することに関心を寄せている」と表明。
DIA-209-1990-03-19-1インドネシア1990年03月19日1990年代対米繊維製品(男物ズボン)輸出停止中。業界によると,イ側が輸出日を船荷証券の日付とし米国側が船の出航日としていることで,米国側が2月はじめから輸入を停止しているという(→3/14,4/12)。
DIA-209-1990-03-19-2インドネシア1990年03月19日1990年代運輸相,鉄道(PJKA)旅客運賃(1等,ビジネスクラス)の引き上げ(12~48%)を発表。
DIA-209-1990-03-21-1インドネシア1990年03月21日1990年代台湾へ天然ガス輸出の第1船でる。東カリマンタンのボンタンから。20年間に,年間150万トンを輸出。
DIA-209-1990-03-22-1インドネシア1990年03月22日1990年代旧日本軍徴用地も問題化。西ジャワMajalengkaの1040haは戦時中日本軍が飛行場にしたところ。その後もインドネシア空軍が手離していない。JP紙23日によると,同地の農民約400人は22日内務省にデモをかけ土地の土地証書(権利書)の交付を要求。なおこのデモを支援した学生2人は23日に逮捕された。
DIA-209-1990-03-22-2インドネシア1990年03月22日1990年代インドネシア大学のセミナーで「大統領問題」討議(JP紙24日)。報告者R. Soepropto副国会議長は,国民協議会1973決定第2号が大統領候補が複数の場合指名は秘密裏に行なう,と定めた,と言明。
DIA-209-1990-03-23-1インドネシア1990年03月23日1990年代中・イ間未払い債務に関する交渉北京で開始。
DIA-209-1990-03-23-2インドネシア1990年03月23日1990年代ジャカルタの人口。同市知事によると,現在の800万は3.78%の率(出生2.1%,流入1.68%)で増加を続け2005年に1200万になる。これは公益事業に大きな脅威で,水の場合2005年の必要量の70%しか供給できない。
DIA-209-1990-03-24-1インドネシア1990年03月24日1990年代スハルト大統領,西ジャワ州チアンジュルの製茶会社PT Tea Nusamba Indahの株式10%(38.3万株3.83億ルピア相当)を協同組合と茶農家事業ユニット(KUD)に譲渡。返済は配当の75%を払いこむ方法で無利子,無期限。大統領は同社の親会社Nusambaグループの株80%を支配するDharmais財団の会長。また同日AstraグループのSuryadjaya会長は自己所有の250万株(375億ルピア)を自社社員に寄贈すると発表(→3/29)。
DIA-209-1990-03-24-2インドネシア1990年03月24日1990年代Tempo誌24日,金持ちが農村を訪れ,土地の権利証を1平方メートル年間100~200ルピアで借り受け,これを担保に銀行から融資を受けるという新商売が西ジャワ農村部ではびこり始めた,と報道。
DIA-209-1990-03-26-1インドネシア1990年03月26日1990年代「スハルトの大統領選挙に関する考え」,Nahdlatul UlamaのA. Wahid会長がこのほどスハルト大統領と会った際,聞き出したもの。26日同会長が各紙に発表「45年憲法によると,大統領は国民協議会から託されたことを実行するとあるので,大統領候補者が自分の政策綱領を説明し選挙運動をするのは適切でない」。
DIA-209-1990-03-28-1インドネシア1990年03月28日1990年代断食月始まる。
DIA-209-1990-03-29-1インドネシア1990年03月29日1990年代スミトロ退役陸軍大将,ジャカルタで開かれたシンポジウムで「93年以降のインドネシアに対する脅威は,現在まで実施されて来た開発の配分に伴う不平等の結果として,内部からやってこよう。93年の国家指導部の継承は円滑に運ばれるであろう。スハルト大統領の大統領候補に関する意見(→3/26)に賛成する」と表明。
DIA-209-1990-03-29-2インドネシア1990年03月29日1990年代ムルディオノ国務相,「政府は大企業に対して株式の一部を「緩い条件」で協同組合に「売却」するよう勧告しているが,無償の「譲与」は勧奨しない」と表明。
DIA-209-1990-03-29-3インドネシア1990年03月29日1990年代労働者の賃金。インドネシア労働組合会議(SPSI)筋によると,83~88年間に生活必需物資の価格は72.67%上昇したが,賃金のそれは50.7%であった,という。
DIA-209-1990-03-29-4インドネシア1990年03月29日1990年代ルディニ内相,非政府組織(NGO)指導者等の海外渡航を規制せず,と表明。89年のブラッセルでのINGI会議では,インドネシアを否定的に伝える報告が作成され,帰国した代表たちは同相に召喚された。なおINGIはIGGIの補完機関(4/3)。
DIA-209-1990-03-30-1インドネシア1990年03月30日1990年代Media Indonesia紙に情報省から警告。同紙23日がスハルト大統領をエジプトの専制王ファラオと比較した論評を掲載。このため筆者と編集長は解雇。
DIA-209-1990-04-02-1インドネシア1990年04月02日1990年代アラタス外相,対中債務問題で税明。去る3月23~28日の北京交渉で,中国側から過去の未償還分として6件の借款総額1億2000万ドルの存在が示めされ(うち1件はイ側に記録なし),うち3件が解明された。他の3件はこれから検証。借款は現金もしくは現物で返済する。
DIA-209-1990-04-02-2インドネシア1990年04月02日1990年代西ジャワ,タンゲランの製靴工場で従業員2000人が賃金制度変更(時給制に変更,時給を170ルピアとした)に抗議して工場を破壊。
DIA-209-1990-04-02-3インドネシア1990年04月02日1990年代政府,ポルトガル政府チームがティモールの抵抗グループの指導者と直接会談を行なうため東ティモールを訪問する計画に同意。国連事務総長斡旋によるもの。
DIA-209-1990-04-03-1インドネシア1990年04月03日1990年代地方における工業プロジェクトの認可を簡素化。ハルモコ工業相発表。2日の省令で,同省の州・県支所に投資資産額に基づき独自の認可権を付与。500万ルピア以下は認可不要,500万~5000万ルピアは同省県支所で登録番号を得るのみ,5000万~6億ルピアは州支所が認可。
DIA-209-1990-04-03-2インドネシア1990年04月03日1990年代ルディニ内相,法務援助財団(YLBHI)会長と会談。同相は,8日から西ドイツのボンで開催の「インドネシアに関する国際非政府機関フォーラム」に出席する代表に対して,「国家開発についてはいかなる事実をも自由に発表してよい」と語った,という(→3/29)。
DIA-209-1990-04-04-1インドネシア1990年04月04日1990年代オランダ外相,6人の処刑近し(→3/9)の報道に,インドネシア批判の声明を発表。
DIA-209-1990-04-05-1インドネシア1990年04月05日1990年代大企業27社,諸協同組合への株式売却(総額1671億ルピア。→3/4)を発表。経済関係6閣僚と各企業代表の会合で。なおAWSJ紙10日によると,同日発表された株式売却に関する指針は,大統領の発案を実施すべく27企業が作成し,政府が了承。これによると,既上場会社は協同組合に対して最低1%の株式を売却。企業は協同組合が売却株を購入できるよう無利子借款をあたえ,その返済には同株配当金の75%を充てる。1%以上の売却にも応ずるが,その時限は定めない。株式未公開企業は,額面価格を算定し1%売却する。転売を許されない。
DIA-209-1990-04-05-2インドネシア1990年04月05日1990年代ミャンマー運輸・通信相ら15人来訪。
DIA-209-1990-04-05-3インドネシア1990年04月05日1990年代日イ航空交渉妥結。Garudaは週10便から12便へ。
DIA-209-1990-04-06-1インドネシア1990年04月06日1990年代プロンク・オランダ開発協力相・IGGI議長来訪(~14日)。7日,イ側諸閣僚と会談後,「IGGI援助は政治問題および人権問題とは関連はない」と談。8日,「今年はインドネシアに対する貧困撲滅援助を増やす」と談。9日国会議長と会談後,DSRが高すぎると警告,「40%以下に下げられないでいるのは危険だ」とした。これに関連しスマルリン蔵相は国会で,DSRは現在民間部門を含めて40%,公共部門だけでは28%と発表。
DIA-209-1990-04-08-1インドネシア1990年04月08日1990年代西ドイツのボンでインドネシアに関する国際非政府機関フォーラム開催(~11日)。
DIA-209-1990-04-09-1インドネシア1990年04月09日1990年代プルタミナ社,日本企業6社と液化天然ガスの輸出契約の20年間延長で契約。なお東京ガスは12日,別途年間200万トン,20年間の購入意向を示した。
DIA-209-1990-04-09-2インドネシア1990年04月09日1990年代シンガポール政府,水源調査でリアウ州に調査団。
DIA-209-1990-04-10-1インドネシア1990年04月10日1990年代Wiyogoジャカルタ市知事,東京都訪問。11日協力プログラム5件を含む共同声明調印。
DIA-209-1990-04-10-2インドネシア1990年04月10日1990年代「直訴」解消でゴルカル,ルディニ内相に要望。近年土地問題を中心に地方の農民らが中央の部局へ直訴とデモをかけることが多くなっていることから,村落レベルの交渉の場を設置するよう要望(→4/19,7/30)。
DIA-209-1990-04-10-3インドネシア1990年04月10日1990年代パプアニューギニアと国境取決で基本協定を更新,国境紛争解決のため合同保安委員会の設置を規定。
DIA-209-1990-04-10-4インドネシア1990年04月10日1990年代食糧調達庁,今年の米調達量は,やや減少し160万トンと発表。JP紙14日によると,これは病害(西ジャワで6万2693ha,籾16万3015トンに相当)と旱害が原因。
DIA-209-1990-04-12-1インドネシア1990年04月12日1990年代Sumarlin蔵相,将来の外国援助の減少に備え,政府は開発計画の再調整などの緊急計画を準備と発表。
DIA-209-1990-04-12-2インドネシア1990年04月12日1990年代海外出稼ぎ。人力省発表では,89年4月以降90年3月末までの海外就労者数は8万4074人,また第4次開発計画期には35万人。現在送り出し会社は203社。
DIA-209-1990-04-12-3インドネシア1990年04月12日1990年代米国,イ製繊維製品の輸入禁止解除と,シレガル商業相発表(→3/14,3/19)。
DIA-209-1990-04-12-4インドネシア1990年04月12日1990年代Gadjah Tunggal社の株公開に3903%(2000万株の新株募集に対して8億0600万株)の応募,同社12日発表。
DIA-209-1990-04-12-5インドネシア1990年04月12日1990年代日本,31億6400万円の無償援助協定に調印。通信,農業,保健サービス等へ。
DIA-209-1990-04-14-1インドネシア1990年04月14日1990年代パラパB-2R衛星,やっと打ち上げ(→3/20)。
DIA-209-1990-04-14-2インドネシア1990年04月14日1990年代オランダ,特別援助2700万ギルダー(約250億ルピア)で覚書調印。政治犯処刑への抗議に決着(→2/16)。89年IGGI援助会議の4990万ドルの特別援助の約束を果すもの。またオランダはこのほか1.82億ギルダーの通常援助にも調印。それぞれの援助の約50%は無償援助。
DIA-209-1990-04-14-3インドネシア1990年04月14日1990年代政府,ナツナ天然ガスの配送網計画を決定。ナツナの埋蔵量は150兆立方フィートあり,スマトラ,ジャワ,カリマンタン等へ送るもの。
DIA-209-1990-04-16-1インドネシア1990年04月16日1990年代汚職取締。Sukarton検事総長発表。89年10月からこの3月までに16省で180件1183億ルピア。
DIA-209-1990-04-16-2インドネシア1990年04月16日1990年代麻薬患者数は6万5000人,保健省発表。
DIA-209-1990-04-16-3インドネシア1990年04月16日1990年代最低賃金。人力相は大統領との会談後,最低賃金を守らせるための措置をとると発表。現在施行されている最低賃金が現状とあわなくなっている州は,アチェ,西スマトラ,ランポン,東・西ジャワ,ジョグジャカルタ,バリ,東・西ヌサトゥンガラ(西では1日650ルピア),北・南・東南スラウェシ,東カリマンタン。
DIA-209-1990-04-17-1インドネシア1990年04月17日1990年代保健省内すべて禁煙に。17日発表の保健相指令。
DIA-209-1990-04-18-1インドネシア1990年04月18日1990年代ソ連・イ両国商工会議所の90~91年度協力計画,ジャカルタで調印。
DIA-209-1990-04-18-2インドネシア1990年04月18日1990年代アリフィン協組相を団長とするインドネシア代表団のウズベク共和国訪問が終了。
DIA-209-1990-04-18-3インドネシア1990年04月18日1990年代北スラウエシで地震。JP紙21日によると,3人死亡,1000家屋倒壊。
DIA-209-1990-04-19-1インドネシア1990年04月19日1990年代中ジャワのクドゥンオンボ・ダム建設計画で立退かされた村民約300人(婦女子が多い)が,補償金の増額をもとめて国会デモ。補償要求は現在の1平方メートル当り250~750ルピアを1万3750ルピアへ引き上げるもの。主要都市の大学生が支援に参加(→11/29)。
DIA-209-1990-04-20-1インドネシア1990年04月20日1990年代断食明け大祭(26日)にむけた帰省ラッシュはじまる。最終的には80万人が帰省したとみられる。
DIA-209-1990-04-20-2インドネシア1990年04月20日1990年代株式市場の規模。Sumarlin蔵相発表,89年には上場企業数が25から67へ,時価総額も2億ドルから20億ドルとなった。90年には約125社,50億ドルの予測。
DIA-209-1990-04-20-3インドネシア1990年04月20日1990年代「豚肉混入」報道事件(88年10月15日)で,新聞編集者に2年の拘留判決下る。
DIA-209-1990-04-23-1インドネシア1990年04月23日1990年代NGOグループ,5月に来訪する日本首相あての書簡送付。「日本が経済援助しているインドネシア政府は開発をすすめる一方で人権侵害,森林破壊,政治活動の制限,土地収奪などを行なっている。今回の訪問中われわれと対話してほしい」という内容。
DIA-209-1990-04-23-2インドネシア1990年04月23日1990年代大統領後継問題。キリスト教徒研究者連合(PIKI)は23日,国民議会と国民協議会に対して,「早期の処理方法を真剣に検討するよう」要望。
DIA-209-1990-04-24-1インドネシア1990年04月24日1990年代工業省,管下の国有企業体(BUMT)PT. Intirub(自動車タイヤ製造)の株式70%(70億ルピア相当)を資本市場を通さずPT・ビマンタラ・グループに売却と発表。
DIA-209-1990-04-25-1インドネシア1990年04月25日1990年代駐オランダ大使館にデモ(→5/31)。
DIA-209-1990-04-25-2インドネシア1990年04月25日1990年代マルク州テルナーテ島でGamalama火山爆発。
DIA-209-1990-04-26-1インドネシア1990年04月26日1990年代断食明けの大祭(Lebaran)。
DIA-209-1990-04-28-1インドネシア1990年04月28日1990年代国軍監察長官にAwet Sara陸軍少将が就任。
DIA-209-1990-04-28-2インドネシア1990年04月28日1990年代日本,日本との友好関係の振興に寄与した功績を認め,Yoga Soegomo前BAKIN長官・退役陸大将に対し,勲1等瑞宝章を授与する,と発表。
DIA-209-1990-05-01-1インドネシア1990年05月01日1990年代プルタミナ,国内需要の増加に対応するため,5月初めから製油能力を82万バレルに増強と発表。
DIA-209-1990-05-01-2インドネシア1990年05月01日1990年代証券市場,取引決済の遅れ解消に新規則。取引を最低500株単位とするもの。AWSJ紙3日。
DIA-209-1990-05-02-1インドネシア1990年05月02日1990年代新消費者物価指数公表さる。これによると4月は1.42%。従来方式では1.72%。
DIA-209-1990-05-04-1インドネシア1990年05月04日1990年代海部首相,スリランカからジャカルタ到着。5日スハルト・海部会談。首相は90年度対イ資金協力で,円借款12億ドル,輸銀融資5億ドル,無償資金協力3億ドルの前年並みを表明。また,国際交流基金の事業で,ジャカルタに日本語センターを建設することを表明。一方大統領はスマトラ島に建設予定の赤道大気観測レーダーを国際協力プロジェクトとして進められるよう先進国首脳会談で日本が各国に働きかけられるよう要望。6日帰着。
DIA-209-1990-05-05-1インドネシア1990年05月05日1990年代トラック緊急輸入。政府発表,国内生産が追いつかないため,3000台を許可。89年の需要2万8205台,90年は4万4000台の見込み。大蔵省は16日の省令で完成トラックの輸入税を15%と発表。今年末まで有効。
DIA-209-1990-05-07-1インドネシア1990年05月07日1990年代スドモ調整相,「政府は88年から90年3月までに,信者を誤導するおそれのある宗教セクト21派を禁止し,また政治的・宗教的に不健全な書籍15点を発禁処分にした」と発表。
DIA-209-1990-05-07-2インドネシア1990年05月07日1990年代ジャカルタ市,街頭物売り規制強化。警察,検察,市司法局の3者の合同指令により,7日以降主要道路・交通信号周辺での各種街頭営業は,3カ月の拘留,もしくは1万ルピアの罰金。街頭物売り業者協会は16日,「憲法とパンチャシラに反する」として市知事と当該3部局長を告訴。19日までに876人が逮捕された。
DIA-209-1990-05-08-1インドネシア1990年05月08日1990年代韓国の韓一銀行,駐在員事務所設立。
DIA-209-1990-05-08-2インドネシア1990年05月08日1990年代パンガベアンDPA(最高諮問委員会)議長,国家安定に影響を及ぼしかねない7件のセンシティブな問題として土地問題,農村開発問題,社会経済的な格差問題,犯罪,価値の変動,国軍による地域的管理(地方政庁による地域管理ならびに国警による社会秩序,治安のマネージメントを含む),指導者層に言及。
DIA-209-1990-05-08-3インドネシア1990年05月08日1990年代鉱業・エネルギー相,プルタミナが外国石油会社に対し,7日から産油量を1日当り3.11%削減するよう指示した,と発表。
DIA-209-1990-05-09-1インドネシア1990年05月09日1990年代共産主義者の一掃で大統領布告でる(『読売』9日)。官庁,軍,国営企業からの9・30事件関件者等の追い出しが目的(4月17日付け公布という)。
DIA-209-1990-05-10-1インドネシア1990年05月10日1990年代ワホノ・ゴルカル総裁,ゴルカル中ジャワ地域大会開会式で,「正副大統領の選出手続きは変更する必要がない。候補はMPR総会に提出される前に,MPRの各会派の会合で討議されるべきだ」と表明。
DIA-209-1990-05-12-1インドネシア1990年05月12日1990年代ソ連と航空協定調印。第1便は7月26日到着。
DIA-209-1990-05-14-1インドネシア1990年05月14日1990年代ルディニ内務相「各州知事は地方議会の意思として,大統領候補を中央に推挙できる。MPRは複数候補を票決に付すことができるが,事前に一人にしぼり込むこともできる」と語る。
DIA-209-1990-05-15-1インドネシア1990年05月15日1990年代反スハルト派50人グループの130人,ジャカルタで集会を開き,スハルト大統領の六選に反対を表明。まとめ役はアリ・サディキン元ジャカルタ市知事。
DIA-209-1990-05-16-1インドネシア1990年05月16日1990年代プルタミナ,6月積み対日直接取引(DD)原油の通常供給量(日量20万バレル)を,60%削減と通告。
DIA-209-1990-05-17-1インドネシア1990年05月17日1990年代第5管区司令官かわる。Sugeng Subroto陸軍少将からR. Hartono陸軍少将へ。
DIA-209-1990-05-17-2インドネシア1990年05月17日1990年代Bank Danahutama.ジャカルタで開業。
DIA-209-1990-05-18-1インドネシア1990年05月18日1990年代スラバヤで農村開発会議開催。国軍将軍81人等が参加。ストリスノ国軍司令官は会議終了後,「大統領後継問題は国民協議会(MPR)の問題であり,政治問題とすべきでない」と表明。
DIA-209-1990-05-18-2インドネシア1990年05月18日1990年代Bank Dagang dan Industri設立さる。
DIA-209-1990-05-19-1インドネシア1990年05月19日1990年代Moerdiono官房長官,「大統領候補は,全国的・地域的また国際的問題に理解があり,国民,国家,パンチャシラのために働く意欲を見せるものであれば,民間人であろうと軍人であろうと問題ではない」と語る。
DIA-209-1990-05-19-2インドネシア1990年05月19日1990年代労働争議で縫製工場閉鎖,ジャカルタ人力局発表。年初以来のボーナス要求闘争(労働者350人)で5月2日に閉鎖。同局によると,最近多発の争議には政府が未承認のSPLPと呼ばれる労働組織が介在。
DIA-209-1990-05-19-3インドネシア1990年05月19日1990年代外務省,「ブーゲンビリア共和国独立宣言」を支持せず,PNGとの友好・協力条約を遵守と発表。
DIA-209-1990-05-20-1インドネシア1990年05月20日1990年代日系商社,輸出専業で進出つぐ。『産経』20日によると,89年7月の住友商事に次ぎ,最近三井物産,伊藤忠商事が進出,近ぢか三菱商事,丸紅,日商岩井,トーメンなどの参入の見込みという。
DIA-209-1990-05-20-2インドネシア1990年05月20日1990年代Washington Post,「60年代の共産主義者大量撲滅」でアメリカ外交官・CIAがスハルト将軍を助けた,と詳報。
DIA-209-1990-05-21-1インドネシア1990年05月21日1990年代アチェ警察,州内アチェ・ブサル県で4月24日から5月19日までにマリファナ畑115haを破壊と発表。
DIA-209-1990-05-21-2インドネシア1990年05月21日1990年代ハビビ国務相(陸軍兵器製造会社PINDAD社長兼務),インドネシアは近くNATO軍に対しM-16型ライフル用の銃弾を売却すると発表。この銃弾はPINDADのテゥレン工場製(東ジャワ,マラン)。同工場は年間5000万ないし6000万発の銃弾を生産する設備能力を備えている。
DIA-209-1990-05-21-3インドネシア1990年05月21日1990年代工業副相,「政府は台湾ビジネスマソに対して子弟用の学校設立を認めると発表。
DIA-209-1990-05-22-1インドネシア1990年05月22日1990年代『朝日』22日によると,イスラム・ウラマ評議会21人による89年9月30日付,スハルト大統領の六選支持の共同声明,このほど公表される。
DIA-209-1990-05-25-1インドネシア1990年05月25日1990年代燃料国内価格値上げ実施,24日夜発表。平均15.27%(燃料補助金の削減を含め,実効は20.9%という)。エネルギーの効率利用と財政負担の軽減が目的という。物価上昇への影響は1カ月につき0.075%という。
DIA-209-1990-05-26-1インドネシア1990年05月26日1990年代スドモ調整相,「スハルト大統領は終身大統領を望まず」と語る。最近大統領に会った際聞いたもの。
DIA-209-1990-05-26-2インドネシア1990年05月26日1990年代EC,90年のインドネシア縫製品輸入量を1830万ピースに設定。イ側交渉団の発表。
DIA-209-1990-05-28-1インドネシア1990年05月28日1990年代ラディウス調整相,新規制緩和策(90年5月パッケージ)を発表。製造業,保健,農業および貿易における許認可手続きを簡素化し,外国投資家,小規模農業および協同組合のための機会を拡大し,また事務簡素化と非関税障壁の削減を目指すもの。
DIA-209-1990-05-28-2インドネシア1990年05月28日1990年代工業団地設立に遅れか,副工業相「工業団地設立許可を受けた企業は建設を直ちに行なうべきだ。そうでなければ,許可を取り消す」と発表。
DIA-209-1990-05-28-3インドネシア1990年05月28日1990年代山一証券,合弁で証券会社(PT Asian Development Securities)設立,山一は49%。
DIA-209-1990-05-29-1インドネシア1990年05月29日1990年代輸出加工区の設立も許可に,副工業相発表。5月25日付け政府規則(14/1990)により民間企業が開発する工業団地の一部もしくは全域で輸出加工・ボンド地域の設置を認めるもの。
DIA-209-1990-05-30-1インドネシア1990年05月30日1990年代国軍中央情報局,「北アチェ県コタ・マクムル郡ブラン・アラ村で,28日治安攪乱運動(GPK)の残党がテロと殺人行為を行なった。学童1人,国軍兵士2人が死亡」と新聞発表(→7/7)。
DIA-209-1990-05-30-2インドネシア1990年05月30日1990年代邦銀14行,西ジャワ石化計画に協調融資で調印。
DIA-209-1990-05-31-1インドネシア1990年05月31日1990年代プルタミナ,名古屋で,日本中部電力とLNGの追加売買契約調印。
DIA-209-1990-05-31-2インドネシア1990年05月31日1990年代オランダのハーグ警察は,4月25日にハーグのインドネシア大使館にデモを行ない,暴動状態になった事件に関連して14名(南マルク共和国支持者)を逮捕と発表。
DIA-209-1990-06-01-1インドネシア1990年06月01日1990年代スハルト大統領,クアラルンプールの南々首脳会議(G-15会議)出席。インドネシアの次期非同盟運動首脳会議開催地立候補が支持される。
DIA-209-1990-06-01-2インドネシア1990年06月01日1990年代Bank Summa,ナフダトールウラマと農村を中心にsecondary bank(約2000行)設立で合意。実際には後者所有のPT Duta Dunia Perintis社60%,Summa40%の合弁。
DIA-209-1990-06-01-3インドネシア1990年06月01日1990年代ゴミの河川投棄。ジャカルタ市環境・人口問題局発表,60%は非工業廃棄物,その大半は家庭のゴミ。
DIA-209-1990-06-01-4インドネシア1990年06月01日1990年代新証券会社発足,PT Benua Utama Securities。これで証券会社数は28社,うち外国との合弁企業は7。
DIA-209-1990-06-03-1インドネシア1990年06月03日1990年代バリ州政府発表,Cosmas人力相がバリの最低賃金の50%引き上げ(日給1200ルピアから1800ルピアへ,4月1日に遡及実施)を決定。
DIA-209-1990-06-04-1インドネシア1990年06月04日1990年代プルタミナ,中部電力と91~94年年間70万トン計280万トンのLNG追加売却契約調印。
DIA-209-1990-06-04-2インドネシア1990年06月04日1990年代IMF,89年度のインドネシア経済報告で「諸改革が強力な実績を残した」と評価。4日ジャカルタ発表。
DIA-209-1990-06-04-3インドネシア1990年06月04日1990年代マレーシアとインドネシア,マ・イ・シ3国による「成長三角地帯構想」に合意した,と発表。
DIA-209-1990-06-05-1インドネシア1990年06月05日1990年代大統領,国花として3種を発表。Rafflesia Arnoldi,Jasminum Sambac,Phalaenopsis Amabilis。
DIA-209-1990-06-05-2インドネシア1990年06月05日1990年代ブルネイ投資庁,インドネシアと合弁でバリのNusa Dua Beach Hotelを購入(1億3850万ドル)。
DIA-209-1990-06-05-3インドネシア1990年06月05日1990年代東ジャワのウラマ100人,このほどスハルトの次期大統領候補指名を支持して署名(KP紙5日)。
DIA-209-1990-06-05-4インドネシア1990年06月05日1990年代ルピアの銀行間レート4日連続で急上昇。
DIA-209-1990-06-06-1インドネシア1990年06月06日1990年代日本,北スマトラ大学とガジャマダ大学への無償援助(合計7600万円)で調印。なお8日にはバリ博物館へも4600万円の無償援助に調印。
DIA-209-1990-06-07-1インドネシア1990年06月07日1990年代東京ガス,初めてイ産天然ガス輸入で合意。94年から。当初年30万トン,のちに200万トンへ。
DIA-209-1990-06-07-2インドネシア1990年06月07日1990年代政府と国民議会,コピーライト法案の名称変更で合意。「強制的(Wajib)」の一語を削除。
DIA-209-1990-06-11-1インドネシア1990年06月11日1990年代スドモ調整相,ガラン島のインドシナ難民が1万5618人となったが,収容能力は7500人と憂慮表明。
DIA-209-1990-06-11-2インドネシア1990年06月11日1990年代街頭物売り業者約250人,国会へ抗議のデモ。
DIA-209-1990-06-11-3インドネシア1990年06月11日1990年代ムルダニ国防相,「大統領選挙に向けたスハルト支持声明は,国民協議会の権限を反古にする」と演説。
DIA-209-1990-06-12-1インドネシア1990年06月12日1990年代鉱業・エネルギー相,「イ産原油の対日輸出価格に9月から新方式導入の予定」と発表。
DIA-209-1990-06-12-2インドネシア1990年06月12日1990年代第33回インドネシア債権国会議IGGI,ハーグ開催。
DIA-209-1990-06-13-1インドネシア1990年06月13日1990年代IGGI,90年度の援助45億1590万ドル,前年度比4.6%増と発表(債権国分19億7000万ドル+国際機関25億4000万ドル。うち特別援助10億4000万ドル)。IGGI枠外の特別援助は5億4000万ドル(日本5億ドル)。日本はイ政府の要請どおり18.1億ドルの援助を発表。うち3分の1以上(約7億ドル)は特別援助,他の約3分の2はプロジェクト援助。このほか日本は年利2.5%,償還期限30年(猶予期間10年)のソフトローンを供与。さらに生活環境保全,とくにバリ島海岸侵食対策,ジャカルタの廃棄物対策および森林の再植林・経営に援助を供与する。89年の日本の対イ援助総額は約21.1億ドル。90年も日本は約1.1億ドルの無償援助を供与。
DIA-209-1990-06-14-1インドネシア1990年06月14日1990年代マレーシア系のダルルアルカム運動の書籍発禁に,マレーシアのBerita Harian紙14日が報道。また西スマトラでは運動の活動も禁止となった。
DIA-209-1990-06-16-1インドネシア1990年06月16日1990年代運輸省,陸海空の運賃引き上げを発表(各平均34%,11%,15.35%)。市外バスは7月1日から,その他は同15日から。ガルーダ航空も21日に発表。
DIA-209-1990-06-16-2インドネシア1990年06月16日1990年代パンチャシラの理解度,パンチャシラ普及機構(BP-7,1978年に開始)によると,国民1億8000万人のうち同機構の研修コースを通じてパンチャシラの知識をえたものは3300万人,またその他のプログラムにより知識をえたものは4100万人,と発表。
DIA-209-1990-06-16-3インドネシア1990年06月16日1990年代海路出国税の新設。蔵相発表,7月から10万ルピア。
DIA-209-1990-06-16-4インドネシア1990年06月16日1990年代東部諸州への投資に優遇策発表。新設工場の土地・建物への不動産税を50%削減し,0.5%から0.25%へ。
DIA-209-1990-06-18-1インドネシア1990年06月18日1990年代大阪ガスと石油資源開発社,東カリマンタンでの天然ガス採掘権取得。
DIA-209-1990-06-19-1インドネシア1990年06月19日1990年代プルタミナ,7月積み対日供給量を要求に対し約30%削減すると通告(17万b/d前後へ)。
DIA-209-1990-06-20-1インドネシア1990年06月20日1990年代「軍はスハルト大統領の6選支持」,陸軍政治社会担当参謀Harsdiono Hartas陸軍中将はEditor誌最新号で,「軍はスハルトが大統領として次期を全うする壮健さを有するものと確信する。軍は公式に推薦する前に本人と討議する。本人が望まない場合は,本人が希望する候補が誰であるかを問う」と表明(JP紙20日)。
DIA-209-1990-06-20-2インドネシア1990年06月20日1990年代アチェで治安悪化。メダンに駐在するBukit Barisan軍司令部発表では,北アチェ県で5月13日以来治安攪乱運動Gerakan Pengachau Keselamatanと呼称されるグループによる殺人・傷害事件が多発し,6月17日には警察署の敷地内でも発生し,「堪え難い情況に達している」,という。H.R. Pramo新司令官のジャカルタへの報告。なおジャカルタの軍当局は22日,この運動に政治的動機はない,と表明。
DIA-209-1990-06-20-3インドネシア1990年06月20日1990年代台湾華人子弟用の特殊学校設立に許可。移民局発表,1989年以来約4000人の台湾華人がビザ交付を受けており,台湾経済人の要請で許可。入校者は一時的滞在許可証(KIM-S)を有する台湾人子弟に限る(→5/21)。
DIA-209-1990-06-20-4インドネシア1990年06月20日1990年代故スカルノ大統領没後20周年記念行事に5000人参加。
DIA-209-1990-06-22-1インドネシア1990年06月22日1990年代インドネシア労働組合連合会(SPSI),国際労働組合連合会(ICTU)への加盟を申請。SPSIのImam Soedarwo委員長の発表。
DIA-209-1990-06-22-2インドネシア1990年06月22日1990年代スチレン・モノマー製造で日本と合弁会社PT Styrindo Mono Indonesia設立で調印。イ側(30%)がBimantaraとSalimの合弁会社PT Bimalindo Citra Industriで,日本側(70%)は東洋綿花と出光石化。
DIA-209-1990-06-25-1インドネシア1990年06月25日1990年代ベトナムのボー・グエン・ザップ副首相・大将,公式来訪。26日国軍司令官等と会談。
DIA-209-1990-06-27-1インドネシア1990年06月27日1990年代アラタス外相,東京で中山外相と会談。
DIA-209-1990-06-28-1インドネシア1990年06月28日1990年代(北京放送)中国外交部スポークスマン,「中国は決して他国の内政問題に干渉するために共産党の間の関係を利用するようなことはしない。PKIがいまなお存在しているか否か全くしらない」と語る。
DIA-209-1990-06-28-2インドネシア1990年06月28日1990年代Harmoko情報相,新聞用紙の輸入を8カ月にかぎり許可。国内2社の生産能力は,16万2000トンで需要に応じきれないため月間2000トン輸入を許可。
DIA-209-1990-06-28-3インドネシア1990年06月28日1990年代投資申請者の義務。投資調整庁発表,実施進捗情況報告を提出しているものは89年で外資1116件の72%,内資52%のみが守った。3年以内に計画を実施しない場合は,許可が停止される。89年に取り消されたライセンスは102件7億0300万ドル,952件1兆7519億ルピア。工業団地建設ライセンス,投資調整庁への申請(外資および外資との合弁で合計6社,2050ha,内資22社1万1518ha),工業省への申請,30社。
DIA-209-1990-06-29-1インドネシア1990年06月29日1990年代Sukarton Marmosudjono検事総長急死。大統領,30日にSinggih副検事総長を臨時代理に任命。
DIA-209-1990-06-29-2インドネシア1990年06月29日1990年代31大企業,自社株1%の協同組合への売却案作成で会合。Wanandi代表,7月4日に譲渡完了の予定。
DIA-209-1990-06-29-3インドネシア1990年06月29日1990年代木材関連業界66社,大統領を訪問し236億ルピア相当の株を協同組合に売却の予定と約束(→7/24)。
DIA-209-1990-07-02-1インドネシア1990年07月02日1990年代メッカで巡礼大量死。インドネシア人は699人。
DIA-209-1990-07-03-1インドネシア1990年07月03日1990年代中国との国交再開(90年8月8日)が決定。アラタス外相,北京で中国側と共同コミュニケ発表。国交正常化を平和5原則(1954年6月)とバンドン会議10原則に基づかせるとの89年2月23日東京合意に従って取り決められた,としている。なおイ側債務償還に関する協定は2日に調印。
DIA-209-1990-07-04-1インドネシア1990年07月04日1990年代身分証明書の有効期間は3年間。内務省,6月18日の規則による,と発表。
DIA-209-1990-07-05-1インドネシア1990年07月05日1990年代アチェの軍当局,治安攪乱運動指導者Yusof A.B.を1日に射殺と発表。
DIA-209-1990-07-06-1インドネシア1990年07月06日1990年代大統領ら99人の代表団,タイ訪問。(タイ首相88年訪イへの答礼7日)。
DIA-209-1990-07-06-2インドネシア1990年07月06日1990年代メッカ事件(→7/2)で6日を国民服喪の日に。
DIA-209-1990-07-06-3インドネシア1990年07月06日1990年代貿易・投資・通商協力で経済委員会の設置,二重課税防止租税条約改正で合意。
DIA-209-1990-07-07-1インドネシア1990年07月07日1990年代アチェで諸政党が,テロ行為を非難して共同声明。国軍は9日,このテロを純然たる犯罪行為と認定。またスドモ調整相も,宗教運動や独立運動とは関係なく大麻撲滅作戦への報復テロ,と断定(→5/30,7/11)。
DIA-209-1990-07-07-2インドネシア1990年07月07日1990年代輸出製品製造用の酒類の輸入で輸入税廃止の発表(7月2日以降実施)。国内消費用は35%下げ50%へ。
DIA-209-1990-07-09-1インドネシア1990年07月09日1990年代教育文化相,「政府は中国系人のために学校で中国語が使用されることを認めない。ジャカルタに大使館の学校が設置されることを認めるだけである。外交正常化後,中国がこの種の学校をジャカルタに開設しても国内中国系人の通学は許可しない」と発表(→6/20)。
DIA-209-1990-07-10-1インドネシア1990年07月10日1990年代『日本経済新聞』10日アラムシャ前調整相(→5/22)にインタビュー。「次期大統領選をめぐる論争はスハルトの引退を求めるものだ。89年9月の声明は対抗措置だ。一般的大統領の条件,陸軍の支持,イスラム社会から見てもスハルト氏以外いない」と談。
DIA-209-1990-07-10-2インドネシア1990年07月10日1990年代国軍司令官,4~6月にアチェで不穏分子50人を逮捕,と発表。
DIA-209-1990-07-10-3インドネシア1990年07月10日1990年代Pertamina,関西電力とLNGの追加(50万4000トン)販売契約に調印。
DIA-209-1990-07-10-4インドネシア1990年07月10日1990年代インドネシア経済協会,フォーラム開催,~12日。
DIA-209-1990-07-11-1インドネシア1990年07月11日1990年代アチェ特別州知事,アチェの治安状況を大統領に報告。治安攪乱分子は36人で,治安確保のため兵員の増強を発表(→5/30,7/7)。
DIA-209-1990-07-12-1インドネシア1990年07月12日1990年代プルタミナ,韓国ガス会社とLNG追加(78万4000トン)販売契約調印。
DIA-209-1990-07-14-1インドネシア1990年07月14日1990年代メッカ巡礼者大量死亡事件。Munawir宗教相発表,サウジアラビア政府は去る3日インドネシア人死亡者約600人を4箇所に埋葬していたことを11日にイ側へ伝えたという。この件でサウジ政府特使が16日来訪。
DIA-209-1990-07-17-1インドネシア1990年07月17日1990年代国家原子力庁(BATAN)と国営電力会社(PLN),発電用核エネルギーおよび技術応用の協力協定に調印。
DIA-209-1990-07-18-1インドネシア1990年07月18日1990年代労働争議急増。労働相発表では,63年のスト禁止令を撤廃したため1~6月の争議件数は26件と89年通年の19件を大幅に上回った。団体協約の欠如,最低賃金制の未実施などが主な原因という。
DIA-209-1990-07-18-2インドネシア1990年07月18日1990年代スチブト情報省一般情報総局長,国会聴聞会で,「情報省は92年総選挙に関し,情報チーム“Santiaji”を設置した。中央ならびに地方レベルで設置されたこのチームは国民の政治教育を任務とし,選挙有権者の登録から地方議会,国会,MPRの議員の宣誓に至るまでの過程について啓蒙活動を行なう」と発表。
DIA-209-1990-07-18-3インドネシア1990年07月18日1990年代ジャカルタ特別市,「市住民証で中国系人に使用される特別コード(0)を8月8日から廃止する」と発表。この特別コード記載住民証所持者は約60万人。
DIA-209-1990-07-19-1インドネシア1990年07月19日1990年代国家公務員の赤狩りで新方針。国家安定支援調整庁(Bakorstanas)発表によると,赤狩りは従来の「スクリーニング」から「特別審査」方式にあらため,被感化度を採用」する。これは全政府部局に特別審査班の設置を定めた1990年4月17日付け大統領令に基づくもの。
DIA-209-1990-07-19-2インドネシア1990年07月19日1990年代国連世界食糧計画(UNWFP)事務局,ガラン島難民へ100万ドル援助供与決定と発表(→6/11)。
DIA-209-1990-07-19-3インドネシア1990年07月19日1990年代プルタミナ,日本2社(東北電力と東京電力)とLNG追加(14年間に694万トン)販売契約調印。2社は現在20年契約(290万トン,84年から)にある。
DIA-209-1990-07-19-4インドネシア1990年07月19日1990年代カンボジア問題でのアメリカの政策転換,アラタス外相,ASEAN常任委員会議長として「疑念」を表明。
DIA-209-1990-07-20-1インドネシア1990年07月20日1990年代(IT紙)労働相,4州の最低賃金を設定し,また2州の最低賃金を改訂。10月1日実施。東南スラウェシ750ルピアから1599ルピアへ113%。西ヌサトゥンガラ650ルピアから1275ルピアへ96%。東ジャワ813ルピアから1400ルピアへ72%(→9/22)。
DIA-209-1990-07-22-1インドネシア1990年07月22日1990年代パキスタン首相特使(通信相)来訪,カシミール問題で。
DIA-209-1990-07-22-2インドネシア1990年07月22日1990年代アチェ事件(→6/20)で「スマトラ・アチェ民族解放戦線」が名乗り。22日にバンダ・アチェのReuter事務所に届いた手紙による。
DIA-209-1990-07-22-3インドネシア1990年07月22日1990年代PNG,同国に亡命していたイリアン分離主義者のMelkianus Salossaを強制送還。ポート・モレスビーにある自由パプア運動のスポークスマンが発表。Salossaは同運動指導者のナンバー・ツー。
DIA-209-1990-07-24-1インドネシア1990年07月24日1990年代蔵相,SGS委託関税業務を,91年5月から漸次自国税務当局へ移管と発表。
DIA-209-1990-07-24-2インドネシア1990年07月24日1990年代労働省,高等教育終了者の失業増大を発表。第5次計画期の労働市場参入者は63万人で,17.3万人が就業。
DIA-209-1990-07-24-3インドネシア1990年07月24日1990年代第23回ASEAN外相会議,ジャカルタで開催。
DIA-209-1990-07-24-4インドネシア1990年07月24日1990年代ガルーダ航空,福岡=デンパサル便開始。
DIA-209-1990-07-24-5インドネシア1990年07月24日1990年代木材関連会社28(39の説もあり,JP28)社,145億ルピア相当株式を55の協同組合へ売却に同意。24日調印。
DIA-209-1990-07-25-1インドネシア1990年07月25日1990年代アチェ攪乱運動指導者Abdullah Ismailが地方軍区司令部に投降(→5/30,7/7,7/10,7/22)。
DIA-209-1990-07-25-2インドネシア1990年07月25日1990年代スハルト大統領,東ティモール問題で国連事務総長の書簡を受け取る。副事務総長が手交。同問題が国連の問題とならないことを期待する,というもの。
DIA-209-1990-07-25-3インドネシア1990年07月25日1990年代華人の同化問題でセミナー。
DIA-209-1990-07-25-4インドネシア1990年07月25日1990年代インドネシア弁護士協会(IKADIN),第1回大会開催。27日に新執行部を選出して終了。
DIA-209-1990-07-26-1インドネシア1990年07月26日1990年代中銀発表,通貨供給で引き締め措置を採用中。
DIA-209-1990-07-26-2インドネシア1990年07月26日1990年代アエロフロート第1便,(82年以来凍結)到着。
DIA-209-1990-07-26-3インドネシア1990年07月26日1990年代ムルダニ国防相,オーストラリアに対してPNGへの軍事援助拡大を要請。ブーゲンビリアの分離運動鎮圧のため。同相が豪野党政治家に伝えたもの。
DIA-209-1990-07-27-1インドネシア1990年07月27日1990年代大手企業28社(Yayasan Prasetiya Mulya傘下)が59の協同組合に株式297億8000万ルピア(28社株式総発行数の1%)の売却に同意。28日調印式。うち40%は28社それぞれの社内協同組合に,また残りは協同組合省が指定する組合へ,売却される。
DIA-209-1990-07-30-1インドネシア1990年07月30日1990年代チマチャン・ゴルフ場建設の土地補償問題。スドモ調整相,「土地収用で強制手段がとられなかった以上,問題とすべきではない」と発言。西ジャワ,チマチャン村の農民は補償額(1平方メートル当り30ルピア)が少なすぎる,として運動中。
DIA-209-1990-08-01-1インドネシア1990年08月01日1990年代インフレ高進で中銀,SBI売却促進を決定。
DIA-209-1990-08-01-2インドネシア1990年08月01日1990年代ギナンジャル・エネルギー相,原油生産を徐々に拡大すると発表。7月128万バレル,8月130万バレル,9月132万バレル(→8/24)。
DIA-209-1990-08-01-3インドネシア1990年08月01日1990年代バタック・キリスト教徒宗教会議(Huria Kristen Batak Protestan,HKBP),軍の命令で開催延期,1~7日に北スマトラで開催の予定だった。理由は宗教調和維持のためという(KP紙,7/29)。
DIA-209-1990-08-01-4インドネシア1990年08月01日1990年代教育省,学生のキャンパス内活動規制を解除。1978年のNKKキャンパス正常化計画による規制の解除。
DIA-209-1990-08-02-1インドネシア1990年08月02日1990年代ソ連新駐イ大使,信任状提出。
DIA-209-1990-08-02-2インドネシア1990年08月02日1990年代電力庁(PLN),東ジャワ送電計画を海外4カ国コンソーシャムに発注。3420億ルピア(=1億8480万ドル)。
DIA-209-1990-08-02-3インドネシア1990年08月02日1990年代タンジュン・プリオク港,コンテナーの急増で処理能力が急速に限界に。同港公社発表。ただし,91年4月に第2のコンテナターミナルが完成し,130万TEUsは処理可能になるという(JP紙,9/16)。
DIA-209-1990-08-03-1インドネシア1990年08月03日1990年代湾岸事件で大統領,「事態を憂慮し,両国が交渉のテーブルにつくことを希望する」と意向を発表,また外務省も同様の声明を発表。エネルギー相は,原油価格の急激な上昇を望まない,生産の拡大はOPECで討議してから実施すべきだ」と表明。
DIA-209-1990-08-03-2インドネシア1990年08月03日1990年代宗教省の発表によると,90年メッカ巡礼数8万1242人(前年5万7094人)。
DIA-209-1990-08-03-3インドネシア1990年08月03日1990年代ベトナム国防省代表団来訪。
DIA-209-1990-08-04-1インドネシア1990年08月04日1990年代西ジャワ,東カリマンタン,西スマトラで10月1日より最低賃金平均約60%引き上げと発表さる。
DIA-209-1990-08-06-1インドネシア1990年08月06日1990年代中国の李鵬首相,錢其外相来訪(~10日)。ハリム空港では到着数時間前にイスラム系の8青年団体が9・30事件の謝罪を求める声明を発表。
DIA-209-1990-08-06-2インドネシア1990年08月06日1990年代ジャカルタ市,街頭営業者の締め出しで91年3月末の目標を発表。管轄が市政府に移管。
DIA-209-1990-08-06-3インドネシア1990年08月06日1990年代南カリマンタン再植林計画は資金難で失敗,このほど同地を訪問した国会議員団の発表。
DIA-209-1990-08-07-1インドネシア1990年08月07日1990年代マングローブ100万haは絶滅の危機に,林業相の発表。現存マングローブ林は430万ha。
DIA-209-1990-08-08-1インドネシア1990年08月08日1990年代ス蔵相,民間銀行の金融難に関する噂を否定。
DIA-209-1990-08-08-2インドネシア1990年08月08日1990年代検察庁長官にSinggih同庁副長官が昇格。
DIA-209-1990-08-08-3インドネシア1990年08月08日1990年代対中国交回復。ジャカルタで覚書調印式。要旨は,(1)イ側の「一つの中国」政策堅持への中国側の評価,(2)イは台湾との経済関係を民間に限る,(3)両政府とも二重国籍を認めないことなど。また同時に貿易協定(最恵国待遇を相互に認める)にも調印。アラタス外相によると,「インドネシアはこの結果中国に対し原油390万トン,肥料2万トン,ゴム1.2万トンを輸出する。また長期契約として肥料25万トンを輸出する」と発表。
DIA-209-1990-08-09-1インドネシア1990年08月09日1990年代陸軍戦略予備軍(Kostrad)司令官が交替。Soegito少将からWismoyo Arismunandar少将へ。また10日ジャカルタ軍司令官替わる。Surjadi Sudirdja少将からKentot Harseno准将へ(「参考資料」を見よ)。
DIA-209-1990-08-10-1インドネシア1990年08月10日1990年代対中貿易で問題残る。シレガル商業相によると,イ側は現在輸入税関業務を商品の仕発国に駐在するスイスの税関業務代行会社(SGS)に委託しているが,中国側は国内にこうした外国の会社の存在を認めていない。当分は香港の同社事務所が代行の予定,という。
DIA-209-1990-08-10-2インドネシア1990年08月10日1990年代インドネシア,湾岸事件で国連決議にしたがいイラク経済制裁に参加,とエネルギー相発表。
DIA-209-1990-08-14-1インドネシア1990年08月14日1990年代50人グループ(代表サディキン元ジャカルタ市知事),ジャカルタで政治民主化要求集会を開催。
DIA-209-1990-08-14-2インドネシア1990年08月14日1990年代イリアン・ジャヤ軍区,反政府分子11人をこのほど逮捕と発表。11人は88年以来の大量殺人事件,89年12月14日の西メラネシア旗掲揚事件などの関係者とされる。
DIA-209-1990-08-15-1インドネシア1990年08月15日1990年代サウジ大使,軍事援助を求める。ストリスノ国軍司令官は17日,イは国連平和維持軍としてのみ軍隊を派遣する」と語り,アラタス外相も,同様の発言。
DIA-209-1990-08-15-2インドネシア1990年08月15日1990年代「ウラマ21人声明への支持高まる」,JP紙15日によると,ウラマによる個人としての支持署名は,6月以降急速に延び700人に達したという(→5/22)。
DIA-209-1990-08-15-3インドネシア1990年08月15日1990年代法務援助財団,政府の共産主義者根絶作戦を強く非難。国家安定支援調整庁(Bakorstanas)が7月から開始した公務員の特別調査は本来法廷がやるべきもので,同庁は法の執行機関にすぎない,と表明(→5/9,7/19)。
DIA-209-1990-08-15-4インドネシア1990年08月15日1990年代ミナス原油8月価格,19.19ドルと設定さる。7月は90年最低の14.81ドルであった。
DIA-209-1990-08-16-1インドネシア1990年08月16日1990年代大統領,国民議会で独立記念演説。「パンチャシラ」は強固に確立されており意見の違いは最早恐れる必要がない。
DIA-209-1990-08-18-1インドネシア1990年08月18日1990年代最高裁,12月14日ジャヤプーラで「西メラネシア国」を宣言し,有罪の判決を受けていたトーマス・ワンガイ博士とその妻テルコ・ワンガイの上告を棄却。
DIA-209-1990-08-18-2インドネシア1990年08月18日1990年代検察庁,米国のScott著,The United States and the Overturning of Sukarno等3書を発禁に。
DIA-209-1990-08-19-1インドネシア1990年08月19日1990年代大統領,サウジアラビアのアジズ外相と会見。大統領は,「憲法上,大統領は自らの意志で軍隊を派遣する権限を持たない。インドネシアはこれまで国連平和維持軍に加わる場合にのみ海外に派兵してきた。しかし,サウジの主権防衛の意志をインドネシアは完全に理解している」と語ったという(アラタス外相発表)。
DIA-209-1990-08-20-1インドネシア1990年08月20日1990年代日本6商社出資のジャワ石油投資会社(6月設立),プルタミナと新製油所建設で28億ドルのファイナンス契約に調印。ジャワ島中部バロンガンに建設。
DIA-209-1990-08-21-1インドネシア1990年08月21日1990年代クェートのインドネシア大使館閉鎖。
DIA-209-1990-08-21-2インドネシア1990年08月21日1990年代農耕地の減少。灌漑局発表によると,1965~85年間に水田は毎年1万~1万5000haが減少。また耕地は82~86年間に毎年3万haの減少。米需要は1.7%,米生産は3%以下の率で上昇。
DIA-209-1990-08-22-1インドネシア1990年08月22日1990年代ムスリム青年約1000人,ジャカルタで「サウジアラビアの聖地防衛」の意志を表明。24日スドモ調整相は,「法務省の許可なくして外国軍に参加すれば国籍を剥脱される」と語る。
DIA-209-1990-08-23-1インドネシア1990年08月23日1990年代Muhammadiyah運動,湾岸問題でアメリカに「独断専行せず,国連安保理の希望にそうよう」要請。
DIA-209-1990-08-23-2インドネシア1990年08月23日1990年代インドネシア経済協会第11回総会,バンドンで開催(~25日)。なお開会に先立ちスハルト大統領に対して「経済民主主義」に関する報告が提出された。
DIA-209-1990-08-24-1インドネシア1990年08月24日1990年代鉱業・エネルギー相,「石油市場の鎮静化と,途上国支援のため原油の生産を徐々に拡大する。11月までは日量137.5万トンとし,12月には日量142.7万トンまでの生産枠を要求する」と語る(→8/1)。
DIA-209-1990-08-24-2インドネシア1990年08月24日1990年代スドモ調整相,「外国出版物規制は,ジャーナリズムの倫理と国家利益に反しないかぎり中止する。また国内の新聞編集者に対する電話での記事差し止め要請も廃止する,と発表(Merdeka紙,27日)。JP紙28日によると,電話の主は通常名前・所属を明かさないが,ほとんどは軍情報局だという。
DIA-209-1990-08-25-1インドネシア1990年08月25日1990年代ウラマ協議会(MUI),第4回全国会議を終了。90~95年期の会長にHasan Basri(70歳)を再選。
DIA-209-1990-08-26-1インドネシア1990年08月26日1990年代シンガポールのリー首相,独立記念講演でスハルト大統領を賞賛。ただしスカルノ前大統領に言及した部分がインドネシア人の反発を買い非難が続出した。
DIA-209-1990-08-26-2インドネシア1990年08月26日1990年代インドネシア,フィリピンに原油30万バレルの売却同意。アキノ大統領の発表,ASEAN協定の枠外で。
DIA-209-1990-08-27-1インドネシア1990年08月27日1990年代労相,全インドネシア労組会議(SPSI)の大会で,主要プロジェクト・重要機関における労働者のスト禁止令が解除されている,と発表(63年123号大統領令を90年第27号大統領令で撤廃)(→9/26)。
DIA-209-1990-08-27-2インドネシア1990年08月27日1990年代クウェート首長特使(アメーリ石油相),スハルト大統領と会談,湾岸問題で謝意を表明。
DIA-209-1990-08-27-3インドネシア1990年08月27日1990年代ドイツから客船3隻購入のための借款(205億マルク=1億3000万米ドル)協定に調印。
DIA-209-1990-08-28-1インドネシア1990年08月28日1990年代シンガポールとリアウ州開発のための経済協力協定,投資保障協定に調印。バタム島で両国首脳が。
DIA-209-1990-08-29-1インドネシア1990年08月29日1990年代Juwono教授,軍に対して世論規制に寛容を要請。軍内での講演会で。
DIA-209-1990-08-30-1インドネシア1990年08月30日1990年代政府,第3のオレフィン工場に許可。シンガポール,台湾との合弁でビンタン島に建設。
DIA-209-1990-08-31-1インドネシア1990年08月31日1990年代中東のインドネシア人。アラタス外相によると「中東で就労している約25万人のうち,クウェートには700人が在留。うち101人は現在アンマンに到着しており,このほか81人がアンマンに向かっている。政府は特別機をアンマンに向かわせる」と発表。
DIA-209-1990-08-31-2インドネシア1990年08月31日1990年代世銀の小口融資(5000万~6000万ルピア),国内13行が取り扱い。実施期間は93年9月30日まで。
DIA-209-1990-08-31-3インドネシア1990年08月31日1990年代内務省,次回総選挙では元共産主義者の排除を徹底して行なう,と発表。
DIA-209-1990-09-03-1インドネシア1990年09月03日1990年代日本の銀行11行,Bank Dagang Nasional Indonesia向けに3800万ドルの協調融資協定に調印。
DIA-209-1990-09-04-1インドネシア1990年09月04日1990年代中銀総裁,Bank Duta(第4位の民間銀行)に外貨取引の失敗があり,中銀の管理下に置いたと発表。同行は90年3月現在総資産が2兆2400億ルピア(12億ドル)。株式の70%はスハルト大統領が総裁を兼ねる三つの基金が所有。監査役のBustanil Arifin(協同組合相)は5日辞任した際,「米ドル為替取引で損失をだしていたところへ湾岸事件が起きクウェート国立銀行の預金が凍結され,問題が困難となった」と言明。なお後任の監査役にはRadius Prawiro調整相が任命された。
DIA-209-1990-09-04-2インドネシア1990年09月04日1990年代劉新昇初代中国臨時代理大使,ジャカルタ到着。
DIA-209-1990-09-04-3インドネシア1990年09月04日1990年代完成トラックの輸入税,0%へ。5月以来の15%輸入税による輸入が促進されなかったため(→5/5)。
DIA-209-1990-09-04-4インドネシア1990年09月04日1990年代初等教育から中等教育へ。ジャカルタ市では,90年に60万9750人が初等教育を終え,31.1%(18万9400人)が労働市場に参入した。同市知事の発表(→8/13)。
DIA-209-1990-09-05-1インドネシア1990年09月05日1990年代スドモ調整相,外国新聞の検閲は検察庁だけが行なう。軍諸機関や情報省の権限ではない,と表明。
DIA-209-1990-09-05-2インドネシア1990年09月05日1990年代ガルーダ航空,中東向け航空運賃を5日以降乗客5%,貨物6%値上げ。中東保険割増金の適用による。
DIA-209-1990-09-06-1インドネシア1990年09月06日1990年代大統領,インフレ抑制で追加的措置(通貨供給量の抑制以外)を要望。
DIA-209-1990-09-07-1インドネシア1990年09月07日1990年代元イラク大使Imran Rosadi(DPR治安・国防委員会長),湾岸危機セミナーでイスラエルを非難。
DIA-209-1990-09-07-2インドネシア1990年09月07日1990年代日本OECF,西スマトラ,パダンの洪水防止計画に5000万ドル借款供与。
DIA-209-1990-09-08-1インドネシア1990年09月08日1990年代韓国,94年からのLNG20年間買付契約に原則合意。86年からの20年間買付契約とは別。韓国は同時に日量5万バレルの原油の買い付け。
DIA-209-1990-09-08-2インドネシア1990年09月08日1990年代オレフィン工場建設で東洋エンジニアリング社らと調印。PT Chandra Asri(Barito Pacific Timber Groupの子会社)が施工主。総工費24億米ドル。
DIA-209-1990-09-09-1インドネシア1990年09月09日1990年代カンボジア非公式会議,ジャカルタで開催。
DIA-209-1990-09-10-1インドネシア1990年09月10日1990年代ギナンジャール・エネルギー相,韓国訪問の帰途日本に立ち寄り海部首相と会談。原油供給拡大表明。
DIA-209-1990-09-11-1インドネシア1990年09月11日1990年代民間企業はじめて肥料生産に参加か。肥料生産者協会会長の国会発表。民間企業数社が国営との合弁。
DIA-209-1990-09-11-2インドネシア1990年09月11日1990年代大統領,過度な森林伐採に警告。マルク州で開催された木材関連工業プラント19社の開所式で。
DIA-209-1990-09-11-3インドネシア1990年09月11日1990年代湾岸危機で道路建設に障害。国内各地の建設でクウェート資金に依存するものがあったため。
DIA-209-1990-09-12-1インドネシア1990年09月12日1990年代アジア大会のクウェート問題。スポーツ・体育相「イラクがクウェートの代表を主張しないかぎり,イラクの参加に賛成する」と表明。
DIA-209-1990-09-12-2インドネシア1990年09月12日1990年代法務相,中国系住民で国会発表。居住許可証保持者は29万3745人,出国許可を取得しながら出国しないもの3058人は居住許可証が必要。国籍取得の条件は連続5年,もしくは合計10年の居住である,という。
DIA-209-1990-09-12-3インドネシア1990年09月12日1990年代アラタス外相,シンガポール首相の発言(→8/26)で国会証言し,内政干渉の意図は見られない,と発言。
DIA-209-1990-09-13-1インドネシア1990年09月13日1990年代中国での現存PKI党員は10人,ムルディオノ国務相の国会発表。
DIA-209-1990-09-13-2インドネシア1990年09月13日1990年代華人の国家統合問題セミナー,ジャカルタで開催。報告者の1人Sutopo退役中将は,現在軍・学界で慣行化している華人差別(法的根拠なし)の廃止,を要望。
DIA-209-1990-09-14-1インドネシア1990年09月14日1990年代Bank Dutaの前副総裁逮捕さる。最高検察庁は15日同人に汚職容疑があると発表。
DIA-209-1990-09-14-2インドネシア1990年09月14日1990年代日本の銀行9行,インドネシア国立銀行に5000万ドルの協調融資協定調印。
DIA-209-1990-09-15-1インドネシア1990年09月15日1990年代第4回国勢調査開始。10月15日まで。
DIA-209-1990-09-16-1インドネシア1990年09月16日1990年代林紹良の福建投資5億元に。香港の『経済導報』誌報道。二つの不動産開発会社。
DIA-209-1990-09-16-2インドネシア1990年09月16日1990年代ダルソノ元シリワンギ師団司令官(Hartono Rekso Dharsono,65歳元ASEAN事務局長)釈放さる。人権運動家,反政府運動家等が出迎え。
DIA-209-1990-09-17-1インドネシア1990年09月17日1990年代対日原油,湾岸危機で価格大幅引き上げ。日本と協議して帰国した鉱業・エネルギー相によると,9月価格は28.03ドル。8月は19.32(19.19)ドル。
DIA-209-1990-09-17-2インドネシア1990年09月17日1990年代鉱業・エネルギー相,「4製油所(合計48.5万バレル)の建設計画を早める」と発言。クウェート製油所閉鎖による製品不足が原因。
DIA-209-1990-09-18-1インドネシア1990年09月18日1990年代全国ゴム会議,バレンバンで開催。Wardoyo農業相発表,国内ゴム農園の所有状況は,小農259万ha,国営農園27万ha,民間農園25.2万ha。また現在の生産面積は全体の62%,生産開始前24%,生産停止14%。
DIA-209-1990-09-18-2インドネシア1990年09月18日1990年代新税関監査制度導入さる。これにより輸入申請書類の処理は4時間へと短縮される,という。
DIA-209-1990-09-18-3インドネシア1990年09月18日1990年代ジャカルタ市のホテル業。市観光局によると,現在ホテルの客室は9000で,稼動率は80%以上であり,今後2年間に1万4000室を追加的に必要としている。
DIA-209-1990-09-19-1インドネシア1990年09月19日1990年代エネルギー相,第1号原子炉(中部ジャワのGunung Muria)建設にはイギリスの協力を希望,と表明。
DIA-209-1990-09-20-1インドネシア1990年09月20日1990年代電子業界,5月の規制緩和措置の手直し(電子部品輸入の規制緩和で地場企業に支障があるというもの)を要望。20日の国会で,電子業界会長が証言。
DIA-209-1990-09-21-1インドネシア1990年09月21日1990年代国営スズ会社PT Tambang Timahに経営危機。国会発表。ビリトン島での操業コストの上昇,シンケップ島での資源枯渇(残量は3年分とみられる)が原因。
DIA-209-1990-09-21-2インドネシア1990年09月21日1990年代原油輸入の拡大を計画。鉱業・エネルギー相の国会発表。現在ミナス原油(軽質)の価格が中東原油(重質)よりバレル当り2~3ドル高いため。現在はサウジ,イランから1日当り8万5000バレルを輸入。
DIA-209-1990-09-22-1インドネシア1990年09月22日1990年代経済学者,大企業の活動を規制するため反トラスト法の制定を要請。インドネシア大学経済学院第40周年で記念講演。Sumitro Djojohadikusumo。
DIA-209-1990-09-22-2インドネシア1990年09月22日1990年代外務省,オーストラリアとのティモール・ギャップ条約(1989年12月11日締結)への批判に反論を声明。
DIA-209-1990-09-22-3インドネシア1990年09月22日1990年代政府,4州(中ジャワ,西ジャワ,バリ,東南スラウェシ)の最低賃金を引き上げ,と発表。引上げ率は場所・業種で異なるが,50%から100%を超えるものが多い。一方,労働組合連合会の1989年調査では,ジャカルタの300社中55%が最低賃金規則を遵守していない。
DIA-209-1990-09-23-1インドネシア1990年09月23日1990年代ルディニ内務相,「州レベルでの中央政府資金による開発計画の実施で,州行政官に業務連絡の緊密化を要請。これは1974年州自治法の規定に基づくもの。
DIA-209-1990-09-23-2インドネシア1990年09月23日1990年代バタム島開発。Cosman人力相発表,現在島内では397社が操業中,76社が建物を建設中。今後3年以内に5万~6万の労働者(主に女性)が必要となる。
DIA-209-1990-09-24-1インドネシア1990年09月24日1990年代マレーシア国王,国賓として来訪,30日まで。
DIA-209-1990-09-24-2インドネシア1990年09月24日1990年代大統領,公務員に率先性を要求。「常に上司に指示を仰ぐ慣習を廃止せよ」と語る。
DIA-209-1990-09-25-1インドネシア1990年09月25日1990年代政府,パルプ工場建設19件を許可。総投資額84億米ドル。合計でパルプ630万トン,紙30万トン。
DIA-209-1990-09-26-1インドネシア1990年09月26日1990年代「スト禁止解除の問題」。Cosmas人力相,禁止解除は広範に誤解されている。規則はないが,「パンチャシラの労使関係」を守れば,ストは発生しないはずだ,最低賃金を守らないのはパンチャシラの労使関係に反することだ,と表明。マルク州都アンボンでの労働組合会議(SPSI)地域大会で演説(→8/27)。
DIA-209-1990-09-28-1インドネシア1990年09月28日1990年代政府,セメント価格上昇のため,10月1日以降輸出を一時停止,と発表。
DIA-209-1990-09-28-2インドネシア1990年09月28日1990年代スドモ調整相,管轄閣僚との会議後,「今後は,新聞発行ライセンスの取り上げは行なわない。今後は問題があれば,編集長に責任をとってもらう」と発表。
DIA-209-1990-09-29-1インドネシア1990年09月29日1990年代ジャヤプラ軍事法廷,イリアンジャヤの反乱グループの1人に終身刑を判決。
DIA-209-1990-09-29-2インドネシア1990年09月29日1990年代ジャカルタ市,25人以上を雇用する企業に対して労働組合会議(SPSI)支部を企業内に認めるよう要請。
DIA-209-1990-09-29-3インドネシア1990年09月29日1990年代内相の州議会廃止提案に反論出る。JP2日が報道。ガジャマダ大講師も2日反対を表明。
DIA-209-1990-09-30-1インドネシア1990年09月30日1990年代北スマトラ軍当局,「治安・秩序が回復した。すでに暴動に関係した140人を釈放している」と発表。
DIA-209-1990-10-01-1インドネシア1990年10月01日1990年代マレーシアPelangi航空,KL=プカンバル(リアウ)便就航許可獲得と発表。27日運航開始。
DIA-209-1990-10-02-1インドネシア1990年10月02日1990年代スズ生産国会議。91年の輸出量6%削減し9万5849トンへ。インドネシアの量は,2万8376トン。
DIA-209-1990-10-02-2インドネシア1990年10月02日1990年代商業相,貿易使節団を引きつれチュニスへ出発。
DIA-209-1990-10-02-3インドネシア1990年10月02日1990年代9人の大学教授,大統領任期を1993年以降2期10年とするよう提案。国民協議会が93年国家大綱作成のため一般の意見を求めていることに応えたもの。
DIA-209-1990-10-02-4インドネシア1990年10月02日1990年代電力状況。電力庁Emansyah Yamin長官の国会発表。92/93年度に完成予定のグレシク天然ガス発電所とパイトン石炭発電所はジャワ・バリでの不足解消に貢献しようが,第6次計画期の不足は2400MWになろう。
DIA-209-1990-10-03-1インドネシア1990年10月03日1990年代航空業界,国会に規制緩和を要求。国内便の1席1キロ8.77米セントが低すぎ,12~13セントを要求。
DIA-209-1990-10-03-2インドネシア1990年10月03日1990年代政府,米価引上げ決定。籾米の場合91年1月以降村落協同組合(KUD)の買い上げ価格は19.23%(1キロ295ルピアへ),食糧調達庁のKUDからの買い上げ価格は9.65%(同310ルピア),KUDの精米卸売り価格10.09%(同480ルピア)。
DIA-209-1990-10-03-3インドネシア1990年10月03日1990年代セメント輸出一時停止さる。国内需給緩和のため。
DIA-209-1990-10-03-4インドネシア1990年10月03日1990年代新聞ライセンス問題。ハルモコ情報相・スドモ調整相,ともに共産主義を宣伝する新聞のライセンスは停止される,と表明。ただしその法的根拠について両者に見解の相違が見られた(JP紙,4,5日)
DIA-209-1990-10-04-1インドネシア1990年10月04日1990年代Bank Duta,損失を4億1960万ドルと発表。
DIA-209-1990-10-06-1インドネシア1990年10月06日1990年代「反トラスト法によるコングロムラトの規制」(KP紙社説)。
DIA-209-1990-10-06-2インドネシア1990年10月06日1990年代この週?,米大統領,繊維・靴輸入制限法案に拒否権発動。
DIA-209-1990-10-07-1インドネシア1990年10月07日1990年代ランプン控訴院,「イスラム国家建設」グループ(89年2月の騒乱)の1人に刑期12年を裁定。
DIA-209-1990-10-08-1インドネシア1990年10月08日1990年代石油等廃棄物の独占経済水域投棄への停止命令発効(運輸相決定No.KM 86,1990)。
DIA-209-1990-10-08-2インドネシア1990年10月08日1990年代社会学者,軍・ゴルカルの村落支配を非難し,他政党への機会均等を要求。内務省主催セミナーで。
DIA-209-1990-10-08-3インドネシア1990年10月08日1990年代政府,電話・テレックス架設費,使用料などの引き上げを発表。9日実施。
DIA-209-1990-10-08-4インドネシア1990年10月08日1990年代日本,ジャカルタ市クマヨランの催し会場建設(旧空港跡)に125億円を借款。協定8日締結。
DIA-209-1990-10-08-5インドネシア1990年10月08日1990年代新聞発行許可証問題で大統領の裁定。Hamoko情報相の発表,「法(共産主義の宣伝,宗教間・民族間悪感情の醸成などの禁止)を遵守するかぎり許可証の停止はない」(→9/28,10/3)。
DIA-209-1990-10-08-6インドネシア1990年10月08日1990年代エネルギー相,「国内におけるクウェートの投資は保護し,合法政権のために保持する」と表明。
DIA-209-1990-10-08-7インドネシア1990年10月08日1990年代華人国籍問題の早期解決要求。国会証言。
DIA-209-1990-10-09-1インドネシア1990年10月09日1990年代警察,Teater Koma劇団の“Suksesi”に公演中止命令,9月28日~10月11日問の許可があったもの。
DIA-209-1990-10-09-2インドネシア1990年10月09日1990年代アラタス外相,「ヨーロッパの状況に鑑みインドネシアはASEANのZOPFAN宣言を堅持」と言明。
DIA-209-1990-10-10-1インドネシア1990年10月10日1990年代政府,ポルトガル=国連合同代表団が91年に東ティモールを訪問,と発表(→10/11,23,12/28)。
DIA-209-1990-10-11-1インドネシア1990年10月11日1990年代ゴルカルの選挙体制。Wahono委員長は,92年選挙で候補者の半数を入れ替える,と発表。
DIA-209-1990-10-11-2インドネシア1990年10月11日1990年代大統領の任期。ゴルカル,統一開発の両党,別個の声明で「任期問題」の討議に反対を表明。
DIA-209-1990-10-11-3インドネシア1990年10月11日1990年代外国外交使節15人,東ティモールを訪問。~18日。
DIA-209-1990-10-12-1インドネシア1990年10月12日1990年代政府,セメント輸入関税を一時停止と発表(10日に遡及実施)。通常20~30%の幅。品不足のため。
DIA-209-1990-10-13-1インドネシア1990年10月13日1990年代国会,新ジャカルタ市法を可決。知事は内相にではなく,大統領直属とする。五つの区には3政党,軍の代表を議員とする区議会を設置する,というもの。
DIA-209-1990-10-15-1インドネシア1990年10月15日1990年代ジャカルタ市政庁,人力相へ市内10業種労働者の最低賃金案を提出。JP紙15日にると,平均引上げ率は32%で現在の約2000ルピアから約2650ルピアへ(人力省11月に許可,91年1月1日実施)。市当局者によると,ジャカルタでの必要最低生活費は未婚者で7万3000~7万5000ルピア,既婚者で15万ルピア,1日当り3300ルピア。
DIA-209-1990-10-15-2インドネシア1990年10月15日1990年代ミナス原油10月価格,35.29ドルへ。81年1月以来の高値(→9/17,22/27)。
DIA-209-1990-10-15-3インドネシア1990年10月15日1990年代台北=パリ直航便開設で中華航空と合意。
DIA-209-1990-10-16-1インドネシア1990年10月16日1990年代油価高騰で道路建設に被害。公共事業局発表。アスファルト,セメント価格の上昇が原因。
DIA-209-1990-10-16-2インドネシア1990年10月16日1990年代大統領,先進国に備蓄石油の放出を要請。ジャカルタでの石油会議で(→11/15)。
DIA-209-1990-10-17-1インドネシア1990年10月17日1990年代ゴルカル結成26周年(64年10月20目結成)記念行事。21日に15項目政治声明を発表。
DIA-209-1990-10-17-2インドネシア1990年10月17日1990年代イリアンジャヤからポートモレスビーのフランス大使館に20人が政治亡命中,PNG外相の発表。
DIA-209-1990-10-17-3インドネシア1990年10月17日1990年代人力相,労働組合会議(SPSI)に対して企業(とくに金融業の)内に支部設置を要望。
DIA-209-1990-10-18-1インドネシア1990年10月18日1990年代イ中,相互に新大使を承認・発表。駐中大使はAbdulrahman Gunadirdja,駐イ大使は銭永年。
DIA-209-1990-10-18-2インドネシア1990年10月18日1990年代ダルソノ出獄歓迎会,アリサディキンらが開催。ダルソノは政治活動の再開希望を表明。
DIA-209-1990-10-19-1インドネシア1990年10月19日1990年代南アフリカのN・マンデラ民族会議副議長来訪。
DIA-209-1990-10-20-1インドネシア1990年10月20日1990年代対イラク経済制裁で茶産業に被害。輸出停止に加えイラクが既輸入分の支払いを停止したため。
DIA-209-1990-10-22-1インドネシア1990年10月22日1990年代ジョクジャカルタ地裁,発禁書籍所持の学生に8年6カ月の禁固判決。Pramediah Ananta Turの本。
DIA-209-1990-10-23-1インドネシア1990年10月23日1990年代Pertamina,1994年以降の日本3社に対する天然ガス供給で20カ年契約に調印。各年間量は大阪ガス110万トン,東京ガス80万トン,東方ガス1万トン。価格は,インドネシア原油価格-7セント×0.153,の方式。
DIA-209-1990-10-23-2インドネシア1990年10月23日1990年代Monitor誌(86年6月25日発刊,70万部)の発行許可証,取り消さる。15日号で「尊敬する人物」の読者アンケート調査を発表し,イスラム教開祖が対象とされたことが問題化(1位スハルト,10位同誌編集長〔Arswendo Atmowiloto〕,11位預言者マホメット)。22日にイスラム学生を名乗る青年数百人が同誌事務所を襲撃。
DIA-209-1990-10-23-3インドネシア1990年10月23日1990年代「東ティモールで軍が学生と衝突」。リスボンの東ティモール学生筋(23日)によると,8~17日に発生(ロイター)。当時同地を訪問中の外国外交官らも証言(AFP,The Sunday Times〔S〕,21日)。またSydney Morning Herald 25日によるとFretilin指導者のXanana Gusmaoが「抵抗を続けている」と発表(→11/3)。
DIA-209-1990-10-23-4インドネシア1990年10月23日1990年代大統領,湾岸での多国籍軍の存在は湾岸情勢を悪化させている,とイラン政府特使に表明。
DIA-209-1990-10-23-5インドネシア1990年10月23日1990年代第8軍区司令官,イリアンジャヤ国境には未だ分離主義者が存在,と語る(JP紙,23日)。
DIA-209-1990-10-23-6インドネシア1990年10月23日1990年代政府,イリアンでのBintuni社のマングローブ伐採に一時停止命令。森林利用局発表(→1/11,8/7)。
DIA-209-1990-10-24-1インドネシア1990年10月24日1990年代中銀のインフレ抑制措置に疑義。ジャカルタで開催の第2回金融会議(IFEA)でA. Nasutionの意見。
DIA-209-1990-10-24-2インドネシア1990年10月24日1990年代中ジャワ以東で雨期到来に遅れ(KP紙,24日)。
DIA-209-1990-10-25-1インドネシア1990年10月25日1990年代マレーシアへの不法出稼ぎ労働者問題。人力相発表では同国との協力で数年前より「一旦帰国,合法再出国」をすすめ,これまでに13万8000人が正規渡航,と発表。またかれらには主に南スラウェシ,東西ヌサトゥンガラ出身者が多く,収入は国内の10倍という。
DIA-209-1990-10-25-2インドネシア1990年10月25日1990年代内相,フローレス地方を訪問し,「次回総選挙では野党への投票を懲らしめてはいけない」と発言。
DIA-209-1990-10-26-1インドネシア1990年10月26日1990年代シンガポールのゴー副首相,ムルダニ国防相の招待で国防相として来訪。
DIA-209-1990-10-27-1インドネシア1990年10月27日1990年代大統領任期問題。Editor誌27日号アンケート調査,対象433人。任期限定賛成92%,任期2期10年支持56%,任期3期15年支持10%,再選反対30%。大統領の経歴(かっこ内は89年調査),現役軍人支持25(35)%,退役軍人支持22(42)%,民間人支持23(9)%。
DIA-209-1990-10-29-1インドネシア1990年10月29日1990年代政府,トラック緊急輸入で特別許可。91年末までで3万4000台(→5/5)。
DIA-209-1990-10-31-1インドネシア1990年10月31日1990年代金融緊縮政策で商銀の消費者金融減少。自動車業界筋は,91年に10%程度の価格引下げを予測。
DIA-209-1990-10-31-2インドネシア1990年10月31日1990年代スラバヤでは10年後に水不足深刻化か。現在Karankates,Selorejoの2ダムは1日当り3億0240万リットルの供給が限度。同市は他からの供給を含め総需要3億4560万リットルをみたしている。10年後のスラバヤの需要は11億2000万リットルに達するとみられる(KP紙,31日)。
DIA-209-1990-10-31-3インドネシア1990年10月31日1990年代東ティモール知事M. V. Carrascalao(81年政府任命),2度の反インドネシア抗議行動(→10/23)に関連して,「政府の東ティモール政策は成功していない。国民が尊敬を取り戻すには政策が変わらねばならない」と語る(AFP-The Straits Times,11月1日)。
DIA-209-1990-11-01-1インドネシア1990年11月01日1990年代陸軍,年次上級司令官会議開催(3日間,175人が参加)。スハルト大統領は「軍は他人に指導的地位を譲り,後部から監督すべきだ」と発言。
DIA-209-1990-11-01-2インドネシア1990年11月01日1990年代「マレーシアとの国境係争地は現状維持」。アラタス外相がクアラルンプル空港で表明。
DIA-209-1990-11-01-3インドネシア1990年11月01日1990年代ジャカルタ北部で大火。268戸焼ける。
DIA-209-1990-11-01-4インドネシア1990年11月01日1990年代国民協議会議長,「大統領候補支持は,各政治組織を介して国民協議会へ提出せよ」と要望(Surya紙,1日)。
DIA-209-1990-11-02-1インドネシア1990年11月02日1990年代隔週誌Senang,廃刊を発表。9月21日号でイスラム教の尊厳を損なう投書を掲載したためという。
DIA-209-1990-11-02-2インドネシア1990年11月02日1990年代国営2石炭会社統合さる。エネルギー相発表。
DIA-209-1990-11-02-3インドネシア1990年11月02日1990年代Fretilin駐シドニー代表,ゲリラ戦争の無条件中止で政府との交渉を提案。指導者Xanana Gusmaoの文書。ダーウィンでのフォーラムで(→10/23,10/31)。
DIA-209-1990-11-04-1インドネシア1990年11月04日1990年代冷間圧延会社(国内にはCRMIの1社のみ)発表,需要拡大に応じきれず。現在は操業度60%。
DIA-209-1990-11-05-1インドネシア1990年11月05日1990年代環境保全団体WALHI,環境行政の遅れを指摘。
DIA-209-1990-11-06-1インドネシア1990年11月06日1990年代ルディニ内務相,シンガポール訪問。3日間。
DIA-209-1990-11-07-1インドネシア1990年11月07日1990年代スドモ調整相,メディアの自由化促進で後退はしない,と言明。(→10/23,11/2)
DIA-209-1990-11-07-2インドネシア1990年11月07日1990年代ジャワ河川の汚濁深刻化,と公共事業省が発表(KP紙,7日)。
DIA-209-1990-11-07-3インドネシア1990年11月07日1990年代マツダ,乗用車生産に乗り出す。7日開所のPT Madza Indonesia Manufacturingで,株所有はマツダ55%,現地部品構成比は74%,年産2万台。
DIA-209-1990-11-08-1インドネシア1990年11月08日1990年代国民英雄位,英雄牌授与さる。英雄位は故スルタソ・ハメンクブオノⅨへ,英雄牌は故スカルノ大統領,故ハッタ副大統領等に,異色の受牌者は1964年のシンガポール攻撃に参加し逮捕・処刑された海軍軍曹Harun bin Said al-Tahierがいる。
DIA-209-1990-11-09-1インドネシア1990年11月09日1990年代UNDPとUNESCO,科学・技術情報管理システムの開発・管理・維持でイ側の科学研究所(Lipi)と調印。
DIA-209-1990-11-09-2インドネシア1990年11月09日1990年代工業相,Asean経済協力の拡大を表明。「特に工業製品の関税を80%まで削減し,実効率を0から5%にしたい」と発言。
DIA-209-1990-11-09-3インドネシア1990年11月09日1990年代カンボジア問題12カ国会議,ジャカルタで開催。10日に最終合意書の原案(21日のパリ会議向け)を作成。
DIA-209-1990-11-10-1インドネシア1990年11月10日1990年代政府,第2期デジタル電話計画で日本電気とAT & Tが落札と発表(→3/6)。
DIA-209-1990-11-10-2インドネシア1990年11月10日1990年代クラカタウ製鉄,拡張工事開始,6億ドル。生産能力は海綿鉄が120万トンから230万トン,鋼鉄スラブが100万トンから180万トンなど。
DIA-209-1990-11-10-3インドネシア1990年11月10日1990年代イリアン・ジャヤ(SorongのWiriagar井)に天然ガスLPG工場開所。日量2000万立方フィート。
DIA-209-1990-11-10-4インドネシア1990年11月10日1990年代国軍会派,国民議会代議員の一部更迭を計画。Suara Karya 10日によると,定員100人中30人が対象。
DIA-209-1990-11-11-1インドネシア1990年11月11日1990年代スハルト大統領,日・中・越に向け立つ。訪日は平成天皇の即位参列のため。
DIA-209-1990-11-12-1インドネシア1990年11月12日1990年代中銀総裁,「緊縮政策は維持するが,これ以上は強めない」と発言。
DIA-209-1990-11-12-2インドネシア1990年11月12日1990年代ボロブドゥール爆破のイスラム説教師に対する裁判,マランで始まる。
DIA-209-1990-11-12-3インドネシア1990年11月12日1990年代Interenational Herald Tribune紙,スハルト一族のビジネスの批判記事掲載。13日オーストラリアFinancial Review紙も掲載。IHT紙は17日以降販売停止。
DIA-209-1990-11-13-1インドネシア1990年11月13日1990年代大統領,東京でアメリカ副大統領,シンガポール首相,エジプト外相らと会談。シンガポール首相との会見では,1960年代初期の西イリアン解放は,国家的団結と宗主権の確保が目的であったと説明(→8/26)。
DIA-209-1990-11-13-2インドネシア1990年11月13日1990年代ルディニ内相,「軍によるアチェでの大量殺戮」報道を否定。Reuterが先週流したもの。軍当局者は,軍に寝返った反政府分子が9月末に140人釈放されており,その一部が報復されたもの,としている。なお人権擁護団体は16日の声明で「殺戮が続いている」と発表。
DIA-209-1990-11-13-3インドネシア1990年11月13日1990年代グレシク工業団地の造成で民間会社に許可(Jawa Post紙,13日報道)。東ジャワで4番目。
DIA-209-1990-11-14-1インドネシア1990年11月14日1990年代スハルト大統領,中国到着。6日間。
DIA-209-1990-11-14-2インドネシア1990年11月14日1990年代人権擁護団体,労働組合会議Setia Kawan Free Trade Unionの結成を発表(正式には9月20日に発足)。暫定議長HJC Princenによると,目的は現存する政府系のSPSIが労働団体として十分機能しないため。当面最低賃金の3ドルへの引き上げを目的とする。暫定書記長はSaut Aritonang。現在の参加人員は5000人とされる。
DIA-209-1990-11-14-3インドネシア1990年11月14日1990年代軍スポークスマン,シンガポールの米軍への基地施設貸与取決(13日)に反対しない,と言明。
DIA-209-1990-11-15-1インドネシア1990年11月15日1990年代中銀,合弁銀行に国内指定都市での支店開設を許可する,と発表(→88/10/27)。
DIA-209-1990-11-15-2インドネシア1990年11月15日1990年代エネルギー相,先進国の石油備蓄積み増しに反対を表明。マニラのAsean石油相会議で(→10/16)。
DIA-209-1990-11-15-3インドネシア1990年11月15日1990年代新商銀Bank Tuguが142番目の商業銀行として開業。国立銀行7,地場民間銀行109,外国・合併銀行26。
DIA-209-1990-11-15-4インドネシア1990年11月15日1990年代中銀総裁,資本市場時価総額を200億ドルと発表。
DIA-209-1990-11-15-5インドネシア1990年11月15日1990年代国営電電会社(Perumtel),日本電気と協力拡大で合意。経営幹部,技術者の交流,情報の交換。
DIA-209-1990-11-15-6インドネシア1990年11月15日1990年代Garuda,シンガポール=ホーチミン市で運航開始。
DIA-209-1990-11-15-7インドネシア1990年11月15日1990年代アチェ製糖会社,経営困難に(KP紙,15日)。
DIA-209-1990-11-16-1インドネシア1990年11月16日1990年代Asean繊維業連合会会議,ジャカルタで開催。
DIA-209-1990-11-16-2インドネシア1990年11月16日1990年代スハルト大統領,北京でシアヌーク殿下と会見。
DIA-209-1990-11-16-3インドネシア1990年11月16日1990年代中ジャワで旱魃深刻化,Suara Pembangunan報道。
DIA-209-1990-11-17-1インドネシア1990年11月17日1990年代スハルト=江沢民の共同声明発表さる。経済・貿易・技術協力合同委員会設立に関する覚書に調印。
DIA-209-1990-11-17-2インドネシア1990年11月17日1990年代開発銀行(Bapindo),ツーステップ借款金利をこのほど2.5%引き上げ。年利19%へ(JP紙,17日)。
DIA-209-1990-11-17-3インドネシア1990年11月17日1990年代世銀,ジャカルタの洪水防止計画への借款を拒否。世銀は住民の移住を伴う計画には融資を希望せず。
DIA-209-1990-11-17-4インドネシア1990年11月17日1990年代ルディニ内相,中国系インドネシア人の公務員・軍人参加には規制がない,と発言。
DIA-209-1990-11-18-1インドネシア1990年11月18日1990年代PT IPTN社が91年からボーイング747の翼を生産,とHabibie国務相が東京で発表。
DIA-209-1990-11-19-1インドネシア1990年11月19日1990年代スハルト大統領,ハノイ到着。ベトナム戦争終了後非共産圏首脳による最初の訪問。
DIA-209-1990-11-19-2インドネシア1990年11月19日1990年代貿易相,輸出業者に対して外国バイヤーとの輸出契約を遵守するよう要請。製品規格を維持するため,1994年までに国産全商品に対する単一の規格を作ると発表。
DIA-209-1990-11-20-1インドネシア1990年11月20日1990年代スラバヤ=マドゥラ架橋計画で日・イが調印。建設は日本側コンソーシャムとイ側の共同事業。
DIA-209-1990-11-21-1インドネシア1990年11月21日1990年代スハルト大統領,ベトナム側と共同声明発表。またイ・越外相は二つの取決((1)経済・科学・技術協力,(2)合同委員会設立)に調印。
DIA-209-1990-11-21-2インドネシア1990年11月21日1990年代ベトナム,インドネシアと合弁のIndovina銀行に許可。イ側のSumma Groupとベトナム商工銀行の合弁で,91年初にホーチミン市に開業予定(VNA,21日)。
DIA-209-1990-11-21-3インドネシア1990年11月21日1990年代共産主義者の帰国問題。スハルト大統領は帰国の途次機中で,「中国指導者の質問に対して帰国後裁判を受けることが条件だと答えた」と語った。
DIA-209-1990-11-21-4インドネシア1990年11月21日1990年代ベトナムとの国境問題。ベトナムから帰着後,スハルト大統領は同国との南シナ海島嶼の経済開発協力は国境問題を解決してから,と発言。
DIA-209-1990-11-21-5インドネシア1990年11月21日1990年代インドネシア最初の債券管理・回収会社できる。PT Niaga Factoring Corporation(NFC)でシンガポールとの合弁。
DIA-209-1990-11-21-6インドネシア1990年11月21日1990年代新株発行,Bapepam(資本市場管理庁)の許可制に,(Business Indonesia紙,21日)。
DIA-209-1990-11-21-7インドネシア1990年11月21日1990年代アチェの争乱。北スマトラ軍司令部発表,軍は今月はじめアチェで2度の掃討作戦を行ない治安攪乱運動の合計10人を殺害,またメダンの警察も同運動の指導者や支持者を逮捕した,という。
DIA-209-1990-11-22-1インドネシア1990年11月22日1990年代リースの法制化の要求,国会に出さる。法制度欠如で,健全な発展が阻害されている,という。
DIA-209-1990-11-22-2インドネシア1990年11月22日1990年代Garudaのモスクワ便始まる。週1便,木曜日出発。
DIA-209-1990-11-23-1インドネシア1990年11月23日1990年代NGO/国連協力フォーラム開催。インドネシアのNGO11組織は1987年以来UNDPから33万4600ドルの供与をうけ,農業・保健などの12計画に使用した。
DIA-209-1990-11-23-2インドネシア1990年11月23日1990年代スイス民間会社による税関検査制度と対中貿易。中国側は自国内で外国民間会社による検査を認めていないため,中・イ合弁の検査会社設立を提案。
DIA-209-1990-11-23-3インドネシア1990年11月23日1990年代リアウ知事,ビンタン島の地価高騰に抑制措置発表。1985年知事決定「観光用指定の土地の売買を禁止する」を適用。8月28日の協定以降40倍に急騰,という。
DIA-209-1990-11-23-4インドネシア1990年11月23日1990年代コーヒーをロブスタ種からアラビカ種へ,輸出業協会によると5年後に30%へ引き上げ(現在は10%)。
DIA-209-1990-11-24-1インドネシア1990年11月24日1990年代トリストリスノ国軍司令官,軍の政治・社会機能維持を強調。第4回退役・現役連絡全国大会で。
DIA-209-1990-11-27-1インドネシア1990年11月27日1990年代エネルギー相発表,11月のミナス原油価格33.57ドル。国産原油平均価格は33.18ドル。4~11月平均価格21.78ドル。一方天然ガス価格(単位は100万BTU)は,年初の2.50ドルから5.24ドルへ。4~10月では3.45ドル。
DIA-209-1990-11-27-2インドネシア1990年11月27日1990年代蔵相,Bank Umum Majapahitに営業停止命令。緊縮金融政策のためではなく同行の内部問題が原因という。
DIA-209-1990-11-27-3インドネシア1990年11月27日1990年代蔵相,ドル下落で対外債務拡大,と発表。90/91年度当初の債務予定額より7000億ルピア拡大の見込みで,日本に対して追加的に発生した債務拡大をソフト・ローンに替えるよう要請したという。なお4~9月期の返済額は5兆6515億ルピア,うち3兆3338億ルピアは元本。
DIA-209-1990-11-27-4インドネシア1990年11月27日1990年代テレビ(VTRI),アラビア語番組の放映開始。
DIA-209-1990-11-27-5インドネシア1990年11月27日1990年代スハルト大統領,来訪中のクェート住宅相と会見。大統領は国連決議に沿ってクェートの解放努力を支持する,と表明。
DIA-209-1990-11-27-6インドネシア1990年11月27日1990年代スドモ調整相,新労働組織に「大衆組織に関する1985年法に違反すれば解散させる」と言明(→11.14)。
DIA-209-1990-11-28-1インドネシア1990年11月28日1990年代工業団地運営企業協会,ジャカルタでセミナー。工業団地に対する政府の対応に不備・遅れがある,との批判が続発した。
DIA-209-1990-11-29-1インドネシア1990年11月29日1990年代バジャイ運転手約1万人,ジャカルタ市内で抗議集会。営業区域を住宅地に限定する1972年市条令の実施に反対するもの(12月3日実施)。
DIA-209-1990-11-29-2インドネシア1990年11月29日1990年代労働組合会議(SPSI),ボゴールで3日間の大会を終了。委員長にImam Sudarwoを再選。任期5年。書記長にはBomer Pasaribuを選出。
DIA-209-1990-11-29-3インドネシア1990年11月29日1990年代国会で民間演劇活動への取締りに批判。ゴルカル会派書記Marzuki Darusmanは,28日に演劇団Teater Komaによる“Opera Kecoa”が上演禁止となったことを批判したもの。スドモ調整相も30日に同様発言(→10/9)。
DIA-209-1990-11-29-4インドネシア1990年11月29日1990年代Kedung Omboダム事件のその後。国会報告によると現在スマラン地裁で審理中。160家族が政府の補償金受け取りを拒否。政府の提示額は,1平方メートル500~800ルピア,要求額は同1万ルピア。住民の背後には法務援助機関の弁護士たちが支援しているという(→4/19)。
DIA-209-1990-11-30-1インドネシア1990年11月30日1990年代油価高謄による利得の使途。30日の国会予算委員会の提案,(1)債務償還,(2)開発プロジェクト,(3)公務員給与,(4)国軍兵士給与,(5)中銀の外貨準備など。
DIA-209-1990-11-30-2インドネシア1990年11月30日1990年代イリアンジャヤで治安攪乱分子66人が投降。軍当局の30日発表。
DIA-209-1990-12-01-1インドネシア1990年12月01日1990年代「規制緩和が企業活動のコングロムラト化を促進」,ジャカルタで開催のセミナーで経済学者のDjisman Simandjuntakが発表。
DIA-209-1990-12-02-1インドネシア1990年12月02日1990年代マレーシアMerdeka誌,同国にいる不法就労インドネシア人は約100万人と報道。また過去4か月間に1日当り500人が不法に入国してる,という。マレーシアでは1日当り一万ルピアは稼げるという。
DIA-209-1990-12-04-1インドネシア1990年12月04日1990年代大統領,「今日のダイナミックな社会にとって,全体主義,中央集権主義は適さなくなった」と国防研究所代表団に語る。
DIA-209-1990-12-04-2インドネシア1990年12月04日1990年代日本OECF総裁,スハルト大統領を表敬訪問。大統領は日本政府に特別援助の継続を要請。
DIA-209-1990-12-04-3インドネシア1990年12月04日1990年代法律専門家2人国会で,人権問題への過敏な嫌悪症に警告の証言。
DIA-209-1990-12-04-4インドネシア1990年12月04日1990年代教育文化相,「11月28日の演劇取締には関係していない」,と国会証言。スドモ調整相はこれを非難して,「警察は教育文化省の勧告をえて行動するのだから,同省は沈黙すべきでない」とSuara Karya 6日に言明。
DIA-209-1990-12-04-5インドネシア1990年12月04日1990年代Muhammadiyah運動,湾岸危機でイラクにクウェート撤退を求める声明発表。
DIA-209-1990-12-05-1インドネシア1990年12月05日1990年代検事局,Bank Duta事件で同行前副総裁が不正な外国為替取引を行なっていた,と発表。
DIA-209-1990-12-06-1インドネシア1990年12月06日1990年代資本市場強化策発表さる。4日付け蔵相令1548号で91年1月2日発効。ジャカルタ証券取引所の民営化とそれに伴う措置が主体。
DIA-209-1990-12-06-2インドネシア1990年12月06日1990年代検事局,Kasih yang Menyelamatkanなど4書を発禁と発表。
DIA-209-1990-12-06-3インドネシア1990年12月06日1990年代イスラム知識人シンポ,マランで開催,~8日。なお7日夜シンポ参加者によって全インドネシア・イスラム知識人会議(Ikatan Cendekiawan Muslim Indonasia,ICMI)が結成された。会長にB.J. Habibieを選出。
DIA-209-1990-12-07-1インドネシア1990年12月07日1990年代プルタミナ社,ベンジン・パラキシレン工場の建設で日,独,米,インドネシアなどからなるコンソーシャムと調印。アチェとパレンバンの2工場。
DIA-209-1990-12-07-2インドネシア1990年12月07日1990年代プルタミナ社,チラチャップのオレフィン工場計画(シェルが主体)から撤退を表明。
DIA-209-1990-12-09-1インドネシア1990年12月09日1990年代最高裁,学生6人の控訴棄却(→1/3,9/13)。
DIA-209-1990-12-10-1インドネシア1990年12月10日1990年代大阪でシンガポールと投資促進セミナー開催。両国でリアウ州を共同開発する,と強調。
DIA-209-1990-12-10-2インドネシア1990年12月10日1990年代法務支援財団会長,「国家安定支援調整庁は調整機関どころか権力を執行している」,と非難。
DIA-209-1990-12-11-1インドネシア1990年12月11日1990年代自動車生産,81年に次ぐ高水準。自動車販売協会発表,総生産能力は42万4300台,90年の需要は30万台だが,部品供給難と労働力不足で生産見込みは27万台。
DIA-209-1990-12-11-2インドネシア1990年12月11日1990年代スドモ調整相,劇団Teater Komaに“Opera Kecoa”の公演を許可。また詩人W.S. Rendraに対しても自作詩の公開朗読を許可。同相がジャカルタ芸術会議,俳優,詩人芸術家からの代表と会談し,合意(→11/29)。
DIA-209-1990-12-12-1インドネシア1990年12月12日1990年代エネルギー相,OPEC会議出席のためウィーン到着。「湾岸危機終結後は各国が7月了解の生産枠(90年下半期日量2249万バレル,21ドルの最低参考価格)に戻ることを期待する」と語る。
DIA-209-1990-12-12-2インドネシア1990年12月12日1990年代国民議会,ティモール・ギャップ条約を批准(→89/12/11)。
DIA-209-1990-12-13-1インドネシア1990年12月13日1990年代日本政府,イ政府と90年度分の円借款総額1815億8200万円を供与する契約書簡を交換。
DIA-209-1990-12-13-2インドネシア1990年12月13日1990年代プルタミナ,日本の企業連合(三井物産,日揮など)にムシ製油所(スマトラ)の改造・近代化プロジェクトを発注。2億3000万ドル。代金は製品の一部を充当。
DIA-209-1990-12-13-3インドネシア1990年12月13日1990年代ラディウス調整相,国外貿易会社への投資を希望。国産品の海外販売流通網が拡大されるというもの。
DIA-209-1990-12-13-4インドネシア1990年12月13日1990年代スハルト大統領,エンジニア協会への演説で「富の公平な分配」を要望。またムルダニ国防相は,貧富の差の危険性を強調し,国民の40%は平均日給が2000ルピアにすぎないと指摘。
DIA-209-1990-12-13-5インドネシア1990年12月13日1990年代Edi陸軍参謀長,「生活水準の向上とともに国民は批判的となり,情報の公開も進みつつある。こうしたなかで,軍は最早国家の政治的安定のためや乱暴な力を行使して膺懲的な措置をとるべきではない」と表明。ジャカルタでの軍司令官・高級軍官会議で。
DIA-209-1990-12-15-1インドネシア1990年12月15日1990年代Muhammadiyah運動,第42回大会ジョクジャカルタで開催,~19日。同運動の現在会員70万人。大統領が開会の辞。19日に新執行部(任期5年間)13人決まる。新会長はイスラム法の研究者で大学教授のAchmad Azhar Basyir(62)。率直な発言で知られていた前執行部副会長Lukman Harunとその対抗馬Mohammad Djazmanはリストから外されていた。
DIA-209-1990-12-15-2インドネシア1990年12月15日1990年代陸軍セミナー,バンドンで開催。Edi参謀長,貧富の差解消のため民間部門の積極的貢献を希望。今後25年間における人的資源開発に対する軍の認識を形成し,93年以降の国家大綱(GBHN)作成に参画するもの。
DIA-209-1990-12-17-1インドネシア1990年12月17日1990年代Sumarlin蔵相,91年に5%成長を期待。
DIA-209-1990-12-17-2インドネシア1990年12月17日1990年代Salim環境相,1997年までに選挙を比例代表制から選挙区制へ替えるべきだ,と主張。軍セミナーで提言。
DIA-209-1990-12-18-1インドネシア1990年12月18日1990年代新労働組合会議(政府未承認),第1回総会を15,16日に開催したと発表。参加者は15州から62人(→9/14)。初代委員長にJohannes Princen(インドネシアに帰化したオランダ人)を選出。書記長はSaut Aritonang。会員は3万5000人に達したという(AFP,18日)。
DIA-209-1990-12-18-2インドネシア1990年12月18日1990年代演劇団Teater Komaの日本公演に政府が許可を留保。関係者発表。招待したジャパン・ファウンデイションは15日までに来日意向の確認を要求。その後20日スドモ調整相は同劇団代表に日本公演の許可を伝え,先に中止を指示した政府官房局には中止の権限がない,と言明。
DIA-209-1990-12-18-3インドネシア1990年12月18日1990年代台湾と投資保証協定締結。19日,台湾側発表。
DIA-209-1990-12-18-4インドネシア1990年12月18日1990年代政府,12月のミナス原油価格を29.01ドルと発表。
DIA-209-1990-12-18-5インドネシア1990年12月18日1990年代大統領,90年軍セミナーの終了(18日)に伴い,軍首脳に対して「国民の独自性を生かすような制度を作るよう」要請。なおロイター電によると,この際大統領は,「大企業の危険性を語るものは経済開発にも責任をとるべきだ」とし,軍セミナーで参謀長や国防相による大企業批判に応酬したという(The Straits Times)。
DIA-209-1990-12-20-1インドネシア1990年12月20日1990年代日本輸銀,460億円の対イ借款に調印。
DIA-209-1990-12-21-1インドネシア1990年12月21日1990年代駐イ世銀代表,90年成長率を7%,91年を6.5%(蔵相は5%)と予測(なおアジア経済研究所の予測は90年7%,91年7.5%)。
DIA-209-1990-12-21-2インドネシア1990年12月21日1990年代環境保護団体のWalhi,原発建設に反対を表明。
DIA-209-1990-12-21-3インドネシア1990年12月21日1990年代政府,メッカ巡礼費の12.78%引き上げを発表。532万ルピアから600万ルピアへ。
DIA-209-1990-12-24-1インドネシア1990年12月24日1990年代協同組合開発局発表,大企業により協同組合への株式売却は,新年4月までに105社4530万株に達するという。実施済みは212組合に対する1710万株(1株1000ルピア)。売却方法は当該会社が組合に銀行を介して無利子借款をあたえて買い取らせ,組合は,株式運用による配当益の75%を返済にあてるというもの。105社のうち66社はインドネシア林業協会所属,他の39社はPrasetya Mulya財団所属。現存協同組合数は3万7600。
DIA-209-1990-12-27-1インドネシア1990年12月27日1990年代Asia Watch(アメリカの人権団体),アチェにおける89年半ば以降の軍とAceh Merdeka(反政府運動)との抗争で約1000人が死亡した,と発表。
DIA-209-1990-12-27-2インドネシア1990年12月27日1990年代国軍司令官,Fretilinゲリラを約200人と発表。
DIA-209-1990-12-27-3インドネシア1990年12月27日1990年代アラタス外相,91年にスプラットリー諸島(南シナ海)問題でセミナー開催予定,と発表。
DIA-209-1990-12-28-1インドネシア1990年12月28日1990年代林紹良,シンガポールの商業不動産に進出。過去1カ月間の株式買収合戦で同国の商業不動産企業に強い影響力をもつUnited Industrial Corporationを取得。同社の24.5%を取得し筆頭株主に。
DIA-209-1990-12-28-2インドネシア1990年12月28日1990年代最低賃金の実施状況。Cosmas人力相によると,これにより賃金は平均6.3%上昇。90年実績ではバタム工業団地の5550ルピアが最高,中ジャワの780ルピアが最低。デモは57件(89年は19件,3万0796人が参加)。
DIA-209-1990-12-28-3インドネシア1990年12月28日1990年代スドモ調整相,91年に政府は,公開行政,環境問題,官僚主義,汚職,不正料金の取り立て等に取り組む,とくに治安維持優先の行政を改めたい,と表明。
DIA-209-1990-12-28-4インドネシア1990年12月28日1990年代東ティモール知事,ポルトガル国会議員団の来訪に反対を表明。政府に受け入れ拒否を要請(→10/10)。
DIA-209-1990-12-28-5インドネシア1990年12月28日1990年代ジャカルタ市のベチャ現存数,市発表,11月末現在5区合計1633台。
DIA-209-1990-12-29-1インドネシア1990年12月29日1990年代ジョクジャカルタで「インドネシア91観光年」に反対のデモ。学生,農民等が多数参加。
DIA-209-1990-12-29-2インドネシア1990年12月29日1990年代政府,丁子取引を専売制に。新年より丁子支持流通庁(Badan Pengangga dan Pemasaran Cengkeh,BPPC)を発足させ,価格安定に資する。この2年来丁子取引業者と丁子タバコ製造業者との間の論争に決着をつけるもの。後者は流通は取引業者に支配されようと危惧。
DIA-209-1990-12-31-1インドネシア1990年12月31日1990年代マレーシア移民局,「マレーシアは約2.6万人の不法入国インドネシア人が一時帰国し,正式書類を整え再びマレーシアで働けるよう送還開始」と発表。
DIA-209-1990-12-31-2インドネシア1990年12月31日1990年代スハルト大統領,新年祝辞で「コングロムラトの成長拡大を冷静に受けとめよう」と語る(→1/24,10/25)。
DIA-209-1990-12-31-3インドネシア1990年12月31日1990年代大統領,新年前夜の祝辞で,人口とインフレの抑制に成功したと発表。人口は国連推計の1億8200万人に対して1億7932万1641人であったし,インフレも金融引き締めで10%以下でおわった,としている。
DIA-209-1991-01-01-1インドネシア1991年01月01日1990年代スハルト大統領,インドネシア観光年を公式に宣言。1990年の来訪者は前年比33.9%増加の217万人。
DIA-209-1991-01-01-2インドネシア1991年01月01日1990年代人口センサス発表さる(「参考資料」参照)。
DIA-209-1991-01-02-1インドネシア1991年01月02日1990年代ルディニ内相,地方行政の効率化のため自治化することの難しいカブパテン(県)20の行政的地位を変更する予定と発表。現在kabupatenの総数は297。
DIA-209-1991-01-03-1インドネシア1991年01月03日1990年代Radius調整相,「金融引き締めで投資減少」と語る。投資調整庁発表では,90年に許可された国内投資では,実施件数77%,実施額42%。外国投資では,実施件数で81%,実施額で60%(→3/23)。
DIA-209-1991-01-03-2インドネシア1991年01月03日1990年代「アチェ掃討作戦,成功裏に終了」,アチェ州知事発表。12月に終ったもの。スハルト大統領,アチェの反乱者に政治的譲歩せず,と同州知事に語る。
DIA-209-1991-01-03-3インドネシア1991年01月03日1990年代政府,チラチャップのシェル・オレフィン工場へのプルタミナの参加を禁止。建設開始は90年初めだったが所有権問題で参加予定各社の意見が調整できなかった。
DIA-209-1991-01-03-4インドネシア1991年01月03日1990年代7人の新大使を認証。ブルネイAzhar Boer,北朝鮮Muhammad Muharam Soemadipradjaなど。
DIA-209-1991-01-03-5インドネシア1991年01月03日1990年代電話公社Perumtelの回線増設計画変更発表される。現5カ年計画の当初計画140万回線を280回線に。
DIA-209-1991-01-04-1インドネシア1991年01月04日1990年代ゴム協会(Gapkindo)発表によると,金融引き締めで金利が年20%の水準にある現在,ゴム加工会社(90社)の10%は,破産に迫られているという。
DIA-209-1991-01-04-2インドネシア1991年01月04日1990年代ベトナム政府代表団来訪(団長はTran Duc Luong閣僚会議副議長)。11日インドネシアから肥料5万㌧の輸入計画調印。べ側の輸出信用供与の要請は拒否。
DIA-209-1991-01-04-3インドネシア1991年01月04日1990年代森林伐採問題。Harahap森林相,現在の伐採権保持者535人中39%は規制に反し乱伐している,と言明。
DIA-209-1991-01-05-1インドネシア1991年01月05日1990年代外務省,ブーゲンビリアへの軍事介入を否定。12月29日にオーストラリアの3紙報道に対し。
DIA-209-1991-01-05-2インドネシア1991年01月05日1990年代ムハマディア運動(→90/12/15),理事会を設置。会長Ahmad Azhar Basyir。その他の役員決まる。
DIA-209-1991-01-05-3インドネシア1991年01月05日1990年代フィリピン軍最高司令官,スハルト大統領を表敬。
DIA-209-1991-01-06-1インドネシア1991年01月06日1990年代統一開発党(PPP)大会開催。ルディニ内相が挨拶。9日に大企業の独占阻止の立法化を求め声明。
DIA-209-1991-01-07-1インドネシア1991年01月07日1990年代新年度予算,スハルト,大統領により発表(本年報1991年版,471~473ページ参照)。
DIA-209-1991-01-07-2インドネシア1991年01月07日1990年代法務支援財団,軍による首都での交通違反者取締キャンペーン(90年12月24日開始)に行き過ぎ,と非難。
DIA-209-1991-01-07-3インドネシア1991年01月07日1990年代国会議長,国会の91年会期開始に際して,大企業独占の成長阻止を目的とする立法を希望。
DIA-209-1991-01-08-1インドネシア1991年01月08日1990年代スハルト大統領,92年選挙の選挙委員会委員を任命。委員長はルディニ内相。また選挙監視委員会も任命。委員長はSinggih検事総長。
DIA-209-1991-01-08-2インドネシア1991年01月08日1990年代東ジャワで20年ぶりの大洪水発生。
DIA-209-1991-01-08-3インドネシア1991年01月08日1990年代モジョクルトでブランタス川のパダンガン橋落下。
DIA-209-1991-01-08-4インドネシア1991年01月08日1990年代マレーシア国防相来訪。インドネシアに対してマラッカ海峡合同海上警備と防衛産業の協力を提案。
DIA-209-1991-01-08-5インドネシア1991年01月08日1990年代マレーシア通産相,スハルト大統領・シレガル商相と会見。東アジア経済グループ化構想を説明。
DIA-209-1991-01-09-1インドネシア1991年01月09日1990年代シンガポールのゴー新首相来訪。スハルト大統領を表敬。首相として初の外国訪問。
DIA-209-1991-01-09-2インドネシア1991年01月09日1990年代民間銀行の貸し出し,91年は低下か。89年,90年の大規模な信用拡大の後,整理統合を迫られ,また自己資本比率(BIS,→3/14)規制遵守のため。Overseas Express BankのTrenggono会頭の説。
DIA-209-1991-01-10-1インドネシア1991年01月10日1990年代農業省ビマス計画官によると,東ジャワ・パスルアン灌漑計画地では,米の生産が1㌶当り8.6㌧となり,全国平均2.8㌧を大幅に上回った。
DIA-209-1991-01-10-2インドネシア1991年01月10日1990年代石炭鉱業は国内会社にのみ許可。鉱山局長の発言。
DIA-209-1991-01-10-3インドネシア1991年01月10日1990年代バンドンで地下水位が異常低下。地質・環境局長が緊急措置を要望(→1/16)。
DIA-209-1991-01-11-1インドネシア1991年01月11日1990年代プルタミナ,石油・天然ガス探査・採掘・生産で日,米,欧の諸企業と契約。30年間の生産分与方式。プ社の利益取分は原油では85%,天然ガスで70%。
DIA-209-1991-01-11-2インドネシア1991年01月11日1990年代民主党大会バリで開催。12日まで。内相,国防相,国軍司令官らが挨拶。
DIA-209-1991-01-12-1インドネシア1991年01月12日1990年代金融緩和で方針発表。中銀総裁によると,1~3月期にインフレ率が1.2%程度であった場合。
DIA-209-1991-01-12-2インドネシア1991年01月12日1990年代民間発電の料金は自由,エネルギー相の発表。
DIA-209-1991-01-12-3インドネシア1991年01月12日1990年代バグダッドのイ大使館閉鎖さる。湾岸危機のため。
DIA-209-1991-01-14-1インドネシア1991年01月14日1990年代ムハマディア運動,湾岸戦争に中立を要請。なおイスラム研究センターEmpati Foundationも12日ほぼ同様の態度を表明した。
DIA-209-1991-01-14-2インドネシア1991年01月14日1990年代ジャカルタ市の水道事情。主管のPAMJaya社によると,90年で住民の35%に供給。95年までに70%の予定。
DIA-209-1991-01-15-1インドネシア1991年01月15日1990年代対中貿易促進でセミナー。華人系企業家の間にある心理的不安感が発展を阻害,との指摘あり。
DIA-209-1991-01-15-2インドネシア1991年01月15日1990年代タルビヤ統一運動(Islamic Tarbiyah Unity=Perti:委員長Nurulhuda),全国大会でスハルト大統領6選支持を諸政党に要請(Media Indonesia紙,15日)。
DIA-209-1991-01-16-1インドネシア1991年01月16日1990年代トラック緊急輸入で価格低下。工業省発表。
DIA-209-1991-01-16-2インドネシア1991年01月16日1990年代環境保護団体Walhi,ジャカルタ市での地下水の汲み上げ問題で緊急制限措置を要望(→1/10)。
DIA-209-1991-01-16-3インドネシア1991年01月16日1990年代新聞記者協会Soegeng Wijaya会長の立場。Jawa Post紙16日「人民の声を反映せよとの要求と報道を控えよとの政府の要求に板挟み」と15日のセミナーで発言。
DIA-209-1991-01-17-1インドネシア1991年01月17日1990年代スハルト大統領,湾岸戦争勃発に遺憾の意表明。国軍司令官,「感情的行動をとらないよう」要請。
DIA-209-1991-01-17-2インドネシア1991年01月17日1990年代カリマンタン3州でも,電力不足に。93年までは発電機増設計画がないため(Antara,1/17)。
DIA-209-1991-01-17-3インドネシア1991年01月17日1990年代プルタミナ,石油探査を拡大の予定。89年は99(380)井。90年は131(414)井,91年は219(359)井へ(かっこ内はプルタミナ社以外)。探査井掘削費は海上270万㌦,陸上420万㌦。
DIA-209-1991-01-18-1インドネシア1991年01月18日1990年代アメリカ大使公邸に爆発物発見さる。
DIA-209-1991-01-18-2インドネシア1991年01月18日1990年代世界銀行,政府に対して規制緩和継続を勧奨。
DIA-209-1991-01-19-1インドネシア1991年01月19日1990年代スハルト大統領,湾岸戦争勃発でインド訪問計画を停止。当初予定は25~27日にインド側公式招待。
DIA-209-1991-01-20-1インドネシア1991年01月20日1990年代イスラム女子学生のジルバブ着用に許可。
DIA-209-1991-01-21-1インドネシア1991年01月21日1990年代株式取引で新規則発効。500万~20万株の取引は証券取引所で行なうべきこと。
DIA-209-1991-01-21-2インドネシア1991年01月21日1990年代ナフダトールウラマ,多国籍軍のイラク空爆に遺憾の意表明。
DIA-209-1991-01-21-3インドネシア1991年01月21日1990年代中国とパラパ衛星打ち上げで交渉開始(→4/8)。
DIA-209-1991-01-22-1インドネシア1991年01月22日1990年代政府,375kV以上のディーゼル発電機の無税輸入を277件につき許可。商業省発表。
DIA-209-1991-01-22-2インドネシア1991年01月22日1990年代アメリカ大使館にデモ。湾岸戦争の平和解決を要求。参加者はインドネシア反戦委員会を名乗る約50人。また日本大使館はメダンの日本領事館が湾岸戦争に関連して脅迫状を受け取っていると発表。
DIA-209-1991-01-23-1インドネシア1991年01月23日1990年代アメリカ大使館とCitibankに電話で爆弾予告。
DIA-209-1991-01-24-1インドネシア1991年01月24日1990年代セメント工場の建設,用地買収難で遅れる。国営PT Semen Gresik社の計画。インドネシア最大規模。地元住民が土地の政府買い上げ価格に反対している。
DIA-209-1991-01-24-2インドネシア1991年01月24日1990年代観光省,極東諸国の市場開拓で各国駐在大使に指令。湾岸戦争により欧米諸国観光客の減少を補うため。
DIA-209-1991-01-25-1インドネシア1991年01月25日1990年代大蔵省,リース支払いとリース・サービスに対する所得税を除外,と発表。91査定年から実施。
DIA-209-1991-01-25-2インドネシア1991年01月25日1990年代シンガポールとの二重課税防止条約発効。
DIA-209-1991-01-25-3インドネシア1991年01月25日1990年代宗教相,巡礼費引上げで弁明。政府は12月に12.8%引き上げ,532万ルピアから600万ルピアヘ(→10/1)。
DIA-209-1991-01-30-1インドネシア1991年01月30日1990年代「イスラム・インテリ協会(ICMI)は政府の道具」,ムハマディア運動幹部の発言。
DIA-209-1991-01-31-1インドネシア1991年01月31日1990年代湾岸戦争で,ムルダニ国防相国会発言,「イラク大統領は1月はじめわが国に和平使節派遣を要請したが,われわれはこれを断わった。わが国はブルネイなどの小国に対する領土的野心は過去,現在,未来ともありえない」と言明。同日諸宗教指導者,湾岸戦争の即時停止を求めて共同声明発表。
DIA-209-1991-01-31-2インドネシア1991年01月31日1990年代国会議員一部入れ替え。DPR37。うち30人は国軍会派,7人はゴルカル。MPR9人は州代表。
DIA-209-1991-02-01-1インドネシア1991年02月01日1990年代政府,電力庁によるピーク時電力供給停止令(1月14日各社へ通達)を取消し。1月25日に決定,1日のAntara通信が公表。
DIA-209-1991-02-01-2インドネシア1991年02月01日1990年代北朝鮮首相Yon Hyong-muk来訪。4日間。
DIA-209-1991-02-02-1インドネシア1991年02月02日1990年代汚染防止で新規則発令。工業液体廃棄物の流量測定計の取り付けを14業種に義務づけるもの。
DIA-209-1991-02-02-2インドネシア1991年02月02日1990年代投資調整庁,金融引き締め下で新規投資に難航する中小企業への融資促進を金融機関に要請。
DIA-209-1991-02-03-1インドネシア1991年02月03日1990年代世界キリスト教会会議代表,ティモール報道には誤解が多い,とジャカルタで語る。
DIA-209-1991-02-04-1インドネシア1991年02月04日1990年代タンゲランの韓国系製靴工場,ストの後賃上げに同意。同地区には韓国との合弁企業は約30社,ほとんどが1000ルピア以下(政府最低基準賃金日給1600ルピア)。
DIA-209-1991-02-05-1インドネシア1991年02月05日1990年代湾岸戦争の輸出への影響。商業省国会発表,90年水準9億5000万㌦に対して10~15%の減少を予測。
DIA-209-1991-02-05-2インドネシア1991年02月05日1990年代ルディニ内相,「学校での宗教教育は不十分で,村落での夜間教育の再開が必要だ」と言明。
DIA-209-1991-02-06-1インドネシア1991年02月06日1990年代中央銀行,過去6カ月間に3商銀へ緊急融資した,と発表。3行の緊急決済用。
DIA-209-1991-02-06-2インドネシア1991年02月06日1990年代スハルト大統領,脱税者に対する厳重処分を指示。警告無視には資産の没収・公売を強行。なお政府は6日の国会で,貧者の地税滞納は問題にしない。資産価値1億ルピア以上の土地について処罰を検討,と発表。
DIA-209-1991-02-06-3インドネシア1991年02月06日1990年代Habibie調査・技術相,原子力発電で国会証言,「国民の間には外国のような反対はない。第1号のムリア山発電所は2003年に出力800MGで操業開始の予定。ジャワの現在の供給量は5800MGだが,2000年には1万6000MG,2015年には3万2000MGを必要としよう」。
DIA-209-1991-02-06-4インドネシア1991年02月06日1990年代政府,バンドンの繊維工場に環境破壊で閉鎖命令。過去7カ月で2番目。地方当局の閉鎖命令が効力を発せず,住民運動となっていたもの。
DIA-209-1991-02-07-1インドネシア1991年02月07日1990年代電力庁,工業企業に対しピーク時(夜6時~10時)の使用削減を要請。ただ電力庁の許可を得た企業は3月1日以降も使用可。92年度以前はすべての新規申し込みを受理しない。電力庁は現在2200MV/hの申請を受けているが,その4分の1しか応じられない。
DIA-209-1991-02-08-1インドネシア1991年02月08日1990年代Sempati航空,シンガポール便開始。
DIA-209-1991-02-09-1インドネシア1991年02月09日1990年代国軍司令官,「湾岸戦争は人種戦争でも,宗教戦争でもない」と感情論を戒め。空軍記念日で講演。
DIA-209-1991-02-09-2インドネシア1991年02月09日1990年代パキスタンから首相特使来訪。湾岸戦争問題で。
DIA-209-1991-02-10-1インドネシア1991年02月10日1990年代ガルーダ航空発表。2月初旬より中華航空とデンパサール・台北便を開始。
DIA-209-1991-02-11-1インドネシア1991年02月11日1990年代バリ島のホテル,湾岸戦争で閑散(JP紙,1/11)。
DIA-209-1991-02-11-2インドネシア1991年02月11日1990年代華人の国籍取得で不正料金が横行。JP紙11日。現則では通常10万ルピア程度だが,現実には10倍以上が横行。
DIA-209-1991-02-11-3インドネシア1991年02月11日1990年代国会議長,国会(DPR)は政府の道具ではない,と主張。政治学者協会の第6回全国大会で。
DIA-209-1991-02-13-1インドネシア1991年02月13日1990年代政治学者協会の第6回全国大会で,国軍司令官は,「国会に審査権は不要。大衆組織が増えており,国家の統一を脅かすことになろう」と発言。14日ルディニ内相は,この発言に歩調をあわせ「政府は(89年末で975に達した)大衆団体を管理下におくべきだ」と主張。
DIA-209-1991-02-13-2インドネシア1991年02月13日1990年代イスラム知識人協会(ICMI),内部組織とその役員を発表(→90/12/6,91/1/30)。
DIA-209-1991-02-13-3インドネシア1991年02月13日1990年代バンドン学生,湾岸戦争反対デモ。翌日6人逮捕。
DIA-209-1991-02-16-1インドネシア1991年02月16日1990年代外人証券取引業者,183日以上滞在の場合は資本利得税の対象に。税務局長発表。
DIA-209-1991-02-16-2インドネシア1991年02月16日1990年代教育省,女子学生に授業中のjilbab着用を許可。
DIA-209-1991-02-16-3インドネシア1991年02月16日1990年代首都,100㍍以上の井戸水に「鉱産物」裁定。
DIA-209-1991-02-17-1インドネシア1991年02月17日1990年代大統領,再び大企業に富の公平な分配を要請。
DIA-209-1991-02-18-1インドネシア1991年02月18日1990年代中銀総裁,ルピア切り下げはせず,と語る。
DIA-209-1991-02-19-1インドネシア1991年02月19日1990年代蔵相,外国援助依存の削減を継続,と予算委員会で表明。89年度は総開発支出の86.26%,90年度は69.58%,91年度は51.87%。93年度は40%を予定。
DIA-209-1991-02-19-2インドネシア1991年02月19日1990年代スミトロ退役大将,国会で「1993年には新しい血を必要としている。次期大統領候補については政党が決定すべきだ」と証言。
DIA-209-1991-02-19-3インドネシア1991年02月19日1990年代北スマトラ軍司令官,アチェ・パセ地区の反乱軍副司令官を1月逮捕した,と発表。
DIA-209-1991-02-20-1インドネシア1991年02月20日1990年代ホテル業界筋によると,1月のホテル客室稼動率は90年の平均85%に対して50%へ急落した。
DIA-209-1991-02-21-1インドネシア1991年02月21日1990年代スハルト大統領,戦略産業管理委員会(BPIS)の運営で12閣僚に支援を指示。BPISは89年に設立され,現在は10国営企業を監督している。
DIA-209-1991-02-22-1インドネシア1991年02月22日1990年代中国と地質・鉱物資源で協定。
DIA-209-1991-02-25-1インドネシア1991年02月25日1990年代マレーシア出稼ぎ状況。プカンバル(リアウ)市のマレーシア領事によると,マレーシアヘの渡航者は毎月約400人。すでに不法入国者は50万人に。
DIA-209-1991-02-25-2インドネシア1991年02月25日1990年代法務省,自省活動の報道禁止を一部解除。従来はBerita Buana,Tempo,Pos Kota,Media Indonesiaに対して禁止していたが,Berita Buanaのみ解除と発表。
DIA-209-1991-02-26-1インドネシア1991年02月26日1990年代情報相,米映画会社の内政干渉を批判。
DIA-209-1991-02-27-1インドネシア1991年02月27日1990年代中銀,銀行システムから資金吸収。為替投機・インフレの抑制に向けた「予防的措置」という。12国営企業の国営銀行・民間銀行への預金のうち7兆~8兆ルピアを中銀のSBIで吸収。このため26日にSBIの年利が引き上げられていた。3カ月もの20%,6カ月もの21%,1年もの22%。中銀総裁の説明,「現在の通貨供給は過大で,外国為替投機を誘発している。88年末の14兆3900億ルピアから89年末には20兆ルピアヘと39.7%,また90年末には23.5兆ルピアヘと16.8%も膨張。近年のGDP成長率に比しても過大。さらにこの2カ月間にはルピアの売りが買いを上回った」。金融界筋の話「政府は90年4月以降,民間銀行や開発銀行から流動信用を漸次回収。4~9月間にその額は3兆ルピアにのぼった」。なおこの措置により市中金利は急激に上昇にむかった。預金金利2~5%上昇,貸出し年30%へ。
DIA-209-1991-02-27-2インドネシア1991年02月27日1990年代警察長官,Kunarto中将に交替へ。
DIA-209-1991-02-28-1インドネシア1991年02月28日1990年代クアラルンプル・ココア豆取引所,従来イ産豆に課していた1㌧当り45㌦の価格割引を停止。品質が向上したため。今後はマ産と同等に扱う。国内作付け面積は91年22万㌶。輸出量12万㌧,生産量15万㌧。
DIA-209-1991-02-28-2インドネシア1991年02月28日1990年代検事局,6宗教書を発禁と発表。
DIA-209-1991-02-28-3インドネシア1991年02月28日1990年代国会,91/22年度予算案を無修正のまま可決。
DIA-209-1991-03-01-1インドネシア1991年03月01日1990年代国営住宅建設貯蓄銀行(BTN),貸し出し金利を引き上げ。19~23%から21~27%へ。1日から。
DIA-209-1991-03-01-2インドネシア1991年03月01日1990年代Herald Tribune紙,過去と同様の流通販売を許可さる(→90/11/12)。
DIA-209-1991-03-03-1インドネシア1991年03月03日1990年代故スカルノ大統領子息Guruh Sukarnoputra,民主党(PDI)第18回年次大会で演説(→1/9)。
DIA-209-1991-03-03-2インドネシア1991年03月03日1990年代パリで「ASEANと世界経済に関する国際会議」開催。スハルト大統領,マレーシア首相,シンガポール首相,渡辺美智雄(日本)元蔵相等が参加。なおキッシンジャー米元国務長官も参加。
DIA-209-1991-03-04-1インドネシア1991年03月04日1990年代プルタミナ社発表,国内需要5.7%で上昇のため精製能力(現在日量83万バレル)を拡大中。国内埋蔵量110億バレルに対して日量170万バレル(コンデンセートこみ)を生産(6471日分=17.7年分)(→4/25)。
DIA-209-1991-03-05-1インドネシア1991年03月05日1990年代ムルダニ国防相,「政治の規制緩和に対する願望が高まりつつある」と軍の地方会議で表明。6日法務支援財団これに歓迎の意を表明。
DIA-209-1991-03-06-1インドネシア1991年03月06日1990年代中銀総裁,中銀は2月27日以降の数日間で1兆ルピア相当の外国為替(5億2000万㌦)をルピアに転換した,と発表。また中銀にSBIとして預託された国営企業資金は8兆1000万ルピア。
DIA-209-1991-03-06-2インドネシア1991年03月06日1990年代アチェで3~5日間に保安隊がゲリラ10人を殺害。ジャカルタ消息筋の発表。
DIA-209-1991-03-07-1インドネシア1991年03月07日1990年代副商業相,ECにおける靴輸入のクォータ制導入の可能性に懸念表明。
DIA-209-1991-03-08-1インドネシア1991年03月08日1990年代非武装兵士によるメッカ巡礼者護衛計画。宗教相が発表(→1/3)。
DIA-209-1991-03-09-1インドネシア1991年03月09日1990年代スハルト大統領,ルピア切り下げず,と表明。
DIA-209-1991-03-09-2インドネシア1991年03月09日1990年代ココナツ産業に対外開放要求の声(JP紙,9日)。
DIA-209-1991-03-10-1インドネシア1991年03月10日1990年代金融引き締めでシンガポールでの借入れ進む。The Business Times紙報道。
DIA-209-1991-03-10-2インドネシア1991年03月10日1990年代日本・外務省使節団来訪。小和田審議官が団長。
DIA-209-1991-03-10-3インドネシア1991年03月10日1990年代選挙と宗教。宗教相発表によると,次回総選挙でコーランを始めとする各種宗教聖典からの引用は許可されるが,誤用は認められない。
DIA-209-1991-03-11-1インドネシア1991年03月11日1990年代インドネシア最初のオレフィン工場建設開始さる。西ジャワ,チレゴンで。
DIA-209-1991-03-11-2インドネシア1991年03月11日1990年代国営錫会社,労働者の大量レイオフ計画発表。2.4万人の約半分を4月末までに。20日政府に援助要請。
DIA-209-1991-03-12-1インドネシア1991年03月12日1990年代OPEC生産削減で合意。政府歓迎の意表明。
DIA-209-1991-03-13-1インドネシア1991年03月13日1990年代APECエネルギー会議,ジャカルタで開催。
DIA-209-1991-03-14-1インドネシア1991年03月14日1990年代中銀総裁,国際決済銀行規制として各商業銀行に,総資産に対する自己資本比率を92年3月までに5%,93年3月までに7%,93年12月までに8%とするよう要請,と発表。蔵相指令No.279/KMK.0.1/1991。
DIA-209-1991-03-15-1インドネシア1991年03月15日1990年代林業相,外資系林業企業に対して多数株支配を止め少数株主になるよう要望。なお現存540の森林伐採許可証のうち外資系が多数株を占めるのは10%以下。
DIA-209-1991-03-16-1インドネシア1991年03月16日1990年代スダルモノ副大統領「政府資金の不正支出で約1兆ルピアの損失があった」と声明。19日に「16日発表にはDuta Bankの為替取引損8000億ルピアを含まない。同行の問題は政府の問題ではない」と追加声明。
DIA-209-1991-03-16-2インドネシア1991年03月16日1990年代アチェで,反政府分子に対する裁判始まる。
DIA-209-1991-03-16-3インドネシア1991年03月16日1990年代ジャカルタ市の水問題。Jatihulur Dam庁(POJ)発表,現在の同市の需要量,秒当り21立方㍍,2005年予測量35立方㍍,2025年予測量60立方㍍のいずれも供給可能。同市水道公社(PAM Jaya),同ダム庁に対し未浄化水1立方㍍当り22ルピア(90年までは6ルピア)を支払い。同公社の未浄化水購入量は89年1億6570万立方㍍。ダムから市への送水路Tarum Barat Canal上に住民が便所を布設し,汚染が問題(JP紙,3/18)。
DIA-209-1991-03-18-1インドネシア1991年03月18日1990年代断食月,始まる。断食開け大祭は4月16日。
DIA-209-1991-03-18-2インドネシア1991年03月18日1990年代自動車売り上げ低下で各社生産調整に(JP紙,3/18)。
DIA-209-1991-03-18-3インドネシア1991年03月18日1990年代自由パプア運動指導者Melkianus Salossaに終身刑。88年に15人を殺害したとの罪で,ジャヤプラ地裁。21日にはOm alias Otisに10年の求刑(→8/21)
DIA-209-1991-03-18-4インドネシア1991年03月18日1990年代スドモ調整相,元共産主義者が帰国を希望,と発表。ルディニ内相,彼らはその子女を含め帰国時に尋問を受けることになっている,と19日に付言。なおTemp誌の90年末号は,約80人が中国・東欧諸国にいる,と報道。
DIA-209-1991-03-19-1インドネシア1991年03月19日1990年代ザカット管理は内務省管轄に。内務相・宗教相の指令で今後は内務相,27州知事とその配下が管理。
DIA-209-1991-03-20-1インドネシア1991年03月20日1990年代投資調整庁長官,金融緩和を希望。現在の29~33%の金利は生存に困難。11~12%が投資には適正。同長官はさらに21日「中小企業は政府の金融引き締めに対処するため海外借款を取り入れるべきだ」と言明。
DIA-209-1991-03-21-1インドネシア1991年03月21日1990年代マラッカ海峡沈没船Flor de la Mar(1511年アチェ沖で沈没)号から引き上げた歴史的・文化的遺品はすべてマレーシアに返還す。スドモ調整相の言。
DIA-209-1991-03-21-2インドネシア1991年03月21日1990年代中部ジャワで幹線道路橋崩落。バンドン=ジョクジャカルタ,プルヲクルト=スマラン間が不通に。
DIA-209-1991-03-23-1インドネシア1991年03月23日1990年代公・民企業の海外起債に国営銀行が保証。蔵相指令No.279/KMK.01/1991(JP紙,3/14)。
DIA-209-1991-03-23-2インドネシア1991年03月23日1990年代パプアニューギニア国境沿いに入植地造成。地元軍司令官が発表。同官「純粋に経済的動機で」と説明。
DIA-209-1991-03-23-3インドネシア1991年03月23日1990年代林業相,伐採監視にNGOの参加を要請。
DIA-209-1991-03-23-4インドネシア1991年03月23日1990年代「金融引締めに伴う投資計画実施の遅れに猶予を考慮」投資調整庁長官の発表。投資はライセンス受領後3年以内に実施するのが規則。89年末現在外資計画99件(1億3340万㌦),内資計画920件(1兆8000億ルピア)が,また90年には外資3件(2690万㌦),内資1兆7800億ルピア分がライセンスを取り消された。金融引締めの90年4月以前の取消し率は外資15%,内資26%。
DIA-209-1991-03-24-1インドネシア1991年03月24日1990年代90年度の原油平均価格は22.6㌦とエネルギー相発表。政府の石油・天然ガス収入は8兆8349億ルピア。
DIA-209-1991-03-24-2インドネシア1991年03月24日1990年代floating mass,再び問題に。民主党委員長がこの1977年以来のコンセプトの廃止を要望。ルディニ内相25日,国民協議会のみが廃止を決定できる,と表明。
DIA-209-1991-03-26-1インドネシア1991年03月26日1990年代湾岸危機との関連で,西欧諸国に東ティモール問題への関心が再浮上,インドネシア国連代表が拒絶の表明。アラタス外相も28日,「まったく別物」と拒否。
DIA-209-1991-03-29-1インドネシア1991年03月29日1990年代ウォノギリ・ダム農民,補償の増額要求で法務支援財団に援助要請。
DIA-209-1991-03-30-1インドネシア1991年03月30日1990年代中東向け出稼ぎ労働者の再開,コスマス労働相の発表。2月末以降,既に1400人がサウジアラビアヘ。
DIA-209-1991-03-30-2インドネシア1991年03月30日1990年代ジャカルタ市の大気汚染,技術査定・応用庁によると,毎日大気に排出される鉛は1.5㌧で,安全限度をこえている,という(Antara,3/30)。
DIA-209-1991-04-01-1インドネシア1991年04月01日1990年代主要商銀,金利1%引き下げ。
DIA-209-1991-04-01-2インドネシア1991年04月01日1990年代シェル社,オレフィン工場計画の継続を発表。プルタミナ社の撤退で計画が頓挫していたもの(JP紙,4/1)。
DIA-209-1991-04-01-3インドネシア1991年04月01日1990年代政府,新聞用紙価格を1日以降23.8%引き上げ。
DIA-209-1991-04-01-4インドネシア1991年04月01日1990年代西スマトラで洪水,85カ村10万人が孤立。
DIA-209-1991-04-02-1インドネシア1991年04月02日1990年代国営テレビ(TVRI),国内フィルム放映のため外国製フィルムを30%削減すると発表。
DIA-209-1991-04-03-1インドネシア1991年04月03日1990年代「フォーラム民主主義」結成,発表さる。委員長はナフダトールウラマのWahid会長。45委員には多彩な人材がいる。「国民の政治・文化意識を高揚させる教育的機関」が目的という。Wahidはこの件で8日ムルディオノ官房長官,9日ルディニ内務相に組織結成の経緯・内容を説明。9日内務省社会政治局長は,次の条件で組織の運営を認めると発表。(1)名称を変更する,(2)政治に関与しない,(3)野党勢力とはならない。(4)他の市民を会員に迎え入れる,(5)政府向けに行なわれたすべての議論の結果は国会,国民協議会,既存の政党・大衆組織を介して実施する。JP紙が9,10日に社説。
DIA-209-1991-04-03-2インドネシア1991年04月03日1990年代マランのタバコ工場で,4000人の労働者がスト。ボーナスが90年水準の半分に減らされたため(→4/9)。
DIA-209-1991-04-03-3インドネシア1991年04月03日1990年代フィリピン航空,ジャカルタ便を5年ぶりに再開。
DIA-209-1991-04-04-1インドネシア1991年04月04日1990年代金輸出は90年6月以来停止。軽工業局長発表。
DIA-209-1991-04-04-2インドネシア1991年04月04日1990年代違法ベチャがジャカルタ市で復活(JP紙,4/4)。
DIA-209-1991-04-04-3インドネシア1991年04月04日1990年代スハルト大統領,丁子の在庫管理庁(BPPC)および丁子販売庁の運営支援と価格維持のため,関係省庁に協力を指令。ハルモコ情報相によると,90年末に発足したこの制度・組織が生産地では全く機能せず価格は政府設定の7000ルピアを大幅にわっている。政府は2庁に対して農民からの買付け用に4930億ルピアの配分を発表。生産者は1㌔当り7500~8588ルピアで村落協同組合(KUDs)を通してBPPCへ売却を指定され煙草生産3社はBPPCからのみ原料の購入を許されている(→90/12/29,91/9/10)。
DIA-209-1991-04-06-1インドネシア1991年04月06日1990年代運輸相,断食明け大祭中につきバス料金の25%引き上げを承認。スハルト大統領は15日,高速道路料金を断食明け大祭後に実施と発表。
DIA-209-1991-04-07-1インドネシア1991年04月07日1990年代マレーシア政府,アチェから難民81人(後に112人に修正)が過去3週間にペナンへ到着,と発表。
DIA-209-1991-04-08-1インドネシア1991年04月08日1990年代「民主主義再興同盟」結成さる。人権運動家Johannes Princenが指導し,1992年総選挙のボイコットを呼びかけている(→4/21,Sunday Times/AFP)。
DIA-209-1991-04-08-2インドネシア1991年04月08日1990年代パラパ衛星打上げは米製デルタ・ロケットに決定。国営電信公社Perumtelの発表(→1/21)。
DIA-209-1991-04-08-3インドネシア1991年04月08日1990年代クドゥンオンボ・ダム農民,世界銀行事務所に対し補償増額問題で援助を要請(→5/18)。
DIA-209-1991-04-08-4インドネシア1991年04月08日1990年代Monitor誌編集長Arswendo Atmowiloyoにイスラム教への名誉毀損罪で禁固5年の判決(→90/10/23)。
DIA-209-1991-04-09-1インドネシア1991年04月09日1990年代木材伐採業(外国企業との合弁)のライセンス(75年の規則によるもの)は,今後更新せず。森林利用局長発表。今日伐採業者は578人,6015万㌶。
DIA-209-1991-04-11-1インドネシア1991年04月11日1990年代アチェ事件拘留者83人釈放さる。今後は毎週1度地元軍当局に出頭を求められている。
DIA-209-1991-04-12-1インドネシア1991年04月12日1990年代水道の漏水損失率はジャカルタ市で47~49%,全国レベルで40~41%。同市当局者発表。
DIA-209-1991-04-14-1インドネシア1991年04月14日1990年代50人請願組,国会への8日付け書簡でスハルトのTime会見記(同誌4月8日号)趣旨を糾す(AP/The Sunday Times,4/14)。
DIA-209-1991-04-15-1インドネシア1991年04月15日1990年代イ産ナツメグは低品質。オランダの流通業者の言。世界の80%の生産量だが価格はトン当たり1902㌦,グレナダ産は同7000~8000㌦(JP紙,4/15)。
DIA-209-1991-04-15-2インドネシア1991年04月15日1990年代パプア分離主義者Maifun Otniel alias Otiesに9年の禁固刑。Antara,15日報道(→3/18)。
DIA-209-1991-04-15-3インドネシア1991年04月15日1990年代スマラン・トゥグ地区でNGO15団体が公害排出企業に不買運動(JP紙,4/15;Suara Pembaruan 4/19)。
DIA-209-1991-04-16-1インドネシア1991年04月16日1990年代Idul Fitri(断食明けの大祭),17日まで。
DIA-209-1991-04-17-1インドネシア1991年04月17日1990年代スハルト関連図書3冊,新刊さる。
DIA-209-1991-04-19-1インドネシア1991年04月19日1990年代証券上場・取引に新規則発効。登録規則,価格安定化,上場停止等に関するもの。
DIA-209-1991-04-19-2インドネシア1991年04月19日1990年代電子業界,偽装密輸で政府に協力要請(JP紙,4/19)。
DIA-209-1991-04-20-1インドネシア1991年04月20日1990年代イリアンジャヤ64部族の長等が軍に対して分離主義運動を支持せずと表明(Antara,4/19)。
DIA-209-1991-04-21-1インドネシア1991年04月21日1990年代シェル子会社,5月にマルクで金の採掘開始と発表。年産量は金5.5万トロイオンス,銀も産出予定。
DIA-209-1991-04-21-2インドネシア1991年04月21日1990年代辺境地区での鉱業開発に減税の奨励措置。鉱業局長発表。辺境地区とはイリアンジャヤ,東ティモール,スンバ,北スラウェシを含む。
DIA-209-1991-04-22-1インドネシア1991年04月22日1990年代インドネシア籍船。業界発表ではインドネシア所属船舶約2000のうち半分が近隣諸国の旗を付けているが,最近インドネシア旗に戻る傾向があるという。
DIA-209-1991-04-22-2インドネシア1991年04月22日1990年代スドモ調整相,NGOに対し受領した外国援助は政府に報告するよう要請。
DIA-209-1991-04-23-1インドネシア1991年04月23日1990年代出国禁止問題。イスマイル法相発表,禁止に2種cekal(cegah tangkal),catatanあり,前者は全面的出入国禁止で約1万7000人,後者は当局の意向次第。
DIA-209-1991-04-23-2インドネシア1991年04月23日1990年代PNG政府との国境越境者問題交渉不首尾に終了。
DIA-209-1991-04-23-3インドネシア1991年04月23日1990年代輸入税関業務委託問題。蔵相発表,現在スイスのSociete Generale Surveillance社に委託中の業務をこの5月1日以降も3カ年継続。ただし本年8月1日以降は,85年以降SGS社への業務委託元であったPT Surveying Company of Indonesiaと,SGS,政府3者の新合弁会社PT Surveyor Indonesiaが業務委託元となる。PT SIとSGSとの契約は期間1年で3年間続ける(→8/1)。
DIA-209-1991-04-24-1インドネシア1991年04月24日1990年代コプラ価格低下で生産農民270万人が難渋(現在1㌔当り180ルピア)。商工会議所(Kadin)当局者発表,料理油としてはパーム油へ嗜好が移りつつあり,しかも政府はコプラの輸出を禁止し,パーム油生産量の35%の国内販売を義務付けたことが原因。コプラ作付け面積は330万㌶,うち320万㌶が零細農民の所有。生産量は230万㌧,うち220万㌧が零細農民。
DIA-209-1991-04-25-1インドネシア1991年04月25日1990年代石油精製量,新年度になり4.8%引き上げ。プルタミナ発表,日量82万バレルから86万バレルへ。同社8製油所の90年度総精製規模は85万1600バレル,有効精製量は82万バレル。生産量は4月以降3月水準の151万バレルから7.2万バレル削減,輸出量も65.8万バレルとなっている。
DIA-209-1991-04-25-2インドネシア1991年04月25日1990年代海軍西部地区機動艦隊司令官替わる。Tanto Kuswanto准将からSoetanto大佐へ。
DIA-209-1991-04-27-1インドネシア1991年04月27日1990年代アラタス外相,欧州諸国訪問から帰着。「東ティモール問題でスウェーデン,ノルウェー,オーストリア,イタリアに説明。4カ国は前向きの反応」と表明。
DIA-209-1991-04-28-1インドネシア1991年04月28日1990年代国会副議長,DPR/MPRの強化を希望。行政府が強すぎて立法府が形骸化している点を強調。
DIA-209-1991-04-29-1インドネシア1991年04月29日1990年代シレガル商業相,「アメリカに対して映画の海賊版をなくすよう務めると約束した」と発表。
DIA-209-1991-04-29-2インドネシア1991年04月29日1990年代空軍司令官替わる。Isbandi Gondosuwignyo少将からSubagyo准将へ。またスラウェシ陸軍区司令官Roesmadi少将,カリマンタンへ配置がえ。
DIA-209-1991-04-29-3インドネシア1991年04月29日1990年代マレーシアからの帰国アチェ難民は拘留せず。スドモ調整相が確認。3月15日と4月3日に違法出国。
DIA-209-1991-04-30-1インドネシア1991年04月30日1990年代ジャカルタ知事,3政党に対して出身,宗教,民族等を選挙戦で取り上げないよう要請。
DIA-209-1991-05-01-1インドネシア1991年05月01日1990年代原糖生産者価格,引上げ。政府4月29日付け,1日実施。1キンタル(100㌘)当り18%。これにより食料調達庁の卸売商への販売価格も20.6%上昇。
DIA-209-1991-05-01-2インドネシア1991年05月01日1990年代人力省,ジャカルタ市縫製業労働者の最低賃金引上げ案承認。日給2100ルピアから2500ルピアヘ。なお同時に労働時間を1日7時間,週40時間と設定(JP紙。5/7)
DIA-209-1991-05-01-3インドネシア1991年05月01日1990年代総選挙有権者登録始まる。
DIA-209-1991-05-02-1インドネシア1991年05月02日1990年代人力相,25人以上を雇用する企業2万5000社のうち,労働組合連合会(SPSI)支部をもつもの1万,団体協約をもつのはさらに5000と少ない。労働者がデモを行なうのは使用者が政府の雇用政策を遵守しないため。
DIA-209-1991-05-03-1インドネシア1991年05月03日1990年代マレーシアと国家関係改善で覚え書き交換。
DIA-209-1991-05-03-2インドネシア1991年05月03日1990年代スマランにも民主主義フォーラムできる。
DIA-209-1991-05-04-1インドネシア1991年05月04日1990年代検事局,発禁書籍を発表(2日付け)。
DIA-209-1991-05-04-2インドネシア1991年05月04日1990年代空軍人事。Operational Command II(スラウェシ)の司令官,Tri SoehartoからIsbandi Gondosuwignyoへ。海軍人事,東部管区司令官,Sumitro少将からTanto Kuswanto准将へ。西部管区司令官,Soentoro少将からYusuf Effendi少将へ。
DIA-209-1991-05-06-1インドネシア1991年05月06日1990年代中央銀行,海外金融市場でのルピア切り下げの噂を批判。
DIA-209-1991-05-06-2インドネシア1991年05月06日1990年代東ジャワ知事,マドゥラ島でのセメント工場建設計画(サリム・グリープ)に対する許可を撤回するよう中央政府に要請。投資調整庁はその後(JP紙,5/20),この計画を含め約400件の中止を発表。
DIA-209-1991-05-07-1インドネシア1991年05月07日1990年代韓国ガス公社,天然ガス購入で長期契約調印,2013年までに合計4940万㌧,68億米㌦相当。
DIA-209-1991-05-07-2インドネシア1991年05月07日1990年代バリで多角繊維取り決め(MFA)延長問題に関する国際繊維・衣服局会議(ITCB)ひらかる(11日まで)。
DIA-209-1991-05-08-1インドネシア1991年05月08日1990年代青年組織,大統領選挙で単一候補案を主張。
DIA-209-1991-05-08-2インドネシア1991年05月08日1990年代ソーダ灰工場建設で中国2社が受注し調印。
DIA-209-1991-05-10-1インドネシア1991年05月10日1990年代スドモ調整相,出国禁止措置を弁護。なお出国を禁止されている「50人請願組」は14日,スドモ調整相に対して公開討論を要求(→4/23,5/16,28)。
DIA-209-1991-05-11-1インドネシア1991年05月11日1990年代「ルピアは信頼を回復」,中銀総裁の発言。
DIA-209-1991-05-11-2インドネシア1991年05月11日1990年代オランダ開発相(IGGI議長)来訪。IGGIの今年度の対イ援助問題を検討のため。12日に人権運動家・農民等と会談。JP紙,11日社説「プロンクの来訪」。
DIA-209-1991-05-11-3インドネシア1991年05月11日1990年代民主党,少なくとも40人の退役将官が入党を希望,と発表。なお退役軍人組織(Pepabri)のAbdul Kadir事務局長によると,Golkar以外の政党に参加できるのはPepabriの会員でないものに限る,と言明。なおトリ国軍司令官は16日「軍は彼等に何もしないが,将官はすべてゴルカルを支持するPepabriに参加すべきだ」と表明。
DIA-209-1991-05-11-4インドネシア1991年05月11日1990年代Suzuki自動車工場Indomobil Suzuki International操業開始。Salim Groupとの合弁。22日発表では同工場はマツダ乗用車(Mazda MR90)を生産し国内で販売。
DIA-209-1991-05-15-1インドネシア1991年05月15日1990年代人力省,ボゴール,タンゲラン,ブカシ3地域の工場に対して7月1目以降最低賃金の引上げを指示。現行1600ルピアを2100ルピアヘ。なおタンゲラン(工場約1200,労働者15万)では1月以来,25件のストが発生。
DIA-209-1991-05-16-1インドネシア1991年05月16日1990年代政府,商標登録保護で新規則発表。2日に遡及実施。87年の法務相令は廃止となる。
DIA-209-1991-05-16-2インドネシア1991年05月16日1990年代大統領,6カ国への新大使を認証。新日本大使はPoedji Koentarso(外務省経済局長)。
DIA-209-1991-05-16-3インドネシア1991年05月16日1990年代政府省庁,出国禁止問題の統一見解形成で協議。スドモの発表では「(1万7000人とされる)出国禁止者の決定は1981年11月10日の法務相条令により実施。またこの条令は1959年の条令に根拠をもち,政治分野では,(1)45年憲法とパンチャシラ,(2)国家開発,(3)政府の権威を脅かすもの,が対象となっている」(→5/10,21,23)。
DIA-209-1991-05-18-1インドネシア1991年05月18日1990年代クドゥンオンボ・ダム開所式。洪水調節,灌漑(水田7万1000㌶),発電(22.5MW),飲料水など多目的ダムで5268戸を立退かせ6100㌶を収用。82年から世銀援助で5600億ルピアを投じて建設。政府はこれまで240億ルピアの住民立退き料を支出。立退き料を不服とする住民によると,同地では通常1平方㍍3000~1万ルピアだが,政府支払い額は230~730ルピアにすぎなかったとされている。現在約600家族が立退を拒否している。
DIA-209-1991-05-18-2インドネシア1991年05月18日1990年代税関局,税関の混雑防止のため輸入物資の30日以内引取を輸入業者に命令。
DIA-209-1991-05-20-1インドネシア1991年05月20日1990年代西ジャワ民間部門最低賃金,7月1日以降600~900ルピア引き上げ1800~2000ルピアヘ。同州労働管理局の発表。この基本給は諸手当を含む総支給額の75%となる。州内を4区にわけてそれぞれに上記の幅で決定。
DIA-209-1991-05-20-2インドネシア1991年05月20日1990年代ジャカルタ市内3河川の汚染は家庭の投棄・老廃物が主因。Suara Pembaruan紙20日が市当局者の言報道。
DIA-209-1991-05-21-1インドネシア1991年05月21日1990年代スドモ調整相,50人請願組と出国禁止問題で会談。50人組は80年5月5日付け国会宛て書簡で大統領演説につき説明を要求。これが国家元首侮辱と解され,以後出国禁止となった,という。スドモは大統領への謝罪を要求,会談は不調におわった(→5/16,JP紙,5/30)。
DIA-209-1991-05-22-1インドネシア1991年05月22日1990年代アメリカ副大統領来訪。スハルト大統領は同副大統領にイ産木材製品へのGSP廃止決定の撤回を要請。
DIA-209-1991-05-23-1インドネシア1991年05月23日1990年代ディーゼル発電機の輸入税免除措置,製造業企業と工場団地以外にも認める。93年5月末まで。
DIA-209-1991-05-23-2インドネシア1991年05月23日1990年代国連開発計画(UNDP)のHuman Development Report 1991発表。初めて「人間の自由度」が対象項目に組み込まれインドネシアは人権留意度で88国中77番目に。
DIA-209-1991-05-24-1インドネシア1991年05月24日1990年代Edi陸軍参謀長,「国民は最早物的富のみでは満足せず正義,自由,公開性を求めている」と発言。
DIA-209-1991-05-24-2インドネシア1991年05月24日1990年代タイ首相来訪。25日に合同経済委員会設立に合意。
DIA-209-1991-05-25-1インドネシア1991年05月25日1990年代スカルノ元大統領の写真,次回選挙での利用禁止される。国家選挙委員会書記の発言。
DIA-209-1991-05-26-1インドネシア1991年05月26日1990年代鉱山局長,石炭の輸出拡大計画発表。生産量は89年度の1120万㌧から91年度1300万~1400万㌧,93年度2000万㌧と急拡大の見込み。
DIA-209-1991-05-26-2インドネシア1991年05月26日1990年代テレビ保有台数,90年で1100万台。政府からテレビ聴視料徴収を委託されているMekatama Raya社発表。
DIA-209-1991-05-28-1インドネシア1991年05月28日1990年代仏教「正覚の日」,新聞休み。
DIA-209-1991-05-29-1インドネシア1991年05月29日1990年代アチェで民主党員,ゴルカルヘ鞍替え。同党元アチェ支部長Teuku Thaib Aliら17人のグループ。
DIA-209-1991-05-29-2インドネシア1991年05月29日1990年代盗電問題,電力庁によると電力の損失は90年度で総発電量の15.5%で,うち送電損失3.3%,配電損失7.5%,盗電3.7%(1300億ルピア)に達している。
DIA-209-1991-05-30-1インドネシア1991年05月30日1990年代ハビビ・バタム開発庁長官,成長の三角地帯の促進のため3地域(SIJORI)共通の移民・税関規則を設置すべきだ,と発言。なおバタム島への投資は4月末現在で31億米㌦,うち80%,25億㌦が民間部門によるもの。また民間投資の36.2%が外国企業(シンガポール,アメリカ,香港,日本の順),産業別では,製造業48.9%,不動産開発18.4%,観光業17.96%,サービス産業10.2%,農業開連業3.5%,商業1%。
DIA-209-1991-05-30-2インドネシア1991年05月30日1990年代東ティモール運動選手,亡命。AFP30日がオーストラリアより報道。2人が同国へ,2人がポルトガルヘ。
DIA-209-1991-05-30-3インドネシア1991年05月30日1990年代外島での沼沢地開発ではジャワでの水田喪失(毎年3万㌶という)に追いつかず。公共事業省発表。
DIA-209-1991-05-30-4インドネシア1991年05月30日1990年代「スハルト大統領,6選指名を希望」。30日発売のEditor誌は,大統領が5月2日ゴルカル幹部と会談し,合憲的手続きの指名の必要性を強調した,と報道。
DIA-209-1991-05-31-1インドネシア1991年05月31日1990年代クローヴ買付け資金依然不足。買付け・在庫管理庁が中央銀行に再度貸し付け要請(→4/4,Jawa Pos JP紙,5/31)。
DIA-209-1991-05-31-2インドネシア1991年05月31日1990年代東ティモール問題。同地の州議会議長によると,ポルトガルの新聞が3月21日と4月9日に「インドネシア政府による人権無視」を報じた。人権無視はないが,失業問題が社会不安の種になっている,と指摘(JP紙,5/31。→10/1)。
DIA-209-1991-05-31-3インドネシア1991年05月31日1990年代中部ジャワで5ダムが湖床上昇。公共事業相,表面水の減少・汚濁で警告。
DIA-209-1991-06-01-1インドネシア1991年06月01日1990年代労働運動指導者(Setia Kawan Free Trade Unionの書記長Saut Aritonang),5人の武装グループにさらわる。5日解放されたが,犯人は不明。
DIA-209-1991-06-03-1インドネシア1991年06月03日1990年代関税引下で新パッケージ。562品目の輸入関税・365品目の課徴金を引き下げ,137品目の課徴金を廃止し,他方110品目の輸入税・課徴金を引き上げる。
DIA-209-1991-06-03-2インドネシア1991年06月03日1990年代マレーシアとの領土問題。Suara Pembaruan紙,3日によるとカリマンタンとサバ間のSipadan,Ligitan島でマ企業による観光開発。両国政府が領土問題として交渉を2カ月前から開始。アラタス外相は5日,マ側に対して同島での開発中止を要請,と発表。8日のThe Star紙は「ボルネオの境界は1891年6月20日の英蘭協定で決定。イ側はこの協定により境界は直線でPulau Sebatikを横切りLigitan諸島のさき19㌔まで延びており,係争諸島は自国領と主張,マ側はLaw of Sea Conventionにある諸条項より海上での直線境界は不可能と主張。1969年の合同国境確定作業ではPulau Sebatik以東については線引を中止していた」と報道(→10/7)。
DIA-209-1991-06-04-1インドネシア1991年06月04日1990年代世界環境日,大統領が環境保護法の遵守を要望,環境相,11州403社を河川汚濁の理由で検事局に書類送検。同日同相,環境法施行改善命令に署名。
DIA-209-1991-06-05-1インドネシア1991年06月05日1990年代公務員・軍人の給与15%引き上げ決定さる。
DIA-209-1991-06-05-2インドネシア1991年06月05日1990年代中国の楊尚昆国家主席来訪。10日まで。7日の記者会見で「南シナ海のパラセル,スプラトリー諸島は中国の紛れもなき領土である。だが時が至れば関係諸国と友好的協議により紛争を解決したい。また関係諸国と共同資源開発を行ないたい」と表明。
DIA-209-1991-06-05-3インドネシア1991年06月05日1990年代ルディニ内務相,「特定の州でゴルカルが破れても知事の責任ではないので,更迭はされない」と語る。
DIA-209-1991-06-06-1インドネシア1991年06月06日1990年代オーストラリア放送局,インドネシアに対して常駐駐在員を認めるよう要請したと発表。1980年に東ティモール問題の報道以来停止。同国のメディアとしてはAustralian Associated Pressが1人置いているのみ。
DIA-209-1991-06-07-1インドネシア1991年06月07日1990年代スマルリン蔵相,国会で民間部門の対外借入の増大に抑制を希望(→6/26)。
DIA-209-1991-06-08-1インドネシア1991年06月08日1990年代「武官の文官職就任は減少」,副国会議長が国際非政府フォーラム(International non-government forum on Indonesia,INGI)に説明。INGIは5月のワシントンでの会合で,文官職における武官の数を減らすべきだ,と提言した。副議長はこれに応えたもの。
DIA-209-1991-06-10-1インドネシア1991年06月10日1990年代マレーシア,アチェ人不法入国者44人を逮捕。これで逮捕者は212人になる。
DIA-209-1991-06-11-1インドネシア1991年06月11日1990年代宮沢喜一元副首相,スハルト大統領表敬訪問。
DIA-209-1991-06-11-2インドネシア1991年06月11日1990年代マレーシアとの第16回国境確定委員会開催。現在係争中のボルネオ沖小島問題は討議されず(→6/3,10/7)。
DIA-209-1991-06-12-1インドネシア1991年06月12日1990年代インドネシア債権国会議(IGGI),91年度分の援助額を前年比5.5%の47億5000万㌦と決定。債権国分18億9000万㌦(90年19億7000万㌦)+国際機関28億6000万㌦。過去3年続いた特別援助は予定どおり廃止。代わりに湾岸危機損失補填で10億㌦(うち日本は7億㌦)の援助を決定。日本の援助額はIGGI枠内13億1000万㌦,同枠外54億㌦。アメリカは1億3320万㌦。IGGIは海外商業借款取り入れ監視を要請。
DIA-209-1991-06-12-2インドネシア1991年06月12日1990年代「華人待遇の改善がなければ資本は流出」,Suara Pembaruan紙,12日のSofyan Wanandiの言。
DIA-209-1991-06-12-3インドネシア1991年06月12日1990年代メディア編集者23人,政府が行使する出版物ライセンス(SIUPP)撤回権限で国会に不満を表明。撤回にあたっては法廷での弁明の機会を要求。この権限は情報相がNational Press Councilに諮り行使するもので(84年情報相命令第1号),82年Press Law 22に矛盾するとしている。ハルモコ情報相,14日この権限を弁護。
DIA-209-1991-06-13-1インドネシア1991年06月13日1990年代民主党員約400人,国会にデモ。党首Soerjadiの追放を要求し,国軍会派指導者と会見。
DIA-209-1991-06-14-1インドネシア1991年06月14日1990年代日本・中山外相,スハルト大統領と会見。
DIA-209-1991-06-15-1インドネシア1991年06月15日1990年代白檀の全製品の輸出無税に。13日付け蔵相命令。家具協会の発表。紫檀・白檀輸出で所得の60%を得ている東ヌサトゥンガラ州の外貨獲得に貢献の見込み。
DIA-209-1991-06-15-2インドネシア1991年06月15日1990年代民主党幹部(Yahya Nasution),「大統領候補にはルディニ内相が適切」と発言。同内相は18日,これを意識して「人気取り政策」として批判。
DIA-209-1991-06-16-1インドネシア1991年06月16日1990年代スハルト大統領,メッカ巡礼へ。27日帰着。
DIA-209-1991-06-16-2インドネシア1991年06月16日1990年代東ジャワで3ダム完全に干上がる(Kompas紙,6/16)。
DIA-209-1991-06-17-1インドネシア1991年06月17日1990年代マジャレンカ地区農民,農地返還要求運動を依然継続。17日国会でゴルカルに支持を要請。
DIA-209-1991-06-18-1インドネシア1991年06月18日1990年代北スマトラ軍司令官,「バタムは北スマトラでの破壊活動の中心地となろう」と警告(Merdeka紙)。同官は特に「Glodok出身のビジネスマン」に言及。Glodokはジャカルタのチャイナタウン。
DIA-209-1991-06-19-1インドネシア1991年06月19日1990年代内相,総選挙では政党シンボル以外の絵・写真の使用を禁止,と表明。民主党のSoerjadi党首は「政府は未だスカルノの写真使用を禁止する条令を発表していない」と反論(Antara19日-The Straits Times 6/20)。
DIA-209-1991-06-19-2インドネシア1991年06月19日1990年代スミトロ退役大将,退役軍人の参加政党選択は自由,と見解表明(AFP-The Straits Times,6/22)。
DIA-209-1991-06-21-1インドネシア1991年06月21日1990年代アメリカ輸出入銀行,インドネシアの通信衛星打ち上げ設備輸出で借款を承認。5300万㌦。
DIA-209-1991-06-21-2インドネシア1991年06月21日1990年代国会,金融関連4法案の審議を開始。うち銀行業法案は1967年法の代替法案,銀行を第一種と第2種の二つに統合。前者は,当座・定期預金,預金証書などの形で一般から資金を調達,諸種支払いサービスを認められる一般商業銀行,後者は定期預金と貯蓄預金の形での調達を認められるが,支払いサービスは認められない。共にインドネシア国民・会社のみが設立を認められ,また前者は外国銀行と合弁銀行を設立することができる。
DIA-209-1991-06-24-1インドネシア1991年06月24日1990年代政府,280種の医薬品に10月末を期限として生産中止を勧告ずみ,と発表。
DIA-209-1991-06-24-2インドネシア1991年06月24日1990年代大学キャンパス内での選挙運動の可否は,学長の管轄事項。教育・文化相の表明。内相は26日,キャンパス内の選挙運動を含む政治活動は認められない,と反論。
DIA-209-1991-06-25-1インドネシア1991年06月25日1990年代マレーシア農園協会(UPAM),インドネシア人労働者3万2000人の新規雇用希望を表明。
DIA-209-1991-06-26-1インドネシア1991年06月26日1990年代スマルリン蔵相,再び海外借人の抑制を要望。とくに低利で借り入れ国内の高利の定期預金に預ける傾向を批判(→6/7)。
DIA-209-1991-06-26-2インドネシア1991年06月26日1990年代スハルト大統領,サウジ国王と会見。同地での記者会見で「これまで国内政治を運営してきたのは自分ではない。45年憲法とパンチャシラとに伴った発展であり,自分が大統領に選ばれてきたのは偶然だ」と発言。
DIA-209-1991-06-27-1インドネシア1991年06月27日1990年代マラッカ海峡で船舶衝突し約120人が死亡。大半は不法入国でマレーシアから強制送還中の人々。
DIA-209-1991-06-27-2インドネシア1991年06月27日1990年代投資許可撤回件数,投資調整庁の発表では,85年から91年4月までの間に国内企業では1181件,外国企業では104件,合計38億㌦が許可を撤回された。
DIA-209-1991-06-27-3インドネシア1991年06月27日1990年代3政党の選挙用名称,シンボル,番号,内相から発表される。いずれも前回選挙時と同じもの。
DIA-209-1991-06-28-1インドネシア1991年06月28日1990年代政府,シンガポールへの水供給で同国と合意。リアウ州ビンタン島に日量1億2100万ガロン(=4億8400万㍑)規模の開発を行ない,その約半分をシンガポールへ供給。このほか両国が,スマトラ本島で合計日量10億ガロンを開発する,としている。
DIA-209-1991-06-29-1インドネシア1991年06月29日1990年代西ジャワ地区の賃金。西ジャワ人力局によると同地区の靴・皮革工場の最低賃金は2700ルピアとされているが,56工場のうち6工場のみが順守。
DIA-209-1991-06-29-2インドネシア1991年06月29日1990年代スドモ調整相,賃上げストの続発に警告。ジャカルタ周辺の企業家への講演会で最低賃金の遵守と環境保全を要請する一方,過去数週間にジャカルタ周辺で続発したストは,パンチャシラの理念に反する,と警告。
DIA-209-1991-06-30-1インドネシア1991年06月30日1990年代宗教相,巡礼者数の制限を政治問題としないよう,要望。90年の悲劇(526人が死亡)回避が目的。
DIA-209-1991-07-01-1インドネシア1991年07月01日1990年代ナフダトールウラマは大統領候補を提案せず。Abdurrachman Wahid会長が表明(Antara,7/1)。
DIA-209-1991-07-02-1インドネシア1991年07月02日1990年代スハルト大統領,ドイツにむけ出発。経済協力促進が目的で5日間。ラディウス調整相らが随行。
DIA-209-1991-07-03-1インドネシア1991年07月03日1990年代クラカタウ鉄鋼会社,鋼材価格の引下げ発表。
DIA-209-1991-07-04-1インドネシア1991年07月04日1990年代「借款の完済は可能」,ドイツ訪問中の大統領の発言。借款総額は940億㌦,現在残高450億㌦。
DIA-209-1991-07-04-2インドネシア1991年07月04日1990年代アロール島(東ヌサトゥンガラ)で地震。死者22。
DIA-209-1991-07-04-3インドネシア1991年07月04日1990年代50人請願組,50人の出国禁止令問題につき,国会議員等と4時間半の討議。彼らはこの他メディアとの接触,銀行借入等が制限されている。7日ジャカルタ行政裁判所判事,双方の友好的和解を希望。9日同組は,友好的解決に努め,法廷持ち込みは最後の手段,と発表。
DIA-209-1991-07-06-1インドネシア1991年07月06日1990年代自動車生産急速に減少。インドネシア自動車工業会発表,金融引き締めと緊急輸入許可が原因。
DIA-209-1991-07-07-1インドネシア1991年07月07日1990年代スカルノ前大統領墓への学生の参拝,学校休日で毎日平均約1200人,通常は1日400~500人。Blitarからの報道(Antara)による。
DIA-209-1991-07-08-1インドネシア1991年07月08日1990年代「自由アチェ運動」指導者Tengku Hamzah射殺。北部アチェ山岳地帯での戦闘で。当局者8日発表。
DIA-209-1991-07-08-2インドネシア1991年07月08日1990年代スハルト大統領,ドイツより帰着。
DIA-209-1991-07-11-1インドネシア1991年07月11日1990年代燃料油国内価格・電力料金引き上げ発表さる。前者は11日以降17.7%,後者は8月1日以降20%。
DIA-209-1991-07-11-2インドネシア1991年07月11日1990年代書籍出版協会発表では,90年に同協会登録の300社が紙価高騰と購買力低下のため倒産。
DIA-209-1991-07-13-1インドネシア1991年07月13日1990年代イスラム新年で13~14日新聞休刊。
DIA-209-1991-07-14-1インドネシア1991年07月14日1990年代環境相,「Endangered Speciesに対する保護規則は遵守している」と発言。9日の国際環境保護団体の批判(シドニー,海亀刺殺に関するもの)への応え。
DIA-209-1991-07-15-1インドネシア1991年07月15日1990年代バンドンで第2回南シナ海会議開催,4日間。第1回は90年1月パリで開催,ASEAN諸国のみ参加。今回はベトナム,ラオス,中国,台湾からも参加(いずれも個人の資格で参加)。
DIA-209-1991-07-15-2インドネシア1991年07月15日1990年代電力問題。エネルギー相によると,政府は94年4月に始まる第6次計画で発電能力を1万1000MW拡大させる計画で,うち46.3%の発電を民間部門に期待する。将来の電力不足は2010/11年度に1362MW,2015/16年度に7625MWとなろう。このため原子力発電は2005年までに1基,2015年までの2年ごとに各1基の建設が必要。
DIA-209-1991-07-15-3インドネシア1991年07月15日1990年代ジャカルタ市に2商業銀行新設さる。Bank Dagang dan Industriと,Sewu Bank。
DIA-209-1991-07-17-1インドネシア1991年07月17日1990年代住宅ローン,9月から金利を3%引き上げ。国営貯蓄銀行(BTN)の発表。金融引き締めで資金コストが上昇したため。21平方㍍の住宅用地購入の金利。
DIA-209-1991-07-17-2インドネシア1991年07月17日1990年代資本市場監視庁(Bapepam),証券取引業者の資格審査基準の引き上げを発表。
DIA-209-1991-07-18-1インドネシア1991年07月18日1990年代政府,陸・海・空旅客運賃の引き上げを発表。11日の燃料・電力料金引き上げ発表に伴うもので7.14%から20%の幅。いずれも8月5日実施。
DIA-209-1991-07-18-2インドネシア1991年07月18日1990年代ジャカルタ市軍司令官,道路・工場敷地内での労働者のデモに禁止令。国会提訴を奨励。またPrincen指揮下の新労働組合Serikat Buruh Merdekaは違法と警告。
DIA-209-1991-07-19-1インドネシア1991年07月19日1990年代スドモ調整相,50人請願組問題で「大統領は同組が80年の書状について謝罪した場合にのみ彼等と面談する。彼等が政府を批判しないと書面で事前に約束すれば,出国禁止令は解除されよう」と表明。21日同組代表格のサディキン元ジャカルタ市長は,この条件を拒否。
DIA-209-1991-07-20-1インドネシア1991年07月20日1990年代政府,国営2社に与えた商用車輸入ライセンスを一時的に凍結。需要の急減に対処するため(→7/9)。
DIA-209-1991-07-20-2インドネシア1991年07月20日1990年代海外銀行,インドネシアの起債に消極的。シンガポールのBusiness Times報道。
DIA-209-1991-07-21-1インドネシア1991年07月21日1990年代スハルト大統領,再び大企業に対して協同組合への株式譲渡を要請。90年初の呼びかけ以来108社が170億ルピア相当分を譲渡したのみ。大統領は各社20%までの譲渡を期待し,「(協力が得られなければ)規則を導入するだろう」と発言。30日にも同様の発言。
DIA-209-1991-07-22-1インドネシア1991年07月22日1990年代スラバヤ煙草工場労働者4100人が再度スト。
DIA-209-1991-07-22-2インドネシア1991年07月22日1990年代内務相,総選挙で発表。議席配分はジャワ200(87年205),外島200(同195)。
DIA-209-1991-07-23-1インドネシア1991年07月23日1990年代スマルリン蔵相,商業銀行に対して金利引下げで合意形成を要望。ただしこれは政府の「指示」ではなく,銀行の自発性を希望したもの。現在定期預金金利は1年で,2月末以来25~30%。この後国営・民間銀行は協議し,8月はじめに2~4%引下げで合意した。
DIA-209-1991-07-24-1インドネシア1991年07月24日1990年代外相,日本の安全保障提案に時期尚早と発言。
DIA-209-1991-07-24-2インドネシア1991年07月24日1990年代シンガポール大統領来訪。5日間の公式訪問。
DIA-209-1991-07-25-1インドネシア1991年07月25日1990年代金利引下げ報道で証券市場上昇へむかう。
DIA-209-1991-07-25-2インドネシア1991年07月25日1990年代政府,セメント価格の引き上げを決定,即日実施。8.1%~9.3%の幅。また運賃については8月5日から平均17%の引き上げを決定。
DIA-209-1991-07-25-3インドネシア1991年07月25日1990年代仏教徒青年組織Gema BudhiのLieus Sungkharrisma会長,Probosutedjoの度重なる「華人ビジネスマン批判」に遺憾の意表明。
DIA-209-1991-07-25-4インドネシア1991年07月25日1990年代ジャカルタでNon-pri di-mata Pribumi出版記念討論会開催。Muhammadiyahの主催。
DIA-209-1991-07-26-1インドネシア1991年07月26日1990年代マレーシア副首相来訪,スハルト大統領にマハティール首相の書簡を手交。領土問題が内容とされる。
DIA-209-1991-07-26-2インドネシア1991年07月26日1990年代政府,ミルクの生産者価格を4.2%引上げ。
DIA-209-1991-07-27-1インドネシア1991年07月27日1990年代プルタミナ,自動車用圧縮天然ガス(CNG)価格を22.2%引上げ。またLPG価格も17.3%引上げ。
DIA-209-1991-07-28-1インドネシア1991年07月28日1990年代オランダ開発相(IGGI委員長)来訪。「オランダは現在対外援助を,(1)貧困撲滅,(2)環境保全,(3)婦人の地位向上,の3点に絞り再編成中」と発表。
DIA-209-1991-07-29-1インドネシア1991年07月29日1990年代ラディウス調整相,「IGGIはインドネシア政府の開発政策に対して指図することはできない」と発言。
DIA-209-1991-07-29-2インドネシア1991年07月29日1990年代ガルーダ航空,北京便処女飛行を再度延期。運輸相発表。ビザ取得問題が解決せず乗客の少ないことが理由。中国側では6月18日にAir Chinaが週2便開始,Southern China Airlinesの方は処女飛行を停止(→8/7)。
DIA-209-1991-07-29-3インドネシア1991年07月29日1990年代対ECキャッサバ輸出,対外貿易局長発表,92年も過去3年同様82万5000㌧。国内価格はトン当り85㌦,ECではCIF価格で平均165㌦の見込み。一方非EC輸出は35万5000㌧,価格は平均40~50㌦の見込み。
DIA-209-1991-07-29-4インドネシア1991年07月29日1990年代イラク大統領特使,スハルト大統領を訪問。経済制裁解除でインドネシアの努力を要請。
DIA-209-1991-07-29-5インドネシア1991年07月29日1990年代韓国外相Lee Sang-ock来訪。
DIA-209-1991-07-30-1インドネシア1991年07月30日1990年代韓国韓一銀行がTamara Bankと合弁銀行Hanil Tamara Bankの設立に調印。
DIA-209-1991-07-30-2インドネシア1991年07月30日1990年代元共産党員2人釈放さる。Berita Buana30日が24日釈放と報道。残りの政治犯は33人,うち7人が死刑囚。
DIA-209-1991-07-31-1インドネシア1991年07月31日1990年代スマルリン蔵相,国営会社で語る。現在186社,総資産164兆9000億ルピア,総事業所得46兆8000億ルピア,政府は国営会社への介入を減らす,と発言。
DIA-209-1991-07-31-2インドネシア1991年07月31日1990年代アラタス外相,イスラム諸国会議出席。
DIA-209-1991-08-01-1インドネシア1991年08月01日1990年代Patent Act発効。87年Copyright Actを補完。
DIA-209-1991-08-01-2インドネシア1991年08月01日1990年代インドネシア税関,輸入商品の検査再開。85年4月以降はスイスの検査会社(SGS)に業務を委託していた。ただし1日以降も特定の不都合が発見されたもの以外は検査を行なわない(→4/23)。
DIA-209-1991-08-01-3インドネシア1991年08月01日1990年代各商業銀行,金利2%程度引下げ開始。
DIA-209-1991-08-02-1インドネシア1991年08月02日1990年代シンガポール国防相Yeo Ning Hong来訪。同日シとコンピュータ化防空訓練設備の開発で合意。
DIA-209-1991-08-02-2インドネシア1991年08月02日1990年代Probosutedjo(Indigenous Businessmen’s Associationの会長)再び強硬発言「大統領の株式譲渡計画に応じたのは183社,株式の0.03%にすぎない。政府は特別の条令を作って20%を譲渡させるべきだ」(→8/24)。
DIA-209-1991-08-02-3インドネシア1991年08月02日1990年代ジャカルタ南部地区で高等学校4校が学生の暴力事件で一時閉鎖。警察は発砲して退散させ77人を逮捕。
DIA-209-1991-08-03-1インドネシア1991年08月03日1990年代ナロ前統一開発党党首(国会副議長),民主党から入党の勧誘を受けていると発表。
DIA-209-1991-08-04-1インドネシア1991年08月04日1990年代出版社協会のブックフェアー終わる。検事局は国内発禁図書の外国訳が2冊あったとして5日に警告。P.A.Toerのドイツ語訳が展示されていたため。
DIA-209-1991-08-05-1インドネシア1991年08月05日1990年代ガルーダ航空,国内2路線につき貨物運賃を5%引き上げ。
DIA-209-1991-08-06-1インドネシア1991年08月06日1990年代法務省,受刑者に一時帰宅を許可。配偶者のある受刑者の「生物学的需要」を充たすため,と説明。
DIA-209-1991-08-07-1インドネシア1991年08月07日1990年代GATTの多角繊維取決め(MFA)の17カ月延期決定で2業界団体に異なった反応。JP紙7日,繊維業連合会(FITI)と繊維協会(API)の反応。
DIA-209-1991-08-07-2インドネシア1991年08月07日1990年代オランダ開発協力相,マルク州への8日間の訪問を終了,同州民の40%が貧困層で援助継続を表明。
DIA-209-1991-08-07-3インドネシア1991年08月07日1990年代中国との渡航規制大幅解除。官房長官発表,(1)ビザ取得は両国が相互の規則に依拠する(従来インドネシア人は商用,スポーツ,会議出席のみで,いずれも国家情報調整庁の許可が必要),(2)従来中国人の場合シンガポールと香港のインドネシア大使館でのみ認められていたビザの取得が世界中のインドネシア大使館で可能になる,(3)入国地点は3空港(略),4海港(略)。国交回復後中国渡航は85年大統領No.9に依拠してきたが,今後は91年大統領No.4(7月29日付け)に依拠。
DIA-209-1991-08-08-1インドネシア1991年08月08日1990年代インドネシア人の海外預金。このほどシンガポール金融管理庁がアメリカ系コンサルタント会社による調査結果として同庁出版物に「インドネシア人のシンガポールでの預金総額は260億㌦,ACUの41%」と掲載したことにつき,「額は信憑性が乏しい」と発言。
DIA-209-1991-08-08-2インドネシア1991年08月08日1990年代軍,「閣僚には野党議員も可能」。軍社会・政治担当参謀Hartas陸軍中将の言,政治学協会で。
DIA-209-1991-08-08-3インドネシア1991年08月08日1990年代民主主義フォーラム,ジャカルタで討論会,会長のAbdurrachman Wahid「繁栄への努力は自由の成長を妨げてはならない」と発言。
DIA-209-1991-08-08-4インドネシア1991年08月08日1990年代ジャカルタ市当局者,ジャカルタ湾に水銀汚染なし,と主張。公共事業省の報告に反論(→8/31)。
DIA-209-1991-08-08-5インドネシア1991年08月08日1990年代シンガポール,トリ国軍司令官に最高位勲章授与。
DIA-209-1991-08-08-6インドネシア1991年08月08日1990年代大統領,2工場の環境法違反起訴を許可。実現すれば最初のケース。環境相の発表,政府は89年以来403工場に警告。135工場が遵守,139工場が処理施設を建設,40社が同建設中,87社が無視,2社は最悪のケース。
DIA-209-1991-08-09-1インドネシア1991年08月09日1990年代中央銀行,94年8月15日を目処に商銀による他社の既上場株の保有,非金融会社への株式参加を禁止すると発表。4月現在で商銀の非金融会社株所有は8620億ルピア。規則の即時強行は株価に悪影響としている。
DIA-209-1991-08-11-1インドネシア1991年08月11日1990年代中部ジャワ旱魃悪化(Suara Pembaruan,8/11)。
DIA-209-1991-08-12-1インドネシア1991年08月12日1990年代シレガル商業相,クローブ取引政策は変更しない,と言明。経済学者Sjahrirは13日,クローブ取引,乗用車輸入などの政策に一貫性がないと政府批判。
DIA-209-1991-08-13-1インドネシア1991年08月13日1990年代海運局,国内に代理業者をもつ海運会社に国内全ての国際貿易港(164)の利用を許可,と発表。
DIA-209-1991-08-13-2インドネシア1991年08月13日1990年代中央銀行,新貨幣発行,50ルピア,100ルピア,500ルピア。
DIA-209-1991-08-14-1インドネシア1991年08月14日1990年代イランと郵政・通信事業改善で覚書き交換。
DIA-209-1991-08-14-2インドネシア1991年08月14日1990年代公共・民間両部門の年金基金の資産4兆ルピアに達する,金融アナリストの発表。基金の65%は定期預金,20%は不動産,15%は証券類に投資されている。
DIA-209-1991-08-15-1インドネシア1991年08月15日1990年代法務支援財団のセミナー,最高裁が司法検討(judicial review)の権限行使に消極的と批判。
DIA-209-1991-08-16-1インドネシア1991年08月16日1990年代スハルト大統領,国会で独立記念演説。90年の経済成長率は7.4%と発表。
DIA-209-1991-08-16-2インドネシア1991年08月16日1990年代政府閣僚・財界人らが詩吟会。大統領軍事顧問のS.Banjaransari少将が主催。詩人W.S.Rendraも参加。
DIA-209-1991-08-16-3インドネシア1991年08月16日1990年代タンジュンプリオクの荷役労働者の賃金,大幅引き上げ。1日当り1700ルピアから4000ルピアヘ。
DIA-209-1991-08-16-4インドネシア1991年08月16日1990年代国会議長,警官・公務員の法執行における強者に加担する一方的態度を批判。
DIA-209-1991-08-17-1インドネシア1991年08月17日1990年代政治犯,Fretilinを含め特赦で4人釈放さる。
DIA-209-1991-08-17-2インドネシア1991年08月17日1990年代オランダ国会議員団来訪。18日東ジャワのCipinang刑務所を無許可で訪問。
DIA-209-1991-08-18-1インドネシア1991年08月18日1990年代50人請願組,国家指導者の交替を要求,Ali sadikin宅での記者会見で。なお20日に同宅で行なわれた会合は警察により解散させられた。
DIA-209-1991-08-19-1インドネシア1991年08月19日1990年代エネルギー相,旱魃で水力発電に危機を予想。
DIA-209-1991-08-19-2インドネシア1991年08月19日1990年代工業団地。投資調整庁発表。過去3年間に建設を認可された団地は63,うち46が西ジャワ。合計1万4500㌶。また10が外国投資家により運営されている。
DIA-209-1991-08-20-1インドネシア1991年08月20日1990年代日本の対イ援助。国弘大使によると今後数年は通信,発電などインフラ開発が焦点。
DIA-209-1991-08-20-2インドネシア1991年08月20日1990年代Gajah Tunggalグループ14工場で賃上げ要求,労働者約1万4000人がスト。最低賃金2100ルピアの支払いを求めるもの。現在は1600ルピアという。スドモ調整相はストを非難し,鎮圧のため軍隊の出動を要請。
DIA-209-1991-08-21-1インドネシア1991年08月21日1990年代イリアン分離主義者Melkianus Salosa,脱獄後(3週間前)死亡が確認さる(→3/18)。
DIA-209-1991-08-22-1インドネシア1991年08月22日1990年代中部ジャワの4ダム,給水・発電が不能となる(Wadaslintag,Sempor,Merica,Cacaban)(JP紙,8/22)。
DIA-209-1991-08-22-2インドネシア1991年08月22日1990年代カリムン島開発でシンガポールと合弁事業設立に合意。Sembawang GroupとBangun Ciptaとの間,当初は造船業と石油関連事業で(→11/8)。
DIA-209-1991-08-22-3インドネシア1991年08月22日1990年代ダルソノら「人民主権純化フォーラム(FPKR)」結成。50人請願組の指導者,サディキン宅で結成発表。指導層はH.R.Darsono退役中将,Deliar Noer(イスラム知識人),Abdul Madjid元国民党指導者の3人で,加盟者は70人。ダルソノによると,新組織は50人請願組の強い支持を受け,政党人は参加していない。
DIA-209-1991-08-22-4インドネシア1991年08月22日1990年代著名知識人Emha Ainun Nadjib,イスラム知識人協会(ICMI)に脱退届け,クドゥンオンボ・ダムに伴う土地問題に対する協会の取り組みに不満を評したもの。
DIA-209-1991-08-23-1インドネシア1991年08月23日1990年代原子力発電の企業化調査で日本のNew Japan Engineering Consultantsと調印。
DIA-209-1991-08-24-1インドネシア1991年08月24日1990年代プロボステジョ,再び華人ビジネスマン批判。
DIA-209-1991-08-26-1インドネシア1991年08月26日1990年代東カリマンタン州ボンタンでのLNG工場建設用の協調融資7億5000万㌦決まり,米日系20銀行(三菱銀行,チェースマンハッタンなど)が合意書に調印。用途はプルタミナ12番目のLNG生産トレインの設置。
DIA-209-1991-08-27-1インドネシア1991年08月27日1990年代東ティモール州知事,ポルトガル国会議員団来訪中の集会を禁止。
DIA-209-1991-08-27-2インドネシア1991年08月27日1990年代トリ国軍司令官,人民主権純化フォーラムを批判。
DIA-209-1991-08-28-1インドネシア1991年08月28日1990年代Yusuf Wanandi(戦略国際研究センター会長),「ASEAN外相会議はソ連,中国,ベトナム,北朝鮮と東南アジアの安全保障を討議すべきだ」と提案(→9/30)。
DIA-209-1991-08-29-1インドネシア1991年08月29日1990年代Fortune誌9月9日号,世界長者番付,報道。52位スドノ・サリムとその家族,26億㌦,200位William Suryadjaya 1億㌦。
DIA-209-1991-08-29-2インドネシア1991年08月29日1990年代民主党で分派活動始まる。Soeryadiを委員長とする現執行部に対するもので,Achmad Subagyoが臨時執行委員会の委員長に選ばれた。
DIA-209-1991-08-30-1インドネシア1991年08月30日1990年代ウラマ会議(MUI),「ハラル・ハラム」行政指令を要望。従来の大統領指示(6月21日署名)は食品管理を指示したものだが,MUIの役割を明示せず。
DIA-209-1991-08-31-1インドネシア1991年08月31日1990年代AWSJ紙,労働不安の高まりを報道。
DIA-209-1991-08-31-2インドネシア1991年08月31日1990年代環境庁(Bapedal),ジャカルタ湾のメチル水銀濃度がきわめて高いと発表(→8/8)。
DIA-209-1991-09-02-1インドネシア1991年09月02日1990年代副工業相,オーストラリアのダンピング非難に抗議。イ製文房具に対するもの。
DIA-209-1991-09-02-2インドネシア1991年09月02日1990年代日本援助のダム建設で土地補償費に不満。リアウ州Koto Kampar地区の農民700人以上が国会に抗議。7日日本を訪問し,諸政府官庁に陳情開始。
DIA-209-1991-09-02-3インドネシア1991年09月02日1990年代法務支援財団,軍(Bakorstanas)による「共産主義者狩り特別調査」(Litsus,大統領指示に基づく)に再び抗議。この制度が合憲性を欠くとの理由で。現在は92年総選挙の立候補者適格審査中。この審査証明書のない者は選挙委員会へ立候補届けを出すことができない。
DIA-209-1991-09-03-1インドネシア1991年09月03日1990年代ゴルカルの一部に,92年選挙立候補者に対する軍の適格審査に強い批判発生。
DIA-209-1991-09-04-1インドネシア1991年09月04日1990年代政府,海外商業借款取入れ調整のため特別チーム設立。ラディウス調整相が長。閣僚10人が参加。
DIA-209-1991-09-04-2インドネシア1991年09月04日1990年代非同盟運動会議,ガーナで始まる。アラタス外相が出席。この会議で,92年の首脳会議議長国にインドネシアが決まる。また95年までの議長を務める。同外相によるとこれまでインドネシアは数回議長に立候補してきたが,東ティモール問題を理由に拒否されてきた。
DIA-209-1991-09-04-3インドネシア1991年09月04日1990年代Tempo誌に軍情報部の介入。同誌編集長が発表,8月30日に発生し翌日各紙が報道した東ティモール労働者の国会抗議行動に関する同誌の記事を取り消させた。同誌はその部分を白紙のまま印刷発行。
DIA-209-1991-09-04-4インドネシア1991年09月04日1990年代Bakorstanas長官(トリ国軍司令官),「全ての政党が書面・面接両方の調査を受ける必要がある」と発言。ゴルカル立候補者は結局7日この調査を受諾。選挙委員会はこれに合わせて立候補届出日を16日までに延期。
DIA-209-1991-09-05-1インドネシア1991年09月05日1990年代政府,ポルトガル国会議員団の来訪受け入れを確認。団の構成は国会議員13人,政府要員13人,新聞記者10人で,この他国連事務官6人,各国記者12人。イ側では国会・国民協議会が招待者。
DIA-209-1991-09-05-2インドネシア1991年09月05日1990年代Jayakarta紙,ゴルカルが立候補者リストで活動的候補を除外している,と該当者の実名をあげる。
DIA-209-1991-09-05-3インドネシア1991年09月05日1990年代コプラ搾油業者に破産の危機。現在東ジャワ33工場のうち17工場が原料不足で操業停止。植替えの遅れと,パーム油との競争が原因という(Kompas紙,9/5)。
DIA-209-1991-09-06-1インドネシア1991年09月06日1990年代選挙委員会,92年総選挙日程を発表。
DIA-209-1991-09-07-1インドネシア1991年09月07日1990年代ジャカルタ軍司令官,民主党と統一開発党の立候補者には共産主義活動者なし,と発表。
DIA-209-1991-09-07-2インドネシア1991年09月07日1990年代アジア・太平洋ゴム生産6カ国が合同委員会設立に合意。ソロでの会議で。
DIA-209-1991-09-10-1インドネシア1991年09月10日1990年代クローブ買付け公社(BPPC),苦境に。中央政府協同組合局長によると,BPPCは,不正輸入クローブとの競合に晒されている。BPPCは数十万㌧の在庫があるが,煙草メーカーは3大メーカーが少量買い付けたのみであった。
DIA-209-1991-09-10-2インドネシア1991年09月10日1990年代測量・測地調整庁発表,海軍の調査としてインドネシアの島数は1万7000で,うち70%に名称がある。
DIA-209-1991-09-10-3インドネシア1991年09月10日1990年代検事局,4書を発禁に。Yoshihara Kunio著,The Rise of Ersatz Capitalism in Southeast Asia とそのイ語訳Kapitalisme Semu Asia Tenggara,その他3書。
DIA-209-1991-09-12-1インドネシア1991年09月12日1990年代マレーシアと二重課税防止条約に調印。
DIA-209-1991-09-13-1インドネシア1991年09月13日1990年代ダーヴィンのインドネシア領事館に発砲。
DIA-209-1991-09-14-1インドネシア1991年09月14日1990年代アラタス外相,「インドネシアは,米国軍基地に反対だ。67年のASEAN合意として,フィリピン基地は一時的なものであり,ASEANの加盟国に対しては使われない,ことが了解されている」。米軍移駐に関する報道についてスハルト大統領と会談後に論評。
DIA-209-1991-09-14-2インドネシア1991年09月14日1990年代ゴルカル立候補者,現役閣僚を含め党本部で身上調査を受ける。Bakorstanasと警察が同所で指紋採取。
DIA-209-1991-09-16-1インドネシア1991年09月16日1990年代各党,立候補者名簿を選挙委員会に提出。民主党の活動派議員Kwik Kian Gieの立候補届け,無効を宣せられる。有権者登録を怠ったため(→5/1)。
DIA-209-1991-09-16-2インドネシア1991年09月16日1990年代スハルト大統領のメッカ巡礼が映画化。今後巡礼のマニュアルとして使用されるという。
DIA-209-1991-09-16-3インドネシア1991年09月16日1990年代政府,バルト3国を承認。
DIA-209-1991-09-17-1インドネシア1991年09月17日1990年代アラタス外相,「国連事務総長斡旋によるポルトガル国会議員団の来訪で国連は東ティモールがインドネシアの一部であることを認めよう」と国会で語る。
DIA-209-1991-09-17-2インドネシア1991年09月17日1990年代「インドネシア,タイのASEAN自由貿易地域化構想を原則的に支持」,とタイ紙Bangkok Postが報道。
DIA-209-1991-09-18-1インドネシア1991年09月18日1990年代東ティモール・カトリック教会,はじめてインドネシア司教会議の一員に(JP紙,9/18)。
DIA-209-1991-09-18-2インドネシア1991年09月18日1990年代スーダン大統領来訪。19日経済・文化協定調印。
DIA-209-1991-09-19-1インドネシア1991年09月19日1990年代ナフダトールウラマ,傘下宗教学校(pesantren)に対し,選挙を控え政治宣伝の場にならぬよう指示。
DIA-209-1991-09-19-2インドネシア1991年09月19日1990年代人力問題局長P.Simanjuntak,労働争議へのNGOの介入は問題を複雑化と発言。法務支援財団は23日反論。
DIA-209-1991-09-19-3インドネシア1991年09月19日1990年代マレーシア労働組合会議(MTUC)書記長Vethamuthu David,インドネシア人労働者の流入に抗議。半島に70万人,ボルネオに30万人いてマレーシア人労働者を圧迫,と主張。10月に全国的規模の反対運動を予定,と発表。
DIA-209-1991-09-21-1インドネシア1991年09月21日1990年代マホメット生誕日,新聞休み。
DIA-209-1991-09-22-1インドネシア1991年09月22日1990年代ディリのベロ神父(C.F.Ximenes Belo,「軍・地方当局が現地民を弾圧している」との非難を否定。
DIA-209-1991-09-23-1インドネシア1991年09月23日1990年代Soeriptoリアウ州知事,「リアウをシンガポールへ売り渡してはいない」と発言。
DIA-209-1991-09-24-1インドネシア1991年09月24日1990年代ルディニ内相,次期大統領候補の指名は92年の国会議員選挙後に開始すべきだ,と発言。
DIA-209-1991-09-24-2インドネシア1991年09月24日1990年代国営公益会社Perumtel,有限会社となる。PT Telekomunikasi Indonesia(PT Telkom)。本社もバンドンからジャカルタへ移転。今後経営計画は自社経営管理委員会が決定する。今後は海外での資金調達も自由となる。
DIA-209-1991-09-25-1インドネシア1991年09月25日1990年代駐日大使,天皇訪イで戦時中の問題に対する謝罪を期待していない,と表明。
DIA-209-1991-09-25-2インドネシア1991年09月25日1990年代大衆投書(副大統領府に置かれた投書箱Tromol Pos5000),軍・内務省・大蔵省に不満集中。スダルモノ副大統領発表。
DIA-209-1991-09-26-1インドネシア1991年09月26日1990年代移民局長,新移民法案で国会説明。従来の出入国禁止措置は法的根拠を欠き人権間題に抵触しやすかった。従来の出入国禁止人物の指定は81年法務相命令に基づく。国家情報庁(麻薬・テロ・破壊行為),軍司令官(法・秩序・治安),検事総長(刑事事件),最高裁(民事事件)の要請で法務省が処理し,大蔵省も国家に債務を追わせたものにつき移民局長に要請を行なうことができた。いずれの機関も十分な資料を移民局に提示せずに人物指定を要請してきたという。
DIA-209-1991-09-26-2インドネシア1991年09月26日1990年代全インドネシア労働組合連合(SPSI)のImam Soedarwo会長,労働ストは合法,現在の賃金は最低必要の65%を充たすのみ,と国会証言(Berita Buana,9/26)。
DIA-209-1991-09-27-1インドネシア1991年09月27日1990年代アラタス外相,新国連事務総長への指名を求めない,と表明。候補として取り沙汰されていたと確認。
DIA-209-1991-09-28-1インドネシア1991年09月28日1990年代ポルトガル議員団の先遣隊と国連事務総長代表等が到着。
DIA-209-1991-09-28-2インドネシア1991年09月28日1990年代第4回米インドネシア二国間フォーラム,ヴァージニアで開催。
DIA-209-1991-09-29-1インドネシア1991年09月29日1990年代スハルト大統領,「パンチャシラ原理に反しないかぎり国会が政府を批判するのは構わない」と発言。
DIA-209-1991-09-30-1インドネシア1991年09月30日1990年代スミトロ退役大将,ASEAN内の不信感を除くため共同の安全保障システムの設置を提案。インドネシア国際フォーラム(IFI)主催のセミナーで(→8/28)。
DIA-209-1991-10-01-1インドネシア1991年10月01日1990年代ベトナム(代表団来訪中)と経済・科学技術協力協定に調印。
DIA-209-1991-10-01-2インドネシア1991年10月01日1990年代政府,92年のメッカ巡礼費7.92%の引上げを発表。647万5000ルピア(→1/25)。
DIA-209-1991-10-01-3インドネシア1991年10月01日1990年代東ティモールの軍司令官,人権蹂躙を確認。
DIA-209-1991-10-02-1インドネシア1991年10月02日1990年代「防衛・治安と新聞の役割」で討論会,ジャーナリスト協会と陸軍情報局(Puspen)との共同主催。Kompas紙編集長は席上,「軍下級士官による編集者への電話」問題で「対話」方式を希望。
DIA-209-1991-10-02-2インドネシア1991年10月02日1990年代亀甲の対日輸出でグリーンピースが政府に抗議。
DIA-209-1991-10-03-1インドネシア1991年10月03日1990年代日本平成天皇来訪,4日間。
DIA-209-1991-10-04-1インドネシア1991年10月04日1990年代法務支援団体(LBH),犯罪者への公衆リンチの急増は法執行における欠陥が原因,と当局を批判。
DIA-209-1991-10-04-2インドネシア1991年10月04日1990年代モザンビークと外交関係樹立。
DIA-209-1991-10-06-1インドネシア1991年10月06日1990年代法務支援団体LBH,土地不法占拠問題でジャカルタ市政府を批判。
DIA-209-1991-10-07-1インドネシア1991年10月07日1990年代マレーシアとの国境問題委員会の設立発表さる。東カリマンタン海域の2島(Sipadan,Ligitan)が当面の問題。両国外相は,10~11日この問題で会談(→6/3)。
DIA-209-1991-10-07-2インドネシア1991年10月07日1990年代統一開発党(PPP)書記長,同党は次期大統領にスハルトを指名すると発表。
DIA-209-1991-10-08-1インドネシア1991年10月08日1990年代ジャカルタで大火。1000人以上が家を失う。
DIA-209-1991-10-09-1インドネシア1991年10月09日1990年代政府,米価(籾米)と肥料価格の引上げ発表。前者は11.8%,後者は種類により4.76~7.69%の引上げを発表。92年1月1日から実施。
DIA-209-1991-10-09-2インドネシア1991年10月09日1990年代チサダネ川への廃物投棄問題。タングラン郡の同川沿いにある236工場のうち排水処理施設を有するものは12工場のみ。同郡工業地区当局者の発表。
DIA-209-1991-10-10-1インドネシア1991年10月10日1990年代ガルーダ航空に批判高まる。同社販売担当副社長によると,国内空港の通信機能に欠陥があり,海外から旅客を運んでくる外国航空機が着陸許可を実際には得られないケースが発生。このためガルーダが海外空港での着陸許可権を認められなくなっている。
DIA-209-1991-10-10-2インドネシア1991年10月10日1990年代マレーシア,アチェ避難民200人を送還と発表。11日マレーシア外相,強制送還せずと発表。
DIA-209-1991-10-12-1インドネシア1991年10月12日1990年代海外商業借款に新規制。ラディウス調整相発表によると,国際収支の負担を軽減するため政府,国営企業,民間会社の今後5年間の借入限度総額を各年度次のように指定(初年度91/92年),59億㌦,56億㌦,59億㌦,62億㌦,65億㌦。初年度の内訳は中央銀行4億㌦,国営銀行10億㌦,民間銀行5億㌦,民間会社25億㌦,国営会社15億㌦,合計59億㌦。なお2年度目以降は中央銀行,国営銀行,民間銀行が4年度とも初年度と同じ,民間会社は26億㌦,27億㌦,28億㌦,29億㌦,国営会社は10億㌦,12億㌦,14億㌦,16億㌦。
DIA-209-1991-10-12-2インドネシア1991年10月12日1990年代環境保全専門家ら,森林火災で政府の対応の鈍さを批判。JP紙12日,一面左上段で報道。13日外相・森林相,森林火災に対する外国の援助申し出に歓迎の意表明。
DIA-209-1991-10-14-1インドネシア1991年10月14日1990年代マレーシア政府,再度インドネシア政府に対して不法入国労働者3万人へのパスポート発給を要請(89年以来3度目)。インドネシア移民局長の発表。
DIA-209-1991-10-15-1インドネシア1991年10月15日1990年代中国と地質・鉱物資源協力で合意。北京で。
DIA-209-1991-10-15-2インドネシア1991年10月15日1990年代イスラム文化祭始まる。1カ月間。
DIA-209-1991-10-15-3インドネシア1991年10月15日1990年代法務支援財団(YLBHI),労働争議での軍の保安役割争に疑問を提示。使用者側に立つことが問題という。
DIA-209-1991-10-15-4インドネシア1991年10月15日1990年代資本市場管理庁(Bapepam),証券会社の資本金等で規制強化の新規則を発表。
DIA-209-1991-10-15-5インドネシア1991年10月15日1990年代ゴルカル書記長,次期大統領のゴルカル指名候補発表は,第2期国家大綱の論議終了後になる,と発表。
DIA-209-1991-10-16-1インドネシア1991年10月16日1990年代ゴルカル指導者会議始まる。19日の終了時に12項目の政治声明を発表。
DIA-209-1991-10-17-1インドネシア1991年10月17日1990年代リビアと大使級外交関係樹立。
DIA-209-1991-10-17-2インドネシア1991年10月17日1990年代人力相,89年4月から91年9月までに5万1924人の外国人に労働許可証を発給した,と発表。
DIA-209-1991-10-17-3インドネシア1991年10月17日1990年代サレカット・イスラム,大会開催。スハルト大統領が開会。同会は1973年以降政治から離れた社会団体。
DIA-209-1991-10-18-1インドネシア1991年10月18日1990年代女性労働者の日給は1000ルピア以下がほとんど。ジャカルタで開かれた女性問題会議での発表。
DIA-209-1991-10-18-2インドネシア1991年10月18日1990年代JP紙,中部ジャワで降雨はじまる,と報道。
DIA-209-1991-10-21-1インドネシア1991年10月21日1990年代東部諸州への投資状況は依然不調。投資調整庁発表。東部9州の国内投資は1~9月で全体の6.5%。
DIA-209-1991-10-21-2インドネシア1991年10月21日1990年代スズ生産国会議閣僚会議,ジャカルタで開催。
DIA-209-1991-10-21-3インドネシア1991年10月21日1990年代環境相,環境汚染防止規定に従わない企業に強く警告。Cipinang川沿いの46企業の環境保全状況を実名入りで公表。なおイスマイル法相は22日,環境を汚染する企業に対して政府の我慢は限界にきている,と語った。
DIA-209-1991-10-22-1インドネシア1991年10月22日1990年代スドモ調整相,ゴルカルと民主党に選挙運動の自粛で警告。
DIA-209-1991-10-22-2インドネシア1991年10月22日1990年代ラディウス調整相,プルタミナ石油公社・民間発電会社に海外借入を許可。92/93年度分で10億㌦まで。
DIA-209-1991-10-22-3インドネシア1991年10月22日1990年代電力庁,西ジャワで電力供給の削減を開始。JP紙22日によると,同地区の約100の繊維・縫製工場は事前通告を受けず,不満が強い。エネルギー相24日によると,電力庁は西ジャワではいまだ削減はしておらず,盗電多発にともなう負荷過剰で停電が発生したもの,と説明。
DIA-209-1991-10-23-1インドネシア1991年10月23日1990年代労働争議急増。法務支援団体LBHによると,同団体に救済を求めてきた件数は9月17件,10月20件。
DIA-209-1991-10-23-2インドネシア1991年10月23日1990年代パリでカソボジア和平協定にアラタス外相が調印。
DIA-209-1991-10-24-1インドネシア1991年10月24日1990年代電力庁中部ジャワ,供給制限を発表。30MW節約のため城内工場への供給を5日につき1日カット。スラカルタ地区では26/27日に開始。一方エネルギー相によると,現在ジャワ・バリでの電力庁の発電能力は4675MW,ピーク時の使用量は4775MW。企業に土・日(現在はそれぞれ4425,4200MW)に仕事日の変更を希望。発電能力のうち1226MWを水力発電に依存。
DIA-209-1991-10-24-2インドネシア1991年10月24日1990年代ベトナムのVo Van Kiet首相来訪。25日に投資促進・保障・空運・海運の3協定に調印。26日官房長官の発表では,南シナ海における国境確定交渉を急ぐことで合意が成立した,という(→12/17)。
DIA-209-1991-10-24-3インドネシア1991年10月24日1990年代北スラウェシのロコン山(1690㍍)が噴火。
DIA-209-1991-10-25-1インドネシア1991年10月25日1990年代マレーシア向けパスポート代替証発給で3地点に事務所開設。移民局長25日発表。
DIA-209-1991-10-26-1インドネシア1991年10月26日1990年代ジャカルタ市の電話架設計画,資金難で延期。12日の海外商業借款取り入れ規制により延期。
DIA-209-1991-10-26-2インドネシア1991年10月26日1990年代ポルトガル,国会議員の東ティモール訪問計画を中止と発表。当初予定は11月4日から。同国に滞在し同問題を追求してきたJill Jolliffe記者の随行問題。
DIA-209-1991-10-26-3インドネシア1991年10月26日1990年代政府,285種の医薬品の販売停止を指令。
DIA-209-1991-10-27-1インドネシア1991年10月27日1990年代ベトナム首相・スハルト大統領の共同声明発表さる。「バンドン10原則(Dasa-sila)と平和共存五原則を両国関係の指導原理とする。イ側はベ側の地域協力努力への積極的参加意志を歓迎する」。同首相27日帰国。
DIA-209-1991-10-27-2インドネシア1991年10月27日1990年代戦略予備軍司令官,オーストラリア訪問。34人の代表団で,1週間の滞在。また同日防衛研究所(Lemhanas)の一行45人がニュージーランドからの帰路同国訪問。
DIA-209-1991-10-28-1インドネシア1991年10月28日1990年代パルプ5計画(合計130万㌧),資金難で一時頓挫。新規海外借入規制が原因。業界筋の発表。
DIA-209-1991-10-28-2インドネシア1991年10月28日1990年代農園部門への借款も延期の見込み。農業省現金作物開発局長によると,90年初以来の金融引締め政策に則り,いまだ事業を開始していない投資者には融資を遅らせるよう国営銀行に指示している,と発表(JP紙,10/28)。
DIA-209-1991-10-28-3インドネシア1991年10月28日1990年代中小企業と大企業,協力協定に調印。中小企業9000社を代表する55の団体,および大企業28社とが資本,技術訓練,経営,市場流通等で協力するもの。
DIA-209-1991-10-28-4インドネシア1991年10月28日1990年代首都の浅い井戸で汚染深刻化。都市衛生担当官によると,1㌶当り100人以上の密度がある地域は(首都の平均は120人)特にひどい(JP紙,10/28)。
DIA-209-1991-10-28-5インドネシア1991年10月28日1990年代「水道水の40%が損失」,公共事業省担当官の発表では,1兆9100億ルピアの財政損失に等しいという。
DIA-209-1991-10-29-1インドネシア1991年10月29日1990年代第4回文化会議開催さる。11月3日まで(第1回は1948年,マグラン,第2回51年バンドン)Culture CongressなおJP紙29日によるとこの会議の有用性には多くの疑問が呈されているという。
DIA-209-1991-10-29-2インドネシア1991年10月29日1990年代東ティモール軍司令官の発表,27日にディリで反インドネシア系が騒乱。50人を拘留,32人を釈放した。
DIA-209-1991-10-30-1インドネシア1991年10月30日1990年代森林の火災被害は4万9882㌶。森林相の発表。中部カリマンタン29.3%,中部ジャワ23.8%など。
DIA-209-1991-10-30-2インドネシア1991年10月30日1990年代蔵相,商銀に対し小企業貸付けで基準遵守を要請。90年初の規則で小企業とは総資産6億ルピアまでの企業。
DIA-209-1991-10-30-3インドネシア1991年10月30日1990年代イリアン知事,イリアン原住民への文化支配の危険性で警告。文化会議の基調講演で。
DIA-209-1991-10-30-4インドネシア1991年10月30日1990年代ガルーダ航空,シンガポール航空による大型機投入で難渋。ガ社によると,市場シェアーを犯され5億ドル程度の損害を受けよう,と指摘。
DIA-209-1991-10-31-1インドネシア1991年10月31日1990年代中央銀行,金融ブローカー10社にインドネシア初の営業許可証発給。
DIA-209-1991-10-31-2インドネシア1991年10月31日1990年代国連事務総長,東ティモール問題でインドネシア,ポルトガルに対して和解を要請。
DIA-209-1991-11-01-1インドネシア1991年11月01日1990年代大蔵省筋,13の新規商業銀行を許可,と発表。
DIA-209-1991-11-01-2インドネシア1991年11月01日1990年代ジャカルタ市民の民間部門最低賃金1日より2500ルピアへ引き上げらる(11/5)。
DIA-209-1991-11-01-3インドネシア1991年11月01日1990年代首都水道会社,飲料水価格を30%引上げ。
DIA-209-1991-11-01-4インドネシア1991年11月01日1990年代首都3河川への老廃物投棄禁止で,32会社が廃棄物処理プラント設置を約束。市スポークスマンも発表。
DIA-209-1991-11-01-5インドネシア1991年11月01日1990年代イスラム銀行Bank Muamalat Indonesia発足。資本金5000億ルピア。JP紙4日は,スハルト大統領以下富裕イスラム教徒約4000人が3日同行の株主となった,と報道。
DIA-209-1991-11-02-1インドネシア1991年11月02日1990年代諸宗教団体,政府所有基金YDBKSの富籖SDSB売上げ金からの寄付を受領。総額7億1000万ルピア,大統領官邸で授与式。SDSBは社会福祉省が管掌しYDBKSが運営,寄付を受けたナフダトール・ウラマでは寄付を返還し,幹部1人が辞任。以後イスラム系各団体・学生等の間に富籖への反対運動発生(→11/23)。
DIA-209-1991-11-03-1インドネシア1991年11月03日1990年代スダルモノ副大統領,文化会議で演説。文化の一体性と現実の多様性との格差を認識せよ,と強調。JP紙5日,会議に参加した詩人S.W.Rendra,「会議には騙された」と批判。
DIA-209-1991-11-04-1インドネシア1991年11月04日1990年代スハルト大統領夫妻のイスラム教のMatla’ul Anwar財団への寄付報道さる。各1000万ルピア。
DIA-209-1991-11-04-2インドネシア1991年11月04日1990年代「スハルト大統領,各民間企業に労働組合の結成容認を強く要請」,コスマス労相との会見で表明(12/26,27)。
DIA-209-1991-11-05-1インドネシア1991年11月05日1990年代アメリカとエネルギー問題協議会開催。
DIA-209-1991-11-05-2インドネシア1991年11月05日1990年代人力省賃金担当官,賃金問題で投資調整庁の協力を要請。同官発表,11月1日以降の賃上げ決定は90年末の調査で,対象400社(労働者4万0189人)のうち176社が3000ルピア以上支払い,2100ルピア以下は6社のみ。本来なら最低の技能水準者でも6000ルピアは支払われるべきだ。81年の規則では最低支払い額の75%は主給与,25%は手当。1日以降の新最低額2500ルピアもこの両方を含む。
DIA-209-1991-11-05-3インドネシア1991年11月05日1990年代統一開発党委員長,公務員に政治的自由を要求。特に事務所での投票は個人の自由意志を阻害,と主張。6日ルディニ内相はこれに反論。公務員互助団体Korpriは会員に政治的規制をしていない,と表明。
DIA-209-1991-11-05-4インドネシア1991年11月05日1990年代国軍司令官,オーストラリア訪問。
DIA-209-1991-11-06-1インドネシア1991年11月06日1990年代金融引締めは事実上緩和,と中銀総裁。現在はむしろ金利を下げ通貨供給量を増やしつつある状態だ。
DIA-209-1991-11-06-2インドネシア1991年11月06日1990年代ジャカルタ市の労働者組織率。人力省発表では,市内1万7687社のうち労組結成資格たる労働者25人以上の企業は5771社あり,うち1253社のみが政府系労働中央組織,インドネシア労働連合(SPSI)に加盟。この1253社中,団体協約をもつのは505社。
DIA-209-1991-11-06-3インドネシア1991年11月06日1990年代ゴム農園は価格低下のため放棄の危機。ゴム協会(Gapkindo)会長の言。コストはエネルギー11%,利子32%,包装12%,事務費11%,輸送費4%,賃金13%。
DIA-209-1991-11-06-4インドネシア1991年11月06日1990年代エネルギー相,雨季は到来したが,節電継続を要請。92年にはより長い旱魃が予想されるため(→10/24)。
DIA-209-1991-11-07-1インドネシア1991年11月07日1990年代不動産業界,金融引き締めで困難に。インドネシア不動産協会(REI)によると,会員の約5割が破産か,事業停止の状態にあるという。
DIA-209-1991-11-07-2インドネシア1991年11月07日1990年代コーヒー価格低落で,輸出業者に破産多発の懸念。輸出業者協会によると,1100の政府公認輸出業者の85%が破産に瀕している。現在価格は1ポンド当り0.84㌦と1930年以来の低い水準。89年は1.50㌦。国際コーヒー機構(ICO)が89年7月に割当制度を廃止したことが原因で,過剰供給量は全世界需要の20%,約50万~60万㌧。
DIA-209-1991-11-08-1インドネシア1991年11月08日1990年代カリモン島花崗岩開発でシンガポールと合弁契約成立(→8/22)。
DIA-209-1991-11-09-1インドネシア1991年11月09日1990年代米軍の接触。Far Eastern Economic Review誌7日は米政府がスラバヤのPAL造船所の使用方につき交渉中,と報道したが,トリ国軍司令官はこれを確認し商業ベースの取引には反対しないと言明。また同誌はアメリカがスマトラ・シアプ射爆場の使用方も要請と報道。インドネシアは同国との間に軍事協力取り決めがあり,人員訓練などを実施。
DIA-209-1991-11-11-1インドネシア1991年11月11日1990年代政府招待で国連人権問題代表団がディリ到着。
DIA-209-1991-11-11-2インドネシア1991年11月11日1990年代国際NGOフォーラム・インドネシア(INGI),援助供与国,特に日本を批判(自国の利益を背景とする援助供与)。なおINGIの次回総会(92年3月,日本で)テーマは「経済開放と人民の参加」。
DIA-209-1991-11-11-3インドネシア1991年11月11日1990年代陸軍高級幹部33人,55歳定年で退役。
DIA-209-1991-11-11-4インドネシア1991年11月11日1990年代農業省,91年のコメ生産予測を2.33%減と下方修正(90年の4517万㌧から4412万㌧へ)。
DIA-209-1991-11-12-1インドネシア1991年11月12日1990年代大学学生の政治活動。高等教育局長によると,学生は一般市民として政治的権利を行使できるが,キャンパス内では政治活動を禁止されている,と言明。
DIA-209-1991-11-12-2インドネシア1991年11月12日1990年代東ティモール・ディリで軍がデモ隊に発砲。ジャカルタの国軍情報センター発表,「デモが教会から知事事務所へ向かいかけ,危険な状態になり軍が発砲。デモは10月20日の反政府騒乱に関連し,治安攪乱分子が大衆を扇動した」。警備隊副司令官が負傷。
DIA-209-1991-11-13-1インドネシア1991年11月13日1990年代国軍司令官,東ティモール事件で「核心に至るまで調査する」と約束。オーストラリア,アメリカの外務省は駐在インドネシア大使を呼び遺憾の意を伝達。
DIA-209-1991-11-14-1インドネシア1991年11月14日1990年代東ティモール事件で軍司令官「誤解が原因。死者20人(その後は「19人」説をとる),負傷者91人」と記者会見。警察,49人を拘留中,と発表。なお教会でのミサは10月の騒乱で殺されたもののためのもの。またスドモ調整相によると,デモ参加者は2000~3000人。
DIA-209-1991-11-14-2インドネシア1991年11月14日1990年代投資調整庁副長官,投資進捗状況報告(6カ月ごと)の遵守を再度要請。91年に違反者が急増。国内投資では307件(4兆1300億ルピア),外国投資では7件(2億5940万㌦)の許可を取消(90年はそれぞれ88件,2件)。
DIA-209-1991-11-14-3インドネシア1991年11月14日1990年代大統領,米軍艦船の修理問題に許可。ハビビ発表。
DIA-209-1991-11-15-1インドネシア1991年11月15日1990年代エネルギー相,地熱発電への投資促進で所得税を34%へ引き下げ,と発表。大統領令No.49/1991。国内には1万6000MWの地熱発電が可能とみられている。
DIA-209-1991-11-16-1インドネシア1991年11月16日1990年代アチェ反政府運動者,投降後に記者会見。過去2週間の戦闘で12人が死亡と証言。
DIA-209-1991-11-16-2インドネシア1991年11月16日1990年代会計監査報告。年間1599件,5940億ルピアの不正を発見。ほとんどは公的物資調達での価格操作・不正支出。
DIA-209-1991-11-18-1インドネシア1991年11月18日1990年代オーストラリアの労働団体,インドネシア大使館でピケ開始。東ティモール問題への抗議のため。
DIA-209-1991-11-19-1インドネシア1991年11月19日1990年代スハルト大統領,南米・アフリカ5カ国に向け出発。メキシコ,ヴェネズエラ,ジンバブエ,タンザニア,セネガル。なおヴェネズエラではG15第2回首脳会談に,またセネガルではイスラム諸国会議に出席する。合計25日間で,12月14日帰着予定。
DIA-209-1991-11-19-2インドネシア1991年11月19日1990年代政府,東ティモール事件で調査団設置。委員長M.Jaelani最高裁判事。調査団は大統領に報告書を提出し,大統領はこれを大統領指令(decree)として公表する。
DIA-209-1991-11-19-3インドネシア1991年11月19日1990年代ジャカルタで東ティモール人学生約50人が国連事務所,日本・オーストラリア大使館等へデモ。
DIA-209-1991-11-19-4インドネシア1991年11月19日1990年代中銀総裁,海外借款取入れ規則を発表。
DIA-209-1991-11-20-1インドネシア1991年11月20日1990年代対外累積債務。蔵相の予算委員会発表,9月末現在,政府422億米㌦,民間140億㌦。
DIA-209-1991-11-21-1インドネシア1991年11月21日1990年代蔵相,国会で金融事情説明。金融引締めは緩和しているが銀行は自己資金比率規制(→3/14)を考慮して今後も金利を高水準に維持しよう(現水準は定期預金21~23%,貸し出し率26~34%)。
DIA-209-1991-11-21-2インドネシア1991年11月21日1990年代オランダ,東ティモール事件に関連して新規援助の一時停止を発表。同日ヨーロッパ議会,ECと国連に対し武器の対イ売却を禁止し,国際的調査を要請。アメリカは「イ政府調査結果で態度を決定」と発表。
DIA-209-1991-11-22-1インドネシア1991年11月22日1990年代東ティモールのベロ司教,「カトリック教会の政治的利用」に反対を表明。
DIA-209-1991-11-23-1インドネシア1991年11月23日1990年代経常収支赤字は2倍に。蔵相の発表。もし商業借款取り入れ削減措置が失敗すれば,91年度末の経常赤字は42億㌦(上半期赤字の23億㌦)。成功すれば下半期の赤字は17億㌦。
DIA-209-1991-11-23-2インドネシア1991年11月23日1990年代ウラマ会議,公営富籖を「ハラム」宣言。イスラム知識人会議(ICMI)も29日「ハラム」と断定。
DIA-209-1991-11-25-1インドネシア1991年11月25日1990年代シンガポールと陸軍合同演習開始,4日間。
DIA-209-1991-11-26-1インドネシア1991年11月26日1990年代ヴェネズエラと経済・技術協力協定に調印。
DIA-209-1991-11-26-2インドネシア1991年11月26日1990年代エヴァンス・オーストラリア外相,「東ティモールに領事館の開設を要請する」と発表(AFP)。ジャカルタ警察,東ティモール人学生49人を釈放。20日に国連事務所へデモして逮捕された70人の一部。
DIA-209-1991-11-27-1インドネシア1991年11月27日1990年代国軍司令官,東ティモール駐留軍の一部入れ替えを示唆。国会に対する4時間の説明の最後で表明。
DIA-209-1991-11-27-2インドネシア1991年11月27日1990年代スハルト大統領,G15首脳会談に出席。
DIA-209-1991-11-27-3インドネシア1991年11月27日1990年代ルディニ内務相,同省内で過去3年間に10万3289件約500億ルピアの公金費消があった,と発表。
DIA-209-1991-11-28-1インドネシア1991年11月28日1990年代シリワンギ軍区(西ジャワ)司令官,「アチェ分離運動の代理人A.F.Wiranagapatiを逮捕」と発表。
DIA-209-1991-11-28-2インドネシア1991年11月28日1990年代バンドンで学生が労働者擁護のため州議会に請願。学生・労働者4000人署名の請願書(代表150人が提出)は,労使紛争への軍・警の介入を停止し,より一層の賃上げに州議員が闘うよう要望している。
DIA-209-1991-11-29-1インドネシア1991年11月29日1990年代インドネシア・カトリック司教会議の声明。東ティモール事件で「陸軍の一部の行動が道徳的特性,国民の名誉・信用を危機に陥れている」としている。
DIA-209-1991-11-29-2インドネシア1991年11月29日1990年代陸軍参謀長Edi Sudradjat大将,シンガポールで軍最高勲章(Meritorius Service Medal)をうける。
DIA-209-1991-11-30-1インドネシア1991年11月30日1990年代経済成長率予測。蔵相,「91年と92年は6%の成長ができればたいしたものだ」と表明。
DIA-209-1991-12-01-1インドネシア1991年12月01日1990年代自動車などの販売税引き上げ(11月29日発表,1日実施),付加価値税の逆進的効果を押さえ,賛沢品の消費抑制が目的。飲料などの販売税は下げ。
DIA-209-1991-12-02-1インドネシア1991年12月02日1990年代内務相,公営富籖基金(SDSB)以外による財源確保をウラマ会議に懇請。
DIA-209-1991-12-03-1インドネシア1991年12月03日1990年代モベット運転手ら300人ジャカルタ市庁舎に抗議デモ。住宅地域での営業禁止措置に抗議。
DIA-209-1991-12-04-1インドネシア1991年12月04日1990年代法務支援財団,共産主義者問題で政府が越権,と指摘。国家安定支援庁Bakorstanasが特定人を共産主義者と断定することから社会的に困難に遭遇する人々が多い,と政府の過度な反対を批判(→9/2)。
DIA-209-1991-12-04-2インドネシア1991年12月04日1990年代多量降雨で水力発電正常化。送電削減計画も中止。電力庁発表。
DIA-209-1991-12-05-1インドネシア1991年12月05日1990年代ムルダニ国防相(外相代理),オーストラリアの東ティモール領事館開設要求を拒否。また国連がこの事件で独自調査を行なうため使節を派遣するとの報道にも拒否を表明。一方ハラレ滞在中のアラタス外相は,「国連事務総長が使節派遣を正式に要請するなら,使節を歓迎しないわけがない」と発言。また同日アメリカ議会事務局から2人がディリに到着。
DIA-209-1991-12-05-2インドネシア1991年12月05日1990年代証券取引業者130社(総数283が)営業ライセンス喪失。本年1月に発表され12月4日を実施期限とする払込み資本金額新規則(地場会社は5億ルピア,外資会社は10億ルピア)に合致しないため。5日Bapepam発表。
DIA-209-1991-12-07-1インドネシア1991年12月07日1990年代オーストラリア運輸労働組合の一部7日以降ガルーダ航空の荷扱いを停止。東ティモール事件に抗議。
DIA-209-1991-12-07-2インドネシア1991年12月07日1990年代ルディニ内務相,政府は国民の政治意識を削ぐことのないよう治安優先の態度を止めるべきだ,と発言。
DIA-209-1991-12-08-1インドネシア1991年12月08日1990年代スハルト大統領,セネガル到着。同国で9日からのイスラム諸国会議(OIC,1969年結成)に出席。
DIA-209-1991-12-08-2インドネシア1991年12月08日1990年代スドモ調整相,NGO(国内に約1000組織)が外国資金を反政府活動に使用しているので調査中,と発表。
DIA-209-1991-12-09-1インドネシア1991年12月09日1990年代JP紙,9日東ティモール,家族が行方不明と主張しているのはあと103人。軍・警は3箇所(Hera,Tibar,Dili)に埋葬と説明。
DIA-209-1991-12-09-2インドネシア1991年12月09日1990年代シンガポール航空,ジャカルタ便にBoeing B740-4000機を使用停止に同意。イ側10日発表(→10/30)。
DIA-209-1991-12-10-1インドネシア1991年12月10日1990年代「スハルト大統領,国家予算編成問題のため急遽帰国」とムルディオノ官房長官がダカールで発表。
DIA-209-1991-12-10-2インドネシア1991年12月10日1990年代カナダ,東ティモール事件を非難して援助(2750万㌦)を停止すると発表。ただ同地への人道的援助は赤十字を介して送ると発表。一方アメリカ国務省スポークスウマン,「完全な信用のできる調査」を要請。
DIA-209-1991-12-11-1インドネシア1991年12月11日1990年代11日夜大統領帰着。帰路機上で「政治的紐附きの外国援助はいらない」と表明。
DIA-209-1991-12-14-1インドネシア1991年12月14日1990年代東ティモール事件調査の国家調査委員会,ジャカルタに戻る。委員長16日に「軍の言う埋葬地Heraで確認。これ以上の数は証拠がない」と発表。東ティモール警察長官によると,現在は32人を拘留中。
DIA-209-1991-12-14-2インドネシア1991年12月14日1990年代東ティモール親インドネシア派が外国政府を非難する17項目声明を発表。
DIA-209-1991-12-14-3インドネシア1991年12月14日1990年代海外商業借款管理チーム,このほど次の3プロジェクトを許可,ボンタンでの天然ガス計画(7.5億㌦),ムシでの石油精製所(3.242億㌦),Kangean=Gresik間の天然ガス・パイプライン計画(4.4億㌦)。
DIA-209-1991-12-14-4インドネシア1991年12月14日1990年代ローマ法王使節,ディリ訪問,5日間。
DIA-209-1991-12-17-1インドネシア1991年12月17日1990年代ナツナ諸島帰属問題でベトナムと政府レベル交渉開始。20日まで(Vietnam News Agency/AFP,12/22)。
DIA-209-1991-12-18-1インドネシア1991年12月18日1990年代資本市場管理庁,投資基金条令(91年1月大蔵省令)の補足措置発表。
DIA-209-1991-12-18-2インドネシア1991年12月18日1990年代選挙委員会,「92年総選挙立候補届出者2337人のうち54人を失格とする。立候補者名簿は1月20日から2月18日の間に発表する」と発表。
DIA-209-1991-12-19-1インドネシア1991年12月19日1990年代オーストラリア外相来訪。アラタス外相21日,オーストラリアの東ティモール領事館設置計画を拒否。
DIA-209-1991-12-20-1インドネシア1991年12月20日1990年代プルタミナ,韓国と天然ガス供給で契約調印。92,93年にそれぞれ50万㌧,80万㌧を追加供給する。
DIA-209-1991-12-21-1インドネシア1991年12月21日1990年代Sumitro退役大将,カトリック学生協会で「新秩序において大統領の再選を1回限りにすると決めなかった点で大きな誤りを犯した」と発言。
DIA-209-1991-12-23-1インドネシア1991年12月23日1990年代スハルト大統領,カリマンタンでの橋梁完成式に出席し,「今後の開発は自らの資源に依存」と表明。
DIA-209-1991-12-23-2インドネシア1991年12月23日1990年代観光客の流入17%増加。観光年で90年の217万人から254万人へ。観光局長発表。
DIA-209-1991-12-23-3インドネシア1991年12月23日1990年代トリ国軍司令官,東ティモール特別作戦司令部の必要性を弁護。11月12日事件後Udayana地区司令部(本部デンパサール)との重複が批判されている。
DIA-209-1991-12-23-4インドネシア1991年12月23日1990年代91年は金融引き締め政策で投資コミットメントが減少。投資調整庁発表,国内投資:90年の59兆8700億ルピアから91年39兆7500億ルピア(12月15日現在),33.6%の減少。海外投資:90年の87億5000万㌦から91年の84億㌦へ4.2%の減少。
DIA-209-1991-12-24-1インドネシア1991年12月24日1990年代中部ジャワ州議会,富籖の州内禁止を決定。
DIA-209-1991-12-25-1インドネシア1991年12月25日1990年代日本国会議員260人,宮沢首相に対する対イ援助停止請願書に署名。
DIA-209-1991-12-25-2インドネシア1991年12月25日1990年代国家ウラマ協会アチェ支部のイスラム学者260人,スハルトの6選支持を表明。
DIA-209-1991-12-26-1インドネシア1991年12月26日1990年代国家調査委員会(KPN),暫定報告書発表。東ティモール事件の犠牲者は約50人,負傷者は90人以上,なお90人が依然行方不明,とする正式報告書を作成する(今後1カ月半をかけ),死傷者数はまだ増えるかもしれない,と発表。事件の原因はFretilin分離主義者による挑発行為に対して兵士が命令のないまま過剰反応したため,と断じた。軍スポークスマンは,これを全面的に受け入れ,軍に有罪者があれば罰する,と表明。
DIA-209-1991-12-26-2インドネシア1991年12月26日1990年代移民局,「国家情報庁・軍の要請で豪・米・香港などの外国人記者複数を入国禁止にした,と発表。
DIA-209-1991-12-26-3インドネシア1991年12月26日1990年代縫製部門の賃金に問題,ジャカルタ市当局発表,最低賃金の実施情況は常に最低,労働条件悪く,スト多発(全体の5割)。全部門における90年のストは32件,参加労働者8008人,91年38件,1万1706人という。
DIA-209-1991-12-27-1インドネシア1991年12月27日1990年代人力相の91年報告,労働争議112(61)件,参加労働者6万(3万1234)人。損失労働時間22万2872(30万6492)人(→11/4)。
DIA-209-1991-12-27-2インドネシア1991年12月27日1990年代法務支援財団の人権報告。土地問題デモは121件,労働スト87件,運輸労働者デモ18件。
DIA-209-1991-12-27-3インドネシア1991年12月27日1990年代タンジュン・プリオク港の荷役会社,韓国船へのサービスをボイコット。イ籍船が韓国仁川港で90年12月5目以来海洋汚染の罪で拘束されていることへの仕返し。31日に解除。
DIA-209-1991-12-28-1インドネシア1991年12月28日1990年代スハルト大統領,東ティモール事件関係2軍司令官らの解任を発表。2司令官は,バリ・小スンダ列島地区軍司令官S.Panjaitan少将,東ティモール作戦司令官Rudolf.S.Warouw准将。後任はトリ国軍司令官が30日に,前者H.B.L.Mantiri少将,後者Theo Safei准将と発表。スハルト大統領は30日,軍内に評議会を設置し事件の継続調査を命じた。またPanjaitan少将はすでに,事件に直接関与した第303大隊を撤退させている。
DIA-209-1991-12-28-2インドネシア1991年12月28日1990年代ロシア等共同体10カ国を承認。
DIA-209-1991-12-28-3インドネシア1991年12月28日1990年代民間大企業の株式委譲計画。スハルト大統領が90年初以来要請している協同組合への株式委譲は,年末までで1203の協同組合に対して160社,5457万株となった。また9省が管轄する57の国営企業もこれまでに214の協同組合に対して78億9000万ルピア相当の金融・経営援助を提供している。協同組合開発局長の発表。
DIA-209-1991-12-30-1インドネシア1991年12月30日1990年代中銀,インフレが低めだったのでSBIとSBPUの金利を引き下げたと発表。これで3月以来SBI(3カ月もの)金利は24%から19%へ下がった。同日多くの商業銀行が1月1日に1%ポイントの引下げを実施と発表。
DIA-209-1991-12-31-1インドネシア1991年12月31日1990年代アチェで反乱指導者Yusuf Ali射殺さる。
DIA-209-1992-01-01-1インドネシア1992年01月01日1990年代大統領,新年祝辞で東ティモール事件を「予想もしなかった災難」と表現,遺族に哀悼の意表明。
DIA-209-1992-01-03-1インドネシア1992年01月03日1990年代アラタス外相,先進国に対して援助と人権を結びつけないよう要請。
DIA-209-1992-01-04-1インドネシア1992年01月04日1990年代軍,東ティモール事件における軍の対応を再検討するためArmy Honorary Councilを設置。
DIA-209-1992-01-09-1インドネシア1992年01月09日1990年代大統領,92年度予算案を国会に提出。
DIA-209-1992-01-20-1インドネシア1992年01月20日1990年代総選挙立候補者名簿2283人発表さる。
DIA-209-1992-01-23-1インドネシア1992年01月23日1990年代Fretilin第2の指導者逮捕さる。
DIA-209-1992-01-27-1インドネシア1992年01月27日1990年代イギリス,東ティモール事件に対するイ政府の処理に満足を表明。
DIA-209-1992-02-02-1インドネシア1992年02月02日1990年代外相東ティモール事件で欧州諸国へ。
DIA-209-1992-02-04-1インドネシア1992年02月04日1990年代インドネシア国連代表,国連非植民地化委員会に対して東ティモール問題の取り上げ反対を表明。
DIA-209-1992-02-07-1インドネシア1992年02月07日1990年代フィンランド,投資・貿易の拡大の意を表明。
DIA-209-1992-02-09-1インドネシア1992年02月09日1990年代東ティモール事件で国連事務総長特使来訪。
DIA-209-1992-02-11-1インドネシア1992年02月11日1990年代オーストリア,経済関係の拡大を希望。
DIA-209-1992-02-12-1インドネシア1992年02月12日1990年代蔵相,低インフレ政策を維持,と表明。
DIA-209-1992-02-16-1インドネシア1992年02月16日1990年代アラタス外相,東ティモール事件説明で訪日。その後アメリカ,国連を訪問。3月3日帰着。
DIA-209-1992-02-17-1インドネシア1992年02月17日1990年代銀行法可決。外国人の銀行株所有を承認。
DIA-209-1992-02-17-2インドネシア1992年02月17日1990年代検察庁,東ティモール事件で学生,公務員ら13人の刑事訴追を発表。
DIA-209-1992-02-26-1インドネシア1992年02月26日1990年代丁子(クローブ)買付け公社(BPPC)会長,需給失調で作物の半分を焼却するよう要請。
DIA-209-1992-02-27-1インドネシア1992年02月27日1990年代軍,東ティモール事件関与軍人の処分発表。
DIA-209-1992-02-28-1インドネシア1992年02月28日1990年代国軍参謀総長,米軍のインドネシア基地利用で慎重姿勢を表明。
DIA-209-1992-03-01-1インドネシア1992年03月01日1990年代ナフダトールウラマ,創立66周年記念大会をジャカルタで開催。参加者は約15万人であった。
DIA-209-1992-03-04-1インドネシア1992年03月04日1990年代国連人権委員会,東ティモールに関するイ政府の敏速な処理を称賛する声明発表。
DIA-209-1992-03-09-1インドネシア1992年03月09日1990年代ポルトガル船,東ティモール行き断念。
DIA-209-1992-03-10-1インドネシア1992年03月10日1990年代国防相,東南アジアの外国軍事基地に反対。
DIA-209-1992-03-10-2インドネシア1992年03月10日1990年代サレカット・イスラムとムハマディア運動,次期大統領にスハルトを推挙。
DIA-209-1992-03-10-3インドネシア1992年03月10日1990年代政府,ミャンマー政府に対しロヒンギャ族問題を解決するよう要請。JP紙14日に社説。
DIA-209-1992-03-10-4インドネシア1992年03月10日1990年代大統領,丁子問題で緊急の処置を指令。
DIA-209-1992-03-12-1インドネシア1992年03月12日1990年代ディリで11・12事件裁判始まる。
DIA-209-1992-03-16-1インドネシア1992年03月16日1990年代ジャカルタで11・19事件裁判始まる。
DIA-209-1992-03-19-1インドネシア1992年03月19日1990年代国会で大統領親族の地位利用に批判の声。
DIA-209-1992-03-25-1インドネシア1992年03月25日1990年代政府,オランダの経済援助を一切拒否と発表。インドネシア債権国会議IGGIも事実上解体。
DIA-209-1992-03-30-1インドネシア1992年03月30日1990年代大統領,オレンジ独占取引を支持。
DIA-209-1992-04-01-1インドネシア1992年04月01日1990年代外相,オーストリアは援助継続,と発表。
DIA-209-1992-04-08-1インドネシア1992年04月08日1990年代国会立候補者最終名簿(2271人)発表さる。
DIA-209-1992-04-09-1インドネシア1992年04月09日1990年代蔵相,世銀が代替援助機関設置に同意と発表。
DIA-209-1992-04-09-2インドネシア1992年04月09日1990年代政府,丁子取引で新方針発表。
DIA-209-1992-04-13-1インドネシア1992年04月13日1990年代東ティモール事件で最終報告書提出さる。
DIA-209-1992-04-14-1インドネシア1992年04月14日1990年代M.R.社,テレビ受信料の独占徴収権を失う。
DIA-209-1992-04-16-1インドネシア1992年04月16日1990年代ジャカルタ証券取引所,完全に民営化。
DIA-209-1992-04-18-1インドネシア1992年04月18日1990年代丁子作付け面積の削減計画発表さる。
DIA-209-1992-04-19-1インドネシア1992年04月19日1990年代首都警察,民主主義フォーラムの集会を禁止。
DIA-209-1992-04-20-1インドネシア1992年04月20日1990年代中銀総裁,金利の一層の引下げを要請。
DIA-209-1992-04-21-1インドネシア1992年04月21日1990年代オーストラリアのKeating新首相来訪。
DIA-209-1992-04-22-1インドネシア1992年04月22日1990年代100%外資企業許可さる。
DIA-209-1992-04-25-1インドネシア1992年04月25日1990年代内相,オランダのNGO援助受け取りを禁止。
DIA-209-1992-04-27-1インドネシア1992年04月27日1990年代中銀総裁,銀行に対して貸し付け拡大を要請。
DIA-209-1992-04-27-2インドネシア1992年04月27日1990年代首都警察,市内自動車制限等(特定地域への入域には1台に3人の乗車を定めたもの)を実施。
DIA-209-1992-05-02-1インドネシア1992年05月02日1990年代アメリカとの貿易交渉一部成立。
DIA-209-1992-05-04-1インドネシア1992年05月04日1990年代不法滞在の中国系住民問題で中国と了解覚え書きに調印。
DIA-209-1992-05-06-1インドネシア1992年05月06日1990年代法務支援財団,政府の対オランダ政策(対NGO援助を禁止し,資源開発で門戸を開放)の矛盾を非難。
DIA-209-1992-05-10-1インドネシア1992年05月10日1990年代選挙戦開始。運動期間は25日間。
DIA-209-1992-05-12-1インドネシア1992年05月12日1990年代国家防衛・安全保障庁(Wanhamkamnas),大統領に1993~98年国策大綱(GBHN)の草案を提出。
DIA-209-1992-05-18-1インドネシア1992年05月18日1990年代スハルト,大統領任期の限定に反対を表明。
DIA-209-1992-05-19-1インドネシア1992年05月19日1990年代国軍,スハルト大統領の六選支持を表明。
DIA-209-1992-05-20-1インドネシア1992年05月20日1990年代民主党党首,再び大統領任期の限定を提案。ゴルカル書記長は限定は不要と発言。
DIA-209-1992-05-21-1インドネシア1992年05月21日1990年代ジョクジャカルタで投票棄権運動発生。
DIA-209-1992-05-26-1インドネシア1992年05月26日1990年代フランスと投資促進協定に調印。
DIA-209-1992-05-26-2インドネシア1992年05月26日1990年代東ティモール学生にジャカルタ地裁が判決。12~26日に5人が有罪。最高10年の拘留。
DIA-209-1992-05-29-1インドネシア1992年05月29日1990年代統一開発党,民主党,ジャカルタで大集会(3日間)。
DIA-209-1992-05-30-1インドネシア1992年05月30日1990年代大蔵省,特定商品の輸出禁止を解除。
DIA-209-1992-06-01-1インドネシア1992年06月01日1990年代諸銀行,預金金利1%引下。
DIA-209-1992-06-03-1インドネシア1992年06月03日1990年代東ティモール事件で陸軍将校・兵士ら8人へ。判決は1年~1年半の拘留。
DIA-209-1992-06-06-1インドネシア1992年06月06日1990年代中銀総裁,金利の継続低下を予測。
DIA-209-1992-06-09-1インドネシア1992年06月09日1990年代総選挙投票日(「前文」および「参考資料」参照)。
DIA-209-1992-06-10-1インドネシア1992年06月10日1990年代大統領,地球サミットに向け出発。
DIA-209-1992-06-14-1インドネシア1992年06月14日1990年代官房長官,国策大綱の作成を今年はMPRに委託する,と発表。22日発表。
DIA-209-1992-06-22-1インドネシア1992年06月22日1990年代大統領,1993~98年期の国策大綱(GBHN)策定用資料をMPRを構成する5社会政治組織(3政治団体,国軍,地方団体)へ手交。
DIA-209-1992-06-24-1インドネシア1992年06月24日1990年代シンガポールと海軍直接通信連絡協定成立。
DIA-209-1992-06-25-1インドネシア1992年06月25日1990年代米下院,対イ軍事援助停止を決議。
DIA-209-1992-06-29-1インドネシア1992年06月29日1990年代総選挙最終結果発表さる(「参考資料」参照)。
DIA-209-1992-07-01-1インドネシア1992年07月01日1990年代首都13業種最低賃金1日当り3000ルピアへ。
DIA-209-1992-07-01-2インドネシア1992年07月01日1990年代Ali Said最高裁長官,満65歳で退任。
DIA-209-1992-07-06-1インドネシア1992年07月06日1990年代貿易・投資で新規の規制緩和策発表さる。
DIA-209-1992-07-09-1インドネシア1992年07月09日1990年代商相,日本の農産品保護政策を非難。
DIA-209-1992-07-10-1インドネシア1992年07月10日1990年代アメリカ大使,米下院の対イ軍事援助停止決議(6月25日)について,米政府は別の考えだ,と表明。
DIA-209-1992-07-13-1インドネシア1992年07月13日1990年代外務省,日本に慰安婦問題の徹底調査を要望。
DIA-209-1992-07-14-1インドネシア1992年07月14日1990年代軍東ティモール事件調査班,「いまだ66人が行方不明」と発表。
DIA-209-1992-07-16-1インドネシア1992年07月16日1990年代新インドネシア援助国会議(CGI,31会員)第1回会議を朗催。92/93年度分を49億4000万㌦と決定。
DIA-209-1992-07-16-2インドネシア1992年07月16日1990年代ジャカルタ証券取引所,新しい取引制度を導入。
DIA-209-1992-07-22-1インドネシア1992年07月22日1990年代大統領,軍の二重機能を弁護。
DIA-209-1992-07-24-1インドネシア1992年07月24日1990年代ベトナム首相,非公式に来訪。
DIA-209-1992-07-27-1インドネシア1992年07月27日1990年代国軍(ABRI)参謀総長かわる。
DIA-209-1992-08-01-1インドネシア1992年08月01日1990年代政府,ナツナ島海域防衛態勢強化を決定。
DIA-209-1992-08-10-1インドネシア1992年08月10日1990年代中銀,国立銀行への特別待遇の廃止を発表。
DIA-209-1992-08-11-1インドネシア1992年08月11日1990年代政府,新交通法の実施を93年に延期と発表。
DIA-209-1992-08-11-2インドネシア1992年08月11日1990年代新アメリカ大使,Robert L.Barry(57歳)着任。
DIA-209-1992-08-12-1インドネシア1992年08月12日1990年代新最高裁長官にPurwoto S.G.が就任。
DIA-209-1992-08-14-1インドネシア1992年08月14日1990年代労働相,中国人労働者を導入中,と発表。
DIA-209-1992-08-14-2インドネシア1992年08月14日1990年代自由アチェ運動の拘留者59人釈放さる。
DIA-209-1992-08-14-3インドネシア1992年08月14日1990年代軍人事。Wismoyo Arismunandar,少将から中将へ。
DIA-209-1992-08-15-1インドネシア1992年08月15日1990年代大統領,独立記念演説。
DIA-209-1992-08-19-1インドネシア1992年08月19日1990年代副商相,ガットの反ダンピング協定に難色。
DIA-209-1992-08-20-1インドネシア1992年08月20日1990年代スハルト大統領,原子力発電に積極発言。
DIA-209-1992-08-21-1インドネシア1992年08月21日1990年代国会に人権,環境問題委員会設置さる。
DIA-209-1992-08-22-1インドネシア1992年08月22日1990年代W・アリスムナンダル中将,陸軍副参謀長に。
DIA-209-1992-08-25-1インドネシア1992年08月25日1990年代副蔵相,投資の無制限な流入に警告。
DIA-209-1992-09-01-1インドネシア1992年09月01日1990年代ジャカルタで第10回非同盟諸国会議開催,合計156国・組織が参加。
DIA-209-1992-09-01-2インドネシア1992年09月01日1990年代西ジャワ諸都市で最低賃金引上げ。
DIA-209-1992-09-10-1インドネシア1992年09月10日1990年代空軍,英国と戦闘機24機の購入契約に調印。
DIA-209-1992-09-14-1インドネシア1992年09月14日1990年代国軍司令官,Fretilinの和平提案を拒否。
DIA-209-1992-09-17-1インドネシア1992年09月17日1990年代外相,日本のプルトニウム輸送船のマラッカ海峡通過に拒否を表明している,と発表。
DIA-209-1992-09-23-1インドネシア1992年09月23日1990年代1992~97年期の国民協議会の新議員発表さる。
DIA-209-1992-09-23-2インドネシア1992年09月23日1990年代米上院,対イ軍事援助(教育・訓練)継続を承認。
DIA-209-1992-09-24-1インドネシア1992年09月24日1990年代スハルト大統領,国連総会で演説,国連改組を主張。また国連安保理入りの希望表明。
DIA-209-1992-09-27-1インドネシア1992年09月27日1990年代スハルト大統領,訪日。28日宮沢首相と会談。
DIA-209-1992-09-28-1インドネシア1992年09月28日1990年代外相,国連安保理1995/96年期メンバーヘの立候補発表。94~96年期の経済社会理事会と人権委員会も。
DIA-209-1992-10-01-1インドネシア1992年10月01日1990年代国民協議会1992~97年期議員の就任宣誓式。
DIA-209-1992-10-01-2インドネシア1992年10月01日1990年代輸出向け原料・中間財輸入手続きを簡素化。
DIA-209-1992-10-03-1インドネシア1992年10月03日1990年代国民協議会,93年3月の大統領選挙の準備および国策大綱の起草で作業委員会を設置。
DIA-209-1992-10-05-1インドネシア1992年10月05日1990年代大統領,国軍の社会政治機能一層重要と演説。
DIA-209-1992-10-05-2インドネシア1992年10月05日1990年代大統領,プルネイ王の即位25周年式典参列。
DIA-209-1992-10-06-1インドネシア1992年10月06日1990年代ジャカルタ新知事決まる。
DIA-209-1992-10-06-2インドネシア1992年10月06日1990年代アメリカ下院,対イ軍事援助を否決。人権問題で。
DIA-209-1992-10-07-1インドネシア1992年10月07日1990年代経済閣僚会議,米・肥料価格引き上げ決める。
DIA-209-1992-10-12-1インドネシア1992年10月12日1990年代国軍,中国軍との人事交流をはじめる。
DIA-209-1992-10-12-2インドネシア1992年10月12日1990年代大統領,輸出促進のため国民の対中国投資を奨励。
DIA-209-1992-10-17-1インドネシア1992年10月17日1990年代ハビビ,バタム6島連絡吊り橋計画を発表。
DIA-209-1992-10-20-1インドネシア1992年10月20日1990年代ゴルカル大会,スハルトを次期大統領に推挙。
DIA-209-1992-10-22-1インドネシア1992年10月22日1990年代タンゲランの繊維工場で8000人がスト。
DIA-209-1992-10-30-1インドネシア1992年10月30日1990年代銀行法実施さる。国内銀行株の対外開放。
DIA-209-1992-11-02-1インドネシア1992年11月02日1990年代国民協議会,国策大綱問題で難航。
DIA-209-1992-11-03-1インドネシア1992年11月03日1990年代環境保護団体Walhi,日本のプルトニウム運搬船を拒否するよう政府に要望。
DIA-209-1992-11-12-1インドネシア1992年11月12日1990年代ムルダニ国防相,中国の軍拡に注文。
DIA-209-1992-11-13-1インドネシア1992年11月13日1990年代Summa銀行に対して中銀が業務停止命令。
DIA-209-1992-11-14-1インドネシア1992年11月14日1990年代大統領,非同盟運動事業推進で顧問団を任命。
DIA-209-1992-11-15-1インドネシア1992年11月15日1990年代パスルアン(東ジャワ)のキリスト教会,イスラム教徒に襲撃さる。
DIA-209-1992-11-18-1インドネシア1992年11月18日1990年代国会,2党PPP,PDIの政治改革提案で難航。
DIA-209-1992-11-19-1インドネシア1992年11月19日1990年代スハルト大統領,G-15会議にむけ出発。
DIA-209-1992-11-20-1インドネシア1992年11月20日1990年代Fretilin指導者Xanana Gusmao逮捕さる。
DIA-209-1992-11-26-1インドネシア1992年11月26日1990年代東部艦隊司令官,日本のプルトニウム船には何らの措置もとらない,と表明(Antara通信,25日)。
DIA-209-1992-11-27-1インドネシア1992年11月27日1990年代スブントラ(Subentra)銀行に取付け騒ぎの噂。
DIA-209-1992-12-01-1インドネシア1992年12月01日1990年代大統領,銀行に関する不健全な噂に取り締り指示。スルヤ銀行にも取り付けの噂。中銀筋が否定。
DIA-209-1992-12-02-1インドネシア1992年12月02日1990年代マレーシアとマラッカ海峡合同監視計画で合意。
DIA-209-1992-12-10-1インドネシア1992年12月10日1990年代環境保護団体Walhi,日本のプルトニウム運搬船のインドネシア海域通過拒否を政府に要望。
DIA-209-1992-12-12-1インドネシア1992年12月12日1990年代フローレス島に大地震後大津波。
DIA-209-1992-12-13-1インドネシア1992年12月13日1990年代ムハマディア,宗教的非寛容に憂慮表明。
DIA-209-1992-12-14-1インドネシア1992年12月14日1990年代政府,Summa銀行の営業許可証の取消を決定。
DIA-209-1992-12-16-1インドネシア1992年12月16日1990年代オランダと投資・貿易促進で覚え書き交換。
DIA-209-1992-12-17-1インドネシア1992年12月17日1990年代労働省,最低賃金でガイドライン発表。
DIA-209-1992-12-21-1インドネシア1992年12月21日1990年代投資調整庁,投資許可額の減少を発表。
DIA-209-1992-12-22-1インドネシア1992年12月22日1990年代ASEAN各国,自由貿易地域(AFTA)の共通実効特恵関税計画(CEPT)むけ開放商品リスト発表。
DIA-209-1992-12-23-1インドネシア1992年12月23日1990年代北スマトラで軍がバタク族の宗教内紛に介入。
DIA-209-1992-12-30-1インドネシア1992年12月30日1990年代大統領,オレンジ独占取引を支持。
DIA-209-1993-01-01-1インドネシア1993年01月01日1990年代ジャカルタ市工場労働者最低賃金3000ルピアへ引き上げ。
DIA-209-1993-01-04-1インドネシア1993年01月04日1990年代Republika紙創刊される。
DIA-209-1993-01-07-1インドネシア1993年01月07日1990年代スハルト大統領,新年度予算案発表(「参考資料」参照)。石油補助金を廃止し,以後急激に諸物価上昇。
DIA-209-1993-01-13-1インドネシア1993年01月13日1990年代民主党,ようやくスハルトの大統領6選支持を決定。同時に副大統領にトリ国軍司令官を推薦。
DIA-209-1993-01-15-1インドネシア1993年01月15日1990年代アストラ社の株式処理決まる。スンマ銀行倒産に伴う債務処理の一環。
DIA-209-1993-01-18-1インドネシア1993年01月18日1990年代開発統一党,民主党,国民協議会に向けた最終態度決定。
DIA-209-1993-01-26-1インドネシア1993年01月26日1990年代国連人権問題アジア太平洋地区第2回ワークショップ,ジャカルタで開催。スハルト大統領が開会の辞で「先進国が経済援助の傍ら人権問題で圧力を加えるのは皮肉だ」と表明。
DIA-209-1993-01-29-1インドネシア1993年01月29日1990年代シンガポールとリアウ(カンパール河)水資源開発で協定調印。
DIA-209-1993-02-01-1インドネシア1993年02月01日1990年代フレティリン指導者グスマンの裁判開始。
DIA-209-1993-02-02-1インドネシア1993年02月02日1990年代タイ外相,スハルト大統領に新三角地帯構想を正式提案。
DIA-209-1993-02-06-1インドネシア1993年02月06日1990年代マレーシア外相来訪し,領土問題交渉開始。
DIA-209-1993-02-08-1インドネシア1993年02月08日1990年代最高裁長官,トバ・バタック教会問題への介入を指示。
DIA-209-1993-02-12-1インドネシア1993年02月12日1990年代軍,副大統領候補にトリ国軍司令官推薦を表明
DIA-209-1993-02-16-1インドネシア1993年02月16日1990年代大統領,新国軍司令官にエディ陸軍司令官を任命。
DIA-209-1993-02-22-1インドネシア1993年02月22日1990年代民主党で現執行部に対する造反発生。
DIA-209-1993-02-23-1インドネシア1993年02月23日1990年代断食月始まる。
DIA-209-1993-02-24-1インドネシア1993年02月24日1990年代コール・ドイツ首相来訪。
DIA-209-1993-02-26-1インドネシア1993年02月26日1990年代マラッカ海峡3国,海峡安全航行のためレーダー監視で合意。
DIA-209-1993-02-28-1インドネシア1993年02月28日1990年代ゴルカル,副大統領にトリ推薦表明。
DIA-209-1993-03-01-1インドネシア1993年03月01日1990年代国民協議会開催。大統領が過去25年間の総括報告演説。第5期内閣解散。
DIA-209-1993-03-05-1インドネシア1993年03月05日1990年代国民協議会,新国策大綱審議を開始。
DIA-209-1993-03-09-1インドネシア1993年03月09日1990年代国民協議会,国策大綱採択。
DIA-209-1993-03-10-1インドネシア1993年03月10日1990年代国民協議会,次期大統領にスハルトを選出。
DIA-209-1993-03-11-1インドネシア1993年03月11日1990年代国連人権委員会(ジュネーブ),東ティモール事件でインドネシアを非難。
DIA-209-1993-03-17-1インドネシア1993年03月17日1990年代第6期内閣発表される。19日就任式。
DIA-209-1993-03-25-1インドネシア1993年03月25日1990年代断食月明け大祭。
DIA-209-1993-03-31-1インドネシア1993年03月31日1990年代東ティモール作戦司令部の廃止計画を発表。
DIA-209-1993-04-01-1インドネシア1993年04月01日1990年代新商標法発効。
DIA-209-1993-04-02-1インドネシア1993年04月02日1990年代大統領経済顧問に2人発令。
DIA-209-1993-04-04-1インドネシア1993年04月04日1990年代東ティモール調査で国連特使来訪。
DIA-209-1993-04-06-1インドネシア1993年04月06日1990年代大統領,4軍に新参謀長を認証。
DIA-209-1993-04-13-1インドネシア1993年04月13日1990年代ILO,インドネシアに対して,労働組織の複数化を要望。93年年報で。
DIA-209-1993-04-16-1インドネシア1993年04月16日1990年代日本から,慰安婦問題で調査団来訪。
DIA-209-1993-04-21-1インドネシア1993年04月21日1990年代ローマでポルトガルとの東ティモール問題外相会談始まる。
DIA-209-1993-04-27-1インドネシア1993年04月27日1990年代タイ首相来訪し,北方三角地帯設置で合意。
DIA-209-1993-04-28-1インドネシア1993年04月28日1990年代開発計画相,貧困調査報告を発表。
DIA-209-1993-04-30-1インドネシア1993年04月30日1990年代東ティモール特別軍司令部の機能を縮小。
DIA-209-1993-05-08-1インドネシア1993年05月08日1990年代労働運動指導者マルシナーの惨殺死体発見される。
DIA-209-1993-05-15-1インドネシア1993年05月15日1990年代国軍首脳人事異動。
DIA-209-1993-05-20-1インドネシア1993年05月20日1990年代ハビビ調査・技術相,ハイテク化政策を弁護。政府部内,軍等における反ハビビ勢力への反撃。
DIA-209-1993-05-21-1インドネシア1993年05月21日1990年代フレティリン指導者グスマンに終身刑判決。
DIA-209-1993-05-21-2インドネシア1993年05月21日1990年代新国軍司令官にフェイサル大将が就任。
DIA-209-1993-05-28-1インドネシア1993年05月28日1990年代民主党総裁候補,党内抗争激化で内務相に介入要講。
DIA-209-1993-05-29-1インドネシア1993年05月29日1990年代経済調整相,貸出奨励策を発表。5%成長維持のため信用供与伸び率17%に拡大を目指す。
DIA-209-1993-06-01-1インドネシア1993年06月01日1990年代政府,国営銀行の不良債権問題処理で特別チームを設置。
DIA-209-1993-06-03-1インドネシア1993年06月03日1990年代政府批判グループ,国営造船会社を訪問視察。
DIA-209-1993-06-05-1インドネシア1993年06月05日1990年代アラムシャ元調整相,次期ゴルカル総裁問題でスハルト大統領と会談。
DIA-209-1993-06-08-1インドネシア1993年06月08日1990年代大統領,人権委員会の設置を発表。参加委員25人の決定発表は,12月。
DIA-209-1993-06-11-1インドネシア1993年06月11日1990年代マルイ蔵相,直接投資の減少で警告す。
DIA-209-1993-06-14-1インドネシア1993年06月14日1990年代政府,トバ・バタック教会問題は解決と発表。
DIA-209-1993-06-18-1インドネシア1993年06月18日1990年代最高顧問会議(DPA)委員発表される。
DIA-209-1993-06-26-1インドネシア1993年06月26日1990年代アメリカ通商代表部,GSP特典賦与国の見直しでインドネシアに人権,労働問題で圧力。
DIA-209-1993-06-28-1インドネシア1993年06月28日1990年代ウォートン・アメリカ国務次官補来訪。東ティモール問題に懸念を表明。
DIA-209-1993-06-30-1インドネシア1993年06月30日1990年代インドネシア援助国会議,51億1000万ドルと決定。日本は13億2000万ドル。
DIA-209-1993-07-01-1インドネシア1993年07月01日1990年代中銀,初めて年報を発表。
DIA-209-1993-07-04-1インドネシア1993年07月04日1990年代スハルト大統領,サミット参加のため東京着。5日宮沢首相,6日コール・ドイツ首相,7日クリントン・アメリカ大統領と会談。
DIA-209-1993-07-06-1インドネシア1993年07月06日1990年代トンガ王国と衛星位置問題で食違い発生。
DIA-209-1993-07-08-1インドネシア1993年07月08日1990年代政府,ナツナ海底ガス開発でエクソン社との交渉中止,と発表。
DIA-209-1993-07-08-2インドネシア1993年07月08日1990年代政府批判グループ,再び国営会社を訪問視察。
DIA-209-1993-07-13-1インドネシア1993年07月13日1990年代国軍司令官ら,ナスチオン元国防相を病院に見舞う。
DIA-209-1993-07-14-1インドネシア1993年07月14日1990年代環境相,環境破壊で処罰された企業の名称を公表。
DIA-209-1993-07-21-1インドネシア1993年07月21日1990年代民主党,メダンで党大会開催。前総裁派が22日急遽,総裁選挙を実施。スルヤディの再選を決定。
DIA-209-1993-07-22-1インドネシア1993年07月22日1990年代中国全人代議長が来訪。
DIA-209-1993-07-24-1インドネシア1993年07月24日1990年代スハルト大統領,ナスチオン元国防相と会う。国軍士官学校卒業式で。
DIA-209-1993-07-29-1インドネシア1993年07月29日1990年代政治・治安調整相,民主党が党内問題の処理に失敗した,と発表。
DIA-209-1993-07-29-2インドネシア1993年07月29日1990年代新労働組合(SBSI)の大会に警察が手入れ。政府は同組合をNGOとしてしか,認めていない。
DIA-209-1993-07-30-1インドネシア1993年07月30日1990年代民主党で分派活動始まる。
DIA-209-1993-08-01-1インドネシア1993年08月01日1990年代農業センサス始まる。
DIA-209-1993-08-06-1インドネシア1993年08月06日1990年代法務支援財団,日本慰安婦問題で,アジアの他の国々と協力する,と声明。
DIA-209-1993-08-10-1インドネシア1993年08月10日1990年代米中古戦闘機購入問題で軍幹部,反米発言。ヨルダンからのF-5型機4機の購入に中止介入したもの。
DIA-209-1993-08-13-1インドネシア1993年08月13日1990年代大統領,グスマンに特赦。終身刑を20年に。
DIA-209-1993-08-23-1インドネシア1993年08月23日1990年代南シナ海ワークショップ,スラバヤで開催。
DIA-209-1993-08-27-1インドネシア1993年08月27日1990年代民主党分派が暫定中央委員会を結成。政府の承認を得る。このため7月にメダンで総裁に再建されていたスルヤディは失脚。
DIA-209-1993-09-01-1インドネシア1993年09月01日1990年代アメリカ下院議員団が東ティモール訪問。
DIA-209-1993-09-06-1インドネシア1993年09月06日1990年代バリ島で環太平洋フォーラム始まる。
DIA-209-1993-09-07-1インドネシア1993年09月07日1990年代政府,労働組合SPSIを改組。13の業種部をそれぞれ組合に独立させ,SPSIを傘組織として残すもの。
DIA-209-1993-09-09-1インドネシア1993年09月09日1990年代中銀,商銀に対して借款担保に証券の受取を許可。
DIA-209-1993-09-17-1インドネシア1993年09月17日1990年代ジャカルタで新道路交通法実施される。
DIA-209-1993-09-20-1インドネシア1993年09月20日1990年代アメリカからGSP撤回に関する労働問題調査団が来訪。
DIA-209-1993-09-24-1インドネシア1993年09月24日1990年代アラファトPLO議長来訪。
DIA-209-1993-09-25-1インドネシア1993年09月25日1990年代マドゥラのダム建設予定地ニパーで地域住民が反対運動を行ない,4人が射殺される。
DIA-209-1993-09-30-1インドネシア1993年09月30日1990年代アメリカ上院,インドネシアへの軍事訓練援助の支出を禁止。
DIA-209-1993-10-01-1インドネシア1993年10月01日1990年代アメリカ大統領,インドネシアに対して人権問題での対話拡大を提案。
DIA-209-1993-10-01-2インドネシア1993年10月01日1990年代ウィスモヨ陸軍参謀長が大将に昇進。
DIA-209-1993-10-02-1インドネシア1993年10月02日1990年代国軍司令官,ゴルカルの新総裁に「軍は誰でも支持する」と表明。
DIA-209-1993-10-04-1インドネシア1993年10月04日1990年代軍首脳,ナスチオンを私邸に訪問。
DIA-209-1993-10-15-1インドネシア1993年10月15日1990年代ゴルカル総裁ワホノ,92年選挙の5%減少は指導層の失敗ではない,と弁明。
DIA-209-1993-10-15-2インドネシア1993年10月15日1990年代ラビン・イスラエル首相,インドネシアに来訪し,非同盟運動議長(スハルト大統領)を訪問。
DIA-209-1993-10-18-1インドネシア1993年10月18日1990年代外務省,南アフリカとの商取引を許可。
DIA-209-1993-10-19-1インドネシア1993年10月19日1990年代国軍司令官,軍はゴルカル総裁候補を出さない,と表明。
DIA-209-1993-10-20-1インドネシア1993年10月20日1990年代ゴルカル大会始まる
DIA-209-1993-10-21-1インドネシア1993年10月21日1990年代政府,宝くじはあと3年間続ける,と発表。
DIA-209-1993-10-22-1インドネシア1993年10月22日1990年代ゴルカル最高会議議長のスハルト大統領が,次期総裁にハルモコ支持を表明。大会による執行部選出前における意志表明として注目される。
DIA-209-1993-10-23-1インドネシア1993年10月23日1990年代政府,民間投資拡大で新規改革措置発表。
DIA-209-1993-10-25-1インドネシア1993年10月25日1990年代ゴルカル次期執行部決まる。大会終了。
DIA-209-1993-10-25-2インドネシア1993年10月25日1990年代軍の一少将が「大統領ポストは民間人には渡さない」と表明。
DIA-209-1993-10-28-1インドネシア1993年10月28日1990年代蔵相,民間部門に対して海外借款取り入れ自粛を要請。
DIA-209-1993-11-02-1インドネシア1993年11月02日1990年代ジャカルタ市南部で鉄道衝突事故。
DIA-209-1993-11-03-1インドネシア1993年11月03日1990年代学生が宝くじ反対運動を始める。4日,ウラマ会議も政府に廃止を要請。
DIA-209-1993-11-04-1インドネシア1993年11月04日1990年代中銀,海外商業借款取り入れに一層の規制強化を表明。
DIA-209-1993-11-08-1インドネシア1993年11月08日1990年代開発計画相,偽装失業を36.5%と発表。
DIA-209-1993-11-10-1インドネシア1993年11月10日1990年代宝くじ反対運動,ついに大統領官邸前に及ぶ。スハルト政権成立以来,大統領官邸前での最初のデモ。
DIA-209-1993-11-11-1インドネシア1993年11月11日1990年代非同盟運動,バリで人口問題会議開催。
DIA-209-1993-11-12-1インドネシア1993年11月12日1990年代政府,兵士食費を94年に70%引き上げと発表。
DIA-209-1993-11-13-1インドネシア1993年11月13日1990年代スハルト大統領,チュニジア,アメリカ等へ発つ。
DIA-209-1993-11-16-1インドネシア1993年11月16日1990年代労働組合SPSI,5月に惨殺されたマルシナーに労働英雄の称号授与
DIA-209-1993-11-17-1インドネシア1993年11月17日1990年代スハルト大統領,シアトル到着。同地でAPEC会談に出席。
DIA-209-1993-11-22-1インドネシア1993年11月22日1990年代マンパワー相,失業率を38%と発表。
DIA-209-1993-11-23-1インドネシア1993年11月23日1990年代スハルト大統領,イランを訪問。
DIA-209-1993-11-25-1インドネシア1993年11月25日1990年代政府,宝くじ廃止発表。
DIA-209-1993-12-02-1インドネシア1993年12月02日1990年代民主党大会,スラバヤで開催。だが派閥抗争のため,何の結果もえられず7日に解散。
DIA-209-1993-12-07-1インドネシア1993年12月07日1990年代人権委員会メンバー発表される。いわゆる人権運動家は1人も含まれず。
DIA-209-1993-12-10-1インドネシア1993年12月10日1990年代蔵相,国営銀行の馴合貸しによる不良債権問題に法的措置をとる,と発言。
DIA-209-1993-12-17-1インドネシア1993年12月17日1990年代スハルト大統領,自由化運動に強硬発言。
DIA-209-1993-12-22-1インドネシア1993年12月22日1990年代民主党大会(本年3度目),ムガワティ(スカルノ元大統領の娘)を党首に選出。
DIA-209-1993-12-24-1インドネシア1993年12月24日1990年代マンパワー相,94年1月以降ジャカルタ市の最低賃金を3000ルピアから3800ルピアへ引き上げ,と発表。
DIA-209-1993-12-29-1インドネシア1993年12月29日1990年代運輸相,ドイツ・ルフトハンザ社から中古機32機を購入すると発表。
DIA-209-1994-01-01-1インドネシア1994年01月01日1990年代ジャカルタ,西ジャワで最低賃金を3600ルピアへ引き上げ。
DIA-209-1994-01-06-1インドネシア1994年01月06日1990年代大統領,新年度予算案発表。
DIA-209-1994-01-11-1インドネシア1994年01月11日1990年代インドネシア商工会議所(KADIN)全国大会開催。新執行部選出される。
DIA-209-1994-01-15-1インドネシア1994年01月15日1990年代戦略情報庁(BAIS)を国軍情報庁(BIA)へ改組し,規模・権限・機能を縮小する計画が明らかになる。
DIA-209-1994-01-17-1インドネシア1994年01月17日1990年代ベンツェン米財務長官が大統領と会談。外資出資比率規制の緩和を要請。
DIA-209-1994-01-20-1インドネシア1994年01月20日1990年代国軍司令官,人事異動を発表。ハリヨト社会・政治機能担当参謀長を更迭。
DIA-209-1994-01-25-1インドネシア1994年01月25日1990年代ボスニアのイゼトコビッチ大統領来訪。スハルト大統領は派兵要請を拒否。
DIA-209-1994-02-01-1インドネシア1994年02月01日1990年代インドネシア開発銀行(バピンド)によるゴールデン・キー・グループ(GKG)への巨額不正融資事件発覚。
DIA-209-1994-02-01-2インドネシア1994年02月01日1990年代最低賃金の遵守を求め各地で大規模スト。
DIA-209-1994-02-03-1インドネシア1994年02月03日1990年代ダルモユウォノ初代枢機卿死去。
DIA-209-1994-02-09-1インドネシア1994年02月09日1990年代台湾の李総統,非公式訪問。11日に「私人として」スハルト大統領と会談。
DIA-209-1994-02-09-2インドネシア1994年02月09日1990年代ィンドネシア扶助労働組合(SBSI)のパクパハン議長拘留される(12日に釈放)。
DIA-209-1994-02-10-1インドネシア1994年02月10日1990年代SBSIの呼びかけに応じてゼネストに参加し治安を乱した者には厳しい処分をとると政府発表。翌日のゼネストは不発。
DIA-209-1994-02-15-1インドネシア1994年02月15日1990年代GSP交渉期限切れる。17日米政府は6カ月の延長を決定。
DIA-209-1994-02-16-1インドネシア1994年02月16日1990年代スマトラ南部で大地震発生。ランプン州で死者1800人超。
DIA-209-1994-02-17-1インドネシア1994年02月17日1990年代GKG会長エディ・タンシル逮捕に。
DIA-209-1994-02-20-1インドネシア1994年02月20日1990年代国立商業銀行の不良債権,93年10月末の時点で14.97兆ルピア超と発表される。
DIA-209-1994-03-01-1インドネシア1994年03月01日1990年代ジャカルタでスドモ最高諮問議会議長の辞任要求デモ。
DIA-209-1994-03-10-1インドネシア1994年03月10日1990年代スハルト,任期満了前の引退を否定。
DIA-209-1994-03-16-1インドネシア1994年03月16日1990年代政府,バピンドのトウィル・ヘルヨト頭取を更迭。その後バピンド経営陣4名と同ジャカルタ支店副支店長が逮捕される。
DIA-209-1994-03-27-1インドネシア1994年03月27日1990年代スハルト大統領,G-15会議出席のためインドヘ。
DIA-209-1994-04-01-1インドネシア1994年04月01日1990年代16州で最低賃金引き上げ。
DIA-209-1994-04-05-1インドネシア1994年04月05日1990年代国軍司令部のタンプボロン准将刺殺される。現役将官の殺害は1965年以来初めて。
DIA-209-1994-04-07-1インドネシア1994年04月07日1990年代オランダ首相来訪。
DIA-209-1994-04-14-1インドネシア1994年04月14日1990年代メダンで約1万1000人の労働者がデモ。暴動に発展し,華人系企業,店舗が襲撃される。軍の出動により16日には沈静化。
DIA-209-1994-04-26-1インドネシア1994年04月26日1990年代ベトナム大統領来訪。ASEAN入り支援を要請し,難民引き取りを約す。
DIA-209-1994-05-06-1インドネシア1994年05月06日1990年代50人誓願組のH・M・サヌシ仮釈放に。
DIA-209-1994-05-06-2インドネシア1994年05月06日1990年代アラタス外相,国連事務総長の仲介によりジュネーブでポルトガル外相と会談。
DIA-209-1994-05-09-1インドネシア1994年05月09日1990年代ジャカルタで,無国籍華人登録開始。
DIA-209-1994-05-16-1インドネシア1994年05月16日1990年代ニュージーランド首相来訪。
DIA-209-1994-05-16-2インドネシア1994年05月16日1990年代東ティモール会議問題解決のため,フィリピンからマングラプス特使来訪。
DIA-209-1994-05-26-1インドネシア1994年05月26日1990年代フェイサル国軍司令官の任期延長。
DIA-209-1994-06-01-1インドネシア1994年06月01日1990年代トルクメニスタン大統領来訪。
DIA-209-1994-06-02-1インドネシア1994年06月02日1990年代新外国資本法発表。
DIA-209-1994-06-03-1インドネシア1994年06月03日1990年代東ジャワで津波,200人以上死亡。
DIA-209-1994-06-13-1インドネシア1994年06月13日1990年代ジャカルタで第2回アジア太平洋女性問題閣僚会議開催。
DIA-209-1994-06-16-1インドネシア1994年06月16日1990年代世銀,インドネシアヘの1億2400万㌦の有償資金協力を認可。
DIA-209-1994-06-20-1インドネシア1994年06月20日1990年代カンボジア第1,第2首相来訪。
DIA-209-1994-06-21-1インドネシア1994年06月21日1990年代政府,『テンポ』等3雑誌を発禁に。
DIA-209-1994-06-27-1インドネシア1994年06月27日1990年代治安当局,雑誌発禁抗議デモを弾圧。
DIA-209-1994-06-27-2インドネシア1994年06月27日1990年代政府,739品目の関税引き下げを発表。
DIA-209-1994-06-27-3インドネシア1994年06月27日1990年代オーストラリア首相来訪。28日スハルト大統領との会談で雑誌発禁に懸念表明。
DIA-209-1994-06-30-1インドネシア1994年06月30日1990年代新銀行法施行。
DIA-209-1994-07-05-1インドネシア1994年07月05日1990年代最高裁,クドゥンオンボ・ダム裁判で住民側勝訴の判決下す(10月に再審)。
DIA-209-1994-07-08-1インドネシア1994年07月08日1990年代CGI,1994/95年度は総額52億268万ドルの援助を約束。
DIA-209-1994-07-14-1インドネシア1994年07月14日1990年代東ティモール大学で暴動,11人が負傷・入院,15人を逮捕。
DIA-209-1994-07-28-1インドネシア1994年07月28日1990年代マルシナ事件関与の大尉に禁固9カ月の判決。
DIA-209-1994-08-01-1インドネシア1994年08月01日1990年代9州で最低賃金引き上げ。
DIA-209-1994-08-02-1インドネシア1994年08月02日1990年代政府,観光・娯楽施設等での中国語使用,および観光業者への中国語教育認める。
DIA-209-1994-08-12-1インドネシア1994年08月12日1990年代国軍人事異動発表。
DIA-209-1994-08-13-1インドネシア1994年08月13日1990年代SBSIのパクパハン議長逮捕される。
DIA-209-1994-08-13-2インドネシア1994年08月13日1990年代ジャカルタで非同盟諸国債務問題会議。
DIA-209-1994-08-15-1インドネシア1994年08月15日1990年代エディ・タンシルに17年の実刑判決。
DIA-209-1994-08-16-1インドネシア1994年08月16日1990年代大統領,過去25年の第1次長期計画,および第5次5カ年計画の成果を発表。
DIA-209-1994-08-22-1インドネシア1994年08月22日1990年代ハルモコ総裁,党内人事を刷新し,国会ゴルカル会派議長を更迭。
DIA-209-1994-08-23-1インドネシア1994年08月23日1990年代大統領,尿管結石の治療のため入院,翌日には退院。
DIA-209-1994-08-29-1インドネシア1994年08月29日1990年代PPP党大会開催。9月1日にイスマイル・ハッサンが総裁に再選される。
DIA-209-1994-09-03-1インドネシア1994年09月03日1990年代蔵相,所得税減税案を国会に提出。
DIA-209-1994-09-03-2インドネシア1994年09月03日1990年代マンデラ・南ア大統領来訪。
DIA-209-1994-09-06-1インドネシア1994年09月06日1990年代ジャカルタでミニバスの大規模スト。
DIA-209-1994-09-09-1インドネシア1994年09月09日1990年代シパダン・リギタン両島の所有権をめぐるマレーシアとの作業部会交渉が決裂。
DIA-209-1994-09-12-1インドネシア1994年09月12日1990年代ジョグジャカルタで第3回APEC高級事務レベル会議開催。
DIA-209-1994-09-16-1インドネシア1994年09月16日1990年代マレーシアのマハティール首相来訪。APECでの協力,領土交渉の継続を約す。
DIA-209-1994-09-17-1インドネシア1994年09月17日1990年代ハンガリー大統領来訪。
DIA-209-1994-09-21-1インドネシア1994年09月21日1990年代トリ副大統領,豪州を訪問。
DIA-209-1994-09-23-1インドネシア1994年09月23日1990年代イ・米繊維交渉妥結。輸出枠は9%拡大,期限は1995年末まで。
DIA-209-1994-09-29-1インドネシア1994年09月29日1990年代シンガポール首相来訪。
DIA-209-1994-10-03-1インドネシア1994年10月03日1990年代チェコ首相来訪。
DIA-209-1994-10-03-2インドネシア1994年10月03日1990年代9・30事件白書が発刊される。
DIA-209-1994-10-06-1インドネシア1994年10月06日1990年代APEC貿易担当相会議開催。
DIA-209-1994-10-07-1インドネシア1994年10月07日1990年代外相,ニューヨークでフレティリン指導者のラモス・ホルタと会談。
DIA-209-1994-10-10-1インドネシア1994年10月10日1990年代バリで非同盟諸国閣僚会議開催。
DIA-209-1994-10-12-1インドネシア1994年10月12日1990年代国会,WTO条約批准を承認。
DIA-209-1994-10-12-2インドネシア1994年10月12日1990年代内相,分権化のテスト・ケースとして計26県で中央の出先機関を廃止することを決定。
DIA-209-1994-10-13-1インドネシア1994年10月13日1990年代イラン大統領来訪。
DIA-209-1994-10-17-1インドネシア1994年10月17日1990年代ラオス大統領来訪。
DIA-209-1994-10-19-1インドネシア1994年10月19日1990年代国営国際電信電話会社インドサット,株式をニューヨーク証券取引所に上場。
DIA-209-1994-10-20-1インドネシア1994年10月20日1990年代国連安保理非常任理事国入りが決定。
DIA-209-1994-10-31-1インドネシア1994年10月31日1990年代米紙,スカルノ時代にCIAによる反共秘密活動が行なわれたと報道。翌日スハルト大統領は,CIAの反共作戦関与を否定。
DIA-209-1994-10-31-2インドネシア1994年10月31日1990年代ユリウス・ダルマアトマジャ大司教が第2代枢機卿に指名される。
DIA-209-1994-11-03-1インドネシア1994年11月03日1990年代大統領,東ティモール分離派との会談の用意ありと発言。
DIA-209-1994-11-07-1インドネシア1994年11月07日1990年代パクパハンに3年の実刑判決。
DIA-209-1994-11-11-1インドネシア1994年11月11日1990年代APEC閣僚会議開催(~12日)。
DIA-209-1994-11-13-1インドネシア1994年11月13日1990年代ディリで1000人規模のデモ。
DIA-209-1994-11-15-1インドネシア1994年11月15日1990年代APEC非公式首脳会議開催。
DIA-209-1994-11-16-1インドネシア1994年11月16日1990年代スハルト・クリントン会談。これにあわせて,ナツナ天然ガス液化プロジェクトを含む総額400億㌦に上る投資案件を調印。
DIA-209-1994-11-21-1インドネシア1994年11月21日1990年代バリでOPEC閣僚会議開幕。
DIA-209-1994-11-22-1インドネシア1994年11月22日1990年代中部ジャワ州のムラピ山噴火。
DIA-209-1994-12-01-1インドネシア1994年12月01日1990年代NU党大会開催。4日にアブドゥルラーマン・ワヒドを議長に再選。
DIA-209-1994-12-01-2インドネシア1994年12月01日1990年代バンドンでベチャ引きら約4000人暴動。
DIA-209-1994-12-07-1インドネシア1994年12月07日1990年代パンチャシラ青年のメンバーが東ティモールの新聞社を襲撃。
DIA-209-1994-12-21-1インドネシア1994年12月21日1990年代大統領,川上産業保護を認める発言。
DIA-209-1995-01-01-1インドネシア1995年01月01日1990年代東ティモールのバチャウで暴動。
DIA-209-1995-01-05-1インドネシア1995年01月05日1990年代1995/96年度国家予算案発表。予算規模は前年比11.9%増の78兆242億ルピア。
DIA-209-1995-01-06-1インドネシア1995年01月06日1990年代運輸相,19空港の国際空港化を発表。
DIA-209-1995-01-09-1インドネシア1995年01月09日1990年代情報省,発禁となった『エディトール』の後継誌として『ティラス』に発行許可を与える。
DIA-209-1995-01-10-1インドネシア1995年01月10日1990年代新駐日大使にウィスベル・ルイス外務省対外経済関係総局長が内定。
DIA-209-1995-01-12-1インドネシア1995年01月12日1990年代東ティモールのリクイサで軍が6人の非武装住民を殺害。
DIA-209-1995-01-25-1インドネシア1995年01月25日1990年代カンボジア外相来訪。翌日会談したアラタス外相は,ASEAN入り支持を表明。
DIA-209-1995-01-30-1インドネシア1995年01月30日1990年代中銀,年間事業計画設定の義務化など,銀行の信頼性向上のための規則を導入。
DIA-209-1995-01-31-1インドネシア1995年01月31日1990年代ゴルカル,団体方針からの逸脱を理由にバンバン・ワリ・クスモ議員の解任を決定(2月27日に大統領承認)。
DIA-209-1995-02-01-1インドネシア1995年02月01日1990年代断食月始まる。
DIA-209-1995-02-01-2インドネシア1995年02月01日1990年代会計検査院,過去5年で223件の汚職があり総計2378.8億ルピアの損失と発表。
DIA-209-1995-02-03-1インドネシア1995年02月03日1990年代林業相,緑化基金から5960億ルピアを財政赤字補填に使用する旨発表。
DIA-209-1995-02-08-1インドネシア1995年02月08日1990年代国軍幹部異動発表。ウィスモヨ陸軍参謀長の退役に伴い,R・ハルトノが同職に。
DIA-209-1995-02-10-1インドネシア1995年02月10日1990年代大蔵省租税総局長,租税補足率は60%,潜在的租税収入は22.7兆ルピアと発表。
DIA-209-1995-02-15-1インドネシア1995年02月15日1990年代輸出手続き簡素化に関する蔵相令が出される。
DIA-209-1995-02-16-1インドネシア1995年02月16日1990年代食糧調達庁(Bulog)長官のポストを食糧相と分離。Bulog長官にはベッドゥ・アマンが就任。
DIA-209-1995-02-21-1インドネシア1995年02月21日1990年代大統領,インドネシア科学院(LIPI)に選挙制度の見直しを諮問。国軍議席の削減と地域代表制の導入が検討される。
DIA-209-1995-02-27-1インドネシア1995年02月27日1990年代開発統一党(PPP),党規約の逸脱を理由にスリ・ビンタン・パムンカス議員の解任を決定。5月8日付大統領令で承認される。
DIA-209-1995-03-01-1インドネシア1995年03月01日1990年代国家人権委員会によるリクイサ事件調査報告発表。軍の過失を認める。
DIA-209-1995-03-03-1インドネシア1995年03月03日1990年代断食月あける。
DIA-209-1995-03-10-1インドネシア1995年03月10日1990年代大統領,デンマークで開催された国連社会開発サミットに出席し,演説。
DIA-209-1995-03-12-1インドネシア1995年03月12日1990年代大統領,クロアチアのザグレブ訪問。翌日はサラエボを訪問。
DIA-209-1995-03-15-1インドネシア1995年03月15日1990年代最高検,スハルト失脚を予言した占い師プルマディに対し,神罪の疑いで事情聴取。5月12日に逮捕し,9月11日に禁固7ヵ月の実刑判決が出る。
DIA-209-1995-03-16-1インドネシア1995年03月16日1990年代地下雑誌『インディペンデン』を発行していた独立記者連盟(AJI)の関係者5人が逮捕される。
DIA-209-1995-03-21-1インドネシア1995年03月21日1990年代蔵相,国営企業6社の海外株式市場への上場を計画中と発表。
DIA-209-1995-04-01-1インドネシア1995年04月01日1990年代大統領,ドイツ訪問(~6日。4日にコール首相と会談)。その後カザフスタン,ウズベキスタン,トルクメニスタンを歴訪し,13日に帰国。
DIA-209-1995-04-04-1インドネシア1995年04月04日1990年代政府,19区間計77キロの有料道路をBOT方式で建設する旨発表。
DIA-209-1995-04-05-1インドネシア1995年04月05日1990年代ジョクジャカルタでのAJI関係者逮捕に対する抗議集会で45人が逮捕。翌日釈放。
DIA-209-1995-04-06-1インドネシア1995年04月06日1990年代大統領,ドレスデンで人権団体のデモに遭遇。帰国後,デモに参加したインドネシア人を処罰すると宣言。
DIA-209-1995-04-07-1インドネシア1995年04月07日1990年代国軍報道官,イリアンジャヤのティミカでの住民殺害事件を調査すると発表。
DIA-209-1995-04-10-1インドネシア1995年04月10日1990年代イリアンジャヤでの土地紛争に関して,最高裁長官が過去の最高裁決定を覆し,州知事の補償金支払いを執行しないよう命じたことが明らかになる。
DIA-209-1995-04-10-2インドネシア1995年04月10日1990年代政府,中国がナツナ諸島を自国領とする地図を発行したことに抗議したことを発表。
DIA-209-1995-04-21-1インドネシア1995年04月21日1990年代ガリ国連事務総長来訪。
DIA-209-1995-04-24-1インドネシア1995年04月24日1990年代政府,次回総選挙以降,国会の国軍会派議席数を75に削減することを提案。6月15日に国会で可決。
DIA-209-1995-04-24-2インドネシア1995年04月24日1990年代アジア・アフリカ会議40周年式典開催。
DIA-209-1995-04-25-1インドネシア1995年04月25日1990年代26の県に対する試験的自治付与開始。
DIA-209-1995-05-01-1インドネシア1995年05月01日1990年代スドモ最高諮問会議(DPA)議長,スハルトは文民出身の副大統領を望んでいると発言。
DIA-209-1995-05-03-1インドネシア1995年05月03日1990年代行政裁判所,テンポ裁判でテンポ側勝訴の判決を下す。情報相は7日に控訴。
DIA-209-1995-05-03-2インドネシア1995年05月03日1990年代最高検,スリ・ビンタン議員をドレスデンでの反政府デモ参加の容疑者とする。
DIA-209-1995-05-04-1インドネシア1995年05月04日1990年代マルシナ事件裁判で,最高裁は9人の被告全員に無罪判決。18日に大統領が治安当局に対し再調査を指示。
DIA-209-1995-05-09-1インドネシア1995年05月09日1990年代林業相,シナルマス傘下の企業に対して,森林伐採管理に問題があるとして警告。
DIA-209-1995-05-16-1インドネシア1995年05月16日1990年代環境保護団体Walhi,フリーポート社の環境管理計画を承認した鉱業・エネルギー省次官令の無効を訴え行政裁判所に提訴。
DIA-209-1995-05-20-1インドネシア1995年05月20日1990年代インドネシア扶助労働組合(SBSI)のM・パクパハン委員長が最高裁判決を待たずに釈放される。
DIA-209-1995-05-21-1インドネシア1995年05月21日1990年代ハビビ国務相,オーストラリア訪問(~31日)。
DIA-209-1995-05-22-1インドネシア1995年05月22日1990年代米国が国連安保理でパレスチナ寄りの解決策に拒否権を行使したことに対し,ジャカルタの米国大使館前で約4000人がデモ。
DIA-209-1995-05-23-1インドネシア1995年05月23日1990年代政府,規制緩和政策パッケージ発表。内容は,6030品目の関税,輸入課徴金引き下げと2003年までの関税引き下げスケジュール,10分野での投資規制緩和など。
DIA-209-1995-05-26-1インドネシア1995年05月26日1990年代前最高裁長官,最高裁は絶え間なく外部からの干渉を受けていると発言。その後,行政裁判所の裁判官らも同様の発言。
DIA-209-1995-06-01-1インドネシア1995年06月01日1990年代シンガポール首相来訪。
DIA-209-1995-06-03-1インドネシア1995年06月03日1990年代オーストリアで国連主催の全東ティモール対話会議開催(~5日)。
DIA-209-1995-06-05-1インドネシア1995年06月05日1990年代タンシュエ・ミャンマー国家法秩序回復評議会(SLORC)議長来訪。
DIA-209-1995-06-05-2インドネシア1995年06月05日1990年代政府,輸入に際しての船積み前検査制度を見直す方針であることを明らかにする。
DIA-209-1995-06-14-1インドネシア1995年06月14日1990年代大統領,債務危機の心配はないと発言。
DIA-209-1995-06-16-1インドネシア1995年06月16日1990年代国軍人事異動。4軍で85人が異動。
DIA-209-1995-06-19-1インドネシア1995年06月19日1990年代5地域,200万回線の電話敷設プロジェクトの落札業者が発表される(うち1地域の落札業者は翌週決定)。
DIA-209-1995-06-26-1インドネシア1995年06月26日1990年代サニョト投資調整庁長官,市場シェアが50%を超える企業に村して拡張投資を認めない方針と発言。以後,批判続出。
DIA-209-1995-07-06-1インドネシア1995年07月06日1990年代バンダ・アチェで第43回ムハマディヤ全国大会開幕。9日にアミン・ライスが委員長に再選される。
DIA-209-1995-07-06-2インドネシア1995年07月06日1990年代政府,オーストラリアで批判されたマンティリ退役中将の駐豪大使任命を取り消し。
DIA-209-1995-07-08-1インドネシア1995年07月08日1990年代外相,ジュネーブでポルトガル外相と会談。第2回全東ティモール対話会議の開催,および国連人権高等弁務官の東ティモール訪問に合意。
DIA-209-1995-07-10-1インドネシア1995年07月10日1990年代国会で政府高官の子息がビジネスを行なうことに関して批判的な意見が出る。
DIA-209-1995-07-15-1インドネシア1995年07月15日1990年代ハルモコ・ゴルカル総裁,アル・ファトハの読誦を間違える。以後批判続出。
DIA-209-1995-07-18-1インドネシア1995年07月18日1990年代PTグレート・リバーのボゴールの2工場でスト。18人が逮捕される。
DIA-209-1995-07-19-1インドネシア1995年07月19日1990年代援助国会議(CGI),総額53.6億ドルの援助を約束。
DIA-209-1995-07-19-2インドネシア1995年07月19日1990年代文学者プラムディヤ・アナンタ・トゥールがマグサイサイ賞を受賞。
DIA-209-1995-07-20-1インドネシア1995年07月20日1990年代国営造船会社PT PAL,新型船を発表。大統領自らスラバヤ・ジャカルタ間を航行。
DIA-209-1995-07-21-1インドネシア1995年07月21日1990年代大統領,先進国が人権,民主主義などの論点を用いて国民を分断し,インドネシアを弱体化しようとしていると発言。
DIA-209-1995-07-21-2インドネシア1995年07月21日1990年代外相,中国がナツナ諸島のインドネシア帰属を認めたことを明らかにする。
DIA-209-1995-07-23-1インドネシア1995年07月23日1990年代東ティモールのバチャウで暴動発生。
DIA-209-1995-07-24-1インドネシア1995年07月24日1990年代インドネシア・ウラマ評議会(MUI)議長に,ハサン・バスリが再選される。
DIA-209-1995-07-29-1インドネシア1995年07月29日1990年代パンチャシラ開発知識人協会(PCPP)が設立される。以後大衆団体の新設が続く。
DIA-209-1995-07-30-1インドネシア1995年07月30日1990年代東ジャワのジュンガワの土地紛争が農民暴動に発展。翌月2日に沈静化。
DIA-209-1995-08-05-1インドネシア1995年08月05日1990年代政府,オーストラリア各地で国旗が焼かれたことに関して豪政府に抗議。
DIA-209-1995-08-07-1インドネシア1995年08月07日1990年代政府,新たなIDカードシステムにおいて元政治犯(ET)コードの廃止を決定。
DIA-209-1995-08-10-1インドネシア1995年08月10日1990年代国営航空機会社(IPTN)が開発したプロペラ機N-250の初飛行。大統領は,2003年までにジェット機を開発すると発表。
DIA-209-1995-08-11-1インドネシア1995年08月11日1990年代政府,噂となっていたスカルノの革命基金の調査終了を宣言。国家官房長官は議論を引き延ばさないことをメディアに要望。
DIA-209-1995-08-16-1インドネシア1995年08月16日1990年代大統領,今期5カ年計画の目標値を上方修正。平均成長率を6.2%から7.1%へ。
DIA-209-1995-08-16-2インドネシア1995年08月16日1990年代政府,9・30事件への関与を問われ終身刑に服していたスバンドリオ元副首相,オマル・ダニ元空相ら3人に特赦を与え釈放。
DIA-209-1995-08-17-1インドネシア1995年08月17日1990年代独立50周年。各地で式典。
DIA-209-1995-08-21-1インドネシア1995年08月21日1990年代オランダのベアトリクス女王来訪。オランダ統治はインドネシア人に苦痛をもたらしたと語ったが,明確な謝罪はせず。
DIA-209-1995-08-27-1インドネシア1995年08月27日1990年代バリでパンチャシラ講習会を行っていた大企業経営者が,貧困の撲滅,経済格差縮小をうたったバリ宣言を決議。
DIA-209-1995-08-28-1インドネシア1995年08月28日1990年代人力相,94年には週1時間就業に満たない失業者が4.37%,35時間未満は39.85%となっており,失業問題が深刻であることを明らかにする。
DIA-209-1995-08-29-1インドネシア1995年08月29日1990年代政府,集会許可制度の改正を決定。
DIA-209-1995-08-31-1インドネシア1995年08月31日1990年代シアヌーク・カンボジア国王来訪。
DIA-209-1995-09-04-1インドネシア1995年09月04日1990年代イスラム学者のヌルホリス・マジド,インドネシア民主党(PDI)とPPPは野党となり97年には独自の大統領候補をたてるべきだと発言。
DIA-209-1995-09-07-1インドネシア1995年09月07日1990年代大統領,野党という概念はパンチャシラや45年憲法にそぐわないとの見解を表明。
DIA-209-1995-09-07-2インドネシア1995年09月07日1990年代国軍司令官,共産主義者の活動が増加していると軍関係者に警告。
DIA-209-1995-09-08-1インドネシア1995年09月08日1990年代東ティモールのディリで,官僚のカトリック教批判発言をきっかけに暴動発生。
DIA-209-1995-09-17-1インドネシア1995年09月17日1990年代オーストラリア首相来訪,バリでスハルト大統領と会談。
DIA-209-1995-09-17-2インドネシア1995年09月17日1990年代ノルウェー首相来訪。
DIA-209-1995-09-20-1インドネシア1995年09月20日1990年代国軍司令官,ティミカ事件での軍の過失を認める。22日,軍の人権侵害を認めた国家人権委員会の調査報告が発表される。
DIA-209-1995-09-20-2インドネシア1995年09月20日1990年代国会で,公務員にゴルカルへの投票を促す政策の正当性に関する質問がでる。
DIA-209-1995-09-25-1インドネシア1995年09月25日1990年代東ティモール青年5人が英国大使館に政治亡命を求める。この後東ティモール人が各国大使館に亡命を求める事件が続発。
DIA-209-1995-09-28-1インドネシア1995年09月28日1990年代シャルワン・ハミド国軍参謀長補佐官,社会政治勢力としての国軍の立場は中立ではあり得ないと発言。翌月3日,フェイサル司令官が軍のゴルカル支持を確認。
DIA-209-1995-09-29-1インドネシア1995年09月29日1990年代最高裁,SBSIのパクパハン委員長に無罪判決を下す。
DIA-209-1995-10-01-1インドネシア1995年10月01日1990年代9・30事件30周年式典開催。
DIA-209-1995-10-02-1インドネシア1995年10月02日1990年代資本市場法案が国会を通過。証券市場関連の犯罪に対しては,禁固10年ないし150億ルピアの罰金が課せられる。
DIA-209-1995-10-06-1インドネシア1995年10月06日1990年代大統領,「形のない組織」が共産主義を広めていると発言。
DIA-209-1995-10-07-1インドネシア1995年10月07日1990年代スマトラのジャンビでM7.6の地震。
DIA-209-1995-10-09-1インドネシア1995年10月09日1990年代東ティモールで暴動発生,12日まで続く。2人死亡,120人以上が逮捕される。
DIA-209-1995-10-10-1インドネシア1995年10月10日1990年代政府,南沙諸島の領有権を主張する各国の代表を集めてワークショップを開催。
DIA-209-1995-10-16-1インドネシア1995年10月16日1990年代スヨノ国軍参謀長,作家のプラムディヤ,学者のG・アディチョンドロ,労働運動指導者のパクパハンの3人を「形のない組織」の首謀者として名指し。
DIA-209-1995-10-18-1インドネシア1995年10月18日1990年代大統領,コロンビアで非同盟諸国首脳会議に出席し,議長任期中の報告を発表。
DIA-209-1995-10-21-1インドネシア1995年10月21日1990年代大統領,ニューヨークでイスラエル首相らと会談。27日には米国大統領と会談。
DIA-209-1995-10-23-1インドネシア1995年10月23日1990年代民族同胞親和財団(YKPK)設立。
DIA-209-1995-10-26-1インドネシア1995年10月26日1990年代インドネシア国民協会(新PNI)設立。
DIA-209-1995-10-27-1インドネシア1995年10月27日1990年代スハルト・クリントン会談。米国側は,F-16を売却する準備があることを伝える。
DIA-209-1995-10-27-2インドネシア1995年10月27日1990年代国産機CN-235のリース契約を拒んでいたムルパティ航空の社長が解任される。
DIA-209-1995-10-28-1インドネシア1995年10月28日1990年代大統領,スリナムを初訪問。
DIA-209-1995-10-28-2インドネシア1995年10月28日1990年代ティミカ事件に関与した4人の軍人が逮捕される。
DIA-209-1995-10-30-1インドネシア1995年10月30日1990年代大統領,「カーバ参詣」を行なう。
DIA-209-1995-11-08-1インドネシア1995年11月08日1990年代内相,東ティモール州知事に,モスク建設を妨げる条例の撤回を命令。
DIA-209-1995-11-10-1インドネシア1995年11月10日1990年代インドネシア・ムスリム知識人協会(ICMI)など5宗教団体によるセミナー,ジャカルタで開催(~12日)。
DIA-209-1995-11-11-1インドネシア1995年11月11日1990年代PCPPの第1回総会,ジョクジャカルタで開催(~12日)。
DIA-209-1995-11-11-2インドネシア1995年11月11日1990年代コスゴロ(Kosgoro)総会開幕。
DIA-209-1995-11-14-1インドネシア1995年11月14日1990年代PT Telkomが株式の19%をロンドン,ニューヨーク,ジャカルタ,スラバヤの各証券取引所に上場。
DIA-209-1995-11-14-2インドネシア1995年11月14日1990年代日本大使館に21人の東ティモール青年が亡命を求める。翌日ポルトガルへ出発。
DIA-209-1995-11-15-1インドネシア1995年11月15日1990年代全インドネシア労働組合(SPSI)大会開催。連盟組織へ改組。
DIA-209-1995-11-21-1インドネシア1995年11月21日1990年代高等行政裁判所,テンポ裁判で一審判決を支持し,再発行のための新たな出版許可証の発行を命じる判決を下す。
DIA-209-1995-11-22-1インドネシア1995年11月22日1990年代蔵相,国営3社(PTクラカタウ・スティール,PTジャサ・マルガ,PT PLN)の株式公開を準備していることを明かす。
DIA-209-1995-11-22-2インドネシア1995年11月22日1990年代環境相,『フォーラム・クアディラン』誌のインタビューで他の閣僚を批判したことについて大統領に叱責される。
DIA-209-1995-11-24-1インドネシア1995年11月24日1990年代ムスリム・ウンマ連盟評議会(新Masyumi)が設立される。
DIA-209-1995-11-24-2インドネシア1995年11月24日1990年代PPPの5地方執行部,次回総選挙が公明正大に行なわれないなら選挙をボイコットすべきだとの声明を出す。
DIA-209-1995-12-01-1インドネシア1995年12月01日1990年代プラボウォ・スビヤント,陸軍特殊戦闘部隊(Kopassus)司令官に就任。
DIA-209-1995-12-06-1インドネシア1995年12月06日1990年代商業省と工業省が合併される。ユドノ商業相は解任。産業・貿易担当調整相のポストは生産・流通担当調整相に改称。
DIA-209-1995-12-07-1インドネシア1995年12月07日1990年代第2回ICMI全国大会開幕。9日にハビビが議長に再選される。
DIA-209-1995-12-14-1インドネシア1995年12月14日1990年代運輸相の横領疑惑発覚。26日に大統領が横領の事実を証明する証拠がないと発言して事態の沈静化にあたる。
DIA-209-1995-12-18-1インドネシア1995年12月18日1990年代オーストラリアと安保協定を結ぶ。
DIA-209-1995-12-19-1インドネシア1995年12月19日1990年代陸軍参謀長,国会議員50人に対して治安当局によるスクリーニングを行なうと発表。
DIA-209-1995-12-21-1インドネシア1995年12月21日1990年代経済担当閣僚,過熱気味の経済の冷却化のために協力することで合意。蔵相は極端な手法を用いることはないと語る。
DIA-209-1995-12-22-1インドネシア1995年12月22日1990年代政府,金融規制策を発表。ベンチャー・キャピタルを扱うものを除き,金融業への新規参入は停止される。
DIA-209-1995-12-27-1インドネシア1995年12月27日1990年代集会の許可に関する内相と国防治安相の共同大臣令が出される。
DIA-209-1996-01-03-1インドネシア1996年01月03日1990年代ジャカルタで大洪水,死者6人。
DIA-209-1996-01-04-1インドネシア1996年01月04日1990年代1996/97年度国家予算案発表。予算規模は,7%台の成長を見越して前年比16%増の90兆6164億ルピアに膨らむ。
DIA-209-1996-01-08-1インドネシア1996年01月08日1990年代労働相,4月1日実施の新最低賃金基準を発表。各州の平均引き上げ率は10.6%。
DIA-209-1996-01-10-1インドネシア1996年01月10日1990年代自由パプア運動による誘拐事件発覚。外国人7人を含む24人が誘拐される。
DIA-209-1996-01-15-1インドネシア1996年01月15日1990年代スハルト,貧困家庭支援のため「自立福祉基金財団」を設立。年間所得が1億ルピアを超える個人,法人に対し,純利益の2%を寄付するよう要請。
DIA-209-1996-01-16-1インドネシア1996年01月16日1990年代カトリックを侮辱する発言で95年9月のディリ暴動のきっかけをつくった刑務所職員に禁固4年の実刑判決下る。
DIA-209-1996-01-16-2インドネシア1996年01月16日1990年代カナダ首相来訪(~18日)。
DIA-209-1996-01-17-1インドネシア1996年01月17日1990年代NU反主流派,特別大会を開きアブ・ハサンを議長に選出。政府はこれを認めず。
DIA-209-1996-01-19-1インドネシア1996年01月19日1990年代世銀,経常赤字拡大に鑑み金融引締め策をとるようインドネシア政府に提言。
DIA-209-1996-01-22-1インドネシア1996年01月22日1990年代断食月始まる(~2月20日)。
DIA-209-1996-01-26-1インドネシア1996年01月26日1990年代政府,428品目の輸入関税削減などの経済規制緩和策を発表。
DIA-209-1996-01-26-2インドネシア1996年01月26日1990年代ハビビ,アブドゥルラーマン・ワヒドにNU議長を辞任するよう提言したことを公表。
DIA-209-1996-02-04-1インドネシア1996年02月04日1990年代シャルワン・ハミド国軍社会政治機能担当補佐官,「新左翼」に警戒せよと発言。その後国軍総司令官も同様の発言。
DIA-209-1996-02-06-1インドネシア1996年02月06日1990年代労働相,労働省所轄の課徴金17種の撤廃を発表。許認可権を通じて各省庁,地方自治体が企業に課している課徴金の撤廃を望む大統領の意向に添った決定。
DIA-209-1996-02-09-1インドネシア1996年02月09日1990年代大統領,最近の報道は報道法の倫理規定を逸脱しているとしてマスコミを批判。
DIA-209-1996-02-17-1インドネシア1996年02月17日1990年代商工相,ポリプロピレンの輸入関税を5%から20%に引き上げると発表。
DIA-209-1996-02-17-2インドネシア1996年02月17日1990年代イリアンジャヤ北部のビアクでM7の地震。大規模な津波で100人以上が死亡。
DIA-209-1996-02-28-1インドネシア1996年02月28日1990年代商工相,国民車政策を含む自動車産業政策パッケージを発表(本文参照)。
DIA-209-1996-03-05-1インドネシア1996年03月05日1990年代バンバン・ウィジョヤント,インドネシア法律援護財団(YLBHI)の新会長に。
DIA-209-1996-03-06-1インドネシア1996年03月06日1990年代大統領次男を会長とするビマンタラ・グループが国民車製造への意欲を表明。
DIA-209-1996-03-07-1インドネシア1996年03月07日1990年代パキスタン首相来訪。
DIA-209-1996-03-10-1インドネシア1996年03月10日1990年代イリアンジャヤのティミカで暴動,空港が閉鎖される(~12日)。2人が死亡。
DIA-209-1996-03-14-1インドネシア1996年03月14日1990年代ハルトノ陸軍参謀総長,大統領長女主催のゴルカルのキャンペーンに出席し,軍はゴルカルを支援すると発言して波紋を呼ぶ。
DIA-209-1996-03-15-1インドネシア1996年03月15日1990年代商工相,向こう3年間国民車メーカーはティモール・プトラ社1社に限ると発表。
DIA-209-1996-03-15-2インドネシア1996年03月15日1990年代総選挙の公正性を監視するため,ジャーナリストや民主化運動家らが「独立選挙監視委員会」(KIPP)を設立。発禁となった『テンポ』の編集長グナワンが委員長に。
DIA-209-1996-03-18-1インドネシア1996年03月18日1990年代ポーランド首相来訪,大統領と会談。
DIA-209-1996-03-19-1インドネシア1996年03月19日1990年代ジュネーブで国連主催の全東ティモール対話会議開催(~20日)。
DIA-209-1996-04-01-1インドネシア1996年04月01日1990年代国軍防衛研修所長を務めていたムトイブ中将が国家情報調整庁(BAKIN)長官に。
DIA-209-1996-04-02-1インドネシア1996年04月02日1990年代政府,共産党と関係し選挙権を停止されていた人々を復権させると発表。
DIA-209-1996-04-04-1インドネシア1996年04月04日1990年代バス,タクシーなどの公共交通運賃一斉値上げ。タクシー初乗り運賃は67%増。
DIA-209-1996-04-07-1インドネシア1996年04月07日1990年代西カリマンタンで住民2000人と軍が衝突。軍は住民1人を射殺。西ジャワでは暴れるサッカーファンを警官が射殺。
DIA-209-1996-04-09-1インドネシア1996年04月09日1990年代商工相,東京で池田外相,塚原通産相と国民車問題を協議(~10日)。
DIA-209-1996-04-10-1インドネシア1996年04月10日1990年代ウクライナ大統領来訪(~13日)。
DIA-209-1996-04-11-1インドネシア1996年04月11日1990年代UNCTAD,輸出入手続きの簡素化をインドネシア政府に勧告。
DIA-209-1996-04-15-1インドネシア1996年04月15日1990年代イリアンジャヤのティミカ空港で国軍兵士が銃を乱射,15人が死亡。軍内部の抗争だったとの噂も。
DIA-209-1996-04-15-2インドネシア1996年04月15日1990年代豪州外相来訪。アラタス外相と会談。
DIA-209-1996-04-21-1インドネシア1996年04月21日1990年代メダンの法律援護協会が何者かに襲撃され,翌日には全焼。
DIA-209-1996-04-22-1インドネシア1996年04月22日1990年代ウジュンパンダンで公共交通料金値上げに反対する学生デモ発生。24日には軍と衝突し学生3人が死亡。
DIA-209-1996-04-24-1インドネシア1996年04月24日1990年代EUのブリタン副委員長来訪。スハルトと会談し,国民車政策に苦言。
DIA-209-1996-04-28-1インドネシア1996年04月28日1990年代大統領夫人シティ・ハルティナ死去。
DIA-209-1996-05-01-1インドネシア1996年05月01日1990年代選挙人登録開始(~20日)。
DIA-209-1996-05-07-1インドネシア1996年05月07日1990年代インドネシア開発銀行から1.3兆ルピアの不正融資を受け服役していた華人企業家エディ・タンシルの脱獄が発覚。
DIA-209-1996-05-08-1インドネシア1996年05月08日1990年代ASEAN高級事務レベル会議,ジョクジャカルタで開催(~9日)。翌日インドとミャンマーのARFへのオブザーバー参加で合意。
DIA-209-1996-05-08-2インドネシア1996年05月08日1990年代スリ・ビンタン・パムンカスに大統領侮辱罪で禁固34カ月の実刑判決。被告側は控訴。
DIA-209-1996-05-15-1インドネシア1996年05月15日1990年代軍,自由パプア運動のゲリラから,残された人質11人のうち9人を解放。2人は翌日遺体で発見される。
DIA-209-1996-05-17-1インドネシア1996年05月17日1990年代世銀,年次報告で財政・金融の引き締めと,透明性・競争の導入を勧告。
DIA-209-1996-05-21-1インドネシア1996年05月21日1990年代陸軍参謀総長,陸軍特殊部隊(Kopassus)の改組・拡大を発表。
DIA-209-1996-05-22-1インドネシア1996年05月22日1990年代スハルト,顧問会議議長としてゴルカル幹部会に対し選挙に勝つべく檄を飛ばす。
DIA-209-1996-05-29-1インドネシア1996年05月29日1990年代スリ・ビンタン・パムンカスがインドネシア民主連合党(PUDI)を結成。
DIA-209-1996-06-04-1インドネシア1996年06月04日1990年代国民車ティモールの韓国での製造を認めた大統領決定42号が出る。
DIA-209-1996-06-06-1インドネシア1996年06月06日1990年代政府と軍,反メガワティ派による民主党大会を支持すると発表。
DIA-209-1996-06-13-1インドネシア1996年06月13日1990年代最高裁,『テンポ』の発禁処分は合法だとして,復刊を認めた高等行政裁判所判決を棄却。
DIA-209-1996-06-18-1インドネシア1996年06月18日1990年代外国人の家屋所有が可能となる。所有権は25年未満に限定されるが,更新可。
DIA-209-1996-06-19-1インドネシア1996年06月19日1990年代インドネシア援助国会議(CGI)開催(~20日)。96/97年度の援助額は1億ドル減の52.6億ドルに。
DIA-209-1996-06-20-1インドネシア1996年06月20日1990年代メダンで反メガワティ派による民主党全国会議開催(~22日)。22日にスルヤディを新党首とする新執行部を選出。
DIA-209-1996-06-20-2インドネシア1996年06月20日1990年代ジャカルタでメガワティ支持者のデモが治安部隊と衝突,多数の負傷者が出る。
DIA-209-1996-06-26-1インドネシア1996年06月26日1990年代カンター米国通商代表来訪。
DIA-209-1996-06-27-1インドネシア1996年06月27日1990年代陳ティモール問題に関する第8回インドネシア・ポルトガル外相会談,ジュネーブで開催。
DIA-209-1996-06-30-1インドネシア1996年06月30日1990年代メガワティ,20日の治安当局と民主党デモ隊との衝突は治安当局側の投石が原因だと発言。
DIA-209-1996-07-02-1インドネシア1996年07月02日1990年代内相,メガワティ執行部の作成する総選挙立候補者名簿は受け取らないと宣言。翌日新党首スルヤディは,党本部奪回のため国軍総司令官に協力を要請。
DIA-209-1996-07-07-1インドネシア1996年07月07日1990年代大統領,健康診断のためドイツを訪問(~13日)。健康不安説が出て,通貨と株価が一時急落。
DIA-209-1996-07-08-1インドネシア1996年07月08日1990年代独立選挙監視委員会のグナワン委員長,民主党の内紛など政府の政党への干渉を理由に選挙中止を要求。
DIA-209-1996-07-08-2インドネシア1996年07月08日1990年代環境相,原発導入を議論するのは時期尚早だとして,原発建設に積極的な原子力庁とハビビ国務相を牽制。
DIA-209-1996-07-09-1インドネシア1996年07月09日1990年代スラバヤの工業団地で賃上げを要求する大規模デモ発生。35人が逮捕される。
DIA-209-1996-07-20-1インドネシア1996年07月20日1990年代ASEAN外相会議開催(~21日)。
DIA-209-1996-07-21-1インドネシア1996年07月21日1990年代米国系企業の視察に訪れたジェシー・ジャクソン師がメガワティと会談。
DIA-209-1996-07-22-1インドネシア1996年07月22日1990年代国軍総司令官,民主党本部前で行なわれている自由討論会は違憲との見解を表明。
DIA-209-1996-07-23-1インドネシア1996年07月23日1990年代ARF開催。
DIA-209-1996-07-23-2インドネシア1996年07月23日1990年代クリストファー米国務長官,国家人権委員会の委員と会談。インドネシア政府の民主党への干渉に懸念を表明。
DIA-209-1996-07-24-1インドネシア1996年07月24日1990年代ASEAN拡大外相会議開催(~25日)。
DIA-209-1996-07-27-1インドネシア1996年07月27日1990年代ジャカルタで大規模暴動発生。死者5人,負傷者百数十人。翌日鎮圧される。
DIA-209-1996-07-29-1インドネシア1996年07月29日1990年代情報省など政府機関を含む多くのビルに爆破予告の電話があり一時混乱。
DIA-209-1996-07-30-1インドネシア1996年07月30日1990年代陸軍ジャカルタ軍管区司令官,治安を乱す者にはその場で発砲すると発言。
DIA-209-1996-07-30-2インドネシア1996年07月30日1990年代軍,民主人民党(PRD)を前々日の暴動の黒幕と断定し関係者逮捕にのりだす。
DIA-209-1996-07-31-1インドネシア1996年07月31日1990年代検察,暴動への関与の容疑でインドネシア福祉労働組合のパクパハン議長を逮捕。
DIA-209-1996-08-01-1インドネシア1996年08月01日1990年代大統領,国営企業の株式公開とその収益による政府債務の先払いを今後も継続する意向を明らかに。
DIA-209-1996-08-01-2インドネシア1996年08月01日1990年代メガワティが民主党メダン大会開催を認めた内相,国軍総司令官らを訴えた訴訟の初公判が,裁判官の歯痛のため延期される。
DIA-209-1996-08-06-1インドネシア1996年08月06日1990年代ジョクジャカルタ人権委員会,民主人民党への関与を問われた学生が取調で軍による暴力を受けたと発表。
DIA-209-1996-08-09-1インドネシア1996年08月09日1990年代メガワティ,民主人民党との関係についてジャカルタ市警で取調を受ける。
DIA-209-1996-08-12-1インドネシア1996年08月12日1990年代陸軍参謀総長,大統領の娘婿プラボウォ・スビヤントが拡大された陸軍特殊部隊司令官として少将に昇格すると発表。
DIA-209-1996-08-12-2インドネシア1996年08月12日1990年代ブディマン・スジャトミコら民主人民党幹部10人が逮捕される。
DIA-209-1996-08-14-1インドネシア1996年08月14日1990年代大統領,日経との会見において,次期大統領の条件について言及(本文参照)。
DIA-209-1996-08-16-1インドネシア1996年08月16日1990年代大統領,恒例の独立記念日前日の演説で若い世代に共産主義の脅威を訴える。
DIA-209-1996-08-16-2インドネシア1996年08月16日1990年代ジョクジャカルタ『ブルナス』紙の記者が惨殺される。
DIA-209-1996-08-19-1インドネシア1996年08月19日1990年代トルコ首相来訪。ハビビ国務相と同窓生である同首相は,翌日IPTNを訪問。
DIA-209-1996-08-26-1インドネシア1996年08月26日1990年代アルゼンチン大統領来訪。
DIA-209-1996-08-29-1インドネシア1996年08月29日1990年代国民車ティモール,韓国から到着。
DIA-209-1996-08-31-1インドネシア1996年08月31日1990年代国家人権委員会,7月27日事件に関する調査の中間報告を発表。死者5人,負傷者149人,行方不明者74人とする。
DIA-209-1996-09-04-1インドネシア1996年09月04日1990年代大統領,治安維持のために選挙キャンペーンに関する新たな法律が必要と語る。
DIA-209-1996-09-06-1インドネシア1996年09月06日1990年代米政府,ジャカルタ暴動を遺憾とする同国議会の意向を受けF-16の売却延期を決定。
DIA-209-1996-09-08-1インドネシア1996年09月08日1990年代国軍,3軍あわせて2万人が参加する史上最大規模の演習をナツナ諸島で開始(~18日)。対中牽制策との見方は否定。
DIA-209-1996-09-09-1インドネシア1996年09月09日1990年代民主党メガワティ派,メガワティの自宅付近に新たに党本部を設ける。しかし27日に治安当局によって封鎖される。
DIA-209-1996-09-11-1インドネシア1996年09月11日1990年代中銀,金融引締め策発表。内容は,(1)対米ドル・インターベンションバンドの5%から8%への引き上げ,(2)支払準備率の3%から5%への引き上げ,の二つ。
DIA-209-1996-09-11-2インドネシア1996年09月11日1990年代中国の傳全有総参謀長が大統領を表敬訪問。同席した国軍総司令官は,ナツナでの演習の趣旨を説明し中国側の理解を得たと語る。
DIA-209-1996-09-11-3インドネシア1996年09月11日1990年代第10回AFTA評議会,ジャカルタで開催。
DIA-209-1996-09-12-1インドネシア1996年09月12日1990年代ASEAN経済閣僚会議,ジャカルタで開催。2010年までの米の関税引下げで合意。
DIA-209-1996-09-12-2インドネシア1996年09月12日1990年代塚原通産相来訪。13日に大統領と会談し,国民車計画を見直さねばWTOに提訴すると通告。だが商工相は計画中止はないと言明。
DIA-209-1996-09-16-1インドネシア1996年09月16日1990年代3政治組織,選挙委員会に候補者名簿を提出。メガワティ派も名簿を提出したが受け取りを拒否される。
DIA-209-1996-09-16-2インドネシア1996年09月16日1990年代ハワード豪首相初来訪。大統領と会談し,インドネシア政府の主張に理解を示してきたこれまでの方針を継続することを確認。
DIA-209-1996-09-26-1インドネシア1996年09月26日1990年代大統領の命令により,ハビビ国務相が約1200人の将校を相手に講演を行なう。
DIA-209-1996-10-01-1インドネシア1996年10月01日1990年代国民車ティモールがディーラーへ渡される。通関が確認されたため,3日と4日にEUと日本がWTOへ提訴。
DIA-209-1996-10-01-2インドネシア1996年10月01日1990年代ムナウィル・シャザリ前宗教相が国家人権委員会の新委員長に選出される。
DIA-209-1996-10-06-1インドネシア1996年10月06日1990年代大統領,マレーシアを訪問(~7日)。シパダン島・リギタン島の領有権問題を国際司法裁判所を通じて解決することで合意。
DIA-209-1996-10-10-1インドネシア1996年10月10日1990年代東ジャワのシトゥボンドで暴動。キリスト教会や商店が暴徒に襲われ5人が死亡。
DIA-209-1996-10-11-1インドネシア1996年10月11日1990年代東ティモールのベべロ司教と分離独立運動指導者のラモス・ホルタのノーベル平和賞受賞決まる。政府高官は不快感を表明。
DIA-209-1996-10-12-1インドネシア1996年10月12日1990年代国家人権委員会,7月27日事件の最終報告を発表。死者の1人は射殺されたとし,10月10日現在の行方不明者数は23人とする。また,政府の政党への干渉を批判。
DIA-209-1996-10-15-1インドネシア1996年10月15日1990年代大統領,キリスト像の除幕式出席のため東ティモールを訪問。
DIA-209-1996-11-01-1インドネシア1996年11月01日1990年代スルヨノ最高裁長官の定年退職に伴い,サルワタ退役空軍准将が新長官に。
DIA-209-1996-11-04-1インドネシア1996年11月04日1990年代ルディニ元陸軍参謀総長,陸軍主催のセミナーで,国軍は国会議席を放棄すべきとし,地方首長の職も文民に渡すべきと発言。
DIA-209-1996-11-11-1インドネシア1996年11月11日1990年代大統領,ヨルダン訪問(~14日)。
DIA-209-1996-11-15-1インドネシア1996年11月15日1990年代大統領,ローマ訪問(~16日)。FAO主催の世界食糧サミットで演説。
DIA-209-1996-11-18-1インドネシア1996年11月18日1990年代97年の総選挙日が5月29日に決定。
DIA-209-1996-11-19-1インドネシア1996年11月19日1990年代全インドネシア労働組合(SPSI)の新議長にマルズキ・アフマド氏が選出される。
DIA-209-1996-11-22-1インドネシア1996年11月22日1990年代政府,民主党に対し内部分裂解決のため臨時党大会を開催するよう勧告。
DIA-209-1996-11-25-1インドネシア1996年11月25日1990年代蔵相,世銀とADBからの計5億4046万ドルの借款を10月に繰り上げ償還したことを公表。資金源は明らかにしなかった。
DIA-209-1996-11-27-1インドネシア1996年11月27日1990年代7月27日事件で逮捕されたメガワティ支持者115人に禁固93日の判決。
DIA-209-1996-11-29-1インドネシア1996年11月29日1990年代マレーシア首相,シパダン・リギタン問題の協議のため来訪,大統領と会談。
DIA-209-1996-11-30-1インドネシア1996年11月30日1990年代ジャカルタでASEAN非公式首脳会議開催。カンボジア,ラオス,ミャンマーの同時加盟を認めることで合意。
DIA-209-1996-12-03-1インドネシア1996年12月03日1990年代中銀総裁,96,97年の成長率は95年の8.2%より下がるが7%を超えるとの見込みを発表。インフレ率も下がる見込み。
DIA-209-1996-12-04-1インドネシア1996年12月04日1990年代インドネシア知識人協会(ICMI)年次総会開催。ハビビ議長は,ポスト・スハルト期も安定は保たれると演説。
DIA-209-1996-12-04-2インドネシア1996年12月04日1990年代政治治安担当調整相,国家人権委員会に対し,出すぎた行動をとらぬよう警告。
DIA-209-1996-12-10-1インドネシア1996年12月10日1990年代ベロ司教とラモス・ホルタにノーベル平和賞が授与される。
DIA-209-1996-12-10-2インドネシア1996年12月10日1990年代国営電話会社PT Telkom,株式の4.15%をジャカルタとニューヨークで上場。
DIA-209-1996-12-12-1インドネシア1996年12月12日1990年代パクパハンとブディマンの公判開始。7月27日事件への関与は問われず。
DIA-209-1996-12-13-1インドネシア1996年12月13日1990年代不動産コンサルタントのPSPIリサーチ,97年にはデベロッパーの25%が倒産するとの調査結果を発表。
DIA-209-1996-12-14-1インドネシア1996年12月14日1990年代シャルワン・ハミド社会政治機能担当参謀長,次期大統領は能力のある人物なら軍人か文民かは問題ではないと発言。
DIA-209-1996-12-19-1インドネシア1996年12月19日1990年代民主党メガワティ支持者約300人が,スルヤディ党首の辞任を求めて国会前でデモ。
DIA-209-1996-12-20-1インドネシア1996年12月20日1990年代大統領決定により,自立福祉基金財団への寄付が義務化される。
DIA-209-1996-12-24-1インドネシア1996年12月24日1990年代ベロ司教帰国。争乱で1人死亡。
DIA-209-1996-12-26-1インドネシア1996年12月26日1990年代西ジャワのタシクマラヤで,警官がイスラーム指導者に暴行したことをきっかけに暴動発生。3人が死亡。
DIA-209-1997-01-02-1インドネシア1997年01月02日1990年代西カリマンタン州サンガウレドで,ダヤック人とマドウラ人の対立から大規模暴動発生(~2月中旬)。以後両者の衝突が州内に波及。死者約300人,難民2万人。
DIA-209-1997-01-06-1インドネシア1997年01月06日1990年代1997/98年度国家予算案発表。予算規模は7%台の成長を見越して前年比11.6%増の101兆ルピアに膨らむ。
DIA-209-1997-01-09-1インドネシア1997年01月09日1990年代橋本首相,ASEAN歴訪の一環として来訪(~11日)。
DIA-209-1997-01-10-1インドネシア1997年01月10日1990年代民主党メガワティ派,結党24周年記念行事を実施。米国,インド各大使出席。
DIA-209-1997-01-20-1インドネシア1997年01月20日1990年代総選挙庁,2303人の国会議員候補者暫定リストを発表。ゴルカルのリストには,内相を除く全閣僚や大統領子女の名がボートゲッターとして記載される。
DIA-209-1997-01-22-1インドネシア1997年01月22日1990年代労相,地域最低賃金(UMR)を4月1日以降,平均10.07%引き上げると発表。
DIA-209-1997-01-29-1インドネシア1997年01月29日1990年代96年8月に起亜自動車の国民車生産状況を視察した民主党議員が,インドネシア人労働者の不在,国民車の質,価格の妥当性について国会で疑問を提出し波紋を呼ぶ。
DIA-209-1997-01-30-1インドネシア1997年01月30日1990年代西ジャワ州レンガスデンクロックで約1000人の反華人暴動発生。
DIA-209-1997-01-31-1インドネシア1997年01月31日1990年代バンドン市郊外の華人系繊維工場で従業員約5000人の暴動発生。
DIA-209-1997-02-03-1インドネシア1997年02月03日1990年代内相,政治的な集会・セミナーの開催を禁じるよう全国の各級地方首長に通達と発表。禁止期間は,総選挙キャンペーン開始の1週間前から投票日の1週間後まで。
DIA-209-1997-02-04-1インドネシア1997年02月04日1990年代東ティモール出身の4青年が在ジャカルタ仏国大使館へ亡命申請。
DIA-209-1997-02-17-1インドネシア1997年02月17日1990年代大統領,カンボジア,ラオス,ミャンマーを歴訪(~23日)。
DIA-209-1997-02-18-1インドネシア1997年02月18日1990年代政府,東カリマンタン州ブサン金鉱開発事業体の株式所有配分を決定。同金鉱はカナダのブレX社が発見したもので,埋蔵量7100万オンス,200億ドル相当と推定。内訳はカナダ側45%,インドネシア側55%で,イ側の55%の内,30%がボブ・ハサンが大株主の2企業,10%がインドネシア政府,15%が米国大手鉱山会社フリーポート・マクモラン。ただしブレX社は,埋蔵量データは偽りと発表3月27日)。
DIA-209-1997-02-21-1インドネシア1997年02月21日1990年代国軍総司令官,国内新聞各社の暴動に関する誇張した報道の結果,人心の不安と治安の悪化を招いていると批判。
DIA-209-1997-02-24-1インドネシア1997年02月24日1990年代ティモール・プトウラ・ナショナル社と起亜自動車との合弁による国民車組立工場の建設開始。年産12万台を目指し,投資額は2億7500万ドル。
DIA-209-1997-02-26-1インドネシア1997年02月26日1990年代国会,原発法案を可決。
DIA-209-1997-03-03-1インドネシア1997年03月03日1990年代国軍総司令官,現在の指導体制を不法に脅かす者は誰であれ徹底的に取り締まると言明。
DIA-209-1997-03-05-1インドネシア1997年03月05日1990年代スリ・ビンタン・パムンカス元国会議員と同氏主宰の非公認政党の幹部2人が国家転覆罪容疑で逮捕される。
DIA-209-1997-03-07-1インドネシア1997年03月07日1990年代総選挙庁,2285人の国会議員最終候補者リストを発表。
DIA-209-1997-03-14-1インドネシア1997年03月14日1990年代中部ジャワ州で年初から始められた,地方政府職員が歩道や建物の壁を黄色(ゴルカル党色)に塗り替える運動が最高潮に。各地で野党支持者が反発。
DIA-209-1997-03-18-1インドネシア1997年03月18日1990年代米国務次官補,来訪。国家転覆罪容疑で取調中のムフタル・パクパハンと会見。
DIA-209-1997-03-20-1インドネシア1997年03月20日1990年代国連の東ティモール問題特使,来訪(~30日)。
DIA-209-1997-03-24-1インドネシア1997年03月24日1990年代中部ジャワ州プカロンガンで野党支持者を中心に暴動発生(~27日)。
DIA-209-1997-03-25-1インドネシア1997年03月25日1990年代総選挙監視委員長(検事総長),総選挙監視を目的とする外国人オブザーバーを招待しないと表明。
DIA-209-1997-04-01-1インドネシア1997年04月01日1990年代ゴルカル幹事長,98年の選挙で副大統領候補に大統領長女シティ・ハルディヤンティ・ルクマナ副総裁を推す可能性を示唆。
DIA-209-1997-04-06-1インドネシア1997年04月06日1990年代中部ジャワ州プカロンガン,ウオノソボ,バンジャネガラで政党支持者間の衝突から暴動に発展(~9日)。事件後現地入りした国家人権委員会の調査団は,役人による特定政党への依怙贔屓が暴動の原因と指摘。
DIA-209-1997-04-15-1インドネシア1997年04月15日1990年代民主党メガワティ派幹部と支持者数千人が国会へ大規模な抗議デモ。
DIA-209-1997-04-17-1インドネシア1997年04月17日1990年代日本政府,国民車問題についてWTOに紛争処理小委(パネル)設置を要請。大統領は21日に日本との協議中止を指示。
DIA-209-1997-04-27-1インドネシア1997年04月27日1990年代総選挙キャンペーンが始まる(~5月24日)。スシロ調整相,野党支持者と政府治安部隊との衝突等による期間中の死者総数は273人と発表。
DIA-209-1997-04-28-1インドネシア1997年04月28日1990年代裁判所,96年7月のジャカルタ大暴動に関与した容疑のブディマン被告ら人民民主党5人に対し,国家転覆罪を適用,最高13年の実刑判決を下す。
DIA-209-1997-05-03-1インドネシア1997年05月03日1990年代米国フォード自動車,WTO規則違反の国民車政策に抗議し生産中止を発表。
DIA-209-1997-05-06-1インドネシア1997年05月06日1990年代鉱エネ相,ブレX社の全事業凍結を発表。
DIA-209-1997-05-08-1インドネシア1997年05月08日1990年代民主党メガワティ派急進グループが,開発統一党の選挙集会に合流するなど,末端党員や支持者間の提携が始まる。
DIA-209-1997-05-13-1インドネシア1997年05月13日1990年代内相,民主党メガワティ派と開発統一党との提携協力は,選挙違反と発言。
DIA-209-1997-05-22-1インドネシア1997年05月22日1990年代メガワティ民主党前党首,投票ボイコットを提唱。
DIA-209-1997-05-23-1インドネシア1997年05月23日1990年代EU,国民車問題についてWTOにパネル設置を要請。
DIA-209-1997-05-29-1インドネシア1997年05月29日1990年代第6次総選挙投票日。東ジャワ州サンパンで,野党支持者による投票所焼討ちや暴動が発生。軍管区司令官は選挙妨害者の即時射殺を各部隊に指令。
DIA-209-1997-05-30-1インドネシア1997年05月30日1990年代東ジャワ州政府,総選挙の一部投票所でのやり直し実施を決定。開発統一党,開票作業の不公正な実施を指摘し,選挙の全面的やり直しを要求することを示唆。
DIA-209-1997-05-31-1インドネシア1997年05月31日1990年代インドネシア,マレーシア両国外相,国境周辺諸島の領有権問題を国際司法裁判所に委ねる合意文書に署名。
DIA-209-1997-06-03-1インドネシア1997年06月03日1990年代商工相,官公庁および国営企業に対し,販売不振の国民車の購入義務を示唆。
DIA-209-1997-06-06-1インドネシア1997年06月06日1990年代外相,米国製戦闘機購入の取消しと米国が実施している国際軍事教育訓練プログラム(IMET)への参加拒否を発表。
DIA-209-1997-06-11-1インドネシア1997年06月11日1990年代閣内と国軍の一部で人事異動。ハルモコ情報相が国会議員の質向上を担当する特命相に,ハルトノ陸軍参謀長が情報相に,ウイラント陸軍戦略予備軍司令官が陸軍参謀長に就任。
DIA-209-1997-06-12-1インドネシア1997年06月12日1990年代WTO,日本とEUの2度目の要請を受け,国民車問題に関するパネル設置を決定。
DIA-209-1997-06-13-1インドネシア1997年06月13日1990年代大統領,イスラム圏開発途上8カ国会議出席のためトルコ訪問。人権問題に関する先進諸国の対応を批判(~16日)。
DIA-209-1997-06-16-1インドネシア1997年06月16日1990年代中央銀行,年次報告で97年度3月末外貨準備高199億ドル,対外債務1093億ドル,DSR34.2%と発表。
DIA-209-1997-06-18-1インドネシア1997年06月18日1990年代世銀,年次報告でインドネシアの96年の成長率7.8%,インフレ率6.6%で,内外投資も依然堅調としつつも,経常赤字の増加と規制緩和の停滞に警告。
DIA-209-1997-06-19-1インドネシア1997年06月19日1990年代インドネシア・ポルトガル両国と,国連,東ティモール問題定期会談を行う(~20日)。
DIA-209-1997-06-23-1インドネシア1997年06月23日1990年代総選挙庁,総選挙の最終結果発表。各党の得票率と獲得議席数は,開発統一党22.43%,89議席,ゴルカル74.51%,325議席,民主党3.07%,11議席。ゴルカルが最高の得票率を達成。
DIA-209-1997-07-07-1インドネシア1997年07月07日1990年代1600品目の輸入関税切下げなどを中心とする新たな規制緩和策を発表。輸入品の平均関税率は従来の13%から11.9%に低下。また地方税法の改編で,従来42種類の地方税が9に,同課徴金192種類が30に削減される。
DIA-209-1997-07-11-1インドネシア1997年07月11日1990年代中銀,ルピアの対ドル為替変動幅を従来の8%から12%に拡大。その後ルピア相場の下落は続き,21日には1ドル=2662ルピアに達する。
DIA-209-1997-07-12-1インドネシア1997年07月12日1990年代南アフリカ共和国大統領来訪(~17日)。
DIA-209-1997-07-14-1インドネシア1997年07月14日1990年代国軍は,サルワン・ハミド社会・政治機能担当参謀長の国会国軍会派リーダーへの転出など,陸海空警4軍指導部298人に及ぶ大規模な人事異動を実施。
DIA-209-1997-07-16-1インドネシア1997年07月16日1990年代東京でインドネシア援助国会議(CGI)開催。97年度援助額は96年をやや上回る52.9億ドルに決定(17日)。
DIA-209-1997-07-25-1インドネシア1997年07月25日1990年代開発統一党中部ジャワ支部,総選挙でゴルカルの得票率拡大に貢献した郡長に対する特例昇格措置を不公正と非難。
DIA-209-1997-07-29-1インドネシア1997年07月29日1990年代中銀総裁,ルピア安定のため為替市場に対して10億ドルの売り介入を行ったことを明かす。
DIA-209-1997-08-05-1インドネシア1997年08月05日1990年代国家開発計画庁長官,ロシア製戦闘機12機,同ヘリ8機の購入を発表。
DIA-209-1997-08-06-1インドネシア1997年08月06日1990年代情報相(前陸軍参謀長),ムスリム知識人協会(ICMI)入会は個人的なもので,副大統領職への就任を含む政治的意図はないと発言。
DIA-209-1997-08-14-1インドネシア1997年08月14日1990年代インドネシア,変動相場制に移行。ルピア安と株価の下落が続く。
DIA-209-1997-08-16-1インドネシア1997年08月16日1990年代大統領,国政演説で投機的動きを批判するとともに,97年度経済成長率の見込みを7.82%から7.98%へ上方修正し,インドネシアの経済基盤はきわめて堅調と指摘。
DIA-209-1997-08-21-1インドネシア1997年08月21日1990年代調査・技術担当相,対ドルレートの変動があっても,航空機製造のような長期ないし中期戦略産業は撤回しないと発言。
DIA-209-1997-08-22-1インドネシア1997年08月22日1990年代国軍社会・政治機能担当参謀長,国軍は社会政治機能を合憲的に遂行しているとし,クーデターの可能性を否定。
DIA-209-1997-09-01-1インドネシア1997年09月01日1990年代国軍総司令官,民主化が着実に進行しており,国軍がそれに充分対応できる組織となることが期待されていると言明。
DIA-209-1997-09-03-1インドネシア1997年09月03日1990年代政府,ルピア相場の下落が経済に与える影響を緩和するため,大型プロジェクトの延期などの経済金融健全化対策を発表。
DIA-209-1997-09-04-1インドネシア1997年09月04日1990年代政府,上場企業株式の外国人保有を49%までとする制限を撤廃。
DIA-209-1997-09-11-1インドネシア1997年09月11日1990年代国会,労組や労働者支援団体の抗議のなか,新労働法案を可決。同法はスト権を認めるが,ストを事業所内のみに限定。
DIA-209-1997-09-15-1インドネシア1997年09月15日1990年代南スラウエシ州ウジュンパンダンで,大規模反華人暴動,発生(~16日)。
DIA-209-1997-09-16-1インドネシア1997年09月16日1990年代政府,投資削減計画の詳細を発表。内容は3.3兆ルピアの投資支出の削減(97/98年度開発予算の8.4%相当)。38.9兆ルピアの投資プロジェクトの延期,62.7兆ルピアの投資プロジェクトの再検討。
DIA-209-1997-09-24-1インドネシア1997年09月24日1990年代イリアンジャヤ州政府,8月以来の旱魃による餓死者が265人と発表。
DIA-209-1997-09-26-1インドネシア1997年09月26日1990年代北スマトラ州メダン近郊でガルーダ航空機墜落。乗員乗客222人死亡。
DIA-209-1997-10-02-1インドネシア1997年10月02日1990年代国民協議会(MPR),ゴルカル総裁のハルモコ前情報相を議長に選任。
DIA-209-1997-10-03-1インドネシア1997年10月03日1990年代中銀,輸出企業の先物為替取引支援制度を導入。
DIA-209-1997-10-08-1インドネシア1997年10月08日1990年代政府,事業延期決定の厳格遵守,IMF,世銀への支援要請など通貨変動を意識した8項目の経済政策を発表。6日には3860ルピアまで下落したルピア相場も発表後,3400ルピア台に回復。
DIA-209-1997-10-13-1インドネシア1997年10月13日1990年代政府,経済再建のため来訪したIMF代表団と初会合。インドネシア側交渉団長はウイジョヨ・ニティサストロ政府経済顧問。
DIA-209-1997-10-14-1インドネシア1997年10月14日1990年代大統領,特定個人への崇拝は宗教上正しくなく,自分を崇拝するなと発言。
DIA-209-1997-10-15-1インドネシア1997年10月15日1990年代環境NGOのWALHI,最近2カ月の森林火災と煙害の被害は,170万ヘクタール,6.2兆ルピアと報告。
DIA-209-1997-10-16-1インドネシア1997年10月16日1990年代ハビビ調査・技術担当相が社長の国営航空機製作会社(IPTN)で,8日以降発生した7000人の大規模ストが終息。
DIA-209-1997-10-19-1インドネシア1997年10月19日1990年代ゴルカル年次指導者会議,スハルト現大統領を同党次期大統領候補に指名。
DIA-209-1997-10-31-1インドネシア1997年10月31日1990年代IMFなど国際機関が総額230億ドルの支援パッケージを発表。内訳はIMFの100億ドル,世銀の45億ドル,ADBの35億ドルの融資,政府海外資産を含むその他資金源から50億ドル。同日,政府はIMF支援の条件となる今後3年間の経済改革案を発表。内容は金融部門の健全化,財政収支の改善,為替・金融の安定,規制緩和の推進,国民車問題に関するWTO裁定の遵守など。
DIA-209-1997-11-01-1インドネシア1997年11月01日1990年代蔵相,大統領親族経営銀行を含む経営不振の民間銀行16行の営業停止措置を発表。各地で預金者の取付け騒ぎが発生。
DIA-209-1997-11-03-1インドネシア1997年11月03日1990年代政府,食品輸入自由化など新たな規制緩和措置を発表。
DIA-209-1997-11-04-1インドネシア1997年11月04日1990年代営業停止銀行経営者の大統領次男は,蔵相措置を不服とし,裏に大統領一族の追落しを狙う政治的意図があると発言。その後政府措置を無効とする訴えを行政裁判所に起こすが,最終的に取り下げる(~12日)。
DIA-209-1997-11-10-1インドネシア1997年11月10日1990年代クディリのグダン・ガラム社煙草工場で約1万人の従業員がスト(~13日)。
DIA-209-1997-11-11-1インドネシア1997年11月11日1990年代法律専門家,営業停止銀行の元預金者に対する保護制度が未整備と指摘。
DIA-209-1997-11-12-1インドネシア1997年11月12日1990年代国会,民放の通貨政策関連国会審議生中継を禁じた情報相措置を批判。
DIA-209-1997-11-18-1インドネシア1997年11月18日1990年代大統領はAPEC首脳会議出席にともない,ナミビア,南アフリカ,カナダ,サウジアラビア各国を訪問(~29日)。
DIA-209-1997-11-27-1インドネシア1997年11月27日1990年代『ブルナス』紙記者惨殺事件で起訴中のイウイック被告に,証拠不十分で無罪判決。
DIA-209-1997-12-03-1インドネシア1997年12月03日1990年代大統領,クリスマス,新年,断食開け正月期間を前にコメ状況を把握するため,市場を緊急査察。
DIA-209-1997-12-05-1インドネシア1997年12月05日1990年代大統領,医師団の勧告で本日から10日間の自宅静養。
DIA-209-1997-12-11-1インドネシア1997年12月11日1990年代国家開発計画庁長官,来年度国家予算は前年を下回る現実的なものと発言。
DIA-209-1997-12-12-1インドネシア1997年12月12日1990年代国家官房長官,医師団の勧告により大統領がASEAN非公式首脳会議への出席を中止と発表。
DIA-209-1997-12-15-1インドネシア1997年12月15日1990年代大統領の健康不安と対外債務返済能力への懸念を反映し,市場ではルピア相場が1ドル=5800ルピアを突破。
DIA-209-1997-12-17-1インドネシア1997年12月17日1990年代国家開発計画庁長官,現在の債務総額は政府520億ドル,民間650億ドルの合計1170億ドル,公的債務の繰り延べはないと強調。
DIA-209-1997-12-18-1インドネシア1997年12月18日1990年代スシロ政治・治安調整相が病死。
DIA-209-1997-12-20-1インドネシア1997年12月20日1990年代ゴルカルのシティ・ハルディヤンティ・ルクマナ副総裁,身内として大統領の再選は望まないが,国民協議会の決定に全てを委ねると発言。また自身の副大統領就任についても,国民の命令であれば従うと語る。
DIA-209-1997-12-23-1インドネシア1997年12月23日1990年代中銀総裁,経済危機対処のため役員4人の退職を発表。同夜首都警は,総裁の許可なく民間銀行へ数十億ルピアを融資した容疑で同前役員2人を逮捕。
DIA-209-1997-12-29-1インドネシア1997年12月29日1990年代投資調整庁長官,98年から特定分野の投資額が限定された国内投資は,地方政府だけの認可でよいと発表。
DIA-209-1997-12-30-1インドネシア1997年12月30日1990年代蔵相,国営4銀行の合併計画を発表。遅くとも98年7月末までに実施の見込み。
DIA-209-1998-01-06-1インドネシア1998年01月06日1990年代スハルト大統領,国会で98年度国家予算案を発表。その内容が非現実的だったため,改革への疑念からルピア相場がさらに下落。8日には,1ドル=1万ルピアを突破。
DIA-209-1998-01-09-1インドネシア1998年01月09日1990年代ジャカルタで大学生らがスハルト大統領退陣を求める初のデモ。
DIA-209-1998-01-13-1インドネシア1998年01月13日1990年代東ジャワ州の各地で暴動発生。
DIA-209-1998-01-15-1インドネシア1998年01月15日1990年代カムドシュIMF専務理事,来訪。政府,IMFと経済構造改革に関する2次合意に達する。
DIA-209-1998-01-19-1インドネシア1998年01月19日1990年代スハルト大統領,次期大統領選に出馬の意向を表明。副大統領候補にハビビ研究・技術担当国務相を指名する意向を明らかにする。市場はハビビの副大統領指名に否定的に反応し,ルピア,株価とも下落。22日には,1ドル=1万6500ルピアにまで達する。
DIA-209-1998-01-19-2インドネシア1998年01月19日1990年代アブドゥルラフマン・ワヒド・ナフダトゥル・ウラマ(NU)総裁(通称グス・ドゥル),脳卒中で倒れ入院。
DIA-209-1998-01-23-1インドネシア1998年01月23日1990年代政府,IMFの指導に基づいて98年度修正予算案を発表。
DIA-209-1998-01-27-1インドネシア1998年01月27日1990年代政府,金融システム改革策を発表。インドネシア銀行再建庁(IBRA)設立。
DIA-209-1998-02-09-1インドネシア1998年02月09日1990年代スハルト大統領,カレンシー・ボード制(CBS)採用の意向を表明。
DIA-209-1998-02-17-1インドネシア1998年02月17日1990年代スハルト大統領,ペッグ制案に消極的だったスドゥラジャト中銀総裁を更迭。後任にシャフリル・サビリン中銀理事を任命。
DIA-209-1998-02-26-1インドネシア1998年02月26日1990年代民間債務者委員会と債権者委員会,債務処理をめぐる初会合を開催。
DIA-209-1998-03-01-1インドネシア1998年03月01日1990年代国民協議会(MPR)開会。
DIA-209-1998-03-02-1インドネシア1998年03月02日1990年代モンデール米大統領特使,来訪。
DIA-209-1998-03-06-1インドネシア1998年03月06日1990年代IMF,経済改革の遅れを理由に,インドネシアへの第2次融資延期を決定。
DIA-209-1998-03-10-1インドネシア1998年03月10日1990年代スハルト,MPRで大統領に再選される。ハビビ前国務相を副大統領に選出。
DIA-209-1998-03-14-1インドネシア1998年03月14日1990年代第7次開発内閣発表(16日発足)。
DIA-209-1998-03-14-2インドネシア1998年03月14日1990年代橋本首相,来訪。
DIA-209-1998-03-17-1インドネシア1998年03月17日1990年代政府,全閣僚および高級官僚の資産公開と基本給の全額国庫返納を決定。給与返済分は一括して社会相が集め,貧困層対策に充てられることに。
DIA-209-1998-03-18-1インドネシア1998年03月18日1990年代ハビビ副大統領,訪日。
DIA-209-1998-03-19-1インドネシア1998年03月19日1990年代スハルト大統領,CBS導入構想を断念。
DIA-209-1998-03-31-1インドネシア1998年03月31日1990年代労働力相,労組代表と交渉し,98年度の労働者最低賃金の据え置きを決定。
DIA-209-1998-04-03-1インドネシア1998年04月03日1990年代ハビビ副大統領,ロンドンで開催された第2回ASEM首脳会議に出席。
DIA-209-1998-04-04-1インドネシア1998年04月04日1990年代政府,金融健全化策を発表。中小7銀行が営業停止・資産凍結,7銀行がIBRA管理下へ。
DIA-209-1998-04-08-1インドネシア1998年04月08日1990年代政府とIMF,経済構造改革で3度目の合意。
DIA-209-1998-04-11-1インドネシア1998年04月11日1990年代ゴルカル傘下の青年団体代表と国軍首脳部の対話集会,開催される。
DIA-209-1998-04-15-1インドネシア1998年04月15日1990年代ジャカルタで学生1.5万人が参加した反政府集会開催。
DIA-209-1998-04-18-1インドネシア1998年04月18日1990年代政府代表と学生代表による対話集会開催。大統領との直接対話を求めるインドネシア大学,ガジャマダ大学など主要大学の学生は参加拒否。
DIA-209-1998-04-23-1インドネシア1998年04月23日1990年代メダン工科大で学生と治安部隊が衝突,発砲により負傷者出る。
DIA-209-1998-04-27-1インドネシア1998年04月27日1990年代ピウス・ロストリラナン人民民主連盟議長が記者会見し,拉致・監禁・拷問の事実を公表。
DIA-209-1998-05-02-1インドネシア1998年05月02日1990年代各都市の主要大学で一斉に学生デモ。
DIA-209-1998-05-05-1インドネシア1998年05月05日1990年代IMFとの補助金の削減に関する合意にもとづき,燃料価格,電気料金,公共交通料金が引き上げられる。メダンなど各地で暴動が発生。
DIA-209-1998-05-08-1インドネシア1998年05月08日1990年代米国防総省,米軍によるインドネシア国軍に対する軍事教育訓練を中止し,米兵を帰還させる。
DIA-209-1998-05-09-1インドネシア1998年05月09日1990年代スハルト大統領,カイロでのG15首脳会議に出席。
DIA-209-1998-05-10-1インドネシア1998年05月10日1990年代政府と外国銀行との民間債務繰り延べ交渉が決裂。
DIA-209-1998-05-12-1インドネシア1998年05月12日1990年代警察がスハルト退陣を求めるデモ隊に発砲,ジャカルタのトリサクティ大学の学生ら6人が死亡(トリサクティ事件)。
DIA-209-1998-05-13-1インドネシア1998年05月13日1990年代ジャカルタで大規模な暴動が発生。暴動はジョグジャカルタ,バンドンなどの地方都市にも拡大。
DIA-209-1998-05-14-1インドネシア1998年05月14日1990年代ジャカルタ・コタ地区で暴動再発,首都機能完全にマヒ。各地区で暴徒が略奪,放火。
DIA-209-1998-05-15-1インドネシア1998年05月15日1990年代スハルト大統領,カイロでのG15首脳会議出席の予定を切り上げ,急遽帰国。公共料金値上げの見直しを発表。
DIA-209-1998-05-15-2インドネシア1998年05月15日1990年代中銀,銀行間市場と外国為替市場の決済業務を停止。全商業銀行も営業を停止。
DIA-209-1998-05-16-1インドネシア1998年05月16日1990年代スハルト大統領,第7次開発内閣改造の意思を表明。
DIA-209-1998-05-18-1インドネシア1998年05月18日1990年代ハルモコ国会議長,国会4会派代表と会談後,スハルト大統領の辞任を要求する声明を発表。これに対し,ウィラント国防相は,ハルモコの声明は憲法に則ったものではなく,個人的な見解にすぎないと声明。
DIA-209-1998-05-19-1インドネシア1998年05月19日1990年代スハルト大統領,イスラーム学者,国軍幹部と会談後,早期の総選挙・大統領選挙実施と改革評議会の設置,内閣改造を表明。
DIA-209-1998-05-19-2インドネシア1998年05月19日1990年代全国から学生・市民が国会に集結,約3万人が国会を事実上占拠。
DIA-209-1998-05-19-3インドネシア1998年05月19日1990年代外為レート,一時1ドル=1万700ルピアまで下落。過去最安値を更新。
DIA-209-1998-05-20-1インドネシア1998年05月20日1990年代国軍,4万人の兵士を動員,市内要所を封鎖。アミン・ライス,デモ隊と軍の衝突を回避するため,ジャカルタで予定されていた「民族覚醒の日」大衆デモを中止。学生は国会議事堂に集結。ジョグジャカルタ,メダン,ウジュンパンダンなど各地でスハルト退陣要求デモが行われる。
DIA-209-1998-05-20-2インドネシア1998年05月20日1990年代中銀,決済業務を再び中止(~21日)。
DIA-209-1998-05-20-3インドネシア1998年05月20日1990年代オルブライト米国務長官,沿岸警備隊学校卒業式で,スハルト退陣を間接的に求める発言。
DIA-209-1998-05-21-1インドネシア1998年05月21日1990年代スハルト大統領,辞任を発表。ハビビ副大統領が大統領に昇格。国軍もこれを追認。
DIA-209-1998-05-22-1インドネシア1998年05月22日1990年代ハビビ新大統領,新内閣の閣僚名簿を発表。開発改造内閣発足。
DIA-209-1998-05-22-2インドネシア1998年05月22日1990年代国軍,プラボウォKostrad司令官とムフディKopassus司令官の更迭を発表。
DIA-209-1998-05-23-1インドネシア1998年05月23日1990年代ハビビ大統領,アミン・ライスら民主化指導者らと会談,「次期総選挙後に辞任」の意向を伝える。
DIA-209-1998-05-25-1インドネシア1998年05月25日1990年代モクタル・パクパハン・インドネシア福祉労働組合(SBSI),スリ・ビンタン・パムンカス・インドネシア統一民主党(PUDI)党首ら政治犯の釈放が発表され,26日実行に移される。
DIA-209-1998-05-26-1インドネシア1998年05月26日1990年代内相,政党結成自由化の方針を発表。
DIA-209-1998-05-26-2インドネシア1998年05月26日1990年代ナイスIMFアジア太平洋局長が来訪し,経済調整計画の一部見直しを協議。
DIA-209-1998-05-26-3インドネシア1998年05月26日1990年代国営石油会社プルタミナ,スハルト一族関連会社との取引見直しを発表。
DIA-209-1998-05-27-1インドネシア1998年05月27日1990年代ゴルカルの主要団体「相互扶助家族会議」(MKGR),ゴルカルからの離脱と新党設立を発表。
DIA-209-1998-05-28-1インドネシア1998年05月28日1990年代国内最大の民間銀行バンク・セントラル・アシア(BCA),IBRAの監督下に。
DIA-209-1998-05-29-1インドネシア1998年05月29日1990年代ビマンタラ・チトラ,臨時株主総会でバンバン・トリハトモジョ社長と,インドラ・ルクマナ会長の辞任を承認。
DIA-209-1998-06-04-1インドネシア1998年06月04日1990年代政府,日米欧13行の債権銀行団と民間対外債務処理策で合意(フランクフルト合意)。
DIA-209-1998-06-05-1インドネシア1998年06月05日1990年代政府,出版許認可制度を廃止し,登録制にする。また,記者協会の設立を自由化。
DIA-209-1998-06-05-2インドネシア1998年06月05日1990年代政府,「結社の自由および団結権の保護に関する条約」を批准。労組結成自由化。
DIA-209-1998-06-06-1インドネシア1998年06月06日1990年代トリサクティ大学学生射殺事件をめぐる軍法会議の初公判,開かれる。
DIA-209-1998-06-06-2インドネシア1998年06月06日1990年代ハビビ大統領,「99年5月総選挙,12月大統領選出」など具体的政治日程を提示。
DIA-209-1998-06-08-1インドネシア1998年06月08日1990年代労相,パクパハンSBSI議長とともにジュネーブで開催中のILO総会に出席。
DIA-209-1998-06-10-1インドネシア1998年06月10日1990年代アストラ社,自動車の生産を停止。同日開催の株主総会で,ボブ・ハッサン会長の退任を決定。
DIA-209-1998-06-10-2インドネシア1998年06月10日1990年代政府,東ティモール出身者を含む16人の政治犯を釈放。
DIA-209-1998-06-10-3インドネシア1998年06月10日1990年代政府,公立小中学校の授業料を全廃。
DIA-209-1998-06-15-1インドネシア1998年06月15日1990年代ハビビ大統領,スジョノ検事総長を更迭し,国軍司令部検事総長のアンディ・ムハマド・ガリブ少将を任命。
DIA-209-1998-06-15-2インドネシア1998年06月15日1990年代ジャワ島各地で再び暴動が発生。
DIA-209-1998-06-19-1インドネシア1998年06月19日1990年代政府,電力料金値上げの一部を撤回,当面旧料金体系に据え置くことに。
DIA-209-1998-06-24-1インドネシア1998年06月24日1990年代ハビビ大統領,ベロ司教とムルデカ宮殿で会談。
DIA-209-1998-07-02-1インドネシア1998年07月02日1990年代イリアンジャヤ州ソロンとジャヤプラで分離独立派住民による暴動が発生。
DIA-209-1998-07-03-1インドネシア1998年07月03日1990年代政府,スハルト前大統領が決定した財団への強制的資金提供を全て廃止。
DIA-209-1998-07-03-2インドネシア1998年07月03日1990年代最高検察庁,合板協会の資金使途についてボブ・ハッサン氏から事情聴取。
DIA-209-1998-07-06-1インドネシア1998年07月06日1990年代ビアク島で独立派住民と治安部隊が衝突,死者5人。
DIA-209-1998-07-09-1インドネシア1998年07月09日1990年代ゴルカル臨時党大会開催。新総裁にアクバル・タンジュン国家官房長官を選出。
DIA-209-1998-07-09-2インドネシア1998年07月09日1990年代スハルト前大統領,「海外の銀行に預金口座は一切ない」と不正蓄財を全面否定。
DIA-209-1998-07-14-1インドネシア1998年07月14日1990年代国軍,民主化活動家失綜事件に関与したとされるKopassus将兵11人を逮捕。
DIA-209-1998-07-16-1インドネシア1998年07月16日1990年代6月のIMFとの合意にもとづいた98年度国家予算第2次修正案,国会に提出される。
DIA-209-1998-07-16-2インドネシア1998年07月16日1990年代マーカー国連事務総長特使(東ティモール問題担当),来訪。
DIA-209-1998-07-23-1インドネシア1998年07月23日1990年代NU,新政党「民族覚醒党」(PKB)結成。
DIA-209-1998-07-23-2インドネシア1998年07月23日1990年代政府,国軍,民間組織からなるジャカルタ暴動事件真相究明委員会発足。
DIA-209-1998-07-23-3インドネシア1998年07月23日1990年代WTOの紛争解決機関(DSB),国民車計画をWTO違反とするパネル最終報告を採択,インドネシアの敗訴が決定。
DIA-209-1998-07-27-1インドネシア1998年07月27日1990年代アラタス外相,ASEAN拡大外相会議出席のためフィリピン訪問。
DIA-209-1998-07-28-1インドネシア1998年07月28日1990年代東ティモール駐留国軍部隊の撤収開始。
DIA-209-1998-07-29-1インドネシア1998年07月29日1990年代第7回インドネシア支援国会合(CGI,パリで開催。98年度援助総額,78.94億ドルに決定。
DIA-209-1998-07-31-1インドネシア1998年07月31日1990年代コーエン米国防長官,来訪。
DIA-209-1998-08-01-1インドネシア1998年08月01日1990年代地域別最低賃金,平均15%引き上げ。
DIA-209-1998-08-03-1インドネシア1998年08月03日1990年代国軍,民主化活動家拉致事件解明のための「将校名誉審議会」(DKP)設置。
DIA-209-1998-08-03-2インドネシア1998年08月03日1990年代民間債務返済のためのインドネシア債務再構築庁(INDRA)発足。
DIA-209-1998-08-04-1インドネシア1998年08月04日1990年代国連事務総長の仲介で,東ティモール問題を話し合うインドネシア・ポルトガル外相会談,ニューヨークの国連本部で開催。
DIA-209-1998-08-09-1インドネシア1998年08月09日1990年代イリアンジャヤ州ナビレで暴動,死者12人。
DIA-209-1998-08-12-1インドネシア1998年08月12日1990年代軍事法廷,トリサクティ事件の加害責任者として,警察軍機動隊兵士2人に実刑判決を下す。
DIA-209-1998-08-15-1インドネシア1998年08月15日1990年代中国や香港で華人暴行・略奪事件に対する抗議デモ。
DIA-209-1998-08-20-1インドネシア1998年08月20日1990年代国家人権委員会調査団,「自由アチェ運動」掃討作戦で国軍に虐殺された住民の集団埋葬地9カ所を確認,発掘調査を開始。
DIA-209-1998-08-20-2インドネシア1998年08月20日1990年代国軍,アチェに展開する戦闘部隊250人の第1陣撤収を開始。
DIA-209-1998-08-20-3インドネシア1998年08月20日1990年代改正破産法が発効,ジャカルタに破産手続を処理する商事法廷が設置される。
DIA-209-1998-08-21-1インドネシア1998年08月21日1990年代政府,新たな銀行再編策を発表。民間大手4銀行の国有化,他の大手3行の営業停止,国営銀行4行の合併を決定。
DIA-209-1998-08-23-1インドネシア1998年08月23日1990年代アミン・ライス,「国民信託党」(PAN)を結成し,総裁に就任。
DIA-209-1998-08-24-1インドネシア1998年08月24日1990年代国軍,プラボウォ前Kostrad司令官の軍籍剥奪,名誉除隊処分を発表。
DIA-209-1998-08-25-1インドネシア1998年08月25日1990年代インドネシア民主党(PDI)スルヤディ派,中スラウェシ州パルで臨時党大会を開催し,ブディ・ハルジョノ新総裁を選出。
DIA-209-1998-08-25-2インドネシア1998年08月25日1990年代ベドゥ・アマン食糧庁長官,更迭される。
DIA-209-1998-08-29-1インドネシア1998年08月29日1990年代アラタス外相,非同盟諸国首脳会議出席のため南ア訪問。
DIA-209-1998-08-31-1インドネシア1998年08月31日1990年代国軍,アチェからの第2次撤収開始。見守る市民が暴徒化,治安部隊の発砲で2人死亡。
DIA-209-1998-09-02-1インドネシア1998年09月02日1990年代政府,大豆,砂糖,小麦粉に対する補助金制度と輸入関税を廃止,3品目の輸入を完全自由化。
DIA-209-1998-09-07-1インドネシア1998年09月07日1990年代ジャカルタ暴動真相究明委員会,プラボウォ退役中将から自宅で事情聴取。
DIA-209-1998-09-08-1インドネシア1998年09月08日1990年代政府,食料油に対する補助金を廃止。
DIA-209-1998-09-09-1インドネシア1998年09月09日1990年代ギナンジャール調整相,ナイスIMFアジア太平洋局長とともに会見し,民間企業の債務処理を支援する「ジャカルタ・イニシアチブ」を発表。
DIA-209-1998-09-17-1インドネシア1998年09月17日1990年代政府,政党・ゴルカル法,総選挙法,国民協議会・国会・地方議会議員構成法の3法の改正案を国会に提出。
DIA-209-1998-09-21-1インドネシア1998年09月21日1990年代ガリブ検事総長とハルタルト調整相,スハルト前大統領の私邸を訪問し,不正蓄財疑惑について本人から事情聴取を行う。
DIA-209-1998-09-22-1インドネシア1998年09月22日1990年代パリ・クラブ(主要債権国会議)開催。インドネシアの対外公的債務の最大20年間返済繰り延べと日本の新規融資20億ドルを決定。
DIA-209-1998-09-23-1インドネシア1998年09月23日1990年代グス・ドゥル,マルズキ・ダルスマン国家人権委員会副委員長,エミル・サリムらが「アンワール・イブラヒムのための連帯委員会」を結成,アンワール釈放を要求。
DIA-209-1998-09-29-1インドネシア1998年09月29日1990年代陸軍第8軍管区司令部と自由パプア運動(OPM),停戦に合意。
DIA-209-1998-09-29-2インドネシア1998年09月29日1990年代中銀,国内銀行の自己資本比率引き上げのため,公的資金を注入する方針を発表。
DIA-209-1998-09-29-3インドネシア1998年09月29日1990年代中銀,ルピア相場の安定化に伴い,インドネシア銀行証券(SBI)の金利引き下げを実施。
DIA-209-1998-09-30-1インドネシア1998年09月30日1990年代政府,ティモール・プトラ・ナショナル社への国民車製造に関する輸入税・奢侈品販売税の免税措置を取消し。
DIA-209-1998-10-01-1インドネシア1998年10月01日1990年代国軍,イリアンジャヤ州に対する軍事作戦地域(DOM)指定を解除。
DIA-209-1998-10-02-1インドネシア1998年10月02日1990年代国会議員34人が独占禁止法案を国会に上程。議員の議案提出権行使は71年以来初。
DIA-209-1998-10-06-1インドネシア1998年10月06日1990年代週刊誌『テンポ』(グナワン・モハマド編集長)が4年ぶりに復刊。
DIA-209-1998-10-08-1インドネシア1998年10月08日1990年代PDIメガワティ派,バリ島サヌールで党大会を開催。メガワティを総裁に再選。次期大統領候補としてメガワティ擁立を正式決定。
DIA-209-1998-10-12-1インドネシア1998年10月12日1990年代ジェフリー・ウィンタース米ノースウェスタン大助教授,米系鉱山会社フリーポート・インドネシアとギナンジャール鉱業エネルギー相(当時)らの贈収賄疑惑を指摘。政府は15日,ウィンタース氏の入国禁止を決定。
DIA-209-1998-10-14-1インドネシア1998年10月14日1990年代ティモール・プトラ・ナショナル社,国民車プロジェクトの中止を決定。
DIA-209-1998-10-16-1インドネシア1998年10月16日1990年代国会,92年銀行法の改正案を可決。外国人出資制限を撤廃。
DIA-209-1998-10-21-1インドネシア1998年10月21日1990年代外為市場でルピアが上昇,一時2月以来の1ドル=7100~7300ルピアの高値。
DIA-209-1998-10-22-1インドネシア1998年10月22日1990年代国会,デモ・集会開催の権利を大幅に認める「公共の場での意見表明の自由法」を全会一致で可決。集会は事前届出制に。
DIA-209-1998-10-27-1インドネシア1998年10月27日1990年代サエフディン食糧担当国務相,「ヒンドゥー教徒のメガワティ女史は大統領になるべきではない」と発言。これに対し,バリ島のヒンドゥー教徒は同国務相の罷免を求めて連日デモ。
DIA-209-1998-11-04-1インドネシア1998年11月04日1990年代東ティモールで国軍兵士4人が住民に撲殺される。9日にも国軍兵士3人が殺害される。
DIA-209-1998-11-10-1インドネシア1998年11月10日1990年代MPR特別会議開催。
DIA-209-1998-11-10-2インドネシア1998年11月10日1990年代グス・ドゥル,メガワティ,アミン・ライス,ハメンクブウォノ10世,アリ・サディキンら民主化指導者が会談,「チガンジュール宣言」を発表。
DIA-209-1998-11-13-1インドネシア1998年11月13日1990年代MPR特別会議,12項目決議を採択して閉幕。
DIA-209-1998-11-13-2インドネシア1998年11月13日1990年代ジャカルタ・アトマジャヤ大学前で学生デモ隊と治安部隊が衝突,学生ら13人が死亡,負傷者250人以上(スマンギ事件)。
DIA-209-1998-11-14-1インドネシア1998年11月14日1990年代ジャカルタで反政府デモ拡大。ジャカルタでは暴動化。メダン,ソロ,ジョグジャカルタなど他16都市でもウィラント国防相の辞任を求めるデモ。
DIA-209-1998-11-15-1インドネシア1998年11月15日1990年代ケマル・イドリス国民戦線議長,アリ・サディキンら20人が国家転覆罪容疑で警察から事情聴取される。
DIA-209-1998-11-17-1インドネシア1998年11月17日1990年代クアラルンプールで開催のAPEC首脳会議にハビビ大統領とウィラント国防相が出席。
DIA-209-1998-11-19-1インドネシア1998年11月19日1990年代約8000人の学生,スハルト私邸に向けてデモ。
DIA-209-1998-11-22-1インドネシア1998年11月22日1990年代イスラーム教徒がジャカルタ北部クパタンのキリスト教会に放火,暴動に発展。
DIA-209-1998-11-25-1インドネシア1998年11月25日1990年代スハルト前大統領,7基金の資産4兆ルピアを政府に返還。
DIA-209-1998-11-29-1インドネシア1998年11月29日1990年代開発統一党(PPP),第4回党大会開催。2日,ハムザ・ハズ氏を新総裁に選出。
DIA-209-1998-11-30-1インドネシア1998年11月30日1990年代東ヌサトゥンガラ州都クパンでキリスト教徒がモスクなどを襲撃。この後,全国でキリスト教徒とイスラーム教徒の衝突が頻発。
DIA-209-1998-12-03-1インドネシア1998年12月03日1990年代国会,次期総選挙日程を決定。
DIA-209-1998-12-09-1インドネシア1998年12月09日1990年代検察庁,スハルト前大統領を不正蓄財疑惑で召還,事情聴取を行う。
DIA-209-1998-12-10-1インドネシア1998年12月10日1990年代フェイサル・タンジュン調整相,選挙時の治安維持のための民兵組織創設を発表。
DIA-209-1998-12-15-1インドネシア1998年12月15日1990年代マーカー国連事務総長特使,来訪。19日,東ティモールを訪問。
DIA-209-1998-12-16-1インドネシア1998年12月16日1990年代日清食品,サリムグループの食品メーカー・インドフードに資本参加すると発表。
DIA-209-1998-12-17-1インドネシア1998年12月17日1990年代マリ前蔵相,国民車計画に関連して検察庁で事情聴取を受ける。
DIA-209-1998-12-22-1インドネシア1998年12月22日1990年代プラボウォ退役中将のヨルダン市民権取得の事実が明らかになる。23日,同退役中将は市民権付与の提案を謝絶したと発表。
DIA-209-1998-12-23-1インドネシア1998年12月23日1990年代民主活動家誘拐事件の軍事法廷,11人のKopassasu隊員に対する初公判開く。
DIA-209-1998-12-29-1インドネシア1998年12月29日1990年代検察庁,スハルト不正蓄財疑惑に関連し,財団の経理責任者だったバンバン氏から事情聴取。
DIA-209-1998-12-29-2インドネシア1998年12月29日1990年代アチェ特別州で,住民が国軍兵士を襲い,8人が死亡。30日には,住民が国軍駐屯地を襲撃。
DIA-209-1999-01-05-1インドネシア1999年01月05日1990年代政府,1999年度予算案発表。前年度比17.3%減の緊縮予算。
DIA-209-1999-01-28-1インドネシア1999年01月28日1990年代国会,政治関連3法改正案を可決。
DIA-209-1999-01-30-1インドネシア1999年01月30日1990年代政府,資本注入する12銀行を決定。
DIA-209-1999-02-01-1インドネシア1999年02月01日1990年代総選挙庁(LPU),投票日までの選挙スケジュールを発表。政党登録始まる。
DIA-209-1999-02-18-1インドネシア1999年02月18日1990年代政府,総資産500億ルピア以上の企業に財務諸表の提出を義務づけ。
DIA-209-1999-03-04-1インドネシア1999年03月04日1990年代11人チームによる政党審査が終了し,48政党が総選挙参加を認可される。
DIA-209-1999-03-05-1インドネシア1999年03月05日1990年代国会で独占禁止法が成立。
DIA-209-1999-03-10-1インドネシア1999年03月10日1990年代総選挙委員会(KPU)が発足。
DIA-209-1999-03-13-1インドネシア1999年03月13日1990年代政府,9銀行の資本増強プログラムへの参加を許可,7銀行を国有化,38銀行を閉鎖する決定を発表。
DIA-209-1999-03-31-1インドネシア1999年03月31日1990年代消費者保護法が国会で可決成立。
DIA-209-1999-04-01-1インドネシア1999年04月01日1990年代警察軍が国軍機構から分離される。
DIA-209-1999-04-16-1インドネシア1999年04月16日1990年代中央銀行法,国会で可決される。
DIA-209-1999-04-21-1インドネシア1999年04月21日1990年代国会,地方行政法を可決。23日には,中央・地方財政均衡法が成立。
DIA-209-1999-04-29-1インドネシア1999年04月29日1990年代中ジャワ州で民族覚醒党(PKB)と開発統一党(PPP)の支持者が衝突。
DIA-209-1999-05-07-1インドネシア1999年05月07日1990年代選挙運動に参加するため,アクバル・タンジュン国家官房長官(ゴルカル党)とハムザ・ハズ投資担当国務相(PPP)が辞職。
DIA-209-1999-05-12-1インドネシア1999年05月12日1990年代中央銀行証書(SBI)金利が30%を下回る。
DIA-209-1999-05-14-1インドネシア1999年05月14日1990年代ゴルカル党,幹部会を開催し,ハビビ大統領を同党大統領候補に指名。
DIA-209-1999-05-14-2インドネシア1999年05月14日1990年代政府,IMFに経済・金融政策に関する覚書を提出。経済成長目標を上方修正。
DIA-209-1999-05-19-1インドネシア1999年05月19日1990年代選挙運動が始まる。
DIA-209-1999-05-28-1インドネシア1999年05月28日1990年代政府,国有化された23銀行の資本増強のため,103兆ルピアの国債を発行。
DIA-209-1999-05-30-1インドネシア1999年05月30日1990年代イスラーム系8政党が総選挙での得票を共有することに合意。
DIA-209-1999-05-30-2インドネシア1999年05月30日1990年代アディ・サソノ,人民主権党(PDR)設立に関与したことでゴルカル党から除名処分を受ける。
DIA-209-1999-05-31-1インドネシア1999年05月31日1990年代ワルダ・ハフィズ都市貧困協会会長,選挙監督委員会にPDRとゴルカル党をソーシャル・セーフティ・ネット資金流用で告発。
DIA-209-1999-06-01-1インドネシア1999年06月01日1990年代アストラ社,外国債権団と債務リスケジュールの合意に達する。
DIA-209-1999-06-01-2インドネシア1999年06月01日1990年代銀行再建庁(IBRA),国営銀行大口債務者200件を公表。
DIA-209-1999-06-07-1インドネシア1999年06月07日1990年代総選挙投票日。
DIA-209-1999-06-08-1インドネシア1999年06月08日1990年代政府,外資による持ち株会社設立を解禁。
DIA-209-1999-06-09-1インドネシア1999年06月09日1990年代IBRA,国営銀行大口債務者を追加公表。
DIA-209-1999-06-15-1インドネシア1999年06月15日1990年代PPP全国幹部会議,次期大統領はムスリムの男性であるべきだと発表。
DIA-209-1999-06-17-1インドネシア1999年06月17日1990年代国内選挙監視NGOのUnfrel,総選挙は公正だったとする声明を発表。
DIA-209-1999-06-24-1インドネシア1999年06月24日1990年代政府,新自動車政策を発表。
DIA-209-1999-06-26-1インドネシア1999年06月26日1990年代アブドゥルラフマン・ワヒド・ナフダトゥール・ウラマ(NU)議長,アミン・ライス国民信託党(PAN)党首と会談し,第3の大統領候補者が必要との認識で一致。
DIA-209-1999-07-05-1インドネシア1999年07月05日1990年代スハルト,『タイム』誌を名誉毀損罪で告訴。
DIA-209-1999-07-08-1インドネシア1999年07月08日1990年代ワヒドNU議長,ハビビ大統領と会談し,チガンジュール4との会合を提案。
DIA-209-1999-07-08-2インドネシア1999年07月08日1990年代政府,スハルト・ファミリー企業に絡んだ森林伐採権を取り消し。
DIA-209-1999-07-08-3インドネシア1999年07月08日1990年代ハルン・アルラシッドKPU副委員長,開票作業の遅,れに抗議して辞任。
DIA-209-1999-07-08-4インドネシア1999年07月08日1990年代マルズキ・ダルスマン・ゴルカル党副党首,同党のハビビ大統領候補指名見直しを要求。
DIA-209-1999-07-12-1インドネシア1999年07月12日1990年代全インドネシア・ムスリム知識人協会(ICMI),イスラーム系政党の協働とハビビ大統領の再選支持を声明。
DIA-209-1999-07-14-1インドネシア1999年07月14日1990年代中央銀行証書(SBI)金利が16%を下回る。
DIA-209-1999-07-15-1インドネシア1999年07月15日1990年代インドネシア選挙委員会(PPI),開票作業を終了。17日に開票結果を承認。
DIA-209-1999-07-16-1インドネシア1999年07月16日1990年代ワヒドNU議長,NUは女性大統領を受け入れると声明,メガワティ支持を確認。
DIA-209-1999-07-18-1インドネシア1999年07月18日1990年代NU,PKB内から女性大統領容認に反対の声明相次ぐ。
DIA-209-1999-07-20-1インドネシア1999年07月20日1990年代スハルト元大統領,脳梗塞でプルタミナ病院に入院。
DIA-209-1999-07-20-2インドネシア1999年07月20日1990年代アミン・ライスPAN党首,ワヒドNU議長と会談。ワヒドNU議長の大統領就任案を提示。
DIA-209-1999-07-22-1インドネシア1999年07月22日1990年代イスムジョコ検事総長代理,スハルト資産調査の中断を発表。
DIA-209-1999-07-22-2インドネシア1999年07月22日1990年代ゴルカル党,ハビビ大統領再選に向けて戦略家チームを結成。
DIA-209-1999-07-22-3インドネシア1999年07月22日1990年代政府,IMFに経済・金融政策に関する覚書を提出。
DIA-209-1999-07-24-1インドネシア1999年07月24日1990年代PAN,PPP,月星党(PBB),信徒覚醒党(PKU)のイスラーム系4政党が「中道軸」結成に合意。
DIA-209-1999-07-26-1インドネシア1999年07月26日1990年代KPU,27党が投票結果の承認を拒否し,公式結果発表できず。
DIA-209-1999-07-27-1インドネシア1999年07月27日1990年代インドネシア支援国会合(CGI)開催。58.6億ドルの援助を承認。
DIA-209-1999-07-29-1インドネシア1999年07月29日1990年代メガワティ闘争民主党(PDI-P)党首,総選挙勝利宣言とともに,政策綱領を発表。
DIA-209-1999-07-29-2インドネシア1999年07月29日1990年代国軍警察,ガリブ前検事総長に対する汚職調査を証拠不十分のため打ち切ると発表。
DIA-209-1999-07-30-1インドネシア1999年07月30日1990年代国会,1970年訴訟法改正案を可決。
DIA-209-1999-08-01-1インドネシア1999年08月01日1990年代選挙監督委員会,選挙違反の異議申し立てを却下。
DIA-209-1999-08-01-2インドネシア1999年08月01日1990年代バリ銀行疑惑が明るみに出る。
DIA-209-1999-08-03-1インドネシア1999年08月03日1990年代ハビビ大統領,選挙結果の有効性を宣言。
DIA-209-1999-08-03-2インドネシア1999年08月03日1990年代ワヒドNU議長,スハルト資産追及捜査終了とスハルト資産の国家返済を提案。
DIA-209-1999-08-04-1インドネシア1999年08月04日1990年代アチェ特別州で,住民投票実施と国軍撤退を求めるゼネストが実施される。
DIA-209-1999-08-05-1インドネシア1999年08月05日1990年代IBRA,バリ銀行疑惑に関する調査を開始したと発表。
DIA-209-1999-08-07-1インドネシア1999年08月07日1990年代ワヒドNU議長,「中道軸」の大統領候補指名受諾を声明。
DIA-209-1999-08-07-2インドネシア1999年08月07日1990年代フェイサル・タンジュン調整相ら閣僚7人が東ティモールを訪問。
DIA-209-1999-08-14-1インドネシア1999年08月14日1990年代スハルト元大統領,腸内出血で再入院。
DIA-209-1999-08-16-1インドネシア1999年08月16日1990年代マトリPKB党首,メガワティPDI-P党首を同党大統領候補とすることを正式に表明。
DIA-209-1999-08-16-2インドネシア1999年08月16日1990年代IMF,政府にバリ銀行疑惑の徹底調査を要求。
DIA-209-1999-08-18-1インドネシア1999年08月18日1990年代ゴルカル党12の地方支部,マルズキ・ダルスマンを弾劾する声明文を発表。
DIA-209-1999-08-28-1インドネシア1999年08月28日1990年代ウィラント国軍司令官ら閣僚7人がアチェ特別州を訪問。
DIA-209-1999-08-30-1インドネシア1999年08月30日1990年代東ティモールで,拡大自治案受入の賛否を問う住民投票を,国連の管理下で実施。
DIA-209-1999-09-01-1インドネシア1999年09月01日1990年代インドネシア選挙委員会,国会の議席配分を発表。
DIA-209-1999-09-01-2インドネシア1999年09月01日1990年代東ティモールで,国連東ティモール支援団(UNAMET)職員に対する襲撃事件が相次ぐ。
DIA-209-1999-09-04-1インドネシア1999年09月04日1990年代東ティモール住民投票の結果が予定を早めて発表され,拡大自治案が拒否される。
DIA-209-1999-09-04-2インドネシア1999年09月04日1990年代会計検査院にバリ銀行監査報告書が提出される。
DIA-209-1999-09-05-1インドネシア1999年09月05日1990年代東ティモール州ディリで民兵による大規模な襲撃があり,25人が死亡。
DIA-209-1999-09-07-1インドネシア1999年09月07日1990年代東ティモールに軍事非常事態が発動される。ベロ司教は東ティモールからオーストラリアに脱出。一方,独立運動指導者のシャナナ・グスマンはジャカルタの刑務所から釈放され,イギリス大使館へ亡命。
DIA-209-1999-09-08-1インドネシア1999年09月08日1990年代国会,人権法を可決。
DIA-209-1999-09-12-1インドネシア1999年09月12日1990年代ハビビ大統領,東ティモールへの国際部隊の受け入れを表明。
DIA-209-1999-09-16-1インドネシア1999年09月16日1990年代国軍,東ティモールから部隊の撤退を開始。
DIA-209-1999-09-16-2インドネシア1999年09月16日1990年代政府,オーストラリアとの安全保障協定を破棄。
DIA-209-1999-09-17-1インドネシア1999年09月17日1990年代国会のバリ銀行疑惑調査特別チーム,バラムリ最高諮問会議議長の関与を示唆。
DIA-209-1999-09-20-1インドネシア1999年09月20日1990年代東ティモール国際軍(INTERFET)の本格的な展開が始まる。
DIA-209-1999-09-22-1インドネシア1999年09月22日1990年代アチェ特別州に広範な自治権を付与する法律が国会を通過。
DIA-209-1999-09-23-1インドネシア1999年09月23日1990年代国家治安法が国会で可決成立。諸都市で大規模な反対デモが発生。
DIA-209-1999-09-26-1インドネシア1999年09月26日1990年代「中道軸」勢力,ワヒドNU議長を大統領候補に指名することを発表。
DIA-209-1999-09-29-1インドネシア1999年09月29日1990年代イスラーム系諸政党党首,ハビビ大統領と会談,大統領選への立候補取り止めを要請。
DIA-209-1999-09-30-1インドネシア1999年09月30日1990年代国民協議会(MPR)議員に選ばれた7大臣が内閣を辞任。
DIA-209-1999-10-01-1インドネシア1999年10月01日1990年代MPR開会。
DIA-209-1999-10-03-1インドネシア1999年10月03日1990年代アミン・ライスPAN党首,マトリPKB党首を敗りMPR議長に選ばれる。
DIA-209-1999-10-06-1インドネシア1999年10月06日1990年代アクバル・タンジュン・ゴルカル党党首,国会議長に選ばれる。
DIA-209-1999-10-06-2インドネシア1999年10月06日1990年代改革会派,ワヒドNU議長を正式に大統領候補に指名。
DIA-209-1999-10-07-1インドネシア1999年10月07日1990年代バリ銀行疑惑に関し,蔵相,国営企業改革担当国務相,中銀総裁の3人が事情聴取をうける。
DIA-209-1999-10-12-1インドネシア1999年10月12日1990年代ゴルカル党,ハビビ大統領を同党大統領候補に指名することを再確認。
DIA-209-1999-10-12-2インドネシア1999年10月12日1990年代フェイサル・タンジュン内相代行,西イリアン・ジャヤ,中イリアン・ジャヤ,北マルクの新設各州の州知事を任命。
DIA-209-1999-10-13-1インドネシア1999年10月13日1990年代ハビビ大統領,ウィラント国軍司令官を副大統領候補に指名。
DIA-209-1999-10-13-2インドネシア1999年10月13日1990年代マンディリ銀行資本増強のための103兆ルピアの国債が発行される。
DIA-209-1999-10-14-1インドネシア1999年10月14日1990年代ハビビ大統領,MPRで責務総括演説を行う。
DIA-209-1999-10-18-1インドネシア1999年10月18日1990年代ウィラント国軍司令官,ハビビ大統領の副大統領候補指名を拒否すると発言。
DIA-209-1999-10-19-1インドネシア1999年10月19日1990年代NU中央幹部会,ワヒドNU議長の大統領指名受諾を承認。
DIA-209-1999-10-19-2インドネシア1999年10月19日1990年代MPR,ハビビ大統領の責務総括演説への投票を行い,否認が承認を上回る。
DIA-209-1999-10-19-3インドネシア1999年10月19日1990年代南スラウェシ州都のウジュンパンダン,大統領令でマカッサルの旧名称に戻される。
DIA-209-1999-10-19-4インドネシア1999年10月19日1990年代MPR,国策大綱(GBHN)を可決。また,1978年MPR決定(東ティモール統合決定)の破棄を全会一致で承認。憲法改正案も可決。
DIA-209-1999-10-20-1インドネシア1999年10月20日1990年代MPRで大統領選が行われ,ワヒドNU議長がメガワティPDI-P党首を敗って新大統領に就任。
DIA-209-1999-10-21-1インドネシア1999年10月21日1990年代MPRで副大統領選が行われ,メガワティPDI-P党首がハムザ・ハズPPP党首を敗って新副大統領に就任。
DIA-209-1999-10-22-1インドネシア1999年10月22日1990年代シャナナ・グスマン,7年ぶりに東ティモールに戻る。
DIA-209-1999-10-26-1インドネシア1999年10月26日1990年代メガワティ副大統領から新内閣名簿が発表される。
DIA-209-1999-10-27-1インドネシア1999年10月27日1990年代マルズキ・ダルスマン新検事総長,スハルト不正蓄財疑惑追及の継続を確認。
DIA-209-1999-10-29-1インドネシア1999年10月29日1990年代「国民統一内閣」発足。
DIA-209-1999-10-30-1インドネシア1999年10月30日1990年代国軍の最後の部隊が東ティモールから撤退。
DIA-209-1999-11-02-1インドネシア1999年11月02日1990年代バリ銀行疑惑に関するプライスウォーターハウス・クーパースの調査報告書完全版が国会に提出される。
DIA-209-1999-11-06-1インドネシア1999年11月06日1990年代ワヒド大統領,ASEAN7カ国歴訪に出発。
DIA-209-1999-11-08-1インドネシア1999年11月08日1990年代アチェ州都バンダ・アチェで,独立の是非を問う住民投票の実施を要求する100万人デモが行われる。
DIA-209-1999-11-10-1インドネシア1999年11月10日1990年代東カリマンタン州議会,連邦制への移行を要求する決議を採択。
DIA-209-1999-11-11-1インドネシア1999年11月11日1990年代ワヒド大統領,アメリカと日本訪問に出発。
DIA-209-1999-11-15-1インドネシア1999年11月15日1990年代ワヒド大統領,アチェ特別州での住民投票を1カヵ月以内に行うと言明。
DIA-209-1999-11-22-1インドネシア1999年11月22日1990年代ワヒド大統領,中東諸国歴訪に出発。
DIA-209-1999-11-27-1インドネシア1999年11月27日1990年代ワヒド大統領,マニラで開催されたASEAN非公式首脳会議に出席。
DIA-209-1999-11-30-1インドネシア1999年11月30日1990年代ワヒド大統領,経済政策助言機関として国家経済審議会(DEN)を設置,エミル・サリム元環境相を議長に任命。
DIA-209-1999-12-01-1インドネシア1999年12月01日1990年代ワヒド大統領,中国を公式訪問。
DIA-209-1999-12-01-2インドネシア1999年12月01日1990年代南ジャカルタ地裁,バリ銀行疑惑に関するルディ・ラムリ・バリ銀行頭取に対する検察の起訴を証拠不十分で棄却。
DIA-209-1999-12-02-1インドネシア1999年12月02日1990年代国営銀行から大手繊維財閥テクスマコ・グループへの不正融資疑惑が明らかになる。
DIA-209-1999-12-05-1インドネシア1999年12月05日1990年代マルク州でキリスト教徒とイスラーム教徒が衝突,42人が死亡。
DIA-209-1999-12-06-1インドネシア1999年12月06日1990年代最高検察庁,スハルト元大統領の汚職疑惑調査を開始。
DIA-209-1999-12-06-2インドネシア1999年12月06日1990年代最高検察庁,バリ銀行疑惑事件に関して,バラムリ前最高諮問会議議長,ジャフリル・サビリン中銀総裁,ルディ・ラムリ・バリ銀行頭取らから事情聴取を行う。
DIA-209-1999-12-06-3インドネシア1999年12月06日1990年代国連東ティモール人権侵害調査委員会,住民投票後の暴動に国軍が関与していたと発表。
DIA-209-1999-12-09-1インドネシア1999年12月09日1990年代政府,アストラ社の政府保有株売却先としてアメリカの投資グループを選択。
DIA-209-1999-12-09-2インドネシア1999年12月09日1990年代大手財閥バクリー・グループ,債権銀行団と債務リスケジュール計画に合意。
DIA-209-1999-12-10-1インドネシア1999年12月10日1990年代民主人民党のブディマン・スジャトミコを含む91人の政治犯が釈放される。
DIA-209-1999-12-12-1インドネシア1999年12月12日1990年代ワヒド大統領とメガワティ副大統領,アンボンを訪問し,宗教対立の終息を呼びかける。
DIA-209-1999-12-12-2インドネシア1999年12月12日1990年代テクスマコ・グループ傘下のプトゥラ銀行,IBRAの管理下に入る。
DIA-209-1999-12-15-1インドネシア1999年12月15日1990年代政府,IMFと新規融資計画に合意。
DIA-209-1999-12-15-2インドネシア1999年12月15日1990年代スタンダード・チャータード銀行,バリ銀行の買収計画から撤退。
DIA-209-1999-12-17-1インドネシア1999年12月17日1990年代EU,インドネシアに対する武器輸出禁止と二国間軍事協力の凍結を延長することを決定。
DIA-209-1999-12-19-1インドネシア1999年12月19日1990年代ワヒド大統領,国家企業振興審議会を設置,議長に華人実業家のソフヤン・ワナンディを任命。
DIA-209-1999-12-20-1インドネシア1999年12月20日1990年代国営電力会社PLNのアディ・サトゥリヤ社長,民間企業との電力売買契約を巡って政府と対立し,辞職。
DIA-209-1999-12-20-2インドネシア1999年12月20日1990年代日本政府,インドネシアに対する2億ドルの融資計画を再開。
DIA-209-1999-12-20-3インドネシア1999年12月20日1990年代ガルーダ航空,外国債権団と債務リスケジュール計画に合意。
DIA-209-1999-12-21-1インドネシア1999年12月21日1990年代IBRA,債務不払いのシナル・スリピ社の資産を差し押さえる。
DIA-209-1999-12-22-1インドネシア1999年12月22日1990年代ワヒド大統領,東ティモールでの国軍による人権侵害について,国際法廷の設置に反対すると言明。
DIA-209-1999-12-23-1インドネシア1999年12月23日1990年代政府,最後の政治犯105人を釈放。
DIA-209-1999-12-28-1インドネシア1999年12月28日1990年代インドネシアとポルトガル,24年ぶりに国交を回復。
DIA-209-1999-12-30-1インドネシア1999年12月30日1990年代北マルク州ハルマヘラ島でキリスト教徒とイスラーム教徒が衝突,265人以上が死亡。