ID 国名 日付 年代 内容
DIA-203-1980-01-01-1ラオス1980年01月01日1980年代79年の諸成果―シアン・パサソン紙社説。要旨「・農業;乾期米栽培78年比30%増。雨期米は同約20%増。家畜数1200万頭(同3%増)。農業協同組合数約2800。農家25%,村落24%,小村落52%,農業地区農民50%を編入。・電力生産8.4億kw/時(同2.6倍)。・9,13号道路修復。・学校生徒数66万人(同8万人増)。高校教師1万9110人。生徒1920人。技術学校19校,学生8116人」など。
DIA-203-1980-01-05-1ラオス1980年01月05日1980年代(プノンペン)インドシナ3国外相会議―プーン・シパスート外相が出席。
DIA-203-1980-01-05-2ラオス1980年01月05日1980年代(ビエンチャン)仏僧全国会議―(~13日)。党中央委第7回総会決議と80年の課題を学習。
DIA-203-1980-01-07-1ラオス1980年01月07日1980年代(プノンペン)プノンペン解放一周年式典―ス大統領,カイソン首相,ヌーハック副首相など政府・党の諸要人が出席(6日出発,7日帰国)。
DIA-203-1980-01-08-1ラオス1980年01月08日1980年代(プノンペン)カンボジアと民間航空協定。
DIA-203-1980-01-08-2ラオス1980年01月08日1980年代ルアンナムター州軍事会議(~18日)。活動を総括し,住民の治安状況を検討。国境地域の防衛・戦闘遂行で,地方軍と党中央との連携を密にすることで一致。
DIA-203-1980-01-10-1ラオス1980年01月10日1980年代シアン・パサソン社説は80年主要任務として「国防強化,安全維持」を特に強調,同時に商品流通,教育・文化・公衆衛生事業の推進を訴え。
DIA-203-1980-01-19-1ラオス1980年01月19日1980年代カンボジア軍事代表団,訪ラ―(~22日)。団長ペン・ソバン国防相・人民革命軍司令官。ラオス人民解放軍創立31周年式典(20日)に出席。
DIA-203-1980-01-22-1ラオス1980年01月22日1980年代(ビエンチャン)第1回林業全国会議―カイソン首相が演説し,林業の重要性を強調。
DIA-203-1980-01-23-1ラオス1980年01月23日1980年代(ビエンチャン)暫定メコン委第7回全体会議
DIA-203-1980-01-25-1ラオス1980年01月25日1980年代政府,在ラ・タイ人,中国人経営の金融業・両替店を全て閉鎖―政府間取引への移行措置として。
DIA-203-1980-01-29-1ラオス1980年01月29日1980年代(ブダペスト)ハンガリーと,80~85年経済・技術協力に関する第3回会議。議定書調印;1.ハンガリーはラオスに,病院施設・医薬品を提供し,道路改修で協力。2.決済にルーブルを導入。
DIA-203-1980-01-30-1ラオス1980年01月30日1980年代(バンコク)カーマ=ポンコン商工次官,ブロック=アマラナン・タイ副商務相と会談。両国産業開発への共同投資(ラは原料提供)を提案。タイの農・漁業経験の提供,対ラ商品輸送制限の緩和を要請。
DIA-203-1980-01-31-1ラオス1980年01月31日1980年代(ビエンチャン)国家建設戦線中央委第2回定期拡大総会―(~2.3)。総会は党7中総決議実行を強調。2月3日,7項目の決議を採択。
DIA-203-1980-01-31-2ラオス1980年01月31日1980年代(ビエンチャン)社会主義諸国のESCAP代表会議(~2.2)。ソ,越,ラオス,モンゴル代表が出席。
DIA-203-1980-02-01-1ラオス1980年02月01日1980年代(ビエンチャン)商業第1回全国会議―(~6日)。ヌーハック副首相・財政相が演説し,商業の重要性・党7中総決議の重点を強調。
DIA-203-1980-02-03-1ラオス1980年02月03日1980年代シアン・パサソン紙社説「インドシナ共産党創立50周年を祝う」。
DIA-203-1980-02-06-1ラオス1980年02月06日1980年代(ビエンチャン)国立銀行,モンゴル銀行と協定調印。同時に,シエンクワン州の羊牧場・病院(200床)建設で300万ツグリク無利子借款協定調印。
DIA-203-1980-02-11-1ラオス1980年02月11日1980年代ベトナムと,非商業決済に関してラオス新キップ貨と越ドン貨との為替公定レート設定で一致。
DIA-203-1980-02-12-1ラオス1980年02月12日1980年代(ビエンチャン)農業・農業協同組合に関する会議―集団化に関する党7中総決議学習。23日間。
DIA-203-1980-02-12-2ラオス1980年02月12日1980年代(ワルシャワ)ポーランド党第8回大会。プーミ・ボンビチト・党政治局員・副首相・教育相が出席。
DIA-203-1980-02-12-3ラオス1980年02月12日1980年代タイのノンカイ難民キャンプで大火事。住宅の大半が全焼し,ラオス難民3万人が家を失う(朝日2.16)。
DIA-203-1980-02-16-1ラオス1980年02月16日1980年代チェコ党・政府代表団,訪ラ―(~17日)。団長フサーク党書記長・大統領。17日,共同声明発表,友好協力条約(期限25年),航空協定,対ラ援助供与協定(技術専門家の養成)に調印。
DIA-203-1980-02-18-1ラオス1980年02月18日1980年代政府,森林保護政策で5項目の布告発表―1.諸民族人民に,焼畑農耕の停止と灌漑・水田拡大を奨励2.人民の森林焼却を禁止,3.植林キャンペーンの実施(6.1を全国植林日に決定),4.木材伐採の漸進的停止と森林に放置されている倒木の回収,5.林産物利用の奨励と動植物の保護。
DIA-203-1980-02-18-2ラオス1980年02月18日1980年代(ビエンチャン)労働総同盟中央委,党7中総決議支持週間実施。先立つ4~8日,総同盟年次大会。
DIA-203-1980-02-19-1ラオス1980年02月19日1980年代(ビエンチャン)スウェーデンと,80~81年・81~82年援助協力議定書調印。10億クローナ。森林・灌漑・運輸・工業への使途用。
DIA-203-1980-02-25-1ラオス1980年02月25日1980年代政府,木材の輸出即時中止を指令。
DIA-203-1980-02-25-2ラオス1980年02月25日1980年代タイ副首相,在タイ・ラオス難民10万人以上をラオスに送還する,と言明。
DIA-203-1980-02-25-3ラオス1980年02月25日1980年代タイのノンカイ県警,22日よりラオスのメオ族数百人が越・ラ軍の攻撃を受けてタイ領に避難してきた,と表明(バンコク・ポスト2.26)。
DIA-203-1980-02-25-4ラオス1980年02月25日1980年代(ビエンチャン)ソ連と80年貨物無償輸送協定。
DIA-203-1980-02-26-1ラオス1980年02月26日1980年代(ビエンチャン)東独と作業場設置協定調印。
DIA-203-1980-02-27-1ラオス1980年02月27日1980年代マダガスカルとの大使級外交関係発効。
DIA-203-1980-02-27-2ラオス1980年02月27日1980年代ビエンチャン)ソ連と,ラオスの企画機関の活動組織のための各種技術設備・電子計算機を80年にソ連から供給する件に関する協定,調印。
DIA-203-1980-03-01-1ラオス1980年03月01日1980年代ガソリン販売価格値上げ,l当り4キップに―2.25の政府布告決定。「農産物買上げ価格,工業製品販売価格の決定に関する政策」変更の一部。同時に,同布告を基礎として2.25付交通・公共事業・運輸省布告はバス料金値上げを布告(ビエンチャン国内放送)。
DIA-203-1980-03-01-2ラオス1980年03月01日1980年代ブルガリア軍事代表団,訪ラ―(~4日)。
DIA-203-1980-03-04-1ラオス1980年03月04日1980年代グレナダと,大使級外交関係樹立。
DIA-203-1980-03-04-2ラオス1980年03月04日1980年代(ビエンチャン)ソ連と,ラオスの電気技師・地質専門家養成中等工業学校建設の実現可能性に関する議定書,同学校のカリキュラム作成援助文書に調印。
DIA-203-1980-03-04-3ラオス1980年03月04日1980年代ビエンチャン=プノンペン間空路再開。月2回。
DIA-203-1980-03-06-1ラオス1980年03月06日1980年代ルアンプラバン州公安部隊は中国反動に対する捜索作戦を行い,パークセン地区で3人を,ルアンプラバンで不良分子296人を逮捕,51人を再教育センターへ収容した(ビエンチャン放送)。
DIA-203-1980-03-09-1ラオス1980年03月09日1980年代外務省,タイ大使館に覚書「2.21のタイ国境警備隊によるメコン川でのラオス小型船の攻撃,2.26のタイ部隊のラオス領ドンサンキ地区への侵入・発砲は,両国関係に重大な影響を及ぼすであろう」。
DIA-203-1980-03-13-1ラオス1980年03月13日1980年代79年の交通・公共事業・運輸省の事業―橋32本建設,道路1500km修理,物資200t輸送(VNA)。
DIA-203-1980-03-14-1ラオス1980年03月14日1980年代(ビエンチャン)ラオス=ソ連・科学技術協力小委開催。ソ連専門家を農・林・灌漑・鉱・地質・薬学の分野で派遣することを決定。ラオス人官吏訓練で。
DIA-203-1980-03-15-1ラオス1980年03月15日1980年代人民革命党,党創立25周年に関する要綱発表。
DIA-203-1980-03-16-1ラオス1980年03月16日1980年代ビエンチャン国内放送,「ラオス人民革命党文書」を発表―党教宣委編。内容,1.インドシナ共産党指導下のインドシナ人民の闘争史を回顧,2.第2回党大会採択行動綱領「米帝国主義者とその手先きに対する民族解放闘争」「党・軍・兵士の連帯」を回顧,3.党中央委リスト(資料参照)を発表。
DIA-203-1980-03-17-1ラオス1980年03月17日1980年代(パリ)ブンウム殿下(ラオス元右翼政権首相)死去。68歳(UPI共同3.21)。
DIA-203-1980-03-19-1ラオス1980年03月19日1980年代ベトナム,ラオスに無線電信所とビエンチャン=ハノイ間電話調整所を引渡し。79年5月より着工。
DIA-203-1980-03-20-1ラオス1980年03月20日1980年代(ビエンチャン近郊)ソ連援助の自動車修理工場引渡し式。友好協力関係の「シンボル」。
DIA-203-1980-03-21-1ラオス1980年03月21日1980年代(ビエンチャン)ソ連と,81~85年農・林・灌漑,地質・公衆衛生協力議定書に調印。
DIA-203-1980-03-22-1ラオス1980年03月22日1980年代(ビエンチャン)人民革命党創立25周年式典―カイソン書記長が演説。
DIA-203-1980-03-26-1ラオス1980年03月26日1980年代最高人民評議会常務委・閣僚会議,合同会議開催―(~27日)。過去2ヵ月間の国内外情勢を再検討。80年予算と「経済・文化の回復・発展」計画を採択。
DIA-203-1980-04-02-1ラオス1980年04月02日1980年代党・最高人民評議会・政府・戦線代表団,訪越―(~4日)。団長ス大統領。トン・ドク・タン・故ベトナム大統領の葬儀で。
DIA-203-1980-04-02-2ラオス1980年04月02日1980年代ソ連外国貿易省代表団と,・対ラ農業機械・部品供給,・ラオス当局者の訓練,を規定した協定に調印。
DIA-203-1980-04-03-1ラオス1980年04月03日1980年代(ビエンチャン)東独と,教育協力に関する協定調印。・両国間での学位承認,・ラオス学生の東独での訓練,・技術教育での相互協力,の3点に関するもの。
DIA-203-1980-04-05-1ラオス1980年04月05日1980年代青年同盟幹部全国大会終了―10日間。79年総括と80年目標を討議。党政治局の,党・国家機関の強化に関する決定に基づき,青年同盟を再編。新中執委8名を任命。トンサワット・カイカンピトゥン首相府次官が同盟責任者に就任。
DIA-203-1980-04-09-1ラオス1980年04月09日1980年代ソ連陸軍政治局代表団,訪ラ(~12日)。団長ドゥルツィニン陸軍中将・極東軍管区司令官。滞在中,首都,シエンクワン,ルアンプラバンを訪問。
DIA-203-1980-04-12-1ラオス1980年04月12日1980年代ソ連・党対外連絡部代表団,訪ラ(~16日)。団長スミルノフスキー次長,カイソン首相と会見。
DIA-203-1980-04-16-1ラオス1980年04月16日1980年代国際アムネスティ,声明発表―旧政府官吏が,容疑もなく裁判もないまま5年近くも刑務所に拘留され,うち1万~1万5000人がサムヌア,フォンサリの再教育キャンプに送られたままである,と。同声明によれば,アムネスティは,3月,カイソン首相に全ての政治犯釈放を求める書簡を送っている。
DIA-203-1980-04-16-2ラオス1980年04月16日1980年代モザンビークと,大使級外交関係樹立。
DIA-203-1980-04-17-1ラオス1980年04月17日1980年代(ビエンチャン)カンボジア人民共和国建国5周年大集会。チャンミ党中央委員が演説。
DIA-203-1980-04-20-1ラオス1980年04月20日1980年代サムリー・ピムパウォン情報・宣伝・文化・観光次官補,7日,家族とメコン川からタイへ脱出,政治亡命を求む。ノンカイ権威筋が19日言明(AFP)。
DIA-203-1980-04-21-1ラオス1980年04月21日1980年代(ビエンチャン)カンボジアと,80~85年医療協力協定を調印。
DIA-203-1980-04-21-2ラオス1980年04月21日1980年代(ビエンチャン)ソ連と経済・技術援助協定調印。
DIA-203-1980-04-22-1ラオス1980年04月22日1980年代(ビエンチャン)レーニン生誕110周年記会式典―(~23日)。カイソン首相・党書記長が演説。
DIA-203-1980-04-23-1ラオス1980年04月23日1980年代タイのバン・ナム・ヤオ・ラオス難民キャンプで火災。7000人が焼け出され,4人死亡(朝日4.26)。
DIA-203-1980-04-25-1ラオス1980年04月25日1980年代ブルガリアと,林業協力協定調印。
DIA-203-1980-04-27-1ラオス1980年04月27日1980年代(カブール)アフガン建国2周年式典―マイチャンタン・センマニ党中央委員・内相が出席。
DIA-203-1980-04-29-1ラオス1980年04月29日1980年代(ビエンチャン)チェコと,9号道路のサワンナケート州内橋梁建設に関する覚書に調印。
DIA-203-1980-04-30-1ラオス1980年04月30日1980年代(ビエンチャン)チェコと,職業訓練計画に関する協定調印。2.17の友好条約に基づくもの。
DIA-203-1980-05-01-1ラオス1980年05月01日1980年代(ビエンチャン)メーデー祝賀集会―サナン・ステイチャク党中央委員が演説。
DIA-203-1980-05-01-2ラオス1980年05月01日1980年代メオ族300人以上がメコン渡河,タイ領へ逃げ込む(4月下旬)。現在,ラオス中部山岳地域のメオ族根拠地に対し,空陸からの攻撃が行われており,食糧供給が減少している(バンコク・ポスト)。
DIA-203-1980-05-03-1ラオス1980年05月03日1980年代外務省代表団,訪越(~9日)。団長カムパイ外務次官。タック外相,ザップ副首相と会談,「双方は相互に関心のある全ての問題に関して意見の一致をみた」。8日,ドン首相と会談。9日,カンボジアへ。
DIA-203-1980-05-06-1ラオス1980年05月06日1980年代外務省スポークスマン声明(以下ス声明と略記):「米帝のキューバに対する挑発・威嚇」を非難。
DIA-203-1980-05-07-1ラオス1980年05月07日1980年代政府,タイ大使館に文書を提出。「タイによって引起こされた」国境での一連の事件(3~4月の7件の挑発)に関してタイ側に説明を求めるための。
DIA-203-1980-05-09-1ラオス1980年05月09日1980年代外務省代表団,訪カ(日誌5.3参照)。10日,フン・セン外相と会談。両国関係強化と,インドシナ3国の連帯・相互援助増進の必要性強調。12日,帰国。
DIA-203-1980-05-12-1ラオス1980年05月12日1980年代(ビエンチャン)ブルガリアと,サワンナケート州セーチャムボン川橋梁建設に関する覚書に調印。
DIA-203-1980-05-15-1ラオス1980年05月15日1980年代(ビエンチャン)ベトナムと農業協力協定調印―対ラ農・林・灌漑省業務の援助,農業技術の交換,対ラ農業資材の供給,ラオス農業労働者の訓練など。
DIA-203-1980-05-15-2ラオス1980年05月15日1980年代(ビエンチャン)東独と,教育協定調印。東独による語学教師派遣に関して。
DIA-203-1980-05-16-1ラオス1980年05月16日1980年代(ビエンチャン)ハンガリーと,対ラ無利子長期借款協定,無償援助供与協定調印。・母子保健センターの資金・設備の供給,・橋梁建設,・科学・技術分野における協力など。
DIA-203-1980-05-17-1ラオス1980年05月17日1980年代(ビエンチャン)東独と,科学協力協定調印。
DIA-203-1980-05-19-1ラオス1980年05月19日1980年代(ビエンチャン)ホー・チ・ミン生誕90周年祝賀大集会―プーミ・ボンビチト党政治局員が演説。
DIA-203-1980-05-20-1ラオス1980年05月20日1980年代世界平和評議会代表団,訪ラ(~24日)。
DIA-203-1980-05-22-1ラオス1980年05月22日1980年代(ビエンチャン)商工業第2回全国会議―6.3の閉会日にカイソン首相が,国家経済機構の基礎的な核を形成する商工業網の若干の重大な役割を指摘。
DIA-203-1980-05-24-1ラオス1980年05月24日1980年代(ビエンチャン)スウェーデンと,80~82年経済協力覚書調印。7億クローナ(2500万ドル)。
DIA-203-1980-05-27-1ラオス1980年05月27日1980年代ハンガリー軍事代表団,訪ラ(~29日)。
DIA-203-1980-05-29-1ラオス1980年05月29日1980年代(ビエンチャン)ベトナムと,両国国境地域の森林開発協定調印―シエンクワン,ルアンプラバン,サラウンの国境地域森林開発で,越は林業専門家派遣。
DIA-203-1980-05-30-1ラオス1980年05月30日1980年代ニカラグアと,大使級外交関係樹立。
DIA-203-1980-05-31-1ラオス1980年05月31日1980年代(ビエンチャン)ブルガリアと農業協定調印。
DIA-203-1980-06-01-1ラオス1980年06月01日1980年代(ビエンチャン)植林式典開催―カムアン農林次官演説「焼畑耕作が若干の地方で行われているため森林面積は1900万haより1100万haに減少。現在1万0760世帯が焼畑より転換」。カイソン首相,植林と森林保護が全国的規模で進められるべきことを強調。
DIA-203-1980-06-02-1ラオス1980年06月02日1980年代(ビエンチャン)ソ連と対ラ・ラジオ=アンテナ設置(80年末より建設開始)に関する協定調印。
DIA-203-1980-06-03-1ラオス1980年06月03日1980年代教育第3回会議閉会(5.14~)。カイソン首相,教育は78年12月以来,急速な発展をとげた,と。
DIA-203-1980-06-04-1ラオス1980年06月04日1980年代(ビエンチャン)報道・宣伝・文化・観光省会議(~9日)。党7中総決議の思想・文化状況の実行促進に関して討議。
DIA-203-1980-06-09-1ラオス1980年06月09日1980年代(ベルリン)東独と,80~81年文化科学協力協定に調印(ビエンチャン国内放送)。
DIA-203-1980-06-13-1ラオス1980年06月13日1980年代国立銀行声明―要旨「市場における現金流通管理,物価調整,生活条件改善,生計費正常化のため,1.本日以降,全機関・企業・一般市民の多額の現金の一つの州から他州への移転を禁止する。交易は銀行を通じ小切手で行われるべし。2.人民の他州への旅行の現金保持額は1人当り200キップとし,グループの場合は最高500キップとする。最高限度額以上の現金は預金され,銀行は旅行先の銀行で現金化しうる小切手を発行する。3.外貨を扱う経済組織は国立銀行の許可を縁るべし。国内外の金取引決済は外国貿易銀行により行われる。」(ビエンチャン国内放送6.21)。
DIA-203-1980-06-15-1ラオス1980年06月15日1980年代タイ,タイ・ラオス国境通路を封鎖―タードゥア,ターナレン両国境通過地区。16日,外務省,タイ大使に当該地区情勢の正常化を要請。17日付KPL声明は,タイの国境閉鎖を非難,話し合いを呼びかけ。
DIA-203-1980-06-15-2ラオス1980年06月15日1980年代ソ連と,ナムグム・ダム=ビエンチャン州ワンウィエン間の110kw高圧電線架設に関する議定書調印。ソ連による設備・専門家のラオス派遣(VNA)。
DIA-203-1980-06-16-1ラオス1980年06月16日1980年代外務省,タイ大使に覚書―14日のタイ武装勢力のラオス領侵犯,15日のタイ警備艇の侵入を非難。
DIA-203-1980-06-16-2ラオス1980年06月16日1980年代(ビエンチャン)チェコと,林業協力協定調印。
DIA-203-1980-06-17-1ラオス1980年06月17日1980年代(ハノイ)カムプーン・トゥーナロム・新駐越ラオス大使,ト・ベトナム大統領代行に信任状奉呈。
DIA-203-1980-06-20-1ラオス1980年06月20日1980年代国立銀行,新通貨を発行―50,20,10セントで,旧硬貨の50,20,10解放キップに変わるもの。
DIA-203-1980-06-27-1ラオス1980年06月27日1980年代ビエンチャン州のラオス=タイ国境委代表団,訪タイ。タイ側の招請で国境問題解決のため。
DIA-203-1980-06-28-1ラオス1980年06月28日1980年代現在,ベトナムで休養中のス大統領とプーマ政府顧問,チュオン・チン・越国会議長のもてなしを受ける。30日,ト・越大統領代行と会見(VNA6.30)。
DIA-203-1980-07-01-1ラオス1980年07月01日1980年代ソ連国家計画委代表団,訪ラ(~6日)。団長ポロフ同委指導委員。3日,ラオス計画委(団長マー同委議長)代表団と会見。
DIA-203-1980-07-02-1ラオス1980年07月02日1980年代(ビエンチャン)ソ連と,6月30日に両国輸送手段に関する議定書調印。ソ連の対ラ無償援助計画の一部(KPL)。
DIA-203-1980-07-03-1ラオス1980年07月03日1980年代ビエンチャン国内放送社説は,タイの国境地域閉鎖に関し,「米帝と北京膨張主義者によるラオス革命弱体化を意図」したものであるとして,人民に「国防と政治的安定の維持の任務」を遂行するよう強調。
DIA-203-1980-07-06-1ラオス1980年07月06日1980年代(ビエンチャン)プーン外相,タイ大使と会談。タイの国境地域閉鎖を「両国間の正常な関係に影響を与え利益にならない」と間接非難。
DIA-203-1980-07-10-1ラオス1980年07月10日1980年代ビエンチャン国内放送社説,タイは1~6月に国境地域で31回の武力挑発を行ったと報道。
DIA-203-1980-07-11-1ラオス1980年07月11日1980年代ビエンチャン国内放送,インドのカンボジア人民共和国(ヘン・サムリン政権)承認を歓迎。
DIA-203-1980-07-11-2ラオス1980年07月11日1980年代アンゴラと,大使級外交関係樹立。
DIA-203-1980-07-15-1ラオス1980年07月15日1980年代(ビエンチャン)情報・宣伝全国会議。
DIA-203-1980-07-15-2ラオス1980年07月15日1980年代(ビエンチャン)ソ連と,道路・橋梁建説に関する協定調印。ソ連側,道路資材と,ナムグム,ナムカディン両川橋梁建設資材を供給。78.11.15付協定の一部。
DIA-203-1980-07-16-1ラオス1980年07月16日1980年代(ビエンチャン)タイの国境地域閉鎖に抗議する大衆集会。中国とタイの右翼反動家を非難。
DIA-203-1980-07-17-1ラオス1980年07月17日1980年代(ビエンチャン)インドシナ3国外相会議―(~18日)。プーン・シパスート外相が出席。
DIA-203-1980-07-18-1ラオス1980年07月18日1980年代民主カ放送,反政府組織「ラオス解放民族戦線」の存在確認―6月にチャンパサック州で若干のベトナム兵をせん滅した,と(北京放送)。
DIA-203-1980-07-18-2ラオス1980年07月18日1980年代シアン・パサソン紙社説,タイの国境地域閉鎖に対し,77年の越ラ友好条約の精神高揚を訴え。
DIA-203-1980-07-18-3ラオス1980年07月18日1980年代(ビエンチャン)ハンガリーと,教育・文化・技術協力覚書に調印。
DIA-203-1980-07-21-1ラオス1980年07月21日1980年代(ビエンチャン)チェコと鉱山開発協力協定。
DIA-203-1980-07-22-1ラオス1980年07月22日1980年代シアン・パサソン紙論評,19日付新華社論評が反ラ・反越キャンペーンをタイ国境閉鎖に関して行ったのに対し,「これは,タイを発進地としてインドシナ3国人民を攻撃する」北京の野望の現れ,と非難。
DIA-203-1980-07-25-1ラオス1980年07月25日1980年代ビエンチャン国内放送,21~22日のタイ・ラオス国境問題交渉が進展をみせなかったことに関し,「タイ側に解決に対する誠意が欠如している」と非難。
DIA-203-1980-07-28-1ラオス1980年07月28日1980年代カイソン党書記長・首相,訪ソ―(~9.2)。休養で(日誌8.15参照)。
DIA-203-1980-08-01-1ラオス1980年08月01日1980年代民主カンボジア放送,このほどラオスで結成された「ラオス解放民放戦線(NFLL)」が駐ラ・ベトナム軍に対する工作を開始したと報道(AFP時事)。
DIA-203-1980-08-01-2ラオス1980年08月01日1980年代北京放送,7.27以来,ビエンチャンとタイのノンカイ間の電話線がラ側により切断されている,と報道。
DIA-203-1980-08-07-1ラオス1980年08月07日1980年代党中央軍事委・人民解放軍最高司令部・国防省会議(~16日)。80年前半の全軍の活動を総括。80年後半の全軍の任務(党中央軍事委が最近採択)を学習。
DIA-203-1980-08-08-1ラオス1980年08月08日1980年代新農業税規則を採択―最高人民評議会・閣議の合同会議が。目的は,農業生産の大幅促進,集約農業の実行,生産効果の高揚,農業協同組合設立運動の促進,農業税徴収の有利な条件の創出など。4年以上実行された旧農業税が弱点を持ち,新政策と真の農業生産状況に合致しないため(シアン・パサソン紙8.13)。
DIA-203-1980-08-13-1ラオス1980年08月13日1980年代ス大統領,最近のワ条約加盟国会議メッセージをソ連大使より受取る。大統領は,ソ連の対外政策に対する全面支持とラオスの決意を表明(VNA)。
DIA-203-1980-08-15-1ラオス1980年08月15日1980年代(クリミア)カイソン首相,ブレジネフ・ソ連党書記長と会見―ラ・ソ間の協力(特に経済)の発展・強化を再確認。国際情勢,特に北京が緊張を引起した東南ア情勢に特別な注意を喚起。ブ書記長,ラオスの政策支持と友好的援助供与継続を確認(VNA)。
DIA-203-1980-08-16-1ラオス1980年08月16日1980年代プーン・シパスート外相,訪越(~18日)。17日,タック越外相と会談。ドン越首相と会見。両国関係と7月のインドシナ3国外相会議後の東南ア情勢に関して意見を交換。
DIA-203-1980-08-20-1ラオス1980年08月20日1980年代ビエンチャン国内放送論評,7月7,9,14日のタイ機の領空侵犯,8月2,15日のタイによるラオス人誘拐,13日のタイ武装勢力のビエンチャン侵入非難。
DIA-203-1980-08-21-1ラオス1980年08月21日1980年代ラオス政府,このほど布告発令―全ての元軍人に期限内の復帰,登録を指令。ルアンプラバン州は6月16日まで。サイニャブリー,カムムアン,サワンナケート諸州は8月20日まで。タイ・ラオス国境閉鎖以来,ラオスの採った「異常措置の一つ」(北京放送)。
DIA-203-1980-08-21-2ラオス1980年08月21日1980年代北京放送は,ラオス軍がカンボジアに派遣されベトナム軍と共に戦っているとの21日付タイ軍部最高司令部情報事務所の新聞発表を引用,報道。
DIA-203-1980-08-21-3ラオス1980年08月21日1980年代外務省,タイ大使に覚書。17日にタイ武装勢力がメコンでラオス物資輸送旅客船を掠奪した件に関して。
DIA-203-1980-08-27-1ラオス1980年08月27日1980年代ラオス,タイ人民に,タイ政府の北京膨張主義への従属に決起するよう呼びかけ(AFP)。
DIA-203-1980-08-29-1ラオス1980年08月29日1980年代タイ,対ラオス国境地域閉鎖を解除。
DIA-203-1980-08-30-1ラオス1980年08月30日1980年代(ビエンチャン)日本,対ラ5億5000万円の無償援助。ナムグム水力発電所補修費用。80年末に開始。
DIA-203-1980-09-01-1ラオス1980年09月01日1980年代ラオス,1日以降タイ・インターナショナル航空貨物輸送機のラオス上空飛行を禁止。
DIA-203-1980-09-02-1ラオス1980年09月02日1980年代カイソン党書記長・首相,離ソ。3日,帰国。
DIA-203-1980-09-02-2ラオス1980年09月02日1980年代ウ・ライ・マウン・ビルマ外相,訪ラ(~4日)。
DIA-203-1980-09-05-1ラオス1980年09月05日1980年代ND紙:ダナン(ベトナム)から燃料・日用品を積んだ200台のトラック部隊,ビエンチャンに到着,タイ・ラオス国境閉鎖以来2度目。8.23出発。
DIA-203-1980-09-06-1ラオス1980年09月06日1980年代党・政府,緊急回状を発表。メコン川水位が日増しに上昇しているため,洪水に対し警戒措置をとるよう呼びかけ。首相府も,同主旨の指令を政府各省,各級行政機関,各州党委・行政委に送付。
DIA-203-1980-09-09-1ラオス1980年09月09日1980年代(バンコク)カムパン駐タイ・ラオス大使,タイに更に多くのメコン川国境渡河点の再開要請。大使がタイ下院議長を表敬の際,述べたもの。
DIA-203-1980-09-09-2ラオス1980年09月09日1980年代(ハノイ)ベトナムと,ラオスの輸出入物資の通過輸送の増大に関する協定に調印(VNA)。
DIA-203-1980-09-09-3ラオス1980年09月09日1980年代(ビエンチャン)ブルガリアと,80年度文化科学技術協力計画に調印(VNA)。
DIA-203-1980-09-12-1ラオス1980年09月12日1980年代(モスクワ)ソ連と,81~85年国家計画調整決果に関する議定書調印―経済協力の基本方向で合意。特にラオスの運輸基盤の強化・道路修復に注意し,ラオス内に新規諸企業を建設する具体案で合意。81~85年の両国貿易額は76~80年比3.5倍増。ソ連は機械設備・石油製品・消費材を,ラオスは農林産品をそれぞれ輸出。
DIA-203-1980-09-12-2ラオス1980年09月12日1980年代(ビエンチャン)トンマニ・ビエンチャン州・市警司令官, 会見で「タイの若干の国境渡河点再開は,北京とタイ極右反動が,タイの余剰物資をラ経済破壊とラ社会撹乱に使用することを狙ったものである」と。
DIA-203-1980-09-15-1ラオス1980年09月15日1980年代ラオス国内の皮政府4グループ,15日に統一戦線結成―チャンパサック州で。名称「ラオス人民民族解放統一戦線(LPNLUF)」。対駐ラ・ベトナム軍レジスタンス強化のため。カンボジアの反プノムペン政権勢力との間で,将来反ベトナム・インドシナ戦線結成のため,協力することで合意。(注:バンコクでラオス抵抗勢力の報道が言明(AFP9.30))。
DIA-203-1980-09-17-1ラオス1980年09月17日1980年代(ビエンチャン)ソ連テクノストリア輸出公社とセメント工場建設協定調印。77.7.19協定の実施。
DIA-203-1980-09-25-1ラオス1980年09月25日1980年代ビエンチャン周辺で,政府軍と抵抗勢力との激戦ぼっ発。30分。少なくとも10名死亡(北京放送)。
DIA-203-1980-09-26-1ラオス1980年09月26日1980年代シパスート外相,国連総会へ出発。10.11帰国。
DIA-203-1980-09-27-1ラオス1980年09月27日1980年代外務省筋,人民革命党大会が81年2月に開催される,と語る。開催は70年以来(時事)。
DIA-203-1980-09-30-1ラオス1980年09月30日1980年代(ビエンチャン)ソ連と,81~85年貿易協力議定書に調印。
DIA-203-1980-10-03-1ラオス1980年10月03日1980年代(ビエンチャン)東独と協力協定調印。東独の諸専門家がラオス教育省で働くことに関して。
DIA-203-1980-10-04-1ラオス1980年10月04日1980年代(ビエンチャン)ハンガリーと,サワンナケート州第9号国道セサムソイ川橋梁建設議定書調印。
DIA-203-1980-10-07-1ラオス1980年10月07日1980年代(ビエチャン)ソ連との国交樹立20周年祝賀大集会。
DIA-203-1980-10-10-1ラオス1980年10月10日1980年代(平壌)北鮮労働党第6回大会(~14日)。サマン党中央委員・国防次官が出席(2~21日訪朝)。
DIA-203-1980-10-11-1ラオス1980年10月11日1980年代シアン・パサソン紙社説「党・政府が採択した主要戦略任務のひとつは,国防の建設・強化と,治安維持である。現在,外部の敵,反革命残党分子が,地方軍組織がない地域,組織が弱体な地域,パトロール活動の効果的計画のない地域で人民の間に不穏状態を作り出している証拠がある。全地域での地方軍の建設・強化は緊急の任務である」。
DIA-203-1980-10-13-1ラオス1980年10月13日1980年代国連総会,ポト派がカンボジア代表権維持―22日付外務省声明はこれを非難,ポト派の追放要求。
DIA-203-1980-10-16-1ラオス1980年10月16日1980年代(ビエンチャン)ワラジミール・フェドロヴィッチ・ソブチェンコ・新駐ラ・ソ連大使,信任状奉呈。
DIA-203-1980-10-16-2ラオス1980年10月16日1980年代(ハノイ)ベトナムと,81年度物資交換支払い議定書に調印。
DIA-203-1980-10-20-1ラオス1980年10月20日1980年代このほど政府転覆未遂事件発生―ソーン情報次官が最近言明。親中国派勢力によるもので,当局は9日から約1週間,犯人らの一斉逮捕を遂行。同次官は逮捕者数については語らなかったが,別の当局者によると,約500人に上り,この中には政府当局者,軍将校,学生および約5年前にパテト・ラオ勢力により倒された右派陣営の元高官らも含まれているという(ロイター共同)。注:バンコク・ポスト10・22は,同逮捕事件は12.2の建国記念日に備える治安強化措置であると観測)。
DIA-203-1980-10-21-1ラオス1980年10月21日1980年代(ビエンチャン)ソ連と,対ラ職業訓練学校建設援助に関する協定に調印。
DIA-203-1980-10-23-1ラオス1980年10月23日1980年代交通・公共事業・運輸省全国幹部会議―(~24日)。次期乾期の諸任務を討議,特に通信・公共事業面で中央から末端までの決定的任務を割当て。国道9,13号の建設は中央任務として早急な建設を強調。
DIA-203-1980-10-24-1ラオス1980年10月24日1980年代ス大統領,モンゴル訪問―(~30日)。24日,ツェデンバル・モンゴル議長・党第一書記と会談。全ての議題で「完全な一致」をみた。
DIA-203-1980-10-29-1ラオス1980年10月29日1980年代ラオス・チャンパサック州から届いたラオス人民解放統一戦線声明,「インドシナ被抑圧人民がまもなく同一の解放戦線に組織されよう」と指摘。バンコク外交筋,クメール・ルージュ,自由クメール,ラオス解放戦線,FULROの接触を確認していると(AFP)。
DIA-203-1980-11-05-1ラオス1980年11月05日1980年代ビエンチャン―パクサン間の国道13号線の戦略的橋の爆破事件発生。軍人7人死亡(AFP11.12)。
DIA-203-1980-11-08-1ラオス1980年11月08日1980年代党中央委書記局,建国5周年祝賀指令・18項目スローガンを発表。祝典の節約と祝典中の革命的警戒心高揚を訴え,政治・イデオロギー訓練の促進を強調。
DIA-203-1980-11-11-1ラオス1980年11月11日1980年代(ビエンチャン)市行政委,ロシア革命記念大市民集会開催。
DIA-203-1980-11-12-1ラオス1980年11月12日1980年代(ビエチャン)ポーランドと,木材加工工場の建設に関する協定に調印。
DIA-203-1980-11-13-1ラオス1980年11月13日1980年代(ビエンチャン)ハンガリーと,81~85年貿易協定に調印。
DIA-203-1980-11-14-1ラオス1980年11月14日1980年代「社会治安・在郷軍人国家委員会」設立。首相府の直轄で,政府各省と同資格。
DIA-203-1980-11-16-1ラオス1980年11月16日1980年代プーマ政府顧問,自分の私有地を教育・スポーツ・宗教問題省に寄付(VNA)。
DIA-203-1980-11-18-1ラオス1980年11月18日1980年代VNA,ラオスの過去5年間の成果を報道(日誌11.29参照)。
DIA-203-1980-11-19-1ラオス1980年11月19日1980年代シアン・パサソン紙社説,諸少数民族の新年を祝うと同時に,全民族人民の団結の重要性を強調。
DIA-203-1980-11-24-1ラオス1980年11月24日1980年代反共ゲリラ中隊120人,バクサン付近で国道13号線上の橋を爆破。レジスタンス筋(AFP11.26)。
DIA-203-1980-11-24-2ラオス1980年11月24日1980年代在タイ・ラオス難民70人,自発的に帰国(先週)。9~10月の帰国者119人,バンコクUNHCR発表。在タイ・ラオス難民数は10万4千人(AFP)。
DIA-203-1980-11-28-1ラオス1980年11月28日1980年代政府,81~85年経済・社会発展計画に関する基本方針を指令―85年までの目標,国民総生産30~40%増。国民総所得38~40%増。工業総生産約2倍増。
DIA-203-1980-11-29-1ラオス1980年11月29日1980年代過去5年間の成果と課題―カイソン首相が,VNAとのインタビューで言明。「5年間に,農地は24%増,収穫は年ごとに増加した。80年は国家計画目標を超過達成し籾100万tを収穫,食糧生産高は77年比31%増である。コーヒー,タバコ,大豆,落花生,綿などの工業用作物耕地は2倍増であり,家畜数は75年比35%増である。工業のうち電力生産は解放前の3.7倍である」「今後の課題は,党7中総が示した国防と建設の課題の追求を継続する。次期5ヵ年には,自給自足と食糧の若干の備蓄を保証するため農・工・手工業の発展に努め,社会主義の初歩的基礎を担う重要な経済プロジェクト建設にあたっては,全国を動員すると同時に,社会主義兄弟諸国の援助を充分活用する」。
DIA-203-1980-11-29-2ラオス1980年11月29日1980年代ラオス,12.3までラオス・タイ国境一部閉鎖。建国記念日のための措置か(バンコク・ポスト)。
DIA-203-1980-11-30-1ラオス1980年11月30日1980年代(ビエンチャン)在ラ・ベトナム人専門家に対する勲章授与式。
DIA-203-1980-12-01-1ラオス1980年12月01日1980年代在タイ・ラオス難民数―バンコクのUNHCR発表。75年以来25万人がタイへ脱出。80年10月の政府転覆未遂事件以来,3178人が脱出(AFP)。
DIA-203-1980-12-01-2ラオス1980年12月01日1980年代(ビエンチャン)ソ連と,81~85年貿易支払い協定・経済技術協力協定など調印。調印者はラオス側ヌーハック副首相・財政相,ソ連側カツシェフ副首相。
DIA-203-1980-12-02-1ラオス1980年12月02日1980年代ラオス建国5周年祝賀集会―ス大統領が開会演説でプロレタリア国際主義の精神倍増を訴え。カイソン首相が過去5ヵ年の成果に関して演説。要旨「農業;灌漑地面積は解放前の5倍。開墾地10万ha。農業用機械76年比3倍増。80年の米収穫100万t以上(ラオス史上最高)。集団生産は全国農村の半分以上。過去2年間に農民40%が組合に加入。家畜は76年比32%増。牛・水牛130万頭。林産物は年間30%ずつ増加し,外貨獲得に貢献。食糧自給が可能となった。工業;特に,ナムグム・ダムの発電量76年比3倍。トンティウ錫鉱山が復旧。交通運輸;道路修復全長3000km。橋450を修復,建設。輸送能力3倍増。商業;国営・集団経営商業網が全農村地区に拡大。教育;学生数は全人口比の4分の1。旧制度時代比で,小学生2倍,中学生6倍,高校生10倍。文盲は13州中10州で基本的に一掃。公衆衛生;中央級・州級病院26。郡級100以上。村落級600以上」。
DIA-203-1980-12-04-1ラオス1980年12月04日1980年代(ビエンチャン)チェコと,電力設備購入協定調印。
DIA-203-1980-12-07-1ラオス1980年12月07日1980年代ビエンチャン東北地区で原因不明の爆発事件が発生。旧ラオス政権の弾薬置場(バンコク・ポスト)。
DIA-203-1980-12-08-1ラオス1980年12月08日1980年代最高人民評議会,4.24付で人民解放軍の等級制度規則に関する決議採択―4部29条。模範的近代軍,規律ある軍を建設するため(ビエンチャン国内放送)。
DIA-203-1980-12-08-2ラオス1980年12月08日1980年代(ビエンチャン)ソ連と,ラオスの理工科学校建設に対するソ連の建設資材供給協定調印。
DIA-203-1980-12-16-1ラオス1980年12月16日1980年代ソ連と,外交事務所・住居の賃借料を廃止する協定調印。
DIA-203-1980-12-17-1ラオス1980年12月17日1980年代(ハバナ)キューバ党第2回党大会(~20日)。プーミ副首相兼教育相・党政治局員が出席。
DIA-203-1980-12-17-2ラオス1980年12月17日1980年代ソ連と,150kwラジオ放送局建設協定調印。
DIA-203-1980-12-22-1ラオス1980年12月22日1980年代ビエンチャン国内放送,ベトナム人民軍建軍36周年で記念社説発表。
DIA-203-1980-12-25-1ラオス1980年12月25日1980年代シアン・パサソン紙社説「農業税を支払い・国家に米を売却することは,農業協同組合員・集団農場員,新制度下農民の義務である。個人農の中には籾量と水田面積を隠し,不正な米生産高を報告し,農業税をひかえて余剰米を後で売買する傾向がある者がいる。これは双互の利益にならず,市場価格を不安定にする」。
DIA-203-1981-01-03-1ラオス1981年01月03日1980年代80年12月にタイヘのラオス難民急増,2701人。増加理由は,新農業税施行,労働者登録制,メコン水位の低下と見られる(香港AFP)。
DIA-203-1981-01-03-2ラオス1981年01月03日1980年代(ビエンチャン)家畜飼料工場,7カ月間の試験生産の後に正式に開設。
DIA-203-1981-01-05-1ラオス1981年01月05日1980年代中国の雲南省で訓練された抗越ゲリラ部隊(山岳部隊)約1000人がフォンサリ,ルアンナムター州でまたクメール・ルージュがカンボジア北部で訓練した各500人の2部隊がチャンパサック州で活動中。クメールルージュは第3グループを育成中。抵抗運動・ゲリラ隊指導者チャンパ将軍の声明(バンコクAFP)。
DIA-203-1981-01-06-1ラオス1981年01月06日1980年代最高人民評議会年次全体会議―(~8日)。カイソン首相が党八中総決議に基づいて過去5年の成果,次期5カ年計画の方向,基本目標,優先項目等を報告,8日,国家の改造・建設に関する政府報告,81~85年5カ年計画の目標,7つの任務を承認。9日付シアン・パサソン紙社説,次期計画の基本的任務について解説。
DIA-203-1981-01-10-1ラオス1981年01月10日1980年代国家建設戦線中央委年次総会(~12日)。
DIA-203-1981-01-13-1ラオス1981年01月13日1980年代関税・移民当局,3カ月有効の国境通過証を持つタイ商人に対してラオスヘの商品搬入を禁止,入国のみ許可。3日間有効の通過証を持つタイ商人に対しては200バーツ以上相当の商品搬入を禁止。
DIA-203-1981-01-15-1ラオス1981年01月15日1980年代外務省ス声明,タイ当局は敵視政策を中止すべしとの10日付カンボジア外務省ス声明を全面的に支持。
DIA-203-1981-01-20-1ラオス1981年01月20日1980年代タイ軍,メコン航行中のラオス船に発砲―ビエンチャン南方140km。1人死亡,1人負傷。外務省,在ラオス・タイ大使館に抗議覚書を手交,犠牲者家族への賠償金,犯人たちの懲罰などを要求。27日にも同様の事件発生,2人死亡,3人負傷。外務省,再び覚書手交。
DIA-203-1981-01-20-2ラオス1981年01月20日1980年代人民解放軍,建軍32周年で特別命令を指令。
DIA-203-1981-01-24-1ラオス1981年01月24日1980年代ウ・レ・マウン・ビルマ外相,訪ラ―ベトナム訪問後の立寄り。
DIA-203-1981-01-27-1ラオス1981年01月27日1980年代ハンガリーと公衆衛生協力協定に調印。
DIA-203-1981-01-27-2ラオス1981年01月27日1980年代(ホー市)インドシナ3国外相会議―(~28日)。プーン外相が出席。28日,ASEAN諸国に,3月に東南アジア地域会議開催を呼びかける共同声明発表。
DIA-203-1981-01-28-1ラオス1981年01月28日1980年代(ビエンチャン)ソ連と文化協力覚書調印。
DIA-203-1981-01-28-2ラオス1981年01月28日1980年代(ビエンチャン)東独と職業訓練協力協定に調印(KPL)。
DIA-203-1981-01-29-1ラオス1981年01月29日1980年代閣議,81年国家計画を承認。
DIA-203-1981-01-30-1ラオス1981年01月30日1980年代(ビエンチャン)ブルガリアと経済科学技術協力協定に調印。
DIA-203-1981-02-03-1ラオス1981年02月03日1980年代ソ連と81~82年科学技術協力議定書調印。
DIA-203-1981-02-06-1ラオス1981年02月06日1980年代ラオス・タイ国境で銃撃戦発生―ビエンチャン南方50kmのラオス領ドンサンキ島で。9日頃沈静。
DIA-203-1981-02-07-1ラオス1981年02月07日1980年代タイ,メコンのタイ・ラオス国境渡河点閉鎖。
DIA-203-1981-02-08-1ラオス1981年02月08日1980年代ビエンチャン国内放送論評「1.24以降タイ右翼反動はラオス領ドンサンキ島侵犯のため軍隊を派遣,26~29日同島侵犯,2.3~4同島挑発続行,2.6~7重装備軍を増派し重砲火で攻撃,挑発行動を展開した」。
DIA-203-1981-02-09-1ラオス1981年02月09日1980年代ビエンチャン州行政委,タイ・ノンカイ県知事に8日のドンサンキ島攻撃に対し抗議覚書を送り,補償を求む。
DIA-203-1981-02-10-1ラオス1981年02月10日1980年代外務省ス声明。タイが7日,ドンサンキ島侵犯を容易にするため一方的にタイ・ラオス国境渡河点を閉鎖したと抗議,更に1.24~2.7のタイ軍の同島侵犯を非難し,挑発行為の停止を要請。
DIA-203-1981-02-11-1ラオス1981年02月11日1980年代ビエンチャン国内放送「タイ極右反動軍は8日もドンサンキ島を攻撃,9日も同島侵犯,ラオス軍はこれを阻止した」。
DIA-203-1981-02-12-1ラオス1981年02月12日1980年代政府,駐ラ各国大使を招待,メコンのドンサンキ島に対するタイの国境侵犯の“事実”を公開(朝日)。
DIA-203-1981-02-13-1ラオス1981年02月13日1980年代外務省,駐ラ・タイ大使にドンサンキ島侵犯を抗議したビエンチャン州行政委員長書簡を手交「同行動はタイ極右反動を使って,東南ア地域への膨張の陰謀を案現しようとする北京当局の計画の一部である」。
DIA-203-1981-02-15-1ラオス1981年02月15日1980年代(ビエンチャン)タイのドンサンキ島攻撃に抗議する約3万人の大衆集会開催,20日,知識人集会は「ラオス人民の闘争を支持するよう」決議採択。
DIA-203-1981-02-16-1ラオス1981年02月16日1980年代姫英新華社論評,2月初めのラオス・タイ国境事件に関して「80年6月15日事件の継続であり,ベトナムがタイを脅かし侵犯する一つの段どりである」と。
DIA-203-1981-02-21-1ラオス1981年02月21日1980年代カイソン書記長以下党代表団,訪ソ―ソ連共産党第26回党大会出席のため。
DIA-203-1981-02-23-1ラオス1981年02月23日1980年代ハンガリー援助によるビエンチャン州サイタニ区ナポックの養鶏場定礎式。83年完成予定。1週間に3万5000羽のヒヨコ生産能力。24日,ハンガリーと,同建設に関する81~83年無利子借款協定をはじめとする他の協定にも調印。
DIA-203-1981-02-27-1ラオス1981年02月27日1980年代80年12月以来,諸州公共事業部門は国道13号道路の改善・修理計画を実行開始(VOS)。
DIA-203-1981-03-01-1ラオス1981年03月01日1980年代(ビエンチャン)ベトナムと81~85年教育議定書調印。76.8.31付協定に基づく。
DIA-203-1981-03-02-1ラオス1981年03月02日1980年代(モスクワ)カイソン=レ・ズアン会談。
DIA-203-1981-03-04-1ラオス1981年03月04日1980年代スウェーデン援助のビエンチャン・ダドゥアの酸素・アセチレン工場建設で定礎式。
DIA-203-1981-03-10-1ラオス1981年03月10日1980年代(バンコク)ESCAP総会開幕。11日,ラオス代表,中国と平和共存条約調印用意ありと発言。相互独立,主権,領土保全,非侵略,内政不干渉を基礎に。
DIA-203-1981-03-12-1ラオス1981年03月12日1980年代閣議・最高人民評議会常任委合同会議―80年予算の実施状況検討,81年国家予算を採択。
DIA-203-1981-03-13-1ラオス1981年03月13日1980年代財政省・商業省,通商に関する公式声明発表―第1四半期に国家独占される輸出入品目に関して。輸出品:木材,鉱産物,米,コーヒー,カルダモン,うるし等。輸入品:国営企業用機械・原料,輸送車,バス,トラクター,工場用の機械・部品,建設用セメント,鋼鉄,燃料,米,砂糖,塩(KPL)。
DIA-203-1981-03-16-1ラオス1981年03月16日1980年代(モスクワ)ブレジネフ・カイソン会談―カイソン書記長,ソ連の対ラ援助に感謝の念を表明。ブ書記長,ラオスを引続き支援していくと約束。
DIA-203-1981-03-16-2ラオス1981年03月16日1980年代(ビエンチャン)ブルガリア文化・教育・科学協力・相互援助5カ年協定調印。
DIA-203-1981-03-17-1ラオス1981年03月17日1980年代党中央委政治局指令―党創立26周年記念で。第1次5カ年計画普及の他,○農業税徴集,余剰米買入れ計画目標の達成,○物資分配・節約等の指導監督,○各級機関・サービス部門の改善など。
DIA-203-1981-03-17-2ラオス1981年03月17日1980年代日本,対ラ援助1億0406万円手交(VNA)。
DIA-203-1981-03-19-1ラオス1981年03月19日1980年代サンディニスタ民族解放戦線・ニカラグア国家再建政府代表団,訪ラ(~21日)。共同声明発表。
DIA-203-1981-03-22-1ラオス1981年03月22日1980年代党中央委,党創立26周年アピール―第1次5カ年計画遂行で末端水準党組織の強化・建設を訴え。
DIA-203-1981-03-25-1ラオス1981年03月25日1980年代全国財政問題会議閉会,ヌーハック財政相が演説,次期5カ年と81年の行動方針を採択。
DIA-203-1981-03-25-2ラオス1981年03月25日1980年代ネグロポンテ米国務副次官補,訪ラ。
DIA-203-1981-03-26-1ラオス1981年03月26日1980年代エサフィ国連事務総長特使,訪ラ(~28日)。カンボジア間題で。ラオス側より新感触なし。
DIA-203-1981-03-26-2ラオス1981年03月26日1980年代プーミ副首相以下党代表団,ブルガリア,チェコ,東独の各党大会に出席のため出発。
DIA-203-1981-03-30-1ラオス1981年03月30日1980年代30,31両日,ラオスより41人(38人は元軍将校)がタイのノンカイヘ脱出(4.1付バンコク・ポスト)。
DIA-203-1981-04-07-1ラオス1981年04月07日1980年代オス電力会社81年年間計画発表―1.ナムグム・ダム電力をビエンチャン北方トゥーラコムヘ,2.ノンテン電力を同サナイトンヘ供給,3.ビエンチャン州ハサイフォン区のポンプ基地へ電力送付(KPL)。
DIA-203-1981-04-08-1ラオス1981年04月08日1980年代集約農業活動検討会議閉会。
DIA-203-1981-04-10-1ラオス1981年04月10日1980年代(ビエンチャン)ラオス,越,タイ民間航空,3国間民間航空協定(76,77年調印)実行覚書に調印。
DIA-203-1981-04-13-1ラオス1981年04月13日1980年代ラオス人民民族解放統一戦線,国連に文書提出―カンボジアに等しい関心を越覇権主義に直面するラオスに抱くよう要請。国連がラオスの主権を保証し,国連監視下で総選挙を行うよう要求(AFP)。
DIA-203-1981-04-15-1ラオス1981年04月15日1980年代ソ連と5カ年輸送交通協力議定書調印。75,79,80年経済科学技術協力協定実行で。
DIA-203-1981-04-16-1ラオス1981年04月16日1980年代ラオス,ソ連顧問の北部ラオス=ルアンナムター駐在を初めて許可。タイ軍最高司令部スポークスマンが言明(4.20付AFP)。
DIA-203-1981-04-16-2ラオス1981年04月16日1980年代ボンビチト副首相,新年で教育幹部,教員,学生にメッセージ送付。79~80年の教育成果に関して。
DIA-203-1981-04-20-1ラオス1981年04月20日1980年代フィリュービン・ソ連外務次官,訪ラー(~23日)。プーン外相と世界情勢,東南ア情勢で,22日,カイソン首相と同問題,両国友好協力関係で会談。重要な国際問題の全てについて両国の立場は完全一致。
DIA-203-1981-04-21-1ラオス1981年04月21日1980年代(ビエンチャン)ソ連と林業協力議定書調印。両国間経済科学技術協力協定に基づく。
DIA-203-1981-04-23-1ラオス1981年04月23日1980年代(ビエンチャン)ソ連と経済技術科学協力議定書調印―80.12.1協定より。ベトナム=ラオス間パイプラインと石油ポンプシステム建設の実現可能性調査,工事がソ連負担で行われる。
DIA-203-1981-04-24-1ラオス1981年04月24日1980年代(ビエンチャン)インドシナ3国外務代表者会議―プーン外相,駐ラ越,カンボジア各大使が。同日の共同声明はカンボジア国際会議以前の地域会議を呼びかけ。「ASEANの幾つかの国が提唱した地域協議」を受諾。ラオスをASEANとの地域協議インドシナ代表に任命。
DIA-203-1981-04-27-1ラオス1981年04月27日1980年代プーン・シパスート外相,インドネシア訪問―(~5.1)。28日,モフタル・ネシア外相と,30日,スハルト大統領,マリク副大統領と会談。カンボジア問題を含む両国間問題について。5月1日,共同新聞発表「両国友好関係強化で努力することで合意。地域間題では双方は意見の相違を認めながらも,意見交換の有益性で合意」。続けての外相の訪マ,訪比は一時延期。
DIA-203-1981-05-01-1ラオス1981年05月01日1980年代ベトナム援助の自動車修理・部品その他日用物資製造工場の落成式。各種軍用トラックの修理を行う。79年10月1日から建設開始。
DIA-203-1981-05-03-1ラオス1981年05月03日1980年代プーン外相,インドネシア訪問より帰国。
DIA-203-1981-05-05-1ラオス1981年05月05日1980年代(ビエンチャン)スウェーデンと81~82年対ラ無償援助(約5000万クローネ)覚書調印。
DIA-203-1981-05-06-1ラオス1981年05月06日1980年代(ビエンチャン)ソ連と地上衛星通信基地設立議定書調印。
DIA-203-1981-05-12-1ラオス1981年05月12日1980年代プーン外相,訪マ―(~15日)。15日,外相は声明発表。フセイン・オン首相,マハティール副首相と会見,リタウディン外相と両国関係,東南ア間題で意見交換,「幾つかの点で相違があったにもかかわらず,討議を続行することで意見一致」。続いて訪比。
DIA-203-1981-05-12-2ラオス1981年05月12日1980年代(ビエンチャン)ブルガリアと林業協力覚書。
DIA-203-1981-05-14-1ラオス1981年05月14日1980年代外務省,駐ラ・中国大使館に抗議覚書―4月末から5月7日までの北部国境地域での武力挑発で。
DIA-203-1981-05-15-1ラオス1981年05月15日1980年代プーン外相,訪比―(~17日)。マルコス大統領と会見,ロムロ外相と会談。地域間題に関して,双方は「立場の相違に留意し,意見交換継続が有益」であることで合意。17日,共同新聞発表。18日,帰国。
DIA-203-1981-05-17-1ラオス1981年05月17日1980年代北部ウドムサイ州で,中国の軍事挑発に抗議する2000人の大衆集会開催。
DIA-203-1981-05-19-1ラオス1981年05月19日1980年代ビエンチャン州パクサン区ナムザップ川の国道13号線の鉄橋(長さ166m,幅4m)の修理完成。
DIA-203-1981-05-20-1ラオス1981年05月20日1980年代シアン・パサソン社説:プーン外相のASEAN3国訪問に関して「帝国主義者と国際反動は東南ア地域で,インドシナ,ASEAN間に誤解を生じさせることを目的に干渉と挑発を強化している」と指摘。
DIA-203-1981-05-20-2ラオス1981年05月20日1980年代北京放送,18日にラオス兵に変装した越武装要員一団が中ラ国境から雲南省へ侵入したと報道。
DIA-203-1981-05-21-1ラオス1981年05月21日1980年代全国農業協同組合指導委会議―組合網拡充で,現在組合の合理化と組合員の生活条件改善が主要議題。20日間。
DIA-203-1981-05-23-1ラオス1981年05月23日1980年代外務省,駐ラ中国大使に抗議覚書。18日のウドムサイ州ナモ区での侵犯,待伏せ攻撃に対して。
DIA-203-1981-05-23-2ラオス1981年05月23日1980年代シアン・パサソン論評「北京は雲南省で5000人のラオス人ゲリラを訓練すると共に,亡命中のラオス反動に武器と食糧の供給を増やしている」。
DIA-203-1981-05-25-1ラオス1981年05月25日1980年代カイソン書記長以下代表団,訪カ―カンボジア人民革命党第4回党大会出席で。
DIA-203-1981-05-29-1ラオス1981年05月29日1980年代(ビエンチャン)東独と81~85年貿易協定,81年貿易議定書調印。
DIA-203-1981-05-30-1ラオス1981年05月30日1980年代閣議,6.1全国植林デーで指示。各公民が苗木10本(5本工業用,5本果樹用)を植えるよう訴え。
DIA-203-1981-06-03-1ラオス1981年06月03日1980年代(ビエンチャン)ベトナムと5カ年間の経済・文化・科学・技術協力議定書調印。
DIA-203-1981-06-04-1ラオス1981年06月04日1980年代プーン外相,訪ビ―(~8日)。ウ・レ・マウン外相と,友好関係強化,双方が関心を寄せている他の間題について意見交換。
DIA-203-1981-06-06-1ラオス1981年06月06日1980年代(ビエンチャン)人民革命党第1回民族問題会議開催―(~16日)。特にメオ族問題に関して。カムタイ国防相出席。15日,カイソン書記長が演説。7月7日,ルアンプラバン州でこのカイソン演説と党中央委政治局の各民族に関する決議研究に関する会議開幕。
DIA-203-1981-06-09-1ラオス1981年06月09日1980年代シーソムポン党政治局員,モンゴル人民革命党第18回党大会より帰国。
DIA-203-1981-06-13-1ラオス1981年06月13日1980年代(プノンペン)インドシナ3国外相会議―(~14日)。共同声明は拡大地域会議開催を呼びかけ。プーン外相が出席(11~15日,訪カ)。
DIA-203-1981-06-17-1ラオス1981年06月17日1980年代(マニラ) ASEAN外相会議―(~18日)。インドシナ3国にカンボジア国際会議参加で検討を呼びかけ。
DIA-203-1981-06-17-2ラオス1981年06月17日1980年代ソ連とカムムアン州に建設するスズ精練工場援助議定書調印。79年2月協定に基づきソ連は資金を供給。
DIA-203-1981-06-18-1ラオス1981年06月18日1980年代カムタイ国防相,訪カ―(~21日)。カンボジア革命軍記念式典で。訪カ中,ペン・ソワン国防相・ヘン・サムリン議長と会見。
DIA-203-1981-06-24-1ラオス1981年06月24日1980年代(ビエンチャン)ベトナムと81~83年灌漑協力協定調印。
DIA-203-1981-06-24-2ラオス1981年06月24日1980年代ソ連と職業学校建設契約等に調印。600人の学生を収容するもの。他に道路建設機械も供給。
DIA-203-1981-06-29-1ラオス1981年06月29日1980年代カンプー労働・給料委委員長以下代表団,コメコン総会(7.2~4)に出席するためソフィアに出発。7月7日,帰国。
DIA-203-1981-07-02-1ラオス1981年07月02日1980年代チャンパサック州で文盲排除運動完了。
DIA-203-1981-07-10-1ラオス1981年07月10日1980年代(ビエンチャン)越と81年公衆衛生協力覚書。
DIA-203-1981-07-11-1ラオス1981年07月11日1980年代プーン外相,国連事務局にメッセージ。カンボジア国際会議に欠席し,同会議の全決議を無効とみなす旨を通知。
DIA-203-1981-07-13-1ラオス1981年07月13日1980年代(ニューヨーク)カンボジア国際会議開催―(~18日)。15項目宣言,カンボジアに関する臨時委員会設置。21日,外務省声明,同会議を非難するカンボジア外務省声明を支持。
DIA-203-1981-07-14-1ラオス1981年07月14日1980年代ヌーハック副首相,越ラ友好条約締結記念で新5カ年計画実行状況に関し,VNAとインタビュー。
DIA-203-1981-07-14-2ラオス1981年07月14日1980年代(ビエンチャン)ソ連とレンガ製造工場建設議定書・覚書調印。年産能力700万~1200万。ソ連が資金援助と建設援助。
DIA-203-1981-07-17-1ラオス1981年07月17日1980年代政府,レ・ズアン・ベトナム共産党書記長に国家金章贈与を決定。
DIA-203-1981-07-18-1ラオス1981年07月18日1980年代ラオス・ベトナム友好協力条約調印4周年記念祝賀大衆集会―カイカンピトゥン党中央委員が演説。
DIA-203-1981-07-19-1ラオス1981年07月19日1980年代ブルガリア援助で建設された国道9号線サワンナケート州ドンヘン村チャンポイ川橋引渡し式。長さ130m,幅9m。
DIA-203-1981-07-20-1ラオス1981年07月20日1980年代閣議指令―○人民の自由な往来,物資の流通を妨げている現存規則の廃止と徴税行為の停止を行う。○遠隔地旅行に行政委発行の身分証明書が必要である以外は人民は自由な往来の権利を持つ。○商活動は国家独占品目(日誌2.19参照)を除いて自由業務が認められる。○国境諸州は輸出入品目の取扱い,徴税,越境に対する監査を促進すべし,など。79.12.19政令の発展。
DIA-203-1981-07-24-1ラオス1981年07月24日1980年代プーミ・ノサバン元首相,反越民族解放戦線の議長就任要請を受諾―要請はカンボジア国際会議の折に亡命指導者の会合でなされた。同元首相はバン・パオ・メオ族軍司令官と緊密に接触していたことを確認。またラオス統一民族解放戦線(ULNLF)が80年末以来,クメール・ルージュと協力しベトナムのFULROと連携し,北部少数民族を含む2万の武装ゲリラを擁し,中国が雲南省南部でゲリラを訓練している(81年初頭以来2000人)と言明。AFPとのインタビューで(AFP)。
DIA-203-1981-07-27-1ラオス1981年07月27日1980年代シアン・パサソン紙,プーミ・ノサバン元首相を中心とする反越統一戦線の結成に関し「米帝国主義,北京反動,タイの手先が結托してラオス政府に敵対する陰謀を実行することを目的としている」ものと非難。
DIA-203-1981-07-28-1ラオス1981年07月28日1980年代国立銀行,偽造50キープ紙幣の回収を通告。
DIA-203-1981-07-31-1ラオス1981年07月31日1980年代プーミ副首相解放以来過去5年の教育体制の発展に関してVNAとインタビュー。
DIA-203-1981-08-02-1ラオス1981年08月02日1980年代ソ連,キエフでラオス,カンボジアのパイロットを養成中(VDS)。
DIA-203-1981-08-03-1ラオス1981年08月03日1980年代(ビエンチャン)日本と教育協力覚書調印。日本側80~81年に3000万円を援助。
DIA-203-1981-08-05-1ラオス1981年08月05日1980年代スリウォン殿下,タヤ殿下(バッタナ前国王の孫),タイへ亡命。11日,他の旧主族8名も。
DIA-203-1981-08-05-2ラオス1981年08月05日1980年代(ハノイ)越と81~82年文化協力協定調印。
DIA-203-1981-08-06-1ラオス1981年08月06日1980年代(ビエンチャン)タイと81~86年電力供給契約調印―対タイ供給電力新価格は過去10カ年の3倍,1ユニット71サタン。今後タイは現行1.7億バーツに3.9億バーツを加えた5.6億バーツをラオスに支払う。10月より実施。当初ラオスはコスト高騰を理由に現行料金の5倍を要請(8.7付バンコク・ポスト)。
DIA-203-1981-08-12-1ラオス1981年08月12日1980年代カイソン首相・党書記長,訪ソ(9.14参照)。
DIA-203-1981-08-13-1ラオス1981年08月13日1980年代最高人民評議会定例会議―ス大統領,現在の困難の原因として,管理と指導の未熟さ,諸少数民族対策の不備を指摘。党7・8中総決議の理解を呼びかけ。会議は,81年下半期予算修正案,国家予算と使用に関する法案,銀行の国家独占に関する法案,81年6月23日付ソ連最高会議アピール(米帝非難)を採択して閉会。
DIA-203-1981-08-16-1ラオス1981年08月16日1980年代(ハノイ)越と81年対ラオス農林・灌漑省援助・科学技術協力協定調印。
DIA-203-1981-08-17-1ラオス1981年08月17日1980年代(ビエンチャン)ソ連とカムムアン州木材伐採企業建設技術援助協定調印。ソ連側,建設調査で専門家派遣,必要な機械を供給(モスクワ放送)。
DIA-203-1981-08-19-1ラオス1981年08月19日1980年代メコン川水位急速に上昇,田畑に一部被害発生。
DIA-203-1981-08-21-1ラオス1981年08月21日1980年代(ビエンチャン)ソ連と81~82年文化科学協力計画調印。
DIA-203-1981-08-21-2ラオス1981年08月21日1980年代ヌーハック副首相,訪越(~23日)。レ・ズアン越共産党書記長に国家金章を贈呈。
DIA-203-1981-08-21-3ラオス1981年08月21日1980年代ラオス青年105人,カンボジア青年65人が,農業,冶金,電気,遠距離通信等の職業訓練受講のため東独到着。現在ラオスの東独留学生250人(VNA)。
DIA-203-1981-08-23-1ラオス1981年08月23日1980年代(バルナ・ブルガリア)カイソン首相,ジフコフ・ブルガリア党第一書記・国家評議会議長と会見。国際問題について意見交換,中国の拡張政策を非難。
DIA-203-1981-08-24-1ラオス1981年08月24日1980年代(プノンペン)カンボジアと81~85年通商協定。
DIA-203-1981-08-25-1ラオス1981年08月25日1980年代81年前半の工業生産は計画を8%超過達成。電力3億9953万5000kw生産。110kw送電線,動力揚水場など建設。亜鉛186t,石こう25tを採掘(VNA)。
DIA-203-1981-08-27-1ラオス1981年08月27日1980年代北部地区で中国によって訓練された反政府レジスタンス兵士12人を逮捕(VNA)。
DIA-203-1981-08-29-1ラオス1981年08月29日1980年代ソ連援助によるビエンチャン州ポンホン区ポンスンの150kwラジオ放送局建設着工式。
DIA-203-1981-09-04-1ラオス1981年09月04日1980年代ビエンチャン国内放送「中国は最近フォンサリ州国境沿いに軍隊を増強・集結し,緊張を高め,挑発と扇動を続けている。中国反動はスパイを越境させて,国境防衛軍の配備に関する情報を求め,人民,特に山岳少数民族の間に不穏状態を作り出そうとしている」
DIA-203-1981-09-04-2ラオス1981年09月04日1980年代(ハノイ)越と交通輸送協力議定書調印。
DIA-203-1981-09-12-1ラオス1981年09月12日1980年代ビエンチャン国内放送,ビエンチャン州中部の豪雨が収まり,メコン川の水位が低下中と報道。
DIA-203-1981-09-14-1ラオス1981年09月14日1980年代(モスクワ)カイソン・ブレジネフ会談―双方は兄弟的友好・全面的協力の発展に満足の意を表明,81~85年国民経済計画はソ連の対ラ輸出増,各経済部門要員養成援助での経済関係を促進する。ソ連は地域協議を開くとのインドシナ諸国の提案を支持し,インドシナ3国の関係を更に強化したいとのラオスの願いを支持する。ラオスはソ連共産党第26回大会が定めたソ連の平和的対外政策を全面的に支持する(9.15VNA)。ブレジネフ書記長,カイソン首相にレーニン勲章授与。
DIA-203-1981-09-14-2ラオス1981年09月14日1980年代キューバ党・政府代表団,訪ラ―(~16日)。両国経済・科学・技術協力政府委員会設置で合意。
DIA-203-1981-09-15-1ラオス1981年09月15日1980年代ヌーハック副首相,国連開発計画(UNDP)農業食糧機構(FAO)代表団と会見,国際諸機関が対ラ経済回復・建設に更に援助を与えてくれるよう要請。
DIA-203-1981-09-17-1ラオス1981年09月17日1980年代第2回全国農業工作総括会議―(~25日)。会議は,81年の工作がかなり良好で人民の間に集約農業が進み,現在の米作予想生産量が100万tを超過していると報告(9.29付VNA)。
DIA-203-1981-09-18-1ラオス1981年09月18日1980年代ラオス人民民族解放統一戦線,旧ラオス王国復活計画発表―結成1周年で15日付でAFPに送付した声明で。同戦線は中国の支援を受け,中立派,山岳少数民族,タイ,仏在住旧右派を結集,プーミ・ノサバン元首相を総司令官,インペン・スリニャタイ元法相を政治指導者スポークスマンとし,在米バン・パオ将軍,在仏チャンパサック元国防相が戦線を支持。現在,在豪の元国王義弟カムヒン殿下に“摂政殿下”就任を要請中。戦線はラオスの政治的解決を求めており,ラオスの北部と南部に解放区を樹立の予定(AFP)。
DIA-203-1981-09-21-1ラオス1981年09月21日1980年代(ビエンチャン)州商工業局,3番目の飼牛農場建設。水牛・牛250頭を飼育・(VNA)。
DIA-203-1981-09-24-1ラオス1981年09月24日1980年代(ハノイ)越と教育協力議定書調印。
DIA-203-1981-09-29-1ラオス1981年09月29日1980年代バッタナ元国王,このほど死去。ファパン州ウィエンサイの再教育キャンプで。ノンカイ難民キャンプの元ラオス最高人民評議会委員が29日に確認したもの(9.30付北京放送=RP)。
DIA-203-1981-10-05-1ラオス1981年10月05日1980年代(モスクワ)ソ連と81~82年経済・科学・技術協力計画実施に関する協定・議定書調印―ラオス側ヌーハック副首相ソ連側カツシェフ副首相。
DIA-203-1981-10-07-1ラオス1981年10月07日1980年代プーン副首相・外相,キューバ(7~12日),ブルガリア(12~15日),ハンガリー(15~19日)訪問。
DIA-203-1981-10-10-1ラオス1981年10月10日1980年代(ビエンチャン)補充教育運動検討会議,81~82学年末までに文盲完全追放を発表。過去3カ年の文盲解放は約63万7000人(10.11付VNA)。
DIA-203-1981-10-10-2ラオス1981年10月10日1980年代ビエンチャン国内放送,ソ連との協力関係に関して「ソ連はラオスの諸種経済企業の建設(病院,橋,自動車修理工場,石油貯蔵所,学校など)を援助した。ソ連衛星通信システムを通じてソ連テレビ放映が可能となる。多数のラオス人学生がソ連で高等教育・職業教育を受けている。81~85年にかけて,ラオスはソ連にコーヒー,うるし,安息香,たばこ等を供給し,ソ連は専門家の訓練,交通網の整設,森林・加工業等でラオスを援助する」と成果,展望を報道。
DIA-203-1981-10-12-1ラオス1981年10月12日1980年代(ハノイ)ラオス社会主義建設防衛に貢献したベトナム人労働者・軍単位に対する勲賞授与式。
DIA-203-1981-10-13-1ラオス1981年10月13日1980年代外務省,在ラ・タイ大使に覚書。9日にタイ・パトロール隊がメコンでラオス貨物船4隻を攻撃,海賊行為を働いたことに抗議。タイ側はこれを否定。
DIA-203-1981-10-15-1ラオス1981年10月15日1980年代ギニア革命人民共和国と大使級外交関係樹立。
DIA-203-1981-10-22-1ラオス1981年10月22日1980年代プーン副首相・外相,訪ソ―(~26日)。23日,グロムイコ外相と会談。26日,共同声明「会議は東南ア情勢に特別の注意を喚起。ソ連は東南ア地域会議開催に関するインドシナ諸国の諸提案を支持。ソ・ラ両国は友好協力関係の全面的強化の意向を表明」。
DIA-203-1981-10-26-1ラオス1981年10月26日1980年代パイデン・ロブリアニャオ最高人民評議会副議長,全山岳部族民に新年のメッセージ送付。
DIA-203-1981-10-26-2ラオス1981年10月26日1980年代(ビエンチャン)東独と12の修理工場建設議定書調印。援助額1300万マルク。靴,自転車,オートバイを修理。82年初頭よりビエンチャン,カムムアン,サワンナケート,チャンパサック州で建設開始。
DIA-203-1981-10-26-3ラオス1981年10月26日1980年代(ビエンチャン)ベトナム援助で建設された血清製造施設引渡し式。ラオス初の施設(VNA)。
DIA-203-1981-10-28-1ラオス1981年10月28日1980年代(ビエンチャン)ソ連と,ベトナムのビン市~ビエンチャン間の石油パイプライン建設援助議定書調印。
DIA-203-1981-10-28-2ラオス1981年10月28日1980年代(ビエンチャン)カンボジアと外交・公用パスポート携行者の出入国ビザ相互免除協定調印。
DIA-203-1981-11-02-1ラオス1981年11月02日1980年代(ビエンチャン)チェコと,国道9号線上の2つの橋梁建設議定書調印。
DIA-203-1981-11-05-1ラオス1981年11月05日1980年代(ビエンチャン)ベトナムと81~85年物資交換支払協定,82年物資交換・支払議定書に調印。
DIA-203-1981-11-06-1ラオス1981年11月06日1980年代AFP,旧政権公務員が再教育の後,行政機関の専門職に就き,政治的緊張は緩和されている,81年の米の好収穫は,地方への分配の困難を除いて経済の危機状態を脱せしめている,と報道。
DIA-203-1981-11-10-1ラオス1981年11月10日1980年代(ビエンチャン)日本と,市内に建設する2つの給水塔のための6億円供与協定調印。21万人分の水不足解決のため。82年初頭より着工。15カ月間の工程。
DIA-203-1981-11-11-1ラオス1981年11月11日1980年代ラオス人民民族解放戦線一部指導者,スイスで会議―18日付シアン・パサソン紙,同会議は米・中が根廻しして開催したものと非難(AFP)。
DIA-203-1981-11-12-1ラオス1981年11月12日1980年代ブーン外相,訪タイ―(~15日)。タイ指導部と国境横断,メコン利用,国境の治安,難民問題などで会談。15日,共同声明「外交関係強化,友好関係回復で合意。ムクダーハンで国境再開。国境付近のゲリラ・反政府勢力を協力して掃討する。ラオスは在タイ難民2000人の帰還を歓迎し,同問題は今後も交渉継続する」。
DIA-203-1981-11-18-1ラオス1981年11月18日1980年代党書記局指令―少数民族の旧正月行事に関して。要旨「米帝は中国と結託しタイ反動を利用して,メオ族を集めてバン・パオを指導者とするモン王国を中国領内に造ろうとし,メオ族に心理戦訓練を行い,ラオス・中国国境,ラオス・タイ国境に派遣して混乱を起こそうとしている。更に彼らはラオス・中国国境に開発村を造ってラオス解放を唱えている。党・行政委は,世界情勢と建設・国防に関する正しい発表を行うべきである」。
DIA-203-1981-11-18-2ラオス1981年11月18日1980年代カイソン書記長・首相,10~11月にルアンプラバン,ウドムサイ両州の地方・軍を訪問。国防・治安維持に関する党路線・政策の理解,「新たな敵」に対する知識水準を高めるよう呼びかけ(VDS)。
DIA-203-1981-11-18-3ラオス1981年11月18日1980年代シアン・パサソン論評,ラオス人民民族解放戦線の結成を,北京,ワシントンによる共和国を破壊しようとする隠謀である,と非難。
DIA-203-1981-11-18-4ラオス1981年11月18日1980年代(ビエンチャン)東独と,81~85年相互協力協定,農林業協力拡大議定書に調印。
DIA-203-1981-11-25-1ラオス1981年11月25日1980年代(ビエンチャン)チェコと81~85年文化・教育・科学協力覚書調印。ラオス学生の訓練に関するもの。
DIA-203-1981-11-27-1ラオス1981年11月27日1980年代(ビエンチャン)東独と82年職業訓練議定書。
DIA-203-1981-11-30-1ラオス1981年11月30日1980年代チュー・フイ・マン越大将・党政治局員,訪ラ―12.1,スファヌボン大統領に金星勲章授与。
DIA-203-1981-12-01-1ラオス1981年12月01日1980年代(ビエンチャン)建国記念日祝賀大集会―プーミ副首相が過去6カ年の成果に関して演説。籾収穫100万t以上。識字率85%に達し,学生・生徒数50万人。
DIA-203-1981-12-05-1ラオス1981年12月05日1980年代仏とピエンチャン・パリの大使館再開で合意。
DIA-203-1981-12-05-2ラオス1981年12月05日1980年代81年の農業成果―水田面積43万9250ha(80年比3.3%増),集約生産面積約5万6712ha。籾収穫114万3865ha(同9.74%増),澱粉作物12万5856t,工業用作,物4万2549t。水牛87万0328頭,牛46万頭,豚114万0800頭,羊5万0590頭,家禽467万6619羽。植林約100ha,伐採12万m3,輸出木材8943m3。新規灌漑施設96,灌漑面積4万9134ha(VDS)。
DIA-203-1981-12-05-3ラオス1981年12月05日1980年代(ビエンチャン)スウェーデンと,協力基金割当覚書調印。これに基づき82/83,83/84年度に林,工業,交通,輸送分野において5500万クローネの基金を拡大。
DIA-203-1981-12-07-1ラオス1981年12月07日1980年代(ビエンチャン)タイの民間会社と,ナムグム集水地域の木材開発契約に調印。
DIA-203-1981-12-12-1ラオス1981年12月12日1980年代工業・貿易省会議―81年の成果発表。工業総生産81年比74.88%増。電力36.19%増。中央から地方への流通・輸送量5.19%増。輸出13%増,輸入52%増。国家による余剰米購入前年比3.9倍(12.14付VDS)。
DIA-203-1981-12-14-1ラオス1981年12月14日1980年代タイヘの難民151人が帰国。80年3月以来の自発的帰国者数は669人に。タイ領には5万人(AFP)。
DIA-203-1981-12-15-1ラオス1981年12月15日1980年代(ビエンチャン)ブレジネフ生誕祝賀大衆集会。
DIA-203-1981-12-18-1ラオス1981年12月18日1980年代(ビエンチャン)社会主義諸国外務次官会議開催―ラオスの主唱で越,カ,ソ連,東欧諸国,モンゴルが参加。アジア問題,アフガンと特にカンボジア問題で。会議はインドシナ3国の対東南ア提案,カンボジア人民共和国の合法性を再確認。19日,共同声明発表。
DIA-203-1981-12-18-2ラオス1981年12月18日1980年代カイソン書記長・首相,ス大統領,ブレジネフソ連共産党書記長・最高会議議長75歳の誕生日で祝電送付。また政府,同書記長に国家金勲章授与。
DIA-203-1981-12-19-1ラオス1981年12月19日1980年代シアン・パサソン,ブレジネフ生誕記念社説。
DIA-203-1981-12-21-1ラオス1981年12月21日1980年代(ビエンチャン)キューバと81~83年文化交換協力協定に調印。
DIA-203-1981-12-21-2ラオス1981年12月21日1980年代越党教宣代表団,訪ラ(~28日)。滞在中,宣伝と訓練分野での協力覚書に調印。
DIA-203-1981-12-21-3ラオス1981年12月21日1980年代(ビエンチャン)ラオスで際立った成果をあげた越専門家への勲章授与式。
DIA-203-1981-12-23-1ラオス1981年12月23日1980年代(ビエンチャン)軍政治会議―諸外国で訓練された武官に階級を授与。位階は準尉,少尉,中尉。
DIA-203-1981-12-23-2ラオス1981年12月23日1980年代(ビエンチャン)ソ連と越=ビエンチャン間石油パイプライン(465km)建設計画契約に調印。費用はソ連側負担。
DIA-203-1982-01-03-1ラオス1982年01月03日1980年代(ハバナ):キューバ・ラオス経済科学技術協力委第1回会議。政治経済関係の発展で合意(VNA)。
DIA-203-1982-01-11-1ラオス1982年01月11日1980年代シアン・パサソン社説,81年の国家計画成果を分析―特に農業生産の好調は,(1)多くの協同組合が集約農耕を行った事,(2)好天に恵まれた事にあると指摘。
DIA-203-1982-01-11-2ラオス1982年01月11日1980年代(ビエンチャン):最高人民評議会年次会議開催(~14日)―カイソン首相が81年の情勢と82年の基本的任務に関して報告。14日,カイソン報告と,82年国家予算に対するヌーハック副首相・財政相の報告を承認。また最高人民評議会の81年の活動報告と82年計画を採択。
DIA-203-1982-01-12-1ラオス1982年01月12日1980年代(ビエンチャン):ソ連の対ラ自動車修理工場建設援助に関する覚書調印。サバナケート,チャンパサック,ルンプラバンの3州で83年初頭より開始。同時にソ連はこの3州での倉庫建設も援助の予定。
DIA-203-1982-01-13-1ラオス1982年01月13日1980年代82年国家計画の主要指標―サリ・ウォンカムサオ国家計画委議長がVNAとの会見で発表したもの。82年の国民総生産は81年比16%増,国民所得65%増。国家収益7%増,国内貯蓄19%増,国家支出6.5%増。基本建設投資19%増(うち国内からの投資32.4%増,外国からの投資13.6%増)。特に対農業投資28.2%増,対交通・運輸投資31.1%増。82年の食糧生産は121万8000㌧,うち籾118万3000㌧。工・手工業生産4.7%増,A部門44%増,B部門50%増。電力1%増,化学製品64%増,機械41%増,木材伐採・加工80%増,建設資材44%増,食品加工55%増,家庭用品27%増,医薬品6倍,その他の工業事業82%増(VDS=ビエンチャン国内放送)。
DIA-203-1982-01-16-1ラオス1982年01月16日1980年代(ビエンチャン):ソ連と,ラオスにトラック243台を供与する協定調印。81~85年経済科学技術協力協定並びに議定書の履行の一部。
DIA-203-1982-01-17-1ラオス1982年01月17日1980年代サィニャブリー州サイニャブリー区でフン川の95mの橋の建設,地域当局によりこのほど完了(KPL)。
DIA-203-1982-01-19-1ラオス1982年01月19日1980年代人民解放軍建軍記念日で記念軍事命令発令。
DIA-203-1982-01-21-1ラオス1982年01月21日1980年代(ビエンチャン):モンゴルと経済科学技術金融協力に関する覚書調印。80年の同協定の履行を銘記。
DIA-203-1982-01-24-1ラオス1982年01月24日1980年代公衆衛生省,カムムアン,サラワン,アッタブ,チャンパサック4州でマラリア防止学習コース開設。6カ月間,医療担当者39名が参加(VNA)。
DIA-203-1982-01-24-2ラオス1982年01月24日1980年代第1回銀行業務コース終了(1年間)。58名が終了試験に合格(VNA)。
DIA-203-1982-01-28-1ラオス1982年01月28日1980年代(ビエンチャン):東独と非営利支払議定書調印。
DIA-203-1982-01-31-1ラオス1982年01月31日1980年代AFP,81年11月15日に米国の雇兵2グループがラオスに侵入,スパイ活動を行ったと報道(VNA)。
DIA-203-1982-02-03-1ラオス1982年02月03日1980年代(ビエンチャン):ソ連と経済科学技術協力議定書に調印。
DIA-203-1982-02-03-2ラオス1982年02月03日1980年代(ビエンチャン):ベトナムを介しての,ラオス,ソ連の経済・通商活動を調整する原則を策定する会議開催。3日,議定書に調印(2月4日付VNA)。
DIA-203-1982-02-05-1ラオス1982年02月05日1980年代国家建設戦線中央委年次会議開催(~7日)。
DIA-203-1982-02-10-1ラオス1982年02月10日1980年代オガルコフ・ソ連軍参謀総長以下代表団,訪ラ(~11日)―カムタイ国防相らと両軍の団結,協力,援助等の強化について集中的に協議。
DIA-203-1982-02-15-1ラオス1982年02月15日1980年代(ハノイ):越ラ経済科学技術文化協力委第6回会議,82年のベトナムの対ラ援助協定,両国の経済科学技術文化協力に関する議定書に調印。
DIA-203-1982-02-15-2ラオス1982年02月15日1980年代ラオス,7年ぷりに外国人観光者受入れヘー15日にバンコクの旅行業者が言明。3月13日に最初のグループがタイより入国の予定。貿易赤字に悩むラオスが外貨獲得を狙って踏切った措置と見られる。
DIA-203-1982-02-16-1ラオス1982年02月16日1980年代閣議と最高人民評議会常任委,党と国家の決議およぴ指令実行に関する監査と検証を強化する法令No2を分布―・党,国家諸監査委員会を設立する,・諸監査委は党中央委閣議の承認を受け,その活動は全て党中央委閣議の指導を受ける,・州級党・行政監査委員会を設立する。その活動は州党委・行政委の指導を受ける,・区級も同様の監査委員会を設立する,・工場,協同組合,事務所,諸機関も中央級の党・国家監査委の許可を受けた後,各小委員会を設立しうる(23日VDS)。
DIA-203-1982-02-17-1ラオス1982年02月17日1980年代(ビエンチャン):インドシナ3国外相会議開催。
DIA-203-1982-02-18-1ラオス1982年02月18日1980年代(ビエンチャン):日本と対ラ援助5175万8000円の供与契約調印。経済建設,人民の福祉向上のため。
DIA-203-1982-02-19-1ラオス1982年02月19日1980年代ソ連援助で建設された衛星通信地上中継システムの引渡し式―78年10月4日調印の協定に基づき80年10月に建設開始。
DIA-203-1982-02-20-1ラオス1982年02月20日1980年代党中央委声明,近く第3回党大会が招集されると発表―党大会に向けて,16日に党中央委が採択した決議を実行し,全幹部・全党員に大会の目標と内容を知らせること,各級の党大会を漸次実行すること,党大会を記念しての競争運動を行なうこと等を要求。
DIA-203-1982-02-26-1ラオス1982年02月26日1980年代(ビエンチャン):スウェーデンの対ラ援助金50万クローナの引渡式。森林保護・開発の資金として。
DIA-203-1982-02-28-1ラオス1982年02月28日1980年代バイバコフ・ソ連副首相兼国家計画委議長以下代表団訪ラ(~3月3日)―カイソン首相,サリ国家計画委議長と両国経済関係の一層の強化の問題で協議。
DIA-203-1982-03-03-1ラオス1982年03月03日1980年代(ビエンチャン):世銀がラオス電力公社に1500万㌦の借款を供与することを取り決めた文書調印借款はナムグム・ダムの5番目の発電機設置のため使用。
DIA-203-1982-03-03-2ラオス1982年03月03日1980年代ソ連と対ラ灌漑援助に対する議定書調印―81~85年期にソ連は多数の灌漑プロジェクト建設計画の調査・作成を援助,35人の専門家と設備200㌧をビエンチャン,チャムパサック、サラワン等諸州に送る予定。
DIA-203-1982-03-03-3ラオス1982年03月03日1980年代ソ連設計者チームが設計した灌漑建設プロジェクト(農地1万haを灌漑するもの)に関する文書引渡し。
DIA-203-1982-03-05-1ラオス1982年03月05日1980年代アーメド国連総長特使,離ラ。4日間の滞在中,カムパイ外相代理と東南ア情勢,および当該地域の平和と安定を促進する諸問題について討議(5日RP=東京)。
DIA-203-1982-03-10-1ラオス1982年03月10日1980年代VDS,カイソン書記長の「社会主義に至る戦略」と題する長論文発表(~17日)―農業協同組合収益からの徴税が著しく減税されたこと,山岳部では免税を,荒地開墾者には年間非課税を行うこと等が要旨。
DIA-203-1982-03-13-1ラオス1982年03月13日1980年代(ビエンチャン):党中央軍事委員会会議。国防省が招集。第3回党大会出席代表を選出。
DIA-203-1982-03-14-1ラオス1982年03月14日1980年代仏僧の思想セミナー閉会。教育・スポーツ・宗教問題省が後援。7日間の日程で453人の僧侶が出席。
DIA-203-1982-03-15-1ラオス1982年03月15日1980年代カイソン書記長・首相,訪ソ(~19日)。
DIA-203-1982-03-15-2ラオス1982年03月15日1980年代(ビエンチャン):ソ連と建設資材輸送覚書調印。82年にソ連製建設資材2万5000㌧がベトナムを通じてラオスに引渡される(17日付KPL)。
DIA-203-1982-03-15-3ラオス1982年03月15日1980年代(ビエンチャン):東独援助で建設された自転車修理第1作業場の引渡し式。東独援助で建設される12の修理作業場のうち2番目のもの。
DIA-203-1982-03-16-1ラオス1982年03月16日1980年代ヌーハック副首相兼財政相,商品価格改定政策と公務員の給料に対する補充手当に関して講演―82年初頭より商品価格の現実的改定と公務員給与への補充手当に関する諸政策が実施されていることが明らかに。
DIA-203-1982-03-16-2ラオス1982年03月16日1980年代(ブダペスト):第5回ラオス・ハンガリー経済科学技術協力小委,科学技術協力議定書に調印(VNA)。
DIA-203-1982-03-18-1ラオス1982年03月18日1980年代(モスクワ):カイソン・ブレジネフ会談―双方は現在における最重要任務は新しい世界戦争の危険を除去し,情勢を緊張させている帝国主義・反動勢力に対して闘争することであるとの確信を表明,双方は東南ア情勢の正常化はこの過程で大いに役立つだろうとの見解を示し,ブ書記長はインドシナ3国外相会議の提案を熱烈に歓迎すると述べた(19日付VNA)。
DIA-203-1982-03-22-1ラオス1982年03月22日1980年代国家諸機関の党員会議開催(~23日)。過去3カ年の活動についての政治報告と82年行動計画を採択。
DIA-203-1982-03-25-1ラオス1982年03月25日1980年代カイソン書記長以下党代表団,ペトナム共産党第5回党大会出席のため訪越―4月1日,帰国。
DIA-203-1982-04-02-1ラオス1982年04月02日1980年代(ビエンチャン):ハンガリと82~85年外交協力協定,82~84年科学・教育・文化協力計画,82~85年医療協力協定に調印。
DIA-203-1982-04-02-2ラオス1982年04月02日1980年代(ビエンチャン):ラオス・モンゴル経済科学技術協力委第3回会議,対ラ追加援助で合意。シエンクワン州に60床の病院と山羊飼育場を建設するもの。
DIA-203-1982-04-05-1ラオス1982年04月05日1980年代(ビエンチャン):東独とコーヒー栽培・加工での協力に関する覚書に調印。
DIA-203-1982-04-06-1ラオス1982年04月06日1980年代(ビエンチャン):ソ連と領事協定に調印。
DIA-203-1982-04-06-2ラオス1982年04月06日1980年代(ビエンチャン):ブルガリアと対ラ援助議定書調印。ビエンチャン東方25kmに100haの野菜農場,倉庫,機械修理工場を建設するもの。
DIA-203-1982-04-13-1ラオス1982年04月13日1980年代(ビエンチャン):オーストラリアと82~83年機械修理協力協定調印。援助額は36万5000米㌦で,ラオスに移動自動車修理ユニット等諸設備を供給。
DIA-203-1982-04-15-1ラオス1982年04月15日1980年代ビエンチャン州パクサン区で最近大規模岩塩床を発見。岩塩床は約900km2で年産約1000㌧(VNA)。
DIA-203-1982-04-21-1ラオス1982年04月21日1980年代(バンコク):駐タイ・オランダ大使,オランダの対ラ灌漑プロジェクト第2期工事資金供与は国連・オランダの使節団が現場を視察できるまで停止されようと語る。工事に政治犯が強制労働させられているとの報告が事実であれば資金供与を打切るとも(21日付AFP)。
DIA-203-1982-04-22-1ラオス1982年04月22日1980年代(ビエンチャン):東独と医療協力議定書調印。
DIA-203-1982-04-22-2ラオス1982年04月22日1980年代(ビエンチャン):オーストラリアと400万オーストラリア㌦の牧畜・飼料設備を供給する協定調印。
DIA-203-1982-04-25-1ラオス1982年04月25日1980年代ロマノフ政治局員以下ソ連党代表団,ラオス党大会出席で訪ラ―26日,カイソン書記長と会談。ソ・ラ間の協力が新しい段階に高まるとの確信を表明(両国間の81~85年期貿易は前期比3.5倍に増加すると言明)。
DIA-203-1982-04-25-2ラオス1982年04月25日1980年代チュオン・チン政治局員以下べトナム党代表団,ラオス党大会出席で訪ラー同日,カイソン書記長と会談。
DIA-203-1982-04-27-1ラオス1982年04月27日1980年代(ビエンチャン):ラオス人民革命党第3回大会開催(~30日)―党員3万5000人を代表する228人(うち19人が元インドシナ共産党員)と16の外国代表団が出席。27日,カイソン書記長が「政治報告」を,ヌーハック党政治局員が「81~85年第1次5カ年計画の方向と諸任務に関する報告」(概要は「前文」参照)を,シーソムポン・ロワンサイ党政治局員が党規約修正案を報告。
DIA-203-1982-04-28-1ラオス1982年04月28日1980年代党犬会続く―ソ越など諸外国代表が演説。
DIA-203-1982-04-30-1ラオス1982年04月30日1980年代党大会閉幕―新中央委員会(委員49名,候補6名),政治局(7名),書記局(9名)等新役員を選出(ネーム・リストは「参考資料」参照),「政治報告」,「81~85年第1次5カ年計画の方向と任務に関する報告」,党規約改正等を承認した決議を採択,閉会。
DIA-203-1982-05-02-1ラオス1982年05月02日1980年代外務省,このほど駐ラ・タイ大使に書簡を送付―ラオスに対するタイの最近の武力挑発に抗議すると共に,両国地方国境委員会の開催を要請,これらの挑発行為を調査し,再発を防止するための措置を取るよう要求。挑発行為は4月26日,タイの巡視艇1隻がサバナケート州のメコンで釣りをしていたラオス警官4人を捕えようとしたことに始まる一連の事件(ハノイ放送)。
DIA-203-1982-05-16-1ラオス1982年05月16日1980年代信頼筋によると,ラオス国内における化学兵器使用の有無を調査していたオーストラリア・チームは,ラオス国内から持ち出された化学兵器と見られるロケット弾を先週,オーストラリアに運んだと伝えられる(『バンコク・ポスト』)。
DIA-203-1982-05-20-1ラオス1982年05月20日1980年代タイのウボン県知事が19日伝えたところによれば,16日ヘリコプターでタイ領に入ったラオス・パイロットは政治亡命を要請中(『バンコク・ポスト』)。
DIA-203-1982-05-21-1ラオス1982年05月21日1980年代サラワン州で,ベトナムのクァンナム=ダナン省の援助で81年に建設を開始した煉瓦工場,ラオス側に引渡し年産500万個を製造。ベトナム援助で建設された2番目に大きな工場(VNA)。
DIA-203-1982-05-24-1ラオス1982年05月24日1980年代(ビエンチャン):スウェーデンと長期経済社会協力協定調印―82~87年協力協定,82~83年度,83~84年度政府間協力協定の三つ。後者二つは総額1億1000万クローナの対ラ無償援助に関するもの。林業,交通,輸送の分野での協力に関する最近の会議議事録も調印。
DIA-203-1982-05-26-1ラオス1982年05月26日1980年代国営ラオス電力会社,南部チャンパサック,サワンナケート両州に小規模水力発電ダム20を建設するための実現可能性調査が終了したと言明―81年中にナムグム・ダム~ワンウィエン地区間の電線架設調査も完了。82年第1・四半期の国内電力消費は1億700万kwh,ナムグム・ダムからタイヘの輸出は7億200万kwb(VNA)。
DIA-203-1982-05-26-2ラオス1982年05月26日1980年代(ビエンチャン):ポーランドと82~85年貿易協定調既両国は農業用具と消費物資を交換する。
DIA-203-1982-05-30-1ラオス1982年05月30日1980年代ラオス反越連盟結成ヘーウティット・パサコム・ラオス社会党欧州代表がAFPとのインタビューで語ったもの。代表はパリで,連盟の構成分子は中立派,社会主義共産派,王制派の三つで,半年前に中国に脱出した元ラオス官吏カムセンケオ・センティット教授が作成した17項目綱領を基盤として団結していると述べた。綱領は北京の合意を得たのち発表されたもので,諸傾向の勢力から支持を受けるため穏健なものとなっており,主要内容は,・国内外のラオス民族の統合,・少数民族に対する差別廃止,・男女平等,・信教の自由,・非同盟,など(パリ発AFP)。
DIA-203-1982-06-01-1ラオス1982年06月01日1980年代ソ連と,ビエンチャン州の電化のための企業化調査覚書調印。プロジェクトは90年前後に完成の予定。
DIA-203-1982-06-02-1ラオス1982年06月02日1980年代(プラハ):チェコと82~85年文化科学協力協定に調印。
DIA-203-1982-06-03-1ラオス1982年06月03日1980年代ベトナムのハソンビン省の援助で建設されたルアンプラバン州ウドムサイ区カン川の中規模ダム,このほどルアンプラバン州に引渡し。同一の地区にベトナム援助で,150baの水田を灌漑する1500㍍の運河も建設された(VNA)。
DIA-203-1982-06-03-2ラオス1982年06月03日1980年代ルアンプラバン州で,東独援助による自転車修理工場と靴修理作業場が完成。東独援助による12のプロジェクトのうちの一つ(VNA)。
DIA-203-1982-06-04-1ラオス1982年06月04日1980年代(ビエンチャン):東独援助による自転車修理工場完成。東独の12プロジェクトのうちの一つ(VNA)。
DIA-203-1982-06-09-1ラオス1982年06月09日1980年代(モスクワ):ソ連と外務次官級協議(~10日)―協議では双方に関心のある諸問題が検討され,協議は温かい,同志的雰囲気のうちに進められた(10日付RP)。
DIA-203-1982-06-14-1ラオス1982年06月14日1980年代運輸部門,81年の活動を総括―81年に道路で84万㌧,河川で1万2000㌧を含めて85万8000㌧の物資を,また700万人の旅客を輸送した。
DIA-203-1982-06-15-1ラオス1982年06月15日1980年代ベトナムと82年医療協力協定に調印。
DIA-203-1982-06-24-1ラオス1982年06月24日1980年代過去6カ年に国営農場31が成立―大部分は食糧作物(稲,とうもろこし)を栽培。一部はコーヒー栽培に特化。ボロヴェン高原ボロヴェン農場はコーヒー用に2000haを開墾。ソ連設備を有するジャール平原ラトセン牧場は4700haで水牛2000余頭を飼育。モンゴル援助のシエンクワン州カンシ山羊・羊牧場は2000ha余。ビエンチャン近郊のキューバ援助の牧場は完成間近(VNA)。
DIA-203-1982-06-24-2ラオス1982年06月24日1980年代郵便・電信省,インタースプートニク宇宙通信システムで,ベトナム,ソ連,東独,ハンガリー,ブルガリア,ポーランド,チェコとの電話サービスを開始―システムはソ連援助で82年2月に完成。サービスは正午より午後5時まで。午後5時から11時まではモスクワのテビ・チャンネルを中継(VNA)。
DIA-203-1982-06-25-1ラオス1982年06月25日1980年代(ビエンチャン):ソ連・ラオス森林開発技術協力委第2回会議,カムムアン州の森林開発に対するソ連の技術援助覚書に調印。同時にカムムアン,サラワン,サバナケートの林業調査に関しても規定。
DIA-203-1982-06-25-2ラオス1982年06月25日1980年代81年に主要幹線道路で道路1万700kmと多数の橋が修復あるいは建設された。この中には国道13号のヒンホップ橋,9号のセタムーク橋が含まれ,ビエンチャン州のナムン,ナムダン橋も基本的に完成した。現在,国道,9,13号の改善が実施中である(VNA)。
DIA-203-1982-07-02-1ラオス1982年07月02日1980年代ソ連最高会議幹部会,ラオスの指導者4人に戦闘的連帯強化のメダル,授与―4人はカイソン首相,ス大統領,カムタイ国防相,プーン外相(VNA)。
DIA-203-1982-07-02-2ラオス1982年07月02日1980年代ソ連と83年友好文化協力議定書調印(AFP)。
DIA-203-1982-07-07-1ラオス1982年07月07日1980年代(ビエンチャン):ラオス・ソ連科学技術協力委第3回会議,82~83年,83~85年の両国の協力計画に関して合意(VNA)。
DIA-203-1982-07-13-1ラオス1982年07月13日1980年代大統領,ラオスの最高勲章をべトナムのチュオン・チン,ファン・バン・ドンに授与するとの布告発布。
DIA-203-1982-07-13-2ラオス1982年07月13日1980年代(ビェンチヤン):ラコスト駐ラ・フランス大使,カムパイ外相代理と会見―両国外交関係の正常化・強化で討議。14日,プーマ顧問と会談し,フランスの援助供与の予定を言明(17日付『バンコク・ポスト』)。
DIA-203-1982-07-14-1ラオス1982年07月14日1980年代タイ下院議員アナン・プラナウィット氏,ノサバン元首相が氏に接触を求めてきたと語る―ノサバン元首相はタイ領内にラオス亡命政府を樹立する許可を求めたと述べた(16日付『バンコク・ポスト』)。
DIA-203-1982-07-15-1ラオス1982年07月15日1980年代ベトナム,ヌーハック,プーミ,力ムタイ,プーンの各副首相とシソポン最高人民評議会副議長の5人に「ホーチミン勲章」の授与を決定(VNA)。
DIA-203-1982-07-17-1ラオス1982年07月17日1980年代(ビエンチャン):越ラ友好協力条約締結5周年祝賀大集会開催。
DIA-203-1982-07-21-1ラオス1982年07月21日1980年代反ベトナム連合政府,このほど発足―連合政府には反共ゲリラ,難民が参加,サムヌア,フォンサリ両地区に拠点をおき,カイソン政権に対しゲリラ活動を展開しているという。政府の中核はバン・パオ将軍(米国在住)の部隊で,「国家元首」にはバッタナ元国王の弟カム・シンが就任した(時事)。
DIA-203-1982-07-21-2ラオス1982年07月21日1980年代北東ラオスのポンサワン地区とシエンクワン州ナムカン村間の国道7号が正式に開通―全長130km。76年協定に基づきベトナム援助で建設されたもの。
DIA-203-1982-07-21-3ラオス1982年07月21日1980年代サバナケート州セポンで,ベトナムのビンチチニン省の援助で建設の120床の病院の引渡し式(VNA)。
DIA-203-1982-07-27-1ラオス1982年07月27日1980年代国家計画委,82年上半期の国家計画実施状況を検討―乾期米は7000haを作付け,ha当り収量は3~4㌧。現在,全国の農業協同組合1400,国営農場31。ラオス電力会社は年間計画の49%,酸素工場は34%,ビール工場は40%を達成。ベトナムの道路を経由して2万4298㌧の商品が輸出された(VNA)。
DIA-203-1982-07-31-1ラオス1982年07月31日1980年代82年上半期に工・商業省所属の諸工場・諸企業は年間計画の76・4%を達成。電力は115%,鉱業は37.5%,木材加工は61.3%,織物は51%,食品加工は58.5%達成。輸出は30%,特にコーヒは76.6%達成。輸入は50%達成。ヌサイ工商業次官の発言(VNA)。
DIA-203-1982-08-04-1ラオス1982年08月04日1980年代(ビエンチャン):FAO援助で建設された灌漑用パイプ製造工場と揚水ポンプ修理作業場が完成(VNA)。
DIA-203-1982-08-07-1ラオス1982年08月07日1980年代(ビエンチャン):「ソ連建設者の日」記念祝典―シンカポ交通運輸相代理,過去5カ年にソ連専門家と技師はナムヌン橋,ビエンチャンのトラック修理工場,総合診療所,ガソリン・パイプライン等,多数の重要プロジェクトの建設を助けた。国道第9号,パカティン橋,工芸学校,砕石工場,150床の病院等の諸プロジェクトが現在建設されていると強調(14日付VNA)。
DIA-203-1982-08-09-1ラオス1982年08月09日1980年代カイソン首相,休養のため訪ソ。
DIA-203-1982-08-09-2ラオス1982年08月09日1980年代82年初頭から現在までのタイからのラオス難民帰国者は635人,うちルアンナムター州に340人(VNA)(20日付VNAによれば,337人がチャンパサック州に帰国)。
DIA-203-1982-08-11-1ラオス1982年08月11日1980年代伊プンミー商務相以下タイ貿易代表団,訪ラー13日,タイの対ラ物資輸送の迅速化,政府・地方レベル商取引の拡大等に関する協定調印。さらにタイ側がラオス向け輸出制限品目の削減で検討を行うことで合意。
DIA-203-1982-08-12-1ラオス1982年08月12日1980年代プーマ政府顧問(元首相),訪仏―18日,仏外務省でシェイソン仏外相の昼食会に出席。
DIA-203-1982-08-15-1ラオス1982年08月15日1980年代カイソン首相,休養でハンガリー訪問(~9月3日)―9月2日,カダル第1書記と会談し,両国の友好と協力の深化という両党の方針を再確認。
DIA-203-1982-08-18-1ラオス1982年08月18日1980年代ノサバン元首相,10月10日に反共ラオス解放政府がラオス国内で樹立されようと言明―『バンコク・ポスト』とのインタビューで。政府の第1の目標はラオスでをベトナムの占領,共産主義者の支配から解放すること公式名称は「ラオス解放ラオス人民統一戦線」となろう。同運動はラオス国内に約4万人の支持者を持ち,10月10日に解放政府の政策・目標等を新聞に発表する。共産主義者は排除される。同政府はノサバン氏ほか閣僚28名で構成され,ノサバン氏に忠実な部隊はタイのナコンパノム県のメコン対岸地域を支配下においている。解放運動は幾つかの国から財政的物質的支援を受けていると氏は述べたが国名は明かさず(19日付『バンコク・ポスト』)。
DIA-203-1982-08-23-1ラオス1982年08月23日1980年代82年前半に農業合作社を新たに建設,総計1769に―フォンサリ,ウドムサイ,フアバン,シエンクワ ンは米作地区の集団化を完了(シアン・パサソン)。
DIA-203-1982-08-30-1ラオス1982年08月30日1980年代プーミ副首相以下党・政府代表団,べトナム建国記念祝典に出席のため訪越(~9月3日)。
DIA-203-1982-08-31-1ラオス1982年08月31日1980年代82年前半にマラリア撲滅運動がさらに強化された。保健省は200人余の工作者のために五つの訓練・補習コースを開催,また200近くの移動医療チームが各地に派遣された(VNA)。
DIA-203-1982-09-05-1ラオス1982年09月05日1980年代最高入民評議会常任委開催―ヌーハック副首相が82年上半期の国家予算実施状況について報告。また下半期予算を審議,修正した。
DIA-203-1982-09-09-1ラオス1982年09月09日1980年代工業・小工業・林業省代表団,訪越終了(8月26日~)。訪問中,両国経済科学技術協力協定の実行を強化するための議事録調印。
DIA-203-1982-09-09-2ラオス1982年09月09日1980年代ソ連援助で建設されたカムムアン州の石切り場操業開始。6台の砕石グライダーを設備(VNA)。
DIA-203-1982-09-13-1ラオス1982年09月13日1980年代行方不明軍人捜索米兵家族全国連盟代表団,訪ラ(~16日)。ラオス当局は米兵を捕虜・遺体とも全て返還したことを明らかにし,さらに米兵の遺体の捜索を続けることを確約。代表団は訪越の後,23日,再び訪ラ。25日,ラオス側と再会談。27日,バンコクヘ。
DIA-203-1982-09-14-1ラオス1982年09月14日1980年代VDS,最高人民評議会の8月6日付声明発表―要旨:7月中に開催された最高人民評議会常任委は(1)公務上用いられてきた久ローガンを「平和・独立・統一・社会主義ラオス人民民主共和国」に変更する,(2)ラオス人民解放軍の名称をラオス人民軍に変更する,(3)78年7月30日付閣議組織法に代えて,82年7月20日付の閣議任務に関する法を承認する(法は9月22日に公布),(4)閣僚人事の異動を承認する(「前文」参照),を決議した。
DIA-203-1982-09-14-2ラオス1982年09月14日1980年代ビエンチャン州は82年早場米耕作期に重大な早ばつ,洪水を蒙った。特にハサイフォン地区の被害は大であった(VDS)。
DIA-203-1982-09-15-1ラオス1982年09月15日1980年代プーン・シパスート外相,ASEAN諸国の外相に書簡送付―7月7日のインドシナ3国外相会議が提起した平和提案について説明。
DIA-203-1982-09-15-2ラオス1982年09月15日1980年代(ビエンチャン):東独と82~83年教育・文化・スポーツ・通信協力協定調印。
DIA-203-1982-09-15-3ラオス1982年09月15日1980年代プーマ政府顧問,ソ連政府の賓客として訪ソ。
DIA-203-1982-09-17-1ラオス1982年09月17日1980年代82年上期の電力生産―目標を20%上廻る4億280万8300kwhを生産。輸出用電力は計画を19%超過。下期計画は4億6446万1421kwb(シアン・パサソン)。
DIA-203-1982-09-20-1ラオス1982年09月20日1980年代大幅内閣改造実施(「前文」参照)。
DIA-203-1982-09-22-1ラオス1982年09月22日1980年代(ベルリン):ラオス・東独友好協力条約調印―期限25年。カイソン首相とホーネッカー東独議長が調印。同日,共同声明と領事協定も調印。ラオス代表団は20~23日東独を訪問。
DIA-203-1982-09-30-1ラオス1982年09月30日1980年代(モスクワ):カイソン・ブレジネフ会談―双方は,(1)インドシナ3国外相会議が提起している国際会議提案を基礎にインドシナをめぐる国際情勢の安定化に努める,(2)経済協力の効率化と資源のより合理的な利用に努める等を強調。ソ連側は今後もラオスに援助を行なうことを確約。
DIA-203-1982-10-04-1ラオス1982年10月04日1980年代中国の破壊工作を非難―82年上半期に中国はラオス亡命勢力を動員してウドムサイ,パクタ,ナモクで破壊活動を行わせた。逮捕された分子の自白によると彼らは全て中国から軍事訓練を受けており,青年たちを説得,買収してウドムサイ奪取を行う準備の目的で送り返された。中国はその準備に4年間かけた(VDS)。
DIA-203-1982-10-05-1ラオス1982年10月05日1980年代カイソン書記長,離ソ。帰国の途に。
DIA-203-1982-10-11-1ラオス1982年10月11日1980年代(ビエンチャン):ビルマ援助の揚水ポンプ30台と3万2000㌦相当のその他設備の贈呈式。
DIA-203-1982-10-12-1ラオス1982年10月12日1980年代(ビエンチャン):ベトナム援助で建設されたセッタティラート病院第2血清工場の落成式。ラオスには四つの血清工場が建設された。ベトナムはさらにチャンパサック,ルアンプラバン,ウドムサイの各州で三つの工場を建設する予定(14日付HDS)。
DIA-203-1982-10-16-1ラオス1982年10月16日1980年代(ハノイ):ベトナムと82~83年科学技術労働者・経済管理者養成に関する議定書に調印。
DIA-203-1982-10-17-1ラオス1982年10月17日1980年代カムパイ外相代理,訪日(~22日)―18日,桜内日本外相と会談,経済協力関係の継続で合意。ラオス側・6億円相当の建設機械の無償供与を要請,日本側,ブルトーザー等関連機械の無償援助に前向きの姿勢を示すと同時に,有形プロジェクト建設で支援を申し入れ。具体的案件は今後協議していくことで一致。
DIA-203-1982-10-21-1ラオス1982年10月21日1980年代ドナビュー米国務次官補,訪ラーラオス側,第6回インドシナ3国外相会議声明,プーン外相のASEAN諸国外相宛て書簡を説明。両国関係の発展を試みている米国の善意をラオス側は賞賛。
DIA-203-1982-10-22-1ラオス1982年10月22日1980年代(ビエンチャン):ベトナムと78~80年,82年第1期の借款支払い無償援助決算に関する議定書調印。
DIA-203-1982-10-22-2ラオス1982年10月22日1980年代ハノイの各中等職業学校からラオス留学生125人が卒業。ハノイ=ビエンチャンの協力協定に従い,経済・財務管理,機械,電気の3カ年過程で勉強(VNA)。
DIA-203-1982-10-23-1ラオス1982年10月23日1980年代ノサバン元首相,「ラオス王国民主政府独立宣言」を発表―主要政策は,・内外ラオス全民族の結集とベトナム共産主義者,かいらい政権の打倒,・前線の軍事闘争強化,・ラオス全少数民族の自治権擁護,・共通の目的を持つ他の解放勢力との協力拡大,・カンボジア,ベトナムの解放勢力との連帯,・宗教・王制を擁護する自由な民主主義体制の確立,・54,62ジュネーブ協定尊重(時事)。
DIA-203-1982-10-25-1ラオス1982年10月25日1980年代VDS論説「ソ連・ラオス間経済・通商協力」―76~80年期にソ連は対ラ1億600万ルーブル余に相当する商品を供給。ソ連の対ラ輸出は過去5年に3.5倍に増加。81~85年期に両国の物資交換量は76~80年期の3.5倍に増加の予定。
DIA-203-1982-11-01-1ラオス1982年11月01日1980年代VDS,ラオス=べトナム石油パイプラインの建設に関して報道(「前文」参照)。
DIA-203-1982-11-01-2ラオス1982年11月01日1980年代ウトキン中将以下ソ連陸海軍政治指導部代表団訪ラ(~3日)。3日,カムタイ国防相と会見。
DIA-203-1982-11-02-1ラオス1982年11月02日1980年代ボロフ委員以下ソ連国家計画委代表団,訪ラ―2日,サリ国家計画委議長と会談,経済貿易協力を強化する措置に関して討議。9日,83~85年経済協力・貿易に関する議定書調印。
DIA-203-1982-11-03-1ラオス1982年11月03日1980年代プラソン・タイ国家安全保障会議事務局長、タイがラオス向けソ連石油20万㍑余の船荷を押収してきた件でAFPと会見―タイは対ラ年間約7000万㍑の石油の領内通過を認めているが,ソ連が事前通告を行わなかったため例外的措置をとった。7000万㍑自体がラオス国内の需要を上廻るものであり,タイは在ラ・ベトナム軍5万人の存在に関心を持っている。ソ連が今後再び事前通告なしに船荷を送らないと約束すれば積荷を返還しよう。ソ連の石油は1年前に到着したもの(5日付AFP)。
DIA-203-1982-11-04-1ラオス1982年11月04日1980年代(バンコク郊外):反政府運動「ラオス王国民主政府」のノサバン首相兼国防相,時事とインタビュー(「前文」参照)。
DIA-203-1982-11-06-1ラオス1982年11月06日1980年代ス大統領以下代表団,キューバ訪問(~13日)。
DIA-203-1982-11-10-1ラオス1982年11月10日1980年代プラソン・タイ国家安全保障会議議長,タイが押収していたソ連石油のラオスヘの引渡しを許可。
DIA-203-1982-11-10-2ラオス1982年11月10日1980年代中・上級将校学校,3カ年の公式訓練コース開催―模範的・近代的軍建設の路線と任務の遂行継続のため。ソ連専門家が開会式に出席。
DIA-203-1982-11-10-3ラオス1982年11月10日1980年代(ビエンチャン):チェコと経済科学技術協力協定調印―両国経済科学技術協力委が。協定は双方の商品交換を規定。またチェコはラオスに歯科診療所を提供,近代的養豚センターを贈る。水力発電所・橋の建設,農業開発の地質調査でラオスを援助する。さらに81~85年,86~90年に無利子借款を供与する。
DIA-203-1982-11-12-1ラオス1982年11月12日1980年代(ハノイ):ベトナムと82~83年教育協力計画,ベトナム科学技術委員会との協力議定書に調印。
DIA-203-1982-11-15-1ラオス1982年11月15日1980年代(ビエンチャン):ベトナムと今後数年間の林業協力協定調印。
DIA-203-1982-11-16-1ラオス1982年11月16日1980年代(ビエンチャン):東独とコーヒー栽培協力議定書調印。82~90年までに東独は5000haのコーヒー園造園チャンパサック州パクソンの古いコーヒー園とコーヒー加工施設の修理を行う予定。
DIA-203-1982-11-17-1ラオス1982年11月17日1980年代(ビエンチャン):東独と,ラオス技術者を東独で訓練する議定書調印。81~85年両国教育協定に基づく。
DIA-203-1982-11-23-1ラオス1982年11月23日1980年代カンボジア人民共和国国会代表団,訪ラ(~26日)―団長チア・シム国会議長・党政治局員。
DIA-203-1982-12-01-1ラオス1982年12月01日1980年代(ビエンチャン):ベトナムのホーチミン勲章受勲記念祝賀集会市党委が主宰。受勲者はヌーハック,プーミ,カムタイ,プーンの4副首相とシソポン最高人民評議会副議長の5人。ヌーハック副首相が代表して演説。チュー・フィ・マン党政治局員以下授勲のための越代表団は11月30日に訪ラ。12月1日に国防省で歓迎宴。
DIA-203-1982-12-02-1ラオス1982年12月02日1980年代(ビエンチャン):建国記念日祝賀大集会―党中央委員候補・市行政委員長代理Thongmani Thipho-mmachanが演説。
DIA-203-1982-12-02-2ラオス1982年12月02日1980年代82年の経済成果―2日付『シアン・パサソン』社説は「2年の農業生産は80年と同じほど多くの量が期待できよう。全国の1600以上の農業協同組合が組織・管理の分野で強化・改善された」と,ND社説は「過去3カ年,ラオスは籾換算100万㌧以上の穀物生産が可能となり,基本的に穀物自給が達成された」等と報道。
DIA-203-1982-12-03-1ラオス1982年12月03日1980年代(ビエンチャン):ハンガリーと83年商品交換・財務支払い議定書に調印(KPL)。
DIA-203-1982-12-07-1ラオス1982年12月07日1980年代ビエンチャン):ラオス・ソ連経済科学技術協力委第7回会議開催。両国の協力の実行において効率を改善するための諸措置を討議。10日,議事録調印。
DIA-203-1982-12-09-1ラオス1982年12月09日1980年代(ビエンチャン):インドシナ5国外務次官会議開催(~10日)―プノンペンで開催予定の3国外相会議に関して準備会談を行い,83年春に開催予定の3国首脳会談の準備事業を促進する計画を採択した。
DIA-203-1982-12-09-2ラオス1982年12月09日1980年代タイの『ネーション』紙,11月15日にラオス外務省がタイのウドンタニ州の伐木会社 Udom Thai Samanmitに,81~85年5カ年計画期にナムグム・ダムの50kIn2の範囲に沈んでいる全種の木材伐採に対して全法的許可を与える予備協定が調印されたと報道。
DIA-203-1982-12-13-1ラオス1982年12月13日1980年代ス大統領,モン(メオ)族の旧正月にあたり祝賀メッセージ送付。同日,ファイダン・ロブリアニャオ最高人民評議会副議長もアピールを送付。
DIA-203-1982-12-15-1ラオス1982年12月15日1980年代ス大統領,ソ連邦成立60周年祝典組織委員会計画を発表。
DIA-203-1982-12-16-1ラオス1982年12月16日1980年代82年の建設事業の成果同部門は年間計画を90%達成(VDS)。
DIA-203-1982-12-19-1ラオス1982年12月19日1980年代カイソン首相・書記長以下党・政府代表団,ソ連邦結成60周年式典(21~22日)に出席のためラオス出発―同日,モスクワ着。28日,帰国。
DIA-203-1982-12-19-2ラオス1982年12月19日1980年代ソ連邦結成60周年祝典組織委設立(VDS)。
DIA-203-1982-12-30-1ラオス1982年12月30日1980年代(ビエンチャン):ソ連邦成立60周年祝典開催。
DIA-203-1983-01-01-1ラオス1983年01月01日1980年代82年の諸成果―1日付シアン・パサソン紙社説による;籾米生産量約110万㌧(推定)。12の中規模灌漑網が完成、12万㌶に給水している。80年比で水牛頭数は5.15%、牛5.77%、豚17.7%、羊・山羊15.45%、家禽27.41%それぞれ増加。現在までに農業協同組合1943が成立(82年に591成立)、米作地8万6490㌶(全米作地比20%)、農戸8万6490(全農戸比17.5%)を組織した。全村1887中18.3%が農業協同組合を設立した。電力生産は計画を10%超過した。
DIA-203-1983-01-03-1ラオス1983年01月03日1980年代ズン国防相・党政治局員以下ベトナム軍事代表団、訪ラー(~5日)。カムタイ国防相、カイソン書記長を訪問。
DIA-203-1983-01-05-1ラオス1983年01月05日1980年代(ビエンチャン)ベトナムと、セメント工場建設援助に関する議定書、サバナケート州における石かい採掘での対ラ援助に関する議定書、調印。
DIA-203-1983-01-06-1ラオス1983年01月06日1980年代このほど仏の民間会社保健部門と医薬品、抗生物質、医療器材の供給契約締結―Rhone Poulenc社。75年以来初の契約で100万㌦相当(ル・モンド)。
DIA-203-1983-01-15-1ラオス1983年01月15日1980年代オランダが建設していた淡水養魚場、ラオスに引渡し―国際メコン委を通じての援助でビエンチャン東方30キロメートルに79年より建設。総工費130万㌦、39㌶でラオス最大の養魚場となり年300㌧の水揚げが可能。
DIA-203-1983-01-18-1ラオス1983年01月18日1980年代外務省スポークスマン、記者会見で、17日夜タイのパトロール船がメコンのラオス漁民に発砲、1人を負傷させ、その後ビエンチャンに向け民間人に発砲、4人を殺し何人かを負傷させたと発表。21日付VNAによれば事件後、ラオス・タイ国境調整委員会が開催され、この種の事件防止のため適切な措置を取ることで合意。
DIA-203-1983-01-19-1ラオス1983年01月19日1980年代(ビエンチャン)オランダと対ラ230万㌦相当の援助協定調印―援助は83年ケンカバオ川河港第2期工事建設に使用される(AFP)。
DIA-203-1983-01-19-2ラオス1983年01月19日1980年代(ビエンチャン)モンゴルと文化協力協定調印。
DIA-203-1983-01-20-1ラオス1983年01月20日1980年代(ビエンチャン)ベトナムと83年援助信用取引協定に調印。
DIA-203-1983-01-22-1ラオス1983年01月22日1980年代チェコと、83~85年地質・軽工業・保健・林業協力議定書調印(KPL=パテトラオ通信)。
DIA-203-1983-01-24-1ラオス1983年01月24日1980年代(ビエンチャン)ベトナムと、83年灌漑設備建設の協力と援助に関する協定、83年水力発電用小規模ダム(複数)建設協力協定に調印。
DIA-203-1983-01-26-1ラオス1983年01月26日1980年代(ビエンチャン)ポーランドと83年貿易議定書調印。ラオスは農産物を、ポーランドは家庭用品と医薬品を、それぞれ輸出する。
DIA-203-1983-02-02-1ラオス1983年02月02日1980年代(ビエンチャン)日本と、対ラ援助に関する覚書調印―総額1億380万円。ナムグム・ダム関係の対日債務返済基金の名目で供与。細目は未定。
DIA-203-1983-02-02-2ラオス1983年02月02日1980年代(ビエンチャン)ラオス・ソ連両外国貿易銀行、支払い方式と新勘定手続きに関する覚書に調印。
DIA-203-1983-02-05-1ラオス1983年02月05日1980年代閣議・最高人民評議会合同会議開催―(~7日)。82年国家計画の実行の成果、83年経済社会発展計画、82年国家予算の執行、83年国家予算を採択。
DIA-203-1983-02-10-1ラオス1983年02月10日1980年代カンボジアと83年貿易協力協定に調印。
DIA-203-1983-02-11-1ラオス1983年02月11日1980年代ベトナムと輸送通信協力議定書に調印。
DIA-203-1983-02-12-1ラオス1983年02月12日1980年代メオ族のバン・パオ将軍、(米亡命中)訪日。
DIA-203-1983-02-14-1ラオス1983年02月14日1980年代(ビエンチャン)ソ連と書籍出版協力議定書調印。81年調印の両国出版事業協定履行の一部。
DIA-203-1983-02-14-2ラオス1983年02月14日1980年代ラオス難民143人、このほどタイの収容キャンプから帰還。ビエンチャン州で帰国歓迎式。
DIA-203-1983-02-18-1ラオス1983年02月18日1980年代(ビエンチャン)伝染病研究集会閉会。FAOの援助により公衆衛生省が主催。伝染病予防と治療で労働者の知識と技術水準向上を目的としたもの。18日間。
DIA-203-1983-02-20-1ラオス1983年02月20日1980年代(ビエンチャン)インドシナ3国外相会議開催―(~21日)。インドシナ首脳会議の準備活動を総括し、首脳会議に提出する諸文書の草案を完成。
DIA-203-1983-02-21-1ラオス1983年02月21日1980年代82年の鉱工業の成果―21日付VNAによる。81年比で電力は4%、繊維52%、タイヤ37%それぞれ増大・農機具、石鹸、合板は2倍。飼料は70%増で6000㌧となった。ナムグム・ダムは年間9億kwhを発電、計画を超過した。同発電所の能力を現在の11万から15万kwhに引上げるため第5号タービンの組立てが加速されている。ベトナム援助で建設されたドンヘン石こう鉱山は82年前半に81年の年間生産量に等しい4万㌧を生産した。同じくベトナム援助によるビエンチャンのレンガ・タイル企業は年700万個のレンガとタイルを生産している。ベトナム・ラナス友宜機械工場は年300台の車両と機械を修理している。タバコ、ビール、清涼飲料水、給水、獣医薬品などを生産する諸工場の生産を増大した。
DIA-203-1983-02-22-1ラオス1983年02月22日1980年代(ビエンチャン)インドシナ3国首脳会議開催―(~23日)。ラオスよりカイソン党書記長・首相、ヌーハック党政治局員・第1副首相、カンボジア(ヘン・サムリン政権)よりヘン・サムリン党書記長・国家評議会議長、チャン・シ党政治局員・首相、ベトナムよりレ・ズアン党書記長、ファン・バン・ドン党政治局員・首相が参加。23日、首脳会議声明と「カンボジア駐留ベトナム志願兵に関する声明」を採択して閉会(前文参照)。
DIA-203-1983-03-02-1ラオス1983年03月02日1980年代(ビエンチャン)人民革命党とソ連共産党、ポスター印刷協力規約に調印。
DIA-203-1983-03-06-1ラオス1983年03月06日1980年代(ビエンチャン)ベトナムと、サバナケート州ドンヘンの石こう鉱山開発に関する協力覚書調印。
DIA-203-1983-03-07-1ラオス1983年03月07日1980年代識字計画下に、現在までに成人人口の95%にあたる70.2万人の文盲一掃が達成された。82年に1.82万人が読み書き可能となった。文盲一掃運動は83年末に完了の予定(VNA)。
DIA-203-1983-03-08-1ラオス1983年03月08日1980年代ソ連共産党とラオス人民革命党、両党中央委事務局間の交流覚書に調印。
DIA-203-1983-03-11-1ラオス1983年03月11日1980年代(ビエンチャン)ベトナム・ラオス双方の通過輸送議定書調印。
DIA-203-1983-03-11-2ラオス1983年03月11日1980年代(ビエンチャン)アフガニスタンと大使級外交関係の樹立に関する協定調印。
DIA-203-1983-03-14-1ラオス1983年03月14日1980年代ニアウ・ロブリアニャオ団長以下政府民族委代表団、10日間の訪越終了。先の13日、グエン・ドク・タム・ベトナム共産党政治局員・書記と会見、またベトナム党民族部部長、政府民族委副議長と会見し、民族政策の分野における協力促進のための諸措置を討議。
DIA-203-1983-03-14-2ラオス1983年03月14日1980年代(ビエンチャン)ソ連と農業協力覚書調印。ソ連がラオスの農業施設に殺虫剤・設備を供給することを規定。
DIA-203-1983-03-21-1ラオス1983年03月21日1980年代首相、早場米の耕作、畜産、農業協同組合の設立に関する83年計画の実行の指導強化に関する指令発令。
DIA-203-1983-03-22-1ラオス1983年03月22日1980年代ラオス人民革命党機関紙、『パサソン』(人民)に名称変更―同党創立28周年にあたり決定されたもの。旧名は『シアン・パサソン』(人民の声)。
DIA-203-1983-03-22-2ラオス1983年03月22日1980年代(ビエンチャン)ラオス・ソ連経済科学技術協力委、ソ連援助で建設されるプロジェクトの施工日程を規定した覚書に調印。
DIA-203-1983-03-23-1ラオス1983年03月23日1980年代ビエンチャン州で、このほど国営企業の代表者会議閉会。会期中、企業の生産促進を目的として経済管理の新しい諸措置を検討。また、チャンパサック州でも商業活動を総括する3日間の会議が閉会(VNA)。
DIA-203-1983-03-28-1ラオス1983年03月28日1980年代国家建設戦線中央委拡大会議開催―(~30日)82年の活動を総括、83年以降の指導方針、任務、目標を決定。また各級組織の拡大、強化、改善で合意。
DIA-203-1983-03-28-2ラオス1983年03月28日1980年代(ビエンチャン)ラオス・ハンガリー科学技術協力委、83年計画調印。ハンガリーで訓練されるラオス人学生への奨学資金贈与、ラオスへ軽工業援助のための専門家の派遣などを規定。
DIA-203-1983-03-29-1ラオス1983年03月29日1980年代(シエンクワン州)ベトナムが建設した国道6号の86キロメートルの区間の引渡し式。サムヌアとバンバン間(VNA)。
DIA-203-1983-04-07-1ラオス1983年04月07日1980年代党政治局、青年の任務を討議するため拡大会議開催―特に青年同盟の教育に対する党の指導を総括し、青年を将来の幹部として養成する党の役割を指摘。
DIA-203-1983-04-08-1ラオス1983年04月08日1980年代(ハノイ)ベトナムにおけるラオス学生の訓練を総括する会議(~9日)。過去7年にベトナムの大学専門学校から570人が卒業。現在、1189人が留学中。
DIA-203-1983-04-08-2ラオス1983年04月08日1980年代ハンガリー援助のアトサバントーン区セサイソン橋の完成・引渡し式。長さ100㍍、幅9㍍でサバナケート~ダナンを結ぶ国道9号の5大橋の―つ(VNA)。
DIA-203-1983-04-09-1ラオス1983年04月09日1980年代(ビエンチャン)モンゴルと経済科学技術協力協定調印―83年にモンゴルは総額650万キップの物資をラオスに引渡す。
DIA-203-1983-04-09-2ラオス1983年04月09日1980年代民主カンボジアの声放送によると、ラオス反政府ゲリラは3月チャンパサック州で残留ベトナム軍73人をせん滅した(新華社)。
DIA-203-1983-04-10-1ラオス1983年04月10日1980年代(ビエンチャン)第1回全軍青年代表会議開催。
DIA-203-1983-04-13-1ラオス1983年04月13日1980年代建設省主催の国民経済の改善と管理に関する党政治局指令No11に関するセミナー終了。3日間。
DIA-203-1983-04-15-1ラオス1983年04月15日1980年代日ラ協力覚書調印―日本政府はビエンチャンの給水網の修理・拡張でラオス政府に6億円を無償援助する。30日、市内2カ所に1年前より建設中だった給水塔完成・引渡し式。
DIA-203-1983-04-21-1ラオス1983年04月21日1980年代103人のラオ難民、UNHCRの援助でタイより帰還。第12陣。帰国者総数は568人に(VNA)。
DIA-203-1983-04-22-1ラオス1983年04月22日1980年代(ビエンチャン)ラオス・ブルガリア両ジャーナリスト協会、5カ年協力協定締結。双方は報道関係者の交流、情報交換を行なうほか、ブルガリア側はラオス報道界を援助し、ジャーナリスト養成を助ける。
DIA-203-1983-04-25-1ラオス1983年04月25日1980年代(ビエンチャン)東独と83~85年経済科学技術協力議定書調印―83~85年にコーヒー栽培の合弁事業を行ない、東独は同プロジェクトの所要金720万マルクを提供、ラオス人技術者を東独において養成する。
DIA-203-1983-04-25-2ラオス1983年04月25日1980年代(ビエンチャン)東独と83年交易議定書調印。ラオスはコーヒー、加工材、手工業品を、東独は予備部品、繊維その他の製品をそれぞれ輸出する。
DIA-203-1983-04-27-1ラオス1983年04月27日1980年代(ビエンチャン)青年同盟第1回全国大会開催―(~29日)。245人の代表が参加。カイソン書記長以下党・政府幹部も参加。29日、新中央委員会49人(シーサワット議長〔党書記〕は留任、同盟書記長にトンサワット・カイカムピトゥン〔党中央委員〕が就任)を選出。決議および同盟の今後の方針、任務、目標を採択。
DIA-203-1983-04-27-2ラオス1983年04月27日1980年代外務省スポークスマン声明、中国の対越武力挑発に関するベトナム外務省スポークスマン声明に対してこのほど全面的支援を表明(VNA)。
DIA-203-1983-05-05-1ラオス1983年05月05日1980年代新貿易政策、このほど実施―仲介業者(特にタイの)を排除するため、輸出入取引は国営企業のラオス貿易公社の指導下に行なわれる(バンコク・ポスト)
DIA-203-1983-05-06-1ラオス1983年05月06日1980年代政府各省、各国家委員会内の青年支部と各州青年同盟支部、このほど相互協力関係締結―人民革命青年同盟第1回全国大会決議を履行するため(VNA)。
DIA-203-1983-05-11-1ラオス1983年05月11日1980年代カイソン首相・書記長、訪ン(~6月29日)。
DIA-203-1983-05-15-1ラオス1983年05月15日1980年代国際医療機関、このほどラオスに20万㌦相当の医薬品を供与(VNA)。
DIA-203-1983-05-16-1ラオス1983年05月16日1980年代(ジュネーブ)フランス政府にラオスの対仏政府債務の取消し交渉開始を要請―当地で開催された国連開発計画特別会議で。債務は推定約1億フラン(1730万㌦)。フランス側は前向きであり、債務について協定をとり決め、それにより推定約7000万フランのラオスの対仏民間債務の繰り延べに道を開くことに関心を持っている(AFP)。
DIA-203-1983-05-16-2ラオス1983年05月16日1980年代(ビエンチャン)ソ連と運輸協力議定書調印。両国の経済科学技術協力協定に従ったもの。
DIA-203-1983-05-18-1ラオス1983年05月18日1980年代東独援助で建設された整形外科用靴製造所のラオス整形外科センターへの引渡し式。
DIA-203-1983-05-20-1ラオス1983年05月20日1980年代党付属マルクス・レーニン主義学校、党・国家機関高級幹部に対するマルクス・レーニン主義特別講習会を終了―4カ月間。44人が参加し、党、国家、立法の各制度、政治学一般、マルクス主義哲学、世界共産主義の歴史について学習。
DIA-203-1983-05-21-1ラオス1983年05月21日1980年代ベトナムとこのほど83年医療協力計画に調印。双方はマラリア対策、薬草栽培と医薬品生産の拡大、医療工作者の養成に関し協力を促進する(VNA)。
DIA-203-1983-05-23-1ラオス1983年05月23日1980年代ベトナムと83年農業協力協定に調印。ベトナムは、ラオスの農業施設への援助、ラオスへの農業専門家の派遣・農業用具の提供、ラオス農業技師養成を行なう。
DIA-203-1983-05-23-2ラオス1983年05月23日1980年代(プノンペン)カンボジアとラジオ放送協力議定書。
DIA-203-1983-05-24-1ラオス1983年05月24日1980年代(ビエンチャン)スウェーデンと83~84年経済協力覚書調印―スウェーデンはラオスの林業・交通の発展のため6000万クローナを無償援助する。
DIA-203-1983-05-26-1ラオス1983年05月26日1980年代スウェーデン援助で建設されたビエンチャン州パルクサン区サン川の橋梁の引渡し式。橋梁は全長128㍍で54㌧級トラックの通行が可能。総工費70.6万㌦はスウエーデンが支払い。
DIA-203-1983-05-28-1ラオス1983年05月28日1980年代中国、雲南省で反ラオス軍兵士を密かに軍事訓練中―中国の軍事顧問が中ラ国境の8カ所のキャンプで1000人以上の反政府軍にゲリラ戦術を指導、訓練後、駐ラ・ベトナム軍に攻撃をかける計画と。この情報は同地を視察した北京の西側外交筋が言明(ワシントン・ポスト)。
DIA-203-1983-06-01-1ラオス1983年06月01日1980年代(ビエンチャン)ソ連と林業・木材加工協力に関する調整委員会を設立―7日、協力議定書調印。ソ連はカムムアン、サラワン、サバナケート各州の森林開発に技術援助を行ない、森林開発・道路建設・木材輸送の装備・設備を提供し、林業労働者の養成を行なう。
DIA-203-1983-06-04-1ラオス1983年06月04日1980年代(モスクワ)ソ連とこのほど83~85年文化科学協力計画に調印(モスクワ放送)。
DIA-203-1983-06-06-1ラオス1983年06月06日1980年代日本政府、対ラ援助強化のため、製薬センターの建設を無償援助で行なう方針を固める―額は7億円相当。26日以降、細目で折衝するため調査団をラオスに派遣する予定(毎日)。
DIA-203-1983-06-11-1ラオス1983年06月11日1980年代(ハノイ)ベトナムとこのほど83年文化協力議定書に調印(VNA)。
DIA-203-1983-06-13-1ラオス1983年06月13日1980年代(ビエンチャン)スウェーデンと83~85年林業協力協定調印―スウェーデンはビエンチャン州タボク区の林業開発用に2030万クローナを無償援助する。
DIA-203-1983-06-13-2ラオス1983年06月13日1980年代ベトナムと林業協力議定書に調印。ベトナムは、サバナケート州の木材伐採・加工での援助、ラオス人林業幹部の養成を行なう。
DIA-203-1983-06-14-1ラオス1983年06月14日1980年代(ベルリン)東独と83~85年経済協力協定調印。
DIA-203-1983-06-14-2ラオス1983年06月14日1980年代全国のゲリラ自衛隊は5月に186件の悪質分子の捜索を行ない、国内侵入を試みた反動分子に対し32回の攻撃を行なった(VDS=ビエンチャン国内放送)。
DIA-203-1983-06-15-1ラオス1983年06月15日1980年代約6週間前に約50名の政府高官の一斉逮捕―旅行者筋による。逮捕された高官の多くは農業関係の外国援助プロジェクトの実行に携った者。逮捕者の中には、ラオスが対西側関係改善を図っている時期にあってプロジェクトに失敗したとの理由で告発された者もあると言う(バンコク・ポスト)(注:6月30日付FEER誌は、83年初頭以来、汚職の理由で検挙が行なわれ続けており、3月には30~100人の高官逮捕が行なわれた。外国援助を銀行預金にし利息を貯め込んだ者もあると言う)。
DIA-203-1983-06-22-1ラオス1983年06月22日1980年代UNICEF資金援助による離乳食製造工場が完成、引渡し式。資金額は52万㌦。1時間に1㌧の食品を加工。工場専門家の訓練もこの援助下に行なわれた。
DIA-203-1983-06-23-1ラオス1983年06月23日1980年代農業・灌灘・協同組合省、このほど旱ばつに対して緊急警告を発令(VNA)。
DIA-203-1983-06-28-1ラオス1983年06月28日1980年代.(バンコク)拡大ASEAN外相会議で、安倍日本外相、対ラオス援助強化方針を説明―モフタル・インドネシア外相(ASEAN側議長)、援助継続には同意、援助額増大には反対とのコメントを表明。
DIA-203-1983-06-30-1ラオス1983年06月30日1980年代国際開発’協会(IDA)、ラオスの農業プロジェクトに対し621万㌦のクレジットを承認したと発表。米、家畜飼料、砂糖の増産プロジェクト2477万㌦の一部。
DIA-203-1983-07-01-1ラオス1983年07月01日1980年代ヘイドン・オーストラリア外相、訪ラ―(~2日)。カイソン首相に会見、カムパイ外相代理と会談。2日、域内諸国が平和・友好・協力を回復することが域内全人民の希望を満たすための死活的緊急条件であることで合意したとの新聞声明発表。
DIA-203-1983-07-05-1ラオス1983年07月05日1980年代(プラハ)ラオス・チェコ経済科学技術協力委第2回会議終了。調印された最終文書によれば、今後の協力は、地質学調査、原料生産、科学技術情報の交換、国民経済計画の調整、ラオス勤労者のチェコ国内での養成に集中される。
DIA-203-1983-07-06-1ラオス1983年07月06日1980年代カムタイ国防相以下軍事代表団、ソフィアでジフコフ・ブルガリア国家評議会議長と会談。9~10日、ポーランド訪問、ヤルゼルスキー首相と会談。11日、モスクワでウスチノフ国防相と会談。
DIA-203-1983-07-13-1ラオス1983年07月13日1980年代ラオス人学生23人、徴兵を回避してタイ当局に投降―投降者によると、6月中旬にラオスは約2000人の学生を強制徴募し、ビエンチャン北東20キロメートルの訓練キャンプに送った(バンコク・ポスト、7/14)。
DIA-203-1983-07-16-1ラオス1983年07月16日1980年代(ビエンチャン)ソ連と、経済技術協力会談覚書および協力協定調印―協定において、双方は国道9号、パイプライン、輸送、国家建設事業、林業、鉱業建設を含むラオス経済の優先的プロジェクト実行努力を促進することで同意。また、第1次5カ年計画における諸種協力プロジェクトの調印に関する文書にも調印。
DIA-203-1983-07-18-1ラオス1983年07月18日1980年代シュルツ米国務長官、米国が対ラ関係改善に関心があることを明らかに―ANZUS外相理事会で。
DIA-203-1983-07-19-1ラオス1983年07月19日1980年代反政府反共勢力の一派、「ラオス自由連盟」(FPLT)設立―ベトナム占領軍およびカイソン政権反対を国際世論に訴えるため(バンコク・ポスト)。
DIA-203-1983-07-21-1ラオス1983年07月21日1980年代(ビエンチャン)日本政府、対農業灌概協同組合省援助として、20万㌦相当のディーゼル・ポンプ20台と水圧ポンプ300台を贈呈・引渡し式。
DIA-203-1983-07-22-1ラオス1983年07月22日1980年代(ビエンチャン)ベトナムと、サバナケート州石膏鉱山の開発・操業でベトナムが対ラ援助を行なうことに関する覚書調印。これより先、ラオスでの石灰岩粉砕プロジェクト建設に関する両国覚書調印(VNA、7/23)。
DIA-203-1983-07-24-1ラオス1983年07月24日1980年代(ビエンチャン)ベトナムと83年財政協力覚書調印。ベトナムはラオス財政幹部養成で援助するほか、財政専門家をラオス財政省に派遣する。
DIA-203-1983-07-24-2ラオス1983年07月24日1980年代オーストラリア政府、農業灌概協同組合への援助として2万㌦相当のディーゼル・ポンプ10台贈呈(VNA)
DIA-203-1983-07-24-3ラオス1983年07月24日1980年代モンゴル、このほど対ラ援助で学用品、日用品など650万キップ相当を贈呈(VNA)。
DIA-203-1983-08-02-1ラオス1983年08月02日1980年代(ビエンチャン)ロシア語教育センター落成。ラ・ソ友好協会、ソ・ラ友好協会が設立したもの。
DIA-203-1983-08-10-1ラオス1983年08月10日1980年代バッタナ元国王、いまだ生存か―このほど訪ラしたクリアンサック元タイ首相が、元国王側近から得た情報として10日言明したもの(時事)。
DIA-203-1983-08-12-1ラオス1983年08月12日1980年代カンボジアと、このほど84~85年文化協力覚書調印(VNA)。
DIA-203-1983-08-13-1ラオス1983年08月13日1980年代「ラオス解放民族統一戦線」(NUFLL)、反越闘争中のラオス人4000人に武器供与を83年中に実施する計画―情報筋による。NUFLLがジャングルへ闘争に送った数百人の多くは未だに武器を所持していない状態にある。多くは旧政権の兵士で第3国移住が果せなかったもの。武器援助は、ラオス国内の全反越ゲリラに支援を与えている中国による。また83年に入って政府軍兵士200余もNUFLLに参加した(バンコク・ポスト)。
DIA-203-1983-08-15-1ラオス1983年08月15日1980年代ソ連、対ラ軍事援助を大幅に強化―MIG21戦闘爆撃機をすでに配備したほか、ラオス人民軍を3師団に再編、装備の近代化を進めていると。軍事筋情報による(バンコク・ポスト)。
DIA-203-1983-08-15-2ラオス1983年08月15日1980年代バンコク・ポスト紙、ラオスの軍事力はソ連援助でカンボジアに派兵できるまでに増強され、現在少なくとも2個大隊がカンボジアのストゥントレンでベトナム軍とともにポル・ポト軍と闘っていると報道。
DIA-203-1983-08-16-1ラオス1983年08月16日1980年代国道9号の建設完成か―タイ軍高官が言明。道路はベトナムのドンハ市とラオスのサバナケート市を結ぶ。同高官によればサバナケート市には1.2万人のベトナム軍が駐留している(ネーション、8/17)。
DIA-203-1983-08-17-1ラオス1983年08月17日1980年代チャムパサック州バキアン区に通じる国道13号に連絡する国道20号の20キロメートルの区間このほど修復(KPL)。
DIA-203-1983-08-18-1ラオス1983年08月18日1980年代(ビエンチャン)国家銀行、貯金・銀行貸付けに関する会議開催。会議は人民の貯蓄の意義を強調。
DIA-203-1983-08-22-1ラオス1983年08月22日1980年代銀行業務第1回全国訓練コース終了。
DIA-203-1983-08-23-1ラオス1983年08月23日1980年代スウェーデンと83~84年経済社会開発援助協力覚書調印―スウェーデンは500万クローナ相当の援助を供与する。
DIA-203-1983-08-25-1ラオス1983年08月25日1980年代25日付FEER誌、ラオスは6月にキップ貨を切下げ、非公式取引きレートとして1ドル=108キップを設定したと報道―ヤミ市場と競合するため。
DIA-203-1983-08-28-1ラオス1983年08月28日1980年代反政府勢力、8月初めにパクサンのベトナム軍基地やサバンナムサン道路沿いの“CDO”基地、シュイライ基地、クァンチュム基地などに武装攻撃を開始、少なくとも37人のベトナム兵が死亡(バンコク・ポスト)。
DIA-203-1983-09-05-1ラオス1983年09月05日1980年代カイソン首相・書記長、休養のため訪ソ。
DIA-203-1983-09-12-1ラオス1983年09月12日1980年代反政府勢力「ラオス民族解放戦線」の、自称指導者であるノサバン将軍と、ブンルーン・サイコシ大佐、ソン・サン民主力ンボジア首相と7月初めに会見、戦線とカンボジア抵抗勢力の協力協定発表―米、豪その他諸国に協定文書配布。双方の相互協力、支持を謳い南ラオスのサラワン、セドン、シッタドン、アッタブ、サバナケート、タケクに合同作戦本部を設置することで合意。協定締結後、ラオス国内の抵抗勢力6グループとラオス民族解放戦線統合参謀本部議長はこれに反発する共同声明発表。自分たちは協定について何も知らされておらず、サイコシ大佐やノサバン将軍の政策・成果は聞いたことがない、彼らは在外ラオス国民を裏切り多額の寄付金を集めた、ラオス国民は彼らを認めないし戦線は彼らとは決して協力しない、と言明(バンコク・マトプム;この項、『東南アジア月報』(東南アジア調査会)1983年9月号、26ページより)。
DIA-203-1983-09-14-1ラオス1983年09月14日1980年代(ビエンチャン)ベトナムと傷病者相互援助救済協定に調印。協定により、ベトナムは83~84年に30ドン相当の義足・義肢をラオスに援助する。
DIA-203-1983-09-17-1ラオス1983年09月17日1980年代(ビエンチャン)ベトナム援助で建設された140㌧・340馬力の貨物船、進水―ラオスで建設された貨物船としては最大。両国交通部門間の協力計画により10月末にもう1隻の貨物船が進水の予定(VNA、9/19)。
DIA-203-1983-09-20-1ラオス1983年09月20日1980年代ビエンチャンとモスクワその他社会主義諸国の首都間の電話・電信網、正式に開通―インタースプートニク・システムで連結したもの。
DIA-203-1983-09-21-1ラオス1983年09月21日1980年代ベトナム資材供給省と協力協定・議定書調印。
DIA-203-1983-09-21-2ラオス1983年09月21日1980年代ラオス政府軍300人と反政府ゲリラ200人の大型武力衝突が発生―タイのチェンマイ県チアンコン付近のラオス側国境地区で。ラオス政府軍40人がゲリラに関する情報収集のためタイに越境(バンコク・ポスト)。
DIA-203-1983-09-26-1ラオス1983年09月26日1980年代(ビエンチャン)第2回マルクス・レーニン主義学習会終了―各部門の幹部54人が参加。
DIA-203-1983-09-28-1ラオス1983年09月28日1980年代(ビエンチャン)ラオス・ポーランド経済科学技術協力委第2回会議開催―ボーランド側、科学調査用の実験装置の対ラ供給、ポーランドで学習するラオス学生への奨励金贈与を誓約。30日、両国経済科学技術貿易協力協定調印。協定により、ラオスはコーヒー、陶製品、手工業品を、ポーランドは電気機器、鉄、繊維、薬品をそれぞれ輸出する。ポーランドはまたラオスの森林開発、造船所建設、技術幹部養成で援助する。
DIA-203-1983-09-30-1ラオス1983年09月30日1980年代ハンガリーと84年物資交換・支払議定書調印(VNA)。
DIA-203-1983-10-06-1ラオス1983年10月06日1980年代76~85年のベトナムの対ラ援助総額は13.3億ドン―6日付FIEER誌が『ニャンザン』より引用したもの。同誌は―ベトナムは毎年ラオスで工作する農業、交通、保健等の専門家900人以上を選抜しており、諸専門家は100余の計画に基づき、研究・調査・建設を援助した。計画にはレンガ製造、越ラ友宣農具工場、石膏鉱山、空港などが含まれる。またサムヌア市その他2都市の再建を援助した。石油パイプラインと石油貯蔵タンクを建設し、国道6、7号など道路300キロメートル以上を再建・建設した。ダナン港をラオスの輸出入貨物集積地として使用することを許可し、同港経由の物資輸送を援助した。ラオスの外国への留学生の半数はベトナムで学んでいる―等と報道。
DIA-203-1983-10-10-1ラオス1983年10月10日1980年代(ビエンチャン)東独と84年コーヒー生産協力協定に調印。
DIA-203-1983-10-12-1ラオス1983年10月12日1980年代農業・灌漑・協同組合省が今雨期に全国に供給した農業資材は、トラクター178台、くわ・すき6000丁、トレーラー39台、揚水ポンプ・脱穀機35台、まぐわ303丁、肥料1800㌧、殺虫剤8700㍑、噴霧器360個、ワクチン1万5470本、セメント33㌧、石油80㌧(KPL)。
DIA-203-1983-10-14-1ラオス1983年10月14日1980年代(ビエンチャン)国連設備基金開発計画、タナレン倉庫(ビエンチャンから14キロメートル)の修理・拡充のため250万㌦余を供与、文書の発表式開催。
DIA-203-1983-10-20-1ラオス1983年10月20日1980年代ラオス、ベトナム人入植者に対し制限を強化か―ポープスック・タイ陸軍スポークスマンが20日の記者会見で言明。要旨:ラオス人・ベトナム人間の摩擦はカムムアン州タケクで最も顕著である。同区ではラオス当局者によってベトナム人住民の人口調査が実施され、75年以降に移住したベトナム人に対しては、元の居住区への送還が行なわれている。タケク、パクサンなどの重要都市にはベトナム人連合が存在している。同スポークスマンはまた、増大する反政府ゲリラ活動、メコン周辺の強奪行為をおさえるため、ラオスは特別司令部を設置し、メコン周辺での小規模部隊の展開や川上バトロールの強化を開始したと言明(バンコク・ポスト)。
DIA-203-1983-10-21-1ラオス1983年10月21日1980年代サリ・ラオス、バイバコフ・ソ連両副首相兼国家計画委議長、会談―両国の経済協力の一層の発展に関する諸問題を討議。
DIA-203-1983-10-21-2ラオス1983年10月21日1980年代(ビエンチャン)暫定メコン委、同ラオス委、世界気象予報機構3機関共催により、水理国際会議開催。
DIA-203-1983-10-24-1ラオス1983年10月24日1980年代ベトナムと社会科学研究協力協定に調印。ラオスの歴史・地理・文化に関する書籍の出版計画を含む。
DIA-203-1983-10-27-1ラオス1983年10月27日1980年代モンジョ米国務次官補、行方不明米軍人問題と対ラ関係改善を討議するため訪ラ(~29日)。
DIA-203-1983-11-01-1ラオス1983年11月01日1980年代チェコ援助で、サバナケート州国道9号のセスーカン橋(長さ57㍍)、セクムーアク橋(同134㍍)の建設開始。工事は84年4月半ばから5月初頭に完成予定。
DIA-203-1983-11-04-1ラオス1983年11月04日1980年代(ビエンチャン)ロシア10月革命祝賀式典開催。
DIA-203-1983-11-04-2ラオス1983年11月04日1980年代(ピエンチャン)ベトナムの援助・協力で容積4500立方㍍の石油貯蔵所を建設することを取り決めた協定調印。工事は83年末までに開始され、第1次5カ年計画下で建設される重要プロジェクトとなる。
DIA-203-1983-11-05-1ラオス1983年11月05日1980年代ベトナムと、ベトナムのビン市~越ラ国境間の石油パイプライン敷設に関する調査を決めた議事録調印。調査は12月から開始され、1カ年で終了する予定。
DIA-203-1983-11-10-1ラオス1983年11月10日1980年代外務代表団、3日間のブルガリア訪問終了。滞在中、両国領事協定に調印。
DIA-203-1983-11-11-1ラオス1983年11月11日1980年代(プノンペン)ラオス、カンボジア両国立銀行、決済協定に調印。
DIA-203-1983-11-11-2ラオス1983年11月11日1980年代(ビエンチャン)ブルガリアと、同国が農業・灌漑・協同組合省が野菜冷蔵庫1カ所を建設するのを援助することを取り決めた議事録調印。84年に建設開始。同時にブルガリアはビエンチャン東方のタノンに20㌶の野菜農場を建設するのを援助する(VNA、11/15)。
DIA-203-1983-11-11-3ラオス1983年11月11日1980年代UNICEF、教育省に援助として3㌧級の船舶4隻を贈呈。学校用教材・資材の輸送のため。
DIA-203-1983-11-14-1ラオス1983年11月14日1980年代8日以来、サイニャブリー州の政府軍、パーククライの第22連隊司令部からバーンマイ、バーンポンコンなどに移動。タイ警察消息筋による。ラオス軍の反政府ゲリラ掃討作戦と見られる(バンコク・ポスト)。
DIA-203-1983-11-18-1ラオス1983年11月18日1980年代(ビエンチャン)ラオス・ハンガリー経済科学技術合同委第6回会議開催(~19日)。19日、両国貿易金融決済議定書などに調印。
DIA-203-1983-11-23-1ラオス1983年11月23日1980年代(モスクワ)ラオス・ソ連経済科学技術協力委第5回会議開催―(~30日)。会議は両国経済関係の一層の発展に関する諸問題を討議、経済協力の効率改善に特別の注意を払った。
DIA-203-1983-11-23-2ラオス1983年11月23日1980年代(ビエンチャン)ポーランドと領事協定調印。
DIA-203-1983-11-24-1ラオス1983年11月24日1980年代80年3月の自主帰国プログラム開始後、タイからラオスに帰還した難民総数は2397人―83年11月2日の再開後、すでに134人が帰国(バンコク・ポスト)。
DIA-203-1983-11-25-1ラオス1983年11月25日1980年代(ビエンチャン)ラオス・キューバ経済科学技術協力委第2回会議(~30日)。84~85年の農業、建設、交通、保健、教育などでの新計画作成。また砂糖キビ農場と家禽飼育場建設での相互援助を検討した。
DIA-203-1983-11-26-1ラオス1983年11月26日1980年代ブルガリアは、シエンクワン州に小規模発電所(1200~2000kWh相当)の建設を援助する。建設は84年初頭に開始、86年に完成の予定(KPL)。
DIA-203-1983-12-01-1ラオス1983年12月01日1980年代(ビエンチャン)ラオス国営テレビ放映開始―当面、週2回、カラーと白黒で、幼児向け、国際情勢、芸術文化、国内ニュース、スポーツ、映画の各番組を放映する。
DIA-203-1983-12-01-2ラオス1983年12月01日1980年代(ビエンチャン)ス大統領、各地から集まった仏僧の集合で世界情勢について演説。
DIA-203-1983-12-02-1ラオス1983年12月02日1980年代(ビエンチャン)建国記念祝賀集会―市の成果を賞賛。2日付パサソン社説、83年の諸成果を発表。
DIA-203-1983-12-02-2ラオス1983年12月02日1980年代(ビエンチャン)東独、ラオス国営印刷所に印刷機(複数)を寄贈。
DIA-203-1983-12-13-1ラオス1983年12月13日1980年代(ビエンチャン)第2回インドシナ3国国家銀行総裁会議開催―15日、経済分野での協力(特に財政決済・通貨管理面)を謳った議事録調印。同時にラ越、ラオス・カンボジアの84~85年銀行協力覚書調印。
DIA-203-1983-12-13-2ラオス1983年12月13日1980年代閣議は、全閣僚・国家委議長、閣僚級委員会議長、ビエンチャン州・市行政委議長に、83~84年乾期作米の農業税徴収、購入を首尾よく行なうよう訴え(VDS)。
DIA-203-1983-12-14-1ラオス1983年12月14日1980年代(ビエンチャン)ラオス労働総同盟第1回全国会議開催―(~16日)。187人が参加。カイソン首相・書記長が基調演説。会期中、総同盟の建設・強化を目的とした規約、規則を採択。16日、21人の新執行委員会、(Thit Soi Sombatdouang議長・書記、副議長2名、書記5名〔1名議長兼務〕を含む)を選出、決議を採択。
DIA-203-1983-12-16-1ラオス1983年12月16日1980年代ベトナムと、81~85年貿易交換協定ならびに84年物資交換議定書に調印。
DIA-203-1983-12-16-2ラオス1983年12月16日1980年代農業協同組合経営者の第3回訓練コース終了。
DIA-203-1983-12-17-1ラオス1983年12月17日1980年代(ハノイ)ベトナムと、このほど84年経済文化科学技術協力協定に調印(VNA)。
DIA-203-1983-12-19-1ラオス1983年12月19日1980年代米行方不明軍人捜索に関する米Joint Casualty Resolution Center代表団、3日間の訪ラ終了。この種の代表団受入れを歓迎する政府新聞声明発表。
DIA-203-1983-12-21-1ラオス1983年12月21日1980年代(ビエンチャン)資材供給工作第1回全国会議開幕―84人が参加。
DIA-203-1983-12-23-1ラオス1983年12月23日1980年代党政治局、キューバ革命勝利25周年に関する決議発令―13名の式典実行組織委員を任命。
DIA-203-1983-12-26-1ラオス1983年12月26日1980年代党政治局、プノムペン解放5周年に関する決議発令―83年12月28日~84年1月28日を“連帯月間”とすること、9名の祝典実行組織委員の任命など。
DIA-203-1983-12-27-1ラオス1983年12月27日1980年代(ビエンチャン)日本政府と、機器、殺虫剤、肥料等2億円相当の農業資材を日本が援助する文書に調印。
DIA-203-1983-12-30-1ラオス1983年12月30日1980年代「ラオス自由人民連盟」なる反越抵抗勢力、このほど非共産国の指導者ら200余人に覚書送付―連盟書記長Baunkong Saignasettha 名で、ASEAN諸国らはラオス問題に対する国際的注目を喚起するよう訴え(バンコク・ポスト)。
DIA-203-1984-01-03-1ラオス1984年01月03日1980年代政府軍,反抗勢力に討伐作戦-タイ国境警察筋によると,この作戦は12月下旬よりPak Khop,Pak Beng 2県で開始されたもの。政府軍4000人には,タイ共産党分派も含まれているという(BP,1/3)。
DIA-203-1984-01-04-1ラオス1984年01月04日1980年代タイに中継物資の移送再開を要請-タイが戦略物資としてクロントイ港で2年間留めているもの。日本,ソ連,東欧諸国等からのトラクター,建設資材,通信機器などが含まれている(BP,1/5)。
DIA-203-1984-01-04-2ラオス1984年01月04日1980年代タイがもち米200トン援助-4日朝バンコクで引渡し。
DIA-203-1984-01-06-1ラオス1984年01月06日1980年代人革党第3期第5回総会声明-一般的賛辞のほか,地方における生産,流通,分配等が不調であり,また文化,教育,公衆衛生が十分な関心を惹いていない,と指摘(11日発表,第5回総会決議は19日発表)。
DIA-203-1984-01-06-2ラオス1984年01月06日1980年代KPL通信創立16周年の発表。ラオ語日刊紙355部,フランス語紙682部を出版し,P紙,放送,テレビ等へのニュース生産センターの役をつとめる,という。また国内12県に12支部を有す,という。
DIA-203-1984-01-07-1ラオス1984年01月07日1980年代スファヌボン大統領,カンボジアへ-第5回建国記念日式典参加のため。
DIA-203-1984-01-10-1ラオス1984年01月10日1980年代プーマ前首相,ビエンチャンで死亡(83歳)。
DIA-203-1984-01-12-1ラオス1984年01月12日1980年代Sisavat内相,タイとの国境委員会に出席。
DIA-203-1984-01-13-1ラオス1984年01月13日1980年代タイと貿易拡大等で原則的合意-訪タイ中のSisavat Keobounpha内相がシチ内相等タイ政府首脳と会談した結果。内容は不明。13日付BP紙によるシチ内相の言:(1)ラオス側はラオス難民400人の本国受入れ考慮に同意。(2)83年には両国間には大きな問題はなかった。(3)数年前の両国共同声明にあるメコン河の「平和の河」化の誓い再確認。(4)貿易拡大(タイは木材輸入を希望し,ラオスは輸入物資のタイ国内通過の規制緩和を希望)。(5)ラオスは交易地点の増設を求めなかった。
DIA-203-1984-01-15-1ラオス1984年01月15日1980年代タイとの交渉手続き-タイの消息筋によると,今回のラオス=タイ交渉の結果,今後の国境紛争は第3国をまじえず両国のみで,地方から中央にいたる段階的交渉で解決することで合意が得られたという。
DIA-203-1984-01-16-1ラオス1984年01月16日1980年代ベトナムから通信・運輸使節団来訪。
DIA-203-1984-01-17-1ラオス1984年01月17日1980年代83年の産業活動実績-Nousai副工業・手芸・林業相がP紙に語ったもの(17日放送)。「本省の管掌事項は電力,化学工業,鉛鉱業,金属加工,修理業,木材伐採加工,軽工業,食料加工で,過去1年間で最も実績をあげたのは電力,金属加工,修理等であった。本省管掌事業収益の97.94%が国庫に納入された。84年には前年比6%増の生産を目標としている。本年完成予定のプロジェクトにはナムグム・ダム第5発電機設置,ビエンチャン平原送電線付設,コンクリート製電柱製造工場の建設,石膏生産20万トン達成などがある」。
DIA-203-1984-01-18-1ラオス1984年01月18日1980年代タイ国境近くで反抗勢力討伐作戦-チェンライのタイ国内治安司令部によると,ラオス,ベトナム両軍兵士約300人が,13日以降,国境付近で行なったもの。
DIA-203-1984-01-18-2ラオス1984年01月18日1980年代カンボジア参謀長来訪。
DIA-203-1984-01-19-1ラオス1984年01月19日1980年代P紙論説「軍と人民は断固として決議を現実化しよう」,人革党第5回総会決議内容を発表。この中で84年の生産目標として,食糧130~140万トン,家畜145万頭をあげ,また農民の集団化,工業,林業生産の再組織化,農林業製品の輸出商品化,物資,通貨,輸出入業務の管理化,国際援助の効果的利用をかかげている。
DIA-203-1984-01-19-2ラオス1984年01月19日1980年代反政府軍との交戦-19日付BP紙によると,13日以降,約300人のベトナム兵,ラオス兵がタイ・チェンライ県境附近のタイ人部落で索敵活動。
DIA-203-1984-01-19-3ラオス1984年01月19日1980年代ベトナム,メコン川畔の港建設に助力-タイ軍情報,ムクダハン県対岸。
DIA-203-1984-01-20-1ラオス1984年01月20日1980年代ラオ人民軍創設20周年記念日。
DIA-203-1984-01-20-2ラオス1984年01月20日1980年代ブルガリア政府代表団到着。
DIA-203-1984-01-20-3ラオス1984年01月20日1980年代ベトナムと道路建設・運輸・通信等協力議定書調印。
DIA-203-1984-01-25-1ラオス1984年01月25日1980年代メコン開発でスウェーデン,オランダの援助-国家計画委員会のSomphavan副議長発表。このほどひらかれた第19回メコン委員会で両国がダム建設,機械供与に同意し,協定が結ばれたという。
DIA-203-1984-01-28-1ラオス1984年01月28日1980年代インドシナ3国外相の第8回定例会議,ラオスで開催。プーン外相は開会演説で「カンボジア問題解決に関するASEANと中国の違いが深まったため,前者とインドシナ諸国との二国間,多国間接触が促進されている」と語った。29日昼に声明を出して終了。
DIA-203-1984-01-30-1ラオス1984年01月30日1980年代ハンガリーの社労党外交委員会代表団来訪。
DIA-203-1984-01-31-1ラオス1984年01月31日1980年代ソ連の国家対外関係委員会副議長来訪-2国間の経済,科学,技術協力で討議のため。
DIA-203-1984-02-01-1ラオス1984年02月01日1980年代ラオスの米援助要請の行方-ビエンチャン発AFPによると,ラオスは最近7力国,2国連機関に対して10万トンの米援助を要請した。公式筋の言では近年の不作(82年110万トン,83年100万トン)を補うため,とされるが,他方では国内にいる4万人のベトナム兵や,カンボジアへの援助に向けられる,との噂もあるという。
DIA-203-1984-02-01-2ラオス1984年02月01日1980年代ソ連とラオス社会経済開発におけるソ連製機械・設備の最適利用で文書調印。
DIA-203-1984-02-02-1ラオス1984年02月02日1980年代ベトナムと9号国道建設用石切所開発で協定。
DIA-203-1984-02-02-2ラオス1984年02月02日1980年代P紙論説「大衆への働きかけに努めよう」。
DIA-203-1984-02-06-1ラオス1984年02月06日1980年代副外相,タイ=ラオス問題を語る-タイ誌Matuphumu6日付の記事(会見は2日)。「関係は改善されたが,未だ中国という障害がある。タイ=ラオス1979年共同声明はよい礎だが,内容はきちんと実施されていない。ラオスはタイに対して国境貿易の門戸開放を要求しない。国境協定の問題は,現在とりあげるべきでない。タイ共産主義者のラオス滞在については関知しない」。
DIA-203-1984-02-06-2ラオス1984年02月06日1980年代P紙論説,「本年の食糧生産を140万トンに増大すべく絶えず努力しよう」。党中央委第5回大会の目標を次のように発表-乾期米作面積を1~1.2万ha,雨期を40~45万ha,焼畑農業を限定,生産性の向上で,1ha当り3トン,その他作物1.1トンとする。これで食糧生産量を130~140万トン(うち米を120~130万トン)とする。
DIA-203-1984-02-09-1ラオス1984年02月09日1980年代ソ連との経済・技術協力の評価結果に関する覚書調印。来訪中のソ連代表団と。
DIA-203-1984-02-09-2ラオス1984年02月09日1980年代モンゴルでの国際問題会議に向け,人革党外交委副長Inpong Khai-gnavongら出発。
DIA-203-1984-02-12-1ラオス1984年02月12日1980年代スファヌヴォンら,ソ連書記長葬儀へ出発。団員にはKhamtai国防相,Khampai第1副外相ら同行。
DIA-203-1984-02-13-1ラオス1984年02月13日1980年代ベトナム社会科学研究委員会会長来訪。
DIA-203-1984-02-13-2ラオス1984年02月13日1980年代PLO新代表,プーン外相を訪問。
DIA-203-1984-02-16-1ラオス1984年02月16日1980年代KPL通信論評,「ASEANを危くする者」-アメリカがASEAN諸国の高度武器購入競争をあおっている,として非難。
DIA-203-1984-02-16-2ラオス1984年02月16日1980年代ラオス軍,タイ国境付近で増強か-タイ野戦警察情報。ウタラディト県ナムパト区の国境付近。
DIA-203-1984-02-18-1ラオス1984年02月18日1980年代ラオ国家建設戦線の拡大中央委員会開催-21日に決議を出して終了。なおカイソン首相は20日の演説の中で「農家の70%を農業協同組合やその他の集団化活動に参加させるよう奨励すべきだ。4万トンの籾米を農業税として徴収し,6万トンの余剰籾米と3500トンのコーヒー豆を国家に売り渡すべきだ」と語った。
DIA-203-1984-02-21-1ラオス1984年02月21日1980年代ベトナム地質代表団,ラオス側当局と会談-内容は地質地図の作成,技術者養成など。3月1日に議事録調印。
DIA-203-1984-02-22-1ラオス1984年02月22日1980年代ソ連・ラオス友好協会代表団,プーン外相を訪問。
DIA-203-1984-02-22-2ラオス1984年02月22日1980年代ベトナムと1984年貿易・金融決済政府間議定書調印。これによるとラオスはコーヒー,木材製品,タバコ,石膏等を,ベトナムはミルク,サトウ,自転車,綿,自動車部品等を供給する。
DIA-203-1984-02-22-3ラオス1984年02月22日1980年代北朝鮮新大使Kim Sang-chun,信任状提出。
DIA-203-1984-02-23-1ラオス1984年02月23日1980年代人民最高会議年次総会開催-第1次5カ年計画の83,84年実施計画および,83,84年の国家予算,国際問題等に関する閣僚評議会提出報告書を承認。24日終了。
DIA-203-1984-02-25-1ラオス1984年02月25日1980年代サラブリ県の戦況(国内放送),「米帝と結んだ北京やタイの反動派は亡命ラオス反動派とともに破壊転覆活動を続け,わが国を侵略・併合しようとしている。わが軍はSianghon,Hongsa区住民と共に鎮圧作戦を行なった。戦闘地区はMuang Han,Tindoi,Phon Souang,Na Gnang,Chomcheng等である。作戦は189回行なわれた(多分これは83年のことと思われる-編者)。
DIA-203-1984-02-25-2ラオス1984年02月25日1980年代政府高級幹部大会(~29日)。
DIA-203-1984-02-28-1ラオス1984年02月28日1980年代フランス外務省代表団来訪-(~3月1日)。
DIA-203-1984-02-29-1ラオス1984年02月29日1980年代ラオス貿易会社,ベトナムと84年契約調印-これによるとベトナムは6800万ドン相当の食料,工業品,機械をラオスに供給する。同社は貿易省管轄下にある(22日の記事との関係は不明)。
DIA-203-1984-02-29-2ラオス1984年02月29日1980年代「人革党創設29周年指示」,Khamtai国防相署名,人革党中央書記局作成(放送は3月3日)。
DIA-203-1984-03-01-1ラオス1984年03月01日1980年代P紙,インドネシア軍司令官の発言に言及し,東南アジア状勢を論評(6日にも同様の放送)。
DIA-203-1984-03-01-2ラオス1984年03月01日1980年代東独保健省代表団来訪(~7日)。
DIA-203-1984-03-03-1ラオス1984年03月03日1980年代ラオス放送,中国外相の東南アジア訪問に論評。
DIA-203-1984-03-03-2ラオス1984年03月03日1980年代ソ連文化使節団(副文化相が団長),文化省訪問。
DIA-203-1984-03-06-1ラオス1984年03月06日1980年代国内放送無署名論評「戦闘即応態勢の意識を継続高めよう」。
DIA-203-1984-03-06-2ラオス1984年03月06日1980年代タイ国境付近で道路建設か-新しい戦略道路はタィ・ウタラディト県Ban Khok区に対峙するBan Tak KhaiとBan Datを結ぶものという(BW,3/6)。
DIA-203-1984-03-07-1ラオス1984年03月07日1980年代日本政府,ラオス難民に援助-20万ドル。また84年下期には30万ドルを,ラオス社会福祉委員会へ。
DIA-203-1984-03-08-1ラオス1984年03月08日1980年代アットプー県,第10番目の文盲根絶県に。
DIA-203-1984-03-09-1ラオス1984年03月09日1980年代ソ連・AA人民連帯委員会代表団来訪。
DIA-203-1984-03-09-2ラオス1984年03月09日1980年代インドシナ3国報道機関会議,ビエンチャンで。
DIA-203-1984-03-12-1ラオス1984年03月12日1980年代国内放送(無署名),「敵(北京大国主義者ら)の心理戦争を断固としてくだけ」。
DIA-203-1984-03-12-2ラオス1984年03月12日1980年代チェコ共産党中央委経済使節団来訪,4日間。
DIA-203-1984-03-12-3ラオス1984年03月12日1980年代日本,円借款返済分を無償供与に-12日覚書交換。額は1億380万円。タイ米輸入に充てられる予定。
DIA-203-1984-03-19-1ラオス1984年03月19日1980年代新キューバ大使M.G.Vazquez信任状提出。
DIA-203-1984-03-20-1ラオス1984年03月20日1980年代ラオス,難民受取りに合意-タイ内務省発表。当面158人の帰国志願者が対象。4月に実施予定。1980年3月以降2300人が帰国。また23日のタイ,チェンライ県知事の発表では,メコン川上の3島にいる300人の難民についても受入れに合意したという。
DIA-203-1984-03-21-1ラオス1984年03月21日1980年代ラオス婦人連盟,第1回全国会議-ラオス愛国婦人協会が名称変更したもの。
DIA-203-1984-03-22-1ラオス1984年03月22日1980年代人民革命党建党29周年日-1955年3月22日,インドシナ共産党より分離建党。国内放送論評「党の革命大義を断固貫徹」。
DIA-203-1984-03-26-1ラオス1984年03月26日1980年代ソ連と国土地図用航空写真作成事業完了で覚書。
DIA-203-1984-03-28-1ラオス1984年03月28日1980年代南部反乱軍,ベトナム兵と戦闘-20日ヴァピカムトン県セドン川岸で発生。反乱軍指導者はSomchit Konbouama大尉(BW,3/28)。
DIA-203-1984-03-29-1ラオス1984年03月29日1980年代国内放送論評「アメリカ帝国主義者は平和の主要な脅威」。
DIA-203-1984-03-31-1ラオス1984年03月31日1980年代タイ国境近くに飛行場完成-タイ・ウタラディト県ナムパト区に対峙する地区で,長さ1500m,幅100m(BW,3/31)。
DIA-203-1984-04-01-1ラオス1984年04月01日1980年代国内放送,無署名論評「東南アジアの平和と安定化への道」。
DIA-203-1984-04-04-1ラオス1984年04月04日1980年代ベトナム共産党組織委員会代表団来訪(~12日)。
DIA-203-1984-04-05-1ラオス1984年04月05日1980年代ラオスの対外貿易-駐ビエンチャンのタイ領事発表。83年の総輸入は15億5000万バーツ,うちタイからの輸入7億6200万バーツ。タイへの輸出2700万バーツ。
DIA-203-1984-04-08-1ラオス1984年04月08日1980年代党・政府高級幹部のための第3回政治理論特別コースおわる。4カ月間行なわれた。
DIA-203-1984-04-10-1ラオス1984年04月10日1980年代亡命ラオス人ら会報出版-ラオス人にベトナム=ソ連軍の放逐運動を呼びかける(4ページの)小冊子が,初めて出現したという。欧米で配布されているらしいと報道(BW,4/10)。
DIA-203-1984-04-10-2ラオス1984年04月10日1980年代ハンガリーと領事協定の批准書交換。
DIA-203-1984-04-12-1ラオス1984年04月12日1980年代84年農業計画実施指導に関する4・12指示-カイソン閣僚評議会議長。第022号。
DIA-203-1984-04-12-2ラオス1984年04月12日1980年代新県設置-4月12日付け閣僚評議員命令で,サラヴァヌ県を二つに分けSekong県とSaravane県とに。
DIA-203-1984-04-15-1ラオス1984年04月15日1980年代ラオス暦1346年1月1日-スファヌボン大統領のラオス人民への祝辞,14日放送。仏暦2527年の新年でもある。
DIA-203-1984-04-16-1ラオス1984年04月16日1980年代チェコと地質調査(宝石,Houaisai区北部)完了覚書調印。
DIA-203-1984-04-17-1ラオス1984年04月17日1980年代ソ連,ラオス北部に核ミサイル配備か-ラオスの抵抗組織Phaya Nakkharatの情報では,83年12月中旬までにSS-4,SS-5が260から280基,ビエンチャン北東6kmの地点に搬入され,その後再び他の地点に移された,という。またサラブリ県には現在ベトナム軍4個師団が駐屯という(タイ紙Matuphum,4/17)。
DIA-203-1984-04-18-1ラオス1984年04月18日1980年代党中央委政治局,85年に建党35周年と共和国建設10周年を祝うとの決議発表(それぞれ3月22日,12月2日)。のちに5月10日付政治局第62指示として実施指令。
DIA-203-1984-04-21-1ラオス1984年04月21日1980年代スウェーデン人2名,奥地で殺さる-スウェーデン援助の森林伐採地で3月22日に発生した事件。21日になって初めてストックホルムで報道されたもの。
DIA-203-1984-04-23-1ラオス1984年04月23日1980年代イエメン民主社会党代表団,党政治局訪問。
DIA-203-1984-04-24-1ラオス1984年04月24日1980年代ソ連労組代表団来訪。
DIA-203-1984-04-26-1ラオス1984年04月26日1980年代ベトナム教育代表団来訪。
DIA-203-1984-05-07-1ラオス1984年05月07日1980年代ベトナム橋梁建設援助-ベトナム運輸通信省下の橋梁建設局はホアパン県第6号国道で五つの橋(Nam Ven,Muang Ham,Nam Peun,Houai Mon,Houai Souan)を建設した。これらの橋は24~74mで10~60トンの重量にたえられる(VNA通信,5/7)。
DIA-203-1984-05-11-1ラオス1984年05月11日1980年代ラオス,オリンピック不参加を発表(KPL,5/11)。
DIA-203-1984-05-12-1ラオス1984年05月12日1980年代第10号国道(高速道路,Tha Ngon=Pak Kha-Gnong間45km)建設調査完了(KPL,5/12)。
DIA-203-1984-05-12-2ラオス1984年05月12日1980年代エジプト外務省代表団,親善訪問。
DIA-203-1984-05-13-1ラオス1984年05月13日1980年代外務省,ASEAN外相会議でのカンボジア問題に関する意見の喰い違いについて声明。
DIA-203-1984-05-14-1ラオス1984年05月14日1980年代カンボジアと84~85年の金融協力で蔵相会談。
DIA-203-1984-05-16-1ラオス1984年05月16日1980年代「ASEANは地域の利益のため現実的態度をとるべきだ」。ASEAN外相会議への8日付国内放送論評。
DIA-203-1984-05-17-1ラオス1984年05月17日1980年代カムアン県,第11番目の文盲根絶県となる。
DIA-203-1984-05-18-1ラオス1984年05月18日1980年代難民引取り再開-国連難民委員会UNHCRの18日発行の月刊誌によると,ラオスは4月に148人を引き取り,これで80年の引取計画開始以来2545人になった。また4月末現在タイにいるラオス難民はインドシナ3国難民の55.2%に当る7万0241人という。
DIA-203-1984-05-19-1ラオス1984年05月19日1980年代高地少数民族に軍事訓練?-タイ国境警察発表。このためChaiburi区Ban Huai Haiの住民200人をBan Mai(タイのウタラディト県Nam Pad区Ban Boe Raiに対峙するところ)へ移動させたという。
DIA-203-1984-05-19-2ラオス1984年05月19日1980年代タイへ供給の電気料金の10%引上げを要求-タイ電力庁(EGAT)筋発表。タイ国産電力1単位80サタンに対しラオス輸出電力は現在70サタン。
DIA-203-1984-05-22-1ラオス1984年05月22日1980年代憲法起草で3度目の試み-パテトラオの1976年政権掌握以降過去2回は不成功に終った。国内放送26日によると,人民最高会議常任委員会は22日,スファヌボン大統領を長とする15人起草委員会を設置した。
DIA-203-1984-05-24-1ラオス1984年05月24日1980年代タイと国境紛争発生-タイ第3軍高官筋発表。タイ国家治安会議高官らが22日にウタラディト県東部ラオス国境地区視察の際,「タイ領内3カ村」(Ban Mai,Ban Klang,Ban Savang)をラオス兵士が占拠し,入村できなかった。同筋によると,ラオス軍は4月15日にタイ領内3km地点のタイ軍基地Ban Bor Biaを攻撃したあと,同月末から同3カ村を占拠しているという。また5月15日には同基地東2kmのDoi Tu Longの地点でも両軍が武力衝突したという。なおこの3カ村は,タイが国境ぞいに建設中の道路が通るところに当っている。
DIA-203-1984-05-25-1ラオス1984年05月25日1980年代タイ側,「ラオス軍占拠」報道を否定-タイの国家治安会議プラソン事務局長は,「ラオス軍は国境をたえず越えており,永久的にタイ領を占拠しているのではない」と語った。また27日には第3軍の高官も「国境が不明確なための誤解だ」と語った。
DIA-203-1984-05-25-2ラオス1984年05月25日1980年代党中央委書記局,政治教育で指令。
DIA-203-1984-05-26-1ラオス1984年05月26日1980年代右派反乱軍の戦闘-5月14日サバナケット県内の国道13号で発生。ベトナム・ラオス兵40人を殺傷という(BW,5/26)。
DIA-203-1984-05-28-1ラオス1984年05月28日1980年代ベトナム化学製品局と化学産業育成で覚書。ピエンチャンで調印。
DIA-203-1984-05-28-2ラオス1984年05月28日1980年代ソ連と石油輸送管付設で文書調印-28日ビエンチャンで調印の3文書は,(1)測量完了と,(2)建設に係わる,ソ連専門家100人の委任,(3)機械・資材提供等が内容。輸送管はベトナムのビン港から国境までの100kmと国境からビエンチャンまでの395kmで,年間30万トンの石油輸送が可能という(KPL,5/30)。
DIA-203-1984-05-29-1ラオス1984年05月29日1980年代日本,製薬開発センター建設に無償援助-ビエンチャンで29日書簡が交換された。10億4500万円。なお,これにもとづき9月以降,日本の武田製薬工業が,ビエンチャン郊外で作業を開始した。86年3月完成予定。
DIA-203-1984-05-29-2ラオス1984年05月29日1980年代内相,警察関係者に税法の説明会。また同日付で,閣僚評議会は民間企業の登録,徴税強化を指示する指令を主要県行政委員会に送った。
DIA-203-1984-06-01-1ラオス1984年06月01日1980年代「副公共事業相逮捕さる」-1日タイに密入国して逮捕されたラオス人の言。同相はSaengkom Phinit。
DIA-203-1984-06-02-1ラオス1984年06月02日1980年代国内放送,タイとの国境紛争にはじめて言及。-駐タイ大使が1日バンコクで行なった記者会見(紛争は捏造された話にすぎない,というもの)を伝えたもの。
DIA-203-1984-06-02-2ラオス1984年06月02日1980年代ソ連援助の石研磨2工場完成。ラオス側に渡される。
DIA-203-1984-06-03-1ラオス1984年06月03日1980年代ラオス=ベトナム軍,サバナケット附近に集結か-タイ・ムクダハン県の警察当局発表。約4大隊。9号国道沿いに展開中の部隊の一部という。
DIA-203-1984-06-04-1ラオス1984年06月04日1980年代「ラオス政府,タイとの国境紛争で,地方行政当局レベルの交渉を指示」,駐タイ大使の発表。
DIA-203-1984-06-05-1ラオス1984年06月05日1980年代外務省,タイ大使と国境紛争で意見交換-ラオス側は,5月24~25日に70~100人のタイ兵が自国領の3部落Mai,Napai,Nakhemに侵入したと通告,また3日のサバナケット県に関するタイ側報道を非友好的と非難。
DIA-203-1984-06-08-1ラオス1984年06月08日1980年代チェコ援助で9号国道に橋完成-5月に完成。Sekoumkam川とSethamouk川を渡るもの。引渡しのため下旬に同国政府代表団来訪(KPL,6/8)。
DIA-203-1984-06-10-1ラオス1984年06月10日1980年代タイ軍越境か-国内放送10日。5~8日にかけ航空機や兵士の越境や砲撃が発生。ラオス領内の4カ村(Ban Savang,Ban Kong,Ban Mai,Ban Napai)が占領された。
DIA-203-1984-06-11-1ラオス1984年06月11日1980年代「係争地住民はラオ身分証者保持者」-駐タイ大使館第一書記の12日付タイ紙Matichionへの表明。最初の入植者を判断の基準とすべきだと,追加。
DIA-203-1984-06-11-2ラオス1984年06月11日1980年代ベトナムと農業協力覚書調印。
DIA-203-1984-06-12-1ラオス1984年06月12日1980年代「第64代ラオス国王」-アメリカで出版のタイ語紙Muan Chonは,1981年に死亡したと噂されるルアンプラバン王朝63代Savang Vattanaに代わりSouligna Souvannavongが,右派グループによって83年に国王に選出され,アメリカに滞在中と報道。
DIA-203-1984-06-13-1ラオス1984年06月13日1980年代タイとの国境紛争で外務省声明-事件発生以来最初の本格的公式声明。5月24日以来の事件を記し,タイ反動派を非難,とくに「6月7日タイ軍は国境標識を除去し,他所へ置きかえた」と主張。
DIA-203-1984-06-14-1ラオス1984年06月14日1980年代ラオス駐タイ大使,「ラオスは,79年共同声明に沿った平和的手段での解決を望むが,交渉にはタイの事前撤兵が必要」と発言。また同日タイ紙との会見で「国境問題については1893年の仏=シャム協定があるのみ,タ,ラ両国ともこれを承認していないが,準拠する文書としては利用しうる」と立場を説明。
DIA-203-1984-06-14-2ラオス1984年06月14日1980年代夜,ビエンチャンでタイ糾弾大会,決議採択-大会主催者は「タイ反動派の3カ村要求は,アーティット・タイ国軍最高司令官の訪中に伴って考え出されたものだ」と主張。
DIA-203-1984-06-15-1ラオス1984年06月15日1980年代外務省,西側5カ国大使に国境問題で説明-とくに13日声明の内容が主題。
DIA-203-1984-06-15-2ラオス1984年06月15日1980年代駐タイ大使,タイ外務次官と会談-タイ側主張根拠の1965年米国製地図はラオスにとって無効と主張。
DIA-203-1984-06-16-1ラオス1984年06月16日1980年代ベトナム,国境問題でラオス支持。
DIA-203-1984-06-16-2ラオス1984年06月16日1980年代インドシナ3国経済・文化委員会第3回会議。
DIA-203-1984-06-17-1ラオス1984年06月17日1980年代サバナケットで5000人の反タイ・デモ。
DIA-203-1984-06-18-1ラオス1984年06月18日1980年代Sisavat内相,タイのSitthi内相に書状-タイ内相がタイ軍の撤兵に働きかけるよう要請したもの(国内放送21日)。
DIA-203-1984-06-19-1ラオス1984年06月19日1980年代中国軍,5月5日にラオス領を砲撃か-駐ベトナム・ラオス大使の言(AFP,6/19)。
DIA-203-1984-06-21-1ラオス1984年06月21日1980年代ラオス,国連事務総長に国境問題でタイ,中国を非難する文書を渡す。
DIA-203-1984-06-21-2ラオス1984年06月21日1980年代P紙,ベトナム軍のカンボジア部分撤兵を第一面で賞賛。
DIA-203-1984-06-24-1ラオス1984年06月24日1980年代元最高位僧Somdej Phra Yodkaew93歳で死去。
DIA-203-1984-06-24-2ラオス1984年06月24日1980年代ルアンナムタ県,第12番目の文盲根絶県に。
DIA-203-1984-06-24-3ラオス1984年06月24日1980年代ラオス国境にベトナム軍投入?-24日付Thai News Agencyによると,約1000人のベトナム兵と戦車が,係争地点近くに最近展開しているという。
DIA-203-1984-06-25-1ラオス1984年06月25日1980年代ラオス軍,国境係争地近くに設営か-タイ内務省25日入手情報ではBan Mai近くのPhu Hat。
DIA-203-1984-06-26-1ラオス1984年06月26日1980年代カイソン首相,ソ連新書記長と会見。
DIA-203-1984-06-27-1ラオス1984年06月27日1980年代全国各地で,月初めより反タイ集会(KPL,6/27)。
DIA-203-1984-06-27-2ラオス1984年06月27日1980年代新フィリピン大使Rafael Ileto信任状提出。
DIA-203-1984-06-30-1ラオス1984年06月30日1980年代アーティット非難に焦点定まる-国境紛争は中国の後押しをうけたアーティット・タイ最高司令官の仕業というもの。
DIA-203-1984-07-02-1ラオス1984年07月02日1980年代全国銀行会議-中銀総裁Boutsabong Souvan-navongらが出席し,銀行業務の一般原則,利子,信用,統一会計などを検討。
DIA-203-1984-07-02-2ラオス1984年07月02日1980年代第9回インドシナ外相会議,ピエンチャンで。
DIA-203-1984-07-04-1ラオス1984年07月04日1980年代タイ軍の無条件撤兵を要求-駐タイ・ラオス大使,交渉の前提として当初からの要求を繰返す。
DIA-203-1984-07-04-2ラオス1984年07月04日1980年代アメリカ建国記念日で米首脳に祝電。
DIA-203-1984-07-05-1ラオス1984年07月05日1980年代9号国道の一部完成-ベトナムが79年から建設していたもの。サバナケット県Thapongから国境までの34kmで6月半ばに完成。隊道144,橋17。
DIA-203-1984-07-06-1ラオス1984年07月06日1980年代ラオス軍,係争3カ村付近のBan Pha Kaewで増強。タイ軍情報。
DIA-203-1984-07-06-2ラオス1984年07月06日1980年代物価統制官訓練第2回コース終わる。
DIA-203-1984-07-06-3ラオス1984年07月06日1980年代オーストラリアの食糧援助-もち米2000トン引渡し式。6月末よりタイ・ノンカイより搬入(2月1日参照)。
DIA-203-1984-07-07-1ラオス1984年07月07日1980年代オーストラリア国会議員団来訪(~12日)。
DIA-203-1984-07-08-1ラオス1984年07月08日1980年代ラオス兵,タイ・ローエイ県で越境攻撃-タイ軍情報。10~15人のラオス兵が8日タイ軍基地砲撃。
DIA-203-1984-07-12-1ラオス1984年07月12日1980年代国内放送,ASEAN外相会議で論評。
DIA-203-1984-07-13-1ラオス1984年07月13日1980年代ラオス軍,タイ国境他所でも増強か-タイ警察情報,10日以来約60人の兵がラオス領内のBaan Muong Mohに集結(タイ側Tali郡Tambon Ahiに対峙)。
DIA-203-1984-07-17-1ラオス1984年07月17日1980年代外務省,国境問題で代表団派遣とタイへ通告。
DIA-203-1984-07-17-2ラオス1984年07月17日1980年代国内放送,タイ軍が12~15日間越境砲撃と報道。
DIA-203-1984-07-19-1ラオス1984年07月19日1980年代P紙,ASEAN外相会議で論評。
DIA-203-1984-07-19-2ラオス1984年07月19日1980年代政府,フランスに国境関係文書を要求(AFP,7/19)。
DIA-203-1984-07-20-1ラオス1984年07月20日1980年代85年3月1日に人口センサス実施-国連の資金,ソ連の専門家の援助で行なう。20日そのための政府高級幹部の会合開催。
DIA-203-1984-07-21-1ラオス1984年07月21日1980年代バンコクで,タイと国境交渉開始。
DIA-203-1984-07-21-2ラオス1984年07月21日1980年代国内放送,タイ軍が17~20日連日砲撃と報道。
DIA-203-1984-07-23-1ラオス1984年07月23日1980年代タイとの国境交渉失敗(タイの日誌参照)。
DIA-203-1984-07-24-1ラオス1984年07月24日1980年代国防省民間航空局員2人タイへ亡命-ソ連製輸送機AN-2で逃げたもの。
DIA-203-1984-07-26-1ラオス1984年07月26日1980年代ラオス,係争地で越境砲撃強化か,タイ軍情報。
DIA-203-1984-07-27-1ラオス1984年07月27日1980年代モンゴル資金援助の病院,最近完成(KPL,7/27)。
DIA-203-1984-07-30-1ラオス1984年07月30日1980年代閣僚評議会,乾期森林業で指令(30日付)-ラオスの森林地面積は過去の68%から47%に減少と発表。
DIA-203-1984-07-30-2ラオス1984年07月30日1980年代ベトナムと物資・技術供与協力覚書調印-84~85年分。ベトナムは石油タンク2基の建設で協力。
DIA-203-1984-08-01-1ラオス1984年08月01日1980年代ラオス難民-タイ国家治安会議事務局長発表。タイへのラオス避難民は82年5019人,83年7491人,84年1~6月6890人と増加中。
DIA-203-1984-08-03-1ラオス1984年08月03日1980年代P紙論評「商業は適正に行なえ」。
DIA-203-1984-08-03-2ラオス1984年08月03日1980年代ソ連と最近,林業,木材加工で協定(KPL,7/3)。
DIA-203-1984-08-04-1ラオス1984年08月04日1980年代84年財政会議開催-Yao Phonvantha蔵相を議長に全国の財政・金融担当者を集めてひらかれた。
DIA-203-1984-08-04-2ラオス1984年08月04日1980年代農業省,「量産目標達成に関する指令」(国内放送)。
DIA-203-1984-08-07-1ラオス1984年08月07日1980年代タイと第2回国境交渉はじまる-代表団はタイ国王とプレム首相あてメッセージをたずさえ来訪。
DIA-203-1984-08-08-1ラオス1984年08月08日1980年代P紙,国境紛争で論評「タイは6月21日に捏造した国境地図を国連事務総長へ送り,さらに米軍作成地図に言及し,国境線碑は不明瞭・不明確で,合法的なものとしては考慮しえない,と説明した」。
DIA-203-1984-08-08-2ラオス1984年08月08日1980年代「タイ軍機,過去1カ月に85回越境」(国内放送)。
DIA-203-1984-08-09-1ラオス1984年08月09日1980年代国内放送特集「海への道」-9号国道の完全舗装224kmが1988年までに完成する予定というもの。
DIA-203-1984-08-10-1ラオス1984年08月10日1980年代国境紛争のラオス側態度-バンコクでのラオス代表団によると,1904~07年の仏=シャム協定,1909年の仏=シャム合同国境委員会作成でタイ軍自身の印刷になる地図の二つを合法的文書とする,という。タイ側は,この会議で1978年タイ作成地図をもちだした。
DIA-203-1984-08-10-2ラオス1984年08月10日1980年代ナムグム・ダム渡湖橋,ソ連援助で完成-13号国道に当る。長さ254m,幅10m,10日引渡し。
DIA-203-1984-08-10-3ラオス1984年08月10日1980年代人革党中央委第3期第6回総会開催(~27日)-主目標として「社会主義革命路線,とりわけ経済路線の理解を深め,経済経営機構を変革し,84年計画達成のため党指導を高め,また85年計画および第2次5カ年計画の準備を行なう」としている。
DIA-203-1984-08-13-1ラオス1984年08月13日1980年代国内放送論説「政治幹部の能力を高めよう」。
DIA-203-1984-08-16-1ラオス1984年08月16日1980年代灌漑構築でベトナムと協力文書調印。
DIA-203-1984-08-17-1ラオス1984年08月17日1980年代外務省,国境紛争で覚書発表-係争地が,歴史,行政,地図,国境碑のいずれでもラオス領である,とするもの(KPL,8/18)。
DIA-203-1984-08-21-1ラオス1984年08月21日1980年代ソ連援助の気象所,洪水調査所完成,引渡し。
DIA-203-1984-08-23-1ラオス1984年08月23日1980年代党・国家高級理論学校,ML主義に関する第4回特別コース終了。
DIA-203-1984-08-24-1ラオス1984年08月24日1980年代国内放送,係争地のタイ側の一方的測地に論評。
DIA-203-1984-08-26-1ラオス1984年08月26日1980年代外務省声明-23日の係争地測地に関するタイ政府声明への反論。
DIA-203-1984-08-29-1ラオス1984年08月29日1980年代国連代表,国境紛争で国連総長に立場説明。
DIA-203-1984-09-05-1ラオス1984年09月05日1980年代「タイ共産軍に軍事訓練」-タイ第2軍区筋発表によると,ラオスは「パクマイ」と呼ばれるタイ人の共産主義運動(正式には「タイ人民革命運動」といわれる)に軍事基地(基地25,訓練所15)・訓練を提供し,兵士をタイに送り込んでいる,という。この運動の総兵力は1100人以上とされる(NR,9/5)。
DIA-203-1984-09-05-2ラオス1984年09月05日1980年代日本の援助-5日1億5000万円の農業援助引渡しが行なわれたほか,ビェンチャンのKaoleo給水施設完成(6億円援助)に伴う覚書が調印された。
DIA-203-1984-09-08-1ラオス1984年09月08日1980年代国連UNDP,ルアンプラバン県米増産計画に援助決定。200万ドル相当。
DIA-203-1984-09-09-1ラオス1984年09月09日1980年代国内放送論説,経済管理問題を論ず。
DIA-203-1984-09-10-1ラオス1984年09月10日1980年代タイ,ラオスへの技術援助再開と発表-タイ政府の技術・経済協力局が10月以降新会計年度で再開しようというもの。81年以後停止されていた。
DIA-203-1984-09-11-1ラオス1984年09月11日1980年代キューバ外交代表団,来訪。
DIA-203-1984-09-18-1ラオス1984年09月18日1980年代タイ非難の白書発表-「タイ=ラオス関係の真実」と題し,第2次大戦以後の関係を洗いだし,外国勢力に支えられたタイ拡張主義を非難。
DIA-203-1984-09-20-1ラオス1984年09月20日1980年代国内放送論説「タイ=ラオス関係の真理は明瞭に暴露されている」。
DIA-203-1984-09-21-1ラオス1984年09月21日1980年代イラン外交代表団,来訪。
DIA-203-1984-09-22-1ラオス1984年09月22日1980年代反政府ゲリラ組織の動き-22日付BP紙によると,モン族のラオス諸民族解放運動LMLNとラオス解放全国統一戦線NUFLLが,このほど併合。
DIA-203-1984-09-24-1ラオス1984年09月24日1980年代P紙論評「タイ当局は東南アジアで絶えず拡張主義をとっている」。
DIA-203-1984-09-26-1ラオス1984年09月26日1980年代国内放送論説,「封建的,資本主義的生産関係を積極的に変革せよ」。
DIA-203-1984-09-29-1ラオス1984年09月29日1980年代政府,タイの国際査察共同チーム設置案(27日提案)に反対を表明。
DIA-203-1984-09-29-2ラオス1984年09月29日1980年代UNDP,ビエンチャン県の岩塩生産に援助決定。
DIA-203-1984-10-02-1ラオス1984年10月02日1980年代タイ外相,国連でタイ軍の撤兵計画発表。
DIA-203-1984-10-02-2ラオス1984年10月02日1980年代中国大使館で中国国慶節祝賀,ラオス側からMaisouk工相(党中央委員)が参加。
DIA-203-1984-10-03-1ラオス1984年10月03日1980年代ラオス,国連に緊急安保理開催を要請-タイとの国境問題のため。
DIA-203-1984-10-03-2ラオス1984年10月03日1980年代外務省,国際紛争で声明発表。
DIA-203-1984-10-06-1ラオス1984年10月06日1980年代統一仏教会代表団,インドでの国際会議へ。
DIA-203-1984-10-07-1ラオス1984年10月07日1980年代国内放送論説「農業協同組合は農民の正しい明るい道」。
DIA-203-1984-10-09-1ラオス1984年10月09日1980年代反政府ゲリラ,政府軍と戦闘-タイ・ノンカイ県知事発表。ボリコン県,パークホイ市,Kluay村の政府軍基地が5~8日攻撃されたものという。
DIA-203-1984-10-09-2ラオス1984年10月09日1980年代国連安保理でタイを非難。
DIA-203-1984-10-10-1ラオス1984年10月10日1980年代タイ=ラオス・ボート競技,行なわれる-メコン川,ノンカイ地点で例年行なわれているもの。
DIA-203-1984-10-14-1ラオス1984年10月14日1980年代外務省,タイの「占領」非難の声明。
DIA-203-1984-10-15-1ラオス1984年10月15日1980年代タイの砲撃で国際司法裁へ提訴の予定か-駐タイ大使の発表。
DIA-203-1984-10-15-2ラオス1984年10月15日1980年代タイ外務省,撤兵完了と発表。
DIA-203-1984-10-15-3ラオス1984年10月15日1980年代新ユーゴスラビア大使Ranko Radulovic信託状提出。
DIA-203-1984-10-17-1ラオス1984年10月17日1980年代タイのローエイ県への射撃で地方当局陳謝-タイ側17日発表。ラオス,サナカム県知事の陳謝。
DIA-203-1984-10-17-2ラオス1984年10月17日1980年代インドシナ3国通信・運輸委員会第1回会議。
DIA-203-1984-10-17-3ラオス1984年10月17日1980年代西独代表団来訪。
DIA-203-1984-10-20-1ラオス1984年10月20日1980年代ラオス側,係争3カ村に住民を送り込む-タイ側情報。17~18日に行なわれた。
DIA-203-1984-10-26-1ラオス1984年10月26日1980年代外務省,国境紛争で声明-タイ軍がやっと3カ村から撤退し,ラオスの地方当局が現地を掌握しはじめた。だがタイ軍はいまだBan Mai部落南方のラオス領Honghap区を占拠中。諸条件が満されれば,交渉再開の意向がある,と表明。
DIA-203-1984-10-26-2ラオス1984年10月26日1980年代インドシナ3国メコン川委員会開催,3日間。
DIA-203-1984-10-30-1ラオス1984年10月30日1980年代国内放送論説「私営企業登録に集団的自覚を高めよう」。
DIA-203-1984-10-30-2ラオス1984年10月30日1980年代法務省,司法セミナー開催。
DIA-203-1984-10-31-1ラオス1984年10月31日1980年代東独人民議会代表団来訪。
DIA-203-1984-11-03-1ラオス1984年11月03日1980年代スファヌボン大統領,インド首相葬儀に参列。
DIA-203-1984-11-05-1ラオス1984年11月05日1980年代インドシナ3国の軍総政治部年次会議,3日間。
DIA-203-1984-11-05-2ラオス1984年11月05日1980年代ハンガリー=ラオス経済,科学,技術協力委員会使節団来訪。28日に議定書調印。
DIA-203-1984-11-11-1ラオス1984年11月11日1980年代ラオス軍,係争3カ村に進駐-11日のタイ側情報では,今月始めに入ったという。
DIA-203-1984-11-13-1ラオス1984年11月13日1980年代カンボジアと85年貿易・支払議定書調印。
DIA-203-1984-11-17-1ラオス1984年11月17日1980年代ソ連最高会議代表団来訪,団長はV・I・ドルギフ・ソ同盟中央委政治局員候補,20日,共同声明発表。内容は国際問題討議に関するもの。
DIA-203-1984-11-20-1ラオス1984年11月20日1980年代ラオス側,国境問題で交渉再開を希望か-タイの国会議長が20日駐タイ・ラオス大使に聞いた話。
DIA-203-1984-11-21-1ラオス1984年11月21日1980年代84年文化工作全国会議ビエンチャンで開催-プーミ党政治局員の演説「新文化に対する正しい態度を築こう」。
DIA-203-1984-11-22-1ラオス1984年11月22日1980年代P紙論評,「米はASEANの軍事ブロック化を謀る」。
DIA-203-1984-11-24-1ラオス1984年11月24日1980年代ラオス,タイに国境交渉再開を要請-外務省が駐ラオス大使にタイ外相あて書状を渡し伝えたもの。
DIA-203-1984-11-24-2ラオス1984年11月24日1980年代ラオス,タイ大学講師らに国境視察で招待-24日付NR紙による。チュラロンコーン大学の講師たちはこれを謝絶したが,タマサートの講師らは態度不明。
DIA-203-1984-11-24-3ラオス1984年11月24日1980年代米国,米5000トンを援助-共産政権成立以来はじめての2国間援助。バンコクの西側筋によると,これはラオスで消息をたった550人のアメリカ人の救出に協力を要請したものという。
DIA-203-1984-11-26-1ラオス1984年11月26日1980年代ハンガリー党・国家代表団来訪-30日に共同声明発表。団長はP・ロションチ国民議会幹部会議長。
DIA-203-1984-11-29-1ラオス1984年11月29日1980年代抵抗勢力,ベトナム軍基地を襲撃-タイ・ノンカイ県筋発表では,同県対岸ラオス領2村Sammana,Paktonにあるベトナム軍基地が29日に襲撃され,約1000人のラオス人がタイ側へ避難したという。
DIA-203-1984-12-01-1ラオス1984年12月01日1980年代ポーランド国会議員団来訪。
DIA-203-1984-12-03-1ラオス1984年12月03日1980年代ラオス,米,相互に外交官各1名強制帰国-米国務省3日発表によると,ラオス側が最初に行動を起し,米側もそれ相応の措置をとったものという。
DIA-203-1984-12-04-1ラオス1984年12月04日1980年代国祭日記念行事でラオス高官,タイを国境問題で非難の演説。
DIA-203-1984-12-05-1ラオス1984年12月05日1980年代水質汚染で魚に被害-ビエンチャンとその近県の漁池の管理が悪く,現在ソ連の医師が調査中という。
DIA-203-1984-12-05-2ラオス1984年12月05日1980年代9号国道の一部完成,引渡し-ベトナム国境からDebangkiangに至る9号国道のうちLao Bao=Thakhong間44kmが,ベトナム第384建設会社によって完成。先週引渡された(KPL,12/5)。
DIA-203-1984-12-05-3ラオス1984年12月05日1980年代ナムグム水力発電所第5発電機試運転開始。
DIA-203-1984-12-06-1ラオス1984年12月06日1980年代国連安保理議長に,タイ兵の暴虐で抗議書提出。係争地住民をタイ領内に連行して行なったものという。
DIA-203-1984-12-06-2ラオス1984年12月06日1980年代人民革命青年連合中央委第5回総会(~12日)。
DIA-203-1984-12-10-1ラオス1984年12月10日1980年代国内放送論説「新経済管理機構の内容を理解しよう」。
DIA-203-1984-12-11-1ラオス1984年12月11日1980年代国内放送,タイへの国境交渉再開要請状(11月24日付)を全文公表。
DIA-203-1984-12-13-1ラオス1984年12月13日1980年代米下院復員軍人委員会委員長(モントゴメリー)ら来訪,2日間。
DIA-203-1984-12-14-1ラオス1984年12月14日1980年代ソ連と司法協力で覚書調印。
DIA-203-1984-12-15-1ラオス1984年12月15日1980年代ラオス兵,カンボジア戦線に出現-カンボジア・ゲリラによると約800人のラオス兵がベトナム軍を援助して戦っている,という。KPNLF放送も,これらの兵は3カ国軍事協定のもとに派遣されたとしている(NR,12/16)。
DIA-203-1984-12-18-1ラオス1984年12月18日1980年代ソ連文化代表団来訪,団長はアファナシュフ党中央委文化部副部長。
DIA-203-1984-12-19-1ラオス1984年12月19日1980年代ラオス,係争地で水流変更工事か-8~9月の国境測量の結果,ラオス側が,1907年のシャム=フランス国境協定による分水嶺主義を有利に利用すべく,すでに水流の変更工事をほどこしていたことが判明したとの発表がタイ軍当局からなされた。
DIA-203-1984-12-21-1ラオス1984年12月21日1980年代イギリス大使館,ラオス側に閉鎖を通告-タイ政府筋発表で,日時は不明。今後は駐タイ・イギリス大使館が業務を代行。
DIA-203-1984-12-22-1ラオス1984年12月22日1980年代ランサン・ホテルで爆発事件。
DIA-203-1984-12-23-1ラオス1984年12月23日1980年代インドシナ3国経済・文化協力委員会第4期会ビエンチャンで開催。
DIA-203-1984-12-24-1ラオス1984年12月24日1980年代人革党中央委第3期第7総会開催(~1月1日),84年計画の評価と85年計画の路線と任務を設定。
DIA-203-1984-12-25-1ラオス1984年12月25日1980年代米国議会代表団来訪,団長は下院外交委員会アジア太平洋小委員会のソラーズ委員長。
DIA-203-1984-12-26-1ラオス1984年12月26日1980年代タイ軍,係争地に「依然駐留」-Thonglai国防次官(大佐)によると,タイ軍は3カ村からは退いたが,依然ラオス領内に300~700m入った地点8カ所に駐留している,と非難。 国連安保理にラオス国連大使のラオス=タイ関係に関する書簡配付さる。
DIA-203-1984-12-30-1ラオス1984年12月30日1980年代タイとの国境交渉再開を要求-30日付BP紙によると,Phoumi Vongvichit副首相が最近ビエンチャンでの記者会見で語ったもの。
DIA-203-1984-12-30-2ラオス1984年12月30日1980年代難民出国状況-タイのノンカイ県知事発表では,同県の84年のラオス人難民は7000~8000人と記録的な数字に達している,という。
DIA-203-1984-12-31-1ラオス1984年12月31日1980年代P紙,国境紛争でタイを非難-11月初めの国連でのタイ軍の撤退発表は世論を問題の核心からそらすだけのもので,タイ軍はラオス領内の別の場所に再配置されただけであった,とするもの。
DIA-203-1985-01-01-1ラオス1985年01月01日1980年代人民革命党第3期中央委第7回総会終了(12月24日からのもの)。
DIA-203-1985-01-01-2ラオス1985年01月01日1980年代P紙新年祝賀論説―85年生産目標発表。食糧150~160万㌧(うち米140万㌧),乾期米植付目標は1.2万㌶。家畜は155万頭。
DIA-203-1985-01-03-1ラオス1985年01月03日1980年代2副相,汚職で解任か―タイ・ノンカイ県知事発表(BP紙3日),Udon Ponnoi副蔵相と,Chanpeng Bounnaphon副商相,トラクター輸入問題が関係か。
DIA-203-1985-01-03-2ラオス1985年01月03日1980年代ニカラグア大統領就任式にMaisouk工業相発つ。
DIA-203-1985-01-04-1ラオス1985年01月04日1980年代VDS,タイの侵略で非難の論評。
DIA-203-1985-01-05-1ラオス1985年01月05日1980年代外務省,国境紛争で抗議書をタイ大使に―とくに2~3日の侵攻に言及。6日の国内放送で内容が発表され,また8日には国連安保理にも抗議書を送付。
DIA-203-1985-01-05-2ラオス1985年01月05日1980年代カンボジアPRK首相葬儀にラオス副首相ら参列。
DIA-203-1985-01-08-1ラオス1985年01月08日1980年代難民問題―BP紙8日。84年年初から同12月15日までに,タイへ出国したラオス人数は,82~83年の合計3527人に比べ急増し1万9655人となった。
DIA-203-1985-01-08-2ラオス1985年01月08日1980年代国連事務総長へタイ非難の書状手交―2日のBan Maiでの砲撃事件について。
DIA-203-1985-01-10-1ラオス1985年01月10日1980年代アフガニスタン人民民主党20周年記念日―ラオスからはSaman Vignaket党書記が参列。
DIA-203-1985-01-11-1ラオス1985年01月11日1980年代タイ外務省,タイ=ラオス関係で白書発表。
DIA-203-1985-01-12-1ラオス1985年01月12日1980年代P紙,中国非難の論説。
DIA-203-1985-01-15-1ラオス1985年01月15日1980年代ソ連コムニスト誌編集局員来訪。
DIA-203-1985-01-16-1ラオス1985年01月16日1980年代新日本大使(多田敏孝),信任状提出。
DIA-203-1985-01-17-1ラオス1985年01月17日1980年代VDS,中国非難の論説。
DIA-203-1985-01-17-2ラオス1985年01月17日1980年代チェコと科学技術協力議定書調印。
DIA-203-1985-01-19-1ラオス1985年01月19日1980年代VDS,人民軍の84年を論評。
DIA-203-1985-01-23-1ラオス1985年01月23日1980年代定例閣議,84年を総括(22,23日)―1日に終わった人革党中央委総会の総括を追認したもの。
DIA-203-1985-01-24-1ラオス1985年01月24日1980年代ポーランド復興愛国運動代表団来訪中。
DIA-203-1985-01-25-1ラオス1985年01月25日1980年代ヌーハック,ソ連10月革命勲章をうく。
DIA-203-1985-01-25-2ラオス1985年01月25日1980年代第5回農業集団化指導員訓練会議ひらく。
DIA-203-1985-01-26-1ラオス1985年01月26日1980年代最高人民評議会85年総会終了―24日から。26日付け諸決議によると,この総会での決定事項は次のとおり。(1)84年度財政報告承認と85年度予算案承認,(2)開発計画84年度実施報告と85年度案の承認(3)憲法草案作成計画の承認,(4)タイの国境侵犯と戦う兵士・住民への賛辞採択,など。
DIA-203-1985-01-26-2ラオス1985年01月26日1980年代ラ=ソ経済科学技術協力第6回政府間委員会開催―ソ連N・タリジン副首相と,28日に協力議定書のほか,森林・農業協力議定書,150kWラジオ・アンテナへの援助・使用に関する交換公文,貿易協力文書などに調印。
DIA-203-1985-01-26-3ラオス1985年01月26日1980年代「タイ軍は係争地より全軍撤退」―タイ訪問中のデクエヤル国連事務総長に対し,タイ外相が表明。
DIA-203-1985-01-28-1ラオス1985年01月28日1980年代国連事務総長,立寄り―バンコクからハノイへの途次の立寄りで,Phoun外相らと会談した。
DIA-203-1985-01-28-2ラオス1985年01月28日1980年代P紙,中国非難の論評。
DIA-203-1985-01-28-3ラオス1985年01月28日1980年代モスクワ高等党学校代表団来訪中。
DIA-203-1985-01-29-1ラオス1985年01月29日1980年代ソ連退役軍人会代表団来訪。
DIA-203-1985-01-31-1ラオス1985年01月31日1980年代VDS,タイ国境紛争で非難の論評。
DIA-203-1985-02-01-1ラオス1985年02月01日1980年代ソ連と公衆衛生協力協定調印,来訪代表団と。
DIA-203-1985-02-01-2ラオス1985年02月01日1980年代84年生産業績に政府賛辞の指示。
DIA-203-1985-02-01-3ラオス1985年02月01日1980年代ラオス人300人,タイ国ノンカイ上陸を拒否さる。
DIA-203-1985-02-02-1ラオス1985年02月02日1980年代フランス共産党大会に代表団出発―代表団長はKhamphai Boupha中央委員(第1副外相)。
DIA-203-1985-02-02-2ラオス1985年02月02日1980年代カイロでの文化技術協力機構会議に代表団出発―団長はSouban副外相。
DIA-203-1985-02-04-1ラオス1985年02月04日1980年代VDS,軍の経済任務を説く。
DIA-203-1985-02-05-1ラオス1985年02月05日1980年代ソ連計画委員会代表団来訪―団長はN・ウォロフ対社会主義諸国経済関係局長。
DIA-203-1985-02-06-1ラオス1985年02月06日1980年代ソ連退役軍人委員会副会長来訪。
DIA-203-1985-02-06-2ラオス1985年02月06日1980年代VDS,革命における人民革命党指導の役割を賞讃。
DIA-203-1985-02-10-1ラオス1985年02月10日1980年代ラ=米で米軍機墜落跡調査始まる―南ラオスで戦時の1972年12月撃墜されたC-130の現場,~21日。なおラオスでの米不明兵総数は576人といわれる。
DIA-203-1985-02-11-1ラオス1985年02月11日1980年代VDS,国内反動派に対する中国の支援を非難。
DIA-203-1985-02-13-1ラオス1985年02月13日1980年代ビエンチャン市で企業登録指示―82年12月31日第356号規制による。
DIA-203-1985-02-13-2ラオス1985年02月13日1980年代VDS,タイ指導者の中国との係わりを非難。
DIA-203-1985-02-14-1ラオス1985年02月14日1980年代人革党対外部代表団,ソ連へ―18日の社会主義諸国党対外部副部長会議出席のため。団長はInpong Khai-Gnavong。
DIA-203-1985-02-14-2ラオス1985年02月14日1980年代「インドシナ3国の戦闘同盟強化は平和に貢献」―「国家建設戦線の会合でスハヌボン元首語る。なお同元首によると,人革党中央委政治局が戦線の第2回全国大会の4月開催を許可したという。
DIA-203-1985-02-14-3ラオス1985年02月14日1980年代VDS,ASEAN外相会議に論評。
DIA-203-1985-02-18-1ラオス1985年02月18日1980年代VDS,中国非難の論評。
DIA-203-1985-02-19-1ラオス1985年02月19日1980年代VDS論評,「ASEANと米国の軍事戦略」。
DIA-203-1985-02-19-2ラオス1985年02月19日1980年代イタリア共産党代表団来訪―団長はG.T. Tato夫人。
DIA-203-1985-02-20-1ラオス1985年02月20日1980年代ソ連内務省代表団来訪―20日にスハヌボン元首を訪問。団長はD・Nイワノビッチ副内相。
DIA-203-1985-02-21-1ラオス1985年02月21日1980年代チェコ経済・科学技術協力代表団来訪―28日に86~90年の協力覚書調印。
DIA-203-1985-02-24-1ラオス1985年02月24日1980年代ベトナムと林業協力協定―サバナケット州Seponeの第2林業企業での協力,ルアンプラバン,ナムグム貯水地区,サラヴァンヌ等での測量・経営協力。
DIA-203-1985-02-28-1ラオス1985年02月28日1980年代外務省,タイが国境侵犯と非難声明―2月9日夜半タイ軍と亡命ラオ兵士がタイのNam Thung地区からサヤブリ州シアンホン区Houai Thongに侵入し,Houai Houm部落のラオ人139人を連行したというもの。
DIA-203-1985-02-28-2ラオス1985年02月28日1980年代日本の借款利子,援助に転用―ナムグム水力発電所建設の借款利子1億8100万円をラオスの社会経済建設に転用する覚書がラオス外務省で交換された。
DIA-203-1985-03-01-1ラオス1985年03月01日1980年代人口センサス始まる―~7日。VDSによると調査項目は,氏名・家族名,家族内地位,性,年齢,種族もしくは国籍,教育水準,職業,就業地。
DIA-203-1985-03-02-1ラオス1985年03月02日1980年代Yao蔵相,ベトナム訪問―Chu Tam Thuc蔵相と過去2年間の財政協力を再検討し,85,86年の協力問題も討議。10日に財政協力協定に調印。
DIA-203-1985-03-05-1ラオス1985年03月05日1980年代ソ連と文化・科学協力協議会開催。
DIA-203-1985-03-06-1ラオス1985年03月06日1980年代ハイデン豪外相来訪―カイソン首相,プン外相らと会談。バンコクからハノイへの途次に立寄り。
DIA-203-1985-03-09-1ラオス1985年03月09日1980年代UNESCOと協力覚書調印。
DIA-203-1985-03-09-2ラオス1985年03月09日1980年代反政府ゲリラ討伐―タイ軍情報では,9日サバナケット州で23人のゲリラが政府軍の攻撃で殺害された。
DIA-203-1985-03-11-1ラオス1985年03月11日1980年代新駐ソ大使に信任状―新任者は人革党中央委事務局長のThongsavat Khaikhamphithoun。
DIA-203-1985-03-11-2ラオス1985年03月11日1980年代Tass通信,Phoun政治局員と会見―VDS,11日発表。ラオスの革命闘争と社会主義建設における人革党の役割,ラオスの東南アジア政策等を語る
DIA-203-1985-03-12-1ラオス1985年03月12日1980年代ラオス首脳,ソ連書記長葬儀に発つ―スハヌボン元首,Khamtai国防相,Thongsavat政治局員ら。
DIA-203-1985-03-14-1ラオス1985年03月14日1980年代VDS,タイの国境侵犯で非難の論評―84年6月以来の係争3カ村でのタイ軍の最近の活動が内容。
DIA-203-1985-03-15-1ラオス1985年03月15日1980年代ラオス国防相,ソ連国防相と会談。
DIA-203-1985-03-16-1ラオス1985年03月16日1980年代アメリカ,84年洪水罹災民に米供与―駐ラオス・アメリカ代理大使(Ms.T.A.Tull)からの米5000㌧の引渡し式が行なわれた。配付地はシエンクアン,ルアンプラバン,カムアン,サバナケット,の4州。
DIA-203-1985-03-16-2ラオス1985年03月16日1980年代ベトナムの対ラオス援助調印さる―これには6000万㌧以上の食糧,工業製品が含まれる。
DIA-203-1985-03-18-1ラオス1985年03月18日1980年代ハンガリー社労党大会へ代表団出発―Phoumi Vongvichit政治局員が団長,4月6日帰着。
DIA-203-1985-03-21-1ラオス1985年03月21日1980年代3カ村住民,タイ収容所より「逃亡帰国」―KPL21日によると,最近48人が帰国という。
DIA-203-1985-03-21-2ラオス1985年03月21日1980年代フランス,綿業計画援助,備品供与,技術者派遣等。
DIA-203-1985-03-21-3ラオス1985年03月21日1980年代米人不法入国者を釈放(13日にメコンを渡って入国)。
DIA-203-1985-03-22-1ラオス1985年03月22日1980年代人民革命党創立30周年記念式典―VDSによると,ビエンチャンでは1.2万人以上が参加。
DIA-203-1985-03-22-2ラオス1985年03月22日1980年代ベトナム援助の鋳物工場操業開始―85年1月に着工し3月15日に完成。生産能力は時間当り0.5㌧.
DIA-203-1985-03-22-3ラオス1985年03月22日1980年代タイ外務省,ラオス領侵犯を否定(ESCAPにて)。
DIA-203-1985-03-25-1ラオス1985年03月25日1980年代タイ軍,再び3カ村地域を攻撃か―VDS,31日。Paklai区地方軍基地が攻撃を受けたが,撃退と報道。
DIA-203-1985-03-25-2ラオス1985年03月25日1980年代党・国家監視委員会代表団,ベトナムへ発つ。
DIA-203-1985-03-28-1ラオス1985年03月28日1980年代外務省,3カ村問題などでタイ非難の声明。
DIA-203-1985-03-28-2ラオス1985年03月28日1980年代第1回国家計画会議開催。
DIA-203-1985-03-29-1ラオス1985年03月29日1980年代モンゴルと外交協力文書に調印,ビエンチャン。
DIA-203-1985-04-06-1ラオス1985年04月06日1980年代ラオス,タイ人入国査証発給で引締めか―ノンカイ州のタイ人商人の言,4日以降新規則導入か。
DIA-203-1985-04-08-1ラオス1985年04月08日1980年代人革党,新理論機関誌を創刊―人革党第3大会の勧告と同党書記局の決定で,8日新機関誌『新暁』(Aloun Mai)が創刊された。従来のSeng Savangに代わるもの。当初は季刊で,約1000部を印刷。
DIA-203-1985-04-08-2ラオス1985年04月08日1980年代ソ連共産党組織局代表団帰国へ。
DIA-203-1985-04-09-1ラオス1985年04月09日1980年代人民軍再編問題一VDS論評「軍に対する党の新指導体制を理解し,実施せよ」。
DIA-203-1985-04-09-2ラオス1985年04月09日1980年代ビエンチェン市長,プノンペン親善訪問。
DIA-203-1985-04-12-1ラオス1985年04月12日1980年代ベトナム保健省代表団来訪。
DIA-203-1985-04-13-1ラオス1985年04月13日1980年代VDS論説「仏暦新年にのぞみ軍にさらなる勝利を期待する」。
DIA-203-1985-04-13-2ラオス1985年04月13日1980年代ポーランド統一労働者党代表団来訪中。
DIA-203-1985-04-14-1ラオス1985年04月14日1980年代人民革命青年同盟,1万人の集会―3大団結・4大攻勢運動の成功裏実施を祝うもの。
DIA-203-1985-04-14-2ラオス1985年04月14日1980年代ベトナムと軽工業協力書簡に調印―ベトナム軽工業省とラオス工業・手工業・林業省とが,繊維・ガラス器,消費財等の生産および科学・技術等で協力する。
DIA-203-1985-04-16-1ラオス1985年04月16日1980年代高等党国家代表団,ソ連より戻る―ソ連共産党社会科学アカデミーの科学会議(9~10日)に出席したもの。団長はChanmi Douangboutdi人革党中央委員。
DIA-203-1985-04-17-1ラオス1985年04月17日1980年代副国防相ら,墜落死か―タイ軍筋17日発表。3月某日ジャール平原でヘリコプターが反政府ゲリラに撃墜され,Ai Souli-gnaseng准将(副国防相),Sithon Manola准将(人民軍総政治部副部長―人革党中央委員),数人のソ連人顧問が死亡した,というもの。
DIA-203-1985-04-17-2ラオス1985年04月17日1980年代タイのラオス難民―タイの国連難民委員会発表によると,85年3月末現在8万6296人(うち5万4577人が高地ラオ,残りが低地ラオ)。
DIA-203-1985-04-20-1ラオス1985年04月20日1980年代ブルガリアと経済科学技術協力議定書調印。
DIA-203-1985-04-22-1ラオス1985年04月22日1980年代タイ軍の砲撃―サヤブリ州パクライ区からの報告では,4月3,9,18,22日に同区が砲撃された。また14日には同県ケンタオ区も銃撃をうけた。
DIA-203-1985-04-22-2ラオス1985年04月22日1980年代キューバ外相,来訪―ラオス政府招待の親善訪問。24日,86~90年間の外交協力協定に調印。解放闘争の展開,平和運動,非同盟運動などで情報を交換。
DIA-203-1985-04-24-1ラオス1985年04月24日1980年代P紙,バンドン会議で論評。
DIA-203-1985-04-25-1ラオス1985年04月25日1980年代VDS論説,種族間団結を訴える―これによると,過去現在とも,敵勢力が種族間反目を扇動中。とくにアメリカ侵略戦争時代は,モン族に王を立てLao Theung族やLao Loun族と戦わしめ,現在では北京大国主義者がVang Paoを使って亡命ラオ反動派を国内に送り込み,反目を画策中。
DIA-203-1985-04-26-1ラオス1985年04月26日1980年代ベトナム駐留軍の規模―タイ国家安保会議プラソン事務局長によると,6歩兵師団,2工兵師団,2独立師団,2独立連隊の計6万人。
DIA-203-1985-04-27-1ラオス1985年04月27日1980年代外務省,タイの戦争激化策に非難声明―4月におけるタイ側からの攻撃を対象にしたもの。P紙も29日,この声明を支持する論説を発表。
DIA-203-1985-04-28-1ラオス1985年04月28日1980年代タイ軍,ウドムサイ州にも越境攻撃か―ただし地元Pakthaからの報告でも侵入者は20人程度。
DIA-203-1985-05-01-1ラオス1985年05月01日1980年代経済状況―P紙メーデー論説によると,現在米の生産は130万㌧に達し,農業の協同組合化は全農家の41%,全耕地の38%に当り,2516組合となった。(過去1年間に)新道は277キロメートル,橋は1100も建設された。
DIA-203-1985-05-03-1ラオス1985年05月03日1980年代ソ連赤軍40周年記念日に代表団発つ―党・国家からはスハヌボン元首を団長とする一団,国防省からはSiphon Phalikhan少将(副国防相,人革党中央委員)を団長とする一団とが出発。また同日,チェコ40周年記念日に向けSali Vongkhamsao党中央委書記を団長とする党・国家代表団も出発(15日帰着)。
DIA-203-1985-05-07-1ラオス1985年05月07日1980年代ソ連労働組合中央委員会代表団来訪,~15日。
DIA-203-1985-05-09-1ラオス1985年05月09日1980年代第2次大戦戦勝40周年記念集会,ビエンチャン。
DIA-203-1985-05-10-1ラオス1985年05月10日1980年代VDS,タイ軍の挑発激化と報道―5月に入ってからも,Paklai区3カ村へ小規模挑発が続発という。
DIA-203-1985-05-14-1ラオス1985年05月14日1980年代「タイへ工作員200人を派遣」―タイ3軍区筋発表。タイの元共産主義者らを復帰させるためで,各工作員はベトナムで3年間の訓練をうけているという。
DIA-203-1985-05-17-1ラオス1985年05月17日1980年代キューバと経済科学技術協定調印。
DIA-203-1985-05-21-1ラオス1985年05月21日1980年代外務省,メコン川でのタイ軍兵士の行動を非難―18,19日にタイ兵士が船でラオス側に接近,暴虐を働いたという。タイ大使に覚書を手交。
DIA-203-1985-05-22-1ラオス1985年05月22日1980年代ベトナム党・国家代表団来訪(ベトナム参照)。
DIA-203-1985-05-23-1ラオス1985年05月23日1980年代ラオス=ベトナムの党・国家高級会談―ラ側出席者は,Khamtai国防相,Phoun外相,Maisouk工業相,Phetsamon Lasasimma党中央委員,Thongdam副外相。27日共同声明。内容は殆ど外交問題に終始している。
DIA-203-1985-05-28-1ラオス1985年05月28日1980年代チェコ経済科学技術協力代表団くる―~29日。来訪中,500万クローナ相当の衣料・教育援助を提示。
DIA-203-1985-05-29-1ラオス1985年05月29日1980年代タイ紙,ラオス政府内の分裂を報道―BW紙29日。政府内はハノイ派のKaysone首相とNouhak副首相,北京派のPhoumi副首相とSouphanouvong元首,元国防相のKhamoun Boupha将軍(84年更迭後は木材・農業を担当)とに分かれている。反政府反徒は政府軍と協力して反ベトナム活動を行なっている,という。
DIA-203-1985-05-29-2ラオス1985年05月29日1980年代VDS,タイ外相の国連活動を非難。
DIA-203-1985-06-08-1ラオス1985年06月08日1980年代青星運動別粗織,サヤブリ州Nguenで活動―タイの共産主義運動を目的とする新しい青星運動で指導者はS.Narong。タイのナコンパノムやムクダハン州を対象とした青星運動とは異なるという(BW紙,8日)。
DIA-203-1985-06-11-1ラオス1985年06月11日1980年代対タイ平和攻勢開始―ラオスの国連代表は11日,国連事務局長へ書簡を送り,タイとの友好回復の意図を表明した。外務省によると,ソ連,ベトナム,インドの駐在大使も,このほど各大使館で同趣旨の広報活動を開始したという。
DIA-203-1985-06-11-2ラオス1985年06月11日1980年代86年に人革党第4期大会か―Phoumi副首相が日本人記者に発表。新憲法採択の見込と言及(共同,11日)。
DIA-203-1985-06-12-1ラオス1985年06月12日1980年代ビルマから米無償援助300㌧―なお84年には塩700㌧がボケオ,ルアンナムター州に与えられている。
DIA-203-1985-06-14-1ラオス1985年06月14日1980年代タイ外務省,ラオスの6日提案に拒否声明―84年10月13日以降,タイ軍は係争3カ村を退いており,ラオス側はタイの融和的態度に応じていないとするもの。この声明は同日国連でも発表された。
DIA-203-1985-06-15-1ラオス1985年06月15日1980年代ベトナム国家建設戦線代表来訪。
DIA-203-1985-06-15-2ラオス1985年06月15日1980年代人口センサス結果発表(「参考資料」参照)。
DIA-203-1985-06-17-1ラオス1985年06月17日1980年代国際メコン川委員会,バンコクで開催―ラオス,タイ,ベトナムが参加し,旧臨時メコン川委員会の会議開催方に関する二つの原則で合意した。
DIA-203-1985-06-18-1ラオス1985年06月18日1980年代「タイの軍事挑発続く」―VDS,18日。6日になってもサヤブリ州係争3カ村へ散発砲撃,兵士侵入があるという。
DIA-203-1985-06-25-1ラオス1985年06月25日1980年代ソ連副建設・通信相来訪。
DIA-203-1985-06-26-1ラオス1985年06月26日1980年代政府,タイヘの逃亡航空機引取りを無期延期。84年7月24日に亡命者が,使用したAN-2型機。
DIA-203-1985-06-26-2ラオス1985年06月26日1980年代P紙,米タイ合同軍事演習を非難。
DIA-203-1985-07-01-1ラオス1985年07月01日1980年代タイ外相に国交正常化で書簡―プン外相のタイ・シティ外相あて書簡がタイ大使に手交された。その全文は7月17日にSoulivong副外相から公表された。
DIA-203-1985-07-03-1ラオス1985年07月03日1980年代ソ連新聞代表団来訪―ソビエツカヤ・リテラトゥーラ編集局員V.Budeが団長。
DIA-203-1985-07-03-2ラオス1985年07月03日1980年代東独と経済計画協力で議事録交換―来訪中の東独国家計画委員会代表団と交換。東独側はコーヒー,タバコ,コショウ,薬草,木材等の栽培・加工で援助予定。
DIA-203-1985-07-04-1ラオス1985年07月04日1980年代アメリカ建国記念日で米首脳に祝電。
DIA-203-1985-07-05-1ラオス1985年07月05日1980年代VDS,米国務長官の東南ア訪問で論評。
DIA-203-1985-07-05-2ラオス1985年07月05日1980年代経済管理で会議,~5日。
DIA-203-1985-07-06-1ラオス1985年07月06日1980年代VDS論説,心理戦への警戒を訴う。
DIA-203-1985-07-09-1ラオス1985年07月09日1980年代銀行業・商業で会議―ビエンチャン,ボリカムサイ,フアパン,シエンクアンの4州代表300人が出席し,17日に閉会。
DIA-203-1985-07-11-1ラオス1985年07月11日1980年代VDS,ASEAN外相会議提案で論評―要旨。中国反動派の命令でタイ反動派が出した問接対話案はポルポト派残党根絶をねがう東南アジアと世界の世論をそらそうとするもの。VDS 16日に同じく非難。
DIA-203-1985-07-18-1ラオス1985年07月18日1980年代外務省,アメリカ代理大使に不明米兵で覚書手交―今後も人道的対応を取る,本年末ホノルルの遺品確認センターへ代表団を送る,というもの。
DIA-203-1985-07-18-2ラオス1985年07月18日1980年代ベトナム経済代表団来訪。
DIA-203-1985-07-19-1ラオス1985年07月19日1980年代ベトナムとジャーナリズムで協力協定。
DIA-203-1985-07-24-1ラオス1985年07月24日1980年代ベトナムと地質調査で協力覚書―とくにフアパン,シエンクアン,ビエンチャン3州での鉄鉱石探査協力,地質地図作成,サラヴァンヌ州での石炭探査,ラオス人技術者の育成などがうたわれている。
DIA-203-1985-07-25-1ラオス1985年07月25日1980年代ベトナム農業代表団来訪。
DIA-203-1985-07-30-1ラオス1985年07月30日1980年代タイ外相のラオス外相あて親書―タイ外相の特使Nit Phibunsongkhramが30日,ラオス副外相に手交。同書簡は7月23日付け。
DIA-203-1985-07-30-2ラオス1985年07月30日1980年代中間メコン川委員会第21回総会,ビエンチャンで開催,~8月3日。
DIA-203-1985-07-31-1ラオス1985年07月31日1980年代VDS,軽工業育成と商品移動で新政策発表。
DIA-203-1985-08-03-1ラオス1985年08月03日1980年代ラオス外相のタイ外相あて返書,特使に手交(7月30日参照)。
DIA-203-1985-08-03-2ラオス1985年08月03日1980年代インドから貿易使節団もどる,団長はSompadit Volasan副商相。
DIA-203-1985-08-05-1ラオス1985年08月05日1980年代外務省代表団,東独に向け出発。
DIA-203-1985-08-05-2ラオス1985年08月05日1980年代VDS論説,「自衛軍と政治安定維持の義務」。
DIA-203-1985-08-07-1ラオス1985年08月07日1980年代ソ連と運輸事業で協力議定書調印―来訪中のソ連代表団と道路運輸会社設立,倉庫管理維持等で調印,
DIA-203-1985-08-08-1ラオス1985年08月08日1980年代VDS論評「ASEANは誰につかえているのか」。
DIA-203-1985-08-11-1ラオス1985年08月11日1980年代インドのインドシナ研究センター代表団来訪。
DIA-203-1985-08-14-1ラオス1985年08月14日1980年代ベトナムと農業技術協力で覚書交換。
DIA-203-1985-08-15-1ラオス1985年08月15日1980年代第11回インドシナ外相会議開催,プノンペンで。
DIA-203-1985-08-16-1ラオス1985年08月16日1980年代チェコスロバキア新大使,信任状提出。
DIA-203-1985-08-16-2ラオス1985年08月16日1980年代ラオス=タイ関係について―VDS論評によれば国境紛争解決方で,ラオス外相は政府レベルの協議を望んだが,タイ外相は,まず両国の地方行政当局レベルでの協議を望み,この食違いで協議が始められないという。
DIA-203-1985-08-23-1ラオス1985年08月23日1980年代インドシナ3国通信関係小委員会開催―KPL通信23日によると,最近チャンパサックで開催され,86~90年における3国間協力および南ラオスVeunkhamでの局の建設・刷新問題が討議されたという。
DIA-203-1985-08-23-2ラオス1985年08月23日1980年代外務省,メコン川でのタイ側テロ行為で抗議―内容は19日深夜の事件のみにふれているが,VDSは8月になって以来,同様の事件の続発を報じている。
DIA-203-1985-08-25-1ラオス1985年08月25日1980年代カイソン首相モスクワへ。ソ連政府招待―同首相は28日,ソ連ゴルバチョフ書記長と会談し要旨次の共同声明を発表。(1)アジア太平洋地域は米の軍事力強化と日本の軍国主義的傾向の増大で危険な状態にある。(2)全アジア会議開催が必要である。(3)第3国の利益を損わない条件での中国との関係正常化をめざす。29日帰着。
DIA-203-1985-08-25-2ラオス1985年08月25日1980年代キューバ内相来訪,~29日。
DIA-203-1985-08-26-1ラオス1985年08月26日1980年代第2回インドシナ3国商相会議,ビエンチャンで開催―~31日。86~90年の新行動計画を作成。
DIA-203-1985-08-27-1ラオス1985年08月27日1980年代米行方不明兵問題で米代表団来訪―団長は米国家安全保障会議のチルドレス委員,~28日。
DIA-203-1985-08-31-1ラオス1985年08月31日1980年代カイソン首相,ベトナム独立記念式典に発つ。
DIA-203-1985-09-06-1ラオス1985年09月06日1980年代再教育キャンプに関するタイ情報―タイ国家安全保障会議プラソン事務局長によると,75年以来1~1.5万人がキャンプに送られ,数千人がキャンプ内で死亡し,現在は24のキャンプに6~7000人がいるという。
DIA-203-1985-09-07-1ラオス1985年09月07日1980年代Sali国家計画委長員,東欧諸国訪問に発つ。
DIA-203-1985-09-09-1ラオス1985年09月09日1980年代キューバ共産党代表団来訪。
DIA-203-1985-09-16-1ラオス1985年09月16日1980年代副保健相,マニラでの世界保健機構会議に発つ。
DIA-203-1985-09-17-1ラオス1985年09月17日1980年代首都道路の7割に拡声器付設か―KPL 17日によると,一般報道目的のためで,10月中旬までに400個を付設の予定という。
DIA-203-1985-09-17-2ラオス1985年09月17日1980年代ソ連=ラオス友好協会代表団来訪,~25日。
DIA-203-1985-09-24-1ラオス1985年09月24日1980年代Soulivong副外相,米国務省を訪問―FEER誌10月10日によると,インドシナ3国の高官としては1975年以来初めての訪問という(30日参照)。
DIA-203-1985-09-25-1ラオス1985年09月25日1980年代労働総同盟代表団,世界労連37回大会でモスクワに向け出発。
DIA-203-1985-09-25-2ラオス1985年09月25日1980年代日本外相,プーン副外相とニューヨークで会談―席上,安倍外相は,日本が今後対ラ人道援助継続を表明。
DIA-203-1985-09-28-1ラオス1985年09月28日1980年代独立40周年記念日(10月12日)に関する党書記長指令(26日付)をVDS発表。
DIA-203-1985-09-30-1ラオス1985年09月30日1980年代中国国慶節へ国家評議会と閣僚評議会が祝電―友好関係の回復を希望。30日夜の中国大使館レセプションにMaisouk工業相,Inpong副外相らが出席。
DIA-203-1985-09-30-2ラオス1985年09月30日1980年代プーン外相,米国務次官補とニューヨークで会談。
DIA-203-1985-10-03-1ラオス1985年10月03日1980年代Phoun外相,国連総会で演説。
DIA-203-1985-10-04-1ラオス1985年10月04日1980年代人革党=閣僚評議会の合同会議終る(9月20日~)―4日付け声明によると,第7回党大会決議実施状況の再検討のほか,第2次5カ年計画と86年計画の方向の検討,カイソン=ゴルバチョフ会談報告など。
DIA-203-1985-10-04-2ラオス1985年10月04日1980年代P紙,ラオス=タイ国境紛争のタイ提案(タイ外相の国連演説)を新味なし,と非難。
DIA-203-1985-10-10-1ラオス1985年10月10日1980年代カディル・マレーシア副外相来訪,~12日―同相はVDS 12日に対し,マレーシア政府の派遣で,2国間経済協力の意見交換にきた,と語った。
DIA-203-1985-10-11-1ラオス1985年10月11日1980年代カイソン首相プノンペンへ(カンボジア人民革命党第5期大会に出席し,17日帰着)。
DIA-203-1985-10-17-1ラオス1985年10月17日1980年代経済・科学技術協力代表団,ソ連に発つ―代表はSali Vongkhamsao副首相兼国家計画委員長。
DIA-203-1985-10-19-1ラオス1985年10月19日1980年代VDS,党・政府の外交政策・国際活動覚書を発表,22日までに4分割で―66カ国と外交関係を有し(資本主義国ではオーストラリア,オランダ,日本,西ドイツ,ニュージーランド,イタリア等多くの国々と関係を維持し,中国,アメリカとは代理大使級で維持),国連と15カ国に16の外交事務所を有する。これら16カ所は他の30カ国をもカバーしている。ラオス内にはPLOを含む25カ国の公館と六つの国連事務所があるという。
DIA-203-1985-10-21-1ラオス1985年10月21日1980年代チェコ共産党代表団来訪。
DIA-203-1985-10-23-1ラオス1985年10月23日1980年代VDS,人革党と社会主義諸国との関係に関する覚書を発表,27日までに4分割で。
DIA-203-1985-10-28-1ラオス1985年10月28日1980年代ラオス,国連でのカンボジア討議に不参加表明。
DIA-203-1985-10-28-2ラオス1985年10月28日1980年代ラオス=ソ連友好協会第1回大会,ビエンチャンで開催,~30日。
DIA-203-1985-10-30-1ラオス1985年10月30日1980年代Khamtai国防相,ソ連,モンゴル訪問に発つ。11月12日帰着。
DIA-203-1985-11-02-1ラオス1985年11月02日1980年代人民軍総政治部代表団,ベトナムへ発つ―団長はSiphon中将。インドシナ3国軍総政治部会議のため。
DIA-203-1985-11-03-1ラオス1985年11月03日1980年代プーミノサバン亡命政府首相死亡。
DIA-203-1985-11-17-1ラオス1985年11月17日1980年代日本共産党大会に祝電せず―ベトナム,カンボジアの両党は祝電を送った。
DIA-203-1985-11-19-1ラオス1985年11月19日1980年代ソ連のラオス友好協会代表団到着。
DIA-203-1985-11-21-1ラオス1985年11月21日1980年代85年の農産物生産見込み―VDS21日による。食糧総生産量154万㌧:籾米142万8046㌧(ヘクタール当り2.17㌧,84年は132万1196㌧,同2㌧),澱粉作物(トウモロコシ,タロ,ポテト等)6.9万㌧,野菜4万5170㌧(5560㌶),果物6.9万㌧(9490㌶),コーヒー5995㌧(1万8040㌶),大豆5340㌧,青豆2440㌧,落花生9600㌧,水牛97万4400頭,牛57.6万頭,ブタ143.3万頭,家禽783.5万羽。1人当りの食料は76年245キログラム,84年392.5キログラム,85年426キログラム。またヘクタール当り籾収量は,チャンパサク2.7㌧,ビエンチャン,サバナケット,サラヴァンヌ,シエンクアン等2.3㌧。
DIA-203-1985-11-22-1ラオス1985年11月22日1980年代タイ人の入国を一時停止か―BW紙22日によると,ラオス政府はこのほど,12月2日の国祭日祝典に関連し,11月26日から12月3日まで停止を決定した。
DIA-203-1985-11-23-1ラオス1985年11月23日1980年代駐ラオス新タイ大使,信任状提出(Chaiya Chindawong)。
DIA-203-1985-12-02-1ラオス1985年12月02日1980年代建国10周年記念日式典―外国公賓:ベトナム・レズアン書記長,カンボジア・ヘンサムリン書記長,ソ連リャボフ党中央委員等。なおKPL16日によると,アメリカ,イギリス,オーストラリアの指導者からスハヌボン元首に祝電が送られた,という。
DIA-203-1985-12-02-2ラオス1985年12月02日1980年代ベトナム軍誌,ラオスとの戦闘的同盟を賞賛―ハノイ放送HDSが最近のQuan Doi Nhan Danから引用。
DIA-203-1985-12-02-3ラオス1985年12月02日1980年代インドシナ3国首脳,ビエンチャンで会談。
DIA-203-1985-12-06-1ラオス1985年12月06日1980年代ソ連と86~87年友好文化協力議定書に調印。
DIA-203-1985-12-13-1ラオス1985年12月13日1980年代カイソン首相,満65歳に。
DIA-203-1985-12-15-1ラオス1985年12月15日1980年代米国国務次官補の来訪―VDSによると,ウォルフォウィツ国務次官補が15日来訪し,16日にはプーン副首相兼外相,スバン副外相らと会談し,帰国した。
DIA-203-1985-12-16-1ラオス1985年12月16日1980年代国営企業付帯規則発布さる―80年5月27日付規則に関する第217号文書の改正で,11月19日遡及実施。
DIA-203-1985-12-16-2ラオス1985年12月16日1980年代ベトナム国家計画委員会代表団来訪。
DIA-203-1985-12-30-1ラオス1985年12月30日1980年代人革党中央委第3期第9回大会終わる。17日~―31日付けで声明発表。
DIA-203-1986-01-07-1ラオス1986年01月07日1980年代東独代表団(Gerhard Schuerer政治局員候補,副首相,国家計画委議長)来訪。
DIA-203-1986-01-07-2ラオス1986年01月07日1980年代ラオスと東独は,1986~90年の国家経済計画における協力議定書に調印。これによると東独はコーヒー生産と,木材伐採に協力することになった。また東独は,道路建設機械を買うために借款を供与する。
DIA-203-1986-01-13-1ラオス1986年01月13日1980年代ハンガリー政府代表団(Lajos Paluvegi党中央委員,副首相兼国家計画委議長)来訪。
DIA-203-1986-01-14-1ラオス1986年01月14日1980年代ソ連政府代表団(ニコライ・タルイジン第一副首相兼国家計画委議長)来訪。ソ連とラオスは,1986~90年国家計画調整での相互協力に関する議定書に調印。
DIA-203-1986-01-18-1ラオス1986年01月18日1980年代米上院の在郷軍人委員会議長Frank Murkowski議員はラオスを訪問し,シパスート外相およびSouban Salitthilat外務次官と会談した。
DIA-203-1986-01-18-2ラオス1986年01月18日1980年代第3回ウドムサイ省党大会は,3152人の党員を代表する139人の代議員を集めて開かれた。19日,カイソン書記長も演説し,この大会が新しい経営管理システムを導入することを目指したものであると述べた。
DIA-203-1986-01-19-1ラオス1986年01月19日1980年代ラオスを訪問した米下院議員団の1人は,ラオス政府がラオスで行方不明になり今なお生存している米人の捜索のために米国人が,ラオスを訪問することを拒否した,と語った。
DIA-203-1986-01-24-1ラオス1986年01月24日1980年代シパスート外相はピエンチャンで,ベトナムのタク外相との間で国境画定補足協定に調印した。両国は1977年7月18日の国境画定協定に基づき,78年7月25日,国境画定共同委員会を設置した。以来7年間,委員会は現場で2000kmの国境を画定した。
DIA-203-1986-01-28-1ラオス1986年01月28日1980年代ピエンチャンの外交筋は,米国・ラオス関係は米議会がラオスに対する経済援助禁止措置を止めるべきである,と決議したことによって好転へ向かったと述べた。Souban外務次官は,米議会の決定に感謝するとともに両国関係に進歩があったことを示すものであると語った(AFP)。
DIA-203-1986-01-29-1ラオス1986年01月29日1980年代タイのSitthi Chirarot 内相は,ラオスとの国境で貿易拡大のためこれ以上通過点を開くのは反対である,と語った。
DIA-203-1986-01-29-2ラオス1986年01月29日1980年代ラオス司法省と東独司法省間に,1986~87年度の協力計画が調印された。東独からはDr。Herbert Keren 第一司法次官が出席。
DIA-203-1986-01-30-1ラオス1986年01月30日1980年代カンプチア人民革命党の中央委員会対外関係委員会代表団,9日間のラオス訪問を終了。
DIA-203-1986-01-30-2ラオス1986年01月30日1980年代ピエンチャンで最高人民会議(PSA)開催。(1)PSA常務委員会に2000年までの長期目標,第2次5カ計画(1986~90年),1986年度行動計画を提示するよう要請した。(2)第一次憲法草案と選挙法案を承認,(3)1986年度行動計画目標と予算案を承認。スファヌボン大統領は,新しい経営システムの実施は歴史的意義を持つものであることを強調した。
DIA-203-1986-02-01-1ラオス1986年02月01日1980年代ラオス人民革命党(LPRP)代表団(ヌハク・プムサバン政治局員兼副首相),キューバ共産党第3回大会出席のためキューバへ出発。
DIA-203-1986-02-06-1ラオス1986年02月06日1980年代スファヌボン大統領は,レーガン米大統領の誕生日に祝電。
DIA-203-1986-02-11-1ラオス1986年02月11日1980年代ビエンチャンで,ラオス・ソ連友好協会設立10周年記念集会。1000人が出席。
DIA-203-1986-02-11-2ラオス1986年02月11日1980年代ラオス外務省,タイに覚書を手渡し,ラオス軍兵士がタイ人民を攻撃した,とのタイ側の非難は全くの作り事であると全面的に否定した。
DIA-203-1986-02-12-1ラオス1986年02月12日1980年代ビェンチャンで,平和のためのアジア仏教徒会議第7回会議が開幕。20ヵ国と15国際機関から200人以上の代表が出席した。
DIA-203-1986-02-17-1ラオス1986年02月17日1980年代ラオス外務省プレスリリース。ラオス政府はサバナケト省の米機墜落跡の発掘を米・ラオス共同で行なうことに同意した。
DIA-203-1986-02-19-1ラオス1986年02月19日1980年代P紙,中国の覇権主義者・膨張主義者は,ベトナムの善意(春節時の停戦,関係正常化などの提案)を拒絶し,その侵略的性格を暴露していると論評。
DIA-203-1986-02-21-1ラオス1986年02月21日1980年代LPRP代表団,ソ連共産党27回大会に参加のため出発。カムタイ・シファンドン副首相兼国防相。Sisom-phon Lovansai政治局員,Oudom Khatti-gnaシェンクワン省党書記。
DIA-203-1986-02-25-1ラオス1986年02月25日1980年代米・ラオス発掘チームは,南部ラオスで1972年3月29日14人を乗せて墜落したAC-130機の遺体を発見した。MIAはインドシナで2433,うち1797がベトナム。
DIA-203-1986-03-03-1ラオス1986年03月03日1980年代P紙,Ronald Hays米太平洋司令官のタイ訪問は,タイにおける米軍基地の強化を話し合うためである,と論評。
DIA-203-1986-03-06-1ラオス1986年03月06日1980年代タイ・ラオス貿易はラオスの輸入が増えたために増大している。1985年のタイのラオスへの輸出は約3億2000万バーツに達した。ノンカイでの国境貿易も2億~3億バーツであった。
DIA-203-1986-03-06-2ラオス1986年03月06日1980年代ビエンチャン放送は,タイ当局が戦略的物資をラオスに売ることをタイ商人に禁止している,と非難。
DIA-203-1986-03-07-1ラオス1986年03月07日1980年代カイソン書記長は,ラジオ・モスクワ記者との会見で,ソ党27回大会の教訓は,依怙贔屓主義に基づく経営管理方法を止めて,経済計算と社会主義経営方法へ移行する,企業や経営単位の集団主権を高める,管理について中央と地方の役割を明確にするなどに努力しているわれわれにとって有益であると語った。
DIA-203-1986-03-08-1ラオス1986年03月08日1980年代ビエンチャンで,経済文化科学の分野におけるインドシナ3国の労働協力についての会議開催。ラオス代表,Nouphan Sitphasai 国家計画委副議長,ベトナム代表 Le Khac Hieu 労働次官,カンボジア代表Ti Yav 計画省次官。
DIA-203-1986-03-12-1ラオス1986年03月12日1980年代スウエーデンのパルメ首相の葬儀にラオスから代表団(Phao Bounnaphon運輸郵政相)出発。
DIA-203-1986-03-14-1ラオス1986年03月14日1980年代LPRP書記局,党創立31周年記念を祝賀するについての指示を発表。
DIA-203-1986-03-17-1ラオス1986年03月17日1980年代ベトナム国会代表団(グエン・フー・ト議長)来訪。
DIA-203-1986-03-17-2ラオス1986年03月17日1980年代Sali Vongkhamsao 副首相兼国家計画委員長は,ラオス・モンゴル貿易協力に関する議定書に調印した。モンゴルの対外貿易次官N Bawuu は,13日からラオスを訪問中。
DIA-203-1986-03-17-3ラオス1986年03月17日1980年代ボンビチト副首相,チェコ,東ドイツ,モンゴルの党大会出席のためビエンチャンを出発。
DIA-203-1986-03-18-1ラオス1986年03月18日1980年代LPRPのビエンチャン党委第1回大会が開かれ,S Keobounphan書記が報告を行なった。200人の代表が出席した。
DIA-203-1986-03-18-2ラオス1986年03月18日1980年代ビエンチャンで,インドシナ3国労働組合会議,代表団長はカンボジアがMat Ly政治局員兼労働総同盟議長,ラオスがThitsoi Sombatdouang中央委員候補兼労働総同盟議長,ベトナムがPham The Duyet中央委員候補兼労働総同盟書記。
DIA-203-1986-03-20-1ラオス1986年03月20日1980年代タイのシティ外相は記者会見で,ラオスの輸入の50%はタイからである。タイはNam Ngumダムの電力を買うために年6億バーツを使っている,過去2年ラオスがタイから買った商品は4億バーツ,また国境問題は地方レベルで解決できることを明らかにした。
DIA-203-1986-03-21-1ラオス1986年03月21日1980年代P紙によれば,ビエンチャン省の経済実績は次のとおり。耕作面積3万6200ha,うち1万haは51の揚水場を持ち灌漑されている。米の2期作が広がり,収量は主作がヘクタール当り1.5トンから2.4トンへ,二期作が1.6トンから2.6トンに伸びている。焼畑耕作は1976年に比べて60%がた減少した。省の農家の24%が農業集団化に加わっている。
DIA-203-1986-03-21-2ラオス1986年03月21日1980年代ベトナム共産党統制委員会代表団(Tran Kien党書記)来訪。
DIA-203-1986-03-27-1ラオス1986年03月27日1980年代ラオス外務省,米のリビア攻撃を非難。
DIA-203-1986-04-11-1ラオス1986年04月11日1980年代フォンサリ省の第5回大会が4月9~11日に開かれ,27人の新しい省党委員会を選出した。同大会には100人の代表が出席し,カイソン書記長兼首相も演説した。
DIA-203-1986-04-14-1ラオス1986年04月14日1980年代キューバの司法大臣,ラオスを友好訪問。司法協力について合意した。
DIA-203-1986-04-16-1ラオス1986年04月16日1980年代米国のリビア攻撃を弾劾するため,ビエンチャンで1万人の抗議集会が開かれた。
DIA-203-1986-04-17-1ラオス1986年04月17日1980年代Sali Vongkhamsao 国家計画委議長,ハンガリーの国家計画委代表団(Gyorgy Doro 同委副議長)と会見。
DIA-203-1986-04-20-1ラオス1986年04月20日1980年代ラオス人民革命党中央委書記局は,メーデー100周年を祝うに当っての指示を出した。同指示に基づき,メーデー実行委員会が任命された。
DIA-203-1986-04-21-1ラオス1986年04月21日1980年代新しい経済管理システムについての討論コースに参加している閣僚達に対して,カイソン首相は,ラオスの現状は新しい経済管理システムを要求している,われわれは断固たる決意でこの改革を成し遂げねばならない,と語った。
DIA-203-1986-04-24-1ラオス1986年04月24日1980年代サバナケト省 Sepon 地区の第5回党大会が開催され,同地区の371人の党員を代表する100人の代議員が出席した。大会は15人の執行委員を選出した。
DIA-203-1986-04-27-1ラオス1986年04月27日1980年代カイソン首相は,マルクス・レーニン理論についての特別学習コースで演説し,第27回ソ連共産党大会の意義を強調するとともに,第3期中央委の第9決議を実現するために奮闘するよう訴えた。
DIA-203-1986-05-01-1ラオス1986年05月01日1980年代ビエンチャンでのメーデー集会では,スファヌボン大統領が演説。
DIA-203-1986-05-07-1ラオス1986年05月07日1980年代P紙,ワシントンとASEANはカンボジアの内政に一層深く干渉していると非難。
DIA-203-1986-05-13-1ラオス1986年05月13日1980年代ボリカムサイ省Paksan地区の党大会が終わる。地区党員を代表して31人の代表が出席し,Somsavat Lo-vansai地区党書記長が基調報告を行なった。
DIA-203-1986-05-13-2ラオス1986年05月13日1980年代プーミ・ボンビチト副首相は,東独の第11回党大会とチェコの第17回党大会に出席して帰国した。
DIA-203-1986-05-31-1ラオス1986年05月31日1980年代カイソン書記長は,40日間にわたって行なわれた高中級幹部や企業長を対象とした幹部会議で演説し,官僚的国家補助型の経済管理方式から新しい経済管理方式への転換は,ラオスにおける社会主義経済建設に不可欠な条件であると,述べた。
DIA-203-1986-06-02-1ラオス1986年06月02日1980年代LPRP中央委員会,第10回総会についての新聞公報を発表。総会は5月15日から5月31日まで開かれ,カイソン書記長によって提出された政治局の過渡期の総路線の精神,内容について意見の一致をみた。具体的には2000年までの任務,方針,戦略と1990年に終了する第2次5ヵ年計画の方向,任務,到達指標および手段である。総会は政治局と書記局に,第4回党大会に提出すべき政治報告草案とその諮問案を作成することを委任した。下部での討論を経て,草案は第11回中央委総会でより完全なものにされることになる。
DIA-203-1986-06-06-1ラオス1986年06月06日1980年代外務省,タイ・ラオス関係を改善するために,両国の権限を持った政府代表団がバンコクあるいはビエンチャンで話し合うことを再度提案。以前は1985年6月6日に提案された。
DIA-203-1986-06-06-2ラオス1986年06月06日1980年代Thonglai Kommasit准将(タイとの交渉に派遣された政府代表団のスポークスマン)は,パクライ地区で外人記者と会見し,バンコクで1984年に2回会談したが,タイ側は会談を打切った。なぜこの問題が解決していないかというと,(1)タイ側が3村がラオスに属することを認めていない,(2)タイ軍はラオス領内でまだ活動を続けている,13)タイ領へ引連れていった住民を帰すことを拒否している,(4)タイ側は占領中人民に与えた損害賠償を拒否しているからである,と語った。
DIA-203-1986-06-09-1ラオス1986年06月09日1980年代タイ外務省スポークスマンは,バンコクはラオスとの間に何の懸案も持っていないし,それを解決しようとの最近のラオスの提案もとりあげないと語った。Mai,Klang,Sawangの3部落は,1984年のラオス軍との衝突の後,タイ軍が撤退したので,3部落は現在ラオスの支配下にあると語った。
DIA-203-1986-06-11-1ラオス1986年06月11日1980年代ラオス向けソ連援助物資,アスファルト120トンがタイ当局が通過を許可しないため,タイのKhlong Toei港で2ヵ月間据え置き。
DIA-203-1986-06-12-1ラオス1986年06月12日1980年代タイ外務省のAsa Sarasin次官は,地方レベルの関係が改善して国家レベルの話合いも実現するとして,ラオス外務省の6月6日の提案を拒否した。タイ側は争いを避けるために3村から撤退したがラオス領だと認めたわけではない,両国が帰属を解決することになろう,と語った。
DIA-203-1986-06-16-1ラオス1986年06月16日1980年代BW紙によると,6月14日パテトラオの30~40人からなる一隊がタイのChiang Kham西方15kmのBan Huai Pong村を攻撃し,ラオス移民35人を殺し,14人に負傷させた。Huai Pong村には104人のラオス密入国者が住んでいる。
DIA-203-1986-06-18-1ラオス1986年06月18日1980年代Souban Salithilat外務次官はタイ国大使を呼び,タイのパヤオ県Chiang Kham郡Huai Pong村で6月14日起きた事件についてのラオス政府の立場を伝えた。ラオス軍が難民を攻撃したというタイの主張は根拠がない,と主張した。
DIA-203-1986-06-18-2ラオス1986年06月18日1980年代BW紙によると,6月12日ビエンチャンからパクセに向かって13号道路を走行中の政府軍トラック部隊(5台)が,Bolikhan県で待伏せ攻撃を受け,20人以上が殺された。
DIA-203-1986-06-19-1ラオス1986年06月19日1980年代カイソン首相は,新任の朝鮮人民民主主義共和国大使を接見。
DIA-203-1986-06-23-1ラオス1986年06月23日1980年代ソ連との間に,1986~90年文化・科学協力協定を調印。
DIA-203-1986-06-26-1ラオス1986年06月26日1980年代軍総政治局では6月11日から26日まで,第4回LPRP大会の政治報告草案の研究会を開催した。
DIA-203-1986-06-28-1ラオス1986年06月28日1980年代ビエンチャンでLPRP創立35周年を祝う集会。スファヌボン大統領,シファンドン国防相ら1000人が参加。
DIA-203-1986-07-05-1ラオス1986年07月05日1980年代P紙は社説で,1986年5月15日から31日まで開かれた第3期中央委員会第10回総会の決定に基づき,政治報告草案の検討運動を進めるよう訴えた。
DIA-203-1986-07-11-1ラオス1986年07月11日1980年代ラオス人民革命党(LPRP)中央委,閣僚会議はレ・ズアン書記長の死に際して11日から15日まで,全国が喪に服するよう指令した。
DIA-203-1986-07-12-1ラオス1986年07月12日1980年代最高人民会議副議長,ラオス国家建設戦線副議長であったFaiddng Lobaliayao(Mong族)が76歳で死去。葬儀委員長はスファヌボン大統領。
DIA-203-1986-07-13-1ラオス1986年07月13日1980年代党と政府の代表団(カイソン党書記長),レ・ズアソ書記長の葬儀出席のためハノイへ出発。同行者はシファンドン国防相,Lovansai政治局員,Inpong Khaignavong党対外関係委の副主任,Khamfeuan Tounalom駐越大使。
DIA-203-1986-07-17-1ラオス1986年07月17日1980年代Amnesty Intemationalは,ラオスに対し6月14日,タイのパヤオ県でラオス軍がラオス難民35人を虐殺したという申し立てを,調査するよう訴えた。
DIA-203-1986-07-21-1ラオス1986年07月21日1980年代パリの『フィガロ』紙 Charles Denon 特派員,ラオスの反政府抵抗勢力の基地を訪問。同特派員によると,ラオス西北部にある基地はタイ国境からかなり奥深く,到着に数日を要した。ラオス統一民族解放戦線の指導者の1人 Thonglith 将軍は,パリで軍事教育を受けたことがあり,フランスに7年間亡命した後1983年帰国して地下活動にはいった。同戦線は元ラオス右派の指導者で結成され,主要な武装勢力はメオ族を率いるバン・パオ将軍の部隊で,兵力はラオス全土で6万と言われている。Thonglith将軍の基地は10の小屋からなり,兵力は8000とのことであった。彼らはベトナムのVinh港からThakhek間のパイプラインを破壊したり,13号道路で輸送隊を襲撃しているとのことである。
DIA-203-1986-07-25-1ラオス1986年07月25日1980年代政府の各省庁および軍の単位で,第4回党大会に提出される政治報告草案の検討会が開催される。
DIA-203-1986-07-29-1ラオス1986年07月29日1980年代ソ連訪問から帰った経済商業代表団のVanthong Sengmuang団長は,モスクワで二国間経済協力,商品交換,決済に関する協定,1986~90年度対ラオス科学技術援助協定および1986年度商品交換に関する議定書に調印した,と語った。これらの文書によると,ラオス側は木材製品,錫,コーヒー,森林産物の輸出クォータを増加させ,ソ連側はラオスに機械,運搬機器,石油建設資材,必要品を供給することなになった。
DIA-203-1986-07-29-2ラオス1986年07月29日1980年代LPRP中央委員,ラオス・ソ連友好協会議長Khamsouk Sai-Gnaseng国務相がモスクワの病院で死去。71歳。党政治局は8月5日,Sali Vongkhamsao 党中央委書記,副首相,国家計画委議長を葬儀委員長に任命した。
DIA-203-1986-07-30-1ラオス1986年07月30日1980年代P紙社説,LPRPの10年間の活動成果を誇示。過去10年間に党員数は2倍,県級以上の指導幹部の数は4倍,専門知識を持つ技術幹部は5倍になった。社会総生産は10年間に2倍に,1人当たりの国民所得は60%増加した。農業生産の分野では単作から多毛作への転換が進んでいる。1985年の籾生産は76年の2倍となり,食糧自給は基本的に達成された。1人当りの籾生産量は1976年には250kgであったものが85年には350kgとなった。解放前に比べてコーヒー生産は2倍,煙草は3倍,家畜の数は60%増加した。現在5省で農業の集団化が進められている。過去10年間に工業生産は4.4倍,繊維製品は3.7倍,ビールその他の飲料は60%,洗剤は14.5倍増加した。石こう,セメント,磁器製品,ガラス,プラスチック製品などが新たに生産されるようになり,輸出するものもある。運輸通信の分野では3000kmの道路と700の橋を修復・建設した。92の郵便局と45ヵ国との長距離通話が可能な94の電話センターを設置した。文盲は一掃され,人口の4分の1が各級の学校に通っている。
DIA-203-1986-07-31-1ラオス1986年07月31日1980年代ニカラグアの党政府代表団(Henry Ruiz,FSLN政治局員)来訪。
DIA-203-1986-08-04-1ラオス1986年08月04日1980年代ビエンチャン駐在のタイ外交官によると,ラオスは,国家貿易公司を通さないで地方の省にタイからの輸入を認めている。第2次国家発展計画を実現するため,今年ラオスは機械,麻袋,部品,農機具など4000万バーツの輸入を計画している。今年前半タイは,前年同期比91%増の2億7000万バーツを輸出し,22%減の1423万バーツをラオスから輸入した。
DIA-203-1986-08-04-2ラオス1986年08月04日1980年代8月4日と5日の2日間,カイソン首相司会の下に閣議開催。ここでは第1に中央政府が行政的指令を与え,損失があればすべて補助するという経済管理方式を止めて,経済単位を今年末までに一つの自主権を持った企業に変えるとの決議を採択した。第2にカイソン首相は,平和共存を目指してすべての紛争を話し合いを通じて解決するという,全般的政策を考慮してタイ・ラオス両国関係を改善するための話し合いの時機である,と述べた。
DIA-203-1986-08-08-1ラオス1986年08月08日1980年代閣議,経済部門を財政的に独立した社会主義的企業に転換させることについての政令を発表。第1条は,今から年末までに,経済部門を経済的に独立した企業に転換させるが,それは2段階にわけられる。8月と9月は各省庁,各地方,首都ビエンチャンは若干の企業を選んで独立企業に転換させ,それから教訓を得る。第2段階は10月から12月まで,残りの部門を転換させる。その他の条で中央地方の各機関は各部門の経営幹部のための訓練コースを組織することを勧告している。
DIA-203-1986-08-12-1ラオス1986年08月12日1980年代日本政府は,ビエンチャンの発電所第2期工事用として,ラオス政府に5億1300万円の援助を与えることに同意した。
DIA-203-1986-08-12-2ラオス1986年08月12日1980年代カイソン首相,タイのプレム首相の再任祝いのメッセージを送る。
DIA-203-1986-08-13-1ラオス1986年08月13日1980年代VDS,シティ外相は,タイの反動的外交政策の責任者であり,タイ・ラオス関係の改善を遅らせている元凶の一人であると非難した。
DIA-203-1986-08-13-2ラオス1986年08月13日1980年代LPRP書記局,第4回党大会への政治報告草案の研修会が表面的で,それぞれの単位の5ヵ年計画実施に結びつけた議論が行なわれていない,と指摘し,研修会が政治運動となるように指示した。
DIA-203-1986-08-14-1ラオス1986年08月14日1980年代ジンバブエ共和国と大使級の外交関係を樹立することに合意した。
DIA-203-1986-08-14-2ラオス1986年08月14日1980年代ビエンチャンの党委員会は,第4回党大会開催についての警備関係者の会議を開いた。
DIA-203-1986-08-17-1ラオス1986年08月17日1980年代シパスート外相,ハノイで開かれたインドシナ外相会議に出席。
DIA-203-1986-08-18-1ラオス1986年08月18日1980年代タイのN紙によると,1986年末にラオスの反政府勢力の全国大会が開かれ,新しい指導者が選ばれるだろうと報道。1985年11月ラオス解放のためのラオス人民の統一戦線(UFLPLL)の議長であったプーミ・ノサバン将軍が死亡したため,UFLPLLは新指導者を選ばねばならない。ノサバン将軍は1982年10月反共ラオス解放運動の結成を宣言した。ノサバン将軍の指導下に軍事関係をKhamkhong将軍(元ラオス第2軍区司令官)が,政治関係をThao Khamouan Lattanavong(元銀行家)が担当していた。他に後継者候補としてKhamkou元情報将校も挙っている。UFLPLLは1976~80年に,南部ラオス抵抗勢力を統合した組織で,兵力7500と言われている。他に抵抗運動としては,バン・パオ将軍に率いられるラオス民族解放統一戦線(United Front for National Liberation of Laos,FUNL)があり,兵力は2000~3000で北部で活動している。1982年に設立され,軍司令はThonglith将軍である。第3のグループはChao Boun-eua Na Champassak を指導者とするものである。UFLPLLではノサバン将軍が1981年,民主カンボジアのソンセン国防相と会談して協力を約束したために,協力に反対する Phagna Inpeng らの分裂騒ぎがあった。
DIA-203-1986-08-19-1ラオス1986年08月19日1980年代ソ連のI・ロガチョフ外務次官,19日から21日まで友好訪問。
DIA-203-1986-08-20-1ラオス1986年08月20日1980年代P紙,第13回インドシナ外相会議を論評。カンボジア問題について当事者が二つの基本的問題,ベトナム軍の撤退とポルポト一派の解体に同意すれば,直ちに話し合いが可能であるという立場を明らかにした。また3国は,独立を守りながら中国との関係を正常化し,善隣関係を樹立するよう努力するとの立場を明らかにした。隣国政府を不安定にするために自国領土が使われるのを許さないとのタイ外相の声明(8月13日)を歓迎する,ゴルバチョフ書記長のウラジオストク演説を支持する,と論評した。
DIA-203-1986-08-27-1ラオス1986年08月27日1980年代Maisouk Saisompheng 工業・手工業相は,電気,煙草,ビール,清涼飲料および木工企業などの経済部門では,生産における自主権が与えられつつあると語った。彼によると,電気,煙草,ビールおよび清涼飲料の企業では,この7月から労働者の生産性に基づく賃金システムを実施し,生産を刺戟している。これらの企業には,9月から完全自主権が与えられる予定である。木工企業では,9月から新しい賃金システムを実施している。今他の企業でも,1986年10月から自主権付与に備えて,生産計画の見直し,運転資金の調達,物資・装備・労働力の使用計画の見直しが進んでいる。
DIA-203-1986-08-27-2ラオス1986年08月27日1980年代スファヌボン大統領,非同盟運動会議出席のためにジンバブエのハラレへ出発。
DIA-203-1986-09-13-1ラオス1986年09月13日1980年代ラオス電力会社では他の国営企業と同様,新しい経済管理システムの実験を実施中である。賃金を労働生産性に基づいて決定する試みがなされている。工業・手工業省は,ナム・グムで生産される電力10kWhに対して1キツブの賃金を設定した。1986年ナム・グム・ダムは,9700万kWhの電力を生産し,8月分給与として970万キツブを受けとった。
DIA-203-1986-09-15-1ラオス1986年09月15日1980年代VDS,「過去10年間の軍と国家建設」を放送。軍は党と国家によって,農産物,林産物を開発すること,外国から商品を買入れることを許可され,山岳地域の開発に従事してきた。
DIA-203-1986-09-15-2ラオス1986年09月15日1980年代カイソンとスファヌボン大統領は,連名でベトナムのチュオン・チン書記長・国家評議会議長,ファム・パン・ドン首相,グエン・フー・ト国会議長に,ベトナム北部を襲った台風の被害についての見舞のメッセージを送った。
DIA-203-1986-09-18-1ラオス1986年09月18日1980年代プーミ・ボンビチト副首相は,訪問中のPRK保健相(Yit Kimseng)と会見。
DIA-203-1986-09-20-1ラオス1986年09月20日1980年代ラオス・ベトナム国境画定条約補足議定書に調印。
DIA-203-1986-09-22-1ラオス1986年09月22日1980年代タイのシティ外相は,軍および治安関係が273禁輸品目の一つである30万メートルの有刺鉄線をラオスに売ることに同意した,と語った。
DIA-203-1986-09-22-2ラオス1986年09月22日1980年代ラオスの駐タイ大使はバンコクで記者会見し,「タイは八つある通過地点のうち,二つを開いているのみである。われわれはタイ側がもっと多くの国境通過地点を開くよう要請しているが,返事がないままになっている」と語った。
DIA-203-1986-09-22-3ラオス1986年09月22日1980年代KPL,東ドイツ(GDR)は,技術・物資援助として年平均1200万マルクをラオスに与えてきた。しかし,1986年は7月8日ベルリンで調印された協定にあるように,援助額は1800万マルクとなろう。これはラオス人学生の東独での留学費用,ラオスにおける林業や会計専門学校建設資金などを含んでいる。両国の協力は1982年の友好協力条約の調印以来すベての分野で改善され,現在東独専門家がラオスの経済建設現場で働いている。
DIA-203-1986-09-24-1ラオス1986年09月24日1980年代ラオス外務省は覚書を発表し,両国首脳の相互のメッセージで確認したように,両国の善隣友好関係をさらに促進するために,タイ側も高級会談準備を話し合う専門家代表団を任命するよう要請した。
DIA-203-1986-09-25-1ラオス1986年09月25日1980年代国連総会に出席している Souban Salitthilat 外務次官はタイのシティ外相と会談。同次官は両国の善隣関係回復のための高級会談を実現するために,その準備を行なう専門家チームをラオス側に派遣するよう申し入れた。
DIA-203-1986-09-27-1ラオス1986年09月27日1980年代プルガリア共産党中央委対外関係委員会代表団(Angelov Georgiev副委員長),5日間の友好訪問のため到着。
DIA-203-1986-09-28-1ラオス1986年09月28日1980年代ラオスの通信社KPLとソ連のTASSと間に,協力協定がホー・チ・ミン市で調印された。
DIA-203-1986-09-29-1ラオス1986年09月29日1980年代タイ陸軍司令官 Chavalit Yongchaiyut 将軍は,タイとの善隣関係を維持するために,ラオス政府はタイ・ラオス国境で活動していると伝えられる新しい共産党(Phak Mai)に対する支持を止めなければならない,と語った。
DIA-203-1986-09-29-2ラオス1986年09月29日1980年代BP紙によれば,タイとラオスは25日,ニューヨークで,関係正常化の閣僚レベル会議を開催するための準備会議を,ビエンチャンで開くことに同意した。
DIA-203-1986-10-01-1ラオス1986年10月01日1980年代Zhang Zhiguo 参事官の主催する中国大使館での国慶節祝賀会にMaisouk Saisompheng 工業・手工業相,Khamphai Boupha 第一外務次官らが出席。
DIA-203-1986-10-01-2ラオス1986年10月01日1980年代P紙は末端の治安強化を訴えた社説で,治安当局の行為が人民を恐れさせている,ある地域では人民は政府を恐れ,敵に侵透のきっかけを与えていると治安工作の欠点を指摘した。
DIA-203-1986-10-03-1ラオス1986年10月03日1980年代Souban Salitthilat 外務次官は国連総会で演説し,ラオススはタイとの関係改善と中国との関係正常化に努める意向である,と述べた。
DIA-203-1986-10-05-1ラオス1986年10月05日1980年代VDS,Luang Namtha 省 Pang Thong の守備隊員の談話を放送。彼らは北京権力者は宣戦布告はしてないが,ラオス反動分子を訓練して領内に潜入させ,地方の行政を混乱させようとしている,と語った。
DIA-203-1986-10-06-1ラオス1986年10月06日1980年代ルアンプラバン省では電力と運輸および部品供給の2会社を国家財政で面倒をみる経営から独立採算型のビジネス経営に移行させる実験を実施中。
DIA-203-1986-10-08-1ラオス1986年10月08日1980年代LPRP中央委員会第11回総会―コミュニケによると総会は9月30日から10月7日まで,ビエンチャンで開催,第4回党大会に提出する政治報告草案や第2次5ヵ年計画案を審議し,採択した。総会は国際情勢についても討議し,ソ連のゴルバチョフ書記長による7月28日のウラジオストクでの演説に賛意を表した。また中ソ関係の発展,中越関係改善,ラオス・中国関係の正常化およびインドシナとASEAN諸国間の関係の確立は東南アジアと世界の平和と安定に役立つものであるとの見解を承認した。
DIA-203-1986-10-08-2ラオス1986年10月08日1980年代タイのムクダハン県知事はラオスのサバナケットに代表団を送り,来る10月17日のタイ仏教の四旬節のポート・レースにラオスからも参加するよう招待状を渡した。サバナケット省当局はボート・レースへ参加すると表明した。
DIA-203-1986-10-15-1ラオス1986年10月15日1980年代モスクワを訪問したカイソン書記長はゴルバチョフ書記長と会見し,ラオスの内外政策の基本およびラオス人民革命党第4回党大会の準備状況を説明した。
DIA-203-1986-10-18-1ラオス1986年10月18日1980年代ビエンチャン,ハノイ,ホー・チ・ミン市の3市間で1987年の産業協力についての覚え書き調印。ベトナムの両市はラオス側の紙,ガラス,プラスチック,ゴム,アンモニア,アセチレン,ソーダ製造を援助することが決定した。
DIA-203-1986-10-20-1ラオス1986年10月20日1980年代ラオス政府は両国関係改善のためダンス・チームをタイのチュラロンコーン大学での公演に派遺することを決定した。
DIA-203-1986-10-21-1ラオス1986年10月21日1980年代タイの関係省庁合同委員会はラオスへの戦略物資に指定されている273品のうち第1類に属する禁輸品目205のうち170品目をリストから外すことを決定した。第2類に属する68品目は政府の認可次第で輸出が可能な物資である。85年のタイのラオスへの輸出は4億8870万バーツ,ラオスからの輸入は3450万バーツであった。
DIA-203-1986-10-22-1ラオス1986年10月22日1980年代ビエンチャンでインドシナ3国で構成する第10回メコン委員会開催。
DIA-203-1986-10-24-1ラオス1986年10月24日1980年代EECの代表団(Claude Cheysson 高等弁務官)来訪,Sali Vongkhamsao 国家計画委議長と援助問題について意見交換。1984年のラオスの輸出は4500万ドル,援助は1億ドル,そのうち70%が社会主義諸国からのもの。
DIA-203-1986-10-29-1ラオス1986年10月29日1980年代人民最高議会と閣議はスファヌボン大統領(74歳)の健康上の理由からプーミ・ボンビチト副首相を大統領代行に任命。
DIA-203-1986-10-30-1ラオス1986年10月30日1980年代P紙は「新しい想像力に目を向けよう」と題する社説で「我が党は科学的技術的知識や経済社会の経営の知識が遅れている,主観的意志だけで革命の期間を短くすることはできない,自然経済に依存する生産基礎から社会主義的大規模生産への移行は長く複雑な過程である,それは機械や思想だけでは達成できない」と述べた。
DIA-203-1986-11-03-1ラオス1986年11月03日1980年代バンコク駐在のラオス大使はタイの投資を歓迎する,案件としてはナム・グム・ダム近くの森林からの木材伐採事業,合弁の場合ラオス側が51%所有することになろう,と語った。
DIA-203-1986-11-05-1ラオス1986年11月05日1980年代ビエンチャンでロシア10月革命69周年記念集会。Khambou Sounisai党中央委,ビエンチャン市長が演説。
DIA-203-1986-11-13-1ラオス1986年11月13日1980年代ラオス人民革命党第4回大会開幕―4万4000人の党員を代表する代議員303人のほかに英雄戦士ら代表200人以上,19の友好国からの代表が出席。ボンビチト政治局員が司会し,カイソン書記長が政治報告を,ヌハク政治局員が1986~90年の経済社会計画について,ロバンサイ政治局員が党規約についての報告を行なった。ソ連からはアリエフ政治局員,ベトナムからはフアム・バン・ドン首相,グエン・バン・リン政治局員,PRKからはヘンサムリン書記長が出席。
DIA-203-1986-11-14-1ラオス1986年11月14日1980年代ビエンチャン首都党委員会書記のSisavat Keobounphan 中央委書記は第4回党大会でビエンチャンの状況を報告した。主米作地は3万6900ha,これは全国の乾期作の40%にあたる。農民1人当りの収量は年間360kgで自給を達成,一部余剰は国家に納入,煙草,メイズ,砂糖きび,にんにくの栽培面積は1976年比,180%増,9.6倍,3.8倍,4倍になった。現在187の農業合作社があり,農家の24%が参加している。
DIA-203-1986-11-17-1ラオス1986年11月17日1980年代ラオスは1600人のラオス人難民をタイから引取ることに同意した。1975年以来30万のラオス人が国を脱出したが,うち1万5000人が帰国した。UNHCR付添で帰国したものは2921人で残りは非合法で帰国,現在タイには9万のラオス人難民がいる。
DIA-203-1986-11-18-1ラオス1986年11月18日1980年代ソ連のアリエフ第一副首相はラオスの党大会で,インドシナ3国の東南アジア情勢を正常化することを目的とした共同行動を高く評価する,3国と中国の間の建設的対話を基礎として関係を正常化することはアジア・太平洋地域の安全を強固なものにすることに一層貢献するであろう,と述べた(VNA)。
DIA-203-1986-11-20-1ラオス1986年11月20日1980年代ベトナムの外国貿易の輸出入局長Ngo Ngoc Vuiはベトナム・ラオス貿易について次のように語った。1985年の両国の国境貿易は1983年の3倍になった。また両国の貿易全体に占める国境貿易の割合は1983年の34%から1985年には54%になった(FBIS,11/14)。
DIA-203-1986-11-25-1ラオス1986年11月25日1980年代北京発共同電は中国がラオスとの関係正常化を話し合うため,劉述郷外務次官をビエンチャンに派遣する,と報道。かつてラオスには10万人の華僑がいたが関係悪化のため脱出した。
DIA-203-1986-11-25-2ラオス1986年11月25日1980年代ラオス最高人民会議議長代行にシソポン・ロバンサイ副議長を任命。
DIA-203-1986-11-28-1ラオス1986年11月28日1980年代ビエンチャンでラオス・タイ関係正常化のための第1回会談始まる。ラオス側,Souban Salitthlat 外務次官,タイ側,Amm Phanuphong 首相顧問以下27人。
DIA-203-1986-12-01-1ラオス1986年12月01日1980年代N紙によればタイ・ラオス会談は順調で両者は今後も協議を続けることを約束した。またタイのアルン代表が近く輸出禁止になっていた273品目を61品目に削減すること,県知事に3万バーツ(従来2万バーツ)までの輸出認可権限を与えることを明らかにした。ラオス側がタイにおける米軍の武器庫問題,未解決の3村問題,ラオスの抵抗勢力(タイと中国に8000人),ラオス難民の政治問題を提出したのに対してタイ側はPhak Mai および麻薬取引の問題を提出した。
DIA-203-1986-12-02-1ラオス1986年12月02日1980年代ビエンチャンで第11回国慶節集会,2万人以上の人々が参加。Sisavat Keobounphan 政治局員が演説。
DIA-203-1986-12-02-2ラオス1986年12月02日1980年代P紙国慶節を祝って1980~85年の成果を発表。GNP54%増,粗国民所得48%増,基本建設投資41%増,生産性28%増,1人当り所得12.8%増,籾生産390kg (18%増),農業生産増42%,タバコ32%,えんどう31%,大豆61%,コーヒー30%,牛19%,豚29%,家禽57%,かんがい面積13万ha,1985年まで籾生産62%増,農業合作社3420,農家の53%が参加,米田の52%をカバー,工業生産42%増,基本建設投資は年10%増。
DIA-203-1986-12-04-1ラオス1986年12月04日1980年代LPRP第4期中央委員会第2回総会開催。カイソン書記長はタイおよび中国との関係正常化のための話し合いを続けていくと演説した。
DIA-203-1986-12-06-1ラオス1986年12月06日1980年代中国の李先念国家主席,彭真全人代常務委員長,趙紫陽首相はラオス国慶節にあたり,ラオス3首脳に祝電,そのなかで両国の関係改善を望むと表明。
DIA-203-1986-12-10-1ラオス1986年12月10日1980年代ラオスの芸術,サーカス代表団(Hiam Phommachan 世界平和連帯協力委副議長),タイへ出発。
DIA-203-1986-12-17-1ラオス1986年12月17日1980年代ソ連・ラオス経済・科学・技術協力のための政府間委員会第8回会議に出席のためソ連の Vladimir K.Gusev 副首相ら到着。
DIA-203-1986-12-19-1ラオス1986年12月19日1980年代ソ連との間に経済・科学・技術協力に関する議定書に調印。同時に1987年度貿易支払に関する議定書も調印された。これによるとソ連側は輸送機器,建設資材,石油,部品,工業品を提供し,ラオス側は木材製品,錫鉱石,コーヒー,カルダモン,農産品を提供する。
DIA-203-1986-12-20-1ラオス1986年12月20日1980年代ラオス外務省は外交官と国際機関要員用の住宅建設をビエンチャンの Construction and International Shipping Companyに委託する契約を結んだ。
DIA-203-1986-12-25-1ラオス1986年12月25日1980年代中・ラオス協議;中国外務省代表団とラオス外務省代表団は相互の基本的立場を述べ,関係正常化のため今後の話し合いを約束した。中国側はラオスのKhamphai Boupha外務次官を中国に招待した。ラオス訪中団の日時は未定。
DIA-203-1986-12-26-1ラオス1986年12月26日1980年代タイのノンカイ付近でメコン河を渡河しようとしたメオ族の一部がベトナム軍に見つかり,うち43人が射殺された。19人が渡河に成功し,14人が捕えられた(BP,12/30)。
DIA-203-1986-12-31-1ラオス1986年12月31日1980年代Khamphai Boupha 第一外務次官は中国との会談について,両国は改善を望んでいること,そのために会談を続けることに合意した,と語った。同次官によればラオス側は中越関係が悪化していることと中国のポルポトへの援助がラオスの安全と中・ラオ関係改善の動きの障害になっていることを提起した。
DIA-203-1987-01-05-1ラオス1987年01月05日1980年代KPLは声明を発表し,メコン河を渡ってタイ領へ逃げようとした(Hmong)族43人をベトナム軍が射殺したとのタイ紙(Daily News)の報道はまったく作りごとであると述べた。
DIA-203-1987-01-10-1ラオス1987年01月10日1980年代P紙,1月5日の中越国境紛争について平和と友好の精神に反する行為として中国軍を非難。
DIA-203-1987-01-12-1ラオス1987年01月12日1980年代ビエンチャンで経済管理機構の改革についての全国幹部会議開催。19日まで。15日にはカイソン・ポムビハン(Kaysone Phomvilhan)書記長も演説。
DIA-203-1987-01-17-1ラオス1987年01月17日1980年代1986年の米の主期作は140万トン,1人当り約400kgが予想される。1986年の米生産予想は1985年比1.78~5.36%増となっている。
DIA-203-1987-01-22-1ラオス1987年01月22日1980年代ラオス=東独経済・科学・技術協力政府間委員会第8回会議がビエンチャンで東独のHorst Soelle 副首相を迎えて開催。
DIA-203-1987-01-26-1ラオス1987年01月26日1980年代東独との間の経済協力に関する議定書にサリ・ボンカムサオ(Sali Vongkhamsao)副首相とHorst Soelle 副首相が調印。これには1987年度支払い物資交換に関する議定書,コーヒー生産協力についての行動計画,ビェンチャンとチャムパサク両省に小規模の機械工場11を設置することについての議定書,東独は幹部要員の訓練を引き受けることについての議定書を含む。
DIA-203-1987-01-26-2ラオス1987年01月26日1980年代VDS,1986年12月8日付けの中央委書記局のマス・メディア工作の指導についての通達を放送。
DIA-203-1987-01-28-1ラオス1987年01月28日1980年代P紙社説,「商品および通貨の諸関係を正しくかつ充分に適用しよう」。
DIA-203-1987-01-31-1ラオス1987年01月31日1980年代ラオス人民革命党(LPRP)中央委第3回総会,26~31日,ビエンチャンで開催。1986年の国家計画の実績を検討し,87年の計画を承認した。1986年の社会総生産は85年比11%増,労働生産性は8%増であった。
DIA-203-1987-02-02-1ラオス1987年02月02日1980年代ビエンチャンで最高人民会議開催,(1)閣僚会議開催,(2)1986年と87年の予算,(3)1986年と87年の国家計画を検討した。86年の農業生産は85年比11%増,籾生産は145万トン,対前年比3.9%増,コーヒー17%増,煙草65%増,カルダモン43%増,牛は160万頭で47%増,全国で3976の合作社があり,農家の74%,米田の65%をカバーしている。
DIA-203-1987-02-17-1ラオス1987年02月17日1980年代タイ陸軍筋はチャワリット陸軍司令官はラオス国防相の招待により来月中にもラオスを訪問することになろうと発表した。
DIA-203-1987-03-08-1ラオス1987年03月08日1980年代シェワルナゼ・ソ連外相ラオスを公式訪問。
DIA-203-1987-03-09-1ラオス1987年03月09日1980年代ビエンチャン市中心部にあるソ連広報文化センター前で時限爆弾が爆発,1人が死亡,1人が負傷した。シェワルナゼ・ソ連外相が当地に滞在中のタイミングを狙った破壊活動と見られる(バンコク:共同,10日)。
DIA-203-1987-03-13-1ラオス1987年03月13日1980年代バンコクのラオス大使館は9日の爆発事件は「外国反動勢力の手先」の犯行で,爆弾を仕掛けようとした犯人は爆発により現場で死亡したと発表した。
DIA-203-1987-03-19-1ラオス1987年03月19日1980年代タイ当局はタイに不法侵入したHmong 族129人をラオスに送還した。
DIA-203-1987-03-22-1ラオス1987年03月22日1980年代VDS,ラオス人民革命党は全国に4164細胞を持ち,党員は4万名以上と報道。
DIA-203-1987-03-23-1ラオス1987年03月23日1980年代バンコクのNAEONA紙によると,タイにはラオスからのHmong 族が5万人以上いるが,うち2万人は不法入国者であり,特に先月は1万人が不法入国してきた。
DIA-203-1987-03-24-1ラオス1987年03月24日1980年代ラオス外務省のスバン・サリチラト(Souban Salitthilat)外務次官,バンコクに到着。一行は17人で3月24日から28日まで公式訪問。
DIA-203-1987-03-24-2ラオス1987年03月24日1980年代日本政府,農業発展のためにシェンクワン省 Kham 地区に1億5000万円の援助を決定した。農業機械,トラック,化学肥料などを提供。18日調印。
DIA-203-1987-03-25-1ラオス1987年03月25日1980年代ビエンチャンでインドシナ3国の地質会議,3国は1987年末までに100万分の1の地質地図を作ることで合意した。
DIA-203-1987-03-26-1ラオス1987年03月26日1980年代NAEONA紙によると,1975年以来タイに避難してきたHmong 族の6万7792人が米国に移住した。今残っているのは5万8300人。
DIA-203-1987-03-26-2ラオス1987年03月26日1980年代VDSによるとタイとの会談でラオス側はタイが行なっている経済封鎖,ラオスの主権と領土に対する侵害,特にサヤブリ州の三つの村に対する侵入,ラオス反動派の訓練と送り込み,汎タイ・ドクトリンが善隣関係を損なっていることを提起した。
DIA-203-1987-03-27-1ラオス1987年03月27日1980年代ビエンチャンの人民法廷はスパイ活動の科でOunheuan Silimongkhon(ラオ人,30歳)に20年の禁固刑,Manivong Keovisai(ラオ人,18歳)に15年の禁固刑,Prayut Phothiwong(タイ人,19歳)に15年の禁固刑の判決を下した。
DIA-203-1987-03-27-2ラオス1987年03月27日1980年代タイのチャワリット陸軍司令官は「ラオスがタイに対する立場を明確にするまでラオス訪問を延期する」と語った。
DIA-203-1987-03-28-1ラオス1987年03月28日1980年代バンコクから帰着したスバン外務次官はタイ側との協議について,「ラオス側はサヤブリ州のBan May,Ban Kang,Ban Savang の3村問題とタイによるラオスへのスパイの送り込みという2大問題を提起したのに対し,タイ側は相互訪問とか貿易など小さな問題を提起した。具体的進展はなかったが協議は続ける」と語った。
DIA-203-1987-03-30-1ラオス1987年03月30日1980年代昨年の世界銀行非公開報告はラオスのDSRが1985年末に33.2%に上昇したと指摘している(『日本経済新聞』1987年3月31日)。
DIA-203-1987-04-02-1ラオス1987年04月02日1980年代P紙,タイ,ラオ関係は根本問題が解決されない限り,前進しない,根本問題にはサヤブリ省の三つの村がタイ軍に占領されていること,相互の独立・主権・領土保全の問題が含まれていると論評した。
DIA-203-1987-04-10-1ラオス1987年04月10日1980年代タイの国営運送会社Express Transport Organization(ETO)とラオスの会社International Construction and Transport Company of Laos(ICTCL)は仲介業者の輸送費値上げを防止するために5年間の直接輸送契約を結んだ。
DIA-203-1987-04-11-1ラオス1987年04月11日1980年代ラオスは前政権の関係者数百人を再教育キャンプから釈放した。
DIA-203-1987-04-11-2ラオス1987年04月11日1980年代世界平和・諸民族の連帯と友好のためのラオス委員会の招きで,タイの舞踏団(65人)が来訪,ビエンチャンとルアンプラバンで公演。
DIA-203-1987-04-18-1ラオス1987年04月18日1980年代タイのChiang Saen 地区でのタイ,ビルマ,ラオス3国の国際ボート・レースにラオスは不参加を決定。
DIA-203-1987-04-27-1ラオス1987年04月27日1980年代1986年のタイ・ラオ貿易は8億1760万バーツ。うちタイの輸出が7億8510万バーツ,タイのラオスからの輸入は3250万バーツであった。
DIA-203-1987-04-29-1ラオス1987年04月29日1980年代日本大使館における天皇誕生日祝典にサリ・ボンカムサオ副首相兼国家計画委議長およびカムパイ・ブパ(Khamphai Boupha)外務次官が出席。
DIA-203-1987-05-10-1ラオス1987年05月10日1980年代チェコのRadlf Rohlicek 副首相来訪。第4回チェコ・ラオ経済・科学・技術協力委員会出席のため。
DIA-203-1987-05-18-1ラオス1987年05月18日1980年代VDS,ASEAN諸国が日本商社のベトナムとの貿易に反対を表明したことはベトナムに対する新たな経済封鎖作戦であり,時代に逆行するものだと論評。
DIA-203-1987-05-19-1ラオス1987年05月19日1980年代ブカレストで開かれた党組織工作会議に出席したLPRP代表国(Saman Vi-gnaket政治局員・組織委委員長)帰国。
DIA-203-1987-05-20-1ラオス1987年05月20日1980年代軍総政治局代表団(Osakan Thammatheva 党中央委員,国防次官)はソ連軍総政治局の招きでモスクワへ出発。
DIA-203-1987-05-20-2ラオス1987年05月20日1980年代PASASON紙代表団(Son Khamvanvongsa 編集長,中央委員候補),ソ連東欧訪問から帰国。
DIA-203-1987-05-21-1ラオス1987年05月21日1980年代パクセで南部4省,チャムパサク,アトプー,サラバヌ,セコン各省の経済幹部のための社会主義経営管理についての講習会が1週問にわたって開かれた。サリ・ボンカムサオ副首相(企業の自主経営への移行を指導する党中央委員会の責任者)が閣議決定第8号の精神と内容を把握するよう演説した。
DIA-203-1987-05-27-1ラオス1987年05月27日1980年代P紙,1987年3月17日タイ当局はメオ(Hmong)族の97人を送り返したが,彼らの調査によって,タイ当局とメオ族反動分子がいかにして彼らに出国を勧めその後虐待したかが明らかになったと論評。
DIA-203-1987-06-02-1ラオス1987年06月02日1980年代ラオスはブルガリアと両国の民間航空を接続させることについての協定に調印した。
DIA-203-1987-06-02-2ラオス1987年06月02日1980年代オーストラリアと援助の覚え書きに調印。オ-ストラリアは灌漑プロジェクト建設に239万8000オーストラリアドル,機械修理所建設とラオ人労働者訓練に129万7000オーストラリアドルを供与することになった。
DIA-203-1987-06-03-1ラオス1987年06月03日1980年代プーン・シパスート(Phoun Sipaseut)外相,UNICEFのJames P.Grant 代表と会見。ポンピチト大統領代行も会見。
DIA-203-1987-06-03-2ラオス1987年06月03日1980年代ビエンチャンでラオス援助円卓会議,11カ国,15国際機関,14NGOの代表が参加。ラオス側からはサリ・ボンカムサオ副首相兼国家計画委議長が演説。
DIA-203-1987-06-03-3ラオス1987年06月03日1980年代予防接種キャンペーン始まる。サリ・ボンカムサオ副首相は医科大学で演説し4歳以下の子供は結核,ディフテリア,百日咳,ポリオ,麻疹,破傷風の6種類の病気の予防接種を行なわなければならないと述べた。UNICEFのグラント代表も出席。
DIA-203-1987-06-04-1ラオス1987年06月04日1980年代タイの地方当局(Loei)は6月1日ラオス軍に連行された5人の村民(Na Haeo 地区のPakkan とLao-korkok の村)の釈放を要請した。
DIA-203-1987-06-05-1ラオス1987年06月05日1980年代ルアンプラバンで北部6省の幹部を対象にした経済管理会議が10日間にわたって開催された。150人が出席し,カイソン書記長が演説した。
DIA-203-1987-06-06-1ラオス1987年06月06日1980年代ヌハク・プムサバン(Nouhak Phoumsavan)第一副首相,サバナケト省で開かれた農業税会議に出席。
DIA-203-1987-06-06-2ラオス1987年06月06日1980年代サヤブリ州パクライ地区ではタイ軍侵略3周年の集会が開かれ,1000人が参加した。集会でほ三つの村の近くにいるタイ軍のラオス領からの撤退,三つの村の村民でタイ側に連行されたラオス人を返すこと,三つの村に与えた損害を弁償することを要求した。
DIA-203-1987-06-12-1ラオス1987年06月12日1980年代サリ・ボンカムサオ副首相兼国家計画委議長,計画化の強化と改造における基本問題について演説。
DIA-203-1987-06-12-2ラオス1987年06月12日1980年代国連開発プログラム(UNDP)はラオス政府と8プロジェクトの執行について合意。
DIA-203-1987-06-15-1ラオス1987年06月15日1980年代LPRP中央委第4回総会終わる。国際関係,教育計画と新経済経営管理システムへの移行に備えて,価格,税,貿易,物資流通,通貨などについての政策を討議(P紙社説)。
DIA-203-1987-06-16-1ラオス1987年06月16日1980年代VDS,Somlat Chanthamat 党中央委書記兼宣伝部長のイデオロギー工作に関する報告を発表。
DIA-203-1987-06-16-2ラオス1987年06月16日1980年代N紙によると,タイに居住しているラオス人難民は8万2472人で,山岳民族が5万8547人,低地人が2万3925人となっている。米国の定住受け入れは1975年454人,76年4953人,77年2481人,78年5424人,79年1万3328人,80年2万8927人,81年4437人,82年3003人,83年1414人,84年2401人,85年2330人,86年4349人,87年は4月30日までで2026人である。米国は87年の受け入れを9000人に制限すると通告してきている。
DIA-203-1987-06-21-1ラオス1987年06月21日1980年代ビエンチャンでLPRP組織委員会代表団(Saman Vi-gnaket 政治局員兼書記)とカンボジアの人民革命党組織委員会代表団(Men Sam-an 政治局員兼書記)との間で会談。
DIA-203-1987-06-23-1ラオス1987年06月23日1980年代ボロベン高原でのソ連との合弁によるゴム・プランテーションと処理施設の建設および落花生や野菜栽培に関する経済協力の覚え書きに調印。
DIA-203-1987-06-24-1ラオス1987年06月24日1980年代VDS,ASEAN諸国のシンガポール宣言はクメール・ルージュを孤立させ再び権力の座に就かないようにすることができるかどうかについて疑問を抱かせると論評。
DIA-203-1987-06-26-1ラオス1987年06月26日1980年代世界婦人会議へのメッセージの中でボンビチト大統領代行はラオスでは農業で60%,保健部門で48%,教育で50%が女性労働者であると述べた。
DIA-203-1987-06-26-2ラオス1987年06月26日1980年代ヌハク第一副首相は来訪中のKPRP組織代表団(Men Sam-an政治局員)と会談。
DIA-203-1987-06-26-3ラオス1987年06月26日1980年代KPL,ワインバーガー米国防長官のタイ訪問は東南アジアにおける軍事的地位を回復しようとの意図の表われであると論評。
DIA-203-1987-06-27-1ラオス1987年06月27日1980年代シスパート外相,アジア・太平洋労働者党・共産党会議に出席のためモンゴルへ出発。
DIA-203-1987-06-29-1ラオス1987年06月29日1980年代ソ連で印刷されたラオスの地図(カムアヌ,サバナケト省のは1万分の1,全国のものは10万分の1)がラオス地理局に贈呈された。
DIA-203-1987-06-30-1ラオス1987年06月30日1980年代インドのK.Natwar Singh 対外担当国務相来訪,繊維工業の発展に協力を約束。
DIA-203-1987-07-04-1ラオス1987年07月04日1980年代ボンビチト大統領代行,米国独立記念日に当りレーガン大統領に祝電。
DIA-203-1987-07-06-1ラオス1987年07月06日1980年代シエンクワン省は5県,52郡,622の村から成る。総人口17万1094,女性8万5836人,労働力は5万9473人。
DIA-203-1987-07-07-1ラオス1987年07月07日1980年代ビエンチャンでラオス国家建設戦線の支部大会が開かれ,250人が参加した。ケオブンパン政治局員兼ビエンチャン党書記兼市長が来賓として出席。Visian Bounhaksa 支部長によるとビエンチャン支部のメンバーは500人で婦人40人,僧26人を含んでいる。
DIA-203-1987-07-10-1ラオス1987年07月10日1980年代ビエンチャンで四つの企業に経営自主権を付与する式典が開催された。企業名:the RuRal Bridge and Road Construction Enterprise(社長名Sai-gnavong Ko-tnanthanavon),the Land Cargo Transport Enterprise(Ounkham Bandasak),the Passenger Bus Enterprise(Ngon Keosivilai),the Decoration Construction Enterprise(Sisouk Chanthavong)。これまでにビエンチャン市内にある80企業のうち16企業に経営自主権が与えられた。1987年末までにすべてに与えられる予定。
DIA-203-1987-07-14-1ラオス1987年07月14日1980年代ビエンチャンとハノイ両市は姉妹都市間の協力について合意。ハノイ側は1979年から1985年の期間に,ビエンチャンに年産煉瓦500万個,タイル200万枚の工場を建設した。ビエンチャン農具工場,砂糖精製工場,ビエンチャン繊維工場の3工場に機械を提供した。チョーク工場を年産50トンの能力にした。ビエンチャン・コーヒー工場にアイスキャンデー日産5000個を作る設備を提供,再製紙工場に製紙年産300トン,厚紙150トンの設備を提供した。
DIA-203-1987-07-15-1ラオス1987年07月15日1980年代87年前半にラオスはベトナムのダナン港を通じて1000トン以上の物資を輸出した。
DIA-203-1987-07-18-1ラオス1987年07月18日1980年代P紙,ラオス・ベトナム友好協力条約調印(1977年7月18日)は「ラオスとベトナムの生存と発展の基礎」であるとの社説を発表。
DIA-203-1987-07-18-2ラオス1987年07月18日1980年代ビエンチャンでベトナム・ラオス友好協力条約調印10周年の記念集会。
DIA-203-1987-07-18-3ラオス1987年07月18日1980年代シェンクワン省でラオス・ベトナム友好協力条約10周年記念集会,シェンクワン省はベトナムのゲティン省と姉妹省となっている。集会にはOudom Khatti-gna 政治局員候補兼党書記がKhamphan Philavong シェンクワン省党書記とともに出席。
DIA-203-1987-07-19-1ラオス1987年07月19日1980年代VDS,インドシナ3国の同盟と全面的協力の強化はインドシナ3国それぞれにとって生か死かの問題であるとの特別論説を発表。
DIA-203-1987-07-23-1ラオス1987年07月23日1980年代営業および貿易システムを中央から末端まで組織することについての政令を発表(1987年4月20日の閣議決定)流通における中間段階を少なくし,私営企業の活用をめざしたもの。
DIA-203-1987-07-25-1ラオス1987年07月25日1980年代戦略物資の買い付けと輸出に関する国家独占についての政令を発表(1987年4月20日の閣議決定)―国家が輸出独占権を持つ輸出戦略物質は以下のものである:コーヒー,煙草,カルダモン,安息香,うるし,丸太,各種木材,とう,牛,野性動物,鉱物,その他特殊物質。中央の輸出入会社,国家指定の企業のみがこれら物質の輸出を許可される。
DIA-203-1987-07-28-1ラオス1987年07月28日1980年代価格決定についての政令を発表(1987年6月26日の閣議決定)。政令の要旨を述べると第1条はすべての商品とサービスの価格は需要供給関係,通貨の真の価値,品質,適切な利潤を反映するものでなければならない,第2条一物一価の原則が適用されなければならない,第3条小売価格は市場で決まる,卸売り価格は小売組織と卸売組織の間で,また企業とこれら組織の間で双方の合意によって決定される,第4条市場における外貨の交換レートは一律とする。第5条各省,国家委員会,地方行政当局が小売価格に干渉することは禁止される。電気,飲料水,各種燃料,鉄鋼,機械,自動車,鉱産物,郵便,交通,航空の価格・料金は内閣が決定する。
DIA-203-1987-07-28-2ラオス1987年07月28日1980年代KPLによると,農林水産省内に7月中旬旱ばつと戦うための米生産推進委員会が設置された。
DIA-203-1987-07-30-1ラオス1987年07月30日1980年代税制の整備についての政令を発表(1987年6月26日の閣議決定)。重要点を列記すると,(1)新規企業は3年間の免税とする,(2)農業税は穀物生産の場合は土地生産性と面積に依拠して,現物あるいは現金を納付する。工業作物および果物を生産する場合は販売収入に課税する。また課税率は1986年から3ないし5年すえ置く。米作については3501kg以上の収量を上げる田地に対しては年籾160kg,2500kg以下の収量を上げる田地に対しては年籾100kgが課税される。年間1人当りの生産が籾100kgに満たない場合は課税されない。焼き畑については70kgあるいは40kgが課税される。工業作物の販売から得た収入に対しては60%,果物収入に対しては6%が課税される。(3)小売業に対しては所得の5%,運輸業0~5%。修理業5~10%,ホテル・飲食業5~20%が課税される。(4)輸出品に対して1~30%が課税される,輸入税はキップ貨に直した価格に課税されるがその率は機械類,部品,原料に対しては0~30%,建設材料5~50%,燃料0~60%,消費物質0~100%となっている。 (5)家賃その他の資産貸付料に対しては30~60%,外国企業に働く人に対しては賃金の5~10%が課税される。
DIA-203-1987-08-06-1ラオス1987年08月06日1980年代外務省声明,朝鮮半島の段階的軍縮を提案した1987年7月23日の朝鮮民主主義人民共和国政府の提案を支持すると発表。
DIA-203-1987-08-07-1ラオス1987年08月07日1980年代シパスート外相は来訪したタイ駐在のバチカン大使Alberto Tricarico と会見した。
DIA-203-1987-08-07-2ラオス1987年08月07日1980年代タイ軍筋によると,タイのPhitsanulok 県 Chattrakan 地区の Hmong 族の村に200人のラオス軍が侵入し,近くのタイ軍基地を攻撃したが,6時間の戦闘の後撤退した。
DIA-203-1987-08-07-3ラオス1987年08月07日1980年代タイ国駐在のKhmphan Simmalavong ラオス大使はSavang Vatthana 前国王が死去したとのニュースを否定した。
DIA-203-1987-08-10-1ラオス1987年08月10日1980年代米国国家安全保障会議のRichard Childress アジア局長は外務省の招きで,行方不明になっている米軍兵士の問題について討議するために来訪した。
DIA-203-1987-08-10-2ラオス1987年08月10日1980年代PRK内務省代表団(Ney Pena 党政治局員・内相)来訪。
DIA-203-1987-08-12-1ラオス1987年08月12日1980年代農林省は今年の米収量は目標の157万トンに対して35万トンから40万トンの減収になるだろうと発表した。210万の人口がある北部地方は5月から7月にかけて猛烈な旱ばつに見舞われた。焼畑の22万5000ha,米田13万6693haが被害を受けた。
DIA-203-1987-08-12-2ラオス1987年08月12日1980年代KPLによると,サヤブリ省Boten 地区に侵入し木材を伐り出そうとして逮捕されたタイの木材業者5人はサヤブリ省人民法廷で木材密輸の罪で3カ月から5年の刑を宣告されたが,タイ人民に対する善意のしるしとして,また人道的見地からこの5人は釈放された。
DIA-203-1987-08-16-1ラオス1987年08月16日1980年代タイ軍,ラオス軍兵士を追い払うためにラオスとの国境Phitsanulok 県へ増援部隊を派遣。
DIA-203-1987-08-17-1ラオス1987年08月17日1980年代ソ連との間に木材伐採と加工について合弁あるいは両国企業の直接的接触を取り決めた覚書が調印された。Khamsai Souphanouvong 国家計画委副議長とソ連の対ラオス経済・科学・技術協力委員会のViktor Mikhailovich Kazlov 副委員長は相互協力について話し合った。
DIA-203-1987-08-22-1ラオス1987年08月22日1980年代P紙社説で自然災害(旱ばつ)の被害を最小限にするためにすべての実際的措置をとろうと呼び掛ける。
DIA-203-1987-08-26-1ラオス1987年08月26日1980年代気象局はBetty 台風とCary 台風が8月16日から24日にラオスを襲いパクセやセコン省で水害をもたらしたと発表した。
DIA-203-1987-08-27-1ラオス1987年08月27日1980年代プノンペンでのインドシナ外務次官会議に参加したスリボン(Soulivong Phatsitthidet)外務次官はASEAN諸国がベトナムとインドネシアが打ち出したイニシアチブを実行していけばカンボジア問題は解決されるであろうと語った。
DIA-203-1987-08-27-2ラオス1987年08月27日1980年代ラオス政府はPRKの国民和解政策を支持する声明を発表。
DIA-203-1987-08-29-1ラオス1987年08月29日1980年代ラオス外務省,1987年8月18日Phou Soi Dao 山周辺でタイ正規軍3大隊がラオス領を侵犯したことに対する抗議の覚書を駐ラオ・タイ大使に手交した。
DIA-203-1987-09-01-1ラオス1987年09月01日1980年代キップ切下げ―9月1日から公式の対ドル・レートは35キップから350キップへ切下げられた。
DIA-203-1987-09-01-2ラオス1987年09月01日1980年代P紙社説,タイは北西のサヤブリ省のラオス領を併合しようと企んでいると非難。タイ軍がサヤブリ省Boten 地区から木材を密輸しているタイ商人を保護するために数個大隊を派遣し,Kongdeuan 地区を占領しようとしていると述べている。
DIA-203-1987-09-03-1ラオス1987年09月03日1980年代北京で開かれる西太平洋地区WHO第38回会議に出席するために保健省代表団(Ponmek Dalaloi 保健次官)中国へ出発。
DIA-203-1987-09-03-2ラオス1987年09月03日1980年代KPLによると,ラオス電力会社(LEC)によるとタイの電力公社(Electricity Generating Authority Thailand:EGAT)は価格で合意に達しなかったので,9月1日から電力の購入を中止した。LECとEGATは1981年に価格見直しを5年ごとに行なうという条件で10年の購入協定に調印している。LECは9月24日に協議を始めるべくEGATに招待状を送った。
DIA-203-1987-09-09-1ラオス1987年09月09日1980年代朝鮮民主主義人民共和国外務省代表団(Kim Hyong-yul 外務次官),ラオス外務省との協議のため来訪。11日のKPLによれば双方は国際情勢や地域情勢について意見を交換し,双方の関係や協力をいかに増進させるかを討議した,協議は暖かくかつ率直な雰囲気のなかで行なわれた,双方は相互に利益あるすべての問題について意見の一致をみた。
DIA-203-1987-09-11-1ラオス1987年09月11日1980年代ラオス国家建設戦線(LFNC)第2回全国大会終わる。規約の改正,行動計画を採択した後,94人の中央委員会を選出。常任委員会議長にはプーミ・ボンビチト大統領代行,副議長にはBolang Boualapha(党中央委員)とChaleun Yiapaoheu(党中央委員候補),委員としてBom-gna Phitsavat,Khamtan Theplonali,Bolivong Vondala,Soulot Senkhamphon が選ばれた(Yiapaoheu の党中央委員候補の肩書きはKPL9月14日,Daily Report,9/16/87による)。中央委員のうち僧侶12人,婦人6人。民族的にはLao Loun(平地人)60人,Lao Soung(山岳人)19人,Lao Theung(平地と山岳の間に住む人々)15人となっている。
DIA-203-1987-09-23-1ラオス1987年09月23日1980年代国連総会出席のためシパスート副首相兼外相ニューヨークへ出発。
DIA-203-1987-09-26-1ラオス1987年09月26日1980年代VDS,民主集中制を誤って解釈し,下の意見を無視し,自己の見解を押しつける幹部がいると批判。
DIA-203-1987-09-29-1ラオス1987年09月29日1980年代ソ連共産党中央委統制委代表団(M.Voropayev 副委員長兼党中央委員)来訪。
DIA-203-1987-09-30-1ラオス1987年09月30日1980年代アフガニスタン民族戦線(Nur Akhbar Paesh)代表団来訪。
DIA-203-1987-09-30-2ラオス1987年09月30日1980年代プーミ・ボンビチト大統領代行,シソポン・ロバンサイ最高人民会議議長代行,カイソン首相の3人は共同で,中国首脳に国慶節の祝電を送る。
DIA-203-1987-10-02-1ラオス1987年10月02日1980年代ラオス・カンボジア間の航空路再開,両首都間を毎金曜日に1便。ラオスは現在対ハノイ,対プノンペン,対バンコクと三つの国際路線を持つに至った。
DIA-203-1987-10-02-2ラオス1987年10月02日1980年代カムパイ・ブパ外相代行は日本外務省の藤田アジア局長と会談。
DIA-203-1987-10-03-1ラオス1987年10月03日1980年代農業省のSoukaseum Phothisan 作物局長は1987年の稲作は前年より26万6100トン少なくなる見込みで,穀物不足は15万7326トンに達すると語った。
DIA-203-1987-10-04-1ラオス1987年10月04日1980年代N紙によるとタイ・ラオス国境のPaK Chom 地区でラオス軍と山岳民族の人々を連行しようとしたギャング団(ラオス人)との間で衝突が起こり,山岳民族15人が殺された。
DIA-203-1987-10-06-1ラオス1987年10月06日1980年代ソ連援助による農機具修理センターが完成し,ラオス側に引き渡された。これは1980年8月22日と11月29日の協定に基づくもので工費1500万キツプのうち半分をラオス政府が負担した。同協定によればソ連は五つのセンターの建設に協力することになっている。
DIA-203-1987-10-07-1ラオス1987年10月07日1980年代ボンビチト大統領代行はアフガニスタン民族戦線代表団(Nur Akhbar Paesh 同戦線副議長)と会談,ラオス国家建設戦線との協力協定調印を祝した。
DIA-203-1987-10-09-1ラオス1987年10月09日1980年代ラオスはソ連との間に2000年までの科学技術協力についての覚え書きに調印した。ソ連は水資源管理,灌漑系統の管理および計画作成に協力することになっている。
DIA-203-1987-10-10-1ラオス1987年10月10日1980年代ラオス政府は10月8日のPRK政府声明を支持する声明を発表。
DIA-203-1987-10-13-1ラオス1987年10月13日1980年代ビエンチャンで首都圏農業合作化年次会議が開かれ200人が参加した。Phimpha Thepkhamheuang 首都圏農業責任者によれば現在200の合作社があり,7万33の農家(農家総数の25.63%)が参加し,耕地は9000ha(耕地の23.97%)である。
DIA-203-1987-10-20-1ラオス1987年10月20日1980年代カイソン書記長,ソ連10月革命式典に出席するために党と政府の代表団を率いてソ連へ出発。
DIA-203-1987-10-27-1ラオス1987年10月27日1980年代VDS,サラバン省の地方軍と人民がベトナム反革命軍を絶滅させたと報道。1987年7月12日200人の亡命ベトナム人から成る部隊がサラバン省Lakhonpheng 県からラオス領に侵入し,ベトナムのクアンナム・ダナン省に解放区を樹立するためラオス領を横断しようとしたところを発見し,ラオス軍はこれを包囲し,104人を殺し,65人を捕えた。
DIA-203-1987-11-03-1ラオス1987年11月03日1980年代ドイツ社会主義統一党の統制委員会代表団(Werner Muller 中央委員,統制委員会副委員長)来訪。
DIA-203-1987-11-07-1ラオス1987年11月07日1980年代ビエンチャンでソ連10月革命70周年記念集会。
DIA-203-1987-11-10-1ラオス1987年11月10日1980年代VDS,11月の3日と4日にラオス軍兵士30人がPhitsanulok 県 Chattrakan 地区のタイ軍陣地を攻撃したとのタイ広報局の報道は事実に反する,タイ第3軍区の超右翼分子がラオス領サヤブリ省ボーテン地区の1428高地を攻撃してきたのが真相であると反論した。
DIA-203-1987-11-11-1ラオス1987年11月11日1980年代FAO,ラオスに対して米2万160トンを援助することを決定。
DIA-203-1987-11-13-1ラオス1987年11月13日1980年代VDS,「力の行使は,問題解決の道ではない」と題する論評の中でサヤブリ省ボーテン地区Oam Heuang 山近くでのタイ・ラオ軍の衝突はタイ第3軍区の首脳がヲオス領森林で伐採事業を行なっているタイ商人を保護するためにタイ軍を出動させていることから起こったものであると述べた。
DIA-203-1987-11-13-2ラオス1987年11月13日1980年代遣骨収拾についてのラオス・アメリカ第1回専門家会議がビエンチャンで11日から13日まで行なわれた。
DIA-203-1987-11-17-1ラオス1987年11月17日1980年代ハンガリアの国会代表団(Istvan Sarlos 国会議長)来訪。
DIA-203-1987-11-17-2ラオス1987年11月17日1980年代タイ政府はタイからラオスの旱ばつ被災地区に米400トンを引き渡すためにChiang Rai 県 Chiang Khong 地区にタイ・ラオス国境検問所を14日間開くと発表。
DIA-203-1987-11-19-1ラオス1987年11月19日1980年代国連児童基金総裁として英国のアン王女が来訪。
DIA-203-1987-11-24-1ラオス1987年11月24日1980年代ラオス政府はベトナム政府の要請に答えて南部サラバン省とセコン省で捕えたHoang Co Minh らベトナム人反革命分子の引き渡しを決定した。
DIA-203-1987-11-27-1ラオス1987年11月27日1980年代日本からの援助で完成したビエンチャンの六つの変電所がラオス側に引き渡された。日本政府の援助額は,11億5300万円(800万ドル)であった。
DIA-203-1987-11-30-1ラオス1987年11月30日1980年代ラオス貿易省はベトナム貿易省との間に1988年の物資交換・支払いの議定書に調印した。
DIA-203-1987-12-01-1ラオス1987年12月01日1980年代VDSによると10月末にMountainous Region Development Company(国営企業)に企業自主権が与えられた。企業長にCheng Sai-gnavong 准将が任命。
DIA-203-1987-12-01-2ラオス1987年12月01日1980年代カムパイ・ブパ第一外務次官,中国訪問から帰国。
DIA-203-1987-12-02-1ラオス1987年12月02日1980年代ビエンチャンで建国記念日の式典,ケオブンパン政治局員が演説。
DIA-203-1987-12-08-1ラオス1987年12月08日1980年代カムパイ・ブパ第一外務次官は中国との交渉について,中国が亡命したラオス反動派を支援しないと約束したのは喜ばしい,意見の相違もあるが大使の交換に基本的に同意したこと,貿易関係についての交渉を行なうことに合意したと語った。
DIA-203-1987-12-10-1ラオス1987年12月10日1980年代フランスのDidier Bariani 外務次官来訪。フランスは上水施設,通信,技術,技術者養成,保健の分野でラオスの開発プロジェクトを援助すると語った。
DIA-203-1987-12-15-1ラオス1987年12月15日1980年代ソ連の計画専門家(Vasilyevich Prusov)来訪。
DIA-203-1987-12-16-1ラオス1987年12月16日1980年代外務省はタイの代理公使を呼んで1987年12月15日11時30分,3機のタイ軍機がラオス領を侵犯し,サヤブリ省ボーテン地区を爆撃したこと,地上ではタイ歩兵部隊が105,155ミリ砲で同地区を砲撃したことに抗議した。
DIA-203-1987-12-17-1ラオス1987年12月17日1980年代タイ陸軍のチャワリット司令官はタイの第3軍司令官は自制しているがラオス側の攻撃が続くなら報復の用意がある,また1428高地が紛争の種になっているがこれは話し合うことができると思うと語った。
DIA-203-1987-12-19-1ラオス1987年12月19日1980年代ソ連のボリス・チャプリン外務次官,米ソ首脳会談について報告のため来訪。
DIA-203-1987-12-20-1ラオス1987年12月20日1980年代PRKの高級代表団(フンセン首相)来訪。
DIA-203-1987-12-24-1ラオス1987年12月24日1980年代KPLはサヤブリ省ボーテン地区でタイ軍の空と陸からの攻撃が19,20,22,23日と依然として続いていると報道した。
DIA-203-1987-12-26-1ラオス1987年12月26日1980年代ビエンチャンでタイ軍の攻撃に対する抗議集会があり,1000人以上が参加した。
DIA-203-1987-12-27-1ラオス1987年12月27日1980年代ラオス外務省は声明でタイがNam Heuang 川が国境であると主張しているのは1906年の仏・シャム条約にも違反していると述べた。
DIA-203-1987-12-28-1ラオス1987年12月28日1980年代ソ連のチェブリコフ党政治局員・国家安全保障委員会議長来訪。
DIA-203-1987-12-28-2ラオス1987年12月28日1980年代ラオス外務省,87年12月25日付けのタイ外務省の提案に次のように回答した。(1)話し合いを提案したタイの覚書を受け取った。(2)話し合いは即刻無条件で行なわれるべきだと考える。(3)国民に真実を知らせることはタイ側を非難することにはならない。(4)誰を交渉役に選ぶかは主権に属する問題である。(5)場所はビエンチャンかバンコクのいずれかに決めるべきである。
DIA-203-1987-12-28-3ラオス1987年12月28日1980年代外務省はタイのNiran Phanuphong 大使を呼びタイ軍が依然としてラオス領を攻撃していることに対する抗議の覚書を手渡した。
DIA-203-1987-12-29-1ラオス1987年12月29日1980年代VDSはタイ・ラオスの話し合いは無条件に開始されなければならないと論評し,タイ側が,(1)今回の会談が過去2回のものとは別個のものである。(2)第2回目会議はラオスの首席代表が合意事項に従わなかったために失敗した。(3)会談場所を第3国にしたいとの3条件を付けてきたことを明らかにした。この他タイ側は以前から非難合戦を止めるべきだと主張している。
DIA-203-1988-01-08-1ラオス1988年01月08日1980年代サヤブリ省ボーテン地区でタイに抗議して5000人が集会。
DIA-203-1988-01-12-1ラオス1988年01月12日1980年代サリ・ボンカムサナ(Sali Vongkhamsao)副首相,ラオス・ソ連経済科学技術協力委員会第9回会議に出席して帰国。ラオス代表団はソ連滞在中合弁企業など四つの政府間協定に調印した。
DIA-203-1988-01-16-1ラオス1988年01月16日1980年代チャムパサク省パクセで,サヤブリ省ボーテン地区を攻撃しているタイの極右反動派を非難する集会が開かれ,1万人以上が参加した。
DIA-203-1988-01-17-1ラオス1988年01月17日1980年代ラオス人民革命党(LPRP)中央委員会第5回総会が閉幕,1987年12月28日から開かれていた。
DIA-203-1988-01-20-1ラオス1988年01月20日1980年代農業相によると,1987年の米生産は目標の79.8%,120万㌧であった。必要量を1人籾350㎏として計算すると約11万2682㌧の籾が不足すると発表した。
DIA-203-1988-01-22-1ラオス1988年01月22日1980年代フランスの文化技術協力庁は旱魃の被害に対してラオス政府に50万フランの援助を供与した。
DIA-203-1988-01-25-1ラオス1988年01月25日1980年代ラオス政府は声明を発表し,Heuang Nga川は両国の国境であるとのタイ側の主張を拒否するとともに,2月初めバンコクで会談を開催することを提案した。
DIA-203-1988-01-27-1ラオス1988年01月27日1980年代農林省は日本の会社クボタとタゴン(Tha Ngon)平野の開発計画第2段階についての協力議定書に調印した。クボタはタゴン平野に長さ6㎞の運河を建設し,井戸掘り,精米所と米倉庫の建設を援助する。このため日本政府はラオスに対して5億353万6000円の無償援助を行なう。
DIA-203-1988-01-28-1ラオス1988年01月28日1980年代P紙は1979年のラオス・タイ共同声明はシティ外相らタイ極右反動のグループによって履行不可能になっているとシティ外相を名指しで非難した。
DIA-203-1988-02-02-1ラオス1988年02月02日1980年代最高人民会議開催(~4日)。会議は経済改革についての報告を聞き,1987年の経済計画および予算の実施を了承し,88年の経済計画および予算を承認した。投資法および対外関係を改善するための政策を審議し,中国との関係改善の動きについても満足の意を表明した。別にタイとの国境紛争についても声明を発表した。
DIA-203-1988-02-04-1ラオス1988年02月04日1980年代VDS,ボーテン地区でタイ軍機1機撃墜と発表。
DIA-203-1988-02-05-1ラオス1988年02月05日1980年代ソ連の高級軍事代表団(団長,A.D.Lizichev党中央委員・陸海軍総政治局長),カイソン書記長・首相と会談。
DIA-203-1988-02-07-1ラオス1988年02月07日1980年代ラオス人民革命党(LPRP),ベトナム共産党(CPV),カンプチア人民革命党(KPRP)の3党の歴史研究会議が2月6日と7日の両日ビエンチャンで開かれた。代表団長はNguyen Van Phung(CPV),Chey Saphhon(KPRP),Sisana Sisan(LPRP)であった。
DIA-203-1988-02-11-1ラオス1988年02月11日1980年代カイソン首相はサヤブリ省ボーテン地区の国境衝突に関してタイのプレム首相に緊急のメッセージを送り,双方の軍事代表団が話し合いを持つことを提案した。議題として,(1)即時停戦,軍隊の引離し,監視のための合同軍事委員会設立,(2)双方とも国境問題解決のため専門家代表団を現地に派遣し,その結果を政府に報告させる,(3)双方で達した協定の履行には国連事務総長の助力を要請する,の3点を提案している。
DIA-203-1988-02-13-1ラオス1988年02月13日1980年代ボーテン地区軍民,タイ軍爆撃機1機を撃墜。
DIA-203-1988-02-15-1ラオス1988年02月15日1980年代タイのクリアンサク元首相,ビエンチャンを4日間訪問して帰国。Wont Phonikon元外務次官・元駐ラオス大使も同行した。
DIA-203-1988-02-16-1ラオス1988年02月16日1980年代サヤブリ市郊外Sai Nam Tan水道近くで自由ラオ運動(指導者Tiao Boun-eua Na Champassak)のゲリラがラオス政府軍を待伏せ攻撃し,政府軍兵士16人が死亡,14人が負傷した(BP,2/21)。
DIA-203-1988-02-17-1ラオス1988年02月17日1980年代バンコクを訪問中のラオス軍事代表団シソワト・ケオブンパン(Sisavat Keobounphan)人民軍参謀総長はタイ側との間で2月19日午前8時からの停戦,48時間以内に両軍を現在の位置から3㎞後退させること,合同軍事委員会の設置と15日以内に政治交渉を始めることについて合意した。
DIA-203-1988-02-19-1ラオス1988年02月19日1980年代ラオス・タイ合同軍事委員会の行動覚書がサヤプリ省ボーテン地区Na Bonoi郡,Mouang Phe村で調印された。ラオスの代表団長はSomboun Sisavat大佐,タイの代表団長はThawisak Khetsali大佐である。
DIA-203-1988-02-23-1ラオス1988年02月23日1980年代タイ陸軍司令官チャワリット将軍を団長とするタイ軍事代表団来訪。24日,ラオス・タイ両軍事代表団は共同声明を発表し,停戦および軍の引離しに成功したことに満足の意を表明した。ラナス側は撃墜した爆撃機のパイロット2人をタイ側に引渡した。
DIA-203-1988-02-24-1ラオス1988年02月24日1980年代スバン・サリチラト(Souban Salitthilat)外務次官は,米国とラナスの将校が今年中にベトナム戦争でラナスで行方不明になった米兵の遺体捜索を始めるだろうと言明した。ラオスで行方不明になった米兵士は555人となっている。
DIA-203-1988-02-28-1ラオス1988年02月28日1980年代BP紙によるとタイのナコンパノム県はバンコクで始まる会談の雰囲気を和らげるためラオスへの国境検問所4カ所を29日から再開することになった。
DIA-203-1988-03-01-1ラオス1988年03月01日1980年代P紙は「過渡期に存在する各経済セクターを適切に利用しよう」の社説をかかげ,「現体制下の私的経済セクターおよび資本家の存在は古い体制下のそれとは違うことを理解しなければならない」と強調した。
DIA-203-1988-03-03-1ラオス1988年03月03日1980年代経営管理改善の経験を総括する幹部会議がビエンチャンで開かれ,ヌバク副首相ら400人以上の幹部が参加した。サリ・ボンカムサオ(Sali Vongkhamsao)副首相兼国家計画委議長は報告のなかで,1987年には全国の国営企業377のうち186企業が独立採算制への移行を完了したと述べた。
DIA-203-1988-03-04-1ラオス1988年03月04日1980年代ラオス・タイ両国政府代表団はバンコクで,3月3日と4日の2日間協議を行ない,次のような要旨の共同声明を発表した。(1)ラナスのサヤブリ省とタイのPhitsanulok県の間の地域におけるラナス・タイ国境紛争を解決するため代表団は話し合いを持った。ラオス側の代表団長は人民軍の総政治部副主任Thoaglai Kommasit准将,タイ側の代表団長はタイ外務省Kasemsamoson Kasemsi事務次官であった。(2)双方は1907年3月23日の仏・シャム条約および関連地図を基礎に国境紛争を解決するために合同委員会を設置するという提案について話し合った。(3)両国代表は1979年の両国首脳による共同コミュニケに沿ってラナス・タイ協力委員会の機能を全国レベルでも地方レベルでも回復させるようそれぞれの政府に提案することで合意した。(4)政治協議に進展がみられたので,双方は1988年2月17日に両国軍事代表団が取決めた停戦は今なお効力を有すると決定した。
DIA-203-1988-03-04-2ラオス1988年03月04日1980年代AFPはカイソン首相が2日からハノイで健康チェックを受けていると報道した。
DIA-203-1988-03-06-1ラオス1988年03月06日1980年代VDSは,「末端の経済単位を独立採算制に着実にかつ全面的に移行させよう」と題する社説のなかで,末端の単位は財政面,原材料の購入と製品の販売,計画作成,法人としての行動の四つの面で自主性を発揮しなければならない,また上部機関は末端の活動に干渉してはならないと述べた。
DIA-203-1988-03-11-1ラオス1988年03月11日1980年代ラオス・タイ合同軍事委員会はラオスのサヤブリ省ボーテン地区ナボノイ郡,Meuang Phe村で会談し,委員会の当面の権限と任務を話し合った。委員会は武力衝突が起こらないように監視すること,両国政府が国境線を画定するまでは係争地域を立入禁止とし,委員会が監視すること,委員会は月3回定例の会合を持つことで合意した。ラオス側からSomboun Sisavat大佐,タイ側からThawisak Khetsali大佐が出席した。
DIA-203-1988-03-13-1ラオス1988年03月13日1980年代ビエンチャンでボーテン地区での戦闘の勝利を記念する2万人の大集会が開催されカイソン首相,スファヌボン大統領らも出席した。
DIA-203-1988-03-14-1ラオス1988年03月14日1980年代ベトナムのファム・フン首相の葬儀に列席するため党・政府代表団(団長,ヌバク政治局員・副首相),ハノイへ出発。
DIA-203-1988-03-18-1ラオス1988年03月18日1980年代タイ・ラオス両政府代表団の話し合いは17,18日の2日間行なわれたが,共同声明を出すことができなかった。ラオス側の説明によると,ラオスが主張するようにHeuang川を双方の国境とするかタイの主張するHeuang Nga川を国境とするかで合意に達しなかった。
DIA-203-1988-03-19-1ラオス1988年03月19日1980年代チャワリット将軍夫人らタイ陸軍幹部の夫人20人がシソワト・ケオブンパン人民軍参謀総長の招きでビエンチャンを訪問。
DIA-203-1988-03-23-1ラオス1988年03月23日1980年代シソワト人民軍参謀総長は家族とともにタイのAphinphon Phetsalat Rattanawong妃の葬儀に出席のために特別機でバンコクへ出発した。
DIA-203-1988-03-23-2ラオス1988年03月23日1980年代ラオス外務省はタイ大使に要旨つぎのような覚書を手交した。(1)国境連絡委員会の活性化を支持するが,その前にボーテン地区の国境問題を解決しなければならない。(2)ラオス・タイ合同技術専門委員会の設置を支持するが,これは画定された国境を点検するものであり,国境を画定するのは政府代表団の協議によってである。(3)ラオス側は平和的話し合いのためいつでもバンコクに行く用意がある。
DIA-203-1988-03-29-1ラオス1988年03月29日1980年代藤岡アジア開発銀行総裁は4日間の訪問を終了。その間に,カイソン首相とも会談。
DIA-203-1988-04-01-1ラオス1988年04月01日1980年代プーン・シパスート(Phoun Sipaseuth)外相,3月27日から4月1日まで日本を訪問,竹下首相,宇野外相と会談した。日本はラオスに対しビエンチャンのメコン港整備のため約3億7400万円の贈与を決定した。また日本は経済専門家の派遣にも同意した。
DIA-203-1988-04-03-1ラオス1988年04月03日1980年代タイのノンカイ県のSanti Manikan知事がビエンチャン市行政委員会の招きで来訪,メコン河両岸の交流を拡大することについて話し合った。
DIA-203-1988-04-06-1ラオス1988年04月06日1980年代FAOはラオス政府に旱魃救済のため10万㌦と200㌧の肥料からなる緊急援助を引渡すことに同意した。
DIA-203-1988-04-10-1ラオス1988年04月10日1980年代第5回ベトナム,ラオス,カンボジアの軍の総政治部会議がビエンチャンで2日間開催,ラオスの代表はOsakan Thammatheva中将,人民軍総政治部主任,ベトナムの代表はNguyen Quyet上将,人民軍総政治部主任,カンボジアの代表はブータン副首相,人民革命武装勢力総政治部主任であった。
DIA-203-1988-04-15-1ラオス1988年04月15日1980年代ボンビチト大統領代行は全国民に対して新年の演説を行ない,第2次5カ年計画の実現に努力するよう訴えた。
DIA-203-1988-04-19-1ラオス1988年04月19日1980年代最高人民会議特別会議―会議は(1)人民代表議会の選挙法,(2)最高人民会議(SPC)に関する法律,(3)地方人民議会と人民行政委員会の設立に関する1978年7月31日付のSPC法令第101号の修正決議,(4)SPCに関する規則,(5)外国投資法,の五つの案件を可決した。
DIA-203-1988-04-19-2ラオス1988年04月19日1980年代運輸・郵便省と建設省を統合して運輸・郵便・建設省を新設,新大臣にはOudom Khatthi-gna党政治局員候補が就任。
DIA-203-1988-04-21-1ラオス1988年04月21日1980年代全国選挙委員会設置,ロバンサイSPC議長代行以下15人が任命された。
DIA-203-1988-04-26-1ラオス1988年04月26日1980年代サヤブリ省ボーテン地区Lao Meuang Phe村でタイ・ラオス合同軍事委員会が会合。4月16日と20日に発生した事件について討議し,次回を5月13日とすることに合意した。
DIA-203-1988-04-26-2ラオス1988年04月26日1980年代ウドムサイ省,セコン省,アトプー省向けの化学肥料,殺虫剤,農機具からなる日本の援助(4億円)に関する議定書が調印された。
DIA-203-1988-04-30-1ラオス1988年04月30日1980年代シパスート外相は国連事務総長にタイとの国境紛争に関してメッセージを送り,タイが国境と主張するHeuang Nga川は1907年の仏・シャム条約および付属文書には言及されていないと述べた。
DIA-203-1988-05-01-1ラオス1988年05月01日1980年代サバナケットにテレビ局開局(ビエンチャンに次いで2番目)。
DIA-203-1988-05-07-1ラオス1988年05月07日1980年代ノンカイでラオス当局は不法侵入したタイ人6人をタイ側に引渡した。
DIA-203-1988-05-08-1ラオス1988年05月08日1980年代スウェーデンとの援助覚え書に調印。1989年に7000万クローナ,90年に7000万クローナを供与する。これによってスウェーデンは森林,環境保護,木材加工,運輸通信,道路保全を援助する。南部サラバン省のSe Set水力発電所の建設資金の一部を負担する。ラオス人幹部を訓練し,スウェーデン人専門家を派遣する。76年から88年6月30日までの援助総額は5億8200万クローナに,達している。
DIA-203-1988-05-12-1ラオス1988年05月12日1980年代ラオス人民革命党中央委書記局は人民議会の選挙についての通達を出し,そのなかで地区レベルの人民議会のメンバーは15人から25人まで,省レベルまた大都市の人民議会のメンバーは27人から45人までとすることを通知した。
DIA-203-1988-05-14-1ラオス1988年05月14日1980年代海運・建設国営企業とタイのVorasit株式会社との間で共同出資の覚え書が調印された。両社は物資輸送,道路・住宅建設,輸出用ゴム園に共同出資する。
DIA-203-1988-05-23-1ラオス1988年05月23日1980年代海運・建設国営企業とベトナムの船舶チャータ・予約公社(Vietfracht)はラオス商品をベトナムの港(ダナン,ホー・チ・ミン,ハイフォンの3港)を経由して第3国に輸送する協定を結んだ。
DIA-203-1988-05-24-1ラオス1988年05月24日1980年代ラオス人民軍に付属するラオス婦人同盟代表団(シソワト参謀総長夫人),タイ訪問へ出発。
DIA-203-1988-05-26-1ラオス1988年05月26日1980年代AFPによると,バンコクの外交筋はベトナムが1988年初めにラオスからその兵力の半分を撤退させ,残存兵力は2万から2万5000人であると述べた。5月,スバン外務次官もラオス軍が成長したのでかなりの数のベトナム軍が撤退したと述べた。
DIA-203-1988-05-31-1ラオス1988年05月31日1980年代外務省,米国代理大使に抗議の覚え書を手交。 1988年5月11日米国務省報道官が明らかにした「ラオスでは過去2年間アヘンの栽培とヘロインの生産が大きく増加しこの傾向は続きそうである,ラオス政府と軍当局が麻薬取引きに関係している」との議会への報告書は,全く根拠のない作りごとであり,ラオスの威信と尊厳を傷つけるものであり,両国関係改善に役立たない,ラオス政府はあらゆる形態の麻薬の取引を厳禁していると,この覚え書は述べている。
DIA-203-1988-06-07-1ラオス1988年06月07日1980年代サリ・ボンカムサオ国家計画委議長は農業会議で演説し,現在全国の農家の62%が農業合作社に加入し,土地の55%を経営していると述べた。
DIA-203-1988-06-08-1ラオス1988年06月08日1980年代ビエンチャンで暫定国際メコン委員会第27回会議が25カ国から100人以上の代表が集まって開催された。ラオス政府を代表してサリ・ボンカムサオ副首相兼国家経済・計画財政相(以前は国家計画委員会議長)が開会の演説を行なった。
DIA-203-1988-06-10-1ラオス1988年06月10日1980年代カイソン首相は農業会議で演説し,1990年までに1人当り400~450㎏,全体で200万~220万㌧の食糧(穀物180万㌧),2000年までに250万~270万㌧の穀物(米225万㌧)を生産するようにしなければならないと述べた。
DIA-203-1988-06-11-1ラオス1988年06月11日1980年代ラオス・タイ友好貿易市場がビエンチャン市Hatsaifong区Siang Khouan公園で開かれた。siho Bannavong副市長とタイのノンカイからSanti Manikan県知事が参列した。この市場は隔週末ごとに開かれる。
DIA-203-1988-06-11-2ラオス1988年06月11日1980年代ソ連のゴルバチョフ書記長の特使B・N・チャップリン外務次官はカイソン首相,カムタイ・シパンドン国防相らに米ソ首脳会談について報告した。
DIA-203-1988-06-13-1ラオス1988年06月13日1980年代駐ラオス梁楓中国大使はボンビチト大統領代行に信任状を提出した。
DIA-203-1988-06-14-1ラオス1988年06月14日1980年代Phougsavat Boupha駐中国ラオス大使は楊尚昆国家主席に信任状を提出した。
DIA-203-1988-06-14-2ラオス1988年06月14日1980年代東独のホーネッカー書記長の招待を受けて,党と政府の高級代表団(団長,ボンビチト大統領代行)が東独へ出発した。6月20~22日ベルリンでの非核地帯の設置に関する国際会議に出席するため。
DIA-203-1988-06-16-1ラオス1988年06月16日1980年代P紙は農業会議に関する社説をかかげ,そのなかで次のように述べた。過去においてわれわれは急いで生産手段を集団化し,契約制および労働日による分配を強行した。このため混乱が起こり,生産意欲を減退させた。今後の戦略目標は(1)食糧問題を解決するには「焼細農業」を廃止しなければならない,(2)合作社の組織と管理運営方法を農村全体の建設とリンクさせて改善しなければならない。
DIA-203-1988-06-18-1ラオス1988年06月18日1980年代KPL,12年間の農業についての実績を発表,1980年に100万㌧の米を収穫できた。これは社会総生産の60%,国民所得の70%であった。米の作付面積は1987年に前年比7.2%増加し,生産量は12万2491㌧(1971年代のそれと比べて86.5%増)であった。収量は2.2㌧/haで1人当りの生産量は421.8㎏であった。メイズの作付面積は全耕地の3.7%を占めている。全耕地のうち豆類の作付面積は2.10%,芋類のそれは5.7%を占めている。コーヒーは76年比92%増,煙草は76年の5628㌧から2万266㌧に増加した。砂糖きびは1万2853㌧で,76年の10倍となった。
DIA-203-1988-06-18-2ラオス1988年06月18日1980年代VDS,各地で検問所が廃止されるなどで物資の移動は盛んになったが,ゆき過ぎも見られる。タイとの国境貿易に従事している商人は許可証もなく税金も払っていない,私営の商人がタイ側の商人と直接取引きするのは禁止されていると警告した。
DIA-203-1988-06-25-1ラオス1988年06月25日1980年代カイソン首相は日本国会議員代表団(団長,桜内義雄元外相)と会見し,ラオスの経済発展と平和の問題を話し合った。
DIA-203-1988-06-26-1ラオス1988年06月26日1980年代全国一斉に地方議会選挙―910の地区で地方議会の選挙が行なわれた。有権者は全人口の47.36%,179万3032人で,4462人の候補者から2410人の議員を選んだ。
DIA-203-1988-06-30-1ラオス1988年06月30日1980年代ルアンプラバン省党大会が開かれ,2647人(女性152人)の党員を代表する119人(女性6人)の代議員が参加した。カイソン書記長も出席した。
DIA-203-1988-07-02-1ラオス1988年07月02日1980年代Rafeeuddian Ahmed国連事務総長特使はスバン外務次官と会見し,カンボジア問題を討議した。
DIA-203-1988-07-06-1ラオス1988年07月06日1980年代ボンビチト大統領代行は米軍艦がイラン民間航空機を撃墜した事件でハメネイ大統領に哀悼の電報を送った。
DIA-203-1988-07-06-2ラオス1988年07月06日1980年代トンサバト外務次官と来訪中のベトナムのグエン・コ・タク外相はジャカルタ会議について会談し,(1)ジャカルタ会議は1987年7月9日のホー・チ・ミン市での合意に従い,2段階に分けられるべきである,(2)1988年7月3日のASEAN外相会議のバンコク声明はジャカルタ会議をベトナムとカンボジア4派との会議に変えようとしている,(3)バンコク声明は時代に逆行し,ジャカルタ会議を不可能にするものであるとの新聞発表を行なった。
DIA-203-1988-07-13-1ラオス1988年07月13日1980年代ラオス人民革命青年同盟(LPRYU)の第2回全国大会がビエンチャンで開かれた。これには全国25万4000人の同盟員の代表325人が出席した。15日35人からなる執行委員会を選び,(Mrs)Thongvin Phomvihan党中央委員を第一書記,Khamman Sounvileut党中央委候補を第二書記に選出した。
DIA-203-1988-07-14-1ラオス1988年07月14日1980年代フランス大使館での共和国記念式典にサリ副首相,トンサバト外務次官が出席した。
DIA-203-1988-07-20-1ラオス1988年07月20日1980年代ラナス国家建設戦線(LFNC)中央委常務委員会は各レベルの選挙におけるLFNCの役割についての指示を通達した。
DIA-203-1988-07-20-2ラオス1988年07月20日1980年代キューバのモンカダ兵営襲撃35周年記念式典に出席するためChoummali Sai-gnakon政治局候補兼第一国防次官,キューバへ出発。
DIA-203-1988-07-23-1ラオス1988年07月23日1980年代P紙社説は7月24日のタイ総選挙でタイ人民がラオスとタイの平和と友好を愛する議員および政党に投票するよう希望すると述べた。
DIA-203-1988-07-25-1ラオス1988年07月25日1980年代1988年4月19日最高人民会議で承認された外国投資に関する法律の施行が発令された。
DIA-203-1988-07-26-1ラオス1988年07月26日1980年代ベトナムの民間航空総局代表団(Nguyen Ngoc Dieu局長)来訪。
DIA-203-1988-07-27-1ラオス1988年07月27日1980年代カイソン書記長兼首相はソ連のゴルバチョフ書記長の招きで休息を取るためソ連へ出発。
DIA-203-1988-07-30-1ラオス1988年07月30日1980年代フランスの国際投資開発会社(Jean Paul Nigier会長)とビエンチャン当局は協力の覚え書に調印した。
DIA-203-1988-08-04-1ラオス1988年08月04日1980年代国家銀行は100弊紙幣を発行した。
DIA-203-1988-08-07-1ラオス1988年08月07日1980年代ノンカイの対岸の町ハットサイフォンの当局はタイ・ラオス友好市場を閉鎖した。理由として双方の商人が戦略物資に関する規則を破っていることが挙げられている。
DIA-203-1988-08-12-1ラオス1988年08月12日1980年代ラオス外務省,麻薬事件について声明を発表。要旨:1988年1月と2月に外国人がウドムサイ省に侵入,ラオス人と結託して同省にJohn MaritinとSitungの会社名で二つのヘロイン精製工場を建設した。6月4日と5日,ラオス政府は2工場を閉鎖し精製機器を没収するとともに,関係者を逮捕した。8月10日,ビエンチャン人民法廷はラオス人14人,タイ人20人,ビルマ人13人,中国人1人に有罪の判決を下し,外国人の追放を決定した。これはラオス政府が1961年の麻薬協定の調印者としてその国際義務を一貫して履行していることを示すものである。ラオス人のなかにはSompheng Keobounhouan党中央委員・ウドムサイ省党書記が含まれている。
DIA-203-1988-08-15-1ラオス1988年08月15日1980年代政府は森林保護のため森林伐採と木材輸出を禁止することを決定した。今後は木工製品の輸出だけが許可される。
DIA-203-1988-08-16-1ラオス1988年08月16日1980年代日本政府は,河川港建設の第2段階用として5億2800万円の援助を供与。
DIA-203-1988-08-21-1ラオス1988年08月21日1980年代VDS,検問所を廃止して物資や貨幣の流通を自由にした政令は国内取引だけに適用され,外国との貿易には適用されないことに注意を喚起した。
DIA-203-1988-08-21-2ラオス1988年08月21日1980年代省および都市の人民議会選挙を1988年10月23日に施行する旨の政令が発表された。
DIA-203-1988-08-24-1ラオス1988年08月24日1980年代マレーシアのババ(Abdul Ghafar Baba)副首相,ハッサン外相ら,ラオス政府の招きで来訪。25日のラオス側(サリ副首相)との協議では2国間の貿易・経済協力とカンボジア問題が話し合われた。
DIA-203-1988-08-26-1ラオス1988年08月26日1980年代ラオス政府は新しい国連代表にSali Khamsiを任命した。
DIA-203-1988-08-30-1ラオス1988年08月30日1980年代党と政府の代表団(団長,ボンビチト大統領代行),朝鮮民主主義人民共和国の建国40周年(1948年9月9日)記念式典に出席するためピョンヤンへ出発。
DIA-203-1988-09-01-1ラオス1988年09月01日1980年代BP紙によると,1987年のタイ・ラオス貿易はラオス向け輸出が8億560万バーツ,輸入は1億3300万バーツ。1988年1~7月の貿易は輸出が6億2100万バーツ,輸入が2億4400万バーツであった。
DIA-203-1988-09-02-1ラオス1988年09月02日1980年代ベトナムの革命記念日に,P紙社説は党,政府および人民はラオス,ベトナム,カンボジア3国間の特別な連帯をさらに強化することが今日ほど重要な時はないと明確に理解している,ベトナムの兄弟が刷新の事業で大きな成功をおさめることを希望すると述べた。
DIA-203-1988-09-03-1ラオス1988年09月03日1980年代VDS,ラオスとタイの国境問題を解決する時がきたが,タイのシティ外相はこれを遅らそうとしている。 M.R.Sukhumphan Boriphatタイ首相顧問が述べたようにラオス・タイ関係は1979年の共同コミュニケの基礎の上に打ち立てられるべきであると論評。
DIA-203-1988-09-04-1ラオス1988年09月04日1980年代タイ企業と衣服製造の合弁契約が調印された。工場建設費1000万㌦のうち85%をタイ側が負担する。
DIA-203-1988-09-05-1ラオス1988年09月05日1980年代P紙社説,地区レベルの選挙ではラオス国家建設戦線の活動に欠陥があったために充分資格ある候補が落選したと報道。
DIA-203-1988-09-05-2ラオス1988年09月05日1980年代人民革命党中央委書記局はラオスとベトナム,カンボジア,ソ連,キューバ,モンゴル,中国,日本など12カ国との友好協会を設置するよう指示を出した。
DIA-203-1988-09-06-1ラオス1988年09月06日1980年代Somphavan Inthavong貿易・対外経済関係省次官は中国の貿易実務代表団(Li Zhuzang対外経済関係貿易局副局長)と会見。
DIA-203-1988-09-06-2ラオス1988年09月06日1980年代VDS,話し合いの再開がラオス・タイ関係の改善に必要であると論評。
DIA-203-1988-09-07-1ラオス1988年09月07日1980年代VDS,社説「敵の新しい企てに対する警戒心を高めよう」で往来・流通・貿易を自由にしたことを利用して敵はラオスの経済・文化を破壊しようとしているとして警戒を呼びかけた。
DIA-203-1988-09-09-1ラオス1988年09月09日1980年代ラオス外務省は駐ラオス・タイ国大使にサヤプリ省ボーテン地区の国境問題を解決するための協議を行ないたいとの覚え書を手交した。
DIA-203-1988-09-10-1ラオス1988年09月10日1980年代ラオス・オリンピック代表団(1行15名)はソウルに向けて出発した。トラック,フィールド,射撃,ボクシングの各競技に出場する。
DIA-203-1988-09-15-1ラオス1988年09月15日1980年代タイ商業代表団(団長,Suwit商務次官),木材輸出や戦略物資品目の削減などラオスとの貿易拡大をめぐる話し合いのため来訪。
DIA-203-1988-09-17-1ラオス1988年09月17日1980年代VDS,ラオス当局が麻薬取引に関係しているとの中傷に対して,一部の党員や公務員が麻薬の製造取引に関係していたことは事実であるが,彼らは処罰されており,政府は麻薬撲滅に努力していると反論。
DIA-203-1988-09-18-1ラオス1988年09月18日1980年代カイソン書記長,東ベルリン到着。4日間の公式訪問。
DIA-203-1988-09-25-1ラオス1988年09月25日1980年代BP紙によるとラオスはビエンチャンを訪れたタイ陸軍参謀長チャルアイ将軍に対して現在の紛争地区をラオス・タイ共同管理下の共同開発ゾーンにすることを提案した。
DIA-203-1988-09-27-1ラオス1988年09月27日1980年代シソワト・ケオブンパン・ビエンチャン市長はタイのノンカイ県議会代表団と会見。
DIA-203-1988-09-29-1ラオス1988年09月29日1980年代VDS,ソ連の援助はラオスが受けとった援助額の66%で,外国で教育を受けたラオス人幹部の53%がソ連で教育を受けた,ラオスとソ連の関係はマルクス・レーニン主義と社会主義的国際主義に基礎を置いていると放送した。
DIA-203-1988-09-30-1ラオス1988年09月30日1980年代カイソン書記長,ソ連,東欧諸国訪問から帰国。
DIA-203-1988-09-30-2ラオス1988年09月30日1980年代中国大使館での国慶節の祝宴にサリ副首相が出席した。
DIA-203-1988-10-01-1ラオス1988年10月01日1980年代ラオスはコロンビアと大使級の外交関係を樹立した。
DIA-203-1988-10-01-2ラオス1988年10月01日1980年代ベトナムのチュナン・チン元党書記長の死去に当たり,ラオスの党,政府,人民最高会議は,全国民が10月3日から4日間の喪に服するよう指示した。
DIA-203-1988-10-03-1ラオス1988年10月03日1980年代ラオス当局は行方不明アメリカ軍兵士を探すためにメコン河に米ドル札を流そうと計画していたJames CoppとDonna Longの米人2人を逮捕した。
DIA-203-1988-10-04-1ラオス1988年10月04日1980年代ラングーン放送によると,9月19日カチン第5ライフル連隊はシャン・ステートMong Hpayak近くで武装グループと衝突し,2人を殺した。身に付けていた書類からうち1人は反政府勢力であるラオス統一戦線(LUF)の参謀長兼北部師団長Savatdi Chaokhounseukであることが判明した。
DIA-203-1988-10-04-2ラオス1988年10月04日1980年代チュオン・チン元書託長の葬儀に出席するため,ボンビチト大統領代行ハノイへ出発。
DIA-203-1988-10-04-3ラオス1988年10月04日1980年代ラオス総政治部副主任Thonglai Kommasit准将はタイのチャワリット陸軍司令官らと会談して帰国した。シソワト・ケオブンパン参謀総長の10月19日のバンコク訪問の準備が目的である。
DIA-203-1988-10-06-1ラオス1988年10月06日1980年代ラオス船舶会社とタイのExpress Transportatio Organization(ETO)はLao Se Setプロジェクト(ダム建設)の物資輸送を円滑にするために合同委員会を設立した。
DIA-203-1988-10-07-1ラオス1988年10月07日1980年代ラオスとフランスはラオスの前政権がフランスに負っていた7000万フラン,(1100万㌦)の債務問題に決着をつけた。一部債務は最貧国条項を適用して帳消しに,商業ローン3000万フラン,(470万㌦)はリスケジュールにする。フランスはまた1988年の援助として600万フラン,(100万㌦)を供与することに合意した。
DIA-203-1988-10-08-1ラオス1988年10月08日1980年代VDS,「わがラオスを平和裡に変えようとする敵の計画に対して警戒を強めよう」と放送。
DIA-203-1988-10-10-1ラオス1988年10月10日1980年代政府は10月23日に予定していた省および都市レベルの選挙を1988年11月20日に延期すると発表。
DIA-203-1988-10-11-1ラオス1988年10月11日1980年代タイ・ラオス合同軍事委員会はサヤブリ省ボーテン地区Na Bonoi郡Meuang Phe村で会談した。
DIA-203-1988-10-11-2ラオス1988年10月11日1980年代ラオス電力企業はタイのSi Uthong会社との間に総額外貨300万㌦と内貨600万の南部ラオス送電線網建設の契約を結んだ。これはSe Set水力発電ダム建設プロジェクトの一部である。
DIA-203-1988-10-12-1ラオス1988年10月12日1980年代農林省は旱ばつのため今年の米不足を籾29万7000㌧(精米17万4400㌧)と予測した。
DIA-203-1988-10-12-2ラオス1988年10月12日1980年代第2回ラオス婦人同盟全国大会開催,49万6032人のメンバーを代表して255人の代議員が出席した。14日に37名から成る第2期中央委員会が選出された。
DIA-203-1988-10-15-1ラオス1988年10月15日1980年代西独外務省代表団(Helmut Schaefer国務相)来訪,西独政府の代表としては初めてビエンチャンを訪れた国務相は18日近い将来に開発援助を供与できるようになると思うと語った。
DIA-203-1988-10-17-1ラオス1988年10月17日1980年代ラオス軍事代表団(団長,シソワト・ケオブンパン・ラオス人民軍参謀総長)バンコクに到着。ラオス,タイ国境を友情・平和・同胞の国境にする手段についてチャワリット将軍と話し合うのが目的であると語った。
DIA-203-1988-10-18-1ラオス1988年10月18日1980年代KPLはスファヌボン殿下に代わってラオス国家建設戦線の議長にボンビチト大統領代行が就任してい ることを報道した。
DIA-203-1988-10-28-1ラオス1988年10月28日1980年代カイソン首相は来訪中のPRKのフンセン首相と会談。
DIA-203-1988-10-29-1ラオス1988年10月29日1980年代タイ軍事代表団(団長,チャワリット陸軍司令官),シソワト人民軍参謀総長の招きで来訪。
DIA-203-1988-10-31-1ラオス1988年10月31日1980年代ボンビチト政治局員,副首相,ベトナムの祖国戦線の大会に出席のためハノイへ出発。
DIA-203-1988-11-07-1ラオス1988年11月07日1980年代Yuriy Mikheyevソ連大使はソ連10月革命71周年記念の祝賀パーティを催した。ラオス側からはシパスート外相,サリ・ボンカムサオ経済・計画・財政相らが出席した。
DIA-203-1988-11-07-2ラオス1988年11月07日1980年代ビエンチャンでソ連10月革命記念集会,Siho Bannavongビエンチャン市副市長が演説した。
DIA-203-1988-11-08-1ラオス1988年11月08日1980年代輸出入会社(Vimex)およびラオス専門家グループとフランスのSIDS(Societe d’lnvestissement et de Developpemept International)は調査・開発事業を行なう合弁企業の設立に調印した。
DIA-203-1988-11-12-1ラオス1988年11月12日1980年代ラオス政府は米国人Donna LongとJames Copp釈放した。
DIA-203-1988-11-12-2ラオス1988年11月12日1980年代シソワト・ケオブンパン政治局員・ビエンチャン市長は日本訪問へ出発。
DIA-203-1988-11-13-1ラオス1988年11月13日1980年代10日間にわたって開かれていた拡大閣僚会議終わる。
DIA-203-1988-11-15-1ラオス1988年11月15日1980年代ラオス・タイ共同軍事委員会はラオス側のMeuang Phe村で協議を行なった。その際タイ在留のラオス難民問題が取り上げられた。タイ側によると送還すべき難民は9万人で,うち6万人が山岳民族,3万人が低地ラオ人である。ラオス側は祖国の建設に加わりたいものは歓迎すると述べた。
DIA-203-1988-11-17-1ラオス1988年11月17日1980年代ビエンチャンのソ連人専門家宅の前で爆発事件が発生し,タイ大使館はバンコクに対してチャーチャーイ首相訪問の前に治安担当将校の派遣を要請した。
DIA-203-1988-11-18-1ラオス1988年11月18日1980年代ソ連の援助で作られた病院(ベット数150)と工業学校がラオス側に引渡された。1981年に起工し,ソ連は病院建設に資材1万5740㌧,学校建設に1万2000㌧(600万ルーブル相当)を援助した。ラオス側はそれぞれ6億キップ計12億キップを負担した。
DIA-203-1988-11-18-2ラオス1988年11月18日1980年代ラオス政府,パレスチナ人国家を承認。
DIA-203-1988-11-19-1ラオス1988年11月19日1980年代サバナケット省Se Thamouakで9号道路(242㎞)整備プロジェクトの引渡し式。1980年から主としてソ連の援助で実施された。工事費は1㌔当り43万ルーブル,工事費の40%はラオス側が負担した。
DIA-203-1988-11-19-2ラオス1988年11月19日1980年代貿易・経済・科学技術協力のための政府間委員会ソ連側代表団(団長:グーセフ副首相)第10回協議のため来訪。
DIA-203-1988-11-20-1ラオス1988年11月20日1980年代省および都市レベルの議会選挙。
DIA-203-1988-11-22-1ラオス1988年11月22日1980年代スバン外務次官は外国人記者団に対してラオスと中国およびタイとの関係改善に続いてベトナム軍はラオスからすべて撤退したと語った。翌日タイ軍部スポークスマンはこれを否定し,2個師団,計2万人のベトナム軍が駐留していると語った。
DIA-203-1988-11-24-1ラオス1988年11月24日1980年代タイのチャーチャーイ首相2日間の友好訪問―タイ側によるとチヤーチャーイ・カイソン両首相会談では,(1)国境紛争,(2)9万人のタイ在留ラオス人難民,(3)8000人の元右派分子から成るラオス反政府勢力をタイが支援しているとのラオス側の主張,(4)公認の渡河地点をさらに2カ所増加,(5)共同声明を出すかどうか,(6)ラオスへの商品のタイ国内通過,の六つの問題が話し合われた。
DIA-203-1988-11-25-1ラオス1988年11月25日1980年代ラオス・タイ両国首相共同コミュニケを発表。要旨:(1)メコン河に橋をかける。タイ側は通信輸送網,電力,農業などを発展させるために協力し,ラオスの輸出産業のための合弁投資を促進する。経済発展に協力する。(2)政府間委員会を設置する,(3)ラオス・タイ友好協会を設置する,(4)難民問題で協力する,(5)駐在武官を置く,(6)合同国境委員会を任命する。
DIA-203-1988-12-01-1ラオス1988年12月01日1980年代ビエンチャンで建国13周年(12月2日)記念集会,1万2000人が参加した。
DIA-203-1988-12-09-1ラオス1988年12月09日1980年代BP紙によると反政府勢力が12月6日,タイ側Nam Patの対岸でラオス政府軍を攻撃し,54人を殺した。
DIA-203-1988-12-09-2ラオス1988年12月09日1980年代日本,北部諸省の農業開発のために4億円の援助を約束した。
DIA-203-1988-12-13-1ラオス1988年12月13日1980年代ラオス・タイ合同軍事委員会,ボーテン地区Meuang Phe村で開催。
DIA-203-1988-12-19-1ラオス1988年12月19日1980年代政府は,ラオス・タイ友好協会(Sisana Sisan会長)の設立を発令。
DIA-203-1988-12-21-1ラオス1988年12月21日1980年代政府は19日付けでラオス・タイ国境委員会のラオス側委員(代表,スバン外務次官)10人を任命した。
DIA-203-1988-12-21-2ラオス1988年12月21日1980年代旱ばつの被害調査を行なったFAOの専門家チームによると1985/86年の米生産は140万㌧,1986/87年は145万㌧で平年作は142万㌧と考えられる。1987/88年の生産量は北部諸省の旱ばつのため120万㌧で,22万5000㌧の減少であった。1988/89年は160万㌧を予定していたが,南部諸省の旱ばつのためわずか100万㌧で,平年作に比べて42万5000㌧少ない。
DIA-203-1988-12-22-1ラオス1988年12月22日1980年代カムアン省のフットボール・チームはタイのナコンパノム県のチームを迎えて試合を行なった。
DIA-203-1988-12-26-1ラオス1988年12月26日1980年代外務省によると,12月10日から16日にかけてサバナケット省Nong地区Nalomg村でラオス・アメリカ合同の米兵の遺体回収作業が行なわれた。
DIA-203-1988-12-27-1ラオス1988年12月27日1980年代タイ国会外交委員会代表団(団長,Prasop Butsarakham)来訪。
DIA-203-1988-12-29-1ラオス1988年12月29日1980年代バンコクで開かれていたラオス・タイ合同国境委員会は国境問題の専門委員会を設けること,次回をビエンチャンで開くことで合意した。
DIA-203-1988-12-30-1ラオス1988年12月30日1980年代アジア開発銀行,Nam Ngum―Luang Prabang送電線(208㎞)計画に1100万㌦の借款,ラオス電力に対する技術援助として無償援助47万5000㌦を承認した。借款の条件は10年間据置き,返済期間40年,利子は年1%である。