ID 国名 日付 年代 内容
DIA-206-1980-01-01-1マレーシア1980年01月01日1980年代調理用ガス値上げ―13~14%の値上げ。
DIA-206-1980-01-03-1マレーシア1980年01月03日1980年代アフガニスタン問題―マ外務省,アフガニスタンにおける外国の武力介入の即時中止と撤退を要請。
DIA-206-1980-01-04-1マレーシア1980年01月04日1980年代Berjasa青年部長辞任―国民戦線加入問題に関するナシール委員長の処理方法に不満。また18日にUstaz Mahmud書記長が個人的事由で辞任の意向表明。
DIA-206-1980-01-08-1マレーシア1980年01月08日1980年代ソ連のアフガニスタン介入への抗議行動―14日まで各大学やモスクワで抗議集会が開かれ,ABIM(マ回教青年組織)がソ連大使館デモを行った。
DIA-206-1980-01-09-1マレーシア1980年01月09日1980年代リタウディン外相,ベトナム訪問―タク外務担当国務相,ドン首相と会談。11日帰国し,①ベトナムは東南アジアの平和・自由・中立地帯設立の基礎としてKL宣言を支持,②両国は意見が異るということで同意,③両国は対話を継続,④ベトナムはタイと全てのAsean諸国の独立・領土保全を尊重すると保証,と語った。
DIA-206-1980-01-09-2マレーシア1980年01月09日1980年代ペラ州州首相,イポー市長を兼任と発表―民行党,同州MCA青年部,MCA青年部全国本部が抗議。
DIA-206-1980-01-10-1マレーシア1980年01月10日1980年代生産者米価に補助金制度導入―マナン公営企業相発表。籾1ピクル当り2リンギをクーポンで支給。クーポンは譲渡不可能,指定金融機関に提出することで当該農民の貯蓄口座に振込まれる。これによる政府の支出増は年6300万リンギ。15日,クダ米作農民組合は補助金の増額を要請した。
DIA-206-1980-01-10-2マレーシア1980年01月10日1980年代政府,ユーロ借款に調印―2億米ドル。期間は12年,最初の10年はLibor+0.5%,残り2年はLibor+5/8%。開発資金に充当。借款団は22銀行。
DIA-206-1980-01-11-1マレーシア1980年01月11日1980年代原油値上げ―代表油種タピス・ブレンドは25%引上げられバレル当り34.4米ドルとなった。1月1日に遡り実施。
DIA-206-1980-01-12-1マレーシア1980年01月12日1980年代ADB借款―ペラ,スランゴール,マラッカ,サラワクでの灌漑計画(10.9万ヘクタール,3.8万世帯,総経費1.2億リンギ)に対し,外貨コスト分5500万リンギの貸付け。20年返済,年利7.5%。
DIA-206-1980-01-15-1マレーシア1980年01月15日1980年代LNGプロジェクトへのユーロ借款に調印―Malaysia LNG Sdn.Bhd.に対し5.5億米ドル。幹事銀行はBankBank Bumiputraほか11行,その他50行が参加。
DIA-206-1980-01-17-1マレーシア1980年01月17日1980年代タイに原油供給―Petronasが1月1日より1年間にわたり計270万バレルを実勢価格で供給。
DIA-206-1980-01-18-1マレーシア1980年01月18日1980年代上院休会―80年予算案ほか16法案成立。
DIA-206-1980-01-18-2マレーシア1980年01月18日1980年代マハティル副首相,インド訪問―4日間。ムケルジー商業相,ガンジー首相らと会談。対マ投資拡大を要請,中央・東南アジア情勢について意見を交換。
DIA-206-1980-01-19-1マレーシア1980年01月19日1980年代ゴム価格高騰―KL市場で345セン/キロ(RSS1号)と朝鮮戦争以来の高値をつけ,2月13日には410センにまで高騰した。市場筋は①ゴムの供給不足,②国際関係の緊張,③投機を高騰の要因としている。
DIA-206-1980-01-20-1マレーシア1980年01月20日1980年代ブレーカー英外務担当国務相,訪マ―4日間。リタウディン外相,ムサ教育相,梁第1次産業相等と会談。マ側は外国留学生学費値上げの再考慮,国際天然ゴム協定本部のロンドン設立案撤回を要請。
DIA-206-1980-01-22-1マレーシア1980年01月22日1980年代シンガポール産業構造高度化政策の影響―マハティル副首相はUnidoⅢ会議の席上,①マレーシア及びその他の隣国は,同政策により低位技術の産業が流入することで恩恵を受けている,②全ての国が国際分業の原則を支持することが緊急に必要,と述べた。
DIA-206-1980-01-23-1マレーシア1980年01月23日1980年代クダ州州都で米作農民デモ―数千名がアロール・スター市の州庁舎前に集結,①現行の籾保証価格(品質によりピクル当り26,28,30リンギの3本立て)を一律40リンギに引上げ,②籾補助金の現金支給の2点を要求。ナハル州首相が説得にあたったが官憲と衝突するに至り,92名が逮捕され,午後6時に同市を含むコタ・スター郡全域に24時間の外出禁止令が敷かれた(25日早朝解除)。州首相は,騒擾は一定の戦闘的集団により開始され,その動機は籾補助金ではなく,政治目的を含む一定の目的の実現だった,との談話を発表。25日,マナン公営企業相は籾補助金事業の継続を確認した。
DIA-206-1980-01-24-1マレーシア1980年01月24日1980年代「重工業公社」と「総合商社」の設立構想―マハティル副首相が訪マ中の関経連使節団に明らかにしたもの。80年代の工業政策の重点は農産品の加工,部品工業の育成,重工業の基礎づくりに置かれるが,重工業については重工業公社を設立し,政府資本を合弁会社に出資する。また日本の総合商社に倣った合弁企業を設立し,世界市場開拓を図るという構想。
DIA-206-1980-01-26-1マレーシア1980年01月26日1980年代回教国外相会議―28日までイスラマバードで開催。席上,リタウディン外相はソ連の行為を国際的規範の侵犯と非難。
DIA-206-1980-01-27-1マレーシア1980年01月27日1980年代政府,大陸棚境界図をこのほど刊行―79年12月公示(資料参照)。
DIA-206-1980-01-28-1マレーシア1980年01月28日1980年代マ政府,国際天然ゴム協定に調印・批准。
DIA-206-1980-01-28-2マレーシア1980年01月28日1980年代姚仲明中国文化省次官,訪マ。
DIA-206-1980-01-28-3マレーシア1980年01月28日1980年代サラワクの国会,州議会補欠選挙―Mukah下院選挙区でPBBのEdward Esnen前州議員(Oya区選出),Oya州議会選挙区でPBBのHaji Salleh Jafaruddin前下院議員(Mukah区選出)が無競争当選。
DIA-206-1980-02-02-1マレーシア1980年02月02日1980年代Berjasa 最近,国民戦線加入を正式に申請。
DIA-206-1980-02-02-2マレーシア1980年02月02日1980年代英国のマ・シ留学生,学費値上げ反対運動開始。
DIA-206-1980-02-03-1マレーシア1980年02月03日1980年代パーム油精油所の新設認可の凍結を維持―MIDAによれば,認可の凍結は生産能力を過剰としないため,78年12月から2年間の期限で開始。既認可分は61精油所(生産能力310万トン),うち生産を開始したもの39精油所(生産能力220万トン)。
DIA-206-1980-02-04-1マレーシア1980年02月04日1980年代全国合同労働諮問会議(NJLAC)開催―労働組合法と労使関係法の修正について政府・労組・使用者の三者代表が討議。会談後,何議長(労働・人力相)は,①労組法修正草案から労組登録官の令状なしの逮捕権,その他若干の修正点を撤回した,②修正草案が外部に漏洩したのは遺憾である,と語った。
DIA-206-1980-02-04-2マレーシア1980年02月04日1980年代銀行への原住民参加―ラフィダー副蔵相は,①商業銀行上級管理職の原住民構成比は20.3%で,NEP目標を下まわっている,②一部の銀行では適当な原住民管理職を採用できず,他方では原住民管理職の短期転職が起きている,③短期転職は上級職員に必要な経験と実務の修得を不可能にしている,と指摘した。
DIA-206-1980-02-04-3マレーシア1980年02月04日1980年代マ・シ航空協定改定交渉―当初の予定を延長して14日まで行われたが,合意に至らなかった。
DIA-206-1980-02-04-4マレーシア1980年02月04日1980年代リタウディン外相,オーストラリア,ニュージランド,フィリピン訪問(12日帰国)。
DIA-206-1980-02-05-1マレーシア1980年02月05日1980年代第1の脅威は共産ゲリラではなく麻薬―ガザリ内相によれば,共産主義者は充分に鎮圧されており,昨年からこの変化が生じた。
DIA-206-1980-02-05-2マレーシア1980年02月05日1980年代未完成の公共・公益事業を民間に一括委託―建設・公益事業省の第3次計画実施の遅れを補うため。ラザレイ蔵相によれば,同計画の学校・病院の建設事業のうち1600件以上が未完成。
DIA-206-1980-02-05-3マレーシア1980年02月05日1980年代回教法施行の条件―スハイミUmno青年部長は,施行には国民の承認が必要であると語った。
DIA-206-1980-02-06-1マレーシア1980年02月06日1980年代回教党党員7名,国内治安法により拘留―同党Nakhaie書記長によれば,クダ州回教党書記,執行書記など7名。クダ州農民デモに関連しての拘留と見られる。3月3日迄に,同党の拘留者は計13名となった。
DIA-206-1980-02-06-2マレーシア1980年02月06日1980年代天然ゴム増産問題―ゴム研究所(RRI)によれば,現在の主導的生産国としての地位を維持するには,2000年まで年378万トン(79年160万トン)に生産量を引上げる必要があり,そのための費用は39.4億リンギと見込まれる。
DIA-206-1980-02-07-1マレーシア1980年02月07日1980年代マ・タイ地域国境委員会開催―ハジャイで。①国境地帯で合同の社会・経済プロジェクト実施,②国境地帯の治安は明らかに改善,との声明を発表。
DIA-206-1980-02-08-1マレーシア1980年02月08日1980年代マレー人保留地の抵当物件化―マ金融会社協会Azman Hashim会長は,州政府が全ての商業銀行と金融会社にマレー人保留地を担保とすることを認めれば,原住民貸付は増大しよう,と語った(現在,一定の商銀,金融会社にのみ認可)。27日,ラザレイ蔵相はマレー人保留地の抵当物件化を奨励する,と語った。
DIA-206-1980-02-09-1マレーシア1980年02月09日1980年代低価格住宅建設―梁住宅・地方政府相によれば,現在までに第3次計画目標の20%しか完成していない。
DIA-206-1980-02-10-1マレーシア1980年02月10日1980年代GonzalezⅡ演習開始―2月24日までパハン,トレンガヌ両州で実施。通常戦の演習で4個旅団,2万名が参加。
DIA-206-1980-02-10-2マレーシア1980年02月10日1980年代モスクワ・オリンピック不参加をIOCに通告。
DIA-206-1980-02-11-1マレーシア1980年02月11日1980年代国防義勇軍の拡張計画―Zain Hashim 陸軍副参謀長によれば,第4次計画で国防義勇軍と正規軍の比率を現在の0.4:1から1:1に高める。
DIA-206-1980-02-12-1マレーシア1980年02月12日1980年代米太平洋空軍司令官James Hughes中将,訪マ。
DIA-206-1980-02-13-1マレーシア1980年02月13日1980年代クダ州ムダ灌漑地域の79年の収穫―エーカー当り収量は973ガンタン(78年650ガンタン)で,二期作導入以来最高の見込み。
DIA-206-1980-02-14-1マレーシア1980年02月14日1980年代第2回錫生産国閣僚会議―チェンマイで16日まで。生産国7ヵ国が参加。①米国の戦略備蓄からの錫3.5万トン放出計画について,さらに米国と協議,②緩衝在庫価格帯引上げに努力,などの共同声明を発表。
DIA-206-1980-02-16-1マレーシア1980年02月16日1980年代サラワクのゲリラ―ラーマン州首相によれば117名の共産ゲリラが活動。
DIA-206-1980-02-19-1マレーシア1980年02月19日1980年代Asean防衛協定案に反対―モクタール副外相は,対立する諸勢力,ことに大国を排除するため,地域の中立化の実現に努力すべきである,と語った。
DIA-206-1980-02-22-1マレーシア1980年02月22日1980年代マ共と民族革命戦線(BRN)が武力衝突―タイの全国治安作戦司令部によれば,2月2日,南タイのYala県で衝突,マ共側に3名の死者。同地域での食糧,資金の徴集をめぐる勢力争い,という。
DIA-206-1980-02-24-1マレーシア1980年02月24日1980年代世銀,スランゴール州に1.8億リンギ貸付け。
DIA-206-1980-02-24-2マレーシア1980年02月24日1980年代バティック産業の苦境―業界筋によれば過去10年間に原材料(白布・ろう・染料など)コストは150%上昇したのに対し,製品価格は20%増にとどまり,また今年に入り白布の供給不足が著しい,という。
DIA-206-1980-02-25-1マレーシア1980年02月25日1980年代マ労働組合会議(MTUC),NJLACに覚書提出―政府改正案のほとんどを拒否。
DIA-206-1980-02-29-1マレーシア1980年02月29日1980年代原油値上げ―3月1日よりタピス・ブレンドがバレル36.1米ドル(1月11日参照)。
DIA-206-1980-02-29-2マレーシア1980年02月29日1980年代ペナンの電子産業拡大―80年に入り外資系4社が拡張計画を明らかにしている。
DIA-206-1980-02-29-3マレーシア1980年02月29日1980年代小麦粉値上げ認可―小売価格で12.5%引上げ,3月1日より実施。
DIA-206-1980-03-04-1マレーシア1980年03月04日1980年代アジア国防博覧会―KLで3日間。
DIA-206-1980-03-04-2マレーシア1980年03月04日1980年代国王夫妻,ブルネイを非公式訪問(9日まで)。
DIA-206-1980-03-04-3マレーシア1980年03月04日1980年代米政府,7月1日より錫在庫放出と発表―3月後半から実施という当初計画を延期。2週毎に500トン放出,合計3.5万トンの予定。
DIA-206-1980-03-05-1マレーシア1980年03月05日1980年代パハン州西部で共産ゲリラ8名射殺―3月18日にも1名射殺。同州では79年に支持者152名を逮捕。
DIA-206-1980-03-06-1マレーシア1980年03月06日1980年代錫高騰―ペナン市場で80年に入っての最高値ピクル当り2471リンギをつけた。市場筋は投機資金が金から他の金属,砂糖などに乗り換えたためと見ている。
DIA-206-1980-03-07-1マレーシア1980年03月07日1980年代Asean-EEC外相会議開催―KLで。Asean-EEC経済協力協定に調印,共同政治声明を発表。
DIA-206-1980-03-09-1マレーシア1980年03月09日1980年代クウェートの経済協力―同国訪問中のラザレイ蔵相によれば,①クウェート原油とマ原油のスワップ,②精油所建設,天然・随伴ガス利用へのクウェートの技術援助,について原則的に合意した。また同日,Malaysia Kuwait Investment Holding Co.の設立が仮調印された。当初払込資本5000万リンギ(マ側52%,ク側48%)で,不動産,観光,資源関連産業への進出を計画。
DIA-206-1980-03-11-1マレーシア1980年03月11日1980年代Ungku Omar工専など3校で授業・試験放棄。
DIA-206-1980-03-13-1マレーシア1980年03月13日1980年代国内治安法による死刑執行―75年11月のペラ州警察長官殺害で死刑判決を受けた2名。このほか3月中に同法違反(拳銃不法所持)により5名の死刑執行。
DIA-206-1980-03-14-1マレーシア1980年03月14日1980年代半島部の原木輸出割当て引下げ。
DIA-206-1980-03-14-2マレーシア1980年03月14日1980年代国際錫理事会,緩衝在庫価格帯を引上げ―ピクル当り1500~1950リンギから1650~2145リンギへ。
DIA-206-1980-03-15-1マレーシア1980年03月15日1980年代籾補助金支給,現金とクーポンの選択制に。
DIA-206-1980-03-15-2マレーシア1980年03月15日1980年代黄華外相,訪マー―3日間。フセイン首相,リタウディン外相,梁1次産業相等と会談。15日の会談後,リタ外相は,①カンボジア紛争の政治的解決に中国が積極的役割を果たすよう希望,②中国はアフガニスタン問題でソ連の撤退が政治的解決の前提と主張,と語った。
DIA-206-1980-03-16-1マレーシア1980年03月16日1980年代世銀借款―ペラ河上流のダム,発電所建設に5000万米ドル。期間17年,年利8.25%。
DIA-206-1980-03-16-2マレーシア1980年03月16日1980年代MIC,下部役員5名の党員資格を1年間停止。
DIA-206-1980-03-17-1マレーシア1980年03月17日1980年代国会開会―下院3月18日~4月5日,上院4月7日~15日。
DIA-206-1980-03-17-2マレーシア1980年03月17日1980年代南タイBetongで回教徒村民と共産ゲリラが衝突―村民が保護料の支払いを拒否,ゲリラ2名を殺したのに対し,先週ゲリラが村民8名を殺害。
DIA-206-1980-03-18-1マレーシア1980年03月18日1980年代「聖戦戦士団」―国内治安法で拘留中の回教党クダ州委員会執行書記は特別記者会見で,①「聖戦戦士団Pertubuhan Angkatan Sabilullah(P.A.S.)」が1月23日の農民デモを計画した,②P.A.S.は,78年10月30日,回教党員により秘密裡に結成され,回教政府の樹立とマレー人による全面的な国家支配実現のためには暴力の行使も辞さない組織である,と語った。 19日に,Umno本部は,P.A.S.の存在は回教党の真の戦略を示すもの,と声明。他方,回教党のNakhaie書記長は下院で,同党とP.A.S.は無関係であり,P.A.S.はマレー武術団体と同類の,Umnoの副大臣も加入している,クダ州では周知の組織である,と反論した。
DIA-206-1980-03-18-2マレーシア1980年03月18日1980年代棒鋼値上げ認可―値上げ幅10.9%。19日実施。
DIA-206-1980-03-19-1マレーシア1980年03月19日1980年代中国国貿易促代表団,訪マ。
DIA-206-1980-03-19-2マレーシア1980年03月19日1980年代初の戦車連隊,年末までに設立を計画―戦車60輌で構成(19日付け Tha Star)。
DIA-206-1980-03-21-1マレーシア1980年03月21日1980年代労使関係法と労働組合法の修正案,下院に上程―労働争議権への規制強化,労組結成・加入を禁止される公務員の範囲拡大,組合資金の政治目的への使用禁止など(資料参照)。4月14日成立。5月30日発効。
DIA-206-1980-03-24-1マレーシア1980年03月24日1980年代MTUC,労働2法改正に抗議行動決議―特別代表者会議は,①政府・法定機関のMTUC代表に引揚げを要請,②MTUC評議会にストを含む総る抗議行動をとる権限を付与,③ILOに提訴,等を決議。
DIA-206-1980-03-25-1マレーシア1980年03月25日1980年代79年の治安活動の成果―Haniff Omar警察長官によると,①マ・タイ国境で共産ゲリラ根拠地数ヵ所を破壊,ゲリラ側死者37名(78年33名),②半島部ゲリラ死者42名(78年29名),サラワク4名,③共産党地下組織メンバー・支持者418名を拘留。
DIA-206-1980-03-26-1マレーシア1980年03月26日1980年代フセイン・スハルト会談―クアンタンで。27日フセイン首相は,①両者は,ベトナムが中・ソの影響を受けないという原則を承認すれば,インドシナ問題は早急に解決される,と信ずる,②大陸棚境界図刊公の意図をスハルト大統領に説明したが,マ政府はいかなる当事国とも話し合う用意がある,と語った。
DIA-206-1980-03-27-1マレーシア1980年03月27日1980年代KL Clearing House社設立に調印―KL商品取引所設立に伴い,全ての契約の登録・清算・保証業務を行う。授権資本500万リンギ(Intemational Commodities Clearing House社30%,マ地場銀行4行52%,外資系銀行3行18%)。
DIA-206-1980-03-30-1マレーシア1980年03月30日1980年代クランタンの第26代スルタン即位。
DIA-206-1980-03-31-1マレーシア1980年03月31日1980年代丁〓錫韓国商工相訪マ―4月1日,フセイン首相,マハティル副首相と会談,対マ投資と直接貿易の拡大,ゴム・パーム油の輸入拡大を希望する旨語った。
DIA-206-1980-03-31-2マレーシア1980年03月31日1980年代大陸棚境界問題―モクタール副外相の下院答弁によれば,これまでにシ・イ・タイの3国が異議を表明。4月9日,外交筋はベトナムがこの問題での会談を既に公式に提案したことを明らかにし,同16日,比外務省も,3月にマ政府に公式に抗議した,と声明。
DIA-206-1980-04-01-1マレーシア1980年04月01日1980年代聖戦戦士団(P.A.S.)幹部,再度記者会見―回教党のクダ州連絡委員(前回州議員)。警察本部は2日,P.A.S.幹部5名を国内治安法で既に逮捕,と発表。
DIA-206-1980-04-01-2マレーシア1980年04月01日1980年代食品価格値下げ―パン(12オンスで11%),コンデンスミルク(6~14%),ビール(大壜で20センの値上げ)など。5月2日にはKL等でコーヒー,紅茶(20%),その他飲料が値上げされた。
DIA-206-1980-04-05-1マレーシア1980年04月05日1980年代クダ州議会補欠選挙(Bukit Raya区)―回教党州議員の死亡による。有権者総数1万6618名。Umno6801票,回教党6732票,無効75票,投票率81.3%。
DIA-206-1980-04-06-1マレーシア1980年04月06日1980年代伊藤忠,リンギ建てインパクト・ローン導入―1000万米ドル相当。マ通貨による資金調達は初めて(中央銀行が認可せず実現しなかった。)
DIA-206-1980-04-09-1マレーシア1980年04月09日1980年代MTUC,抗議行動をめぐり動揺―9日に全国ピケ(4月21日実施を計画)を決定したが,18日にはピケ延期と,ラーマン元首相への斡旋依頼へ方針転換。公共部門労組がピケに反対している。
DIA-206-1980-04-09-2マレーシア1980年04月09日1980年代土地・家屋の価格上昇―業界の推計では,78~79年に50%,80年にも20~30%の見込み。
DIA-206-1980-04-11-1マレーシア1980年04月11日1980年代79年の外資工業投資―劉副商工相によれば,計100件,8.55億リンギ。国別では韓国8710万リンギ,日本2007万リンギ,香港2007万リンギ,米国1820万リンギ,西独1215万リンギなど。
DIA-206-1980-04-11-2マレーシア1980年04月11日1980年代原住民への住宅割当て制―副住宅・地方政府相の上院答弁によれば,ほとんどの州政府が民間開発業者に最低30%の原住民への住宅供給割当てを課している。
DIA-206-1980-04-12-1マレーシア1980年04月12日1980年代南タイで共産ゲリラの報復―消息筋によれば,同地での掃討作戦終了(80年2月)後,作戦に協力した村長5名が殺されたという。
DIA-206-1980-04-15-1マレーシア1980年04月15日1980年代ブリキ生産でマ・シ・日合弁会社設立―Syarikat Sador Timah Malaysia Sdn.Bhd.。Pasir Gudangに年産9万トンのプラント建設(現在国内需要6万トンを全量輸入)。マ側3社(Fima,ジョホールSEDC,MMC)51%,シ側3社15%,日本2杜34%。
DIA-206-1980-04-15-2マレーシア1980年04月15日1980年代上院休会―14法案成立。以下は主要な法案。労働組合(修正)法,労使関係(修正)法:資料参照。雇用積立基金(修正)法:加入者は認可企業または連邦・州政府機関の建設した低価格住宅の購入に,積立金の一部を引出しうる。 商品取引法:商品取引所の設立と先物取引の規制。 78年補正歳出案:5356万1194リンギ。 78年第3次補正予算:3084万5769リンギ。 マ・ハイウェイ公社(設立)法案。
DIA-206-1980-04-16-1マレーシア1980年04月16日1980年代Petronas社の内部留保―マハティル副首相の上院答弁によると,79年3月現在で20億リンギ超。
DIA-206-1980-04-16-2マレーシア1980年04月16日1980年代製材の輸入税(15%),課徴金(15%)撤廃へ。
DIA-206-1980-04-17-1マレーシア1980年04月17日1980年代BA取引きに新ガイド・ライン―中央銀行が通達。①中銀の再割引率を5.2%から5.7%に引上げる,②市場で直ちに再割引される有名企業のもの,資産状態の疑わしい企業のもの,「人為的に」振出されたものは中銀で再割引しない,③各金融機関に対する再割引限度枠を設定する。5月5日より実施。
DIA-206-1980-04-18-1マレーシア1980年04月18日1980年代プレム首相,訪マ―19日にフセイン首相は,①タイへの月10万トンのディーゼル油供給に合意,②カンボジア難民問題での国際会議開催というタイの提案を支持,③タイは,ベトナムからの中・ソの影響力排除という構想について,Aseanでさらに協議が必要と考える,④国境協力について意見の相違はない,と語った。
DIA-206-1980-04-19-1マレーシア1980年04月19日1980年代1次産業技術使節団,中・韓・日3国訪問へ。
DIA-206-1980-04-21-1マレーシア1980年04月21日1980年代南北ハイウェイ計画―ヴェル公益・建設相は,5年以内にジトラ~ジョホール・バル間に新ハイウェイ建設,と発表。全長450マイル,総工費25億リンギ。
DIA-206-1980-04-22-1マレーシア1980年04月22日1980年代農業開発地域内で土地売却の動き―西部ジョホール農業開発事業(90万エーカー)地域内で,インフラ整備に伴い土地価格が上昇(域内辺地でエーカー当り200~500リンギから5000リンギへ)したため,既に農地2万3375エーカーが売却された。
DIA-206-1980-04-23-1マレーシア1980年04月23日1980年代インドネシア労働者の非合法入国―ジョホール州の農園では非合法入国したインドネシア人2~3万名が就労中といわれる。農園側は深刻な労働者不足緩和のため,労働許可書の下付を要請したが,政府は拒否。
DIA-206-1980-04-24-1マレーシア1980年04月24日1980年代石油製品小売価格値上げ―25日より実施。初めて半島部,サバ,サラワクの価格を統一。
DIA-206-1980-04-25-1マレーシア1980年04月25日1980年代200浬経済専管水域施行を布告。
DIA-206-1980-04-26-1マレーシア1980年04月26日1980年代雇用法改正案を発表―適用対象の拡大,超勤手当て増加,有給休暇の増加など。MTUCは5月23日,有給休暇の一層の増加,解雇・退職手当の規定新設など31項目の修正要求を行い,マ使用者連合(MEF)は5月27日,改正は実行不可能と表明。
DIA-206-1980-05-01-1マレーシア1980年05月01日1980年代パハン州開発公社など再編成へ―対象は州政府の8機関。業務の重複・競合などの弊害による。
DIA-206-1980-05-01-2マレーシア1980年05月01日1980年代海軍拡充計画―Mohamed Zain海軍参謀長によれば,①兵員を現在の7000名から83年までに1.5万名に増加,②7月に西独で補給艦(4000トン)が進水,③掃海艇と長距離コルヴェット艦4隻の購入を検討中。
DIA-206-1980-05-02-1マレーシア1980年05月02日1980年代ADB第4次計画に5億米ドルの借款約束。
DIA-206-1980-05-04-1マレーシア1980年05月04日1980年代Petronas,3社と生産分与協定調印―3社はPetronas Carigali(Petronasの子会社),Oceanic Exploration and Development Corp.,B.P.Petroleum Development Ltd.。同時に上記3社はサバ州沖探査のための共同操業取決めにも調印。
DIA-206-1980-05-08-1マレーシア1980年05月08日1980年代グエン・コ・タク外相,訪マ―フセイン首相,リタウディン外相,ガザリ内相と会談。11日,①カンボジア問題は存在しない,②地域の平和・安定・協力への脅威の源は北京である,と語った。
DIA-206-1980-05-09-1マレーシア1980年05月09日1980年代ハーキュリーズPC-130,2機引渡し。
DIA-206-1980-05-10-1マレーシア1980年05月10日1980年代崔圭夏韓国大統領,訪マ(1日)。
DIA-206-1980-05-11-1マレーシア1980年05月11日1980年代シッティ外相訪マ(リタウディン外相と会談)。
DIA-206-1980-05-11-2マレーシア1980年05月11日1980年代住宅用地への地目転換凍結―スランゴール州政府は民間からの10エーカー以上の転換申請を既に凍結。
DIA-206-1980-05-12-1マレーシア1980年05月12日1980年代タイ・マ総合国境委員会開催―終了後ガザリ内相は,①合同作戦と合同情報パトロールで攻勢をかける,②国境地帯での社会・経済協力に重点を置く,の2点で合意した,と語った。
DIA-206-1980-05-12-2マレーシア1980年05月12日1980年代フセイン首相,訪シ―リー首相と会談。13日に共同声明発表:①政府間委員会設立に原則的に合意,②第2のコーズウェイ建設の可能性検討に合意,③航空協定交渉再開に合意,④シ政府は転出を計画中の産業にマレーシアへの転出を奨励する,⑤シ政府は,シンガポール内のマ海軍施設隣接地に対するマ側の要請を好意的に考慮する,など。
DIA-206-1980-05-13-1マレーシア1980年05月13日1980年代ベトナム新提案―フセイン首相はシンガポールで,①ベトナムはカンボジア問題で提案を行い,バンコクは若干の反応を示した,②Aseanはタイの主権と領土保全が守られる限り,満足。タイは,もしベトナムがカンボジアから撤兵すれば満足であろうし,それがAseanの立場でもある,と語った。
DIA-206-1980-05-14-1マレーシア1980年05月14日1980年代国連錫会議終了,第6次国際錫協定不成立。
DIA-206-1980-05-15-1マレーシア1980年05月15日1980年代Cuepacs,MTUCに最後通告―30日間の期限つき。ジャマルディンCuepacs(公共・公務部門組合会議)書記長によれば,①CuepacsはMTUCの再組織と規約改正大会開催を要求,②要求が容れられなければ,MTUC内の公共部門12単組はMTUCを脱退,③Cuepacsは公共部門の労働運動を内外で代表する意向。
DIA-206-1980-05-16-1マレーシア1980年05月16日1980年代戦闘爆撃機購入―国防省筋によれば,最近マクダネル・ダグラス社よりスカイホークA4―Lを88機購入。最初の引渡しは81年半ばで22機。
DIA-206-1980-05-17-1マレーシア1980年05月17日1980年代Berjasa国民戦線に加入。
DIA-206-1980-05-20-1マレーシア1980年05月20日1980年代原油価格,バレル1米ドル値上げを通告―6月1日より実施。
DIA-206-1980-05-20-2マレーシア1980年05月20日1980年代セメント製造で韓国企業と合弁設立に調印―ペラ州開発公社40%,Hyundai International Incorporation60%。開発公社の出資比率は操業開始後5年で51%,90年までに70%に引上げ。年産120万トン。
DIA-206-1980-05-21-1マレーシア1980年05月21日1980年代MCAとSUPP,協力に原則的に合意。
DIA-206-1980-05-22-1マレーシア1980年05月22日1980年代Kenyr水力発電所―NEBとHyundai Constructionの間で建設契約に調印。85年完成予定で発電能力400MW。
DIA-206-1980-05-23-1マレーシア1980年05月23日1980年代第4次計画への日本の借款―訪日中のラザレイ蔵相は,竹下蔵相と会談後,借款の規模は第3次計画と同じ10億リンギぐらいになろう,と語った。
DIA-206-1980-05-23-2マレーシア1980年05月23日1980年代輸銀,借款に調印―LNGプラント建設資金として250億円を限度とするアンタイド・ローン。
DIA-206-1980-05-24-1マレーシア1980年05月24日1980年代サバ州補欠選挙―Berjaya州議員2名の辞任による。Sugut区:Berjaya1481票,無所属410票,投票率42.7%。Kemabong区:Berjaya2007票,無所属511票,投票率66.5%。
DIA-206-1980-05-25-1マレーシア1980年05月25日1980年代回教党,P.A.S.幹部2名の党員資格停止―P.A.S.参加を自白した2名。
DIA-206-1980-05-26-1マレーシア1980年05月26日1980年代民間で初の社債発行―Arab-Malaysian Finance Bhd.社が発行。7年もの計2000万リンギで表面利率8.5%。マーチャント・バンク4行が総額引受け。
DIA-206-1980-05-27-1マレーシア1980年05月27日1980年代マ・東独,通商協定に調印。
DIA-206-1980-05-27-2マレーシア1980年05月27日1980年代商工省,原住民留保株の譲渡を中止―多数の原住民会社・個人による非原住民への転売が判明したため。
DIA-206-1980-05-27-3マレーシア1980年05月27日1980年代2輪車の国産化率引上げ計画発表―現在の10%を82-83年30%,84年45%,85年60%に引上げる。
DIA-206-1980-05-28-1マレーシア1980年05月28日1980年代トレンガヌ沖天然ガス,近々採掘開始―Petronasと石油会社1社が共同で採掘。同ガス田の埋蔵量は国内最大の規模を持つと言われる。
DIA-206-1980-05-29-1マレーシア1980年05月29日1980年代公務員給与引上げ発表―対象は軍・警察を含む71万5318名。引上げ率は14~28%。年5.94億リンギの支出増。7月1日より実施。
DIA-206-1980-05-30-1マレーシア1980年05月30日1980年代第3回原住民経済会議開催―6月1日閉会。216項目の決議を採択。主なものは①NEPの原住民参加目標を30%から51%へ引上げる,②政府機関保有の株式を購入原価で原住民に売却する,など。①についてマハティル副首相は,実行可能でさえあれば,目標の修正にやぶさかでない,と語った。
DIA-206-1980-06-03-1マレーシア1980年06月03日1980年代最近のUmno支部役員選挙結果―114支部中10支部で支部長交替,2支部未定,執行部解散1支部。
DIA-206-1980-06-04-1マレーシア1980年06月04日1980年代サラワク,木材のロイヤルティと輸出税引上げへ―ロイヤルティはマングローヴ等を除き50%引上げ,原木輸出税は5%から10%へ引上げの意向。
DIA-206-1980-06-05-1マレーシア1980年06月05日1980年代ダンロップ(英)社株に極東より大量の買い。
DIA-206-1980-06-07-1マレーシア1980年06月07日1980年代Usno,次期州総選挙で新党2党と協力―2党はUnited Pasuk Nunukragang National Organization(カダザンの政党)とSabah Chinese Consolidated Party。Berjaya打倒が目標。
DIA-206-1980-06-09-1マレーシア1980年06月09日1980年代国会再会―下院6月9日~20日,上院6月23日~27日。
DIA-206-1980-06-09-2マレーシア1980年06月09日1980年代クランタン州で砂糖不足。
DIA-206-1980-06-09-3マレーシア1980年06月09日1980年代80年代のPernasの方針―同社の宣伝冊紙によれば,①80年代を選択的拡張の時期とし,製造業と資源関連産業に重点を置く,②資源関連分野では外資企業の資本取得の努力を継続する。
DIA-206-1980-06-10-1マレーシア1980年06月10日1980年代Gonzalez Ⅳ陸軍演習開始―ペラ州北部,クダ,プルリス,クランタンの3州で6月24日まで。防禦に重点を置いた演習で8個旅団,5万名が参加。
DIA-206-1980-06-11-1マレーシア1980年06月11日1980年代Berjaya,党役員に森林を分配―林民行党書記長は下院で,サバ州政府が約80万エーカーの森林地を2万1200名のBerjayd党員に分配したことを明らかにした。これに対しアブドラー副法相は,土地贈与は州政府の専決事項であり,適正な手続による限り違法とは言えない,と答弁。
DIA-206-1980-06-11-2マレーシア1980年06月11日1980年代物価関係補助金―ラザレイ蔵相の下院答弁によれば,80年は総額9.84億リンギ。主なものはディーゼル・灯油3.48億リンギ,輸入調理油・ガソリン・ディーゼル・灯油2.70億リンギ,農水産部門2.71億リンギ,ルトン精油所(シェル)0.2億リンギの見込みという。
DIA-206-1980-06-12-1マレーシア1980年06月12日1980年代ハルン前スランゴール州首相,Umno青年部長選挙に立候補受諾―現在汚職事件で服役中。
DIA-206-1980-06-13-1マレーシア1980年06月13日1980年代第6次国際錫協定交渉打開の途―国際錫理事会のピーター・ライ執行議長は,選択肢は①全ての生産国と消費国の参加,②協定からの米国排除,③生産国と若干の消費国による協定,④生産国のみのオペック型の協定の4つである,と語った。
DIA-206-1980-06-13-2マレーシア1980年06月13日1980年代錫鉱山6社,合併に合意―Malayan Tin Dredgingほか5社。国内錫鉱生産の14%を占め,また各社の資本の30~40%をMalayan Mining Corp.社が所有。
DIA-206-1980-06-21-1マレーシア1980年06月21日1980年代クアラ・ランガットの錫開発で合弁企業設立―Kuala Langat Mining社。発行資本3000万リンギ。Malayan Mining Corp.35%,州政府資本のKumpulan Perangsang Selangor65%の合弁。初期投資2億リンギで85年には生産開始の計画。クアラ・ランガットの錫推定埋蔵量は200万ピクル。
DIA-206-1980-06-21-2マレーシア1980年06月21日1980年代州政府の再組織―ラザレイ蔵相は,来月から州政府行政議員を常勤職とし,開発事業に専心させるよう,各州首相に指示した,と語った。
DIA-206-1980-06-23-1マレーシア1980年06月23日1980年代国内石油会社の資本再編―劉副商工相の上院答弁によれば,石油会社は資本再編成計画を外国投資委員会に提出するよう指示されている。現在の資本構成はShell(M)Trading Sdn.Bhd.(払込資本1.5億リンギ)英国資本の完全所有。Esso Malaysia Bhd.(6200万リンギ)原住民1.8%,米国資本73.8%,その他公開。Mobil Malaysia Sdn.Bhd.(210万リンギ),Caltex Oil Malaysia Ltd.(1070万リンギ)米国資本の完全所有。BP Malaysia Sdn.Bhd.(3000万リンギ)英国資本の完全所有。
DIA-206-1980-06-24-1マレーシア1980年06月24日1980年代海綿鉄合弁プラント設立―サバ州政府とDaewoo Industrial Co.Ltd.(韓国)。3.25億リンギを投入してラブアン島に年産60万トンのプラント建設。
DIA-206-1980-06-25-1マレーシア1980年06月25日1980年代第13回Asean外相会議―KLで開催。フセイン首相は開会演説で,①ベトナムのタイ領武力侵入を無責任かつ危険な行為と見なす,②政治的解決が見出されねばならず,マレーシアはベトナムとの対話を継続する,と述べた。会議は同日,ベトナム非難の共同声明を発表,26日には,カンボジア問題に関する国際会議開催の要請,民主カンプチア政府承認の再確認などを謳った共同コミュニケを発表した。27,28日にはAseanとニュージーランド,日本,米国,カナダとの対話が行われた。
DIA-206-1980-06-25-2マレーシア1980年06月25日1980年代N.スンビラン州開発公社,子会社売却―同公社の資本参加整理の一環として子会社6社の株を原住民に売却。一時は同公社が所有または資本参加した企業は40社に及び,その多くが多額の損失を計上していた。
DIA-206-1980-06-25-3マレーシア1980年06月25日1980年代Besut灌漑計画―ほぼ完成。計画地域1.2万エーカー中,1.05万エーカーで2期作実施。
DIA-206-1980-06-27-1マレーシア1980年06月27日1980年代上院休会―13法案成立。以下は主要な法案。 雇用(修正)法 国会議員(報酬)法:閣僚・国会議員等の給与・手当引上げ。 判事報酬修正法:裁判官の給与引上げ。 79・80年開発補正予算:79年5億9810万リンギ,80年1億2680万リンギ。 婚姻・離婚(修正)法:非回教徒について規定。
DIA-206-1980-06-28-1マレーシア1980年06月28日1980年代P.A.S.メンバーさらに5名,国内治安法で逮捕―全て回教党員。
DIA-206-1980-07-01-1マレーシア1980年07月01日1980年代公共部門労組,MTUC脱退を開始―郵政現場職員組合を手始めに7月中に6組合が脱退,これに伴いNarendran MTUC首席副委員長などがMTUCの役員を辞任した。
DIA-206-1980-07-01-2マレーシア1980年07月01日1980年代第4次計画の住宅建設目標―ラムリ副住宅・地方政府相によれば,公共部門が主に低所得層向けに44万戸,民間部門が中・高所得層向けに56万戸建設を計画。
DIA-206-1980-07-03-1マレーシア1980年07月03日1980年代Umno青年部・婦人部大会―開会にあたりマイティル首席副委員長(副首相兼商工相)は,①回教徒のイスラムへの再改宗が必要との議論は承認できない,②Umnoの統一の原則は,半島部の全マレー人回教徒を統一し,Umnoの目標に反対しない,全ての他のマレーシア公民と協力することである,と述べた。青年部長にはスハイミ現部長が198票で再選(獄中のハルン元部長は154票,ハン・トゥア7票)され,副部長にはモクタール副外相が無競争再選。婦人部長にはアイシャ現部長が無競争再選,副部長にはラフィダー副蔵相が224票で初当選(ザレハ135票)。
DIA-206-1980-07-04-1マレーシア1980年07月04日1980年代Umno党大会―KLで2日間。冒頭フセイン党首は,①第3次計画(76~80年)で年平均実質成長率約8.5%を達成,貧困世帯の比率を75年の44%から80年の34%に,失業率を同じく7%から6.1%に引下げた,②第4次計画(81~85年)では,農業部門の現状改善計画・基礎的便益の提供,公営企業の経営改善,政府の委託保有株式の原住民への譲渡,政府,ことに州・郡レベルの計画実施能力の増強,等に重点を置く,③国防力強化のため,兵器近代化,将兵増員,通常・非通常戦闘能力の向上,ジェット戦闘機の増強,海軍基地の増設,等を行う,と報告した。大会は第3回原住民経済大会の決議を全面的に支持する,等の決議を採択した。
DIA-206-1980-07-08-1マレーシア1980年07月08日1980年代マ・シ航空協定交渉妥結―交渉は7日よりシンガポールで,マ側李三春運輸相,シ側王鼎呂交通相を団長として行われ,8日,①SIAのペナン寄港,②MAS,SIAの広胴機種導入,③KL~シ路線での両社の乗客定員の増加,等の秘密了解覚書に仮調印した。
DIA-206-1980-07-08-2マレーシア1980年07月08日1980年代ブルネイのHassnal Bolkiahスルタン公式訪マ―5日間。ヤ国王の即位式典列席のため。ブルネイのスルタン父子の訪マは約20年ぶり,といわれる。
DIA-206-1980-07-08-3マレーシア1980年07月08日1980年代リタ外相インドのヘン・サムリン政権承認に失望を表明。
DIA-206-1980-07-10-1マレーシア1980年07月10日1980年代価格統制品目,増加―バター,チーズ,粉,輸入の果実・肉・家禽・鶏卵など計25品目を追加指定。
DIA-206-1980-07-10-2マレーシア1980年07月10日1980年代Tuanku Ahmad Shah,第7代国王に正式に即位。
DIA-206-1980-07-12-1マレーシア1980年07月12日1980年代自動車組立てプラントの新規設立を凍結―標準部品の生産拡大のため。製品系列・型式数の制限も検討中。現在までに組立てプラント18件が認可され,16件が操業。乗用車19系列109型式,商用車19系列149型式,2輪車4系列14型式が組立てられている。
DIA-206-1980-07-16-1マレーシア1980年07月16日1980年代パーム油価格の下落―トン当り国内価格は2月の1104リンギを頂点に7月820リンギ台まで下落。業界筋は対ソ穀物輸出禁止を要因としている。この結果,Felda入植者の月収は従来の600~1000リンギから低下し,350リンギになった世帯もある。
DIA-206-1980-07-22-1マレーシア1980年07月22日1980年代ドゥンスタン,SNAP委員長を辞任―5月26日に駐ニュージランド高等弁務官に任命されたため。この結果,中執委議長代理にモッギー書記長が選出され,委員長の任務は中執委が共同で遂行することに決定。(資料参照)
DIA-206-1980-07-22-2マレーシア1980年07月22日1980年代南タイで回教徒ゲリラ等の掃討作戦―タイのプラトゥアン内相が現地を訪問。タイ政府軍はゲリラに拉致された7名の人質救出のため約1000名の兵員を投入している。なお8月1日のAFPによれば,パタニ連合解放機構(PULO)の軍事指導者は,リビア,シリア,サウジ等の援助を受けていることを確認した。
DIA-206-1980-07-25-1マレーシア1980年07月25日1980年代ダンロップ社株の買付け問題―このほど英政府はDunlop Holdings社の要請に応じ,極東から同社の株を大量に取得している者の身元調査のため監察官2名を任命。この極東からの買付けは2月に開始され,7月には同社株の約20%,9月末には30~35%(ダ社は26%未満と主張)が取得された模様。2名の監察官は9月20日前後にマレーシアでGoodyield Plaza社経営陣と会見し,またGP社の側はダ社株の5.35%を取得済みと発表した。業界筋は大量買付けの主役はガファール・ババ(Umno副委員長)と見ているが,同氏はGP社株の52.9%を支配している。
DIA-206-1980-07-26-1マレーシア1980年07月26日1980年代イスマイル・アリ中央銀行総裁退任―新総裁にはアジズ・タハ副総裁が昇格。
DIA-206-1980-07-27-1マレーシア1980年07月27日1980年代林蒼佑民政党党首,委員長選挙不出馬を声明―年齢(61歳)を考え,後進に道を譲るため,と語る。
DIA-206-1980-07-29-1マレーシア1980年07月29日1980年代ADB借款―クランタン州Semarak-Kemasin農業復興事業(16.8万エーカー,総額7.5億リンギ)に対し1.2億リンギの借款をこのほど認可。
DIA-206-1980-07-31-1マレーシア1980年07月31日1980年代サバ州の天然ガス事業―サバ州政府,ペトロナス,シェルの3者は,同州沖の3油田から日量6000万立方フィートのガスを20年間にわたり同州政府に供給する,との取決めに調印。投資総額10億リンギの見込み。
DIA-206-1980-07-31-2マレーシア1980年07月31日1980年代パハン州政府の住宅政策―住宅開発業者に対し,原住民に留保された住宅の他種族への売却を既に禁じた,という。
DIA-206-1980-08-01-1マレーシア1980年08月01日1980年代石油減産政策―ペトロナス社は3ヵ月前から①生産量削減,②新油田開発の延期,等の減産政策を実施。生産量は日量30万バレルから28万バレルに低下,今後約25万バレルまで減らす方針。
DIA-206-1980-08-01-2マレーシア1980年08月01日1980年代短期金利,急騰―コール市場の翌日物の金利が一時80%(通常5~8%)に急騰。
DIA-206-1980-08-02-1マレーシア1980年08月02日1980年代MIC党大会開催―PJで2日間。ヴェル委員長代理は,①インド人の法人部門参加促進のため貸付基金1億リンギを設立,②新規設立企業の株の10%をインド人に留保,③大学入学者の少くとも10%をインド人とする,等を政府に要求した。
DIA-206-1980-08-05-1マレーシア1980年08月05日1980年代マ・タイ国境でタイ民間人を誤認射殺か―ペラ州州首相は,マ保安隊が7月25日にKrohの東で共産ゲリラ4名を射殺と発表。一方,タイの国内紙は4名がタイのゴム採液人であり,誤殺と報道した。
DIA-206-1980-08-05-2マレーシア1980年08月05日1980年代インドシナ難民―国内滞在者数は1万9999人となり,78年9月以来初めて2万人台を割った。1~7月の第3国への出国者は2万6000人,2~7月の入国者は8368人。
DIA-206-1980-08-05-3マレーシア1980年08月05日1980年代一定樹種の原木輸出枠を拡大―1.5%から2%へ。これによる年間の原木輸出増分は3万トン。
DIA-206-1980-08-05-4マレーシア1980年08月05日1980年代ペナンの米系電子産業で操業短縮の動き―海外,とくに米国市場での電子部品需要の低下による。
DIA-206-1980-08-10-1マレーシア1980年08月10日1980年代国債発行―3年償還(年利6%)1億リンギ,5年もの(6.35%)1.5億リンギ,9年もの(6.85%)5億リンギ,20年(8%)7.5億リンギの計15億リンギ。25日締切の時点で約2.02億リンギの応募超過となった。開発資金に充当される。
DIA-206-1980-08-15-1マレーシア1980年08月15日1980年代石油製品値上げ発表―16日実施。KL,KK・クチンのリットル当り新価格は,プレミアム・ガソリン102セン(KK,クチンは100セン),レギュラー・ガソリン97セン,ディーゼル油39.6セン,灯油39.6セン。調理用ガス(11.4キロボンベ)は18.5リンギ。これに伴う政府の補助・補償金は年6.37億リンギから6.574億リンギに増加。(従来の価格については4月25日参照)
DIA-206-1980-08-16-1マレーシア1980年08月16日1980年代民政党党大会開催―ポート・ディクソンで17日まで。委員長には林敬益ペラ州行政議員が325票で当選(梁棋祥1次産業相268票,保留39票,無効7票)(資料参照)。大会は,①林蒼佑前委員長を党終身顧問,終身中央委員とする,②次期総選挙での同党の議席数増加を要求する,③マレーシア人統一政策の積極的実施を要求する,など19項目の決議を採択。大会後,林敬益新委員長は,前委員長の定めた路線を維持する,と語った。
DIA-206-1980-08-18-1マレーシア1980年08月18日1980年代連邦裁,Usno副委員長に減刑判決―ズルキフリ副委員長の公的機密法違反4件に対し計5000リンギの罰金刑(高裁では計1.2万リンギ)を宣告。この結果,同副委員長のサバ州議会議席は維持される。
DIA-206-1980-08-20-1マレーシア1980年08月20日1980年代マ・タイ海軍合同演習―27日まで。マ海軍から10隻,タイ海軍から5隻の艦艇が参加。
DIA-206-1980-08-20-2マレーシア1980年08月20日1980年代ブルネイ・マレー人商議所使節団,訪マ。
DIA-206-1980-08-21-1マレーシア1980年08月21日1980年代石油確認埋蔵量―ペトロナス社幹部によれば18億バレル(同社は80年4月に従来の10億バレルを14億バレルに訂正していた)。また天然ガスの埋蔵量はBTU換算で石油の3倍以上。
DIA-206-1980-08-21-2マレーシア1980年08月21日1980年代金京衍北朝鮮副首相,訪マ―26日まで。到着に際して,カンボジア問題に関するAseanの立場を支持する,と述べた。フセイン首相,ムサ商工相代理等と会談。
DIA-206-1980-08-22-1マレーシア1980年08月22日1980年代ムサ商工相代理,砂糖退蔵に警告―8月中旬以来の国内各地における砂糖不足の頻発に対し,①1~7月の精糖生産量は28万9868トン,同販売量は29万4962トン,②この間の月平均消費量は3万トンから4~4.5万トンに増加したものの,消費量は供給の枠内にある,③業者の退蔵には厳罰で処する,と声明した。
DIA-206-1980-08-24-1マレーシア1980年08月24日1980年代南タイの治安作戦―タイ政府軍はTrang県などでこれまでに叛徒の根拠地3ヵ所を破壊,叛徒側の死者は20名となった。一方,Songklaでは回教徒分離派と見られる武装集団が8月21日に仏教徒村民17名を拉致。
DIA-206-1980-08-26-1マレーシア1980年08月26日1980年代マ共の回教徒組織―Mohamed Amin副警察長官によれば,マ共第10連隊は回教徒組織Persatuan Persaudaraan Islamを設立,支持獲得を図っている。
DIA-206-1980-08-27-1マレーシア1980年08月27日1980年代電子産業労働者の転職率と賃金―民間の調査によればペナンの自由貿易地区内の同部門の転職率は年間33~89%,日給は5~7リンギ。
DIA-206-1980-08-27-2マレーシア1980年08月27日1980年代マハティル副首相,保護主義を批判―第11回国連特別総会の席上,現在の不況の主因は工業国の国民の極度の無気力と怠惰であり,保護主義的政策の実施は効率を損い,成長を制約する,と述べた。
DIA-206-1980-08-28-1マレーシア1980年08月28日1980年代マレーシア回教青年運動(ABIM)大会―31日まで。①「回教銀行」設立,②労働者,農民,都市の公有地占拠者への不当な圧迫除去,③世界の少数派回教徒の闘争支援,④イランの回教政府支持,などを決議。大会には林吉祥民行党書記長も招待されて出席した。
DIA-206-1980-08-29-1マレーシア1980年08月29日1980年代半島部のバス・タクシー料金値上げ発表―9月1日実施。都市バスは最初の1マイルが15セン(従来10セン),タクシーは初乗り1マイルが70セン(60セン),以後0.5マイル毎に30セン(20セン)等。さらに一定のトラックの道路税が25%引下げられる。9月1日,バス業界はこの提案を拒否。
DIA-206-1980-09-01-1マレーシア1980年09月01日1980年代サラワク原住民統一党,党大会―2日までクチンで。(資料参照)
DIA-206-1980-09-01-2マレーシア1980年09月01日1980年代サラワク州政府,連邦の人事を批判―ラーマン州首相は,最近連邦政府が州政府の事前の同意なしに役人を派遣・任命している,と不満を表明した。
DIA-206-1980-09-02-1マレーシア1980年09月02日1980年代フセイン首相,インド訪問―3日,ガンジー首相と会談,4日~8日の英連邦アジア・太平洋地域首脳会議に出席。9日帰国して,①ヘン・サムリン政権の国連議席獲得工作にインドが大きな役割を果たさぬよう希望する,②Aseanはカンボジア問題で新たな解決方式を検討中である,と語った。
DIA-206-1980-09-03-1マレーシア1980年09月03日1980年代民間部門の賃上げ問題―マ使用者連合(MEF)は,最近の労働側の賃上げ要求に対し,労働協約の期限満了前改訂と特別物価手当て支給を拒否,と声明。
DIA-206-1980-09-06-1マレーシア1980年09月06日1980年代インドネシアとの合同空軍演習(9日まで)。
DIA-206-1980-09-07-1マレーシア1980年09月07日1980年代世銀借款―クランタン州の入植事業に2500万米ドル,マ農業銀行の事業拡張に3000万米ドルをこのほど認可。ともに4年据置を含む17年返済,年利9.25%。
DIA-206-1980-09-08-1マレーシア1980年09月08日1980年代サラワクの共産ゲリラ,農民を殺害―同州第1区でゲリラ5名が農家を略奪後,農民1名を殺害。
DIA-206-1980-09-09-1マレーシア1980年09月09日1980年代田中通産相,訪マ―3日間。10日フセイン首相,マハティル副首相,リタウディン外相と個別に会談。マ側は鈴木首相を招待したほか,水力発電と石炭の開発への協力,エネルギー集約産業の対マ投資,Aseanの工業製品への市場開放等を要請した。田中通産相は,エネルギー問題の解決,中小企業育成,工業製品輸出の拡大,人的資源の開発の4項目の協力案を説明した。
DIA-206-1980-09-12-1マレーシア1980年09月12日1980年代労働者銀行の経営不振―資本金1280万リンギ(MTUC75%)に対し,75年設立以来の累積赤字は79年6月末現在で1050万リンギにのぼると見られる。
DIA-206-1980-09-15-1マレーシア1980年09月15日1980年代内閣改造―副首相・商工相,蔵相,教育相,内相,外相などは留任。大臣3名(カディル土地・地域開発相,ハムザ法相,サマッド文化・青年・体育相),副大臣3名(アフマッド副内相,ラムリ副住宅・地方政府相,アリ副運輸相)が辞任,副大巨2名(ラフィダー副蔵相,モクタール副外相),政務次官2名が昇格,また法務省は総理府内の一部局となった。(資料参照)
DIA-206-1980-09-15-2マレーシア1980年09月15日1980年代Sheikh Jaberクウェート首長,訪マ―5日間。国王,マ政府首脳と会談。東南アジア,中東情勢について意見を交換,クウェートのマ経済開発への参加分野を検討した。
DIA-206-1980-09-16-1マレーシア1980年09月16日1980年代独立大学有限会社,政府を憲法違反で告訴―①独立大学設立請願の政府による拒否は,憲法に違反し無効である,②同社は憲法により大学設立の権利を持つ,等の宣告を求めたもの。
DIA-206-1980-09-16-2マレーシア1980年09月16日1980年代サラワクのマ語政策―沈慶鴻州首相代理は,施設と教員の不定によりマ語政策が遅れており,今後さらに5年間は英語を引続き公用語とする,と述べた。
DIA-206-1980-09-17-1マレーシア1980年09月17日1980年代Padang Terap精糖会社に連邦の救済融資―7700万リンギ。同社は甘庶栽培から精糖までを手がける,最大の一貫精糖会社でクダ州開発公社が56%出資。
DIA-206-1980-09-18-1マレーシア1980年09月18日1980年代5国合同演習再開へ―フレイザー豪首相は,豪,ニュージーランド,英,シ,マ5ヵ国が合同演習再開に同意したことを明らかにした。
DIA-206-1980-09-19-1マレーシア1980年09月19日1980年代南タイの共産ゲリラ掃討作戦―タイ保安隊の8月21日~9月17日の掃討作戦により,マ共側に死者7名,捕虜4名の被害を与えた。
DIA-206-1980-09-20-1マレーシア1980年09月20日1980年代林吉祥,Essoが秘密裡に超過生産と主張―民行党機関紙上で,①Esso Production Malaysia社が79年8月,トレンガヌ沖油田で秘密裡に日量5.8万バレル(契約では3.5万バレル)を生産,①これを知ったペトロナス社は何の措置も取らなかった,として政府の調査を要求。23日エクソン本社はこれを否定。
DIA-206-1980-09-22-1マレーシア1980年09月22日1980年代金融逼迫―過去1,2週間に商業銀行の貸付利率は10~11%の水準から11.5~12%に,1年もの定期預金利率は6.75~7%から8~8.5%に,また銀行間の翌日ものの金利は2~4%から約10%に上昇。但しプライムレートは7.5%の水準を維持している。
DIA-206-1980-09-22-2マレーシア1980年09月22日1980年代トレンガヌ州で海綿鉄プラント計画―重工業公社,州経済開発公社,外資の合弁で当初投資5億リンギ,年産60万トン,84年か85年完成の計画。
DIA-206-1980-09-24-1マレーシア1980年09月24日1980年代第4次計画で国防省に98億リンギ割当て―装備購入,施設整備のため。第3次計画の国防・治安部門開発支出修正目標は37.8億リンギ。
DIA-206-1980-09-25-1マレーシア1980年09月25日1980年代Dr.Syed Husin bin Ali釈放―74年12月国内治安法により拘留(当時マラヤ人民社会党書記長)。
DIA-206-1980-09-26-1マレーシア1980年09月26日1980年代回教党党大会―KLで3日間。①Utusan Melayuグループの新聞ボイコット,②統治者会議に回教布教活動の阻害を抑えるよう要請,③タイ政府の南タイ回教徒抑圧に遺憾の意を表明,④ISAにより拘留中の党員の無条件釈放,など20決議案を採択。
DIA-206-1980-09-29-1マレーシア1980年09月29日1980年代第4次計画の重工業プロジェクト―マハティル副首相によれば,海綿鉄(5億リンギ),セメント(ペラ州2件。パハン州,クダ州各1件,各3億リンギ),アルミ精錬(ピントゥル,6億リンギ),鋼板(4億リンギ),金属加工(6000万リンギ),軽機械など。
DIA-206-1980-09-29-2マレーシア1980年09月29日1980年代Umno,イランの回教諸国特使受入れ拒否に遺憾の意を表明。
DIA-206-1980-09-29-3マレーシア1980年09月29日1980年代ゴム植付面積増加へ―第4次計画で年12万エーカーの新規植付を計画(従来4~5万エーカー)。
DIA-206-1980-10-01-1マレーシア1980年10月01日1980年代砂糖値上げ―1カティ当り半島部で65センから75センへ,サバ・サラワクで70センから85センへ。
DIA-206-1980-10-01-2マレーシア1980年10月01日1980年代リタウディン外相,国連総会でカンボジア問題解決のため国際会議開催を要請。
DIA-206-1980-10-04-1マレーシア1980年10月04日1980年代マ国会議員代表団,初の訪中―翁毓麟上院議長以下8名。7日ウランフ全人代副議長,8日趙紫陽首相と会見。
DIA-206-1980-10-04-2マレーシア1980年10月04日1980年代民政党幹部,私立大学設立を提案―呉清徳同党中央委員(副運輸相)は,種族・信条の如何を問わず全ての者を受入れ,全国教育政策の枠内で運営される私立の「ラ・サール大学」の設立を提唱。10月12日,モクタール文・青・体育相は私立大学は不必要,と語った。
DIA-206-1980-10-06-1マレーシア1980年10月06日1980年代4国合同空軍演習―4日間。マ・シ・豪・ニュージーランドの空軍が参加。英国は参加しなかったが,外交筋は,5ヵ国防衛協定再生の一環と見ている。
DIA-206-1980-10-06-2マレーシア1980年10月06日1980年代ビントゥル尿素計画,合弁取決めに調印―Asean Bintulu Fertiliser Sdn.Bhd.の払込資本は2億リンギ。出資比率はマ60%,イ・比・タイ各13%,シ1%。総経費3億米ドルの約70%を借款で調達の計画。
DIA-206-1980-10-06-3マレーシア1980年10月06日1980年代マハティル副首相,訪韓―6日間。南悳裕首相,申秉鉉副首相等と会談,貿易関係拡大,エネルギー集約産業・自動車再生・冶金等への投資を要請した。
DIA-206-1980-10-07-1マレーシア1980年10月07日1980年代マ・イ両国,タイに原油4.5万トンを追加供給(80年末まで。比で精油の見込み)。
DIA-206-1980-10-09-1マレーシア1980年10月09日1980年代Esso Production Malaysia社,林吉祥民行党書記長等を誹謗罪で告訴(9月20日参照)。
DIA-206-1980-10-10-1マレーシア1980年10月10日1980年代国際天然ゴム協定の批准状況―梁1次産業相によれば,①9月30日の批准期限までに生産国ではマ,イ2国(世界輸出の73.6%),消費国では日本,中国など6国(世界輸入の21.2%)が批准を完了,②批准の意志を通告した消費国は西独,英,仏など7国(世界輸入の21.3%),③米国は9月に同相に協定批准の意志を通知,④タイはこのほど協定加入に原則的に同意。
DIA-206-1980-10-11-1マレーシア1980年10月11日1980年代連邦土地開発庁の事業―第3次計画では目標の50万エーカー開拓を完成の見込みだが,第4次計画では土地不足のため目標を35万エーカー,入植者3.5万世帯に引下げる計画。事業開始以来6万1040世帯が入植。
DIA-206-1980-10-13-1マレーシア1980年10月13日1980年代国会再開―下院10月13日~12月12日。上院12月15日~1月9日。
DIA-206-1980-10-16-1マレーシア1980年10月16日1980年代「狂信的回教徒」グループ,警察署を襲撃―ジョホール州バトゥ・パハで長剣・蛮刀で武装した白装束の15名が郡警察署,カディ(郡の宗務責任者)事務所を襲撃。襲撃・逃走の過程で15名中8名が射殺され,また警察官等21名,民間人3名が負傷。この集団はカンボジア難民4名(うち1名がイマーム・マーディを自称,また3名は75年に入国)と近隣のマレー人16名で構成され,射殺された8名以外の全員が21日まで逮捕された。 17日ガザリ内相は,①事件は局地的なものであり,②種族紛争と見てはならない,と語り,21日マハティル副首相は,教義逸脱者を除くため,ダフワ(回教布教運動)集団の調査が必要になった,と語った。
DIA-206-1980-10-16-2マレーシア1980年10月16日1980年代サバ州政府,木材開発課徴金(立方フィート当り50セン)を一時廃止。
DIA-206-1980-10-17-1マレーシア1980年10月17日1980年代81年予算案,下院上程(資料参照)。
DIA-206-1980-10-17-2マレーシア1980年10月17日1980年代籾価格補助金,大幅引上げ―ラザレイ蔵相は予算演説の中で,籾補助金をピクル当り2リンギから10リンギに引上げ,7月16日に遡り実施する,と発表。消費者米価は据置き。米作農民の差額は3700万リンギの見込み。
DIA-206-1980-10-19-1マレーシア1980年10月19日1980年代大手銀行,プライム・レート引上げ―Malayan BankingとBank Bumiputraが8.5%へ1%引上げ,同時に預金利率を一律0.5%引上げた。10月末には多数の銀行が居住目的以外の住宅購入への貸付けを中止。
DIA-206-1980-10-20-1マレーシア1980年10月20日1980年代シッティ・タイ外相,訪マ―フセイン首相,ガザリ内相,リタウディン外相と会談。21日両外相は,カンボジア問題解決にシアヌーク殿下が建設的役割を果たしうる,と語った。
DIA-206-1980-10-21-1マレーシア1980年10月21日1980年代貿易外収支の改善策―ラザレイ蔵相は,①サービス輸入の代替,同輸出の拡大の政策を2段階で実施,②海運運賃と保険への粗支払いは現状では80年に約23億リンギ,85年に55~60億リンギの見込み,と語った。
DIA-206-1980-10-23-1マレーシア1980年10月23日1980年代KL商品取引所開設―当面パーム油の先物取引きの実施。
DIA-206-1980-10-24-1マレーシア1980年10月24日1980年代国際天然ゴム協定,暫定発効―23日に米国が批准書を国連本部に供託したため,但し米議会では緩衝在庫への拠出金額の決着がついていない。
DIA-206-1980-10-24-2マレーシア1980年10月24日1980年代結社登記官,Abimの外国組織への加入を禁止―アヌワールAbim会長によれば,①結社登記官は10月13日付け書翰で外国組織への加入禁止を指示してきた,②Abimはいかなる外国組織にも加入しておらず,登記官に「加入」の内容について説明を要求している。
DIA-206-1980-10-27-1マレーシア1980年10月27日1980年代マ・タイ地域国境委員会ペナンで2日間。合同作戦増加の検討などで合意。会議冒頭にマ側代表は1月の合同作戦停止後,共産ゲリラの活動が増加している,と指摘。
DIA-206-1980-10-29-1マレーシア1980年10月29日1980年代マラッカ海峡通航分離制度,81年5月から実施の見込み―治岸3国専門家グループの見解。
DIA-206-1980-10-30-1マレーシア1980年10月30日1980年代ハルン前スランゴール州首相,人身保護令状を請求―77年6月及び12月に確定した刑期(各2年と4年)は同時に服役され,80年10月29日に釈放されるべきだった,と主張。
DIA-206-1980-11-01-1マレーシア1980年11月01日1980年代馬華公会,党大会―KLで2日間。①華人の氏姓・職業団体との対話拡大,②党幹部育成機関の設立,③国の種族構成を反映した公務員採用の確保,④狂信的宗教活動の抑制,等25決議を採択。
DIA-206-1980-11-01-2マレーシア1980年11月01日1980年代保険法改正実施―①国内に立地し登録された全ての資産・船舶・航空機は国内で保険をかけねばならない,②自動車保険は保険料払込の時点で発効,等。
DIA-206-1980-11-01-3マレーシア1980年11月01日1980年代物価上昇―バス運賃が最初の1マイル15セン(従来10セン),以後1マイル毎に6セン(5セン)へ,新聞が17~29%,コンデンス・ミルクが13~18%の引上げ。
DIA-206-1980-11-03-1マレーシア1980年11月03日1980年代タイ最高司令部,マ・タイ合同作戦再開の報道を否定(10月27日参照)。
DIA-206-1980-11-06-1マレーシア1980年11月06日1980年代マ・イ総合国境委員会開催―国境地域での社会・経済開発を調整する合同機関の設立に合意。
DIA-206-1980-11-06-2マレーシア1980年11月06日1980年代レーガン当選への反応―リタウディン外相は,マ・米経済関係の強化と,カンボジア問題でのAseanの平和実現努力に対する支持継続を希望する,と語った。
DIA-206-1980-11-06-3マレーシア1980年11月06日1980年代ニュージランドとの合同陸軍演習―ジョホール州で14日まで。約2000名が参加。
DIA-206-1980-11-07-1マレーシア1980年11月07日1980年代リタウディン外相,訪タイ―シッティ外相は,ベトナムとの対話継続のためのリタ外相訪越を示唆。
DIA-206-1980-11-08-1マレーシア1980年11月08日1980年代Aliran,登記取消か―結社登記官が,社会改良団体Aliranに対し,登記を取消されるべきでない理由を示すよう求めていることが明らかになった。Aliran会長の公務員賃上げ批判(10月9日)が公共の利益を損うとされたもの。
DIA-206-1980-11-10-1マレーシア1980年11月10日1980年代トニー・ストリート豪外相,訪マ―11日,リタウディン外相との会談で,ヘン・サムリン政権承認の意図はないと保証。
DIA-206-1980-11-11-1マレーシア1980年11月11日1980年代ゴム加工産業―マハティル副首相によれば,①79年の国内ゴム製品工業の天然ゴム消費量は4万トン,②現在,ゴム製品製造業者数は約130,再生タイヤ業者数は150以上だが,資本金100万リンギ以上のものは3分の1に過ぎない,③しかし80年代末までに世界最大の天然ゴム加工製品輸出国となることを目標としている。
DIA-206-1980-11-14-1マレーシア1980年11月14日1980年代政府,建設業への外国人労働力導入を拒否―何労働・人力相は,失業率6.1%下での建設労働者不足の要因はホワイトカラー職種選好である,と語った。
DIA-206-1980-11-15-1マレーシア1980年11月15日1980年代ペナン州Pengkalan Kota区州議員補欠選挙―有権者総数1万9777人,投票総数1万4800票。林建寿(国民戦線)6839票,張徳発(民行党)6285票,林有進(無所属)1503票,陳基才(無所属)56票。16日,フセイン首相等の国民戦線指導者は勝利は開発支持票による,と評価,一方,林民行党書記長は,プロジェクト83,次回総選挙でペナン州政府を奪取する計画)の棚上を表明。
DIA-206-1980-11-16-1マレーシア1980年11月16日1980年代徐錫俊韓国商工相,訪マ―3日間。
DIA-206-1980-11-17-1マレーシア1980年11月17日1980年代国際天然ゴム理事会第1回会議―ロンドンで5日間。本部のKL設置,役員人事など決定。
DIA-206-1980-11-17-2マレーシア1980年11月17日1980年代Gonzales V陸軍演習―ジョホール州で13日間。
DIA-206-1980-11-18-1マレーシア1980年11月18日1980年代円・リンギ直接決済の検討へ―17日からのマ・日経済協議会の席上,マ側は対日輸出の90%が米ドル建て,輸入の約半分が円建てのため為替相場変動の損失を受けやすいとして,直接決済を提案,双方は専門家レベルで研究を開始することで合意。
DIA-206-1980-11-18-2マレーシア1980年11月18日1980年代錫,ロンドン市場で安値―トン当り6590ポンドと79年8月以来の安値をつけた。業界筋は世界的不況と米国の備蓄錫放出の動きを要因と見ている。
DIA-206-1980-11-21-1マレーシア1980年11月21日1980年代ペナン州議会,民行党州議員を無期停職に―Pengkalan Kota区補欠選挙でのラザレイ蔵相の言辞に関する,Karpal Singh議員の動議をめぐり紛糾し,与党が同議員の無期停職動議を提出,採択された。
DIA-206-1980-11-22-1マレーシア1980年11月22日1980年代KL高裁,ハルン前州首相の釈放請求を却下。
DIA-206-1980-11-22-2マレーシア1980年11月22日1980年代砂糖不足―10月1日の値上げ後も全国的な砂糖不足が続き,21日クダ州南部では小売の販売量が制限され,価格もカティ当り1.05リンギと統制価格を30セン超過。
DIA-206-1980-11-23-1マレーシア1980年11月23日1980年代回教説教師の資格審査強化―今後各州宗務局が回教の知識,宗教上の傾向,教育政治団体等への加入,犯罪歴等について徹底的に審査。
DIA-206-1980-11-26-1マレーシア1980年11月26日1980年代マラッカ州議会,民行党書記長を問責へ―林吉祥州議員の9月23日の州議会無届欠席を議員特権委員会に付託。与党は当初同州議員の除籍動議を計画。
DIA-206-1980-11-28-1マレーシア1980年11月28日1980年代林吉祥民行党書記長,辞意を表明―①自分に対する悪意あるキャンペーンの展開,最近のPengkalan Kota補欠選挙の敗北,ことに立候補者の人選を誤ったとしてその責任を問われている,と理由を語った。
DIA-206-1980-11-28-2マレーシア1980年11月28日1980年代ADB借款―このほN.スンビラン州農業総合開発事業に対し2000万米ドルの借款を認可。5年据置を含む20年返済,年利9%。
DIA-206-1980-11-28-3マレーシア1980年11月28日1980年代マ・タイ国境のマ共ゲリラ―11月1日,6日,12日,23日,28日にSadao,Yala等でタイ保安隊と各10名ぐらいのゲリラ部隊が交戦,ゲリラ側に死者12名。
DIA-206-1980-11-29-1マレーシア1980年11月29日1980年代タミール語日刊紙に発行停止処分―Sanusi副内相は,11月26日付けTamil Malar紙が回教中傷の記事を掲載したため,同紙の発行停止を命じた,と声明。同日ペナンでは3000名以上の回教徒が抗議集会を開催。
DIA-206-1980-11-30-1マレーシア1980年11月30日1980年代パーム油価格反騰―梁1次産業相によれば,①国内引渡し価格は2月のトン当り1157リンギから下落したが,10月3日の662リンギを底に反転,11月20日に1014リンギとなった。②反転の要因は米国中西部の旱魃の影響,季節要因によるパーム原油の生産減少。
DIA-206-1980-12-01-1マレーシア1980年12月01日1980年代中国,域内の共産党への支援変更か―第1回マ・シ政府間委員会のため来訪したダナバラン・シ外相(11月に訪中)は「中国はこれ(支援)をAsean諸国との関係を気まずくしている問題とする見方に従来よりも傾いている,との全般的な印象を受けた。」と語った。
DIA-206-1980-12-01-2マレーシア1980年12月01日1980年代電力料金値上げ―家庭用では消費電力が月48単位以下の場合(消費家庭の半数以上)は僅な値下げとなるが,100単位付近で9~8%,300単位以上で40%以上。
DIA-206-1980-12-01-3マレーシア1980年12月01日1980年代フセイン首相,約2週間の休暇―13日マハティル副首相により,診療のため渡英したことが確認された。
DIA-206-1980-12-01-4マレーシア1980年12月01日1980年代専門・管理部門の公務員の組合加入・結成禁止―労働組合改正法第27条(1)及び(2)の発効による。公共・公務部門組合会議は官房長官との会談を要求。
DIA-206-1980-12-02-1マレーシア1980年12月02日1980年代国内製鉄部門,20~50%の生産削減―業界筋は外国企業の棒鋼ダンピングのため,としている。
DIA-206-1980-12-04-1マレーシア1980年12月04日1980年代林吉祥,民行党書記長に留任―中央執行委員会が全会一致で辞表を却下したため。曽敏興委員長は,反林キャンペーンに手を貸した党員数名に厳しい処分が行われよとう述べた。なお12月3日に同党のペラ州州議員が政治的見解の対立と党指導部独裁を理由に離党。
DIA-206-1980-12-05-1マレーシア1980年12月05日1980年代民行党の動揺続く―同党の陳徳泉政治局主任(下院議員,マラッカ州議員)は,P.Kota区補欠選挙敗北のスケープゴートにされているとして離党を声明したが,林書記長の説得により,7日これを撤回。同じく7日ペナン州の党幹部は,P.Dason州委員長(下院議員)に対する処分を新設の党規委員会に委ねると声明。またジョホール州書記(党中執委)が離党。
DIA-206-1980-12-06-1マレーシア1980年12月06日1980年代原油プレミアム引上げ―各油種ともバレル当り50米セントの引上げ。12月1日より実施。
DIA-206-1980-12-07-1マレーシア1980年12月07日1980年代政府機関・州政府への貸付条件緩和―来月より,貧困除去事業への貸付は無利子,社会再編事業へは年利最高4%,商業ベース事業はフルコスト等。
DIA-206-1980-12-08-1マレーシア1980年12月08日1980年代ペトロナス社の利益―Abdullah副総理府相の下院答弁によれば,税引後利益は75年度5000万リンギ,76年度2.5億リンギ,77年度6.62億リンギ,78年度6.74億リンギ,79年度7.61億リンギ,80年度22億リンギ。
DIA-206-1980-12-08-2マレーシア1980年12月08日1980年代初等教育の教課内容改正へ―ムサ教育相は,①小学1~3年の授業時間の75%(現在58%)を読み・書き・算数に当て教科書は2冊に減らす②4~5年で他の教科も導入する,③以上を81,82年の試行期間を経て83年から段階的に実施する,等を明らかにした。
DIA-206-1980-12-11-1マレーシア1980年12月11日1980年代米国に備蓄錫の売却中止を緊急要請―梁1次産業相,チャチャイ・タイ工業相,スブロト・イ鉱業・エネルギー相がKLのでの非公式会議後,共同声明。
DIA-206-1980-12-12-1マレーシア1980年12月12日1980年代下院休会―18法案を可決。以下は主要法案。 81年予算案(資料参照)。 80年補正予算案:5億8857万2980リンギ。 会社設立(州議会権限)(修正)法案:連邦政府に州開発公社の財政監督権を付与。 民間職業紹介所法案:許可制の導入,供託金・手数料などを規定。
DIA-206-1980-12-12-2マレーシア1980年12月12日1980年代クウェートのアリ石油相,訪マ―14日ラザレイ蔵相はクウェートがペトロナスの精油所建設(マラッカ,日量15万バレル)に20%の資本参加の見込み,と語った。
DIA-206-1980-12-12-3マレーシア1980年12月12日1980年代マ・タイ総合国境委員会開催―バンコクで。
DIA-206-1980-12-13-1マレーシア1980年12月13日1980年代全国鉱業法導入を断念―マハティル副首相によれば,州政府が若干の権利の移譲に反対したため。
DIA-206-1980-12-15-1マレーシア1980年12月15日1980年代Sime Daby社,Guthrie社株を売却―このほどSD社と子会社の保有するG社株861万6500株(G社の発行株式の27.6%,3.21億リンギ)を主として国家持株会社(PNB)に売却。
DIA-206-1980-12-15-2マレーシア1980年12月15日1980年代1次産品輸出税の課税最低限度額を引上げ―パーム油:トン当り500リンギから508リンギへ。黒胡椒:ピクル当り130リンギから170リンギへ。白胡淑:同じく160リンギから200リンギへ。錫:ピクル当り1200リンギから1400リンギへ。ゴム:RSS1号,SMRCVなどポンド当り65センへ。RSS2,3号など70センへ。
DIA-206-1980-12-15-3マレーシア1980年12月15日1980年代蔵相,消費者信用の野放図な拡大に警告。
DIA-206-1980-12-18-1マレーシア1980年12月18日1980年代MTUC隔年代表者大会―KLで2日間。P.Narayanan委員長,V.David書記長などを選出。特別代表者大会での規約改正討議,外国人労働者の流入阻止要請,労働者に有害な労働法改正の撤回等を決議。(資料参照)
DIA-206-1980-12-18-2マレーシア1980年12月18日1980年代第6次国際錫協定交渉,合意に至らず。
DIA-206-1980-12-22-1マレーシア1980年12月22日1980年代モフタール・イ外相,訪マ―23日の会談後リタウディン外相は,Aseanは非同盟外相会議でヘン・サムリン政権に議席を与えることに反対する,と語った。
DIA-206-1980-12-22-2マレーシア1980年12月22日1980年代砂糖の販売・在庫制限へ―砂糖を原料に使う製造業者の在庫を2週間分に限り,小売は1人1回2カティ迄とする,と発表。具体的実施を廻り年末に混乱発生。
DIA-206-1980-12-23-1マレーシア1980年12月23日1980年代フセイン首相,訪タイの予定を取消―同首相は18日の帰国以来,公式の場に出ていない。
DIA-206-1980-12-27-1マレーシア1980年12月27日1980年代サラワク人民連合党大会―クチンで2日間(資料参照)。
DIA-206-1980-12-30-1マレーシア1980年12月30日1980年代住宅ローンの指針―中央銀行は,①投機目的の借入れに対する罰則を契約に含める,②つなぎ金融の対象を認可され着工の段階にある事業に限定する,③事業体には住宅ローンを供与しない,等の指針を通達。
DIA-206-1980-12-30-2マレーシア1980年12月30日1980年代セメント不足―9月以来不足が著しくなり,統制価格1袋8.2リンギに対し闇値は11~12リンギに上昇。
DIA-206-1981-01-02-1マレーシア1981年01月02日1980年代日本向けパイナップル缶詰の滞貨―日本の80年下半期輸入割半てが未発表のため,ジョホール州に60万箱,1500万リンギ相当の滞貨が出現。3日,梁第一次産業相は駐マ日本大使と会見,憂慮を表明。
DIA-206-1981-01-02-2マレーシア1981年01月02日1980年代建設・製造業で労働者不足―建設,家電,ガラスなどの業種に顕著。業界筋は若年層のブルーカラー職種忌避,政府の適切な職業訓練計画欠如等を要因と指摘。
DIA-206-1981-01-04-1マレーシア1981年01月04日1980年代高楊中国農地・開墾相,訪マ。
DIA-206-1981-01-05-1マレーシア1981年01月05日1980年代ガザリ内相,マ共議長夫妻の投降を発表―マラヤ共産党のムサ・アフマッド議長とその妻は56年以来北京に居たが,80年11月に政府に投降,と発表。ムサは6日テレビを通じ投降に至る経渦と秘密裡に中国を出国したことを明らかにし,マ共の目的はマレーシアを中国の衛星国にすることであると述べた。7日付けの Utusan Malaysia 紙はムサの2人の娘が80年7月に両親に先立ち中国から帰国,と報道。11日サヌシ副内相は,ムサの帰国はマ中政府間交渉によるとの説を否定。
DIA-206-1981-01-05-2マレーシア1981年01月05日1980年代上院議長にTan Sri Ismail Khan 選出。
DIA-206-1981-01-06-1マレーシア1981年01月06日1980年代シブ高裁,特務局本部放火事件の審理開始。
DIA-206-1981-01-07-1マレーシア1981年01月07日1980年代原油価格引上げ―軽質油でバレル当り3.50米ドル引上げで40.30~42.10米ドルに。1月1日実施。
DIA-206-1981-01-07-2マレーシア1981年01月07日1980年代天然ゴム価格見通し―梁第一次産業相は,西側経済は底入れしており,マレーシアの在庫水準も天候不順のため低く,合成ゴム生産マストも上昇中などのため,ゴム価格は平均で昨年より改善の見込み,と語った。
DIA-206-1981-01-08-1マレーシア1981年01月08日1980年代Petronas 社の内部留保―フセイン首相によれば現在40億リンギ,そのうち多額を国内の銀行に預金しており,全て同社が実施・計画中のプロジェクト(推計70億リンギ)に支出の予定。
DIA-206-1981-01-08-2マレーシア1981年01月08日1980年代軍人事―Ghazali Seth 大将を国軍参謀総長に任命,Zain Hashim 中将を大将に昇進させ,陸軍参謀長に任命(1月20日付け)と発表。
DIA-206-1981-01-09-1マレーシア1981年01月09日1980年代国家投資信託事業発表―フセイン首相は,①政府保有株式(674社,21.45億リンギ)のうち21社6.6億株(時価15億リンギ)を今年原住民に譲渡する,②このうち5.52億株は Permodalan Nasional Bhd.(国営投資会社)に譲渡,PNBは子会社Amanah Saham Nasional(国営投資信託社)から投資信託を21歳以上の原住民個人に販売,③残り1.08億株は当該企業の職員,原住民の機関・協同組合・企業に販売する,と発表した。
DIA-206-1981-01-09-2マレーシア1981年01月09日1980年代リンギの対Sドル安継続(1リンギ=S$1.068)。
DIA-206-1981-01-09-3マレーシア1981年01月09日1980年代国会休会―81年度予算のほか,公務委員会(修正)法案・法人設立(州立法議会権限)法案,選挙委員会(修正)法案,ビントゥル港湾局法案,マレーシア観光開発公社(修正)法案などを可決。
DIA-206-1981-01-14-1マレーシア1981年01月14日1980年代セメント不足―クランタン,トレンガヌ両州でセメントの供給が減少もしくは中断されている。
DIA-206-1981-01-15-1マレーシア1981年01月15日1980年代鈴木首相,訪マ―15日フセイン首相らと会談。17日,①両首相は日本の融資供与によりASEAN尿素プロジェクトの早期履行が可能となることに満足の意を表明,②フセイン首相は,マレーシアからの半加工品及び工業製品の市場アクセス改善のため,日本が引続き努力するよう希望,③鈴木首相は,第4次計画に対し,従来通りの年次べースでの円借款を含め,種々の協力・援助を行う旨表明,④両首相は,投資保証協定交渉の早期開始に同意,などの内容の共同コミュニケを発表。
DIA-206-1981-01-16-1マレーシア1981年01月16日1980年代マ・日外相,第7次円借款交換公文に調印―第3次計画のConnaught Bridge ガス・タービン火力発電所,ジョホール港拡張工事などを対象に210億円,年利4%,7年据置きを含む25年償還。
DIA-206-1981-01-16-2マレーシア1981年01月16日1980年代第5次国際錫協定,1年延長―12日からロンドンで開催の国際錫理事会で81年6月30日迄延長と決定。
DIA-206-1981-01-22-1マレーシア1981年01月22日1980年代砂糖値上げ―カティ当りの新小売価格は半島部1.05リンギ(30セン値上げ),サバ,サラワク1.10リンギ(25セン値上げ)。消費者への販売量制限は解除。
DIA-206-1981-01-23-1マレーシア1981年01月23日1980年代英国よりの借款に調印―無利子,25年償還の1.02億リンギと,国際慣例による金利,10年償還の2.92億リンギの混合信用供与。第4次計画開発資金に充当。
DIA-206-1981-01-23-2マレーシア1981年01月23日1980年代トレンチャード英国国防担当国務相,訪マ。
DIA-206-1981-01-24-1マレーシア1981年01月24日1980年代馬化控股社,UMBCを既に買収か―消息筋によれば,同社は合衆銀行株の大部分を購入した。
DIA-206-1981-01-24-2マレーシア1981年01月24日1980年代5カ国防衛協定加盟国,定期協議実施で先週合意。
DIA-206-1981-01-26-1マレーシア1981年01月26日1980年代回教国首脳会議開催―サウジアラビアで28日まで。フセイン首相に代りマハティール副首相が出席。
DIA-206-1981-01-28-1マレーシア1981年01月28日1980年代フセイン首相,心臓手術のため31日渡英と発表―渡英中はマハティール副首相が首相代理となる。
DIA-206-1981-01-30-1マレーシア1981年01月30日1980年代80年の製造業プロジェクト認可状況―認可件数484件(79年458件。以下括弧内は79年分),うち資源関連121件。主要業種は食品58件,電気・電子50件,非金属49件など。投資予定額2.073億リンギ(4.536億リンギ,ビントゥルLNG2.6億リンギを含む)。国別ではシンガポール5300万リンギ,日本3430万リンギ,以下米国,英国,香港の順。雇用予定4万5367名(対前年比15%の減)。原住民企業は認可件数81件(63件)。
DIA-206-1981-01-31-1マレーシア1981年01月31日1980年代Samad Ismail 釈放―76年6月以来国内治安法により拘留。当時 New Straits Times 紙の編集長。
DIA-206-1981-02-01-1マレーシア1981年02月01日1980年代棒鋼,トン当り平均81.25リンギ値上げ。
DIA-206-1981-02-03-1マレーシア1981年02月03日1980年代国家持株会社(PNB)の投資―イスマイル・アリ会長によれば,①政府かち譲渡された21社のほかに,公開市場で80年12月までに46社の株2.467億リンギを取得,それ以降も Guthrie Corp. を含む14社の株2.41億リンギを購入,②回教の教義を遵守し,政府の長期目標に従って金融,鉱業,農業,輸出指向産業で成長力のある会社の株で健全なポートフォーリオを確立する。
DIA-206-1981-02-07-1マレーシア1981年02月07日1980年代都市開発公社(UDA)への行政指導―消息筋によればラザレイ蔵相はUDAに対し,①自立採算実現のため商業的アプローチの採用,②原住民への融資中止,③合弁事業への参加中止,などを指示した。
DIA-206-1981-02-09-1マレーシア1981年02月09日1980年代非同盟諸国外相会議開催―会期中,リタ外相はタク・ベトナム外相と会談。対話の継続は有益と語る。11日総会の演説で,非同盟の名において明らかに大国の利益を助長している複数の加盟国が存在,と非難。
DIA-206-1981-02-09-2マレーシア1981年02月09日1980年代イラン政府代表団,訪マ―イ・イ戦争における立場説明のため。10日マハティール首相代理と会見。なお9日,政府はイランの大使館設置に同意。
DIA-206-1981-02-09-3マレーシア1981年02月09日1980年代イラク政府,クランタン州回教センターに300万リンギ寄付の意向を表明。
DIA-206-1981-02-10-1マレーシア1981年02月10日1980年代ペラで1月17日に共産ゲリラ1名投降と発表。
DIA-206-1981-02-11-1マレーシア1981年02月11日1980年代国軍将兵増強―副国防相によれば,今後83年までに兵約2万名,将校1200~2400名を増員する。
DIA-206-1981-02-11-2マレーシア1981年02月11日1980年代駐マ英国高等弁務官,来年から対マ技術援助を削減と声明。
DIA-206-1981-02-13-1マレーシア1981年02月13日1980年代マ航空(MAS),ロンドン市場で4500万米ドル借入れに調印。
DIA-206-1981-02-14-1マレーシア1981年02月14日1980年代国民戦線は加盟党間の紛争に中立維持―マハティール首相代理がサバ州で言明。
DIA-206-1981-02-15-1マレーシア1981年02月15日1980年代マ共,戦術転換か―ペラ州警察長官は,軍事面の努力が粉砕されたため,マ共は統一戦線戦略の復活と合法活動開始を試みるだろう,との見解を表明。
DIA-206-1981-02-16-1マレーシア1981年02月16日1980年代マハティール・スハルト会談―サバ州タワウで。スハルト大統領は,労働の分野でインドネシアは労働力不足に直面しているサバ州を援助しうると語り,マハティール首相代理は,インドネシア人は特定分野の労働力不足克服を促進しうると述べた。首相代理によればサバ州には10万人以上のインドネシア人労働者が存在。
DIA-206-1981-02-16-2マレーシア1981年02月16日1980年代マ原油価格,バレル当り0.5米ドル値下げ。
DIA-206-1981-02-16-3マレーシア1981年02月16日1980年代海軍と空軍の参謀長を中将に昇進(1月1日付)。
DIA-206-1981-02-17-1マレーシア1981年02月17日1980年代シンガポールの投資―80年の新規工業投資の認可件数33件,2.08億リンギ(うちシの資本参加4000万リンギ)。主要業種は資源関連,紙・紙製品,電気・電子,食品加工など。拡張投資は22件,1.61億リンギ。
DIA-206-1981-02-18-1マレーシア1981年02月18日1980年代貧困除去事業促進措置―ラフィダー公営企業相は,同事業に関する政府の州経済開発公社・政府機関への貸付は,今年から無利子になると発表。
DIA-206-1981-02-19-1マレーシア1981年02月19日1980年代Hicom,セメント,製造合弁企業設立に調印―Hicom(マ重工業公社)50%,クダ州経済開発公社(30%),Temasek Holdings(シンガポール)10%,Nichirin Holdings(日系)10%の出資比率。ランカウィ島に総工費4.3億リンギで年産120万トンのプラント建設。
DIA-206-1981-02-20-1マレーシア1981年02月20日1980年代マ・イ陸軍合同演習―28日までサラワク州第1省で。マ陸軍第3旅団が参加。
DIA-206-1981-02-20-2マレーシア1981年02月20日1980年代海軍,掃海艇4隻を既にイタリアに発注。
DIA-206-1981-02-20-3マレーシア1981年02月20日1980年代南タイでテロ活動―スラタニ県でタイ空軍ヘリコプターが共産ゲリラにより撃墜され,ヤラ県で回教徒分離が公道を封鎖・略奪,南タイ6カ所で時限爆弾6発発見(1発は爆発)。一連のテロにより計27名が死亡。
DIA-206-1981-02-21-1マレーシア1981年02月21日1980年代サバ州議会解散。
DIA-206-1981-02-21-2マレーシア1981年02月21日1980年代アブドゥラー・マジッド釈放―76年11月以来国内治安法により拘留。当時副労働・人力相であった。
DIA-206-1981-02-21-3マレーシア1981年02月21日1980年代スブラマニアムMIC副委員長(上院議員),党首選挙に不出馬,首席副委員長に立候補と声明。
DIA-206-1981-02-23-1マレーシア1981年02月23日1980年代サバ戦線,立候補者配分決定―Usnoは48選挙区中30区に立候補(うち20区にはPasokとSCCPも立候補),Pasokは10区,SCCPは8区で単独立候補。
DIA-206-1981-02-23-2マレーシア1981年02月23日1980年代民行党,サバ州議会選挙に8名立候補。
DIA-206-1981-02-23-3マレーシア1981年02月23日1980年代民行党,ペナン州で大規模な粛党―23日同州州議員1名が退党したのに対し,24日中央執行委員会は同州議員の除名と州委員会への直接指導を決定,さらに25日に粛漢欽下院議員兼州議員および州議員1名と州委員会書記を党規違反で除名した。これにより民行党のペナン州議会議席は78年総選挙後の5名から2名に減少。
DIA-206-1981-02-24-1マレーシア1981年02月24日1980年代製造業奨励措置の見直し―ラザレイ蔵相は,①現行の奨励措置により,自由貿易地域の電子,繊維,食品の3業種にのみ成長が集中している,②中小企業が工業開発の主流となるよう奨励措置を改善する必要がある,③改善は輸出基盤拡大と機会均等の方向でなされよう,と語った。
DIA-206-1981-02-24-2マレーシア1981年02月24日1980年代清涼飲料卸値39%引上げ。
DIA-206-1981-02-26-1マレーシア1981年02月26日1980年代ア開銀借款2件に調印―一①クランタン州Ke-masin 河流域2.87万haの開発に4000万米ドル,年利9%,7年据置を含む20年返済,②給水マスタープラン研究に281万米ドルの技術援助借款。
DIA-206-1981-02-26-2マレーシア1981年02月26日1980年代空軍,A4スカイホークの国内組立プラント建設中。
DIA-206-1981-02-28-1マレーシア1981年02月28日1980年代Gonzalez VI演習―サバ州で8日間,陸軍第5旅団が参加。
DIA-206-1981-03-01-1マレーシア1981年03月01日1980年代セメント値上げ―全国一律の1袋(50kg)8.2リンギから,地域により9~9.6リンギへ。
DIA-206-1981-03-02-1マレーシア1981年03月02日1980年代第12歩兵旅団新設―プルリス州カンガールに駐屯。プルリスとクダ州北部国境地域をカヴァー。
DIA-206-1981-03-04-1マレーシア1981年03月04日1980年代Straits Trading社,資本再編成に調印―ST社(シ登録)とMalaysia Mining Corp. は共同でMalaysia Smelting Corp. を新設,MSCに錫精錬・関連事業を売却。出資比率はST社58%,MMC42%。
DIA-206-1981-03-05-1マレーシア1981年03月05日1980年代連邦裁,ハルン前州首相の上訴を却下。
DIA-206-1981-03-05-2マレーシア1981年03月05日1980年代小保有農ゴム植替促進策発表―①植替補助金増額,②植替後6年間の生活補助金無利子貸付,③新設のSmallholders Estate Corp. の株式の分配,など。
DIA-206-1981-03-07-1マレーシア1981年03月07日1980年代タイブ連邦区相辞任―9日付け。サラワク州議会補欠選挙に出馬し,10日,無競争当選。11日,州閣僚に就任,16日,州土地・鉱山相に任命された。
DIA-206-1981-03-07-2マレーシア1981年03月07日1980年代ムサ教育相,今後英国へ留学生を送らずと言明―外国人留学生への学費値上げで譲歩が得られないため。
DIA-206-1981-03-09-1マレーシア1981年03月09日1980年代英連邦開発公社借款調印―BersiaとKeneringの水力発電所建設に680万ポンド(約3500万リンギ)。年利8.25%。返済期間は83年以後17年間。
DIA-206-1981-03-09-2マレーシア1981年03月09日1980年代A.K.Aliuddin 下院議員を辞職―サバ州議会選挙立候補のため。同日Berjaya党から除名さる。
DIA-206-1981-03-10-1マレーシア1981年03月10日1980年代サバ戦線,連合取決めに正式調印―KLで。ラーマン元連邦首相が立会人。
DIA-206-1981-03-10-2マレーシア1981年03月10日1980年代UMBC買収問題―マハティール首相代理は,馬化控股社によるUMBC買収は通常の取引きに過ぎず,PNBの原住民参加拡大努力への挑戦ではないと語った。
DIA-206-1981-03-12-1マレーシア1981年03月12日1980年代南タイでテロ活動―タイ当局者によれば,①ソンクラ,ヤラ両県で過去1カ月間に一連の爆破事件と郊外路上での強殺事件が発生,②2月10日ヤラ県での爆破はパタニ民族解放組織(Pulo)が犯行を声明。
DIA-206-1981-03-14-1マレーシア1981年03月14日1980年代フセイン首相帰国―26日に職務に復帰。
DIA-206-1981-03-14-2マレーシア1981年03月14日1980年代前民行党のペラ州州議員,民政党に再入党。
DIA-206-1981-03-16-1マレーシア1981年03月16日1980年代民行党,陳徳泉政治局長(下院議員兼マラッカ州州議員)を除名。
DIA-206-1981-03-16-2マレーシア1981年03月16日1980年代第5国会,第3会期開会―下院は3月16日~4月10日,上院は4月13日~24日。
DIA-206-1981-03-17-1マレーシア1981年03月17日1980年代ラーマン・サラワク州首相,ブルネイ訪問。
DIA-206-1981-03-17-2マレーシア1981年03月17日1980年代マ共ゲリラのテロ―クランタン州州首相の発表によれば,15日に東西ハイウェイ16.5マイノルの地点で公共建設局のトラックが仕掛爆弾により破壊され,労働者6名が負傷。マ共第10連隊員と見られる4,5名が保安隊と交戦後,タイ領内に逃亡。4月11日の「マラヤ革命の声」放送は,ムサ前議長自白の宣伝ビラ配布への報復措置であり,政府軍の死傷者は30名以上,と発表。
DIA-206-1981-03-17-3マレーシア1981年03月17日1980年代アンドレイ・ルーマニア外相,訪マ。
DIA-206-1981-03-18-1マレーシア1981年03月18日1980年代前民行党のペナン州州議員,民政党に入党。
DIA-206-1981-03-19-1マレーシア1981年03月19日1980年代連邦区相にDr.Sulaiman Daud 就任。
DIA-206-1981-03-20-1マレーシア1981年03月20日1980年代海軍の新半島部司令部開設―パハン州Tg. Gelang。Woodlands 基地は艦隊作戦司令部となる。
DIA-206-1981-03-21-1マレーシア1981年03月21日1980年代トレンガヌ州第15代統治者に Sultan Mahmud A1-Muktafi Billah Shah 即位。
DIA-206-1981-03-21-2マレーシア1981年03月21日1980年代Umno青年部,馬化控股社のUMBC買収に反対―スハイミ青年部長は,①政党によるUMBC支配権取得に反対し,②Pernas社(同銀行株式の30%保有)への支配権付与を政府に要請する,と声明。
DIA-206-1981-03-22-1マレーシア1981年03月22日1980年代MIC委員長選挙の結果―S.ヴェル委員長代理が1万3150票で当選。他の2候補の得票はそれぞれ422票,251票,無効票178。
DIA-206-1981-03-23-1マレーシア1981年03月23日1980年代サバ州議会選挙投票―28日まで。最終結果は29日に判明。Berjaya 43議席,Usno 3議席,SCCP 1議席。(資料参照)
DIA-206-1981-03-24-1マレーシア1981年03月24日1980年代世銀借款―パハン州水利・灌漑計画(1.14万ha)に4000万米ドル。
DIA-206-1981-03-24-2マレーシア1981年03月24日1980年代グラヴェル・ポンプ型錫鉱山で生埋め事故続発―24日以来1週間に3件,死者26名。政府は4月1日~15日に同型鉱山の操業停止,査察を実施し,全727鉱山中123鉱山に保安対策実施を,53鉱山に採掘地変更を指示。
DIA-206-1981-03-26-1マレーシア1981年03月26日1980年代ラーマン・サラワク州首相辞任―27日下院議員も辞任。新州首相にはタイブ州土地・鉱山相が就任。
DIA-206-1981-03-26-2マレーシア1981年03月26日1980年代ベトナム難民―UNHCRによれば,現在マ国内の難民は9700名。過去3年で初めて1万名を割った。
DIA-206-1981-03-27-1マレーシア1981年03月27日1980年代第4次5カ年計画,上程―フセイン首相は,過激主義や貧欲さはいかなる集団のものであれ国の安定を危うくする,と警告。下院は4月6日,上院は同22日に計画案を承認。(資料参照)
DIA-206-1981-03-29-1マレーシア1981年03月29日1980年代ペナン州の前民行党下院議員,州議員および州,支部書記,MCAに入党。
DIA-206-1981-03-30-1マレーシア1981年03月30日1980年代MCA,党員61名を除名―李三春党首は,これらの党員が79年の党役員選挙以降絶えず反党活動を進めてきた,と声明。61名の中には李孝友元保健相,王成就元副通信相等が含まれている。なお同日KL高裁は,79年の同党役員選挙を無効とする訴えを棄却した。
DIA-206-1981-03-30-2マレーシア1981年03月30日1980年代世銀借款―ペラ州の土地開発事業(米作等新規1.48万ha,再開発0.37万ha)に5000万米ドル。
DIA-206-1981-03-31-1マレーシア1981年03月31日1980年代南タイ回教徒難民―クダ州州首相によれば,共産ゲリラから避難するためこれまでに131名が同州に越境,州政府は当面,人道的立場から保護する方針。
DIA-206-1981-03-31-2マレーシア1981年03月31日1980年代ペナン州の民行党議員,MCAに入党。
DIA-206-1981-04-01-1マレーシア1981年04月01日1980年代Mohamad Es-Saafi国連特使訪マ―2日リタ外相は同特使と会談後,ベトナムの参加がなくともカンボジア国際会議の開催は可能,と語った。
DIA-206-1981-04-02-1マレーシア1981年04月02日1980年代サラワク州統治者に,ラーマン前州首相就任。
DIA-206-1981-04-03-1マレーシア1981年04月03日1980年代憲法修正案,下院に上程―国王は国の治安,経済生活もしくは公共の秩序が脅かされると確信する場合,非常事態宣言を布告しうる(150条第1項)等。4月11日賛成112,反対12で下院で可決,同23日上院でも賛成57,欠席8で可決。
DIA-206-1981-04-03-2マレーシア1981年04月03日1980年代中小事業への貸付ガイドライン―ラザレイ蔵相発表。商銀・金融会社は80年貸付額の12%を中小事業主に,さらに5%を零細事業向け特別融資制度に割り当てる。これにより中小事業向け貸付枠は8.6億リンギとなる。
DIA-206-1981-04-04-1マレーシア1981年04月04日1980年代結社法修正案への反対―マラヤ全州法曹協会とスランゴール中華大会堂が反対を表明,6日にはAbim,Aliran など国内48組織の代表が修正案撤回または国会の委員会への付託,名界からの意見聴取の実施を内務省に要求した。
DIA-206-1981-04-04-2マレーシア1981年04月04日1980年代世銀借款―Rompin Endau 地域開発事業(1.4万ha,141億米ドル)に4000万米ドル。4年据置きを含む17年返済。年利9.6%。
DIA-206-1981-04-06-1マレーシア1981年04月06日1980年代UMBC問題―ラザレイ蔵相はUmno青年部代表と会談後,どの当事者にも支配権を与えない形で妥協案が作成されようと語った。
DIA-206-1981-04-08-1マレーシア1981年04月08日1980年代結社法修正案,下院に上程―ガザリ内相は,修正の目的は結社が自ら定めた目的に従って機能するようにさせることである,と述べた。またサヌシ副内相によれば,現在の登録結社1万4288組織中,政党は38組織だが,残りの友好団体の中には少なくとも50の「余り友好的ではない」組織が存在,という。下院は8日同法案を可決,上院も4月24日に可決。
DIA-206-1981-04-08-2マレーシア1981年04月08日1980年代世銀借款―トランス・ペラ地域開発事業(2億リンギ)に5000万リンギ。新規開発1.4万ha,再開発3700ha。4年据置を含む17年返済,年利9.6%。
DIA-206-1981-04-09-1マレーシア1981年04月09日1980年代サバ州Kimanis区下院議員補欠選挙―Othman Rauf(Berjaya党)が無競争当選。
DIA-206-1981-04-09-2マレーシア1981年04月09日1980年代税制優遇措置―ラザレイ蔵相発表。①国内で製造されていない重機械輸入に対し,付加税と販売税(各5%)廃止,②製造保税倉庫制の許可を得ている企業に対し,機械・設備輸入税を自動的に免除。
DIA-206-1981-04-10-1マレーシア1981年04月10日1980年代南タイ回教徒難民問題―ガザリ内相は,①問題の処理はタイ側に委ねる,②現在ペラ,クダ,クランタン3州に計1178名の難民が滞在,と語った。
DIA-206-1981-04-10-2マレーシア1981年04月10日1980年代Said Keruak,Usno 党首辞任―州議会選挙敗北の責任を取り,先週辞表を提出。
DIA-206-1981-04-13-1マレーシア1981年04月13日1980年代ベトン地域でテロ活動―13日に国境付近でゴム採液人1名殺害,15日ベトンの市場で時限爆弾爆発,16日タイの税関検問所銃撃,17日郊外のゴム園宿舎放火,21日郊外でタイ国境警察と15~20名の集団が交戦など。いずれもパッタニ統一解放機構によると見られている。
DIA-206-1981-04-14-1マレーシア1981年04月14日1980年代フィリュービン・ソ連外務次官訪マ―15日リタ外相と会談。席上,カンボジア問題に関して両国の見解が異なることを認め,マ側は,ベトナムにカンボジア問題国際会議出席を説得するよう,ソ連に要請。
DIA-206-1981-04-17-1マレーシア1981年04月17日1980年代石油価格引上げ―1ガロン当りの新価格はプレミアム・ガソリン:半島部4.90リンギ(+5.8%),サバ・サラワク4.83リンギ(+5.9%),レギュラー・ガソリン(以下全国共通価格):4.64リンギ(+5.5%),ディーゼル油・灯油:2.10リンギ(+16.6%)。LPG16.2~16.7%値上げ。同時にガソリンの消費税・輸入税をガロン当り1.11リンギへ20セン引下げ。年間の減税・補助金は2億リンギ増加して8.57億リンギの見込み。
DIA-206-1981-04-17-2マレーシア1981年04月17日1980年代回教党党大会―18日の役員選挙では現職の首席副委員長と副委員長1名が落選。19日,①国内治安法で拘留中の全党員の釈放もしくは公正な裁判の要求,②結社法修正と憲法修正への反対を支持,など8項目を決議。
DIA-206-1981-04-20-1マレーシア1981年04月20日1980年代国家投資信託事業,正式発足―フセイン首相は,同事業が90年までに株式資本の少なくとも30%の原住民所有達成に重要な役割を果たす,と述べ,政府は同事業が回教の精神に背反しないようにすると語った。
DIA-206-1981-04-21-1マレーシア1981年04月21日1980年代5カ国空軍合同演習―バタワースで24日迄。
DIA-206-1981-04-21-2マレーシア1981年04月21日1980年代政府,ユーロ借款に調印―通常分3億米ドルは当初5年間にLibor+0.375%,残り5年間にLibor+0.5%,免税分1.5億米ドルは期間10年でLibor+1/32%。借款団は62行,主幹事行はBank Bumiputra 他4行。
DIA-206-1981-04-24-1マレーシア1981年04月24日1980年代国会休会―憲法(修正)法案,結社(修正)法案,79・80年度補正予算案(339,566,305リンギ),80・81年度開発支出補正案(4,644,328,964リンギ)など10法案を可決,第4次マレーシア計画を承認。
DIA-206-1981-04-24-2マレーシア1981年04月24日1980年代副首相府,UMBC問題は解決と声明―原住民の利益を考慮し,その他の当事者の権利を侵害することなく合意を達成した,と発表。具体的条件には触れず。
DIA-206-1981-04-24-3マレーシア1981年04月24日1980年代ASEAN錫生産国閣僚会議開催―26日,①錫価格下落により,マレーシアで70鉱山,タイで40鉱山が閉鎖し,インドネシアの投資計画に悪影響が及んでいる,②ITC緩衝在庫価格帯の引上げ,米国の備蓄錫放出停止を要求する,などの共同声明を発表。
DIA-206-1981-04-24-4マレーシア1981年04月24日1980年代ジョホール州スルタン,長男を継承者に再指名―61年に長男Tunku Mahmood Iskandar に替え,次男のTunku Abdul Rahmanを継承者としていた。
DIA-206-1981-05-01-1マレーシア1981年05月01日1980年代ジョホール州首相,政治的目的のため宮廷を利用する者に対する警戒を呼びかける。
DIA-206-1981-05-04-1マレーシア1981年05月04日1980年代サラワク州Paloh区下院補欠選挙―Abang Abu Bakar(PBB)が対立候補(Pajar)の失格により無競争当選。
DIA-206-1981-05-06-1マレーシア1981年05月06日1980年代物価上昇―劉副商工相は,最近の石油製品価格値上げの波及効果で,物価上昇率は81年予算の5%を上回ろう,との見通しを明らかにした。
DIA-206-1981-05-07-1マレーシア1981年05月07日1980年代原油価格引下げ―バレル当り1米ドル(タピス原油の新価格はバレル40.6米ドル)。5月1日実施。
DIA-206-1981-05-07-2マレーシア1981年05月07日1980年代N.スンビラン州経済開発公社の子会社経営―79年末の子会社38社のうち,現在迄に原住民への売却5社,PNBへの譲渡1社,操業中止9社,整理中3社。
DIA-206-1981-05-07-3マレーシア1981年05月07日1980年代プレマサダ・スリランカ首相,訪マ。
DIA-206-1981-05-07-4マレーシア1981年05月07日1980年代カンボジア反越統一戦線問題―リタ外相は,①マレーシアは,ASEANがいかなる組織にも軍事援助をすべきでないと考える,②カンボジア人民が第3勢力の連合戦線結成を望むなら,ASEANはそれを支持する,と語った。
DIA-206-1981-05-10-1マレーシア1981年05月10日1980年代ジョホール州スルタン死去―新スルタンには長男のTunku Mahmood Iskandar が即位。
DIA-206-1981-05-10-2マレーシア1981年05月10日1980年代民行党ペラ州州議員2名,MCAに入党。
DIA-206-1981-05-11-1マレーシア1981年05月11日1980年代陳忠鴻下院議員他12名,民政党を離党―17日支持者200名とともにMCAに再入党。
DIA-206-1981-05-11-2マレーシア1981年05月11日1980年代Puloのテロ活動―マ・タイ国境地帯で11日に2件,18日に1件テロが行われ,8名が殺害された。
DIA-206-1981-05-12-1マレーシア1981年05月12日1980年代シパスート・ラオス外相,訪マ―9日,マ外務省は訪問は純粋に2国間のものと言明。
DIA-206-1981-05-12-2マレーシア1981年05月12日1980年代GonzalezⅦ演習開始―ジョホール州で。
DIA-206-1981-05-14-1マレーシア1981年05月14日1980年代Petronas社,サラワク沖で数日内にガス井掘削開始と発表。
DIA-206-1981-05-15-1マレーシア1981年05月15日1980年代フセイン,Umno党首選挙不出馬と発表―健康が期待どおりに回復していないため,可及的速かに新党首に首相の職を譲る,と述べた。同日マハティール副首相は,指名されれば党首に立候補する用意がある,と言明。ラザレイ蔵相も,フセインが不出馬声明を撤回しない限り首席副委員長に立候補する旨,明らかにした。なおラザレイは9日,マハティールが首席副委員長に立候補しなければ自分が立候補し,敗れれば閣僚を辞める,と言明している。
DIA-206-1981-05-16-1マレーシア1981年05月16日1980年代MIC第2期投資信託基金発足―77年発足の第1期は参加者6000名,時価評価資産は約9億リンギ。
DIA-206-1981-05-16-2マレーシア1981年05月16日1980年代張漢源保健相,医療事情視察のため訪中。
DIA-206-1981-05-17-1マレーシア1981年05月17日1980年代マハティール副首相,ハルンの恩赦願いを既に国王に提出,と確認。
DIA-206-1981-05-19-1マレーシア1981年05月19日1980年代サバ州政府,海綿鉄プラント建設に調印―オーストリアのVoest Alpine Ag. とターン・キーでの建設および当初3年の生産保証協定,米国Midrex社とライセンス生産協定。84年生産開始,年産60万トン。州政府が少なくとも50%,Hicom 30%,V.A.社約5%の出資。
DIA-206-1981-05-19-2マレーシア1981年05月19日1980年代マ・シ駐留の豪空軍戦闘機,2,3年内に漸次撤退―オーストラリア国防省当局者が確認。現在バタワース,基地に2飛行隊,ミラージュ34機が駐留。
DIA-206-1981-05-21-1マレーシア1981年05月21日1980年代金利抑制政策―シャフリル副財相は,金利抑卸のコストは承知しているが,投資奨励と経済拡大のため,金利を相対的に低く抑えておく必要があると発言。
DIA-206-1981-05-21-2マレーシア1981年05月21日1980年代国家投資信託事業―5月19日現在,加入者47万3719名(成人原住民の12.2%),投資総額8440万リンギ。
DIA-206-1981-05-21-3マレーシア1981年05月21日1980年代南タイ回教徒難民問題―ガザリ内相によれば①Puloはマ・タイの共通の敵ではなく,合同作戦の対象とならない,②難民の流入は数日前から止まっている。
DIA-206-1981-05-22-1マレーシア1981年05月22日1980年代重工業プロジェクト―Midaによれば,政府が検討中の11件の投資総額は52億リンギの見込み。
DIA-206-1981-05-22-2マレーシア1981年05月22日1980年代マ・英投資保証協定調印。
DIA-206-1981-05-23-1マレーシア1981年05月23日1980年代連邦区補償取決めに調印―連邦政府は連邦区割譲補償費35.5億リンギをスランゴール州に支払う。
DIA-206-1981-05-23-2マレーシア1981年05月23日1980年代結社(修正)法,憲法修正は既に発効―5月14日に公布。24日,Abim,Aliran,法曹協会など約100団体による修正反対特別大会が開かれ,全国署名運動実施など4項目の決議を採択した。
DIA-206-1981-05-24-1マレーシア1981年05月24日1980年代マ・タイ国境総合委員会開催―バンコクで。共通の安全保障問題で協力など9項目の共同コミュニケを発表(南タイの分離派問題には特に言及していない)。閉会後ガザリ内相は,①南タイ回教徒分離派の活動を支持しない,②回教徒叛徒に関する問題の処理でタイに協力する,の2点を明らかにした。
DIA-206-1981-05-24-2マレーシア1981年05月24日1980年代陳徳泉下院議員兼マラッカ州州議員,MCA入党。
DIA-206-1981-05-25-1マレーシア1981年05月25日1980年代国際天然ゴム理事会開催(第2回)―KLで4日間。国際天然ゴム協定の批准期限を半年延長と決定。
DIA-206-1981-05-25-2マレーシア1981年05月25日1980年代回教党副委員長等17名,不法集会容疑で逮捕さる。
DIA-206-1981-05-26-1マレーシア1981年05月26日1980年代駐マ英国高等弁務官,失言―外国人留学生の学費値上げが不可避であると説明中に,「マレーシアが平和で安定した独立を享受し,基礎を固めるため……英国は多額の金のみならず生命と血とを費した」と発言。
DIA-206-1981-05-31-1マレーシア1981年05月31日1980年代キーレン豪国防相,訪マ―6月1日,同国防相と会談後ガザリ内相は,豪空軍の漸次撤退に反対しない,と語った。
DIA-206-1981-06-02-1マレーシア1981年06月02日1980年代曽永森下院議員,民政党に入党―曽はMCAの元首席副委員長。同時にペラ,パハン両州の同党州議員各1名,ペラ州人民進歩党州議員1名も入党。
DIA-206-1981-06-03-1マレーシア1981年06月03日1980年代錫価格下落―ペナン相場は年初のキロ当り32リンギ台から下落,4月末よりのITC緩衝在庫の買出動にもかかわらず,6月初めに29リンギ台となった。
DIA-206-1981-06-06-1マレーシア1981年06月06日1980年代ハルン,Umno副委員長にのみ立候補と表明。
DIA-206-1981-06-06-2マレーシア1981年06月06日1980年代「馬化投資基金」構想―マレーシア多角化協同組合臨時総会は,馬化控股社特別株約1.07億株を馬化投資基金に譲渡し,同基金が投資信託1.2億口を組合員に販売する計画を承認。
DIA-206-1981-06-06-3マレーシア1981年06月06日1980年代プレム首相,南タイのベトン視察―7日,同地区の治安問題解決にはマ・タイ両国の協力が必要と語る。
DIA-206-1981-06-08-1マレーシア1981年06月08日1980年代国会再開―下院12日迄。上院22~24日。
DIA-206-1981-06-08-2マレーシア1981年06月08日1980年代原油価格引下げ―6月1日に遡り軽質油でバレル当り0.7米ドルの値下げ。初め政府販売価格の引下げ。
DIA-206-1981-06-08-3マレーシア1981年06月08日1980年代北朝鮮副首相,訪マ。
DIA-206-1981-06-08-4マレーシア1981年06月08日1980年代馬化控股社,Guthrie社(英)の子会社買収―シンガポールのGuthrie Bhd. 株の73%(1.01億リンギ)を取得。9日総合商社活動への進出の意図を発表。
DIA-206-1981-06-08-5マレーシア1981年06月08日1980年代Gonzalez ⅡⅩ演習―20日までクダ州で。
DIA-206-1981-06-09-1マレーシア1981年06月09日1980年代Umno党役員選挙立候補締切り―党首にマハティールの無競争当選が確定。ムサ,ラザレイはともに首席副委員長にのみ立候補。
DIA-206-1981-06-10-1マレーシア1981年06月10日1980年代被用者備蓄基金の住宅購入用引出し条件緩和―ラザレイ蔵相発表。①対象を低価格住宅に限らない,②引出し限度を預金の45%(従来10%)または2万リンギ(同2000リンギ)のいずれか少い方とする,など。
DIA-206-1981-06-10-2マレーシア1981年06月10日1980年代石油・天然ガス埋蔵量―Petronas社筋によれば6月1日現在,石油19.7億バレル,天然ガス30兆標準立方フィート。
DIA-206-1981-06-11-1マレーシア1981年06月11日1980年代革命的マレー人マラヤ国民党の結成発表―マラヤ革命の声放送は同党が5月24日に結成されたとして,綱領を発表した。
DIA-206-1981-06-13-1マレーシア1981年06月13日1980年代マハティールの経済政策―社会再編成でいずれかの種族を犠牲にすることはないと保証。14日には経済政策に変更はなく,引続き外国投資を歓迎,と言明。
DIA-206-1981-06-14-1マレーシア1981年06月14日1980年代ハルンの獄中からの党役員立候補を承認―Umno最高評議会が全会一致で可と判定,と発表。
DIA-206-1981-06-14-2マレーシア1981年06月14日1980年代パーム油精製部門の不調―精油所3件が売りに出され,4件が先月生産中止。操業率は好況時の80~85%から69~71%に低下。
DIA-206-1981-06-16-1マレーシア1981年06月16日1980年代マ共幹部を含むゲリラ13名の投降を発表―ガザリ内相によれば,①5月にペラ州で槍権(こと呉章旺)指揮下の第9武装工作隊支隊13名が集団で投降,②槍権はマラヤ民族解放戦線の創設者・中央委員,党の郡委員。24日には同州で第8武装工作隊員1名が投降。
DIA-206-1981-06-17-1マレーシア1981年06月17日1980年代第14回ASEAN外相会議―マニラで。開会に際しリタ外相は,①国際会議がカンボジア問題解決の最善の場,②カンボジアのいわゆる選挙は自由かつ公正とは見なされ得ない,③米国が妥協案を拒否して第6次錫協定が締結されなければ,国際商品協定の将来を著しく阻害することになろう,と述べた。
DIA-206-1981-06-19-1マレーシア1981年06月19日1980年代ブルネイのスルタン父子,訪マ―4日間。国家元首の娘の結婚式出席のため。
DIA-206-1981-06-19-2マレーシア1981年06月19日1980年代錫鉱山閉鎖―全マラヤ華人鉱業協会によれば,低価格,コスト上昇,厳しい保安措置実施により,1~4月に82鉱山が閉鎖された。
DIA-206-1981-06-21-1マレーシア1981年06月21日1980年代Usno党首にムスターファ元州首相無競争当選。
DIA-206-1981-06-24-1マレーシア1981年06月24日1980年代国会休会―度量衡(修正)法案,選挙委員会(修正)法案など6法案を可決。
DIA-206-1981-06-24-2マレーシア1981年06月24日1980年代5カ国防衛協定による合同海上演習―半島部東海岸沖で4日間。5国の艦艇20隻,空軍機が参加。
DIA-206-1981-06-24-3マレーシア1981年06月24日1980年代エステートの労働力不足―Upamの最近の調査によれば,80年の労働力不足は約6%で,パーム油17万トン,ゴム7000トン,計5300万リンギの損失が生じた。
DIA-206-1981-06-25-1マレーシア1981年06月25日1980年代Umno青年部,婦人部大会―開会演説でマハティール首席副委員長は,マレー人過保護は慎まねばならない,と指摘。スハイミ青年部長は,外国人所有株式の非原住民による買収中止を政府に要求。
DIA-206-1981-06-25-2マレーシア1981年06月25日1980年代マ銀行協会,国内金利の海外水準並み引上げ要請。
DIA-206-1981-06-26-1マレーシア1981年06月26日1980年代Umno党大会―KLで3日間。委員長にマハティールが無競争で,首席副委員長にはムサがラザレイを破って当選。副委員長にはガファール,ハルン,リタウディンが選出され,27日には20名の最高評議員が選出された(資料参照)。28日ラザレイは,必要とされる限り党と国家に奉仕する,と表明。同日フセイン前委員長は7月16日に首相を辞任,と発表。
DIA-206-1981-06-28-1マレーシア1981年06月28日1980年代馬華工商聯合会大会―商聯控股有限公司(Unico Holdings Bhd)の設立,結社修正法への反対などを決議。マハティール副首相は,①結社修正法による登録を急ぐべきではない,②新経済政策は非原住民の既成の経済的地位を侵すものではない,と述べた。
DIA-206-1981-06-28-2マレーシア1981年06月28日1980年代国連錫会議,第6次国際錫協定案文を承認。
DIA-206-1981-06-29-1マレーシア1981年06月29日1980年代全斗煥韓国大統領,訪マ―政府首脳と会談。 7月1日,両国間の貿易拡大,技術・経済協力の強化,二重課税回避協定締結,東南ア中立化案支持などを謳った共同声明を発表。
DIA-206-1981-06-29-2マレーシア1981年06月29日1980年代「マラヤ革命の声」,放送を中止―7月1日から「マラヤ民主主義の声」が放送を開始した。
DIA-206-1981-07-01-1マレーシア1981年07月01日1980年代サバ州土地開発局の運営をSime Darby社に委託―ハリス州首相は,同局の事業の整理再建のためと発表。同日NBIは同局の前局長を汚職容疑で逮捕。
DIA-206-1981-07-02-1マレーシア1981年07月02日1980年代世銀借款―FeldaとFelcraの小保有農土地改善事業(1.391億米ドル,1.2万世帯)に3700万米ドル。年利9.6%,4年据置を含む17年返済。
DIA-206-1981-07-06-1マレーシア1981年07月06日1980年代金融逼迫―金融市場筋によれば銀行の流動性低下,石油会社納税の増加により6月半ば以来市場が逼迫,7月6日には翌日物コールレートが一時50%に達した。中銀は6月27日付け通達で,国内投資家による海外での不動産,企業の取得に対する融資抑制,貸付内容の再検討を商業銀行に要請した。
DIA-206-1981-07-08-1マレーシア1981年07月08日1980年代サバ州政府機関の事業見直し―ハリス州首相は州政府機関・公社の全事業を収益性重視の方向で再検討するよう指示。さらに9日同州首相は,州青年機構下の多目的協同組合(Kosan)設立の子会社と合弁企業のほとんどが乱脈経営から閉鎖もしくは赤字を出していることを明らかにした。
DIA-206-1981-07-08-2マレーシア1981年07月08日1980年代原油値下げ―高品質軽質油をバレル当り2米ドル引下げ7月1日に遡り実施。
DIA-206-1981-07-09-1マレーシア1981年07月09日1980年代民政党への大量入党―同党筋によれば,過去1カ月間に約7500名が入党したが,その大半はMCAの前党員であり,大量入党は曽永森前MCA首席副委員長の民政党入党と同時に始まった,という。
DIA-206-1981-07-10-1マレーシア1981年07月10日1980年代金寿洽北朝鮮対外貿易主任,訪マ。
DIA-206-1981-07-13-1マレーシア1981年07月13日1980年代副首相の前政治秘書,スパイ容疑で逮捕―Siddiq Ghouse を国内治安法で逮捕,駐マ・ソ連大使館員3名に24時間以内退去を命令。14日ガザリ内相は,Siddiqが活動を始める前に逮捕した,と語った。
DIA-206-1981-07-13-2マレーシア1981年07月13日1980年代Petronas社,初の精油所建設に調印―トレンガヌ州Kertehに2億リンギで日産3万バレル(当初計画5万バレル)のプラント建設。日揮・伊藤忠が受注。
DIA-206-1981-07-15-1マレーシア1981年07月15日1980年代新経済政策―マハティール副首相はUPIとのインタヴューで,新経済政策は政治的安定に寄与しており,経済成長の制約という犠牲に値する,と語った。
DIA-206-1981-07-15-2マレーシア1981年07月15日1980年代マハティール,国民戦線議長に就任。
DIA-206-1981-07-16-1マレーシア1981年07月16日1980年代マハティール,第4代首相に就任。
DIA-206-1981-07-16-2マレーシア1981年07月16日1980年代マハティール首相,外資政策緩和の可能性示唆―資本参加,外国人への労働許可書発給,小売り業での合弁事業などの面での緩和があり得る,と語った。
DIA-206-1981-07-17-1マレーシア1981年07月17日1980年代マ共のマレー人工作―ガザリ内相は,①マ共は武装闘争と反ソ・越統一戦線への支持獲得のため,とくにクランタンとトレンガヌで,マレー人政党・組織への工作を強化している兆候がある,②革命的マレー人マラヤ国民党の名称により旧国民党党員からの支持獲得を狙っている,と警告。
DIA-206-1981-07-18-1マレーシア1981年07月18日1980年代閣僚名簿発表―フセイン内閣の閣僚全員が内閣に留まり,一部でポストの変更があり,新たに5名が副大臣,政務次官に任命され,国家・農村開発省が復活された。新内閣は19日発足。(資料参照)
DIA-206-1981-07-19-1マレーシア1981年07月19日1980年代外相,カンボジア問題国際会議は成功と評価―リタ外相は,多数の国の参加,ASEAN起草の宣言の承認の点から大成功であった,と語った。
DIA-206-1981-07-21-1マレーシア1981年07月21日1980年代ゴム価格下落対策の要求―マ全国小保有農協会は,政府に価格安定のための緊急措置実施を要請。KL市場のRSS1号のキロ当り月間平均価格は1月の305センから続落,6月には267センとなり,7月中旬には240セン台を割った。23日第一次産業相は関係省庁,業界と協議,当面民間で在庫を積増す方向で合意。一方,27日にはクダ州の一部でゴム小保有農に抗議デモを呼びかけるビラが配布された。
DIA-206-1981-07-22-1マレーシア1981年07月22日1980年代行政への新たなアプローチ―マハティール首相は初閣議後,①閣僚にそれぞれの目標達成への新たなアプローチの成果を1年以内に示すよう指示,②国家経済評議会と国家行動評議会を復活,各省庁の活動を監督する,③ゴム,錫の価格安定策を検討中,と述べた。
DIA-206-1981-07-24-1マレーシア1981年07月24日1980年代錫価格反騰―ペナン市場のキロ当り価格は6月28日の28.85リンギを底に反騰,24日には33.06リンギをつけ国際緩衝在庫上限価格帯に達した。市場筋は生産国による介入の可能性を示唆。
DIA-206-1981-07-24-2マレーシア1981年07月24日1980年代金融緩和に転換か?―翌日物コールレートは3週間前の11~13%から先週の3~4%に,さらに24日には1.5~2.0%へ低下。市場筋は1~1.5億リンギの政府資金注入の結果と見ており,今後第4次計画の公共支出実行により緩和の方向が明確になると予測。
DIA-206-1981-07-24-3マレーシア1981年07月24日1980年代円借款調印―6400万リンギ。Port Klangの発電所用ボイラー・プロジェクトに使用。
DIA-206-1981-07-30-1マレーシア1981年07月30日1980年代国内治安法による拘留者21名を釈放―アブドラー元副科学・技術・環境相,マ人民社会党のカシム議長,民行党下院議員陳国傑,陳慶佳,聖戦戦士団の11名など。ムサ内相は21名の無条件釈放は政府の反共の立場の軟化を意味するものではない,と語った。
DIA-206-1981-07-30-2マレーシア1981年07月30日1980年代マハティール首相の著書Malay Dilemma解禁。
DIA-206-1981-07-31-1マレーシア1981年07月31日1980年代ハルン,減刑で釈放さる―28日の連邦区恩赦委員会で決定。汚職で懲役6年の判決を受け76年3月1日から服役していた。ハルンは,結社登記官が7月25日にUmno副委員長就任申請を却下したため,内相への政治活動再開許可申請を考慮中,と語った。
DIA-206-1981-08-06-1マレーシア1981年08月06日1980年代結社修正法問題―スランゴール中華大会堂は傘下の約180の会館・公会に対し,友好団体か政治団体かの届出をせず,結社登録官の判定に委ねるよう勧告。一方,馬華工商聯会は政治団体として申請することを決定,傘下の商業会に同一歩調をとるよう呼びかけた。
DIA-206-1981-08-07-1マレーシア1981年08月07日1980年代李三春MCA党首,民政党を非難―特定の政党,とくに民政党は,MCA党員の反党活動と他党への移籍を煽動し,党内問題に介入している,と非難。
DIA-206-1981-08-08-1マレーシア1981年08月08日1980年代Umno最高評議会―席上マハティール党首は,オスマン・ジョホール州首相等6名の評議員の任命,ムスターファ書記長,ラザレイ財政,エンボン情宣部長の留任等を発表,新政府の閣僚,州首相の役割等を説明。
DIA-206-1981-08-09-1マレーシア1981年08月09日1980年代趙紫陽中国首相,訪マ―3日間。10日の第2回会談後マハティール首相は,①〓首相は「ヤラヤ革命の声」放送を中止し,もはやマレーシアの共産主義者を保護していないと説明したが,マレーシアに関する限り事態は元に戻っている,②カンボジア問題で中国と目的は同じだが,アプローチが異ることを確認,と語った。
DIA-206-1981-08-09-2マレーシア1981年08月09日1980年代ゴム輸出税変更―ラザレイ蔵相発表。課税開始点を,従来の上級品と下級品の2本立てから1本化。上級品は現在の価格でキロ当り5.5センの減税になる。
DIA-206-1981-08-09-3マレーシア1981年08月09日1980年代サバ,サラワク経済協力―ハリス,タイブ両州首相は,海運,保険会社と鉄鋼加工への資本参加,公務員研修での協力に合意,と発表。
DIA-206-1981-08-10-1マレーシア1981年08月10日1980年代Gonzalez Ⅸ演習―サラワク州第3区で24日まで。第3歩兵旅団が主体。
DIA-206-1981-08-11-1マレーシア1981年08月11日1980年代原油・天然ガスの推定可採埋蔵量―Petronas社によれば,原油は25億バレル,非随伴ガス36兆立方フィート(原油換算で約60億バレル),随伴ガス9兆立方フィート。非随伴ガスのほぼ半分がビントゥルLNG事業に割当てられている。(3月3日参照)
DIA-206-1981-08-11-2マレーシア1981年08月11日1980年代マ・中貿易関係―李強対外貿易相と会談したリタ商工相は,①貿易協定について直接貿易の改善を主眼とするマ側の対案を提示,②来年初めに北京に通商事務所を開設,③中国船の配船増加を要請,と語った。
DIA-206-1981-08-11-3マレーシア1981年08月11日1980年代フセイン前首相下院議員を辞任。
DIA-206-1981-08-12-1マレーシア1981年08月12日1980年代ムサ副首相,公営企業の改善・整理に着手―12日南東ジョホール開発公社(Kejora)の子会社2社に解散,2社に6カ月の改善努力または閉鎖,1社に事業の整理を指示,国家畜産公社(Majuternak)に基本的役割の再検討を命令,24日にはプルリス州開発公社の子会社2社の閉鎖を命じた。
DIA-206-1981-08-13-1マレーシア1981年08月13日1980年代マハティール首相,インドネシア訪問―首相就任後初の海外公式訪問。スハルト大統領とイ労働者のマレーシアでの就労体制整備等を討議,趙紫陽首相との会談について説明。14日帰国。
DIA-206-1981-08-14-1マレーシア1981年08月14日1980年代マハティール首相のベトナム観―ジャカルタでの記者会見で,ベトナムは政治・軍事問題が解決されれば,国内問題に集中し,ASEANにとって脅威とはならないであろう,との見解を示した。
DIA-206-1981-08-15-1マレーシア1981年08月15日1980年代馬華工商聯合会,華人政党首脳会談を提唱―黄文彬会長発表。
DIA-206-1981-08-15-2マレーシア1981年08月15日1980年代Gonzalez X演習―ジョホール州南部で10日間。第7歩兵旅団の約6000名が参加。
DIA-206-1981-08-15-3マレーシア1981年08月15日1980年代バックレイ米国務次官(安全保障援助担当)訪マ。
DIA-206-1981-08-15-4マレーシア1981年08月15日1980年代政府省庁でのタイムレコーダー導入開始。
DIA-206-1981-08-15-5マレーシア1981年08月15日1980年代サバ州政府,全ての開発支出を無期限凍結―開発政策,計画,プロジェクトの見直しのため。
DIA-206-1981-08-15-6マレーシア1981年08月15日1980年代政府・ゴム市場に既に介入―市場筋によれば政府系のディーラがRSS1号の買支えを行っている。KL市場のRSS1号相場は7月22日のキロ当り228.5センから8月20日の258センまで小戻している。
DIA-206-1981-08-18-1マレーシア1981年08月18日1980年代政府高官の資産申告制拡大―ムサ副首相によれば,①申告義務を負う者は従来の連邦大臣から,副大臣・政務次官・首相の指定する範囲の高級官僚,州行政議員,州議員,州高級官僚に拡大,②本人のみならず妻子の財産も申告対象となる,③これは「迅速・清潔・効率的な行政案現」という新政権の方針の一環。
DIA-206-1981-08-18-2マレーシア1981年08月18日1980年代マ共ゲリラ・タイ・マ国境の哨所攻撃―Kroh近傍の哨所。20日にも銃撃があり,第2軍区司令官はマ共ML派第1中隊によるものと発表。
DIA-206-1981-08-19-1マレーシア1981年08月19日1980年代結社修正法による申告―申告期限の8月15日までに国内登録結社1万4288団体中,943団体が未申告,127団体が申告延期を通告。
DIA-206-1981-08-20-1マレーシア1981年08月20日1980年代2公務員労組,MTUC脱退―20日マラヤ鉄道従業員組合(8000名)が,22日には通信局職員労組(1.1万名)がそれぞれ脱退を決定。
DIA-206-1981-08-21-1マレーシア1981年08月21日1980年代国王夫妻,インドネシア訪問―6日間。国家元首の訪イとしては最初のもの。
DIA-206-1981-08-21-2マレーシア1981年08月21日1980年代PLO代表部に完全な外交使節団の地位承認決定。
DIA-206-1981-08-21-3マレーシア1981年08月21日1980年代PPP中執委,Rajah 委員長不信任を決議。
DIA-206-1981-08-23-1マレーシア1981年08月23日1980年代マハテイール首相,タイ訪問―プレム首相と会談後,回教徒分離派運動はタイの国内問題であり,マレーシアは介入すべきではない,と語った。24日帰国。
DIA-206-1981-08-23-2マレーシア1981年08月23日1980年代ブロック米国通商代表,訪マ―同代表と25日会談した梁第一次産業相は,米国が国際錫協定の精神に反する行動をとらないよう希望した,と語った。
DIA-206-1981-08-26-1マレーシア1981年08月26日1980年代原油生産削減―ラスタム Petronas 社長は,①原油生産量は従来の日量27万バレルから現在22~23万バレルに低下,②石油化学事業は急いでいないと語った。
DIA-206-1981-09-02-1マレーシア1981年09月02日1980年代国会の会計検査委員会,非公開聴聞会開始―会計検査院長77年年報で変則行為,管理の誤り,杜撰な帳簿処理を指摘された10省2庁を召喚。9月30日迄。
DIA-206-1981-09-02-2マレーシア1981年09月02日1980年代ハルンヘの結社法適用免除―8月29日に内相から通知。これによりハルンのUmno副委員長就任が実現。
DIA-206-1981-09-03-1マレーシア1981年09月03日1980年代ブルネイのスルタン,サバ州訪問―4日間。
DIA-206-1981-09-04-1マレーシア1981年09月04日1980年代マ・イ空軍合同演習―6日間。
DIA-206-1981-09-04-2マレーシア1981年09月04日1980年代第6次国際錫協定を批准。
DIA-206-1981-09-07-1マレーシア1981年09月07日1980年代PNB,Gnthrie社(英)を買収―国家持株会社(PNB)はロンドン株式市場でG社株800万株を4時間で買付け,その持株比率を24.8%から50.4%に拡大。同日G社のCoat社長は「正面切っての国有化」と非難。一方ラザレイ蔵相は9日,「英国が教授してくれたやり方で商取引を行ったに過ぎない。」と述べた。
DIA-206-1981-09-07-2マレーシア1981年09月07日1980年代ソン・サンKPNLF議長,訪マ。
DIA-206-1981-09-08-1マレーシア1981年09月08日1980年代民行党,次期総選挙での野党戦線結成を回教党,マレーシナ人民社会党に呼びかけ。
DIA-206-1981-09-08-2マレーシア1981年09月08日1980年代カンボジア三派連合構想―ガザリ外相は,連合が成功するためにはソン・サン氏に統治のための「肉と歯(beef and teeth)」が与えられることが必要,と述べた。
DIA-206-1981-09-10-1マレーシア1981年09月10日1980年代国家畜産公社の再組織決定―5月以来4件の不渡小切手を出すなど杜撰な運営が明らかになったため。
DIA-206-1981-09-14-1マレーシア1981年09月14日1980年代サバ稲米庁の閉鎖―サバ州政府は,同庁が自給率引上げ,米作地拡大,2期作地拡大に失敗したため81年12月31日までに清算,閉鎖すると発表。
DIA-206-1981-09-15-1マレーシア1981年09月15日1980年代国軍防衛大学,正式開校。
DIA-206-1981-09-15-2マレーシア1981年09月15日1980年代首相,英連邦首脳会議を批判―従来討議が余りに多く,成果は極めて少かった,と語る。メルボルンで9月30日~10月7日に開催の同会議にはガザリ外相が出席。
DIA-206-1981-09-15-3マレーシア1981年09月15日1980年代サバ州政府,メタノール・プラント建設に調印―ラブアン島に建設。総工費7.5億リンギ,年産60万トン,84年までに稼動の計画。西独のKlockner社がプラント建設,同Lurgi社が生産システム,米国のBorden World Trade社が生産・購入の保証を担当。
DIA-206-1981-09-17-1マレーシア1981年09月17日1980年代サバ州の州閣僚解任―ハリス州首相は,Hamid州文化・青年・体育相とNorsuadah州副コミュニティ事業相を反党活動指導者として解任,と発表。
DIA-206-1981-09-17-2マレーシア1981年09月17日1980年代サラワク州の共産ゲリラ―ムサ副首相兼内相の発表によれば,80年3月~81年4月にRascom地域で8名が投降,現在活動中の者は同地域で84名のみ。
DIA-206-1981-09-18-1マレーシア1981年09月18日1980年代パハン州州首相の去就―ラヒム州首相が18日,マ国連代表団員への任命があったと確認したととから,州首相辞任説が取沙汰された。しかし同州首相は代表団には加わらず,29日メッカ巡礼に出発。
DIA-206-1981-09-18-2マレーシア1981年09月18日1980年代イランのラフサンジャニ国会議長,訪マ。
DIA-206-1981-09-18-3マレーシア1981年09月18日1980年代MCA青年部,婦人部大会―現職の青年部長,首席副部長,書記長が無競争当選,副部長も現職が当選,婦人部議長,首席副議長,副議長も現職が無競争当選。 青年部は第2副首相職の新設とそれへのMCA党員任命など22件の決議案を採択。
DIA-206-1981-09-19-1マレーシア1981年09月19日1980年代MCA党大会―冒頭マハティール首相は,馬華公会は政府の試験済みの政策について現状を維持すべきである,と強調。役員選挙では委員長,首席副委員長,副委員に現職が無競争当選,中央委員20名中現職16名が当選,20日に発表された任命制役員も今年入党した陳忠鴻,陳徳泉両下院議員の中央委員への任命を除けば,全て現職が再任された。(資料参照)
DIA-206-1981-09-19-2マレーシア1981年09月19日1980年代次期戦闘機,機種変更か―政府は代金の一部を支払い済みのマクダネル・ダグラスA-4スカイホークに代え,ヴォートA-7Dコルセア購入を検討中という。
DIA-206-1981-09-20-1マレーシア1981年09月20日1980年代民政党,曽永森下院議員を副委員長に任命。
DIA-206-1981-09-23-1マレーシア1981年09月23日1980年代IMF補償融資2.18億米ドルの取入れ発表―76年に9300万SDRを取入れて以来のこと。
DIA-206-1981-09-24-1マレーシア1981年09月24日1980年代州経済開発公社の投資活動―ラフィダー公営企業相によれば,①81年6月までに各州経済開発公社は321社に5.64億リンギを投資,②うち119社が累積赤字を計上,③収益性のある会社めうち5社を国家投資信託基金に,12社を原住民に譲渡,④321社中249社は商業ベースで,残りは社会的目的を基礎に経営。
DIA-206-1981-09-25-1マレーシア1981年09月25日1980年代ロンドン株式市場,公開買付規定を修正―買付により持株比率が15%を越える場合,5%以上の買付は7日間にわたり中断しなければならない等。
DIA-206-1981-09-26-1マレーシア1981年09月26日1980年代農業の集団経営を奨励―マハティール首相は,エステート式経営により機械化,金融,経営面から高収益が可能になる,と指摘。
DIA-206-1981-09-26-2マレーシア1981年09月26日1980年代ジョホール州Seri Gading 区下院補欠選挙―Mustaffa Mhd.(国民戦線)2万1037票,Mhd.Sulai-man(回教党)1947票。無効463票。有権者3万3250名。
DIA-206-1981-09-27-1マレーシア1981年09月27日1980年代天然ゴム流通在庫積増しへ―マ・ゴム商協会は価格安定化のため各輸出業者が78~80年の平均在庫の20%を自発的に積増しする,と声明。
DIA-206-1981-09-29-1マレーシア1981年09月29日1980年代Dunlop Estates Bhd. 売却―Dunlop Holdings(英国)はDE社を馬化控股社とPegi Malaysia社に売却する取決めに調印。PM社がDH社株を現保有分(17.5%)以上に増やさない,との条件付き。馬化控股社とPM社は対等出費で合弁会社を設立,これを通じてDE社株の51%以上を保有する計画。
DIA-206-1981-09-30-1マレーシア1981年09月30日1980年代Umnoジョ・ホール州連絡委議長,辞任発表―オスマン議長(州首相)は29日に党首に辞表提出。
DIA-206-1981-10-02-1マレーシア1981年10月02日1980年代英国からの物資,サービス調達を規制―マハティール首相は,①連邦省庁と政府機関に,英国と国内の英系合弁企業からの物資,コンサルタント業務の調達を避け,②英国,英系合弁企業との契約には総理府の許可を得るよう閣議決定した,と声明。訪マ中のノット英国防相は5日,マハティール首相に英国株式市場の新規定はPNBのGuthrie社買収とは無関係と保証した,と語った。さらに15日,在マ英国人商工業協会は新経済政策に全面的に合致する形で事業活動を行うことを再確認,と声明し,英国への留学生の援勘を示唆した。
DIA-206-1981-10-02-2マレーシア1981年10月02日1980年代PajarのCharles Ingka委員長,辞任。
DIA-206-1981-10-03-1マレーシア1981年10月03日1980年代MIC党大会―ペナンで2日間。開会に際しマハティール首相は,国の主要政策への批判は実施面にのみ限定されるべきである,と述べた。ヴェル党首は,非原住民に認められた資本保有比率40%を,華人とインド人の間に比例配分する努力が全くなされていない,と指摘した。(役員人事は資料参照)
DIA-206-1981-10-04-1マレーシア1981年10月04日1980年代第2副首相問題―スハイミ Umno 青年部長は李金獅MCA青年部長に,第2副首相のポスト創設要求を取り下げるよう要請。21日マハティール首相はMCA青年部代表との会談で,この要求を却下。
DIA-206-1981-10-04-2マレーシア1981年10月04日1980年代Umno青年部長,Dunlop Estate買収に反対―①馬化控股社のDE社買収は,原住民・非原住民間の資本所有の不均衡を狭めるものではない,②株買却を意図する外国系企業はまず原住民機関にオファーすべきである,と批判。
DIA-206-1981-10-06-1マレーシア1981年10月06日1980年代州首相会議,ラーマン元首相の見解を支持―元首相がThe Star紙のコラムで表明した,①ジョホールとパハンでの紛争は憲政上の危機を招くおそれがある,②統治者には人民が選出した代表に干渉する権利はない,との見解を全面的に支持すると声明。
DIA-206-1981-10-06-2マレーシア1981年10月06日1980年代ジョホール州Umno人事―マハティール党首は同州連絡委員会議長にムサ首席副委員長を,副議長にオスマン前議長を任命,と発表。
DIA-206-1981-10-09-1マレーシア1981年10月09日1980年代インドのナラシマ・ラオ外相訪マ。
DIA-206-1981-10-09-2マレーシア1981年10月09日1980年代米国,第6次国際錫協定への不参加決定。
DIA-206-1981-10-10-1マレーシア1981年10月10日1980年代2大錫会社の合併―Malayan Tin Dredging 社臨時株主総会は,Malaysian Mining Corp. との合併による新会社Malaysian Mining Corporation Bhd.の設立を承認。MMCBは錫精鉱年産1.77万トン(80年の全国生産の約20%),国内錫ドレッジャー55基中38基を所有する,世界最大の錫会社となり,豪州の子会社を通じてダイモンド採掘にも参加。新社の主要株主はPNB(56.6%),Charter Consolidated P.L.C.(14.5%),Datuk Keramat Holdings(3.8%)など。
DIA-206-1981-10-11-1マレーシア1981年10月11日1980年代カナダの調査団,Ulu Kelantanに世界で最大級の銅鉱床存在の可能性示唆。
DIA-206-1981-10-12-1マレーシア1981年10月12日1980年代国会再開―下院は12月5日まで。上院は12月5日から1月18日まで。
DIA-206-1981-10-12-2マレーシア1981年10月12日1980年代ジャーナリスト,国内治安法で拘留―マレー語紙Watan(週2回発行)の記者1名を,某国大使館とマラヤ共産党から提供された記事を掲載したとの容疑で拘留。17日には同紙の共同経営者Abdul Aziz(マレーシア出版社協会会長)も拘留(11月10日釈放)。
DIA-206-1981-10-13-1マレーシア1981年10月13日1980年代南タイ・ヤラ県での抗争―タイ軍は20日までにマ共ゲリラのキャンプ2カ所を捕獲,ゲリラ6名を射殺,また回教徒分離派ゲリラ2名を逮捕。一方14日にはベトンでマ共陳平派と同ML派の衝突があり,25日にもベトンでマ共ゲリラが回教徒分離派3名を射殺。
DIA-206-1981-10-13-2マレーシア1981年10月13日1980年代ジャアファル・プルリス州首相辞任―同州Umno連絡委員会議長,カンガール支部長の職も辞任。州首相代理にはHaji Ali b.Ahmadが任命された。
DIA-206-1981-10-16-1マレーシア1981年10月16日1980年代結社法問題―副内相下院答弁によれば,①現在までに523組織を政治結社と指定。うち20組織は登録官が政党と指定,残りは申請による。②内務省はAbim,スランゴール中華総商会,法曹協会,MTUCなど9団体から同法修正への抗議書翰を受取った。
DIA-206-1981-10-16-2マレーシア1981年10月16日1980年代会計検査院78年度報告,このほど下院に提出。
DIA-206-1981-10-16-3マレーシア1981年10月16日1980年代国際錫理事会開催―KLで2日間。冒頭ムサ副首相は,国際錫協定が生産国のみで締結されるならば,その責めは現在の米国の態度に帰されねばならぬ,と指摘。会議は17日に緩衝在庫価格帯の6.85%引上げを決定。
DIA-206-1981-10-19-1マレーシア1981年10月19日1980年代PNB,ロンドン市場で再度公開買付け―Preussag社(西独)のAmalgamated Metal社少数株買付けに対する対抗買付け。AM社はマレーシアの錫精錬会社Datuk Keramat Holdings社の50.5%を保有。
DIA-206-1981-10-20-1マレーシア1981年10月20日1980年代Usno青年部長,婦人部長ほか1名,Berjayaに入党。
DIA-206-1981-10-22-1マレーシア1981年10月22日1980年代米国戦略備蓄錫の放出問題―米国総合調達庁備蓄管理官は,①80年7月以来1年間の同庁よりの錫放出は2000トン,②今後も大量放出は行わない,③同庁の錫備蓄余剰は15.8万トン,などの点を明らかにした。
DIA-206-1981-10-23-1マレーシア1981年10月23日1980年代82年予算,下院に上程。(資料参照)
DIA-206-1981-10-27-1マレーシア1981年10月27日1980年代マ・韓国,定例協議会開催。
DIA-206-1981-10-27-2マレーシア1981年10月27日1980年代PasokのGaban書記長,Berjayaに入党。
DIA-206-1981-10-29-1マレーシア1981年10月29日1980年代半島部の共産ゲリラ―副警察長官によれば,今年に入ってゲリラ63名を処理,現在パハン,ペラ,クランタンに230名のゲリラを残すのみ,という。
DIA-206-1981-10-29-2マレーシア1981年10月29日1980年代マ共ゲリラの奇襲―クダ州バリン近傍で約30名が軍のトラックを襲撃。兵士7名が死亡,2名が負傷。
DIA-206-1981-11-01-1マレーシア1981年11月01日1980年代商店員等賃金条例修正―商店店員,映画館従業員等への法定最低賃金を20~233%引上げ。
DIA-206-1981-11-01-2マレーシア1981年11月01日1980年代Majuternak,牛肉価格補助金を廃止。
DIA-206-1981-11-01-3マレーシア1981年11月01日1980年代Gonzalez XI演習―12日まで。東西ハイウェイ(未完成)沿いの地域で,第12旅団が参加。
DIA-206-1981-11-01-4マレーシア1981年11月01日1980年代ロンドン商工会議所使節団,訪マ取消し。
DIA-206-1981-11-03-1マレーシア1981年11月03日1980年代銀行2法の修正案,このほど下院上程―53年マレーシア中央銀行法と73年銀行法の修正案。中央銀行に以下の権限を付与:①単一の顧客への商銀融資の上限設定,②銀行役職員・妻子の資産申告要求,③不動産・株式・消費者金融・商品先物取引きへの銀行融資規制,④「資本資金」と「純運転資金」の構成の定義,⑤あらゆる通貨の預金受入れと最長30年の国債の取引き,等。
DIA-206-1981-11-04-1マレーシア1981年11月04日1980年代UNBC問題既に決着―①Pernas,馬化控股両社の資本参加率をともに40.68%とする,②両社のいずれかによるUNBC株購入は両社で平等に分有する,の2点で合意し,10月31日に調印。
DIA-206-1981-11-04-2マレーシア1981年11月04日1980年代フィンランドとの経済・技術協力協定に調印。
DIA-206-1981-11-05-1マレーシア1981年11月05日1980年代ジョホール州Umnoの綱紀粛正―ムサ州連絡委議長(連邦副首相)は,政治的理由による①土地・森林伐採権の付与,②政府・党内のポストの要求・付与の即時中止と,州土地行政の現状報告提出とを指示。
DIA-206-1981-11-06-1マレーシア1981年11月06日1980年代NBIサバ州政府・公社の汚職捜査中―マハティール首相が下院で答弁。
DIA-206-1981-11-06-2マレーシア1981年11月06日1980年代アブドゥル・ガーニ・ギロン,Usno離党―元Usno首席副委員長,元連邦公共事業相。
DIA-206-1981-11-07-1マレーシア1981年11月07日1980年代ラヒム・パハン州首相,辞任―マハティール首相は,①政府としてはラヒムの州首相としての業績に満足,②現下の状況では州首相の辞任が唯一の解決策,③王室との間に今後問題が生ずるとは思わない,と発表。11日にアブドゥル・ラシッドが新州首相に就任。
DIA-206-1981-11-07-2マレーシア1981年11月07日1980年代KL高裁,政府の独立大学設立申請却下を支持。
DIA-206-1981-11-07-3マレーシア1981年11月07日1980年代重工業公社,3件のプロジェクトで発注調印―①直接還元製鉄所:トレンガヌ州で年産60万トン,新日鉄など8社,②冷延工場:トレンガヌ州で冷延薄板年産30万トン,ブリキ用原板10万トン,’新日鉄など6社,③セメント増産:ランカウィ島のプラント拡大,石川島播磨重工など2社。3件の発注総額17.4億リンギ。
DIA-206-1981-11-12-1マレーシア1981年11月12日1980年代MCAと民政党,ペナンで選挙協力―梁MCA副委員長と鄭民政党書記長の会談で合意達成。
DIA-206-1981-11-13-1マレーシア1981年11月13日1980年代中銀,貸付け拡大,金利引下げを指示―投機等への貸付けは引続き禁止。商銀の最低貸付け利率は既に8月末の12.6%から10月には11.6%に低下していた。
DIA-206-1981-11-13-2マレーシア1981年11月13日1980年代米国の対中援助―ガザリ外相は,①米国の対中援助がASEANの利益と安全保障に反するとは考えない,②中国は東南アジア地域に独自の危険な野心を抱いていると確信する,と指摘。
DIA-206-1981-11-17-1マレーシア1981年11月17日1980年代7億米ドルのユーロ借款に調印―5年据置きを含む10年返済。金利は通常分5.3億米ドルに対しLibor+0.375%,節税分1.7億米ドルに対しLibor+0.03125%。開発財源に充当。主幹事行はBank Bumiputra。内外54行が参加。
DIA-206-1981-11-17-2マレーシア1981年11月17日1980年代サバ,サラワクと中央政府の関係―マハティール首相はサバ州訪問に先立ち,両州に対し半島部の他の諸州と同様に対処する,と述べた。
DIA-206-1981-11-17-3マレーシア1981年11月17日1980年代結社法修正反対運動―アヌワール結社法会議事務局議長は,修正反対運動は200団体に支持され,約7万名の署名を集めた,と発表。
DIA-206-1981-11-18-1マレーシア1981年11月18日1980年代ペナン島架橋工事,韓国企業が落札―現代建設社が主要部分を5.25億リンギで落札。橋の全長は13.5km,総工費は7.44億リンギ,85年2月完成予定。
DIA-206-1981-11-18-2マレーシア1981年11月18日1980年代国際天然ゴム機構理事会―KLで3日間。緩衝在庫管理官に,価格安定のため緊急かつ活発な市場介入を行うよう要請。INROは一部の加盟国の拠出金7400万リンギにより11月6日から買出動している。
DIA-206-1981-11-18-3マレーシア1981年11月18日1980年代国内航空運賃の10%値上げ認可―12月1日実施。
DIA-206-1981-11-21-1マレーシア1981年11月21日1980年代民政党党大会―林敬益党首は開会に際し,特定の集団または種族による新経済政策の目標を上回る要求には,断固抵抗しなければならない,と語った。同日の祝賀会の席上でムサ副首相は,国民戦線の加盟党間での党員拡大をめぐる対立は,同戦線の倫理に合致して行われる限り健全な兆候である,と述べた。
DIA-206-1981-11-22-1マレーシア1981年11月22日1980年代PPP,副委員長・書記長・中執委等8名除名。
DIA-206-1981-11-24-1マレーシア1981年11月24日1980年代政府,米国の国際市場での錫売却案に公式に抗議。
DIA-206-1981-11-26-1マレーシア1981年11月26日1980年代マ共,南タイに基盤再建か―ハニフ警察長官によれば,①マ共は70年代に破壊された南タイの基盤を再建,②このことは最近バリン近傍,東西ハイウェイの第15,17,20マイル地点が襲われたことでも明らか。
DIA-206-1981-11-26-2マレーシア1981年11月26日1980年代低価格住宅政策変更―副住宅・地方政府相によれば,低価格住宅は全て賃貸とし,10年後に居住者が賃貸継続かインフラ費用を差引いた価格での購入かを選択。
DIA-206-1981-11-28-1マレーシア1981年11月28日1980年代首相,閣僚・次官の俸給・手当の引下げを示唆。
DIA-206-1981-11-29-1マレーシア1981年11月29日1980年代反越3派への武器援助問題―ガザリ外相はバンコクで,第3勢力支援の必要を強調したが,連合成立後にマ政府がKPNLFに武器援助を行うか否かについては確言を避けた。
DIA-206-1981-12-01-1マレーシア1981年12月01日1980年代群島水域取決めで合意―インドネシアとの間で,①東西マレーシア間のイ領域・群島水域およびその上空における,マ側の既存の権利と合法的権益を尊重し,②イ側の群島原理を承認し支持する,等に合意。
DIA-206-1981-12-02-1マレーシア1981年12月02日1980年代国家稲米庁(LPN)の杜撰な財政―72~76年のLPN会計に対する会計検査院報告によれば,①72~76年の支出見積りは担当大臣の認可を得ていない,②72年以降,政府貸付けに対する利子が支払われてない等。
DIA-206-1981-12-02-2マレーシア1981年12月02日1980年代錫,高値維持―ペナン市場は8月21日以来キロ当り35リンギ台を維持し,ロンドン市場も高値を持続。市場筋ではマレーシアを始めとする生産国の操作説が強い。
DIA-206-1981-12-03-1マレーシア1981年12月03日1980年代ムサ副首相,サバ州訪問―3日サバ・サラワク両州原住民学生への大学入学枠の拡大,4日①Berjaya,Usno両党の対立は州民の解決すべき問題,②両州州民の半島部への旅行に今後旅券は不要,5日①サバ州民の88.3%は月収400リンギの貧困線以下にあり,都市と農村の隔差縮小の開発政策が必要,②州政府の財政と人事に問題があり,木材・石油資源の慎重な管理が必要,等を声明。
DIA-206-1981-12-03-2マレーシア1981年12月03日1980年代サバ州州首相,対比断交を要求と発言―フィリピンがサバ請求権を放棄せず,同州が回教徒分離派と反マルコス勢力を保護しているとの非難を続けるなら,連邦政府に対比断交を正式に要求する,と表明。5日マハティール連邦首相は断交の意向を全面的に否定。
DIA-206-1981-12-03-3マレーシア1981年12月03日1980年代KPNLFへの援助―ソン・サン元首相はマレーシアから資金援助の約束を,シンガポールから資金と必要な場合には軍事援助の約束を得ている,と語った。
DIA-206-1981-12-04-1マレーシア1981年12月04日1980年代マレーシア標準時の統一―ムサ副首相は,来年初めよりサバ・サラワク時間を標準時に採用と発表。
DIA-206-1981-12-06-1マレーシア1981年12月06日1980年代Snap党大会―黄金明首席副委員長がモギー書記長を破って党首に当選。(資料参照)
DIA-206-1981-12-09-1マレーシア1981年12月09日1980年代国家投資信託(ASN),配当発表―10%の配当と1:10の無償発行を,①4月20日~6月30日の加入者に全面的に,②7月1日以降の加入者には月割りで行う。11月30日現在の加入者数は83万4271名(有資格原住民約380万名),投資総額2億9330万リンギ。
DIA-206-1981-12-11-1マレーシア1981年12月11日1980年代O’Donahue米国務次官補(東アジア・太平洋担当)訪マ。
DIA-206-1981-12-12-1マレーシア1981年12月12日1980年代全国教職組合(NUTP),MTUCを脱退。
DIA-206-1981-12-12-2マレーシア1981年12月12日1980年代マ・タイ国境第12旅団に全面警戒体制命令。
DIA-206-1981-12-14-1マレーシア1981年12月14日1980年代マ・英関係―在マ英国商工業協会は,海外へのマ留学生援助の信託基金に150万リンギの寄付を約束。 同日ガザリ内相は,①マレーシアの立場は最善の条件と商品を提供する者から買うというだけのこと,②英国人は恩着せがましいやり方をやめるべきであると指摘。
DIA-206-1981-12-15-1マレーシア1981年12月15日1980年代日本と韓国への期待―マハティール首相は,両国の発展はマレーシアの経済開発にずっと適合的であり,両国への注目はバランスのとれた世界観形成を可能にする,と述べた。
DIA-206-1981-12-15-2マレーシア1981年12月15日1980年代ペナン電子産業に不況の影響―現在までに1工場が解雇を行い,操短,新規採用中止がそれぞれ数工場。
DIA-206-1981-12-16-1マレーシア1981年12月16日1980年代ユーロ借款―ビントゥルLNGプロジェクトに使用。総額2.5億米ドル。金利は通常分1.63億米ドルがLibor+0.375%,免税分8700万米ドルがLibor+0.0625%。4年据置きを含む8年償還。主幹事行はBank Bumiputraで34行参加。82年1月調印の予定。
DIA-206-1981-12-17-1マレーシア1981年12月17日1980年代首相,シンガポール訪問―リー首相,D.ネア大統領等と会談。「シンガポールの経済・社会面での成功はマレーシア国民にとりこの上ない手本である」と述べた。18日リー首相は会談を真に胸襟を開いたものと表現,両国間の問題のほとんど全てを処理したと語り,1月1日からのマレーシア標準時統一に同一歩調をとることを明らかにした。
DIA-206-1981-12-17-2マレーシア1981年12月17日1980年代ペラ州Sg.Siputの一部に24時間外出禁止令。
DIA-206-1981-12-17-3マレーシア1981年12月17日1980年代ゴムKL相場,200セン台を割る―RSS1号の引け値が196センと,78年3月以来の最底をつけた。
DIA-206-1981-12-18-1マレーシア1981年12月18日1980年代上院,マレーシア標準時法を可決―下院は21日の特別会期で可決。1月1日より実施。
DIA-206-1981-12-18-2マレーシア1981年12月18日1980年代ガザリ外相とマ在外公館長42名,タイ・カ国境地帯視察のため訪タイ。
DIA-206-1981-12-20-1マレーシア1981年12月20日1980年代勤労倫理の変革―マハティール首相は,労働者1人当りの自動車年産台数は日本14台,米国9台,インドネシア2台に対しマレーシアは1.4台に過ぎないと指摘,新たな勤労倫理を身につけるよう呼びかけた。
DIA-206-1981-12-21-1マレーシア1981年12月21日1980年代マ共ゲリラ,Raubで自警団員1名を射殺。
DIA-206-1981-12-22-1マレーシア1981年12月22日1980年代マ・タイ国境で共産ゲリラの攻撃―ベトン近くのBukit Berapitの哨所を22,24日に夜襲。マ共ML派によるものと見られている。
DIA-206-1981-12-26-1マレーシア1981年12月26日1980年代Umno党本部,支部大会を81年5月18日までに開催するよう指示。
DIA-206-1981-12-28-1マレーシア1981年12月28日1980年代工業投資認可―1~10月に522件(80年同期比34%増),44.2億リンギ。外国投資4.57億リンギ(80年同期2.90億リンギ)。国別では日本(6250万リンギ),豪州(4930万リンギ),シンガポール(3600万リンギ),英国(2580万リンギ)等の順。
DIA-206-1981-12-29-1マレーシア1981年12月29日1980年代Nastra Sdn.Bhd.設立に調印―同社はマレーシア版総合商社。Malaysia Mining Corp.Bhd.,Petronas,Felda,Kuok Brothers Sdn.Bhd.の4社が出資。授権資本は1億リンギと言われる。
DIA-206-1981-12-31-1マレーシア1981年12月31日1980年代ブルネイと,相互の首都に代表事務所設立。
DIA-206-1982-01-01-1マレーシア1982年01月01日1980年代新マレーシア標準時施行―サバ・サラワク標準時に統一。従来の半島部標準時を30分繰上げ。
DIA-206-1982-01-01-2マレーシア1982年01月01日1980年代原油価格引下げ―タピス原油の場合,バレル当り37.9US㌦から37.6US㌦へ。
DIA-206-1982-01-01-3マレーシア1982年01月01日1980年代マ共ゲリラ―40~60名がペラ州Kroh等の税関、入国管理事務所を銃撃,以後も保安隊への狙撃を継続。
DIA-206-1982-01-02-1マレーシア1982年01月02日1980年代3R制試行問題一81年12月30日にスライマン教育相が,新学期から各種媒体語の公共・準公立小学校302校で新カリキュラム=3R制を試験的に実施,と発表したが,指導要領がマレー語で作成されていたことなどから華語小学校理事会協会連合会,華語小学校教員協会連合会,民行党,MCA青年部・婦人部,スランゴール中華総商会,各地の中華大会堂などが,華語小学校を変質させる企てである,として反対もしくは暫時中止を要請した。
DIA-206-1982-01-02-2マレーシア1982年01月02日1980年代タイ軍,マ・タイ国境地域での合同作戦提案。
DIA-206-1982-01-03-1マレーシア1982年01月03日1980年代Pulau Jerjak更生センターで暴動―少なくとも6名の拘留者が負傷。食料差入れ禁止への不満が原因といわれる。4日にも再発。30日に拘留者52人を起訴。
DIA-206-1982-01-05-1マレーシア1982年01月05日1980年代オマーンと外交関係樹立。
DIA-206-1982-01-06-1マレーシア1982年01月06日1980年代Nattra Corporation設立に調印―マレーシア版総合商社の第2号。授権資本2億5000万リンギ。Kumpulan Fima Bhd.,Kumpulan Perangsang Sela-ngor Bhd.,United Motor Works Bhd.,Palmco Holdings Bhd. が参加。
DIA-206-1982-01-07-1マレーシア1982年01月07日1980年代3R制に関する教育相声明―(1)新カリキュラムは79年内閣教育委員会報告の答申を基礎としており,現行の3教育媒体語は維持する,(2)新制度が83年に全面的に実施されると信ずる,など。同日,華語小学校理事会協会連合,同教員協会連合,MCA青年部・婦人部などが失望を表明した。8日,ヴェルMIC党首は3R制を華語・タミール語小学校の必要に応じて改善すべきである,と述べ,SUPPも試行反対を声明した。
DIA-206-1982-01-09-1マレーシア1982年01月09日1980年代砂糖値下げ―キロ当り小売価格は半島部で15セン下がり1.4リンギに,サバ・サラワクで10セン下がり1.55リンギになった。
DIA-206-1982-01-09-2マレーシア1982年01月09日1980年代KLに大量高速輸送システム導入を計画―オスマン連邦区相の談話(1月9日,2月6日)によれば,エアロバスと軽便鉄道について検討中。
DIA-206-1982-01-12-1マレーシア1982年01月12日1980年代李MCA党首,3R制の実施方法に失望を表明―問題は教育媒体語の維持であり,MCAは華語小学校と存亡を共にする,と声明。
DIA-206-1982-01-12-2マレーシア1982年01月12日1980年代ムサ副首相,3R制修正の余地を示唆―MCA青年部・婦人部代表との会談後,政府は3R制実施に対する国民戦線各党,教育専門家・教師・父兄の団体からの意見を歓迎し,検討するとの談話を発表。
DIA-206-1982-01-13-1マレーシア1982年01月13日1980年代ロンドン金属取引所で錫現物価格続騰―1月1日のトン当り8230英ポンドから8600英ポンドへ。LME委員会は大規模な買いの継続について調査を開始。
DIA-206-1982-01-14-1マレーシア1982年01月14日1980年代第12回ASEAN経済閣僚会議,KLで開催。
DIA-206-1982-01-15-1マレーシア1982年01月15日1980年代第3の総合商社設立ヘ―Perdagangan Anta-rabangsa Malaysia Sdn,Bhd.(略称PAM)。金泉成グループ,Kobena,サラワク SEDC,Sabah Marketing Corp.のほか日本の商社1社の参加を予定。
DIA-206-1982-01-15-2マレーシア1982年01月15日1980年代ムダ地域の旱魃―今季のエーカー当り籾米収量は254kg(昨年同季は268kg)に減少の見込み。
DIA-206-1982-01-16-1マレーシア1982年01月16日1980年代ブルネイのアジズ首相代理,訪マ―9日間。マ政府はブルネイ公務員の研修に原則的に同意し,軍事訓練に協力の意向を示した。
DIA-206-1982-01-18-1マレーシア1982年01月18日1980年代上院休会―82年度予算案ほか15法案可決。
DIA-206-1982-01-19-1マレーシア1982年01月19日1980年代イポー高裁,S.I.Rajah上院議員をPPP党首と認定,同党書記長等との和解成立。
DIA-206-1982-01-19-2マレーシア1982年01月19日1980年代梁第1次産業相,米国を強く非難―(1)供給過剰時にもかかわらず余分の錫を国際市場に大量放出することで,生産者の利益を計算ずくで直接に脅かしている,(2)米国総合調達庁の錫放出は,81年12月14日の国際市場売却開始前1年半で約2500㌧だったのに対し,その後82年1月12日までの約1ヵ月で4600㌧以上に上った。
DIA-206-1982-01-20-1マレーシア1982年01月20日1980年代第3回円建債発行に調印―150億円,10年満期,応募者利回り8.605%。
DIA-206-1982-01-21-1マレーシア1982年01月21日1980年代英国製戦車等の購入にすでに調印―消息筋によれば調印は,81年10月のマハティール首相による英国製品・役務の調達制限の指示後になされ,スコーピオン戦車26輌,装甲兵員輸送車25輌,約1億リンギ。
DIA-206-1982-01-22-1マレーシア1982年01月22日1980年代ムサ副首相,Kumpulan Perangsan Selangorの再編成を指示。
DIA-206-1982-01-24-1マレーシア1982年01月24日1980年代国王,サウジ・アラビア公式訪問―8日間。随行したリタウディン商工相は,第4次計画のプロジェクト13件に対する計4億リンギの借款に同意を得た。
DIA-206-1982-01-27-1マレーシア1982年01月27日1980年代「緩やかな連合政権構想」―ガザリ外相はインドネシアのモフタル外相と会談後,カンボジアの反越三派の離散という事実はなく,緩やかな連合構想の完全な失敗を示すものは何もない,と語った。
DIA-206-1982-01-29-1マレーシア1982年01月29日1980年代ムサ副首相,錫生産国グループの結成を示唆。
DIA-206-1982-01-31-1マレーシア1982年01月31日1980年代ABIM,総選挙への直接参加を否定。
DIA-206-1982-02-01-1マレーシア1982年02月01日1980年代マレーシア銀行協会,新規定実施―当座貸越の未使用分に対する1%の手数料導入など。
DIA-206-1982-02-01-2マレーシア1982年02月01日1980年代韓国,「ルック・イースト」政策に全面的協力―全斗換大統領は同政策に全面的協力を約束するむね,駐マ韓国大使を通じてマハティール首相に表明。
DIA-206-1982-02-02-1マレーシア1982年02月02日1980年代民主カンボジアへの支持撤回を示唆―マハティール首相は,カンボジアの某派の非妥協的な態度は極めて遺憾であり,国連における彼らの地位は支持に値しないかもしれない,と述べた。
DIA-206-1982-02-03-1マレーシア1982年02月03日1980年代Malaysia LNG社,ユーロ借款取入れ―2億5000万US㌦うち通常分1億6300万US㌦の金利はLibor+0.375%,見なし課税分8700万US㌦の金利はLibor+0.0625%。据置4年を含む8年返済。参加34行。
DIA-206-1982-02-03-2マレーシア1982年02月03日1980年代LME,錫の引渡し延滞金の上限を1日・トン当り300英ポンドから120英ポンドに引下げと決定。
DIA-206-1982-02-04-1マレーシア1982年02月04日1980年代日本の対ASEAN尿素事業借款―交換公文に調印。総額480億円のうち70%は海外経済協力基金(年利4%,据置5年を含む20年返済),残りは輸出入銀行(年利7.75%,10年返済)の融資。
DIA-206-1982-02-04-2マレーシア1982年02月04日1980年代国内治安法による拘留者の国外引受け案―ムサ副首相兼内相は,国外から釈放を要請されている拘留者について,(1)国外に引受け手があれば釈放,出国させる,(2)その場合拘留者はマレーシア国籍を失う,と発表。
DIA-206-1982-02-04-3マレーシア1982年02月04日1980年代祖国覚醒党,総選挙での野党連合結成を呼びかけ。
DIA-206-1982-02-06-1マレーシア1982年02月06日1980年代キャリントン英外相,訪マ―6日ガザリ外相,8日マハティール首相と会談。席上首相は,(1)英国に対し差別はしないが,従来のような優遇もしない。(2)LMEが錫の引渡し延滞金を引下げたことは遺憾,等の点を表明。キャリントン外相は同日離マにあたり,今回の訪問が関係改善の途を開くよう期待する,と述べた。
DIA-206-1982-02-07-1マレーシア1982年02月07日1980年代マラヤ鉄道近代化計画―標準軌・複線への転換,電化,半島部東海岸での新線建設など,総工費数十億リンギ,10~15年で完成。
DIA-206-1982-02-08-1マレーシア1982年02月08日1980年代「ルック・イースト」政策―マハティール首相はKLでのマ日・日マ経済協会年次会議の開会にあたり,(1)日本の経済・産業組織に,マレーシア国民の技能と勤労態度修得に助力するよう要請する,(2)忠誠心を育む帰属感を含めた正しい勤務態度の修得がより重要である,(3)日本で適合的でなくなった産業がマレーシアに立地するよう要請する,と述べた。
DIA-206-1982-02-09-1マレーシア1982年02月09日1980年代錫の漸次的生産削減を発表―マハティール首相は,(1)一定期間の後,年1万5000㌧減産する,(2)目的は価格吊り上げではなく,錫への依存度の引下げ,(3)削減は錫産業界の説得を通じて行なう,と声明。
DIA-206-1982-02-09-2マレーシア1982年02月09日1980年代LME錫現物価格,9000英ポンドに上昇。
DIA-206-1982-02-09-3マレーシア1982年02月09日1980年代与党党員の無所属立候補問題―国民戦線のガファール書記長は,同戦線各党の党員が総選挙で離党,立候補し,選挙後に復党することは認められない,と語った。
DIA-206-1982-02-11-1マレーシア1982年02月11日1980年代北朝鮮の李鐘玉首相等,訪マ―12日マハティール首相と会談。15日航空協定に調印。
DIA-206-1982-02-11-2マレーシア1982年02月11日1980年代公務員の資産申告―ムサ副首相によれば,(1)特級D以上,および局長以上の公務員のみが資産申告を義務づけられている,(2)全公務員に申告義務があるとした公務員人事局の決定は,首相の指示を誤解したもの。
DIA-206-1982-02-12-1マレーシア1982年02月12日1980年代タイ米35万㌧の輸入に調印。
DIA-206-1982-02-12-2マレーシア1982年02月12日1980年代フィンランドと二重課税防止協定に調印。
DIA-206-1982-02-13-1マレーシア1982年02月13日1980年代クダ州上級行政議員,汚職容疑で逮捕さる。
DIA-206-1982-02-15-1マレーシア1982年02月15日1980年代棒鋼価格,13.7%引上げ。
DIA-206-1982-02-17-1マレーシア1982年02月17日1980年代ムサ副首相,インドネシア訪問―4日間。18日,(1)錫生産国はなお第6次国際錫協定の発効を強く希望しており,カルテルと称されるものを設立する意図はない,(2)マ・イ両国はマレーシアによるインドネシア労働者の募集・雇用に関する協定の作成に合意,と語った。
DIA-206-1982-02-20-1マレーシア1982年02月20日1980年代クムブ地域で旱害のおそれ―農業省政務次官によれば,早急に降雨がなければ同地域の米作地3万1000haで総額1億3000万リンギの被害が出る見込み。
DIA-206-1982-02-21-1マレーシア1982年02月21日1980年代MIC臨時党大会―持株会社(払込み資本300万リンギ)設立計画等を討議し,政府に対し党の経済・教育事業に2000万リンギの無利子貸付けを要請。
DIA-206-1982-02-22-1マレーシア1982年02月22日1980年代国債20億リンギ発行―当初予定額15億リンギ。内訳は3年物(利回り6.5%)が5億リンギ,5年物(8.0%)3億リンギ,20年物(8.5%)12億リンギ。
DIA-206-1982-02-25-1マレーシア1982年02月25日1980年代錫相場暴落―LME現物価格は1日で775英ポンド下げて7700ポンドと81年7月の水準になり,ペナン市場では26日にキロ当り3.85リンギ下げて,29.15リンギと国際緩衝在庫の低価格帯に入った。
DIA-206-1982-02-25-2マレーシア1982年02月25日1980年代インドネシアの群島領海に関する協定調印―群島国家の法制を承認し,東西マレーシア間のインドネシア領海一定水域におけるマレーシアの上空通過と通航等の権利を規定。
DIA-206-1982-02-26-1マレーシア1982年02月26日1980年代国王,ブルネイ訪問。
DIA-206-1982-02-26-2マレーシア1982年02月26日1980年代Berjaya党大会―最高会議定員を48名から32名に削減し,その任期を2年から3年に延長。
DIA-206-1982-02-27-1マレーシア1982年02月27日1980年代マハティール首相,中東歴訪―バハレーン,アラブ首長国連邦,オマーン,サウジ・アラビアの4カ国。5日ジェッダでの回教国会議機構8カ国平和委員会に出席,7日帰国へ。
DIA-206-1982-02-27-2マレーシア1982年02月27日1980年代錫生産国協会―梁第1次産業相はバンコクで,マレーシア,タイ,インドネシアが錫生産国協会設立に原則的に合意したことを明らかにした。
DIA-206-1982-03-01-1マレーシア1982年03月01日1980年代国家投資信託(ASN),配当発表―81年末までの加入者に配当金10%と1:10の無償交付。
DIA-206-1982-03-05-1マレーシア1982年03月05日1980年代トレンガヌ州の還元鉄プラント建設に調印―マ重工業公社と日本企業コンソーシアム8社が調印。ターンキー方式で85年初めに完工。総工費8億2100万リンギ(輸銀が6億4000万リンギ,薪日鉄が1億5000万リンギ融資など)。年産60万㌧。日本側8社は30%の資本参加,残る70%は重工業公社が出資。
DIA-206-1982-03-08-1マレーシア1982年03月08日1980年代第5国会第4会期開会―下院は3月9~19日,上院は22~26日。
DIA-206-1982-03-08-2マレーシア1982年03月08日1980年代81年結社修正法,全面的見直しへ―結社会議代表団との会談後、ムサ副首相兼内相発表。
DIA-206-1982-03-08-3マレーシア1982年03月08日1980年代初のマ・タイ空軍合同演習―8日間
DIA-206-1982-03-09-1マレーシア1982年03月09日1980年代3R問題―マハティール首相は下院で,(1)3R制実施は既定の教育政策と無関係,(2)現行の3種の教育媒体語を用いる小学校制度は維持,と答弁。さらに10日,輝山健身社44周年宴会で,(1)華語小学校を変質させる意図はない,(2)教育法第21条(2)を乱用することはない,と述べた。12日,スランゴール等7州の中華大会堂と馬華商工朕会は10日の首相の保証を支持と共同声明。
DIA-206-1982-03-09-2マレーシア1982年03月09日1980年代ラザレイ蔵相,保険会社に4月15日までに資本再編計画提出を指示。
DIA-206-1982-03-16-1マレーシア1982年03月16日1980年代ナシール・イスマイル下院議長,死去―議長代理に17日マンソール・オスマン副議長が就任。
DIA-206-1982-03-18-1マレーシア1982年03月18日1980年代社会正義党,マレーシア人民戦線(Barisan Rakyat Malaysia)と改名。
DIA-206-1982-03-18-2マレーシア1982年03月18日1980年代Chartered Bank,マレーシア化の意向表明―国内業務を引継ぐためマレーシア籍の銀行を設立,資本の一部を公開する計画。
DIA-206-1982-03-19-1マレーシア1982年03月19日1980年代下院休会―10法案可決。
DIA-206-1982-03-19-2マレーシア1982年03月19日1980年代政府,初の変動利付債券発行に調印―2億5000万US㌦,年利Libor+O.25%,満期10年。
DIA-206-1982-03-21-1マレーシア1982年03月21日1980年代総選挙へ―マハティール首相は,(1)3月29日に下院と半島部の州議会解散,(2)国民戦線の選挙スローガンは「清廉,効率的かつ信頼できる政府」,(3)戦線各党への選挙区割当ては最終的には自分が決定,(4)公開の集会は引続き禁止,などの諸点を発表。
DIA-206-1982-03-22-1マレーシア1982年03月22日1980年代第8次円借款交換公文に調印―210億円。第4次計画に利用。年利4%,7年据置きを含む25年返済。
DIA-206-1982-03-22-2マレーシア1982年03月22日1980年代Hongkong and Shnaghai Bankging Corp.,マレーシア化計画中と確認。
DIA-206-1982-03-23-1マレーシア1982年03月23日1980年代エンボン・ヤヒヤ副情報相,死去。
DIA-206-1982-03-23-2マレーシア1982年03月23日1980年代日本・韓国から期待する分野―マハティール首相の上院答弁によれば,日本からは教育・技術分野での科学約アプローチ,勤労倫理,重工業,中規模工業の開発,韓国からは建設,農業構造再編成,中小企業開発。
DIA-206-1982-03-23-3マレーシア1982年03月23日1980年代半島部ガス・パイプライン敷設計画―第1期はトンガヌ州を対象に84年に完成予定。第2期は西岸のガス発電所,産業用にパイプ・ライン網建設。
DIA-206-1982-03-24-1マレーシア1982年03月24日1980年代林吉祥民行党書記長,下院12選挙区のいずれかで雌雄を決するよう,李三春MCA党首に挑戦。
DIA-206-1982-03-25-1マレーシア1982年03月25日1980年代争点のない選挙―ムサ副首相は,来たる総選挙での問題は,真の争点を提起できない党といかに闘うかである,と指摘。
DIA-206-1982-03-26-1マレーシア1982年03月26日1980年代上院休会―1981・82年度補正予算案(81年7億9788万リンギ,82年4億1432万リンギ),汚職取締局法案,国家土地修正案など10法案可決。
DIA-206-1982-03-27-1マレーシア1982年03月27日1980年代警察本部,Crypto指導者の拘留を発表―3月23,24日に9名を国内治安法で拘留。イスラムその他の宗教を侮り,暴力による神政国家樹立を主張していたという。信奉者約100名の過半数がマレー人。
DIA-206-1982-03-27-2マレーシア1982年03月27日1980年代早魃救済策発表―(1)即時救援金として1100万リンギ支出。対象はクダ,プルリス,クランタン,トレンガヌの2万8328ba,3万世帯,(2)次期作のため黄にエーカー当り9リンギ,耕起に同80リンギの補助金支給。
DIA-206-1982-03-28-1マレーシア1982年03月28日1980年代アヌワール・イブラヒム,ABIM会長を辞任。
DIA-206-1982-03-28-2マレーシア1982年03月28日1980年代Berjaya,党員5名を無所属で擁立―同党青年部長は,USNOに5名の対立侯補を立てることはサバ州の政治的現実に合致,と主張。
DIA-206-1982-03-29-1マレーシア1982年03月29日1980年代下院と半島部11州の州議会解散。
DIA-206-1982-03-29-2マレーシア1982年03月29日1980年代アヌワール・イブラヒム,UMNOで活動へ―マハティール首相発表。アヌワールは,(1)UMNOを選んだのは、同党が私の闘ってきた政策を受入れる可能性を持つからであり,マハティール首相への信頼からである,(2)結社法に対する立場は堅持しており,首相を説得すべく全力を尽す,(3)国内治安法についても,少なくともその見直しを行うべきだと考えるなどの点を明らかにした。
DIA-206-1982-03-29-3マレーシア1982年03月29日1980年代ABIM副会長談話―(1)ABIMは政党ではないため,いかなる党も候補者も支持せず,したがってアヌワール前会長も支持しない,(2)アヌワール前会長はいまだにABIMの会員である。
DIA-206-1982-03-30-1マレーシア1982年03月30日1980年代民行党とマ人民社会党,選挙取決めに合意。
DIA-206-1982-03-31-1マレーシア1982年03月31日1980年代華文教育活動家8名,民政党に入党―郭洙鎮華語小学校理事会連合・同教員協会連合法律顧問など。これに対し民行党の林吉祥書記長は4月2日,民行党の16年間に及ぶ国会内外での華文教育・言語・文化面での闘争を著しく損う,と声明。
DIA-206-1982-03-31-2マレーシア1982年03月31日1980年代年末までに新たな住宅ローン導入―ムサ副首相発表。価格5万リンギ以下に100%,5~10万リンギに90%融資。金利10%,期間20年(現行10~15年)。
DIA-206-1982-04-02-1マレーシア1982年04月02日1980年代民行党と Pas,選挙協定または了解の存在否定。
DIA-206-1982-04-04-1マレーシア1982年04月04日1980年代何文翰MCA筆頭副委員長,下院と州の候補者リストから外さる。
DIA-206-1982-04-04-2マレーシア1982年04月04日1980年代林敬益民政党党首,選挙区割当てに失望表明―(1)全体としての選挙区割当ては増加したが,ペナンで8州議会選挙区しか割当てられなかったことに失望,(2)国民戦線内外からの,党のペナンの地盤を削ごうとする挑戦に立ち向かわねばならない,などの談話発表。
DIA-206-1982-04-04-3マレーシア1982年04月04日1980年代PPP の S・I・ラジャ委員長,辞任を声明―同党の立候補者増員に失敗したため,という。
DIA-206-1982-04-05-1マレーシア1982年04月05日1980年代李三春MCA党首,Seremban区で立候補―党は華人が明確な支持を表明するよう望む,と声明。
DIA-206-1982-04-05-2マレーシア1982年04月05日1980年代Pasトレンガヌ州執行部と党首派の対立激化。
DIA-206-1982-04-06-1マレーシア1982年04月06日1980年代Sabah Energy Corp.設立―ラブアン島での天然ガス3プロジェクトへのガス供給を管理。
DIA-206-1982-04-07-1マレーシア1982年04月07日1980年代総選挙立候補届出日―30人が無競争当選(下院ではUMN04人,PBB4人,SNAP2人,Berjaya2人,州議会ではUMN014人,MCA1人,Pas3人)。また32人が書類不満により失格(UMN02人,Berjasa2人,民行党10人,Pas9人,無所属9人)。
DIA-206-1982-04-08-1マレーシア1982年04月08日1980年代王成就,MCAに復党―81年3月に除名。
DIA-206-1982-04-08-2マレーシア1982年04月08日1980年代民行党の立候補者布陣―P.Patto組織局長によれば,第2線の指導者の進出を狙い,1選挙区・1候補者の構想を採用。
DIA-206-1982-04-08-3マレーシア1982年04月08日1980年代ムサUMNO筆頭副委員長,民行党とPasの立候補者布陣から,「邪悪な同盟」を指摘。
DIA-206-1982-04-08-4マレーシア1982年04月08日1980年代SNAP,E.Langgu除名―12日には Edwin Tan.gkunも除名。いずれも無所属で立候補。
DIA-206-1982-04-12-1マレーシア1982年04月12日1980年代UMNO,無所属で立候補した党員3名を除名。
DIA-206-1982-04-14-1マレーシア1982年04月14日1980年代N・スンビラン州前州議会議長,射殺さる―Mobamed Taha,49歳。この結果Gemencheh州議会選挙区の選挙は5月22日に延期。
DIA-206-1982-04-15-1マレーシア1982年04月15日1980年代国際天然ゴム協定,正式発効。
DIA-206-1982-04-16-1マレーシア1982年04月16日1980年代国民戦線選挙綱領発表―マハティール同戦線議長は「首相として,清廉で効率的,かつ信頼しうる行政と,マレーシア国民同様に偉大な政府を実現すべく,厳しい努力を決意して前進するため,新たな委任を求める」と呼びかけ,国家理念(Rukunegara)の堅持を始めとする28項目の公約を掲げている。
DIA-206-1982-04-16-2マレーシア1982年04月16日1980年代MCAと民政党の対立―マハティール国民戦線議長は,戦線の二つの党が互いの立候補者への反対運動を行うなら,両党共倒れになろう,と警告。
DIA-206-1982-04-18-1マレーシア1982年04月18日1980年代無所属で立候補した国民戦線党員の処分―ガファール国民戦線書記長は,(1)戦線各党が独自の処分方針を持っており,そのため戦線による処分は困難,(2)9月の戦線最高会議で処分の原則を作成の予定,と語った。
DIA-206-1982-04-18-2マレーシア1982年04月18日1980年代パハン州のセメント・プロジェクト,棚上げ。
DIA-206-1982-04-18-3マレーシア1982年04月18日1980年代USNO とB erjayaの対立―ムサUMNO筆頭副委員長はサバ州を訪問,国民戦線の党章を用いる者以外に戦線の公認候補を名乗る権利はない,と指摘。
DIA-206-1982-04-18-4マレーシア1982年04月18日1980年代民行党選挙綱領―(1)国民戦線による下院の3分の2以上の議席獲得阻止,(2)清廉,効率的かつ信頼しうる政府実現のため,強力な野党が必要,(3)新経済政策は新たなUmno-putraを産みだしている,など。
DIA-206-1982-04-20-1マレーシア1982年04月20日1980年代Pas,選挙綱領で信頼に値し、責任ある強力なイスラム野党の必要をアッピール。
DIA-206-1982-04-22-1マレーシア1982年04月22日1980年代投票日―サバ14区,サラワク18区の投票は26日まで続行。22日付けのNew Straits Timesは1面に社説を掲載,「われわれはマレーシア国民の大半と立場を共にし,穏健路線に投票し,近代化に投票し,国民戦線に投票する」と宣言した。
DIA-206-1982-04-24-1マレーシア1982年04月24日1980年代李三春,他の華人政党にMCA加入招請―とくに民行党に,華人社会の発言を統一すべくMCAに加入するよう公式に招請。
DIA-206-1982-04-25-1マレーシア1982年04月25日1980年代国民戦線の大勝確定―半島部下院議席114議席中103議席を獲得,11州の州議会すべてで3分の2を優に越える議席を得た。マハティール国民戦線議長は,大勝利の要因は国民戦線の目的を有権者が新たに認識し理解したこと,および戦線11党の協力である,と述べた。他方,民行党の林吉祥書記長は,Petalingなど7下院選挙区の結果にショックを受けている,と語った。またアスリPas党首は下院5議席,州議会ユ8議席の成果に満足を表明(「参考資料」参照)。
DIA-206-1982-04-25-2マレーシア1982年04月25日1980年代ソン・サン訪マ―ガザリ外相と会談。
DIA-206-1982-04-26-1マレーシア1982年04月26日1980年代サバ,サラワクの投票終了(「参考資料」参照)。
DIA-206-1982-04-27-1マレーシア1982年04月27日1980年代フィリピンと二重課税防止協定に調印。
DIA-206-1982-04-27-2マレーシア1982年04月27日1980年代国際錫理事会,輸出規制を発表―今後3カ月間の輸出量は2万5400㌧(マレーシア9048㌧)に制限。
DIA-206-1982-04-29-1マレーシア1982年04月29日1980年代第2次マハティール内閣発表―30日に就任宣誓(「参考資料」参照)。マハティール首相は,(1)全員が清廉効率的かつ信頼しうる,(2)昨年7月に内閣を改造しており,今回の変更は最小限に留めた,と指摘。
DIA-206-1982-04-29-2マレーシア1982年04月29日1980年代開発計画見直しへ―マハティール首相は,世界経済の低迷に伴い,第4次計画とそのプロジェクトの優先順位を見直し,予測しうる歳入に合わせて公共部門支出を再調整する必要がある,と語った。
DIA-206-1982-04-29-3マレーシア1982年04月29日1980年代Kumpulan Fima,United Plantations Bhd.(外資75%,資産価値6億リンギ)の株式公開買付け。
DIA-206-1982-04-30-1マレーシア1982年04月30日1980年代サバ開発銀行,シンガポールとルクセンブルグで4000万US㌦の変動利付債発行。
DIA-206-1982-05-02-1マレーシア1982年05月02日1980年代林子鶴,民行党ペラ州議長を辞任―ペラ州における民行党の壊滅的な敗北の責任を取る,と声明。9日,林吉祥書記長がペラ州臨時委員会議長を兼任。
DIA-206-1982-05-03-1マレーシア1982年05月03日1980年代原油価格引下げ―Tapis 原油でバレル当り37.6US㌦から37.3US㌦へ。
DIA-206-1982-05-04-1マレーシア1982年05月04日1980年代国際天然ゴム機構理事会―8日,参考価格を210M/Sセンから207.9M/Sセンに引下げ,緩衝在庫価格帯を1%引下げ,と決定。
DIA-206-1982-05-04-2マレーシア1982年05月04日1980年代UMNO執行書記にKamaruzzaman任命。
DIA-206-1982-05-05-1マレーシア1982年05月05日1980年代政府各省庁,不急プロジェクトの選定開始―経済計画局長によれば,貧困是正・新経済政策促進・大規模住宅建設の関係のプロジェクトに影響はないという。
DIA-206-1982-05-06-1マレーシア1982年05月06日1980年代サバ州の紙・パルプ一貫製造プロジェクト―プラントのフル・ターンキー建設に5社が応札。総投資額12億5000万リンギ。86年に紙・パルプ生産開始の計画。
DIA-206-1982-05-06-2マレーシア1982年05月06日1980年代マハティール首相,休暇で訪日―12日帰国して,日本から技術のみならず,行政組織や産業経営の方法を学ぶべきである,との所感を明らかにした。
DIA-206-1982-05-07-1マレーシア1982年05月07日1980年代ジョベール仏副首相兼対外貿易相訪マ―ムサ副首相,リタウディン商工相,林副蔵相と会談。11日離マに際し,マ・仏経済人委員会設立で合意と語った。
DIA-206-1982-05-07-2マレーシア1982年05月07日1980年代Petronas,年初来生産量を29万bpdに引上げ。
DIA-206-1982-05-09-1マレーシア1982年05月09日1980年代アブドゥル・ラーマン元首相,訪中―ムスリム福祉機構と東南アジア・太平洋地域イスラム・ダアワ会議の代表団団長として。12日,趙紫陽首相と会談。
DIA-206-1982-05-13-1マレーシア1982年05月13日1980年代ラザレイ蔵相,先進国の経済運営を批判―IMF特別会議の席上,先進国は財政赤字と取組む勇気を欠いた結果,金利はかつてない水準に上昇し,国内経済に問題を生じている,と指摘。
DIA-206-1982-05-13-2マレーシア1982年05月13日1980年代ILO大会の労働側代表にCuepaces 書記長任命―麦労働・人力相発表。MTUCは,(1)過去30年間MTUCが労働側を代表しており,この任命はILO憲章違反,(2)MTUCはILO大会マレーシア代表団に参加しない,との書記長談話を発表,首相に抗議の覚書きを提出。
DIA-206-1982-05-15-1マレーシア1982年05月15日1980年代錫生産国協会案―マ・タイ・イ3国の錫産業担当閣僚会議は,第6次国際錫協定が発効しなければ,錫生産国協会を結成することに原則として合意した。
DIA-206-1982-05-17-1マレーシア1982年05月17日1980年代マハティール首相,各州州首相・行政議員との会談開始。
DIA-206-1982-05-17-2マレーシア1982年05月17日1980年代梁第一次産業相,国際商品協定に不信感表明―一次産品分野での多国間協力の成果に失望しており,マレーシアは2国間もしくはASEANや生産者のみのより小さなグループ内での協力に重点を置く,と述べた。
DIA-206-1982-05-17-3マレーシア1982年05月17日1980年代Risdaのゴム小保有農支援策―(1)キロ当り実勢価格122センに対し,農家渡し130センで買上げ,(2)81年10月から市場に介入,などを実施。
DIA-206-1982-05-17-4マレーシア1982年05月17日1980年代サラワクでのアルミ精錬プロジェクト再浮上か―Conzinc Riotinto of Australia社と住友グループが水力発電による精錬の可能性調査を開始。
DIA-206-1982-05-18-1マレーシア1982年05月18日1980年代世銀借款認可―送電網建設,農村電化など3件のプロジェクトに計1億5230万US㌦。3件とも年利11.6%,3年据置きを含む15年返済。
DIA-206-1982-05-19-1マレーシア1982年05月19日1980年代Kinabalu Motor社の操業率,25%に低下―同社はサバ州経済開発公社の子会社。ハリス州首相は州政府と関係機関に州外組立てトラックの購入を禁止。
DIA-206-1982-05-20-1マレーシア1982年05月20日1980年代全マラヤ華人鉱業協会,救済策を要求―(1)輸出税体系の緩和,(2)ディーゼル油値下げ,(3)電気料金引下げ,(4)操業安全基準の緩和,の4点。
DIA-206-1982-05-21-1マレーシア1982年05月21日1980年代科学・技術・環境相に楊国斯就任。
DIA-206-1982-05-21-2マレーシア1982年05月21日1980年代天然ゴム生産国協会(ANRPC),6ヵ月間に35万㌧の供給削減を勧告。
DIA-206-1982-05-22-1マレーシア1982年05月22日1980年代N・スンビラン州議会補欠選挙―Gemencheh区。有権者1万3583人。国民戦線5787票,無所属2584票,民行党687票,回教党382票。無効65票。
DIA-206-1982-05-24-1マレーシア1982年05月24日1980年代25億リンギの国債発行を発表―6月1日に3億リンギの応募超過を含め全額引受け。内訳は5年もの(利回り7%)1億5000万リンギ,16年もの(8.15%)4億5000万リンギ,20年もの(8.5%)22億リンギ。
DIA-206-1982-05-25-1マレーシア1982年05月25日1980年代国際錫緩衝在庫の拡大―国際錫理事会は,緩衝在庫の能力を5万㌧にするため,管理官に当座貸越やスタンドバイ・クレジットの取入れを認可。
DIA-206-1982-05-25-2マレーシア1982年05月25日1980年代ホンダ,マレーシアで2輪車エンジン製造へ―重工業公社(Hicom)との基本協定に調印。同公社と対等出資で合弁企業設立,80ccエンジン年産1万台。
DIA-206-1982-05-26-1マレーシア1982年05月26日1980年代政府,半島部からのパーム原油輸出の禁止(3カ月)と,精油所への新規許可書凍結を実施中,と発表。
DIA-206-1982-05-27-1マレーシア1982年05月27日1980年代サバ州,農村開発・治安委員会の再組織へ―9月1日からは,州政府に対するあらゆる認可申請に際し同委員会の推薦が必要となる。
DIA-206-1982-05-28-1マレーシア1982年05月28日1980年代KL高裁,Mark Koding下院議員に煽動法違反で有罪判決。
DIA-206-1982-05-28-2マレーシア1982年05月28日1980年代マレーシア使用者団体協議会,暫定発足―略称MCEO。マレーシア使用者連合会(MEF)を脱退した5団体が結成,加入資格は使用者団体であること。
DIA-206-1982-05-30-1マレーシア1982年05月30日1980年代A-4L Sky hawk88機購入にこのほど調印―空軍参謀長Mohamad Taib中将談。総額7億5600万リンギ(改装費を含まず),84年末までに配備の予定。マレーシアの地形,防衛戦略,経済事情等を考慮して決定。
DIA-206-1982-05-31-1マレーシア1982年05月31日1980年代SNAP,Tajem副州首相に対し除名さるべきでないとの理由開示要求。
DIA-206-1982-06-01-1マレーシア1982年06月01日1980年代Harrison Malaysian Estates 買収へ―PNB社は,Harrison and Crossfield社からHME社の株式の50%以上を取得する取決めに合意,と発表。
DIA-206-1982-06-03-1マレーシア1982年06月03日1980年代マハティール首相,南太平洋諸国を歴訪―フィジー,トンガ,西サモアを訪問,可能な限り経済・技術援助を行なうむね表明。10日,帰国。
DIA-206-1982-06-03-2マレーシア1982年06月03日1980年代ガザリ外相,3派連合政府結成に確信表明―クメール・ルージュ,KPNLF,Moulinakaは連合政府結成を約束しており,世界の論調に配慮している。結成は交渉の問題にすぎない,と語った。
DIA-206-1982-06-05-1マレーシア1982年06月05日1980年代UMNO,総選挙での党規違反者処分発表―11名除名,8名に処分さるべきでない理由開示要求。なお8月12日党大会席上での発表では除名25名,戒告3名,理由開示要求22名に増加。
DIA-206-1982-06-07-1マレーシア1982年06月07日1980年代ムサ副首相,公営企業の利潤動機維持を強調。
DIA-206-1982-06-08-1マレーシア1982年06月08日1980年代82年成長率見通し―ラザレイ蔵相はGNP成長率見通しを5%に下方修正。
DIA-206-1982-06-08-2マレーシア1982年06月08日1980年代MIC,持株会社設立へ―払込資本2000万リンギ。
DIA-206-1982-06-09-1マレーシア1982年06月09日1980年代パハン州Mengkarakでマ共ゲリラと交戦―ゲリラ2名死亡,1名負傷。保安隊1名死亡,1名負傷。6月27日には同州Lipis近くでゲリラ3~4名と交戦。
DIA-206-1982-06-09-2マレーシア1982年06月09日1980年代開発プロジェクト見直し―ムサ副首相は,(1)開発プロジェクトを82年度予算と第4次5カ年計画中間見直しの二つの面から見直している,(2)自分は見直し作業の総合的評価を担当,ラザレイ蔵相は収支の細部を検討している,の2点を明らかにした。
DIA-206-1982-06-10-1マレーシア1982年06月10日1980年代木材輸出不振で日本を非難―ハリス・サバ州州首相は,日本は輸出市場確保のため,米国とカナダから必要もない木材製品輸入を増やし,東南アジアからの輸入を差別している,と非難。
DIA-206-1982-06-10-2マレーシア1982年06月10日1980年代Watan紙のAbdul Halim記者釈放―81年10月12日,国内治安法により拘留。
DIA-206-1982-06-11-1マレーシア1982年06月11日1980年代結社会議事務局,政府への覚書き取まとめ―81年結社修正法について,(1)国外組織への加入制限撤廃,(2)国外からの善意による資金援助の承認,(3)登録官による結社登録抹消の当否は法廷で争えないとの規定改正,等を要求する覚書きを作成,7月2日に首相に提出。
DIA-206-1982-06-11-2マレーシア1982年06月11日1980年代首相,ASEAN首脳会談開催に否定的談話―(1)この時点での開催が時宜を得たものとは思わない,(2)開催となればフィリピンに行くことに問題はない。国家訪問と会議出席には違いがある,など。
DIA-206-1982-06-12-1マレーシア1982年06月12日1980年代このほどタイに兵器の共同購入を提案―アブ・バカール副国防相が8~11日のタイ訪問中に提案。同副国防相は9月14日,同提案をASEAN諸国による共同購入案とすべく,近々他の3国にも説明,と語った。
DIA-206-1982-06-14-1マレーシア1982年06月14日1980年代下院の新正・副議長と新議員,就任宣誓―新議長はMohamed Zain Ismail,副議長は許天来。
DIA-206-1982-06-14-2マレーシア1982年06月14日1980年代ASEAN外相会議,シンガポールで開催―ガザリ外相は,自由企業制度下の工業諸国に,同制度が縮小しつつあるという現実を納得させねばならないと述べた。
DIA-206-1982-06-14-3マレーシア1982年06月14日1980年代国王,サウジのハリド国王葬儀に参列へ。
DIA-206-1982-06-18-1マレーシア1982年06月18日1980年代反越5派,連合政府結成に正式に合意―ガザリ外相とシッティ外相がシンガポールで共同発表。ソン・サン,キュー・サンファン,シアヌークの三者が6月21~23日にKLで会談,連合政府結成の協定に調印,その後カンボジアに戻り,結成を正式に発表する。19日,ガザリ外相はKLで,3派が合意に達しKLでの会談を希望との情報を得たのは6月13日であった,と語った。
DIA-206-1982-06-19-1マレーシア1982年06月19日1980年代桜内外相,訪マ―マハティール首相との会談で,マ側は,(1)対マ援助の増額,(2)高賃金・低収益に直面している企業のマレーシアへの再配置,などを要請。
DIA-206-1982-06-19-2マレーシア1982年06月19日1980年代マ・タイ・イ3国の錫担当相,非公式会談―KLで2日間。22日,それぞれの首都で,(1)3国は第6次国際錫協定の施行および錫生産国協会設立に同意,(2)他の生産国に協会への加入を要請,などの点を発表。
DIA-206-1982-06-20-1マレーシア1982年06月20日1980年代連合政府への援助問題―マハティール首相は(1)マレーシアは軍事援助を行なわない,(2)連合政府結成に会談の場を提供することは,われわれがカンボジアの内政に関与することを示すものではない,と語った。
DIA-206-1982-06-20-2マレーシア1982年06月20日1980年代ムサ副首相,タイ公式訪問―21日,(1)テロリストとの闘いが,両国にとり最優先事項,(2)両国は,ともに領有権を主張している大陸棚における石油・天然ガスの共同探査採掘計画を進めているが,現在,専門家が法的側面を検討中である,と語った。
DIA-206-1982-06-21-1マレーシア1982年06月21日1980年代ハリス・サレー,今期限りでサバ州首相辞任を示唆。
DIA-206-1982-06-22-1マレーシア1982年06月22日1980年代民主カンボジア連合政府結成の協定に調印―調印後,シアヌーク,ソン・サン,キュー・サンファンの3首脳は,マハティール首相を表敬訪問。
DIA-206-1982-06-27-1マレーシア1982年06月27日1980年代国王,サバ州統治者にTun Mohamed Adnan Robertを再任。
DIA-206-1982-06-28-1マレーシア1982年06月28日1980年代李延年,主要華人組織の役員を辞任―スランゴール中華大会堂会長,スランゴール中華総商会会長,福建会館連合会会長など9組織の役員。
DIA-206-1982-06-28-2マレーシア1982年06月28日1980年代Tun Ismail原子核研究所の反応炉,運転開始。
DIA-206-1982-06-29-1マレーシア1982年06月29日1980年代錫生産国協会―マ・タイ・イ3国は同協会設立協定案を採択,8月2日に調印の日程で合意。
DIA-206-1982-06-30-1マレーシア1982年06月30日1980年代年度中途の歳出削減―マハティール首相は,今年度経常支出予算から12億リンギ,開発支出予算から28億リンギの削減を閣議決定した,と発表。
DIA-206-1982-07-01-1マレーシア1982年07月01日1980年代タイ軍,南タイで大規模なマ共掃討開始―4000名の保安隊を投入,ベトンからナラティワート,パタニに展開,28日に終了。大規模キャンプ3カ所を破壊,マ共ゲリラ側に死者11名,負傷者数名,捕虜2名の被害。
DIA-206-1982-07-01-2マレーシア1982年07月01日1980年代第6次国際錫協定発効―消費国52%,生産国79%が参加。国際錫理事会は7~9月に35.55%の輸出削減を決定し,緩衝在庫管理官に2万㌧相当の借入れ認可。
DIA-206-1982-07-01-3マレーシア1982年07月01日1980年代東西ハイウェイ,正式開通。
DIA-206-1982-07-03-1マレーシア1982年07月03日1980年代マレーシア・インド人会議(MIC)大会―ヴェル党首は,法人資本に占めるインド人のシェアは1%にすぎない等,新経済政策に関してインド人社会は深刻な問題に直面,と指摘。大会は4日,タミール語小学校の改善,インド人社会の職業技能訓練への財政援助,資本所有・雇用面での公正な種族バランスの保証,などを政府に要求する決議を採択。
DIA-206-1982-07-03-2マレーシア1982年07月03日1980年代82年度国防支出,8~10億リンギ削減か―将校の訓練費削減,基地・軍事施設の着工繰延べを計画という。
DIA-206-1982-07-04-1マレーシア1982年07月04日1980年代スランゴール州政府の土地譲渡に疑惑―州議会解散後に公園用地の一部1.6エーカーを州政府高官など6名に分譲。6日,6名は分譲地への請求権を放棄。
DIA-206-1982-07-04-2マレーシア1982年07月04日1980年代Kamunting Tin Dredging社,7月末閉鎖と決定。
DIA-206-1982-07-04-3マレーシア1982年07月04日1980年代パレスチナ連帯集会―ABIMの呼びかけによりKLで開催。約1000人が参加。6日,ABIM代表はイスラエルへの協力を非難する抗議文を米国大使館に手交。
DIA-206-1982-07-05-1マレーシア1982年07月05日1980年代マハティール首相,イスラム銀行構想発表―84年に授権資本5億リンギ,払込資本1億リンギで設立。出資比率は連邦政府30%,LUTH10%,Perkim5%,各州宗務局25%,その他の州宗教機関10%,Felda1O%,その他10%。業務内容は利子の徴収・支払い等イスラムの禁止する事項を除けば,商業銀行と変わらない。
DIA-206-1982-07-06-1マレーシア1982年07月06日1980年代連邦裁,独立大学会社の上訴を却下。
DIA-206-1982-07-09-1マレーシア1982年07月09日1980年代Berjasa党のOsman Bakar副委員長,離党。
DIA-206-1982-07-09-2マレーシア1982年07月09日1980年代Asean Bintulu Fertiliser社,日本企業2社,西独企業1社とプラント建設契約に調印。
DIA-206-1982-07-10-1マレーシア1982年07月10日1980年代モクタール文・青・体育相を殺人罪で起訴―他の4名と共謀してMohamed Taha前N・スンビラン州議会議長を殺害した容疑。審理はKL高裁で10月11日開始。
DIA-206-1982-07-10-2マレーシア1982年07月10日1980年代政府,KLの空中バス第1期工事認可。
DIA-206-1982-07-12-1マレーシア1982年07月12日1980年代Pegi Malaysia Bhd.,Dunlop Malaysia Industries Bhd.の株式の51%を取得。
DIA-206-1982-07-13-1マレーシア1982年07月13日1980年代マハティール首相,輸出多角化の一環として東欧諸国とのバーター貿易を検討中,と語る。
DIA-206-1982-07-14-1マレーシア1982年07月14日1980年代ジョホール州政府,木材伐採権の付与凍結―州議会解散後の管理政府が個人・企業に付与した伐採権112件中の90件。28日には分譲地93.6haの所有権を回復。
DIA-206-1982-07-14-2マレーシア1982年07月14日1980年代PNB,Timah Langat Bhd.とNegara Properties Sdn. Bhd.をスランゴール州政府の投資会社から買収。
DIA-206-1982-07-16-1マレーシア1982年07月16日1980年代ィンドシナ3国外相会議の提案への反応―ガザリ外相は,(1)ASEANに関する限り,カンボジア問題国際会議の決議に則った完全撤兵のみが解決の道,(2)ベトナムの問題解決の意思提示は糸口にはなる,と指摘。
DIA-206-1982-07-18-1マレーシア1982年07月18日1980年代2人イマーム問題―トレンガヌ州Besutを中心に,州宗務局任命のイマームとPas派のイマームが別々に祈祷を指導し,Pasが集会所と独自のスラウを祈祷に利用する現象が広がっている,という。27日にアスリPas党首は同州の党指導者に事態の解決を指示。
DIA-206-1982-07-21-1マレーシア1982年07月21日1980年代ペラ州スルタン,断食明けを独自に決定―国璽尚書がHari Rayaを23日とするむね発表した直後に,ペラ州では22日にすると声明。
DIA-206-1982-07-21-2マレーシア1982年07月21日1980年代陸軍,旅団司令部を現在の16から14ないし12に削減の意向。
DIA-206-1982-07-25-1マレーシア1982年07月25日1980年代グエン・コ・タク外相,訪マ―マハティール首相,リタウディン商工相のほか,ガザリ外相とは4回にわたり会談。第1回会談でガザリ外相がシンガポールでの「間接的な脅し」について説明を求めたのに対し,タク外相は,ASEANがインドシナ諸国に対し敵対活動を続けるなら,自衛の権利を留保するとのベトナムの立場を説明。28日の第4回会談後ガザリ外相は,われわれは撤退といった基本的間題では意見の一致を見なかったが,相手が何を試みているのかについて理解を深め,友人として別かれた,と語った。
DIA-206-1982-07-27-1マレーシア1982年07月27日1980年代ダライ・ラマ14世,非公式訪マ―3日間。マレーシア仏教協会の招待によるもの。
DIA-206-1982-07-28-1マレーシア1982年07月28日1980年代調理用ガス,約10%値下げ。
DIA-206-1982-07-28-2マレーシア1982年07月28日1980年代閣僚等の給与削減発表―削減月額は首相・副首相1000リンギ,大臣500リンギ,副大臣・政務次官・政治秘書200~400リンギ。8月4日,州首相会議も州首相の給与を500リンギ削減と決定。いずれも8月1日実施。
DIA-206-1982-07-28-3マレーシア1982年07月28日1980年代西独製装甲兵員輸送車と日本製トラック引渡し―前者はコンドル459輌(2億7000万リンギ)中の3輌,軌後者は日野525台(3400万リンギ)中66台。
DIA-206-1982-07-29-1マレーシア1982年07月29日1980年代江崎ミッション,訪マ―鈴木首相の特使として日本の一連の市場開放措置を説明するため,マハティール首相,ムサ副首相,ガザリ外相等と会談。マ側は,(1)ルック・イースト政策に関して,日本側が新経済政策のような国内政策を理解し,(2)第9次円借款交渉を可及的速かに行い,(3)貿易不均衡是正のため製造業品輸入を拡大すること等を要請。同ミッションは,(1)ルック・イースト政策を日本の経済界に説明,(2)開発努力を引続き支援,(3)貿易不均衡解消に可能な限り努力,等を約束。
DIA-206-1982-08-01-1マレーシア1982年08月01日1980年代人権擁護団体の法律家,訪マ―7日間。英・米・仏から各2名,日本から1名が参加。目的は国内治安法および緊要(治安事件)修正条例施行の実態調査。スフィアン連邦裁長官,マハティール首相,ムサ副首相,ラーマン元首相らと会見。4日,UMNO,MCA,MICの各青年部が合同で内政干渉反対のデモを組織。
DIA-206-1982-08-01-2マレーシア1982年08月01日1980年代フレイザー・オーストラリア首相,訪マ―マハティール首相等政府首脳と会談。マ側は両国間での産業再配置の検討を提案,バタワース基地からの豪空軍漸時撤退に満足の意を表明,オーストラリア側は同国市場へのマ側の積極的アプローチを勧告,両国首脳は保護主義の拡大に憂慮を表明した。
DIA-206-1982-08-01-3マレーシア1982年08月01日1980年代ハニフ警察長官,2人イマーム問題に介入示唆―(1)もし他の機関がトレンガヌ州でのムスリム分裂を解決しないなら,警察が公安維持のため介入する,(2)同州では7月21日にUMNOとPasの支持者各1名が争い,うち1名が死亡,と語った。同日,アスリPas党首は警察のいかなる措置をも支持する,と声明。
DIA-206-1982-08-01-4マレーシア1982年08月01日1980年代国軍,経費節約のため演習の規模,回数削減を発表。
DIA-206-1982-08-01-5マレーシア1982年08月01日1980年代高級車の輸入認可を凍結―年末まで。9月15日には他の奢侈品についても輸入禁止措置を発表。
DIA-206-1982-08-01-6マレーシア1982年08月01日1980年代サバ州政府,380万haを永久保安林に指定―州面積の49%に相当。伐採は一切認められない。
DIA-206-1982-08-02-1マレーシア1982年08月02日1980年代第4次5カ年計画見直しの方向―ムサ副首相は,(1)「中間報告」段階で実施面に新たなアプローチを操用,(2)開発戦略の変更いかんも検討,(3)見直しに当り農村部住民の利益を最優先,等の点を明らかにした。
DIA-206-1982-08-03-1マレーシア1982年08月03日1980年代マ・イ合同軍事演習―メダンで12日間。
DIA-206-1982-08-04-1マレーシア1982年08月04日1980年代何文翰,MCA筆頭副委員長を辞任―9月2日には離党。これに対し李金獅,林良実,陳羣川等の党幹部が党大会による筆頭副委員長選出を要求。
DIA-206-1982-08-09-1マレーシア1982年08月09日1980年代2人イマーム問題―Pasトレンガヌ州連絡委員会は,(1)正当な理由なしに他人を不信心と非難してはならない,(2)最初のイマームがイスラムにより受容されうるなら,2人のイマームの後で祈ってはならない,と党員に指示。さらに12日には,上記の問題はPasが州や支会レベルで組織したものではなく,誇張されている,と声明。9月2日,政府は,同州で独自の祈祷を行っていたPasの集会所とスラウを閉鎖。
DIA-206-1982-08-10-1マレーシア1982年08月10日1980年代ルック・イースト政策への日本の協力―有田駐マ大使は,(1)日本政府は同政策を歓迎し,民間部門とともに,日本でのOJT計画をすでに作成,(2)近々20名の日本語教師を派遣,などの点を明らかにした。
DIA-206-1982-08-10-2マレーシア1982年08月10日1980年代繊維産業の窮状―業界筋によれば,(1)81年初め以来20~30%の生産減,(2)操業日数を週7日から5日に短縮,解雇は避けているが,新規雇用は全くない,という。
DIA-206-1982-08-11-1マレーシア1982年08月11日1980年代サバ州のKeruak前州首相(USNO)とDason Gabon(Berjaya),州議員を辞職(10月2日参照)。
DIA-206-1982-08-13-1マレーシア1982年08月13日1980年代アヌワール,UMNO青年部長に立候補―青年部員は現在の党指導部のイメージに合致した変化を望んでいる,と声明。
DIA-206-1982-08-14-1マレーシア1982年08月14日1980年代UMNO青年部長選出問題―現職のスハイミ部長はその就任以来青年部の発言が幾分控え目になったとの指摘に対し,前任者の対決の政治から,政府部内に入り権力を共有する時代に転換した点を強調。
DIA-206-1982-08-14-2マレーシア1982年08月14日1980年代汚職取締局,N・スンビラン州の土地譲渡捜査―州議会解散後に州政府高官・政治家に一等地を譲渡。
DIA-206-1982-08-18-1マレーシア1982年08月18日1980年代ペラ州スルタン,クリアン川の南の46.62km2の土地をペナン州から返還させるよう,ペラ州選出の国会議員21名に指示。
DIA-206-1982-08-18-2マレーシア1982年08月18日1980年代11億US㌦のジャンボローンに調印―13カ国の70金融機関が参加。金利は,(1)ユーロ通常分5億1000万 US㌦にLibor+0.375%,(2)ユーロ見なし課税分1億5000万US㍉にLibor+0.03125%,(3)米国市場調達分に米国長期プライムレート+0.125%。
DIA-206-1982-08-21-1マレーシア1982年08月21日1980年代林子鶴,民行党副委員長・中執委を辞職―林吉祥書記長を含む党指導部に対する,党内からの3年にわたる中傷キャンペーンに中央執行委員会が優柔不断だったことへの失望を理由としている。9月1日にはペラ州州議員,イポー支会議長の職も辞した。
DIA-206-1982-08-21-2マレーシア1982年08月21日1980年代MMCグループの錫ドレッジャー38基中12基が操業を一時停止。
DIA-206-1982-08-22-1マレーシア1982年08月22日1980年代李光耀シンガポール首相,公式訪マ―23日,(1)MAS,SIAによるKL―シンガポール間のシャトル・サービスを含む,観光産業での協力,(2)シンガポールの投資への協力,(3)パイプラインによるシンガポールへのガス供給の可能性検討,など8項目の合意発表。
DIA-206-1982-08-24-1マレーシア1982年08月24日1980年代天然ゴム生産国協会,25万㌧の輸出削減決定。
DIA-206-1982-08-26-1マレーシア1982年08月26日1980年代第27回マ・タイ総合国境委員会―KLで2日間。会議冒頭,ムサ副首相兼内相は,(1)マ共内でタイ出身者の数がマレーシア出身者を凌いでおり,マ共はタイの治安に直接の脅威となろう,(2)南タイのマ共テロリストは,一貫した強力な軍事的圧力がないため,ある程度容易に活動することができた,と指摘。
DIA-206-1982-08-28-1マレーシア1982年08月28日1980年代マハティール首相,サバ州訪問―29日,州政府に対し汚職追放を強調し,土地の譲渡・管理に関する自分の見解を明らかにした,と語った。
DIA-206-1982-08-30-1マレーシア1982年08月30日1980年代独立25周年の恩赦―ハルンUMNO副委員長に全面的特赦,その他279名に大赦,さらに国内治安法による拘留者47名を釈放。
DIA-206-1982-09-01-1マレーシア1982年09月01日1980年代駐インドネシア大使にモハメド・ラーマットを任命。閣僚の地位を与えられており,10月25日赴任。
DIA-206-1982-09-01-2マレーシア1982年09月01日1980年代KLマスター・プランの骨格案公示―2000年までの長期都市計画。人口倍増を前提し,周縁部の3大タウンシップへの拡散,38億リンギに及ぶ交通整備案を含む。
DIA-206-1982-09-01-3マレーシア1982年09月01日1980年代南タイ・ムスリム分離派問題―タイ第4軍管区司令官Harn中将は,(1)マ・タイ総合国境委員会では,マ側がムスリム分離派の問題への言及を慎重に避け,タイ側が同問題を提起する時間も与えられなかった,(2)分離派匪族の中には,マレーシアの野党に支持され,マレーシア内に根拠地を持つものも存在,と語った。
DIA-206-1982-09-05-1マレーシア1982年09月05日1980年代Malayan Banking,初めてロンドン市場で6000万US㌦の変動利付きCD発行。
DIA-206-1982-09-06-1マレーシア1982年09月06日1980年代韓国と公務員研修の交流計画覚書きに調印。
DIA-206-1982-09-08-1マレーシア1982年09月08日1980年代Petronas Cargali社,試掘に成功―トレンガヌ沖で原油5565bpd,非随伴ガス1000万標準立方フィート。78年の同社設立以来,最初の成功。
DIA-206-1982-09-09-1マレーシア1982年09月09日1980年代UMNO青年部・婦人部大会―開会演説でムサ筆頭副委員長は,党内の利己主義的・物質主義的傾向を抑制しないと,党は最終的には裕福な者だけが指導することになる,と警告。青年部部長選挙ではアヌワールが183票を得て当選(スハイミ173票,ハン・トゥア3票,無効3票)。婦人部長にはアイシャが6期目の当選。
DIA-206-1982-09-10-1マレーシア1982年09月10日1980年代UMNO党大会―3日間。マハティー・ル党首は開会演説で,(1)政治においても経営管理能力のある者が必要,(2)製造業の発展には広大で豊かな国内市場が必要,(3)ルック・イースト政策の目標はわれわれ自身の尊厳の回復であり,われわれ自身に目を向けることである,等の諸点を指摘。大会はイスラムの乱用を防止するための法案作成を政府に要求する等の決議を採択したが,執行部提出の,5年以上の党歴を国会・州議会選挙立候補の資格とするという規約の削除案は否決された。
DIA-206-1982-09-14-1マレーシア1982年09月14日1980年代UMNO青年部の優先課題―第1回執行評議会後,アヌワール新部長が発表。(1)経済開発,とくに新経済政策の実施,(2)政府と社会へのイスラムの諸価値注入,(3)国の指導層の目標と政策の支持に青年部を動員。
DIA-206-1982-09-15-1マレーシア1982年09月15日1980年代ムサ副首相,韓国を公式訪問―4日間。金埈成副首相,李范錫外相等と会談,16日全斗煥大統領を表敬訪問。ルック・イースト政策について説明,韓国製のマ海軍艦艇とマ産ゴム,石油のバーター取引きの可能性を打診。また韓国のコミュニティ開発プロジェクトについて説明を受けた。
DIA-206-1982-09-18-1マレーシア1982年09月18日1980年代ラザレイ蔵相の不況観―(1)現在の不況は過去25年間で最悪のものだが,いたずらに不安に陥る必要はない,(2)82年の貿易収支赤字は30億リンギ,経常収支赤字は90億リンギとなろう,(3)国内の生産刺激策を作成中だが内向きの考え方および引締め策を盛り込む,等。
DIA-206-1982-09-19-1マレーシア1982年09月19日1980年代82年1~7月の投資認可―MIDAによれば,認可件数268件(前年同期360件),投資予定額39億6520万リンギ(同17億8320万リンギ)。
DIA-206-1982-09-20-1マレーシア1982年09月20日1980年代首相,大農園方式による稲作を奨励―収益性の悪い稲作地を統合し,企業に経営を委ね,農民は提供した土地面積に応じて株式を得,雇用も提供される。
DIA-206-1982-09-20-2マレーシア1982年09月20日1980年代政府,レバノン虐殺でイスラエルとファランジストを非難する声明発表。
DIA-206-1982-09-24-1マレーシア1982年09月24日1980年代隣保制度(Rukun Tetanga),再組織へ―ムサ副首相兼内相発表。83年1月1日から,従来一律に義務付けられていた住民登録と住民による巡視を,地区の治安に応じて一部解除する。
DIA-206-1982-09-25-1マレーシア1982年09月25日1980年代サラワク人民連党(SUPP)党大会―王其輝が党首を退き,楊国斯が新党首に選出された。
DIA-206-1982-09-25-2マレーシア1982年09月25日1980年代民衆政治運動党(Gerakan)党大会―林敬益党首 は,国民戦線指導部に今後の議席配分の見直しを要請。
DIA-206-1982-09-25-3マレーシア1982年09月25日1980年代韓国,LNG輸入の可能性打診か―85年から年150万㌧の購入をこのほど打診してきたという。
DIA-206-1982-09-26-1マレーシア1982年09月26日1980年代MCA筆頭副委員長に梁維任命―副委員長には陳羣川が昇格。中央委員会の全会一致による決定。
DIA-206-1982-09-26-2マレーシア1982年09月26日1980年代人民進歩党(PPP)党大会―パラムジット・シン上院議員を党首に選出。ラジャ前党首派はボイコット。
DIA-206-1982-09-26-3マレーシア1982年09月26日1980年代米国製品不買運動を開始―ABIMの呼びかけに各種族・宗教の20団体が参加。レバノンでの虐殺に関し米国に対イスラエル制裁措置を要求。期間は当面1ヵ月。
DIA-206-1982-09-28-1マレーシア1982年09月28日1980年代マレーシアとブルネイ,それぞれの政府事務所を,完全な外交特権を持つ弁務官事務所に昇格。
DIA-206-1982-09-29-1マレーシア1982年09月29日1980年代マハティール首相の国連総会での演説―(1)カンボジア,アフガニスタンへの武力介入を非難,(2)米国に対イスラエル兵器供与の再考を要請,(3)豊かな諸国による商品市場・金融センター操作の結果,貧しい諸国は大打撃を受け,忍耐の限界にきている,と指摘。
DIA-206-1982-09-29-2マレーシア1982年09月29日1980年代天然ゴム,12万9000トンの輸出削減へ―10月1日から半年間。大農園の出荷削減5万1000㌧,小保有農同3万9000㌧,流通在庫積増し3万9000㌧。
DIA-206-1982-09-29-3マレーシア1982年09月29日1980年代連邦裁,国内治安法の死刑判決義務付け規定は合憲と裁定。
DIA-206-1982-09-29-4マレーシア1982年09月29日1980年代ヨタンUMW社との事業提携取決めに調印。
DIA-206-1982-09-30-1マレーシア1982年09月30日1980年代ADB借款認可―トレンガヌ中部開発第2期に3020万US㌦。年利11%。据置4年を含む20年返済。
DIA-206-1982-10-01-1マレーシア1982年10月01日1980年代シンガポールからのセメント輸入規制―マレーシア工業品規格マークの表示を義務付け。シンガポールの業者は工場渡しトン当り165リンギのセメントをジョホールで145~147リンギでダンピングしているという。なおマレーシアの工場渡し価格は158リンギ。
DIA-206-1982-10-01-2マレーシア1982年10月01日1980年代Mara議長にHj. Abdul Rahim下院議員(元パハン州首相)任命と発表(10月16日付け)。
DIA-206-1982-10-02-1マレーシア1982年10月02日1980年代クダ,プルリス州の一部で稲に病害―これまでに6210haに被害。同地域の収量は60%減の見込み。
DIA-206-1982-10-02-2マレーシア1982年10月02日1980年代サバ州議会補欠選挙―Tandek区でBerjaya,Usukan区でUsnoの候補者がそれぞれ当選。
DIA-206-1982-10-03-1マレーシア1982年10月03日1980年代馬華公会(MCA)党大会―開会にあたりムサ副首相は,MCAと華人社会が二心ない忠誠心を示して,他種族の疑念と偏見を除くよう要請。李三春党首は,(1)華語教育や華人の権利を大衆感情を煽ることなく穏健だが断固として擁護したやり方で今後の問題を解決,(2)ルック・イースト政策はマレーシア的価値の再発見であり,これを全面的に支持する,等の方針を示した。
DIA-206-1982-10-03-2マレーシア1982年10月03日1980年代拝天公の信徒約500名をKLで検挙―不法集会容疑。うち92名起訴。
DIA-206-1982-10-04-1マレーシア1982年10月04日1980年代Sime Darby社,保険業務へ―東南アジアを対象に米国のFireman’s Fund Insurance社と合弁。
DIA-206-1982-10-05-1マレーシア1982年10月05日1980年代始関建設相,訪マ―3日間。マハティール首相,ヴェル公益事業建設相,オスマン連邦区相と会談。
DIA-206-1982-10-05-2マレーシア1982年10月05日1980年代Parti Rakyat Jati Sarawak,規約修正―このほど非原住民が入党できるよう修正し,名称もSarawak Demokratik Bersatu(略称Bersatu)と変更。
DIA-206-1982-10-07-1マレーシア1982年10月07日1980年代小川文部相,訪マ―マハティール首相,スライマン教育相と会談。スライマン教育相は,日本の大学への入学資格のマレーシア内での取得措置,政府留学生の学位承認などの点を発表。
DIA-206-1982-10-11-1マレーシア1982年10月11日1980年代第6国会第1会期開会―下院は10月12日~12月8日,上院は12月9日~1月11日の予定。
DIA-206-1982-10-12-1マレーシア1982年10月12日1980年代78年度会計検査院長報告(1)78年末現在の連邦政府未収金10億8500万リンギ,(うち内国歳入局関係が98.1%)の取立て措置,(2)公営企業の財務内容に対する監督制度の改善,などを要求。
DIA-206-1982-10-13-1マレーシア1982年10月13日1980年代研修生派遣―アブドゥラ総理府相によれば,(1)先月136名を日本の19社での研修に派遣,(2)来年は日本と韓国に計536名の派遣を計画。
DIA-206-1982-10-14-1マレーシア1982年10月14日1980年代首相,英連邦首脳地域会議に出席―18日,共同コミュニケが民主カンボジア連合政府結成に留意したと謳ったことは,同政府の存在の承認を意味,と評価。その後20日までの3日間,パプア・ニューギニア訪問。
DIA-206-1982-10-14-2マレーシア1982年10月14日1980年代ライス土地・地域開発相,ゴム産業・小保有農開発庁(Risda)の改組を指示。
DIA-206-1982-10-16-1マレーシア1982年10月16日1980年代ペラ州州議会補欠選挙―Kepayang区,有権者3万8418人。民行党1万6246票,国民戦線6482票。
DIA-206-1982-10-17-1マレーシア1982年10月17日1980年代ラザレイ蔵相,リンギ切下げの噂を強く否定。
DIA-206-1982-10-17-2マレーシア1982年10月17日1980年代オーストラリア,マ内基地からの対ソ哨戒強化―ストリート外相は,News Weekとのインタヴューで,インド洋におけるソ連の活動増強に対し豪州およびマレーシア内の基地からのP3 Orion機による偵察を強化していることを確認。
DIA-206-1982-10-17-3マレーシア1982年10月17日1980年代パハン州の先住民,定住地内の原木搬出阻止―Orang Asli外の業者への伐採権付与に抗議し,伐採による利益の地元への還元を要求。
DIA-206-1982-10-19-1マレーシア1982年10月19日1980年代民間部門の低価格住宅建設に遅延―第4次5カ年計画の民間部門建設目標9万戸に対し,82年6月までに8566戸を建設したのみ。住宅開発協会は住宅ローンに関わる混乱,購入者資格審査の遅れが要因と指摘。
DIA-206-1982-10-21-1マレーシア1982年10月21日1980年代ADB借款認可―東西ハイウエイ第2期工事に3300万リンギ。年利4%,4年据置きを含む20年返済。
DIA-206-1982-10-22-1マレーシア1982年10月22日1980年代83年度予算案,下院に上程(「参考資料」参照)。
DIA-206-1982-10-22-2マレーシア1982年10月22日1980年代回教党(Pas)党大会―23日,アスリ委員長は,ウラマー指導層の仮面をかりて党内の政治的抗争が激化しており,内紛継続を避けるため党首を辞任,と声明。これに呼応してDtn. Sakinah 婦人部長(22日),Dtk.Abu Bakar書記長(24日),Hassan Mhd.財政(24日)もそれぞれ辞任。党首代理にHj. Yusoff Rawa筆頭副委員長,書記長代理にFadzir Noor副委員長が就任。大会は24日,党首の権限を削り,ウラマー評議会に政策立案の最終的決定権を与えるむねの規約修正案を採択。
DIA-206-1982-10-23-1マレーシア1982年10月23日1980年代ムサ副首相,6校目の大学設立を計画中と語る。
DIA-206-1982-10-27-1マレーシア1982年10月27日1980年代サバ州の移民労働者―州首相府は,71~78年にフィリピン人8万5000人,インドネシア人4万5000人が流入,現在の移民労働者数(妻子を除く)は6~7万人で,その存在を欠いては州経済は行詰まる,と指摘。
DIA-206-1982-10-27-2マレーシア1982年10月27日1980年代インドネシアとの領有権係争問題―インドネシアから帰国したガザリ外相によれば,両国はシパダン,リジタン両島の領有権問題の交渉による解決を再確認。
DIA-206-1982-10-27-3マレーシア1982年10月27日1980年代アヌワールUMNO青年部長のイラン評価―イランのイスラム的行政制度は支持するが,そのマレーシアでの採用は必ずしも適当ではない。複合民族国家として,行政の構成面で各種族の過敏さを考慮する必要がある。
DIA-206-1982-10-28-1マレーシア1982年10月28日1980年代国産車開発計画―ムサ副首相によれば,プロジェクトは首相が自ら監督し,立案の最終段階にある。
DIA-206-1982-10-28-2マレーシア1982年10月28日1980年代電話・郵便料金の引上げ発表―前者は12月1日,後者は83年1月1日から実施。
DIA-206-1982-11-01-1マレーシア1982年11月01日1980年代ムサ副首相,エジプトとヨルダンを訪問―3日ムバラク・エジプト大統領,6日ヨルダンのムダハール首相,7日フセイン国王,ハッサン皇太子と会談。
DIA-206-1982-11-01-2マレーシア1982年11月01日1980年代リタウディン商工相,ダンピングに警告―国外からのセメント,鉄鋼,タイルなどのダンピングに対し,必要なら関税引上げで対抗する,と語った。
DIA-206-1982-11-03-1マレーシア1982年11月03日1980年代パハン州のマ共ゲリラ―Temerlohのジャングル周縁部で民間人1名が射殺され,2名が銃創を負った。11日ガザリ国軍参謀総長は同州西部でマ共第6攻撃隊の90~100名が活動中であることを明らかにした。
DIA-206-1982-11-04-1マレーシア1982年11月04日1980年代結社法修正案,下院に上程―12日に結社会議事務局は,修正法案は結社の権利と活動への制限を基本的に除いてないのみならず,結社登録官に新たに権限の拡大を認めており,改悪であると批判(12月8日参照)。
DIA-206-1982-11-04-2マレーシア1982年11月04日1980年代商業銀行金利引下げの動き―10月25日以降,預金金利が0.25~1%引下げられており,貸出金利も今後2カ月内に約1%下がる見込み,という。
DIA-206-1982-11-05-1マレーシア1982年11月05日1980年代Petronas社,半島部第1期ガス開発でEsso Production Malaysia Inc.との買売協定に調印。
DIA-206-1982-11-06-1マレーシア1982年11月06日1980年代ジア・パキスタン大統預,訪マ―マハティール首相などと会談。9日,両国外相は経済・技術協力協定に調印。10日,(1)非同盟運動の本来の原則への復帰,(2)民主カンボジア連合政府結成の歓迎,(3)アフガニスタンの主権と独立の回復支持,(4)イスラエルの侵略非難,(5)フェズにおけるアラブ首脳会議の8項目宣言支持,などを謳った共同声明発表。
DIA-206-1982-11-11-1マレーシア1982年11月11日1980年代ラザレイ蔵相,不況は最終局面にあるとの判断提示。
DIA-206-1982-11-12-1マレーシア1982年11月12日1980年代スフィアン連邦裁長官,退職―後任にはTan Sri Rajah Azlan Shahが同日就任。
DIA-206-1982-11-13-1マレーシア1982年11月13日1980年代ムサ副首相,ビルマ訪問―3日間。両国間の麻薬情報交換に関する交渉継続,米5000㌧の対マ輸出,マレーシアへの医師派遣増員などで合意。
DIA-206-1982-11-14-1マレーシア1982年11月14日1980年代錫生産国協会案,難行―消息筋によればマレーシアが協会独自の緩衝在庫,輸出制限および加盟国からの資金調達制度の明文化と,上記措置発動に関し生産量に比例した投票権を主張しているのに対し,インドネシアは上記措置についてより一般的な表現を要求,全ての問題で各国1票の投票権を主張。
DIA-206-1982-11-14-2マレーシア1982年11月14日1980年代MTUC,来年25%の賃上げ要求を計画。
DIA-206-1982-11-15-1マレーシア1982年11月15日1980年代ペナンの電子産業に不況色強まる―業界筋によれば多くの工場が週6日制から4日制に移行,多量の在庫を抱えこんでいる、という。
DIA-206-1982-11-16-1マレーシア1982年11月16日1980年代州経済開発公社の事業分野制限―ラフィダー公営企業相発表。建設業のように原住民が処理能力を持つ分野,PNB傘下企業と同じ業種,専門的知識を欠く分野,重工業の4分野への参入が禁止された。
DIA-206-1982-11-17-1マレーシア1982年11月17日1980年代ASEAN経済協力―ASEAN経済閣僚会議から帰国したリタウディン商工相は,(1)ASEAN工業プロジェクトは,現行の4件がスムースに稼動するまでは新たな案件に着手すべきではない,(2)ASEAN工業合弁事業が今後のイニシアチブをとることを奨励する,との立場を表明した。
DIA-206-1982-11-17-2マレーシア1982年11月17日1980年代国際天然ゴム機構理事会開催―KLで3日間。
DIA-206-1982-11-18-1マレーシア1982年11月18日1980年代アスリ前Pas党首,党内急進派を批判―コタ・バルの集会で,(1)現在の危機は史上最悪,(2)州議員は辞職せず党内に留まる,(3)党内の急進派はイラン革命の戦術の模倣を図っている,と述べた。同集会にはPasの下院議員4名,州議員7名も参加。20日,同党のユソフ・ラワ党首代理はアスリとその支持者の処分を示唆。
DIA-206-1982-11-19-1マレーシア1982年11月19日1980年代中国全国人民代表大会使節団,訪マ―彭冲全人代常務委員会副委員長ほか10名。
DIA-206-1982-11-19-2マレーシア1982年11月19日1980年代ユーロ借款3億㌦に調印―26金融機関が参加。
DIA-206-1982-11-19-3マレーシア1982年11月19日1980年代政府・後期中等教育の選択科目に日本語導入を示唆。
DIA-206-1982-11-23-1マレーシア1982年11月23日1980年代対EC繊維交渉妥結。
DIA-206-1982-11-23-2マレーシア1982年11月23日1980年代南太平洋地域開発の投資・貿易会社設立―Malaysian Overseas Investment。国内大企業10社が出資。
DIA-206-1982-11-24-1マレーシア1982年11月24日1980年代棒鋼輸入の全面的禁止―25日発効。他の鉄鋼製品輸入にも許可制導入。
DIA-206-1982-11-25-1マレーシア1982年11月25日1980年代チャウシェスク・ルーマニア大統領,訪マ―26日にマハティール首相等と会談。両国は投資保証協定,二重課税防止協定,航空協定に調印。27日,バーター取引の可能性検討に合意などの内容の共同声明発表。
DIA-206-1982-11-26-1マレーシア1982年11月26日1980年代ADB借款認可―2400万米㌦。年利11%,3年据置きを含む20年返済。小型水力発電所建設に利用。
DIA-206-1982-11-28-1マレーシア1982年11月28日1980年代ルック・イースト政策―マハティール首相は,同政策は国民が日ごろ信奉してきた諸価値の実践法を学ぶことを意味する,と語った。
DIA-206-1982-11-30-1マレーシア1982年11月30日1980年代Perbadanan Nasional Shipping Line Bhd.正式発足。
DIA-206-1982-11-30-2マレーシア1982年11月30日1980年代対外債務―林副蔵相の下院答弁によれば,(1)82年9月30日現在の対外債務は120億リンギ(うち市中借入れ83億リンギ),(2)外債利払いは81年6億6120万リンギ,82年は10億3420万リンギの見込み,(3)元本返済は81年1億8020万リンギ,82年4億6130万リンギの見込み。
DIA-206-1982-12-01-1マレーシア1982年12月01日1980年代ピントウルLNG生産計画―マハティール首相の下院答弁によれば,83年は年産170万㌧,84年300万㌧,85年450万㌧、86年以降は600万㌧。
DIA-206-1982-12-01-2マレーシア1982年12月01日1980年代錫生産閣僚会議開催―ナイジェリアのラゴスで。3日,錫生産国協会(ATPC)設立に原則的に合意したものの,緩衝在庫の設立,投票権の配分方式などでの意見の相違調整は今後の交渉に委ねられることになった。
DIA-206-1982-12-01-3マレーシア1982年12月01日1980年代錫輸出制限の影響―7~9月に62鉱山が閉鎖,約2700名が解雇された。
DIA-206-1982-12-01-4マレーシア1982年12月01日1980年代UMNO,MCA,MICの青年部幹部逮捕―8月4目に不法集会を開催した容疑で,1日にスハイミ前UMNO青年部長,2日に李金獅MCA青年部長など計30名が逮捕され,14日に全員に150リンギの科料判決。
DIA-206-1982-12-01-5マレーシア1982年12月01日1980年代半島部の国立病院・診療所の入院・診料費値上げ。
DIA-206-1982-12-05-1マレーシア1982年12月05日1980年代マレーシア・カー製造の趣意書に調印―重工業公社(Hicom)70%,三菱自動社・三菱商事30%の出資で合弁企業を設立。86年に1300ccと1500ccの乗用車8万台を生産開始の計画。総コスト5億6000万リンギ。
DIA-206-1982-12-05-2マレーシア1982年12月05日1980年代アスリ前Pas委員長派,急進派一掃を要求―Pas新指導部が独裁的態度を捨て,急進派を一掃しなければその更迭を求めることになろう,と声明。
DIA-206-1982-12-06-1マレーシア1982年12月06日1980年代SNAP党大会―来たるサラワク州議会選挙で,国民戦線内の選挙区割当ての現状維持を要求。
DIA-206-1982-12-07-1マレーシア1982年12月07日1980年代中曽根政権への反応―New Straits Times社説は,(1)貿易の流れに部分的に従う形で防衛力拡大への期待感が高まっていることに憂慮する,(2)教科書における歴史の書き変えなど,パーセプションの変化を示す端緒的兆候が見られる,と指摘。
DIA-206-1982-12-08-1マレーシア1982年12月08日1980年代結社法修正法案を撤回―7日,ムサ副首相兼内相は,(1)同修正法案は充分にリベラルではなかった,(2)来年3月の会期に全く新しい法案を上程,と語った。
DIA-206-1982-12-08-2マレーシア1982年12月08日1980年代マハティール首相,タイ訪問―プレム首相と会談。9日,プミポン国王に謁見。南タイのムスリム分離運動について,マ政府はタイとの関係を悪化させる国内のいかなる活動も許さない,と言明。
DIA-206-1982-12-08-3マレーシア1982年12月08日1980年代韓国の対マ投資―82年9月現在で13社2億2200万リンギ,そのほとんどが建設業。このほか造船,セメント,鉄道車輌製造で各1社が合弁事業を計画中。
DIA-206-1982-12-09-1マレーシア1982年12月09日1980年代トレンガヌ州州議会補欠選挙の結果―Binjai区有権者8889票,国民戦線4041票,Pas3181票。
DIA-206-1982-12-09-2マレーシア1982年12月09日1980年代MPHB社,総合商社活動に参入―ルクセンブルグのコングロマリットITM Intemational RA社の資本の50%取得と,Guthrie Bnd.社再編成に着手。
DIA-206-1982-12-10-1マレーシア1982年12月10日1980年代刑法・刑事訴訟法修正法案,下院で可決―(1)宗教上の理由で不和,分裂,敵対を惹起する,もしくはそれを試みる者は刑法違反とする,(2)公選された者がとり行うべき宗教的儀式を,法的任命なしに行う者は不和,分裂,敵対を惹起すると見なされうる,など。
DIA-206-1982-12-10-2マレーシア1982年12月10日1980年代下院休会―83年度予算案,81,82年度補正予算案,新証券業法案(政府に空売り規制,KL証券取引所委員会への代表派遣などの権限付与),刑法・刑事訴訟法修正案,イスラム銀行法案,政府投資法案,保険法修正法案,大学・学院修正法案(設立予定の国際イスラム大学への同法の一部規定の適用免除)などを可決。
DIA-206-1982-12-10-3マレーシア1982年12月10日1980年代民主行動党(DAP)党大会―開会に際して曽敏興委員長は,総選挙での不成績は党員間の自己満足とつまらぬ対立によるもの,と指摘。
DIA-206-1982-12-12-1マレーシア1982年12月12日1980年代モーロワ仏首相,公式訪マ―13,14日にマハティール首相と会談。マ側は対仏輸出書類の仏語による作成の義務付けは自由な貿易の流れを阻害と主張。モーロワ首相はマ航空のパリ寄港回数増加を承認。
DIA-206-1982-12-12-2マレーシア1982年12月12日1980年代国家投資信託の82年度配当発表―10%の配当に加え,12.5:1の無償交付。10月末現在の加入者は102万5000人,投資額6億2500万リンギ。
DIA-206-1982-12-15-1マレーシア1982年12月15日1980年代政府,インドが第7回非同盟首脳会議に民主カンボジアを招待していないことに遺憾の意を表明。
DIA-206-1982-12-18-1マレーシア1982年12月18日1980年代金融緩和―ラザレイ蔵相は緊急に金利を引下げ,建設・住宅に優先的に融資するよう金融界に要請。
DIA-206-1982-12-18-2マレーシア1982年12月18日1980年代完成車輸入制限―リタウディン商工相は,年間の完成車輸入台数上限を国内組立車台数の10%とする方針を発表。
DIA-206-1982-12-18-3マレーシア1982年12月18日1980年代マレーシア・ウラマー協会セミナー開催―(1)最近の刑法修正の見直し,(2)ウラマーの上院議員任命などの要請を決議。
DIA-206-1982-12-18-4マレーシア1982年12月18日1980年代世銀借款―クダ州のゴム植替え事業等に5690万米㍉をこのほど認可。3年据置きを含む15年返済。
DIA-206-1982-12-19-1マレーシア1982年12月19日1980年代3野党,連合戦線結成に原則的に合意―Barisan Rakyat Malaysia,Socialist Democratic Party,Workers Partyが参加。すでに連絡委員会設置。
DIA-206-1982-12-21-1マレーシア1982年12月21日1980年代Bank Bumiputra,東京市場で資金調達―100億円のターム・ローン。
DIA-206-1982-12-22-1マレーシア1982年12月22日1980年代第4の総合商社設立に調印―Sime Darby Pemas Tradiny Corp. Sdn. Bhd。払込み資本は5億リンギ(SD社60%,Pemas社40%)のもよう。SD社の海外ネット・ワークを利用した貿易業務のほか,バーター貿易も手がける計画。
DIA-206-1982-12-31-1マレーシア1982年12月31日1980年代前N・スンビラン州州議会議長殺害事件―KL高裁は被告4人のうち2人を証拠不充分で釈放。モクタール文化・青年・体育相ほか1名の審理は継続。
DIA-206-1983-01-01-1マレーシア1983年01月01日1980年代グラヴェル・ポンプ鉱山の現状―84年4月のスズ輸出規制実施以降、52鉱山が閉鎖、3463人を解雇。
DIA-206-1983-01-05-1マレーシア1983年01月05日1980年代砂糖小売価格引下げ―半島部7.1%、サバ、サラワク6.5%の値下げ。
DIA-206-1983-01-07-1マレーシア1983年01月07日1980年代香港での不良債権問題―公式筋は、Bumiputra Malaysia Finance社(香港、Bank Bumiputraの子会社)がEda Investment社とCarrian Investment社の救済計画を支持しない旨、明らかにした。
DIA-206-1983-01-07-2マレーシア1983年01月07日1980年代MOIC発足―Malaysia Overseas Investment Corp.。MMC、MPHB、UMWなど8社、2銀行家が参加、南太平洋での投資とマ製品販売を計画。
DIA-206-1983-01-09-1マレーシア1983年01月09日1980年代トルドー・カナダ首相、訪マ―マハティール首相と貿易・投資拡大、カンボジア問題等を討議。
DIA-206-1983-01-11-1マレーシア1983年01月11日1980年代豪空軍撤退問題―ムサ副首相によれば、政府はこのほど財政難を理由に撤退延期を要請した。
DIA-206-1983-01-12-1マレーシア1983年01月12日1980年代Pas党内対立―アスリ前党首派は急進派5名の氏名を公表し、執行部に統制または除名を要求。
DIA-206-1983-01-13-1マレーシア1983年01月13日1980年代ソ連大使館狙撃事件―大使書斎の窓を破壊。「国際ムスリム同胞組織」が14日犯行を声明。
DIA-206-1983-01-14-1マレーシア1983年01月14日1980年代解雇状況―労働・人力省によばれ、82年4~12月に半島部10州で電子、繊維、木製品および鉱山業を中心に3500名が解雇された。
DIA-206-1983-01-15-1マレーシア1983年01月15日1980年代「プリブミ」の呼称―Ongkiliサバ州副首相は、州民統一の促進のため1月1日よりBumiputraに代えPribumiの呼称採用を指示したが、使用を強制したり各種族の名称を廃したりする意図はない旨、語った。
DIA-206-1983-01-15-2マレーシア1983年01月15日1980年代Tembelingダム建設計画廃棄を発表。
DIA-206-1983-01-18-1マレーシア1983年01月18日1980年代首相、国内貿易業界を批判―シンガポール経由の輸出という安易な方法が、サービス輸出の機会喪失、マ版総合商社の直接貿易増加の失敗を招来、と批判。
DIA-206-1983-01-20-1マレーシア1983年01月20日1980年代今次不況の意義―ムサ副首相によれば、(1)マ経済の一定の構造的弱さを明らかにした、(2)今後の開発の基本戦略見直しの必要性を提起した。
DIA-206-1983-01-20-2マレーシア1983年01月20日1980年代政府の経済政策批判―第7回経済学会の席上、(1)ルック・イースト政策は日韓両国の経済的利益へのマレーシアの従属を深化させる、(1)同政策には労働者の利益を抑圧する要素が内在する、(3)マ市場は自動車産業を支えるには狭隘すぎる、等の批判が提起された。
DIA-206-1983-01-21-1マレーシア1983年01月21日1980年代ゴム産業・小保有農開発庁、改組へ―ライス土地・地域開発相は、小保有農の生活水準向上という目的に沿った同庁(Risda)の組織再編の必要があるとして、同庁の子会社への投資規制策を発表した。
DIA-206-1983-01-21-2マレーシア1983年01月21日1980年代「シーレーン」防衛問題―ガザリ外相は、(1)日本はASEANの水域外に留まり、沿岸諸国によるシーレーン防衛努力を間接的に援助すべきである、(2)日本が関連諸国の開発への借款を増やすことで、これらの諸国は軍事的ハードウェア購入に資金を回わせる、と述べた。
DIA-206-1983-01-23-1マレーシア1983年01月23日1980年代マハティール首相、公式訪日―24、25の両日中曽根総理と会談。日本側はシーレーン防衛は台湾、比またはグアムに拡大されないと説明、マ首相は自衛と自衛力強化はあらゆる国の権利との見解を示した。25日、同首相は日本が、(1)特別円借款500億円、第9次円借款210億円の供与を約束、(2)ルック・イースト政策成功への協力を保証、と語った。これに先立ち同首相は24日、日本の経済界に対し、対マ投資に伴う雇用増加のみならず、技術移転の必要性を強調した。26日以後、筑波、浜松、名古屋等を訪問、29日帰国した。なお25日、両国は期間3カ月の査証免除に関する協定に調印した。
DIA-206-1983-01-23-2マレーシア1983年01月23日1980年代企業内組合の導入問題―アディブ情報相は、(1)政府は現行の労働組合の企業内組合への再編を考慮中、(2)この構想は日本の企業内組合のあり方を基礎とし、労働者の利益を損うことなしに工業化を持続することが目的、(3)企業内組合には他の団体への加入を認めない、と述べた。しかし25日、ムサ首相代理は、既存の労働組合制度は放棄せず、未組織部門について同構想を含む最善のあり方を検討する方針を明らかにした。労働界は、企業内組合が搾取を受け易いとして否定的見解を表明。
DIA-206-1983-01-24-1マレーシア1983年01月24日1980年代マラヤ共産党ゲリラの勢力―ムサ首相代理によればマ・タイ国境にマ共陳平派1120名、ML派605名、革命派111名。国内ではベラ州111名、パハン・ペラ・スランゴール州境地域98名、クランタン州47名。
DIA-206-1983-01-26-1マレーシア1983年01月26日1980年代シンガポールへの天然ガス供給に関する第1回公式会談。
DIA-206-1983-01-29-1マレーシア1983年01月29日1980年代Pas、アスリ前党首派の懲罰を発表―アスリ前党首ほか7名(うち下院議員1名)を党員権無期停止、2名を除名、3名(下院議員2名)を戒告処分に付した。上記13名は31日、対策を協議するための行動委員会と情宣委員会を組織した。
DIA-206-1983-01-29-2マレーシア1983年01月29日1980年代サバ州議会Bangi区補欠選挙―Berjayaの候補者が無競争当選。
DIA-206-1983-01-29-3マレーシア1983年01月29日1980年代全国土地法典の修正へ―ライス土地・地域開発相はUmno機関誌上で、非公民による住宅・農業用地の所有を禁止し、投機資金流入を抑制するため、同法典第43条(C)を修正する意向を明らかにした。
DIA-206-1983-01-29-4マレーシア1983年01月29日1980年代ビントゥルLNG、対日輸出開始―価格交渉が最終的に決着しないまま第1船が出港。
DIA-206-1983-02-01-1マレーシア1983年02月01日1980年代サバ・サラワクで木材伐採の自主規制―サバ木材協会は会員に対し、即時伐採中止と旧正月休暇の延長(45日間)を要請、22日にはサラワク木材協会も今後3カ月にわたる50%の生産削減を決定した。
DIA-206-1983-02-01-2マレーシア1983年02月01日1980年代ゴム価格―国内業界筋は、米国、日本等の在庫水準が極めて低くなったため、3月までには相場が反騰、83年平均でキロ当り240~250センになろうと予測。
DIA-206-1983-02-02-1マレーシア1983年02月02日1980年代国王、ブルネイ訪問。
DIA-206-1983-02-02-2マレーシア1983年02月02日1980年代マ・タイ二重課税防止協定、批准。
DIA-206-1983-02-02-3マレーシア1983年02月02日1980年代Pasアスリ派の動向―。本日、処分に関する公開討論を要求、4日にクダ、プルリス州に行動委員会と情宣委員会設置、9日からクランタン州を中心に集会開催。
DIA-206-1983-02-03-1マレーシア1983年02月03日1980年代ムサ副首相、Bank Bumiputra批判―ブミプトラ援助のため設立された銀行、金融機関は、本来の設立趣旨を忘れてまで、過剰な対外投資をなすべきではない、と指摘。
DIA-206-1983-02-03-2マレーシア1983年02月03日1980年代州経済開発公社の新規合弁企業設立を一時中止―ラフィダー公営企業相は同時に、同公社が現在着手中のプロジェクトを可及的速やかに実施するよう指示。
DIA-206-1983-02-07-1マレーシア1983年02月07日1980年代M・Kapitsaソ連外務次官、訪マ―ガザリ外相と会談。同外相は24日、同次官がソ連もカンボジア問題の政治解決を望むことを示唆した旨、明らかにした。
DIA-206-1983-02-07-2マレーシア1983年02月07日1980年代繊維産業救済策―劉副商工相は、輸入原材料への販売税免除、特別電気料金導入、輸出奨励措置(課税控除を含む)の改善など概要のみを示した。
DIA-206-1983-02-07-3マレーシア1983年02月07日1980年代公務員採用凍結策の適用範囲拡大―従来のC、D級からA、B級(必須業務を除く)に拡大。
DIA-206-1983-02-07-4マレーシア1983年02月07日1980年代サバ州ガス収集用配管システム建設契約―サバ・エネルギー公社と日本鋼管等4社。84年半ば完工予定。
DIA-206-1983-02-09-1マレーシア1983年02月09日1980年代ムサ副首相、シンガポール訪問―運輸、教育、保健、連邦領、住宅・地方政府の各省副大臣が同行。リー首相等と会談、麻薬取締り、対マ投資拡大等を討議したほか、11日、対シ給水を保証する旨声明。
DIA-206-1983-02-09-2マレーシア1983年02月09日1980年代Hashim Endut下院議員(Hulu Muda区、Umno)、汚職で有罪判決を受け辞任。
DIA-206-1983-02-14-1マレーシア1983年02月14日1980年代農村再建事業の失敗―全国・農村開発省政務次官は、各村の同事業担当者の非能率と情実により、79年以来投入した1億リンギが無に帰した旨明らかにした。
DIA-206-1983-02-17-1マレーシア1983年02月17日1980年代地域開発事業の批判―ムサ副首相によれば、全国7の地域開発庁は、計画の一貫性欠如、機能の明確な認識欠如、土地開発に関する権限の欠如等により、ニュー・タウン建設、農外雇用創出等の目標達成に失敗。
DIA-206-1983-02-17-2マレーシア1983年02月17日1980年代金融緩和―ラザレイ蔵相は金融界に対し、建設・住宅・食糧生産および原住民への与信拡大、金利引下げを要請。21日以降各商業銀行は基準貸出金利を0.5~1%引下げ、併せて預金金利を下げた。
DIA-206-1983-02-19-1マレーシア1983年02月19日1980年代全国麻薬撲滅キャンペーン開始。
DIA-206-1983-02-20-1マレーシア1983年02月20日1980年代BMF問題―ラザレイ蔵相は、(1)BMF社の香港での貸出は通常業務の範囲を逸脱していない、(2)Bank Bumiputraが事態を調査中、と語った。
DIA-206-1983-02-21-1マレーシア1983年02月21日1980年代財政引締の継続―ラザレイ蔵相によれば、財政ポジションは少なくとも85年まで逼迫の見込みであり、各省庁には当初予算以上の支出は認めない方針。
DIA-206-1983-02-21-2マレーシア1983年02月21日1980年代Mohamedペラ州首相、健康上の理由で辞表提出―後任はRamli Ngah Talib(3月1日就任)。
DIA-206-1983-02-23-1マレーシア1983年02月23日1980年代アスリほか幹部5名、Pas離党―25日に同様の発表を行なった5名と併せ、1月29日に懲罰処分を受けた13人の幹部全員が離党。アスリ前党首は今後、新党結成か国民戦線の1党への加入かを検討すると述べた。
DIA-206-1983-02-24-1マレーシア1983年02月24日1980年代首相、「マレーシア株式会社」構想発表―行政研究所での演説によれば、(1)公共・民間両部門の溝を埋め、急速な工業化を促進するため、「マレーシア株式会社」を形成する、(2)政府は民間部門の生産を援助するためのサービス機関の役割を果たす、(3)PernasやHicomのような機関の機能に変更はない。同時に首相は、このシステムは日本の官民協力と同様のもの、と語った。
DIA-206-1983-02-25-1マレーシア1983年02月25日1980年代韓国への技術研修生派遣―各省庁専門職41名(9カ月)と工学部新卒者12名。
DIA-206-1983-02-25-2マレーシア1983年02月25日1980年代スズ、ロンドン金属市場で高騰―81年11月以来の高値(3カ月先物でトン当り8740㌦)をつけた。
DIA-206-1983-02-26-1マレーシア1983年02月26日1980年代公共部門業務の民営化―ムサ副首相は、過去数年で政府の役割は増大する一方であり、多額の支出と責任を負担しきれない可能性もあるため、教育以外の全分野で民営化の可能性を検討中である旨語った。
DIA-206-1983-02-27-1マレーシア1983年02月27日1980年代ゴム相場、上昇基調へ―KL市場で83年年初のキロ当り181センを底に1月下旬に上昇に転じ2月25日に232・5センとなった。梁第一次産業相は、米国経済の回復見込み、消費国の金利低下、中・ソ・西独の買い、ポンド下落などを要因として指摘した。
DIA-206-1983-02-28-1マレーシア1983年02月28日1980年代4回目の円建債(150億円)発行に調印。
DIA-206-1983-02-29-1マレーシア1983年02月29日1980年代アスリPas前党首、新党結成の方針を確認―コーランとハディスに基礎を置く党となろうと述べた。
DIA-206-1983-02-29-2マレーシア1983年02月29日1980年代カウンター・トレード政策―マハティール首相は(1)同方式は保護主義に鑑みて魅力的になっている、(2)自由貿易ほどうまく機能しないが、今や選択肢はカウンター・トレードか貿易をしないかである、と語った。
DIA-206-1983-02-29-3マレーシア1983年02月29日1980年代閣僚・下院議員への小規模事業歳費、既に廃止―従来は小規模プロジェクトのため閣僚は5000リンギ、下院議員は2000リンギまでの使用が認められていた。
DIA-206-1983-03-02-1マレーシア1983年03月02日1980年代ガザリ外相、非同盟運動の現状を批判―外相会議の席上、(1)外国軍隊による占領を容認している、(2)資格停止、除名の基準と手続の検討が必要、と指摘。
DIA-206-1983-03-02-2マレーシア1983年03月02日1980年代ルック・イースト在日研修―第1期135名が研修終了。第2期238名は4月、第3期242名は9月開始。
DIA-206-1983-03-05-1マレーシア1983年03月05日1980年代KL高裁、文化・青年・体育相に死刑判決―昨年4月にN・スンビラン州議会前議長を殺害。共犯者1名にも死刑判決。被告、検察側はともに控訴した。
DIA-206-1983-03-08-1マレーシア1983年03月08日1980年代非同盟首脳会議でのマハティール首相演説―(1)民主カンボジアが欠席を強制されているのは遺憾、(2)南極開発には海洋法と同様の国連中心の協力が必要、(3)マレーシアは南北対話ではなく南々協力を追究している。
DIA-206-1983-03-08-2マレーシア1983年03月08日1980年代マハティール=サッチャー非公式会談―11日マハティール首相は、(1)英政府・経済界には明確な変化が存在、(2)Buy-British-last政策は見直す、と語った。
DIA-206-1983-03-09-1マレーシア1983年03月09日1980年代結社法修正問題―結社会議事務局は31項目の勧告をムサ首相代理に提出。11日同首相代理は今回修正は2年前の修正を旧法に戻すことになる、と述べた。
DIA-206-1983-03-11-1マレーシア1983年03月11日1980年代ペナン橋梁工事の技術者養成―第1期終了。Hyundai Engineering and Construction社が後援。
DIA-206-1983-03-13-1マレーシア1983年03月13日1980年代3野党、連合結成―マレーシア人民戦線、社会民主党、労働者党がマレーシア人民会議を結成。
DIA-206-1983-03-14-1マレーシア1983年03月14日1980年代下院開会。
DIA-206-1983-03-15-1マレーシア1983年03月15日1980年代BMF問題―ラザレイ蔵相は下院答弁で、(1)政府はBank Bumiputraが財政的困難に陥らぬよう同行を全面的に支持する、(2)既に中央銀行には事態の調査を指示してある、と述べた。
DIA-206-1983-03-15-2マレーシア1983年03月15日1980年代技術移転問題―ムサ副首相は、(1)工業化には従来の漸進的接近ではなく、技術革新時代に直接入ることが必要、(1)当面の最大の希望は先進国からの技術移転にある、との見解を示した。
DIA-206-1983-03-15-3マレーシア1983年03月15日1980年代下院Hulu Muda区(クダ州)補欠選挙―国民戦線(Umno)のOthman Abdulが1万4939票で当選。次点Pas1万0266票、無所属159票、投票率75.9%。
DIA-206-1983-03-17-1マレーシア1983年03月17日1980年代結社法修正案、下院上程―(1)政治結社と友誼団体の区別廃棄、(2)登録官の一定結社への登録拒否権廃棄、(3)国外団体への加入規定(第11条A)廃棄など。
DIA-206-1983-03-17-2マレーシア1983年03月17日1980年代麻薬取締り2法の修正案上程―麻薬法の処罰規定を厳しくし、毒物法の取締対象にヘロイン等の精製触媒を追加。
DIA-206-1983-03-19-1マレーシア1983年03月19日1980年代原油価格引下げ―引下げ幅は平均でバレル当り5.50米㌦、代表的油種のTapisで5.80米㌦。
DIA-206-1983-03-19-2マレーシア1983年03月19日1980年代率先垂範キャンペーン開始。
DIA-206-1983-03-20-1マレーシア1983年03月20日1980年代ナシール総理府相(Berjasa党首)、6月1日付けで閣僚辞任と語る。既に首相が了承ずみ。
DIA-206-1983-03-22-1マレーシア1983年03月22日1980年代スズ、ロンドン市場で高値―トン当り9180㌦をつけた。23日、梁第一次産業相はポンド切下げ、運賃・保険等を考慮すると、国際緩衝在庫の低価格帯で低迷するペナン相場よりも低い、との見解を示した。
DIA-206-1983-03-22-2マレーシア1983年03月22日1980年代国王、韓国を公式訪問。
DIA-206-1983-03-22-3マレーシア1983年03月22日1980年代マ・日、日・マ経済協会合同会議開催―陳羣川MPHB会長は、日本の建設企業は優れた技術ゆえに第4次5カ年計画プロジェクトの相当数を得たが、その実施に当りローカルコンテンツを利用しないため、国内産業や専門職従事者の不満を招いていると指摘した。
DIA-206-1983-03-24-1マレーシア1983年03月24日1980年代新なイスラム野党結成―アスリ前Pas党首はHisbulmuslimin Malaysia(イスラム戦線、略称Hamim)の結成を発表。主要目標は、社会構成を踏まえつつイスラムの純粋性と公正を反映する政府と社会の建設。なお6月10日に政党登録が認められた。
DIA-206-1983-03-25-1マレーシア1983年03月25日1980年代李三春、MCA党首と閣僚を辞任と発表―(1)現在ほどMCAが安定した時期はなく、辞任の潮時である、(2)後継者も指導力強化の時間が得られる、(3)下院議員も辞任するつもり、と語った。本日の中央執行委員会は梁維伴の党首代理就任を決議した。
DIA-206-1983-03-26-1マレーシア1983年03月26日1980年代MIC副委員長、党員権停止に処される―ヴェル党首は、党財政面の責任を果たさず、権限を乱用したとの理由でGovindarajの党員権を停止する旨発表。
DIA-206-1983-03-28-1マレーシア1983年03月28日1980年代マハティール首相、ブルネイ訪周―29日帰国し、現在両国間に法的側面の相違による国境問題が存在し、ある種の国境取極め締結の検討が必要、と述べた。
DIA-206-1983-03-28-2マレーシア1983年03月28日1980年代5カ国統合防空システムの演習実施。
DIA-206-1983-03-30-1マレーシア1983年03月30日1980年代モクタール文化・青年・体育相、辞任。
DIA-206-1983-03-30-2マレーシア1983年03月30日1980年代スズ生産国連合設立取極めで合意―マレーシア、インドネシア、タイ、ボリビア、ナイジェリア、ザイールがバンコクでの生産国閣僚会議の席上で決定。
DIA-206-1983-03-30-3マレーシア1983年03月30日1980年代日・仏企業連合、ガス発電機受注―ガス・蒸気結合タービン3基(計900MW、3億3470万米㌦)をPaka発電所に納入。
DIA-206-1983-03-31-1マレーシア1983年03月31日1980年代中銀、特定グループ融資ガイドライン発表―住宅購入と小規模・零細事業への貸出金利の上限設定、住宅購入、小規模事業、農業、製造業、原住民への融資の量的達成目標などを含む。
DIA-206-1983-03-31-2マレーシア1983年03月31日1980年代BMF問題―Aziz中銀総裁は、BMF貸出は銀行の通常の慎重さを越える過剰貸出との見解を示した。
DIA-206-1983-03-31-3マレーシア1983年03月31日1980年代ハリス・サバ州州首相、Bernama社とNew Straits Times社の州政府からの取材を禁止。
DIA-206-1983-03-31-4マレーシア1983年03月31日1980年代ソン・サン民主カンボジア連合政府首相、訪マ。
DIA-206-1983-04-01-1マレーシア1983年04月01日1980年代上院休会。
DIA-206-1983-04-01-2マレーシア1983年04月01日1980年代石油製品値下げ―ガンリンをレギュラー、プレミアムともに1㍑4セン値下げ、その他の製品は据置き。この結果、ディーゼル油、灯油の補助金は年額11億5700万リンギのうち4億リンギが節約される見込み。また今後はシンガポールのブコム島公示価格公示製油量、米ドル・レートを組込んだ方式により価格調整を行なう。
DIA-206-1983-04-02-1マレーシア1983年04月02日1980年代Buy-British-last政策の中止―マハティール首相は、総理府は英国企業による各省庁・政府機関との契約・入札をもはや審査しないと発表。
DIA-206-1983-04-04-1マレーシア1983年04月04日1980年代Malaysia Incorporated構想―マハティール首相は、同構想は、マレーシアの種族間経済格差と文化を斟酌しながら民間と政府の密接な関係実現を図るものであり、若干の政府業務の下請化とは無関係と説明。
DIA-206-1983-04-04-2マレーシア1983年04月04日1980年代多国間交渉の比重低下―ムサ副首相は、UNCTADやGATTといった会議の成果に失望しており、今後は地域または二国間の関係に力を集中すると語った。
DIA-206-1983-04-05-1マレーシア1983年04月05日1980年代韓国へ政府間取極めによる研修生55名派遣。
DIA-206-1983-04-07-1マレーシア1983年04月07日1980年代Wolfowitz米国務次官補、訪マ―8日、カンボジア問題政治解決でASEAN支持を確認。9日、ムサ副首相は米国のスズ戦略備蓄放出計画の提示を要請。
DIA-206-1983-04-07-2マレーシア1983年04月07日1980年代稲の病害―農業局によれば、プニャキット・メラー・ヴァイラルを抑えなければ、1年以内にムダ灌漑地域全域に蔓延し、被害は1季につき籾約46万㌧、2億8900万リンギにのぼるおそれがある。
DIA-206-1983-04-08-1マレーシア1983年04月08日1980年代タイ・カ国境難民収容所攻撃に抗議―マ外務省は駐マ・ベトナム大使を通じて抗議を表明、さらに中ソを含む18カ国の大使と個別に会見し、上記抗議の内容を伝達した。ASEANの外交キャンペーンの一環。
DIA-206-1983-04-10-1マレーシア1983年04月10日1980年代ソ連外務次官発言への非難―マハティール首相は、シンガポールにおける同次官の警告は、ソ連のこの地域に対する野心とASEAN5カ国転覆の意図を事実上公然と認めたもの、と非難。14日、Umno、MCA、MIC各青年部はKLで統一抗議集会開催。
DIA-206-1983-04-10-2マレーシア1983年04月10日1980年代スズ輸出規制―梁第一次産業相は、同規制が少なくとも年末まで継続されるとの見通しを示した。
DIA-206-1983-04-10-3マレーシア1983年04月10日1980年代MIC中央執行委員会、副委員長等への処罰了承。
DIA-206-1983-04-10-4マレーシア1983年04月10日1980年代ペラ州州議会補欠選挙―国民戦線(Umno)6166票、Pas2538票、無効174票、投票率65.0%。
DIA-206-1983-04-11-1マレーシア1983年04月11日1980年代Pegi社、英Dunlop社株を買進め―Dunlop Holdings社株を650万株取得と発表。同社は3月29日に700万株を取得、21.6%を支配する最大株主となっていたが、今回の取得で支配比率を26.1%に引上げた。
DIA-206-1983-04-14-1マレーシア1983年04月14日1980年代非居住者に対する金融面の規制緩和―居住者の非居住者への支払認可を全面的に商業銀行に委ね、非居住者企業の国内での借入れ上限を条件付きで撤廃。
DIA-206-1983-04-14-2マレーシア1983年04月14日1980年代ユーロ協調融資5億5000万米㌦取入れに調印。
DIA-206-1983-04-15-1マレーシア1983年04月15日1980年代国家投資信託の配当・ボーナス発表―計9800万リンギ。親会社PNB社の82年投資は29社9億6800万リンギ、82年末の累積投資額は31億6000万リンギ。
DIA-206-1983-04-16-1マレーシア1983年04月16日1980年代マハティール党首、Umnoの不文律を強調―(1)党の統一を犠牲にしてまで民主主義を求めない、(1)指導者は辞任を強制または説得されることなく、自らその時機を判断すべきである、(3)党の幾つかのポストは無競争で選出されるべきである、等。
DIA-206-1983-04-16-2マレーシア1983年04月16日1980年代Berjasa党大会開催―ナシール党首は立候補を撤回し、首席副委員長Hj.Wan Hashimが党首に昇格。
DIA-206-1983-04-18-1マレーシア1983年04月18日1980年代マハティール首相、南アジア3カ国歴訪―バングラデシュでは独自の技術協力プログラムの枠内での協力を提起、両国は海運協定と二重課税防止協定に調印。スリランカでは文化協定に調印、海運協定と経済・技術協力協定について協議、マルディヴでは経済・技術協力協定の締結に合意した。26日に帰国。
DIA-206-1983-04-21-1マレーシア1983年04月21日1980年代ブルネイのスルタン、訪マー国王、ムサ首相代理等と会見。
DIA-206-1983-04-22-1マレーシア1983年04月22日1980年代旱魃―ヴェル建設相は、今後1週間内に多量の降雨がなければ、給水制限は不可避と声明。
DIA-206-1983-04-25-1マレーシア1983年04月25日1980年代電子産業、急速に回復へ―米国、ヨーロッパの需要回復を受け国内生産が年初から急増している。
DIA-206-1983-04-25-2マレーシア1983年04月25日1980年代インド人への大学入学枠の拡大要求―ヴェルMIC党首は現行の8.25%から10%への拡大を希望する旨表明した。
DIA-206-1983-04-27-1マレーシア1983年04月27日1980年代KL株式市場、史上最高値―New Straits Times工業普通株指数は過去8週間で180ポイント上昇、1260.55を記録(従来は81年6月26日1245.34が最高値)。
DIA-206-1983-04-28-1マレーシア1983年04月28日1980年代マハティール首相、ラブアン天然ガス事業に不正に関与との噂を否定。
DIA-206-1983-04-28-2マレーシア1983年04月28日1980年代オスマン連邦領相、このほど辞表提出。
DIA-206-1983-04-28-3マレーシア1983年04月28日1980年代首相、豪州の対越援助再開に反対表明―訪マしたヘイドン豪外相に対し、援助再開はハノイと国際社会からカンボジア占領承認と見なされる恐れがあり、ASEANと世界の政治解決協力を損う、と語った。
DIA-206-1983-04-29-1マレーシア1983年04月29日1980年代Pas党大会―Yusof Rawa党首とFadzil Noor筆頭副委員長を無競争で再選。Yusof党首は、(1)党をウラマの指導下におくべく再組織する、(2)イラン革命の盲目的模倣はしない、と述べた。大会はウラマ評議会設置を伴う組織改造の決議を条件づきで可決したほか、現行教育のイスラム的教育制度への改編、イスラム運動への政府の差別と抑圧撤廃等の要求を決議した。
DIA-206-1983-05-01-1マレーシア1983年05月01日1980年代Umno党内闘争―マハティール党首は、一定指導者の「副官」が「将校のレッテルを貼られた党員」を活動させ、党内を分裂させている、と警告。
DIA-206-1983-05-03-1マレーシア1983年05月03日1980年代パレスチナ問題アジア・太平洋会議開催―KLで4日間。43カ国、20国際機関が参加。6日、パリでの全体会議に提出する行動計画(KL計画)を採択。
DIA-206-1983-05-04-1マレーシア1983年05月04日1980年代MCA、麦漢錦を首席副委員長代理に任命―従来は首席副委員長とするのが慣例。副委員長を兼任。
DIA-206-1983-05-05-1マレーシア1983年05月05日1980年代Petronas社の生産・投資計画―Rastam Hadi専務理事によれば、(1)83年生産量を前年の30万b/dから36万b/dに増やす、(2)原油価格はバレル当り35米㌦から30米㌦へ低下したものの、Petronasの収入は82年の22億米㌦から本年は23億米㌦に僅増の見込み、(3)マ原油の約20%、石油製品の57%はスポット市場に売却、(4)子会社Carigali社の支出は82年度11億リンギに対し本年度14億リンギの見込み、(5)ミリ沖随伴ガス(日量1億5000万立方㍍、現在は焼却)のビントゥルLNGプラントへの供給を検討中。
DIA-206-1983-05-05-2マレーシア1983年05月05日1980年代竹下蔵相、訪マ―ラザレイ蔵相は会談後、日本側が、(1)在マ・日本企業に対する、とくに原住民経済界の不満の調査、(2)海運・保険でのマ側のシェア拡大、(3)対日輸出拡大の方法に関する討議継続等を約束、と発表。
DIA-206-1983-05-07-1マレーシア1983年05月07日1980年代首相、このほどMansur副エネルギー・通信・郵政相が辞意を表明したことを確認。
DIA-206-1983-05-08-1マレーシア1983年05月08日1980年代中曽根総理、訪マ―2日間、到着に際し同総理は人的交流拡大の持続により両国の繁栄の内実ある基礎を形成しうると演説。晩餐会席上でマハティール首相は、マおよびASEANへの開発援助は安全保障にも寄与、と指摘。両首脳の会談等を通じて、マ側は製品・一次産品の対日輸出拡大、技術移転の促進、資金協力の条件緩和を要請し、日本側は、(1)84年1月1日からの製造業品に対するGSP輸入枠の50%拡大の予定、(1)パーム油関税引下げの検討、(3)日本・ASEAN科学技術相会議開催の提案、(4)特別円借款条件の緩和検討、等を表明した。
DIA-206-1983-05-08-2マレーシア1983年05月08日1980年代首相・ルック・イースト政策批判を非難―中曽根総理歓迎の晩餐会の席上、同政策の信用を損ねようとする試みがいっせいに行なわれているが、このため逆にマ政府は同政策の正しさを確信するに至った、と述べた。
DIA-206-1983-05-08-3マレーシア1983年05月08日1980年代景気見通し―Sabaruddin副蔵相は、本年の経済成長率は約4.5%に留まり、本年と来年の経済回復は60、70年代のような成長とはなるまい、と述べた。
DIA-206-1983-05-10-1マレーシア1983年05月10日1980年代マハティール首相、トルコ等3国歴訪―ユーゴスラヴィア10~12日、トルコ12~16日、ル_マニア16~18日。首相は18日帰国して、(1)南―南関係を促進、(2)3国とのカウンタートレード促進を決定、(3)マの一次産品市場を開拓、等の成果を明らかにした。
DIA-206-1983-05-12-1マレーシア1983年05月12日1980年代マラッカ州知事にTun Syed Zahiruddin Syed Hassan任命(3期目)。
DIA-206-1983-05-13-1マレーシア1983年05月13日1980年代Berjaya党パパール支部、オスマン支部長(党副委員長、前連邦区相)の不信任を決議。
DIA-206-1983-05-16-1マレーシア1983年05月16日1980年代都市・農村の格差―ムサ首相代理は、都市住民と農村住民の格差が拡大しつつある現実を認めるべきである、と発言。
DIA-206-1983-05-21-1マレーシア1983年05月21日1980年代Umnoの目標―ムサ首席副委員長は、(1)同党の闘争はもはやマレー人や党指導者のためのみに限られない、(2)党員は種族・宗教の別なく国民に共通かつ受容しうる問題をとり上げるべきである、と述べた。
DIA-206-1983-05-22-1マレーシア1983年05月22日1980年代公務員採用凍結問題―内外の新卒者2万人に影響が出るもよう。政府は奨学金に伴う7年間の公務員勤務の義務を解除し、民間への就職を要請中。
DIA-206-1983-05-23-1マレーシア1983年05月23日1980年代マレーシア・カー生産で合弁取極めに調印―Proton社(Perusahaan Otomobil Nasional Sdn.Bhd.)を設立。払込み資本1億5000万リンギ、Hicom70%、三菱自動車15%、三菱商事15%の出資。同プロジェクトの総経費は5億6000万リンギで85年7月に出荷開始、86年8.9万台、89年12万台の生産を予定。
DIA-206-1983-05-23-2マレーシア1983年05月23日1980年代マ・シ株式市場での資金調達―年初来22社が計9億7685万リンギの権利付き新株発行を発表、うち3分の1が引受け済みとなった。市場筋は調達企業の増加もあり、今後2、3カ月で10億リンギが調達されると予測。
DIA-206-1983-05-26-1マレーシア1983年05月26日1980年代梁第一次産業相、スズ精鉱密輸による輸出規制妨害を厳重に処分、と警告。
DIA-206-1983-05-26-2マレーシア1983年05月26日1980年代スイス市場で2億スイス・フラン借款に調印。
DIA-206-1983-05-26-3マレーシア1983年05月26日1980年代Berjasa書記長Ismail Ali,Umno入党。
DIA-206-1983-05-28-1マレーシア1983年05月28日1980年代住宅建設に大幅な遅れ―New Straits Times紙によれば、第4次5カ年計画の民間・公共両部門の建設目標92万3000戸に対し、81、82年の実績は15万6400戸に止まった。
DIA-206-1983-05-31-1マレーシア1983年05月31日1980年代劉集漢、副商工相を辞任と発表―内閣改造の時点で発効。下院議員、MCA副委員長のポストは維持。
DIA-206-1983-05-31-2マレーシア1983年05月31日1980年代日本企業およびルック・イースト政策への批判―日本の経験に関するセミナーの席上、(1)在マ日本企業は日本の労使関係をマレーシアに持込んでいない、(2)ルック・イースト政策は、労働者の動機づけを目的とする企業内福祉やその他の日本のシステムの導入とは無関係である、との批判がマ側参加者からなされた。
DIA-206-1983-06-01-1マレーシア1983年06月01日1980年代李文彬、保健省政務次官辞任を発表―MCA中央委員。下院議員も今期限りで辞める意向。
DIA-206-1983-06-02-1マレーシア1983年06月02日1980年代第3次マハティール内閣発足―総理府相、文化・青年・体育相、連邦領相、保健相にそれぞれDr.James Ongkili(前サバ州州副首相)、Anwar Ibrahim(前副総理府相)、Shahrir Abdul Samad(前副商工相)、陳漢源(前副農相)、また運輸相に張漢源(前保健相)が任命されたほか、副大臣に新人5名(2名は前政務次官)、政務次官に同4名が任命された。
DIA-206-1983-06-03-1マレーシア1983年06月03日1980年代ムサ副首相、補助金への依頼心を批判―とくに農村部住民の、政府補助金に依存するのみで自立心を棄てるようなdole mentalityの危険性を指摘し、現在の経済不振はこの態度を一掃する好機、と述べた。
DIA-206-1983-06-04-1マレーシア1983年06月04日1980年代MIC党大会―S・ヴェル党首は、(1)関係省庁にインド人に対する資本・雇用の割当て実現を図るよう要請、(2)党もMika Holdingsを通じてインド人社会の資金動員に努力する方針、等と語った。大会は各レベル指導者への権限集中を図る党規約修正を可決。
DIA-206-1983-06-04-2マレーシア1983年06月04日1980年代パハン州議会補欠選挙―DAP5719票、国民戦線(MCA)3879票、無効149票、投票率72.8%。
DIA-206-1983-06-09-1マレーシア1983年06月09日1980年代中小スズ鉱山に閉山勧告―ラザレイ蔵相は鉱山界との予算前対話の場で、採算の限界にある鉱山は閉山し労働者を他産業に回わす必要があると指摘。
DIA-206-1983-06-10-1マレーシア1983年06月10日1980年代金利引下げ―ラザレイ蔵相は金融界との予算前対話に際し、金利引下げを要請。23日以降、各商業銀行は貸出基準金利を0.5~0.75%引下げた。
DIA-206-1983-06-12-1マレーシア1983年06月12日1980年代ペラ州とジョホール州、他州より1日早くラマダーン(断食月)入り。
DIA-206-1983-06-13-1マレーシア1983年06月13日1980年代Berjaya、オスマン前連邦領相の除名発表―オスマンは14日、下院議員として政治活動継続を声明。
DIA-206-1983-06-15-1マレーシア1983年06月15日1980年代MCA・GRM合同案―GRMの曽永森副委員長は、両党間の疑惑や不信を除くための手段として両党合同の可能性を検討するよう提案した。
DIA-206-1983-06-15-2マレーシア1983年06月15日1980年代陳徳泉、MCA中央委員等の役職辞任を発表。
DIA-206-1983-06-16-1マレーシア1983年06月16日1980年代ラーマン元首相、憲法の見直しを提案―とくにイスラムに関する各州間の不一致防止が必要と指摘。
DIA-206-1983-06-16-2マレーシア1983年06月16日1980年代政府、ポンド建て債券発行―5000万ポンド。発行利回り12.39%、発行価格99.526ポンド、5年満期。
DIA-206-1983-06-18-1マレーシア1983年06月18日1980年代「民営化」と「マレーシア株式会社」―Asean Forecast6月号掲載のムサ副首相インタヴューによれば、前者は公共サービスの一部を民間に委ね利潤動機と効率の原則で運営することであり、後者の基本的狙いは、行政をより企業経営に近い形で行なうことにある。
DIA-206-1983-06-19-1マレーシア1983年06月19日1980年代ホワイトハウス、このほど天然ゴムの戦略備蓄目標を11万8572㌧から82万㌧に引上げる旨決定。
DIA-206-1983-06-19-2マレーシア1983年06月19日1980年代SNAP、Tajem副委員長を除名―理由は、前回総選挙で党の利益に反する活動を行なったこと。Tajemはサラワク州の州副首相兼農業・コミュニティ開発相。
DIA-206-1983-06-20-1マレーシア1983年06月20日1980年代GRM中央委員会、林敬益党首がMCA指導者と両党の協力緊密化を話合うことを承認。
DIA-206-1983-06-22-1マレーシア1983年06月22日1980年代検死法廷、82年1月のセスナ機衝突の直接の責任はガザリ外相にある、と判定。
DIA-206-1983-06-23-1マレーシア1983年06月23日1980年代共通基金協定、承認へ―ムサ副首相は、UNCTAD総会のマ代表団に同協定承認を訓令した旨、明らかにした。
DIA-206-1983-06-23-2マレーシア1983年06月23日1980年代Dunlop Holdings社(英)、ガファール・ババとEng Chin Ahを役員に任命。
DIA-206-1983-06-24-1マレーシア1983年06月24日1980年代ASEAN外相定例会議―29日帰国したガザリ外相は、(1)外相会議はカンボジア問題政治解決のアプローチに関し基本原則を放棄することなく、より柔軟な立場を明確にした、(2)ベトナムの積極的対応を希望するとの談話を発表した。
DIA-206-1983-06-25-1マレーシア1983年06月25日1980年代国際スズ理事会、輸出制限を7月1日からさらに3カ月延長することに合意。
DIA-206-1983-06-25-2マレーシア1983年06月25日1980年代カウンター・トレード―リタウディン商工相によれば、(1)パーム油とパキスタンの米・果実の交換で商談成立、(2)スリランカ、ブラジル、マルディヴと交渉中。
DIA-206-1983-06-26-1マレーシア1983年06月26日1980年代マハティール首相、一部の知識人を批判―同首相によれば、(1)一部の知識人は統一促進のための事業への参加を拒否しているのみならず、政府の国家建設の努力を覆えそうとしている、(2)国民への政府援助が不足していると主張する者の多くが今日あるのは、真に政府の援助の結果であるというのは不幸な事態である。
DIA-206-1983-06-27-1マレーシア1983年06月27日1980年代BMF問題―Bank Bumiputraは82年度(暦年に同じ)の会計報告で、(1)香港の子会社BMF(Bumiputra Finance Malaysia)社は、必要な会計処理を行ない307万HK㌦の欠損を計上、(2)同行の税引前・連結利益は対前年度比12.7%増の8480万リンギ、(3)今年度同行は6億リンギの増資を計画、と発表。Nawawi頭取は定例記者会見を欠席、28日に東京から同行の安定度に問題はないとのテレックスを送付。29日、林DAP書記長は政府に白書の提出を要請。
DIA-206-1983-06-27-2マレーシア1983年06月27日1980年代スズ放出問題―ASEANと先進各国との対話に出席したガザリ外相とシュルツ米国務長官は、米国の戦略備蓄用スズの放出計画作成で両国の協力に合意。
DIA-206-1983-06-28-1マレーシア1983年06月28日1980年代Bank Bumiputra、100億円の借款取入れ―Umno党本部建設に融資。82年12月にも同額を調達。
DIA-206-1983-06-29-1マレーシア1983年06月29日1980年代ラブアン島のガス・プロジェクト用借款―1億5000万米㌦。据置き5年を含む10年返済。
DIA-206-1983-07-01-1マレーシア1983年07月01日1980年代国債発行―計16億リンギ。満期15年のものが4億リンギ、年利8%、20年もの12億リンギ、8.5%。
DIA-206-1983-07-01-2マレーシア1983年07月01日1980年代マレーシア・イスラム銀行、開設―払込資本1億リンギの予定で政府は3000万リンギ出資ずみ。同行は投資、貯蓄、当座の3口座で預金を受入れる。マハティール首相は、同行は欧米の銀行制度への代案であるが、他の銀行を排除する計画はない、と言明。
DIA-206-1983-07-01-3マレーシア1983年07月01日1980年代Dr.P.P.Narayanan(MTUC会長)、国際自由労連会長に選出(75年以来3期連続)。
DIA-206-1983-07-02-1マレーシア1983年07月02日1980年代海外ニュースの受入れ窓口一本化へ―アディブ情報相は、84年5月1日から国営のBernama社が外国通信社からのニュース配信を独占的に行なう、と発表。
DIA-206-1983-07-02-2マレーシア1983年07月02日1980年代Hamim党役員選出―委員長Asri Muda、首席副委員長Ahmad Shukri、書記長Hassan Mohamad等。
DIA-206-1983-07-05-1マレーシア1983年07月05日1980年代Felda入植地で労働者虐待―社会分析研究所(Insan)によれば、Selancar4入植地(パハン州)の少なくとも20名の請負労働者が旅券取上げ、借金等により過去3年間無給労働を強いられており、その他の地方でも移民労働者が搾取されているという。9日Feldaの総務部長は事態の直接的責任は請負業者にあると弁明。
DIA-206-1983-07-09-1マレーシア1983年07月09日1980年代解雇状況―MTUCの調査によれば82年1月~83年3月の解雇者は鉱山部門を除き2万名弱、そのうち8~10%が事務職で占められている。
DIA-206-1983-07-15-1マレーシア1983年07月15日1980年代民営化構想―マハティール首相は、(1)民営化される各プロジェクトには最高30%の外資参加が可能、(2)同構想は開発支出の合理化および国民へのサービスの水準維持の必要から生まれた、と説明。
DIA-206-1983-07-16-1マレーシア1983年07月16日1980年代サバ州議会補欠選挙―Berjaya2847票、Pasok1501票、Pusaka42票、投票率65.3%。
DIA-206-1983-07-17-1マレーシア1983年07月17日1980年代SNAP反主流派、集団離党―下院議員3名、サラワク州議会議員9名が離党し、新党を結成と発表。この結果SNAPの下院議員は2名、州議員は6名となった。
DIA-206-1983-07-18-1マレーシア1983年07月18日1980年代国際イスラム大学開校―本年度は法学、経済、経営の3学部のみ。応募者5080名から180名を選抜(うちマレーシア国民130名)。イスラム諸国会議機構、マルディヴ、パキスタン、バングラデシュ、トルコが共同スポンサーになっている。
DIA-206-1983-07-19-1マレーシア1983年07月19日1980年代BMF副総支配人の他殺死体発見さる―香港の大哺で発見。同人は本年2月までBank Bumiputraの行内監査部長、同月にBumiputra Malaysia Finance社の経営強化のため香港に派遣されていた。24日、同行のNawawi頭取は、(1)香港当局が事件を迅速かつ徹底的に捜査するよう希望する、(2)BMFのみが香港の不動産部門に投資したわけではない、と述べた。なお香港の経済界はBMFの貸出残高16億5000万リンギのうち6億9000万リンギがこげついていると推測。27日、BMFはEda Investment社の前会長に同社債務(3800万米㌦)への保証履行を求める裁判に勝訴したが、回収の可能性は不明。
DIA-206-1983-07-23-1マレーシア1983年07月23日1980年代GRM党大会―青年部、婦人部の設立に伴う党規約修正等を承認、林敬益党首にMCAと協力の可能性につき話合う権限を付与した。同日MCAの梁党首代理は、両党合同の話合いの前提として、MCA側の協力の基礎を受入れる必要があるとの見解を示し、他方、林党首はGRMの協力の条件は、(1)MCAが多種族の立場を採り、(2)協力はペナンのみならず全国に拡大する、の2点である、と語った。
DIA-206-1983-07-23-2マレーシア1983年07月23日1980年代連邦裁、タハ殺害事件でKL高裁判決を支持―モクタール前文化・青年・体育相の死刑減刑いかんは、自動的に恩赦委員会の検討に付される。
DIA-206-1983-07-25-1マレーシア1983年07月25日1980年代下院再開。
DIA-206-1983-07-26-1マレーシア1983年07月26日1980年代レオ・モギー、SNAP離党―連邦のエネルギー・通信・郵政相。すでにマハティール首相に新党入党について説明と語った。さらに同日、新党サラワク・ダヤック党(PBDS)の国民戦線加盟をタイブ州首相に提出、同党の暫定委員会名簿を発表した。
DIA-206-1983-07-28-1マレーシア1983年07月28日1980年代初の円建て協調融資取入れ―300億円、5年据置きを含む10年返済。金利は固定金利分が引出時の日本の長期プライム+0.3%、変動分は同+0.1%で6カ月または1年毎に見直し。
DIA-206-1983-07-28-2マレーシア1983年07月28日1980年代官公労組会議(Cuepacs)第16回大会―Narendran初代会長の公務員退職に伴い会長にAhmad Nor、書記長にJamaruddin Isa(再選)を選出。
DIA-206-1983-07-29-1マレーシア1983年07月29日1980年代パーム油急騰―KL商品市場の3カ月先物相場は7月前半のトン当り793~806リンギ台から急騰し、本日900リンギ台を超えた(924リンギ)。
DIA-206-1983-07-30-1マレーシア1983年07月30日1980年代サラワクの共産ゲリラ―ザイン陸軍参謀長は(1)同州における本年4月の演習中に北カリマンタン共産党のゲリラと遭遇、以後、追討作戦を続けているが、これまでの軍の被害は死者12名、負傷者11名、(2)被害は部隊に新兵が多く、夜間戦闘に弱点があるため、と発表。
DIA-206-1983-08-01-1マレーシア1983年08月01日1980年代憲法修正案上程―マハティール首相は修正目的を現行条文の曖昧な点を明瞭なものにすることと説明。主要修正箇所は、(1)副大臣と政務次官に法案上程権限付与(第43条A)、(2)下院議席22議席増加(第46条)、(3)非常事態宣言布告の国王への勧告の権限を首相に付与(第150条)、(4)議会の可決した法案は国王に提出後15日で法律となる(第66条5)、(5)州議会における州王の立法権制限(第8付則)、(6)英国枢密院への控訴廃止と連邦裁の最高裁への改称(第121、131条)等。3日136対9で可決。上院には9日上程、10日可決。
DIA-206-1983-08-01-2マレーシア1983年08月01日1980年代ラブアン島の連邦領編入提案―サバ州ハリス州首相は同提案を連邦政府に行なうと発表。
DIA-206-1983-08-01-3マレーシア1983年08月01日1980年代海運・保険の対外支払い―ラザレイ蔵相によればグロスで82年28億リンギ、83年は31億リンギの見込み。
DIA-206-1983-08-02-1マレーシア1983年08月02日1980年代コタ・バル高裁、82年総選挙でのクランタン州議会2選挙区の選挙結果を無効と宣告。
DIA-206-1983-08-02-2マレーシア1983年08月02日1980年代モクタール前文化・青年・体育相、下院議員辞職。
DIA-206-1983-08-02-3マレーシア1983年08月02日1980年代政府、ユーロ市場で変動利付債を発行―8億5000万米㌦、満期10年。
DIA-206-1983-08-02-4マレーシア1983年08月02日1980年代政府債務―Sabaruddin副蔵相下院答弁によれば、83年6月現在の政府債務は461億リンギ、うち外債151億リンギ、90年までの年平均金利支払いは外債25億3000万リンギ、内債32億リンギ。
DIA-206-1983-08-03-1マレーシア1983年08月03日1980年代新聞界、アディブ情報相の下院答弁に抗議―Bernamaによる外電配信独占に関する2日の答弁が、新聞界代表の強い反対と話合い継続の約束を無視と指摘。
DIA-206-1983-08-03-2マレーシア1983年08月03日1980年代香港警察、BMF副総支配人殺害事件でマレーシア籍の華人を逮捕、7日に起訴。
DIA-206-1983-08-04-1マレーシア1983年08月04日1980年代開発プロジェクト延期―Musa副首相は、2、3日前に開発プロジェクトを精査し、大・中型経済プロジェクトの延期のみならず、行政関係支出の削減を決定した旨、明らかにした。
DIA-206-1983-08-05-1マレーシア1983年08月05日1980年代下院休会。
DIA-206-1983-08-08-1マレーシア1983年08月08日1980年代上院再開。
DIA-206-1983-08-08-2マレーシア1983年08月08日1980年代マハティール首相、韓国公式訪問―9日、全斗煥大統領、金相浹首相等と会談。席上、韓国側は、マレーシアへの産業再配置を好意的に考慮し、ルック・イースト政策への援助を約束。10日、査証免除協定に調印。マハティール首相および同行のマ経済界代表は経済団体との話合い、釜山等の工業地帯視察を終え、14日帰国。
DIA-206-1983-08-08-3マレーシア1983年08月08日1980年代トラック国産構想―ムサ副首相は、訪日時に同構想に沿い2企業集団と話を進める旨、明らかにした。
DIA-206-1983-08-08-4マレーシア1983年08月08日1980年代マラッカ製油所建設、延期―オンキリ総理府相は(1)同製油所の建設は必要だが、景気回復まで延期、(2)総工費(処理能力12万b/d)は82年見積りの30億リンギから、現在は50億リンギに増加、の2点を明らかにした。
DIA-206-1983-08-09-1マレーシア1983年08月09日1980年代スズ密輸―国際スズ理事会筋によれば、(1)密輸量は、同理事会による輸出規制実施後に四半期当り5000㌧(輸出規制枠の25%)以上に増加、(2)ペナン、シンガポールに主要センターが存在すると見られる。
DIA-206-1983-08-10-1マレーシア1983年08月10日1980年代豪空軍の一部、バターワースより撤退―75飛行隊のミラージュ14機。第3飛行隊22機は残留し、統合防空システム(IADS)の訓練計画に参加する。
DIA-206-1983-08-10-2マレーシア1983年08月10日1980年代サラワク州国民戦線、PBDSの加盟拒否―SNAPの反対による。州政権は現状維持のため、同戦線プラスPBDSで構成、と決定。
DIA-206-1983-08-11-1マレーシア1983年08月11日1980年代ペラ州王位継承者にRaja Tun Azlan Shah(連邦裁長官)を指名。
DIA-206-1983-08-12-1マレーシア1983年08月12日1980年代上院休会―憲法修正案、特許法案、法曹修正法案など8法案を可決。
DIA-206-1983-08-12-2マレーシア1983年08月12日1980年代Petronas社、マラッカ海峡で地震探査開始。
DIA-206-1983-08-14-1マレーシア1983年08月14日1980年代原油生産分与契約の条件緩和を示唆―Petronas最高幹部は、同契約のコスト・オイルを現行の20%から最高50%まで増加する可能性がある、と語った。
DIA-206-1983-08-16-1マレーシア1983年08月16日1980年代スズ生産国連合、正式発足。
DIA-206-1983-08-17-1マレーシア1983年08月17日1980年代マ・米、戦略備蓄スズ放出で了解達成―(1)市場の現在の状態では年3000㌧まで、正常に戻れば年5000㌧まで処分できる、(2)了解は拘束力を持たない。
DIA-206-1983-08-18-1マレーシア1983年08月18日1980年代Umno青年部、婦人部大会―青年部大会でアヌワール部長は、現実的な方法で、普遍的権利と自由を確保し統一と調和を促進することが必要、と強調。
DIA-206-1983-08-19-1マレーシア1983年08月19日1980年代第34回Umno党大会―KLで3日間。マハティール党首は開会演説で、自分にチームとして協力できる首席副党首を選出した81年度の代議員に感謝する、と述べて、クランタン、トレンガヌ、ロンドン等の代議員に批判された。大会は、全国土地法典を修正し、マレー人所有地の非マレー人への移転および外国人の土地所有を禁止するよう求めた青年部決議など4決議案を採択。
DIA-206-1983-08-22-1マレーシア1983年08月22日1980年代ムサ副首相、訪日―中曽根総理、安倍外相等と会談。24日、トラック国産については複数の車種を考慮している旨、明らかにした。27日帰国。
DIA-206-1983-08-23-1マレーシア1983年08月23日1980年代首相、景気は最悪期を脱出との見解を発表―景気はすでに底を打ったが、引続き警戒の必要があり、GDP成長率は82年の4.8%に対し5.5~6%の見込み。
DIA-206-1983-08-26-1マレーシア1983年08月26日1980年代ラブアン島のガス関連プロジェクトで100億円の協調借款取入れにこのほど調印。
DIA-206-1983-08-29-1マレーシア1983年08月29日1980年代マ・シ電力供給取極め調印―シンガポールとジョホールの発電所を連結。ASEAN電力網の一環。
DIA-206-1983-08-30-1マレーシア1983年08月30日1980年代Petronas社の利益―82年度(3月末締め)課税前利益47億リンギ、課税後25億リンギ。
DIA-206-1983-09-01-1マレーシア1983年09月01日1980年代ガンリン小売価格引上げ―プレミアム、レギュラーともに1㍑当り半島部で2セン、サバ・サラワクで1センの値上げ。新たな価格調整方式の適用第1号。
DIA-206-1983-09-01-2マレーシア1983年09月01日1980年代KL商品取引所、天然ゴム(RSS1号)の先物取引きを試験的に開始。
DIA-206-1983-09-05-1マレーシア1983年09月05日1980年代南沙の1環礁に派兵―信頼すべき筋によれば(1)政府はラブアン島沖240キロメートルのLayang Layang環礁に6月から少人数の兵を派遣、8月22日には海軍コマンド部隊を投入、(2)同島より64キロメートルのPulau Kecil Amboyna島(マが領有権主張)は78年からベトナム軍が占領、現在約100名駐留。7日ベトナムはマ駐越大使を通じて撤兵を要求、14日、中国も外国軍隊による不法占拠非難。
DIA-206-1983-09-05-2マレーシア1983年09月05日1980年代Ulusuトルコ首相、公式訪マ―マハティール首相等と会談。トルコ側はパーム油、スズの直接輸入の意図を示し、海上業務取極めに調印。8日Ulusu首相は両国の緊密な関係はイスラム共同市場案の核たりうると談話。
DIA-206-1983-09-05-3マレーシア1983年09月05日1980年代大韓航空機撃墜への抗議―マ・タイ・シ3国はソ連外務省代表団の3国訪問を無期延期と通告。
DIA-206-1983-09-05-4マレーシア1983年09月05日1980年代5カ国統合防空システム演習―4日間。マ、シ、豪、ニュージーランドの空・地・海上部隊が参加。
DIA-206-1983-09-08-1マレーシア1983年09月08日1980年代クランタン州州議会補欠選挙―Selising区:国民戦線(Umno)5734票、Pas3220票、Hamim161票、無効48票、投票率74.6%、Kemumin区:国民戦線(Berjasa)4389票、Pas3727票、Hamim159票、無効66票、投票率69.7%。
DIA-206-1983-09-08-2マレーシア1983年09月08日1980年代稲の病害―Mada農民組合によれば、プニャキット・メラーを駆除するため、84年年初に1カ月間ムダ地区の灌漑用水供給を停止する可能性がある。
DIA-206-1983-09-10-1マレーシア1983年09月10日1980年代PBB党大会―Taib党首、Jabu第1首席副委員長は無競争再選。第2首席副委員長は立候補者5人が立候補を撤回、任命を最高会議に一任。大会はUmnoのサラワクへの組織拡大要請など13決議案を採択。ムサUmno首席副党首は23日、サバ、サラワク両州へのUmnoの組織拡大の意図を否定。
DIA-206-1983-09-10-2マレーシア1983年09月10日1980年代公営企業の合弁設立指針発表―ラフィダー公営企業相は、指針作成はほとんどの政府機関が外資との合弁に着手しては欠損を生ずる現状に対処するためと説明。
DIA-206-1983-09-11-1マレーシア1983年09月11日1980年代南タイの叛徒、集団投降へ―Bangkok Post紙によれば、ムスリム分離派、マ共ゲリラなど約500名がタイ国内治安作戦本部と投降条件を交渉中。12日Ghazaliマ国軍参謀総長は国境のマ共掃討作戦継続と談話。
DIA-206-1983-09-13-1マレーシア1983年09月13日1980年代UmnoとMCAの投資会社、合弁企業設立―PB社(Umno)とMPHB社(MCA)は住宅開発のためMulti Purpose Bersatu Development Sdn.Bhd.社設立に調印。PB社49%、MPHB社51%の出資。
DIA-206-1983-09-13-2マレーシア1983年09月13日1980年代原住民参加―マ産業開発金融公社が融資した原住民所有の工場中、操業開始に至らなかったもの10%、操業中止20%、種々の問題に直面しているもの20%。
DIA-206-1983-09-14-1マレーシア1983年09月14日1980年代KL市庁、低価格フラットの家賃値上げ―平均73%、10月1日から実施。新家賃で390万リンギの補助金が必要。
DIA-206-1983-09-15-1マレーシア1983年09月15日1980年代Parti Bangsa Dayak Sarawak(サラワク・ダヤック民族党、略称PBDS)、正式に発足。
DIA-206-1983-09-16-1マレーシア1983年09月16日1980年代上半期の製造業投資動向―Midaの発表によれば、投資約束額は前年同期比で約60%減の11億リンギ。ただし電子部品・電気器具では115%の著増となった。
DIA-206-1983-09-17-1マレーシア1983年09月17日1980年代李三春MCA前党首、下院議員も辞職と発表。
DIA-206-1983-09-18-1マレーシア1983年09月18日1980年代MCAの多角化協同組合の土地買収問題―同協組クランタン州支部は、同協組の州内Kok Lanasでの住宅用地買収計画(16㌶)は地価が不当に高く、計画には低価格住宅建設が含まれていない、と抗議。
DIA-206-1983-09-20-1マレーシア1983年09月20日1980年代レバノン情勢に警告―ガザリ外相は、事態は紛争の一層の拡大と全面的な外国の介入を招く恐れがあるとして、全当事者に同地域の平和と安全を脅かす行動をやめるようアピール。
DIA-206-1983-09-21-1マレーシア1983年09月21日1980年代Chartered Bank、再編最終案を既に提出―Sabaruddin副蔵相によれば、政府は51%の原住民参加を希望しているが、適当候補者の選定は困難。
DIA-206-1983-09-21-2マレーシア1983年09月21日1980年代国連総会、南極問題を議題として採択―ただし全面的討議は第1委員会で行なわれる(3月8日参照)。
DIA-206-1983-09-22-1マレーシア1983年09月22日1980年代クラン港湾局3労組、民営化の動きに抗議―このほど民間4社が、同港湾局のコンテナ・ターミナル、ばら荷埠頭、船荷積降ろし、深水係留点管理、ストラッド・キャリア等の設備保全の5分野の民営化を提案したことに対するもの。
DIA-206-1983-09-23-1マレーシア1983年09月23日1980年代国際スズ理事会、加盟国のスズ精鉱輸出規制をさらに92日間延長。
DIA-206-1983-09-23-2マレーシア1983年09月23日1980年代ヨルダンのフセイン国王、公式訪マ―3日間。マ国王表敬。ムサ首相代理との会談で、「ジュネーヴ行動計画」の実施に関する協議に合意し、レバノン紛争の全当事者に自制を求める点で見解が一致。
DIA-206-1983-09-24-1マレーシア1983年09月24日1980年代Tampin区下院議員補欠選挙―国民戦線(Umno)のOmar Abdullahが2万4761票で当選。Pas3085票、無所属2746票、無効578票、投票率62.1%。
DIA-206-1983-09-24-2マレーシア1983年09月24日1980年代内務省、社会分析研究所(Insan)の月刊誌Nadi Insanを3カ月間発刊停止。
DIA-206-1983-09-28-1マレーシア1983年09月28日1980年代国王、胸痛を訴え入院。
DIA-206-1983-09-29-1マレーシア1983年09月29日1980年代スズ生産国連合第1回閣僚会議―バンコクで開催。本部のKL設置、執行書記人事などを決定。
DIA-206-1983-10-01-1マレーシア1983年10月01日1980年代ムスリム急進派―ムサ首相代理によれば、(1)国内の急進的共和派ムスリムは、西アジアのイスラム共和国と交流し勢力を拡げつつあり、共産主義を凌ぐ脅威となる恐れがある、(2)最近サウジアラビアの近隣国から資金援助を受けたマレーシア国民15名がサウジに入国、うち7名は革命的パンフの持込みにより逮捕された。
DIA-206-1983-10-01-2マレーシア1983年10月01日1980年代電信・電話局、一部業務を民間に委託―電話回線増設プロジェクト(88年までに170万本増)のうち、回線網設計・敷設について原住民企業4社とターンキー・ベースでの契約に調印した。
DIA-206-1983-10-01-3マレーシア1983年10月01日1980年代英国投資ミッション、訪マ―ジェリコ英海外貿易局総裁ほか12名。
DIA-206-1983-10-02-1マレーシア1983年10月02日1980年代香港警察、Carrianグループ役員を逮捕―会長George Tan(陳松青)ほか1名。3日、虚偽の報告および会計操作により起訴。
DIA-206-1983-10-03-1マレーシア1983年10月03日1980年代BMF社の不良債権―香港金融筋によれば、同社のCarrianグループ、Eda Investment社、Kevin Hsuへの債権は当初予想を大きく上回り10億米㌦にのぼり、そのほとんどがCarrianへの無担保貸付の模様。
DIA-206-1983-10-05-1マレーシア1983年10月05日1980年代内閣、「全国農業政策」を承認―6日のムサ副首相談話によれば、農業の基本的問題、政策原則、目的を明らかにしたもので、近々公表される予定。
DIA-206-1983-10-05-2マレーシア1983年10月05日1980年代ヘイドン豪外相の国連総会演説に失望表明―ガザリ外相は、(1)豪政府はベトナムのカンボジア侵略を合法視するのか、(2)ASEANは演説に失望、と語った。
DIA-206-1983-10-08-1マレーシア1983年10月08日1980年代Carrianグループの救済不可能となる―Bankers Trust(米)が香港高裁に清算申立を行ない、WardleyとHambro Pacificが同グループの顧問を辞任
DIA-206-1983-10-10-1マレーシア1983年10月10日1980年代下院再開。
DIA-206-1983-10-10-2マレーシア1983年10月10日1980年代民営化構想のため省庁間委員会を総理府に設置―アブドラー総理府相によれば、民営化の諸側面を検討するためのもの。また同構想は第5次5カ年計画開始までに選択的かつ漸進的に実施さるべきである、という。
DIA-206-1983-10-11-1マレーシア1983年10月11日1980年代立憲制の危機論議―林DAP書記長は憲法第66条(5)(法案裁可)の修正により生じた立憲制の危機を討議するよう下院に動議を提出したが却下された。首相は、国王の病状により修正案裁可が遅れるかもしれないが、危機が存在するとの認識はない、と答弁。
DIA-206-1983-10-11-2マレーシア1983年10月11日1980年代BMF不良貸付けの責任追求―マハティール首相は、(1)BMFの香港での貸付は無分別、(2)同貸付に関わったBank Bumiputra幹部の辞任を要求、(3)前B.B.頭取は既に更迭、(4)前頭取と幹部は同貸付により顧問料を受領、(5)顧問料は不法ではないが不道徳、(6)債権の回収は個人的見込みでは20~30%、等を明らかにした。12日Kamarul前頭取は、(1)BMFから追加報酬は受取ったが顧問料ではない、(2)BMFの貸付一切関知しないが責任回避はしない、(3)首相声明は極めて無情、と反論。同日、ラザレイ蔵相は下院で、総理府と大蔵省がBank Bumiputraとその株主の利益確保に責任を負う、と答弁。
DIA-206-1983-10-11-3マレーシア1983年10月11日1980年代新駐マ米国大使にThomas Shoesmith副国務次官補を任命。
DIA-206-1983-10-12-1マレーシア1983年10月12日1980年代第128回統治者会議―コタ・キナバルで2日間。国政・任命・宗教問題を討議した、とのみ発表。
DIA-206-1983-10-13-1マレーシア1983年10月13日1980年代ムサ副首相、国連総会演説―(1)麻薬問題を安全保障の観点から優先すべきである、(2)マはパレスチナ問題のジュネーヴ「行動計画」を支持、(3)民主カンボジアへの援助要請、(4)南極条約は不公平を生じている。
DIA-206-1983-10-16-1マレーシア1983年10月16日1980年代ブラジルとのカウンタートレード商談成立―マからの原油輸出の見返りに、ブから年30万㌧の鉄鉱塊・粒を5年にわたりサバ州還元鉄プラントに供給。
DIA-206-1983-10-16-2マレーシア1983年10月16日1980年代ムサ副首相、緊急の用件のためブラジル訪問日程を当初予定の1週間から2日間に短縮。
DIA-206-1983-10-16-3マレーシア1983年10月16日1980年代第31回MCA党大会―梁党首代理は、すべての問題で中庸路線を採る、と述べた。17日、梁党首代理の下での集団指導を全面的に信認、等の決議を採択。
DIA-206-1983-10-17-1マレーシア1983年10月17日1980年代BMF問題―Kamarul前Bank Bumiputra頭取は、(1)追加報酬150万HK㌦は首相の言う顧問料と同一だが、正当な報酬、(2)ただし、1センたりとも引出していない、(3)辞職を求められたことはない、と述べた。18日クダ州州首相、20日マラッカ州州首相が徹底的捜査を要求。なお20日汚職捜査局は捜査要請はないと回答。
DIA-206-1983-10-21-1マレーシア1983年10月21日1980年代84年度予算案、下院に上程。
DIA-206-1983-10-22-1マレーシア1983年10月22日1980年代首相、BMF問題調査の促進示唆―Umno最高会議後、政府は全面的調査実施を検討中であり、白書作成もありうると語った(29日、発言の一部を否定)。
DIA-206-1983-10-22-2マレーシア1983年10月22日1980年代セヌUmno前書記長に対する除名処分の要求―同党Kuala Kedah支部は、セヌ前書記長が改憲問題で公開状を出し、党指導部の誠実さを傷付けたとしている。
DIA-206-1983-10-25-1マレーシア1983年10月25日1980年代連邦政府、ラブアン島の連邦領編入提案を原則として受入れ(マハティール首相、下院答弁)。
DIA-206-1983-10-29-1マレーシア1983年10月29日1980年代サラワク州国民戦線、選挙区割当て不調―タイブ州首相は、(1)SNAPは前回の18区すべてに立候補を決定、(2)上記18区で同党とPBDSは独自の党章を用い、選挙区割当てなしに戦う、と発表。
DIA-206-1983-10-29-2マレーシア1983年10月29日1980年代ディーゼル油、灯油値上げ発表―11月1日よりKL、KK、クチンで1㍑46.2センから48センへ引上げ。
DIA-206-1983-10-30-1マレーシア1983年10月30日1980年代マ共ゲリラ再編問題―第28回マ・タイ総合国境委員会開催(バンコク)に際し、ムサ副首相は、(1)南タイの約500名の共産分子投降を歓迎、(2)マ共ML派と革命派の再結集の動きは承知している、と述べた。
DIA-206-1983-11-01-1マレーシア1983年11月01日1980年代基準貸出金利制、実施―商業銀行の金利は各行の基準貸出金利に連動して決められる。
DIA-206-1983-11-02-1マレーシア1983年11月02日1980年代南タイの叛徒大量投降―ヤラで過去1年の投降者の受入れ式。マラヤ共産党45名、タイ共産党116名、ムスリム分離派469名。
DIA-206-1983-11-02-2マレーシア1983年11月02日1980年代スズ業界の不振―最大手のMMCは昨年4月のスズ輸出規制開始以来、ドレッジャー10基(完全子会社を含む)の操業を停止、11月1日付けで770名解雇。
DIA-206-1983-11-04-1マレーシア1983年11月04日1980年代Umno青年部特別大会、憲法修正案支持―同時に今後の政府の措置も全面的に支持する旨、全会一致で決議。
DIA-206-1983-11-06-1マレーシア1983年11月06日1980年代ムサ副首相、ムスリム急進派に警告―同時に、急進派は「イスラム革命」を輸出している某国に協力、と指摘。11日イラン大使館は、革命の輸出とか立憲君主制打倒を擁護することで国内問題に介入したことはない、との談話発表。
DIA-206-1983-11-06-2マレーシア1983年11月06日1980年代国民戦線各党、憲法修正案支持―Berjayaが本日、MIC、GRMが13日、PPPが30日に支持声明。
DIA-206-1983-11-07-1マレーシア1983年11月07日1980年代プルリス州王、改憲問題解決の努力表明―問題解決のため各州王は政府代表と会談する用意がある、と声明。
DIA-206-1983-11-07-2マレーシア1983年11月07日1980年代各州Umno、改憲支持を表明―2日ペナン、7日N・スンビラン、8日スランゴール、13日マラッカ、30日パハンなど。
DIA-206-1983-11-08-1マレーシア1983年11月08日1980年代各州首相、州王に改憲受入れ働きかけへ―コタ・キナバルでの統治者会議に際し上記措置を決定。
DIA-206-1983-11-08-2マレーシア1983年11月08日1980年代マハティール首相、非公式訪日―5日間。中曽根総理と会談、慶応大学主催の国際シンポジウムに参加。
DIA-206-1983-11-09-1マレーシア1983年11月09日1980年代カウンタートレードの実績―余銀山副商工相によれば、(1)韓国:海軍哨戒艇(5000万リンギ)とマ産品のバーター決定、(2)ユーゴ:送電線(160万リンギ)とゴム、スズ(計130万リンギ)につき詰めの段階、(3)ベルギー:KL軽便鉄道に関して交渉中。
DIA-206-1983-11-14-1マレーシア1983年11月14日1980年代第12回マ、イ総合国境委員会、KLで開催―3年ぶり。ナツナ島近海での合同演習実施、総合国境委員会取極めの見直しで合意。ムサ副首相は、北カリマンタン共産党(ゲリラ74名)が84年を目標に奇襲作戦の実行を計画中、と指摘。
DIA-206-1983-11-15-1マレーシア1983年11月15日1980年代外銀2行の再編成を延期―林副蔵相の下院答弁によれば、Hong Kong and Shanghai BankとChartered Bankの資本所有再編成は、国際収支への悪影響が懸念されるため、延期されている。
DIA-206-1983-11-18-1マレーシア1983年11月18日1980年代サラワク州議会、解散。
DIA-206-1983-11-18-2マレーシア1983年11月18日1980年代Pas、改憲に反対を表明―Nakhaie副委員長は、(1)憲法の基礎を専らイスラムの教義に求めなければ問題は解決不能、(2)今回の改憲は人民の権利の乱用と語った。
DIA-206-1983-11-19-1マレーシア1983年11月19日1980年代スレンバン区下院補欠選挙―DAPの曽敏興党首が2万3897票で返咲き。国民戦線(MCA)鄭麗敏(Rosie Teh)1万7504票、無効868票、投票率69.4%。
DIA-206-1983-11-19-2マレーシア1983年11月19日1980年代ソマレPNG首相、公式訪マ―マハティール首相と会談、技術協力協定締結で原則的に合意。21日、招請があればASEANに加入と述べた。22日帰国。
DIA-206-1983-11-20-1マレーシア1983年11月20日1980年代9州の州王など、Umno代表と会談―国王に代り副国王出席。会談後、予算案や選挙区改訂法案の重要性は認めるが、憲法の二、三の修正点およびUmno最高会議の新提案をさらに検討する旨、声明した。
DIA-206-1983-11-22-1マレーシア1983年11月22日1980年代Umno政治局会議―英連邦首脳会議出席をとりやめ急遽帰国したムサ首席副党首を含む全局員出席。
DIA-206-1983-11-22-2マレーシア1983年11月22日1980年代BMF問題調査委員会、設立準備中―Sabaruddin副蔵相は下院で、すでに2名の委員の任命を終え、他の1名を人選中である旨、明らかにした。
DIA-206-1983-11-23-1マレーシア1983年11月23日1980年代内閣、首相に改憲問題解決を一任―定例閣議で、海外訪問中の3名を除く全閣僚の意見を求めた上で全会一致で決定した、といわれる。
DIA-206-1983-11-23-2マレーシア1983年11月23日1980年代サバ州ハリス州首相の土地所有問題―DAPの馮傑栄議員が下院で10月30日、同州首相はラブアン島の土地の70%を所有と主張、同州首相がこれを否定し紛叫したため、下院は本日、議員特権委員会に調査を付託。
DIA-206-1983-11-24-1マレーシア1983年11月24日1980年代ホーク豪首相、マ、シに対越政策説明―英連邦首脳会議(ニューデリー)の席上。25日ガザリ外相は(1)同首相はカンボジア問題ではASEANと協議と約束、(2)開発援助否定の言明は得られなかった、と語った。
DIA-206-1983-11-26-1マレーシア1983年11月26日1980年代首相、改憲問題で全国遊説開始―アロール・スター空港での約5万人の集会で、(1)人民が望まぬ限り、自分には辞職の権利がない、(2)このような集会でこそ人民の実際の感情が表現される、と語った。
DIA-206-1983-11-26-2マレーシア1983年11月26日1980年代原住民の資本参加―ラザレイ蔵相は、第4次5カ年計画中間報告によれば、法人部門株式資本の原住民所有構成比は80年の12.6%から18%に増加しており、90年までに30%という目標の達成は可能との見解を示した。
DIA-206-1983-11-27-1マレーシア1983年11月27日1980年代アヌワール、一部のUmno指導者を批判―改憲問題で沈黙を続けている若干の指導者が存在し、二、三の者は首相の失脚を願っている、と批判。
DIA-206-1983-11-29-1マレーシア1983年11月29日1980年代法務局長官の見解―同長官の10月18日付け首相宛て書簡によれば、憲法修正案は州王の特権を損うものではなく、従って国王はその裁可を妨げたり、拒否したりする権利はない。
DIA-206-1983-11-29-2マレーシア1983年11月29日1980年代マラッカ州議会、改憲問題で連邦政府支持を決議。
DIA-206-1983-11-29-3マレーシア1983年11月29日1980年代官公労組会議会長、改憲問題で首相を信認と声明。
DIA-206-1983-11-30-1マレーシア1983年11月30日1980年代下院、84年度予算案可決。
DIA-206-1983-12-01-1マレーシア1983年12月01日1980年代トレンガヌ州王宮でスルタン支持集会―約5000名が参加。同王宮での一部州民の集会は史上初めて。
DIA-206-1983-12-01-2マレーシア1983年12月01日1980年代マラッカ州議会、州憲法修正案を可決―州議会の可決した法案は、州統治者に提出後15日で裁可がなくとも法律となるが、公告されるまでは発効しない等。
DIA-206-1983-12-01-3マレーシア1983年12月01日1980年代キリバチのタバイ大統領、訪マ。
DIA-206-1983-12-02-1マレーシア1983年12月02日1980年代首相、改憲問題の経過を議会に報告―(1)8月の議会で可決された8法案のうち憲法修正案だけが裁可されていない、(2)州王たちは憲法の第66条(5)、第150条、第8付則の修正案に同意していない、(3)10月13日の統治者会議では自分の説明は容れられなかった、(4)11月20日Umno代表団を通じて上記3点の再修正案を提出したが容れられなかった、(5)政府はさらに解決に努力する。 首相報告に関しアヌワールUmno青年部長は、憲法修正案の官報公示を要請し、他方、林DAP書記長は、連邦裁に修正案の合憲裁定を求めるよう提案した。
DIA-206-1983-12-02-2マレーシア1983年12月02日1980年代下院休会―84年度予算案、対外借款修正法案、公的機密修正法案、土地収用修正法案などを可決。
DIA-206-1983-12-03-1マレーシア1983年12月03日1980年代Umno最高会議開催―改憲問題解決の促進をマハティール党首に委ねる旨を全会一致で決議。同党首は会議後、(1)国王は裁可に賛成、(2)妥協案は字句修正があるとしても原則は貫く、等を明らかにした。
DIA-206-1983-12-03-2マレーシア1983年12月03日1980年代ペラ州州議会補欠選挙―国民戦線(Umno)7838票、Pas3704票、無効333票、投票率65.7%。
DIA-206-1983-12-03-3マレーシア1983年12月03日1980年代与党の首相支持表明―SNAP3日、PBB5日、SUPP9日。
DIA-206-1983-12-05-1マレーシア1983年12月05日1980年代上院開会―Ismail Khanを議長に再選。
DIA-206-1983-12-05-2マレーシア1983年12月05日1980年代RalaTunAzlan、近く連邦裁長官辞任を確認。
DIA-206-1983-12-06-1マレーシア1983年12月06日1980年代ムダ灌漑地区、給水停止予定を確認―病虫害防止と貯水のため、1月15日から停止。
DIA-206-1983-12-07-1マレーシア1983年12月07日1980年代各界の改憲支持表明―全国小保有農協会7日、西マレーシア村長協会7日、行政・外交官’協会8日、マレーシア青年会議12日、など。
DIA-206-1983-12-07-2マレーシア1983年12月07日1980年代84年に石油大幅増産の可能性―Sabaruddin副蔵相は、来年の原油生産が本年の38万b/dに対し47万b/dに拡大される可能性があることを明らかにした。
DIA-206-1983-12-08-1マレーシア1983年12月08日1980年代Magnificent Seven―ムサ副首相はバトゥ・パハの集会で、首相と憲法修正を一貫して支持してきた7人の若い閣僚として、アブドゥラー、アディブ、アヌワール、ライス、ラフィダー、サヌシ、シャハリルの名を挙げた。
DIA-206-1983-12-08-2マレーシア1983年12月08日1980年代サラワク州議会選挙、届出日―PBB2名、SUPP1名が無競争当選。PBDS書記長が失格。
DIA-206-1983-12-09-1マレーシア1983年12月09日1980年代第9次円借款(210億円)の一部取極め調印。
DIA-206-1983-12-11-1マレーシア1983年12月11日1980年代州王、首相の新提案に対案作成―トレンガヌ州を除く8州王(と代理)が王宮に集り、首相の12月9日付け国王宛て書簡による新提案を討議、対案を作成。
DIA-206-1983-12-13-1マレーシア1983年12月13日1980年代ムサ副首相、新経済政策の延長発表―(1)新経済政策と第4次5カ年計画の目標達成の見込みがないことが判明、(2)同政策の欠陥を補い90年以降も実施する、(3)製造業・農業間の均衡など6点の要素を踏まえ、民間のイニシアティヴを奨励すべく新たな戦略を採用、(4)同政策修正は84年3月の議会で批准されると確信する。
DIA-206-1983-12-14-1マレーシア1983年12月14日1980年代サラワク国民戦線、選挙公約発表―州内の諸原住民間の平和と統一の確保、州行政の公用語のひとつとしての英語の暫定的使用継続など30項目。
DIA-206-1983-12-14-2マレーシア1983年12月14日1980年代スハルト大統領、非公式訪マ―(1)全レベルでの非公式接触の拡大、(2)石油産業での協力促進、等で合意。
DIA-206-1983-12-15-1マレーシア1983年12月15日1980年代憲法修正法案、裁可され即日公示―ムサ副首相は、(1)休暇中の国王に代り副国王が同法案に本日署名、(2)政府は同法案の一部を再修正すると州王に保証、(3)本日裁可されなければ、選挙区改訂は94年まで不可能であった、と発表。王宮も、首相が(1)第150条を修正前に戻す、(2)第8付則の修正を廃棄する、(3)第66条修正を再修正する、の3点を盛った新たな憲法修正法案を議会の特別会期に上程することを書面で保証した、との声明発表
DIA-206-1983-12-15-2マレーシア1983年12月15日1980年代タイブ・サラワク州首相、SNAPを不誠実と非難。
DIA-206-1983-12-16-1マレーシア1983年12月16日1980年代州王・不満表明―クランタン州スルタンは裁可は州王が賛成したわけではなく遺憾と述べ、ジョホール州スルタンはUmnoだけが州王に反対したと指摘。
DIA-206-1983-12-17-1マレーシア1983年12月17日1980年代州王の保証―首相によれば、憲法第8付則修正の廃棄に関し、州王たちは州議会の可決した法案に対する裁可を不必要に差し控えない旨、口頭で保証した。
DIA-206-1983-12-20-1マレーシア1983年12月20日1980年代国軍人事発表―国軍参謀総長ガザリ大将は退役を2年延期。陸軍参謀長ザイン大将と同副参謀長ジャーファル中将は定年前退役、後任はそれぞれガザリ中将(大将に昇進)、ハシム少将(中将に昇進)。
DIA-206-1983-12-25-1マレーシア1983年12月25日1980年代タイブ州首相、PBDSの国民戦線加入を支持。
DIA-206-1983-12-28-1マレーシア1983年12月28日1980年代サラワク州選挙投票―2日間。無競争当選を含めPBBが19議席、SUPP11議席、SNAP8議席、PBDS6議席、無所属4議席をそれぞれ獲得。
DIA-206-1983-12-30-1マレーシア1983年12月30日1980年代KL高裁、MIC中央執行委員会のGovindaraj副委員長に対する党員権停止の決定を無効と裁定。
DIA-206-1983-12-31-1マレーシア1983年12月31日1980年代ディーゼル油、灯油の補助金撤廃―1月1日から、(1)ディーゼル油1㍑当り全国共通の48センから半島部58.6セン、サバ60.5セン、サワラク60.1センとなり、政府補助金7億4500万リンギを節約、(2)灯油も全国一律の1㍑48センから半島部63セン、サバ63.5セン、サワラク62.9センに引上げ、(3)LPG、ガンリンは、サバ、サラワクのみ若干の値上げを行なう。
DIA-206-1984-01-04-1マレーシア1984年01月04日1980年代選挙委員会,選挙区境界改訂案を公示-下院選挙区は半島部で18区,サバ州で4区増加,州議会選挙区は半島部で39区増加,サバ州は現状維持。サラワク州は今回改訂に含まれない。異議申立ては2月3日までの公示期間中に受付られ,以後1カ月半各地で意見聴取。
DIA-206-1984-01-04-2マレーシア1984年01月04日1980年代官公労働者組合会議(Cuepacs)とマ労働組合会議(MTUC),ナショナル・センター設立に合意。
DIA-206-1984-01-08-1マレーシア1984年01月08日1980年代サラワク・ダヤック民族党(PBDS),国民戦線に正式加盟。
DIA-206-1984-01-09-1マレーシア1984年01月09日1980年代憲法再修正案,下院に上程-(1)国会が可決し国王に上程された法案のうち,財政法案は30日以内に国王が裁可するものとし,その他の法案については,国王は30日以内に理由を付して国会に差戻せるが,国会が再可決,再上程すればその後30日で,国王の裁可がなくとも法律となる,(2)非常事態宣言に関する150条は旧法を復活する等。下院は同日,141:10で,上院は10日に50:0で可決。
DIA-206-1984-01-11-1マレーシア1984年01月11日1980年代BMF焦げつき融資問題調査委員会を設立-マハティール首相の発表によれば,(1)委員会はBMFの親会社ブミプトラ銀行の定款により設立,会計検査院総裁ほか2名で構成,(2)BMFのCarrian集団への融資の実態,不正の有無を調査,(3)政府は白書発表を予定。
DIA-206-1984-01-11-2マレーシア1984年01月11日1980年代首相,カナダ,米国,仏,スイスを歴訪-14日,トリュドー・カナダ首相と会談,直接貿易の拡大と技術移転の促進を要請,19日のレーガン大統領との会談ではマレーシアの自立を促進する経済協力への期待を表明,25日にミッテラン大統領と会談した。この間,20日にワシントンの外交政策学会での講演で,マレーシアは大国の政治・経済上の横暴さを嫌悪,と表明。31日に帰国。
DIA-206-1984-01-12-1マレーシア1984年01月12日1980年代全国農業政策,発表-ムサ首相代理によれば,同政策は,資源の有効利用と農業の再活性化を通じて農業所得を極大化するため,2000年までの指針を示しており,個別作物のうち,オイルパーム,ココアの大規模栽培を奨励,米の自給率目標を80~85%としている。
DIA-206-1984-01-12-2マレーシア1984年01月12日1980年代中銀,不動産部門への貸出し抑制をこのほど要望。
DIA-206-1984-01-12-3マレーシア1984年01月12日1980年代ムサ首相代理,イラン革命の影響に憂慮表明-訪マ中のイ政府使節団に,マレーシアではイスラムの教化に際し,他の種族の感情を斟酌する必要があると指摘。
DIA-206-1984-01-14-1マレーシア1984年01月14日1980年代Umno党内の「無法者」-ムサ副総裁は,5月の党役員選挙に生命を賭けるグループが昨年から活動を始め,票の買収等を行なっている,と非難。
DIA-206-1984-01-15-1マレーシア1984年01月15日1980年代パーム油先物,KL商品取引所で急騰-当月渡しは,年初のトン当り1700リンギから15日に3000リンギとなり,初めて大豆油の価格を上回った。
DIA-206-1984-01-16-1マレーシア1984年01月16日1980年代陸軍参謀長にDtk. Mohamed Ghazali Che Mat大将,就任。
DIA-206-1984-01-19-1マレーシア1984年01月19日1980年代インド人社会の資本所有比率-ヴェルMIC党首は,現在の比率は1.3%に過ぎず,90年に5%すなわち40億リンギに拡大できれば幸い,と語った。
DIA-206-1984-01-19-2マレーシア1984年01月19日1980年代マレーシア共産党の結成を確認-ムサ首相代理の発表によれば,(1)同党は83年12月5日に南タイで,マラヤ共産党ML派と同革命派が合体して結成,(2)書記長はChong Chung Man(ML派議長),副書記長はWong Shing(革命派議長)。なおタイ軍部筋は21日,各派の武装兵力を革命派約50名,ML派約800名,マラヤ共産党約800名とする推定を発表。
DIA-206-1984-01-22-1マレーシア1984年01月22日1980年代S・ヴェル,MIC党首に再選-全国の支会役員が投票。総数1万3628票中,1万3421票を獲得。
DIA-206-1984-01-22-2マレーシア1984年01月22日1980年代サバ州タワウとインドネシアのヌヌカンに移民労働者管理センター開設。
DIA-206-1984-01-26-1マレーシア1984年01月26日1980年代ラザレイ蔵相,新たな原住民保護策を発表-(1)公共部門の資財調達は,国内業者が利用可能な場合,外国業者に発注しない,(2)政府出版物の印刷は,政府印刷局と原住民登録業者に発注,(3)新たな缶・びん詰め食品加工の認可を原住民にのみ限る等。
DIA-206-1984-01-27-1マレーシア1984年01月27日1980年代紙・パルプ事業-サバ州のハリス州首相は,連邦政府がシピタン南での製紙・パルプ工場建設を認可したと発表。製材,合板部門を含む総合木材加工事業(総工費12億6500万リンギ,製紙年産12万5000トン)の一部。他方,31日マハティール首相は,クランタン州で紙・パルプ工場(工費5億リンギ)を計画中と語った。
DIA-206-1984-01-28-1マレーシア1984年01月28日1980年代リョン第一次産業相,ゴム価格上昇を予測-先進国における乗用車販売の伸び,消費家在庫の低さと流通在庫の減少,ウィンタリング等を踏まえたもの。
DIA-206-1984-01-31-1マレーシア1984年01月31日1980年代民政党,「国民経済政策」を提唱-リョン副党首(第一次産業相)によれば,90年以前に新経済政策の諸目標が実現されることを前提に,90年以降,種族の別を資源配分の基礎としない経済政策を追求するという。
DIA-206-1984-01-31-2マレーシア1984年01月31日1980年代ペラ州のスルタン死去-2月3日,新スルタン(第34代)にAzlan Shahが連邦裁長官を辞任して即位。
DIA-206-1984-02-03-1マレーシア1984年02月03日1980年代選挙区改訂案への異議申立て締切り-選挙委員会は169件の反対覚書きまたは提案を受付けた。
DIA-206-1984-02-04-1マレーシア1984年02月04日1980年代国外留学生の政治活動規制-Khalil副教育相は,今年から,政府の政策に反対または批判する在外留学生に,処分さるべきでない理由の提示を求めると発表。29日,ムサ副首相は処分対象者は,(1)政府指導層がイスラムの教義に反すると主張する者,(2)現政府の暴力による打倒を唱える戦闘的活動家に限り,その他の建設的批判は奨励すると説明した。
DIA-206-1984-02-05-1マレーシア1984年02月05日1980年代シアヌーク民主カンボジア大統領,訪マ。
DIA-206-1984-02-05-2マレーシア1984年02月05日1980年代林建寿,陳群川を批判-陳がMPHB社会長を辞めてMCA党首に立候補との観測記事に触れて,経済と政治は異り,また陳は政界では軽量級であり,MPHB社の直面する困難から逃亡を謀っていると語った。
DIA-206-1984-02-09-1マレーシア1984年02月09日1980年代統治者会議,新国王を選出-第8代国王にジョホール州のスルタン,副王にペラ州のスルタンを互選。任期は4月26日から5年間。
DIA-206-1984-02-14-1マレーシア1984年02月14日1980年代MCAの偽党員問題-プタリン支部下の4支会役員は,同支部の新入党員名簿中に,身分証明書番号が非華人のものである偽党員を発見,その削除を要求すると声明。同日,党本部の選挙運営委員会で,李金獅副総理府相と林良実副蔵相は,新入党員名簿の提出と役員選挙投票方法の変更を要求,会議中途で退席した。
DIA-206-1984-02-14-2マレーシア1984年02月14日1980年代ホーク豪首相,訪マ-マハティール首相と会談後,豪空軍のバタワース基地駐留継続の方向で努力する,と語った。
DIA-206-1984-02-15-1マレーシア1984年02月15日1980年代マハティール首相,本年は公務員賃金の改訂は行なわない,と声明。
DIA-206-1984-02-15-2マレーシア1984年02月15日1980年代プレム・タイ首相,訪マ-マハティール首相等と会談。マ外務省によれば,両首脳は民主カンボジア軍の最近の成功に力づけられ,カンボジア内外でのシアヌーク殿下の地位向上に満足の意を表明した。
DIA-206-1984-02-19-1マレーシア1984年02月19日1980年代首相,国民戦線からのUsno除名を提起-サバ州でのUmno,Berjaya,PBB3党青年部の研修会の席上,(1)国民戦線内の某党は政府を裏切り,ラブアン島の連邦領編入に反対する署名運動を行ない,憲法改正問題では,政府を告訴する可能性を一定の反政府グループと話合った,(2)この件をUmno最高会議に報告し,Umnoが某党の国民戦線からの除名を同戦線最高会議に提案するよう求める,と述べた。25日,Umno最高会議は,国民戦線最高会議にUsno除名を勧告する旨,決定した。他方,26,27日のUsno最高会議は,(1)首相の非難に関する覚書を戦線と加盟各党に送る,(2)ムスターファ党首の下に団結を維持する,の2点を決議した。
DIA-206-1984-02-22-1マレーシア1984年02月22日1980年代連邦裁長官にTan Sri Haji Mohamad Salleh Abbasマラヤ首席判事をこのほど任命と発表。
DIA-206-1984-02-22-2マレーシア1984年02月22日1980年代KL錫市場の創設を閣議で承認-併せて錫の先物取引も導入される。発足の時期はKL商品取引所のダヤブミ・コンプレックスへの移転時とのみ発表。
DIA-206-1984-02-24-1マレーシア1984年02月24日1980年代パーム油からのディーゼル油生産-リョン第一次産業相によれば,(1)実験プラントは85年6月に操業開始,(2)Petronas社は,建設経費1170万リンギの拠出に原則的に同意している。
DIA-206-1984-02-24-2マレーシア1984年02月24日1980年代日本語研修センター竣工,マラヤ大学に引渡し。
DIA-206-1984-02-25-1マレーシア1984年02月25日1980年代呉学謙中国外相,訪マ-26日,マハティール首相,ムサ副首相,ガザリ外相,リョン第一次産業相等と会談。ムサ副首相は会談後,(1)華僑のマレーシア国民が政府の許可なしに訪中すれば,その国籍に支障が生ずる,(2)マレーシア華人の中には,帰国華僑入国許可書を中国から得ているものがいるとの報道があるが,事実とすれば二重国籍の賦与を意味する,(3)両国の関係改善は,中共がマ共との関係をいかに解決するかによる,と語った。呉外相は28日帰国に際し,(1)中国はカンボジア問題の政治解決のため,ASEANとの協力をより緊密なものとする用意がある,(2)マレーシア国民に帰国華僑入国許可書を発行した事実はない,(3)中共とマ共の関係は純粋にモラルの面に限られている,等の点を明らかにした。なおマ当局は許可なしに中国に入国した廉で,3月2日までに53名の旅券を没収した。
DIA-206-1984-02-25-2マレーシア1984年02月25日1980年代サバ領有権問題-マハティール首相は,(1)サバ領有権問題でフィリピンと交渉する考えはない,(2)フィリピンが領有権の主張を下ろせば,海洋法を基礎とする国境画定の話合いは可能となる,と語った。24日,マルコス大統領が,ブルネイ訪問中にマハティール首相と会談,サバ領有権問題につき,5月の国民議会選挙後,積極的な交渉を始めることで合意したと述べた,という報道にコメントしたもの。
DIA-206-1984-03-01-1マレーシア1984年03月01日1980年代首相,日本の対外投資を批判-JETRO主催のJapan Technofair ’84開会にあたり,日本の対先進国投資は富める者が富める者を援助するようなものであり,日本の貿易黒字問題は,途上国への産業再配置により解決しうる,と述べた。
DIA-206-1984-03-01-2マレーシア1984年03月01日1980年代KL商品取引清算所,一部の契約登録を拒否-パーム油先物763枚。パーム油精油業協会は2日,取引所への信頼を覆す措置,と抗議。
DIA-206-1984-03-05-1マレーシア1984年03月05日1980年代マ・日,日・マ経済協議会合同会議,開催-KLで2日間。マハティール首相が,工業製品市場の開放を要請したほか,マ側出席者から貿易外収支不均衡の拡大,日本の建設企業進出による地場業者の機会喪失などが指摘された。会議は貿易不均衡是正の検討のための作業部会設置などを決定。
DIA-206-1984-03-08-1マレーシア1984年03月08日1980年代サバ州議会,ラブアン島連邦領法案を賛成41,保留1で可決。
DIA-206-1984-03-10-1マレーシア1984年03月10日1980年代李三春前MCA党首,MPHB会長に就任-陳群川前会長は営業担当専務に留任。
DIA-206-1984-03-11-1マレーシア1984年03月11日1980年代ラザレイ蔵相,一部のUmno指導者を批判-舌を裂いてもなお弁説を揮い,止めどもなくスローガンが出てくるような者が多過ぎる,と述べた。
DIA-206-1984-03-13-1マレーシア1984年03月13日1980年代国会開会(下院は4月6日まで,上院は4月9日~4月26日)。
DIA-206-1984-03-14-1マレーシア1984年03月14日1980年代ソン・サン民主カンボジア首相,訪マ。
DIA-206-1984-03-15-1マレーシア1984年03月15日1980年代パーム油先物取引き停止-14日,KL商品取引所は,(1)清算所への支払い不履行により6会員を取引き停止処分に付し,(2)15日から先物取引きを停止すると発表した。清算所も全ての契約に清算価格を適用すると決定した。これに対しパーム油精油業界は,清算価格は現物市場の相場より安く,約14万トンの輸出契約を履行できなくなる恐れがあると抗議した。また同日,呂正義Kentucky Fried Chicken(マ・シ)会長は,取引所の不正を糾すため1月18日から空売りをしていたと声明した。19日,商品取引審議会は6社の不履行に関する調査委員会を発足させ,政府も取引所と清算所の運営について審問委員会を設けた。先物取引は21日に再開された。
DIA-206-1984-03-17-1マレーシア1984年03月17日1980年代MCA臨時党大会開催の要求-陳群川次席副党首は中央委員会の席上,党員名簿問題解決のため開催を要求する旨の,陳以下14名の中央委員(うち2名は署名撤回)の署名した要請書を提出。会議は直ちに散会。
DIA-206-1984-03-17-2マレーシア1984年03月17日1980年代豪空軍のバタワース駐留継続構想-ショールズ豪国防相によれば,(1)ミラージュ戦闘機は88年半ばまで数を削減しながらも駐留,(2)それ以降,FA18が交替で年に計16週間派遣される,(3)Orion海上哨戒機,同基地の主要陸上施設,豪陸軍1個中隊は維持される。
DIA-206-1984-03-19-1マレーシア1984年03月19日1980年代憲法修正第2号案,下院に上程・可決-賛成121,反対4。主な修正点は,(1)ラブアン島を連邦領とする,(2)国会で審議未了,国王の裁可待ち,または国王から差戻され国会の再審議を待っている法案は,国会の休会または解散により廃案とされない(55条),(3)選挙委員会は前回選挙区境界の改訂作業終了時から8年を経れば,いかなる時点でも見直しを行なうことができ,見直しは2年以内に終えるものとする(113条)など。
DIA-206-1984-03-19-2マレーシア1984年03月19日1980年代MCA,陳群川次席副党首ほか13名を除名-規律委員会の決定。李金獅総理府副相,林良実副蔵相など中央委員7名を含む。
DIA-206-1984-03-20-1マレーシア1984年03月20日1980年代ブルネイのスルタン,訪マ。
DIA-206-1984-03-21-1マレーシア1984年03月21日1980年代首相,ジャンダ・バイ(パハン州)を連邦領とし,首都の機能の一部を移す構想を提示。
DIA-206-1984-03-22-1マレーシア1984年03月22日1980年代首相,パキスタンを訪問-26日,(1)経済,商業,技術,文化面での協力を緊密化,(2)アラファト指導下のパレスチナ人の運動を支持等の共同コミュニケ発表。
DIA-206-1984-03-23-1マレーシア1984年03月23日1980年代MCA党内抗争を調停の動き-中華工商連合会が,調停の意向を明らかにし,24日MCA婦人部中央委員会も同様の意向を示した。
DIA-206-1984-03-23-2マレーシア1984年03月23日1980年代MCA臨時党大会開催要求の署名運動-83年党大会代議員のうち1499名(約62%)の署名した要請書が党本部に提出された。24日,張漢良書記長は開催拒否を発表したが,署名運動代表者は4月29日に開催と語った。
DIA-206-1984-03-25-1マレーシア1984年03月25日1980年代Umnoの一部の州組織,役員選挙で協力へ-ペナン州とペラ州が党本部役員選挙で協力に合意,29日にはプルリス州,バハン州もこれに加わった。
DIA-206-1984-03-26-1マレーシア1984年03月26日1980年代円建てシンジケート・ローンに調印-300億円。5年据置きを含む10年返済。金利は変動分150億円が日本の長期プライム,残る固定分は長期プライム+0.2%。第一勧銀,長銀など59行が参加。
DIA-206-1984-03-27-1マレーシア1984年03月27日1980年代首相,李金獅副総理府相と林良実副蔵相の辞任を発表。
DIA-206-1984-03-28-1マレーシア1984年03月28日1980年代全国土地法修正案,下院に上程-(1)外国人と外国企業は今後,農地の保有を認められず,住宅,商業用地の保有も,州政府の認可を要する,(2)地目転換,所有権分割の手続きを簡素化する等。4月6日可決。
DIA-206-1984-03-28-2マレーシア1984年03月28日1980年代印刷・出版業法案,下院に上程・可決-内相は,(1)公共の秩序,治安または国益を損う出版物,写真または録音テープの所持,販売,輸入を禁止することができ,(2)外国で発行される雑誌・新聞の国内販売に際し,外国出版業者に供託金を含む諸条件を課しうる,など。
DIA-206-1984-03-28-3マレーシア1984年03月28日1980年代ムサ副首相,某政党の一部指導者に警告-種族感情を挑発するような発言をやめるよう警告し,これらの発言には,反国家分子,共産主義者,左翼分子の存在を示す兆候がある,と指摘した。
DIA-206-1984-03-28-4マレーシア1984年03月28日1980年代政府,電信・電話局を85年に民営化と発表。
DIA-206-1984-03-29-1マレーシア1984年03月29日1980年代第4次5カ年計画中間報告,下院に上程-首相演説の骨子は,(1)政府は公共部門支出のため対外借入を続けることはできない,(2)今後の経済成長は民間部門に依存することになるが,民営化政策が同部門の参加拡大の主要戦略である,(3)農業では共同経営と農村の町への再組織に着手し,不経済な米作農地は,協同組合を経営主体とし農地所有者を株主とする大農園に統合する,(4)ルック・イースト政策により人的資源開発を促進する,(5)工業化の重点を重工業と第2次輸入代替に置く,(6)現在の1480万の人口はさまざまな面で制約となっており,最終的には人口を7000万とすべきである,等(資料参照)。
DIA-206-1984-03-30-1マレーシア1984年03月30日1980年代林敬益民政党党首,貧困除去の軽視を批判-これに反し社会再編については,党の調査では,大農園,鉱山,製造業の5分野で原住民が大幅に進出し,その全分野における資本所有比率は,政府「中間報告」の18%をかなり上回っている見込み,との見解を示した。
DIA-206-1984-03-30-2マレーシア1984年03月30日1980年代初のカナダ・ドル建て借款に調印-1億5000万Cドル。4年据置きを含む8年返済。当初4年間はカナダのプライム+0.125%,残る4年間は+0.25%。
DIA-206-1984-03-30-3マレーシア1984年03月30日1980年代中央銀行83年年報,発表―(1)輸入の伸びは所得のそれを上回り,しかも硬直化しつつある,(2)予算規制外機関の支出は83年に67億リンギ,連邦開発支出の約3分の2に相当し,内外の金融市場からの借入れが増加,と指摘。年報発表に際しアジズ総裁は,国内銀行の業務,ことに海外業務のための資金移動への監督を強化と述べた。
DIA-206-1984-04-01-1マレーシア1984年04月01日1980年代MCA党本部,一部の下部組織の凍結へ-本日連邦区,スランゴール州,マラッカ州で各1支会が活動停止処分を受け,その数は陳派の発表では5月5日までに全国1393支会中149支会となった。
DIA-206-1984-04-02-1マレーシア1984年04月02日1980年代MCA青年部中央委員会,分裂-中央委員42名中19名が会合,ネオ党首代理支持を決定,3日には他の19名が臨時党大会開催要求を決議。
DIA-206-1984-04-03-1マレーシア1984年04月03日1980年代ガス化学構想-Petronas社の幹部によれば,(1)天然ガスを原料とするエチレン年産20トン万のプラント(工費5億米ドル)を90年代初めに操業開始,(2)製品の75%は国内市場向け,の2点に沿い計画を作成中。
DIA-206-1984-04-05-1マレーシア1984年04月05日1980年代新経済政策の延長問題-アブドゥラー総理府相は下院の第4次計画中間報告総括討論で,90年までに貧困を除去する見通しは暗いが,政府は新経済政策の延長の如何を未だ決定していない,と述べた。
DIA-206-1984-04-06-1マレーシア1984年04月06日1980年代人口増加政策-首相によれば,内閣は2100年の人口を7000万人にする目標に従い,労働諸法を改正,働く母親への出産休暇・給付を第5子(現在は第3子)まで拡大し,家族計画の比重を下げることを決定した。
DIA-206-1984-04-06-2マレーシア1984年04月06日1980年代MCA幹部,李三春前党首に調停を要請-羅福元組織担当書記,朱正華総財政が要請を声明,16日にも中央委員16名が同趣旨の共同声明を発表。
DIA-206-1984-04-06-3マレーシア1984年04月06日1980年代マレーシア人民社会党のカシム議長,辞任-今後ムスリム政党統一の運動への参加を示唆。
DIA-206-1984-04-08-1マレーシア1984年04月08日1980年代陳群川のネオMCA党首代理批判-党首代理に就任後,憲法修正,選挙区改訂,第4次計画中間報告等の重要問題につき,党首評議会や中央委員会での討議を行なわず,党の立場を明らかにしなかった,と批判。
DIA-206-1984-04-09-1マレーシア1984年04月09日1980年代国産車への保護措置-リタウディン商工相は,その他のCKD車に対する輸入税率引上げ,場合によっては完成車も含めた輸入規制を検討中,と述べ,20日には,自動車輸入業者,販売業者に国産車販売の20%を割当てる方針を明らかにした。
DIA-206-1984-04-10-1マレーシア1984年04月10日1980年代予算規制外機関の会計監査-会計検査院総裁は,中央銀行が指摘した政府機関・公営企業83組織のほとんどが,監査法の規定にも拘らず,会計検査院の監査を受けていない,と指摘。
DIA-206-1984-04-10-2マレーシア1984年04月10日1980年代マラッカ州政府,ブキ・チナ開発を計画-Abdul Rahim首相は州議会で,同丘陵(華名は三保山)を平坦にして宅地等に開発,土砂は海浜埋立てに利用する計画である,と確認。14日マレーシア青年団結運動,24日には青雲亭理事会(三保山の主に華人の墳墓2万5000基を管理)が,それぞれ開発計画に反対を表明。
DIA-206-1984-04-10-3マレーシア1984年04月10日1980年代MCAの下院議員4名と州議員30名が,陳群川等の除名撤回,臨時党大会支持等を共同声明。
DIA-206-1984-04-12-1マレーシア1984年04月12日1980年代サバ州政府幹部1名,国内治安法で拘留-ラブアン島連邦領化への反対を扇動した容疑による。
DIA-206-1984-04-12-2マレーシア1984年04月12日1980年代イランのヴェラヤティ外相,訪マ-13日,ガザリ外相と会談,直接貿易拡大等に合意。
DIA-206-1984-04-13-1マレーシア1984年04月13日1980年代サバ,サラワク両州への入州手続を簡略化-ラブアン島連邦領編入の日から,半島居住のマ国民は身分証明書提示と入国管理局発行のカード提出のみでサバ州に入れる。また18日,マハティール首相は,両州住民の両州間交通も6月1日から同様に簡略化,と発表。
DIA-206-1984-04-13-2マレーシア1984年04月13日1980年代首相,外国企業との競合を擁護-(1)新たな技術を闘い取る心構えが大切,(2)建設産業が国内業者に限られていた頃,工期の遅れ,最終経費の増加が常態であり,原住民はおろか非原住民に対してすら職場訓練がなされず,新技術適用の試みもなかった,と指摘。
DIA-206-1984-04-13-3マレーシア1984年04月13日1980年代ラザレイ蔵相,政治的陰謀を非難-(1)BMFの不良貸付けをUmno指導部と結びつけ,その名誉を汚す陰謀に法的措置をとる,(2)不公平な処遇と自分を孤立させようとする試みに対する忍耐にも限度がある,と声明。
DIA-206-1984-04-13-4マレーシア1984年04月13日1980年代MCA教育基金-ネオ党首代理は,マハティール首相がこのほど同基金の設立を認可,と発表,党員に募金活動を呼びかけた。同基金は党10大計画のひとつ。
DIA-206-1984-04-14-1マレーシア1984年04月14日1980年代Maika Holdings社への投資運動開始-同社はMICの投資機関。ヴェル党首は,主として全国720の支会を通じて6月15日までに5000万リンギの投資達成との目標を発表。6月に入り締切は8月15日に延長され,6月20日に投資申込みは8000万リンギを超えた。
DIA-206-1984-04-15-1マレーシア1984年04月15日1980年代国民戦線,Usnoを除名-ラブアン島での最高会議の席上,Umno代表が除名を提案,Usno代表が釈明を行なったのち,全会一致で決定。同時に,サバ州のBerjaya系無所属下院議員5名の戦線加入を承認。
DIA-206-1984-04-15-2マレーシア1984年04月15日1980年代タイ空軍機,南タイで墜落-ブトン地域でのマ・タイ空軍合同作戦中にA-37B機1機が墜落。18日,両国軍部筋は,マ共ゲリラが対空砲火保有との説を否定。
DIA-206-1984-04-15-3マレーシア1984年04月15日1980年代ネオMCA党首代理の陳派批判-(1)金権政治は長続きするものではない,(2)清廉な政治の維持のためには経済と政治を結合してはならない,(3)MCA 10大計画は完了しつつあり,その基本精神は8大方針に継承,(4)あらゆる問題は党規約に従って処理する,等と述べた。
DIA-206-1984-04-15-4マレーシア1984年04月15日1980年代沈慕羽華人学校教員総会会長,MCA内で華人社会救済を行動で示す派があれば,それを支持との談話発表。
DIA-206-1984-04-16-1マレーシア1984年04月16日1980年代ネオMCA党首代理,臨時党大会召集には書記長の署名がなく,党規約に違反と声明。
DIA-206-1984-04-16-2マレーシア1984年04月16日1980年代MCA幹部の解任・辞任-陳炳坤を中央委員から解任。これに抗議して17日に羅福元,18日に朱正華がそれぞれ副書記長兼組織担当書記,総財政を辞任。
DIA-206-1984-04-17-1マレーシア1984年04月17日1980年代中銀総裁,預金金利引上げを要請。
DIA-206-1984-04-19-1マレーシア1984年04月19日1980年代ムサ副首相,Umnoの一部指導者を非難-閣議や党最高会議では沈黙を守り,外部で決定を守らない者が存在,と指摘。
DIA-206-1984-04-21-1マレーシア1984年04月21日1980年代シンガポールからの労働集約産業の進出-マレーシア工業開発庁によれば,過去3年間に200社近くが主としてジョホール州,マラッカ州に進出,投資額は1億リンギ弱,業種は電子部品組立,紡績,衣料,木材加工,ゴム加工等となっている。
DIA-206-1984-04-22-1マレーシア1984年04月22日1980年代人口増加政策への批判-ペナン消費者協会は同政策により資源涸渇がもたらされ,さまざまな社会問題,失業,貧因が惹起されるおそれがあり,まず資源と基礎的ニーズの点から徹底的な研究が必要,と指摘。
DIA-206-1984-04-23-1マレーシア1984年04月23日1980年代李MCA前党首,調停工作に失敗と発表-(1)臨時党大会の中止,最近の除名・支会の活動停止等の処分撤回など5項目の調停案をもって,4月7日から両派と話し合った,(2)陳派は一定の留保をしつつも調停案受入れの意向を示したが,ネオ派は受入れを拒否,代案も提示しなかった,(3)大会代議員に臨時党大会出席を勧告する,等の点を声明。ネオを初めMCAの4閣僚は23日および24日に共同声明を発表,李前党首は調停を利用して党首への復帰を謀った,と非難。
DIA-206-1984-04-26-1マレーシア1984年04月26日1980年代第8代国王にIskandarジョホール州スルタン,副王にAzlanペラ州スルタンがそれぞれ即位。
DIA-206-1984-04-26-2マレーシア1984年04月26日1980年代国会休会-憲法修正法案,82,83年補正予算案,イスラム家族(連邦領)法案,全国土地法典修正案等を可決,第4次計画中間報告を承認。
DIA-206-1984-04-26-3マレーシア1984年04月26日1980年代黄昆福MCA大会議長,臨時党大会を召集-25日付け。党本部は26日に同議長を除名。
DIA-206-1984-04-27-1マレーシア1984年04月27日1980年代天然ゴム産業政策-政府の作業委員会は,世界の弾性品需要を2000年に1800万トン,うち天然ゴム需要を720万トンと予測し,マレーシアの生産を83年の150万トンから270万トンに増加する必要がある,等の報告書を提出。5月2日,内閣は新たな調査の実施を決定。
DIA-206-1984-04-28-1マレーシア1984年04月28日1980年代警察,MCA臨時党大会およびネオ派の集会の開催許可を取消し(ともに4月29日にKLで開催予定)。
DIA-206-1984-04-28-2マレーシア1984年04月28日1980年代華人組織の反応-黄啄〓スランゴール中華工商総会会長は,同州中華大会堂大会の席上,政党の指導による華人社会の団結実現は不可能となっており,その任務は各州の中華大会堂の双肩にかかっている,と発言。
DIA-206-1984-04-29-1マレーシア1984年04月29日1980年代陳群川派の非公式集会-ネオ党首代理をすべての党役職から罷免する等,8項目の決議採択。臨時党大会は5月6日に延期。
DIA-206-1984-04-29-2マレーシア1984年04月29日1980年代首相,MCA指導者と会談-本日ネオ派の3大臣,1副大臣と会談,5月2日には陳群川と会談,4日,両派にアドバイスはしたが,解決案は提示せず,と語った。
DIA-206-1984-04-30-1マレーシア1984年04月30日1980年代マハティールUmno総裁,無競争で再選-同党中央の役員候補者指名が締切られ,総裁選への対立候補指名がなかったため。
DIA-206-1984-05-02-1マレーシア1984年05月02日1980年代ラザレイ蔵相がBMF事件に関与との証言-BMF社副支配人殺害事件を審理中の香港高裁で,麦福祥被告の,(1)83年に600万米ドルの資金を集めるため,ラザレイ蔵相により香港に送りこまれた,(2)マレーシアの他の閣僚の代理も行なってきた,等の供述調書が公表された。3日,ラザレイ蔵相は,麦を知らず,その供述は虚偽であり,自分の破滅を狙った政治的陰謀である,と声明。11日,麦被告は法廷で,上記2点の供述を否定。
DIA-206-1984-05-02-2マレーシア1984年05月02日1980年代放射性廃棄物貯蔵所建設への反対-自然の友協会(SAM)は,日系企業Asian Rare Earth社が建設中のトリウム化合物貯蔵所により,地元のペラ州パパンとその近隣の住民2万5000人に被爆の危険があると警告。
DIA-206-1984-05-03-1マレーシア1984年05月03日1980年代MCA陳派の支持者-陳派筋によれば,党大会代議員2526名中1640名,党中央委員33名中21名,婦人部中央委員27名中21名,青年部中央委員46名中30名,党支会1393中1006支会,同党の下院議員23名中9名,州議会議員54名中35名を結集。
DIA-206-1984-05-03-2マレーシア1984年05月03日1980年代ハルンUmno次席副総裁の批判-Far Eastern Economic Review3日号掲載のインタヴューで,マハティール総裁(首相)の政策の多くは,党最高会議はおろか政治局の討議を経ることなく実施されており,総裁が独裁者になるおそれがある,と述べた。
DIA-206-1984-05-04-1マレーシア1984年05月04日1980年代アフガニスタンのムジャヒディンの事務所,KLに開設。
DIA-206-1984-05-05-1マレーシア1984年05月05日1980年代首相,ルック・イースト政策の継続を確認-ダヤブミ・コンプレックス竣工式の席上,(1)同政策は適切であり,所期の成果も上がっている,(2)同政策反対を,原住民に扇動してはならない,と述べた。
DIA-206-1984-05-05-2マレーシア1984年05月05日1980年代警察,MCA臨時党大会および建党35周年記念集会の開催を許可(ともにKLで5月6日に予定)。
DIA-206-1984-05-05-3マレーシア1984年05月05日1980年代サバ州議会補欠選挙-タワウ市区,シピタン区,スグット区の3区ともBerjayaの立候補者が当選。
DIA-206-1984-05-06-1マレーシア1984年05月06日1980年代MCA臨時党大会開催-81年の前回大会のため選出された代議員2523名中1616名が出席,大会議長に陳声新次席副党首(副情報相)を選出,(1)3月19日に除名された14名の地位回復,(2)同日以後の党首代理または中央委員会による人事の無効,(3)同じく支会の活動停止,党員除名の無効,(4)84年3~5月の支会・支部選挙の停止と無効,(5)偽党員問題調査等の特別委員会設立,等の7項目を圧倒的多数で決議。
DIA-206-1984-05-06-2マレーシア1984年05月06日1980年代MCA建党30周年記念集会開催-ネオ党首代理は李前党首の変節を非難し,党規約の絶対的遵守を要請。(1)不法に現指導部打倒を図る反対派を非難,(2)金を得るため党を利用し,党内の地位確保のため金を用いる者を非難,等8項目の決議を採択。
DIA-206-1984-05-07-1マレーシア1984年05月07日1980年代ポニマン・インドネシア国防相,訪マ-8日Abu Bakar副国防相と会談,兵器生産,航空産業創始,国防研究で協力の用意がある,と表明。
DIA-206-1984-05-08-1マレーシア1984年05月08日1980年代ASEAN外相特別会議-帰国したガザリ外相は,ASEAN内には些かの不統一もなく,カンボジア問題国際会議の原則を堅持している,と語った。
DIA-206-1984-05-10-1マレーシア1984年05月10日1980年代MCA陳派,法廷闘争を開始-3党員が各地の支会の活動停止処分の無効判定等を求めてKL高裁に提訴,11日には陳声新次席副党首が,臨時党大会の有効判定を求めて提訴。その他ペナン,イポーの高裁にも提訴がなされた。18日KL高裁は,党大会代議員の選出を目的とするすべての支部大会の禁止等の仮処分を命令。
DIA-206-1984-05-12-1マレーシア1984年05月12日1980年代インドネシアとの労働力供給取極めに調印-(1)インドネシアはマレーシアの要請があり次第,2年間契約で労働者を提供,(2)両国は労働者募集,取極めの実施のためそれぞれ委員会を設立する等。メダンでのマ・イ総合国境委員会の席上で調印。
DIA-206-1984-05-15-1マレーシア1984年05月15日1980年代マレーシア航空,社内で民営化を検討中と発表。
DIA-206-1984-05-17-1マレーシア1984年05月17日1980年代重工業化政策への批判-クバンサアン大学のDr. Osman Raniは「工業化の新たな方向:若干の戦略問題」と題するセミナーの席上,国内市場と技術力の面での制約,国際市場での競合等により,重工業化のコストは非常に高いものになる,との見解を発表。
DIA-206-1984-05-18-1マレーシア1984年05月18日1980年代首相,外資政策の緩和を示唆-資本集約・資源加工・製品輸出の3条件を充たす外資大企業には,資本の過半数所有を認める,と発言。
DIA-206-1984-05-21-1マレーシア1984年05月21日1980年代カークパトリック米国連代表,訪マ-3日間。マハティール首相,ガザリ外相等と会談。22日,ガザリ外相は,米国はアジアでのソ連抑止の役割を中国に委ねているという印象を与えてはならない,と述べた。
DIA-206-1984-05-21-2マレーシア1984年05月21日1980年代KL商品取引所,非常規定の適用を解除。
DIA-206-1984-05-23-1マレーシア1984年05月23日1980年代全党員の投票によるMCAの危機打開案-ジョホール・バルの約1000名の華人有志が,23日付け南洋商報に,各州の中華総商会,会館の監督下にMCA全党員が投票を行ない,党の将来を決めるよう提案する,との広告を掲載。
DIA-206-1984-05-24-1マレーシア1984年05月24日1980年代Umno青年部,婦人部大会-青年部ではアヌワール現部長が226票を得てスハイミ元部長を71票差で破り,婦人部長にはラフィダー公営企業相が選出(273票,Napsiah91票)された。青年部は,必要な場合は新経済政策を90年以降も延長するよう政府に要請,行政へのイスラムの価値意識の導入促進,等の決議を採択。
DIA-206-1984-05-25-1マレーシア1984年05月25日1980年代Umno党大会-3日間。副総裁にはムサ副首相を744票で再選,ラザレイ蔵相501票,ハルン次席副総裁34票。次席副総裁にはモクタール・トレンガヌ州首相,アブドゥラー総理府相,ガファールの3人が当選。マハティール総裁は開会演説で,(1)独自の裁量が全く認められないなら,指導者など要らない,(2)新経済政策の延長いかんに関し,非原住民の地位と利益を斟酌すべきである,(3)票の買収等を放置すれば,党は政党ではなく金持ちのクラブと化す,等と述べた。他方,代議員からは,(1)新経済政策を90年で打切りと決定すれば,次回総選挙に悪影響が出る,(2)ルック・イースト政策は,Mahamotoとも称すべき寄生的な原住民商人を生み出している等の意見も出された。
DIA-206-1984-05-27-1マレーシア1984年05月27日1980年代Pas対策-ムサ副首相兼内相はUmno党大会の席上,当局は刑法298条Aにより,宗教を政治目的に利用した者22名を逮捕したが,これ以上の強硬措置を採れば,かえってPasの罠にはまることになると指摘。
DIA-206-1984-05-29-1マレーシア1984年05月29日1980年代ガザリ外相,訪中-8日間。経済界代表22人が同行。30日,呉学謙外相と会談し,呉外相は相互信頼の必要性を,ガザリ外相は相互理解の重要性を強調。31日の胡耀邦総書記との会談では,(1)中国のマ共支持継続に対するマ政府の疑念を表明,(2)カンボジア問題の具体的解決策での意見の相違を確認した。ガザリ外相は帰国後の13日,北京の世界貿易センター建設(1億9500万米ドル),廈門経済特区のインフラ開発(6億9000万米ドル)について趣意書に調印,と発表。前者はKuok集団,後者はMOIC社が担当する。
DIA-206-1984-05-29-2マレーシア1984年05月29日1980年代5億米ドルの協調融資に調印-期間は5年据置きを含む10年。金利は4億米ドルに対し当初4年間にLIMEAN+0.5%,残り6年はLibor+0.5%,1億米ドルは英国みなし課税控除によりLibor+0.25%。
DIA-206-1984-05-29-3マレーシア1984年05月29日1980年代錫輸出規制の効果-リョン第一次産業相によれば世界市場の過剰錫は,現在2000~2500トン/月のペースで取崩されており,ピーク時の10万トンから現在の7万トン弱に減った。
DIA-206-1984-05-30-1マレーシア1984年05月30日1980年代中国とソ連の脅威-フセイン前首相は,戦略・国際問題研究所とNew Straits Times共催のセミナーの席上,私見として,(1)ソ連ではなく中国の方が,東南アジアにとり大きな軍事的脅威である,(2)ベトナム内のいわゆるソ連海軍基地が,実際に海軍基地であるのか否かは疑わしい,と述べた。
DIA-206-1984-05-31-1マレーシア1984年05月31日1980年代マ・中国交樹立10周年-両国首相が祝電を交換。
DIA-206-1984-06-01-1マレーシア1984年06月01日1980年代初の民間テレビ局TV3,放送開始-KLを中心に半径50kmの地域で受像可能。同局はFleet集団下のSistem Telivisyen Malaysia Bhd. が経営。
DIA-206-1984-06-04-1マレーシア1984年06月04日1980年代パパン放射性廃棄物貯蔵所建設問題-住民代表,游富栄MCA下院議員,ラムリ・ペラ州首相の話合いが持たれたが,住民側は貯蔵所移転を要求し物分かれに終わった。5日,マハティール首相は,安全確保のためあらゆる手段を講じている,との談話を発表したが,住民側は18日からパパンへ通じる道路でデモを開始。23日に民行党は住民支持を声明。
DIA-206-1984-06-07-1マレーシア1984年06月07日1980年代5カ国防衛協定による空軍演習-2日間。マレーシアは初めて戦闘機をシンガポールに派遣。
DIA-206-1984-06-07-2マレーシア1984年06月07日1980年代マレーシア華人商工会連合会の調停工作-黄文彬会長は,法廷外でのMCA紛争打開はなお可能であり,公平かつ実行可能な解決案を見出したい,と語った。
DIA-206-1984-06-09-1マレーシア1984年06月09日1980年代半島部からの原木輸出を84年から全面禁止-リョン第一次産業相発表。76年から量・樹種の制限を実施しており,84年の輸出割当ては総伐採量の0.5%。
DIA-206-1984-06-09-2マレーシア1984年06月09日1980年代世銀借款認可-農村電化事業に7000万米ドル。3年据置きを含む15年返済。金利は世銀の借入コストに連動(現在10.08%)。
DIA-206-1984-06-10-1マレーシア1984年06月10日1980年代国王夫妻,教育基金を設立へ-連邦政府からの手元金などの全額(5年で380万リンギ)を寄付。
DIA-206-1984-06-12-1マレーシア1984年06月12日1980年代ゴム相場下落-リョン第一次産業相は,2~4月の異常降雨による生産量増加,インドネシアの大量輸出,米国金利の上昇,投機売り等の要因を挙げた。
DIA-206-1984-06-12-2マレーシア1984年06月12日1980年代ラザレイ蔵相の動静-クランタン州内Umno支部の指導者が会合,ラザレイの同州連絡委員会議長留任要請を決議。15日同蔵相は,今回の副総裁選敗北は前回のそれと事情が異なる,と述べて蔵相辞任を示唆。
DIA-206-1984-06-14-1マレーシア1984年06月14日1980年代トレンガヌ沖新油田の試掘結果発表-5月15日にマロン油田第2号井で1457m層から原油2425b/d,ガス日量286万立方フイート,1499m層から同じく4765b/d,154万立方フイートが自噴。
DIA-206-1984-06-15-1マレーシア1984年06月15日1980年代MPHB社臨時株主総会-1:3での無償新株と新株引受権を発行,資本金を4億5062万リンギから7億5103万リンギに拡大し,借入金を削減するとの提案を可決。一部の株主は,(1)77~82年は無配であり,83年の配当も2.5%と低く,新株無償交付は現実的利益とはいえない,(2)経営陣,ことに陳群川はこれ以上の拡大を図るべきではない,等と主張。
DIA-206-1984-06-21-1マレーシア1984年06月21日1980年代オランダでの起債に調印-1億ギルダー(7000万リンギ)。
DIA-206-1984-06-26-1マレーシア1984年06月26日1980年代麻薬取締り-ムサ副首相兼内相の発表によれば,(1)84年1~5月に生阿片359.82kg(83年通年110.73kg),阿片3.44kg(同40.46kg),大麻873.4kg(386.4kg),モルヒネ6.16kg(9.32kg),ヘロイン96.502kg(200.08kg),向精神剤438錠(2万5045錠)を押収,(2)83年4月以来,15g以上の麻薬保持により425名を逮捕,(3)75年以来,麻薬事犯で57名に死刑判決(うち24名を処刑,残りは控訴中),230名に終身刑判決。
DIA-206-1984-06-29-1マレーシア1984年06月29日1980年代電子部品産業の好調-業界筋によれば,82年末から需要が拡大,現在はフル操業の企業もあり,受注~出荷に3カ月もかかる状態という。
DIA-206-1984-06-30-1マレーシア1984年06月30日1980年代国王,ムサ副首相と和解-国立モスクでの断食月明けの祈祷に際し,即席の演説で和解の意向を示したのに対し,副首相もその場で許しを求めた。
DIA-206-1984-07-02-1マレーシア1984年07月02日1980年代放射性廃棄物貯蔵所の建設問題-ヨン科学・技術・環境相は,建設反対の専門家はその主張を立証すべきだ,と声明。これに対し11日,環境保護協会,Aliran等8団体がパパン支援グループを結成,国外から核廃棄物専門家を招聘する等の方針を決定。
DIA-206-1984-07-02-2マレーシア1984年07月02日1980年代MIC,Govindaraj次席副党首(下院議員)除名。
DIA-206-1984-07-03-1マレーシア1984年07月03日1980年代日本軍に集団虐殺された華人の墓地発見-N・スンビラン州スンガイ・ルイでこのほど,1942年10月8日に虐殺された368人の華人の墓地を発見。5日MCAの周福泰州議員は,日本政府に遺族と生存者への賠償と謝罪,記念碑建設を要求,と発表。9日同州DAP代表団は日本大使館に1000万リンギの信託基金設立を要求。
DIA-206-1984-07-04-1マレーシア1984年07月04日1980年代セメント不足-ジョホール州でセメント不足,値上げが顕著となり,建設業界は6月28日施行の輸入税(50%またはトン当り80リンギのいずれか高い方)の解除を要求。8月下旬にはクランタン州でも不足が生じた。
DIA-206-1984-07-05-1マレーシア1984年07月05日1980年代ムサ副首相兼内相,デモの増加に警告-政治的オポチュニストにはその責任を問う,と声明。
DIA-206-1984-07-06-1マレーシア1984年07月06日1980年代MPEB社,UMBC株の売却に調印-Untied Malayan Banking Corp. の株40.68%を,Malaysian-French Bankの株51%および現金1億3220万リンギで,原住民企業に売却する。
DIA-206-1984-07-06-2マレーシア1984年07月06日1980年代証券市場での資金調達,急増-84年上半期の新株発行は約9億5000万リンギ(83年通年で11億4000万リンギ)。そのうち新株引受権発行9億400万リンギ,株式上場4475万リンギ。
DIA-206-1984-07-08-1マレーシア1984年07月08日1980年代シュルツ米国務長官,訪マ-9日マハティール首相と会談。席上,首相は中国が近代化され豊かになれば,軍事的にも強大になるおそれがあると指摘。シュルツ長官は,中国は近代化に忙しく対外侵略の余裕はない,との見解を示したという。
DIA-206-1984-07-08-2マレーシア1984年07月08日1980年代フィジーのカミセセ首相,訪マ。
DIA-206-1984-07-08-3マレーシア1984年07月08日1980年代ラザレイ蔵相,Buy Malaysian運動を提唱。
DIA-206-1984-07-10-1マレーシア1984年07月10日1980年代Pas幹部3名,国内治安法で拘留-トレンガヌ州議員1名を含む。11日ムサ副首相兼内相は3人の活動について白書を発表の予定,と述べた。また同日,蛮刀などの武器の携行が禁止された。
DIA-206-1984-07-10-2マレーシア1984年07月10日1980年代陳群川,譲歩を示唆-幽霊党員,被処分党員の復権等の問題が解決されれば,離党の用意があると語った。
DIA-206-1984-07-12-1マレーシア1984年07月12日1980年代分極化現象-ムサ副首相,児童の間に進行中の,種族の別による分極化現象に憂慮を表明。
DIA-206-1984-07-12-2マレーシア1984年07月12日1980年代中銀,不動産,建設部門への商銀融資の集中に警告。
DIA-206-1984-07-14-1マレーシア1984年07月14日1980年代内閣改造発表-ガザリ外相,マナン農相,アイシャ福祉相が閣外に去り,蔵相に民間からダイム・ザイヌディンを起用,また裁判所の行政を管掌する司法省を新設(「参考資料」参照)。
DIA-206-1984-07-14-2マレーシア1984年07月14日1980年代Umno役員の任命発表-書記長にサヌシ国家・農村開発相,財務にダイム新蔵相など。
DIA-206-1984-07-16-1マレーシア1984年07月16日1980年代国会再開-下院は27日まで。上院は7月30日から8月3日まで。
DIA-206-1984-07-17-1マレーシア1984年07月17日1980年代マラヤ鉄道,旅客運賃値上げ発表-8月1日から実施。年約500万リンギの増収見込み。
DIA-206-1984-07-18-1マレーシア1984年07月18日1980年代Malaysian Venture Bhd. 発足-Arab Malaysian Merchant Bank他12社が参加。より高い付加価値を生み,高度の技術を採り入れ,産業多様化を促す可能性を持つ企業に長期投資を行なう。
DIA-206-1984-07-19-1マレーシア1984年07月19日1980年代民法修正法案,下院に上程・可決-上院は8月3日に上程・可決。事故等による補償金(死亡の場合で上限1万リンギ)を規定。同日,マ弁護士会,ペナン消費者協会,MTUC,DAP等が,(1)関係団体との事前協議がなく,国会審議も不充分,(2)保険業界からの圧力に黙従,(3)法廷の機能を制約,と批判,撤回を要求。
DIA-206-1984-07-20-1マレーシア1984年07月20日1980年代サバ州首相の資産問題-議員特権委員会は83年10月31日になされた,同州首相がラブアン島の土地の70%を所有との馮傑〓DAP下院議員の発言は虚偽,と報告。下院は26日に同議員の予算国会への登院停止を決議。同日ハリス州首相は馮議員と陳DAP議員に,院外で発言を繰返すよう要求。これに応じ8月26日にサンダカンに向かったDAP林書記長はコタ・キナバル空港で入州を拒否され,公開の対決も取消された。
DIA-206-1984-07-20-2マレーシア1984年07月20日1980年代トレンガヌ州スルタン,モスクを政治宣伝の場に利用しないよう警告。
DIA-206-1984-07-20-3マレーシア1984年07月20日1980年代日本の建設会社会員,ジョージタウンで射殺さる。
DIA-206-1984-07-21-1マレーシア1984年07月21日1980年代首相,党内抗争の法延への提訴を批判-MIC党大会開会に際し,国民戦線各党は党内抗争解決を法廷のような第三者に委ねるべきではない,と述べた。
DIA-206-1984-07-21-2マレーシア1984年07月21日1980年代MIC党大会-ヴェル党首は,Mika Holdings Bhd. への投資応募が1億リンギを超えた,と報告。党役員選挙では党首の推選を受けた者が全員当選。
DIA-206-1984-07-23-1マレーシア1984年07月23日1980年代アラファトPLO議長,公式訪マ-24日,国立競技場での集会で,米国とイスラエルを非難,マレーシア国民の支持を称賛し,独立闘争を闘い抜くと演説。国王,首相等と会談。25日,パレスチナ人民の運動に対する支持と連帯を謳った共同声明発表。
DIA-206-1984-07-23-2マレーシア1984年07月23日1980年代ブキ・チナ開発問題-Rahimマラッカ州首相は州議会で,ブキ・チナの商業・住宅用開発を進める意向であり,華人社会を開発主体とする案を最優先し,史蹟は保存,との方針を示した。27日,マラッカ中華商業会議所など華人7団体は,同地域の管理権は青雲亭管理機構にあり,州政府の開発案に反対する旨を共同声明。
DIA-206-1984-07-25-1マレーシア1984年07月25日1980年代内閣,経済全般を細部にわたり見直し,と決定。
DIA-206-1984-07-30-1マレーシア1984年07月30日1980年代選挙委員会,選挙区境界再改訂案を公示-下院を177区に,州議会を447区に増設。
DIA-206-1984-08-01-1マレーシア1984年08月01日1980年代内閣,軽鉄道事業推進を承認-第1期のPJ=セントゥル間18.6kmの着工を承認。経費6億9700万リンギ。ベルギー,仏,マレーシアの企業が建設を受注。
DIA-206-1984-08-02-1マレーシア1984年08月02日1980年代Radzi副内相,出稼ぎ労働者の帰国に憂慮-シンガポール政府が7月1日から,月収1000Sドル以下の外国人に労働許可書発行を停止したのに伴い,すでに約1万人の,主にクランタン州出身者が帰国。
DIA-206-1984-08-04-1マレーシア1984年08月04日1980年代国会休会-民法修正法案,危険薬物修正法案,核エネルギー許可書法案など11法案を可決成立。
DIA-206-1984-08-06-1マレーシア1984年08月06日1980年代首相,パプア・ニューギニア等訪問-7日,技術協力協定に調印。8日,同国での英連邦地域首脳会議出席。9日よりオーストラリアを訪問,ホーク首相と会談,(1)貿易不均衡(マの入超)是正のため合同委員会設置,(2)来年のマ留学生数を約4%増加,等で合意。14日からニュージーランド訪問,15日,ランゲ首相と会談。マハティール首相はAnzusの継続希望を表明。17日帰国。
DIA-206-1984-08-06-2マレーシア1984年08月06日1980年代北部4州の屋内政治集会を規制-クダ・プルリス州警察は,政党の別を問わずあらゆる形の政治集会を禁止と発表。9日ムサ首相代理は,(1)屋内政治集会の規制をクランタン,トレンガヌ両州にも適用,(2)ただし講演者が反政府もしくは暴力行使を扇動しない屋内集会は,警察の判断により開催可能,と声明。
DIA-206-1984-08-10-1マレーシア1984年08月10日1980年代マ・英航空交渉,難航-マ航空側はKL‐ロンドン路線で週1便増加(現在4便)を要求,英国側はマ側の旅客積取率算出法を認めず,要求受入れを拒否。
DIA-206-1984-08-10-2マレーシア1984年08月10日1980年代ニューヨーク・フィル,KLでの公演取消し-KLでの演奏予定曲目からヘブライのラプソディー‘Shelomo’を省いたことを,在米ユダヤ人団体,米政府筋が強く非難したため。13日ライス情報相は政府関与を否定。
DIA-206-1984-08-13-1マレーシア1984年08月13日1980年代予算案準備の対話開始-ダイム新蔵相は5日間にわたり民間各界代表の意見を聴取。17日対話終了に際し,民間側の租税の実情に関する無知,補助金依存の傾向,セクショナリズムと協調性欠如を批判。
DIA-206-1984-08-14-1マレーシア1984年08月14日1980年代米政府,繊維製品ダンピングの調査を決定-米国内の繊維業界の申立てによる。対象13力国にはマレーシアも含まれている。
DIA-206-1984-08-15-1マレーシア1984年08月15日1980年代スルー列島南で海賊が33名虐殺,と発表-サバ州スンポルナからの小型客船を11日,ブルブル島付近(比領海内)で襲い,33名殺害,3名誘拐,生存者11名。
DIA-206-1984-08-17-1マレーシア1984年08月17日1980年代ラザレイ商工相,電子産業の問題点指摘-(1)83年の電子部品輸入35億3900万リンギに対し,半導体輸出は38億5000万リンギにすぎない,(2)高度技術部門への投資が少い,(3)主要消費地域の産業とのリンケージ欠如,(4)事実上,外資が所有,(5)国内調達の不足,など。
DIA-206-1984-08-19-1マレーシア1984年08月19日1980年代ネオMCA党首代理,華人政党統一を提唱-華人の政治的地位低下を食い止める理想的解決策と指摘。
DIA-206-1984-08-19-2マレーシア1984年08月19日1980年代Berjaya,Kitingan次席副党首の離党を発表-ハリス党首は,Usno入党のためと語ったが,同日,KitinganはUsno入党説を否定。
DIA-206-1984-08-19-3マレーシア1984年08月19日1980年代DAP党員,ブキ・チナ開発反対運動に際し,不法集会容疑で逮捕さる。
DIA-206-1984-08-20-1マレーシア1984年08月20日1980年代DAP下院議員団,民法修正法案を国会に差戻すよう国王に請願。
DIA-206-1984-08-23-1マレーシア1984年08月23日1980年代原油生産能力-Petronas社のRastam Hadi専務は,(1)新油田発見により,生産量を現在の45万b/dから1,2年で60万b/dに引上げることは可能,(2)しかしすべての生産国には,国際価格の安定化に努力する道義的責任がある,との見解を示した。
DIA-206-1984-08-25-1マレーシア1984年08月25日1980年代Umno,Pasとの公開討論提案-マハティール首相は,UmnoはPasが望むならTV放送の場ですら,指導者と公開討論を行なう用意がある,と声明。
DIA-206-1984-08-27-1マレーシア1984年08月27日1980年代首相,日本の経済帝国主義を非難-マ・日コロキアムの開会演説(ラザレイ商工相代読)で,(1)両国の経済関係には古典的な経済帝国主義の要素が多々見られ改善の必要がある,(2)マ工業製品への市場開放,貿易外収支の改善,技術移転・マンパワー訓練・国内下請建設業者と専門職の利用などの拡大,マ航空の増便等を要請する,(3)日本はASEANという6隻の黒船の到来で,第二の開国に直面している,と述べた。9月6日,在マ日本商工会議所は,(1)マレーシアの民間に存在する若干の誤解の解消に努力する,(2)マ・日,日・マ経済協議会の作業部会に問題解決への協力を要請する,と声明。
DIA-206-1984-08-28-1マレーシア1984年08月28日1980年代ヤマニ・サウジアラビア石油相,訪マ-30日リタウディン外相と会談,産油国の協力の必要性を訴え,マレーシアのOPEC会議オブザーヴァー参加を招請。
DIA-206-1984-08-28-2マレーシア1984年08月28日1980年代国王,一部のムスリムの行き過ぎに警告。
DIA-206-1984-08-29-1マレーシア1984年08月29日1980年代マレーシア航空,日本政府の主張に反論-MASとノースウェスト・オリエント航空による,KL―東京―サンフランシスコ線の,座席一括購入の形での共同運航案は,国際的慣行に合致,と指摘。
DIA-206-1984-08-30-1マレーシア1984年08月30日1980年代首相,ムラー支配樹立の試みを非難-独立記念日メッセージの中で,ムラーによる統治は非イスラム的であるのみならず反イスラム的であり,むしろファナティシズムに基礎を置くものである,と述べた。
DIA-206-1984-08-30-2マレーシア1984年08月30日1980年代サッチャー英首相,訪マを延期-鉱山,造船ストへの対処のため。当初9月15~19日に公式訪問を予定。
DIA-206-1984-09-02-1マレーシア1984年09月02日1980年代マレーシア華人商工会連合会,年次大会-(1)90年以降は公共政策の場で原住民―非原住民の区分を廃止するよう要請,(2)民営化政策を全面的に支持,(3)華人社会に商聯控股(UNICO Holdings Bhd.)の全面的支持を要請,等23項目の決議案を採択。
DIA-206-1984-09-05-1マレーシア1984年09月05日1980年代ダイム蔵相の抱負-New Straits Times紙とのインタヴューで,(1)予算規制外機関の財政状態掌握のため,新規・拡張事業について大蔵省との協議を義務づけるよう提案する,(2)外国建設会社への発注は,もっともコストが低い場合に限り,しかもカウンター・トレードを義務づけるようにしたい,等と述べた。
DIA-206-1984-09-09-1マレーシア1984年09月09日1980年代マレーシア国内の共産ゲリラ-国軍筋によれば,マ・タイ国境地域のゲリラを除き,半島部で270名,サラワクで92名が活動。
DIA-206-1984-09-12-1マレーシア1984年09月12日1980年代ブキ・チナ開発の青写真-マラッカ州政府は,州政府案と民間提案の2図を発表。13日,青雲亭理事会は両案とも拒否。林DAP書記長は,民間提案の青写真作成にはMCAの陳派が協力,と非難。
DIA-206-1984-09-13-1マレーシア1984年09月13日1980年代首相,軍人の政治活動に警告-国軍宗教教師セミナーの席上,野党への同調の範囲を越え,国益に反する行動をとるのは,国家への反逆である,と述べた。
DIA-206-1984-09-14-1マレーシア1984年09月14日1980年代ダイム蔵相,ブミプトラ銀行の再建案発表-(1)Petronas社が国家持株会社(PNB)所有のブ銀行株式を9億3300万リンギで買収し,さらに3億リンギをブ銀行に注入する,(2)ブ銀行はその所有するMalayan Banking Bhd. 株をPNBに売却,5億8900万リンギの利益を計上する,(3)ブ銀行の不良債権22億5500万リンギはPetronas社が12億5500万リンギで買い取り,ブ銀行は10億リンギを償却する,(4)この結果ブ銀行の資本ベースは11億リンギとなり,Petronas社が株式の90%を支配。
DIA-206-1984-09-15-1マレーシア1984年09月15日1980年代ムサ副首相兼内相,国内治安法で拘留したPas幹部3名中2名の条件付き釈放を確認。
DIA-206-1984-09-17-1マレーシア1984年09月17日1980年代クダ州スルタン,州民の不和に遺憾の意を表明。
DIA-206-1984-09-18-1マレーシア1984年09月18日1980年代米の自給率目標を引下げか-Business Timesは,政府がこのほど世銀の勧告に従い,目標値を全国農業政策の80~85%から約70%に引下げたもようと報道。
DIA-206-1984-09-20-1マレーシア1984年09月20日1980年代Kadir副外相,イランを非難-訪マしたジャワド外務次官と会談後,イラン内の一定の集団がマレーシアの過激派と関係を持っていることは,イラン政府による内政干渉と見なしうる,と述べた。
DIA-206-1984-09-21-1マレーシア1984年09月21日1980年代土地分有制度案-ムサ副首相は,連邦土地開発公社の入植事業で,入植地全体の土地所有権を入植者協同組合に与え,各入植者には割当てた地片に応じて株式を付与する制度の導入を検討中,と発表。
DIA-206-1984-09-21-2マレーシア1984年09月21日1980年代坂本労相,訪マ。
DIA-206-1984-09-22-1マレーシア1984年09月22日1980年代SUPP党大会-23日,ヨン党首ほかの全役員を無競争で選出。
DIA-206-1984-09-24-1マレーシア1984年09月24日1980年代首相,イタリアを公式訪問-3日間。次いで国連総会出席のため10月6日渡米,10月13~16日には日本を非公式訪問。
DIA-206-1984-09-24-2マレーシア1984年09月24日1980年代BMF調査委員長,ブミプトラ銀行を批判-ノールディン委員長(会計検査院総裁)は,同銀行がBMFの責任追及を渋っている,と批判,刑事上の責任追及のため王立調査委員会の設置を要請する,との談話発表。ムサ首相代理は29日,同委員長談話は,刑事責任追及が調査委員会の役割ではないことを明確にしたものと指摘。
DIA-206-1984-09-25-1マレーシア1984年09月25日1980年代インドネシアとの合同空軍演習実施(5日間)。
DIA-206-1984-09-27-1マレーシア1984年09月27日1980年代反Pasキャンペーン-Umno筋によれば,同党は党員に対する宗教・政治動向の講習をすでに開始し,全7615支会に,Pasに反論できる雄弁な党員10名とその支援要員12名のリストを党本部に提出するよう指示。
DIA-206-1984-09-29-1マレーシア1984年09月29日1980年代民政党大会-執行部選挙で,党首に林敬益(830票)が曽永森(774票)を破り再選,副党首には梁棋祥(805票,呉清徳800票)を再選したが,30日の中央委員(定員18名)選挙では曽・呉派が13名当選。30日大会は,(1)Petronas社の財政状態公開,(2)原住民・非原住民の区別,大学入学や公共部門の雇用と昇進における種族別クォータの再検討を要請,等16決議を採択。
DIA-206-1984-10-01-1マレーシア1984年10月01日1980年代クアラルンプル錫市場開設-従来のペナン市場に代り,当面は現物取引きのみ扱う。11会員が参加。
DIA-206-1984-10-01-2マレーシア1984年10月01日1980年代Carrian事件裁判,香港で開始-Carrian集団のGeorge Tan会長ほか4名の詐欺共謀2件に関するもの。
DIA-206-1984-10-05-1マレーシア1984年10月05日1980年代リンギ下落-3日以来リンギ売りが増加,本日前場は対米ドル相場が2.3960リンギで開け,一時2.43リンギをつけ,対シンガポール(S)・ドルも1.1185リンギに下がったが,中銀の介入により対米ドル2.3970リンギ,対Sドル1.1081リンギでひけた。米ドル相場が1日で4センも変動したのは例がない。6日ムサ首相代理は,(1)リンギ切下げは行なわない,(2)今回の下落は少数の者による投機の結果,と声明。リンギは9日以降持直した。
DIA-206-1984-10-08-1マレーシア1984年10月08日1980年代国会再開-下院は12月6日まで。上院は12月3日から21日まで。
DIA-206-1984-10-08-2マレーシア1984年10月08日1980年代カウンター・トレードの実績-商工省カウンタートレード局設立以来,民間によるものを除き4件6190万リンギが成約。11日には同分野の清算業務を扱う合弁企業BUI International Corp. を設立。
DIA-206-1984-10-10-1マレーシア1984年10月10日1980年代マハティール首相,国連総会で演説-西側世界はイスラム再生の動きを,往時の疑いと偏見を喚起すべく巧みに歪曲,と非難。また途上国の輸出奨励措置と外資優遇金融が工業国の非難を受けている,と指摘。
DIA-206-1984-10-10-2マレーシア1984年10月10日1980年代屋内集会の規制緩和-ムサ首相代理は,今後開催条件は個々の地域の警察が決定。と発表。
DIA-206-1984-10-10-3マレーシア1984年10月10日1980年代焼畑への対策-サラワク州林業相は,同州で1年に10万1000ha(うち原生林2万9000ha)が移動耕作のため焼払われており,大規模な定住計画が必要と語った。
DIA-206-1984-10-11-1マレーシア1984年10月11日1980年代サバ州補欠選挙の一時中止-KK高裁は,Kitingan前Berjaya党次席副党首の申立てを認め,13日に予定のタンブナン区補欠選挙の仮差止を命令。
DIA-206-1984-10-13-1マレーシア1984年10月13日1980年代ペラ州スルタン,国軍への一部の布教活動批判-宗教活動の妨げになるとの理由で,作戦行動への不参加を働きかける者は,破壊分子である,と非難。
DIA-206-1984-10-14-1マレーシア1984年10月14日1980年代Pas,MCAとの対話を要請-15日,周福泰MCA青年部書記長は個人としては同意を表明。同日,ムサ副首相は,Pasの意図を了解するには,マレーシア語と発言のニュアンスの理解が必要,と警告。
DIA-206-1984-10-15-1マレーシア1984年10月15日1980年代Umno―Pas公開討論問題-両党は11月11日に,「Pasは,Umno党員は不信の徒であり,それに抵抗して死に至る者は殉教者である,と訴える」との,Umnoの選んだテーマで討論を行ない,テレビで生中継するという案に合意。Pasは28日までにHadi次席副委員長,Nakhaie同,Harun最高会議会員を討論者に指名,Umnoは30日までに,モクタール次席副党首,アヌワール青年部長,イブラヒム下院議員を指名した。
DIA-206-1984-10-15-2マレーシア1984年10月15日1980年代マハティール首相,中曽根総理と会談-同首相はルック・イースト政策を継続すると述べ,両者は,マ航空,ノーストウェスト航空,日本航空の3社が,KL―東京―米国西海岸で共同運航を行なうことに合意した。
DIA-206-1984-10-16-1マレーシア1984年10月16日1980年代パーム油価格上昇基調を維持との予測-リョン第一次産業相は,主要油脂の低い在庫水準,ココナツ油の生産・輸出の減少,中国の植物油急増等の要因を指摘。月間平均のトン当り価格は8月の980.50リンギを底に9月には1004リンギに反転している。
DIA-206-1984-10-16-2マレーシア1984年10月16日1980年代Petronas社の財務状態-会社登録官の資料によれば,83年3月末現在で資産119億8000万リンギ,長期借入金24億6000万リンギ,82年度売上げ49億6000万リンギ,税込み利益45億8000万リンギ,税引き後利益24億リンギ,内部留保金90億リンギ。
DIA-206-1984-10-17-1マレーシア1984年10月17日1980年代特別委員会への法案付託-下院は,ムサ副首相提出の,危険薬物(特別予防措置)法案の下院特別委員会への付託動議を満場一致で可決。付託は1960年の軽犯罪法案,73年の法改革(婚姻・離婚)法に次ぎ3度目。
DIA-206-1984-10-18-1マレーシア1984年10月18日1980年代MCA調停工作-ネオ派の張漢良書記長は,同派は9月に調停案を受入れたが,相手(陳派)からは何も聞いていない,と述べた。
DIA-206-1984-10-18-2マレーシア1984年10月18日1980年代曽永森民政党前次席副党首,MCAに再入党か-MCAからの再入党の誘いを考慮中,と語った。26日民政党中央委員会は,次席副党首2名の任命人事を棚上げし,曽にこの談話について説明要求する旨を決定。
DIA-206-1984-10-18-3マレーシア1984年10月18日1980年代サバ州警察,外国人労働者の登録を開始-州警察長官によれば,83年の同州の犯罪件数は前年の2倍となり,うち70%がフィリピン人不法入国者によるもの。州都では11月1日から警察による審査開始。
DIA-206-1984-10-19-1マレーシア1984年10月19日1980年代85年度予算案,下院に上程-歳入218億7700万リンギ,経常支出215億3800万リンギ,開発支出76億5300万リンギ(「参考資料」参照)。所得税減税について,官公労会議は低所得層を優遇すべきであったと指摘,銀行協会は,貯蓄増加の重要なインセンティヴと評価。下院で11月30日,上院で12月13日に可決成立。
DIA-206-1984-10-20-1マレーシア1984年10月20日1980年代MCA陳派,救党大会開催-陳群川下院議員は,調停者の名を明かさずに,調停をめぐるネオ派とのやり取りを報告。現在は党役員の無競争選挙案が出されており,ネオ派は党首,副党首,3名の次席副党首のポストと,中央委員20名中10名を要求しているが,選挙によらない解決案は問題外と述べた。大会は21日,(1)全党員の投票実施,(2)ネオ党首代理解任,現中央委員会の解散,(3)国民戦線支持,国王への忠誠を誓う,等を決議。
DIA-206-1984-10-20-2マレーシア1984年10月20日1980年代イスラム教育の必修科目化-アブドゥラー教育相は,教育の全課程でムスリムの生徒に対しイスラム教育とアラビア文字修得を義務づける計画,と発表。
DIA-206-1984-10-23-1マレーシア1984年10月23日1980年代MCA両派,スレンバンで衝突-ネオ派による集会に陳派支持者が入場を試み,少なくとも10名負傷。
DIA-206-1984-10-24-1マレーシア1984年10月24日1980年代パハン州スルタン,政治イデオロギーや宗教を用いて州民の統一を乱す一定の集団に遺憾の意を表明。
DIA-206-1984-10-24-2マレーシア1984年10月24日1980年代空軍参謀長に10月1日付けでDatuk Mohamed Ngah Said中将を任命と発表。
DIA-206-1984-10-25-1マレーシア1984年10月25日1980年代非核武装地帯構想-マ・タイ合同国境委員会の席上ムサ副首相は,(1)ASEANは平和・安全保障戦略の一環として同地帯設立を検討する,(2)ただしマレーシアは核兵器積載船舶の領海内通航を禁止する考えは,当面ない,と述べた。
DIA-206-1984-10-27-1マレーシア1984年10月27日1980年代プルリス州王,州民に宗教的過激派,共産主義者,反国家分子に対する警戒を呼びかけ。
DIA-206-1984-10-30-1マレーシア1984年10月30日1980年代減税の狙い-マハティール首相は,85年度予算案の減税は,金融面で国の競争力をつけ,勤勉とリスク負担へのインセンティヴを与える計画の第1段階であり,これにより今後2年間は,物価安定,対外部門の回復,6~7%の成長が可能,との見方を示した。
DIA-206-1984-10-31-1マレーシア1984年10月31日1980年代MCA調停工作-本日付けの南洋商報は,7月以来,国民戦線のガファール書記長が調停に従事との見方を打出し,さらに消息筋の説として,両派はすでに,(1)除名党員,活動停止支会の処分取消し,(2)陳派の法廷への提訴取下げ,(3)国民戦線の協力による偽党員問題の解決,(4)1982年党員名簿に基づき1年以内に党大会を開催,陳派4指導者は党首・副党首に立候補しない,等の点では合意した,と報道。
DIA-206-1984-11-01-1マレーシア1984年11月01日1980年代Umno―Pas公開討論への反対-マレーシア・イスラム青年運動は,中止の方向で国王の介入を求めると発表。3日,全国宗教問題評議会も同様の声明を出し,またラーマン元首相が公開討論は不必要との見解を表明。
DIA-206-1984-11-02-1マレーシア1984年11月02日1980年代ダイム蔵相,BMF調査委中間報告を発表-同報告は8月17日にブミプトラ銀行に提出されたもの。同銀行の香港子会社BMF社によるCarrian集団とEda投資会社への融資について,貸付の監督・管理体制,79~83年の各年の貸付残高の増加,BMF社によるブミプトラ銀行本店,海外支店からの資金調達の概要を報告。ブミプトラ銀行は3日,81~83年の香港ドル表示での貸付残高増加分は主に米ドル高と利子で構成され,同銀行内のBMF貸付監督委員会(82年11月設置)は,EdaとCarrianに新規貸付を承認したことはない,と声明。
DIA-206-1984-11-03-1マレーシア1984年11月03日1980年代土地分有制度の導入へ-アディブ土地・地域開発相は,連邦土地開発庁の85年1月からの新規事業に同制度を導入する,と発表。
DIA-206-1984-11-08-1マレーシア1984年11月08日1980年代国王,Umno‐Pas公開討論取止めを命令-国璽尚書は,(1)命令は国王が州王の同意の下に発令,(2)不信の徒か否かの決定の権限は,統治者会議に存し,同会議が全国ファトワ評議会の勧告によりこれを行なう,(3)公開討論は問題を解決しないばかりか,マレー人およびムスリムの間に紛争を招く,等と発表。同日マハティール首相は,全国ファトワ評議会への提訴を示唆し,公開討論以外に適当な手段がなかったと述べた。他方,PasのFadzil副委員長は,取止めによりPasはその立場とイデオロギーを大衆に伝達する機会を失った,との談話を発表。MCA,MICの各党とAbimは取止めを歓迎。
DIA-206-1984-11-08-2マレーシア1984年11月08日1980年代ユーロ変動金利債の発行に調印-6億米ドル。25年償還(中途償還のオプション付き)。Libor+0.125%。
DIA-206-1984-11-09-1マレーシア1984年11月09日1980年代イスラム過激派に関する白書,下院に提出-「ムスリムの統一と国の治安に対する脅威」と題され,暴力によるイスラム国家樹立を唱えた6集団の活動,および,Pasの「不信の徒」キャンペーンについて報告しており,これらの活動が直接,間接に,マラヤ共産党のムスリムからの支持獲得の工作を助長,と指摘。
DIA-206-1984-11-10-1マレーシア1984年11月10日1980年代首相,モルディブ訪問。
DIA-206-1984-11-11-1マレーシア1984年11月11日1980年代サラワクの土地開発-タイブ州首相は,第4次および第5次5カ年計画で,大農園開発・総合地域開発・再入植事業等で100万エーカー開発を計画,と発表。
DIA-206-1984-11-12-1マレーシア1984年11月12日1980年代曽永森民政党前次席副党首,中央委員会に回答-(1)自分と自分の支持者が受入れられ,党に貢献しうる限り,党に留まる,(2)中央委員会がこれと異なる判断を下すならば,離党せざるを得ない,と語った。
DIA-206-1984-11-13-1マレーシア1984年11月13日1980年代Umno青年部,BMF間題の責任者究明を要請-青年部執行会議後,アヌワール部長は,現在の政府の措置では,責を負うべき者を法廷に引出せないなら,王立調査委員会の設立を要請する,と声明。
DIA-206-1984-11-14-1マレーシア1984年11月14日1980年代民政党員のMCA入党-ネオMCA党首代理は,(1)マラッカ,クランタン,ペラ,クダの4州で民政党を離れ,MCAに入党した者が存在,(2)曽永森とは2度会見,の2点を確認。
DIA-206-1984-11-15-1マレーシア1984年11月15日1980年代国王即位式典を挙行。
DIA-206-1984-11-15-2マレーシア1984年11月15日1980年代MCA調停の前進-ガファール国民戦線書記長はUmno党機関誌で,MCAの危機は近々収拾されようとの見通しを示し,16日陳派の李金獅下院議員は,両派が解決に歩み寄っていることを確認,さらに17日ネオ派の張漢良書記長は,調停工作の成功を確信,と述べた。
DIA-206-1984-11-22-1マレーシア1984年11月22日1980年代国産車事業の進捗状況-Proton社幹部によれば,工場はすでに90%が完成,3月に30台を試験生産,7月に販売開始を予定。29日のオンキリ総理府相の下院答弁によれば,生産台数は85年5500台,86年4万250台,90年10万200台,95年に12万5000台を計画。
DIA-206-1984-11-23-1マレーシア1984年11月23日1980年代MCA,ブキ・チナ開発計画撤回を要請-MCA党首諮問評議会は,華人社会の圧倒的多数は開発に反対しており,既得権益を持つ者が金銭上の利益を得るため同プロジェクトを利用することは望まない,と声明。
DIA-206-1984-11-24-1マレーシア1984年11月24日1980年代マレー人商工会議所役員の改選-Nawawiブミプトラ銀行頭取を会頭に選出。
DIA-206-1984-11-26-1マレーシア1984年11月26日1980年代麻薬取締り相互協定締結の動き-ムサ副首相は,訪マ中のラジャラトナム・シンガポール第2副首相と会談,いずれか一方の国の要請があれば,他方の国は麻薬密売人の資産を没収し起訴する旨の,マ・シ相互協定締結に原則的に合意,と発表。27日ラジャラトナム第2副首相は,慎重な検討を要する,とコメント。
DIA-206-1984-11-27-1マレーシア1984年11月27日1980年代第2次国際ゴム協定交渉の課題-リョン第一次産業相は,生産国側は4月にジュネーブで開始される交渉で,緩衝在庫価格帯の見直し,同在庫の規模縮小,生産規制条項の新設を要求する意向を示した。
DIA-206-1984-11-28-1マレーシア1984年11月28日1980年代BMF問題で警察の捜査開始-タリブ検事総長,(1)ブミプトラ銀行は27日に警察に,同銀行の指示に反し4000万米ドルが香港の企業1社に貸付られ,一定の人物に顧問料が支払われた,と届出た,(2)2週間前に受取ったBMF調査委員会特別秘密報告は,詐欺,背任,共同謀議の廉で一定の人物に法的措置をとるよう勧告しているが,検察判断は警察の捜査結果のみを基に行なう,等と発表。
DIA-206-1984-11-28-2マレーシア1984年11月28日1980年代鉄道の民営化-張漢良運輸相は,(1)民営化の青写真はすでに作成,(2)民営鉄道会社が設立されれば最初の事業は半島部の東西を結ぶ鉄道の建設となろうと語った。
DIA-206-1984-11-28-3マレーシア1984年11月28日1980年代パハン放射性廃棄物貯蔵所建設に改善を指示-内閣はARE社に対し,国際原子力機関と英国立放射線保護委員会の専門家による答申に基づく改善もしくは建設のやり直しを指示。
DIA-206-1984-11-29-1マレーシア1984年11月29日1980年代汚職取締局,ハリス・サバ州首相の会社役員兼任につき,州憲法違反の事実なし,と発表。
DIA-206-1984-12-01-1マレーシア1984年12月01日1980年代BMF調査委員会の第2秘密報告書-11月30日に提出。本日,ノールディン委員長は,(1)83年6月のCarrian集団の融資2件(750万米ドル)はブミプトラ銀行の認可を得ていなかった,(2)今回初めて汚職存在の強い根拠を得た,等の点を明らかにした。
DIA-206-1984-12-01-2マレーシア1984年12月01日1980年代SNAP党大会開催-2日の役員選挙では党首,副党首,書記長に現職者を再選。
DIA-206-1984-12-03-1マレーシア1984年12月03日1980年代「不信の徒」問題-統治者会議は,(1)イスラムは,ムスリムが他のムスリムを「不信の徒」と呼ぶことを禁止,(2)そのような行為に断固たる措置を採るよう首相に指示,等を決定。
DIA-206-1984-12-03-2マレーシア1984年12月03日1980年代マ・イ国境安全保障協定の改訂に調印-(1)対象領域をサバ・サラワク‐カリマンタンから両国国境の全域に拡大,(2)新たに海・空軍の合同パトロールを実施,(3)「共通の敵」として,共産主義者のほかに密輸・麻薬密売・通貨贋造を行なう者を含める等。マ・イ総合国境委員会の席上ムサ副首相とムルダニ国軍司令官が調印。
DIA-206-1984-12-03-3マレーシア1984年12月03日1980年代ブキ・チナの地代支払い拒否-青雲亭管理機構はマラッカ州政府からの地代201万リンギの支払いの要求を不法として,法廷に提訴,と決定。
DIA-206-1984-12-03-4マレーシア1984年12月03日1980年代中銀,金融緩和へ-民間金融機関に,証券購入への信用供与を緩和するよう指示。また6日付New Straits Timesによれば,金利引下げのため過去2週間に市中に8~9億リンギの資金を注入したもよう。
DIA-206-1984-12-04-1マレーシア1984年12月04日1980年代マラッカ州統治者にSyed Ahmad就任-前駐シンガポール高等弁務官。
DIA-206-1984-12-04-2マレーシア1984年12月04日1980年代公務員賃金の引上げ要求-全国合同会議の職員側代表は,(1)月額120~210リンギのベースアップ,(2)公務員手当ての月額75~250リンギ引上げ,(3)現行5年の改訂期間の短縮,等を要求する覚書を政府に提出。
DIA-206-1984-12-06-1マレーシア1984年12月06日1980年代下院,選挙区改訂報告を可決承認。
DIA-206-1984-12-06-2マレーシア1984年12月06日1980年代ネオMCA党首代理,新たな条件を要求-除名された14名は,党規約に従い,復党申請の提出が必要となるかもしれない。と声明。
DIA-206-1984-12-08-1マレーシア1984年12月08日1980年代首相,リビア,エジプト,マリを公式訪問-リビアで9日ジャルード首相,10日カダフィ議長と会談,ムスリム諸国の連帯強化を訴え,南南協力拡大で合意。エジプトで12日ムバラク大統領,アリ首相と会談,同国におけるマ産資源の加工プロジェクト共同実施に合意。マリでは17日トラオーレ大統領と会談,21日に帰国。
DIA-206-1984-12-10-1マレーシア1984年12月10日1980年代サバ州の移民労働者問題-ハリス州首相は連邦政府に,州内の移民労働者,ことにフィリピン難民の実態を調査し,不法移民を規制するよう要請。
DIA-206-1984-12-11-1マレーシア1984年12月11日1980年代BMF問題-フセインPetronas社顧問(前首相)は,(1)ブミプトラ銀行経営陣を来年初めまでに刷新,(2)マレー人の経営能力に対する信頼を回復する必要がある,(3)私見では王立調査委員会設置が必要,と声明。
DIA-206-1984-12-15-1マレーシア1984年12月15日1980年代ムサ首相代理,パパンを訪問し,放射性廃棄物貯蔵所の建設地を同地から移す可能性を示唆。
DIA-206-1984-12-15-2マレーシア1984年12月15日1980年代ムサ首相代理,MCAに国民戦線暫時脱退提案-脱退期間中にMCAで問題を解決するのが目的であり,除名命令ではなく,国民戦線の所感である,と述べた。これに対し英国滞在中の麦漢錦MCA副党首は16日,同党が国民戦線脱退を余儀なくされるなら,華人社会は強力な反対勢力と化すであろう,と打電,他方陳派の李金獅下院議員は19日,同提案を歪曲して種族間の緊張を招いてはならない,と語った。
DIA-206-1984-12-15-3マレーシア1984年12月15日1980年代SNAP筋,Uren下院議員が11月初め離党と確認。
DIA-206-1984-12-16-1マレーシア1984年12月16日1980年代ソ連製重量ヘリコプター購入問題-国防省筋によれば,Ngah空軍参謀長ほかの使節団が11月24日ソ連を訪問,ヘリの評価を行ない,現在報告書作成中。
DIA-206-1984-12-19-1マレーシア1984年12月19日1980年代マレーシア原油,実質値下げ-Petronas社のRastam専務はジュネーヴで,長期契約の顧客に対し支払い期限の延長を11月1日に溯り実施,と確認。これによる実質的値下げ幅はバレル当り1.05~0.5米ドル。
DIA-206-1984-12-19-2マレーシア1984年12月19日1980年代マレーシア労働組合会議(MTUC)大会-20日の役員選挙で委員長にP.P.Narayanan,副委員長にZainal Rampak,書記長にV.Davidをそれぞれ再選。
DIA-206-1984-12-21-1マレーシア1984年12月21日1980年代国会休会-85年度予算案,83,84年度補正予算案,経済専管水域法案,雇用法修正法案,イスラム保険(Takaful)法案など15法案が可決成立。
DIA-206-1984-12-21-2マレーシア1984年12月21日1980年代青雲亭管理機構,マラッカ州政府と話合い-州首相は,ブキ・チナ開発の実施時期と方法を決めるのは管理機構と指摘したが,管理機構側はいかなる開発も認められないと主張,物分かれに終わった。
DIA-206-1984-12-22-1マレーシア1984年12月22日1980年代MCA両派,調停案に原則的に合意-張漢良書記長と陳群川下院議員は共同アピールを発表,両派がこのほど基本的問題で原則的に合意したことを明らかにし,全党員に党内対立に関する声明の発表を直ちに止めるよう要請した。
DIA-206-1984-12-23-1マレーシア1984年12月23日1980年代農業省の民営化-アヌワール農業相は,農民の経済的自立と開発への直接参加の促進のため,同省の大型プロジェクトの実施を1,2年内に農民組織委員会に移管する,と発表。同省はすでに,肥料補助金給付を来年から農民組織3団体の複合体に移管,と決定している。
DIA-206-1984-12-26-1マレーシア1984年12月26日1980年代ダイム蔵相,85年に原油生産削減と発表-OPEC支援のため,現在の44万b/dから40万b/dへ減産。マレーシアは19日からのOPEC総会にオブザーヴァーとして,Petronas社のRastam専務を派遣していた。
DIA-206-1984-12-28-1マレーシア1984年12月28日1980年代米政府,マ航空の共同運航によるサンフランシスコ乗入れをこのほど認可。
DIA-206-1984-12-30-1マレーシア1984年12月30日1980年代サバ州議会補欠選挙-Kitingan(無所属)4474票,R.Ongkili(Berjaya)637票。投票率73.9%
DIA-206-1984-12-31-1マレーシア1984年12月31日1980年代ブミプトラ銀行人事-26日辞職したNawawi頭取に代え,Basir Ismail稲米庁長官を新頭取に任命,代表取締役にTaufik Abdullah中銀顧問,その他の5人の取締役もすべて一新された。
DIA-206-1985-01-01-1マレーシア1985年01月01日1980年代サバ州政府,タンブーナン郡を廃止―州内各紙の報道によれば,州政府は,(1)タンブーナン郡の行政をケニンガウ郡役所の所管とし,(2)同郡内の州政府部局の事務所を閉鎖,(3)同郡向け開発資金を他の郡に回わすと発表。84年12月29日の同地の補欠選挙で無所属で再選されたパイリン州議員は,住民の人権の侵害であり,連邦政府の介入を求める,と語った。
DIA-206-1985-01-02-1マレーシア1985年01月02日1980年代BMF調査委員会の第3秘密報告書を公表―Lorrain Esme Osman前BMF会長兼ブミプトラ銀行取締役,Dtk.Hashim Shamsuddin前BMF取締役兼ブ銀行取締役ほか4名が,キャリアン・グループへの融資に際し明白に汚職を行なった,と報告。警察への届出を勧告。フセイン前首相は7日,ブ銀行の何百万リンギにものぼる国内不良債権の調査も必要,と指摘。
DIA-206-1985-01-03-1マレーシア1985年01月03日1980年代繊維産業の解雇状況―ペナンの労組筋によれば,過去6ヵ月に全国で3000名以上が解雇された。
DIA-206-1985-01-07-1マレーシア1985年01月07日1980年代最高裁判所,開設―1月1日付けで英国枢密院への控訴制度を廃止。長官以下10判事で構成。
DIA-206-1985-01-09-1マレーシア1985年01月09日1980年代華人4団体,共同声明―スランゴール州・連邦領中華総商会,統一華文学校教員協会ほか2団体は,公正な役員選挙によるMCA危機の解決,同党規約の民主化の方向での修正を要請した。
DIA-206-1985-01-10-1マレーシア1985年01月10日1980年代中銀,焦げ付き融資への金利を未収金として利益に計上することを禁止。
DIA-206-1985-01-10-2マレーシア1985年01月10日1980年代楊維岳マラッカ州議員,DAPを離党―国民戦線のいずれかの党に入ることを考慮中,と声明。
DIA-206-1985-01-11-1マレーシア1985年01月11日1980年代麻薬取締り―全国麻薬撲滅協会(Pemadam)によれば,75年危険薬物修正法の実施以来84年10月までに,麻薬事犯の逮捕者は9810名。うち無期刑判決238名,死刑判決98名(処刑された者28名)。
DIA-206-1985-01-12-1マレーシア1985年01月12日1980年代コディン下院議員,Berjayaを離党―タンブーナン問題で党指導部と対立したため,と声明。
DIA-206-1985-01-14-1マレーシア1985年01月14日1980年代タイブ・サラワク州首相,政敵に警告―現在自分の「開発の政治」と「権力への渇望」が対決しているが,忍耐にも限度がある,と声明。21日ムサ連邦副首相は同州を訪れ,連邦政府はタイブ州首相とその開発の努力を全面的に支持,と声明。24日付けSarawak Tribune紙の社説は,批判は新聞の任務,と反論。
DIA-206-1985-01-15-1マレーシア1985年01月15日1980年代BMF前役員への民事訴訟―ブミプトラ銀行とBMF等は,15,16日にLorrain等4名にその隠匿利益3320万リンギの返済を求め,26日には同じく4名に不正融資4750万米㌦の返却を求める訴訟をそれぞれ提起。高裁は4名の資産保全の仮処分を命令。
DIA-206-1985-01-18-1マレーシア1985年01月18日1980年代クダ州でUmno,Pasの支持者が乱闘―下院パダン・トラップ区補欠選挙に絡み・ルボッ・ムルバウFelda入植地で乱闘が発生,死者1名を出した。
DIA-206-1985-01-19-1マレーシア1985年01月19日1980年代パダン・トラップ区下院議員補欠選挙―国民戦線(Umno)1万8262票,Pas1万2560票・無所属118票と93票,無効369票。投票率78.9%。
DIA-206-1985-01-21-1マレーシア1985年01月21日1980年代経団連使節団,訪マ―4日間。22日の会談でマハティール首相は,世界的な産業再配置の必要を訴え,インフラ部門への投資拡大,とくに東西高速鉄道計画への協力を要請。稲山会長は,高速鉄道は採算が困難と指摘したが,23日には,マ側の不満や期待は理解できる,帰国後政府に働きかける努力はしたい,と語った。
DIA-206-1985-01-22-1マレーシア1985年01月22日1980年代内閣,ゴム産業長期計画をこのほど承認―リョン第一次産業相によれば,(1)複数の多国籍タイヤ会社の買収を奨励,(2)天然ゴムの国内消費を現在の6.5万㌧から90年までに30万㌧に拡大,(3)短期的措置として請負いベースで外国人労働力を導入,等が骨子。
DIA-206-1985-01-22-2マレーシア1985年01月22日1980年代マ・米繊維協定に合意―対象は従来の16品目から20品目に拡大。85年1月1日~89年12月31日の期間の対米輸出増加率を年6%と規定。
DIA-206-1985-01-24-1マレーシア1985年01月24日1980年代ナハール・クダ州首相,辞任―後進に道を譲るため,と声明。Umnoクダ州連絡委員会議長の職も辞任。後任はDtk.Pdk.Hj.Osman同州行政議員。
DIA-206-1985-01-26-1マレーシア1985年01月26日1980年代Umno支部の再編―サヌシ同党書記長は,全支部に新選挙区に従って再編成を行ない,3月31日までに役員選挙を終えるよう指示。1月12日の最高会議で決定。
DIA-206-1985-01-27-1マレーシア1985年01月27日1980年代民政党。曽永森と呉清徳を中執委に任命。
DIA-206-1985-01-29-1マレーシア1985年01月29日1980年代連邦農産物流通庁の農産物取引き民営化へ―89年までに段階的に農民団体かその合弁企業に移管する。
DIA-206-1985-01-29-2マレーシア1985年01月29日1980年代公営企業早期警戒システム―大蔵省は,政府所有の951企業の監督改善のため,同システムを設け,このほど内閣の承認を得た。
DIA-206-1985-01-29-3マレーシア1985年01月29日1980年代東独と二重課税防止協定に調印。
DIA-206-1985-01-30-1マレーシア1985年01月30日1980年代MCA両派,9項目の和解取決めに調印―マハティール国民戦線議長(首相),ガファール同書記長が立会い。骨子は,(1)除名された14名と党員権を停止された者は,書面による申請で復党を認められる,(2)党内紛争中のあらゆる訴訟は取下げる,(3)区会と支部選挙を速かに開始し,5月31日までに党大会を開催する。(4)各レベルの選挙は,双方の同意する党員名簿に基づいて行なう,(5)双方はすでに合意された党中央役員立候補者を支持する。これに従って2月4日にタン派指導者14名が復党申請書を提出,同19日タン派は訴訟を取下げた。
DIA-206-1985-01-31-1マレーシア1985年01月31日1980年代国際スズ協定の限界―陳必賜全マラヤ華人鉱業協会長によれば,(1)同協定による輸出制限は非加盟国の協力を欠くため,効果が不充分で.市場になお7万㌧の余剰在庫が存在,(2)協定加盟生産国のシェアは76年の70%から82年68%,84年59%に低下。
DIA-206-1985-02-01-1マレーシア1985年02月01日1980年代サバ州の大規模開発事業―ハリス州首相によれば,(1)輸出向け農業用に今後15年にわたり60万㌶を開発,(2)早成樹種植林をさらに20万㌶拡大するため世銀と協議中,(3)シピタンでの紙・パルプ事業は土木工事の40%が完了,87年初めにプラント引渡しの予定,(4)ラブアン島の還元鉄,メタノールのプラントは最近操業開始。
DIA-206-1985-02-01-2マレーシア1985年02月01日1980年代デクエヤル国連事務総長,訪マ―3日間。2日マハティール首相に,訪マ直前のタイ,ベトナム指導者との会談について説明。首相は麻薬問題に対する同国の厳しい措置について理解を求めた。
DIA-206-1985-02-05-1マレーシア1985年02月05日1980年代国民戦線加盟政党青年部長会議―汚職,種族ショーヴィニズム,宗教的狂信,麻薬,貧困の問題に取組むことに合意,合同調整委員会の設置を決定。
DIA-206-1985-02-07-1マレーシア1985年02月07日1980年代首相,ASEANの経済協力拡大を要請―KLで開催のASEAN経済閣僚会議の基調演説で,ASEANの貿易総額に占める域内貿易のシェアは20%にすぎず,PTAによるものはさらに少ないと指摘し,事務局によるデータバンク設立,一次産品輸出協力等を提案。
DIA-206-1985-02-09-1マレーシア1985年02月09日1980年代米国,マ・米間通商問題は解決ずみと主張―ブロック米国通商代表は離マに際し,繊維品相殺関税問題はマレーシアとの間では解決され,他のASEAN加盟国とも同様の取決めを求めて努力中,と語った。
DIA-206-1985-02-10-1マレーシア1985年02月10日1980年代Pas,非ムスリム向けシンポジウム開催―スランゴール中華大会堂で「イスラムと国民統一問題」と題して開催。23日ハディ次席副党首は,真のムスリムで資質があれば華人の指導者もありうる,と語った。
DIA-206-1985-02-10-2マレーシア1985年02月10日1980年代アルバート・ベルギー皇太子,訪マ―12日,軽便鉄道事業向け借款の5200万リンギへの倍増に原則的に同意。
DIA-206-1985-02-13-1マレーシア1985年02月13日1980年代公社,政府所有企業の会計監査―ノールディン会計検査院総裁は,社外役員による監査等の改善案を蔵相に送付。ダイム蔵相は23日,第5次計画で新たな規制措置を採用する,と述べた。
DIA-206-1985-02-15-1マレーシア1985年02月15日1980年代IR-42の栽培を抑制―アヌワール農相はムダ地区農民代表と会談後,同品種に代え,MR-71,73,77の作付けを奨励,との立場を表明した。IR-42は多収量で病害に強いが,精米による砕米率が高く,年初の雨期作で国家稲米庁は4200万リンギの損失を蒙ったという。
DIA-206-1985-02-17-1マレーシア1985年02月17日1980年代首相,サバ州の野党を非難―同州ラハ・ダトゥで,Berjaya党に反対する者は過激派である,と非難。
DIA-206-1985-02-18-1マレーシア1985年02月18日1980年代証券市場での資金調達抑制―ダイム蔵相は資本発行委員会の席上,株式市場が好転し安定するまで,新株発行と上場を認可すべきでない,と述べた。
DIA-206-1985-02-19-1マレーシア1985年02月19日1980年代外国漁船の拿捕―ペラ州ジャラ島近くのマ領海で2月2日以来,外国トロール船計13隻を拿捕,外国人漁民322人を拘留。
DIA-206-1985-02-23-1マレーシア1985年02月23日1980年代ハリス・サバ州首相,サバ財団が4月に州民に50リンギの配当金を支払う,と発表。
DIA-206-1985-02-24-1マレーシア1985年02月24日1980年代第5次計画の優先分野―ダイム蔵相によれば水道,電気,農道等のインフラ開発,および住宅,とくに低価格住宅の建設。
DIA-206-1985-02-26-1マレーシア1985年02月26日1980年代外資のマジョリティ支配の条件―ムヒッディン副商工相によれば,新規投資であって,(1)投資額5000万リンギ以上,(2)ハイテク産業,(3)製造業下流部門の企業,(4)製品の80%以上を輸出,の4点を検討中。
DIA-206-1985-02-26-2マレーシア1985年02月26日1980年代国家統一政策の見直し―オンキリ総理府相は,学校その他の分野で種族分極化現象が顕在化しており,現行の国民の連帯促進策を見直す必要がある,と述べた。
DIA-206-1985-02-27-1マレーシア1985年02月27日1980年代パイリン,Pasokへの入党の意向表明―サバ州議会選挙は4月実施と見られるが,サバ統一党の登録が遅れているため,近くPasokに入党してBerjayaと闘う,と語った。
DIA-206-1985-02-27-2マレーシア1985年02月27日1980年代天然ガスの運輸用液体燃料化計画―Shell International Petroleum社は,マレーシアに,天然ガスをガス・オイル,灯油等に転換する世界初のプラントを建設する計画,と発表。総工費7億米㌦,90年に操業開始を予定。
DIA-206-1985-02-28-1マレーシア1985年02月28日1980年代スランゴール州政府官房長を更迭―同州スルタンが生誕記念式典の準備が遅れていることを不満とし,更迭を要求した,といわれる。
DIA-206-1985-03-01-1マレーシア1985年03月01日1980年代テレックス料金値下げ―国外の場合,地域・回線により33~67%,国内の場合,最大66%の値下げ。
DIA-206-1985-03-02-1マレーシア1985年03月02日1980年代ペナン―メダン間の通信用海底ケーブル,開通。
DIA-206-1985-03-03-1マレーシア1985年03月03日1980年代ヘイドン豪外相,訪マ―4日間。4日の会談でマハティール首相は,同外相の訪越の成果に期待する,と表明。同日リタウディン外相は,マ留学生の受入れを確保し,学費値上げを極力回避するよう要請。
DIA-206-1985-03-04-1マレーシア1985年03月04日1980年代ウオルフォヴィッツ米国務次官補,訪マ。
DIA-206-1985-03-06-1マレーシア1985年03月06日1980年代蔵相,アジズ中央銀行総裁の辞任を発表―任期(86年7月まで)未了での辞任(6月1日付け)。後任はMalayan BankingのDtk.Jaffar Hussein頭取。
DIA-206-1985-03-06-2マレーシア1985年03月06日1980年代サバ統一党(PBS),このほど登録さる―パイリンはPasok党への入党をやめ,新党を指導,と発表。
DIA-206-1985-03-06-3マレーシア1985年03月06日1980年代バクン水力発電プロジェクト―企業化可能性調査はこのほど完了。発電能力2400MW,総工費82億リンギ(83年価格)。
DIA-206-1985-03-06-4マレーシア1985年03月06日1980年代米商務省,マレーシアからの繊維品輸入は相殺関税の対象にならない,と判定。
DIA-206-1985-03-07-1マレーシア1985年03月07日1980年代シッティ・タイ外相,訪マ。
DIA-206-1985-03-08-1マレーシア1985年03月08日1980年代ランゲ・ニュージーランド首相,訪マ―非公式立寄り。会談の席上マハティール首相はANZUS条約の継続を望む旨を表明。後刻,ランゲ首相はマレーシア留学生の受入れに最善を尽くす,と述べた。
DIA-206-1985-03-08-2マレーシア1985年03月08日1980年代電子産業の業況,急速に悪化―New Straits Times紙によれば,ペナン州の電子産業数社で,急速な需要減少のため解雇や労働日数削減の可能性も出ている。
DIA-206-1985-03-09-1マレーシア1985年03月09日1980年代州財政の引締め強化―ムサ副首相は全国財政審議会の席上,(1)州政府の対連邦債務残高は53億9100万リンギ,84年末の返済滞納額は6億8340万リンギにのぼる。(2)86年からは連邦直接貸付けをパフォーマンスの高い州プロジェクトに限定する。(3)州支出削減のため,予算規制外機関(OBA)への監督強化,行政効率の向上,とくに経常勘定の均衡重視を要請する,と述べた。
DIA-206-1985-03-09-2マレーシア1985年03月09日1980年代ベトナムのタイ領侵犯を非難―リタウディン外相は,タイの主権と領土の保全を侵かすのみならず,紛争を一層拡大し,ASEANとベトナムの有意義な対話の展望を覆す危険がある,と声明。
DIA-206-1985-03-10-1マレーシア1985年03月10日1980年代プラニンク・ユーゴ首相,訪マ―11日の会談の席上,マハティール首相は,非同盟の諸原則堅持の必要を強調した。
DIA-206-1985-03-10-2マレーシア1985年03月10日1980年代麻薬の被害―拘留・服役中の麻薬常習者に関する調査によれば,(1)常習者の71%がヘロイン,15%が大麻,7%がモルヒネ,6%が阿片を使用,(2)84年末の登録常習者は10万1038名,実数は50万名を超える,と見られる。
DIA-206-1985-03-13-1マレーシア1985年03月13日1980年代原木伐採削減―サバ木材協会は会員に今後1ヵ月間の伐採中止を要請。18日,サラワク木材産業開発庁は,大手業者と30%の生産削減で合意,と発表。
DIA-206-1985-03-14-1マレーシア1985年03月14日1980年代Pasの法律顧問,国内治安法により拘留―16日ムサ副首相が拘留を確認。警察は,マレー人およびムスリム社会を分裂させる活動により拘留,と発表。
DIA-206-1985-03-14-2マレーシア1985年03月14日1980年代ユーロ借款6億米㌦を取入れ―ダイム蔵相によれば,金利,返済期間ともにきわめて有利であり,以前に取入れた借款の返済に使用。
DIA-206-1985-03-14-3マレーシア1985年03月14日1980年代李三春MCA前党首,自宅軟禁の噂―BMF事件に関連しての軟禁という噂で,李前党首によれば,株式市場投機筋か敵対する者が流したもの,という。
DIA-206-1985-03-15-1マレーシア1985年03月15日1980年代MCA運営委員会―タン派の林良実前中央委員は,同委員会が先月設置されて以来1度も開催されていない,と非難。19日,同委員会の張漢源議長(党書記長)は党員名簿の整理は委員会の権限外,と反論。
DIA-206-1985-03-16-1マレーシア1985年03月16日1980年代サバ州議会解散―任期を13ヵ月残しての解散。解放前議席数は,Berjaya44(指名議席6を除く),Usno2,Bersih1,無所属(PBS)1。
DIA-206-1985-03-18-1マレーシア1985年03月18日1980年代マハティール首相,インドネシア訪問―スハルト大統領との第1回会談後,同首相は,ベトナムの5項目提案に関する全面的な報告を受けた,と語った。19日の第2回会談では,自動車産業振興での協力に原則として合意,海運協力の可能性とインドネシア人労働者のマ入国等について討議。
DIA-206-1985-03-21-1マレーシア1985年03月21日1980年代内閣小幅改造―林良実・李金獅(ともにMCA)をそれぞれ副教育相,副総理府相に,また本日付けで辞任したヤハヤ副全国・農村開発相の後任には,24日Abdillah下院議員(Berjaya)を任命など(「参考資料」参照)。
DIA-206-1985-03-21-2マレーシア1985年03月21日1980年代ムサ副首相等,訪タイ―カディル副外相,林敬益民政党党首等が随行。バン・サンベンのカンボジア難民キャンプを訪問,バンコクでプレム首相と会談。
DIA-206-1985-03-21-3マレーシア1985年03月21日1980年代円借款に調印―海外経済協力基金から210億円。年利4.5%,7年据置きを含む25年返済。エネルギー運輸,通信の開発に使用。
DIA-206-1985-03-22-1マレーシア1985年03月22日1980年代MAS,太平洋線単独運航へ―このほど日・米両国政府から86年7月よりKL―東京―ロサンジェルス線に週2便の単独運航の許可を得た,と発表。
DIA-206-1985-03-25-1マレーシア1985年03月25日1980年代第6国会第3会期開会―下院は3月26日~4月12日,上院は4月15日~24日。
DIA-206-1985-03-26-1マレーシア1985年03月26日1980年代サバ人民信託基金,配当金支払いを発表―州内の全原住民に国家投資信託の投資証書の形で100リンギ。
DIA-206-1985-03-28-1マレーシア1985年03月28日1980年代マハティール首相,国民戦線各党に総選挙の準備を要請。
DIA-206-1985-03-29-1マレーシア1985年03月29日1980年代金融緩和とデレギュレーション―アジズ中銀総裁は,(1)4月15日から法定準備率を,マーチャント・バンクは1.5%から2.5%に引上げ,商業銀行のそれを5%から4%に引下げ,全体として市中に約4億リンギを注入,(2)貸出優先分野の金利を3月30日から1~2.5%引上げる,(3)中銀は金融機関の自立と貯蓄の効率的動員のため,金利,外為取引等を中心にデレギュレーションを検討中,と発表。
DIA-206-1985-03-30-1マレーシア1985年03月30日1980年代MCA両派,このほど運営委員会を解散し,新たに合同委員会を設置,と発表。
DIA-206-1985-03-30-2マレーシア1985年03月30日1980年代ビルマより米4万㌧輸入にこのほど合意―ビルマはパーム油の直接輸入を決定。
DIA-206-1985-03-31-1マレーシア1985年03月31日1980年代政府,公務員年金を見直し中―大蔵省筋によれば,財政負担(現在年10億リンギ)が増大しつつあるため,被用者退職積立基金(EPF)への転換を検討中。
DIA-206-1985-04-01-1マレーシア1985年04月01日1980年代MCAと民政党,合同協議会を設置―国民と国家のため共通の目的の効率的達成が目的。
DIA-206-1985-04-02-1マレーシア1985年04月02日1980年代サラワクの新州元首にDtk.Hj.Ahmad Zaidi Adruce b.Mohammed Noor(64歳)が就任。
DIA-206-1985-04-03-1マレーシア1985年04月03日1980年代Berjaya,選挙綱領発表―州内22の種族間の調和と協力の維持を掲げ,原住民(pribumi)の商工業参加,非原住民の直接または原住民との合弁による農業とその他の部門への参加促進を謳っている。
DIA-206-1985-04-04-1マレーシア1985年04月04日1980年代‘Buy Malaysian Goods’キャンペーン開始。
DIA-206-1985-04-04-2マレーシア1985年04月04日1980年代首相,国民戦線はBerjayaと浮沈を共にすると言明―サバ州での応援演説で。さらに同州に多額の資産を所有しているとの非難を否定。
DIA-206-1985-04-04-3マレーシア1985年04月04日1980年代Usno,選挙綱領を発表―議会制民主主義,各種族の文化,および信仰の自由の堅持を約束。Berjaya政権により,州民の間に疑心暗鬼,浪費,汚職,ネポティズム等をもたらした,と批判。
DIA-206-1985-04-05-1マレーシア1985年04月05日1980年代サッチャー英国首相,訪マ―マハティール首相との会談で,マ航空のKL―ロンドン線増便に原則として同意。歓迎晩餐会の席上,マ首相は,(1)英連邦への関心はほとんどなくなった,(2)過去の関係をひきづり出して交渉に影響を及ぼそうとは考えない,と述べた。7日離マに際してサッチャー首相は,両首脳の相互訪問で両国関係は大幅に改善された,と語った。
DIA-206-1985-04-07-1マレーシア1985年04月07日1980年代MCAタン派は,支会選挙の中止を要請―タン下院議員によれば,党本部送付名簿は1月30日合意の名簿と異なり,多数の真正党員の名が削除されている。
DIA-206-1985-04-08-1マレーシア1985年04月08日1980年代PBS,選挙綱領発表―変革の必要をテーマとし,(1)原住民(bumiputera)の特権,および,州内のその他のマレーシア国民の正当な利益の擁護,(2)連邦内におけるサバ州の権利と利益の維持,(3)マレーシア国民としての自覚と国王への忠誠の強化,等を約束。
DIA-206-1985-04-08-2マレーシア1985年04月08日1980年代PBB,副書記長を解任と発表―州議会前会期中,州首相の指導に反する発言が原因。11日広報局長も解任。
DIA-206-1985-04-08-3マレーシア1985年04月08日1980年代マハティール首相,北欧歴訪―スウェーデン,オーストリア,フィンランド,ノルウェー,デンマークを訪問,各国首脳と会談。スウェーデンでは経済・科学・技術協力協定に,オーストリアでは投資保護協定に調印。途中19~21日に非公式に訪英,オックスフォード大学で講演。29日に帰国した。
DIA-206-1985-04-11-1マレーシア1985年04月11日1980年代MCAタン派,臨時党大会開催へ―陳声新次席副党首は,臨時党大会(5月12日)開催要求書を,大会代議員1610名の要請書を副えて,張漢源書記長に手交。同日タン派は高等裁判所に,(1)支会,支部,党大会の役員選挙禁止,(2)党員,下部組織の除名,活動停止処分の禁止,の仮処分を申請,13日高裁はこれを命令。
DIA-206-1985-04-12-1マレーシア1985年04月12日1980年代ムサ首相代理,PBSを非難―サバ州での応援演説で,同党が種族・宗教感情をキャンペーンに利用,州内の種族間に恐怖と憎悪を掻立てている,と述べた。
DIA-206-1985-04-12-2マレーシア1985年04月12日1980年代外資優遇措置―ダイム蔵相はジュネーヴで,今後500万米㌦以上の外国投資案が政府下級部局で拒否された場合,大臣に最終決定を求めることができる,と発表。
DIA-206-1985-04-13-1マレーシア1985年04月13日1980年代Pas党大会開催―KLで3日間。ユソフ・ラワ党首は開会演説で,イスラムが多種族の宗教であることを強調。大会は14日,最高会議会員1名を除く現執行部を再選。なお13日,青年部中央委員会に初めて華人ムスリム1名が選出された。
DIA-206-1985-04-15-1マレーシア1985年04月15日1980年代上院議長にTan Sri Ben Stephens任命。
DIA-206-1985-04-15-2マレーシア1985年04月15日1980年代ムサ首相代理,MCAの対立再燃に遺憾の意を表明。
DIA-206-1985-04-15-3マレーシア1985年04月15日1980年代マ・日,日・マ経済協会合同会議開催―2日間,東京で。湯耀鴻大蔵相官房長は,マレーシアは対日貿易外収支の赤字拡大と,一定商品ことに製造業品の日本市場へのアクセスの困難さに不満を抱いている,と述べた。
DIA-206-1985-04-16-1マレーシア1985年04月16日1980年代公務局,公務員の賃上げ要求を拒否―全国合同協議会(職員側)代表団と公務局長の会談後,労働側のすべての要求を満たすと,政府の人件費増加分は30億200万リンギとなり,現在の財政状態では認め難いと声明。
DIA-206-1985-04-19-1マレーシア1985年04月19日1980年代ムルダニ発言―17日にムルダニ・インドネシア国軍司令官が,ベトナム軍のカンボジア撤兵は本ものと語ったとの報道について,ムサ首相代理は,正確な発言内容をイ当局に照会中であるが,ムルダニ将軍はイ政府スポークスマンではなく国軍司令官として発言したものと考える,との見解を表明。
DIA-206-1985-04-19-2マレーシア1985年04月19日1980年代DAP党大会―林吉祥書記長は,ペナン州を来るべき総選挙の前線と位置付け,今後は2,3ヵ月にわたり同州に政治的努力を集中する,との方針を示した。
DIA-206-1985-04-20-1マレーシア1985年04月20日1980年代サバ州議会選挙投票日―21日までの2日間。
DIA-206-1985-04-22-1マレーシア1985年04月22日1980年代PBS,サバ州議会選挙で勝利―48議席中25議席獲得。大勢が確定した本日未明,ハリスBerjaya党首とムスタファUsno党首は連合政権結成を謀り,ムスタファ党首がアドナン州元首を説得して午前5時頃に州首相就任宣誓を強行した。この間ハリス党首から電話連絡を受けたムサは,10時30分,国民戦線議長代理として,(1)連合政権案を拒否した,(2)国民戦線は多数の意志を尊重する,と声明,さらに午後4時,連邦首相代理として,ことに敗者がサバ州民の多数の意志を尊重するよう要請する旨を声明した。他方パイリンPBS党相は午後2時半から州元首等と事態を協議,ムスタファにその就任は違憲と連絡したうえで,8時15分に州首相に就任した。パイリン新首相はすでに21日に,州政府を組織し次第,国民戦線加入を申請する,魔女狩り的人事は行なわない等の方針を示していたが,23日には,州原住民の呼称をpribumiからbumiputeraに戻す等の指示を出した。
DIA-206-1985-04-24-1マレーシア1985年04月24日1980年代国会休会―全国土地法典(修正)法案,分筆所有権法案,会社(修正)法案,石油開発(修正)法案,危険薬物(特別予防措置)法案,漁業法案等を可決。
DIA-206-1985-04-27-1マレーシア1985年04月27日1980年代ムサ=パイリン会談―会談後,ムサ連邦首相代理は,連邦政府はPBS州政府を承認するが,PBSは国民戦線の外にある,と指摘,パイリン州首相は,PBSが戦線に加入できなくとも,サバ州政府は連邦との良好な関係を維持する,と語った。
DIA-206-1985-04-27-2マレーシア1985年04月27日1980年代「間接対話」構想―バンドン会議30周年記念式典から帰国したリタウディン外相は,ASEAN各国外相が民主カンボジア政府とヘンサムリン政権との間接交渉を新たな戦略として承認した,と語った。
DIA-206-1985-05-01-1マレーシア1985年05月01日1980年代張漢源,MCA書記長を辞任―次席副党首には留任。新書記長には陳忠鴻中央委員が任命された。
DIA-206-1985-05-01-2マレーシア1985年05月01日1980年代米国GSPの適用除外―マレーシアからのトランジスタ(84年輸出額6860万米㌦)と事務機器部品(同7740万米㌦)が除外された。
DIA-206-1985-05-02-1マレーシア1985年05月02日1980年代ノースウェスト・オリエント航空,KL―東京―ロサンジェルス線の運航開始。
DIA-206-1985-05-03-1マレーシア1985年05月03日1980年代PBS=Usno連合案―ムスタファUsno党首はラーマン元首相と会談後,PBSから公正な条件で招請があれば,連合政権につき話合う,と述べた。
DIA-206-1985-05-03-2マレーシア1985年05月03日1980年代Umno青年部,サバ州新政権が公務員を差別的に解雇・配転,と抗議。コディン副州首相はこれを否定。
DIA-206-1985-05-03-3マレーシア1985年05月03日1980年代ウ・トゥン・ティン・ビルマ副首相,訪マ。
DIA-206-1985-05-05-1マレーシア1985年05月05日1980年代PBS=Usno選挙協定の存在―パイリンPBS党首によれば,UsnoとBerjayaの協力を阻むため,PBS,Usnoともに過半数を得られぬ場合,連合政権を結成,との取決めを結んだが,発効に至らなかった。
DIA-206-1985-05-05-2マレーシア1985年05月05日1980年代Pas,スランゴール中華大会堂で「イスラムと正義」と題するシンポジウムを開催。
DIA-206-1985-05-06-1マレーシア1985年05月06日1980年代マハティール―パイリン会談―マハティール首相は,連邦政府はサバ州の進歩のための計画の実施を妨げない,と保証した。
DIA-206-1985-05-06-2マレーシア1985年05月06日1980年代MCAニオ派,6月16日に臨時党大会招集と発表。
DIA-206-1985-05-06-3マレーシア1985年05月06日1980年代マリのモサ大統領,訪マ―4日間。随行のアリウン外相は経済・技術協力合同委員会設置取決めの批准書を交換。7日,モサ大統領と会談後,マハティール首相は水不足解消への協力を表明。
DIA-206-1985-05-07-1マレーシア1985年05月07日1980年代藤尾自民党政調会長(中曽根首相特使),訪マ。
DIA-206-1985-05-09-1マレーシア1985年05月09日1980年代タイブ・サラワク州首相,自分の失脚を謀る集団の指導者として,親族3名を名指しで非難。
DIA-206-1985-05-10-1マレーシア1985年05月10日1980年代MCA両派・和解を達成―和解案の骨子は,ガファール国民戦線書記長の下に両派各3名の委員で構成する暫定委員会が,83年12月31日付けの党員名薄を整理・完成し,候補者を事前に調整しない役員選挙の実施・監督に当るというもの。ニオ派の控訴を審理中の最高裁は,この和解を承認し,5月12日の臨時党大会開催は合法的と裁定。同日,臨時党大会は,暫定委員会設置の承認決議案を賛成1522,反対1で採択した。
DIA-206-1985-05-10-2マレーシア1985年05月10日1980年代イスラム戦線(Hamim)党大会開催―アスリ委員長は,総選挙が86年初か年央にずれこむとの見解を表明。
DIA-206-1985-05-10-3マレーシア1985年05月10日1980年代第7回サムライボンド発行に調印―300億円。期間10年。表面利率7.3%,応募者利回り7.386%。
DIA-206-1985-05-10-4マレーシア1985年05月10日1980年代ダスカレスク・ルーマニア首相訪マ。
DIA-206-1985-05-11-1マレーシア1985年05月11日1980年代首相,引退を示唆?―12日付けNew Straits Times紙は,首相がクダ州クバン・パスUmno支部の大会席上,引退の日が近づいている,と述べた旨報道。首相は翌12日,この報道を全面的に否定した。
DIA-206-1985-05-12-1マレーシア1985年05月12日1980年代新経済政策の「継続」―マハティール首相はBBCとのインタヴューで,国内の種族間に引続き格差が存在するなら,新経済政策の一定の面は1990年以降も継続されるかもしれない,と述べた。
DIA-206-1985-05-13-1マレーシア1985年05月13日1980年代サバ州のガス関連事業の見通し―サバ・エネルギー公社によれば,還元鉄とメタノールの国際価格が当初計画を大幅に下回っているため,州政府への配当支払予定の先送り,融資条件の変更が必要,という。
DIA-206-1985-05-16-1マレーシア1985年05月16日1980年代マハティール首相,訪タイ―プレム首相とプケット島で会談。17日,マ首相によれば,両国国境重複水域における共同開発機関設置,観光開発協力,自動車部品生産での合弁企業設立の3問題へのアプローチで合意。
DIA-206-1985-05-17-1マレーシア1985年05月17日1980年代サラワク州,公用語をマレー語に一本化へ―タイブ州首相発表。85年6月発効。従来は英語を並用。
DIA-206-1985-05-18-1マレーシア1985年05月18日1980年代株式仲買人の合理化―ダイム蔵相は,合併,外資参加,金融機関の資本参加等による合理化を要請。
DIA-206-1985-05-20-1マレーシア1985年05月20日1980年代Usno,ムスターファ党首が合憲的なサバ州首相と主張して,州議会の議事中途で退席。
DIA-206-1985-05-20-2マレーシア1985年05月20日1980年代ラブアン島での潜水艦等建造計画―パイリン・サバ州首相は,州議会で前政権の財政を批判,Sabah Shipyard社が潜水艦と装甲車の生産計画に着手していた.と暴露。ハリス前州首相は6月6日,前政権が企業化可能性調査を完了,同社コンサルタソトも米国等7カ国に事業参加を働きかけていた,と明らかにした。
DIA-206-1985-05-20-3マレーシア1985年05月20日1980年代MCA州連絡委員会人事―ニオ党首代理は,クダ州議長余銀山を更迭,後任に陳忠鴻書記長を任命。
DIA-206-1985-05-22-1マレーシア1985年05月22日1980年代首相,官公労会議委員長,書記長と会談―ノール委員長によれば,首相は公務員賃上げに関する労働側提案を真摯に検討と約束。23日政府技能職員1000名が公務局前でデモ。公務員のデモは9年振りのこと。
DIA-206-1985-05-22-2マレーシア1985年05月22日1980年代ムスタファUsno党首,州元首と州首相を告発―高等裁判所に,(1)パイリン州首相任命は違憲との判定を求め,(2)同人による州首相の職務遂行を差止める仮処分を申請。州元首とパイリン州首相は29,30日にそれぞれ答弁陳述書を提出,ともにムスタファは州首相に任命されておらず,パイリン任命は合法的と主張。
DIA-206-1985-05-25-1マレーシア1985年05月25日1980年代サバ州都で一連の爆弾事件―本日,シヨッピソグ・コンプレックス内の書店が爆破され1名が負傷。さらに29日に同じ建物で爆破(負傷者なし)。6月4日,町外れでの爆破事件では死者1名,負傷者3名の被害。警察は11日までに容疑者4名を逮捕。6月15日未明にはUsno書記長代理邸の塀が爆破された。
DIA-206-1985-05-27-1マレーシア1985年05月27日1980年代MCA暫定委員会,党員名簿確認作業をPeat Marwick Mitchell & Co.社に委託,と決定。
DIA-206-1985-05-29-1マレーシア1985年05月29日1980年代サバ州議会,パイリン州首相を信任―賛成34,反対0,欠席18(議長と州首相は投票に参加しない)。
DIA-206-1985-05-30-1マレーシア1985年05月30日1980年代ジャンダ・バイの連邦領移管案を廃棄―シャハリル連邦領相によれば,これに代え,同じパハン州のブキ・ティンギ100平方マイルについて検討中。
DIA-206-1985-05-30-2マレーシア1985年05月30日1980年代シンガポール,マレーシア人への短期労働許可書発行を,このほど中止。
DIA-206-1985-06-01-1マレーシア1985年06月01日1980年代石油製品値上げ―プレミアム・ガソリンが1㍑当り107センから114センへ(半島部),107センから116センへ(サバ),106セン,から116センへ(サラワク)等。
DIA-206-1985-06-01-2マレーシア1985年06月01日1980年代空軍,全面的再編成を計画―空軍参謀長モハメッド・ンガー中将によれば,(1)組織改革,(2)通常戦用の航空機,装備,武器の新規購入,ことに火力の充実,(3)戦闘精神の涵養,を段階的に実施する。
DIA-206-1985-06-02-1マレーシア1985年06月02日1980年代大農園部門の労働力不足―土地・地域開発省の調査によれば,84年にジョホール州の10万5423人からペナン州の2789人に至る全国計36万4926人が不足。
DIA-206-1985-06-03-1マレーシア1985年06月03日1980年代民政党離党者続出―過去10日間に黄茂森クランタン州連絡委員長,黄清発トレンガヌ州連絡委員長,黄雅蘭婦人部長など曽永森中央委員の支持者が離党。曽は本日,党に留まると声明。7日,林敬益党首はMCAの工作の可能性に警告。23日にスランゴール州で200名,マラッカ州で250名が集団離党。
DIA-206-1985-06-03-2マレーシア1985年06月03日1980年代Umno青年部,州政府の浪費に警告―30日の第13回全国州首相会議は,「威信発揚型」プロジェクトは1件も実施していない,と声明。
DIA-206-1985-06-03-3マレーシア1985年06月03日1980年代アジア・太平洋地域の展望―マハティール首相は香港の国際金融会議での基調演説で,(1)ソ連は挑発されぬ限り,地域を直接に侵略しない,(2)日米経済冷戦が解決されぬか,両国間だけで解決される場合,同地域への打撃は深刻,(3)同地域途上国と中国の競合への危倶や中国の市場と投資機会への期待は幻想,等の見解を表明。
DIA-206-1985-06-05-1マレーシア1985年06月05日1980年代サバ州財政再建策―州蔵相によれば,(1)ラブアン島連邦領化に伴う賠償金支払い,同島のガス関連事業の連邦政府移管,(2)石油ロイヤルティー中の州政府取得分の引上げ,について連邦政府との交渉を希望。
DIA-206-1985-06-06-1マレーシア1985年06月06日1980年代香港の海外信託銀行,倒産―同行役員の張承忠(マレーシア国籍)ほか3名を逮捕。7日,香港政庁が同行を接収,経営を引継ぎ,10日に業務再開。
DIA-206-1985-06-08-1マレーシア1985年06月08日1980年代輸銀借款に調印―輸銀ほか10行が参加。ポート・クラン火力発電建設第2期向けに76億9000万円。
DIA-206-1985-06-11-1マレーシア1985年06月11日1980年代中銀,このほど商銀の役員3名の辞任要求―Perwira Habib Bankの違法な融資によると見られる。
DIA-206-1985-06-12-1マレーシア1985年06月12日1980年代政府,公務員給与改訂案を発表―(1)一般公務員のC,Dグループと軍・警察の同等格付けの者に対し,1.2~12.1%の引上げ,(2)19万7000人の勤労条件改善,(3)技能職の格付け変更,など年に約4億リンギの増額。16日,官公労会議は,これを暫定的調整として受容れ,12月31日までにさらに満足のゆく改訂案提出を要求,と決定。
DIA-206-1985-06-13-1マレーシア1985年06月13日1980年代国家信託基金設立へ―オンキリ総理府相によれば,石油,錫などの枯渇性資源からの収入の一部でTabung Amanah Negaraを設立し,長期投資を行なう。
DIA-206-1985-06-14-1マレーシア1985年06月14日1980年代中銀総裁,国内銀行制度は健全と声明―金融界では,香港の海外信託銀行倒産,国内のPerwira Habib Bank人事等による不安を抑える狙い,という。
DIA-206-1985-06-15-1マレーシア1985年06月15日1980年代Public Bankの一部支店で取付け騒ぎ―イポー支店,16日にはジョホール・バルの支店で多数の顧客が預金を引下した。17日ダイム蔵相と同銀行,18日マ銀行協会が,同行と香港との関連を否定し,経営の健全を保証する声明を出し,事態は鎮静化した。
DIA-206-1985-06-17-1マレーシア1985年06月17日1980年代インド人公務員の差別―ヴェルMIC首党は同党の連邦領大会で,はインド人公務員が昇進,重要ポストへの配置の点で差別されている,と発言。
DIA-206-1985-06-17-2マレーシア1985年06月17日1980年代スリランカとの海運協定に調印。
DIA-206-1985-06-19-1マレーシア1985年06月19日1980年代マレーシア華人団結運動党,結成へ―ジョホール州の専門職華人を中心に,このほど規約草案作成のための作業委員会を設置。
DIA-206-1985-06-19-2マレーシア1985年06月19日1980年代マ銀行協会,金利引下げを発表―6月24日から商銀の基準貸出金利を1%,定期預金金利を0.5%。
DIA-206-1985-06-20-1マレーシア1985年06月20日1980年代カディル副外相,訪タイ。
DIA-206-1985-06-22-1マレーシア1985年06月22日1980年代BMF問題で新事実発見か―ノールディン調査委員長は,最終報告作成中に新たな証拠を発見したため,第5次秘密報告を作成していることを明らかにした。
DIA-206-1985-06-25-1マレーシア1985年06月25日1980年代首相,訪中規制を一部緩和と発表―経済的に有益な訪問の範疇を設け,これに限り従来の年齢制限(30歳未満の者の訪中禁止)も解除する。
DIA-206-1985-06-26-1マレーシア1985年06月26日1980年代緊縮財政緩和の要請―Arab-Malaysian Merchant Bankのアズマン・ハシム頭取は,政府支出削減の緩和と,明確かつ即効性ある開発支出の実行を要請。
DIA-206-1985-06-26-2マレーシア1985年06月26日1980年代中銀,外為市場の活性化へ―消息筋によれば,中銀は,商銀とディーラーに活性策の提言を要請,市場介入のための仲介銀行の数を拡大しているという。
DIA-206-1985-06-28-1マレーシア1985年06月28日1980年代首相,ムサ副首相との対立の噂を否定―首相就任後初のジョホール州公式訪問中の発言。
DIA-206-1985-06-28-2マレーシア1985年06月28日1980年代新外交政策―リタウディン外相によれば,従来の政治的配慮中心から貿易・経済重視の外交に転換。
DIA-206-1985-06-30-1マレーシア1985年06月30日1980年代不動産の供給過剰―業界筋によれば,連邦領で88年までに1000万平方フィートが過剰となり,賃貸料はすでに82年の4リンギ/平方フィートから,一部で2.70リンギに下落。
DIA-206-1985-06-30-2マレーシア1985年06月30日1980年代MIC,特別基金設立へ―ヴェル党首によれば,教育,経済活動の支援のため今後5年で5億リンギを集める。
DIA-206-1985-07-01-1マレーシア1985年07月01日1980年代BMF調査委員会,新な秘密報告は誤解を招くおそれがあるとして,公表しないよう要請。
DIA-206-1985-07-03-1マレーシア1985年07月03日1980年代大蔵省高官,金融緩和策の実施を確認―消息筋によれば,中銀は外為市場でのドル買い,金融市場で実勢を約1%下回わる金利での貸付等を通じ,過去1,2ヵ月に約15億リンギを市中に放出。
DIA-206-1985-07-03-2マレーシア1985年07月03日1980年代「間接対話」タイ修正案―中国から帰国したタイのシッティ外相は,カンボジア抵抗3派が,間接対話の相手をベトナムおよび可能ならヘン・サムリン政権,とするタイの修正案にこのほど賛成した,と述べた。
DIA-206-1985-07-04-1マレーシア1985年07月04日1980年代蔵相公務労組代表と会談―会談後ノール全国協議会職員側5団体調整委員会議長は,大蔵当局の提出した資料を踏まえ対策を作成する,と語った。
DIA-206-1985-07-05-1マレーシア1985年07月05日1980年代ベトナム,「間接対話」タイ修正案拒否か―訪越後タイ入りした日本外務省幹部が示唆したもの。6日マ外務省は,ハノイの頑迷さを示すものと非難。
DIA-206-1985-07-06-1マレーシア1985年07月06日1980年代Umno,最高会議を強化へ―同会議は,(1)党内問題での訴訟防止,同会議の選出定員の増加等の方向で党規約を修正し,(2)政府に,下院・州議会選挙の立候補届出の自動的受理を提案する,等を決議。
DIA-206-1985-07-07-1マレーシア1985年07月07日1980年代ゴム零細農の再編成―ムサ副首相は,貧困除去のため,今後ゴム零細農は,その所有地を統合して大規模農園を作りそこで働くか,Feldaの入植事業に参加するか,いずれかの形で再編成されるとの方針を示した。
DIA-206-1985-07-07-2マレーシア1985年07月07日1980年代中国の魏玉明対外関係・貿易省次官,訪マ―8日間。ムヒッディン副商工相,カディル副外相等と会談。
DIA-206-1985-07-08-1マレーシア1985年07月08日1980年代第18回ASEAN閣僚会議,KLで開催―冒頭,ベトナムと民主カンボジア連合政府,およびベトナム代表団の一部としてヘン・サムリンの代表が出席しうる間接対話を提案,との共同声明発表。12日駐マ・ベトナム大使館は,タイ修正案は5日に拒否されたにもかかわらず閣僚会議で採択された事実は,ベトナム外務省にとって驚き,と声明。リタウディン・マ外相はベトナムは公式には同案を拒絶していない,との見解を表明。
DIA-206-1985-07-08-2マレーシア1985年07月08日1980年代蔵相,外資資本参加の新ガイドライン発表―外資に対し,(1)生産の80%以上を輸出する場合,資本の80%までの所有を認め,メリットがあれば100%所有も認める,(2)生産の輸出比率が51~80%の場合外資参加比率は51~80%,(3)20~50%の場合51%まで,(4)優先ハイテク業種では最高51%までの資本参加を認める,等。
DIA-206-1985-07-08-3マレーシア1985年07月08日1980年代プミプトラ中小企業開発特別事業,開始―1件につき75万リンギまでを低利で融資し,財務・事業計画・販売の面で技術援助,研修を行なう。原資は2億3400万リンギ。
DIA-206-1985-07-09-1マレーシア1985年07月09日1980年代国産車Proton Saga第1号車完成。
DIA-206-1985-07-09-2マレーシア1985年07月09日1980年代検事総長,BMF前役員の起訴は不可能と発表―私見では背任罪を構成しているが,マレーシアの法廷には国外での犯罪を裁く権利がない,との見解による。
DIA-206-1985-07-12-1マレーシア1985年07月12日1980年代新経済政策の延長問題―ムサ副首相は,新経済政策の目標成長率は90年までに達成困難であるが,同政策の二つの目的は90年の期限にかかわらず開発政策の眼目であり続ける,と語り,13日アヌワールUmno青年部長もこれを支持。なお13日付け『南洋商報』は「新経済政策は延長せず」との大見出しでムサ発言を報道。
DIA-206-1985-07-12-2マレーシア1985年07月12日1980年代サバ州政府,紙・パルプ下流部門に出資決定―Newsprint and Tissue社(払込資本3948万リンギ),Asean Security Paper Mill社(同5840万リンギ)に各30%。
DIA-206-1985-07-14-1マレーシア1985年07月14日1980年代MCAに,国民戦線一時脱退の要求―ラヒム・マラッカ州首相は,党内危機に直面する党は一時戦線を離れ,戦線外で解決に専念すべきだ,と語った。
DIA-206-1985-07-14-2マレーシア1985年07月14日1980年代サバ大衆団結党(Berjaya)大会―党首にDtk.Mohamed Noor,副党首にDtk.Clarence Mansulを選出。8月10日書記長に丘民光を任命。
DIA-206-1985-07-15-1マレーシア1985年07月15日1980年代国会再会―下院は7月15~26日。上院は7月29~8月2日。
DIA-206-1985-07-16-1マレーシア1985年07月16日1980年代電話料金改訂―国際通話は10~55%引下げ,国内通話は30%以上の引上げ。85~90年に計10億400万リンギの増収を見込んでいる。
DIA-206-1985-07-17-1マレーシア1985年07月17日1980年代株式相場不振の要因―ダイム蔵相は,パーム油を除く一次産品の不調もあるが,主因は政治・経済情勢に関する根拠のない噂,との見解を表明。
DIA-206-1985-07-17-2マレーシア1985年07月17日1980年代李源京韓国外相,訪マ―18日,科学・技術協力協定に調印。
DIA-206-1985-07-19-1マレーシア1985年07月19日1980年代「新投資基金」構想―ダイム蔵相発表。製造業,農業,観光の分野での民間企業に,基準貸出金利に基づく無理のない金利で融資を行なう。規模は10億リンギ,中銀が各銀行を窓口にして管理する。
DIA-206-1985-07-19-2マレーシア1985年07月19日1980年代首相,経済界を批判―多くの点で未熟であり,KL商品取引所を弄んですぐに壊わしてしまい,KL証券取引所も賭博場に利用している,と非難。
DIA-206-1985-07-20-1マレーシア1985年07月20日1980年代首相,国民戦線各党の規約改正共同研究を提案―MIC党大会の開催に際し,党の内紛を法廷に持込む傾向を阻止することが緊急に必要,と指摘。
DIA-206-1985-07-20-2マレーシア1985年07月20日1980年代MIC党大会―21日,(1)マレーシア労働者を外国人労働者の流入から保護,(2)次期総選挙での選挙区割当の増加,(3)各分野でのインド人のシェア拡大,等を決議。
DIA-206-1985-07-20-3マレーシア1985年07月20日1980年代首相への信任を経済界に要請―ムサ副首相は,株式市場や投資環境への批判や,経済界の政治情勢注視は承知しているが,最高指導層はこれらの問題を年内には打開するだろう,との見通しを明らかにした。
DIA-206-1985-07-22-1マレーシア1985年07月22日1980年代蔵相,機関投資家に株式投資拡大を要請―大蔵省と機関投資家・資金運用担当者との会合で,マレーシア経済への信認を行動で表わすよう要請。NST工業指数は15日の底値1177.58から23日1263.21まで戻した。
DIA-206-1985-07-23-1マレーシア1985年07月23日1980年代最高裁,沈啓忠の控訴を棄却―沈は81年12月拳銃と弾丸の不法所持で国内治安法により起訴され,83年10月連邦裁の控告棄却で死刑が確定。特赦委員会が助命嘆願を却下したのは憲法違反として控訴していた。24日マ法曹協会,25日Aliran,27日DAP,30日馬華商工会連合会とスランゴール中華大会堂等が減刑を要請。
DIA-206-1985-07-23-2マレーシア1985年07月23日1980年代Pas,非マレー人社会に対話呼びかけ―コタ・バルでの対話集会にクランタン州の華人200名を招待。24日の同党次席副党首の談話によれば華語小学校教員協会,同運営委員会協会との言語問題での対話集会を計画中。
DIA-206-1985-07-25-1マレーシア1985年07月25日1980年代新ナショナル・センター設立へ―マレーシア労働組合会議の連帯委員会は,(1)ICFTUの提案を容れ同会議を唯一のナショナル・センターに改組,(2)構成単位は同会議と官公労会議の傘下単組,未組織労働者,農業労働者,その他の職業の協会とする,等を決定。
DIA-206-1985-07-25-2マレーシア1985年07月25日1980年代外国漁船の領海侵犯に対し合同作戦実施へ―海・空軍,水上警察,警察,漁業局が協力して半島東岸の経済専管水域を含む領海で8月に10日間実施の予定。
DIA-206-1985-07-26-1マレーシア1985年07月26日1980年代全国稲作政策の見直し―アヌワール農相によれば,新政策の骨子は,(1)稲作を全国9個所の穀倉地域に集中,(2)その他の地域での稲作農民には所有地の統合や一定商品作物への転換を義務づけ,(3)これにより平均収量を現在の3.3㌧/㌶から5㌧/㌶に引上げる。
DIA-206-1985-07-29-1マレーシア1985年07月29日1980年代トンガのトゥイタ副首相,訪マ。
DIA-206-1985-07-31-1マレーシア1985年07月31日1980年代マ・英航空交渉妥結―86年7月からMASのKL―ロンドン便を従来の週4便から1便増やし,計1550座席とし,同様の権利をBritish Airwaysに認める。
DIA-206-1985-08-01-1マレーシア1985年08月01日1980年代UABとUOA社の資本再編成問題―ヴェルMIC党首はマハティール首相との会談後,過去10日間の非公式訪印中,インド政府がUnited Oriented Assurance Bhd.の株式40%のうち10%をMika Holdingsに譲渡することに原則的に同意した,と述べた。
DIA-206-1985-08-01-2マレーシア1985年08月01日1980年代初のイスラム保険会社,発足―Syarikat Takaful Malaysia Sdn.Bhd。非ムスリムも利用できる。
DIA-206-1985-08-02-1マレーシア1985年08月02日1980年代国会休会―補正予算案(84年開発支出第3次追加,85年開発支出第1次追加),電気通信業務(後継会社)法案,連邦道路(修正)法案等を可決成立。
DIA-206-1985-08-02-2マレーシア1985年08月02日1980年代Umno青年部執行委員,スランゴール州スルタンの即位25周年式典への州政府支出は過大,と批判。
DIA-206-1985-08-03-1マレーシア1985年08月03日1980年代サバ州議会,緊急会期で州元首信任を決議―同決議案には,4月22日のムスターファUsno党首の州首相「就任宣誓」は無効,とする項目が含まれている。
DIA-206-1985-08-03-2マレーシア1985年08月03日1980年代ペナン大橋,竣工―マハティール首相が渡り初め。
DIA-206-1985-08-05-1マレーシア1985年08月05日1980年代「統合学校」計画―アブドゥラー教育相によれば,86年1月から母語教育を行なう3種の小学校について,補助カリキュラムの共通化,施設の共同利用により交流を図るが,母語教育の権利は侵さない,という。
DIA-206-1985-08-05-2マレーシア1985年08月05日1980年代電力料金の一部値下げ案,発表―夜間割引制を導入,商業,鉱工業向け料金を最大20%値下げ。9月1日から実施。
DIA-206-1985-08-05-3マレーシア1985年08月05日1980年代サバ,サラワクの木材生産削減―両州の木材業界は86年に20%の生産削減を行なうことでこのほど合意。
DIA-206-1985-08-05-4マレーシア1985年08月05日1980年代香港の汚職取締り中立委員会係官,訪マ―BMFスキャンダルに関する事情聴取のため。
DIA-206-1985-08-12-1マレーシア1985年08月12日1980年代公務員労組,国民戦線への支持撤回か―ノール官公労会議議長は,政府が賃上げ要求に応じないなら,国民戦線への支持撤回を86年1月1日に宣言する,と述べた。これに対し14日までに全国合同協議会の職員側3協議会が反対を声明,15日ダイム蔵相,24日マハティール首相が脅しには屈しない,と声明。
DIA-206-1985-08-12-2マレーシア1985年08月12日1980年代Parti Nasionalis Malaysia,このほど登録申請。
DIA-206-1985-08-13-1マレーシア1985年08月13日1980年代国際天然ゴム機構,特別会議開催―3日間。緩衝在庫が30万㌧に達したため,規定により規準価格の3%引下げを承認。介入価格は201.7M/Sセンとなった。
DIA-206-1985-08-14-1マレーシア1985年08月14日1980年代村田通産相,訪マ―15日ムサ副首相と会談。会談後副首相は,マレーシアはアジア・太平洋圏構想に慎重であり,多国間貿易交渉にも消極的,と述べた。
DIA-206-1985-08-14-2マレーシア1985年08月14日1980年代ラーマン・前サラワク州元首,Umno進出要請―結成を伝えられるSarawak Unity Movementへの関与を否定し,Umnoがサバ・サラワクに組織を拡大して両州国民戦線の支柱となるべきだ,と述べた。24日サラワク訪問中のマハティール首相はUmno進出の意図を否定。
DIA-206-1985-08-14-3マレーシア1985年08月14日1980年代国王,沈啓忠の死刑執行の一時延期を命令。
DIA-206-1985-08-15-1マレーシア1985年08月15日1980年代ムサ=ニオ会談―消息筋によれば,ムサ副首相はニオMCA党首代理に対し多数派の決定の遵守を要請。同副首相はニオ派の楊宝山下院議員とも会談。
DIA-206-1985-08-15-2マレーシア1985年08月15日1980年代マ華人商工連合会,ニオ辞任を要請―タン下院議員はMCA役員選挙に出馬しないと約束しており,ニオも直ちに党首代理を辞任するよう要請。
DIA-206-1985-08-16-1マレーシア1985年08月16日1980年代MCAニオ派,分裂―ニオ派の少くとも9名が中央委員会を開催,ニオを党首代理から解任,後任にマク副党首代理を選出。他方ニオは党本部での会合で,いかなる圧力にも屈しないと言明,陳忠鴻書記長を解任。
DIA-206-1985-08-17-1マレーシア1985年08月17日1980年代国民戦線,MCAに3ヵ月の猶予を承認―最高会議は,(1)MCAのマク,ニオ両代表による,3ヵ月以内に危機を解決,との約束を承認,(2)3ヵ月内に解決できなければ,MCAは国民戦線を離脱と決定,と声明。さらにマハティール首相は,16日付けでニオを住宅・地方政府相から解任した,と発表。
DIA-206-1985-08-17-2マレーシア1985年08月17日1980年代国民戦線最高会議,PBSの加盟申請の討議を延期。
DIA-206-1985-08-17-3マレーシア1985年08月17日1980年代ハリス,前サバ州首相,コロー同副首相,Berjayaを離党。前者は下院議員も辞任。
DIA-206-1985-08-19-1マレーシア1985年08月19日1980年代米の輸入削減へ―ラフィダー公営企業相,発表。過去2シーズンの豊作で国家稲米庁の備蓄スペースが不足するに至った,と説明。
DIA-206-1985-08-20-1マレーシア1985年08月20日1980年代MCA役員選挙日程―暫定委員会決定。9月12日に党員名簿を発送,支会大会を9月24~27日,支部大会を10月18,19日,全国大会を11月24日に設定。
DIA-206-1985-08-20-2マレーシア1985年08月20日1980年代地方政府職員,全国でデモ―賃上げを要求。5000人が参加。
DIA-206-1985-08-21-1マレーシア1985年08月21日1980年代呉作棟シンガポール第一副首相非公式訪マ。
DIA-206-1985-08-25-1マレーシア1985年08月25日1980年代マレーシア華人商工会連合会,年次大会―(1)金融緩和を要請,(2)工業調整法の全面的改正を要請,(3)90年以降に新経済政策を延長しないとのムサ副首相の言明を歓迎,(4)種族分極化に鑑み,土着と非土着の区別の廃止を要請,(5)貿易協定調印,訪中規制緩和等によるマ・中間の貿易と投資の促進を要請,等30項目を決議。
DIA-206-1985-08-25-2マレーシア1985年08月25日1980年代インドネシアとの間で,沖合漁業とその漁獲物販売のための協力に合意。
DIA-206-1985-08-26-1マレーシア1985年08月26日1980年代MCAマク派,特別任務委員会設立―委員に一方的に指名されたタン派党員は参加を拒否。
DIA-206-1985-08-27-1マレーシア1985年08月27日1980年代国産車小売価格,発表―エアコン等を装備し道路税1年分と登録料込みで,1300cc車が1万7573.62リンギ(同クラスのサニー130Yは2万3247.95リンギ)。
DIA-206-1985-08-28-1マレーシア1985年08月28日1980年代鈴木善幸前首相,訪マ―中曽根首相の特使として独立式典(8月31日)に列席のため。
DIA-206-1985-08-29-1マレーシア1985年08月29日1980年代金融機関株式の保有規制―中央銀行発表。新たに資本構成に変更を生じる場合,(1)単一の株主による持株比率の上限を20%とする。(2)個人(一族会社を含む)の持株比率の上限を10%とする。(3)金融機関株式の5%以上の取得は,中銀の勧告に基づく蔵相の認可を要する等。消息筋によれば特定の公営企業には適用されない。
DIA-206-1985-08-29-2マレーシア1985年08月29日1980年代公務員労組,最後通告―全国合同協議会職員側5団体は,3週間以内に賃金改訂交渉を開始しなければ,全面的対決に入る,と政府に通告。
DIA-206-1985-08-29-3マレーシア1985年08月29日1980年代首相,ナツナ群島訪問―ムルダニ・インドネシア国軍最高司令官の招待による。
DIA-206-1985-08-31-1マレーシア1985年08月31日1980年代アフマッド・ノールディン会計検査院総裁,マグサイサイ賞受賞。
DIA-206-1985-09-01-1マレーシア1985年09月01日1980年代国産車(Proton Saga),販売開始。
DIA-206-1985-09-02-1マレーシア1985年09月02日1980年代カディル副外相ポル・ポト辞任の報道につき,ASEANの政治解決努力に幸先良いことと論評。
DIA-206-1985-09-03-1マレーシア1985年09月03日1980年代マ・タイ農業協力閣僚会議―4日アヌワール農相は,(1)外国漁民のマ領海侵犯に厳しく対処,(2)両国の深海漁業共同事業取決めは11月に調印予定,と発表。
DIA-206-1985-09-06-1マレーシア1985年09月06日1980年代Risda,傘下のエステート売却を計画―アディブ土地・地域開発相は,ゴム植替税率引上げが困難な以上,植替事業の資金を他に求めざるを得ない,と説明。
DIA-206-1985-09-08-1マレーシア1985年09月08日1980年代PPP党大会―党首にParamjit Singh上院議員を再選。
DIA-206-1985-09-08-2マレーシア1985年09月08日1980年代フィジーのガニラン総督,訪マ。
DIA-206-1985-09-11-1マレーシア1985年09月11日1980年代首相OICのイ・イ戦争和平委員会出席のためジェッダに出発(15日帰問)。
DIA-206-1985-09-13-1マレーシア1985年09月13日1980年代第5次5カ年計画―ムサ副首相によれば,農村部への基礎的施設付与を最優先するが,重工業,製造業,法人部門の開発も減速しない。
DIA-206-1985-09-13-2マレーシア1985年09月13日1980年代原油価格引下げ―1パレル当り50~75米㌣値下げ。7月1日に遡り実施。
DIA-206-1985-09-13-3マレーシア1985年09月13日1980年代不法入国取締りを強化―ムサ首相代理によれば,ベトナム難民対策本部(Task Force Ⅶ)に,サバ,サラワクへの不法入国者やマ領海不法侵犯を含めて不法入国者全般に対処する権限を付与。
DIA-206-1985-09-14-1マレーシア1985年09月14日1980年代民政党大会―林敬益党首は,国民戦線加盟の全政党が新たた「新経済政策」作成への参加を認められるべきである,と主張。
DIA-206-1985-09-14-2マレーシア1985年09月14日1980年代Pas,マレー人の特権を否定か―ナジブ・パハン州首相によれば,ハディPas次席副党首は華人との対話集会で,Pas政権下ではブミプトラの呼称を廃し,マレー保留地等の一定の特権を廃棄すると述べたという。
DIA-206-1985-09-15-1マレーシア1985年09月15日1980年代ニオ更迭の理由―マハティール首相はUmnoの機関誌とのインタビューで,ニオ住宅・地方政府相は分別を拒み・国民戦線の脅威となったため更迭と述べた。
DIA-206-1985-09-15-2マレーシア1985年09月15日1980年代Momogun党,8月14日付けで登録認可を取得と発表。
DIA-206-1985-09-16-1マレーシア1985年09月16日1980年代政府事業発注,公開入札制に復帰―ムサ副首相発表。ターンキー制度等の失敗による。復帰後ブミプトラ業者には一定のアローワンスを認めるという。
DIA-206-1985-09-19-1マレーシア1985年09月19日1980年代「新村」総合開発計画策定へ―ムサ副首相発表。新村の自立を目的とし,とくに土地不足に留意しつつ,まず新村の潜在力確定の調査を行なう。
DIA-206-1985-09-19-2マレーシア1985年09月19日1980年代新経済政策の目標達成の可能性―KLでのセミナーの席上,ナワウィ・マレー人商工会議所会長が悲観的見解を示したのに対し,ラザレイ商工相は,あと一押しすれば90年までに目標達成は可能,と述べた。
DIA-206-1985-09-19-3マレーシア1985年09月19日1980年代錫生産国連合閣僚会議,ITC緩衝在庫への追加資金拠出を決定。
DIA-206-1985-09-21-1マレーシア1985年09月21日1980年代ユーロ変動金利債発行に調印―期間20年,金利はLibor+1/16。対外債務の借り換えに利用。
DIA-206-1985-09-21-2マレーシア1985年09月21日1980年代カンボジア問題―リタウディン外相は,(1)国連総会では何の打開もされないであろう,(2)9月初めにアンゴラでタク・ベトナム外相と2回会談。席上タク外相はある照会を行なったが,内容は明かせない,等と述べた。
DIA-206-1985-09-22-1マレーシア1985年09月22日1980年代PNB社のシェア―85年現在の保有株式の総額は29億リンギ,国内の発行株式総額の3.7%,部門別シェアは工業2.6%,農園13.9%,錫鉱山4.2%,不動産7.6%,金融3.2%,ホテル0.05%。
DIA-206-1985-09-23-1マレーシア1985年09月23日1980年代サバ州ラハ・ダトゥで銀行等襲撃さる―外国人と見られる武装集団約20名が襲撃,約20万リンギを強奪。死者10名,負傷者13名。警察は海上での追討で少くとも犯人5人を射殺。31日に比軍筋は,マレーシアの部隊が報復のため9月26日に南比のマラナス島を攻撃,ムスリム住民53名を殺害と報告,10月1日マ国防省は否定。
DIA-206-1985-09-26-1マレーシア1985年09月26日1980年代Putra World Trade Centre,オープン―総工費3億6800万リンギ。Umno本部が所在。
DIA-206-1985-09-26-2マレーシア1985年09月26日1980年代Umno青年部・婦人部大会―冒頭ムサ副総裁は,「党の闘争の考え方,哲学,形態に存在する農村的性格が変質しないように希望する」と述べた。
DIA-206-1985-09-27-1マレーシア1985年09月27日1980年代Umno党大会―マハティール総裁は開会演説で,党内の金権政治,国民戦線による一加盟政党内の問題解決の努力を干渉と非難するグループ,労働争議に訴えると脅迫する公務員労組,王族の憲法上の特権を悪用するビジネスマン,マレー人の特権を否定する者等を批判し,全国民にナショナリスティックな感情を指針とするよう要請。29日ムサ副総裁は,マハティール総裁との関係が緊張との噂を否定し,断食月明け祭礼時に国外に出たのは離婚問題の円満な解決を図るためと釈明して,総裁への全面的支持を誓った。29日の特別大会は,党内問題に関わる告訴の規制,最高会議の定員増加と権限強化等を骨子とする党規約改正案を可決した。
DIA-206-1985-09-27-2マレーシア1985年09月27日1980年代官公労会議委員長,首相に反論―政府が強硬姿勢をとるなら10月1日の全国ピケ,1月15日の全国ストの呼びかけを撤回しない,と声明。
DIA-206-1985-09-28-1マレーシア1985年09月28日1980年代マ航空,株式公開案発表―(1)新株7000万株を発行,払込資本を3億5000万リンギに増資し,その30%を1株1.8リンギでオファー,(2)公開1億500万株の内訳は,原住民機関への留保3500万株,MAS職員1750万株,認可された機関300万株,一般公募4950万株,(3)政府の持株比率は70%となるが,重要事項の最終的承認権を伴う「特別権利付き償還可能優先株」1株が与えられる。
DIA-206-1985-09-30-1マレーシア1985年09月30日1980年代農業投資向け包括的奨励措置案,作成中―ムサ副首相発表。農業内からさまざまな工業を開発し,低成長下で経済の方向転換を図るためのものという。
DIA-206-1985-10-01-1マレーシア1985年10月01日1980年代公務員,全国昼休みピケ実施―官公労会議発表で10万人(公務員組織労働者の30%超)が参加。
DIA-206-1985-10-02-1マレーシア1985年10月02日1980年代華人,マレー人商工会議所の合同使節団,訪中―9日帰国。14日ナワウィ団長は中国国貿促との間で直接貿易取決めの草案に合意,と発表。
DIA-206-1985-10-05-1マレーシア1985年10月05日1980年代首相,国軍人事発表―11月1日付けで,陸軍参謀長T.S.Ghazali Che Mat大将を国軍参謀総長に,陸軍副参謀長T.S.Hashim Ali中将を大将に昇級させ,陸軍参謀長に辞任する等。
DIA-206-1985-10-05-2マレーシア1985年10月05日1980年代ラーマン元首相,改宗者の待遇改善を要請―イスラムへの改宗者は,とくに家族関係の断絶による困難に直面しており,ブミプトラの地位を与えるよう要請。
DIA-206-1985-10-07-1マレーシア1985年10月07日1980年代ルピン・サバ州法務長官,汚職容疑で逮捕―木材伐採権絡みで汚職取締法違反4件,刑法違反1件(計155万リンギ)。8日,下級裁で罪状否認。
DIA-206-1985-10-07-2マレーシア1985年10月07日1980年代金利引下げ―商銀12行が定期金利を1~1.05%引下げ,うち1行は基準貸出金利を0.25%引下げた。
DIA-206-1985-10-07-3マレーシア1985年10月07日1980年代Petronas社,ガス化学で合弁事業に調印―LPGを原料にメチル・3価ブチル・エーテル30万㌧,プロピレン5万㌧の生産を計画。総コスト4億6000万リンギ。同社出資40%,他にパハン,トレンガヌの州政府機関等が参加。
DIA-206-1985-10-08-1マレーシア1985年10月08日1980年代首相,インドネシア訪問―P.T.Nurtanio社の航空機製造プラント視察,スハルト大統領と会談し,両国合弁の航空機製造事業を考慮する旨表明,11月訪中について説明,プロトン・サガ車を贈呈。同日帰国。
DIA-206-1985-10-10-1マレーシア1985年10月10日1980年代FEER誌KL支局長を公的機密法違反で逮捕―14日下級審で2件につき各5000リンギの科料確定。
DIA-206-1985-10-10-2マレーシア1985年10月10日1980年代Parti Nasionalis Malaysia,登録―正義,清廉,統一,進歩がモットー。暫定委員長Hjh.Zainab,副委員長アフマッド・ノール(10月12日辞任)。
DIA-206-1985-10-11-1マレーシア1985年10月11日1980年代麦漢錦と陳忠鴻,MCA暫定委を辞任―ガファール委員長が封印を破って党員名簿ディスケットを林良実委員に渡しており,同委員会の中立性と信用が完全に失われたと声明。12日ガファール委員長は,ディスケット引渡しは同委員会が承認,選挙は実施と声明。
DIA-206-1985-10-12-1マレーシア1985年10月12日1980年代サバ州Ulu Padas区下院議員補欠選挙結果―Kadoh Agundong(PBS)7196票,国民戦線4934票,無効151票,投票率73.4%。投票日は10月10,11日。
DIA-206-1985-10-14-1マレーシア1985年10月14日1980年代国会再開―下院は12月6日まで,上院は12月2~20日。
DIA-206-1985-10-16-1マレーシア1985年10月16日1980年代失業者数―New Straits Times紙によれば,過去2年間でシンガポールからの帰国者4万人,錫・ゴム産業で1万人,繊維5000人,電子5000人が失業。
DIA-206-1985-10-16-2マレーシア1985年10月16日1980年代マハティール首相,英連邦首脳会議の席上で,南アフリカに対する経済制裁を含む明確な措置を要請。
DIA-206-1985-10-17-1マレーシア1985年10月17日1980年代Petronas社の資金利用―モハール会長は,(1)海外運用資産のかなりを国内預金に振替えた,(2)ジャンボ機1機を購入,MASにリースする予定,等を確認。
DIA-206-1985-10-17-2マレーシア1985年10月17日1980年代カディル副外相,このほどラオス訪問―本日帰国。2国間関係拡大と経済関係改善の努力で合意,と語った。
DIA-206-1985-10-18-1マレーシア1985年10月18日1980年代Asean Bintulu Fertilizer社,初出荷―フィリピン向けにアンモニア3700㌧。
DIA-206-1985-10-21-1マレーシア1985年10月21日1980年代MCA支部選挙一同党筋によれば有資格109支部中105が選挙を実施。選出された3253人の大会代議員中,タン派2690人,ニオ派450人,マク派113人。
DIA-206-1985-10-21-2マレーシア1985年10月21日1980年代工業開発の優先課題―ラザレイ商工相によれば,(1)ハイテク産業確立・技術水準引上げ,(2)重工業促進,(3)補助・支援工業の育成,(4)資源加工,等。
DIA-206-1985-10-21-3マレーシア1985年10月21日1980年代外国漁船の拿捕―呉清徳副農相の下院答弁によれば,経済専管水域法と漁業法により85年1月以来48隻を拿捕,うち22隻がトレンガヌ州沖合。
DIA-206-1985-10-24-1マレーシア1985年10月24日1980年代ロンドン金属取引所(LME),錫取引を停止―KL錫市場も25日に取引停止。国際錫理事会が,緩衡在庫の資金払底のため買支えを中止と決定したため。LMEでは23日以来の大量の売りで3ヵ月先物が8140ポンドに下落していた。25日リョン第一次産業相は,錫市場崩壊回避のための生産国の協力を要請,と声明。10月29~30日の国際錫理事会は結論に至らず休会。マレーシアの錫精錬2社は25,26日に取引停止直前の価格の50%の前渡金,それ以降は30%の前渡金で精鉱買上げを継続。
DIA-206-1985-10-25-1マレーシア1985年10月25日1980年代86年予算案下院に上程(資料参照)。
DIA-206-1985-10-29-1マレーシア1985年10月29日1980年代KL商品取引所再開―22ヵ月振り。パーム油,ゴムの先物市場。再開に際し清算会社を再編成,商品取引委員会に懲役を含む処罰権限を付与。
DIA-206-1985-10-30-1マレーシア1985年10月30日1980年代首相,公務員労組代表と会談―官公労組会議,全国合同協議会職員側5団体の代表が出席。首相は6.12賃上案が暫定的なものと認め,政府と上記6団体で構成する合同委員会を設立・労働側の6項目要求を交渉の基礎とすることに同意。また5合同協議会の統一を提案。11月3日官公労組会議は1.15ストの中止を決定。
DIA-206-1985-10-30-2マレーシア1985年10月30日1980年代マ・タイ深海漁業合弁事業取決めへの反対―クランタン州漁民協会は同事業が進められるなら,国民戦線への支持を撤回と声明。31日アヌワール農相は,マ漁民の事前同意なしに同取決めに調印しないと発表。
DIA-206-1985-10-31-1マレーシア1985年10月31日1980年代サバ州の4州議員,辞任に追込まれる―4月州議会選挙前に所属政党に提出した日付のない辞表を利用されたもの。うち3名は選挙後PBSに移っていた。
DIA-206-1985-11-01-1マレーシア1985年11月01日1980年代New Straits Times紙記者,公的機密法違反で逮捕さる。
DIA-206-1985-11-01-2マレーシア1985年11月01日1980年代大蔵省,錫への輸出税賦課を一時中止。
DIA-206-1985-11-01-3マレーシア1985年11月01日1980年代リャボフ・ソ連副首相,訪マ―2日マハティール首相と会談,ゴルバチョフ書記長からの訪ソ招待を伝達。
DIA-206-1985-11-02-1マレーシア1985年11月02日1980年代国内錫業界の救済要請―全マラヤ華人鉱業会の丘思東副会長は,(1)電力料金の50%削減,(2)ディーゼル油に50%の補助金,(3)採掘権の自動更新,(4)精錬会社の前渡金引上げ(少くともキロ当り12リンギへ)等を要請。
DIA-206-1985-11-04-1マレーシア1985年11月04日1980年代エルシャド・バングラデシュ大統領,訪マ―マハティール首相と5日に会談,バングラデシュからの労働者受入れ増加を要請。
DIA-206-1985-11-04-2マレーシア1985年11月04日1980年代16金融機関の錫危機打開策―(1)生産国が5000万米㌦を拠出すれば,国際錫理事会の元利返済を1年猶予,(2)錫協定加盟国が16金融機関への債務を保証する,の2 点を国際錫理事会に提案した。
DIA-206-1985-11-05-1マレーシア1985年11月05日1980年代給水事業の民営化―ヴェル公共事業相によれば,KL,スランゴール州で86年民営化を検討中。
DIA-206-1985-11-07-1マレーシア1985年11月07日1980年代「統合学校」制度間題―アブドゥラー教育相は華語小学校教員協会連合会,同理事会連合会の代表と会談,制度名を「統一のための小学生統合計画」に変更することで了解を達成。
DIA-206-1985-11-08-1マレーシア1985年11月08日1980年代新経済政策―カリル総理府相の下院答弁によれば,(1)政府は新経済政策を90年以降も継続するか否か未だ決定していない。(2)同政策の実施上,ブミプトラ,ノン・ブミプトラの区別は不可避。
DIA-206-1985-11-12-1マレーシア1985年11月12日1980年代86年の成長率―ダイム蔵相は下院での86年予算案総括討論で,原油生産を予定どおり増加し,民間部門が期待どおりの役割を果せば6%は可能,と述べた。
DIA-206-1985-11-13-1マレーシア1985年11月13日1980年代ペラ州政府の錫鉱山救済策―ンガー州首相は,(1)鉱山跡地の農・工業用地への転換に尽力,(2)採掘権の期限を現行の2年から5年に延長,等を発表。
DIA-206-1985-11-13-2マレーシア1985年11月13日1980年代Petronas社の流動資産―オンキリ総理府相の下院答弁によれば,計114億9400リンギ,うち海外での運用額は20億1900万リンギ,14日発表された84/85年度(3月末締め)財務報告によれば,Petronasグループの税引後利益は37億2000万リンギ(前年度比27.2%増),内部留保額は110億リンギ。
DIA-206-1985-11-13-3マレーシア1985年11月13日1980年代内閣,一部の消費者運動に政府非難を慎むよう警告。
DIA-206-1985-11-17-1マレーシア1985年11月17日1980年代林蒼佑,ペナン州首相辞任の意向を表明―健康上の理由による。同日,林敬益民政党首は,林州首相の辞任は一般に予想されるほど早くはない,と述べた。
DIA-206-1985-11-18-1マレーシア1985年11月18日1980年代総選挙の日程―マハティール首相はUmno最高会議後,総選挙の日程決定について同会議から一任されたことを明らかにした。
DIA-206-1985-11-19-1マレーシア1985年11月19日1980年代クダ州バリンで警察とイスラム過激派衝突―ムサ首相代理が20日,国会および記者会見で行なった説明によれば,(1)19日警察はムマリ村で,かねて手配中のIbrahim LibyaことIbrahim Mahmudほか36名の検挙に踏切ったが,37名は支持者約400名と暴力で低抗,警官4名,Ibrahimと支持者13名が死亡,159名が拘留された,(2)バリン郡には19日から夜間外出禁止令を布きプルリス,クダ,クランタン,トレンガヌの4州(21日にはペナン州)とペラ州北部で屋内政治集会を禁示した。
DIA-206-1985-11-19-2マレーシア1985年11月19日1980年代シ証券取引所,Pan El他2社の株の取引中止―Growth Industrial Holdings社とSigma Metal社でいずれも陳群川が大株主。同じ陳系のGrand United Holdings社,Everpeace社,Supreme Corp.社の株も売り浴びせられた。
DIA-206-1985-11-20-1マレーシア1985年11月20日1980年代マハティール首相,訪中―経済界から約130名が随行。21日,趙紫陽首相との会談で,国際錫協定への加盟と貿易不均衡是正を要請,趙首相は国際錫理事会へのオブザーヴァー派遣に同意,今後2年間に還元鉄20万㌧の輸入に同意,あらゆる血統のビジネスマンを好意的に処遇と約束,両首相は直接貿易の利点と両国海運の利用に合意した。22日鄧小平顧問,胡耀邦総書記,23日シアヌーク殿下を訪問。23日に二重課税防止協定,中国国貿促と華人・マレー人商工会議所合同協議会との直接貿易取決めが調印された。マハティール首相は28日帰国し,中国のマラヤ共産党への道義的支援の継続は,両国関係緊密化の「全面的な障害」とは考えられない,と述べた。
DIA-206-1985-11-20-2マレーシア1985年11月20日1980年代MCAタン派,党中央役員立候補者を発表―党首に立候補した陳群川は,なるべく早急に事業を整理し,政治に専念,と述べた。同派は21日には,(1)教育開発会社設立,(2)新村開発会社設立,(3)華人諮問協議会設立,(4)選挙後第1回の党大会で党規約改正,等の党再生10項目計画を発表。
DIA-206-1985-11-20-3マレーシア1985年11月20日1980年代石油増産問題―フセインPetronas社顧問(前首相)は,原油価格が24米㌦を下回れば目標以上の増産の可能性もあり,20米㌦になれば事態は深刻,と指摘。
DIA-206-1985-11-21-1マレーシア1985年11月21日1980年代MCA党中央役員の立候補締切―ニオ派は党首に梁維,副党首に王成就のほか13名が立候補。マク派は麦漢錦,陳忠鴻の両指導者が不出馬。
DIA-206-1985-11-22-1マレーシア1985年11月22日1980年代錫危機―リョン第一次産業相によれば,価格が4000ポンドに落ちれば,国内480鉱山中22鉱山しか存続できず,全従業員2万3000名中1万7000人がレイオフの見込み。
DIA-206-1985-11-22-2マレーシア1985年11月22日1980年代商用車の車検を87年1月から民営化,と発表。
DIA-206-1985-11-22-3マレーシア1985年11月22日1980年代ムマリ事件―ユソフPas党首は中央委員会の後,(1)事件はUmnoが招いた,(2)勅定委員会による調査と白書の発表を要求する,と述べた。
DIA-206-1985-11-23-1マレーシア1985年11月23日1980年代MCA青年部・婦人部大会―青年部長にはタン派の紀永輝上院議員が1406票中1055票,婦人部長には同じく鄧育桓が760票中563票を得て当選したほか,タン派候補者が選出役員のすべてを独占。
DIA-206-1985-11-24-1マレーシア1985年11月24日1980年代MCA党大会―代議員3542人が出席。党首に陳群川(2715票,梁維809案),副党首にタン派の林良実(2701票,王成就713票,楊福祥35票),次席副党首に陳声新(2775票),陳立志(2658票),陳柄坤(2623票),李金獅(2470票)が当選,中央委員もタン派が独占。陳党首は李金獅を書記長に任命した。
DIA-206-1985-11-24-2マレーシア1985年11月24日1980年代マレーシア労働組合会議,規約改正―特別代議員大会は,(1)名称をマレーシア統一労働運動と改称,(2)農民,漁民,官公労組会議傘下の単組の加入を認める等の規約改正,の2点を承認。
DIA-206-1985-11-28-1マレーシア1985年11月28日1980年代ナツナ島のインドネシア軍事施設の利用―クチンでのマ・イ国境総合委員会第14回会議の席上,利用手続きが最終的に合意された。
DIA-206-1985-11-29-1マレーシア1985年11月29日1980年代ドイツマルク建て債,このほど発行―12億マルク,表面利率Libor+0.1%,20年償還。期前返済に利用。
DIA-206-1985-11-30-1マレーシア1985年11月30日1980年代ムサ副首相,連邦政府はバクン発電プロジェクト推進に原則として同意している,と発言。
DIA-206-1985-12-01-1マレーシア1985年12月01日1980年代インドネシアのカクテル・パーティー案―リタウディン外相は,民主カンボジア3派の出席を前提条件として支持する,と語った。
DIA-206-1985-12-02-1マレーシア1985年12月02日1980年代シンガポール,KLの両証券市場,閉鎖―11月30日にPan Electric社が債権銀行の管理下に置かれたため,投売りを防ぐため閉鎖。5日両市場は,証券の即時引渡し等の規制の下で再開,KL証券市場工業株価指数は29日の引値436.02に対し398.66で引け,6日には411.49まで回復。また陳群川支配下のGrand United Holding,Everpeace,Supreme Corp.の3社の株は取引中止となった。この間,マ華商工会議所連合会のUnico Holdings社が5日,GUH社株の取得に調印した。
DIA-206-1985-12-02-2マレーシア1985年12月02日1980年代低価格住宅建設の促進―ムサ首相によれば,(1)今後3年間に毎年8万ユニットを建設,(2)商銀は15億リンギ,中銀は5億リンギの融資枠を決定,(3)これにより経済成長率は2~3%上昇。
DIA-206-1985-12-04-1マレーシア1985年12月04日1980年代北朝鮮の金永南副首相,訪マ。
DIA-206-1985-12-05-1マレーシア1985年12月05日1980年代蔵相,原油の新生産分与方式を発表―(1)コストオイルを原油は50%,ガスは60%に引上げる,(2)プロフィットオイルの請負側取分を,1万b/d以下では50%,1万1~2万b/dでは40%に引上げ(ただし累積生産量が5000万バレルに達すると旧方式を適用),ガスも2兆標準立方フィートまで50%に引上げ,(3)ボーナスオイルは廃止。
DIA-206-1985-12-06-1マレーシア1985年12月06日1980年代Lorrain Esme Osman,Dtk.Shamsuddin(ともにBBMとBMFの前役員),ロンドンで逮捕。
DIA-206-1985-12-06-2マレーシア1985年12月06日1980年代MTSU,スト通告を延期。
DIA-206-1985-12-07-1マレーシア1985年12月07日1980年代MCA,ニオ派とマク派の一部を党役員に任命―財政部長に麦漢錦,党首諮門会議に麦と梁維,中央委員に麦とマク派2名,梁とニオ派2名を任命。
DIA-206-1985-12-08-1マレーシア1985年12月08日1980年代BMF事件調査委員会の最終報告書完成―ノールディン委員長は,最終報告書のいかなる部分も銀行の守秘義務に触れないとして公開を要請。16日首相は,公開のいかんは政府の専決事項との見解を表明。
DIA-206-1985-12-08-2マレーシア1985年12月08日1980年代錫産業の展望―林敬益民政党首は,同産業は衰亡過程にあり,ペラ州政府は失業者を,鉱山跡地での総合農業事業に吸収することを計画中,と述べた。
DIA-206-1985-12-10-1マレーシア1985年12月10日1980年代サバ州憲法改正―州議会は,国王を同州のイスラムの指導者とする改正案を単純多数で可決。
DIA-206-1985-12-11-1マレーシア1985年12月11日1980年代工業調整法の適用を緩和―(1)製造業許可書の取得義務の免除対象を,現行の資本金25万リンギまたは雇用25名以下から資本金100万リンギまたは雇用50名以下の企業に拡大,(2)輸出産業に事前の許可なく生産能力を拡張し,製品の品種を増やすことを認める,等。
DIA-206-1985-12-11-2マレーシア1985年12月11日1980年代Pan El社救済策―債権銀行団,管財人,陳群川の3者は,(1)Pan El社の,Supreme社とGUH社株購入取決めの破棄,(2)陳群川が新たに2700万S㌦を注入,(3)債権銀行は元利返済を3ヵ月猶予,等で合意。
DIA-206-1985-12-11-3マレーシア1985年12月11日1980年代政府,ムマリ事件で白書発表と決定―同事件を撮影したビデオの全国放映も決定。
DIA-206-1985-12-12-1マレーシア1985年12月12日1980年代マ・中経済関係―ムヒディン副商工相は,対中経済関係が一種族のみの利益にならぬよう,マレーシアの特徴を反映させる必要がある,との見解を表明。
DIA-206-1985-12-12-2マレーシア1985年12月12日1980年代Nasma暫定委員会人事―委員長にナスロン・イシャク,ザイナブ前委員長は副委員長に就任。
DIA-206-1985-12-14-1マレーシア1985年12月14日1980年代サバ州の重工業プロジェクト,困難に直面―パイリン州首相は,還元鉄と紙・パルプ事業は州外からの資本参加がなければ処理できない,と語った。
DIA-206-1985-12-16-1マレーシア1985年12月16日1980年代MAS,KL証券市場に上場―よりつきは3.50リンギ,引け値2.45リンギ,出来高200万株。
DIA-206-1985-12-17-1マレーシア1985年12月17日1980年代半島北部6州の屋内政治集会禁止を解除。
DIA-206-1985-12-17-2マレーシア1985年12月17日1980年代政府・公務員労組の合同委員会,初会合。
DIA-206-1985-12-18-1マレーシア1985年12月18日1980年代EC閣僚会議,錫危機で共通の政策作成に失敗。
DIA-206-1985-12-18-2マレーシア1985年12月18日1980年代Pasクダ州委員会,インド人社会への働きかけを開始する,と発表。
DIA-206-1985-12-19-1マレーシア1985年12月19日1980年代政府・臨時計画作成へ―ダイム蔵相は,経済成長の持続,投資環境の改善のため臨時計画を作成中であり,86年の6%の成長目標は達成可能,と述べた。
DIA-206-1985-12-20-1マレーシア1985年12月20日1980年代錫危機の対策と見通し―全マラヤ華人鉱業協会の丘思東副会長は,(1)砂礫法鉱山業界は,ユーザーに直接販売するための商社設立を検討中,(2)錫価格は取引再開後キロ当り14~15リンギに低下,6ヵ月後には20~23リンギに回復,以後3年間はこの水準にとどまろう,と語った。
DIA-206-1985-12-20-2マレーシア1985年12月20日1980年代LMEの方針―取引所の最高経営担当役員は,(1)錫取引の将来を1月13日に決定,(2)現状が1月31日以降も続くことは許されない,との方針を発表。
DIA-206-1985-12-20-3マレーシア1985年12月20日1980年代上院休会―86年予算案,財政法案,中央銀行(修正)法案,銀行(修正)法案,商品取引法案などが成立。
DIA-206-1985-12-21-1マレーシア1985年12月21日1980年代総選挙の見通し―林吉祥DAP書記長は,主にBMFスキャソダル隠蔽のため,国会は2月9日の旧正月後に解散され,3月に総選挙実施となろう,との見通しを明らかにした。
DIA-206-1985-12-23-1マレーシア1985年12月23日1980年代DAP,他の野党と選挙協力か―カーパル副委員長は,従来は協調できなかったため票が割れたが,今回はPasやPSRMとの協力の用意がある,と語った。
DIA-206-1985-12-23-2マレーシア1985年12月23日1980年代錫危機打開策―英国のStandard Chartered BankとGerald Metals社は,新会社を設立して国際錫理事会の在庫を買上げるとの案を関係者に提出。
DIA-206-1985-12-24-1マレーシア1985年12月24日1980年代陳群川,Pan El絡みで逮捕との噂を否定。
DIA-206-1985-12-27-1マレーシア1985年12月27日1980年代陳群川,ペナンで民政党に協力の意向表明―MCAは選挙準備体制に入ったが,ペナンにおける国民戦線支配の継続のための民政党と緊密に協力,と語った。
DIA-206-1985-12-29-1マレーシア1985年12月29日1980年代MIC臨時党大会―ヴェル党首は,MICは民政党より大きいことを以って交渉材料にしようとは思わないが,議席と閣僚ポストの配分に際し,歴史的に証明された実力が評価されるべきだ,と主張。
DIA-206-1985-12-29-2マレーシア1985年12月29日1980年代ナラヤナン,MTUC委員長を辞任―84年役員選挙の際の取決めによるもの。後任はザイナル・ランパック副委員長が昇格。
DIA-206-1986-01-01-1マレーシア1986年01月01日1980年代マレーシア労働組合会議(MTUC)委員長にZainal Rampak 就任。
DIA-206-1986-01-01-2マレーシア1986年01月01日1980年代外国漁船の拿捕―84年5隻(船員53名),85年40隻(427名)。ほとんどがタイの漁船。
DIA-206-1986-01-03-1マレーシア1986年01月03日1980年代国営放送RTM,ムマリ事件のビデオ放映―警察の録画したものを40分に編集。ユソフPAS党首は,事件を公正に表現していないと論評。
DIA-206-1986-01-04-1マレーシア1986年01月04日1980年代内閣小幅改造―林良実副教育相が運輸相,李金獅副総理府相が労働相,陳声新副情報相が住宅・地方政府相に昇格,麦漢錦労働相が保健相に転じたほか,MCAの副大臣5ポストに異動(「参考資料」参照)。
DIA-206-1986-01-04-2マレーシア1986年01月04日1980年代BMF事件最終報告書の公開問題―マハティール首相は,公開は可能だが,政府は公開に伴う名誉段損訴訟に対する責任は負えない,と述べた。6日,林DAP書記長は勅令報告書とする等を提案したが,首相は拒否。
DIA-206-1986-01-05-1マレーシア1986年01月05日1980年代MCA,総選挙運営委員会を設置。
DIA-206-1986-01-07-1マレーシア1986年01月07日1980年代栗山尚一駐マ日本大使,信任状提出。
DIA-206-1986-01-09-1マレーシア1986年01月09日1980年代国際すず市場救済案―国際すず理事会債権者筋は,同理事会加盟国が2億ポンド,債権者団が7000万ポンドを出資して新会社を設立,同理事会の緩衝在庫債務を引き継ぐよう提案。同理事会は17日この提案につき非公式の折衝グループを設置。
DIA-206-1986-01-09-2マレーシア1986年01月09日1980年代政府,3月国会にムマリ事件の白書提出と発表。
DIA-206-1986-01-09-3マレーシア1986年01月09日1980年代香港検察庁,マレーシアで証拠収集―キャリアン事件に関し3月12日までに Aziz 前中銀総裁など51名から宣誓供述調書を採った。
DIA-206-1986-01-09-4マレーシア1986年01月09日1980年代全国華人団体民権委員会,結成―華文小学校教員協会連合,同理事会連合,スランゴール州などの中華大会堂,中華総商会等15団体が参加。85年10月の「全国華人団体連合宣言」貫徹のため,第1段階として,ブミー非ブミの差別撤廃など9大目標を掲げる。
DIA-206-1986-01-10-1マレーシア1986年01月10日1980年代住宅建設特別事業―ムサ副首相は,年8万戸の低コスト住宅建設事業のため売買契約手数料の引き下げ,州有地分譲手数料の引き下げ,中央調整委員会の設置,建築仕様・条件の緩和等の措置をとる,と発表。
DIA-206-1986-01-10-2マレーシア1986年01月10日1980年代林蒼佑ペナン州首相,総選挙不出馬を確認。
DIA-206-1986-01-10-3マレーシア1986年01月10日1980年代Newman Gaban下院議員,PBS入党。
DIA-206-1986-01-11-1マレーシア1986年01月11日1980年代BMF調査委員会の2委員,首相に覚書を提出―16日,ノールディン,徐の両委員は―定の条件下に最終報告書公表の責任を負う旨の覚書の内容を発表。首相は17日,両人が任務を逸脱と,公開書簡で反論。
DIA-206-1986-01-11-2マレーシア1986年01月11日1980年代ヴィロク・ノルウェー首相,公式訪マ(6日間)。
DIA-206-1986-01-12-1マレーシア1986年01月12日1980年代マ共内に旧日本兵2名が存在か―治安当局筋の情報。駐マ日本大使館は20日,確認できずと発表。
DIA-206-1986-01-14-1マレーシア1986年01月14日1980年代Umno青年部,名誉段損訴訟を招く恐れのある部分を削除してBMF最終報告書を公表するよう提案。
DIA-206-1986-01-15-1マレーシア1986年01月15日1980年代MCA・GRM第1回協議会開催―両党の合同を最終目的として協力深化の道を探ることを最優先することで合意等,と発表。しかし陳MCA党首は18日,MCAは種族政党であり続けるとの見解を表明。
DIA-206-1986-01-15-2マレーシア1986年01月15日1980年代国防省,Dtk.Abdul Wahab 少将を中将に昇進させ,海軍参謀長に任命(2月1日付)と発表。
DIA-206-1986-01-17-1マレーシア1986年01月17日1980年代野党選挙協力―DAPのPatto副書記長はPASとの話合いは順調に進行と発表。しかし28日,両党指導者は選挙協定工作の存在を否定。
DIA-206-1986-01-17-2マレーシア1986年01月17日1980年代マ・タイ国境総合委員会,バンコクで開催。
DIA-206-1986-01-18-1マレーシア1986年01月18日1980年代アブドゥラーUmno次席副総裁,首相のイメージを損なう噂を広めぬよう党員に警告。
DIA-206-1986-01-20-1マレーシア1986年01月20日1980年代政府,軽便鉄道プロジェクトの棚上げを決定。
DIA-206-1986-01-21-1マレーシア1986年01月21日1980年代陳MCA党首,シンガポールで逮捕―22日に林副党首は,現指導部維持の方針を発表した後,他の3幹部とともにシンガポールで陳党首に面会。またジャファール中銀総裁は Supreme Finance 社の預金を保証と声明,23日ダイム蔵相が胡シ蔵相と陳党首に会見。シ司法当局は同日,陳党首を背任教唆6件で起訴,30日には背任教唆4件,詐欺1件,株価不正操作4件で追起訴。23日MCA青年部はシ製品ボイコットを呼げかけたが,26日,中央委員会は全ての対シ示威行動の中止を指示,陳党首の辞表を却下。陳党首は30日に保釈を認められた。
DIA-206-1986-01-21-2マレーシア1986年01月21日1980年代公務員労組代表,政府側に賃上げ問題早期解決への誠意がみられずとして政労協議会を中途退席。
DIA-206-1986-01-22-1マレーシア1986年01月22日1980年代政府,BMF調査委員会最終報告書公開を決定―白書を付して3月国会に提出する。
DIA-206-1986-01-22-2マレーシア1986年01月22日1980年代首相,汚職の噂を否定―RTMとのインタヴューで,噂流布の目的は自分の打倒にある,と語った。
DIA-206-1986-01-23-1マレーシア1986年01月23日1980年代首相,全国遊説開始。
DIA-206-1986-01-23-2マレーシア1986年01月23日1980年代公的機密法違反でNew Straits Times紙記者に有罪判決(7000リンギの罰金刑)。
DIA-206-1986-01-24-1マレーシア1986年01月24日1980年代サバ州補欠選挙―4選挙区で24,25日投票。PBS2人,Usno2人が当選。
DIA-206-1986-01-24-2マレーシア1986年01月24日1980年代半島部自動車販売台数―84年10万9916台(うち乗用車8万6805台),85年9万4999台(同6万3877台,うちProton Saga7047台)。
DIA-206-1986-01-27-1マレーシア1986年01月27日1980年代サラワクで共産ゲリラ26人の「社会復帰」発表―84年5月~85年12月に「復帰」。北カリマンタン共産党の人民部隊副司令,同党中央委員2名等を含む。
DIA-206-1986-01-27-2マレーシア1986年01月27日1980年代梁第一次産業相,世銀を批判―70年代半ば~80年代初めに天然ゴムの需要・価格を非常に楽観的に予測し,現在の供給過剰を招いた,との見解を発表。
DIA-206-1986-01-29-1マレーシア1986年01月29日1980年代金融緩和措置発表―(1)2月15日から商業銀行の最低流動資産比率を1.5%引き下げ,マーチャント・バンクの準備率を0.5%引き上げ,(2)1月31日から輸出信用再割制度の対象を拡大。
DIA-206-1986-01-30-1マレーシア1986年01月30日1980年代原油価格―Petronas 社の Mohar 会長は当面は事態を静観し,引き下げを考えない,と言明。
DIA-206-1986-01-31-1マレーシア1986年01月31日1980年代アヌワールUmno青年部長,PASに対話提案。
DIA-206-1986-01-31-2マレーシア1986年01月31日1980年代オンキリ総理府相,今期限りで政界引退と発表。
DIA-206-1986-02-01-1マレーシア1986年02月01日1980年代殉教者問題―クダ州宗務評議会は,ムマリ事件で死亡したIbrahim Libyaほか13名ほ殉教者ではないと判定。4日ユソフPAS党首は14名は殉教者と主張。
DIA-206-1986-02-01-2マレーシア1986年02月01日1980年代American Express Bank Ltd.,このほど1083万Sドルの返済を求めて,陳MCA党首をシ法廷に告訴。
DIA-206-1986-02-01-3マレーシア1986年02月01日1980年代マ・タイ治安部隊,Taksin1号作戦開始―7日ゲリラ4名を捕えたほか,キャンプ数ヵ所を破壊。
DIA-206-1986-02-01-4マレーシア1986年02月01日1980年代PPP新党首に鄭安泉就任。
DIA-206-1986-02-02-1マレーシア1986年02月02日1980年代ガファールUmno次席副総裁,党の選挙運動組織に即時活動開始を指示。
DIA-206-1986-02-03-1マレーシア1986年02月03日1980年代IMP(工業マスタープラン1986~1995年)発表―資源関連・輸出指向型工業の育成を重視,同期間のGDP年平均成長率を6.4%,製造業同を8.8%と設定。ラザレイ商工相によれば,政府はIMPを原則的に承認,その実施のための行動計画を立案する。
DIA-206-1986-02-03-2マレーシア1986年02月03日1980年代KLTM(すず取引所),再開―18リンギ/kgで36トンの取引が成立。
DIA-206-1986-02-04-1マレーシア1986年02月04日1980年代マ・シ送電網間の連結工事完成。
DIA-206-1986-02-05-1マレーシア1986年02月05日1980年代官公労会議(Cuepacs)と全国合同協議会(NJC)職員側5団体,賃上げ問題で示威行動再開を決定。
DIA-206-1986-02-06-1マレーシア1986年02月06日1980年代政府,呉シ第1副首相発言等で抗議の覚書手交―(1)MCAはマ政権担当者ではないとの1月29日呉発言,(2)1月22日のシ司法当局によるMCA閣僚への無礼な応待,について抗議。13日シ政府は不幸な誤解と回答。
DIA-206-1986-02-14-1マレーシア1986年02月14日1980年代陳群川,このほどMPHB社に辞表提出。
DIA-206-1986-02-17-1マレーシア1986年02月17日1980年代円高問題―ダイム蔵相は,先週訪日し,日本政府,金融機関と円建借款返済について協議,と述べた。
DIA-206-1986-02-17-2マレーシア1986年02月17日1980年代ダイム蔵相,86年総理府「特別開発予算」を1億4000万リンギから3億8000万リンギに増額,と発表。
DIA-206-1986-02-18-1マレーシア1986年02月18日1980年代フィリピン情勢への対応―リタウディン外相は,(1)外務省は事態を注視し,(2)政府は選挙についてマルコス大統領に一切祝辞を送っていない,と述べた。
DIA-206-1986-02-18-2マレーシア1986年02月18日1980年代アブドゥラー教育相,大学・専門学校法の一部の条項を改正の意向,と語る。
DIA-206-1986-02-19-1マレーシア1986年02月19日1980年代全国ファトワ審議会,Umnoとの闘争を聖戦としたHadi PAS次席副委員長の説法はイスラムに反すると判定。24日Nakhaie同党宣伝部長は,象徴としてスルタンを戴く国家への忠誠は絶対的ではない,と反論。
DIA-206-1986-02-19-2マレーシア1986年02月19日1980年代シ裁判所,Pan El社と子会社26社の清算を命令。
DIA-206-1986-02-20-1マレーシア1986年02月20日1980年代MCA中央委員会,非華人の入党を認める規約改正案を撤回。
DIA-206-1986-02-22-1マレーシア1986年02月22日1980年代Petronas社,原油値下げを確認――長期契約分について2月1日に遡り4米ドル/バレル引下げ。代表油種 Tapis Blend の公式価格は23.90米ドル/バレルとなった。
DIA-206-1986-02-22-2マレーシア1986年02月22日1980年代ASEAN5ヵ国外相,比情勢につき共同声明―各国首都で同時発表。比の全当事者に平和的解決を要請。
DIA-206-1986-02-24-1マレーシア1986年02月24日1980年代サバ州議員4名PBSを離党―当初6名と報道。各党の州議会議席数はPBS30(指名6名を含む),Usno16,Berjaya3,無所属5となった。
DIA-206-1986-02-24-2マレーシア1986年02月24日1980年代マレーシア航空,本日のマニラ便をキャンセル。
DIA-206-1986-02-26-1マレーシア1986年02月26日1980年代パイリン・サバ州首相,州議会解散を発表(州元首の解散布告は24日付け)。
DIA-206-1986-02-26-2マレーシア1986年02月26日1980年代政府,アキノ・フィリピン新大統領に祝電。
DIA-206-1986-02-27-1マレーシア1986年02月27日1980年代ムサ,副首相兼内相とUmno副総裁辞職表明―ムサは小巡礼のため26日にメッカに出発,辞表が本日首相に届けられた。辞表のなかで,(1)首相の信頼喪失等5点を辞意の理由として挙げ,(2)3月16日付け辞任を希望した,と伝えられている。28日Umno最高会議で首相は出席者全員の意見を求め,同会議は,ムサとの話合いのためジョホール,パハン,ペラ,トレンガヌの各州首相を派遣することを全会一致で決定。首相は会議後,ムサとの対立を否定し,党員に平静を保つよう要請。
DIA-206-1986-02-27-2マレーシア1986年02月27日1980年代第137回統治者会議,マレーシアはイスラム国家であり,反政府活動で死ぬ者は殉教者ではなく逆賊であるとの判断を発表。
DIA-206-1986-02-27-3マレーシア1986年02月27日1980年代香港高裁,キャリアン事件の審理を開始。
DIA-206-1986-02-28-1マレーシア1986年02月28日1980年代SDP,新入党の Ahmad Nor 官公労組会議委員長を党首,楊宝山前保健省政務次官を情宣部長に任命。
DIA-206-1986-03-01-1マレーシア1986年03月01日1980年代石油製品値下げ―KLでは1リットル当りでプレミアム・ガソリンが111センから99センへ,レギュラー103センから92センへ,ディーゼル油58.4セン,から48.8センへ,灯油63.7センから58.9センへ,LPG1kg132センから121センへ等。
DIA-206-1986-03-02-1マレーシア1986年03月02日1980年代MCA臨時党大会―代議員3507名中2430名出席。(1)党首の党員除名権を廃棄,(2)党首が辞任の場合,副党首が自動昇格,(3)準党員制度創設,(4)支部選出の党大会代議員数に上限を設定,等の規約改正案を可決。
DIA-206-1986-03-02-2マレーシア1986年03月02日1980年代首相,MCAの覚書をもとに教育法第21条(2)の改正を考慮と声明(MCA建党37周年記念式典で)。
DIA-206-1986-03-03-1マレーシア1986年03月03日1980年代中国国貿促代表団,訪マ―4日一行と会談したラザレイ商工相は,両国間の直接貿易が拡大すれば輸入許可制度は不要になろう,と述べた。
DIA-206-1986-03-03-2マレーシア1986年03月03日1980年代ムダ地域の旱魃―MADA当局者によれば,4月まで降雨がなければ,今季は地域内農家のうち3万世帯が耕作不能になる見込み。
DIA-206-1986-03-03-3マレーシア1986年03月03日1980年代華人団体民権委員会,「国家文化政策」に反対―マレー文化を国の文化と同一視し,同化または半同化によって「国家文化」発展を図っている,との声明書発表。
DIA-206-1986-03-04-1マレーシア1986年03月04日1980年代Parti Cina Sabah,設立登記完了。
DIA-206-1986-03-04-2マレーシア1986年03月04日1980年代沈啓忠の死刑執行(85年「重要日誌」7月23日参照)。
DIA-206-1986-03-05-1マレーシア1986年03月05日1980年代国際すず理事会,救済計画で合意できず―タイ,インドネシアが反対。6日債権銀行団はITCとLMEに今後独自に行動と通告。LMELは12日から6250英ポンド/トンで清算を行ない,通常のすず取引は廃止。
DIA-206-1986-03-05-2マレーシア1986年03月05日1980年代ヘイドン豪外相,訪マ―6日首相と会談し,豪人麻薬犯2名の減刑嘆願を適正に検討するよう要請。
DIA-206-1986-03-06-1マレーシア1986年03月06日1980年代蔵相,GDP成長率予測下方修正―85年2.8%,86年約3%(85年10月発表では各5.2%,6.0%)。
DIA-206-1986-03-10-1マレーシア1986年03月10日1980年代第6国会第4会期開会―下院は3月11日~4月8日,上院は4月7日~18日。
DIA-206-1986-03-10-2マレーシア1986年03月10日1980年代クランタン州製材業協会によれば,過去2ヵ月間に内外からの受注が増加,一部企業はレイオフを解除。
DIA-206-1986-03-11-1マレーシア1986年03月11日1980年代BMF事件最終報告書を公表―①BMFとキャリアン集団は,マ政府の香港等での資産取得の利用を謀った。(2)BMFの融資総額は26億リンギでほとんどが回収不能,(3)ラザレイ商工相等の金銭受領につき,マ,香港当局に捜査を勧告。本日下院に提出された同報告書に関する白書は,事件の要因をブミプトラ銀行とBMFの幹部による不正行為と経営の誤りとし,マハティール首相をはじめ,報告書に名前の出た副首相,商工相等の事件関与否定の声明を所収。
DIA-206-1986-03-11-2マレーシア1986年03月11日1980年代ムマリ事件自書,下院に提出―Ibrahim Libyaが85年5月に,暴力による政府打倒を目指す「イスラム革命運動」を組織,家族やPAS副党首の自首説得を無視して警察との衝突に至った経過と背景を説明。
DIA-206-1986-03-11-3マレーシア1986年03月11日1980年代85年の解雇者数―李労相の下院答弁によれば,計4万3844人,うち製造業2万7598人(木材加工1万2705人,電子電機6638人,繊維衣料4816人),鉱業8768人等。
DIA-206-1986-03-12-1マレーシア1986年03月12日1980年代サバ州主要都市で爆破とデモ,相次ぐ―コタ・キナバル,サンダカン,タワウ等で18日までに少くとも25件の爆破(死者2名),数件の不審火があり,コタ・キナバルでは連日1000人の規模の反PBSデモ・集会があった。12日Usno,Berjaya両党は連邦政府介入を要請。マハティール首相は17日パイリン州首相と会談,(1)非常事態は布告しない,(2)政治解決が必要,と語った。
DIA-206-1986-03-12-2マレーシア1986年03月12日1980年代官公労組会議暫定委員長にA.Ragunathan就任。
DIA-206-1986-03-12-3マレーシア1986年03月12日1980年代Kassim Ahmad 前PSRM 党首,Umno入党を申請。
DIA-206-1986-03-13-1マレーシア1986年03月13日1980年代一部の産業用電力料金引下げ―繊維産業,還元鉄で20%,その他の製造業,鉱山,ホテルで10%。
DIA-206-1986-03-13-2マレーシア1986年03月13日1980年代Petronas社,原油値下げを確認―3月1日に遡り,6.80米ドル/バレル引下げ。Tapis 原油は17.10米ドル/バレルに。
DIA-206-1986-03-13-3マレーシア1986年03月13日1980年代ヴァドヴァ・ルーマニア外相,訪マ。
DIA-206-1986-03-14-1マレーシア1986年03月14日1980年代ムサ,辞表の一部を撤回―本目帰国したUmno最高会議代表団によれば,10,12日にロンドンでムサと会談,ムサは,副首相兼内相を辞任し,Umno副総裁には留任と回答。23日最高会議は副総裁留任を了承。
DIA-206-1986-03-17-1マレーシア1986年03月17日1980年代公的機密法修正への反対―全国ジャーナリスト連合は,旧法の公的機密の定義が不明なうえ,修正案では意図せざる違反にも懲役刑判決が義務付けられるとして撤回を要求。27日,法曹協会も反対を声明。
DIA-206-1986-03-19-1マレーシア1986年03月19日1980年代コタ・キナバルでデモ隊と警察が衝突―反PBSデモ参加者約2000名が警察の規制に対し,倉庫,自動車等に放火,州モスクを占拠したが,21日までに全員投降。23日再度デモ行進が試みられ,ハリス前州首相,Usnoの書記長,青年部長等が逮捕された。19日コタ・キナバル,プナンパン両郡に夜間外出禁止令が布かれた。
DIA-206-1986-03-21-1マレーシア1986年03月21日1980年代第5次マレーシア計画(1986~90年)下院上程―民間部門の役割拡大等による安定成長を提唱,主要目標をGDP年平均成長率5.0%,法人部門株式資本におけるブミプトラ(個人・信託機関)所有比率を85年17.8%から90年22.2%に拡大,等と設定。
DIA-206-1986-03-21-2マレーシア1986年03月21日1980年代KLすず市場,14日間連続で取引不成立―買控えによる。相場は前日の15.70リンギ/kgに対し再度取引が成立した5月14日には14.70リンギ/kgに下落した。
DIA-206-1986-03-21-3マレーシア1986年03月21日1980年代大農園に外国人労働者採用の中止を指示―李労相発表。24日に建設部門にも拡大され,両部門の既存の外国人労働者の労働許可書も更新されないこととなった。
DIA-206-1986-03-24-1マレーシア1986年03月24日1980年代首相,サバ州政情不安の打開案提示―コタ・キナバルで PBS,Usno,Berjaya の各党首と個別に会談ののち,(1)3党首は打開案を原則として受入れた,(2)週末にKLで最終案に調印の見通し,と発表(打開案の内容についてはノー・コメント)。
DIA-206-1986-03-24-2マレーシア1986年03月24日1980年代農村上水道建設事業で契約―受注者はマ・英合弁の Antah Biwater Sdn. Bhd.。2000年までに400万人に上水道供給。工費14億リンギ(うち英国の無償援助2億リンギ,借款4億4700万リンギ)。
DIA-206-1986-03-24-3マレーシア1986年03月24日1980年代モハマッド・ブルネイ外相,初の公式訪マ。
DIA-206-1986-03-26-1マレーシア1986年03月26日1980年代オンキリ総理府相,財政上の理由からOPECの20%減産要請に応じえない,と表明(下院答弁)。
DIA-206-1986-03-29-1マレーシア1986年03月29日1980年代サバ州3党取決め調印を延期―パイリン州首相はKLで,Berjaya と Usno による PBS 打倒謀略の証拠となる電話録音テープを入手したと語り,30日ガファールBN書記長にPBSの対案等を提出。
DIA-206-1986-03-31-1マレーシア1986年03月31日1980年代経済見通し―本日発表の中銀年報は86年GDP成長率を2~3.5%と予測。ダイム蔵相は,成長率は80年代末に上昇,第5次計画の目標は達成可能と語った。
DIA-206-1986-03-31-2マレーシア1986年03月31日1980年代中銀総裁,不法に預金を受入れている信用・リース会社を厳重に処分,と警告。
DIA-206-1986-03-31-3マレーシア1986年03月31日1980年代Petronas社の預金残高の推移―カリル総理府相の下院答弁によれば,80年26億1500万リンギ(国内預金が16.2%)に対し,86年2月末89億0700万リンギ(同上92.7%)。
DIA-206-1986-03-31-4マレーシア1986年03月31日1980年代公称員労働側,賃上げ問題で新提案―(1)政労委員会での交渉を即時再開し,賃金改訂案を作成,(2)同委員会は改訂案実施が不可能と判断すれば延期協定を結ぶ。
DIA-206-1986-03-31-5マレーシア1986年03月31日1980年代Bukit Tinggi副首都建設事業,無期延期と発表。
DIA-206-1986-04-01-1マレーシア1986年04月01日1980年代石油製品値下げ―KLでは1リットル当りでプレミアム・ガソリンが99センから95センへ,レギュラー92センから87センへ,ディーゼル油48.8センから45.7センへ,灯油58.9センから54.1センへ等。
DIA-206-1986-04-03-1マレーシア1986年04月03日1980年代選挙委員会,サバ州議会選挙日程を発表―立候補届出4月19日,投票5月5,6日。
DIA-206-1986-04-04-1マレーシア1986年04月04日1980年代中銀,外為市場に直接介入―銀行筋によれば,8日までに約2億米ドルを投入してリンギ買支えを試みた。
DIA-206-1986-04-04-2マレーシア1986年04月04日1980年代ペラ州華人諮問委員会(CCC)設立―目的はPASの政策・活動の紹介,華人社会の諸問題に関するPASへの助言(6日,楊寿賢副委員長談)。
DIA-206-1986-04-08-1マレーシア1986年04月08日1980年代公的機密法修正案の審議,次の会期。まで延期。
DIA-206-1986-04-09-1マレーシア1986年04月09日1980年代国民俄練最高会議,サバ州調停断念と決定―首相は,(1)同州の政治危機解決を州民に委ねる,(2)Us-no,Pasok,SCP,SCCP,PMの戦線加入申請を却下する,と発表。ガファール戦線書記長はこれまでの経過と,PBS,Usno,Berjaya3党による連合州政権樹立を骨子とする「打開案」の内容を説明。
DIA-206-1986-04-09-2マレーシア1986年04月09日1980年代公務員賃上げに関する閣議決定発表―(1)賃上げ要求に応ずる財政的余裕はない,(2)5月15日に官公労組会議と会談。15日,労組側は7月15日にスト決行,と声明。
DIA-206-1986-04-09-3マレーシア1986年04月09日1980年代首相,PAS指導者と会談―PASのユソフ党首,ファズィル副党首,イブラヒム財政部長,Umnoのアヌ,ワール青年部長が出席。会談の事実は24日に確認された。
DIA-206-1986-04-09-4マレーシア1986年04月09日1980年代Pata’86 KL で開催―4日間の太平洋観光博覧会に内外の202団体が参加。15~16日にPata(太平洋・アジア観光協会)年次会議開催。
DIA-206-1986-04-10-1マレーシア1986年04月10日1980年代一次産品価格下落の影響―サバルディン副蔵相の上院答弁によれば,3月14日現在の市況(パーム油495リンギ/トン,すず17.00リンギ/Wトン,原油17.10米ドル/バレル等)を基礎とすると,86年歳入は前年実績比10.1%減の見込み。
DIA-206-1986-04-10-2マレーシア1986年04月10日1980年代サバ領有権問題―ラウレル比副大統領は,マ・比両国は関係強化の方向で,話合いに動き始めていると語った。11日リタウディン外相はこの発言を歓迎。
DIA-206-1986-04-12-1マレーシア1986年04月12日1980年代首相,「リスケ要請発言―第2回ブミプトラ経済シンポジウム開会演説で,現在の景気低迷への対策のひとつは債権者へのリスケジュール要請であり,マレーシアは,あまり圧力をかけぬよう債権者に要請する,と述べた。この発言は国外で「リスケ要請」と報道されたが,首相は15日と24日に,マ政府がすべての借款を尊重し期日どおりに返済することを保証する,と声明。
DIA-206-1986-04-12-2マレーシア1986年04月12日1980年代ムサUmno副総裁,帰国。
DIA-206-1986-04-12-3マレーシア1986年04月12日1980年代Usno党大会―13日,現執行部を再選。
DIA-206-1986-04-15-1マレーシア1986年04月15日1980年代高裁,ムスタファUsno党首の申し立てを却下―パイリンの州首相任命を合法かつ有効と裁定。
DIA-206-1986-04-15-2マレーシア1986年04月15日1980年代Parti Murut Sabah,登記完了。
DIA-206-1986-04-15-3マレーシア1986年04月15日1980年代シ司法当局,譚永輝を背任教唆等で起訴。
DIA-206-1986-04-16-1マレーシア1986年04月16日1980年代ダイム蔵相,訪中―趙紫陽首相,王丙乾財政部長,陳慕華中国人民銀行総裁等と会談。24日帰国して,中国側は投資・貿易協定の早期調印を希望,と語った。
DIA-206-1986-04-16-2マレーシア1986年04月16日1980年代政府,米国のリビア爆撃を「侵略行為」と非難―Umno青年部,全国ムスリム学生連合等が17,18日に米国大使館に抗議デモ。
DIA-206-1986-04-18-1マレーシア1986年04月18日1980年代ムサの党活動―Umnoスガマット支部会議主宰後,問題が生ずる前にマハティール首相に行なった約束を守り,党と国民戦線の選挙運動に全力を投入,と語った。
DIA-206-1986-04-18-2マレーシア1986年04月18日1980年代大学卒業生の失業問題―教育省と公務委員会は,雇用機会のない大卒者100名以上を臨時教員に採用することで合意。大卒者中約4000名が失業中といわれる。
DIA-206-1986-04-18-3マレーシア1986年04月18日1980年代国会休会―第5次マレーシア計画のほか,86年補正予算(経常支出20億9900万リンギ,開発支出15億0800万リンギ), 投資促進法案,EPF法修正法案,選挙法修正法案,選挙(違反)修正法案など17法案が可決成立。
DIA-206-1986-04-19-1マレーシア1986年04月19日1980年代サバ州議会選挙立候補届出―Usnoのムスタファ党首,ヤヒヤ下院議員は不出馬。同党は20日,他の州内野党と選挙協力で了解を達成,と発表。
DIA-206-1986-04-19-2マレーシア1986年04月19日1980年代Dtk. Salleh, サラワク州議員を辞任,PBB離党。
DIA-206-1986-04-20-1マレーシア1986年04月20日1980年代DAPの総選挙目標―林書記長によれば,(1)国民戦線による下院議席の3分の2以上の支配打破,(2)このため同党の下院議席を40に拡大。
DIA-206-1986-04-21-1マレーシア1986年04月21日1980年代第5次計画目標の現実性―首相はKLでのセミナーの席上,一次産品価格の急落により,同計画の控え目な目標すら達成不可能になりそうだ,と述べた。
DIA-206-1986-04-22-1マレーシア1986年04月22日1980年代大連市経済代表団,訪マ。
DIA-206-1986-04-23-1マレーシア1986年04月23日1980年代Promet社,85年度決算報告―主に石油探査投資の償却,不動産評価損により9273万2000リンギの税引前損失を計上。取締役会は,(1)借入金3億2000万リンギの早期返済,(2)Abdullah,Ibrahim兄弟の役員退任後に急減したブミプトラ資本参加率の回復,を図る方針。
DIA-206-1986-04-23-2マレーシア1986年04月23日1980年代KL・スランゴール中華工商総会,IMP覚書提出―IMP実施に際し,工業部門規制の緩和,新経済政策の実施面での行き過ぎ是非,官民協議の拡大等を要請。
DIA-206-1986-04-23-3マレーシア1986年04月23日1980年代天津市技術代表団,クランタン州におけるパルプ・板紙製造で合弁企業設立を検討中,と発表。
DIA-206-1986-04-24-1マレーシア1986年04月24日1980年代マ・日,日・マ経済協議会,合同会議開催―マハティール首相は,(1)日本の市場開放行動計画ではマ製品輸出への関税障壁は除去されていない,(2)先進国協調で,日本はその他の諸国に配慮していない,と指摘。
DIA-206-1986-04-24-2マレーシア1986年04月24日1980年代シ地区裁判所,陳郡川の審理開始を8月4日に延期。
DIA-206-1986-04-25-1マレーシア1986年04月25日1980年代円建債秘の構成比―国内金融筋によれば,85年末の対外債務残高402億リンギのうち17%。
DIA-206-1986-04-25-2マレーシア1986年04月25日1980年代Usho,ムスタファ党首の辞任を発表―世代交替のためという。党首代理にDtk.Hj.Sakaran就任。
DIA-206-1986-04-25-3マレーシア1986年04月25日1980年代原油価格引下げ―長期契約者筋によれば,Petronas社はこのほど4月1日に遡り3.30~3.60米ドル/バレル値下げ。代表油種Tapis原油の新価格は13.50米ドル/バレル。
DIA-206-1986-04-26-1マレーシア1986年04月26日1980年代国内のマ共ゲリラ―ラジ副内相によれば,(1)81年4月~同年末に第9武装工作隊の43名が投降,(2)半島部の現在のゲリラは計206名。
DIA-206-1986-04-27-1マレーシア1986年04月27日1980年代シャム湾ガス資源共同開発問題―オンキリ総理府相によれば,マ・タイ両国は共同開発取決め調印を先月に予定していたが,対象地域のタイ側に鉱区を持つ米系石油会社2社の反対により頓座している。
DIA-206-1986-04-28-1マレーシア1986年04月28日1980年代石油探査事業―Petronas社はサラワク沖油田開発で出光石油開発ほか2社と趣意書に調印。Petroas社は86年末までに全国で23本の試掘井掘削を計画。
DIA-206-1986-04-28-2マレーシア1986年04月28日1980年代Tinex Corporation Bhd.設立―取締役会長に陳必賜全マラヤ鉱業協会会長を選任。授権資本1000万リンギ。すず鉱山から需要家への直接販売を目指す。
DIA-206-1986-04-30-1マレーシア1986年04月30日1980年代AWSJ紙,ダイム蔵相のUMBC取得に疑問―蔵相一家の持株会社によるUMBC株40.7%の取得手続きは,ダイムの蔵相就任後に完了し,同50.38%への買増しは,個人または一族会社による銀行株式の10%以上の所得を禁止した改正銀行法施行の直前になされた等を明らかにし,認可手続き(上記取引は蔵相の認可事項)に問題があり,公私の利害衝突の可能性があると指摘した記事を掲載。
DIA-206-1986-04-30-2マレーシア1986年04月30日1980年代リタウディン外相,シュルツ米国務長官と会談―難民問題,麻薬問題,対マ投資拡大で米政府に協力要請。
DIA-206-1986-05-01-1マレーシア1986年05月01日1980年代総選挙の目標―首相はクダ州での集会で,強力な政府が必要であり国民戦線は3分の2以下の議席数に甘んじることはできない,と語った。
DIA-206-1986-05-01-2マレーシア1986年05月01日1980年代MCAの課題と役割―林良実副党首によれば,党と国民戦線への信認の回復が課題であり,同戦線内の野党的存在として経済計画の脱種族化を要求する。
DIA-206-1986-05-02-1マレーシア1986年05月02日1980年代首相,ラウレル比副大統領と会談―同副大統領は4日マニラで,サバ領有権問題を可及的速かに解決することで合意した,と述べた。
DIA-206-1986-05-02-2マレーシア1986年05月02日1980年代ダイム蔵相,マニラでアキノ比大統領と会談―マレーシアの閣僚の同大統領との会談はこれが初めて。
DIA-206-1986-05-02-3マレーシア1986年05月02日1980年代ナソシー米大統領夫人,訪マ―約60名が反対デモ。
DIA-206-1986-05-02-4マレーシア1986年05月02日1980年代電子産業に回復の兆候―New Straits Times紙によれば,(1)国内の米系社のB-Bレイシオは2月に1.1:1に回復,(2)米系,日系企業の投資が回復,(3)ペナン等でレイ・オフから雇用拡大への反転が始まった等。
DIA-206-1986-05-04-1マレーシア1986年05月04日1980年代大企業の役員報酬・上級職員俸給カット―Sime Darby社が役員報酬の10%削減を発表。5月末までにMalayan Banking,PNB集団が2.5~10%削減。
DIA-206-1986-05-04-2マレーシア1986年05月04日1980年代PAS,このほどサバ,サラワクに支部設置と発表。
DIA-206-1986-05-04-3マレーシア1986年05月04日1980年代Umno最高会議,Kassim Ahmad の入党を認可。
DIA-206-1986-05-04-4マレーシア1986年05月04日1980年代陳党首ほかMCA幹部全国遊説開始。
DIA-206-1986-05-05-1マレーシア1986年05月05日1980年代サバ州議会選挙投票日―5,6日。PBS34人,Usno12人,Berjaya,SCCP各1人が当選。7日,パイリンPBS党首が州首相に就任。12日パイリン州首相は,州内閣をカダザン,ムルット等5人,ムスリム4人,華人3人で構成との公約を守るため,連邦憲法附則第8条の改正に努める,と声明。
DIA-206-1986-05-05-2マレーシア1986年05月05日1980年代南々会議,KLて開催―ランパル英連邦事務総長,呉作棟シ第1副首相など35ヵ国から約120人が個人の資格で出席。8日「南側委員会」設立準備グループ結成を決め,マハティール首相を議長に選出。
DIA-206-1986-05-05-3マレーシア1986年05月05日1980年代陳群川,華人社会のPAS接近に警告―「月の光は華人を照らすことはなく,凶兆となるのみ」と述べた。
DIA-206-1986-05-05-4マレーシア1986年05月05日1980年代繊維・衣料産業,同夜の兆候―ペナン州の数工場がすでに本年末までの生産量を受注したといわれる。
DIA-206-1986-05-07-1マレーシア1986年05月07日1980年代内閣小幅改造,発表―首相が内相を兼任,副首相兼国家・農村開発相にガファール,教育相にアヌワール,国防相にアブドゥラー,農相にサヌシをそれぞれ任命(5月10日就任。「参考資料」参照)。
DIA-206-1986-05-07-2マレーシア1986年05月07日1980年代PBB離党者,相次ぐ―本日と14日に州議員各1名,13日に最高会議会員1名と前執行書記が離党。
DIA-206-1986-05-08-1マレーシア1986年05月08日1980年代陳慕華中国人民銀行総裁,訪マ―ジャファール中銀総裁は会談の席上,為替直接取引の可及的速かな実現を希望と表明,9日ダイム蔵相は,中国人民銀行がマレーシア内に代理銀行を指定するよう提案。
DIA-206-1986-05-10-1マレーシア1986年05月10日1980年代MCA,新村開発マスタープラン作成中と発表―陳党首によれば,2000年までに全国450の新村を軽工業を内包するサブアーバン地区,または医療・余暇施設を備えた住宅団地に開発する計画。
DIA-206-1986-05-12-1マレーシア1986年05月12日1980年代ABIMの前事務局長,Umnoに入党。
DIA-206-1986-05-14-1マレーシア1986年05月14日1980年代4月30日付けAWSJ紙報道への反論―中銀は,UMBC株取引は内閣が認可と声明。21日付け New Straits Times紙は,国内のダイム蔵相の政敵とAWSJ紙およびイスラエルの共謀を示唆する論評を掲載,22日マハティール首相は「マ政府,自分,ダイム氏に対する意図的な攻撃」であり,虚偽である,と反論。
DIA-206-1986-05-14-2マレーシア1986年05月14日1980年代Malaysia Mining Corp。社,本社職員122名解雇。
DIA-206-1986-05-15-1マレーシア1986年05月15日1980年代ナジブ・パハン州首相,保安部隊が5月10日にLanchang 付近で共産ゲリラ4名を射殺,と発表。
DIA-206-1986-05-15-2マレーシア1986年05月15日1980年代政府,公務員賃上げ問題で8項目の提案―公官労組会議,全国合同協議会労働側4団体の代表との会談で提案。両者は作業委員会の設置で合意。
DIA-206-1986-05-17-1マレーシア1986年05月17日1980年代日本製品の値上げ―New Straits Times紙によれば,過去2,3ヵ月間に30~35%値上りしており, 自動車も組立て会社全社が値上げを申請中。
DIA-206-1986-05-17-2マレーシア1986年05月17日1980年代サラワクで新党結成の動き―消息筋によれば,最近離党したPBB前幹部が中心となってUnited Sarawak Native Associationの設立登記を申請中。
DIA-206-1986-05-17-3マレーシア1986年05月17日1980年代Jinggut下院議員,PBDSを離党,28日SNAPに復党。
DIA-206-1986-05-18-1マレーシア1986年05月18日1980年代新村の暫定土地保有証(TOL)の期間を延長―ガファール副首相は,現行TOLの有効期間30年が満了の場合,さらに60年間の延長を全州政府に要請することを考慮中,と発表。
DIA-206-1986-05-18-2マレーシア1986年05月18日1980年代サバ州でUmno支部設立要請運動活発化―25日ガファール副首相は,当面は支部設立の意図なしと声明。
DIA-206-1986-05-19-1マレーシア1986年05月19日1980年代Usno州議員2名,PBS入党。
DIA-206-1986-05-20-1マレーシア1986年05月20日1980年代サバ州憲法修正―(1)州議会議員は辞職し補欠選挙を行なうことなく所属政党を変えられない,(2)州副大臣の定員を現行の9名から12名に増やす。
DIA-206-1986-05-20-2マレーシア1986年05月20日1980年代原油減産問題―内閣は,OPECが1600万バレル/日への減産に合意すれば,マレーシアは10%減産,と声明。
DIA-206-1986-05-22-1マレーシア1986年05月22日1980年代陳群川,MPHB社資金流用の噂について釈明―(1)同社役員会は85年9~11月に海運事業撤退とホテル・チェーン作りへの進出を決め,Pan El社に2300万リンギを投資して失敗,(2)陳が責任を取り2300万リンギをMPHB社に弁済。
DIA-206-1986-05-22-2マレーシア1986年05月22日1980年代教育法第21条(2)修正問題―陳党首は,(1)政府が修正の約束を履行しなければ,MCAは国民戦線を脱退,(2)国会上程が間に合わぬ場合,国民戦線の選挙綱領に修正する旨が謳われよう,と語った。
DIA-206-1986-05-27-1マレーシア1986年05月27日1980年代GRM,独自立候補の可能性示唆―林敬益党首は,同党が国民戦線内で公平な議席配分を得られなければ,総選挙で独自に候補者を立てる,と述べた。30日,国民戦線脱退の意図は否定。
DIA-206-1986-05-27-2マレーシア1986年05月27日1980年代英国下級裁,LorrainとDtk.Hashimの香港司法当局への引渡しについて審理開始。
DIA-206-1986-05-28-1マレーシア1986年05月28日1980年代梁第一次産業相,インドネシア訪問―スハルト大統領,スブロト鉱山・エネルギー相等と会談した。 6月1日,両国はすず生産国連合強化のため,10月の同連合閣僚会議に中国,ブラジルを招請することに合意した,と発表。
DIA-206-1986-05-30-1マレーシア1986年05月30日1980年代原油値下げ―5月1日に遡り,0.95~1米ドル/を値下げ。Tapis原油の新価格は12.50米ドル/バレル。
DIA-206-1986-05-30-2マレーシア1986年05月30日1980年代Dtk.Ahmad Kamil Jaafar 新駐日大使,信任状を提出。
DIA-206-1986-06-01-1マレーシア1986年06月01日1980年代北カリマンタン共産党ゲリラ―ハニフ警察長官によれば,(1)このほど同党第一局の14名を逮捕,3名が投降,(2)州内の残存ゲリラは47名。
DIA-206-1986-06-01-2マレーシア1986年06月01日1980年代会計検査院総裁にDtk.Ishak Tadin任命。
DIA-206-1986-06-01-3マレーシア1986年06月01日1980年代株式発行委員会委員長にジャファール中銀総裁任命。
DIA-206-1986-06-01-4マレーシア1986年06月01日1980年代石油製品値下げ―KLで1リットル当りレギュラー・ガソリンが87センから86センへ,灯油が54.1センから52.5センへ。
DIA-206-1986-06-04-1マレーシア1986年06月04日1980年代教育法第21条(2)修正問題―アヌワール教育相は,(1)母語小学校にその将来を決めさせる方向で修正,(2)教育相の権限は縮小しない,との見解を表明。8日,華文小学校教員協会連合は同条項の廃棄を要求。
DIA-206-1986-06-04-2マレーシア1986年06月04日1980年代華人諮問委員会(CCC)への支持―張森興漢社社長は,CCC支持によりUmnoを牽制し,華人の民族自救運動を推進するよう呼びかけた。
DIA-206-1986-06-04-3マレーシア1986年06月04日1980年代ムマリ事件の拘留者36人を釈放。
DIA-206-1986-06-05-1マレーシア1986年06月05日1980年代国民戦線最高会議開催―首相は会議後,(1)PBSの加盟,Usnoの復帰を承認,(2)林敬益GRM党首が戦線脱退の意向否定など同党の立場を説明,と発表。
DIA-206-1986-06-05-2マレーシア1986年06月05日1980年代Guthrie株をロンドン証券取引所に再上場,と発表―PNBはG社の3000万株(うち1130万株は新規発行)を1株150ペンスでオファー。
DIA-206-1986-06-05-3マレーシア1986年06月05日1980年代サリモフ・ソ連最高会議常任幹部会副議長,訪マ。
DIA-206-1986-06-06-1マレーシア1986年06月06日1980年代公務員賃金問題共同宣言に調印―(1)政府は5年毎に賃金を改訂するという原則を認め,(2)Dグループ中のD1に25リンギ,D2~D47に15リンギの賃上げを6月1日から実施,(3)今後四半期毎に政府財政を見直し,A,B,Cグループの賃金改訂の可能性を検討,など8項目の合意を謳う。法定機関職員も18日に上記合意を了承。
DIA-206-1986-06-06-2マレーシア1986年06月06日1980年代MPHB社,法人部門で最大の損失計上―85年度決算報告によれば,税引後損失1億9199万リンギ。30日の株主総会で李三春会長は,(1)損失は主に海運事業撤退と不良債権償却による,(2)借入れ金削減,組織再編を計画中,(3)陳群川救済のため子会社の資金を利用しない,と表明。
DIA-206-1986-06-06-3マレーシア1986年06月06日1980年代DAPの野党連合論―陳慶佳組織書記は,(1)同党はPAS,PSRMとの取決めを目指したのに対し,PASは華人社会の一部にミスリードされてCCCを設立,都市部進出を試みている,(2)SDP,NASMA,WPとの連合は烏合の集りにしかならない,と語った。
DIA-206-1986-06-10-1マレーシア1986年06月10日1980年代DAP,選挙条例修正に抗議―選挙運動期間が,国会・州議会解散後少なくとも11日間(従来21日間)になり,政策批判の時間を野党から奪った,と抗議。
DIA-206-1986-06-13-1マレーシア1986年06月13日1980年代首相,英連邦と国際社会に南ア経済制裁を要請。
DIA-206-1986-06-14-1マレーシア1986年06月14日1980年代GRM党大会―15日,(1)党の役割拡大のため断固たる措置決定の権限を指導部に認める,(2)中央委員会が公平で公正な議席配分実現のため必要な行動をとることを認める,等11項目を決議。
DIA-206-1986-06-14-2マレーシア1986年06月14日1980年代マ銀行協会,資金繰りで困難に陥っている企業に対しプラグマティックに対処,と決定。
DIA-206-1986-06-15-1マレーシア1986年06月15日1980年代新経済政策延長問題―ガファール副首相は,同政策を90年以後も延長実施するか否かについては,国民戦線加入政党の見解を得たのち決める,と声明。
DIA-206-1986-06-17-1マレーシア1986年06月17日1980年代梁第一次産業相,すず鉱山救済のため低利融資計画を策定中,と発表。
DIA-206-1986-06-18-1マレーシア1986年06月18日1980年代サラワクて州首相が前州元首を非難―権力欲が強く,引退したにもかかわらず政治に介入し,USNA結成の黒幕になっている,と名指しで非難。
DIA-206-1986-06-18-2マレーシア1986年06月18日1980年代KLTM,機能拡充へ―すず産業界と国際的ディーラーの代表は,(1)7月から他国産の地金も取引き,(2)転売取引きを認める,(3)先物取引き導入,等の案を承認。
DIA-206-1986-06-19-1マレーシア1986年06月19日1980年代‘Hadis:Satu Penilaian Semula’論争―ユソフ副総理府相は,同書はイスラムの教えに反するとの見解を発表。著者Kassim Ahmadは28日,ABIMとの討論会で疑わしい資料に依拠したと批判され,7月7日に内務省は同書を禁書に指定した。
DIA-206-1986-06-19-2マレーシア1986年06月19日1980年代政府,新鉄道システム・プロジェクト廃棄と決定。
DIA-206-1986-06-20-1マレーシア1986年06月20日1980年代中銀総裁,景気底入れの兆候を指摘―(1)電子・繊維・木材加工の受注増加,(2)株式市場への信認回復,(3)ゴム,パーム油市況が過去2ヵ月安定,等。
DIA-206-1986-06-20-2マレーシア1986年06月20日1980年代中小企業育成ステップ・ローン,条件変更へ―(1)融資対象に非ブミプトラを含める,(2)実施期間を約3年延長する,の2点の変更を近く世銀に要請,と発表。
DIA-206-1986-06-20-3マレーシア1986年06月20日1980年代大卒失業者対策発表―政府各省庁・機関が来月から計2000人に,主に農村部で臨時雇用を提供する。
DIA-206-1986-06-20-4マレーシア1986年06月20日1980年代2大〈政党連合〉論―華文小学校理事者協会連合は,二つの政党連合間で政権交替が行なわれる制度の実現など,華人団体民権委員会の運動に積極的に参加,と声明。
DIA-206-1986-06-21-1マレーシア1986年06月21日1980年代ペナン恩赦委員会,豪州人2名の減刑申請却下―2名は83年11月ヘロイン所持でペナンで逮捕,85年12月最高裁で死刑確定。23日ホーク豪首相は,マ政府に強く抗議しており,あらゆる手段を尽したと語った。マハティール首相は26日,麻薬取締法について釈明するつもりは一切ないとの談話を発表。2名は7月7日処刑。
DIA-206-1986-06-23-1マレーシア1986年06月23日1980年代第19回ASEAN外相会議,マニラで開催―リタウディン外相は,(1)東京サミットは先進国の問題だけを討議,(2)円高により債務返済負担が増加,等と指摘。さらに25日,安倍外相と会談,円高に苦しむ日本企業のASEAN地域への再配置を要請した。
DIA-206-1986-06-23-2マレーシア1986年06月23日1980年代アプドゥラー国防相,第一線戦闘機を現在のF-5Eから他機種に今すぐ変更する計画はない,と言明。
DIA-206-1986-06-24-1マレーシア1986年06月24日1980年代政府所有企業と法定機関の役員報酬を10%削減。
DIA-206-1986-06-25-1マレーシア1986年06月25日1980年代内閣投資委員会,設立―目的は外資投資促進のための自由化の検討。副首相,蔵相,商工相,公企相,第いち次産業相,エネルギー・通信・郵政相で構成。
DIA-206-1986-06-25-2マレーシア1986年06月25日1980年代アジズ・ブルネイ教育・保健相,訪マ。
DIA-206-1986-06-26-1マレーシア1986年06月26日1980年代Al-Arqam副指導者,同組織を脱退―一部指導者の過激な傾向を批判。27日総理府宗務局の担当官は,Tariqat Muhammadiah Assuhalmiah は79年ファトワでイスラムに反すると判定されており,宗務局は過去2ヵ月Al-Arqamの活動を監視,と語った。
DIA-206-1986-06-27-1マレーシア1986年06月27日1980年代マ・タイ両国外相,経済協力促進のための合同閣僚委員会設置で原則として合意。
DIA-206-1986-06-28-1マレーシア1986年06月28日1980年代母語小・中学校の地代を免除(副首相発表)。
DIA-206-1986-06-29-1マレーシア1986年06月29日1980年代Umno ラブアン連邦領支部,正式発足。
DIA-206-1986-06-29-2マレーシア1986年06月29日1980年代新経済政策延長問題―陳MCA党首は同党の政治集会で,新経済政策が華人社会の不満の根源であるなら,MCAはその延長に絶対同意しない,と言明。
DIA-206-1986-06-30-1マレーシア1986年06月30日1980年代信用管理協同相合(KKK),発足―会員協同組合の預金受入れ・運用業務を調整・監督し,会員協組に貸付けも行なう。理事会は政府4人,民間6人で構成。
DIA-206-1986-06-30-2マレーシア1986年06月30日1980年代零細ゴム園植替えに年6000万リンギ追加支出,と発表。
DIA-206-1986-07-01-1マレーシア1986年07月01日1980年代被雇用者退職基金,株式投資で大損の噂に回答―(1)86年5日末の帳簿上の損失は1億4100万リンギ,(2)EPFが取得株式の一部を原価+手数料で転売したMakuwasa Securities社は,政府の完全所有企業,など。
DIA-206-1986-07-01-2マレーシア1986年07月01日1980年代サラワク州議会Oya区補欠選挙―6月30日,7月1日に投票。PBB4215票,無所属2460票。
DIA-206-1986-07-03-1マレーシア1986年07月03日1980年代Proton Saga車,値上げ発表―半島部の新価格は1300ccで2万1136.19リンギ,引上幅11.4%。
DIA-206-1986-07-04-1マレーシア1986年07月04日1980年代中国貿易代表団,訪マ―7月12~17日にKLで開催の国際見本市に参加。総勢104人。
DIA-206-1986-07-05-1マレーシア1986年07月05日1980年代フセイン前首相,国民は政府の態度が傲慢と批判しており,政府は信任の危機に直面,と警告。
DIA-206-1986-07-06-1マレーシア1986年07月06日1980年代不法入国インドネシア人の取締り強化―李労相によれば,政府はこのほど本人の国外退去のほか,使用者の起訴等の措置を決定。
DIA-206-1986-07-07-1マレーシア1986年07月07日1980年代2大戦線論―華人団体民権委員会の張正修議長は,野党連合戦線の結成による2大「政党連合」制度は民主主義の発展に寄与,との見解を表明。
DIA-206-1986-07-07-2マレーシア1986年07月07日1980年代MOIC社,株主総会で清算を決定―負債総額1億4260万リンギ。
DIA-206-1986-07-07-3マレーシア1986年07月07日1980年代中国ゴム貿易代表団,訪マ。
DIA-206-1986-07-09-1マレーシア1986年07月09日1980年代DAPの野党連合戦線加入条件―林書記長によれば,PASが,(1)イスラム国家建設,(2)ムスリムが戦線の指導権を持つ,の2点の前提条件を撤回すること。
DIA-206-1986-07-09-2マレーシア1986年07月09日1980年代リンギ売り急増―9日,10日の両日にわたり中銀が買い出動して安定。
DIA-206-1986-07-11-1マレーシア1986年07月11日1980年代野党連合取決め草案作成―PAS,SDP,PSRM,NASMA4党の代表は,(1)「人民の正義」運動(HAK)と称する連合を結成,12)国民戦線の権力集中,乱用と闘う等を謳った「宣言」草案に同意と発表。
DIA-206-1986-07-11-2マレーシア1986年07月11日1980年代Syed Hamid,Umno青年部長選挙に立候補と発表。
DIA-206-1986-07-14-1マレーシア1986年07月14日1980年代4野党,HAK結成に至らず―PAS,SDP,PSRM,NASMAは,PASのイスラム国家建設の理想を認識し,同時に各党の政治的自主権を尊重する旨の選挙協約に調印。華人団体民権委員会等6団体が立ち会い。
DIA-206-1986-07-14-2マレーシア1986年07月14日1980年代DAPのサバ州への取組み―(1)3月騒乱の責任者の厳重処罰,(2)ラブアン島の帰属に関する全島民投票,(3)州の石油税収増加等5項目を選挙綱領に含めると発表。
DIA-206-1986-07-14-3マレーシア1986年07月14日1980年代中銀,低コスト住宅融資の新ガイドライン発表―(1)2世代ローン導入,(2)最長返済期間を従来の25年から30年に延長,(3)EPF非加入者にも100%まで融資等。
DIA-206-1986-07-15-1マレーシア1986年07月15日1980年代ガファール副首相,インドネシア訪問―16日,移民労働者削減をイ政府に要請する,と語った。
DIA-206-1986-07-15-2マレーシア1986年07月15日1980年代零細販売業者への特別融資事業開始―運転資金と設備購入に1件500~2000リンギ,年利4%,最長3年で返済。指定銀行に常時50リンギの預金残高維持が条件。
DIA-206-1986-07-16-1マレーシア1986年07月16日1980年代内閣,英連邦競技会ボイコットを決定。
DIA-206-1986-07-17-1マレーシア1986年07月17日1980年代ムルダニ・インドネシア国軍最高司令官,訪マ。
DIA-206-1986-07-18-1マレーシア1986年07月18日1980年代連邦下院と半島部11州議会を19日に解散と発表―国民戦線最高会議後,マハティール首相発表。同会議は,(1)総選挙スローガンに「国民の伝統的な擁護者」(Trasisi Membela Rakyat)を採用,(2)Hamimの同戦線加入を承認,等を決定。
DIA-206-1986-07-20-1マレーシア1986年07月20日1980年代Berjaya,国民戦線を脱退。
DIA-206-1986-07-20-2マレーシア1986年07月20日1980年代DAP選挙綱領発表―国民戦線による3分の2以上の議席支配の打破を謳い,(1)抑圧的法令の破棄,(2)ブミプトラ・非ブミプトラの分類廃止,(3)1990年に新経済政策と種族別割当制を廃止,等20項目から成る。
DIA-206-1986-07-20-3マレーシア1986年07月20日1980年代GRM,林蒼佑ペナン州首相の立候補を発表。
DIA-206-1986-07-22-1マレーシア1986年07月22日1980年代Berjasa,総選挙不参加と声明―国民戦線がHamimの加入を承認したことに抗議。
DIA-206-1986-07-22-2マレーシア1986年07月22日1980年代PAS選挙綱領―(1)イスラムと人権尊重を基礎とする政府の樹立,(2)イスラムの国教としての地位を確保,同時に信教の自由を保証,(3)国民の利益を重視した経済政策の実施,(4)中立外交推進など12項目を公約。
DIA-206-1986-07-22-3マレーシア1986年07月22日1980年代梁第一次産業相,すず鉱山救済策を発表―(1)総額7000万リンギを,年利6%で12ヵ月間融資,(2)電力料金の15%引下げ。
DIA-206-1986-07-23-1マレーシア1986年07月23日1980年代MCA,総選挙政治三曹を発表―「新MCA:正義,公平,進歩のための闘い」をテーマとし,85年11月の新執行部成立以来の業績を列挙。
DIA-206-1986-07-23-2マレーシア1986年07月23日1980年代中銀,青年団結運動協同組合を強制捜査―協同組合登録官の許可なく預金を受入れた容疑。預金受入れ業務の中止を指示し,鄭前会長ほか役員5名の資産を凍結。
DIA-206-1986-07-24-1マレーシア1986年07月24日1980年代立候補届出日―国民戦線は下院6区,州議会8区で無競争当選。
DIA-206-1986-07-25-1マレーシア1986年07月25日1980年代国民戦線選挙綱領―(1)華語・タミール語小学校の現在の性格を維持,(2)貧困との闘いを90年以後も続けるが,90年以降の計画は国民各層の意見を徴したのち決定,(3)軽工業を拡大し,適当な時期に重工業を開発,など13項目から成る。
DIA-206-1986-07-25-2マレーシア1986年07月25日1980年代華語小学校理事会協会連合会総務,林吉祥非難―林DAP書記長が同連合会の後援する許子根GRM次席副党首と同―の下院選挙区に立ったため。31日,ペナン中華総商会など同州の華人21団体が許子根支持を声明。
DIA-206-1986-07-27-1マレーシア1986年07月27日1980年代原油価格,このほど引下げ―Tapisブレンドで12.85米ドル/bから10.50米ドルへ。7月1日実施。
DIA-206-1986-07-29-1マレーシア1986年07月29日1980年代イポーで乱闘事件―GRM支持の華語教育運動の会合にDAPの候補者・支持者が乱入。31日,林DAP書記長は,華人社会に謝罪と声明。
DIA-206-1986-07-29-2マレーシア1986年07月29日1980年代陳MCA党首,株先物契約の一部の処理につき,シンガポールの株式仲買5社とこのほど合意。
DIA-206-1986-07-31-1マレーシア1986年07月31日1980年代MAS,KL-ロサンジェルス線に就航。
DIA-206-1986-08-01-1マレーシア1986年08月01日1980年代ガファール副首相,政府は全国土地法を修正し,外国人の農地所有,耕作の認可を検討中,と表明。
DIA-206-1986-08-02-1マレーシア1986年08月02日1980年代総選挙投票日―サバ,サラワクの一部では3日まで。4日には国民戦線が下院議席の84.2%,11州議会議席の85.2%を獲得と判明。マハティール首相は,(1)国民は政権の安定を選好,(2)クランタン州の一部でも勝利を収め,少々驚いた,と述べ,陳MCA党首は,都市部での困難は予想していたし一時的後退と語り,林DAP書記長は,林蒼佑のペナン州首相留任を希望と表明。NakhaiePAS次席副党首はマミコミを非難(「参考資料」参照)。
DIA-206-1986-08-06-1マレーシア1986年08月06日1980年代ペナン州首相問題―アブドウラーUmno次席副総裁は,同州与党第1党のUmnoからの任命を要求。 しかし13日,林蒼佑GRM顧問が就任(5期連続)。
DIA-206-1986-08-06-2マレーシア1986年08月06日1980年代原油減産問題―Petronas社のMohar会長は,OPEC支持のため10%減産と発表。しかし18日,価格が実際に上昇する場合にのみ減産実施と修正。9月24日に至り閣議で10%減産の即時実施が決定された。
DIA-206-1986-08-08-1マレーシア1986年08月08日1980年代中銀,23の預金受入れ協同組合に営業停止指示―86年緊急(預金者保護)規定を発動。財務・資金の流れ,貸出内容,不法行為の有無の調査が目的。併せて23協組の役員84名(陳群川,紀永輝などMCA幹部,Zainal MTUC 委員長を含む)の資産を凍結,旅券押収。
DIA-206-1986-08-09-1マレーシア1986年08月09日1980年代「南側委員会」準備グループ,初会合。
DIA-206-1986-08-11-1マレーシア1986年08月11日1980年代第3次マハティール内閣発足―大臣では旧内閣の5名が退き,新人4名(前州首相3名)が入閣。マハティール首相は,(1)大きな政策上の変更はない,(2)内閣の構成も基本的に変更していない,(3)住宅・地方政府相は当面ガファール副首相が兼任,等と語った。
DIA-206-1986-08-14-1マレーシア1986年08月14日1980年代陳群川,シンガポールの下級裁で背任教唆1件について有罪の答弁(審理は高裁に移された)。
DIA-206-1986-08-15-1マレーシア1986年08月15日1980年代DAPの立場―林書記長によれば,種族分極化,信任の危機のような重大問題解決で政府に協力するが,原則で妥協したり,国民戦線加入を望んだりしない。
DIA-206-1986-08-16-1マレーシア1986年08月16日1980年代首相,外国人ジャーナリストに警告―一部の者がユダヤ人所有の出版物に関わりシオニストの手先となり,国民の感情を煽る歪曲された記事を執筆,と指摘。
DIA-206-1986-08-16-2マレーシア1986年08月16日1980年代中国軽工業貿易代表団,訪マ。
DIA-206-1986-08-17-1マレーシア1986年08月17日1980年代MCAの総選挙総括―同党調査部によれば,都市部での不振の要因は,経済低迷,新経済政策の一部の実施方法への不満,20ヵ月に及んだ党の危機の3点。
DIA-206-1986-08-17-2マレーシア1986年08月17日1980年代PAS,このほどクランタン,トレンガヌ,クダ3州の指導者会議で報道機関のボイコットを決定。
DIA-206-1986-08-18-1マレーシア1986年08月18日1980年代預金受入れ協組23組合の問題―ジャファール中銀総裁は,(1)調査には約1ヵ月を要しよう,(2)23協組への信用供与を検討中,と語った。またアジズ全国協組連合会長(マラヤ大副学長)は,全ての協同組合を監督・支援する「中央銀行」の設立を提案。20日,預金受入れ協組協会は,(1)5億リンギの救済基金創設,(2)信用管理協同組合(KKK)の機能拡充を要請。
DIA-206-1986-08-19-1マレーシア1986年08月19日1980年代Abdullah Ang,シンガポールで逮捕―華名洪瑞江,元MDIC社長。21日KLに送還,27日にMOIC社資金33万8808リンギに関する背任容疑で起訴。
DIA-206-1986-08-22-1マレーシア1986年08月22日1980年代原油価格引上げ―メジャー各社はこのほど顧客に,Tapisブレンドを9.00米ドル/bから13.50米ドルに引上げ,8月15日に遡って実施と通告。
DIA-206-1986-08-22-2マレーシア1986年08月22日1980年代シアヌーク民主カンボジア大統領,訪マ(5日間)。
DIA-206-1986-08-23-1マレーシア1986年08月23日1980年代李光耀シンガポール首相,訪マ―マハティール首相と会談後,(1)水道,天然ガスの対シ供給,マラヤ鉄道民営化について協議,(2)マハティール首相はもうひとつ問題を提起したが,即答できなかった,と語った。
DIA-206-1986-08-23-2マレーシア1986年08月23日1980年代PBS党大会,ラブアン島の帰属で州民投票を要求―30日パイリン州首相は,州政府はこの問題につき公式の立場を決めるに至っていない,と語った。
DIA-206-1986-08-23-3マレーシア1986年08月23日1980年代華語小学校理事会協会,特定政党との関係を否定。
DIA-206-1986-08-25-1マレーシア1986年08月25日1980年代首相,一部の外銀の通貨投機を非難―金融機関協会年次晩餐会の席上,18%のリンギ切下げがあるとの噂を流し,かつ先物で1億リンギを売ったと非難。
DIA-206-1986-08-26-1マレーシア1986年08月26日1980年代シンガポール高裁,陳MCA党首に有罪の判決―Pan El社の資金14万4852.68Sドルに関わる背任の教唆は,商業都市,金融センターとしてのシンガポールの誠実・名声・信任の核心に打撃を与えたとして,懲役2年と罰金50万Sドルの判決を下した。検察側は残る14件の訴訟を取下げた。弁護側は上告期間中の保釈を申請したが却下された。MCA党本部は党員に平静を保つよう要請。陳群川は27日,MCA党首辞任の意向を表明。
DIA-206-1986-08-28-1マレーシア1986年08月28日1980年代ASEAN経済閣僚会議,マニラで開催。
DIA-206-1986-08-29-1マレーシア1986年08月29日1980年代サラワク州議会Batang Ai区補欠選挙―計6人が立候補。無所属2342票,SNAP1939票。
DIA-206-1986-08-30-1マレーシア1986年08月30日1980年代「マレー人の政治的優位」論―Dtk.Abdullah Ahmad下院議員はシンガポール国際問題研究所での講演で,(1)マレーシアの政治システムの基礎はマレー人の優位にある,(2)華人与党は新経済政策を総選挙での不振のスケープゴートにしたてている,(3)マレー人がさらに脅威を感じれば,インドネシアとの合併すら考えるかもしれない,と述べた。
DIA-206-1986-09-03-1マレーシア1986年09月03日1980年代MCA党首に林良実副党首昇格―中央委員会は,副党首に李金獅,書記長に黄俊傑,次席副党首に郭偉傑を選出(任期は87年党大会まで)。
DIA-206-1986-09-03-2マレーシア1986年09月03日1980年代首相,非同盟諸国首脳会議で,ニエレレ・タンザニア前大統領の「南側委員会」議長就任受諾を発表。
DIA-206-1986-09-05-1マレーシア1986年09月05日1980年代Abdullah発言問題―林MCA新党首は,同発言(8月30日参照)は煽動的かつ反国家的だが,MCAはこれに関わるべきではないとの見解を示した。6日,MCA青年部はUmno規律委員会に処分を要求。
DIA-206-1986-09-07-1マレーシア1986年09月07日1980年代政府,ロック・コンサートの開催を禁止。
DIA-206-1986-09-10-1マレーシア1986年09月10日1980年代鄭安泉PPP党首を,青年団結運動協同組合の賞金60万3700リンギに関する背任教唆容疑で逮捕,15日起訴。
DIA-206-1986-09-10-2マレーシア1986年09月10日1980年代KL証券取引所,Plomet社株の取引を停止―11日,同社は債権銀行中19行の債権回収禁止の仮処分申請。 債券銀行10行は26日,同社の管財人管理を申立て。
DIA-206-1986-09-11-1マレーシア1986年09月11日1980年代アヌワール教育相,教育法修正を含めて国家教育政策を見直す,と発表。
DIA-206-1986-09-11-2マレーシア1986年09月11日1980年代政府,MISC社の株公開をこのほど認可―払込資本を1億リンギから5億リンギに増資するに伴い,8498万5000株(額面1リンギ)を2.40リンギで公開する計画。
DIA-206-1986-09-14-1マレーシア1986年09月14日1980年代ルピア切下げへの反応―マレー人商工会議所筋とマ華商工会連合会筋はともに,一次産品輸出への直接の影響を否定。15日中銀はリンギ追随切下げ説を否定。
DIA-206-1986-09-14-2マレーシア1986年09月14日1980年代台湾貿易代表団,訪マ。
DIA-206-1986-09-15-1マレーシア1986年09月15日1980年代モフタル・インドネシア外相,訪マ。
DIA-206-1986-09-17-1マレーシア1986年09月17日1980年代Umm青年部,婦人部大会―開会演説でムサ副総裁は,権力掌握後あまり民主的でなくなる指導者に断固反対し,金権政治を排除するよう要請。青年部長にアヌワール教育相を再選(303票,Syed Hamid109票),ナジブ青年部副部長とラフィダ婦人部長は無競争当選。
DIA-206-1986-09-18-1マレーシア1986年09月18日1980年代Umno党大会―マハティール総裁は政策演説で,(1)本年の総選挙で党は選挙制導入以来最大の勝利を収めた,(2)政府がすず国際市場に参入し,LMEの欺瞞により大損を蒙ったのは事実である,(3)新経済政策は目標が達成される日まで実施し,問題が生じれば国民戦線内で話合う,等と述べた。19日には,新経済政策の問題点と将来の行動計画作成のための特別委員会設置を発表。 20日の大会終了に際し,同総裁は,大臣,副大臣等に上場企業からの投資引揚げ,同族信託会社の積極的な株取引の禁止,等の措置を取ったことを明らかにした。
DIA-206-1986-09-20-1マレーシア1986年09月20日1980年代政府官房長,行政部門の生産性測定制度と生産性向上戦略(10項目)を発表(前者は87年1月実施)。
DIA-206-1986-09-22-1マレーシア1986年09月22日1980年代AWSJ紙,マ政府のすず取引失敗につき詳報―(1)エジプト人すず取引業者の介在,Maminco社の役割,(2)82年2月のLME強制解け合いによるマ政府の損害を5億~6億リンギと推定,(3)マ政府は,Maminco社のブミプトラ銀行への負債返済のためMakuwasa Securities 社を設立し原住民への留保株を転売,治安関係秘密資金を流用した,など。
DIA-206-1986-09-25-1マレーシア1986年09月25日1980年代預金受入れ24協組問題政府委員会を設置―中銀が主宰し,協同組合開発局,大蔵省,検察庁で構成。
DIA-206-1986-09-25-2マレーシア1986年09月25日1980年代MCA,新経済政策の実施を監視・検討するためのタスクフォース設立を発表。
DIA-206-1986-09-26-1マレーシア1986年09月26日1980年代内務省,AWSJ紙特派員2名に国外退去命令―同紙を3ヵ月間の発禁処分に付した。両名はそれぞれ9月30日と10月13日に,労働許可証撤回,国外退去命令の取消しを求めてKL高裁に提訴。
DIA-206-1986-09-26-2マレーシア1986年09月26日1980年代PAS党大会―トレンガヌ州Rusilaで3日間。約8000名の党員が参加。報道関係者をボイコット。(1)野党選挙協力見直し,(2)党の再組織等を決議。
DIA-206-1986-09-27-1マレーシア1986年09月27日1980年代PBB党大会―党首にタイプ・サラワク州首相,旧Pesaka党系副党首にDtk.A.Jabuが無競争で再選,旧原住民党系副党首にはアブ・バカール副国防相が当選。
DIA-206-1986-09-28-1マレーシア1986年09月28日1980年代24協組預金者集会―約2000人出席。中銀と政府に,ブミプトラ銀行に行なったような救済措置を要請。
DIA-206-1986-09-29-1マレーシア1986年09月29日1980年代首相,国連総会で演説―(1)麻薬の使用・密買に対する全面的取組みを要請,(2)7工業国による国際経済問題の解決案独占は容認しがたい,と指摘。
DIA-206-1986-09-30-1マレーシア1986年09月30日1980年代外資規制緩和―首相がニューヨークでの投資セミナーで発表。86年10月1日から90年12月までの外資 による企業新設,および国内企業と競合しない外資系企業の拡張投資について,(1)製品の50%以上を輸出,自由貿易地区か保税加工倉庫に供給,または少なくとも300人のマレーシア国民を常勤雇用する場合,外資の100%所有を認める。(2)払込み資本が200万米ドル以上の場合,自動的に外国人5人の雇用を認める等。
DIA-206-1986-09-30-2マレーシア1986年09月30日1980年代首相,シュルツ米国務長官との会談で,AWSJ紙は事実を記事にする必要を認めていない,と主張。
DIA-206-1986-10-03-1マレーシア1986年10月03日1980年代ダイム蔵相の同族持株会社,UMBC株を売却―同行の50.38%すべてをPernas社が取得。
DIA-206-1986-10-04-1マレーシア1986年10月04日1980年代マハティール,中曽根両首相,非公式会談―席上マ首相は,円建て債務の資本への転換を要請したといわれる。
DIA-206-1986-10-05-1マレーシア1986年10月05日1980年代放射性廃棄物処理で反対デモ―Asian Rare Eaeth 社に対し,付近の住民3000人が参加。24日からは日本人専門家2人が同社工場付近の放射能汚染を調査。
DIA-206-1986-10-06-1マレーシア1986年10月06日1980年代国際天然ゴム協定改訂交渉,ジュネーヴで開催―介入参照価格の水準等で打開できず,18日に休会。
DIA-206-1986-10-07-1マレーシア1986年10月07日1980年代第7国会第1会期開会―下院は10月8日~12月8日,上院は12月1日~20日。
DIA-206-1986-10-07-2マレーシア1986年10月07日1980年代PBSとGRM,協力強化を模索へ―消息筋によれば両党はこのほど共同委員会の設置に合意したという。
DIA-206-1986-10-07-3マレーシア1986年10月07日1980年代マ・タイ合同軍事演習縮小か―アブドゥラー国防相は,訪マ中のチャワリット・タイ国軍総司令官との会談後,不況により演習の資金調達が困難と語った。
DIA-206-1986-10-09-1マレーシア1986年10月09日1980年代5億米ドルの協調借款に調印―(1)4億500万米ドルのLiborへの上乗せ金利は当初6年間は0.375%,残り4年間は0.5%,(2)9500万米ドルは10年間同0.03125%。
DIA-206-1986-10-09-2マレーシア1986年10月09日1980年代PAS幹部の―部,辞表提出か―New Straitis times紙によれば,ユソフ党首,Nakhaie次席副党首が9月28日,Ibrahim財政部長,Subky情宣部長が10月1日に辞表を提出。5日の中央委員会で非難,却下された。
DIA-206-1986-10-10-1マレーシア1986年10月10日1980年代MIC党大会―12日,新経済政策の全面的支持など13決議案を採択。
DIA-206-1986-10-14-1マレーシア1986年10月14日1980年代金融緩和策発表―商業銀行法定準備率を0.5%引下げて3.5%に(15日実施),最低流動資産比率を1.5%下げて17%に(16日実施)。15日には輸出信用割引制度の第2期拡充措置を発表。
DIA-206-1986-10-14-2マレーシア1986年10月14日1980年代田紀雲中国副首相,公式訪マ―15日ガファール副首相等と会談。席上,(1)両者は通商協定早期調印のため 障害除去に合意,(2)中国側は航空協定の早期締結を希望,パーム油,製材の輸入に意欲を示し,マ共とは何の関係もないと保証,(3)マ側はすず生産国連合への加入を要請。
DIA-206-1986-10-16-1マレーシア1986年10月16日1980年代工業用電力料金の10%引下げを発表。
DIA-206-1986-10-16-2マレーシア1986年10月16日1980年代シンガポール控訴院,陳群川の上訴を却下。
DIA-206-1986-10-16-3マレーシア1986年10月16日1980年代マ銀行協会代表団,訪中。
DIA-206-1986-10-18-1マレーシア1986年10月18日1980年代ムサUmno副総裁を党規委員長から解任―代わってガファール次席副総裁を任命。
DIA-206-1986-10-18-2マレーシア1986年10月18日1980年代ガファール副首相,第5次計画を見直しと発表―(1)資金配分を見直し,可能な部分を削減する必要がある,(2)これは計画の撤回ではなく延期にすぎない,と語った。
DIA-206-1986-10-18-3マレーシア1986年10月18日1980年代Umnoのサバ州への粗織拡大問題―Umno最高会議は,ムスターファ党首とマハティール首相の会談までUmno解散・サバ州Umno設立案を棚上げと決定。23日ガファール副首相はラブアン島で,Umnoはサバ州に組織を拡大する用意があり,まずUsnoと話合うと声明。
DIA-206-1986-10-20-1マレーシア1986年10月20日1980年代官公労組会議(Cuepacs)大会―21日の役員選挙で委員長にA.Ragunathanが無競争当選,書記長に新たにMohamad b.Abbasマラヤ鉄道組合委員長を選出。
DIA-206-1986-10-20-2マレーシア1986年10月20日1980年代Malayan Banking,星檳日報は再建不能と声明。
DIA-206-1986-10-21-1マレーシア1986年10月21日1980年代パーム原油,スポット市場で700リンギ/トンの大台を回復。1月2日以来の高値。
DIA-206-1986-10-22-1マレーシア1986年10月22日1980年代大卒者の臨時雇用事業―アジブ総理府相によれば,7月1日の開始以来,4000名を吸収。
DIA-206-1986-10-23-1マレーシア1986年10月23日1980年代内閣小幅改造―住宅・地方政府相に黄俊傑副蔵相を,副蔵相に陸垠佑下院議員(ともにMCA),副公共事業相と副情報相にUsnoの下院議員を任命など。
DIA-206-1986-10-23-2マレーシア1986年10月23日1980年代ライス外相,台湾に通商事務所設置の意向を表明。
DIA-206-1986-10-24-1マレーシア1986年10月24日1980年代87年度予集案,下院に上程―27日,Ragunathan官公労組会議委員長は,予算案の公務員年金制度中断,同住宅ローン金利引上げは違法と声明。
DIA-206-1986-10-24-2マレーシア1986年10月24日1980年代すず,ヨーロッパ自由市場でスポット価格が7ヵ月 ぶりに4000ポンド/トン台を回復。
DIA-206-1986-10-26-1マレーシア1986年10月26日1980年代SDP中央委員会,DAPとの合同提案を否決。
DIA-206-1986-10-26-2マレーシア1986年10月26日1980年代Usno党大会―ムスターファ党首はジェッダから,サバ州Umno設立案は,両党指導者間でまず話合うべきだとの趣旨のメッセージを寄せた。
DIA-206-1986-10-27-1マレーシア1986年10月27日1980年代公的機密法修正案,下院に上程―(1)連邦内閣・州行政評議会に属する文書,治安・国防関係に関する文書,政府への勧告・答申等の文書,通貨・予算案・外国投資に関わる文書等を公的機密とし,(2)大臣・部局の長による公的機密指定は法廷で争うことができず,(3)大臣は公的機密の分類項目の加除の権限を有し,(4)違反者には1~14年の有期刑判決が法廷に義務づけられる。法曹協会,ジャーナリスト組合,フセイン前首相,GRM中央委員会,PBS等が相次いで反対を声明。
DIA-206-1986-10-27-2マレーシア1986年10月27日1980年代すず生産国連合の閣僚会議,ジャカルタで開催―ブラジル,中国がオプザーバー参加。28日,国際市場の在庫削減のため共同行動をとることに合意。
DIA-206-1986-10-27-3マレーシア1986年10月27日1980年代円借款126億円に調印(25年返済,年利5%)。
DIA-206-1986-10-28-1マレーシア1986年10月28日1980年代MAS株の15%を国外投資家に売却―5250万株中2000万株をブルネイ投資庁が購入。
DIA-206-1986-10-28-2マレーシア1986年10月28日1980年代ブルネイ国王,公式訪マ。
DIA-206-1986-10-28-3マレーシア1986年10月28日1980年代アフマッド・ノールSDP党首,DAPに入党―11月6日副書記長に任命,農村部の支持者拡大を担当。
DIA-206-1986-10-30-1マレーシア1986年10月30日1980年代PLOの駐マ代表部,ヘルツォーグ・イスラエル大統領の訪問中止をシンガポール政府に要請。
DIA-206-1986-11-02-1マレーシア1986年11月02日1980年代MCAスランゴール州大会決議問題―80項目の決議中のひとつとして,国内主要種族はすべて異邦に起源を持ち,どの種族にも他を外来種族,自らを土着種族と呼ぶ権利はないとして煽動法の検討を政府に要請する決議を採択。3日アヌワールUmno青年部長は,MCAがその弱体を隠蔽するため,過去に決着ずみの問題を攻撃と非難。6日Umno下院議員46名が李金獅MCA副党首の労相辞職を要求。李副党首は7日辞表を林党首に提出,同党首は8日これを却下と発表した。
DIA-206-1986-11-03-1マレーシア1986年11月03日1980年代最高裁,AWSJ紙特派員2名に対する労働許可証撤回,国外退去命令の取消しを政府に命令。
DIA-206-1986-11-03-2マレーシア1986年11月03日1980年代バーバラ・マルタ大統領,公式訪マ。
DIA-206-1986-11-04-1マレーシア1986年11月04日1980年代Tinco Realisation(LME11ディーラーで構成),ロンドン高裁に国際すず理事会解散要求を申立て。
DIA-206-1986-11-06-1マレーシア1986年11月06日1980年代ムスターファUsno党首,マハティール首相と会談,Usno臨時党大会(11月25~28日を招集。
DIA-206-1986-11-06-2マレーシア1986年11月06日1980年代乗用車値引き―Proton Saga 1300ccで4.7%,トヨタ,マツダ車も同程度の値引きされているという。
DIA-206-1986-11-06-3マレーシア1986年11月06日1980年代李労相,内閣はこのほど解雇手当てと超勤手当ての計算比率引下げを承認。
DIA-206-1986-11-06-4マレーシア1986年11月06日1980年代First Allied Corp.Bhd.,大連にマ・中合併でオーレオ化学品プラント建設,と発表。
DIA-206-1986-11-06-5マレーシア1986年11月06日1980年代PSRM,イスラエル大統領の訪シに抗議。
DIA-206-1986-11-10-1マレーシア1986年11月10日1980年代預金受入れ24協組に関する白書,下院提出―(1)3協組のみが預金の全額返済が可能,21協組は計6億2950万リンギの支払不能(KSMだけで3億3010万リンギ)となる見込み,(2)経営ミスの要因は土地・不動産への過剰投資,株投機,資金の不正利用など,(3)政府は,Kosatu,Sakaapの清算,KSMの自発的凍結解除,他の21協組の資産・債務の銀行等への移転(このため4億リンギのソフトローンが必要)と預金の段階的引出し,の3点を決定。
DIA-206-1986-11-10-2マレーシア1986年11月10日1980年代賃金政策への反対―全国合同協議会(法定機関職員)は,賃上げ3年間凍結,解雇・超勤手当削減,公務員年金制度の中断とEPFへの振替え,公務員向けの住宅・自動車ローンの金利引上げ等に反対を表明,12月1日にピケを配置。MTUCも11月26日集会,12月1日ピケを予定。
DIA-206-1986-11-10-3マレーシア1986年11月10日1980年代Maminco社の損失―林第―次産業相によれば,損失総額は6億6050万リンギ,確認ずみ利益4億5150万リンギ,実質損失2億900万リンギ。
DIA-206-1986-11-10-4マレーシア1986年11月10日1980年代トゥルグット・トルコ首相,訪マ。
DIA-206-1986-11-11-1マレーシア1986年11月11日1980年代預金受入れ協組白書への反対―Kosatu支店長会議は,解散反対,華人の閣僚・国会議員に支援要請を決議。12日預金者行動委員会は,白書の資産評価基準が不明確と批判,7億リンギのソフトローン供与を要請。
DIA-206-1986-11-12-1マレーシア1986年11月12日1980年代MCAスランゴール州大会決議問題―内閣は(1)MCAの同決議撤回を了承,(2)マレー人とその他のブミプトラがマレーシアの原住民であるが,華人やインド人を移民と呼ぶのは今や不適当など4点を決定,と発表。
DIA-206-1986-11-13-1マレーシア1986年11月13日1980年代反シオニスト人民行動委員会結成―Umno,GRM,PAS,PSRM,DAP,ABIM,青年会議,大学教員組合,ジャーナリスト組合,華人団体民権委員会等が参加。政府にイスラエル大統領のフィリピン,シンガポール訪問期間中は大使等を召還するよう要請。
DIA-206-1986-11-13-2マレーシア1986年11月13日1980年代中銀,各金融機関に会社更生部設立をこのほど指示。
DIA-206-1986-11-15-1マレーシア1986年11月15日1980年代ヘルツォーグ・イスラエル大統領訪シへの抗議―マハティール首相は,駐シ高等弁務官を召還するが,目的は協議のみと語った。同大統領がシンガポールに到着した18日に,マ外務省はBakerシ駐マ高等弁務官を呼び,「挑発的行為」に深い遺憾の意を表明。20日マハティール首相は,今回の訪問はマ・シ関係を後退させたとの所感を表明。アヌワール教育相は,19日のラジャラトナム副首相発言は,シンガポールとシオニストとの関係についての隣国の見方を裏書するもの,と非難。
DIA-206-1986-11-15-2マレーシア1986年11月15日1980年代MCA青年部・婦人部大会―青年部代議員約1500名中513名,婦人部同858名中319名が出席。
DIA-206-1986-11-16-1マレーシア1986年11月16日1980年代MCA党大会―首相は挨拶のなかで,公開の場での敏感問題討議をやめるよう要請。林党首は種族関係見直しのための特別委員会設置を提唱。
DIA-206-1986-11-17-1マレーシア1986年11月17日1980年代前Usno州議員2名,このほどPBSに入党。
DIA-206-1986-11-18-1マレーシア1986年11月18日1980年代フセイン前首相,Maminco設立への関与否定―25日サバルッディン副蔵相は,81年7月8日のフセイン首相(当時)主宰の閣議が同社設立を決定と答弁。 12月9日,前首相も内閣文書を閲覧しこれを確認。
DIA-206-1986-11-18-2マレーシア1986年11月18日1980年代金利引下げ―中銀は,商銀が12月1日から基準貸出金利の最大0.75%の引下げにこのほど同意,と発表。
DIA-206-1986-11-20-1マレーシア1986年11月20日1980年代国家投資信託(ANS),配当等を発表―配当10%,ボーナス4%。85年は両者計17.2%。
DIA-206-1986-11-20-2マレーシア1986年11月20日1980年代重工業公社,85/86年度決算報告―グループ税引前欠損1億5855万リンギ。子会社のPerwaja Trengganu社は1億335万リンギ,Proton社は4247リンギ,関連会社のKedah Cement社は6932万リンギのいずれも損失を計上。
DIA-206-1986-11-20-3マレーシア1986年11月20日1980年代ムスターファUsno党首,Umnoのサバ州への組織拡大に支持表明。
DIA-206-1986-11-20-4マレーシア1986年11月20日1980年代公的機密法問題―ムサUmno副総裁は,同法修正案の見直しを要請。マハティール首相は21日,同案を撤回またはさらに修正するつもりはないと語った。
DIA-206-1986-11-29-1マレーシア1986年11月29日1980年代Usno臨時党大会,Umnoとの合同を決定―大会開会(25日)に出席したアヌワールUmno青年部長は,サバ州内の非ムスリム原住民も,サバ州Umnoに入党しうるとの見解を表明。30日,ムスターファ党首は大会席上で政界引退を発表。
DIA-206-1986-11-29-2マレーシア1986年11月29日1980年代サバ州議会Salaman区補欠選挙―PBS2657票,Usno1953票,Berjaya 1137票,投票率68.8%。
DIA-206-1986-12-02-1マレーシア1986年12月02日1980年代公的機密法再修正案を下院に上程―旧案の公的機密の範疇から,連邦と州の関係に関わる文書,政府への勧告・答申等の文書,通貨・予算案・外国投資に関わる文書等が削除された。6日下院は132:23で可決,19日上院は全会一致で可決した。
DIA-206-1986-12-03-1マレーシア1986年12月03日1980年代すず生産国連合,87年の総生産量で合意―86年実績見込みと同じ9.6万トン。国別割当ては未定。
DIA-206-1986-12-04-1マレーシア1986年12月04日1980年代Proton Sagaの対米輸出計画に着手―米企業と,合弁でProton America社を設立,88年2月輸出開始を目標に米国仕様に調整する旨の趣意書に調印。
DIA-206-1986-12-05-1マレーシア1986年12月05日1980年代外資規制緩和―ダイム蔵相は87年度予算案上院上程に際し,外資系企業の国内借入れ上限を50万リンギから1000万リンギに引上げる等の措置を発表。
DIA-206-1986-12-05-2マレーシア1986年12月05日1980年代蔵相,ランカウィ島を87年1月1日より自由港に指定,と発表。
DIA-206-1986-12-05-3マレーシア1986年12月05日1980年代Umnoのサバ州進出に対し,本日Parti Momogun Sabah,7日Pari Bersepadu がそれぞれ解散を発表。
DIA-206-1986-12-06-1マレーシア1986年12月06日1980年代Petronas Gas 社,半島部ガス利用第2期建設事業のコンサルタント業務につき,カナダ系企業と地場企業各1社との契約に調印。
DIA-206-1986-12-08-1マレーシア1986年12月08日1980年代Umno最高会議,サバ州への組織拡大決定―会議後マハティール総裁は,(1)Usnoとの合同については,州憲法の州議員党籍変更禁止規定の検討が必要,(2)決定実施はガファール次席副総裁が担当,と語った。
DIA-206-1986-12-08-2マレーシア1986年12月08日1980年代Umno,党規委員会の役員選挙倫理綱領に基づき中立委員会(委員長キール・ジョハリ)を設置。
DIA-206-1986-12-08-3マレーシア1986年12月08日1980年代Syarikat Telekom Malaysia 社に営業許可交付。
DIA-206-1986-12-10-1マレーシア1986年12月10日1980年代政府,Al-Arqam の活動を禁止せず,と発表。
DIA-206-1986-12-10-2マレーシア1986年12月10日1980年代株式投機組織が活動との噂―シンガポールに拠点を置く組織が,KL証券市場で大規模な株価不正操作を実行というもの。11日KL取引所は調査を開始,29日に空売りの証拠はないと発表。
DIA-206-1986-12-12-1マレーシア1986年12月12日1980年代KL軽便鉄道事業認可と発表―マラヤ鉄道の既存の軌条99.5kmを利用,総経費1億8000万リンギ。Metro-link社(原住民完全所有)が豪州2企業の協力で実施。
DIA-206-1986-12-13-1マレーシア1986年12月13日1980年代首相,官公労組会議代表と会談―22日,公務員住宅ローン金利について,(1)10月24日以前に申請した分に4%,(2)それ以後の申請に対し,グループA,Bは6%,グループC5%,グループD4%にすると発表。
DIA-206-1986-12-14-1マレーシア1986年12月14日1980年代李シ首相,ヘルツォーグ訪シについて見解表明―(1)マレーシアの反シオニスト感情をもっと早く知っていたら,訪シを延期したであろう,(2)11月訪シは新聞報道で初めて知った,等と述べた。
DIA-206-1986-12-15-1マレーシア1986年12月15日1980年代マ華商工会連合会,年次総会―首相は挨拶のなかで経済倫理の必要性を強調。会長に黄文彬,副会長に黄啄才を再選。
DIA-206-1986-12-18-1マレーシア1986年12月18日1980年代サバ州Umno設立でUsnoと合意―ガファール副首相はコタ・キナバルで,(1)Usno党員は自動的にUmno党員となる,(2)新党員の次期Umno役員選挙権の有無はUmm最高会議が決定,と発表。19日UmnoのHamid書記長は,Umno党大会に出席できるよう4月にUsnoを解散,と発表。
DIA-206-1986-12-18-2マレーシア1986年12月18日1980年代ライス外相,西独政府からの麻薬密売事件の被告送還要請を拒否と発表。
DIA-206-1986-12-19-1マレーシア1986年12月19日1980年代上院休会―87年度予算案,公的機密法修正案,危険薬物法修正案,全国土地法典修正案などの法案可決。
DIA-206-1986-12-20-1マレーシア1986年12月20日1980年代陳忠鴻前総理府副相を逮捕―29日,Sakaap(協組)の資金116万7000リンギに関する背任教唆で起訴。
DIA-206-1986-12-21-1マレーシア1986年12月21日1980年代原油減産へ―首相は,OPEC合意に従い,―定比率を減産と発表。23日Petronas社のMohar会長は,(1)長期契約等の関係で減産実施が可能になるのは2月すぎ,(2)減産の幅は諸般の事情を考慮して決定と語った。
DIA-206-1986-12-22-1マレーシア1986年12月22日1980年代KL高裁,鄭安泉に懲役12年,罰金5万リンギの判決。
DIA-206-1986-12-23-1マレーシア1986年12月23日1980年代中銀,預金受入れ23協組の管財人選任を高裁に申請―中銀総裁声明によれば,(1)申請は必ずしも解散を意味するものではない,(2)目的は,預金者への返済の最終的な取決めを速やかに作成させ,必要な場合は資産の金融機関への移転を円滑に行なうこと。
DIA-206-1986-12-23-2マレーシア1986年12月23日1980年代サバ州UmnoとPBSの関係―首相はコタ・キナバルで,(1)サバ州への組織拡大の目的は,同州のPASの脅威に対抗すること,(2)PBSとは協力するが,連合政権樹立は求めない,と語った。
DIA-206-1986-12-24-1マレーシア1986年12月24日1980年代預金受入れ協組,金融機関と取決めへ―本日WartawanがAsia Commercial Finance社と,29日にはKojasaがBank Utamaと,預金の払戻し方法等について原則的に合意。
DIA-206-1986-12-26-1マレーシア1986年12月26日1980年代PBSとGRM,国民戦線内で協力追求か―消息筋によれば,戦線内に多種族政党ロビーを作るため来月KLで話合うという。
DIA-206-1986-12-27-1マレーシア1986年12月27日1980年代PAS,報道機関ボイコットを緩和かNakhaie次席副党首がTV3とのインタヴューに応じた。
DIA-206-1986-12-28-1マレーシア1986年12月28日1980年代MIC党首にS.Vellu,無競争で再選。
DIA-206-1986-12-28-2マレーシア1986年12月28日1980年代PBSのサバ州Umnoへの対応―消息筋によれば,PBSはUmnoサバ州進出を歓迎するが,UsnoがUmnoと合同する場合には,州憲法第18条を適用し,現在のUsno州議員を辞任に追いこむ方針という。
DIA-206-1986-12-29-1マレーシア1986年12月29日1980年代サバ州元首人事―州政府は,Tun Hj.AdnanRobertが1月1日に辞任,後任にTan Sri Syed Keruak元州首相が就任,と発表。
DIA-206-1986-12-29-2マレーシア1986年12月29日1980年代南北ハイウェイ民営化分建設の趣意書に調印―受注者はUnited Engineem Bhd.を代表とする22社の企業複合体で,Citibank,東銀等も参加。総延長504kmを34億リンギで建設。政府は10年間にわたり年1億5000万リンギを貸付け,完工後,受注者が通行料金を徴収する。
DIA-206-1986-12-29-3マレーシア1986年12月29日1980年代マレーシア労働組合会議第28回大会―委員長にZainal Rampak,副委員長にA.J.Patrickをともに再選。
DIA-206-1987-01-01-1マレーシア1987年01月01日1980年代UMNO-PAS対話の動き―アヌワール教育相は,(1)先週米国でのセミナーでPASのハディ次席副党首と同席,会場で両党の協力の可能性についても討議,(2)昨年4月の両党首会談の失敗は遺憾であったが,今後の対話に期待する,と語った。2日,ユソフPAS党首はUMNOと話し合う用意があると述べ,12日,ハディ次席副党首は,UMNOがマレーシアをイスラム国家にすると約束しない限りPASは妥協しないことを前提に,両党の対話を支持するとの立場を表明。
DIA-206-1987-01-01-2マレーシア1987年01月01日1980年代サバ州元首にTan Sri Mohamed Said Keruak 就任。
DIA-206-1987-01-01-3マレーシア1987年01月01日1980年代Syarikat Telekom Malaysia 発足―電信電話局の事業を民営化したもの。
DIA-206-1987-01-03-1マレーシア1987年01月03日1980年代サバ州の「20項目」問題―独立時の「20項目」取り決めを連邦政府が無視したことが,連邦と州政府の関係緊密化を阻害している要因の一つというジェフリー・キティンガン・サバ財団会長(州首相の弟)の談話を同州内の1紙が報道。5日,UMNO青年部は,国民を分裂させる危険な見解,と非難。
DIA-206-1987-01-07-1マレーシア1987年01月07日1980年代預金受け入れ協同組合,管財人管理へ―KL高裁は,中銀の申し立てに基づき,本日18組合,23日までに残る5組合を管財人管理に付した。17日,ジャファール中銀総裁は,(1)資産処分,または立て直しに参加する金融機関の目的は当該組合の吸収ではない,(2)中銀は事前払い戻しのためすでに,2億8000万リンギのソフトローンを供与,と語った。この結果,1月中に11組合が資産処分・預金完済・再建計画などで各担当金融機関と合意。
DIA-206-1987-01-08-1マレーシア1987年01月08日1980年代ブルネイ投資庁,マ航空の株を買い増し―政府間の取り決めによる。BIAの持ち分は10%に増加。
DIA-206-1987-01-09-1マレーシア1987年01月09日1980年代預金受け入れ協組に関するMCAの方針―中央委員会は,(1)林党首に問題解決の全権を委任,(2)預金全額払い戻し実現に政治責任を負う,(3)上記組合の資金を着服・流用した党員をかばいだてしない,等を決定。
DIA-206-1987-01-12-1マレーシア1987年01月12日1980年代GRMとPBS,国民戦線内で連合結成に合意―林GRM党首とパイリンPBS党首が別々に発表。それぞれの党組織の維持を前提とする連合に原則として合意し,すでに首相も了承,細部は今後検討,という。
DIA-206-1987-01-13-1マレーシア1987年01月13日1980年代円借款の条件緩和―本日訪マした田村通産相はガファール副首相と会談,(1)今後の円借款の金利を5%から4%に引き下げ,(2)一部についてはリンギ建て返済を可能にする方針,等を伝達。
DIA-206-1987-01-14-1マレーシア1987年01月14日1980年代香港高裁,BMF事件被告1人に有罪判決―元BMF役員Dtk.Hashim に対し,横領共謀2件,贈賄2件で懲役4年6カ月。検察側は控訴。なお被告側弁護人は減刑弁論のなかで,バンク・ブミプトラが80年にマハティール副首相(当時)の要請でMaminco 社に4億リンギを貸し付けた事実を明らかにした。
DIA-206-1987-01-15-1マレーシア1987年01月15日1980年代タイ政府,マ共ゲリラへの特赦を提案―第31回マ・タイ国境総合会議の席上。マ側代表アブドラー国防相は即答を避けた。2月9日,タイのチャワリット陸軍司令官は,(1)マ政府は特赦提案をなお検討中,(2)マ出身のゲリラはマ側が受け入れるのが原則,と語った。
DIA-206-1987-01-18-1マレーシア1987年01月18日1980年代クランタン州,ムスリムに対し笞打ち刑を復活―同州イスラム法廷は86年半ばに施行の州イスラム刑法を適用,飲酒容疑の被告に笞打ち刑を判決。20日,ラーマン元首相は時代錯誤と批判。22日,アヌワールUMNO青年部長は,ラーマン発言に遺憾の意を表明。
DIA-206-1987-01-19-1マレーシア1987年01月19日1980年代UMNOのサバ州進出問題―オスUSNO副書記長は,UMNO大会への代議員派遣のため,USNOの前支部・分会を2月末までに解散,と声明。2月7日,UMNO最高会議は,宗教の如何にかかわらずUSNO党員とその他の同州ブミプトラの入党を認めると決定し,4月党大会でのサバUMNO代表の資格は党規約にしたがいオブザーバーとなることを確認した。
DIA-206-1987-01-19-2マレーシア1987年01月19日1980年代預金受け入れ協組,預金の一部を払い戻し―華人正月を前に,1組合が全額,他の1組合が50%,残る22組合が10~25%の払い戻しを開始した。
DIA-206-1987-01-22-1マレーシア1987年01月22日1980年代すず生産国会議(ATPC),輸出制限で合意―KLでの執行委員会で,加盟7カ国の輸出と国内消費を,87年3月1日から1年間9万6000トンに制限することで合意。またオブザーバー参加した中国,ブラジルは,世界市場の過剰在庫の秩序ある削減への協力を保証。
DIA-206-1987-01-25-1マレーシア1987年01月25日1980年代首相,イスラム諸国機構首脳会議に出席。
DIA-206-1987-01-26-1マレーシア1987年01月26日1980年代中銀,金融緩和とデレギュレーション措置発表―(1)第一線流動資産比率を10%から8%に引き下げる,(2)1年以下の預金金利について2大商業銀行との連動制度を廃止する,(3)各営業日の最低流動資産比率について規制比率を基準に上下各2%の幅を認める。この措置にともない商銀の基準貸出金利は2月1日に平均で10%から9%に引き下げられた。
DIA-206-1987-01-28-1マレーシア1987年01月28日1980年代Proton 社,ニュージーランドのDynamic Corp.社とProton Saga の販売契約に調印。
DIA-206-1987-01-29-1マレーシア1987年01月29日1980年代首相,インド訪問―4日間。ラジブ首相との会談で,ジア・パキスタン大統領のメッセージを伝達。ラジブ首相は「南・南側委員会」(South Commission)への支持を表明。
DIA-206-1987-02-01-1マレーシア1987年02月01日1980年代シャフリル社会福祉相,ジョホール州のUMNO幹部に対しアジブ同州連絡委員長(総理府相)がムサ副総裁を立候補者に指名するよう要請したとの国営通信社の報道を否定。
DIA-206-1987-02-05-1マレーシア1987年02月05日1980年代スハルト・インドネシア大統領,訪マ―2日間。マハティール首相と会談。両国外相会談では,マ側がイ産ヘリコプターの購入に同意,また,インドネシアからの不法入国者に対し,国境での監視強化で合意。
DIA-206-1987-02-05-2マレーシア1987年02月05日1980年代総理府,UMNO役員選挙に積極的に参加している公務員のケースをすべて報告するよう公務局に指示。
DIA-206-1987-02-06-1マレーシア1987年02月06日1980年代ラヒム・マラッカ州首相,党資金(30万リンギ)不正利用の噂を否定。
DIA-206-1987-02-09-1マレーシア1987年02月09日1980年代政府,このほどECの油脂関税引上げ案に抗議―パーム油の場合,現行の原油4%,精製油12%の従価税から,精製油でトン当り330ECUの従量税になり,実施されるとEC市場のマ産パーム油価格はほぼ倍増。
DIA-206-1987-02-09-2マレーシア1987年02月09日1980年代セメント減産へ―ペラ州のンガー州首相は,同州の新設工場の商業生産開始に当たり,国内メーカー8社に10%減産を要請。14日,CIMA社は40%減産を発表。
DIA-206-1987-02-10-1マレーシア1987年02月10日1980年代石油生産目標―モハールPETRONAS会長は,OPECの第2次削減を支持し,87年の生産量を計画より10%少ない46万8000バレルとする,と発表。
DIA-206-1987-02-11-1マレーシア1987年02月11日1980年代ムサ,UMNO副総裁選に立候補発表―「党による政府の支配」を支持する者の結集を訴えた。
DIA-206-1987-02-11-2マレーシア1987年02月11日1980年代KL高裁,Perwira Habib Bank の前役員を釈放―1月13日から国内治安法により拘留されていたが,家族からの申し立てにより人身保護令状を出したもの。
DIA-206-1987-02-12-1マレーシア1987年02月12日1980年代ガファール副首相,首相の総裁三選を支持―党,政府のすべての決定は話合いによるものであり,首相の独断でなされたのではない,と指摘。
DIA-206-1987-02-12-2マレーシア1987年02月12日1980年代UMNO役員選挙の争点―フセイン前首相は,イスラム化を掲げて,当選を目指すものがいるが,同党がイスラム化の圧力に耐えうるか否かが問題,と語った。
DIA-206-1987-02-12-3マレーシア1987年02月12日1980年代MPHB社の経営陣交替―会長に郭鶴年,取締役に李生,曹華英,胡木金が就任。3月12日までにDunlop Estate Bhd.など主要子会社の経営陣も交替。林MCA党首は2月14日,同党はMPHB社の経営につき政治的干渉を一切行なわない,と声明。
DIA-206-1987-02-14-1マレーシア1987年02月14日1980年代独裁傾向への批判―マリナUMNO最高会議会員は,同党の最高指導者が最高会議の承認を得ずに政府の政策を実施しており,党規約に反すると批判。
DIA-206-1987-02-15-1マレーシア1987年02月15日1980年代PAS系の華人諮問協議会,解散して新党結成。
DIA-206-1987-02-15-2マレーシア1987年02月15日1980年代サラワク州で木材伐採阻止の動き―ヨーロッパ人1グループの新聞声明によれば,3月末にプナン族が伐採基地への道路を封鎖し木材搬出を阻止する計画という。
DIA-206-1987-02-17-1マレーシア1987年02月17日1980年代MCA幹部,背任容疑で逮捕―紀永輝青年部長,黄循菅副文化・青年・体育相ほか2人。マレーシア青年経済開発協同組合の資金(330万リンギ)不正利用の容疑で18日に起訴。同日,紀と黄は党と政府の役職を休職。
DIA-206-1987-02-18-1マレーシア1987年02月18日1980年代新投資基金の金利引き下げ―商銀の調達金利を6.25%に,貸付金利を9%に,ともに1%引き下げ。
DIA-206-1987-02-18-2マレーシア1987年02月18日1980年代ブルネイとの航空協定に調印。
DIA-206-1987-02-18-3マレーシア1987年02月18日1980年代UMNO役員選挙のルール―党役員選挙倫理委員会は,(1)候補者のチーム結成を禁止,(2)運動期間中,指導者による非公開会議開催の禁止,などを発表。これまでに同委員会が受理した不正行為の訴えは50件で,最高指導層にかかわるものはないという。
DIA-206-1987-02-20-1マレーシア1987年02月20日1980年代景気回復の兆候―サバルッディン副蔵相によれば,(1)86年5月以来KL証券取引所に内外から20億リンギの資金が流入,(2)一次産品価格の上昇,(3)繊維産業が87年6月分まで受注済み,電子産業が週7日操業に復帰。
DIA-206-1987-02-20-2マレーシア1987年02月20日1980年代ムサ,ラザレイとの提携を示唆―ジョホール州スガマットUMNO支部の大会に招待,と発表。
DIA-206-1987-02-21-1マレーシア1987年02月21日1980年代ハミッドUSNO書記長,死去。
DIA-206-1987-02-23-1マレーシア1987年02月23日1980年代マ国際海運(MISC)社,株式を上場―8499万株を公開。公募株価2.40リンギ,本日の終わり値5.00リンギ。
DIA-206-1987-02-24-1マレーシア1987年02月24日1980年代シンガポール環境省,カメロン・ハイランド産の一定種類の野菜から多量の残留農薬を検出,その販売を禁止。マ農業省も27日から19日間,同様の措置を実施。
DIA-206-1987-02-25-1マレーシア1987年02月25日1980年代Proton 社の86年度決算―86年3月31日締め。4250万リンギの損失を計上。長期借入金は前年度末の2億8090リンギ万から4億8790万リンギに増加。。
DIA-206-1987-02-26-1マレーシア1987年02月26日1980年代10州首相,マハティールとガファール支持表明―全員がUMNOの党員。(1)不況など6点の問題解決に両者の指導が必要,(2)役員選挙のための「州首相連合」は存在しない,等を声明。
DIA-206-1987-02-27-1マレーシア1987年02月27日1980年代PBDS党大会―モギー党首,タジェム副党首などを再選。
DIA-206-1987-03-04-1マレーシア1987年03月04日1980年代旱魃―MADA地域では,ダムの貯水量不足から今後2季の灌漑用水供給を保証できないという。
DIA-206-1987-03-05-1マレーシア1987年03月05日1980年代UMNO「2派」間の妥協周旋の動き―リタウッディン情報相が,仲介の用意ありと声明。6日,アロフ・クダー州首相も立候補者間の妥協を要請。
DIA-206-1987-03-05-2マレーシア1987年03月05日1980年代中銀の民間商業銀行支援―Perwira Habib Bank の新株発行3億株中2億株をこのほど取得と確認,7日にはUnited Asian Bank の新株1億5249万株中1億3550万株を取得と発表。
DIA-206-1987-03-05-3マレーシア1987年03月05日1980年代政府,このほどマラヤ鉄道の民営化を決定―ラーマ副運輸相発表。
DIA-206-1987-03-05-4マレーシア1987年03月05日1980年代すず鉱山再開の動き―1月31日現在で,108鉱山から操業再開の申請が出ている。
DIA-206-1987-03-06-1マレーシア1987年03月06日1980年代KLで国際円卓会議開催―ISIS主催,キッシンジャー元米国務長官のほか,ASEAN6カ国から,マハティール首相ほかマ政府首脳,インドネシアのムルダニ国軍最高司令官,シンガポールの李商工相,ダナバラン外相等15人が出席,域内協力について意見交換。
DIA-206-1987-03-06-2マレーシア1987年03月06日1980年代DAP,「1990年運動」を開始―林書記長によれば,階級,種族,宗教の両極分化を克服する運動。
DIA-206-1987-03-06-3マレーシア1987年03月06日1980年代GRM内の執行部批判―許岳金ペナン州行政議員は,PBSとの連合より,半島部における党勢退潮の食い止め努力を要求。13日,呉清徳下院議員も同様の発言。
DIA-206-1987-03-09-1マレーシア1987年03月09日1980年代国会再開―下院は3月20日まで,上院は3月23日から3月27日まで。
DIA-206-1987-03-09-2マレーシア1987年03月09日1980年代PNBの投資方針転換―首相の下院答弁によれば,収益力強化のため今後は先進国でも新規投資を行なう。
DIA-206-1987-03-10-1マレーシア1987年03月10日1980年代サラワクの27州議員,タイブ州首相の退陣要求―PBDS の全8議員,PBB 7議員,SNAP 4議員,SUPP 5議員,無所属3議員(州大臣4人,副大臣3人を含む)が参加。KLでラーマン前州元首とともに記者会見し,ブミプトラの利益擁護に失敗,権力の集中などの理由をあげた。11日,タイブ州首相は州議会解散を発表,12日に新内閣を組織した。
DIA-206-1987-03-12-1マレーシア1987年03月12日1980年代不動産市場の低迷―ナプシア副住宅・地方政府相の下院答弁によれば,全国で売れ残っている不動産は100億リンギ,うち40%が住宅。
DIA-206-1987-03-13-1マレーシア1987年03月13日1980年代マラヤ共産党第8連隊の一部が「投降」―本日89人,26日に25人の計114人(うちマレーシア出身者84人,タイ出身者30人,また女性49人)が,タイ政府の特赦を受け入れて「投降」(正式発表は4月1日)。
DIA-206-1987-03-13-2マレーシア1987年03月13日1980年代「威信発揚型」プロジェクト問題―ムサUMNO副総裁は,党員には真実を知る権利があると発言。14日,首相は若干の開発プロジェクトに関する政府機密文書を公開する用意があると応酬。
DIA-206-1987-03-13-3マレーシア1987年03月13日1980年代ペラ州住民,Asian Rare Earth 社の生産中止を求めて訴訟提起。
DIA-206-1987-03-13-4マレーシア1987年03月13日1980年代第1回「ASEAN経済会議」,KLで開催―グループ14とISISの共催。23日まで,地域経済統合に関するEC会議,EFTA経済協力セミナー,オーストラリア・ニュージーランド経済協力セミナー,ASEAN経済会議,ASEAN対話相手国円卓会議,グループ14第2回会議を順次開催。
DIA-206-1987-03-15-1マレーシア1987年03月15日1980年代ラーマン元首相,UMNO大会への招待を辞退。
DIA-206-1987-03-18-1マレーシア1987年03月18日1980年代台湾の電子産業投資視察団,訪マ。
DIA-206-1987-03-19-1マレーシア1987年03月19日1980年代Persatuan Rakyat Malaysia Sarawak(党首はラーマン前州元首),登録を認められる。
DIA-206-1987-03-20-1マレーシア1987年03月20日1980年代トレンガヌ州でムサ=ラザレイ団結集会―集会には,両者のほかにライス外相,アブドラー国防相,シャフリル社会福祉相,ザイナル副エネルギー・郵政・通信相が出席。さらにラザレイ商工相は,党内の一部から「分離派」と呼ばれている者として,アジブ総理府相,ナジブ文化・青年・体育相,ラーマ副運輸相,ラジ副第一次産業相,アディブ前土地・地域開発相の名を挙げた。
DIA-206-1987-03-20-2マレーシア1987年03月20日1980年代第2次国際天然ゴム協定案合意さる。
DIA-206-1987-03-20-3マレーシア1987年03月20日1980年代公営企業―サバルディン副蔵相の下院答弁によれば,政府の100%出資企業は192社,51%以上出資は235社,30~50%出資は110社。
DIA-206-1987-03-20-4マレーシア1987年03月20日1980年代PETRONAS社の85年度決算―86年3月末締め。グループの税引き前利益65億2000万リンギ(前年度69億1000万リンギ),内部留保累計額130億リンギ。
DIA-206-1987-03-21-1マレーシア1987年03月21日1980年代ライス外相のUMNO人事批判―かつて党の敵だった者が今や党と政府の重要人物になっている等。
DIA-206-1987-03-22-1マレーシア1987年03月22日1980年代首相,ガファール副首相の副総裁立候補を要請。
DIA-206-1987-03-22-2マレーシア1987年03月22日1980年代新経済政策見直し―ガファール副首相は,2000年までにブミプトラの資本所有比率を50%にすることが政府の希望であると語り,26日には,この比率は外資所有分30%を控除した残りの50%であると説明した。
DIA-206-1987-03-23-1マレーシア1987年03月23日1980年代サヌシUMNO書記長,ムサ=ラザレイを批判―両者の提携は「政略結婚」であると述べ,ムサは84年7月31日付の首相宛書簡でラザレイを閣僚に任命することに反対した,と暴露。
DIA-206-1987-03-23-2マレーシア1987年03月23日1980年代UMNOのサバ進出問題―ムスタファUSNO「党首」は,マハティール首相が3月19日の会談で,USNOの再強化努力の結果が出るまでUMNOのサバ進出計画を棚上げすることに同意したことを明らかにした。
DIA-206-1987-03-26-1マレーシア1987年03月26日1980年代中央銀行の予測―ジャファール総裁は,(1)87年のGDP成長率を1.5~2.0%と予測,(2)今後12~18カ月間に一次産品価格の大幅改善は見込めない,(3)86年11月以来40億リンギの外資が流入しており,投資が予測より前倒しで増加すれば,成長率も高まろう,と語った。
DIA-206-1987-03-26-2マレーシア1987年03月26日1980年代金融緩和措置発表―4月1日から,(1)商業銀行と金融会社の貸出基準金利を少なくとも0.5%引き下げる,(2)住宅ローン金利を従来の価格6万リンギ以下10%,10万リンギ以下11%から,一律9%または2大商銀の貸出基準金利+1.75%のいずれか低い方とする,(3)中小企業とブミプトラの事業向け融資(50万リンギ以下)の金利を6%に引き下げる,(4)新投資基金の原資を2億リンギ追加し,調達・貸出金利を0.75%引き下げる。
DIA-206-1987-03-27-1マレーシア1987年03月27日1980年代MCA,陳群川前党首の下院議員辞職を発表。
DIA-206-1987-03-27-2マレーシア1987年03月27日1980年代国会休会―憲法(選挙区)修正法案,86年度補正予算案など9法案を可決。
DIA-206-1987-03-30-1マレーシア1987年03月30日1980年代首相,ブルネイを訪問―2日間。スルタン,投資庁当局者,マレー人商工会議所代表などと会談。31日,(1)両国関係は航空業務拡充,トランス・ボルネオ・ハイウェイの完成により一層深まろう,(2)ブルネイの対ラブアン島投資を歓迎すると語った。
DIA-206-1987-04-01-1マレーシア1987年04月01日1980年代マラヤ共産党ゲリラの「投降」を発表―タイ第4軍区司令官Visit 中将によれば,ヤラ県の第12連隊とナラティワート県の第10連隊に対しても,武装闘争の中止を説得中。2日,マハティール首相は,(1)マ政府はML派の投降者に特赦を与えない,(2)マ出身者でマ内で更生プログラムを受ける気があるものは受け入れる,(3)プレム首相に祝電を送り,努力に感謝した,と語った。
DIA-206-1987-04-01-2マレーシア1987年04月01日1980年代サラワク国民戦線の選挙区割当など―国民戦線最高会議は,同州国民戦線の4党はきたる州議会選挙で,(1)戦線の党章を用いる,(2)州議会解散時点で各党が保持していた選挙区に候補者を立てる,の2点を決定。
DIA-206-1987-04-02-1マレーシア1987年04月02日1980年代ムサUMNO副総裁の批判―経済不振の理由は多々あるとしたうえで,(1)BMFスキャンダル,Maminco 問題,協同組合スキャンダル,Pan-El事件,UMBCスキャンダル等によって信認が失われた,(2)政府が,資金不足をいいながら威信発揚型プロジェクトに多額の資金を投じた,(3)政府指導層の芳しくない性格により民間投資が縮小した,などの点をあげ,ルック・イースト政策と民営化政策は再検討の必要があると述べた。
DIA-206-1987-04-03-1マレーシア1987年04月03日1980年代ガファール副首相,UMNO副総裁選出馬発表。
DIA-206-1987-04-03-2マレーシア1987年04月03日1980年代PBDS,州議会選挙で独自の党章使用と発表―マハティール首相は,次回の国民戦線最高会議が同党に対する処分を決めよう,と語った。
DIA-206-1987-04-03-3マレーシア1987年04月03日1980年代ルボック・アントゥ区下院補欠選挙投票―4月4日まで。有権者総数1万3386人,Jawah Anak Gerang(PBDS)5297票,無所属2356票,無効133票。
DIA-206-1987-04-04-1マレーシア1987年04月04日1980年代首相,ガファール副首相を強く支持―UMNO副総裁選で落選しても副首相にとどめる,と語った。
DIA-206-1987-04-05-1マレーシア1987年04月05日1980年代マ・ブルネイ間の問題―ポルキア・ブ国王は訪ブ中のマ国王歓迎の晩餐会の席上,陸海の境界線確定のような問題を解決して,好ましからざる事態の進展を避けるべきである,と述べた。
DIA-206-1987-04-06-1マレーシア1987年04月06日1980年代国立コンピュータ研修センター,開設―日本政府が機材600万リンギ相当を贈与,専門家10人を派遣。
DIA-206-1987-04-06-2マレーシア1987年04月06日1980年代マラッカ軽犯罪裁判所,ラヒム州首相恐喝(80万リンギ)事件容疑者2名(UMNO支部,支会幹部)に有罪判決。
DIA-206-1987-04-06-3マレーシア1987年04月06日1980年代Proton 社,現状打開案でこのほど合意―ジャミール会長発表。三菱グループは国産車の対欧米輸出に全面的に協力し,部品国産化計画を繰り上げ,債務をリファイナンスするなど。
DIA-206-1987-04-07-1マレーシア1987年04月07日1980年代ニエレレ前タンザニア大統領,訪マ―3日間。本日マハティール首相と会談,「南・南委員会」(South Commission)の組織と機能につき意見交換。
DIA-206-1987-04-07-2マレーシア1987年04月07日1980年代タイ軍,マ共ゲリラ118人の投降を発表―ファタルンでタイ女性2人を含む。
DIA-206-1987-04-09-1マレーシア1987年04月09日1980年代サラワクの木材伐採権問題―タイブ州首相は,(1)少数の者に集中された森林伐採権25件(225億リンギ相当)を,サラワク木材開発公社による再分配のため3月11日に凍結,と発表。州国民戦線は9日付People’s Mirror 紙掲載の広告のなかで,ラーマン前州首相がその在任時代に,彼と手を結んだ多数の政治家,および自分の親族が関係を持つ会社に伐採権を付与した,と暴露した。同日,ラーマンPermas 党首は,政治活動を志すものを含め申請者に伐採権を付与したが,自分の手元に集中した事実はないと語り,州首相時代に伐採権を与えたもののリストを読み上げ,調査委員会の設置を要求した。
DIA-206-1987-04-10-1マレーシア1987年04月10日1980年代首相,UMNO内の非難に反論―(1)党内の統一を乱すものは裏切り者である,(2)自分がオーストラリアに利権を持っているとか,Fleet グループが経営ミスで10億リンギの損失を負ったという非難について証拠の提出を歓迎する,(3)バンク・ブミプトラのMaminco 社への融資を決定したのは自分ではなく政府,(4)(ルック・イースト政策等が最高会議の承認を得ていないとの非難について)非難した人物が最高会議の場で問題を提起しなかったということだ,と語った。
DIA-206-1987-04-10-2マレーシア1987年04月10日1980年代PAS,党大会―大会冒頭ユソフ党首は,UMNO党大会後に,同党との対話が実現されることを望むと語った。大会は10日,青年部長にHj.Halim Arshat を対立候補なしで選出,11日,ユソフ党首以下の執行部のほとんどを同様に再選。スランゴール中華大会堂の張景良会長と華語小学校理事会協会連合会の林晃昇会長が出席。
DIA-206-1987-04-11-1マレーシア1987年04月11日1980年代ラザレイ商工相,UMNO総裁に立候補―直ちにメッカ巡礼に出発(16日帰国)。
DIA-206-1987-04-12-1マレーシア1987年04月12日1980年代ウリス副教育相,Maju グループ支持を表明。
DIA-206-1987-04-12-2マレーシア1987年04月12日1980年代反ARE社デモ行進―ペラ州放射線公害防止委員会の呼掛けに対し,ブキット・メラ新村を中心とする6郡の住民約5000人が参加。13日,ンガー州首相は,ARE社工場は住民の健康を害するものではないと語り,他方,李MCA副党首はデモ参加住民に対する支持を表明。
DIA-206-1987-04-13-1マレーシア1987年04月13日1980年代3プロジェクト関連の一部文書の機密指定解除―首相発表。3件の実施をすべて首相が決定したとの批判に反論するため。(22日参照)
DIA-206-1987-04-13-2マレーシア1987年04月13日1980年代第5次マレーシア計画の開発支出を大幅削減―スナルノ経済計画局長官によれば,先月の閣議で,(1)開発支出総額を740億リンギから490億リンギに削減,(2)5カ年計画は計画半ばではなく毎年見直す,などを決定。
DIA-206-1987-04-14-1マレーシア1987年04月14日1980年代首相,サラワク国民戦線支援のためシブ,サリケイなどを訪問。
DIA-206-1987-04-14-2マレーシア1987年04月14日1980年代ムマリ事件の責任問題―ラジ副第1次産業相は,同事件でイブラヒム・リビヤとその支持者たちに対する警察の検挙行動は首相が指示した,と語った。16日,サレフッディン官房長は,内閣が事件を知らされたのは,事件の翌日(85年11月20日)であった,と声明。同じ16日ムサUMNO副総裁は,検挙行動前に首相と閣僚に通知したとの談話を発表。
DIA-206-1987-04-15-1マレーシア1987年04月15日1980年代サラワク州議会選挙投票日―一部選挙区は16日まで。17日に明らかにされた最終結果によれば,州国民戦線3党は議席の過半数を制したものの3分の2には達しなかった(「参考資料」参照)。
DIA-206-1987-04-15-2マレーシア1987年04月15日1980年代新日鉄,還元鉄プラントの欠陥に賠償金支払い―ジャミールHICOM 会長によれば,(1)スペックどおりの製品を生産し得なかったため,(2)賠償金は250億円プラス4700万リンギ,債務(3月31日現在750億円)返済の一部に充当の予定。
DIA-206-1987-04-16-1マレーシア1987年04月16日1980年代Hamim 党大会―アスリHamim 党首を対立候補なしで再選。
DIA-206-1987-04-18-1マレーシア1987年04月18日1980年代サバ州の下院,州議会補欠選挙結果―下院リンバワン区:有権者総数1万5165人,USNO(Tun Mustapha)4704票,BERJAYA 1679票,無所属2109票,無効107票。州議会ウスカン区:有権者総数7217人,USNO(Tun Mustapha)3706票,PBS 3310票,無所属143票,無効107票。
DIA-206-1987-04-19-1マレーシア1987年04月19日1980年代第5回国際交流会議開催―KLで3日間。国際問題・戦略研究所(ISIS)主催。シュミット西独元首相,福田元首相などが出席。
DIA-206-1987-04-20-1マレーシア1987年04月20日1980年代UMNO最高会議,国民戦線加盟党指導者の党大会への招待取り消し(代議員数の増加のためと説明)。
DIA-206-1987-04-22-1マレーシア1987年04月22日1980年代蔵相,公務員年金廃止案の修正を発表―新規採用者のみEPFに転換する。87年予算案による改正を再修正したもの。27日,アルウィ公務員局長は新規採用者にも年金制度を適用と発表。
DIA-206-1987-04-22-2マレーシア1987年04月22日1980年代3プロジェクトとムマリ事件の閣議議事録抜粋発表―(1)ダヤブミ・ビル建設案の原型は71年2月の国家運営評議会に遡り,同ビル自体の建設は80年8月の国家行動会議(当時のマハティール副首相は欠席)で決定,(2)国産車生産事業は82年12月の閣議で説明,(3)ペナン大橋建設事業は72年以来閣議と運輸関係閣僚委員会で次第に具体化され,81年7月の閣議で韓国の現代建設会社の落札が決定された,(4)85年11月20日の閣議におけるムマリ事件に関するムサ首相代理の報告と,討議,決定事項。
DIA-206-1987-04-23-1マレーシア1987年04月23日1980年代UMNO青年部・婦人部大会―青年部大会は,国家経済回復計画の作成,マレー語の地位強化の方向での教育法改正などを決議。大会後アヌワール教育相は,次席副総裁立候補を理由に青年部長を辞任,ナジブ副部長が部長代理に昇格。
DIA-206-1987-04-24-1マレーシア1987年04月24日1980年代UMNO第38回党大会―KLで3日間。冒頭の基調演説でマハティール総裁は,(1)党が穏健路線を取る限り,国民は引続き党の指導を受け入れよう,(2)新経済政策を放棄すれば成長率は高まるが,われわれは同政策を選んでいる,等を指摘。役員選挙ではマハティール首相が総裁に僅差で再選され,ガファール副首相が同じく僅差で副総裁に初当選(「参考資料」参照)。大会終了に際し,首相は,挑戦者はリスクを負うべきだと語った。
DIA-206-1987-04-27-1マレーシア1987年04月27日1980年代国際錫理事会,国際錫協定の2年間延長を決定。
DIA-206-1987-04-28-1マレーシア1987年04月28日1980年代ラザレイ商工相とライス外相,辞表を提出。
DIA-206-1987-04-28-2マレーシア1987年04月28日1980年代南タイで共産党ゲリラ,集団「社会復帰」―ブトン地域のマラヤ共産党ML派のマラヤ人民解放軍第2軍区のゲリラ。張忠明以下539人(マレーシア出身者の華人361人,タイ出身の華人172人,タイ人6人,また女性253人,児童10人)がブトン近くの新村に移った。
DIA-206-1987-04-30-1マレーシア1987年04月30日1980年代首相,ラザレイ=ムサ派の閣僚を更送―サレフッディン官房長官の発表によれば,(1)ラザレイとライスの辞表を受理,(2)5月7日付で,アブドラー国防相,アジブ総理府相,シャフリル社会福祉相,カディール副外相,ラジ副第一次産業相,ラーマ副運輸相,ザイナル・アビディン通信・郵政相を解任。
DIA-206-1987-05-01-1マレーシア1987年05月01日1980年代閣僚更送への反応―更迭された7閣僚は,圧力に屈せず国民のUMNOへの信頼回復のため闘う,等9項目の共同声明発表。2日,ライス前外相は,UMNO内2派が和解しなければ,異議を唱える49%の者の存在が,将来党指導部に跳ね返ることになろうと警告。他方,アヌワール教育相は,首相が,挑戦を受け悪口をいわれて何もしないと期待することがおかしい,と声明。
DIA-206-1987-05-03-1マレーシア1987年05月03日1980年代対マ共両面戦術―タイ内務省筋は,マ共の残る800人のゲリラと投降につき交渉中と確認。7日,タイ軍は,マ共に対して近年最大規模の掃討作戦を開始。
DIA-206-1987-05-03-2マレーシア1987年05月03日1980年代ラザレイ=ムサ派支持者1名,ジョホール州行政議員(州政府閣僚)を辞任。4日にも1人が辞任。
DIA-206-1987-05-05-1マレーシア1987年05月05日1980年代ダナバラン・シ外相,訪マ
DIA-206-1987-05-05-2マレーシア1987年05月05日1980年代Metrolink 軽便鉄道建設事業―ハッサン連邦領相によれば,(1)11月入札,89年2月第1期完成の予定,(2)総工費1億リンギはMetrolink Sdn.Bhd.が借入れ。
DIA-206-1987-05-06-1マレーシア1987年05月06日1980年代サバ州の紙・パルプ生産計画遅延―試運転中に機械2基が故障し,コントロール・ルームの作動不良により電力供給が安定しないなどによる。
DIA-206-1987-05-06-2マレーシア1987年05月06日1980年代預金受け入れ協同組合に関するMCAの立場―林党首は,(1)政府には問題を公正に解決する義務がある,(2)24協組の全預金者に,遅くとも89年初めまでに預金の全額を返済すべきである,(3)ほかに選択肢がなければ,最後の手段として国民戦線を脱退する,と声明。
DIA-206-1987-05-06-3マレーシア1987年05月06日1980年代MPHB社86年度決算―税引き前損失5727万リンギ(うち金利子払い5293万リンギ),臨時損失1億6854万リンギ。
DIA-206-1987-05-08-1マレーシア1987年05月08日1980年代ラザレイ=ムサ派,全国遊説へ―ラザレイ前商工相は,ムサ前副首相,アブドラー前国防相など支持者とともに,9~21日に半島部10主要都市を遊説と発表。
DIA-206-1987-05-08-2マレーシア1987年05月08日1980年代Malaysia Fund Inc.―クローズドエンド型投資信託会社でArab-Malaysaia Merchant Bank が設立,ニューヨーク証券取引所に上場。発行額6000万米ドル。
DIA-206-1987-05-08-3マレーシア1987年05月08日1980年代マ銀行協会,金利引き下げを発表―バンク・ブミプトラとマラヤン・バンキングが6月1日から基準貸出金利を7.75%から7.00%に引き下げる。
DIA-206-1987-05-09-1マレーシア1987年05月09日1980年代PBB,ウリス副教育相を除名。
DIA-206-1987-05-16-1マレーシア1987年05月16日1980年代下院ペラ州ゴペン区補欠選挙の結果―有権者総数3万4142人。国民戦線(MCA陳祖排)1万2619票,DAP 8096票,無所属103票,無効425票。
DIA-206-1987-05-18-1マレーシア1987年05月18日1980年代フィジーのクーデターへの対応―マ外務省によれば,同国の情勢はなお流動的であり,マ政府は新政権に対する公式の立場を決定していない。
DIA-206-1987-05-19-1マレーシア1987年05月19日1980年代内閣改造発表―(1)連邦領省を総理府に吸収,空席だった法務相を首相兼任とし,文化・青年・体育省を文化・観光省と青年・体育省に分割,(2)大臣3人のポストを変更,今回入閣した5人のうち4人が副大臣から昇格,1人は元駐インドネシア大使,(3)副大臣11人(うちUMNO9人,また3人は政務次官から昇格)と政務次官3人を新たに任命(「参考資料」の閣僚リスト参照)。
DIA-206-1987-05-19-2マレーシア1987年05月19日1980年代米系電子産業の業況予測―マ米電子産業協会会長によれば,(1)マ国内の米系16社は,87年に機械・設備に1億6800万リンギを投資の予定,(2)同協会加盟の13社の87年の輸出は前年の36億リンギから40億リンギ台に増加の見込み。
DIA-206-1987-05-19-3マレーシア1987年05月19日1980年代日系企業の製造業投資拡大―日本大使館は,87年第1四半期に対前年同期比32.0%増の7670万リンギと発表。
DIA-206-1987-05-21-1マレーシア1987年05月21日1980年代GRM,預金受け入れ協組救済案発表―10億リンギの公債を発行して預金全額払い戻しの原資とする等。
DIA-206-1987-05-22-1マレーシア1987年05月22日1980年代政府,リンバン売却報道を否定―首相の報道担当秘書官は,首相が3月のブルネイ訪問でサラワク州第5区のリンバン地域を60億米ドルで売る旨ブ側に提案したとのFar Eastern Economic Review(FEER),5月21日号の報道を,まったくの虚偽と否定した。同誌は27日に,上記報道を撤回し首相に陳謝した。
DIA-206-1987-05-22-2マレーシア1987年05月22日1980年代MCA,華人団体代表と会談―MCA側は林党首を除く正副の大臣全員が出席,華人団体側は,半島部のプルリスとトレンガヌを除く9州と連邦領の中華総商会・中華大会堂とマ華商工会議所連合会の代表が参加。
DIA-206-1987-05-24-1マレーシア1987年05月24日1980年代反ARE住民デモ隊数百名と機動隊が衝突,住民側10数名,機動隊側3名が負傷。
DIA-206-1987-05-25-1マレーシア1987年05月25日1980年代国内9団体,シンガポール政府に抗議声明―MTUC,Aliran,民権委員会,INSANなど9団体が,シ政府の国内治安法による16人の拘留(5月21日)は理由が明確ではなく不公正,と共同で声明。
DIA-206-1987-05-28-1マレーシア1987年05月28日1980年代政府,教育法の全面的改正作業をすでに開始―雲時進副教育相は,(1)教育省はすでにいくつかの小委員会を設置,(2)同法修正により問題の第21条第2項は撤廃されよう,(3)しかし,同法には他に第26条(A),第42条,第53条,第111条(K)のような,華語小学校と同私立中等学校の存続および発展に不利な条項が存在,と語った。
DIA-206-1987-05-31-1マレーシア1987年05月31日1980年代預金受け入れ協組問題―林MCA党首は,(1)国民戦線の精神と原則により,和解的雰囲気のなかで早急に解決されると信じる,(2)GRMが突然関心を示しだしたことへの論評は控える,と語った。同日アヌワール教育相は,問題解決に当たり,政府はいかなる部分からの脅迫や最後通牒にも屈服しないと声明した。
DIA-206-1987-06-01-1マレーシア1987年06月01日1980年代金利引き下げ―中銀は本日の商銀貸出基準金利引き下げに合わせ,新投資基金の調達金利を5.5%から5.0%に,貸出金利を8.25%から7.75%に引き下げ。
DIA-206-1987-06-01-2マレーシア1987年06月01日1980年代クアラルンプル銀行間取引金利(KLIBOR)の発表を開始。
DIA-206-1987-06-02-1マレーシア1987年06月02日1980年代教育法修正作業への批判―マ華語小学校教員協会連合会は,民意を徴することのない自作自演と批判。
DIA-206-1987-06-02-2マレーシア1987年06月02日1980年代MCA,ペラ州放射線公害防止委員会と会談―林党首,李副党首など出席。既定の方針に基づき,ARE社の放射線廃棄物問題に早急に取り組むと声明。
DIA-206-1987-06-02-3マレーシア1987年06月02日1980年代馬化合作社の合理化―管財人Price Waterhouse 社は,従業員450人中167人に解雇を,残りの者に25%減俸を通告。8月1日には75支店中55支店を閉鎖。
DIA-206-1987-06-03-1マレーシア1987年06月03日1980年代GRM林党首派,党役員選挙綱領発表―「新経済政策」に代わる「新全国開発計画」を提案,パパン放射性廃棄物貯蔵所問題を解決,公的機密法修正に貢献などの業績を挙げ,今後はPBSと関係を強化と主張。
DIA-206-1987-06-05-1マレーシア1987年06月05日1980年代マハティール首相,シ政府の国内治安法発動とそれによるマ国民2人の拘留につき,マレーシアには他国の内政に干渉する権利はないとの立場を表明。
DIA-206-1987-06-06-1マレーシア1987年06月06日1980年代GRM党大会―2日間。党首に林敬益を三選(614票,呉清徳367票)したほか,林派が全選出ポストを独占。林党首は大会冒頭,新経済政策を公正かつ客観的に評価するための全国諮問評議会の設置を提案。
DIA-206-1987-06-10-1マレーシア1987年06月10日1980年代非イスラム宗教団体の布教活動―モクタール・トレンガヌ州首相は,同州内のムスリムに対するキリスト教布教の報道につきこのほど調査を指示と発表。ペナン州政府は,ムスリムに対し布教を試みる非イスラム宗教組織を躊躇することなく処分,と声明。
DIA-206-1987-06-10-2マレーシア1987年06月10日1980年代サラワク州の少数種族代表,KLで陳情―イバン,カヤン,プナン,クラビット等の部族長など12人が,マレーシア自然の友学会の後援で本日記者会見。森林伐採により生活環境を破壊されたため,伐採基地封鎖を余儀なくされたと訴えた。17日までに,モギー・エネルギー・通信・郵政相,楊科学・技術・環境相,林第一次産業相,アヌワール教育相,ガファール首相代理と会見。
DIA-206-1987-06-10-3マレーシア1987年06月10日1980年代UMNO青年部に李金獅労相解任の要求高まる―タジュッディン執行委員が,預金受け入れ協組問題での李労相の発言は政権の安定を公然と脅かすものと非難。MCA青年部は11日,党指導層を支持と声明。
DIA-206-1987-06-11-1マレーシア1987年06月11日1980年代教育法修正監視のための行動委員会成立―全国華人15団体指導機構は,教育法全面修正問題に対処し,与野党,その他の各種族団体と対話・討議を進めるため,7人行動委員会(委員長は張景良スランゴール中華大会堂会長)を設置した。
DIA-206-1987-06-12-1マレーシア1987年06月12日1980年代PBDSの地位―アヌワール教育相は,同党がなお連邦レベルの国民戦線の一員であると確認。
DIA-206-1987-06-12-2マレーシア1987年06月12日1980年代ペラ州放射線公害防止委員会,ARE社の操業中止を求め,日本大使館にデモ。中曾根首相宛書簡を手交。
DIA-206-1987-06-14-1マレーシア1987年06月14日1980年代教育法修正問題―アヌワール教育相は,同法修正の主たる目的は国語の水準の引き上げにあるが,他の母語の教育水準を引き下げるものではないと語った。
DIA-206-1987-06-15-1マレーシア1987年06月15日1980年代ASEAN外相会議,シンガポールで開催。
DIA-206-1987-06-15-2マレーシア1987年06月15日1980年代日本の資金還流構想への要望―フセイン前首相は,東京でのマ・日,日・マ経済協会合同会議の開会に当たり,最近中曾根首相が提起した資金還流構想の一環として,マレーシアに対し,新規事業のみならず既存の事業の借り替えにもソフトローンを供与するよう要請。
DIA-206-1987-06-17-1マレーシア1987年06月17日1980年代マハティール首相,ウィーンで開催の国連の麻薬乱用・不法取引問題国際会議で議長に選出さる。
DIA-206-1987-06-17-2マレーシア1987年06月17日1980年代ペラ州でマ共第8攻撃隊と交戦―クアラ・カンサール付近。マ共側に少なくとも死者8人。
DIA-206-1987-06-18-1マレーシア1987年06月18日1980年代預金受け入れ協組問題―ナジブUMNO青年部長代理は,MCAが傲慢かつ粗野な態度をとり続けるなら,MCAの国民戦線内の地位を見直す,と声明。
DIA-206-1987-06-19-1マレーシア1987年06月19日1980年代大卒失業者対策―アヌワール教育相は,昨年7月開始の政府による臨時雇用事業(4000人)を継続するが,手当は月額600リンギから400リンギに減額,と発表。
DIA-206-1987-06-19-2マレーシア1987年06月19日1980年代シンガポール政府,5月21日に国内治安法で拘留したNew Straits Times 紙の陳麗卿記者を無条件釈放。
DIA-206-1987-06-21-1マレーシア1987年06月21日1980年代首相,ユーゴスラビア訪問。
DIA-206-1987-06-24-1マレーシア1987年06月24日1980年代内閣,雇用法修正,とくに「賃金」の再定義のため,労相を長とする閣僚委員会設置を決定。
DIA-206-1987-06-25-1マレーシア1987年06月25日1980年代UMNO役員選挙無効の申し立て―ペナン,クランタン,パハン,N・スンビラン等の同党分会の役員12人が,(1)ペナンの3支部,クランタンの3支部,パハンの3支部の党大会代議員選挙は党規約と憲法に違反,(2)4月24日の党大会における役員選挙は憲法違反,不法,かつ無効,との判定を求めKL高裁に訴訟を提起。
DIA-206-1987-06-25-2マレーシア1987年06月25日1980年代マ政府,新国際天然ゴム協定に調印。
DIA-206-1987-06-27-1マレーシア1987年06月27日1980年代90年以降のブミプトラ資本所有目標―ガファール副首相は,連邦直轄領マレー人商工会議所との対話集会で,従来の目標30%を50%に引き上げる点では,政府は妥協しないと語った。28日,林MCA党首は,ガファール案の詳細を検討する必要があると談話。
DIA-206-1987-06-27-2マレーシア1987年06月27日1980年代韓国の羅雄培商工相,訪マ(5日間)。
DIA-206-1987-06-28-1マレーシア1987年06月28日1980年代「1990年前後の華人の展望」セミナー開催―MCA主催。林党首は,国民戦線の枠内で,(1)公務員の構成に国の種族構成を反映させ,(2)企業活動で自由競争とメリトクラシーを擁護し,(3)生活のどの分野であれ一種族の絶対的優位に反対する,と語った。30日には,MCAが期間20年の「華人経済計画」を策定中,と発表。
DIA-206-1987-06-28-2マレーシア1987年06月28日1980年代クランタン州議会ブキット・トク区補欠選挙―有権者数1万1389人。国民戦線(UMNO)3790票,PAS 3672票,無所属970票,無効60票。
DIA-206-1987-06-29-1マレーシア1987年06月29日1980年代国会再開―下院は7月10日まで,上院は7月13日から17日。
DIA-206-1987-06-29-2マレーシア1987年06月29日1980年代マ・タイ閣僚合同委員会設置の取り決めに調印―両国の首都で交互に年に一度開催,治安問題を除く主要な問題の解決と新たな協力分野の開拓に当たる。
DIA-206-1987-06-29-3マレーシア1987年06月29日1980年代天然ゴム相場,250センの大台突破―7月2日には過去5年間で最高の257センをつけた(RSS 1号,期近もの)。
DIA-206-1987-07-01-1マレーシア1987年07月01日1980年代米国の反パーム油ロビー―林第一次産業相は,米国大豆協会による熱帯産植物油表示法案可決への働きかけと闘うべくあらゆる努力を払っていると語った。
DIA-206-1987-07-01-2マレーシア1987年07月01日1980年代非マレー語選択科目問題―このほどマラヤ大学評議会が,他コース専攻の学生に,文学・社会科学部の非マレー語を授業用語とするコースの科目の選択を禁止したことに対し,許子根GRM青年部長が本日,DAPの林冠英議員が3日,ヴェルMIC党首が5日それぞれ反対を表明。6日,アヌワール教育相は,純粋にアカデミックな問題であれば,最終的な決定権は大学に存する,との見解を表明。9日,アジズ・マ大副総長が,変更はしない,と声明。15日,内閣は適当な時期まで問題の討議を延期,その間マ大は同案を実施しうる,と決定。
DIA-206-1987-07-04-1マレーシア1987年07月04日1980年代ビルマのウ・モン・モン・カ首相,訪マ。
DIA-206-1987-07-04-2マレーシア1987年07月04日1980年代サラワク州警察,4,5月の爆破・放火事件で15人(うち4人は国内治安法により)を拘留中と発表。
DIA-206-1987-07-06-1マレーシア1987年07月06日1980年代預金受け入れ協同組合13組合救済案の大要―内閣は,(1)12組合の預金は,1990年までに少なくとも50%を現金で,残額を公認の金融機関または適当な上場会社の株式の形で払い戻す,(2)馬化合作社については,Public Bank の提案をもとに協議する,と決定。7日,陸副蔵相は,解決は林MCA党首の指導の成果と談話。他方,林GRM党首は18日,MCAは5月初めごろの閣議では上記の案に反対していた,と暴露した。
DIA-206-1987-07-06-2マレーシア1987年07月06日1980年代ガファール副首相,訪タイ。
DIA-206-1987-07-06-3マレーシア1987年07月06日1980年代サバ州内陸3郡のムルット族,森林伐採により生活を脅かされているとして,州政府に対策を要求。
DIA-206-1987-07-07-1マレーシア1987年07月07日1980年代半島部のマ共ゲリラ―メガット副内相の下院答弁によれば,(1)158人が活動中,(2)81~84年に,105人が「社会復帰」し,特別に職業訓練を受けた。
DIA-206-1987-07-07-2マレーシア1987年07月07日1980年代Sports Toto(Malaysia) Bhd.の株式公開(375万株,1株2リンギ)に87倍の応募。7月29日,上場。
DIA-206-1987-07-08-1マレーシア1987年07月08日1980年代南北ハイウェイ入札問題―林DAP書記長は下院で,(1)Hashbuddin 社はUEM社より低い額を入札した,(2)UEM社は債務超過の状態にある,(3)UEM社は,筆頭株主のHatibudi 社を通じてUMNO最高指導者と特別の関係にある,(4)道路建設は政府の社会的責務であり,国民に負担をかけるべきではない,等の問題点を指摘した。9日,ヴェル公共事業相は,(1)UEM社の応札は技術的仕様とコストの点で最善,(2)同社の純資産は3000万リンギ,未収資金は3500万リンギ,他方Hashbuddin 社の純資産は4万3000リンギ,(3)UMNO最高指導者はHatibudi 社の株主ではなく受託人,と答弁。
DIA-206-1987-07-09-1マレーシア1987年07月09日1980年代華人教育団体,教育法修正について警告―華語小学校教員協会連合会と同理事会協会連合会は,(1)教育法修正作業が教育省の24の小委員会により進められているが,小委員会の委員は全員非華人である,(2)華人政党,団体に同法修正作業を監視する運動を積極的に展開するよう要請する,などの共同声明を発表。
DIA-206-1987-07-09-2マレーシア1987年07月09日1980年代カミセセ・フィジー前首相,訪マ。
DIA-206-1987-07-10-1マレーシア1987年07月10日1980年代蔵相,金利引き下げを要請―基準貸出金利と貸出金利の差を5%以下にするよう要請。
DIA-206-1987-07-10-2マレーシア1987年07月10日1980年代MCA青年部,婦人部大会―青年部では葉炳漢が1431票中1282票で部長に初当選,婦人部では,鄧育桓が724票中495票で部長に再選。青年部は,UMNO青年部の一部指導者の種族主義的発言を遺憾とする,等を決議。
DIA-206-1987-07-11-1マレーシア1987年07月11日1980年代MCA党大会―党首に林良実(1526票中1289票,梁維231票),副党首に李金獅(対立候補なし)を選出,その他の役職も主流派が独占。12日,(1)1990年以降の国家開発計画は,広範な国民の合意を基礎とするという国民戦線の86年総選挙綱領の尊重を政府に求める,(2)教育法改正と国民小学校教科課程変更が華人社会の利益を損なわないようにする,等21項目の決議を採択。
DIA-206-1987-07-13-1マレーシア1987年07月13日1980年代マレー人商工会議所,モラトリアムを要請―首相,蔵相,商工相,中銀総裁などとの会談の席上,ブミプトラ企業家救済のため債務返済の2年間猶予,5億リンギの特別回転資金の設立を要請。15日,黄文彬華人商工会議所連合会長は,特別回転資金は非ブミトラも対象とすべきだと語った。
DIA-206-1987-07-14-1マレーシア1987年07月14日1980年代PBDSの州議員5人,Majuグループを離れサラワク州国民戦線を支持と声明。
DIA-206-1987-07-14-2マレーシア1987年07月14日1980年代ガス化学事業2件で趣意書に調印―PETRONAS 社が,Neste Oy 社(フィンランド),出光石油化学会社とメチル・三価ブチル・エーテル工場およびプロピレン工場の建設で。外資2社は資本参加も行なう。
DIA-206-1987-07-17-1マレーシア1987年07月17日1980年代国会休会―連邦道路(民間管理)法案,86,87年補正予算案など8法案が成立。
DIA-206-1987-07-17-2マレーシア1987年07月17日1980年代UMNO各部局,各州連絡委員会議長等の人事発表―ラザレイとムサの支持者を排除(「参考資料」参照)。
DIA-206-1987-07-19-1マレーシア1987年07月19日1980年代大卒失業者―マ経済研究所(MIER)は,87年に3万6000人,88年には5万人なると予測。8月1日発表の総理府のサンプル調査では1万3000人。
DIA-206-1987-07-20-1マレーシア1987年07月20日1980年代不履行債務―銀行筋によれば,86年末現在で金利・元本の返済が1年以上にわたり滞っている銀行債務は140億リンギ,融資残高の約20%という。
DIA-206-1987-07-20-2マレーシア1987年07月20日1980年代首相,訪英―5日間。本日,サッチャー首相主催の歓迎宴で,(1)英国を新たな目で見たい,(2)対マ輸入の多角化を要請する,(3)英国は南アの人種差別撤廃実現の道義的責任がある,と語った。21日,両首相はサガ車の対英輸出,同車部品の英国での製造などの問題を討議。
DIA-206-1987-07-20-3マレーシア1987年07月20日1980年代政府,公務員新規採用凍結の一部解除を決定。
DIA-206-1987-07-22-1マレーシア1987年07月22日1980年代首相,投資セミナーで法人税率引き下げを示唆。
DIA-206-1987-07-22-2マレーシア1987年07月22日1980年代MTUC,Aliran,民権委員会など11団体,南北ハイウェイ建設契約の調印延期を要請。
DIA-206-1987-07-24-1マレーシア1987年07月24日1980年代Proton 社,対英輸出で趣意書に調印―相手側はProton Car(UK) Ltd.。88年から5年間に計4万8000台を輸出する計画。
DIA-206-1987-07-26-1マレーシア1987年07月26日1980年代首相,ハンガリー訪問―4日間。
DIA-206-1987-07-29-1マレーシア1987年07月29日1980年代首相,訪ソ―7日間。本日,ムラコフスキー首相代理主催の歓迎宴の席上,ソ連はアジア・太平洋の不可分の一部であり,この文脈でそのアジア・太平洋安保構想を歓迎すると述べると同時に,カンボジアからの外国軍隊の撤退というASEANの提案を確認した。31日,ゴルバチョフ書記長と会談後,カンボジア問題が近い将来解決されることはおそらくないだろうと語った。訪ソ中に海運協定と二重課税防止協定が調印された。
DIA-206-1987-07-29-2マレーシア1987年07月29日1980年代南・南委員会,このほど正式発足。
DIA-206-1987-08-04-1マレーシア1987年08月04日1980年代教育法修正に関するMCAの立場―同党最高指導部は華人団体の教育法修正監視行動委員会代表と会談。会談後,林党首は,教育法修正が華語小学校を変質させてはならないという点で了解に達した,と語った。
DIA-206-1987-08-10-1マレーシア1987年08月10日1980年代国民戦線青年部最高会議開催―会議後,ナジブ議長(UMNO青年部長代理)は,(1)戦線指導者がすでに合意した国家の政策を争点にしない,(2)異なる意見を公表する場合,種族的・政治的緊張を高めてはならない,等の点で合意したと発表。
DIA-206-1987-08-10-2マレーシア1987年08月10日1980年代ムスリムのキリスト教への改宗―ナジブUMNO青年部長代理は,詳細と改宗者数は発表できないが,布教活動は組織的であり,青年部は事態を注視,と語った。
DIA-206-1987-08-10-3マレーシア1987年08月10日1980年代インド人22団体,マラヤ大学の母語による選択科目廃止決定の撤回を求める覚書きをアジズ副総長に選出。
DIA-206-1987-08-11-1マレーシア1987年08月11日1980年代首相,FEER誌を告訴―5月21日号の,首相がリンバン売却の可能性をブルネイ政府と討議との報道と6月4日号の謝罪が名誉を毀損したというもの。
DIA-206-1987-08-11-2マレーシア1987年08月11日1980年代華人教育団体代表,アヌワール教育相と会談―教育相は,華語小学校教員協会連合会と同理事会協会連合会の代表と会談後,(1)教育法見直しで,英語,華語,タミール語と同様にマレー語の地位を保護する,(2)修正法には,私立の教育機関に対する監督規定が付加される,(3)会談で両者の多くの誤解が明らかにされた,と語った。
DIA-206-1987-08-12-1マレーシア1987年08月12日1980年代フィリピン,サバ領有請求権の放棄を示唆―訪マしたラウレル比副大統領はマハティール首相との会談後,サバ問題を両国が満足して受け入れられる形で解決すべく努力している,と語った。
DIA-206-1987-08-12-2マレーシア1987年08月12日1980年代MIC青年部,このほどマラヤ大選択科目問題を法廷に提訴と決定(ヴィジャンドラン部長,発表)。
DIA-206-1987-08-13-1マレーシア1987年08月13日1980年代モフタル・インドネシア外相,訪マ。
DIA-206-1987-08-14-1マレーシア1987年08月14日1980年代首相,3大地場商業銀行に証券取引業務を許可の方針,と発表。
DIA-206-1987-08-15-1マレーシア1987年08月15日1980年代ラーマン元首相,憲法の見直しを提唱―Aliran主催の「独立30年―憲法を考える」。セミナーで。
DIA-206-1987-08-17-1マレーシア1987年08月17日1980年代国民戦線加盟党への警告―首相は,加盟政党の一部が,意見の対立を戦線内のチャンネルを通じてではなく,問題の公表によって解決を図ろうとしているため,問題が誇張されている,と警告。ナジブUMNO青年部長代理は,戦線加盟党を含めて,マレー人の感情を傷つけるものに対して積極的に反撃すると声明。
DIA-206-1987-08-18-1マレーシア1987年08月18日1980年代林吉祥,南北ハイウェイ入札問題で政府を告発―(1)UEM社への趣意書付与は無効との決定を求め,(2)同社と政府の契約調印差し止めの仮処分を申請。KL高裁は(2)を却下したが,19日,林は最高裁に控訴。25日,最高裁は,本裁判の結審まで調印を禁止。
DIA-206-1987-08-22-1マレーシア1987年08月22日1980年代ベラ州スルタン,憲法の見直しを要請―マラヤ大学法学部主催の会議の冒頭,(1)憲法を支える哲学も含めて見直す時期にきた,(2)政府は,各界の意向を十分代表する,有権者の委員会を設立すべきである,(3)この見直しにより社会の緊張が緩和されよう,と語った。
DIA-206-1987-08-23-1マレーシア1987年08月23日1980年代ヴィジャンドラン,MIC青年部長を解任さる。
DIA-206-1987-08-24-1マレーシア1987年08月24日1980年代ムハンマド・スランゴール州首相,KL-クラン・ハイウェイ有料道路化に反対,と声明。
DIA-206-1987-08-27-1マレーシア1987年08月27日1980年代首相,憲法見直しに反対を表明―政府が200~300人の少数グループの憲法を見直し圧力に屈すれば緊張と混乱が生じるとして,現行憲法の維持を国民に要請。
DIA-206-1987-08-27-2マレーシア1987年08月27日1980年代首相,全国遊説を開始―ジョホール州を訪問,UMNO州連絡委員会と会談。ムサ前副総裁も出席。
DIA-206-1987-08-27-3マレーシア1987年08月27日1980年代香港,台湾からの投資―18~22日に両地域を訪問したラフィダー商工相によれば,41社(うち台湾39社)が,石油化学,電子,衣料,セラミック等の分野で計4億リンギの対マ投資計画を確認したという。
DIA-206-1987-08-29-1マレーシア1987年08月29日1980年代MIC党大会―スブラマニアム副党首が無競争で再選され,次席副党首には現職2人と新人1人が選出された。30日,ヴェル党首はヴィジャンドラン前青年部長を書記長に任命,と発表。
DIA-206-1987-08-30-1マレーシア1987年08月30日1980年代パハン州でモスクなどに放火―本朝未明にプカン郡の3カ村でモスク2,集会所1が,31日未明にはトゥムルロー郡の3カ村でモスク3,集会所1などが,放火により焼失。
DIA-206-1987-08-31-1マレーシア1987年08月31日1980年代イスラム棄教者―ユソフPAS党首は,約6万6000人のマレー人が棄教し,無心論者や他の宗教に改宗,と発言。9月9日,一定の統計のマレー人であってムスリムではない者の数を引用,と説明。
DIA-206-1987-09-01-1マレーシア1987年09月01日1980年代ガファール副首相,訪日―6日間。2日,田村通産相と会談,GSP枠の拡大,対マ借款への金利の一層の引き下げなどを要請。
DIA-206-1987-09-01-2マレーシア1987年09月01日1980年代蔵相,最近の株価下落の要因は,国内の対立を強調するようなセミナーと噂の蔓延との見解を披露。
DIA-206-1987-09-03-1マレーシア1987年09月03日1980年代3大商銀に株式仲買営業許可書発行―Bank Bumiputra,Malayan Banking,UMBCの3行。
DIA-206-1987-09-05-1マレーシア1987年09月05日1980年代国軍人事発表―陸軍参謀長ハシム大将が国軍参謀総長に,陸軍副参謀長ヤーコブ中将が陸軍参謀長に(あわせて大将に昇進)等。10月6日付。
DIA-206-1987-09-06-1マレーシア1987年09月06日1980年代ガファール副首相,訪中―7日,趙紫陽首相,田紀雲副首相等と会談。9日,両国は海運協定に調印。
DIA-206-1987-09-07-1マレーシア1987年09月07日1980年代パハン州モスク火災事件の背景―首相は,(1)同事件が不法入国したインドネシア人キリスト教徒やキリスト教に改宗した元ムスリムの仕業とする噂について,その証拠がないばかりか,噂の流布は宗教暴動を招く恐れがある,と警告。
DIA-206-1987-09-09-1マレーシア1987年09月09日1980年代石油19%増産へ―モハールPETRONAS会長は,生産量を日量50万バレルにする,と発表。
DIA-206-1987-09-11-1マレーシア1987年09月11日1980年代首相,UMNO党員に団結と再統一を要請―ラブアン島の同党集会で,4月の役員選挙後の不統一に遺憾の意を表明,13日ペナンで,対立する諸派を纒めるため全州を訪問する意向を明らかにし,15日には,ラザレイ前商工相の言う魔女狩りは行なっていない,と語った。
DIA-206-1987-09-14-1マレーシア1987年09月14日1980年代サバ領有請求権放棄の条件―イングレス比外務次官は,放棄の条件は国境の合同パトロール取り決めということになろう,と語った。
DIA-206-1987-09-14-2マレーシア1987年09月14日1980年代華語小学校人事問題―雲副教育相は,華語小学校教員協会連合会と同理事会協会連合会の代表と会談後,(1)ペナンでは,最近の人事で,華語教育を受けていない校長や管理職教員が配属された準公立(華語)小学校の父兄の間で,子弟を引き揚げるという主張が出ている,(2)今回昇任させた教員は519人。うち華語小学校に配属された教員のなかで華語教育を受けていない者は96人。(3)人事の撤回はできないが,問題解決に努力,と語った。
DIA-206-1987-09-15-1マレーシア1987年09月15日1980年代政府,マラッカ精油所建設を原則的に認可―精油能力10万バレル/日,建設コスト12億リンギ。
DIA-206-1987-09-16-1マレーシア1987年09月16日1980年代MCA幹部12人,警察の事情聴取を受ける―MPHB社が受託していた張明添教育基金(1000万リンギ)と,同社が85年にシンガポールに投資した2200万リンギについて。12人には朱正華(前MCA財政部長,馬化合作社理事),温成利(前馬化合作社会長),紀永輝(前MCA青年部長),羅福元(MCA党大会議長)が含まれる。
DIA-206-1987-09-16-2マレーシア1987年09月16日1980年代華語小学校問題―教育法修正監視行動委員会は,(1)これまでにDAP,GRM,MCA,PSRMの指導者と会談,(2)今後,SUPP,PBS,PASの指導者と会談し,全州で公開討論会を組織していくと発表。
DIA-206-1987-09-16-3マレーシア1987年09月16日1980年代天然ゴム,高値更新―RSS 1号は84年2月10日の270.25センを上回る271.50センをつけた。
DIA-206-1987-09-17-1マレーシア1987年09月17日1980年代警察,CCBの現職・元幹部9人から事情聴取―Central Cooperative Bank の不正経営と5億リンギ以上にのぼる不良債権の問題について。
DIA-206-1987-09-17-2マレーシア1987年09月17日1980年代パハン州のFELDA入植者,DAP分会を結成へ―このほど暫定委員会を組織,結社登録官に設立申請。
DIA-206-1987-09-18-1マレーシア1987年09月18日1980年代プレム・タイ首相,訪マ―マハティール首相はクアンタンでの会談で,経済専管水域に関するマ側の立場を説明。19日,鮪漁合弁企業の発足に立ち会った。
DIA-206-1987-09-19-1マレーシア1987年09月19日1980年代サバ州議会ボンガワン区補欠選挙―有権者9001人,PBS3279票,USNO2835票,無効57票。
DIA-206-1987-09-25-1マレーシア1987年09月25日1980年代DAP,華語小学校人事問題を2週間以内に解決するよう教育省に要求。
DIA-206-1987-09-26-1マレーシア1987年09月26日1980年代UMNO大会無効訴訟,取り下げ説得へ―首相は,党最高会議が問題解決のためサヌシ書記長,アブドラー次席副総裁を含む5人委員会を設置,と発表。
DIA-206-1987-09-28-1マレーシア1987年09月28日1980年代全国小農協会(NASH),借入金を完済した入植者には,個人別土地所有権を付与するよう決議。
DIA-206-1987-09-28-2マレーシア1987年09月28日1980年代すず生産国閣僚会議,KLで開催―林第一次産業相によれば,世界の過剰在庫は本年3月1日の7万6800トンから,年末には5万2000トン以下に減少の見込み。
DIA-206-1987-09-30-1マレーシア1987年09月30日1980年代政府,Cグループ公務員の賃上げ要求を拒否。
DIA-206-1987-09-30-2マレーシア1987年09月30日1980年代外資の製造業直接投資―サルジMIDA長官によれば,(1)87年1~9月に81件(投資総額9億7800万リンギ,雇用予定1万5265人)を認可(86年同期は,64件,3億5800万リンギ,6284人),(2)うち台湾の投資は,12件,4560万リンギ(86年同期は8件,210万リンギ)。
DIA-206-1987-09-30-3マレーシア1987年09月30日1980年代駐マ日本大使に中平立国連局長任命。
DIA-206-1987-10-02-1マレーシア1987年10月02日1980年代首相,クランタン州訪問―ラザレイ前商工相を含む州UMNO指導者と会談。3日,前商工相は,党統一には全員が責任を分担することが必要,と語った。
DIA-206-1987-10-04-1マレーシア1987年10月04日1980年代華人団体,華小人事問題の解決に期限設定―スランゴール・KLとマラッカの華語教育団体は,それぞれ,(1)教育省に2週間以内に解決するよう要求,(2)解決されなければ父兄・教員による授業放棄を組織,と決議。他方,アヌワール教育相は,教員昇任人事は必要な調整を行ない,あらゆる見解を考慮して決定したものであり,恫喝や圧力に屈服して変更したりはしない,と声明。
DIA-206-1987-10-04-2マレーシア1987年10月04日1980年代林DAP書記長,MCAとGRMに華小人事問題で「3林委員会」結成と共闘を呼びかけ。
DIA-206-1987-10-04-3マレーシア1987年10月04日1980年代サラワクのブロッケード―第4区と5区で少なくとも14カ所の伐採キャンプが封鎖されているという。
DIA-206-1987-10-04-4マレーシア1987年10月04日1980年代民営化マスタープラン―ヤヒヤ経済計画局長官によれば,(1)同局内の委員会が英系のエンジニアリング5社に作成を依頼,来年には導入の見込み,(2)民営化事業は認可ずみ11件,認可見込み10件,検討中のもの40件。
DIA-206-1987-10-05-1マレーシア1987年10月05日1980年代KL高裁,南北ハイウェイ建設契約差し止め命令の解除を求めた政府とUEM社の申し立てを却下。
DIA-206-1987-10-05-2マレーシア1987年10月05日1980年代与党内の華小人事問題解決の努力―李MCA副党首はアヌワール教育相と会談後,華人社会の意向を教育相に伝達,と語った。6日,林MCA党首は首相と会談,問題を国民戦線の機構を通じて解決するつもりだが,若干の時間が必要との見解を表明。
DIA-206-1987-10-05-3マレーシア1987年10月05日1980年代林DAP書記長,南北ハイウェィ建設落札に関し,ヴェル公共事業相とUMNOの閣僚に汚職の容疑があるとして警察に届出。
DIA-206-1987-10-05-4マレーシア1987年10月05日1980年代自動車販売台数―マ自動車連盟によれば,87年の販売台数は,前年比37%減の4万7000台の見込み。
DIA-206-1987-10-05-5マレーシア1987年10月05日1980年代シンガポール政府,国軍兵士4人のジョホール南端上陸に関し陳謝。15日,UMNO青年部,シ政府に抗議。
DIA-206-1987-10-08-1マレーシア1987年10月08日1980年代華人団体と政党,緊急会議開催―華人15団体行動委員会,MCA青年部,GRM,DAPは,(1)4者は華小人事問題で共同行動委員会を結成,(2)スランゴール・KLとマラッカの華小17校と3大華語教育組織による,10月14日までに解決されなければ授業放棄という決定を支持,(3)11日に「全国華人団体・政党抗議大会」を開催,などを決定。
DIA-206-1987-10-09-1マレーシア1987年10月09日1980年代華小人事問題への政党の介入自粛要求―ラジャグル全国教員組合(NUTP)書記長は,政治家の介入により問題が誇張され,マレー人教員が華小に配属されたような印象が生じている,と非難。
DIA-206-1987-10-09-2マレーシア1987年10月09日1980年代DAPの抗議活動―(1)マラヤ大で選択科目問題に抗議のハンスト,15人が不法集会容疑で逮捕される,(2)ジョホール州でインドネシアからの不法入国に抗議する集会を開催,林書記長ほか4人が同上容疑で逮捕された。
DIA-206-1987-10-10-1マレーシア1987年10月10日1980年代首相,英連邦首脳会議出席のため出発。
DIA-206-1987-10-11-1マレーシア1987年10月11日1980年代華人団体・政党抗議大会―KLの天后宮で開催。MCA,GRM,DAP,SDP,PSRMの5政党と各州華人団体の代表4000人が参加。(1)教育省が華小の変質を図り,華語の教育を受けていない教員を管理職として華小に配属したことに断固反対する,(2)14日までに問題が解決されなければ,15~17日に華小生徒の登校を拒否する案を支持する,(3)共同行動委員会に教育法修正を監視するよう要請する,など5項目の決議を採択。林晃昇スランゴール代表は,共同行動委員会は政府の不合理な政策と差別を是正するうえで大きな力を発揮しうる,と挨拶。李MCA副党首は,MCAは問題が解決されなければDAPとの協力も考慮すると述べた。13日,黄文彬マ華商工会議所連合会会長,決議支持を声明。
DIA-206-1987-10-12-1マレーシア1987年10月12日1980年代国会再開―下院は12月4日まで。上院は11月30日から12月18日まで。
DIA-206-1987-10-12-2マレーシア1987年10月12日1980年代林GRM党首,華小人事問題はMCAとDAPにより誇張されている,と談話。
DIA-206-1987-10-13-1マレーシア1987年10月13日1980年代UMNO青年部,17日に抗議集会開催と発表。
DIA-206-1987-10-14-1マレーシア1987年10月14日1980年代華小人事問題解決のため閣僚5人委員会を設置―閣議で,(1)教育相を長とし,青年・体育相,労相,第一次産業相,公共事業相で構成,(2)今回昇任者につき,昇任の原則を損なわずに見直し不適格者を配転,と決定。同時に本年末までの解決で暗黙裡に合意,という。共同行動委員会は授業放棄の中止を決定したが,15日にペナン,マラッカ,KLで華小生徒3万人以上が登校拒否。
DIA-206-1987-10-14-2マレーシア1987年10月14日1980年代UMNO大会無効訴訟,継続と発表―12日に,UMNO5人委員会と原告側が会談したが,原告12人中11人が法廷外での解決を信用できないとして,継続を決定。
DIA-206-1987-10-15-1マレーシア1987年10月15日1980年代石油収入積立て計画―ファリド副蔵相は国家信託基金法案を下院に上程,(1)PETRONAS社が今後10年にわたり年1億リンギを拠出,(2)将来は他の天然資源関連企業も拠出,(3)当初10年は引出さない,と説明。
DIA-206-1987-10-15-2マレーシア1987年10月15日1980年代UMNO建党記念大集会を11月1日挙行と発表―サヌシ書記長は,マレー人の尊厳と地位に対する挑戦の頻発に鑑み開催には重大な意義がある,と指摘。
DIA-206-1987-10-16-1マレーシア1987年10月16日1980年代抵当証券流通市場,発足―Perbadanan Cagaran Malaysia Bhd.が営業開始。同社は払い込み資本5000万リンギ(中銀20%,商銀45%,金融会社25%,マーチャントバンク10%)。本日,社債1億リンギを発行。
DIA-206-1987-10-17-1マレーシア1987年10月17日1980年代次回英連邦首脳会議をKLで開催―バンクーバーでの同会議最終日にマハティール首相が発表。
DIA-206-1987-10-17-2マレーシア1987年10月17日1980年代UMNO青年部抗議集会―KLで約1万5000人が参加。(1)李労相の解任を要求,(2)MCAは不満があれば,国民戦線を脱退せよ,(3)戦線友党に敏感問題でマレー人を挑発しないよう警告,など10項目の決議を採択。
DIA-206-1987-10-18-1マレーシア1987年10月18日1980年代マレー人兵士1名,KLで小銃乱射―犯人(23歳)は17日,イポーの第6レインジャー部隊を脱走。本日午後11時半頃,ラジャ・ラウト地区でマレー人1人を射殺,マレー人と華人各1人を負傷させた。警察が付近一帯を封鎖,19日午後3時に投降。同じ19日,メガット・ジュニッド副内相は,政治的・種族的背景を否定する声明を発表。華人15団体は事件が全国に重大な緊張を惹起したと指摘,当局に厳重取締りを要請。
DIA-206-1987-10-18-2マレーシア1987年10月18日1980年代首相,フィジーへの対応に不満を表明―(1)フィジーは,問題解決まで引続き英連邦の一員と認められるべきであった,(2)南アと同一視はできない,と語った。
DIA-206-1987-10-19-1マレーシア1987年10月19日1980年代株価暴落―KL証券取引所総合指数は,16日の829.29から本日737.91,20日635.97に暴落,取引所は20日,すべての取引を即時引渡しベースにすると決定。
DIA-206-1987-10-21-1マレーシア1987年10月21日1980年代首相,帰国―閣僚を含むすべての者に,無責任な発言を慎むよう要請。22日,KL・スランゴール中華商工総会の林静玉会長は,11月1日のUMNO大集会の取りやめを要請。
DIA-206-1987-10-23-1マレーシア1987年10月23日1980年代88年予算案,下院に上程―歳入208億3400万リンギ,経常支出212億3600万リンギ,開発支出68億8500万リンギ。第5次計画支出削減の一部を復活し88年に7億5000万リンギ追加。5億リンギの産業調整基金の設置,超過利得税3%の廃止,非必需品への販売税5~10%の復活,等を提案。
DIA-206-1987-10-23-2マレーシア1987年10月23日1980年代スランゴール州王,李MCA副党首の爵位剥奪。
DIA-206-1987-10-23-3マレーシア1987年10月23日1980年代UMNO大集会問題―サヌシ書記長によれば,マレー人の団結を平和的に示すべく50万人が参加の予定。
DIA-206-1987-10-27-1マレーシア1987年10月27日1980年代KL商品取引所,すずの先物取引を開始。
DIA-206-1987-10-27-2マレーシア1987年10月27日1980年代李MCA副党首,労相を休職へ―本日の緊急中央委員会の決定による。28日,オーストラリアへ出発。
DIA-206-1987-10-27-3マレーシア1987年10月27日1980年代国内治安法による大量検挙開始―検挙は本日夕方から始まり,28日午後10時までに65人,31日現在89人。検挙者には,UMNO青年部執行委員3人,MCAの陳立志次席副党首と葉炳漢青年部長を含む7人,GRMの王天慶教育局長など5人,野党DAPの林書記長など下院議員9人を含む15人,PASのハリム青年部長など5人,PSRMの2人,さらに,沈慕羽議長など華小教員協会連合会の3人,華小理事会協会連合の林晃昇会長,チャンドラAliran 議長,環境保護団体,消費者協会,キリスト教布教団体の活動家が含まれる。28日,警察長官は,治安維持のための予防拘禁,と発表,首相は,警察の措置を支持し,UMNO大集会を含め一切の政治集会を禁止,と声明(「参考資料」参照)。内務省は,Watan,The Star,『星洲日報』3紙の出版許可を撤回。同日,DAP,スランゴール中華大会堂など華人団体,弁護士協会などが抗議声明発表。29日,PSRM,民権委員会など8団体が,国内治安法拘留者支援グループを結成。
DIA-206-1987-10-30-1マレーシア1987年10月30日1980年代シンガポール政府,クマラサミー・マ弁護士協会会長,ジョモ社会分析協会理事など4人の入国を禁止。
DIA-206-1987-10-30-2マレーシア1987年10月30日1980年代サラワク州第4,第5区のブロッケード―本日までに12カ所のうち8カ所を法廷の命令により強制解除。
DIA-206-1987-11-04-1マレーシア1987年11月04日1980年代マングラプス比外相,訪マ―ASEAN首脳会談は予定どおり開催,との談話発表。
DIA-206-1987-11-05-1マレーシア1987年11月05日1980年代ジュネジョ・パキスタン首相,訪マ―3日間。
DIA-206-1987-11-05-2マレーシア1987年11月05日1980年代首相,The Star 紙の出版許可再交付申請をこのほど却下,と確認。
DIA-206-1987-11-05-3マレーシア1987年11月05日1980年代国内治安法拘留者,人身保護令状を請求―Aliran のチャンドラ会長と林書記が本日高裁に申請。23日,ラーマン元首相,フセイン前首相,陳志勤元社会正義党首は,チャンドラ会長の請求を支持する宣誓供述書を提出。24日,高裁は上記2人を含む7人の請求を却下。
DIA-206-1987-11-08-1マレーシア1987年11月08日1980年代李MCA副党首の評価―メガット・ジュニッド副内相は,李副党首が種族問題であれ宗教問題であれ,調和を乱すような発言は一切していない,と述べた。
DIA-206-1987-11-10-1マレーシア1987年11月10日1980年代大量逮捕の影響―首相は,政治情勢は今や安定しており,外資流入には影響は出ていない,と語った。
DIA-206-1987-11-10-2マレーシア1987年11月10日1980年代サバ領有権問題,首脳会議前に解決の動き―マングラプス比外相はマニラで,サバ領有請求権の放棄の方向で国境を確定するための法案を起草中であり,ASEAN首脳会談以前に成立を希望,と述べた。11日,ハッサン外相は,歓迎の談話を発表。19日,同法案(上院第206号法案)は上院に上程された。ハッサン外相は,非常に積極的な展開,と歓迎。
DIA-206-1987-11-10-3マレーシア1987年11月10日1980年代アラブ・マレーシア貿易投資会議開催(~14日)。
DIA-206-1987-11-10-4マレーシア1987年11月10日1980年代MIDA,東銀と覚書に調印―日本からの投資誘致で密接に連絡,両国企業間の協力促進,等を規定。
DIA-206-1987-11-13-1マレーシア1987年11月13日1980年代大量逮捕問題―首相は,国内治安法による95人の逮捕に関し,捜査終了後に白書を作成と語った。
DIA-206-1987-11-15-1マレーシア1987年11月15日1980年代ASEAN首脳会議への出席―ハッサン外相は,フィリピンが治安上の理由から開催国たり得ないと宣言しない限りマレーシアは出席する,と語った。
DIA-206-1987-11-16-1マレーシア1987年11月16日1980年代このほどさらに6人を国内治安法で拘留―身元は発表されず,10月27日以来106人を拘留。
DIA-206-1987-11-16-2マレーシア1987年11月16日1980年代ガファール副首相の容態―首相によれば,(1)ロンドンで冠状動脈バイパス形成手術を受け,経過も順調,(2)復帰までは首相がガファールの二つのポストを兼務。
DIA-206-1987-11-16-3マレーシア1987年11月16日1980年代産業調整基金―サルジ商工省官房長によれば,(1)合理化および同基金の対象は,パーム油精製・分解,製材,合板・ベニャ,棒綱・線材圧延,自動車組立,繊維の6業種,(2)以上の業種の調整に関する行動計画は,商工省,大蔵省,経済計画局,中央銀行,MIDAが共同で作成中。24日,ファリド副蔵相は,同基金を困難に直面するブミプトラ企業家に対する特別運転資金と見なしうる,と示唆。
DIA-206-1987-11-18-1マレーシア1987年11月18日1980年代サラワク州議員2人,州国民戦線に転向。
DIA-206-1987-11-19-1マレーシア1987年11月19日1980年代中銀,金融界を批判―ジャファール中銀総裁は,経済は加速局面に入ったが,金融当局のイニシアチブに対する金融システムの対応が緩慢なため,民間投資の拡大はまだみられない,と指摘。
DIA-206-1987-11-20-1マレーシア1987年11月20日1980年代国内治安法拘留者11人,を釈放―ジャファール警察副長官によれば,(1)陳立志MCA次席副党首,魏添風DAP下院議員,セビ・TV3専務など,(2)国の安全に脅威とならないと判断し,無条件で釈放。
DIA-206-1987-11-20-2マレーシア1987年11月20日1980年代集会禁止を緩和―ジャファール警察副長官発表。体育活動,教育機関の行事,宗教行事,社交,文化活動,政府省庁・機関の全ての活動,社会福祉活動等8種類。
DIA-206-1987-11-20-3マレーシア1987年11月20日1980年代PROTON社,対米輸出契約に調印―米国のProton America Inc.(The Global Motors 社の子会社)と。初年度(89年)に月間最低2500台の輸出を計画。
DIA-206-1987-11-20-4マレーシア1987年11月20日1980年代出版法修正法案,第1読会上程―虚偽のニュースを悪意をもって出版することを禁止,出版許可・出版物輸入などに関する内相の権限強化,刑罰の強化,等。
DIA-206-1987-11-23-1マレーシア1987年11月23日1980年代MIER,88年成長率予測を下方修正―株価暴落を織り込んで従来の3.9%から2.7%へ。
DIA-206-1987-11-28-1マレーシア1987年11月28日1980年代USNO党大会―ムスターファを党首に選出。
DIA-206-1987-11-29-1マレーシア1987年11月29日1980年代ハッサン外相,フィジー訪問―12月1日に帰国して,マレーシアは南南協力のみならず独自の技術協力計画により,同国と密接な関係を維持する,と表明。
DIA-206-1987-12-01-1マレーシア1987年12月01日1980年代新著作権法,発効―米,英両国とそれぞれ二国間協定締結を交渉中。
DIA-206-1987-12-02-1マレーシア1987年12月02日1980年代ハッサン外相,サバ領有権問題で声明―内閣は,フィリピンが,請求を明確に放棄し請求にかかわるすべての法令を無効にする立法を成立させた後,同国と友好協力協定および国境の合同パトロールと越境に関する取り決めを締結しうることに合意した。
DIA-206-1987-12-02-2マレーシア1987年12月02日1980年代政府部門の縮小―公務局長によれば,現在までに6万2000のポストを削減,うち約4万は民営化による。
DIA-206-1987-12-04-1マレーシア1987年12月04日1980年代67年警察法修正案―集会に関して,(1)私的な集まり,会合,行進の禁止の権限を警察に付与,(2)不法集会の開催者・団体・役員と参加者は誰であれ違反を問われる,不法集会の刑罰を増やす,等。
DIA-206-1987-12-05-1マレーシア1987年12月05日1980年代首相,ゲームと宝くじを除くすべての営業免許書発行を商工省に集中,と発表。
DIA-206-1987-12-06-1マレーシア1987年12月06日1980年代ハッサン外相,「シアヌ-ク殿下とフン・センの非公式会談とその積極的結果は,重要な発展」と声明。
DIA-206-1987-12-10-1マレーシア1987年12月10日1980年代ASEAN首脳会談への期待―ハッサン外相は,(1)比政府と議会が一両日内にサバへの請求を全面的に放棄すると決定すれば,わが国は国境協力に関する協定に13日までに調印する,(2)米・ソの中距離ミサイル廃棄の取り決め調印により,ASEAN非核地帯構想の首脳会議での採択が容易になった,と述べた。
DIA-206-1987-12-11-1マレーシア1987年12月11日1980年代「国語を愛する運動」開始―首相は,独立時に合意された他の言語に考慮を払いつつ,マレーシア語の広範な使用の奨励と国語政策の目的達成のため,マレーシア語に関する法令の見直しを要請。
DIA-206-1987-12-12-1マレーシア1987年12月12日1980年代国内治安法拘留者18人を無条件釈放―UMNO青年部執行委員3人,葉MCA青年部長,王GRM教育局長,DAPの胡下院議員と黄下院議員,ペナン消費者協定法律顧問など。
DIA-206-1987-12-12-2マレーシア1987年12月12日1980年代サバ領有権問題,解決に至らず―ハッサン外相はマニラで,(1)比上院の法案に付された条件についてはさらに検討を要する,(2)比側の用意が整うまで,問題を同国に委ねたい,と声明。
DIA-206-1987-12-12-3マレーシア1987年12月12日1980年代マ政府の首脳会議警備措置―マ政府筋がAFPに語ったところによると,マニラにフリゲート艦2隻,支援艦2隻,海軍コマンド部隊1個中隊を派遣。
DIA-206-1987-12-14-1マレーシア1987年12月14日1980年代ASEAN首脳会談―マハティール首相は131日マニラに到着,15日,「マニラ宣言」に調印。首脳会談後,(1)とくに超大国間の関係が新たな積極的な局面に入った現在,平和・自由・中立地域の早期実現というASEANの公約を,積極的行動の次元に移すべきである,(2)マ・比両国の関係は,従来同様正常であるが,アキノ大統領とは,未解決の問題によって若干の障害が存在するということで見解の一致を見た,と語った。16日,帰国して,経済界に対し,日本の包括的援助20億米ドルを利用すべく早急にプロジェクトを確定するよう要請し,また,日本が上記援助とは別に,半島部ガス利用第2期事業に対するソフトローン供与に同意した,と発表。
DIA-206-1987-12-16-1マレーシア1987年12月16日1980年代マ・シ関係―李シンガポール首相はマニラでのマハティール首相との会談(14日)について,(1)将来のガスと上水道用原料水の対シ供給についての話合いは,まずまずの進展があった,(2)会談でのマ首相の言によれば,10月の英連邦首脳会談以降,両国間の雰囲気は大幅に改善されている,と語った。
DIA-206-1987-12-18-1マレーシア1987年12月18日1980年代国会休会―88年予算案,出版法修正法案,警察法修正法案,国家信託基金法案など22法案を可決。
DIA-206-1987-12-18-2マレーシア1987年12月18日1980年代国内治安法拘留者8人を無条件釈放―チャンドラAliran 会長,PAS クダー州委員会副議長など。
DIA-206-1987-12-23-1マレーシア1987年12月23日1980年代最高裁,ナシル社会分析協会会長ほか2人の人身保護令状請求を却下。
DIA-206-1987-12-26-1マレーシア1987年12月26日1980年代陳群川前MCA党首,釈放直後に再逮捕―シンガポールでチャンギ刑務所から出獄直後にマレーシア警察が逮捕状を執行。28日,MPHB社の資金2300万リンギにかかわる背任教唆の容疑で,ジョホール・バル下級裁に起訴され,100万リンギで保釈となる。
DIA-206-1987-12-26-2マレーシア1987年12月26日1980年代国内治安法拘留者のうち,マラッカ州議員などDAP党員3人を無条件釈放。
DIA-206-1987-12-27-1マレーシア1987年12月27日1980年代国内治安法による拘留の延長―首相(兼内相)によれば,このほど警察の勧告に基づきDAPの林書記長とカーパル次席副党首の拘留を2年間延長と決定。警察は29日,その他の31人も拘留延長,10人を釈放と発表。
DIA-206-1988-01-01-1マレーシア1988年01月01日1980年代統一商品分類・コード制度実施。
DIA-206-1988-01-01-2マレーシア1988年01月01日1980年代プランギ航空(Pelangi Air)社,営業開始(KL-Kertih-Kuala Trengganu-Penang路線)。
DIA-206-1988-01-03-1マレーシア1988年01月03日1980年代イタリアのジョヴァンニ・ゴリア首相,来訪。3日間の公式訪問。マ・イ両国は投資保証協定に調印。
DIA-206-1988-01-03-2マレーシア1988年01月03日1980年代DAP中央執行委員会,(1)拘留中の7指導者に対する公開の裁判もしくは釈放を要求,(2)李霖泰書記長代理を全面支持,などを決議。
DIA-206-1988-01-03-3マレーシア1988年01月03日1980年代国内治安法による拘留者―メッガト・ジュニッド副内相によれば,10月27日以後拘留された106人のうち無条件釈放55人,住居制限8人,居住州からの追放2人,取調べ中8人。残る33人は2年間の拘留延長が決定。
DIA-206-1988-01-05-1マレーシア1988年01月05日1980年代黄循營副青年・体育相,紀永輝前MCA青年部長など3名,青年経済発展協同組合の資金100万リンギに関わる背任容疑で再逮捕。6日,起訴。
DIA-206-1988-01-05-2マレーシア1988年01月05日1980年代李労相,休暇旅行(87年11月27日以来)より帰国。
DIA-206-1988-01-06-1マレーシア1988年01月06日1980年代印刷・出版(修正)法と警察(修正)法,発効。
DIA-206-1988-01-06-2マレーシア1988年01月06日1980年代ゴム相場,国際天然ゴム協定の上限価格を突破―総合指数が,協定成立以来初めて242M/Sセンの緩衝在庫放出義務水準を超えた。
DIA-206-1988-01-07-1マレーシア1988年01月07日1980年代PETRONAS社人事―2月10日付で会長にTan Sri Basir Ismail(Bank Bumiputra頭取,60歳),社長・最高経営責任者にTan Sri Azizan Zainal Abidin(内務省官房長,前商工省官房長,52歳)を任命。
DIA-206-1988-01-08-1マレーシア1988年01月08日1980年代FELDA,Taib Andak(ジョホール州)入植者18人が土地の個人所有権獲得の要求を取り下げ,利益分有制度に参加することにこのほど同意,と発表。
DIA-206-1988-01-08-2マレーシア1988年01月08日1980年代中銀,協同組合中央銀行CCBの経営を管理―CCBの債権・債務評価を急ぐため。
DIA-206-1988-01-09-1マレーシア1988年01月09日1980年代Bandar Raya Development Bhd.の朱正華前会長ほか1名,同社資金230万リンギに関わる背任容疑で逮捕。
DIA-206-1988-01-11-1マレーシア1988年01月11日1980年代「司法の独立」論争―タリブ検事総長は,裁判官は行政・立法権を損なう恐れのある問題で個人的感情・見解を公表すべきではないと発言。他方,サレー最高裁判長官は12日,司法府の責任・職務につき検事総長や他の誰からも云々される必要はないと反論。
DIA-206-1988-01-12-1マレーシア1988年01月12日1980年代対中輸入の許可証(AP)制度の廃止決定―ラフィダー商工相は,マレーシア製造業者連合会の大会冒頭,先週の閣議で廃止が決定されたが,これにより,両国の貿易協定と投資保障協定の早期調印,貿易の拡大に道が開かれることを希望する,と述べた(19日参照)。
DIA-206-1988-01-12-2マレーシア1988年01月12日1980年代PETRONAS社の86/87年度決算―グループの課税前利益43億リンギ,対前年度比34%減。
DIA-206-1988-01-13-1マレーシア1988年01月13日1980年代マレー人商工会議所会頭に,Dr.Nawawi Mat Awinを無競争で再選。
DIA-206-1988-01-13-2マレーシア1988年01月13日1980年代マ経済研究所,88年GDP成長率を2.7%と予測。
DIA-206-1988-01-14-1マレーシア1988年01月14日1980年代労使関係法修正案を労使双方に提示―全国労働審議会の専門部会の席上,修正原案を口頭で説明。
DIA-206-1988-01-14-2マレーシア1988年01月14日1980年代許子根,民政党(GRM)青年部長に無競争で再選。
DIA-206-1988-01-15-1マレーシア1988年01月15日1980年代南北ハイウェイ訴訟で林DAP書記長敗訴―最高裁は5判事中サレー長官を含む3人が,林書記長には告訴する法的資格も理由もなく,政府訴訟条例第29条によれば政府に対して契約書調印の禁止を命ずることはできず,また,その訴状に言う不正行為は刑事訴訟により審理されるべきであるなどとして,政府とUEM社側の,契約調印差し止め仮処分の解除申し立てを認めた。なお,2判事は少数意見を表明。
DIA-206-1988-01-15-2マレーシア1988年01月15日1980年代ガファール副首相,すでに帰国―87年11月にロンドンで心臓手術を受け,メッカ巡礼の後,1月6日に帰国。本日初めてマラッカで公衆の前に姿を見せた。
DIA-206-1988-01-15-3マレーシア1988年01月15日1980年代政府,パレスチナ人民特別基金の設立を発表。
DIA-206-1988-01-15-4マレーシア1988年01月15日1980年代すず生産国連合,88年度輸出割当に合意―加盟国全体で10万1900㌧(対前年度比6.1%増),マレーシアへの割当は2万8526㌧(同上11.0%増)。
DIA-206-1988-01-18-1マレーシア1988年01月18日1980年代中国冶金建設公司の代表団,来訪―黄文彬中華工商会連合会長とHICOM社の招待。マ,中,西独合弁による冷延プラント建設事業話合いのため。
DIA-206-1988-01-18-2マレーシア1988年01月18日1980年代マレー人商工会議所年次総会,新経済政策に代わる広範で総合的な国家経済計画の策定を政府に要求など20項目の決議を採択。
DIA-206-1988-01-19-1マレーシア1988年01月19日1980年代団体登録官,DAPに警告―国内治安法で拘留中の林吉祥書記長とカーパル副委員長について,団体法の規定により党役員の地位を失う可能性がある,と指摘。21日,曾委員長は林書記長,カーパル副委員長が辞表(それぞれ20日,21日付け)を提出したと発表。
DIA-206-1988-01-19-2マレーシア1988年01月19日1980年代マ・中貿易拡大策―ラフィダー商工相によれば,このほど対中運輸システム改善のための閣僚委員会が設置された。21日,郭副商工相は,廃止されたのはAPではなく,中国商品輸入全般の許可制度である,と説明。
DIA-206-1988-01-19-3マレーシア1988年01月19日1980年代在比米軍基地問題―リタウディン国防相は,シグール米国務次官補と会談後,東南アジアからの外国軍事基地撤退については,慎重な検討が必要と語った。
DIA-206-1988-01-20-1マレーシア1988年01月20日1980年代林玉静,華語学校理事会総会会長代理に選出
DIA-206-1988-01-21-1マレーシア1988年01月21日1980年代マハティール首相訪シ―李首相と会談。22日ジョホール・バルで,(1)水道用未処理水の対シ供給増加というシンガポール側の要求については検討中,(2)対シ天然ガス供給については,一定の方式がすでに合意されており,細部を協議中,と語った。
DIA-206-1988-01-23-1マレーシア1988年01月23日1980年代UMNO青年部,新経済政策に代わる政策の研究・立案を青年部内外の専門家チームに委託の方針。
DIA-206-1988-01-23-2マレーシア1988年01月23日1980年代中国滞在中のCPM女性幹部,このほど駐北京のマレーシア大使を通じて,帰国・定住の希望を伝達。マ政府は慎重に検討中という。
DIA-206-1988-01-23-3マレーシア1988年01月23日1980年代ジョホール高裁,86年の同州議会タンジョン・プトリ区選挙は投票集計に疑問があり,無効と判決。
DIA-206-1988-01-27-1マレーシア1988年01月27日1980年代公務員削減問題―内閣は,一定ポストの新規採用は凍結しているが,経済と貿易の促進に関わるポストの補充は優先する,と決定。
DIA-206-1988-01-28-1マレーシア1988年01月28日1980年代預金受入れ13協同組合の預金払戻し最終案―中銀総裁発表。(1)12組合は,昨年同様に88年2月の華人旧正月前に預金元金の10~15%(ただし美化合作社は本年初めて30%)を,さらに88年12月に10~15%,89年12月に10~20%を現金で払い戻す。(2)残る30~50%は,聯華金融公司の株券の形で払い戻す,(3)馬化合作社はMagnum社とMagnum Finance社がその資産を引き継ぎ,他の12組合同様2月に第2回払い戻しを行なう,など。
DIA-206-1988-02-01-1マレーシア1988年02月01日1980年代マ海軍,南シナ海のパトロールを強化と声明。
DIA-206-1988-02-03-1マレーシア1988年02月03日1980年代第1回マ・タイ合同委員会,KLで開催。
DIA-206-1988-02-04-1マレーシア1988年02月04日1980年代KL高裁,UMNOは法的適格性を欠くと判断―ハルン判事は,UMNOは87年4月24日の党大会開催の時点で,団体法第12条に照らして法的適格性を欠いており,原告11人の役員選挙やり直しの要求はそもそも成立しないとして,その申し立てを却下する判決を口頭で言い渡した。原告側弁護人は,87年4月党大会が無効と認められたとして,上訴しない方針を示唆。
DIA-206-1988-02-05-1マレーシア1988年02月05日1980年代UMNO違法判決問題―首相はKLで記者会見し,(1)4日の高裁判決に対し上訴しない,(2)過半数の議員が不信任を表明したわけではなく,判決により首相,閣僚の地位に影響はない,(3)国民戦線の存在もまた影響を受けない,(4)UMNOはもはや存在しない,(5)事態は危機的なものではなく,技術的な問題であるが,党の再登録で済むほど簡単なものでもない,(6)原告の11人はUMNOを完全に破壊した,(7)国民に平静を保つよう要請する,と語った。林良実MCA党首は,MCAはUMNOと浮沈をともにすると声明,林敬益GRM党首は,党外部の者が立ち入るべきでないと談話。他方,DAPとSDPは首相とUMNOの閣僚の辞職を要求。
DIA-206-1988-02-06-1マレーシア1988年02月06日1980年代与党の首相支持声明―MIC,USNO,PBS,PBBが本日支持を声明。
DIA-206-1988-02-06-2マレーシア1988年02月06日1980年代政党以外の組織からの首相支持声明―本日,マレーシア青年会議が,さらに10日までに官公労働者組合会議,MTUC,スランゴール州・連邦直轄領の中華総商会・マレー人商工会議所・インド人商議所,中華商工会聯合会がそれぞれ支持を声明。
DIA-206-1988-02-06-3マレーシア1988年02月06日1980年代華人15団体教育法修正監視7人行動委員会の声明―1月21日付け『光明日報』によれば,内閣5人委員会が華語小学校の管理職5ポストのうち,課外活動主任については現状を維持するという妥協案に達したというが,この点に華人団体が同意したことはなく,同ポストにも正規の華文教育資格を要するようにすべきである。
DIA-206-1988-02-06-4マレーシア1988年02月06日1980年代労働諸法検討のため閣僚6人委員会をこのほど設立。
DIA-206-1988-02-08-1マレーシア1988年02月08日1980年代「マレーシアUMNO」結成の動き―マリナ旧UMNO最高会議会員によれば,(1)7日にKLに集まった後援グループが結成を決定,(2)暫定委員会の委員長にラーマン元首相,副委員長にフセイン前首相を推し,書記長にライス前外相を任命,(3)団体登録官にすでに登録を申請。ラーマン元首相とラザレイ前商工相もペナンで,「88年マレーシアUMNO」を結成したと語った。他方,フセイン前首相は結成は初耳とコメント。
DIA-206-1988-02-08-2マレーシア1988年02月08日1980年代国民戦線12党の党首,首相支持を表明―本日ガファール副首相との非公式会談の席上で。
DIA-206-1988-02-09-1マレーシア1988年02月09日1980年代旧UMNO青年部執行委員会,マレーシアUMNOの結成はマレー人を分裂させ,UMNO再建の努力を破壊すると非難。シャハリル,アブドラー,ラジ,カディルなどムサ前副総裁を支持していた旧UMNO最高会議会員もマレーシアUMNO結成に反対を表明。
DIA-206-1988-02-09-2マレーシア1988年02月09日1980年代マレーシアUMNO結成の経過―ライス暫定委員会書記長の声明によれば,(1)同党は2月8日に登録申請したが,新党の結成ではなく,UMNOを再建し以前の地位を回復するための措置,(2)現在に至るまで党再建の動きがなかったため,国父ラーマンが登録申請に踏み切った,(3)フセイン前首相はすでに暫定委員会に参加しているが,ラザレイ前商工相は暫定委員会の一員ではない。
DIA-206-1988-02-10-1マレーシア1988年02月10日1980年代全閣僚が首相支持を誓約(定例閣議後)。
DIA-206-1988-02-10-2マレーシア1988年02月10日1980年代ラーマン元首相,入院。
DIA-206-1988-02-11-1マレーシア1988年02月11日1980年代台湾の対マ製造業直接投資―『南洋商報』によれば,1984~87年の各年の認可額は1400万リンギ,1470万リンギ,503万リンギ,1億1845万リンギで,87年は日本,シンガポールに次ぐ認可額となった。
DIA-206-1988-02-12-1マレーシア1988年02月12日1980年代ムサ前副首相,現指導部「支持」を表明―(1)当面の困難解決の努力を続ける機会を与えるべきである,(2)マレー人の混乱を招き団結を損ねている者たちは,その活動を中止または一時停止すべきである,と述べた。
DIA-206-1988-02-12-2マレーシア1988年02月12日1980年代フセイン前首相,マレーシアUMNO暫定委員会に副委員長として参加と発表。
DIA-206-1988-02-12-3マレーシア1988年02月12日1980年代李副農相,団体法の適用免除を示唆―団体法第70条は同法の全てまたは一部の条項の適用を免除する権限を内相に付与していると指摘,首相兼内相はこの権限の発動を考慮すべきだと述べた。
DIA-206-1988-02-13-1マレーシア1988年02月13日1980年代UMNO党大会無効訴訟の原告の要求―首相は,11人の原告が訴訟取り下げの条件として,党総裁の地位をかれらが指定する特定の個人に引き渡すよう求めたため,妥協の余地がなかったと説明した。
DIA-206-1988-02-13-2マレーシア1988年02月13日1980年代林晃昇華語小学校理事会総会会長,既に辞意を表明。
DIA-206-1988-02-14-1マレーシア1988年02月14日1980年代国民戦線の国会・州議会議員,首相支持を誓約―国会議事堂での集会に約500人の議員が出席。ムサ前副総裁は議長団の一員として参加。
DIA-206-1988-02-14-2マレーシア1988年02月14日1980年代国王,政治家と国民戦線加盟党にマハティール首相の指導に対する忠誠と協力を要請。
DIA-206-1988-02-15-1マレーシア1988年02月15日1980年代マレーシアUMNO,このほど登録を拒否さる―ラザレイ前商工相発表。同時に首相に対して,団体法を改正しUMNOの合法的地位を回復,前党員すべての権利を維持するよう要請。
DIA-206-1988-02-16-1マレーシア1988年02月16日1980年代首相,UMNO(Baru)の結成を発表―(1)15日に正式に団体登録された。(2)暫定委員会は首相を長とし,副委員長はガファール副首相,書記長はラーマット情報相,財政部長はダイム蔵相で構成。(3)これまでの経過は,2月6日に団体登録官からUMNOの登録を抹消すべきではない理由の開示を求めた書簡を受領。9日に回答し,同時に「UMNO88」の登録を申請。11日頃に,UMNOの登録抹消が終わっていないとして「UMNO88」の登録が却下された旨の登録官からの通知を受け取った。同じ理由で「マレーシアUMNO」の申請も却下。12日,団体登録官がUMNOの登録を抹消。13日,「新UMNO=UMNO(Baru)」の登録を申請。(4)新UMNOは本日国民戦線に加入を認められた。(5)前党員の自動的入党は認めないし,とくに「叛党者」は入党させない。
DIA-206-1988-02-16-2マレーシア1988年02月16日1980年代サヌシ書記長,渡米―17日心臓手術を受け,25日に盧韓国大統領の就任式に出席,3月2日に帰国。
DIA-206-1988-02-19-1マレーシア1988年02月19日1980年代UMNO党大会無効訴訟の原告11人,上訴。
DIA-206-1988-02-20-1マレーシア1988年02月20日1980年代ラザレイ前商工相,事前協議に違反か―カディル前副外相によれば,商工相(当時)は87年党大会の数日前にサヌシ書記長と会談,軽微な技術的誤りを犯した40支部について,その代議員を大会に出席させることに同意したにも拘らず,役員選挙後にこの事実を否定し,支持者が法廷に大会の無効を訴えたという。
DIA-206-1988-02-20-2マレーシア1988年02月20日1980年代新UMNO結成の経緯―オスマン・クダ州首相によれば,2月5日夜,約30人の旧UMNO幹部が連邦首相官邸に集まり,新UMNO結成で合意したという。
DIA-206-1988-02-22-1マレーシア1988年02月22日1980年代新UMNO最高会議,初会合(「参考資料」参照)。
DIA-206-1988-02-22-2マレーシア1988年02月22日1980年代首相,タイを公式訪問―3日間。23日,プレム首相との会談で,(1)両首脳は自動車産業での協力の進展に満足の意を表明,(2)タイ側はシンガポール向け貨物輪送に便宜を図るよう要請,(3)タイからの鮮魚輸出用容器に関するマ側の規制案に積極的に回答,(4)マ側はタイに隔定量のパーム油の購入を要請。
DIA-206-1988-02-23-1マレーシア1988年02月23日1980年代パハン州スルタン,新UMNOがマレー人全体に受け入れられることを確信と声明。
DIA-206-1988-02-25-1マレーシア1988年02月25日1980年代首相,ビルマを公式訪問―3日間。本日サンユー大統領と,26日にマウン・マウン・カ首相と会談し,ペナンをビルマの対外開放の窓口とし,経済開発に助力すること等を提案した。
DIA-206-1988-02-28-1マレーシア1988年02月28日1980年代第30回各州華語学校理事会合同大会―ジョホール・バルで開催。3月1日,(1)林会長,沈慕羽華語学校教員総会会長などの早期釈放,(2)内閣5人委員会による華語小学校管理職人事問題の速やかな解決,など5項目を決議,拘留中の林会長の留任を決定。
DIA-206-1988-02-28-2マレーシア1988年02月28日1980年代アジズ・マラヤ大学副総長,任期満了で退任。
DIA-206-1988-03-01-1マレーシア1988年03月01日1980年代南南委員会第2回会議,KLで開催(3日間)。
DIA-206-1988-03-03-1マレーシア1988年03月03日1980年代対中輸入許可制度を公式に廃止―特定商品に関して中国以外の国にも適用されている輸入許可証(AP)制度は存続する。
DIA-206-1988-03-04-1マレーシア1988年03月04日1980年代ジョホール州議会補欠選挙―タンジョン・プトリ区。国民戦線(新UMNO)1万0181票,人民社会党1万0150票,無効31票,投票率58.1%。
DIA-206-1988-03-04-2マレーシア1988年03月04日1980年代MCAの財政危機―金融筋によれば,党本部のある馬華大厦には総額3548万リンギの抵当権が設定されており,MCAは当面300万リンギの返済が必要という。
DIA-206-1988-03-04-3マレーシア1988年03月04日1980年代スランゴール州のマ共ゲリラ―ハニフ警察長官の声明によれば,保安部隊は1月に同州北部でマ共第1武装工作隊の隊長を含む3名を射殺,4名を逮捕。
DIA-206-1988-03-06-1マレーシア1988年03月06日1980年代Semarak運動,開始―Gerakan Bersepadu Setia Bersama Rakyat(人民と忠誠をともにする運動)。クランタン州パシル・マス郊外での集会にほぼすべての閣僚,各州首相をはじめ約3万人が参加,首相は,すべてのレベルの指導者と人民の一体化を促進と挨拶。参加者は首相夫人に“Ibu”(母親の意)の称号を贈った。
DIA-206-1988-03-06-2マレーシア1988年03月06日1980年代マ共ゲリラ―ハニフ警察長官によれば,(1)87年1月以来ゲリラ14人が戦死,(2)マ・タイ国境部で1200人,半島部のその他の州で150人,サラワク州で42人が活動。
DIA-206-1988-03-07-1マレーシア1988年03月07日1980年代国会開会(第7期第2国会)―本日国王が施政方針演説。下院は8日~25日,上院は28日~4月6日
DIA-206-1988-03-07-2マレーシア1988年03月07日1980年代新UMNO入党資格―首相は暫定最高会議第2回会合の後,(1)直接,間接にUMNOを法的適格性を欠く団体に転落させた者を除けば,AチームであれBチームであれすべての前党員に入党資格がある,(2)入党に際し,党に対する全面的な忠誠を誓い,また,旧UMNOの資産・債務に関わる権利を新UMNO指導部に委ねることを約束しなければならない,と語った。
DIA-206-1988-03-08-1マレーシア1988年03月08日1980年代国内治安法拘留者―メガット・ジュニッド副内相の下院答弁によれば,87年10~12月の検挙者は合計119人。うち拘留継続49人,無条件釈放58人,住居制限10人,居住州からの追放2人。また現時点で同法により拘留中の者は計86人,うち政治家19人,宗教関係者6人。
DIA-206-1988-03-09-1マレーシア1988年03月09日1980年代イポー高裁,カーパルDAP副委員長釈放命令―拘留理由の第6項が事実と反していたため,人身保護令を適用したもの。しかし釈放9時間後に再逮捕された。同副委員長は17日,人身保護令を再申請。
DIA-206-1988-03-09-2マレーシア1988年03月09日1980年代世銀借款―世銀理事会は,連邦土地統合・再開発庁に対し6600万米㌦の借款供与を承認。
DIA-206-1988-03-10-1マレーシア1988年03月10日1980年代ライス前外相,新UMNOの登録抹消などを求めてKL高裁に提訴。
DIA-206-1988-03-10-2マレーシア1988年03月10日1980年代マレーシア中華工商会連合会特別大会,林晃昇など華語教育関係者4人の可及的速やかな釈放を政府に要請。
DIA-206-1988-03-10-3マレーシア1988年03月10日1980年代首相,マレーシア中華工商会連合会の年次晩餐会の席上で,華人企業家の資金繰りを支援と発言。
DIA-206-1988-03-11-1マレーシア1988年03月11日1980年代黄循營,副青年・体育相を辞任と発表。
DIA-206-1988-03-11-2マレーシア1988年03月11日1980年代スランゴール州モスク,オープニング。
DIA-206-1988-03-12-1マレーシア1988年03月12日1980年代クランタン州議会,州首相不信任動議否決―PASが提出。賛成10,反対28,保留(議長)1。
DIA-206-1988-03-12-2マレーシア1988年03月12日1980年代新UMNO入党資格,旧UMNO資産の引継―首相によれば,(1)ラザレイとマレーシアUMNO暫定委員会のメンバーの入党は認めない,(2)旧UMNOの不動産は10億リンギで,現在公共受託管理局が保管。
DIA-206-1988-03-15-1マレーシア1988年03月15日1980年代憲法修正案と団体法修正案,下院に上程―○憲法の主たる修正点は,(イ)第5条(4)に,公民以外の者で,移民法により逮捕または拘留された者は14日以内にマジストレイト・コートに出頭させる(従来は,公民・非公民の別なく24時間以内に出頭させる)という条項,および,イスラム法廷で審理さるべき違反により逮捕された場合,本条にいうマジストレイト・コートはイスラム法廷を含むものとする条項を付け加える。(ロ)第83,85,86条について,連邦政府は,連邦のため保留された土地とそれに伴う権益の占有,管理または経営を,連邦政府が定める期間と条件のもとに連邦の用途以外の用途で個人に譲渡しうる,と修正する。(ハ)第121条(1)について,連邦の司法権は,二つの高等裁判所,および,下級裁判所に「付与される」との規定を,これらの裁判所は「連邦法により付与された司法権」を有する,と修正し,新たに,(1A)として,(1)にいう裁判所は,イスラム法廷の裁判管轄権に属する問題については裁判権を有しないものとする,との条項を付加する。(ニ)第145条に新たに(3A)として,連邦法は検事総長に訴訟案件を審理する法廷を指定し,または,別の法廷に移す権限を付与する,との条項を付加する。○団体法の面たる修正点は、(イ)第12条(3)の、登録官の許可を得ていない支部を成立させた場合、『その団体は非合法団体とみなされる』と修正、(ロ)第17条に新たにB(1)として、公共受託官は、登録を受けた新たな団体が、登録を抹消された団体とその規約・構成員の点で概ね合致すると認めた場合、元の団体の資産・債務を新たな団体に帰属させるよう法廷に申請しうる、との規定を付加。
DIA-206-1988-03-16-1マレーシア1988年03月16日1980年代憲法修正案に対する批判―弁護士会は憲法第121条の修正案について,「司法権」の字句削除は,法廷の任務に対する重大な疑問を生じさせ,今後法廷は,国会が明文で規定し法廷に託した問題についてしか判決を下せなくなると指摘。または李DAP書記長代理は,第121条修正の目的は司法権の纂奪であると批判した。
DIA-206-1988-03-17-1マレーシア1988年03月17日1980年代シュルター・デンマーク首相,来訪(3日間)。
DIA-206-1988-03-18-1マレーシア1988年03月18日1980年代下院,憲法修正案を可決―賛成142票,反対18票(DAP17,PAS1)。なお欠席者17名中には,拘留中のDAP議員7名の他,ラザレイ前商工相,ライス前外相など旧UMNOの7人が含まれる。
DIA-206-1988-03-18-2マレーシア1988年03月18日1980年代陳修信元MCA党首,死去―20日,KLで国葬。
DIA-206-1988-03-18-3マレーシア1988年03月18日1980年代政府,南北ハイウェイ建設事業の民営化契約に調印―United Engineering(Malaysia)社が建設企業複合体を代表して調印。
DIA-206-1988-03-19-1マレーシア1988年03月19日1980年代范俊登,社会民主党書記長を辞任と発表。
DIA-206-1988-03-19-2マレーシア1988年03月19日1980年代Star,『星洲日報』,Watanに出版許可証再発行。
DIA-206-1988-03-23-1マレーシア1988年03月23日1980年代「国家の治安維持への努力」白書発表―主たる内容は,(1)87年10月の緊張状態発生の主因は,DAPを主とする政党,圧力団体,マ共,新聞を含むグループが政府の寛容・公正な姿勢を悪用して,種族・敏感問題を刺戟したことにある,(2)一部のイスラム教団体はムスリムの分裂を図り,一部のキリスト教団体は憲法を無視し,ムスリムへの布教を試みた。
DIA-206-1988-03-23-2マレーシア1988年03月23日1980年代アジア防衛博覧会,KLで開催(4日間)。
DIA-206-1988-03-29-1マレーシア1988年03月29日1980年代中銀,88年のGDP成長率を5%と予測。
DIA-206-1988-03-29-2マレーシア1988年03月29日1980年代中銀総裁,さらに一段の貸出金利低下を予測。
DIA-206-1988-03-29-3マレーシア1988年03月29日1980年代新UMNOの日程―ガファール副総裁は,(1)このほど全133支部の暫定委員会を承認し,(2)今後6~12カ月のうち党大会開催を希望していると語った。
DIA-206-1988-03-30-1マレーシア1988年03月30日1980年代クランタン州スルタン,政権に不満表明―本日の誕生日式典で予定されていたヤコブ州首相による忠誠の辞献呈をキャンセル,また,一定指導者に対する際限のない個人崇拝の傾向に憂慮を表明。
DIA-206-1988-03-30-2マレーシア1988年03月30日1980年代ヴェルMIC党首,同党175支部に党費未納を理由に活動停止を命令。
DIA-206-1988-03-31-1マレーシア1988年03月31日1980年代教育相,マラヤ大学副学長にシンガポール国立大学のサイド・フセイン・アラタス教授を任命と発表。
DIA-206-1988-04-01-1マレーシア1988年04月01日1980年代マ・中貿易協定,北京で調印―相互に最恵国待遇の付与などを規定。
DIA-206-1988-04-01-2マレーシア1988年04月01日1980年代ラーマン元首相など,KL高裁に告訴―フセイン前首相,マナン元農相とともに,(1)旧UMNO党員への入党勧誘,(2)旧UMNOの資産の移転,などを新UMNOに禁止するよう申請,併せて同趣旨の仮処分を申請。高裁は,4月12日に仮処分申請を却下,5月25日には本訴も却下。ただしいずれも上訴は許可された。
DIA-206-1988-04-01-3マレーシア1988年04月01日1980年代クランタン州イスラム・センター開所式で緊張―約2万人が集まったため暴徒鎮圧警察隊が出動。
DIA-206-1988-04-04-1マレーシア1988年04月04日1980年代上院,憲法修正案を全会一致で可決。
DIA-206-1988-04-05-1マレーシア1988年04月05日1980年代ハウ英国外相,来訪―3日間。
DIA-206-1988-04-05-2マレーシア1988年04月05日1980年代アラタス・インドネシア外相,来訪。
DIA-206-1988-04-05-3マレーシア1988年04月05日1980年代中銀,MIC関連の預金受け入れ協同組合2組合の営業停止を命令。
DIA-206-1988-04-06-1マレーシア1988年04月06日1980年代上院休会―危険薬品(財産没収)法案,中央銀行(修正)法案,イスラム(修正)法案,ミニ・エステート(分配)(修正)法案などを可決。
DIA-206-1988-04-06-2マレーシア1988年04月06日1980年代フセイン前首相,心臓の不調により入院。
DIA-206-1988-04-06-3マレーシア1988年04月06日1980年代星洲日報,朝日報業有限公司に買収さる。
DIA-206-1988-04-06-4マレーシア1988年04月06日1980年代国連難民問題高等弁務官,来訪―7日,ハッサン外相は第2回ベトナム難民問題国際会議の開催を提案。
DIA-206-1988-04-06-5マレーシア1988年04月06日1980年代ロガチョフ・ソ連外務次官,来訪(5日間)。
DIA-206-1988-04-07-1マレーシア1988年04月07日1980年代ムサ前副総裁,「分裂」収拾案を発表―骨子は,(1)旧UMNO党員全員の新UMNO入党を無条件で認める,(2)新UMNOに反対の者は,法廷への提訴や,長老政治家と宮廷を巻き込むことをやめる。
DIA-206-1988-04-08-1マレーシア1988年04月08日1980年代PAS党大会開催。
DIA-206-1988-04-08-2マレーシア1988年04月08日1980年代PBDS幹部6人,退党―青年部長,婦人部長,次席副党首2人,中央委員1人(うち州議員2人)。昨年7月以来7人の州議員が退党。これらの州議員のうち10日には2人がSNAPに,16日には6人(ほかに前PERMAS州議員1人)がPBBに入党した。
DIA-206-1988-04-11-1マレーシア1988年04月11日1980年代首相,王族は政治に関与すべきでないと談話。
DIA-206-1988-04-11-2マレーシア1988年04月11日1980年代全国労使協議会(法定機関)労働側,賃金改訂問題で政府に抗議し全国でピケを挙行,8万6000人が参加。
DIA-206-1988-04-13-1マレーシア1988年04月13日1980年代新UMNO最高会議,党規約を改正―(1)役員選挙で党支部から総裁,副総裁候補に指名された者は,指名1支部につき10票を得,党大会における得票に加算される,(2)青年部と婦人部の部長は最高会議が任命する,(3)入党申請の諾否の権限は最高会議が有する。
DIA-206-1988-04-13-2マレーシア1988年04月13日1980年代崔侊洙韓国外相,来訪。3日間。
DIA-206-1988-04-14-1マレーシア1988年04月14日1980年代天然ゴム(RSS1号),KL市場で310センの大台を突破。市場台は投機資金の流入を指摘。
DIA-206-1988-04-14-2マレーシア1988年04月14日1980年代ラヒム・マラッカ州首相,投資誘致代表団を率いて台湾訪問(17日まで)。
DIA-206-1988-04-14-3マレーシア1988年04月14日1980年代NICs入りの展望をめぐる論争―馮鎮安マラヤ大学教授は,「90年代経済動向セミナー」の席上,マレーシアは,1995年までにNICsの段階に到達しうる,との見解を発表。出席者から批判的コメントが出たが,16日,首相はこれらの批判の消極性を非難。
DIA-206-1988-04-14-4マレーシア1988年04月14日1980年代1946年UMNO―ラザレイ前商工相は,(1)1946年UMNOだけが各層のマレー人を団結させうる,(2)最高裁を通じて1946年UMNOを復活させることが失敗すれば,国会の場を利用すると述べ,17日には,国会での運動も難しければ国民の信を問うと語った。
DIA-206-1988-04-15-1マレーシア1988年04月15日1980年代MCA,Star社の株の一部を売却へ―林党首が示唆。同党の華仁控股はStar社株の90%を保有。
DIA-206-1988-04-16-1マレーシア1988年04月16日1980年代DAP第8回党大会―KLで2日間。中央委員選挙では,拘留中の林書記長,カーパル副委員長など7人を含む現職が全員再選された(立候補を辞退した陳国傑,李高を除く)。新中央委員会は曾委員長,林書記長,カーパル副委員長,李副書記長等を再任。25日に団体登録官に対し,上記7人の役員就任認可を要請。
DIA-206-1988-04-16-2マレーシア1988年04月16日1980年代豪空軍飛行中隊撤退に関する取り決めに調印―(1)バタワース基地は7月からマ空軍が引き継ぐ,(2)豪空軍は,年に少なくとも16週間マ,シ両国に派遣される。
DIA-206-1988-04-16-3マレーシア1988年04月16日1980年代サバ華人民主正義党このほど結成・団体登録を申請。
DIA-206-1988-04-16-4マレーシア1988年04月16日1980年代PNB社,ガスリー社の株式の60.83%,4998万株を6億3300万リンギ(1億3476万ポンド)で売却と声明。
DIA-206-1988-04-18-1マレーシア1988年04月18日1980年代シャハリル前社会福祉相,新UMNOに入党せず,無所属議員になると声明。20日には,ラザレイを支持する国会議員に旧UMNO復活の努力が失敗したら,集団辞職し,補欠選挙に訴えるよう提書。
DIA-206-1988-04-18-2マレーシア1988年04月18日1980年代スランゴール州「台湾工業村」―Kelang Northに造成,面積40ha。現在25エーカーを分譲中。台湾の10社(投資額は少なくとも5000万リンギ)がすでに購入を決定。
DIA-206-1988-04-18-3マレーシア1988年04月18日1980年代MCA,華人15団体と対話。華語小学校を変質させないとの立場で一致,と共同声明。
DIA-206-1988-04-18-4マレーシア1988年04月18日1980年代コ・ベトナム外務次官,来訪(5日間)。
DIA-206-1988-04-20-1マレーシア1988年04月20日1980年代ピドン島のベトナム不法移民約5000人を近々第三国に退去させる旨を閣議決定。
DIA-206-1988-04-22-1マレーシア1988年04月22日1980年代華小管理職問題でMCAと民政党の対立深まる―過去数日間,閣僚5人委員会でいずれの党が妥協したかをめぐって非難の応酬が続き,本日,アヌワール教育相が,この件は5人委員会の手で解決済みであり,両党は問題を蒸し返してはならないと警告。しかし24日。黄俊傑MCA書記長は,華人15団体の前で問題の真相を弱らかにするよう,林民政党党首に挑戦。26日には,民政党情宣部が,1月12日の5人委員会に提出した覚書を公表するようMCAに要求。同日,董教総はいわゆる「四一方式Jを認めずと声明(「重要日誌」2月4日参照)。
DIA-206-1988-04-26-1マレーシア1988年04月26日1980年代UMNO違法判決文,このほど発表―ハルン判事は,救済案として,84年に選出された役員による選挙のやり直しを示唆した(「重要日誌」2月4日参照)。
DIA-206-1988-04-26-2マレーシア1988年04月26日1980年代マレーシア経済研究所のマクロ予測―87年の資本逃避額を59億リンギと推計,88年GDP成長率を5.9%と予測。28日,中銀は資本逃避推計額は過大と批判。
DIA-206-1988-04-27-1マレーシア1988年04月27日1980年代サバ州政府首脳に汚職の噂―汚職取締り局はバイリン州首相取調べの噂を否定。5月3日,内国歳入局副局長は,同州内の未納税分2億8500万リンギの追徴のため同党幹部8人の面接調査を行なったことを確認。
DIA-206-1988-04-27-2マレーシア1988年04月27日1980年代ラザレイ前商工相,抜打ち選挙を予測。
DIA-206-1988-04-30-1マレーシア1988年04月30日1980年代公共受託管理官,UMNO本部を封鎖。
DIA-206-1988-05-06-1マレーシア1988年05月06日1980年代副青年・文化相に鄧育桓保健省政務次官(MCA婦人部長),その後任には7日に陳祖排MCA副書記長が就任。
DIA-206-1988-05-09-1マレーシア1988年05月09日1980年代黄循營前青年・文化相に背任罪で懲役9カ月の判決。これによりMCAの党籍を失ったが,下院議席の喪失には至らなかた。
DIA-206-1988-05-09-2マレーシア1988年05月09日1980年代タウフィク下院議員,新UMNOに加入せずと声明―19日までに,ラジ前副第一次産業相もこれに同調。
DIA-206-1988-05-10-1マレーシア1988年05月10日1980年代民政党,華人15団体と会談―民政党は華語小学校管理職人事に関する最近の内閣の決定を説明,今後も教育省の具体的施策を監視,などの点を声明。
DIA-206-1988-05-11-1マレーシア1988年05月11日1980年代郭鶴年,MPHB会長など退任へ―同社の発表によれば,(1)87年2月に経営立て直しを引き受けた郭会長,胡木金専務,李莱生取締役は6月28日の定例株主総会後に。退任,(2)87年末締めのMPHBグループの税引き前欠損は2957万8000リンギ,対前年度比48%縮小。
DIA-206-1988-05-12-1マレーシア1988年05月12日1980年代リンギの交換レート,年初以来低下―本日までに豪ドルに7.79%,英ポンドに6.60%,米ドルに0.94%,日本円に3.21%,Sドルに1.75%それぞれ切下げ。
DIA-206-1988-05-12-2マレーシア1988年05月12日1980年代全国労使協議会,閣僚委員会の労働法修正案を検討。
DIA-206-1988-05-12-3マレーシア1988年05月12日1980年代ゴム相場急騰続く―RSS1号は本日KL市場で321.5センをつけ,ラテックスは393セン(ゴムに換算すると約650セン)となり価格の不均衡が顕著となった。業界筋では,エイズ関連で医療用手袋の原料であるラテックスへの需要が急増したのと投機資金の流入によるとの見方が強い。23日のRSS1号の引け値は355セン,ラテックスは5リンギの大台を越えた。24日,首相は充分な供給を保証すると声明。
DIA-206-1988-05-14-1マレーシア1988年05月14日1980年代謝英福,UMW社会長を辞任しPerwaja Trenggaun代表取締役(26日には社長)に就任。
DIA-206-1988-05-19-1マレーシア1988年05月19日1980年代国会議員用開発予算の凍結―消息筋によれば,与党国会議員が独自に使途を決定できる1人年間20万リンギの予算が6年ぶりに凍結された。
DIA-206-1988-05-21-1マレーシア1988年05月21日1980年代新UMNO人事など―最高会議は,(1)10月に党大会開催,(2)青年部長にラジブ青年・体育相,婦人部長にラフィダー商工相,執行書記にヤコブ・アフマッドを任命,(3)党の国民戦線代表に,マハティール総裁(戦線議長),ガファール副総裁(同書記長),ダイム財政部長(財政部長)のほかモクタール・トレンガヌ州首相,アヌワール教育相,アブドラー前国防相を任命。
DIA-206-1988-05-22-1マレーシア1988年05月22日1980年代新UMNO青年部,団結協同組合の経営を糾弾―多数の理事が不正を働き,多額の欠損が累積したとして,現理事会の総辞職を要求。23日,ハルン会長はこれを否定,29日の年次総会では現理事会が再選された。同日,商業犯罪捜査部は捜査を開始。
DIA-206-1988-05-23-1マレーシア1988年05月23日1980年代ダイム蔵相,貸出金利の引き下げを要請。
DIA-206-1988-05-24-1マレーシア1988年05月24日1980年代サラワク州議会,憲法修正案を可決―これにより州議員が党籍を変更する場合,議席を失う。
DIA-206-1988-05-25-1マレーシア1988年05月25日1980年代ガファール副首相,労組代表と会談,労働3法修正案は7月国会に上程せずと保証。
DIA-206-1988-05-26-1マレーシア1988年05月26日1980年代世銀,このほど対マ借款に同意―サラワクのガス発電事業向け。5600万米㌦,5年据置を含む15年返済。年利7.72%。
DIA-206-1988-05-27-1マレーシア1988年05月27日1980年代イポー,正式に市に昇格。
DIA-206-1988-05-29-1マレーシア1988年05月29日1980年代国王,最高裁長官を弾劾裁判に付託―サレー長官は本日記者会見を行ない,UMNO党大会無効訴訟で一方に偏ったことはなく,メッカ巡礼から帰国後の5月17日に,同訴訟を最高裁の9人の判事で審理するよう指示した,と声明し,29日付け首相宛書簡の写しを配布。同書簡の主旨は,(1)27日に首相との会談(副首相と政府官房長が同席)で,長官たるにふさわしからざる行動があったという理由で,国王が長官を解任するための弾劾委員会を設立したと,通告された。さらに首相は,解任理由には,首相がたびたび司法権を攻撃する声明を行ったことに対して,長官が国王と州統治者に書簡を出したこと,および,UMNOに関する訴訟について長官の立場が偏っていることが含まれる,と説明した。(2)書簡を出したのは,判事は国王と州統治者の同意と認可のもとにその職に任命されるものであり,また,問題の書簡は,3月15日に在KLの全ての判事が出席した会議の後に書かれたものだからである。UMNOの一件に関し自分が偏向しているという非難は,まったく不正確である。(3)会談後,自分が任期満了前に退職することが,司法と全ての裁判官のためになると考え,5月28日付けで首相に辞表を送った。(4)しかしさらに熟慮した結果
DIA-206-1988-05-30-1マレーシア1988年05月30日1980年代社会民主党,解散。
DIA-206-1988-05-31-1マレーシア1988年05月31日1980年代総理府,サレー長官を僚職に付すと声明―(1)27日の会談で,首相は,国王が長官の更迭を望んだ理由を説明するに際して,UMNOの問題には言及しなかった,(2)長官の任期満了前の退職申請とその撤回は,いかなる圧力によるものでもない,(3)長官の声明は政治的なものである,(4)長官の要求に従い弾劾委員会を設立,審理を行なうが,処分確定までは長官は停職に付される。
DIA-206-1988-05-31-2マレーシア1988年05月31日1980年代最高裁人事―長官代理にハミッド西マレーシア大法官を,また,退任するアキ最高裁判事の後任にハルンKL高裁判事を任命。
DIA-206-1988-06-02-1マレーシア1988年06月02日1980年代ムサ,新UMNOに入党せず,と声明―中立の立場でマレー人の団結の回復に寄与し,新経済政策から政治と民主主義の状況に至る諸問題について引続き個人として発言する,と発表。4日,ラザレイ前商工相は,旧UMNO復活に参加の意思があれば歓迎,と語った。
DIA-206-1988-06-02-2マレーシア1988年06月02日1980年代サレー最高裁長官,弾劾委員会に公開審理要求。
DIA-206-1988-06-03-1マレーシア1988年06月03日1980年代国内治安法による拘留者の釈放―林晃昇華語学校理事会総会会長,沈慕羽華語学校教員総会会長,陳勝堯DAB次席副委員長,V・デイヴィッドDAP下院議員,林珍珍ALIRAN執行委員,呉春心農業大学講師,スハイミPAS法律顧問の7人。林会長と沈会長には居住・移動の制限,団体活動の禁止,陳,デイヴィッドの両議員には居住・移動の制限が課された。
DIA-206-1988-06-03-2マレーシア1988年06月03日1980年代すず価格,1985年以来初めて18リンギの大台を突破。
DIA-206-1988-06-05-1マレーシア1988年06月05日1980年代米国で一般特恵関税の対マ適用取り消しの圧力―首相は,駐米大使から,マ政府が拘留中の労働組合指導者1名を釈放しなければ,GSPの適用を取り消すようAFL-CIOが米政府に要求した,と報告があったことを明らかにした。6日,デイヴィッドMTUC書記長(DAP下院議員)は,かつて国際会議の場で人権と労働者の利益の問題を提起したことはあるが,AFL-CIOの決定に影響力を行使したことはない,と反論。またラフィダー商工相は7日,デイヴィッドの行為は労働者のみならず国家に反するものと非難。9日,デイヴィッドは,MTUCがAFL-CIOにGSP適用取り消し提案の撤回を要請,と声明。
DIA-206-1988-06-11-1マレーシア1988年06月11日1980年代旧UMNO復活委員会集会―スランゴール州スバン・ジャヤで開催。5000人が参加。ラザレイ前商工相は,旧UMNO執行部がUMNOを復活しようとしなかったのみならず,新党を結成したと非難。
DIA-206-1988-06-11-2マレーシア1988年06月11日1980年代国王,最高裁長官弾劾委員を任命―議長にハミッド最高裁長官代理,委員は李漢和東マレーシア大法官,ラナシンゲ・スリランカ首席判事,シンナトライ・シンガポール最高裁上席判事,アジズ前マレーシア連邦裁判事,ザヒール・マレーシア下院議長(前高裁判事)。
DIA-206-1988-06-11-3マレーシア1988年06月11日1980年代首相,総選挙繰上げ実施の噂を否定。
DIA-206-1988-06-12-1マレーシア1988年06月12日1980年代スランゴール州政府の投資誘致代表団,訪台。
DIA-206-1988-06-13-1マレーシア1988年06月13日1980年代首相,インドネシア訪問―2日間。スハルト大統領との会談で,軍事協力,貿易拡大に合意。
DIA-206-1988-06-15-1マレーシア1988年06月15日1980年代民営化マスタープラン作成委託に調印―英国系のマーチャントバンカーが受託。
DIA-206-1988-06-16-1マレーシア1988年06月16日1980年代銀行協会,金利引下げを発表―7月1日より,基本貸出金利をブミプトラ,マラヤ両銀行が7.0%から6.75%に,その他の銀行が7.5%から7.0%に引下げ。
DIA-206-1988-06-18-1マレーシア1988年06月18日1980年代マレーシア弁護士会臨時大会,弾劾委員会のラナシンゲ判事を除く5人に,利益の衝突の恐れがあるとして,任命辞退を要請,などを決議。
DIA-206-1988-06-20-1マレーシア1988年06月20日1980年代円建て債務―中銀の林副総裁によれば,87年末の円建て債務は175億リンギ(うち海外経済協力基金44億リンギ,輸銀22億リンギ),外債総額の35%。
DIA-206-1988-06-21-1マレーシア1988年06月21日1980年代サレー最高裁長官に対する告発理由―タリブ検事総長発表。(1)87年8月1日,政府に対する偏見を含む発言を行なった。(2)88年1月12日,司法の独立に対する政府の干渉という批判を含め,政府の信用を損なう発言を行なった,(3)未成年者の宗教選択に関わる民事訴訟の審理を無期限延期とした,(4)国王と州王に送った3月26日付け書簡の内容について,国内の全判事と事前に協議せず,かつその承認を得ず,しかもその書簡によって,国王・州王と政府の良好な関係に重大な影響を及ぼそうとした,(5)停職後,虚偽の事実を含む発言をマスメディアに対して行ない,政治問題化しようとした,の5点。
DIA-206-1988-06-21-2マレーシア1988年06月21日1980年代パーム油価格,高騰―米国の旱魃の影響で西マレーシア平均(トン当り)で,6月初めの1000リンギ台から本日1200リンギ台を超え,28日に1302リンギとなった。
DIA-206-1988-06-22-1マレーシア1988年06月22日1980年代李孝式マラヤ連邦初代蔵相,死去。
DIA-206-1988-06-25-1マレーシア1988年06月25日1980年代KL・スランゴール中華商工総会,年次大会で,1990年以後は現在の新経済政策に代え,自由競争を促進し経済成長を刺激する政策を採用するよう要請,と決議。
DIA-206-1988-06-27-1マレーシア1988年06月27日1980年代李シンガポール首相,来訪―マハティール首相と会談。28日,(1)天然ガスの対シ供給量,価格,プレミアム,(2)ジョホール州の水源地とダム・揚水施設の用地借用・建設費,管理などを規定した了解覚書に調印。
DIA-206-1988-06-27-2マレーシア1988年06月27日1980年代国会再会。
DIA-206-1988-06-28-1マレーシア1988年06月28日1980年代サレー最高裁長官,高裁に弾劾委員会の審理禁止の命令とその仮処分を申請。
DIA-206-1988-06-28-2マレーシア1988年06月28日1980年代第12次円借款の交換公文に調印―半島部ガス利用第2期事業のパイプライン建設(総工費10億リンギ)に利用。総額420億円,年利4%,7年据置を含む25年返済。
DIA-206-1988-06-28-3マレーシア1988年06月28日1980年代MPHB集団,88年上半期に黒字に転換へ―株主総会後,曾華英新会長が確認。
DIA-206-1988-06-29-1マレーシア1988年06月29日1980年代サレー最高裁長官に対する弾劾委員会審理開始―冒頭,長官の弁護人は審理の延期要求が認められなかったため,今後審理に参加しないとして退席。
DIA-206-1988-06-30-1マレーシア1988年06月30日1980年代台湾企業の投資提案―ラフィダー商工相の下院答弁によれば,(1)87年から88年5月までに総額1億5340万リンギ,(2)電子電機5340万リンギ,プラスチック3210万リンギ,化学品1600万リンギ,ゴム製品1080万リンギ,など。
DIA-206-1988-06-30-2マレーシア1988年06月30日1980年代PNB社決算―87年12月締めのグループの税引き前利益2億5900万リンギ。
DIA-206-1988-07-01-1マレーシア1988年07月01日1980年代シャハリル前社会福祉相,下院議員を辞職―無所属で補欠選挙に立候補と発表。12日,「マハティールの指導に反対ならシャハリルに1票を」との標語発表。
DIA-206-1988-07-01-2マレーシア1988年07月01日1980年代サレー長官の主張―アジズ弁護人は高裁で,総理府の声明は,まず国王が長官の更送を提起したことを示しており憲法第125条3項の規定に違反,等の点を主張。
DIA-206-1988-07-01-3マレーシア1988年07月01日1980年代DAP役員就任問題―首相の下院答弁によれば,団体登録官はこのほど,林吉祥,林冠英,カーパル,パット,劉徳瑞の同党役員就任申請を却下し,陳勝堯,V・デイヴィッドの申請は認可した。
DIA-206-1988-07-02-1マレーシア1988年07月02日1980年代最高裁,サレー長官の緊急申し立てを認め,弾劾委員会に,国王に対する建議または報告の提出を別命あるまで差し止める仮処分を命令。
DIA-206-1988-07-02-2マレーシア1988年07月02日1980年代首相,政変の噂を流布する者を非難―クランタン州出身の将軍が,ラザレイ前商工相が逮捕されれば,クーデターに訴えると警察長官に警告したという噂や,警察長官がラザレイ逮捕の首相命令を拒否して,辞職を迫られたという噂を意図的に流す者が存在するという。
DIA-206-1988-07-03-1マレーシア1988年07月03日1980年代MTUC,デイヴィッド書記長の説明を了承。
DIA-206-1988-07-04-1マレーシア1988年07月04日1980年代検事総長,国王と首相の書簡6通を高裁に提出―まず首相が仲裁委員会の設立を提案しており,手続きは憲法第125条3項に合致,と主張。
DIA-206-1988-07-04-2マレーシア1988年07月04日1980年代カメンツェフ・ソ連副首相兼経済貿易相,来訪―二重課税協定に調印。
DIA-206-1988-07-04-3マレーシア1988年07月04日1980年代ASEAN外相会議―バンコクで開催(2日間)。ハッサン外相は,ベトナムに難民の出国抑制を要請すると同時に,マレーシアは国際社会の承認を得られれば,難民問題国際会議の主催国となる用意があると発表。
DIA-206-1988-07-06-1マレーシア1988年07月06日1980年代国王,最高裁5判事を停職処分に―停職理由は,(1)2判事はコタ・バルで7月2日に予定されていた最高裁の審理を長官代理に無断で欠席,(2)上記2判事を含む5判事は,長官代理に通知することなく,7月2日に開廷し,弾劾委員会の国王に対する報告・勧告の提出を禁止する最高裁命令を発出,など。他方,5判事は,自分たちがこの緊急申請を処理しなければ,判事としての職責を果たさなかったことになる,と共同声明。9日,弁護士会臨時大会は,ハミッド長官代理の辞職要求を決議。同日,ALIRAN(国民覚醒運動)も,憲法と国家原則を守るための署名運動を開始。
DIA-206-1988-07-08-1マレーシア1988年07月08日1980年代KL高裁,サレー長官の仮処分申請を却下―同長官は9日,最高裁に上訴。
DIA-206-1988-07-08-2マレーシア1988年07月08日1980年代下院休会。
DIA-206-1988-07-09-1マレーシア1988年07月09日1980年代シュルツ米国務長官,首相と会見―インドネシア訪問の途次,短時間立ち寄ったもの。なお警察は首相官邸付近で火炎瓶などを所持していた19歳の男を逮捕。
DIA-206-1988-07-11-1マレーシア1988年07月11日1980年代検事総長,弾劾委員会を代表し,同委員会の報告・勧告の提出を禁じた仮処分の取り消しを最高裁に申請。サレー最高裁長官は13日,上記申請の取り消しを申し立て,停職となった5判事も同日,弾劾委員会の申請に対する介入の要求を提出。
DIA-206-1988-07-11-2マレーシア1988年07月11日1980年代上院開会。
DIA-206-1988-07-11-3マレーシア1988年07月11日1980年代ポストNEP―ガファール副首相は,「新経済政策」に代わる新たな政策の策定には,国民戦線加盟党の同意を求めなければならない,との見解を示した。19日には,策定に,当たり戦線内で各種族と協議,と談話。
DIA-206-1988-07-11-4マレーシア1988年07月11日1980年代すず相場,86年初め以来の19リンギ/㎏の大台回復。
DIA-206-1988-07-14-1マレーシア1988年07月14日1980年代UMNO青年部,弁護士会事務所に抗議デモ。
DIA-206-1988-07-16-1マレーシア1988年07月16日1980年代MIC,次席副党相などを処分―規律委員会は,パンディタン次席副党相(商工省政務次官)を除名,スブラマニアム次席副党首を12カ月の党員権停止,21支部の執行委員13人を除名,と発表。
DIA-206-1988-07-16-2マレーシア1988年07月16日1980年代李MCA副党相,「多元主義を通じての協調的な融合」を提唱。
DIA-206-1988-07-18-1マレーシア1988年07月18日1980年代首相,株式仲買会社への外資参加比率上限を現行の30%から49%に緩和,と発表。
DIA-206-1988-07-19-1マレーシア1988年07月19日1980年代外資の資本参加規制を緩和―内閣投資委員会は,(1)農業を基礎とする工業の分野で86年10月1日から90年12月31日までの期間に認可される企業について,製品の少なくとも20%を輸出する等の条件で,生産開始の日から5年間は外資に100%出資を認め,(2)新規のホテル,観光事業につき,事業開始の日から5年間は外資100%出資を認める等を決定。
DIA-206-1988-07-19-2マレーシア1988年07月19日1980年代サラワクで過去4週間に5人(前州首相の元政治秘書を含む)を国内治安法で拘留。
DIA-206-1988-07-19-3マレーシア1988年07月19日1980年代PAS青年部の前書記を釈放(国内治安法で拘留)。
DIA-206-1988-07-20-1マレーシア1988年07月20日1980年代台湾の対マ投資―来マ中の王志剛台湾経済省投資審議会執行書記(台湾大学教授)によれば,マレーシアについては種族問題が心理的障害になるため,マレーシアよりもタイが選好されるとの見解を表明した。
DIA-206-1988-07-20-2マレーシア1988年07月20日1980年代キプロスのヤコヴォ外相,来訪。
DIA-206-1988-07-21-1マレーシア1988年07月21日1980年代最高裁,サレー長官と5判事の申請を却下―13日に提出された申請につき,検事総長は弾劾委員会を代表しうる,などの理由による。最高裁のハルン,ハシム両判事と高裁から一時補任された3判事の全員一致。
DIA-206-1988-07-22-1マレーシア1988年07月22日1980年代最高裁,弾劾委員会に国王に対する報告・勧告を一時禁止した7月2日の命令を取り消し。
DIA-206-1988-07-22-2マレーシア1988年07月22日1980年代上院休会―国内治安法修正法案,危険薬物(特別防止措置)修正法案,緊急(公共秩序・犯罪防止)修正法案,カカオ局(設立)法案などが成立。
DIA-206-1988-07-25-1マレーシア1988年07月25日1980年代カンボジア問題非公式会議,ジャカルタで開催。
DIA-206-1988-07-28-1マレーシア1988年07月28日1980年代首相,医療保健制度導入を示唆。
DIA-206-1988-07-28-2マレーシア1988年07月28日1980年代全国労働審議会,労働3法修正案審議を終了―政府原案から,「全ての政府部門を必須業務とする」との条文を削除するなど,9項目を廃棄し,11項目を承認。
DIA-206-1988-07-31-1マレーシア1988年07月31日1980年代MCA党大会―林党相は,(1)党はすでに一連の計画を作成,これが成功すれば6カ月内に党の全債務を解消できる,(2)すでに「マレーシア団結展望計画」と称する国家と華人社会のための1990年以降の長期計画案を完成した,等の点を報告。
DIA-206-1988-07-31-2マレーシア1988年07月31日1980年代ハミッド最高裁長官代理,弾劾委員会の報告を国王に提出。
DIA-206-1988-07-31-3マレーシア1988年07月31日1980年代バタワースのフェリー埠頭待合所2階の床が落ち,31人が死亡,831人が重軽傷。政府は事故原因調査のため,8月5日に勅任調査委員会を設置。
DIA-206-1988-08-01-1マレーシア1988年08月01日1980年代首相,「マレーシア民族」の形成を提唱―総理府の社会団結事業の発足に際し,各種族の文化的要素を除去することなく,形成する必要がある,と述べた。
DIA-206-1988-08-01-2マレーシア1988年08月01日1980年代裕華隆貿易有限公司,営業開始―マ政府が設立を認可した初の中国の商業組織。中国化工出口総公司が出資し,貿易,投資のほか,合弁の仲介に当たる計画。
DIA-206-1988-08-02-1マレーシア1988年08月02日1980年代プラマサダ・スリランカ首相,来訪。
DIA-206-1988-08-03-1マレーシア1988年08月03日1980年代上半期の乗用車登録台数―2万2578台(前年同期比57.5%増),うちプロトン・サガ1万6519台(同100.1%増),その他の車種6059台(同0.3%減)。
DIA-206-1988-08-06-1マレーシア1988年08月06日1980年代総理府,サレー最高裁長官の更迭を発表―国王が弾劾委員会の提案を受け入れて決定。8月8日付け。政府が8日に発表した弾劾委員会報告書によれば,長官は政府が提起した5件についてすべて有罪と判定された。
DIA-206-1988-08-06-2マレーシア1988年08月06日1980年代サッチャー英首相・立ち寄り―マハティール首相と会談。
DIA-206-1988-08-08-1マレーシア1988年08月08日1980年代新UMNO組織状況―首相によれば,(1)同党の入党者者は93万1361人(うち青年部18万7361人)となったので,団体法の規定に従い旧UMNOの資産引継の準備をこのほど開始,(2)党員に,新UMNOではなく,団体登録官に認可された党規約にしたがいUMNOという党名を使用するよう要請。
DIA-206-1988-08-08-2マレーシア1988年08月08日1980年代KL商品取引所,カカオの先物取引を開始。
DIA-206-1988-08-08-3マレーシア1988年08月08日1980年代工業開発庁(MIDA),台北に事務所を開設し6月から業務を開始(ラフィダー商工相が確認)。
DIA-206-1988-08-08-4マレーシア1988年08月08日1980年代ソン・サン民主カンボジア連合政府首相,来訪。
DIA-206-1988-08-09-1マレーシア1988年08月09日1980年代最高裁,87年UMNO党大会無効の訴訟を却下―あわせてKL高裁の,84年党大会で選出された執行部による役員選挙やり直しという救済勧告も棄却。
DIA-206-1988-08-11-1マレーシア1988年08月11日1980年代Dtk.Kampo Radjo人民社会党委員長,死去。
DIA-206-1988-08-11-2マレーシア1988年08月11日1980年代OPEC支持を表明―アジザンPETRONAS社長は,OPECが89年につき新たな総生産量を決定するなら必要な調整を行なうとの談話発表。
DIA-206-1988-08-13-1マレーシア1988年08月13日1980年代ハッサン外相,ビルマ情勢を注視と談話。
DIA-206-1988-08-13-2マレーシア1988年08月13日1980年代イラン・イラク停戦国連監視団への参加を発表。
DIA-206-1988-08-14-1マレーシア1988年08月14日1980年代最高裁5判事の処分問題で弾劾委員を任命―委員長にハシム最高裁判事のほか,ダミアン・スリランカ最高裁判事,クマラスワミー・シンガポール高裁判事,マレーシア高裁のジョゼフ,ユソフ,ラミンの各判事。弁護士会は20日,ハシム判事の任命取り消しを要求。弾劾委員会は29日に審理開始。
DIA-206-1988-08-14-2マレーシア1988年08月14日1980年代DAP,下院ジョホール・バル区補欠選挙「参戦」―無所属のシャハリル候補は,DAP党員の協力を確認。他方,曾DAP委員長は,同党は候補者を立てないが選挙戦には参加していると談話。
DIA-206-1988-08-16-1マレーシア1988年08月16日1980年代首相,モーリシャスを公式訪問―4日間。文化協定および経済・技術協力委員会の設置協定に調印。
DIA-206-1988-08-16-2マレーシア1988年08月16日1980年代ムサ前UMNO副総裁,シャハリル候補支援を開始。
DIA-206-1988-08-18-1マレーシア1988年08月18日1980年代ラーマンPERMAS委員長,辞職―中央委員会はこのほどブディ副委員長を委員長代理に選出。
DIA-206-1988-08-21-1マレーシア1988年08月21日1980年代首相,商銀に基本貸出金利の引き下げを要請。
DIA-206-1988-08-23-1マレーシア1988年08月23日1980年代クランタン州王,サレー長官に勲章授与。
DIA-206-1988-08-24-1マレーシア1988年08月24日1980年代マ・シ両国指導者間に内政不干渉の了解―李シンガポール首相は,1978年にマハティール副首相(当時)と,相互の内政に干渉せず,相手国の野党を支持しないことで了解に達していたことを明らかにした。
DIA-206-1988-08-24-2マレーシア1988年08月24日1980年代ガファール副首相,ラオス,ベトナムを訪問―29日に帰国して,(1)マ政府は1年以内にビドン島の難民収容所を閉鎖,それ以降はボート・ピープルを「不法移民」と見なす,(2)ベトナム政府は89年初めに開催予―の難民問題国際会議出席に同意,と発表。
DIA-206-1988-08-25-1マレーシア1988年08月25日1980年代下院ジョホール・バル区補欠選挙の結果―有権者総数6万0292人,シャハリル(無所属)2万3581票,マスウド(国民戦線=新UMNO))1万0961票,ラザク(人民社会党)2260票,無効285票。
DIA-206-1988-08-25-2マレーシア1988年08月25日1980年代米国通商代表部,対マGSP適用の見直しを決定。
DIA-206-1988-08-25-3マレーシア1988年08月25日1980年代資源関連工業への投資―MIDAの発表によれば,88年1~7月の認可件数と投資予定額は,ゴム製品56件,3億3920万リンギ,木材関連24件,2億7510万リンギ,パーム抽・核油7件,1億9210万リンギ。
DIA-206-1988-08-25-4マレーシア1988年08月25日1980年代陳農業大学講師など国内治安法拘留者4人を釈放。
DIA-206-1988-08-26-1マレーシア1988年08月26日1980年代製造業の地場投資―ラフィダー商工相によれば,88年1~7月の認可件数は124件(前年同期は44件)。
DIA-206-1988-09-01-1マレーシア1988年09月01日1980年代ハシム5判事弾劾委員長,辞任―ハシム判事は,7月22,23日の最高裁判決に参加しており予断を持っている恐れがあるなどの弁護側の主張をいれ,辞任を申立て国王が許可。後任はジョゼフ高裁判事。
DIA-206-1988-09-01-2マレーシア1988年09月01日1980年代商工省通商使節団,訪台―使節団にはラフィダー商工相のほか林ペナン州首相,パイリン・サバ州首相も参加。同商工相は6日,台北でのセミナーの席上,1990年までに実施される投資は,当初の条件を守る限り,新経済政策とその今後の修正の要件が適用されないと保証。
DIA-206-1988-09-02-1マレーシア1988年09月02日1980年代チャチャイ・タイ首相,来訪―3日帰国して,ベトナムのカンボジア撤兵が,タイ・マ両国とベトナムの正式な貿易関係樹立の条件,との見解を表明。
DIA-206-1988-09-03-1マレーシア1988年09月03日1980年代ジョホール投資誘致使節団,台湾,韓国,香港を歴訪(11日間)。
DIA-206-1988-09-04-1マレーシア1988年09月04日1980年代首相,補欠選挙に関する憲法,選挙法の規定を修正する意図なし,と声明。
DIA-206-1988-09-04-2マレーシア1988年09月04日1980年代四半期GDP成長率―中銀は88年第1四半期GDP成長率(対前年同期比)を7.5%と発表。さらに首相は5日,第2四半期は10.5%,上半期9%は確実と述べた。
DIA-206-1988-09-06-1マレーシア1988年09月06日1980年代5カ国防衛協定による軍事演習実施(4日間)。
DIA-206-1988-09-08-1マレーシア1988年09月08日1980年代シアヌーク殿下,来訪(4日間)。
DIA-206-1988-09-09-1マレーシア1988年09月09日1980年代新UMNO最高会議,次席副総戴任命―モクタール・トレンガヌ州首相,アブドラー前国防相,アヌワール教育相の3人。いずれも87年党大会で同ポストに選出されていた。
DIA-206-1988-09-09-2マレーシア1988年09月09日1980年代首相,「一つの中国」を確認―(1)台湾からの投資誘致は,台湾承認を意味するものではない,(2)ラフィダー商工相の訪台は非公式訪問,(3)自分が使節団を率いて台湾を訪問したことはない,と発表。
DIA-206-1988-09-12-1マレーシア1988年09月12日1980年代政府,マ航空社株を中銀に売却―モハールMAS会長の発表によれば,中銀は同社株の42%を購入,政府はゴールデン・シェア1株を所有するとのみとなる。
DIA-206-1988-09-13-1マレーシア1988年09月13日1980年代首相,マ海軍艦艇が比領海侵犯等の報道を否定―前日のフィリピンからの外電は,領海侵犯のほか,マ作成の地図が比領島嶼をマ領と記載しているというシャハニ上院議員の発言を報道。15日,同上院議員はマ作成の地図の船舶航路を境界と誤解した,と釈明。
DIA-206-1988-09-14-1マレーシア1988年09月14日1980年代上級(A,Bグループ)公務員採用凍結をこのほど解除(約4万の空席が存在)。
DIA-206-1988-09-14-2マレーシア1988年09月14日1980年代ナカイPAS次席副委員長,党役職辞任を発表。
DIA-206-1988-09-16-1マレーシア1988年09月16日1980年代投資調整センター,設立―ラフィダー商工相発表によれば,10月1日からMIDAに関係省庁の幹部を出向させ,2カ月以内に投資申請を処理する計画。
DIA-206-1988-09-18-1マレーシア1988年09月18日1980年代首相,西独など歴訪―本日から5日間西ドイツ,22日から3日間ベルギーを公式訪問,24日から4日間英国を非公式訪問,さらに米国に移動し,10月4日,国連総会で演説,帰途,日本に立ち寄り,8日に帰国。
DIA-206-1988-09-18-2マレーシア1988年09月18日1980年代国内治安法拘留者9人を釈放。
DIA-206-1988-09-21-1マレーシア1988年09月21日1980年代このほどサラワクで前州議員を含む4人を国内治安法で拘留。
DIA-206-1988-09-22-1マレーシア1988年09月22日1980年代電子産業労働者の組合結成を詔可―李労相は,米国の対マGSP適用が問題になる以前から閣議で検討してきたと発表。ザイナルMTUC委員長は,発表を歓迎し,使用者側が組合結成を妨害しないよう希望すると述べた。23日,マ・米国電子産業協会は事前に通知がなかったと不満を表明。
DIA-206-1988-09-26-1マレーシア1988年09月26日1980年代政府出資企業―ナプシア公企業相によれば,(1)88年9月17日現在,政府出資比率が51%以上の企業は800社,20~50%が250社,20%未満が83社,(2)政府過半数出資企業のうち453社は75~85年に設立,(3)現在,公企業は国の経済活動の3分の1を占めている。
DIA-206-1988-09-27-1マレーシア1988年09月27日1980年代英国からの武器購入覚書に調印―マハティール,サッチャー両首相が調印。今後10年間にわたりトルネード戦闘機,ミサイル,潜水艦など10億英ポンド相当を購入,代金の一部を原油,その他の一次産品で支払う。
DIA-206-1988-09-27-2マレーシア1988年09月27日1980年代マ・台,台・マ常任委員会合同会議,KLで開催。
DIA-206-1988-09-30-1マレーシア1988年09月30日1980年代最高裁,陳群川に減刑判決―高裁判決の懲役30カ月を18カ月とし,100万リンギの罰金を取り消し。
DIA-206-1988-10-01-1マレーシア1988年10月01日1980年代林MCA党着,運輸相を無給休暇―本日から6週間。『南洋商報』とのインタビューで,(1)休暇は疲労回復のため,(2)教育,新村,86年総選挙での国民戦線の公約など,MCAが華人社会に請け合った問題は,元来,政府の了承を得ていたにもかかわらず,今日に至るまで実行されていない,(3)多くの分野における政府内の協力の現状には失望,と述べた。2日,黄MCA書記長は,国民戦線脱退の可能性を否定。3日,林GRM党首は,休暇の目的は華人社会からの支持回復のためその感情に訴えることにあり,内政の安定を破壊したと非難。
DIA-206-1988-10-02-1マレーシア1988年10月02日1980年代ムサ前副首相,下院で無所属に転向と発表。
DIA-206-1988-10-02-2マレーシア1988年10月02日1980年代全国電子産業労働組合(NEW),結成―スランゴール州内の11社とジョホール州の1社の労働者が結成。 李労相の20日発表の談話によれば,内閣は6月に,電子産業が労働運動に敏感なため,組合結成を企業内組合に限ると決定し,労相が9月に経営者連合会とMTUCの代表に伝達したという。同日,MTUCはこれを否定。
DIA-206-1988-10-06-1マレーシア1988年10月06日1980年代国王,最高裁の2判事を更迭―スレイマン判事と余判事が7月2日にコタ・バルで予定されていた審理を欠席したことは更迭に相当する不当な行動とする弾劾委員会の判定(4対1)による。弾劾委は他の3判事に対する訴因は立証されなかったと報告。
DIA-206-1988-10-06-2マレーシア1988年10月06日1980年代KL,高裁,国内治安法拘留者1人に人身保護令適用―マレー人に対するキリスト教の宣教を拘留理由とすることは,憲法第11(2)条に違反と判決。
DIA-206-1988-10-07-1マレーシア1988年10月07日1980年代首相,訪日―竹下首相と会談し,MASの就航便数増加,既存の円借款の金利引き下げなどを要請。竹下首相は検討に同意。
DIA-206-1988-10-09-1マレーシア1988年10月09日1980年代Malaysia Mining Coporation Bhd.(MMC),半島部のガス・パイプライン建設(730㎞)を受注。
DIA-206-1988-10-10-1マレーシア1988年10月10日1980年代国会再開。
DIA-206-1988-10-10-2マレーシア1988年10月10日1980年代労働3法修正法案,下院に上程―雇用法,労使関係法,労働組合法の3法。11日,MTUCは労使関係法第20条の修正案(労働大臣に必須産業の指定権を付与)の削除を,また16日には第8条(労働省による調停期間中は法廷への提訴を禁止)の削除を要求。
DIA-206-1988-10-11-1マレーシア1988年10月11日1980年代協調借款取入れに調印―3億5000万米㌦。金利は最初の2年がLibor+0.125%,残り8年が+0.25%。日本の36金融機関を含む53機関が参加。
DIA-206-1988-10-11-2マレーシア1988年10月11日1980年代88年末の対外債務残高―ザイン大蔵省官房長によれば,87年末より40億リンギ減少して470億リンギとなる見込み。うちドル建て50%,円建て25%。
DIA-206-1988-10-12-1マレーシア1988年10月12日1980年代ムサ前副首相,非常事態の可能性に言及―香港の外国特派員クラブで講演,(1)マハティール首相は1年以内に抜打ち選挙を行ない,負けそうになれば非常事態を宣言しよう,(2)MCAは抜打ち選挙で一掃されることを恐れており,これが林運輸相の休職の理由である,等の見解を表明。13日,下院で新UMNO議員がムサを裏切り者と非難,14日には,陳声新MCA次席副党相がムサ発言を全面的に否定,他方,ラザレイ前商工相は信頼できる話とコメント。
DIA-206-1988-10-15-1マレーシア1988年10月15日1980年代新UMNO,全マレー人の参加を呼びかけ―首相の発表によれば最高会議は,上記のほか,(1)ラザレイとムサに首相・副首相との会談を呼びかける,(2)アジブ前総理府相カディル前副外相,ラヒムMARA前会長を最高会議会員に任命する,等を決定。16日,首相は,ムサ,ラザレイとの話し合い提案には条件も期限もっいていないと述べた。
DIA-206-1988-10-19-1マレーシア1988年10月19日1980年代不動産市場,回復の兆侯―88年上半期の取引額が前年同期比24%増加。
DIA-206-1988-10-20-1マレーシア1988年10月20日1980年代ジョホール州議会パリット・ラジャ区補欠選拳で国民戦線(=新UMNO)候補者が7264票で当選無所属1名(ムサ,ラザレイ支持)が6849票,他の5人の無所属候補の得票は各67票,42票,30票,13票,9票,無効165票,有権者総数1万9651人。
DIA-206-1988-10-21-1マレーシア1988年10月21日1980年代89年予算案,下院に上程―(1)経常歳入227億4200万リンギ(税制変更による純減収2億0850リンギを含まず),経常支出222億8600万リンギ,開発支出74億7900万9リンギ,(2)法人税率を40%から35%に引き下げ,開発税を90課税年度から年1%ずつ引き下げ,5年間で廃止,(3)地場中小企業への奨励措置拡充,(4)多国籍企業の地域本部設立に対する奨励措置を検討,(5)食品と建材の一部に対する販売税復活,(6)付加価値税導入を検討,(7)グループA,B,Cの公務員の賃金を引き上げ(89年1月実施,年間に総額で2億8900万リンギの増加)。
DIA-206-1988-10-24-1マレーシア1988年10月24日1980年代マラヤ大学副学長補などマレー人知識人23人が,マハティール,ガファール,ラザレイ,ムサの4者会談を求める書簡をこのほど送付(10月15日付)。
DIA-206-1988-10-27-1マレーシア1988年10月27日1980年代新UMNO青年部,婦人部大会―青年部は全国労働政策の策定を求めるなどを,婦人部は1990年以降への新経済政策の延長を求めるなどを,それぞれ決議。
DIA-206-1988-10-27-2マレーシア1988年10月27日1980年代林DAP書記長など,拘留所でハンスト。
DIA-206-1988-10-28-1マレーシア1988年10月28日1980年代UMNO党大会―執行部提案の党規約案を5カ所修正して採択,さらに最終日の30日までに,(1)現在の最高会議の任期を最大限90年12月31日までとする,(2)政府に90年以降のための新たな国家経済政策の策定を要請する。その際,貧困の除去,社会の再編成に重点を置き,内外からの民間投資を奨励し,農村開発を重視し,民営化政策と財政引締めを継続することとする,(3)90年以降の政策の討議のためブミプトラ経済会議を開催する,等を決議。マハティール総裁は,総括演説でラザレイとムサに無任所相への就任を無条件で招請し,回答には期限をつけないと述べた。31日,ムサはこれを拒否と声明。
DIA-206-1988-10-28-2マレーシア1988年10月28日1980年代国連安保理事会非常任理事国に選出さる―アジア・グループのマレーシアとバングラデシュの得票は,第1回投票で104票対55票,第2回投票で143票対5票。任期は89年1月1日から2年間。
DIA-206-1988-10-30-1マレーシア1988年10月30日1980年代連邦土地開発庁,土地の私有制に復帰―ガファール副首相は,新UMNO党大会での総括演説で,現行の,株の発行を通じて入植者が土地を共有する制度の廃止を決定したことを明らかにした。
DIA-206-1988-11-01-1マレーシア1988年11月01日1980年代ペナンでGRM党員のMCA入党相次ぐ―本日邱武揚州議員が,8日には許岳金州議員(州委員会前副委員長)ほか28人がMCA入党を発表。
DIA-206-1988-11-02-1マレーシア1988年11月02日1980年代Bチームの話合いの前提条件―ライス前外相は,(1)UMNOの復活,(2)同グループの一部のメンバーに対する破産訴訟の取り下げ不合理な所得税の請求の撤回,(3)更迭された最高裁の前長官と判事の復職,旧UMNO党規約と党章の復活,の4条件を発表。
DIA-206-1988-11-03-1マレーシア1988年11月03日1980年代盧泰愚韓国大統領,来訪―3日間。4日,マハティール首相と会談,青年交流促進のための合同委員会設置と貿易拡大で合意。
DIA-206-1988-11-09-1マレーシア1988年11月09日1980年代新経済政策論議―ユソフ総理府相は下院で察鋭明MCA議員の批判に答え,(1)MCAが政府統計の信頼性を問題にしたのは遺憾,(2)企業部門におけるブミプトラの資本所有構成比は,最近の統計で19%であり,30%を超えた事実はない,(3)87年の貧困世帯の発生率はマレー人24%,華人7%,インド人10%,などを指摘。
DIA-206-1988-11-09-2マレーシア1988年11月09日1980年代GSPによる輸出―郭副商工相によれば,88年上半期のGSP輸出は25億4000万リンギ(前年同期比29.3%増),うちパーム油・同関連製品18.4%,電機製品13.7%,カカオ・同製品9.4%,ゴム製品8.8%など。
DIA-206-1988-11-10-1マレーシア1988年11月10日1980年代ASEAN・日本投資基金―ダイム蔵相によれば,(1)マレーシアへの割当8億9000万リンギは製造業,農業,観光の分野の中小企業の新規投資に融資,(2)融資は投資額の最高75%または85%をカヴァーし,2000万リンギが上限,金利は6.25%以下,など。
DIA-206-1988-11-11-1マレーシア1988年11月11日1980年代KL証券取引所2部,発足―1部よりも上場の条件が緩やか。上場と取引は89年1月に開始の予定。
DIA-206-1988-11-15-1マレーシア1988年11月15日1980年代外務省,パレスチナ国家を承認と発表。
DIA-206-1988-11-16-1マレーシア1988年11月16日1980年代警察本部,クダ,ペラ両州で23人を拘留と発表―(1)5カ月前のクダ州シックの放火事件に関連して10月14日~11月10日に検挙,(2)あわせて拳銃6丁,弾丸多数,手榴弾3発,仕掛爆弾用の火薬,部品を押収。
DIA-206-1988-11-17-1マレーシア1988年11月17日1980年代アスリ党首ほか12人,HAMIMから離党―22日,UMNOに入党。28日,首相は同党が引続き国民戦線の加盟党であると確認。新党首(代行)にはDtk.Sudin Wahabが12月1日選出された。
DIA-206-1988-11-17-2マレーシア1988年11月17日1980年代シンガポール政府,外国人労働者の流入規制強化。
DIA-206-1988-11-18-1マレーシア1988年11月18日1980年代リンギ,一段安に―対米ドル・レートは本日2.70リンギに低下,中銀は23日までに1億~2億米㌦の売り介入のほか,21~23日に外銀の短期スワップ取引上限を500万リンギに規制。23日の相場は2.65リンギの水準を回復。同日,外電はマ中銀がIMFからの切上げ圧力に抵抗と報道,ザイン大蔵省官房長はこれを否定。
DIA-206-1988-11-19-1マレーシア1988年11月19日1980年代林MCA党相,帰国―国民戦線の未履行の約束が速やかに実施されるよう希望,と談話。
DIA-206-1988-11-19-2マレーシア1988年11月19日1980年代最高裁長官にハミッド西マレーシア大法官を任命(11月10日付け)と発表。22日には,西マ大法官代行に。ハシム最高裁判享を任命,と発表。
DIA-206-1988-11-20-1マレーシア1988年11月20日1980年代鄭拓彬中国対外経済・貿易相,来訪―21日に相互投資奨励・保証協定,22日に経済・貿易合同委員会設置の取り決めに,それぞれ調印。26日帰国。
DIA-206-1988-11-20-2マレーシア1988年11月20日1980年代資本市場からの資金調達―88年1~8月に企業部門が17億リンギ,公共部門が44億6000万リンギ(87年は全年で各14億9000万リンギ,77億リンギ)。
DIA-206-1988-11-20-3マレーシア1988年11月20日1980年代全国電子産業労働組合法(NEW)暫定委員会,企業内組合に反対を決議。
DIA-206-1988-11-22-1マレーシア1988年11月22日1980年代ラザレイ,このほど無任所相就任の招請を拒絶―24日,(1)入閣はマレー人統一に帰結しない,(2)招請は「政治的買収」,の2点が拒絶の理由と説明。
DIA-206-1988-11-22-2マレーシア1988年11月22日1980年代マ・中合弁のステンレス・プラント設立に調印―当初年産3500㌧(95%を輸出)。払い込み資本2700万リンギ。Perdama Corporation(黄文彬会長)が70%,中国冶金建設公司で30%出資。
DIA-206-1988-11-26-1マレーシア1988年11月26日1980年代民政党(GRM)大会,開催―(1)指導部に今後の選挙に対する戦略練直しを要請,(2)新経済政策作成に際し,国民戦線内での広範で公開の協調を要請,など13決議を採択。
DIA-206-1988-11-27-1マレーシア1988年11月27日1980年代首相,クダ州の洪水に関連して米の備蓄は充分に存在,と声明。
DIA-206-1988-11-28-1マレーシア1988年11月28日1980年代ポスト90年問題―首相は,90年以降のための経済政策策定の前に,戦線の全加盟党のみならずその他の関連分野の見解を徴する,と語った。29日にはさらに,(1)新たな政策の重点は,高度成長と貧困の除去に置かれるが,社会再編成の目標,特にブミプトラによる企業株式の30%所有の目標も放棄できないとの見解を発表。
DIA-206-1988-11-29-1マレーシア1988年11月29日1980年代マレーシア経済研究所(MIER),88,89年のGDP成長率予測を各8.2%,7.1%に,上方修正。
DIA-206-1988-11-29-2マレーシア1988年11月29日1980年代ポスト90年問題―カマルルMIER所長は,90年以降の新経済政策の枠組みとして,10年間で所得を倍増させる計画を発表。貯蓄率を32%,投資率を24.7%,限界資本係数を3.25として年平均10%の経済成長を想定。
DIA-206-1988-12-01-1マレーシア1988年12月01日1980年代MIC,次席副党首などの除名を決定―中央執行委員会は,パンディタン次席副党首と支部役員14人を除名し,スブラマニアム(Mr.)次席副党首の党員権停止期間を12カ月から4カ月半に短縮すると決定。スブラマニアム(Dtk.)副党首とパトゥマナバン次席副党首は中執委の討議と決定がわずか32分間でなされたと非難。
DIA-206-1988-12-02-1マレーシア1988年12月02日1980年代新UMNO,反対派の表に党の役職提供―最高会議は,シャハリル,ラジ,ラーマ,ザイナル,マリナに同会議会員のポストを提供,と決定(首相発表)。
DIA-206-1988-12-02-2マレーシア1988年12月02日1980年代国家投資信託(ASN),88年の配当を9.25%,特別配当を4%と信託証券無償交付(25対1)とすると発表。
DIA-206-1988-12-04-1マレーシア1988年12月04日1980年代労働組合会議(MTUC)大会,開催―役員選挙では,アフマッド前委員長(DAP次席副委員長)が副委員長に選出された。(1)全国電子産業労働組合(NEW)の登録が拒否された場合,法廷に提訴,(2)政府に労働諸法の見直しを要請する,等を決議。
DIA-206-1988-12-05-1マレーシア1988年12月05日1980年代団体法修正案の討議を求める動議,下院に提出―ラザレイ前商工相が提出,ムサ前副首相が支持。統治者の主権の擁護,マレー人の統一,政治的安定の実現などのため,旧UMNOの復活が必要と説明。6日,反対108票,賛成35票で否決された。
DIA-206-1988-12-07-1マレーシア1988年12月07日1980年代インドシナ難民に関する国連難民問題高等弁務官の非公式協議,KLで開催(3日間)。
DIA-206-1988-12-08-1マレーシア1988年12月08日1980年代クランタン州公務員人事で紛糾―州政府書記官長が州首相の最終的了承なしに21人の幹部公務員につき降格などの人事を決定したとの報道につき,マハティール首相は,連邦からの資金交付が不可能になると警告。 11日,同州行政評議会(=州内閣)は最高裁の判例に依拠して,21人中16人について書記官長の決定を修正したが,書記官長は12日,上記の21人中20人につき新たな異動命令を出し,13日には州公務員人事委員会が州憲法に基づく人事権を主張して行政評議会の決定に反対を表明。またラザレイ前商工相は14日,この問題への関与を否定。 16日,書記官長は1月15日付けで退職と発表。
DIA-206-1988-12-09-1マレーシア1988年12月09日1980年代林安焜HCA下院議員,辞職―10日,辞職理由は過労と説明。13日,MCAは林の党員権を停止。他方,ハルン元スランゴール州首相が11日,「46年精神(Semangat’46)」運動を代表し補欠選挙に立候補と声明。
DIA-206-1988-12-12-1マレーシア1988年12月12日1980年代曽永森GRM中央委員,離党を発表―20日,MCAに復党し,今後は党役員選挙に立候補せず,下院のアンパン・ジャヤ区補欠選挙にも出馬しないと声明。
DIA-206-1988-12-12-2マレーシア1988年12月12日1980年代BEIRJAYA党大会―ヌール委員長を無競争で再選,副委員長には邱明光が当選。
DIA-206-1988-12-14-1マレーシア1988年12月14日1980年代首相,シンガポールを非公式訪問―15日,李首相と会談。
DIA-206-1988-12-14-2マレーシア1988年12月14日1980年代麦漢錦元MCA副党首,MCAから離党し人民進歩党(PPP)の党首に就任。
DIA-206-1988-12-15-1マレーシア1988年12月15日1980年代首相,A,B,Cグループ公務員の賃上げを88年10月1日に遡り実施と発表。
DIA-206-1988-12-16-1マレーシア1988年12月16日1980年代上院休会―89年予算案のほか,労使関係法修正法案,雇用法修正法案,労働組合法修正案,投資奨励措置法修正法案,会社法修正法案など12法案を可決。
DIA-206-1988-12-18-1マレーシア1988年12月18日1980年代首相,国家経済協議会の設置案を発表―(1)任務は,1990年以降の国家経済の基礎となる政策と計画の作成,(2)メンバーはブミプトラと非ブミプトラを同数とし,与野党,圧力団体の指導者を任命する,(3)政府は協議会が決定した政策の実施を約束する,と声明。19日,ガファール副首相は,協議会の定員はとりあえず112人とし,政党,商工会議所,華人社会団体,消費者団体,証券取引所,企業,大学の教官,エコノミスト,小・中学校の教員などの代表が含まれると発表。
DIA-206-1988-12-18-2マレーシア1988年12月18日1980年代ジョホール州マレー人団体会議,開催―フセイン前首相,ムサ前副首相,ムヒディン州首相などが出席。旧UMNO党員の新UMNOへの自動的入党,旧UMNOの支部・分会指導者の旧役職への復帰等6項目を決議。
DIA-206-1988-12-21-1マレーシア1988年12月21日1980年代セメント需要,好転―業界筋によれば,88年の需要は3年ぶりにプラスに転じ前年比6%増の見込み。
DIA-206-1988-12-22-1マレーシア1988年12月22日1980年代クランタン州公務員人事問題―ヤコブ州首相は,マハティール首相が,法廷に提訴という州政府案にすでに同意,と談話。23日,リタウッディン国防相は,王室は一部の集団に利用されてはならないと警告。
DIA-206-1988-12-23-1マレーシア1988年12月23日1980年代MCAの財政危機打開策を発表―MPHB社の子会社4社が設立する合弁企業がMCAから党本部ビルを4700万リンギで買収,MCAは2058万リンギでこの合弁企業の株の51%を取得するというもの。
DIA-206-1988-12-23-2マレーシア1988年12月23日1980年代ラザレイ前商工相のグループ,PASの集会に参加―席上,前商工相はマレー人の団結のため協力を要請。
DIA-206-1988-12-28-1マレーシア1988年12月28日1980年代高裁,UMNO本部の土地・建物の競売を命令―ブミプトラ銀行の申し立てを認め,同銀行に対する旧UMNO債務(83年9月に融資を受けた2億リンギとその金利約1億0847万リンギ)の償還に充てる。
DIA-206-1988-12-29-1マレーシア1988年12月29日1980年代全国人権発揚・擁護組織準備委員会,成立―弁護士会が主導して設立。委員長にラーマン元首相,副委員長にフセイン前首相とアジズ弁護士会会長。
DIA-206-1988-12-29-2マレーシア1988年12月29日1980年代87年国際天然ゴム協定,暫定発効。
DIA-206-1989-01-01-1マレーシア1989年01月01日1980年代国王,最高裁判所にDtk. Ajaib SinghとDtk. Gunn Chit Tuanの2名を任命。
DIA-206-1989-01-01-2マレーシア1989年01月01日1980年代DAP(民主行動党),国家経済協議会(NECC)への代表に拘留中の3名を含む6名を任命。
DIA-206-1989-01-02-1マレーシア1989年01月02日1980年代マレーシア,国連安保理非常任理事国に。
DIA-206-1989-01-02-2マレーシア1989年01月02日1980年代YTL建設社と中国建設エンジニアリング公司50:50の合弁に関する覚書き交換。
DIA-206-1989-01-02-3マレーシア1989年01月02日1980年代ユスフ総理府相,A,B,Cグループ公務員の賃上げ分差額(88年10月から)を3月までに支給と発表。
DIA-206-1989-01-02-4マレーシア1989年01月02日1980年代閣議,プランテーション労働者不足解決のためインドネシア労働者の雇用を認める方針を決定。
DIA-206-1989-01-07-1マレーシア1989年01月07日1980年代クラン港の88年荷扱い量,前年比18%増。1550万㌧と発表さる。
DIA-206-1989-01-08-1マレーシア1989年01月08日1980年代DAP,NECCの委員5人の割当てに対し6名の名簿を提出。
DIA-206-1989-01-08-2マレーシア1989年01月08日1980年代ガファール副首相,NECCの定員を112から138に増員,人選中と語る。
DIA-206-1989-01-09-1マレーシア1989年01月09日1980年代マハティール首相,日本大使館に昭和天皇死去に伴う弔問記帳。
DIA-206-1989-01-10-1マレーシア1989年01月10日1980年代アラブ・マレーシア商業銀行,日興証券と提携を発表。
DIA-206-1989-01-12-1マレーシア1989年01月12日1980年代米上院議員団,来訪。マハティール首相らとアメリカでの反パーム油キャンペーンについて話合い。
DIA-206-1989-01-13-1マレーシア1989年01月13日1980年代マハティール首相,「UMNO党員の登録は100万人を超えている」と発言。
DIA-206-1989-01-13-2マレーシア1989年01月13日1980年代UMNO最高会議,88年12月のジョホール州マレー人団体会議で採択された「マレー人統一のための6項目決議」を承認。ムサ前副首相,14日にこの決定を歓迎とのコメント。
DIA-206-1989-01-13-3マレーシア1989年01月13日1980年代プロトン・サガ車,6月に香港へ輸出と発表さる。
DIA-206-1989-01-13-4マレーシア1989年01月13日1980年代スズ生産国協会(ATPC)3月からのマレーシアのスズ輸出割当て3万1700㌧に増加。
DIA-206-1989-01-14-1マレーシア1989年01月14日1980年代87年10月の国内治安法による逮捕者のうち,DAP下院議員Lau Dak Keeら8名を釈放。
DIA-206-1989-01-14-2マレーシア1989年01月14日1980年代パイリン・サバ州首相,「カダザン語の統一を急がねば学校教育カリキュラムに組み込めぬ」と発言。
DIA-206-1989-01-15-1マレーシア1989年01月15日1980年代クランタン州公務員人事(88年12月)に関して州政府と連邦政府の間で問題解決と発表。州政庁長官が休暇を取り,代行にハサン・ユソフが就任。
DIA-206-1989-01-16-1マレーシア1989年01月16日1980年代アンパンジャヤ下院補欠選挙で無所属のハルン・イドリス候補に対しムサ前副首相,シャハリル下院議員が支持表明。国民戦線側はMCAの翁詩傑候補を立て強力な支援運動を展開。
DIA-206-1989-01-16-2マレーシア1989年01月16日1980年代中銀,ファースト・マレーシア融資銀行を買収。
DIA-206-1989-01-16-3マレーシア1989年01月16日1980年代ザイン大蔵省官房長,「89年も政府は国内資本を用いて対外債務の期限返済を進める」と発表。
DIA-206-1989-01-17-1マレーシア1989年01月17日1980年代カダザン文化協会,カダザン語統一の基礎とすための三つの方言を選出。
DIA-206-1989-01-17-2マレーシア1989年01月17日1980年代ラフィダー商工相,88年の工業投資許可件数は732件,金額で90.9億リンギ(87年の2.3倍)と発表。今後は金型産業を育成したい意向表明。
DIA-206-1989-01-17-3マレーシア1989年01月17日1980年代「インドネシア人を雇用するプランテーション主は250リンギの保証金を預けること」と労働事務次官発表。
DIA-206-1989-01-17-4マレーシア1989年01月17日1980年代クアラルンプルでタイ・マ国境会談(21日まで)。タイのチャーチャーイ首相,国防相として参加。18日ガファール副首相と会見。共産ゲリラ対策として両国が国境地域の開発に4000万リンギの投資を行なうことに合意。
DIA-206-1989-01-18-1マレーシア1989年01月18日1980年代マハティール首相,心臓不調で入院。
DIA-206-1989-01-18-2マレーシア1989年01月18日1980年代農業相,全ての農産物に対して農薬チェックのため,生産地名を明示するように指令。
DIA-206-1989-01-18-3マレーシア1989年01月18日1980年代ガファール副首相,NECCのメンバー150名発表。
DIA-206-1989-01-19-1マレーシア1989年01月19日1980年代NECC初会合招集。議長にガザリ元外相を選出。15人の暫定委員会発足。分科会形式で1年間に新政策の策定に当たることを決定。一方,デイヴィドMTUC書記長は,拘留中のDAP代表が参加できるようになるまで会議をボイコットと声明。
DIA-206-1989-01-20-1マレーシア1989年01月20日1980年代スレンバン州ブミプトラ経済会議開催。ガファール副首相が開会。
DIA-206-1989-01-20-2マレーシア1989年01月20日1980年代国王,ブッシュ米大統領就任に当り祝電。
DIA-206-1989-01-21-1マレーシア1989年01月21日1980年代ラザレイ前商工相,「現政権の交代のためにPAS,Hamimその他の政党との提携を進める」と発言。
DIA-206-1989-01-22-1マレーシア1989年01月22日1980年代ガファール副首相,零細小売業者向け貸付資金を3000万リンギから5000万リンギに増額と発表。金利4%に据え置き,返済期間4年に延長。1件当り500~5000リンギの範囲内で貸付け。DAPはこれを評価。
DIA-206-1989-01-22-2マレーシア1989年01月22日1980年代ラフィダー商工相,家庭の主婦に「不当に値上げされた非必需品を買わない」よう呼びかけ。
DIA-206-1989-01-22-3マレーシア1989年01月22日1980年代マ・ゴム手袋製造業者協会,販売標準価格表を作成。
DIA-206-1989-01-23-1マレーシア1989年01月23日1980年代マ木材機構,製材用木材の売買に関し政府の介入は不要と決議。
DIA-206-1989-01-24-1マレーシア1989年01月24日1980年代マハティール首相,クアラルンプル総合病院で心臓冠状動脈バイパス手術。経過良好。
DIA-206-1989-01-24-2マレーシア1989年01月24日1980年代北カリマンタン共産党ゲリラに対する懸賞金増額。幹部は50万リンギ。
DIA-206-1989-01-24-3マレーシア1989年01月24日1980年代雲副教育相,「原則として今年度は教員の臨時雇用をしない」と発表。
DIA-206-1989-01-24-4マレーシア1989年01月24日1980年代中銀,協同組合中央銀行(CCB)の4人の債務者に対し資産凍結,43人に国外旅行禁止を命令。
DIA-206-1989-01-26-1マレーシア1989年01月26日1980年代呉シンガポール副首相来訪。ガファール副首相と会見。27日に初の共同軍事演習実施に合意。
DIA-206-1989-01-26-2マレーシア1989年01月26日1980年代国内治安法で拘留されていたカールパル・シンDAP副委員長,パットー副書記長ら5人が新たに釈放。106人の拘留者中残りはDAPの林書記長と子息のみとなる。
DIA-206-1989-01-27-1マレーシア1989年01月27日1980年代国王,マラヤ首席判事にハシム判事任命。
DIA-206-1989-01-27-2マレーシア1989年01月27日1980年代ペトロナスガス社,半島ガスパイプライン・プロジェクト3億2500万リンギの契約に調印。
DIA-206-1989-01-28-1マレーシア1989年01月28日1980年代スランゴール州アンパンジャヤ地区下院議員補欠選挙投票。国民戦線の翁詩傑候補(MCA)が,ラザレイ前商工相らの支持を得た元スランゴール州首相のハルン・イドリスを敗って当選。
DIA-206-1989-01-31-1マレーシア1989年01月31日1980年代ムサ前副首相,UMNOへ参加発表。
DIA-206-1989-01-31-2マレーシア1989年01月31日1980年代メガット・ジュニッド副内相,祝祭日の花火使用は特定の日に限り使用を許可すると発表。
DIA-206-1989-01-31-3マレーシア1989年01月31日1980年代Berjaya党,政権担当の場合には州首相のポストを3種族(イスラムブミ,非イスラムブミ,華人)で輪番とするよう党規約改正。
DIA-206-1989-02-01-1マレーシア1989年02月01日1980年代会計監査委,サバガス社に資金状況改善を勧告。
DIA-206-1989-02-01-2マレーシア1989年02月01日1980年代CCBに対する管財人移管勧告に,協同組合連盟が反対表明。
DIA-206-1989-02-01-3マレーシア1989年02月01日1980年代パーム油振興基金,米での反パーム油キャンペーンに対して対抗キャンペーンを開始。
DIA-206-1989-02-02-1マレーシア1989年02月02日1980年代プロトン・サガの対米輸出代理店が輸入ライセンスを取得できないまま契約失効。計画は白紙化。
DIA-206-1989-02-03-1マレーシア1989年02月03日1980年代クアラルンプル商品取引所,日本社の取引参入を承認。
DIA-206-1989-02-04-1マレーシア1989年02月04日1980年代マラッカ港民営化のための受皿企業決定と発表。
DIA-206-1989-02-04-2マレーシア1989年02月04日1980年代モハマド・スランゴール州首相,「ラザレイ派の復党説得はこれ以上必要ない」と発言。
DIA-206-1989-02-04-3マレーシア1989年02月04日1980年代マハティール首相,退院。経過良好。
DIA-206-1989-02-05-1マレーシア1989年02月05日1980年代中華正月。
DIA-206-1989-02-07-1マレーシア1989年02月07日1980年代ラーマット情報相,ジョホールでの生活費高騰をチェックと発表。
DIA-206-1989-02-08-1マレーシア1989年02月08日1980年代ガファール副首相,NECCは政治的集団ではないと言明。
DIA-206-1989-02-10-1マレーシア1989年02月10日1980年代ライス前外相による,88年2月13日の新UMNOの団体登録を取り消す要求,却下される。
DIA-206-1989-02-10-2マレーシア1989年02月10日1980年代88年の自動車販売台数前年比46%増の7万1000台。
DIA-206-1989-02-10-3マレーシア1989年02月10日1980年代ハシム・マラヤ首席判事,「マレーシアは独自の価値感に基づいたコモンローを確立すべきである」と発言。
DIA-206-1989-02-11-1マレーシア1989年02月11日1980年代アハマド・ジョホール州公共事業長官,ブミ企業に発注したプロジェクトのうち40%は不適切な経営と資金難によって失敗していると発言。
DIA-206-1989-02-11-2マレーシア1989年02月11日1980年代ユソフ総理府相,「8000人の公務員が構造調整後も公務員として留まるかどうかの決断の期限を2月15日から一時延期」と発表。関係諸団体の意見調整のうえ,友好的解決に至るため,公務員労組(Cuepacs)は延期を要請していた。
DIA-206-1989-02-12-1マレーシア1989年02月12日1980年代林第一次産業相,ラテックス製品の生産過剰に懸念を表明。
DIA-206-1989-02-12-2マレーシア1989年02月12日1980年代イラバニ・イラン貿易・財政相来訪。蔵相と会見。
DIA-206-1989-02-13-1マレーシア1989年02月13日1980年代サバ・ドゥスン連合協会,「カダザン語の統一には時間をかけるべきである」と呼びかけ。
DIA-206-1989-02-13-2マレーシア1989年02月13日1980年代サバガス社は89年には利益計上を見込める,とモハマド・ユスフ新社長が発言。
DIA-206-1989-02-13-3マレーシア1989年02月13日1980年代中銀,CCBの臨時理事会開催要求を拒否。
DIA-206-1989-02-14-1マレーシア1989年02月14日1980年代ファジル・イスラム党(PAS)副党首,ムスリムの団結を強めるため「46年精神」グループとの提携を真剣に考慮中と語る。
DIA-206-1989-02-14-2マレーシア1989年02月14日1980年代NECC第2回会合「国民統合が最大の課題である」と一致。五つの分科会を設置。貧困撲滅問題委員会,社会の再編成委員会,データ・情報収集委員会,国家経済と国際状況委員会,人材育成委員会。
DIA-206-1989-02-14-3マレーシア1989年02月14日1980年代ペトロナス社,クアンタンの石油化学プロジェクト合弁契約に調印(8億4000万リンギ)。
DIA-206-1989-02-15-1マレーシア1989年02月15日1980年代ゴム手袋製造者協会,米食料管理局(FDA)の良質生産要求期限(4月13日)の延期を要求。
DIA-206-1989-02-15-2マレーシア1989年02月15日1980年代労働裁判所,マラヤ商業銀行連盟加盟行に対し従業員に対する4%の賃上げを勧告。
DIA-206-1989-02-15-3マレーシア1989年02月15日1980年代ハシム軍総司令官,軍の少数精鋭化を希望。
DIA-206-1989-02-15-4マレーシア1989年02月15日1980年代ポン・タイ副首相来訪。ガファール副首相と会見。インドシナ難民問題,麻薬問題,観光開発問題などでの協力に合意。
DIA-206-1989-02-17-1マレーシア1989年02月17日1980年代ガファール副首相「第6次5ヵ年計画ではインフラ全般と農業に重点が置かれ,NECCの議論もこの方針に沿うものとなろう」と発言。
DIA-206-1989-02-17-2マレーシア1989年02月17日1980年代CCBの理事5名「CCBを管財人管理下に置くことは多くの投資家の利益を損なう」と高裁に提訴。クアラルンプル高裁はこれを棄却。
DIA-206-1989-02-17-3マレーシア1989年02月17日1980年代雇用者退職積立基金(EPF)の出資者配当金,8.5%から8%に下げ。
DIA-206-1989-02-18-1マレーシア1989年02月18日1980年代UMNO青年部主催経済会議開催。ナジブ青年部長(青年・体育相),ブミプトラに対する30%の枠は少なすぎると強調。ダイム蔵相は,リンギの切り下げは輸出競争力向上,投資導入など経済にプラスとなるので心配無用と発言。
DIA-206-1989-02-19-1マレーシア1989年02月19日1980年代中銀,「CCBの88年度の利益計算は信頼性がない」との供述書をクアラルンプル高裁に提出。
DIA-206-1989-02-19-2マレーシア1989年02月19日1980年代ジョホール州,投資案内のためのジョホール投資センター(JIC)の設立を決定。6月から開業予定。
DIA-206-1989-02-19-3マレーシア1989年02月19日1980年代エブリン・トルコ大統領来訪(~22日)。ガファール副首相出迎え。20日国王と会見。
DIA-206-1989-02-20-1マレーシア1989年02月20日1980年代第3回ヌグリ・スンビラン州ブミプトラ経済会議開催。イサ州首相「ブミと非ブミ間の富の不均衡は解決されておらず,NEPの精神は維持されるべきである」と発言。ガファール副首相「NICsの成功例を学ぶための使節団を派遣予定」と発表。
DIA-206-1989-02-20-2マレーシア1989年02月20日1980年代ラーマット情報相,フィジーの通信ネットワーク作りのため技術協力の用意ありと発言。
DIA-206-1989-02-20-3マレーシア1989年02月20日1980年代日マ政府,海外経済協力基金(OECF)による367億円(約8億リンギ)の融資に調印。AJDF資金として。
DIA-206-1989-02-20-4マレーシア1989年02月20日1980年代ラフィダー商工相,現在パイオニア・ステイタスを得ている企業が関連品生産の子会社を作る場合の新たな優遇策を発表。
DIA-206-1989-02-21-1マレーシア1989年02月21日1980年代中銀,17日からオフショア市場でのリンギ=米ドルスワップ上限を1日400万リンギまでに設定との報道。投機目的のドル買い抑制のため。中銀はコメントせず。
DIA-206-1989-02-22-1マレーシア1989年02月22日1980年代ペラ州政府は,スズ市況の回復でスズ鉱山使用料の復活を要請。これに対し,連邦政府は市況が安定するまで待つよう指示。ラムリ州首相はこれを受け入れる意向。
DIA-206-1989-02-25-1マレーシア1989年02月25日1980年代ラーマット情報相,ラジオ保有税廃止の方針を発表。テレビ保有税はカラー36リンギ/年,白黒24リンギ/年。
DIA-206-1989-02-26-1マレーシア1989年02月26日1980年代タク・ベトナム外相来訪。ガファール副首相,アブハッサン外相らと会見。カンボジア問題,ベトナム難民問題について話し合い。
DIA-206-1989-02-26-2マレーシア1989年02月26日1980年代ムサ前副首相,ラザレイ前商工相がPASと選挙協力をして政権を目指すことは妥当な選択でないと批判。
DIA-206-1989-02-28-1マレーシア1989年02月28日1980年代マ木材産業理事会,環境運動により木材の対ヨーロッパ輸出は20%減少するだろうとの見込み発表。
DIA-206-1989-03-01-1マレーシア1989年03月01日1980年代モギー・エネルギー・通信・郵政相,今後地方への新規電力供給に関しては国家電力庁(NEB)が敷設コストの50%を負担する,と発表。
DIA-206-1989-03-01-2マレーシア1989年03月01日1980年代連邦政府部局の一部組織換え。土地・地域開発省の中小企業局が商工省に,同農村開発局が住宅・地方政府省に。行政効率向上のため。本日付けで発効。
DIA-206-1989-03-01-3マレーシア1989年03月01日1980年代訪米中の林第一次産業相,米国大豆油生産者とマレーシア・パーム油生産者の論争を米国食品加工業者による調停に期待と発言。
DIA-206-1989-03-01-4マレーシア1989年03月01日1980年代ハミッド最高裁判官,マレーシア・コモンローの策定のための裁判官会議を計画中と語る。2日弁護士協会はこの動きを支持。
DIA-206-1989-03-02-1マレーシア1989年03月02日1980年代連邦統治者会議,次期国王(4月から5年間の任期)にペラ州スルタンを選出。これで連邦内の九つの州のスルタンによる輪番が一巡する。
DIA-206-1989-03-03-1マレーシア1989年03月03日1980年代NECCガザリ議長,NECCの5分科会に対する政府当局(主として経済計画局・EPU)からのブリーフィング開始と語る。
DIA-206-1989-03-03-2マレーシア1989年03月03日1980年代マ銀行協会バシル会長,基準貸出し金利引上げの必要性を主張。資金コストが上昇しているため。
DIA-206-1989-03-03-3マレーシア1989年03月03日1980年代金融筋によれば,米国の低金利のため国内資金から米ドルへの借り替えが進行しており,過去2ヵ月に非財政部門公共企業(NFPEs)によるドル買いは7億米㌦に達している。
DIA-206-1989-03-03-4マレーシア1989年03月03日1980年代MIDA,三和銀行と情報交換協定。
DIA-206-1989-03-03-5マレーシア1989年03月03日1980年代アンワル教育相,最近のマラヤ大学生のデモに関連して「発言の自由を濫用せず,平和的な話し合いを尊重するよう」要請。
DIA-206-1989-03-03-6マレーシア1989年03月03日1980年代サバの12番目の政党としてサバ大衆党(PRS)が発足。ジェームズ・オンキリ元司法相が党首。
DIA-206-1989-03-05-1マレーシア1989年03月05日1980年代コディン・サバ副首相,PBSを離党しPRSに移るとの噂を否定。
DIA-206-1989-03-07-1マレーシア1989年03月07日1980年代ベトナム難民問題会議準備会(UNHCR主催)クアラルンプルで開催(~9日)。ガファール副首相,開会演説。
DIA-206-1989-03-07-2マレーシア1989年03月07日1980年代ダイム蔵相,賭博管理を強化の方針,スロットマシン免許の70%を停止する方針。
DIA-206-1989-03-07-3マレーシア1989年03月07日1980年代MTUC,労働法改正案の議会上程を不満として国家労働諮問評議会(NLAC)をボイコット,と発表。8日,Cuepacsは同案提出取り下げを条件に出席と発表。NLACは,9日李労働相の開会演説後流会となる。
DIA-206-1989-03-07-4マレーシア1989年03月07日1980年代ダイム蔵相,銀行預金金利は上昇させるべきだが基本貸出金利(BLR)は上げるべきでないと発言。
DIA-206-1989-03-07-5マレーシア1989年03月07日1980年代中銀88年第3四半期のGDP成長率を8.5%と発表。
DIA-206-1989-03-07-6マレーシア1989年03月07日1980年代李シンガポール首相夫妻,マハティール首相を自宅に見舞い訪問。
DIA-206-1989-03-07-7マレーシア1989年03月07日1980年代クアラルンプル高裁,CCBを管財人管理下におくという中銀からの要請を承認。CCBは政府からの資金援助なしには倒産するであろうとの見解表明。
DIA-206-1989-03-07-8マレーシア1989年03月07日1980年代林第一次産業相,反パーム油キャンペーンに対処するための訪米(2月25日~3月6日)から帰国。
DIA-206-1989-03-08-1マレーシア1989年03月08日1980年代スズ価格の急回復続く。前日比72セン高の23.71リンギに。林第一次産業相は回復のペースが早すぎることに懸念を表明。9日に24.4リンギ/kg。
DIA-206-1989-03-09-1マレーシア1989年03月09日1980年代ブルネイ国王,サラワク訪問。
DIA-206-1989-03-09-2マレーシア1989年03月09日1980年代アブハッサン外相,イスラム外相会議のためリヤドへ。
DIA-206-1989-03-10-1マレーシア1989年03月10日1980年代ガファール副首相,シンガポールを公式訪問。11日李首相と会談。
DIA-206-1989-03-13-1マレーシア1989年03月13日1980年代南シナ海上でマレーシア,シンガポール海軍第6回共同軍事演習開始。(~19日)。
DIA-206-1989-03-13-2マレーシア1989年03月13日1980年代メガット・ジュニッド副内相,「46年精神」グループの活動は非合法ではないと発言。
DIA-206-1989-03-15-1マレーシア1989年03月15日1980年代李労相,MTUCが企業内組合の合法性問題を法廷に持ちこまない保証があるならば1959年労働法の修正案を取り下げる用意があると声明。
DIA-206-1989-03-15-2マレーシア1989年03月15日1980年代住宅・地方政府省,住宅販売会社に対し4月から水・電力供給設備の整っていない住宅の販売禁止法令発表。
DIA-206-1989-03-16-1マレーシア1989年03月16日1980年代李労相とMTUC,Cuepacsとの間で企業内組合の設立問題に合意。すでに業種別組合の存在を認めている業種では企業内組合の成立を認めない,というもの。
DIA-206-1989-03-16-2マレーシア1989年03月16日1980年代カシタ総理府相,石油価格安定のためマレーシアはOPECに協調して4月から原油を5%減産と発表。
DIA-206-1989-03-17-1マレーシア1989年03月17日1980年代情報相,7月1日から西洋世界の生活スタイルの優位性を強調するようなテレビ・コマーシャルを全面的に禁止すると発表。
DIA-206-1989-03-17-2マレーシア1989年03月17日1980年代中銀,赤字経営の3金融機関の資本金削減をクアラルンプル高裁に申請。オリエンタル銀行,スプリーム銀行,マレーシア・ファイナンス社。
DIA-206-1989-03-19-1マレーシア1989年03月19日1980年代ユナイテッド・アジア銀行(UAB),中銀から不良・疑問債券ポジションの公開指令を受ける。
DIA-206-1989-03-19-2マレーシア1989年03月19日1980年代マ・タイ国境地域協議会,同地域の共産ゲリラの数は1000人以下に減少と発表。
DIA-206-1989-03-19-3マレーシア1989年03月19日1980年代アブハッサン外相,イラン訪問。ハメネイ大統領と会見。
DIA-206-1989-03-19-4マレーシア1989年03月19日1980年代ガファール副首相,UMNO系団結協同組合(KUB)の立て直し任務にナジブ青年体育相,サヌシ農業相を任命。KUBは両名を理事として受け入れることに同意。24日にはハミド前KUB会長も再建メンバーに任命される。
DIA-206-1989-03-20-1マレーシア1989年03月20日1980年代エイシアン・レア・アース社(ARE)の放射性産業廃棄物投棄に関する訴訟の被告人尋問開始。
DIA-206-1989-03-20-2マレーシア1989年03月20日1980年代ユスフ総理府相,公務員との五つの共同労働評議会(NJC)を廃止と発表。これによって65万人の公務員は公式な苦情申し立て手段を失うことになる。Cuepacsはこれに反発,MTUCもCuepacsに全面支援を表明。
DIA-206-1989-03-21-1マレーシア1989年03月21日1980年代下院,労働法修正案を可決。
DIA-206-1989-03-21-2マレーシア1989年03月21日1980年代アブハッサン外相,イラク訪問(~25日)。
DIA-206-1989-03-27-1マレーシア1989年03月27日1980年代林運輸相,運輸協定協議のため中国に出発。マレーシア人の中国渡航規制の緩和を示唆。
DIA-206-1989-03-27-2マレーシア1989年03月27日1980年代ガファール副首相,Cuepacs代表と会見後,「NJCは廃止されていない」と発言。各NJCは予定されたピケを中止。
DIA-206-1989-03-28-1マレーシア1989年03月28日1980年代NECC第3回会合開催(~27日)。国家統合を最重要課題とすることで一致。
DIA-206-1989-03-28-2マレーシア1989年03月28日1980年代中銀年次報告発表。ジャファール中銀総裁,88年の成長率を8.1%,89年の同予測を7.3%と発表。不良NFPEsは88年末で13億リンギの損失を計上していると報告。
DIA-206-1989-03-28-3マレーシア1989年03月28日1980年代中銀,損失を出しているユー・ファイナンス社とヴィシア・ファイナンス社を管理下に。
DIA-206-1989-03-29-1マレーシア1989年03月29日1980年代ラフィダー商工相,香港でのセミナーで発言,外国企業の地域本部誘致のための税制優遇策を発表。
DIA-206-1989-03-30-1マレーシア1989年03月30日1980年代第35回PASムクタマル(総会)開催。ファジル党首,ハディ首席副党首をそれぞれ選出。「46年精神」グループとの選挙協力推進で合意。
DIA-206-1989-03-31-1マレーシア1989年03月31日1980年代CCBの幹部15人に解雇通告。
DIA-206-1989-03-31-2マレーシア1989年03月31日1980年代PLUS社のラディン会長,南北ハイウエイ建設資金として国内コンソーシアムから34億リンギ,海外から9.6億リンギを調達と発表。
DIA-206-1989-04-01-1マレーシア1989年04月01日1980年代民政党(グラカン),富の所有目標(ブミプトラ30%)はすでに達成されているとの見解発表。
DIA-206-1989-04-02-1マレーシア1989年04月02日1980年代ガファール副首相,UMNOメンバーを現在の110万人から150万人にし,来るべき総選挙にそなえたいと発言。
DIA-206-1989-04-02-2マレーシア1989年04月02日1980年代Cuepacs,官公庁労働協議会に「交渉権」を与えるよう要請。
DIA-206-1989-04-02-3マレーシア1989年04月02日1980年代タイの海賊が先週トレンガヌ沖の南シナ海でベトナム難民船を掠奪,45人を殺したとの報道。マレーシア国内の難民は現在1万6500人。
DIA-206-1989-04-03-1マレーシア1989年04月03日1980年代プロトン・サガ車,英国での販売好調。3月16日の販売開始以来1000台の販売達成。
DIA-206-1989-04-04-1マレーシア1989年04月04日1980年代イスマイルMara会長,ブミプトラ株式市場(BSE)を閉鎖し,登録している8社をクアラルンプル証券取引所(KLSE)第2部へ移管する方針発表。6日KLSBはBSE登録企業のために二部市場上場条件に特例を設けるつもりはないと発表。
DIA-206-1989-04-05-1マレーシア1989年04月05日1980年代スズ相場騰勢続く。26.13リンギ/kgに。5日にペラ州政府はスズ鉱山使用料再課税を連邦政府に再度要請。
DIA-206-1989-04-05-2マレーシア1989年04月05日1980年代マハティール首相,公務に復帰。
DIA-206-1989-04-06-1マレーシア1989年04月06日1980年代オランウータンを1990マレーシア観光年のマスコットに決定。
DIA-206-1989-04-06-2マレーシア1989年04月06日1980年代副公共事業相,83年から88年までに落札された政府プロジェクトのうち310件,数百万リンギ相当分はコントラクターが工期内に完成できなかったため再入札されると発表。このうち272件はブミプトラ・コントラクターによるもの。
DIA-206-1989-04-08-1マレーシア1989年04月08日1980年代断食月開始。
DIA-206-1989-04-10-1マレーシア1989年04月10日1980年代金融筋,中銀が年初からの高金利維持策を転換し市場に資金放出と観測。金利低下。
DIA-206-1989-04-10-2マレーシア1989年04月10日1980年代グルブディン・アフガン暫定政権外相,来訪。政府,アフガニスタン暫定政権の承認を発表。サウジアラビア,スーダン,バハレーンに次いで4ヵ国目。
DIA-206-1989-04-11-1マレーシア1989年04月11日1980年代スズ生産国連合(ATPC),価格安定化のため各国在庫の放出を決定。
DIA-206-1989-04-12-1マレーシア1989年04月12日1980年代協同組合中央銀行(CCB),633人の職員に13日付けで解雇通告。内438名は月ぎめ契約で同日付けで再雇用通告。14日にCCB労働者および商工労働者組合連合はこの措置に反対してピケ開始。
DIA-206-1989-04-14-1マレーシア1989年04月14日1980年代米通商代表部,米国労組(AFL-CIO)から提出されていた「マレーシアは労働者の権利を十分に保護していない」との訴えを却下,今後も特恵関税(GSP)国として扱うと発表。
DIA-206-1989-04-14-2マレーシア1989年04月14日1980年代スズ価格28.95リンギ/kgに上昇。イポではスズ鉱山労働力不足で増産がはかどらないとの報道。
DIA-206-1989-04-19-1マレーシア1989年04月19日1980年代CCB管財人,ピケ中の633人の労働者に対し妥協案提出。労働者側はこれを拒否。21日管財人は再雇用しない195人の労働者に対し4月分給与を全額支払い,金融機関への再就職を斡旋するとの妥協案を提示。再雇用438人中25日の再雇用契約期限までに再雇用に応じた者182名。256名は契約を拒否。
DIA-206-1989-04-19-2マレーシア1989年04月19日1980年代87年10月に国内治安法で拘留された106人のうち最後まで残っていたDAPの林書記長,息子の林議員が釈放される。すでに釈放されていた5人の議員に対する活動・居住制限も20日付で解除される。
DIA-206-1989-04-23-1マレーシア1989年04月23日1980年代DAP,これまでボイコットしていたNECCの会合に26日から参加と発表。
DIA-206-1989-04-26-1マレーシア1989年04月26日1980年代マレーシア第9代国王にペラ州スルタンで最高裁長官の経験もあるアズラン・シャーが就任。
DIA-206-1989-04-26-2マレーシア1989年04月26日1980年代MTUCは,労働委員会がCCBの633人の労働者解雇問題を解決することができなかったと非難。
DIA-206-1989-04-26-3マレーシア1989年04月26日1980年代NECC第4回会合(~27日)。これまでに70人の委員が意見表明をした。五つの分科会は次回(5月24,25日)までに報告書を提出するよう期待されている。
DIA-206-1989-04-29-1マレーシア1989年04月29日1980年代中銀,金融機関の中銀への法定準備率を5月1日から4.5%へ引き上げるよう要請。市中資金吸収のため。
DIA-206-1989-04-29-2マレーシア1989年04月29日1980年代ハシム・マラヤ首席判事,弁護士会によるハミッド最高裁長官への法廷侮辱罪適用要請を棄却。
DIA-206-1989-04-30-1マレーシア1989年04月30日1980年代団体登録官,「46年精神運動」派のシンボルマークが既存政党のマークに似ているとして政党登録申請を却下。
DIA-206-1989-05-01-1マレーシア1989年05月01日1980年代レギュラーガソリン価格3セン/㍑値上げ。本年3度目。生産コスト上昇とリンギの対米ドル安のため。
DIA-206-1989-05-01-2マレーシア1989年05月01日1980年代ペラ州第6代スルタンにハムダン・シェイク・タヒールが就任。
DIA-206-1989-05-02-1マレーシア1989年05月02日1980年代竹下首相来訪。マハティール首相と会見。円高による円借款のリンギ建て債務負担拡大に対し金利減免を要請。竹下首相は新規融資による対応の方針を表明。
DIA-206-1989-05-02-2マレーシア1989年05月02日1980年代総理府実施・調整局,88年度の政府支出予定額のうち28億リンギが実施の非効率性のために未支出のままになっていると発表。
DIA-206-1989-05-03-1マレーシア1989年05月03日1980年代中銀,金融機関の法定準備率引き上げは,市中の過剰資金を吸収して金利を上昇させ内外金利差を縮小し,リンギの安定をはかるため,と説明。
DIA-206-1989-05-06-1マレーシア1989年05月06日1980年代マハティール首相,野党DAPの林書記長と会見。
DIA-206-1989-05-07-1マレーシア1989年05月07日1980年代ラマダン明け祭り(~9日)。
DIA-206-1989-05-10-1マレーシア1989年05月10日1980年代メガット・ジュニッド副内相,マレーシア人の訪中許可条件を緩和。観光訪問の年齢制限を55歳から30歳に,社交訪問の対象を60歳以上から50歳以上に緩和。
DIA-206-1989-05-11-1マレーシア1989年05月11日1980年代ジョホールでUMNO設立記念総会。マハティール首相基調演説。今後同じ場所で定例化する方針。
DIA-206-1989-05-11-2マレーシア1989年05月11日1980年代トレンガヌ沖鉱区で太陽石油,ジャペックスが石油試掘に成功。
DIA-206-1989-05-12-1マレーシア1989年05月12日1980年代陸副財政相,4月20日から繊維輸入税を引き下げていると発表。
DIA-206-1989-05-13-1マレーシア1989年05月13日1980年代陳保健相の死去に伴うパハン州ベントン選挙区下院議員補選。国民戦線支援の林亜礼(MCA)が当選。
DIA-206-1989-05-17-1マレーシア1989年05月17日1980年代マハティール首相訪米。米からの電気産業投資誘致のため。
DIA-206-1989-05-20-1マレーシア1989年05月20日1980年代ガファール副首相,協同組合が自己資金で子会社を設立することを禁止と発表。
DIA-206-1989-05-20-2マレーシア1989年05月20日1980年代ハニフ警察長官,デモ禁止令を継続と発言。21日,DAPはデモ禁止令の是非を問う国民投票を要求。
DIA-206-1989-05-20-3マレーシア1989年05月20日1980年代新聞労働者労組,MTUCに代わる新たなナショナルセンター設立の呼びかけを250労組に送付。各労組の反応は消極的。
DIA-206-1989-05-20-4マレーシア1989年05月20日1980年代ラフィダー商子相,労組が独自の政党を持つことは賢明ではなく,政治は議員に任せるべきである,と発言。21日,ガファール副首相は,労組が政治に進出することは労組の民主性を損ない,社会主義国家化する危険があると発言。Cuepacsのラグナタン議長も労組の政治介入に反対の意向を表明。
DIA-206-1989-05-21-1マレーシア1989年05月21日1980年代メガニット・ジュニッド副内相,中国旅行をアレンジする旅行社は内務省に登録するよう指示。
DIA-206-1989-05-22-1マレーシア1989年05月22日1980年代マハティール首相,ブッシュ大統領と会見。米業界団体の反パーム油キャンペーンについて善処要請。
DIA-206-1989-05-24-1マレーシア1989年05月24日1980年代マハティール首相,ロンドン着。25日サッチャー首相と会談。31日に帰国。
DIA-206-1989-05-25-1マレーシア1989年05月25日1980年代統計局,1987年の半島部マレーシアの人口を1365万人と発表。
DIA-206-1989-05-25-2マレーシア1989年05月25日1980年代クアラルンプル株式市場第2部,リム・キム・サイ社の上場で取引開始。
DIA-206-1989-05-28-1マレーシア1989年05月28日1980年代Berjasa党,5月25日付で国民戦線から脱退を発表。今後はPAS,「46年精神」グループと共闘する。ガファール副首相「国民戦線からの脱退は自由である」と発言。
DIA-206-1989-06-01-1マレーシア1989年06月01日1980年代副文化・観光相に黄秋貴副国家・農村開発相。
DIA-206-1989-06-01-2マレーシア1989年06月01日1980年代ペラ州政府,スズ鉱山使用料の再課税開始。
DIA-206-1989-06-02-1マレーシア1989年06月02日1980年代マハティール首相,「独立時には資産ではマレーシアは日本に次いでアジアで2位であった。しかし現在はNIEsに抜かれている。この原因を検討する必要がある」と発言。
DIA-206-1989-06-02-2マレーシア1989年06月02日1980年代ロンドン金属取引所(LME)で3年半ぶりにスズ取引再開。
DIA-206-1989-06-03-1マレーシア1989年06月03日1980年代「46年精神」グループ,5月5日付で団体登録を許可されたと発表。
DIA-206-1989-06-03-2マレーシア1989年06月03日1980年代UMNO,「46年精神」派の一部の復党を承認。
DIA-206-1989-06-03-3マレーシア1989年06月03日1980年代マハティール首相,MTUCに対抗する労働連合の成立を妨げる理由はないと発言。
DIA-206-1989-06-05-1マレーシア1989年06月05日1980年代ムヘディン・ジョホール州首相,シンガポールとの第二連絡路の建設は南部地域の開発にとって重要であり,連邦政府に対して前向きな検討を要請すると語る。
DIA-206-1989-06-05-2マレーシア1989年06月05日1980年代国王,イランのホメイニ師死去に際し弔電を送る。6日マハティール首相イラン大使館を弔問記帳。
DIA-206-1989-06-06-1マレーシア1989年06月06日1980年代MASの中国行き第一便広東着。
DIA-206-1989-06-07-1マレーシア1989年06月07日1980年代Berjasa党の18人のトレンガヌ州議会議員のうち10名が,党の国民戦線からの脱退に抗議して離党。
DIA-206-1989-06-08-1マレーシア1989年06月08日1980年代マハティール首相,中国の流血事件に関し「遺憾である」と声明。
DIA-206-1989-06-08-2マレーシア1989年06月08日1980年代15名のマラヤ大学生,中国大使館前で抗議デモ。
DIA-206-1989-06-09-1マレーシア1989年06月09日1980年代政府は新たに結成される予定の労組連合(MLO)の構成員が2万5000人を超えれば交渉の用意ありと発表。
DIA-206-1989-06-11-1マレーシア1989年06月11日1980年代メガット・ジュニッド副内相,中国の民主化勢力に精神的支援を与えている人々に対し政治に立ち入らぬように忠告。国内の治安を乱す恐れがあるので。
DIA-206-1989-06-11-2マレーシア1989年06月11日1980年代協同組合局,CCBに100万~520万リンギを投資した協同組合に対し借款を帳消しにするよう要請。
DIA-206-1989-06-12-1マレーシア1989年06月12日1980年代マレーシア労働機構(MLO),第二労組センターとなることを目指して15労組による成立大会。
DIA-206-1989-06-12-2マレーシア1989年06月12日1980年代アラタス・マラヤ大副学長,8日の学生デモは平和的なものであり違法ではないと声明。
DIA-206-1989-06-13-1マレーシア1989年06月13日1980年代モギー・エネルギー相,サラワクに水力発電所を作り,海底ケーブルで半島部に送電する計画を延期と発表。投資額が巨大(100億リンギ)なので。
DIA-206-1989-06-13-2マレーシア1989年06月13日1980年代中銀副総裁,89年のGDP成長率を8%と予測。
DIA-206-1989-06-14-1マレーシア1989年06月14日1980年代内閣一部改造。大臣に新任一名。6大臣が配置交換。6副大臣が配置交換。住宅・地方政府官・公共事業省,保健省,労働省の4省で正副大臣交替(「参考資料」参照)。
DIA-206-1989-06-14-2マレーシア1989年06月14日1980年代カムンティン社,KSMの管財人からすべての資産を5億9200万リンギで買取る契約に調印。このなかにはマルチ・ナショナル・ホールディング社(MPHB)の株式の28.9%を含み,同社の筆頭株主に。
DIA-206-1989-06-15-1マレーシア1989年06月15日1980年代三つの副次官級ポストと,三つの局長ポストの人事異動。
DIA-206-1989-06-15-2マレーシア1989年06月15日1980年代ハミッド・オマル判事,司法の独立のゆき過ぎは国の不安定につながりかねないと指摘。
DIA-206-1989-06-16-1マレーシア1989年06月16日1980年代ハシム・マラヤ首席判事・高裁判事は自分の法解釈と良心にしたがって公正に判決を下すべきであると演説。アブドルハミド最高裁長官,司法の独立,自由は無限ではなく,裁判官の言動には慎重を要すと演説。
DIA-206-1989-06-16-2マレーシア1989年06月16日1980年代ラフィダー商工相,今後5年間で自動車輸入を半減する方針と発表。
DIA-206-1989-06-19-1マレーシア1989年06月19日1980年代林第一次産業相,クアラルンプルでインドネシア林業相と会見。ヨーロッパの環境団体による「証拠のない」反熱帯林伐採キャンペーンに対抗するために両国間の協力を強化することに合意。
DIA-206-1989-06-19-2マレーシア1989年06月19日1980年代テレコム社(STM),クアンタン=コキタナバル間1500kmの海底光ケーブルシステムを日本企業に発注。
DIA-206-1989-06-20-1マレーシア1989年06月20日1980年代マハティール首相,政府は国会,州議会の補欠選挙規程改正案を提出,検事総長が検討中であると発表。死亡,疾病による以外にみだりに辞任し,補欠選挙を招くことを規制するため。
DIA-206-1989-06-20-2マレーシア1989年06月20日1980年代アブ・ハッサン外相,ポーランド訪問。
DIA-206-1989-06-21-1マレーシア1989年06月21日1980年代マレーシア木材理事会,木材加工業連盟による木材禁輸勧告は不当であると声明。
DIA-206-1989-06-22-1マレーシア1989年06月22日1980年代アブドラ・バダウィ前国防相,種族構成を勘案した政策は当分の間継続されるべきであるが,UMNOが政権を担当するかぎりこの政策の乱用はないと発言。
DIA-206-1989-06-22-2マレーシア1989年06月22日1980年代林第一次産業相,米業界団体の反パーム油キャンペーンでマレーシアの対米パーム油輸出は減少していると発言。86年輸出28.8万㌧,87年18.5万㌧,88年14.2万㌧。
DIA-206-1989-06-22-3マレーシア1989年06月22日1980年代ラフィダー商工相,日本・マレーシア合同経済委員会に出席のため来日。27日に宇野首相と会見,円借款債務負担軽減を要請。
DIA-206-1989-06-23-1マレーシア1989年06月23日1980年代『朝日新聞』,ダイム蔵相とのインタビュー記事を掲載。同相は円高による円借款債務残高増大に対し,日本側が積極的な救済策を講じないならば今後の開発資金には他の投資金源を求めることになろうと発言。
DIA-206-1989-06-23-2マレーシア1989年06月23日1980年代マハティール首相,国内治安法(ISA)による拘留措置に対する裁判所の検閲権を停止するよう求める修正案を礒会に提出。司法の介入を認めると,行政に託された治安維持任務が遂行できなくなるので。
DIA-206-1989-06-23-3マレーシア1989年06月23日1980年代マレーシア経済研究所(MIER)「経済レポート」,89年の成長率を7.5%に上方修正。インフレ率を5~6%と予測。
DIA-206-1989-06-23-4マレーシア1989年06月23日1980年代プロトン社,3月期決算で生産開始以来初の黒字転換を達成と発表。
DIA-206-1989-06-26-1マレーシア1989年06月26日1980年代新駐日大使にハーティブ・アブドルハミッド駐インドネシア大使を任命。
DIA-206-1989-06-26-2マレーシア1989年06月26日1980年代マハティール首相,種族対立をあおる動きに対しては躊躇なく国内治安法を適用すると発言。
DIA-206-1989-06-27-1マレーシア1989年06月27日1980年代郭副商工相,本年の製造業は農業を抜いてGDPの首位に立ち,25.3%を占めるであろうと予測。
DIA-206-1989-06-27-2マレーシア1989年06月27日1980年代不動産コンサルタント,クアラルンプル中心部のオフィス用ビルの占有率は90%を超えていると報告。1年前は70%台に低迷していた。
DIA-206-1989-06-28-1マレーシア1989年06月28日1980年代政府,第5次5ヵ年計画中間報告を上院に上程。86~89年中の経済成長率は目標の5%を上回り5.8%となる見通し。
DIA-206-1989-06-28-2マレーシア1989年06月28日1980年代中銀,新たに二つの預金受入協同組合(KBMJ,Hesa)を管財人管理下に移行。
DIA-206-1989-06-30-1マレーシア1989年06月30日1980年代ダイム蔵相,90年度予算事前公聴会で演説。経済成長のための規則緩和は維持すると言明。
DIA-206-1989-07-03-1マレーシア1989年07月03日1980年代国際法律サービス社,憲法のタミール語版翻訳を近日発売と発表。次は中国語版に着手する予定。
DIA-206-1989-07-03-2マレーシア1989年07月03日1980年代ブルネイでASEAN外相会議,カンボジア和平に関するパリ会議への参加,支援を表明(~4日)。
DIA-206-1989-07-04-1マレーシア1989年07月04日1980年代エネルギー・運輸・郵政相,国家電力庁(NEB)の民営化作業に着手,来年早々にも民営化と発表。
DIA-206-1989-07-04-2マレーシア1989年07月04日1980年代国王,イスラム教徒に対しザカート(宗教税)を速やかに支払うよう呼びかけ。
DIA-206-1989-07-04-3マレーシア1989年07月04日1980年代政府上院答弁でタイブ・サワラク州首相暗殺計画があったと発表。5日,国内治安法(ISA)で88年から拘束されていた7人を釈放。
DIA-206-1989-07-04-4マレーシア1989年07月04日1980年代ザイン大蔵省財政局長,88年のGDP成長率を8.7%になろうと予測。ただし製造業は国外経済の影響を受けやすいという問題点を指摘。
DIA-206-1989-07-05-1マレーシア1989年07月05日1980年代ザイナルMTUC議長,賃金体系確立のための全国賃金評議会の設立を呼びかけ。
DIA-206-1989-07-05-2マレーシア1989年07月05日1980年代ナキユディン上場企業連盟会長,シンガポール株式市場からのマレーシア企業の撤退は資金調達のうえで大きな不利益となろうと発言(10月27日参照)。
DIA-206-1989-07-05-3マレーシア1989年07月05日1980年代マハティール首相,MTUC幹部と初会見。
DIA-206-1989-07-06-1マレーシア1989年07月06日1980年代スレイマン副総理府相,5月末時点でプロトン・サガの国内販売台数は11.5万台。5280台が輸出。国内市場占有率は73%に達していると発表。
DIA-206-1989-07-06-2マレーシア1989年07月06日1980年代マハティール首相,タイとの国境地帯の夜間外出禁止令解除を検討中と語る。
DIA-206-1989-07-06-3マレーシア1989年07月06日1980年代ASEAN外相会議,豪,米,日などの呼びかけによるアジア太平洋協力フォーラムに参加の決定。
DIA-206-1989-07-06-4マレーシア1989年07月06日1980年代アラタス・マラヤ大学副学長,英国医療協議会がマラヤ大学医学部を正規医療教育機関承認リストから除外した決定は不当であると声明。政府に対しては大学教員の雇用条件を改善し,有能な人材が大学に職を求めるようにすべきであると要請。7日マハティール首相はこの決定はマ大学医学部卒業生の英語力の問題であり医療教育の水準が低いというわけではないと説明。
DIA-206-1989-07-07-1マレーシア1989年07月07日1980年代自動車の年間販売台数,4年ぶりに10万台突破の見込み。
DIA-206-1989-07-08-1マレーシア1989年07月08日1980年代Cuepacs第18回集会。ラグナタン議長,公務員の団体交渉権はマレーシアが批准しているILO決議98号にも記されており,速やかに認められるべきであると発言。これに対しマハティール首相は,「政府はすべての側の福祉を考えねばならず,公務員にだけ団体交渉権を与えることはできない。また団体交渉権は先進国で発生した考えであり現在のマレーシアにはその余裕はない。労使は対決に固執すべきではなく,協調によって生産性を上昇させ,国全体の経済発展を達成することによって労働者の賃金・福祉は自動的に向上する。NIEs諸国の例がこれを実証している」と反論。
DIA-206-1989-07-08-2マレーシア1989年07月08日1980年代公企業省,90年から通常都市タクシーの排気量は1500ccに統一すると発表。高級タクシーは2000cc以上。
DIA-206-1989-07-09-1マレーシア1989年07月09日1980年代林民政党党首,次回総選挙でも必ずペナン州政権をとると声明。
DIA-206-1989-07-11-1マレーシア1989年07月11日1980年代二つの木材輸出者連盟,政府に対して木材輸出制限を行なわないよう要請。家具業界団体による木材輸出制限要請は経済全体の利益にならないと指摘。
DIA-206-1989-07-13-1マレーシア1989年07月13日1980年代イスラム巡礼明け大祭。
DIA-206-1989-07-15-1マレーシア1989年07月15日1980年代マハティール首相,「われわれがNICになろうとする努力は先進国によって押えつけられる結果をもたらすだけだ。NICs諸国は先進国から通貨の切り上げ,輸出の抑制を強いられて困っている。われわれはこうした先例にならう必要はない」,と演説。
DIA-206-1989-07-16-1マレーシア1989年07月16日1980年代連邦政府はシンガポール=ジョホール第2連絡路の建設を基本的に了承。事業は連邦政府の監督下でジョホール州政府,民間企業,シンガポール政府によって実施される。
DIA-206-1989-07-17-1マレーシア1989年07月17日1980年代スズ価格停滞,3ヵ月ぶりに26リンギ/kg割れ。
DIA-206-1989-07-19-1マレーシア1989年07月19日1980年代ペトロナス(国営石油)社,米『フォーチューン』紙の企業番付けで利益額第31位にランク。
DIA-206-1989-07-19-2マレーシア1989年07月19日1980年代NECC第7回会合。データ分析部会の報告を検討。
DIA-206-1989-07-20-1マレーシア1989年07月20日1980年代商工省,88年のマレーシアのGSP制度下の輸出は前年度比30%増の54億リンギに達したと発表。うち47%がEEC,23%が米,18%が日本向け。
DIA-206-1989-07-20-2マレーシア1989年07月20日1980年代ゴム手袋製造者協会第1四半期の対米ゴム手袋輸出は20億組にのぼり,台湾,中国を抜いて米国内シェアの75%を占めていると発表。現在マレーシア国内のゴム手袋製造工場は96ある。
DIA-206-1989-07-21-1マレーシア1989年07月21日1980年代ラフィダー商工相,米国当局から不良品とされたゴム手袋のうちマレーシア産は8%にすぎないが,マレーシアにとって不良品の評判は致命的であり,生産者は品質向上に一層の努力が必要であると発言。
DIA-206-1989-07-21-2マレーシア1989年07月21日1980年代1987年3月にヘロイン所持で死刑判決を下された英国人に絞首刑執行。
DIA-206-1989-07-21-3マレーシア1989年07月21日1980年代サウス・パシフィック繊維社,マレーシア企業として初の対ベトナム投資。ベトナム政府と合弁でジーンズ生産を行なう契約を締結。
DIA-206-1989-07-22-1マレーシア1989年07月22日1980年代マハティール首相,インフレに対する懸念を表明。南米のようなインフレの昂進は経済成長を阻害するので政府はその引き金となるような昇給要求には応じられず,経済成長こそが生活の向上につながると発言。
DIA-206-1989-07-24-1マレーシア1989年07月24日1980年代マラヤ大学主催の「NEPとその将来」セミナー開催(~25日)。
DIA-206-1989-07-24-2マレーシア1989年07月24日1980年代林第一次産業相,10月からの木材輸出税導入で製材業者は加工部門に進出すればよいのであって決して不利益にはならないと発言。
DIA-206-1989-07-24-3マレーシア1989年07月24日1980年代ウォン第一次産業省次官,森林伐採はわが国の社会経済の発展に寄与しており,また再生が可能であるので今後も続けていくと発言。
DIA-206-1989-07-24-4マレーシア1989年07月24日1980年代ラフィダー商工相,天安門以降初の東南アジアからの公式使節団を率いて訪中。姚副首相はじめ要人と会見。中マ貿易の拡大を期待と発言。
DIA-206-1989-07-28-1マレーシア1989年07月28日1980年代労働省,失業率は4月時点で7.5%に低下と発表。
DIA-206-1989-07-28-2マレーシア1989年07月28日1980年代軍,半島マレーシアの共産党活動は年々弱体化しているが,まだ存在しており軍は情報収集に努めていると発言。
DIA-206-1989-07-31-1マレーシア1989年07月31日1980年代全国商工会議所・マ経済研究所共催「1990年以降の経済政策セミナー」開催。開会演説でガファール副首相はNEPの成果に関する統計数値は正確であり,この真偽についての議論は無用であると発言。マ経済研究所のカマル・サリ,種族間の均衡の取れた経済発展のためには2000年までの間に年率9%の成長が必要と指摘。
DIA-206-1989-07-31-2マレーシア1989年07月31日1980年代林第一次産業相,木材輸出を制限し加工部門の成長を促す措置は一挙にでなく段階的に実施すると発言。
DIA-206-1989-08-01-1マレーシア1989年08月01日1980年代アブドルラシド警察情報局長,共産主義者には公報活動など心理作戦で投降を促していく方針と発表。
DIA-206-1989-08-02-1マレーシア1989年08月02日1980年代労働省,国外で働こうとするものはその労働条件,雇用主の実態などについて事前に十分調査するよう指示。最近サウジアラビアの王族に奴隷のように使われていた7人のマレー人が脱出してくるという事件があった。
DIA-206-1989-08-02-2マレーシア1989年08月02日1980年代パリのカンボジア和平会議で三つの作業委員会の設立を決定。カンボジアの独立,主権・領土の保全,中立の国際的保証について討議する国際保証委員会の共同議長国にラオスとマレーシアが任命された。
DIA-206-1989-08-03-1マレーシア1989年08月03日1980年代アンワル教育相,「46年精神」派は現政権の不正,腐敗を不当に言い回っているが,「46年精神」派の指導者たちが政府にいた時の不正,腐敗を調査する用意があると宣言。
DIA-206-1989-08-03-2マレーシア1989年08月03日1980年代ユソフ総理府相,政府は公務員人事局から提出された初任給引き下げ提案を「必要がなく,不適切な時期である」として棚上げを決定。
DIA-206-1989-08-03-3マレーシア1989年08月03日1980年代ブルネイ国王子息の成人式のためASEAN首脳がブルネイに集まる。マハティール首相,スハルト・インドネシア大統領と原子力発電協力で合意。
DIA-206-1989-08-03-4マレーシア1989年08月03日1980年代マハティール首相,アキノ・フィリピン大統領とサバ領有権問題解決のため交渉することに合意。
DIA-206-1989-08-04-1マレーシア1989年08月04日1980年代タイのチャーチャーイ首相来訪,南シナ海での共同ガス採掘に合意。
DIA-206-1989-08-05-1マレーシア1989年08月05日1980年代ジョホール州議会タンバタン地区補欠選挙でUMNO候補が「46年精神」候補を破って当選。
DIA-206-1989-08-05-2マレーシア1989年08月05日1980年代日本政府,円借款債務残高急増に対する救済策として,低利新規の円借款供与を増加し,一部を商品借款とする提案を発表。
DIA-206-1989-08-07-1マレーシア1989年08月07日1980年代マレーシア経済協会主催「90年以降のマレーシア経済」セミナー開催(~9日)。マハティール首相は開会演説で「NICs」というのは先進国が途上国の発展を押さえつけるために作り出したレッテルであり,マレーシアはそのようなレッテルは欲しないと発言。マレーシア経済研究所のカマル・サリ,現在高成長政策を取らなければマレーシアには二度とチャンスが回ってこないとして今後10年間の所得倍増計画を提言。
DIA-206-1989-08-07-2マレーシア1989年08月07日1980年代アラビア石油子会社,サラワク州で石油試掘に成功。
DIA-206-1989-08-07-3マレーシア1989年08月07日1980年代「中小企業家セミナー」開催。郭副商工相,政府は工業化マスタープランに従って小企業振興のための政策を策定中と語る。
DIA-206-1989-08-07-4マレーシア1989年08月07日1980年代「ベンチャーキャピタルによる金融革新」セミナー開催。ラフィダー商工相は開会演説で新産業育成のため各金融機関はベンチャーキャピタル用子会社を設立せよ,と発言。
DIA-206-1989-08-08-1マレーシア1989年08月08日1980年代アハマド外務省次官,ASEANにすでに二つの米軍基地が存在している以上,これ以上の米軍基地をシンガポールに設置することは無意味であり,ASEAN中立地帯構想にも反すると批判。
DIA-206-1989-08-08-2マレーシア1989年08月08日1980年代モハマド・シャリフ経済計画局(EPU)長官,434の政府所有企業のうち246社,163億リンギ相当を民営化する計画があると発言。
DIA-206-1989-08-10-1マレーシア1989年08月10日1980年代全米大豆委員会,今後パーム油が健康に有害であるというキャンペーンを行なわないことに同意。2年にわたる米大豆業界とマレーシアのパーム油業界との論争はひとまず終焉。
DIA-206-1989-08-10-2マレーシア1989年08月10日1980年代米国の医療器具監査会社,マレーシア製ゴム手袋は最高水準にあると言明。
DIA-206-1989-08-10-3マレーシア1989年08月10日1980年代リタウディン国防相,米軍によるシンガポール基地施設使用は東南アジアを中立平和地帯化するASEAN諸国の努力を損なうものであると批判。
DIA-206-1989-08-10-4マレーシア1989年08月10日1980年代ダイム蔵相,外国銀行の支店はすべて現地法人化しなければならないが,現地法人化した銀行の資本を100%外資が保有することは可能であると説明。
DIA-206-1989-08-11-1マレーシア1989年08月11日1980年代『マレイメイル』紙,背任罪で服役中のアブドラ・アン氏が農作業中に市内を出歩く特権を与えられていると証拠写真つきで報道。
DIA-206-1989-08-11-2マレーシア1989年08月11日1980年代ナプシア公企業相,クアラルンプル圏内では今後個人によるタクシーライセンス申請は受けつけないと発表。
DIA-206-1989-08-13-1マレーシア1989年08月13日1980年代マレーシアゴム手袋製造者協会,製造業者に対してゴム手袋を安値輸出しないよう要請。
DIA-206-1989-08-13-2マレーシア1989年08月13日1980年代MAS,11月からクチンとインドネシア領カリマンタンのポンティアナック間の定期便就航を発表。
DIA-206-1989-08-13-3マレーシア1989年08月13日1980年代上半期の投資認可額は日本から5.2億リンギ,台湾から3.6億リンギ,シンガポールから2.5億リンギ。
DIA-206-1989-08-15-1マレーシア1989年08月15日1980年代マハティール首相,シンガポールに米軍の恒久的基地を建設することはASEANの構図を変化させることになるので反対であると発言。米軍がシンガポールの施設を利用することは認められる。
DIA-206-1989-08-17-1マレーシア1989年08月17日1980年代マハティール首相,現在の都市人口は全人口の46%で,90年には都市人口構成は,ブミプトラ45.6%,中国人43.7%,インド人10.1%となるとの予測を発表。都市化の進行は発展の指標であり,2000年には全人口の60%が都市住民となるであろうと予測。
DIA-206-1989-08-18-1マレーシア1989年08月18日1980年代マレーシアゴム手袋製造協会,中小業者の利益を守り,仲介人を通さずに販売するため統一ブランド”MALAY TEX”を掲げる提案。
DIA-206-1989-08-18-2マレーシア1989年08月18日1980年代パイリン・サバ州首相,木材禁輸をしないと明言。外圧に屈してわれわれの生き残りを困難にするような方策を取ることはしないと説明。
DIA-206-1989-08-19-1マレーシア1989年08月19日1980年代MIC第37回党大会開催(~20日)。マハティール首相は来賓挨拶で各政党指導者に,経済回復を阻害したり,政治的安定を損なうような行動を取るなと警告。
DIA-206-1989-08-20-1マレーシア1989年08月20日1980年代第15回東南アジアゲーム(SEAゲーム)開会。加盟国9ヵ国中8ヵ国が参加。アズラン・シャー国王が開会宣言。
DIA-206-1989-08-21-1マレーシア1989年08月21日1980年代サバ州政府,90年1月からの森林伐採ロイヤルティー引き上げを発表。
DIA-206-1989-08-21-2マレーシア1989年08月21日1980年代モギー公共事業相,89年の建設業界の成長率は9.7%になるとの見通し発表。
DIA-206-1989-08-21-3マレーシア1989年08月21日1980年代スズ相場急落で21.4リンギ/kgに。半年ぶりの低水準。
DIA-206-1989-08-21-4マレーシア1989年08月21日1980年代NECC第8回会合開催(~24日)。第4分科会の報告を検討予定。
DIA-206-1989-08-21-5マレーシア1989年08月21日1980年代ヌグリ・スンビラン州議会,州選出の上院議員にMCAのチョン・チーシオン氏を選出。任期3年。
DIA-206-1989-08-21-6マレーシア1989年08月21日1980年代パイリン・サバ州首相,コディン副州首相他9人のPBS党員権停止を決定。コディンを州副首相,産業開発相からも解任。
DIA-206-1989-08-21-7マレーシア1989年08月21日1980年代ジャファール中銀総裁,89年GDP成長率は8%に限りなく近づくと発表。
DIA-206-1989-08-22-1マレーシア1989年08月22日1980年代林第一次産業相,マレーシアとインドネシアは熱帯林保護運動に対抗して欧米で対抗広告を行なうことに合意と発表。
DIA-206-1989-08-22-2マレーシア1989年08月22日1980年代中銀,89年上半期の金融機関による貸出し残高は47億リンギ,預金受入れ総額は20億リンギと発表。貸出しの内27.7%が製造業,14.6%が建設・不動産業。
DIA-206-1989-08-22-3マレーシア1989年08月22日1980年代コディン・サバ州副首相,自分のPBSからの追放は陰謀であると発表。
DIA-206-1989-08-22-4マレーシア1989年08月22日1980年代林第一次産業相,マレーシアは当面国際ココア協議会機構(ICCO)に加盟しないと発言。
DIA-206-1989-08-22-5マレーシア1989年08月22日1980年代シェル,三菱商事,ペトロナス,サラワク州政府合弁(出資比率4:2:1:1)でビントゥルに天然ガスから灯・軽油を生産する世界初のプロジェクト実施に合意。総事業費は約1000億円。
DIA-206-1989-08-23-1マレーシア1989年08月23日1980年代ペルリス,ケダ,ペラ,ペナンの北部4州,外資導入のためインフラ整備を初めとする共同戦略を取ることに合意と発表。
DIA-206-1989-08-23-2マレーシア1989年08月23日1980年代華人学校連盟の代表2名,NECCの人材育成部会のレポートは彼らの意見を全く反映していないとしてNECCからの脱退を発表。ガザリ議長はすべての意見は最終報告書に明記されるとして脱退の再考を要請。
DIA-206-1989-08-23-3マレーシア1989年08月23日1980年代PBSから党員権停止を受けた10人のうちコディン副首相を除く9人が党から脱退,カラカウ連邦副労働相は新党結成を示唆。
DIA-206-1989-08-23-4マレーシア1989年08月23日1980年代雇用者退職積立基金(EPF),加入者が住宅資金として基金から借入れる時は住宅を実際に購入することを証明する書類提示を義務づけ。9月から適用。
DIA-206-1989-08-23-5マレーシア1989年08月23日1980年代MCA李副党首,2人の華人系NECCメンバーに対し脱退を思いとどまるよう要請。
DIA-206-1989-08-25-1マレーシア1989年08月25日1980年代DAP,NECCの進め方について不満があるためDAPの5人の代表は当分の間NECCへの出席を見合わせると声明。
DIA-206-1989-08-26-1マレーシア1989年08月26日1980年代マハティール首相,パイリン・サバ首相と会見。コデイン州副首相らの除名についての経過説明を受ける。総選挙が目前に迫っている今の時期に補欠選挙を行なうのは公費の無駄使いであるので新たな補欠選挙を招くような事態を避けるよう要請。サバ州憲法によれば当選時に所属していた党から除名,脱退した場合には同時に州議会の議席を失うことになっているが州議員であるコデイン州副首相はまだ脱退していない。カラカウ連邦副労働相についてはマハティール首相は変更する必要なしとの見解を表明。
DIA-206-1989-08-27-1マレーシア1989年08月27日1980年代UMNO,88年8月の下院ジョホール・バル補欠選挙にUMNOに対抗して無所属で立候補し当選したシャハリル議員の入党を正式に承認と発表。
DIA-206-1989-08-29-1マレーシア1989年08月29日1980年代重工業公団(HICOM),1980年の設立以来初の黒字計上(89年3月期,税引き前収益4590万リンギ)。
DIA-206-1989-08-29-2マレーシア1989年08月29日1980年代ケダ州選出のMCAチュウ下院議員,党の指導部に不満があるとして辞職を申請。30日李党首は補欠選挙はできるだけ避けるべきだが個人的な理由でやめたいというものを引きとめることはしないと表明。
DIA-206-1989-08-30-1マレーシア1989年08月30日1980年代スランゴール中華総商会代表,NECCの議事手続きが改善されない限り今後のNECC会議には参加しないと表明。
DIA-206-1989-08-31-1マレーシア1989年08月31日1980年代独立記念式典,クアラルンプルでパレード。SEAゲーム最終日。マレーシアはメダル獲得数でインドネシアに次いで第2位に。
DIA-206-1989-09-01-1マレーシア1989年09月01日1980年代林第一次産業相,12月から半島マレーシアからのラタン原木輸出を禁止する方針と発表。家具製造業界はこれにより国内の原料不足が解消されると歓迎。
DIA-206-1989-09-01-2マレーシア1989年09月01日1980年代非同盟外相会議,アジア太平洋地区副議長団にマレーシアを選出。
DIA-206-1989-09-02-1マレーシア1989年09月02日1980年代ガファール副首相,ブミプトラによる株式の30%取得目標は達成されねばならず,そのために国鉄の民営化は絶好の機会であると発言。
DIA-206-1989-09-02-2マレーシア1989年09月02日1980年代マハティール首相,ユーゴスラビアで開催される非同盟首相会談に参加するため出発。
DIA-206-1989-09-03-1マレーシア1989年09月03日1980年代ラフィダー商工相,現在の失業率は8.1%だが経済の回復に伴って労働力不足が予想されるため,商工省,労働省,青年スポーツ省は共同で対策を検討中であると語る。
DIA-206-1989-09-04-1マレーシア1989年09月04日1980年代1,5,10,50センと1リンギの新硬貨発行。
DIA-206-1989-09-04-2マレーシア1989年09月04日1980年代李韓国エネルギー資源相来訪,ガファール副首相と会見。
DIA-206-1989-09-04-3マレーシア1989年09月04日1980年代林第一次産業相,木材加工業育成のため90年3月からいくつかの木材輸出に輸出税をかけると提案。
DIA-206-1989-09-05-1マレーシア1989年09月05日1980年代林第一次産業相,パーム油の価格安定のための国際コンソーシアムの設立を提案。
DIA-206-1989-09-05-2マレーシア1989年09月05日1980年代マハティール首相,非同盟諸国会議総会で演説。
DIA-206-1989-09-06-1マレーシア1989年09月06日1980年代マハティール首相,ベオグラードでガンジー・インド首相,コン・ベトナム国家評議会議長,エルシャド・バングラデシュ大統領,延北朝鮮首相らと会見。
DIA-206-1989-09-10-1マレーシア1989年09月10日1980年代ガファール副首相,日本の企業に対し南洋材を買わないよう圧力をかけている運動は西側先進国が自らの木材販売を促進するためのものであると指摘。
DIA-206-1989-09-10-2マレーシア1989年09月10日1980年代グルタメラUMNO支部,シャハリル下院議員の入会を拒否すると宣言。ムヘディン州首相(UMNO州代表),UMNO最高会議に対しグルタメラ支部の資格停止を要請。ガファール副首相(UMNO副総裁),17日の最高会議で処遇を決すると返答。
DIA-206-1989-09-10-3マレーシア1989年09月10日1980年代サバルディン観光・文化相,90年の観光収入は本年より5億リンギ増の25億リンギになろうと予測。
DIA-206-1989-09-11-1マレーシア1989年09月11日1980年代スランゴール州スルタン,モハマド州首相が自分の娘と内々に結婚していた問題を公にし,州首相の処分をマハティール首相に一任。
DIA-206-1989-09-11-2マレーシア1989年09月11日1980年代スランゴール州スルタン,アブー・スジャックを州首相代行に任命。モハマド州首相は休暇中。
DIA-206-1989-09-11-3マレーシア1989年09月11日1980年代林DAP書記長,12日からのNECCにもう一度だけ参加してみると発表。
DIA-206-1989-09-12-1マレーシア1989年09月12日1980年代ベラヤティ・イラン外相訪問。アブハッサン外相と会見。イランからの輸入を増やすよう要請。
DIA-206-1989-09-12-2マレーシア1989年09月12日1980年代ムヘディンUMNOジョホール州首相,グルタメラ支部のシャハリル議員の加盟拒否は不当であると発言。
DIA-206-1989-09-13-1マレーシア1989年09月13日1980年代ムヘディン・ジョホール州首相,今後同州ではハイテク,資本集約的産業しか流入許可しないと語る。労働不足のため。
DIA-206-1989-09-13-2マレーシア1989年09月13日1980年代統計局,88年中の対外債務期限前返納の結果,88年末の債務残高は前年比8.4%減の94.2億米㌦になったと発表。デット・サービスレシオは13.5%に低下。ただし国際収支(総合)は11億リンギの赤字に転落。
DIA-206-1989-09-14-1マレーシア1989年09月14日1980年代UMNO最高会議,各支部に対し党の決定に従うよう通達。マハティール首相,シャハリル議員の加盟拒否は支部の権限を越えると声明。
DIA-206-1989-09-16-1マレーシア1989年09月16日1980年代サバルディン文化・観光相,ホテル業界にたいして客室料の値上げをせぬよう要請。旅行業者との契約どおりの室料を維持せよと語る。
DIA-206-1989-09-18-1マレーシア1989年09月18日1980年代アズランシャー国王の正式即位の式典,伝統に従って挙行。20日に各国外交団に謁見。
DIA-206-1989-09-19-1マレーシア1989年09月19日1980年代ラフィダー商工相,既に進出している外貨100%企業は1990年以降も現状を維持できると言明。
DIA-206-1989-09-21-1マレーシア1989年09月21日1980年代マハティール首相サラワク訪問。
DIA-206-1989-09-21-2マレーシア1989年09月21日1980年代88年7月31日にバターワースのフェリー埠頭の2階の床が落ちて32人が死亡した事故の原因調査委。原因は建設上の不備ではなく乗客の過剰によるものと結論。
DIA-206-1989-09-23-1マレーシア1989年09月23日1980年代マハティール首相,ペナンで演説。国民戦線加盟政党に対し総選挙の準備をするよう要請。
DIA-206-1989-09-23-2マレーシア1989年09月23日1980年代クアラルンプル高裁,20kgの麻薬を運んだ麻薬摘発官にたいして死刑宣告。
DIA-206-1989-09-24-1マレーシア1989年09月24日1980年代ガファール副首相,種族間の経済的不平等がなくなるまで『割当制』は維持すると言明。
DIA-206-1989-09-24-2マレーシア1989年09月24日1980年代サバPBS党から脱退したメンバーを中心に新党Akar(人民進歩党)設立。コディン前州副首相はPBSを脱退,Akarに入党を発表。ラナウ地区州議選でPBSに対抗する。
DIA-206-1989-09-24-3マレーシア1989年09月24日1980年代民政党18回党大会。次回選挙で同党への議席割当てを増やすよう政府に要請。
DIA-206-1989-09-25-1マレーシア1989年09月25日1980年代ガファール副首相,失業中の大卒者に対してプランテーションでの雇用機会であっても利用せよと発言。プランテーションには5万人の不法外国人労働者が存在する。
DIA-206-1989-09-25-2マレーシア1989年09月25日1980年代クアラルンプル株式市場,外貨の流入で指数上昇中。87年10月の暴落前の水準を突破。
DIA-206-1989-09-25-3マレーシア1989年09月25日1980年代ヴェル・エネルギー・通信・郵政相,伐採による森林減少は工業化による大気汚染の影響に比べれば取るに足らぬものであると発言。
DIA-206-1989-09-26-1マレーシア1989年09月26日1980年代プロトン社,サガの生産を1日2交代制に移行。年産8万台のフル生産体制に入る。
DIA-206-1989-09-27-1マレーシア1989年09月27日1980年代閣議,全国的な電力料金の値下げを決定。エネルギー供給源としての将来のガスとの競合のため。28日サラワク電力供給公社は運転費の高さを理由に値下げできないと声明。
DIA-206-1989-09-28-1マレーシア1989年09月28日1980年代ヴェル・エネルギー・通信・郵政相,90年1月に公企業化される国営電力局(NEB)の職員2万3000人に三つの選択肢を提示。(1)退職,(2)現状の維持,(3)新企業を経営する会社の提示する新待遇を受け入れる,の三つ。NEB内主要労組の幹部との会見で発表。
DIA-206-1989-09-28-2マレーシア1989年09月28日1980年代スブラマニアムMIC副党首,党首選挙に立候補を表明。
DIA-206-1989-09-28-3マレーシア1989年09月28日1980年代クエール米副大統領来訪。マハティール首相と会見。米はシンガポールに基地を保有するつもりはないと言明。
DIA-206-1989-09-29-1マレーシア1989年09月29日1980年代マハティール首相,サバ,サラワク両州が連邦加入時に認められていた独自性,特殊取扱いの規程は今後も遵守されると発言。
DIA-206-1989-09-30-1マレーシア1989年09月30日1980年代サバ木材協会,サラワク木材協会,90年以降の対日丸太輸出の段階的削減に基本的に合意と発表。日本での南洋材価格が低迷しているため。
DIA-206-1989-10-01-1マレーシア1989年10月01日1980年代マラヤン・ブルアリーズ社とギネス・マレーシア社,一対一の対等合弁でマレーシア最大の「ギネス・アンカー社」誕生。
DIA-206-1989-10-01-2マレーシア1989年10月01日1980年代カラカウ連邦副労働相(8月にPBSを脱退)は,トゥアランの下院議席を明け渡すことは無用な補欠選挙を招くことになるので辞任しないと声明。また補欠選挙の乱用を避けるというのはマハティール首相および国民戦線の方針であり,自分はPBSをやめても国民戦線の一員であると言明。新党Akarは近く国民戦線へ加入の申請をする予定。
DIA-206-1989-10-01-3マレーシア1989年10月01日1980年代マレーシア航空,ミャンマー航空と共同運行に原則合意。ベトナム便も近く就航の予定と発表。
DIA-206-1989-10-03-1マレーシア1989年10月03日1980年代KL株式市場総合指数500の壁を突破。
DIA-206-1989-10-05-1マレーシア1989年10月05日1980年代関税局,ゴム輸出税は3日からキロ当り0.875センから0.750センに引下げと発表。
DIA-206-1989-10-05-2マレーシア1989年10月05日1980年代サバ州副首相にジョセフ・クルップPBS書記長が就任。
DIA-206-1989-10-07-1マレーシア1989年10月07日1980年代ジャファール中銀総裁,89年銀行・金融機関法は外国銀行の国内銀行への資本参加を促進することを狙ったものであると説明。外銀による新銀行設立は認められない。現在の16の外銀支店は10月1日から5年以内に現地銀行化しなければならない。10日三和銀行はBCB銀行バンク・オブ・コマースの株式15%取得を発表。
DIA-206-1989-10-07-2マレーシア1989年10月07日1980年代モハマド・スランゴール州首相1ヵ月の休暇を終えて公務に復帰。
DIA-206-1989-10-08-1マレーシア1989年10月08日1980年代MCA「1990年以降の政策」セミナー。経済政策はすべての国民を種族にかかわらず公平に扱い,実績主義で評価すべきものと主張。9日UMNO青年部はこれに対して経済格差が是正された後に機会の平等化は認められると反論。
DIA-206-1989-10-09-1マレーシア1989年10月09日1980年代会計監査院,公共事業局が東西ハイウェイ補修工事のコントラクターに3000万リンギの過剰支払いを指摘。
DIA-206-1989-10-09-2マレーシア1989年10月09日1980年代KL中央駅からのタクシー乗車にクーポン制導入。
DIA-206-1989-10-10-1マレーシア1989年10月10日1980年代林労働相,労組と雇用者に対し18日からの英連邦首脳会談(CEOGM),開催中に争議,論争を避け会議の進行に協力するよう要請。
DIA-206-1989-10-10-2マレーシア1989年10月10日1980年代9月にマラヤ大校内で行なわれたコンサートに抗議した学生に停学措置。11日には他の7人にも懲戒処分。
DIA-206-1989-10-11-1マレーシア1989年10月11日1980年代MIC総裁選を前にインド人社会内で選挙戦過熱,ヴェル現総裁とスブラマニアム候補(現副総裁)の両者に警察は支持者の行動をコントロールするよう要請。
DIA-206-1989-10-12-1マレーシア1989年10月12日1980年代「46年精神」党正式発足集会。ラザレイ前商工相を初代党首に選出。来賓のトゥンク・アブドルラーマン初代首相,マレー人に対してUMNOへの支持を取り下げるよう呼びかけ。国内治安法(ISA)は共産主義者の脅威より悪いと明言。
DIA-206-1989-10-14-1マレーシア1989年10月14日1980年代中銀,16日から国内金融機関の預金準備率を預金受入れ額の5.5%に引き上げると発表。この措置により国内の過剰流動性のうち8.5億リンギを吸収の見込み。
DIA-206-1989-10-14-2マレーシア1989年10月14日1980年代エリザベス女王夫妻,CHOGMのため来訪。シャーアラムのモスク見学。アズランシャー国王と会見。
DIA-206-1989-10-15-1マレーシア1989年10月15日1980年代MIC総裁選挙実施。現総裁サミー・ヴェルが現副総裁S・スブラマニアムを破って当選。ヴェルは今後スブラマニアムと一緒に仕事はできないと表明。これまでもスブラマニアムはインド人社会の改善のための党活動を支援してこなかったと発言。
DIA-206-1989-10-16-1マレーシア1989年10月16日1980年代UMNO青年部,トゥンク・アブドルラーマン初代首相のUMNO批判発言に抗議,トゥンクとの会見を求める声明発表。またトゥンクの上院議席剥奪を要求。これに対してマハティール首相はこうした要求は「若気の至り」と論評。
DIA-206-1989-10-16-2マレーシア1989年10月16日1980年代バンコクでスズ生産国協会(ATPC)開催。供給安定化計画を検討。林第一次産業相出席。
DIA-206-1989-10-18-1マレーシア1989年10月18日1980年代クアラルンプルで英連邦首脳会議開催。46ヵ国が参加。サッチャー英首相,ブット・パキスタン首相ら参加。マハティール首相,李シンガポール首相らの南ア制裁強化要求に対し英国は拒否の姿勢。対南ア制裁提案に英国以外の45ヵ国が賛意。
DIA-206-1989-10-19-1マレーシア1989年10月19日1980年代林第一次産業相,クアラルンプルでフィアルホ・ブラジル鉱業・エネルギー相と会見。鉱業部門協力合意に調印。
DIA-206-1989-10-20-1マレーシア1989年10月20日1980年代MAS,クチンとインドネシア領カリマンタン島のポンティアナクの定期便を30日に就航と発表。
DIA-206-1989-10-24-1マレーシア1989年10月24日1980年代英連邦首脳会議終了。麻薬根絶,ベトナム難民問題など107項目の共同声明採択。英国は南アフリカ制裁強化に反対意見を表明。
DIA-206-1989-10-27-1マレーシア1989年10月27日1980年代ダイム蔵相,90年度予算演説。新規課説の導入見送り。クアラルンプル株式市場とシンガポール市場との重複上場廃止の方針を表明。90年のGDP成長率を6.5%と予測(7月5日参照)。
DIA-206-1989-10-27-2マレーシア1989年10月27日1980年代林第一次産業相,ラタンの禁輸は先住民(オランアスリ)の生活を脅かすとの反対に対し,下流部門の育成のための保護措置であると説明。
DIA-206-1989-10-29-1マレーシア1989年10月29日1980年代マハティール首相,外国報道陣との会見で,これ以上のベトナム難民受入れの余力はないと発言。
DIA-206-1989-10-29-2マレーシア1989年10月29日1980年代ナジブUMNO青年部長ら,トゥンク・アブドルラーマン元首相と会見。
DIA-206-1989-10-31-1マレーシア1989年10月31日1980年代日本の経団連代表団,マハティール首相と会見。JIADO(日本国際協力機構)によるコンテナ製造合弁事業への出資計画表明。
DIA-206-1989-10-31-2マレーシア1989年10月31日1980年代クオック・ブラザーズ社,ソ連国営貿易会社プロディントルク社と初の合弁(出資比率40:60)。両国産品の相互代理店業務を行なう予定。
DIA-206-1989-11-01-1マレーシア1989年11月01日1980年代ヴェル・エネルギー通信・郵政相,国家電力庁の公企業化には25%までの外資を認めると発言。
DIA-206-1989-11-01-2マレーシア1989年11月01日1980年代スランゴール州議会スンゲイ・ブサール地方補欠選挙投票。UMNOのハジ・マフブードがPASのハジ・アブドゥルラザクを破り当選。
DIA-206-1989-11-01-3マレーシア1989年11月01日1980年代DAP,クアラルンプル株式市場とシンガポール株式市場の分離はクアラルンプルの世界市場からの離脱につながると批判。
DIA-206-1989-11-01-4マレーシア1989年11月01日1980年代スズ価格本年最安値19.15リンギ/kgに低下。
DIA-206-1989-11-02-1マレーシア1989年11月02日1980年代クアラルンプル株式市場理事会,シンガポール市場に上場している国内企業に対し12月31日までにシンガポール市場から撤退するよう要請。
DIA-206-1989-11-03-1マレーシア1989年11月03日1980年代DAP,政府は90年以降の経済政策に関するコンセンサス作りに真剣に取り組んでいないとしてNECCへの参加取りやめを決定と発表。4日マハティール首相はNECCは有用であり,DAPの撤退は総選挙向けの策略にすぎないと批判。MCAも同様の批判を発表。6日ナジブUMNO青年部長はDAPなしでもNECCは十分機能すると発言。これに対しDAPは,もしUMNO幹部がNECCの決定に「拒否権」を用いない保証があれば再参加する用意があると反論。
DIA-206-1989-11-04-1マレーシア1989年11月04日1980年代マハティール首相,現在国境地帯のマラヤ共産党の活動停止に関してタイ政府,共産党代理人と交渉中であると発表。
DIA-206-1989-11-04-2マレーシア1989年11月04日1980年代マハティール首相,反熱帯林キャンペーンは温帯林販売促進のためのものであると批判。
DIA-206-1989-11-05-1マレーシア1989年11月05日1980年代サバ州東部のFeldaによる開拓事業にサバ州以外の国民をリクルートしようとする提案に対しクルップ副首相ら州の3閣僚が反対表明。
DIA-206-1989-11-06-1マレーシア1989年11月06日1980年代アブドラ副外相,アジモフ・ソ連ウズベク共和国外相と会談。タシケントでエアコン製造の合弁事業を行なうことに合意。
DIA-206-1989-11-06-2マレーシア1989年11月06日1980年代マハティール首相,ラブアン島を外国企業誘致のため無税区域とする意向を表明。
DIA-206-1989-11-06-3マレーシア1989年11月06日1980年代アブドルラヒム警察副長官,仮に治安上の問題がなくとも旧共産党員をマレーシアに受け入れることは心情的に不可能であると発言。
DIA-206-1989-11-06-4マレーシア1989年11月06日1980年代キャンベラでアジア太平洋経済協力閣僚会議(APEC)開催。アブハッサン外相が出席。
DIA-206-1989-11-07-1マレーシア1989年11月07日1980年代モハメド・シャリフEPU長官,民営化マスタープランは来年早々に提出と語る。
DIA-206-1989-11-08-1マレーシア1989年11月08日1980年代アベル・ミャンマー財政・計画相来訪(~12日)。アブハッサン外相,ダイム蔵相等と会見。9日郭副商工相と会見。交易強化に合意。11日リタウディン国防相と兵器生産について話し合い。
DIA-206-1989-11-09-1マレーシア1989年11月09日1980年代メガット・ジュニッド副内相,マレーシアはタイのように元共産党員を自由に国内居住させられないと言明。政府は投降する共産党員の「リハビリ」に関して独自の計画をもっていると表明。
DIA-206-1989-11-09-2マレーシア1989年11月09日1980年代シンガポール株式市場,シンガポール企業に対しKL株式市場から12月31日までに撤退するよう要請。
DIA-206-1989-11-10-1マレーシア1989年11月10日1980年代マハティール首相,ブミプトラによる資本保有率19.4%のうち13%は個人所有,6.4%が信託機関によるものと発言。現在あるブミプトラ用信託機関ASNに加えて90年1月から新たにASBを創設すると発表。ただし12月27日参照。
DIA-206-1989-11-10-2マレーシア1989年11月10日1980年代マハティール首相,トゥンク・アブドゥルラーマン初代首相を訪ねて30分間にわたりマレー人の団結をめぐる話し合い。「率直で友好的」な会見であったと発表。
DIA-206-1989-11-11-1マレーシア1989年11月11日1980年代マレーシア杯サッカー準々決勝のサラワク州対クアラルンプールの試合で,サラワクチームの選手の反則判定をめぐり審判に暴行,試合中止。マレーシアサッカー連盟は19日の再試合を命じたがサラワクサッカー協会は14日「不当な中傷,ヤジが多すぎる」として試合放棄を決定。サラワク州政府もこれを支持。
DIA-206-1989-11-15-1マレーシア1989年11月15日1980年代政府,国内組立て自動車のローカルコンテンツを1995年までに60%に高めていくよう提言。
DIA-206-1989-11-16-1マレーシア1989年11月16日1980年代アリアス副第一次産業相,サバ・サラワクからの丸太禁輸提言は英断であると発言。こうした大胆な政策を取らない限り木材加工産業は発展しないと発言。
DIA-206-1989-11-16-2マレーシア1989年11月16日1980年代ブルネイ国王,スランゴール州を公式訪問。
DIA-206-1989-11-16-3マレーシア1989年11月16日1980年代スランゴール・クアラルンプル中華総商会,ベトナムへ使節団を派遣。
DIA-206-1989-11-16-4マレーシア1989年11月16日1980年代警察当局,政府はタイ政府の協力を得てマラヤ共産党と停戦交渉を行なっており武装闘争終了の可能性は大きいと発表。12月1日をもって国境地帯の夜間外出禁止令を解除すると発表。
DIA-206-1989-11-16-5マレーシア1989年11月16日1980年代UMNO青年部・婦人部合同総会。ガファール副首相,ブミプトラによる株式30%保有目標は当初の期限である90年には達成できないが2000年には達成するようUMNO青年部,婦人部の努力を期待する,と発言。
DIA-206-1989-11-17-1マレーシア1989年11月17日1980年代UMNO総会開催。マハティール総裁と「46年精神」党のラザレイ商工相との会見支持を表明。
DIA-206-1989-11-20-1マレーシア1989年11月20日1980年代パイリン・サバ州首相,丸太の禁輸が州にとって有益かどうかは十分に検討すべきであると語る。
DIA-206-1989-11-20-2マレーシア1989年11月20日1980年代PLUS,南北ハイウエイのための国内資金25億リンギ借り入れのうち20億リンギに調印。
DIA-206-1989-11-20-3マレーシア1989年11月20日1980年代NECC会議(~21日)。「貧困の撲滅の成果」分科会からの報告を提出。これで5分科会全ての報告書が完了。
DIA-206-1989-11-23-1マレーシア1989年11月23日1980年代マハティール首相,投資企業からの苦情処理のための部局を総理府の下に設置と発表。
DIA-206-1989-11-23-2マレーシア1989年11月23日1980年代トリストリスノ・インドネシア国軍司令官来訪。ガファール副首相,リタウディン国防相らと会見。24日国境問題協議会で共同で不法伐採に対処する旨合意。
DIA-206-1989-11-24-1マレーシア1989年11月24日1980年代ムルダニ・インドネシア国防相来訪。ムスタファ副国防相らと会見。
DIA-206-1989-11-28-1マレーシア1989年11月28日1980年代スランゴール州議会の8人MCAの議員,イスラムへの改宗を定めた宗教法の改正を求めて12月15日付の辞職を申し出。マハティール首相は「政府を恐かつすることはできない」と批判。
DIA-206-1989-11-28-2マレーシア1989年11月28日1980年代アリアス副第一次産業相,連邦政府はサバ,サラワク両州政府と丸太の輸出削減・禁輸で交渉中と発表。
DIA-206-1989-11-29-1マレーシア1989年11月29日1980年代閣議,マラヤ共産党との停戦交渉を承認。
DIA-206-1989-11-29-2マレーシア1989年11月29日1980年代パイリン・サバ州首相,連邦政府の指導者は自分を州首相の地位から追い落とそうとしていると発言。PBSから除名されたカラカウ副連邦労働相を他のPBSメンバーと交替するよう要請しても相手にされないと不満を表明。汚職摘発局(ACA)によるサバファンデーション調査は自分の兄弟を陥れようとする政治的な動きであると非難。30日,ガファール副首相はこの発言の真意をただすためパイリンに報告書提出を要請。
DIA-206-1989-11-30-1マレーシア1989年11月30日1980年代マハティール首相,予算が割り当てられながら計画の不備で実施されないプロジェクトが多いことを批判。関係省庁に善処を指令。
DIA-206-1989-11-30-2マレーシア1989年11月30日1980年代PBSのイスラム幹部2名離党しAkarへ移籍。州議席も放棄。
DIA-206-1989-12-01-1マレーシア1989年12月01日1980年代ガソリン価格2セン/㍑値上げ。軽油1.3セン/㍑,ケロシン1.5セン/㍑。
DIA-206-1989-12-01-2マレーシア1989年12月01日1980年代マハティール首相,政府は宗教の自由を遵守し,非ムスリムに対してイスラム教への改宗を強制することはないと明言。
DIA-206-1989-12-02-1マレーシア1989年12月02日1980年代マレーシア政府とマラヤ共産党はタイ政府の仲介により武力抗争停止協定に調印。41年間に及ぶタイ・マレーシア国境地帯でのゲリラ活動終焉。政府は共産党を合法化する意向はないと言明。治安維持の努力続行を表明し,国内治安法(ISA)は必要であると声明。
DIA-206-1989-12-02-2マレーシア1989年12月02日1980年代マハティール首相,スランゴール州イスラム法問題の解決のためには8人のMCA州議員の辞表撤回が必要であると発言。
DIA-206-1989-12-02-3マレーシア1989年12月02日1980年代マハティール首相,政治家による不正行為はそれが与党であれ野党であれ,断固として対処する。不正行為摘発が政治的な道具となることはないと言明。
DIA-206-1989-12-04-1マレーシア1989年12月04日1980年代警察幹部,42人の北カリマンタン共産党ゲリラが投降するのは時間の問題であると語る。
DIA-206-1989-12-04-2マレーシア1989年12月04日1980年代ダイム蔵相,ラオス経済・計画・財政相ら経済使節団と会見。要請があればラオスに対する経済協力の用意があると発言。
DIA-206-1989-12-06-1マレーシア1989年12月06日1980年代パイリン・サバ州首相,マハティール首相と一時間半にわたって個別会見。
DIA-206-1989-12-06-2マレーシア1989年12月06日1980年代KLSE理事会,12月31日をもってKLSEに上場しているシンガポール企業の登録を取り消すと発表。
DIA-206-1989-12-06-3マレーシア1989年12月06日1980年代NECC第12回会合。最終報告書は2月までに提出の予定。
DIA-206-1989-12-07-1マレーシア1989年12月07日1980年代8人のMCAスランゴール州議員,辞表を撤回。
DIA-206-1989-12-07-2マレーシア1989年12月07日1980年代マハティール首相,政府の貧困撲滅プログラムに種族の差別があってはなちぬと発言。
DIA-206-1989-12-07-3マレーシア1989年12月07日1980年代ナプシア公企業相,最近新たにタクシー免許を与えられたサウジャナ社はUMNOともUMNO婦人部とも無関係であり,ボディーカラーの赤と白はこれまでのタクシーの黒と黄よりも好ましいので認可したにすぎずUMNO婦人部のコスチュームとは関連がないと釈明。
DIA-206-1989-12-08-1マレーシア1989年12月08日1980年代内務省,北カリマンタン共産党ゲリラは投降の用意があると表明していると発表。
DIA-206-1989-12-09-1マレーシア1989年12月09日1980年代サバ州議会ラナウ地区補欠選挙でPBSから脱退した前議員マーク・コディン候補はPBS候補グバットに敗れる。
DIA-206-1989-12-09-2マレーシア1989年12月09日1980年代李光耀シンガポール首相,5日間のペナン・クダ訪問開始。
DIA-206-1989-12-10-1マレーシア1989年12月10日1980年代弁護士協会人権擁護委員長,マラヤ共産党の活動停止で国内治安法はもはや不要であり,廃止されるべきとの意見表明。
DIA-206-1989-12-11-1マレーシア1989年12月11日1980年代サバ基金の総裁で州首相の弟ジェフェリー・キティンガン,汚職摘発局(ACA)の取調べを受ける。
DIA-206-1989-12-11-2マレーシア1989年12月11日1980年代メガット・ジュニッド副内相,元共産党員が武装を解除してジャングルを出るまでには2ヵ月余りかかるであろうと語る。
DIA-206-1989-12-12-1マレーシア1989年12月12日1980年代マハティール首相,ジョホール州マレー人フォーラム一周年式典で演説,副党首を後継者とするUMNOの伝統を維持せよと訴える。
DIA-206-1989-12-12-2マレーシア1989年12月12日1980年代メガット・ジュニッド副内相,現在50人が国内治安法ISAで拘留中で,うち30名が共産党員,と発言。
DIA-206-1989-12-12-3マレーシア1989年12月12日1980年代マハティール首相,「46年精神」党のラザレイ前商工相と会見。マレー人の統一の必要性と建設的野党の存在意義については見解の一致をみたと発表。
DIA-206-1989-12-13-1マレーシア1989年12月13日1980年代マハティール首相,現在進んでいる団体法の修正は,政党のメンバーが党内の対立を法廷にみだりに持ち込むことを規制するためのものであると説明。
DIA-206-1989-12-15-1マレーシア1989年12月15日1980年代汚職摘発局(ACA),サバ基金総裁のジェフリー・キティンガンは24の会社の会長を兼ねていると発表。
DIA-206-1989-12-16-1マレーシア1989年12月16日1980年代ハニフ警察長官,現在北カリマンタン共産党とは「第3者」を通じて投降交渉を行なっていると発表。
DIA-206-1989-12-22-1マレーシア1989年12月22日1980年代マラヤ共産党陳平書記長,党を解体するかどうか,党員がマレーシア,タイに居住するかぎうかを決めるのには時間が必要であると語る。
DIA-206-1989-12-23-1マレーシア1989年12月23日1980年代官公庁労組,ストを行なわないという政府との合意条件を廃棄することを決定。
DIA-206-1989-12-26-1マレーシア1989年12月26日1980年代KLSE,SESとの分離の一環として53のシンガポール企業の上場を取り消し。
DIA-206-1989-12-26-2マレーシア1989年12月26日1980年代アブーバカル副蔵相,政府の対外債務残高は236億リンギと発表。米国81億リンギ,日本68億リンギ,西独25億リンギなど。
DIA-206-1989-12-27-1マレーシア1989年12月27日1980年代マハティール首相,マレー人商工会議所年次総会で演説。20年間のブミプトラ政策にもかかわらず,ブミプトラによる資本保有率は19%にしか達しておらず,このうち個人による保有分は4%にしかすぎない,残り15%は政府の援助によるものである。政府は全力を尽くしたにもかかわらず,資本保有率増加の努力は成功したとは言えないと発言。ブミプトラ保有の会社は数多くあるが,そこからの利益は誇れるようなものではなく,ブミプトラ企業の倒産比率はブミプトラの経済参加比率よりも高いと指摘。これはブミプトラの経営経験の不足によるものであり,ブミ企業家は自らの弱点を認識して経営能力の向上に努めよと指示。
DIA-206-1989-12-27-2マレーシア1989年12月27日1980年代マハティール首相,一部の者がコンセンサス形成よりも自分達の総選挙を重視したために全体のコンセンサスは達成できなかったが,90年以降の経済政策に重要な提言をなしうるであろうと発言。
DIA-206-1989-12-27-3マレーシア1989年12月27日1980年代KLSEとSESの分離後,SESでは133のマレーシア企業が1月2日から店頭取引を開始すると発表。
DIA-206-1989-12-27-4マレーシア1989年12月27日1980年代マレー人商工会議所会頭選挙,ナワウィ現会頭が73票を得てモクザニ候補(68票)を破り再選。
DIA-206-1989-12-28-1マレーシア1989年12月28日1980年代MCAの8人の上院議員,民政党議員の上院副議長選出に抗議して退場。
DIA-206-1989-12-29-1マレーシア1989年12月29日1980年代エック・ディンKLSE会長,シンガポールのCLOB市場でのオーバーザカウンター取引は公的なものではなく,ここに上場するマレーシア企業はリスクを自ら負わねばならぬと警告。