ID 国名 日付 年代 内容
DIA-206-1990-01-01-1マレーシア1990年01月01日1990年代「1990マレーシア観光年」開始記念式典。マハティール首相「より高い成長のために国民としての誇りと寛容の精神を持て」と演説。
DIA-206-1990-01-01-2マレーシア1990年01月01日1990年代KL証券取引所(KLSE),シンガポール証券市場と完全分離。KLSEはシンガポールが設立したマレーシア株取引のための店頭取引市場を認めない方針。
DIA-206-1990-01-02-1マレーシア1990年01月02日1990年代プランテーション労組(NUPW)の6万人の労働者,月給制への移行を要求してストライキの構え。
DIA-206-1990-01-02-2マレーシア1990年01月02日1990年代Mohamed Jemuri Serjan,最高裁判事に就任。
DIA-206-1990-01-02-3マレーシア1990年01月02日1990年代林良実運輸相,マレーシア航空のサービス低下(遅発,オーバーブック)に対し,政府として改善に努めると発言。
DIA-206-1990-01-03-1マレーシア1990年01月03日1990年代KLからホーチミン市へ週2便の直行便就航。
DIA-206-1990-01-03-2マレーシア1990年01月03日1990年代神戸製鋼,マレーシアで初の銅溶解炉建設を計画。
DIA-206-1990-01-04-1マレーシア1990年01月04日1990年代中山外相訪マ(~6日)。アブハッサン外相と会談。マ側「カンボジア和平に関し日本がベトナムにさらに影響力を行使することを期待」と発言。マハティール首相との会談では供与済みの円借款の利率(5%)の軽減には応じられないが,新規円借款の利率を2.9%とすることで合意。
DIA-206-1990-01-05-1マレーシア1990年01月05日1990年代ヴェルMIC党首,「次回総選挙では現職議員のうち7人は再立候補しない」と発言。
DIA-206-1990-01-07-1マレーシア1990年01月07日1990年代サバ財団のキティンガン会長「サバ沖合油田収入からの州政府受取り分は現在の5%を50%にするべきである」と発言。
DIA-206-1990-01-10-1マレーシア1990年01月10日1990年代マラヤ共産党に参加していた2邦人,タイ=マレーシア国境のキャンプからタイ側に下山し肉親と対面。
DIA-206-1990-01-10-2マレーシア1990年01月10日1990年代DAP(民主行動党)のカーパル議員がMICのヴィジャンドラン議員の写っているポルノテープの存在を追及していた事件で,検事総長は問題の盗難テープはすでに警察の手によって破壊されていると発表。12日にDAPはこの措置を政府によるスキャンダル揉み消し工作であると非難。13日マハティール首相は「当初本件は単なる盗難事件として扱われ,テープの内容は問題とされていなかったので検事総長の判断によって破壊したものである」と説明。
DIA-206-1990-01-11-1マレーシア1990年01月11日1990年代空軍,シンガポール空軍と共同演習。
DIA-206-1990-01-12-1マレーシア1990年01月12日1990年代スズ生産国連合(ATPC),KLで会合し加盟国の生産割当てを一律5%引き下げることを決定。オブザーバー国のブラジル,中国は対象外。
DIA-206-1990-01-13-1マレーシア1990年01月13日1990年代中銀,国内各種金融機関に対し法定準備率を16日から1%上げ,6.5%とするよう通達。過剰資金の吸いあげが目的。
DIA-206-1990-01-13-2マレーシア1990年01月13日1990年代軍司令官,投降したマラヤ共産党ゲリラ1200人の下山期限は2月2日と発表。
DIA-206-1990-01-15-1マレーシア1990年01月15日1990年代チットスウェ・ミャンマー農林相来訪。マハティール首相,ラフィダ商工相らと会見してマレーシアからの投資に期待表明。
DIA-206-1990-01-15-2マレーシア1990年01月15日1990年代ラザレイ「46年精神」党首,林吉祥DAP書記長と会談。総選挙時の選挙区割当て等の協力に合意。
DIA-206-1990-01-17-1マレーシア1990年01月17日1990年代NECC(国家経済協議会)メンバー,政府の経済政策監視のための独立組織の設立を提案。
DIA-206-1990-01-17-2マレーシア1990年01月17日1990年代ヴィジャンドラン下院副議長のポルノ・スキャンダルについて閣議で話し合い。辞任勧告が出されたとの報道に対し同議員は「休暇を取るだけ」と釈明。
DIA-206-1990-01-18-1マレーシア1990年01月18日1990年代USNO党大会でマハティール首相が来賓挨拶。「反マレーシア」感情を煽る人々がいると警告。
DIA-206-1990-01-18-2マレーシア1990年01月18日1990年代ダイム蔵相,KLSE上場に関するインサイダー取り引きは厳しく処罰すると発言。
DIA-206-1990-01-19-1マレーシア1990年01月19日1990年代下院議長,ヴィジャンドラン議員の休暇願いを受理と発表。
DIA-206-1990-01-20-1マレーシア1990年01月20日1990年代パイリン・サバ州首相,「原木輸出上限の低下は州収入の低下をもたらすのでサバ州は石油ロイヤルティーの引き上げを連邦政府に要求する」と発言。
DIA-206-1990-01-21-1マレーシア1990年01月21日1990年代林労働相,プランテーション労働者の月給制移行問題で労使双方の代表と会見。「ストライキは避けることができるだろう」と発言。
DIA-206-1990-01-22-1マレーシア1990年01月22日1990年代連邦汚職調査局,キティンガン・サバ財団会長に七つの罪状で逮捕状発行。
DIA-206-1990-01-23-1マレーシア1990年01月23日1990年代マハティール首相,ムサ前副首相を閣僚待遇で国連特使に任命。
DIA-206-1990-01-24-1マレーシア1990年01月24日1990年代ヴェルMIC党首,党書記長ポストにヴィジャンドランに替えてヴィディヴェロを任命。ヴィジャンドランが会長をつとめるMaikaホールディング社も25日にセルバラジャ会長代行を任命。
DIA-206-1990-01-27-1マレーシア1990年01月27日1990年代中華正月。
DIA-206-1990-01-29-1マレーシア1990年01月29日1990年代パンディタン前MIC次席副党首,MICに対抗する新たなインド人政党(全マレーシア・インド人進歩戦線:AMIPF)結成の意向を表明。
DIA-206-1990-01-30-1マレーシア1990年01月30日1990年代プランテーション労働者の月給制移行を巡る労働省の調停失敗,31日に6.5万人のNUPW労働者スト入り。14万人の労組非加盟労働者も協調。20万人規模のストに。
DIA-206-1990-01-31-1マレーシア1990年01月31日1990年代李金獅労働相代行「もしプランテーション労使の調停が不調なら政府は2月2日に労働裁判所で問題を取り上げる」と発言。
DIA-206-1990-02-01-1マレーシア1990年02月01日1990年代ヴェルMIC党首,NUPWに対してスト中止を勧告。マレーシア労働組合会議(MTUC)は政府によるスト中止命令の動きを「不当である」と非難。
DIA-206-1990-02-02-1マレーシア1990年02月02日1990年代李労働相代行,プランテーション労使の対立を労働裁判所に提訴,NUPWに対し3日にストを中止するよう命令。
DIA-206-1990-02-03-1マレーシア1990年02月03日1990年代汚職調査局,空軍のスペアパーツ納入に関して空軍高官から事情聴取。過去3年にスカイホーク戦闘機とヌリ型ヘリコプターに純正でないパーツが用いられていたことが判明。
DIA-206-1990-02-03-2マレーシア1990年02月03日1990年代NUPW,4日以降のスト中止を決定。
DIA-206-1990-02-03-3マレーシア1990年02月03日1990年代マハティール首相,「次回のUMNO総会では次席副党首は選挙で選ばれることが望ましい」と発言。
DIA-206-1990-02-03-4マレーシア1990年02月03日1990年代ハリス前サバ州首相,キティンガンのサバ財団会長ポストからの辞職を要求。
DIA-206-1990-02-04-1マレーシア1990年02月04日1990年代税関,2月から一次産品輸出税を軽減と発表。
DIA-206-1990-02-04-2マレーシア1990年02月04日1990年代KLの大気汚染進行。84年に比べて,酸化窒素42%,オゾン50%,二酸化硫黄200%の増加。
DIA-206-1990-02-04-3マレーシア1990年02月04日1990年代スブラマニアムMIC副党首,「ヴェル党首による1300の新支部設立は不正な動きである」と批判。
DIA-206-1990-02-04-4マレーシア1990年02月04日1990年代内務省,共産党投降後も共産主義と繋がりのあるクラブ,結社の禁止は継続と発表。
DIA-206-1990-02-05-1マレーシア1990年02月05日1990年代林良実運輸相,8日に予定されているクラン港労組のストに対して再考を要求。6日労組は単独ストを一旦取り下げ,政府に対し27日までの回答要求再期限を設定。改めて港湾3労組の共同ストを予告。
DIA-206-1990-02-05-2マレーシア1990年02月05日1990年代NUPW書記長,ストを続けている一部プランテーション労働者に対しスト中止指令の遵守を要求。
DIA-206-1990-02-06-1マレーシア1990年02月06日1990年代外務次官「先週ベトナムで難民の扱いに関する話し合いをした。近くKLで話し合いを再開」と発言。
DIA-206-1990-02-06-2マレーシア1990年02月06日1990年代李労働相代行,労働裁判所に対しプランテーション労使の審議に特段の注意を払い,速やかに審議を進めるよう要請。
DIA-206-1990-02-06-3マレーシア1990年02月06日1990年代タイ国境のパダン・ブサール地区で密輸者を追跡してきたタイ税関吏5人をマレーシア軍が逮捕。
DIA-206-1990-02-07-1マレーシア1990年02月07日1990年代リタウディン国防相,マラヤ共産党解体後もタイ,マレーシア国境の警備は維持すると発言。
DIA-206-1990-02-07-2マレーシア1990年02月07日1990年代ドムポク・サバ州財政相,「汚職調査局が自分を逮捕しようとしているという噂は事実無根であり,自分は汚職調査局の調査に全面的に協力する」と発言。
DIA-206-1990-02-07-3マレーシア1990年02月07日1990年代連邦米穀公団,ミャンマーから1.5万トンの米輸入契約。ベトナムからも15年ぶりに米輸入の予定と発表。
DIA-206-1990-02-08-1マレーシア1990年02月08日1990年代民政党「国民戦線のイメージ低下を防ぐためMICのヴィジャンドランは下院副議長職を辞任せよ」と要求。
DIA-206-1990-02-08-2マレーシア1990年02月08日1990年代キティンガン・サバ財団会長,アジア太平洋熱帯木材機構(ATTO)会長に決定。
DIA-206-1990-02-09-1マレーシア1990年02月09日1990年代プランテーション労使の和解成立,悪天候で作業ができなくても月に最低24日分の給料支払い保証。
DIA-206-1990-02-10-1マレーシア1990年02月10日1990年代前MIC次席副党首パンディタン,マレーシア・インド人ムスリム会議(KIMMA)の代表と次回選挙時の野党間協力について話し合い。
DIA-206-1990-02-11-1マレーシア1990年02月11日1990年代モハメドUNMO書記長,UMNO党員数は来月で150万人に達すると発表。
DIA-206-1990-02-12-1マレーシア1990年02月12日1990年代キティンガン・サバ財団会長,汚職容疑に対して高裁に控訴。
DIA-206-1990-02-12-2マレーシア1990年02月12日1990年代ヴェル・エネルギー相,「1991年に予想される電力不足に対処するため100MWのガスタービン7基を緊急入札」と発表。
DIA-206-1990-02-12-3マレーシア1990年02月12日1990年代ヴェルMIC党首「民政党がヴィジャンドランの辞職に固執するなら友党関係を再考する」と発言。
DIA-206-1990-02-13-1マレーシア1990年02月13日1990年代クラン港の3労組,労働裁判所提訴を取り止め。労相はこれを「賢明な動き」と評価。
DIA-206-1990-02-14-1マレーシア1990年02月14日1990年代アワンPAS副党首「DAPと協力することはない」と発言。
DIA-206-1990-02-15-1マレーシア1990年02月15日1990年代ガファール副首相,88万人の公務員に対する一時金増額を発表。1人当り30~50リンギの増額。
DIA-206-1990-02-15-2マレーシア1990年02月15日1990年代クチンで第8回ASEAN-EC外相会談。ASEAN側はブルネイを除く各国外相が出席。EC側は12カ国のうち5カ国のみ外相が出席。ASEAN側はこれをECのASEAN軽視の現われと受けとめ。マハティール首相もクチン入りし「プナン族の開発の支援をしたい」と発言。
DIA-206-1990-02-15-3マレーシア1990年02月15日1990年代クチンで初のASEAN経済・外務大臣合同会議。APECの機構化に対する反対を確認。
DIA-206-1990-02-15-4マレーシア1990年02月15日1990年代タイブ・サラワク州首相「ASEAN-EC外相会談のクチンでの開催は,ECの人々に熱帯雨林に関する一方的な見解を修正してもらうよい機会である」と発言。
DIA-206-1990-02-16-1マレーシア1990年02月16日1990年代スイスで偽造クレジットカードと偽ドルを使用した4人のマレーシア人逮捕。
DIA-206-1990-02-17-1マレーシア1990年02月17日1990年代ASEAN-EC外相会議。ECに対し環境に関する制裁措置を取る前に十分な調査をし,ECからの援助に関して環境政策を条件に加えないことを要求。
DIA-206-1990-02-20-1マレーシア1990年02月20日1990年代ラフィダ商工相「操業3年目に入って最低50%のローカルコンテンツを達成していない電機産業外資には今後優遇税制は適用されない」と発言。
DIA-206-1990-02-20-2マレーシア1990年02月20日1990年代ムサビ前イラン首相,マハティール首相を訪問。
DIA-206-1990-02-20-3マレーシア1990年02月20日1990年代陳平マラヤ共産党書記長ら「党名をマラヤ人民党と変更したうえでマレーシアで平和的政治活動に入りたい」との希望を表明(Bangkok Post紙)。
DIA-206-1990-02-21-1マレーシア1990年02月21日1990年代鉄道労組,マラヤ国鉄民営化反対のためのピケ実行を延期。
DIA-206-1990-02-22-1マレーシア1990年02月22日1990年代スランゴール州のスルタン,自分の娘と無断で結婚したムハマド州首相を赦免すると発表。
DIA-206-1990-02-22-2マレーシア1990年02月22日1990年代ジュニッド副内相「マラヤ共産党が武装闘争を放棄した以上,旧党員の帰国は自由である」と発言。
DIA-206-1990-02-22-3マレーシア1990年02月22日1990年代投降したマラヤ共産党ゲリラの武器破壊式がタイ側国境地帯で行なわれる(~24日)。自動小銃700丁などが破壊されたが,陳党書記長の要請により報道陣による写真・ビデオ撮影は禁止。(Bangkok Post紙)
DIA-206-1990-02-24-1マレーシア1990年02月24日1990年代マハティール首相「今,解散すれば総選挙で与党の勝利は確実だが,急ぐ必要はない」と発言。
DIA-206-1990-02-25-1マレーシア1990年02月25日1990年代マレーシア側国境近くでもマラヤ共産党ゲリラの武器破壊式。
DIA-206-1990-02-25-2マレーシア1990年02月25日1990年代ヴィジャンドラン下院議員「国民戦線の利益のために下院副議長職を辞任する」との声明発表。
DIA-206-1990-02-25-3マレーシア1990年02月25日1990年代ガファール副首相,チリ(~28日),アルゼンチン(28日~3月3日)を公式訪問。
DIA-206-1990-02-26-1マレーシア1990年02月26日1990年代国会再開(第4会期)。林吉祥DAP書記長ら,政府によるヴィジャンドラン議員のポルノビデオ事件揉み消し工作を批判。
DIA-206-1990-02-26-2マレーシア1990年02月26日1990年代マハティール首相,ザンビア訪問。南アフリカのマンデラ氏と会見し,訪マ招請。
DIA-206-1990-02-28-1マレーシア1990年02月28日1990年代出光石化,BP,ペトロナスと合弁でジョホールに石油化学製品工場建設計画を発表。
DIA-206-1990-02-28-2マレーシア1990年02月28日1990年代KLSE,投資ブームの拡大で事務をこなしきれず,一部投資家の12日の取引証明書を紛失と発表。
DIA-206-1990-03-04-1マレーシア1990年03月04日1990年代マレーシア製材輸出協会,政府に対し輸出課徴金,輸出上限設定は不要であり生産を阻害すると反発。
DIA-206-1990-03-05-1マレーシア1990年03月05日1990年代アブドルラフマン下院議員,「アラタス・マラヤ大学副学長による学科長の人選が反マレー人的である」と指摘。7日アヌワル教育相は調査を約束。
DIA-206-1990-03-05-2マレーシア1990年03月05日1990年代アラファトPLO議長訪マ(~7日)。マハティール首相と会見。6日にマレーシア=パレスチナ連帯の集い。
DIA-206-1990-03-06-1マレーシア1990年03月06日1990年代パイリン・サバ州首相,次回の総選挙でサバの国民戦線加盟党であるPBSとUSNOは国民戦線マークでなく個別のシンボルマークを使用すると発表。
DIA-206-1990-03-06-2マレーシア1990年03月06日1990年代ダイム蔵相,KLSEに対し早急にシンガポールにならって振替決済システムを導入するよう要求。取引証明書紛失事件については早急な解決を指示。
DIA-206-1990-03-06-3マレーシア1990年03月06日1990年代ベレナド・フィジー貿易相,ラフィダ商工相と会見。交易促進に合意。
DIA-206-1990-03-07-1マレーシア1990年03月07日1990年代呉シンガポール副首相訪マ。マハティール首相と会見。
DIA-206-1990-03-08-1マレーシア1990年03月08日1990年代マハティール首相「DAPのカーパル議員はヴィジャンドラン議員を陥れるために,ヴィジャンドラン宅からビデオテープを盗み出すよう画策した」と発言。
DIA-206-1990-03-09-1マレーシア1990年03月09日1990年代公共事業省,第5次5カ年計画下で同省が発注した698件のプロジェクトのうち,399件4.4億リンギ相当が遅延あるいは放棄されていると発表。
DIA-206-1990-03-09-2マレーシア1990年03月09日1990年代林敬益第一次産業相,20の製材・合板品目に対する輸出課徴金を発表。
DIA-206-1990-03-10-1マレーシア1990年03月10日1990年代ムヒディン・ジョホール州首相,「連邦政府は韓国社による製鉄所をジョホールに建設認可」と発表。
DIA-206-1990-03-11-1マレーシア1990年03月11日1990年代モハメド・ヌガ中将空軍司令官勇退。「私は勇退するのであって引責辞任をするのではない」と発言。
DIA-206-1990-03-11-2マレーシア1990年03月11日1990年代国税局,過去2カ月の抜き打ち調査で,有力者とつながりのある16の会社を脱税の容疑で調査中と発表。
DIA-206-1990-03-12-1マレーシア1990年03月12日1990年代林吉祥DAP書記長,現在進行中の選管による選挙民登録作業は,与党に有利に偏向していると批判。
DIA-206-1990-03-12-2マレーシア1990年03月12日1990年代タイブ・サラワク首相,州政府の決定した予算に会計監査長が反対意見を表明することはできないと言明。
DIA-206-1990-03-14-1マレーシア1990年03月14日1990年代議員が自己の理由で辞職した場合,以後5年間立候補できないとする憲法修正案下院通過。
DIA-206-1990-03-14-2マレーシア1990年03月14日1990年代林吉祥DAP書記長,クダ州議会パンタイ・ムルデカ地区補選のUMNO候補は破産者の疑いがあり,立候補資格はないと主張。
DIA-206-1990-03-14-3マレーシア1990年03月14日1990年代ニック・ディンKLSE会長,「4.9万株の取引証書が紛失しているが破害総額は一部で報道されたような巨額(2億リンギ)にならない。鋭意調査中であるので投資家は訴訟を起こさないでほしい。インサイダー取引きは,KLSEの信用を失墜させるので慎め」と発言。
DIA-206-1990-03-14-4マレーシア1990年03月14日1990年代マレーシア,シンガポール,英,豪,ニュージーランドの5軍司令官会議,KLで初会合。
DIA-206-1990-03-14-5マレーシア1990年03月14日1990年代証券取引法改正。KLSEのブローカー全53社に対し信用を増すため6月1日までに払込資本を2000万リンギ以上にするよう指令。
DIA-206-1990-03-15-1マレーシア1990年03月15日1990年代「労働省」を「人的資源省」に名称変更。
DIA-206-1990-03-15-2マレーシア1990年03月15日1990年代林亜礼人的資源相「MTUC(マ労働組合会議)はILOに政府の労働政策を提訴しているが,政府は国家にとって最善の政策を取っており,ILOに釈明する必要はない」と発言。
DIA-206-1990-03-15-3マレーシア1990年03月15日1990年代ダイム蔵相,輸出振興のため銀行に対する「輸出信用保険」制度を開始と発言。
DIA-206-1990-03-15-4マレーシア1990年03月15日1990年代サバ州議会,不法入国者に対する偽造IDカード疑惑に対し連邦政府に調査を要求。
DIA-206-1990-03-16-1マレーシア1990年03月16日1990年代KL高裁,パンタイ・ムルデカ補選のUMNO候補に対する破産宣告を取り下げ。2月21日の破産宣告以前に債権者との和議が成立していたので。
DIA-206-1990-03-16-2マレーシア1990年03月16日1990年代プランテーション労使の和解成立。4月からの1日当り給料上昇の見込み。
DIA-206-1990-03-16-3マレーシア1990年03月16日1990年代マハティール首相プロトン社のエンジン部品の組立工場起工式に参加。プロトンの販売会社であるEON社を「総合商社」化するとの期待表明。
DIA-206-1990-03-17-1マレーシア1990年03月17日1990年代ガファール副首相,NECCに対し,早急に政府に答申を提出するよう指令。政府の第6次五カ年計画策定に役立てるため。
DIA-206-1990-03-18-1マレーシア1990年03月18日1990年代ドムポク・サバ州財政相,「現在州内には70万人の不法入国者がおり,放置すれば2000年には本国人よりも外国人が多くなる」と発言。
DIA-206-1990-03-19-1マレーシア1990年03月19日1990年代ジュニッド副内相「政府は今のところデモ禁止令を撤廃するつもりはない」と発言。
DIA-206-1990-03-19-2マレーシア1990年03月19日1990年代郭偉傑副商工相「1980年から88年までにMIDAの投資認可を受けた外国企業の4899件のプロジェクトのうち49%はまだ生産を開始していない」と発言。
DIA-206-1990-03-20-1マレーシア1990年03月20日1990年代内務省,タイ=マレーシア国境の密出入国監視のため新たな国境ポストの設置を決定。
DIA-206-1990-03-21-1マレーシア1990年03月21日1990年代ムヒディン・ジョホール州首相「シンガポールは日量2.5億ガロン以上の水利用については新価格を支払うことになろう」と発言。
DIA-206-1990-03-21-2マレーシア1990年03月21日1990年代北部4州の民間精米業者300社以上が,米穀公団によるもみ買上げ計画に抗議。米穀公団が新価格で買上げると精米用の米が確保できなくなるので。
DIA-206-1990-03-21-3マレーシア1990年03月21日1990年代日本政府,89年度分の対マレーシア円借款供与額を612億円と決定。円高による円借款債務拡大に対する不満に応えて低利で通常の約3倍の額となったもの。
DIA-206-1990-03-22-1マレーシア1990年03月22日1990年代マハティール首相,タイ,マレーシア両国はタイ湾沖合油田から生産される原油,ガスを50:50で分割することで基本的に合意と発言。
DIA-206-1990-03-22-2マレーシア1990年03月22日1990年代マハティール首相,サバに不法入国しているフィリピン人,インドネシア人の追放に全力をあげると発言。
DIA-206-1990-03-23-1マレーシア1990年03月23日1990年代中央銀行,民間金融機関の理事をしている2人の政治家に対して「政治を続けるならば銀行の理事をやめるよう」勧告。2名とも「46年精神」メンバーであるとの観測。
DIA-206-1990-03-23-2マレーシア1990年03月23日1990年代総理府,1983年の民営化政策以降24プロジェクトが民営化され公務員は3万人減少したと発表。
DIA-206-1990-03-23-3マレーシア1990年03月23日1990年代サバ州の89年の貿易黒字は22.8億リンギ(対前年比14.8%減)と発表。
DIA-206-1990-03-24-1マレーシア1990年03月24日1990年代ドムポク・サバ州財政相「不法入国者の増加は,州政府に規制のための十分な権力が与えられていないことが一因となっている」と発言。
DIA-206-1990-03-24-2マレーシア1990年03月24日1990年代マハティール首相タイ公式訪問,パタヤでチャチャーイ首相と会談(~25日)。国境沖合油田での合同石油開発公社(JDA)設置に関する主権,管轄権の問題を話し合うも正式調印に至らず。沖合漁業権・裁判権を巡って意見対立と『バンコク・ポスト』紙は報道。
DIA-206-1990-03-24-3マレーシア1990年03月24日1990年代パンタイ・ムルデカ地区クダ州議会補選。UMNO候補がPAS候補を敗って当選(1万384票対6975票)。
DIA-206-1990-03-26-1マレーシア1990年03月26日1990年代ペトロナス,テキサコ社と東海岸沖合油田開発合弁を発表。
DIA-206-1990-03-27-1マレーシア1990年03月27日1990年代連邦政府はサバ,サラワクに連邦事務官職を81年以来9年ぶりに復活(政務次官補レベル)。連邦と州の連絡を密接にするためと説明。
DIA-206-1990-03-29-1マレーシア1990年03月29日1990年代米穀公団「すべての精米業者にもみ米を配給できないのはもみ米不足のためであって非ブミプトラ業者に対する差別ではない」と釈明。
DIA-206-1990-03-29-2マレーシア1990年03月29日1990年代中央銀行年次報告発表,89年のGDP成長率8.5%,90年の成長率を8.3%と予測。
DIA-206-1990-03-30-1マレーシア1990年03月30日1990年代最高裁,法廷でのマレーシア語使用義務づけは当初予定の3月30日から6月1日に延期と発表。
DIA-206-1990-03-30-2マレーシア1990年03月30日1990年代サヌシ農業相,「クダで3月8目以降非ブミプトラの米小売業者に米穀公団からの供給が止まっているのは,政府と契約しているブミプトラ精米業者,小売業者に必要量の米を供給するためである」と発言。
DIA-206-1990-03-30-3マレーシア1990年03月30日1990年代KLSE,6月から施行予定の最低資本金2000万リンギ規制を満たせないブローカー会社に合併を奨励。
DIA-206-1990-03-31-1マレーシア1990年03月31日1990年代国際熱帯木材機構(ITTO),6週間にわたるサラワクでの熱帯林調査を終了。5月のITTO総会で「サラワク・レポート」を発表の予定。
DIA-206-1990-04-03-1マレーシア1990年04月03日1990年代空軍高官,空軍機器の修理契約に関して収賄罪で起訴。
DIA-206-1990-04-03-2マレーシア1990年04月03日1990年代ダイム蔵相,破産の自己申告で債務義務を免れることができる現行の破産法の改正を検討中と発言。
DIA-206-1990-04-04-1マレーシア1990年04月04日1990年代マハティール首相,福祉宝くじ協会に対し6カ月以内の活動中止を指令。財政収入の多角化でもはや宝くじからの収入に依存する必要はないので。
DIA-206-1990-04-06-1マレーシア1990年04月06日1990年代プランテーション労使,林亜礼人的資源相の立ち会いの下で賃金,待遇に関する覚え書きに調印。
DIA-206-1990-04-07-1マレーシア1990年04月07日1990年代ブローカー各社は政府に対して最低払い込み資本金額規制の再考を要求。
DIA-206-1990-04-07-2マレーシア1990年04月07日1990年代アヌワル教育相「過去2年のマラヤ大学における学科長決定は適切な手段を経て行なわれている」と発言。
DIA-206-1990-04-07-3マレーシア1990年04月07日1990年代クダ州での非ブミプトラ精米業者に対する米穀公団からのもみ米供給再開。
DIA-206-1990-04-08-1マレーシア1990年04月08日1990年代林蒼佑ペナン州首相,ラーマン初代首相の反与党的発言を批判。
DIA-206-1990-04-10-1マレーシア1990年04月10日1990年代非イスラム宗教団体代表,マハティール首相と会見。政府に対しイスラムへの改宗を強制しないよう要求。首相は改宗を強要することはしないと言明し,活動家に対し宗教的・種族的対立感情をあおらぬよう要請。
DIA-206-1990-04-12-1マレーシア1990年04月12日1990年代国民戦線選挙対策委員会,活動開始。国民戦線の選挙綱領作成に着手。
DIA-206-1990-04-16-1マレーシア1990年04月16日1990年代スランゴール州議会,上水道供給プロジェクトで民間コンソーシアムからの5億リンギ借入れを決定。
DIA-206-1990-04-16-2マレーシア1990年04月16日1990年代MTUC,次回総選挙で特定政党を支持する場合の政策要件を発表。これらの要件を満たす政党には組織的支援を行なう。
DIA-206-1990-04-17-1マレーシア1990年04月17日1990年代出光石油開発,サワラク内陸油田の開発権を取得。ペトロナス・チャガリ社,出光石油と合弁でミャンマーで初の海外石油開発に着手。
DIA-206-1990-04-19-1マレーシア1990年04月19日1990年代ガファール副首相,マレーシアがベトナムからの難民を沖合いで追い返しているとの非難は事実無根であると反論。
DIA-206-1990-04-19-2マレーシア1990年04月19日1990年代林第一次産業相,マレーシアはココア生産者連合には加盟するが国際ココア協定(ICA)への加盟決定は先送りと発表。
DIA-206-1990-04-20-1マレーシア1990年04月20日1990年代マレーシア,タイ両国はタイ湾沖油田の共同開発会社設立に関して基本合意に到達。
DIA-206-1990-04-21-1マレーシア1990年04月21日1990年代ラーマン初代首相「商業は華人に委ねるべきである」と発言(シンガポール:Straits Times紙)。
DIA-206-1990-04-23-1マレーシア1990年04月23日1990年代マハティール首相「ラーマン初代首相が自分を嫌っていることは明らかであるが,不用意な発言で彼自身の評判を落とさないよう忠告する」と発言。
DIA-206-1990-04-26-1マレーシア1990年04月26日1990年代ザイナルMTUC議長,「46年精神」党に入党とと発表。
DIA-206-1990-04-27-1マレーシア1990年04月27日1990年代イスラム断食明け大祭。
DIA-206-1990-04-28-1マレーシア1990年04月28日1990年代マハティール首相「労組幹部が特定政党に所属すると労働運動の中立性が損なわれ,労働者の利益が失われる」と警告。
DIA-206-1990-04-29-1マレーシア1990年04月29日1990年代ガファール副首相,「ザイナルMTUC議長は自分の利益のために労組を利用している」と発言。
DIA-206-1990-04-29-2マレーシア1990年04月29日1990年代ガファール副首相「DAP,PAS,46年精神の野党連合は選挙時のみの便宜的な連合であり,その後も協力を維持できるとは思えない」と発言。
DIA-206-1990-05-01-1マレーシア1990年05月01日1990年代林亜礼人的資源相,ザイナルMTUC議長に対し,「政治家と労働運動は両立しないのでどちらか一方を選べ」と忠告。ザイナル議長は「政府が労組側の要求に真剣に対処しようとしないので自ら政治に取り組まざるをえなくなった」と反論。
DIA-206-1990-05-03-1マレーシア1990年05月03日1990年代マレーシア農業生産者連盟,悪天候日に指示された代替作業をしないプランテーション労働者には給料を支払わないと発表。
DIA-206-1990-05-03-2マレーシア1990年05月03日1990年代最高裁,「内務省は麻薬容疑者に対して令状なしで逮捕する権利を乱用してはならない」として11人の容疑者の釈放を命令。
DIA-206-1990-05-06-1マレーシア1990年05月06日1990年代DAPは次回総選挙で野党共闘がペラ州政権を取った場合,「46年精神」が主導権を握ることに合意。
DIA-206-1990-05-07-1マレーシア1990年05月07日1990年代ハンセンILO事務局長訪マ。「マレーシア政府が強制労働を禁じたILO105号協約を非難している理由を知りたい」と発言。
DIA-206-1990-05-07-2マレーシア1990年05月07日1990年代アヌワル教育相,次期国会で提出予定の新教育法を説明。(1)すべての教育機関でマレーシア語のクラスを設置。(2)小学校終了年限に5~7年の幅を持たせる。(3)すべての就学前児童に無料で教育の機会を与える,などが骨子。華語,タミール語学校の扱いはこれまでどおり。
DIA-206-1990-05-09-1マレーシア1990年05月09日1990年代マレーシア,インドネシア,イランの3者合弁によるクダの製油所建設は9月に開始予定。
DIA-206-1990-05-10-1マレーシア1990年05月10日1990年代Hamim党書記長,野党連合がクランタン州で勝った場合にはPASが州首相ポストを取ることで合意と発表。
DIA-206-1990-05-10-2マレーシア1990年05月10日1990年代ナヴァムクンダンNUPW筆頭書記「プランテーション労働者はゴム採取と無関係な代替労働は行なわない」と言明。
DIA-206-1990-05-12-1マレーシア1990年05月12日1990年代アワンPAS副党首,「野党連合(APU)共闘の条件はイスラム国家の樹立を目標におくことであり,Berjasa,Hamim,「46年精神」はこれを受け入れるべきである。DAPはこの目標を否定しているので共闘はあり得ない」と語る。
DIA-206-1990-05-13-1マレーシア1990年05月13日1990年代カーパルDAP副党首,ラザレイ「46年精神」党首に対しPASを説得して「イスラム国家」目標を取り下げさせるよう要請。ラザレイは「PASとDAPが異なる政策目標を有していることは選挙共闘の妨げにはならない」と発言。
DIA-206-1990-05-14-1マレーシア1990年05月14日1990年代林亜礼人的資源相,「ハリス・ソリッドステート社の労働者は企業内組合を作る権利がある」と発言。
DIA-206-1990-05-15-1マレーシア1990年05月15日1990年代人的資源省,プランテーションでの労働実態調査のための小委員会を設置。
DIA-206-1990-05-15-2マレーシア1990年05月15日1990年代ラフィダ商工相,すでに免税措置を受けている外資が国内に新会社を設立する際の新たな優遇措置を発表。国内での再投資,拡張投資を促進するため。
DIA-206-1990-05-16-1マレーシア1990年05月16日1990年代インドネシアでITTO総会開催。サラワクからの伐採量の3割削減などを勧告する「サラワク・レポート」発表。
DIA-206-1990-05-18-1マレーシア1990年05月18日1990年代ラザレイ「46年精神」党首,「DAP,PRM,AMIPF,MSPとの共闘は国民統合を目指すものである」と発言。
DIA-206-1990-05-22-1マレーシア1990年05月22日1990年代アヌワル教育相「マラヤ大の学科長任命問題はマラヤ大の利益に基づいて友好的に解決する」と発言。
DIA-206-1990-05-22-2マレーシア1990年05月22日1990年代KL高裁,ハリス・アドバンストテクノロジー,ハリス・ソリッドステート両社に対し,労働組合の活動を妨害しないようにとの暫定命令を発令。
DIA-206-1990-05-23-1マレーシア1990年05月23日1990年代KLでASEAN鉱工業エネルギー小委員会。自動車産業の部品相互調達について話し合い。
DIA-206-1990-05-23-2マレーシア1990年05月23日1990年代証券ブローカー連盟,大蔵省に対し払込資本金増額命令に3年間の段階的猶予を要求。
DIA-206-1990-05-23-3マレーシア1990年05月23日1990年代アブハッサン外相,イラン公式訪問。
DIA-206-1990-05-23-4マレーシア1990年05月23日1990年代林亜礼人的資源相,「電機産業労働者に企業内でのみ組合の設立を許可している政府の方針は,投資家と労働者双方の利益のためである」と発言。
DIA-206-1990-05-23-5マレーシア1990年05月23日1990年代米国の労働者権利擁護団体(ILRERF)代表,林亜礼人的資源相と会見後「横断的電機産業労組を認めないことは労働者の権利の侵害であり,米国によるGSP特権取り消しの理由となろう」と語る。
DIA-206-1990-05-24-1マレーシア1990年05月24日1990年代ダイム蔵相,「企業内組合の方が問題解決に有益である」と発言。
DIA-206-1990-05-25-1マレーシア1990年05月25日1990年代タイ,マレーシア両国防相による第34回タイ=マレーシア国境会議終了。共同作業によるマラヤ共産党投降の実績を評価。
DIA-206-1990-05-25-2マレーシア1990年05月25日1990年代マハティール首相,「政府は米政府に労働情勢を説明しGSP撤廃の動きを阻止する」と発言。
DIA-206-1990-05-25-3マレーシア1990年05月25日1990年代官公労(Cuepacs),GSP維持のための政府の動きを支持,MTUCに対しGSP撤廃の画策をやめるよう警告。
DIA-206-1990-05-26-1マレーシア1990年05月26日1990年代パイリン・サバ州首相,州議会を解散。解散直前の議会で選挙日程を解散後90日以内から60日以内に,選挙で過半数を得た政党の党首が自動的に州首相になるように州憲法を改正。解散時勢力は与党PBS39,野党USNO8,Berjeya1,任命議員6。
DIA-206-1990-05-26-2マレーシア1990年05月26日1990年代PAS,与党系新聞3紙がPASの活動を正しく報道していないとしてボイコットを計画。
DIA-206-1990-05-26-3マレーシア1990年05月26日1990年代デヴィドMTUC書記長,「MTUCは横断的電機産業労組設立要求を続けるし,これはILO憲章で認められた団結の権利を守るものである」と発言。
DIA-206-1990-05-27-1マレーシア1990年05月27日1990年代閣議はサラワク・ラジャン河上流に計画していたバクン・ダム建設を放棄。環境面での問題が指摘されていたため。代替発電所についての調査を開始。
DIA-206-1990-05-27-2マレーシア1990年05月27日1990年代サバで3名が国内治安法(ISA)により逮捕と発表。
DIA-206-1990-05-28-1マレーシア1990年05月28日1990年代ドムポクPBS副党首「州首相指名に関する州憲法改正は,州知事の権限や州憲法を侵害するものではない」と弁明。
DIA-206-1990-05-28-2マレーシア1990年05月28日1990年代デヴィドMTUC書記長「MTUCは労働者の権利を擁護する全ての政党を支持する」と発言。
DIA-206-1990-05-29-1マレーシア1990年05月29日1990年代協同組合中央銀行(CCB)の管財人,全支店に対し当面の間閉鎖を指令。5月25日の最高裁による「債権者と貯金者は同様の扱いを受けるべき」との判決に応じた措置と説明。
DIA-206-1990-05-29-2マレーシア1990年05月29日1990年代フセイン・オン前首相死去。政府は国葬を決定。
DIA-206-1990-05-29-3マレーシア1990年05月29日1990年代林亜礼人的資源相,ハリス・ソリッドステート(HSS)社の組合結成問題に関しザイナルMTUC議長らと会見。
DIA-206-1990-05-30-1マレーシア1990年05月30日1990年代タイ,マレーシア両国はタイ湾沖の合同石油開発公社(JDA)の設立に正式調印。両国はそれぞれにJDA本部を設置の予定。
DIA-206-1990-05-30-2マレーシア1990年05月30日1990年代MTUC,Cuepacsはともに「CCBの突然の閉鎖は同行に給与振込みを受けている多くの労働者の利益に反する」として抗議。
DIA-206-1990-05-30-3マレーシア1990年05月30日1990年代パイリン・サバ州首相,連邦内務省に対し国内治安法で逮捕された3名の釈放と逮捕理由の説明を要求。
DIA-206-1990-05-30-4マレーシア1990年05月30日1990年代サバ州の3野党(Berjaya,Akar,UAP)は「サバ人民戦線(ARS)」として選挙共闘を行なうことを発表。
DIA-206-1990-05-31-1マレーシア1990年05月31日1990年代マレーシア・スズ連盟,最大のスズ生産国であるブラジルが国際スズ生産国連合に加盟しないならマレーシアも脱退すべきである,と提言。
DIA-206-1990-06-01-1マレーシア1990年06月01日1990年代途上国15カ国首脳会議(G15),KLで開催(~3日)。9カ国から大統領,首相が出席(参加国はマレーシア,インドネシア,インド,ユーゴスラビア,メキシコ,ペルー,ブラジル,アルゼンチン,ジャマイカ,ベネズエラ,セネガル,ジンバブエ,ナイジェリア,アルジェリア,エジプト)。
DIA-206-1990-06-01-2マレーシア1990年06月01日1990年代ジュニッド副内相,「サバでの国内治安法による逮捕は,州議会選挙とは無関係」と発言。
DIA-206-1990-06-02-1マレーシア1990年06月02日1990年代CCB管財人,「CCBの業務停止は最高裁の判決に従うための措置である」と弁明。
DIA-206-1990-06-02-2マレーシア1990年06月02日1990年代ハリス・アドバンスト・テクノロジー社(HAT)の労働者300人,ハリス・ソリッドステート労組の活動に反対するデモ。
DIA-206-1990-06-02-3マレーシア1990年06月02日1990年代全米労働総同盟,米政府に対しマレーシアのGSP待遇取り下げの2度目の提訴。
DIA-206-1990-06-03-1マレーシア1990年06月03日1990年代G15,南・南貿易の促進,累積債務問題の解決等を強調して閉幕。
DIA-206-1990-06-03-2マレーシア1990年06月03日1990年代ダイム蔵相,「CCBに給与払い込みを受けている公務員は明日以降各職場で仮払い金を受け取ることができる」と発言。
DIA-206-1990-06-04-1マレーシア1990年06月04日1990年代スハルト・インドネシア大統領,マハティール首相と会談。シンガポールの提唱する「成長の三角地帯」構想に協力を表明。
DIA-206-1990-06-04-2マレーシア1990年06月04日1990年代官公労(Cuepacs),米労働団体によるGSP取り下げ提訴に反対を表明。
DIA-206-1990-06-06-1マレーシア1990年06月06日1990年代サバのAkar党,UAP党,ハリス元州首相のBerjaya党首復帰に抗議して野党連合(ARS)から脱退。
DIA-206-1990-06-09-1マレーシア1990年06月09日1990年代マハティール首相「MTUCの一部の指導者は自分の利益のためGSPの撤廃を要求している」と批判。
DIA-206-1990-06-09-2マレーシア1990年06月09日1990年代マハティール首相「種族別経済割当てを永久に続けるつもりはなく,段階的に廃止する」と発言。
DIA-206-1990-06-10-1マレーシア1990年06月10日1990年代マハティール首相,サバの各政党に対し「反連邦感情を煽るな」と警告。
DIA-206-1990-06-10-2マレーシア1990年06月10日1990年代ベトナム航空,KL直行便就航。
DIA-206-1990-06-11-1マレーシア1990年06月11日1990年代下院再開(~26日)。副議長にMCAの翁詩傑を選出。
DIA-206-1990-06-13-1マレーシア1990年06月13日1990年代政府,シンガポール航空に対し,クチン,コタキナバルへのそれぞれの直行便の就航を認可。
DIA-206-1990-06-14-1マレーシア1990年06月14日1990年代ヴェル・エネルギー・電力相,「電力庁(NEB)民営化に当たっては株式の10%を一般公開,5%を従業員に分配,25%を外国資本に割当てる」と発言。
DIA-206-1990-06-15-1マレーシア1990年06月15日1990年代ラフィダ商工相,「GSPの撤廃を画策しているMTUCは労働者の利益に反している」と発言。
DIA-206-1990-06-18-1マレーシア1990年06月18日1990年代ジョホール,マラッカ両州政府の反対により連邦水利法の今国会上程を見送り。
DIA-206-1990-06-18-2マレーシア1990年06月18日1990年代KLで第4回ASEAN環境閣僚会議。
DIA-206-1990-06-18-3マレーシア1990年06月18日1990年代林亜礼人的資源相,ジュネーブのILO総会から帰国。「ジュネーブで全米労組連盟代表とGSP問題について有益な話し合いをした」と報告。
DIA-206-1990-06-18-4マレーシア1990年06月18日1990年代日立コンシューマ・プロダクツ社の従業員,8人の労働者解雇に反対してスト入り。
DIA-206-1990-06-20-1マレーシア1990年06月20日1990年代トラック運送協会,政府に対し各企業の自社保有トラックによる輸送免許(Cライセンス)交付を増やさないよう要請。
DIA-206-1990-06-21-1マレーシア1990年06月21日1990年代ブ・コアン・ベトナム外務次官訪マ。ホーチミン市にマレーシア貿易事務所開設で合意。
DIA-206-1990-06-21-2マレーシア1990年06月21日1990年代閣議,次回総選挙時に英連邦会議からの選挙監視団の受け入れを決定。野党の不正選挙批判に抗するため。
DIA-206-1990-06-21-3マレーシア1990年06月21日1990年代林亜礼人的資源相,「マレーシア政府によるILO第105号協約批判は正式なものである」と発言。
DIA-206-1990-06-21-4マレーシア1990年06月21日1990年代林良実運輸相,クラン・コンテナターミナルの民営化に続きクラン港全体の民営化計画を発表。5500人の従業員が5%の株式を与えられる。
DIA-206-1990-06-22-1マレーシア1990年06月22日1990年代日立コンシューマ・プロダクツ社,スト中の850人を解雇,同時に再雇用条件を提示。政府はストを不法としてこの措置を支持。
DIA-206-1990-06-22-2マレーシア1990年06月22日1990年代ダイム蔵相,KLSEブローカー会社の最低払込み資本金2000万リンギの達成期限を91年12月末までに延期。
DIA-206-1990-06-23-1マレーシア1990年06月23日1990年代日立コンシューマ・プロダクツ社,不法スト参加について謝罪すれば全労働者を再雇用すると発表。
DIA-206-1990-06-25-1マレーシア1990年06月25日1990年代日立コンシューマ・プロダクツ社の解雇された850人のうち謝罪を拒否した21名以外は復職。26日に操業再開。
DIA-206-1990-06-25-2マレーシア1990年06月25日1990年代サバ3野党(USNO,Akar,LDP)選挙共闘に合意。
DIA-206-1990-06-25-3マレーシア1990年06月25日1990年代マハティール首相,GSP問題に関してDAP,「46年精神」の姿勢を非難。
DIA-206-1990-06-25-4マレーシア1990年06月25日1990年代マハティール首相,「マレーシア語の国語としての地位は不動だが,英語の能力向上も必要である」と発言。
DIA-206-1990-06-26-1マレーシア1990年06月26日1990年代ガファール副首相,「再投資免税措置(40%)は91年以降も継続すると発言」と発言。
DIA-206-1990-06-28-1マレーシア1990年06月28日1990年代経済計画庁,NEBの民営化については最初に公社化し,次いで民営化することを決定しただけで,株式保有比率については決定していないと発表。
DIA-206-1990-06-29-1マレーシア1990年06月29日1990年代ペナンでタイ,マレーシア両外相第3回国境地域経済開発会議開催。
DIA-206-1990-07-02-1マレーシア1990年07月02日1990年代シッティ・タイ外相マレーシア国境の通行時間は現在の1日12時間から18時間に延長されようと語る。
DIA-206-1990-07-03-1マレーシア1990年07月03日1990年代パイリン・サバ州首相,PBSの選挙綱領を発表。国内治安法の見直しとラブアン島のサバへの復帰を掲げる。
DIA-206-1990-07-04-1マレーシア1990年07月04日1990年代李全獅MCA副党首,次回の党大会で党首選に出馬表明。
DIA-206-1990-07-04-2マレーシア1990年07月04日1990年代サバ州議会選挙告示。48選挙区で7政党と無所属から253人が立候補。ハリス前州首相,ムスタファ元州首相,トゥン・アドナン前州知事(1978~86年)らも出馬。
DIA-206-1990-07-05-1マレーシア1990年07月05日1990年代ガファール副首相,PBSの選挙綱領の問題点については選挙終了後に国民戦線内で話し合うと語る。
DIA-206-1990-07-06-1マレーシア1990年07月06日1990年代ジャップ・ベトナム副首相,郭偉傑副商工大臣と会見。
DIA-206-1990-07-07-1マレーシア1990年07月07日1990年代空軍司令官,「シンガポールとの合同演習延期は両国関係の冷却化を示唆するものではない」と発言。
DIA-206-1990-07-07-2マレーシア1990年07月07日1990年代マハティール首相,米軍のシンガポール基地機能使用は問題ないが,恒久的米軍基地の設置には反対と発言。
DIA-206-1990-07-08-1マレーシア1990年07月08日1990年代マハティール首相,サバ各党に対し反連邦感情を煽るなと重ねて警告。
DIA-206-1990-07-09-1マレーシア1990年07月09日1990年代ペラMCA青年部,黄俊傑党書記長に対し「林良実党首を信頼しないなら辞任せよ」と要求。
DIA-206-1990-07-09-2マレーシア1990年07月09日1990年代副警視総監,サバ州の連邦からの分離を目指す計画が発覚,国内治安法により4人目の容疑者を逮捕と発表。
DIA-206-1990-07-12-1マレーシア1990年07月12日1990年代ダイム蔵相,「野党はGSPの撤廃によって13万5000人を失業させて与党の評判を低下させようとしている」と発言。
DIA-206-1990-07-12-2マレーシア1990年07月12日1990年代サバ州警察長官,「国内治安法による3名の逮捕は選挙とは無関係である」と発言。
DIA-206-1990-07-12-3マレーシア1990年07月12日1990年代マハティール首相「連邦政府とクランタン王室の間には何の問題もないが,ある特定の人物が王室との結びつきを個人的な利益のために用いようとしている」と発言し,ラザレイ元蔵相を批判。
DIA-206-1990-07-13-1マレーシア1990年07月13日1990年代林亜礼MCA次席副党首,全ての華人コミュニティーはMCA指導者間の対立を望んでいないと語る。
DIA-206-1990-07-13-2マレーシア1990年07月13日1990年代キティンガン・サバ財団会長に対する汚職容疑の事情聴取,本人の健康不良のため延期。
DIA-206-1990-07-14-1マレーシア1990年07月14日1990年代マハティール首相,クリム工業団地で22工場の労働者約5000人と会見。「自分たちの利益だけのために労働争議を起こすな。高い生産性を通してのみ高い賃金を得ることができる」と発言。
DIA-206-1990-07-14-2マレーシア1990年07月14日1990年代マハティール首相,ベトナム難民の積極的受入れを求めたブッシュ米大統領の親書に対し,「マレーシアはベトナム難民救護のために十分な努力をしており,これ以上はできぬ」と反論。
DIA-206-1990-07-15-1マレーシア1990年07月15日1990年代マハティール首相,MCAの林良実党首,李金獅副党首に対し,党首選を避けるよう助言。
DIA-206-1990-07-16-1マレーシア1990年07月16日1990年代アブハッサン外相,米国に対してベトナム難民問題とGSP問題とを切り離すように要求。
DIA-206-1990-07-16-2マレーシア1990年07月16日1990年代KLSE総合指数史上最高値(630.52)を記録.
DIA-206-1990-07-16-3マレーシア1990年07月16日1990年代クリーヴランド駐マ米大使,ブッシュ大統領はGSP撤廃の動きに反対であると発言。
DIA-206-1990-07-16-4マレーシア1990年07月16日1990年代マレーシア華人商工会,MCAの党首争い調停開始。
DIA-206-1990-07-17-1マレーシア1990年07月17日1990年代サバ州議会選挙。与党PBSが48議席中36議席,USNOが12議席,他の5党と無所属は当選なし。
DIA-206-1990-07-17-2マレーシア1990年07月17日1990年代ラフィダ商工相,「貿易黒字の減少は新たに認可された工場が稼動するための生産財・中間財の輸出増によるもので心配にはあたらない」「政府も企業もGSPが永久に続くと思ってはいけない」と発言。
DIA-206-1990-07-17-3マレーシア1990年07月17日1990年代MCA中央委員会,林良実党首,李金獅副党首体制の継続を決定。
DIA-206-1990-07-18-1マレーシア1990年07月18日1990年代パイリン・サバ州首相,3期目の首相に就任。
DIA-206-1990-07-19-1マレーシア1990年07月19日1990年代黄俊傑MCA書記長辞任。
DIA-206-1990-07-19-2マレーシア1990年07月19日1990年代全国労使協議会,労働法を改正し官公労(Cuepacs)に多くの労組が加盟できるようにする方針を検討。
DIA-206-1990-07-19-3マレーシア1990年07月19日1990年代閣議,NEBによるガスタービン7基9.8億リンギ相当の購入を許可。急伸する電力需要に対応するため。
DIA-206-1990-07-20-1マレーシア1990年07月20日1990年代元上院議員らによる有識者グループは「選挙管理委員会の権威と自主性を守るため,第三者による選挙監視団の介入を認めるな」と政府に進言。
DIA-206-1990-07-20-2マレーシア1990年07月20日1990年代ガファール副首相「ラブアン島の連邦への帰属は議会による憲法修正によって決定された。サバ領に戻すとすれば同様の手続きを議会で行なわねばならぬ」と発言。
DIA-206-1990-07-21-1マレーシア1990年07月21日1990年代トレンガヌ州議会キジャル地区補欠選挙告示。8月1日投票。UMNO候補と「46年精神」候補による初の直接対決に。
DIA-206-1990-07-22-1マレーシア1990年07月22日1990年代林吉祥DAP書記長,「選挙監視団の受け入れを取りやめる理由はない」と発言。
DIA-206-1990-07-22-2マレーシア1990年07月22日1990年代モハメド情報相,「サバ州独自のラジオ・テレビ局の設立は許可しない」と語る。
DIA-206-1990-07-23-1マレーシア1990年07月23日1990年代ラブアン島を10月1日からインセンティブを具備した国際オフショア金融センター化することが決定。
DIA-206-1990-07-23-2マレーシア1990年07月23日1990年代クルプ・サバ州財政相,連邦政府に対しサバ独自のテレビ局創設の必要性を再考慮するよう要請。
DIA-206-1990-07-23-3マレーシア1990年07月23日1990年代商工次官を団長とする官民貿易使節団37名,ミャンマーに出発。
DIA-206-1990-07-24-1マレーシア1990年07月24日1990年代ムヒディン・ジョホール州首相,呉シンガポール副首相と会見し「シンガポールが現行の11億リットル/日以上の水供給を要求するなら,1962年の不公平な水供給条約の見直しが必要」と発言。
DIA-206-1990-07-25-1マレーシア1990年07月25日1990年代閣議,英連邦会議からの選挙監視団受け入れを最終的に決定。
DIA-206-1990-07-26-1マレーシア1990年07月26日1990年代国王,サバ訪問(~30日)。
DIA-206-1990-07-26-2マレーシア1990年07月26日1990年代ヴェル・エネルギー通信相「テレコム社の20億リンギまでの増資を許可。ただし1億リンギは従業員へ割り当てること」と発言。
DIA-206-1990-07-26-3マレーシア1990年07月26日1990年代プロトン販売会社(EON),KLSEに上場。
DIA-206-1990-07-27-1マレーシア1990年07月27日1990年代MCA青年部会・婦人部会総会。自由放任主義的経済政策要求などを決議。
DIA-206-1990-07-28-1マレーシア1990年07月28日1990年代MCA年次総会(~29日)。林良実党首,李金獅副党首を再選。
DIA-206-1990-07-28-2マレーシア1990年07月28日1990年代KLで第10回ASEAN警察長官会議。
DIA-206-1990-07-28-3マレーシア1990年07月28日1990年代マレーシア労働機梼(MLO),申請から13カ月ぶりに団体登録認可。
DIA-206-1990-07-29-1マレーシア1990年07月29日1990年代ジュニッド副内相,アルバニア,キューバ,北朝鮮への渡航禁止を解除と発表。
DIA-206-1990-07-29-2マレーシア1990年07月29日1990年代マラッカ州議会補選(クアラ・リンギ)。UMNO候補(5447票)が無所属候補(762票)を破って当選。
DIA-206-1990-07-29-3マレーシア1990年07月29日1990年代林亜礼人的資源相,「MTUCに替わりうる新たな労働組合連合組織としてMLOを全国労使協議会(NLAC)に加入許可することを検討中」と語る。
DIA-206-1990-07-31-1マレーシア1990年07月31日1990年代デヴィドMTUC書記長,林人的資源相によるMLOの全国労使協議会加盟示唆の動きは,労働運動の分裂をきたすものであると批判。MLOは政府によって支援されている疑いがあると指摘。
DIA-206-1990-08-01-1マレーシア1990年08月01日1990年代ヴェル・エネルギー相,電力公社の2万3800人の従業員に対し,民営化後の処遇についての選択状を8月15日に交付と発言。
DIA-206-1990-08-01-2マレーシア1990年08月01日1990年代雇用主連盟(MEF),政府に対し不法ストを取り締る権限を警察に与えるよう要望。不法ストは破壊的行為であり,投資家の信用を失わせるので。
DIA-206-1990-08-01-3マレーシア1990年08月01日1990年代トレンガヌ州議会補選(キジャル地区),UMNO候補Ahmad Shabery(3658票)が「46年精神」候補(1969票)を破り当選。
DIA-206-1990-08-01-4マレーシア1990年08月01日1990年代マハティール首相,マレーシアの首相として初のラテンアメリカ訪問(ベネズエラ)に出発(~5日)。
DIA-206-1990-08-02-1マレーシア1990年08月02日1990年代人的資源省高官,「MEFによる労働争議への警察介入要求はストに対する過剰反応であり,仮に労働者を即座に逮捕すれば生産に支障が出よう」と発言。
DIA-206-1990-08-02-2マレーシア1990年08月02日1990年代警察高官,「警察は現在でも一定の条件下でストに介入する権限を有している。より強い権限を与えるかどうかは政府が決めることである」と発言。
DIA-206-1990-08-02-3マレーシア1990年08月02日1990年代MEF幹部,MLOとMTUCの対立は雇用主と雇用者との関係に悪影響を及ぼしかねない,と懸念表明。
DIA-206-1990-08-02-4マレーシア1990年08月02日1990年代アヌワル教育相,新教育法案に対する各界の反応を探るための諮問委員会を召集すると発表。
DIA-206-1990-08-02-5マレーシア1990年08月02日1990年代外務省,イラクのクウェート侵攻に対し,即時撤退を要求。
DIA-206-1990-08-07-1マレーシア1990年08月07日1990年代政府,マレーシアの対イラク経済制裁決議賛成はイラクに対する敵対行動ではないと釈明。
DIA-206-1990-08-07-2マレーシア1990年08月07日1990年代ラフィダ商工相,製造業者に対しGSPにいつまでも依存していてはならぬと警告。
DIA-206-1990-08-08-1マレーシア1990年08月08日1990年代警視総監,投資家の苦情処理,問題解決のための特別部局の設置を発表。
DIA-206-1990-08-10-1マレーシア1990年08月10日1990年代重工業公社の3月期決算は前年比5倍の2億3660万リンギの税引前黒字,円債務は前年の445億円から121億円へ削減。91年3月の完済を目標とすると発表。
DIA-206-1990-08-11-1マレーシア1990年08月11日1990年代サバ財団汚職事件に関する審判は91年7月まで延期。コタキナバル高裁はキティンガン会長に対し,所得税未納金1660万リンギを支払うまで海外渡航禁止命令。
DIA-206-1990-08-14-1マレーシア1990年08月14日1990年代MCA書記長に陳祖排(ティン・チュー・ペ)が就任。
DIA-206-1990-08-15-1マレーシア1990年08月15日1990年代ラフィダ商工相,湾岸危機に便乗した値上げがないよう監視を強化と発言。
DIA-206-1990-08-15-2マレーシア1990年08月15日1990年代ガザリNECC議長,NECC第14回会合が9日から行なわれており,最終報告起草中と語る。
DIA-206-1990-08-15-3マレーシア1990年08月15日1990年代マハティール首相,非産油国の要請に応えて原油を日量1万バレル増産と発表。60.5万バレル/日に。
DIA-206-1990-08-15-4マレーシア1990年08月15日1990年代アラタス・マラヤ大学副学長まもなく辞任の意向。
DIA-206-1990-08-16-1マレーシア1990年08月16日1990年代サウジ特使,マレーシアからの軍派遣を要請。リタウディン国防相「状況を詳細に検討したうえで返答する」と発言。
DIA-206-1990-08-16-2マレーシア1990年08月16日1990年代米通商代表部,全米労働総連盟(AFL-CIO)による,マレーシアのGSP待遇撤廃の要求を却下。
DIA-206-1990-08-16-3マレーシア1990年08月16日1990年代マハティール首相,米生産者に対する補助金をピクル当たり10リンギから15リンギに引き上げと発表。
DIA-206-1990-08-16-4マレーシア1990年08月16日1990年代林亜礼人的資源相,公的機関の67労組は独自の労組連合を結成せずに官公労(Cuepacs)に参加せよと発言。
DIA-206-1990-08-17-1マレーシア1990年08月17日1990年代ヴェル・エネルギー相,政府が提示した選択肢を選ばない電力庁(NEB)の従業員はNEBの公社化(9月1日)に伴い自動的に退職となる,と発言。政府提示の選択肢は,(1)新電力公社(TEN)の提示する条件で公社員となる,(2)NEBと同等の条件でTEN社員となる,(3)退職,の三つ。NEB労組はこれまでの交渉の成果が無視されているとして不満を表明。
DIA-206-1990-08-17-2マレーシア1990年08月17日1990年代マハティール首相,米のGSP維持の決定によって数千人の雇用が維持されたと歓迎の意を表明。
DIA-206-1990-08-18-1マレーシア1990年08月18日1990年代教育省,68の教育団体,政党などに「教育法案諮問委員会」への招請状発送。
DIA-206-1990-08-19-1マレーシア1990年08月19日1990年代ガファール副首相,教育問題を政治的に利用することは種族対立を惹起することになる,と警告。
DIA-206-1990-08-20-1マレーシア1990年08月20日1990年代2万3000人のNEB従業員の公社化後の処遇についての選択状を交付。
DIA-206-1990-08-20-2マレーシア1990年08月20日1990年代商工省,中近東向けの輸出をしている会社に対し経済制裁による影響通告を指示。救済策も検討。
DIA-206-1990-08-20-3マレーシア1990年08月20日1990年代林亜礼人的資源相,MLO幹部と会見。MLOは全国労使協議会への協力を約束。
DIA-206-1990-08-21-1マレーシア1990年08月21日1990年代マハティール首相,わが国は多種族国家であり各種族が固有の言語,文化を保持する自由があると発言。
DIA-206-1990-08-21-2マレーシア1990年08月21日1990年代駐クウェート・マレーシア大使館スタッフ,バクダッドに退去。
DIA-206-1990-08-22-1マレーシア1990年08月22日1990年代マハティール首相「NECCは国民的合意の達成に失敗したので,政府はNECCの報告に期待していない」と発言。
DIA-206-1990-08-23-1マレーシア1990年08月23日1990年代国王,サラワク州公式訪問(~28日)。
DIA-206-1990-08-24-1マレーシア1990年08月24日1990年代クウェート石油相,クウェート首長特使としてKL着。
DIA-206-1990-08-24-2マレーシア1990年08月24日1990年代マハティール首相,MLOに対する労働者の支持が確かであることを実証できれば全国労使協議会への加入を認めると発言。
DIA-206-1990-08-24-3マレーシア1990年08月24日1990年代電力庁(NEB)幹部会,ヒルミ長官に対して不信任決議,公社化計画に当たって事前の協議の結果を尊重しなかったので。
DIA-206-1990-08-24-4マレーシア1990年08月24日1990年代マハティール首相,「メッカ・メディナが攻撃にさらされたらサウジアラビアに派兵するが,現状では国連軍として以外は派遣することはできない」と発言。
DIA-206-1990-08-25-1マレーシア1990年08月25日1990年代教育省,高校の教師は大卒以上でなければならないと決定されれば4万1000人の非大卒教師は再教育が必要となると発表。
DIA-206-1990-08-26-1マレーシア1990年08月26日1990年代マハティール首相「DAPや華人教育団体が教育法案諮問委員会をボイコットしても政府は新教育法案を推進する」と発言。
DIA-206-1990-08-26-2マレーシア1990年08月26日1990年代NEBの従業員のうち50%以上が選択状に回答,大半が新公社の社員として働きたいと希望。
DIA-206-1990-08-27-1マレーシア1990年08月27日1990年代アヌワル教育相,DAPと華人教育家が教育法案の話し合いに応じるよう期待表明。
DIA-206-1990-08-27-2マレーシア1990年08月27日1990年代KLSE,紛失取引証書は8月24日段階で5041件,約1000万リンギ相当まで縮小,これらは全て清算されたと発表。
DIA-206-1990-08-28-1マレーシア1990年08月28日1990年代マハティール首相,「労働者が賃金の引き上げばかりを求めるとインフレになってしまう」と警告。
DIA-206-1990-08-28-2マレーシア1990年08月28日1990年代パイリン・サバ州首相,サバは丸太禁輸を即時実行に移すつもりはなと言明。
DIA-206-1990-08-28-3マレーシア1990年08月28日1990年代NECCの5人の委員,「首相がNECCの意見をきくつもりがないならば脱退する」と辞任を表明。
DIA-206-1990-08-29-1マレーシア1990年08月29日1990年代招請を受けた84のうち78の教育関係機関,政党が新教育法案諮問委員会に参加表明。
DIA-206-1990-08-29-2マレーシア1990年08月29日1990年代PASもNECCからの脱退を表明。
DIA-206-1990-08-30-1マレーシア1990年08月30日1990年代モザンビーク外相,マハティール首相と会見。
DIA-206-1990-08-30-2マレーシア1990年08月30日1990年代空軍保有で未使用中であったスカイホーク35機のうち33機を3340万リンギで米国の民間会社に売却と発表。
DIA-206-1990-08-31-1マレーシア1990年08月31日1990年代独立33周年記念式典。
DIA-206-1990-08-31-2マレーシア1990年08月31日1990年代箱製造者連盟,プラスチック製造者連盟,MIDAに対しパッケージ製造に関する新規許可の制限と外資流入の制限を求める請願提出。
DIA-206-1990-09-01-1マレーシア1990年09月01日1990年代電力庁(NEB)本日付けで電力公社(TEN)へ移行。
DIA-206-1990-09-01-2マレーシア1990年09月01日1990年代チェラス周辺住民,チェラス料金所での通行料徴収に反対してデモ。
DIA-206-1990-09-01-3マレーシア1990年09月01日1990年代リタウディン国防相,空軍による英国製ホーク100,ホーク200の購入を決定と発言。
DIA-206-1990-09-02-1マレーシア1990年09月02日1990年代中銀,9月から信託基金は金融機関の子会社によって中銀の監督下で運営されると発表。
DIA-206-1990-09-03-1マレーシア1990年09月03日1990年代教育省,教育法案諮問委員会は非公開と発表。
DIA-206-1990-09-03-2マレーシア1990年09月03日1990年代中銀,信託基金に対する中銀の監督は既存の信託基金にも適用されると発表。
DIA-206-1990-09-04-1マレーシア1990年09月04日1990年代ムヒディン・ジョホール州首相,2週間前のシンガポール空軍ヘリコプターによる領空侵犯は敵対行為とは見なさないが懸念を表明,と語る。
DIA-206-1990-09-05-1マレーシア1990年09月05日1990年代中銀,新規制に準じた既存の信託基金の運営方式変更に6カ月の猶予を与えると発表。
DIA-206-1990-09-05-2マレーシア1990年09月05日1990年代マハティール首相,パキスタンとバングラデシュに供給するため石油増産と発表。
DIA-206-1990-09-06-1マレーシア1990年09月06日1990年代マハティール首相,国民戦線の次回総選挙での選挙区割当ては前回86年時の割当に準拠と発言。
DIA-206-1990-09-06-2マレーシア1990年09月06日1990年代電力公社(TEN),NEB時代の従業員2万3839人のうち1031人には無断欠勤などの理由で選択状を送らなかった。送付した2万2808人のうち2万2624人が返送,このうち2万2425人は新公社での就労を希望し,11人だけが公務員として残留を希望していると発表。
DIA-206-1990-09-06-3マレーシア1990年09月06日1990年代中銀,10日から基準貸出金利を0.5%引き上げ7.25%にすると発表。商業銀行の要望に応えたもの。
DIA-206-1990-09-07-1マレーシア1990年09月07日1990年代マハティール首相,国民に対し「インフレ心理」に陥ってインフレを加速化させるなと警告。
DIA-206-1990-09-07-2マレーシア1990年09月07日1990年代スランゴール水利局,水源地での水位低下が深刻化しているとして節水に協力を要請。
DIA-206-1990-09-07-3マレーシア1990年09月07日1990年代商工省,8月の非統製品目の価格は湾岸危機の影響を受けず安定していると発表。
DIA-206-1990-09-07-4マレーシア1990年09月07日1990年代サラワク州政府,伐採の大幅削減を求めるITTOの「サラワク報告」の勧告は十分に検討したうえで州として対応を決定すると発表。
DIA-206-1990-09-08-1マレーシア1990年09月08日1990年代マハティール首相,破産宣告を受けたり前科のある者は与党連合の立候補者にはなれないと発言。
DIA-206-1990-09-08-2マレーシア1990年09月08日1990年代林敬益第一次産業相,1日から20種の丸太に対して輸出税付課と発表。
DIA-206-1990-09-08-3マレーシア1990年09月08日1990年代チェラス料金所での通行料徴収に反対する集会で警察は4人を国内治安法により逮捕(2名はDAP党員)。スレイマン副総理府相,「チェラスの住民はDAPに煽動されている」と批判。マハティール首相,デモをやめて合法的な話し合いに応じるならば料金の徴収を再考する余地ありと発言。アレックス・リー副公共事業相,地域住民のための代替ルートを用意する可能性を示唆。
DIA-206-1990-09-09-1マレーシア1990年09月09日1990年代マハティール首相,チェラス料金所問題を種族問題にすりかえる動きに対して,政府は断固たる措置を取ると警告。ガファール副首相,通行料を値下げするかどうかは公共事業省が決定することであると発言。モハメド情報省,7日深夜のチェラス料金所での暴動はDAPが反政府宣伝のために煽動したものであると批判。チェラスの深夜デモ,警官に対する投石続く。警察はチェラスでの集会を禁ずると発表。
DIA-206-1990-09-09-2マレーシア1990年09月09日1990年代製造業者連盟,政府に対し人手不足に対処するため最低就業年齢を16歳から15歳に引き下げるよう要求。
DIA-206-1990-09-11-1マレーシア1990年09月11日1990年代アヌワル教育相,教育法案諮問委員会を主宰。メンバーに対して2週間後に要望書,意見書を提出するよう要請。
DIA-206-1990-09-11-2マレーシア1990年09月11日1990年代マハティール首相韓国訪問。盧大統領と会見。
DIA-206-1990-09-11-3マレーシア1990年09月11日1990年代林亜礼人的資源相,MLOの全国労使協議会への加入は政労使の3者協議の意義を高めるものであると発言。MTUCはMLOの加入に反対の立場を維持。
DIA-206-1990-09-11-4マレーシア1990年09月11日1990年代7日以降チェラスの通行料徴収反対運動で拘留された者のうち48名が釈放。国内治安法で逮捕されたDAPの3名は拘留継続。
DIA-206-1990-09-12-1マレーシア1990年09月12日1990年代閣議,チェラスでの通行料徴収中止を決定。
DIA-206-1990-09-13-1マレーシア1990年09月13日1990年代人的資源省政務次官,「ILOの人権条項の遵守」を通商協定の前提条件に含めようとする先進国の動きに対してASEAN諸国は一致して対抗すべきであると発言。
DIA-206-1990-09-13-2マレーシア1990年09月13日1990年代ガファール副首相,チェラス料金所の設置は住民に対する影響などの配慮に欠けていたと発言。
DIA-206-1990-09-14-1マレーシア1990年09月14日1990年代3日前に拿捕されたベトナム漁船から自動小銃などの武器押収。
DIA-206-1990-09-15-1マレーシア1990年09月15日1990年代商工省,食料品の標準小売価格リストを発表。湾岸危機での便乗値上げを警戒。
DIA-206-1990-09-17-1マレーシア1990年09月17日1990年代第8回ASEAN労働相会議(~18日)。労働条件と通商協定を結びつけようとする動きに反対する決議採択。
DIA-206-1990-09-17-2マレーシア1990年09月17日1990年代ニック・ディンKLSE会長,シンガポールの店頭市場でKLSE株の取引をすることは危険と警告。
DIA-206-1990-09-18-1マレーシア1990年09月18日1990年代ラフィダ商工相,600品目に対する輸入関税軽減を発表。
DIA-206-1990-09-18-2マレーシア1990年09月18日1990年代チェラス騒ぎで国内治安法によりで拘留されていた最後のDAP党員,釈放。
DIA-206-1990-09-24-1マレーシア1990年09月24日1990年代バンク・オブコマースとユナイテッド・アジア銀行合併。株式資金量国内5位に。
DIA-206-1990-09-24-2マレーシア1990年09月24日1990年代降雨が続いたためN・スンビランの給水制限を解除。
DIA-206-1990-09-24-3マレーシア1990年09月24日1990年代アヌワル教育相,10日からの国会に教育法案を上程しないと発言。準備期間が不十分なので。
DIA-206-1990-09-24-4マレーシア1990年09月24日1990年代国王,インドネシア訪問(~30日)。スハルト大統領と会見。
DIA-206-1990-09-24-5マレーシア1990年09月24日1990年代林敬益第一次産業相,サバ・サラワク両州が原木伐採の削減措置をとらなければ,マレーシアの木材産業は発展できないと発言。
DIA-206-1990-09-26-1マレーシア1990年09月26日1990年代閣議,KL市に対しチェラス通行料金の値下げを勧告。
DIA-206-1990-09-26-2マレーシア1990年09月26日1990年代上場企業連盟,KLSEに対し振替決済取引の導入は時期尚早であると提言。
DIA-206-1990-09-26-3マレーシア1990年09月26日1990年代林亜礼人的資源相,ハリス・アドバンストテクノロジー社幹部と会見。21人の労働者解雇に不満を表明。
DIA-206-1990-09-26-4マレーシア1990年09月26日1990年代テレコム社株式公開に当たり,従業員2万8000人に対して優先配分開始。
DIA-206-1990-09-27-1マレーシア1990年09月27日1990年代汚職調査局,サバ財団本部を強制調査。
DIA-206-1990-09-27-2マレーシア1990年09月27日1990年代マハティール首相,半島部の国民戦線各党党首と個別会談。
DIA-206-1990-09-28-1マレーシア1990年09月28日1990年代サバ財団の弁護人,汚職調査局の強制調査は法的手続きを欠いていると批判。
DIA-206-1990-09-28-2マレーシア1990年09月28日1990年代テレコム社,株式公開で優先配分を受けた従業員に対し値上げは確実なのであわてて転売するなと警告。
DIA-206-1990-09-29-1マレーシア1990年09月29日1990年代マハティール首相,クランタン州で遊説,反政府的な公務員がいると懸念を表明。
DIA-206-1990-10-01-1マレーシア1990年10月01日1990年代スズ生産国連合(ATPC),非加盟国ブラジルを含めた協調減産に合意。
DIA-206-1990-10-03-1マレーシア1990年10月03日1990年代ムスタファUSNO党首,「PBSが国民戦線の方針に従わず全ての選挙区に立候補をたてるなら,USNOも対抗上そうする」と発言。
DIA-206-1990-10-04-1マレーシア1990年10月04日1990年代マハティール首相,5日に下院解散と発表。
DIA-206-1990-10-05-1マレーシア1990年10月05日1990年代連邦下院,半島部11州の議会が解散。告示日10月11日,投票日10月20,21日と発表。下院議席はサラワクで3議席増え180に。
DIA-206-1990-10-05-2マレーシア1990年10月05日1990年代PLUS社,南北ハイウェイは93年に完通と発表。
DIA-206-1990-10-05-3マレーシア1990年10月05日1990年代パイリンPBS党首,「USNOに割当てられた選挙区に無所属候補を立てたりしない」と発言。
DIA-206-1990-10-05-4マレーシア1990年10月05日1990年代警察当局,選挙運動期間中もデモ禁止は継続と発表。
DIA-206-1990-10-06-1マレーシア1990年10月06日1990年代ラザレイ「46年精神」党首,マハティール首相とNew Straits Times紙を相手取り,誹謗記事を載せたとして訴訟。首相は「選挙民の判断に任せるべきであって法廷で争うことではない」と反論。
DIA-206-1990-10-06-2マレーシア1990年10月06日1990年代ムサ前UMNO副党首,今回の選挙には立候補せず政治から引退すると発表。
DIA-206-1990-10-08-1マレーシア1990年10月08日1990年代与党系の5紙は「PASのスブキ広報部長がPASの選挙綱領から『イスラム国家』を削除と発表」と報道。スブキ広報部長はこれを否定し各紙に対して訴訟に訴えると発言。
DIA-206-1990-10-09-1マレーシア1990年10月09日1990年代UMNO広報部長,「46年精神」のラザレイ党首によるDAP,PAS消滅発言の入った録音テープ1万本を全国の支部に配布と発表。
DIA-206-1990-10-09-2マレーシア1990年10月09日1990年代MIC候補者リスト発表。2人の現職副大臣は立候補せず。
DIA-206-1990-10-09-3マレーシア1990年10月09日1990年代PAS,情報省に対しラジオではなくテレビでの政見放送の機会を要求。
DIA-206-1990-10-10-1マレーシア1990年10月10日1990年代李シンガポール首相,3日間のサラワク訪問。
DIA-206-1990-10-10-2マレーシア1990年10月10日1990年代ラザレイ「46年精神」党首,DAP,PRM,AMIPF,MSPとの共闘による「ガガサン・ラヤット」(GR)野党連合の結成発表。統一選挙綱領を用いる。PASのファジル党首はPASはAPU野党連合を通じて「46年精神」と協力すると発言。
DIA-206-1990-10-11-1マレーシア1990年10月11日1990年代松下マレーシア,初の国産テレビを日本に出荷。
DIA-206-1990-10-11-2マレーシア1990年10月11日1990年代ガファール副首相,「『46年精神』主導の二つの野党連合(APU,GR)の成立は,野党が協調できないことの現われである」と発言。
DIA-206-1990-10-11-3マレーシア1990年10月11日1990年代選挙告示。1168人が立候補(前回は1239人)。
DIA-206-1990-10-12-1マレーシア1990年10月12日1990年代MTUC,「46年精神」による二つの野党連合(APU,GR)の支持を決定。
DIA-206-1990-10-12-2マレーシア1990年10月12日1990年代国民戦線,統一選挙綱領を発表。
DIA-206-1990-10-13-1マレーシア1990年10月13日1990年代コタキナバル高裁,汚職調査局に対しキティンガン・サバ財団会長にパスポートを返却するよう命令。
DIA-206-1990-10-13-2マレーシア1990年10月13日1990年代ラザレイ「46年精神」党首,16項目の野党選挙綱領を発表。「ガガサン・ラヤット」各党代表も同席。第3チャンネルのテレビ・スタッフは,第3チャンネルが公正に報道しないとの理由でラザレイによって録音を拒否される。
DIA-206-1990-10-14-1マレーシア1990年10月14日1990年代モハメド情報相,「ニュース報道はすべての政党に公平に行なわれている」と発言。
DIA-206-1990-10-15-1マレーシア1990年10月15日1990年代林亜礼人的資源相,ハリス・ソリッドステート社による21人の労働者解雇問題の仲裁を労働裁判所に付託するよう指示。
DIA-206-1990-10-15-2マレーシア1990年10月15日1990年代PAS,31項目の選挙綱領を発表。「イスラム国家」は明記せず。
DIA-206-1990-10-15-3マレーシア1990年10月15日1990年代パイリン・サバ州首相,PBSの国民戦線からの脱退を声明。「46年精神」との共闘を発表。マハティール首相,「PBSの行為は闇討ちのようなもの」と批判。
DIA-206-1990-10-16-1マレーシア1990年10月16日1990年代タイブ・サラワク州首相,PBSに対し国民戦線からの離脱を再考するよう要請。サラワクの国民戦線3党はマハティールへの支持を維持すると表明。
DIA-206-1990-10-16-2マレーシア1990年10月16日1990年代与党系New Straits Times紙,BMFスキャンダルに関するラザレイ前蔵相告発文書を掲載。
DIA-206-1990-10-17-1マレーシア1990年10月17日1990年代カシタ連邦土地・地域開発相,PBSの国民戦線離脱に反対してPBS次席副党首を辞任。
DIA-206-1990-10-17-2マレーシア1990年10月17日1990年代サラワク山中の北カリマンタン共産党,武装闘争終結に合意。
DIA-206-1990-10-18-1マレーシア1990年10月18日1990年代サラワク野党Permas党,「ガガサン・ラヤット」への加盟を正式発表。
DIA-206-1990-10-18-2マレーシア1990年10月18日1990年代マハティール首相「PBSは外国から資金援助を受けている」と発言。
DIA-206-1990-10-18-3マレーシア1990年10月18日1990年代ラザレイと林吉祥DAP書記長,サバ訪問。サバの九つの選挙区でのPBSとDAPの立候補者調整を試みるも合意できず。与党系New Straits Times紙,ラザレイがキリスト教であるカダザン族の頭飾りを付けている写真を掲載し,反イスラム的であると示唆。これに対しDAPの『ロケット』紙は,マハティール首相も同じ頭飾りをつけたことがあると写真入りで反論。
DIA-206-1990-10-19-1マレーシア1990年10月19日1990年代PASは17日付けの与党系『ウトゥサン・マレーシア』紙が「PASはUMNOとの協力のための会談を希望」という記事を掲載したのは「悪意の嘘」報道であるとして裁判に訴え。
DIA-206-1990-10-19-2マレーシア1990年10月19日1990年代ダイム蔵相,「BMFスキャンダルにラザレイが関与していたことが明らかになった以上,野党はこの件についての見解を明らかにせよ」と発言。
DIA-206-1990-10-19-3マレーシア1990年10月19日1990年代マハティール首相,「林蒼佑ペナン州首相は,彼のペナンに対するこれまでの貢献から無競争で当選すべきであり,彼の選挙区に立候補した林吉祥DAP書記長のやり方は卑劣である」と非難。
DIA-206-1990-10-19-4マレーシア1990年10月19日1990年代サバ・サラワクの一部選挙区で投票開始。
DIA-206-1990-10-19-5マレーシア1990年10月19日1990年代マハティール首相「サバ人はPBSによって反連邦感情を煽られている」と発言。
DIA-206-1990-10-20-1マレーシア1990年10月20日1990年代下院,半島部11州議会投票。投票率約70%。大きな事件はなく終了。
DIA-206-1990-10-21-1マレーシア1990年10月21日1990年代選挙結果判明。国民戦線が下院180議席中127議席の安定多数を獲得。マハティール勝利宣言。
DIA-206-1990-10-21-2マレーシア1990年10月21日1990年代クランタン州議会は野党連合「APU」が独占。
DIA-206-1990-10-21-3マレーシア1990年10月21日1990年代パイリン・サバ州首相,PBSの勝利はサバ人の支持の表われであると発言。
DIA-206-1990-10-23-1マレーシア1990年10月23日1990年代クランタン州新首相の記者会見から,与党系「ウトゥサン・ムラユ」新聞社締め出し。
DIA-206-1990-10-23-2マレーシア1990年10月23日1990年代マハティール首相,野党の投票防害で国民戦線は数議席損をしたと発言。
DIA-206-1990-10-23-3マレーシア1990年10月23日1990年代DAP,民政党に対しペナン州での連立政権樹立を呼びかけ。民政党はこれを拒否。
DIA-206-1990-10-24-1マレーシア1990年10月24日1990年代新ペナン州首相に民政党の許子根を選出。25日に就任。
DIA-206-1990-10-26-1マレーシア1990年10月26日1990年代第3次マハティール内閣発表(「参考資料」参照)。クランタン州からは上院議員を青年・スポーツ相に任命。MICに割り当てられていた副大臣ポスト二つは空席のまま。商工省を通商産業省と国内商業・消費問題省に分割。
DIA-206-1990-10-28-1マレーシア1990年10月28日1990年代マハティール首相,米議会がマレーシアのベトナム難民受け入れ拒否を理由に100万米ドルの対マ軍事訓練グラントの停止を決定したことに対し不満の意を表明。
DIA-206-1990-10-28-2マレーシア1990年10月28日1990年代クランタン州政府,コタバル市評議会代表と州内全11地区評議会代表(すべてUMNO議員だった)を解任。
DIA-206-1990-10-28-3マレーシア1990年10月28日1990年代国王,ブルネイを訪問。
DIA-206-1990-10-28-4マレーシア1990年10月28日1990年代パイリン・サバ州首相,サバは禁輸による損失を連邦政府が補てんしない限り原木輸出を禁止しないと言明。
DIA-206-1990-10-29-1マレーシア1990年10月29日1990年代いくつかのUMNO支部は「王室の政治介入」問題を,来月の党大会で討議すべきであると提案。
DIA-206-1990-10-31-1マレーシア1990年10月31日1990年代ワシントン地裁,米労働団体によるマレーシアGSP待遇取りやめ訴訟の上告を棄却。
DIA-206-1990-11-01-1マレーシア1990年11月01日1990年代南アフリカのマンデラ氏訪マ(~4日),マハティール首相と会見。政府は3日,アフリカ国民会議に500万米ドルの資金援助を決定。
DIA-206-1990-11-01-2マレーシア1990年11月01日1990年代クランタン州政府,前政権下で任命された2人の州選出上院議員は解任せず任期を満了させると発表。
DIA-206-1990-11-01-3マレーシア1990年11月01日1990年代ダイム蔵相,91年予算案の国会提出は12月14日と発表。
DIA-206-1990-11-01-4マレーシア1990年11月01日1990年代陳祖排住宅・地方政府相,クランタン,サバへの開発資金供与は従来どおりであると発言。
DIA-206-1990-11-02-1マレーシア1990年11月02日1990年代PAS,「46年精神」のクランタン州副首相ポストをめぐる話し合い難航。
DIA-206-1990-11-03-1マレーシア1990年11月03日1990年代林良実MCA党首,パイリン・サバ州首相の半島部出身政党の排除方針は「自己中心的」であると批判。
DIA-206-1990-11-03-2マレーシア1990年11月03日1990年代クランタン州首相,州副首相に「46年精神」,PASから1名ずつを選出。
DIA-206-1990-11-03-3マレーシア1990年11月03日1990年代北カリマンタン共産党,内陸部の陣地から下山。
DIA-206-1990-11-06-1マレーシア1990年11月06日1990年代MTUC,CuepassによるMLOの全国労使協議会加入支持決議を非難。公的機関労働者の扱いに関する労働法修正の動きも批判。
DIA-206-1990-11-07-1マレーシア1990年11月07日1990年代サバのAkar党,国民戦線への加盟申請提出。
DIA-206-1990-11-07-2マレーシア1990年11月07日1990年代第152回統治者会議(各州国王,知事による)(~8日)。
DIA-206-1990-11-07-3マレーシア1990年11月07日1990年代Berjaya党最高評議会,党の解散を決定。
DIA-206-1990-11-07-4マレーシア1990年11月07日1990年代テレコム社,KLSE上場。約3000万リンギの取引。
DIA-206-1990-11-07-5マレーシア1990年11月07日1990年代土地・協同開発省,外国人による農地買収を制限する法律を検討中。
DIA-206-1990-11-09-1マレーシア1990年11月09日1990年代政府はマレー人商工会議所に2500万リンギ相当のテレコム社株式を配分。
DIA-206-1990-11-09-2マレーシア1990年11月09日1990年代ムハマド新海軍司令官,「海軍はサバとサラワクに基地を必要としている」と発言。
DIA-206-1990-11-09-3マレーシア1990年11月09日1990年代マハティール首相,州首相会議を主宰。「サバ,クランタン両州首相は国民戦練のメンバーでないので招待せず。両州民の利益はサカラン土地・臨同組合相,アヌワル・ムサ青年スポーツ相によってそれぞれ代弁される」と発言。
DIA-206-1990-11-12-1マレーシア1990年11月12日1990年代マハティール首相,日本に私的訪問(~21日)。
DIA-206-1990-11-13-1マレーシア1990年11月13日1990年代国王,日本で天皇と会見。(9~20日訪日)
DIA-206-1990-11-14-1マレーシア1990年11月14日1990年代マリ外相訪マ。アブハッサン外相,マリの旱ばつ被害に救援物資を送ると発言。
DIA-206-1990-11-14-2マレーシア1990年11月14日1990年代DAP,クランタン州に連邦政府の代理人を設置する措置は不当であると批判。
DIA-206-1990-11-14-3マレーシア1990年11月14日1990年代ガファール副首相,上級官僚(Aクラス)はUMNO総会に出席してはならないと発言。公務員の政治的中立を維持するため。
DIA-206-1990-11-15-1マレーシア1990年11月15日1990年代ラザレイ「46年精神」党首,「当面の間下院における野党代表のポストはDAPの林吉祥書記長に維持してもらう」と発言。
DIA-206-1990-11-16-1マレーシア1990年11月16日1990年代日本石油,サラワク沖で油田発見。
DIA-206-1990-11-16-2マレーシア1990年11月16日1990年代ガファール副首相,今月のUMNO党大会での役員選挙は87年の時のような党の分裂に至る心配はないと発言。王室の政治介入に関する議論も総会で行なわれようと発言。
DIA-206-1990-11-17-1マレーシア1990年11月17日1990年代ダイム蔵相,連邦政府はクランタン州への資金配分を停止しないが,どのようなルートで資金を供給するかは未定であると発言。
DIA-206-1990-11-17-2マレーシア1990年11月17日1990年代ガファール副首相,UMNO党大会での次席副党首(定員3)選挙は,将来のUMNOの党首,副党首を決める上でも重要であると発言。
DIA-206-1990-11-19-1マレーシア1990年11月19日1990年代パイリン・サバ州首相「サバの連邦事務官のサムスディン氏が自分に代わって州治安委員長に任命された」「治安維持は連邦政府の専管事項であり,自分は決定に従うのみ」と発言。
DIA-206-1990-11-19-2マレーシア1990年11月19日1990年代警視総監,「国王の権限と憲法上の役割についての議論は,十分な根拠に基いて慎重に行なうべきである」と警告。
DIA-206-1990-11-21-1マレーシア1990年11月21日1990年代ラフィダ通産相,90年のGDP成長率は2桁に達しようと発言。
DIA-206-1990-11-23-1マレーシア1990年11月23日1990年代ラザレイ「46年精神」党首,クランタン住民に対し「連邦政府が肥料援助を打ち切っても忍耐せよ。暴動を起こせば非常事態宣言の言い訳になる」と警告。
DIA-206-1990-11-23-2マレーシア1990年11月23日1990年代ダイム蔵相,銀行に対し不動産部門への貸しすぎは供給過剰による不動産不況を招くと警告。
DIA-206-1990-11-24-1マレーシア1990年11月24日1990年代マラ・フィジー首相訪マ(~29日)。
DIA-206-1990-11-24-2マレーシア1990年11月24日1990年代李シンガポール首相,呉次期首相を伴って訪マ。マハティール首相と会見し,ジョホールからシンガポールへの水,ガス供給合意更新に調印。シンガポールはダム建設補償金として3.2億リンギの支払い。
DIA-206-1990-11-24-3マレーシア1990年11月24日1990年代クランタン州,全ての賭博行為を禁止と発表。
DIA-206-1990-11-27-1マレーシア1990年11月27日1990年代政府,クランタン沖の石油開発権はペトロナスにあり,クランタン州政府には石油を生産する権利はないと言明。
DIA-206-1990-11-27-2マレーシア1990年11月27日1990年代ニックアジズ・クランタン州首相,連邦政府によって州治安委員長,州行動評議会長職を免ぜられたと発表。
DIA-206-1990-11-28-1マレーシア1990年11月28日1990年代閣議,国連安保理での対イラク武力行使容認決議に賛成の方針を決定。
DIA-206-1990-11-29-1マレーシア1990年11月29日1990年代UMNO婦人部,青年部総会,「国王,スルタンが憲法上の権限を超えて政治に介入しないよう」要求する決議採択。ナジブUMNO青年部長,「敏感問題」に関する議論を禁じた1948年騒乱法の見直しを提言。
DIA-206-1990-11-29-2マレーシア1990年11月29日1990年代クランタン州政府,州内公企業の幹部人事を発表。
DIA-206-1990-11-30-1マレーシア1990年11月30日1990年代マハティール首相,イラクに対して期限前撤退を呼びかける声明。
DIA-206-1990-11-30-2マレーシア1990年11月30日1990年代UMNO年次総会開催。次席副党首にアヌワル教育相,アブドゥラ元国防相を再任,サヌシ農業相を新任。
DIA-206-1990-12-01-1マレーシア1990年12月01日1990年代UMNO党大会,国王および各州元首に対し連邦,州政府機構が特定政党の政治目的に用いられぬよう要請。
DIA-206-1990-12-02-1マレーシア1990年12月02日1990年代マハティール首相,「王室と憲法に関するUMNO党大会における議論は,立憲君主制の変更を目指すものではなく,現制度の維持を目指すものである」と釈明。
DIA-206-1990-12-03-1マレーシア1990年12月03日1990年代キティンガン・サバ財団会長に対する公判は5月20日に延期。
DIA-206-1990-12-04-1マレーシア1990年12月04日1990年代国王,第8国会を開会。
DIA-206-1990-12-04-2マレーシア1990年12月04日1990年代ガファール副首相,サバ州議会補選でUMNO候補応援のためサバ入り。Akar党の国民戦線加盟承諾を発表。
DIA-206-1990-12-05-1マレーシア1990年12月05日1990年代タイ,マレーシア,国境の通行可能時間帯の延長に合意。
DIA-206-1990-12-05-2マレーシア1990年12月05日1990年代マハティール首相,91年以降の経済政策はNECCの答申によらず,政府が独自に作成すると発言。
DIA-206-1990-12-05-3マレーシア1990年12月05日1990年代下院副議長に翁詩傑,次席副議長にジュハール・マヒルディンを選出。
DIA-206-1990-12-06-1マレーシア1990年12月06日1990年代全国労使協議会,MTUCの要請でMLO加入決定を延期。
DIA-206-1990-12-06-2マレーシア1990年12月06日1990年代トゥンク・アブドルラーマン初代首相死去。87歳。政府は国葬を決定。7日は役所・学校服喪休日。
DIA-206-1990-12-06-3マレーシア1990年12月06日1990年代モギー公共事業相,第5次5カ年計画で予定されたプロジェクトのうち87.81%は完成と発表。
DIA-206-1990-12-08-1マレーシア1990年12月08日1990年代サバ州議会補選。シピタン選挙区ではPBSのジャミーラ・スレイマン(3436票)が国民戦線(USNO)候補(3233票)を破って当選。スラバヤン選挙区では国民戦線(USNO)のナシル・サカラン(5118票)がPBS候補(4264票)を破って当選。
DIA-206-1990-12-08-2マレーシア1990年12月08日1990年代クランタン州スルタン,連邦政府に対してクランタンへの財政援助を続けるよう要請。
DIA-206-1990-12-09-1マレーシア1990年12月09日1990年代MTUC総会,ザイナル・ランパク議長とV・デヴィド書記長を再任。
DIA-206-1990-12-10-1マレーシア1990年12月10日1990年代ナジブ国防相,英社と10機のホーク100戦闘機,18機のホーク200戦闘機購入契約に調印。
DIA-206-1990-12-11-1マレーシア1990年12月11日1990年代李鵬中国首相訪マ。マハティール首相と会見。李鵬中国首相「中国は東南アジアの華人を自国の利益のために利用することはない」と言明。マレーシアとの第3国を介さぬ直接交易の拡大に期待表明。
DIA-206-1990-12-11-2マレーシア1990年12月11日1990年代マハティール首相「アジア太平洋諸国は西側の経済ブロック化に対抗して独自の通商ブロック化を検討すべきである」と発言。
DIA-206-1990-12-11-3マレーシア1990年12月11日1990年代英連邦会議による選挙監視団,政府に報告書を提出。「公正で自由」に行なわれたと報告。
DIA-206-1990-12-11-4マレーシア1990年12月11日1990年代クランタン州政府,全ての州預金をイスラム銀行に移すと発表。
DIA-206-1990-12-11-5マレーシア1990年12月11日1990年代大蔵省,民間コンソーシアムにKLオプション・先物取引所(KLOFFE)の設立を認可。
DIA-206-1990-12-12-1マレーシア1990年12月12日1990年代アブドルガニ副藏相,連邦政府は憲法の規定により,各州に補助金を提供する義務があると発言。
DIA-206-1990-12-13-1マレーシア1990年12月13日1990年代郭洙鎮副公共事業相,シンガポールとの第2架橋建設に関わる予備調査は無競争でUEM社に与えられたと発言。
DIA-206-1990-12-13-2マレーシア1990年12月13日1990年代サラワクの4人の無所属下院議員,国民戦線構成党であるPBDSに入党と発表。
DIA-206-1990-12-13-3マレーシア1990年12月13日1990年代ガファール副首相,連邦政府の東海岸開発の努力はクランタン州政府の女子夜間就業禁止方針によって阻害されようと発言。
DIA-206-1990-12-14-1マレーシア1990年12月14日1990年代1991年予算発表。所得税減税。酒税・タバコ税引上げ。財政赤字40億リンギを計上。再投資優遇措置の適用拡大,5年間の延長。経済開発予算は前年比35%減。
DIA-206-1990-12-15-1マレーシア1990年12月15日1990年代ダイム蔵相,年末までに最低払込資本金要件を満たせないブローカーは取引免許を停止すると発言。
DIA-206-1990-12-16-1マレーシア1990年12月16日1990年代ラフィダ通産相,「アジア通商ブロック構想」に対してアセアン各国に理解を求めると発言。
DIA-206-1990-12-17-1マレーシア1990年12月17日1990年代サイド・ハミッド総理府相,タイ・マ国境沖の石油共同開発は国境調整のために遅れていると発表。
DIA-206-1990-12-17-2マレーシア1990年12月17日1990年代国王,タイ公式訪問。
DIA-206-1990-12-19-1マレーシア1990年12月19日1990年代マハティール首相,私的訪英,メージャー首相と会見。(~22日)
DIA-206-1990-12-20-1マレーシア1990年12月20日1990年代ムスタファ高速道路公団総裁,南北ハイウェイの完成は93年6月ではなく94年初頭になろうと発言。
DIA-206-1990-12-20-2マレーシア1990年12月20日1990年代サバ,サラワク両州は91年から原木輸出をそれぞれ200万立方メートルずつ削減すると発表。
DIA-206-1990-12-21-1マレーシア1990年12月21日1990年代サバ州副首相Yong Teck Leeら警察命令無視の罪状で起訴される。
DIA-206-1990-12-21-2マレーシア1990年12月21日1990年代スズ価格86年10月以来の15リンギ/kg割れ(14.91リンギ)。
DIA-206-1990-12-21-3マレーシア1990年12月21日1990年代マハティール首相,「立憲君主制の廃止を要求しない限り君主制についての批判を行なうことは自由であり,騒乱法の改正は必要ない」と語る。
DIA-206-1990-12-26-1マレーシア1990年12月26日1990年代国王,モハマド・サイド・クルアクをサバ州知事に再任する勅書を手交。
DIA-206-1990-12-26-2マレーシア1990年12月26日1990年代教育省によるサバ州への配転命令を拒否している26人の数員のうち11人は配転に同意との報道。
DIA-206-1990-12-27-1マレーシア1990年12月27日1990年代教育省,中東にいる留学生に対し帰国勧告。
DIA-206-1990-12-27-2マレーシア1990年12月27日1990年代国内商業省,タイヤ業界に対し輸入税の軽減に応じた値下げを2週間以内に行なうよう指令。28日に化粧品,衛生用品輸入業者に10日以内の値下げ,29日に家具,菓子輸入業者に対しても値下げを要請。
DIA-206-1990-12-27-3マレーシア1990年12月27日1990年代クランタン州政府はサバへの配転拒否の26人の教師に対して州内での適当な職を与えるとの報道。教育省は,配転は政治的な動機でなされたものではないと弁明。
DIA-206-1990-12-27-4マレーシア1990年12月27日1990年代サバルデイン観光相,「1991マレーシア観光年」事業は成功であったと発言。11月までに650万人の観光客が訪れ,38億リンギの外貨収入をもたらした。
DIA-206-1990-12-28-1マレーシア1990年12月28日1990年代アヌワル教育相,配転を拒否する教員は懲罰の対象となると警告。
DIA-206-1990-12-30-1マレーシア1990年12月30日1990年代パイリン・サバ州首相,配転を拒否している教員に対し「サバでの就業条件は悪くないJと発言。
DIA-206-1990-12-30-2マレーシア1990年12月30日1990年代教育省,25人のうち11人に教員に対する配転命令を取り消し。
DIA-206-1991-01-01-1マレーシア1991年01月01日1990年代クランタン州コタ・バル市議会が,あらゆる賭博の営業を禁止。2日にはムスリムを顧客とする市内のコヒー・ショップに酒類の販売禁止を通達。9日,同市議会は,条件付きで酒類販売を認可と修正。
DIA-206-1991-01-01-2マレーシア1991年01月01日1990年代PNB社,国家投資信託(ASN)の寄付き売値を1口1.08リンギに設定。ASN売値は湾岸開戦直前の15日までに1.03リンギに落ちたが,開戦後1月末までは1.04リンギの水準に安定。
DIA-206-1991-01-01-3マレーシア1991年01月01日1990年代棒鋼輸入禁止を3月まで暫定的に解除と決定。
DIA-206-1991-01-03-1マレーシア1991年01月03日1990年代Dr.Maximus Ongkili(サバ州開発研究所副所長兼州首相報道顧問),国内治安法により拘留さる。
DIA-206-1991-01-03-2マレーシア1991年01月03日1990年代馬宝山シンガポール商工担当国務相,ウルグアイ・ラウンドが失敗してもシンガポールはマレーシア提案の貿易ブロックに進んで参加するわけではない,と発言。
DIA-206-1991-01-04-1マレーシア1991年01月04日1990年代三洋電機,独自の地域開発貢献策「三つのダイヤモンド構想」をマ政府に提案中と発表。
DIA-206-1991-01-05-1マレーシア1991年01月05日1990年代パイリン・サバ州首相,汚職容疑(1200万リンギ相当の州政府事業契約2件と2000㌶の森林伐採権付与に関わる)で起訴され,同日保釈金150万リンギで保釈となった。同州首相は州民に平静を保つよう要請。
DIA-206-1991-01-05-2マレーシア1991年01月05日1990年代サバ州都沖合いの海賊行為で外国人12人を逮捕。
DIA-206-1991-01-05-3マレーシア1991年01月05日1990年代民主行動党(DAP),党大会開催(2日間)。冒頭,林吉祥書記長は,このほど人民戦線(Gagasan Rakyat)の党規約起草のため委員会が設置されたと報告。大会は新人2人を含む中央執行委員20人を選出。
DIA-206-1991-01-05-4マレーシア1991年01月05日1990年代首相,ランカウィ島総合開発基本計画(1990~2005年)発表。また同島の自由貿易港の地位を見直すと声明。
DIA-206-1991-01-05-5マレーシア1991年01月05日1990年代ラフィダー通産相,シンガポール訪問。ゴー首相,李商工相,黄外相と会談。7日,(1)シンガポールは東アジア経済グループ(EAEG)設立を支持,(2)EAEGはGATTの原則の中で機能し,不必要な貿易障壁の創設を避ける,と述べた。
DIA-206-1991-01-06-1マレーシア1991年01月06日1990年代首相,ダイム蔵相の留任を説得の意向と談話。
DIA-206-1991-01-07-1マレーシア1991年01月07日1990年代ラフィダー通産相,インドネシア訪問。スハルト大統領と会談。9日,インドネシア側はEAEG案を来月のASEAN高級事務レベル会議で徹底的に検討することに同意した,と述べた。
DIA-206-1991-01-07-2マレーシア1991年01月07日1990年代政府,湾岸地域に在留の国民に対し1月15日以前に帰国するよう勧告。サウジアラビアに約1000人,その他の湾岸地域に約700人の労働者,学生,主婦が在留。
DIA-206-1991-01-08-1マレーシア1991年01月08日1990年代サブメイ・パプア・ニューギニア国防相,来訪。10日,両国軍の要員,情報,技術の交流と施設の使用に関する覚書に調印。
DIA-206-1991-01-08-2マレーシア1991年01月08日1990年代Petronas筋によれば,昨年8月の湾岸危機発生以来,バングラデシュ,インド,パキスタン,フィリピン,スリランカ,タイに計410万バレルの原油追加供給を約束し,韓国,セーシェルと原油・石油製品追加供給を交渉中。
DIA-206-1991-01-08-3マレーシア1991年01月08日1990年代PASのファズィル党首など,バグダードのイスラム関係国際会議出席のため出発。
DIA-206-1991-01-09-1マレーシア1991年01月09日1990年代ヴェルMIC党首,スブラマニアム前副党首と会談。10日,両者の和解を発表。
DIA-206-1991-01-09-2マレーシア1991年01月09日1990年代KL証券取引所会長によれば,株式仲買会社払込資本金の下限引上げ規制について,1990年末までの期限を遵守したのは全48社中19社であり,資本再編成・増資計画を出したものの技術的要件を満たせなかった26社と,計画未提出3社について処分を検討中。
DIA-206-1991-01-09-3マレーシア1991年01月09日1990年代ファズィル副外相,台湾の外国人労働法の3月1日付発効にともない,約1万6700人のマレーシア人不法就労者が2月末までに帰国を命じられている,と下院で答弁。16日,MCAは,少なくとも40%は航空便予約が満杯などの理由で期限内の出国が不可能との見方を表明。
DIA-206-1991-01-11-1マレーシア1991年01月11日1990年代マラッカ州のほぼ全域で断水。折りからの干天で1月3日より時間給水が行なわれていたが,Durian Tunggal貯水池が「突然」干上がり,給水量が通常の1億5750万㍑から4800万㍑(15日には3600万㍑)に急減したため,州内全域で断水箇所が続出した。州政府は14日ヌグリ・スンビラン,ジョホール両州からの緊急送水を手配し,原因究明に乗りだし,連邦政府も15日ガファール副首相を視察に派遣,16日に800万リンギの緊急交付金を,30日にはマラッカ河沿い貯水施設建設のため2500万リンギの融資を決定。給水量は27日には9570万㍑にやや回復したが,その後は2月いっパい4000万~6000万㍑台に低迷。
DIA-206-1991-01-11-2マレーシア1991年01月11日1990年代シンガポールのゴー首相来訪。マハティール首相との会談で,EAEG提案支持を確認。他方,マハティール首相は成長の三角地帯構想に全面的支持を表明,またタイがこのほど南タイで成長の三角地帯構想を2,3年内に実施するよう提案してきたことを伝達。
DIA-206-1991-01-11-3マレーシア1991年01月11日1990年代マ外務省筋,海部首相の来訪は延期と明かす。
DIA-206-1991-01-13-1マレーシア1991年01月13日1990年代ダイム蔵相,1984年の蔵相就任時に,経済が正常に復し,かつ,有能な後継者がいれば,辞任することで首相と合意していた,と談話。15日に首相と会談。
DIA-206-1991-01-13-2マレーシア1991年01月13日1990年代チェコスロバキアのカルファ首相,公式訪問。
DIA-206-1991-01-15-1マレーシア1991年01月15日1990年代クランタン州政府,ムスリム女子従業員に6カ月以内にイスラムにしたがって服装を改めさせるよう,州内の民間企業経営者に勧告。また,州政府女性職員の出産休暇を現行の42日間から2カ月に延長した。17日には,コーラン朗唱コンテストヘの女性の参加禁止が確認された(その他の公の場での発言は禁じられない)。
DIA-206-1991-01-16-1マレーシア1991年01月16日1990年代製造業外資に対する資本参加比率等に関わる優遇措置を本年末まで1年間延長,と発表。
DIA-206-1991-01-16-2マレーシア1991年01月16日1990年代アーチット・タイ外相来訪。ハッサン外相との会談で2万バレル/日の原油追加供給を要請。EAEG提案については検討してから支持如何を決定,と談話。
DIA-206-1991-01-17-1マレーシア1991年01月17日1990年代湾岸で開戦。ハッサン外相は,「平和的解決追求の努力を継続し,戦争を終結させるよう国連安保理事会に要請する」と声明。KL証券取引所の総合指数引け値は487.3となり昨年10月22日以来の大幅上昇を記録。
DIA-206-1991-01-17-2マレーシア1991年01月17日1990年代サバ財団持株会社幹部1人を国内治安法で拘留。
DIA-206-1991-01-17-3マレーシア1991年01月17日1990年代Petronas社,バンク・ブミプトラの株式100%を大蔵省に売却。銀行筋によれば売値は10億リンギ以上。
DIA-206-1991-01-18-1マレーシア1991年01月18日1990年代ハッサン外相は下院答弁で,メッカとメディナの無防備都市宣言をOICに提案するとの意向を表明し,イラクのクウェート侵略は聖戦とは見なしがたく,マレーシアの国連安保理決議678号支持はイスラムの教えに反するものではないと主張。
DIA-206-1991-01-18-2マレーシア1991年01月18日1990年代Pas下院議員,政府に湾岸の停戦・和平への措置を要請する緊急動議を提出,下院はこれを否決。
DIA-206-1991-01-18-3マレーシア1991年01月18日1990年代警察,米,英,仏,サウジの4カ国の大使館の警備を強化,反戦デモを禁止。19日,ムルデカ広場での停戦要求座り込みを排除。また林良実運輸相は半島部3国際空港が警戒体制に入っていることを確認。
DIA-206-1991-01-19-1マレーシア1991年01月19日1990年代Pas,イラクヘの民間志願者派遣の運動開始。
DIA-206-1991-01-20-1マレーシア1991年01月20日1990年代Hj.Abdul Halimクランタン州副首相は,連邦政府分の肥料補助停止のため,1990/91穀物年度に州の米は40%の減産を余儀なくされよう,との見通しを発表。
DIA-206-1991-01-20-2マレーシア1991年01月20日1990年代ラフィダー通産相フィリピン訪問。21日,「アキノ大統領はEAEG提案に非常に前向き」と談話。
DIA-206-1991-01-20-3マレーシア1991年01月20日1990年代マ・製造業者連盟の調査によれば,(1)半島部西岸のほとんどの工場が労働者不足に直面している,(2)他方,シンガポールだけで約16万人のマレーシア人が就労。
DIA-206-1991-01-21-1マレーシア1991年01月21日1990年代内閣改造,発表。副農相にスブラマニアム,副人的資源相にマハリンガムを任命(1月24日就任),同時にスブラマニアムは上院議員に任命された。
DIA-206-1991-01-22-1マレーシア1991年01月22日1990年代UMNOの委員会とUSNO指導者5人が会談,サバ州へのUMNO進出の日程で合意。23日,マハティール総裁は,「党はオラン・アスリとタイ血統のマレーシア国民を受け入れている以上,サバ州の非ムスリムも党員として受け入れることができよう」との見解を発表。同時に,最近サバ州でコーランの複写に州内のキリスト教徒は抑圧されているというメッセージを書き加えた文書が配布され,緊張を煽っていると指摘。24日,ガファール副総裁は,同州の人民正義戦線(Akar)や自由民主党(LDP)に国民戦線加入を促す談話を発表。
DIA-206-1991-01-22-2マレーシア1991年01月22日1990年代New Straits Times紙,国内石油各社は今後2,3カ月の製品供給体制を確保と報道。
DIA-206-1991-01-22-3マレーシア1991年01月22日1990年代46年精神党のクランタン州内2支部で役員5人がこのほど党の役職を辞任。
DIA-206-1991-01-23-1マレーシア1991年01月23日1990年代マハティール首相,暫定措置として公務員賃金を本年1月1日に遡り5%引き上げ,と発表。
DIA-206-1991-01-23-2マレーシア1991年01月23日1990年代首相,(1)イラクのクウェートからの撤退は望むが,イラクをでたらめに破壌することには反対,(2)イラクの撤退とパレスチナ問題は別の問題,と談話。
DIA-206-1991-01-23-3マレーシア1991年01月23日1990年代メガット・ジュニッド副内相の下院答弁によれば,国内治安法による拘留者は142人。うち共産党関係117人,宗教上の過激派5人,公文書偽造8人,スパイ・政府機密の漏洩7人,サバ分離の企て4人,モスク放火1人。
DIA-206-1991-01-23-4マレーシア1991年01月23日1990年代郵政局の民営化を閣議決定。第1段階として今後8カ月以内に法人化する。
DIA-206-1991-01-24-1マレーシア1991年01月24日1990年代ラフィダー通産相はEAEG提案について,(1)3月に予定のASEAN経済,外務担当高級事務レベル会議で検討し技術的問題が解決されれば,ASEAN首脳会談で討議するとの日程で合意している,(2)当初はASEAN加盟国で構成し,その後ASEANの隣国とインドシナ諸国が含まれることになろう,(3)マ国内で会った日本政府当局者の反応は前向きであった,と述べた。
DIA-206-1991-01-25-1マレーシア1991年01月25日1990年代中央銀行,商業銀行の基準貸出金利(BLR)を自由化と発表。ただしBLRと実際の貸出金利とのマージン規制,優先分野貸出金上限規制は継続。
DIA-206-1991-01-25-2マレーシア1991年01月25日1990年代KLの米国航空会社支店近くで時限爆弾発見(警察が除去)。
DIA-206-1991-01-26-1マレーシア1991年01月26日1990年代サラワク国民党(SNAP)党大会(3年に1度),開催。27日の党首選挙で現職の黄金明を再選。
DIA-206-1991-01-26-2マレーシア1991年01月26日1990年代ハッサン外相,「マレーシアは,戦争がその急速なエスカレーションにより国連安保理678号決議の元来の目的を超えることに困惑している」と声明。
DIA-206-1991-01-26-3マレーシア1991年01月26日1990年代ダイム蔵相,(1)マレーシア経済は短期的には湾岸戦争のショックを吸収できるが,世界経済への悪影響がタイムラグをおいて波及しよう,(2)戦争が終結すれば,世界経済は上向きに転じよう,との見通しを明かす。
DIA-206-1991-01-27-1マレーシア1991年01月27日1990年代カリル州首相以下60人のパハン州経済使節団,シンガポールを訪問。シンガポール・パハン・ビジネス協力合同委員会(仮称)設置などに合意,対シンガポール給水問題等につきゴー首相と話し合った。
DIA-206-1991-01-28-1マレーシア1991年01月28日1990年代ムダ農業開発公社(MADA),旱ばつのためクダ,プルリスの1991/92穀物年度の米生産量は50%減少の恐れがあると発表。
DIA-206-1991-01-29-1マレーシア1991年01月29日1990年代メガット・ジュニッド副内相の下院答弁によれば,1989年12月の和平協定以後,約50~60人のマ共党員が武器を置き,現在カムンティン拘留所で更生中,この外1121人が南タイの和平村に入植。
DIA-206-1991-01-30-1マレーシア1991年01月30日1990年代ムスタファUSNO党首ほか同党の下院議員4人がUMNO入党決定を発表。同時に,悪用を防ぐためUSNOは解散しないとの方針を示した。
DIA-206-1991-01-31-1マレーシア1991年01月31日1990年代46年精神党特別集会(非公開),コタ・バルで開催。ラザレイ党首は,総選挙で同党を支持した政党の感情と闘争を理解するよう支部指導者に要請した模様。
DIA-206-1991-01-31-2マレーシア1991年01月31日1990年代サラワク州議会選挙区境界変更発表。従来の48区を56区に増やして再編成。次期州議会選挙から発効。
DIA-206-1991-02-01-1マレーシア1991年02月01日1990年代アジズ・クランタン州首相,「西欧の東洋学者に非難の材料を与えないため,イスラム刑罰(hukumhudud)の実施を暫時控える」と談話。
DIA-206-1991-02-01-2マレーシア1991年02月01日1990年代ジョホール・バルでPasとPRMの党員約150人が反米デモ(警察到着前に解散)。
DIA-206-1991-02-02-1マレーシア1991年02月02日1990年代米国大使館の警備員1人(マレーシア人)が狙撃され負傷。背後関係は不明。
DIA-206-1991-02-02-2マレーシア1991年02月02日1990年代Renong Bhd.社,再編成計画発表。UEM社株式の30.5%取得,STM社株式の43%取得,PLUS社株式の50%売却,船舶5隻購入,KLオプション・金融先物市場(KLOFFE)設立発起人グループに参加など。
DIA-206-1991-02-03-1マレーシア1991年02月03日1990年代ナジブ国防相,今後10年間の国軍再編成について,1993年までに緊急展開部隊を中核とする戦略師団1個創設,兵員削減(12万人から10万人へ)等を明かす。
DIA-206-1991-02-04-1マレーシア1991年02月04日1990年代マハティール首相,2日のパイリン・サバ州首相などとの会談の席上で,PBS側がUSNOとの連立政権樹立の希望を表明,と語る。
DIA-206-1991-02-04-2マレーシア1991年02月04日1990年代Proton社,1989/90会計年度で1億5890万リンギの黒字を計上,累損を解消。
DIA-206-1991-02-04-3マレーシア1991年02月04日1990年代延享黙朝鮮人民民主主義共和国首相,来訪。マハティール首相と会談し,金日成主席の書簡を手交,南北朝鮮統一問題に関する立場を説明,EAEG全面支持を表明。マ首相はカウンター・トレードの可能性を示唆。
DIA-206-1991-02-04-4マレーシア1991年02月04日1990年代ベトナムのヴォー・ヴァン・キエット副首相,来訪。5日までKLで開催中の世銀シンポジウムに出席,6日から公式訪問。首相,副首相と会談。10日,離マに際し,(1)両国は経済・技術協力合同委員会設立に合意,(2)貿易協力を促進し,石油・ガス,鉱業,銀行,農業分野での投資と研修で協力を拡大したい,と述べた。
DIA-206-1991-02-06-1マレーシア1991年02月06日1990年代ファズィル副外相,湾岸戦争でシンガポールがその軍事基地の利用を米国に認めるなら,適切な措置をとる,と下院で答弁。
DIA-206-1991-02-08-1マレーシア1991年02月08日1990年代クランタン州政府,1978年以前に州土地開発公社(Takdir)入植事業に参加した約8000人を含む州内1万人以上の入植者とゴム小保有農に土地所有権を近々付与,と発表。
DIA-206-1991-02-08-2マレーシア1991年02月08日1990年代マ自動車販売業者協会によれば,1990年の半島部乗用車販売台数は対前年比44.3%増の10万6456台。Proton Sagaのシェアは60.8%,第2位はホンダの9.4%。
DIA-206-1991-02-09-1マレーシア1991年02月09日1990年代首相,内閣一部改造を発表(3月15日発効)。蔵相にアヌワール教育相,外相にアブドラーUMNO次席副総裁,教育相にスライマン国内産業・消費者問題相,国内産業・消費者問題相にアブ・ハッサン外相を任命。ダイム蔵相は引続きUMNOの財政部長に留まる。
DIA-206-1991-02-09-2マレーシア1991年02月09日1990年代UMNO最高会議,(1)党クランタン州連絡委員会議長にマハティール総裁を任命,(2)党組織をサバ州に拡大し,同州連絡委員会議長にガファール副総裁を任命,(3)国王,州王に対し,憲法と国王・州王に関する党決議を提出する代表団5人を任命(党総裁,副総裁,アヌワール次席副総裁,青年部長,婦人部長),等を決定。
DIA-206-1991-02-09-3マレーシア1991年02月09日1990年代全国経済諮問協議会(NECC),報告書を首相に提出して解散。
DIA-206-1991-02-11-1マレーシア1991年02月11日1990年代スチンダ・タイ陸軍総司令官ほか来訪。
DIA-206-1991-02-11-2マレーシア1991年02月11日1990年代ムスタファUSNO党首は,サバ出身者をUMNOサバ州連絡委議長に任命するとの合意にも関わらず,それ以外の者が任命されたのは理解できない,と談話。14日マハティール首相は,(1)ムスタファはサバ州UMNOに関する我々の決定を受け入れた,(2)サバ州UMNOを支配するつもりはまったくない,と談話。
DIA-206-1991-02-12-1マレーシア1991年02月12日1990年代ブルネイ政府,本日付けでDarul Arqamを含む宗教集団の活動を禁止。
DIA-206-1991-02-13-1マレーシア1991年02月13日1990年代下院休会。
DIA-206-1991-02-13-2マレーシア1991年02月13日1990年代Petronas社,LNGタンカー5隻の建造(39億リンギ)でフランスの造船会社との契約に調印。
DIA-206-1991-02-14-1マレーシア1991年02月14日1990年代サバルディン文化・芸術・観光相,1月の観光客到着数は前年同月比14.8%減少と発表。
DIA-206-1991-02-16-1マレーシア1991年02月16日1990年代南ア問題英連邦外相会議,2月1日のデクラーク声明にもかかわらず対南ア制裁を維持,と発表。
DIA-206-1991-02-16-2マレーシア1991年02月16日1990年代首相,カンポン・バル地区の開発をKL市庁に指示。
DIA-206-1991-02-17-1マレーシア1991年02月17日1990年代クランタン州UMNO筋によれば,同党の支持者1000以上がプングル,イスラム教師,郡議会議員の職から解雇されたという。
DIA-206-1991-02-18-1マレーシア1991年02月18日1990年代上院開会。
DIA-206-1991-02-21-1マレーシア1991年02月21日1990年代サバ州UMNO発足。マハティール総裁はUSNO第23会党大会の席上で発足を宣言し,ムスタファUSNO党首を州連絡委員会副議長に任命する,と述べた。またムスタファ党首は,USNOの管理は同党の11人の州議員に委ね,最高会議は解散し,全支部・分会も2月25日までに閉鎖する,等を明らかにした。なお,同日マハティール首相は,サバ州分離の陰謀に第3国が関与している可能性もあるとの見解を示した。
DIA-206-1991-02-21-2マレーシア1991年02月21日1990年代クランタン州政府,このほど非ムスリム州民の問題を検討する小委員会設置。23日,ヴェルMIC党首は同党党員の小委員会参加を禁止。
DIA-206-1991-02-22-1マレーシア1991年02月22日1990年代マハティール首相は,湾岸戦争終結により中東の勢力均衡が失われ,イスラエルが大国となり,石油価格はOPECではなく外国勢力により支配されることになろう,との見通しを示した。
DIA-206-1991-02-22-2マレーシア1991年02月22日1990年代内閣,MAS社に経営・行政構造の緊急な改造と国内線・国際線分離の可能性の検討を,このほど指示。
DIA-206-1991-02-25-1マレーシア1991年02月25日1990年代46年精神党のクランタン州情宣部長(マチャン支部長)ほか11人,党の役職を辞任。
DIA-206-1991-02-26-1マレーシア1991年02月26日1990年代マハティールUMNO総裁以下5人の代表団(2月9日参照)が国王に拝謁し党大会決議と党総裁書簡を上程。同日,ヌグリ・スンビラン州で,また27日には,スランゴール,プルリス,クダー,トレンガヌの各州で,州首相以下の代表団がそれぞれの州王に拝謁,上記の決議と書簡を提出。27日現在,ジョホール,クランタンでは拝謁の日程が未定となっている。
DIA-206-1991-02-27-1マレーシア1991年02月27日1990年代クランタン州政府,宗教を政治から分離するイマムはすべて解任と発表。
DIA-206-1991-02-27-2マレーシア1991年02月27日1990年代「民営化マスタープラン」発表。首相は序文で,民営化事業により資本市場の拡大と民間部門の経済成長への寄与増加が可能になると指摘。1990年末現在で民営化された事業37件,認可済み事業18件,検討中のもの50件。また今後2年間で37の公企業・公的事業を民営化し,56企業につき民営化のための再組織・準備を行なう。
DIA-206-1991-02-27-3マレーシア1991年02月27日1990年代ナスターゼ・ルーマニア外相,来訪。
DIA-206-1991-02-28-1マレーシア1991年02月28日1990年代Malaysian Business Council(政府・財界協議会)発足。産業政策・開発問題に関するフィードバック等に当たるが,政策決定機能はない。首相と副首相がそれぞれ議長,副議長に就任,閣僚8人,官僚8人,財界人38人,マス・メディア3人,研究機関2人,労働団体1人の計62人で構成。
DIA-206-1991-02-28-2マレーシア1991年02月28日1990年代首相,MBC初会合での講演で「2020年ビジョン」(Wawasan 2020)を発表(参考資料参照)。
DIA-206-1991-02-28-3マレーシア1991年02月28日1990年代首相,クウェート解放と湾岸での戦闘停止を歓迎と声明。
DIA-206-1991-02-28-4マレーシア1991年02月28日1990年代資本発行委員会(CIC),新ガイドライン発表。株価収益率上限の1ポイント引上げ,上場基準厳格化等。
DIA-206-1991-03-01-1マレーシア1991年03月01日1990年代マハティール首相,ジャカルタでスハルト大統領と会談,(1)成長の三角地帯の開発調整のため近く3国の事務レベル会議開催で合意,(2)大統領はEAEG構想をASEANの課題とすることを支持。
DIA-206-1991-03-01-2マレーシア1991年03月01日1990年代林敬益第1次産業相,森林産業公社(MTIB)が木材輸出ロイヤリティー徴収などを通じてサバ州の森林資源枯渇に対処と発表。2日ドンポック・サバ副州首相は原木輸出禁止の動きに憂慮を表明。13日サバ木材協会もMTIBのサバ進出は遺憾と声明。
DIA-206-1991-03-01-3マレーシア1991年03月01日1990年代上院休会。
DIA-206-1991-03-02-1マレーシア1991年03月02日1990年代Dr.M.Ongkili無条件釈放(1月3日参照)。
DIA-206-1991-03-03-1マレーシア1991年03月03日1990年代ホテル,セメント,ガス,製鉄,製氷業に対する10%の電力料金割引を即時廃止。
DIA-206-1991-03-04-1マレーシア1991年03月04日1990年代首相,バリ島での「ASEAN諸国と世界経済:課題と挑戦」と題する国際会議で基調講演。(1)ヨーロッパや米国と,またはGATTのような多国間協議の場で交渉するための協議と意思一致の場としての公式のグループの形成は不自然ではなくむしろ理想的,(2)ASEAN諸国はEAEG案を理解・支持しており,今後は域外の東アジア諸国に正式に提案する,と述べた。
DIA-206-1991-03-04-2マレーシア1991年03月04日1990年代クランタン州政府,これまでに約2000人のコーラン学習教員(契約制)を解雇。
DIA-206-1991-03-05-1マレーシア1991年03月05日1990年代MCA,サバ州への組織拡大を決定。州暫定委員会議長に陳祖排書記長を任命。
DIA-206-1991-03-05-2マレーシア1991年03月05日1990年代Dr.James Ongkili,PBSに入党。
DIA-206-1991-03-05-3マレーシア1991年03月05日1990年代首相,バタム島を視察し,(1)成長の三角地帯構想に沿ってジョホール共同開発のためのマ・シ間の協定締結の可能性を検討する,(2)マ・シ・イ三国協議は中央政府レベルでなされるべきである,との見解を示した。
DIA-206-1991-03-06-1マレーシア1991年03月06日1990年代ソロモン米国務次官補(東アジア・太平洋問題担当),議会下院で,EAEGによるAPECへの影響が懸念されると証言。7日KLで,バードン・ニュージーランド貿易交渉担当相は,EAEG支持と談話。
DIA-206-1991-03-07-1マレーシア1991年03月07日1990年代ダイム蔵相,湾岸戦争により米国が深刻な景気後退に陥ることはなさそうであり,マ経済は近い将来も上昇傾向を続け本年は7.8%の成長を維持,と談話。
DIA-206-1991-03-08-1マレーシア1991年03月08日1990年代首相のThe Far Eastern Economic Review Ltd.とその前編集長に対する名誉毀損訴訟で,FEER誌が訂正・謝罪広告を掲載することで和解成立。
DIA-206-1991-03-09-1マレーシア1991年03月09日1990年代マハティールUMNO総裁,党最高会議後,統治者はUMNOの決議と立憲君主制維持の希望を理解している,と語った。
DIA-206-1991-03-09-2マレーシア1991年03月09日1990年代UMNO最高会議,サバ州20支部の暫定支部長を任命(うち14人は前USNO党員),1701分会設立を承認。
DIA-206-1991-03-09-3マレーシア1991年03月09日1990年代サラワク州,賭博・宝くじを廃止。
DIA-206-1991-03-10-1マレーシア1991年03月10日1990年代首相,水道事業の連邦移管を示唆。
DIA-206-1991-03-11-1マレーシア1991年03月11日1990年代ラフィダー通産相,地場産業向けに10億リンギの投資基金設立を決定と発表。
DIA-206-1991-03-12-1マレーシア1991年03月12日1990年代首相,「在比米軍基地問題を話し合う用意はあるが,どの国にも基地を提供する意図はない」と談話。
DIA-206-1991-03-12-2マレーシア1991年03月12日1990年代Malaysian Shipyard Engineering Sdn.Bhd.の政府保有株式を複数の海運会社に売却,と決定。
DIA-206-1991-03-12-3マレーシア1991年03月12日1990年代政府職員からの行政効率改善案に報奨金,と発表。
DIA-206-1991-03-13-1マレーシア1991年03月13日1990年代Petronas社,現在の20米㌦の原油価格水準は予測範囲内に収まっており,今後2年間はこの水準で安定しよう,との見通しを発表。
DIA-206-1991-03-13-2マレーシア1991年03月13日1990年代ダイム蔵相,証券会社の上場を10社に限ると通達。
DIA-206-1991-03-13-3マレーシア1991年03月13日1990年代ダイム蔵相(1)UMNOは如何なる事業も所有しておらず,Renong社も所有していない,(2)私見では,UMNOは営利事業に関与すべきではない,と談話。
DIA-206-1991-03-14-1マレーシア1991年03月14日1990年代シンガポールでマハティール首相入院の噂広まる。16日に同様の報道をしたWatan紙は19日に謝罪広告。
DIA-206-1991-03-16-1マレーシア1991年03月16日1990年代第184回の警察記念日式典をサバ州で挙行。
DIA-206-1991-03-19-1マレーシア1991年03月19日1990年代アブドラーUMNO次席副総裁,ラジ前副大臣の復党を歓迎と声明。
DIA-206-1991-03-19-2マレーシア1991年03月19日1990年代サバ州議会,ムスタファのUSNO離党により州議会ウスカン区は空席になったと判定。
DIA-206-1991-03-20-1マレーシア1991年03月20日1990年代Golden Hope Plantations Bhd.,ベトナムで合弁の食用油製油工場設立・操業に合意,と発表。
DIA-206-1991-03-20-2マレーシア1991年03月20日1990年代英政府,Pergauダム建設に借款1億ポンド供与でこのほど同意。金利0.809%,6年据置を含む14年返済。
DIA-206-1991-03-20-3マレーシア1991年03月20日1990年代マラッカ州の水不足の原因は水道局幹部が貯水池の海抜表示の水位指標を水深と誤解したためという調査結果が公表され,問題の幹部が解任された。
DIA-206-1991-03-20-4マレーシア1991年03月20日1990年代PBSのサバ州議員1名,人民覚醒運動党に移籍。
DIA-206-1991-03-21-1マレーシア1991年03月21日1990年代Abdullah Zawawi駐インドネシア大使によれば,マハティール首相は「北の三角地帯」(Northern Triangle)構想推進を決定しており,先月,許子根ペナン州首相が訪イして当局者とこの問題を話し合った。
DIA-206-1991-03-21-2マレーシア1991年03月21日1990年代マラッカ州水源地域に本格的な降雨。月末に給水制限がやや緩和され,4月3日に全面的に解除された。
DIA-206-1991-03-22-1マレーシア1991年03月22日1990年代Ibrahim 46年精神党青年部長(下院議員),離党。
DIA-206-1991-03-23-1マレーシア1991年03月23日1990年代メガット・ジュニッド副内相,陳平書記長を含むマ共党員400人の帰国申請を処理中,と談話。
DIA-206-1991-03-25-1マレーシア1991年03月25日1990年代MAS,3月31日から北京へ,4月1日から広州へ就航,と発表。
DIA-206-1991-03-25-2マレーシア1991年03月25日1990年代価格統制品目拡大(20品目から45品目へ)。
DIA-206-1991-03-25-3マレーシア1991年03月25日1990年代クランタン州政府,森林伐採のロイヤルティー,プレミアム,登録料を35~40%引上げ。
DIA-206-1991-03-26-1マレーシア1991年03月26日1990年代KL発のシンガポール航空117便,ハイジャックさる。27日犯人の4人のパキスタン人はチャンギ空港で射殺され,乗客・乗員123人全員が救出された。
DIA-206-1991-03-26-2マレーシア1991年03月26日1990年代マイ・キ・ベトナム国家計画委副委員長,来訪。ガファール副首相との会談で,ゴム産業,銀行制度再編成,情報・通信等への技術援助,砕米輸入,MAS増便などを要請。
DIA-206-1991-03-26-3マレーシア1991年03月26日1990年代クランタン州政府,所属政党から離党する者の州議員資格を奪う規定を州憲法に導入の意向,と発表。27日46年精神党の1州議員が離党し,3州議員が反対を声明。
DIA-206-1991-03-29-1マレーシア1991年03月29日1990年代中央銀行年報,本年のGDP成長率を昨年実績10.2%に対し,8.3~8.6%と予測。
DIA-206-1991-03-29-2マレーシア1991年03月29日1990年代中央銀行総裁,リンギの対米ドル弱含みに警戒不要と声明。対米ドルで3月29日迄に年初比2.5%の切下げ。
DIA-206-1991-03-30-1マレーシア1991年03月30日1990年代マラヤ大学副総長にDr.Taib(次席副総長,マレー研究学科教授)任命。
DIA-206-1991-03-31-1マレーシア1991年03月31日1990年代米国通商代表部報告書,マレーシアの著作権保護は著しく改善と評価。
DIA-206-1991-04-02-1マレーシア1991年04月02日1990年代PBS,人民戦線(GR)には参加せず,連邦政府との関係改善に専念,と発表。
DIA-206-1991-04-05-1マレーシア1991年04月05日1990年代中尾通産相,訪日中のラフィダー通産相と会談,米国の注目を地域に引きつけておく努力を阻害すべきではないと指摘。
DIA-206-1991-04-06-1マレーシア1991年04月06日1990年代クランタン州内のUMNO支部に,支部内の開発事業を選定,同州連邦事務局に申請するよう指示。
DIA-206-1991-04-07-1マレーシア1991年04月07日1990年代連邦領UMNO,住宅開発で外国企業とこのほど合弁会社設立。
DIA-206-1991-04-07-2マレーシア1991年04月07日1990年代MCA,このほど党員のクランタン州政府への協力を禁止。
DIA-206-1991-04-07-3マレーシア1991年04月07日1990年代メガット・ジュニッド副内相によれば,先月以来保護を求めアチェーから半島部北部に上陸したインドネシア人計81人をペナンの警察に拘留中。
DIA-206-1991-04-08-1マレーシア1991年04月08日1990年代森林産業公社,サバ州3地点に事務所開設。
DIA-206-1991-04-09-1マレーシア1991年04月09日1990年代クダ州46年精神党議長,離党を発表。
DIA-206-1991-04-10-1マレーシア1991年04月10日1990年代大学授業料の値上げ(100~172%)を発表。
DIA-206-1991-04-10-2マレーシア1991年04月10日1990年代46年精神党のクランタン州議員1人,離党。
DIA-206-1991-04-10-3マレーシア1991年04月10日1990年代クランタン中華大会堂会長,華人社会は州政府と協力の用意がある,と声明。
DIA-206-1991-04-11-1マレーシア1991年04月11日1990年代「全国労働政策」草案につき,全国労働諮問会議専門委員会で労使双方から異議。
DIA-206-1991-04-13-1マレーシア1991年04月13日1990年代マハティール首相,オーストラリアとの関係は“buy Australian last”政策をとるほどには悪化していないと述べた。15日ホーク豪首相は,同国での昨年10月の“Embassy”と称するテレビ番組放映を契機とする両国間の外交的な争いに終止符を打ちたいと談話。19日,UMNO青年部国際局長ほかが在マ豪高等弁務官と会見,「反マレーシア・キャンペーン」の中止を要求。
DIA-206-1991-04-14-1マレーシア1991年04月14日1990年代クダ州の46年精神運動党支部幹部3人,離党。
DIA-206-1991-04-14-2マレーシア1991年04月14日1990年代アヌワール・ムサ青年・体育相,クランタン州王室は昨年の総選挙以後は政治介入をやめている,と談話。
DIA-206-1991-04-18-1マレーシア1991年04月18日1990年代米国下院アジア・太平洋小委員会,マレーシアに対する軍事援助110万米㌦の復活を勧告し,同時にインドネシア難民に対する第1次収容の拒否に憂慮を表明。
DIA-206-1991-04-19-1マレーシア1991年04月19日1990年代Parti China Sabah,このほど解散を決定と発表。
DIA-206-1991-04-19-2マレーシア1991年04月19日1990年代国連イラク・クウェート監視団に将校9人を派遣。
DIA-206-1991-04-20-1マレーシア1991年04月20日1990年代MCA党員2人がクランタン州政府の非ムスリム問題協議会メンバーへの任命を受諾。
DIA-206-1991-04-22-1マレーシア1991年04月22日1990年代Dulang油田,生産開始。
DIA-206-1991-04-23-1マレーシア1991年04月23日1990年代PBS指名州議員,離党。
DIA-206-1991-04-23-2マレーシア1991年04月23日1990年代5カ国防空協定による空軍合同演習開始(4日間)。
DIA-206-1991-04-24-1マレーシア1991年04月24日1990年代ガファール副首相の下に国家農業大綱見直しの委員会設置を,閣議決定。
DIA-206-1991-04-25-1マレーシア1991年04月25日1990年代クランタン州議会,州憲法修正案,可決。(1)州議員が所属政党を離党または除名された場合,議員資格を失う,(2)州議員は辞職後5年間は州議会選挙への立候補資格を認められない,(3)1990年11月18日に遡り適用。
DIA-206-1991-04-26-1マレーシア1991年04月26日1990年代46年精神党グダ州シック支部役員14人,離党。
DIA-206-1991-04-27-1マレーシア1991年04月27日1990年代海部首相,来訪(3日間)。マハティール首相との会談で,(1)EAEGについて域内諸国が細部を詰めた後に立場を決定する,(2)第6次マレーシア計画の開発事業に対し引き続き資金援助を行なう,(3)ルック・イースト政策による日本への研修生派遣を現在の年500人から2000人に増員する提案に対し,要望に沿う用意がある,(4)日本の掃海艇のペナン寄港許可に感謝する,(5)日本は軍事大国となる意図はなく,また第2次大戦時の不幸な出来事を認識している,等を表明。
DIA-206-1991-04-28-1マレーシア1991年04月28日1990年代5カ国防衛協定国防相会議,KLで開催。会議は協定の適用範囲のサバ,サラワクへの拡大に原則として合意。29日から5月13日まで5カ国海軍合同演習をティオマン島沖で実施。
DIA-206-1991-04-30-1マレーシア1991年04月30日1990年代ナジブ国防相,来訪中のレイ豪国防相との会談で,両国関係改善のための具体的措置を提案。
DIA-206-1991-05-04-1マレーシア1991年05月04日1990年代内閣,このほど全国電力会社(TNB)にガス発電の拡大と,燃料転換コストの吸収を指示。
DIA-206-1991-05-04-2マレーシア1991年05月04日1990年代内務省,これまでに台湾にオーバーステイし2月28日以降帰国した者の旅券7539通を一時押収。5日MCA発表によれば,台湾での不法就労マレーシア人のうち現在のところ200人以上が行方不明となっている。
DIA-206-1991-05-04-3マレーシア1991年05月04日1990年代ペラ州バユ区州議員補欠選挙でUMNO候補者当選。
DIA-206-1991-05-05-1マレーシア1991年05月05日1990年代PNB,Nomura/Jafco Investment(Asia)Ltdと合弁でベンチャーキャピタル育成事業に進出。
DIA-206-1991-05-07-1マレーシア1991年05月07日1990年代スランゴール州スンガイ・ブロー新村で花火工場が爆発。10日現在で死者23人,負傷者112人,行方不明3人。政府は15日勅任調査委員会を発足させた。
DIA-206-1991-05-08-1マレーシア1991年05月08日1990年代ガファール副首相によれば,サバ州の人民覚醒運動党(Akar)がこのほど正式に国民戦線加入。
DIA-206-1991-05-09-1マレーシア1991年05月09日1990年代通産省,払込資本250万リンギ未満のものを含め全ての製造業企業の登録制度導入を計画中。
DIA-206-1991-05-10-1マレーシア1991年05月10日1990年代在マ韓国大使館筋によれば,韓国の対マ投資は1990年初めまでに5000万米㌦に達し,今後2,3年で6億米ドルに増加の見込み。
DIA-206-1991-05-10-2マレーシア1991年05月10日1990年代クランタン州議員2人,先月のクランタン州憲法修正の無効と連邦憲法違反の判定などを求めて提訴。
DIA-206-1991-05-11-1マレーシア1991年05月11日1990年代ムスタファUMNOサバ州連絡委員会副議長,ウスカン区補欠選挙でサバ州議員に再選。
DIA-206-1991-05-11-2マレーシア1991年05月11日1990年代オザル・トルコ大統領,非公式来訪。
DIA-206-1991-05-13-1マレーシア1991年05月13日1990年代J・キティンガン前開発研究所長,サバ州分離独立の策動に関与の容疑で国内治安法により拘留。
DIA-206-1991-05-13-2マレーシア1991年05月13日1990年代ASEAN高級事務レベル会議,3日間にわたりKLで開催。EAEGに関する作業グループ設置を決定,比提案のASEAN経済協定の可能性を検討。
DIA-206-1991-05-14-1マレーシア1991年05月14日1990年代ヴェラヤティ・イラン外相,来訪。15日,教育・貿易協力協定に調印。
DIA-206-1991-05-16-1マレーシア1991年05月16日1990年代クウェイル米国大統領,アジア歴訪に先立ち,「米国を排除するような取り決めは非生産的」と述ぺる。
DIA-206-1991-05-16-2マレーシア1991年05月16日1990年代アヌワール蔵相,被用者積立基金(EPF)の国債保有比率下限を現行の70%から50%に引下げと発表。
DIA-206-1991-05-16-3マレーシア1991年05月16日1990年代ナジブ国防相,潜水艦4隻の購入を棚上げ,と発表。
DIA-206-1991-05-17-1マレーシア1991年05月17日1990年代カルファ・チェコスロバキア連邦首相,来訪。
DIA-206-1991-05-20-1マレーシア1991年05月20日1990年代アヌワール蔵相,ラブアン開発公団設立案検討の特別委員会(委員長はダイム前蔵相)設置,を発表。
DIA-206-1991-05-22-1マレーシア1991年05月22日1990年代サラワク州クチンで1日閣議開催,「長期展望計画1991~2000年」を原則として承認。
DIA-206-1991-05-22-2マレーシア1991年05月22日1990年代マハティール首相,ラジーブ・ガンディー元首相の暗殺に弔意を表明,23日国王はインド大統領に弔電。
DIA-206-1991-05-26-1マレーシア1991年05月26日1990年代マレーシア人民党(PRM)党大会,開催。
DIA-206-1991-05-26-2マレーシア1991年05月26日1990年代サバ州パパール,トゥノム,ラナウ等で強い地震。
DIA-206-1991-05-26-3マレーシア1991年05月26日1990年代PNB社,ブミプトラ企業家育成の長期計画に着手。カリル社長によれば,今後10~15年間に約5億リンギを投入,30万人のブミプトラ企業家・企業指導者を育成。
DIA-206-1991-05-29-1マレーシア1991年05月29日1990年代アナン・タイ首相,来訪。31日,ASEAN諸国はEAEG案を真剣に検討すべきだ,と談話。
DIA-206-1991-05-29-2マレーシア1991年05月29日1990年代タイ国境警察,クランタン州森林局長以下11人を不法な越境・木材伐採の容疑で逮捕,8人を拘留。マ政府はタイ政府に逮捕・拘留理由の説明を要求。25日,タイ政府は不起訴を確認。
DIA-206-1991-05-30-1マレーシア1991年05月30日1990年代マハティール首相,Pasir Mas=Salor橋開通式のためクランタン州を訪問,アジズ州首相と会談。
DIA-206-1991-05-30-2マレーシア1991年05月30日1990年代全国電力会社(TNB),総額10億2945万リンギの借款に調印。(1)Nordic Investment Bankから政府保証付きで2500万米㌦,(2)31日に国内16行の借款団から政府保証なしで9億6070万リンギ。
DIA-206-1991-05-31-1マレーシア1991年05月31日1990年代Pas第37回党大会,KLの党本部で開催(3日間)。ファズィル委員長,ハディ副委員長,2人の次席副委員長を無競争で再選。大会席上,ファズィル委員長は,党は2020年ビジョンの目的に賛成するが,その実現はイスラムの原理を基礎とすべきである,と述べた。
DIA-206-1991-05-31-2マレーシア1991年05月31日1990年代スランゴール州政府,非工業用地に不法に立地している627工場に6カ月以内の移転を命令。
DIA-206-1991-06-01-1マレーシア1991年06月01日1990年代被用者積立基金(EPF)修正法,発効。すべての会社は会社登録局への登録と同時に従業員数,賃金などのEPFへの通告を義務づけられる。
DIA-206-1991-06-03-1マレーシア1991年06月03日1990年代アブドラー外相,シアヌーク殿下のカンボジア最高国民評議会議長任命を歓迎,と声明。
DIA-206-1991-06-04-1マレーシア1991年06月04日1990年代揚尚昆中国国家主席,Antara通信とのインタビューで,「EAEG案は東アジアの経済協力拡大に積極的な意味を持つ」と発言。
DIA-206-1991-06-06-1マレーシア1991年06月06日1990年代ハッサン・スーダン大統領,公式来訪。
DIA-206-1991-06-09-1マレーシア1991年06月09日1990年代米国の国際労働者の権利・教育・研究財団(ILRERF),このほど通商代表部にマレーシアに対するGSPの適用停止を要請。
DIA-206-1991-06-09-2マレーシア1991年06月09日1990年代Koding人民覚醒党(Akar)党首,1986年にたくまれたサバ分離の陰謀に積極的に関与したPBS首脳4,5人の存在を承知しており,氏名公表の用意があると談話。
DIA-206-1991-06-09-3マレーシア1991年06月09日1990年代内閣,全国水資源公団(National Water Authority:仮称)の設立をこのほど決定。
DIA-206-1991-06-11-1マレーシア1991年06月11日1990年代ラザリ・マ国連常任代表,UNDP年次報告への「人間の自由指標」導入につき,責任も専門知識もない分野に救世主然として入り込むべきではない,と批判。
DIA-206-1991-06-12-1マレーシア1991年06月12日1990年代第154回統治者会議,開催。
DIA-206-1991-06-14-1マレーシア1991年06月14日1990年代政府,Paka発電所建設の不適切な管理について,主請負の三井物産が全修理経費の負担に同意したため,1200万リンギの賠償を求める計画をこのほど放棄。
DIA-206-1991-06-15-1マレーシア1991年06月15日1990年代林敬益第1次産業相によれば,本年4月の国家森林政策会議で,1986~90年に半島部4州が木材伐採割当を平均で300%超過していたことが判明。
DIA-206-1991-06-16-1マレーシア1991年06月16日1990年代Caltex Trading and Transport Corporation,マラッカ州での製油所建設事業から撤退,と声明。
DIA-206-1991-06-16-2マレーシア1991年06月16日1990年代林良実MCA党首,(1)政府は引続き自由化と規制緩和政策を実施し,国民はそれにより生じる機会を求め,利益を享受すべきである,(2)MCAは第2次長期展望計画(OPP2)がその精神において,全国経済諮問協議会の主要な提案を考慮にいれていることに満足,と述べた。
DIA-206-1991-06-17-1マレーシア1991年06月17日1990年代国会下院再開。
DIA-206-1991-06-17-2マレーシア1991年06月17日1990年代首相,「長期展望計画1991~2000年」(OPP2)を下院に上程。成長率目標を年平均7%に設定。首相演説によれば,OPP2の基礎は,「新開発政策」(NDP)であり,NDPは2020年ビジョン実現のため経済,社会正義,倫理,政治発展,行政の効率化などの面での開発のペースを定めている。NDPは貧困の除去とブミプトラの商工業コミュニティの発展により重点を置き,社会再編成の面で民間部門への依存を高め,人的資源の開発をより重視する。法人部門における少なくとも30%のブミプトラの資本所有と参加という目標は維持されるが,そのための時間的枠組みは設定せず,2000年末に見直しを行なう。政府の介入をより選択的なものにとどめる。林DAP書記長は下院討論の中で,NDPは新経済政策の失敗を糊塗するものにすぎないと批判し,議員にOPP2検討の十分な時間が与えられていないと指摘。20日,下院は「新開発政策」の名称を「全国開発政策」(略称はNDPと変わらず)に改める動議を可決。
DIA-206-1991-06-17-3マレーシア1991年06月17日1990年代連邦土地開発公社(FELDA)1956年土地開発法令を修正し,同公社所属13企業を株式会社に再組織し,個別の土地開発事業に会社制度を導入する意向を発表。
DIA-206-1991-06-17-4マレーシア1991年06月17日1990年代首相,南米3国歴訪へ。18日タヒチに立寄り,19日から5日間チリを公式訪問。20日の講演で,先進国の保護主義を批判しEAEGについて説明。22日,両国政府は貿易協定と経済・科学・技術協力協定に調印。25日からブラジルを公式訪問,EAEGについて説明。26日,国連環境・開発会議前に,工業国側の伐採制限提案に対する共通の立場を討議する木材生産国会議が開催されるかも知れないと語った。30日からアルゼンチンを公式訪問。7月2日,マと今次訪問3国を結ぶ航空路線開設を提案。4日からフィジーを公式訪問。6日に帰国。
DIA-206-1991-06-20-1マレーシア1991年06月20日1990年代連邦政府,クランタン州での肥料補助凍結の解除をこのほど決定。
DIA-206-1991-06-22-1マレーシア1991年06月22日1990年代台湾,外国人就労分野規制を緩和へ。労働問題評議会筋によれば,雇用法を修正し,従来の公的部門の14業種に加え,民間の繊維,金属,機械,電力,建設産業での就労を認める。
DIA-206-1991-06-24-1マレーシア1991年06月24日1990年代半島部の大農園,不法就労者3万5000人の雇用を認めるようこのほど政府に要請。
DIA-206-1991-06-25-1マレーシア1991年06月25日1990年代スランゴール州森林局,不法伐採を行なった2業者の免許を停止。
DIA-206-1991-06-26-1マレーシア1991年06月26日1990年代インドネシア人不法就労者130人を送還中のバーター交易船がマラッカ海峡で商船と衝突。28日に13人,30日に少なくとも57人が救助され,残る65人が行方不明。
DIA-206-1991-06-26-2マレーシア1991年06月26日1990年代クランタン州政府,不法伐採容疑で4社を取調べ中。
DIA-206-1991-06-27-1マレーシア1991年06月27日1990年代大蔵省予算前対話開始。
DIA-206-1991-06-28-1マレーシア1991年06月28日1990年代クランタン州政府,15歳以上のムスリム女性のドラマ,ステージ,その他の文化活動への参加を禁止。
DIA-206-1991-06-29-1マレーシア1991年06月29日1990年代連邦政府,FELDAへの補助(年額1億5000万リンギ)を削減,最終的には撤廃の意向。
DIA-206-1991-06-29-2マレーシア1991年06月29日1990年代KL商品取引所,株式指数先物とその他の金融先物取引運営の申請を,このほど大蔵省に提出。
DIA-206-1991-06-29-3マレーシア1991年06月29日1990年代タイの密輸取締り部隊約30人が,国境に接したマ側パダン・ブサールの非居住区域内の市場に侵入,商品数万リンギ相当を押収。7月6日,アブドラー外相は,タイ政府に公式に抗議の意向,と談話。
DIA-206-1991-07-01-1マレーシア1991年07月01日1990年代サバ州で国内治安法により1人を拘留。
DIA-206-1991-07-03-1マレーシア1991年07月03日1990年代クランタン州議会,国民戦線州議員2人の議席を無効とする,46年精神党提出の動議を可決。
DIA-206-1991-07-04-1マレーシア1991年07月04日1990年代サバ州議会,州議員に辞職後5年間の州議会選挙立候補を禁じる州憲法修正案を可決。
DIA-206-1991-07-04-2マレーシア1991年07月04日1990年代バンク・ブミプトラによれば,子会社のBBMB Securities Sdn.Bhd.が1989年9月~90年3月の期間に不法な取引で7200万リンギの損失を負ったが,同銀行が91年3月締めの決算でこれを補填する等の措置を講じた。
DIA-206-1991-07-04-3マレーシア1991年07月04日1990年代スントン・タイ国軍総司令官,マ・タイ国境総合委員会出席のため来訪。
DIA-206-1991-07-05-1マレーシア1991年07月05日1990年代サラクワ州クアラ・バラムで,木材のバージへの積込みを阻止しようとした外国人10人中8人を逮捕。
DIA-206-1991-07-05-2マレーシア1991年07月05日1990年代会社登録官,KL市場上場企業4社の株式の不法取引でこれまでに59人から供述調書録取。
DIA-206-1991-07-07-1マレーシア1991年07月07日1990年代ガファール副首相によれば,(1)今後の連邦土地開発公社(Felda)の入植事業はFeldaの子会社が管理し,入植者は子会社の資本の49%を保有し,配当と賃金を受け取る,(2)新方式はパハン州Selancharの2000㌶で開始し,最終的には32万㌶に拡大,(3)既存の478事業(入植者11万9180世帯)は現行方式で管理。
DIA-206-1991-07-08-1マレーシア1991年07月08日1990年代46年精神党のTasik Gelugor支部長ほか200人がUMNOに入党。16日には同党ペナン州連絡委員会議長,25日にはペナン州婦人部長と同州の一支部の役員がUMNO入党を発表。
DIA-206-1991-07-08-2マレーシア1991年07月08日1990年代国家稲米公社(LPN)総裁,旱ばつにより本年の米の輸入量は,前年の25万㌧に対し,40万~50万㌧になる見込み,と警告。
DIA-206-1991-07-08-3マレーシア1991年07月08日1990年代アブドラー外相,日本の国会議員使節団と会談後,EAEG案への日本の慎重な態度は理解可能,と談話。
DIA-206-1991-07-11-1マレーシア1991年07月11日1990年代首相,第6次マレーシア計画(1991~95年)を国会下院に上程。上程演説によれば,(1)第5次計画は成長率目標5.0%に対し6.7%,失業率の6.0%への低下等の実績を挙げたが,労働力不足と賃金上昇,ブミプトラの参加の質の改善などの問題を提起した,(2)第6次計画では原油価格17米㌦/バレルを想定して成長率目標を7.5%に設定,民間部門主導型の成長戦略をとり,公的部門投資はインフラ整備と成長支援に向ける,(3)今後2,3年間は外国人労働者の流入を拡大し,同時に課徴金を課する,(4)牢固な貧困の発生率を4%から2%に引下げ,ブミプトラの法人株式所有を引続き拡大し,強化し,ブミプトラ商工業コミュニティ創造を優先する,等。
DIA-206-1991-07-12-1マレーシア1991年07月12日1990年代アブドラー外相,ソ連と中国が第24回ASEAN外相会議にマレーシアの招待で出席,と発表。
DIA-206-1991-07-12-2マレーシア1991年07月12日1990年代ラフィダー通産相によれば,本年1~5月の韓国企業の投資認可件数27件(16億5000万リンギ)で,日本,台湾に次ぎ第3位。
DIA-206-1991-07-16-1マレーシア1991年07月16日1990年代マハティール首相,政府とダイハツの合併で1000cc以下の小型自動車を国産化する可能性を示唆。
DIA-206-1991-07-16-2マレーシア1991年07月16日1990年代建設業界筋によれば,過去1カ月間にセメント不足が顕在化。
DIA-206-1991-07-16-3マレーシア1991年07月16日1990年代ガファール副首相によれば,政府は連邦土地開発公社,連邦土地統合・復興公社,ゴム産業・小保有農開発公社の3機関の統合案を検討中。
DIA-206-1991-07-18-1マレーシア1991年07月18日1990年代首相,UMNOによる会社保有・株式取引の事実はなく,Renong社のDtk.Halimは党の代理人ではない,と下院で答弁。
DIA-206-1991-07-18-2マレーシア1991年07月18日1990年代ADB,工業技術開発・管理事業(総額2億6300万リンギ)への借款1億4500万リンギを承認。
DIA-206-1991-07-19-1マレーシア1991年07月19日1990年代ASEAN外相会議,KLで開催。会議は冒頭で,カンボジア最高国民評議会を正式に承認と声明。20日,東南アジアの非ASEAN諸国の参加を希望し,EAEG案を更に検討する等の共同コミュニケを発表。
DIA-206-1991-07-20-1マレーシア1991年07月20日1990年代来マ中のニルディノフ・ソ連対外経済関係省次官,一次産品,特にパーム油・同製品購入のため,マ政府に信用供与(2億米㌦,少なくとも2年間)を要請。
DIA-206-1991-07-20-2マレーシア1991年07月20日1990年代会社登録官,銀行・その他の金融機関の子会社を含む全ての証券信託会社に会社法69条Aに従いその受託株式の保有者の氏名を登録官に明らかにするよう,指示。
DIA-206-1991-07-22-1マレーシア1991年07月22日1990年代ASEAN・先進国対話開催。冒頭,アブドラー外相は,(1)対話相手国の規範は必ずしも東南アジア諸国やその他の途上国に適用可能ではない,(2)ASEANを防衛取り決めに変更することは,対抗する軍事ブロックの創設を招く,(3)東南アジアの安全保障はインドシナ諸国を地域のメインストリームに引き寄せ,カンボジア問題の総合的政治解決を実現することにより改善される,と述べた。なお,今回から韓国が正式の対話相手国(第7番目)となり,李外相が出席。
DIA-206-1991-07-23-1マレーシア1991年07月23日1990年代マハティール首相,ベーカー米国務長官と会談。席上,(1)国務長官はマレーシアがPLOとの緊密な関係を活用して中東和平会議の実現に寄与するよう要請,首相はイスラエルの国連決議尊重が必要と主張,(2)首相はEAEGの目的を説明,両者は意見交換の継続で合意。
DIA-206-1991-07-23-2マレーシア1991年07月23日1990年代来訪中のエヴァンズ豪外務・貿易相は,(1)ホーク豪首相がマハティール首相宛書簡で,ABCテレビ・シリーズ“Embassy”によりマレーシアの名誉を傷つけたことを認め,死刑に関する豪政府の立場とオピニオン・リーダー交流拡大案を説明した,と談話。
DIA-206-1991-07-24-1マレーシア1991年07月24日1990年代高裁,選挙委員会の申し立てを認め,先にクランタン州議員2名に認めた補欠選挙禁止の仮処分を解除。
DIA-206-1991-07-24-2マレーシア1991年07月24日1990年代シンガポール訪問中のムヒディン・ジョホール州首相,成長の三角地帯構想実施で同州政府がマレーシアを代表する権限を認めるよう連邦政府に求める,と談話。
DIA-206-1991-07-24-3マレーシア1991年07月24日1990年代上院再開。
DIA-206-1991-07-24-4マレーシア1991年07月24日1990年代ガファール副首相,1960年土地収用法修正法案について,(1)修正理由は民営化の不可避性等である,(2)土地収用には適切な補償を行ない,国民は不満があれば法廷に提訴しうる,(3)土地の再収用の決定については提訴できない,(4)開発問題は政府の専決事項である,(5)収用に際してその土地の所有者が華人かマレー人か,またはマレー人留保地であるかは考慮しない,等を声明。
DIA-206-1991-07-24-5マレーシア1991年07月24日1990年代株価下落。KL証券取引所総合指数は前日引値から9.64ポイント下げて601.28となり,その後8月16日の541・66ポイントまでほとんど続落した(8月19日参照)。
DIA-206-1991-07-26-1マレーシア1991年07月26日1990年代ガファール副首相,インドネシアを訪問,スハルト大統領と会見して首相書簡を伝達。
DIA-206-1991-07-27-1マレーシア1991年07月27日1990年代ペナン州議会補欠選挙で国民戦線候補者が当選。
DIA-206-1991-07-27-2マレーシア1991年07月27日1990年代首相は,オーストラリア政府が「報道の自由」をその論拠とし続けるべきではない,と談話。
DIA-206-1991-07-27-3マレーシア1991年07月27日1990年代イラク駐マ大使,マ国営通信社会長宛書簡で,国連の経済制裁解除への助力をマレーシア国民にアピール。
DIA-206-1991-07-28-1マレーシア1991年07月28日1990年代MCA第30回党大会開催。大会は,(1)2020年ビジョンおよび全国開発政策(NDP)を支持,(2)NDP実施をモニターする党委員会の設置を要請,(3)華人文化センター設立を支持,等を決議。
DIA-206-1991-07-28-2マレーシア1991年07月28日1990年代ジョホール州Gelang Patah付近の村で,シンガポールからと見られる砲弾2発が爆発。8月1日,マ外務省は劉駐マ高等弁務官を呼んで憂慮を表明。10日,シ国防省筋はシンガポールからの発射はありえないと談話。
DIA-206-1991-07-29-1マレーシア1991年07月29日1990年代国民戦線最高会議,サバ州の人民覚醒党(Akar)と自由民主党(LDP)の加盟を承認,サラワクのマレーシア・サラワク人民連合(Permas)の加入申請を却下,トレンガヌ州のイスラム社会集団党(Ikatan Masyarakat Islam)の申請について決定を延期。
DIA-206-1991-07-30-1マレーシア1991年07月30日1990年代Amirkhar USNO次席副党首によれば,その父か母がブミプトラであるか,ブミプトラと結婚したサバ州の華人は同州のブミプトラの地位を申請できる。
DIA-206-1991-07-30-2マレーシア1991年07月30日1990年代下院,土地収用(修正)法案等を可決して休会。
DIA-206-1991-08-01-1マレーシア1991年08月01日1990年代ASEAN情報相会議,開催。
DIA-206-1991-08-03-1マレーシア1991年08月03日1990年代アヌワール蔵相によれば,(1)先週首相は,ブミプトラ企業家育成のための国家企業家開発公社(PUNB)設立案を承認,(2)PUNBはブミプトラ投資基金(YPB)の出資2億リンギで設立,(3)とくに中小企業の分野で能力のあるブミプトラを特定し,研修を行なう。
DIA-206-1991-08-03-2マレーシア1991年08月03日1990年代民衆政治運動党(GRM)第20回党大会,開催。4日,土地収用法および全国開発政策(NDP)の実施状況をモニターする二つの専門家委員会設置などを決議。
DIA-206-1991-08-03-3マレーシア1991年08月03日1990年代首相,ブルネイを非公式訪問。4日帰国して,国境確定問題も話合った,と述べた。
DIA-206-1991-08-07-1マレーシア1991年08月07日1990年代ブッシュ米大統領は,アブトゥル・マジド新駐米大使の信任状提出に際して,(1)両国は人的資源開発と市民の自由の改善,自然環境保護の重要性の認識,インドシナの亡命希望者の窮状に対する人道的関心を共有しており経済開発の成功例である。(2)米国は地域協力推進のためAPECの成功に努力している,と声明。
DIA-206-1991-08-07-2マレーシア1991年08月07日1990年代上院休会。第6次マレーシア計画,長期展望計画を承認し,土地収用(修正)法案など16法案を可決。
DIA-206-1991-08-07-3マレーシア1991年08月07日1990年代スランゴール州政府は,バトゥ・アランの陥没事故(7月6日)で,住民を10年間で移転させると決定。
DIA-206-1991-08-08-1マレーシア1991年08月08日1990年代政府,パーム油の大量・長期契約輸入途上国に最長2年の輸出信用を供与,とこのほど決定。
DIA-206-1991-08-08-2マレーシア1991年08月08日1990年代陸副蔵相,9月1日から金融会社とマーチャント・バンクの定期預金受け入れ規制を緩和し,金融会社の資本市場参加条件を緩和,と発表。
DIA-206-1991-08-08-3マレーシア1991年08月08日1990年代全国労働諮問会議,全国労働政策案を承認。
DIA-206-1991-08-09-1マレーシア1991年08月09日1990年代MCAとDAP,「政治的寄生者は誰か?」との2党間討論会をKLの中華大会堂で開催。
DIA-206-1991-08-09-2マレーシア1991年08月09日1990年代Sultan Abdul Aziz Shah発電所第3期建設工事と関連電力供給事業を民営化,と発表。
DIA-206-1991-08-12-1マレーシア1991年08月12日1990年代ブミプトラ銀行とマラヤン・バンキング,貸出基準金利を0.25%引き上げ,と発表。
DIA-206-1991-08-12-2マレーシア1991年08月12日1990年代人民進歩党(PPP)党首に麦漢錦上院議員再選。
DIA-206-1991-08-13-1マレーシア1991年08月13日1990年代モギー建設相,チュラス有料道路の料金を50~75%引き下げ,9月15日から料金徴収再開,と発表。
DIA-206-1991-08-14-1マレーシア1991年08月14日1990年代中央銀行総裁,(1)銀行,金融会社の法定準備率を6.5%から1%引き上げ,(2)自動車購入ローンの融資条件を引締める,の2点を発表。
DIA-206-1991-08-14-2マレーシア1991年08月14日1990年代セメント輸入税(50%)の即時撤廃を発表。15日にはセメントとクリンカーの輸出規制が解除された。
DIA-206-1991-08-15-1マレーシア1991年08月15日1990年代クランタン州議会補欠選挙の国民戦線候補者2名,補欠選挙取りやめの仮処分を申請。
DIA-206-1991-08-16-1マレーシア1991年08月16日1990年代首相,地球サミットについて,(1)「弱い」国は独自の会議を開き先進国を排除する方がよい,(2)マレーシアは自国が批判されるだけなら出席しない,と談話。
DIA-206-1991-08-17-1マレーシア1991年08月17日1990年代ガファール副首相,ビドン島のインドシナ難民キャンプの閉鎖に着手と発表。
DIA-206-1991-08-17-2マレーシア1991年08月17日1990年代マレーシア・イスラム青年運動(ABIM)大会。Dr.Siddiq Fadil会長が辞任,19日,後任にDr.Muhammad Nur Manuty国際イスラム大学学生部長を選出。
DIA-206-1991-08-19-1マレーシア1991年08月19日1990年代ソ連でクーデター。KL証券取引所総合指数は前日引値の541.66ポイントから一時57.84ポイント暴落したが,その後505.47ポイントまで持ち直して引けた。20日,マハティール首相は事態を注視と談話。23日,ゴルバチョフ大統領の無事と職務再開を欣快とする旨の書簡を駐マ・ソ連大使を通じて送付。
DIA-206-1991-08-19-2マレーシア1991年08月19日1990年代46年精神党のクランタン州マチャン区選出下院議員とその支持者約400人がUMNOに復党。
DIA-206-1991-08-20-1マレーシア1991年08月20日1990年代ベトナム訪問中のアヌワール蔵相,ヴォー・ヴァン・キエット首相と会談。
DIA-206-1991-08-20-2マレーシア1991年08月20日1990年代東京ガスと三井物産,半島部の都市ガス供給事業でPetronas社と合併設立に合意。
DIA-206-1991-08-22-1マレーシア1991年08月22日1990年代高裁,前クランタン州議員2名の訴えを認め,入党申請書提出や党費納入の事実が立証されないため,両名は46年精神党の党員ではなかったと判定。
DIA-206-1991-08-24-1マレーシア1991年08月24日1990年代クランタン州議会補欠選挙で46年精神党が2議席共に確保。
DIA-206-1991-08-26-1マレーシア1991年08月26日1990年代ガファール副首相,経済使節団を率いてクウェート訪問。30日からイランを,9月2日からトルコを公式訪問。
DIA-206-1991-08-28-1マレーシア1991年08月28日1990年代マラヤ鉄道,10月1日から旅客運賃を5~15%値上げ,と発表。7年ぶりの運賃値上げ。
DIA-206-1991-08-28-2マレーシア1991年08月28日1990年代内閣,「北の三角地帯」経済開発協力事業のマレーシア側議長にダイム前蔵相を任命(閣僚待遇)。
DIA-206-1991-08-28-3マレーシア1991年08月28日1990年代国際天然ゴム機構(INRO),17カ月ぶりに市場に買い介入。
DIA-206-1991-08-29-1マレーシア1991年08月29日1990年代UMNO最高会議,ブミプトラ参加の質を向上させる手段を討議するため12月に第3回ブミプトラ経済会議を開催するよう政府に要請する,等を決定。
DIA-206-1991-08-31-1マレーシア1991年08月31日1990年代独立記念日。式典のテーマは2020年ビジョン。
DIA-206-1991-08-31-2マレーシア1991年08月31日1990年代ナジブ国防相によれば,政府は開発促進のためラヤン・ラヤン環礁に滑走路建設を計画。
DIA-206-1991-09-01-1マレーシア1991年09月01日1990年代バンク・ブミプトラ,貸出基準金利を0.6%引き上げて8.6%に。
DIA-206-1991-09-02-1マレーシア1991年09月02日1990年代シンガポール空軍のF5-Eジュット戦闘機1機が,ジョホール州のゴルフ場造成工事現場に墜落。
DIA-206-1991-09-03-1マレーシア1991年09月03日1990年代マハティール首相によれば,(1)KLから70キロメートルのスパン郡に総工費200億リンギで新国際空港を建設する。
DIA-206-1991-09-03-2マレーシア1991年09月03日1990年代政府,クアラルンプル・タワー建設で趣意書に調印。
DIA-206-1991-09-05-1マレーシア1991年09月05日1990年代警察,帰国後もイデオロギーを放棄しなかった前マ共党員9人を拘留。8日の特別捜査局長談話によれば,9人は,これまでに帰国を申請したマ共党員約400人のうち先月無条件で帰国を認められた13人の一部。
DIA-206-1991-09-06-1マレーシア1991年09月06日1990年代サラワク州議会解散。
DIA-206-1991-09-06-2マレーシア1991年09月06日1990年代国王夫妻,訪中。マレーシア元首の訪中は初めて。12日から韓国を訪問し,17日帰国。
DIA-206-1991-09-09-1マレーシア1991年09月09日1990年代Petronas Garigali Overseas Sdn.Bhd.社,ベトナム南岸沖海底油田探査で生産分与契約に調印。
DIA-206-1991-09-09-2マレーシア1991年09月09日1990年代アブドラー外相非同盟運動は国連環境・開発会議で共通の立場をとることに合意,と談話。
DIA-206-1991-09-11-1マレーシア1991年09月11日1990年代総理府イスラム問題局長,政府省庁の構内でのDarul Arqamの集会,その他の活動を禁止,と発表。
DIA-206-1991-09-12-1マレーシア1991年09月12日1990年代アブドラー外相,政府はこのほどバルト3国の承認を決定,と談話。
DIA-206-1991-09-12-2マレーシア1991年09月12日1990年代インドネシアとの2重課税防止協定に調印。
DIA-206-1991-09-12-3マレーシア1991年09月12日1990年代アヌワール蔵相,MUI社によるInter-Pac社株の公開買付けを認可と発表。その直後にInter-Pac社のV・タソ社長はすでにその持株を51.03%にしており,残りの株式について引き取りに応じると発表。13日,MUI社は一部公開買付けに変更。
DIA-206-1991-09-13-1マレーシア1991年09月13日1990年代MIC党大会開催。役員選挙でヴェル党首推薦の次席副党首候補3人,中央執行委員候補5人が当選。
DIA-206-1991-09-14-1マレーシア1991年09月14日1990年代サラワク州議会選挙,立候補届出日。同州国民戦線が対立候補無しで2議席獲得。
DIA-206-1991-09-16-1マレーシア1991年09月16日1990年代ゲインコブ・ナミビア首相,来訪。
DIA-206-1991-09-17-1マレーシア1991年09月17日1990年代マハティール首相,メキシコ訪問(6日間)。サリナス大統領主催の晩餐会で北米自由貿易協定(NAFTA)に懸念を表明,EAEGについて説明。
DIA-206-1991-09-21-1マレーシア1991年09月21日1990年代46年精神党,KLで党大会開催。
DIA-206-1991-09-23-1マレーシア1991年09月23日1990年代州首相会議,全国水資源公団(NWA)設立案に,森林資源に関わる一定の条件をつけることで合意。
DIA-206-1991-09-24-1マレーシア1991年09月24日1990年代マハティール首相,ニューヨークで盧泰愚韓国大統領と会談。同日,国連総会で演説。国連の民主化を訴え,EAEGについて説明。
DIA-206-1991-09-24-2マレーシア1991年09月24日1990年代サラワク州政府,ラザレイ46年精神党首に対して選挙期間中の入州を禁止。
DIA-206-1991-09-27-1マレーシア1991年09月27日1990年代サラワク州議会選挙投票日(28日まで2日間)。与党連合の国民戦線(BN3)が56議席中49議席を獲得。
DIA-206-1991-09-29-1マレーシア1991年09月29日1990年代PBDS,サラワク州与党連合に無条件で復帰を求めると決定。30日,タイブ州首相は,州国民戦線加盟党の見解をまず求めるが,裏切られぬようにと忠告してくれる者もいる,と談話。モギーPBDS党首は10月1日,タイブ州首相に謝罪する用意があると声明。
DIA-206-1991-09-30-1マレーシア1991年09月30日1990年代天皇,皇后,マレーシア訪問。歓迎晩餐会でアズランシャー国王は,(1)日本がEAEGで指導的役割を果たすことを希望する,(2)「過去にこだわるのではなく,,改めて将来の平和的な協力を展望するという精神で両陛下を歓迎する」と述べ,天皇は,日本が「不幸な戦争の災禍を再び繰り返すことのないよう平和国家として生きる決意」を基礎に,「終戦以来東南アジア諸国と新たな友情を築くためたゆまぬ努力を払ってきた」と挨拶。
DIA-206-1991-10-02-1マレーシア1991年10月02日1990年代ジョホール州政府,Desaru International Resorts Sdn.Bhd.社に貸与した土地1742㌶等を回収。
DIA-206-1991-10-04-1マレーシア1991年10月04日1990年代ヴェル・エネルギー・通信・郵政相によれば,マレーシアは1995年迄に独自の通信衛星打上げを計画。
DIA-206-1991-10-05-1マレーシア1991年10月05日1990年代マハティール首相,歴代首相で初めてトゥンク・アブドゥル・ラーマン学院の卒業式に列席。
DIA-206-1991-10-07-1マレーシア1991年10月07日1990年代ASEAN経済閣僚会議,KLで開催。冒頭,マハティール首相は,(1)環境問題を利用して経済成長を阻害するキャンペーンに,協調して反撃する必要がある,(2)国際間の貿易交渉における発言力拡大のため,東アジア諸国と緊密に協力するべきである,と述べた。8日,会議は,(1)現行のASEAN特恵貿易取決め(APTA)の改善,EAEG案,共通効果特恵関税取決め(CEPT)案,成長の三角地帯構想,ASEAN自由貿易地域設立(AFTA)案,ASEAN経済協力協定(ATEC)案等を検討し,これら各種のイニシャチブを実施するための枠組み組決めを1992年に調印することに合意,(2)EAEGの名称を東アジア経済会議(East Asia Economic Caucus:EAEC)と変更し,必要に応じて開催する,等を盛り込んだ共同コミュニケを発表。
DIA-206-1991-10-07-2マレーシア1991年10月07日1990年代第1回マレーシア・インドネシア合同委員会,KLで開催。11日,閣僚会議(2日間)を終えたアブドラー外相は,(1)両国はシパダン,リジタン2島の領有権問題に関する友好的な対話の継続で合意,(2)アチェーからの難民約100人に帰国を説得,と談話。
DIA-206-1991-10-09-1マレーシア1991年10月09日1990年代英連邦蔵相会議,KLで開催。
DIA-206-1991-10-09-2マレーシア1991年10月09日1990年代ASEAN-米通商代表部会議,KLで開催。カーラ代表は共同記者会見で,(1)EAEC案に非常に積極的に留意する,(2)地域への米国のコミットメントはAPECへの強い支持に明瞭に反映されている,と述べた。
DIA-206-1991-10-09-3マレーシア1991年10月09日1990年代シンガポール港公団発行の月刊誌によれば,同公団はバトゥ・プテー島の燈台とレーダーの維持管理のため,ヘリ・パッド建設を計画中。
DIA-206-1991-10-10-1マレーシア1991年10月10日1990年代保健省,カリマンタンの森林火災による煙霧について,喘息・慢性肺疾患の患者,児童,幼児,老人に外出時の露出部の洗浄,嗽,医師との相談等を勧告。なお,イポー空港は9月29日から10月14日まで閉鎖された。
DIA-206-1991-10-12-1マレーシア1991年10月12日1990年代公務員賃金改善案発表。首相は全国合同協議会(職員側)役員との会談の席上,(1)本年1月発表分を含めて8~10%の賃上げを1989年1月1日に遡り実施(年間賃上げ額11億2000万リンギ,差額17億8000万リンギ)(2)賃金に関わる従来のA~Dの4種類の分類を上級管理職,行政・専門職,補佐職の3分類に簡素化し,574の賃金表を19のマトリックス賃金表にまとめる,(3)公務員の民間流出を防ぐために労働需給に応じて奨励手当を支給,などを発表。官公労組会議は新制度の受入れを決定。
DIA-206-1991-10-14-1マレーシア1991年10月14日1990年代首相,16日からの英連邦首脳会議出席のため,ジンバブエ訪問。
DIA-206-1991-10-14-2マレーシア1991年10月14日1990年代サイド・ハミッド総理府相,弁護士会が一定の行事に最高裁長官を招待しないのは未熟さを示す,と批判。さらに29日首相は,弁護士会が世界中でマレーシア司法府のイメージを汚したことをまず認めるべきだと談話。
DIA-206-1991-10-16-1マレーシア1991年10月16日1990年代ニポン前ソンクラ知事,6月30日のタイ武装兵士による国境パダン・ブサール側市場への侵入につき,タイ政府を代表してプルリス州王に謝罪。
DIA-206-1991-10-17-1マレーシア1991年10月17日1990年代林亜礼人的資源相によれば,内閣は10月9日に,外国人労働者の雇用について,(1)永住者は労働許可書なしに就労できる。(2)不法就労者の登録期限をさらに6カ月延期する,(3)製造業の外国人雇用は熟練・半熟練労働者,技術・専門職に限る,(4)サービスとその他の部門では,雇用者が国内労働者採用が困難なことを証明し得ない限り,外国人の就労を認めない,等を承認。
DIA-206-1991-10-17-2マレーシア1991年10月17日1990年代マハティール首相はホーク豪首相と会談後,(1)ホーク首相が豪州の報道機関の反マレーシアの嘘を否認する声明を出すと約束,(2)両国関係は正常に復帰,と談話。
DIA-206-1991-10-18-1マレーシア1991年10月18日1990年代ラフィダー通産相,一定業種の株主資金250万リンギ未満の企業に外資資本参加規制を導入の意向と発表。
DIA-206-1991-10-19-1マレーシア1991年10月19日1990年代警察,モハメド・ナシールUKM教授ほか3人を不法公有地占拠者の強制退去に抵抗した廉で拘留。
DIA-206-1991-10-21-1マレーシア1991年10月21日1990年代下院再開。
DIA-206-1991-10-21-2マレーシア1991年10月21日1990年代世銀,Paka発電所事業に対する借款5億4000万リンギを承認。
DIA-206-1991-10-21-3マレーシア1991年10月21日1990年代来訪中の米太平洋軍最高司令官C・ラーソン提督,(1)南沙領有権問題は地域の問題であり,米国は介入しない,(2)比からの撤退に伴い米・マ両政府はルムットでの米軍艦船の修理・改装の可能性の検討に合意,と談話。
DIA-206-1991-10-23-1マレーシア1991年10月23日1990年代マハティール首相,タンザニア公式訪問。
DIA-206-1991-10-24-1マレーシア1991年10月24日1990年代アヌワール蔵相,一部の銀行による低コスト住宅への融資中止について中銀に調査を指示。25日,陸副蔵相は住宅ローン金利上限引上げの噂を否定,26日,ジャファール中銀総裁は,金融機関に対する銀行間ネット借入れ規制(預金の20%)をこのほど撤廃,と発表。
DIA-206-1991-10-25-1マレーシア1991年10月25日1990年代メガット・ジュニッド副内相,不法就労のインドネシア人メイドを本国送還のため12月31日までに内務省に引き渡し,送還までの費用を支払わなければ,雇主を起訴すると談話。11月10日,ガファール副首相はこの手続きを,不法就労の大農園・建設労働者とメイドは1992年6月30日までに正規の書類を本国または在マ大使館で取得し,マ出入国管理局で登録すると変更,と発表。
DIA-206-1991-10-28-1マレーシア1991年10月28日1990年代来訪中のストロング国連環境開発会議事務局長,ガファール副首相と会見し,来年6月ブラジルで開催予定の会議へのマハティール首相の出席を要請。29日首相は,会議で積極的な成果を挙げると先進国が保証する場合にのみ,マレーシアは出席するとの立場を表明。
DIA-206-1991-11-01-1マレーシア1991年11月01日1990年代アヌワール蔵相,1992年予算案を下院に上程。歳入355億800万リンギ(前年当初比17.4%増),経常支出339億2500万リンギ(同16.8%増),開発支出115億2200万リンギ(同33.4%増)。新規の創始産業への法人税免除の廃止,投資税控除・輸出実績への減税・輸出控除等の適用範囲の制限,外国人就業者課徴金(職種により年360~2400リンギ)の導入などを提案。
DIA-206-1991-11-03-1マレーシア1991年11月03日1990年代ジャファール中銀総裁の北部大学(UUM)での講演によれば,中銀の今後30年間の主要なアプローチは,営利至上的な者による銀行資本の相当部分の所有抑制,証券取引委員会(SEC)設立,構造的な規制緩和と自由化,全面的なイスラム銀行の設立の4点。
DIA-206-1991-11-06-1マレーシア1991年11月06日1990年代ライス・ヤティム(46年精神党結成の主要メンバー)このほど離党。
DIA-206-1991-11-07-1マレーシア1991年11月07日1990年代UMNO青年部,婦人部大会開催。
DIA-206-1991-11-07-2マレーシア1991年11月07日1990年代渡辺外相,EAECが米国を排除する限り,日本の参加の可能性は薄い,と示唆。6日にはベーカー米国務長官が書簡を送付して,日本政府にEAEC不参加を要請していたと見られる。
DIA-206-1991-11-08-1マレーシア1991年11月08日1990年代UMNO党大会,開催。大会で発言したほとんどの代議員から,王族所有財産調査のための委員会設置,1990年党大会決議の実行,必要があれば憲法を修正,等の要求が出された。大会は党規約修正案,経済決議を採択,党総裁報告を了承。10日,マハティール総裁は総括討論で,疑わしい意図を持つ個人または集団により立憲君主制が変更されたり利用されるのを望まないからこそ,大会でこの問題を公然と議論した,と指摘。
DIA-206-1991-11-08-2マレーシア1991年11月08日1990年代高裁,選出時の党籍を離脱する州議員の議員資格を剥奪するクランタン州憲法修正条項は,結社の自由を制限する権限が連邦議会にしかないため,部分的に無効と判決。被告の同州議会と議長は最高裁に上告。
DIA-206-1991-11-08-3マレーシア1991年11月08日1990年代日本の中小企業金融公庫,KLに事務所開設。
DIA-206-1991-11-11-1マレーシア1991年11月11日1990年代ランカウィ島国際航空・海事博覧会(Lima’91),開催。首相は,同島に臨時執務室を設置。
DIA-206-1991-11-13-1マレーシア1991年11月13日1990年代ペルーのアルベルト・フジモリ大統領来訪。両国は経済・科学協力協定と両国中央銀行間の2国間貿易決済取り決めに調印。
DIA-206-1991-11-13-2マレーシア1991年11月13日1990年代ソウルのAPEC閣僚会議出席中のサイード・ハミット総理府相は,マレーシアが自分を派遣することで代表団の格を下げたわけではない,と談話。
DIA-206-1991-11-13-3マレーシア1991年11月13日1990年代マ国軍少佐2名を国連カンボジア先遣部隊に派遣。
DIA-206-1991-11-14-1マレーシア1991年11月14日1990年代メガット・ジュニッド副内相,2週間前の閣議で,マ国民の南アフリカ訪問禁止解除を決定と発表。
DIA-206-1991-11-16-1マレーシア1991年11月16日1990年代8月の補欠選挙で当選した46年精神党の2名の州議員が,州議会議事への参加を禁じた高裁の仮処分(本日決定)にもかかわらず,議員就任宣誓。
DIA-206-1991-11-18-1マレーシア1991年11月18日1990年代株価急落。11月22日のウォール・ストリートでの2年ぶりの急落を受けて,KL証券取引所総合指数が528.60に17.14ポイント(3.14%)下落したが,19日には535.64に小戻した。
DIA-206-1991-11-19-1マレーシア1991年11月19日1990年代黄金明シンガポール大統領,来訪(4日間)。
DIA-206-1991-11-20-1マレーシア1991年11月20日1990年代ベトナム難民52人がトレンガヌ州ビドン島収容所を離れ,同島は30日に連邦から州政府に返還された。
DIA-206-1991-11-21-1マレーシア1991年11月21日1990年代ガファールUMNO副総裁は,「君主制廃棄の要求は扇動法違反だが,単なる統治者批判は違反にはあたらない,というのが党の見解である」と談話。
DIA-206-1991-11-22-1マレーシア1991年11月22日1990年代46年精神党,Hj.Mazlan Dtk.HarunとHj.Fahami Ibrahimを除名。ともにスランゴール州の同党支部長。
DIA-206-1991-11-24-1マレーシア1991年11月24日1990年代Naval Dockyard Sdn.Bhd.社会長,米太平洋艦隊の艦艇修理引受けを前提とするルムット軍港整備計画の存在を確認。12月5日のナジブ国防相下院答弁によれば,政府の米国に対するルムットの海軍施設利用提案は経済的なものであり,内政介入には厳しく対処。
DIA-206-1991-11-24-2マレーシア1991年11月24日1990年代エンコモ・ジンバブエ第2副大統領,来訪。
DIA-206-1991-11-25-1マレーシア1991年11月25日1990年代首相,G15会議出席のためベネズエラ訪問。27日,ベネズエラとの貿易協定調印に立会い。同日,G15会議冒頭,地球的規模の意思決定過程にも民主主義をあらしめるべきである,と述べた。12月2日からセント・ルシアを公式訪問し,6日帰国。
DIA-206-1991-11-25-2マレーシア1991年11月25日1990年代意識覚醒運動(Aliran)結成以来の会長Dr.Chandra Muzaffarが辞任,後任にDr.Ariffin Omar理科大学歴史学講師を選出。
DIA-206-1991-11-25-3マレーシア1991年11月25日1990年代Petronas社,LNGタンカー購入のため56億3000万フランの借款取入れに調印。
DIA-206-1991-11-26-1マレーシア1991年11月26日1990年代PAS,ムマリ事件記念集会を同村で開催。
DIA-206-1991-11-29-1マレーシア1991年11月29日1990年代ブミプトラ投資信託(ASB)の1991年の配当を8.5%,ボーナスを4%と発表。
DIA-206-1991-11-29-2マレーシア1991年11月29日1990年代政府,有毒廃棄物の国際移動と処理に関するバーゼル協定への参加をこのほど決定。
DIA-206-1991-11-29-3マレーシア1991年11月29日1990年代MUMB社,Berjaya Group Bhd.社株の一部公開買収を取り下げ。
DIA-206-1991-11-30-1マレーシア1991年11月30日1990年代クランタン農民組織庁,連邦政府の肥料補助を地区(Mukim)開発監督官の認可等を条件に再開。
DIA-206-1991-12-02-1マレーシア1991年12月02日1990年代郵政局,全職員に民営化に伴なう賃金体系選択用紙を配布。16日,同局の民営化労働者行動委員会筋によれば,ほとんどの職員が新賃金体系を選択した模様。
DIA-206-1991-12-05-1マレーシア1991年12月05日1990年代総理府社会経済調査局,2020年ビジョン全国セミナーを開催(3日間)。
DIA-206-1991-12-08-1マレーシア1991年12月08日1990年代ガファール副総裁,イスラム会議機構(OIC)出席のため,セネガル訪問。15日からはマルタ訪問。
DIA-206-1991-12-09-1マレーシア1991年12月09日1990年代Pernas Sogo Sdn.Bhd.,1億5000万米㌦の借入れに調印。協調融資はラブアン島で組成された。
DIA-206-1991-12-10-1マレーシア1991年12月10日1990年代保険局長,PanGlobal Insurance社の役員を解任,経営権を接収。
DIA-206-1991-12-10-2マレーシア1991年12月10日1990年代マハティール首相,ロシア,ウクライナ,白ロシアの3共和国を現在承認する必要はないが,将来関係を持つことになろう,と談話。
DIA-206-1991-12-11-1マレーシア1991年12月11日1990年代馮鎮安副教育相,大学教授,準教授の定員廃止・昇進機会の拡大を含む賃金表を来年から導入と発表。
DIA-206-1991-12-11-2マレーシア1991年12月11日1990年代クレジット・カード発行の規制強化を閣議決定。
DIA-206-1991-12-12-1マレーシア1991年12月12日1990年代林良実運輸相,スバン新国際空港建設はGEC社と丸紅を主体とする日・英企業チームが担当,と発表。
DIA-206-1991-12-14-1マレーシア1991年12月14日1990年代半島部ガス利用第2段階(PGUⅡ),操業開始。首相によれば,(1)1995年迄に発電の液体燃料依存は現在の42%から5.5%に低下し,天然ガスは23%から75%に拡大,(2)ガス転換により2000年までに180億リンギを節約。
DIA-206-1991-12-14-2マレーシア1991年12月14日1990年代マラッカ州議会Serkam区補欠選挙で国民戦線(UMNO)候補が当選。
DIA-206-1991-12-14-3マレーシア1991年12月14日1990年代タイの武装将兵数名が20日までに3回にわたりマ側パダン・ブサールのマラヤ鉄道敷地に侵入。22日には国境のタイ側から発砲。事件後,マ政府は警察野戦部隊50人を付近一帯の警備のため配置。27日,アブドラー外相は,問題を次回のマ・タイ合同委員会に提起,と談話。
DIA-206-1991-12-16-1マレーシア1991年12月16日1990年代上院再開。
DIA-206-1991-12-16-2マレーシア1991年12月16日1990年代首相,マーストリヒト協定につき,ECがフォートレス・ヨーロッパとなる可能性は常に存在とコメント。
DIA-206-1991-12-16-3マレーシア1991年12月16日1990年代本日付けNew Straits Timesによれば,KL証券取引所への上場は2部を含め先週末現在で35銘柄,本年中に39銘柄となり,これまでの最高となる模様。
DIA-206-1991-12-17-1マレーシア1991年12月17日1990年代林亜礼人的資源相,製造業者は労働者不足とそれによる生産の混乱を証拠付ける等の条件を満たせば,外国人労働者の雇用を1月2日から申請できる,と発表。
DIA-206-1991-12-17-2マレーシア1991年12月17日1990年代首相,マ・日合弁での1000cc未満の小型車製造事業の実施はほとんど確実,と談話。ダイハツ自動車とそのマレーシア販売会社,およびPNB社が参加を予定。
DIA-206-1991-12-17-3マレーシア1991年12月17日1990年代ラフィダー通産相によれば,政府はこのほどMalaysia Technological Development Corporation(MTDC)の設立を認可。ベンチャー・キャピタル投資会社で,政府が30%を出資,筆頭株主となる。
DIA-206-1991-12-19-1マレーシア1991年12月19日1990年代クダー州議会Jerlum区補欠選挙で,国民戦線(UMNO)侯補者が当選。
DIA-206-1991-12-19-2マレーシア1991年12月19日1990年代駐カンボジア大使,信任状をシアヌーク最高国民評議会議長に提出。
DIA-206-1991-12-21-1マレーシア1991年12月21日1990年代製造業者協会(FMM)の最近の調査に回答した150社の労働者不足は,現在少なくとも1万人,1992,93年には少なくとも1万5800人になる見込み。
DIA-206-1991-12-23-1マレーシア1991年12月23日1990年代首相,ポール・キーティング豪州新首相に祝電。
DIA-206-1991-12-23-2マレーシア1991年12月23日1990年代Tenaga Nasional Bbd.,1990/91年度に税引き前利益6億9190万リンギを計上。
DIA-206-1991-12-24-1マレーシア1991年12月24日1990年代訪日中のマハティール首相,宮沢首相を表敬訪問。会談で,ODAの条件を被援助国の1人当り国民所得に結びつける世銀のガイドラインに従わぬよう要請。
DIA-206-1991-12-24-2マレーシア1991年12月24日1990年代中銀,クレジット・カード発行のガイドライン発表。
DIA-206-1991-12-24-3マレーシア1991年12月24日1990年代下院休会。
DIA-206-1991-12-26-1マレーシア1991年12月26日1990年代首相,韓国を非公式訪問。28日盧泰愚大統領との会談後,韓国や日本にEAECへの支持工作に来たわけではない,と談話。
DIA-206-1991-12-30-1マレーシア1991年12月30日1990年代PLUS社,南北ハイウェイほか3本の幹線道路の重量車両通行料金を1月1日から20%引上げと発表。
DIA-206-1991-12-31-1マレーシア1991年12月31日1990年代上院休会。1992年予算のほか,法律職法案,国会議員(報酬)修正法案など21法案を可決。
DIA-206-1991-12-31-2マレーシア1991年12月31日1990年代主権国家連合(CIS)とその11共和国を承認。
DIA-206-1991-12-31-3マレーシア1991年12月31日1990年代ザイナルMTUC委員長,(1)12月20日に,製造業への外国人労働者導入に不満を表明し,会見を求める書簡をガファール副首相に送付,(2)同部門には労働力不足がないことを証明できる,(3)外国人労働者への課徴金を月額250リンギに引き上げるよう政府に要請,と談話。
DIA-206-1992-01-10-1マレーシア1992年01月10日1990年代政府,全国マレー人商工会議所と共催で第3回ブミプトラ経済会議,クアラルンプルで挙行(3日間)。ブミプトラと非ブミプトラの共同事業促進,ブミプトラ投資信託基金の設立など10決議を採択。
DIA-206-1992-01-10-2マレーシア1992年01月10日1990年代楊尚昆中国国家主席,来訪。11日首相との会談で,EAEC構想の全面的支持を表明,14日,離マ。
DIA-206-1992-01-20-1マレーシア1992年01月20日1990年代ボー・バン・キエト・ベトナム首相,来訪。マハティール首相との会談で両者は,ベトナムの東南アジア友好協力条約加入の意向,マのEAEC案推進を支持。21日,両国は投資保証協定に調印。23日,離マ。
DIA-206-1992-01-22-1マレーシア1992年01月22日1990年代クアラルンプル高裁,州議員の在職中の離党を制限したクランタン州憲法改正を連邦憲法違反と判決。
DIA-206-1992-01-25-1マレーシア1992年01月25日1990年代マハティール首相,シンガポール訪問。同日,ゴー・シ首相と会談。バトゥ・プテー島領有権,第2コーズウェイ建設,ウッドランド基地使用などの問題を話し合い,27日からのASEAN首脳会議に出席,28日に帰国。
DIA-206-1992-01-28-1マレーシア1992年01月28日1990年代マハティール首相,ASEAN首脳会議後の記者会見で,日本は軍事的役割を持たない方が良いが,カンボジアのPKO参加は支持,と表明。
DIA-206-1992-01-29-1マレーシア1992年01月29日1990年代シンガポールへの天然ガスパイプライン開通。
DIA-206-1992-02-12-1マレーシア1992年02月12日1990年代インドネシア訪問中の劉賢鎮科学・技術・環境相,スハルト大統領がマラッカ海峡の環境保護のため通航船舶からの通航料金徴収を提案と語る。
DIA-206-1992-02-19-1マレーシア1992年02月19日1990年代アブドラー外相カンボジアを公式訪問。19日,銀行協定,民間航空協定に調印。21日,離カ。
DIA-206-1992-02-24-1マレーシア1992年02月24日1990年代UMNO最高会議代表団,国王と会見,翌日は各州王と会見。国王・州王の行動規範作りで合意。
DIA-206-1992-03-03-1マレーシア1992年03月03日1990年代ヤコブ陸軍参謀長,南沙問題の武力による解決には反対だが,わが国の領土は必ず防衛と談話。
DIA-206-1992-03-03-2マレーシア1992年03月03日1990年代マハティール首相,ミャンマーのロヒンガ族迫害に断固たる姿勢で臨むと談。
DIA-206-1992-03-04-1マレーシア1992年03月04日1990年代クダー州ジュライ区下院議員補欠選挙で国民戦線1万4538票,PAS1万812票,投票率69%。
DIA-206-1992-03-06-1マレーシア1992年03月06日1990年代米軍機1機,ジョホール州内に墜落。
DIA-206-1992-03-15-1マレーシア1992年03月15日1990年代MAS,クアラルンプル~プノンペン線に就航。
DIA-206-1992-03-23-1マレーシア1992年03月23日1990年代マハティール首相,コタ・バルで,クランタン州王が輸入税を納付しないで外車を持ち込んだ(19日)ことに遺憾の意を表明。同州王は27日,報復心と偏見を持つ人々を非難。
DIA-206-1992-03-31-1マレーシア1992年03月31日1990年代アジズ・クランタン州首相,州政府がコーランをもとに憲法を改正するための検討委員会をこのほど設置したことを明らかにし,4月2日には,イスラム刑罰の対象には非ムスリムも含まれよう,と談話。
DIA-206-1992-03-31-2マレーシア1992年03月31日1990年代MAS,クアラルンプル~ハノイ路線運航開始。
DIA-206-1992-03-31-3マレーシア1992年03月31日1990年代ナジブ国防相,英マルコニー社からの軍艦2隻購入契約に調印。
DIA-206-1992-04-03-1マレーシア1992年04月03日1990年代最高裁,州議員の党籍離脱に関するクランタン州憲法改正は連邦憲法違反と判決。
DIA-206-1992-04-19-1マレーシア1992年04月19日1990年代マハティール首相,24日までベトナムを公式訪問。連邦閣僚4人,州首相5人のほか経済界から108人が随行。両国は20日,経済・科学技術協力協定,郵便・通信協力協定,技術援助に関する覚書きに調印。
DIA-206-1992-04-19-2マレーシア1992年04月19日1990年代ナジブ国防相,クアンタンでミグー29戦闘機に試乗。
DIA-206-1992-04-21-1マレーシア1992年04月21日1990年代トレンガヌ州議会ブキ・パヨン区補欠選挙,UMN04401票,PAS4012票,投票率84.7%。
DIA-206-1992-04-25-1マレーシア1992年04月25日1990年代UMNO代表団,国王と6州王に会見,「行動規範」草案を提出。「統治者宣言」に改称で合意。
DIA-206-1992-04-27-1マレーシア1992年04月27日1990年代第2回開発途上国環境担当相会議,クアラルンプルで3日間開催。28日クアラルンプル宣言採択。30日マハティール首相は地球サミット出席の意向を表明。
DIA-206-1992-05-01-1マレーシア1992年05月01日1990年代ザイナルMTUC委員長はメーデー大会で,電子産業労働者の全国組合結成を要求し,政府に解決の意思がなければ,問題を国際会議の場に提起と演説。
DIA-206-1992-05-02-1マレーシア1992年05月02日1990年代銀行・金融会社の準備率,8.5%に1%引上げ。
DIA-206-1992-05-04-1マレーシア1992年05月04日1990年代ムスタファ・サバUMNO州議員,州議員の党籍変更を禁じた州憲法改正は無効と高裁に提訴。
DIA-206-1992-05-04-2マレーシア1992年05月04日1990年代米第7艦隊のタスカローサ号8450㌧,海軍ドック社での点検修理のため,ルムット軍港に入港。
DIA-206-1992-05-04-3マレーシア1992年05月04日1990年代ラフマット情報相,最近のシンガポールの非友好的態度に鑑み第2コーズウェイ建設の見直しを首相に申し入れるつもりと談話。
DIA-206-1992-05-04-4マレーシア1992年05月04日1990年代クロアチア,スロベニア,ボスニアを承認と発表。
DIA-206-1992-05-10-1マレーシア1992年05月10日1990年代サラワク州国民戦線,PBDSの加入を拒否。
DIA-206-1992-05-16-1マレーシア1992年05月16日1990年代アプドラー外相,ロシア,ウズベキスタン,カザフスタン,キルギスタン,トルクメニスタン歴訪へ。
DIA-206-1992-05-22-1マレーシア1992年05月22日1990年代国王,ラヤン・ラヤン島訪問。
DIA-206-1992-05-26-1マレーシア1992年05月26日1990年代三菱商事発表によれば,Petronas社はLNG生産倍増(810万㌧から1580万㌧へ)のため合弁でMLNG Dua Sdn.Bhd.設立。シェルと三菱商事が各15%出資。
DIA-206-1992-05-28-1マレーシア1992年05月28日1990年代全国エネルギー会社(TNB),上場。
DIA-206-1992-05-29-1マレーシア1992年05月29日1990年代米海軍戦闘機1機がジョホール州に墜落。
DIA-206-1992-06-05-1マレーシア1992年06月05日1990年代ベトナムとマレーシア,両国の大陸棚係争地区を確定し,その間,当該地区での石油探査・採掘で協力するなどの合意書に調印。
DIA-206-1992-06-10-1マレーシア1992年06月10日1990年代マハティール首相,国連環境開発会議出席のため離マ。13日に同会議で演説。生物多様性条約に調印,気候変動枠組み条約の調印拒否を確認。20日帰国。
DIA-206-1992-06-13-1マレーシア1992年06月13日1990年代ナジプ国防相,シ空軍機は今後ジョホール州上空飛行に際して5000フィートの高度をとることに改訂と発表。
DIA-206-1992-06-19-1マレーシア1992年06月19日1990年代カリモフ・ウズベキスタン大統領来訪(4日間)。
DIA-206-1992-06-22-1マレーシア1992年06月22日1990年代ガファール副首相によれば,90年4月から91年8月にサバ州の外国人35万7180人のうち29万9790人が登録,不法入国者2万6095人を逮捕。
DIA-206-1992-06-24-1マレーシア1992年06月24日1990年代スハイミ46年精神党書記長,91年7月申請の人民戦線Gagasan Rakyatの登録が92年5月に正式認可されたと発表。
DIA-206-1992-06-25-1マレーシア1992年06月25日1990年代ナジブ国防相米国製海上哨戒機4機(計9300万リンギ)購入の契約に先月調印と明かす。
DIA-206-1992-06-29-1マレーシア1992年06月29日1990年代マ外務省,「マレーシアのバトゥ・プテー島領有権」と題する覚書をシ外務省に手交。
DIA-206-1992-06-30-1マレーシア1992年06月30日1990年代半島部の不法就労外国人労働者の登録を締め切り,35万3739人が登録。未登録者は政府推定で約10万人。
DIA-206-1992-07-04-1マレーシア1992年07月04日1990年代国王と6州王,「憲法原則の宣言」に署名,発表(「参考資料」参照)。
DIA-206-1992-07-04-2マレーシア1992年07月04日1990年代汚職捜査局,ヴェルMIC党首(エネルギー・郵政・通信相)に対して財産報告の提出を要求。14日までにマハリンガム副人的資源相など6人の取調を開始。
DIA-206-1992-07-04-3マレーシア1992年07月04日1990年代クランタン州政府,プルガウ・ダム建設現場に通じる道路を封鎖(12日まで)。23日,州政府と国家エネルギー会社は,ダム建設補償額について合意
DIA-206-1992-07-11-1マレーシア1992年07月11日1990年代イポー高裁,Asian Rare Earth社に対して,14日以内に操業停止,有害廃棄物の恒久的貯蔵施設への移送を命じ,同時に,原告住民側の損害賠償要求を却下。最高裁は24日,操業停止と放射性廃棄物の工場からの撤去の命令を差し止め,操業再開を認めた。
DIA-206-1992-07-21-1マレーシア1992年07月21日1990年代アヌワール蔵相,開発支出の引き締めを示唆。
DIA-206-1992-07-28-1マレーシア1992年07月28日1990年代国家企業家公社(PUNB)発足。
DIA-206-1992-08-01-1マレーシア1992年08月01日1990年代Kretapi Tanah Melayu Bhd.社,発足。
DIA-206-1992-08-10-1マレーシア1992年08月10日1990年代姚依林中国副首相,公式来訪(~14日)。
DIA-206-1992-08-10-2マレーシア1992年08月10日1990年代DAP青年部代表,クアラルンプルの日本大使館にPKO協力法案廃止などを要求する文書を手交。18日林DAP書記長,日本政府に対して従軍慰安婦の調査報告の引渡しと補償を要求するようマ外務省に要請。
DIA-206-1992-08-12-1マレーシア1992年08月12日1990年代ユーゴと断交。
DIA-206-1992-08-14-1マレーシア1992年08月14日1990年代マハティール首相,米国がEAEC案に反対しながら,NAFTAを締結するのは遺憾,と談話。
DIA-206-1992-08-18-1マレーシア1992年08月18日1990年代マレーシア中華商工会連合会,第2回華人経済大会を主催。クアラルンプルで2日間。
DIA-206-1992-09-01-1マレーシア1992年09月01日1990年代エリアス・クアラルンプル市景,市庁のボルボ車22台の不正購入(250万リンギ)の責任をとり辞職。
DIA-206-1992-09-05-1マレーシア1992年09月05日1990年代渡部通産省,来訪(~8日)。7日会見したマハティール首相はEAEC案の積極的検討を要請。
DIA-206-1992-09-06-1マレーシア1992年09月06日1990年代非同盟首会議から帰国したマハティール首相,ボスニア・ヘルツェゴビナの難民受け入れを決定と発表。
DIA-206-1992-09-10-1マレーシア1992年09月10日1990年代サバ州政府,93年からマレーシア発足の9月16日を,建国記念日8月31日と同格の祝日とすると発表。
DIA-206-1992-09-14-1マレーシア1992年09月14日1990年代出光興産,Petronas社と合弁のマラッカ第2製油所建設事業から撤退と発表。
DIA-206-1992-09-20-1マレーシア1992年09月20日1990年代マラッカ海峡北端でタンカーがコンテナ船と衝突,原油1万3000㌧が流出。
DIA-206-1992-09-29-1マレーシア1992年09月29日1990年代トレンガヌ,クランタン,プルリスを除く半島部で停電,以後数日にわたり混乱。
DIA-206-1992-10-15-1マレーシア1992年10月15日1990年代訪日中のアブドラー外相,渡辺外相との会談であかつき丸のマラッカ海峡通航の可能性に懸念表明。
DIA-206-1992-10-15-2マレーシア1992年10月15日1990年代スバン国際空港管制塔で火災,空港を一時閉鎖。
DIA-206-1992-10-19-1マレーシア1992年10月19日1990年代マハティール首相,米国のNAFTA拡大の動きはASEANを分断し,経済成長を阻害と非難。
DIA-206-1992-10-21-1マレーシア1992年10月21日1990年代下院,国会議席定数改正のための憲法改正案を可決。下院議席を現在の180から192議席に増やす。
DIA-206-1992-10-30-1マレーシア1992年10月30日1990年代ガファール副首相,「サバ州20カ条問題」でUMNOとPBSの公開討論会開催を提案。11月11日パイリン州首相は,政府間で討議すべきだと反論。
DIA-206-1992-11-04-1マレーシア1992年11月04日1990年代マハティール首相,クリントン候補の米国大統領当選につき,EAECに対する米国の態度変更を希望し,米国はまず自国の人権と環境問題に取組むべきだとコメント。
DIA-206-1992-11-06-1マレーシア1992年11月06日1990年代UMNO党大会開催。クアラルンプルで3日間。マハティール総裁は7日,党内にはガファール派とアヌワール派の抗争など存在しない,と述べた。
DIA-206-1992-11-24-1マレーシア1992年11月24日1990年代三菱化成,ARE社から撤退と発表。
DIA-206-1992-11-25-1マレーシア1992年11月25日1990年代ナジブ国防相発表によれば,内閣は97年末にシンガポールのウッドランド海軍基地から撤収と決定。
DIA-206-1992-11-30-1マレーシア1992年11月30日1990年代ジョホール州スルタン,同州ホッケー・チームへの干渉を非難したコーチを王宮に呼び殴打。5日,マハティール首相は,憲法181条(2)の免訴規定にも関わらず,暴力事件や殺人には相応の措置を取ると談話。7日,ゴメス・コーチは警察に被害を届出。検察当局は92年7月10日にペラ州ホッケー・チームの選手に暴行を働いたジョホール州のマジッド王子を12月15日に起訴。
DIA-206-1992-12-10-1マレーシア1992年12月10日1990年代ガファール副首相,下院にジョホール州王弾劾動議提出。下院は与野党の出席議員の満場一致で可決。上院も16日全会一致で可決。
DIA-206-1992-12-10-2マレーシア1992年12月10日1990年代UMNO最高会議,統治者の免訴特権を廃止するため憲法の改正を決議。16日の閣議は,改憲のための特別国会を下院93年1月18~19日,上院1月20日の日程で招集することを決定。
DIA-206-1992-12-20-1マレーシア1992年12月20日1990年代クダー,ジョホール,クランタンの3州スルタン,アロール・スターで会合。21日と28日にはクランタン州スルタンを除く8州王が会合。話合いの内容は不明。
DIA-206-1993-01-03-1マレーシア1993年01月03日1990年代46年精神党臨時大会,憲法修正反対を決議。
DIA-206-1993-01-06-1マレーシア1993年01月06日1990年代タイのチュワン首相,公式来訪(~8日)。両国首相は北の三角地帯構想推進で合意(7日)。
DIA-206-1993-01-09-1マレーシア1993年01月09日1990年代PAS,憲法修正反対を決議。
DIA-206-1993-01-13-1マレーシア1993年01月13日1990年代宮沢首相,来訪(~15日,ASEAN諸国歴訪の一環)。マハティール首相との会談で,EAECを開かれたものとすることの必要性を強調,マレーシア経済は「卒業」の水準に近づいているとの見解を表明(14日)。
DIA-206-1993-01-15-1マレーシア1993年01月15日1990年代首相,副首相,蔵相など,憲法修正案につき17日まで連日6州王と非公式協議。
DIA-206-1993-01-18-1マレーシア1993年01月18日1990年代統治者特別会議,憲法修正1月16日案を拒否。
DIA-206-1993-01-18-2マレーシア1993年01月18日1990年代臨時国会召集。下院は19日,憲法修正の92年12月政府案を賛成133,棄権16(他に欠席20)で可決,20日上院も全会一致で可決。
DIA-206-1993-01-20-1マレーシア1993年01月20日1990年代首相,政府は法に明文規定のない統治者への優遇措置の見直しと廃止を決定,と談話。
DIA-206-1993-01-27-1マレーシア1993年01月27日1990年代ラモス比大統領,公式来訪(~30日)。
DIA-206-1993-02-01-1マレーシア1993年02月01日1990年代「国家農業政策1992-2000年」,公表。
DIA-206-1993-02-02-1マレーシア1993年02月02日1990年代第2国民車生産の合弁企業設立契約に調印。
DIA-206-1993-02-08-1マレーシア1993年02月08日1990年代ヴェル・エネルギー・通信・郵政相,深刻な電力不足に直面と警告。
DIA-206-1993-02-11-1マレーシア1993年02月11日1990年代第161回統治者会議,免責特権廃止などの憲法修正案を,特別法廷設置などの条件を付して受け入れると決定。なおクランタン州スルタンは代理人が出席。
DIA-206-1993-02-12-1マレーシア1993年02月12日1990年代マハティール首相,バングラデシュ(~14日),パキスタン(14~17日)を公式歴訪。
DIA-206-1993-02-16-1マレーシア1993年02月16日1990年代マレーシア貯蓄債券,発行。5年満期で非課税。
DIA-206-1993-02-24-1マレーシア1993年02月24日1990年代クランタン州スルタン,2月11日の統治者会議の手続きは違法であり,改憲には反対との見解を表明。
DIA-206-1993-03-01-1マレーシア1993年03月01日1990年代ルツコイ,ロシア副大統領,来訪(~3日)。
DIA-206-1993-03-01-2マレーシア1993年03月01日1990年代証券委員会,業務を開始。
DIA-206-1993-03-08-1マレーシア1993年03月08日1990年代特別国会召集。統治者の免訴特権廃止を規定した憲法再修正法案を下院は9日,賛成167(国民戦線129,DAP20,PBS14,無所属4),棄権6(PAS),反対0,欠席7(46年精神党)で可決,上院は10日全会一致で可決。22日に国王が同法案に署名,29日発効。
DIA-206-1993-03-18-1マレーシア1993年03月18日1990年代最高裁,州議員の党籍変更を禁止したサバ州憲法第18条2.d項は,連邦憲法第10条1.c項に違反と判決。
DIA-206-1993-03-29-1マレーシア1993年03月29日1990年代ムハンマド・スランゴール州首相,UMNO次席副総裁に立候補の意図を表明。
DIA-206-1993-03-31-1マレーシア1993年03月31日1990年代マハティール首相,ウズベキスタン(~3日),イラン(~6日),ジェッダを歴訪,10日帰国。
DIA-206-1993-04-02-1マレーシア1993年04月02日1990年代ナジブ国防相,南沙諸島海域への中国の潜水艦3隻の配備は,侵略の意図を示すとは考えないと談話。
DIA-206-1993-04-05-1マレーシア1993年04月05日1990年代サバ州でPBSとUSNOの連立政権発足。
DIA-206-1993-04-11-1マレーシア1993年04月11日1990年代政府,新規の外国人労働者導入を中止と発表。
DIA-206-1993-04-11-2マレーシア1993年04月11日1990年代林吉祥DAP書記長,中央銀行92年決算での93億リンギの準備金取崩しにつき白書を国会に提出するよう要求。19日ジャファール中銀総裁は,マレーシア・リンギ高とインフレ抑制のため市場介入した結果,帳簿上の損失が生じたと釈明したが,外為取引の詳細は公表を拒否。
DIA-206-1993-04-15-1マレーシア1993年04月15日1990年代アブドゥラー外相,米国駐マ大使が,アメリカはEAECについてASEANが合意した後で初めて態度を決定と語ったことを,前向きの変化と評価。
DIA-206-1993-04-24-1マレーシア1993年04月24日1990年代アヌワール蔵相,UMNO副総裁に立候補せず,現職(次席副総裁)再選をめざすと発表。
DIA-206-1993-04-28-1マレーシア1993年04月28日1990年代サバ州政府,本日より丸太材輸出全面的禁止。連邦政府は5月初めに禁輸を一部・暫定解除。
DIA-206-1993-05-06-1マレーシア1993年05月06日1990年代ラジャセガランMTUC書記長,来訪中のAFL-CIO幹部とこのほど会見し,マレーシアに対するGSP適用取消を米政府に要請しないよう求めたと発表。
DIA-206-1993-05-10-1マレーシア1993年05月10日1990年代マハティール首相,訪日(~17日)。
DIA-206-1993-05-19-1マレーシア1993年05月19日1990年代政府,サバ州問題相を新設しムスタファUMNOサバ州連絡委副委員長を任命と決定(就任は8月20日)。
DIA-206-1993-05-23-1マレーシア1993年05月23日1990年代首相,太平洋経済会議出席のため,訪韓。
DIA-206-1993-05-24-1マレーシア1993年05月24日1990年代遅浩田中国国防相,来訪(~30日)。
DIA-206-1993-05-26-1マレーシア1993年05月26日1990年代ソマリアでの国連平和維持活動に870人の兵士派遣を閣議決定。第1陣50人は6月18日に出発。
DIA-206-1993-05-29-1マレーシア1993年05月29日1990年代民政党大会開催(~30日,「参考資料」[3]参照)。
DIA-206-1993-06-04-1マレーシア1993年06月04日1990年代ベトナムと,南シナ海のうち両国がともに領有権を主張する1358km2における石油・天然ガスの共同採掘取決めに調印。
DIA-206-1993-06-11-1マレーシア1993年06月11日1990年代首相,UMNOの総裁と副総裁は無投票で決定することが望ましいと談話。
DIA-206-1993-06-12-1マレーシア1993年06月12日1990年代PAS党大会開催(~14日,「参考資料」[4]参照)。
DIA-206-1993-06-13-1マレーシア1993年06月13日1990年代マハティール首相,訪中(~22日)。外相,運輸相など政府代表団40人,ビジネスマン162人,文化・芸術関係28人など,総勢303人が随行。14日李鵬首相と会談。
DIA-206-1993-06-16-1マレーシア1993年06月16日1990年代政府,外国人労働者の受け入れを再開と発表。
DIA-206-1993-06-26-1マレーシア1993年06月26日1990年代MCA党大会開催(~27日,「参考資料」[5]参照)。
DIA-206-1993-06-26-2マレーシア1993年06月26日1990年代ガザリ政府特別顧問,北朝鮮を訪問。
DIA-206-1993-06-27-1マレーシア1993年06月27日1990年代アブドゥラー外相,イラクに対するアメリカのミサイル攻撃に遺憾の意を表明。
DIA-206-1993-06-29-1マレーシア1993年06月29日1990年代ナジブ国防相,MiG-29戦闘機18機とFA18D戦闘機8機の購入を決定と発表。
DIA-206-1993-07-11-1マレーシア1993年07月11日1990年代ナジブUMNO青年部長(国防相),青年部長のポストを離れ次席副総裁選に出馬,と声明。
DIA-206-1993-07-11-2マレーシア1993年07月11日1990年代マハティール首相,アルバニアを公式訪問(~14日)。
DIA-206-1993-07-13-1マレーシア1993年07月13日1990年代マハティール首相,APEC非公式首脳会談に不参加の意向を表明。
DIA-206-1993-07-16-1マレーシア1993年07月16日1990年代スハルト大統領来訪(~18日)。マハティール首相とボスニア問題,APEC,EAECなどを討議。
DIA-206-1993-07-18-1マレーシア1993年07月18日1990年代サバ統一党(PBS),党大会開催。
DIA-206-1993-07-19-1マレーシア1993年07月19日1990年代政府,連邦憲法修正案を下院に上程。20日129対24で可決。上院は8月4日可決。州議員と連邦閣僚の兼職を認め,国会解散前の2年間は,原則として補欠選挙を行なう必要がないなどの規定を導入。
DIA-206-1993-07-20-1マレーシア1993年07月20日1990年代「インドネシア・マレーシア・タイ成長の三角地帯」(IMTGT)第2回3国閣僚会議開催。
DIA-206-1993-07-22-1マレーシア1993年07月22日1990年代コズイレフ・ロシア外相,来訪(同日出国)。
DIA-206-1993-07-25-1マレーシア1993年07月25日1990年代中国の喬石全人大常務委員長,来訪(~29日)。
DIA-206-1993-07-28-1マレーシア1993年07月28日1990年代アラファトPLO議長,来訪(~30日)。
DIA-206-1993-08-01-1マレーシア1993年08月01日1990年代首相,ブルネイを公式訪問(~3日)。
DIA-206-1993-08-02-1マレーシア1993年08月02日1990年代サバ統一国民組織USNO,団体登録抹消される。
DIA-206-1993-08-02-2マレーシア1993年08月02日1990年代マンデラ・アフリカ国民議会議長来訪(~4日)。
DIA-206-1993-08-05-1マレーシア1993年08月05日1990年代首相,UMNO最高評議会会議後,「副総裁が伝統に従い無投票で決まれば最善だが,党規約は選挙を認めている」と談話。7日には,副総裁選挙が行なわれる場合,自分は中立を保つ,と語る。
DIA-206-1993-08-11-1マレーシア1993年08月11日1990年代ガファール副総裁,現職に立候補の意思を公表。
DIA-206-1993-08-16-1マレーシア1993年08月16日1990年代首相,UMNO役員選挙に関連して,大規模な集会の開催や,政府機関の動員を禁止。
DIA-206-1993-08-19-1マレーシア1993年08月19日1990年代マハティール首相,タイを公式訪問(~21日)。
DIA-206-1993-08-23-1マレーシア1993年08月23日1990年代アヌワールUMNO次席副総裁(蔵相),副総裁選出馬を正式発表。
DIA-206-1993-08-25-1マレーシア1993年08月25日1990年代第15次円借款(538.7億円)の交換公文に調印。
DIA-206-1993-09-01-1マレーシア1993年09月01日1990年代サカラン土地・協同組合開発相,UMNOのサバ州20支部中19支部がアヌワールを支持と談話。
DIA-206-1993-09-09-1マレーシア1993年09月09日1990年代UMNOの全153支部のうち149が本日から30日までの予定期限内に支部大会を開催,141支部がアヌワール蔵相を副総裁候補に指名(ガファール副首相7支部)。
DIA-206-1993-09-19-1マレーシア1993年09月19日1990年代林吉祥DAP書記長,今後8~10カ月内に国会下院総選挙が実施されるだろうとの見通しを表明。
DIA-206-1993-09-21-1マレーシア1993年09月21日1990年代メイジャー英首相,公式来訪(~22日)。
DIA-206-1993-09-24-1マレーシア1993年09月24日1990年代アブドゥラー外相,政府は対南ア経済制裁の解除,同国との大使級の外交関係樹立を決定,と発表。
DIA-206-1993-09-25-1マレーシア1993年09月25日1990年代首相,ヨーロッパ,アメリカ,国連歴訪に出発。
DIA-206-1993-09-30-1マレーシア1993年09月30日1990年代ガファールUMNO副総裁,サバ州UMNO連絡委員長を辞任。
DIA-206-1993-10-03-1マレーシア1993年10月03日1990年代マハティール首相,非公式訪日(~5日)。
DIA-206-1993-10-05-1マレーシア1993年10月05日1990年代ガファール副首相,北朝鮮訪問(~11日)。その後に予定していた訪中は取りやめ,17日に帰国。
DIA-206-1993-10-14-1マレーシア1993年10月14日1990年代ガファール副首相,秘書を通じて副首相,農村開発相の職につき辞表提出。
DIA-206-1993-10-15-1マレーシア1993年10月15日1990年代マハティール首相,マルタ訪問と英連邦首脳会議(21~25日)出席のため訪欧。26日帰国。
DIA-206-1993-10-21-1マレーシア1993年10月21日1990年代ガファールUMNO副総裁,11月党大会での副総裁選に不出馬と党本部に通告。25日,国民戦線幹事長のポストを辞任し,30日にはUMNO副総裁辞任(11月1日付け)の辞表を提出。
DIA-206-1993-10-21-2マレーシア1993年10月21日1990年代UMNO役員選挙立候補締め切り。総裁にマハティール首相,副総裁にアヌワール蔵相,婦人部長にラフィダー通産相の無投票当選が確定。
DIA-206-1993-10-28-1マレーシア1993年10月28日1990年代下院,ボスニア・ヘルツェゴビナのムスリムに対する虐殺行為を非難する動議を全会一致で可決。
DIA-206-1993-10-29-1マレーシア1993年10月29日1990年代94年度予算案を下院に上程(「参考資料」[7]参照)。
DIA-206-1993-11-03-1マレーシア1993年11月03日1990年代UMNO青年部・婦人部大会開催。青年部は部長にラヒム・マラッカ州首相(264票,イサ・N・スンビラン州首相は220票),中執委15人中新人11人を選出。
DIA-206-1993-11-04-1マレーシア1993年11月04日1990年代UMNO全国大会開催,1768代議員が出席。初日 に役員選出(「参考資料」[6]参照)。
DIA-206-1993-11-14-1マレーシア1993年11月14日1990年代46年精神党全国大会開催(~15日)。
DIA-206-1993-11-23-1マレーシア1993年11月23日1990年代マハティール首相,キーティング豪首相がAPEC非公式首脳会議後の22日にマハティール首相は御しがたい強情者と発言したことに不快感を表明。キーティング首相は12月8日,発言を侮辱と受け取られたことを遺憾に思うと表明し,11日マ政府は問題の終結を声明。
DIA-206-1993-11-24-1マレーシア1993年11月24日1990年代サラワク州国民戦線,ダヤック族党(PBDS)の戦線復帰を条件付きで承認と発表。
DIA-206-1993-11-25-1マレーシア1993年11月25日1990年代クランタン州議会,イスラム刑罰(hudud)導入法案を可決。国民戦線の州議員2人も賛成投票。
DIA-206-1993-11-25-2マレーシア1993年11月25日1990年代民主行動党(DAP)党大会開催。
DIA-206-1993-11-27-1マレーシア1993年11月27日1990年代韓国の現代自動車,マレーシアでのトラック生産契約に調印。マ側はBerjayaグループなどが参加。
DIA-206-1993-11-29-1マレーシア1993年11月29日1990年代ラフィダー通産相,経済視察団65人を率いてベトナム,カンボジアを訪問(~12月8日)。
DIA-206-1993-12-01-1マレーシア1993年12月01日1990年代首相,副首相にアヌワールUMNO副総裁を任命(蔵相と兼務)。ガニ副蔵相の正閣僚昇格を発表。
DIA-206-1993-12-04-1マレーシア1993年12月04日1990年代SUPP党大会開催(~5日)。
DIA-206-1993-12-06-1マレーシア1993年12月06日1990年代第1回マ・比外相会議,マニラで開催(~9日)。
DIA-206-1993-12-07-1マレーシア1993年12月07日1990年代ランカウィ国際海洋・航空博,開催(~12日)。
DIA-206-1993-12-09-1マレーシア1993年12月09日1990年代政府,マクダネル・ダグラス社とFA18Dホーネット機8機の購入契約に調印。
DIA-206-1993-12-11-1マレーシア1993年12月11日1990年代内閣の一部改造を発表(「参考資料」[2]参照)。
DIA-206-1993-12-11-2マレーシア1993年12月11日1990年代UMNO,任命人事を発表(「参考資料」[6]参照)。
DIA-206-1993-12-11-3マレーシア1993年12月11日1990年代KL近郊で12階建てのコンドミニアム1棟が倒壊。
DIA-206-1993-12-11-4マレーシア1993年12月11日1990年代人民党大会,KLで開催(~12日)。
DIA-206-1993-12-12-1マレーシア1993年12月12日1990年代マハティール首相,インド訪問(~14日)。
DIA-206-1993-12-16-1マレーシア1993年12月16日1990年代首相,「第6次マレーシア計画中間報告」を下院に提出。下院は21日,上院は31日に承認。
DIA-206-1993-12-23-1マレーシア1993年12月23日1990年代最高裁,イポー高裁のARE社に操業停止を命じた92年7月の判決を破棄,操業を認める判決。
DIA-206-1993-12-30-1マレーシア1993年12月30日1990年代台湾の連戦行政院長,個人の資格で来訪(~1月1日)。31日マハティール首相と会談。
DIA-206-1994-01-03-1マレーシア1994年01月03日1990年代法定準備率を1%引き上げ9.5%とする。
DIA-206-1994-01-07-1マレーシア1994年01月07日1990年代外国人労働者(未熟練・半熟練)の入国を凍結する。
DIA-206-1994-01-08-1マレーシア1994年01月08日1990年代マハティール首相は高等教育機関におけるマレー語重視の姿勢を改めて公表。
DIA-206-1994-01-10-1マレーシア1994年01月10日1990年代サバ州州議会が繰り上げ解散。
DIA-206-1994-01-10-2マレーシア1994年01月10日1990年代銀行流動資産の適格基準の修正。
DIA-206-1994-01-17-1マレーシア1994年01月17日1990年代コタキナバル高裁にてパイリン(Pairin)サバ州首相に有罪判決。
DIA-206-1994-01-17-2マレーシア1994年01月17日1990年代銀行外貨ポジションの個別規制を開始。
DIA-206-1994-01-24-1マレーシア1994年01月24日1990年代短期金融商品の非居住者への売却を禁止。
DIA-206-1994-01-26-1マレーシア1994年01月26日1990年代英国紙がクランタン州プルガウ・ダム建設にともなう政治資金授受疑惑を報道。
DIA-206-1994-01-27-1マレーシア1994年01月27日1990年代オーストラリア情報部による野党政治家への資金提供問題が報じられる。
DIA-206-1994-02-04-1マレーシア1994年02月04日1990年代第10代国王としてヌグリスンビラン州のトゥアンク・ジャアファール(Tuanku Jaafar)を統治者会議が選出。
DIA-206-1994-02-10-1マレーシア1994年02月10日1990年代特別党大会にて野党・46年精神党(S46)が「46年精神マレー人党」と改称。
DIA-206-1994-02-18-1マレーシア1994年02月18日1990年代サバ州州議会選挙においてサバ統一党(PBS)が25席を獲得(~19日)。
DIA-206-1994-02-21-1マレーシア1994年02月21日1990年代パイリンPBS党首がサバ州首相に就任。
DIA-206-1994-02-22-1マレーシア1994年02月22日1990年代通産省が半島部東部3州に対する特別投資奨励ガイドラインを公表。
DIA-206-1994-02-25-1マレーシア1994年02月25日1990年代アヌワール(Anwar)蔵相は英字紙(Sunday Times)報道内容に絡み,今後英企業に対し,新規政府事業の契約凍結を英政府に通告。
DIA-206-1994-03-09-1マレーシア1994年03月09日1990年代クランタン州ルンダン選挙区・州議会議員の補欠選挙でPAS候補者が当選。
DIA-206-1994-03-15-1マレーシア1994年03月15日1990年代ジョセフ・クルップ(Joseph Kurup)がサバ人民統一党(PBRS)を結成。
DIA-206-1994-03-17-1マレーシア1994年03月17日1990年代パイリン・サバ州首相が辞任,後任にサカラン・ダンダイ(Sakaran Dandai)国民戦線サバ州議長が24日に就任。
DIA-206-1994-03-17-2マレーシア1994年03月17日1990年代統一サバ民主党(PDSB)およびサバ民主党(PDS)の設立(21日に認可)。
DIA-206-1994-03-18-1マレーシア1994年03月18日1990年代アヌワール蔵相がハワイで開催されたAPEC蔵相会議に出席(~19日)。
DIA-206-1994-03-26-1マレーシア1994年03月26日1990年代ブルネイ,インドネシア,マレーシア,フィリピン4カ国商工大臣が「東ASEAN成長地域」(East ASEAN Growth Area)の公式の創設に合意。
DIA-206-1994-03-27-1マレーシア1994年03月27日1990年代クアラルンプル市内でフィリピン人メイド1200人を移民局が検挙。
DIA-206-1994-03-27-2マレーシア1994年03月27日1990年代途上国15カ国(G15)会議にマハティール首相が出席,先進国首脳会議による最低賃金国際基準の導入に反対(~30日)。
DIA-206-1994-03-31-1マレーシア1994年03月31日1990年代中央銀行総裁が年次報告書において外為取引による欠損57億リンギを公表し,辞意を表明(辞任は5月1日付け)。
DIA-206-1994-04-21-1マレーシア1994年04月21日1990年代マレーシア・ブルネイ協議会の開催,サラワク州リンバン領有問題の解決で合意(~24日)。
DIA-206-1994-04-25-1マレーシア1994年04月25日1990年代半島部ならびにサバ州の新選挙区区割り法案が下院で可決。
DIA-206-1994-04-27-1マレーシア1994年04月27日1990年代大蔵省公社に代わり新しい政府の投資機関カザナ社(Khazanah Holdings)が設立。授権資本は5億リンギ。
DIA-206-1994-05-01-1マレーシア1994年05月01日1990年代中銀総裁にアハマッド・モハメッド・ドン(Ahamad Mohd. Don)が就任。
DIA-206-1994-05-05-1マレーシア1994年05月05日1990年代マハティール首相が米大統領の招待で私的に訪米(~8日)。
DIA-206-1994-05-10-1マレーシア1994年05月10日1990年代連邦憲法正案が下院で可決(上院可決は17日)。
DIA-206-1994-05-10-2マレーシア1994年05月10日1990年代マハティール首相訪中,江沢民主席とも会談(~13日)。
DIA-206-1994-05-16-1マレーシア1994年05月16日1990年代法定準備を再度1%引き上げ10.5%とする(1月3日参照)。
DIA-206-1994-05-19-1マレーシア1994年05月19日1990年代全国的な反インフレ・キャンペーン運動をマハティール首相が開始。
DIA-206-1994-05-24-1マレーシア1994年05月24日1990年代ILO総会へのマレーシア労働代表に政府は公務員労働組合(Cuepacs)を送ることを決定(6月1日に再決定)。
DIA-206-1994-05-26-1マレーシア1994年05月26日1990年代ハイテク企業に対する投資インセンティブの導入・発効。
DIA-206-1994-06-07-1マレーシア1994年06月07日1990年代ロシアからミグ29型機を18機(6億US㌦)購入する契約を締結。
DIA-206-1994-06-11-1マレーシア1994年06月11日1990年代46年精神党(S46)全国党大会開催。現執行部の再選。
DIA-206-1994-06-18-1マレーシア1994年06月18日1990年代マレーシア華人協会(MCA)の全国党大会開催。
DIA-206-1994-06-19-1マレーシア1994年06月19日1990年代UMNO特別総会(金権政治に関する党規約の改正)。
DIA-206-1994-07-01-1マレーシア1994年07月01日1990年代マ首相はボスニアを1日訪問。
DIA-206-1994-07-01-2マレーシア1994年07月01日1990年代法定準備率3回目の引き上げ(11.5%へ)。
DIA-206-1994-07-06-1マレーシア1994年07月06日1990年代マ首相の訪仏(~9日)。
DIA-206-1994-07-07-1マレーシア1994年07月07日1990年代シトロエン(仏)とプロトンなど3者合弁による第3国民車プロジェクトに関する覚書が締結。
DIA-206-1994-07-10-1マレーシア1994年07月10日1990年代サバ州国民戦線にPDS,PBRSの2党の参加が認可される。
DIA-206-1994-07-12-1マレーシア1994年07月12日1990年代選挙民登録キャンペーンの開始。
DIA-206-1994-07-14-1マレーシア1994年07月14日1990年代外国人労働者雇用に関するガイドラインの公表。
DIA-206-1994-07-19-1マレーシア1994年07月19日1990年代第16回円借款の締結。対象はKL国際空港株式会社へ615億1800万円の貸付。
DIA-206-1994-07-21-1マレーシア1994年07月21日1990年代クランタン州政府のイスラム刑法実施を連邦政府が拒否したことが公表される
DIA-206-1994-08-05-1マレーシア1994年08月05日1990年代国家ファトーワー委員会はアルカム運動(Al-ARQAM)は非合法と宣言。
DIA-206-1994-08-13-1マレーシア1994年08月13日1990年代スバン国際空港で火災事故(レーダーに被害)。
DIA-206-1994-08-25-1マレーシア1994年08月25日1990年代マラッカ州首相ラヒム(Rahim)のセックススキャンダルの第1報。
DIA-206-1994-08-25-2マレーシア1994年08月25日1990年代アヌワール蔵相訪中(7日間),13件のMOUが締結。その後訪日(~9月5日)。
DIA-206-1994-08-26-1マレーシア1994年08月26日1990年代村山首相,来訪(~27日)。
DIA-206-1994-09-01-1マレーシア1994年09月01日1990年代第2国民車(カンチル)の販売開始。
DIA-206-1994-09-02-1マレーシア1994年09月02日1990年代アルカムの指導者アシャアリ師が国内治安法(ISA)により逮捕。
DIA-206-1994-09-07-1マレーシア1994年09月07日1990年代英国企業に対する公共事業契約凍結を解除。
DIA-206-1994-09-08-1マレーシア1994年09月08日1990年代南北高速道路(848㎞)が完成。
DIA-206-1994-09-14-1マレーシア1994年09月14日1990年代控訴院(Court of Appeal)が開設。
DIA-206-1994-09-16-1マレーシア1994年09月16日1990年代マ首相,インドネシア訪問(~17日)。
DIA-206-1994-10-15-1マレーシア1994年10月15日1990年代第7代マラッカ州首相にジン・アブドゥル・ガーニー(Zin Abdu1 Ghani)就任。
DIA-206-1994-10-28-1マレーシア1994年10月28日1990年代アヌワール蔵相が予算案を提出。
DIA-206-1994-10-28-2マレーシア1994年10月28日1990年代アルカムの指導者ら幹部が釈放される。
DIA-206-1994-11-01-1マレーシア1994年11月01日1990年代被雇用者年金基金(EPF)の利用に関する新ガイドラインが発効。
DIA-206-1994-11-01-2マレーシア1994年11月01日1990年代民間による独立発電所の新規ライセンスの発給を凍結(現在までに6発電所)。
DIA-206-1994-11-10-1マレーシア1994年11月10日1990年代江沢民中国国家主席が来訪(4日間)。EAEC構想への支持を再度表明。
DIA-206-1994-11-15-1マレーシア1994年11月15日1990年代インドネシア・ボゴールにおけるAPEC非公式首脳会議にマ首相が出席。
DIA-206-1994-11-18-1マレーシア1994年11月18日1990年代UMNO党中央大会が開催(~20日)。
DIA-206-1994-12-01-1マレーシア1994年12月01日1990年代外国為替管理規則の改正。
DIA-206-1994-12-07-1マレーシア1994年12月07日1990年代新国際空港第1期計画プロジェクトをマレー系企業と日本企業4社のコンソーシアムが落札(総額6億8274万リンギ)
DIA-206-1994-12-10-1マレーシア1994年12月10日1990年代マレーシア・インド人会議(MIC)第41回党中央大会開催,現指導部を再選。
DIA-206-1994-12-16-1マレーシア1994年12月16日1990年代ペナンで「北の成長三角地帯」に関する関係閣僚会議が開催される。
DIA-206-1994-12-28-1マレーシア1994年12月28日1990年代第9代サバ州首相にサレー・トゥン・モハマッド・サイド(Datuk Salleh Tun Mohammad Said)が就任。
DIA-206-1995-01-01-1マレーシア1995年01月01日1990年代食品関連産業育成基金(Fund for Foods)の貸出金利を引き下げ。
DIA-206-1995-01-01-2マレーシア1995年01月01日1990年代新所得税制が施行。当該年の所得見通しによる課税と雇用主による直接納税が主な改正点。
DIA-206-1995-01-02-1マレーシア1995年01月02日1990年代元サバ州元首・州首相ムスタファ(Tun Mustapha)が死去(78歳)。
DIA-206-1995-01-09-1マレーシア1995年01月09日1990年代原住民(Orang Asli)の学校の管轄権を総理府から教育省に移管する計画を公表。
DIA-206-1995-01-10-1マレーシア1995年01月10日1990年代マハティール首相,海外からの大学の分校の開設を認める方針を表明。
DIA-206-1995-01-12-1マレーシア1995年01月12日1990年代中央銀行,金融派生商品に関するガイドラインを発表。
DIA-206-1995-01-17-1マレーシア1995年01月17日1990年代公共事業相,各州の水供給事業を民営化することを提案。
DIA-206-1995-01-23-1マレーシア1995年01月23日1990年代クアラルンプルにて中国・マレーシア・フォーラム開催。
DIA-206-1995-01-27-1マレーシア1995年01月27日1990年代国営石油公社(Petronas)の新総裁にアジザン・ザイヌル・アビディン(Tan Sri Azizan Zainul Abidin)が就任。
DIA-206-1995-01-28-1マレーシア1995年01月28日1990年代マハティール首相,フィリピン訪問(~29日)。プロトン社のフィリピン工場の起工式に出席。
DIA-206-1995-01-31-1マレーシア1995年01月31日1990年代汎マレーシア・イスラーム政党(PAS)所属下院議員・同党青年部副部長モハマッド・サブ,ハルワット(Khalwat,正式な婚姻にない交際関係に対する罪)の疑いで逮捕される(2月22日党役員を辞任)。
DIA-206-1995-01-31-2マレーシア1995年01月31日1990年代国軍参謀総長にイスマイル・オマール(Datuk Ismail Omar)が就任。
DIA-206-1995-02-02-1マレーシア1995年02月02日1990年代内務省,政治家およびその親族が関与している非政府組織(NGO)に対する新たな管理規則の制定を示唆。
DIA-206-1995-02-02-2マレーシア1995年02月02日1990年代陸軍司令官にチー・モハメッド・ノール・マット(Datuk Che Md.Noor Mat)が就任。
DIA-206-1995-02-07-1マレーシア1995年02月07日1990年代ラカン・ムダ(Rakan Muda)運動(より清新で健康的な生活スタイルを青年層に奨励する社会運動)を教育機関で開始するため,政府関係機関の公式会議を開催。
DIA-206-1995-02-11-1マレーシア1995年02月11日1990年代公共部門労働者に対する新しい社会保障制度(仮称,保障支払いスキーム)の導入を決定。
DIA-206-1995-02-11-2マレーシア1995年02月11日1990年代被雇用者年金基金(EPF),6年連続で8%台の配当率,配当総額は58億9000万リンギ。
DIA-206-1995-02-13-1マレーシア1995年02月13日1990年代デ・クラーク南アフリカ共和国副大統領が来訪(~15日)。
DIA-206-1995-02-15-1マレーシア1995年02月15日1990年代UMNO情報宣伝部全国大会にてマハティール総裁,汎マレーシア・イスラーム政党(PAS)が党名に“イスラーム”を用いることを批判。
DIA-206-1995-02-17-1マレーシア1995年02月17日1990年代エバンズ・オーストラリア外相が公式来訪,環インド洋協力会議を支持(~20日)。
DIA-206-1995-02-20-1マレーシア1995年02月20日1990年代通産省と産業界代表者による年次産業政策対話会議が開催。通産相,中長期工業化マスター計画(IMP)に代わる新・中期工業化計画(1996~2005年)が策定中であると発表(~24日)。
DIA-206-1995-02-21-1マレーシア1995年02月21日1990年代マレーシア・インド人会議(MIC),タミール語を話す華人あるいはインド人の血を引く華人の入党を認める。
DIA-206-1995-02-22-1マレーシア1995年02月22日1990年代首相の諮問機関として高度産業技術開発のためのマレーシア産業・政府グループ(Malaysian Industry-Goverment Group for High Technology:略称Might)を設立。
DIA-206-1995-02-26-1マレーシア1995年02月26日1990年代サミー・ベルーがマレーシア・インド人会議(MIC)の総裁に無投票で再選(任期は3年)。
DIA-206-1995-03-01-1マレーシア1995年03月01日1990年代民主行動党(DAP)下院議員リム・グゥアンエン,扇動法違反の容疑で告訴される。
DIA-206-1995-03-06-1マレーシア1995年03月06日1990年代環境局の環境影響評価ガイドラインの対象産業に石採業・その他鉱業を追加。
DIA-206-1995-03-07-1マレーシア1995年03月07日1990年代国軍アカデミーの設立が認可される。
DIA-206-1995-03-11-1マレーシア1995年03月11日1990年代マハティール首相,コペンハーゲンで開催された国連社会開発サミットに出席。
DIA-206-1995-03-11-2マレーシア1995年03月11日1990年代ガファール・ババ前副首相,下院議員への立候補を含め政界への復帰の意志を表明。
DIA-206-1995-03-13-1マレーシア1995年03月13日1990年代マラヤ大学にて「儒教とイスラーム:文明と対話」と題する国際セミナーが開催(~14日)。
DIA-206-1995-03-14-1マレーシア1995年03月14日1990年代マハティール首相,訪英(~16日)。
DIA-206-1995-03-18-1マレーシア1995年03月18日1990年代法律専門家資格委員会(Legal Profession Qualifying Board),法律専門職の質を向上させるため,司法試験における新たな要件を作成。
DIA-206-1995-03-19-1マレーシア1995年03月19日1990年代インド系の政治組織インド前進戦線(Indian Progressive Front),1990年以来加盟していた野党連合を離脱し,国民戦線(NF)支持を表明。
DIA-206-1995-03-20-1マレーシア1995年03月20日1990年代証券委員会(SC)によれば,1994年通年で同委員会が承認した企業買収・合併案件に109件にのぼった。
DIA-206-1995-03-25-1マレーシア1995年03月25日1990年代国民戦線(NF),1974年の結成後初の中央大会を開催(~26日)。
DIA-206-1995-03-28-1マレーシア1995年03月28日1990年代通産省によれば,1993年1年間の海外投資額は35億リンギ,94年(1~9月)は25億リンギに達した。
DIA-206-1995-04-06-1マレーシア1995年04月06日1990年代通産省,海外からの技術提携契約について,これまでに日本企業との456件を最高に合計で904件締結されたことを公表。
DIA-206-1995-04-06-2マレーシア1995年04月06日1990年代下院議会およびサバ・サラワクを除く11州議会が解散。
DIA-206-1995-04-06-3マレーシア1995年04月06日1990年代崔朝鮮人民軍総参謀長が来訪(~8日)。
DIA-206-1995-04-20-1マレーシア1995年04月20日1990年代ジョホール州政府は第2番目の州投資信託基金としてダナ・ジョホール(Dana Johor)を新設。
DIA-206-1995-04-24-1マレーシア1995年04月24日1990年代第9回総選挙実施(~25日)。
DIA-206-1995-05-01-1マレーシア1995年05月01日1990年代野党・民主行動党(DAP)中央執行委員会にて書記長リム・キットシアン(Lim Kit Siang)の辞表は受理されず。
DIA-206-1995-05-03-1マレーシア1995年05月03日1990年代マハティール新内閣発足。新たに企業家開発省を設立(参照:参考資料②)。
DIA-206-1995-05-15-1マレーシア1995年05月15日1990年代マハティール首相,日本を非公式訪問(~20日)。
DIA-206-1995-05-19-1マレーシア1995年05月19日1990年代東ASEAN成長地域(EAGA-BMIP)の金融サービスなどに関する準備委員会第1回会議開催。
DIA-206-1995-05-21-1マレーシア1995年05月21日1990年代通産省,「中小企業公社法案」の国会提出を公表。
DIA-206-1995-05-26-1マレーシア1995年05月26日1990年代マハティール首相,スプラトリー諸島のラヤン・ラヤン島(Pulau Layang-Layang)を訪問。同諸島を巡る紛争を話し合いで解決する方針を再度表明。
DIA-206-1995-05-28-1マレーシア1995年05月28日1990年代マハティール首相,ペナンとタイのソンクラの両港を結ぶランドブリッジの建設を提案。
DIA-206-1995-05-30-1マレーシア1995年05月30日1990年代ハリス・シラジェジック・ボスニア首相来訪。マハティール首相は緊急の人道的な援助を約束(~6月1日)。
DIA-206-1995-06-02-1マレーシア1995年06月02日1990年代インフレ抑制全国キャンペーンを開始。
DIA-206-1995-06-10-1マレーシア1995年06月10日1990年代マハティール首相はすべてのマレーシア国民を対象にした国民投資信託(ASN)に準じた投資信託の新設を提案。
DIA-206-1995-06-15-1マレーシア1995年06月15日1990年代全国のUMNO党地区委員会において地区役員選挙開始(~8月15日)。
DIA-206-1995-06-16-1マレーシア1995年06月16日1990年代マハティール首相,航空機部品産業を工業化の重点育成産業の一つに位置づける。
DIA-206-1995-06-19-1マレーシア1995年06月19日1990年代民政運動党(Gerakan),ペナンおよびスランゴールなど計3選挙区での投票の再集計を法廷に申し立て。
DIA-206-1995-06-20-1マレーシア1995年06月20日1990年代通産省,ハイテクおよび資本集約産業育成のための投資奨励ガイドラインを公表。
DIA-206-1995-06-22-1マレーシア1995年06月22日1990年代アヌワール蔵相,被雇用者基金(EPF)積立金の投資信託への投資奨励などを柱とする資本市場育成のための自由化政策を発表。
DIA-206-1995-06-26-1マレーシア1995年06月26日1990年代各州の州内閣(EXCO)定員を現行の8人から10名に増員することなどを内容とする連邦憲法改正案を可決。
DIA-206-1995-06-29-1マレーシア1995年06月29日1990年代マレー人商工会議所会頭にヤヤ・アフマッド(Datuk Seri Yahaya Ahmad)就任。
DIA-206-1995-07-01-1マレーシア1995年07月01日1990年代全国ネット・テレビの第4チャネル(名称:Metorovision Channel 8)が放送開始。
DIA-206-1995-07-17-1マレーシア1995年07月17日1990年代中央銀行副総裁にフォン・エンパック(Fong Weng Phak)就任。
DIA-206-1995-07-21-1マレーシア1995年07月21日1990年代通産省,セメント不足対策の一貫として,セメントおよびクリンカーを製造する総合型企業に対する特別奨励措置を公表。
DIA-206-1995-07-22-1マレーシア1995年07月22日1990年代アブドゥラー外相,イスラーム機構会議(OIC)に参加。国連が採択したボスニアに村する武器禁輸措置に関する反対声明を発表。マハティール首相はボスニアの武器売却の意志を表明。
DIA-206-1995-07-25-1マレーシア1995年07月25日1990年代首相の諮問機関であるマレーシア・ビジネス協議会(Malaysian Business Council)の第1回会議開催。世界的な問題に関する諮問グループの創設を決定。
DIA-206-1995-07-27-1マレーシア1995年07月27日1990年代ナジブ教育相,マラヤ大学を1996年1月1日より法人化(Corporation)する案を発表。
DIA-206-1995-08-01-1マレーシア1995年08月01日1990年代コタバル高裁,4月に行なわれたグア・ムサン(Gua Musang)下院選挙区のやり直しを選挙管理委員会に命令。
DIA-206-1995-08-02-1マレーシア1995年08月02日1990年代ラオ・インド首相,来訪(~5日)。
DIA-206-1995-08-03-1マレーシア1995年08月03日1990年代高裁は民主行動党所属の下院議員ウー・チョーコン(黄朱強)の当選を無効とし,次点のマレーシア華人協会(MCA)候補者の繰り上げ当選を決定。
DIA-206-1995-08-05-1マレーシア1995年08月05日1990年代マハティール総裁,UMNO各党支部に対し,党名を用いた企業の設立の禁止と既存の1600社の解散を指示。
DIA-206-1995-08-07-1マレーシア1995年08月07日1990年代教育省.高等教育機関に関する政策立案機関として全国高等教育協議会(National Higher Education Council)の設立を発表。
DIA-206-1995-08-10-1マレーシア1995年08月10日1990年代中華大会堂連合会,村山首相あての第2次大戦中の日本軍被害による賠償金5億リンギを求める覚書を日本大使館へ提出。
DIA-206-1995-08-16-1マレーシア1995年08月16日1990年代マハティール首相,1997年1月以降のアメリカからの一般特恵関税制度(GSP)適用停止措置に対し,対米に異議申し立てを起こさない方針を決定。
DIA-206-1995-08-21-1マレーシア1995年08月21日1990年代マハティール首相,南アフリカ共和国を公式訪問(~26日)。
DIA-206-1995-08-25-1マレーシア1995年08月25日1990年代汎マレーシア・イスラーム政党(PAS)の年次中央党大会開催(~27日)。
DIA-206-1995-08-28-1マレーシア1995年08月28日1990年代首都行政機能の一部を移管する新行政都市プトラ・ジャヤ(Putera Jaya)プロジェクト発足。
DIA-206-1995-08-29-1マレーシア1995年08月29日1990年代グア・ムサン選挙区の補欠選挙でラザレイ・マレー46年精神党党首が改めて当選。
DIA-206-1995-09-01-1マレーシア1995年09月01日1990年代UMNO党支部役員選挙が全国で開始(~10月1日)。
DIA-206-1995-09-02-1マレーシア1995年09月02日1990年代マレーシア華人協会(MCA)中央党大会,華人とマレー人の合弁事業の一層の促進など12決議を採択。
DIA-206-1995-09-04-1マレーシア1995年09月04日1990年代下院,先物取引産業法(Futures Industry Act)を改正。
DIA-206-1995-09-07-1マレーシア1995年09月07日1990年代輸出入銀行が設立される。
DIA-206-1995-09-10-1マレーシア1995年09月10日1990年代ペナン州バガン選挙区下院補欠選挙で,民主行動党(DAP)候補者リム・ホックセン(林副成)が国民戦線(NF)候補者を退け当選。
DIA-206-1995-09-14-1マレーシア1995年09月14日1990年代企業家開発省,マレー人と華人両種族間合弁事業促進のための特別委員会を設置。
DIA-206-1995-09-18-1マレーシア1995年09月18日1990年代マハティール首相,今後200以上の政府関係機関を対象として,一層の民営化政策の促進方針を発表。
DIA-206-1995-09-19-1マレーシア1995年09月19日1990年代マハティール総裁,党中央最高執行委員会終了後,来年の党大会では総裁・副総裁の2ポストについて,現体制を維持する方針を公表。
DIA-206-1995-09-23-1マレーシア1995年09月23日1990年代連邦土地開発公社(FELDA)の全国で2番目の民営化スキームがペラ州で発足。
DIA-206-1995-10-01-1マレーシア1995年10月01日1990年代改正・雇用法(Employment Act)発効。祝日における2倍の賃金の支払いなどが主な内容。
DIA-206-1995-10-06-1マレーシア1995年10月06日1990年代連邦政府,公共部門雇用労働者組合会議(Cuepacs)に対し,総額20億リンギの賃上げを回答。
DIA-206-1995-10-07-1マレーシア1995年10月07日1990年代ナジブ教育相,国民型華語およびタミール語小学校卒業後の“進級のためクラス”(Remove class)への履修義務化の緩和を公表。
DIA-206-1995-10-11-1マレーシア1995年10月11日1990年代海軍総司令官に副総司令官アハマッド・ラムリ(Datuk Ahamad Ramli)が昇進。
DIA-206-1995-10-18-1マレーシア1995年10月18日1990年代国会の議事規則(Standing Order)が改正,議長により強い権限を賦与。
DIA-206-1995-10-20-1マレーシア1995年10月20日1990年代ヤヤ・アフマッドが重工業持株会社(Hicom Holdings Bhd.)の株32%を取得し,会長に就任。
DIA-206-1995-10-20-2マレーシア1995年10月20日1990年代ハイテク企業に対し,投資促進法に基づく特別奨励措置発効。
DIA-206-1995-10-22-1マレーシア1995年10月22日1990年代マレー46年精神党(Parti Melayu Semangat 46),マレー人グループの利益を保護するためマレー人協会の新設提案。
DIA-206-1995-10-25-1マレーシア1995年10月25日1990年代ジョホール州政府,新たに46プロジェクトの民営化を認可。
DIA-206-1995-10-26-1マレーシア1995年10月26日1990年代南太平洋でのフランスの核実験に対し,与野党25政党による共同抗議声明を発表。
DIA-206-1995-10-27-1マレーシア1995年10月27日1990年代1996年予算案,国会に上程。
DIA-206-1995-11-01-1マレーシア1995年11月01日1990年代マハティール首相,APEC大阪会議への参加を公式に表明。
DIA-206-1995-11-01-2マレーシア1995年11月01日1990年代中央銀行,生命保険会社へのガイドラインを公表(適用は96年1月1日より)。
DIA-206-1995-11-03-1マレーシア1995年11月03日1990年代公共部門雇用労働者組合会議(Cuepacs)は政府の賃上げ回答の受諾を決定。
DIA-206-1995-11-16-1マレーシア1995年11月16日1990年代アヌワール副首相,土地収容法(1991年改正法)の改正案の本国会への上程を延期。
DIA-206-1995-11-16-2マレーシア1995年11月16日1990年代教育法に関する内閣特別委員会,改正案に合意。
DIA-206-1995-11-19-1マレーシア1995年11月19日1990年代マハティール首相,APEC大阪会議に出席。
DIA-206-1995-11-22-1マレーシア1995年11月22日1990年代工業技術パーク(Technology Park Malaysia)の民営化を決定。
DIA-206-1995-11-22-2マレーシア1995年11月22日1990年代連邦政府内閣,教育法改正案を承認。
DIA-206-1995-11-23-1マレーシア1995年11月23日1990年代アヌワール副総裁,UMNO青年部中央大会で来年の総裁選へ不出馬の意志を表明。
DIA-206-1995-11-24-1マレーシア1995年11月24日1990年代UMNO党中央年次大会開催(~26日)。
DIA-206-1995-12-01-1マレーシア1995年12月01日1990年代中央銀行.土地投機および外国人による不動産投資に対する規制政策を発表。
DIA-206-1995-12-02-1マレーシア1995年12月02日1990年代マハティール首相,シンガポールを非公式に訪問。ジョホール州からの水道供給契約などを中心にゴー首相と会談。
DIA-206-1995-12-05-1マレーシア1995年12月05日1990年代ランカウィ島にてランカウィ国際航空・宇宙航空博覧会開催(~10日)。参加企業数は640社,参加国は35カ国。
DIA-206-1995-12-08-1マレーシア1995年12月08日1990年代改正教育法,下院の第1読会に上程。
DIA-206-1995-12-15-1マレーシア1995年12月15日1990年代アヌワール副首相,連邦・州政府機関の役割を検討した特別委員会の報告書に基づき,一部の政府機関の廃止の検討を表明。
DIA-206-1995-12-16-1マレーシア1995年12月16日1990年代華人系の7教育協会会長,教育法改正案に関するメモを教育相に提出。
DIA-206-1995-12-20-1マレーシア1995年12月20日1990年代下院において教育法改正案,大学・カレッジ法改正案(Universities and University College Amendment Bill)可決。
DIA-206-1995-12-21-1マレーシア1995年12月21日1990年代アブドゥラー外相,1996年党大会にて次席総裁選への出馬意志を表明。
DIA-206-1995-12-22-1マレーシア1995年12月22日1990年代ムハマンド現UMNO次席副総裁,再選へ向けて出馬意志を表明。
DIA-206-1995-12-23-1マレーシア1995年12月23日1990年代ナジブ現UMNO次席副総裁,再選へ向けての出馬意志を表明。
DIA-206-1996-01-03-1マレーシア1996年01月03日1990年代農村開発省,ゴム産業小農開発庁(RISDA)および連邦土地統合再開発庁(FELCRA)傘下の土地開発スキームの商業転用を認める方針を公表。
DIA-206-1996-01-04-1マレーシア1996年01月04日1990年代マハティール首相,タイ人コミュニティーより初の上院議員(1人)を任命。
DIA-206-1996-01-08-1マレーシア1996年01月08日1990年代国家高等教育協議会法案,民間高等教育機関法案を審議するための特別国会を開催(~11日)。
DIA-206-1996-01-09-1マレーシア1996年01月09日1990年代マレーシア航空,ジャンボ機を含む25ジェット機の購入を発表,費用は100億リンギ。
DIA-206-1996-01-12-1マレーシア1996年01月12日1990年代アンワル蔵相,ブミプトラ殖産公社(MARA)に対して新たな会計監査の実施と提出を指示。
DIA-206-1996-01-13-1マレーシア1996年01月13日1990年代マレーシア初の通信衛星メアサット(Measat-1),南米の仏領ギアナから打ち上げに成功。
DIA-206-1996-01-14-1マレーシア1996年01月14日1990年代企業家開発省,MARAの検討委員会を設置。
DIA-206-1996-01-15-1マレーシア1996年01月15日1990年代第7回マレーシア政府・財界協議会(MBC)開催。
DIA-206-1996-01-15-2マレーシア1996年01月15日1990年代パハン州ラピス選挙区の下院議員補欠選挙で国民戦線(NF)候補者アミハムザ・アーマッド(Amihamzah Ahmad)が無投票当選。
DIA-206-1996-01-15-3マレーシア1996年01月15日1990年代キーティング・オーストラリア首相,来訪,両国関係の正常化を確認(~17日)。
DIA-206-1996-01-22-1マレーシア1996年01月22日1990年代ラヒム・タンビーチック,統一マレー人国民組織(UMNO)青年部長に公式復帰。
DIA-206-1996-01-24-1マレーシア1996年01月24日1990年代教育省,ボスニアにおける学校建設支援などを目的としたボスニア教育援助基金を設立。
DIA-206-1996-01-26-1マレーシア1996年01月26日1990年代ナジブ教育相,テレコム社傘下の通信・情報技術訓練センターに対し,大学の地位を供与することを決定。民間大学第1号。
DIA-206-1996-01-29-1マレーシア1996年01月29日1990年代国内産業・消費者問題省,消費者価格指標(CPI)作成のための調査商品として新たに56品目追加(5月1日にさらに21品目追加措置)。
DIA-206-1996-02-01-1マレーシア1996年02月01日1990年代法定準備比率を1%引き上げ,12.5%とする。
DIA-206-1996-02-05-1マレーシア1996年02月05日1990年代中央銀行,額面2リンギの新紙幣を導入。
DIA-206-1996-02-07-1マレーシア1996年02月07日1990年代特別法廷,市民権を持たないものによる統治者(Rulers)告訴を棄却。
DIA-206-1996-02-14-1マレーシア1996年02月14日1990年代国内電話(ただし遠距離通話は除く)料金を値上げ,最初の3分間は9セント。
DIA-206-1996-02-15-1マレーシア1996年02月15日1990年代ラブアン・オフショア金融庁(Labuan Offshore Financial Services Authority)設立。
DIA-206-1996-02-17-1マレーシア1996年02月17日1990年代被雇用者年金基金(EPF),95年の配当率を7.5%と決定,過去15年間で最低の水準。
DIA-206-1996-03-01-1マレーシア1996年03月01日1990年代内国歳入局,公社化。
DIA-206-1996-03-04-1マレーシア1996年03月04日1990年代華人・マレー商工会議所合同協議会によれば,華人・マレー合弁企業スキームにより12合弁企業が設立された。
DIA-206-1996-03-06-1マレーシア1996年03月06日1990年代第1回インドネシア・マレーシア・シンガポール成長の三角地帯閣僚会議開催(~7日)。
DIA-206-1996-03-07-1マレーシア1996年03月07日1990年代改正証券業法,発効。
DIA-206-1996-03-07-2マレーシア1996年03月07日1990年代マハティール首相,ベトナム訪問(~9日)。
DIA-206-1996-03-08-1マレーシア1996年03月08日1990年代企業家開発省,ブミプトラ中小企業育成のための貸付基金(400万リギン)を新設。
DIA-206-1996-03-11-1マレーシア1996年03月11日1990年代マレーシア労働組織(MLO,加盟組織30組合,10万人),5月1日付けで解散し,マレーシア労働組合会議(MTUC)に加盟することを正式決定。
DIA-206-1996-03-23-1マレーシア1996年03月23日1990年代ペラ州タンジョンマリムに自動車産業の集積を目的としたプロトン都市(Bandar Proton)の建設着工。
DIA-206-1996-03-24-1マレーシア1996年03月24日1990年代UMNO所属クダ州議員22人,オスマン・アロフ現州首相を交替させるあらゆる動きに反対する旨の声明を公表。
DIA-206-1996-03-26-1マレーシア1996年03月26日1990年代マハティール首相,ニュージーランド訪問,帰路にハワード・オーストラリア首相と会談(~29日)。
DIA-206-1996-03-27-1マレーシア1996年03月27日1990年代中央銀行,商業銀行および金融機関に対し10万リンギ以下の住宅の建設または購入者に対する貸付件数を義務づける内容のガイドラインを発表。
DIA-206-1996-03-30-1マレーシア1996年03月30日1990年代UMNO所属クダ州議員,24日の声明に関してマハティール首相に謝罪。
DIA-206-1996-04-01-1マレーシア1996年04月01日1990年代チャン・パプアニューギニア首相,来訪(~6日)。
DIA-206-1996-04-01-2マレーシア1996年04月01日1990年代公務員給与ならびに公務員年金の差額支給の配分に労使間で合意成立。
DIA-206-1996-04-03-1マレーシア1996年04月03日1990年代閣議,環境管理法(74年)改正案承認,罰則規定の強化などが主な内容。
DIA-206-1996-04-09-1マレーシア1996年04月09日1990年代企業家開発省によれば,ベンダー開発プログラム(VDP)の下でこれまで79ベンダー企業が育成された。
DIA-206-1996-04-13-1マレーシア1996年04月13日1990年代フォン教育副大臣,国立小学校100校において試験的に中国語課目を導入することを公表。
DIA-206-1996-04-14-1マレーシア1996年04月14日1990年代マハティール首相,ボスニア・ヘルツェゴビナなどバルカン3カ国訪問(~22日)。
DIA-206-1996-04-17-1マレーシア1996年04月17日1990年代国家治安会議,ベトナム難民キャンプの最終閉鎖と難民1655人の本国送還を決定(6月25日送還完了)。
DIA-206-1996-05-03-1マレーシア1996年05月03日1990年代サバ州首相モハメッド・サレー・サイド,辞表を提出。
DIA-206-1996-05-06-1マレーシア1996年05月06日1990年代「第7次マレーシア計画書,1996-2000」下院に上程。
DIA-206-1996-05-09-1マレーシア1996年05月09日1990年代46年精神マレー人党党首トゥンク・ラザレイ,UMNOへの復党の意志があることを明言。
DIA-206-1996-05-11-1マレーシア1996年05月11日1990年代UMNO,結党50周年記念大会開催。
DIA-206-1996-05-14-1マレーシア1996年05月14日1990年代重工業公社(HICOM),DRB,いすゞ3社間で国産トラック合弁企業設立に関する覚書を締結。
DIA-206-1996-05-15-1マレーシア1996年05月15日1990年代マハティール首相,訪日。東京でマルチメディア・スーパー・コリドー(Multi-media Super Corridor,MSC)構想を公表。
DIA-206-1996-05-18-1マレーシア1996年05月18日1990年代内務省,麻薬問題を撲滅するための諸政策を立案することを目的とした国家麻薬対策協議会を設立。
DIA-206-1996-05-21-1マレーシア1996年05月21日1990年代アンワル蔵相,プルワジャ製鉄社の累計損失額が25億リンギに達することを内容とする会計報告を下院に提出。
DIA-206-1996-05-29-1マレーシア1996年05月29日1990年代サバ州新内閣成立。首相にはヨン・テック・リー(Yong Teck Lee,楊徳利)が就任。
DIA-206-1996-06-01-1マレーシア1996年06月01日1990年代法定準備比率を1%引き上げ,13.5%とする。
DIA-206-1996-06-02-1マレーシア1996年06月02日1990年代マハティール首相,イスラーム復興主義グループ・アルカム(Al-Arqam)の再生の動きに警鐘。
DIA-206-1996-06-05-1マレーシア1996年06月05日1990年代保健省,公的部門で雇用する医師,看護婦などの外国人労働者に対する人頭税免除を決定(1月1日に遡及し,適用)。
DIA-206-1996-06-08-1マレーシア1996年06月08日1990年代アルカム元指導者アシャアリ,グループの再生の意志を否定。
DIA-206-1996-06-11-1マレーシア1996年06月11日1990年代土地・協同組合開発相,土地収容法(1990年)が改正されるまで州政府による土地収容の締結措置を延長することを公表。
DIA-206-1996-06-14-1マレーシア1996年06月14日1990年代連邦政府投資会社カザナ(Khazanah Nasional Bhd.)社,初年度純利益が78億1700万リンギにのぼったことを公表。
DIA-206-1996-06-16-1マレーシア1996年06月16日1990年代元農相サヌシ・ジュニッド(Datuk Seri Sanusi Junid),オスマン・アロフに代わりクダ州首相に就任。
DIA-206-1996-06-19-1マレーシア1996年06月19日1990年代マレーシア高裁,バクン・ダム建設差し止め判決。
DIA-206-1996-06-27-1マレーシア1996年06月27日1990年代ヌルスルタン・カザフスタン共和国大統領来訪,両国間の投資保証協定を締結。
DIA-206-1996-06-30-1マレーシア1996年06月30日1990年代マハティール首相,国連のボスニア問題への対応に関連し,ガリ国連事務総長の再選に反対を表明。
DIA-206-1996-07-01-1マレーシア1996年07月01日1990年代ブミプトラ殖産振興公社(MARA)の総裁にニック・アファンディ・ユソフ(NikA ffandi Yusof)を任命(就任は8月9日)。
DIA-206-1996-07-03-1マレーシア1996年07月03日1990年代人材開発相,最低賃金制度導入は必要のないことを主張。
DIA-206-1996-07-03-2マレーシア1996年07月03日1990年代運輸相,ラワン=イポー間の鉄道の複線化と電化プロジェクト計画を公式に認可,プロジェクト総額は18億リンギ。
DIA-206-1996-07-05-1マレーシア1996年07月05日1990年代被雇用者年金基金(EPF),国内における投資活動の多角化に加え,オフショア投資活動を開始する方針を公表。
DIA-206-1996-07-05-2マレーシア1996年07月05日1990年代ジョホール・バル臨海都市開発プロジェクト)が正式に着工,総工費用は60億リンギ。
DIA-206-1996-07-05-3マレーシア1996年07月05日1990年代マレーシア華人協会(MCA),党中央年次大会を開催。中央役員選挙を実施(~6日)。リン・リョン・シック(林良実)委員長再選,リム・アー・レック(林亜礼)副委員長に選出。
DIA-206-1996-07-06-1マレーシア1996年07月06日1990年代UMNO最高評議員会,10月の最高評議委員選挙に関する一切の選挙運動を禁止することを決定。
DIA-206-1996-07-15-1マレーシア1996年07月15日1990年代マハティール首相,キルギス,カザフスタン両共和国を公式訪問(~19日)。
DIA-206-1996-07-24-1マレーシア1996年07月24日1990年代マハティール首相,イスラーム法廷(Syariah Court)の再編成を示唆。
DIA-206-1996-08-01-1マレーシア1996年08月01日1990年代マルチメディア・スーパー・コリドー(MSC)構想に関連し,マルチメディア・アジア会議を開催,MSC構想に参加する企業への優遇措置が公表される。
DIA-206-1996-08-02-1マレーシア1996年08月02日1990年代銀行・金融機関法(89年)改正法発効。
DIA-206-1996-08-03-1マレーシア1996年08月03日1990年代マレー半島全域にわたる大規模停電事故発生,完全復旧に約17時間を要した。
DIA-206-1996-08-03-2マレーシア1996年08月03日1990年代マレーシア・インド人会議(MIC),第43回党中央大会を開催,インド系民間企業に対し,種族間合弁事業への参加促進を決議。
DIA-206-1996-08-10-1マレーシア1996年08月10日1990年代アブドゥール・ガーニー・アジスの退役にともない,アーマッド・サルジ・チー・ロス(Ahmad Saruji Che Rose),新空軍司令官に就任。
DIA-206-1996-08-15-1マレーシア1996年08月15日1990年代サラワク州議会解散。
DIA-206-1996-08-18-1マレーシア1996年08月18日1990年代46年精神マレー人党・最高評議会,10月6日に解党し,UMNOに正式に合流することを決定。
DIA-206-1996-08-20-1マレーシア1996年08月20日1990年代国営企業公社(PERNAS),MBO方式によりトゥンク・シャリマンら経営陣14人のグループに売却,最大規模の民営化プロジェクト。
DIA-206-1996-08-24-1マレーシア1996年08月24日1990年代マハティール首相,訪中(~27日)。
DIA-206-1996-08-28-1マレーシア1996年08月28日1990年代マレーシア国民全体(参加資格12歳から29歳)を対象にした2020年ビジョン投資信託(Amanah Saham Wawasan 2020)スキーム発足。
DIA-206-1996-09-01-1マレーシア1996年09月01日1990年代アーマッド・タジュディン・アリ(Datuk Ahmad Tajuddin Ali)トゥナガ・ナショナル社の取締役社長に就任。
DIA-206-1996-09-05-1マレーシア1996年09月05日1990年代マハティール首相,アメリカ軍によるイラクへのミサイル攻撃に対し強い不満の意を表明。
DIA-206-1996-09-06-1マレーシア1996年09月06日1990年代ブルジャヤ・グループ,現代自動車,ルノー(仏)などにより国産商用車(軽トラックなど)プロジェクトに関する覚書締結。
DIA-206-1996-09-07-1マレーシア1996年09月07日1990年代サラワク州議会選挙実施(~8日)。サラワク国民戦線(NF),62議席中57議席を獲得し大勝。
DIA-206-1996-09-09-1マレーシア1996年09月09日1990年代サラワク州新内閣成立。
DIA-206-1996-09-15-1マレーシア1996年09月15日1990年代アラブマレーシア銀行,VISAとの提携でイスラーム・クレジット・カード(Al-Taslif)を発足。
DIA-206-1996-09-17-1マレーシア1996年09月17日1990年代マレーシア国連代表ラザリ・イスマイル(Tan Sri Razali b. Ismail),第51回国連総会議長に就任。
DIA-206-1996-09-17-2マレーシア1996年09月17日1990年代アブドゥール・ハリム・アリ(Datuk Abdul Halim Ali),連邦政府官房長官に就任。
DIA-206-1996-09-20-1マレーシア1996年09月20日1990年代閣議,ボスニアにおけるマレーシア軍を12月27日以降も駐屯させることを決定。
DIA-206-1996-09-22-1マレーシア1996年09月22日1990年代ラフィダ通産相,サバ,サラワク,トレンガヌ,クランタン,パハン,ジョホール(北部のみ)6州に対する特別投資奨励措置を公表。
DIA-206-1996-09-23-1マレーシア1996年09月23日1990年代UMNO党本部,中央最高評議員会の候補者名簿を公表。
DIA-206-1996-09-27-1マレーシア1996年09月27日1990年代国家高等教育協議会(National Higher Education Council)第1回開催。
DIA-206-1996-10-02-1マレーシア1996年10月02日1990年代エクラン(Ekra)社,サラワク州バクン(Bakun)・ダム建設契約に調印。
DIA-206-1996-10-03-1マレーシア1996年10月03日1990年代国産自動2輪製造企業モデナス社(MDEN),国産自動2輪車モデル・クリス(110cc)を発表(販売は11月17日に開始)。
DIA-206-1996-10-05-1マレーシア1996年10月05日1990年代マレーシア民政運動党(Gerakan),中央党大会を開催,役員選挙を実施。リム・ケン・ヤィク(林敬益)総裁に再選。
DIA-206-1996-10-06-1マレーシア1996年10月06日1990年代46年精神マレー人党,正式に解党。
DIA-206-1996-10-09-1マレーシア1996年10月09日1990年代UMNO青年部,婦人部年次中央大会開催,各役員選挙実施。
DIA-206-1996-10-10-1マレーシア1996年10月10日1990年代UMNO,年次党中央大会開催(~12日),中央最高評議員選挙実施(「参考資料」④参照)。
DIA-206-1996-10-13-1マレーシア1996年10月13日1990年代元野党指導者タン・チークン死去。
DIA-206-1996-10-17-1マレーシア1996年10月17日1990年代総理府経済企画庁(EPU),83年以降民営化された政府機関・サービスが401プロジェクトに達したことを公表。
DIA-206-1996-10-25-1マレーシア1996年10月25日1990年代アンワル蔵相9,7年予算案を下院に上程。
DIA-206-1996-10-26-1マレーシア1996年10月26日1990年代土地・協同組合開発省,土地収容法の見直し作業が終了したことを公表。
DIA-206-1996-10-29-1マレーシア1996年10月29日1990年代クアラルンプル市庁,クラン川流域の再開発計画,リニアシティ計画,に関する契約締結。
DIA-206-1996-10-30-1マレーシア1996年10月30日1990年代プロトン(PROTON)社,ヤヤ・アーマッドとともに英国のスポーツ社メーカー・ロータス(Lotus)社の株式80%を取得。
DIA-206-1996-11-01-1マレーシア1996年11月01日1990年代マイクロエレクトロニクス研究所(MIMOS)を公社化。
DIA-206-1996-11-05-1マレーシア1996年11月05日1990年代マハティール首相,ガーナ,ギニアなど訪問(~11日)。
DIA-206-1996-11-09-1マレーシア1996年11月09日1990年代UMNO青年部メンバーら300人,クアラルンプルで開催中の「第2回東チモール問題アジア太平洋国際会議」会議場に乱入。その後マレーシア警察が参加者,報道関係者約60人を逮捕。
DIA-206-1996-11-13-1マレーシア1996年11月13日1990年代マレーシア第2通信衛星メアサット2号打ち上げ。
DIA-206-1996-11-28-1マレーシア1996年11月28日1990年代『第2次工業化マスター計画書1996-2005』公表。
DIA-206-1996-11-28-2マレーシア1996年11月28日1990年代UMNO,最高評議員会を開催し,最高評議員を8人総裁任命(「参考資料」④参照)。
DIA-206-1996-12-05-1マレーシア1996年12月05日1990年代マハティール首相,サウジアラビアを公式訪問(~8日)。
DIA-206-1996-12-09-1マレーシア1996年12月09日1990年代外国人労働者の流入の取締りを目的とした出入国管理法の改正案下院に上程。
DIA-206-1996-12-11-1マレーシア1996年12月11日1990年代アンワル副首相,トルコ首相が提案した途上国グループ(G8)創設に原則的に合意することを表明。
DIA-206-1996-12-12-1マレーシア1996年12月12日1990年代閣議,プルワジャ製鉄社救済に関する最終案を決定。
DIA-206-1996-12-19-1マレーシア1996年12月19日1990年代マハティール首相,インドを訪問(~22日)。
DIA-206-1996-12-24-1マレーシア1996年12月24日1990年代スランゴール州首相ムハマッド・ムハマッド・タイブ,237万リンギの現金を無申告で持ち出そうとしたために,オーストラリアで起訴。
DIA-206-1996-12-25-1マレーシア1996年12月25日1990年代サバ州一体が台風に見舞われ,死者約160人。
DIA-206-1996-12-28-1マレーシア1996年12月28日1990年代ペルーの日本大使公邸事件で人質となっていた駐ペルー大使釈放。
DIA-206-1996-12-30-1マレーシア1996年12月30日1990年代プロトン社,乗用車生産台数累計100万台を達成。
DIA-206-1997-01-06-1マレーシア1997年01月06日1990年代クランタン州プライ・チョンドン選挙区の州議会補欠選挙実施。ズルキフリ・ママット(PAS)がUMNO候補に勝利。
DIA-206-1997-01-06-2マレーシア1997年01月06日1990年代内務副大臣,12月31日に外国人不法労働者の登録期限が終了したことを受けて,出入国管理局が取締り部隊を編成したと発表。
DIA-206-1997-01-08-1マレーシア1997年01月08日1990年代橋本首相来訪(~9日)。ASEAN5カ国歴訪の一環。
DIA-206-1997-01-09-1マレーシア1997年01月09日1990年代首相,8日の閣議で全閣僚に対し国際収支改善,インフレ抑制などのための新たな任務を課したと発表。内容は明らかにせず。
DIA-206-1997-01-10-1マレーシア1997年01月10日1990年代断食月始まる(~2月7日)。
DIA-206-1997-01-12-1マレーシア1997年01月12日1990年代首相,企業家らに対するマルチメディア・スーパー・コリドール(MSC)の説明,投資呼びかけのため米国訪問(~18日)。
DIA-206-1997-01-19-1マレーシア1997年01月19日1990年代首相,MSC説明のため訪日(~21日)。
DIA-206-1997-01-27-1マレーシア1997年01月27日1990年代マンフィールド・デベロップメント社,クダ州開発公社等のコンソーシアムの子会社2社がクリム工業団地内の企業に対する発電・送電の認可を得る。トゥナガ・ナショナル社以外の企業による初の送電事業進出。
DIA-206-1997-02-01-1マレーシア1997年02月01日1990年代新出入国管理法発効。翌日関係当局の合同捜査隊が1900人の不法移民を逮捕。
DIA-206-1997-02-03-1マレーシア1997年02月03日1990年代サラワク州政府,隣接するインドネシア・西カリマンタン州で暴動が発生したため国境検問所を封鎖。
DIA-206-1997-02-08-1マレーシア1997年02月08日1990年代首相,断食明け祭の演説で近年深刻化する麻薬使用などの社会悪の一掃を訴える。
DIA-206-1997-02-13-1マレーシア1997年02月13日1990年代サバ・サラワク高裁,96年9月のサラワク州議会選挙で当選したPBDSのモン・アナック・ダガンの支持者が選挙民を買収したと認定,当選を無効とする判決を下す。
DIA-206-1997-02-17-1マレーシア1997年02月17日1990年代控訴院,環境基準法に反するとしてバクン水力発電ダムの建設差し止めを命じた96年6月の高裁判決を棄却。
DIA-206-1997-02-19-1マレーシア1997年02月19日1990年代マジストレイト・コート,UMNO青年部員らが96年11月のアジア太平洋東ティモール会議の開催を妨害した件で,同青年部幹部に罰金1500リンギの判決を下す。
DIA-206-1997-02-27-1マレーシア1997年02月27日1990年代タイ首相来訪(~28日)。マハティール首相との会談で,両国間の国境線画定問題を60日以内に解決することで合意。
DIA-206-1997-03-02-1マレーシア1997年03月02日1990年代クロアチア大統領来訪(~5日)。
DIA-206-1997-03-04-1マレーシア1997年03月04日1990年代新興マレー人企業家の代表的な存在だったDRB-HICOMグループのヤハヤ・アフマド会長がヘリコプターで墜落死。
DIA-206-1997-03-06-1マレーシア1997年03月06日1990年代南アフリカ大統領来訪(~10日)。7日に貿易協定に調印。
DIA-206-1997-03-12-1マレーシア1997年03月12日1990年代政府,シンガポールのリー上級相がジョホール州を中傷する発言をしたことに対し,発言の撤回と謝罪を公式に要求。
DIA-206-1997-03-19-1マレーシア1997年03月19日1990年代モザンビーク大統領来訪(~22日)。
DIA-206-1997-03-19-2マレーシア1997年03月19日1990年代政府,外国企業と了解覚書を結ぶ企業に対し,大使館,貿易事務所,工業開発庁への登録を義務づけることを閣議決定。
DIA-206-1997-03-25-1マレーシア1997年03月25日1990年代首相訪日(~29日)。26日に橋本首相と会談し,ミャンマーのASEAN加盟問題などを討議したほか,ルックイースト政策の継続や対日貿易赤字への不満を表明。
DIA-206-1997-03-26-1マレーシア1997年03月26日1990年代サラワク州元首にトゥン・アハマド・ザイディ・アドルスが再任。連続4期目。
DIA-206-1997-03-28-1マレーシア1997年03月28日1990年代中銀,不動産融資の規制など金融引締め策を発表。
DIA-206-1997-04-04-1マレーシア1997年04月04日1990年代首相,クランタン州を訪問。同州企業とUMNO系企業の共同プロジェクト調印式出席の後,ニック・アジズ州首相と会談。
DIA-206-1997-04-04-2マレーシア1997年04月04日1990年代イスラエルのクリケット大会参加に抗議するPAS党員,学生ら約1000人によるデモに対し警察が介入,250人を拘束。PAS幹部4人以外は即日釈放される。
DIA-206-1997-04-05-1マレーシア1997年04月05日1990年代首相,マレー人企業家らを伴いクウェート訪問(~7日)。その後バーレーン(7~9日),パキスタン(9日)を歴訪。
DIA-206-1997-04-07-1マレーシア1997年04月07日1990年代ペナン州元首にトゥン・ハムダン・シーク・タヒールが再任。連続3期目。
DIA-206-1997-04-12-1マレーシア1997年04月12日1990年代首相,スランゴール州首相の辞任を発表。14日に正式に辞任。
DIA-206-1997-04-12-2マレーシア1997年04月12日1990年代UMNO婦人部の資金180万リンギが不正に引き出されていたことが発覚。
DIA-206-1997-04-13-1マレーシア1997年04月13日1990年代エジプト首相来訪(~15日)。
DIA-206-1997-04-13-2マレーシア1997年04月13日1990年代5カ国防衛協定加盟国の空海合同演習をティオマン島沖で実施(~30日)。
DIA-206-1997-04-21-1マレーシア1997年04月21日1990年代ハンガリー首相来訪(~22日)。
DIA-206-1997-04-28-1マレーシア1997年04月28日1990年代高裁,前マラッカ州知事のスキャンダルに関連して司法当局を批判したリム・ガンエン下院議員(DAP)に扇動法違反などで罰金1万5000リンギの判決を下す。
DIA-206-1997-05-01-1マレーシア1997年05月01日1990年代電気料金の8%値上げを実施。
DIA-206-1997-05-01-2マレーシア1997年05月01日1990年代首相,企業家らとともにマラウィ訪問(~3日)。その後ボツワナ(3~6日),南アフリカ(6~7日)を歴訪。
DIA-206-1997-05-02-1マレーシア1997年05月02日1990年代副首相,アブ・ハサン・オマール国内産業・消費者問題相が次のスランゴール州首相に選ばれたと発表。アブ・ハサン・オマールは大臣職と国会議員を辞任。彼の州首相就任実現のため,州議員が1人辞職。
DIA-206-1997-05-04-1マレーシア1997年05月04日1990年代外相,インドネシアとの高級事務レベル協議で係争中のシパダン,リギタン2島の領有権問題を国際司法裁判所に付託することで合意したと発表。31日に合意書に調印。
DIA-206-1997-05-11-1マレーシア1997年05月11日1990年代マハティール総裁,UMNO設立記念式の演説で,マレー人は他の種族に劣るとした自著『マレー・ジレンマ』の主張を訂正。
DIA-206-1997-05-14-1マレーシア1997年05月14日1990年代マラッカ州首相,心不全で死去。
DIA-206-1997-05-17-1マレーシア1997年05月17日1990年代ペラ州テルック・インタン選挙区の下院議員補欠選挙実施。クラスガラン(DAP)がGerakan候補を下す。
DIA-206-1997-05-19-1マレーシア1997年05月19日1990年代首相,長期休暇をとる(~7月22日)。休暇に先立ち,初めて副首相を首相代行に任命する(17日)。
DIA-206-1997-05-22-1マレーシア1997年05月22日1990年代アンワール首相代行,アブ・ザハール・イスニンをマラッカ州首相に指名。翌23日に就任。
DIA-206-1997-05-27-1マレーシア1997年05月27日1990年代マラッカ州内閣改造。この改造で州大臣職を解かれたサハール・アルパンは,30日に反汚職庁に逮捕される。
DIA-206-1997-05-28-1マレーシア1997年05月28日1990年代内閣一部改造。ムガット・ジュニド内務副大臣が国内産業・消費者問題相に,タジョル・ロスリ・ガザリ住宅・地方政府副大臣が内務副大臣に,アズミ・カリド総理府政務次官が住宅・地方政府副大臣に就任。
DIA-206-1997-05-29-1マレーシア1997年05月29日1990年代スランゴール州クアラ・スランゴール選挙区の下院議員補欠選挙および同州議会補欠選挙実施。アブ・ハサン・オマールが州議会議員に,ジャマルディン・アドナンが下院議員に選出され,議席の交換が成立。アブ・ハサンは6月6日に州首相に就任。
DIA-206-1997-05-29-2マレーシア1997年05月29日1990年代ヌグリ・スンビラン州レパ選挙区の州議会補欠選挙でガリー・ガン・チンヤップ(MCA)がDAP候補に勝利。
DIA-206-1997-06-05-1マレーシア1997年06月05日1990年代UMNO最高評議会,同婦人部の資金が不正に引き出されたことの責任を問いシティ・ザイナブ・アブ・バカール第一次産業副大臣とハブスナ・オスマン上院議員の党員権停止を決定。シティ・ザイナブは首相代行により副大臣を解任される。
DIA-206-1997-06-11-1マレーシア1997年06月11日1990年代クダ州首相,クアラ・ムダ沖に新国際空港を建設する構想を発表。
DIA-206-1997-06-13-1マレーシア1997年06月13日1990年代美人コンテストに出場したマレー人女性3人がイスラム法違反でスランゴール州宗教局により起訴される。7月1日に有罪判決(罰金400リンギ)が下る。
DIA-206-1997-06-14-1マレーシア1997年06月14日1990年代首相,トルコ訪問(~15日)。
DIA-206-1997-06-16-1マレーシア1997年06月16日1990年代首相,レバノン訪問(~18日)。
DIA-206-1997-06-18-1マレーシア1997年06月18日1990年代IMF専務理事,マレーシア政府の資産インフレ抑止策を高く評価し,支持を表明。
DIA-206-1997-06-21-1マレーシア1997年06月21日1990年代アメリカと航空自由化協定に調印。
DIA-206-1997-06-21-2マレーシア1997年06月21日1990年代MAS会長のタジュディン・ラムリがマレー人商工会議所会頭に選出される。
DIA-206-1997-06-23-1マレーシア1997年06月23日1990年代首相,ハンガリー訪問(~24日)。
DIA-206-1997-06-24-1マレーシア1997年06月24日1990年代総理府相,すべての高等教育機関においてイスラム文明の講座を必修科目とすべくカリキュラム改正を義務づけると発表。
DIA-206-1997-07-03-1マレーシア1997年07月03日1990年代日刊紙Star,スランゴール州宗教局長の談話として,同局が不適切な服装のムスリム女性に対する取締りを強化し,すでに2763人を拘束したと報道。
DIA-206-1997-07-05-1マレーシア1997年07月05日1990年代首相代行,イスラム法の執行にあたっては穏健さが必要と訴える。
DIA-206-1997-07-08-1マレーシア1997年07月08日1990年代中銀,10億ドル規模の市場介入実施。
DIA-206-1997-07-10-1マレーシア1997年07月10日1990年代クアラルンプールでカンボジア加盟問題を巡るASEAN緊急外相会議開催。
DIA-206-1997-07-10-2マレーシア1997年07月10日1990年代反汚職庁,ザイノル・アビディン・ジョハリ上院議員を公金着服の疑いで逮捕。
DIA-206-1997-07-14-1マレーシア1997年07月14日1990年代中銀が市場介入せず,リンギは16カ月ぶりの安値。翌15日,首相代行はリンギ安を容認する発言を行う。
DIA-206-1997-07-17-1マレーシア1997年07月17日1990年代首相訪日(~21日)。
DIA-206-1997-07-23-1マレーシア1997年07月23日1990年代首相,公務復帰。
DIA-206-1997-07-24-1マレーシア1997年07月24日1990年代クアラルンプールでASEAN関連国際会議開幕。この日始まった外相会議(~25日)に続き,ARF閣僚会議(27日),拡大外相会議(28~30日)が開かれる。
DIA-206-1997-07-26-1マレーシア1997年07月26日1990年代首相,政治的意図をもって通貨を攻撃しているとして投資家のジョージ・ソロスを批判。以後首相はソロス批判を繰り返す。
DIA-206-1997-07-31-1マレーシア1997年07月31日1990年代パキスタン首相来訪(~8月2日)。
DIA-206-1997-08-03-1マレーシア1997年08月03日1990年代中銀,リンギの投機売り抑制のためスワップ取引の上限を200万ドルに制限。
DIA-206-1997-08-09-1マレーシア1997年08月09日1990年代首相,政治家,官僚に対し,高価な贈答品は大蔵省へ拠出せよと命じる。
DIA-206-1997-08-11-1マレーシア1997年08月11日1990年代クランタン州スムラック選挙区の州議会補欠選挙実施。大方の予想に反しUMNOのカマルディンがPAS候補を破り当選。
DIA-206-1997-08-18-1マレーシア1997年08月18日1990年代首相,バタン・ダム建設など巨大プロジェクト継続の意思を表明。
DIA-206-1997-08-20-1マレーシア1997年08月20日1990年代内務副大臣,全業種で外国人労働者の新規雇用を凍結すると発表(即日発効)。
DIA-206-1997-08-21-1マレーシア1997年08月21日1990年代中国首相来訪(~24日)。翌22日,マハティール首相と会談。中国側はマハティールの国連人権宣言修正提案に支持を表明。
DIA-206-1997-08-24-1マレーシア1997年08月24日1990年代首相,副首相のセックス・スキャンダルは単なる中傷と発言。
DIA-206-1997-08-27-1マレーシア1997年08月27日1990年代政府,外国人による高額不動産物件取得に対する規制を撤廃する旨閣議決定。
DIA-206-1997-08-27-2マレーシア1997年08月27日1990年代クアラルンプール証券取引所,翌28日より株価指数を構成する優良100銘柄の空売りを禁止すると発表。翌日株価は暴落。
DIA-206-1997-09-03-1マレーシア1997年09月03日1990年代政府,株価買い支えのための600億リンギ基金設立構想を発表(10日に撤回)。
DIA-206-1997-09-04-1マレーシア1997年09月04日1990年代UMNO青年部,婦人部大会開催。
DIA-206-1997-09-04-2マレーシア1997年09月04日1990年代首相,株の空売り規制撤廃を発表。
DIA-206-1997-09-05-1マレーシア1997年09月05日1990年代UMNO党大会開幕(~7日)。マハティール総裁,開会式の演説で宗教面での穏健路線継続を強調。7日の閉幕式の演説では,アンワール副総裁が後継者だと明言。
DIA-206-1997-09-08-1マレーシア1997年09月08日1990年代首相,モンゴル訪問(~11日)。
DIA-206-1997-09-10-1マレーシア1997年09月10日1990年代蔵相,バタン・ダム建設を含む大型プロジェクト5件の延期,政府歳出の2%削減などの経常赤字対策発表。
DIA-206-1997-09-11-1マレーシア1997年09月11日1990年代首相,キルギスタン訪問(~13日)。
DIA-206-1997-09-14-1マレーシア1997年09月14日1990年代首相,外国人ファンド・マネージャー50人と懇談。
DIA-206-1997-09-19-1マレーシア1997年09月19日1990年代煙害のためサラワク州で非常事態宣言。28日に解除。
DIA-206-1997-09-20-1マレーシア1997年09月20日1990年代首相,香港訪問(~21日)。世銀・IMF主催のセミナーで演説し通貨投機規制を要求。翌日蔵相が取引規制は行わないと弁明。
DIA-206-1997-09-25-1マレーシア1997年09月25日1990年代首相,キューバ訪問(~28日)。
DIA-206-1997-09-28-1マレーシア1997年09月28日1990年代首相,チリ訪問(~10月1日)。30日に太平洋経済協力会議(PECC)総会で演説,為替取引の規制を再度主張。翌日リンギは対米ドル最安値を更新。
DIA-206-1997-10-01-1マレーシア1997年10月01日1990年代首相,ウルグアイ訪問(~2日)。
DIA-206-1997-10-02-1マレーシア1997年10月02日1990年代首相,アルゼンチン訪問(~5日)。
DIA-206-1997-10-06-1マレーシア1997年10月06日1990年代首相,辞任の噂を否定。
DIA-206-1997-10-10-1マレーシア1997年10月10日1990年代首相,外国投機筋の背後にはユダヤ人がいると発言。翌日,ユダヤ人を非難したわけではないと釈明。
DIA-206-1997-10-15-1マレーシア1997年10月15日1990年代米国務省報道官,10日のマハティール発言を批判。
DIA-206-1997-10-16-1マレーシア1997年10月16日1990年代ASEAN経済担当閣僚会議,クアラルンプールで開幕(~18日)。
DIA-206-1997-10-16-2マレーシア1997年10月16日1990年代蔵相,世銀専務理事と会談。専務理事は世銀が為替取引規制を検討中だと語る。
DIA-206-1997-10-17-1マレーシア1997年10月17日1990年代蔵相,98年度予算案を下院に上程。歳出1.9%増の緊縮予算。経常収支改善策,金融システム強化策を盛り込む。
DIA-206-1997-10-22-1マレーシア1997年10月22日1990年代首相,イギリス訪問(~27日)。
DIA-206-1997-10-27-1マレーシア1997年10月27日1990年代首相,スロベニア訪問(~29日)。
DIA-206-1997-10-27-2マレーシア1997年10月27日1990年代蔵相,インドネシアを訪問し,同国政府に10億ドルを緊急融資する旨表明。
DIA-206-1997-10-31-1マレーシア1997年10月31日1990年代蔵相,WTO事務局長と会談。
DIA-206-1997-11-03-1マレーシア1997年11月03日1990年代クアラルンプールでG-15首脳会議開幕(~5日)。
DIA-206-1997-11-04-1マレーシア1997年11月04日1990年代イスラム教シーア派を信奉する元政治家2人が国内治安法により逮捕される。当局は7日までに10人を逮捕。
DIA-206-1997-11-08-1マレーシア1997年11月08日1990年代ペナン州スンガイ・バカップ選挙区の州議会補欠選挙で,ライ・チューホック(Gerakan)がDAP候補を破り当選。
DIA-206-1997-11-08-2マレーシア1997年11月08日1990年代ペラ州チャンカット・ジャリン選挙区の州議会補欠選挙で,マット・イサ(UMNO)がPAS候補を破り当選。
DIA-206-1997-11-10-1マレーシア1997年11月10日1990年代マケドニア大統領来訪(~13日)。
DIA-206-1997-11-10-2マレーシア1997年11月10日1990年代オーストラリアと航空自由化協定に調印。
DIA-206-1997-11-13-1マレーシア1997年11月13日1990年代IMF専務理事来訪。蔵相と会談し,マレーシアはIMFの援助を必要としていないとの見方を表明。
DIA-206-1997-11-14-1マレーシア1997年11月14日1990年代通産相,輸出志向製造業の国内販売規制緩和策を発表(98年1月1日発効)。
DIA-206-1997-11-16-1マレーシア1997年11月16日1990年代フランス大統領来訪(~17日)。
DIA-206-1997-11-19-1マレーシア1997年11月19日1990年代下院,首相信任表明決議を採択。
DIA-206-1997-11-19-2マレーシア1997年11月19日1990年代中銀総裁,大手銀行の取付の噂を否定。翌日蔵相も同様の発言。
DIA-206-1997-11-20-1マレーシア1997年11月20日1990年代UMNO,緊急最高評議会を開き,国家経済行動評議会(NEAC)設立を求める。
DIA-206-1997-11-21-1マレーシア1997年11月21日1990年代蔵相,98年1月1日よりオフショア銀行のリンギ取引を認める旨発表。
DIA-206-1997-11-23-1マレーシア1997年11月23日1990年代首相,APEC首脳会議出席のためカナダ訪問。ホテルで講演し,自由経済の行き過ぎに挑戦し投機筋を批判する発言。
DIA-206-1997-11-26-1マレーシア1997年11月26日1990年代クアラルンプール証券取引所,5億リンギの緊急基金を設定。29日には証券5社に対し取引規制を課す旨発表。
DIA-206-1997-11-27-1マレーシア1997年11月27日1990年代首相訪日(~29日)。途中台湾に立ち寄り,蕭万長行政院長と会談。
DIA-206-1997-12-01-1マレーシア1997年12月01日1990年代クアラルンプールでASEAN蔵相会議開幕(~2日)。あわせてASEANビジネスフォーラム開幕(~3日)。
DIA-206-1997-12-05-1マレーシア1997年12月05日1990年代蔵相,98年度予算歳出の18%減,プロジェクトの延期対象拡大などの緊急経済対策を発表。98年の成長率見通しも下方修正。
DIA-206-1997-12-08-1マレーシア1997年12月08日1990年代蔵相,5日発表の緊急経済対策の追加策発表。内容は,大臣,副大臣の給与の10%削減,株の新規上場凍結など。
DIA-206-1997-12-08-2マレーシア1997年12月08日1990年代首相,OIC総会出席のためイラン訪問。
DIA-206-1997-12-09-1マレーシア1997年12月09日1990年代各州の州首相,給与10%削減で合意。
DIA-206-1997-12-14-1マレーシア1997年12月14日1990年代クアラルンプールでASEAN非公式首脳会議開幕(~15日)。
DIA-206-1997-12-14-2マレーシア1997年12月14日1990年代橋本首相来訪(~16日)。
DIA-206-1997-12-15-1マレーシア1997年12月15日1990年代クアラルンプールで日中韓首脳とASEAN首脳の協議(ASEAN+3)開催。
DIA-206-1997-12-31-1マレーシア1997年12月31日1990年代断食月入り。
DIA-206-1998-01-02-1マレーシア1998年01月02日1990年代内務副相,家政婦と農業労働者以外の外国人労働者に対する定額税の1500リンギへの引上げと,98年中に100万人の労働者を帰国させるという政府方針を発表。
DIA-206-1998-01-07-1マレーシア1998年01月07日1990年代リンギ安が進み,最低値を記録。一時1ドル=4.8800リンギに。
DIA-206-1998-01-07-2マレーシア1998年01月07日1990年代国家経済行動評議会(NEAC)発足。ダイム政府経済顧問が事務局長に就任。22日に第1回会合を開催。
DIA-206-1998-01-13-1マレーシア1998年01月13日1990年代米財務副長官来訪。副首相兼蔵相と会談し,マレーシアの緊縮政策を評価。
DIA-206-1998-01-15-1マレーシア1998年01月15日1990年代IMF専務理事来訪(~16日)。対マレーシア支援は必要でないとの認識を示す。
DIA-206-1998-01-17-1マレーシア1998年01月17日1990年代首相,インドネシアを訪問。
DIA-206-1998-01-19-1マレーシア1998年01月19日1990年代クアラルンプール証券取引所,会員証券会社の破綻防止のため,金融機関からの借入規制などの規制策を導入。
DIA-206-1998-01-20-1マレーシア1998年01月20日1990年代シンガポール首相来訪。マハティール首相と通貨問題について協議。
DIA-206-1998-01-22-1マレーシア1998年01月22日1990年代副首相兼蔵相,クローニズム,縁故主義と汚職を一掃する必要があると発言。
DIA-206-1998-02-02-1マレーシア1998年02月02日1990年代世銀総裁来訪(~3日)。
DIA-206-1998-02-05-1マレーシア1998年02月05日1990年代首相,タイ,フィリピン,シンガポールを歴訪(~7日)。ASEAN内貿易決済における域内通貨利用促進が主な目的。
DIA-206-1998-02-06-1マレーシア1998年02月06日1990年代中銀,金融機関の法定支払準備率を13.5%から10%へ引き下げる旨発表。
DIA-206-1998-02-08-1マレーシア1998年02月08日1990年代副首相兼蔵相,日本・台湾歴訪(~12日)。9日,松永蔵相と会談し,アジア通貨安定への日本の貢献を求める。
DIA-206-1998-02-09-1マレーシア1998年02月09日1990年代レバノン首相来訪(~10日)。
DIA-206-1998-02-11-1マレーシア1998年02月11日1990年代イエメン大統領来訪(~14日)。
DIA-206-1998-02-18-1マレーシア1998年02月18日1990年代首相,ブルネイ訪問(~19日)。同国国王と通貨危機について協議。
DIA-206-1998-02-24-1マレーシア1998年02月24日1990年代ダイム政府経済顧問,種族間株式取引を自由化する方針を発表。
DIA-206-1998-02-27-1マレーシア1998年02月27日1990年代ブルネイ国王来訪(~28日)。
DIA-206-1998-03-06-1マレーシア1998年03月06日1990年代政府系運輸会社のMISC社,首相長男が所有するKPB社と資産買取りの覚書に調印した旨発表。
DIA-206-1998-03-09-1マレーシア1998年03月09日1990年代首相,ミャンマー訪問(~10日)。
DIA-206-1998-03-18-1マレーシア1998年03月18日1990年代首相,UAE,ドイツを歴訪(~21日)。
DIA-206-1998-03-24-1マレーシア1998年03月24日1990年代副首相兼蔵相,97年の経済実績を発表。また,金融機関に対する監督強化などの新たな経済危機対応策を発表。
DIA-206-1998-03-26-1マレーシア1998年03月26日1990年代スランゴールの不法移民収容所で暴動発生。収容者8人と警官1人が死亡。
DIA-206-1998-03-27-1マレーシア1998年03月27日1990年代ペナン州カンポン・ラワでヒンドゥー寺院の移設をめぐり住民同士が衝突。4人が負傷。警察は169人を逮捕。
DIA-206-1998-03-27-2マレーシア1998年03月27日1990年代水不足のためクアラルンプールとスランゴール州の350カ所で給水制限開始。
DIA-206-1998-03-29-1マレーシア1998年03月29日1990年代首相,スウェーデン,イギリスを歴訪(~4月5日)。ASEM首脳会議に出席。
DIA-206-1998-03-30-1マレーシア1998年03月30日1990年代クアラルンプールのUNHCR事務所にインドネシア人不法入国者14人が侵入し難民認定を求める。
DIA-206-1998-03-31-1マレーシア1998年03月31日1990年代中銀,これまで計39社あった金融会社を8社に整理統合する計画を発表。
DIA-206-1998-04-01-1マレーシア1998年04月01日1990年代副首相兼蔵相,IMF・世銀の開発委員会委員長に選出される。
DIA-206-1998-04-01-2マレーシア1998年04月01日1990年代控訴院,出版法と扇動法違反で民主行動党(DAP)のリム・ガンエン下院議員に禁固18カ月の判決を下す。被告は連邦裁に上訴。
DIA-206-1998-04-05-1マレーシア1998年04月05日1990年代IMF副専務理事来訪。3月24日に発表された経済政策を高く評価。
DIA-206-1998-04-10-1マレーシア1998年04月10日1990年代NEACの会合が開かれる。次の2点を決定。(1)4万リンギ以下の自動車の融資上限を,従来の70%から85%に引き上げる。ただし自動車購入向け融資の年間総額上限(150億リンギ)は変更しない。(2)外国投資委員会によって承認された25万リンギ以上の住宅の外国人による購入を自由化する。
DIA-206-1998-04-10-2マレーシア1998年04月10日1990年代インドネシア人不法移民35人が,クアラルンプールのアメリカ,フランス,スイス大使館およびブルネイ政府公館に侵入。
DIA-206-1998-04-11-1マレーシア1998年04月11日1990年代副首相兼蔵相,UAE,アメリカを歴訪(~18日)。16日にG22蔵相会議に出席。
DIA-206-1998-04-22-1マレーシア1998年04月22日1990年代首相,タイ訪問。
DIA-206-1998-04-30-1マレーシア1998年04月30日1990年代中銀,流動性管理政策の改定を発表。内容は,(1)支払準備率の1日の許容変動幅を±0.5%から±2%に変更,(2)中銀の市場介入に関する情報開示の2点。
DIA-206-1998-04-30-2マレーシア1998年04月30日1990年代エネルギー・通信・郵政相,通信分野の外資規制を従来の49%から61%に緩和する旨発表。5年以内に再び49%までに引き下げることなどが条件。
DIA-206-1998-05-08-1マレーシア1998年05月08日1990年代首相,エジプト,スーダンを歴訪(~16日)。G15首脳会議に出席。
DIA-206-1998-05-08-2マレーシア1998年05月08日1990年代副首相兼蔵相,中小企業向け融資基金への追加出資と融資条件緩和を発表。
DIA-206-1998-05-14-1マレーシア1998年05月14日1990年代トレンガヌ州スルタン死去。翌日,長男のトゥンク・ミザン・ザイナル・アビディンがスルタンに即位。
DIA-206-1998-05-21-1マレーシア1998年05月21日1990年代副首相兼蔵相,輸出信用供与を総額で40億リンギへ倍増した旨発表。
DIA-206-1998-05-21-2マレーシア1998年05月21日1990年代副首相兼蔵相,ドンポック氏を次期サバ州首相に指名。28日に就任。
DIA-206-1998-05-30-1マレーシア1998年05月30日1990年代中銀,98年第1四半期の経済実績発表。GDP成長率は-1.8%(後に-2.8%に修正)。
DIA-206-1998-06-01-1マレーシア1998年06月01日1990年代副首相兼蔵相,利下げ誘導に否定的見解示す。オフショアの預金金利が20%程度のため,利下げは資金流出を招くと説明。
DIA-206-1998-06-04-1マレーシア1998年06月04日1990年代副首相兼蔵相,資産管理会社の概要を示す。名称をダナハルタ・ナショナル社とし,政府保証付き債券を発行して資金を得ることなどを明らかにする。20日に政府100%出資の公企業として発足。
DIA-206-1998-06-05-1マレーシア1998年06月05日1990年代首相,金融引締め政策は正しくない,中銀の政策を認める必要はないと発言。同時に,副首相と意見の相違はないと語る。
DIA-206-1998-06-05-2マレーシア1998年06月05日1990年代副首相兼蔵相,中小企業家支援のためのブミプトラ企業家基金への追加出資を発表。
DIA-206-1998-06-07-1マレーシア1998年06月07日1990年代統一マレー人国民組織(UMNO)青年部長,大企業が個人的な利害関係のある企業に事業を下請けに出すのはネポティズムだとし,政策実施過程における透明性確保を要求。
DIA-206-1998-06-08-1マレーシア1998年06月08日1990年代副首相兼蔵相,経済危機の原因は国内にもあることを認めなければならないとし,改革の必要性を語る。
DIA-206-1998-06-17-1マレーシア1998年06月17日1990年代高裁「アンワールが首相になれない50の理由」の出版差し止めを命令。
DIA-206-1998-06-18-1マレーシア1998年06月18日1990年代UMNO青年部・婦人部年次総会開催。青年部長が党内のネポティズムを批判。
DIA-206-1998-06-18-2マレーシア1998年06月18日1990年代政府,景気対策のため70.3億リンギの補正予算を組む旨閣議決定。
DIA-206-1998-06-19-1マレーシア1998年06月19日1990年代UMNO年次総会開催(~21日)。
DIA-206-1998-06-20-1マレーシア1998年06月20日1990年代首相,民営化プロジェクト受注企業のリストを公開。
DIA-206-1998-06-24-1マレーシア1998年06月24日1990年代ダイム政府経済顧問,総理府特命大臣に指名される。26日に就任。
DIA-206-1998-06-26-1マレーシア1998年06月26日1990年代中銀,法定支払準備率の10%から8%への引下げを発表(7月1日実施)。
DIA-206-1998-06-30-1マレーシア1998年06月30日1990年代クアラルンプール新国際空港開港。
DIA-206-1998-07-01-1マレーシア1998年07月01日1990年代副首相兼蔵相,50億リンギのインフラ開発基金の設立を発表。
DIA-206-1998-07-04-1マレーシア1998年07月04日1990年代プルリス州アラウで国会下院補欠選挙実施。汎マレーシア・イスラーム党(PAS)の候補者がUMNO候補を破る。
DIA-206-1998-07-08-1マレーシア1998年07月08日1990年代政府,外国人労働者の送還政策を改め,製造業やサービス業の一部では引き続き雇用を認めると発表。
DIA-206-1998-07-13-1マレーシア1998年07月13日1990年代副首相兼蔵相,経済見通しと対策を発表,98年の成長率見通しは,2~3%から-1~2%に引下げ。対策として,すでに発表された資産管理会社設立,開発予算の70億リンギ追加支出,インフラ開発基金設立の他に,資本注入実施機関(SPV)と企業債務再建委員会(CDRC)の設立を発表。
DIA-206-1998-07-14-1マレーシア1998年07月14日1990年代マレー語日刊紙『ウトゥサン・マレーシア』の編集長が辞任。18日には『ブリタ・ハリアン』の編集長が辞任。
DIA-206-1998-07-16-1マレーシア1998年07月16日1990年代副首相兼蔵相,訪米(~22日)。世銀総裁,IMF副専務理事らと会談。
DIA-206-1998-07-20-1マレーシア1998年07月20日1990年代国内産業・消費者問題相,小売・卸売業の外資出資上限を31%から51%に引き上げると発表。また,国内に物流センターを設けた場合には100%出資を認める。
DIA-206-1998-07-23-1マレーシア1998年07月23日1990年代NEAC,「国家経済復興計画」を発表。金融・財政緩和への転換を提唱。
DIA-206-1998-07-24-1マレーシア1998年07月24日1990年代ムーディーズがマレーシア国債を格下げ。翌日にはS&Pが追従。
DIA-206-1998-07-24-2マレーシア1998年07月24日1990年代首相,南アフリカ,ナミビア,モザンビークを歴訪(~31日)。
DIA-206-1998-07-27-1マレーシア1998年07月27日1990年代副首相兼蔵相,予定されていた外債発行のためのイギリスとアメリカでの説明会を延期する旨発表。
DIA-206-1998-08-01-1マレーシア1998年08月01日1990年代家政婦以外の外国人労働者に対し被雇用者年金基金(EPF)への支払いを義務化。雇用者側負担分は1人当り5リンギ。
DIA-206-1998-08-03-1マレーシア1998年08月03日1990年代中銀,3カ月物銀行間市場介入金利を11%から10.5%に引下げ。
DIA-206-1998-08-07-1マレーシア1998年08月07日1990年代インドネシア人がクアラルンプールのチョーキットで暴動を起こすとの噂が市内で広がり,商店が閉まるなどの混乱発生。
DIA-206-1998-08-10-1マレーシア1998年08月10日1990年代中銀,3カ月物銀行間市場介入金利を10.5%から10%に引下げ。
DIA-206-1998-08-11-1マレーシア1998年08月11日1990年代副首相兼蔵相,99年のUMNO幹部選挙では首相に挑戦しないと言明。
DIA-206-1998-08-12-1マレーシア1998年08月12日1990年代副首相兼蔵相の知人で企業家のナラカルパン氏,銃弾所持のため逮捕される。
DIA-206-1998-08-25-1マレーシア1998年08月25日1990年代連邦裁判所,リム・ガンエン議員の上告を棄却。禁固刑が確定。
DIA-206-1998-08-27-1マレーシア1998年08月27日1990年代中銀,98年第2四半期の経済実績発表。成長率は-6.8%。
DIA-206-1998-08-27-2マレーシア1998年08月27日1990年代中銀,3カ月物銀行間市場介入金利を10%から9.5%に引下げ。また,法定支払準備率の8%から6%への引下げを発表(9月1日実施)。
DIA-206-1998-08-28-1マレーシア1998年08月28日1990年代大蔵省,中銀総裁と副総裁が9月1日付で辞任する旨発表。
DIA-206-1998-09-01-1マレーシア1998年09月01日1990年代中銀,資本取引規制策発表(本文参照)。翌2日に為替レートを1ドル=3.8リンギに固定。
DIA-206-1998-09-02-1マレーシア1998年09月02日1990年代首相,副首相兼蔵相を解任。
DIA-206-1998-09-03-1マレーシア1998年09月03日1990年代中銀,3カ月物銀行間市場介入金利を9.5%から8.0%に引下げ。
DIA-206-1998-09-04-1マレーシア1998年09月04日1990年代UMNO最高評議会,アンワール副総裁の党員資格剥奪を決定。
DIA-206-1998-09-07-1マレーシア1998年09月07日1990年代首相,第1蔵相に就任。ムスタファ企業家開発相が第2蔵相に就任。
DIA-206-1998-09-07-2マレーシア1998年09月07日1990年代アリ・アブル・ハッサン・スレイマン総理府経済計画局長が中銀総裁に就任。ゼティ暫定中銀総裁代行が副総裁に就任。
DIA-206-1998-09-07-3マレーシア1998年09月07日1990年代中銀,法定支払準備率の6%から4%への引下げを発表(9月16日実施)。また,25万リンギ以下の住宅購入のための融資を不動産向け融資規制枠から除外。
DIA-206-1998-09-11-1マレーシア1998年09月11日1990年代英連邦オリンピック開幕(~21日)。
DIA-206-1998-09-12-1マレーシア1998年09月12日1990年代アンワール氏,改革運動のための全国遊説を開始。
DIA-206-1998-09-17-1マレーシア1998年09月17日1990年代政府,シンガポール空軍機の領空飛行禁止を宣言。
DIA-206-1998-09-20-1マレーシア1998年09月20日1990年代首都で数万人規模のアンワール支持集会開催。アンワール氏逮捕される。
DIA-206-1998-09-22-1マレーシア1998年09月22日1990年代3野党とNGO,「正義のためのマレーシア人民行動評議会」設立。
DIA-206-1998-09-23-1マレーシア1998年09月23日1990年代中銀,不良債権の定義変更(3カ月の支払い延滞から6カ月の延滞へ),株式および信託投資ユニット購入向け融資の規制緩和などの金融緩和策発表。
DIA-206-1998-09-29-1マレーシア1998年09月29日1990年代アンワール氏,異常性行為,汚職などの容疑で起訴される。
DIA-206-1998-10-01-1マレーシア1998年10月01日1990年代リンギのオフショア取引禁止,外貨持ち出し規制等の為替管理規定発効。
DIA-206-1998-10-02-1マレーシア1998年10月02日1990年代ザヒドUMNO青年部長辞任。
DIA-206-1998-10-05-1マレーシア1998年10月05日1990年代中銀総裁,声明で次の決定を発表。(1)中小産業基金,中低価格住宅スキームの利用拡大を促す。前者は扱う金融機関を増やす。後者は手続きを簡素化。(2)居住目的以外の住居購入向け融資の担保に対する規制の緩和。(3)3カ月物銀行間市場介入金利を8.0%から7.5%へ引下げ。
DIA-206-1998-10-17-1マレーシア1998年10月17日1990年代クアラルンプールでアンワール氏支持者がデモ。警察は134人を逮捕。
DIA-206-1998-10-23-1マレーシア1998年10月23日1990年代首相兼第1蔵相,99年度予算案を国会に上程。161億リンギの赤字予算。
DIA-206-1998-10-24-1マレーシア1998年10月24日1990年代首都のカンポンバルで大規模デモ。警官3人が負傷。268人が逮捕される。
DIA-206-1998-10-28-1マレーシア1998年10月28日1990年代第2蔵相,マレーシア貯蓄銀行を改組・改名して貯蓄インフラ銀行とする旨発表。これに伴い7月に設立されたインフラ基金は解散し,資金と業務は同行に移管される。
DIA-206-1998-10-29-1マレーシア1998年10月29日1990年代首相,ブルネイ訪問(~30日)。
DIA-206-1998-11-01-1マレーシア1998年11月01日1990年代政府,エネルギー・通信・郵政省を改組しエネルギー・通信・マルチメディア省に改名。大臣にはレオ・モギー氏が留任。
DIA-206-1998-11-02-1マレーシア1998年11月02日1990年代アンワール裁判,公判開始。
DIA-206-1998-11-05-1マレーシア1998年11月05日1990年代シンガポール首相来訪。マハティール首相と会談し,関係改善を図ることで合意。
DIA-206-1998-11-06-1マレーシア1998年11月06日1990年代アブドゥッラー次席副総裁,アンワール元副総裁に代わりペナン州UMNO連絡委員会委員長に就任。
DIA-206-1998-11-07-1マレーシア1998年11月07日1990年代カンポンバルで再びデモが起きる。14日,15日,21日にもデモ発生。
DIA-206-1998-11-09-1マレーシア1998年11月09日1990年代中銀,3カ月物銀行間市場介入金利を7.5%から7.0%に引き下げ。
DIA-206-1998-11-12-1マレーシア1998年11月12日1990年代首相,3年以内に国民車の国産化率を100%にすると発言。
DIA-206-1998-11-13-1マレーシア1998年11月13日1990年代元副首相,自分の解任は違憲だとして首相と政府を提訴。
DIA-206-1998-11-14-1マレーシア1998年11月14日1990年代クアラルンプールでAPEC閣僚会議開催(~15日)。17日,首脳会議開催(~18日)。
DIA-206-1998-11-28-1マレーシア1998年11月28日1990年代中銀,第3四半期の経済実績発表。成長率は-8.6%。投資認可額,自動車販売台数が増加したことなどをもって「最悪期は脱した」とする。
DIA-206-1998-12-02-1マレーシア1998年12月02日1990年代人的資源省副大臣,1月から11月21日までの解雇者が7万5715人に上ったことを国会答弁で明らかにする。
DIA-206-1998-12-03-1マレーシア1998年12月03日1990年代ジョージ・ソロス,マハティール首相は解任されるべきで,+アンワール氏は釈放されるべきだと発言。
DIA-206-1998-12-10-1マレーシア1998年12月10日1990年代ワン・アジザ氏ら,ADIL(社会正義運動)を設立。暫定会長にワン・アジザ氏,副会長にチャンドラ・ムザファール氏が就任。
DIA-206-1998-12-11-1マレーシア1998年12月11日1990年代野村証券,マレーシア政府支援を目的とする特別目的会社の社債(ユーロ円建て,日本政府保証付き)740億円分を販売。
DIA-206-1998-12-13-1マレーシア1998年12月13日1990年代UMNO,党規約改正のため特別総会を開催。役員選出方法などを変更。
DIA-206-1998-12-14-1マレーシア1998年12月14日1990年代首相,ASEAN首脳会議出席のためベトナム訪問(~17日)。
DIA-206-1998-12-17-1マレーシア1998年12月17日1990年代政府およびPAS,DAPなどの野党指導者,米英軍のイラク攻撃を非難。
DIA-206-1998-12-17-2マレーシア1998年12月17日1990年代首相,滞在先のハノイでシンガポール首相と会談し,2061年以降の水供給を約束。
DIA-206-1998-12-28-1マレーシア1998年12月28日1990年代第2蔵相,政府が12行からなる銀行団から13.5億ドルの融資を受ける旨発表。
DIA-206-1998-12-29-1マレーシア1998年12月29日1990年代高裁,反汚職庁への資産申告漏れで起訴されたモハンマド・モハンマド・タイブUMNO次席副総裁に対し無罪判決を下す。
DIA-206-1999-01-05-1マレーシア1999年01月05日1990年代中銀,ホテル等一部不動産向け新規銀行融資を禁止。
DIA-206-1999-01-08-1マレーシア1999年01月08日1990年代ラヒム・ノル警察長官,アンワール前副首相暴行事件で引責辞任。ノリアン・マイ警察副長官が警察長官代行に就任。
DIA-206-1999-01-08-2マレーシア1999年01月08日1990年代首相,内閣改造を発表。アブドゥラー・バダウィ外相が副首相兼内相に,ダイム・ザイヌディン経済担当特務相が第1蔵相を兼任(11日発足)。
DIA-206-1999-01-08-3マレーシア1999年01月08日1990年代統一マレー人国民組織(UMNO)最高評議会,6月に予定されている党役員選挙を最大18カ月延期することを決定。
DIA-206-1999-01-13-1マレーシア1999年01月13日1990年代アンワール裁判で検察側が起訴状を修正。立証の焦点を異常性行為の有無から権力乱用へ変更。
DIA-206-1999-01-16-1マレーシア1999年01月16日1990年代控訴院,アンワールの保釈請求を棄却。
DIA-206-1999-01-27-1マレーシア1999年01月27日1990年代首相,アンワール暴行事件に関する調査委員会設置を発表。
DIA-206-1999-01-27-2マレーシア1999年01月27日1990年代首相,スイス訪問(~2月1日)。世界経済フォーラム出席。
DIA-206-1999-02-04-1マレーシア1999年02月04日1990年代第1蔵相,短期資本送金規制の緩和を発表。送金禁止から課税へ変更。
DIA-206-1999-02-04-2マレーシア1999年02月04日1990年代カンボジア首相来訪(~6日)。
DIA-206-1999-02-05-1マレーシア1999年02月05日1990年代UMNO最高評議会,アブドゥラー次席副総裁が副総裁の任務を遂行することを決定。
DIA-206-1999-02-05-2マレーシア1999年02月05日1990年代首相,イギリス,ジャマイカ,フランス歴訪(~15日)。
DIA-206-1999-02-08-1マレーシア1999年02月08日1990年代アンワールが裁新で初証言。
DIA-206-1999-02-22-1マレーシア1999年02月22日1990年代ドンポク・サバ州首相,州議会を解散。
DIA-206-1999-02-27-1マレーシア1999年02月27日1990年代第11代国王にスランゴール州スルタンのサラフディン・アブドル・アジズ・シャー・アルハジが選出される。
DIA-206-1999-02-28-1マレーシア1999年02月28日1990年代ラヒム前警察長官,アンワール暴行事件調査委員会で弁護士を通じて同氏に自ら暴行を加えたことを認める。
DIA-206-1999-02-28-2マレーシア1999年02月28日1990年代首相,バングラデシュ訪問(~3月3日)。イスラム圏発展途上8カ国首脳会議(D8)に出席。
DIA-206-1999-03-08-1マレーシア1999年03月08日1990年代ブミプトラ系コングロマリットのレノン社が再建案を発表。子会社のPLUS社が社債を発行して再建資金を調達。
DIA-206-1999-03-12-1マレーシア1999年03月12日1990年代サバ州議会選挙投票日(~13日)。
DIA-206-1999-03-14-1マレーシア1999年03月14日1990年代選挙結果判明。与党国民戦線が48議席中31議席確保。ドンボク州首相は落選。
DIA-206-1999-03-15-1マレーシア1999年03月15日1990年代オス・スカム州副首相・蔵相がサバ州首相に就任。
DIA-206-1999-03-15-2マレーシア1999年03月15日1990年代ポーランド大統領来訪(~19日)。
DIA-206-1999-03-20-1マレーシア1999年03月20日1990年代クアラルンプールで反政府デモが発生。約1000人が参加。
DIA-206-1999-03-24-1マレーシア1999年03月24日1990年代首相,メッカ巡礼(~31日)。
DIA-206-1999-03-30-1マレーシア1999年03月30日1990年代アンワール裁判,最終弁論で弁護側は無罪を主張。
DIA-206-1999-03-31-1マレーシア1999年03月31日1990年代中銀,1998年の実質GDP成長率を-6.7%と発表。
DIA-206-1999-03-31-2マレーシア1999年03月31日1990年代世銀,マレーシアに対する4億400万ドルの融資を承認。
DIA-206-1999-04-02-1マレーシア1999年04月02日1990年代マハティール首相,国立心臓研究所に入院(12日退院,19日より公務に復帰)。病名は肺の感染症と発表。
DIA-206-1999-04-04-1マレーシア1999年04月04日1990年代ワン・アジザ(アンワール夫人),新党・国民正義党(Parti Keadilan Nasional)を設立。
DIA-206-1999-04-06-1マレーシア1999年04月06日1990年代アンワール暴行事件調査委員会,「1人の警察幹部を処分すべき」とする報告を国王に提出。
DIA-206-1999-04-10-1マレーシア1999年04月10日1990年代チュア保健相,ヌグリ・スンビラン州などで流行中の,脳炎を引き起こす新種ウィルスを「ニパ・ウィルス」と命名したと発表。
DIA-206-1999-04-14-1マレーシア1999年04月14日1990年代高裁,アンワール氏に職権乱用罪で禁固6年の実刑判決。クアラルンプールで判決に抗議する数百人規模のデモが発生。15日,17日にもデモ発生。18日までに94人が逮捕される。
DIA-206-1999-04-15-1マレーシア1999年04月15日1990年代ノリアン・マイ警察長官代行が1月8日に遡って警察長官に就任。
DIA-206-1999-04-22-1マレーシア1999年04月22日1990年代政府,下院に第7次マレーシア計画の中間評価を提出。
DIA-206-1999-04-25-1マレーシア1999年04月25日1990年代汎マレーシアイスラム党(PAS),民主行動党(DAP),マレーシア人民党(PRM),国民正義党の4党は,総選挙で国民戦線に対抗するために連合する用意があると発表。
DIA-206-1999-04-26-1マレーシア1999年04月26日1990年代サラフディン新国王の就任式典開催。
DIA-206-1999-04-26-2マレーシア1999年04月26日1990年代アンワール,汚職に関する判決を不服とし,控訴院に控訴。
DIA-206-1999-04-27-1マレーシア1999年04月27日1990年代政府,日本政府からの2億リンギの円借款に署名。
DIA-206-1999-04-30-1マレーシア1999年04月30日1990年代新設されたマレーシア店頭株式市場(MESDAQ)が取引を開始。
DIA-206-1999-04-30-2マレーシア1999年04月30日1990年代サイム銀行前頭取イスマイル・ザカリヤ,銀行法違反などで起訴される。
DIA-206-1999-05-02-1マレーシア1999年05月02日1990年代元DAP副党首ヤップ・ギム・グアン,マレーシア民主党(MDP)の結成を発表。
DIA-206-1999-05-13-1マレーシア1999年05月13日1990年代ウォルフェンソン世銀総裁,クアラルンプール国際空港でワン・アジザと私的に会談。
DIA-206-1999-05-15-1マレーシア1999年05月15日1990年代第6回APEC蔵相会議,ランカウイ島で開催(~16日)。
DIA-206-1999-05-20-1マレーシア1999年05月20日1990年代首相,内閣改造発表。3閣僚が交代(25日就任)。
DIA-206-1999-05-20-2マレーシア1999年05月20日1990年代首相,インドネシア・バタム島でハビビ大統領と会談
DIA-206-1999-05-20-3マレーシア1999年05月20日1990年代豪華客船サン・ビスタ号がペナン沖で沈没。乗員乗客1100人は全員救出。
DIA-206-1999-05-26-1マレーシア1999年05月26日1990年代政府,海外で10億ドルの起債を決定。当初予定の20億ドルから規模縮小。
DIA-206-1999-05-29-1マレーシア1999年05月29日1990年代首相,日本訪問(~6月4日)。
DIA-206-1999-06-07-1マレーシア1999年06月07日1990年代高裁でアンワールの異常性行為裁判開始。検察側,犯行の日時について2度目の修正。
DIA-206-1999-06-08-1マレーシア1999年06月08日1990年代首相,バクン・ダム建設計画を2400mW級から500mW級に規模を縮小して再開することを表明。
DIA-206-1999-06-09-1マレーシア1999年06月09日1990年代首相,第2国民投資信託(ASN2)の販売を開始。3カ月で10億ユニットの販売を目標に。
DIA-206-1999-06-16-1マレーシア1999年06月16日1990年代高裁,弁護側からのアンワールとスクマの異常性行為訴訟取り消しの訴えを棄却。
DIA-206-1999-06-18-1マレーシア1999年06月18日1990年代UMNO年次総会開催(~20日)。
DIA-206-1999-06-19-1マレーシア1999年06月19日1990年代大蔵省,1993年から1998年までに大蔵省から特別株割り当てを受けたブミプトラの名簿を公開。
DIA-206-1999-06-19-2マレーシア1999年06月19日1990年代UMNO総会,マハティール総裁に対する信任投票を全会一致で可決。
DIA-206-1999-06-20-1マレーシア1999年06月20日1990年代レザレイ元46年精神党党首,クランタン州UMNO連絡委員長に就任。
DIA-206-1999-06-21-1マレーシア1999年06月21日1990年代首相,新行政都市プトラジャヤの首相府で執務開始。
DIA-206-1999-06-22-1マレーシア1999年06月22日1990年代フィリピン外務省,南沙諸島インベスティゲーター礁で発見されたマレーシアの建造物について正式に抗議。
DIA-206-1999-06-23-1マレーシア1999年06月23日1990年代中銀,1999年第1四半期のGDP成長率を-1.3%と発表。通年では2~3%の成長を予測。
DIA-206-1999-07-04-1マレーシア1999年07月04日1990年代DAP,PAS,PRM,国民正義党の4党,2001年以降の国家経済政策を協議する第2次国家経済協議会(NECC II)への不参加表明。
DIA-206-1999-07-06-1マレーシア1999年07月06日1990年代ペトロナス社,ハイコム社からのプロトン社買収で最終合意と発表。
DIA-206-1999-07-08-1マレーシア1999年07月08日1990年代マルチメディア・スーパー・コリドー(MSC)計画の中心都市サイバージャヤが公式オープン。
DIA-206-1999-07-19-1マレーシア1999年07月19日1990年代中銀,保険会社の最低資本金や支払準備金の引き上げなど新基準を発表。
DIA-206-1999-07-25-1マレーシア1999年07月25日1990年代第4回ランカウイ国際ダイアローグ開催(~27日)。ボツワナ,スーダン,モザンビーク大統領,スワジランド国王,レソト首相などが出席。
DIA-206-1999-07-29-1マレーシア1999年07月29日1990年代中銀,国内銀行業界を6大グループに再編する計画を発表。合併の覚え書き調印のデッドラインを9月末に設定。
DIA-206-1999-07-31-1マレーシア1999年07月31日1990年代国民正義党,首相の任期制限(2期まで)と国内治安維持法(ISA)の廃止を中心とする選挙綱領を発表。
DIA-206-1999-08-04-1マレーシア1999年08月04日1990年代マレーシア最大の証券グループTAエンタープライズのトニー・ティア会長,詐欺を教唆したとして起訴。
DIA-206-1999-08-04-2マレーシア1999年08月04日1990年代NECC II発足。
DIA-206-1999-08-12-1マレーシア1999年08月12日1990年代モルガンスタンレー・キャピタル・インターナショナル(MSCI),2000年2月から株式インデックスにマレーシア株を復帰させると発表。
DIA-206-1999-08-15-1マレーシア1999年08月15日1990年代首相,ロシア,中国歴訪(~23日)。
DIA-206-1999-08-18-1マレーシア1999年08月18日1990年代首相,北京で朱鎔基首相と会談。
DIA-206-1999-08-19-1マレーシア1999年08月19日1990年代首相,大連で江沢民国家主席と会談。
DIA-206-1999-08-25-1マレーシア1999年08月25日1990年代中銀,1999年第2四半期GDP成長率を4.1%と発表。
DIA-206-1999-08-25-2マレーシア1999年08月25日1990年代セッションズ・コート,ラヒム前警察長官の初公判を9月20日から2000年3月6日に延期。
DIA-206-1999-08-25-3マレーシア1999年08月25日1990年代ハビビ大統領来訪。プトラジャヤで首相と会談。
DIA-206-1999-08-25-4マレーシア1999年08月25日1990年代煽動罪などで服役中のリム・ガンエン元国会議員釈放。18カ月から12カ月に刑期短縮。
DIA-206-1999-08-31-1マレーシア1999年08月31日1990年代ペトロナス・ツインタワー公式オープン。
DIA-206-1999-09-01-1マレーシア1999年09月01日1990年代中銀,短期資本規制1周年を迎えて初日の資金流出は3億2800万ドルと発表。
DIA-206-1999-09-03-1マレーシア1999年09月03日1990年代サイド外相,首相のAPEC欠席を発表。副首相が代理出席。
DIA-206-1999-09-10-1マレーシア1999年09月10日1990年代カパル・シン弁護士,アンワールの尿から高濃度の砒素が検出されたと裁判で主張。裁判長の指示でアンワールは即日入院。
DIA-206-1999-09-11-1マレーシア1999年09月11日1990年代クアラルンプールで約1500人のアンワール支持者がデモ。4月の有罪判決以来最大規模。
DIA-206-1999-09-11-2マレーシア1999年09月11日1990年代控訴裁判所,カナダ人記者ヒーバートに法廷侮辱罪で禁固6週間の判決。同氏は控訴せず服役。
DIA-206-1999-09-14-1マレーシア1999年09月14日1990年代ムスタパ第2蔵相,9月1日から2週間の資金流出は8億ドル未満と発表。
DIA-206-1999-09-15-1マレーシア1999年09月15日1990年代PULS社,レノン社の再建計画に基づき額面160億リンギの社債を発行。マレーシア企業の起債としては過去最大。
DIA-206-1999-09-16-1マレーシア1999年09月16日1990年代サイド外相,国連ティモール平和維持軍にマレーシア軍を派遣すると発表。
DIA-206-1999-09-19-1マレーシア1999年09月19日1990年代アンワール氏逮捕1周年を前に,クアラルンプールで数千人の支持者がデモ。
DIA-206-1999-09-21-1マレーシア1999年09月21日1990年代中銀,短期資本送金課税を一律10%に簡略化。
DIA-206-1999-09-21-2マレーシア1999年09月21日1990年代野党連合,アンワールを首相候補に推すと発表。
DIA-206-1999-09-23-1マレーシア1999年09月23日1990年代サラフディン第11代国王が正式に即位。
DIA-206-1999-09-25-1マレーシア1999年09月25日1990年代首相,アメリカ,イギリス,ジンバブエ歴訪(~10月6日)。
DIA-206-1999-09-28-1マレーシア1999年09月28日1990年代ラフィダ通産相,マレーシアは2000年1月から開始されるAFTAに基づく自動車関税引き下げを延期するだろうと発言。
DIA-206-1999-09-29-1マレーシア1999年09月29日1990年代首相,ニューヨークで開催中の第54回国連総会で演説。西洋による世界支配の弊害を強調。
DIA-206-1999-09-30-1マレーシア1999年09月30日1990年代中銀,29日までにすべての金融機関が再編の覚え書きに署名したと発表。
DIA-206-1999-10-05-1マレーシア1999年10月05日1990年代国立大学病院,アンワールの砒素中毒を否定するレポートを高裁に提出。
DIA-206-1999-10-05-2マレーシア1999年10月05日1990年代首相,ジンバブエで第3回南アフリカ国際ダイアローグに出席。
DIA-206-1999-10-10-1マレーシア1999年10月10日1990年代ガーナ大統領来訪(~14日)。
DIA-206-1999-10-11-1マレーシア1999年10月11日1990年代ヒーバート記者釈放。6週間から1カ月に刑期短縮。
DIA-206-1999-10-15-1マレーシア1999年10月15日1990年代ブルネイ国王来訪(~18日)。
DIA-206-1999-10-15-2マレーシア1999年10月15日1990年代スパン・サーキットでマレーシア初のF1グランプリ開催(~17日)。
DIA-206-1999-10-18-1マレーシア1999年10月18日1990年代首相,シンガポールで開催された東アジア経済サミットに出席。基調講演で東アジア通貨基金(EMF)を提唱。
DIA-206-1999-10-18-2マレーシア1999年10月18日1990年代ベネズエラ大統領来訪(~20日)。
DIA-206-1999-10-20-1マレーシア1999年10月20日1990年代中銀,2000年1月末を期限として合併相手を自主的に選択できる新しい銀行合併方針を発表。
DIA-206-1999-10-24-1マレーシア1999年10月24日1990年代国民戦線,クアラルンプールで10万人規模の結成25周年集会を開催。
DIA-206-1999-10-24-2マレーシア1999年10月24日1990年代野党連合,共同選挙綱領“Toward A Just Malaysia”を発表。
DIA-206-1999-10-27-1マレーシア1999年10月27日1990年代野党連合,税の効率的な徴収やメガ・プロジェクトの中止などを含む2000年予算戦略を発表。
DIA-206-1999-10-29-1マレーシア1999年10月29日1990年代政府,下院に2000年予算を上程。ダイム蔵相が1999年GDP成長率見込みを4.3%とする予算演説。
DIA-206-1999-10-30-1マレーシア1999年10月30日1990年代MSCI,マレーシア株のインデックスへの組み入れを2000年2月から5月に延期すると発表。
DIA-206-1999-10-30-2マレーシア1999年10月30日1990年代タイ首相来訪。
DIA-206-1999-11-04-1マレーシア1999年11月04日1990年代政府,13億5000万ドル相当の外国銀行からのシンジケートローンを低利で借り換え。
DIA-206-1999-11-09-1マレーシア1999年11月09日1990年代外相,首相が10日に予定していた英連邦首脳会議出席のための南アフリカ訪問を中止したと発表。
DIA-206-1999-11-10-1マレーシア1999年11月10日1990年代首相,首相府で記者会見を開き11日に下院を解散すると発表。
DIA-206-1999-11-11-1マレーシア1999年11月11日1990年代連邦下院とサバ・サラワクを除く11州議会が解散。
DIA-206-1999-11-20-1マレーシア1999年11月20日1990年代選挙告示。国民戦線,連邦2選挙区で無投票当選。アンワールは出馬せず。
DIA-206-1999-11-22-1マレーシア1999年11月22日1990年代中国の朱鎔基首相来訪。5日間の公式訪問(~26日)。
DIA-206-1999-11-23-1マレーシア1999年11月23日1990年代首相,朱鎔基首相と会談。
DIA-206-1999-11-24-1マレーシア1999年11月24日1990年代中銀,1999年第3四半期のGDP成長率を8.1%と発表。
DIA-206-1999-11-24-2マレーシア1999年11月24日1990年代NTTグループ2社,テレコム・マレーシアの株式取得で覚書に署名。
DIA-206-1999-11-29-1マレーシア1999年11月29日1990年代下院,半島部11州議会投票日。
DIA-206-1999-11-30-1マレーシア1999年11月30日1990年代選挙結果判明。国民戦線が193議席中148議席と3分の2を超える議席を獲得。PASが4議席から27議席に躍進。州議会でもクランタン州,トレンガヌ州で政権党に。
DIA-206-1999-12-02-1マレーシア1999年12月02日1990年代ペナン州議会議員2人がマレーシア民政運動党(Gerakan)を離脱。
DIA-206-1999-12-02-2マレーシア1999年12月02日1990年代リム・キット・シアン,総選挙敗北の責任をとりDAP書記長を辞任し,同党議長に就任。
DIA-206-1999-12-07-1マレーシア1999年12月07日1990年代外相,「首相がインドネシア大統領にイスラエルとの関係改善に協力するよう要請した」とする『ファー・イースタン・エコノミック・レビュー』誌の記事を否定。
DIA-206-1999-12-08-1マレーシア1999年12月08日1990年代PASのファジル・ノル党首,議会でマレー人として初の野党代表に選出。
DIA-206-1999-12-10-1マレーシア1999年12月10日1990年代首相,新内閣を発表。副首相,蔵相,通産相など主要ポストは留任。ナジブ教育相が国防相に(14日発足)。
DIA-206-1999-12-23-1マレーシア1999年12月23日1990年代マハティールUMNO総裁,アブドゥラー副総裁を総裁の後継者と発言。
DIA-206-1999-12-23-2マレーシア1999年12月23日1990年代内務省,クランバレーでPAS機関誌ハラカ2630部を押収。
DIA-206-1999-12-28-1マレーシア1999年12月28日1990年代マハティール総裁,次回の党総裁選挙で推挙されれば総裁のポストを守ると発言。