DIA-205-1980-01-01-1 | フィリピン | 1980年01月01日 | 1980年代 | ナショナリスタ党,地方選に公認候補を指名。 |
DIA-205-1980-01-05-1 | フィリピン | 1980年01月05日 | 1980年代 | ラバン,地方選に候補者出さず―L.Tanada。 |
DIA-205-1980-01-06-1 | フィリピン | 1980年01月06日 | 1980年代 | 大統領,選挙運動開始―国民の団結呼掛け。 |
DIA-205-1980-01-07-1 | フィリピン | 1980年01月07日 | 1980年代 | アキノのクリスマス休暇8日間延長―15日まで。23日間の自宅拘留後15日アギナルド基地に帰房。 |
DIA-205-1980-01-07-2 | フィリピン | 1980年01月07日 | 1980年代 | 大統領,新国際秩序呼掛け―UNCTADの途上国間経済協力(ECDC)アジア地域会議開会演説で。 |
DIA-205-1980-01-08-1 | フィリピン | 1980年01月08日 | 1980年代 | NPの候補公認権に訴訟を検討―KBL(新社会運動)。78年4月KBLとの合併を決議したとして。 |
DIA-205-1980-01-08-2 | フィリピン | 1980年01月08日 | 1980年代 | 大統領,対アキノ会談を計画―行政への野党参加のため数日中に。国の進歩と存続を保証するため全党派の「指導者会議」を設立するつもり。これはアキノ,タニャーダ,ディオクノを含む。(バンコク・ポスト) (注)8日アキノ発言。戒厳令解除と自分の釈放を確保する政治的妥協を大統領に申し出た。提案は各部門指導者の諮問会議設立,報道の自由を含む。 |
DIA-205-1980-01-09-1 | フィリピン | 1980年01月09日 | 1980年代 | 日本,対比贈与協定調印―合計26億円。 |
DIA-205-1980-01-09-2 | フィリピン | 1980年01月09日 | 1980年代 | 大統領,アキノ提案確認―提案は実行可能で研究中。諮問会議は地方選後に設立され,アキノは一定条件下に参加を認められよう。会議は大統領・内閣に国家的危機に起因する安全保障と経済の問題に関し勧告する。 他方9日アキノは,79年10月20日大統領に32人の「元老会議」設置を含む提案をしたと公表。大統領が提案を受け入れる保証がなかったので仲間にはからず提案した。 |
DIA-205-1980-01-10-1 | フィリピン | 1980年01月10日 | 1980年代 | アキノ,正常化提案を説明―一切の国内問題は一つの根本原因,戒厳令の不確定な存続期間にある。状況明確化のため以下の計画を大統領に提案する。①戒厳令の主効力を即時廃止,地方・全国選挙の時間表を発表。②戒厳令は解除せずに大統領は同令後出された一切の命令を無効とする。③次の選挙スケジュールを発表,報道の自由を回復する。80年地方選挙,81年11月第1月曜日に大統領制か議院制政府かを決めるプレビサイト,1年後に同決定に従う選挙。83年初に新政権が引継ぎ,戒厳令は解除され,完全な正常化が回復される。 (後継者問題)大統領は次のような大統領令を出すべきだ。大統領の死亡・不能時に国民議会議長が自動的に大統領・首相代理に就任,議会はただちに82年末までの任期の新大統領・首相を選出する。 |
DIA-205-1980-01-11-1 | フィリピン | 1980年01月11日 | 1980年代 | KBL7点政綱発表―ナショナリズム,国民の団結,社会正義,直接参加政府,経済開発と繁栄,信仰の自由,国際主義。 |
DIA-205-1980-01-12-1 | フィリピン | 1980年01月12日 | 1980年代 | NUL8点政綱発表―議長Rogaciano Mercado。国益保護外交政策と外資の効果的管理含む真正の国家独立。国際協力。戒厳令解除含む政治民主主義。市街地所有制限と貧者への配分含む土地改革。一切の労働権の回復を含む産業民主主義と主要産業国有化。生産手段の比人支配含む民族主義的工業化。公共の福祉。民族主義に重点を置いた教育制度の再構築含む国民文化。 |
DIA-205-1980-01-12-2 | フィリピン | 1980年01月12日 | 1980年代 | タタド情報相,NP知事・町長候補を宣言―カタンドウアネス州で,KBL中央委決定に異議を唱えて。17日大統領は同相に辞表提出を要求,18日同相提出。 |
DIA-205-1980-01-16-1 | フィリピン | 1980年01月16日 | 1980年代 | NPの法定政党資格に異議―大統領。異議申し立ては選挙後になろう。NPは78年に解体された。アキノと提案で取引する前に,彼は他の野党指導者と相談をまとめねばならない。アキノは自ら帰房を望んだ。 |
DIA-205-1980-01-16-2 | フィリピン | 1980年01月16日 | 1980年代 | シン大司教,アキノ提案を支持―マルコス・アキノ和解は後継者問題での血の権力闘争の危険を消し,平和的移行を可能にする。私は諮問会議に参加しない。 |
DIA-205-1980-01-17-1 | フィリピン | 1980年01月17日 | 1980年代 | ビサヤ連合,セブ州全候補の公認撤回。 |
DIA-205-1980-01-17-2 | フィリピン | 1980年01月17日 | 1980年代 | 大統領,アキノ提案は同意し難い―提案は,私が病気で死につつあり,国内状況が危機的との前提に立っている。提案はわなだ。私は透析術を受けていない。 |
DIA-205-1980-01-19-1 | フィリピン | 1980年01月19日 | 1980年代 | マルコスはNPでない―Jose J.Roy。78年NP解散を決めたというNP執行委員会は開催されていない。マルコスはKBLを法定全国政党として登録した79年12月26日NP員でなくなった。21日マルコスはNPは解散されたと再度反論。25日選管はKBL,NPを再度法定政党として承認。 |
DIA-205-1980-01-21-1 | フィリピン | 1980年01月21日 | 1980年代 | MFP,武器購入資金調達を促進―権威筋。在米の「自由フィリピン運動」が79年9月の第6回年次大会採決決議による「自由の戦士」武装のため。28日政府筋は79年16人が逮捕された「放火運動」の背後に在米反政府組織があると非難。 |
DIA-205-1980-01-21-2 | フィリピン | 1980年01月21日 | 1980年代 | モフタル・インドネシア外相来比。 |
DIA-205-1980-01-24-1 | フィリピン | 1980年01月24日 | 1980年代 | 工業相,11大工業プロジェクト擁護―84~85年までの時差実施で2~4億ドルの外貨節約が可能。 |
DIA-205-1980-01-25-1 | フィリピン | 1980年01月25日 | 1980年代 | 最高裁,選挙法に違憲判決―国家不忠誠罪で起訴された者は立候補資格を失うとの法律51号第4条は憲法上の被告人無罪の推定に違反する。 |
DIA-205-1980-01-27-1 | フィリピン | 1980年01月27日 | 1980年代 | マルドーン・ニュージーランド首相来比―大統領と会談。5ヵ年エネルギー協定に調印。 |
DIA-205-1980-01-29-1 | フィリピン | 1980年01月29日 | 1980年代 | 12社海外に輸出事務所設立―BOI承認。 |
DIA-205-1980-01-30-1 | フィリピン | 1980年01月30日 | 1980年代 | 地方選挙実施―全国73州,59市,1501町の正副首長,議員,有権者約2280万人。 |
DIA-205-1980-01-31-1 | フィリピン | 1980年01月31日 | 1980年代 | 大統領,各省に10%支出削減命令。 |
DIA-205-1980-02-04-1 | フィリピン | 1980年02月04日 | 1980年代 | イスラム諸国会議事務局長来比―ハビブ・シャティ。ミンダナオ問題で政府当局と協議。 |
DIA-205-1980-02-04-2 | フィリピン | 1980年02月04日 | 1980年代 | 輸入関税引下げ改訂公聴会開始―関税委員会。過大な保護を除き,輸出競争力を強化するため。しかし自動車スペアパーツ業界はパーツの関税引上げを主張,電気・電子機器業界は原料関税の引下げ,製品関税の引上げを求めるなど,全般に反対意見が強い。 |
DIA-205-1980-02-05-1 | フィリピン | 1980年02月05日 | 1980年代 | 比国の人権状況は改善―議会提出の米国防省世界人権状況報告書。最近多くの改善がなされた。 |
DIA-205-1980-02-06-1 | フィリピン | 1980年02月06日 | 1980年代 | ニドA-1油井閉鎖―油量より水量が多くなったため。産油量はこれまでの5井日産4万バレルから,閉鎖による減産1万8700バレルと他の4井の調整減産3700バレルのため2万1300バレルに低下。大統領はエネルギー相に石油消費を79年水準(8400万バレル)に制限するよう指示。 |
DIA-205-1980-02-07-1 | フィリピン | 1980年02月07日 | 1980年代 | ビサヤ連合,2党員除名―一方的にセブ知事選不出馬を決定した,としてCasimiro R.Madarang,Jr.委員長,Mariano B.Logarta IBP(暫定国民議会)議員・地方選セブ知事公認候補を。9日新委員長Carmiano Kintanarを選出。 |
DIA-205-1980-02-08-1 | フィリピン | 1980年02月08日 | 1980年代 | 80年第1号一括借款調印―中央銀行。2億ドル,20行参加,期間10年(返済猶予4年)。LIBOR+0.75%。 |
DIA-205-1980-02-08-2 | フィリピン | 1980年02月08日 | 1980年代 | 石油製品値上げ―全製品平均41%。リットル当り,レギュラー・ガソリン54%で4.30ペソ,プレミアム50%で4.50ペソ,ディーゼル油42%で2.40ペソ,灯油45%で2.40ペソ,バンカー油36%で1.52ペソに。 他方大統領は7日,主要食料品9品目の価格の3ヵ月間凍結を命令。 |
DIA-205-1980-02-08-3 | フィリピン | 1980年02月08日 | 1980年代 | 大統領,7点農業計画作成。 |
DIA-205-1980-02-08-4 | フィリピン | 1980年02月08日 | 1980年代 | レガスピで32司祭,地方選ボイコット―同司教管区の全司祭が戒厳令下の選挙に反対する宣言に署名,選挙前日に配布。選挙前に戒厳令解除を要求。 |
DIA-205-1980-02-11-1 | フィリピン | 1980年02月11日 | 1980年代 | IBP第2定例会期開会―(~3/27)S.H.ラウレルの動議に応じNPとして起立した議員はタタド元情報相のみ。大統領はNP法定政党取消し訴訟取下げ指示。13日A.M.トレンティーノはKBLはIBPの多数派政党ではなく実際的な議会内多数派であって,自分はその一部であると同時にNP員でもある,と演説。会期中金融7法。およびセンサス法案可決。 |
DIA-205-1980-02-11-2 | フィリピン | 1980年02月11日 | 1980年代 | リタウディン・マレーシア外相来比。 |
DIA-205-1980-02-11-3 | フィリピン | 1980年02月11日 | 1980年代 | バランガイ・キャプテン選挙を無期延期―KBL幹部会・大統領決定。 |
DIA-205-1980-02-12-1 | フィリピン | 1980年02月12日 | 1980年代 | 各種産業規制廃止の方針―国家経済開発庁(NEDA)。手始めに,11日過密産業リストから20業種の削除を承認。13日フィリピン商工会議所(PCCI)は,この削除および政府の5ヵ年輸入関税漸減案に強い反対を表明した。 |
DIA-205-1980-02-13-1 | フィリピン | 1980年02月13日 | 1980年代 | 日比租税協定に正式調印―東京。 |
DIA-205-1980-02-16-1 | フィリピン | 1980年02月16日 | 1980年代 | 物価安定審議会設立―大統領。委員長商務相。同時に物価統制令も復活。対象は米,料理油等9品目。 |
DIA-205-1980-02-18-1 | フィリピン | 1980年02月18日 | 1980年代 | 大統領,米太平洋艦隊司令官と会談―ロング司令官は米会議は比国を米の地域安全保障にとって極めて重大と考えていると発言。ホルブルック国務次官とインドシナ問題で意見交換。 |
DIA-205-1980-02-20-1 | フィリピン | 1980年02月20日 | 1980年代 | 生活手当増額―大統領令(PD)1678号。月収1500ペソ未満で非農業労働者は日額2ペソ,農業は同1.50ペソ。同時にバス,ジープニイ運賃を20%(3月28日24%に),トライスクル25%,内航船運賃10%の暫定値上げ承認。 |
DIA-205-1980-02-22-1 | フィリピン | 1980年02月22日 | 1980年代 | 比・アルゼンチン貿易協定調印。 |
DIA-205-1980-02-22-2 | フィリピン | 1980年02月22日 | 1980年代 | アルミ精錬で合弁契約―レイノルズ・アルミ社,NDCと折半出資。年産14万トン。 |
DIA-205-1980-02-24-1 | フィリピン | 1980年02月24日 | 1980年代 | 東ネグロスで町舎襲撃―新人民軍(NPA)。La Libertad町。 |
DIA-205-1980-02-26-1 | フィリピン | 1980年02月26日 | 1980年代 | 比・ハンガリー科学技術協力協定調印。 |
DIA-205-1980-02-27-1 | フィリピン | 1980年02月27日 | 1980年代 | リー・シンガポール首相来比―(~29日)28日大統領と地域安全保障問題を協議,国連カンボジア問題国際会議開催を求める共同声明発表。大統領はASEANは経済的集団であるべきとの点で一致,と言明。 |
DIA-205-1980-02-27-2 | フィリピン | 1980年02月27日 | 1980年代 | 移転農地の割賦償還悪化―土地銀行。移転対象農民の90%が滞納。原因は低生産性・狭小農地。 |
DIA-205-1980-02-28-1 | フィリピン | 1980年02月28日 | 1980年代 | 破壊活動は増加している―ベル大統領保安部隊(PSC)司令官。石油危機を利用して宣伝・武装活動を行っている。後者は特にカガヤン谷,ビコール,サマール,ダバオで,前者は労働者・都市貧民の間で活発化している。 |
DIA-205-1980-02-29-1 | フィリピン | 1980年02月29日 | 1980年代 | IMF対比7億ドル借款供与―①拡大信用供与スタンドバイ4.1億SDR,②補償融資9600万SDR,③金売却益による対途上国特別基金9600万SDR。計6億7630万ドル。 |
DIA-205-1980-03-03-1 | フィリピン | 1980年03月03日 | 1980年代 | 地方選当選人の任期開始―6ヵ年。野党知事は4人,KBL当選人の大部分は再選。KBL新人の著名人は,Estelito Mendoza パンパンガ州知事・首席検事,Carlos O.Fortichブキドノン知事・IBP議員,Rolando Geotina北スリガオ知事・元関税局長。F.Marcos,Jr.北イロコス副知事。野党新知事は,Jose Laurel V バタンガス知事(NP),Natalia Dumulaoヌエバ・ビスカヤ知事(NUL),Federico Mengote東サマール知事(無所属),Homobono Adaza東ミサミス知事(ミンダナオ同盟)。 |
DIA-205-1980-03-04-1 | フィリピン | 1980年03月04日 | 1980年代 | 11大プロジェクトに日本の投融資要請―工業相,第7回日比経済協力委員会で。比側はバナナ季節関税,植物検疫制度,ベニア・合板クオータ等の対日輸出障壁を指摘,改善を要請。 |
DIA-205-1980-03-05-1 | フィリピン | 1980年03月05日 | 1980年代 | 産業界,関税引下げの影響緩和策提案―フィリピン商工会議所(PCCI)。最終財の関税引下げ前に十分な時間的余裕を与えること等。 |
DIA-205-1980-03-05-2 | フィリピン | 1980年03月05日 | 1980年代 | 外資40%制限緩和を検討―大統領,外国商業会議所代表との会談で表明。地元事業家は大型開発プロジェクトの資金とテクノロジーを調達できない,外国人のみが供与できる。 席上会議所側からは,有給休暇の制限,公益サービスの改善,政府機関の書類処理促進,週労働日を増やさず1日の労働時間を8時間から10時間に増やす,等の要望が出された。 |
DIA-205-1980-03-05-3 | フィリピン | 1980年03月05日 | 1980年代 | 労組,労働省の人事全面改造要求―TUCP,TUPAS,F.F.W.。労使争議の解決が一部役人の非能率のため大幅に遅れ,混乱状況にあるとして。 |
DIA-205-1980-03-07-1 | フィリピン | 1980年03月07日 | 1980年代 | SMC株譲渡―Jose Ma.Soriano持株2%をAndres,Jr.に売却。ホセ,比財界から引退。他のSMC関連会社株は引続き所有。 |
DIA-205-1980-03-07-2 | フィリピン | 1980年03月07日 | 1980年代 | 重機械産業開発計画ガイドライン発出―指令書950号施行,工業省。国産化率規定,80年15%,81年20%,82年25%,83年30%,84年40%,85年50%。 |
DIA-205-1980-03-08-1 | フィリピン | 1980年03月08日 | 1980年代 | MatinlocⅡ号井で出油―3番目の出油鉱区。 |
DIA-205-1980-03-09-1 | フィリピン | 1980年03月09日 | 1980年代 | ミンダナオ問題は国内問題―大統領,イスラム諸国会議事務局長との会談で。もし前提条件がなく公にされずかつ合意実施が保証されれば,いかなる代表とも会う。MNLFはフィリピン人であり,交戦国の地位を与えることはできない。 |
DIA-205-1980-03-09-2 | フィリピン | 1980年03月09日 | 1980年代 | 11大プロジェクトは計画通り推進―大統領。実施促進はインフレ,失業の効果的解決策。関連下流プロジェクト,下請を通じて労働集約産業にリンクする。世銀は延期を求めたことはない。長期融資で実施するので対外借款限度を超えることはない。 |
DIA-205-1980-03-10-1 | フィリピン | 1980年03月10日 | 1980年代 | 全軍人の政府文官機関からの召還命令―国防相。大統領直任者を除く,推定約2000人。すでに役割を終えた,これは正常化計画に沿った国防相官房の調査の結果促進された。 |
DIA-205-1980-03-11-1 | フィリピン | 1980年03月11日 | 1980年代 | 黄華中国外相来比―(~14日)12日大統領と会談,特に中東・アジアの安全保障状況で意見交換。ソ連が北アフリカ奪取を試みる場合,米国だけが,他の諸国の助けを得て,阻止できるとの点で合意。 |
DIA-205-1980-03-12-1 | フィリピン | 1980年03月12日 | 1980年代 | 比英借款協定調印―小型水力発電プラント37台(31,460kW)購入に1400万ポンド。 |
DIA-205-1980-03-13-1 | フィリピン | 1980年03月13日 | 1980年代 | 改憲投票で賛成63.5%―判事定年の65歳から70歳への引上げ。 |
DIA-205-1980-03-13-2 | フィリピン | 1980年03月13日 | 1980年代 | 爆発事件主容疑者はMNLF―エスピノ国軍参謀長。これまでにミンダナオで30人死亡,257人負傷。大統領は,報告はMNLFとNPAの提携を示唆,武器・弾薬は依然持込まれているが流入はかつての5%程に削減された,と述べた。 |
DIA-205-1980-03-18-1 | フィリピン | 1980年03月18日 | 1980年代 | ミンダナオ問題は依然戒厳令解除の障害―大統領。比主権枠内で早急に解決されねばならない。同日イスラム諸国会議事務局長シャティと会談。 |
DIA-205-1980-03-19-1 | フィリピン | 1980年03月19日 | 1980年代 | 米軍事援助削減あれば,基地協定破棄・再交渉も―国防相,米下院軍事小委の500万ドル削減に論評して(原案1億0500万ドル)。自由裁量はあるが軍事援助でも贈与でもなく基地使用のための支払で米政府に供与義務がある。 |
DIA-205-1980-03-19-2 | フィリピン | 1980年03月19日 | 1980年代 | 日本15行銅精錬プロジェクトに融資―8500万ドル。先に輸銀同額借款を供与。総費用2.5億ドル。年産13.8万トン。 |
DIA-205-1980-03-20-1 | フィリピン | 1980年03月20日 | 1980年代 | 米10万トン輸出承認―対インドネシア。 |
DIA-205-1980-03-21-1 | フィリピン | 1980年03月21日 | 1980年代 | ミンダナオで爆発事件続発―国防相。マニラへの波及の可能性あり,住民に混雑箇所を避けるよう忠告する。これは部分的には正常化過程のせいである。28日現在1月以来28件発生。 |
DIA-205-1980-03-21-2 | フィリピン | 1980年03月21日 | 1980年代 | IBP,拡大銀行設立関係法可決―大統領の緊急要請で第2読会可決。金融関係7法の修正。工業化促進のための長期資金供与等,大規模な銀行制度改革の実施のため。4月1日大統領署名,成立。 |
DIA-205-1980-03-22-1 | フィリピン | 1980年03月22日 | 1980年代 | 大統領,反乱解決に外国軍隊の援助求めない。 |
DIA-205-1980-03-22-2 | フィリピン | 1980年03月22日 | 1980年代 | 比,チリ大統領公式訪問を取消し―予定は24~28日。外務省は25日ピノチェト暗殺の危険のためと発表。4月3日チリ政府は対比断交せずと発表。 |
DIA-205-1980-03-25-1 | フィリピン | 1980年03月25日 | 1980年代 | 世銀,対比1.46億ドル借款供与―灌漑,水道,総合農業開発の3プロジェクト。年利8.25%。 |
DIA-205-1980-03-26-1 | フィリピン | 1980年03月26日 | 1980年代 | 海外事業入札の合弁国際契約会社設立―建設23社と国家開発会社(NDC)。 |
DIA-205-1980-04-01-1 | フィリピン | 1980年04月01日 | 1980年代 | NP党再建特別委員会設立―3月28日プヤット総裁発出の執行令第1号で。全国的な党再編の全権を有する。委員長にJ.B.ラウレル選出。他の委員はF.Lopes元副大統領,D.Alonto元上院議員,D.Aytona同。委員の1人とされたが欠席したJ.Roy元上院議員は,自分は71年以来党首であり,特別委設立に関知せず,プヤットも同委に関係ない,と電話で述べたと異議。 |
DIA-205-1980-04-01-2 | フィリピン | 1980年04月01日 | 1980年代 | 第12地方議会常任委員長に元MNLF任命―大統領,元MNLFコタバト州革命委員長Amelil Malaquiokを,部下の野戦指揮官32人との会見時に。 |
DIA-205-1980-04-01-3 | フィリピン | 1980年04月01日 | 1980年代 | 移民局,日本人4人逮捕―違法に旅行代理店経営。 |
DIA-205-1980-04-01-4 | フィリピン | 1980年04月01日 | 1980年代 | 国際砂糖協定,対比輸出クォータ―80~82年自由市場輸出クオータ,1,412,611トン。 |
DIA-205-1980-04-02-1 | フィリピン | 1980年04月02日 | 1980年代 | 軍人事―大将1,准将17,大佐7の定年延長,および2佐官の昇進。大部分フィリピン軍士官学校(PMA)53年卒組。PMA司令官F.U.Abat少将は51年卒。 |
DIA-205-1980-04-02-2 | フィリピン | 1980年04月02日 | 1980年代 | 全政府機関にサービス・政治全国ブリゲード設立命令―自治省。サービス部門11種,政治部門6種,首都外の地方・州・市・町レベルでバランガタイ・タイプ組織の制度化を実施。バランガイ・ブリゲード開発計画の主要部分。 |
DIA-205-1980-04-03-1 | フィリピン | 1980年04月03日 | 1980年代 | シン大司教,79年マニラ・シノッド決議批准―5月25日正式発効。戒厳令解除要求決議は含まれず。 |
DIA-205-1980-04-08-1 | フィリピン | 1980年04月08日 | 1980年代 | エアコン車付加税徴収開始―500~1000ペソ。 |
DIA-205-1980-04-08-2 | フィリピン | 1980年04月08日 | 1980年代 | 労働省改編で135人に辞表要求。 |
DIA-205-1980-04-09-1 | フィリピン | 1980年04月09日 | 1980年代 | 軍,「放火運動」容疑者20人を起訴―主謀者Eduard B.Olaguer。Steve Psinakis(E.ロペス2世の義理の弟,米国人)を除き全員拘留中。13日軍裁に8人を起訴。 |
DIA-205-1980-04-09-2 | フィリピン | 1980年04月09日 | 1980年代 | 3月ココナツ輸出激減―前年同月比量で48%,金額で44%それぞれ減少。 |
DIA-205-1980-04-12-1 | フィリピン | 1980年04月12日 | 1980年代 | 反乱罪被告神父の仮釈放指示―大統領。Edicio de la Torre神父。ローマ旅行も許可。18日釈放さる。 |
DIA-205-1980-04-15-1 | フィリピン | 1980年04月15日 | 1980年代 | 第12自治地方に「地方防衛軍」設立命令―大統領。今後治安維持は地方政府の責任とする。 |
DIA-205-1980-04-15-2 | フィリピン | 1980年04月15日 | 1980年代 | ゲッティ・フィリピン社を買収―Basic Petroleum and Minerals Inc.が51%,Landoil Resources Corp.が19%,従業員設立新会社Kamayan Internationa1が30%。経営は新会社Asean Energy Systems,Inc.で引継ぐ。買収価格は50万ドル。 |
DIA-205-1980-04-16-1 | フィリピン | 1980年04月16日 | 1980年代 | マレーシアに領土問題で正式抗議―外務省,3月に。79年マ政府公式地図に2地域マ領として記載。①パラワン南西沖のカラヤアン諸島,②サバ南東大陸棚の比領土。 |
DIA-205-1980-04-17-1 | フィリピン | 1980年04月17日 | 1980年代 | 大統領後継者問題―大統領。自分に万一のことがあれば大統領令(78.6.11)が即時発効し,副首相(現在空席)が首相代理となり,IBP議長が大統領代理となって後継首相決定の与党幹部会を招集する。党決定は次いでIBPにより実施される。 |
DIA-205-1980-04-19-1 | フィリピン | 1980年04月19日 | 1980年代 | 大統領,ホノルルに出発―(~28日)第94回米国新聞発行人協会(ANPA)の開発演説で招待を受けて。20日カーター大統領の個人的代理ラスク元国務長官,ホルブルック国務次官,マーフィ駐比大使と会談,東南アの安全保障,比米基地協定について協議,ラスク氏は対比援助で楽観論表明,援助に関し最善の努力を約したカーター大統領の書簡2通をマルコスに手交。22日ANPA会議で演説,戒厳令擁護,外交政策を説明。23日,他のASEAN指導者は在比米軍基地に反対していない,この地域で米国の積極的存在が必要と考えている。マングラプス,チヤリト・プラナス等の在米反政府グループは大統領の教会ミサ往復時,反戒厳令デモ,ANPA会議場外でもデモ実施。 |
DIA-205-1980-04-23-1 | フィリピン | 1980年04月23日 | 1980年代 | ソ連軍用機の領空侵犯に抗議―2月26,27日の2回北西領空。5月8日ソ連,否定覚書送付。 |
DIA-205-1980-04-23-2 | フィリピン | 1980年04月23日 | 1980年代 | 大統領,マングラプスを非難―ホノルルでの米出版・編集者との会談。(いわゆる政治拘留者について)彼らは破防法違反者で,900人釈放されたが,まだ300人が拘留中。84年に国民議会選挙が実施され,私自身立候補する。もし我党が十分な過半数で勝てば党は首相を選出できる。また24日同地で約7000の在留比人を前に,米国に帰化した比人に2重国籍付与を考慮,議会に憲法改正を働きかける,と演説。 |
DIA-205-1980-04-24-1 | フィリピン | 1980年04月24日 | 1980年代 | カリンガでダム反対運動指導者殺害さる―Tinglayan町Bugnayのバリオ・キャプテンMacliing。住民ら軍人による犯行と主張。 |
DIA-205-1980-04-24-2 | フィリピン | 1980年04月24日 | 1980年代 | 在外比人投資に契約優先―大統領,ホノルルで。大型政府プロジェクトで。 |
DIA-205-1980-04-28-1 | フィリピン | 1980年04月28日 | 1980年代 | 輸出業界,これ以上の賃上げに反対―フィリピン輸出開発協会(PEDA)。 |
DIA-205-1980-04-29-1 | フィリピン | 1980年04月29日 | 1980年代 | 米に政府転復陰謀容疑者の引渡し要請―「放火運動」事件の比人3,米国人1(E.ロペス一世の義理の息子Steve Psinakis)。 |
DIA-205-1980-04-29-2 | フィリピン | 1980年04月29日 | 1980年代 | 3ヵ年貿易均衡7点計画発表―商務相。目標は伝統的輸出品から新製品開発への多様化および地場原材料の新利用法の導入。 |
DIA-205-1980-04-29-3 | フィリピン | 1980年04月29日 | 1980年代 | 比・ニュージーランド租税協定調印。 |
DIA-205-1980-05-01-1 | フィリピン | 1980年05月01日 | 1980年代 | 労働祭式典―大統領出席の下に比国際会議センターで開催。席上大統領は労働省の改称・改編,不当労働行為を刑法犯とする等の大統領令・議会法に署名。 他方「5月1日運動」(議長F.Olalia,Sr.NAFLU委員長)はケソンで独自の式典を開催(約3万人),最低賃金引上げ(13ペソから33ペソに),スト権回復等の6点要求を採択。 |
DIA-205-1980-05-06-1 | フィリピン | 1980年05月06日 | 1980年代 | イラン人学生500,マニラでデモ―セブ市でのイラン人学生殺害に抗議。 |
DIA-205-1980-05-06-2 | フィリピン | 1980年05月06日 | 1980年代 | 米原子力委,対比原子炉輸出承認―エネルギー相は8日安全性問題解決まで原発建設停止と発表。 |
DIA-205-1980-05-07-1 | フィリピン | 1980年05月07日 | 1980年代 | 9品目物価凍結令無期限延長―9日閣議,賃金問題3者会議延期を発表(原案15~16日)。6月5日学用品を物統令の対象に含める。 |
DIA-205-1980-05-07-2 | フィリピン | 1980年05月07日 | 1980年代 | 労相,3労組の帳薄監査を命令―組合浄化のため。FFF,NATOW等。 |
DIA-205-1980-05-07-3 | フィリピン | 1980年05月07日 | 1980年代 | 法相,犯罪増加を予測―犯罪の様相も凶悪化している。上期の70%は組織犯罪。 |
DIA-205-1980-05-08-1 | フィリピン | 1980年05月08日 | 1980年代 | アキノに心臓手術で訪米許可―大統領7日承認。最高裁は7日付のアキノ申請の条件(長くて4週間以内に帰国等)の順守を条件に訪米を承認。アキノはマニラ空港で,在米中比国内の政治状況についてコメントしたり,党派的政治活動をしないと保証,9・12日入院地のダラスで米国亡命しない,回復次第帰国する,と発言。14日手術成功。 |
DIA-205-1980-05-08-2 | フィリピン | 1980年05月08日 | 1980年代 | ハシエンダ・ルイシタ管理権移転訴訟―農地改革省,中銀等政府3機関がコファンコ一族・Tarlac Development Corp.に対して。1.4万ヘクタール。 |
DIA-205-1980-05-11-1 | フィリピン | 1980年05月11日 | 1980年代 | 首都の停電頻発を非難―機械・金属加工業界21団体発表。停電は巨額損失の主因だ。 |
DIA-205-1980-05-12-1 | フィリピン | 1980年05月12日 | 1980年代 | 軍,マカパガル等の軍事裁判を勧告―悪意のデマを広め治安妨害を煽動したかどで。R.Mercado,M.Concordia両元下院議員を含む計10人で,マカパガル以外は逮捕済。 |
DIA-205-1980-05-12-2 | フィリピン | 1980年05月12日 | 1980年代 | 公務員に100ペソ物価手当支給―大統領発表。961,298の全職員に,2月1日に遡及して50ペソ,8月1日から50ペソ支給。 (ハワイ訪問報告)カーター米大統領は,ラスク元国務長官経由の書簡で,基地貸与料1億ドルの支払,米国の対ソ対抗の決意を保証した。 |
DIA-205-1980-05-12-3 | フィリピン | 1980年05月12日 | 1980年代 | 4社2500人スト入り―不当労働行為,生活手当・夜勤手当未払に抗議。 |
DIA-205-1980-05-14-1 | フィリピン | 1980年05月14日 | 1980年代 | ココナツ農民救済4措置―比ココナツ庁。輸出価格大幅下落のため。17日輸出税停止。 |
DIA-205-1980-05-14-2 | フィリピン | 1980年05月14日 | 1980年代 | 地方改善世銀借款6200万ドル取得。 |
DIA-205-1980-05-15-1 | フィリピン | 1980年05月15日 | 1980年代 | プレム・タイ首相来比―(~16日)大統領との会談で,ASEAN首脳会談開催時期について他の首脳と協議することで合意。 |
DIA-205-1980-05-15-2 | フィリピン | 1980年05月15日 | 1980年代 | 首都244地域を市街地優先開発地域宣言―大統領令1967号。 |
DIA-205-1980-05-17-1 | フィリピン | 1980年05月17日 | 1980年代 | 1万人農民集会―農民週間行事。米価引上げ等のマニフェスト採択。Agrarian Reform Beneficiaries Association加盟の5農民組合連合。 |
DIA-205-1980-05-18-1 | フィリピン | 1980年05月18日 | 1980年代 | MNLFの都市攻撃計画を先制打破―エスパルドン南部軍司令官。ミスワクの命令でイスラム諸国会議(5月14~21日)前の9日に実行予定であった。南部軍は反徒根拠地北サンボアンガ州Siocon,Sacol島,Tabon,バシラン付近を先制攻撃,計画を挫折させた。 |
DIA-205-1980-05-20-1 | フィリピン | 1980年05月20日 | 1980年代 | IBP,改憲9提案―法令改正・憲法修正小委員会。投票権を15歳以上の読み書きできる国民に制限,外国籍帰化比人と直系卑属に比国民にのみ制限されている権利を認める等。 |
DIA-205-1980-05-21-1 | フィリピン | 1980年05月21日 | 1980年代 | トリポリ協定無視を非難―イスラム諸国会議イスラマバード会議決議。全加盟国に対しフィリピン政府に適切な経済・社会・政治圧力をかけトリポリ協定を完全に実施させるよう主張。 |
DIA-205-1980-05-22-1 | フィリピン | 1980年05月22日 | 1980年代 | 籾米買上げ価格引上げ命令―大統領。kg当り1.3から1.4ペソに。他方年末から精米歩留り62%未満の精米所は許可されない。 |
DIA-205-1980-05-23-1 | フィリピン | 1980年05月23日 | 1980年代 | 授業料一律値上げ拒否―大統領。ガイドラインによる。前年度値上げ校は10%のみ。 |
DIA-205-1980-05-25-1 | フィリピン | 1980年05月25日 | 1980年代 | ラーマン・バングラデシュ大統領公式訪問―(~27日)27日大統領と共同コミュニケ発表,大使館の相互設置,新国際経済秩序設立の必要等で合意。 |
DIA-205-1980-05-28-1 | フィリピン | 1980年05月28日 | 1980年代 | 軍人の職権乱用調査を指示―国防相・IBP国防委員長,同小委に。アンティーク州でのCHDF(郷土民間防衛隊)の2民間人殺害事件等で。 |
DIA-205-1980-05-30-1 | フィリピン | 1980年05月30日 | 1980年代 | マレーシアの領土占拠に抗議―パラワン州カラヤアン町のCommodore Reefに海軍衛兵所を建設として。マ外務省,31日否定声明。 |
DIA-205-1980-05-30-2 | フィリピン | 1980年05月30日 | 1980年代 | 更に12輸出加工区建設を計画―大統領指示。候補地は,イロイロ,バコロド,タクロバン,ダバオ,ラ・ウニオン,クラーク・フィールド,インファンタ,ケソン,カビテ,バタンガス,ビコール。 |
DIA-205-1980-05-30-3 | フィリピン | 1980年05月30日 | 1980年代 | 新労働センター創立大会―TUCP(比労働組合会議)から脱退した数労組連合が比労働組合センター(PTUC)を設立。会長Ruben de Ocampo IBP議員。 |
DIA-205-1980-05-31-1 | フィリピン | 1980年05月31日 | 1980年代 | バランガイ・ブリゲード訓練終了―アギナルド基地で。首都のバランガイ・リーダー約1.7万人がリーダーシップおよび騒乱規制の訓練を終了。 |
DIA-205-1980-06-02-1 | フィリピン | 1980年06月02日 | 1980年代 | カガヤン谷天然ガス試掘井でガス噴出―イサベラ州サンアントニオ。 |
DIA-205-1980-06-02-2 | フィリピン | 1980年06月02日 | 1980年代 | アキノの病気仮出獄許可を延長―大統領。完全な回復まで無期限に。弁護士タニャーダ発表。 |
DIA-205-1980-06-03-1 | フィリピン | 1980年06月03日 | 1980年代 | 帰順MNLF2人を地方議会員に任命―大統領,98人の正式帰順式典で,第9地方でAmilpasha Bandaying,第12地方はNur Mabang。 |
DIA-205-1980-06-04-1 | フィリピン | 1980年06月04日 | 1980年代 | 主要7野党,連合結成方針で合意―戒厳令解除を共通目標に特別委が作業協定起草中。12日独立記念日にナガ,セブ市で反政府集会を行うとの決定後合意。 |
DIA-205-1980-06-04-2 | フィリピン | 1980年06月04日 | 1980年代 | ソ連科学調査船のマニラ寄港承認。 |
DIA-205-1980-06-06-1 | フィリピン | 1980年06月06日 | 1980年代 | アキノ,人身保護令申立を撤回せず―弁護士に書簡で通知。5月26日弁護団に申立撤回を求めたが,弁護団は28日撤回しないよう勧告していた。 |
DIA-205-1980-06-06-2 | フィリピン | 1980年06月06日 | 1980年代 | 大統領,政府・軍の幹部交替を行う。 |
DIA-205-1980-06-07-1 | フィリピン | 1980年06月07日 | 1980年代 | MNLF幹部帰順―3日サバから脱出したHadji Rasul Abdullah。MNLF中央委情報部副部長・モロ国民軍事務局長補佐・タウイタウイ革命委政治担当副委員長。MNLFはサバに3つの基地(主要基地はJamperas,小基地はSumpumaとKota Kinabalu付近)を持ち,ミスワリは今年3月マレーシア国軍高官にエスコートされてJamperasを訪問した,自分はリビヤでコマンド戦術と破壊工作の訓練を受けた,と証言。 |
DIA-205-1980-06-07-2 | フィリピン | 1980年06月07日 | 1980年代 | 80年教育法案に反対―一部IBP議員・労働界指導者。 |
DIA-205-1980-06-10-1 | フィリピン | 1980年06月10日 | 1980年代 | 軍,学生指導者6人逮捕―大統領署名の逮捕命令27人(学生24人)の一部で,プロテスタント教会内で学生・スラム住民ら250人の戒厳令・米帝国主義抗議集会中に逮捕された。彼らは12日反政府デモを計画していたという。 11日「フィリピン学生連盟」(LFS)は抗議集会で,学内軍事化・授業料値上げ・暴徒取締民間隊(Civilian Brigade)の訓練に抗議,逮捕は新学期に拡大の可能性ある学生デモを事前に阻止するため,と声明。 |
DIA-205-1980-06-11-1 | フィリピン | 1980年06月11日 | 1980年代 | 憲法の戒厳令条項廃止提案―S.H.ラウレル,ビサヤ連合のカノイ議員らがこのほど提案。30日を限度として以後議会の承認を要する国家非常事態宣言に代える。 |
DIA-205-1980-06-11-2 | フィリピン | 1980年06月11日 | 1980年代 | 南部比復興計画に着手―南部比復興開発大統領委員会委員長に大統領夫人任命。 |
DIA-205-1980-06-11-3 | フィリピン | 1980年06月11日 | 1980年代 | 市評議会,戒厳令解除要求決議を採択―全会一致でカガヤン・デ・オロ市。市長はミンダナオ同盟のアキリノ・ピメンテル2世。 |
DIA-205-1980-06-11-4 | フィリピン | 1980年06月11日 | 1980年代 | IBP開会―大統領は,開会演説で大統領令発出権に対する批判に,危機状況は政府の果断な行動によってのみなだめられる,まだ放棄の時期でない,と反論。 |
DIA-205-1980-06-12-1 | フィリピン | 1980年06月12日 | 1980年代 | 学生,独立記念日反政府デモ―マニラの下町で。 |
DIA-205-1980-06-13-1 | フィリピン | 1980年06月13日 | 1980年代 | パラワン沖鉱区で出油―Pandan-Ⅰ号。 |
DIA-205-1980-06-13-2 | フィリピン | 1980年06月13日 | 1980年代 | 先進国の繊維品輸入規制を批判―商務相,ASEAN繊維産業連合会議で。だが同連合は多国間繊維協定の存続支持を表明。 |
DIA-205-1980-06-16-1 | フィリピン | 1980年06月16日 | 1980年代 | 3850人の帰化承認―大部分中国人で,75年以来の累計は24,130人。 |
DIA-205-1980-06-17-1 | フィリピン | 1980年06月17日 | 1980年代 | エネルギー開発計画を5ヵ年に短縮―大統領。10ヵ年から,支出も4倍に。 |
DIA-205-1980-06-17-2 | フィリピン | 1980年06月17日 | 1980年代 | 79年末政府転覆陰謀事件―軍法務部,マングラプス(在米),カラウ,ロンドンら元上院議員,現・退役軍人(退役19人)を含む34人に予審召喚状を送付(8人は未逮捕)。計画は79年12月31日実行,成功時にはマングラプスが帰国して革命政府首班となる予定であったという。34人は「Democratic Force of the Philippines」のメンバーという。 |
DIA-205-1980-06-19-1 | フィリピン | 1980年06月19日 | 1980年代 | 2新輸出加工区,輸出開始―バギオ(Texas Instruments)セブ(TMX Phils.,Fairchild)。 |
DIA-205-1980-06-19-2 | フィリピン | 1980年06月19日 | 1980年代 | KBL州・市委員会再編を決定―幹部会。特に1月選挙敗北支部で,期限は7月4日,バランガイ政治委の編成・強化も実施。 |
DIA-205-1980-06-20-1 | フィリピン | 1980年06月20日 | 1980年代 | 日比3協定・条約に署名―マニラで日比租税協定,第8次円借款(360億円,30年,3%)の交換公文に署名。東京で日比友好通商航海条約批准書交換。 |
DIA-205-1980-06-24-1 | フィリピン | 1980年06月24日 | 1980年代 | 西サモア首相来比―Tupuola Efi首相。 |
DIA-205-1980-06-24-2 | フィリピン | 1980年06月24日 | 1980年代 | 世銀,4港開発に6700万ドル借款供与。 |
DIA-205-1980-06-25-1 | フィリピン | 1980年06月25日 | 1980年代 | 比側にサバ請求権は存在しない―ASEAN外相会議(クアラルンプル)出席のトレンティーノ外交担当国務相。請求権は比国憲法にはないし,フィリピンの地図にサバはない。 |
DIA-205-1980-06-25-2 | フィリピン | 1980年06月25日 | 1980年代 | 日本3社,銅精錬プロジェクトに出資―このほど合意,32%の3200万ドル。年10.5万トン比国外販売権も取得。 |
DIA-205-1980-06-28-1 | フィリピン | 1980年06月28日 | 1980年代 | IBPによるサバ請求権放棄を要請―スルー・サルタンMohammad Mahakuttah Kiram。財産請求権がキラム相続人たちに委ねられるならば比政府による主権請求の正式撤回に反対しない。 |
DIA-205-1980-06-29-1 | フィリピン | 1980年06月29日 | 1980年代 | 84年以前に全国選挙実施せず―大統領。危機の時に選挙は考えられない。問題はエネルギー危機・インフレ・失業に対処すること,唯一の答は生産性向上。 |
DIA-205-1980-06-30-1 | フィリピン | 1980年06月30日 | 1980年代 | 石油備蓄相当減少,石炭増産を―大統領。1ヵ月前の105日分から。セメント工場の石炭転換期限を3ヵ年から81年末までの1ヵ年に短縮する。 |
DIA-205-1980-07-01-1 | フィリピン | 1980年07月01日 | 1980年代 | ソ連の領空侵犯に抗議―4~6月に5回。 |
DIA-205-1980-07-03-1 | フィリピン | 1980年07月03日 | 1980年代 | デモ計画リーダーら逮捕―学生,野党指導者ら,セブ市で反戒厳令“自由の行進”直前にV.Legaspi,B.Cabangbang両IBP議員,R.Cuenco元下院議員等16人。4日全員釈放,が5日30人起訴さる。 4日比米友好記念日には数千人が米大使館前でデモ,米国の経済支配に抗議。フィリピン大でもデモ。 |
DIA-205-1980-07-06-1 | フィリピン | 1980年07月06日 | 1980年代 | ILO,人権侵害国から比国削除―労相報告。 |
DIA-205-1980-07-08-1 | フィリピン | 1980年07月08日 | 1980年代 | バタアン州のNPA―州PC司令官。活動メンバー563人,同調者1万。治安にまだ脅威でない。 |
DIA-205-1980-07-10-1 | フィリピン | 1980年07月10日 | 1980年代 | アキノは健康完全回復まで米国滞在できる―大統領。(アキノがMNLF指導者との会談のためダマスカス滞在中との報道について)事前報告ないが,望むところはどこでも行けると伝えてある。我々は,彼がみてまわり勧告を提出できることで合意している。 |
DIA-205-1980-07-10-2 | フィリピン | 1980年07月10日 | 1980年代 | 122労組,石油値上げ反対声明。 |
DIA-205-1980-07-11-1 | フィリピン | 1980年07月11日 | 1980年代 | 野党グループ団結に努力―アキノ,ダラスで。新たな自由を比国の分裂した野党グループ結束のために使う。9月にマルコスに統一野党要求声明書を出せると思う。自分と支持者には戒厳令解除と自由・公正な選挙の2つの要求がある。政権に対する憤りの増大に相伴なう経済状態の悪化が「血の対決」に終ることもありうる。私は状況の平和的解決のためあらゆる道をさぐる。 |
DIA-205-1980-07-12-1 | フィリピン | 1980年07月12日 | 1980年代 | オタイバUAE石油相来比。 |
DIA-205-1980-07-15-1 | フィリピン | 1980年07月15日 | 1980年代 | 石油製品課税の凍結主張―A.M.トレンティーIBP議員,法案提出。議会・業界に支持多数。大統領,エネルギー計画実現不能になると強く反発,が24日閣議後重大危機なければ追加課税せずと発表。 |
DIA-205-1980-07-17-1 | フィリピン | 1980年07月17日 | 1980年代 | 道路省の汚職シンジケート―辞意を表明しているパテルノ道路相は,大統領の,汚職まみれの同省クリーンアップ指示で汚職減らしに成功したが,同時に政府インフラ計画の実施がスローダウンした(B.T.紙コラム)。 |
DIA-205-1980-07-17-2 | フィリピン | 1980年07月17日 | 1980年代 | 大統領,対中東政策の強化命令。 |
DIA-205-1980-07-18-1 | フィリピン | 1980年07月18日 | 1980年代 | 学生3万授業ボイコット―イースト大。予定される授業料値上げと貧弱な施設に抗議して。 |
DIA-205-1980-07-18-2 | フィリピン | 1980年07月18日 | 1980年代 | ベルギー,対比借款・技術協力協定調印―首都軽軌鉄道建設に4000万ドル。大統領夫人調印。 |
DIA-205-1980-07-22-1 | フィリピン | 1980年07月22日 | 1980年代 | 地方住民の首都移住禁止の方針―メトロ・マニラ副知事マサイ。定職・定住居ない者。年間推定流入人口30万,800万人口中標準以下住居居住者200万。 |
DIA-205-1980-07-22-2 | フィリピン | 1980年07月22日 | 1980年代 | 労働省再編開始―15事務所廃止,60歳以上の全労働省在外アタッシエの退職。 |
DIA-205-1980-07-23-1 | フィリピン | 1980年07月23日 | 1980年代 | UP,80年教育法案に反対表明―教職員,当局,学生の3者,学問の自治を教育省の管理下に置くことになるとして。E.V.Soriano学長は大学評議会で反対表明,同席の教育相反論。学生は3日以来その他問題を含め抗議の授業ボイコットを断続的に実施,評議会にもピケ。 |
DIA-205-1980-07-24-1 | フィリピン | 1980年07月24日 | 1980年代 | UP学生,教育省デモ―約1500人,学生数人負傷。他大学学生は警察当局に阻止され合流できず。授業料値上げ,経済に対する米国の干渉と支配に抗議。24日深夜から翌早朝,学生ら大学本部構内で,24日デモの取締当局の残忍な行為と不適格を非難して,騒音デモ実施。 大統領は25日学生デモは69~70年のそれを思い出させる,日和見主議者にキャンパスの混乱,反政府破壊活動を作り出そうと学生の合法的不満を利用するなと警告。 |
DIA-205-1980-07-24-2 | フィリピン | 1980年07月24日 | 1980年代 | LibroⅠ出油―パラワン地域で9番目。 |
DIA-205-1980-07-26-1 | フィリピン | 1980年07月26日 | 1980年代 | 2台風で死者28人―北部ルソンで,物的被害1億ペソ。 |
DIA-205-1980-07-28-1 | フィリピン | 1980年07月28日 | 1980年代 | 定年延長将官問題で再び不満装画化―現在将官73人中定年延長されている者45人。 |
DIA-205-1980-07-28-2 | フィリピン | 1980年07月28日 | 1980年代 | 11大プロジェクトに資金問題ない―工業相。60億ドル中,サプライヤー・クレジットと株式で50億ドル,政府資金は10億ドル。84年から4~5プロジェクトは年間2~4億ドルの純外貨節約をもたらす。世界的不況でも実施ペースを落さない,むしろ促進する。 |
DIA-205-1980-07-29-1 | フィリピン | 1980年07月29日 | 1980年代 | 民間人の自衛武装承認案を拒否―PC長官。 |
DIA-205-1980-07-29-2 | フィリピン | 1980年07月29日 | 1980年代 | UP学生6000のIBPデモ阻止―軍警当局。他方学生約1万が数大学構内,ボニフアシオ広場でもデモ・集会,4人負傷。広場には約2500人,ケソン大学では約2000人が参加。72年以来最大級という。 |
DIA-205-1980-07-29-3 | フィリピン | 1980年07月29日 | 1980年代 | アキノの反マルコス穏健派連合結成の動き確認―バルベロ国防次官。ニューヨーク・タイムズのインタビュー記事入手後アキノとの国際電話で確認。 |
DIA-205-1980-07-29-4 | フィリピン | 1980年07月29日 | 1980年代 | 中銀,外貨スワップ・ローン一時停止。 |
DIA-205-1980-07-30-1 | フィリピン | 1980年07月30日 | 1980年代 | LFSは反政府運動のフロント組織―オリバス首都PC司令官。左右両グループ共同の政府転覆闘争のため結成された。会員の5%が浸透分子である。 31日国防・教育両省の破壊分子合同対策協議会で国防当局は次のように現状報告。破壊分子は134のフロント組織をほぼ同数の全国の学校に設立することに成功。首都52大中17大でアクティビズムが広がっている。扇動・宣伝活動はNational Democratic Activists(CPPのフロント組織)が行なっている。 |
DIA-205-1980-07-30-2 | フィリピン | 1980年07月30日 | 1980年代 | 飼料作物等支持価格引上げ―kg当りとうもろこし1から1.1,ソルガム0.9から1.0,大豆2.8から3.35各ペソに。これより先小売米価はkg当り2.45から2.60ペソに引上げられた。 |
DIA-205-1980-08-02-1 | フィリピン | 1980年08月02日 | 1980年代 | 海軍司令官退役―Eresto Ogbinar。いわゆる退役延長組の1人。後任(代理)S.M.Alejandroも同延長組。 |
DIA-205-1980-08-02-2 | フィリピン | 1980年08月02日 | 1980年代 | 学生代表,首都副知事と会談―8大学指導者40人,8点請願提出。学生評議会復活,授業料の引下げ,施設改善,教員給与引上げ,新教育法案廃棄,キャンパス軍事化と教育の商業化廃止,完全な言論の自由。 |
DIA-205-1980-08-03-1 | フィリピン | 1980年08月03日 | 1980年代 | 石油製品値上げ―平均14.1%,ガソリンはプレミアム4.95ペソ/l,レギュラー4.75,ディーゼル油2.81,灯油2.84,バンカー油1.79,LPG5.01/kg。今回値上げでは税金部分は据置き。 |
DIA-205-1980-08-03-2 | フィリピン | 1980年08月03日 | 1980年代 | 太平洋経済ブロックに反対―シカットNEDA長官,ハワイのイースト・ウェスト・センターでの講演で。共通問題にはASEAN等のグループまたは多国間アプローチで対処すべだ。 |
DIA-205-1980-08-03-3 | フィリピン | 1980年08月03日 | 1980年代 | 4外国商業会議所,新会社法案に強い反対―米,豪,欧,日,合同意見書提出。非公開会社の課税,法人税・接待・促販費控除制限等に特に反対。 |
DIA-205-1980-08-04-1 | フィリピン | 1980年08月04日 | 1980年代 | アキノ,都市ゲリラ活動を予測―ニューヨーク・アジア協会で出国後初の公開演説。在比・米の反戒厳令指導者たちと接触したが全員次の点で合意した。もしマルコス大統領が戒厳令をすぐに解除せねば,唯一の選択は武力と暴力で彼を廃することである。事態の発展は急速にフィリピンを東南アジアの次の引火点に変えるであろう。建物の爆破,腐敗した大統領の親友,閣僚,軍人の暗殺,腐敗した外国人子弟の誘拐が起こるであろう。これらの活動はすべてマルコス政権を屈服させることを意図している。米国に政治亡命を求めない。 またインタビューで,①ハーバード大学は3日前,9月1日から1ヵ年の正式なフェローシップを受け入れた。②戒厳令解除は早い方が良いが,即時辞任ではなく移行期間を示唆しているのだ,と述べた。 |
DIA-205-1980-08-04-2 | フィリピン | 1980年08月04日 | 1980年代 | ガソリン値上げ抗議スト―ジープニイ運転手が計画,しかし参加者少なく数時間で終了。 |
DIA-205-1980-08-04-3 | フィリピン | 1980年08月04日 | 1980年代 | 糖業最低賃金引上げ指示―労相。製造工場労働者の最低賃金13ペソ(3.16遡及),生活手当2ペソ(2.21同)。 |
DIA-205-1980-08-04-4 | フィリピン | 1980年08月04日 | 1980年代 | 世銀2借款調印―大統領夫人。①3800万ドル,河川・浸食管理用,②4500万ドル,畜産・漁業プロジェクト用。 |
DIA-205-1980-08-07-1 | フィリピン | 1980年08月07日 | 1980年代 | 首都PC,学生4人逮捕―破壊活動容疑。Philippine Collegian編集長Roberto Colona他。他にLFS議長Roel Landinginらフィリピン大生6人にも逮捕状令。9~10日にも8人を逮捕。 |
DIA-205-1980-08-08-1 | フィリピン | 1980年08月08日 | 1980年代 | アキノ演説は馬鹿げている―大統領。これは病んだ心の産物だ。また9日次のように発言した。首席検事にアキノ演説の法的問題を明確にするよう命じなければならないであろう。アキノは最高裁との約束を破った。これは彼のパスポート取消しの危険を伴うし,最高裁がアキノ事件審議再開を命令することもありうる。 |
DIA-205-1980-08-08-2 | フィリピン | 1980年08月08日 | 1980年代 | 退役延長将官はもはや延長しない―大統領。一部の安全保障に直接関係する高度にセンシティブな地位の者を除く。現在将官72人のうち延長されている者44人,うち無期限延長の者は5人(Espino参謀長,Ramos PC長官,Ver大統領警備司令官,Lao准将)。 |
DIA-205-1980-08-15-1 | フィリピン | 1980年08月15日 | 1980年代 | 賃金3者会議開催―賃上げを拒否する使用者側と最低実効賃金の現行26.38ペソから32.38ペソへの引上げを主張する労働側は譲り合わず,行詰る。18日大統領はPD1713号を出し,日額で最低賃金を1ペソ,月額緊急生活手当を首都非農業労働者60ペソ(新実効賃金29.85),プランテーション農業労働者45ペソ,非プランテーション同30ペソ引上げた。 |
DIA-205-1980-08-17-1 | フィリピン | 1980年08月17日 | 1980年代 | カリンガ州,部族抗争で緊張高まる―国防相は同州への外国人観光客の立入りを禁止。 |
DIA-205-1980-08-21-1 | フィリピン | 1980年08月21日 | 1980年代 | 物統9品目の価格値上げ―米2.60ペソ/kg,精白糖3.25,料理油23.99/ガロン等。 |
DIA-205-1980-08-22-1 | フィリピン | 1980年08月22日 | 1980年代 | 首都9ヵ所で爆弾事件―2人負傷。 |
DIA-205-1980-08-22-2 | フィリピン | 1980年08月22日 | 1980年代 | 中銀,銀行改革7回状承認。 |
DIA-205-1980-08-23-1 | フィリピン | 1980年08月23日 | 1980年代 | バス運賃引上げ―10%。 |
DIA-205-1980-08-23-2 | フィリピン | 1980年08月23日 | 1980年代 | 32の軍裁を増設―国防相発表。地方の係争事件処理促進のため。現在首都に12。 |
DIA-205-1980-08-23-3 | フィリピン | 1980年08月23日 | 1980年代 | 国側,アキノの人身保護令請求の却下要請―最高裁に。国外滞在を続け事件を放棄したとして。 |
DIA-205-1980-08-24-1 | フィリピン | 1980年08月24日 | 1980年代 | 肥料価格引上げ―76年9月以来初めて。尿素12%,燐酸二アンモニウム23%等。 |
DIA-205-1980-08-25-1 | フィリピン | 1980年08月25日 | 1980年代 | マニラの2映画館で爆弾事件。 |
DIA-205-1980-08-29-1 | フィリピン | 1980年08月29日 | 1980年代 | 9月MNLFとジャカルタ会談―大統領発表。イスラム諸国会議の後援で。 |
DIA-205-1980-08-29-2 | フィリピン | 1980年08月29日 | 1980年代 | 野党統一グループ結成会議―即時無条件の戒厳令解除,自由,公正な選挙実施などを含む宣言発表。出席者はG.ハロスLP総裁,J.B.ラウレル,Jr.NP特別委員会委員長,R.カノイIBP議員(ミンダナオ連合),V.Legaspi IBP議員(NUL)等。J.Diokno,ラバンのL.M.Tanada,F.Rodrigoは出席せず。 |
DIA-205-1980-08-30-1 | フィリピン | 1980年08月30日 | 1980年代 | 戒厳令解除の2条件―大統領。もしミンダナオの状況が改善し,経済危機が終れば81年3月以前に解除する。79年9月の発言は今でも変らない。 |
DIA-205-1980-09-02-1 | フィリピン | 1980年09月02日 | 1980年代 | 対MNLFジャカルタ会談延期―政府,イスラム会議事務局の要請受諾。準備時間不定のため。 |
DIA-205-1980-09-02-2 | フィリピン | 1980年09月02日 | 1980年代 | 南ラナオMNLF帰順―Jaimil Lucman,MNLF軍事委員会委員長,1976年ラナオMNLF停戦委委員長,部下の野戦指揮官26人と大統領に帰順。4日大統領はルクマンを第12地方執行評議会員に任命。 |
DIA-205-1980-09-04-1 | フィリピン | 1980年09月04日 | 1980年代 | 中銀,マニラ基準レート設定―略称MRR。長期貸付用変動利子率の基準レートで半月毎に設定される。今回は9月1~15日分で15.75%。 |
DIA-205-1980-09-04-2 | フィリピン | 1980年09月04日 | 1980年代 | 小麦粉値上げ―国家穀物庁(NGA)。14%。 |
DIA-205-1980-09-07-1 | フィリピン | 1980年09月07日 | 1980年代 | 田中通産相来比―8日大統領と会談,貿易不均衡問題,東南ア経済開発における日本の役割等を討議。通産相は,日本は,軍事費増加しても,軍事大国にならない,と言明,またエネルギー開発計画に509億円の輸銀輸出信用の供与を申し入れた。 |
DIA-205-1980-09-07-2 | フィリピン | 1980年09月07日 | 1980年代 | 労組幹部3人の逮捕に抗議―5月1日運動労働センター議長F.Olalia。 |
DIA-205-1980-09-09-1 | フィリピン | 1980年09月09日 | 1980年代 | 野党,戒厳令解除要求―元上院議員Jovito Salonga,S.H.LaurelらのUnited Democratic Opposition。 |
DIA-205-1980-09-09-2 | フィリピン | 1980年09月09日 | 1980年代 | 戒厳令解除対策2法案提出―KBL議員提出。①議員法案1227号:大統領に,戒厳令布告せず,治安,経済・社会的安定の脅威に効果的措置を取る緊急権限を限られた期間与える。②同1228号:改正刑法を修正し,特定犯罪被疑者の拘留期間を延長する。 |
DIA-205-1980-09-10-1 | フィリピン | 1980年09月10日 | 1980年代 | 国軍忠誠パレード―大統領の誕生日イブ恒例(63歳)。席上,大統領は694人に特赦を与え,国軍参謀次長3人を准将に昇格。また首都爆弾事件主犯Victor B.Lovely(米国帰化の比人)を6日逮捕したと発表。 |
DIA-205-1980-09-12-1 | フィリピン | 1980年09月12日 | 1980年代 | IBP休会―81年予算案,増税4法可決。 |
DIA-205-1980-09-12-2 | フィリピン | 1980年09月12日 | 1980年代 | 首都7ヵ所で爆弾事件―1人死亡,32人負傷。ルスタン・スーパーマーケット,ハリソン・プラサ等。 |
DIA-205-1980-09-13-1 | フィリピン | 1980年09月13日 | 1980年代 | 治安緊急計画第1号発動命令―大統領。実施強化のため一般命令66号にも署名。同命令により,建物・道路上の検問所設置,捜査網の強化,被逮捕者の大統領の釈放命令あるまでの拘留が実施される。 |
DIA-205-1980-09-18-1 | フィリピン | 1980年09月18日 | 1980年代 | 在米テロ集団に関し米国の協力要請―国防相。外相に対米要請を依頼した。また20日大統領は,米国と犯罪人引渡し協定を交渉中と言明。 |
DIA-205-1980-09-19-1 | フィリピン | 1980年09月19日 | 1980年代 | S.K.ペンダトウン帰国―元上院議員,モロ民族解放組織(BMLO)中央政治委員会委員長。米国,サウジアラビア滞在から7年振りに帰国。 |
DIA-205-1980-09-19-2 | フィリピン | 1980年09月19日 | 1980年代 | スタンドバイ・クレジット2億ドル延長―このほど外銀団が,対中銀5.25億ドルのうち83年失効分の87年までの延長に合意。 |
DIA-205-1980-09-20-1 | フィリピン | 1980年09月20日 | 1980年代 | コタバト市連続爆発事件―10件。死亡1,負傷13人。他に9月中北コタバト,南サンボアンガ州で3件発生,13人死亡,109人負傷。 |
DIA-205-1980-09-21-1 | フィリピン | 1980年09月21日 | 1980年代 | 違法集会で議員ら8人逮捕―セブ市での反戒厳令の「自由の行進」で,V.レガスピIBP議員(ビサヤ連合),A.Cuenco元下院議員ら150人参加。23日軍当局は参加者12人を第一審裁に起訴。 |
DIA-205-1980-09-21-2 | フィリピン | 1980年09月21日 | 1980年代 | イリガン市で10人逮捕―市内で反政府スローガンを書きつけたため破壊活動容疑で逮捕。また同日市内で戒厳令非難,政府打倒のプラカードを持ったグループが市内を行進した。 |
DIA-205-1980-09-22-1 | フィリピン | 1980年09月22日 | 1980年代 | 大統領,野党に与党との話し合い呼掛け―馬鹿げたことを止めよう。アナーキーは国民を救えない。正気が回復されねば,我々はカンボジアのようになってしまうだろう。野党リーダーは参加すべきだ。彼らが望めば政府参加を認める用意がある。彼らが我国の意思決定過程と内政に外国勢力を招き込むのを止めさせるために,私はこの代価を払う。爆弾とテロの脅威より外国の干渉を招き込む試みを懸念する。これは権力への最も危険な試みである。 |
DIA-205-1980-09-22-2 | フィリピン | 1980年09月22日 | 1980年代 | 主要労働6団体,賃上げ再考を要請―大統領に。8月の計3ペソ引上げは不十分として。他方LOI1069号(10.4)は家内工業に対し今回賃上げを免除。 |
DIA-205-1980-09-24-1 | フィリピン | 1980年09月24日 | 1980年代 | NPA伏撃―軍パトロール部隊7人死亡,1人負傷。カリンガ・アパヤオ州パシル。その他9月中にアブラ,ダバオ,東サマール,南サンボアンガで5件の戦闘報道。 |
DIA-205-1980-09-25-1 | フィリピン | 1980年09月25日 | 1980年代 | バタアン原発工事再開―しかし27日米国で対比原子炉輸出停止の訴訟が出された。 |
DIA-205-1980-09-26-1 | フィリピン | 1980年09月26日 | 1980年代 | 学生19人,違法集会で逮捕・起訴―フィリピン大学生約50人参加の反政府デモで。数日前にも類似行為で学生10人が逮捕された。 |
DIA-205-1980-09-28-1 | フィリピン | 1980年09月28日 | 1980年代 | 野党,対話呼掛けを拒否―L.M.Tanada(ラバン党首),J.R.Laurel,Jr.(NP特別委委員長),G.Roxas(LP総裁)が共同新聞声明を発表。大統領の呼掛け声明(は外国勢力の招き込み,テロ活動に言及しているの)で,我々が言及されているとは考えられない,として。 |
DIA-205-1980-09-29-1 | フィリピン | 1980年09月29日 | 1980年代 | 再び野党に対政府和平会談呼掛け―大統領。これは内外の,ミスワリ,NPAの新指導者,アキノを含む在米亡命者を含む批判勢力に対するものである。彼らに入,再出国のあらゆる便宜を提供する。これはまたテロに従事している者たちに向けられたもので,自分は先に合法野党のメンバーに彼らの参加を得るよう求めたが現在まで何ら正式の返答はない。 |
DIA-205-1980-10-01-1 | フィリピン | 1980年10月01日 | 1980年代 | セブ市逮捕指導者に支持・結束を表明―J.B.ラウレル,G.ロハス。9月21日逮捕されたレガスピらに。これは不当逮捕であり,人民の自由への希求を抑圧する試みである。 |
DIA-205-1980-10-03-1 | フィリピン | 1980年10月03日 | 1980年代 | 野党に外交政策策定に参加呼掛け―大統領。野党は設立予定の外交政策審議会に参加すべきだ。野党は,もし自分の招待に応ずるならば,政府を弱体化させることはしないであろう。KBLだけから全国的指導者が出てくるとは考えていない。もし野党が協力すれば,彼らを将来の指導者育成に参加させよう。私がしたいことは次の4年間に私を継ぐ者たちを訓練することである。 |
DIA-205-1980-10-03-2 | フィリピン | 1980年10月03日 | 1980年代 | 米国務省,比の要請で調査中―爆弾事件に関連して在米の反政府フィリピン人の活動のモニターを要請,もし米国法を犯していれば違反者は処罰されよう。 |
DIA-205-1980-10-04-1 | フィリピン | 1980年10月04日 | 1980年代 | 首都3ホテルで爆弾事件―9人負傷。アンヘレス市,タガイタイ市でも各1ホテルで爆発,米軍人2人負傷。都市テロ・グループ,「4月6日解放運動」が犯行声明を発表。 |
DIA-205-1980-10-05-1 | フィリピン | 1980年10月05日 | 1980年代 | ASEAN製品への日本市場開放要求―大統領。また中小企業を移転し,ASEAN中小工業の成長を援助するよう主張。特にパイナップル,バナナ等に対する高関税・輸入制限の廃止を要求。 |
DIA-205-1980-10-06-1 | フィリピン | 1980年10月06日 | 1980年代 | 軍,GO66号で147人逮捕―ラモスPC長官。 |
DIA-205-1980-10-09-1 | フィリピン | 1980年10月09日 | 1980年代 | テロ対策大統領令発出―PD1727,1728号,1731号,1732号(前号施行規則,以上参考資料参照)。G.O.67号(G.O.66号による捜索を拒否した者の逮捕,72時間内の拘留を認める)。 |
DIA-205-1980-10-10-1 | フィリピン | 1980年10月10日 | 1980年代 | MNLF指揮官55人,大統領に帰順―大統領府で式典。席上MNLF戦に功績あった陸軍,海兵の2大佐が准将に昇進。 |
DIA-205-1980-10-11-1 | フィリピン | 1980年10月11日 | 1980年代 | マカティで爆弾事件4件―SMCビル,フィリピン・アイランド銀行ビル等で。 |
DIA-205-1980-10-11-2 | フィリピン | 1980年10月11日 | 1980年代 | アキノの対話参加条件を拒否―大統領。彼は戒厳令の解除,次いで選挙,憲法の無視等を要求している。我々が話し合いたいのはなかんずく爆弾事件を止めさせるのに彼らが何をするかである。彼らは条件を付ける立場にない。 |
DIA-205-1980-10-12-1 | フィリピン | 1980年10月12日 | 1980年代 | 駐ヨルダン大使館開設。 |
DIA-205-1980-10-13-1 | フィリピン | 1980年10月13日 | 1980年代 | 中国,小型水力発電機借款を供与―3000万ドル,7.5%,14年。500台(計10万kW)分。 |
DIA-205-1980-10-14-1 | フィリピン | 1980年10月14日 | 1980年代 | メキシコ,対比石油供給約束―ポルティーリョ大統領,マルコス大統領夫人との会談で。81年初から当初日量1万バレル。またフィリピンにおける石化プラント建設を承認。 |
DIA-205-1980-10-17-1 | フィリピン | 1980年10月17日 | 1980年代 | 新・旧教会内に強力な左翼ブロック―国防相。約200人が教会内でアクティビスト,うち20人はすでにNPAに加入した。左翼ブロックは教会内に数百の同調者をもっているとしている。CPP-NPAセブ州委員会押収文書によれば共産党は宗教組織National Directorate for Social Actionを使っている。反政府グループは穏健と急進に分割されるが,統一戦線は形成されていない。 |
DIA-205-1980-10-19-1 | フィリピン | 1980年10月19日 | 1980年代 | 爆弾事件容疑者の国側証人転向を承認―大統領,V.ラブリィに対して。 |
DIA-205-1980-10-19-2 | フィリピン | 1980年10月19日 | 1980年代 | 大統領出席会議場で爆弾事件―フィリピン国際会議場でのアメリカ旅行業者協会(ASTA)第50回会議初日に大統領演説後。18人負傷。20日ASTAは以後の正式行事をすべて取消すことを決定。 |
DIA-205-1980-10-20-1 | フィリピン | 1980年10月20日 | 1980年代 | ASTA爆発事件で30人の逮捕命令―大統領。元上院議員4人(サロンガ,アキノ,S.オスメニヤⅡ世,Kマングラプス),E.ロペス,S.プシナキス,C.プラナス,R.インテンガン神父,J.フリバルデ元ソルソゴン知事,レナト・タニヤーダ,S.オスメニヤⅢ世等の著名人を含む。大部分は4月6日解放運動のメンバーとされるが,インテンガン,サロンガ,タニヤーダの外は滞米中。 |
DIA-205-1980-10-22-1 | フィリピン | 1980年10月22日 | 1980年代 | 最高裁にアキノ事件の軍裁差戻し請求―大統領発表。首席検事がアキノの出国条件違反を理由に。25日大統領はアキノ事件の審理再開命令(77年軍裁の死刑判決後出された)を撤回せねばならないであろう,と言明。これは死刑判決の回復を意味する。 |
DIA-205-1980-10-23-1 | フィリピン | 1980年10月23日 | 1980年代 | FBI,爆弾事件でアキノを尋問―ハーバード大の研究室で,事件で何を知っているか質問。 |
DIA-205-1980-10-27-1 | フィリピン | 1980年10月27日 | 1980年代 | IBP第3通常会期再開―大統領は開会演説で次のように言明。もし野党が政府との全面対決を決めたのなら,我々も野党と全面対決すると答えよう。我々はすでにテロを処理できる立場にある。もともとのMNLF7指導者のうち5人は政府に加わり,1人は死亡し,残るはミスワリだけ。ミンダナオの良好な状況は政治正常化計画継続との我々の決意をこれまでになく強める。テロの波はあるが,政治変化の長期展望は全く順調である。 |
DIA-205-1980-10-29-1 | フィリピン | 1980年10月29日 | 1980年代 | 正規国民議会の選挙日を決定―KBL幹部会。1984年5月24日とする。 |
DIA-205-1980-10-31-1 | フィリピン | 1980年10月31日 | 1980年代 | 爆弾事件容疑者16人を逮捕―大統領発表。ASTA事件実行容疑者Doris Baffrey(観光省ニューヨーク事務所勤務)を含む。 |
DIA-205-1980-10-31-2 | フィリピン | 1980年10月31日 | 1980年代 | 10月MNLF戦闘5件―死亡は,政府軍3,MNLF6,民間人20人。 |
DIA-205-1980-11-01-1 | フィリピン | 1980年11月01日 | 1980年代 | IBP,2大統領緊急権限法案を廃案に―大統領の開会演説(特別措置は必要ない。その多くはNational Security Codeに収められている。同法典は国家の安全に関する様々のPDや措置を集大成したもので,いかなる緊急事態にも有効に対処する手段と権限を政府に与える)に応えて。 |
DIA-205-1980-11-01-2 | フィリピン | 1980年11月01日 | 1980年代 | MNLF5ヵ年計画―エスパルドン南部軍司令官,押収文書に基づき公表。これはベトナム,インドネシア,マレーシアに基地を設けること,NPAとの提携を含む。またMNLFはサンダカン,コタキナバルに訓練基地をもっている,これまで4万人が帰順,残存兵力は約1万人だ。 |
DIA-205-1980-11-02-1 | フィリピン | 1980年11月02日 | 1980年代 | ドバイ,石油供給を保証―130万バレルをピリピナス・シェルに。 |
DIA-205-1980-11-03-1 | フィリピン | 1980年11月03日 | 1980年代 | カラウら政府転覆事件の罪状認否―カラウ元上院議員,Ernmesto Rondon元憲法議会議員ら27被告。マングラプス被告は在米。訴状によれば,被告らは77年1月「Democratic Forces of the Philippines」を結成,79年12月31日軍幹部・政府要人の暗殺等で政府転覆を図った(夜明け作戦)が未遂に終った。 |
DIA-205-1980-11-04-1 | フィリピン | 1980年11月04日 | 1980年代 | 国防相,爆弾事件容疑者に賞金―4人に各5万ペソ。Renato Tanada(元上院議員の息子),Rebecca Tanada(同孫),Gerardo Esguerra,Ronaldo Montiel。また軍主席検察官は在米のマングラプス元上院議員に対し逮捕令状を発行した。 |
DIA-205-1980-11-04-2 | フィリピン | 1980年11月04日 | 1980年代 | MNLF,テヘランに大使館開設―(朝日)。 |
DIA-205-1980-11-05-1 | フィリピン | 1980年11月05日 | 1980年代 | 4月6日解放運動容疑者のインタビュー―Jovito C.Labajo。アキノは10月4日爆弾事件成功後テロ・グループに祝辞を送った。実行グループは3隊からなり8月22日から10月19日に31回任務を遂行した。9月12日のルスタン事件は自分たちではない。 |
DIA-205-1980-11-05-2 | フィリピン | 1980年11月05日 | 1980年代 | 台風被害拡大―台風「アリン」。ルソン11州を災害地域指定。水田被災27.3万ヘクタール。 |
DIA-205-1980-11-06-1 | フィリピン | 1980年11月06日 | 1980年代 | 爆弾事件に12人の上級指導グループ―国防相。米政府は同国法に違反してマニラに爆弾を密輸し,爆弾活動を行った米国本拠のテロリストに必要な措置を取るべきだ。その他発言。①反徒掃討のため陸軍1箇大隊がカガヤン谷に派遣された。②ミスワクのMNLFはテヘランに事務所を開設した。ミスワクに対する支持はカダフイからホメイニに移った。 |
DIA-205-1980-11-07-1 | フィリピン | 1980年11月07日 | 1980年代 | 米国に2米人の訴追を要請する―大統領。米国本拠のフィリピン人にアリゾナ砂漠で都市ゲリラ戦等の訓練をしたSteve Psinakis(Eugenio Lopez,Jr.の義理の兄弟)他1人。 |
DIA-205-1980-11-08-1 | フィリピン | 1980年11月08日 | 1980年代 | IBP,新政府形態の検討開始―設置が決った改憲特別委と大統領設置の調整委が行う。現在の有力案は大統領の直接選挙,議員の13地方別選挙等。 |
DIA-205-1980-11-11-1 | フィリピン | 1980年11月11日 | 1980年代 | 中国銀行と相互預金協定調印―中央銀行。2000万ドル,期間5年。 |
DIA-205-1980-11-14-1 | フィリピン | 1980年11月14日 | 1980年代 | 在米の比テロ責任者を訴追する―マーフィ米大使,首席検事に伝達。 |
DIA-205-1980-11-14-2 | フィリピン | 1980年11月14日 | 1980年代 | 比共産党内に権力闘争―軍情報筋。新党中央委員会編成後,書記長ポストめぐり抗争が発生した。 |
DIA-205-1980-11-15-1 | フィリピン | 1980年11月15日 | 1980年代 | テロ・政府転覆陰謀の立案者―大統領府発表。立案者はRomeo Intenga神父,計画名は「The Political Line」,その活動は「Socialist Democrat」が調整することになっている。 |
DIA-205-1980-11-15-2 | フィリピン | 1980年11月15日 | 1980年代 | 政府・MNLFジャカルタ会談11月は不可能―駐比インドネシア大使発表。 |
DIA-205-1980-11-15-3 | フィリピン | 1980年11月15日 | 1980年代 | アキノ,テロ・誘拐の停止をアピール―この暴力形態は政治正常化促進の一切の努力を無効にするだけでなく,戒厳令政権とその批判者との有意味な対話を不可能でなくともより困難にする。 |
DIA-205-1980-11-16-1 | フィリピン | 1980年11月16日 | 1980年代 | 米当局,アキノと接触―米国務省スポークスマン。ホルブルック次官は数日前アキノ氏と電話で話した。アキノ氏が暴力に反対するとはっきり述べたことにわれわれは満足している。 |
DIA-205-1980-11-17-1 | フィリピン | 1980年11月17日 | 1980年代 | 米に大統領長男の身辺保護要請―大統領。 |
DIA-205-1980-11-18-1 | フィリピン | 1980年11月18日 | 1980年代 | IBP,改憲特別委員会設置―ロニョ委員長。 |
DIA-205-1980-11-21-1 | フィリピン | 1980年11月21日 | 1980年代 | MNLFと和平交渉の用意―大統領。政府はいかなるリーダーともいつ,どこでも会う用意がある。 |
DIA-205-1980-11-22-1 | フィリピン | 1980年11月22日 | 1980年代 | サバ請求権は実際上放棄―南部軍司令官。77年ASEAN首脳会議での大統領の正式放棄決定の発表後。ただサルタン後継者の財産請求は残っている。 |
DIA-205-1980-11-25-1 | フィリピン | 1980年11月25日 | 1980年代 | サロンガを自宅拘禁に―大統領命令。 |
DIA-205-1980-11-26-1 | フィリピン | 1980年11月26日 | 1980年代 | 軍の役割は戒厳令前と同一―国防相。唯一の追加的役割・戒厳令の残存物は軍裁と人身保護令の停止だけ。正常化過程の一環として,第1歩兵師団の陸軍2大隊と野戦砲部隊がホロから撤収した。 |
DIA-205-1980-11-27-1 | フィリピン | 1980年11月27日 | 1980年代 | インドネシア原油の比国精製契約―大統領発表。日量2.2万バレル,比側は灯油で支払う。 |
DIA-205-1980-11-29-1 | フィリピン | 1980年11月29日 | 1980年代 | 爆弾事件で59人を告発―軍法務部に,反乱・殺人・爆発物不法所持・大統領・閣僚等の暗殺陰謀のかどで,アキノ,サロンガ,マングラプス,S.オスメニャ2世ら元上院議員を含む。 |
DIA-205-1980-11-29-2 | フィリピン | 1980年11月29日 | 1980年代 | 232人釈放―大統領。国民和解・団結の政策に沿ってこの大部分の者を起訴猶予とする。 |
DIA-205-1980-11-29-3 | フィリピン | 1980年11月29日 | 1980年代 | 学生活動家を逮捕―Maria Lourdes Mangahas,フィリピン大学生評議会議長,LFS書記,民族独立前進のための委員会事務局長 |
DIA-205-1980-12-02-1 | フィリピン | 1980年12月02日 | 1980年代 | 改憲特別委,移行条項修正案承認―移行期大統領の選挙案および2年以上だが84年正規国民議会選挙時までとの移行期間の設定も合意。 |
DIA-205-1980-12-03-1 | フィリピン | 1980年12月03日 | 1980年代 | IBPが望めば81年大統領選挙も―大統領。もしIBPがより早い選挙,ことによると81年初めの選挙を望むなら,自分はそれでOKだ。いつでも選挙に入る用意がある。だが,選挙実施権限を与えられても,自分の他誰も立候補しなければわれわれはこっけいにみえるだろうから,IBPは批判勢力と協議すべきだ。 |
DIA-205-1980-12-04-1 | フィリピン | 1980年12月04日 | 1980年代 | 野党,移行期大統領選挙に条件―「United Democratic Opposition」(Unido)。Unidoリーダーたちと協議,彼らは次の条件で選挙で大統領に挑戦すると表明。①戒厳令解除。②選管に野党の十分な代表。③メディアに与野党同一の時間とスペース。④国軍の不偏不介入。⑤少なくとも60日の選挙運動期間。 |
DIA-205-1980-12-04-2 | フィリピン | 1980年12月04日 | 1980年代 | 比英投資促進・保護協定調印。 |
DIA-205-1980-12-04-3 | フィリピン | 1980年12月04日 | 1980年代 | 移行期大統領の直接選挙決議採択―IBP改憲特別委員会。ロニョ委員長(自治相)他起草。 |
DIA-205-1980-12-05-1 | フィリピン | 1980年12月05日 | 1980年代 | 武器等不法所持に特赦令―PD1745号。 |
DIA-205-1980-12-05-2 | フィリピン | 1980年12月05日 | 1980年代 | IBPを憲法議会として招集―大統領宣言2040号。期間12月8日~19日。 |
DIA-205-1980-12-07-1 | フィリピン | 1980年12月07日 | 1980年代 | 大統領選挙前に戒厳令解除の意向―大統領示唆。夏前に行われると期待される大統領選挙への野党の参加条件で野党との話し合いに応じる。憲法修正案は1月以前にIBPにより可決されよう。 |
DIA-205-1980-12-08-1 | フィリピン | 1980年12月08日 | 1980年代 | セブ市反政府デモの公訴取消しで合意―国防省命令で軍法務部長と。6月12日,7月25日,9月25日のデモの被逮捕者レガスピ,カバンバンら59人。 |
DIA-205-1980-12-09-1 | フィリピン | 1980年12月09日 | 1980年代 | 「比民主主義軍」事件全被告の即時釈放命令―大統領。自宅拘禁に。カラウら26人。 |
DIA-205-1980-12-12-1 | フィリピン | 1980年12月12日 | 1980年代 | 戒厳令は解除する―大統領。①憲法議会としてのIBPの会期を無期限に延長する。②大統領後継問題は自分の健康に関するばかげた憶測にもかかわらず,無視されえない。現行規定は不十分,永続的メカニズ確立のため憲法修正が必要。③正規国民議会は現在と84年までの間に設立されねばならない。 |
DIA-205-1980-12-12-2 | フィリピン | 1980年12月12日 | 1980年代 | タヤグ,コの釈放命令―大統領。破防法違反で実刑判決および軍裁審理中。L.M.タルクの保証下に。 |
DIA-205-1980-12-13-1 | フィリピン | 1980年12月13日 | 1980年代 | 81年大統領選挙に反対―A.M.Tolentino議員。もし戒厳令が大統領の示唆するように81年初めに解除されれば野党の主要争点は消え去る。 また11日元憲法議会議員77人(大部分NP)は大統領と会見,移行期大統領選挙に反対を表明。 |
DIA-205-1980-12-13-2 | フィリピン | 1980年12月13日 | 1980年代 | G.O.68号施行を命令―大統領。ASSO逮捕者も含め刑事犯罪者の保釈を認める。軍裁付託事件を除く。 |
DIA-205-1980-12-14-1 | フィリピン | 1980年12月14日 | 1980年代 | 生活手当を基本最低賃金に統合―81年から。 |
DIA-205-1980-12-15-1 | フィリピン | 1980年12月15日 | 1980年代 | 改憲特別委,正規国民議会選挙日程で合意―①選挙日は84年5月第2月曜日,以後6年毎とし,②任期6年は選挙後の6月30日昼から開始。 |
DIA-205-1980-12-16-1 | フィリピン | 1980年12月16日 | 1980年代 | 大統領宣言,憲法議会会期を無期限延長。 |
DIA-205-1980-12-18-1 | フィリピン | 1980年12月18日 | 1980年代 | 改憲特別委,移行期大統領選挙案を拒否―81年夏予定とされていたが,公聴会で反対多数のため。 |
DIA-205-1980-12-18-2 | フィリピン | 1980年12月18日 | 1980年代 | 戒厳令解除時に人身保護令を回復―大統領。ただし第9,12地方,実際の戦闘地域およびその他地域での治安事件は除外。その他戒厳令解除の効果。①大統領は基本的に立法権を失う。②大統領は公安事件を除きASSO発行権を失う③破壊活動事件は一般裁に移管される。公安事件ではNational Security Act,Public Order Code,憲法修正第6号を根拠にASSOを発行できる。 20日国防相は人身保護令回復しても,共産党政治局員,反乱組織メンバーは対象外と言明。 |
DIA-205-1980-12-19-1 | フィリピン | 1980年12月19日 | 1980年代 | 戒厳令は81年1月に解除されよう―大統領。これは夏に大統領選があると否とにかかわらない。また軍当局に,和解政策,正常化の継続政策に沿い,カラウ等事件の一般裁移管を命令。 |
DIA-205-1980-12-20-1 | フィリピン | 1980年12月20日 | 1980年代 | 1200人に大赦―火器等単純不法所持犯。21日1457人にも大赦(CPP・NPA員375人,MNLF1082人)。国家に対する重罪で起訴された者は含まれない。 |
DIA-205-1980-12-20-2 | フィリピン | 1980年12月20日 | 1980年代 | 移行期中の大統領後継決議採択―改憲特別委。 |
DIA-205-1980-12-22-1 | フィリピン | 1980年12月22日 | 1980年代 | 戒厳令解除で軍拘置所・軍裁は閉鎖―大統領国軍創立45週年奪式典で。①拘留者は国立刑務所に移管。②紛争地域では戒厳令は存続する。③戒厳令解除は報道の自由,平和的集会の自由の向上を意味する。 |
DIA-205-1980-12-24-1 | フィリピン | 1980年12月24日 | 1980年代 | 9月6日解放運動,鈴木首相の訪比に警告。 |
DIA-205-1980-12-27-1 | フィリピン | 1980年12月27日 | 1980年代 | 戒厳令解除でも,重要産業のストは禁止―大統領。 |
DIA-205-1980-12-28-1 | フィリピン | 1980年12月28日 | 1980年代 | 完全な戒厳令解除要求―UNIDOのG.ロハス,J.B.ラウレル共同声明発表。マルコスの目的は戒厳令は解除するが立憲権威主義を保持することにあることは明らか。これは戒厳令の机上解除だ。 |
DIA-205-1980-12-30-1 | フィリピン | 1980年12月30日 | 1980年代 | 戒厳令解除後も2保護措置は存続―大統領。①憲法修正第6号,National Security Code,Public Order Codeに含まれる権限により81年1月から84年5月の選挙の間正常化過程を確実にできる。②戒厳令解除しても憲法の総司令官条項にもとづき3権限のうち2つは存続する。これは人身保護令停止権限および混乱・反乱鎮圧のため国軍を招集する権限である。 |
DIA-205-1981-01-07-1 | フィリピン | 1981年01月07日 | 1980年代 | 新海軍司令官任命――Alejandro 海軍少将。 |
DIA-205-1981-01-08-1 | フィリピン | 1981年01月08日 | 1980年代 | 最高裁,アキノの人身保護令申請を却下。 |
DIA-205-1981-01-08-2 | フィリピン | 1981年01月08日 | 1980年代 | 鈴木首相,公式訪問――(~10)ASEANへの農業等での十分な融資援助約束。大統領は会談で,投資保障協定締結に合意。農相会談はバナナ関税の25%引下げで合意せず。共同声明で日本は軍事大国にならぬと表明。 |
DIA-205-1981-01-10-1 | フィリピン | 1981年01月10日 | 1980年代 | 84年以前の選挙に否定的――大統領。私は今年大統領選挙を望んだが,IBPは実施しないと決定した。 |
DIA-205-1981-01-14-1 | フィリピン | 1981年01月14日 | 1980年代 | 中銀総裁交替――リカロス退任,ハイメ・C・ラヤ予算相(42歳)が5代目総裁に就任。 |
DIA-205-1981-01-14-2 | フィリピン | 1981年01月14日 | 1980年代 | NGAを改編NFAを新設――PD1770号。国家食糧庁(National Food Authority)。議長は居住相兼任。 |
DIA-205-1981-01-14-3 | フィリピン | 1981年01月14日 | 1980年代 | 借入金末払いで起訴――約7億ペソを末払いのまま,米国に逃亡したDee一族と関係4社を銀行が。 |
DIA-205-1981-01-15-1 | フィリピン | 1981年01月15日 | 1980年代 | UNIDO,綱領発表――「民主野党連合」のロハス,ラウレル共同議長。表題は「自由・民主フィリピンにおける公正な社会のためのプログラム」。混合経済の発展,経済ナショナリズム,外国基地撤廃,全PD等の廃棄など。戒厳令解除は紙上の解除にすぎないであろう。 |
DIA-205-1981-01-17-1 | フィリピン | 1981年01月17日 | 1980年代 | 大統領,戒厳令を解除――宣言第2045号を発出。また軍拘留者341人の釈放を命令,159人は公共秩序違反。現在の軍拘留者は1857入,うち公安関係471人。 |
DIA-205-1981-01-17-2 | フィリピン | 1981年01月17日 | 1980年代 | 戒厳令解除は建設的ステップ――米国務省。在米のアキノ,マングラプスは,マルコスの即時辞任・暫定政府設立を要求。また野党・学生は,解除はレーガンの圧力によるもので,我々の抗議を除去するためと声明。 |
DIA-205-1981-01-19-1 | フィリピン | 1981年01月19日 | 1980年代 | IBP 第3定例会期開催――大統領演説:すべての立法権は IBP にのみ付託されねばならない。憲法修正第6号は,将来危機に,戒厳令を宣言せず,いかに対処するかとの問題の答えとして考えられた安全弁である。 |
DIA-205-1981-01-19-2 | フィリピン | 1981年01月19日 | 1980年代 | あらゆる批判を覚悟せよ――国防相,軍警幹部会議で。また戒厳令計画作成・実施に加わった者を公表。エスピノ参謀長,ラモス PC・INP 長官,パス参謀次長(当時情報部長),ベル大統領警備隊司令官・NISA長官。コフアンコ大佐(退役)。 |
DIA-205-1981-01-19-3 | フィリピン | 1981年01月19日 | 1980年代 | 一般裁に約700件移管――国軍法務部,軍裁から。残存軍裁は10で,判決直前の事件終了まで存続。 |
DIA-205-1981-01-22-1 | フィリピン | 1981年01月22日 | 1980年代 | IBPは唯一の立法権を持たない――マカパガル会長らの暫定国民議会協会(INAA),マルコスに反論。憲法第17条第3節で大統領は引続き大統領令(PD)などを発出し,既存PDなどを修正・廃棄できるが,IBPは持たない。 |
DIA-205-1981-01-22-2 | フィリピン | 1981年01月22日 | 1980年代 | IBPはPD等を修正できる――大統領。憲法修正2号で。また現在新聞の発行は自由(PD 1784号,1/15)。 |
DIA-205-1981-01-23-1 | フィリピン | 1981年01月23日 | 1980年代 | NPA は地方組織・募集強化に転換――国防相。武装攻撃を徐々に減らし,戦略的撤退方針を採用。 |
DIA-205-1981-01-24-1 | フィリピン | 1981年01月24日 | 1980年代 | 重要産業のスト禁止は存続――労相。 |
DIA-205-1981-01-26-1 | フィリピン | 1981年01月26日 | 1980年代 | 学生評議会・学生新聞の発行を許可する――教育相。 |
DIA-205-1981-01-27-1 | フィリピン | 1981年01月27日 | 1980年代 | UP学生デモ――文理学部ビル前で。全政治犯の釈放要求。戒厳令解除後2回目。1回目は20日約150人が米大使館前でピケ,米国の解除圧力を非難,解除はごまかし行為と批判。 |
DIA-205-1981-01-27-2 | フィリピン | 1981年01月27日 | 1980年代 | アブラで司祭3人,NPAに参加――同州PC司令官発表。これで同州のNPA参加司祭は計4人。 |
DIA-205-1981-01-28-1 | フィリピン | 1981年01月28日 | 1980年代 | アキノ,6月に帰国する――①マルコスは爆弾事件で10月19日自分の逮捕令状を出した。②戒厳令解除は正しい方向の歓迎すべきステップだが,憲法上巨大な権力をマルコスは維持する。31日バルベロ国防次官との電話で帰国の意思を確認し,次のように述べた:私は政治にもう関心がない。マルコスとの主な不一致の源は戒厳令解除時に終った。メディア審議会廃止も歓迎。 |
DIA-205-1981-01-29-1 | フィリピン | 1981年01月29日 | 1980年代 | 大統領の5月直接選挙を提案――KBL 議員総会で。16年間大統領として勤めた。国民は選挙で私を判断する機会を,戒厳令についての国民の記憶が鮮明なうちに,与えらるべきだ。総会は,全権を有する大統領の直接選挙を含む議会制の大統領の改正提案に合意。大統領は,レオナルド・ペレス前選管委員長を政治問題担当大統領顧問(閣僚待遇,181人目のIBP議員)に任命。 |
DIA-205-1981-01-29-2 | フィリピン | 1981年01月29日 | 1980年代 | UNIDO,大統領直接選挙を歓迎――カノイ議員。公明選挙などの条件で,G.ロハス,S.H.ラウレル,J.サロンガ,アキノのいずれかの対立候補を立てる用意がある。ロハス総裁は,もし5月に大統領選挙を行うなら正規国民議会選挙も同時に行うべきだ,と主張。 |
DIA-205-1981-01-30-1 | フィリピン | 1981年01月30日 | 1980年代 | UNIDO,公明選挙条件でKBLと会談の用意――G.ロハス:正式会談の招待をKBLから受けていないが,もしKBLが真剣なら会談する。サロンガ,ロハスは選挙参加条件を再述:マルコスに絶対権力を与えているPDなどの廃棄,選管委員に野党代表任命・基本的権利の回復など。 |
DIA-205-1981-01-30-2 | フィリピン | 1981年01月30日 | 1980年代 | 大統領・正規国民議会選挙の同時実施を主張――R.アルバーノ,A.パシフィカドール等KBL 5議員。 |
DIA-205-1981-01-30-3 | フィリピン | 1981年01月30日 | 1980年代 | 対比協議グループ会議――81年分 ODA 約束額を前年の10億から12億ドルに増額。IMFは,短期借入削減,国内資源動員,11大工業プロジェクト漸進的実施勧告。商業ローンの借入枠を12億から14.25億ドルに引上げ。 |
DIA-205-1981-02-01-1 | フィリピン | 1981年02月01日 | 1980年代 | 選挙規則変更されれば候補を出す――UNIDO。またアキノもボストンで,もしルールが変更されれば不出馬決定を再考する,と発言。 |
DIA-205-1981-02-02-1 | フィリピン | 1981年02月02日 | 1980年代 | 大統領選での野党合意――UNIDOのカノイ議員。①今年5~6月または憲法修正批准から90日以内に,再選なし6年任期の大統領,②自動的に首相となる副大統領,③正規国民議会の同時選挙を提案。 |
DIA-205-1981-02-03-1 | フィリピン | 1981年02月03日 | 1980年代 | 大統領,大統領の6年1期制限案を拒否。 |
DIA-205-1981-02-04-1 | フィリピン | 1981年02月04日 | 1980年代 | 新憲法起草を新憲法議会で――UNIDO。IBPでなく。また自由・公正な国民投票による批准を主張。 |
DIA-205-1981-02-04-2 | フィリピン | 1981年02月04日 | 1980年代 | 教育相,学生の権利を全面的に支持――法の範囲内で行使される限り。教育省前での学生約500人の「自由のデモ」リーダーとの会談で表明。 |
DIA-205-1981-02-05-1 | フィリピン | 1981年02月05日 | 1980年代 | 議会制憲法草案承認――KBL議員総会。①3月17日に国民投票を行う。②5月選挙は大統領のみとする。 |
DIA-205-1981-02-05-2 | フィリピン | 1981年02月05日 | 1980年代 | UNIDO,大統領選に候補出さず――G.ロハス。現在の環境は自由・公正な選挙を妨げている。 |
DIA-205-1981-02-06-1 | フィリピン | 1981年02月06日 | 1980年代 | 大統領,戒厳令解除後の懸念否定――約400人の内外企業家を前に演説。戒厳令後の政策は,憲法修正=議会制の強化により政治的安定,政策の継続性および自由企業のイデオロギー,の維持が目標。 |
DIA-205-1981-02-06-2 | フィリピン | 1981年02月06日 | 1980年代 | UNIDO,大統領選問題で不一致――G.ロハスはこのほど,憲法修正,5月大統領選に関するKBLの協議招待を正式に拒否。しかしミンダナオ同盟(MA)は,UNIDOが不参加なら,独自候補擁立の用意があり,またロイ派NPは,正当な憲法修正なら,候補者を出す,という。 |
DIA-205-1981-02-06-3 | フィリピン | 1981年02月06日 | 1980年代 | 燐酸肥料合弁協定に調印――国家開発公社とナウル共和国(40%の4000万ドル出資)。 |
DIA-205-1981-02-07-1 | フィリピン | 1981年02月07日 | 1980年代 | 大統領,UNIDOの要求を拒否――3カ月内憲法議会開催・新憲法批准の要求。金と時間の浪費だ。 |
DIA-205-1981-02-07-2 | フィリピン | 1981年02月07日 | 1980年代 | INAA 67人,2改憲案提案――UNIDO提案の憲法議会で,①大統領と正規国民議会議員の同時選挙,②大統領の年齢制限(現行50歳)引下げ。 |
DIA-205-1981-02-08-1 | フィリピン | 1981年02月08日 | 1980年代 | 野党の大統領選不参加は政治的恐喝――大統領。特にUNIDOは多くの立場を取ってきた。これは彼らの不一致を示す。しかし選挙プロセスは止められない。 |
DIA-205-1981-02-09-1 | フィリピン | 1981年02月09日 | 1980年代 | 71年憲法議会議員総会の開催呼掛け――R・ファハルド議員。同議会の地位,憲法修正案等の重要問題解決のため。マカパガル議長は,同議会は中断されたにすぎず,73年憲法は有効に批准されていない,と主張。 |
DIA-205-1981-02-10-1 | フィリピン | 1981年02月10日 | 1980年代 | 2野党,選挙参加方式で会談――ビサヤ連合,MA。マルコスに勝つチャンスはないが,84年正規国民議会選挙で正当な政党認証を得るため。 |
DIA-205-1981-02-10-2 | フィリピン | 1981年02月10日 | 1980年代 | アキノ,対マルコス提案――大統領選を取消し,自由化を促進し,爆弾を投ずる急進分子から国を救うため野党との対話を主張。マルコスは早く動くべきだ。さもなくば,我々はみんな事態に追い越されてしまう。 |
DIA-205-1981-02-11-1 | フィリピン | 1981年02月11日 | 1980年代 | 新議会制・5月大統領選の実施は変えない――大統領。必要なら,5月に単独でも出馬する。自分の主任務は,国民が戒厳令政府の実績を承認するか否か確めること。もし野党が政治問題不参加の立場を維持するなら,将来どこから野党が出てくるのか。それはKBL自体からだ。改憲は新指導者グループの訓練のために必要。 |
DIA-205-1981-02-12-1 | フィリピン | 1981年02月12日 | 1980年代 | アキノ,UNIDO候補支援に帰国する――S.H.ラウレル,アキノとの海外電話後発表。UNIDOはマルコスと対決する用意がある。我々が要求しているのは,フェアな土俵と闘う機会だ。最低限の要求:①新憲法起草,②UNIDO勧告の3委員の選管任命,③選挙運動期間90日,④正規国民議会選挙の同時実施,⑤メディアに与野党同一のスペースと時間を割当てる。 |
DIA-205-1981-02-12-2 | フィリピン | 1981年02月12日 | 1980年代 | スルーで国軍119人殺さる――パタ島で撤退準備中ウナッドを指導者とするMNLF部隊約300人に攻撃され大隊長ら死亡。政府軍は4月2日追跡作戦を一時中止。 |
DIA-205-1981-02-12-3 | フィリピン | 1981年02月12日 | 1980年代 | カバンバン議員,大統領選に立候補する――野党で誰も立候補せねば,フィリピンを米国の一州にのスローガンで。 |
DIA-205-1981-02-15-1 | フィリピン | 1981年02月15日 | 1980年代 | MA,大統領候補を立てる――もしロハスらが立候補を拒否すれば,この決定は直ちに実行される。 |
DIA-205-1981-02-16-1 | フィリピン | 1981年02月16日 | 1980年代 | 野党の外国融資妨害を非難――大統領。15日のTV番組でF.ロドリゴとS.ラウレルは,もし野党が権力を取れば,融資契約は順守されないとして,外銀に対比借款の供与を停止するよう通告。 |
DIA-205-1981-02-17-1 | フィリピン | 1981年02月17日 | 1980年代 | 法王パウロ2世訪比――(~22)。 |
DIA-205-1981-02-23-1 | フィリピン | 1981年02月23日 | 1980年代 | IBP,改憲審議開始――野党16人,全改憲案に反対表明。 |
DIA-205-1981-02-25-1 | フィリピン | 1981年02月25日 | 1980年代 | UNIDOは大統領候補を出す――カノイ議員。 |
DIA-205-1981-02-25-2 | フィリピン | 1981年02月25日 | 1980年代 | NPA参加司祭は8人――国防相。その他①もしアキノが帰国しても政府は逮捕命令などは出さないであろう,②一般裁への2152事件移管で多くの軍裁は解体された,③政府は叛徒と国内問題討議のため,いつ,どこでも会う用意がある。 |
DIA-205-1981-02-25-3 | フィリピン | 1981年02月25日 | 1980年代 | アキノら破壊活動事件,一般裁に移管――サロンガ,マングラプス他計76人。ケソン市第1審裁に。 |
DIA-205-1981-02-27-1 | フィリピン | 1981年02月27日 | 1980年代 | IBP,改憲案可決。 |
DIA-205-1981-02-28-1 | フィリピン | 1981年02月28日 | 1980年代 | 野党指導者は保護し,逮捕しない――大統領。これがロハス,ディオクノらが破壊活動分子と会合したりしたにもかかわらず,逮捕や再逮捕されなかった理由。彼らは重大な危険ではない,せいぜい「口先の革命論者」にすぎない。代替政治綱領を組織できる強力な野党を発展させるため,引続き彼らを保護する。 |
DIA-205-1981-03-01-1 | フィリピン | 1981年03月01日 | 1980年代 | 労組等4団体,石油値上げ反対決議――石油関連業の比人化,バタアン原発・米軍基地内核爆弾貯蔵反対,米軍基地存続反対。 |
DIA-205-1981-03-02-1 | フィリピン | 1981年03月02日 | 1980年代 | ヘルディス2社を引継ぎ――NDCが対DBP,NDC不払債務のため。 |
DIA-205-1981-03-02-2 | フィリピン | 1981年03月02日 | 1980年代 | 家内工業保証・貸出基金発足――8億ペソ。 |
DIA-205-1981-03-02-3 | フィリピン | 1981年03月02日 | 1980年代 | 改憲国民投票法可決――4月7日実施。 |
DIA-205-1981-03-02-4 | フィリピン | 1981年03月02日 | 1980年代 | 大統領,タニヤーダと会談――タニヤーダは最近在米野党リーダーと会談し帰国。 |
DIA-205-1981-03-03-1 | フィリピン | 1981年03月03日 | 1980年代 | ラバン,改憲反対を表明――大統領の50歳年齢制限,大統領終身免訴などを理由に。 |
DIA-205-1981-03-04-1 | フィリピン | 1981年03月04日 | 1980年代 | UNIDO,全国的な改憲反対運動の実施決定。 |
DIA-205-1981-03-04-2 | フィリピン | 1981年03月04日 | 1980年代 | 教育長協会,給与引上げ要求。 |
DIA-205-1981-03-09-1 | フィリピン | 1981年03月09日 | 1980年代 | 南部2野党公式に合併――ミンダナオ連合とセブ連合野党(CUO)。 |
DIA-205-1981-03-09-2 | フィリピン | 1981年03月09日 | 1980年代 | UNIDO,大統領選参加は大統領の出方次第――S.ヘラウレル。決定前に政府が改憲国民投票をどう扱うか,投票結果判明を待つことに合意。反対票が多数を取ると考えるのはばかげている。 |
DIA-205-1981-03-12-1 | フィリピン | 1981年03月12日 | 1980年代 | アキノに条件付アムネスティを考慮――大統領。アキノがもし帰国を決意すれば。 |
DIA-205-1981-03-12-2 | フィリピン | 1981年03月12日 | 1980年代 | 石油値上げ公聴会――反対のジープニィ運転手組合代表ら茶番と退席,会場外で反対大衆集会。約20団体反対表明。中旬に連合体結成。 |
DIA-205-1981-03-12-3 | フィリピン | 1981年03月12日 | 1980年代 | 71年憲法議会再招集の動き――マカパガルら代議員約100人が決議。73年憲法は批准されていないとして。 |
DIA-205-1981-03-13-1 | フィリピン | 1981年03月13日 | 1980年代 | 公務員に業務効率化を指示――大統領。 |
DIA-205-1981-03-14-1 | フィリピン | 1981年03月14日 | 1980年代 | 改憲反対キャンペーン――ミンダナオ連合アダサ議長。連合は反対キャンペーンを放棄しないが,もし賛成多数なら野党はマルコスの対立候補を出すべきだ。 |
DIA-205-1981-03-14-2 | フィリピン | 1981年03月14日 | 1980年代 | 砂糖輸出契約停止で最高裁に提訴――砂糖プランター17人,砂糖委・国家砂糖取引公社は生産者の同意なく砂糖を売却する権限ないとして。 |
DIA-205-1981-03-14-3 | フィリピン | 1981年03月14日 | 1980年代 | 中銀総合金融援助計画を2年内に実施――総額50億ペソ。現在ディー事件関係で融資中。年利13.5%。 |
DIA-205-1981-03-16-1 | フィリピン | 1981年03月16日 | 1980年代 | 比・タイ犯罪者引渡し協定に調印。 |
DIA-205-1981-03-21-1 | フィリピン | 1981年03月21日 | 1980年代 | 新党結成――「フィリピンを米国の1州に運動」のカバンバン IBP 議員が選管に「連邦党」を登録。 |
DIA-205-1981-03-21-2 | フィリピン | 1981年03月21日 | 1980年代 | 野党,改憲反対集会――ミランダ広場に約7000人参集。J.ラウレル,G.ロハスら野党政治家は改憲,マルコスの永久政権化を非難,青年・労働者は経済悪化,米帝国主義,戒厳令の名目解除,スト禁止,学生の権利の未回復を非難。 |
DIA-205-1981-03-21-3 | フィリピン | 1981年03月21日 | 1980年代 | 2野党,改憲反対で同盟――MAとサンボアンガの憂慮する市民連合。ただし,後者は投票ボイコットには反対,改憲賛成多数の場合,大統領選でマルコスと対決すると発表。 |
DIA-205-1981-03-21-4 | フィリピン | 1981年03月21日 | 1980年代 | 国家公務員給与10%引上げ――3月1日発効。 |
DIA-205-1981-03-21-5 | フィリピン | 1981年03月21日 | 1980年代 | 石油製品値上げ承認――エネルギー委員会,22日発効。小売平均24.3センタボ〓,プレミアム・ガソリンは4.95ペソから5.25ペソに引上げ。 |
DIA-205-1981-03-22-1 | フィリピン | 1981年03月22日 | 1980年代 | ヒル・プヤット死去――73歳,NP総裁。 |
DIA-205-1981-03-22-2 | フィリピン | 1981年03月22日 | 1980年代 | NPA,北ダバオの町占拠――Maco 町で約50人。 |
DIA-205-1981-03-22-3 | フィリピン | 1981年03月22日 | 1980年代 | 電力料金11%値上げ――国家電力会社。 |
DIA-205-1981-03-26-1 | フィリピン | 1981年03月26日 | 1980年代 | 生活手当引上げ命令――22日発効。月収1500ペソ以下の者が対象。首都圏,首都外非農業は2ペソ,プランテーション農業1.5ペソ,非プランテーション農業1ペソの増額。首都実効最低賃金31.85ペソに。 |
DIA-205-1981-03-26-2 | フィリピン | 1981年03月26日 | 1980年代 | 対アキノのアムネスティ主張――マカパガル。またマルコスは50歳の年齢制限などの障害を除き大統領選でマルコス・アキノの対決の道を開くことが,国民的和解,正常化の最も早い道である。 |
DIA-205-1981-03-27-1 | フィリピン | 1981年03月27日 | 1980年代 | 陸軍司令官交替――F.U.アバト少将は退役,新司令官にJosephus Ramos 准将・陸軍情報部長。 |
DIA-205-1981-03-28-1 | フィリピン | 1981年03月28日 | 1980年代 | 与野党首脳討論会を提案――大統領。ロハスら9野党人を招待。S.ラウレル,29日1対1の対決なら受けると発言。UNIDOは30日拒否を決定。31日マルコスも1対1対決を拒否。 |
DIA-205-1981-03-28-2 | フィリピン | 1981年03月28日 | 1980年代 | NPA容疑グループ,北ダバオ町舎攻撃。 |
DIA-205-1981-03-31-1 | フィリピン | 1981年03月31日 | 1980年代 | 71年憲法議会代表再会合――マカパガルの招集で136人。未完の憲法起草任務完了のため。4月3日再招集時の出席者は25人のみ。 |
DIA-205-1981-04-02-1 | フィリピン | 1981年04月02日 | 1980年代 | 首相は,上席閣僚間で交代制に――大統領。現在はビラタ財務相が実際上の首相代理。(S.ラウレルの批判に対し)改憲は自分の政権を永久化するものではない。 |
DIA-205-1981-04-03-1 | フィリピン | 1981年04月03日 | 1980年代 | 6将軍の任期延長――3月末退役期限を6カ月。戒厳令解除後の退役は9人,任期延長組は現在25人。 |
DIA-205-1981-04-04-1 | フィリピン | 1981年04月04日 | 1980年代 | 最高裁,改憲国民投票は有効。 |
DIA-205-1981-04-05-1 | フィリピン | 1981年04月05日 | 1980年代 | 物価統制の廃止主張――エリサルデPCCI(フィリピン商工会議所)会長。 |
DIA-205-1981-04-05-2 | フィリピン | 1981年04月05日 | 1980年代 | 騒音デモーマニラでS.ラウレル夫人ら16人検挙。 |
DIA-205-1981-04-06-1 | フィリピン | 1981年04月06日 | 1980年代 | 工兵隊司令官ら死亡――西サマールのNPA伏撃で。 |
DIA-205-1981-04-07-1 | フィリピン | 1981年04月07日 | 1980年代 | 改憲国民投票――11日大統領,改憲批准を宣言(宣言2077号)。 |
DIA-205-1981-04-10-1 | フィリピン | 1981年04月10日 | 1980年代 | UNIDO,大統領選参加4条件――①運動期間を45日から120日に延長,②有権者名簿の修正,③メディアに同一紙面,時間を保証,④全選挙機関の改造,正当な代表を認める。11日大統領,①の条件を拒否。 |
DIA-205-1981-04-10-2 | フィリピン | 1981年04月10日 | 1980年代 | 比豪租税協定調印。 |
DIA-205-1981-04-11-1 | フィリピン | 1981年04月11日 | 1980年代 | 大統領選ボイコット主張――フィリピン大学で学生ら約3000人の集会で,G.ロハスら演説。 |
DIA-205-1981-04-14-1 | フィリピン | 1981年04月14日 | 1980年代 | 野党に組織固め,大統領候補選出を主張――大統領,暫定国民議会(IBP)開会演説で。 |
DIA-205-1981-04-14-2 | フィリピン | 1981年04月14日 | 1980年代 | 内航船運賃8%引上げ。 |
DIA-205-1981-04-15-1 | フィリピン | 1981年04月15日 | 1980年代 | UNIDO候補にS.ラウレル,カノイ有力――アダサ・ミンダナオ連盟委員長。 |
DIA-205-1981-04-15-2 | フィリピン | 1981年04月15日 | 1980年代 | ココナツ・ミラーにフル操業再開を命令――農民救済のためkg当り2ペソで買上げ指示。 |
DIA-205-1981-04-16-1 | フィリピン | 1981年04月16日 | 1980年代 | アキノ,大統領選出馬を考慮も――S.ラウレル。他の可能性はアキノが帰国,野党選挙運動を統括することだが,マルコスが認めるか否かはわからない。 |
DIA-205-1981-04-16-2 | フィリピン | 1981年04月16日 | 1980年代 | ヤシ油混合ディーゼル油計画指示――大統領。 |
DIA-205-1981-04-16-3 | フィリピン | 1981年04月16日 | 1980年代 | アキノ,S・ラウレル支援のため帰国する――東京でラウレルと会談後のインタビューで。私の選挙参加の唯一の道は,反マルコス運動でラウレルのキャンペーン・マネージャーとして働くことで,90%帰国は確実。もし帰国時に逮捕されればUNIDOは選挙を完全にボイコットしよう。19日帰米,5月初めにMNLF指導者たちとダマスカスで会う。 |
DIA-205-1981-04-17-1 | フィリピン | 1981年04月17日 | 1980年代 | アキノの選挙参加帰国は問題――大統領。彼はまだ告発を受けているし,条件付アムネスティを拒否したので私には彼に対する管轄権はない。私は彼はまず政治から離れるとの約束を守るべきだと言ってきた。 |
DIA-205-1981-04-18-1 | フィリピン | 1981年04月18日 | 1980年代 | 大統領選参加で条件付合意に――アキノ,ラウレル,東京での記者会見で発表。UNIDOはアキノの全面支持で候補者を出す。もし条件(4.10参照)が満たされねばボイコットする。大統領はアキノの野党総括マネージャーとしての帰国承認要請を認めるべきだ。 |
DIA-205-1981-04-18-2 | フィリピン | 1981年04月18日 | 1980年代 | 要求あれば大統領年齢制限を引下げた――大統領。野党がアキノ帰国を言い始めたのは改憲批准後だ。彼は新たな訴訟に当面している,特別扱いはできない。 |
DIA-205-1981-04-18-3 | フィリピン | 1981年04月18日 | 1980年代 | バギオ輸出加工区正式発足――第3号。 |
DIA-205-1981-04-20-1 | フィリピン | 1981年04月20日 | 1980年代 | UNIDO等,政党認証を要求――NP,NULも選管に通告を提出。NP代表は,NP党員に限りUNIDOの大統領候補を支持,さもなくば独自候補を立てる,と言明。UNIDO代表は政党認証は大統領選参加条件の一つと発表。 |
DIA-205-1981-04-21-1 | フィリピン | 1981年04月21日 | 1980年代 | アキノ帰国すれば,収監を勧告――軍法務部長。 |
DIA-205-1981-04-22-1 | フィリピン | 1981年04月22日 | 1980年代 | NP候補にS.ラウレルを推す――ロイ総裁。UNIDOはまだ組織政党ではなく,NPは加盟しない。ラウレルは23日,私はUNIDOにより深くコミットしており,その決定に従う,と発言。 |
DIA-205-1981-04-24-1 | フィリピン | 1981年04月24日 | 1980年代 | UNIDO,選挙ボイコットを決定――G.ロハス,J.B.ラウレル共同議長の他約30人が出席。前日までは大勢は条件付で参加に傾いていたが,結局条件の拒否,特に選挙期間の不足を最大の理由にボイコットを決定。S.ラウレル,カノイはこの決定に従うと共同発表。野党有力者のうちディオクノ,タニャーダ,クリマコは欠席,後2者は決定支持を通告。 |
DIA-205-1981-04-25-1 | フィリピン | 1981年04月25日 | 1980年代 | KBL大会,マルコスを大統領候補に指名。 |
DIA-205-1981-04-26-1 | フィリピン | 1981年04月26日 | 1980年代 | プレマダサ・スリランカ首相来比――(~5/1)。 |
DIA-205-1981-04-28-1 | フィリピン | 1981年04月28日 | 1980年代 | NPロイ派,アルメンドラスの出馬要請――ロイ総裁。29日アルメンドラス,辞退を通知。 |
DIA-205-1981-04-28-2 | フィリピン | 1981年04月28日 | 1980年代 | R.バイロシスが共産党委員長を引継ぎ――国防相。NPA司令官兼CPP軍事委員長にJ.リベラ。 |
DIA-205-1981-04-28-3 | フィリピン | 1981年04月28日 | 1980年代 | 国営企業労働者,団交・スト権回復要求。 |
DIA-205-1981-04-30-1 | フィリピン | 1981年04月30日 | 1980年代 | ビサヤ連合,大統領候補を出す――ロガルタ野党院内総務,選管公聴会で。NP,ビコール・サロの支持を得て。しかし5月3日党大会は定数不足で開けず。現在同党は3派に分裂。他方UNIDOはボイコット全国運動マネージャーにM.メルカドを任命。 |
DIA-205-1981-05-01-1 | フィリピン | 1981年05月01日 | 1980年代 | スト権回復法の早期成立約束――大統領,労働日式典で。破壊分子の浸透に警戒・排除を呼びかけ。他方PMP,KMU等はケソンで独自の労働日集会を開催,約2.5万人参加,政府のスト権回復拒否に抗議。 |
DIA-205-1981-05-02-1 | フィリピン | 1981年05月02日 | 1980年代 | A・サントス元国防相,NP候補を受諾――ロイ総裁発表。元ブラカン州知事・ガルシア政権国防相・退役准将,現比退役軍人銀行総裁。 |
DIA-205-1981-05-02-2 | フィリピン | 1981年05月02日 | 1980年代 | 82年大統領選・議会・バランガイ選の同時実施を主張――S・ラウレル。2億ペソ節約,マルコスの希望通り,野党に闘いの機会を与えることになる。UNIDOのボイコット決定はアキノとシン大司教の支持を得ている。 |
DIA-205-1981-05-02-3 | フィリピン | 1981年05月02日 | 1980年代 | 国家公務員9団体,民間並み給与等10点を要求。 |
DIA-205-1981-05-03-1 | フィリピン | 1981年05月03日 | 1980年代 | 破壊分子浸透の労働・学生組織は確認済み――大統領。 |
DIA-205-1981-05-05-1 | フィリピン | 1981年05月05日 | 1980年代 | LPも大統領候補選出へ――M.ムトゥック元駐米大使,サンボアンガ市長クリマコに立候補要請中。これは勝つためでなく党の存続を保証するため。同市長はUNIDOボイコットの提案者の1人で,要請を拒否。 |
DIA-205-1981-05-07-1 | フィリピン | 1981年05月07日 | 1980年代 | ビサヤ連合,大統領候補を指名――フェデラル党候補でもあるカバンバン議員。同議員は9日,選管が自党を認証せねば,ボイコットに転ずると発表。 |
DIA-205-1981-05-11-1 | フィリピン | 1981年05月11日 | 1980年代 | NPラウレル派,UNIDOボイコット路線採択――J.ラウレルJr.を総裁に選出,単独でサントスを指名したロイ,マルコス他の除名を決議。他方ロイは会議は違法,ラウレル派の除名を勧告すると声明。 |
DIA-205-1981-05-12-1 | フィリピン | 1981年05月12日 | 1980年代 | 選管,ロイ派を認証――また同派のサントスの立候補届を承認。ラウレル派は認証の再考を要求。 |
DIA-205-1981-05-13-1 | フィリピン | 1981年05月13日 | 1980年代 | NP,2野党と提携協定調印――ビサヤ連合(ロガルタ派),ビコール・サロ(インペリアル派)とサントス候補支持で。ビサヤ連合は3派に分裂し,A.コロミナス派はボイコット支持,他の1派はカバンバンの立候補を支持している。 |
DIA-205-1981-05-13-2 | フィリピン | 1981年05月13日 | 1980年代 | 世銀,Apexローン承認――中銀が中・大規模工業に再貸付。1.5億ドル,満期20年,9.6%。 |
DIA-205-1981-05-13-3 | フィリピン | 1981年05月13日 | 1980年代 | 選挙延期すればボイコット放棄――S.ラウレル。マルコスが大統領選挙を82年4月に延期すれば。 |
DIA-205-1981-05-14-1 | フィリピン | 1981年05月14日 | 1980年代 | マルコス,選挙運動正式に開始――サントス候補も16日に開始,もし選出されれば大統領制復帰新憲法宣言後直ちに辞任すると演説。 |
DIA-205-1981-05-15-1 | フィリピン | 1981年05月15日 | 1980年代 | タラ1号油井で出油――出油第9号。 |
DIA-205-1981-05-15-2 | フィリピン | 1981年05月15日 | 1980年代 | 米・とうもろこし買上げ価格引上げ――kg当り籾米は1.F28745から1.55ペソに,とうもろこしは1.20から1.30ペソに。 |
DIA-205-1981-05-17-1 | フィリピン | 1981年05月17日 | 1980年代 | バランガイ選挙同時実施を考慮――大統領。大統領選と同時に。ボイコットに対する最良のカウンターアタックとなろう。 |
DIA-205-1981-05-18-1 | フィリピン | 1981年05月18日 | 1980年代 | ラバン,ボイコット参加を決定。 |
DIA-205-1981-05-20-1 | フィリピン | 1981年05月20日 | 1980年代 | 米下院,戒厳令解除称賛決議を採択――378対4で。解除は健全かつ積極的なステップ。政治,公民の自由の完全な回復へ向っての一層の前進が続くことを希望。 |
DIA-205-1981-05-24-1 | フィリピン | 1981年05月24日 | 1980年代 | NP選挙集会で連続停電――サントス候補のセブ演説会で,集会中止に追い込まる。 |
DIA-205-1981-05-24-2 | フィリピン | 1981年05月24日 | 1980年代 | バランガイ選挙可否レファレンダムを実施――大統領選と同時に(宣言2088号)。また大統領は,野党は暗殺目標リストを作った,その中には私自身,エンリレ,オプレ,E.コファンコが含まれていると発言。 |
DIA-205-1981-05-25-1 | フィリピン | 1981年05月25日 | 1980年代 | NPA,イフガオで町を一時占拠――約50人。 |
DIA-205-1981-05-27-1 | フィリピン | 1981年05月27日 | 1980年代 | 軍交渉ミッションを伏撃――NPA,カリンガ・アバヤオ山中で北部軍副司令官死亡。 |
DIA-205-1981-05-29-1 | フィリピン | 1981年05月29日 | 1980年代 | ムスリム関係省設立――初代大臣にロムロ・エスパルドン任命。 |
DIA-205-1981-05-29-2 | フィリピン | 1981年05月29日 | 1980年代 | 改憲投票棄権の300人を起訴――選管。有罪の場合禁錮1~6カ月,公職禁止6年,選挙権停止6年。 |
DIA-205-1981-05-31-1 | フィリピン | 1981年05月31日 | 1980年代 | マニラでボイコット大集会――ボニファシオ広場で約7000人参加。G.ロハスは,少なくとも50%が棄権しよう,30%でもボイコット運動の勝利,と演説。 |
DIA-205-1981-06-01-1 | フィリピン | 1981年06月01日 | 1980年代 | 法相,改憲投票ボイコット者の起訴促進命令。 |
DIA-205-1981-06-01-2 | フィリピン | 1981年06月01日 | 1980年代 | NPA南部タガログ地方本部手入れ――ボイコット宣伝文書も押収。 |
DIA-205-1981-06-03-1 | フィリピン | 1981年06月03日 | 1980年代 | 小作へのハシエンダの無料配分命令――大統領。イサベラのハシエンダ・サン・アントニオ1.1万haのうち4000ha。 |
DIA-205-1981-06-06-1 | フィリピン | 1981年06月06日 | 1980年代 | 政府要人暗殺・選挙粉砕の陰謀――政府公表,作戦名「June Bride」。軍によれば,5月中東でのアキノ・ミスワリ会談の結果で,NPA・MNLFの共同作戦という。軍は,5月中に本作戦の関係でNNLFの容疑者7人,6月末までに計40人を逮捕,火器多数を押収したと発表。 |
DIA-205-1981-06-09-1 | フィリピン | 1981年06月09日 | 1980年代 | 大統領,ボイコットは大罪――ピウス7世回状等によれば大罪。10日マニラ市裁は4月改憲投票棄権の2名に自宅拘禁30日,公職・選挙権停止6年を判決。 |
DIA-205-1981-06-10-1 | フィリピン | 1981年06月10日 | 1980年代 | CPP・NPAミンダナオ・コマンド議長逮捕――Benjamin de Vera。 |
DIA-205-1981-06-10-2 | フィリピン | 1981年06月10日 | 1980年代 | カトリック司教会議,ボイコットは大罪でない――法王回状時と状況が違うと否定。27日シン大司教は選挙前後の政府の反ボイコット・キャンペーン中の出来事は,カトリックの道徳に関して語る教会の自由を抑圧するものだ,と政府の干渉に警告。 |
DIA-205-1981-06-11-1 | フィリピン | 1981年06月11日 | 1980年代 | スラム住民に土地証書配布――大統領,トンド集会で1万人に。ボイコット無視も呼びかけ。 |
DIA-205-1981-06-12-1 | フィリピン | 1981年06月12日 | 1980年代 | 政府転覆されれば,共産勢力が進出――大統領,83回独立記念式典の演説で。 |
DIA-205-1981-06-12-2 | フィリピン | 1981年06月12日 | 1980年代 | 1万人ボイコット集会――ボニファシオ広場で。ディオクノ,タニヤーダ,S.ラウレル,学生,宗教代表ら参加。タニヤーダは,「投票者は,大罪を犯すことなく,投票するか棄権するかは自由」とのシン大司教の声明を読み上げた。 |
DIA-205-1981-06-14-1 | フィリピン | 1981年06月14日 | 1980年代 | ボイコット行進に発砲――北カマリネス州ダエトで約4000人参加の行進に。死者4人,負傷8人。 |
DIA-205-1981-06-14-2 | フィリピン | 1981年06月14日 | 1980年代 | イゴロット族,ボイコットを発表――部族約5000人出席の集会で。政府のチコ河ダム建設等に反対。 |
DIA-205-1981-06-15-1 | フィリピン | 1981年06月15日 | 1980年代 | 伏撃で軍兵士26人死亡――ケソン,カガヤン,イロイロ諸州で。また南サンボアンガ,カリンガ・アパヤオ,南コタバトで武装集団が投票用具30組余を奪取。ダバオ市では違法文書配布で弁護士ら18人が逮捕さる。 |
DIA-205-1981-06-16-1 | フィリピン | 1981年06月16日 | 1980年代 | 選挙後に再統一,和解を進める――大統領。過去の棄権率は35%,25%ならボイコット運動は失敗。 |
DIA-205-1981-06-16-2 | フィリピン | 1981年06月16日 | 1980年代 | 大統領選挙実施――21日IBPはマルコスの当選を宣言。暫定結果で,マルコス88.2%,サントス8.2%と発表。マルコスは同日議会で次のように演説:新憲法下の新政府が今や組織される。これは我国民の本当の民族解放および新社会のみならず新共和国の樹立という我々すべての希望達成の基礎となろう。
23日選管は16日同時実施のバランガイ選挙に関する投票結果発表。大統領選直後の実施支持81.1%,反対18.9%。 |
DIA-205-1981-06-18-1 | フィリピン | 1981年06月18日 | 1980年代 | 米大統領,マルコス当選に祝辞――大統領との会談でヘイグ国務長官が伝達。 |
DIA-205-1981-06-18-2 | フィリピン | 1981年06月18日 | 1980年代 | 大統領暗殺・選挙阻止計画――主謀者Mohamad Ali Macaraya アラネタ大教授自首。計画名「Operation June Bride」。 |
DIA-205-1981-06-20-1 | フィリピン | 1981年06月20日 | 1980年代 | 選管本部で手榴弾爆発。 |
DIA-205-1981-06-20-2 | フィリピン | 1981年06月20日 | 1980年代 | 新学期開始を再延期――7月6日に。 |
DIA-205-1981-06-22-1 | フィリピン | 1981年06月22日 | 1980年代 | 中国,マルコス再選に祝辞――国会常任委員長・首相連名。(AP) |
DIA-205-1981-06-23-1 | フィリピン | 1981年06月23日 | 1980年代 | 新たな委任で政府を浄化する――大統領,海軍83周年式典の演説で。 |
DIA-205-1981-06-24-1 | フィリピン | 1981年06月24日 | 1980年代 | イメルダの首相任命支持広がる――経済・労働など各種団体が支持決議採択。 |
DIA-205-1981-06-27-1 | フィリピン | 1981年06月27日 | 1980年代 | CPP新指導部が引継ぎ――国防相発表。中央委・軍事委議長は Rafael Baylosis からRodolfo Salasに,中央委副議長・NPA司令官に Juanito Rivera。 |
DIA-205-1981-06-30-1 | フィリピン | 1981年06月30日 | 1980年代 | マルコス,大統領就任式――マルコスは就任演説で政府批判者に統一と和解を提唱。外国来賓としてブッシュ米副大統領,楊中国副主席,カリン・ソ連最高会議副議長,園田外相らが出席。
ブッシュ副大統領は,昼食会で,「我々はあなたの民主主義の原則とプロセスへの固守を賞賛し,あなたを孤立させない」と演説。 |
DIA-205-1981-06-30-2 | フィリピン | 1981年06月30日 | 1980年代 | マルコス・李首相会談――ASEAN貿易協力スキームを強力に推進することに合意。 |
DIA-205-1981-06-30-3 | フィリピン | 1981年06月30日 | 1980年代 | 北部ミンダナオ・ダバオ諸州に戦闘部隊増強。 |
DIA-205-1981-07-01-1 | フィリピン | 1981年07月01日 | 1980年代 | 預金利子率をフロート制に移行――6月29日銀行協会は現行9%上限の90日間凍結を決定したが,7月1日PNB,PVB(比退役軍人銀行)が,3日民間3行が普通預金利率を10%に引上げた。 |
DIA-205-1981-07-03-1 | フィリピン | 1981年07月03日 | 1980年代 | KBL幹部会,首相にビラタ財務相を指名――マルコスの提案を可決。テベス東ネグロス州知事はイメルダ大統領夫人指名の提案を行ったが,大統領は夫人を首相に任命すれば党は野党だけでなく内外報道機関それにインテリの非難を受け易くなる,と発言。 |
DIA-205-1981-07-04-1 | フィリピン | 1981年07月04日 | 1980年代 | アキノ,サウジ国王と会見――タイフで,ムスリム自治問題の解決で援助を要請。アキノはUNIDO代表として訪問,E.マセダ元上院議員,R.ルクマン元下院議員(モロ民族解放組織議長)が同行。 |
DIA-205-1981-07-04-2 | フィリピン | 1981年07月04日 | 1980年代 | NPAはMNLFへの浸透を強化――国防相。南部でMNLFとの暫定同盟を装いMNLFへの浸透計画を強化している。重大なのは全ての反政府分子強化のための「民族民主戦線」(NDF)を通ずる計画。「中間勢力部」は表面上党支配から分離されたが,実際にはNDFを監督している。 |
DIA-205-1981-07-05-1 | フィリピン | 1981年07月05日 | 1980年代 | 選管,カガヤン・デ・オロ市長の失格宣言――80年選挙で当選したA.ピメンテル市長,副市長,市評議員7人(全員MA)。党籍変更違反とのKBLの抗議を認めた。16日大統領は調停会議を開き,両派は最高裁判断出るまで現市長留任,休戦に合意した。 |
DIA-205-1981-07-06-1 | フィリピン | 1981年07月06日 | 1980年代 | 全斗煥韓国大統領訪問――7日マルコス大統領と会談。両国外相は科学技術協力協定に調印。8日共同声明発表,マルコスは南北朝鮮の国連同時加盟の全提案を支持,両首脳は,国際経済環境の改善,NIEDO設立の必要を強調した。全大統領は9日離比。 |
DIA-205-1981-07-06-2 | フィリピン | 1981年07月06日 | 1980年代 | 米大統領,ブッシュ対比支持発言に支持表明――ホワイトハウス・スポークスマン発表(AP)。 |
DIA-205-1981-07-06-3 | フィリピン | 1981年07月06日 | 1980年代 | 新司教会議議長選出――シン大司教が年末に規約上最大限認められる2期4年に達するため。新議長はAntonio Mabutas ダバオ大司教。 |
DIA-205-1981-07-06-4 | フィリピン | 1981年07月06日 | 1980年代 | 2台風で死者207人余――中・北部ルソンが被災。 |
DIA-205-1981-07-08-1 | フィリピン | 1981年07月08日 | 1980年代 | ルノー・フィリピン,全組立プラント閉鎖。 |
DIA-205-1981-07-09-1 | フィリピン | 1981年07月09日 | 1980年代 | 銀行協会,預金利率凍結を解除。 |
DIA-205-1981-07-10-1 | フィリピン | 1981年07月10日 | 1980年代 | NPA,南イロコスに足掛り建設――PC発表。少なくとも後背地6町に推定500の大衆基盤を得,拡張活動を79年4月頃開始,教宣・訓練・募集に集中している。 |
DIA-205-1981-07-10-2 | フィリピン | 1981年07月10日 | 1980年代 | 中銀,特別貸出金利引下げ――32%から24%に。 |
DIA-205-1981-07-13-1 | フィリピン | 1981年07月13日 | 1980年代 | アキノ,間もなく帰国する――もしレーガン政権がブッシュ発言のようにマルコスを支持しているのならここには私の居る場所はない。かかる支持声明はフィリピン国民のシニシズムを深め,多くの者を急進派にかりたてよう。もし私が帰国すれば,世界の注目が再び問題に集まることになろう。 |
DIA-205-1981-07-14-1 | フィリピン | 1981年07月14日 | 1980年代 | 中国人学校のフィリピン化完了――教育省。最後の33校を閉鎖。他方98校が比化存続を認められた。 |
DIA-205-1981-07-20-1 | フィリピン | 1981年07月20日 | 1980年代 | セメント値上げ――工場渡し40kg袋を25ペソから29ペソに。 |
DIA-205-1981-07-21-1 | フィリピン | 1981年07月21日 | 1980年代 | 10月から1年超貸出利率をフロート――中銀。 |
DIA-205-1981-07-21-2 | フィリピン | 1981年07月21日 | 1980年代 | 授業料値上げガイドライン発表――教育省。条件付きで最高15%(17ペソ限度)まで認める。 |
DIA-205-1981-07-21-3 | フィリピン | 1981年07月21日 | 1980年代 | シン,米国のマルコス支持を非難――米国は誤りを犯した。ベトナム,イラン等の例を見よ。多分米国はマルコス承認以外にないと考えているのだろうが,将来は非常に不確定だ。 |
DIA-205-1981-07-21-4 | フィリピン | 1981年07月21日 | 1980年代 | NPA,アクランで町庁舎破壊――約16人がNabas町の庁舎を襲撃。23日国防相は同州の軍作戦強化を命令。 |
DIA-205-1981-07-22-1 | フィリピン | 1981年07月22日 | 1980年代 | 肥料18%値上げ――23日発効。肥料補助削減のため。6月17日の籾買上げ価格引上げに織込み済み。 |
DIA-205-1981-07-23-1 | フィリピン | 1981年07月23日 | 1980年代 | KBL,政府機構改革承認――省数削減等。また副首相にJose Roo自治相を指名,自治省の地方開発部門の居住省への移管を承認。 |
DIA-205-1981-07-23-2 | フィリピン | 1981年07月23日 | 1980年代 | ソ連,新駐比大使任命――ユーリィ・シャルモフ外務省第2極東部次長。 |
DIA-205-1981-07-23-3 | フィリピン | 1981年07月23日 | 1980年代 | 国連に1951年難民条約批准書を寄託。 |
DIA-205-1981-07-25-1 | フィリピン | 1981年07月25日 | 1980年代 | 内閣改造実施――新大臣5人,新次官4人,大統領補佐官・顧問5人,国務大臣45人を任命,大臣5人が退任。また3省を他に吸収,5省を分類替えし,省数を26から18に削減した(資料参照)。 |
DIA-205-1981-07-27-1 | フィリピン | 1981年07月27日 | 1980年代 | IBP第4定例会期開催――大統領は,新共和国発足期にあって開発事業が我国の議題でなければならない,と演説。また首相にビラタ,副首相にローニヨを指名(28日議会承認),行政評議会(executive committee)にビラタ委員長ら7人を任命(資料参照)。 |
DIA-205-1981-07-28-1 | フィリピン | 1981年07月28日 | 1980年代 | 関税改訂行政命令を公布――E.O.706号(8.月16日発効)。第4次で最終段階。149項目(40%)を改訂,うち引下げ128,引上げ13,分類替え8で,平均名目関税率は36.5%から25.5%に引下げられた。 |
DIA-205-1981-07-31-1 | フィリピン | 1981年07月31日 | 1980年代 | 新国軍参謀長を任命――Romeo Espino中将退役。新参謀長にFabian Ver 少将(大統領護衛隊司令官兼国家治安・情報庁長官),参謀次長にFidel Ramos少将(警察軍兼国家統合警察長官)を任命,同時にそれぞれ大将,中将に昇任。 |
DIA-205-1981-07-31-2 | フィリピン | 1981年07月31日 | 1980年代 | カノイ議員,MAを脱退――MA議長H.アダサ知事がマルコスの使節として秘密に訪米したことに抗議して。 |
DIA-205-1981-08-01-1 | フィリピン | 1981年08月01日 | 1980年代 | 新DBP会長任命――Cesar Zalameaフィリピン・アメリカ生命保険会社社長,現中銀通貨委員。 |
DIA-205-1981-08-02-1 | フィリピン | 1981年08月02日 | 1980年代 | ビラタ首相,日本の軍備増強に懸念表明――(東京発ロイター)。 |
DIA-205-1981-08-06-1 | フィリピン | 1981年08月06日 | 1980年代 | 趙中国首相訪比――――(~9日)7,8日大統領と会談,①対比貿易不均衡の是正に努力する,②中国の主課題は経済開発,東南アに覇権を求めず,強力かつ連帯したASEANを望む,③中国はフィリピンその他アジア諸国の共産党活動と内部問題に決して干渉しない,と表明。また両者は貿易拡大に基本的に合意。 |
DIA-205-1981-08-07-1 | フィリピン | 1981年08月07日 | 1980年代 | 中銀,ユーロ・クレジット1億ドル調印――ロンドンで24行と,世銀構改借款1.5億ドルの補完用。 |
DIA-205-1981-08-09-1 | フィリピン | 1981年08月09日 | 1980年代 | 新国軍参謀長ら就任式――①国軍参謀長にFabian C.Ver。少将から大将に昇格。②国軍副参謀長にFidel V.Ramos。少将から中将に昇格,PC・INP長官兼任。③陸軍司令官にJosephus Ramas少将。 |
DIA-205-1981-08-10-1 | フィリピン | 1981年08月10日 | 1980年代 | 7人を准将に昇任――PC5,INP2。またPC首都司令部と首都警察を統合司令部下に置き,同司令官Prospero A.Olivas 准将を少将,PC・INP副司令官に任命。 |
DIA-205-1981-08-10-2 | フィリピン | 1981年08月10日 | 1980年代 | 比・米贈与3協定に調印――計3000万ドル。米軍施設近接地域・返還地の社会・経済開発プロジェクト用。 |
DIA-205-1981-08-10-3 | フィリピン | 1981年08月10日 | 1980年代 | 対NPA作戦に12~20戦闘大隊を投入予定――消息筋。5地域(北部ルソン,ビコール,サマール,ダバオ,パナイ)に。 |
DIA-205-1981-08-10-4 | フィリピン | 1981年08月10日 | 1980年代 | PC・INPの現機構は維持――大統領。警察を地方自治体の管理に戻すとの提案を拒否。 |
DIA-205-1981-08-11-1 | フィリピン | 1981年08月11日 | 1980年代 | 大統領,アキノのメッセージ公表――「もしマルコスが帰国を望むなら,自分はそうしよう。」というもの。私はまだ回答していない。アキノをどうするかは決定していない。 |
DIA-205-1981-08-11-2 | フィリピン | 1981年08月11日 | 1980年代 | 81~82年エネルギー5カ年計画承認――内閣・行政委員会合同会議。82年からの2カ年予算編成も合意。 |
DIA-205-1981-08-12-1 | フィリピン | 1981年08月12日 | 1980年代 | 大統領,今後将官の任期延長しない――現在定年を超えて延長されている将官は24人。 |
DIA-205-1981-08-13-1 | フィリピン | 1981年08月13日 | 1980年代 | ギャロック第1号井で出油――政府確認。他方カドラオ油井はこのほど日量9000バレルの生産を開始。 |
DIA-205-1981-08-13-2 | フィリピン | 1981年08月13日 | 1980年代 | 政府プロジェクトへの司法介入を禁止――PD 1818号。公表は13日だが,署名は1月16日付。最近最高裁が農民84人の訴えにもとづき,カビテ州政府に水田275ヘクタールの輸出加工区転用を禁止する命令を出している。 |
DIA-205-1981-08-16-1 | フィリピン | 1981年08月16日 | 1980年代 | 米国防次官来比――安全保障担当のバックレイ。ロムロ外相と会談。23日大統領と会談。 |
DIA-205-1981-08-17-1 | フィリピン | 1981年08月17日 | 1980年代 | シカット前NEDA長官を PNB 取締役に任命――大統領。後日会長に選出さる。 |
DIA-205-1981-08-17-2 | フィリピン | 1981年08月17日 | 1980年代 | PC・INPで9560人昇任――8日付発効。 |
DIA-205-1981-08-17-3 | フィリピン | 1981年08月17日 | 1980年代 | 大統領に不動産税の調整権限――PD1812号。1月16日付だが,このほど公表。 |
DIA-205-1981-08-17-4 | フィリピン | 1981年08月17日 | 1980年代 | 肥料補助金廃止を命令――大統領。年間5.5~3.5億ペソの支出節減。政府の民間企業出資削減も命令。 |
DIA-205-1981-08-18-1 | フィリピン | 1981年08月18日 | 1980年代 | 9月初めに新全国野党結成――MAを中核にと,同党のカノイ議員。 |
DIA-205-1981-08-18-2 | フィリピン | 1981年08月18日 | 1980年代 | 政府企業の統廃合,払下げを検討――ビラタ首相。現在91法人。 |
DIA-205-1981-08-19-1 | フィリピン | 1981年08月19日 | 1980年代 | 燐酸肥料プロジェクト建設契約――ターンキー方式で日西伯比企業連合と。総コスト4億ドル。 |
DIA-205-1981-08-20-1 | フィリピン | 1981年08月20日 | 1980年代 | バランガイ選挙は82年初に実施――ビラタ首相。IBP空席の特別選挙も同時に実施されよう。 |
DIA-205-1981-08-20-2 | フィリピン | 1981年08月20日 | 1980年代 | 長老諮問会議設立は政府再編完了後――大統領。 |
DIA-205-1981-08-20-3 | フィリピン | 1981年08月20日 | 1980年代 | 大統領令1811号――このほど公表。大統領・閣僚の暗殺を試みる者に死刑を課すPD9号の対象に,首相,IBP議員,最高裁判事,国軍将官を含める。19日にも1月16日署名の2PDを公表。①PD1816号。大統領に恩典免税制度の修正権限を与える。②PD1821号。外国政府・国際貸付機関との借款契約に当該機関の在比資産の収用・没収の免除規定を含める権限を大統領に与える。 |
DIA-205-1981-08-20-4 | フィリピン | 1981年08月20日 | 1980年代 | 11大プロジェクトは同時実施せず――ビラタ首相。経済的に可能な時点で実施すべきだ。また政府が株式を相当保有する民間企業の所有権の分散を推進する,民間企業は合弁で規模の経済を利用すべきだ。 |
DIA-205-1981-08-21-1 | フィリピン | 1981年08月21日 | 1980年代 | 新スト権法成立――大統領署名(国法130号)。 |
DIA-205-1981-08-24-1 | フィリピン | 1981年08月24日 | 1980年代 | 教員給与引上げを承認――大統領。7月1日発効,最低月904ペソに。行政命令722号(27日署名)。 |
DIA-205-1981-08-25-1 | フィリピン | 1981年08月25日 | 1980年代 | 世銀借款1.45億ドル調印――イメルダ夫人調印。①82~85年初等教育開発計画1億ドル。②農畜産拡大プロジェクト4500万ドル。 |
DIA-205-1981-08-25-2 | フィリピン | 1981年08月25日 | 1980年代 | 3688人の帰化を承認――75年以降計4万3730人。 |
DIA-205-1981-08-25-3 | フィリピン | 1981年08月25日 | 1980年代 | NPA訓練基地を攻撃――北サンボアンガ州セルヒオ・オスメニヤで。NPA4人死亡。 |
DIA-205-1981-08-26-1 | フィリピン | 1981年08月26日 | 1980年代 | ホロで伏撃――MNLF120人がPCチームを伏撃。ルウクで,MNLF10人,CHDF4人死亡。 |
DIA-205-1981-08-27-1 | フィリピン | 1981年08月27日 | 1980年代 | 大型ガソリン乗用車の輸入・組立を禁止。 |
DIA-205-1981-08-28-1 | フィリピン | 1981年08月28日 | 1980年代 | マニラで学生約2000人デモ――ボニファシオ広場で,80年教育法案廃棄,授業料値上げ停止,校内の制服警官排除,学生評議会の完全回復等を要求。 |
DIA-205-1981-08-28-2 | フィリピン | 1981年08月28日 | 1980年代 | 納税アムネスティ期限延長――4回目。10/15まで。 |
DIA-205-1981-08-30-1 | フィリピン | 1981年08月30日 | 1980年代 | 米カトリック司祭の再入国拒否――R.S.Kroes神父,12年間ダバオの教区に在任。破壊活動容疑で。 |
DIA-205-1981-08-31-1 | フィリピン | 1981年08月31日 | 1980年代 | 国軍・警察の公務員警護出向を禁止――LOI1160号。 |
DIA-205-1981-09-02-1 | フィリピン | 1981年09月02日 | 1980年代 | NPA50人伏撃,PC6人死亡――北ダバオ州サンビセンテで。他にNPA10人,民間人5人死亡。 |
DIA-205-1981-09-05-1 | フィリピン | 1981年09月05日 | 1980年代 | 在米野党,米政権のマルコス支持を非難――ニューヨークで「自由フィリピン運動」(MFP)が大会(3~5日)とデモで。マングラプス,アキノ,G.ロハスら約100人が出席。 |
DIA-205-1981-09-09-1 | フィリピン | 1981年09月09日 | 1980年代 | KKK全国事務局を編成――大統領。KKK(生活改善運動)事務局長にイメルダ夫人,次長に居住省次官Jolly Benitezを任命。 |
DIA-205-1981-09-09-2 | フィリピン | 1981年09月09日 | 1980年代 | コプラ賦課金の徴収停止――内閣,自由売買を決定。現行賦課金は100kg当り76ペソ。 |
DIA-205-1981-09-10-1 | フィリピン | 1981年09月10日 | 1980年代 | 治安・秩序協議会設置――全国の地方・州・市・町各レベルに。行政命令。 |
DIA-205-1981-09-11-1 | フィリピン | 1981年09月11日 | 1980年代 | 82年一般予算,公共事業法成立――大統領署名。また大統領はカビテでKKKプロジェクトを開始,9プロジェクトのローン承認。 |
DIA-205-1981-09-11-2 | フィリピン | 1981年09月11日 | 1980年代 | 国軍忠誠パレード席上大統領,8人の准将昇任,その他762人の昇任令に署名。 |
DIA-205-1981-09-11-3 | フィリピン | 1981年09月11日 | 1980年代 | バギオで学生3万人デモ――授業料値上げ等に抗議。14日同市の6大学学生約1万,1週間の授業ボイコットを中止。 |
DIA-205-1981-09-14-1 | フィリピン | 1981年09月14日 | 1980年代 | チリに大使館開設――このほどサンチャゴに。 |
DIA-205-1981-09-16-1 | フィリピン | 1981年09月16日 | 1980年代 | ボニファシオ広場で学生約200人抗議集会――学生側6000人参加と主張。 |
DIA-205-1981-09-16-2 | フィリピン | 1981年09月16日 | 1980年代 | ディーゼル油値上げを考慮――行政委員会。ディーゼル油不足,ガソリン過剰のため。 |
DIA-205-1981-09-17-1 | フィリピン | 1981年09月17日 | 1980年代 | 肥料補助金廃止は段階的に実施――大統領。年内は現行で凍結。肥料値上りで砂糖の減産を見込み,肥料と砂糖の退蔵,砂糖不足が起きているため。 |
DIA-205-1981-09-17-2 | フィリピン | 1981年09月17日 | 1980年代 | 日本政府の買春旅行抑制措置を称賛――カトリック婦人同盟。 |
DIA-205-1981-09-18-1 | フィリピン | 1981年09月18日 | 1980年代 | マニラ,バギオで学生抗議集会――学生指導者は全国的授業ボイコットを計画。新聞は大規模動員ならずと報道。しかし学生側は,全国で約3万人がボイコットに参加,ボニファシオ広場に約1.2万,バギオでは2500人,ダバオ市では300人がデモ集会に参加と主張。 |
DIA-205-1981-09-19-1 | フィリピン | 1981年09月19日 | 1980年代 | 新納税アムネスティ公布――PD 1840号。対象は74~80年未課税所得。従来の1月16日付PDと異り本日付。PD公布の理由としてIBPが休会中であり,必要な立法と声明。 |
DIA-205-1981-09-19-2 | フィリピン | 1981年09月19日 | 1980年代 | コプラ価格維持に大統領の介入要請――ココナツ生産者。賦課金停止後,業者がコプラ買収を停止,価格下落したため。28日大統領は当初予定の6カ月停止を待たず3カ月後に再検討すると表明。 |
DIA-205-1981-09-22-1 | フィリピン | 1981年09月22日 | 1980年代 | 比米逃亡犯送還協定に仮調印――ワシントンでメンドーサ首席検事。インドネシア・タイに次ぎ第3号。 |
DIA-205-1981-09-23-1 | フィリピン | 1981年09月23日 | 1980年代 | 籾米買上価格引上げ――NFA。kg当り1.55ペソから1.58ペソに。既決定の運賃補助を加えると1.6ペソ。 |
DIA-205-1981-09-23-2 | フィリピン | 1981年09月23日 | 1980年代 | 在米野党・マルコス対話の可能性――クリマコ・サンボアンガ市長,ニューヨークでのMFP大会出席後帰国,大統領と会見後声明発表。「明確・正式の合意はないが,マルコスとの対話の種はまかれた。」 |
DIA-205-1981-09-24-1 | フィリピン | 1981年09月24日 | 1980年代 | 第3号一括借款1億ドル調印――中銀,香港で。 |
DIA-205-1981-09-25-1 | フィリピン | 1981年09月25日 | 1980年代 | 軍の職権濫用・政治家の無関心で叛徒増加――南サンボアンガ州 Ipil の司教,司教経済人会議で。 |
DIA-205-1981-09-26-1 | フィリピン | 1981年09月26日 | 1980年代 | 輸出糖の利益配分率変更――大統領指示。生産者シェアを50%から80%に引上げ。また輸出割当を50%から56%に,備蓄用を10%から4%に変更。国内消費用は40%で変更せず。 |
DIA-205-1981-09-28-1 | フィリピン | 1981年09月28日 | 1980年代 | CPP中央委逮捕――国防省発表。サンバレス州サンタ・クルスで,Ruben Guevarra。 |
DIA-205-1981-09-29-1 | フィリピン | 1981年09月29日 | 1980年代 | PC司令部人事異動――幹部5人の配転・退役。 |
DIA-205-1981-09-29-2 | フィリピン | 1981年09月29日 | 1980年代 | 74年以降のアムネスティ,6088人。 |
DIA-205-1981-09-30-1 | フィリピン | 1981年09月30日 | 1980年代 | 大統領,72年への復帰も辞さない――もし破壊分子が労働・学生への浸透を続け,政府開発計画を妨害し続けるなら。 |
DIA-205-1981-09-30-2 | フィリピン | 1981年09月30日 | 1980年代 | 司祭・尼僧ら1500人,抗議デモ――軍の職権濫用と2米人司祭の再入国拒否に抗議して。北ダバオ州タグムで。 |
DIA-205-1981-10-01-1 | フィリピン | 1981年10月01日 | 1980年代 | MNLFは政府と交渉再開の用意――アキノ,Asian Week とのインタビューで。交渉再開を説得するようにとのマルコスの要請で最近ミスワリおよびルクマンとジェッダで会った。MNLFは,もしマルコスが76年トリポリ合意の交渉計画を認めるなら,会談の用意がある。 |
DIA-205-1981-10-01-2 | フィリピン | 1981年10月01日 | 1980年代 | 大統領,破壊分子の労組・学生への浸透を阻止――このため72年と類似の破壊分子を検挙する。 |
DIA-205-1981-10-01-3 | フィリピン | 1981年10月01日 | 1980年代 | 比・イラク貿易協定調印――大統領夫人。 |
DIA-205-1981-10-01-4 | フィリピン | 1981年10月01日 | 1980年代 | 1年超貸出利率の上限廃止発効。 |
DIA-205-1981-10-02-1 | フィリピン | 1981年10月02日 | 1980年代 | ココナツ賦課金を復活――大統領令。ココナツ産業安定化基金。100kg当り76から50ペソに引下げ。 |
DIA-205-1981-10-03-1 | フィリピン | 1981年10月03日 | 1980年代 | 定年延長准将5人退役――海軍司令官ら4准将は更に6カ月,1准将は1カ月延長。また4日サルミエント少将・空軍司令官も退役。 |
DIA-205-1981-10-04-1 | フィリピン | 1981年10月04日 | 1980年代 | 学生組織,国防相・教育相との対話要求――学生評議会・学生新聞の復活,学生組織承認ガイドライン等。同時に授業ボイコットを実施と発表。フィリピン学生連盟(LFS),ナショナリズムと民主主義のための青年組織(YND),フィリピン大学編集者ギルド(CEGP),イースト大学生連盟,フィリピン・コレジアン等代表。 |
DIA-205-1981-10-06-1 | フィリピン | 1981年10月06日 | 1980年代 | 脱税大赦大統領令に違憲訴訟――PD1840号。レガスピ議員(ビサヤ連合)。 |
DIA-205-1981-10-07-1 | フィリピン | 1981年10月07日 | 1980年代 | 学生2000人抗議集会――マニラのボニファシオ広場で,警官隊と衝突,学生6人検挙,負傷多数。 |
DIA-205-1981-10-08-1 | フィリピン | 1981年10月08日 | 1980年代 | ガンジー・インド首相訪比――9日大統領と会談,カンボジア問題で不一致。 |
DIA-205-1981-10-08-2 | フィリピン | 1981年10月08日 | 1980年代 | 政府の過大な経済支配に批判――83-87年開発プライオリティ会議で。政府は民間ビジネスの,政治・経済あらゆる面で競争者となった。例えば糖業,ココナツ産業の例がある。 |
DIA-205-1981-10-12-1 | フィリピン | 1981年10月12日 | 1980年代 | 野党再びテロ要員を海外訓練――国防相。ミスワリは一部野党分子と同盟,現地の部下に8月対政府軍作戦の強化を指示したが,戦闘水準は上昇していない。 |
DIA-205-1981-10-13-1 | フィリピン | 1981年10月13日 | 1980年代 | 繊維原料の直接輸入承認――BOI。国内生産者の供給不能および最終製品輸出を条件に,織物製造業によるフィラメント,ポリエステル繊維の輸入のみ。 |
DIA-205-1981-10-15-1 | フィリピン | 1981年10月15日 | 1980年代 | 中銀,一括借款1億ドル調印――18行とユーロダラー・ローン。第3号で今年最後,合計3.5億ドル。78年来の最良条件,10年(猶予4年),LIBOR+0.75%。 |
DIA-205-1981-10-16-1 | フィリピン | 1981年10月16日 | 1980年代 | 国防相・学生予備会談――連絡グループ設置に合意。 |
DIA-205-1981-10-18-1 | フィリピン | 1981年10月18日 | 1980年代 | 大統領,カンクン・サミットに出発――20日カンクン着,同行は首相,商工相,ツベラ首席補佐官他。21日趙中国首相,23日レーガン米大統領と会談。22日大統領はサミットに食糧・エネルギー・関税貿易・国際通貨制度で4提案提出。 |
DIA-205-1981-10-21-1 | フィリピン | 1981年10月21日 | 1980年代 | 大学内警官の撤収命令――国防相,学生組織との会談で。また大学雇用のガードの学生拘留,学生活動干渉を禁止,7日集会の逮捕学生の起訴放棄を指示。 |
DIA-205-1981-10-21-2 | フィリピン | 1981年10月21日 | 1980年代 | 原発第2号プラントは考慮外――エネルギー省。現在安価なエネルギーとは考えられないので。 |
DIA-205-1981-10-24-1 | フィリピン | 1981年10月24日 | 1980年代 | UNIDOに更に7団体加盟――非政治団体の参加を認め,野党指導者40人が連合協定に署名,計14団体に。 |
DIA-205-1981-10-26-1 | フィリピン | 1981年10月26日 | 1980年代 | 1-9月反乱帰順者5932人ベル――参謀総長。73年来3.5万人。77年590人,79年2739人,80年2857人。 |
DIA-205-1981-10-28-1 | フィリピン | 1981年10月28日 | 1980年代 | 国防相・学生,4点合意に正式署名――LFS,YND,CEGP代表と。国防相,実施覚書発行。(1)学内分駐所全廃,学内要請以外学内立入り禁止。(2)学内の学生の平和的抗議行動の軍警干渉禁止。(3)学生の抗議行動時に軍警は暴力の使用を避ける。(4)学校雇用ガードによる学生の拘留・尋問禁止。 |
DIA-205-1981-10-28-2 | フィリピン | 1981年10月28日 | 1980年代 | 石化プラント建設延期を要請――化学工業界。輸出不可能かつ現状では全製品を国内で吸収できない。むしろ下流部門の設備近代化を実施すべきだ。 |
DIA-205-1981-10-29-1 | フィリピン | 1981年10月29日 | 1980年代 | 教育相・学生・9大学,合意――①今後学生組織は法律に従い認められる。②今後現教育年度内に授業料は値上げしない。③今後学生指導者は学校政策の決定に参加する。LFS,YND,CEGPはボイコット。 |
DIA-205-1981-10-29-2 | フィリピン | 1981年10月29日 | 1980年代 | 大統領,サウジ皇太子と会談――カンクンで。皇大子は比国の分離運動を支援しないと表明。 |
DIA-205-1981-10-30-1 | フィリピン | 1981年10月30日 | 1980年代 | 比加原子力協力協定調印。 |
DIA-205-1981-10-30-2 | フィリピン | 1981年10月30日 | 1980年代 | 労働省に労働争議の強制仲裁権――最高裁。同省は法律130号により国益に係わる争議の仲裁移行決定権を有すると判定。 |
DIA-205-1981-10-30-3 | フィリピン | 1981年10月30日 | 1980年代 | パラワン沖で出油――South Galoc I号井。 |
DIA-205-1981-11-03-1 | フィリピン | 1981年11月03日 | 1980年代 | 11大プロジェクトのすべて実施と限らない――首相。定期的に全てのプロジェクトをレビューしており,もし利益ないと判明すれば実施しない。オンピン工業相,マパ経済計画相も同趣旨発言。総見積コストは当初の60億から現在40億ドルに引下げられている。 |
DIA-205-1981-11-03-2 | フィリピン | 1981年11月03日 | 1980年代 | 82年は5%成長目指す――首相。先進国の経済回復を織込み,経済サービス重点に景気維持をはかる。 |
DIA-205-1981-11-04-1 | フィリピン | 1981年11月04日 | 1980年代 | 軍拘置所で10人ハンスト入り――タギグで。 |
DIA-205-1981-11-04-2 | フィリピン | 1981年11月04日 | 1980年代 | DBP貸出利率3%引上げ――家内工業向け(17万ペソまで)12~14%から15%に。中小企業向け(170万ペソまで)14~16%から18%に。中大企業向け(170万ペソ超)21%またはマニラ基準レート(MRR)+5%。 |
DIA-205-1981-11-04-3 | フィリピン | 1981年11月04日 | 1980年代 | UNIDO,拡大新連合結成を正式承認――執行委員会。ラウレルは,野党は弱体ではない,UNIDOは現在政党ではなく,正常化復帰を目指す連合にすぎないと表明。 |
DIA-205-1981-11-04-4 | フィリピン | 1981年11月04日 | 1980年代 | 教育相,学生組織・出版ガイドライン公布――学生との合意に基づき,学生の組織・出版の権利再確認。 |
DIA-205-1981-11-05-1 | フィリピン | 1981年11月05日 | 1980年代 | 比・ヨルダン労働協定調印。 |
DIA-205-1981-11-05-2 | フィリピン | 1981年11月05日 | 1980年代 | 過大な政府の経済支配の懸念を否定――大統領。政府介入は世界的不況後の国内経済振興のための慎重な試みで,自由経済体制を侵食するものではない。 |
DIA-205-1981-11-05-3 | フィリピン | 1981年11月05日 | 1980年代 | 信用緩和は困難――ラヤ中銀総裁。緩和は高率インフレを呼ぶ,現在流動性は高い。タイトなのは金融機関の警戒的な貸出態度によるもの。銀行側もラヤ見解に同意,しかし非現実的なMRRの改訂を主張。 |
DIA-205-1981-11-05-4 | フィリピン | 1981年11月05日 | 1980年代 | 1年未満貸出利率の上限廃止要請――銀行業界。現行は18%。長期金利フロートで短期資金不足し,実質コストが上昇しているため。 |
DIA-205-1981-11-07-1 | フィリピン | 1981年11月07日 | 1980年代 | 在米野党人,密入国で逮捕――Jake A.Lopez,L. Daza元中尉。このほどタウイ・タウイ上陸時に。 |
DIA-205-1981-11-09-1 | フィリピン | 1981年11月09日 | 1980年代 | カノイ,MA正式離党発表――年末までに中道左派の新党結成する。 |
DIA-205-1981-11-09-2 | フィリピン | 1981年11月09日 | 1980年代 | 農村開発促進に5措置提案――放棄・遊休地等の有効利用,農業労働者・高地農民への優先配分等。 |
DIA-205-1981-11-10-1 | フィリピン | 1981年11月10日 | 1980年代 | BP議長代理を選出――Datu Blah Sinsuat。 |
DIA-205-1981-11-13-1 | フィリピン | 1981年11月13日 | 1980年代 | 在外公館アタッシェの効率化を指示――大統領。現在ほとんど役立っていないとして,各省庁間の調整,情報体制の効率化を指示。 |
DIA-205-1981-11-16-1 | フィリピン | 1981年11月16日 | 1980年代 | MNLF,Socdem がサバに訓練基地を設置――国防相発表。サンダカンのジャンピラスに84年の両グループによる攻撃準備のためで,基地名はRolando Yulo。基地指導者はPDSP議長 Roberto Gonzalez。 |
DIA-205-1981-11-16-2 | フィリピン | 1981年11月16日 | 1980年代 | 投資家の選好,銀行預金へ――デイー事件以後のマネーマーケットの信頼低落,同時に7月の預金利子率フロートで,両者の金利がほぼ同一水準となったため。 |
DIA-205-1981-11-16-3 | フィリピン | 1981年11月16日 | 1980年代 | 教育相・強硬学生組織,4点合意――15大学のLFS,YND,CEGP。①学生は学生組織の規約・細則を作成する。②組織役員選出は一般投票による。③学生指導者は学生に関する学校の政策に参加,諮問を受ける。④学校当局は学生手数料を徴収保管し,学生評議会に支出する。 |
DIA-205-1981-11-17-1 | フィリピン | 1981年11月17日 | 1980年代 | 最高裁判事3人任命――欠員4人のうち3人。 |
DIA-205-1981-11-18-1 | フィリピン | 1981年11月18日 | 1980年代 | 比の政治・人権状況は十分に改善――下院公聴会でドノフユー国務次官証言。そのため米政府は国際開発銀行の対比ローンで承認へと投票を変更した。他方アキノ,クロエス司祭,ランデ・カンサス大教授は同次官と対立する証言を行い,対比軍事援助の撤回を主張。 |
DIA-205-1981-11-19-1 | フィリピン | 1981年11月19日 | 1980年代 | ビデオ・ゲーム機を禁止――大統領。 |
DIA-205-1981-11-20-1 | フィリピン | 1981年11月20日 | 1980年代 | 最高裁,人身保護令申請却下――シソンCPP委員長夫妻,ブスカイノNPA司令官の申請に対し。同時に破防法合憲,戒厳令解除後も軍裁は治安事件管轄権を有すると判断。 |
DIA-205-1981-11-20-2 | フィリピン | 1981年11月20日 | 1980年代 | 比加新繊維協定調印――82年発効,5カ年。 |
DIA-205-1981-11-21-1 | フィリピン | 1981年11月21日 | 1980年代 | 労組,政府金融機関の貸出政策を批判――例えばDBPが新規プロジェクト貸付申請を長期間放置,拒否し,雇用創出の国家的努力が妨害されている。22日にも官僚の経済支配力拡大を批判,最近大幅に増大している「国家資本主義」を効果的な公的支配下に置く立法措置を主張。 |
DIA-205-1981-11-23-1 | フィリピン | 1981年11月23日 | 1980年代 | ラブリィ,米大陪審証言を拒否――80年連続爆弾事件容疑者で,9月証言のため米国に連行された。 |
DIA-205-1981-11-24-1 | フィリピン | 1981年11月24日 | 1980年代 | NPA,警察分遣隊襲撃――約50人が,北ダバオ州 New Corellaで。CHDF2,民間人2死亡。 |
DIA-205-1981-11-24-2 | フィリピン | 1981年11月24日 | 1980年代 | 台風 Anding,中北部ルソンに被害――死者124。 |
DIA-205-1981-11-24-3 | フィリピン | 1981年11月24日 | 1980年代 | “June Bride”首謀者・副官帰順――T.Marohom。 |
DIA-205-1981-11-25-1 | フィリピン | 1981年11月25日 | 1980年代 | IBP,総所得税法案を最終可決。 |
DIA-205-1981-11-26-1 | フィリピン | 1981年11月26日 | 1980年代 | ムスリム紛争地域の人身保護令復活要求――ペンダトゥン元上院議員。人の移動を抑制し,経済開発の障害。 |
DIA-205-1981-11-27-1 | フィリピン | 1981年11月27日 | 1980年代 | スルー新スルタン就任――Datu Hadj Mohammad Punjungan Kiram。 |
DIA-205-1981-11-28-1 | フィリピン | 1981年11月28日 | 1980年代 | 大統領,サバ問題の公開討議に警告――自分とマレーシア首相との合意を損う恐れがある。 |
DIA-205-1981-11-28-2 | フィリピン | 1981年11月28日 | 1980年代 | 比米犯罪者引渡協定調印――ニューヨークで。 |
DIA-205-1981-11-29-1 | フィリピン | 1981年11月29日 | 1980年代 | 改憲投票棄権者243人を告発――選管。 |
DIA-205-1981-11-30-1 | フィリピン | 1981年11月30日 | 1980年代 | 石油備蓄削減を決定――現在135日分を数カ月内に90~100日分に。備蓄はG-G契約によるPNOC保有分がほとんど。 |
DIA-205-1981-12-01-1 | フィリピン | 1981年12月01日 | 1980年代 | 82年公共事業予算を先行支出――大統領府。開発モメント維持のため,すでに85%を。また大統領は全政府機関に予算の12%留保を指示(合計72億ペソ)。 |
DIA-205-1981-12-01-2 | フィリピン | 1981年12月01日 | 1980年代 | 最高裁,4学生の復学命令――スト参加理由に停学処分としたアダムソン大に。 |
DIA-205-1981-12-02-1 | フィリピン | 1981年12月02日 | 1980年代 | 町長連盟,自治権復活要求――警察監督権,町費負担公務員の任免権を含む戒厳令以前と同一の。 |
DIA-205-1981-12-03-1 | フィリピン | 1981年12月03日 | 1980年代 | 野党育成援助法案を提出する――L.ペレス政治問題国務相。政府補助金・党籍変更モラトリアム等。 |
DIA-205-1981-12-03-2 | フィリピン | 1981年12月03日 | 1980年代 | 北部司令部設置――北西司令部拡大,5州追加。 |
DIA-205-1981-12-04-1 | フィリピン | 1981年12月04日 | 1980年代 | 砂糖生産者価格引上げ――ピクル当り輸出・国内加重平均で112.8から145ペソに。 |
DIA-205-1981-12-04-2 | フィリピン | 1981年12月04日 | 1980年代 | 3ADB借款調印――①農村電化8750万ドル。②水道プロジェクト4600万ドル。③畜産開発800万ドル。 |
DIA-205-1981-12-05-1 | フィリピン | 1981年12月05日 | 1980年代 | マニラ電力値上げ発効――これによる直接生産コスト上昇は推定5%,エネルギー集約産業では10%。 |
DIA-205-1981-12-05-2 | フィリピン | 1981年12月05日 | 1980年代 | 不況鉱業救済特別安定基金を設置――大統領。82年初に開始,各種ローンを供与する。 |
DIA-205-1981-12-07-1 | フィリピン | 1981年12月07日 | 1980年代 | 国家公務員に1週間ボーナス――行政命令。 |
DIA-205-1981-12-07-2 | フィリピン | 1981年12月07日 | 1980年代 | 国防相・UP学生評議会代表合意――3回目の会談で,学生・軍・警察関係問題で。 |
DIA-205-1981-12-07-3 | フィリピン | 1981年12月07日 | 1980年代 | MNLF,各地でテロ活動強化――ミランダ陸軍第2歩兵旅団長。ミスワリ,サラマトMNLF両派は再結集。 |
DIA-205-1981-12-08-1 | フィリピン | 1981年12月08日 | 1980年代 | 南レイテでNPA伏撃――約50人が Hinananganで。PC兵8人,民間人9人死亡。 |
DIA-205-1981-12-08-2 | フィリピン | 1981年12月08日 | 1980年代 | 政府企業数を削減する――大統領。現行218から178に。実施後は親会社59,子会社119に。ただし金融関係は現行通りとする。 |
DIA-205-1981-12-10-1 | フィリピン | 1981年12月10日 | 1980年代 | 円建債引受契約調印――150億円。満期10年。 |
DIA-205-1981-12-10-2 | フィリピン | 1981年12月10日 | 1980年代 | 物統法違反は広範――調査557店中約3分の1が違反。商工省は現行13品目の統制廃止を考慮。 |
DIA-205-1981-12-12-1 | フィリピン | 1981年12月12日 | 1980年代 | 比は米国を支持――イメルダ大統領夫人,UPIとのインタビューで。夫と自分が政権にある限り,米国はアジアに確固たる同盟者をもつことになろう。しかしマルコス後は米国の信頼の点で困難に直面しよう。 |
DIA-205-1981-12-14-1 | フィリピン | 1981年12月14日 | 1980年代 | 自動車会社に日本2社資本参加――DMG Industries,Inc.に丸紅・日産自工が各15%。 |
DIA-205-1981-12-14-2 | フィリピン | 1981年12月14日 | 1980年代 | 経済状況は最悪――シン大司教。国民が善良で従順なことを神に感謝する。しかしいつか彼らはカラバオのように暴れ狂うことがありうる。教会はクリスチャン・レフトの活動を大目に見ていないし,承認もしていない。NPA参加の北部ルソン4司祭は共産主義者ではなく,周囲の人々と自身を同一視しているだけだ。 |
DIA-205-1981-12-16-1 | フィリピン | 1981年12月16日 | 1980年代 | マイサガナ計画発足――とうもろこし自給計画。 |
DIA-205-1981-12-18-1 | フィリピン | 1981年12月18日 | 1980年代 | 総所得課税法成立――大統領署名。82年発効。 |
DIA-205-1981-12-19-1 | フィリピン | 1981年12月19日 | 1980年代 | 来年2月に新野党結成――UNIDOの支持で,フィリピン民主党(Pilipino Democratic Party,PDP)。
27日全国執行委員会開催,規約草案等採択。綱領原則は,ナショナリズムと民主主義。 |
DIA-205-1981-12-19-2 | フィリピン | 1981年12月19日 | 1980年代 | サバ財産権問題で決議送付――キラム後継者,大統領に,マ政府と直接交渉行う旨の決議を送付。 |
DIA-205-1981-12-19-3 | フィリピン | 1981年12月19日 | 1980年代 | 反政府デモにPC発砲――アンティーク州で5人死亡。Culasi町で400~500人参加。 |
DIA-205-1981-12-20-1 | フィリピン | 1981年12月20日 | 1980年代 | 新全国野党結成――フィリピン社会民主党(SDPP)。規約・基本方針宣言採択。設立人はカノイ,タタド,H.ダビデ,委員長 Andres Corominas。 |
DIA-205-1981-12-21-1 | フィリピン | 1981年12月21日 | 1980年代 | 新准将10人任命――将官84人,うち准将75人,少将7人に。23日更に1人追加。 |
DIA-205-1981-12-21-2 | フィリピン | 1981年12月21日 | 1980年代 | 日本,バナナ季節関税引下げへ――関税率委勧告。82年4月から10%引下げ。 |
DIA-205-1981-12-21-3 | フィリピン | 1981年12月21日 | 1980年代 | インテンガン神父が社会民主主義者を統一――「4月6日運動」被告の証言(治安当局発表)。76年初彼は,全ての民主社会主義者(Socdem)集団の統一組織設立のため「Christian Socialist Revolutionary Forces」(CSRF),Kasapi,Lakasdiwa,その他類似組織の全指導者を招集,参加者は血盟を結び,インテンガンは統一組織「フィリピン民主社会主義統一党」(NPDSP)の長に選ばれた。 |
DIA-205-1981-12-22-1 | フィリピン | 1981年12月22日 | 1980年代 | 比米租税協定批准――このほど米上院が。 |
DIA-205-1981-12-23-1 | フィリピン | 1981年12月23日 | 1980年代 | 野党は共通利益のため団結すべきだ――大統領。野党の強化・成功のため個人の野心を犠牲にして。 |
DIA-205-1981-12-23-2 | フィリピン | 1981年12月23日 | 1980年代 | 野党は共通利益のため団結すべきだ――大統領。野党の強化・成功のため個人の野心を犠牲にして。イデオローグは合法野党を隠れ蓑に政治権力の暴力奪取を狙っている。彼らは共産主義者ではなく,フィリピン版社会主義者で,そのグループは非合法野党の中核だ。 |
DIA-205-1981-12-25-1 | フィリピン | 1981年12月25日 | 1980年代 | 台風 Dinang 襲来――ビコール,北部サマール,北部ビサヤ,北部ミンドロに被害。30日現在死者206。 |
DIA-205-1981-12-30-1 | フィリピン | 1981年12月30日 | 1980年代 | バランガイ選挙は実施する――大統領。 |
DIA-205-1981-12-31-1 | フィリピン | 1981年12月31日 | 1980年代 | UIDO,2月に単一指導制に移行――S.H.ラウレル。集団指導制から執行委員会補佐の委員長制に。野党分子の一層の急進化,無政府状態の噴出は,もし大統領がUNIDOの5点要求に同意すれば防げる。(1)全政治犯の釈放。(2)国家安保法,公共秩序法廃棄。(3)憲法を修正し,大統領権限を縮小,立法府権限を強化する。(4)I.B.P.を解散,公明・公正な全国選挙を実施する。(5)マスメディアの自由化。 |
DIA-205-1982-01-04-1 | フィリピン | 1982年01月04日 | 1980年代 | 大統領,将校の56歳退役は政府の政策。 |
DIA-205-1982-01-05-1 | フィリピン | 1982年01月05日 | 1980年代 | 破防法違反でアキノら40人の逮捕命令―リサール第一審裁。80年の首都圏爆弾事件容疑者,マングラプス,サロンガ,S・オスメニャⅢ,E・ロペスⅡら。 |
DIA-205-1982-01-07-1 | フィリピン | 1982年01月07日 | 1980年代 | 軍法務部長の退役を1年延長大統領。H. Dimaya 准将(1月11日退役期限)。 |
DIA-205-1982-01-07-2 | フィリピン | 1982年01月07日 | 1980年代 | 支持米価引上げ,肥料値下げ農民集会―ブラカン州サンミゲルに1000人,農業省前に6000人,現行キロ当り1.55ペソから2,80ペソヘの引上げ要求。 |
DIA-205-1982-01-07-3 | フィリピン | 1982年01月07日 | 1980年代 | 陸軍夫隊を南部レイテに増派一ベル参謀長。川大プロジェクトは80年代開発推進の一部―閣議再確認。大統領,政府は計画を原案通り進めると言明。 |
DIA-205-1982-01-07-4 | フィリピン | 1982年01月07日 | 1980年代 | サバ請求権の議会による正式放棄を要求―ロプリサ駐比インドネシア大使。9日ロムロ外相,同大使発言を非難,10日インドネシア大使館は釈明声明を発表。 |
DIA-205-1982-01-09-1 | フィリピン | 1982年01月09日 | 1980年代 | 銅安定基金設立―行政命令759号。当初資金2億ペソ,年利12%。 |
DIA-205-1982-01-09-2 | フィリピン | 1982年01月09日 | 1980年代 | 全町村の社会・経済・政治・文化開発政策を宣言―大統領。農地改革の範囲拡大,権利ある占有者への宅地の供与も行う。 |
DIA-205-1982-01-10-1 | フィリピン | 1982年01月10日 | 1980年代 | 11大プロジェクト批判に声明―大統領。農業成長とエネルギー開発促進は80年代の経済戦略であり,工業開発と並行して実施と発表。 |
DIA-205-1982-01-11-1 | フィリピン | 1982年01月11日 | 1980年代 | マニラのハリソン・プラサ焼失。 |
DIA-205-1982-01-11-2 | フィリピン | 1982年01月11日 | 1980年代 | 3准将らの退役発表―(1)軍医総監R.A.Ang,後任にE.M.Santos,Jr.新准将。(2)軍監察長官S.C.Martillano 海軍准将の兵站担当国軍参謀次長昇進,後任にR.Ecarma大佐。(3)国内防衛担当国軍参謀次長代行J.T.Caboboy准将,後任にS.Z.Ramiro 大佐。 |
DIA-205-1982-01-12-1 | フィリピン | 1982年01月12日 | 1980年代 | 労組指導者殺害さる―Aurelio S. Intertas TUCP執行副委員長(75歳)。 |
DIA-205-1982-01-13-1 | フィリピン | 1982年01月13日 | 1980年代 | 合弁でココナツ化学品プラント建設契約―Unicom と西独 Lurgi 社。能力は脂肪酸6万5000㌧。 |
DIA-205-1982-01-13-2 | フィリピン | 1982年01月13日 | 1980年代 | NPA,東ダパオの町一時占拠―Caraga 町。 |
DIA-205-1982-01-14-1 | フィリピン | 1982年01月14日 | 1980年代 | 与党幹部会,合意方式によるバランガイ選挙支持を決定一バランガイ議長と評議員6人。16日 A. Corominas 社会民主党(SDP)委員長,R. Canoy IBP野党連合代表は,政党政治発展への大きな退歩として反対を表明。 |
DIA-205-1982-01-15-1 | フィリピン | 1982年01月15日 | 1980年代 | 空軍機,日本タンカー「ヘッグ」に威嚇銃撃―南ダバオ沖通過中。18日比外務省は,同船は1000万㍉相当の武器とテロリストを運搬中であったが,停戦警告を無視したため,と声明を発表。 |
DIA-205-1982-01-16-1 | フィリピン | 1982年01月16日 | 1980年代 | IBP欠員11人の補充選挙はしない―大統領。これは15日KBL幹部会の決定。 |
DIA-205-1982-01-17-1 | フィリピン | 1982年01月17日 | 1980年代 | 非合法反政府勢力ヘの参加・暴力等を奨励するな―大統領,野党に再び大権を使わざるを得なくさせるな,と警告。報告によれば一部野党指導者たちは非合法勢力と接触している。 |
DIA-205-1982-01-18-1 | フィリピン | 1982年01月18日 | 1980年代 | IBP野党連合,在野内閣を組織5政党の15人。またKBLは野党に年600万ペソの政府補助を出し,強力な野党を真に望んでいることを示すべきだ。 |
DIA-205-1982-01-19-1 | フィリピン | 1982年01月19日 | 1980年代 | ココナツ賦課金を変動制に変更大統領発表。1月発効,国際ヤシ油価格に応ずる変動制に。 |
DIA-205-1982-01-19-2 | フィリピン | 1982年01月19日 | 1980年代 | 政府借入制限,民間信用を拡大する大統領議会演説。議会にその他,83~87年5カ年開発計画,非在来エネルギー開発,工業基金・株式市場基金の廃止,これに代わる中銀中長期貸付,再割窓口新設等を提案。 |
DIA-205-1982-01-19-3 | フィリピン | 1982年01月19日 | 1980年代 | 野党援助2法案提出―L.B.Perez政治間題国務相,R.Zamora議員。(1)財政補助,(2)党籍変更禁止に猶予措置。 |
DIA-205-1982-01-20-1 | フィリピン | 1982年01月20日 | 1980年代 | ケソン沿岸で外国製無線機発見―ケソン警察軍(PC)司令部発表。 |
DIA-205-1982-01-21-1 | フィリピン | 1982年01月21日 | 1980年代 | 30万㌧修理ドック完成―Philippine Ship-yard and Engneering Corp.(Philseco)。NIDCと川崎重工の合弁企業。 |
DIA-205-1982-01-22-1 | フィリピン | 1982年01月22日 | 1980年代 | マールーフ・イラク副大統領代表団公式訪問―26日比・イラク文化教育科学協定調印(~27日)。 |
DIA-205-1982-01-22-2 | フィリピン | 1982年01月22日 | 1980年代 | 最高裁,7学生に人身保護令発行―ダバオ市の軍キャンプに拘留中,1月16日に逮捕。23日メンドーサ首席検事は,逮捕は大統領拘禁状によるものと発表。 |
DIA-205-1982-01-22-3 | フィリピン | 1982年01月22日 | 1980年代 | IBP でのKBL の慢性的欠席を非難野党院内総務Logarta(ビサヤ連合=P.B.)。 |
DIA-205-1982-01-24-1 | フィリピン | 1982年01月24日 | 1980年代 | SDP,選管に正式登録―このほど全国政党として。政党としての認証を求めると発表。またカノイ(ミンダナオ連合=MA),Hilario Davide,Jr.(ビサヤ連合)が正式に加入。 |
DIA-205-1982-01-25-1 | フィリピン | 1982年01月25日 | 1980年代 | 全国町長会,警察管理権の返還を要求一また地方収入役,課税査定官の任命権も要求。 |
DIA-205-1982-01-26-1 | フィリピン | 1982年01月26日 | 1980年代 | 軍,北部山地で対NPA戦力増強中―ラモス副参謀長公表。 |
DIA-205-1982-01-28-1 | フィリピン | 1982年01月28日 | 1980年代 | NPA,ヘリで武器揚陸―第5地方司令官報告。81年11月17日北カマリネス州Balatan山中に,NPA向けとみられるAK-47,AK-50等4箱。 |
DIA-205-1982-01-31-1 | フィリピン | 1982年01月31日 | 1980年代 | マラナオ新スルタン即位―Sultan sa BaloiでAbdullah Ali Pacasum。 |
DIA-205-1982-02-02-1 | フィリピン | 1982年02月02日 | 1980年代 | ビコール地方にPC1大隊増派一ラモスPC長官発表。合計3大隊に。過去数力月間にケソン’ビコール地方のNPAは37%増加した。 |
DIA-205-1982-02-02-2 | フィリピン | 1982年02月02日 | 1980年代 | 4野党指導者,統一協定に調印―単政党への統一。マカパガル(リベラル党=LP),J・B・ラウレル(ナショナリスタ党=NP),L.M.Tanade(ラカス・ナン・バヤン=ラバン),L.A.Jose(フィリピン民主党=PDP)。1月30日,NP全国指導者会議は統承認を決議。 |
DIA-205-1982-02-05-1 | フィリピン | 1982年02月05日 | 1980年代 | CPP・NPAの全面政治攻勢の迎撃命令―国防相,軍司令官会議で。第6地方視察時に,パナイとネグロスのNPA勢力増大(74年の215人から81年に400人に,43町の146村がNPAの完全支配下に),政治活動を増強との報告を受けた。また住民武装措置の採用=民間郷土防衛隊(CHDF)の設立を指示。 |
DIA-205-1982-02-06-1 | フィリピン | 1982年02月06日 | 1980年代 | SDP,綱領・政治計画を採択―最低目標:公益事業国有化,農地改革,利益分配制,協組・信用組合の組織,累進税制。長期目標:全生産手段の国有化。バランガイ選挙,84年国民議会選挙に候補を出す。憲法の一部条項修正(大統領立法権,各免訴条項の廃止)を提案。 |
DIA-205-1982-02-07-1 | フィリピン | 1982年02月07日 | 1980年代 | 第2地方危機地域の町長等の武装命令一国防相。また2週間前にも南北カマリネス州NPAの浸透地域の町長の武装を承認。 |
DIA-205-1982-02-07-2 | フィリピン | 1982年02月07日 | 1980年代 | PDP全国大会終了―名誉委員長にL.Tanada,党運営は27人の評議会による。帝国主義のあらゆる遺物除去のため平和・民主的過程を通じ社会のラジカルな変革を行うとの綱領を採択。 |
DIA-205-1982-02-08-1 | フィリピン | 1982年02月08日 | 1980年代 | 聖職者21人が反乱運動に関係一国防省公式出版物 Malayang Philipino 81年10・11月号の「宗教急進派と国家の安全」と題する記事で。9日バルベロ国防次官は,「多くの聖職者は合法的な異議申し立てをしているが,一部は叛徒と直接関係している。政府は彼らの追及を容赦しないが,教会当局の批判的協調政策を引続き肯定的に見守る」と釈明。 |
DIA-205-1982-02-08-2 | フィリピン | 1982年02月08日 | 1980年代 | マノトック救出さる―軍の救出作戦,リサール・ラグナ州境ヤラヤラ付近山中で。43日ぶり。 |
DIA-205-1982-02-08-3 | フィリピン | 1982年02月08日 | 1980年代 | 第8郷土防衛部隊設立―オルモック市に。セブ市の第7HDUから分離。東部司令部の郷土防衛活動の支 援,心理作戦,軍事・経済開発実施のため。 |
DIA-205-1982-02-09-1 | フィリピン | 1982年02月09日 | 1980年代 | マングラプスら27人を陰謀・反乱罪で起訴―ケソン市検事,ケソン第審裁に。その他カラウ,ロンドン,J・T・レイエス中佐ら。12日逮捕さる。 |
DIA-205-1982-02-12-1 | フィリピン | 1982年02月12日 | 1980年代 | 中銀・一括借款3億2500万㍉調印―2国内行を含む21行コンソーシアムと。満期10年,利子率は,1~3年はLIBOR+0.625%,以後0.25%。中銀は今年から商業借款借入れを抑える意向で,2月5日今年の対外借入れ限度を24億㌦,うち商業借款14億㌦に設定した。 |
DIA-205-1982-02-14-1 | フィリピン | 1982年02月14日 | 1980年代 | ルソン北岸武器密輸に警戒体制―このほど北部司令部命令。イフガオとカガヤンでの伏撃でAK-47の空薬英を発見したため。 |
DIA-205-1982-02-17-1 | フィリピン | 1982年02月17日 | 1980年代 | 比国はトリポリ協定を順守している大統領。20日カストロ南部軍司令官はサウジ記者に対し,73年以降のMNLF帰順者は4万余,と説明。 |
DIA-205-1982-02-18-1 | フィリピン | 1982年02月18日 | 1980年代 | コタバト爆弾事件防止措置―参謀長。中部ミンダナオ司令部による民間人・自動車の検問。 |
DIA-205-1982-02-19-1 | フィリピン | 1982年02月19日 | 1980年代 | アキノに帰国,出廷を公式に要求する―大統領,テレビインタビューで。 |
DIA-205-1982-02-19-2 | フィリピン | 1982年02月19日 | 1980年代 | 参謀長,都市ゲリラの黒幕はインテリ―「比解放運動」(PLM)の黒幕は政治家でもなく,戒厳令前の反政府集団にも属さないが,有名な事業家でインテリ。またCPP・NPAの指導部は戒厳令前と同一である。22日国防相は,元比商科大学長N.Pmdenteは都市ゲリラ「都市労働者の子」(Anak Pawis sa Kalunsuran)の指導者容疑者,同グループは CPP・NPA,PKP・HMBに次ぐ国内共産主義運動の第3党派であると発表。 |
DIA-205-1982-02-20-1 | フィリピン | 1982年02月20日 | 1980年代 | 610品目の輸入規制を解除一中銀。以後外貨割当の事前承認を要しない。223品目は繊維品。 |
DIA-205-1982-02-21-1 | フィリピン | 1982年02月21日 | 1980年代 | アキノ,帰国の約束は守る―日限は設けない。米国等に永住するつもりはない。比回教徒指導者と会うため今週末にジェッダに行く。 |
DIA-205-1982-02-23-1 | フィリピン | 1982年02月23日 | 1980年代 | 第9・12地方の人身保護令回復を勧告―エスパルドン回教問題国務相が大統領に。また同相は最近外国人のミンダナオ旅行禁止令が解除されたと発表。 |
DIA-205-1982-02-23-2 | フィリピン | 1982年02月23日 | 1980年代 | 公正選挙の条件満たさねば選挙に参加せず―S・H・ラウレル,タニャーダ声明。4大野党は今のところ大連合の下に統一,後に単政党に移行する計画。 |
DIA-205-1982-02-24-1 | フィリピン | 1982年02月24日 | 1980年代 | 首都圏破壊集団は脅威でない―諸集団はすべてNPAまたはCPPと結んでいるが,互に独立に活動,危機的発展はない。 |
DIA-205-1982-02-26-1 | フィリピン | 1982年02月26日 | 1980年代 | 法相,CPP合法化に新法必要ない―破防法修正の大統領令(PD)885号はCPPを違法破壊組織と特定していない。 |
DIA-205-1982-02-27-1 | フィリピン | 1982年02月27日 | 1980年代 | N・タヤグの無条件大赦を承認大統領。S.Liwanas(60年逮捕),B.Cunanan(同)にも。 |
DIA-205-1982-02-28-1 | フィリピン | 1982年02月28日 | 1980年代 | 自治体首長の警察監理権要求を拒否一大統領。ただし収入役・課税査定官選任に勧告権を認める。 |
DIA-205-1982-02-28-2 | フィリピン | 1982年02月28日 | 1980年代 | バランガイ選挙に合意委員会方式提案―ペレス政治担当国務相。合意しない場合にのみ選挙を実施する。 |
DIA-205-1982-02-28-3 | フィリピン | 1982年02月28日 | 1980年代 | 地方自治・自治体開発省を改編―大統領行政命令(E.O.)自治体開発業務を居住省に移管,地方自治省に改称する。 |
DIA-205-1982-03-01-1 | フィリピン | 1982年03月01日 | 1980年代 | PDP選管に登録―党綱領は,あらゆる形態の内外の帝国主義に対する闘い,民族主義,社会主義,ヒューマニズムを強調。 |
DIA-205-1982-03-02-1 | フィリピン | 1982年03月02日 | 1980年代 | 国防相,軍に戦略村の解体を命令―ダバオ,アグサン諸州およぴ全国のハムレットの解体。2月軍は,住民は自身の選択でバランガイ・センターに移ったものでいつでも自由にハムレットを離れられると報告。 |
DIA-205-1982-03-03-1 | フィリピン | 1982年03月03日 | 1980年代 | 自由化24品目に再ぴ輸入規制―中銀回状854号。先の自由化610品目の一部で耐久消費財業界の要求で,商工省の事前承認制に変更。 |
DIA-205-1982-03-04-1 | フィリピン | 1982年03月04日 | 1980年代 | 2ハシエンダの収用,対農民有償配分を命令―大統領,行政命令778号に署名。元タバカレリヤ所有のイサベラ州2ハシエンダ1万1448ha。 |
DIA-205-1982-03-04-2 | フィリピン | 1982年03月04日 | 1980年代 | CPP25人逮捕を公表―ベル参謀長。2月27~28日の作戦で,Noel Itabag 中央委・西ビサヤ地方党委員長,Arturo Tabara 中央委候補・東ビサヤ地方党委員長,Alen Jasmines 全国連絡局財務スタッフの幹部を含む。5日イタバグはバランガイ選挙妨害を含むCPP・NPAの全面的軍事・政治攻勢計画を自白したという。 |
DIA-205-1982-03-04-3 | フィリピン | 1982年03月04日 | 1980年代 | 最高裁,人身保護令発行―首都圏で2月末破壊活動(都市ゲリラ)容疑で逮捕された17人に対し。 |
DIA-205-1982-03-05-1 | フィリピン | 1982年03月05日 | 1980年代 | 新駐比米大使着任―Michael H.Armacost。 |
DIA-205-1982-03-05-2 | フィリピン | 1982年03月05日 | 1980年代 | 比インドネシア石油供給協定調印―PNOC がプルタミナと,日量2万1200バレル,また日量1万6000バルの受託精製も契約。 |
DIA-205-1982-03-09-1 | フィリピン | 1982年03月09日 | 1980年代 | 国内糖価引上げ承認大統領・内閣。卸値はピクル当り110から165ペソに,小売は精白糖でキロ当り3.30から4.15ペソに。 |
DIA-205-1982-03-09-2 | フィリピン | 1982年03月09日 | 1980年代 | 合意方式バランガイ選挙のボイコット主張議会野党連合。秘密投票によるべきだ。また10日バガツイン・マニラ市長も合意方式反対を表明。 |
DIA-205-1982-03-12-1 | フィリピン | 1982年03月12日 | 1980年代 | 国民投票棄権に禁錮4カ月―マニラ市議,R・T・ファハルド元憲法議会議員に公職選挙権停止6年。4月1日自宅拘禁を執行。 |
DIA-205-1982-03-13-1 | フィリピン | 1982年03月13日 | 1980年代 | 教会,破壊グループとの関係を否定―Natio-nal Council of Chruches in the Philippines。 |
DIA-205-1982-03-13-2 | フィリピン | 1982年03月13日 | 1980年代 | 比中貿易議定書調印―82年分。比側輸入は原油56~90万㌧,ナフサ2000㌧等。 |
DIA-205-1982-03-13-3 | フィリピン | 1982年03月13日 | 1980年代 | 比は国連カンボジア決議を支持―ロムロ外相。 |
DIA-205-1982-03-14-1 | フィリピン | 1982年03月14日 | 1980年代 | 2自治地方の合併提案―このほど第12自治地方議会議長Abul Khayer Alontoが。 |
DIA-205-1982-03-16-1 | フィリピン | 1982年03月16日 | 1980年代 | 大統領夫人,合意方式に賛成―外人記者会見で。その他(1)離婚に反対,(2)自分の公職は大統領が辞めると同時に終わることを希望。 |
DIA-205-1982-03-16-2 | フィリピン | 1982年03月16日 | 1980年代 | ピラタは無期限に首相留任する―大統領。経済危機のため首相ポストの交替制は実施しない。 |
DIA-205-1982-03-17-1 | フィリピン | 1982年03月17日 | 1980年代 | マシンロック生産第3号井出油―水深8000フィート付近で日量3800バレル。 |
DIA-205-1982-03-17-2 | フィリピン | 1982年03月17日 | 1980年代 | 判事任命権は大統領の専一大権―プノ法相。 |
DIA-205-1982-03-20-1 | フィリピン | 1982年03月20日 | 1980年代 | 国民連合結成の方針で合意―野党50人。元「独立・ナショナリズム・民主主義国民運動」(People’s MIND)執行委員会招集の協議会で。5月に全国大会を予定,全国組織委員会結成・バランガイ選挙ボイコットを決議。J.W.Dioknoが綱領作成を担当。 |
DIA-205-1982-03-20-2 | フィリピン | 1982年03月20日 | 1980年代 | 中銀,政府証券ディーラー貸付制度開設―また1月上記ディーラー・以外に閉鎖した15日物買戻し条件窓口を再開,利率も変動割に移行。 |
DIA-205-1982-03-20-3 | フィリピン | 1982年03月20日 | 1980年代 | 大統領,サウジ公式訪問に出発―イメルダ夫人,閣僚14人同行。21日リヤド着,22日ハリド国王,ファハド王子と会談。23日公式訪問終了,同日比・サウジ航空協定調印。25日帰国,5億㌦の有利な条件の借款を確保など調印予定の経済・技術協力協定の原則合意が今回訪問のポイトと強調。またアラブ指導者はイスラム会議決議内でのミンダナオ紛争の解決を希望と発表。 |
DIA-205-1982-03-23-1 | フィリピン | 1982年03月23日 | 1980年代 | バランガイ選挙法可決―暫定国民議会(IBP)。キャプテン1人,議員6人,任期6年,無党派選挙とし選管が実施する。投票日5月17日。 |
DIA-205-1982-03-24-1 | フィリピン | 1982年03月24日 | 1980年代 | 大統領,イスラム会議機構事務局長と会談―ジェッダで。シャテイ局長はミスワリに分離国家設立の考えを止めねば同機構は支持できないと伝えたと述べ,またハラカン世界回教連盟事務局長はミスワリはミンダナオ回教徒の唯一の代表ではないと発言したという。 |
DIA-205-1982-03-25-1 | フィリピン | 1982年03月25日 | 1980年代 | 対参謀長指示は憲法規定に従うもの大統領。大統領に何か起これば行政執行委員会が権力を引継ぎ,45~60日以内に大統領選挙を実施する。ベル参謀長に託した指示は,行執委の権力引継ぎに対する妨害を軍が憲法に基づき排除するよう命令したもの。 |
DIA-205-1982-03-25-2 | フィリピン | 1982年03月25日 | 1980年代 | バランガイ選挙法等成立―大統領署名。株式取引資本利得税修正法も。 |
DIA-205-1982-03-27-1 | フィリピン | 1982年03月27日 | 1980年代 | 議会野党連合,選管欠員の任命要求―大統領に同連合指名者の任命を要求。 |
DIA-205-1982-03-28-1 | フィリピン | 1982年03月28日 | 1980年代 | 自治地方選は5月27日に実施―大統領。2地方自治体に単の行政評議会を設置する方針。 |
DIA-205-1982-03-31-1 | フィリピン | 1982年03月31日 | 1980年代 | Unido,政党化の決定を固める―統一民主組織(United Democratic Organization)は10政治グループの単政党への合併方針を決定,実施には在米2指導者,アキノ,G・ロハスの合意のみ必要と発表。ただしPDP,ラバンは合併の用意ないと発表。またUnido指導者はSDPを野党とみなさないと言明。 |
DIA-205-1982-03-31-2 | フィリピン | 1982年03月31日 | 1980年代 | 新中国大使任命―Fortunato U.Abat退役少将。 |
DIA-205-1982-04-01-1 | フィリピン | 1982年04月01日 | 1980年代 | ワインバーガー米国防長官来比―マルコスを年後半に公式に招待するレーガン大統領の親書を手交。米国は可能なあらゆる方法でフィリピンを助けることは不動の政策。2日大統領は,(1)基地協定再交渉の研究開始,83年初に同問題会談で合意した,(2)訪米時にレーガンと攻撃された場合の比国の役割を取り上げる,と発表。 |
DIA-205-1982-04-01-2 | フィリピン | 1982年04月01日 | 1980年代 | 国籍不明潜水艦,反徒向け武器揚陸?―オーロラ州で漁師目撃。 |
DIA-205-1982-04-01-3 | フィリピン | 1982年04月01日 | 1980年代 | 国民投票棄権で自宅監禁執行―R.Fajardo元憲法議会議員に,禁錮4月,選挙権停止6年の判決で。 |
DIA-205-1982-04-02-1 | フィリピン | 1982年04月02日 | 1980年代 | 国産原油価格引下げ―ニド油60㌣下げて,32㌦,カドラオ油は10㌣下げ36.885㌦に。 |
DIA-205-1982-04-04-1 | フィリピン | 1982年04月04日 | 1980年代 | 破壊分子は治安の脅威ではない―大統領。5~6人の労働指導者が監視下にある。彼らは外国から資金を得ている。NPAはサマール,ルソンで各300人,それがすべてで,危険でも脅威でもなく,大部分は電光戦のゲリラで,支配地域を保持できないだろう。損耗人員比率は国軍1に対しNPA4~5。労働指導者はやりすぎるな,産業麻薬を試みれば,彼らを逮捕する。 |
DIA-205-1982-04-05-1 | フィリピン | 1982年04月05日 | 1980年代 | アルコール飲料税引上げ命令―大統領。80年12月の税率2倍引上げのうち残存25%。12日実施。 |
DIA-205-1982-04-07-1 | フィリピン | 1982年04月07日 | 1980年代 | 2自治地方行政評議会を合併―大統領令1843号。これはマルコス・カレド共同声明に沿い,第9・12,地方住民の希望でもあるとして。評議会の所在地はサンボアンガ市とし,現行評議会は5月7日に廃止。 |
DIA-205-1982-04-07-2 | フィリピン | 1982年04月07日 | 1980年代 | 織物業界,スト・モラトリアム提案―2~5年間。また比労働組合議会(TUCP)の不況産業賃金凍結提案にオラリア KMU(5月1日運動)議長反対表明。 |
DIA-205-1982-04-07-3 | フィリピン | 1982年04月07日 | 1980年代 | 新空軍司令官任命― Vicente M. Piccio 准将。P.M. Lepena 准将の4日退役で。 |
DIA-205-1982-04-09-1 | フィリピン | 1982年04月09日 | 1980年代 | 2大工業プロジェクトを延期―商工相。アルコガスと一貫パルプ・製紙プロジェクト。ガソリン余剰・糖価上昇とパルプ原料不足のため。 |
DIA-205-1982-04-10-1 | フィリピン | 1982年04月10日 | 1980年代 | アルミ精錬所の規模縮小提案―ReynoldsInternational。原計画の4分の1の14万㌧に。 |
DIA-205-1982-04-12-1 | フィリピン | 1982年04月12日 | 1980年代 | 政治拘留者29人抗議断食入り―2月下旬逮捕24人の人権・法律権利侵害に抗議,6日ハンスト入りの4月6日運動容疑者10人に同情して。19日停止。 |
DIA-205-1982-04-16-1 | フィリピン | 1982年04月16日 | 1980年代 | ヘルディス集団,12社をNDCに引渡し―対中銀負債支払のため。傘下のInternational CorporateBan kはDBP 所有となる。 |
DIA-205-1982-04-16-2 | フィリピン | 1982年04月16日 | 1980年代 | 最高裁,拘留者11人に人身保護令―80年11月以来破壊活動容疑で拘留。うち7人17日に釈放さる。 |
DIA-205-1982-04-18-1 | フィリピン | 1982年04月18日 | 1980年代 | ミンダナオ連合,他野党との合併条件―H.Adaza 議長。(1)在比米軍基地解体。(2)多国籍企業の禁止。(3)不平等・不公平な協定・条約の廃棄。(4)基礎産業の国民化と社会化。(5)貧困階級への無料教育・医療の供与。 |
DIA-205-1982-04-19-1 | フィリピン | 1982年04月19日 | 1980年代 | ケソンに兵数百空輸―約40人のNPAがAl-abat 町警察署長,ケソン町庁舎を襲撃したため急派。 |
DIA-205-1982-04-20-1 | フィリピン | 1982年04月20日 | 1980年代 | 上場株式取引税施行売却額の0.25%。 |
DIA-205-1982-04-20-2 | フィリピン | 1982年04月20日 | 1980年代 | ヘラルド・G・ロハス死去―ニューヨークの病院で,肝臓麻薬で,57歳。 |
DIA-205-1982-04-21-1 | フィリピン | 1982年04月21日 | 1980年代 | 政府支出12%削減命令―大統領。経常費を全予算の60%に削減する。 |
DIA-205-1982-04-22-1 | フィリピン | 1982年04月22日 | 1980年代 | 原木輸出を5月初に完全に禁止―大統領正式発表。 |
DIA-205-1982-04-22-2 | フィリピン | 1982年04月22日 | 1980年代 | 12野党・グループ,大連合に合意―暫定委員長にS・H・ラウレル,対外活動委員にB・アキノ,対外問題委員に,マングラプス,連合暫定上席副委員長にF・カラウ,暫定書記長にA.F.Sarmiento。参加団体:ナショナリスタ党(NP),リベラル党(LP),自由のための国民連合(NUL),PDP,MA,ビコール・サロ,憂慮する市民連合,暫定国民議会協会(INAA),フィリピン青年会,ナショナリズムのための婦人組織。 |
DIA-205-1982-04-23-1 | フィリピン | 1982年04月23日 | 1980年代 | 繊維産業近代化計画に世銀借款供与―1億5740万㌦,満期20年猶予5年,年利11.6%。 |
DIA-205-1982-04-23-2 | フィリピン | 1982年04月23日 | 1980年代 | 自治地方選挙の延期決定―KBL幹部会,5月27日から6月7日に,バランガイ選との重複回避。 |
DIA-205-1982-04-24-1 | フィリピン | 1982年04月24日 | 1980年代 | CPP・NPA容疑者39人起訴―軍当局。2月26~27日ケソン市で逮捕の24人とR.Baylosisら未逮捕の15人で,CPP執行委,中央委の中核およぴNPA地方司令官の大部分という。また比拘留者タスクフォース(TFDP)報告によれば,21~22日Horacio“Boy”Morales他4人が逮捕された。 |
DIA-205-1982-04-25-1 | フィリピン | 1982年04月25日 | 1980年代 | 国防相,ニュージランド,豪州訪問―7両国国防相の招待で。 |
DIA-205-1982-04-25-2 | フィリピン | 1982年04月25日 | 1980年代 | 首相,カラヤアン諸島視察―同島に対する攻撃は共和国の主権に対する攻撃とみなされると声明。 |
DIA-205-1982-04-26-1 | フィリピン | 1982年04月26日 | 1980年代 | サマールの全検問所廃止―治安回復で。 |
DIA-205-1982-04-27-1 | フィリピン | 1982年04月27日 | 1980年代 | 中銀,中東15行と相互預金協定に調印―サウジ,バハレイン,クウェート,アブダビと5億1500万㌦。 |
DIA-205-1982-04-27-2 | フィリピン | 1982年04月27日 | 1980年代 | ミスワリは交渉すべきMNLF指導者ではない―大統領。帰順MNLF指導者によれば彼は同議長を廃され,残存反徒に影響力をもっていない。(29日)彼は分離国家の主張に固執OICの解決策を無視,自らを孤立させた。 |
DIA-205-1982-04-30-1 | フィリピン | 1982年04月30日 | 1980年代 | 左派革命主義者の脅威は小さい―大統領。NPAの大部分は単なる脅迫者,かつてのイデオローグではなく,政府の脅威ではない。サマールのNPAは推定約300人で,ビコールに移動しつつある。 |
DIA-205-1982-05-01-1 | フィリピン | 1982年05月01日 | 1980年代 | 労働者給付金引上げ,労働省改組命令―大統領。糖業労働者死亡給付金,被用者補償委の死亡・不具給付引上げおよび海外雇用関係部局新設。 |
DIA-205-1982-05-01-2 | フィリピン | 1982年05月01日 | 1980年代 | 暴力擁護の労働運動分子に警告―大統領。彼らは団体交渉を流血の市民戦争に変えようと,正当な不満を法と社会を破壊する武器に使っている。 |
DIA-205-1982-05-02-1 | フィリピン | 1982年05月02日 | 1980年代 | 基地名変更―ニコラス空軍基地をVillamorに。またピチオ空軍司令官は少将に昇格。 |
DIA-205-1982-05-04-1 | フィリピン | 1982年05月04日 | 1980年代 | 大統領,労使に団結呼び掛け世界的インフ |
DIA-205-1982-05-04-2 | フィリピン | 1982年05月04日 | 1980年代 | 圧力で困難な時代乗り切るため。 |
DIA-205-1982-05-05-1 | フィリピン | 1982年05月05日 | 1980年代 | E・ロムアルデス大使をPAL会長に任命―大統領。現駐米大使を。 |
DIA-205-1982-05-08-1 | フィリピン | 1982年05月08日 | 1980年代 | 1~5月国軍異動―免職200人,昇格518人。 |
DIA-205-1982-05-09-1 | フィリピン | 1982年05月09日 | 1980年代 | NPA運動に打撃―政府筋。81年に同調者1万5000人帰順,最近の幹部逮捕で対政府大規模攻勢計画は破壊された。全国の正規武装員は約600人,戒厳令前の半分。 |
DIA-205-1982-05-10-1 | フィリピン | 1982年05月10日 | 1980年代 | サンボアンガ市で7カ所爆発死亡4,負傷70人。 |
DIA-205-1982-05-10-2 | フィリピン | 1982年05月10日 | 1980年代 | 司法試験不正事件で最高裁判事全員辞任―14日大統領は,14人中12人再任,3人を新任(空席補充1)。 |
DIA-205-1982-05-13-1 | フィリピン | 1982年05月13日 | 1980年代 | ソ連は東南アに大きな脅威を提起―アーマコスト米大使演説。26日対比援助は優先的に割当てると発言。 |
DIA-205-1982-05-14-1 | フィリピン | 1982年05月14日 | 1980年代 | 国民投票棄権で有罪判決―マニラ市裁。ファハルドの母・妹に自宅監禁1月。棄権で有罪は5人目。 |
DIA-205-1982-05-14-2 | フィリピン | 1982年05月14日 | 1980年代 | Ramon Araneta Yulo 死去54歳。 |
DIA-205-1982-05-16-1 | フィリピン | 1982年05月16日 | 1980年代 | 比米合同演習―ヌエバ・エシハ州マグサイサイ基地,オーロラ州Dingalan湾で,15日間。 |
DIA-205-1982-05-17-1 | フィリピン | 1982年05月17日 | 1980年代 | ミスワリ議長は5月末に解任―比ムスリム議会事務局長Hassan Ali。招集されている大会では穏健派のDimas Pundato 元中央委副議長または Macapanton Abbas モロ国家解放機構(BMLO)書記長が後任に選出されよう。 |
DIA-205-1982-05-18-1 | フィリピン | 1982年05月18日 | 1980年代 | バランガイ選挙実施―首都では新人が過半数だが首都外では現役再選が多数を占めた。同時に,ミンダナオの2自治地方行政評議会合併住民投票も実施,賛成80.3%。バランガイ・キャプテン(村長)と村議会評議員の任期は6月7日から6年間。 |
DIA-205-1982-05-18-2 | フィリピン | 1982年05月18日 | 1980年代 | Emilio Abello,Sr.死去―76歳。IBP議員。 |
DIA-205-1982-05-20-1 | フィリピン | 1982年05月20日 | 1980年代 | 第3回ASEAN首脳会議を提案大統領,第13回ASEAN経済閣僚会議での演説で。 |
DIA-205-1982-05-21-1 | フィリピン | 1982年05月21日 | 1980年代 | 籾米支持価格引上げ―大統領,農民の日集会で。キロ当り1.55ペソから1.70ペソに,同時に国家食糧庁(NFA)に生産の15%買上げ,肥料補助金廃止・同価格引下げを命令。 |
DIA-205-1982-05-21-2 | フィリピン | 1982年05月21日 | 1980年代 | 新米大使任命―Benjamin Romualdez。レイテ州知事。 |
DIA-205-1982-05-22-1 | フィリピン | 1982年05月22日 | 1980年代 | 日本企業専用輸出加工区を計画―円借款5200万㌦で2カ所を予定。OECFと計画の詳細を詰める。 |
DIA-205-1982-05-24-1 | フィリピン | 1982年05月24日 | 1980年代 | 比米間カーゴシエアリング規則に署名―行政命令769年(5月19日修正)施行。 |
DIA-205-1982-05-24-2 | フィリピン | 1982年05月24日 | 1980年代 | コタバト港で銃・弾薬押収―ライフル榴弾17,H79榴弾5。軍,MNLFのテロ計画用と発表。 |
DIA-205-1982-05-24-3 | フィリピン | 1982年05月24日 | 1980年代 | ジープニイ・スト―マニラ,カロオカン市で。首都圏で実施予定の交通違反罰金引上げに抗議して。 |
DIA-205-1982-05-26-1 | フィリピン | 1982年05月26日 | 1980年代 | UNIDO野党大連合,組織替えで新発足―名称をUnited Democratic Opposition からUnitedNationalist Denlocratic Organization(統一民族民主機構,略称はUNIDOで変えず)に,組織を集団指導から単一指導制に変更。綱領の中心は参加12政党・グループの共通の基準,結合力であるナショナリズム。委員長に選出されたS・H・ラウレルは次のように言明―ミンダナオ自治地方選挙のボイコットを決定,野党諸グループは大量の不正で蝕ばまれたバランガイ選挙に不満,当面選挙はないのでUNIDOを直ちに単一政党に変える必要はない,将来の選挙参加は政府が最低の公正選挙保証を認めるか否かにかかっている。全国副委員長に各地方担当の次の7人を選出。Neptali Gonzales(首都),Pablito Sanidad(中北部ルソン),Dominador Aytona(南部ルソン),DecorosoRosaIes(東ビサヤ),Femando Lopez(西ビサヤ),Mamintal Tamano(東ミンダナオ),Homobcno Adaza(ミンダナオ)。事務局長にAbrahanSarmiento(元憲法議会副議長)を選出。その他主な出席者。Domocao Alonto,TeclaSanAn-dres Ziga,Rene Espina,Ambrosio Padi11a,Mel Lo-pez,Rogaciano Lopez,Manuel Cases,ManuelCon-cordia,Valentin Legas |
DIA-205-1982-05-26-2 | フィリピン | 1982年05月26日 | 1980年代 | 政府企業の廃止等承認―大統領。廃止10,合併6,売却5社で,3社を政府部局に編入。青年・スポーツ省を教育文化省に吸収。また今年の財政赤字見込み100億ペソを50億ペソに削減せねばならない,と発言。 |
DIA-205-1982-05-26-3 | フィリピン | 1982年05月26日 | 1980年代 | 今年度入学児童から小学7年制復活。 |
DIA-205-1982-05-31-1 | フィリピン | 1982年05月31日 | 1980年代 | 大統領,11大工業プロジェクトは精力的に実施―ただし原料・市況問題で再検討中の石化プロジェクトを除いて。 |
DIA-205-1982-06-01-1 | フィリピン | 1982年06月01日 | 1980年代 | スト・ピケ破り取締法成立―国法227号。大統領は労働戦線の安定と外国投資の参入を期待と表明。 |
DIA-205-1982-06-04-1 | フィリピン | 1982年06月04日 | 1980年代 | PC拘留者11人の釈放要求―統一弁護士会。5月15日以来セブ市で破壊活動容疑で拘留の農民11人。 |
DIA-205-1982-06-05-1 | フィリピン | 1982年06月05日 | 1980年代 | 比・西独租税協定に調印。 |
DIA-205-1982-06-07-1 | フィリピン | 1982年06月07日 | 1980年代 | 2自治地方立法議会選挙実施立候補者82人,うち無所属31。 |
DIA-205-1982-06-07-2 | フィリピン | 1982年06月07日 | 1980年代 | イメルダ夫人,超中国首相と会談。 |
DIA-205-1982-06-09-1 | フィリピン | 1982年06月09日 | 1980年代 | 自動車事故で居住相夫人死亡―コルプス教育相運転で会議のため比開発院(DAP)に向う途中。 |
DIA-205-1982-06-12-1 | フィリピン | 1982年06月12日 | 1980年代 | 独立記念日―大統領,式典で無関心とアパシーに警告。 |
DIA-205-1982-06-13-1 | フィリピン | 1982年06月13日 | 1980年代 | 尼僧2人,信徒5人を逮捕―バタンガス州で土地紛争調査帰りに,統合民間郷土防衛隊が逮捕。 |
DIA-205-1982-06-14-1 | フィリピン | 1982年06月14日 | 1980年代 | 2野党,運営合併に入る―Pilipino Demo-cratic Party(PDPフィリピン民主党),とLakas ng Bayan(Laban,人民の力党)。全国規模の新拡大政治集団創設のため。新名称はPilipino Democratic Party-Lakasng Bayan(PDP-Laban)。名誉委員長 Lorenzo M.Tanada,書記長Sammy C. Occena,セブ地区委員長Antonio Cuenco元下院議員。主要メンバー:AntonioCarpio(ビコールの人権運動家),Emesto Tabios(ブギドノン),Aquilino Pimentel カガヤン・デ・オロ市長。17日LPとNPに参加呼び掛け。 |
DIA-205-1982-06-15-1 | フィリピン | 1982年06月15日 | 1980年代 | 大統領,米国務次官と会談―ステセル次官。ホルリッジ次官補同行。貿易・投資問題を討議。 |
DIA-205-1982-06-16-1 | フィリピン | 1982年06月16日 | 1980年代 | 小売米価値上げ―キロ当り2.85ペソから3.10ペソに。 |
DIA-205-1982-06-17-1 | フィリピン | 1982年06月17日 | 1980年代 | TUCP,最低賃金律引上げ要求―3ペソ。21日 KMUとTUPAS(Trade Unions of the Philip-pines and Allied Services)は3ペソでは不十分とし,賃上げに労働者の結集主張。 |
DIA-205-1982-06-21-1 | フィリピン | 1982年06月21日 | 1980年代 | 職業的不法占拠者追放作戦―首都知事,住民の参加協力を要請。 |
DIA-205-1982-06-21-2 | フィリピン | 1982年06月21日 | 1980年代 | ハンガリー大統領公式訪問―(~25日)。PalLo-sonczi。 |
DIA-205-1982-06-23-1 | フィリピン | 1982年06月23日 | 1980年代 | 第25代マギンダナオ・スルタン即位―南ラナオ州Balabagan 町長 Pangadapun Benito。 |
DIA-205-1982-06-24-1 | フィリピン | 1982年06月24日 | 1980年代 | 泥酔陸軍兵10人,5人を殺害―北カマリネス州LaboのMabini村で。 |
DIA-205-1982-06-25-1 | フィリピン | 1982年06月25日 | 1980年代 | 野党急進化に懸念表明―Unido新聞発表。全国の活動的反対派の約70%は急進化しているが,NPA,MNLF,都市ゲリラに参加または暴力手段に訴えていない。われわれは引返し不能の地点に急速に接近している。政府は手遅れにならないうちに行動せねばならない。急進化の割合:東ビサヤ75%,ビコール・ミンダナオ72%,イロコス・ケソン70%,中部ルソン68%,ラグナ55%,バタンガス2%。 |
DIA-205-1982-06-25-2 | フィリピン | 1982年06月25日 | 1980年代 | 薪労働組合連合結成―National Coalition for theProtection of Workers’Rights。KMU,TUCP,TUPASの労組代表,各界代表が参加。共同議長にL.M.Tanada,Felixberto S. Olalia(PMP,KMU委員長)を選出。労働者の権利前進のための全国協議会を設立。労働不安回避の即時行動と反労働者法である国法227号廃棄を政府に要求する全国的抗議日を設けるとの決議を採択。 |
DIA-205-1982-06-27-1 | フィリピン | 1982年06月27日 | 1980年代 | 野党の団結呼ぴ掛け―カノイ議員。国家と国民のため個人的野心を措くべきだ。単一政党結成に成功せねば艇,86年選挙で勝つチャンスはない。 |
DIA-205-1982-06-29-1 | フィリピン | 1982年06月29日 | 1980年代 | 世銀対比協議国会議開催(東京,~30日)―新5カ年計画と5カ年エネルギー計画を全般的に承認。計画実行のため83年に23億ドルの融資を承認。うち12億㌦はODA。人口増加率の抑制(82年2.4%から87年に2.2%に)も要求。経常赤字の悪化避けるため野心的な投資計画を差控え,外国借款依存を減らすよう要望。 |
DIA-205-1982-07-01-1 | フィリピン | 1982年07月01日 | 1980年代 | シアヌーク・カンボジア連合政府大統領来比(~3日)―2日大統領と会談。旧本の対途上国市場開放を要請―ビラタ首相,東京で鈴木首相との会談で。また(1)バナナ包装箱関税引下げ,(2)大規模工業プロジェクトへの円借款,(3)輸出不振の銅精鉱に対する在庫融資を要請。 |
DIA-205-1982-07-02-1 | フィリピン | 1982年07月02日 | 1980年代 | 大統領,ガソリン値下げ命令―国立のペトロフィル社にリットル当り10センタボ。シェル,カルテックスも追随値下げ実施。 |
DIA-205-1982-07-02-2 | フィリピン | 1982年07月02日 | 1980年代 | 諸大学,構内警備を増強―学生活動家が大衆行動を準備中との警察当局の報告で。 |
DIA-205-1982-07-03-1 | フィリピン | 1982年07月03日 | 1980年代 | 2産業救済措置―大統領。(1)NDCに銅精鉱買上げ命令。(2)半導体産業に免税措置および重要産業に指定,スト時に労働相に強制仲裁権を与える。 |
DIA-205-1982-07-05-1 | フィリピン | 1982年07月05日 | 1980年代 | イメルダ夫人,モスクワ訪問―6日文化相外相と会談。8日比ソ科学・技術協力協定,PNA・TASS情報交換協定調印。9日セメント・プラント建設協定調印(ターンキー,100万㌧,石炭燃焼方式)。 |
DIA-205-1982-07-09-1 | フィリピン | 1982年07月09日 | 1980年代 | H.R.Morales,Jr.最高裁に釈放請求―4月22日逮捕以来,起訴なく拘留継続として。22日国側は同人は民族民主戦線(NDF)の議長,CPPメンバーで,大統領拘禁状(PCO)で拘留されていると反論。 |
DIA-205-1982-07-09-2 | フィリピン | 1982年07月09日 | 1980年代 | サマール宗教分子の活動調査命令―国防相。6月29日付豪州紙掲載インタビューで,管轄下の27司祭のうち8人が反徒に参加したとのAngel Hubayan 北部サマール司教の発言に関して指示。 |
DIA-205-1982-07-09-3 | フィリピン | 1982年07月09日 | 1980年代 | パラワンでMNLFと戦闘―プエルトプリンセサ 北西20kmで,パラワン革命委員会委員長死亡。 |
DIA-205-1982-07-09-4 | フィリピン | 1982年07月09日 | 1980年代 | 10政府法人を正式に廃止―EO(行政命令)817号。3法人の合併も命令(同816号)。 |
DIA-205-1982-07-10-1 | フィリピン | 1982年07月10日 | 1980年代 | 北部サマール200人虐殺事件を否定―国防相。4月初めLopede Vegaで第3歩兵大隊の砲撃で発生との4月30日付 Far eastern Econmic Review の記事を否定。 |
DIA-205-1982-07-13-1 | フィリピン | 1982年07月13日 | 1980年代 | 中銀,資本流出抑制措置―中銀筋によれば,海外株式投資申請の処理を凍結。 |
DIA-205-1982-07-13-2 | フィリピン | 1982年07月13日 | 1980年代 | 不法占拠者,取壊しに抵抗―マカティのサンタクルスで住民数百人,警官隊と衝突。 |
DIA-205-1982-07-14-1 | フィリピン | 1982年07月14日 | 1980年代 | 比泰租税協定調印。 |
DIA-205-1982-07-16-1 | フィリピン | 1982年07月16日 | 1980年代 | 大統領,江崎ミッションと会談―比側要求:日本の銅精錬会社に在庫融資援助。総合鉄鋼プロジェクト向けに特別円借款2億㌦。バナナ関税,比国製バナナ包装箱関税引下げ。大統領は,タイと同額の特別円借款の増額を主張。江崎氏はKKK,エネルギー開発に対する技術援助供与の用意を表明。 |
DIA-205-1982-07-17-1 | フィリピン | 1982年07月17日 | 1980年代 | 8バランガィで特別選挙―5月17日に延期したため。ただしモンテンルパのスカットは再延期。 |
DIA-205-1982-07-17-2 | フィリピン | 1982年07月17日 | 1980年代 | 政府内汚職取締運動は順調大統領。妥協はしない。 |
DIA-205-1982-07-18-1 | フィリピン | 1982年07月18日 | 1980年代 | 犯罪関与警官の厳罰処分を命令―大統領。停職転任では不十分,’刑事起訴・刑務所送致および問題管区の人員交替を命令。 |
DIA-205-1982-07-19-1 | フィリピン | 1982年07月19日 | 1980年代 | 政府の産業投資撤退要求―民間が十分カバーできる分野から。商工相との第2回対話会議で産業界代表(25業種)が。 |
DIA-205-1982-07-21-1 | フィリピン | 1982年07月21日 | 1980年代 | 民主カンプチア首相公式訪問(~23日)―ソン・サン首相,22日大統領と会談。 |
DIA-205-1982-07-21-2 | フィリピン | 1982年07月21日 | 1980年代 | 外務担当国務相,狙撃され重傷―Emmanuel N. Pelaes行政委員・元副大統領(66歳),自宅前で。 |
DIA-205-1982-07-25-1 | フィリピン | 1982年07月25日 | 1980年代 | 労働者協議大会―KMU主催。1律3ペソ賃上げ,当局に組合潰し,不当労働行為防止を要求。26日大統領は,国民議会開会演説で,現在の問題点は雇用であるとして賃上げを拒否。27日PMPは賃金凍結を主張。28日TUCPは賃金引上げ要求を撤回,生活手当の基本給への統合を要求。 |
DIA-205-1982-07-27-1 | フィリピン | 1982年07月27日 | 1980年代 | 大統領,定期健康診断パス。 |
DIA-205-1982-07-27-2 | フィリピン | 1982年07月27日 | 1980年代 | 逮捕聖職者の仮釈放で合意―教会・軍連絡委員会第92回定期会議で。教会の保護監督を条件に。先に国防相は,軍当局に宗教団体の長にその所属員の逮捕を通知するよう指示。 |
DIA-205-1982-07-28-1 | フィリピン | 1982年07月28日 | 1980年代 | 原木輸出禁止実施を年末まで延期―大統領。 |
DIA-205-1982-07-29-1 | フィリピン | 1982年07月29日 | 1980年代 | 不良警官361人,PC兵439人を解任―80年初から1年半の間に。 |
DIA-205-1982-07-29-2 | フィリピン | 1982年07月29日 | 1980年代 | 司祭がNPA員を徴募―カリンガ・アパヤオPC当局報告。20日Tabukで逮捕の6人は5月にEddie Balicao神父,Aurea 尼により徴募されたと自白。 |
DIA-205-1982-07-31-1 | フィリピン | 1982年07月31日 | 1980年代 | 新比米通商協定交渉,行詰り―首相。米側は投資家に内国民待遇を望んでいるが認められない。 |
DIA-205-1982-08-05-1 | フィリピン | 1982年08月05日 | 1980年代 | ピコールの軍残虐行為を非難ビコールの市民団体Bicol Concemed Citizens Alliance(T.San Andres-Ziga)。戒厳令解除後も多くの国軍部隊がビゴールに展開。現在9大隊,軍の存在が虐待増大の原因。 |
DIA-205-1982-08-05-2 | フィリピン | 1982年08月05日 | 1980年代 | LP,委員長代理を指名―サロンガ。 |
DIA-205-1982-08-05-3 | フィリピン | 1982年08月05日 | 1980年代 | 全国身分証明制度案起草を指示―大統領。 |
DIA-205-1982-08-06-1 | フィリピン | 1982年08月06日 | 1980年代 | 反核デモ―米大使館前で約300人。Nuclear Free Philippines(議長L.Taneda)主催。在比米軍基地廃棄,原発建設と核・通常兵器軍備競争の停止を要求。 |
DIA-205-1982-08-06-2 | フィリピン | 1982年08月06日 | 1980年代 | 大統領・豪首相会談―片貿易是正検討で合意。 |
DIA-205-1982-08-06-3 | フィリピン | 1982年08月06日 | 1980年代 | UNIDO,経済政策綱領発表―Dominador Aytona。 |
DIA-205-1982-08-07-1 | フィリピン | 1982年08月07日 | 1980年代 | イメルダ夫人らを行政委員に任命―大統領。Ali Dimaporo南ラナオ州知事(ムスリム地方代表)RobertoBenedicto砂糖委員長(ビサヤ),Ronaldo Zamora議員(青年代表)。定員15人に対し計11人に。 |
DIA-205-1982-08-08-1 | フィリピン | 1982年08月08日 | 1980年代 | 反政府勢力が9月全国ストの陰謀―大統領。暗号名「Operation Skylark」,爆弾テロ,政府高官・著名人の暗殺計画を含む。情報は全国ストが9月1,11,21日または自分の訪米中の実行予定を示している。情報当局は陰謀指導者の一部を確認。政府反対派,労働グループ,破壊活動分子,MNLF指導者,一部のインテリを含む。確認されれば先制行動を取り,彼らを逮捕する。 |
DIA-205-1982-08-08-2 | フィリピン | 1982年08月08日 | 1980年代 | NPA容疑2司祭逮捕―ヌエバビスカヤ州で破壊文書所持。教会,取調べ受けたが逮捕されずと声明。 |
DIA-205-1982-08-08-3 | フィリピン | 1982年08月08日 | 1980年代 | 首都ジープ・バス強盗取締実施―14日までに秘密警官により41人射殺さる。 |
DIA-205-1982-08-09-1 | フィリピン | 1982年08月09日 | 1980年代 | 反徒は,軍信用失墜キャンペーン実施―軍情報関係者。彼らは政府にリーダーシップの空白が生じたら軍が政治権力を奪取するとの宣伝を繰り広げている。 |
DIA-205-1982-08-11-1 | フィリピン | 1982年08月11日 | 1980年代 | スト陰謀に事業家一大統領。彼は資金を出している。ある労働指導者たちは陰謀加担放棄の約束を破った。もし計画に固執するなら先制行動を取る。 |
DIA-205-1982-08-13-1 | フィリピン | 1982年08月13日 | 1980年代 | スト陰謀関係者にすでに逮捕状―Ramas陸軍司令官。全国の部隊に逮捕に備え警戒態勢を指示した。 |
DIA-205-1982-08-13-2 | フィリピン | 1982年08月13日 | 1980年代 | 共産主義者の脅威はない―大統領。NPA中核分子は指導層の第3階層まで逮捕され,残存分子は伏撃や自棄的戦術で名をあげようとしている若年者。MNLFは3,4派に分裂,内部抗争で組織は壊滅状態だ。 |
DIA-205-1982-08-14-1 | フィリピン | 1982年08月14日 | 1980年代 | 逮捕労働指導者に十分な権利保証―大統領。13日の全国スト陰謀(破壊活動)容疑者13人の大統領拘禁状による逮捕公表。主な逮捕者F. O1alia(KMU,PMP 委員長),Cipriano Beltran(KMU副委員長),Rey Cape(同),Cipriano Malonzo,Sr.(National Federation of Labor 委員長),C.Malonzo,Jr.。国防省は後にオラリアを除き後全員を釈放。TUCPは逮捕は政府の合法的な法律執行であると声明。 |
DIA-205-1982-08-15-1 | フィリピン | 1982年08月15日 | 1980年代 | 軍法務部,オラリアを送検―社会政治的動揺を誘発し国家の安全を乱そうと反乱を扇動した容疑。ラモスPC司令官はKMUはCPP・NPAのフロント組織と言明。また情報当局は,破壊分子はマリベレス精油所,輸出加工区,発電所,首都送水管,一流ホテルの破壊を計画と発表。19日PCは,KMU書記長C.B.Beltranを拘留中,同時逮捕の2人は18日釈放と発表。 |
DIA-205-1982-08-16-1 | フィリピン | 1982年08月16日 | 1980年代 | KMU,PMPのスト計画の詳細―軍当局発表。加盟組合による連日2時間ストをゼネストに発展させ,同時に爆弾事件,著名民間人・軍人の暗殺を行う。部分的には大統領訪米,9月にタイミングを合せる。計画はオラリアの指示で6月バタアン輸出加工区数企業で数組合が実施した操業停止で促された。活動は違法な操短罷業,超勤拒否,不当な賃上げ要求を含み,目的は政府を無能な調停者に描き,工場を閉鎖させ,多国籍企業を追い出し,外国投資家を怯えさせることにある。 |
DIA-205-1982-08-17-1 | フィリピン | 1982年08月17日 | 1980年代 | 大統領後継に関する議会特別委設置―KBL幹部会。委員長LB.Perez。憲法の後継ルールのギャツプを埋める施行法を起草する。 |
DIA-205-1982-08-17-2 | フィリピン | 1982年08月17日 | 1980年代 | 最高裁,オラリアの人身保護令発行。 |
DIA-205-1982-08-18-1 | フィリピン | 1982年08月18日 | 1980年代 | Jose Luneta脱走―拘留中のCPP書記長。 |
DIA-205-1982-08-19-1 | フィリピン | 1982年08月19日 | 1980年代 | 戒厳令再布告はありえない―大統領,TV番組で。政府の迅速な先制行動でテロ計画は流産。これだけでも再布告の噂は葬られる。野党は空想に生きず,地方に出て不満を組織すべきだ。 |
DIA-205-1982-08-21-1 | フィリピン | 1982年08月21日 | 1980年代 | 大統領入院―悪感,発熱,咳のため退役軍人記念病院に。22日軽度の肺炎と発表。23日昼退院。 |
DIA-205-1982-08-25-1 | フィリピン | 1982年08月25日 | 1980年代 | 大統領後継憲法施行法案提出―ペレス,プノ法相ら起草。行政委の権限を制限,管理機関とする。 |
DIA-205-1982-08-26-1 | フィリピン | 1982年08月26日 | 1980年代 | 大統領,ベトナム副首相と会談―グループ77会議出席中のハ・バン・ラウ外務次官。大統領は,カンボジア紛争は両国の密接な友好関係を変えない,と発言。 |
DIA-205-1982-08-27-1 | フィリピン | 1982年08月27日 | 1980年代 | ココナツ賦課金廃止大統領。 |
DIA-205-1982-08-28-1 | フィリピン | 1982年08月28日 | 1980年代 | CPP中央委らの逮捕公表―大統領。Isagani Serano中央委,組織・大衆運動全国委書記,ケソン市で他の3人と会議中逮捕。全国テロ計画の指導者という。 |
DIA-205-1982-08-30-1 | フィリピン | 1982年08月30日 | 1980年代 | 全軍警戒態勢に。―9月テロ計画に備えて。 |
DIA-205-1982-08-31-1 | フィリピン | 1982年08月31日 | 1980年代 | オラリアらの釈放要求デモ―最高裁前で。 |
DIA-205-1982-08-31-2 | フィリピン | 1982年08月31日 | 1980年代 | UNIDO,国民和解政府提案―1年間存続し以下の4任務を遂行する「超憲法的」暫定政府である準備委員会を設立。ただし全委員は大統領出馬資格を失う。(1)政治犯に対する大赦,(2)治安秩序維持,(3)国民の真の意見を反映する新憲法起草,(4)自由公正な総選挙の実施。 |
DIA-205-1982-09-01-1 | フィリピン | 1982年09月01日 | 1980年代 | 軍警,PMP,KMU23人を逮捕―反乱陰謀容疑。Bonifacio Tupaz(PMP副委員長・書記長,TUPAS委員長)他で,6人は取調後仮釈放された。 |
DIA-205-1982-09-01-2 | フィリピン | 1982年09月01日 | 1980年代 | トリポリ協定の実施促進を要請―比政府にイスラム会議機構(OIC)外相会議(8月22~26日)決議。比政府に,MNLFと4カ国外相委員会の参加を得て,トリポリ協定の本当の実施のため真剣に交渉するよう要求。 |
DIA-205-1982-09-01-3 | フィリピン | 1982年09月01日 | 1980年代 | 西サマールで尼僧ら3人逮捕―H.Gutierrez 尼ら全員Catbalogan のSocial Action Center所属。軍はSACは急進派司祭の地下活動拠点と発表。 |
DIA-205-1982-09-02-1 | フィリピン | 1982年09月02日 | 1980年代 | 大統領後継法案で合憲論争―Tolentino 外交担当国務椙移行期中の行政委権限制限は違憲,と主張。 |
DIA-205-1982-09-02-2 | フィリピン | 1982年09月02日 | 1980年代 | CPP容疑者ら6人逮捕―メトロ・マニラで。 |
DIA-205-1982-09-03-1 | フィリピン | 1982年09月03日 | 1980年代 | 軍,CPP容疑者2人逮捕。 |
DIA-205-1982-09-04-1 | フィリピン | 1982年09月04日 | 1980年代 | 軍, オラリア他68人を送検―35人は未逮捕。 |
DIA-205-1982-09-06-1 | フィリピン | 1982年09月06日 | 1980年代 | 訪米中破壊活動陰謀の脅威はない―大統領記者会見。(1)IBPが大統領後継法案成立させねば,PDを発する。(2)自分に何事か起れば行政委が政府を運営。軍は文官支配を順守するよう訓練されている。(3)訪米中ビラタか行政委が政府代行者となろう。同委に軍人を任命しない。 |
DIA-205-1982-09-06-2 | フィリピン | 1982年09月06日 | 1980年代 | ヘッグ号事件で公式決着に合意―日比両政府。 |
DIA-205-1982-09-06-3 | フィリピン | 1982年09月06日 | 1980年代 | 83年予算案可決―618億ペソ。126対7。 |
DIA-205-1982-09-07-1 | フィリピン | 1982年09月07日 | 1980年代 | 82年教育法可決―114対2。 |
DIA-205-1982-09-07-2 | フィリピン | 1982年09月07日 | 1980年代 | 首都爆弾テロ指導者に賞金―国防相。Norberto Gonzales で, Partido Democratikong Sosyalista ng Pilipinas(PDSP,比民主社会党)中央委議長という。 |
DIA-205-1982-09-08-1 | フィリピン | 1982年09月08日 | 1980年代 | 大統領訪米中ロニヨ副首相が行政委員長代行。 |
DIA-205-1982-09-09-1 | フィリピン | 1982年09月09日 | 1980年代 | 比・キューバ技術・科学協定調印。 |
DIA-205-1982-09-10-1 | フィリピン | 1982年09月10日 | 1980年代 | 大統領後継法可決―126対7,棄権1。 |
DIA-205-1982-09-14-1 | フィリピン | 1982年09月14日 | 1980年代 | 大統領訪米に出発16日―レーガン大統領と会談,以下について合意。(1)比米基地協定の再検討を83年4月に開始・12月に終了する。(2)貿易投資その他の問題取組みのため民間部門を含めた経済委員会を設置。(3)安保問題で閣僚級の定期協議を行う。エンリレ国防相は83年2・3月に訪米の見込み。また安全保障特に比国軍の質量の改善の分野で協力を継続する。会談では中東,カンボジア情勢・アジアにおける日本の役割等も討議。17日上下両院外交委員会(主に人権問題に集中),18日ワインバーガー国防長官,ブッシュ副大統領と会談。20日比米商業会議所(日本のASEAN経済進出,米国の後退に対する懸念表明),21日国連総会で演説。24日ノックスビル訪問・26日ロスアンジェルスのスポーツ・アリ一ナで在米比人1万5000人を前に演説。また『ワシントン・ポスト』,CBS放送など主要新聞,雑誌,放送とのインタビューを精力的に展開。26日『ロスァンジェルス・タイムズ』とのインタビューで,アジア最大の安保上の脅威はソ連支援のベトナムから,日本の再軍備支持するが,防衛目的に限ると発言。30日ハワイ経由帰国時に学生400人反対デモ。 |
DIA-205-1982-09-14-2 | フィリピン | 1982年09月14日 | 1980年代 | コプラ輸出の暫定停止命令―大統領。 |
DIA-205-1982-09-15-1 | フィリピン | 1982年09月15日 | 1980年代 | 比米閣僚会議(ワシントン,~17日)―比側:イメルダ居住相・ビラタ首相,オンピン商工相,コリャンテス外務次官カルデニャス国家経済開発庁次官。米側:財務長官・商務長官,ブロック通商特別代表。合意事項:(1)新世代の発電プラント建設借款,(2)関税・貿易譲許。比側は,競合必要制限(CNL)の不適用を要求。また首相はカリブ海イニシアチブの対比貿易への影響に懸念表明。以下の4協定に調印。(1)租税協定。(2)航空協定。(3)観光協定。(4)農業技術協力協定。 |
DIA-205-1982-09-17-1 | フィリピン | 1982年09月17日 | 1980年代 | 米輸銀・原発融資保証承認―2億450万㌦。 |
DIA-205-1982-09-20-1 | フィリピン | 1982年09月20日 | 1980年代 | 84年選挙に野党認証法制定を―選管。KBLのみが認証の利益を得,選挙は形式にすぎなくなる |
DIA-205-1982-09-20-2 | フィリピン | 1982年09月20日 | 1980年代 | ミンダナオ地区CPP委員長ら射殺―PC のダバオ市での手入で,Edgar Jopson。次の3人逮捕。Orlando Tizonカルバヨグ司祭,B.de Vara(元CPP・NPAミンダナオ委員長の妻)と党員の妻。 |
DIA-205-1982-09-23-1 | フィリピン | 1982年09月23日 | 1980年代 | カガヤンNPA指導者死亡―Rolando Vill-arde,カガヤン南西戦線のチーフ。陸軍部隊との戦闘で。 |
DIA-205-1982-09-25-1 | フィリピン | 1982年09月25日 | 1980年代 | 大反徒組織軍事部門が正式に同盟一南部司令部司令官 D.Castro 中将。MNLFのBangsa Moro Army,CPP の NPA,PDSPのSandigan Armyとの間に。その存在はMNLFとNPAの押収文書から明確になった。ミスワリは60年代以降ずっと共産主義者であった。MNLF は3派に,ミスワリ派,ハシム・サラマット派・モロ民族解放機構(BMLO,Rasid Luclnan元下院議員)派に,分裂している。 |
DIA-205-1982-09-26-1 | フィリピン | 1982年09月26日 | 1980年代 | 聖職者の逮捕停止を命令―国軍参謀長。大統領指示で軍に破壊活動現行犯でない限り逮捕するなと命令した。20日ダバオ市でO・Tizon 神父(Calbayog司祭)が逮捕された。 |
DIA-205-1982-09-26-2 | フィリピン | 1982年09月26日 | 1980年代 | MNLF・NPAの正式提携を否定―ミスワリ,このほどロンドン発行の Arabia 誌で。提携説は米国からもっと援助を引出すための悪霊に使われている。 |
DIA-205-1982-09-26-3 | フィリピン | 1982年09月26日 | 1980年代 | NPA・大学武器庫襲撃―Iriga市で,撃退さる。 |
DIA-205-1982-09-28-1 | フィリピン | 1982年09月28日 | 1980年代 | 司祭らの逮捕に抗議一8月4日の司祭,3信徒の逮捕は噂に基づくものとして,バヨンボン司教がヌエバ・ビスカヤ教会・軍連絡委共同議長を辞任。 |
DIA-205-1982-09-30-1 | フィリピン | 1982年09月30日 | 1980年代 | NPA・軍分遣所襲撃一―約50人,オサミス市。 |
DIA-205-1982-10-02-1 | フィリピン | 1982年10月02日 | 1980年代 | 国防相,2国際組織を批判―アムネステイ・インターナショナルとWorld Council of Churches はマルクス主義に偏向している。 |
DIA-205-1982-10-02-2 | フィリピン | 1982年10月02日 | 1980年代 | 消費者保護市民同盟総会―「高物価:多国籍企業の比経済支配の効果」をテーマに,R.Constantino,A.Licbauco,H. Henares,Jr.,T. Guingonaらが参加。 |
DIA-205-1982-10-02-3 | フィリピン | 1982年10月02日 | 1980年代 | 米側,投資協定の必要示唆せず―ブロック通商代表,首相との会談で。米国の投資に対する比国の最恵国待遇政策に米国人は満足している。実業界の一部は協定を望んでいるが,すでに投資している実業家は新協定で現在もっているものを終わらせるのを望んでいない。 |
DIA-205-1982-10-06-1 | フィリピン | 1982年10月06日 | 1980年代 | Unido,準備委員会設置案再述―ラウレル新聞声明。国民の一層の急進化を防ぐ生存のための超憲法的「準備委員会」。全委員は行政府と真の野党の信頼できる指導者間の合意で選出さるべきだ。提案は政権の激しい争奪を防ぐためマルコス在任中に実施さるべきである。16日Unidoは同案を大統領に正式に提出。 |
DIA-205-1982-10-06-2 | フィリピン | 1982年10月06日 | 1980年代 | 75司祭・尼僧,NPAに参加・支援―カトバロガンSAC逮捕者の1人述供。 |
DIA-205-1982-10-06-3 | フィリピン | 1982年10月06日 | 1980年代 | 第2地方の木材伐採禁止解除―大統領。 |
DIA-205-1982-10-07-1 | フィリピン | 1982年10月07日 | 1980年代 | 同時選挙法案提出さる―84年に国民議会と地方首長・議員の選挙を同時に。後者の任期2年短縮。 |
DIA-205-1982-10-08-1 | フィリピン | 1982年10月08日 | 1980年代 | カガヤンからのPC第51大隊撤退勧告―PC第2地方司令官。先に対民間人残虐行為を理由に5町の町長・住民が撤退を要求。12日国防相命令で撤退開始。 |
DIA-205-1982-10-10-1 | フィリピン | 1982年10月10日 | 1980年代 | 2司祭逮捕情報に賞金―国防相承認,各13万ペソ。Conrado Balweg,Zacarias Agatep神父。 |
DIA-205-1982-10-10-2 | フィリピン | 1982年10月10日 | 1980年代 | 西サマールで司祭逮捕―破壊活動容疑でE・カンオン神父(SAC所長)。「サマールの憂慮する司祭・修道士」はホバヤン司教暗殺計画の報は反教会キャンペーンだと非難。 |
DIA-205-1982-10-11-1 | フィリピン | 1982年10月11日 | 1980年代 | アガテップ神父死亡―南イロコス州SalcedoでPCとの戦闘で,同行の4人は逮捕。 |
DIA-205-1982-10-11-2 | フィリピン | 1982年10月11日 | 1980年代 | IBP再開大統領,経済状況報告。84年選挙が近づいており,新選挙法,議席配分,認証政党手続,政党移籍等選挙問題の解決は緊急に必要。 |
DIA-205-1982-10-14-1 | フィリピン | 1982年10月14日 | 1980年代 | SDP,84年4選挙同時案支持―正規国民議会(BP)議員,全地方首長・議員の選挙,大統領および憲法を修正して副大統領の選挙を同時に実施する。 |
DIA-205-1982-10-14-2 | フィリピン | 1982年10月14日 | 1980年代 | ミスワリ議長を解任?―タウイタウイでのMNLF第3回大会でモロ共和国人民への裏切のかどで。 |
DIA-205-1982-10-16-1 | フィリピン | 1982年10月16日 | 1980年代 | 大統領任期短縮の用意―大統領。もし議会が望み,野党が84年同時選挙に参加するならば。’ |
DIA-205-1982-10-17-1 | フィリピン | 1982年10月17日 | 1980年代 | 拘留者はなお反徒活動を指示―大統領。モラレス事件被告が政府側証人への転向希望表明後NPAに殺害された事件に論評して。 |
DIA-205-1982-10-17-2 | フィリピン | 1982年10月17日 | 1980年代 | 3年ごと同時選挙案浮上―IBPで。初回は83年に国民議会議員・大統領,86年に予定どおり地方選を実施。 |
DIA-205-1982-10-17-3 | フィリピン | 1982年10月17日 | 1980年代 | レイテNPA最高指揮官は元司祭ラマス陸軍司令官。ボホールの司祭Nicanor Ruiz神父。 |
DIA-205-1982-10-18-1 | フィリピン | 1982年10月18日 | 1980年代 | Unido,選挙参加条件―S・H・ラウレル。本当の自由公正な選挙の保証。(1)選管改組,(2)Unidoの認証,(3)憲法修正し,正副大統領および州別の議員の選挙を規定,(4)不正有権者リストの排除,(5)ブロック投票廃止,(6)Unidoにメディアで同等の時間とスペースを与える。もし条件を認めれば大統領は83年に同時選挙を実施すべきだ。われわれは闘う用意がある。 |
DIA-205-1982-10-18-2 | フィリピン | 1982年10月18日 | 1980年代 | 豪州人司祭ら7人逮捕―西ネグロス州Kabanka-lan の司祭Brian Gore。20日住民300人抗議デモ。 |
DIA-205-1982-10-19-1 | フィリピン | 1982年10月19日 | 1980年代 | 野党の選挙参加条件は幻想だ―大統領。 |
DIA-205-1982-10-19-2 | フィリピン | 1982年10月19日 | 1980年代 | 正規 BP定員増・再配分法案提出―ペレス政治問題担当国務相。165人から207人に。 |
DIA-205-1982-10-20-1 | フィリピン | 1982年10月20日 | 1980年代 | Unido,大統領に回答要求―同時選挙,公明選挙条件,国民和解・統一提案を拒否したのか否か。 |
DIA-205-1982-10-21-1 | フィリピン | 1982年10月21日 | 1980年代 | 司祭に政治活動参加の権利と義務―シン枢機卿。政教分離の原則で市民として説教壇を使わぬ限り。 |
DIA-205-1982-10-22-1 | フィリピン | 1982年10月22日 | 1980年代 | 教会破壊意図しているのはCPP―国防相。CPPの宗教分子を含めた連合政府提案は陰謀だ。政府は教会を迫害しない,国の安全に有害な活動に従事する者,たとえばC.Balweg神父,に反対しているのだ。 |
DIA-205-1982-10-23-1 | フィリピン | 1982年10月23日 | 1980年代 | NPの認証,選挙5点改革要求―Jose J.Roy総裁。(1)有権者名簿の浄化,(2)BP議員の中選挙区投票,(3)ブロック投票制の廃止,(4)野党代表の選管任命,(5)84年に正副大統領,BP議員,地方首長・議員選挙の同時実施。修正でなく憲法を書き直し,後継問題解決のため政府機構の大統領制への復帰を提案する。 |
DIA-205-1982-10-26-1 | フィリピン | 1982年10月26日 | 1980年代 | 第1回ドル建財務省証券完売1億㌦。 |
DIA-205-1982-10-27-1 | フィリピン | 1982年10月27日 | 1980年代 | 比はサバ請求権を放棄した―ペレス外務担当国務相。ASEAN首脳会議開催の障害はない。 |
DIA-205-1982-10-27-2 | フィリピン | 1982年10月27日 | 1980年代 | マガット上流ダム落成式―イサベラ州ラモン。83年に全施設完成予定。延長4㌔高さ60㍍,発電能力54万kW。また大統領は3万5000農民に土地権利証書を配分。 |
DIA-205-1982-10-28-1 | フィリピン | 1982年10月28日 | 1980年代 | 「第3勢力」の存否調査開始―軍当局,同勢力はカトリック教会と軍の間にくさびを打ち込もうとしている。Mison東部司令部司令官:急進派司祭が書いたといわれる大統領宛公開状は謀略宣伝だ。 |
DIA-205-1982-10-31-1 | フィリピン | 1982年10月31日 | 1980年代 | 外国人の事前契約雇用を再検討―労相命令。義務を順守しているか否か約5000人。組合活動に干渉する外国人宣教師は主権を侵害,」追放の根拠となる。 |
DIA-205-1982-11-03-1 | フィリピン | 1982年11月03日 | 1980年代 | 第8回比ピジネス会議(~5日)―民間側は7点要求を提出,大統領は次の(1)(2)点にのみ好意的反応を示したが,その他に対する反応は冷たかった。(1)官僚的手続の簡素化,(2)輸出手続統合,(3)政府の民間企業からの撤退,(4)企業開発税廃止,(5)GO47号の廃止,(6)信用緩和と利子率引下げ,(7)関税引下げ,自由化の緩和。 |
DIA-205-1982-11-03-2 | フィリピン | 1982年11月03日 | 1980年代 | エルネスト・ロンドン逃亡―自宅監禁中に。 |
DIA-205-1982-11-06-1 | フィリピン | 1982年11月06日 | 1980年代 | 地方首長に警察権返還の時期ではない―大統領。また自治体に歳入の無制限な処分権を与えることに反対。この2点が地方自治法案の成立遅延の主因。 |
DIA-205-1982-11-06-2 | フィリピン | 1982年11月06日 | 1980年代 | 軍の伏撃犠牲者の85%は指揮官の責任―ラマス陸軍司令官。8日ラモスPC司令官は,過失で部下が犠牲となった部隊指揮官を軍裁にかけるとの指示を発行。 |
DIA-205-1982-11-08-1 | フィリピン | 1982年11月08日 | 1980年代 | 第2の政党の認証法必要―ペレス国務相。84年BP選にKBL候補だけが出るのはばかげている。 |
DIA-205-1982-11-10-1 | フィリピン | 1982年11月10日 | 1980年代 | 米大使,投資協定案を放棄投資ミッション・アプローチを支持,これは米事業家に比側事業家との交渉でフリーハンドを与えることになろう。 |
DIA-205-1982-11-12-1 | フィリピン | 1982年11月12日 | 1980年代 | 3社に原木輸出割当―7月に輸出禁止を年末まで解除。この間の割当の第1号。 |
DIA-205-1982-11-13-1 | フィリピン | 1982年11月13日 | 1980年代 | 軍部隊ピコールに増派―南コタバトからの歩兵旅団のボニファシオ基地到着で陸軍・PCの8大隊に。 |
DIA-205-1982-11-14-1 | フィリピン | 1982年11月14日 | 1980年代 | 教会グループ,軍主張を否定―Association of Major Religious Superiorsinthe Philip Pinesは破壊活動に浸透され,公然とその大義を擁護する宗教ラジカルから構成されている,との主張を。 |
DIA-205-1982-11-14-2 | フィリピン | 1982年11月14日 | 1980年代 | Unido,パギオで人民議会開催―第1~3地方代表労働者,学生3000人参加。S・H・ラウレル演説:国民のための本当の改革の欠如が穏健反対派,宗教部門の急進化を促進。急進化した反対派の70%は山中にいる。 |
DIA-205-1982-11-14-3 | フィリピン | 1982年11月14日 | 1980年代 | 比は,サバ請求権放棄のため正式に憲法修正すべきだ―A.K.Fadzirマレーシア外務省政務次官。他方メンドーサ首席検事は,政府は請求権を求めないとの77年の大統領発表以上のことをすべきではないと発言。 |
DIA-205-1982-11-15-1 | フィリピン | 1982年11月15日 | 1980年代 | 比国はサバ請求権を正式に放棄すぺきだ―このほど,マハティール・マレーシア首相。健全な基礎の上に両国関係を樹立するためとして。 |
DIA-205-1982-11-16-1 | フィリピン | 1982年11月16日 | 1980年代 | 短期外国借款を制限一中銀総裁。現在の約37億㌦水準に。基本的には新規承認を認めない。また中銀筋によれば,83年の満期1~12年借款限度も82年の24億㌦に対し20億㌦’(ODA12億㌦)に設定。 |
DIA-205-1982-11-16-2 | フィリピン | 1982年11月16日 | 1980年代 | 香港からの外資流入を期待―PD1851号署名。20万㌦以上投資の外国人に特別投資家居住ビザを与える。 |
DIA-205-1982-11-17-1 | フィリピン | 1982年11月17日 | 1980年代 | 日産・丸紅の資本参加承認―Philipinas Ni-ssan Inc.株主・取締役会。30%,750万ペソ。 |
DIA-205-1982-11-17-2 | フィリピン | 1982年11月17日 | 1980年代 | 国軍,士気・紀律低下対策特別委員会設置。 |
DIA-205-1982-11-19-1 | フィリピン | 1982年11月19日 | 1980年代 | 比人労働者の募集を非公式に禁止―サウジ内務省は最近ビザ発給大幅削減を口頭で命令したという。 |
DIA-205-1982-11-20-1 | フィリピン | 1982年11月20日 | 1980年代 | 84年までの財政支出削減承認―首相発表。 |
DIA-205-1982-11-20-2 | フィリピン | 1982年11月20日 | 1980年代 | 軍警の公衆飲酒所への立入り禁止―国防相。 |
DIA-205-1982-11-21-1 | フィリピン | 1982年11月21日 | 1980年代 | ミスワリはまだMNLF議長―エスパルドン・ムスリム問題相。Pundatoは6月サバのMNLF改革派グループの会議で議長に据えられた。 |
DIA-205-1982-11-22-1 | フィリピン | 1982年11月22日 | 1980年代 | 大統領に「準備委」設立合意を要求―S・H・ラウレル,東ネグロス州Unido執行委会議で。ラウレル一行は,東ネグロスを遊説,シリマン大,Tanjayで大集会(数千人参加)。カラウ,エスピノ,アダサら同行。 |
DIA-205-1982-11-23-1 | フィリピン | 1982年11月23日 | 1980年代 | 比・EEC繊維協定に仮調印―83~86年分。 |
DIA-205-1982-11-25-1 | フィリピン | 1982年11月25日 | 1980年代 | 比・イラク労働協定調印。 |
DIA-205-1982-11-27-1 | フィリピン | 1982年11月27日 | 1980年代 | NPA,中部ピサヤに見えざる政府樹立―軍発表。ボホール州ウバイ,セブのアルガオの遠隔地域に。 |
DIA-205-1982-11-27-2 | フィリピン | 1982年11月27日 | 1980年代 | Unido ナガ市大集会―数千人参加。S・H・ラウレル演説。(1)公正選挙条件が拒否されれば野党はボイコット以外にない。(2)中銀,DBP,首都委,ココナツ産業の不正を調査中。(3)昨年来Unidoはリーダー一の25%を失った。彼らはNPA,MNLF,都市ゲリラに参加した。 |
DIA-205-1982-11-28-1 | フィリピン | 1982年11月28日 | 1980年代 | 軍のカンレオン司祭の逮捕・起訴に抗議―カルバヨグ教区26教会区の中16司祭宗教行事停止を宣言。 |
DIA-205-1982-11-28-2 | フィリピン | 1982年11月28日 | 1980年代 | マスコミは経済問題に集中すべきだ大統領。犯罪記事の扱いを弱め,いかに経済危機を解決できるかに集中すべきだ。 |
DIA-205-1982-11-29-1 | フィリピン | 1982年11月29日 | 1980年代 | サマール司祭の背後に第3勢力の疑い―東部司令官。第3勢力はサマールの司教と4司祭からなるといわれ,教会と軍を対立させようとしている。抗議休暇宣言の20司祭のうち8人は第3勢力の司祭と提携。 |
DIA-205-1982-11-29-2 | フィリピン | 1982年11月29日 | 1980年代 | 教会・軍対話会議―教会側代表:比カトリック司教会議(CBCP,A. Mabutas大司教)。軍側:国防相,参謀長。国防相:カンレオン神父釈放を要求する司祭の抗議行動に屈しない,逮捕はPCOによるので大統領だけが釈放を命令できる。両代表はポジョン・ペーパー提出,次回対話で紛争回避のため協力取決め採択予定。 |
DIA-205-1982-11-30-1 | フィリピン | 1982年11月30日 | 1980年代 | サマール司祭,カンレオン釈放要求―大統領宛の抗議書簡で。軍の,F・Bactol司教の釈放要請拒否後に。12月1日大統領拒否。 |
DIA-205-1982-11-30-2 | フィリピン | 1982年11月30日 | 1980年代 | テクノクラートの辞任要求―The Movement for National Survival。ビラタらが共謀した世銀・IMF支配政策は逆転不能な経済崩壊をもたらしたとして。また中立,・非同盟・米軍基地解体外国借款モラトリアム,ナショナリズム反帝国主義政策の採択を提案。 |
DIA-205-1982-12-01-1 | フィリピン | 1982年12月01日 | 1980年代 | 比ルソンのCPP・NPA統合さる―参謀長。北部勢力は北部ルソン・コミッションに統合され,RafaelBaylosis中央委員長,Juanito Rivera中央軍事委員長が活動のリードを開始した。 |
DIA-205-1982-12-01-2 | フィリピン | 1982年12月01日 | 1980年代 | 同時選挙の棚上げを決定―KBL幹部会。83年BP選挙後まで。 |
DIA-205-1982-12-01-3 | フィリピン | 1982年12月01日 | 1980年代 | 83年予算削減を決定―KBL幹部会。大統領,新規採用も一部除き停止,2日赤字抑制のため外国援助プロジェクト交渉の時凍結を命令。(1)政府部局18%,(2)人件費7%,(3)資本支出計画28%,ωインフラ計画25%(5)政府企業に対する出資と補助金50%。 |
DIA-205-1982-12-02-1 | フィリピン | 1982年12月02日 | 1980年代 | Unido,7点改革計画発表―「貧困,インフレ,低経済成長の悪循環」を断つ綱領を執行委員会(15人)承認。外国の搾取に委ねた現行政策を逆転,経済を外国・国際金融機関の支配下に置いた対外借入を終らせる。 |
DIA-205-1982-12-02-2 | フィリピン | 1982年12月02日 | 1980年代 | NP,全国政治機構の強化開始―84年の正規BP選挙に全地方で候補者を出し,マルコスの辞任を要求できるようBPの全議席獲得を目指す。Unidoの政治計画は81年大統領選挙時のNPの方針だ。他の野党とのトラブルは彼らがマルコス政権の合法性を認めないことだ。 |
DIA-205-1982-12-02-3 | フィリピン | 1982年12月02日 | 1980年代 | 11大工業プロジェクトは実施―大統領。外国借款と株式参加で資金調達されるので。その他,(1)信用削減は主に政府部門で実施される。(2)土地改革は養漁池,商品作物作付地には拡大されない,この分野には社会的緊張はないので。 |
DIA-205-1982-12-03-1 | フィリピン | 1982年12月03日 | 1980年代 | 領金準備率引下げを延期―中銀決定。現行18%を83年初に17%に引下げる予定であったが。 |
DIA-205-1982-12-03-2 | フィリピン | 1982年12月03日 | 1980年代 | 最高裁,Nasutraの砂糖長期輸出契約を支持。 |
DIA-205-1982-12-04-1 | フィリピン | 1982年12月04日 | 1980年代 | CPP・NPAは地方役職者暗殺キャンペーン実施―PC司令官。政府に対する信頼を失わさせるため。 |
DIA-205-1982-12-06-1 | フィリピン | 1982年12月06日 | 1980年代 | 4軍ピコール地方で演習―4日間。 |
DIA-205-1982-12-06-2 | フィリピン | 1982年12月06日 | 1980年代 | NPAの資金源―軍情報部。90~95%は木材伐採業者に対する「累進課税制度」を通じ調達されている。 |
DIA-205-1982-12-06-3 | フィリピン | 1982年12月06日 | 1980年代 | 西部ミンダナオで9万人がUnido参加の意思表明―S・H・ラウレル声明。4日サンボアンガ市で地方広報組織キャンペーン終了。 |
DIA-205-1982-12-07-1 | フィリピン | 1982年12月07日 | 1980年代 | Unido,7党の加盟批准を発表―NP,LP,CCA,Unido-Hugpong,Bicol Concemed Citizens Alliance,Kabataang Pilipino,BicolSaro。 |
DIA-205-1982-12-07-2 | フィリピン | 1982年12月07日 | 1980年代 | 週刊新聞編集者・記者ら15人逮捕―体系的・統制された有害な宣伝キャンペーンと暴力による政府転覆陰謀のかどで・WleFoブmm編集・発行人Jose Burgos,Jr., コラムニスト,寄稿者,元『マニラ・タイムズ』発行人J・ロセス,在米の2人を含む15人にPCO発行。 |
DIA-205-1982-12-07-3 | フィリピン | 1982年12月07日 | 1980年代 | 第2回ドル建財務省証券完売―1億㌦。 |
DIA-205-1982-12-08-1 | フィリピン | 1982年12月08日 | 1980年代 | カラウをボニファシオ基地に拘留―自宅監禁の条件違反で。 |
DIA-205-1982-12-08-2 | フィリピン | 1982年12月08日 | 1980年代 | 比米基地関係覚書交換―外相,米大使。クラーク,スビック基地への税関,移民,検疫職員の駐在協定の発効を認める。 |
DIA-205-1982-12-09-1 | フィリピン | 1982年12月09日 | 1980年代 | ロセスの釈放承認―大統領の個人的誓約書で。ケソン市検察,ブルゴスら15人を起訴。 |
DIA-205-1982-12-10-1 | フィリピン | 1982年12月10日 | 1980年代 | ブルゴスらを名誉棄損で起訴―退役軍人ら,一連の記事でマルコスを含む米極東軍兵士に授与された勲賞に疑いをかけたとして4000万㌦賠償金請求。 |
DIA-205-1982-12-10-2 | フィリピン | 1982年12月10日 | 1980年代 | 人権侵害抗議デモ―アギナルド基地前で約3000人。聖職者抑圧,We Forum 閉鎖,米国の現政権支持,外国の経済支配に抗議。 |
DIA-205-1982-12-10-3 | フィリピン | 1982年12月10日 | 1980年代 | 比,国連溝洋法協定に調印。 |
DIA-205-1982-12-11-1 | フィリピン | 1982年12月11日 | 1980年代 | 比米繊維協定調印―年間クオータ15%増。 |
DIA-205-1982-12-12-1 | フィリピン | 1982年12月12日 | 1980年代 | 革命運動容疑の聖職者らを捜索する―国防相。カンレオン神父供述で言及されたO. Tizon ら6司祭,尼僧1,平信徒7。15日カンレオン神父,TVインタビューで,CPP運動の迷いから覚めたと発言。 |
DIA-205-1982-12-14-1 | フィリピン | 1982年12月14日 | 1980年代 | ブルゴスらの釈放,自宅監禁命令―大統領。15日実施。裁判準備,休暇シーズンのため。 |
DIA-205-1982-12-15-1 | フィリピン | 1982年12月15日 | 1980年代 | 公務員に年末ボーナス支給承認―EO858号。基本給の1週間分。 |
DIA-205-1982-12-19-1 | フィリピン | 1982年12月19日 | 1980年代 | 南ラナオ知事,スルタンに就任―デイマポロ知事,Masiuのスルタンに。 |
DIA-205-1982-12-20-1 | フィリピン | 1982年12月20日 | 1980年代 | 破壊活動に新戦略を採用―参謀長,83年から。略号「Katatasan」。人民の支持を得てCPP・NPAの人的,物的資源への接近を断ち,そのリーダーシップと政治基盤を無効にする。 |
DIA-205-1982-12-21-1 | フィリピン | 1982年12月21日 | 1980年代 | 空軍特別奇襲夫隊に待機態勢命令―参謀長。中部ルソンの対反乱行動に備え。再訓練のため北部ルソンから撤収した大隊と交替予定。 |
DIA-205-1982-12-21-2 | フィリピン | 1982年12月21日 | 1980年代 | 准将に28人任命―大統領,国軍47周年式典で。将軍総数は定員90人に対し85人に。23日参謀長は上記任命に伴う大佐以下の大量昇進勧告,31日実施。 |
DIA-205-1982-12-25-1 | フィリピン | 1982年12月25日 | 1980年代 | セブ市でPDPリーダーら逮捕―Rebomaphil Organza PDP中部ビサヤ書記長,Filemon Alberca 同執行委員,NPA容者3人を含む7人。セブ州市幹部暗殺を計画していた容疑。27日起訴さる。 |
DIA-205-1982-12-30-1 | フィリピン | 1982年12月30日 | 1980年代 | 豪宗教団体寄付金,CPPに流出の疑い―国防相正義と平和に関するカトリック委員会のサマール調査プロジェクトに対する寄付金,と語る。 |
DIA-205-1982-12-31-1 | フィリピン | 1982年12月31日 | 1980年代 | 石油開発インセンティブ強化―大統領命。 |
DIA-205-1983-01-02-1 | フィリピン | 1983年01月02日 | 1980年代 | マニラを中国炭中継港に―大統領、Occidental Petroleum社長と合意。 |
DIA-205-1983-01-03-1 | フィリピン | 1983年01月03日 | 1980年代 | 生活手当の基本賃金統合を要求―比労働組合会議(TUCP)。最低賃金を23から32.25ペソに引上げ。 |
DIA-205-1983-01-03-2 | フィリピン | 1983年01月03日 | 1980年代 | 野党幹部に大統領拘禁令状―フィリピン民主党(PDP)書記長R.Holganza、Sr.ら11人。 |
DIA-205-1983-01-04-1 | フィリピン | 1983年01月04日 | 1980年代 | 2大工業プロジェクトの停止を命令―大統領アルミ製錬と石化プラントの2件。 |
DIA-205-1983-01-04-2 | フィリピン | 1983年01月04日 | 1980年代 | NPAの襲撃6件―この5日間にミンダナオとピコールで。NPA10人、兵6人、CHDF(民間村落防衛隊)8人、民間人7人死亡。 |
DIA-205-1983-01-06-1 | フィリピン | 1983年01月06日 | 1980年代 | 82年犯罪率4%上昇―ラモスPC長官発表。 |
DIA-205-1983-01-10-1 | フィリピン | 1983年01月10日 | 1980年代 | NAP、村を3日占領―ベンゲット州Bacu村。 |
DIA-205-1983-01-12-1 | フィリピン | 1983年01月12日 | 1980年代 | 中銀、今年一般再割窓口は開設せず―ラヤ総裁、信用抑制のため。 |
DIA-205-1983-01-12-2 | フィリピン | 1983年01月12日 | 1980年代 | 北ダバオの町警察を武装解除―NPA約200人がマビニ町で。11日南レイテ州ソゴッドではPC大隊長ら3人射殺され、2人負傷。 |
DIA-205-1983-01-21-1 | フィリピン | 1983年01月21日 | 1980年代 | 国軍の戦闘力改善措置を指示―最近の対反徒戦闘での一連の敗北にかんがみ、米国からのヘリ調達、近代的通信機材調達、小部隊コマンドの再訓練等指示。 |
DIA-205-1983-01-21-2 | フィリピン | 1983年01月21日 | 1980年代 | 国営2社、900億円借款取得―このほど日本の銀行団から。(1)NPC:300億円。バターン原発用。(2)国家鉄鋼会社(NSC):600億円。鉄鋼プラント用。 |
DIA-205-1983-01-21-3 | フィリピン | 1983年01月21日 | 1980年代 | 回教徒世界連盟事務局長の来比中止理由―エスパルドン回教相、12月17日来比取消しは病気のためと発表。 |
DIA-205-1983-01-23-1 | フィリピン | 1983年01月23日 | 1980年代 | 新駐比日本大使着任―大川美雄。 |
DIA-205-1983-01-23-2 | フィリピン | 1983年01月23日 | 1980年代 | 比司教会議、教会・軍対話の停止決定―F.Escaler司教発表(UPD。26日同会議は声明で政府との対話の継続では合意、停止は教会・軍連絡委員会と発表。 |
DIA-205-1983-01-24-1 | フィリピン | 1983年01月24日 | 1980年代 | マニラ国際映画祭開催―30日シン大司教は、金もうけのため未検閲映画の上映を続けていると批判。 |
DIA-205-1983-01-26-1 | フィリピン | 1983年01月26日 | 1980年代 | 北・東部ミンダナオに3大隊増派―海兵1、陸軍2大隊でサンボアンガ半島から移動。27日大統領は最近のNPAの狙撃増加はその強大化、国家安保の脅威ではない、新戦術を試めしているにすぎないと言明。 |
DIA-205-1983-01-26-2 | フィリピン | 1983年01月26日 | 1980年代 | 政府・回教徒和平交渉を要求―カラチでの「世界ムスリム会議」出席の「フィリピン・ムスリム団結会議」代表が声明。R・ルクマン、S・ペンダトゥンら。 |
DIA-205-1983-01-30-1 | フィリピン | 1983年01月30日 | 1980年代 | 大統領、労使にアピール―TUCP大会演説で、産業界に価格抑制、労組に不当賃上を要求するなと。またバターン輸出加工区労働者にサボタージュで警告。 |
DIA-205-1983-02-01-1 | フィリピン | 1983年02月01日 | 1980年代 | 行政執行委(EC)の給与10%減額―委員会承認。 |
DIA-205-1983-02-04-1 | フィリピン | 1983年02月04日 | 1980年代 | NPA、2村の軍分遣所襲撃―ダバオの2村。 村長1、CHDF6人、民間人11人、警官1死亡。 |
DIA-205-1983-02-06-1 | フィリピン | 1983年02月06日 | 1980年代 | 首都圏周辺の配電権の統合命令―大統領、コスト削減のため60キロメートル以内をマニラ電力会社に。 |
DIA-205-1983-02-09-1 | フィリピン | 1983年02月09日 | 1980年代 | 東ミンダナオで戦闘―4日以来5件。NPA26人、兵26人死亡。カガヤン州でも狙撃で兵6人死亡。 |
DIA-205-1983-02-10-1 | フィリピン | 1983年02月10日 | 1980年代 | 北・東ミンダナオにさらに軍増派―3陸軍大隊、1スカウト中隊。また空軍ヘリ10機も投入、小砲艦2、戦闘艦7がダバオ湾を封鎖。 |
DIA-205-1983-02-10-2 | フィリピン | 1983年02月10日 | 1980年代 | KBL幹部会、選挙問題で決定―(1)党籍変更を選挙1年前認める、(2)新選挙人名簿作成せず、(3)党認証ではナショナリスタ党(NP)を認める等。11日ビサヤ連合(PB)は(3)を非難、地方政党の認証を主張。 |
DIA-205-1983-02-11-1 | フィリピン | 1983年02月11日 | 1980年代 | 教会・軍連絡委員会を廃止―比カトリック司教会議(CBCP、A・マブタス議長)の主張で、国防相、ベル国軍総参謀長ら軍代表。CBCPは代りに政府機i関との調整権限をもつPublic Affairs Committeeを設置。 |
DIA-205-1983-02-12-1 | フィリピン | 1983年02月12日 | 1980年代 | 「反基地連合」設立―議長L.M.Tanada、事務局長J.W.Diokno。略称ABC。 |
DIA-205-1983-02-12-2 | フィリピン | 1983年02月12日 | 1980年代 | 電力料金10%値上げ発効―国家電力会社。 |
DIA-205-1983-02-13-1 | フィリピン | 1983年02月13日 | 1980年代 | NP、他野党との会談開始―国民議会選で。 |
DIA-205-1983-02-15-1 | フィリピン | 1983年02月15日 | 1980年代 | 西ネグロスで甘蔗に旱魃被害―5カ月目。ミンダナナでも、特に東ダバオは7カ月目。 |
DIA-205-1983-02-16-1 | フィリピン | 1983年02月16日 | 1980年代 | 基地内で関税法等の施行開始―ベル国軍総参謀長発表。移民、検疫法も82年12月の比米協定に基づいて在比米軍基地で。 |
DIA-205-1983-02-16-2 | フィリピン | 1983年02月16日 | 1980年代 | 米軍事援助は近代化のため―国防相、十分な武器あり、ミンダナオ反徒戦のためではない。同島では軍3500が推定600のNPAと戦っている。 |
DIA-205-1983-02-17-1 | フィリピン | 1983年02月17日 | 1980年代 | 全省庁の手数料改訂を指示―首相。 |
DIA-205-1983-02-17-2 | フィリピン | 1983年02月17日 | 1980年代 | パラオ大統領来比―大統領と会談。 |
DIA-205-1983-02-17-3 | フィリピン | 1983年02月17日 | 1980年代 | 第2次裁判所改組開始―大統領、45判事任命。 |
DIA-205-1983-02-19-1 | フィリピン | 1983年02月19日 | 1980年代 | 大統領、教会に対話呼び掛け―教会との争いはない。教会指導者を内閣との会議に招待する。 |
DIA-205-1983-02-20-1 | フィリピン | 1983年02月20日 | 1980年代 | CBCP、政権批判司教教書発表―「平和のための対話」と題し、不正、汚職、軍事化、社会・経済プロジェクトを批判。 |
DIA-205-1983-02-20-2 | フィリピン | 1983年02月20日 | 1980年代 | ビラタの大統領後継の可能性―大統領。私の死亡または執務不可能時にビラタが首相にとどまっている場合。首相の地位は行政執行委に交替されることもありうる。夫人は私と同時に辞めるが、首相は夫人の助けを必要としよう。夫人は助力に同意している。 |
DIA-205-1983-02-20-3 | フィリピン | 1983年02月20日 | 1980年代 | KBL幹部会、正規国民議会議席で合意―公選分を200議席中現行165から175とする。 |
DIA-205-1983-02-20-4 | フィリピン | 1983年02月20日 | 1980年代 | NPA参加司祭、軍の和平対話を拒否―Conrado M.Balweg司祭。北部ルソン山中で活動。 |
DIA-205-1983-02-20-5 | フィリピン | 1983年02月20日 | 1980年代 | PB、NPの合併提案を拒否―J・ビリエガス議員、タタド提案に対し。だが客員候補認められればNPとの連合もありうる。 |
DIA-205-1983-02-21-1 | フィリピン | 1983年02月21日 | 1980年代 | 内閣、対話開始―社会の各層が参加する社会・経済計画を策定せよとの大統領の指示で。 |
DIA-205-1983-02-21-2 | フィリピン | 1983年02月21日 | 1980年代 | 2地方司令官任命―ベル総参謀長。北部司令部司令官にAlexander L.Felix准将、PC第9地方司令官にEduardo Alfabeto准将。 |
DIA-205-1983-02-22-1 | フィリピン | 1983年02月22日 | 1980年代 | 国家調査局、多国籍企業を調査―ダミー使い比国企業のコントロールを企図との疑いで。 |
DIA-205-1983-02-23-1 | フィリピン | 1983年02月23日 | 1980年代 | 政府、CDCPを取得―大統領命令で政府金融機関に対する負債39億ペソを株式に転換。株式の90%強が政府所有に、R.Cuenca社長は副社長に。 |
DIA-205-1983-02-23-2 | フィリピン | 1983年02月23日 | 1980年代 | 33人を大佐に昇任―大統領。 |
DIA-205-1983-02-23-3 | フィリピン | 1983年02月23日 | 1980年代 | 戦闘9件―17、19、20、23日に北部ルソンで3件、ミンダナオで6件。NPA19人、兵3、CHDF2死亡。 |
DIA-205-1983-02-24-1 | フィリピン | 1983年02月24日 | 1980年代 | 比米安保協議―~25日。エンリレ国防相、ワインバーガー国防長官、ワシントンで。共同コミュニケで米側は、日本の軍備増強にかかわらず、対比防衛のコミットメントの水準を引下げないと表明。 |
DIA-205-1983-02-24-2 | フィリピン | 1983年02月24日 | 1980年代 | 労相、サウジ訪問―労働力輸出問題で。 |
DIA-205-1983-02-25-1 | フィリピン | 1983年02月25日 | 1980年代 | ロイNP総裁、辞任の意思―タタド書記長発表。党強化に役立つなら。ラウレル兄弟はまだNP員だ。84年選挙のため他の野党との連合を打診中だ。 |
DIA-205-1983-02-26-1 | フィリピン | 1983年02月26日 | 1980年代 | IMF対比貸付を発表―総額5億350万SDR。うち1カ年スタンドバイ・クレジット3億1500万、輸出変動補償融資1億8800万SDR。 |
DIA-205-1983-02-26-2 | フィリピン | 1983年02月26日 | 1980年代 | 全政党に認証政党特権を与える―大統領、KBL勧告を承認。 |
DIA-205-1983-02-28-1 | フィリピン | 1983年02月28日 | 1980年代 | 軍、MNLF急襲―スルタン・クダラト州で会議後のMNLF150人を。MNLF30人、兵5人が死亡。 |
DIA-205-1983-03-01-1 | フィリピン | 1983年03月01日 | 1980年代 | E・ソベル、SMC株売却―2100万株。同時にSMC副会長・取締役を辞任。 |
DIA-205-1983-03-08-1 | フィリピン | 1983年03月08日 | 1980年代 | 国営5社従業員、スト予定通告―Alliance of Government Workers(AGW)24日から。経営側の差別政策、不当労働行為、超勤・夜勤手当不払に抗議、労組連合の承認も要求。9日労働省は公務員・公企体職員はスト・労組加入を禁止されていると通告。 |
DIA-205-1983-03-08-2 | フィリピン | 1983年03月08日 | 1980年代 | CDCP救済は稀少資金の賢明でない使用―比商工会議所(PCCI)、首相宛声明で批判。1日J・オンピン(ベンゲット社長)も批判。 |
DIA-205-1983-03-08-3 | フィリピン | 1983年03月08日 | 1980年代 | 国軍将兵3~4万を現場に投入する―Ver国軍総参謀長。大統領の4軍司令官会議での指示に従い。 |
DIA-205-1983-03-09-1 | フィリピン | 1983年03月09日 | 1980年代 | 大統領暗殺陰謀容疑で2人告発―大統領警備司令部(psc)。J・E・マルコス基金の2役員を。 |
DIA-205-1983-03-12-1 | フィリピン | 1983年03月12日 | 1980年代 | LPは国民議会選挙に参加しない―現政権下での選挙は公正でない。だが党員が選挙で他の野党に加わることは認める。 |
DIA-205-1983-03-12-2 | フィリピン | 1983年03月12日 | 1980年代 | 革命回避のため共産党を合法化せよ―S・H・ラウレルUNIDO議長、学生フォーラムで。 |
DIA-205-1983-03-12-3 | フィリピン | 1983年03月12日 | 1980年代 | 北部ルンンの軍警検問所撤去―輸送業者の反対、軍人による強請阻止のため。 |
DIA-205-1983-03-12-4 | フィリピン | 1983年03月12日 | 1980年代 | シン大司教、4者諮問会議の設立提案―国家の生存のため。教会・政府各3人、野党・民間企業各2人の代表で構成。同席のビラタ首相は、提案を考慮、構成を検討すると発言。 |
DIA-205-1983-03-13-1 | フィリピン | 1983年03月13日 | 1980年代 | 世銀との輸出加工区融資交渉取消し―商工相このほど命令。ペン資金不足のため、カビテ、パンパンガの2EPZ(輸出加工区)のみ建設継続。 |
DIA-205-1983-03-13-2 | フィリピン | 1983年03月13日 | 1980年代 | 退役准将を呼び戻し―大統領、P.deLeonを国軍民間関係部司令官に。 |
DIA-205-1983-03-14-1 | フィリピン | 1983年03月14日 | 1980年代 | マパNEDA長富、PNB社長に転出―ドミンゴ社長の辞任で。後任は当面首相が兼任。 |
DIA-205-1983-03-15-1 | フィリピン | 1983年03月15日 | 1980年代 | エネルギー・プロジェクトの再検討命令―このほどエネルギー相、原油値下げで。 |
DIA-205-1983-03-15-2 | フィリピン | 1983年03月15日 | 1980年代 | セブ市で学生5000、抗議デモ―先週のデモでの学生殺害事件に抗議して。 |
DIA-205-1983-03-16-1 | フィリピン | 1983年03月16日 | 1980年代 | 日本の防衛計画を非難―CLU。わが国の領土主権に対する脅威だ。中曽根訪比はこの意味で重要だ。 |
DIA-205-1983-03-17-1 | フィリピン | 1983年03月17日 | 1980年代 | CBCP、大統領と会談―大統領の招きで。マブタス議長は政府開発計画の実施を支援のためプロジェクトのリストを検討すると述べた。 |
DIA-205-1983-03-18-1 | フィリピン | 1983年03月18日 | 1980年代 | 48非必需消費財の輸入自由化―中銀の事前許可を要しない。81年以降自由化品目は計873品目。 |
DIA-205-1983-03-20-1 | フィリピン | 1983年03月20日 | 1980年代 | 比米貿易・投資促進了解協定に調印。 |
DIA-205-1983-03-21-1 | フィリピン | 1983年03月21日 | 1980年代 | 事前協議なく核兵器を持込ませない―大統領声明。23日タニャーダ元上院議員は、事前協議制は79年改訂基地協定で廃棄され、核持込みで政府は何もできないと言明。24日大統領は事前協議制を両国政府は再確認していると反論。25日米大使館は基地協定の事前協議規定は存続と声明。 |
DIA-205-1983-03-21-2 | フィリピン | 1983年03月21日 | 1980年代 | 世銀、第4次都市開発ローン承認―6400万㌦、地方都市開発向け。20年、13%。 |
DIA-205-1983-03-22-1 | フィリピン | 1983年03月22日 | 1980年代 | タタド議員、副大統領制復活提案を再出―分裂の可能性ある行政執行委に代る大統領後継者として。 84年5月議会選と同時に改憲投票実施の決議案提出。 |
DIA-205-1983-03-23-1 | フィリピン | 1983年03月23日 | 1980年代 | 国防次官死亡―Carmelo Z.Barbero、67歳。 |
DIA-205-1983-03-24-1 | フィリピン | 1983年03月24日 | 1980年代 | 大統領、長男を北イロコス知事に任命―Ferdinando Marcos, Jr.25歳。叔母Elizabeth M.Rocka辞任で。 |
DIA-205-1983-03-24-2 | フィリピン | 1983年03月24日 | 1980年代 | Panorama誌に対する名誉棄損起訴を認む―82年3月18日号の編集者と執筆者に対する。 |
DIA-205-1983-03-25-1 | フィリピン | 1983年03月25日 | 1980年代 | 大規模セメント・プラント建設でソ連援助検討―商工相、融資条件交渉中。 |
DIA-205-1983-03-26-1 | フィリピン | 1983年03月26日 | 1980年代 | 比代表、海洋法会議の米国の立場を非難。 |
DIA-205-1983-03-26-2 | フィリピン | 1983年03月26日 | 1980年代 | NP、他の野党を非難―Roy派。NPを御しやすい野党、KBLの付属物、全国協力党と非難する者たちわが国の政治生活を安定させているNPの役割を無視している。ボイコット戦術を永久に取っている野党は、KBLに無期限に留る機会を与えている。28日、A.Alano UNIDO広報担当(ラウレル派NPのスポークスマンでもある)は次のように反論。将来の選挙に参加の用意がある、4月特別地方選、84年国民議会選にも候補者を出す、われわれが求めているのは公正な機会だ。 |
DIA-205-1983-03-28-1 | フィリピン | 1983年03月28日 | 1980年代 | 教育省職員スト―1.9万人。予算相の賃上げ要求50%支出承認で、29日中止決定。 |
DIA-205-1983-03-28-2 | フィリピン | 1983年03月28日 | 1980年代 | 中銀、外国企業向け不動産リース子会社設立計画―ラヤ総裁、大統領は子会社設立構想を承認した。30日「市民の自由連合」(CLU、H.J.Abaya議長)は構想は国家主権の基本原則を侵害と声明。4月KBL幹部会で居住相は反対を表明、実施延期が決定された。 |
DIA-205-1983-03-28-3 | フィリピン | 1983年03月28日 | 1980年代 | 軍警の火器・飲酒止違反の逮捕者―82年11月中旬から1485人。 |
DIA-205-1983-03-29-1 | フィリピン | 1983年03月29日 | 1980年代 | 在比基地排除は地域の戦略的均衡を変える―米大使。基地は、米国軍事力の効果的投入、石油シーレーン保護を可能にしている。 |
DIA-205-1983-03-30-1 | フィリピン | 1983年03月30日 | 1980年代 | KBL内に内閣改造求める声―オプレ労相、若手起用のため。 |
DIA-205-1983-03-30-2 | フィリピン | 1983年03月30日 | 1980年代 | インドネシアに米1万㌧輸出。 |
DIA-205-1983-03-31-1 | フィリピン | 1983年03月31日 | 1980年代 | 政府軍、NPA戦闘―3月中約8件報道。NPA14人、兵11人死亡、兵25人負傷。 |
DIA-205-1983-04-03-1 | フィリピン | 1983年04月03日 | 1980年代 | もっと多くの比人聖職者が必要―大統領。外国人司教は比人よりずっと多い。これが教会がナショナリスト聖職者と主張できない理由だ。政府は、今や和解について語っている教会と互の寛容のために取組んでいる。教会はその教義さえも問題にされており、衰えはじめている。問題は、村の司祭が貧困の問題と信徒の必要に関する社会的現実に関係しなければ、何ができるかだ。 7日、国防相は、国内外分子と政府転覆を共謀している外国人聖職者に対し現行スパイ法の適用を検討中と言明。 |
DIA-205-1983-04-04-1 | フィリピン | 1983年04月04日 | 1980年代 | 乗用車国産化計画の再検討予定―大統領指示で。技術移転・適正価格での国産化引上げに失敗として。 |
DIA-205-1983-04-04-2 | フィリピン | 1983年04月04日 | 1980年代 | 高馬力ディーゼル・エンジン・プロジェクトの棚上げを決定―90~320馬力。 |
DIA-205-1983-04-04-3 | フィリピン | 1983年04月04日 | 1980年代 | スクオッター、取壊しに抵抗―ケソン市Old Balara(400戸)で。6日にも衝突、33人負傷。 |
DIA-205-1983-04-07-1 | フィリピン | 1983年04月07日 | 1980年代 | 大統領、ビラタを後継者に選任していない―国を分裂させないため87年に立候補することもある。自分の死亡または辞任時の首相が後継として他の者に勝るということを言ったのだ(AFP)。 |
DIA-205-1983-04-08-1 | フィリピン | 1983年04月08日 | 1980年代 | 外相、ソ連外務次官と会談―カピッツア次官。13日カリン最高会議幹部会副議長ら議会代表団とも会談。 |
DIA-205-1983-04-11-1 | フィリピン | 1983年04月11日 | 1980年代 | 大統領、米国務次官補と会談―極東担当のP.Wolfowltz。12日同次官補はシン大司教と会談(シンは最近米の対比武器輸出停止を要求)。18日、Paul Thayer米国防副長官と会談。 |
DIA-205-1983-04-11-2 | フィリピン | 1983年04月11日 | 1980年代 | サンフェルナンド町長特別選挙―80年1月地方選やり直し。UNIDO公認、KBL系無所属、NP系同の3人が立候補。KBL系のV.Sanchez候補が当選。 |
DIA-205-1983-04-12-1 | フィリピン | 1983年04月12日 | 1980年代 | 全政府機関に外貨支出・対外借入削減を命令。 |
DIA-205-1983-04-13-1 | フィリピン | 1983年04月13日 | 1980年代 | ジャーナリストを破壊活動容疑で逮捕―Antonio Ma.Nieva元『ブレティン・トゥデイ』紙コラムニスト、同元労組委員長。大統領拘禁状(PCO)で。30日大統領は釈放、自宅拘禁を命令。 |
DIA-205-1983-04-14-1 | フィリピン | 1983年04月14日 | 1980年代 | KBL幹部会、IMFは主権を侵害―(1)R・S・ベネディクト砂糖委員会委員長・EC委員が先頭に立ち、IMFはわが国の経済生活に不当な影響を及ぼしてきた、国民の利益は至高で、金融に関する限りIMFのあらゆる要求にわれわれは従わない、と非難。また居住相は、先の首相の石油製品値上げ提案に対し、値上げは経済を混乱させる、KBLにとり政治的自殺行為だとして反対、KBLの過半もこれを支持。ビラタ首相は、IMF資金を使用しないことと同様に、IMFの条件を受け入れることもわが国の主権の範囲内にあると反論。幹部会は、KBL中央委員会に経済政策のレビューを委ねることを決定。(2)83年の新規対外債務限度を20億㌦、財政赤字を94億ペソとすることを決定。また28日オプレ労相もIMF条件は厳しすぎると批判。 |
DIA-205-1983-04-14-2 | フィリピン | 1983年04月14日 | 1980年代 | 新選挙法案検討―KBL幹部会。(1)実際には認証しないが、KBL以外の全登録政党に認証政党の権利を認めるペレス案採択。(2)正規国民議会定員を現行通り(165人)、各州に1議席は保証する。また(3)1000㌶超公有地のリース・売却・所有政策の緩和案(法相)を中央委決定に委ねる。 |
DIA-205-1983-04-15-1 | フィリピン | 1983年04月15日 | 1980年代 | KKKプロジェクト資金の即時支出命令―大統領。前日KBL幹部会での、82年割当10億ペソのうち7億ペソ未支出との居住相の不満に対し82年分4.5億ペソと83年計画分の支出を命令。 |
DIA-205-1983-04-17-1 | フィリピン | 1983年04月17日 | 1980年代 | カガヤンデオロ市長を逮捕―Aquilino Q.Pimentel、Jr.(43歳、PDP設立者)、NPAに武器、資金、隠れ家を与えたとしてPCOで。 |
DIA-205-1983-04-18-1 | フィリピン | 1983年04月18日 | 1980年代 | 大司教、ピメンテル拘禁状の廃棄を要請―P.Croninカガヤンデオロ・東ミサミス大司教。19日大統領は、釈放権限は今やセブ市地方裁にあり、自分にはない、と拒否。非常に強い証拠があると言明。市庁舎には市長の釈放を要求する吹き流しがかけられ、23日市内で約1.2万人が釈放要求の集会、デモに参加。 |
DIA-205-1983-04-20-1 | フィリピン | 1983年04月20日 | 1980年代 | 日比航空協定交渉合意―首都以遠権で。 |
DIA-205-1983-04-21-1 | フィリピン | 1983年04月21日 | 1980年代 | フィリピノ・イデオロギーの浸透教化を指示―大統領、全政府機関職員と大衆に。 |
DIA-205-1983-04-22-1 | フィリピン | 1983年04月22日 | 1980年代 | PCOによる逮捕者の拘禁継続は合法―最高裁、11:2で。釈放は大統領の命令による場合のみ可能。 |
DIA-205-1983-04-23-1 | フィリピン | 1983年04月23日 | 1980年代 | 政府機関の活動・業績定期報告を要求―A.R.Tupaz国務相ら与党議員グループ、行政執行委(EC)、各省、政府法人等につき、議会への報告を。またこのところ首相権限をめぐり与党内に論争があり、EC、内閣の決定は少数の者でなされているとの不満がある。 |
DIA-205-1983-04-23-2 | フィリピン | 1983年04月23日 | 1980年代 | 国軍再編計画を承認―大統領。(1)警察軍、陸軍、海兵大隊の定員枠までの増強。(2)第4、6、8、11地方の軍部隊をそれぞれ国軍地方統合司令部(AFP-RUC)に再編。 |
DIA-205-1983-04-24-1 | フィリピン | 1983年04月24日 | 1980年代 | 直接還元製鉄所建設の再考要請―J・オンピン、商工相宛書簡で、原料の制約で非経済的として。 |
DIA-205-1983-04-24-2 | フィリピン | 1983年04月24日 | 1980年代 | 今世紀末まで外部攻撃の危険はない―大統領。カンプチアに何が起ころうと、恐らくタイを除いて、ASEAN諸国に脅威はないだろう。 |
DIA-205-1983-04-24-3 | フィリピン | 1983年04月24日 | 1980年代 | 国民議会選で政党の認証はない―ペレス政治問題相。すべての登録政党は新選挙法下のすべての権利を、移行規定として、享受しよう。(以下、9月分の末尾に続く) |
DIA-205-1983-04-26-1 | フィリピン | 1983年04月26日 | 1980年代 | 戦後最大の比米合同演習開始―20日間、比米計約1.4万人、米戦艦15隻参加、ディンガラン湾で。 |
DIA-205-1983-04-26-2 | フィリピン | 1983年04月26日 | 1980年代 | 最高裁、モラレスの仮釈申請を却下―また82年4月21日同時に逮捕されたA.Moncupa,Jr.の人身保護令申請も却下。PCO発行は23日付だが証拠上正当。 |
DIA-205-1983-04-29-1 | フィリピン | 1983年04月29日 | 1980年代 | 首相をただちに替える計画はない―最近のビラタに対する批判は必ずしも、KBLが首相に不信任票を投じようとしているのを意味せず、首相としてのビラタに向けられたのではなく、決定の仕方に対するものだ。大統領・EC・全閣僚の権限との関係で首相の権限を再定義する必要がある。 |
DIA-205-1983-04-29-2 | フィリピン | 1983年04月29日 | 1980年代 | 世銀、第2次構造調整ローン承認―3.02億㌦。 |
DIA-205-1983-04-30-1 | フィリピン | 1983年04月30日 | 1980年代 | BOI、CKDパック価格に上限設定―CBUユニットの85%を超えないこと。 |
DIA-205-1983-04-30-2 | フィリピン | 1983年04月30日 | 1980年代 | 軍警・NPA戦闘―4月中報道で18件、NPA27人、軍警25人が死亡、NPA5人、兵4人が負傷。30日にNPA100人が北スリガオ州Tubod町舎を襲撃。 |
DIA-205-1983-05-01-1 | フィリピン | 1983年05月01日 | 1980年代 | シン、大統領夫妻結婚29週年ミサ―過去の不一致で、われわれが共に「平和、正義、国家統一、和解のため」将来働くことが妨げられてはならない。ミサ後、大統領の孫Ferdinando Manotocの洗礼も実施。 |
DIA-205-1983-05-01-2 | フィリピン | 1983年05月01日 | 1980年代 | 大統領、賃上げ拒否―その他(1)オラリアら20人の釈放、自宅拘禁、(2)政府企業に労使委員会設置、等指示。クバオでKMU主体に約2.5万人が別集会開催。 |
DIA-205-1983-05-02-1 | フィリピン | 1983年05月02日 | 1980年代 | アキノ、必ず帰国する―このほどBulletin Today紙とのインタビューで。タニャーダ元上院議員は今年6~7月に帰国するよう強く求めている。 |
DIA-205-1983-05-02-2 | フィリピン | 1983年05月02日 | 1980年代 | 労相、再びIMFを非難―エセ科学的手法で金融援助と交換に過酷な条件を押しつけ、わが国は主権か経済破綻かの選択をせまられた、と非難。 |
DIA-205-1983-05-03-1 | フィリピン | 1983年05月03日 | 1980年代 | 2野党、KBLを非難―NP:KBL下で経済は不振、反徒は地歩を得た。UNIDO:政府はクロニイズのため社会改革できない。自由・民主回復のため自由・公正な選挙を実施すべきだ。汚職、経済の外国支配、経済困難は悪化、多数の人々を公然の反乱に追い込んだ。4日KBL反論。彼らはKBL計画に代る解決策を提示すべきだ。 |
DIA-205-1983-05-04-1 | フィリピン | 1983年05月04日 | 1980年代 | 最高裁の大統領拘禁令合憲判決を批判―R.Roco比統一法曹会副会長。11日「市民の自由連合」も。 |
DIA-205-1983-05-04-2 | フィリピン | 1983年05月04日 | 1980年代 | 3司祭ら15人を起訴―殺人容疑で、外国人2司祭含む。7日大統領は3司祭の釈放・自宅拘禁命令。 |
DIA-205-1983-05-05-1 | フィリピン | 1983年05月05日 | 1980年代 | ビラタ首相、口頭で辞意を表明―聖週間の東京行き前に大統領に表明した。大統領にまだやるべきことがあるので首相にとどまるよう慰留された。 |
DIA-205-1983-05-05-2 | フィリピン | 1983年05月05日 | 1980年代 | SMC、UCPB相互に役員就任―A.Soriano,Jr.SMC会長はUCPB副会長就任を受諾。10日E・コファンコ,Jr.はSMC取締役副会長に選任された。 |
DIA-205-1983-05-06-1 | フィリピン | 1983年05月06日 | 1980年代 | 中曽根首相公式訪問―(~8日)大統領は晩餐会で一方的両国関係の合理性への復帰呼びかけ。7日首脳会談で、首相は円借款650億円の実行発表、84年度GSP改訂とバナナ関税引下げの努力約束。大統領は、日本の防衛力増強に同意、だが自衛力に限るべきと強調。 |
DIA-205-1983-05-07-1 | フィリピン | 1983年05月07日 | 1980年代 | 核保有米基地は国民の生存に脅威―ラウレルUNIDO議長。島国で国境問題なく敵対近隣国もない。 |
DIA-205-1983-05-08-1 | フィリピン | 1983年05月08日 | 1980年代 | アキノの法的地位調査を指示―大統領。7日アキノはUPIとのインタビューで、「どうして選挙に参加できようか、まだ起訴されている事件があり、死刑判決も受けている」と帰国を否定する発言をしたという。他方ケソン市検事は、アキノは裁判所の2逮捕令状で再逮捕されよう、と述べた。13日Bulletin Today紙のコラムニストEncicoは、ロイNP総裁がアキノに党のリーダーシップを喜んで引渡すと語ったと書いている。 |
DIA-205-1983-05-10-1 | フィリピン | 1983年05月10日 | 1980年代 | カガヤンデオロ市長代行・評議員6人を逮捕―軍申請によるセブ地方裁の逮捕令状(間接侮辱罪)で。12日最高裁は全員の釈放を命令。 |
DIA-205-1983-05-12-1 | フィリピン | 1983年05月12日 | 1980年代 | 中部ビサヤ5野党、連合結成に合意―このほどPDP-Laban、SDP、PB、LP、People’s Partyが正規国民議会選挙参加に合意。22日公正な選挙規則を要求。 |
DIA-205-1983-05-12-2 | フィリピン | 1983年05月12日 | 1980年代 | サマールの司祭を逮捕―Pedrito Lucero神父、PCOで。国防相発表。軍司教代理の保護下に引渡し。 |
DIA-205-1983-05-13-1 | フィリピン | 1983年05月13日 | 1980年代 | 「自由フィリピン運動」マングラプス議長辞任―新議長にRenato Roxasを選出。 |
DIA-205-1983-05-17-1 | フィリピン | 1983年05月17日 | 1980年代 | PC、対ゲリラ・テロのエリート部隊新設―「Special Action Force」。4中隊、陸海空作戦可能。 |
DIA-205-1983-05-18-1 | フィリピン | 1983年05月18日 | 1980年代 | 野党指導者に寛大な政策を継続―大統領。彼らはNPA、MNLFと接触・援助しているが。あるグループは勝ったらミスワリに完全な自由と独立を与えると申し出たが、彼ら自身統一できないのだから、われわれは重大に考えない。統一して議会選での善戦を希望する。19日には反徒と取引するな、政府に過去に使ったと同じ権力の行使を強いるな、と警告。 |
DIA-205-1983-05-21-1 | フィリピン | 1983年05月21日 | 1980年代 | 経済発展のための将来への代案―S・H・ラウレル提案。国内市場強化、外国経済支配の逆転、貿易・関税自由化の逆転・適正な保護、外国借入の停止、基礎的工業化、独占打破、中小企業助成、貸付の比人優先。 |
DIA-205-1983-05-21-2 | フィリピン | 1983年05月21日 | 1980年代 | 比米相互防衛計画に調印。 |
DIA-205-1983-05-23-1 | フィリピン | 1983年05月23日 | 1980年代 | NP、議会選に全国で候補を立てる―政治綱領は他党と基本的に相違、他の政党と合併しない。党の主要目標は大統領の非常大権、特にPCO発行権の廃止。S・H・ラウレルは、上記発表は名を明かしておらず、偽ソースからのものだ。真のNP員は他の本物の野党とUNIDOの下で力を合せている、と言明。 |
DIA-205-1983-05-23-2 | フィリピン | 1983年05月23日 | 1980年代 | SDP・議会選参加を表明―Reuben Canoy。 |
DIA-205-1983-05-23-3 | フィリピン | 1983年05月23日 | 1980年代 | ベル、国軍幹部異動―准将4人、大佐10人。 |
DIA-205-1983-05-27-1 | フィリピン | 1983年05月27日 | 1980年代 | イラクと貿易・経済協力協定に調印。 |
DIA-205-1983-05-28-1 | フィリピン | 1983年05月28日 | 1980年代 | 大統領、外国紙記事を非難―27・28日付の首相と他の高官との争いに関するAsian Wall Street Journal記事は内政干渉を目指すイエロージャーナリズムだ。29日ビラタ首相も非難声明発表。 |
DIA-205-1983-05-30-1 | フィリピン | 1983年05月30日 | 1980年代 | 選管正式承認NPはただ一つ―Jose Roy声明。ロイ派、ラウレル派というのは誤り。UNIDO等参加のNP員は公式指導部承認なく個人資格でそうしているものだ。 |
DIA-205-1983-05-31-1 | フィリピン | 1983年05月31日 | 1980年代 | 5月中対NPA戦闘20件―報道分のみ。死亡、軍28人・CHDF4人、NPA13人、警官1人、民間人11人。対MNLF戦は、3件、死亡はMNLF9人、民間人9人。 |
DIA-205-1983-06-01-1 | フィリピン | 1983年06月01日 | 1980年代 | 比米基地協定の改訂合意覚書に調印―大統領、84年10月から5カ年の基地使用の補償として9億㌦の米議会支出承認を求める旨約したレーガン大統領の親書を受理。内訳は軍事援助1億2500万㌦、兵器売却クレジット3億㌦、経済支援基金(ESF)援助4億7500万㌦。 |
DIA-205-1983-06-03-1 | フィリピン | 1983年06月03日 | 1980年代 | 経済界、ビラタ首相支持を表明―約700人を集めた比商工会議所主催ディナー・パーティーで。 |
DIA-205-1983-06-03-2 | フィリピン | 1983年06月03日 | 1980年代 | 食用ヤシ油価格の統制解除―物価安定審議会(PSC)、5月2日発効を確認。 |
DIA-205-1983-06-04-1 | フィリピン | 1983年06月04日 | 1980年代 | 2政党、選管に登録―Christian Democratic Party(CDP)およびNational Union for Liberaiton(NUL)。 |
DIA-205-1983-06-04-2 | フィリピン | 1983年06月04日 | 1980年代 | UNIDOは次の選挙に参加―Jose B.Laurel諮問委員会副委員長(NP総裁)、ラグナの広報集会で、規則公正との条件で。 |
DIA-205-1983-06-05-1 | フィリピン | 1983年06月05日 | 1980年代 | 在比米軍の戦闘作戦は比政府の同意を要する―外務次官、ディオクノ元上院議員の主張(新基地協定は比側同意なく米国が核ミサイル、化学兵器を持込むことを認めた)に反論。 |
DIA-205-1983-06-06-1 | フィリピン | 1983年06月06日 | 1980年代 | ベトナム外相訪比―~8日。 |
DIA-205-1983-06-07-1 | フィリピン | 1983年06月07日 | 1980年代 | アキノ、帰国の決意を表明―マサチューセッツ州ニュートンでのAPとのインタビューで。マルコスに反対する政党の復活を平和的に追求する。非暴力闘争を遂行する。 |
DIA-205-1983-06-07-2 | フィリピン | 1983年06月07日 | 1980年代 | ベネディクト系放送局の白黒TV免税輸入権延長―Banahaw放送会社に5年間計1860万㌦分。 |
DIA-205-1983-06-11-1 | フィリピン | 1983年06月11日 | 1980年代 | PC武器庫から銃数千丁盗難―サンボアンガ市第9地方PC司令部で。PC兵9人を逮捕。 |
DIA-205-1983-06-11-2 | フィリピン | 1983年06月11日 | 1980年代 | マルコス大統領次女結婚式―Irene、イロコス州で、Gregorio AranetaⅢと。 |
DIA-205-1983-06-12-1 | フィリピン | 1983年06月12日 | 1980年代 | UNIDO、国民和解4点提案―政治犯の大赦、破防法等類似法の廃止、PCO廃止、AFPの文民問題への干渉停止。S・H・ラウレル、タニャーダら28人署名。ペレス政治問題国務相は、14日、提案は国家の自衛能力を弱めるものだと批判。15日ラウレルは、NPAに選挙に参加し民主的プロセスに最後の機会を与えるようアピール。 |
DIA-205-1983-06-12-2 | フィリピン | 1983年06月12日 | 1980年代 | アレヘレス市で反米基地集会―約8000人参加。米軍基地の存続、米国の比政府支持は比国の主権とその民主的権利への侮辱だと非難。 |
DIA-205-1983-06-12-3 | フィリピン | 1983年06月12日 | 1980年代 | 世銀第4次都市開発ローン調印―6700万㌦。 |
DIA-205-1983-06-16-1 | フィリピン | 1983年06月16日 | 1980年代 | クロニイズム、国家資本主義に警告―B・ビリエガスCenter for Research and Communication.(CRC)上席副会長。経済回復を脅かす恐れがある。 |
DIA-205-1983-06-16-2 | フィリピン | 1983年06月16日 | 1980年代 | 在比2基地の戦略的重要性強調―ウォルフォウィツ米国務次官補、下院外交委小委員会で証言。 |
DIA-205-1983-06-16-3 | フィリピン | 1983年06月16日 | 1980年代 | 海軍艦船増強計画―アレハンドロ司令官。対反徒戦用高速パトロール艇50隻、中型駆逐艦2隻。また陸・空軍に次ぎ即戦態勢の海兵1個大隊も編成する。 |
DIA-205-1983-06-17-1 | フィリピン | 1983年06月17日 | 1980年代 | 選管、UNIDOを政党登録。 |
DIA-205-1983-06-21-1 | フィリピン | 1983年06月21日 | 1980年代 | 石油消費者価格安定基金を廃止―LOI1334号 |
DIA-205-1983-06-21-2 | フィリピン | 1983年06月21日 | 1980年代 | 5大工業プロジェクトの延期を決定―大統領、KBL部幹会で。紙・パー貫プラント、高馬力ディーゼル・エンジン、アルコガス、アルミ精錬、石化プラントの5件。幹部会はまた以下も決定。(1)EC(行政執行委員会)に大型インフラ・プロジェクトの延期含めた検討、外貨負担小さな中小プロジェクトの開発を指示。(2)比米基地協定による1.3億ドルのプロジェクト承認。 |
DIA-205-1983-06-21-3 | フィリピン | 1983年06月21日 | 1980年代 | ヤシ油輸出を抑制―フィリピン・ココナツ庁。旱魃による生産不足の影響緩和のため輸出業者数を10社から3社に削減。 |
DIA-205-1983-06-23-1 | フィリピン | 1983年06月23日 | 1980年代 | ペソ為替相場切下げ―対米ドルで10.202から11ペソに7.8%、年初比約20%切下げ。 |
DIA-205-1983-06-23-2 | フィリピン | 1983年06月23日 | 1980年代 | 一貫製鉄プロジェクトは実施―大統領。プロジェクトの外国融資者が関心もつ限り追求する。 |
DIA-205-1983-06-24-1 | フィリピン | 1983年06月24日 | 1980年代 | 新NEDA長官任命―Vicente B.Valdepenas(46歳)、76年以降商工次官。 |
DIA-205-1983-06-25-1 | フィリピン | 1983年06月25日 | 1980年代 | シュルツ米国務長官訪比―(~26日)大統領と安保・貿易問題を討議。同長官訪比前の米議会で、同長官の補佐官の1人は「米国が接触を求める幅広い多様な層は非暴力的手段で権威主義を終結させようとする政治家・活動家のグループ、合法野党を含む」と証言。またウォルフォウィツ国務次官補は、「84年正規国民議会選挙ではすべての合法グループが、フェアな参加機会をもつべきだ」と証言。 |
DIA-205-1983-06-27-1 | フィリピン | 1983年06月27日 | 1980年代 | 准将5人を新任―将軍総数90人に。 |
DIA-205-1983-06-29-1 | フィリピン | 1983年06月29日 | 1980年代 | 銅精錬プラント落成式―レイテ州イサベル。トンゴナン地熱発電所も。 |
DIA-205-1983-06-29-2 | フィリピン | 1983年06月29日 | 1980年代 | 労組、11ペソ最賃引上げ要求―労相との会談で、比労働組合会議(TUCP)。段階的実施を主張。 |
DIA-205-1983-06-30-1 | フィリピン | 1983年06月30日 | 1980年代 | 石油製品の卸値暫定引上げ認可―エネルギー委員会。7月1日発効。平均リットル当り31.9センタボ(11%)。小売プレミアム・ガンリンは5.47ペソ/㍑。 |
DIA-205-1983-06-30-2 | フィリピン | 1983年06月30日 | 1980年代 | 糖業銀行の準備不足処罰の容赦命令―大統領、LOI1330号(6月6日付)で中央銀行に、Republic Planters Bank(フィリピン砂糖委員会所有)に関して。 |
DIA-205-1983-07-02-1 | フィリピン | 1983年07月02日 | 1980年代 | 賃上げ大統領令発行―賃金命令第2号。計3.5ペソ。(1)7月6日に非農業労働者は最低賃金1ペソ、生活手当1.5ペソ引上げ、実効最賃を首都圏の場合34.32ペソ、首都圏外で33.24ペソとする。手当受給資格の月収上限を1500から1800ペソに引上げる。(2)同プランテーション農業労働者の最賃を1ペソ、手当を0.5ペソ、非プランテーション農業労働者は最賃のみ1ペソ引上げ、実効最賃をそれぞれ27.68ペソ、20.65ペソとする。(3)10月1日からすべての労働者の最賃をさらに1ペソ引上げる。同時に所得税の基礎控除額を引上げ(PD1868号)、高級乗用車に対する付加税を設置(PD1869号)。 |
DIA-205-1983-07-03-1 | フィリピン | 1983年07月03日 | 1980年代 | ミンダナオの電力供給回復―精米も正常化。 |
DIA-205-1983-07-06-1 | フィリピン | 1983年07月06日 | 1980年代 | 対比世銀協議グループ、パリ会議開催―(~7日)。84年分の対外借入限度20億㌦要請およびODA12億㌦供与に合意。 |
DIA-205-1983-07-07-1 | フィリピン | 1983年07月07日 | 1980年代 | バス・ジープニイ料金値上げ実施―フィリピン航空も8日国内運賃を5.2%引上げ。 |
DIA-205-1983-07-08-1 | フィリピン | 1983年07月08日 | 1980年代 | 米国は重荷なら随時基地を撤収できる―大統領、米下院議員訪問団に対して。そうなればソ連と暫定協定が結ばれよう。過去の教訓は危機時に最強の同盟国に援助を頼るべきでないことを教えた。米政府は、軍事援助でなくESFを使うべきだと示唆したが、フィリピンはこの示唆に沿ってやっている。 |
DIA-205-1983-07-09-1 | フィリピン | 1983年07月09日 | 1980年代 | 大統領、任期中の辞任ありうる―Asiaweek誌インタビューで。KBLは私が現在団結させている。将来も団結させるためグループを組織せねばならない。そこで自分は任期中でも引退、キングメーカになれる。 |
DIA-205-1983-07-09-2 | フィリピン | 1983年07月09日 | 1980年代 | 治安状況の悪化傾向に対処の用意―国防相。NPAによる「イデオロギー闘争」に警告。 |
DIA-205-1983-07-11-1 | フィリピン | 1983年07月11日 | 1980年代 | ルール公正なら選挙に参加―S・H・ラウレル。第一歩として選管の4空席に公平人士を任命、政治犯に大赦を与えるべきだ。 |
DIA-205-1983-07-12-1 | フィリピン | 1983年07月12日 | 1980年代 | 米政府・大統領の11月訪比を発表―アジア歴訪にフィリピンとタイを追加する。 |
DIA-205-1983-07-13-1 | フィリピン | 1983年07月13日 | 1980年代 | ルソンの5大発電ダム閉鎖―水位低下のため。アンガット・パンタバンガンは4月以降。 |
DIA-205-1983-07-13-2 | フィリピン | 1983年07月13日 | 1980年代 | 小麦粉小売価格値上げ―9%。 |
DIA-205-1983-07-14-1 | フィリピン | 1983年07月14日 | 1980年代 | 台風襲来―(~15日)。「Bebeng」ビコール、南部ルソン・首都圏で死者82人以上、住宅損壊1.2万。 |
DIA-205-1983-07-17-1 | フィリピン | 1983年07月17日 | 1980年代 | 第11次円借款覚書交換―650億円。特別円借款96億円にも調印。 |
DIA-205-1983-07-18-1 | フィリピン | 1983年07月18日 | 1980年代 | 聖職者ら8人逮捕―南スリガオで司祭3、尼僧2、その他3人を扇動活動容疑で。 |
DIA-205-1983-07-20-1 | フィリピン | 1983年07月20日 | 1980年代 | 大統領・CBCP議長会談―国家と教会の協力改善問題を討議。A・マブタス議長他。 |
DIA-205-1983-07-21-1 | フィリピン | 1983年07月21日 | 1980年代 | 84年選挙のKBL認証権放棄に合意―KBL幹部会。大統領、新NEDA長官をIBP議員に任命。 |
DIA-205-1983-07-21-2 | フィリピン | 1983年07月21日 | 1980年代 | 年間総合収支赤字の目標は8億ドル―首相、KBL幹部会で。政府は石油輸入・公共投資削減、信用引締め等の安定化計画を採用、下期の輸出増・輸入減を期待。 |
DIA-205-1983-07-22-1 | フィリピン | 1983年07月22日 | 1980年代 | アキノの新パスポート発給停止を指示―外務省このほど在ニューヨーク領事に。帰国時に暗殺計画があるとの情報があり、計画が実行不能になるまでアキノに米国滞在を要請。20日大統領府は、もし帰国するならアキノは自己の責任ですべきだと声明。 |
DIA-205-1983-07-22-2 | フィリピン | 1983年07月22日 | 1980年代 | 大統領、政府機構の再編を計画―現行制度は機関相互の、特に管轄・機能の重複等の不調和に満ちている。 |
DIA-205-1983-07-22-3 | フィリピン | 1983年07月22日 | 1980年代 | 製鉄ミル・パッケージ契約調印―ロータリー・キル方式直接還元プラント。総経費2.35億㌦。国家鉄鋼会社と丸紅・三菱コンソーシアム。 |
DIA-205-1983-07-22-4 | フィリピン | 1983年07月22日 | 1980年代 | 比・西独租税条約に調印。 |
DIA-205-1983-07-22-5 | フィリピン | 1983年07月22日 | 1980年代 | BOI、日本自動車業界代表と会談―乗用車の輸入CKDパック価格上限政策の緩和を交渉、日本側1週間の考慮期間要請。先にオンピン商工業相は出荷停止との日本側の脅しに屈しない、日本以外からのCKD車の輸入を考慮すると言明。 |
DIA-205-1983-07-23-1 | フィリピン | 1983年07月23日 | 1980年代 | 大統領、ピメンテルの釈放、自宅拘禁命令―シン大司教、ベル総参議長との会談後、大統領に電話で釈放要請。26日セブ地方裁の令状で再逮捕されたが、27日最終的に釈放され、28日自宅に戻った。29日自治省はピメンテルの市長職務執行の停止を指示。 |
DIA-205-1983-07-27-1 | フィリピン | 1983年07月27日 | 1980年代 | 5カ年計画のレビューを実施する―NEDA長官。農村・農業に新たな重点を置く。 |
DIA-205-1983-07-28-1 | フィリピン | 1983年07月28日 | 1980年代 | 75年以降犯罪件数・率徐々に上昇―ラモスPC司令官。81年の月平均犯罪発生率は71年比16.9%増加。 |
DIA-205-1983-07-28-2 | フィリピン | 1983年07月28日 | 1980年代 | 反乱勢力の脅威は相当に阻止された―ラモスPC司令官。NMLF勢力は77年の2万1200人から1万4000人に減少、72年以来2.5万人以上が帰順した。CPP・NPA正規メンバーは約6000人に、積極的支持者は約1.3万人にすぎない。過去4年間に正規員・支持者約2.1万人が帰順した。 |
DIA-205-1983-07-28-3 | フィリピン | 1983年07月28日 | 1980年代 | 大統領の民・軍最高権限を強調―大統領。ビラタ首相・国防相、国軍総参謀長、4軍司令官出席の会議で。国防相は・指揮系統の一部ではないが、大統領の分身として委任された権限を行使する。総参謀長は、大統領の国軍との直接のリンクであり、指揮統一原則に従いすべての軍司令官に対する命令は彼を通じて発せられる。軍の異動に関し大統領だけが最高司令官として軍人の転属・任命を、書面での権限委任は可能だが、命ずることができる。 |
DIA-205-1983-08-03-1 | フィリピン | 1983年08月03日 | 1980年代 | モービル石油、撤退契約に調印―販売部門をCaltex Phils社に、バターン製油所持分をPNOCに売却。 |
DIA-205-1983-08-04-1 | フィリピン | 1983年08月04日 | 1980年代 | アキノ、帰国延期に合意―S・H・ラウレル発表。先日アキノと電話で話した。アキノは、暗殺計画のため帰国を少なくとも1カ月のばすよう要請したエンリレ国防相の電報を受け取った。 |
DIA-205-1983-08-05-1 | フィリピン | 1983年08月05日 | 1980年代 | PCMP全5社、CKD価格上限順守を約束。 |
DIA-205-1983-08-05-2 | フィリピン | 1983年08月05日 | 1980年代 | 大統領、PCO等治安立法廃止を発表―7月21日付のPD3本で。(1)PD1875号:Public Order Act(PD1737号)廃止。(2)PD1876号:National Security Code(PD1498号)廃止。(3)PD1877号:PCO(大統領拘禁令状)廃止。ただし、公共秩序維持のため、効力1年(更新可)の「予防拘禁措置」(PDA)を取る権限を大統領に与える。 |
DIA-205-1983-08-07-1 | フィリピン | 1983年08月07日 | 1980年代 | PCMP、PTMPの新ガイドライン起草を命令―大統領、BOIに。適正な価格実現のためPCMP(乗用車国産化計画)参加企業を2社以内に制限する。 |
DIA-205-1983-08-08-1 | フィリピン | 1983年08月08日 | 1980年代 | 5品目の値上げ発効―平均8.9%。豚肉、鶏肉、卵、缶詰いわし、鉛筆。13日電話料金も35%値上げ。 |
DIA-205-1983-08-11-1 | フィリピン | 1983年08月11日 | 1980年代 | 大統領は約3週間公務に出ない―大統領府発表。著書執筆のため。 |
DIA-205-1983-08-12-1 | フィリピン | 1983年08月12日 | 1980年代 | 日本、農産品等4品目の関税引下げ通告―大川大使、安倍外相の覚書(1/29付)をロムロ外相に手交。 |
DIA-205-1983-08-13-1 | フィリピン | 1983年08月13日 | 1980年代 | 大統領、軍情報部幹部と会議―総参謀長らとNISA本部で。大統領は病気手術の噂を否定:私は数冊の本を書き終えたいだけだが、おかしなことが耳に入ってき始めた。ひとりで閉じ籠もるはずだったが、私が活動していないとの話が流布しているので、ここに来ることに決めたのだ。15日大統領は法案を閣僚と討議。 |
DIA-205-1983-08-18-1 | フィリピン | 1983年08月18日 | 1980年代 | 補償内容修正すれば、基地協定の全面的再検討ありうる―大統領、ソーラーズら米議員団との会見で。 |
DIA-205-1983-08-18-2 | フィリピン | 1983年08月18日 | 1980年代 | 聖職者3人を逮捕―破壊活動容疑でPCが北コタバト州で。カトリック司祭1人と新教牧師2人。 |
DIA-205-1983-08-19-1 | フィリピン | 1983年08月19日 | 1980年代 | 旅券なければアキノは乗機地に送還―ベル総参謀長・大統領にアキノが数日内に飛行機で入国するかもしれないと報告した。政府は空港で完全な保護措置をとる。S・H・ラウレルは次のように声明:アキノは21日午後1時30分マニラに到着する。ラモスPC司令官に暗殺陰謀の報にかんがみ保護を与えるよう要請した。 |
DIA-205-1983-08-20-1 | フィリピン | 1983年08月20日 | 1980年代 | NPロイ派、84年選挙に参加する―ルールのいかんに拘らず参加、全国13地方で完全な候補を出す。 |
DIA-205-1983-08-21-1 | フィリピン | 1983年08月21日 | 1980年代 | アキノ元上院議員暗殺さる―台北からの中華航空CI-811便でマニラ空港に帰着、警備兵3人と機外に出た直後、ピストルで頭部を射たれ即死。大統領は同日暗殺を非難する声明を発表。22日夜TV会見で、戒厳令布告の意図、大統領は心臓発作でホノルルの病院に飛んだ、デモが発生した、政府は暗殺に関与等の噂を否定、すべては正常と強調。当局は22日空港警備司令部(AVSECOM)の14兵士の武装を解除。 |
DIA-205-1983-08-21-2 | フィリピン | 1983年08月21日 | 1980年代 | PDP、84年選挙に候補出す―ピメンテル・カガヤンデオロ市長。少なくとも地方で。 |
DIA-205-1983-08-24-1 | フィリピン | 1983年08月24日 | 1980年代 | アキノ事件特別調査委員会設置―大統領行政命令。委員長エンリケ・フェルナンド最高裁長官、元最高裁判事4人(うちE・コンセプシオン前長官は辞退)。27日大統領はシン大司教を委員に任命。大司教は初め受けたが、数時間後、バチカンでの司教会議出席を理由に辞退した。29日委員にJ・ビリヤモール元最高裁判事を任命。また同日フェルナンド委員長は、自分の任命が調査を混乱させるなら自分の更迭を求める、と言明。 |
DIA-205-1983-08-24-2 | フィリピン | 1983年08月24日 | 1980年代 | ソーラーズ米下院議員、アキノ宅を弔問―シンガポール訪問を中断して。アーマコスト米大使も弔問。22日夕自宅に遺体移されて以降数千の市民が弔問。 |
DIA-205-1983-08-24-3 | フィリピン | 1983年08月24日 | 1980年代 | アキノ夫人ら遺族、米国から帰国―午後8時。 |
DIA-205-1983-08-25-1 | フィリピン | 1983年08月25日 | 1980年代 | アキノ氏遺体、サント・ドミンゴ教会に移送―自宅から3キロメートルを無数の群集に囲まれ2時間かけて。群集からは「あなたは1人ではない」の声が聞かれた。27日遺体はタルラク州タルラクのサン・セバスチャン大聖堂に移された。29日同地から再びサント・ドミンゴ教会に移された。沿道では大群集が遺体を見送った。 |
DIA-205-1983-08-26-1 | フィリピン | 1983年08月26日 | 1980年代 | 空港警備司令官らの兵営監禁命令―オリバスPC首都司令官発表。L・クストディオ准将ら事件時警備の全警備兵を。オリバスによれば、クストディオはアキノの旅券を調べ、陸軍司令官の保護下に置くためアキノを軍防衛司令部に同行するよう命令されていた。 |
DIA-205-1983-08-29-1 | フィリピン | 1983年08月29日 | 1980年代 | 9月11日に拘留者釈放の観測―総参謀長とシン大司教との会談後、大司教スポークスマンが発表。 |
DIA-205-1983-08-29-2 | フィリピン | 1983年08月29日 | 1980年代 | アキノ暗殺の唯一の受益者は共産主義者―大統領、N・ハットフィールド米上院議員との会談で。野党さえ得をしない。上院議員は、レーガン大統領に11月訪比の実施を求めると発言。大統領はまた閣僚との会談でシャツの裾をたくし上げ、透析の跡のないことを示した。 |
DIA-205-1983-08-29-3 | フィリピン | 1983年08月29日 | 1980年代 | アキノ暗殺容疑者の身元確認―PC首都司令官発表。Rolando Galmanで殺し屋という。 |
DIA-205-1983-08-31-1 | フィリピン | 1983年08月31日 | 1980年代 | アキノ埋葬―数十万民衆に見送られ、沿道25キロメートルを11時間かけマニラ・メモリアル・パークに移され、埋葬された。ミサでシン大司教は、アキノの死は民主主義回復の闘争に全フィリピン人を団結させようと述べた。 |
DIA-205-1983-08-31-2 | フィリピン | 1983年08月31日 | 1980年代 | デモ学生1000、警官・海兵と衝突―大統領官廷前のレクト メンディオーラ通りで。学生1人死亡、負傷42人(警官30人)。 |
DIA-205-1983-09-05-1 | フィリピン | 1983年09月05日 | 1980年代 | 前フィリピン大学学長、大統領辞任を要求―エマヌエル・ソリアノ前学長、Business Day紙上に公開状発表。特定の人物を除いた行政執行委員会を暫定政府とし、1年以内に国民の和解と団結のため政治犯の大赦、憲法修正等を行ない、公正な選挙による新政府を樹立することを提案。またフェルナンド委員会に代わる不偏な新委員会の設立も提案。 |
DIA-205-1983-09-05-2 | フィリピン | 1983年09月05日 | 1980年代 | 大統領拘禁令による拘留者は405人―国防相。 |
DIA-205-1983-09-06-1 | フィリピン | 1983年09月06日 | 1980年代 | 大統領、行政執行委の権限拡大―特に経済開発政策・戦略の実施参加権限を与える。 |
DIA-205-1983-09-06-2 | フィリピン | 1983年09月06日 | 1980年代 | 政府は安定、経済は既定路線にある―大統領、内外経済人・銀行家を前に演説、健康不安説を否定。 |
DIA-205-1983-09-07-1 | フィリピン | 1983年09月07日 | 1980年代 | フェルナンド委、第1回公聴会―委員会の正当性で論争。委員会の調査停止求める訴訟が3件、最高裁に提起されている。8日委員長は一時的辞任を発表。 |
DIA-205-1983-09-07-2 | フィリピン | 1983年09月07日 | 1980年代 | 大統領、文民優位を再び強調―マルコス亡き後クーデター発生しようとの噂を否定。 |
DIA-205-1983-09-08-1 | フィリピン | 1983年09月08日 | 1980年代 | イメルダ夫人、84年にすべての公職辞任を真剣に考慮―すべての努力を民間部門の援助に投ずる。84年の正規国民議会選挙には立候補しない。 |
DIA-205-1983-09-08-2 | フィリピン | 1983年09月08日 | 1980年代 | 87年再度大統領に立候補しよう―後継者間の対立を避けるためなら、KBLの要請をいれて。 |
DIA-205-1983-09-09-1 | フィリピン | 1983年09月09日 | 1980年代 | エンリレ国防相に辞任申し出の噂。 |
DIA-205-1983-09-09-2 | フィリピン | 1983年09月09日 | 1980年代 | アキノ暗殺に政府関与の説を非難―大統領。 |
DIA-205-1983-09-10-1 | フィリピン | 1983年09月10日 | 1980年代 | PCO拘留者37人の釈放命令―大統領。聖職者数人を含む。11日拘留者433人を恩赦。 |
DIA-205-1983-09-11-1 | フィリピン | 1983年09月11日 | 1980年代 | シン大司教、全政治犯の釈放主張―マニラ市長主催の「和解のための礼拝」ミサで。 |
DIA-205-1983-09-12-1 | フィリピン | 1983年09月12日 | 1980年代 | フェルナンド委、調査の無期限停止を決定―委員会に対する3件の提訴を最高裁が判断するまで。 |
DIA-205-1983-09-14-1 | フィリピン | 1983年09月14日 | 1980年代 | 軍は過激・反徒分子の活動を監視中―ラモスPC司令官。21日までに新たな暴動発生見込みとの報告で。「ラモス・エンリレ・コファンコの3人組は政治的野心ある3人組」との風説を否定。 |
DIA-205-1983-09-15-1 | フィリピン | 1983年09月15日 | 1980年代 | S・H・ラウレル、IBP議員を辞任。 |
DIA-205-1983-09-15-2 | フィリピン | 1983年09月15日 | 1980年代 | ボニファシオ広場で学生ら2000人集会―政治的抑圧に抗議、学生の権利・福祉要求、外国支配を非難。 |
DIA-205-1983-09-16-1 | フィリピン | 1983年09月16日 | 1980年代 | 軍は常に文民優位を支持―ベル国軍総参謀長 |
DIA-205-1983-09-16-2 | フィリピン | 1983年09月16日 | 1980年代 | マカティでアキノ暗殺抗議デモ―約1万人が職場放棄して参加。マニラでは3大日刊紙ビル前で数百人がピケ、報道の自由の抑圧に抗議。 |
DIA-205-1983-09-17-1 | フィリピン | 1983年09月17日 | 1980年代 | 大統領、国民和解の原則を支持―シン大司教、カサロイ・バチカン国務相ら教会首脳との会談で。 |
DIA-205-1983-09-18-1 | フィリピン | 1983年09月18日 | 1980年代 | アキノ事件で軍関係者の軍独自調査を命令―ベル総参謀長。クストディオ前空港警備司令官らを。 |
DIA-205-1983-09-19-1 | フィリピン | 1983年09月19日 | 1980年代 | 大統領、野党デモに最大の寛容を保証。 |
DIA-205-1983-09-19-2 | フィリピン | 1983年09月19日 | 1980年代 | 大統領の辞任は職務放棄に等しい―イメルダ夫人、記者会見で。大統領後継の可能性を否定。訪日を止めたのは、大統領の指示と日本政府が滞日中の警備に難色を示したため。野党がアキノの帰国を急がせねば悲劇は避けられたであろう。 |
DIA-205-1983-09-19-3 | フィリピン | 1983年09月19日 | 1980年代 | ラマス陸軍司令官、クーデターの可能性を否定―陸軍の25人の将軍はクーデターに100%反対だ。国軍の全将軍の中で自分が故アキノに最も近かった。 |
DIA-205-1983-09-20-1 | フィリピン | 1983年09月20日 | 1980年代 | 大統領、辞任要求を拒否―国民との間には厳かな誓約があり、委任に従い職務を続ける。 |
DIA-205-1983-09-20-2 | フィリピン | 1983年09月20日 | 1980年代 | マカティでマルコス支持デモ―ヤブット町長主催で数千人が。反対派、投石等でデモを阻止。 |
DIA-205-1983-09-21-1 | フィリピン | 1983年09月21日 | 1980年代 | アキノ暗殺1カ月、各地で大規模抗議デモ―野党は「国民哀悼の日」に設定。ボニファシオ広場に約20万が参集、アキノ未亡人、アガピト・アキノ、S・H・ラウレル、L・タニャーダらが演説、非暴力手段で団結してアキノの理想実現の闘いを続けようとアピール。同広場から学生約5000が大統領官廷前のメンディオラ橋に向い、警備の軍部隊と衝突、投石・発砲・手榴弾爆発で10人(警備側3人)が死亡、143人が負傷。アンヘレス市、バギオ市、セブ市、サンボアンガ市等で数千人規模のデモ・集会が開催された。 |
DIA-205-1983-09-21-2 | フィリピン | 1983年09月21日 | 1980年代 | 大統領、経済回復11措固発表―また首相、中銀総裁らをIMFとの交渉に派遣したことを発表。 |
DIA-205-1983-09-22-1 | フィリピン | 1983年09月22日 | 1980年代 | 大統領、戒厳令布告の必要はまだない―米ABC放送インタビューで。アキノ暗殺陰謀の情報はCPP内潜入の軍情報員から得たものだ。レーガン大統領は11月訪比を延期できる。わが国は小国であり強要はできない。 |
DIA-205-1983-09-23-1 | フィリピン | 1983年09月23日 | 1980年代 | 警察、米大使館向けデモを実力で解散―大学街から行進の学生約5000を大使館付近で催涙弾で。アヤラ通りでも約2000人がデモ。両所で各5人逮捕さる。19~23日のデモで52人が逮捕され、煽動・反乱罪で起訴された。 |
DIA-205-1983-09-24-1 | フィリピン | 1983年09月24日 | 1980年代 | シン大司教、大統領と会談―流血の革命を避ける最後の選択として、自由な選挙、自由な報道、独立の司法制度および政府・教会・野党・民間指導者からなる政府に勧告を与える国民協議会の設立を提案。アキノ事件の公平な調査も呼び掛けた。 |
DIA-205-1983-09-24-2 | フィリピン | 1983年09月24日 | 1980年代 | カガヤンデオロ市で3万人集会。 |
DIA-205-1983-09-25-1 | フィリピン | 1983年09月25日 | 1980年代 | 大統領、「暴力」デモに警告―国民の権利守るため力には力で抗対する用意がある。聖職者・過激分子は教会・同系学校施設を反大統領・政府の増悪キャンペーン、煽動に利用するな。無法な金持とオリガーキたちは革命的雰囲気を創り出そうとマカティの暴力デモで麻薬患者・ギャング・共産主義者たちを利用した。シンが24日設立を提案した諮問会議に反対しないが、国民の委任もないのに政治権力を行使しようとする野心的な民間集団には反対する。治安維持で何をすべきかの決定権限は政府と大統領にある。忠告は喜んで聞くが、治安維持で何をすべきかの決定権は政府と大統領にある。 |
DIA-205-1983-09-27-1 | フィリピン | 1983年09月27日 | 1980年代 | 財界人、大統領の警告を拒否―マカティでのフォーラムで。財界人は20日のマルコス支持デモを混乱させたとの大統領の非難も拒否。参加者の多数は、反政府デモ参加のホワイトカラー、重役たちは憲法上の権利を行使したにすぎないとの意見で一致。J・オンピン、E・ソーベル、C・ブエナベントゥーラ、V・ハイメらが出席。 |
DIA-205-1983-09-28-1 | フィリピン | 1983年09月28日 | 1980年代 | E・ソーベル、アヤラ商会会長辞任を発表。 |
DIA-205-1983-09-29-1 | フィリピン | 1983年09月29日 | 1980年代 | アヤラーフォルベス・パーク行進―約5000人。教会でアキノ追悼ミサ実施。サンファンのオルテガス通りで15ビルの従業員1000人デモ、警官ただちに阻止。 |
DIA-205-1983-09-30-1 | フィリピン | 1983年09月30日 | 1980年代 | トレンチーノを新調査委員長に任命―大統領、フェルナンデス前委員長の辞表受理後。 |
DIA-205-1983-09-30-2 | フィリピン | 1983年09月30日 | 1980年代 | 警察、マカティのデモを実力散会―5000人参加。催涙弾20発使用、10人逮捕。当局のデモ許可拒否に対し「ウインドショッピング集会」で対抗したもの。ボニファシオ広場では学生約4000がJAJA主催で集会。 |
DIA-205-1983-09-30-3 | フィリピン | 1983年09月30日 | 1980年代 | アヤラ商会副社長逮捕さる―R・S・パンタレオン。知人の学生逮捕を質すため軍基地に行ったところ反乱文書配布の同罪容疑で逮捕・拘留された。 |
DIA-205-1983-10-01-1 | フィリピン | 1983年10月01日 | 1980年代 | 共産党がアキノ暗殺を命令―アキノの元護衛が証言と政府筋発表。 |
DIA-205-1983-10-02-1 | フィリピン | 1983年10月02日 | 1980年代 | 大統領、財界に金融安定で協力要求―財界人との会談で。安定は暴力デモのラッシュで損われているとして、対比短期債権保有の外銀への個人的協力要請ドル建財務証券の購入を求めた。 |
DIA-205-1983-10-02-2 | フィリピン | 1983年10月02日 | 1980年代 | 政権打倒の非暴力闘争を継続―S・H・ラウレルUNIDO議長。打倒後、暫定政府樹立、新憲法制定、1年以内に正副大統領、国民議会・地方議会の選挙を実施する。 |
DIA-205-1983-10-03-1 | フィリピン | 1983年10月03日 | 1980年代 | レーガン大統領、訪比当面延期を発表。 |
DIA-205-1983-10-03-2 | フィリピン | 1983年10月03日 | 1980年代 | マカティからのデモ取締部隊の撤収を約束―大統領、財界代表との会談で金融・治安安定への協力を要請。Makati Busincss Clubに治安管理を認める。出席者は行政執行委員会による後継制度に権力闘争などの懸念を表明。大統領は戒厳令布告の可能性を示唆。 |
DIA-205-1983-10-05-1 | フィリピン | 1983年10月05日 | 1980年代 | 中銀、ペソ27.3%切下げ1㌦14ペソに。 |
DIA-205-1983-10-05-2 | フィリピン | 1983年10月05日 | 1980年代 | 大統領、マカティ財界人と会談―アキノ事件調査委員候補に5人を提案。シン大司教とも会談、「国民和解協議会」設置案の検討を約したという。 |
DIA-205-1983-10-05-3 | フィリピン | 1983年10月05日 | 1980年代 | マカティで大規模騒音デモ―学生ら5000人。 |
DIA-205-1983-10-05-4 | フィリピン | 1983年10月05日 | 1980年代 | 民政機関出向の軍人に原隊復帰命令―総参謀長。 |
DIA-205-1983-10-07-1 | フィリピン | 1983年10月07日 | 1980年代 | 首相、戒厳令布告は経済回復を促進しない―IMF交渉から帰国。IMF交渉は完了しなかった。 |
DIA-205-1983-10-07-2 | フィリピン | 1983年10月07日 | 1980年代 | マカティで2万人デモ―連続3日目。マルコス辞任を要求、連日デモで辞任に追い込もうと呼び掛け。警 備部隊、遠巻きにして、介入せず。 |
DIA-205-1983-10-08-1 | フィリピン | 1983年10月08日 | 1980年代 | トンドで初の抗議集会・デモ―約3000人。アヤラでも数千人がデモ。 |
DIA-205-1983-10-08-2 | フィリピン | 1983年10月08日 | 1980年代 | 回教徒団体、内紛早期収拾を要求―タマノ元上院議員ら11人署名。「国民和解協議会」設置を支持。 |
DIA-205-1983-10-09-1 | フィリピン | 1983年10月09日 | 1980年代 | 大統領、軍に治安状況検討と対応を指示―国防省での軍首脳との会談で。7日にも官廷で秘密協議。 |
DIA-205-1983-10-09-2 | フィリピン | 1983年10月09日 | 1980年代 | カピテでアキノ追悼集会―JAJA、約3000人。 |
DIA-205-1983-10-10-1 | フィリピン | 1983年10月10日 | 1980年代 | アキノ事件調査委の4委員辞任。 |
DIA-205-1983-10-10-2 | フィリピン | 1983年10月10日 | 1980年代 | 市民団体、選挙改革4提案―自由選挙のための全国市民運動。州選挙区制、新有権者名簿、ブロック投票制廃止、選挙登録委等への野党の参加承認。 |
DIA-205-1983-10-12-1 | フィリピン | 1983年10月12日 | 1980年代 | バタンガスで抗議集会―UNIDO主催、1.2万人。 |
DIA-205-1983-10-13-1 | フィリピン | 1983年10月13日 | 1980年代 | 全国婦人機構1.5万人、マカティ平和祈願デモ。 |
DIA-205-1983-10-14-1 | フィリピン | 1983年10月14日 | 1980年代 | 新アキノ事件調査委員会設置―大統領。 |
DIA-205-1983-10-14-2 | フィリピン | 1983年10月14日 | 1980年代 | アヤラなど反政府デモ―マラテとエルミタでは数百人が騒音デモ、ADB職員約200人は昼休み祈祷集会。 |
DIA-205-1983-10-15-1 | フィリピン | 1983年10月15日 | 1980年代 | 主要債権外銀、債務返済モラトリアムに合意―17日から90日間。主要11行は諮問委員会を結成。 |
DIA-205-1983-10-16-1 | フィリピン | 1983年10月16日 | 1980年代 | 「フィリピン労働党」発足―委員長V.Bate。 |
DIA-205-1983-10-17-1 | フィリピン | 1983年10月17日 | 1980年代 | 野党人、政府との対話要求を否定―J・ラウレル、J・ディオクノ。対話を求めた野党5人パネルの一部との報道は全くの誤り。ピメンテル市長も否定、しかし18日国防相会談で対話の用意ありと表明。 |
DIA-205-1983-10-20-1 | フィリピン | 1983年10月20日 | 1980年代 | ビサヤ連合、11点改憲決議提出―大統領立法権・免訴条項廃止、EC廃止・副大統領復活等。 |
DIA-205-1983-10-21-1 | フィリピン | 1983年10月21日 | 1980年代 | トレンティーノ、EC廃止・副大統領復活を提案―大統領と同一政党から選挙、首相兼任とする。 |
DIA-205-1983-10-22-1 | フィリピン | 1983年10月22日 | 1980年代 | 新アキノ調査委員会を任命―委員長コラソン・アグラバ元控訴院判事と民間代表4人。 |
DIA-205-1983-10-22-2 | フィリピン | 1983年10月22日 | 1980年代 | 肥料18.8%値上げ―1日には7.8%。23日には飼料も26%値上げ。21日砂糖卸値23%。 |
DIA-205-1983-10-23-1 | フィリピン | 1983年10月23日 | 1980年代 | 副大統領復活はタイムリーでない―大統領。経済・政治危機に直面している現在、政府制度を全く変えることになる。 |
DIA-205-1983-10-23-2 | フィリピン | 1983年10月23日 | 1980年代 | クバオ等でデモ集会―クバオで8000人、タギグで1.2万人、サパン・パライで2000人、イリガン市では4.5万人が参加。22日パシグで5000人。 |
DIA-205-1983-10-24-1 | フィリピン | 1983年10月24日 | 1980年代 | トレンティーノ、副大統領復活決議提出―大統領の意見に同意しない。経済状況は復活をより緊急なものにしている。タタド議員も支持を表明。 |
DIA-205-1983-10-25-1 | フィリピン | 1983年10月25日 | 1980年代 | 米下院外交小委、アキノ暗殺非難決議採択―事件の真相究明、自由・公正な議会選挙を強く要求。 |
DIA-205-1983-10-26-1 | フィリピン | 1983年10月26日 | 1980年代 | 外国基地撤去・軍縮要求デモ―ルネタ公園から米大使館前に約1000人。「反基地連合」(ABC、議長J・B・L・レイエス)主催・5カ国代表参加。 |
DIA-205-1983-10-27-1 | フィリピン | 1983年10月27日 | 1980年代 | 中銀、為替・輸入管理実施―3回状発行。 |
DIA-205-1983-10-27-2 | フィリピン | 1983年10月27日 | 1980年代 | 議会・大統領84年同時選挙決議を提出―H・ダビデ、F・フェルナンデス、F・タタド議員の野党議員。 |
DIA-205-1983-10-27-3 | フィリピン | 1983年10月27日 | 1980年代 | KMU要求集会―労働省のKMU承認、ピケ・スト権の全面回復、60%賃上げ、拘留組合員の釈放を要求。 |
DIA-205-1983-10-28-1 | フィリピン | 1983年10月28日 | 1980年代 | 治安関係PD・宣言の廃止を主張―比統一法律家協会長R.S.Roco。権利回復による国民和解の ため。PD1834~1836、1877―Aおよび宣言2045―A。 |
DIA-205-1983-10-28-2 | フィリピン | 1983年10月28日 | 1980年代 | 婦人団体抗議デモ―ボニファシオ広場とルネタで約8000人。政治犯釈放、イメルダ辞任等を要求。 |
DIA-205-1983-10-28-3 | フィリピン | 1983年10月28日 | 1980年代 | セプ市で1.2万人デモ。 |
DIA-205-1983-10-29-1 | フィリピン | 1983年10月29日 | 1980年代 | メソジスト教会、国民再生市民協議会の設置を提案―改憲・大統領選挙含め行動プログラムを策定。 |
DIA-205-1983-10-31-1 | フィリピン | 1983年10月31日 | 1980年代 | 大統領死亡時、首相が全権を引継ぐ―大統領、内閣、軍・与党幹部会議で。首相はEC委員長としてECに代り行動できる。首相、中銀総裁に全幅の信頼を置いている。全閣僚・与党幹部は経済改革で彼らに依存せよ。 |
DIA-205-1983-11-01-1 | フィリピン | 1983年11月01日 | 1980年代 | 首相への全権委任を批判―タタド、ディオクノら、憲法違反として。4日トレンティーノも同様。5日ペラエス外務国務相は直接選挙の首相に後継権を与える憲法修正を提案。8日比弁護士会は副大統領復活案の支持を表明。 |
DIA-205-1983-11-01-2 | フィリピン | 1983年11月01日 | 1980年代 | 84年5月予定どおり議会選を実施―大統領。2日、正副大統領、国民・地方議会選の同時実施を拒否。 |
DIA-205-1983-11-03-1 | フィリピン | 1983年11月03日 | 1980年代 | 全輸入品に2%付加税―E.O.918号。 |
DIA-205-1983-11-04-1 | フィリピン | 1983年11月04日 | 1980年代 | 内閣・EC合同会議に軍幹部同席―大統領:軍人は初めて閣議に招かれた。これは軍が実施を助けねばならぬ主要決定に精通させるためだ。暫定政府としてのECの決定を支持することが軍の任務。ベルら軍幹部は、会議後、クーデター説を否定、文民優位を強調。 |
DIA-205-1983-11-04-2 | フィリピン | 1983年11月04日 | 1980年代 | 全外貨収入の中銀集中を命令―中銀回状970号。 |
DIA-205-1983-11-04-3 | フィリピン | 1983年11月04日 | 1980年代 | 政府、米下院アキノ決議に抗議。 |
DIA-205-1983-11-04-4 | フィリピン | 1983年11月04日 | 1980年代 | デモ逮捕者64人の釈放命令―大統領。 |
DIA-205-1983-11-05-1 | フィリピン | 1983年11月05日 | 1980年代 | マラボンでアキノ追悼デモ集会―1.2万人。 |
DIA-205-1983-11-05-2 | フィリピン | 1983年11月05日 | 1980年代 | 第1回人民会議開催―新設(7月25日)の「正義・自由・民主主義のための民族同盟」(NA)。委員長L・タニヤダ(JAJA議長)。約1.5万人参加。 |
DIA-205-1983-11-07-1 | フィリピン | 1983年11月07日 | 1980年代 | バス・ジープニィ運賃値上げ。 |
DIA-205-1983-11-07-2 | フィリピン | 1983年11月07日 | 1980年代 | 民間の最低賃金引上げ―首都労働者で6.5ペソ引上げて42.07ペソに。11月、12月に2段階実施。 |
DIA-205-1983-11-08-1 | フィリピン | 1983年11月08日 | 1980年代 | KBL、幹部会、副大統領復活特別委設置を決定―L・ペレス、トレンティーノ、E・ペラエス、法相、国防相ら7人。大統領は、「復活案は外国人により推進されている。副大統領がいた時自分の命が度々危険にさらされたことがあるので、提案にはアレルギーだ」と強く反対。会議には軍幹部も同席した。 |
DIA-205-1983-11-08-2 | フィリピン | 1983年11月08日 | 1980年代 | 財政支出削減・緊縮措置発表―大統領。 |
DIA-205-1983-11-09-1 | フィリピン | 1983年11月09日 | 1980年代 | 第9回比経済人会議、危機乗切り勧告採択―PCCI主催。(1)危機管理諮問のため「国家回復委員会」設立。(2)明確な大統領後継規則、公明選挙。(3)公正・独立の司法部。(4)自由な報道。(5)憲法の諸権利回復。(6)文民機関からの軍人排除。10日大統領は閉会式で、「財界人はマカティでの政治抗議を促し金融危機を助長した。今は政府への要求を止め、危機解決で政府を助けるべきだ。自らを大掃除し密輸・脱税等を除くべきだ」と反論。11日在比米商議所会頭は、外国事業家の最重要な関心事は・明確な大統領後継者がいないことだと言明。 |
DIA-205-1983-11-10-1 | フィリピン | 1983年11月10日 | 1980年代 | 大統領、国政を掌握している―気管支炎の発作、アレルギーから全快した。適当な後継者が出なければ、87年選挙後も現職に留まるよう説得されよう。 |
DIA-205-1983-11-10-2 | フィリピン | 1983年11月10日 | 1980年代 | 首相府に学生デモ―フィリピン学生連盟(LFS)100人。米国のIMF・世銀を通ずる経済支配に抗議。 |
DIA-205-1983-11-11-1 | フィリピン | 1983年11月11日 | 1980年代 | 専門家団体、暗殺抗議デモ―マカティで、弁護士、医師、教員、看護婦ら数千人。 |
DIA-205-1983-11-12-1 | フィリピン | 1983年11月12日 | 1980年代 | 新憲法採択の非暴力革命指導を呼び掛け―ディオクノ、人権に関するプロテスタント弁護士連盟で。 |
DIA-205-1983-11-12-2 | フィリピン | 1983年11月12日 | 1980年代 | カビテでデモ―ケンン市、パラニャケでも。 |
DIA-205-1983-11-14-1 | フィリピン | 1983年11月14日 | 1980年代 | IBP、議員の州選挙区選出改憲決議を可決。 |
DIA-205-1983-11-15-1 | フィリピン | 1983年11月15日 | 1980年代 | IMF、対比借款6.15億SDRを原則承認―大統領16日発表。専務理事承認段階で最終承認ではない。 |
DIA-205-1983-11-15-2 | フィリピン | 1983年11月15日 | 1980年代 | バギオで国民和解要求デモ―バレンスエラでも。 |
DIA-205-1983-11-17-1 | フィリピン | 1983年11月17日 | 1980年代 | 与党幹部会、副大統領問題で決定できず―KBL分裂の観測も。18日トレンティーノは、決定が大統領の指図でなされれば、脱党すると言明。18日民間36団体は単一の後継者の決定を要求する声明を紙上に発表。 |
DIA-205-1983-11-19-1 | フィリピン | 1983年11月19日 | 1980年代 | 「自由の週間」全国ストを指示していない―JAJA、マカティ協会同盟。21~27日の週。 |
DIA-205-1983-11-19-2 | フィリピン | 1983年11月19日 | 1980年代 | 後継問題の決定はKBL議員幹部会に委ねる―大統領、党幹部との選挙改革・改憲案の協議で。 |
DIA-205-1983-11-19-3 | フィリピン | 1983年11月19日 | 1980年代 | マロロスで大集会―カビテ、アンヘレス市でも。 |
DIA-205-1983-11-21-1 | フィリピン | 1983年11月21日 | 1980年代 | KBL、幹部会、EC廃止・副大統領復活を承認―会議後、イメルダ夫人はEC委辞任を発表。87年に正副大統領を選挙、それまでに大統領が欠けた場合は議会議長が残りの任期を引継ぐことで合意。野党は後継問題の解決にならないと批判。 |
DIA-205-1983-11-22-1 | フィリピン | 1983年11月22日 | 1980年代 | PBC、「国家回復グループ」設立―委員長L・バリッジ在比米商業会議所会頭。 |
DIA-205-1983-11-24-1 | フィリピン | 1983年11月24日 | 1980年代 | 中曽根首相、対比金融援助で原則合意―ビラタ首相との会談で。650億円の商品借款要請。 |
DIA-205-1983-11-24-2 | フィリピン | 1983年11月24日 | 1980年代 | マカティで大規模経済人集会―約3万。大統領の経済界非難に反論。クロニイの経済支配、政府の介入増大を非難。 |
DIA-205-1983-11-25-1 | フィリピン | 1983年11月25日 | 1980年代 | CBCP、アナーキを警告―27日ミサで読まれる司教教書で。和解達成のため、人身保護令復活、抑圧的PD廃止、公正な選挙、大統領後継問題の解決、汚職・不正の終結、国民に対する軍の忠誠明示を主張。 |
DIA-205-1983-11-25-2 | フィリピン | 1983年11月25日 | 1980年代 | 首都の各地で抗議デモ―カローカンで3万。 |
DIA-205-1983-11-27-1 | フィリピン | 1983年11月27日 | 1980年代 | ロイ派NP、来年議会選に全国で候補を出す。 |
DIA-205-1983-11-27-2 | フィリピン | 1983年11月27日 | 1980年代 | アキノ生誕記念日大規模集会―ルネタ公園のキリノ・スタンドでJAJA主催。午後ボニファシオ広場に移動、約200の労働団体の集会に合流。その他首都各地と地方でもデモ・集会。首都で77人逮捕さる。JAJA、UNIDO、LP、PDP―ラバンは「統一協定」に調印。 |
DIA-205-1983-11-29-1 | フィリピン | 1983年11月29日 | 1980年代 | 警察、米大使館デモを解散さす―無許可理由に。学生約100人。米帝国主義に抗議。14人逮捕さる。 |
DIA-205-1983-11-30-1 | フィリピン | 1983年11月30日 | 1980年代 | 労働者党(LM)正式発足―25労組連合参加。委員長Jacinto Tamayo。議会選挙参加を言明。 |
DIA-205-1983-12-01-1 | フィリピン | 1983年12月01日 | 1980年代 | LP、UNIDO脱退、87年大統領選挙参加を声明―マカパガル署名。サルミエント副書記長はUNIDO書記長辞任、他党員も脱退する。大統領候補はサロンガ。2日LP指導者7人は上記声明を非難、LPの80%はUNIDOに留まることを選んだ、と共同声明を発表。 |
DIA-205-1983-12-02-1 | フィリピン | 1983年12月02日 | 1980年代 | 副大統領問題で与党の政策を指図しない―大統領。だが副大統領選挙は大統領権力を弱める試みだ。経済・労働・農民・専門職の36団体は、先のKBL決定を不満として、84年5月議会と同時の暫定副大統領選挙、87年正副大統領選挙を要求する新聞広告を出した。 |
DIA-205-1983-12-02-2 | フィリピン | 1983年12月02日 | 1980年代 | UNIDO、PDP-ラバン、統一候補選出に合意―S・ラウレル発表。選挙公正なら両党で60%得票しよう。 |
DIA-205-1983-12-04-1 | フィリピン | 1983年12月04日 | 1980年代 | オラリアKMU委員長死去―80歳。 |
DIA-205-1983-12-05-1 | フィリピン | 1983年12月05日 | 1980年代 | KBL幹部会、後継者問題を修正可決―87年に正副大統領を選挙。それまでに大統領が欠けた場合は国民議会議長が大統領代行となり60日以内に正副大統領選挙を実施。会議は大統領欠席の秘密会で実施、賛成106、反対6。大統領は決定は許容しうる妥協だと評価。 |
DIA-205-1983-12-07-1 | フィリピン | 1983年12月07日 | 1980年代 | 教育相、15日に辞任する―6日辞表提出。 |
DIA-205-1983-12-07-2 | フィリピン | 1983年12月07日 | 1980年代 | IBP、副大統領復活改憲決議を可決―第2読会。 |
DIA-205-1983-12-09-1 | フィリピン | 1983年12月09日 | 1980年代 | 債権行諮問委との債務繰延べ交渉中断―11月30日以降断続的に行なわれ、救済融資パッケージで大枠で合意に達したが、10日経済データ確認のためマニラに派遣されたIMF調査団の結果出るまで休会となった。 |
DIA-205-1983-12-10-1 | フィリピン | 1983年12月10日 | 1980年代 | 世銀、構造調整貸付の残額実行を承認―中銀副総裁報告。8300万㌦。また米輸銀は実際上制限なしの貿易金融の継続を決定した。また中旬、世銀は繊維産業近代化ローン1.2億㌦の非伝統輸出産業原料輸入用への転換および即時実行を承認した。 |
DIA-205-1983-12-10-2 | フィリピン | 1983年12月10日 | 1980年代 | 財界、新有権者名簿作成に資金提供申し出―バリオスPBC(比ビジネス会議)議長提案。1億ペソ。 |
DIA-205-1983-12-11-1 | フィリピン | 1983年12月11日 | 1980年代 | 「キリスト教民主党」結成。 |
DIA-205-1983-12-12-1 | フィリピン | 1983年12月12日 | 1980年代 | 中銀・外貨準備を6億㌦水増し―12月19日付Asian Wall Street Journal。10月中銀勘定を検査した外銀・エコノミストが発見。このため外銀は激怒、救済交渉は遅延。12月20日中銀総裁はこの事実を認めた。 |
DIA-205-1983-12-12-2 | フィリピン | 1983年12月12日 | 1980年代 | ADB、2借款承認―灌漑と送電で計1億1270万㌦。16日輸出産業原材料輸入用に84年予定分5000万㌦の貸付実行を承認。20日水産・林業に5584万㌦。 |
DIA-205-1983-12-12-3 | フィリピン | 1983年12月12日 | 1980年代 | 地下組織選挙ボイコット呼び掛け―「民族解放キリスト教同盟」。選挙は政権正当化の新たな欺瞞。 |
DIA-205-1983-12-14-1 | フィリピン | 1983年12月14日 | 1980年代 | IBP、改憲案・同国民投票法可決―第2読会。(1)正規国民議会選挙を州選挙区で実施。(2)EC廃止、副大統領設置。(3)適格市民に対する公有地の譲渡。国民投票は84年1月27日とする。議会定員200、公選分183。 |
DIA-205-1983-12-15-1 | フィリピン | 1983年12月15日 | 1980年代 | 大統領、財界の1億ペソ提供を受ける。 |
DIA-205-1983-12-15-2 | フィリピン | 1983年12月15日 | 1980年代 | 米は短期間に合せ融資を供与する―アーマコスト大使。総額3.2億㌦。(1)米輸銀の農産物輸入用ローン1.9億㌦。(2)商品信用公社(CCC)の同輸入用5000万㌦。(3)輸銀の3000万㌦融資保証。(4)基地協定による経済支援資金5000万㌦の期前実行。ただしつなぎ融資はIMF融資を見返りとするもので、IMF融資の承認が条件。フィリピンは借入れより外国投資に多く依存すべきだ。24日米農務省は農産物輸出信用保証7500万㌦追加。 |
DIA-205-1983-12-16-1 | フィリピン | 1983年12月16日 | 1980年代 | 90日間モラトリアムの再延長を求めよう―ビラタ首相。IMF・諮問委との交渉を完了できなかった。 |
DIA-205-1983-12-16-2 | フィリピン | 1983年12月16日 | 1980年代 | LP総裁、国民投票と選挙のボイコット主張―サロンガ総裁声明。政権との妥協は党の立場を弱める。非暴力・非妥協的抗抵、市民不服従を主張する。17日党幹部A・ムトウックは提案は党の死を確実に意味するとして反対を表明。 |
DIA-205-1983-12-17-1 | フィリピン | 1983年12月17日 | 1980年代 | 粗糖40万㌧を輸入―業界筋。 |
DIA-205-1983-12-18-1 | フィリピン | 1983年12月18日 | 1980年代 | 民族同盟、議会選挙ボイコットを決定。 |
DIA-205-1983-12-18-2 | フィリピン | 1983年12月18日 | 1980年代 | 聖職者・ブルジョワ集団が政府転覆を陰謀―大統領。政府はこの敵対集団を非難するCPP文書を入手。その中核は「統一フィリピン社会党」(PSNP)だ。MNLFの議長はミスワリからディマス・プンダトに移った。政府はイスラム会議に新MNLF指導部または同会議の認める誰とでも会談するとの希望を伝えた。19日ベル国軍総参謀長は、「最近NPA活動が静かなことに驚いている。押収文書によればCPPは政府と野党の和解努力を非難、党員に支配階級の闘争に関係しないよう警告。彼らはデモ・集会から距離を置いている」、と言明。 |
DIA-205-1983-12-21-1 | フィリピン | 1983年12月21日 | 1980年代 | 大統領、改憲国民投票施行法に署名―また1億ペソ提供を待たず有権者名簿の再登録を実施する。 |
DIA-205-1983-12-24-1 | フィリピン | 1983年12月24日 | 1980年代 | 2選管空席の候補指名を要請―ローニヨKBL書記長。全野党、財界、市民団体に。 |
DIA-205-1983-12-25-1 | フィリピン | 1983年12月25日 | 1980年代 | PD発行で議会との調整は続ける―大統領。 |
DIA-205-1983-12-27-1 | フィリピン | 1983年12月27日 | 1980年代 | 籾米買上支持価格引上げ―キロ当り1.80ペソから2.10ペソに。28日小売値も3.30から3.80ペソに。 |
DIA-205-1983-12-28-1 | フィリピン | 1983年12月28日 | 1980年代 | 既登録有権者は再登録の必要ない―大統領。これは国民投票に間に合わない。1月17日から登録を開始する。29日与野党内外から批判が続出、30日大統領は全有権者の新規登録提案に合意、と発表。 |
DIA-205-1983-12-28-2 | フィリピン | 1983年12月28日 | 1980年代 | S・H・ラウレル、LPにボイコット再考を要求―ボイコットは故アキノの殉教を無意味にする。 |
DIA-205-1983-12-31-1 | フィリピン | 1983年12月31日 | 1980年代 | 「地方統一司令部」の新編成でラモス中将の権限は縮小しない―ベル国軍総参謀長。この新編成(RUC)では3軍が対反徒戦を担当し、PC-INPは治安維持のため通常の警察任務に集中する。 |
DIA-205-1984-01-01-1 | フィリピン | 1984年01月01日 | 1980年代 | 4野党,首都圏統一候補選出で合意-UNIDO(統一民族民主機構),ラバン(人民の力),NP(ナショナリスタ党,LP(リベラル党)カラウ派。 |
DIA-205-1984-01-02-1 | フィリピン | 1984年01月02日 | 1980年代 | LPの分裂明確に-83年12月28日結成されたLPカラウ派の「団結のための憂慮するLP指導者会議」(CLPLU)は5月選挙参加の立場を採択した。他方LPサロンガ派はボイコットの立場を再確認する声明を発表。 |
DIA-205-1984-01-03-1 | フィリピン | 1984年01月03日 | 1980年代 | 軍のアキノ事件調査の停止を要求-アグラバ委員会,国防相宛書簡で。4日国防相は停止を命令。 |
DIA-205-1984-01-03-2 | フィリピン | 1984年01月03日 | 1980年代 | JAJA,5月選挙ボイコットで合意-65団体。 |
DIA-205-1984-01-04-1 | フィリピン | 1984年01月04日 | 1980年代 | カンレオン神父死去-自動車事故で。 |
DIA-205-1984-01-04-2 | フィリピン | 1984年01月04日 | 1980年代 | 首都圏高校教員スト-賃上げ要求。36校3500人。13日交渉妥結。 |
DIA-205-1984-01-04-3 | フィリピン | 1984年01月04日 | 1980年代 | 日本の融資の遅れを非難-大統領。先に5億ドルを要請。もし供与されねば,原料等を米国から輸入せざるを得なくなろう,と発言。 |
DIA-205-1984-01-05-1 | フィリピン | 1984年01月05日 | 1980年代 | 米農産物ローン供与-このほど11月,12月に次いで第3次,計2.17億ドル。 |
DIA-205-1984-01-06-1 | フィリピン | 1984年01月06日 | 1980年代 | ボイコットは道徳的に正当-比カトリック司教会議(CBCP)声明。政治環境は正常にほど遠い。 |
DIA-205-1984-01-06-2 | フィリピン | 1984年01月06日 | 1980年代 | 農業労働者会議,内外の農業独占を非難-第4回全国会議で。約7000人参加。 |
DIA-205-1984-01-07-1 | フィリピン | 1984年01月07日 | 1980年代 | 国民投票のボイコット呼び掛け-「フィリピンの主権と民主主義のための運動」(Kaakbay)。 |
DIA-205-1984-01-07-2 | フィリピン | 1984年01月07日 | 1980年代 | 大統領夫人訪中-9日ホテル建設合弁契約に調印,貿易促進(5カ年25億ドル),中国銀行の比中銀預金4000万ドル,原油輸入延払信用の供与等に合意。 |
DIA-205-1984-01-07-3 | フィリピン | 1984年01月07日 | 1980年代 | 「労働者統一議会」設立-全国労組59,統一宣言および労働者党支持決議を採択。 |
DIA-205-1984-01-08-1 | フィリピン | 1984年01月08日 | 1980年代 | 任期延長将軍の退役を延期-大統領。選挙後まで。約24人中20人。文民機関への軍人出向者の全面的撤収は好ましくない。 |
DIA-205-1984-01-08-2 | フィリピン | 1984年01月08日 | 1980年代 | 「フィリピン市民議会」,国民投票・選挙参加の条件を提出-略称Kompil,委員長アガピト・アキノ。約2400人参加。憲法修正6号廃棄,秘密PD(大統領令)の廃棄,新有権者名簿作成等。また後継となりうる「代替指導者」に次の15人を選出。A.Alonto, J.W.Diokno, T.Guingona, E.E.Karaw, S.Laurel, H.Morales, C.Munos-Palma, A.Pimentel Jr., F.S.Rodrigo, J.Salonga, L.Tanada, C.Teehankee, E.Zobel。次の5人はその侯補に指名された。C.Balweg, S.P.Lopez, J.B.L.Reyes, J.M.Sison, J.Sin。10日,UNIDOも類似条件の実施を要求した。 |
DIA-205-1984-01-09-1 | フィリピン | 1984年01月09日 | 1980年代 | 中銀,全非銀行外為業者の免許を取消し-114件。5星ホテル,スーパー,デパートを除く。 |
DIA-205-1984-01-11-1 | フィリピン | 1984年01月11日 | 1980年代 | 公明選挙を要求する公開状-主要紙上に「自由選挙のための全国市民運動」(Namfrel)が掲載。 |
DIA-205-1984-01-11-2 | フィリピン | 1984年01月11日 | 1980年代 | 新有権者名簿作成PDを発行-現行名簿は1月27日の国民投票を最後に廃棄する。 |
DIA-205-1984-01-16-1 | フィリピン | 1984年01月16日 | 1980年代 | ADB,対比ローン調印-3930万ドル。首都水道修復用。返済期間24年,年利10.5%。 |
DIA-205-1984-01-18-1 | フィリピン | 1984年01月18日 | 1980年代 | 新中銀総裁を任命-大統領。Jose B.Fernandes Jr. (60歳)を第6代総裁に。ラヤ前総裁は教育・文化・スポーツ相に任命された。 |
DIA-205-1984-01-18-2 | フィリピン | 1984年01月18日 | 1980年代 | 警察軍旅団を解体-駐首都圏タギグ,13大隊(約8000人)。国軍再編計画に沿って。 |
DIA-205-1984-01-18-3 | フィリピン | 1984年01月18日 | 1980年代 | NPラウレル派,選挙計画策定-自由・公明選挙条件が満たされれば,UNIDOの他の11野党と統一候補を出して参加する。委員長Jose B.Laurel Jr.。 |
DIA-205-1984-01-19-1 | フィリピン | 1984年01月19日 | 1980年代 | 「意味ある選挙の呼び掛け」-主要全国紙上の広告で,UNIDO,COMPACT,AMA(首都協会連合)指導者および主要野党指導者ら改革を要求。 |
DIA-205-1984-01-19-2 | フィリピン | 1984年01月19日 | 1980年代 | E・コファンコ,改憲賛成をアピール-KBL(新社会運動党)中部ルソン委員長,タルラク州で。 |
DIA-205-1984-01-20-1 | フィリピン | 1984年01月20日 | 1980年代 | 改憲3,4号提案への反対広がる-比法律家協会,不動産業界等。 |
DIA-205-1984-01-24-1 | フィリピン | 1984年01月24日 | 1980年代 | 副大統領復活しても与党幹部会が最高機関-大統領。政府は引続き修正議会制度下に活動を続ける。 |
DIA-205-1984-01-24-2 | フィリピン | 1984年01月24日 | 1980年代 | 対IMF会談-ビラタ首相,フェルナンデス中銀総裁,ワシントンで。30日の帰国報告で世銀のダム・プロジェクト追加ローン(510万ドル),マニラ市プロジェクト(1050万ドル)の承認を発表。同日大統領は議会演説で予算の10%削減を命令。 |
DIA-205-1984-01-24-3 | フィリピン | 1984年01月24日 | 1980年代 | マカティで反政府集会-約1万人。 |
DIA-205-1984-01-24-4 | フィリピン | 1984年01月24日 | 1980年代 | 政治犯84人を釈放-大統領。 |
DIA-205-1984-01-25-1 | フィリピン | 1984年01月25日 | 1980年代 | 改憲3,4号提案投票の延期の訴えを却下-最高裁。9対4。 |
DIA-205-1984-01-25-2 | フィリピン | 1984年01月25日 | 1980年代 | マカパガル,改憲・選挙ボイコットを主張-他方シン大司教はボイコットは過激主義を促進するとして参加を呼び掛け。 |
DIA-205-1984-01-27-1 | フィリピン | 1984年01月27日 | 1980年代 | タルラク・空港間抗議中継マラソン,ブラカンで阻止さる-早朝タルラク州コンセプシオン出発,軍部隊がカルンピットで。主催「8月21日運動」(AT0M,事務局長A・アキノ)。28日再開後約300人首都圏境で再び阻止さる。軍の再開許可で31日数万の群集の中をマカティに到着。 |
DIA-205-1984-01-27-2 | フィリピン | 1984年01月27日 | 1980年代 | 改憲国民投票実施。 |
DIA-205-1984-01-29-1 | フィリピン | 1984年01月29日 | 1980年代 | 84―85年比ソ文化協定調印-両友好協会。 |
DIA-205-1984-01-30-1 | フィリピン | 1984年01月30日 | 1980年代 | 5PDの選挙中効力停止法案提出-A・トレンティーノ議員(KBL)。治安関係PD 1836,1877,1834,1835,1735号。31日大統領は6月1日まで1877号(予防拘禁措置令=PDA)の執行停止を指示。トレンティーノは不十分と主張。また31日KBL幹部会は改正選挙法案を承認(国民議会定員の200から220人への増加等)。 |
DIA-205-1984-02-01-1 | フィリピン | 1984年02月01日 | 1980年代 | 大統領改憲批准を宣言。 |
DIA-205-1984-02-03-1 | フィリピン | 1984年02月03日 | 1980年代 | 大統領に対する意味ある選挙アピール-憲法修正6号廃棄,戒厳令布告の制限,政治犯罪に関する大統領令の廃棄等の基本的改革を要求。マカティ・ビジネス・クラブ他35団体連名の新聞広告で。 |
DIA-205-1984-02-03-2 | フィリピン | 1984年02月03日 | 1980年代 | 比統一弁護士会,議会に5PD廃棄要求決議-PD 1877号等治安関係PD。 |
DIA-205-1984-02-04-1 | フィリピン | 1984年02月04日 | 1980年代 | 糖業独占抗議集会-バコロド市でプランター,労働者約5000人,Nasutra等の解体要求。 |
DIA-205-1984-02-04-2 | フィリピン | 1984年02月04日 | 1980年代 | Namfrel等55団体,選挙法案の深夜上提非難-(1)5月選挙のみ適用は好ましくない。(2)定員の200から230への増加に妥当な理由ない。(3)選管委の4空席任命。(4)治安関係PDの効力停止要求等。5日同趣旨の新聞広告掲載。5日UNIDO,AMA(首都圏組織協会),NA,JAJA等7団体も上記法案を非難,基本的改革の制度化を要求する共同声明を発表。7日A・トレンティーノ議員は定員増法案はライダーで違憲と主張。 |
DIA-205-1984-02-05-1 | フィリピン | 1984年02月05日 | 1980年代 | タルラク・マニラ空港リレー・マラソン終了-ATOM,数時間軍当局と交渉後数千人のうち21人マニラ国際空港のエプロン入り認めらる。 |
DIA-205-1984-02-05-2 | フィリピン | 1984年02月05日 | 1980年代 | 貧困と失業抗議集会-比学生連盟(LFS)と5月1日運動(KMU)主催。ボニファシオ広場で約5000人参加。 |
DIA-205-1984-02-06-1 | フィリピン | 1984年02月06日 | 1980年代 | シン枢機卿,投票支持を表明-バタンガスでの和解に関する対話集会で。(1)5月選挙は我々の唯一の機会だ。(2)大統領はPDAを廃棄すべきだ。(3)野党は大統領の辞任要求で国民和解を達成できない。(4)大統領は誤りを認め,国の問題の責任を当事者に負わせるべきだ。 |
DIA-205-1984-02-06-2 | フィリピン | 1984年02月06日 | 1980年代 | 中央・地方政府予算の10%節約命令-大統領。給与引上げと「自助努力」計画の財源とするため。 |
DIA-205-1984-02-06-3 | フィリピン | 1984年02月06日 | 1980年代 | 米輸銀,9500万ドル信用保証供与-原材料・スペアパーツ輸入用,期間180日。 |
DIA-205-1984-02-07-1 | フィリピン | 1984年02月07日 | 1980年代 | KBLは5月選を政治王朝樹立の場にさせない-大統領。国民議会議員,地方政府幹部の身内が出馬し,すべてを独占するのを許さない。 |
DIA-205-1984-02-09-1 | フィリピン | 1984年02月09日 | 1980年代 | 114団体,全政治犯の大赦をアピール-シン枢機卿ら8司教,元上院議員6人,アキノ一族等。 |
DIA-205-1984-02-09-2 | フィリピン | 1984年02月09日 | 1980年代 | 米国の対比85年度援助政府案-84年度の1.51億ドルから2.31億ドルに増額。経済支援資金9500万ドル,軍事援助8500万ドル,PL480号援助4875万ドル。 |
DIA-205-1984-02-11-1 | フィリピン | 1984年02月11日 | 1980年代 | LP,最終的に分裂-カラウ派は独自の党大会開催,委員長にカラウ,書記長にジョン・オスメニャ選出。10日LP(サロンガ派)は党規違反でカラウら6人の除名を発表。 |
DIA-205-1984-02-12-1 | フィリピン | 1984年02月12日 | 1980年代 | イメルダ大統領夫人,5月選挙に出ないと言明。 |
DIA-205-1984-02-13-1 | フィリピン | 1984年02月13日 | 1980年代 | 国民議会(BP)定員増条項の削除を決定-KBL議員幹部会,選挙法案から。 |
DIA-205-1984-02-14-1 | フィリピン | 1984年02月14日 | 1980年代 | PCCI,独占・政府法人解体のステップ要求-ココナツ,砂糖,金融,小麦粉,肉製品輸入等。 |
DIA-205-1984-02-14-2 | フィリピン | 1984年02月14日 | 1980年代 | UNIDO,65%リーダーは選挙参加を支持-ラウレル委員長。大統領が野党要求に何も応えていないというのは本当でない。選挙法案は州選挙区,新有権者名簿の作成等を規定している。新役員として書記長にR・エスピナ,副議長(総務担当)にエルネスト・マセダを選出。 |
DIA-205-1984-02-14-3 | フィリピン | 1984年02月14日 | 1980年代 | 大統領,「自助努力」計画発足式典主催。 |
DIA-205-1984-02-14-4 | フィリピン | 1984年02月14日 | 1980年代 | ウガルテ広場でボイコット・コンサート-約1万人参加。期限の14日午前0時までに大統領は公明選挙の6点要求を満たさなかったとして,A・アキノは完全ボイコットを呼び掛けた。 |
DIA-205-1984-02-15-1 | フィリピン | 1984年02月15日 | 1980年代 | 民族同盟(NA),ボイコット呼び掛け新聞広告-20日にもJAJA,ATOM,AMA,KAAKBAY等41団体も同様の広告。 |
DIA-205-1984-02-17-1 | フィリピン | 1984年02月17日 | 1980年代 | UNIDO,選挙参加を決定-S・ラウレルは,武装暴力の危険を和らげる選挙の重要性と全UNIDOリーダーの圧倒的コンセンサスを認めて,と発表。同氏は同日訪米のため出国直前マニラ空港で銃器不法所持容疑で出国を差止められたが,大統領は釈放命令,19日ラウレル夫妻は訪米に出発。 |
DIA-205-1984-02-17-2 | フィリピン | 1984年02月17日 | 1980年代 | 反政府団体,公明選挙6点要求を改めて主張-ボニファシオ広場集会で10日以内実現を求める声明発表。JAJA(J・ディオクノ議長),NA(A・サルミエント),AMA(A・アキノ事務局長)他7団体。 |
DIA-205-1984-02-17-3 | フィリピン | 1984年02月17日 | 1980年代 | 比東独租税協定調印。 |
DIA-205-1984-02-18-1 | フィリピン | 1984年02月18日 | 1980年代 | アレホ・サントス死去-81年大統領選挙のNP候補。72歳。 |
DIA-205-1984-02-21-1 | フィリピン | 1984年02月21日 | 1980年代 | 比中合弁ホテル建設契約調印。 |
DIA-205-1984-02-22-1 | フィリピン | 1984年02月22日 | 1980年代 | 大統領,ブルネイ訪問-(~24日)。独立式典に参列。スハルト,リー,マハティルのASEAN首脳と個別に会談。 |
DIA-205-1984-02-22-2 | フィリピン | 1984年02月22日 | 1980年代 | 憲法修正6号は正規国民議会成立後は無効-A・トレンティーノ,議会記者会見で言明。 |
DIA-205-1984-02-23-1 | フィリピン | 1984年02月23日 | 1980年代 | 社会民主党(SDP),選挙参加決定-F・タタドはNP(ロイ派)が他野党との統一を拒否したことに抗議して同党書記長を辞任,SDPに正式に加入。 |
DIA-205-1984-02-23-2 | フィリピン | 1984年02月23日 | 1980年代 | 在比基地維持にマルコス政権は必要ない-S・ラウレル。ワシントンでのE・ケネディ上院議員,S・ソラーズ下院外交小委委員長との会談で,非暴力・民主的なマルコス反対派が政権を取れば米基地は存続しうる。 |
DIA-205-1984-02-25-1 | フィリピン | 1984年02月25日 | 1980年代 | ボイコット諸団体,連合組織を結成-約40組織・政党が,「民主主義回復のための組織連合」(CORD)を。諮問会議委員:L・タニャーダ(NA),J・ディオクノ(Kaakbay),マカパガル(LP),A・アキノ(AMA),J・ロセス(MANA)他。 |
DIA-205-1984-02-26-1 | フィリピン | 1984年02月26日 | 1980年代 | PDP・ラバン,選挙参加の可否決定できず-第3回全国会議。内部対立の拡大避けるため可否宣言を拒否する決議を採択。候補選出を各支部に任せ,党員にあらゆる形の政治活動を認めることを決定。 |
DIA-205-1984-02-27-1 | フィリピン | 1984年02月27日 | 1980年代 | 暫定国民議会閉会-選挙法可決。1.運動期間3月27日~5月12日。2.州市別選挙区制。3.プロック投票制廃止。4.選挙前後1年間の党籍変更禁止制の廃止。5.野党代表を市民選挙委,州・市開票点検委,投票用紙印刷・配布選管委に含める。6.最有力野党の決定規準を全国規模の運動能力でなく,州・市・地方での運動能力に変更。全登録政党は認証政党の特権を享受でき,全政党・無所属候補は各投票所に2人の監視人を置ける等。 |
DIA-205-1984-02-27-2 | フィリピン | 1984年02月27日 | 1980年代 | 文官部門からの軍人の召還進展せず-ベール参謀総長。戒厳令解除以来軍当局は繰返し召還を試みたが,出向先機関の長が強く留任を希望しているため,5%が復帰したにすぎない。 |
DIA-205-1984-02-27-3 | フィリピン | 1984年02月27日 | 1980年代 | マニラ市教員,スト入り-給与引上げ要求。 |
DIA-205-1984-02-28-1 | フィリピン | 1984年02月28日 | 1980年代 | 比砂糖委の取引独占を廃止-PD1905号(21日署名)公表。3月15日まで調整期とする。 |
DIA-205-1984-02-28-2 | フィリピン | 1984年02月28日 | 1980年代 | 米下院外交小委,対比援助修正可決-政府案の軍事8500万を2500万ドルに,経済9500万を1億5500万ドルに。同外交委も14日可決。 |
DIA-205-1984-02-29-1 | フィリピン | 1984年02月29日 | 1980年代 | アキノ夫人,選挙参加支持を表明-政権への投降とは考えない,が選挙改革を要求すると発言。またマカティ・ビジネス・クラブでも全会一致で参加および憲法修正6号と治安関係PD廃棄を綱領とする侯補の支持を決定した。 |
DIA-205-1984-03-01-1 | フィリピン | 1984年03月01日 | 1980年代 | 中国はCPPと何ら関係ない-毛中国大使。内政不干渉が革命に対する公式の政策だ。 |
DIA-205-1984-03-02-1 | フィリピン | 1984年03月02日 | 1980年代 | シン枢機卿,野党に団結アピール-UNIDO集会で,大統領に国の存亡がかかっているとして選挙の公正保証を要求。他方1日CORDはタルラク州コンセプシオンおよびサンパブロ市からマニラに向けボイコット行進,Lakbayan(国民の自由のための行進)を開始,7日約4万人がルネタ公園に参集。 |
DIA-205-1984-03-03-1 | フィリピン | 1984年03月03日 | 1980年代 | F・タタド,SDP委員長に選出さる-第3回全国大会で,選挙参加を決定,6決議採択。 |
DIA-205-1984-03-06-1 | フィリピン | 1984年03月06日 | 1980年代 | シアヌーク民主カンプチア大統領来比。 |
DIA-205-1984-03-07-1 | フィリピン | 1984年03月07日 | 1980年代 | 世銀ローン3件調印-計4120万ドル。 |
DIA-205-1984-03-08-1 | フィリピン | 1984年03月08日 | 1980年代 | 大統領,落選閣僚はポストを失う-現在閣僚22人中13人立候補予定。 |
DIA-205-1984-03-08-2 | フィリピン | 1984年03月08日 | 1980年代 | 5月選を正常化の標石とする努力を希望-モンジョ米国務副次官補,下院外交小委で証言。 |
DIA-205-1984-03-11-1 | フィリピン | 1984年03月11日 | 1980年代 | 大統領,憲法修正6号擁護-野党要求を容れれば,代案は戒厳令布告か人身保護令停止しかない。 |
DIA-205-1984-03-11-2 | フィリピン | 1984年03月11日 | 1980年代 | A・アキノ訪米-(~19日)。J.Monjo国務次官補らと会談,民主主義回復まで対比援助停止を要請。 |
DIA-205-1984-03-13-1 | フィリピン | 1984年03月13日 | 1980年代 | 選管,各地方・州で最有力政党の認定開始-UNIDOと:NP(ロイ派)間等で認定めぐり争い。 |
DIA-205-1984-03-16-1 | フィリピン | 1984年03月16日 | 1980年代 | ボイコット運動は共産主義者の陰謀だ-国軍副参謀長(情報担当)シングソン准将。 |
DIA-205-1984-03-17-1 | フィリピン | 1984年03月17日 | 1980年代 | KBL中央委,公認候補名簿発表-調整つかず21人未定。数州で選定に反対の声高まる。20日大統領は中央委は無所属立候補党員の処分を考慮と警告。 |
DIA-205-1984-03-18-1 | フィリピン | 1984年03月18日 | 1980年代 | アンドレス・ソリアーノⅡ死去-58歳。 |
DIA-205-1984-03-20-1 | フィリピン | 1984年03月20日 | 1980年代 | フォード社,8月に操業停止へ。 |
DIA-205-1984-03-21-1 | フィリピン | 1984年03月21日 | 1980年代 | 選管2委員任命-大統領。F.Bacungan前フィリピン大法学部長,R.Felipe元下院議員。空席2に。 |
DIA-205-1984-03-21-2 | フィリピン | 1984年03月21日 | 1980年代 | BOI,PCPM2社体制にこだわらず-商工相。参加企業が輸出で必要外貨を得るならば。 |
DIA-205-1984-03-22-1 | フィリピン | 1984年03月22日 | 1980年代 | CORD,首都圏人民ボイコット・センターのリスト発表。 |
DIA-205-1984-03-23-1 | フィリピン | 1984年03月23日 | 1980年代 | 国防相,87年大統領選に立候補もありうる-もし大統領か同夫人が出馬せねば。記者会見で。 |
DIA-205-1984-03-25-1 | フィリピン | 1984年03月25日 | 1980年代 | セルヒヨ・オスメーニャⅡ死去-68歳。 |
DIA-205-1984-03-26-1 | フィリピン | 1984年03月26日 | 1980年代 | ボイコット呼び掛け広告-人民ボイコット・センター登録呼び掛け。KML(正義社会のための運動)。 |
DIA-205-1984-03-26-2 | フィリピン | 1984年03月26日 | 1980年代 | 新閣僚任命-EO(行政命令)946号。フィリピン・ココナツ庁長官Rolando P.dela Cuesta(42歳)。 |
DIA-205-1984-03-27-1 | フィリピン | 1984年03月27日 | 1980年代 | 新労働連合設立-KMUとTUPAS傘下13労組。Pambansang Koalisyon ng Manggagawa Laban sa Kahirappan(PKMK,反貧困労働者全国連合)。 |
DIA-205-1984-03-28-1 | フィリピン | 1984年03月28日 | 1980年代 | マルコス大統領の長女,KBL候補に-Imee Marcos-Manotoc。北イロコス州公認選出争い打開のため。 |
DIA-205-1984-03-28-2 | フィリピン | 1984年03月28日 | 1980年代 | 米大使,米は対比公的信用維持の唯一の国-米金融機関の対比貿易信用は83年10月以降6億ドルに。 |
DIA-205-1984-03-30-1 | フィリピン | 1984年03月30日 | 1980年代 | ADB輸入用ローン調印-1.3億ドル。主に化学肥料・農薬用。 |
DIA-205-1984-03-30-2 | フィリピン | 1984年03月30日 | 1980年代 | 野党6指導者,日本国会議員と会談-東京でL・タニャーダ等,アキノ事件調査完了まで援助供与の延期を要請。 |
DIA-205-1984-03-30-3 | フィリピン | 1984年03月30日 | 1980年代 | KBL,2州を自由地域に宣言-アブラとマウンテン州。党公認候補を出さない。 |
DIA-205-1984-04-01-1 | フィリピン | 1984年04月01日 | 1980年代 | さらに4地方統一司令部設立-RUC1,2,9,10。計12RUCに,残り未設立は首都圏のみ。 |
DIA-205-1984-04-02-1 | フィリピン | 1984年04月02日 | 1980年代 | 選挙に消えないインク使用-選管承認。 |
DIA-205-1984-04-03-1 | フィリピン | 1984年04月03日 | 1980年代 | KBL,東ダバオ州を自由地城に指定-公認候補争いのため,立候補者制限せず。第3号。 |
DIA-205-1984-04-03-2 | フィリピン | 1984年04月03日 | 1980年代 | 南イロコス州で副町長殺害-セルバンテス町。 |
DIA-205-1984-04-05-1 | フィリピン | 1984年04月05日 | 1980年代 | 5野党指導者,香港会議-(~6日)。L.Tanada,J.Diokno,J.Salonga,A.Sarmiento,A.Aquino。参加団体:NAJFD,JAJA,Kaakbay(比人権・民主主義運動),ATOM(8月21日運動),LP。マルコス政権の崩壊促進のため共同行動を求め,移行政府設立を準備し,署名者を初代準備委員に任命する。選挙ボイコットを明確に宣言。 |
DIA-205-1984-04-06-1 | フィリピン | 1984年04月06日 | 1980年代 | 警察のピケライン破りで労働者2人死亡-首都圏バレンスエラ織物工場で。PKMK所属37組合はカリンガル首都北部地区警察署長の解任を要求。 |
DIA-205-1984-04-07-1 | フィリピン | 1984年04月07日 | 1980年代 | 退役将軍を現役復帰-大統領。P.de Guzman准将をPC-INP第10地方司令官に。現役復帰5人目。 |
DIA-205-1984-04-07-2 | フィリピン | 1984年04月07日 | 1980年代 | Namfrel,さらに選管2委任命を要求-その他,第9,12地方の人身保護令回復等の改革を要求。 |
DIA-205-1984-04-08-1 | フィリピン | 1984年04月08日 | 1980年代 | BP候補の町長殺害さる-南スリガオ州ビスリグでKBL系無所属。10日軍は,犯人はNPAと発表。11日南カマリネス州シコポットの副町長もUNIDO集会で射殺さる。13日大統領は対NPAキャンペーンの強化を命令。 |
DIA-205-1984-04-10-1 | フィリピン | 1984年04月10日 | 1980年代 | 米大使館デモ-CORD。選挙ボイコット主張。 |
DIA-205-1984-04-11-1 | フィリピン | 1984年04月11日 | 1980年代 | 豪州政府,輸入信用5000万ドル供与に合意。 |
DIA-205-1984-04-14-1 | フィリピン | 1984年04月14日 | 1980年代 | 大統領,野党候補のアキノ事件利用を非難-カローカン市のKBL集会で。 |
DIA-205-1984-04-15-1 | フィリピン | 1984年04月15日 | 1980年代 | 「自由のための断食」開始-(~21日)A・アキノらボイコット派の27人。 |
DIA-205-1984-04-15-2 | フィリピン | 1984年04月15日 | 1980年代 | 選管,治安悪化時の緊急措置採択-投票所を移転するため。特に軍が悪化の可能性ありとする44州の188市町で。 |
DIA-205-1984-04-17-1 | フィリピン | 1984年04月17日 | 1980年代 | CPPがボイコット運動背後の主要勢力だ-ベル参謀総長。15日ダバオ市での押収文書で確認された。 |
DIA-205-1984-04-17-2 | フィリピン | 1984年04月17日 | 1980年代 | 制度化暴力の抗議集会-CORD主催約500人,ミランダ広場で。Lakbayan参加者4人の殺害,ボイコット集会参加3青年の誘拐,ピケ2労働者の殺害等。 |
DIA-205-1984-04-21-1 | フィリピン | 1984年04月21日 | 1980年代 | 6月以降反対派を取締りの恐れ-PDA(大統領拘禁措置)の中断期限の失効で。22日大統領は否定。 |
DIA-205-1984-04-23-1 | フィリピン | 1984年04月23日 | 1980年代 | イサベラ州で町長ら4人殺害-この5日間に選挙関係の殺人が13件発生(PC報告)。 |
DIA-205-1984-04-23-2 | フィリピン | 1984年04月23日 | 1980年代 | ルイス・アラネタ死去-67歳。大統領の次女イレーネの義父。サンフランシスコで。 |
DIA-205-1984-04-24-1 | フィリピン | 1984年04月24日 | 1980年代 | パンガシナン州KBL委員長を更迭-大統領。非党員の息子の立候補を推進したため。 |
DIA-205-1984-04-24-2 | フィリピン | 1984年04月24日 | 1980年代 | 自由企業制度を破壊したのはマルコス政権だ-N・ゴンザレスらUNIDO首都候補。 |
DIA-205-1984-04-24-3 | フィリピン | 1984年04月24日 | 1980年代 | 中銀,シティバンク・マニラ支店外貨預金の46%支払許可-シティ発表。10月以来凍結の6億のうちから。支払は支店の海外資産で決済される。 |
DIA-205-1984-04-24-4 | フィリピン | 1984年04月24日 | 1980年代 | 在比基地撤退のつもりはない-シュルツ国務長官,このほどTV番組“Worldnet”で声明。 |
DIA-205-1984-04-25-1 | フィリピン | 1984年04月25日 | 1980年代 | 政府と財界の和解の希望はない-A・トレンティーノ。大統領がまず動かねば。政府の経済介入は過大だ。選挙後の経済再建は大統領の態度に大きく依存。 |
DIA-205-1984-04-26-1 | フィリピン | 1984年04月26日 | 1980年代 | 対比援助停止要請-タニャーダ日本大使館に。 |
DIA-205-1984-04-27-1 | フィリピン | 1984年04月27日 | 1980年代 | ジャーナリストの仮釈放命令-Rommel Corro元Philipine Times編集長。サンボアンガ市で立候補。 |
DIA-205-1984-04-28-1 | フィリピン | 1984年04月28日 | 1980年代 | 第12次円借款調印-555億円。商品借款352億円,プロジェクト借款73億円,リスケ分返済13億円。 |
DIA-205-1984-04-29-1 | フィリピン | 1984年04月29日 | 1980年代 | 首都KBLの浸透運動開始-大統領夫妻,マラカニアンにバランガイ指導者6000人を集めて。 |
DIA-205-1984-04-29-2 | フィリピン | 1984年04月29日 | 1980年代 | ピケ破りで労働者1人死亡-警備員,警官・PC首都司令部隊員がマリキナの食品工場で。 |
DIA-205-1984-04-30-1 | フィリピン | 1984年04月30日 | 1980年代 | 憲法論争は無意味-Civil Liberties Union(CLU)声明。73年憲法と35年憲法との正当性をそれぞれ主張するKBLも野党も,新旧植民地主義にとらわれている。 |
DIA-205-1984-05-01-1 | フィリピン | 1984年05月01日 | 1980年代 | 最低賃金引上げ命令発行-賃金命令第4号。4件の緊急生活手当(計240ペソ)を基本最賃に統合(計870ペソに)。未統合手当は210ペソ。超勤等へのはねかえりは約+9%,その他公務員給与の10%引上げも命令。 |
DIA-205-1984-05-04-1 | フィリピン | 1984年05月04日 | 1980年代 | 円借款反対ピケ-約100人日本大使館前で。 |
DIA-205-1984-05-04-2 | フィリピン | 1984年05月04日 | 1980年代 | 新米国大使信任状提出-Stephen W.Bosworth。米国は比国を引続き援助すると言明。8日大統領と会談したウォルフォーウィッツ国務次官補は,米国は選挙が公正であることに強い関心をもっていると再述。 |
DIA-205-1984-05-04-3 | フィリピン | 1984年05月04日 | 1980年代 | 野党が30議席とれば驚異的だ-大統領。せいぜい20議席だ,奇跡的に70でも過半数ではない。 |
DIA-205-1984-05-04-4 | フィリピン | 1984年05月04日 | 1980年代 | 「自由のための行進」開始-“Lakbayan”。ルネタ公園から南北に往復10日間のボイコット・キャンペーン。 |
DIA-205-1984-05-05-1 | フィリピン | 1984年05月05日 | 1980年代 | 米国メディアは信用できない-大統領。レーガン自身グラナダ作戦時にそのことを示した。 |
DIA-205-1984-05-05-2 | フィリピン | 1984年05月05日 | 1980年代 | 野党の35年憲法復活要求を非難-大統領。パリティ・ライトの復活を意味する。比米間に今日貿易協定がないのは米側が内国民待遇に固執しているからだ。 |
DIA-205-1984-05-06-1 | フィリピン | 1984年05月06日 | 1980年代 | ラモン・コファンコ死去-PLDT社長。 |
DIA-205-1984-05-07-1 | フィリピン | 1984年05月07日 | 1980年代 | コファンコ一族は和解-ホセとエドアルドの従兄弟は87年大統領選挙に備え勢力の統合強化のため。 |
DIA-205-1984-05-08-1 | フィリピン | 1984年05月08日 | 1980年代 | 米の供給は十分-農相。4月初の備蓄は,126万トン,9月まで十分ある。他方ヤシ油は83年初以来4倍に値上りし,最近小売の店頭から消えた。 |
DIA-205-1984-05-08-2 | フィリピン | 1984年05月08日 | 1980年代 | CPP・NPAは選挙妨害を計画-PC第11地方司令官。投票所への投石,雑音デモ,紙吹雪等で。 |
DIA-205-1984-05-08-3 | フィリピン | 1984年05月08日 | 1980年代 | 新たな政治制度提案-J・ディオクノ。2院制,労働者・農民等各界代表からなる第2院を設立する。 |
DIA-205-1984-05-08-4 | フィリピン | 1984年05月08日 | 1980年代 | 外銀諮問委,6月末まで会合せずと決定-ニューヨークで。IMF承認の見込まれる6月末まで。 |
DIA-205-1984-05-09-1 | フィリピン | 1984年05月09日 | 1980年代 | KBL無所属候補を許可せず-大統領。KBLは公認候補だけを支持する。 |
DIA-205-1984-05-09-2 | フィリピン | 1984年05月09日 | 1980年代 | マングラプス,選挙批判-マルコスに対する大衆の憤りをそらすための米国支援のショウだ。米国は民主主義回復の印象を与えるため野党の30%議席獲得を望んでいる。マルコス支援を続ければフィリピンは新たなイラン,ニカラガとなりうる。 |
DIA-205-1984-05-10-1 | フィリピン | 1984年05月10日 | 1980年代 | 首相,IMF交渉は最終段階-数週間以内に承認の見込み。高い流動性のため趣意書は未提出だ。 |
DIA-205-1984-05-11-1 | フィリピン | 1984年05月11日 | 1980年代 | KBL支持アピール-大統領。野党は最大70議席,現実には30だ。BP(国民議会)支配権を取れないのにどうして弾劾できるのか。月に吠える様なものだ。 |
DIA-205-1984-05-11-2 | フィリピン | 1984年05月11日 | 1980年代 | 中銀,貯蓄銀行の閉鎖命令-Daily Savings Bank。 |
DIA-205-1984-05-11-3 | フィリピン | 1984年05月11日 | 1980年代 | 選挙ボイコット・デモ-約2000人。ミランダ広場。米大使館とマラカニアンに向けデモ。 |
DIA-205-1984-05-12-1 | フィリピン | 1984年05月12日 | 1980年代 | 公務員給与10%引上げ大統領命令-1日発効。 |
DIA-205-1984-05-13-1 | フィリピン | 1984年05月13日 | 1980年代 | 選管,ボイコット運動に警告-選管規則に違反としてレネタ公園での大ボイコット集会(CORD主催,約1.5万人)の解散命令の実施をPC首都司令部に要請。マカティのウガルテ広場でもボイコット集会(ATOM,JAJA)。 |
DIA-205-1984-05-14-1 | フィリピン | 1984年05月14日 | 1980年代 | 正規国民議会(BP)選挙実施-47党と無所属,立候補者1060人以上。登録有権者2497.2万人。 |
DIA-205-1984-05-14-2 | フィリピン | 1984年05月14日 | 1980年代 | 13州・2市で投票箱300奪わる-選挙関係暴力事件で60人(政府軍40人)死亡,26人以上負傷,大部分は反徒との戦闘で。15日軍発表では計91人死亡。 |
DIA-205-1984-05-17-1 | フィリピン | 1984年05月17日 | 1980年代 | 石油製品値上げ-平均8.1%。 |
DIA-205-1984-05-17-2 | フィリピン | 1984年05月17日 | 1980年代 | ボイコット運動,勝利を主張-CORDのA・アキノら。野党の勝利は政治・経済状況を変えない。マルコスはより多くの外国借款を入手できるある程度の信用を得た。ボイコット運動は全野党勢力の団結のためBP当選の野党人と力を合せよう。だがそれはわれわれの立場を変えることを意味しない。集会・デモで反マルコス闘争を続ける。 |
DIA-205-1984-05-17-3 | フィリピン | 1984年05月17日 | 1980年代 | 歳出の5%削減再確認-閣議で大統領。当初目標の10%減(89億ペソ)に加えて計120億ペソ削減。 |
DIA-205-1984-05-18-1 | フィリピン | 1984年05月18日 | 1980年代 | 大統領,比米友好関係を再確認-わが国は米国の同盟国であり続けよう。 |
DIA-205-1984-05-18-2 | フィリピン | 1984年05月18日 | 1980年代 | 落選閣僚は辞任の必要-大統領。これまでにメンドーサ首席検事,タンコ農相が21日までにさらにプノ法相,ペーニャ天然資源相が落選認め辞表提出。 |
DIA-205-1984-05-21-1 | フィリピン | 1984年05月21日 | 1980年代 | 大統領,特別会期招集-28日から15日間。23日,S・ラウレルは同会期で大統領任命の18議席増員を計画していると非難。24日,大統領は招集を取消した。 |
DIA-205-1984-05-22-1 | フィリピン | 1984年05月22日 | 1980年代 | 21州の再選挙を要求-S・ラウレル。選管が応ぜねば新議会に野党議員は出席しない。 |
DIA-205-1984-05-24-1 | フィリピン | 1984年05月24日 | 1980年代 | 首都北部警察署長殺害さる-カリンガル准将,ケソン市のレストランで。 |
DIA-205-1984-05-24-2 | フィリピン | 1984年05月24日 | 1980年代 | 全30閣僚,辞表提出-選挙後の慣例に従い。 |
DIA-205-1984-05-24-3 | フィリピン | 1984年05月24日 | 1980年代 | 野党,BP内外統一戦線計画の討議を開始-A・ピメンテル(PDP・ラバン委員長)発表。23日,S・ラウレル,H・アダサ(ミンダナオ同盟:MA委員長),C・クリマコ(懸念する市民の連合:CCA委員長)らが会談。 |
DIA-205-1984-05-26-1 | フィリピン | 1984年05月26日 | 1980年代 | PDの発行は続ける-大統領。新BP開設後も。自分とKBLはこの権力を取り除こうとのいかなる試みとも闘う。それは権力の個人的危険のためでなく破壊分子・テロリストに対する闘いの一部だ。この権力は抑圧的に使われたことはなく,KBL指導者たちとの協議後にPDは発行された。(28日)PD発行権を奪おうとの野党の動きは憲法修正,旧共和制への変更なければ実現不可能だ。(29日)同権限なければ政府は経済問題に即応できないし,問題はもっと悪化していただろう。 |
DIA-205-1984-05-26-2 | フィリピン | 1984年05月26日 | 1980年代 | 9物統品を値上げ-米kg当り4.25(旧3.80)ペソ,とうもろこし同3.25(2.70)ペソ等。籾米(2.10から2.35ペソに),とうもろこし(1.65から2.00ペソ)の買上支持価格も。28日ジープニィとバス料金も値上げ。 |
DIA-205-1984-05-27-1 | フィリピン | 1984年05月27日 | 1980年代 | 野党に反破壊分子闘争で協力呼び掛け-大統領。KBL幹部会で。 |
DIA-205-1984-05-29-1 | フィリピン | 1984年05月29日 | 1980年代 | UNIDO,反政府勢力の団結呼び掛け-選挙後初の執行委員会で。戒厳令政権を解体し,国民の主権を回復する共通の努力で。UNIDOの即時「政党」転換は延期し,再団結委員会の設立を決定。 |
DIA-205-1984-05-30-1 | フィリピン | 1984年05月30日 | 1980年代 | Namfrel,選挙結果を評価-全国90の選挙管区中,(1)43.3%では全般的に平和的・公正,(2)20%では混乱と不正行為の疑いが頻繁に報ぜられたが結果を左右するほどではなかった。(3)26.7%では結果に疑問がある。 |
DIA-205-1984-05-30-2 | フィリピン | 1984年05月30日 | 1980年代 | 選挙はKBL地方組織の欠陥を示した-大統領。自己満足,組織的運動の欠如等の。だが選挙はKBLに政治計画続行の明確な委任を与えた。 |
DIA-205-1984-05-30-3 | フィリピン | 1984年05月30日 | 1980年代 | カガヤン州の2政府プロジェクト襲撃・放火さる-NPA容疑集団計120人。損害8500万ペソ。 |
DIA-205-1984-05-31-1 | フィリピン | 1984年05月31日 | 1980年代 | 国防相,NPA活動復活に警告-CPP・NPAにとり重大な敗北であった選挙の結果,またいわゆる戦略的対峙実現のため。 |
DIA-205-1984-06-01-1 | フィリピン | 1984年06月01日 | 1980年代 | 新議会は経済・社会問題解決策を優先すべきだ-H・アダサ。修正6号廃棄でなく。 |
DIA-205-1984-06-02-1 | フィリピン | 1984年06月02日 | 1980年代 | UMDOは反暴力にコミット-S・ラウレル。暴力は大部分政府の人間が用意したものだ。任期6年無再選の大統領制へ復帰すべきだ。マルコスはフランス憲法を読み誤っている。 |
DIA-205-1984-06-04-1 | フィリピン | 1984年06月04日 | 1980年代 | IBP最終特別会期開催-(~5日)大統領の業績称賛,6年間の活動を総括。 |
DIA-205-1984-06-05-1 | フィリピン | 1984年06月05日 | 1980年代 | LP,他野党との団結条件-M・コンコルディア副書記長。ボイコット参加者の立場はナショナリズムと反帝国主義等だ。他野党の基本的立場は不確実であり,団結の取極めを急ぐことはできない。 |
DIA-205-1984-06-05-2 | フィリピン | 1984年06月05日 | 1980年代 | 連立内閣の設立提案-A・トレンティーノ。検察役として野党員を閣内に含むべきだ(14日誤報と否定)。BPは政治問題で時間を浪費せず,経済・社会問題に集中し,経済界とテクノクラート間に連絡が確立さるべきだ。野党の進出はアキノ暗殺と経済危機に対する「明確な抗議票」だ。政府は国民のメッセージを読み取り政策を再編すべきだ。 |
DIA-205-1984-06-05-3 | フィリピン | 1984年06月05日 | 1980年代 | 小麦・小麦粉値上げ-それぞれ7.4%,15.7%。 |
DIA-205-1984-06-05-4 | フィリピン | 1984年06月05日 | 1980年代 | 米輸銀,綿輸入ローン貸与-2500万ドル。世銀も5月末農業投入財ローン1.5億ドルおよび4月道路ローン1.02億ドルに調印。 |
DIA-205-1984-06-05-5 | フィリピン | 1984年06月05日 | 1980年代 | 首都の全PC・警察部隊に最高警戒態勢を命令-破壊活動集団による政権不安定化の企図に先手打つため。 |
DIA-205-1984-06-06-1 | フィリピン | 1984年06月06日 | 1980年代 | ペソ切下げ-5日3PD,2EO(行政命令)発行。変動制再実施(1ドル14ペソから18・002ペソに),貿易外外為購入に10%消費税(PD1928)。輸出切下げ差益に30%経済安定税(PD1929)。政府法人の借入・投資規制(PD1930号)。10%輸入従価税(現行8%,EO955),歳出を合計18%削減(EO956号)。 |
DIA-205-1984-06-06-2 | フィリピン | 1984年06月06日 | 1980年代 | 石油製品平均26.2%値上げ-プレミアムガソリン1l6.89ペソから8.28ペソに。 |
DIA-205-1984-06-06-3 | フィリピン | 1984年06月06日 | 1980年代 | 選挙は十分公正だった-シン枢機卿。多くの野党候補が選出され,それが国民が暴力に訴えるのを防いだ。彼らは平和的手段で問題の合法的解決を助けよう。 |
DIA-205-1984-06-07-1 | フィリピン | 1984年06月07日 | 1980年代 | 退役延長将軍問題を再検討する-エンリレ国防相。現場の士気を高め,組織効率を改善するため国軍の下位司令部をオーバーホールするときだ。将軍定員127人,現員100人,うち退役延長者50人,ベル,ラモスは無期限延長,若手士官が延長に反対していない将軍は3軍司令官,オリバス少将およびカストロ少将という。 |
DIA-205-1984-06-08-1 | フィリピン | 1984年06月08日 | 1980年代 | タバオで自由の行進集会-PDP・ラバン主催,選挙後初めての大衆行動。 |
DIA-205-1984-06-09-1 | フィリピン | 1984年06月09日 | 1980年代 | 米・とうもろこし値上げ-支持価格:kg当り籾2.65ペソ,とうもろこし2.30ペソ。小売:米4.85ペソ,とうもろこし3.85ペソに。その他物統品目も値上げ。30日大統領は米15万トンの輸出取消しを命令。 |
DIA-205-1984-06-11-1 | フィリピン | 1984年06月11日 | 1980年代 | 軍人事異動-この一週間に3回。 |
DIA-205-1984-06-11-2 | フィリピン | 1984年06月11日 | 1980年代 | UNIDO59議員,ブロック結成を決定。 |
DIA-205-1984-06-12-1 | フィリピン | 1984年06月12日 | 1980年代 | 最低賃金引上げ-賃金命令5号。16日発効。首都非農業労働者で最賃3ペソ,生活手当5ペソの計8ペソで新実効最賃は49ペソに。 |
DIA-205-1984-06-12-2 | フィリピン | 1984年06月12日 | 1980年代 | バス・ジープニィ料金再値上げ-砂糖も卸売25%,小売24.5%値上げ。 |
DIA-205-1984-06-12-3 | フィリピン | 1984年06月12日 | 1980年代 | 独立記念日-米国の政府支持に対する2抗議デモがフェルグソン広場で実施された。 |
DIA-205-1984-06-12-4 | フィリピン | 1984年06月12日 | 1980年代 | LP(サロンガ派),党再編・活性化促進に着手。 |
DIA-205-1984-06-13-1 | フィリピン | 1984年06月13日 | 1980年代 | PDA発行は必要だ-大統領。国家の治安が必要とする場合にのみ発行するが,今は必要ない。 |
DIA-205-1984-06-14-1 | フィリピン | 1984年06月14日 | 1980年代 | 国家諮問会議の設立提案-A・トレンティーノ。閣僚,民間と民間代表で構成。また大統領が外相ポストを申し出たことに感謝を表明。20日大統領は提案を歓迎する,元大統領・下院議長・元上院議長・元外相・元財務相および条件合えば野党代表とすると言明。23日には国家諮問会議より経済諮問会議の方が望ましいと発言。21日UNIDO,大統領案を拒否。 |
DIA-205-1984-06-15-1 | フィリピン | 1984年06月15日 | 1980年代 | UNIDO,7点経済綱領を発表-80年結成時の計画を改訂。経済ナショナリズムと民主主義の回復,自給・自立努力による生産・消費パターンの変革,経済発展の根本目標は貧困除去と不平等の減少,独占廃止等。16日大統領は,上記計画は理想と希求の表明にすぎない,また野党は共産主義と暴力に対する立場を明確にしていない,反対なら綱領に書くべきだ,と批判。 |
DIA-205-1984-06-18-1 | フィリピン | 1984年06月18日 | 1980年代 | 一貫製鉄所計画キャンセル-大統領発表。23日政府資金使わずとの条件で継続と再発表。 |
DIA-205-1984-06-19-1 | フィリピン | 1984年06月19日 | 1980年代 | 首都圏に秘密警官を再投入-大統領,犯罪取締のため。82年8月創設。約1000人。24日までに強盗犯ら25人を射殺。 |
DIA-205-1984-06-21-1 | フィリピン | 1984年06月21日 | 1980年代 | LP,86・87年選挙に参加する-A・サルミエント書記長。 |
DIA-205-1984-06-21-2 | フィリピン | 1984年06月21日 | 1980年代 | 現政権に代る政治計画を研究-AMA(多部門協会同盟)。委員長A・アキノ。 |
DIA-205-1984-06-24-1 | フィリピン | 1984年06月24日 | 1980年代 | サロンガ,帰国を希望-弁護士に政府がパスポートを発給するよう最高裁に申請するよう指示。 |
DIA-205-1984-06-25-1 | フィリピン | 1984年06月25日 | 1980年代 | KBL,BP議長候補選出-Nicanor Y.Yniguez(南レイテ選出)。ビラタ,ローニョの正副首相留任も決定。 |
DIA-205-1984-06-26-1 | フィリピン | 1984年06月26日 | 1980年代 | UNIDO議員,野党院内総務選出-Jose B.Laurel, Jr.(71歳)。BP議長候補にも選出。 |
DIA-205-1984-06-27-1 | フィリピン | 1984年06月27日 | 1980年代 | 2機関設置,生産性向上計画を強化-大統領,閣議決定。経済諮問会議と国家生産性会議。 |
DIA-205-1984-06-27-2 | フィリピン | 1984年06月27日 | 1980年代 | 民族同盟の本部を手入れ-PC首都司令部。7人逮捕。反政府文書を押収したと発表。 |
DIA-205-1984-06-28-1 | フィリピン | 1984年06月28日 | 1980年代 | 政府,GNP目標改訂-85~87年改訂計画。年平均2.5%に。 |
DIA-205-1984-06-28-2 | フィリピン | 1984年06月28日 | 1980年代 | 検察,2外国司祭の公訴取下げ-町長殺害事件で起訴のGore,Brian2司祭。大統領承認で。 |
DIA-205-1984-06-29-1 | フィリピン | 1984年06月29日 | 1980年代 | 外相代行,憲法修正6号の再検討を求める-コリヤンテス外相代行。BP開会時に29人のKBLと無所属議員とで。対外借入政策の再検討,予算優先位の研究も要求する。 |
DIA-205-1984-06-30-1 | フィリピン | 1984年06月30日 | 1980年代 | 新内閣就任宣誓式-ビラタ首相ら22人。新顔は3人のみ(「参考資料」参照)。 |
DIA-205-1984-07-01-1 | フィリピン | 1984年07月01日 | 1980年代 | 憲法修正6号廃棄で統一戦線を呼び掛け-ピメルテン議員。 |
DIA-205-1984-07-01-2 | フィリピン | 1984年07月01日 | 1980年代 | 選挙不正抗議デモ-ケソン市。 |
DIA-205-1984-07-02-1 | フィリピン | 1984年07月02日 | 1980年代 | 大統領夫人,アグラバ委証言-2度アキノの命を救ったが野党人たちが死の帰国にかりたてた。 |
DIA-205-1984-07-03-1 | フィリピン | 1984年07月03日 | 1980年代 | バコロド地裁,2外国人司祭らの公訴棄却-N・オブライエン,B・ゴア。30日内出国条件に。 |
DIA-205-1984-07-04-1 | フィリピン | 1984年07月04日 | 1980年代 | 米大使館前デモ-約3000人。核廃絶比連合(NFPC),反基地連合(ABC),NAJFD主催。米国の経済・安保政策を非難。 |
DIA-205-1984-07-04-2 | フィリピン | 1984年07月04日 | 1980年代 | 中銀,財務省証券売却方式を変更-入札方式から顧客交渉方式に,満期も15~360日選択可能に。 |
DIA-205-1984-07-05-1 | フィリピン | 1984年07月05日 | 1980年代 | 最高裁判事,7段階和解措置を提案-C・ティハンキー。政治犯・反徒への大赦,PDA廃止,大統領立法権廃棄,国民和解会議の設立等。 |
DIA-205-1984-07-06-1 | フィリピン | 1984年07月06日 | 1980年代 | 米15万トンの輸入計画-NFA確認。 |
DIA-205-1984-07-06-2 | フィリピン | 1984年07月06日 | 1980年代 | 金融界,ロビー団体を一本化-Council of Financial Associations(COFA)。議長B.Estanislao BAP会長。 |
DIA-205-1984-07-06-3 | フィリピン | 1984年07月06日 | 1980年代 | デモの強制解散で5人負傷-3000人,大統領官邸に向け行進中。7日3学生団体とNAJFD,催涙弾・警棒の使用を非難。 |
DIA-205-1984-07-07-1 | フィリピン | 1984年07月07日 | 1980年代 | 政府,新輸出加工区の建設を延期。 |
DIA-205-1984-07-07-2 | フィリピン | 1984年07月07日 | 1980年代 | 軍,反徒キャンペーンを促進-6月下旬以降北部ルソン,東ミンダナオで。NPAを57人殺害。 |
DIA-205-1984-07-08-1 | フィリピン | 1984年07月08日 | 1980年代 | 5輸出品目の外為差益税免除-財務省。 |
DIA-205-1984-07-10-1 | フィリピン | 1984年07月10日 | 1980年代 | 首都西部警察署に抗議デモ-約2000人。 |
DIA-205-1984-07-10-2 | フィリピン | 1984年07月10日 | 1980年代 | 中銀,6貯蓄銀行,2農銀を閉鎖-このほど。 |
DIA-205-1984-07-11-1 | フィリピン | 1984年07月11日 | 1980年代 | CPPの暗殺部隊,都市作戦強化-ベル報告。軍将校を暗殺,首都住民に恐怖を撒き,政府を不安定化させる計画だ。またCPP4中央委は首都・南部ルソンでの反政府活動を指示した。 |
DIA-205-1984-07-13-1 | フィリピン | 1984年07月13日 | 1980年代 | デモ学生と会談の用意-大統領。だが多くの学生指導者は共産主義運動の同調者かフロントなので,彼らに会う気はない。 |
DIA-205-1984-07-13-2 | フィリピン | 1984年07月13日 | 1980年代 | メンディオーラ通りデモ-大統領官邸前通り。1.5万人。CORD,NAJFD主催。警備側,メンディオーラ橋の一部へのデモ隊の立入り認む。 |
DIA-205-1984-07-13-3 | フィリピン | 1984年07月13日 | 1980年代 | 戒厳令布告は最後の手段とすべきだ-国防相。反徒は地下活動から市民・政府に対する直接武装行動に重点を移し,83年初から18カ月に市民1614人殺害。 |
DIA-205-1984-07-14-1 | フィリピン | 1984年07月14日 | 1980年代 | 大統領,戒厳令を再布告しない-2条件が存在しないので。(1)修正6号で可能なすべての手段が使い尽され,(2)反乱が国家治安を脅かすほど拡大するとの。 |
DIA-205-1984-07-14-2 | フィリピン | 1984年07月14日 | 1980年代 | 基地使用補償計画の変更理由-ソラーズ米下院アジア・太平洋小委員長,J・B・ラウレル宅で。6000万ドルを経済支援基金にシフトしたのは,NPA問題は生活水準の向上によって解決するからだ。 |
DIA-205-1984-07-14-3 | フィリピン | 1984年07月14日 | 1980年代 | 国防相・法相,政治犯大赦を拒否-シン枢機卿提案。この種大赦は決してうまく行かない,として。 |
DIA-205-1984-07-15-1 | フィリピン | 1984年07月15日 | 1980年代 | 大統領,軍作戦現場を視察-アブラ,カリンガ・アパヤオ,マウンテンの3州境。 |
DIA-205-1984-07-16-1 | フィリピン | 1984年07月16日 | 1980年代 | NPA150,東サマール州の町襲撃-マッカーサー町。警察署長ら4人死亡。19日北ラナオ州では変電所破壊される。21日NPA容疑集団150,北ダバオ州のNPC施設襲撃,建物・車輛等焼失。 |
DIA-205-1984-07-18-1 | フィリピン | 1984年07月18日 | 1980年代 | 軍,司祭ら6人を告発-破壊活動容疑で。NAJFD事務局長Jose Dizon神父ら。 |
DIA-205-1984-07-18-2 | フィリピン | 1984年07月18日 | 1980年代 | シン,戒厳令再布告せぬようアピール。 |
DIA-205-1984-07-18-3 | フィリピン | 1984年07月18日 | 1980年代 | 財界,全国生産性・マーケティング計画提案に反対-D・サントスPCCI会頭。民間に委ねらるべきだ。 |
DIA-205-1984-07-19-1 | フィリピン | 1984年07月19日 | 1980年代 | 経済テクノクラート追放決議案提出-R・ミトラ議員。外国借款における役割,使途等が不明瞭だ。 |
DIA-205-1984-07-19-2 | フィリピン | 1984年07月19日 | 1980年代 | 議会の特別演説時間を許さない-大統領。野党の要求は悪意の宣伝,中傷計画のためだ。またリム国立警察学校長を警察准将に昇任,イソン同准将・首都東部警察署長の定年を1年延長。20日KBL幹部会は,上記時問の設定を拒否,週2回の質疑時間設定を決定。 |
DIA-205-1984-07-20-1 | フィリピン | 1984年07月20日 | 1980年代 | 全国軍に警戒態勢命令-ラマス司令官。NPAが地下政治活動から民間人に恐怖と混乱の種をまくため直接武装活動に移行したとの情報で。 |
DIA-205-1984-07-20-2 | フィリピン | 1984年07月20日 | 1980年代 | 秘密警察官の配備を批判-カトリック司教会議(CBCP)教書。大統領のPD発行権に懸念を表明。 |
DIA-205-1984-07-20-3 | フィリピン | 1984年07月20日 | 1980年代 | ラシッド・ルクマン死去-58歳,サウジアラビアで。BMLO(モロ民族解放機構)議長。 |
DIA-205-1984-07-20-4 | フィリピン | 1984年07月20日 | 1980年代 | 軍裁の裁判促進命令-ラモス総参謀長代理。全国に軍裁32,現在3000件が係争中。 |
DIA-205-1984-07-21-1 | フィリピン | 1984年07月21日 | 1980年代 | 外相,与野党一致の憲法違反を非難-国会議員の閣僚以外の公選職兼任禁止規定の違反者がいる。22日大統領同意,法相はパンパンガ知事を辞任と発表。 |
DIA-205-1984-07-22-1 | フィリピン | 1984年07月22日 | 1980年代 | 外相,修正6号廃棄支持を表明-マルコスは十分に強力だが,まだ立法権放棄を望んでいない。24日BPが廃棄決議を可決するのは不可能,事態が静まったら大統領に妥協措置を提出する。外交では私は完全に大統領の下にあるが,その外では私は完全に自由だと言明。 |
DIA-205-1984-07-22-2 | フィリピン | 1984年07月22日 | 1980年代 | 修正6号廃棄決議案-9野党議員署名(LP8人,PDP-ラバン1人。正規BP成立で6号は失効した)。PDP-ラバン12議員も先に類似の決議8号に署名(廃棄の国民投票付託を要求)。 |
DIA-205-1984-07-23-1 | フィリピン | 1984年07月23日 | 1980年代 | Banco Filipino,休業を宣言-27日大統領は中銀に緊急貸付による8月1日営業再開を命令。 |
DIA-205-1984-07-23-2 | フィリピン | 1984年07月23日 | 1980年代 | ボニファシオ広場抗議集会-約2万人。KMU,PKMK,NAJFD,CORD。約2万人。警察側,市長の集会許可取消されたとして催涙弾使い強制解散させ多数が負傷。デモ隊は再集後マニラ・ケソン市境のウエルカム・ロトンダとサント・ドミンゴ教会で再度抗議集会開催。24日マニラ市長,無差別催涙弾使用を非難。 |
DIA-205-1984-07-23-3 | フィリピン | 1984年07月23日 | 1980年代 | 正規国民議会開会,新議長を選出-Nicanor E.Yniguez(KBL)を111票で選出。J・B・ラウレルJr.(UNIDO)58票,R・パルマレス(NP)8票。大統領は一般教書を発表,(1)戒厳令を再布告しない,(2)修正6号権力は議会(BP)休会時,BPが事態に適切に対応しない時にのみ,常にKBLの勧告に基づいてのみ使用すると言明,また(3)野党に救国の協同行動をアピール,(4)回復のための10点計画支持を要請した。 |
DIA-205-1984-07-25-1 | フィリピン | 1984年07月25日 | 1980年代 | 治安4PD廃棄の4法案提出-H・ペレス(UNIDO)ら。PD1834,1835,1836,1837-A号。 |
DIA-205-1984-07-25-2 | フィリピン | 1984年07月25日 | 1980年代 | 首都の市町議会の復活要求-G・ロペス国会議員(UNIDO)。 |
DIA-205-1984-07-26-1 | フィリピン | 1984年07月26日 | 1980年代 | BPに第3ブロック結成-「コーカス・オブ・イレブン」。無所属8人とNP(ロイ派)3人。KBLおよび連合野党との同一視を拒否,M・コリヤンテスの組織と言われる“group of 29 independents”への参加を否定。 |
DIA-205-1984-07-26-2 | フィリピン | 1984年07月26日 | 1980年代 | ケソン橋上で3000人デモ。 |
DIA-205-1984-07-26-3 | フィリピン | 1984年07月26日 | 1980年代 | 外相,BPの外交政策上の役割強化を主張-たとえ大統領権力の弱化を意味するとしても,外相・外交委員長としてこの目標を追求する。 |
DIA-205-1984-07-27-1 | フィリピン | 1984年07月27日 | 1980年代 | 一部教会指導者は政教分離に違反-大統領。政治に介入,彼らは説教壇を政治目的に使っている。 |
DIA-205-1984-07-27-2 | フィリピン | 1984年07月27日 | 1980年代 | エスパーニャ通りデモ-約1万人。CORD,NAJFD,ATOM,AMA,KMLK,PDP-ラバン等。 |
DIA-205-1984-07-28-1 | フィリピン | 1984年07月28日 | 1980年代 | LP決定,87年大統領選に候補者を出す-マパガル前大統領発表。J・サロンガ委員長は運動のため今年中に帰国しよう。86年地方選にも参加しよう。 |
DIA-205-1984-07-29-1 | フィリピン | 1984年07月29日 | 1980年代 | タイ副首相来比-ピチャイ,大統領と会談。 |
DIA-205-1984-07-29-2 | フィリピン | 1984年07月29日 | 1980年代 | NPA150,海岸町襲撃-北ダバオ州Pantukun。 |
DIA-205-1984-07-30-1 | フィリピン | 1984年07月30日 | 1980年代 | C・ビラタ,首相に再選さる-賛成120票,棄権6票。連合野党59人,与党のコリヤンテス議員が反対票投じた。野党はビラタは誤った経済政策に責任あり,大統領とIMFにのみ奉仕したと反対。 |
DIA-205-1984-07-30-2 | フィリピン | 1984年07月30日 | 1980年代 | デモ・集会の破壊活動リーダー5人逮捕-軍,22日に。オリバス首都警察軍司令官発表。CPP党員3人,KMUメンバーら。 |
DIA-205-1984-07-31-1 | フィリピン | 1984年07月31日 | 1980年代 | 国防相,CPP合法化を支持-もしCPPが暴力手段の使用を放棄すれば。 |
DIA-205-1984-08-01-1 | フィリピン | 1984年08月01日 | 1980年代 | 改訂84~87年経済開発計画を承認-大統領。 |
DIA-205-1984-08-01-2 | フィリピン | 1984年08月01日 | 1980年代 | 報道の自由抑圧を非難-ジャーナリスト250人。公務員・軍人によるジャーナリストに対する名誉棄損訴訟の増加に警告。 |
DIA-205-1984-08-02-1 | フィリピン | 1984年08月02日 | 1980年代 | 野党議員,修正6号廃棄の6番目の決議提出。 |
DIA-205-1984-08-04-1 | フィリピン | 1984年08月04日 | 1980年代 | 大統領,修正6号の必要性強調-この権力は国家の危急に直接・緊急に対処するために採用された。 |
DIA-205-1984-08-05-1 | フィリピン | 1984年08月05日 | 1980年代 | 修正6号存否の国民投票要求を決議-第2回全国法律家大会(IBP主催)。 |
DIA-205-1984-08-05-2 | フィリピン | 1984年08月05日 | 1980年代 | 軍,MNLF拠点攻撃-攻撃ヘリ,戦闘機動員。南ラナオ州ラミアン。12日までにMNLF約200人中99人死亡。 |
DIA-205-1984-08-06-1 | フィリピン | 1984年08月06日 | 1980年代 | 政府は比人の在外資産を知らない-首相。3日ボスワース米大使の演説(比人の海外投資は約100億ドルに達する)について。 |
DIA-205-1984-08-06-2 | フィリピン | 1984年08月06日 | 1980年代 | CPP女性最高幹部容疑者を逮捕-Milagros Roque。CPP中央委・全国執行委。他のNDF容疑者とともに。 |
DIA-205-1984-08-06-3 | フィリピン | 1984年08月06日 | 1980年代 | セブ野党,86年選挙計画策定-Panaghiusa。 |
DIA-205-1984-08-07-1 | フィリピン | 1984年08月07日 | 1980年代 | 2西独商品借款調印-5500万マルク。 |
DIA-205-1984-08-07-2 | フィリピン | 1984年08月07日 | 1980年代 | CPPが宗教部門に広範に浸透-PC,これを確認する情報部報告公表。 |
DIA-205-1984-08-07-3 | フィリピン | 1984年08月07日 | 1980年代 | 軍作戦で多数家族避難-南ラナオ州Maguingで687家族,西サマール州では198家族。 |
DIA-205-1984-08-08-1 | フィリピン | 1984年08月08日 | 1980年代 | 犯罪・反乱等不安定状態が増大-大統領。原因は経済困難にある。81年以来反乱とテロで軍人2320人,民間人2602人が死亡した。 |
DIA-205-1984-08-09-1 | フィリピン | 1984年08月09日 | 1980年代 | 学生300人,米大使館デモ-在比基地・広島原爆投下・IMFのスタンドバイ・クレジット条件に抗議。 |
DIA-205-1984-08-10-1 | フィリピン | 1984年08月10日 | 1980年代 | 世銀,16市町開発4000万ドルローン調印。 |
DIA-205-1984-08-12-1 | フィリピン | 1984年08月12日 | 1980年代 | 3000人デモを強制解散-タフト通りで,無許可として24人逮捕。PKMK主催。 |
DIA-205-1984-08-16-1 | フィリピン | 1984年08月16日 | 1980年代 | 野党,PD1177号廃棄法案を提出-大統領に省庁間の予算の振替を認めた予算改革令。 |
DIA-205-1984-08-16-2 | フィリピン | 1984年08月16日 | 1980年代 | BP,弾劾規則可決-114対66。 |
DIA-205-1984-08-16-3 | フィリピン | 1984年08月16日 | 1980年代 | 最高裁,ウガルテ広場集会のみ許可-CORDの17日ボニファシオ広場集会申請は却下。 |
DIA-205-1984-08-16-4 | フィリピン | 1984年08月16日 | 1980年代 | 教会主催の訓練セミナーの軍手入れを非難-比全国教会協議会(NCCP)事務局長。7月29日,参加者逮捕。 |
DIA-205-1984-08-17-1 | フィリピン | 1984年08月17日 | 1980年代 | ウガルテ広場で約2万人デモ-計画通りボニファシオ広場への行進主張,エスパーニヤ通りで警備部隊に阻止さる。警備側,ミランダ広場まで行進認む。 |
DIA-205-1984-08-17-2 | フィリピン | 1984年08月17日 | 1980年代 | CPP・NPAは政・軍との対峙に失敗した-国防相記者会見。戦略的対峙実現のためのたゆみない決意を示すものがあるが,その夢にほど遠い。CPPは現在戦略的防衛の後期にあると考えている。幾つかの支配地委員会と地方党委員会を再編,ゲリラ・フロント数を増やした。戦場では小規模ゲリラ戦から通常機動戦に移行するため大人数の作戦を試みている。 |
DIA-205-1984-08-18-1 | フィリピン | 1984年08月18日 | 1980年代 | 最高裁,21日ルネタ公園集会を許可-ATOM,ATOCC申請。首都圏4市5町からの行進も許可。 |
DIA-205-1984-08-19-1 | フィリピン | 1984年08月19日 | 1980年代 | ムスリム地城からの軍撤退要求-M・タマノ元上院議員らリーダー15人共同声明。分離主義者に対する軍作戦強化は,分離ムスリム共和国設立を主張するリーダーたちの確信を強めるだけだ。南ラナオでの空陸2週間の攻撃で軍はMNLF92人を殺し,軍損害は死者7,負傷15と主張。だがMNLF筋によれば全く逆だ。空爆で民間人32人が死亡,5000~1万人がコタバト州に避難。 |
DIA-205-1984-08-20-1 | フィリピン | 1984年08月20日 | 1980年代 | 国家生産性会議を正式設置-大統領。産業界指導者36人任命,議長マルコス,理事長に商工相。 |
DIA-205-1984-08-20-2 | フィリピン | 1984年08月20日 | 1980年代 | 国家問題に関する民間協議会(PSCPI)設立-経済11団体。暫定議長にV・パテルノ。国家的重要問題の公開自由討議の場とし,BP議員に調査と技術的援助を与えるため分野別に8委員会設置。 |
DIA-205-1984-08-20-3 | フィリピン | 1984年08月20日 | 1980年代 | アキノ像の引渡し命令-ビラタ首相。 |
DIA-205-1984-08-20-4 | フィリピン | 1984年08月20日 | 1980年代 | 最高裁に治安5PDの効力即時停止を申請-IBP。 |
DIA-205-1984-08-21-1 | フィリピン | 1984年08月21日 | 1980年代 | アキノ暗殺1周年記念集会-サント・ドミンゴ教会でミサ後約20万人,リサール公園に行進,各地から同公園に約50万人参集。CORD等主催。 |
DIA-205-1984-08-22-1 | フィリピン | 1984年08月22日 | 1980年代 | 北部ルソン山地の軍事化停止を要求-Cordillera People’s Alliance for the Defense of Ancestral Domain(イゴロット族27組織の連合)が大統領に。 |
DIA-205-1984-08-22-2 | フィリピン | 1984年08月22日 | 1980年代 | 外相,増税2PDの廃棄を要請-国民に大きな負担として。PD1935号(海外旅行税引上げ)。PD1934号(自動車登録料等3倍増)。両PDは修正6号の行使で大統領が定めた手続に違反し,公聴会もなく発行された。両PDとも6月11日署名,8月18日に公表された。 |
DIA-205-1984-08-23-1 | フィリピン | 1984年08月23日 | 1980年代 | PLM-PLA員2人逮捕-ベル総参謀長発表。マリキナで。People’s Liberation Movement-People’s Liberation Armyの首都圏・同学生委員会書記および軍事グループの長。Nemecio Prudente委員長(既逮捕)で,民族統一線戦(NUF)の結成,政治・軍事活動の強化を計画という。 |
DIA-205-1984-08-26-1 | フィリピン | 1984年08月26日 | 1980年代 | 増税2PD廃棄で全国的納税拒否を行なう-アガピト・アキノ。政府が実施に固執するならば。またA・バルベロ議員(KBL)は同2PDの効力停止要求決議を提出。アスピラス観光相,オプレ労相,バガツィン・マニラ市長らKBL幹部も反対を表明した。 |
DIA-205-1984-08-28-1 | フィリピン | 1984年08月28日 | 1980年代 | 2大商銀,合併に合意-Bank of Philippine IslandsとFamily Bank and Trust Co. 前者が吸収。 |
DIA-205-1984-08-30-1 | フィリピン | 1984年08月30日 | 1980年代 | NPC,外国借款大型発電プロジェクトを延期-計1億5400万ドル。最大はサンロケ・ダム。 |
DIA-205-1984-08-30-2 | フィリピン | 1984年08月30日 | 1980年代 | KBL幹部会,2税PD修正を決定-(1)PD1934号。出稼労働者は免除。(2)ジープニィ登録料50%引下げ。 |
DIA-205-1984-08-30-3 | フィリピン | 1984年08月30日 | 1980年代 | 北・中部ルソン21州を災害地域指定-台風Maringで死者28人,住居放棄1万人。 |
DIA-205-1984-08-31-1 | フィリピン | 1984年08月31日 | 1980年代 | 修正6号問題で非党派アプローチ提案-ペレス政治問題国務相。修正6号はKBL成立前になされたので,廃棄の可否はKBL員の良心に任せるべきだ。 |
DIA-205-1984-09-01-1 | フィリピン | 1984年09月01日 | 1980年代 | 超大型台風,ビサヤ・北東ミンダナオ直撃-台風Nitang。死者約1900人。 |
DIA-205-1984-09-03-1 | フィリピン | 1984年09月03日 | 1980年代 | 最高裁に原発操業停止を申請-安全性に問題あるとして「核廃絶比連合」ら3団体,2BP議員。 |
DIA-205-1984-09-04-1 | フィリピン | 1984年09月04日 | 1980年代 | 多くの政府融資・保証大型プロジェクトは失敗した-ビラタ首相,PCCI・MAP会議で演説。プロジェクトの可能性評価の能力が政策立案者になかったことと汚職で,結果的に政府は数十億ペソの損失を負った。 |
DIA-205-1984-09-06-1 | フィリピン | 1984年09月06日 | 1980年代 | 外相,内外投資家の信頼回復に修正6号の廃棄必要-早い経済回復に重大な障害となっている。政府とその経済政策への信頼回復に必要だ。8日妥協案を提案:BPが即時招集しえない規模の主権・国家安保に対する脅威に関わる緊急事態に対処する場合に限り,BP開会中はPDを発行できないものとする。 |
DIA-205-1984-09-06-2 | フィリピン | 1984年09月06日 | 1980年代 | サロンガ,85年1月に帰国する-LP委員長(滞米中)。分裂LP再編のため。 |
DIA-205-1984-09-08-1 | フィリピン | 1984年09月08日 | 1980年代 | マルコス辞任要求グループは,マルコス後の計画を開始せよ-タニャーダ上院議員,CORD第1回全国大会(約300人出席)で。 |
DIA-205-1984-09-08-2 | フィリピン | 1984年09月08日 | 1980年代 | 野党連合の影の政府設置を提案-アダサ議員。緊急時に備え代替計画をもつ指導部を準備するため。 |
DIA-205-1984-09-11-1 | フィリピン | 1984年09月11日 | 1980年代 | ボニファシオ広場で反政府デモ-無許可で,学生11人逮捕さる。 |
DIA-205-1984-09-11-2 | フィリピン | 1984年09月11日 | 1980年代 | Namfrel組織を選挙後問題で動員へ-J・コンセプシオン会長,(1)BP議員の活動監視,(2)選管の市民機関としてのNamfrelの再承認,(3)新選挙法制定,(4)修正6号の可否問う国民投票の実施,のため。 |
DIA-205-1984-09-11-3 | フィリピン | 1984年09月11日 | 1980年代 | マルコス大統領,67歳に-他方,(1)A・アキノら抗議運動はマニラ空港―タルラク間抗議ジョッギング開始。(2)ボニファシオ広場に学生500人集会。比学生同盟(LFS,公称30万)創立7周年記念日。 |
DIA-205-1984-09-12-1 | フィリピン | 1984年09月12日 | 1980年代 | 新PD発行に野党抗議-PD1950号(9月5日付,PD1934号修正)。アダサ議員:BP開会中であり,PD1934号施行を停止し,BPに同PD廃棄または修正立法を認めるべきであった。 |
DIA-205-1984-09-12-2 | フィリピン | 1984年09月12日 | 1980年代 | 野党,首相・内閣不信任決議提出を準備-アダサ,カガス議員ら起草,これまでに39人署名。 |
DIA-205-1984-09-12-3 | フィリピン | 1984年09月12日 | 1980年代 | 大統領との間にホットライン-シン枢機卿確認。大統領は修正6号を廃棄すべきだ。最新の司教教書はそれに反対する非常に強い立場を取った。アキノ事件前より明確により大きな報道の自由がある。 |
DIA-205-1984-09-13-1 | フィリピン | 1984年09月13日 | 1980年代 | 原発反対婦人集会-ミランダ広場で1500人。 |
DIA-205-1984-09-13-2 | フィリピン | 1984年09月13日 | 1980年代 | 政府,IMF提出趣意書案作成-大統領主催秘密会で。 |
DIA-205-1984-09-14-1 | フィリピン | 1984年09月14日 | 1980年代 | 外相,PD1950号は違憲-BP開会中かつ緊急事態でなかった。BPは現制度下ではPD廃止の力がない。大統領はPDを用意し,秘密にしておき,BPが休会になったら発表し,BPの立法を回避する。緊急時に発せられたPDは60日以内にBPの承認を得るべきだ。 |
DIA-205-1984-09-15-1 | フィリピン | 1984年09月15日 | 1980年代 | 非金融政府法人の資本支出を制限-首相。IMF交渉に沿い初めて中央政府+公法人部の財政赤字目標を提出する。 |
DIA-205-1984-09-17-1 | フィリピン | 1984年09月17日 | 1980年代 | 日本大使館前で爆発物発見。 |
DIA-205-1984-09-17-2 | フィリピン | 1984年09月17日 | 1980年代 | 首都圏ジープニィ・ストで交通麻痺-80%停止。 |
DIA-205-1984-09-17-3 | フィリピン | 1984年09月17日 | 1980年代 | 北ダバオでNPA100攻撃-:Kapalong町グピタン村の軍前哨部隊を。CHDF 12,兵1,NPA 5等死亡。 |
DIA-205-1984-09-18-1 | フィリピン | 1984年09月18日 | 1980年代 | 台湾行政院,対比1億ドル借款提案を却下。 |
DIA-205-1984-09-18-2 | フィリピン | 1984年09月18日 | 1980年代 | 米国務次官補,NPAの成長に懸念表明-P・ウォルホービッツ,上院外交委証言で。 |
DIA-205-1984-09-18-3 | フィリピン | 1984年09月18日 | 1980年代 | コーカス・オブ・イレブン,名称変更-Caucus of Independentsに。議長にH:・ベニテス選出。 |
DIA-205-1984-09-18-4 | フィリピン | 1984年09月18日 | 1980年代 | メンディオーラ橋に学生デモ-約1000人。 |
DIA-205-1984-09-20-1 | フィリピン | 1984年09月20日 | 1980年代 | 超党派議員,30%経済安定税廃止法案提出。 |
DIA-205-1984-09-20-2 | フィリピン | 1984年09月20日 | 1980年代 | 大統領,アグラバ委調査結果を受け入れる。 |
DIA-205-1984-09-20-3 | フィリピン | 1984年09月20日 | 1980年代 | 比人民の闘争支援声明を発表-「フィリピン人民の闘争における教会の役割に関する国際教会会議」。欧米・アジア太平洋地域から190人参加。 |
DIA-205-1984-09-20-4 | フィリピン | 1984年09月20日 | 1980年代 | フィリピン大学,バリケード封鎖-主要出入口を学生が,授業料値上げに抗議して。 |
DIA-205-1984-09-21-1 | フィリピン | 1984年09月21日 | 1980年代 | ボニファシオ広場で抗議デモ-戒厳令布告12周年抗議。UNIDO,PDP・ラバンは約3000人,CORDは約3~4万を結集。CORDの一部5000人はメンディオーラ橋に向かい,橋付近で徹夜の抗議集会開催。取締当局が早朝強制解散開始,デモ隊に100人以上負傷者。ルセナ,ダグパン,コタバト,ダバオでも数千人抗議デモ。 |
DIA-205-1984-09-24-1 | フィリピン | 1984年09月24日 | 1980年代 | 全野党議員,首相・内閣不信任動議を提出-主提案者H・アダサら59議員。 |
DIA-205-1984-09-24-2 | フィリピン | 1984年09月24日 | 1980年代 | 首相,IMFにすでに趣意書を提出した-ドラロジュル専務理事に。 |
DIA-205-1984-09-24-3 | フィリピン | 1984年09月24日 | 1980年代 | 経済安定税の徴収を停止-LOI1429号(22日付)。 |
DIA-205-1984-09-24-4 | フィリピン | 1984年09月24日 | 1980年代 | コリャンテス議員,修正6号に反対-BPは単独で立法すべきだ。6号は戒厳令期間中のみ意図していたので,緊急時にBPは大統領に一定権限を認めるべきだ。 |
DIA-205-1984-09-26-1 | フィリピン | 1984年09月26日 | 1980年代 | 世銀,農業投入財ローン調印-1.5億ドル。 |
DIA-205-1984-09-27-1 | フィリピン | 1984年09月27日 | 1980年代 | BP,暴力によるデモ解散に深い憂慮表明-同日のデモに関し全会一致で決議採択。ピメンテル提案。 |
DIA-205-1984-09-27-2 | フィリピン | 1984年09月27日 | 1980年代 | ウエルカム・ロトンダのデモ,負傷者多数-約3000人,メンディオラに向けデモ計画。警備側が解散強行,デモ隊と衝突。再結集後A・アキノは,政権打倒まで長期ゼネストでマルコスを苦しめる新戦術・戦略を主張。強制解散は,大統領の次の発言後に実施。「集会に関する良くない評判は政府の不安定を示唆する恐れあり。それにもとづき外銀が救済融資の可否を決定しかねない」。 |
DIA-205-1984-09-28-1 | フィリピン | 1984年09月28日 | 1980年代 | CORD,「人民ストライキ」を呼び掛け-反マルコス政権の戦闘的・非暴力運動の最後の局面で経済とビューロクラシーを麻痺させるため,調整されたキャンペーン“Welga ng Bayan”(人民ゼネスト)を開始する。 |
DIA-205-1984-10-01-1 | フィリピン | 1984年10月01日 | 1980年代 | 政府,債権銀行団と交渉開始-ニューヨーク。 |
DIA-205-1984-10-01-2 | フィリピン | 1984年10月01日 | 1980年代 | シン枢機卿,暴力での集会強制解散を非難。 |
DIA-205-1984-10-02-1 | フィリピン | 1984年10月02日 | 1980年代 | ペソ公定レート,18.12ペソ/ドルに-外為取引所取引再開(週2回)でPNBがメトロポリタン銀行に10万ドル売却。1日の闇ドル売相場は21.40ペソ。 |
DIA-205-1984-10-03-1 | フィリピン | 1984年10月03日 | 1980年代 | “街頭議会”参加を呼び掛け-シン枢機卿。経・財界指導者,野党議員,学生らに,「暴力と独裁の権威主義の終結のため抗議するため」。またフィルム宮殿など表面的なプロジェクトへの乱費を批判。4日さらに大統領に軍部隊に兵営に帰るよう命令し,国民の声に耳を傾けるようアピール。 |
DIA-205-1984-10-04-1 | フィリピン | 1984年10月04日 | 1980年代 | KBL,予算案削減に合意-野党の要求に妥協,第2読会可決。12億ペソ削減,661億ペソに。 |
DIA-205-1984-10-04-2 | フィリピン | 1984年10月04日 | 1980年代 | マルコス政権は指導力と国民の支持を失った-アキノ事件後。アーミテージ米国防次官補下院外交委小委で証言。共産ゲリラの伸長を許している。在比基地機能をサイパンとテニアンに移す案を検討中だが,基地維持は希望。比政権安定化のため政治・経済・社会分野での全面的改革が不可欠。軍部の腐敗ぶりに驚かされる。 |
DIA-205-1984-10-05-1 | フィリピン | 1984年10月05日 | 1980年代 | 無許可集会の指導者・参加者を逮捕する-大統領TV演説。IMF・483外銀との交渉はデリケートな段階にあり,もはや「街頭議会」に最大限の寛容を保証できない。債権者はわれわれに支援を否定しよう。 |
DIA-205-1984-10-06-1 | フィリピン | 1984年10月06日 | 1980年代 | シン枢機卿,国民との対話着手を要請-大統領に。5日の大統領声明に対し次のように反論。不正に反対する人々の人権を教会が擁護するとき憲法は侵害されるのではなく強められる。平和的集会の権利を否定することは憲法違反だ。国民の基本的自由を否定し,教会を不当な非難で脅すことは政府自体を不安定にし,弱体化させることになる。 |
DIA-205-1984-10-06-2 | フィリピン | 1984年10月06日 | 1980年代 | 年初来のNPAによる犠牲-ラモスPC・INP司令官は全国での年初来の被害発表。襲撃事件3500件,死者1605人(民間人795人,公務員65人,軍人745人)。 |
DIA-205-1984-10-07-1 | フィリピン | 1984年10月07日 | 1980年代 | 集会の自由要求の抗議デモ-9月デモの当局による暴力的解散に抗議。穏健派経済人も参加。ウエルカム・ロトンダで4.5万人。共同組織者のCORDにはからずJ・コンセプシオンら経済人は,前日大統領に集会許可を要請,認められた。CORDは裏切りと強く非難。 |
DIA-205-1984-10-09-1 | フィリピン | 1984年10月09日 | 1980年代 | さらに米3万トンの輸入予定-NFA長官。 |
DIA-205-1984-10-10-1 | フィリピン | 1984年10月10日 | 1980年代 | KBL幹部会,税制PD発行を大統領に授権-PD1934,1951号の修正,新PDによる新税措置導入。IMF趣意書承認,大統領に必要な措置をPDその他の形態で修正6号の行使含め,実施する権限を与えた。 |
DIA-205-1984-10-11-1 | フィリピン | 1984年10月11日 | 1980年代 | 鶏肉,卵,豚肉の物価統制廃止-大統領。 |
DIA-205-1984-10-11-2 | フィリピン | 1984年10月11日 | 1980年代 | IMF専務理事,趣意書・クレジット申請を正式受理-大統領13日発表。6億1500万SDR。 |
DIA-205-1984-10-13-1 | フィリピン | 1984年10月13日 | 1980年代 | 日米韓3国,つなぎ融資を実施すると発表-比中銀に直接貸付。日銀3000万ドル,米財務省4500万ドル,韓国銀行500万ドル。 |
DIA-205-1984-10-15-1 | フィリピン | 1984年10月15日 | 1980年代 | 政府,IMF融資条件の経済諸措置実施-(1)外為変動相場制移行。変動幅制限停止。同日相場は11日の18.45から19.95ペソに。(2)外為・輸入規制解除。商銀の外貨持高限度緩和。(3)経済安定税廃止,輸入従価税引下げ(10%から5%に)。貿易外外為取引税引下げ。(4)タバコ,酒類,石油製品,利子等に対する増税措置および全民間企業に対する免税措置廃止等。 |
DIA-205-1984-10-15-2 | フィリピン | 1984年10月15日 | 1980年代 | 借款プロジェクトの過大見積事件の調査・訴追命令-大統領,DBP,PNB,比輸出外国ローン保証会社(Philguarantee)に。 |
DIA-205-1984-10-15-3 | フィリピン | 1984年10月15日 | 1980年代 | 将校30人退役-うち定年延長されていた准将17人。大佐13人。同時に少将1(D・カストロ南部軍司令官),准将14人の定年をさらに6カ月延長。 |
DIA-205-1984-10-17-1 | フィリピン | 1984年10月17日 | 1980年代 | 外銀諮問委員会,債務再編計画を承認-83年10月17日~86年末満期債務の返済繰延べ,新規貸付9億2500万ドル(貸付残の7.5%),回転貿易信用等。 |
DIA-205-1984-10-18-1 | フィリピン | 1984年10月18日 | 1980年代 | 1.5万人米大使館デモ-NAJFD等。無許可だが軍阻止せず。マルコス政権・米帝国主義を非難。 |
DIA-205-1984-10-19-1 | フィリピン | 1984年10月19日 | 1980年代 | 石油製品値上げ-平均14.3%。 |
DIA-205-1984-10-19-2 | フィリピン | 1984年10月19日 | 1980年代 | Namfrel支援集会-ウガルテ広場,約3000人。選管の市民機関としての再任,修正6号廃棄主張。 |
DIA-205-1984-10-19-3 | フィリピン | 1984年10月19日 | 1980年代 | 籾米買上支持価格引上げ-20日発効。キロ当り籾米2.65ペソから2.90ペソ,とうもろこし2.30ペソから2.50ペソに。NFA購入センター持込みに0.9ペソ付加。 |
DIA-205-1984-10-21-1 | フィリピン | 1984年10月21日 | 1980年代 | フィリピンにおける選択はマルコスか共産主義者かだ-レーガン大統領,モンデール民主党候補との公開討論で。 |
DIA-205-1984-10-22-1 | フィリピン | 1984年10月22日 | 1980年代 | ジープニィ,石油値上げ抗議スト-首都圏,セブ市,バコロド,ダバオ,コタバト,イリガン等で。 |
DIA-205-1984-10-23-1 | フィリピン | 1984年10月23日 | 1980年代 | アグラバ委員長,単独でアキノ事件調査報告書を提出-大統領に。事件は軍人の陰謀,加担したと特定できるのはL・クストディオ空軍航空警備隊司令官・准将と連行した軍人6人。ベール参謀総長の陰謀加担は否定。大統領は上記7人の軍務停止,兵営拘束,タノドバヤン(公務員犯罪特別裁判所)への告発手続を命令。 |
DIA-205-1984-10-23-2 | フィリピン | 1984年10月23日 | 1980年代 | アグラバ委報告で迅速な措置を期待-米国務省声明,マルコス大統領に多数派報告でも。同大統領が約束したように責任を負うべき者が誰であれ責任を問われるものと確信する。 |
DIA-205-1984-10-24-1 | フィリピン | 1984年10月24日 | 1980年代 | アキノ事件調査4委員,報告書提出-アグラバ報告言及の7人を含む軍人25人と民間人1人はアキノおよびガルマンの計画的殺害で,ベール参謀総長,オリバス少将・首都警察軍司令官は事後の隠蔽工作で事件に関与した。暗殺の中心人物はクストディオ准将で,連行兵士の2人のうちのいずれかがアキノを射殺。大統領は報告書受理後,タノドバヤンに報告を送付すると言明。 |
DIA-205-1984-10-24-2 | フィリピン | 1984年10月24日 | 1980年代 | 大統領,ベールとオリバス2将軍の休暇申請受理-アキノ事件の終結まで。総参謀長代行にラモス中将・副総参謀長,警察軍首都司令官代行にビクター・ナチビダード准将を任命。ベール大将は無実を主張,分離・迅速な裁判を求める書簡を大統領に送付。大統領はこれに答えて休暇申請の決定を称賛,4委員報告は疑惑と全く矛盾した意見・証言に満ちていると言明。 |
DIA-205-1984-10-24-3 | フィリピン | 1984年10月24日 | 1980年代 | テニアン島の軍事リース協定は比基地と関係ない-W.J.CroweP米太平洋軍司令官。 |
DIA-205-1984-10-24-4 | フィリピン | 1984年10月24日 | 1980年代 | マニラ電力の料金値上げ承認-12月発効。25日バス・ジープニィ運賃値上げ(平均16.83%)。 |
DIA-205-1984-10-24-5 | フィリピン | 1984年10月24日 | 1980年代 | ダバオ市でジープニィ・ス卜-約2.5万人デモ。約300人逮捕さる。 |
DIA-205-1984-10-24-6 | フィリピン | 1984年10月24日 | 1980年代 | 選管,ピメンテルの当選無効を決議-29日カガヤン・デ・オロ市で5000人が抗議デモ。 |
DIA-205-1984-10-25-1 | フィリピン | 1984年10月25日 | 1980年代 | 米国務省,マルコスの迅速な措置を称賛-アグラバ委多数派報告で関与と名指された26人のタノドバヤン送付命令で。これは前向きの展開だ。 |
DIA-205-1984-10-25-2 | フィリピン | 1984年10月25日 | 1980年代 | アキノ事件関与者の即時解任を要求-34団体がアグラバ委員会報告に関する紙上公開状で。 |
DIA-205-1984-10-25-3 | フィリピン | 1984年10月25日 | 1980年代 | マルコス辞任要求デモ-ボニファシオ広場で約5000人。アグラバ報告は不十分として。 |
DIA-205-1984-10-26-1 | フィリピン | 1984年10月26日 | 1980年代 | 豪首相,対比援助停止もありうる-アキノ事件で比政府が満足のいく対応せねば,と示唆。 |
DIA-205-1984-10-27-1 | フィリピン | 1984年10月27日 | 1980年代 | アグラバ委報告に対する米国の反応を非難-大統領。われわれは米国務省や米国人を満足させるためでなく,法の支配を実現するために事を行なっているのだ。(レーガン・モンデール討論に言及)マルコス政権は銃弾でも投票でも転覆されうる兆しはない。 |
DIA-205-1984-10-27-2 | フィリピン | 1984年10月27日 | 1980年代 | シン枢機卿,中国訪問-11日間。 |
DIA-205-1984-10-28-1 | フィリピン | 1984年10月28日 | 1980年代 | ベール大将支持の新聞広告-PC除く3軍司令官,南部軍司令官の4少将および64人の准将が連名で,ベール大将に対するゆるがぬ忠誠と支持を宣言。 |
DIA-205-1984-10-30-1 | フィリピン | 1984年10月30日 | 1980年代 | アヤラでアグラバ委報告抗議デモ-無許可。約500人。警察側,実力で解散強行,負傷多数,14人逮捕。マルコス,ベルの辞任を要求。 |
DIA-205-1984-10-30-2 | フィリピン | 1984年10月30日 | 1980年代 | 多国籍地域本部の免税を廃止-BOI,PD1955号にもとづきPD218号免税特権廃止を通知。 |
DIA-205-1984-10-31-1 | フィリピン | 1984年10月31日 | 1980年代 | アキノ事件で特別人民裁判所設立を提案-BP野党。 |
DIA-205-1984-11-01-1 | フィリピン | 1984年11月01日 | 1980年代 | 肥料工場渡し価格引上げ-平均12.55%。 |
DIA-205-1984-11-05-1 | フィリピン | 1984年11月05日 | 1980年代 | タノドバヤン,ベールら25人に召喚状発行。 |
DIA-205-1984-11-05-2 | フィリピン | 1984年11月05日 | 1980年代 | 大統領と非暴力野党指導者の会談提案-S・ラウレル。移行政府設立のため。マルコスは4日夜以来非常に悪い健康状態で病院のICUに入っているとの報がある。危機的政治・経済状況のためできるだけ早くすべきだ。先にL・タニャーダは「民主連合政府」の設立を提案,このためマルコス辞任を要求。13日NAJFD,KMUは,民主化を期待すべきではないとしてラウレル提案を非難。 |
DIA-205-1984-11-06-1 | フィリピン | 1984年11月06日 | 1980年代 | 大統領,87年選挙に確実に出馬する-KBL幹部会で。全く健康で出馬できる。86年地方選等に備え,党内を引締め,強化せよ。 |
DIA-205-1984-11-06-2 | フィリピン | 1984年11月06日 | 1980年代 | マルコス辞任,25軍人の即時解任を要求-BP野党51人が決議に署名。マルコスは軍総司令官としてアキノ暗殺に道義・法・政治的に責任がある。 |
DIA-205-1984-11-07-1 | フィリピン | 1984年11月07日 | 1980年代 | 米・韓国大使館にデモ-約100人。CORD,NAJFD等。日米韓豪諸国の抑圧的な経済援助の供与を非難。 |
DIA-205-1984-11-10-1 | フィリピン | 1984年11月10日 | 1980年代 | ラモス中将,5人評議会設立計画を否定-ピメンテル議員はイントラムロス・ロータリークラブの演説でこのほど次のように述べた。「マルコスの死亡,執務不能時に政府を運営するためラモス中将を長とし,軍人2人,民間人2人からなる評議会が設立される計画がある。民間人の1人は野党から。また米国は評議会に賛成している。野党は憲法違反の計画を非難すべきだ」。 |
DIA-205-1984-11-12-1 | フィリピン | 1984年11月12日 | 1980年代 | タクシー料金値上げ認可-平均11~22.2%。 |
DIA-205-1984-11-13-1 | フィリピン | 1984年11月13日 | 1980年代 | 85年度予算可決-109対53。661億ペソ。 |
DIA-205-1984-11-14-1 | フィリピン | 1984年11月14日 | 1980年代 | 国軍の政策と司令部に変更ない-ラモス中将。自分は変更の権限は与えられていない。NPA勢力は戦闘員1.2万で3分の2が完全武装,73州すべてに存在。 |
DIA-205-1984-11-14-2 | フィリピン | 1984年11月14日 | 1980年代 | サンボアンガ市長暗殺さる-セサール・クリマコ(68歳),BP議員。 |
DIA-205-1984-11-15-1 | フィリピン | 1984年11月15日 | 1980年代 | マルコス病気治療で訪米の噂否定-大統領官邸。最後に大統領がTVに出たのは13日ドッド米上院議員との会見時で,病気治療のため訪米あるいはフィリピン肺センターに入院との噂が広がった。 |
DIA-205-1984-11-19-1 | フィリピン | 1984年11月19日 | 1980年代 | マルコスの大手術は成功した-本日付Business Day紙のF・タタドのコラム。大統領官邸筋によれば14日に手術。19日タタド発言は,きわめて信頼できる情報源によればそれは腎臓手術であったが,原因は紅斑性狼瘡で心臓移植手術が必要という。 |
DIA-205-1984-11-19-2 | フィリピン | 1984年11月19日 | 1980年代 | NFA,飼料原料の物価統制を廃止。 |
DIA-205-1984-11-20-1 | フィリピン | 1984年11月20日 | 1980年代 | 政府再び,マルコス重病説を否定-大統領官邸は,「私の死亡の報は誇張だ。私は健康だ」とのマルコス声明を発表。しかし本日予定の国際会議に欠席。21日のTV出演予定も取消され,夕刻のTVニュースは同日付Bulletin Today紙を持つマルコスの写真を流した。イメルダ夫人はインタビューで同日マルコスは感冒にかかりヨットで休息中と述べた。 |
DIA-205-1984-11-20-2 | フィリピン | 1984年11月20日 | 1980年代 | 第11回フィリピン・ビジネス会議-(~20日)。主な関心は高金利と借入の困難。政府への希望表明に終る。 |
DIA-205-1984-11-20-3 | フィリピン | 1984年11月20日 | 1980年代 | 小麦粉卸値引上げ-12月1日発効。平均7.4%。10月25日引下げ前の水準に。205.5ペソ/25kg。 |
DIA-205-1984-11-21-1 | フィリピン | 1984年11月21日 | 1980年代 | 大統領,米除き全物資の物価統制を廃止。 |
DIA-205-1984-11-22-1 | フィリピン | 1984年11月22日 | 1980年代 | 大統領は病気だが感冒だ-政府発表。政府TV放送は大統領が21日夜医師の診察を受けているフィルムを放映。PNA通信は医師の発表として,14日以来インフルエンザの初期徴候があり,隔離が必要と伝えた。他方シン枢機卿は,国民は政府の大統領病気否定を信じない,過去に嘘をついてきたので,と述べた。 |
DIA-205-1984-11-22-2 | フィリピン | 1984年11月22日 | 1980年代 | 飼料穀物の民間輸入許可を勧告-NFA会議。世銀の圧力で決議を採択した(NFA長官)。 |
DIA-205-1984-11-22-3 | フィリピン | 1984年11月22日 | 1980年代 | 米をさらに13万トン輸入予定-インドネシアから10万トン,台湾から3万トン。現政府備蓄5万トン。 |
DIA-205-1984-11-25-1 | フィリピン | 1984年11月25日 | 1980年代 | マルコスは軽度の喘息-大統領官邸発表。米大使館スポークスマンは,大統領は20日夜ボスワース大使と電話で話した,と発表。また24日付Malaya紙はマルコスの病気の噂が出て後,マニラに約100台の戦車と装甲車輛,多数の兵が展開されたと報道。 |
DIA-205-1984-11-25-2 | フィリピン | 1984年11月25日 | 1980年代 | ダバオに右翼軍事組織-Philippine Liberation Organization(PLO)。住民59人の暗殺を計画という。 |
DIA-205-1984-11-25-3 | フィリピン | 1984年11月25日 | 1980年代 | 野党,統一計画に着手-タニャーダ,ディオクノ,アキノ未亡人が他の野党指導者と会談を始めた。J・オスメニャLP書記長は,大統領特別選挙等に備え指導部問題解決のため野党の全国大会を招集する準備委員会の設立を提案。 |
DIA-205-1984-11-26-1 | フィリピン | 1984年11月26日 | 1980年代 | 大統領,85年予算に署名-12日振りに公に現われ,国防相,労相,農地改革相らの閣僚,BP議員らとかすれ声で会議。 |
DIA-205-1984-11-26-2 | フィリピン | 1984年11月26日 | 1980年代 | ダバオ市でゼネスト開始-CORDミンダナオ支部指導。事実上全市麻痺,米・マルコス独裁解体,民主連合政府の設立を要求。 |
DIA-205-1984-11-26-3 | フィリピン | 1984年11月26日 | 1980年代 | MNLFに新分派-外務省発表。“Bangsa Minsupala Islamic Force”。長はYusop Lucmanという。 |
DIA-205-1984-11-27-1 | フィリピン | 1984年11月27日 | 1980年代 | アキノ52歳誕生記念日集会-ルネタ公園。約1万人参加。 |
DIA-205-1984-11-27-2 | フィリピン | 1984年11月27日 | 1980年代 | BP,修正6号関係決議の委員会審議付託を否決-16本ある関係決議の法改正委への,野党の付託動議。 |
DIA-205-1984-11-29-1 | フィリピン | 1984年11月29日 | 1980年代 | 5年以内にミンダナオは共産主義の手中に-R・カノイ。政府が思い切った治安回復と総体的開発の措置取らねば。 |
DIA-205-1984-11-29-2 | フィリピン | 1984年11月29日 | 1980年代 | NPA容疑100人,軍キャンプ襲撃-北ダバオ州Bongabong,軍30人駐留。NPA 3,軍4死亡。 |
DIA-205-1984-11-29-3 | フィリピン | 1984年11月29日 | 1980年代 | 大統領後継の憲法規定支持決議を提出-超党派22議員。87年前に大統領空席の可能性は少なくない。 |
DIA-205-1984-11-29-4 | フィリピン | 1984年11月29日 | 1980年代 | 大統領の職務執行不能時後継法案を提出-KBL6議員。BP過半数による宣言および後継順位を規定。 |
DIA-205-1984-11-29-5 | フィリピン | 1984年11月29日 | 1980年代 | 法相,大統領・BP選挙の90年同時実施を提案。 |
DIA-205-1984-11-29-6 | フィリピン | 1984年11月29日 | 1980年代 | 学生2000,米大使館前にデモ。 |
DIA-205-1984-11-30-1 | フィリピン | 1984年11月30日 | 1980年代 | 労働者,ボニファシオ広場・米大使館デモ-KMU,PKMK等。約1万人。首都11カ所から行進。クラーク基地前で全米軍施設の解体を要求して5000人がデモ。土地改革の完全実施,全政治犯の釈放も要求。 |
DIA-205-1984-12-01-1 | フィリピン | 1984年12月01日 | 1980年代 | NPA 200,軍ポスト攻撃-南サンボアンガ州BayogのBubuan村,31人駐在。死者NPA23,軍10。東ダバオ州Luponでも150人がPC中隊本部と町警察を同時に襲撃。NPA4,軍1,消防士1が死亡。 |
DIA-205-1984-12-02-1 | フィリピン | 1984年12月02日 | 1980年代 | 野党正副大統領候補の迅速な選出手続で工作-アキノ未亡人,タニャーダ,J・オンピンの「招集者グループ」(Convenor Group)が合意作りに着手。これまでに見込みある侯補として次の8人を選任。A・アキノ,J・ディオクノ,カラウ,S・ラウレル,R・マングラプス,A・ピメンテル,R・サラス,J・サロンガ。 |
DIA-205-1984-12-03-1 | フィリピン | 1984年12月03日 | 1980年代 | 修正争点重点に憲法の徹底的レビューを実施-ローニョKBL幹事長,党幹部に決定を伝達。しかし4日のBP議員会議は憲法レビュー特別委員会設置を延期。以下で合意。(1)修正6号支持。(2)3年毎の同時選挙。(3)BP法改正委に行政執行委員会による後継を定めた法律に代わる後継規則,特に大統領の一時的執務不能時の空白を埋める法案の提出を求める。5日KBL5議員,上記(3)趣旨の法案を提出。軍クーデターの懸念払うため。10日野党議員も類似法案を提出。 |
DIA-205-1984-12-03-2 | フィリピン | 1984年12月03日 | 1980年代 | 野党勢力の統一努力を歓迎-S・ラウレル。だが「招集者グループ」の計画に合意を留保。BP 59野党議員,野党の正副大統領侯補選出に参加の権利ありと声明。 |
DIA-205-1984-12-04-1 | フィリピン | 1984年12月04日 | 1980年代 | CPP・NPA,ミンダナオで戦略的対峙の後段階-ラモス総参謀長代行に現地軍司令官が報告。大規模都市ゲリラ戦が南部でダバオ市,ダバオ諸州から始って第9~12地方諸州に拡大し,いつでも噴出しうる。2日カストロ第9地方統合司令部司令官は,CPP・NPA,MNLF・BMAと野党の一部との連合があると報告。 |
DIA-205-1984-12-04-2 | フィリピン | 1984年12月04日 | 1980年代 | R・ガンソン,大統領選立候補を声明-LP(カラウ派)副委員長,元上院議員。 |
DIA-205-1984-12-04-3 | フィリピン | 1984年12月04日 | 1980年代 | 比中ホテル建設に合意-広州に建設。 |
DIA-205-1984-12-04-4 | フィリピン | 1984年12月04日 | 1980年代 | 米作強化に4.5億ペソ資金設立-大統領承認。 |
DIA-205-1984-12-06-1 | フィリピン | 1984年12月06日 | 1980年代 | UNIDO議員の野党統一計画-L.Villafuerte。全野党政党を代表する「全国統一委員会」設立,全国大会で野党の大統領候補選出,共通の政治計画作成。 |
DIA-205-1984-12-08-1 | フィリピン | 1984年12月08日 | 1980年代 | 大統領,オプレ労相に注意-閣議(4軍司令官出席)で。労相に即時帰国を指示。3日付New York Times上の発言(フィリピンは大統領の病気のため一種の元首不在期間にある)に関し,真実に一致しない発言を控えるよう注意。 |
DIA-205-1984-12-08-2 | フィリピン | 1984年12月08日 | 1980年代 | 籾米買上支持価格を引上げ-大統領承認。45センタボ引上げてキロ当り3.35ペソに。小売は据置き。 |
DIA-205-1984-12-09-1 | フィリピン | 1984年12月09日 | 1980年代 | 破壊活動に対する全市・町治安計画の実施促進を命令-国防相に軍幹部との協議命令。 |
DIA-205-1984-12-10-1 | フィリピン | 1984年12月10日 | 1980年代 | 人権デー集会-CORD,LFS,KMU主催,約1万人。無許可でアギナルド基地に向けデモ,強制解散さる。中部ルソン4州でも約6000人参加してデモ実施。 |
DIA-205-1984-12-10-2 | フィリピン | 1984年12月10日 | 1980年代 | ガスリー・パームオイル工場襲撃さる-NPA容疑グループ約200人。南アグサン州Prosperidad。 |
DIA-205-1984-12-10-3 | フィリピン | 1984年12月10日 | 1980年代 | E・イラルデ元上院議員,KBLを離党-KBLは時代の本性を読み誤った,として。 |
DIA-205-1984-12-12-1 | フィリピン | 1984年12月12日 | 1980年代 | LP会派の統一協定に署名-J・サロンガ,E・カラウ。ロスアンジェルスで。 |
DIA-205-1984-12-12-2 | フィリピン | 1984年12月12日 | 1980年代 | LP,野党の統一計画を歓迎-R・ファハルド・スポークスマン。ナショナリズムと反帝の原則に沿えば。 |
DIA-205-1984-12-13-1 | フィリピン | 1984年12月13日 | 1980年代 | 中銀,外為ガイディング・レートを廃止-完全自由フロート制への準備。(1)売買変動幅制限廃止。(2)場外直接取引可。 |
DIA-205-1984-12-13-2 | フィリピン | 1984年12月13日 | 1980年代 | UNIDO指導者会議を拡大-委員長A・パディリャ(LP)。10人から19人に。 |
DIA-205-1984-12-14-1 | フィリピン | 1984年12月14日 | 1980年代 | 大統領,オプレの辞任申し出を却下-オプレ,New York Timesの記事は単純化しすぎと弁明。 |
DIA-205-1984-12-14-2 | フィリピン | 1984年12月14日 | 1980年代 | IMF理事会,スタンドバイ・クレジット供与承認-6億1500万SDR。13日対比債権行,新規ローン9億2500万ドルの90%以上をコミット。同日現在92%。 |
DIA-205-1984-12-14-3 | フィリピン | 1984年12月14日 | 1980年代 | ミンダナオに1歩兵大隊を派遣-ラモス中将。第2国軍総司令部歩兵大隊(混成)。 |
DIA-205-1984-12-15-1 | フィリピン | 1984年12月15日 | 1980年代 | 5政府所有商銀のPNB・LBとの合併を提案-Finex,中銀総裁宛書簡で。民間売却不可能な場合。25日 PCCIと共同で民間売却期限の設定を要求。 |
DIA-205-1984-12-16-1 | フィリピン | 1984年12月16日 | 1980年代 | 農民団体,PD1942号を非難-L・タルクら。同PDは農地改革計画を事実上廃止するものだ。 |
DIA-205-1984-12-16-2 | フィリピン | 1984年12月16日 | 1980年代 | 野党の大統領候補有望指導者12人初会合-「招集者グループ」の招きで会合(5人は代理)。統一原則と綱領および87年前緊急大統領選挙実施の場合の公認候補の迅速な選出手続に関し合意に大きく前進したと発表。既出の8人(12月2日付)に次の4人が加わった。T・ギンゴーナ,R・ミトラ,A・パディーリャ,不明1。 |
DIA-205-1984-12-17-1 | フィリピン | 1984年12月17日 | 1980年代 | サンボアンガ市・ダバオ地方の全軍即時交替を要求-S・K・ペンダトゥン議員,国防相,総参謀長に。同地方の軍将校は指揮能力に欠け,治安維持は不可能だ。18日付Bulletin Today紙によれば南部軍司令部情報部長は国軍総司令部に異動。18日スルタン・パンガンダマン全国イスラム運動会長は上記提案は一時的効果しかない,必要なのはトリポリ協定の完全実施による完全かつ永続する平和だと批判。 |
DIA-205-1984-12-18-1 | フィリピン | 1984年12月18日 | 1980年代 | 5将軍の退役発表-国軍総司令部。 |
DIA-205-1984-12-18-2 | フィリピン | 1984年12月18日 | 1980年代 | スル・スルタン,サバ請求権を追求する-ムハマッド・マハクッタ・キラム。 |
DIA-205-1984-12-19-1 | フィリピン | 1984年12月19日 | 1980年代 | 3年毎同時選挙法案提出-A.Cuenco議員。 |
DIA-205-1984-12-21-1 | フィリピン | 1984年12月21日 | 1980年代 | パリ・クラブ17カ国,対比公的債務の繰延べ合意-仏大蔵省発表。期間10年(据置5年)。86年内満期となる約11億ドル。 |
DIA-205-1984-12-21-2 | フィリピン | 1984年12月21日 | 1980年代 | 野党の大統領候補有望指導者,統一7原則に合意-「招集者グループ」招集の第2回会議で11人が。カラウ議員は,党大会を無視する非民主的なので候補選出手続は留保,が緊急状況への対処は必要と発言。22日同議員は,迅速選出手続に反対言明。ラウレル,ミトラ,ピメンテルと会談,全登録野党政党団結のため「政治的共同管理制」(全国大会での選出方式)の設立を提案。 |
DIA-205-1984-12-21-3 | フィリピン | 1984年12月21日 | 1980年代 | 国軍ミンダナオ,ビコール司令部異動-大統領指示で。南北ダバオ,南北カマリネス,北コタバト,北ラナオのPC・INP司令官(大佐)および空軍4大佐。 |
DIA-205-1984-12-23-1 | フィリピン | 1984年12月23日 | 1980年代 | 出向軍人,現役復帰命令に従わず-大統領任命として国防相,総参謀長の命令聞かず。現在軍が給与を支給している出向者は200人以上という。 |
DIA-205-1984-12-23-2 | フィリピン | 1984年12月23日 | 1980年代 | UNIDO指導者会議への参加を拒否-ピメンテル議員,S・ラウレルの招聘を拒否。PDPは合法野党勢力の連合を支持するが。 |
DIA-205-1984-12-24-1 | フィリピン | 1984年12月24日 | 1980年代 | UNIDO,迅速選出手続を拒否-R・エスピナ書記長,メンバーおよび「招集者グループ」に全主要政党を代表する全国統一委員会(NUC,委員長S・ラウレル)への参加を要請。25日L・ビリャフェルテ議員は,原則および統一方式に関するNUC声明に19人の委員が署名した(カラウ,オスメニャが未署名)と発表。 |
DIA-205-1984-12-26-1 | フィリピン | 1984年12月26日 | 1980年代 | 「招集者グループ」会議,統一宣言に署名-グループの3人とS・ラウレルおよびカラウを除く候補有望指導者9人が協調の基礎としての指導7原則最終案に。27日ラウレルは,外国軍事基地排除の原則を国民投票に付すため,修正しようとの自分の提案を他の参加者が取り上げなかったので,署名しなかったと説明。 |
DIA-205-1984-12-28-1 | フィリピン | 1984年12月28日 | 1980年代 | 迅速選出手続で基本合意に達した-J・オンピン発表。「招集者グループ」と9野党リーダー。大統領候補選出のより広範な方式を引続き検討することも合意。同方式は緊急時にのみ発動される。 |
DIA-205-1984-12-28-2 | フィリピン | 1984年12月28日 | 1980年代 | ベル,わが国にクーデターの可能性は全くない-ケソン市のライオンズ・クラブでの演説で言明。 |
DIA-205-1984-12-28-3 | フィリピン | 1984年12月28日 | 1980年代 | ADB,対比3ローン調印-計1億4590万ドル。 |
DIA-205-1984-12-30-1 | フィリピン | 1984年12月30日 | 1980年代 | 大統領,リサール記念式典に欠席-大統領就任以来初めて。理由不明。ビラタ首相が代理出席。 |
DIA-205-1984-12-30-2 | フィリピン | 1984年12月30日 | 1980年代 | UNIDO指導者会議,NUC統一盟約採択に合意-86,87年選挙の野党候補選出プロセスの策定,詳細な政治綱領採択のため85年2月にUNIDO全政党代表による全国総意会議を開く予定。S・ラウレルはNUC委員長をC・アキノ,タニャーダに譲る用意あると言明。 |
DIA-205-1985-01-02-1 | フィリピン | 1985年01月02日 | 1980年代 | アブラ州知事,新人民軍(NPA)の待伏せ襲撃で重傷―子息は死亡,夫人も重傷。 |
DIA-205-1985-01-02-2 | フィリピン | 1985年01月02日 | 1980年代 | 招請者グループ(CG)大統領統一候補選出方式で合意―候補有資格者9人が互選し,過半数を得たものが大統領候補者となる。過半数を得られないときは,発起人(アキノ夫人他2人)を加えて12人で投票。それでも決まらないときは発起人3人が候補者を指名する。副大統領候補者は大統領候補者が指名する。 |
DIA-205-1985-01-03-1 | フィリピン | 1985年01月03日 | 1980年代 | 新回教反乱グループ結成さる―「フィリピン民主革命」(PDR)を名のり2万人参加。マルクス主義を指向しNPAとの連携を工作中と軍当局発表。 |
DIA-205-1985-01-06-1 | フィリピン | 1985年01月06日 | 1980年代 | N・ミスアリ,イスラム諸国機構事務局長と会談―ジェッダで。MNLF(モロ民族解放戦線)側は他にP.Hussein外交部員,A.R.Amin代表部員,H.Hassanダマスカス事務所部長。第15回イスラム外相会議(12月18~22日)に出席の後訪問。 |
DIA-205-1985-01-07-1 | フィリピン | 1985年01月07日 | 1980年代 | 「86,87年両選挙は予定通り」―与党KBL(新社会運動),野党の早期選挙準備の動きに対して声明。 |
DIA-205-1985-01-08-1 | フィリピン | 1985年01月08日 | 1980年代 | メンドサ法相,パンパンガ州知事に復職―84年任命議員に就任の際,知事の辞表を出したが大統領が受理しなかったもの。今回の復職で任命議員は解任。 |
DIA-205-1985-01-08-2 | フィリピン | 1985年01月08日 | 1980年代 | 国営TVニュース番組責任者等5人を停職に―7日のKBL幹部会でのマルコス大統領の病状を示唆しかねない場面が放映されたことで情報相が。 |
DIA-205-1985-01-09-1 | フィリピン | 1985年01月09日 | 1980年代 | V.Piccio中将,空軍司令官に再任さる。 |
DIA-205-1985-01-09-2 | フィリピン | 1985年01月09日 | 1980年代 | サロンガ,大統領選不出馬を表明―自由党(LP)委員長,9日のバギオ放送インタビューで。 |
DIA-205-1985-01-10-1 | フィリピン | 1985年01月10日 | 1980年代 | ピメンテル議員,反乱罪で起訴―セブ市検察当局。カガヤン・デ・オロ市長時代にNPA容疑者に100ペソの資金援助したとし83年4月に逮捕された事件で。11日,ピメンテルは米国へ向け出国。カナダ,西独,仏,スペイン各地で演説を予定。 |
DIA-205-1985-01-11-1 | フィリピン | 1985年01月11日 | 1980年代 | R・サラス(現国連事務次長),大統領選不出馬を表明―CGに対する回答。 |
DIA-205-1985-01-11-2 | フィリピン | 1985年01月11日 | 1980年代 | 比輸出・外国借款保証公社の社長辞任―R.Bontoc Philguarantee社長。ARCI社が対比外銀団(483行)からの借入金2500万㌦の一部を外国投資に転用した事件で,同公社が同借款を保証していたことに関連するもの。マルコス大統領,法相に徹底調査を命令。 |
DIA-205-1985-01-12-1 | フィリピン | 1985年01月12日 | 1980年代 | NUC,CGとの統合方式を提案―全国統一委員会(NUC)J・オスメーニャ他。統一候補は次の選挙人により選出:CG発起人3人,候補有資格者11人,政党・グループ指名の選挙人29人,急進野党勢力から8人。 |
DIA-205-1985-01-13-1 | フィリピン | 1985年01月13日 | 1980年代 | オスメーニャLP書記長,Unidoを批判―統一民族民主機構がNUC代表者会議のLP州代表指名をLP全国代表者に事前協議なしでしたのは非友好的。 |
DIA-205-1985-01-14-1 | フィリピン | 1985年01月14日 | 1980年代 | 大統領,国民議会開会式に欠席―恒例の年頭教書の読み上げは中止。与党側は,大統領の議会での演説は憲法上通常議会開会日に限られ,再開議会では必要なしと説明。 |
DIA-205-1985-01-14-2 | フィリピン | 1985年01月14日 | 1980年代 | PICOP,ストライキ解除―南スリガオ製紙工場で8000人,年末手当支払を要求し14日間スト。 |
DIA-205-1985-01-15-1 | フィリピン | 1985年01月15日 | 1980年代 | 大統領,尉官688人の昇進を承認―大尉昇格606人,中尉昇格は82人。 |
DIA-205-1985-01-16-1 | フィリピン | 1985年01月16日 | 1980年代 | 比大統領にレーガン書簡―ウォルフォウィッツ米国務次官補がマルコス大統領に手交。「比国民の将来は比国民のみならず,米国民,太平洋地域の全平和愛好諸国民にとって同様に重要である」というもの。 |
DIA-205-1985-01-17-1 | フィリピン | 1985年01月17日 | 1980年代 | サロンガの政府転覆容疑を棄却―マ大統領は法相に対し,サロンガの政治活動の自由を認める措置を講ずるよう指示。同人が80年の「4月1日自由運動」都市ゲリラ事件に関与したとの容疑。 |
DIA-205-1985-01-19-1 | フィリピン | 1985年01月19日 | 1980年代 | イメルダ居住環境相,セブ旅行中止―NPAによる暗殺計画が軍情報部に察知されたとの理由で。 |
DIA-205-1985-01-20-1 | フィリピン | 1985年01月20日 | 1980年代 | ユナイテッド・ココナツ油社解散―E.Cojuangco社長表明。PD1960号によるココナツ油輸出の自由化にともない輸出は同社の独占でなくなる。 |
DIA-205-1985-01-21-1 | フィリピン | 1985年01月21日 | 1980年代 | サロンガ帰国―空港で,「全野党の結集と非暴力手段による民主的社会建設のため帰国した。LPカラオ派との統一問題はロス会談で合意している」と表明。 |
DIA-205-1985-01-23-1 | フィリピン | 1985年01月23日 | 1980年代 | 軍人25人,民間人1人を殺人罪で起訴―公務員犯罪特別検察庁(Tanodbayan),アキノ・ガルマン暗殺事件(アキノ事件)で真相究明委員会(アグラバ委)の2報告書をもとに。L.Custidio准将(当時空港警備隊司令官)を含む軍人17人は正犯,ベール参謀総長,オリバス少将(マニラ首都圏警察本部長,いずれも休職中)を含む軍人8人,民間人1人は従犯容疑で。 |
DIA-205-1985-01-24-1 | フィリピン | 1985年01月24日 | 1980年代 | 公務員犯罪特別裁判所,アキノ事件で26人に拘留状発行―ベール,オリバス両将軍は各3万ペソの保釈金を供託し拘留は免れる。25日Piccio空軍司令官の要請に基づき軍人被告23人は身柄を軍の拘束下に。 |
DIA-205-1985-01-25-1 | フィリピン | 1985年01月25日 | 1980年代 | バンコ・フィリピノ,中銀管財下に―全国に87支店をもつ貯蓄銀行。小口預金口座は比国立銀行に。 |
DIA-205-1985-01-26-1 | フィリピン | 1985年01月26日 | 1980年代 | 1月から公務員賃金10%引上げ―大統領発表。 |
DIA-205-1985-01-28-1 | フィリピン | 1985年01月28日 | 1980年代 | ジプニー運転手組合スト―ガソリソ価格引下げ等を要求,全国で20万人が参加。警官隊と衝突。 |
DIA-205-1985-02-01-1 | フィリピン | 1985年02月01日 | 1980年代 | アキノ事件初公判―公務員犯罪特別裁判所(Sandiganbayan)で。26被告全員が無罪を主張。 |
DIA-205-1985-02-02-1 | フィリピン | 1985年02月02日 | 1980年代 | 法務大臣,Brockaの事件記録提出を命令―P.Brocka映画監督は1月28日のジプニー・スト扇動でPDA(予防拘禁措置)で拘留中。大統領の再調査指示によりケソン市検察に記録提出を要求。12日同容疑で身柄拘束中の他の4人とともに最高裁に釈放を申立て。13日大統領,Brockaほかの保釈を命令。 |
DIA-205-1985-02-04-1 | フィリピン | 1985年02月04日 | 1980年代 | トレンチノ外相,国民党の再統一期待を表明―ロペス前副大統領を新党首とし,87年大統領選でKBLと対決を主張。6日国民党ロイ派,ロペスの復党を歓迎すると声明。 |
DIA-205-1985-02-06-1 | フィリピン | 1985年02月06日 | 1980年代 | マニラ首都圏公立校教員賃上げスト―8日スト中止と11日からの授業復帰決議を声明。 |
DIA-205-1985-02-07-1 | フィリピン | 1985年02月07日 | 1980年代 | アキノ事件予審開催―全被告,検察側の証拠申請を拒否。検察,裁判所に81証人の召喚状発行を要求。 |
DIA-205-1985-02-09-1 | フィリピン | 1985年02月09日 | 1980年代 | モロ民族解放戦線帰順式―大統領が出席。Nur Khanダバオ革命委員長,500人を引きつれ投降。 |
DIA-205-1985-02-10-1 | フィリピン | 1985年02月10日 | 1980年代 | クリマコ暗殺事件で14人を告訴―うちサンボアンガ市警3人,国警兵士4人は殺人罪で軍事法廷に。 |
DIA-205-1985-02-12-1 | フィリピン | 1985年02月12日 | 1980年代 | エンリレ国防相,米軍事顧問は不要と言明―議会本会議で野党の質問に答えて,「比政府は破壊分子と過去40年間戦ってきた実績があり,対NPA作戦で米軍事顧問や外国軍は必要でない。JUSMAG(米合同軍事顧問団)は軍事援助の管理のみに。NPA正規軍の兵力数は8000~9000人で83年時から23%増」と言明。 |
DIA-205-1985-02-12-2 | フィリピン | 1985年02月12日 | 1980年代 | 日本経団連使節団,大統領と会談―稲山団長以下12人。比側は輸出産品に対する市場開放を要請,日本からの投資拡大については,近代化を必要とする特定分野として(1)繊維産業,(2)セメント製造,(3)電気通信,(4)自動車産業の分野での協力を要請した。 |
DIA-205-1985-02-12-3 | フィリピン | 1985年02月12日 | 1980年代 | レーガン大統領,米比関係は正常と強調―New York Timesとの会見で「米比間の摩擦は共産勢力の利益となる。第2のイランになるとの考えはとらない。フィリピンの野党は信条として民主的であり,政党が代わっても民主化は進行する。恐れているのは与野党対立の間隙から共産分子が伸長することである」と語った(NYT=Bulletin Today,14日)。 |
DIA-205-1985-02-13-1 | フィリピン | 1985年02月13日 | 1980年代 | B・F・ホームズ社に管財人計画提出命令―昨9月債務15億ペソを支払停止しSECに管財人による保全を申立てていたもの。同社の出資元であるバンコ・フィリピノが経営不安になり連鎖倒産に直面したもの。 |
DIA-205-1985-02-13-2 | フィリピン | 1985年02月13日 | 1980年代 | リージェントホテルで火事―27人焼死,損害額7億ペソ。放火の疑いで軍・警察が捜査。一部報道機関に“Angels”と名乗るグループから犯行声明。 |
DIA-205-1985-02-14-1 | フィリピン | 1985年02月14日 | 1980年代 | 27野党議員6人を告訴―公務員犯罪特別検察庁に対し砂糖の密輸入(5440万㌦)容疑で。告訴された6人はR.Benedicto(砂糖貿易公社会長),J.Unson(同社長),J.Danacay(同専務),関税局役人3人。 |
DIA-205-1985-02-14-2 | フィリピン | 1985年02月14日 | 1980年代 | Benedicto,議会で証言―対外貿易小委員会で,砂糖輸入は精製目的であり,すべて再輸出した。26日同小委,公聴会終了を決定。 |
DIA-205-1985-02-15-1 | フィリピン | 1985年02月15日 | 1980年代 | トレンチノ外相,大統領令乱用を強く批判―アテネオ大法学部で演説し,「大統領の布告を発する権限の存在はもはや正当性がない。大統領が自分を解任するのならば歓迎する」と語る。 |
DIA-205-1985-02-19-1 | フィリピン | 1985年02月19日 | 1980年代 | KBL幹部会,砂糖取引は新会社に―砂糖貿易公社以外の生産者からなる民間会社の設立を決定。 |
DIA-205-1985-02-20-1 | フィリピン | 1985年02月20日 | 1980年代 | 大統領,年内大統領選を否定―87年以前の早期選挙には憲法改正を必要とする。大統領選の時期についてはKBL幹部会が最終的に責任をもって決定する。 |
DIA-205-1985-02-20-2 | フィリピン | 1985年02月20日 | 1980年代 | 大統領,7議員を各省次官に任命。 |
DIA-205-1985-02-20-3 | フィリピン | 1985年02月20日 | 1980年代 | 政府部内の労働雇用省軽視を批判―オプレ労相,労働争議仲裁研究会の開会式で,予算不足のため仲裁等労働争議解決の努力が不成功となっていると指摘。 |
DIA-205-1985-02-22-1 | フィリピン | 1985年02月22日 | 1980年代 | アキノ事件公判,証人調べ開始―特別裁判所第4回公判。前司法省国家捜査局E.Solis部長証言:命中した弾は38,または45カリバー弾。B.Munos法医官:銃口は後頭部に当てて撃った。 |
DIA-205-1985-02-22-2 | フィリピン | 1985年02月22日 | 1980年代 | カトリック司祭ら9人誘拐さる―南サンボアンガ州Ipli町の司祭らがサンボアンガ市に向かう途中,約20人の武装MNLFによって。2婦人は同日解放される。25日救出部隊40人の作戦行動で全員解放される。 |
DIA-205-1985-02-25-1 | フィリピン | 1985年02月25日 | 1980年代 | アキノ事件公判,アグラバ委員長ら出廷―第5回公判,真相究明委は委員長以下10人が証人に。ガルマンの家族は出廷せず。ガルマン側は軍人被告を一般拘置所に身柄拘束すべく裁判所が命令すれば出廷すると通告。 |
DIA-205-1985-02-26-1 | フィリピン | 1985年02月26日 | 1980年代 | 大統領,内外記者団と会見―(1)ベールが裁判で無罪になれば原職に復帰させる,(2)悪性ビールスが原因で喘息にかかり一時呼吸困難になり酸素テントに入ったが手術をせず回復した,(3)経済が回復すれば共産側攻勢も減少する,(4)イメルダ夫人は大統領,副大統領のいずれにも出馬しない,(5)早期大統領または副大統領選はない。憲法改正に1年を要し国民投票には2億ペソかかる。86年の地方選との同時選挙も否定。 |
DIA-205-1985-02-26-2 | フィリピン | 1985年02月26日 | 1980年代 | 国軍,We Forumに印刷設備返却―83年12月押収の印刷機械等の未返納分を同紙出版者に。 |
DIA-205-1985-02-27-1 | フィリピン | 1985年02月27日 | 1980年代 | 農業食糧相,肥料値下げを拒否―FINEX会合で言明:農民は52%引下げを要求しているが5%引下げで年1億6600万ペソの政府補助となる。 |
DIA-205-1985-03-03-1 | フィリピン | 1985年03月03日 | 1980年代 | PDP・ラバン第4回年次大会―フィリピン民主党・人民の力,2日からTagbilaran市で。代議員500人が参加。ミトラ議員は,党独自の大統領候補を立てよと主張し,ピメンテル議員は,大統領選出馬の用意があると声明。 |
DIA-205-1985-03-03-2 | フィリピン | 1985年03月03日 | 1980年代 | PDP・ラバン,トリポリ協定全面実施を決議―S.B.Pangarungan比ムスリム協会全国委員長代行は歓迎。 |
DIA-205-1985-03-04-1 | フィリピン | 1985年03月04日 | 1980年代 | 大統領,トレンチノ外相を解任―外相が大統領が任命した2外交官の身分措置に関し疑義を表明したのが直接の原因。外相:私は少しも遺憾,遺恨の悪感情はもっていない。今後も求められれば喜んで協力する。 |
DIA-205-1985-03-04-2 | フィリピン | 1985年03月04日 | 1980年代 | 大統領,オプレ労相の失言に釈明を求める―労相の公開の場での発言。比は恩顧依存の経済的後進性をもつ軟性国家である。5日辞表提出するも受理されず。 |
DIA-205-1985-03-06-1 | フィリピン | 1985年03月06日 | 1980年代 | 大統領,石油製品の第2次値下げ発表―平均値下げ幅石油製品1㍑当り0.524ペソ,1月9日の第1次の値下げ0.22ペソと加えると0.744ペソの値下げ。9日運輸委員会,バス,ジプニーの料金引下げを10日から実施と発表。首都圏4キロメートル1.00ペソ(現行1.10ペソ)以後1キロメートルごと0.285ペソ(同0.295ペソ)。 |
DIA-205-1985-03-07-1 | フィリピン | 1985年03月07日 | 1980年代 | 議会,ビラタ首相信任決議案採択―野党提案の不信任決議案(憲法上の任務不履行)と同時採決で。 |
DIA-205-1985-03-07-2 | フィリピン | 1985年03月07日 | 1980年代 | ピメンテル,逮捕さる―1日帰国,カガヤン・デ・オロで帰国報告演説中。保釈金5万ペソで保釈。 |
DIA-205-1985-03-08-1 | フィリピン | 1985年03月08日 | 1980年代 | 中国と科学技術協力協定に調印―中国代表団(団長・董智勇林業次官),5~12日訪比。 |
DIA-205-1985-03-08-2 | フィリピン | 1985年03月08日 | 1980年代 | マニラで婦人デモ―3000人(GABRIELA,改革・統一・平等・指導・行動に結集する全国婦人会議),PDA撤廃,性的虐待,ミンダナオの軍事強化反対等要求。 |
DIA-205-1985-03-09-1 | フィリピン | 1985年03月09日 | 1980年代 | NPAは「革命税」引上げか―Washington Post紙9日。現地合弁企業が徴収される作戦行動費は増加した。支払を拒絶し工場を焼打されることもある。 |
DIA-205-1985-03-10-1 | フィリピン | 1985年03月10日 | 1980年代 | 全国統一委員会(NUC),マニラで集会―12項目共同綱領を採択,「マルコス独裁政権打倒」,「自由,公正,定期的な選挙により表明された国民の意思に基づく政権交替」を宣言。代議員704人,来賓,傍聴825人が参加。8日招請者グループ(CG)は,早期選挙に備えた独自の統一候補計画があるとして不参加を表明。14日NUC,委員長にC・ムニョス・パルマス議員(元最高裁判事),副委員長にF・ロドリゴ元上院議員を選出。 |
DIA-205-1985-03-12-1 | フィリピン | 1985年03月12日 | 1980年代 | イメルダ夫人,モスクワに出発―チェルネンコの葬儀に出席。15日ゴルバチョフ書記長と会談,同書記長の公式訪比を招請。4月2日ボストン経由で帰国。 |
DIA-205-1985-03-13-1 | フィリピン | 1985年03月13日 | 1980年代 | 国民議会,M・ディマポロ議員を副議長に選出―南ラナオ州出身,回教徒。O・ディナラナン議員と副議長ポストの争奪が続き,KBL幹部会が調整したもの。 |
DIA-205-1985-03-17-1 | フィリピン | 1985年03月17日 | 1980年代 | トレンチノ,野党からの立候補に意欲―Newsweek誌25日とのインタビューで:大統領選に出ないが野党から選ばれれば立候補する。野党が統一候補に結集し,公正に選挙が行なわれればマルコスに勝つ。 |
DIA-205-1985-03-19-1 | フィリピン | 1985年03月19日 | 1980年代 | LP,NUCの統合方式に参加―カラオ,LP幹部会で州レベルでのスムーズな統合方式を検討中。 |
DIA-205-1985-03-20-1 | フィリピン | 1985年03月20日 | 1980年代 | マニラ電力会社,電力料金引下げ発表―4月請求分から。消費者電力料金は150kWh以上の「発電料金」は1kWh当り1.83ペソ(現行1.99ペソ)に。国営電力公社がマニラ電力会社向け料率を3月から2.5%引下げたことに対応してなされたもの。 |
DIA-205-1985-03-20-2 | フィリピン | 1985年03月20日 | 1980年代 | 米下院,外交委,86年対比軍事援助削減―アジア太平洋問題小委員会,軍事援助計画(MAP)5000万㌦,有償軍事援助(FMS)5000万㌦,経済支援基金(ESP)9500万㌦計1億9500万㌦の政府原案を,MAP2500万㌦,ESP1億5500万㌦計1億8000万㌦に削減。 |
DIA-205-1985-03-21-1 | フィリピン | 1985年03月21日 | 1980年代 | 10業者の伐木許可枠取消し―大統領命令。日本向け84年輸出枠60万㌧に対し100万㌧以上が船積されていた。不正外貨蓄積摘発グループにより発覚。 |
DIA-205-1985-03-22-1 | フィリピン | 1985年03月22日 | 1980年代 | 新民族主義者同盟(Bayan)結成―L・タニャーダ(暫定全国議長),J・ディオクノ(全国組織委員長)およびA・アキノ(書記長)が代表で急進野党,無党派が結集したもの。各選挙には状況次第で参加するが街頭議会派を排除しない,CORD(民主主義回復のための組織連合)との違いは,集中した指導体制と厳しい規律で,党のコンセンサスには末端まで従うことであると説明。 |
DIA-205-1985-03-22-2 | フィリピン | 1985年03月22日 | 1980年代 | 大統領,市・町に警察監督権を移管―士官学校卒業式で演説。(1)CHDF(民間村落防衛隊)およびPC(治安警察軍)の行動監督は市・町長の管理下に置く。INP(統合国家警察)に関する行政事務は治安警察軍本部に残す,(2)国軍将官に対し10億ペソの民生行動計画の実行に際しては中央・地方政府と密接に協力するよう指示。23日大統領提案に野党反発。ミトラ議員は,「この提案は与党リーダー,市・町長が投票人を脅迫する手段となる。次回選挙は史上最大の流血選挙となろう」と語る。 |
DIA-205-1985-03-22-3 | フィリピン | 1985年03月22日 | 1980年代 | 軍改革派の存在が表面化―士官学校卒業式で。 |
DIA-205-1985-03-22-4 | フィリピン | 1985年03月22日 | 1980年代 | バンコ・フィリピノ倒産―中央銀行発表,1月25日以来管財人による資産管理下にあった。同時点で資産39億ペソ,負債51.5億ペソに達し営業不能。中銀の法務省特捜部への告発で84年6,7月に146社に6億4170ペソの違法貸付けをしたことを報告。 |
DIA-205-1985-03-26-1 | フィリピン | 1985年03月26日 | 1980年代 | 比退役軍人銀行(PVB)経営危機―大統領,ベール参謀総長(同行会長)に全役員の解任を指示。4月10日中央銀行通貨委,同行を管財下に置くと発表。 |
DIA-205-1985-04-03-1 | フィリピン | 1985年04月03日 | 1980年代 | LP,Unidoを脱退―マニラホテル朝会でオスメーニャ書記長「NUCとの関係強化のため。Unidoの使命は終えた」と言明。15日エスピニャUnido書記長はUnidoは完全な政党であると反駁。 |
DIA-205-1985-04-08-1 | フィリピン | 1985年04月08日 | 1980年代 | PDP・ラバン全国大会―セブ市で。委員長にピメンテルを選出,任期85年5月まで。 |
DIA-205-1985-04-08-2 | フィリピン | 1985年04月08日 | 1980年代 | 米議会・政府要人,マルコス大統領と会談一P・マクファーソンAID長官,10日J・ケリー上院議員,15日S・ソラーズ,G・ソロモン,W・リーチャードソンの3下院議員と会談。 |
DIA-205-1985-04-09-1 | フィリピン | 1985年04月09日 | 1980年代 | 大統領,スハルト,リー両首脳宛書簡―共産勢力の攻撃に対し政府は軍,政治,経済,社会を完全に掌握している旨伝えるもの。3日のスハルト・リー会談でフィリピン情勢が取りあげられたことに関連して。 |
DIA-205-1985-04-09-2 | フィリピン | 1985年04月09日 | 1980年代 | プランターズ・プロダクツ社支払い不能に―SEC,財産処分禁止を命令。6月14日同社に債権をもつ外国銀行団が再建計画に同意,調印。 |
DIA-205-1985-04-09-3 | フィリピン | 1985年04月09日 | 1980年代 | ラヤ教育相,2,3年以内に教員不足深刻化を懸念―医学・大学院の教官は週末に首都圏から派遣中。 |
DIA-205-1985-04-09-4 | フィリピン | 1985年04月09日 | 1980年代 | NDF(民族民主戦線)リーダー記者会見―同戦線ミンダナオ地区代表がサンボアンガ某所で。「(1)3~5年の全面勝利はないが戦略的に敵を追いつめる,(2)南・北ルソン,ビサヤ,マニラの3地区委は間もなく設置,年央までに全国委に拡大する予定」と表明。 |
DIA-205-1985-04-11-1 | フィリピン | 1985年04月11日 | 1980年代 | イメルダ居住環境相,ソ連大使と会談―バーター貿易,文化交流促進,比ソ文化協定の拡大について。 |
DIA-205-1985-04-11-2 | フィリピン | 1985年04月11日 | 1980年代 | コタバトでイタリア人神父殺害さる―Favali神父。犯人は元CHDF隊員。27日,野党議員59人,「CHDFは規律,品性を欠き,かつ野党指導者,支持者を脅迫する別動隊として利用されている」として解散要求。 |
DIA-205-1985-04-11-3 | フィリピン | 1985年04月11日 | 1980年代 | 日本人6人の証言に訴追免除を保証―公務員犯罪特別検察庁,アキノ事件に関し若宮清らジャーナリストの証言に関して。ただし比外務省は同日,日本人ジャーナリストの訴追免除は保証しないとし,政府の立場は口上書をもって日本外務省に伝達してあると声明。 |
DIA-205-1985-04-11-4 | フィリピン | 1985年04月11日 | 1980年代 | マニラ首都圏副知事,BSF計画で意見表明―マサイ副知事:BSF(バランガイ警備隊)は町村部の治安評議会の延張にすぎずCHDFとは関連ない。なお,12日ケソン市検事は,MMC(マニラ首都圏行政委員会)の決定どおりBSFには武器は渡さずと言明。 |
DIA-205-1985-04-12-1 | フィリピン | 1985年04月12日 | 1980年代 | 軍当局,裁判所の保釈命令を無視―2月13日以来予防拘禁措置で拘留中の活動家2人の件で。 |
DIA-205-1985-04-12-2 | フィリピン | 1985年04月12日 | 1980年代 | 大統領,リタウディン・マ外相と会談―マレーシア側:カンボジア問題はASEAN各国が克服すべき問題。比側:マ比間に未解決の問題(サバ領有権)が残っている。 |
DIA-205-1985-04-13-1 | フィリピン | 1985年04月13日 | 1980年代 | 世界回教徒連盟事務局長Nasseef来比―ミンダナオ回教徒の自治権と平和について回教徒指導者と会談のため。15日大統領,イスラム裁判所「シャリア」の設置を命令,同日大統領,Naffeefと会談。 |
DIA-205-1985-04-16-1 | フィリピン | 1985年04月16日 | 1980年代 | マニラ港湾労働者スト―メトロ・ポート・サービス社の2000人が参加。不公正な労働慣行,等で会社側に抗議,3日間のストで外航船17隻の荷役中断。 |
DIA-205-1985-04-17-1 | フィリピン | 1985年04月17日 | 1980年代 | KBL幹部会開催―大統領・支持基盤の拡大,KBL活性化,選挙区レベルの全指導者のリスト作成,地方選候補者の乱立回避のため,中央委員会に候補者を指名する党大会開催の権限を付与する。 |
DIA-205-1985-04-17-2 | フィリピン | 1985年04月17日 | 1980年代 | ラウレル叙勲で決議案―同日付Bulletin Today。J・ラウレル元下院議長が日本の勲一等旭日大綬章の受賞にあたり超党派議員15人が議会の承認を求めたもの。 |
DIA-205-1985-04-17-3 | フィリピン | 1985年04月17日 | 1980年代 | 米国繊維業者相殺関税・課徴金申講を取下げ―比製衣類・繊維製品についての比政府のGATTの相殺関税,補助金条項受入れ決定に対応。23日オンピン商工相,輸出助成は5年以内に段階的消滅すると言明。 |
DIA-205-1985-04-18-1 | フィリピン | 1985年04月18日 | 1980年代 | CGとNUCが会談,連合に合意―(1)共同綱領制定のため共同委員会の設置,(2)連合の中から統一正副大統領候補を選定する。候補者の選定方法では対立したまま。CGは各党平等の代表権で候補有資格者(CG案では9人)選出を提案。ラウレル(Unido),カラオ(LP)はこの方式が非民主的と批判。 |
DIA-205-1985-04-18-2 | フィリピン | 1985年04月18日 | 1980年代 | R・タンコ前農業大臣,食道癌で死去(51歳)。 |
DIA-205-1985-04-19-1 | フィリピン | 1985年04月19日 | 1980年代 | 元MNLFリーダー,NPAとの対決を表明―A.U.Malaguiok,J.Lukman,O.T.Abdulla他1人がMNLF元上級幹部とマニラで会談。政府のミンダナオ反政府軍対策に協力を表明,21日大統領,元MNLFリーダーのNPA攻撃参加に際し前歴調査を指示。 |
DIA-205-1985-04-19-2 | フィリピン | 1985年04月19日 | 1980年代 | 呉学謙中国外相,大統領と会談―18日北京政府は比共産勢力とは一線を画すると言明。22日比中協定に調印。貿易拡大は年5億㌦が目標。 |
DIA-205-1985-04-19-3 | フィリピン | 1985年04月19日 | 1980年代 | 角谷清日本新駐比大使,信任状提出。 |
DIA-205-1985-04-26-1 | フィリピン | 1985年04月26日 | 1980年代 | 反乱参加の神父C.Balweg,記者会見―カリンガ・アパヤオ州Cordillera山中で。28日Balwegの基地発覚,政府軍と交戦,重要書類を押収。 |
DIA-205-1985-04-26-2 | フィリピン | 1985年04月26日 | 1980年代 | Namfrel選挙法改正につき提案―全国自由選挙市民連合。選管は市民グループを公認する,軍関係者の投票所立入禁止,消えないインクの使用,120日前の有権者登録等。 |
DIA-205-1985-04-30-1 | フィリピン | 1985年04月30日 | 1980年代 | 原発反対グループ,最高裁に原子力委公聴会差止めを請求。 |
DIA-205-1985-04-30-2 | フィリピン | 1985年04月30日 | 1980年代 | 政府,肥料と米のバーター貿易を発表―タイ米13万㌧輸入とPhilphosの燐酸肥料15万㌧(2300万㌦)。 |
DIA-205-1985-05-01-1 | フィリピン | 1985年05月01日 | 1980年代 | メーデー集会,マニラでは5万人が参加。4月29日,TUCP(比労働組合会議),NCFC(農民会議全国同盟)は今年から大統領を招待しないと決定。 |
DIA-205-1985-05-02-1 | フィリピン | 1985年05月02日 | 1980年代 | R.Quijano女史,特別裁判所で証言―「制服軍人がアキノに銃を向けた直後に銃声を聞いた,大統領警護隊Tigas大佐から口止めをされた」と証言。6月2日被告・弁護人側の反対尋問。同18日米国に出国。 |
DIA-205-1985-05-02-2 | フィリピン | 1985年05月02日 | 1980年代 | 80年以来ジャーナリスト15人が犠牲―全国記者クラブ発表:有力者,権力者の不興を買うと消される。 |
DIA-205-1985-05-03-1 | フィリピン | 1985年05月03日 | 1980年代 | Teehankee最高裁判事の欠格問題―A.Pacificador議員(KBL)はC.Teehankeeが「生まれながらの国民」ではないと非難したが,5日同判事は「4月23日付け最高裁全員一致の決定でパ議員提出の資格喪失要求は却下され,行政的には何ら問題はない」と反論した。9日大統領,法相に調査を命令。29日国会議員4人,大統領命令の撤回要求決議に署名。同日議会法務委,パ議員提案の資格喪失要求を否決。 |
DIA-205-1985-05-04-1 | フィリピン | 1985年05月04日 | 1980年代 | 大統領,戒厳令公布の意図なしと言明―メンドサ法相の見解を引用,布告2045-A号(83年7月23日付)によりミンダナオの第9,13地域では人身保護令は停止したままである。 |
DIA-205-1985-05-05-1 | フィリピン | 1985年05月05日 | 1980年代 | 拘禁中のジャーナリスト,S.Ocampo脱走―全国記者クラブ役員選挙投票所で,軍人6人が付きそっているさ中。元Manila Times編集長。76年1月14日以降武器密輸事件に関与して政府転覆罪で拘留中。 |
DIA-205-1985-05-05-2 | フィリピン | 1985年05月05日 | 1980年代 | 大統領,政府転覆罪の死刑廃止―政府転覆に関する犯罪に対する死刑と無期懲役を廃止し有期懲役に。 |
DIA-205-1985-05-05-3 | フィリピン | 1985年05月05日 | 1980年代 | 米作,85穀物年は豊作と発表―85年1~6月乾期7060万カパン,84年7~12月は9330万カパン計1億6360万カパン(818万カパン)。82年の大豊作年よりも0.9%増。 |
DIA-205-1985-05-06-1 | フィリピン | 1985年05月06日 | 1980年代 | エンリレ国防相,軍改革派との会談を公表―4月20日ラモス参謀総長代行と9時間,同24日エンリレと7時間にわたり対話。改革派グループの多数はPMA(比士官学校)卒業生で,軍規,団結,訓練,昇任,任務,政府の対ゲリラ対策の戦術等の改革を目的に活動中。 |
DIA-205-1985-05-08-1 | フィリピン | 1985年05月08日 | 1980年代 | ラモス,改革派連動に肯定的発言―建設的な改革には賛成である。改革派グループの意見は聴き,対話を続ける。ただし,大統領の指針,政策,国軍の規則等の範囲内での運動であることが条件。 |
DIA-205-1985-05-09-1 | フィリピン | 1985年05月09日 | 1980年代 | ケーシー米CIA長官,大統領と秘密裡に会談―これに関し22日米大使館は,米政府が大統領に同時選挙を早めるよう圧力をかけたとのAFP報道を否定。 |
DIA-205-1985-05-12-1 | フィリピン | 1985年05月12日 | 1980年代 | ローニョ副首相,大統領選挙年内実施を示唆―「86年地方選挙との同時選挙もあり得る」とも発言。14日大統領,繰上げ大統領選を否定し,「KBL幹部会が他の決定をしない限り,この立場は変らない」と表明。 |
DIA-205-1985-05-13-1 | フィリピン | 1985年05月13日 | 1980年代 | 首都圏の犯罪撲滅隊,非難される―野党:首都圏に私服で配置された「公共交通車輌内犯罪取締まり警察部隊」350人は過去2週間にジプニー内で22人を射殺,59人を検挙したが,これは殺人部隊であり違法。 |
DIA-205-1985-05-14-1 | フィリピン | 1985年05月14日 | 1980年代 | LP2派閥統合,正式に調印―E・カラオは全国委員長,J・サロンガは党委員長に就任。 |
DIA-205-1985-05-14-2 | フィリピン | 1985年05月14日 | 1980年代 | 自民党藤尾正行政調会長,大統領と会談―ASEAN各国訪問の途上。中曽根親書を提出。 |
DIA-205-1985-05-17-1 | フィリピン | 1985年05月17日 | 1980年代 | 北サンボアンガで神父射殺さる―在Dipologの基地付き司祭,A.Romero神父,Polancoの教会で。 |
DIA-205-1985-05-18-1 | フィリピン | 1985年05月18日 | 1980年代 | V.Santiago選管委員長辞任―20日後任にV.Savellano(第2地方選管委員)が就任。 |
DIA-205-1985-05-19-1 | フィリピン | 1985年05月19日 | 1980年代 | Bayan(新民族主義者同盟)第1回全国評議員会―議長にL・タニャーダ選出。Atom(8月1日運動),Sapak(正義と信義のための連合)は党内事情のため脱退。 |
DIA-205-1985-05-19-2 | フィリピン | 1985年05月19日 | 1980年代 | 野党,軍改革派の国民議会喚間を要求―O・サントス議員は「国防委員会に指導者を呼ぶ。国民の代表として何が起こっているのか全貌を知る権利がある」と主張。 |
DIA-205-1985-05-20-1 | フィリピン | 1985年05月20日 | 1980年代 | 政府,外銀団と新規融資,貿易回転融資一括協定に調印―ワシントンで。新規融資9億2500万㌦,回転融資29億7500万㌦。新規融資の払出しは3回に短縮。 |
DIA-205-1985-05-21-1 | フィリピン | 1985年05月21日 | 1980年代 | ケソン市のNPA隠れ家急襲―NPA容疑の6人,警官300人の非常線を突破して逃走。 |
DIA-205-1985-05-21-2 | フィリピン | 1985年05月21日 | 1980年代 | 特別裁判所,アグラバ委4委員に出廷を命令―23,24の両日検察側証人として。ベール他7人を従犯とした誤審理容疑に関する証言を求められたもの。2月についで2度目。全員出廷を拒否した。23日特別裁判所,検察側証人調べ終了。証人数51人,公判31回に達する。 |
DIA-205-1985-05-23-1 | フィリピン | 1985年05月23日 | 1980年代 | 家賃統制法議会可決―現行法6月30日期限切れ。月480ペソ以下の家賃は87年末まで50%引上げ可。 |
DIA-205-1985-05-25-1 | フィリピン | 1985年05月25日 | 1980年代 | セブ大司教R・ビダル,枢機卿に就任―比で4人目。バチカン枢機卿会議にはイメルダ夫人が同行。 |
DIA-205-1985-05-25-2 | フィリピン | 1985年05月25日 | 1980年代 | 野党議員,CPP・NPAと政府軍との対話を決議―C・フェルナンデス(Unido)他5議員が議会に提出,「両者の交戦でさらに多数が死亡する前に対話が必要,CPP(比共産党)・NPAの脅威は力で解決できない,合法化が必要」と。CPPは機関紙Ang Bayan,5月号で合法化提案を,「ワナにはかからない」と拒否。 |
DIA-205-1985-05-26-1 | フィリピン | 1985年05月26日 | 1980年代 | ネグロス島でNPA,政府軍と交戦―400人の武装ゲリラとの戦いで軍・民間人16人が死亡。また29日にもNPA200人が西サマールのPC(治安警察軍)を襲撃し20人(NPA15人)が死亡。 |
DIA-205-1985-05-31-1 | フィリピン | 1985年05月31日 | 1980年代 | 大統領,軍改革派と会談―軍内部の汚職,不正行為,腐敗の全事例につき裁判に付すと確約。 |
DIA-205-1985-06-01-1 | フィリピン | 1985年06月01日 | 1980年代 | アーマコスト米国務次官,大統領と会談―大統領,早期選挙の可能性を否定,軍改革を説明。 |
DIA-205-1985-06-03-1 | フィリピン | 1985年06月03日 | 1980年代 | 軍人,警官の闘鶏禁止―ラモス参謀総長代行。 |
DIA-205-1985-06-03-2 | フィリピン | 1985年06月03日 | 1980年代 | マルコス大統領,87年選挙に立候補を声明―経済再建の公約を果たすため。93年選挙には出馬せず。 |
DIA-205-1985-06-04-1 | フィリピン | 1985年06月04日 | 1980年代 | 原発公聴会,反対デモで延期―比原子力委のNPC(国営電力公社)バターン原発に対する免許の件。 |
DIA-205-1985-06-04-2 | フィリピン | 1985年06月04日 | 1980年代 | 政府軍はゲリラ攻勢に対処できる―ラモス参謀総長代行記者会見。CPP・NPAは勢力を増大し町庁舎,軍分遣隊,政府施設を攻撃してくるが,これ以上の規模の拡大,または外国軍,MNLF等の援助がなければ対処できる。現在外国からの支援は発見されず。 |
DIA-205-1985-06-05-1 | フィリピン | 1985年06月05日 | 1980年代 | 特別裁判の審理は合法―最高裁全員一致で決定。アキノ事件でガルマン側等から,軍人の犯罪を軍法会議でなく特別裁判所で審理できるとしたPD1952号は違憲であるとの申立てに対して。 |
DIA-205-1985-06-07-1 | フィリピン | 1985年06月07日 | 1980年代 | 議会,第1回会期終了―84年7月23日開始以来,議員提出法案6106法案,政府提出法案4政令が提出されたが,可決は13件,うち3件は大統領が署名,公布。 |
DIA-205-1985-06-09-1 | フィリピン | 1985年06月09日 | 1980年代 | マルコス北イロコス州知事,姫鵬飛中国国務委員と会談―比中外交関係10周年友好使節団長が訪中。 |
DIA-205-1985-06-10-1 | フィリピン | 1985年06月10日 | 1980年代 | KMU(5月1日運動),ILOに提訴―EO(大統領行政命令)1458号(労使関係協議会の強制仲裁)の有効性について。ILO条約87条,98条違反であるとして。 |
DIA-205-1985-06-12-1 | フィリピン | 1985年06月12日 | 1980年代 | 87回独立記念日パレード―10年ぶりに軍が参加,F5戦闘機,ヘリコプター,戦車による示威行進。 |
DIA-205-1985-06-12-2 | フィリピン | 1985年06月12日 | 1980年代 | 米軍撤退,基地協定廃棄要求デモ―Bayanの1万5000人がボニファシオ広場から米大使館前まで行進。 |
DIA-205-1985-06-12-3 | フィリピン | 1985年06月12日 | 1980年代 | S・ラウレルを大統領候補に指名―Unido全国大会。代議員2721人出席。主要政党は各1人の候補有資格者を選出するとの3月10日CG,NUC合意に基づくもの。 |
DIA-205-1985-06-13-1 | フィリピン | 1985年06月13日 | 1980年代 | ベール,オリバス等の調査報告は不採用―特別裁判所,検察側が証拠申請した従犯8人のアグラバ委での証言は証拠採用を却下。PD1886号(「アグラバ委」設置法)により証言が自らに不利となるとの訴えをなした場合には使用されない。19日検察側が特別裁判所の決定に異議申立て。29日同裁判所は検察側の異議を却下。 |
DIA-205-1985-06-15-1 | フィリピン | 1985年06月15日 | 1980年代 | 「ダバオ市はNPAの実験場」―エンリレ国防相,治安維持合同会議で演説。NPAは全国に43のフロントをもち,うち11のフロントがダバオ市内に。 |
DIA-205-1985-06-16-1 | フィリピン | 1985年06月16日 | 1980年代 | 労組指導者殺害にKMU抗議―ラモス参謀総長代行に。年初から20人が殺された。調査班を編成せよと。 |
DIA-205-1985-06-18-1 | フィリピン | 1985年06月18日 | 1980年代 | バターンで原発反対「人民スト」―20日まで。輸出加工区労働者29工場,1万5000人が参加。 |
DIA-205-1985-06-19-1 | フィリピン | 1985年06月19日 | 1980年代 | 被告弁護人にメモを渡した判事を特定―Quijanoの弁護人,「B. Vera Cruz判事はQuijano証人の反対尋問中,どのような質問をすべきか被告に伝え審理を有利に進行させた」と公表したもの。 |
DIA-205-1985-06-19-2 | フィリピン | 1985年06月19日 | 1980年代 | 検察,ベールらの証言不採用で再審請求―特別裁判所は29日再審請求を却下した。 |
DIA-205-1985-06-20-1 | フィリピン | 1985年06月20日 | 1980年代 | ILO,ネグロス島失業者に食糧援助―500万㌦相当の食糧を世界食糧援助プログラムにより実行。 |
DIA-205-1985-06-21-1 | フィリピン | 1985年06月21日 | 1980年代 | ガルマンの弁護人,法廷侮辱罪で罰金―特別裁判所Lazaro私設弁護人のVeritas紙2月10日での「被告の身柄を拘置所に移さなかったのは裁判所が軍の圧力に屈したからである」との発言に対して。 |
DIA-205-1985-06-21-2 | フィリピン | 1985年06月21日 | 1980年代 | TUCP,ゼネストを提唱―M.Nunez南ミンダナオ副委員長が15日射殺されたことに対し,「労働運動の安全が保障されていない」と抗議して。 |
DIA-205-1985-06-22-1 | フィリピン | 1985年06月22日 | 1980年代 | MILF指導者記者会見―モロ・イスラム解放戦線A.A.Mimbantas副委員長。ミンダナオ少数民族自立達成のため聖戦を宣言。ゲリラ3万人。500人が外国で訓練,コタバトに軍事訓練校常設。MNLFとは別。 |
DIA-205-1985-06-24-1 | フィリピン | 1985年06月24日 | 1980年代 | SDP,全国代表者会議開催―社会民主党,セブ市で。タタド委員長,NUCとの連帯を確認。 |
DIA-205-1985-06-24-2 | フィリピン | 1985年06月24日 | 1980年代 | 2台風,北中部ルソンに被害―24日台風Kuling,37人死亡,損害2億ペソ,27日Daling,84人死亡,14人不明,農業プロジェクト,作物等損害1億ペソ。 |
DIA-205-1985-06-25-1 | フィリピン | 1985年06月25日 | 1980年代 | ビラタ首相私邸特別警備―ケソン市,NPAによる襲撃予告のため軍,警察200人が特別警護。 |
DIA-205-1985-06-25-2 | フィリピン | 1985年06月25日 | 1980年代 | 東ミサミス州でゲリラと戦闘―25日付け現地紙。同州クラベリア,8日間でNPA47人,政府軍3人死亡,住民1500人が避難のため一時立退く。ゲリラはBalatucan山に立てこもったため軍が追撃。ピメンテル議員,農民家族退去のための一時停戦を大統領に要請。 |
DIA-205-1985-06-25-3 | フィリピン | 1985年06月25日 | 1980年代 | 大統領,国民経済再建大統領評議会(PCNER)を設置―関係6閣僚からなる。良好な労使関係,生産性向上が目的。議長はビラタ首相。 |
DIA-205-1985-06-27-1 | フィリピン | 1985年06月27日 | 1980年代 | 米紙,比政府高官等の在米資産を暴露―San Jose Mercury News紙の記事をBusiness Day等現地紙が転載。大統領夫妻,2閣僚等の実名を公表。 |
DIA-205-1985-06-27-2 | フィリピン | 1985年06月27日 | 1980年代 | 大統領,大佐25人を准将に昇格―87回海軍記念日演説で公表。将官数は98人(定数112人中),うち定年を超えた「居据わり将軍」は30人に達している。 |
DIA-205-1985-06-27-3 | フィリピン | 1985年06月27日 | 1980年代 | マニラ首都圏の専門職1万5000人が脱税―BIR新監査プログラムを公表:査察令状を発する前に生活事情を調査する。子弟の学校名,自動車台数,電気代等。 |
DIA-205-1985-06-28-1 | フィリピン | 1985年06月28日 | 1980年代 | スペイン人神父ら誘拐される―E.Monge神父(46歳),修道女,教会関係2人,サンボアンガで。犯人はMNLFとみられる4人組。 |
DIA-205-1985-07-01-1 | フィリピン | 1985年07月01日 | 1980年代 | 小麦の自由化開始―75年6月以来NFAが輸入していたもの。製粉業者以外の仲介業等も有資格であるが当初は既存の製粉業者8社に輸入免許を与える方針。 |
DIA-205-1985-07-01-2 | フィリピン | 1985年07月01日 | 1980年代 | アキノ事件,弁護側立証開始―特別裁判所で検察側が立証作業を終了。被告・弁護側の3証人が証言。 |
DIA-205-1985-07-03-1 | フィリピン | 1985年07月03日 | 1980年代 | ベラスコ・エネルギー相,辞表を提出―在米隠匿資産暴露記事に政府高官の1人として実名が載ったことで,公務員の資格なしとして。5日辞表受理されず. |
DIA-205-1985-07-03-2 | フィリピン | 1985年07月03日 | 1980年代 | スト,ロックアウトの禁止計画を撤回―PCNER第1回会合で決定。商工省,輸出業者から提案されていた向こう3年間のスト,ロックアウト禁止令に対して,労使双方の支持がなかったとして。5日オプレ労相,PCNER委員の辞意をビラタ同議長宛書面で表明。労使紛争解決はNLRC(労使関係協議会)の所管である。PCNERは経済悪化の原因を労働者に責任転嫁するものである。9日オプレの辞表受理されず。 |
DIA-205-1985-07-05-1 | フィリピン | 1985年07月05日 | 1980年代 | 特別検察庁,最高裁に上訴―ベール等8被告に関するアグラバ委での証言を証拠不採用とした特別裁判所の決定の取消を上訴。11日最高裁,特別裁判所に今後予定されるいかなる申立ての棄却も差し止めることを命令,審理続行を促す。8月30日最高裁,「事件真相究明委」での証言を採用との特別検察庁の上訴を却下。 |
DIA-205-1985-07-05-2 | フィリピン | 1985年07月05日 | 1980年代 | パシフィック銀行,中銀通貨委の管財下に―12日中銀,再建計画を承認。ハワイ銀行等が引き受け。 |
DIA-205-1985-07-05-3 | フィリピン | 1985年07月05日 | 1980年代 | 軍改革派,全国記者クラブで会見―リーダーは陸軍大佐G.Honasan。改革派は中立であり,いかなる利益集団,外国勢力,破壊分子にも与しない。 |
DIA-205-1985-07-08-1 | フィリピン | 1985年07月08日 | 1980年代 | 経済再建5項目,大統領が指示―PCNER会合で,(1)税制改革,(2)政府企業の膨大な赤字の縮小,(3)比国立銀行,比開発銀行,比土地銀行の合併,(4)民間,国際金融機関(ADB,IFC)出資の「工業銀行」の設立,(5)政府所有の6銀行の売却。 |
DIA-205-1985-07-09-1 | フィリピン | 1985年07月09日 | 1980年代 | 米下院,86年対比軍事援助可決―アジア太平洋問題小委採決のとおり1500万㌦削減し総額1億8000万㌦。開発,食糧援助7800万㌦の4分の1はカトリック教会経由とあるとの修正を加える。12日比議会与党議員,同修正決議は「2国間の関係悪化をもたらす」と反発。 18日エンリレ国防相,議会に現行比米国軍事基地協定廃棄,再交渉決議案を提出。 |
DIA-205-1985-07-10-1 | フィリピン | 1985年07月10日 | 1980年代 | 軍改革運動はアメリカのシナリオである―比共産党,機関誌6月号で「改革運動は米の意向にそうもので,職業軍人意識,非政治的軍指導を回復させ,国軍を共産勢力との交戦で効果的に利用するもの」と批判。 |
DIA-205-1985-07-11-1 | フィリピン | 1985年07月11日 | 1980年代 | 大統領,在外資産隠匿調査を命令―メンドサ法相に早急,かつ完全な報告,違法があれば処罰を指示。18日法相,米紙に掲載された大統領を除く11人に巨額の在外資産の取得について説明するよう文書で命令。 |
DIA-205-1985-07-11-2 | フィリピン | 1985年07月11日 | 1980年代 | セブで活動家神父失踪―R.Romano神父。軍人が誘拐との目撃者があるが軍は否定。24日神父の返還を要求し地域軍指令部前でピケ中のデモ隊150人を逮捕。 |
DIA-205-1985-07-11-3 | フィリピン | 1985年07月11日 | 1980年代 | ACRONYM(クロニーに反対する運動)結成―主導者は実業家のE・ソリアノ,R・ヘルマソ,法律家T・ギンゴナ。行動の一環として守る。ベラスコ・エネルギー相,エンリレ国防相等の自宅,事務所前でピケ。 |
DIA-205-1985-07-12-1 | フィリピン | 1985年07月12日 | 1980年代 | 特別検察庁,タタド前惰報相を告発―現SDP(比社会民主党)党首,在職中の資産不申告,汚職等5件の容疑。16日タタド逮捕,保釈金2万3000ペソで釈放。 |
DIA-205-1985-07-15-1 | フィリピン | 1985年07月15日 | 1980年代 | ネグロス島児童救済基金キャンペーン開始―Business Day紙が飢餓,病気の救済のため呼びかけ。 |
DIA-205-1985-07-15-2 | フィリピン | 1985年07月15日 | 1980年代 | 学生運動活動家45人を逮捕―政府軍,ダバオ市で開催中のLFS(比学生連盟)会議参加者を。 |
DIA-205-1985-07-16-1 | フィリピン | 1985年07月16日 | 1980年代 | 比軍用機がアキノ搭乗機の強制着陸を企てた―Business Day紙,14日付米紙San Francisco Examinerの転載で報道。米空軍要員が「レーダーでは比空軍2機がCLA機の進路を遮断しようとした」と発言。 |
DIA-205-1985-07-17-1 | フィリピン | 1985年07月17日 | 1980年代 | 米国防省,比軍改革派を評価―アーミテージ国防次官補,アジア協会(ワシントン)で演説。改革グループは職業軍人意識を強く保持しており,比国軍のイメージ革新に果たす役割が大きい。 |
DIA-205-1985-07-17-2 | フィリピン | 1985年07月17日 | 1980年代 | NPA,政府軍との交戦で成功率95%―NPA機関誌Pulang Bandila(赤旗)創刊号で戦果を発表(同日付BD紙)。84年4月~85年5月で526の戦闘行為で95%を勝利し,政府軍1200人を死傷させた。 |
DIA-205-1985-07-24-1 | フィリピン | 1985年07月24日 | 1980年代 | INP(国家統合警察)は国家警察委管轄下に組み入れ―大統領行政命令により国家警察委は国防省から大統領府に移管する。 |
DIA-205-1985-07-24-2 | フィリピン | 1985年07月24日 | 1980年代 | 最高裁長官にF.Makasiar判事を任命―E.Fernando前長官は定年退官。 |
DIA-205-1985-07-25-1 | フィリピン | 1985年07月25日 | 1980年代 | 政府86年予算案を議会に提出―総額929億ペソ,うち議会の承認を必要とする歳出予算は694億ペソ。 |
DIA-205-1985-07-26-1 | フィリピン | 1985年07月26日 | 1980年代 | ビラタ首相,PAL購入燃料補助中止を言明―フィリピン航空国内便燃料用油の10%従価税免除を廃止。 |
DIA-205-1985-07-27-1 | フィリピン | 1985年07月27日 | 1980年代 | 大統領,3新選挙委員を任命一Q.Marguinez,M.Ortiz,M.Guro。欠員は2委員。 |
DIA-205-1985-07-27-2 | フィリピン | 1985年07月27日 | 1980年代 | 政府,公共投資計画を26%削減―85~89年の5年間で1441億ペソ。当初計画を3月と11月の2度改訂。 |
DIA-205-1985-07-27-3 | フィリピン | 1985年07月27日 | 1980年代 | 米上下両院会議,対比軍事援助で合意―86年度MPA5000万㌦,FMS2000万㌦,ESP1億1000万㌦の計1億8000万㌦。付帯修正事項は削除。29日オプレ労相,対比軍事援助は満足できる額と言明。 |
DIA-205-1985-08-01-1 | フィリピン | 1985年08月01日 | 1980年代 | 対クーデタ特殊部隊を訓練中―ラマス陸軍司令官の指揮下で600人(FEER,8月1日付け)。 |
DIA-205-1985-08-02-1 | フィリピン | 1985年08月02日 | 1980年代 | 中銀,IMFクレジット第2回実施を発表―5月31日の達成指標を達成,7月31日1億600万SDRの払出し実施。12日外銀新規融資4億㌦の払出し実施,13日同貿易信用29億7500万㌦も利用可能に。 |
DIA-205-1985-08-06-1 | フィリピン | 1985年08月06日 | 1980年代 | 日ソ協力プロジェクトに労働者供給―オプレ労相,訪比中のソ連外務省ソロビヨフ極東第2部長と会談,シベリア地域への労働力供給について打診。 |
DIA-205-1985-08-06-2 | フィリピン | 1985年08月06日 | 1980年代 | R・レガスピ議員死去―Unido。心臓病で。 |
DIA-205-1985-08-07-1 | フィリピン | 1985年08月07日 | 1980年代 | マカチでマルコス弾劾デモ―PDP・ラバン,8月21日運動の150人が参加,海外資産隠しに抗議。PDP・ラバンはACRONYMへの支持を表明。 |
DIA-205-1985-08-08-1 | フィリピン | 1985年08月08日 | 1980年代 | カストロ外相代行,米大使と会談―アキノ搭乗機への比空軍機緊急発進記録の比側への送達方法を。 |
DIA-205-1985-08-08-2 | フィリピン | 1985年08月08日 | 1980年代 | 政府,自動車部品輸入関税10%に引下げ―現行平均35%。自動車CKD減少で,取替部品需要が過去2年間急増しているため。 |
DIA-205-1985-08-08-3 | フィリピン | 1985年08月08日 | 1980年代 | 大統領,ソ連政府から勲章受ける―第2次大戦勝利40周年記念メダルをショルモフ大使から授与さる。 |
DIA-205-1985-08-09-1 | フィリピン | 1985年08月09日 | 1980年代 | 国家警察委,市長会に警察の監督等を説明―T・ナタビダード委員長(国防次官を兼任)警察官服務の7項目を指示,(1)職務を熟知,(2)プロ意識,(3)身だしなみと制服,(4)各種記録の整備,(5)情報収集システム,(6)地域社会の協力で防犯活動,(6)外勤の比重増大。 |
DIA-205-1985-08-10-1 | フィリピン | 1985年08月10日 | 1980年代 | ラモス参謀総長代行,軍人等の競馬場立入禁止。 |
DIA-205-1985-08-12-1 | フィリピン | 1985年08月12日 | 1980年代 | 米軍基地協定廃棄決議を委員会付託―イニゲス議長,同決議を国家安全・防衛・治安委(エンリレ委員長),外交委(トレンチノ委員長)で審議を決定。 |
DIA-205-1985-08-12-2 | フィリピン | 1985年08月12日 | 1980年代 | R・ダサ元下院議員,米国から帰国―全国記者クラブで会見。(1)大統領選で統一候補の必要性は野党間に合意があると見る,(2)「4月6日運動」等都市ゲリラへの関与を否定,(3)帰国は米政府の意向ではない。 |
DIA-205-1985-08-12-3 | フィリピン | 1985年08月12日 | 1980年代 | 最高裁判事に回教徒任命を要請―B.Pangalugan比イスラム協会全国委員長,大統領に76年トリポリ協定の条項を守れと,法律家10人を推薦,うち1人を判事に。 |
DIA-205-1985-08-13-1 | フィリピン | 1985年08月13日 | 1980年代 | 野党56議員,大統領弾劾決議案を提出―与党は信任決議案で対抗。司法・人権・政治委員会で審議し,同日弾劾決議案を否決。弾劾理由は,(1)汚職腐敗(他人名儀で海外12カ所の資産取得),(2)憲法違反(夫人の実弟ロムアルデス議員を特別公務員兼任禁止条項に違反し米大使に任命),(3)大統領就任の際の宣誓および重大違法行為(外国借款を浪費,経済危機を招来した等)。 |
DIA-205-1985-08-14-1 | フィリピン | 1985年08月14日 | 1980年代 | カストロ外相代行,米大使に説明要求―米国防省・国務省・国家安全会議の各関係者がMNLF指導者と接触したとのWashington Post Serviceの報道の事実関係について,大統領の指示により。同紙によるとMNLF側はD.Puntado幹部会委員長,M.Abbas Jr.分離派スポークスマンで,76年協定どおり回教徒の自治権,経済的権利拡大を比政府が実行しないと11月に新たな反政府活動を展開すると米側に警告した。同日第12地域自治政府J.Lucman議員,米は誤った情報でMNLFを対共産ゲリラ対策の傭兵にしようとしたと批判。 |
DIA-205-1985-08-14-2 | フィリピン | 1985年08月14日 | 1980年代 | 豪政府,比援助要員引揚げを発表―ヘイドン豪外相,反政府軍活動増大を理由に北サマールの農業プロジェクト・コンサルタント21人と家族引揚げを発表。 |
DIA-205-1985-08-15-1 | フィリピン | 1985年08月15日 | 1980年代 | ロムアルデス大使の任命の法的見解公表―プノ前法相ロムアルデス・レイテ州知事は特命外交官職務で派遣され,同大使職は憲法の規定する公職に該当せず兼職禁止規定に違反していない。 |
DIA-205-1985-08-16-1 | フィリピン | 1985年08月16日 | 1980年代 | 野党,R・レクト議員(Unido)を非難―「大統領弾劾決議に署名しなったのは大統領の脅しにもかかわらず署名した同僚55野党議員に対し無知・無責任である」と,同決議をまとめたM・パルマ議員が非難。 |
DIA-205-1985-08-16-2 | フィリピン | 1985年08月16日 | 1980年代 | 海上殺戮事件で海軍将兵16人を召喚―7月11日マニラ湾の漁船員等11人殺戮事件でラモス参謀総長代行,容疑者全員(海軍准将1人,大尉2人を含む)の身柄拘留を命令。唯一の生残りの船長証言で軍の関与が判明。 |
DIA-205-1985-08-16-3 | フィリピン | 1985年08月16日 | 1980年代 | 中銀,商業銀行の外貨規制解除を発表―14日実施。L/C残高,外貨受取額の全額相当の外貨保有を認める。84年10月以来,外貨保有をL/C残高の70%,外貨受取高の30%に制限し,残りを中銀に売却させた。 |
DIA-205-1985-08-18-1 | フィリピン | 1985年08月18日 | 1980年代 | 新党結成―Bayanの社会主義への傾斜に反発し分離独立。Bansang Nagkakaisa sa Diwa att Layunin(Bandila,思想と決断のための国民統合)。T・ギンゴナ委員長,A・アキノ書記長他役員を選出。 |
DIA-205-1985-08-19-1 | フィリピン | 1985年08月19日 | 1980年代 | フィリピン・アメリカン投資会社,中銀管理下に―経営危機の貯蓄銀行。有力銀行閉鎖は本年4行目。 |
DIA-205-1985-08-19-2 | フィリピン | 1985年08月19日 | 1980年代 | FLP(比農民連盟)灌灌料支払停止運動発表―B.Cruz事務局長,10月からNIA(灌漑庁)の灌漑使用料の85%引上げに反対を表明。 |
DIA-205-1985-08-21-1 | フィリピン | 1985年08月21日 | 1980年代 | アキノ暗殺2周年デモ分裂集会に―穏健派野党,Bandilaはマカチで3万人。Bayan等急進派はボニファシォ広場で4万人。ダバオ市はBayan他7000人。 |
DIA-205-1985-08-22-1 | フィリピン | 1985年08月22日 | 1980年代 | 繰上げ選はバランガイ世論調査の結果をみて決定―アルバニョ与党院内副総務言明。25日与党幹部会,繰上げ選実施の決定を延期。バランガイ以外に学生,青年,労働者,実業界等を含めた世論調査をする。9月12日与党幹部会,大統領選挙を年内実施せずと決定。ローニョ副首相「国民の大多数は年内実施を望んでいない」。 |
DIA-205-1985-09-02-1 | フィリピン | 1985年09月02日 | 1980年代 | 日本のバナナ輸入関税引下げ―デル・ロサリオ天然資源相公表。1986年4月から実施4~9月12.5%(現行17.5%),10~3月25%(同35%)に改定。 |
DIA-205-1985-09-02-2 | フィリピン | 1985年09月02日 | 1980年代 | 野党,154億ペソの未計画財源を追及―議会予算審議で。アルバ予算相,「外国政府による災害援助,米政府のESF等の事前承認が要る」と説明。 |
DIA-205-1985-09-03-1 | フィリピン | 1985年09月03日 | 1980年代 | 米空軍5人の宣誓供述書,比側に―米大使館スポークスマン,「米軍要員の証言供述書は比外務省経由で特別検察庁に送達した」と発表。4日特別検察庁,「宣誓供述書は比領事館員の認証がなければアキノ事件裁判には使用できず」と声明。5日米大使館「在米大使館員は認証を拒否」と報道発表。13日特別検察庁,「供述書の内容はアキノ事件と関連が認められず」として特別裁判所での使用を拒否。16日米国務省,供述書を公表。 |
DIA-205-1985-09-03-2 | フィリピン | 1985年09月03日 | 1980年代 | ジャーナリスト殺害,失踪の調査報告提出―ラモネ参謀総長代行から大統領に。国軍監察長官E・プルカガナン長官が指揮するSIG(特別調査グループ)による死者2人,行方不明者2人に関する実地調査報告書。 |
DIA-205-1985-09-03-3 | フィリピン | 1985年09月03日 | 1980年代 | Tjmes Journal紙の不買運動開始を声明―ACRONYM(クロニーに反対する運動)は「同紙はロムアルデス駐米大使の所有で,在米資産隠匿等国民的論議を報道管制で封じた」と非難,他のクロニー所有刊行物とともに廃刊に追い込むと呼びかけ。 |
DIA-205-1985-09-04-1 | フィリピン | 1985年09月04日 | 1980年代 | 大統領,Romano神父失踪事件解決を指示―ラモス参謀総長代行に。ロ神父は7月11日来不明。 |
DIA-205-1985-09-10-1 | フィリピン | 1985年09月10日 | 1980年代 | 自動車国産化計画(PCMC)再検討か―「オンピン商工相「CKD車は完成車輸入よりもコスト高で経済性に疑問,しかしPCMCの見直しは国内部品メーカー育成策に反しても検討されねば」と発表。PCMCは73年開始したが,参加5社のうち3社は閉鎖,生産台数も年平均3万~3.5万台から現在7000台に激減している。 |
DIA-205-1985-09-11-1 | フィリピン | 1985年09月11日 | 1980年代 | 比労働者22人,マレーシアから強制退去,帰国―違法就労でマレーシア当局に18日間拘留の後。 |
DIA-205-1985-09-12-1 | フィリピン | 1985年09月12日 | 1980年代 | NFA,2億ペソの追加融資―比土地銀行から米,とうもろこし買付け資金として。同行からの融資は6億ペソに達したが,輸入米販売による2億ペソの資金は別枠。年末までに米買付けに10億ペソを必要。 |
DIA-205-1985-09-15-1 | フィリピン | 1985年09月15日 | 1980年代 | 映画館で手榴弾爆発,30人死亡,103人負傷―北ラナオ州Lalaで。第12地域RUC(地域統合司令部),加害者はテロリストであると調査命令。 |
DIA-205-1985-09-17-1 | フィリピン | 1985年09月17日 | 1980年代 | 特別裁判所,タタドの再審請求を却下―「8月9日公務員犯罪特別裁判所は汚職事件でのタタドの起訴棄却申立を却下しており,今回の再審でも新たな重要証拠はない」として。 |
DIA-205-1985-09-17-2 | フィリピン | 1985年09月17日 | 1980年代 | 銀行改革の基盤は全銀行の不良債権処理―COFA(金融協会協議会:比銀行協会等の上部組織)中銀宛に見解声明で,資本の減価に対し中銀の資本力強化促進策と金融市場の自由化を要請。 |
DIA-205-1985-09-17-3 | フィリピン | 1985年09月17日 | 1980年代 | ラモス,クーデタ対策の必要性を否定―8月16日付米誌Executive Intelligence Reviewが米側は軍民評議会の設置を企っていると報じたことへの反論。 |
DIA-205-1985-09-18-1 | フィリピン | 1985年09月18日 | 1980年代 | 閣僚の過半数は議員から任命を―オプレ労相,イニゲス議長宛書面で大統領の再検討を要請。トレンチノ外相辞任で議員任命閣僚は全閣僚18人中9人。 |
DIA-205-1985-09-18-2 | フィリピン | 1985年09月18日 | 1980年代 | 砂糖プランター,新クォータと買上価格に反対―17日砂糖委員会が86年穀物年の砂糖買上価格を1ピクル当り300ペソ,クォータを160万㌧と決定したことに反対,また砂糖貿易公社の債務である輸出差額10億ペソの即時支払を要求。 |
DIA-205-1985-09-18-3 | フィリピン | 1985年09月18日 | 1980年代 | 弁護人,証人提示を終了―アキノ事件裁判。弁護人側証人は39人(うち被告9人),検察側証人は57人。20日弁護人,証拠提出,検察側の反論は24日までに提出。26日第77回公判で特別検察庁,新たな証人の提示を断念。特別裁判所は実質審理を終了。90日以内に判決予定。 |
DIA-205-1985-09-19-1 | フィリピン | 1985年09月19日 | 1980年代 | 小麦輸入独占を認めた大統領令(PD)を廃止―大統領,PCENER会合で製粉業者にも小麦輸入認可を与えると発表。8月23日発表の製パン業協会を唯一の輸入業者に指定するPDは事実上廃止に。 |
DIA-205-1985-09-19-2 | フィリピン | 1985年09月19日 | 1980年代 | 回教徒の2グループ,和解成立―ディマポロ派(Muhamad Ali Dimaporo南ラナオ知事派)とルクマン派(Jamil P.Lucmam元MNLF中央軍事委議長)がマラカニャンで。23日Amelil U.Malaguiok第12地域地域執行委員会委員長「この和解でKBLは州・全国レベルで強化される」と歓迎。 |
DIA-205-1985-09-20-1 | フィリピン | 1985年09月20日 | 1980年代 | 軍・警察,デモ隊に発砲,20人死亡―ネグロス島エスカランテ市の人民スト集会で。23日ラモス参謀総長代行,現地に調査団を派遣。25日Bayan,パディリヤ書記長,記者会見で犯人兵士は通常裁判にかけよと主張。 |
DIA-205-1985-09-21-1 | フィリピン | 1985年09月21日 | 1980年代 | 戒厳令布告13周年各地で集会―マニラ首都圏では穏健派はクバオで5000人集会と人民裁判,急進派はウエルカム・ロトンダなどで1万人集会。バコロドで3万人が「人民スト」。レガスピ,タクロバンもデモ。 |
DIA-205-1985-09-23-1 | フィリピン | 1985年09月23日 | 1980年代 | 比人武装海賊15人,サバの銀行襲撃―10人を殺害6万マレーシア㌦を強奪してサバ沖へ逃走。26日マレーシア軍とみられる砲艦4隻,ヘリ3機がタウィタウィ州Maddanas島を爆撃比人現住民53人を殺戮。 |
DIA-205-1985-09-25-1 | フィリピン | 1985年09月25日 | 1980年代 | 最高裁判事,憲法修正6号廃止を呼びかけ―Vicente A.Santos判事,PBA(比法曹会)で,「戒厳令解除後の同条項の行使は違憲である」と発言。 |
DIA-205-1985-09-27-1 | フィリピン | 1985年09月27日 | 1980年代 | 86年度予算,議会で可決―908億ペソ。 |
DIA-205-1985-10-01-1 | フィリピン | 1985年10月01日 | 1980年代 | 小売米価の統制廃止―マニラ首都圏で小売価格は,1㌔当り20センタポ下落し5.65~6.20ペソに。良質米は7~8ペソに。卸売価格は1袋(50キログラム)350ペソから310ペソに下落(地域によっては280ペソにも)。 |
DIA-205-1985-10-01-2 | フィリピン | 1985年10月01日 | 1980年代 | 対ゲリラ戦に11歩兵大隊を編成―ラモス参謀総長代行言明:(1)全国規模で少なくとも1664バランガイで共産勢力が政治的,軍事的基盤を確立したとのレポートがある,(2)NPAゲリラは1万~1万2000人で,うち3分の2が武装,(3)ゲリラ対策に民間人の協力を要請。 |
DIA-205-1985-10-02-1 | フィリピン | 1985年10月02日 | 1980年代 | ソ連はNPAを援護しない―V・A・ミロワノフ・ソ連大使館3等書記官がクリソル国防次官に強調。 |
DIA-205-1985-10-02-2 | フィリピン | 1985年10月02日 | 1980年代 | F・エリサルデ,比砂糖販売公社(Philsuma)会長に―比砂糖委員会委員長,比砂糖協会会長も兼任。 |
DIA-205-1985-10-03-1 | フィリピン | 1985年10月03日 | 1980年代 | 政府,肥料価格は下落傾向と発表―中部ルソン,西ビサヤでの尿素肥料価格上限は1袋(50キログラム)当り288.95ペソだが,小売価格は190ペソである。 |
DIA-205-1985-10-03-2 | フィリピン | 1985年10月03日 | 1980年代 | J・ロハス夫人,自由党総裁就任要請を拒否―Judy A.Roxas(前自由党総裁故Gerardo Roxasの夫人)。カラオが党内抗争終結策として提案したもの。 |
DIA-205-1985-10-03-3 | フィリピン | 1985年10月03日 | 1980年代 | マレーシア政府,タウィタウィ殺戮の事実なしと否定―8日比与野党,議会に対し事件の調査を要求。 |
DIA-205-1985-10-04-1 | フィリピン | 1985年10月04日 | 1980年代 | 84年政府企業の合算赤字は6億800万ペソ―会計監査院公表。監査を受けた118社のうち40%が赤字を計上し,83年の合算黒字27億ペソから逆転した。 |
DIA-205-1985-10-05-1 | フィリピン | 1985年10月05日 | 1980年代 | 自由党総裁にサロンガを選出―カラオ派は同日別途開催の全国代議員会でカラオ支持を確認。 |
DIA-205-1985-10-06-1 | フィリピン | 1985年10月06日 | 1980年代 | 乾燥ココナツ等の輸出税引下げ―大統領発表。乾繰ココナツ,コプラ・ケーキは非課税に,ココナツ油は1%に(現行5%,ただし7.5%の追加輸出税は改定なし)。 |
DIA-205-1985-10-10-1 | フィリピン | 1985年10月10日 | 1980年代 | カラオ,サロンガ派を批判―「自由党両派の統合の努力は挫折した。サロンガ派は社会主義を信奉し,米軍基地の完全撤収を主張している。われわれは民主制度のもと,米軍基地の見直しを主張している」。 |
DIA-205-1985-10-10-2 | フィリピン | 1985年10月10日 | 1980年代 | ジェンキンズ法,米下院で承認―11日米大使館前で繊維,縫製業界の労使5000人が反対デモ。 |
DIA-205-1985-10-11-1 | フィリピン | 1985年10月11日 | 1980年代 | R・シルベリオ,Philfinance会長を辞任―定例役員会で決定。後任はRomeo Luna同社債権者会議副会長。 |
DIA-205-1985-10-11-2 | フィリピン | 1985年10月11日 | 1980年代 | 丸太輸出禁止は延期―大統領生産性評議会,地場製材工場の改善に時間を要するとし87年まで延期。85,86年は輸出丸太と輸出木材製品比は1対1,以後漸減し,88年に丸太は全面禁輸品扱いとする。 |
DIA-205-1985-10-11-3 | フィリピン | 1985年10月11日 | 1980年代 | NUC,自由党カラオ派との連携を決定―M・パルマ委員長は「84年5月のNUCの設立時にカラオ党首が参加した。党内抗争解決までカラオを党首とみなす」と言明。 |
DIA-205-1985-10-13-1 | フィリピン | 1985年10月13日 | 1980年代 | ブッシュ米副大統領,米軍基地撤収を否定―米はスービック,クラーク両基地の代替地を求めてない。 |
DIA-205-1985-10-15-1 | フィリピン | 1985年10月15日 | 1980年代 | マルコス夫妻の不動産買収の実態暴露―米紙Village Voice,大統領ほか比人有力者の違法投資は,一部エコノミストの計算では100億㌦にと指摘。 |
DIA-205-1985-10-15-2 | フィリピン | 1985年10月15日 | 1980年代 | アキノを大統領にする運動(CAPM)開始―100万人の署名運動から着手。元Manila Times発行人Joaquin P.Rocesが委員長と記者会見で発表。22日アキノ夫人,出馬の用意を表明―マニラ市内の会合で講演:(1)繰上げ選挙が実施されることになり,(2)CAPMに100万人の署名が集まれば野党から立候補する。 |
DIA-205-1985-10-16-1 | フィリピン | 1985年10月16日 | 1980年代 | 米上院ラクソルト議員,マルコスと会談―レーガン親書を手渡す。15日付New York Times,この訪問はCIA,国家安全会議特別グループの「マルコス政権がNPAとの戦闘に直ちに対処しないと第2のイランとなる可能性あり」との分析を受けて実施された。 |
DIA-205-1985-10-17-1 | フィリピン | 1985年10月17日 | 1980年代 | エスカランテ事件で調査委発足―エンリレ国防相が各分野代表の17人構成の真相究明委を発足。 |
DIA-205-1985-10-17-2 | フィリピン | 1985年10月17日 | 1980年代 | 国軍改革派,政府転覆を否定―改革派H.Figueroa大佐,ケソン市ロータリークラブで「大統領の主張する中央からの革命と同じ立場である」と講演。 |
DIA-205-1985-10-17-3 | フィリピン | 1985年10月17日 | 1980年代 | 居住環境省関連機関の合併を要求―会計監査院が居住環境開発公社,国家住宅局,住宅公社の合併,80年以来損失計上の購買組合公社(BMC)の解体を勧告。 |
DIA-205-1985-10-18-1 | フィリピン | 1985年10月18日 | 1980年代 | イメルダ夫人,第40回国連総会出席―国連行事参加後訪ソ。30日ソ側,会談で対比援助拡大を申し出。 |
DIA-205-1985-10-21-1 | フィリピン | 1985年10月21日 | 1980年代 | 農地改革13周年記念日に農民デモ―KMP(比農民運動)主催のデモ隊1万2000人,マニラで農業政策糾弾集会。警官隊と衝突,デモ隊2人死亡。` |
DIA-205-1985-10-22-1 | フィリピン | 1985年10月22日 | 1980年代 | マルコス,米選挙監視団受入れ―ラクソルト上院議員声明文で公表。86,87年地方,大統領の両選挙に。 |
DIA-205-1985-10-23-1 | フィリピン | 1985年10月23日 | 1980年代 | ムリリョ南スリガオ知事,暗殺される―首都タンダで,NPAが狙撃。 |
DIA-205-1985-10-25-1 | フィリピン | 1985年10月25日 | 1980年代 | 現役高級将校,反体制行動に―参謀次長補佐A.Bacalla大佐,ワシントンで「自由フィリピン運動」(会長,マングラプス元上院議員)の会合で政治亡命を発表。 |
DIA-205-1985-10-25-2 | フィリピン | 1985年10月25日 | 1980年代 | アキノ事件結審―特別検察庁,26被告全員有罪判決を求める論告を特別裁判所に提出。弁護側も被告全員の無罪判決を求める最終弁論の提出を終了した。検察側の論告は発砲犯人は連行兵士6人のうちRogelio Moreno上等兵と特定。検察,弁護双方が論告,最終弁論に異議がなければ90日以内に判決。 |
DIA-205-1985-10-27-1 | フィリピン | 1985年10月27日 | 1980年代 | マルコス「不治の病」説―Washington Post27日付情報。両議会筋によると全身性紅班性狼蒼に苦しんでおり,87年選挙まで生き延びる可能性は50%。 |
DIA-205-1985-11-03-1 | フィリピン | 1985年11月03日 | 1980年代 | 大統領選挙繰上げ実施を表明―大統領,米ABCのテレビ衛星中継インタビューに「3ヵ月以内に選挙実施の用意がある」と回答。4日大統領,投票日は1月17日,副大統領は選出せずと発表。5日大統領,前言をひるがえし副大統領選も実施し,選挙に関するPDは布告せず選挙実施の有無を含め,全て国民議会にゆだねると言明。6日イメルダ夫人記者会見で「副大統領には出馬しない」と語る。 |
DIA-205-1985-11-04-1 | フィリピン | 1985年11月04日 | 1980年代 | ペソは過大評価―BD紙,米銀Mantrust調査部報告を公表。86年の年平均ペソ・ドル交換比は1㌦23.10ペソに(GDP1%増,インフレ13.4%,貿易収支マイナス4億㌦ルなどを基礎に予測して)。 |
DIA-205-1985-11-05-1 | フィリピン | 1985年11月05日 | 1980年代 | 在比ソ連大使館,大使館員増強を否定―1日の米上院情報委発表の「ソ連は在マニラ大使館規模を拡大LWFTU(世界労働連盟)傘下の労組を通じ,間接的にゲリラ勢力と関係強化をはかっている」との報告(AFP=Business Day,3日)に関連して。 |
DIA-205-1985-11-05-2 | フィリピン | 1985年11月05日 | 1980年代 | イメルダ・中曽根会談―中曽根,良好な米比関係維持を期待。イメルダ,先端技術の移転を要認。6日帰国,空港にベール参謀総長(休職中)私服で出迎え。 |
DIA-205-1985-11-05-3 | フィリピン | 1985年11月05日 | 1980年代 | 選挙運動期間は最低90日必要―ラウレル,ワシントンで「投票日は3月17日に延期すべき」と言明。 |
DIA-205-1985-11-08-1 | フィリピン | 1985年11月08日 | 1980年代 | KBL幹部会,選挙実施の大統領決定を支持―同時に副大統領選出の大統領一任を決定。 |
DIA-205-1985-11-10-1 | フィリピン | 1985年11月10日 | 1980年代 | 米紙,マルコスの腎臓移植手術を暴露―Pittsburgh Press,83年8月。84年11月国立腎臓病財団病院で2人の米人医師により移植手術を受けた。これは同財団移植部長E.Ona,1日殺害された大統領主治医P.Baccayの2人が明らかにしたもの。 |
DIA-205-1985-11-11-1 | フィリピン | 1985年11月11日 | 1980年代 | 大統領,国民議会に辞表提出―「当選者宣告の10日後の大統領就任式後に辞任する」との条件付きで。 |
DIA-205-1985-11-11-2 | フィリピン | 1985年11月11日 | 1980年代 | 選挙実施法,議会に提出―ビラタ首相,議案7号として送付。同時に改正選挙法,後継手続法を審議。 |
DIA-205-1985-11-11-3 | フィリピン | 1985年11月11日 | 1980年代 | 最高裁にアキノ事件裁判判決差止め宣告要請―ガルマン母子,経済,教育,宗教,法曹の各界有力者31人が最高裁に,特別裁判所の審理の無効審理宣告と公正な裁判所,中立な検察のもとで再審を要請。12日特別裁判所は全被告26人に20日に出廷を通告。19日最高裁は特別裁判所に対し20日に予定の判決言い渡しを遅らせるよう命令。28日最高裁は無効審理宣告要請を却下,判決差止め命令を解除。 |
DIA-205-1985-11-13-1 | フィリピン | 1985年11月13日 | 1980年代 | ラウレル,NUCの決定に従うと声明―帰国直後記者会見で,野党の統一候補選定方法にふれて。 |
DIA-205-1985-11-13-2 | フィリピン | 1985年11月13日 | 1980年代 | 第11回PBC(比経済会議),セブで開催―今回のテーマは「地域開発」。主催者の比商工会議所は政府に経済界の切実な問題提起になんらの対応せずと批判。 |
DIA-205-1985-11-18-1 | フィリピン | 1985年11月18日 | 1980年代 | M・パルマ,NUC委員長を辞任―19日後任にロドリゴ副委員長(元上院議員)を選出。BD紙20日:緊急任務はアキノ,サロンガ,カラオ,ラウレルの4人の野党正副候補予定者との折衝。調停不成立の場合,NUC代議員数の多いラウレル派が有利。 |
DIA-205-1985-11-18-2 | フィリピン | 1985年11月18日 | 1980年代 | KBL,投票日は2月7日に変更と決定―選挙運動期間は12月11日から2月5日までの57日間,投票人登録日は12月21日,28日の両日(後日28日のみにと変更)。 |
DIA-205-1985-11-18-3 | フィリピン | 1985年11月18日 | 1980年代 | 国軍再編協議にベールも出席―大統領は「ベールは自動的に復職の予定であるから出席させた,復職と同時に将官級から末端の野戦部隊に至る国軍再編を行なう」と発表。 |
DIA-205-1985-11-18-4 | フィリピン | 1985年11月18日 | 1980年代 | 大統領の交替こそ共産ゲリラの解決策―シン大司教,Newsweek誌18日付のインタビューで発言。ゲリラは共産主義者でなく単にマルコス政権の反対者だ。 |
DIA-205-1985-11-19-1 | フィリピン | 1985年11月19日 | 1980年代 | ピメンテル,議員に復帰―N・ロアとの当選争い訴訟で,最高裁,ピメンテルの当選判決を言い渡し。 |
DIA-205-1985-11-20-1 | フィリピン | 1985年11月20日 | 1980年代 | マルコス一家の隠し財産,米で報道―New York Times20日。米国での資産集めの中心はイメルダ夫人で不動産(米6州に点在),宝石等で巧妙に隠匿。 |
DIA-205-1985-11-20-2 | フィリピン | 1985年11月20日 | 1980年代 | スメルNDF(民族民主戦線)議長記者会見―Business Day紙20日,21日。(1)マルコスは米の利益を守る最も都合のよい地元政治家である。米はマルコスが重荷になれば支持しなくなる。(2)ソ連カードをもつと言われるが,マルコスは熱烈な反共,反動政治家で米国との関係を断絶することはない。(3)ラモスはPC・INP長官を兼任しておりより危険である。(4)国軍改革運動は脱臭効果があるが,民衆を欺くものである。 |
DIA-205-1985-11-20-3 | フィリピン | 1985年11月20日 | 1980年代 | 最高裁長官にR.Aquino陪席判事昇格―F.Makasiar前長官は停年退官。 |
DIA-205-1985-11-25-1 | フィリピン | 1985年11月25日 | 1980年代 | 新たな野党連合結成―Laban ng Bayan(人民の力)。CG,PDP・ラバン,Bandila,LPサロンガ派等7野党代表の14人で発足。30日「人民の力」共同議長にタニャーダ,パルマ,委員長にサロンガ,事務局長にA・アキノを選出し,アキノ夫人を大統領候補に指名。 |
DIA-205-1985-11-25-2 | フィリピン | 1985年11月25日 | 1980年代 | 説明不能の5億1600万㌦が流入―第3四半期国際収支に計上。Villafuerte議員:選挙資金づくりのため外国の「塩漬けドル」が流入,外為レートの利鞘稼ぎ中。 |
DIA-205-1985-11-28-1 | フィリピン | 1985年11月28日 | 1980年代 | E.Cojuangco,Philsumaへ出資を断念―ビラタ首相,運動資金2億5000万ペソは政府が協調融資を組むのでCojuangcoグループの資金協力はないと言明。 |
DIA-205-1985-11-30-1 | フィリピン | 1985年11月30日 | 1980年代 | 政府企業300社中180社が再起可能―ビラタ首相,民間企業と競合する分野の企業は民営化をはかり,再建不能の企業は閉鎖,解散すると言明。 |
DIA-205-1985-12-01-1 | フィリピン | 1985年12月01日 | 1980年代 | アキノ女史出馬を声明―「大統領が選挙法に署名したら正式に出馬宣言する」。3日大統領,「正副大統領繰上げ選挙実施法」,「大統領継承法」,「大統領選挙特別裁判法」,「改正選挙法」の4法律に署名。 |
DIA-205-1985-12-02-1 | フィリピン | 1985年12月02日 | 1980年代 | ベール参謀総長ら26被告全員無罪―アキノ事件で特別裁判所が判決。犯人はガルマンと断定。 |
DIA-205-1985-12-02-2 | フィリピン | 1985年12月02日 | 1980年代 | 大統領,ベールの休職処分解除―なお3日,大統領無罪判決の24将兵に原隊復帰を命令。 |
DIA-205-1985-12-03-1 | フィリピン | 1985年12月03日 | 1980年代 | 繰上げ選実施法は違憲―4グループが最高裁に選挙差止め請求の訴え。原告の1人,サロンガ元上院議員「大統領職を辞任しない(先き付け辞表提出による)繰上げ選挙実施は違憲である」と指摘。5日最高裁,すでに申立ての選挙違憲の9件の訴えに関し選挙差止め請求は却下,しかし17日に審問をすると決定。12日メンドサ法相,選挙実施法は合憲と最高裁に答弁書提出。17日法曹界有志(E.M.Fernando元最高裁長官,E.Pelaez元副大統領,A.Padilla元上院議員の3氏),選挙は実施をと証言。19日最高裁,選挙は合憲と決定(7対4で,Teehankee判事は合憲に)。 |
DIA-205-1985-12-03-2 | フィリピン | 1985年12月03日 | 1980年代 | B.Ochoco少将,海軍長官に昇格―ベール,国軍改造人事に着手。S.Alejandro前長官は税関局長に,R.Farolan前局長は空軍の閑職に。RCU司令の配転も同時に実施。P.de Guzman准将は第3地域RCU司令に。 |
DIA-205-1985-12-06-1 | フィリピン | 1985年12月06日 | 1980年代 | オプレ労相,スハルトと会談―「フィリピンの政治,経済的安定は東南ア,太平洋全域の安全に寄与する」と。ILOアジア地域会議出席中ジャカルタで。 |
DIA-205-1985-12-09-1 | フィリピン | 1985年12月09日 | 1980年代 | ラウレル,大統領に立候補届出―11日野党統一に成功,アキノ,ラウレル正副大統領候補で選管に届出。 |
DIA-205-1985-12-11-1 | フィリピン | 1985年12月11日 | 1980年代 | マルコス,トレンチノ正副候補を指名―KBL全国大会で。オプレ・アルメンドラス組は立候補断念。 |
DIA-205-1985-12-13-1 | フィリピン | 1985年12月13日 | 1980年代 | 米大審院,対比軍事援助1億㌦を調査中―NYT=Business Day報道,米側はこの情報でベール再任に圧力をかけようとしたが検察が公表拒否。これには83年シルコスキイ社の軍用ヘリ代6300万㌦も含む。 |
DIA-205-1985-12-13-2 | フィリピン | 1985年12月13日 | 1980年代 | 米選挙専門家6人,大統領と会談―団長A・ワーンスタイン(ボストン大学民主主義センター)。選挙準備監視のため米上院外交委が派遣。14日まで滞在。 |
DIA-205-1985-12-14-1 | フィリピン | 1985年12月14日 | 1980年代 | LPカラオ派,カラオを副大統領に公認登録―「人民の力」はサロンガを,Unido・独立派はV・オスメーニャ・スキュワートを各々副大統領候補に。1月6日サロンガは立候補を取下げアキノ支持に。Unidoと「人民の力」が協定成立((1)投票立会人分担,(2)基地協定は91年以降は白紙)したことにより。 |
DIA-205-1985-12-15-1 | フィリピン | 1985年12月15日 | 1980年代 | C・ロムロ元外相死去(86歳)―19日葬儀にアーマコスト米国務次官,伊東正義特派大使等が参列。 |
DIA-205-1985-12-16-1 | フィリピン | 1985年12月16日 | 1980年代 | 北ナラオ州でMNLFが伏撃―Munaiの製材会社工員等16人が死亡,35人が負傷。 |
DIA-205-1985-12-16-2 | フィリピン | 1985年12月16日 | 1980年代 | Bayan,要求を受入れれば選挙に参加する―アキノ側に要求する政策は,(1)米軍基地協定の即時廃棄,(2)本来の土地改革,(3)政治犯釈放,(4)IMF・世銀の政策押付けの拒否等である。 |
DIA-205-1985-12-16-3 | フィリピン | 1985年12月16日 | 1980年代 | マルコスを殺人罪で裁判にかける―アキノ夫人,New York Times16日のインタビューで言明。 |
DIA-205-1985-12-17-1 | フィリピン | 1985年12月17日 | 1980年代 | 「軍内部に深刻な派閥対立がある」―マルコス大統領,New York Times17日付インタビューで「ベール参謀総長,ラモス参謀次長の各支持者は腰をすえてそれぞれ相手を監視し合っている」と語る。 |
DIA-205-1985-12-18-1 | フィリピン | 1985年12月18日 | 1980年代 | 不正選挙をしたら援助は削減―アーミテージ国防次官補,不正があれば議会は政府の軍事,経済援助を承認しないことになろう,と警告。 |
DIA-205-1985-12-19-1 | フィリピン | 1985年12月19日 | 1980年代 | アキノ候補,選挙遊説先で記者会見―アルバイ州Daragaで,(1)居住環境省は廃止,(2)定年をすぎた将軍の解任,(3)教育予算の拡充,(4)政治犯釈放,(5)現行基地協定は守るが91年満了1年前に協定の見直しを実施,(6)外国の援助は比国民の危害とならぬ限り歓迎,NPAとの6ヵ月停戦の提唱を公約,(7)マルコス勝利は第2のベトナム化になると警告。 |
DIA-205-1985-12-22-1 | フィリピン | 1985年12月22日 | 1980年代 | 砂糖マーケティング公社,1億5000ペソ万受け入れ―BPI,FEBT,LBPの3行の輸出前貸融資で。 |
DIA-205-1985-12-23-1 | フィリピン | 1985年12月23日 | 1980年代 | アキノ候補,緒戦を有利に展開―BD紙レポート。22日までにアキノ候補は11州を訪問25万人を集めたが,マルコスは2州で7000人を集めたにすぎない。政界筋は,マルコスは健康状態が悪く,演説に張りがない。 |
DIA-205-1985-12-24-1 | フィリピン | 1985年12月24日 | 1980年代 | ラグナ州知事,Unidoに移籍―F.T.San Luis,KBLを離脱。1月2日C.O.Fortichブキドノン州知事,同10日E.A.Zaldivarアンティケ州知事がUnidoに参加。 |
DIA-205-1985-12-24-2 | フィリピン | 1985年12月24日 | 1980年代 | Namrfel,選挙委員会が資格認定―選挙委員会,全国自由選挙運動を全国的選挙協力市民組織と認定。 |
DIA-205-1985-12-25-1 | フィリピン | 1985年12月25日 | 1980年代 | 共産ゲリラ対策用に6大隊を配置―国防省発表,対ゲリラ作戦部隊は合計77大隊に。 |
DIA-205-1985-12-28-1 | フィリピン | 1985年12月28日 | 1980年代 | エスカランテ事件の報告書公表―真相究明委(17人構成)の多数派14人,Lumaynoエスカランテ市長および45兵士・CHDF隊員の起訴を勧告。少数派3人の意見はラモス参謀次長を職務怠慢で告発した。29日ラモス参謀次長は「もし私が起訴されたら辞任する」と発言。 |
DIA-205-1985-12-29-1 | フィリピン | 1985年12月29日 | 1980年代 | ルイシタ・ハシエンダ収用命令は政治的謀略―アキノ候補,Cojuangco家所有の6000㌶の農地は,(1)砂糖黍畑で米,とうもろこしを栽培していない。(2)小作農は労働組合に加入しており収用対象にならないと反論。 |
DIA-205-1986-01-02-1 | フィリピン | 1986年01月02日 | 1980年代 | シャハニ,国連社会開発人権センター次長辞任―昨12月28日地元パンガシナンでのアキノ支持の表明は国連職員の任務外の行動であり責任をとるとして。 |
DIA-205-1986-01-02-2 | フィリピン | 1986年01月02日 | 1980年代 | Namfrel,首都圏の有権者水増しを指摘―全国自由選挙運動,選挙委名簿に58万5464人の水増有権者。 |
DIA-205-1986-01-03-1 | フィリピン | 1986年01月03日 | 1980年代 | 北ネグロス州設置で住民投票実施―6日付けBP紙の開票結果は16万4728対3万400で承認,74州に。 |
DIA-205-1986-01-03-2 | フィリピン | 1986年01月03日 | 1980年代 | UnidoとLaban,政策協定に調印―民主国民連合と人民の力。6日サロンガ,副大統領立候補を取下げ。 |
DIA-205-1986-01-04-1 | フィリピン | 1986年01月04日 | 1980年代 | ニスカランテ事件で軍人の身柄拘束を命令―西ネグロス州PC・INPの A.Obilos 司令官ら44人。 |
DIA-205-1986-01-05-1 | フィリピン | 1986年01月05日 | 1980年代 | 米議会超党派選挙調査団来比―(11日まで,K.Schuette団長)。国際監視団派遣の事前調査のため。 |
DIA-205-1986-01-06-1 | フィリピン | 1986年01月06日 | 1980年代 | 開票作業用の電算機導入を断念―費用がかかりすぎると,選挙委員会の全員一致の決定で。 |
DIA-205-1986-01-06-2 | フィリピン | 1986年01月06日 | 1980年代 | CPPは選挙ボイコット―マニラ発共同。比共産党中央委機関誌Ang Bayan(民族)12月号は「選挙はマルコスが仕組んだ政権延命策である」とし,全面ボイコットを呼びかけ。 |
DIA-205-1986-01-06-3 | フィリピン | 1986年01月06日 | 1980年代 | Kaakbay,アキノ候補を無条件て支持―「比の主権と民主主義のための運動」(J.Diokno代表)。 |
DIA-205-1986-01-07-1 | フィリピン | 1986年01月07日 | 1980年代 | RAM,選挙不正防止運動を推進―国軍改革派の7人が記者会見。R.Roblez海大佐:不正選挙は民衆の不満を増大させ,反政府軍活動を活発化する。13日“Kamalayan(意識)86”運動が発足,同日付けBP紙によれば,(1)兵士,市民に公正な選挙の重要さを認識させ,(2)政治家,地方軍閥の選挙干渉に警告を発する,を目的とするRAMが主導する運動。18日,RAM,公正な選挙のための第1回祈祷研究集会を開催,アギナルド基地で兵士600人らが参加。 |
DIA-205-1986-01-08-1 | フィリピン | 1986年01月08日 | 1980年代 | ムルダニ・インドネシア国軍司令官訪比―10日まで滞在。CASA212型のセスナ2機を無償貸与。 |
DIA-205-1986-01-08-2 | フィリピン | 1986年01月08日 | 1980年代 | 首都圏行政委員会の政府金融機関借入額を公表―84年会計検査院年次報告で。PNB,DBP,GSISの3行 から1億440ペソ,借入れ。同委の借入総額の3分の1に。 |
DIA-205-1986-01-09-1 | フィリピン | 1986年01月09日 | 1980年代 | Bayan,選挙ボイコットを決定―新民族主義者同盟,全国代表者会議で。投票の妨害はしない。 |
DIA-205-1986-01-10-1 | フィリピン | 1986年01月10日 | 1980年代 | 外銀団と29億1300万ドルの債務繰延べ協定調印―ニューヨークで。83年10月~86年12月満期到来分。 |
DIA-205-1986-01-11-1 | フィリピン | 1986年01月11日 | 1980年代 | 大統領選挙後に共産主義者摘発―ベール参謀総長,セブで記者会見。 |
DIA-205-1986-01-14-1 | フィリピン | 1986年01月14日 | 1980年代 | マルコス演説会場付近で爆発―レガスピ市の会場から500メートル離れた路上で。通行人1人が負傷。 |
DIA-205-1986-01-15-1 | フィリピン | 1986年01月15日 | 1980年代 | アキノ派運動員2人射殺―PDP・Labanタルラク州本部長と運転手。犯人2人を地元警察が逮捕。 |
DIA-205-1986-01-15-2 | フィリピン | 1986年01月15日 | 1980年代 | Enrique Zobel,マルコス支持を表明―アヤラ商会当主のJaime Zobelはアキノ派支持に。 |
DIA-205-1986-01-16-1 | フィリピン | 1986年01月16日 | 1980年代 | M.YAbbas,新たな軍事行動を予告―MNLF(モロ民族解放戦線)改革派(プンタード派),もし比への帰国をマルコスが許可しない場合。ミンダナオで。 |
DIA-205-1986-01-16-2 | フィリピン | 1986年01月16日 | 1980年代 | マルコス大統領,遊説先で医師の手当て―ダグパン市の演説会場で苦痛訴え応急処置を受ける。 |
DIA-205-1986-01-17-1 | フィリピン | 1986年01月17日 | 1980年代 | 選挙委,選挙実施機関の一部を警察軍に委任―PC・INP将兵の任務は,(1投票所,立会人,投票人の安全確保,(2)任務遂行中の選挙委員会事務局員,役員の安全確保,(3)選挙運動中の候補者,運動員,集会の参加者の安全を保障,(4)CHDF(郷土防衛隊)等自警組織の党派活動を阻止する,にある。 |
DIA-205-1986-01-17-2 | フィリピン | 1986年01月17日 | 1980年代 | アキノ派のダバオ集会に30万人―11日のセブ市の集会では25万人が結集。 |
DIA-205-1986-01-19-1 | フィリピン | 1986年01月19日 | 1980年代 | シン枢機卿ら教会指導者,第2の教書発表―12月28日に次いでBT紙で選挙委などに公正選挙を呼び かけ。29日第3の教書発表,買収の横行を批難。 |
DIA-205-1986-01-20-1 | フィリピン | 1986年01月20日 | 1980年代 | 外国監視団の投票所立入を禁止―選挙委,50メートル以内の地域に。外国の報道員,カメラマンも同様。 |
DIA-205-1986-01-21-1 | フィリピン | 1986年01月21日 | 1980年代 | マルコス夫妻の隠し資産で米下院が公聴会―外交委のアジア太平洋問題小委・ソラーズ委員長:2億ドル以上の不動産所有の動かし難い証拠がある。22日米国務省カルブ報道官:会計検査院が対比経済・食糧横流しを特別監査中。 |
DIA-205-1986-01-21-2 | フィリピン | 1986年01月21日 | 1980年代 | Philsuma,甘蔗農家の債務支払不能―比砂糖マーケティング公社エリザルデ委員長:Nastura(比砂糖貿易公社)の12億ペソの債務を代理返済できない。 |
DIA-205-1986-01-23-1 | フィリピン | 1986年01月23日 | 1980年代 | マルコスはゲリラの英雄にあらず―『ニューヨーク・タイムズ』紙:米陸軍調査文書ではマルコスの率いた Ang Mga Maharlika(王者たち)なる部隊は米軍第1機甲師団に雇われていたが,同部隊は抗日ゲリラ組織ではなく,禁制品の横流しなど不正をしていた。 |
DIA-205-1986-01-29-1 | フィリピン | 1986年01月29日 | 1980年代 | Namfrel は独自に開票速報―選挙委員会との共同開票速報の交渉が決裂。30日付けBD紙報道:選挙委員会は通信会社3社(RCPI,PT&T,Butel)の幹部を集め,選挙結果伝送の排他的使用を要請。 |
DIA-205-1986-01-30-1 | フィリピン | 1986年01月30日 | 1980年代 | マルコス,選挙委員会の欠員2人を任命―J.Layosa, R.Agpalo。これで定員9人全員が決定。 |
DIA-205-1986-02-03-1 | フィリピン | 1986年02月03日 | 1980年代 | アキノ候補の選挙公的―新政権発足100日以内に着手する17項目を発表。制憲会議の招集,比米軍事基地協定,相互防衛条約は1991年まで尊重など。 |
DIA-205-1986-02-03-2 | フィリピン | 1986年02月03日 | 1980年代 | 選挙委員会,全軍を選挙の実施機関に代理委任―CHDFを除く国軍を投票所の治安確保などに(1月17日決定をさらに拡大。選挙法では投票人の威圧等は禁止)。 |
DIA-205-1986-02-04-1 | フィリピン | 1986年02月04日 | 1980年代 | RAMは選挙後に封じ込む―BD紙。ベール参謀総長,前週カガヤン・デ・オロ発言:“Kamalayan86”は違法である,RUC(地域統合司令部)-10次席司令官 R.Calub 大佐(RAMの積極的支持者)は解任した。 |
DIA-205-1986-02-05-1 | フィリピン | 1986年02月05日 | 1980年代 | 米国選挙監視団,マニラ着―ルーガー上院外行委員長など20人,10日まで滞在。6日選挙委員会,米国監視団の投票所への立入りを許可。10日ルーガー団長,投開票の過程で公正な選挙を損う動きを見聞。 |
DIA-205-1986-02-07-1 | フィリピン | 1986年02月07日 | 1980年代 | 大統領選挙実施―投票率7698%(選挙委発表),投票日死者65人(選挙期間中の死者は116人に)。8日選挙委,Namfrel に対し別個の集計作業を一時停止するよう要求。9日選挙委の集計センターで最終集計を入力作業中のオペレーター30人が職場放棄,10日選挙委,集計作業を中断。Namfrelは続行。 |
DIA-205-1986-02-09-1 | フィリピン | 1986年02月09日 | 1980年代 | 国際監視団,選挙不正があったと表明―共同団長パストラナ元コロンビア大統領,ヒューム英下院議員KBL陣営に買収,脅迫,投票箱すり替えがあった。 |
DIA-205-1986-02-10-1 | フィリピン | 1986年02月10日 | 1980年代 | 当選者確定のため議会を開催―与野党による集計委員会を設置。15日議会,与党単独採決でマルコスの当選宣告。マルコス1080万7197票,アキノ929万1761票。トレンチーノ1013万4130票,ラウレル917万3105票。 |
DIA-205-1986-02-11-1 | フィリピン | 1986年02月11日 | 1980年代 | レーガン大統領記者会見―比大統領選について:(1)不正の報告を聞いたが確かな証拠はない,(2)不正は両陣営にあったかもしれない。 |
DIA-205-1986-02-14-1 | フィリピン | 1986年02月14日 | 1980年代 | CBCP,非暴力の抵抗呼びかけ―比カトリヅク司教会議:マルコスは不正手段で権力の座に就き道徳的基盤もなく国民の忠誠を期待できない。 |
DIA-205-1986-02-15-1 | フィリピン | 1986年02月15日 | 1980年代 | レーガン,姿勢転換の声明:与党の不正,暴力で選挙は汚染された。 |
DIA-205-1986-02-15-2 | フィリピン | 1986年02月15日 | 1980年代 | E.Javier 前アンティケ州知事殺害―Unido 州委員会委員長。州庁舎前で6人組の男に射殺さる。13日容疑者J.Paloy 警大尉を逮捕。13日葬儀に3000人が参加。 |
DIA-205-1986-02-16-1 | フィリピン | 1986年02月16日 | 1980年代 | 野党勢力は50万人集会―リサール公園で。アキノ夫人,不正選挙に抗議するため,非暴力,不服従の行動計画を発表:(1)大統領就任式の翌26日にゼネスト,(2)マルコスを支持した7銀行の預金引出し,(3)国営放送や政府系新聞のボイコット,(4)電気,水道料金の支払を遅らせる,(5)サンミゲル社製品の不買運動など7項目。 |
DIA-205-1986-02-17-1 | フィリピン | 1986年02月17日 | 1980年代 | RAM,軍兵士・警官に対し呼びかけ―BD紙。不正選挙に反対する民衆への実力行使を拒否せよと。 |
DIA-205-1986-02-17-2 | フィリピン | 1986年02月17日 | 1980年代 | ハビブ米大統領特使訪比(~22日)―17日マルコス大統領と会談。19日『ワシントン・ポスト』紙報道:特使はマルコス大統領に対し民主改革を行なうと同時に野党と政権をわかち合うよう要請,それを受け入れなければ米国の軍事,経済援助を失う事態になろう。 |
DIA-205-1986-02-19-1 | フィリピン | 1986年02月19日 | 1980年代 | 米上院,比大統領選結果に不正と非難決議―85対9で可決,選挙は国民の公正な意思を反映していない。20日下院外交委アジア・太平洋小委「フィリピンの民主主義回復法案」を可決:レーガン大統領が合法かつ国民の支持を受けた政権が成立したと議会に報告するまでは,対比援助中の軍事援助を信託基金として凍結,経済開発,人道的援助は非政府機関を通じて行なう。 |
DIA-205-1986-02-22-1 | フィリピン | 1986年02月22日 | 1980年代 | エンリレ,ラモス,国防省で記者会見―(午後7時)「マルコスを国軍最高司令官とは認めない」とアギナルド基地に籠城。(午後10時30分)マルコス記者会見:軍の一部による大統領夫妻暗殺計画を防止した。 |
DIA-205-1986-02-23-1 | フィリピン | 1986年02月23日 | 1980年代 | 米政府,決起側に共感と声明―(早朝)決起軍の主張に理解と共感を示すと声明文を公表。(午前3時30分)エンリレ2度目の記者会見:アキノは国軍最高司令官,忠誠を誓う。(午前11時15分)アキノ,セブ市でエンリレ等の行動支持を表明。(午後4時)ラウレル Unido 総裁,エンリレ,ラモスと会談し,暫定政権の樹立に向けて協議を続行することで合意。 |
DIA-205-1986-02-24-1 | フィリピン | 1986年02月24日 | 1980年代 | マルコス,武力行使発表―(未明)国営テレビを通じ決起派を実力鎮圧と最後通告。(午前6時45分)米政府発表:マルコスが武力を行使したら対比軍事援助を停止する。(午前9時10分)マルコス,非常事態を宣言。(午前10時30分)エンリレ国防相,アキノ,ラウレルを正副大統領とする臨時政府を樹立すると発表。(午後6時30分)米政府,マルコス退陣呼びかけ:平和的な政権交替だけが危機的状況を救うことができる。 |
DIA-205-1986-02-25-1 | フィリピン | 1986年02月25日 | 1980年代 | アキノ新大領,就任宣言―(午前10時40分)クラブ。フィリピーノで。(午前11時50分)マルコス,マラカニアン宮殿で就任宣誓。(午後21時5分)マルコス一家,宮殿からクラーク基地に脱出。26日(午前5時03分)マルコスら一行89人,クラーク基地から出国,米軍機でグアム島に。27日一行はハワイに到着。 |
DIA-205-1986-02-25-2 | フィリピン | 1986年02月25日 | 1980年代 | Namfrel,最終集計を公表―BD紙広告で。全投票所の約70%に相当する6万211の投票所の集計ではアキノ783万5070票,マルコス705万3068票。 |
DIA-205-1986-02-26-1 | フィリピン | 1986年02月26日 | 1980年代 | アキノ大統領,新内閣名簿を発表―ラウレル副大統領兼首相の外相兼任,エンリレ国防相など。 |
DIA-205-1986-02-27-1 | フィリピン | 1986年02月27日 | 1980年代 | 政治犯39人を釈放―政治犯釈放委員会も設置。28日アキノ大統領,エンリレ国防相にシソン,ブスカイノを含む政治犯411人の釈放を指示。 |
DIA-205-1986-03-01-1 | フィリピン | 1986年03月01日 | 1980年代 | Eugenio Lopez Jr., 米国から帰国―元 Manila Chroncle 紙等所有者。2日 H. Alvarez(「N・アキノ運動」代表者)米国から帰国。14日 Manuel Lopezをマニラ電力会社の社長代行に選出とギンゴーナ会計検査院長が表明。 |
DIA-205-1986-03-02-1 | フィリピン | 1986年03月02日 | 1980年代 | 「国民勝利感謝ミサ大集会」に30万人―リサール公園で開催。アキノ大統領発表:(1)ベールら23人の停年すぎの将軍解任,(2)人身保護令停止の廃止。 |
DIA-205-1986-03-03-1 | フィリピン | 1986年03月03日 | 1980年代 | マルコス一家の不正隠匿資産の押収に着手―フェルナンデス中銀総裁,マルコスのハワイ持出し資産差押えの仮処分を米司法当局に申請したと発表。 |
DIA-205-1986-03-03-2 | フィリピン | 1986年03月03日 | 1980年代 | KBL幹事会,アキノ政権への協力決定―現行憲法による合法性付与のため。ビラタ前首相発言:KBLはアキノ政権が合法性を得るため現行憲法改正を受け入れてもよい。同幹事会,地方首長の任期に関するピメンテル自治相の命令にはKBL地方首長は従うことなく,次回地方選挙まで現職に留ることとの決議を採択。 |
DIA-205-1986-03-03-3 | フィリピン | 1986年03月03日 | 1980年代 | アキノ政権は「革命政権」―ゴンサンス法相,記者会見で言明:新政権は発足,性格,実体において革命政権である。新政権は73年憲法ではなく,人民の直接行動に正当性をもつ。しかし可能な限り早急に立憲政権への復帰に努力する。 |
DIA-205-1986-03-03-4 | フィリピン | 1986年03月03日 | 1980年代 | 地方首長の任期は3月3日で終了―ピメンテル自治相言明:6月30日に任期満了の選出地方公務員に適用。4日ピメンテルの任命したJ.Osmenaセブ市長の就任を中部セブ市地裁が差し止めの仮処分決定。R.Duterte 現市長の任期は6月30日までである。5日アキノ大統領,現職地方首長等の更迭を承認。対象となるのは74知事,56市長,1519町長,州・町評議員,副知事,副町長,バランガイ評議員,市民議会委員。 |
DIA-205-1986-03-03-5 | フィリピン | 1986年03月03日 | 1980年代 | 大統領警備隊(PSC)を縮小―エンリレ国防相言明:5個大隊(1万5000人)を1個大隊に,国家情報公安庁(NISA)は廃止し,国家情報調整庁(NICA)を設置。 |
DIA-205-1986-03-05-1 | フィリピン | 1986年03月05日 | 1980年代 | J・M・シソン,B・ブスカイノら釈放―同日の政治犯釈放委員会(サロンガ委員長)の決定によるもの。これですでに政治犯517人を釈放。 |
DIA-205-1986-03-06-1 | フィリピン | 1986年03月06日 | 1980年代 | アキノ事件審理にマルコスの圧力―B.Fernandez 公務員犯罪特別検察庁主席検察官言明:ベール他の告訴取下の圧力があった。M.Pamaran公務員犯罪特別裁判所主席判事は反論:審理は証拠に基づいてなされた。一方同M.Herrera 次席判事も声明:85年1月12日大統領府でPamaran判事,公特検判事がマルコスと会談している。アキノ事件裁判は正義を欠き無効である。 |
DIA-205-1986-03-06-2 | フィリピン | 1986年03月06日 | 1980年代 | 選挙委員会の全委員が辞任―V.Savellano委員長言明:アキノ大統領が不正選挙の調査を命ずるならばすべての記録,資料を提出する。22日後任委員長代行にRamon H.Felipe,Jr.を任命。 |
DIA-205-1986-03-06-3 | フィリピン | 1986年03月06日 | 1980年代 | C.Teehankee,最高裁長官代行に―R.Aquino 長官の辞任による。高裁の38判事は全員が辞任。公務員犯罪特別裁判所の9判事も法相に辞表を提出。 |
DIA-205-1986-03-07-1 | フィリピン | 1986年03月07日 | 1980年代 | マルコス,原発建設8000万ドルの手数料―同日付『ニューヨーク・タイムズ』紙:76年にウェイチインハウス社から,仲介手数料としてH・ディシニ経由で受領。 |
DIA-205-1986-03-10-1 | フィリピン | 1986年03月10日 | 1980年代 | A.Dimapolo,南ラナオ州知事解任―ピメンテル自治相。後任はB.Pangarungan(PDP・Laban ミンダナオ委員長)に。 |
DIA-205-1986-03-11-1 | フィリピン | 1986年03月11日 | 1980年代 | 前議員2人に逮捕命令―エンリレ国防相,A.Pacificador(アンティケ州選出),D.Dulay(キリノ州選出)を殺人,テロの容疑で。 |
DIA-205-1986-03-12-1 | フィリピン | 1986年03月12日 | 1980年代 | アキノ政権初閣議―アキノ大統領,革命政権問題に関する委員会を設置(委員長はゴンサレス法相)。 |
DIA-205-1986-03-12-2 | フィリピン | 1986年03月12日 | 1980年代 | マルコス一族,支持者の資産凍結を命令―アキノ大統領,行政命令2号で行政規律委(サロンガ委員長)に外国政府にマルコス夫妻,その代理人の資産凍結,資産隠匿阻止を求める権限を付与。同日,サロンガ渡米。 |
DIA-205-1986-03-13-1 | フィリピン | 1986年03月13日 | 1980年代 | マルコス,スイスに8億ドルの口座―行政規律委当局,調査で判明と言明。25日スイス政府,マルコス一家がスイス国内に所有する資産を凍結命令。 |
DIA-205-1986-03-15-1 | フィリピン | 1986年03月15日 | 1980年代 | B・オプレ,新党結成を表明―国会議員14人,州知事2人で「フィリピン国民党」(PNP)を旗上げ。 |
DIA-205-1986-03-18-1 | フィリピン | 1986年03月18日 | 1980年代 | 米政府,マルコス資産文書を引渡し―マルコスが米に携行の文書1500点をサロンガ委員長に。 |
DIA-205-1986-03-18-2 | フィリピン | 1986年03月18日 | 1980年代 | アキノ大統領,人権委員会を設置―委員長にJ.Dioknoを任命。失綜,殺戮等を調査。 |
DIA-205-1986-03-18-3 | フィリピン | 1986年03月18日 | 1980年代 | KBL改革派,アキノ政権と連合を討議―KBLの議員73人,連合の形態,条件づくりのため3人委員会(M.Garcia,A.Reyno,J.Zubiri)設置。 |
DIA-205-1986-03-19-1 | フィリピン | 1986年03月19日 | 1980年代 | 政府,石油製品値下げを決定―20日から。ガソリン(レギュラー)は1リットル当り0.25ペソ引下げ6.78ペソに,ディーゼル油は同0.46ペソ引下げ5.26ペソに,全石油製品平均では同0.50ペソ,の引下げに。 |
DIA-205-1986-03-20-1 | フィリピン | 1986年03月20日 | 1980年代 | 国営電力公社,雪気料金値下げを発表―3月26日から,全国平均で1kWh当り0.05ペソ引下げ。 |
DIA-205-1986-03-20-2 | フィリピン | 1986年03月20日 | 1980年代 | 陸運局,公共交通の運賃値下げ発表―22日から。バス,ジプニィ,タクシーの最低料金0.25ペソ,引下げに。 |
DIA-205-1986-03-22-1 | フィリピン | 1986年03月22日 | 1980年代 | 共産側に停戦交渉を呼びかけ―大統領比士官学校卒業式で演説。24日NDF(民族民主戦線)幹部のスメル,政府との対話の席につく用意ありと声明。 |
DIA-205-1986-03-25-1 | フィリピン | 1986年03月25日 | 1980年代 | アキノ大統領,「暫定憲法」を布告―布告3号。国民議会,首相職は廃止し,大統領に立法権付与。 |
DIA-205-1986-04-01-1 | フィリピン | 1986年04月01日 | 1980年代 | マルコスは腎臓移植を受けていた―1984年に国立腎臓センターで。保健省高官が確認。 |
DIA-205-1986-04-02-1 | フィリピン | 1986年04月02日 | 1980年代 | 米軍基地労働者スト,終結に合意―労働協約の更改で3月21日から基地労働者2万2000人がスト突入。 |
DIA-205-1986-04-03-1 | フィリピン | 1986年04月03日 | 1980年代 | オンピン蔵相,初年度重点経済目標を公表―(1)外貨交換比,外貨準備高の安定,(2)インフレ率は10%。以下に,(3)金利は希望的には年15~20%に,(4)86年経済成長率は2%,(5)農業を再建し独占を排除,の5点。同蔵相,NEDAの主張するマルコス政権下の一部対外債務返済不履行には反対を表明。 |
DIA-205-1986-04-04-1 | フィリピン | 1986年04月04日 | 1980年代 | Unido,オンピン蔵相の辞任要求―R・ニスピーニャ書記長,同蔵相が社長であったベンデット社の株式の60%をBenjamin Romuardezが所有していたことが判明したため。5日同蔵相辞意表明,大統領が慰留。 |
DIA-205-1986-04-06-1 | フィリピン | 1986年04月06日 | 1980年代 | サンミゲル社の株式3313万株接収―Dlaz行政規律委委員が表明―A.Soriano,III同社社長らがUCPBに1株100べ,で株を取得。5月19日,株を差し押え。 |
DIA-205-1986-04-06-2 | フィリピン | 1986年04月06日 | 1980年代 | ワインバーガー米国防長官訪比―7日アキノと会談。軍事よりも経済に重点を置いた対比協力を表明。 |
DIA-205-1986-04-07-1 | フィリピン | 1986年04月07日 | 1980年代 | マルコス一家ら不正利得,贈収賄で告発―マルコス,家族,前閣僚,クロニイら26人へのA.Ordnez 検事総長の告発を行政規律委が受理。28日Benjamin Romuardez,Alfredo Romuardez の2人を追告発。 |
DIA-205-1986-04-08-1 | フィリピン | 1986年04月08日 | 1980年代 | ADB,対比特別緊急融資1億ドルを発表―うち5000万ドルはアジア開発基金からのソフトローン。 |
DIA-205-1986-04-08-2 | フィリピン | 1986年04月08日 | 1980年代 | F。Peralta,前タルラク知事刺殺―KBL党員,E.Cojuangco Jr.の盟友で,自宅で襲われたもの。 |
DIA-205-1986-04-10-1 | フィリピン | 1986年04月10日 | 1980年代 | MNLFの分派,停戦協定に調印―Bangsa Moro Army 代表のD.Indiana と RUC-12の R.Gutang 司令官との間で停戦監視機構の設置に。 |
DIA-205-1986-04-11-1 | フィリピン | 1986年04月11日 | 1980年代 | 日本国会,マルコス疑惑の特別委設置―両院に「対フィリピン経済援助に関する調査特別委員会」。23日同委審議開始。 |
DIA-205-1986-04-14-1 | フィリピン | 1986年04月14日 | 1980年代 | マルコス忠誠派,国民議会を再開―KBL派前議員93人,知事,市町長が参加し,Asian Institute of Tourism で開催。イニゲスが開会宣言し,4決議を採択,(1)政府は公務員の任期を保障せよ,(2)地方首長等の任期を尊重せよ。(3)国民議会法務委員会は73年憲法改正を検討せよ,(4)ただちに司法職の任期を保障せよ。 |
DIA-205-1986-04-15-1 | フィリピン | 1986年04月15日 | 1980年代 | 新駐米大使E Pelaezが赴任―元上院議員。駐日大使にはR.Del Rosario前駐西独大使を任命。 |
DIA-205-1986-04-16-1 | フィリピン | 1986年04月16日 | 1980年代 | 食糧庁の特別財源が使途不明に―BD紙:特別財源の1180万ペソは大統領選直前にT.Tanchanco 前同庁長官が特別プロジェクトに引き充てた。 |
DIA-205-1986-04-16-2 | フィリピン | 1986年04月16日 | 1980年代 | Cojuangcoの土地交換調査に3人委設置―マセダ天然資源相,国有地1万6000haとE.Cojuangco Jr.の所有地1600haとの不均等な土地交換を究明のため。 |
DIA-205-1986-04-16-3 | フィリピン | 1986年04月16日 | 1980年代 | 最高裁,暫定地方首長の任命は合法と判断―全員一致で自由憲法に合致と決定,ピメンテル自治相はアキノ大統領を代行していると支持。 |
DIA-205-1986-04-17-1 | フィリピン | 1986年04月17日 | 1980年代 | マルコス忠誠派,体制立直しに―KBL地方代表者会議で,トレンチーノを名誉総裁,イニゲスを暫定党首に選出。18日PNPの議員36人はKBLから独立を表明。最終決定はオプレ暫定党首に一任。 |
DIA-205-1986-04-18-1 | フィリピン | 1986年04月18日 | 1980年代 | 暫定地方首長の任命期限を延長―4月30日を5月半ばまで。22日政府発表ではすでに74州,2準州の知事の中58人,76副知事の中39人,60市町長の中40人,60副市長の中16人,1523町長の中650人,1523副町長の中450人を更迭,暫定首長を任命した。 |
DIA-205-1986-04-21-1 | フィリピン | 1986年04月21日 | 1980年代 | IMFスタンドバイ・クレジットは新規設定に―中銀総裁確認。18次の第5,6回目トランシェの計2億1200万SDRは19次に。1987~90年満期到来分の債務繰越しは一括交渉で,60~70億ドルに。 |
DIA-205-1986-04-21-2 | フィリピン | 1986年04月21日 | 1980年代 | 行政規律委,クロニイ所有の2紙を接収―M.Bautista委員,Philippine Daily Express, philppine News Herald の資産接収を言明。 |
DIA-205-1986-04-22-1 | フィリピン | 1986年04月22日 | 1980年代 | ミンダナオ連邦共和国独立計画に警告―ゴンサレス法相:「ミンダナオ人民民主主義運動」(MPDM,R・カノイ代表)が25日予定の連邦共和国独立500人集会および憲法草案の起草者には反乱罪または反乱煽動罪を適用する。23日ラモス参謀総長が言明:カノイが独立計画を前進させたら逮捕する。28日ミトラ農相,次官に前議員R.Marcial(北ダバオ Unido)を任命と発表。 |
DIA-205-1986-04-23-1 | フィリピン | 1986年04月23日 | 1980年代 | 大統領,憲法制定委員会法を布告―布告9号。 |
DIA-205-1986-04-24-1 | フィリピン | 1986年04月24日 | 1980年代 | 2月政変時の2大佐,准将に昇格―J.Almonte(参謀本部作戦次長),A.Sotelo(第15空攻撃隊)。 |
DIA-205-1986-04-24-2 | フィリピン | 1986年04月24日 | 1980年代 | 6ヵ月ストライキ・モラトリアムを提唱―アキノ大統領,労働運動指導者に対し,経済再建のため6ヵ月間ストライキの自粛を呼びかけ。5月1日付けBD紙,TUCP(E.Herrera書記長),KMU(R.Olania議長),スト権は労働者の権利であるとアキノ提案を拒否。 |
DIA-205-1986-04-26-1 | フィリピン | 1986年04月26日 | 1980年代 | Dimaporo 支持者80人,南ラナオ州庁舎を攻撃―政府軍は砲撃で応戦,25分間交戦。政府軍4人が死亡。夜,Dimaporo 側支持者に帰宅呼びかけ事態終息。 |
DIA-205-1986-04-29-1 | フィリピン | 1986年04月29日 | 1980年代 | ミンダナオの3知事,更迭に反対―バシラン,スル,タウイタウイの各州知事,暫定首長に明渡し拒否。 |
DIA-205-1986-04-30-1 | フィリピン | 1986年04月30日 | 1980年代 | アキノ大統領,新政権の経済目標を公表―第19回ADB年次総会で演説,(1)大量貧困の解消,(2)雇用の創出,(3)開発成果の公正な配分の3目標。 |
DIA-205-1986-05-01-1 | フィリピン | 1986年05月01日 | 1980年代 | メーデーの集会で乱闘―米大使館前でアキノ派と,マルコス忠誠派が衝突。少年1人死亡,100人が負傷。3日アキノ大統領,警備責任を問い西部警察署長 N.Cabrera 准将を解任,後任は A.Lim 准将。 |
DIA-205-1986-05-01-2 | フィリピン | 1986年05月01日 | 1980年代 | ラモス,カガヤンに戦闘機の出動を命令―NPAが重装備で攻勢をかけたためT-28型機の出動を準備。ミソン副参謀長談:カガヤンに戦闘機を出動するのは初めて。6日T-28型機3機,NPA隠れ家を急襲。 |
DIA-205-1986-05-01-3 | フィリピン | 1986年05月01日 | 1980年代 | アキノ大統領,労働法の全面改正を発表―(1)ピケ破りに警察力行使の禁止,(2)スト権確立は労働者の過半数の投票で確立(現行は3分の2),(3)組合役員解雇の場合は15日前までのスト通告を要しない,など。 |
DIA-205-1986-05-01-4 | フィリピン | 1986年05月01日 | 1980年代 | 暫定地方首長の任命で公平を要求―Unido,LPサロンガ派の代表がピメンテル自治相に。ピメンテル,PDP派の暫定首長は知事11人,市長10人で,Unidoは知事54人,市長36人であると説明。3日ピメンテル,暫定首長の任命は4人委(ラウレル,クエンコ,サロンガ,ピメンテル)により行なわれてきたと反論。 |
DIA-205-1986-05-04-1 | フィリピン | 1986年05月04日 | 1980年代 | ラウレル,マルコスの米滞在を希望―記者会見で発言。理由として,(1)比政府は隠匿資産取戻しのため米司法当局に訴訟をおこしている,(2)マルコスは隠匿資産を使い政権不安定化を策略している。しかしレーガン政権はマルコス追放を望んでおり,比政府にマルコスのパスポート失効の再考を要請してきた。 |
DIA-205-1986-05-07-1 | フィリピン | 1986年05月07日 | 1980年代 | NFA,36万トンの米超過輸入を確認―85年の輸入量実績は56万トンに。E・オン食糧庁長官:適正輸入量は20万トンであった。 |
DIA-205-1986-05-07-2 | フィリピン | 1986年05月07日 | 1980年代 | R・ベネディクト名義のマルコス資産を接収―行政規律委,18会社,事務所ビル1棟,船舶11隻を接収。 |
DIA-205-1986-05-08-1 | フィリピン | 1986年05月08日 | 1980年代 | シュルツ米国務長官訪比―9日まで滞在。アキノ大統領と会談,2億ドルの援助資金供与を約束。 |
DIA-205-1986-05-09-1 | フィリピン | 1986年05月09日 | 1980年代 | ミトラ農相,アルバレス農地改革相発言に反対―農地改革の対象を砂糖黍,ココナツに拡大するとの発言に対し,(1)現行の米,とうもろこしの農地改革計画の完遂,(2)遊休農地の利用,を優先させるべきである。 |
DIA-205-1986-05-12-1 | フィリピン | 1986年05月12日 | 1980年代 | 制憲委,第2次被指名者の610人を公表―計917人に。オプレ,PNPは制憲委に参加と発言。トレンチーノ,制憲委をボイコットと発言:(1)専門家を選挙で選出すべきである,(2)自分が指名されても辞退する。 |
DIA-205-1986-05-12-2 | フィリピン | 1986年05月12日 | 1980年代 | 5日アキノ大統領,遊休砂糖黍畑の処分を:指示―PNB担保の西ネグロス州の9000haの農地を農業労働者,ゲリラ投降者らに低利ローン付きで売却に。 |
DIA-205-1986-05-16-1 | フィリピン | 1986年05月16日 | 1980年代 | Dimaporo 所有の銃器の押収を命令―エンリレ国防相,RUC-12司令官,Gutang 准将に南ラナオ州内の3個所の訓練基地の解散を命令。同基地で3000人の私兵団“Barracuda”を訓練中。 |
DIA-205-1986-05-19-1 | フィリピン | 1986年05月19日 | 1980年代 | ミランダ広場事件の究明は人権委に―ラモス参謀総長がエンリレ国防相に勧告。 |
DIA-205-1986-05-20-1 | フィリピン | 1986年05月20日 | 1980年代 | オプレ,制憲委員会法の修正を要請―アキノ大統領に対し,新憲法承認後の最初の総選挙,地方選挙に制憲委員会委員の立候補を認めよ。 |
DIA-205-1986-05-20-2 | フィリピン | 1986年05月20日 | 1980年代 | J・シソン,国軍内部の派閥を指摘―3派閥が存在:(1)エンリン・ラモス・RAM派,(2)マルコス派,(3)アキノ派で,うちエンリレ・ラモス派が主流でアキノ大統領の政治権力からは事実上自立している。 |
DIA-205-1986-05-21-1 | フィリピン | 1986年05月21日 | 1980年代 | 国軍汚職防止委員会,44将軍らを召喚―M.Flores委員長(元中将)発表:行政規律委から提出された名簿に基づき,不明朗な資産を調査する。 |
DIA-205-1986-05-21-2 | フィリピン | 1986年05月21日 | 1980年代 | 石油製品さらに値下げに―同日からガソリン(レギュラー)は1リットル当り0.25ペソ引下げ6.53ペソに,ディーゼル油は同0.50ペソ引下げ4.76ペソと,石油製品平均では0.50ペソ引下げ。1月から三度の引下げで計1.70ペソ引下げに。 |
DIA-205-1986-05-21-3 | フィリピン | 1986年05月21日 | 1980年代 | マニラ電力会社も料金引下げ―7月分から1kWh当り0.50ペソ引下げ6.94ペソに。 |
DIA-205-1986-05-22-1 | フィリピン | 1986年05月22日 | 1980年代 | 最高裁,アキノ政権の合法性を認める―新政権は1973年憲法に基づき発足せず違憲である,との申立て3件を11判事全員一致で却下。政権の合法性は裁判所が決定すべき問題でなく,政治の分野に属すると判断。 |
DIA-205-1986-05-23-1 | フィリピン | 1986年05月23日 | 1980年代 | 都市ゲリラ,一部表面に―BD紙。“Sandatahang Mandirigma sa Kalunsuran para sa Kalayaan ng Bayan”(民族解放都市武装闘争団)の名称で,民主社会主義を標榜し,アキノ政権を状況次第で支持。正規ゲリラは23人,非武装民兵は950人。 |
DIA-205-1986-05-23-2 | フィリピン | 1986年05月23日 | 1980年代 | アキノ大統領,ダバオに―市内の修道院でNPA168人と会談。24日セブ市に。 |
DIA-205-1986-05-25-1 | フィリピン | 1986年05月25日 | 1980年代 | アキノ大統領,制憲委委員44人任命―26日5委員を追加任命,29日追加任命のAlmendras前議員は辞退:次回総選挙または知事選出馬が支持者への義務。 |
DIA-205-1986-05-25-2 | フィリピン | 1986年05月25日 | 1980年代 | ホーク豪首相,訪比―26日アキノ大統領と会談,対比援助は50%増の年2500万豪ドルに。 |
DIA-205-1986-05-25-3 | フィリピン | 1986年05月25日 | 1980年代 | 2月革命記念式典開催―アギナルト基地で「EDSA英雄達の再会」に3万人が参加。 |
DIA-205-1986-05-26-1 | フィリピン | 1986年05月26日 | 1980年代 | マニラ首都圏のバス運転手スト―首都圏の南北交通路線は麻痺に。国家警察軍は軍用トラックを動員し無料輸送を行なう。27日スト終結。 |
DIA-205-1986-05-29-1 | フィリピン | 1986年05月29日 | 1980年代 | オプレ制憲委委員の資格に疑義提示―NAJFDタニャーダ代表が言明:労相在職中に公金を横領しており,会計検査院,行政規律委にも調査を要請する。6月3日制憲委,ザルミェント委員(NAJFD委員長)のオプレら4人の資格喪失申立てを却下。 |
DIA-205-1986-06-02-1 | フィリピン | 1986年06月02日 | 1980年代 | 制憲委員会発足―C.Munoz Palma 女史を議長に,15分科委員会から構成。6日17分科会に拡大。 |
DIA-205-1986-06-02-2 | フィリピン | 1986年06月02日 | 1980年代 | KBLは全野党の傘組織に―PNA報道。イニゲスKBL委員長代行が発表。全国12地城の支部長を公表。 |
DIA-205-1986-06-03-1 | フィリピン | 1986年06月03日 | 1980年代 | ラウレル副大統領来日―4日中曽根首相と会談:日本の対比円借款は今後フィリピン外務省で扱う。 |
DIA-205-1986-06-04-1 | フィリピン | 1986年06月04日 | 1980年代 | 共産勢力には権力奪取の実力なし―エンリレ国防相が言明:CPP・NPAは近い将来本格的内戦状態にもち込み,政府と対峙するだけの力はない。彼らの当面の目標は次の3点。(1)武装勢力の強化,(2)党建設,(3)フロント組織の拡大。またアキノ政権の国民和解政策への対応を全国,地方レベルで討議中である。 |
DIA-205-1986-06-05-1 | フィリピン | 1986年06月05日 | 1980年代 | マルコス忠誠派,親アキノ政権企業閉鎖を画策―軍当局発表:ストライキ,サボタージュを煽動し,背後に旧PSC(大統領警備隊),NISA(国家情報公安庁)の退役,現役軍人109人,地方政治家39人がおり,民間人活動家は103人で,うち13人は興業界。 |
DIA-205-1986-06-05-2 | フィリピン | 1986年06月05日 | 1980年代 | D・ブスカイノ,国軍指導部を批判―タルラク市での農民,学生らとの対話集会で,(1)軍,警察による人権抑圧に対し,人権委はアムネスティを与えるな,(2)エンリレ,ラモスはアキノ大統領の国民和解政策をサボタージュで妨害している,(3)停戦,和解を意味あるものとすべく軍は交戦地域から撤退せよ。 |
DIA-205-1986-06-05-3 | フィリピン | 1986年06月05日 | 1980年代 | 共産側停戦交渉の代表はS・オカンポに―アキノ大統領,受入れを発表。26日政府側代表にはミトラ農相,J・ディオクノ人権委委員長を任命。アキノ大統領,共産勢力との連合を否定。 |
DIA-205-1986-06-06-1 | フィリピン | 1986年06月06日 | 1980年代 | CPP指導部更迭―AP電。CPP機関紙Ang Bayan (5月号)は前回大統領選ボイコットの戦術は失敗と批判。同日付Philippine daily inquirer紙,ボイコット指導のR・サラスCPP議長,R・バイロシス書記長は解任と報道。7月5日Manila Bulletin紙,軍高官の発言:サラスの後任はB・ティアムソン(東部ビサヤ地区委員長),バイロシスの後任はT・カピグサン(北部ルソン地区委員長)。 |
DIA-205-1986-06-06-2 | フィリピン | 1986年06月06日 | 1980年代 | 最高裁,アキノ事件再審問題小委を設置―元最高裁判事3人で構成(バスケス委),アキノ事件証拠隠蔽工作に関し事実調査。16日初公聴会,公務員犯罪特別検察庁 Herrera 次席検事の証言:マルコスは昨年6月10日公特裁主席判事,公特検3検事を招集し26被告全員無罪判決を出すべく圧力をかけた。7月16日証人調べを終了。 |
DIA-205-1986-06-10-1 | フィリピン | 1986年06月10日 | 1980年代 | 行政規律委,14億5900万ペソの資産接収―政権発足から100日間で。218社がこれに関与していた。 |
DIA-205-1986-06-11-1 | フィリピン | 1986年06月11日 | 1980年代 | マルコス,21億ドル返還を表明―BD紙。5月19~23日マルコスの弁護士J.Davidがホノルルでマルコス夫妻と会見:(1)歴史に名を残し,心の安らぎを得たい,(2)30億ドル相当の資産所有が認められ,(3)帰国できるなら全てを失ってもよい。11日アロヨ官房長官言明:マルコスの21億ドル返還申出は考慮の外である。 |
DIA-205-1986-06-15-1 | フィリピン | 1986年06月15日 | 1980年代 | A・アキノ,バルウェグ神父と会談―CPLA(コルディリレア人民解放軍)との和平問題で。PNA報道。セブのビダル枢機卿は,バルウェグとの対話をやめよと警告:降服者に対するアムネスティ,社会復帰の明白な政策が提示されるまでは対話をするな。 |
DIA-205-1986-06-16-1 | フィリピン | 1986年06月16日 | 1980年代 | Dimaporo派と休戦協定成立―A.Dimaporo,RUC-12のGutang准将との間でエンリレ提案の条件で合意。(1)双方で南ラナオ州内のCHDFの保持する武器点検の小委を設置,(2)現行のCHDFの勢力は削減しない,(3)双方の宣伝戦は停止する。 |
DIA-205-1986-06-17-1 | フィリピン | 1986年06月17日 | 1980年代 | 北京でラウレル・鄧小平会談―中国側,中国共産党はCPPとの一切の関係を断っていると言明。 |
DIA-205-1986-06-17-2 | フィリピン | 1986年06月17日 | 1980年代 | 全国知事・市長連盟,CHDF解散を要請―アキノ大統領に対し。同連盟会長にB.Guiaパンパンガ州知事を選出。29日同会長,文書でピメンテル自治相に要請:(1)副市長,市民議会委員の任命を急げ,(2)非協力的マルコス派の現職の副市長等の妨害で行政効率が低下した。 |
DIA-205-1986-06-18-1 | フィリピン | 1986年06月18日 | 1980年代 | エンリレ国防相,閣議を中途退席―19日アキノ大統領,エンリレのクーデタの噂を一蹴:エンリレとの不和はなく,アキノ政権を引き裂くマルコス忠誠派の宣伝である。エンリレ,北イロコス州パワイの地域治安会議でバルウェグ神父の報奨金を20万ペソに引上げ発表。 |
DIA-205-1986-06-18-2 | フィリピン | 1986年06月18日 | 1980年代 | NDFリーダー,報道記者とインタビュー―ビコール地方山中で。民族民主戦線側はA・スメル,S・オカンポ,P・ルネタの3人。停戦協定が成立した後の,NDFの最終目標は現政権への政治参加である。 |
DIA-205-1986-06-23-1 | フィリピン | 1986年06月23日 | 1980年代 | 第19回ASEAN定期外相会議開催―マニラで24日まで。26,27日拡大外相会議。26日アキノ大統領,同拡大会議出席の安倍外相,シュルツ米国務長官と会見。シュルツ長官は同日ラウレル副大統領と経済支援基金2億ドル供与協定に調印。 |
DIA-205-1986-06-26-1 | フィリピン | 1986年06月26日 | 1980年代 | アキノ,CHDF解散の検討を指示―7月第3週まで大統領に報告せよ。参謀総長言明:(1)規律の悪いCHDFは解体する,(2)継続的,集中的訓練により資質の向上をはかる,(3)整理されるものは20%と推測。 |
DIA-205-1986-06-30-1 | フィリピン | 1986年06月30日 | 1980年代 | CPP,平和交渉の方式を提示―2段階で第1段階で停戦交渉のための10項目,第2段階での政治課題要求の11項目を要求。RAMはCPP提案に反対:ゲリラ側の武装解除が優先するとして。 |
DIA-205-1986-06-30-2 | フィリピン | 1986年06月30日 | 1980年代 | エンリレ,UCPB会長職を辞任―すでに行政規律委が株式の94.4%を取得。後任会長はRamon Sy。 |
DIA-205-1986-07-01-1 | フィリピン | 1986年07月01日 | 1980年代 | アキノ,リー・クアンユー会談―3日リー首相,マニラで記念会見:東南アジアの軍事バランス保持のため,在比米軍基地の存続を希望。 |
DIA-205-1986-07-02-1 | フィリピン | 1986年07月02日 | 1980年代 | 比ココナツ庁の現役軍人は辞任せず―BD紙,4軍人,辞任説を否定。F.Duenas Jr.大佐(長官),E.Gador 少佐(副長官),R.Floria 中佐(生産開発部長),R.Roderos 大尉(市場開発部長)。 |
DIA-205-1986-07-02-2 | フィリピン | 1986年07月02日 | 1980年代 | 停戦準備交渉開始―場所未公表。ミトラ政府代表,NDF代表の使者3人と協議。政府測は,(1)軍人は同行しない,(2)電話盗聴はしない,(3)7日までに議題,時間,場所を発表すると保障。 |
DIA-205-1986-07-02-3 | フィリピン | 1986年07月02日 | 1980年代 | 輸出税を廃止に―材木を除きただちに発効。政府の歳入減は年13億ペソに。 |
DIA-205-1986-07-03-1 | フィリピン | 1986年07月03日 | 1980年代 | マニラ国際空港の関税徴収額増加―86年4~6月で3億5969万ペソと前年同期比45%増。 |
DIA-205-1986-07-04-1 | フィリピン | 1986年07月04日 | 1980年代 | 米大使館前て反米集会―Bayan(新民族主義者同盟),Atom(8月21日運動),LFS(比学生同盟)ら5000人。警察当局,催涙ガス等で実力解散に。 |
DIA-205-1986-07-06-1 | フィリピン | 1986年07月06日 | 1980年代 | トレンチーノ元外相,大統領代行就任宣誓―(午後5時)マニラホテルで。(同7時)5閣僚を任命:エンリレ国防相,M・コリヤンテス外相,R・レクト法相,I・ロドリゲス(自治相),M・アルバ予算相。(夜)武装正規軍兵士300人,マニラホテルを占拠。 |
DIA-205-1986-07-06-2 | フィリピン | 1986年07月06日 | 1980年代 | トレンチーノ,ホテル内で記者会見―国民議会を招集し,早急に地方選挙を実施せよ。 |
DIA-205-1986-07-06-3 | フィリピン | 1986年07月06日 | 1980年代 | エンリレ,国防省で記者会見―私はアキノ政権閣僚の1人であり,職を探していない。 |
DIA-205-1986-07-06-4 | フィリピン | 1986年07月06日 | 1980年代 | エンリレ国防相,2ラジオ局の放送中止を命令―DZME,DZECは同国防相の寝返りを放送したとして。 |
DIA-205-1986-07-06-5 | フィリピン | 1986年07月06日 | 1980年代 | トレンチーノに対し,反乱罪の刑事訴追を指示―(午後8時30分)アキノ,カガヤン・デ・オロで。 |
DIA-205-1986-07-07-1 | フィリピン | 1986年07月07日 | 1980年代 | エンリレ国防相,占拠兵士に投降呼びかけ―(午後3時)24時間以内に投降すれば,現役,退役を問わず処罰せず。 |
DIA-205-1986-07-07-2 | フィリピン | 1986年07月07日 | 1980年代 | トレンチーノ,イレト国防次官と会談―(午後6時)陸軍・海軍将校クラブで合意に:8日朝5時半に(1)ホテルから支持者を自主的に退去させる,(2)政府軍は包囲を解く。8日(午後6時)ホテルから全員退去。 |
DIA-205-1986-07-07-3 | フィリピン | 1986年07月07日 | 1980年代 | 反乱主謀者に騒乱罪適用を検討中―ゴンサレス法相,閣議後司法記者の質問に答えて。 |
DIA-205-1986-07-08-1 | フィリピン | 1986年07月08日 | 1980年代 | 投降兵士を免責に―兵土76人,ポニファシオ基地で腕立て伏せ30回で,残りの兵士67人,将校10人はラモス参謀総長に顛末を報告後,免責に。 |
DIA-205-1986-07-09-1 | フィリピン | 1986年07月09日 | 1980年代 | マニラホテル占拠事件の処理で方針決定―アキノ大統領:(1)事件主謀者の政治家,軍人に自由憲法(暫定憲法)への忠誠の宣誓を要求,(2)マルコス忠誠派のデモ,集会を禁止,(3)マルコス忠誠派25人の出国禁止。 |
DIA-205-1986-07-10-1 | フィリピン | 1986年07月10日 | 1980年代 | 共産ゲリラの武装正規兵は2万2500人に増大―APワシントン発。アーミテージ国防次官補が言明:比の共産攻勢は強まっている。 |
DIA-205-1986-07-11-1 | フィリピン | 1986年07月11日 | 1980年代 | 修道女10人が誘拐―南ラナオ州マラウイ市で。身代金200万ペソ,トリポリ協定の実施を要求。17日解放。13日同市で米人宣教師誘拐される。18日解放。 |
DIA-205-1986-07-14-1 | フィリピン | 1986年07月14日 | 1980年代 | 4省庁の廃止,9局の新設,11省等の再編を勧告―BD紙。行政改革委が大統領に勧告。廃止勧告の4省庁は,居住環境省,情報省,観光省,総務庁。 |
DIA-205-1986-07-14-2 | フィリピン | 1986年07月14日 | 1980年代 | 最高裁,北ネグロス州新設は違憲と判決―11判事全員一致で。国民投票に分割元の西ネグロス州住民が参加してないとして。24日同州暫定知事,存続を要請。 |
DIA-205-1986-07-15-1 | フィリピン | 1986年07月15日 | 1980年代 | 行政規律委,第1回公聴会―汗職防止法違反などで告発されたマルコス一族らに対する公聴会。政府,証拠提出が未完了で審理延期を申立て,弁護側も同意。 |
DIA-205-1986-07-17-1 | フィリピン | 1986年07月17日 | 1980年代 | アキノ大統領,政治的表現の自由を保障―前政権の大統領令33号(政府転覆等を意図する文書類の印刷,所有,配布の禁止)は廃棄に。 |
DIA-205-1986-07-17-2 | フィリピン | 1986年07月17日 | 1980年代 | スイスに預金の2億1300万ドルは比政府に―アキノ政権弁護士,マルコス側弁護士と返還で暫定合意。21日ダサ行政規律委委員,マルコスの預金は8億3000万ドルと説明。 |
DIA-205-1986-07-17-3 | フィリピン | 1986年07月17日 | 1980年代 | アルフォンシン・アルゼンチン大統領訪比―19日まで滞在。18日アキノと両国の累積債務問題を協議。 |
DIA-205-1986-07-18-1 | フィリピン | 1986年07月18日 | 1980年代 | 通貸委,対外債務の株式化を承認―オンピン蔵相言明:この計画で対外債務残高260億ドルのうち140億ドルを直接投資に転換。24日中銀,回状発行。 |
DIA-205-1986-07-21-1 | フィリピン | 1986年07月21日 | 1980年代 | アキノ,経済界は投資を控えていると批難―マニラホテルで開催の商工会議所合同会議で演説。 |
DIA-205-1986-07-25-1 | フィリピン | 1986年07月25日 | 1980年代 | アキノ大統領,8将軍,1大佐の退任発表―うち5将軍,1大佐はラモス参謀総長の勧告で強制退任:P.Vasquez,P.Alcantara,A.Parafox,J.Alfonzo, T.Cruz の各准将,H.Seveno大佐。 |
DIA-205-1986-07-28-1 | フィリピン | 1986年07月28日 | 1980年代 | トレンチーノら41人,反乱罪容疑で書類送検―西部警察署,政治家26人,軍人15人をマニラ市検察に。30日マニラ市検察,まずトレンチーノら10人に召喚状発行。8月1日ゴンサレス法相,軍人10人を憲法に宣誓したとの証明書が軍から発行されたとし暫定免訴に。 |
DIA-205-1986-07-28-2 | フィリピン | 1986年07月28日 | 1980年代 | 国軍,自由憲法への全将兵の宣誓式実施―全国の基地で。J・スメル准将らマニラホテル占拠の将校も。 |
DIA-205-1986-07-31-1 | フィリピン | 1986年07月31日 | 1980年代 | 特別裁判所のアキノ事件裁判は誤審と勧告―バスケス委,正当な審理手続を経ていないとして最高裁に誤審宣告を出すべく勧告。 |
DIA-205-1986-08-04-1 | フィリピン | 1986年08月04日 | 1980年代 | 中銀,金融緩和策に着手―商銀の準備率を21%に引下げ(現行22%)。9億5000万ペソの融資可能額増に。 |
DIA-205-1986-08-05-1 | フィリピン | 1986年08月05日 | 1980年代 | 停戦交渉,正式開始―政府側代表はミトラ農相,共産側はオカンポ(NDF議長),スメル(NDFスポークスマン)。マニラ着都圏で3時間半。ミトラ発表:(1)両者は単なる停戦交渉ではなく和平交渉であると合意,(2)しかし実際には停戦について1時間強交渉,(3)共産側は恒久和平に真の土地改革を含むと主張。6日エンリレ国防相,国軍はいかなる和平協定も遵守すると言明。 |
DIA-205-1986-08-05-2 | フィリピン | 1986年08月05日 | 1980年代 | 政治家ら2人を追加告発―マニラホテル占拠事件で,M・アルバ前予算,S・クエバス前最高裁判事。これで告発されたのは43人に。 |
DIA-205-1986-08-05-3 | フィリピン | 1986年08月05日 | 1980年代 | カラオ,グリーン・カードの返上を提唱―LPカラオ派党首が要請:米国滞在許可証を所持する公務員は辞職し,海外での投資を中止すべきである。 |
DIA-205-1986-08-06-1 | フィリピン | 1986年08月06日 | 1980年代 | アキノ,国家安全保障会議を復活―議長にアキノ,他の5委員は副大統領,国防相,参謀総長,法相,官房長官。 |
DIA-205-1986-08-07-1 | フィリピン | 1986年08月07日 | 1980年代 | 共産ゲリラ,軍への浸透を画策中―RUCH-4R.Padilla 准将が言明:彼らの主票目標は軍内派閥への浸透でとくに The Guardians (マニラホテル占拠事件に参加した軍内非エリート集団でマルコス支持)に接近中。 |
DIA-205-1986-08-08-1 | フィリピン | 1986年08月08日 | 1980年代 | アキノ外遊中,閣僚の一部を解任する―ラウレル副大統領,セブで記者会見:(1)大統領外遊中は自分が大統領職を代行する,(2)好ましくない閣僚はすべて解任する。12日大統領,行政命令4号を布告:(大統領外遊中の)副大統領の権限は大統領の出席を必要とする社会的行事および外交上の儀礼的行事に限られる。 |
DIA-205-1986-08-11-1 | フィリピン | 1986年08月11日 | 1980年代 | 政府部内にCPP党員―エンリレが警告:ココナツ庁,特殊問題センター,居住環境省の部局に。12日政府,5人の氏名公表。全員マルコス政権下の政治犯。 |
DIA-205-1986-08-11-2 | フィリピン | 1986年08月11日 | 1980年代 | 比政府,IMFに趣意書を提出―オンピン蔵相記者会見,7月から18ヵ月間を対象とする19次スタンドバイ・クレジット1億9800万SDR,補償融資制度2億2400万SDRを要請。 |
DIA-205-1986-08-12-1 | フィリピン | 1986年08月12日 | 1980年代 | アキノ事件裁判再審開始は遅れる―被告弁護士,最高裁にバスケス委報告に対する意見表明の20日間延期を申請,11日の締切りまでに2被告が同報告に反対。 |
DIA-205-1986-08-13-1 | フィリピン | 1986年08月13日 | 1980年代 | マニラ首都圏知事,自治相を批判―J.Lina知事:首都圏のバランガイ評議員更迭でピメンテル自治相はマニラ首都圏行政委の同評議員任命権(国民議会法律37号による)を無視した。 |
DIA-205-1986-08-14-1 | フィリピン | 1986年08月14日 | 1980年代 | マルコス忠誠派,クーデタ計画―エンリレ国防相が公表:軍情報部報告では,(1)アキノ外遊前後に大統領府を占拠,(2)正副大統領,エンリレ,ラモス,40人の主要閣僚,軍人らを武装集団が誘拐,マルコス前大統領が帰国するまで人質にする。 |
DIA-205-1986-08-16-1 | フィリピン | 1986年08月16日 | 1980年代 | 占拠事件被告の弁護人 F.Lota が射殺さる。 |
DIA-205-1986-08-18-1 | フィリピン | 1986年08月18日 | 1980年代 | スト,ロックアウト増加―BD紙。1~7月で387件(前年同期比4.3%増),労働・雇用省調べ。 |
DIA-205-1986-08-18-2 | フィリピン | 1986年08月18日 | 1980年代 | 民族派11委員,制憲委審議をボイコット―経済政策原則条項で外国製品との競争からの「絶対的保護」を要求して。23日公益事業の外資参加比率条項を全体会議で採択したことに抗議し6委員が辞意表明,27日5委員が辞意撤回,復帰を表明。 |
DIA-205-1986-08-19-1 | フィリピン | 1986年08月19日 | 1980年代 | NPロイ派からNP新派閥発足―NPカエタノ派。R・カエタノ幹事長代行,記者会見で基本方針を説明:(1)アキノ政権を承認するが,KBLとの協力も否定せず,(2)武装闘争を放棄すれば共産党合法化は認める,(3)制憲委に参加のオプレらPNPとは連合せず,(4)同派総裁にエンリレの就任を期待する。20日エンリレ,総裁就任を否定:自分はいかなる政治党派にも属さない。 |
DIA-205-1986-08-21-1 | フィリピン | 1986年08月21日 | 1980年代 | ルソン島で大停電―アキノ元上院議員暗殺3周年記念日に,バギオ以南で6時間。政府軍は警戒態勢。 |
DIA-205-1986-08-22-1 | フィリピン | 1986年08月22日 | 1980年代 | E.Tantoco 前駐バチカン大使,伊で逮捕―武器密輸容疑で。Gliceria 夫人もマルコス派の要人。 |
DIA-205-1986-08-23-1 | フィリピン | 1986年08月23日 | 1980年代 | 政府所有の商銀5行,処分の方針―BD紙。世銀の経済再建融資3億ドルの条件として。 |
DIA-205-1986-08-24-1 | フィリピン | 1986年08月24日 | 1980年代 | アキノ大統領,インドネシア訪問―25日貿易協定,事故航空機探索協力に関する了解覚書調印に合意。 |
DIA-205-1986-08-25-1 | フィリピン | 1986年08月25日 | 1980年代 | マルコスの滞在許可を1年延長―米移民帰化局,87年8月25日まで。 |
DIA-205-1986-08-26-1 | フィリピン | 1986年08月26日 | 1980年代 | アキノ,シンガポール着―シンガポール商工会議所連盟で演説:実業界に対比投資を勧誘。27日帰国。 |
DIA-205-1986-08-27-1 | フィリピン | 1986年08月27日 | 1980年代 | ラウレル元下院議長,NP統一を呼びかけ―Unidoと旧KBL各派がNPラウレルJr.の旗の下に。 |
DIA-205-1986-08-29-1 | フィリピン | 1986年08月29日 | 1980年代 | NPA伏撃で国軍兵士15人死亡―北ダバオ州で。大統領,ミトラ農相にNDF交渉委員との接触指示。 |
DIA-205-1986-08-29-2 | フィリピン | 1986年08月29日 | 1980年代 | ベール前参謀総長,サバ滞在か―MB紙。エンリレ国防相,この報告を確認:(1)6月初め2週間ブルネイに滞在し,マルコス忠誠派と会った。(2)レバノン人の偽名でサバに滞在し,8月19日米国に向け発った。 |
DIA-205-1986-08-30-1 | フィリピン | 1986年08月30日 | 1980年代 | 人民党結成大会開催―31日まで比文化センターで。中央執行委25人,代議委300人を選出。議長にR・オラリア,副議長にR・アルセ,全国書記長にW・アシス,同副にC・ベルトランを選出。 |
DIA-205-1986-08-31-1 | フィリピン | 1986年08月31日 | 1980年代 | LPサロンガ派,LP再建全国運動開始―15項目のLP再建計画を採択。サロンガが国務に多忙のため,J.Roxas元LP総裁のG.Roxas夫人を座長とする運営委員が党活動に。 |
DIA-205-1986-09-01-1 | フィリピン | 1986年09月01日 | 1980年代 | トレンチーノら33人を不起訴処分に―ゴンサレス法相マニラ市検察局に命令。最後まで自由憲法に宣誓拒否していた7人も国家に対する忠誠,現政権を認めたとして。これで占拠事件に関与した全員を不起訴に。 |
DIA-205-1986-09-01-2 | フィリピン | 1986年09月01日 | 1980年代 | 中銀,再割引き率を1%引下げ―11.75%に。 |
DIA-205-1986-09-03-1 | フィリピン | 1986年09月03日 | 1980年代 | A・ビリャドリッド次席スポークスウーマン辞任―6日T・ベニグノ前AFPマニラ支局長を報道官に。 |
DIA-205-1986-09-03-2 | フィリピン | 1986年09月03日 | 1980年代 | エンリレ国防相,和平交渉で意見表明―停戦交渉の結果は,(1)領土の一部で主権放棄,(2)政治的,軍事的にNDF・CPP・NPAに支配される地域の存在を認める,(3)軍,警察以外の勢力が合法的に武装する地域を認める,ことになる。 |
DIA-205-1986-09-04-1 | フィリピン | 1986年09月04日 | 1980年代 | 労働次官にF・ドリロンを任命―ECOP(比経営者連盟)副会長から転出。サンチェス労相の労組寄り政策に批判的。 |
DIA-205-1986-09-05-1 | フィリピン | 1986年09月05日 | 1980年代 | アキノ,MNLFミスワリ議長と会談―スル州ホロ市で。(1)ミンダナオ停戦交渉継続中は交戦の停止に合意,(2)双方は代理人を任命:政府側はJ.Magno少将,B.Aquino,MNLF側はAbdul Sahrin准将,Ustadz Shariff Jain Jale。 |
DIA-205-1986-09-06-1 | フィリピン | 1986年09月06日 | 1980年代 | NDFと第2回停戦交渉開催―政府側,NDFに30日間停戦を提案。8日NDF,政府側提案を拒否,停戦の仕組み,安全確保を優先させよと主張。 |
DIA-205-1986-09-07-1 | フィリピン | 1986年09月07日 | 1980年代 | 全裁判官の30%の解任を大統領に勧告―法相,セブの比法曹連盟で発表:5ヵ月にわたり判事,検事評定委員会で審査した結果である。 |
DIA-205-1986-09-08-1 | フィリピン | 1986年09月08日 | 1980年代 | サンチェス労相,労働基準査察開始を指示―賃金,職場安全,健康管理について。対象地域はマニラ首都圏,地域III,地域IV。1979年8月以来停止中。 |
DIA-205-1986-09-08-2 | フィリピン | 1986年09月08日 | 1980年代 | 共産側の行動に沈黙する閣僚がいると批判―エンリレ国防相,国軍集会で演説:自分が“Rambo”となっても彼らはかまわないのか。11日ピメンテル自治相,エンリレとCIAを批難―(1)エンリレは停戦交渉に反対ならば閣僚を辞任すべきである,(2)エンリレ発言はワインバーガー路線と同じで,米はCIAを通じ内政干渉をしている。 |
DIA-205-1986-09-09-1 | フィリピン | 1986年09月09日 | 1980年代 | シン枢機卿,共産勢力対策てアキノ支持―セブで,和平交渉の席につくことを否定せずと言明。 |
DIA-205-1986-09-10-1 | フィリピン | 1986年09月10日 | 1980年代 | NPA同調者350人が投降―セブ州カンカンで。7日には同州タリサイでNPA幹部1人が投降。 |
DIA-205-1986-09-10-2 | フィリピン | 1986年09月10日 | 1980年代 | 国家安全保障会議開催―委員を拡大し12人に。追加任命の6人は,文相,労相,蔵相,自治相,予算相,報道官。内容は公表されず。 |
DIA-205-1986-09-11-1 | フィリピン | 1986年09月11日 | 1980年代 | LPカラオ派も党再建に始動―「Balik Liberal運動」に元下院議長のC。Villarealを担ぎ出し。 |
DIA-205-1986-09-11-2 | フィリピン | 1986年09月11日 | 1980年代 | アキノ訪米中の大統領事務取扱はアロヨ官房長官に。 |
DIA-205-1986-09-12-1 | フィリピン | 1986年09月12日 | 1980年代 | 自治相,3暫定知事の解任を発表―身轟屓で。72時以内に弁明しないと解任。B.Ligot(カガヤン),R.Padilla(北ハマリネス),B.Tupas(アクラン)。13日Tupas,Padilla,自治相に反論,法廷で陳述すると表明。 |
DIA-205-1986-09-12-2 | フィリピン | 1986年09月12日 | 1980年代 | 最高裁,アキノ裁判再審を決定―公務員犯罪特別裁判所の審理は正当な裁判手続を欠いたとのバスケス委勧告を支持。13日同裁判は公特裁で再審と決定。16日公特裁,アキノ事件被告26人の身柄拘置を命令。 |
DIA-205-1986-09-13-1 | フィリピン | 1986年09月13日 | 1980年代 | CPLAと停戦協定に調印―バルウェグ神父,アキノ大統領との会見で。15日CPP幹部,同神父を批難:事実上の投降であり彼らは合法的軍事組織どなった。 |
DIA-205-1986-09-14-1 | フィリピン | 1986年09月14日 | 1980年代 | MILF,アキノ・ミスワリ会談に反対―モロ・イスラム解放戦線支持者コタパトで1万5000人集会。20日 Salamat Hashim MILF 議長,M.Tamano 外務次官と会談,MNLFの停戦協定は受入れ拒否。 |
DIA-205-1986-09-15-1 | フィリピン | 1986年09月15日 | 1980年代 | アキノ訪米に出発―16日世銀総裁,IMF専務理事と会談,17日レーガンと会談,18日米議会で演説,同日米下院対比2億ドルの経済援助を可決。25日帰国。 |
DIA-205-1986-09-15-2 | フィリピン | 1986年09月15日 | 1980年代 | 中銀貸出し急増―対政府金融機関貸出し,1~6月で841億7920万ペソ,(前年同期比63.4%増)。 |
DIA-205-1986-09-16-1 | フィリピン | 1986年09月16日 | 1980年代 | 5億6070万ペソ相当の粗糖在庫行先不明―砂糖統制庁高官が発表。1984/85作物年度は帳簿上入庫は224万ピクル,現実には37万ピクル(1ピクル=63.25kg)。 |
DIA-205-1986-09-17-1 | フィリピン | 1986年09月17日 | 1980年代 | アキノ事件再審で新たに8人を告発―特別検察庁が公表。2前閣僚,2退役将軍,4軍人。 |
DIA-205-1986-09-18-1 | フィリピン | 1986年09月18日 | 1980年代 | 労使関係に関するガイドラインを設定―サンチェス労相。(1)被雇用者の20%以上で組合登録,(2)スト権確立は過半数の賛成で(現行は3分の2),(3)労組役員解雇に際しては15日間のスト冷却期間を無視できる。 |
DIA-205-1986-09-27-1 | フィリピン | 1986年09月27日 | 1980年代 | NDF,30日間暫定停戦に対案を提示―停戦違反監視委員会の設置など。同日アヨロ官房長官,NDF提案を歓迎と言明。29日ミトラ政府代表,停戦協定は今週末までに作成されようと楽観的見通しを表明。 |
DIA-205-1986-09-29-1 | フィリピン | 1986年09月29日 | 1980年代 | 対ゲリラ,レンジャー部隊を強化中―BD紙。陸軍第1偵察レンジャー連隊の強化で兵站支援が容易に。 |
DIA-205-1986-09-29-2 | フィリピン | 1986年09月29日 | 1980年代 | 籾米の政府買上価格は据置きに―ミトラ農業食糧相,8日26日の1kg3.0ペソに引下げ発表は撤回。 |
DIA-205-1986-09-30-1 | フィリピン | 1986年09月30日 | 1980年代 | R・サラスCPP最高幹部を逮捕―国軍スポークスマン発表。マニラ市内で,妻と運転手も同時に。同日NDF側弁護士記者会見:サラスはNDF交渉委員の顧問,他の2人は連絡役であり安全通行保障の対象となっている。 |
DIA-205-1986-09-30-2 | フィリピン | 1986年09月30日 | 1980年代 | A・ソテロ准将,空軍司令官に―9将軍が辞任,ミソン副参謀長,カニエソ陸軍司令官は停年延長に。 |
DIA-205-1986-10-01-1 | フィリピン | 1986年10月01日 | 1980年代 | 人権委,戦略村作戦中止を要請―J.Reyes 委員長代行,ケソン州2町の実情をラモス参謀総長宛打電。 |
DIA-205-1986-10-02-1 | フィリピン | 1986年10月02日 | 1980年代 | カビテ州の14暫定首長,一斉辞任―任期の保障がなく,抜打ち解任の不安で。1日南イロコス州では6暫定首長が町庁舎に強行着任し,1人は阻止される。 |
DIA-205-1986-10-02-2 | フィリピン | 1986年10月02日 | 1980年代 | サラスら3人,反乱罪で起訴―司法当局,マニラ地方裁判所に起訴。NDF交渉委員,記者会見でサラスらの釈放は和平交渉の前提条件であると主張。 |
DIA-205-1986-10-02-3 | フィリピン | 1986年10月02日 | 1980年代 | サラスは仲間に裏切られた―国防相補佐官発言:内部闘争で強硬派が裏切られ,政治路線派が台頭。 |
DIA-205-1986-10-03-1 | フィリピン | 1986年10月03日 | 1980年代 | 米上院,2億ドルの対比経済援助を可決。 |
DIA-205-1986-10-06-1 | フィリピン | 1986年10月06日 | 1980年代 | エンリレ,停戦交渉に不満を表明―共産側との交戦は長期化,激化を辿り,和平交渉は無益である。 |
DIA-205-1986-10-07-1 | フィリピン | 1986年10月07日 | 1980年代 | 共産ゲリラ,600人の内部処分―RUC-10司令官,M.Adalem准将,ミンダナオ司令官会議で発表: 今年初めから開始され,東ミサミス州で100人。20日付『ニューズ・ウィーク』誌インタビェーでオカンポ,処刑者は60人と発言。 |
DIA-205-1986-10-07-2 | フィリピン | 1986年10月07日 | 1980年代 | サラス,アキノ事件関与を否定―特別検察庁ゴンサレス検事との面会で発言。8日同検事記者会見:アキノ事件被告弁護側の論拠を否定すべく,サラスを同事件再審裁判に証人喚問の可能性あり。 |
DIA-205-1986-10-08-1 | フィリピン | 1986年10月08日 | 1980年代 | 閣議,ラモス勧告の共産ゲリラ対策6項目を承認―(1)軍事予算を増額し86年度は106億ペソに(前年比19.8%増),(2)ゲリラ投降者の免責,社会復帰,(3)目的,優先度,人員配置を考慮した総合戦略設定,(4)国家安全保障会議事務局の中立,(5)回教徒,コルディレラ地区の民生安定,(6)ミンダナオ地区の情宣,対話活動の強化。9日Bayan,共産ゲリラ対策6項目は反国民的であると再検討を大統領に要請。 |
DIA-205-1986-10-09-1 | フィリピン | 1986年10月09日 | 1980年代 | MNLFは政府軍と共にNPAと闘う―BD紙。ミスワリ議長は決意を深めたと信頼できる筋が発言。 |
DIA-205-1986-10-09-2 | フィリピン | 1986年10月09日 | 1980年代 | 回教徒ゲリラの各分派,政府とMNLFの和平会談を批難―BD紙。BMIP(Bangsa Moro Islamic Party)のFirdausi Abbas 議長がMILFおよびMNLF改革派と共同で警告:リビアがミンダナオ独立を認めたら内乱になり3ヵ月以内に第2のベイルートとなる。 |
DIA-205-1986-10-12-1 | フィリピン | 1986年10月12日 | 1980年代 | 制憲委,新憲法草案を採択―賛成44,反対2,病欠1。15日制憲委,新憲法草案を大統領に提出。 |
DIA-205-1986-10-13-1 | フィリピン | 1986年10月13日 | 1980年代 | エンリレ国防相,拡大国家安全保障会議を提唱―アギナルド基地で演説:(1)同会議参加閣僚を拡充し,総合ゲリラ対策を提唱,(2)軍は足かせをかけられている,(3)EDSA革命なくして現政府は存在せず。 |
DIA-205-1986-10-13-2 | フィリピン | 1986年10月13日 | 1980年代 | KMUは新憲法草案に反対―R・オラリア議長:新憲法は労働者の権利保障に不十分。 |
DIA-205-1986-10-14-1 | フィリピン | 1986年10月14日 | 1980年代 | マルコス忠誠派兵士120人,国軍に復帰―BD紙。RUC-1司令官,J・de la Cruz准将,ラワグ市での軍式典で,前大統領警備隊兵を受入れ。 |
DIA-205-1986-10-14-2 | フィリピン | 1986年10月14日 | 1980年代 | 最高裁,サラス夫人,護衛の2人の釈放を命令―人身保護令の適用申請取下げを条件に,保釈金なし,反乱罪で起訴されたまま。オルドネス検事総長,釈放は人道的判断によると記者団に説明。 |
DIA-205-1986-10-14-3 | フィリピン | 1986年10月14日 | 1980年代 | エンリレ国防相,2度目の閣議欠席―比歯科医組会で演説:(1)国防省の議案がなく欠席した,(2洪産ゲリラとの交渉中は政府の取引上の立場を強めよ,(3)サラス夫人ら2人の釈放は最高裁の決定に従う,(4)私は私兵を必要としない,(5)私の政治信条は私自身である。 |
DIA-205-1986-10-15-1 | フィリピン | 1986年10月15日 | 1980年代 | 共産側は外国からの援助を受入れ―CPPセブ地区スポークスマンら記者会見:(1)国内調達に限度があり外国からの精神的,資金的,物質的援助を求めている,(2)新憲法草案に対する立場は未決定である。 |
DIA-205-1986-10-15-2 | フィリピン | 1986年10月15日 | 1980年代 | アキノ事件への共同謀議を否定―アスピラス前観光相,シンプソン航空局長の2人,特別検察庁に抗告供述書提出:事件当日はビラモール空軍基地にいた。 |
DIA-205-1986-10-16-1 | フィリピン | 1986年10月16日 | 1980年代 | NP(カエタノ派),新憲法草案に反対―(1)現大統領の再任禁止条項がなく不明朗,(2)非核兵器条項は米軍基地反対の表現である。 |
DIA-205-1986-10-16-2 | フィリピン | 1986年10月16日 | 1980年代 | アキノ事件再審でさらに23人に反対証拠提出命令―特別検察庁,Oscar Canlas大佐ら軍人14人を含む 公務員に。これで同事件で新たに32人が検察の捜査に。 |
DIA-205-1986-10-16-3 | フィリピン | 1986年10月16日 | 1980年代 | ピメンテル自治相,エンリレの辞任要求―17日ゴンサレス法相も辞任要求,18日エンリレ国防相,連合政権は参加する閣僚の辞任で崩壊すると反論。 |
DIA-205-1986-10-17-1 | フィリピン | 1986年10月17日 | 1980年代 | アキノ,NDFパナイ島指導部2人と会談―同島の停戦交渉継続に合意。同日アキノ,イロイロ市で10将軍の昇格を発表。定数120人,69人をすでに任命。 |
DIA-205-1986-10-17-2 | フィリピン | 1986年10月17日 | 1980年代 | エンリレ,セブで停戦交渉批判の演説―共産側は即時停戦を期待する根拠が事実上ないとしている。彼らを合法化すれば,政権への連合を要求しよう(10月20日付け『ニューズ・ウィーク』誌のオカンポ発言を引用して)。 |
DIA-205-1986-10-18-1 | フィリピン | 1986年10月18日 | 1980年代 | NDFとの停戦交渉再開―停戦に向け交渉継続に合意。NDF側はサラスの釈放を要求。 |
DIA-205-1986-10-19-1 | フィリピン | 1986年10月19日 | 1980年代 | エンリレ,セブの反共集会で演説―地元役人による同種の集会開催拒否に警告:(1)マルコス独裁よりも悪質な共産主義独裁が生れつつある。(2)自分はマルコス忠誠派ではない,マルコスを追放したのは自分である。 |
DIA-205-1986-10-20-1 | フィリピン | 1986年10月20日 | 1980年代 | ALF,IGLFの中銀貸出し金利引下げ―通貨委発表。農業融資基金は年11.31%(現行12.8%)に(発効10月1日),産業保障融資基金の中小工業向け中長期融資は19%(現行23%)に(同10月3日)。 |
DIA-205-1986-10-20-2 | フィリピン | 1986年10月20日 | 1980年代 | ケソン市内の水道管で爆弾―24日マカチ地区のハンバーガー店で,25日モンドラゴンビルで爆発事件。 |
DIA-205-1986-10-20-3 | フィリピン | 1986年10月20日 | 1980年代 | ラウレル,ジャカルタ行きを中止―ASEAN・EC外相会議にはJ.Tmgles外務次官が出席。 |
DIA-205-1986-10-21-1 | フィリピン | 1986年10月21日 | 1980年代 | アキノ・エンリレ会談―アンガラUP総長自宅で。ラウレル,ラモス,コンセプシオン商工相,ロクシン特別顧問,アンガラも同席。席上エンリレ側から出された項目は,(1)停戦に期限をつける,(2)軍と文民が協調した対共総合政策の採択,(3)不適格な暫定地方首長の更迭,(4)左派寄り8閣僚の更迭。15日付けラウレル経由の大統領提出文書では上記(2),(3)の他に,(5)新たな大統領選挙の実施,(6)新憲法草案を破棄し73年憲法復活による国民議会再開,を要求している。 |
DIA-205-1986-10-22-1 | フィリピン | 1986年10月22日 | 1980年代 | 共産側との停戦交渉には期限を設定―アキノ大統領,閣議で発表。 |
DIA-205-1986-10-24-1 | フィリピン | 1986年10月24日 | 1980年代 | IMF理事会,比政府提出の趣意書を承認。 |
DIA-205-1986-10-24-2 | フィリピン | 1986年10月24日 | 1980年代 | LPカラオ派,BMIPと連合に合意。 |
DIA-205-1986-10-24-3 | フィリピン | 1986年10月24日 | 1980年代 | ラウレル副大統領,内閣改造を支持―MB紙。エンリレが更迭をしたいのは,サンモエス,アロヨ,サギサグ,ピメンテルの4閣僚。 |
DIA-205-1986-10-25-1 | フィリピン | 1986年10月25日 | 1980年代 | エンリレ国防相,マニラ市内の反共集会に出席―5000人を前に失業増大,経済停滞を批判。26日の3万人反共集会でも政権安定など8項目を政府に要求。 |
DIA-205-1986-10-25-2 | フィリピン | 1986年10月25日 | 1980年代 | PDP・Laban全国会議―J・コファンコ・Jrを党首に選出。地方選の6ヵ月~1年先送りを提案。 |
DIA-205-1986-10-28-1 | フィリピン | 1986年10月28日 | 1980年代 | 共産ゲリラ対策は硬軟両面作戦で―アキノ大統領,比看護婦大会で演説:対話,国民和解で対処するが,治癒不能の場合は外科手術も必要である。 |
DIA-205-1986-10-28-2 | フィリピン | 1986年10月28日 | 1980年代 | エンリレ記者会見―「今後は沈黙を守る」。 |
DIA-205-1986-10-29-1 | フィリピン | 1986年10月29日 | 1980年代 | エンリレ,政変での軍の役割を強調―アギナルド基地内の軍看護婦集会で演説:(1)軍が動かずにいたらアキノは大統領就任は不可能であった,(2)軍と政府は対等の連合である。 |
DIA-205-1986-10-30-1 | フィリピン | 1986年10月30日 | 1980年代 | サンモエス労相,バス会社ストに職場復帰命令―(1)Pantranco North Express, Rabit Bus Line の2社の労組にピケを解除せよ,(2)首都圏警察本部などに同上労働省命令に協力すべく代理委任。 |
DIA-205-1986-10-30-2 | フィリピン | 1986年10月30日 | 1980年代 | 新憲法が国民投票で承認されないときは自由憲法に戻る―アキノ大統領,日本人記者団との会見で言明。 |
DIA-205-1986-10-31-1 | フィリピン | 1986年10月31日 | 1980年代 | ラモス,新憲法養成と表明―軍の政治への不可侵を保証しているとし,(1)新憲法承認の国民投票では軍人の賛否は個人の選択にまかす,(2)政治に介入希望の軍人は辞任せよ,と警告。 |
DIA-205-1986-10-31-2 | フィリピン | 1986年10月31日 | 1980年代 | 政府,86年歳入歳出予算を補正―歳出1089億ペソ,歳入810億ペソと各55億ペソ減少。同年度中の税制改革計画の効果が期待薄となったため。 |
DIA-205-1986-11-01-1 | フィリピン | 1986年11月01日 | 1980年代 | NDF,100日間暫定停戦を提案―NDF側記者会見:(1)今週中に安全通行・免責保証に関する協定に調印しよう,(2)武装都市パルチザンの存在を否定。2日アキノ大統領,NDF提案を検討中と言明。 |
DIA-205-1986-11-01-2 | フィリピン | 1986年11月01日 | 1980年代 | 米司法当局,エンリレ夫妻の米援助着服を調査―2日付MB紙。2日エンリレ国防相,疑惑を否定。 |
DIA-205-1986-11-03-1 | フィリピン | 1986年11月03日 | 1980年代 | アキノ,国家安全保障会議を招集―100日間停戦の条件を明確にするための委員会設置を決定。 |
DIA-205-1986-11-03-2 | フィリピン | 1986年11月03日 | 1980年代 | 5年計画でヘリ50機購入―BD紙。国防省装備・兵站関係次官補M.Espina准将(退役)言明:各中隊兵員輸送強化に最低120機必要(現有は70機)。 |
DIA-205-1986-11-03-3 | フィリピン | 1986年11月03日 | 1980年代 | 行政規律委,ベラスコ前エネルギー相を不正容疑で調査―2週間極秘に帰国。会計検査院もPNOCの350万ペソ,NPCの650万ペソの保養施設投資を調査中。 |
DIA-205-1986-11-03-4 | フィリピン | 1986年11月03日 | 1980年代 | 人民党,Bayan,記者声明で100日間停戦を歓迎。 |
DIA-205-1986-11-04-1 | フィリピン | 1986年11月04日 | 1980年代 | 下級裁判所の機構改革に着手―アキノ大統領,首都圏の地裁判事151人を任命。うち新任は79人。 |
DIA-205-1986-11-05-1 | フィリピン | 1986年11月05日 | 1980年代 | 軍幹部,停戦期間は短くと主張―ソテロ空軍司令官談:共産側は次期攻勢に向けて準備が周到になる。 |
DIA-205-1986-11-05-2 | フィリピン | 1986年11月05日 | 1980年代 | エンリレ国防相,人権委の計画を拒否―軍人の退任には人権委による人権抑圧関係の有無調査を必須とするとの計画に対して。ラモス参謀総長補足説明:軍人の昇任は選考委と大統領の専決事項である。 |
DIA-205-1986-11-05-3 | フィリピン | 1986年11月05日 | 1980年代 | 軍高官,クーデタ計画の存在を公表―BD紙。コラムに「女王陛下万歳」作戦:現在の政治状勢に不満の軍の一部が政権を奪取し,左派分子を追放,アキノ大統領を留めておく。この結果,エンリレは外国の圧力で辞任するか,強権政治に走り共産側を利することになる。6日ラモス参謀総長,異例の新聞発表:軍の冒険主義に警告し,4軍,RUC司令官に軍の指揮系統に従うよう命令。 |
DIA-205-1986-11-06-1 | フィリピン | 1986年11月06日 | 1980年代 | エスカランテ事件で46人を起訴―特別裁判所に対し,A.Gustilo 前北ネグロス州知事,市長らを。 |
DIA-205-1986-11-07-1 | フィリピン | 1986年11月07日 | 1980年代 | 政府側,停戦交渉委員2名追加を共産側に提案―ミトラ談:エルミタ参謀次長,マグノ大統領顧問を。 |
DIA-205-1986-11-07-2 | フィリピン | 1986年11月07日 | 1980年代 | ラウレル,新憲法草案支持を表明―アンヘレス市で。10日ラウレル,Unido憲法問題調査7人委の報告を発表:同委は全員一致で新憲法支持に。 |
DIA-205-1986-11-08-1 | フィリピン | 1986年11月08日 | 1980年代 | Lakas ng Bansa(国民の力)が発足―超党派の政治運動体で,アキノ大統領を支持する個人,団体の傘組織として結成。代表人のゴンサレス法相を含む8閣僚が参加。すでに10月29日各地域の支部長を決定。 |
DIA-205-1986-11-09-1 | フィリピン | 1986年11月09日 | 1980年代 | Bayan,クーデタ計画を批難―Tanada議長談:極右が政権を奪取すれば全国規模で市民ストを展開。 |
DIA-205-1986-11-10-1 | フィリピン | 1986年11月10日 | 1980年代 | 国防省高官による武器輸入が発覚―A.Padillaマニラ国際空港徴税部長が発表:エンリレと国防相,ホナサン大佐の受取人名義で7月初めに,サブマシンガン200丁,弾倉200個,銃弾1万2000発が輸入された。 |
DIA-205-1986-11-10-2 | フィリピン | 1986年11月10日 | 1980年代 | ラモス,アキノ訪日中のクーデタ計画阻止―「共産狩り」作戦。同日夜,国防省のエンリレ側近将校が作戦行動中をラモスが説得。24日付け『ニューズ・ウィーク』誌。 |
DIA-205-1986-11-10-3 | フィリピン | 1986年11月10日 | 1980年代 | アキノ大統領訪日―(~13日)。10日中曽根首相と会談:日本側,特別円借款404億円供与を公式表明。12日,OECF,比政府と328億9500万円の商品借款供与に調印。 |
DIA-205-1986-11-11-1 | フィリピン | 1986年11月11日 | 1980年代 | サンチェス労相,香港に―テロ逃れを否定。 |
DIA-205-1986-11-12-1 | フィリピン | 1986年11月12日 | 1980年代 | Bayan,新憲法支持―Tanada議長談:基本的人権,国民的利益保証では35年憲法,73年憲法,および自由憲法よりましである。 |
DIA-205-1986-11-13-1 | フィリピン | 1986年11月13日 | 1980年代 | MNLF,クーデタ計画を批難―Ustatz Zain Kali 民政部長言明:アキノ支持のデモで。 |
DIA-205-1986-11-13-2 | フィリピン | 1986年11月13日 | 1980年代 | オラリア人民党議長,虐殺死体で発見―リサール州アンチポロで,運転手とともに。 |
DIA-205-1986-11-14-1 | フィリピン | 1986年11月14日 | 1980年代 | アキノ,オラリア議長暗殺事件で調査委を設置―委員長はゴンサレス法相,NBI(国家捜査局)も捜査着手。同日人民党,KMUはアギナルド基地前で5000人の抗議集会。15日KMU傘下の労働者2000人がスト。17日ゼネストに139工場3万人が参加,平穏裡に終了。20日葬儀に10万人が抗議行進。 |
DIA-205-1986-11-15-1 | フィリピン | 1986年11月15日 | 1980年代 | 三井物産マニラ支店長誘拐―マニラ郊外で。 |
DIA-205-1986-11-18-1 | フィリピン | 1986年11月18日 | 1980年代 | 特別裁,アキノ事件の再審初公判―米国にいるベールら2人を除く24被告が出廷。3被告に罪状認否。 |
DIA-205-1986-11-18-2 | フィリピン | 1986年11月18日 | 1980年代 | アキノ,停戦交渉の11月中結着を指示―閣議でミトラ農相に。 |
DIA-205-1986-11-18-3 | フィリピン | 1986年11月18日 | 1980年代 | 停戦交渉の再開は政府のオラリア事件究明の成否次第―ギンゴーナ政府交渉委員,記者団に言明。 |
DIA-205-1986-11-19-1 | フィリピン | 1986年11月19日 | 1980年代 | パンパンガ州の2警察署が,NPAに伏撃。 |
DIA-205-1986-11-19-2 | フィリピン | 1986年11月19日 | 1980年代 | 閣議,「中期開発計画」(1987~92年)を承認。 |
DIA-205-1986-11-19-3 | フィリピン | 1986年11月19日 | 1980年代 | エンリレ派の前国会議員射殺―D.Puzon,運転手2人とともにプランカン州のハイウェイで。 |
DIA-205-1986-11-19-4 | フィリピン | 1986年11月19日 | 1980年代 | 債務返済条件緩和交渉の比側提案一部公表―BD紙。外銀団との87~92年満期利率分の元本36億ドルについて,利率はLibor+0.625%(メキシコ方式は0.813%),期間は据置7年を含む20年(メキシコ方式と同じ)。 |
DIA-205-1986-11-19-5 | フィリピン | 1986年11月19日 | 1980年代 | CPLA,NPAと対決のため武装―BD紙。バルウニグ神父談:郷土と財産をNPAから守るため。CPLAは4月7日の:NPAから分離以来,コルディレラ地区の70%を支配している。 |
DIA-205-1986-11-20-1 | フィリピン | 1986年11月20日 | 1980年代 | 野党,政情混乱に警告―KBL幹部,一連の暗殺,誘拐,首都圏の爆発事件は政権が事態の掌握に失敗しているためと批判し,政,財界の首脳会議を提唱。PNP,内乱の可能性を含めた破局を回避し,政治安定化のためアキノ大統領は主導権を行使せよと要求。 |
DIA-205-1986-11-20-2 | フィリピン | 1986年11月20日 | 1980年代 | ラモス,共産側との和解政策に批判の演説―(1)86年投降者は1万2000人(前年2万2000人)に減少した,(2)共産側は地方での教宣活動,徴税を強化している。 |
DIA-205-1986-11-20-3 | フィリピン | 1986年11月20日 | 1980年代 | NDF側,停戦協定早期締結に楽観的―オカンポ,スメルが記者会見:(1)停戦に関し政府側の明確なコンセンサスが必要,(2)軍の一部が協定に反対している。 |
DIA-205-1986-11-21-1 | フィリピン | 1986年11月21日 | 1980年代 | ラモス参謀総長,一部閣僚の更迭を勧告―MB紙。アキノ宛文書,記者団に公開:効率的な政策を実行に移せない閣僚の即時更迭を勧告。 |
DIA-205-1986-11-22-1 | フィリピン | 1986年11月22日 | 1980年代 | ラモス参謀総長,クーデタ計画阻止に動く―週末,国軍の一部とマルコス忠誠派が22日集合し,国民議会再開,73年憲法への復帰と大統領選挙を要求し,同時にマルコス派兵士がテレビ局を占拠する,との情報を察知。22日午後,全軍の警戒体制下,空軍2大隊が国民議会議事堂,テレビ,ラジオ局警備に出動。22日夜,A-Crag 前議員宅に旧KBL派69前議員が集合,エンリレも参加。23日朝,ラモス四軍司令官会議を招集し,自分または参謀次長以外の命令に従わないよう指示(以上,12月7日付 Asiaweek 誌)。24日付『ワシソトン・ポスト』紙は22日夕現在,エンリレ派将校,武装兵士の姿は見当らずと報道。 |
DIA-205-1986-11-22-2 | フィリピン | 1986年11月22日 | 1980年代 | 西部ミンダナオ地方評議会議長が射殺―Ulbent Ulama Tugung,マニラ市内で5人の伏撃で。 |
DIA-205-1986-11-23-1 | フィリピン | 1986年11月23日 | 1980年代 | アキノ,エンリレ国防相を更迭―後任にイレト国防次官を昇格。 |
DIA-205-1986-11-24-1 | フィリピン | 1986年11月24日 | 1980年代 | ターデタ未遂事件を非公式調査―イレト談。 |
DIA-205-1986-11-25-1 | フィリピン | 1986年11月25日 | 1980年代 | 中央銀行でストライキ―フェルナンデス総裁追放を掲げて:(1)総裁は労組の要求(10%賃上げ他)を無視,(2)マルコス前政権下の役員が居残っている。 |
DIA-205-1986-11-26-1 | フィリピン | 1986年11月26日 | 1980年代 | ボスウォース米大使,アキノ政権支持強調―マカチビジネスクラブで演説:米上院選の結果,最近の比情勢にかかわらずアキノ政権に確実な支持を続ける。 |
DIA-205-1986-11-26-2 | フィリピン | 1986年11月26日 | 1980年代 | CBCP,新憲法支持の教書を発行。 |
DIA-205-1986-11-27-1 | フィリピン | 1986年11月27日 | 1980年代 | 経済界はエンリレ解任を歓迎―マカチビジネスクラプJ.Romero事務局長,政情安定化に向かうと。 |
DIA-205-1986-11-27-2 | フィリピン | 1986年11月27日 | 1980年代 | 政府,共産側,60日間暫定停戦協定に調印―12月10日から発効。安全通行,免責保証覚書も同時に。 |
DIA-205-1986-11-28-1 | フィリピン | 1986年11月28日 | 1980年代 | 投資委承認の新規投資減少―1~10月で22億5000万ペソ(前年同期比40%減)。 |
DIA-205-1986-11-28-2 | フィリピン | 1986年11月28日 | 1980年代 | アキノ政権,第2次改造―公共事業道路大臣にC・ドミンゲス,天然資源大臣にV・ハイメを任命。 |
DIA-205-1986-11-28-3 | フィリピン | 1986年11月28日 | 1980年代 | オプレ,第12回比経済人会談て演説―(1)停戦協定調印,(2)政府内部の体制固め,(3)経済指標の好転は政治安定化への前触れである。 |
DIA-205-1986-12-01-1 | フィリピン | 1986年12月01日 | 1980年代 | ミトラ政府側交渉委員辞任―9日アキノ大統任にJ.Gerreroバターン輸出加工区長を任命。 |
DIA-205-1986-12-03-1 | フィリピン | 1986年12月03日 | 1980年代 | アキノ大統領,ピメンテル自治相を更迭―後任にJ.Ferrer前議員。 |
DIA-205-1986-12-04-1 | フィリピン | 1986年12月04日 | 1980年代 | MIMとMNLF,ミンダナオ独立を国連に請願―PNA通信。「ミンダナオ独立運動」議長R・カノイ談:MIMはミンダナオの早期独立を求めている。MNLFは国連に比政府との交戦団体の認知を要請した。 |
DIA-205-1986-12-05-1 | フィリピン | 1986年12月05日 | 1980年代 | 教員ストライキ終了―MPSTA(マニラ公立学校教員組合),生活手当遅配分など要求し,2日からストに突入。予算相による1580万ペソの予算措置で解決に。 |
DIA-205-1986-12-05-2 | フィリピン | 1986年12月05日 | 1980年代 | 閣議,87年度予算を承認―歳出1147億ペソ歳入949億ペソ,不足分198億ペソは政府金融機関借入。 |
DIA-205-1986-12-08-1 | フィリピン | 1986年12月08日 | 1980年代 | 政府,政府企業民営化に着手―アキノ大統領,「民営化委員会」を設置(布告50号)。行政改革委は263非金融政府企業を評定し,108企業を民営化,46企業を存続,残りは清算,廃止,合併吸収に。民営108社の総資産は1530億ペソ,連結資産は150億ペソに。 |
DIA-205-1986-12-09-1 | フィリピン | 1986年12月09日 | 1980年代 | LPサロンガ派,新憲法支持を表明―新憲法で立憲民主主義に復活する。 |
DIA-205-1986-12-09-2 | フィリピン | 1986年12月09日 | 1980年代 | サンチェス労相,労働界に抑制を要請―労働界の労相解任抗議のゼネスト計画に触れて。同日KMUオルタリス書記長反論:われわれは一貫して労相留任に固執してきた。大統領の決定に従うとは約束していない。 |
DIA-205-1986-12-09-3 | フィリピン | 1986年12月09日 | 1980年代 | 86作物年度の籾米生産は大豊作―農業経済局発表。909.7万トン(前年度比10.9%増)。 |
DIA-205-1986-12-10-1 | フィリピン | 1986年12月10日 | 1980年代 | 60日間暫定停戦発効―ラモス,全軍に停戦命令。ギンゴーナ交渉委員,双方の合意を閣議に報告:(1)NPAは人口密集地では武器は携行しない,(2)NPAが非人口密集地で武器を携行する際は政府発行通行許可証をもつ,(3)NDFと軍は出会っても敵対行動に出ない。 |
DIA-205-1986-12-10-2 | フィリピン | 1986年12月10日 | 1980年代 | 全国停戦委員会(NCC)発足―委員長はA.Fortich神父(バコルド司教区)を任命。他に委員4人。 |
DIA-205-1986-12-10-3 | フィリピン | 1986年12月10日 | 1980年代 | ベール前参謀総長,米のイラン向け武器輸出に関与―米紙S.F.Examiner紙。85年秋~86年春に比政府 のイスラエルからの武器買付け偽証明書に署名している。 |
DIA-205-1986-12-11-1 | フィリピン | 1986年12月11日 | 1980年代 | NPAパターン州司令官,停戦協定は守ると言明―ただし次の要求を政府が実行しない限り武装解除しない,(1)真の土地改革,(2)外国資本による経済,政治支配の排除,(3)軍の敵対,残虐行為の停止,(4)貧困と失業の解消。 |
DIA-205-1986-12-11-2 | フィリピン | 1986年12月11日 | 1980年代 | ネグロスの砂糖黍耕地の自主的農地改革を検討―アキノ大統領,D.Lacson西ネグロス州知事提案の自主的農地改革計画検討のため6人委(委員長アルバレス農地改革相)を設置。同案は砂糖黍耕地は60%減反に,残りの30%は農業多角化,10%は農業労働者の食用穀物生産目的に利用しようとするもの。 |
DIA-205-1986-12-11-3 | フィリピン | 1986年12月11日 | 1980年代 | NCC,停戦協定違反を調査―①ダバオ市での10日の停戦支持デモへの右翼の発砲。(2)バターン州サマルなどでのゲリラ同調者による2000人集会に武装NPA70~100人が出席した。 |
DIA-205-1986-12-12-1 | フィリピン | 1986年12月12日 | 1980年代 | 中銀,再割引率さらに引下げ―10.0%に。 |
DIA-205-1986-12-13-1 | フィリピン | 1986年12月13日 | 1980年代 | アキノ大統領,サンチェス労相の辞表受理―ただし後任決定まで職務遂行に。87年1月3日更迭。 |
DIA-205-1986-12-14-1 | フィリピン | 1986年12月14日 | 1980年代 | 国民投票選挙有権者登録は90%―選挙委発表。12月6,7,13,14日に登録実施,2500万人が登録完了。 |
DIA-205-1986-12-16-1 | フィリピン | 1986年12月16日 | 1980年代 | 第2回アキノ・バルウェグ会談―大統領府で。コルディレラ自治区が発足まで管理組織としてCRDC(コルディレラ地域開発協議会)の設置を討議。 |
DIA-205-1986-12-17-1 | フィリピン | 1986年12月17日 | 1980年代 | 10月末のIMF経済目標は達成―BD紙。ベース・マネーは458億ペソ(目標475億ペソ),中銀の対PNB貸付け30億ペソ,(同30億ペソ)外貨準備高14億9300万ドル(同14億3100万ドル)。 |
DIA-205-1986-12-18-1 | フィリピン | 1986年12月18日 | 1980年代 | NPA,韓国人2人を解放―10月22日北イロコス州で誘拐の韓逸開発会社の朴鍾守,鄭相基の両氏。 |
DIA-205-1986-12-22-1 | フィリピン | 1986年12月22日 | 1980年代 | アルメンドラスらダバオのKBL,新憲法支持に―ダバオのKBL派80人。アルメンドラス記者声明:政治安定,経済社会再建のための新憲法の承認が必要。 |
DIA-205-1986-12-22-2 | フィリピン | 1986年12月22日 | 1980年代 | 前北ネグロス州知事A。Gustilo,米国で病死。 |
DIA-205-1986-12-22-3 | フィリピン | 1986年12月22日 | 1980年代 | NDFは交戦団体の認定を求めず―NDF国際局長L.Jalandoni が記者会見。 |
DIA-205-1986-12-23-1 | フィリピン | 1986年12月23日 | 1980年代 | 和平会談予備交渉開始―本交渉の議題を双方が提示。政府側,(1)NPA投降者への雇用機会創出などを含む短期経済復興計画,(2)農地改革など経済社会改革,(3)NPAの刑事免責などを提案。NDF側は(1)マルコス体制の解体,(2)真の土地改革の実行,(3)米国基地撤廃,(4)政治解決による恒久平和の確立を要求。 |
DIA-205-1986-12-24-1 | フィリピン | 1986年12月24日 | 1980年代 | MNLFとの政府側交渉委員代表にピメンテル。 |
DIA-205-1986-12-29-1 | フィリピン | 1986年12月29日 | 1980年代 | 行政規律委マルコス夫妻を特別検察庁に告発―ニューヨークのビル5棟,70億ペソ,の不正取得で。 |
DIA-205-1986-12-30-1 | フィリピン | 1986年12月30日 | 1980年代 | 人口密集地の武装NPA逮捕を命令―ラモス参謀総長,4軍司令官に停戦協定厳守を命令。NCCが11日のバターン州サマルの武装NPA行進を協定違反と審判したのを受けて決定。 |
DIA-205-1986-12-30-2 | フィリピン | 1986年12月30日 | 1980年代 | NDF,政府軍の協定違反は14件と反論―スメルNDFスポークスマン:政府側は停戦協定を地方での軍の強化に利用している。 |
DIA-205-1986-12-30-3 | フィリピン | 1986年12月30日 | 1980年代 | NDF,全国記者クラブ内に連絡事務所を開設。 |
DIA-205-1986-12-31-1 | フィリピン | 1986年12月31日 | 1980年代 | 1~9月のレイオフ半減―3万1677人(前年同期比49.7%減)。企業閉鎖は806件(同34.5%減)。 |
DIA-205-1987-01-03-1 | フィリピン | 1987年01月03日 | 1980年代 | MNLF,政府との和平予備会談で合意に―ミスワリ・モロ民族解放戦線議長,ピメンテル政府代表がジェッダで。ミンダナオほかの完全な自治権付与で交渉を継続に。 |
DIA-205-1987-01-03-2 | フィリピン | 1987年01月03日 | 1980年代 | サンチェス労相更迭―後任はドリロン労働次官。更迭に反対し「5月1日運動」(KMU)の2500人がデモ。 |
DIA-205-1987-01-04-1 | フィリピン | 1987年01月04日 | 1980年代 | ソラーズ米下院議員,NDF代表と会談―マニラで民族民主戦線A.Zummel,S.Ocampoらと。 |
DIA-205-1987-01-05-1 | フィリピン | 1987年01月05日 | 1980年代 | エスカランテ事件の29被告は軍が拘禁中―西ネグロス州国警当局が公務員犯罪特別裁判所に報告。 |
DIA-205-1987-01-06-1 | フィリピン | 1987年01月06日 | 1980年代 | TUCP,新憲法草案に賛成多数―E.Herrera比労働総同盟書記長が言明:377万組合員のうち,最低200万人が賛成投票に回ろう。 |
DIA-205-1987-01-06-2 | フィリピン | 1987年01月06日 | 1980年代 | 共産側と和平会談開始―NDFは軍の全面的改革,すべての政治犯釈放等の優先10項目を提示。 |
DIA-205-1987-01-07-1 | フィリピン | 1987年01月07日 | 1980年代 | ベール前参謀総長ら,イランに武器横流し―国軍情報当局が言明。84,85両年で5億ペソ相当分を。 |
DIA-205-1987-01-07-2 | フィリピン | 1987年01月07日 | 1980年代 | エンリレ前国防相,1973年憲法支持を表明―2月革命時にアキノ側は73年憲法を廃止せずと約束した。8日国民党(NP)ロイ派,エンリレ発言を批判:彼は国防相のとき,全軍将兵の暫定憲法への宣誓を許可している。 |
DIA-205-1987-01-08-1 | フィリピン | 1987年01月08日 | 1980年代 | オラリア暗殺事件容疑者は軍が拘禁せず―ラモス参謀総長,昨12月16日逮捕のF.Espartero軍曹は司法省下の国家捜査局が継続して拘禁すると言明し,弁護人の軍による拘禁要求を拒否。13日同事件で新たに国防省の秘密スパイ,G.Galiciaを起訴。 |
DIA-205-1987-01-12-1 | フィリピン | 1987年01月12日 | 1980年代 | 国家情報調整局(NICA),軍機密の共産側への漏洩を調査中―軍当局が公表。昨11月12日開催の比米相互防衛委会議議事録を含む参謀総長の極秘報告がNDF側和平交渉員に洩れていた。会議で米将校から,停戦交渉が失敗し,共産ゲリラとの交戦が再開した場合砲撃ヘリ機,軍事地図の提供申出があったとの報告など。 |
DIA-205-1987-01-13-1 | フィリピン | 1987年01月13日 | 1980年代 | モロ・イスラム解放戦線,中部ミンダナオで同時攻撃に―MILFはMNLFと政府との和平交渉に反対。14日政府軍は2大隊,砲撃ヘリ2機等を増強。18日ミンダナオ島マギンダナオでMILFとMNLFが武力衝突,民間人1人を含む21人が死亡。 |
DIA-205-1987-01-15-1 | フィリピン | 1987年01月15日 | 1980年代 | NY連裁,マルコス所有のビルを管財下に―比政府の要請に応じマンハッタンのビル4棟のうち3棟について。残る1棟はCiti-Bank N.A.の抵当権付き。 |
DIA-205-1987-01-22-1 | フィリピン | 1987年01月22日 | 1980年代 | 政府軍兵士,農民デモに発砲―メンディオラ橋で12人死亡,98人負傷。大統領府警備の第2列の海兵隊が農地改革の完全実施を要求する農民デモ1万2000人に向け発砲。大統領,遣憾の意を表明。Montano 国警首都圏本部司令官は休職に。23日同事件市民調査委が発足。 |
DIA-205-1987-01-22-2 | フィリピン | 1987年01月22日 | 1980年代 | 和平交渉は無期延期に―政府,NDFの双方が記者会見で言明。23日 Maria S.Diokno 政府側交渉委員,農民デモ発砲に抗議,アキノ大統領に辞表提出。30日NDF,和平交渉の一方的打ち切りを正式に声明。 |
DIA-205-1987-01-23-1 | フィリピン | 1987年01月23日 | 1980年代 | J.Diokno 大統領人権委員長ら辞表提出―同委員4人とQuintos 事務局長も,農民デモ発砲に抗議し。 |
DIA-205-1987-01-23-2 | フィリピン | 1987年01月23日 | 1980年代 | 選挙委,人民党(PnB)の政党登録申請を却下―同党の党員名簿にB・ブスカイノ,J・シソンンが含まれている。同党はトロイの木馬である,として28日人民党,同党の規約修正を選挙委に申請。2月12日選挙委,同党の政党登録を承認。同党が憲法遵守を誓約したため。 |
DIA-205-1987-01-23-3 | フィリピン | 1987年01月23日 | 1980年代 | 非核条項削除の電話内容を暴露―Adaza 前議員が記者会見で。昨9月のアキノ訪米時,新憲法草案から同条項を削除できないかをめぐるアロヨ官房長官との電話内容を記録した録音テープを公表。26日アロヨ,制憲委の独立性を支持し,軍の電話盗聴を非難。 |
DIA-205-1987-01-26-1 | フィリピン | 1987年01月26日 | 1980年代 | 7閣僚ら農民代表との対話集会に出席―メンディオラ橋でJ・タデオ比農民運動(KMP)議長らと。真の農地改革の要求文書は先にアロヨ官房長官に提出。 |
DIA-205-1987-01-27-1 | フィリピン | 1987年01月27日 | 1980年代 | マルコス派将兵500人,テレビ局等を急襲―(午前4時)テレビ局「GMA-7」,ビリャモール,アギナルド(首都圏),サングレー(カビテ州)の3基地等5カ所を急襲し,反乱将兵190人がテレビ局を占拠。ビリャモール空軍基地の銃撃戦で反乱兵士1人が死亡。首謀者はCanlas 大佐。(夜)米政府,アキノ政権支持の再確認を声明。28日(午後10時)30分間の猶予を与え投降勧告の最後通告。(同10時半)国軍改革運動(RAM)のホナサン大佐,ラモス参謀総長に催涙弾打ち込み中止を要請。29日(午前2時半)反乱側との交渉開始,(正午)反乱側投降。 |
DIA-205-1987-01-28-1 | フィリピン | 1987年01月28日 | 1980年代 | マルコスの母親,北イロコス州に―Dona Josefa Edralin Marcos,27日早朝ケソン市の心臓病センターから行方不明になっていたもの。 |
DIA-205-1987-01-29-1 | フィリピン | 1987年01月29日 | 1980年代 | マルコス前大統領,帰国図り失敗―ベニグノ報道官が発表:28日夜,ボーイング機をチャーターして帰国を図ったがホノルルの比領事と米国務省が阻止。 |
DIA-205-1987-01-29-2 | フィリピン | 1987年01月29日 | 1980年代 | 反乱将兵は軍法会議に―アキノ大統領,イレト国防相に指示。法相には民間人も反乱罪適用を指示。 |
DIA-205-1987-01-30-1 | フィリピン | 1987年01月30日 | 1980年代 | 前比士官学校長のJ.Zumel 准将の逮捕を命令―ラモス参謀総長,国家の安全を脅かしたとして。他にR.Abadilla 大佐,R.Cabauatan 中佐,Baquiran の逮捕を命令。 |
DIA-205-1987-02-01-1 | フィリピン | 1987年02月01日 | 1980年代 | アキノ,司法刷新を完了―最高裁2判事を任命,定数15人に。控訴院は7判事を任命,全49人に。他に71州検事,市検事も任命,検事,準検事は667人に。 |
DIA-205-1987-02-02-1 | フィリピン | 1987年02月02日 | 1980年代 | NPAゲリラ300人,投票所を襲撃―南コタバト州Malungon で。ゲリラ5人が射殺。 |
DIA-205-1987-02-02-2 | フィリピン | 1987年02月02日 | 1980年代 | 新憲法承認の国民投票実施―10日フェリペ選挙委員長,投票結果を大統領に提出:投票率は87.0%,賛成票は76.4%,反対票22.7%。11日新憲法発効宣誓式。 |
DIA-205-1987-02-02-3 | フィリピン | 1987年02月02日 | 1980年代 | IMFクレジット第2回払出し実行―中銀筋が6日発表。86年10月の目標を達成,1800万SDRを。同12月のベース・マネー目標510億ペソは達成できず。補償融資制度2億2400万,第1回500万SDRは実行済み。 |
DIA-205-1987-02-02-4 | フィリピン | 1987年02月02日 | 1980年代 | エンリレ前国防相,国民投票敗北を認める―「政府は軍部の不満や共産ゲリラ問題で苦しむだろう」。 |
DIA-205-1987-02-03-1 | フィリピン | 1987年02月03日 | 1980年代 | Gustilo の農園をNPAが襲撃―ネグロス島のCadiz 市で。ゲリラ2人が死亡。 |
DIA-205-1987-02-04-1 | フィリピン | 1987年02月04日 | 1980年代 | 共産側に和平交渉再開と停戦期間延長を呼びかけ―ギンゴーナ政府側代表がNDFの代表者と接触。7日夜,NDFは声明文を公表,以下の4条件に誠意を示さない限り交渉の席に復帰せずと政府提案を事実上拒否。(1)諸問題を根底から追及,(2)文民統治の確立,(3)NDFの合法化,(4)武力,政治抗争の解決努力。10日ギンゴーナ代表,NDFの提案を拒否し,地域停戦を呼びかけ。 |
DIA-205-1987-02-04-2 | フィリピン | 1987年02月04日 | 1980年代 | 新憲法承認で内外投資家の不安払拭さる―ペリケット比商工会議所会頭,正常化に満足と記者声明発表。 |
DIA-205-1987-02-05-1 | フィリピン | 1987年02月05日 | 1980年代 | アキノ暗殺事件再審が開始―公務員犯罪特別裁判所(Sandiganbayan)で。被告26人中,Custodio 空軍准将ら22人が罪状認否を拒否した。 |
DIA-205-1987-02-05-2 | フィリピン | 1987年02月05日 | 1980年代 | 軍関係者開票結果は新憲法に厳しい―同日付け『読売新聞』。ボニファシオ基地66:34%(賛成:反対),ビリャモール基地42:58%,アギナルド基地33:67%,クラメ基地51:49%。 |
DIA-205-1987-02-06-1 | フィリピン | 1987年02月06日 | 1980年代 | 民間テレビ局占拠事件で119人を起訴―マルコス派の民間人をケソン市検察局が反乱罪で。 |
DIA-205-1987-02-08-1 | フィリピン | 1987年02月08日 | 1980年代 | 軍当局は地域別和平交渉に悲観的―軍スポークスマン,H.Isleta 大佐言明:しかし停戦協定失効から30日間は共産ゲリラへの攻撃を控える(停戦協定ではNDF側交渉員の安全行動通行証は和平交渉終了後も30日以内は有効)。 |
DIA-205-1987-02-08-2 | フィリピン | 1987年02月08日 | 1980年代 | 970万haを対象とする包括農地改革計画公表―アルバレス農地改革相。4段階で92年6月までに全農地を解放。総費用は1079億ペソ。5億ドルを外国借款で。 |
DIA-205-1987-02-09-1 | フィリピン | 1987年02月09日 | 1980年代 | MNLFとの第1回和平交渉開始―マニラで9日から90日以内に自治協定の最終案を策定するため。合同委員長にW.Andanar 北スリガオ知事,政府側はピメンテル,A.アキノ,MNLF側は,H.Hashim,同改革派はM.Y.Abbas,Jr.。MILF のS.Hashim 代表は欠席。19日第2回交渉でMNLF側代表は自治案提出。要求自治地域は23州。26日アキノ大統領,政府側代表にE・ペラエス駐米大使を任命。ピメンテル,A・アキノは上院選立候補のため辞任。 |
DIA-205-1987-02-09-2 | フィリピン | 1987年02月09日 | 1980年代 | O.Santos 比ココナツ庁長官辞任へ―BD紙。事務局長のF.Duenas 大佐ら4軍人も退任予定に。 |
DIA-205-1987-02-10-1 | フィリピン | 1987年02月10日 | 1980年代 | 大統領,佐官20人と会談―RAMのホナサン大佐らも出席。大統領,軍は政府の必須の一部であると保障。軍人側は低報酬,先の国民投票で選挙権を行使できなかった将兵の不満を披露。27日下士官ら20人と会談。 |
DIA-205-1987-02-10-2 | フィリピン | 1987年02月10日 | 1980年代 | 政府軍,ゲリラ掃討中に住民虐殺―ヌエバエシハ州ルパオで。陸軍少尉が射殺された後,政府軍兵士による無差別報復で住民17人が死亡。21日アキノ現地訪問。 |
DIA-205-1987-02-10-3 | フィリピン | 1987年02月10日 | 1980年代 | 武装自警団のAlsa Masa(大衆の蜂起),1000人集会―ダバオ市Agdao で。ダバオメトロ地区司令官F.Calida 中佐,自警団活動に道義的支持を持続すると激励。 |
DIA-205-1987-02-11-1 | フィリピン | 1987年02月11日 | 1980年代 | RAM幹部,オラリア暗殺事件関与を否定―E.Kapunan 中佐,事件容疑者G.Galicia に銃器を貸与との新聞報道を強く否定:同容疑者は1973~75年に自分の部下で新人民軍(NPA)の内部情報を収集した。 |
DIA-205-1987-02-20-1 | フィリピン | 1987年02月20日 | 1980年代 | アキノ,上院選与党連合候補24人を発表。 |
DIA-205-1987-02-23-1 | フィリピン | 1987年02月23日 | 1980年代 | NDFと秘密裏に地域別停戦交渉を進める―ギンゴーナ政府代表が言明:地方停戦監視委に参加した教会関係者11人,市民運動家が地元で停戦交渉にあたる。南ラナオ州では停戦期間の30日間延長に合意した。 |
DIA-205-1987-02-25-1 | フィリピン | 1987年02月25日 | 1980年代 | 「2月革命」1周年記念式典実施―マニラで。 |
DIA-205-1987-02-26-1 | フィリピン | 1987年02月26日 | 1980年代 | NPAは停戦期間中に400万ペソの革命税徴収―セブ市周辺で。国警中部ビサヤ地域司令官Abenina 准将が発表。 |
DIA-205-1987-02-26-2 | フィリピン | 1987年02月26日 | 1980年代 | PCGG,Liwayway社の経営に不介入―大統領行政規律委,検事総長を経て最高裁公聴会で同意に。同委の接収命令と報道の自由の妥協として,平常業務の資金使用,日刊紙,現地語雑誌の発行を認める。 |
DIA-205-1987-02-27-1 | フィリピン | 1987年02月27日 | 1980年代 | タデオに騒乱罪適用を勧告―メンディオラ事件市民調査委,大統領に調査報告書提出。将軍3人を含む軍,警察7人に行政処分を勧告。28日タデオ,同委の勧告に抗議:事件は大統領人権委(PCHR)で審理せよ。 |
DIA-205-1987-02-27-2 | フィリピン | 1987年02月27日 | 1980年代 | J.Diokno 死亡―前PCHR委員長,肺がんで。 |
DIA-205-1987-02-28-1 | フィリピン | 1987年02月28日 | 1980年代 | すべての反乱組織に対し,6カ月以内の投降に恩赦―アキノ大統領,声明を発表。 |
DIA-205-1987-02-28-2 | フィリピン | 1987年02月28日 | 1980年代 | 軍内の友誼団体の解散命令―ラモス参謀総長。3月16日に発効。The RAM,Guardian Brotherhood も対象に。 |
DIA-205-1987-03-02-1 | フィリピン | 1987年03月02日 | 1980年代 | メンディオラ事件市民調査委,報告を修正―事件に関与したすべての軍人の起訴を勧告。 |
DIA-205-1987-03-02-2 | フィリピン | 1987年03月02日 | 1980年代 | ケダン融資の金利を2~4%引き上げ―ケダン(食糧倉庫証券)保証基金委員会(QGFB)が発表。 |
DIA-205-1987-03-02-3 | フィリピン | 1987年03月02日 | 1980年代 | アキノ,3閣僚職の廃止を示唆―アロヨ官房長官発表:両院選に立候補のため,国内問題担当顧問(ピメンテル),政治担当顧問(クエンコ),大統領特別法律顧問(サギサグ)の各閣僚職。 |
DIA-205-1987-03-02-4 | フィリピン | 1987年03月02日 | 1980年代 | 労働・雇用長官,最低賃金制堅持を言明―1月現在労働組合数2387,組合員数484万人と組織化が遅れているため賃金自由化政策は取らない。 |
DIA-205-1987-03-04-1 | フィリピン | 1987年03月04日 | 1980年代 | R・サラス,ワシントンで死亡―心臓発作で。国連事務次長。国連人口問題活動基金局長。 |
DIA-205-1987-03-04-2 | フィリピン | 1987年03月04日 | 1980年代 | 信用状開設保証金を50%に引下げ―中銀発表。現行100%を4月15日から。 |
DIA-205-1987-03-05-1 | フィリピン | 1987年03月05日 | 1980年代 | 最高裁,前制憲委委員の選挙立候補無効の訴え却下―選挙委が登録受理していないため審理できない。 |
DIA-205-1987-03-05-2 | フィリピン | 1987年03月05日 | 1980年代 | 比開発銀行,基本金利を16.5~18.5%に―商銀金利に対応し引き上げ。2月11日から。 |
DIA-205-1987-03-06-1 | フィリピン | 1987年03月06日 | 1980年代 | オプレ前制憲委員の立候補届け出で選挙委見解―資格問題は新議会上院の選挙裁判所の決定に委ねる。 |
DIA-205-1987-03-07-1 | フィリピン | 1987年03月07日 | 1980年代 | PCGG,クロニー2人と妥協交渉―フロイレンドはニューヨーク,ハワイの資産1.8億ペソ,現金0.7億ペソを放棄。現金は7日付けで政府に,不動産は26日までに所有権をPCGGに移管する。ベネディクトも交渉中。 |
DIA-205-1987-03-08-1 | フィリピン | 1987年03月08日 | 1980年代 | 上院立候補締め切り―132人が届出。Laban(国民の力)24人,GAD(民主主義のための大連合)24人,UPP・KBL(平和と進歩のための連合・新社会運動)16人,ANP(新しい政治のための連合)7人など。 |
DIA-205-1987-03-09-1 | フィリピン | 1987年03月09日 | 1980年代 | アキノ,両院選出馬で内閣改造―S.Ordonez 法務長官,F.Factoran 天然資源長官,C.Domingues 農務長官,R.Diaz PCGG委員長,F.Chavez 検事総長,A.Padilla 税関長,J.Romero 比ココナツ庁長官,J.Binay マニラ首都圏行政委(MMC)知事,13日G.Harague 予算長官,C.Gotoradera 公務委員長,16日R.Reyes 運輸通信長官,E.Domingo 会計検査院長を任命。 |
DIA-205-1987-03-11-1 | フィリピン | 1987年03月11日 | 1980年代 | NDFは8月中に全国的暫定革命政権を樹立―Carolina M.Ocampo 書記が共同通信と会見:(1)ミンダナオ臨時政府は樹立したが,全国組織ができる前にルソン,ピサヤに同政府を樹立する,(2)NDFは両院選挙に参加せず,(3)政府の部分停戦提案は分割統治作戦である,(4)首都圏での武装ゲリラ出現を認知。 |
DIA-205-1987-03-11-2 | フィリピン | 1987年03月11日 | 1980年代 | イメルダの3億ドルの宝石類行方不明―GADのR.Espina 候補,アキノの「親衛隊」が持ち去ったと批判。17日PCGG記者会見:宝石は見積りでは2.5億ペソ,中銀等で保管中。 |
DIA-205-1987-03-13-1 | フィリピン | 1987年03月13日 | 1980年代 | ソ連,東ドイツ要員上陸はデマ,NPAが声明―10日付けMB紙の両国の要員が国内で共産ゲリラに武装訓練中とのレポートは捏造記事。 |
DIA-205-1987-03-15-1 | フィリピン | 1987年03月15日 | 1980年代 | GAD,政策綱領を発表―2000年までにフィリピンはNICsの仲間入りを果たす。 |
DIA-205-1987-03-16-1 | フィリピン | 1987年03月16日 | 1980年代 | GAD,Namfrel の解散を要請―Espina 候補が記者団に言明:外国の資金援助の有無を調べる。 |
DIA-205-1987-03-16-2 | フィリピン | 1987年03月16日 | 1980年代 | 民間郷土防衛隊(CHDF)解散覚書を発行―アキノから国防,自治の両長官宛。13日付けで。 |
DIA-205-1987-03-18-1 | フィリピン | 1987年03月18日 | 1980年代 | 比士官学校で爆弾事件―4人死亡,38人負傷。23日NPA,同事件の関与を否定。同日ラモス参謀総長,現役大尉の逮捕を命令。 |
DIA-205-1987-03-18-2 | フィリピン | 1987年03月18日 | 1980年代 | NPAは9%増加―アーミテージ米国防次官補発言:NAPは24,430人に増加し,8,496バランガイが共産側の影響下に。20日,国軍将校19人がアキノと会談し同発言を非難:これは国内問題である。24日同次官補,アキノ政権の共産ゲリラ対策を賞賛。 |
DIA-205-1987-03-19-1 | フィリピン | 1987年03月19日 | 1980年代 | 居住環境省解体は完了―Aquino 副官房長官が言明:38機関中,6は廃止,12は開発行政管理局,(ODM)住宅都市開発調整委に統合,20は他省庁に。4月14日ODMは廃止,大統領行政管理部(PMS)に統合。 |
DIA-205-1987-03-22-1 | フィリピン | 1987年03月22日 | 1980年代 | アキノ,公務員賃金の5~20%引き上げを発表。 |
DIA-205-1987-03-23-1 | フィリピン | 1987年03月23日 | 1980年代 | 下院立候補締切り―立候補届出は約1500人。 |
DIA-205-1987-03-23-2 | フィリピン | 1987年03月23日 | 1980年代 | 公特検,フェルナンデス中銀総裁を刑事告発に―1985年のパシフィック銀行閉鎖に関し,職権乱用,行員解雇の不公平,中銀法違反,汚職防止法違反で。 |
DIA-205-1987-03-24-1 | フィリピン | 1987年03月24日 | 1980年代 | 公特裁,Aspiras 前観光相らの拘束命令―アキノ事件再審でCendana 元情報相,軍人11人を含む14人に対して。 |
DIA-205-1987-03-30-1 | フィリピン | 1987年03月30日 | 1980年代 | アキノ,自警団の指導者を賞賛―ダバオで,Nakakaisa(平和のための大衆連合)は非武装,反共であり,かつ実際的であると。 |
DIA-205-1987-03-30-2 | フィリピン | 1987年03月30日 | 1980年代 | 左派野党,軍の選対事務所などの襲撃を非難―ANP上院候補のタデオら記者会見:軍,警察はトンド地区の都市貧民,同党同調者を襲った。 |
DIA-205-1987-03-31-1 | フィリピン | 1987年03月31日 | 1980年代 | 選挙委,自警団は合法的と前言取り消し―前日の選挙期間中の自警団解散要請を取り下げ。4月1日大統領府,非武装の自警団は対共産ゲリラ自衛組織としてこれを支援すると発表。人民党,アキノがNakakaisa を容認したのは憲法違反であると非難。 |
DIA-205-1987-03-31-2 | フィリピン | 1987年03月31日 | 1980年代 | 若王子三井物産マニラ支店長,誘拐犯から解放。 |
DIA-205-1987-03-31-3 | フィリピン | 1987年03月31日 | 1980年代 | 政府,外銀団と債務繰延べ交渉で原則合意―利率はLIBORプラス0.875%,PIN(比投資証券)の導入で「債務の株式化」を図り年10億1200万ドルの債務負担を軽減。 |
DIA-205-1987-04-01-1 | フィリピン | 1987年04月01日 | 1980年代 | 政府,地方雇用開発計画に42億ペソ承認―87年第1四半期分として(86年繰越し分を含む)。うち最大の配分先は公共事業・道路省の37億700万ペソ。 |
DIA-205-1987-04-02-1 | フィリピン | 1987年04月02日 | 1980年代 | セブの自警団を地元有力者が支持―BD紙。地方停戦交渉委員,J.Burses 神父,F.Tiongco セブ商工会議所会頭が共産勢力への自警団の役割を評価。 |
DIA-205-1987-04-04-1 | フィリピン | 1987年04月04日 | 1980年代 | 与党候補不支持の地方首長代行更迭に反対―ラウレル副大統領,テレビ番組で自治長官を非難。 |
DIA-205-1987-04-06-1 | フィリピン | 1987年04月06日 | 1980年代 | 野党,対外債務繰延べ協定の公開を要求―V.Puyat GAD委員長が言明:オンピン財務長官,フェルナンデス中銀総裁がすべての関連する条件を公表すべく裁判所に要求する。 |
DIA-205-1987-04-06-2 | フィリピン | 1987年04月06日 | 1980年代 | 西ネグロス州で自警組織の強化―1市,2町で自警団を統合。西ビサヤ地域RUC司令官D.Rio 准将も支持を言明:法を犯さない限り,市民権行使である。 |
DIA-205-1987-04-06-3 | フィリピン | 1987年04月06日 | 1980年代 | アキノ暗殺事件被告,無罪を主張―追加被告14人のうち11人が公務員犯罪特別裁判所の罪状認否で。Aspiras 前観光相,J.Singson 航空局長,軍人9人が。Cendana 前情報相および2軍人も審理の予定。 |
DIA-205-1987-04-06-4 | フィリピン | 1987年04月06日 | 1980年代 | 大統領,CHDFおよび準軍組織の統合に同意―フェレル自治長官発表:憲法の規定に従い解散後,適格者のみ正規軍に統合する。ラモス参謀総長,民間自警組織の編成,構成,運営に関する指針を発表:同指針は4月1日から発効し,(1)自警組織は自衛,防御を目的とし,(2)刑法など法律を遵守し,情報収集,早期通報,巡視など軍,警察に協力し,(3)地元文民政府の監督のもとバランガイ,町当局に奉仕し,地元軍,警察当局と連携を密にすること,の3点からなる。7日左派連合のANP,自治長官を非難:フェレルは憲法を曲解した。 |
DIA-205-1987-04-07-1 | フィリピン | 1987年04月07日 | 1980年代 | ミンダナオ問題は憲法の枠内で解決―ペラエス政府代表が言明:自治地域は第9,12地域の10州を対象とする。MNLFおよび他の反乱組織は国軍に統合する。 |
DIA-205-1987-04-07-2 | フィリピン | 1987年04月07日 | 1980年代 | 自治長官の地方首長代行更迭差し止めを申請―マリンズケ州Sta.Clara 町長,与党候補を支援しなかったと更迭されたことに対し最高裁に。8日GADのTatad 上院候補,自治長官を非難:政党人と閣僚の立場は峻別すべきだ。9日最高裁,自治長官に先に更迭されたイロイロ,ポホール,マリンズケの3知事の申し立てに抗弁するよう命令。10日最高裁,自治長官に対し地方首長代行の更迭停止を命令。 |
DIA-205-1987-04-08-1 | フィリピン | 1987年04月08日 | 1980年代 | ラウレルの「候補者リスト崩し」を非難―Laban の上院候補24人連記推進運動に対し,ラウレル副大統領が最大6候補を支持と声明。与党主流派が反発。 |
DIA-205-1987-04-08-2 | フィリピン | 1987年04月08日 | 1980年代 | 大統領,死刑囚528人を終身刑に減刑―うち378人はマルコス政権下の軍法会議で死刑宣告を受けた。 |
DIA-205-1987-04-08-3 | フィリピン | 1987年04月08日 | 1980年代 | 拡大汚職防止委員会設置を閣議決定―関係する長官で構成し,委員長はJ.de Jesus 首席補佐官。9日GADの上院候補Almendras,同委は超党派で構成されるべきであると批判,当選すれば政府部内の汚職を調査する「ブルー・リボン委員会」を発足させると言明。 |
DIA-205-1987-04-09-1 | フィリピン | 1987年04月09日 | 1980年代 | 上院候補者43人が失格に―選挙委発表。立候補証明書20万部の投票所への提出がなかったため。 |
DIA-205-1987-04-09-2 | フィリピン | 1987年04月09日 | 1980年代 | 在米のマルコス支援組織が結成―比民主主義回復運動(MRDP)。米国,カナダに支持者1万人。 |
DIA-205-1987-04-10-1 | フィリピン | 1987年04月10日 | 1980年代 | 農業融資基金(ALF)の金利引下げに―中銀発表。87年第2四半期の適用利率は年11.0%を10.2%に引下げ。3月末のALF融資残額は8億9220万ペソに。 |
DIA-205-1987-04-11-1 | フィリピン | 1987年04月11日 | 1980年代 | フィリピンはレバノン化に―A・トレンチーノGAD候補,治安悪化に憂慮を表明。国内の武装勢力は互いに対立敵対しており,レバノンの状況に酷似する。 |
DIA-205-1987-04-11-2 | フィリピン | 1987年04月11日 | 1980年代 | NPAはタカ派閣僚,米軍人が標的―スパロウ部隊幹部が記者会見し,攻撃対象にはシングローブ米退役将校,フェレル自治長官の名前を挙げる。同部隊は首都圏で過去3年間で30人を殺害,うち16人は今年2月以降伏撃による死者。 |
DIA-205-1987-04-12-1 | フィリピン | 1987年04月12日 | 1980年代 | マニラ首都圏に自警団は不要―L.Atienza 国家住宅局(NHA)局長が言明:暴力が暴力を呼ぶ結果となる。軍改革で警察力の分権化をはかるべきだ。13日国警首都圏本部(Capcom)司令官Aguirre 准将,マニラホテル朝食会で首都圏にも自警組織は必要と反論。 |
DIA-205-1987-04-13-1 | フィリピン | 1987年04月13日 | 1980年代 | PCHR委員長,大統領と会談―J.B.L.Reyes 委員長,新憲法が発効しており速やかに人権委(CHR)の設置を大統領に要請したと発表。 |
DIA-205-1987-04-13-2 | フィリピン | 1987年04月13日 | 1980年代 | 国軍当局,新たなクーデター計画を阻止―Capcomが発表:マルコス派の兵士100~300人がマカチのインターナショナル・スクール・マニラを占拠し生徒を人質にとる陰謀を阻止した。彼らは事件で国際的な注目を喚起し,イレト国防長官,ラモス参謀総長ら国軍高官辞任を要求するつもりであった。なお同校には参謀総長のアメリータ夫人が事務局に勤務中。 |
DIA-205-1987-04-14-1 | フィリピン | 1987年04月14日 | 1980年代 | FLAG,人権擁護を大統領に訴え―Reyes PCHR委員長が無料法律救援グループ委員長の肩書きで全国紙広告で:自治長官はミンダナオの全地方首長代行に,5月31日までに対ゲリラ民間組織を結成しなければ解任と命令し,状況は民衆に苛酷である。大統領は自警団解散,人権侵害調査をはかり人権擁護に効果ある方策を講じるべきである。 |
DIA-205-1987-04-14-2 | フィリピン | 1987年04月14日 | 1980年代 | J.Rancudo 元空軍司令官,射殺―パンパンガ州Lubao の保養施設でNPA容疑の7人組に。 |
DIA-205-1987-04-14-3 | フィリピン | 1987年04月14日 | 1980年代 | 選挙委,地方首長の便宜供与で警告―集会許可で特定候補優遇は6年以下の拘禁に。 |
DIA-205-1987-04-14-4 | フィリピン | 1987年04月14日 | 1980年代 | PCGG職員2人を詐欺罪で告発を勧告―公務員犯罪特別検察庁がPCGGに。バターン造船会社(Baseco)のくず鉄を5万ペソで処分した事実が明白として。 |
DIA-205-1987-04-18-1 | フィリピン | 1987年04月18日 | 1980年代 | マルコス派兵士,ボニファシオ基地を占拠―早朝13人の現役および元兵士がトラックで突入。先のテレビ局占拠事件で拘禁中の108人の解放を目的にし,陸軍司令部建物を占拠したが正午すぎ投降。銃撃戦で反乱兵1人が死亡。首謀者は元大統領警備隊S.Librado 軍曹。 |
DIA-205-1987-04-20-1 | フィリピン | 1987年04月20日 | 1980年代 | 選挙委,下院候補者11人を失格に―候補資格証明の提出がなかったため。下院立候補者は1901人に。 |
DIA-205-1987-04-20-2 | フィリピン | 1987年04月20日 | 1980年代 | バターン原発の資産は政府に移管―国営電力公社(NPC)が主に所有する337億ペソ相当の比原子力発電所1号機の移管について。全債権者が承認後に有効となる。 |
DIA-205-1987-04-20-3 | フィリピン | 1987年04月20日 | 1980年代 | IMF理事会,付帯条件の緩和を承認―87年の公共部門赤字GNP比3.5%(従前は2.9%)に,中央政府の財政赤字は207億ペソ(同198億ペソ)またはGNP比3.1%,非金融政府企業14社の赤字合計はGNP比1.5%に。86年末ベース・マネー上限510億ペソは達成できず,3月末上限を518億ペソに。5月5日中銀筋,4月末にIMFクレジット第3回分払出し3500万SDRが実行されたと発表。 |
DIA-205-1987-04-21-1 | フィリピン | 1987年04月21日 | 1980年代 | 農業次官,身びいきで公務員犯罪特別検察庁が告発に―F.Ong 次官,食糧庁に身内14人を任命。 |
DIA-205-1987-04-22-1 | フィリピン | 1987年04月22日 | 1980年代 | シン枢機卿,総選挙に向け指針を公表―「信徒と選挙」に関する教書で次の7点を指摘。(1)農地改革,基地問題,離婚など,候補者の政治的立場を知れ,(2)候補者の過去の実績を綿密に検討し,民衆をだまし,弾圧し,搾取したかを検討せよ,(3)候補者の私生活を検討せよ,(4)過去の主張を調べ,大衆の貧困緩和に働く候補者に投票せよ,(5)キリスト教会の教義に反した見解を支持するかを調べよ,(6)無神論を信奉し,暴力を肯定し,社会の変革の手段として階級闘争を主張する候補には投票するな,(7)親類,友人,名付け親などの理由で投票するな。 |
DIA-205-1987-04-24-1 | フィリピン | 1987年04月24日 | 1980年代 | 中銀,農業銀行再建計画の指針を承認―中銀への未払債務10%相当の新たな資本払込みをした農業銀行には政府の債務を株式化,また10年以内の月賦返済を認める。同計画は14日の中銀通貨委員会でも承認済み。 |
DIA-205-1987-04-25-1 | フィリピン | 1987年04月25日 | 1980年代 | Ordonez 法務長官,自警組織の援助に反対―資金,武器援助を政府はすべきでない。意図したことと結果が異なり,住民虐待で非難されるのは政府である。 |
DIA-205-1987-04-25-2 | フィリピン | 1987年04月25日 | 1980年代 | 公立小学校第1学年で地元言語を必須に―Quisumbing 教育長官が発表:87年学年から実施を計画中。 |
DIA-205-1987-04-28-1 | フィリピン | 1987年04月28日 | 1980年代 | 全国停戦監視委員Fortich 神父の暗殺未遂―バコロド市の居室で手投げ弾が炸裂。29日同市の自警団“EI Tigre”の1人が犯行を声明。NDFは否定。 |
DIA-205-1987-05-01-1 | フィリピン | 1987年05月01日 | 1980年代 | PCGG職員への刑事免責を非難―Laban のAngara 上院候補:同委の活動を点検できない。 |
DIA-205-1987-05-01-2 | フィリピン | 1987年05月01日 | 1980年代 | アキノ,メーデー演説で最低賃金改定を発表―生活手当を基本賃金に組み入れ。首都圏工業労働者の最低賃金は日額57ペソに,首都圏外工業労働者は同56ペソに改定。発効は5月1日。実施は88年1月まで3段階で。 |
DIA-205-1987-05-02-1 | フィリピン | 1987年05月02日 | 1980年代 | 政府のMNLFとの和平交渉は暗礁に―MNLF側はミンダナオ,スル,パラワン,タウイ・タウイの各島から成る23州の完全自治権に関し国民投票提案。 |
DIA-205-1987-05-02-2 | フィリピン | 1987年05月02日 | 1980年代 | アンヘレス市長,射たれて重傷―元パンパンガ州知事で地元有力者のF.Nepomuceno。3日首都圏パラニャケではPDP・Laban 地元指導者が射殺さる。 |
DIA-205-1987-05-03-1 | フィリピン | 1987年05月03日 | 1980年代 | アキノ,投降ゲリラと会談―東ミンドロ州Blalacao のゲリラ7人,同調者1145人。包括農地改革計画,灌漑・村道建設,生活改善計画の実行を要請。同地のF.F.Cruz 社の石炭鉱山再開命令を要求。 |
DIA-205-1987-05-03-2 | フィリピン | 1987年05月03日 | 1980年代 | 野党が多数を制せば,マル:コスは帰国する―Laban 上院候補のA.Defensor ら5人が懸念を表明:野党はマルコスの政治的復権を望むのか。4日マルコス前大統領,スポークスマンを通じ記者声明:野党が善戦すれば帰国が許されよう。 |
DIA-205-1987-05-03-3 | フィリピン | 1987年05月03日 | 1980年代 | 人民党,上院選で奥の手―5日付けBD紙。同党の集会で票読み:当選圏は500万票で,(1)大衆運動組織の固定票が350万票,(2)人口構成で戒厳令下の世代の20歳から34歳までが1200万人で政治志向型が多い,(3)中間階級,特定分野とくに婦人票の掘り起こしが可能と強気。 |
DIA-205-1987-05-04-1 | フィリピン | 1987年05月04日 | 1980年代 | 選挙委,オプレ,タデオの欠格申し立てを却下―制憲委員は制憲委法(布告9号)の規定により新憲法批准後の最初の選挙に立候補できないとの制憲委員指名人2人の申し立てに対して。L.Africa 選挙委員:選挙委の決定事項でなく憲法上の判断である。同委員の見解に対しD.Rama 委員は反対:両候補が選挙に出馬しない旨宣誓したのは明らかである。 |
DIA-205-1987-05-04-2 | フィリピン | 1987年05月04日 | 1980年代 | ANP,選挙妨害を非難―人民党上院候補R.Capulong が記者声明:3月の選挙運動開始以来,オルグ,支持者19人が妨害,50人が逮捕された。これは軍部,CHDF,右翼自警組織の仕業である。 |
DIA-205-1987-05-05-1 | フィリピン | 1987年05月05日 | 1980年代 | 経済界,新議会での重要課題に言及―ペリケット比商工会議所(PCCI)会頭が経済界の会合で言明:経済界の最大の危惧は新議会が国民経済の利益を阻害し,少数者の利益を図ることである。農地改革,対外債務繰り延べ,貿易自由化が重要課題となろう。 |
DIA-205-1987-05-05-2 | フィリピン | 1987年05月05日 | 1980年代 | 憲法上の人権委員会(CHR)が発足―同日付け行政命令163号で。PCHRは廃止に。すべての違法残虐行為の聴取を規定。 |
DIA-205-1987-05-06-1 | フィリピン | 1987年05月06日 | 1980年代 | MNLFと自治権付与の法案起草で合意―ホロ島でのペラエス,ミスワリ会談で,トリポリ協定で合意の13州を対象とした自治権付与の方法,範囲を決める諮間委員会を設置し,新議会で立法措置を講じ,残りの10州は住民投票で可否を決定することで原則合意。8日,政府が自治権付与の行政命令を布告しないとしてMNLFは交渉を中断。10日ミスワリ議長は声明を発表し,新憲法,両院選挙は認めないとの立場を明らかにした。 |
DIA-205-1987-05-06-2 | フィリピン | 1987年05月06日 | 1980年代 | マルコス夫妻,法廷侮辱罪に―米バージニア州リッチモンド控訴院,マルコスらの1億ドルの米政府融資の武器取り引き汚職に関し,大陪審に文書不提出のため。 |
DIA-205-1987-05-09-1 | フィリピン | 1987年05月09日 | 1980年代 | UPP・KBLは選挙後にGADと合併しない―同党上院候補のL.Perez が記者会見で言明:UPP・KBLこそ真の野党である。先のGADのAdaza 候補の右派野党統一構想を批判したもの。 |
DIA-205-1987-05-09-2 | フィリピン | 1987年05月09日 | 1980年代 | 選挙運動期間中の死者50人,事件48件に―3月8日~5月8日。ラモス参謀総長,選挙は平穏裡になされたと発表:80年地方選では死者71人,事件180件,81年大統領選ではそれぞれ102人,178件,84年国民議会選では154人,918件,86年大統領選では153人,296件であった。 |
DIA-205-1987-05-10-1 | フィリピン | 1987年05月10日 | 1980年代 | エネルギー省は環境・エネルギー・天然資源省に吸収―1月30日付け行政命令131号で公表に。 |
DIA-205-1987-05-10-2 | フィリピン | 1987年05月10日 | 1980年代 | 大統領行政改革委(PCGR)は廃止―5日付け行政命令165号で。同委の機能は予算行政管理省に移管。 |
DIA-205-1987-05-11-1 | フィリピン | 1987年05月11日 | 1980年代 | 上下両院選挙実施―選挙委発表:投票率90%,登録有権者数26,476,445人。 |
DIA-205-1987-05-12-1 | フィリピン | 1987年05月12日 | 1980年代 | GAD,選挙委とNamfrel を不正選挙で非難―エンリレが記者会見:「自由選挙のための全国市民運動」の不正操作で多くのLaban 上院候補を開票直後からリードさせた。これで民心を騙し選挙委による不正選挙の結果を納得させてしまった。 |
DIA-205-1987-05-12-2 | フィリピン | 1987年05月12日 | 1980年代 | UPP・KBLも不正選挙を非難―Pacifico de Leon 候補が言明:われわれは証拠を押えている。 |
DIA-205-1987-05-13-1 | フィリピン | 1987年05月13日 | 1980年代 | イレト国防長官,軍部の不満を肯定―アギナルド基地で記者会見:与党が選挙で大勝したにもかかわらず,軍内不満分子が行動を起こす可能性を否定しない。GADの党員は法律家であるから証拠には従うはずだ。エンリレも法律家だ。ドラスチックな真似はできない。 |
DIA-205-1987-05-14-1 | フィリピン | 1987年05月14日 | 1980年代 | GAD,最高裁に選挙無効の訴え―GADの24候補がLaban 24候補,選挙委を相手に:選挙大量不正のため,選挙委は開票と当選宣告を停止せよ。 |
DIA-205-1987-05-14-2 | フィリピン | 1987年05月14日 | 1980年代 | GAD,選挙結果に抗議のEDSA集会第2部―1万人参加。ラモス参謀総長が警告:デモ参加兵士には法的制裁を加える。武器を所持する者は逮捕する。 |
DIA-205-1987-05-14-3 | フィリピン | 1987年05月14日 | 1980年代 | サンミゲル社A.Soriano 3 世社長退陣―同社年次株主総会で。PCGGは接収保有株式52%を行使し,15人の取締役会に9人を送り込み支配権を確保。 |
DIA-205-1987-05-16-1 | フィリピン | 1987年05月16日 | 1980年代 | GAD,兵士に軍命令無視を呼びかけ―同党Gamboa 上院候補,選挙不正抗議の野党集会に参加するよう呼びかけ:反乱を求めているわけでなく,憲法上の市民権の行使である。 |
DIA-205-1987-05-17-1 | フィリピン | 1987年05月17日 | 1980年代 | 不在者投票では野党がリード―選挙委発表:不在者投票者の90%が軍人,残りは公務員。上位24人中,GAD 16人,Laban 7人,無所属1人。第1位はGADのエンリレ候補。 |
DIA-205-1987-05-18-1 | フィリピン | 1987年05月18日 | 1980年代 | Namfrel,開票作業終了―全投票所の75%を集計した時点で。上院は上位24人中にLaban 候補が23人。 |
DIA-205-1987-05-20-1 | フィリピン | 1987年05月20日 | 1980年代 | ANP,不正選挙とテロを非難―F.Agcaoili 同連合書記らが記者会見:上院は7候補全員落選し,下院は71候補中3人のみ当選した。失望したANP支持者が代わりの闘争手段として武装することは大いにあり得る。次の地方選挙はボイコットすることになろう。 |
DIA-205-1987-05-24-1 | フィリピン | 1987年05月24日 | 1980年代 | 2度目のEDSA集会第2部―3万人が参加。GAD,UPP・KBL支持者が選挙不正に抗議。 |
DIA-205-1987-05-25-1 | フィリピン | 1987年05月25日 | 1980年代 | アキノ,交通,往来の自由確保を軍に指示。 |
DIA-205-1987-05-25-2 | フィリピン | 1987年05月25日 | 1980年代 | 国警首都圏本部,EDSA集会を実力で解散―軍,警察200人を投入しデモを排除,200人を逮捕。 |
DIA-205-1987-05-25-3 | フィリピン | 1987年05月25日 | 1980年代 | GAD,EDSA集会中止の声明―Tatad:デモ隊はBinay・MMC知事代行の制服兵士に傷つけられた。 |
DIA-205-1987-05-25-4 | フィリピン | 1987年05月25日 | 1980年代 | Laban,野党の暗殺の脅迫を非難―声明文を発表:“Jihad Fi Sabilillah”と名乗るベール派兵士が閣僚12人を標的にすると,25日のEDSA集会で公言した。イスラム風の組織名は国民を欺くためである。 |
DIA-205-1987-05-25-5 | フィリピン | 1987年05月25日 | 1980年代 | 国営テレビ局玄関で手投げ弾爆発―死傷者なし。 |
DIA-205-1987-05-25-6 | フィリピン | 1987年05月25日 | 1980年代 | イレト国防長官,CHDFの解散は遅れる―人権問題で来比中の米R・クラーク元法務長官との会談で:予算不足で代替兵員の補充が不能のため。 |
DIA-205-1987-05-26-1 | フィリピン | 1987年05月26日 | 1980年代 | 中銀,マニラ・バンキング社を閉鎖に―同社前社長でGAD委員長のV.Puyat,政府を批判:古典的な政治的復讐である。 |
DIA-205-1987-05-27-1 | フィリピン | 1987年05月27日 | 1980年代 | 最高裁,GADの選挙無効申し立てを却下―同党の証拠が不十分のため。 |
DIA-205-1987-05-29-1 | フィリピン | 1987年05月29日 | 1980年代 | UPP・KBL,最高裁に選挙不正申立て―上院の当選者宣告を中止するよう要求。 |
DIA-205-1987-05-29-2 | フィリピン | 1987年05月29日 | 1980年代 | GADも最高裁に再審を申立て―6月4日最高裁,GAD,UPP・KBLの申立てを却下。 |
DIA-205-1987-05-31-1 | フィリピン | 1987年05月31日 | 1980年代 | NPA,北イロコス州の熊谷組事務所を襲撃。 |
DIA-205-1987-06-01-1 | フィリピン | 1987年06月01日 | 1980年代 | 企業の農業増産計画は中止に―政府命令(GO)47号は5月28日付けで廃止と農業省発表。従業員500人以上の法人に食糧自給化を目的に米,とうもろこしの耕作を課してきたが,目標を達成できなかったため。 |
DIA-205-1987-06-02-1 | フィリピン | 1987年06月02日 | 1980年代 | ルパオ住民虐殺事件で23兵士を軍法会議に―ラモス参謀総長が承認,うち20人が殺人,殺人未遂で。 |
DIA-205-1987-06-04-1 | フィリピン | 1987年06月04日 | 1980年代 | 回教徒ゲリラ,イリガン市商店街を焼き打ち―500人が焼け出され,損害額5000万ペソ。軍当局,ミンダナオのキリスト教徒地域への攻撃であると発表。 |
DIA-205-1987-06-04-2 | フィリピン | 1987年06月04日 | 1980年代 | ナボタス警察署長,NPA容疑の3人に射殺さる。 |
DIA-205-1987-06-05-1 | フィリピン | 1987年06月05日 | 1980年代 | Business Day 紙,労使問題が原因で休刊に。 |
DIA-205-1987-06-05-2 | フィリピン | 1987年06月05日 | 1980年代 | シン枢機卿,農地改革実施の行政命令布告要請―地主の権利を抑え,貧者に必要なものを与えよ。 |
DIA-205-1987-06-05-3 | フィリピン | 1987年06月05日 | 1980年代 | ラウレル,農地改革の法制化は新議会でと発言―議会審議を通じ各分野の意見を反映できると。 |
DIA-205-1987-06-06-1 | フィリピン | 1987年06月06日 | 1980年代 | 選挙委,上院選上位20位までを当選宣告―下院選はすでに158人を当選宣告と発表。17日上院にHerrera が当選。7月2日Tamano,同25日rasul がそれぞれ当選。 |
DIA-205-1987-06-06-2 | フィリピン | 1987年06月06日 | 1980年代 | バコロドで砂糖きび地主100人が抗議集会―砂糖きび農地を対象とした農地改革令を布告したら武装し,独立運動を展開すると州庁舎前で集会。 |
DIA-205-1987-06-08-1 | フィリピン | 1987年06月08日 | 1980年代 | アキノ,ジェッダに政府代表の派遣を拒否―MNLF招請による6月18日の和平交渉会議に関して。ベニグノ報道官:ジェッダでの交渉は国内問題に国際的な政治力学を持ち込むことになる。MNLFのHabib Hashim 代表は政府声明を歓迎:政府自身が先のイスラム会議機構(OIC)を仲介人とする先の合意に背いた。 |
DIA-205-1987-06-08-2 | フィリピン | 1987年06月08日 | 1980年代 | 人民党のブスカイノが銃撃で負傷―ケソン市で。9日Agcaoili 同党委員長記者会見:軍,警察の仕業とする証拠がある。 |
DIA-205-1987-06-12-1 | フィリピン | 1987年06月12日 | 1980年代 | GAD,傘組織として存続で合意―エンリレを含む14上院候補で非公開会議。日常業務を担当する7役員を選出。委員長にはF.Tatad を指名。 |
DIA-205-1987-06-13-1 | フィリピン | 1987年06月13日 | 1980年代 | シュルツ米国務長官来比―5日間滞在。16日アキノ大統領と会談。比新議員14人とも非公式に会談:シュルツ,比側の米政府援助を基地使用料化する要請に応ぜず。16日シュルツ,モンソドNEDA長官,総額1億7600万ドルの各種援助協定に調印。 |
DIA-205-1987-06-13-2 | フィリピン | 1987年06月13日 | 1980年代 | 政府軍,解放神父キャンプを急襲―南スリガオ州Barabo で。共産ゲリラ25人が死亡。15日,軍当局はFrancisco Navarro 神父は7日の交戦で死亡を確認と発表。15日付けMC紙は同神父の生存写真を掲載。 |
DIA-205-1987-06-19-1 | フィリピン | 1987年06月19日 | 1980年代 | コルディリェラ暫定自治区設立合意書に調印―ペラエス代表とコルディリェラ人民解放軍(CPLA)のバルウェグ神父がバギオで。17日アキノ,同合意に下院議員から強い反対があるとし,行政命令の布告を保留。 |
DIA-205-1987-06-19-2 | フィリピン | 1987年06月19日 | 1980年代 | 地方自治体は自警団の武器携行を許可出来ない―法務長官が警告。非武装組織の結成を奨励。ラモス参謀総長は異なる発言:中部ルソンでは武器携行は認められているが,軍,警察による厳重な監督下に置かれる。 |
DIA-205-1987-06-21-1 | フィリピン | 1987年06月21日 | 1980年代 | バルウェグ神父,銃撃で負傷―アブラ州のBaay-Licuamで武装した約40人に襲われ。同行のCPLAの8人は死亡。23日Ermita 参謀次長が発言:犯行はNPAがコルディリェラを彼らの聖域とすべく,CPLAの排除が目的。24日CPLA側和平交渉委員のA.Aydinan が記者会見:銃撃は共産ゲリラ掃討作戦中に軍が誤って発砲したもの。 |
DIA-205-1987-06-22-1 | フィリピン | 1987年06月22日 | 1980年代 | アキノ事件重要容疑者の拘留を命令―公務員犯罪特別裁判所第3部のR.Hermosisima Jr.判事:C.Casta 軍曹を所属司令官の拘束でなく,直ちに最寄りの自治体の刑務所に身柄を拘束せよ。同軍曹はアキノを機内から連行する直前にMoreno 軍曹に小型鞄を手渡したとされていたもの。 |
DIA-205-1987-06-22-2 | フィリピン | 1987年06月22日 | 1980年代 | 倉成・アキノ会談―第14次円借款の増額を約束。 |
DIA-205-1987-06-23-1 | フィリピン | 1987年06月23日 | 1980年代 | アキノ,共産ゲリラとテロへの人民戦争を宣言―89回海軍記念日で演説:武器密輸防止のため沿岸警戒強化を指示。 |
DIA-205-1987-06-25-1 | フィリピン | 1987年06月25日 | 1980年代 | イレト国防長官,銀行取り付けの噂に調査を命令―B.Tecson 比銀行協会会長がイレトに文章で要請:噂の程度は1981年のデューイ・ディー事件より大きく,電話で行なわれている。チャイナ・バンク社のE.Go社長:噂とは逆に銀行の流動性は十分にある。 |
DIA-205-1987-06-25-2 | フィリピン | 1987年06月25日 | 1980年代 | シン枢機卿公邸前で手投げ弾爆発―2人が負傷。 |
DIA-205-1987-06-26-1 | フィリピン | 1987年06月26日 | 1980年代 | 米最高裁判所,マルコス持ち込みの資産接収支持―米税関当局がハワイで800万ドル相当の財産を押収したのは合法的であると。 |
DIA-205-1987-06-27-1 | フィリピン | 1987年06月27日 | 1980年代 | アキノ,定年すぎの2将軍の辞任を発表―30日付けでミソン副参謀長,カニエソ陸軍司令官が。デビリャ(国警司令官,兼職),パディリャ(南部ルソン方面軍司令官)両将軍がそれぞれ昇格。 |
DIA-205-1987-06-29-1 | フィリピン | 1987年06月29日 | 1980年代 | 国営テレビ局はロペス家に返還―ベニグノ報道官が発表。7月6日,CAMM(メディア独占反対運動),同局をロペス家所有のABC-CBNネット・ワークに統合すれば報道独占に道開くと,最高裁に差し止め請求。 |
DIA-205-1987-06-30-1 | フィリピン | 1987年06月30日 | 1980年代 | アキノ,自治長官に地方首長代行更迭中止を命令―フェレル自治長官言明:有罪となれば解任する手筈の20人を除き現職に留任させると言明。 |
DIA-205-1987-06-30-2 | フィリピン | 1987年06月30日 | 1980年代 | Laban 上院議員総会,サロンガを議長候補に選出―7月1日,同下院総会ではミトラを下院議長候補に。 |
DIA-205-1987-07-01-1 | フィリピン | 1987年07月01日 | 1980年代 | スイス最高裁判所,比側に司法協力を裁定―マルコスの隠し財産10億ドルの預金口座の守秘義務を解除し,調査期間中は口座を凍結する。 |
DIA-205-1987-07-03-1 | フィリピン | 1987年07月03日 | 1980年代 | 政府交渉委員代表にベンソン保健長官を任命―アキノ大統領。ペラエス大使の後任としてMNLF,CPLAとの和平交渉を担当。 |
DIA-205-1987-07-06-1 | フィリピン | 1987年07月06日 | 1980年代 | 民間で保有する銃器は44万5000丁―デビリャ副参謀長が発表:うち30万丁は登録されており,残りは回教ゲリラ,共産ゲリラの手にある。 |
DIA-205-1987-07-06-2 | フィリピン | 1987年07月06日 | 1980年代 | 経団連使節団,商工長官らと会談―団長春名和雄丸紅社長。比側は日本の投資拡大と輸入促進を要請。 |
DIA-205-1987-07-07-1 | フィリピン | 1987年07月07日 | 1980年代 | アキノ,国軍高官を激しく非難―比士官学校爆破等の一連の事件が未解決であるとして,大統領府で開催の司令官会議に出席のラモス参謀総長以下40将軍を。 |
DIA-205-1987-07-09-1 | フィリピン | 1987年07月09日 | 1980年代 | シン枢機卿,非公式にソ連訪問―11日間。ロシア正教会1000年記念行事に招かれたもの。 |
DIA-205-1987-07-09-2 | フィリピン | 1987年07月09日 | 1980年代 | レーガン大統領,マルコスに文書で警告―同日付けWashington Post紙。マルコスが3日に帰国,比で兵士1万人を集めてアキノを人質に取るとの情報で。米政府係官がマルコス宅に赴き,居住の制限がある旨を警告。 |
DIA-205-1987-07-09-3 | フィリピン | 1987年07月09日 | 1980年代 | マルコス帰国計画の会話テープを公表―Washington Post紙。米下院外交委アジア太平洋問題小委が,マルコスと米人弁護士,武器仲介人を称する人物との会話内容を発表。 |
DIA-205-1987-07-13-1 | フィリピン | 1987年07月13日 | 1980年代 | NICA長官にカニエソ前陸軍司令官が就任―24日アキノ,行政命令246号を布告し国家情報調整局(NICA)に法的根拠を付与。 |
DIA-205-1987-07-14-1 | フィリピン | 1987年07月14日 | 1980年代 | セメント需要急増で,下半期410万袋輸入―生産会社組合のPhilcemcor が予測:87年上半期セメント販売高は5300万袋(1袋40kg)と前年同期比35%増。下半期の需要見込みは5740万袋で,不足分は輸入。 |
DIA-205-1987-07-14-2 | フィリピン | 1987年07月14日 | 1980年代 | アキノ,大佐21人を准将に昇格―デビリャは中将に,パディリャ,タピアも各々少将に。これで将官は92に(国警30人,陸軍28人,空軍14人,海軍8人)。 |
DIA-205-1987-07-15-1 | フィリピン | 1987年07月15日 | 1980年代 | コルディリェラ自治地域創設に―行政命令220号を布告。アブラ,ベンゲット,ボントク,カリンガ・アバヨおよびバギオ市をコルディリェラ自治地域(CAR)とし,立法機関として250人から構成されるコリディリェラ地域議会(CRA),行政機関として18人の代表から構成されるコルディリェラ行政委員会(CEB)を設置する。17日付MC紙,政府側見解:CARの治安維持はCPLAでなく,国軍が担当する。 |
DIA-205-1987-07-16-1 | フィリピン | 1987年07月16日 | 1980年代 | マルコス一族に2000億ペソの資産返還の民事訴訟―PCGGが公務員犯罪特別裁判所に提訴。合わせて2513億ペソの損害賠償金の支払請求も提訴。17日にクロニー等36人に不法行為に基づく損害賠償金2030億ペソの請求を訴訟。以下31日までに35件,300人に対し総額2兆6200億ペソの民事訴訟を提訴。新憲法の規定によりPCGGの資産接収,凍結命令に基づく法律手続きは8月2日までに着手する必要がある。 |
DIA-205-1987-07-17-1 | フィリピン | 1987年07月17日 | 1980年代 | アキノ,87年包括投資法を布告―コンセプシオン商工長官が投資増大に期待を表明:今後6年間で総額650億ペソ,87年のみで87億ペソの新規投資。 |
DIA-205-1987-07-17-2 | フィリピン | 1987年07月17日 | 1980年代 | 政府,外銀団と債務繰延べ協定に調印―ニューヨークで。総額132億700万ドル:再交渉分は58億1700万ドル,87~92年満期分35億100万ドル,85年新規融資分9億2500万ドル,貿易回転融資29億6400万ドル。前2者は期間は17年(据置7.5年),利率はLibor プラス0.875%。 |
DIA-205-1987-07-22-1 | フィリピン | 1987年07月22日 | 1980年代 | P.E.Juico天然資源次官を農地改革長官に任命。 |
DIA-205-1987-07-22-2 | フィリピン | 1987年07月22日 | 1980年代 | アキノ,包括農地改革計画(CARP)を布告―行政命令226号。23日タデオKMP全国委員長,記者会見で非難:CARPは廃止させる。現在KMP傘下の農家5万戸が全国で7万500haの土地を実力で占拠している。一方穏健派農民組合の自由農民連合(FFF)はCARP受け入れを表明:われわれはアキノに感謝する。 |
DIA-205-1987-07-23-1 | フィリピン | 1987年07月23日 | 1980年代 | 両院議長候補,CARP布告を歓迎―サロンガ上院議長候補:最重要な優先順位,保有限度を議会の決定に委ねたことは喜ばしい。ミトラ下院議長候補:CARPは下院発足後30日以内に策定が予定される下院独自の農地改革案にも反映されよう。 |
DIA-205-1987-07-24-1 | フィリピン | 1987年07月24日 | 1980年代 | KMPがCARP反対のデモ―1500人参加。 |
DIA-205-1987-07-25-1 | フィリピン | 1987年07月25日 | 1980年代 | CBCP,CARPを支持に―同日付けMC紙。比カトリック司教会議ビダル枢機卿,前週セブで声明文を発表:農地改革には誰もが痛みを分つべきである。 |
DIA-205-1987-07-27-1 | フィリピン | 1987年07月27日 | 1980年代 | 新議会発足―アキノ大統領,両院合同本会議の「一般教書」演説で累積債務問題に言及,債権国,金融機関を強く非難。29日オンピン財務長官,外銀団との債務繰延べ協定調印直前にバ-クレイズ銀行が民間肥料会社,Planters Products Inc.(PPI)の債務の政府肩代わりを要求し,協定書調印のボイコットを通告したと発表。 |
DIA-205-1987-07-27-2 | フィリピン | 1987年07月27日 | 1980年代 | Abadilla 大佐を自宅で逮捕―Capcom発表。元首都圏警察本部(Metrocom)情報保安隊長で民間テレビ局占領事件等一連のクーデター未遂事件に関与の疑いで。 |
DIA-205-1987-07-29-1 | フィリピン | 1987年07月29日 | 1980年代 | 上院議員の資産公開―所有純資産上位1位はラウレルの1713万ペソ,2位はオスメーニャの1539万ペソ。 |
DIA-205-1987-07-31-1 | フィリピン | 1987年07月31日 | 1980年代 | 新憲法承認後の任命職はすべて任命委の審査に―マセダ上院議員が大統領府に資料提出要請。サロンガ上院議長,十分な検討を期し特別委員会を設置。 |
DIA-205-1987-07-31-2 | フィリピン | 1987年07月31日 | 1980年代 | 投資委登録の上半期新規投資が急増―28億4000万ペソと前年同期比105%増に。 |
DIA-205-1987-08-01-1 | フィリピン | 1987年08月01日 | 1980年代 | PCGG,マルコス派将軍の資産没収を提訴―公特裁に,T.Dumpit 少将,J.Ramas 少将(退役)ら3人に1300万ペソ相当の出所不明の資産について。 |
DIA-205-1987-08-02-1 | フィリピン | 1987年08月02日 | 1980年代 | フェレル自治長官を5人組が射殺―パラニャケで。13日アキノ,後任に実弟のJ・フェレルを任命。 |
DIA-205-1987-08-03-1 | フィリピン | 1987年08月03日 | 1980年代 | APT,政府保有の資産売却で指針発表―同日付けMC紙。D.Sycip 資産民営化信託(APT)理事長が言明:APTに引き継いだ399件の資産のうち300件が政府金融機関からの債権である。固定資産以外は第三者への売却は難しく,当該資産は所有者の抵当物受け戻し権喪失を明確にする。またこの売却価格は,APTへの移管価格に86年6月末起算の金利12%を上乗せする。 |
DIA-205-1987-08-05-1 | フィリピン | 1987年08月05日 | 1980年代 | アキノ,政府企業86社の民営化を承認―総資産372億ペソ。比石油公社(PNOC)の子会社17社を含む72社の決定は先送り。31日民営化委員会(COP),PNOCの子会社Petron Corp.の売却保留を決定。 |
DIA-205-1987-08-06-1 | フィリピン | 1987年08月06日 | 1980年代 | オンピン財務長官,部分的債務不払いに反対―フェルナンデス中銀総裁とともにアキノと会談の後に言明。7日付けMC紙で,モンソドNEDA長官が提案:対外債務返済比率には法定上限を課し,5年ごとに改定すべきである。上限を超えた額は融資に組み入れる。8日財務長官,政府が債務不払い,利息凍結を決定すれば辞任すると発言。 |
DIA-205-1987-08-07-1 | フィリピン | 1987年08月07日 | 1980年代 | シュルツ,米軍基地の賃貸料化を重ねて拒否―米上院予算小委員会で証言:(1)基地は受入れ国にも役立っている,(2)レーガン政権は88会計年度2億6100万ドルの対比援助を議会に提出している。 |
DIA-205-1987-08-07-2 | フィリピン | 1987年08月07日 | 1980年代 | アキノ,下院任命議員4人を任命―7月20日の締め切り日まで被指名人1015人の名簿を大統領府が受理。 |
DIA-205-1987-08-12-1 | フィリピン | 1987年08月12日 | 1980年代 | PCGG,農地改革予算に6000万ペソを配分―Q.Doromal 委員が発表:5年間で200億ペソを調達,初年度(88年8月8日まで)に27億ペソを計画,今回分はその一部で今週中に実行。18日APTは同予算に向け87,88会計年度に資産処分で50億ペソ,5年間で238億ペソを調達と発表。 |
DIA-205-1987-08-13-1 | フィリピン | 1987年08月13日 | 1980年代 | 選挙委・エンリレの上院当選(24位)宣告―同氏記者会見で,基地存続,憲法の非核条項の修正を提言。 |
DIA-205-1987-08-14-1 | フィリピン | 1987年08月14日 | 1980年代 | Planters Prodncts Inc.社の債務の肩代わり停止に―政府発表。6億2000万ペソの予算配分を決めた7月14日付け行政命令219号は留保。17日ビラタ前首相,下院歳入委で証言:政府のPPI債務は民間債務である。85年5月の政府保証状(LOU)はPPIの存続を保証したものにすぎない。25日オンピン財務長官,上院ブルー・リボン委員会で証言:LOUは法的文書であり,アキノ政権をも拘束する。 |
DIA-205-1987-08-14-2 | フィリピン | 1987年08月14日 | 1980年代 | 石油製品値上げに―平均80センタポ(1リットル)。17日ジプニー運転手組合,首都圏で値上げ反対の交通スト。25日大統領,今度は平均50センタポ値下げを指示。26日首都圏と5地域で市民ゼネスト。KMU,比労働組合会議(TUCP)が参加,メンディオラ橋で6000人デモ。27日102人を逮捕。 |
DIA-205-1987-08-19-1 | フィリピン | 1987年08月19日 | 1980年代 | 砂糖きび農地を農地改革の対象外に要請―Romeo Guanzon 下院議員・全国砂糖きび農園主連盟(NFSP)委員長が言明:小農地分割は暴力的抗争を招く。 |
DIA-205-1987-08-19-2 | フィリピン | 1987年08月19日 | 1980年代 | ゲリラ投降者の恩赦期間延長―アキノ大統領8月28日に切れる恩赦措置をさらに6カ月延長と発表。 |
DIA-205-1987-08-20-1 | フィリピン | 1987年08月20日 | 1980年代 | 上院に非核2法案提出―ピメンテル議員提案にはアガピト・アキノ議員等11人が共同提案:比国内での核兵器貯蔵,核兵器搭載艦船の寄港などを禁止。 |
DIA-205-1987-08-20-2 | フィリピン | 1987年08月20日 | 1980年代 | 閣僚の政府企業兼職を非難―R.Albano 下院議員(KBL),行政命令284号の即時停止を要請。21日Ordonez 法務長官,同命令は合憲と説明。大統領府,11閣僚の政府企業の兼職を公表。ただし収入は発表せず。 |
DIA-205-1987-08-26-1 | フィリピン | 1987年08月26日 | 1980年代 | 米新大使信任状を提出―Nicholas Platt。 |
DIA-205-1987-08-27-1 | フィリピン | 1987年08月27日 | 1980年代 | フィリピン大学総長にJose Abueva が就任。 |
DIA-205-1987-08-28-1 | フィリピン | 1987年08月28日 | 1980年代 | 国軍改革運動派将兵,大統領府等を襲撃―(午前1時),兵士約800人が大統領府,ビリャモール空軍基地,国営テレビ局,アギナルド基地等を急襲,(3時)大統領府突入は果たせず反乱部隊はアギナルド基地を占拠,(4時半)アキノ,ラジオ放送で平静を呼びかけ,(14時)政府軍,テレビ2局を奪回,(19時前)首謀者のホナサン大佐逃亡,(21時)政府軍,アギナルド基地の全反乱部隊を武装解除したと発表。パンパンガ州オリバス基地,セブ州の国警の3基地,レガスピ空港も一時反乱側が占拠。反乱参加将兵は全国で約1700人。9月2日アキノのテレビ演説:死者は53人(うち政府軍12人,反乱軍19人,民間人22人)に。 |
DIA-205-1987-08-29-1 | フィリピン | 1987年08月29日 | 1980年代 | 参謀総長,逃亡した反乱首謀者の逮捕,射殺命令―「反乱将兵705人はマニラ湾上の軍艦2隻に収容する」。30日軍艦に収容の将兵に家族との面会を許可。 |
DIA-205-1987-08-29-2 | フィリピン | 1987年08月29日 | 1980年代 | 反乱将校は軍事評議会設置を計画していた―参謀総長が言明:逮捕したMelchor Acosta 中佐が認めた。 |
DIA-205-1987-08-30-1 | フィリピン | 1987年08月30日 | 1980年代 | 国警中部ビサヤ地域司令官E.Abenina 准将を解任―反乱を支援したとして身柄拘束に。O.Dulay 前大佐も逮捕。 |
DIA-205-1987-08-30-2 | フィリピン | 1987年08月30日 | 1980年代 | 比士官学校生徒862人がハンガースト―反乱将兵の主張に同調,逮捕された兵士の人道的扱いを要請。 |
DIA-205-1987-08-30-3 | フィリピン | 1987年08月30日 | 1980年代 | アロヨ官房長官,国軍の対応を批判―記者会見:反乱事件最中にラモス参謀総長と電話連絡不能のため,テレビ局奪回の大統領命令を直接西部警察署長Lim 准将らに伝えた。ロクシン特別顧問を国警クラメ基地に派遣したが国軍兵士が銃を空に向けて撃っていたと報告した。 |
DIA-205-1987-09-01-1 | フィリピン | 1987年09月01日 | 1980年代 | Binay・MMC知事代行,警察隊の役割を強調―Lorenzana 自治長官代行と記者会見:反乱事件処理で実績を示した。警察隊のCapcom からの分離を要請。 |
DIA-205-1987-09-02-1 | フィリピン | 1987年09月02日 | 1980年代 | Oreta 下院議員,全閣僚辞任を要求―大統領側近が反乱側占拠のテレビ局爆破命令を出したと下院で演説,内閣改造を提案。1日にはTanjuatco 議員が,アロヨとロクシンは前線の兵士を侮辱したと下院で演説。 |
DIA-205-1987-09-04-1 | フィリピン | 1987年09月04日 | 1980年代 | アキノ,軍人給与の60%引き上げを承認―6月25日に国防省,参謀本部が提出の賃金改定計画を促進。 |
DIA-205-1987-09-05-1 | フィリピン | 1987年09月05日 | 1980年代 | 副大統領,首都圏基地で軍人と対話集会―5,6の両日。下級兵士の意見は:(1)昇進制度の順守,(2)ホナサン大佐の免責,(3)容共派3閣僚,参謀総長の更迭。 |
DIA-205-1987-09-07-1 | フィリピン | 1987年09月07日 | 1980年代 | ミンダナオの200万人が自警団員―下院人権委員会による調査報告。同日付けMC紙。 |
DIA-205-1987-09-07-2 | フィリピン | 1987年09月07日 | 1980年代 | 共産ゲリラ,ビコール地方で橋梁爆破―南カマリネス州Sipocotで。Naga市等は孤立状態に。30日NDFのオカンポが記者会見:同地方の4橋梁破壊のうち2件はわれわれの行為。同地方での暫定政権樹立は否定。 |
DIA-205-1987-09-07-3 | フィリピン | 1987年09月07日 | 1980年代 | ラモス参謀総長,反乱兵士532人の釈放を発表。 |
DIA-205-1987-09-07-4 | フィリピン | 1987年09月07日 | 1980年代 | ラモス,上院国防安全保障委で証言―4項目を要請:(1)軍人給与の速やかな引き上げ,(2)兵員の増強,(3)参謀総長,4軍司令官の後継制度,任期の明確化,(4)CHDF6000人を募集,CHDFの解体は6カ月先送りに。 |
DIA-205-1987-09-08-1 | フィリピン | 1987年09月08日 | 1980年代 | アロヨ官房長官,下院で証言―ロクシン特別顧問も喚問。アロヨ発言:Roy Navarro(SGV社長),Cesar Buenaventura(比シェル石油社長),Raul Concepcion(Concepcion Industry 社長)の3経済人は経済危機下に利権を拡大,国家の利益を損なった。また自分は大統領命令に従ったのみで軍に干渉していない。 |
DIA-205-1987-09-09-1 | フィリピン | 1987年09月09日 | 1980年代 | Capcomに大隊規模部隊を配置―Aguirre 同司令官が発表:極左,極右対策に400人の特別部隊。 |
DIA-205-1987-09-09-2 | フィリピン | 1987年09月09日 | 1980年代 | アキノ,26閣僚全員に辞表提出を要求。 |
DIA-205-1987-09-09-3 | フィリピン | 1987年09月09日 | 1980年代 | 大統領,10月予定のイタリア,バチカン訪問を延期。 |
DIA-205-1987-09-10-1 | フィリピン | 1987年09月10日 | 1980年代 | アキノ,国家評議会を招集―常任委員は,大統領,副大統領,参謀総長,両院議長,国防長官の6人。初会合には他に11人が出席。報道官説明:当面の緊急重要課題に対応すべく国家評議会が招集された。国家安全保障会議はすでに設置されており長期的に安全保障計画を検討するが,国家評議会は大統領の最高諮問機関として広範な事項を各分野の代表が討議する。11日行政命令305号を布告し正式発足。 |
DIA-205-1987-09-10-2 | フィリピン | 1987年09月10日 | 1980年代 | 経済界,反乱事件の犠牲者救援金481万ペソを手渡し―Eddie Lim マカチ証券取引所長がラモス参謀総長に。 |
DIA-205-1987-09-11-1 | フィリピン | 1987年09月11日 | 1980年代 | 米上院,全会一致でアキノ政権支持決議―16日米下院も全会一致で支持決議を採択。 |
DIA-205-1987-09-11-2 | フィリピン | 1987年09月11日 | 1980年代 | 国軍将兵の20%がクーデターを合憲と認識―フィリピン大学ミランダ教授が国家評議会で報告。 |
DIA-205-1987-09-11-3 | フィリピン | 1987年09月11日 | 1980年代 | 業績評価ではアロヨが最低―MC紙。マカチ・ビジネス・クラブが450人の会員を対象にした調査で。同クラブ役員会,アロヨが非難した3経済人の支持を確認。 |
DIA-205-1987-09-11-4 | フィリピン | 1987年09月11日 | 1980年代 | NDFは外国援助を求める―オカンポ,シエラ・マドレ山中で記者会見:(1)アキノが対決を強めれば外国に武器,政治的援助を要請する,(2)ホナサンが米の支援を得ていれば彼らとも対決,(3)内閣改造で軍の政治的役割増大,(4)アキノは任期中に課題を達成できない。 |
DIA-205-1987-09-13-1 | フィリピン | 1987年09月13日 | 1980年代 | ホナサン大佐,米報道機関と会見―CBSの“60 Minutes”に出演:8.28反乱は,クーデター目的でなく2月政変の続きである。軍事政権樹立の意図はない。 |
DIA-205-1987-09-13-2 | フィリピン | 1987年09月13日 | 1980年代 | ラモス,ホナサン大佐ら13人の逮捕を命令―29日ケソン市警察当局,反乱将兵23人を殺人罪等で告発。 |
DIA-205-1987-09-16-1 | フィリピン | 1987年09月16日 | 1980年代 | アキノ,ラウレル外務長官,オンピン財務長官を更迭―Padilla 税関長,Joaquin 出入国管理委員長も。 |
DIA-205-1987-09-17-1 | フィリピン | 1987年09月17日 | 1980年代 | シグール米国務次官,アキノと会談。 |
DIA-205-1987-09-17-2 | フィリピン | 1987年09月17日 | 1980年代 | アキノ,アロヨ官房長官とロクシン特別顧問を更迭。 |
DIA-205-1987-09-18-1 | フィリピン | 1987年09月18日 | 1980年代 | 政府部内に30~40人の共産主義者がいる―ラウレル副大統領,NICAリストを引用。30日NICA長官,上院秘密会で証言:同リストは公式文書でない。 |
DIA-205-1987-09-19-1 | フィリピン | 1987年09月19日 | 1980年代 | Alejandro 新民族主義者同盟書記長,暗殺さる。 |
DIA-205-1987-09-21-1 | フィリピン | 1987年09月21日 | 1980年代 | ラモス参謀総長,反乱派追放に着手―反乱事件に参加,同調の17将校を解任。首都圏防衛本部(NCRDC)司令官にMontano 准将(前作戦担当参謀次長)を任命,Aguirre 准将はCapcom 専任に。22日14将校を解任に。 |
DIA-205-1987-09-22-1 | フィリピン | 1987年09月22日 | 1980年代 | ラモス,国民総ID(身分証)発行制提案―全データを電算機入力し,治安対策に効果的であると。 |
DIA-205-1987-09-23-1 | フィリピン | 1987年09月23日 | 1980年代 | ビコール地方に精鋭部隊を急派―ラモス参謀総長が命令。偵察レインジャー大隊を投入。 |
DIA-205-1987-09-23-2 | フィリピン | 1987年09月23日 | 1980年代 | アロヨ,下院で再証言―Navarro の主宰するSGV社は比国立銀行融資239億ペソの配分に関与した。またBuenaventura は中銀外貨準備高を粉飾した容疑がある。 |
DIA-205-1987-09-25-1 | フィリピン | 1987年09月25日 | 1980年代 | ラモス,ビコール地方の非常事態宣言の可能性を否定―人身保護令の停止にも反対と言明:ビコール地方での攻勢は首都圏に向けての陽動作戦である。 |
DIA-205-1987-09-29-1 | フィリピン | 1987年09月29日 | 1980年代 | 比経営者連盟,最賃額の10%引上げ回答―LACC(労働諮問協議会:KMU,Tupas〔比関連事業労組〕,LM〔労働者の力〕等の急進的労働団体で構成),TUCPの一率10ペソの実額引上げ要求に対し,30日アキノは議会審議に委ねると決定。 |
DIA-205-1987-09-29-2 | フィリピン | 1987年09月29日 | 1980年代 | カバワタン少佐,ホナサンとの戦術的連携を否定―自分が8月29日に樹立した暫定政権の指導者である。 |
DIA-205-1987-10-01-1 | フィリピン | 1987年10月01日 | 1980年代 | 米大使館,反乱事件最中にホナサン大佐と接触―Platt 大使,マニラ・ロータリー・クラブで演説:米大使館員が直接電話で,反乱が成功した場合すべての援助を停止とのレーガン大統領のメッセージを伝えた。 |
DIA-205-1987-10-03-1 | フィリピン | 1987年10月03日 | 1980年代 | NDF,米大使発言を非難―声明文を配布:アキノ政権の存続が米国の掌中にあることがはっきりした。ホナサンに反乱を停止させることもできなかった。 |
DIA-205-1987-10-03-2 | フィリピン | 1987年10月03日 | 1980年代 | アキノ,ラウレルとの大統領選時の合意を肯定―記者会見で発言:閣僚職の25~30%を副大統領側に配分するとの合意はあった。しかし2月革命で政権樹立の貢献者が増えた。また2年で政権禅譲との合意はない。 |
DIA-205-1987-10-03-3 | フィリピン | 1987年10月03日 | 1980年代 | 首都圏Sta.Mesa で国軍兵士1人が射殺さる―4日NPAが声明:首都ゲリラ,ABB(Alex Boncayao 旅団)が実行した。8月以来すでに軍,警察17人を射殺。 |
DIA-205-1987-10-05-1 | フィリピン | 1987年10月05日 | 1980年代 | エンリレ,ラウレル側とナショナリスタ党(NP)強化で接触―朝食会で言明:前週,両者の使者がNP統一と地方選に向け党強化で会談した。これはアキノ大統領引き降ろしの政治勢力の統合ではない。 |
DIA-205-1987-10-07-1 | フィリピン | 1987年10月07日 | 1980年代 | 拡大閣議でクーデター防止策を検討―ラモス参謀総長,国軍情報部の情報に基づき,次の右派グル-プが戦略的同盟を結成,10月中に新たなクーデターを計画中と報告:(1)カバワタン少佐率いるマルコス派兵士,(2)逃亡中のホナサン大佐の一派,(3)UPP・KBL,GAD所属の政治家,(4)Guardians 友誼会,ホナサンと連携しているGuardians 基金の会員兵士,(5)マルコス・クロニー。 |
DIA-205-1987-10-07-2 | フィリピン | 1987年10月07日 | 1980年代 | 3ラジオ局を閉鎖―報道官発表:拡大閣議での危機管理委員会(E.Soriano 委員長)の勧告を入れ右派の宣伝活動を継続してきたDZBC局などは閉鎖処分した。またホナサンとの90分の会見記録を放映したテレビ局GMA-7は捜査中である。 |
DIA-205-1987-10-08-1 | フィリピン | 1987年10月08日 | 1980年代 | エンリレ,政府は戒厳令布告を計画中と批判―戒厳令布告の基盤づくりに動いたとして。 |
DIA-205-1987-10-09-1 | フィリピン | 1987年10月09日 | 1980年代 | マングラプス上院議員を外務長官に任命―包括選挙法では60日以内に補欠選実施に。25位サンチェスの繰上げ当選はない。10日アキノ,補欠選はなしと言明。 |
DIA-205-1987-10-09-2 | フィリピン | 1987年10月09日 | 1980年代 | 政府の非常大権問題で立法府,行政府が一致―サロンガ上院議長:政府は非常大権を行使しないがアキノ政権の支配が脅かされればそれに依拠しよう。イレト国防長官:新たなクーデター事件があれば,政府は危機管理委員会の指針に沿って非常大権を行使しよう。しかし第1段階は非常事態宣言の布告である。戒厳令は国家崩壊の危機に布告すべきで,現状では不要。 |
DIA-205-1987-10-12-1 | フィリピン | 1987年10月12日 | 1980年代 | 急進派の労組傘組織LACC,市民ゼネスト―全国一律日額10ペソの引き上げを要求し,全国で25万人が参加。指導者27人が逮捕に。交通ゼネストは失敗。16日穏健派のTUCP傘下の首都圏労組の90%がストに突入。 |
DIA-205-1987-10-18-1 | フィリピン | 1987年10月18日 | 1980年代 | 装甲車1台,サントトマス大学前で乗り捨て―ボニファシオ基地で盗まれたもの。国警当局:大統領府攻撃が目的のカバワタン派のクーデター計画である。 |
DIA-205-1987-10-20-1 | フィリピン | 1987年10月20日 | 1980年代 | アキノ,経済13団体を前に演説―マニラホテルで:(1)違法ストのバリケード撤去に警察が協力,(2)NDFとの和平交渉は再開しない,(3)対外債務の個別銀行交渉は11月15日までに完了,(4)大統領身内,閣僚,政府高官の汚職・不正の調査・告発優先,(5)PLDT社の電話故障は24~48時間で処理,(6)首都圏塵芥は1週間以内に撤去等。23日経済13団体,全国紙でアキノ支持の広告。 |
DIA-205-1987-10-22-1 | フィリピン | 1987年10月22日 | 1980年代 | 米大使館武官が反乱事件最中に比軍基地に―Platt 大使が認める:Victor Raphael 中佐はアギナルド基地内で情報把握の任にあった(Malaya紙による同中佐は政府側兵士に反乱兵攻撃をやめるよう説得したとの報道に対してのコメントは拒否)。25日アキノ,外務,国防,国軍当局に調査を指示。26日ギンゴーナ上院副議長,ミトラ下院議長は米大使館武官の内政干渉として各々調査を表明。28日Raphael 中佐帰国。ロムロ上院議員,反乱事件最中に比軍基地にいた他の武官3人の氏名発表。 |
DIA-205-1987-10-22-2 | フィリピン | 1987年10月22日 | 1980年代 | ラウレル副大統領,ホナサンの刑事免責を要請。 |
DIA-205-1987-10-23-1 | フィリピン | 1987年10月23日 | 1980年代 | アキノ,ダバオで武装自警団Alsa Masa を支持―Agdao 地区の住民2000人を前に演説:人々が同自警団を必要ならば武力の行使,人権侵害をしないとの条件で同自警団は解体しない。南部方面軍司令官タピア少将,アキノ発言を支持:武器はCHDF,警察が所有し自警活動には使用されていない。24日人権擁護団体,アキノのAlsa Masa 支持を非難:パナイ,レイテ両島から自警団の赤狩りを逃れ2000人以上が首都圏に。26日ピメンテル上院議員も非難:武装自警団は民衆にとって危険集団。 |
DIA-205-1987-10-24-1 | フィリピン | 1987年10月24日 | 1980年代 | 自治長官にLuis T.Santos 下院議員を任命―11月1日,J・フェレルは公共事業道路長官に任命。 |
DIA-205-1987-10-26-1 | フィリピン | 1987年10月26日 | 1980年代 | インドネシア軍方式の共産対策には国民が反撃に―同日付けMC紙獄中のサラス前比共産党議長が通信社との会見で警告。 |
DIA-205-1987-10-27-1 | フィリピン | 1987年10月27日 | 1980年代 | アマコスト国務次官,アキノと会談―6月に決定した米援助額1億5000万ドルの半額,7500万ドルの早期実行を約束。 |
DIA-205-1987-10-28-1 | フィリピン | 1987年10月28日 | 1980年代 | クラーク基地周辺で米兵ら4人が射殺―11月23日,NDF,BBC放送の質問に自派の犯行と回答。 |
DIA-205-1987-10-31-1 | フィリピン | 1987年10月31日 | 1980年代 | アキノの義妹,カジノ利権の100万ドル授受を否定―同日付けSydney Morning Herald 紙のMargarita Cojuangco が豪のSmith and Lane Holding 社から政府経営のカジノの権利取得工作費として受領との記事に反論。11月5日アキノ,国家捜査局に調査を指示。 |
DIA-205-1987-11-01-1 | フィリピン | 1987年11月01日 | 1980年代 | 武装警官,国立比技術大学を急襲―Sta.Mesa のPUPに起居する農民28人,学生1人を共産ゲリラ容疑で逮捕。2日警察当局,Prudente 学長を爆発物不法所持で検察局に告発。同学長は,彼らはレイテ島から武装自警団のテロを逃れて首都圏にきたと弁明。3日Capcom 司令官,38人の釈放を命令。5日武装警官,PUPで24人を再逮捕。10日Prudente 学長,射たれて負傷。 |
DIA-205-1987-11-06-1 | フィリピン | 1987年11月06日 | 1980年代 | 選挙委,サロンガがリベラル党(LP)党首と認定―85年10月にカラウがLP党首として選挙委に登録申請して以来審議が続いたもの。11日カラウの選挙委認定異議申し立てに対し最高裁,選挙委員会認定を支持。 |
DIA-205-1987-11-06-2 | フィリピン | 1987年11月06日 | 1980年代 | ラモス,反乱参加の空軍兵士22人の釈放を命令。 |
DIA-205-1987-11-06-3 | フィリピン | 1987年11月06日 | 1980年代 | NDF,米軍基地を攻撃対象にすると宣言―オカンポ・スポークスマンの声明文:対ゲリラ戦に介入する米政府は高い犠牲を払うことになる。米大使館筋の言明:声明の内容は重要であるが,文書が本物か調査中。 |
DIA-205-1987-11-07-1 | フィリピン | 1987年11月07日 | 1980年代 | メルカード,サギサグの両上院議員,LP参加―サロンガ党首が発表:これでLPは上院で6人,下院で43人に。またMunos Palmas(前制憲委員長)も参加。10日付けMC紙によると,さらにギンゴーナ上院副議長,エストラーダ同議員も参加予定。LPのダサ下院与党院内総務談:ミトラ下院議長はPDP・Laban(比民主党・国民の力)に属するが元来はLP出身者であり,われわれの味方である。 |
DIA-205-1987-11-09-1 | フィリピン | 1987年11月09日 | 1980年代 | ピメンテル上院議員,中銀総裁の更迭を要求―フェルナンデス総裁は地位を利用,出身元のFar Easten Bank and Trust 社に有利な金融政策をとった。 |
DIA-205-1987-11-09-2 | フィリピン | 1987年11月09日 | 1980年代 | 首都圏で都市ゲリラ対策の自警団を結成―西部警察署長Lim 准将が発表:「平和と民主主義のためのマニラ十字軍」(MCPD)が12自警団,1000人で発足。10日MCPDが訓練開始。11日自治長官,自警団活動は情報収集のみに限定されると警告。 |
DIA-205-1987-11-10-1 | フィリピン | 1987年11月10日 | 1980年代 | タニャーダ上院議員,米軍基地は違憲と非難―マニラで開催中の第5回核禁止・独立会議で演説:在比米軍基地の核兵器は国外に撤去すべきである。 |
DIA-205-1987-11-10-2 | フィリピン | 1987年11月10日 | 1980年代 | 政治王朝化禁止法案に拒否権を発動しない―アキノ大統領,ギンゴーナ(上院ブルー・リボン委員長)提出の法案82号に関し言明:身内の地方選立候補に際し自分の同意をうるよう取り計らうが,最終的に立候補を阻止できない。23日下院選挙改革委も独自の政治王朝化禁止法案(1855号)を可決。両法案とも4親等以内の血族,姻族関係を対象に。 |
DIA-205-1987-11-11-1 | フィリピン | 1987年11月11日 | 1980年代 | シン枢機卿,訪中―11日趙首相と会見。 |
DIA-205-1987-11-14-1 | フィリピン | 1987年11月14日 | 1980年代 | 保守野党連合「ナショナリスタ党」が旗上げ―エンリレ上院議員は名義上の指導者に。I・ロドリゲス委員長代行,オプレ書記長。NPラウレル派は不参加。 |
DIA-205-1987-11-14-2 | フィリピン | 1987年11月14日 | 1980年代 | 第13回比経済人会議(PBC),決議を採択―(1)農地改革法案の早期決着,(2)労使紛争に際して労働法の厳格な適用,(3)密貿易の罰則強化,(4)中小企業振興など,PBC各分科会による勧告の実行。 |
DIA-205-1987-11-15-1 | フィリピン | 1987年11月15日 | 1980年代 | 比共産党副議長逮捕―Juanito Rivera。 |
DIA-205-1987-11-17-1 | フィリピン | 1987年11月17日 | 1980年代 | ASEAN首脳会議で在日米軍基地問題は扱わず―インドネシアのモフタル外相,マングラプス比外務長官との会談で表明。18~20日バリ島でASEAN高級事務レベル会議開催。21日モフタル外相,首脳会談の議題は経済問題になると発表。 |
DIA-205-1987-11-17-2 | フィリピン | 1987年11月17日 | 1980年代 | アキノ,単一与党構想を支持―全与党がLaban の傘下に。一方ではPDP・Laban とLakas ng Bansa(Lakas,国家の力)は地方選に向け正式の戦術的同盟関係設定に合意。18日サロンガ,単一与党には反対を表明。 |
DIA-205-1987-11-18-1 | フィリピン | 1987年11月18日 | 1980年代 | 国家治安評議会が復活―11日付け行政命令309号で。犯罪,破壊活動などに官民一致して取り組むため。委員長は自治長官,副委員長は国防長官,事務局長は国家警察委員長。 |
DIA-205-1987-11-18-2 | フィリピン | 1987年11月18日 | 1980年代 | ロペス・グループ,PCIBを取得―比開発銀行(DBP)保有のPCIB株売却入札に際し13億4500万ペソで落札。比商業国際銀行(PCIB)株式の52.67%を所有へ。 |
DIA-205-1987-11-19-1 | フィリピン | 1987年11月19日 | 1980年代 | 群島基線規定法案,上院に提出―シャハニ外交委員長が提出。サバを外すが群島理論を根拠に南沙群島を含む。30日アキノ,両院議長と会談,同法案の取り下げに合意。サバ領有権放棄へのミンダナオ出身議員の強い反対,また南沙群島の領有権主張に対するベトナム,中国の非難に対応するため。 |
DIA-205-1987-11-21-1 | フィリピン | 1987年11月21日 | 1980年代 | 国軍,比共産党指導部の全容を公表―中央委29人,うち政治局員11人。執行委は軍事,国際連絡,統一戦線,NDF,財務委等。87年は革命税1500万ペソを徴収。 |
DIA-205-1987-11-22-1 | フィリピン | 1987年11月22日 | 1980年代 | NPAに1~10月に800万ドルの外国資金援助―イレト国防長官発表:オランダ,西独,伊等の団体から。25日軍当局,米,豪,オランダの5民間援助組織を公表。 |
DIA-205-1987-11-25-1 | フィリピン | 1987年11月25日 | 1980年代 | LPの30議員,アキノと会談―大統領に協力,支持するが地方選では独自の候補者を立てると強調。 |
DIA-205-1987-11-25-2 | フィリピン | 1987年11月25日 | 1980年代 | アキノ,身内の地方選挙出馬には抵抗―Roberto Castro(義理の従兄弟)のタルラク州知事候補に不満。26日Castro 不出馬,代わりにMariano Ocampo(比バージニア煙草公社会長)を指名。 |
DIA-205-1987-11-26-1 | フィリピン | 1987年11月26日 | 1980年代 | 比共産党内で路線論争激化―同日付けMC紙,機関誌Ang Bayan(祖国)10月号で確認できるとし。 |
DIA-205-1987-11-29-1 | フィリピン | 1987年11月29日 | 1980年代 | アキノ,地方選公認候補を発表―PDP・Laban とLakas ng Bansa 連合で45知事,21市長を指名,単一与党連合は事実上崩壊に。 |
DIA-205-1987-12-01-1 | フィリピン | 1987年12月01日 | 1980年代 | 地方選挙立候補届け出締切り―73州,2準州,60特別市,1532町の自治体の首長,副首長,各級議員の選出(1万6474ポスト)。立候補した任命,選出公職者は同日付で自動的に退任に。立候補届出者は約15万人。 |
DIA-205-1987-12-01-2 | フィリピン | 1987年12月01日 | 1980年代 | マニラ首都圏行政委(MMC)知事代行にEfren Cruz を任命。 |
DIA-205-1987-12-01-3 | フィリピン | 1987年12月01日 | 1980年代 | アキノ,国産車開発計画(CDP)に署名―2800cc以下の乗用車を対象,参加業者は3社。部品国産化率は88年は32.26%,89年は36.58%,90年は40.0%。 |
DIA-205-1987-12-02-1 | フィリピン | 1987年12月02日 | 1980年代 | アキノ,ラウレル会談―シン枢機卿宅で。4日シン,ラウレル提示の次回会談開催のための条件を発表:アキノ側がバタンガス州の政治介入をやめること。 |
DIA-205-1987-12-03-1 | フィリピン | 1987年12月03日 | 1980年代 | 下院,MMCの廃止を全会一致で可決―地方選と同時に首都圏4市13町の住民投票を実施。憲法の規定によりMMC廃止後,首都圏各首長で構成するMMA(マニラ首都圏行政庁)が,警察,下水処理等を管理。 |
DIA-205-1987-12-04-1 | フィリピン | 1987年12月04日 | 1980年代 | 政治王朝化禁止法案,上院第2読会で可決―前任者と2親等以内の血族,姻族関係の近親者は以下の公職に立候補できない:(1)前任の再選禁止の正,副大統領,上院議員の任期中に,または連続し同一職に,(2)近親関係の正,副大統領,上院議員と同じ任期中に正,副大統領,両院議員,知事,市町長に,(3)前任の下院議負,知事,市町長と同一職に同じ任期中に,または連続し,(4)前任者と同一下院選挙区,州,市,町で同じ任期中に,または連続して,いかなる公職にも立候補できない。期間は20年間。ただし,1月の地方選には適用されず。 |
DIA-205-1987-12-04-2 | フィリピン | 1987年12月04日 | 1980年代 | 与党下院議員総会,フリーゾーン設置の要請決議―ミトラ下院議長以下が大統領に。与党候補が優勢なすべての選挙区を「公認候補がない選挙区」に。 |
DIA-205-1987-12-06-1 | フィリピン | 1987年12月06日 | 1980年代 | 11月30日までに投降の反乱将兵は軍籍を保持―アキノが言明:しかし軍法会議には付す。軍当局:123将兵についていまだ無許可休暇の釈明がない。 |
DIA-205-1987-12-07-1 | フィリピン | 1987年12月07日 | 1980年代 | APT,87年中に不良資産40億ペソ処分が目標―Sycip 理事長が言明:不良資産の総額は500億ペソ。 |
DIA-205-1987-12-07-2 | フィリピン | 1987年12月07日 | 1980年代 | オンピン前財務長官自殺―マカチの事務所で。 |
DIA-205-1987-12-09-1 | フィリピン | 1987年12月09日 | 1980年代 | ホナサン大佐逮捕―首都圏Pasig の民家で。 |
DIA-205-1987-12-09-2 | フィリピン | 1987年12月09日 | 1980年代 | 人民党,独自候補を擁立―同党,記者会見で発表:戦術かつ警備上の理由で無所属で立候補した。 |
DIA-205-1987-12-09-3 | フィリピン | 1987年12月09日 | 1980年代 | KBL分派のマルコス忠誠党(MLP)が発足―KBL候補の与党連合との選挙連合に反発して。委員長Ali Dimaporo,書記長はVicente Mirola。24日選挙委員会に政党登録を申請。N.Yniguez・KBL委員長,与党との連携は暫定的なものと釈明。 |
DIA-205-1987-12-10-1 | フィリピン | 1987年12月10日 | 1980年代 | 選挙委,Laban とGADを主要政党と認定―地方選の開票報告の交付,集計作業監視の便宜がある。 |
DIA-205-1987-12-10-2 | フィリピン | 1987年12月10日 | 1980年代 | 下院,領海基線規定法(68年修正)の修正法案可決―サバの領有権は放棄。シャハニ上院議員提出の群島基線規定法案は事実上棚上げに。13日付けMC紙,上院が同修正法案成立に次の3条件を付し決着は困難に:(1)スルー諸島スルタンの所有権継承問題の解決,(2)比・マレーシア友好協力条約の締結,(3)国境警備,漁業,労働,通商協定の締結。15日マハティール首相,ASEAN首脳会議に間に合わなかったのでサバの領有権放棄の法案を比議会が急いで可決する意味はないと言明。 |
DIA-205-1987-12-10-3 | フィリピン | 1987年12月10日 | 1980年代 | アキノ,賃金引上げ法を布告―公務員は1日10ペソ増額,民間部門は最低賃金を10ペソまたは11ペソ引上げ。すでに最低賃金以上100ペソ以下を支払われている者は10ペソ増額,罰則金は2万5000ペソ。 |
DIA-205-1987-12-14-1 | フィリピン | 1987年12月14日 | 1980年代 | 第3回ASEAN首脳会議開催―15日までマニラで。アキノ大統領,開会演説で域内安全保障に在比米軍基地の果たす役割を強調。同非公開会議ではZOPFAN(東南ア平和・自由・中立地帯)構想の具体化を企図したNWFZ(東南ア非核地帯)条約の調印は先送りに。 |
DIA-205-1987-12-15-1 | フィリピン | 1987年12月15日 | 1980年代 | 竹下首相,日本・ASEAN首脳会議で演説―軍事力に依拠せず世界平和と繁栄を追求する外交政策を強調し,域内民間部門発展のため3年間で20億ドルの援助拡大を約束。 |
DIA-205-1987-12-16-1 | フィリピン | 1987年12月16日 | 1980年代 | アキノ・竹下会談―(1)対日輸出拡大,(2)第15次円借款供与,(3)在日比人の待遇改善,要請。首相,日比友好道路改修のため140億円の特別円借款を約束。 |
DIA-205-1987-12-16-2 | フィリピン | 1987年12月16日 | 1980年代 | 日比両政府,第14次円借款の交換公文に調印―プロジェクト借款502億800万円,商品借款300億円。 |
DIA-205-1987-12-18-1 | フィリピン | 1987年12月18日 | 1980年代 | 議会両院協議会,88年度予算案を可決―1721億4284万ペソ。対外利払いは34%に。24日大統領署名。 |
DIA-205-1987-12-18-2 | フィリピン | 1987年12月18日 | 1980年代 | ホナサン大佐ら14反乱将校,軍籍剥奪に。 |
DIA-205-1987-12-18-3 | フィリピン | 1987年12月18日 | 1980年代 | 地方選立候補者の親族の地方首長代行は解任―アキノ,ピメンテルら7上院議員の勧告を受け入れ。 |
DIA-205-1987-12-20-1 | フィリピン | 1987年12月20日 | 1980年代 | 内航船Dona Paz 号衝突沈没,死者3000人以上。 |
DIA-205-1987-12-22-1 | フィリピン | 1987年12月22日 | 1980年代 | 与党連合がマルコス派候補を支持するのは合憲―自治長官が弁護。PDP・Laban がマルコス派のEvarist Singson を南イロコス州知事候補に公認したことで,シャハニ上院議員が異議を唱えていたもの。 |
DIA-205-1987-12-22-2 | フィリピン | 1987年12月22日 | 1980年代 | 債務繰延べ協定が発効―先の協定書調印期限,11月15日を延長し,483債権銀行全行の協定書調印を完了。 |
DIA-205-1987-12-23-1 | フィリピン | 1987年12月23日 | 1980年代 | アキノ,比政府職員の台湾渡航を禁止―17日付け行政命令313号で。台湾政府職員の入国も禁止に。 |
DIA-205-1987-12-24-1 | フィリピン | 1987年12月24日 | 1980年代 | NDFとのクリスマス停戦発効―25日まで。 |
DIA-205-1987-12-28-1 | フィリピン | 1987年12月28日 | 1980年代 | 選挙委,タウイタウイ,スル両州の投票を延期―30日マギンダナオ,北ラナオ,南スルの3州も延期に決定。1月10日。北サマール州等5州の投票延期決定。 |
DIA-205-1988-01-01-1 | フィリピン | 1988年01月01日 | 1980年代 | 民族民主戦線(NDF)と新年停戦―停戦は31日午前零時から48時間。軍当局,新人民軍(NPA)の違反で31日に東サマール州Catarmanで政府軍1人,共産ゲリラ2人が死亡と発表。3日ラモス参謀総長,新年停戦はおおむね成功と言明。 |
DIA-205-1988-01-02-1 | フィリピン | 1988年01月02日 | 1980年代 | Joseph Estrada上院議員,LPに参加―「民主主義のための大連合」(GAD)を離脱しリベラル党に。上院で野党はJuan Ponce Enrile議員1人に。 |
DIA-205-1988-01-03-1 | フィリピン | 1988年01月03日 | 1980年代 | 与党連合,15州を「フリーゾーン」に―56州に公認候補。「国家の力」(ラカス)=『フィリピン民主党・国民の力」(PDP・ラバン)連合の全国本部が決定。 |
DIA-205-1988-01-04-1 | フィリピン | 1988年01月04日 | 1980年代 | アキノ暗殺事件で新証人―公務員犯罪特別裁判所(サンディガンバヤン)に被告側証人のフィリピン航空職員Jessie Barcelonaが出廷。(1)制服兵士がアキノの頭部に発砲した,(2)元警察軍首都圏司令部のRolando Abadilla元大佐が事件直前にRolando Galmanに耳打ちしていた,の2点を目撃したと証言。 |
DIA-205-1988-01-04-2 | フィリピン | 1988年01月04日 | 1980年代 | 大統領府記者団がボイコット―アキノは定例会見を行なわず,日欧の報道陣の取材には応じているとして。 |
DIA-205-1988-01-05-1 | フィリピン | 1988年01月05日 | 1980年代 | 選挙委員会,Namfrelを監視組織として公認―「自由選挙のための全国市民運動」を来る地方選挙で。 |
DIA-205-1988-01-06-1 | フィリピン | 1988年01月06日 | 1980年代 | 海外資産隠匿で中国系貿易商人を告訴―チャベス検事総長,輸入価格操作で不正送金をしていた香港に本部のある縫製会社の幹部をマニラ検察局に。同社はマルコスの女婿マノトクが所有していたため,大統領行政規律委員会(PCGG)が差し押さえていたもの。 |
DIA-205-1988-01-06-2 | フィリピン | 1988年01月06日 | 1980年代 | NPAは北部ルソンで勢力増強中―北部ルソン方面軍司令部が参謀総長に報告:北部ルソンのNPAは正規兵2259人(87年比53.4%増),2698バランガイ中の694がNPAの影響下にあり,NPAは銃器奪取作戦を展開中。 |
DIA-205-1988-01-06-3 | フィリピン | 1988年01月06日 | 1980年代 | 自治省,暫定地方首長10人を解任―地方選挙候補者と近親関係にあるため。大統領の指示により。 |
DIA-205-1988-01-08-1 | フィリピン | 1988年01月08日 | 1980年代 | 比労働組合会議,付加価値税の延期を要求―TUCPのDemocrito Mendoza議長:1月1日からの一律10%の付加価値税の導入で基本物資が値上がりしたと。 |
DIA-205-1988-01-09-1 | フィリピン | 1988年01月09日 | 1980年代 | 米議会のフィリピン情勢調査団訪比―(~12日)。ジェイムズ・エクソン団長など5上院議員。11日マングラプス外務長官,議員団と「ミニ・マーシャルプラン」(対比多国間援助構想)に関して討議したと言明。 |
DIA-205-1988-01-10-1 | フィリピン | 1988年01月10日 | 1980年代 | マニラ首都圏の教会で選挙教書を読み上げ―マニラ大司教区長老会が作成し,政治を刷新し暴力,不正行為,投票強要,買収をやめるよう呼びかけ。 |
DIA-205-1988-01-10-2 | フィリピン | 1988年01月10日 | 1980年代 | 中銀通貨委員会,新生活向上運動(BKKK)の廃止を発言―11日大統領府筋が反対:中銀は管理しているBKKK資金2億6500万ペソの移管に抵抗している。 |
DIA-205-1988-01-10-3 | フィリピン | 1988年01月10日 | 1980年代 | 選挙委,Ali Dimaporoの下院議員当選宣告―南ラナオ2区選出。87年5月11日の投票で係争中であった。 |
DIA-205-1988-01-11-1 | フィリピン | 1988年01月11日 | 1980年代 | 比商工会議所,新会頭にVictor Limを選出。 |
DIA-205-1988-01-11-2 | フィリピン | 1988年01月11日 | 1980年代 | サロンガ上院議長,「政治王朝化」を批判―アキノ大統領が一族,現職政府高官を選挙で公認したのは,マルコスと同じだとして。12日アキノ反論:政治王朝化論議に決着を下すのは有権者である。 |
DIA-205-1988-01-12-1 | フィリピン | 1988年01月12日 | 1980年代 | ギンゴーナ上院副議長,LPに参加―サロンガ党首が宣誓に立会い。Mar Canonigo「バンディーラ」(思想と目的でひとつに結ばれた国家)書記長もLPに。 |
DIA-205-1988-01-12-2 | フィリピン | 1988年01月12日 | 1980年代 | 国家情報公安庁(NISA)はアグラバ委員会を盗聴―同委員会事務局のあった社会保健庁ビルの電気技師が83,84年当時の事実をアキノ事件再審裁判で証言。 |
DIA-205-1988-01-13-1 | フィリピン | 1988年01月13日 | 1980年代 | エドワルド・コファンコの帰国は認めない―マングラブス外務長官が言明:帰国を禁止する法律,また本人の帰国申請もないが,ロサンゼルスで国家破壊の画策に専念しているため。18日コファンコの弁護士が反論:87年3月に旅券再発行を申請し,帰国の意思がある。 |
DIA-205-1988-01-14-1 | フィリピン | 1988年01月14日 | 1980年代 | ラモス参謀総長,2500人の空輸を命令―選挙妨害排除のためビサヤ,ミンダナオのゲリラ進出地域に5歩兵大隊を急派。15日ケソン,マスバテの両州に2大隊の派遣を決定。 |
DIA-205-1988-01-14-2 | フィリピン | 1988年01月14日 | 1980年代 | ローマ控訴裁判所,タントコ夫人の引渡しを拒否―6年前のイメルダ夫人の骨董売上税の脱税に関し,12月18日付けのニューヨーク地裁の引渡し要求を,証拠不十分として。 |
DIA-205-1988-01-14-3 | フィリピン | 1988年01月14日 | 1980年代 | フランス大使の車に銃弾―マカチで。参謀総長,警察軍首都圏司令部に特捜班の編成を指示。 |
DIA-205-1988-01-14-4 | フィリピン | 1988年01月14日 | 1980年代 | 公共事業道路長官の実弟が襲撃され負傷―Walfrido Ferrer。パラニャーケ町長選の与党連合候補者。 |
DIA-205-1988-01-18-1 | フィリピン | 1988年01月18日 | 1980年代 | 統一地方選挙実施―11州で投票を延期に。 |
DIA-205-1988-01-19-1 | フィリピン | 1988年01月19日 | 1980年代 | 地方選挙で103人死亡―警察軍当局が発表:11月19日から1月19日までの間に。うち39人が候補者。 |
DIA-205-1988-01-20-1 | フィリピン | 1988年01月20日 | 1980年代 | メンジョーラ橋事件の遣族,損審賠償の訴え―87年1月22日の農民デモ発砲事件で軍,警察の高官24人および政府に660万ペソの民事訴訟を提訴。 |
DIA-205-1988-01-20-2 | フィリピン | 1988年01月20日 | 1980年代 | 海外へのフィリピン人メイド紹介は一時停止―3月以降,彼女らの安全と社会福祉が保証されるまで。海外雇用局(POEA)の記録では海外のメイドの数は8万1044人(88年6月13日までに13カ国が停止解除に)。 |
DIA-205-1988-01-20-3 | フィリピン | 1988年01月20日 | 1980年代 | TUCP,布告50号の修正を要求―メンドサ議長が民営化は大量解雇になるとして。 |
DIA-205-1988-01-20-4 | フィリピン | 1988年01月20日 | 1980年代 | プラット米大使,米企業の役割を強調―雇用7万8000人,賃金2億4100万㌦,資材購入3億3800万㌧と。 |
DIA-205-1988-01-20-5 | フィリピン | 1988年01月20日 | 1980年代 | 任命委員会承認範囲の拡大で拒否権行使―アキノ,憲法に規定された大統領め任命権の否定になるとし,上下両院で成立した法律による局長職までの引下げを拒否。 |
DIA-205-1988-01-20-6 | フィリピン | 1988年01月20日 | 1980年代 | アキノ,ラモスを国防長官に指名―イレト国防長官の辞表を受理。参謀総長にデビーリャ副参謀長兼警察軍司令官,副参謀長にエルミタ参謀次長が昇格。22日モンターニョを警察軍司令官に指名,23日ラモス,就任宣誓。 |
DIA-205-1988-01-22-1 | フィリピン | 1988年01月22日 | 1980年代 | アキノ,包括農地改革計画の実行を約束―CARP。メンジョーラ橋事件1周年のテレビ演説で:自家の所有するルイシタ農場を農地改革の対象とする。 |
DIA-205-1988-01-25-1 | フィリピン | 1988年01月25日 | 1980年代 | 繰り延べ地方選挙実施―南イロコス,アブラ,イフガオ,ケソン,マギンダナオの5州で。2月1日には北サマール,レイテ,北ラナオ,南ラナオの4州,マラウィ,イリガンの各市で実施。 |
DIA-205-1988-01-25-2 | フィリピン | 1988年01月25日 | 1980年代 | 比共産党(CPP)・NPA対策で5項目―ラモス国防長官が発表:(1)法制強化,(2)死刑を含む処罰の強化,(3)国民照合カード(ID)制の導入,(4)国防法を改正し民間人訓練,(5)国軍の効率向上。 |
DIA-205-1988-01-25-3 | フィリピン | 1988年01月25日 | 1980年代 | ミトラ下院議長,政治王朝化禁止法案に反対―個人的見解として:地方選挙では王朝化論議が逆効果となり,すぐれた候補者が議員の身内を理由に落選した。 |
DIA-205-1988-01-25-4 | フィリピン | 1988年01月25日 | 1980年代 | シグール米国務次官補,訪比―26日記者会見:米ソのINF全廃条約締結で在比米軍基地の重要性が失われるとは考えないし,基地存続が基本的立場である。 |
DIA-205-1988-01-26-1 | フィリピン | 1988年01月26日 | 1980年代 | 野党,アキノの議会無視に抗議―Francisco Tatad GAD委員長が記者会見:任命委員会の承認前にラモスの宣誓式を行なったことに対し大統領弾劾の手続きをとる。27日ミトラ下院議長も批判:議会が閉会中の任命は憲法に違反する。ラモスを国防長官代行として任命すべきであった。3月2日任命委員会が承認。 |
DIA-205-1988-01-26-2 | フィリピン | 1988年01月26日 | 1980年代 | Quintin Doromal PCGG委員に逮捕命令―公務員犯罪特別裁判所が公務員犯罪特別検察庁(タノドバヤン)の勧告により命令。同委員の家族が経営する会社が教育省に6100万ペソの教材を納入したとして27日保釈金1万ペソを納入して逮捕を免れる。 |
DIA-205-1988-01-31-1 | フィリピン | 1988年01月31日 | 1980年代 | ビサヤの民間郷土防衛隊の解散を命令―デビーリャ参謀総長が東西ビサヤ地方でのCHDFの解体,市民軍地域部隊(CAFGU)への再編を指示。 |
DIA-205-1988-01-31-2 | フィリピン | 1988年01月31日 | 1980年代 | 共産勢力は3万人―比共産党スポークスマンがラジオ放送:全国で83戦闘大隊。ピサヤに15,ミンダナオに32,ルソン20,モロ民族解放戦線(MNLF)地域16。 |
DIA-205-1988-02-01-1 | フィリピン | 1988年02月01日 | 1980年代 | Hilario G.Davideを選挙委員長に指名―アキノ,他に5委員を再任。Ramon Felipe前委員長は,2日付けで任期満了で退任。 |
DIA-205-1988-02-03-1 | フィリピン | 1988年02月03日 | 1980年代 | 西部ミンダナオ地方で政府の和解政策進行―社会福祉開発省同地方事務所が公表:88年中に投降したゲリラ256人のうち126人が赦免され,移住などで社会復帰した。彼らの大半がNPAの帰順者で残りがMNLF。 |
DIA-205-1988-02-04-1 | フィリピン | 1988年02月04日 | 1980年代 | CPP・NPA容疑で20人を逮捕―デビーリャ参謀総長が記者会見で,「マニラ首都圏,ラグナ州近辺の隠れ家を急襲し,CPP中央委員2人らを拘束。またNPAの2野戦病院を摘発し,通信機器を押収した」と発表。6日証拠不十分で5人を釈放。 |
DIA-205-1988-02-06-1 | フィリピン | 1988年02月06日 | 1980年代 | 北イロコス州で誘拐の韓国人技師2人解放―韓国大使館発表。韓一建設会社の技師2人が87年11月11日に武装したNPA70人に連れ去られたもの。 |
DIA-205-1988-02-06-2 | フィリピン | 1988年02月06日 | 1980年代 | イメルダ夫人,娘のアイミーの渡米許可要請―同日付けハワイの現地紙報道:目下滞在中のモロッコでは,適切な病気治療を受けられないとし,米政府に対し入国許可を要請。ただし病気療養期間中はニューヨークの大陪審には出廷できないとの条件。 |
DIA-205-1988-02-07-1 | フィリピン | 1988年02月07日 | 1980年代 | マニラ市議会議員はマニラ首都圏行政庁に反対―与党議員20人が異議唱える:上院法案(SB)34号によるとMMAは前政権下のマニラ首都圏行政委員会(MMC)と同様,市議会の決議を審査することになる。 |
DIA-205-1988-02-08-1 | フィリピン | 1988年02月08日 | 1980年代 | タウィタウィ州で繰り延べ地方選。 |
DIA-205-1988-02-09-1 | フィリピン | 1988年02月09日 | 1980年代 | 拘留中の拷問に抗議―政治犯救援会(TFD)が発表34日に逮捕された20人のうち14人に対して軍部による心理的,肉体的拷問があった。 |
DIA-205-1988-02-09-2 | フィリピン | 1988年02月09日 | 1980年代 | 国軍は三つの戦線で戦っている―ラモス国防長官が国際女子大学協会で演説:共産ゲリラ,極右主義者,イスラム教徒分離主義者との対決は強まった。 |
DIA-205-1988-02-09-3 | フィリピン | 1988年02月09日 | 1980年代 | イメルダ夫人,PAL機で帰国を画策―ホノルル国際空港で偽名が発覚,断念する。 |
DIA-205-1988-02-11-1 | フィリピン | 1988年02月11日 | 1980年代 | 共産ゲリラは戦略転換をした―国軍スポークスマン,Oscar Florendo大佐が言明:最近押収した共産側文書によると,共産勢力は毛沢東路線からニカラグアのサンディニスタ革命政権の戦術に転換し,都市部でのテロ活動を強化した。 |
DIA-205-1988-02-11-2 | フィリピン | 1988年02月11日 | 1980年代 | 軍高官,限定的非常事態宣言を提案―Honesto Isleta参謀次長が記者団に言明:アキノ大統領に,反乱勢力対処を効果的に実行するため非常事態宣言と特別法の制定を提言する。16日アキノ大統領,非常事態宣言または戒厳令の布告という軍提言を拒否。ラモス国防長官,非常事態宣言はないが死刑の復活など法律強化は必要と言明。コンセプシオン商工長官は経済の安定が損なわれるとして戒厳令の再布告に反対。 |
DIA-205-1988-02-15-1 | フィリピン | 1988年02月15日 | 1980年代 | 台湾の反体制政治家許信良の滞在を許可―偽造フィリピン旅券でマニラ経由で台北入りをはかり,11日に比政府に身柄拘束されたが,政治亡命者扱いに決定。29日アメリカに向け出国。 |
DIA-205-1988-02-15-2 | フィリピン | 1988年02月15日 | 1980年代 | スルー州で繰り延べ地方選―軍とMNLFが衝突し13日深夜以来16人が死亡,34人が負傷。 |
DIA-205-1988-02-16-1 | フィリピン | 1988年02月16日 | 1980年代 | バタアン輸出加工区は2年以内に閉鎖を懸念―上院経済問題委員会公聴会で多国籍企業が証言:関連サービスが年々悪化し,労働争議の多発で撤退企業が多い。Tomas Alcantara商工次官が答弁:政府は同加工区の復旧を施策中であり,廃止には反対である。 |
DIA-205-1988-02-17-1 | フィリピン | 1988年02月17日 | 1980年代 | 閣議で国民照合カード(ID)制を検討―Jose Yap下院国防委員長が提案したID等の電算機管理により犯罪,反乱組織を探索する制度。18日ギンゴーナ上院副議長,ミトラ下院議長が国民ID制に反対を表明。 |
DIA-205-1988-02-19-1 | フィリピン | 1988年02月19日 | 1980年代 | オラリア暗殺事件犯人はRAM将校―86年11月のRolando Olalia「5月1日運動」(KMU)委員長暗殺事件でJ.A.Carpio国家捜査局長が言明。参謀総長,「国軍改革運動」のRex Robles海軍大尉,Eduardo Kapunan空軍中佐に逮捕命令。21日RAMの2将校は自宅監禁に。23日2将校,事件関与を否定。 |
DIA-205-1988-02-21-1 | フィリピン | 1988年02月21日 | 1980年代 | ミトラ下院議長,サウジ訪問―(~25日)。21日MNLFのイスラム諸国会議(OIC)加盟阻止のためリアドでサウジアラビア外相のサウド・アルファイサル王子と会談。MNLFは現在OICのオブザーバー資格。 |
DIA-205-1988-02-25-1 | フィリピン | 1988年02月25日 | 1980年代 | 「二月革命」2周年式典挙行―シン枢機卿,記念ミサで「真の農地改革」の即時実行を訴え。 |
DIA-205-1988-02-25-2 | フィリピン | 1988年02月25日 | 1980年代 | アキノ,反乱将兵の恩赦を否定―ベニグノ報道官が大統領発言を引用:過去5回のクーデタに関与した将兵は将来も赦免されることはなく,裁判にかけられる。 |
DIA-205-1988-02-26-1 | フィリピン | 1988年02月26日 | 1980年代 | OIC加盟国は回教徒ゲリラの支援停止を―アキノ,ミンダナオ島サンボアンガ市で呼びかけ。これに先立ち比大統領として初めてタウィタウィ州を訪問。 |
DIA-205-1988-02-26-2 | フィリピン | 1988年02月26日 | 1980年代 | 中銀はManila Bankを閉鎖に追いつめた―最高裁判所に同行が申し立て:フェルナンデス中央銀行総裁は自分が頭取であったFar East Bahk and Trust Co.に同行を取得させる目的であった。 |
DIA-205-1988-02-29-1 | フィリピン | 1988年02月29日 | 1980年代 | 投降したゲリラに対する恩赦期限が満了―3月3日アキノ,期限切れの布告138号を関し,国防長官が説明のとおり今後は個別事例ごとに行なうと言明。 |
DIA-205-1988-02-29-2 | フィリピン | 1988年02月29日 | 1980年代 | アキノの身内が,マルコスと接触―Francisco Sumulong,Emigdio Tanjuatco Jr.の両下院議員,1,2月にハワイでマルコスに会い,帰国の条件などを交渉したことを認める。3月2日アキノ,交渉は中止と言明。 |
DIA-205-1988-03-01-1 | フィリピン | 1988年03月01日 | 1980年代 | E・ソベル,PALの払い下げを正式申込み―BW紙のインタビューに回答:自分のグループにはトダー族を含まない。申し込んだのは資本の60%で残りの40%は外国資本となろう。 |
DIA-205-1988-03-01-2 | フィリピン | 1988年03月01日 | 1980年代 | サンチャゴ要塞の発掘期間の30日間延長許可―大統領府,米人ジャー・ナリストによる旧日本軍が隠したとする2億㌦相当の財宝探しに関し。上院は発掘に反対。 |
DIA-205-1988-03-01-3 | フィリピン | 1988年03月01日 | 1980年代 | アーミテージ国防次官訪比―(~3日)。1日アキノと会談,同次官が記者団に言明:両者は対比軍事援助計画に関し検討し,米国防省がなし得るいくつかの協力の方策を議論した。 |
DIA-205-1988-03-01-4 | フィリピン | 1988年03月01日 | 1980年代 | 司法長官,アバディーリャ大佐の釈放請求を却下―また同大佐がボニファシオ基地拘置所内で北イロコス州副知事職務を遂行することは地方自治法に違反し許可できない。同大佐は87年1月のマルコス派兵士によるテレビ局占拠事件に関与し同年7月以来基地内に身柄拘束中。1月の地方選挙では「新社会運動」(KBL)から同副知事に立候補し当選したもの。 |
DIA-205-1988-03-01-5 | フィリピン | 1988年03月01日 | 1980年代 | 共産勢力は91年までに政権奪取を画策―デビーリャ参謀総長がマカチ・ビジネスクラブで演説:彼らは87年には海外11カ国で活動資金として1500万㌦を集めた。 |
DIA-205-1988-03-01-6 | フィリピン | 1988年03月01日 | 1980年代 | 砂糖きび農園労働者の最低賃金を引き上げ―政労使の全国三者委員会で合意し,一日当たり6.50ペソ引き上げ,日額48.50ペソに。 |
DIA-205-1988-03-07-1 | フィリピン | 1988年03月07日 | 1980年代 | ミトラ下院議長,政府のOIC加入を提言―マニラホテル朝食会で政府に示唆:イスラム諸国会議に参加することでMNLFの加盟を阻止できる。8日GAD,ミトラ提案は無謀な議論と批判。 |
DIA-205-1988-03-07-2 | フィリピン | 1988年03月07日 | 1980年代 | アキノは単一与党編成に関与しない―PDP・ラバンとラカスの合併の動きが進行するなかで,新与党以外は野党と見なすことに大統領が同意したとのラカス委員長ポール・アキノの声明に関して,サロンガ上院議長がアキノと会談。サロンガ議長,会談後発表:アキノは,92年までいかなる政党にも所属しない,身内によるこの種の声明発表を許可しない,と言明した。 |
DIA-205-1988-03-08-1 | フィリピン | 1988年03月08日 | 1980年代 | Moreno警察軍一等兵はアキノを撃つたと告白―公特裁のアキノ事件公判で,検察側証人で事件直後に捜査に当たったPedro Aquino少尉が証言。 |
DIA-205-1988-03-10-1 | フィリピン | 1988年03月10日 | 1980年代 | 右派団体の「ウンラド・バヤン」が発足―「力と愛国心の結びつき」(略称「祖国の繁栄」運動)。経済人,政治家からなる運動体で,E・ソベル(委員長),Angelito Banayo(書記長),エンリレ(代表人),オプレ元労相,ラウレル副大統領,イレト前国防長官等が参加。14日オプレ,「ウンラド・バヤン」は92年大統領選に候補を立てると発言。22日ソベル,「ウンラド・バヤン」の主要政策を発表,連邦国家体制に移行を支持。 |
DIA-205-1988-03-10-2 | フィリピン | 1988年03月10日 | 1980年代 | アキノ,国際アムネスティーの報告は一方的と弁明―8日TFDが87年中に7444人が不法に逮捕され,マルコス前政権期の85年中の5967人より多いと報告したことに関連し発言:合法的手続きのため起訴が遅れた。 |
DIA-205-1988-03-10-3 | フィリピン | 1988年03月10日 | 1980年代 | 田中常雄新駐比大使が着任―15日信任状提出。 |
DIA-205-1988-03-10-4 | フィリピン | 1988年03月10日 | 1980年代 | ミンダナオ・イスラム教徒地域諮問委員会設置法が成立―11日アキノが布告(法律6649号)。13日MNLF指導部,RCC設置法の布告は政府による宣戦布告であると警告。14日アキノ,RCC委員に50人を指名。うち27人が地区委員,23人が職能委員。RCCの定数は55人で,その目的は議会による同地域の自治基本法制定への助力であり,最終報告書提出から60日以内に解散。 |
DIA-205-1988-03-12-1 | フィリピン | 1988年03月12日 | 1980年代 | CPP内部で地方組織再編―国軍当局が発表:過去3カ月に,(1)三つの地方委員会の幹部更迭,(2)中央委員会指導部で武闘派の増大,(3)中央委員会元幹部の州委員会への送り込み,の3点で大きな変化があった。 |
DIA-205-1988-03-12-2 | フィリピン | 1988年03月12日 | 1980年代 | アキノ,文民優位を強調―フィリピン士官学校卒業式で訓示:軍人の任務は,大統領,議会が識別した敵との戦いにある。 |
DIA-205-1988-03-15-1 | フィリピン | 1988年03月15日 | 1980年代 | 共産主義運動に加担した容疑で36神父の実名公表―同日付けMC紙。軍当局,少なくとも13人はCPP地方委員会の要職にあると発表。 |
DIA-205-1988-03-16-1 | フィリピン | 1988年03月16日 | 1980年代 | MNLF,政府の停戦交渉受け入れに3条件―Nur Misuari議長のメッセージとしてUstadz Zain Jali調整役兼教義指導役が発表:(1)会談はOICの後援で開催されること,(2)政府はトリポリ協定の約束を実行すること,(3)政府は会談開始の意向を誠実に示すこと。18日ミスワリ議長,録音テープで戦闘準備を支持者に呼びかけ。ミトラ下院議長,和戦両用の二枚舌であると非難。 |
DIA-205-1988-03-17-1 | フィリピン | 1988年03月17日 | 1980年代 | David Sycip資産民営化トラスト(APT)理事長死去。 |
DIA-205-1988-03-19-1 | フィリピン | 1988年03月19日 | 1980年代 | パタアン州は新たなゲリラの聖域―軍当局がマセダ上院国防委員長に説明:同州は都市ゲリラの実験地域と化した。主な理由として,(1)首都圏に近接しゲリラ訓練に適している,(2)政府の武器庫がある,(3)輸出加工区があり資金,マンパワー調達が容易である,(4)村落にゲリラが浸透し彼らの活動基盤となっている。 |
DIA-205-1988-03-20-1 | フィリピン | 1988年03月20日 | 1980年代 | 地主議員,農地改革に武力で抵抗を呼びかけ―ダバオ市で開催の農業生産者会議(CAP)全国大会で,Hortensia Starke議員が,下院法案(HB)400号に反対し地主に要請:財産を守るため武器をとり,団結して戦え。報道機関を買収せよ。21日同議員,謝罪。下院議長,同融員の言動を倫理委員会で審議すべく指示。 |
DIA-205-1988-03-22-1 | フィリピン | 1988年03月22日 | 1980年代 | ロガチョフ・ソ連外務次官,訪比―(~26日)。24日ロ外務次官,アキノと会談しソ連は米軍基地撤去を支持するが,予定される比米基地交渉には介入しないと確約したと言明。マングラプス外務長官,ソ連高官の訪比,および次回の米ソ首脳会談は基地交渉に有利であると言明。同日ロ次官,マ外務長官と年次協議の開催などを定めた「2国間の協議に関する議定書」に調印。 |
DIA-205-1988-03-22-2 | フィリピン | 1988年03月22日 | 1980年代 | アキノ,地方統合司令部(RUC)の廃止を命令―建軍91周年記念式典で発表:12RUCを4方面統合軍司令部(AUC)に再編する。北部ルソン方面軍司令部(Nolcom),南部ルソン方面軍司令部(Solcom),南部方面軍司令部(Southcom),ビサヤ方面軍司令部(Viscom)であり,このほか首都圏防衛軍司令部(NCRDC)が残る。25日デビーリャ参謀総長,RUCの廃止はNPA対策の強化が目的と説明3司令部のスタッフを減らし前線を強化できる。 |
DIA-205-1988-03-22-3 | フィリピン | 1988年03月22日 | 1980年代 | アメリカに対する碁地協定失効通告を要請―メルカド上院与党院内総務がアキノに:どちらかが1年前に期限切れを通告しない限り,協定は無期限に継続する。 |
DIA-205-1988-03-22-4 | フィリピン | 1988年03月22日 | 1980年代 | イスラム諸国会議,MNLFの加盟申請を却下―Taher Al-Masariヨルダン外相(第17回OIC外相会議議長),記者会見でMNLFは国家ではないと発表。 |
DIA-205-1988-03-23-1 | フィリピン | 1988年03月23日 | 1980年代 | マングラプス外相,ミスワリに停戦を呼びかけ。 |
DIA-205-1988-03-23-2 | フィリピン | 1988年03月23日 | 1980年代 | コルディリェーラ行政委員会の22委員を指名―アキノ。CEBの常任委員定数は29人。 |
DIA-205-1988-03-25-1 | フィリピン | 1988年03月25日 | 1980年代 | 最高裁,E・ソベルに公有地2000haの返還命令―バタンガス州カラタガン農園の一部農地,海辺,可航水域の公有地をソベルとアヤラー族が私物化したと。 |
DIA-205-1988-03-25-2 | フィリピン | 1988年03月25日 | 1980年代 | デビーリャ参謀総長,軍改革に着手―3軍司令官の人事異動を発表:陸軍はアダレム准将,空軍はデレオン准将,海軍はクナナン准将の各々が,また副参謀長はソテロ少将,参謀次長はタンガン准将が指名された。同時に38将軍の退任を発表:全員士官学校57年卒であり,4月1日付けで30将軍が退任予定。参謀総長は退任せず。 |
DIA-205-1988-03-26-1 | フィリピン | 1988年03月26日 | 1980年代 | アキノ,ミンダナオ・イスラム教徒地域諮問委員会を召集―任命委が承認したRCC委員45人のうち43人が就任。 |
DIA-205-1988-03-27-1 | フィリピン | 1988年03月27日 | 1980年代 | 軍当局,共産ゲリラ逮捕の報奨金引き上げ―25%引き上げでCPP委員長の場合は20万ペソに。 |
DIA-205-1988-03-28-1 | フィリピン | 1988年03月28日 | 1980年代 | Prospero Oretaマラボン町長襲われ重傷―アキノの遠縁。警備の7人は死亡。当局はNPA犯行説。 |
DIA-205-1988-03-28-2 | フィリピン | 1988年03月28日 | 1980年代 | A・フロイレンド帰国―PCGGとの取り決めで2億5000万ペソ相当の資産提出に応じたもの。 |
DIA-205-1988-03-29-1 | フィリピン | 1988年03月29日 | 1980年代 | 共産党幹部ら一斉逮捕―NPA創立19周年記念日に首都圏サンフアン町で。軍当局発表:Rafael Baylosis CPP書記長,Benjamin de Vera同中央委員を含む幹部5人。30日軍当局,逮捕者のなかにRomulo Kintanar NPA司令官を確認したと発表。 |
DIA-205-1988-04-02-1 | フィリピン | 1988年04月02日 | 1980年代 | ホナサン元中佐,拘置中の海軍船舶から逃亡―監視の将兵14人全員ともゴムボートで脱走。 |
DIA-205-1988-04-04-1 | フィリピン | 1988年04月04日 | 1980年代 | 政府は自衛の責務がある―司法長官,報道機関に警告言明:ホナサンとの会見を報道したテレビ,ラジオ局は免許を取り消し,新聞,出版社は閉鎖する。5日Ernesto Maceda上院議員,政府は過剰反応と批判。 |
DIA-205-1988-04-04-2 | フィリピン | 1988年04月04日 | 1980年代 | サンチャゴ要塞の発掘許可の再延長は認められず。 |
DIA-205-1988-04-05-1 | フィリピン | 1988年04月05日 | 1980年代 | 現行比米軍事基地協定の見直し交渉開始―マングラプス外務長官は比側の論点として7項目を発表:(1)基地内の刑事事件に関わる司法権,(2)基地使用料,(3)米軍に対する自由な作戦行動保証,(4)比憲法の非核条項の適用,(5)基地施設改築物の移動,所有権,(6)基地の社会的,経済的影響,(7)基地の存続期間(MC紙)。 |
DIA-205-1988-04-05-2 | フィリピン | 1988年04月05日 | 1980年代 | 日商訪比経済使節団―(~9日)。団長石川六郎日商会頭,参加企業数は52社。 |
DIA-205-1988-04-06-1 | フィリピン | 1988年04月06日 | 1980年代 | OICはRCCにオブサーバーを送れ―Ernorita Tugungミンダナオ・イスラム教徒地域諮問委員長が要請。 |
DIA-205-1988-04-06-2 | フィリピン | 1988年04月06日 | 1980年代 | アキノ,ホナサン元中佐のクーデタ予告を無視―3日付の書信で同元中佐が再び反乱行動を起こす可能性を示唆したことに関し言明:フィリピン国民は私を追放しようとするいかなる行動にも反対するであろう。 |
DIA-205-1988-04-07-1 | フィリピン | 1988年04月07日 | 1980年代 | 米海軍ヘリコプターの大統領府上空通過で抗議―大統領警備隊(PSG)が。9日米大使館,謝罪。 |
DIA-205-1988-04-07-2 | フィリピン | 1988年04月07日 | 1980年代 | 米交渉団,比側の交渉内容漏洩に抗議―基地の戦闘作戦使用の際の比政府の事前承認問題が議論された,との同日付け新聞報道に関連して。 |
DIA-205-1988-04-07-3 | フィリピン | 1988年04月07日 | 1980年代 | 米人カトリック司祭が射殺さる―南コタバト州KoronadalでCarl Smith神父,71歳が。犯人は同地のCHDF隊長。同神父の地元民保護が反感を招いたもの。 |
DIA-205-1988-04-11-1 | フィリピン | 1988年04月11日 | 1980年代 | ホナサンほか78人に軍事法廷審理を勧告―国軍法務局長,8.28反乱事件で予審後に証拠十分と判断。12日参謀総長,同事件で証拠不十分な116人に釈放命令。21日H.Peralta国軍総監督,同事件でいまだ802人を予審で審理中と発表。なお同事件関与の将兵は2002人,うち999人が調査対象外となり決着。 |
DIA-205-1988-04-12-1 | フィリピン | 1988年04月12日 | 1980年代 | PCGGの出国禁止命令は違憲と最高裁に訴え―2弁護士が司法長官とPCGG委員長が11日に取り交わした覚書の発効停止を訴え。同覚書ではPCGGによるクロニーの出国停止命令発行の権限を認めた。 |
DIA-205-1988-04-12-2 | フィリピン | 1988年04月12日 | 1980年代 | ヤップ下院国防委員長の調印した協定書は無効―比外務省高官が言明。J・ヤップ議員とグエン・コ・タク・ベトナム外相がハノイで調印した3月31日付協定書に関して。14日比外務省,同文書公表:(1)両国は外国軍に利用されない,(2)南沙群島問題を含む両国の意見の相違は平和的手段で解決する,(3)両国は友好関係を維持する,18日ヤップ議員,同文書は声明文であると弁明。 |
DIA-205-1988-04-12-3 | フィリピン | 1988年04月12日 | 1980年代 | アキノ・ヘイドン豪外相と会談―同外相・会談後の記者会見で,在比米軍基地は東南アの安全保障と安定化に役立っていると言明。 |
DIA-205-1988-04-13-1 | フィリピン | 1988年04月13日 | 1980年代 | アキノ,下院任命議員に4人を追加―Teresita Quintos Deles(女性代表),Al Ignatius G.Lopes(青年・ミンダナオ代表),Bartolome Arteche(農民代表),Rey M.Teves(都市貧民代表)。これで下院の職能代表任命議員は8人に。 |
DIA-205-1988-04-14-1 | フィリピン | 1988年04月14日 | 1980年代 | アキノ・訪中―(~16日)。途中,自家の出身地福建省州鴻漸村に立ち寄り,15日李鵬首相との会談で中国側は内政問題への不介入を確約,16日通商議定書,同覚書に調印。鄧小平国家中央軍事委員会主席と会談,南沙群島問題棚上げで一致。 |
DIA-205-1988-04-17-1 | フィリピン | 1988年04月17日 | 1980年代 | マ外務長官,訪日―(~22日)。20日竹下首相と会談,対比多国間援助構想で協力を要請。 |
DIA-205-1988-04-19-1 | フィリピン | 1988年04月19日 | 1980年代 | Pedro Yapを最高裁長官に任命―任期は7月1日まで。C.Teehankee前長官は18日付けで定年退職。 |
DIA-205-1988-04-21-1 | フィリピン | 1988年04月21日 | 1980年代 | 下院で農地改革法案を可決―(HB400号)。地主の保有限度は7ha,相続権者1人につき3ha,差押え,休耕地を優先,頭金は30~50%。28日上院も独自の農地改革法案を可決(SB249号):保有限度は5ha,相続権者1人3ha,頭金は10~20%,計画は10年間。 |
DIA-205-1988-04-21-2 | フィリピン | 1988年04月21日 | 1980年代 | 議会の農地改革法案に反対し1万人が集会―「人民の農地改革をめざす会議」(CPAR)に「新民族主義者同盟」(バヤン),「バンディーラ」などが参加。 |
DIA-205-1988-04-21-3 | フィリピン | 1988年04月21日 | 1980年代 | チャン・クアン・コ・ベトナム外務次官訪比―(~27日)。25日M.Yan次官と南沙群島問題等を会談。 |
DIA-205-1988-04-25-1 | フィリピン | 1988年04月25日 | 1980年代 | マセダ上院議員,軍内派閥を指摘―軍内には最低6派閥あり,士官学校卒業者とそうでない者,ラモス派と非ラモス派,陸軍と警察軍の対立がそれである。 |
DIA-205-1988-04-28-1 | フィリピン | 1988年04月28日 | 1980年代 | ソ連最高会議代表団が訪比―(~30日)。ギラシビリ副議長ら4人。29日サロンガ上院議長と会談。 |
DIA-205-1988-04-28-2 | フィリピン | 1988年04月28日 | 1980年代 | 台湾経済界,対比投資保護の立法化を要請―中国信託投資公司の辜振甫会長がフィリピン政府に要請:アメリカの台湾関係法に匹敵する制度や政策がない。 |
DIA-205-1988-04-28-3 | フィリピン | 1988年04月28日 | 1980年代 | 公務員犯罪特別検察庁は権限を失った―最高裁判決:公特検(タノドバヤン)の権限は新憲法でオンブズマンに移管され,Raul Gonzalez同庁長官は特別検察官となる。ゴ長官,最高裁に異議を申し立て,加えて最高裁の6判事が公特検の捜査に圧力をかけたと非難。 |
DIA-205-1988-04-30-1 | フィリピン | 1988年04月30日 | 1980年代 | 農地改革の推進を求める教書を発表―比カトリック司教会議。 |
DIA-205-1988-04-30-2 | フィリピン | 1988年04月30日 | 1980年代 | 予備役軍人をゲリラ対策に―参謀総長が言明:全国の予備役を市民軍地域部隊(CAFGU)に編成する。 |
DIA-205-1988-05-01-1 | フィリピン | 1988年05月01日 | 1980年代 | 石油製品価格を6%引き下げに―アキノ,メーデー式典で発表。しかし労働団体から要求があった最低賃金の日額10~15ペソの引き上げは拒否。 |
DIA-205-1988-05-02-1 | フィリピン | 1988年05月02日 | 1980年代 | ASEANは対比多国間援助構想支持を表明―デュッセルドルフで開催の第7回ASEAN・EC対話会談に出席したマングラプス外務長官が言明。 |
DIA-205-1988-05-03-1 | フィリピン | 1988年05月03日 | 1980年代 | 公特検長官に警告―ゴンサレス長官の最高裁判事誹謗に最高裁が法廷侮辱罪を適用すると。10日公特裁の審理は事実上停止すると同裁判長が言明:4月27日最高裁決定により87年2月2日以降に公特検が告発した事件715件は審理停止になる。 |
DIA-205-1988-05-04-1 | フィリピン | 1988年05月04日 | 1980年代 | MNLFに和平交渉再開を要請―G.Matalam下院回教徒問題委員長ほか下院議員18人が決議文に署名 |
DIA-205-1988-05-04-2 | フィリピン | 1988年05月04日 | 1980年代 | マルコス母堂死去―Dona Josefa Edralin Marcos(95歳)。アキノ,政府はマルコスの葬儀出席のための帰国を許可せずと言明:これは両院議長に相談し,危機管理閣僚委員会で慎重に検討した結果である。ラウレル副大統領は6~9日香港に滞在したが,報道ではマルコスの息子ボンボンも同時期香港に滞在。6日アキノ,何びとにもボンボンに随伴しての帰国を認めていないと警告。 |
DIA-205-1988-05-05-1 | フィリピン | 1988年05月05日 | 1980年代 | ラカス全国役員会,ミトラを委員長に選出。 |
DIA-205-1988-05-05-2 | フィリピン | 1988年05月05日 | 1980年代 | E・コファンコ,サンミゲル社の議決権保持を訴え―顧問弁護士を通じて最高裁に。50.8%の議決権を保持しているとし,ソリアノ・グループ,PCGGの議決権行使に差し止め請求。10日最高裁,請求を却下。11日同社株主総会,PCGG9人,ソリアノ・グループ6人,計15人の取締役を再任。 |
DIA-205-1988-05-06-1 | フィリピン | 1988年05月06日 | 1980年代 | 人権擁護に関する指針が発効―人権委員会と国防省が調印した軍,警察の作戦に関する指針により,逮捕,拘禁,捜査および同様の軍事行為に係わる報告書はすべて人権委員会に提出する。 |
DIA-205-1988-05-08-1 | フィリピン | 1988年05月08日 | 1980年代 | 「ミニ・マーシャルプラン」は総額100億㌦―同日付けWashington Post紙。米議会,政府関係者によると89年から5年間の対比多国間援助計画となる。 |
DIA-205-1988-05-08-2 | フィリピン | 1988年05月08日 | 1980年代 | 第1回首都圏協議会で完全自治を要請―4市,13町長が決議を採択。MMAは自治への障害と批判。 |
DIA-205-1988-05-09-1 | フィリピン | 1988年05月09日 | 1980年代 | 郵便結婚紹介を禁止に―Vidalセブ管区長が地元神父に婚姻立会いに際し外国人男性の身元確認指示。 |
DIA-205-1988-05-09-2 | フィリピン | 1988年05月09日 | 1980年代 | 投降ゲリラに対する刑事免責は個別事例で―国防長官が言明:現在国防,司法の両省で指針を作成中。 |
DIA-205-1988-05-09-3 | フィリピン | 1988年05月09日 | 1980年代 | ペルー大使,召還命令を拒否―国家情報調整庁(NICA)の調査ではFernandez大使夫人のTatyana Yashinaがソ連人で,KGB要員とされたもの。 |
DIA-205-1988-05-10-1 | フィリピン | 1988年05月10日 | 1980年代 | 多国間援助構想は基地協定見直し交渉とは無関係―プラット米大使が言明。 |
DIA-205-1988-05-11-1 | フィリピン | 1988年05月11日 | 1980年代 | 87年1月のテレビ局占拠事件で判決―軍事法廷,Oscar Canlas空軍大佐ら将校7人を含む11人に反乱罪で懲役12年,兵士29人に懲役6年を言い渡し軍籍剥奪。兵士66人には禁固6カ月を言い渡し。 |
DIA-205-1988-05-11-2 | フィリピン | 1988年05月11日 | 1980年代 | エルミタ,マラテ地区の風俗営業摘発が進行―西部警察署長A.Lim准将,同地区の198店舗の閉鎖を勧告。17日G.Lopezマニラ市長,警察の越権行為と非難。 |
DIA-205-1988-05-12-1 | フィリピン | 1988年05月12日 | 1980年代 | 農地改革法案を両院合同委員会が審議開始。 |
DIA-205-1988-05-12-2 | フィリピン | 1988年05月12日 | 1980年代 | アキノ,C・バスケスをオンブズマンに指名―前アキノ事件再審問題調査委員長。同次席に前制憲委員のJose Colaycoを指名。 |
DIA-205-1988-05-13-1 | フィリピン | 1988年05月13日 | 1980年代 | ラモス国防長官,訪米―(~28日)。16~18日に第3回比米国防長官会議。28日ラモス,訪米の成果を列挙:(1)88年9月までに1500万㌦相当の軍用道路建設機材引渡し,(2)1900万㌦余の武器購入借款が無償供与に。 |
DIA-205-1988-05-14-1 | フィリピン | 1988年05月14日 | 1980年代 | タイ,シンガポールは対比多国間援助構想を支持―バンコクのリー・プレム会談で合意。 |
DIA-205-1988-05-16-1 | フィリピン | 1988年05月16日 | 1980年代 | アキノ,多国間援助構想に原則的に支持を表明。 |
DIA-205-1988-05-18-1 | フィリピン | 1988年05月18日 | 1980年代 | 任命委,ファクトラン天然資源長官の任命承認。 |
DIA-205-1988-05-19-1 | フィリピン | 1988年05月19日 | 1980年代 | ゴンサレス・スペイン首相,訪比―(~22日)。20日アキノと会談。21日2協定に調印:経済,工業援助と,在西フィリピン人メイド6万人に対する社会保険適用に関する協定。ゴ首相,7000万㌦の総合融資を表明。 |
DIA-205-1988-05-19-2 | フィリピン | 1988年05月19日 | 1980年代 | 英国放送協会はNPAの襲撃に関与せず―2月27日のアルバイ州の襲撃にBBCの記者が同行したと疑惑がもたれていたが,参謀総長が関与を否定。一方,17日アギーレ警察軍首都圏司令官,NPAへの情報漏洩防止のため若干の内外記者を軍の監視下におくと警告。 |
DIA-205-1988-05-21-1 | フィリピン | 1988年05月21日 | 1980年代 | マルコスの銀行口座の守秘義務を解除―スイス連邦最高裁判所,クレディ・スイス銀行に対しマルコスの口座に関する記録の司法当局への提出を命令。 |
DIA-205-1988-05-23-1 | フィリピン | 1988年05月23日 | 1980年代 | シソン,CPP指導部に復帰との軍報道を否定―MC紙。元CPP委員長が西独ケルンで記者会見し,生命の危険があり今は帰国できないと言明。 |
DIA-205-1988-05-24-1 | フィリピン | 1988年05月24日 | 1980年代 | 国軍のゲリラ対策は向上―MC紙。ブラカン州のNPAゲリラが認める:前月以来政府軍はNPAの根拠地に基地を設置し,かれらは村民に友好的である。 |
DIA-205-1988-05-24-2 | フィリピン | 1988年05月24日 | 1980年代 | ブスカイノの米国ビザ取り消しに―元NPA司令官。在米団体の招待で21日に講演の予定のもの。 |
DIA-205-1988-05-26-1 | フィリピン | 1988年05月26日 | 1980年代 | 公立ハイスクールは無償に―アキノ,法律6655号に署名。授業料,教材は無料に。6月から実施。 |
DIA-205-1988-05-27-1 | フィリピン | 1988年05月27日 | 1980年代 | ジュネージョー・パキスタン首相訪比―(~29日)。28日アキノとの会談で同首相は76年トリポリ協定によるミンダナオ・イスラム教徒の完全自治の支持を再び主張し,比政府とMNLFとの和平交渉継続を要請。 |
DIA-205-1988-06-01-1 | フィリピン | 1988年06月01日 | 1980年代 | 政府,Cocofedを接収―PCGGが比ココナツ生産者連盟の全国理事15人を任命。2日Cocofed委員長のMa Clara Lobregat下院議員,接収は違法と抗議。6日アキノ,PCGGのCocofedの経営権支配を支持。 |
DIA-205-1988-06-01-2 | フィリピン | 1988年06月01日 | 1980年代 | 任命委員会,レイエス運輸通信長官の任命を承認。 |
DIA-205-1988-06-01-3 | フィリピン | 1988年06月01日 | 1980年代 | 日比政府,債務繰り延べで合意文書交換―87年1月から88年6月までに満期到来の対日公的債務および輸出保険の適用をうける商業上の債務計約700億円。 |
DIA-205-1988-06-01-4 | フィリピン | 1988年06月01日 | 1980年代 | ケソン州で兵士5人,民間人1人がNPAの人質に。 |
DIA-205-1988-06-02-1 | フィリピン | 1988年06月02日 | 1980年代 | 私立学校の授業料15%値上げに―キスンビン教育長官が指針を発表。 |
DIA-205-1988-06-03-1 | フィリピン | 1988年06月03日 | 1980年代 | マニラで「新たに民主主義を回復した国家会議」―権威主義,独裁政権から民主政権に移行した国からニカラグアを含む13カ国が参加。ソアレス・ポルトガル首相が基調報告。6日自由選挙で選出された政府に対するテロ,ゲリラ活動を否定する「マニラ宣言」を採択し閉幕。対外債務に関する個別コミュニケは不採択に。 |
DIA-205-1988-06-03-2 | フィリピン | 1988年06月03日 | 1980年代 | パリクラブと債務繰り延べで合意―比中央銀行が発表。総額10.7億㌦。87年1月から88年6月までに満期到来分を5年据え置き,93年から5年間に返済。 |
DIA-205-1988-06-05-1 | フィリピン | 1988年06月05日 | 1980年代 | NPA襲撃で政府軍兵士16人が死亡―ネグロス島シライ市郊外で。16日北部ルソン山岳地帯でNPAが陸軍基地を襲撃,政府軍兵士11人,ゲリラ32人が死亡。 |
DIA-205-1988-06-06-1 | フィリピン | 1988年06月06日 | 1980年代 | 上院,核兵器禁止法案を可決―SB413号。比領土内の核兵器の持ち込み,通過,寄港を禁止。7日米国務省報道官,核兵器禁止法案は米国の防衛政策と相反すると懸念を表明。16日シュルツ国務長官,同法案が成立すれば袂を分つと警告。 |
DIA-205-1988-06-07-1 | フィリピン | 1988年06月07日 | 1980年代 | 南沙群島に豊富な海底油田ありとの調査結果―MB紙。比政府とUNESCOの合同科学調査で判明。 |
DIA-205-1988-06-07-2 | フィリピン | 1988年06月07日 | 1980年代 | 香港政庁,比人建設労働者の雇用を禁止に。 |
DIA-205-1988-06-07-3 | フィリピン | 1988年06月07日 | 1980年代 | 赤軍派の泉水博,マニラで逮捕―8日強制送還。 |
DIA-205-1988-06-08-1 | フィリピン | 1988年06月08日 | 1980年代 | 市民軍地域部隊に関する施行規則を公表―行政命令264号の施行規則。CAFGUは大統領が指揮し,1~3等予備役に区分し,3等予備役は訓練,検閲のための年次召集を義務づける。 |
DIA-205-1988-06-09-1 | フィリピン | 1988年06月09日 | 1980年代 | NPA浸透地域で西欧人ら3人を逮捕―ケソン州で。Klaus Schmidt(西独人牧師),Stellan Hermansson(スエーデン人レポーター),Antonio Bosch(西独系フィリピン人)。 |
DIA-205-1988-06-10-1 | フィリピン | 1988年06月10日 | 1980年代 | アキノ大統領,包括農地改革法案に署名―(法律6657号)。6日両院合同委員会,包括農地改革法案1本化で合意。7日上下両院で同案可決。地主保有限度は5ha。実際に土地を耕作,または直接農場を経営する15歳以上の子1人につき3haを加算。また受益者農民への分配上限は3ha。全国紙2紙で公告後発効に。 |
DIA-205-1988-06-10-2 | フィリピン | 1988年06月10日 | 1980年代 | コルディリェーラ地域諮問委員会設置法に署名―23日アキノ,CRCC委員24人を指名。定数は30人。 |
DIA-205-1988-06-10-3 | フィリピン | 1988年06月10日 | 1980年代 | 第1通常会期終了―ミトラ下院議長,議会の非効率批判に弁明:下院は1万4417件の決議案,法案を受理し,下院で可決した40法案のうち20が布告された。 |
DIA-205-1988-06-11-1 | フィリピン | 1988年06月11日 | 1980年代 | 警察軍クラメ基地で銃撃戦―車4台に分乗したマルコス派とみられる兵士ら20人が基地に突入,武器庫から銃24丁,弾薬数千発を奪い逃走。 |
DIA-205-1988-06-12-1 | フィリピン | 1988年06月12日 | 1980年代 | ラカス,PDP・ラバンの両党が合同に調印―新党名は『民主的フィリピン人のたたかい」(略称:LDP,創立大会は9月16~17日に行なわれた)。 |
DIA-205-1988-06-13-1 | フィリピン | 1988年06月13日 | 1980年代 | スイス予審裁判所,マルコス資産の返却を命令―同日付けBW紙。前週フライブルグ州の銀行に対して7000万スイスフラン(4870万㌦)の比政府返還を命令。マルコス側弁護士,同州控訴裁判所に控訴。 |
DIA-205-1988-06-13-2 | フィリピン | 1988年06月13日 | 1980年代 | アキノ,訪欧―(~19日)。14日第75回ILO総会で演説。15日シュティヒ・スイス大統領と会談。スイス連邦会議と4300万㌦の援助覚書に調印。19日コシガ伊大統領と会談,17日バチカンでヨハネ2世に会見。19日ブレム・タイ首相と会談。 |
DIA-205-1988-06-15-1 | フィリピン | 1988年06月15日 | 1980年代 | 6クロニーと資産返還で交渉中―ドロマルPCGG委員が言明。16日付けBW紙は,国外在住のロムアルデス,ベネディクト,コファンコ,ベニテス,ディシニ,クエンカの名前をあげる。 |
DIA-205-1988-06-16-1 | フィリピン | 1988年06月16日 | 1980年代 | マルコス前政権高官が証人出廷を申し出―PCGGが発表。マルコスの一族の不正事件でBaltazar Aquino(元公共事業道路相),Jesus Tanjuatco(元食糧庁長官),Ramon Cruz(元フィリピン航空社長)。 |
DIA-205-1988-06-21-1 | フィリピン | 1988年06月21日 | 1980年代 | 新たなクーデタ計画が発覚―アンチポロの隠れ家でマルコス派元兵士7人を逮捕。武器,書類を押収。 |
DIA-205-1988-06-23-1 | フィリピン | 1988年06月23日 | 1980年代 | 下院でPCGGの廃止を討議―Victorico Chavez下院与党副院内総務が公的資金配分特別委で証言:PCGGは廃止し,APTまたはオンブズマンに権限を委該すべきである。 |
DIA-205-1988-06-24-1 | フィリピン | 1988年06月24日 | 1980年代 | 国際アムネスティの支部長,殺害―ビサヤ支部長のA.Surigao。レイテ島からの避難民の弁護士。 |
DIA-205-1988-06-25-1 | フィリピン | 1988年06月25日 | 1980年代 | マルコス資産返還は遅れる―スイス司法省が言明:87年7月のスイス最高裁判決どおり,マルコスの有罪確定が返還の条件。またチューリッヒ,ジュネーブ州の裁判では情報提供が優先し,資産返還は後になる。 |
DIA-205-1988-06-27-1 | フィリピン | 1988年06月27日 | 1980年代 | 払い下げ資産の対価支払は農地債券でも受理―民営化委員会が決定。10年物を額面で。 |
DIA-205-1988-06-30-1 | フィリピン | 1988年06月30日 | 1980年代 | Nemesio Prudente比工科大学長,伏撃で重傷―マニラ市内サンタ・メサで。警護の3人は死亡。 |
DIA-205-1988-07-01-1 | フィリピン | 1988年07月01日 | 1980年代 | 対比多国間援助構想受け入れ官民5人委発足―委員によると同国の立場は,米国でなく日本ないしASEANの1国を「協議機構」の長とし,援助計画を米軍基地の91年以降の存続問題とからめないこと。 |
DIA-205-1988-07-01-2 | フィリピン | 1988年07月01日 | 1980年代 | 大統領,最高裁長官にM.B.Fernan判事を任命。 |
DIA-205-1988-07-02-1 | フィリピン | 1988年07月02日 | 1980年代 | プルデンテ学長の弁護士暗殺さる―E.Mendoza,マニラ市の路上で。人権弁護士で人民党立候補者。 |
DIA-205-1988-07-02-2 | フィリピン | 1988年07月02日 | 1980年代 | CPP・NPA国際財政担当者,ケソン市で逮捕―Noel Villalba,香港を基地に資金集め活動に従事していたという。15日保釈。 |
DIA-205-1988-07-02-3 | フィリピン | 1988年07月02日 | 1980年代 | 2団体は市民の自衛権により合憲―ラモス国防長官,市民義勇隊と市民軍地域部隊について言明。 |
DIA-205-1988-07-05-1 | フィリピン | 1988年07月05日 | 1980年代 | マルコス・クロニー,示談求める―チャベス検事総長言明:マルコスの隠し財産管理者と確認された者は311人,うち10人は示談に応じないが,他は先方から申し出る。政府は選別して考慮する。 |
DIA-205-1988-07-05-2 | フィリピン | 1988年07月05日 | 1980年代 | タウィタウィでMNLF337人投降。 |
DIA-205-1988-07-06-1 | フィリピン | 1988年07月06日 | 1980年代 | 国家捜査局,プルデンテ暗殺未遂事件容疑者発表―警官1人,自警団員1人逮捕,他の4人も9日までに逮捕。 |
DIA-205-1988-07-06-2 | フィリピン | 1988年07月06日 | 1980年代 | マルコスが帰国して裁判を受けることを妨げない―アキノ大統領言明。 |
DIA-205-1988-07-08-1 | フィリピン | 1988年07月08日 | 1980年代 | PCGGの委員長・委員の辞任要求―チャベス検事総長,PCGG職員の不適性,無能,腐敗,特に7差し押さえ企業をめぐる乱脈と汚職を挙げる。ディアスPCGG委員長はこれに反論。大統領は12日,両者に60日間の休暇を命じ,13日PCGG委員長代行にA.Azcuna,14日検事総長代行にR.Desuasidoを任命。 |
DIA-205-1988-07-09-1 | フィリピン | 1988年07月09日 | 1980年代 | 対比多国間援助計画受け入れ案に積極的反応―マ外務長官,ASEAN拡大外相会議終了後その反応につき言明。同案は各方面にわたる計画で,大部分が1987~92開発計画に含まれている。5日,ASEAN外相会議は共同声明で同援助計画の支持を表明している。 |
DIA-205-1988-07-09-2 | フィリピン | 1988年07月09日 | 1980年代 | 73下院議員,PCGGに代わる機関創設を要求―PCGGの差し押さえ権は8月2日の失効以降は延長しない。現在の委員長・委員は辞任すべきだと。 |
DIA-205-1988-07-09-3 | フィリピン | 1988年07月09日 | 1980年代 | ケソン市路上でCPP中央委員候補ら4人逮捕―同党北ミンダナナ委員会のJorge Madlosら。 |
DIA-205-1988-07-11-1 | フィリピン | 1988年07月11日 | 1980年代 | 北スリガオでNPAが国軍分遣隊と町役場急襲。 |
DIA-205-1988-07-12-1 | フィリピン | 1988年07月12日 | 1980年代 | 比米軍事基地交渉は今月末までに終わろう―前日マニラ入りしたシュルツ米国務長官とアキノ大統領の会談後双方が言明。会談では対比多国間援助構想も取り上げられた。一方,同長官は会談した議会指導者に,米国のプレゼンスを欲しないなら,どうして多国間援助を論じなければならないのか,と語る。長官は前日ジャカルタで,「在比基地がだめなら他に代替はある」と言明。 |
DIA-205-1988-07-13-1 | フィリピン | 1988年07月13日 | 1980年代 | 多国籍企業は民有地なら無制限にリースできる。―CARPにつき農地改革長官言明。所有は制限されるし,リースでも公有地は1000haまで。 |
DIA-205-1988-07-13-2 | フィリピン | 1988年07月13日 | 1980年代 | NPA反乱活動の重点はルソン,特に首都圏に―ラモス国防長官,最近数カ月の変化を語る。国軍・警察は決定的な勝利を収めつつあり,政府軍対反政府軍の殺害比率は1.7:1と過去5年で最高。 |
DIA-205-1988-07-13-3 | フィリピン | 1988年07月13日 | 1980年代 | 米国は対比多国間援助を基地交渉と結びつけず―アキノ大統領,記者会見でシュルツとの会談結果につき言明。またミトラ下院議長の言明:シュルツとの会談で軍事基地使用継続に対し米国が10億㌦の経済パッケージの要求を受け入れる強い可能性があると感じた。基地協定改訂の結果如何で非核法案の条項は下院で直接の影響を受けることになろう。 |
DIA-205-1988-07-14-1 | フィリピン | 1988年07月14日 | 1980年代 | 政府と反徒に停戦と和平を呼びかける教書発表―比カトリック司教会議。政府には反共自警団員グループの解散と武器回収を求める。 |
DIA-205-1988-07-14-2 | フィリピン | 1988年07月14日 | 1980年代 | 治安問題の重点地域は7州―全国治安会議(NPOC)事務局長言明:カガヤン,アウロラ,ケソン,南カマリネス,西ネグロス,東サマール,南スリガオ。 |
DIA-205-1988-07-15-1 | フィリピン | 1988年07月15日 | 1980年代 | NDFとの和平交渉第2ラウンドに賛意―アキノ大統領言明:ただしNDF側から正式に要請すること。ラモス国防長官は拒否。 |
DIA-205-1988-07-15-2 | フィリピン | 1988年07月15日 | 1980年代 | 訪ソ両院議会代表団帰国―(4日~)。 |
DIA-205-1988-07-15-3 | フィリピン | 1988年07月15日 | 1980年代 | FPHC株主総会,マニラ電力株売却を承認―First Philippine Holding Corp. |
DIA-205-1988-07-17-1 | フィリピン | 1988年07月17日 | 1980年代 | CPP・NPAに指導部刷新と方針転換―同日付MC紙:国防省筋によると,過去6カ月の政治的軍事的後退の結果,北ルソン,南ルソン,ビサヤ,サマール,レイテ,ミンダナオ各地方の委員長交代や組織整頓のほか,軍事行動から政治,統一戦線,大衆基盤増強に重点を移している。 |
DIA-205-1988-07-18-1 | フィリピン | 1988年07月18日 | 1980年代 | ミトラ下院議長は和平交渉再開に積極的―反乱活動が外資流入を制約していることを挙げ,共産党が綱領から暴力手段の条項を除けば同党を合法化できると。 |
DIA-205-1988-07-18-2 | フィリピン | 1988年07月18日 | 1980年代 | 内外投資家は包括農地改革法実施方針に懸念―V.Lim比商工会議所会頭,アキノ大統領に会見し,基本的に支持するも,多国籍企業の土地利用,養殖漁業などへの影響を慎重に検討するよう要請。 |
DIA-205-1988-07-19-1 | フィリピン | 1988年07月19日 | 1980年代 | 全差し押さえ企業の会計検査を命令―大統領,同日発表。またディアスPCGG委員長の辞表を受理。 |
DIA-205-1988-07-19-2 | フィリピン | 1988年07月19日 | 1980年代 | 司法長官,憲法非核条項に柔軟な見解示す―同日の比米軍事基地問題行政・立法諮問委の席上で。それにもとづき同会議は核動力・積載艦船・航空機の立ち寄りは大統領に決定権があることを決める。 |
DIA-205-1988-07-20-1 | フィリピン | 1988年07月20日 | 1980年代 | 閣議,銀行規制の緩和政策を採択―NEDAの「88~92年改定中期開発計画」の一環として。支店開設や銀行設立に関する中銀の政策は制限的すぎると。 |
DIA-205-1988-07-21-1 | フィリピン | 1988年07月21日 | 1980年代 | ブキドノン州農民,デルモンテ社に抗議―インパスゴン町の農民団体Kaanib,同社は過去2カ月,農地改革法に違反して抵当流れ,遊休,放置の民有地343haを取り込んだとして。同社は8195haを国家開発公社から,1万1000haを民間地主からリースし,拡張中の土地は同法制定前に契約済みと反論。8月1日係争地は拡張から除外することで解決。 |
DIA-205-1988-07-21-2 | フィリピン | 1988年07月21日 | 1980年代 | 大統領,Meralcoの民営化を延期―この日香港でBank of Philippine Islands,J.P.Morgan社等10社のシンジケートとAPTの間で,Meralco株式の46.5%に当たる1990万株の取得を6億9000万ペソで債務直接買取り契約として調印の予定であった。同株式は所有者メラルコ財団とFPHC社からDBPの抵当に入り,APTが差し押さえていた。 |
DIA-205-1988-07-22-1 | フィリピン | 1988年07月22日 | 1980年代 | 包括農地改革計画布告1周年の成果―農地改革省発表:解放地券発行8万812件,4万8750農家,5万7840ha(コメ・トウモロコシ),別に自発的売り渡し327件,6万2962ha。この結果,計画による売り渡し面積合計は38万6886haに。 |
DIA-205-1988-07-22-2 | フィリピン | 1988年07月22日 | 1980年代 | アキノ大統領:PCGGの差し押さえ権限は延長せず。 |
DIA-205-1988-07-23-1 | フィリピン | 1988年07月23日 | 1980年代 | 3政党党首間の同盟成立―LPサロンガ,キリスト教民主主義全国連合マングラプス,PDP・ラバンのピメンテル。アキノ政権は支持していくという。LDPに参加しなかったPDP・ラバンの1派は24日に全国集会。25日マングラブス:望めば人民党も受け入れる。 |
DIA-205-1988-07-23-2 | フィリピン | 1988年07月23日 | 1980年代 | ラウレル副大統領,1カ月の訪ソ・東欧から帰国。 |
DIA-205-1988-07-25-1 | フィリピン | 1988年07月25日 | 1980年代 | 議会第2通常会期開会―大統領施政方針演説:(1)国軍の自警団員グループ解散(市民義勇隊とCAFGUは継続),(2)対外債務負担軽減,(3)犯罪の無政府状態を終らせる,(4)88年を反乱一掃の年に,(5)石油製品価格引き下げ,(6)民営化から不当な利益を受けることに警告,(7)教育,雇用,貧困軽減,成長維持の行動課題。 |
DIA-205-1988-07-26-1 | フィリピン | 1988年07月26日 | 1980年代 | マルコスからの帰国条件提示―同日Washington Post紙報道。米国での起訴を逃れるため,50億㌦を返して政治から引退し,アキノに忠誠を誓う代わりに帰国したいというもの。ホセ・コファンコやペラエス駐米大使を含めフィリピン政府側と交渉に入ったという。26日ペラエス大使,アキノ大統領は拒否したと言明。 |
DIA-205-1988-07-26-2 | フィリピン | 1988年07月26日 | 1980年代 | 比米基地協定見直し交渉中断―外務長官,補償額の問題で彼我に大きなへだたりがあると言明。 |
DIA-205-1988-07-31-1 | フィリピン | 1988年07月31日 | 1980年代 | 政府とNPA,政府軍軍人人質解放交渉開始―ケソン州サリアヤのバナハウ山麓で(6月1日参照)。 |
DIA-205-1988-08-01-1 | フィリピン | 1988年08月01日 | 1980年代 | 欧人ら3人を破壊活動で起訴(6月8日参照)。 |
DIA-205-1988-08-02-1 | フィリピン | 1988年08月02日 | 1980年代 | 比米基地協定見直し交渉,マニラで再開。 |
DIA-205-1988-08-02-2 | フィリピン | 1988年08月02日 | 1980年代 | PCGG,さらに7企業資産の差し押さえを承認,PCGG独自の差し押さえ権限は憲法上この日までで失効。6月9日現在の差し押さえ件数は343社およびその他資産。 |
DIA-205-1988-08-02-3 | フィリピン | 1988年08月02日 | 1980年代 | 大統領が臨席して「北ルソン同盟」結成―第1,2地方とコルディリェーラ地域の全議員,知事,市長。 |
DIA-205-1988-08-03-1 | フィリピン | 1988年08月03日 | 1980年代 | 漁民の釈放をマレーシア政府に要請―外務省,サバ沖のマレーシア領海内で不法操業したとして4月5日逮捕され,拘留中の漁民49人中1人が3日急死したので。6日大統領,マハティール首相に電話で善処を要請。 |
DIA-205-1988-08-03-2 | フィリピン | 1988年08月03日 | 1980年代 | 朝,西ミサミス州でNPA50人が町役場を襲撃。 |
DIA-205-1988-08-04-1 | フィリピン | 1988年08月04日 | 1980年代 | 警察軍,6・11クラメ基地襲撃事件解決と発表―2日と3日の首都圏の一連の手入れによりマルコス忠誠派「ブラック・フォース・コマンド」隊員を4人逮捕,以前の元兵士と合わせ10人に(逃亡中7,死亡1)。 |
DIA-205-1988-08-05-1 | フィリピン | 1988年08月05日 | 1980年代 | 基地補償の一部として債務軽減を要請―大統領が確認。米国の対比公的債権約10億㌦の範囲で。 |
DIA-205-1988-08-05-2 | フィリピン | 1988年08月05日 | 1980年代 | 中銀,債務の株式転換計画を断念か―公式筋,通貨委員会はこのほど,中銀債務証書の株式転換申請の受け付けを停止した,と語る。ペソ貨増発を促すとして月間の転換額をさきに1500万㌦に制限したが効果うすい。88年6月までの転換承認は332件,11億2900万㌦。 |
DIA-205-1988-08-07-1 | フィリピン | 1988年08月07日 | 1980年代 | アキノ大統領,身内に対する攻撃に反論―テレビ番組で:最近の一連の攻撃の真の標的は私であって。政府と私の信用を傷つける狙いである。私は前任者のように不正な資産取得はしていないし,親戚の取引に介入したり特権を与えたりもしていない。 |
DIA-205-1988-08-09-1 | フィリピン | 1988年08月09日 | 1980年代 | 行政命令で米軍基地の転用検討委員会を設置。 |
DIA-205-1988-08-09-2 | フィリピン | 1988年08月09日 | 1980年代 | NPAと民間交渉代表の人質解放交渉合意成立―国軍人質5人は14日釈放。NPAは交換の政治犯釈放要求を断念,民間側は囚人の医療と政府援助,釈放に尽力する。両者は人権委を設置し,CAFGUの加入は任意に。 |
DIA-205-1988-08-09-3 | フィリピン | 1988年08月09日 | 1980年代 | 上院調査特別委,PCGG不正疑惑の審理開始―オンブズマン室と共同で。 |
DIA-205-1988-08-10-1 | フィリピン | 1988年08月10日 | 1980年代 | デルモンテ社の農地改革提案―このほど大統領土地改革評議会に提出。1万2000haの耕地は,国家開発公社(NDC)からのリースと1600人の小地主からの借地が半々であるが,農地改革省は,NDCからの全リース地を取得,分配し,農民の協同組合化か法人化を監理する。デルモンテ社は非農耕地をひきつづきリースする。 |
DIA-205-1988-08-10-2 | フィリピン | 1988年08月10日 | 1980年代 | マレーシア閣議,フィリピン漁民48人釈放命令―フィリピンとの「相互理解と協力」のため上告取り下げも決定。マングラプス外務長官はこれを発表,上院はサバ要求取り下げ法案を議決すべきことを示唆。13日帰国。 |
DIA-205-1988-08-11-1 | フィリピン | 1988年08月11日 | 1980年代 | マレーシア,国境問題で交渉に応ず―同日のマハティール首相のアキノ大統領宛ての電話で回答。 |
DIA-205-1988-08-12-1 | フィリピン | 1988年08月12日 | 1980年代 | LDP合流を議決できず―PDP・ラバン全国協議会,代わりに9月15日全国大会開催を決定。 |
DIA-205-1988-08-13-1 | フィリピン | 1988年08月13日 | 1980年代 | ラウレル,アキノを無能として辞任を要求―指導部交代のため特別選挙に道を開け,決断の助けになるなら自分も辞任すると。大統領,副大統領に反諭:彼が責めるべきは自らである。政府意思決定への参加はゼロに近く,特にもっとも助力が必要だった2回のクーデタ局面で,不在であるか支援を拒否した。 |
DIA-205-1988-08-13-2 | フィリピン | 1988年08月13日 | 1980年代 | UNIDO所属議員追随せず―下院議員22人中,20人は離党するか,ラウレルの行動へのかかわりを否定。 |
DIA-205-1988-08-13-3 | フィリピン | 1988年08月13日 | 1980年代 | PCGG委員長にMateo Caparaz弁護士が就任。 |
DIA-205-1988-08-14-1 | フィリピン | 1988年08月14日 | 1980年代 | 大統領:Alsa MasaはCAFGUに編入する。 |
DIA-205-1988-08-15-1 | フィリピン | 1988年08月15日 | 1980年代 | 大統領,チャベス検事総長に復職を命令。 |
DIA-205-1988-08-16-1 | フィリピン | 1988年08月16日 | 1980年代 | 養鶏畜産業発展協会,CARPの例外化を訴え―大統領に態度声明書を提出。企業的農場扱いで労働者,職員に土地移譲までの暫定期間,粗売上げ高の4%分配が義務づけられる点について。 |
DIA-205-1988-08-16-2 | フィリピン | 1988年08月16日 | 1980年代 | ラウレル副大統領,一週間以内のアキノ辞任を要求。 |
DIA-205-1988-08-17-1 | フィリピン | 1988年08月17日 | 1980年代 | 比米基地協定見直し交渉は9月まで中断。 |
DIA-205-1988-08-17-2 | フィリピン | 1988年08月17日 | 1980年代 | 閣議で政府省庁・金融機関の業績評価開始。 |
DIA-205-1988-08-17-3 | フィリピン | 1988年08月17日 | 1980年代 | マルコスのリベート関連で元閣僚の証言を許可―公務員犯罪特別裁判所,チャベス検事総長の申請に対して。証人は元公共事業道路相B.Aquino。 |
DIA-205-1988-08-18-1 | フィリピン | 1988年08月18日 | 1980年代 | IMF・世銀,中銀のペソ高誘導に警告―同日付MB紙,金融界筋の談として報道:モンソドNEDA長官も中銀のペソ価維持のための国債買い支えを批判。 |
DIA-205-1988-08-18-2 | フィリピン | 1988年08月18日 | 1980年代 | アキノ大統領は92年に再選を求めず―実弟のコフアンコ下院議員,MC紙に言明。 |
DIA-205-1988-08-19-1 | フィリピン | 1988年08月19日 | 1980年代 | マルコス帰国許可は公務員特別裁判所次第―アキノ大統領,同裁判所が18日,アキノ元公共事業相の証言をとる時にはマルコス前大統領は反対尋問する憲法上の権利があると決定したことに対して。チャベス検事総長は「政治・治安上の問題」を生ずるとして反対。 |
DIA-205-1988-08-20-1 | フィリピン | 1988年08月20日 | 1980年代 | シソンの再逮捕命令を確認―デビーリャ参謀総長。シソンはCPPの委員長に就任し,現在はヨーロッパで資金集め中と報じられている。 |
DIA-205-1988-08-20-2 | フィリピン | 1988年08月20日 | 1980年代 | サウジアラビア,フィリピン労働者雇用停止―ドリロン労働長官,現地大使館からの連絡として同国内務省が新規契約労働者への就労査証発給を停止中と発表。 |
DIA-205-1988-08-21-1 | フィリピン | 1988年08月21日 | 1980年代 | アキノ大統領,辞任要求を正式に拒否―アキノ元上院議員暗殺5周年ミサの席上で。同議員の死であがなった国家統合を反対派が弱めようとしていると非難。同日ラジオ放送で,政府汚職反対100万人署名運動は外国におけるわが国のイメージを傷つけると危惧を表明。 |
DIA-205-1988-08-22-1 | フィリピン | 1988年08月22日 | 1980年代 | マルコス,比政府に帰国許可を訴願―同日付で妹のFortuna Marcos Barbaに,18日の決定を即時実施するよう公務員犯罪特別裁に緊急訴願するよう指示。24日訴願提出。 |
DIA-205-1988-08-22-2 | フィリピン | 1988年08月22日 | 1980年代 | 畜産・養殖業を除外する農地改革法修正案上程―同日付MB紙報道。パタンガス州H.B.Perez下院議員。 |
DIA-205-1988-08-22-3 | フィリピン | 1988年08月22日 | 1980年代 | 新任委員長を除きPCGGの4委員,無期賜暇に―23日,大統領は,うちJ.Laureta委員の辞任発表。25日,2委員代行任命を発表:Nievalena V.Roste,Maria H.Reyes。 |
DIA-205-1988-08-22-4 | フィリピン | 1988年08月22日 | 1980年代 | 民間金融部門の対外商業借款債務繰り延べ―中銀回状1179号による実施ガイドライン。87年1月~92年12月に満期到来の第2次分10億0500万㌦。 |
DIA-205-1988-08-24-1 | フィリピン | 1988年08月24日 | 1980年代 | 上院,オンブズマン室構成法案を可決。 |
DIA-205-1988-08-26-1 | フィリピン | 1988年08月26日 | 1980年代 | マルコス帰国に反対表明―チャベス検事総長:公務員犯罪特別裁には請願に救済を与える権限がない。また刑事事件ではないのでマルコスの出席要せず。ミトラ下院議長:圧倒的多数を背景に帰国に反対する。27日ラモス国防長官:帰国はわが国に重大な問題を提起するが,政府は起こりうる非常事態に以前から準備あり。 |
DIA-205-1988-08-26-2 | フィリピン | 1988年08月26日 | 1980年代 | 三権代表者が汚職腐敗の抑制と裁判の促進を協議。 |
DIA-205-1988-08-27-1 | フィリピン | 1988年08月27日 | 1980年代 | 国軍全部隊,全面警戒態勢に―同日付MC紙:マルコスの帰国の可能性,アキノ大統領の29日からのブルネイ訪問を控え,首都圏は24日から第2警戒態勢,その他は28日8時までに第3警戒態勢に入る。23日,大統領はクーデタの噂を一笑に付し,国軍指導者も度たび情勢の安定を言明している。28日はクーデタの1周年。 |
DIA-205-1988-08-27-2 | フィリピン | 1988年08月27日 | 1980年代 | 副大統領を指導者に反アキノ連合結成―国民運動連合(UNA)。参加団体:ナショナリスタ党,UNIDO,KBL,GAD,ミンダナオ同盟,ムスリム連邦党,キリスト教社会民主党,フィリピン消費者党,憂慮する運輸団体連合(ACTO)。10項目政綱:憲法改正,連邦制,議院内閣制,共産党の合法化,統合参謀本部長の4軍輪番制,期間10年以内・漸廃方式の米国との新基地協定など。 |
DIA-205-1988-08-29-1 | フィリピン | 1988年08月29日 | 1980年代 | アキノ大統領,ブルネイを公式訪問―同行は外務・商工・農業・労働長官,首席補佐官ら。大統領は31日帰国し,ボルキア国王は対比多国間援助計画への参加と支持を約束,また両国は貿易,民間投資,通信・海運・建設分野の合弁推進で一致した,と言明。また労働省に同地の出稼ぎ労働者のための福祉官常駐を命じた。 |
DIA-205-1988-08-30-1 | フィリピン | 1988年08月30日 | 1980年代 | マルコス派軍にもう1隊判明―「マルコス軍徹底抗戦司令部」(Malcom)と首都圏防衛司令部発表。 |
DIA-205-1988-08-31-1 | フィリピン | 1988年08月31日 | 1980年代 | 台湾,1~6月の対比外国投資の首位に―1億3400万㌦,米国6700万㌦,日本2430万㌦(商工省発表)。 |
DIA-205-1988-09-01-1 | フィリピン | 1988年09月01日 | 1980年代 | CHDFのうち4万4000人をCAFGUに編入―国軍作戦部長,上院で説明。CHDFは現在6万2000人,うち「浄化された」分子を再訓練して編入する。 |
DIA-205-1988-09-02-1 | フィリピン | 1988年09月02日 | 1980年代 | 市町長の警察統制権回復―国防長官,地方自治長官,国家警察委員長の間の協定覚書でなされた。 |
DIA-205-1988-09-02-2 | フィリピン | 1988年09月02日 | 1980年代 | 対外債務軽減であれば1991年以降も基地を許容―マ外務長官言明。債務が最重要の課題であると。 |
DIA-205-1988-09-03-1 | フィリピン | 1988年09月03日 | 1980年代 | 人民党第2回全国大会―(~4日)。LP,PDP・ラバン・ピメンテル派,キリスト教民主主義全国同盟など在来政党との問題ごとの戦術的連携計画を承認。 |
DIA-205-1988-09-04-1 | フィリピン | 1988年09月04日 | 1980年代 | IMF,比経済の改善認める―中銀,8月22日来の審査が終わり,IMFが8月31日にスタンドバイ・クレジット5億700万㌦の最後のトランシュ4500万㌦の実行を認めた,と発表。また,今後は拡大信用供与制度(EFF)により約20億㌦の取り入れを申請することに同意したと言明:EFFの引き出し9億㌦のほか,輸出入・金利変動補償制度4億㌦,パリクラブ14カ国との6億8000万㌦の借り換え。IMFを前提条件とした民間商業銀行とのニューマネー取り入れ交渉も可能。 |
DIA-205-1988-09-04-2 | フィリピン | 1988年09月04日 | 1980年代 | マルコス帰国の機熟さず―アキノ大統領,ラジオで言明:86年閣議ではエンリレ現上院議員も含め全員一致で国益に反するから許さずと決めた。民主的制度はすでに成立したが,刑事訴追はなされておらず法廷に召喚の必要はない。この件で聴取者は意見を述べてほしい。 |
DIA-205-1988-09-06-1 | フィリピン | 1988年09月06日 | 1980年代 | IMF,675品目の輸入自由化延期認める―コンセプシオン商工長官,暫定関税措置制定までと。 |
DIA-205-1988-09-06-2 | フィリピン | 1988年09月06日 | 1980年代 | 下院,立法行政合同対外債務委員会設置法案を可決。 |
DIA-205-1988-09-06-3 | フィリピン | 1988年09月06日 | 1980年代 | 少数民族の父祖の地取扱いガイドライン求める―農地改革計画めぐりフィリピン部族民主主義全国同盟。 |
DIA-205-1988-09-06-4 | フィリピン | 1988年09月06日 | 1980年代 | 大統領,ディアス前PCGG委員長の辞表を公表―(1)クロニーの大部分が幅を利かせて裁判にかけられず(2)PLDT,San Miguel,Meralco,Bulletinの処分ができず,(3)公務員犯罪特別裁と検察庁は方向を誤らされ,(4)大統領の親族からたえず攻撃を受けながら大統領から助力が与えられなかった,と述べる。 |
DIA-205-1988-09-07-1 | フィリピン | 1988年09月07日 | 1980年代 | バナナ農図の農地改革方式案を原則的に承認―フイコ農地改革長官,フィリピン・バナナ栽培輸出業協会に対して。バナナ栽培農地を労働者・従業員組合に25年賦で売却,同時に25年間リースを受ける。株式移譲は農地改革法の定める割合の株式を25年賦で同組合に売り渡す。生産・利益分与も同法に従って実施。 |
DIA-205-1988-09-08-1 | フィリピン | 1988年09月08日 | 1980年代 | 大統領,単一の国家警察の緊急性を確認―国家警察委員会22周年に演説。PCと統合国家警察INPを,合併してフィリピン国家警察PNPへ。法案提出中。 |
DIA-205-1988-09-08-2 | フィリピン | 1988年09月08日 | 1980年代 | 下院LP・アキノ支持を再確認―LPは切り崩されて42下院議員の多数がLDPに加わり残留見込み18。 |
DIA-205-1988-09-09-1 | フィリピン | 1988年09月09日 | 1980年代 | フェルナンデス中銀総裁の停年延長発表―大統領,22日に65歳に達するが任期一杯の1990年までと。 |
DIA-205-1988-09-09-2 | フィリピン | 1988年09月09日 | 1980年代 | 若王子事件に日本赤軍関与の可能性濃厚―梶山国家公安委員長,閣議で。10月24日までに赤軍全面否定。 |
DIA-205-1988-09-10-1 | フィリピン | 1988年09月10日 | 1980年代 | 台湾,対比投資に関心―A.Periquet,Jr.比台ビジネス協議会議長,台比ビジネス協議会との合同会議(台北,1~2日)から帰国して言明。 |
DIA-205-1988-09-11-1 | フィリピン | 1988年09月11日 | 1980年代 | マングラプス外務長官,訪米―前夜,フィリピンは年間12億㌦の基地補償要求を曲げない,米側の5億200万㌦の提案は受け入れられない,と言明。 |
DIA-205-1988-09-12-1 | フィリピン | 1988年09月12日 | 1980年代 | マレーシアと領土境界問題合同協議機構設置―大統領府発表。なおシャハニ上院議員は同日の上院本会議で8日以来,マレーシア船がタートル諸島で連日領海侵犯,と演説。議会の論議活発化。 |
DIA-205-1988-09-13-1 | フィリピン | 1988年09月13日 | 1980年代 | 大統領行政命令292号の廃止を要求―オプレ前制憲委員。同命令は別称,改正行政法典で,1987年7月25日大統領が署名し発効日は88年11月24日。9日MC紙は,国防長官が国軍副司令官の権限と機能をもち,また国軍など6部門のほか統合国家警察をも管轄に収める。参謀総長は大統領と国防長官の指揮下に入る,と報道。 |
DIA-205-1988-09-13-2 | フィリピン | 1988年09月13日 | 1980年代 | ラウレル,タマノ両上院議員,LPに加入―発表は14日。両人はUNIDO所属であった。LPは9人に。 |
DIA-205-1988-09-14-1 | フィリピン | 1988年09月14日 | 1980年代 | あまりに高価なら基地を他に移動する用意あり―カールーチ米国防長官,マングラプス外務長官に言明。外務長官が前日会談したシュルツ国務長官は9日,「フィリピンの補償要求は限度を超えている」と語る。 |
DIA-205-1988-09-14-2 | フィリピン | 1988年09月14日 | 1980年代 | シソンを破壊活動で起訴―これにもとづき大統領は17日,同人の旅券取り消しを命令。 |
DIA-205-1988-09-14-3 | フィリピン | 1988年09月14日 | 1980年代 | 大統領,対マ抗議の必要なしと言明―84年版マレーシア地図でタートル諸島は明白に比領であると。15日,海軍第6管区司令官や議員達が海図上の航路を示す点線をマ側の主張する境界線と誤解していたことが判明。 |
DIA-205-1988-09-14-4 | フィリピン | 1988年09月14日 | 1980年代 | 政府の国内借り入れ限度大幅引き上げ決定―このほど開発予算調整委,当初の170億ペソから300億ペソへ。 |
DIA-205-1988-09-15-1 | フィリピン | 1988年09月15日 | 1980年代 | 年末までに84商品の輪入自由化実施―コンセプシオン商工相,関税等閣僚委が決定したと発表。 |
DIA-205-1988-09-15-2 | フィリピン | 1988年09月15日 | 1980年代 | PDP・ラバン,ラカス両党,全国大会で解散決議。 |
DIA-205-1988-09-15-3 | フィリピン | 1988年09月15日 | 1980年代 | 王中国大使,南沙群島領有問題の暫時凍結表明。 |
DIA-205-1988-09-16-1 | フィリピン | 1988年09月16日 | 1980年代 | LDP創立大会―(~17日)。「民主的フィリピン人のたたかい」。出席:上院7(2はオブザーバー),下院158,知事42,市長30,町長1144,政府役職員3700人以上。アキノ大統領が基調演説。総裁にミトラ下院議長。議長:LDP創立は政党再編の引き金となり,最終的には戒厳令以前の2大政党制度復活に導くであろう。17日,国軍の合理化など16項目の決議採決。 |
DIA-205-1988-09-16-2 | フィリピン | 1988年09月16日 | 1980年代 | 比側,基地補償の一部として減債措置提案―ワシントンでマングラプス外務長官,米財務省・議会筋は同構想に関心示したと語る。比官辺筋の説明:同構想は補償のうち1億㌦でフィリピンが財務省証券を購入,それを担保に減債債券を発行し外銀所有の債権と交換する。 |
DIA-205-1988-09-17-1 | フィリピン | 1988年09月17日 | 1980年代 | ソ連から貿易代表団来訪―28日MB紙,比・ソ試行的バーター取り決め合意と報道:ソ連から石炭1万㌧,比から衣料,ココナツ油。 |
DIA-205-1988-09-17-2 | フィリピン | 1988年09月17日 | 1980年代 | 軍事基地の相互撤去は両超大国間の討議すべきこと―アキノ大統領,前日のゴルバチョフ提案を論評。 |
DIA-205-1988-09-19-1 | フィリピン | 1988年09月19日 | 1980年代 | サウジの出稼ぎ労働者査証発給禁止解除発表。 |
DIA-205-1988-09-20-1 | フィリピン | 1988年09月20日 | 1980年代 | CARP所要資金は3321億ペソ―フイコ農地改革長官が借り入れ計画最終案として大統領に提出:事前経費7。46億ペソ。,農地取得・配分経費830億ペソ,農家支援,インフラなど事後経費2484億ペソ。 |
DIA-205-1988-09-20-2 | フィリピン | 1988年09月20日 | 1980年代 | ネグロスの砂糖地主,農地買収に応ずる方向―同日付MC紙:すでに地主28人が1万4000haを自発的に売却申し出,抵当流れの1万ha以上が交渉中。 |
DIA-205-1988-09-20-3 | フィリピン | 1988年09月20日 | 1980年代 | 農地改革法適用に10年間の猶予承認―大統領,民間の企業的農用地に。大統領農地改革協議会の席上で。 |
DIA-205-1988-09-20-4 | フィリピン | 1988年09月20日 | 1980年代 | 下院協議会,バランガイ選挙再延期を決議―21日,大統領,両院指導者,国軍の協議で上院側が反対。 |
DIA-205-1988-09-20-5 | フィリピン | 1988年09月20日 | 1980年代 | 大統領,密輸・脱税など経済事犯取締まり作戦命ず。 |
DIA-205-1988-09-20-6 | フィリピン | 1988年09月20日 | 1980年代 | マルコス,日本商社からリベート4770万㌦受け取り―1966~81年に賠償契約めぐり。円建て契約は15%,ドル建ては20%。アキノ元公共事業相らの供述にもとつく87年9月8日付PCGG文書。20日付MC紙報道。 |
DIA-205-1988-09-22-1 | フィリピン | 1988年09月22日 | 1980年代 | 大統領,議会にバランガイ選挙再延期要請―4万2000のバランガイ中7800がNPAの影響下にあり自由な選挙が望めないとして,来年5月に再設定求める。 |
DIA-205-1988-09-23-1 | フィリピン | 1988年09月23日 | 1980年代 | 在比台湾商工会議所,このほど結成。 |
DIA-205-1988-09-25-1 | フィリピン | 1988年09月25日 | 1980年代 | 国民は汚職腐敗のケースを当局に通報せよ―大統領ラジオ放送で政府の決意表明と協力呼びかけ。 |
DIA-205-1988-09-26-1 | フィリピン | 1988年09月26日 | 1980年代 | オスメーニャLP副総裁,LDP移籍を発表。 |
DIA-205-1988-09-26-2 | フィリピン | 1988年09月26日 | 1980年代 | 崔韓国外相,このほど対比多国間援助参加を表明。 |
DIA-205-1988-09-27-1 | フィリピン | 1988年09月27日 | 1980年代 | 8・28クーデタ未遂事件指導者,ケンン市で逮捕―E.Matillano元PC中佐。同事件ではこれ以前に63人逮捕。中佐はホナサンと新右翼団体市民解放革命協会(RAMM)の連絡役,11月1~2日を目標に3段階のクーデタ計画「9月の黎明」を企図していたという。首都圏防衛軍司令部は黒幕政治家10人を大統領に報告。10月3日F.P.Baula元中佐も2人の元軍人とともに逮捕。 |
DIA-205-1988-09-27-2 | フィリピン | 1988年09月27日 | 1980年代 | 王中国大使,このほど比=マ国境交渉に懸念表明。 |
DIA-205-1988-09-27-3 | フィリピン | 1988年09月27日 | 1980年代 | 下院,バランガイ選挙を5月9日に延期すると可決。 |
DIA-205-1988-09-30-1 | フィリピン | 1988年09月30日 | 1980年代 | マセダ上院議員のLP入党発表,LP7人に。 |
DIA-205-1988-10-03-1 | フィリピン | 1988年10月03日 | 1980年代 | マ外務長官,国連総会で債務救済を呼びかけ―国際債整・開発委員会創設を提案。 |
DIA-205-1988-10-04-1 | フィリピン | 1988年10月04日 | 1980年代 | 上院全員協議会,バランガイ選挙延期受け入れ。 |
DIA-205-1988-10-05-1 | フィリピン | 1988年10月05日 | 1980年代 | CARP所要外貨は約80億㌦―Dorothy Tadeo農地改革次官。総経費3320億ペソのうち国内資金調達は1550億ペソ,不足分1770億ペソが外貨分。 |
DIA-205-1988-10-05-2 | フィリピン | 1988年10月05日 | 1980年代 | エネルギー庁,北マティンロック2号区の出油発表。 |
DIA-205-1988-10-05-3 | フィリピン | 1988年10月05日 | 1980年代 | アマコスト米国務次官訪比―(~7日)。6日アキノ大統領と会談。双方とも,基地交渉が進展しており,基地問題はゴルバチョフ提案とかかわりなく比米間で討議さるべきものである,と指摘した。 |
DIA-205-1988-10-06-1 | フィリピン | 1988年10月06日 | 1980年代 | 大統領親族へのあらゆる優遇・特権を禁止―アキノ,行政命令第94号で国家・地方公務員に対して。 |
DIA-205-1988-10-07-1 | フィリピン | 1988年10月07日 | 1980年代 | 職能代表4下院議員,LDPに入党―農民代表2,労働代表1,復員軍人・老人代表1。この結果,残る無所属は1に。 |
DIA-205-1988-10-07-2 | フィリピン | 1988年10月07日 | 1980年代 | 最高裁,ゴンサレス特別検察官の法律業務無期停止―10日,フェレル副特別検察官が「暫定的」に後継者に。 |
DIA-205-1988-10-09-1 | フィリピン | 1988年10月09日 | 1980年代 | 全軍警指揮官に重要施設の警備強化を命令―PC・INP司令官,右翼過激派10日決起の情報により。 |
DIA-205-1988-10-10-1 | フィリピン | 1988年10月10日 | 1980年代 | 公務員犯罪特別裁,マルコス帰国許可請願却下―「政治的問題」であって大統領のみが決定できると。 |
DIA-205-1988-10-11-1 | フィリピン | 1988年10月11日 | 1980年代 | スルーに陸軍4大隊を派遣―MB紙報道。中東からの火器密輸入,ミスワリの帰国近しなどの情報で情勢緊張。14日大統領,南部方面軍M.Cacanando司令官を呼び派遣決定につき説明を要求,またT.Loong知事に地方レベルでのMNLFとの和平交渉開始を許可。 |
DIA-205-1988-10-11-2 | フィリピン | 1988年10月11日 | 1980年代 | 外国債権銀行諮問団は20億㌧新規融資に原則同意―8週間後交渉再開までにIMFとの新規取り決め望む。大統領府,4~6日のニューヨーク交渉について発表。 |
DIA-205-1988-10-12-1 | フィリピン | 1988年10月12日 | 1980年代 | 非銀行外貨取引業者に手入れ―中銀筋,海外ドル送金が銀行を経由するようにし,ペソに対する売り圧力を鎮めるため,と説明。 |
DIA-205-1988-10-12-2 | フィリピン | 1988年10月12日 | 1980年代 | 米国での訴訟取引にかかわりなくマルコスを裁く―カパラスPCGG委員長言明。11日,有罪を認め不正取得資産を放棄すれば,米政府がマルコスを免訴にする可能性が報じられたことについて。 |
DIA-205-1988-10-13-1 | フィリピン | 1988年10月13日 | 1980年代 | CARPは投資家の操業規模を制限せず―フイコ農地改革長官言明:制限するのは所有規模である。 |
DIA-205-1988-10-13-2 | フィリピン | 1988年10月13日 | 1980年代 | 「一つの中国」政策は民衆レベルの交流を妨げず―アキノ大統領,12日アチャコソ海外雇用局長が台湾企業のフィリピン人雇用拡大の問題で訪台したことに関連して言明。15日,同局長は台湾経済部職員との交渉を認める。 |
DIA-205-1988-10-15-1 | フィリピン | 1988年10月15日 | 1980年代 | バウラ中佐,クラメ基地から脱走図り射殺さる。 |
DIA-205-1988-10-15-2 | フィリピン | 1988年10月15日 | 1980年代 | レイテ島パロのマッカーサー元帥像爆破さる。 |
DIA-205-1988-10-17-1 | フィリピン | 1988年10月17日 | 1980年代 | クロウ米統合参謀本部議長,大統領を訪問。 |
DIA-205-1988-10-17-2 | フィリピン | 1988年10月17日 | 1980年代 | 比米軍事基地協定見直し了解覚書に調印―ワシントンでマ外務長官とシュルツ国務長官との間で。妥結した補償額は90~91年の間に年間4億8100万㌧(軍事援助2億㌦,経済援助基金1億6000万㌦,開発援助・食糧援助9600万㌦,住宅投資保証2500万㌦)。減債資金は得られなかった代わりに,未支出の援助資金2億4800万㌦と将来の同1億6800万㌦の支出促進が約束された。レーガン大統領はアキノ宛書簡で,ほかに現行軍事援助クレジット2940万㌦の返済免除,米輸出入銀行の借款,保証,保険3年間3億5000万㌦,海外民間投資公社の保険,金融保証1億5000万㌦を関係機関に要請すると約束。 |
DIA-205-1988-10-17-3 | フィリピン | 1988年10月17日 | 1980年代 | 経済回復の制約要因―財務長官,債務返済負担,電力供給の不足,運輸通信施設のおくれを挙げる。 |
DIA-205-1988-10-17-4 | フィリピン | 1988年10月17日 | 1980年代 | 大統領,中銀通貨委に「債務の株式化」再検討命ず。 |
DIA-205-1988-10-18-1 | フィリピン | 1988年10月18日 | 1980年代 | 上院,ASEAN合弁事業改定基本協定を批准。 |
DIA-205-1988-10-18-2 | フィリピン | 1988年10月18日 | 1980年代 | 上院に基地取り決めの核条項に対する懸念―タニャーダ,エンリレ両議員,5月上院が可決した核兵器禁止法案の立場を押し切るものという反対意見を表明。また上院の批准を要するという意見がより広く存在する。 |
DIA-205-1988-10-20-1 | フィリピン | 1988年10月20日 | 1980年代 | 包括農地改革法実施ガイドライン完成と発表。 |
DIA-205-1988-10-20-2 | フィリピン | 1988年10月20日 | 1980年代 | 上院,バランガイ選挙を2月25日に設定する議決―21日の両院協議会は3月28日に決定。 |
DIA-205-1988-10-21-1 | フィリピン | 1988年10月21日 | 1980年代 | レーガンから対比多国間援助を俣障する書簡―アキノ大統領,プラット米大使から直接届けられたとして披露。なおマングラプス外務長官はこの日帰国,新基地取り決めの包括的補償額は年額,ハード部分4億8100万㌦,ソフト部分3億5500万㌦,債務軽減3億9000万~4億8000万㌦になる,と発表した。 |
DIA-205-1988-10-21-2 | フィリピン | 1988年10月21日 | 1980年代 | ニューヨーク連邦大陪審,マルコス夫妻を起訴―他の8人とともに不正に取得した1億300万㌦を米国に移すなど6件の容疑で。米政府筋によると,同筋は20日まで資産を放棄して有罪を認めることと引き換えに起訴を免れる司法取引の機会を与えたが,マルコス側が応じなかった。レーガン大統領は数日前に決定を大陪審に委ねた。アキノ大統領は,マニラで刑法上起訴される時は帰国を許す,また米政府は回収した金をフィリピンに引き渡すものと確信する,と言明。 |
DIA-205-1988-10-23-1 | フィリピン | 1988年10月23日 | 1980年代 | 大統領と外務長官,新基地取り決めにつき説明―ラジオ番組で。(1)基地協定が1991年に失効したあとの扱いは討議しなかった,(2)フィリピンの憲法条項に従い核・非通常兵器は比政府の承認なしに持ち込まない,(3)基地内の建築物はフィリピンの財産であり,権利書が引き渡される,(4)補償額は4億8100万㌦の確定部分の他,「創造的部分」は,海外基地のフィリピン商品買付け,僕務軽減の状況によっては10億㌦以上にもなる。 |
DIA-205-1988-10-23-2 | フィリピン | 1988年10月23日 | 1980年代 | NPA100人がイサベラ州で町役場と警察署襲撃。 |
DIA-205-1988-10-23-3 | フィリピン | 1988年10月23日 | 1980年代 | 米政府,ソ連船のPhilseco修理ドック利用を懸念―AP:スービック海軍基地に隣接し米政府は反対しているが,同ドックは赤字を出しておりフィリピン政府の反対は以前のように決然とはしていない。 |
DIA-205-1988-10-24-1 | フィリピン | 1988年10月24日 | 1980年代 | 日本の対比贈与6事業94.78億円交換公文調印。 |
DIA-205-1988-10-24-2 | フィリピン | 1988年10月24日 | 1980年代 | ホワイトハウス,マルコス政治献金受領を否定―31日付Newsweek誌報道:米下院アジア太平洋小委が,レーガンへの1980年400万㌦,84年800万㌦の献金の可能性を示唆する文書と証言にもとづき調査を開始。 |
DIA-205-1988-10-25-1 | フィリピン | 1988年10月25日 | 1980年代 | EC8カ国が対比多国間援助に協力を約す―大統領府発表。イタリア,スペイン,オランダ,デンマーク,フランス,ベルギー,西ドイツ,イギリス。 |
DIA-205-1988-10-25-2 | フィリピン | 1988年10月25日 | 1980年代 | 台風ウンサンの襲来で死者・行方不明150人以上―大統領,26日首都圏と5地方に災害宣言(のち4地方追加)。この中で乗客500人をのせた内航フェリー沈没。 |
DIA-205-1988-10-27-1 | フィリピン | 1988年10月27日 | 1980年代 | 在サバ州比人労働者に旅券や法律の援助へ―MC紙:サバ州政府が9月28日,年末を期限に不法外人労働者特赦を発表したのに対処して省間タスクフォースを結成する。外務省推定のサバ滞在者は難民10万,労働者15万,その家族5万人,永住・自営業5万人。 |
DIA-205-1988-10-27-2 | フィリピン | 1988年10月27日 | 1980年代 | 大統領,EO292号実施とCAFGU支持を再確認。 |
DIA-205-1988-10-27-3 | フィリピン | 1988年10月27日 | 1980年代 | 技術的にはデフォオルト状態―8月31日,パリクラブに満期債務6億8000万㌦を支払わなかったため。中銀総裁:新しいリスケ協定で解決すると要請済み。 |
DIA-205-1988-10-28-1 | フィリピン | 1988年10月28日 | 1980年代 | アジア開銀,対比1億2000万㌦の借款承認―国営電力公社向け。同時に技術援助贈与23万㌦も。 |
DIA-205-1988-10-28-2 | フィリピン | 1988年10月28日 | 1980年代 | 大統領と外務長官,基地取り決め実施で一致―発効は即時,上院の批准権主張については対話を続ける。なお長官は91年以降も基地使用を許すと決めるのであれば,新基地協定の交渉開始は早期に行なうべきだと言明。 |
DIA-205-1988-10-29-1 | フィリピン | 1988年10月29日 | 1980年代 | 国民経済会議第1回全国大会―1300の各地支部を代表する小企業家が参集。PECsは主として「自由選挙のための全国市民運動」の組織から発展したもので,大統領に,小企業振興,地方分権化の諸要請を行なった。 |
DIA-205-1988-10-29-2 | フィリピン | 1988年10月29日 | 1980年代 | POEA,サウジへの家事労働者派遣禁止を解除。 |
DIA-205-1988-10-30-1 | フィリピン | 1988年10月30日 | 1980年代 | NPAとMNLFの同盟―南部方面軍司令部,最終的に軍事戦術的に同盟し,共同で多数の訓練キャンプを監理し,28日には共同で政府軍を攻撃したと報告。 |
DIA-205-1988-10-31-1 | フィリピン | 1988年10月31日 | 1980年代 | BOI,2年間にわたり中古車輸入を承認。 |
DIA-205-1988-10-31-2 | フィリピン | 1988年10月31日 | 1980年代 | 鉱山業外資企業は出資比率100%まで可能―EO279号によりL.R.Bautista副商工長官発表。ただし5000万㌦以上を投資する大プロジェクトに技術・金融援助を行なう場合に限り,環境天然資源長官と交渉できる。 |
DIA-205-1988-11-02-1 | フィリピン | 1988年11月02日 | 1980年代 | 比政府,マルコスの免責特権を放棄―起訴の2カ月前に閣内委員会で検討し米国の裁判所に起訴の許可を与えた,とマングラプス外務長官発表。 |
DIA-205-1988-11-02-2 | フィリピン | 1988年11月02日 | 1980年代 | 現比米軍事基地協定の満期日は1991年9月16日―大統領,憲法第18条25節の規定にもとづき説明。 |
DIA-205-1988-11-03-1 | フィリピン | 1988年11月03日 | 1980年代 | PCGG,不正財産取得事件で初の刑事起訴―マルコス・クロニーのR.Zamora下院議員,V.Chudian他2人。チュディアンに対するフィリピン輸出対外借款保証公社の請求権2500万㌦を放棄させ,530万㌦を支払わせるよう共同謀議を行ない政府に損害を与えたと。 |
DIA-205-1988-11-04-1 | フィリピン | 1988年11月04日 | 1980年代 | Meralco株直接債務買上げ契約は適法―司法長官の見解発表(7月21日参照)。 |
DIA-205-1988-11-04-2 | フィリピン | 1988年11月04日 | 1980年代 | 大統領,フェレル公共事業相と同次官の辞表受理―後任者Fiorello Estuarとともに大統領,5日発表。 |
DIA-205-1988-11-04-3 | フィリピン | 1988年11月04日 | 1980年代 | バランガイ選挙,3月28日に確定―大統領が法律6679号(法律6653号の修正)に署名したことにより。 |
DIA-205-1988-11-06-1 | フィリピン | 1988年11月06日 | 1980年代 | CPP中央委員,マニラ国際空港で逮捕―Ignacio Capegsan。3月に北部ルソン委員長を解任されるまでは党内序列第3位であったという。 |
DIA-205-1988-11-07-1 | フィリピン | 1988年11月07日 | 1980年代 | 政府,88年3度目の石油製品価格引下げ―リッター当り平均75.7センタボ。翌日実施。またバス,ジプニー団体に運賃引き下げを要請(14日実施)。 |
DIA-205-1988-11-08-1 | フィリピン | 1988年11月08日 | 1980年代 | 基地協定早期交渉開始を―在米のブラット米大使:交渉,批准は長期を要するだろうから明年のいつかに。今回の取り決めはその土台となりトーンを定めた。 |
DIA-205-1988-11-08-2 | フィリピン | 1988年11月08日 | 1980年代 | 台風「ヨニン」南部ルソン襲い死者・不明300人。 |
DIA-205-1988-11-09-1 | フィリピン | 1988年11月09日 | 1980年代 | 上院,基地取り決め批准を強制せず―サロンガ議長言明:ただし核条項に留保する立場につき決議を行なうと8日の全員協議会で決定(22日,取り決めの核条項は違憲と決議:上院決議316号)。 |
DIA-205-1988-11-10-1 | フィリピン | 1988年11月10日 | 1980年代 | 申銀,このほど「債務と環境のスワップ」承認―援助国が債権を割引で買い代金は環境保護事業に。 |
DIA-205-1988-11-10-2 | フィリピン | 1988年11月10日 | 1980年代 | フィリピン契約労働者の受け入れを保証―サウジ大使,ヘレラ上院労働雇用委員長に。 |
DIA-205-1988-11-10-3 | フィリピン | 1988年11月10日 | 1980年代 | 李登輝台湾総統はより確実な投資保障求める―ペリケット比商工会議所会頭,下院に提出された「比台関係法案」(HB16421号)に関連して証書。 |
DIA-205-1988-11-10-4 | フィリピン | 1988年11月10日 | 1980年代 | 反乱活動地域に中立地帯設置を―カトリック司教会議,大統領に交渉を提案。 |
DIA-205-1988-11-12-1 | フィリピン | 1988年11月12日 | 1980年代 | ドール上院議員ら米議会代表団訪比―14日,アキノ大統領らと会談。記者会見で「ブッシュ次期大統領は,レーガンの対比多国間援助の約束を守る。91年までに在比基地維持の長期の条約が成立することを希望」と言明。マ外務長官は条約を国民投票にかけると表明。 |
DIA-205-1988-11-12-2 | フィリピン | 1988年11月12日 | 1980年代 | キンタナールNPA司令官と妻,クラメ基地脱獄。 |
DIA-205-1988-11-14-1 | フィリピン | 1988年11月14日 | 1980年代 | 人権グループ,上半期の行方不明者82人と発表―17日,大統領に社会運動家失踪を止めさせよと訴え。 |
DIA-205-1988-11-15-1 | フィリピン | 1988年11月15日 | 1980年代 | 必需品価格凍結と部品輸入―コンセプシオン商工長官,ミルク,食品,紙,石鹸,建設資材価格3カ月間凍結を命令,また運輸業界に部品の直接輸入を許可。 |
DIA-205-1988-11-16-1 | フィリピン | 1988年11月16日 | 1980年代 | 1988~92年平均年率6.5%の成長は可能―IMFとの交渉代表の1人モンソド経済計画長官,IMF側の改定開発計画成長率見通しの引き下げ要求に対し。 |
DIA-205-1988-11-16-2 | フィリピン | 1988年11月16日 | 1980年代 | 日本の労働市場の自由化を交渉中―アチャコソ海外雇用局長言明。建設労働者など不足職種について。 |
DIA-205-1988-11-17-1 | フィリピン | 1988年11月17日 | 1980年代 | アキノ,地主に農地改革への協力呼びかけ―アクラン州で,その他社会各層に対しても協力要請。 |
DIA-205-1988-11-17-2 | フィリピン | 1988年11月17日 | 1980年代 | スルー州でPC・INP州司令部と分遣隊襲わる―PCによる副知事の弟射殺を引き金に副知事派200人の武装集団が起こしたもの。18日ラモス国防長官,現地で鎮静化図る。 |
DIA-205-1988-11-18-1 | フィリピン | 1988年11月18日 | 1980年代 | 日,米と多国間援助構想枠組みにつき大筋合意―同日付『日経』。世銀,IMF,ADBは援助執行の「監視役」も兼ねて参加。援助総額は5年間90~100億㌦程度。今後EC,ASEAN各国に協力を呼びかけ,早期に援助国会議を開き,1990年からの始動を目指す。 |
DIA-205-1988-11-18-2 | フィリピン | 1988年11月18日 | 1980年代 | 農地改革省,このほど畜産業者の除外提案を拒否―5haの基本留保のほかに農地をもたない株主1人につき3haの留保を認めよという提案。 |
DIA-205-1988-11-18-3 | フィリピン | 1988年11月18日 | 1980年代 | クロニー12人に免責を―Severina Rivera PCGG在米総合顧問が要請。R.Gapud,R.Zamora他10人に免責を与えることで彼らを証人として民事,刑事のマルコス訴追を促進できる。 |
DIA-205-1988-11-18-4 | フィリピン | 1988年11月18日 | 1980年代 | 大統領,対外債務問題で両院議長,財務長官らと協議―議会側は債務返済上限設定の立法化を主張。 |
DIA-205-1988-11-18-5 | フィリピン | 1988年11月18日 | 1980年代 | ホロでMNLF指導者と部下119人投降。 |
DIA-205-1988-11-18-6 | フィリピン | 1988年11月18日 | 1980年代 | 不法な交通スト,路線経路短縮に制裁命ず―大統領,最近の運賃引き下げに対する運輸業者の動きに対して。21~23日,全国運転手組合連合の2役員を逮捕。 |
DIA-205-1988-11-19-1 | フィリピン | 1988年11月19日 | 1980年代 | 1~9月NPA掃討作戦の成果―ラモス国防長官発表:NPA兵力は6月末の2万5800人から9月末の2万4430人へ,影響下にあるバランガイ数は6月末の19%から18%(7902)にそれぞれ減少。 |
DIA-205-1988-11-19-2 | フィリピン | 1988年11月19日 | 1980年代 | アキノ政権就任1000日―(10月22日から休会中の議会この日再開)大統領記念演説:〔成果〕民主主義の回復,経済の再生,公共事業計画・農地改革・無料の公立中等教育・保健の拡充,の着手。〔欠点〕徴税・密輸取締り不振,マニラのごみ問題,左翼運動指導者暗殺。〔次の1000日の目標〕6.5%成長,年間100万人の雇用機会創出,貧困線以下の戸数の65%から45%への減少。この日,運賃引下げ反対のジプニー運転手ストで学校は全休。 |
DIA-205-1988-11-22-1 | フィリピン | 1988年11月22日 | 1980年代 | IMFとの交渉(2日~,マニラ)中断―ハイメ財務長官,IMFIは6.5%の成長率目標は支持しており,適当な時期に交渉を再開してそれを裏付ける計画を練り上げることになろう,と説明。フィリピン側は6.5%成長に向け2年間31億㌦の資金ギャップを埋めるためIMFIにEFF9億㌦,CCFF4億㌦を要請中。 |
DIA-205-1988-11-23-1 | フィリピン | 1988年11月23日 | 1980年代 | 改正行政法典(EO292号)の実施1年延期可決―上院可決に続き下院も。25日アキノ大統領署名。 |
DIA-205-1988-11-24-1 | フィリピン | 1988年11月24日 | 1980年代 | 債務返済限度を輸出稼得の20%とする法案可決―上院,全会一致で(SB535号)。1989~90年の間。 |
DIA-205-1988-11-24-2 | フィリピン | 1988年11月24日 | 1980年代 | LDP,下院運営の主導権握る―LP,無所属が占めていた8常任委員長職をLDPで入れ替え。 |
DIA-205-1988-11-24-3 | フィリピン | 1988年11月24日 | 1980年代 | 原料ナフサの48%関税免除法案,下院歳入委で可決―台湾資本のPNOCとの石化合弁事業促進のため。 |
DIA-205-1988-11-24-4 | フィリピン | 1988年11月24日 | 1980年代 | サロンガ上院議長,アキノに警告―(下院の役員構成の改造に反対したうえで)政権が国軍に依存するのは危険の源になりうる。またアキノ大統領は迅速に汚職・密輸・脱税者を訴追しなければならない。 |
DIA-205-1988-11-25-1 | フィリピン | 1988年11月25日 | 1980年代 | 大統領,製造・流通業者に基本物資値下げ要請。 |
DIA-205-1988-11-25-2 | フィリピン | 1988年11月25日 | 1980年代 | NPC,電力1kWh4センタボ値下げ発表。 |
DIA-205-1988-11-26-1 | フィリピン | 1988年11月26日 | 1980年代 | アキノ=ガルマン殺人事件2証人の遺体発掘―タルラク州カパスの砂糖農園で。 |
DIA-205-1988-11-27-1 | フィリピン | 1988年11月27日 | 1980年代 | マングラプス外相,ベトナム訪問―29日グエン・コ・タク外相と共同新聞発表:(1)東南アジア平和・自由・中立・友好・協力地帯の実現,(2)カンボジア問題が交渉で解決されつつあることに満足,(3)年次政治協議の設定,(4)経済,通商,科学,技術,文化面の長期,多面的な協力,(5)領土・管轄要求を含めあらゆる紛争の平和的解決。また28日,両国は航空運航協定に調印。 |
DIA-205-1988-11-27-2 | フィリピン | 1988年11月27日 | 1980年代 | 土着・伝統文化に関する第1回国際祭典・会議―マニラで閉幕。7項目の世界部族民の普遍的権利に関するマニラ宣言を採択。また50以上の決議採択。 |
DIA-205-1988-11-28-1 | フィリピン | 1988年11月28日 | 1980年代 | アムネスティ,ひきつづく人権侵害に警告―MC紙,未発表の報告書を報道(12月15日公表)。囚人に対する拷問と不当な取扱いがつづき,アキノ政権下で官憲に対して処罰がなされていない。 |
DIA-205-1988-11-29-1 | フィリピン | 1988年11月29日 | 1980年代 | 1990年9月16日以前に比米基地協定終結を通告―大統領,上院の適時通告決議に同意を表して発言。 |
DIA-205-1988-11-29-2 | フィリピン | 1988年11月29日 | 1980年代 | 商工長官,台北の会議で基調演説―アジア太平洋商工会議所連合会会議。 |
DIA-205-1988-11-30-1 | フィリピン | 1988年11月30日 | 1980年代 | PCCI,債務返済限度立法化に反対―態度表明の文書発表:複雑な問題に一方的な限度設定で対処することはできない。債務を履行しなければ借款その他低コストの資金源が断たれるかもしれない。 |
DIA-205-1988-12-01-1 | フィリピン | 1988年12月01日 | 1980年代 | 共産主義者が3万1000haを実力土地解放―国防長官,大統領宛書簡で占拠農民を取締まらなければ情勢は収拾できなくなる,と警告。行なわれているのは中部ビサヤ・中部ルソン,イロコス。2日大統領が警告。 |
DIA-205-1988-12-01-2 | フィリピン | 1988年12月01日 | 1980年代 | 上院・慢性的スクオター問題に懸念を表明する決議。 |
DIA-205-1988-12-01-3 | フィリピン | 1988年12月01日 | 1980年代 | 政府とNPC,ウェスチングハウス社を訴え―21億㌦の原子力発電所の建設にからみ,贈賄,詐欺,過失を指摘し,米ニュージャージー地裁に。契約破棄,支払済みの金の返還と損害賠償を要求。本社のほかにWHインタナショナル・プロジェクト社,バーンズ・アンド・ロウ・エンタプライズ(設計)も被告に。 |
DIA-205-1988-12-01-4 | フィリピン | 1988年12月01日 | 1980年代 | 北サンボアンガでこのほどNPA1329人が投降。 |
DIA-205-1988-12-03-1 | フィリピン | 1988年12月03日 | 1980年代 | バシランでMNLF司令官,部下130人と投降。 |
DIA-205-1988-12-05-1 | フィリピン | 1988年12月05日 | 1980年代 | 海外経済協力基金,借款の手続き延期―「輸出近代化資金」。DBP高官によれば,フィリピン政府とINFの交渉妥結がおくれたため。同日付MC紙報道。 |
DIA-205-1988-12-05-2 | フィリピン | 1988年12月05日 | 1980年代 | 東銀,「債務の株式化」で2行の株式買取りに合意―プルデンシャル銀行株式の10%(1億4300万ペソ),フィリピナス銀行の30%(1億0900万ペソ)。 |
DIA-205-1988-12-05-3 | フィリピン | 1988年12月05日 | 1980年代 | ドリロン労相のサウジ訪問(2日~),合意に達せず。 |
DIA-205-1988-12-06-1 | フィリピン | 1988年12月06日 | 1980年代 | ピメンテル派,LDPの政党登録に反対―PDP・ラバンはラカス・ナン・バンサとの合併に同意したことはない,LDPの党名はPDP・ラバンの単語の合成から取られたものであると。 |
DIA-205-1988-12-06-2 | フィリピン | 1988年12月06日 | 1980年代 | 中国,このほど比越の南沙群島問題言及に不快表明。 |
DIA-205-1988-12-07-1 | フィリピン | 1988年12月07日 | 1980年代 | 不条理な対外債務の否認は合憲,合法的―司法長官,このほど下院経済委員会に書簡で見解伝える。 |
DIA-205-1988-12-07-2 | フィリピン | 1988年12月07日 | 1980年代 | Meralco株処分問題妥結―(1)1990万株を6億9000万ペソで直接債務買取り,(2)銀行シンジケート側は株を株式市場を通すか直接に市場価格で売却,(3)投資額6億9000万ペソを超える収益は,30%政府,70%はFPHCとシンジケートが均分する。大統領承認により23日調印。 |
DIA-205-1988-12-08-1 | フィリピン | 1988年12月08日 | 1980年代 | 大統領,日本輸出入銀行の借款承認求める―1億5400万㌦を年内可及的速やかに。IMF交渉中断の結果,パリクラブとのリスケ交渉が成立せず,9日から利払いが止まって技術的にはデフォルト状態に。 |
DIA-205-1988-12-09-1 | フィリピン | 1988年12月09日 | 1980年代 | アキノは1992年に再出馬を迫られることも―コファンコ下院議員言明:現在出馬しないとの意志は固いが,たとえば連立勢力の有力候補者が以前のように一致して推すならば,再出馬を説得されるかもしれない。 |
DIA-205-1988-12-09-2 | フィリピン | 1988年12月09日 | 1980年代 | MNLFとの交渉再開を求める決議案―ミンダナオの2上院議員提出。MNLFIぬきに永続的解決なしと。 |
DIA-205-1988-12-12-1 | フィリピン | 1988年12月12日 | 1980年代 | 大統領,ミンダナオで3万haを分配―農地改革計画で多国籍企業(ドール,デルモンテ,NDC・ガスリー)の各農園が政府に引渡した土地。ブキドノン,南コタバト,南アグサンの2万4250haを1万7386人の農場労働者に。別に第10,11,12地方で4744haを。 |
DIA-205-1988-12-13-1 | フィリピン | 1988年12月13日 | 1980年代 | 対比多国間援助事業として1019件を準備―MC紙報道:総額3770億ペソ,うち資金援助3530億ペソ,技術239億ペソ。〔資金援助内訳〕運輸930億ペソ,農業・農地改革243億ペソ,エネルギー・電力・電化866億ペソ,上下水道240億ペソ,社会サービス200億ペソ。 |
DIA-205-1988-12-14-1 | フィリピン | 1988年12月14日 | 1980年代 | 大統領,クリスマス・ボーナス法案に署名―150万人の国家・地方公務員に1カ月分+1000ペソ。前週末上院側が下院案に歩み寄って妥協成立。 |
DIA-205-1988-12-14-2 | フィリピン | 1988年12月14日 | 1980年代 | 上院,164億ペソを削減して89年度予算案可決―さきに下院は3億9500万ペソを削減。 |
DIA-205-1988-12-15-1 | フィリピン | 1988年12月15日 | 1980年代 | 参謀総長,アバディーリャ元大佐の釈放命ず―北イロコス州副知事。87年1月27日のテレビ局占拠事件の軍事裁判で14日無罪判決。大統領も16日承認。 |
DIA-205-1988-12-15-2 | フィリピン | 1988年12月15日 | 1980年代 | 下院の債務返済上限20%法案可決を要請―モンソド経済計画長官,下院経済委員会の証言で。 |
DIA-205-1988-12-15-3 | フィリピン | 1988年12月15日 | 1980年代 | NPA,一方的にクリスマス停戦を声明。 |
DIA-205-1988-12-15-4 | フィリピン | 1988年12月15日 | 1980年代 | 警察軍,1989年に火力と機動力を強化―モンターニョ警察軍司令官言明:火器2万1000丁,パトロール用ジープ1500台,自動車1600台,オートバイ5000台装備。 |
DIA-205-1988-12-15-5 | フィリピン | 1988年12月15日 | 1980年代 | 今年度財政赤字幅は250億ペソに拡大―カラーゲ予算長官,見通し発表。当初目標は202億ペソ。 |
DIA-205-1988-12-16-1 | フィリピン | 1988年12月16日 | 1980年代 | 議会,総額2274億ペソの1989年度予算可決―両院協議会で妥協成立:政府要求2289億ペソから下院の削減額3億9500万ペソに加え新たに44億ペソを削減。両院は予算赤字をGNPの2.5%限度とし,大統領府によるいかなる削減復活も認めないことで合意。なおCAFGUの削減額は2億ペソ。ただ,44億ペソのうち30億ペソは資金手当のない未計画歳出分なので実質的削減は14億ペソだけ。大統領は12月29日署名,若干の項目を拒否すると言明。 |
DIA-205-1988-12-16-2 | フィリピン | 1988年12月16日 | 1980年代 | 大統領,再選出馬を明確に否定―カビテ州で。 |
DIA-205-1988-12-17-1 | フィリピン | 1988年12月17日 | 1980年代 | 政府の回教徒地域限定自治案は宣伝手段―ミスワリMNLF議長,訪問先のカイロで言明。 |
DIA-205-1988-12-18-1 | フィリピン | 1988年12月18日 | 1980年代 | IMFとの新規融資交渉は1月再開―ハイメ蔵相言明:交代した代表団が関係省庁と協力してIMFに提出すべき改定経済計画を作成中。 |
DIA-205-1988-12-20-1 | フィリピン | 1988年12月20日 | 1980年代 | ソ連・東欧との経済関係の拡大に期待―マングラプス外務長官言明:シェワルナゼ訪比を前に,自分を長とする関係省庁間委員会が19日,ソ連との貿易と主要分野特定事業での協力を促進できるという一般的結論に達した。政府は一定の港でソ連船舶を修理する考えを受け入れることができる。ただ,フィルセコは日本の借款で建設した経緯から法的制約がある。製造業,鉱業開発,環境事業はソ連が現在検討している。 |
DIA-205-1988-12-21-1 | フィリピン | 1988年12月21日 | 1980年代 | 大統領,クリスマス・新年の一方的休戦を宣言―政府軍は23日深夜から24日深夜まで,30日深夜から1日深夜まで攻撃的軍事行動を停止する。NPAは25日,ケソン州で9月以来人質となっていた国軍6兵士を釈放。 |
DIA-205-1988-12-21-2 | フィリピン | 1988年12月21日 | 1980年代 | シェワルナゼ・ソ連外相訪比―(~22日)。22日アキノ大統領,マングラプス外務長官と会談。外相は国内共産党反乱は支援しないと保証,大統領はゴルバチョフ書記長からの訪ソ招請受諾を回答。共同声明(両国大使が仮調印):(1)フィリピンは外国基地は暫定的であるというASEAN宣言順守を約束,(2)核兵器完全禁止のための多国間条約が必要,(3)両国間の貿易を年間2億㌦に拡大するよう努力し,必要なら合同協力委員会を設置。 |
DIA-205-1988-12-22-1 | フィリピン | 1988年12月22日 | 1980年代 | コルディリェーラ自治地域基本法草案採択―コルディリエーラ地域諮問委員会,大統領に送付。 |
DIA-205-1988-12-23-1 | フィリピン | 1988年12月23日 | 1980年代 | 第15次円借款885億円交換公文に調印―マニラでマングラプス外務長官と田中駐比大使との間で。 |
DIA-205-1988-12-24-1 | フィリピン | 1988年12月24日 | 1980年代 | 農地の工業用地,大量住宅計画,霊園への転用―施行規則をこのほど農地改革長官が承認。 |
DIA-205-1988-12-25-1 | フィリピン | 1988年12月25日 | 1980年代 | CPP中央委,再建20周年前夜に声明―次の10年以内に民族民主革命の全面勝利は十分予測できる。現在の実勢:党員3万5000人,NPAは1968年35丁の武器をもつ60人がライフル1万丁,その他の武器7000丁に成長。73州に60の基地があり,1000万人が大衆組織に。 |
DIA-205-1988-12-26-1 | フィリピン | 1988年12月26日 | 1980年代 | 多国間援助のフィリピン側利用詳細案の準備あり―大統領:89年の包括援助実現と皮切りの国務省の2億㌦提案が米議会に受け入れられることを楽観視。 |
DIA-205-1988-12-26-2 | フィリピン | 1988年12月26日 | 1980年代 | 「債務の株式化」350件,12億4000万㌦を承認―中銀発表。11月末現在。申請は401件,18億2000万㌦。 |
DIA-205-1988-12-28-1 | フィリピン | 1988年12月28日 | 1980年代 | 大統領,1月9~13日の特別会期招集―ミンダナオ,コルディリエーラ両自治地域基本法案審議。 |
DIA-205-1988-12-31-1 | フィリピン | 1988年12月31日 | 1980年代 | J.LunetaがCPP臨時指導部に就任―PC・INP司令官,このほど発表。11月北ルソンで行なわれた中央委幹部会で書記長に任命され,同時にシソンの帰国まで臨時委員長に指名された。同時にA.Ma.ZumelとA.Tujanが幹部会員に昇格。 |
DIA-205-1988-12-31-2 | フィリピン | 1988年12月31日 | 1980年代 | 政府の「債務の資産転換」取引は88年24億ペソに―財務省,年末までの見通しをこのほど発表。それにより8億ペソ分の債務支払いが軽減される。 |
DIA-205-1988-12-31-3 | フィリピン | 1988年12月31日 | 1980年代 | 大統領,マルコス帰国要請をふたたび拒否―国益と達成した回復と安定の成果とを守るためと声明。ラウレル副大統領とマセダ上院議員が許可を要請していた。 |
DIA-205-1988-12-31-4 | フィリピン | 1988年12月31日 | 1980年代 | NEDA,88年のODA実績発表―協定は87年の5件6億6900万㌦に対し33件23億㌦。〔多国間〕世銀5億2500万㌦,ADB3億6940万㌦。〔二国間〕日本12億㌦,米国3000万㌦,西独2750万㌦。実行率は87年末71%に対し88年9月末77%。 |
DIA-205-1989-01-01-1 | フィリピン | 1989年01月01日 | 1980年代 | クリスマス・新年停戦違反で政府軍兵士3人が死亡-国軍当局発表:カガヤン渓谷,オーロラ2州で。 |
DIA-205-1989-01-02-1 | フィリピン | 1989年01月02日 | 1980年代 | 米検察当局はマルコスの帰国を許可せず-オルドネス司法長官が米当局との会談結果につき言明:故国で死を迎えたり,刑事起訴を免れる目的では帰国を認めず。5日,ギンゴーナ上院副議長の説明:政府高官の間でマルコス帰国につき合意が形成されつつあり,資産隠匿を国民に謝罪し,その一部として5億~10億㌦を最初に返却すれば和解のステップとなろう。9日,公務員犯罪特別裁判所(サンディガンバヤン。以下公特裁),マルコスの帰国再審請求を却下。 |
DIA-205-1989-01-04-1 | フィリピン | 1989年01月04日 | 1980年代 | バウラ中佐射殺事件の監督責任を認める-クラメ基地司令官アディオン大佐が上院聴聞会で証言。1987年の8・28反乱事件で拘留中の同中佐が88年10月15日にクラメ基地から脱走をはかり射殺された事件で。 |
DIA-205-1989-01-04-2 | フィリピン | 1989年01月04日 | 1980年代 | サロンガ,ミトラ両議長,上下両院の関係修復で会談-議会任命委員会の改革に関する意見の相違を調整し,外国援助に対する立法府の統一見解を策定するため。 |
DIA-205-1989-01-05-1 | フィリピン | 1989年01月05日 | 1980年代 | イスラム教徒の兵士,警察官が軍司令部を占拠-サンボアンガ市で。リサ-ル・アリ警邏隊員が仲間約50人と警察軍・統合国家警察(PC・INP)南部ミンダナオ地方司令部を占拠し,同司令官E・バターリャ准将,同アベンダン参謀ら10数人を人質にとる。7日政府軍1000人で鎮圧。バターリャ,アベンダンら人質9人,反乱側8人が死亡。8日,アリ一味5人は人質9人とジープで逃走。2月5日付けMC紙,地元紙がモロ民族解放戦線(MNLF)機関紙Machardikaのアリとのインタビュー記事を転載した,と健在を確認する報道。 |
DIA-205-1989-01-09-1 | フィリピン | 1989年01月09日 | 1980年代 | 大統領,89年予算法案の一部に拒否権行使-バランガイ(村)役員手当支給等9項目で。アンダヤ下院予算委員長,拒否権行使に特段の対応はせずと言明。 |
DIA-205-1989-01-10-1 | フィリピン | 1989年01月10日 | 1980年代 | CPLAバルウェグ司令官の要求は拒否-ピメンテル上院地方自治委員長が言明:2自治地域には防衛,治安機能は移管せず,コルディリェーラ人民解放軍(CPLA)の正規軍への統合は認めない。 |
DIA-205-1989-01-11-1 | フィリピン | 1989年01月11日 | 1980年代 | 下院議員の「警護用銃器」を空港税関が押収-ライフル,自動小銃150丁をニノイ・アキノ国際空港で。12月31日にSAS機でイスラエルから到着したもの。購入者はグータン下院治安委員長,荷受先はPC・INP司令官。グータン議員が記者説明:選挙区事務所警備用に数人の下院議員が個人的に輸入した。ユニコ下院防衛副委員長言明:さらに450丁を発注済み。12日,アバト国防次官言明:PC,国防省の許可を得ておらず違法行為である。13日,ミトラ下院議長,下院倫理委員会に調査を命令,事態決着を図る。20日,グータン議員,倫理委員会に銃器を発注した64議員のリストを提出。 |
DIA-205-1989-01-11-2 | フィリピン | 1989年01月11日 | 1980年代 | マニラで反基地国際集会開催-(~15日)。第2回アジア・太平洋の平和と発展に関する市民会議。豪,日,ASEAN諸国,パラオなど18ヵ国から市民団体代表300人が参加。15日,すべての外国軍基地,核兵器の撤去を求めるマニラ宣言を採択。 |
DIA-205-1989-01-14-1 | フィリピン | 1989年01月14日 | 1980年代 | ソ連最高会議代表団が来訪-(~21日)。団長バレンチナ・テレシコワ最高会議幹部会員(宇宙飛行士)以下4人。16日,アキノ大統領と会談。 |
DIA-205-1989-01-17-1 | フィリピン | 1989年01月17日 | 1980年代 | マ外相,社会主義国との関係強化を言明-マニラの国際会議場で記者団に外交方針を説明:朝鮮民主主義人民共和国との国交およびソ連アジア地区での領事館開設を検討中である。 |
DIA-205-1989-01-17-2 | フィリピン | 1989年01月17日 | 1980年代 | 大統領行政規律委(PCGG)職員が射殺さる-ロナン事業部長代行が6人組に。警察当局,新人民軍の都市部隊であるスパロウ部隊の犯行として捜査。 |
DIA-205-1989-01-18-1 | フィリピン | 1989年01月18日 | 1980年代 | 立法・行政合同開発協議会法案に拒否権を行使-大統領,国家経済開発庁の独立性を失うとして。 |
DIA-205-1989-01-19-1 | フィリピン | 1989年01月19日 | 1980年代 | 対比援助計画調整委員会(CCPAP)が発足-委員長はロベルト・ビラヌエバ比米経営協議会会長。 |
DIA-205-1989-01-22-1 | フィリピン | 1989年01月22日 | 1980年代 | アルメンドラス元上院議員,LDPに入党-KBLミンダナオ副委員長。カガス南ダバオ州知事も。 |
DIA-205-1989-01-24-1 | フィリピン | 1989年01月24日 | 1980年代 | 中国全人代代表団来訪-(~2月3日)。団長葉飛全人代副委員長(1914年ケソン州生まれ,別名Sixto Tiangco)。26日,アキノ大統領と会談。 |
DIA-205-1989-01-24-2 | フィリピン | 1989年01月24日 | 1980年代 | 予算削減で市民軍地域部隊(CAFGU)は規模縮小へ-ラモス国防長官,ナガ市の出版業者協会会議で講演:90年のCAFGU結成は当初計画の15万人を3万人に。この結果90年末には1286部隊,隊員12万8600人へ。 |
DIA-205-1989-01-25-1 | フィリピン | 1989年01月25日 | 1980年代 | マルコスの帰国は謝罪が条件-PCGGのビリャリニン委員が記者説明:1988年7月のマルコスの上院議長宛書信による50億㌦返却申し出は,国民に謝罪しない限り受理されない。 |
DIA-205-1989-01-25-2 | フィリピン | 1989年01月25日 | 1980年代 | エバンス豪外務・貿易相来訪-25日アキノ大統領と人権問題について会談。 |
DIA-205-1989-01-26-1 | フィリピン | 1989年01月26日 | 1980年代 | チャーチャーイ・タイ首相来訪-(~28日)。27日アキノ大統領とカンボジア問題などで意見交換。 |
DIA-205-1989-01-27-1 | フィリピン | 1989年01月27日 | 1980年代 | 自治基本法の期限内成立は不可能に-この日が憲法第10条第19項の規定による期限。 |
DIA-205-1989-02-01-1 | フィリピン | 1989年02月01日 | 1980年代 | 任命委,バウチスタ人権委員長の再審請求却下-2日,大統領,H・マリリンを委員長代行に指名。 |
DIA-205-1989-02-01-2 | フィリピン | 1989年02月01日 | 1980年代 | ドゥライ・キリノ州知事,反乱罪では無罪-8・28反乱事件にケソン市特別裁判所が判決。カバラギス町での暴力行為では拘留10ヵ月の有罪に。 |
DIA-205-1989-02-01-3 | フィリピン | 1989年02月01日 | 1980年代 | ソ連,国鉄建設・修復に40億ペソの借款・贈与約束-下院陸運小委でプラド比国鉄(PNR)支配人発表。 |
DIA-205-1989-02-02-1 | フィリピン | 1989年02月02日 | 1980年代 | ラウレル副大統領,ハワイでマルコスと会見-マルコス1日に気管支切開手術。4日大統領,ラウレルの報告申し出を受理せず。5日大統領府,ラウレルはマルコスとの会見内容を公表せよとの声明発表。 |
DIA-205-1989-02-02-2 | フィリピン | 1989年02月02日 | 1980年代 | 「60-30-10計画」を採択-自主的農地移転で農地改革省と西ネグロス州が協定覚書(MOA)調印。農地改革民主組織同盟(ARADO)と全国砂糖労働者連盟(NFSW)は同計画に反対。 |
DIA-205-1989-02-02-3 | フィリピン | 1989年02月02日 | 1980年代 | ブッシュ・竹下会談,MAIで合意-「対比多国間援助構想」に関しワシントンで。3日,訪比中の松浦晃一郎外務省経済局長とウッズ米国AID長官は,比側を交えてMAIの3国間実務協議を行なった。 |
DIA-205-1989-02-02-4 | フィリピン | 1989年02月02日 | 1980年代 | 「日本商社のマルコスへのリベートは10~15%」-バルタサール・アキノ元公共事業道路相が公特裁に宣誓供述書を提出。9日,香港の銀行口座に450万㌦入金と証言。13日,ギンゴーナ上院ブルーリボン委員長,関与の商社は7社と証言。15日,同委員長は日本商社の活動禁止を政府に要請。 |
DIA-205-1989-02-06-1 | フィリピン | 1989年02月06日 | 1980年代 | PCGG委員長がマルコスの弁護士と接触-カパラス同委員長が言明:大統領からマルコス側の和解条件を探るよう指示されていた。7日,ベニグノ報道官が釈明:PCGGにはマルコス側と交渉する権限はなく,単なる真相究明調査であった。 |
DIA-205-1989-02-06-2 | フィリピン | 1989年02月06日 | 1980年代 | PCGG,マルコスの妹フォルトゥナの出国禁止を解除。 |
DIA-205-1989-02-08-1 | フィリピン | 1989年02月08日 | 1980年代 | アキノ,軍当局にアリ逮捕を命令-フロイレンド国軍報道官が言明:アリがMNLFに参加したとの報道は信じ難い。9日,元MNLF幹部が言明:アリはマレーシア領サバにいると思う。13日,マングラプス外相が両国間に犯罪人引渡し協定はなく難点ありと発言。 |
DIA-205-1989-02-08-2 | フィリピン | 1989年02月08日 | 1980年代 | 選挙委員会バランガイ選挙準備委員長,射殺さる。 |
DIA-205-1989-02-09-1 | フィリピン | 1989年02月09日 | 1980年代 | アキノはLDPの次期大統領候補有資格者-ミトラ議長が言明:ただしアキノが再度立候補の場合。 |
DIA-205-1989-02-11-1 | フィリピン | 1989年02月11日 | 1980年代 | 大統領,クーデターの噂を否定-コード名は「聖バレンタイン」計画。参謀総長,軍内の不穏な動きは認めるが,同計画の存在は否定。 |
DIA-205-1989-02-13-1 | フィリピン | 1989年02月13日 | 1980年代 | メルチョール駐ソ大使更迭の圧力-マングラプス外相が外務行政委員会の更迭勧告を支持:メ大使は本省の許可なく,(1)大使館内にレストランを開業し,(2)「特定国民」にビザを発給し,(3)許可なく任地を離れた。14日,大統領,訪ソ後にメ大使を更迭すると発言。 |
DIA-205-1989-02-13-2 | フィリピン | 1989年02月13日 | 1980年代 | 下院,村長のバランガイ選直接投票制度を可決-1988年11月4日成立のRA6679号が村議員のみを直接投票で選出する方式であったもの。 |
DIA-205-1989-02-14-1 | フィリピン | 1989年02月14日 | 1980年代 | 危機管理委員会,マルコスの帰国拒否を決定。 |
DIA-205-1989-02-14-2 | フィリピン | 1989年02月14日 | 1980年代 | 中国政府貿易代表団が来訪-団長は経済貿易部の陳之孝局長。15日からの比中貿易合同委第12回会議に出席。20日,1989年貿易議定書に調印。双務貿易額目標4億~5億㌦で合意。 |
DIA-205-1989-02-14-3 | フィリピン | 1989年02月14日 | 1980年代 | PCGG接収資産売却は所有権問題解決が優先-88年11月に資産民営化トラストに移管された資産に関し公務員犯罪特別裁判所が裁定。 |
DIA-205-1989-02-15-1 | フィリピン | 1989年02月15日 | 1980年代 | コナブル世銀総裁,アキノ大統領と会談。 |
DIA-205-1989-02-15-2 | フィリピン | 1989年02月15日 | 1980年代 | パリ・クラブ第3次リスケで負担軽減要請-モンソド長官が3方策発表:(1)借款を贈与に転換,(2)国際収支赤字補填の借款,(3)優遇利子率適用。 |
DIA-205-1989-02-16-1 | フィリピン | 1989年02月16日 | 1980年代 | 大統領,行政・立法合同債務委員会法に拒否権を行使-外国借款の契約・保証は大統領権限に属すると。20日,下院与党議員総会,同法案再議決を決定。21日,上院同議員総会,同法案再議決を決定。下院秘密会で政府と6項目の妥協案で合意。4月17日,同法成立。 |
DIA-205-1989-02-17-1 | フィリピン | 1989年02月17日 | 1980年代 | イレト元国防相,大統領特別顧問に就任-国家安全保障担当(閣僚職相当)。ソリアノ特別顧問は更迭。 |
DIA-205-1989-02-20-1 | フィリピン | 1989年02月20日 | 1980年代 | シン枢機卿,政府のマルコス帰国不許可を支持-サントトマス大学の講演:帰国論議は混乱を招く。 |
DIA-205-1989-02-22-1 | フィリピン | 1989年02月22日 | 1980年代 | ルイシタ農園の生産分与方式を承認-ラプス農地改革次官がPNA通信に言明。 |
DIA-205-1989-02-22-2 | フィリピン | 1989年02月22日 | 1980年代 | 米軍基地の一部を年内に横田基地に移動-クラーク基地当局が発表:第374戦術空輸航空団司令部を。 |
DIA-205-1989-02-23-1 | フィリピン | 1989年02月23日 | 1980年代 | アキノ大統領,「大喪の礼」参列で訪日-(~25日)。天皇に接見,竹下首相と会談。24日,米仏両国大統領と会談。 |
DIA-205-1989-02-25-1 | フィリピン | 1989年02月25日 | 1980年代 | アキノ大統領,「革命3周年」式典で報告-3万人の群衆を前に,大喪外交で西側首脳から援助確約を取りつけたと。 |
DIA-205-1989-02-26-1 | フィリピン | 1989年02月26日 | 1980年代 | 外務当局,シソンの政治亡命で調査を指示-23日,ビアソン首都圏防衛軍司令官,シソン共産党元委員長の旅券は無効で亡命以外では外国滞在はできないと発表。27日,マ外相が言明:オランダ政府にシソンの政治亡命申し立て却下を要請しない。亡命を認めるかどうかは受け入れ国政府が決めることである。 |
DIA-205-1989-02-26-2 | フィリピン | 1989年02月26日 | 1980年代 | PCGGがココイ・ロムアルデスを告発-イメルダの実弟を公務員犯罪特別裁判所に24件の不正利得で。 |
DIA-205-1989-03-02-1 | フィリピン | 1989年03月02日 | 1980年代 | ラモス国防相,ホナサンの同期生と会談-比士官学校1971年卒の48人とアギナルド基地で5時間。参謀総長も同席。自宅拘禁中のカプナン中佐,マティーリャ中佐も出席。会談内容は非公開だが国軍作戦部長説明では次の2点:(1)反乱兵士と軍当局との和解努力,しかしホナサンの降伏には触れず,(2)国軍改革の必要性。 |
DIA-205-1989-03-02-2 | フィリピン | 1989年03月02日 | 1980年代 | 労働法改正法案が成立-RA7615号。内容は,(1)労使関係委の権限強化,(2)労働協約の期限を現行3年から5年に延長,(3)中央労働委(NLRC)の構成は労働側5人,経営側5人,政府側4人の計14人。「五月一日運動」(KMU)は反労働者的改悪と反対。 |
DIA-205-1989-03-02-3 | フィリピン | 1989年03月02日 | 1980年代 | PCGG,マンハッタンのビル4棟を売却-マルコス一族の資産の一部で,4億㌦回収。 |
DIA-205-1989-03-03-1 | フィリピン | 1989年03月03日 | 1980年代 | ソテロ副参謀総長の自宅建設に黒い噂-デビーリャ参謀総長,ソテロが500万ペソの自宅を新築したとの報道で,国軍不当利得調査委に調査を命令。19日,同委事務局は,3月15日現在で軍人580人,警察官19人,文官145人の計744人を調査対象としていると発表。 |
DIA-205-1989-03-04-1 | フィリピン | 1989年03月04日 | 1980年代 | ビダル枢機卿,マルコスとの面会で弁明-2月23日にミサを行なったが,純粋に宗教的なもの。 |
DIA-205-1989-03-06-1 | フィリピン | 1989年03月06日 | 1980年代 | ホナサン,大統領に和平条件項目を提示-ホナサン元中佐,地元ラジオ放送で参謀総長経由で書信送付を認める。9項目は,(1)政府部内のマルクス主義者を追放,(2)シソン,ブスカイノ,ホラシオ・モラレスの再逮捕,(3)政治犯罪や人権侵害で拘留中の軍人の即時無条件釈放,(4)ミンダナオに自治権の即時付与,(5)新政権発足以来解雇された政府職員の復職,(6)大統領家族の犯罪人の逮捕,(7)海外亡命中の帰国希望者に旅行必要書類交付,(8)対外債務交渉の延期,(9)暫定危機管理政府の発足。フロイレンド国軍報道官,内容は政治的で国軍の所掌事項でないと回答拒否を発表。 |
DIA-205-1989-03-06-2 | フィリピン | 1989年03月06日 | 1980年代 | 政府,IMFに趣意書(LOI)を提出-経済政策覚書(1989-92年)に関して。期間中のGNP成長率年6.5%に。 |
DIA-205-1989-03-08-1 | フィリピン | 1989年03月08日 | 1980年代 | 任命委,エストアル公共事業長官の任命を承認。 |
DIA-205-1989-03-08-2 | フィリピン | 1989年03月08日 | 1980年代 | マルコス派のカバワタン大佐,パサイ市で逮捕。 |
DIA-205-1989-03-09-1 | フィリピン | 1989年03月09日 | 1980年代 | NP再建準備大会,副大統領を暫定党首に-ラウレル,UNIDOはNPに統合されると言明。 |
DIA-205-1989-03-09-2 | フィリピン | 1989年03月09日 | 1980年代 | ソ連に通商代表団を派遣-(~14日)。団長はコンセプシオン商工長官。15日モスクワで比ソ貿易拡大議定書に調印。(1)現行の年間4000万㌦を1992年までに2億㌦に拡大,(2)比政府はソ連漁船の比国内での修理を許可。最初に120隻を8400万㌦で,など。 |
DIA-205-1989-03-11-1 | フィリピン | 1989年03月11日 | 1980年代 | GADはNPに統合しない-カエタノ「民主主義のための大連合」委員長,ガンボア書記長が声明:人為的な政党再編成には組みしない。エンリレの反論:GADの大物2人の声明は野党分断策の一つである。GADの半数以上がNPに参加している。 |
DIA-205-1989-03-13-1 | フィリピン | 1989年03月13日 | 1980年代 | 投降ゲリラ等に対する特赦を承認-大統領が行政命令EO350号を布告。EO80号の特赦期限(1988年2月29目)以降の国事犯,スパイなどの投降者に適用。14日国防相,クーデター未遂事件の反乱兵にはEO350号は適用せず軍事裁判で審理する,と言明。 |
DIA-205-1989-03-13-2 | フィリピン | 1989年03月13日 | 1980年代 | MNLF・イスラム諸国会議正式加盟を要請-ミスワリ議長がリヤドでの第18回外相会議で演説。17日比外相,OICはMNLFの要請を却下したと発表。 |
DIA-205-1989-03-15-1 | フィリピン | 1989年03月15日 | 1980年代 | PCGG,ベンゲット社株式515万株の売却を承認-MC紙報道。1986年にPCGGがココイ・ロムアルデス所有の1620万株を差し押えたが,このうち950万株をベンゲット社が買い戻し,残りの650万株がその後株式配当で750万株になった。このうち約200万株は同社社員に配分。残り515万株を公開。 |
DIA-205-1989-03-16-1 | フィリピン | 1989年03月16日 | 1980年代 | 中国政府,比台互恵関係法案に不快感表明-中国外務省報道官:中比国交回復時の共同声明の原則に反すると。 |
DIA-205-1989-03-17-1 | フィリピン | 1989年03月17日 | 1980年代 | M・エスピノサ下院議員,射殺さる-マスバテ空港内で2人組に。利権絡みとみられ,犯人は逃走。 |
DIA-205-1989-03-17-2 | フィリピン | 1989年03月17日 | 1980年代 | 天然資源長官が製材輸出の全面的禁止を発表-森林保護,資源確保のため7月1日から合板,ベニヤを除くすべての製材(13樹種)の輸出禁止。 |
DIA-205-1989-03-18-1 | フィリピン | 1989年03月18日 | 1980年代 | パテルノがPDP・ラパン副委員長に-党大会で選出。委員長はピメンテルが再選。 |
DIA-205-1989-03-23-1 | フィリピン | 1989年03月23日 | 1980年代 | ラヤ前中銀総裁,FBIに逮捕さる-マルコスに面会のため訪れたホノルル国際空港で同人の不正資産隠匿裁判の証人として身柄拘束。同行のオプレ,メンドーサ,エストレーリャ,モンテスの4人には召喚状手渡し。24日FBI当局,マルコス前政権の閣僚5人(ビラタ,アルバ,アズリン,ベラスコ,マパ)はハワイに着き次第逮捕と発表。31日,ラヤの帰国を許可。ただし5月8日にニューヨーク南地区裁判所に出廷を命令。 |
DIA-205-1989-03-23-2 | フィリピン | 1989年03月23日 | 1980年代 | マルコス派が国軍内で勢力伸張を画策-軍当局が発表:Guardian Brotherhoodが現役将兵をメンバーにし,政府転覆を企てている。 |
DIA-205-1989-03-28-1 | フィリピン | 1989年03月28日 | 1980年代 | バランガイ選挙を実施-テロによる妨害,立候補者不在などを除く4万814バランガイ(村)で。 |
DIA-205-1989-03-29-1 | フィリピン | 1989年03月29日 | 1980年代 | 新人民軍創立20周年-この日,マウンテン州で政府軍と交戦。警察軍兵士4人が死亡。 |
DIA-205-1989-03-29-2 | フィリピン | 1989年03月29日 | 1980年代 | マルコスへの別口賄賂1140万㌦-チャベス検事総長が発表:日本商社から1966-81年分として,スイス・バンキング社の香港支店口座に送金。30日検察当局,公務員犯罪特別裁判所に日本商社代表の喚問を要請。 |
DIA-205-1989-04-01-1 | フィリピン | 1989年04月01日 | 1980年代 | ドゥパヤ下院議員が病死-カガヤン渓谷州選出。下院205議席中,空席は5議席に。 |
DIA-205-1989-04-01-2 | フィリピン | 1989年04月01日 | 1980年代 | PC・INP第14地方司令部がコルディリェーラ地域に発足-4日にラモス国防長官が発表。また国軍一元化によりコルディリェーラ人民解放軍(CPLA)は市民軍地域部隊(CAFGU)に統合される。 |
DIA-205-1989-04-03-1 | フィリピン | 1989年04月03日 | 1980年代 | アリサバル科学技術長官辞任-7日,フォロスコ商工次官が新長官に就任。 |
DIA-205-1989-04-04-1 | フィリピン | 1989年04月04日 | 1980年代 | PCGG,不正利得でラヤの告訴を検討中-ルシオ・タンによるGeneral Bank and Trust Co.の取得,タントコによるTourist Free Duty Shop不正経営に関して共同被告として元中央銀行総裁を。 |
DIA-205-1989-04-05-1 | フィリピン | 1989年04月05日 | 1980年代 | 上院でホナサン元中佐らの同期生らから聴聞-マセダ国防委員長が地方司令官,下士官および比士官学校1971年組からの聴聞会後表明:過去にクーデター未遂事件参加の下士官は上官の命令に従っただけで,すでに制裁を受けた。再訓練の後前線に送るのも一案。だが無条件に特赦を与えよとの71年組の要望に従うことには問題が残る。8日,国防長官は上院に,意見聴聞は公平にと要請:これまでは特赦賛成者からのみ聴取した。 |
DIA-205-1989-04-05-2 | フィリピン | 1989年04月05日 | 1980年代 | 公特裁,Asia Brewery社調査の停止命令-PCGGと検事総長に対し。同社株式6000万ペソがマルコスのダミー5人の所有で,うち1人がルシオ・タン。カパラスPCGG委員長は,タンがマルコスの株式の60%を返却すれば妥協に応ずる,としている。 |
DIA-205-1989-04-05-3 | フィリピン | 1989年04月05日 | 1980年代 | NPAが外国人登山家を留置-ニュージーランド人,アイルランド人,英国人の3人をアポ山麓で。 |
DIA-205-1989-04-05-4 | フィリピン | 1989年04月05日 | 1980年代 | コメ20万~25万㌧の輸入を閣議で承認。 |
DIA-205-1989-04-05-5 | フィリピン | 1989年04月05日 | 1980年代 | 公特裁,マルコスに破産宣告-エスカレアル判事が言明:訴訟13件に対するマルコス一族の答弁書がなかったため。カストロPCGG委員が解説:破産宣告がなされると被告抜きで結審できる。 |
DIA-205-1989-04-05-6 | フィリピン | 1989年04月05日 | 1980年代 | ゴンサレス観光長官,女性問題で辞表提出-大統領,6日受理。13日経済界のガルーチョが新長官に就任。 |
DIA-205-1989-04-10-1 | フィリピン | 1989年04月10日 | 1980年代 | 米軍通信施設が爆破される-バギオ市南10kmのサントトマス山腹で。軍当局はNPAの犯行説。 |
DIA-205-1989-04-10-2 | フィリピン | 1989年04月10日 | 1980年代 | 国軍将校32人の人事異動-デビーリャ参謀総長発表。16准将,12大佐,1海軍将官,2海軍大佐が対象。 |
DIA-205-1989-04-11-1 | フィリピン | 1989年04月11日 | 1980年代 | 統合国家警察は性格において文民職-ロコ下院与党副院内総務が審議中のフィリピン国家警察法案に関して言明:国防相が国家警察委員会(NAPOLCOM)委員長を兼任し,警察軍(PC)司令官がINP長官を兼任するとした75年8月8日付け大統領令(PD)765号は,85年7月10目付け行政命令(EO)1040号で廃止されたはずである。EO1040号でNAPOLCOMは大統領府に移管され,NAPOLCOMがINPの行政的統括,監督をする。アキノ大統領はINP長官(現在はモンターニョPC司令官が兼任)に文官を任命し,空席の13地方INP本部長を任命すべきである。19日,下院は警察改革に関しアキノに命令の布告を要請する決議:INPの純粋に文民職の性格を規定し,NAPOLCOMの監督下に置く。 |
DIA-205-1989-04-12-1 | フィリピン | 1989年04月12日 | 1980年代 | バーター貿易は段階的に廃止-省間バーター貿易委員会がガイドラインを承認。1991年までの3ヵ年計画で。商人数は現在の1万4700人を3800人に。 |
DIA-205-1989-04-12-2 | フィリピン | 1989年04月12日 | 1980年代 | 農相,米価補助制度の続行を表明-IMFに提出した趣意書に示されたのは目標にすぎないとして。 |
DIA-205-1989-04-14-1 | フィリピン | 1989年04月14日 | 1980年代 | NDF幹部A・ズメルの健康状態が悪化-参謀総長,同議長は投降を希望していると発表。 |
DIA-205-1989-04-17-1 | フィリピン | 1989年04月17日 | 1980年代 | 行政・立法合同債務委員会法が成立。 |
DIA-205-1989-04-18-1 | フィリピン | 1989年04月18日 | 1980年代 | 武器商人のカショーギ,スイスで逮捕さる-マルコスの不正蓄財の共犯容疑者として,米司法当局の要請でスイス司法・警察省により。 |
DIA-205-1989-04-20-1 | フィリピン | 1989年04月20日 | 1980年代 | 共産党幹部のカペグサンを釈放-警察軍当局が発表。88年11月6日にマニラで逮捕。ケソン市裁判所が反乱,銃器不法所持容疑に無罪判決をしたため。 |
DIA-205-1989-04-21-1 | フィリピン | 1989年04月21日 | 1980年代 | ベニグノ報道官,辞表を提出-88年7月21日に辞表を提出し慰留されたもの。5月16日付けで辞任。 |
DIA-205-1989-04-21-2 | フィリピン | 1989年04月21日 | 1980年代 | 米統合軍事顧問団の軍人が射殺される-James Rowe大佐(51歳),ケソン市で。同大佐はCAFGUの組織,装備,訓練を担当。 |
DIA-205-1989-04-25-1 | フィリピン | 1989年04月25日 | 1980年代 | フィリピンは2000年までにNICs入りできよう-コンセプシオン商工長官が上院で証言。 |
DIA-205-1989-04-27-1 | フィリピン | 1989年04月27日 | 1980年代 | マルコスの控訴を却下-スイス・フライブルグ控訴院が隠し口座4200万㌦に関して。チャベス検事総長の判決所感:これはマルコス資産回収の突破口となるが,マルコスはスイス最高裁に上告しよう。 |
DIA-205-1989-04-28-1 | フィリピン | 1989年04月28日 | 1980年代 | ブラカン州パオンボンで村民9人が殺さる-5月4日政治犯救援組織(TFDP)真相究明委が結論:事件はNPAを探索中の海兵隊員による大量虐殺であり,9人の中には70歳の老人,13歳の少女もいた。同12日,大統領は司法長官に調査委員会の設置を指示。 |
DIA-205-1989-04-29-1 | フィリピン | 1989年04月29日 | 1980年代 | 西ネグロス州の地主が自警組織に資金援助-1988年10月に砂糖統制庁(SRA)の許可をとり,製糖時に,全国砂糖プランター連盟(NFSP),砂糖生産者協会連盟(Confed)から砂糖産業開発財団に1ピクル当り5ペソを支払う。地元のフォルティチ神父から上院議長に宛てた報告では,本来品種改良,社会活動に使われるべき資金が,CAFGUに使われている。 |
DIA-205-1989-04-30-1 | フィリピン | 1989年04月30日 | 1980年代 | 大統領警備隊の2兵士が伏撃で死亡-マニラのパコで。犯人は共産ゲリラとみられる6人組。 |
DIA-205-1989-05-05-1 | フィリピン | 1989年05月05日 | 1980年代 | ラウレル,エドワルド・コファンコと会談したと発表-2週間の非公式旅行の帰国報告記者会見:ロサンゼルスで同人にNP参加を要請した。彼の最大の関心は帰国問題で,自分に旅券発給で助力を要請した。 |
DIA-205-1989-05-06-1 | フィリピン | 1989年05月06日 | 1980年代 | 竹下首相,訪比-(~7日)。アキノ大統領と会談。MAI援助国会議の早期東京開催で合意。 |
DIA-205-1989-05-08-1 | フィリピン | 1989年05月08日 | 1980年代 | S.プシナキスの裁判に反対運動高まる-MC紙報道。1981年に米国内で爆発物を州間搬送した容疑で起訴され,「8月21日運動」(ATOM)などが同氏の支持を表明。6月8日,サンフランシスコ連裁が無罪を判決。 |
DIA-205-1989-05-08-2 | フィリピン | 1989年05月08日 | 1980年代 | 北イロコス州のNPA基地急襲でゲリラ19人死亡-軍当局が発表。Vintar町Kabangaran村での3日間の交戦で。陸軍第1スカウト・レンジャー連隊のブランド准将が作戦を指揮。 |
DIA-205-1989-05-09-1 | フィリピン | 1989年05月09日 | 1980年代 | 世銀,3億㌦の金融部門構造調整融資を承認-フェルナンデス中銀総裁が発表。 |
DIA-205-1989-05-09-2 | フィリピン | 1989年05月09日 | 1980年代 | 87年2月のルパオ殺戮事件生存者に宅地を贈与-大統領が官邸で8家族に240平方㍍権利書を手渡し。 |
DIA-205-1989-05-11-1 | フィリピン | 1989年05月11日 | 1980年代 | ルイシタ農園で株式配分計画に調印-農地改革省の立ち合いで,Tarlac Development Corp.(TDI),同社の子会社のHacienda Luisita, Inc.(HLI)および受益者農民の3者が。4916haの評価額相当の株式33.29%を労働者7000人に30年間に無償配分。また生産分与として年売上高の3%を現金配当かボーナスで配分。 |
DIA-205-1989-05-12-1 | フィリピン | 1989年05月12日 | 1980年代 | マ外相を立法・行政合同債務委委員長に指名。 |
DIA-205-1989-05-12-2 | フィリピン | 1989年05月12日 | 1980年代 | NPAによる内部潜入者の大量処刑地を発見-軍当局が発表。ラグナ州で1ヵ所,ケソン州で2ヵ所。13日,ラグナ州カラヤアンの共産ゲリラの放棄した基地周辺で秘密墓地13ヵ所30遺体を発掘。 |
DIA-205-1989-05-14-1 | フィリピン | 1989年05月14日 | 1980年代 | 野党,LDPはアキノの任期延長を画策と非難-オプレ元労相が,憲法を改正し,大統領と議員の任期を1994年まで延長しようとしていると。 |
DIA-205-1989-05-15-1 | フィリピン | 1989年05月15日 | 1980年代 | 大統領,ガルチトレーナ農園の購入停止を命令-南カマリネス州の同農園1888haの自主的農地売却(VOS)取引に関して,農地改革省の評価が過大であることが判明したため。アルバレス上院農地改革委員長の発表:同農園は1988年4月にSharp InternationalがUnited Coconuts Planters Bankから350万ペソで購入,同年12月,農地改革省と6273万ペソで転売契約。 |
DIA-205-1989-05-15-2 | フィリピン | 1989年05月15日 | 1980年代 | 大統領報道官にA・アスクナを任命。 |
DIA-205-1989-05-15-3 | フィリピン | 1989年05月15日 | 1980年代 | 大統領,タウィタウィへ-1988年2月に次いで2度目。生計向上プロジェクト4件,1632万ペソを公約。 |
DIA-205-1989-05-16-1 | フィリピン | 1989年05月16日 | 1980年代 | 上院,PCGGのロパとの取引を非難-上院ブルーリボン委員会が,ココイ・ロムアルデスが所有したFirst Manila Management Corp.傘下39社の売却で大統領の義弟リカルド・ロパに便宜をはかったとして。大統領,39社の売却で公開入札を希望。23日ロパと証人14人が上院同委員会での証言を拒否。 |
DIA-205-1989-05-17-1 | フィリピン | 1989年05月17日 | 1980年代 | 経団連ASEAN使節団訪比-(~19日)。団長は斉藤英四郎経団連会長。18日,大統領と会談,経団連側は日本国際協力機構(JAIDO)の出資第1弾として工業団地,伸銅工場の建設など4件への投資を表明。 |
DIA-205-1989-05-21-1 | フィリピン | 1989年05月21日 | 1980年代 | NP再建党大会開催-17年振りに。代議員2500人が出席し,ラウレル副大統領を党首,エンリレ上院議員を書記長に,オプレ元労相を執行副党首に選出。党綱領を採択:(1)連邦国家制の採択,(2)米軍基地は5~10年以内に撤収,(3)米軍基地を取引に債務削減,(4)国家評議会による超党派外交政策と東西両陣営との関係強化,(5)真の企業的農業,小農を除く部分的農地改革の実施,(6)企業活動規制緩和と経済自由化。 |
DIA-205-1989-05-21-2 | フィリピン | 1989年05月21日 | 1980年代 | CHDFは未解散-MC紙。1987年7月のEO264号は郷土防衛部隊(CHDF)の禁止を規定しているが,代替となるCAFGU組織化の予算不足で,国軍の記録では89年1月現在2万1602人のCHDF隊員が存在。 |
DIA-205-1989-05-21-3 | フィリピン | 1989年05月21日 | 1980年代 | カリンガ・アパヤオ州の交戦でゲリラ37人死亡-Budtolの陸軍前哨基地をNPA200人が襲撃。 |
DIA-205-1989-05-22-1 | フィリピン | 1989年05月22日 | 1980年代 | アキノ,繰上げ大統領選挙の可能性を否定-21日のNP党大会決議での繰上げ選挙要求に対し,議院内閣制の場合には可能だが現状では困難との理由で。 |
DIA-205-1989-05-22-2 | フィリピン | 1989年05月22日 | 1980年代 | NP,下院5,上院1の欠員補充特別選挙を要求。 |
DIA-205-1989-05-23-1 | フィリピン | 1989年05月23日 | 1980年代 | オンブズマン,ガ農園取引で調査開始-4人委員会が発足。農地改革省とSI社との取引を調査へ。 |
DIA-205-1989-05-25-1 | フィリピン | 1989年05月25日 | 1980年代 | IMF理事会,比政府提出の趣意書を承認-フェルナンデス中銀総裁が言明。 |
DIA-205-1989-05-26-1 | フィリピン | 1989年05月26日 | 1980年代 | ミトラ下院議長降ろしが失敗-同議長,反対派の制裁を言明。画策したのはスムロン与党院内総務。 |
DIA-205-1989-05-26-2 | フィリピン | 1989年05月26日 | 1980年代 | 大統領,フイコ農地改革長官の休職を受理-ガルチトレーナ農園の契約の交渉・締結に関係した局長21人の休職願受理。フェリア前最高裁判事を委員長とする特別調査委(フェリア調査委)も発足。 |
DIA-205-1989-05-26-3 | フィリピン | 1989年05月26日 | 1980年代 | 西ネグロス州南部の強制立退き者5000人が帰郷-軍当局が発表。しかし同州北部の難民センターでは政府軍とゲリラの衝突巻き添えを逃れる避難民が増加中。28日,国防長官,ネグロス州での強制立退きの必要を言明。 |
DIA-205-1989-05-27-1 | フィリピン | 1989年05月27日 | 1980年代 | ローマ法王,フォルティッチ司教の後任を指名-バコロド司教区にCamilo Gregorio司教(49歳)を。 |
DIA-205-1989-05-29-1 | フィリピン | 1989年05月29日 | 1980年代 | パリ・クラブ,第3次リスケで合意-3年以内に満期到来の22億㌦で,利息と元本の100%。 |
DIA-205-1989-05-30-1 | フィリピン | 1989年05月30日 | 1980年代 | 農地改革省の2次官を更迭-ペホ(法務担当)とメジナ(事業担当)の両次官。 |
DIA-205-1989-06-02-1 | フィリピン | 1989年06月02日 | 1980年代 | アキノ・ガルマン暗殺事件で確たる証拠-F. Guerrero特別検察官が検事側立証を公特裁に提出。 |
DIA-205-1989-06-03-1 | フィリピン | 1989年06月03日 | 1980年代 | KBLの元幹部など,NPに参加-ラウレルの自宅で宣誓式。財務役に経済人のVicente Puyat,監査役にCarlos Valdez元駐日大使,首席法律顧問にArturoTolentino元外相。副党首は4人で,ミンダナオ地方代表にHomobono Adaza元国民議会議員,ルソン地方代表にDominador Aytona元上院議員,Victor Ortega下院議員,ビサヤ地方代表にRodolfo Ganzonイロイロ市長。6日Salvador Escudero下院議員,1992年までにKBLとNPは統合と予測。7日付けMC紙によれば,旧NP党員でKBLに残っている有力者はKBL党首のNicanor YniguezとEduardo ”Danding” Cojuangco, Jr.である。 |
DIA-205-1989-06-05-1 | フィリピン | 1989年06月05日 | 1980年代 | 大統領,天安門事件に遺憾の意を表明-サロンガ上院議長,事件は共産圏での改革への熱意を削ごうと非難。比外務省,中国渡航禁止を発表。7日,中国,香港,台湾の学生500人が中国大使館領事部前で抗議集会。14日中国系比人学生,ビジネスマン,市民運動家1万人が同領事部前で集会。7月1日,渡航禁止解除。 |
DIA-205-1989-06-05-2 | フィリピン | 1989年06月05日 | 1980年代 | 人民農地改革会議が包括農地改革法を非難-全国の12農民組合が加盟するCPARが同法成立1周年を前にしたシンポジウムで同法の評価報告を発表:同法は法律としても,計画としても失敗であった。ガルチトレーナ農園事件,ルイシタ農園の場合が失敗例。また同法は抜け穴が多く,地主と多国籍企業による法の網逃れを誘発している。10日CPAR傘下の農民3000人が集会。 |
DIA-205-1989-06-06-1 | フィリピン | 1989年06月06日 | 1980年代 | パオンボン虐殺事件の調査委報告書提出さる-A. Tuquero委員長(司法次官)が司法長官に:事件は海兵隊とNPAの交戦に住民が巻き込まれたもの。 |
DIA-205-1989-06-07-1 | フィリピン | 1989年06月07日 | 1980年代 | フィリピン国家警察(PNP)法案下院で可決-HB23614号。その骨子は,(1)現行の国家警察委員会(NAPOLCOM)を新たに大統領直属の国家警察委員会に再編し,同委がPNPを統括監督する,(2)PNPは警察,消防,刑務の3業務を担当し,隊員は国家統合警察(INP),警察軍(PC),麻薬取締司令部,犯罪捜査局の有資格者からなる,(3)市町村がPNP業務を監督する。 |
DIA-205-1989-06-09-1 | フィリピン | 1989年06月09日 | 1980年代 | 最低賃金法が成立-RA6727号。全国一律に1日25ペソ引き上げ。ただし首都圏以外の農園企業で年間総売上が500万ペソ未満の場合の労働者は20ペソ,従業員10人未満,資本金50万ペソ以下,および従業員20人未満の小企業の労働者は15ペソ引き上げに。7月7日,施行規則が布告され7月1日から遡及発効。 |
DIA-205-1989-06-10-1 | フィリピン | 1989年06月10日 | 1980年代 | 私立学校補助法が成立-RA6728号。年間授業料1500ペソまでのハイスクール生徒は1989-90学年度に290ペソの補助,新入大学生は89学年度は学生数の10%に育英資金の補助など。財源は一般予算,ココナツ課徴金基金,海外旅行税の10%,砂糖統制庁(SRA)または比ココナツ庁(PCA)収益の10%,比開発銀行(DBP)純利益の10%,海外労働者福祉基金の一部。 |
DIA-205-1989-06-12-1 | フィリピン | 1989年06月12日 | 1980年代 | 中国の危機で商機-MC紙:リム比商工会議所元会頭やR・コンセプシオンは,中国,台湾,香港の投資家は投資先をASEAN諸国へ移転しようと期待。 |
DIA-205-1989-06-13-1 | フィリピン | 1989年06月13日 | 1980年代 | KMU,天安門事件で中国政府の立場を支持-方,8月29日付The Straits Times紙は,(KMUと同じくNDFに属する)フィリピン学生連盟(LFS)が中国政府非難の声明発表と報道。 |
DIA-205-1989-06-13-2 | フィリピン | 1989年06月13日 | 1980年代 | 大統領,メルチョール・ソ連大使の更迭問題で言明-比外務省の勧告どおり職業外交官の任命を承認する。 |
DIA-205-1989-06-16-1 | フィリピン | 1989年06月16日 | 1980年代 | 自主的農地売却の全調査で2件に疑惑-大統領が言明:農地改革省調査では西ネグロス州タリサイのビラソール農園(327.4ha),ソルソゴン州ピラールのロセス農園(121.9ha)の土地が過大評価である。 |
DIA-205-1989-06-18-1 | フィリピン | 1989年06月18日 | 1980年代 | 161バランガイで繰延べ選挙を実施。 |
DIA-205-1989-06-19-1 | フィリピン | 1989年06月19日 | 1980年代 | ルイシタ農園の株式配分計画承認は先送り-大統領農地改革評議会(PARC)が発表。司法省が私営農園で集団所有の場合のリース・バック(売却借用)が認められるとの意見を示すまで先送りにすると。 |
DIA-205-1989-06-23-1 | フィリピン | 1989年06月23日 | 1980年代 | 大統領,モンソドNEDA長官の辞表を受理-後任長官代行にFilologo Pante, Jr.同次官を任命。理由はODA窓口がNEDAからCCPAPに移管されることに不賛成のためとされる。 |
DIA-205-1989-06-23-2 | フィリピン | 1989年06月23日 | 1980年代 | PCGG,マルコスの195銀行口座を発表-米,スイス,比国内に総額5億㌦。うち国内には,Security Bank and Trust Co., Traders Royal Bank,およびPhilippine National Bankに73口座がある。 |
DIA-205-1989-06-25-1 | フィリピン | 1989年06月25日 | 1980年代 | NPAが教会を襲撃,39人が死亡-南ダバオ州Rano町Hinatol村のプロテスタント教会で,女,子供を含む民間人,フィリピン統一教会教徒が大量殺戮さる(ディゴス事件)。27日,NPAが弁明し,最初に仕掛けたのは反共狂信者(Itoman)であると主張。 |
DIA-205-1989-06-28-1 | フィリピン | 1989年06月28日 | 1980年代 | マルコスの次女アイリーンが3億ペソ返却-PCGG発表。5月にBarclays Bankの口座から。 |
DIA-205-1989-06-29-1 | フィリピン | 1989年06月29日 | 1980年代 | 比米,基地労働者の労働協約改定交渉で合意-年央ボーナスは50%増の3500ペソに。 |
DIA-205-1989-06-29-2 | フィリピン | 1989年06月29日 | 1980年代 | マルコス前大統領,腎臓摘出手術。 |
DIA-205-1989-06-30-1 | フィリピン | 1989年06月30日 | 1980年代 | フイコ農地改革長官辞任-フェリア委員会が大統領に最終報告書を提出。大統領,後任にサンチャゴ出入国管理局長を指名。大統領,直ちに新長官に,不正阻止と農地改革計画への信頼回復の観点から買上げ農地契約の再点検を命令。7月3日,新長官が就任。 |
DIA-205-1989-07-03-1 | フィリピン | 1989年07月03日 | 1980年代 | 対比多国間援助構想の第1回援助国会議開催-(~5日)。20ヵ国,7国際機関が参加し東京で。5日,1989年分として35億㌦の資金供与で合意。 |
DIA-205-1989-07-03-2 | フィリピン | 1989年07月03日 | 1980年代 | ミリアム・サンチャゴが農地改革長官に就任-新長官,ガルチトレーナ農園農地転売事件に関与した高官11人は直ちに辞任せよと言明。 |
DIA-205-1989-07-04-1 | フィリピン | 1989年07月04日 | 1980年代 | サンチャゴ新長官,農地取引の明朗化を公約-農地改革省内にはびこる農地売買にからむ全国的規模のシンジケートを3ヵ月以内に撲滅すると宣言。 |
DIA-205-1989-07-05-1 | フィリピン | 1989年07月05日 | 1980年代 | 大統領,農地改革省高官に行政罰を指示-ガ農園事件でペホ,メジナの両次官を含む7人に。アキノ政権下で不正行為にからむ任命職の訴追は初めて。 |
DIA-205-1989-07-05-2 | フィリピン | 1989年07月05日 | 1980年代 | PNBの株式公開にからむ疑惑を調査-オンブズマンが言明。同行の株式30%が公開されたが,マセダ上院議員ら3人による調査では,アロヨ同行会長ら幹部8人が1株170ペソで(公開後300ペソに急上昇),1人200株の上限を超えて購入したとして。 |
DIA-205-1989-07-06-1 | フィリピン | 1989年07月06日 | 1980年代 | VOS取引に関する調査チームが発足-自主的農地売却申請で農地改革省内に。すでに同省本部受理の92件のうち54件について資料を集めたと発表。 |
DIA-205-1989-07-06-2 | フィリピン | 1989年07月06日 | 1980年代 | 駐ソ大使にサエス前ヨルダン大使を任命と発表。 |
DIA-205-1989-07-06-3 | フィリピン | 1989年07月06日 | 1980年代 | 新最低賃金法で必需品価格は10~12%上昇へ-フィリピン商工会議所の調査で判明。 |
DIA-205-1989-07-06-4 | フィリピン | 1989年07月06日 | 1980年代 | ソ連通商使節団が訪比-(~13日)。団長はタマラ・レビナ閣僚会議副議長。 |
DIA-205-1989-07-08-1 | フィリピン | 1989年07月08日 | 1980年代 | ルイシタ農園の株式配分方式見直し提言-司教・経済人会議(BBC)が年次総会で声明を発表:同方式が農地改革の脱法行為に利用されることを懸念する。 |
DIA-205-1989-07-08-2 | フィリピン | 1989年07月08日 | 1980年代 | 大統領,西欧に出発-(~15日)。西独訪問の後12日,ミッテラン・仏大統領と会談,パリ首脳会談参加各国首脳から援助約束取り付け。13日,MAIにもとづくフィリピン援助計画(PAP)に対する10億仏フラン約束で仏政府と書簡交換。14日,ベルギー訪問。 |
DIA-205-1989-07-08-3 | フィリピン | 1989年07月08日 | 1980年代 | シンガポール政府,対比軍事援助400万㌦申し出-MC紙によると,このほどクラーク基地でのシ空軍訓練(79年以来)維持のため。シ空軍の同基地駐留は軍人110人,F4戦闘機8機。 |
DIA-205-1989-07-08-4 | フィリピン | 1989年07月08日 | 1980年代 | E・フーコ下院任命議員死去。 |
DIA-205-1989-07-13-1 | フィリピン | 1989年07月13日 | 1980年代 | 軍事法廷,ルパオ事件の24兵士に無罪判決-証拠不十分のため。兵士全員が陸軍第14歩兵大隊所属。 |
DIA-205-1989-07-14-1 | フィリピン | 1989年07月14日 | 1980年代 | メルカド与党院内総務が辞任-議運委員長も辞任。異性問題の噂で家族への配慮と,上院の威信を損ねないため。22日,ギンゴーナが院内総務就任に同意。 |
DIA-205-1989-07-16-1 | フィリピン | 1989年07月16日 | 1980年代 | マングラプス外相が公式訪ソ-(~20日)。17日,比ソ外相会議で1989~90年の両国間文化交流計画などに関する覚書調印。またカッシェフ対外経済関係相との間で経済・技術協力に関する協定調印。18日マ外相,在比米軍基地の2000年以前の撤収もありうると言明。 |
DIA-205-1989-07-17-1 | フィリピン | 1989年07月17日 | 1980年代 | 大統領,「ビッグ・バード作戦」を弁護-前週,在豪州の銀行家,Michael de Guzmanが下院公共特別委員会で証言:同作戦はクレディ・スイスのマルコス口座から2億1300万㌦をExport Finanzierungsbankの自分の口座に移管する計画で,マルコスの了解もとっており,比政府からの成功報酬は1000万㌦であった。ところが86年7月8日にサロンガPCGG委員長(当時),オルドネス検事総長(当時)が,スイス政府当局に対し比政府に直接返還するよう求めたことで,クレディ・スイスは口座を凍結してしまった。21日大統領,サロンガとオルドネスの助言に従い計画を中止したと言明。 |
DIA-205-1989-07-17-2 | フィリピン | 1989年07月17日 | 1980年代 | ソルンゴン知事にC. Arnedo副知事が昇格-J. Frivaldo前知事は米国籍のため最高裁判決で解任に。 |
DIA-205-1989-07-18-1 | フィリピン | 1989年07月18日 | 1980年代 | 7地主,1030ha分の農地価格が過大-農地改革省のVOS取引査察チームが発見し,サンチャゴ長官が検事総長に民事訴追を要請。同長官は記者会見で,現場の役人のリベート受領には厳罰を課すと発表。 |
DIA-205-1989-07-18-2 | フィリピン | 1989年07月18日 | 1980年代 | 検事総長,Sharp社の訴えを非難-S社が控訴裁判所に農地銀行の農地代金支払いを提訴したことで。 |
DIA-205-1989-07-19-1 | フィリピン | 1989年07月19日 | 1980年代 | 米軍基地労働者の労働協約に調印-年央ボーナスの75%引き上げ,ユニオンショップ制の導入など。 |
DIA-205-1989-07-19-2 | フィリピン | 1989年07月19日 | 1980年代 | 武器商人のカショーギを米司法当局に身柄引渡し-スイス当局。27日,保釈金1000万㌦で仮釈放に。 |
DIA-205-1989-07-19-3 | フィリピン | 1989年07月19日 | 1980年代 | 最高裁,包括農地改革法は合憲と判決-同法は違憲との地主の4訴訟に対し,全員一致で。 |
DIA-205-1989-07-21-1 | フィリピン | 1989年07月21日 | 1980年代 | 米価の上限設定で合意-コメ,トウモロコシ卸・小売り業者会議で。ドミンゲス農相の発表では,普通精米小売価格は1kg当り8ペソ,上等は9ペソが上限。 |
DIA-205-1989-07-23-1 | フィリピン | 1989年07月23日 | 1980年代 | NDF,再度和平交渉を提案-オカンポ同議長名の声明文が通信社に配布される。 |
DIA-205-1989-07-24-1 | フィリピン | 1989年07月24日 | 1980年代 | 第3通常議会が開会-大統領は一般教書演説で,(1)貧困の除去,(2)治安の改善,(3)政府の信頼回復,(4)社会正義の実現,(5)環境保護,を強調。 |
DIA-205-1989-07-25-1 | フィリピン | 1989年07月25日 | 1980年代 | フイコ前長官ほか50人を不正利得罪で起訴-オンブズマンの真相究明3人委員会の結論により。 |
DIA-205-1989-07-27-1 | フィリピン | 1989年07月27日 | 1980年代 | 軍当局,オカンポNDF議長の逮捕を発表-マカティ地区潜伏中を夫人のCarolina Malayとともに。 |
DIA-205-1989-07-31-1 | フィリピン | 1989年07月31日 | 1980年代 | PCGG委員長がイメルダ夫人と秘密会談-8月12日付けMC紙が報道。帰国条件の交渉で。 |
DIA-205-1989-08-01-1 | フィリピン | 1989年08月01日 | 1980年代 | ミンダナオ・イスラム教徒自治基本法が成立-RA6734号。同法は住民投票を経たうえで単一のイスラム教徒自治地域を設置するもので,その骨子は次のとおり。(1)公選制の自治地域協議会(議会に相当)が独自の予算案を審議・決定,(2)同自治地域の租税収入のうち60%を自治地域の行政機構が独自に使用する,(3)公選制の自治地域首長が同自治地域の行政権を行使する,(4)自治地域の家族,個人に関する訴訟はシセリア訴訟院が扱う,(5)英語,タガログ語以外にアラビア語による学校教育を実施する,(6)自治地域の防衛・外交などは中央政府が統轄する。11日MC紙:ミスワリMNLF議長は同法を拒否し,外交・金融・通貨自主権の盛り込みを要求。26日MB紙報道:OICは自治基本法を支持すると,Dr. Hammid Al. Gabid同事務局長が在リヤド比代理大使に言明。 |
DIA-205-1989-08-01-2 | フィリピン | 1989年08月01日 | 1980年代 | 立法・行政合同基地問題委員会が設置に-大統領が上下両院の合同決議に署名。上下両院の議員17人で構成され,米軍の一部,または全部撤収後の基地代替使用に関して総合的計画を策定する。 |
DIA-205-1989-08-01-3 | フィリピン | 1989年08月01日 | 1980年代 | 資産民営化トラスト,NMICの払下げで覚書調印-Cabarrusグループとの間で,Nonoc Mining and Industrial Corp.を総額65億ペソで。同グループは新会社Philippine Nickel Co.を設立の予定。 |
DIA-205-1989-08-02-1 | フィリピン | 1989年08月02日 | 1980年代 | 大統領,ブルネイ訪問-同国国王長子の成人式参列のため。ASEAN各国首脳が参加。 |
DIA-205-1989-08-03-1 | フィリピン | 1989年08月03日 | 1980年代 | フィリピン援助計画の新規融資は5億㌦のみ-上院フィリピン援助計画(PAP)特別委でのビリャヌエバPAP調整委員会委員長とパンテNEDA長官代行の証言をもとに,パテルノ同特別委委員長が結論:東京会議約束の35億㌦から,従来の年間約束額24億㌦および日本輸銀の債務削減融資の6億㌦を差引いた5億㌦が新規融資にあたる。 |
DIA-205-1989-08-03-2 | フィリピン | 1989年08月03日 | 1980年代 | 農地改革省,農地強制取得の全国的宣伝を開始-タルラクの50haを超える地主54人の農地1万1477haが皮切り。これは,政府主導価格で5ヵ月以内に取得予定のタルラク,リサール,ヌエバ・エシハ,北ダバオ,レイテの5州の優先目標,民有農地8万1241haの一部。 |
DIA-205-1989-08-04-1 | フィリピン | 1989年08月04日 | 1980年代 | サンチャゴ長官,急進派の農地改革計画を称賛-下院農地改革委で証言:現行包括農地改革法は不整合な点が多く,1988年にCPARが策定した人民農地改革法(PARCODE)を基礎に改正するよう要請する。 |
DIA-205-1989-08-04-2 | フィリピン | 1989年08月04日 | 1980年代 | シンガポール政府,米軍基地肩代わりを提案-ヨー外務担当国務相が国会で明らかにした。10日,マ比外相はシ政府提案を前向きに評価すると記者会見で言明。 |
DIA-205-1989-08-04-3 | フィリピン | 1989年08月04日 | 1980年代 | 国民発議・国民投票法が成立-RA6735号。憲法第6条32項,同17条2項の規定を受けて制定。国民発議に関しては,(1)憲法改正の発議,(2)法律の発案,(3)地方自治体(地方,州,市,町,バランガイ)条令の発案,(4)国民発議による法律,条令の発案の手続き,について規定。ただし憲法改正の発議は92年2月以降に可能で,5年ごとに1回のみ。国民投票に関しては,(1)法律の諾否の国民投票,(2)地方自治体の条令の諾否の国民投票,について規定。国民投票の請願は選挙委に登録。 |
DIA-205-1989-08-05-1 | フィリピン | 1989年08月05日 | 1980年代 | 強制取得の対象農地を特定する期限は12月31日-サンチャゴ長官が下院農地改革委員会で証言。先に同長官は9月30日がVOS取引の登録期限と決定。 |
DIA-205-1989-08-05-2 | フィリピン | 1989年08月05日 | 1980年代 | ミランダ広場事件への共産党の関与を否定-シソン共産党元委員長,これまでマルコスが指示したとされてきた同事件をめぐって,Gregg Jones著Red Revolutionが共産党の仕業としたのに対して,同事件により指導者が多数傷害を受けた自由党(LP)は71年当時,同党の味方であったからと。 |
DIA-205-1989-08-07-1 | フィリピン | 1989年08月07日 | 1980年代 | 最高裁判決,バギオ市長は外国人と認定-Ramon J. Labo市長は豪国籍で,副市長に職を譲れと判決。8日同市長,最高裁に再審を申し立て。 |
DIA-205-1989-08-07-2 | フィリピン | 1989年08月07日 | 1980年代 | 現政権初の国家安全保障会議開催-米軍撤収後の基地代替使用計画の早期策定,国軍の近代化で結論。 |
DIA-205-1989-08-07-3 | フィリピン | 1989年08月07日 | 1980年代 | 大統領,エスタニスラオをNEDA長官に任命-Jesus P. Estanislao. |
DIA-205-1989-08-09-1 | フィリピン | 1989年08月09日 | 1980年代 | イスラム教徒急進派7組織,自治基本法に反対-記者会見で同法は憲法違反,最高裁に訴えると言明。 |
DIA-205-1989-08-09-2 | フィリピン | 1989年08月09日 | 1980年代 | サントス自治長官,過大な報酬受領の疑い-外国援助による車両の目的外使用も。上院ブルー・リボン委,同長官と他の高官に1988年に受領した超過分の返還を要求。10日大統領,オンブズマンの「一応の証拠」提示があれば休職にすると言明。 |
DIA-205-1989-08-11-1 | フィリピン | 1989年08月11日 | 1980年代 | 米議員4人がアキノ大統領と会談-団長はP・シュレーダー下院軍事施設小委委員長。他にA・アイルランド,S・オーティス,F・スペンスの各下院議員。 |
DIA-205-1989-08-14-1 | フィリピン | 1989年08月14日 | 1980年代 | 大統領,NDFの和平交渉申し出を拒否-前月23日のNDF側の再度の和解交渉提案に対して。 |
DIA-205-1989-08-15-1 | フィリピン | 1989年08月15日 | 1980年代 | ダバオ市の刑務所で囚人暴動-13日発生の事件をめぐり,軍が強行策で鎮圧。銃撃戦で囚人16人,豪人の女性宣教師J. Hamilを含む人質5人が死亡。 |
DIA-205-1989-08-16-1 | フィリピン | 1989年08月16日 | 1980年代 | 比政府と銀行団,債務削減交渉で基本合意-(1)債務買戻し(デット・バイバック)による債務削減,(2)新規融資10億~12億㌦,比政府が銀行団に期間15年(8年据え置き)のドル建国債を発行,(3)金利引下げ,利率はLiborに0.8125%(現行は0.875%)上乗せ。 |
DIA-205-1989-08-19-1 | フィリピン | 1989年08月19日 | 1980年代 | デビーリャ参謀総長が訪米-(~9月2日)。軍事援助の早期実行を要請。訪米中はモンターニョ警察軍司令官が代行。 |
DIA-205-1989-08-19-2 | フィリピン | 1989年08月19日 | 1980年代 | 実業家のAlfredo Montelibanoが死去-83歳。 |
DIA-205-1989-08-20-1 | フィリピン | 1989年08月20日 | 1980年代 | 大統領府,ジープ購入の不正追求を拒否-上院はPC・INPが契約した車両150台の価格は不当に高いとしていた。 |
DIA-205-1989-08-21-1 | フィリピン | 1989年08月21日 | 1980年代 | 公務員給与標準化法が成立-RA6758号。国家公務員最低賃金は月額2000ペソ(現行900ペソ),国立学校教員は同3102ペソ(2464ペソ)。7月1日に遡及。 |
DIA-205-1989-08-21-2 | フィリピン | 1989年08月21日 | 1980年代 | AIPO第10回総会,マニラで開催-(~26日)。ASEAN議会間機構。ソ・中・加・豪・韓・日などの各国がオブザーバー参加。22日大統領が基調演説,ASEAN各国首脳が米軍基地問題を討議するよう要請。 |
DIA-205-1989-08-24-1 | フィリピン | 1989年08月24日 | 1980年代 | 株式分与の是非は農業労働者の意向を聞く-大統領,ルイシタ農園への農地改革法の適用で発言。 |
DIA-205-1989-08-27-1 | フィリピン | 1989年08月27日 | 1980年代 | 米下院防衛予算小委員会議員団が来訪-13議員。団長はJ・マーサ議員。28日大統領と会談。 |
DIA-205-1989-08-27-2 | フィリピン | 1989年08月27日 | 1980年代 | R・グータン議員,下院治安委員長を辞任-ミトラ議長が発表:高性能小銃の輸入で責任をとった。しかしR・ウニコ議員は防衛副委員長職にとどまる。26日,大統領,武器の焼却処分を命令。 |
DIA-205-1989-08-27-3 | フィリピン | 1989年08月27日 | 1980年代 | 司法長官,米軍兵士に対する比政府の裁判権を支持-比女性(当時14歳)に対する猥褻,脅迫,監禁の複合罪容疑の米海軍兵士が在比米軍軍事裁判で無罪となったことで,比米軍事基地協定第12条により比政府が軍事裁判に優先する裁判権を保持すると主張したもの。 |
DIA-205-1989-08-27-4 | フィリピン | 1989年08月27日 | 1980年代 | Rowe大佐殺害犯容疑の1人,ダバオで逮捕。 |
DIA-205-1989-08-29-1 | フィリピン | 1989年08月29日 | 1980年代 | 大統領,閣僚の兼職に警告-閣僚12人を含む政府高官57人がEO284号に違反し三つ以上の政府企業を兼職しているとのギンゴーナ上院議員の指摘に応えて。 |
DIA-205-1989-08-29-2 | フィリピン | 1989年08月29日 | 1980年代 | 最高裁,バルウェグCPLA司令官の逮捕命令-87年に部族の指導者を殺害した容疑。30日同司令官,最高裁には政治事件に裁判権なし,と反論。 |
DIA-205-1989-08-30-1 | フィリピン | 1989年08月30日 | 1980年代 | ブルネイが比に1億㌦の譲許的融資-比政府筋が明らかに。融資期間18年,金利3%になる模様。 |
DIA-205-1989-09-01-1 | フィリピン | 1989年09月01日 | 1980年代 | PCGG高官2人に身内の解任を勧告-公務員制度委員会の人事調査部長がカパラス委員長,ビリャリン委員に6ヵ月以内に身内の解職を勧告。さもなくば縁故主義禁止法適用と警告。5日大統領,PCGGの2人が任命した職務は最も信頼すべき人物の配属が必要であったと弁護。 |
DIA-205-1989-09-01-2 | フィリピン | 1989年09月01日 | 1980年代 | 農地地目転換は違法-サンチャゴ農地改革長官が上院金融委員会で農地改革の脱法行為となるため,と証言。フイコ前長官は88年省令15号でこれを認めていた。 |
DIA-205-1989-09-01-3 | フィリピン | 1989年09月01日 | 1980年代 | インフラ予算がタルラク州に集中-マセダ議員が調査を要求。同州は大統領と家族の出身地。 |
DIA-205-1989-09-01-4 | フィリピン | 1989年09月01日 | 1980年代 | 籾米買上げ予算に51億ペソ確保を-比農民組合が食糧庁の買上げ率を12.5%に拡大するよう要求。 |
DIA-205-1989-09-01-5 | フィリピン | 1989年09月01日 | 1980年代 | Rowe大佐殺害容疑でさらに5人を逮捕。 |
DIA-205-1989-09-01-6 | フィリピン | 1989年09月01日 | 1980年代 | ビコール地方の賭博に軍高官と地方役人が関与-マセダ議員が上院特別演説で,モンターニョ警察軍司令官は賭博の胴元から賄賂を受領した,またデビーリャ参謀総長は同地方での違法な賭博を停止しなかった,と非難。2日大統領,調査を命令。4日モンターニョ,上院ブルーリボン委で事実無根としてマセダ議員の辞任を要求。7日司法長官,同疑惑の大統領事実究明委員会の最初の証人はマセダ議員を喚問すると言明。 |
DIA-205-1989-09-01-7 | フィリピン | 1989年09月01日 | 1980年代 | 証券取引委員会のFilsyn取締役数削減を承認-現行15人を11人とする計画。先のAyala Corp.の例と異なり少数株主の利益を損なわないとして。 |
DIA-205-1989-09-02-1 | フィリピン | 1989年09月02日 | 1980年代 | ミトラ,LDP党首辞任の意向を表明-9月30日かぎりで大統領の従兄弟のE・タンファトコ副党首に譲りたい意向を表明。1月11日の下院議員による銃器150丁密輸問題以来,下院議員と閣僚との対立が高まり,両者の摩擦の深化に失望したため。 |
DIA-205-1989-09-04-1 | フィリピン | 1989年09月04日 | 1980年代 | 上院,ミランダ広場事件の調査へ-ブルーリボン委と人権委の合同委で開始。事件公式記録の不在が判明。 |
DIA-205-1989-09-04-2 | フィリピン | 1989年09月04日 | 1980年代 | 公特裁,Jolly Benitezの逮捕を命令-元居住環境次官。2月政変直後に出国し,最近密かに帰国したもの。保釈金10万ペソを支払わなかったため。 |
DIA-205-1989-09-04-3 | フィリピン | 1989年09月04日 | 1980年代 | 下院でミトラ支持決議文-LDPの70議員,2日のミトラ党首の辞意表明は陰謀の結果であるとして署名。6日,大統領が下院議員代表と会談。下院議員は5閣僚を強く非難。7日ミトラ,16日付けで党首辞任と発表。 |
DIA-205-1989-09-05-1 | フィリピン | 1989年09月05日 | 1980年代 | 立法・行政合同基地問題委員長にアブエバ-フィリピン大学(UP)総長を大統領が任命。副委員長はヤン外務次官。 |
DIA-205-1989-09-05-2 | フィリピン | 1989年09月05日 | 1980年代 | マニラ国際空港で銃314丁を押収-米国から帰国したデグスマン下院議員とパンパンガ州の実業家P. Datu名義の梱包に隠されていたもの。6日同議員,関与を全面否定。 |
DIA-205-1989-09-07-1 | フィリピン | 1989年09月07日 | 1980年代 | マルコス夫妻の裁判開始-不正資産隠匿事件36件が対象。最初の証言は税務査察官で,1963~84年の夫妻合算所得が1300万ペソであることに関して。 |
DIA-205-1989-09-07-2 | フィリピン | 1989年09月07日 | 1980年代 | 共産党の報告書,日本のODAへの攻撃を示唆-アキノ政権を支持する形で共産ゲリラの弾圧に加担していると位置付け,今後は米軍基地と同様攻撃対象とすると。 |
DIA-205-1989-09-07-3 | フィリピン | 1989年09月07日 | 1980年代 | 会計検査委,債務返済予算の自動承認制を批判-国家予算はすべて議会の承認が必要との意見を発表。 |
DIA-205-1989-09-07-4 | フィリピン | 1989年09月07日 | 1980年代 | マルコスのハワイのスポークスマン帰国-G. Trinidad。任務を辞任し,米国亡命を断念しての帰国。 |
DIA-205-1989-09-07-5 | フィリピン | 1989年09月07日 | 1980年代 | NDF,ディゴス事件で処罰を約束-MC紙報道。6月25日の虐殺事件に関し報道関係への8月21日付け声明文で,すでに調査を完了したとして。 |
DIA-205-1989-09-09-1 | フィリピン | 1989年09月09日 | 1980年代 | オスメーニャ議員,連邦制へ憲法改正運動開始-1992年までに憲法改正の発議に必要な300万人(全有権者の12%)を目標に署名を集める計画。 |
DIA-205-1989-09-09-2 | フィリピン | 1989年09月09日 | 1980年代 | 選挙委,LDPの政党登録を承認-前年12月6日にPDP・ラバン(ピメンテル派)がLDPの政党登録に関し,PDP・ラバンとしてはラカス・ナン・バンサとの合併に同意しておらず,またLDPの党名はPDP・ラバンの単語の合成であると反対してきたもの。 |
DIA-205-1989-09-09-3 | フィリピン | 1989年09月09日 | 1980年代 | 国軍の2グループ,モンターニヨを支持-MB紙,1日のマセダ発言を巡って報道。Guardian Brotherhood(構成員12万人)言明:議会の特権を行使してPC・INPの全組織の廉直性を傷つけた。フィリピン人民の兵士(SFP)(報道では指導者はホナサン元中佐)言明:マセダは証拠もなく将校数人を非難した。 |
DIA-205-1989-09-12-1 | フィリピン | 1989年09月12日 | 1980年代 | 下院,デグスマン議員の休職60日を決議-倫理委の勧告に基づき,武器不正輸入容疑を治安紊乱行為として。14日下院防衛委某委員,武器密輸は警察軍情報担当高官が88年11月13日から現在までに輸入した銃800丁の一部と言明。25日パサイ市地方裁判所,銃器不法所持で同議員の逮捕命令。 |
DIA-205-1989-09-13-1 | フィリピン | 1989年09月13日 | 1980年代 | 台湾からASEAN投資使節団が来訪-(~15日)。団長は許勝発中華民国全国工業総会理事長ほか117人。マニラ到着後,比台互恵関係法の早期立法化等の10項目の提言を発表。14日,大統領と会談。 |
DIA-205-1989-09-14-1 | フィリピン | 1989年09月14日 | 1980年代 | 外務省,上院で審議中の基地禁止決議を非難-ヤン次官が上院外交委で証言:まだ基地協定の改定を排除する段階でなく,外交委で審議中の決議案601号(タニャーダ等3議員提案)は憲法の規定する範囲を超えている。また決議案605号(サロンガ議員提案)はより憲法に忠実である。 |
DIA-205-1989-09-14-2 | フィリピン | 1989年09月14日 | 1980年代 | 政府,金融機関から45億ペソを引揚げへ-マカライグ財務長官代行が言明。過剰流動性を吸収するため。一部政府企業の中銀への預金から20億ペソ,総合銀行(ユニバンク)の準備預金から16億ペソ,中央政府の7登録銀行への預金から9億ペソを吸収する。 |
DIA-205-1989-09-14-3 | フィリピン | 1989年09月14日 | 1980年代 | 最高裁,マルコスとその家族の帰国を禁止-票決は8対7。マルコスの帰国,その遺体の移送は国の利益と繁栄に重大な支障となるとして。 |
DIA-205-1989-09-16-1 | フィリピン | 1989年09月16日 | 1980年代 | LDP党首にゴンサレス上院議員を選出-同党創立1周年記念日の執行委員会で。MC紙によるとLDP議員数は,下院が159人,上院6人,全国の地方自治体首長の70%を占めている。 |
DIA-205-1989-09-16-2 | フィリピン | 1989年09月16日 | 1980年代 | 大統領,全省庁に10%の予算節約を指示-10月15日からの給与標準化計画による国家公務員,公立学校教員計170万人の給与引き上げの財源確保のため。 |
DIA-205-1989-09-17-1 | フィリピン | 1989年09月17日 | 1980年代 | 政府と銀行団が債務削減交渉で最終合意-(1)新規融資10億㌦は譲渡可能な比政府ドル建て国債の発行,(2)債務削減額は12~14億㌦で割引率は48~52%。 |
DIA-205-1989-09-22-1 | フィリピン | 1989年09月22日 | 1980年代 | 新基地協定の扱いで上下両院が対立-ミトラ下院議長は,国民投票-新協定調印-両院での批准,という段取りを言明。上院のサロンガ議長,エンリレ議員は憲法の規定にしたがい,新協定はまず上院が批准すべしと主張。 |
DIA-205-1989-09-23-1 | フィリピン | 1989年09月23日 | 1980年代 | ミンダナオで,住民投票延期の決議-キリスト教徒系住民支配地の知事,市長が会合,議会に自治基本法修正と投票延期を要請する決議案採択。24日付けMC紙:同法適用の13州中8州,9市中5市がキリスト教徒系支配地で,住民投票で同法不支持に回ろう。26日付けMC紙:キリスト教徒系支配地でイスラム教徒が反発し,自治基本法の反対に回ろう。 |
DIA-205-1989-09-26-1 | フィリピン | 1989年09月26日 | 1980年代 | クエール米副大統領来訪-(~28日)。27日大統領と会談。基地協定交渉の12月開始を要請するブッシュ親書を手渡し,また米軍基地の安全保障面,経済面での効果を強調。27日シン枢機卿,基地存続支持を言明。26日,米軍基地で働く米国民間人2人が伏撃で死亡。27日,マニラで学生等2000人の反米デモ,154人が逮捕。 |
DIA-205-1989-09-27-1 | フィリピン | 1989年09月27日 | 1980年代 | 在比米軍基地の共同使用案を検討中-『日本経済新聞』。立法・行政合同基地問題委が。クラーク米空軍基地の場合,(1)比軍が半年から1年以内に同基地に移転,(2)マニラの国際空港を同基地に移転,等。 |
DIA-205-1989-09-28-1 | フィリピン | 1989年09月28日 | 1980年代 | マルコス前大統領,ハワイで死去-心不全のためマニラ時間午後6時40分に。72歳。大統領,同日夜,哀悼の意を表する特別声明を発表。しかし遺体の帰国は認めず。29日,政府は覚書命令(MO)259号で全官庁の半旗掲揚を指示(10月1日まで)。 |
DIA-205-1989-10-01-1 | フィリピン | 1989年10月01日 | 1980年代 | 上院多数派,基地協定批准前の国民投票に反対-上院与党議員総会で20議員が意見一致。 |
DIA-205-1989-10-02-1 | フィリピン | 1989年10月02日 | 1980年代 | マルコスの遺体帰国で遺族が再審請求申し立て-マルコス一族の弁護団のトレンチーノ元外相,メンドーサ元法相,イニゲス元国民議会議長が最高裁に。4日マルコス派の再審提訴に対抗し,ラモス国防長官がマルコス派と極右グループによるアキノ大統領暗殺計画を暴露。27日最高裁,再審請求を却下。 |
DIA-205-1989-10-02-2 | フィリピン | 1989年10月02日 | 1980年代 | 銀行間:コールレートが平均54%に急上昇,一時は64%までに-経済政策覚書(MEP)による最初の目標数字の対象期間は9月25日~10月5日で,ベース・マネー上限の687億ペソは達成した。金融界筋が挙げる原因:(1)預金準備率の一本化の導入で,長期預金準備率が5日から17%(現行13%)になり,30億ペソが中銀に戻るため,(2)中銀が政府債券を売戻しコール市場から14億ペソを年利30~35%で調達したため,(3)商銀の多くが前週に財務証券を買過ぎ,資金繰りが苦しくなった。商銀の手持ちドル売却で中銀は今週すでに1億850万㌦を購入,(4)通貨当局が適切に対応できず,中銀の高利借入を促した。以上の結果,1㌦=21.93ペソとペソ高傾向である。 |
DIA-205-1989-10-02-3 | フィリピン | 1989年10月02日 | 1980年代 | 共産党幹部ら6人サンフアンで逮捕-Wilma Austria Tiamson中央委員等が隠れ家に潜伏中を。夫のBenito Tiamson(フィリピン共産党委員長)は逃走。 |
DIA-205-1989-10-06-1 | フィリピン | 1989年10月06日 | 1980年代 | 国防長官,米軍基地の段階的撤去を提案-同日付けMC紙。2月8日付け大統領宛政策提言を再度確認する形で協定の5~10年延長を提案。ラモス長官の持論は撤去完了は独立宣言100年記念の1998年が最適。 |
DIA-205-1989-10-06-2 | フィリピン | 1989年10月06日 | 1980年代 | 大統領,政府買い上げ米価引上げを発表-10月1日から1kg当り4.50ペソに(現行3.50ペソ)。 |
DIA-205-1989-10-06-3 | フィリピン | 1989年10月06日 | 1980年代 | サンチャゴ農地改革長官,辞表を提出-エンリレ,オスメーニャ両上院議員による同長官夫妻に対する汚職容疑攻撃と任命委承認の遅れとに抗議して。大統領は慰留の態度。18日任命委,同長官の任命を不承認。21日大統領,同長官を再任。 |
DIA-205-1989-10-07-1 | フィリピン | 1989年10月07日 | 1980年代 | 最高裁,比弁護士協会会長の選挙に無効判決-選挙は6月3日。過大な選挙費用,選挙違反が理由。Violeta C. Drilon会長(労相夫人)の当選は無効に。 |
DIA-205-1989-10-09-1 | フィリピン | 1989年10月09日 | 1980年代 | エルシャド・バングラデシュ大統領が来訪-(~12日)。10日,大統領と会談。両政府,1990年通商議定書に調印。 |
DIA-205-1989-10-09-2 | フィリピン | 1989年10月09日 | 1980年代 | マニラでMAI援助国第1回協議開催-(~10日)。21援助供与国,6国際金融機関が参加。援助吸収能力をめぐる論議が中心であった。 |
DIA-205-1989-10-09-3 | フィリピン | 1989年10月09日 | 1980年代 | Q・ドロマルPCGG委員が辞任-大統領が辞表を受理。不正行為汚職慣行禁止法違反容疑で公特裁により1年前から休職扱い中のもの。後任にMaximo Macaran元最高裁事務局長を任命。 |
DIA-205-1989-10-11-1 | フィリピン | 1989年10月11日 | 1980年代 | 債務救済策の最終案が明らかに-銀行団側は,(1)(ⅰ)総額10億㌦前後の新規融資(比政府が期間15年の債券を発行し銀行が購入,金利はLiborプラス0.8125%),(ⅱ)13億㌦を上限とする比政府による割引価格での買い戻し(50%引き),のいずれかに応ずる。(2)既存の中長期債権に対しても新規融資と同金利を適用。なお債権売却を選ぶ銀行は11月10日から90年1月3日までに売却を完了し,その後残った銀行が新規融資を実施。17日付けMC紙:ハイメ財務長官は,IMF,世銀,日本輸銀による16億㌦の債務削減計画用資金の払出しはIMF目標達成が条件,と言明。 |
DIA-205-1989-10-13-1 | フィリピン | 1989年10月13日 | 1980年代 | A・リム・マニラ西部地区警察署長,少将に昇格-大統領が発表。統合国家警察(INP)次長(作戦担当)を兼任。17日就任式。 |
DIA-205-1989-10-13-2 | フィリピン | 1989年10月13日 | 1980年代 | ハワイでマルコス前大統領の葬儀,15日同地埋葬。 |
DIA-205-1989-10-14-1 | フィリピン | 1989年10月14日 | 1980年代 | ルイシタ農園の農民投票は株式共有方式支持-(1)製糖工場,付設ゴルフ場を除く純農地4916haを全農民に分割譲渡,(2)純農地の地価相当分の全株式の3分の1を農民に無償で提供,の二者択一を問うもの。投票率84%,(1)が5100余票,(2)が130余票で株式共有方式が圧倒的多数で支持さる。しかしこれには,「農民の協同組合による集団所有」の選択は含まれておらず,一部農民はボイコットを呼びかけた。11月21日,大統領農地改革委員会(PARC)が投票結果を承認。 |
DIA-205-1989-10-15-1 | フィリピン | 1989年10月15日 | 1980年代 | 大統領,米軍基地存続に前向き発言-米ABCニュースとの単独会見で,「私が対米交渉に同意した事実は新協定の可能性を示している」と言明。また「新協定の調印後は,上院に批准案を提出する前に国民投票にかけることになろう」と語る。 |
DIA-205-1989-10-16-1 | フィリピン | 1989年10月16日 | 1980年代 | ギンゴーナ院内総務,日本に援助見直し要求-MC紙。記者会見で数字を挙げて非難。(1)1982~89年の海外経済協力基金(OECF)借款の成約総額16億㌦の60%が日本からの機器・材料・設備調達であった,また地域的にはルソン地方が64%,ビサヤ地方が24%,ミンダナオ地方が12%とルソン地方に集中していた,(2)1971~81年のOECF借款の契約52件,総額8億2100万㌦の70%が日本からの調達であった,(3)日本人コンサルタントに法外な高額給与を支払っている。 |
DIA-205-1989-10-17-1 | フィリピン | 1989年10月17日 | 1980年代 | モンソド,行政・立法合同債務委委員から解任-NEDA新長官が任命され新旧交替に。18日モンソド,同委員は職務上の任命ではないはずと主張。 |
DIA-205-1989-10-17-2 | フィリピン | 1989年10月17日 | 1980年代 | 農地改革農地の1989年末目標20万ha取得は可能-サンチャゴ長官が楽観的見通しを発表。 |
DIA-205-1989-10-18-1 | フィリピン | 1989年10月18日 | 1980年代 | PCGG,放送局RPN9の差押えに反対-17日にAPTが,同局はPNBに債務5億2500万ペソを不払いにつき差押えると発表したことに対して,今後悪意の第三者が同局を取得する可能性があるとして。23日APT,解決の可能性ありとして差押え先送りを決定。 |
DIA-205-1989-10-18-2 | フィリピン | 1989年10月18日 | 1980年代 | PCGG,Cocofed高官などを刑事告発すると発表-先に最高裁が同基金の融資した資産,機関,企業の政府による差押えを支持をしたことを受けて。ココナツ課徴金基金97億ペソに関わる背任行為,詐欺罪で,ダンディン・コファンコ,エンリレ,M・ロブレガド下院議員,R・デラクエスタ下院議員を含む。 |
DIA-205-1989-10-20-1 | フィリピン | 1989年10月20日 | 1980年代 | 上院,内務省法案を可決-SB463号。マセダ議員が主提案者,ピメンテル,サギサグ両議員が共同提案者に。同案では,(1)現行の自治省,国家警察委員会(NAPOLCOM),警察軍,統合国家警察は廃止,(2)新設の内務省の下に地方自治局,国家警察委員会,フィリピン国家警察(PNP),沿岸警備隊を置く,(3)警察軍,統合国家警察の将校,下士官は同法発効から12ヵ月以内に2階級特進で退任する。また警察軍の将軍は国軍の他の部隊に配属する。国軍に残ることを選択した警察軍将軍は新たに法律で設置予定の憲兵隊司令部(MPC)に配属の予定。22日ラモス国防長官,SB463号は警察軍将校を差別したと非難。 |
DIA-205-1989-10-20-2 | フィリピン | 1989年10月20日 | 1980年代 | 下院,基地協定国民投票法を可決-HB15113号。新協定調印後60日以内に,かつ上院に批准案が提出される前の国民投票実施を内容とするもの。 |
DIA-205-1989-10-20-3 | フィリピン | 1989年10月20日 | 1980年代 | 世論調査の結果は平等達成努力の必要性を示す-大統領,アテネオ・デ・マニラ大学が8月に実施した世論調査の結果,アキノ政権の支持率が58%と過去4年間で最低となったことにつき言明。 |
DIA-205-1989-10-20-4 | フィリピン | 1989年10月20日 | 1980年代 | アキノ,選挙不出馬を繰り返す-同日付けLos Angeles Times紙の会見記事で。 |
DIA-205-1989-10-21-1 | フィリピン | 1989年10月21日 | 1980年代 | マングラプス外相,極秘に台湾訪問-(~23日)。中華民国の連戦外交部長と会談。30日在比中国大使館,比台のいかなる公式接触にも反対と強く抗議。 |
DIA-205-1989-10-23-1 | フィリピン | 1989年10月23日 | 1980年代 | コルディリェーラ自治基本法が成立-成立後60~120日以内に住民投票で賛否を問い,反対の州・市は除外される。 |
DIA-205-1989-10-23-2 | フィリピン | 1989年10月23日 | 1980年代 | モンターニョ,内務省法で警察軍は動揺と注意喚起-警察軍上級将校400人(うち将軍23人)は,ホナサンのクーデター計画に引き込まれる可能性がある,と言明。J・アルクアス国家電気通信委員長は,政府が国軍の分裂を阻止できなければ,政権は3ヵ月以内に転覆されようと職権外の発言。11月14日,大統領,運輸通信長官にアルクアスの解任を命令。 |
DIA-205-1989-10-24-1 | フィリピン | 1989年10月24日 | 1980年代 | 北イロコスからマルコス忠誠派のデモが出発-マルコスの遺体帰国を要求し,マニラに向けて「公正を要求する国民行進」。指揮者はアバディーリャ北イロコス州副知事。11月3日ケソン市到着。 |
DIA-205-1989-10-24-2 | フィリピン | 1989年10月24日 | 1980年代 | スービク米軍基地の建築物,施設を比政府に移管-資産価値は24億㌦。米大使が比法相に目録手渡し。 |
DIA-205-1989-10-25-1 | フィリピン | 1989年10月25日 | 1980年代 | 農地地目転換の規定不在が工業団地計画に障害-MC紙報道。包括農地改革法は50haを超える農地の強制売却を規定しているが,地目転換には触れていない。現在工業用地への地目転換を申請中の計画は3件:(1)Ayala Land Inc.と三菱・川鉄グループのAyala-Laguna工業園区,(2)NDC・丸紅グループのFirst Cavite工業団地,(3)NDCと台湾グループのフィリピン科学園区。 |
DIA-205-1989-10-26-1 | フィリピン | 1989年10月26日 | 1980年代 | 警察軍下士官兵3万9000人が座込みスト計画-上級将校のPNP排除に反対し,今週全国規模で。 |
DIA-205-1989-10-26-2 | フィリピン | 1989年10月26日 | 1980年代 | 米軍基地反対の超党派議員,署名運動を開始-エストラーダ,タニャーダ上院議員,ギレゴ下院議員ら。 |
DIA-205-1989-10-27-1 | フィリピン | 1989年10月27日 | 1980年代 | 武装キリスト教徒,イスラム教徒に宣戦布告-MC紙報道。キリスト教徒革命部隊(CRF)が10月13日付け声明で,中部ミンダナオ4州のイスラム教徒分離主義ゲリラとの武力対決を宣言。同部隊は9月15日に旗揚げしたと言われ,自治基本法に反対の立場を明示。 |
DIA-205-1989-10-27-2 | フィリピン | 1989年10月27日 | 1980年代 | セブの警察軍将兵500人が抗議行動-国家警察設置に反対し,黒腕章,握り拳で示威行動。プラカード,横断幕も登場。 |
DIA-205-1989-10-27-3 | フィリピン | 1989年10月27日 | 1980年代 | 比で世界最大のホテル着工-タン・ユー・グループがマニラ湾沿いにAsia World Plaza Hotelを建設。 |
DIA-205-1989-10-28-1 | フィリピン | 1989年10月28日 | 1980年代 | 参謀総長,警察軍将兵の抗議行動の中止を命令-27日午後からクラメ基地で兵士が黒腕章着用を開始し,セブ市にも抗議行動が飛火したことで。 |
DIA-205-1989-10-28-2 | フィリピン | 1989年10月28日 | 1980年代 | 大統領,住民投票キャンペーンでミンダナオへ-コタバト市で投票ボイコットに警告。午後マニラに戻る。30日サンボアンガ市訪問,午後マニラに戻る。 |
DIA-205-1989-10-28-3 | フィリピン | 1989年10月28日 | 1980年代 | ロペス一族のABS・CBNへの権利主張を認める-最高裁判決で,同放送会社のロペス側への返還をめぐりアロヨ前官房長官の仲介による政府と同社の合意文書は有効と。 |
DIA-205-1989-10-30-1 | フィリピン | 1989年10月30日 | 1980年代 | 最高裁,バルウェグ神父の逮捕命令を取下げ-同人が最高裁に出廷し,司法の権威を認めたため。 |
DIA-205-1989-10-30-2 | フィリピン | 1989年10月30日 | 1980年代 | 大統領,再度の政府買上げ米価引上げに同意-農民団体と会談。1kg=5.0ペソに。今期乾季米で20億ペソの政府補助になり,農地改革基金からの流用を指示。 |
DIA-205-1989-10-30-3 | フィリピン | 1989年10月30日 | 1980年代 | 大統領の義兄Ricardo Baby Lopa,Sr.が死去-米国ダラスの病院で。63歳。新クロニーとの批判も。 |
DIA-205-1989-11-02-1 | フィリピン | 1989年11月02日 | 1980年代 | 西ネグロス州で平和・農地改革委員会発足-政府,民間で構成。平和的手段による農地改革実行が目的。 |
DIA-205-1989-11-02-2 | フィリピン | 1989年11月02日 | 1980年代 | 基地交渉の2特別チームが発足-予備会談交渉団はマングラプス外務長官が委員長兼事務局長,ベンソン保健長官が副委員長,F. Gacis国防次官,L. Cadayロサンゼルス総領事,R. Desuasido副検事総長の各委員の5人で構成。大統領基地問題委員会はマカライグ官房長官が委員長,ベンソンが副委員長に,他に委員9人で構成。 |
DIA-205-1989-11-03-1 | フィリピン | 1989年11月03日 | 1980年代 | マルコス派がマニラで集会-ケソン市中心部で2万5000人の大集会を開催し,ラウレル,エンリレが参加。集会後,数百人が規制を突破してEDSA通りに入り,クラメ基地前で警官隊と衝突。 |
DIA-205-1989-11-03-2 | フィリピン | 1989年11月03日 | 1980年代 | バリクバヤン(帰国移民)優遇法が成立-RA6758号。帰国移民に対する旅行税免除などの優遇措置。 |
DIA-205-1989-11-03-3 | フィリピン | 1989年11月03日 | 1980年代 | 米国の対比公的借款の返済繰延べ調印-マニラで米大使と財務長官が総額3億6220万㌦の10年間リスケの合意書に。5月のパリ・クラブ合意事項に基づくもので14ヵ国中最初の合意書調印。 |
DIA-205-1989-11-04-1 | フィリピン | 1989年11月04日 | 1980年代 | アキノ,加・米訪問に出発-(~13日)。6日カナダのトルドー首相と会談。9日ブッシュ大統領と会談。同日夕の歓迎夕食会で米大統領,対比援助拡大のため長期の安全保障協定が望ましいと発言。今回両国訪問の成果のうち援助関係:(1)カナダの5援助機関,総額1億2740万カナダ㌦の援助,借款に調印(8日)。(2)米開発協力局,フィリピン援助計画(PAP)最初の2500万㌦拠出に合意。米議会,PAPの2億㌦融資を承認(11日)。(3)世銀,6億500万㌦融資-(ⅰ)公衆保健衛生計画に7000万㌦,アンガット水資源合理化計画に4000万㌦,鉱業投融資計画に6500万㌦の計1億7500万㌦の借款契約,および(ⅱ)地方町村開発計画に4000万㌦,発電計画に3億9000万㌦の計4億3000万㌦の仮借款契約,に調印(9日)。(4)ニューヨーク証券取引所で「ファースト・フィリピン・ファンド」(国別投資信託)500万株(6000万㌦)上場(8日)。 |
DIA-205-1989-11-04-2 | フィリピン | 1989年11月04日 | 1980年代 | 経済界は米軍基地存続を支持-フィリピン商工会議所(PCCI)のO. Villadolid会長代行が言明。経済的利益の保護,安全保障の確保,地域の安定化のため。 |
DIA-205-1989-11-05-1 | フィリピン | 1989年11月05日 | 1980年代 | LP合同会議,自治基本法の住民投票を支持-住民投票は党派性がないとして,LP地方委員長,上下両院議員の総会において全会一致で決定。 |
DIA-205-1989-11-06-1 | フィリピン | 1989年11月06日 | 1980年代 | 私兵集団の増大に政府が懸念-モンターニョ警察軍司令官の国家治安評議会(NPOC)に対する報告では,全国に152の武装集団または私兵団が存在し構成員は7000人。政治家,経済人が支援している。うち5000人は高性能銃器で武装している。8日ミトラ,パトロンの政治家の名前を挙げよとモンターニョを非難。 |
DIA-205-1989-11-07-1 | フィリピン | 1989年11月07日 | 1980年代 | 89年は17台風により被害総額8億3145万ペソ-農業省,75年以来の最悪の事態となろうと予測。 |
DIA-205-1989-11-08-1 | フィリピン | 1989年11月08日 | 1980年代 | PARC,4億7000万ペソの流用を承認-食糧庁の米買上げ支持価格補助に。農業長官,買上げ米価は11月1日から12月31日まで1kg=5.0ペソと言明。 |
DIA-205-1989-11-08-2 | フィリピン | 1989年11月08日 | 1980年代 | NPCの豪コンサルタント2人がNPA伏撃で死亡-3人が負傷。北ラナオ州Baloi町Kalaganan村で。 |
DIA-205-1989-11-09-1 | フィリピン | 1989年11月09日 | 1980年代 | ラモス国防長官,下院のPNP法案支持を表明-退役軍人記念医療センターでの記者説明で3日付けの大統領宛勧告書を公表。上院の内務省法案に対する国防省,国軍,自治省の一致した批判として,次の4点をあげる。(1)内務省設置により大統領が直接警察を統制できなくなる,(2)内務省設置で新たな資金・人材の投入を要する,(3)沿岸警備隊は海軍の艦船,施設に依拠しており,独自の作戦はできない,(4)憲兵隊司令部新設を法律で規定することは,大統領の最高司令官としての権限を限定する悪例となる。 |
DIA-205-1989-11-09-2 | フィリピン | 1989年11月09日 | 1980年代 | 米買上げの補助で政府の赤字は11億4000万ペソに-1989年の政府買い上げは35万3000㌧。1kgにつき1~9月は2.54ペソ,10月は3.30ペソ,11~12月は3.91ペソの赤字。90年の政府買上げ予定は生産高の9%,87万8000㌧,赤字見込みは25億ペソに。10日カラゲ予算長官,政府補助は倉庫,精米機械に当てるべきだと非難。 |
DIA-205-1989-11-09-3 | フィリピン | 1989年11月09日 | 1980年代 | 陸上輸送は2ヵ月以内に危機的状況に-政府補助,非課税,輸入自由化の緊急措置が必要と,議会,民間が政府に警告。バス運輸業協会連盟では70年代半ばに1万6000台あったタクシーは6000台以下に減少,81年には5700台あったバスは2000台に減少した,としている。 |
DIA-205-1989-11-11-1 | フィリピン | 1989年11月11日 | 1980年代 | 投資委,外国企業の持分40%の規制緩和を発表-アルカンタラ商工次官が記者団に言明:投資委は拡大解釈を採り,上場企業は40%を超えた持分を認め,45%までとする。拡大解釈の対象から外されるのは憲法に規定された不動産,鉱業,銀行業,公益事業等である。 |
DIA-205-1989-11-12-1 | フィリピン | 1989年11月12日 | 1980年代 | 小売米価を引き上げるのは精米業者-ビノンドのコメ・ブローカー組合,比コメ・トウモロコシ協会連合(Confed)が釈明。先の政府の買上げ価格引上げに乗じConfedが小売価格を引上げたとの上院の非難に対して。 |
DIA-205-1989-11-14-1 | フィリピン | 1989年11月14日 | 1980年代 | マルコスのスイス隠し預金は5億㌦だけ-カパラスPCGG委員長が1ヵ月のスイス・アメリカ公式訪問の成果を記者団に説明。在ジュネーブのPCGG法律家の一致した推定額は5億㌦以下である。当初の政府推定額は50億~100億㌦。 |
DIA-205-1989-11-14-2 | フィリピン | 1989年11月14日 | 1980年代 | 大手コメ取引業者,小売価格凍結で政府と合意-Confed,農業省,商工省,食糧庁の各代表が調印。普通米は1kg当り8ペソ(現行は10.50ペソ),上質米は9ペソに。7月21日の合意の徹底をはかるため。 |
DIA-205-1989-11-14-3 | フィリピン | 1989年11月14日 | 1980年代 | J・アルクアス国家電気通信委員長,解任さる-10月23日参照。 |
DIA-205-1989-11-14-4 | フィリピン | 1989年11月14日 | 1980年代 | ファースト・フィリピン・ファンドは売れ行き好調-エスピリツ・フィリピン国立銀行頭取,売出枠を現行の9300万㌦から90年に15%増の1億700万㌦に拡大予定と言明。 |
DIA-205-1989-11-15-1 | フィリピン | 1989年11月15日 | 1980年代 | イスラム諸国会議の4ヵ国会議は投票に反対-ミンダナオの住民投票はトリポリ協定(1976年)に形式,内容ともに違反していると声明。 |
DIA-205-1989-11-15-2 | フィリピン | 1989年11月15日 | 1980年代 | PCGG,42億ペソの資産を回収-同委員会が報告。1986年から89年上半期までに。この間に農地改革計画の資金として15億ペソを国庫に繰入れたが,89年分の回収目標20億ペソは達成していない。 |
DIA-205-1989-11-16-1 | フィリピン | 1989年11月16日 | 1980年代 | 大統領,バシランで平和的な投票を呼びかけ-住民投票前の最終の選挙運動で,4000人の聴衆を前に演説。軍当局には中立的立場を維持するよう要請。 |
DIA-205-1989-11-17-1 | フィリピン | 1989年11月17日 | 1980年代 | MNLF,住民投票延期を要求-Abdullah Dugasan同戦線幹部が,政府に投票延期およびミスアリ同戦線議長との和平会談開始を要求し,政府が投票を強行すれば武力攻勢をかけると警告。 |
DIA-205-1989-11-19-1 | フィリピン | 1989年11月19日 | 1980年代 | ミンダナオ・イスラム教徒地区で住民投票実施-13州9市で,同地区の自治基本法の承認をめぐって。26日,選挙委員会が最終集計を発表。投票率は55.3%。自治基本法支持はタウィタウィ,南ラナオ,マギンダナオ,スルーの4州のみで,いずれもイスラム教徒が住民の多数を占める地域。MC紙は,経済的に遅れているだけでなく,通信,運輸が不十分,しかも相互に隣接していない地域であって,自治区として存立しうるか,危惧を表明している。 |
DIA-205-1989-11-20-1 | フィリピン | 1989年11月20日 | 1980年代 | 住民投票結果に各界が発言-ミトラ下院議長は,自治基本法は改正せずと言明。アキノ大統領は,国民の意思に従うが,ミスワリとの会談は拒否。野党はアキノの辞任,連邦制への移行を要求。 |
DIA-205-1989-11-20-2 | フィリピン | 1989年11月20日 | 1980年代 | 上院金融小委,軍のCAFGU増強要請を否決-1990年に7万7000人とする案を(現行は6万2000人)。 |
DIA-205-1989-11-20-3 | フィリピン | 1989年11月20日 | 1980年代 | コメの買い占め摘発に特別チーム編成さる-小売り米価安定のため。6省庁から構成され,1月1日から活動開始へ。 |
DIA-205-1989-11-21-1 | フィリピン | 1989年11月21日 | 1980年代 | ルソン島では90年夏まで電力危機が続く-国営電力会社社長が言明。アンガット・ダムの水位低下で。 |
DIA-205-1989-11-22-1 | フィリピン | 1989年11月22日 | 1980年代 | 第15回比経済人会議開催-(~24日)。外資誘致のための8項目の投資政策提言を採択。 |
DIA-205-1989-11-22-2 | フィリピン | 1989年11月22日 | 1980年代 | イスラム諸国会議,政府とMNLFとの仲介申し出-Hamid al-Gabid同会議事務局長が,両者に建設的対話を期待してと発表。 |
DIA-205-1989-11-25-1 | フィリピン | 1989年11月25日 | 1980年代 | エドワルド(ダンディン)・コファンコが帰国記者会見-ダンディンは1986年2月にマルコス一族とともに国外脱出していたもの。帰国日,帰国の方法は不明であるが,23日にミンダナオ経由で入国したとの12月21日付けMC紙報道がある。この日ケソン市の自宅でヘンリー・コファンコ(兄弟),メンドーサ元検事総長(弁護士)などの立ち会いのもとに帰国声明を発表:自分は政府等の資産を盗んだり違法に取得していない。根拠のない罪名は払拭できることを確信している。27日マ外相,ダンディン帰国の責任をとり辞任を申し出。アキノ大統領は慰留,事態の調査を指示。28日付けMB紙:ダンディンの旅券は,マ外相が香港に滞在中の10月26日に,ロサンゼルス総領事館で発行された。マルコス一族とクロニーの出国禁止を解除した8月18日付けPCGG書信に外務省末端がしたがった。 |
DIA-205-1989-11-27-1 | フィリピン | 1989年11月27日 | 1980年代 | ティーハンキー元最高裁長官,ニューヨークで死去-定年退官後に国連大使を勤めた。71歳。 |
DIA-205-1989-11-27-2 | フィリピン | 1989年11月27日 | 1980年代 | PCGG,ダンディンを刑事罰で公特裁に告訴-マルコスのダミーとしてBulletin Today Publishing Corp.とLiwayway Publishing Inc.の株式を取得した容疑で。PCGG,保釈金10万ペソを勧告。28日チャベス検事総長,ダンディンの資産は比国内だけで300億~340億ペソに達すると言明。29日大統領,検事総長にダンディンに対するすべての刑事告訴に自ら当たるよう命令。29日外務省内に調査委員会を発足。30日BW紙,PCGGが差押えたダンディンの支配する243社名を公表。 |
DIA-205-1989-11-27-3 | フィリピン | 1989年11月27日 | 1980年代 | 国家警察法の成立遅れる-MC紙報道。同法案の-本化作業のための下院の代表議員が未定のため,クリスマスの議会休会までには間に合わない。 |
DIA-205-1989-11-29-1 | フィリピン | 1989年11月29日 | 1980年代 | エネルギー統制委,石油製品値上げを承認-同日夜から発効。暫定的に9品目を1㍑当り平均94.5センタボ値上げ。30日労働団体,突如の値上げに反対し12月4日に全国ストを計画。12月3日,クーデター事件の騒ぎのためストは中止に。 |
DIA-205-1989-11-29-2 | フィリピン | 1989年11月29日 | 1980年代 | タガイタイの空軍通信基地襲撃さる-午後10時,(マニラ時間,以下同じ)陸軍レンジャー部隊13人が無線ケーブルを切断。 |
DIA-205-1989-11-30-1 | フィリピン | 1989年11月30日 | 1980年代 | クーデター計画が発覚,全軍が非常警戒体制に-午後10時45分,参謀総長が緊急記者会見して発表。 |
DIA-205-1989-12-01-1 | フィリピン | 1989年12月01日 | 1980年代 | 国軍反乱将兵が空軍施設などを襲撃,占拠-(午前0時~2時)国軍将兵約1500人がビリャモール基地,ニノイ・アキノ国際空港,国営・民営テレビ局など主要拠点を占拠。(4時24分)大統領,テレビで「政府軍は事態を完全に掌握」と声明。(6時15分)米政府,「政権が転覆すれば対比援助は停止」とアキノ政権支持の声明。(6時20分)反乱軍の戦闘機(T-28)3機が大統領府を爆撃,機銃掃尉。(10時15分~45分)反乱軍のヘリ,クラメ,アギナルド両基地を爆撃,クラメ基地司令部が炎上。(10時45分)米政府筋,「事態を深刻に受けとめている」と言明。(11時)アキノ大統領,プラット駐比米大使に電話で,反乱軍の支配する2空軍基地の上空警戒のため米軍機の出動を要請。(午後1時32分)米軍戦闘機F4ファントム2機が大統領府防衛と政府軍の地上作戦支援任務に出動。(5時)参謀総長,「政府軍がサングレー基地奪回」と発表。(9時30分)政府軍,国営テレビ局奪回。 |
DIA-205-1989-12-01-2 | フィリピン | 1989年12月01日 | 1980年代 | 米政府,在比米軍の出動をソ連政府に通告-2日付けWashington Post紙の報道。午後2時30分に電報でゴルバチョフ議長宛てに。 |
DIA-205-1989-12-02-1 | フィリピン | 1989年12月02日 | 1980年代 | 反乱軍がマカチ地区のビルに侵入し,銃撃戦に-陸軍スカウト・レンジャーの約500人が。 |
DIA-205-1989-12-02-2 | フィリピン | 1989年12月02日 | 1980年代 | エンリレ上院議員,大統領弾劾決議を提案と言明-反乱事件で米軍の支援を要請したのは憲法違反として。検事総長,大統領の行動は憲法の範囲内と反論。 |
DIA-205-1989-12-02-3 | フィリピン | 1989年12月02日 | 1980年代 | 大統領,反乱計画者,参加者,支持者の厳罰を言明-反乱に参加した上級将校15人の氏名を公表。 |
DIA-205-1989-12-03-1 | フィリピン | 1989年12月03日 | 1980年代 | 国防長官,反乱軍を鎮圧と発表-午後2時アギナルド基地周辺の反乱軍将兵約400人が投降。同深夜,陸軍第7師団の将兵約1000人が武装解除せずヌエバ・エシハ州マグサイサイ基地にトラックで帰営。 |
DIA-205-1989-12-03-2 | フィリピン | 1989年12月03日 | 1980年代 | アキノ・ガルマン事件の被告18人が逃亡-空軍司令官がMC紙に,1日の反乱軍のビリャモール基地攻撃中に拘置中の同基地から逃亡と語る。3日,同事件被告のモヒカ曹長が「肝臓ガン」で死亡。 |
DIA-205-1989-12-03-3 | フィリピン | 1989年12月03日 | 1980年代 | ラウレル副大統領,アキノの辞任を要求-ロンドン(1日は同地滞在)からの帰国途中に香港で記者団に言明。 |
DIA-205-1989-12-03-4 | フィリピン | 1989年12月03日 | 1980年代 | シン枢機卿,反乱軍将兵に投降を呼びかけ。 |
DIA-205-1989-12-03-5 | フィリピン | 1989年12月03日 | 1980年代 | ソニー,音響機器工場建設を無期延期に-『日本経済新聞』。ラグナ州カンルーバン地区に建設予定を。 |
DIA-205-1989-12-04-1 | フィリピン | 1989年12月04日 | 1980年代 | ニノイ・アキノ国際空港が再開-1日以来閉鎖されていたもの。 |
DIA-205-1989-12-05-1 | フィリピン | 1989年12月05日 | 1980年代 | NPが政府の米軍支援要請を非難-6日,比米基地協定廃止を求める政策転換方針を発表。 |
DIA-205-1989-12-05-2 | フィリピン | 1989年12月05日 | 1980年代 | 軍当局が反乱参加の将校34人の氏名を公表-うち27人が比士官学校卒業者。 |
DIA-205-1989-12-05-3 | フィリピン | 1989年12月05日 | 1980年代 | 大統領,首都圏での主要9品目の価格統制を指示-EO383号で小売米価など。有効期間は12月6~31日。飼料用トウモロコシ10万㌧,コメ5万㌧(輸入備蓄米20万㌧の一部)の輸入も承認。14日商工長官,小売業者61人を同EO違反で逮捕と言明。 |
DIA-205-1989-12-06-1 | フィリピン | 1989年12月06日 | 1980年代 | 早朝,7日午前0時までの停戦が成立-投降交渉開始さる。午前中にホテルから旅行者878人が退去。 |
DIA-205-1989-12-06-2 | フィリピン | 1989年12月06日 | 1980年代 | 大統領,全土に非常事態を宣言-午後4時30分。布告503号。13日同布告の実施指針をEO384号で布告。 |
DIA-205-1989-12-06-3 | フィリピン | 1989年12月06日 | 1980年代 | 反乱容疑で兵士15人を逮捕-5,6の両日で。投降した反乱兵士が1人3万ペソで雇われたと証言。 |
DIA-205-1989-12-07-1 | フィリピン | 1989年12月07日 | 1980年代 | マカチ地区の反乱軍将兵約400人が投降-午前7時,投降交渉が成立。反乱は事実上終結。 |
DIA-205-1989-12-07-2 | フィリピン | 1989年12月07日 | 1980年代 | 反乱事件調査(ダビデ)委員会が発足-委員長はヒラリオ・ダビデ(選挙委員長),委員はリカルド・ロムロ(マカチ・ビジネス・クラブ会長),デルフィン・ラザロ(ベンゲット社社長),カロリナ・エルナンデス(政治学者)の3人。 |
DIA-205-1989-12-07-3 | フィリピン | 1989年12月07日 | 1980年代 | 下院,家賃統制法案を上程-12月31日に失効する現行法(BP877号)を1992年12月31日まで延長。年間家賃値上げ上限は20%に。24日,両院で法案統一に。 |
DIA-205-1989-12-08-1 | フィリピン | 1989年12月08日 | 1980年代 | 軍当局は反乱将兵の軍事裁判での審理を提言-フロイレンド国軍渉外局長が。司法長官は普通裁判を主張。 |
DIA-205-1989-12-08-2 | フィリピン | 1989年12月08日 | 1980年代 | 「ラウレル,エンリレ,ダンディンが反乱に関与」-大統領が3人に国民への釈明を要求。EDSA通りの「平和女神像」完成記念式の10万人の群衆の前で演説。 |
DIA-205-1989-12-08-3 | フィリピン | 1989年12月08日 | 1980年代 | ブッシュ米大統領,アキノ政権支持を再表明-側近高官がアキノの政治的存続に疑念を示したのに応えて。 |
DIA-205-1989-12-09-1 | フィリピン | 1989年12月09日 | 1980年代 | セブの反乱軍も投降-午後2時,マクタン空軍基地を占拠中の反乱軍との投降交渉が合意に達する。投降反乱軍将兵は約400人。今回反乱事件は全面終息。 |
DIA-205-1989-12-09-2 | フィリピン | 1989年12月09日 | 1980年代 | 反乱計画の第2段階はミンダナオ独立-サントス自治長官が,逮捕した反乱軍大佐の所持した文書から判明したと言明。 |
DIA-205-1989-12-10-1 | フィリピン | 1989年12月10日 | 1980年代 | 大統領,ラウレルの地元バタンガス市に-反乱事件で死亡した政府軍のD. Atienza少佐の家族を弔問。 |
DIA-205-1989-12-11-1 | フィリピン | 1989年12月11日 | 1980年代 | 反乱事件の損失は274億ペソ-BW紙調査。 |
DIA-205-1989-12-11-2 | フィリピン | 1989年12月11日 | 1980年代 | 再開の証券取引所で暴落-11月29日に比べマニラ証券取引所で8.0%,マカチ同で9.2%の値下がり。13日までの3日間に両取引所平均では20%値下がり。 |
DIA-205-1989-12-11-3 | フィリピン | 1989年12月11日 | 1980年代 | 反乱参加者に総額5000万ペソの報酬か-ビアソン首都圏防衛軍司令官が明らかにした。事件の黒幕とみられる財界人から反乱側の将軍の1人に2500万ペソ,将校40人に220万ペソ,兵士2000人に3ヵ月分給与とボーナス1ヵ月分,2000万ペソが支払われた。 |
DIA-205-1989-12-11-4 | フィリピン | 1989年12月11日 | 1980年代 | スカウト・レンジャー部隊解体を提案-カカナンド陸軍司令官が,軍内のエリート主義の排除を目的に。 |
DIA-205-1989-12-12-1 | フィリピン | 1989年12月12日 | 1980年代 | 日本外務省,比への渡航自粛を解除-米政府は11日に解除。 |
DIA-205-1989-12-12-2 | フィリピン | 1989年12月12日 | 1980年代 | 農地改革省,地目転換を規定する省令を布告-修正1988年省令15号。賃借契約のない非農業地域は市・町の土地使用計画の枠内で地目転換可能。 |
DIA-205-1989-12-13-1 | フィリピン | 1989年12月13日 | 1980年代 | 比債務証券が46㌣に下落-BW紙報道:反乱事件前の1㌦当たり48~49㌣が。 |
DIA-205-1989-12-13-2 | フィリピン | 1989年12月13日 | 1980年代 | PNBが東京・ロンドンの上場先送りを決定-MC紙報道。ファースト・フィリピン・ファンドの上場開始時点を90年第1四半期から第2四半期に。反乱事件直後のニューヨーク証券取引所での価格は1株13.75㌦と堅調。 |
DIA-205-1989-12-13-3 | フィリピン | 1989年12月13日 | 1980年代 | 台湾投資家は,一時的に様子持ちの状態-在比台湾商工会議所の陳会頭が言明。 |
DIA-205-1989-12-13-4 | フィリピン | 1989年12月13日 | 1980年代 | 反乱事件の身柄拘置者は1665人,死者は98人-国防長官が記者説明で発表。将校163人,兵士1422人,拘置中の者80人。また死者は98人(民間人49人,軍人48人,警察官1人),負傷者516人(それぞれ187人,309人,20人)と発表。 |
DIA-205-1989-12-13-5 | フィリピン | 1989年12月13日 | 1980年代 | 大統領,公共バス,自動車部品の輸入緩和を承認。 |
DIA-205-1989-12-13-6 | フィリピン | 1989年12月13日 | 1980年代 | ペソ為替レートは5%安-年初の1㌦=21.334ペソが22.40~22.50ペソに。 |
DIA-205-1989-12-13-7 | フィリピン | 1989年12月13日 | 1980年代 | 閣議,反乱兵士は軍事裁判に付すと決定-普通裁判では保釈金で自由になる恐れがありと。14日司法長官,反乱支援の民間人は普通裁判で審理と言明。 |
DIA-205-1989-12-14-1 | フィリピン | 1989年12月14日 | 1980年代 | 「カラカラン20」法が成立-RA6810号,別名「地方バランガイ経営企業憲章」(CBBE)。被雇用者20人,資産50万ペソ以下の事業所は非課税に。 |
DIA-205-1989-12-14-2 | フィリピン | 1989年12月14日 | 1980年代 | フィリピン大学経済学部教官が経済改革案を提言-(1)直ちに着手すべき改革,(2)法制化・行政再編による改革,(3)長期的な構造改革,に分けて提示。 |
DIA-205-1989-12-14-3 | フィリピン | 1989年12月14日 | 1980年代 | 次のクーデターでは国軍部隊の30%が積極的に参加-カニエソ国家情報調整庁長官(NICA)が上院情報監理小委員会で証言。 |
DIA-205-1989-12-15-1 | フィリピン | 1989年12月15日 | 1980年代 | 国防長官,大統領に死刑存続を要請-12日付け大統領宛文書で,今回反乱事件には適用せず,反乱の強力な抑止策として死刑の必要性を述べる。 |
DIA-205-1989-12-15-2 | フィリピン | 1989年12月15日 | 1980年代 | 大統領に海部首相親書-日比友好議員連盟会長代理の山口敏夫元労相が手渡し。同政権への支持を約束。 |
DIA-205-1989-12-15-3 | フィリピン | 1989年12月15日 | 1980年代 | ミンダナオでクーデター警戒態勢に-政府転覆の第2段階決行を阻止するため,サンボアンガ市から戦闘経験のある海兵隊1個大隊をダバオ市に空輸。 |
DIA-205-1989-12-15-4 | フィリピン | 1989年12月15日 | 1980年代 | 比商工会議所が政府に経済改革の意見書を提出-5項目の行動計画を提言。 |
DIA-205-1989-12-15-5 | フィリピン | 1989年12月15日 | 1980年代 | 故マルコスに民事責任-米地方判事が1500万㌦の支払い命令。1981年6月に在米の反マルコスの活動家S. Domingo,G. Viernesの2人が比情報部員に射殺された事件の監督責任で。 |
DIA-205-1989-12-15-6 | フィリピン | 1989年12月15日 | 1980年代 | PCGG,130万スイス・フランを回収と発表-1854万ペソ相当。スイスからの初めての回収でマルコスおよびベネディクトの隠し資産の一部。PCGGは資産回収の突破口にと期待。 |
DIA-205-1989-12-17-1 | フィリピン | 1989年12月17日 | 1980年代 | A・ディマポロ下院議員が辞意を表明-ミンダナオ・イスラム教徒自治地域知事に立候補を予定。 |
DIA-205-1989-12-18-1 | フィリピン | 1989年12月18日 | 1980年代 | 農業省,ムロ網漁法の禁止を通達-BW紙。 |
DIA-205-1989-12-18-2 | フィリピン | 1989年12月18日 | 1980年代 | 上院国防委,国軍職務昇級法案を可決-SB911号。オスメーニャ議員が提案。4軍司令官職は中将(現行は少将)に昇格。5方面統合司令官職は少将(同准将)に,大統領警備隊(PSG)司令官職は准将(同大佐)に。 |
DIA-205-1989-12-18-3 | フィリピン | 1989年12月18日 | 1980年代 | 政府,アジア開銀と反乱事件後初の対比援助に調印-ハイメ財務長官が同行垂水総裁と。総額3億2200万㌦でMAIの一部。内訳は,電力整備計画1億6000万㌦,水道供給計画1億3000万㌦,山岳地帯低所得者層の生活向上計画3200万㌦。 |
DIA-205-1989-12-18-4 | フィリピン | 1989年12月18日 | 1980年代 | 警察軍・統合国家警察の将校36人を表彰-反乱事件に際し英雄的活躍をしたとして。 |
DIA-205-1989-12-19-1 | フィリピン | 1989年12月19日 | 1980年代 | ダビデ委員会,聴聞を開始-L・デラペーニャ証人(国家電気通信委員長)は,反乱軍がラジオ電波を使用したと語る。 |
DIA-205-1989-12-20-1 | フィリピン | 1989年12月20日 | 1980年代 | 非常大権法が成立-RA6826号。即日発効。上院の同法案(SB1388号)可決は11日。下院の可決(HB27675号)は14日。両院協議会で両法案を一本化。15日新民族主義者同盟(BAYAN)が,同法案は戒厳令布告に向けて事前の心理的効果を計算したものと非難。19日各院で採択。 |
DIA-205-1989-12-20-2 | フィリピン | 1989年12月20日 | 1980年代 | NEDAが反乱事件後の対策5項目を承認(1)各省庁間活動の調整,(2)EDSAの経験に学び輸送,低家賃住宅など民衆重視の政策,(3)不正摘発,裁判の迅速化などで価値と管理の新志向を実現,(4)農工業のバランスある発展(地方農工開発計画〔CAID〕の発足),(5)政府サービスの向上。 |
DIA-205-1989-12-20-3 | フィリピン | 1989年12月20日 | 1980年代 | 非常事態宣言の世論調査結果公表さる-MB紙。比情報部(PIA)が実施,回答者は全国の3211人。布告503号支持は64%,不支持は16%,未定10%,未回答10%。関心ありは84%,無関心は6%。同布告を認める理由:経済再建・物価統制が27%,安全保障が22%,政府計画目標達成が16%等。 |
DIA-205-1989-12-20-4 | フィリピン | 1989年12月20日 | 1980年代 | 政府・民間が合同タスク・フォース設置で合意-反政府勢力の宣伝に対抗したキャンペーンを張るため。 |
DIA-205-1989-12-20-5 | フィリピン | 1989年12月20日 | 1980年代 | 任命委,サンチャゴの農地改革長官任命を再度不承認。 |
DIA-205-1989-12-20-6 | フィリピン | 1989年12月20日 | 1980年代 | 軍当局,反乱参加将兵約170人の氏名の一部公表-将軍5人を含む。 |
DIA-205-1989-12-21-1 | フィリピン | 1989年12月21日 | 1980年代 | ソ連と合弁製靴工場建設で合意-MB紙。モスクワ靴試験工場と地元の製靴組合とで総額2000万㌦のプロジェクト。年間45万足を生産しソ連に輸出。 |
DIA-205-1989-12-21-2 | フィリピン | 1989年12月21日 | 1980年代 | 大統領が非常大権を初行使-MO270号。商工長官にセメントの適正配分権限を付与,60%を中小企業に。 |
DIA-205-1989-12-22-1 | フィリピン | 1989年12月22日 | 1980年代 | A・リム少将,国家捜査局長官に就任-PC・INP作戦副部長兼マニラ西部警察署長を退任し。 |
DIA-205-1989-12-22-2 | フィリピン | 1989年12月22日 | 1980年代 | イメルダ夫人が帰国の条件を提示-検事総長が言明:彼女が12月9日~12日に米連邦検察当局,在カリフォルニアの比政府検察当局と条件を提示し交渉したとのニューヨークからの報告を確認した。彼女は3月13日に詐欺横領罪でニューヨーク連裁に出廷が予定されている。彼女の選択のひとつは,罪を認め6~15億㌦を返還することである。 |
DIA-205-1989-12-22-3 | フィリピン | 1989年12月22日 | 1980年代 | 大統領,クリスマス・年末の96時間停戦を宣言-24日午前1時から26日午前1時まで,31日午前1時から1月2日午前1時まで。同時に全軍に警戒強化を命令。 |
DIA-205-1989-12-22-4 | フィリピン | 1989年12月22日 | 1980年代 | 議会,総額2328億ペソの1990年予算案を可決-26日政府は,同予算案がバタアン原発借款返済を禁止しており,国際機関への責務も検討の要ありと危惧表明。 |
DIA-205-1989-12-22-5 | フィリピン | 1989年12月22日 | 1980年代 | 大統領,上院の国軍反乱裁判法案に拒否権を行使-SB748号。国軍将兵を含む反乱参加者の裁判は普通裁判に戻し,文民統制の強化をはかる趣旨の法案。一方ダビデ委員会への罰則つき召喚状発行権付与を認めた反乱事件調査大統領委員会法案SB1391号は上院で可決。 |
DIA-205-1989-12-23-1 | フィリピン | 1989年12月23日 | 1980年代 | ダンディンが自分と家族の旅券無効措置に抗議-弁護士を通じて人権侵害であると。19日マングラプス外相を委員長とする調査委がダンディンへの旅券発効は間違いと結論し,旅券は無効になっていた。 |
DIA-205-1989-12-25-1 | フィリピン | 1989年12月25日 | 1980年代 | 共産党幹部のW. A. Tiamsonが逃亡-10月2日に逮捕されクラメ基地の拘置所に拘置中。 |
DIA-205-1989-12-26-1 | フィリピン | 1989年12月26日 | 1980年代 | 民営化委,Philsecoの売却を承認-比造船工業公社の民営化で資産民営化トラストが発表。まず政府融資の「債務の株式化」を経て株式を売却。 |
DIA-205-1989-12-26-2 | フィリピン | 1989年12月26日 | 1980年代 | 2人の退役将軍を反乱参加容疑で調査中-司法長官が言明:ブラウナー,エチェベリアの元准将で,証拠が固まり次第,普通裁判にかける。 |
DIA-205-1989-12-27-1 | フィリピン | 1989年12月27日 | 1980年代 | 大統領,物価統制延長を指示-1月31日まで。 |
DIA-205-1989-12-27-2 | フィリピン | 1989年12月27日 | 1980年代 | ダビデ委員会で4将校の証言は得られず-R・ゴホ中佐,C・デラ・ペーニャ少佐,F・ブラウナー少佐は同委に出席せず。コメンダトール准将(マクタン空軍基地占拠)は出席したが証言を拒否。 |
DIA-205-1989-12-27-3 | フィリピン | 1989年12月27日 | 1980年代 | ダビデ委員会の権限強化法案などは特別議会で審議-議会関係者が1月3日からの開催で合意。 |
DIA-205-1989-12-28-1 | フィリピン | 1989年12月28日 | 1980年代 | 国家捜査局がエンリレ議員を反乱罪で告発-ベラスコ元エネルギー相,ホナサンなど計5人も。リムNBI新長官のオルドネス司法長官宛て報告書では,12月1日にホナサン元中佐等反乱将兵約100人がエンリレの自宅にいた,とのホテル従業員3人の証言がある。リサール検察当局は1月10日に予備審問を予定と発表。 |
DIA-205-1989-12-28-2 | フィリピン | 1989年12月28日 | 1980年代 | モンソドNEDA元長官がダビデ委委員に就任。 |
DIA-205-1989-12-28-3 | フィリピン | 1989年12月28日 | 1980年代 | 債務買戻し資金5億6660万㌦を調達-レオン財務次官が発表。買戻し債務13億3700万㌦の50%6億6840万㌦の原資として,IMFの2億1460万㌦(債務削減融資1億2200万㌦,拡大信用供与第2回払出し9200万㌦),世銀の債務買戻し融資1億5000万㌦,日本輸銀の同協調融資1億700万㌦,米政府の経済支援基金(ESF)9500万㌦,計5億6600万㌦が調達された。不足分は各種の新規融資2億8550万㌦から流用された。すなわち,海外経済協力基金の世銀金融セクター融資との協調融資1億3880万㌦,世銀の経済復興融資3億㌦の第3回払出し9670万㌦,日本輸銀の経済復興融資5000万㌦である。 |
DIA-205-1989-12-29-1 | フィリピン | 1989年12月29日 | 1980年代 | 89年投資委員会承認は705億ペソに-アルカンタラ商工次官が発表。プロジェクト・ベ-ス,前年比128%増。 |
DIA-205-1989-12-30-1 | フィリピン | 1989年12月30日 | 1980年代 | カトリック教団が教書を発表-クーデターによる政権転覆に対する民衆の抵抗を呼びかけ,1月1日の世界平和祈日に読み上げ。 |
DIA-205-1989-12-30-2 | フィリピン | 1989年12月30日 | 1980年代 | 拘置者の面会は31日から48時間禁止に-参謀総長が安全保障上,反乱将校,共産ゲリラに適用と発表。 |
DIA-205-1989-12-31-1 | フィリピン | 1989年12月31日 | 1980年代 | アキノ政権,最大の内閣改造-新入閣7人,横すべり2人。留任11人。新設閣僚ポストは大統領行政調整官3人,大統領特別顧問(国家安全保障担当),大統領スポークスマン兼首席法律顧問。中銀総裁も更迭。1月2日宣誓式。ほかに中銀総裁は同月20日付け発令。(「参考資料」【1】参照) |