DIA-205-1990-01-01-1 | フィリピン | 1990年01月01日 | 1990年代 | 両院指導者,改憲協議会設置に合意―ミトラ下院議長提案で,大統領制から1院議院内閣制への移行および弱められた大統領府・行政府・両院の機能復活を検討。サロンガは懸念表明,ゴンサレスは反対。 |
DIA-205-1990-01-02-1 | フィリピン | 1990年01月02日 | 1990年代 | アキノ,家賃統制延長法に署名―RA第6828号。90年初~92年末に年間引上率を20%以下に制限。 |
DIA-205-1990-01-02-2 | フィリピン | 1990年01月02日 | 1990年代 | 軍,クーデター指導者15人に賞金―6人に各100万ペソ,残りは各50万ペソ。 |
DIA-205-1990-01-02-3 | フィリピン | 1990年01月02日 | 1990年代 | アキノ,自分の親族を特別待遇するな―改造内閣の初顔合せで。閣僚の資産・負債の公開も命令。 |
DIA-205-1990-01-03-1 | フィリピン | 1990年01月03日 | 1990年代 | 内閣クラスター制度を再編―EO第271号で大統領と内閣の諮問委員会が,意思決定の改善と促進のため。3年間で3度目。大統領調整システム設置EOも発行。 |
DIA-205-1990-01-03-2 | フィリピン | 1990年01月03日 | 1990年代 | 全ての銃器の新規登録を命令―NEMO第4号。 |
DIA-205-1990-01-03-3 | フィリピン | 1990年01月03日 | 1990年代 | 両院,クーデター調査委員会法可決―準司法権限を付与。5日アキノ,設置法(RA第6832号)に署名。 |
DIA-205-1990-01-03-4 | フィリピン | 1990年01月03日 | 1990年代 | ミトラ,議院内閣制移行は不可能―サロンガ上院議長の反対で提案について話すことは時間の無駄だ。 |
DIA-205-1990-01-03-5 | フィリピン | 1990年01月03日 | 1990年代 | 13.37億ドル債務買い戻し計画完了―ブラディ構想の実施第1号。53外銀から債務証書を50%割引で買戻し。 |
DIA-205-1990-01-03-6 | フィリピン | 1990年01月03日 | 1990年代 | SEC委員,外国企業のペソ借入れ包括規制主張―資本金の10%上限規制法案に関する証言で。 |
DIA-205-1990-01-04-1 | フィリピン | 1990年01月04日 | 1990年代 | 警察軍,ノブレ大佐の逮捕命令―元大統領警護隊参謀長。南アグサン州山中で約1000人の武装団を率いているという。11日再びクーデターを実行と警告。 |
DIA-205-1990-01-04-2 | フィリピン | 1990年01月04日 | 1990年代 | 陸軍司令官,違法命令上官の逮捕権限を認める―12月28日付けの2本の覚書で。 |
DIA-205-1990-01-04-3 | フィリピン | 1990年01月04日 | 1990年代 | アキノ,国防長官・総参謀長に全面信頼表明―新聞声明で。引き続き国軍のプロフェッショナリズムと憲法に対する忠誠を強化すると言明。 |
DIA-205-1990-01-04-4 | フィリピン | 1990年01月04日 | 1990年代 | スイス当局,2.6億ドルマルコス資産引渡に原則同意。 |
DIA-205-1990-01-05-1 | フィリピン | 1990年01月05日 | 1990年代 | 大統領府調整システム設置―アキノ。現業省庁の監督で大統領を補佐。3調整官は,閣僚で,NEDA(国家経済開発庁)メンバー。また,大統領府管理スタッフを閣僚に。EO第391号で閣僚数を22から26に増加。 |
DIA-205-1990-01-05-2 | フィリピン | 1990年01月05日 | 1990年代 | 米政府,比の一部地方旅行自粛を勧告―Samar,Sulu,Basilan,南ラナオ,Isabela,Kalinga Apayao等。 |
DIA-205-1990-01-06-1 | フィリピン | 1990年01月06日 | 1990年代 | 財務省,肥料補助廃止を決定―73年以降実施の5%関税補助。1月1日発効。 |
DIA-205-1990-01-08-1 | フィリピン | 1990年01月08日 | 1990年代 | カガヤン知事を反乱罪で告発―自治長官。取調のための60日停職命令を拒否すれば実力を行使と警告。 |
DIA-205-1990-01-08-2 | フィリピン | 1990年01月08日 | 1990年代 | NPA暗殺団,米軍人襲撃を警告―マリアノ・ガルシア旅団。米国のプレゼンスに反対する運動促進の一部として軍人と基地外パトロールの襲撃を始める。 |
DIA-205-1990-01-09-1 | フィリピン | 1990年01月09日 | 1990年代 | アキノ,政府・議会基地転用委員会設置。 |
DIA-205-1990-01-09-2 | フィリピン | 1990年01月09日 | 1990年代 | メトロポリタン・マニラ・オーソリティ設置―EO第392号。Metropolitan Manila Commissionに替え。 |
DIA-205-1990-01-10-1 | フィリピン | 1990年01月10日 | 1990年代 | クーデター参加取調軍人の43%を軍事法廷に起訴―国防長官発表。取調を受けた2559人の43%が軍法会議法で処罰され,1456人については取り下げ。 |
DIA-205-1990-01-10-2 | フィリピン | 1990年01月10日 | 1990年代 | NP下院議員,正副大統領の臨時選挙実施決議提出―ロブレス議員,下院決議第1633号。 |
DIA-205-1990-01-11-1 | フィリピン | 1990年01月11日 | 1990年代 | 電力料金引き上げ―8カ月にわたり引き上げ。kWh当り平均0.20ペソ。発電コストの上昇で。 |
DIA-205-1990-01-12-1 | フィリピン | 1990年01月12日 | 1990年代 | 日本政府,NGOに2.8万ドル無償供与―「TALA農業開発センター」に。対比NGO援助は初めて。 |
DIA-205-1990-01-13-1 | フィリピン | 1990年01月13日 | 1990年代 | アベニナ元准将,クーデターを準備中―連邦政府樹立のため。革命政府は1897年のマロロス憲法によって導かれる。アキノ追放に成功した場合に「民族革命連邦」を設立するようRAM(国軍改革運動)指導者達とマルコス忠誠派の説得に成功した。 |
DIA-205-1990-01-13-2 | フィリピン | 1990年01月13日 | 1990年代 | 軍,21将校を正式告発―12月クーデター参加で。 |
DIA-205-1990-01-13-3 | フィリピン | 1990年01月13日 | 1990年代 | アキノ,米国に89年合意の遵守を求める―基地予備交渉でマングラプス・シュルツ合意の2年間9.62億ドル援助約束を。米大使は先に,財政状況がタイトで「最善の努力」約束による支給はできない恐れあると示唆。 |
DIA-205-1990-01-14-1 | フィリピン | 1990年01月14日 | 1990年代 | 連邦制改憲の署名運動開始―“Pilipinas ’90”の主唱者オスメニャ上院議員。 |
DIA-205-1990-01-14-2 | フィリピン | 1990年01月14日 | 1990年代 | ビビッド元PC中佐を逮捕―クーデター指導者。 |
DIA-205-1990-01-15-1 | フィリピン | 1990年01月15日 | 1990年代 | ゴンサレス上院議員,基地交渉取消要求―もし米国が基地補償義務を尊重しないならば。 |
DIA-205-1990-01-15-2 | フィリピン | 1990年01月15日 | 1990年代 | 2大発電所故障で2日間停電―バタンガスとバタアンの発電所の故障でルソンの一部と首都圏で。 |
DIA-205-1990-01-16-1 | フィリピン | 1990年01月16日 | 1990年代 | アキノ,国軍の昇進制度を検討する―不満を聞き,政府支持を取りつける若手将校との一連の会談の第1号で保証。陸軍の大尉~少尉40人と。 |
DIA-205-1990-01-16-2 | フィリピン | 1990年01月16日 | 1990年代 | 商工長官,資本財関税10%引き下げ支持―輸出支援のため。両院の輸出法改正に関する3委員会公聴会で。 |
DIA-205-1990-01-16-3 | フィリピン | 1990年01月16日 | 1990年代 | ァキノ,米国に基地補償実行を要求する―今後2年内の実行を。予備交渉取消要求を間接的に拒否。米国務省,対比約束で米政府は最善を尽くすと発表。 |
DIA-205-1990-01-17-1 | フィリピン | 1990年01月17日 | 1990年代 | アキノ,カガヤン州知事の停職命令実行を指示―アギナルド知事は抵抗を表明。 |
DIA-205-1990-01-17-2 | フィリピン | 1990年01月17日 | 1990年代 | ルーカス元海軍中佐を逮捕―容疑者リストNo.4。 |
DIA-205-1990-01-18-1 | フィリピン | 1990年01月18日 | 1990年代 | 中国大使,台湾関係で警告―台湾関係法の承認は北京との友好関係を破壊する。フィリピン高官の台湾への私的旅行は一つの中国政策に違反すると批判。 |
DIA-205-1990-01-18-2 | フィリピン | 1990年01月18日 | 1990年代 | アギナルド知事,停職命令に同意―しかし約6000の支持者が州庁舎を囲み停職命令を執行できず。 |
DIA-205-1990-01-18-3 | フィリピン | 1990年01月18日 | 1990年代 | ゲーツ米大統領特使,アキノと会談―米大統領副補佐官。「アキノ大統領の下でのフィリピンの民主化の歩に引き続き強い支持」を表明するブッシュ大統領の親書を手渡した。20日アキノは米国が繰上げ大統領選挙を提案したとの報道を否定。 |
DIA-205-1990-01-19-1 | フィリピン | 1990年01月19日 | 1990年代 | メラルコ本社前で爆発―1ポンド爆弾。 |
DIA-205-1990-01-19-2 | フィリピン | 1990年01月19日 | 1990年代 | ソ連兵力のベトナム撤退は駐比米軍に影響―19日アキノを訪問したKolbe米下院議員。 |
DIA-205-1990-01-20-1 | フィリピン | 1990年01月20日 | 1990年代 | バルウェグ,自治地方住民投票を妨害しない―コルディレラ人民解放軍(CPLA)司令官。 |
DIA-205-1990-01-20-2 | フィリピン | 1990年01月20日 | 1990年代 | アギナルド知事,停職命令を実行―自治長官に州庁舎引き渡し,Vargas副知事が知事代行に就任。 |
DIA-205-1990-01-21-1 | フィリピン | 1990年01月21日 | 1990年代 | アキノ,軍の昇進促進を約束―定例テレビ番組で。若手将校,特に大尉から少佐への昇進勧告を促進。 |
DIA-205-1990-01-22-1 | フィリピン | 1990年01月22日 | 1990年代 | 公共事業省,給水量削減を命令―首都上下水道庁に。1日当たり25.5から22.5億リットルに。 |
DIA-205-1990-01-22-2 | フィリピン | 1990年01月22日 | 1990年代 | 旱魃で米の価格統制を首都外に拡大―NEMO第7号。食糧庁米7ペソ/kg,普通白米8ペソ。2月末まで有効。 |
DIA-205-1990-01-22-3 | フィリピン | 1990年01月22日 | 1990年代 | 外銀団,債務契級改訂に調印―公的部門再編契約および85年新規貸付契約の改訂。契約の条件を89年新規貸付契約の条件と揃えるため。 |
DIA-205-1990-01-22-4 | フィリピン | 1990年01月22日 | 1990年代 | DAR長官,NDC工業団地の転用承認を停止―小作農の窮状調査のため。国家開発会社のカビテ州事業。 |
DIA-205-1990-01-23-1 | フィリピン | 1990年01月23日 | 1990年代 | アキノ,全国的賃上げは実施しない―しかし,RA第6727号により地方・州別の賃上げは可能,地方3者賃金・生産性委員会(未設立)が決定する。 |
DIA-205-1990-01-23-2 | フィリピン | 1990年01月23日 | 1990年代 | バス・自動車・船舶の部品関税引き下げ―NEMO第8号。交通問題緩和に104品目を平均10%引き下げ。 |
DIA-205-1990-01-23-3 | フィリピン | 1990年01月23日 | 1990年代 | アキノ,海軍・海兵隊若手将校と会見―反乱問題対処のため海軍設備のリハビリ約束。 |
DIA-205-1990-01-23-4 | フィリピン | 1990年01月23日 | 1990年代 | アキノは米軍基地存続を支持―アリゾナで,Kolbe米下院議員(海外軍事建設小委員会委員長)。 |
DIA-205-1990-01-24-1 | フィリピン | 1990年01月24日 | 1990年代 | 中銀,輸出支払方式を自由化―1月9日付け回状1220号。対日本,インドネシア,台湾,香港,グアム。一覧払信用状以外の5方式を中銀の事前承認なしに。 |
DIA-205-1990-01-24-2 | フィリピン | 1990年01月24日 | 1990年代 | コファンコ家,農改に農地売却申し出―DAR発表。11月故Don Jose Cojuangco Sr.の相続人(代表Pedro,アキノの長兄)が任意売却申し出。1021ヘクタール。 |
DIA-205-1990-01-24-3 | フィリピン | 1990年01月24日 | 1990年代 | エンリレ等をPCGGに起訴―Lobregat下院議員とともにココナツ課徴金汚職で。コファンコも起訴済み。 |
DIA-205-1990-01-24-4 | フィリピン | 1990年01月24日 | 1990年代 | RAM・SFP,改革目標を公表―愛国革命同盟(RAM),フィリピン人民の兵士(SFP)。新憲法,「自由,公正な選挙」による実効ある政府,「団結した,信用ある,職業的な軍隊」。「本当に民族主義的な」フィリピン革命である1896年の「未完の革命」を継続する。 |
DIA-205-1990-01-25-1 | フィリピン | 1990年01月25日 | 1990年代 | ダバオ市USISに爆弾と銃撃―NPA容疑者。 |
DIA-205-1990-01-25-2 | フィリピン | 1990年01月25日 | 1990年代 | アキノ,貧困撲滅全面戦争を宣言―サマール総合開発計画開始。生計プロジェクト支援に3億ペソ支出。 |
DIA-205-1990-01-26-1 | フィリピン | 1990年01月26日 | 1990年代 | 旱魃による不足回避に米40万トン輸入勧告―省庁間タスクフォース,農業長官に。 |
DIA-205-1990-01-26-2 | フィリピン | 1990年01月26日 | 1990年代 | ECと経済協力協定に調印。 |
DIA-205-1990-01-26-3 | フィリピン | 1990年01月26日 | 1990年代 | 4上院議員,繰上げ大統領選挙決議案を提出―マセダ議員。92年5月11日から91年11月に早め,12月30日に就任式。全国選挙と地方選挙の分離実施も提案。共同提案者はA・アキノ,サギサグ,ヘレラ。 |
DIA-205-1990-01-27-1 | フィリピン | 1990年01月27日 | 1990年代 | アキノ,繰上げ選挙受け入れの用意―マセダ提案に。ただし決定は国民によってなされるべきだ。 |
DIA-205-1990-01-27-2 | フィリピン | 1990年01月27日 | 1990年代 | MILE,12バランガイを占拠―2000人のモロ独立解放戦線がコタバト州Pikitで。 |
DIA-205-1990-01-28-1 | フィリピン | 1990年01月28日 | 1990年代 | RAM,クーデター再実行の決意表明―時事通信マニラ支局に声明文。「アキノ大統領が任期を満了することは絶対にない」,「15~20年前には考えられなかった貧困に国民の大半がさいなまれる状況が続く限り,我々の革命は決して終わらない」,「アキノ大統領には改革を実行する政治的意思が欠けている」。 |
DIA-205-1990-01-28-2 | フィリピン | 1990年01月28日 | 1990年代 | 軍当局,RAM・SPFがクラメ基地襲撃を計画―26,27日に。中止されたが,理由は不明。 |
DIA-205-1990-01-28-3 | フィリピン | 1990年01月28日 | 1990年代 | 米軍,フィリピンを危険地域に分類―過去数カ月間米軍は域内の軍人による当地での休養・娯楽を禁止。 |
DIA-205-1990-01-28-4 | フィリピン | 1990年01月28日 | 1990年代 | クーデター指導者アベニナ准将を逮捕。 |
DIA-205-1990-01-29-1 | フィリピン | 1990年01月29日 | 1990年代 | MNLF,日本企業にミンダナオ開発中止を要求―モロ民族解放戦線。「同島の木材,金鉱石や魚が住民に損害を与える形で日本に輸出されている」と非難。 |
DIA-205-1990-01-29-2 | フィリピン | 1990年01月29日 | 1990年代 | アキノ,繰上げ選挙を拒否―国民を国家建設というより重要な目標から逸らす。地方選挙日程の変更は賛成。サロンガ,ピメンテルら上院の多数とロコ下院議員は反対,エンリレ,ラウレル副大統領は実施を主張。 |
DIA-205-1990-01-29-3 | フィリピン | 1990年01月29日 | 1990年代 | 米,MAI残額の実行困難に―多国間援助構想に関するリチャードソン大統領特別代表。約束済みの2億ドルの残額4000万ドルの実施は困難だ。アキノは30日に,政府は全額供与の約束を守るよう強く要求する,と発言。 |
DIA-205-1990-01-30-1 | フィリピン | 1990年01月30日 | 1990年代 | 首都の軍・警が反乱警戒態勢に―2月に軍反徒がMM内の基地の攻撃を計画との諜報報告で。 |
DIA-205-1990-01-30-2 | フィリピン | 1990年01月30日 | 1990年代 | 米大使,アキノに繰上げ選挙実施の圧力を否定―声明発表。他方,経費削減計画の一部としてクラークとサンミゲル通信施設の人員削減計画を確認。 |
DIA-205-1990-01-30-3 | フィリピン | 1990年01月30日 | 1990年代 | サロンガ,下院の改憲検討案審議に合意―議院内閣制提案に熱心でないが,提案検討の5人委員会を任命。上院は憲法修正が農地改革,外国基地禁止等「進歩的条項」の廃棄を可能にすることを懸念。ロコ下院議員は地方選挙を93年2月16日に変更する法案を提出。 |
DIA-205-1990-02-01-1 | フィリピン | 1990年02月01日 | 1990年代 | サロンガ,改憲・繰上げ選挙を拒否―憲法修正は緊急な必要があり,目的達成の手段がない場合にのみ支持される。地方選挙は法律で日程変更可能。また不安定化勢力の要求に屈することになる。他方,下院でも繰り上げ選挙反対が多数。 |
DIA-205-1990-02-01-2 | フィリピン | 1990年02月01日 | 1990年代 | アキノ,改憲に反対表明―主目的が選挙の日程をずらすことならば,憲法議会招集に反対する。 |
DIA-205-1990-02-01-3 | フィリピン | 1990年02月01日 | 1990年代 | 2月末まで7品目の物価統制延長―首都内。 |
DIA-205-1990-02-02-1 | フィリピン | 1990年02月02日 | 1990年代 | 米国はフィリピンに進攻しない―クラーク基地第13空軍広報部次長クリスト少佐。比米間に政治的抗争を造りだそうとする誤った憶測だ。 |
DIA-205-1990-02-02-2 | フィリピン | 1990年02月02日 | 1990年代 | 米議会,対比援助を9600万ドル削減―大統領基地委員会発表。90年約束額3.6億ドルに対し軍事援助計画(MAP)に1.4億ドル,経済支援資金(ESF)に1.24億ドル割当て。 |
DIA-205-1990-02-03-1 | フィリピン | 1990年02月03日 | 1990年代 | 農民団体,農地転用の即時停止を要求―全国農民最高協議会(Sanduguan)が。最近の農地改革長官,農業長官,デヘスス大統領補佐官との会談で。 |
DIA-205-1990-02-03-2 | フィリピン | 1990年02月03日 | 1990年代 | アキノ,首都に水道節約令。 |
DIA-205-1990-02-04-1 | フィリピン | 1990年02月04日 | 1990年代 | 政府軍,ミンダナオでNPAに攻勢―4~5日南サンボアンガ州山中で年次総会開催中のNPA急襲,NPA67人以上死亡。東ミサミスで訓練キャンプ攻撃。 |
DIA-205-1990-02-04-2 | フィリピン | 1990年02月04日 | 1990年代 | アキノ,米の輸入を承認―20万トン。 |
DIA-205-1990-02-05-1 | フィリピン | 1990年02月05日 | 1990年代 | アキノ,9月までに基地協定失効を通告―米の援助約束不履行に抗議して直ちに失効通告をすべしとの議員達の要求を拒否。 |
DIA-205-1990-02-06-1 | フィリピン | 1990年02月06日 | 1990年代 | 財務長官,世銀ローン投票棄権で米国に抗議―政府が要請していた3.9億ドルローンの最近の投票で米国だけが棄権したことに駐比大使を通じて抗議。 |
DIA-205-1990-02-06-2 | フィリピン | 1990年02月06日 | 1990年代 | 議会,投資政策の公聴会を開始―両院合同投資検討公聴委員会。 |
DIA-205-1990-02-07-1 | フィリピン | 1990年02月07日 | 1990年代 | RAM,米国の内政干渉に警告―米国は権益保護のため繰上げ大統領選挙要求の背後にいるとして。 |
DIA-205-1990-02-07-2 | フィリピン | 1990年02月07日 | 1990年代 | KMU,23ペソ賃上げ要求―5月1日運動。KMUはボイコットしたが,アキノと会談したTUCP(フィリピン労働組合会議)とLACCは賃金以外の調整パッケージ(物価統制,住宅,交通費補助等)提出,その推進で合意。 |
DIA-205-1990-02-07-3 | フィリピン | 1990年02月07日 | 1990年代 | アキノ,基地協定は91年9月に失効―終了通告は92年に出されねばならないとの米国政府の主張を拒否。失効1年前の90年9月16日までに終了を通告する。 |
DIA-205-1990-02-07-4 | フィリピン | 1990年02月07日 | 1990年代 | 米国,年内の基地交渉終結を希望―米大使館。基地協定失効時期に関する異なった解釈から生ずる恐れのある法的紛糾を避けるため。米側は92年失効を主張。 |
DIA-205-1990-02-08-1 | フィリピン | 1990年02月08日 | 1990年代 | 政府臨時雇10万人を常雇に―アキノ,共和国法6850号に署名。7年以上能率的な業務を提供してきた者。対象者6万3274人。無資格者(約5万人)は解雇。 |
DIA-205-1990-02-08-2 | フィリピン | 1990年02月08日 | 1990年代 | 総参謀長,第1スカウトレンジャー連隊の解散を承認―今月始めに。政府転覆を図る勢力に再び利用されるのを避けるため。隊員3000人は各地の陸軍部隊に分散配備された。約600人が12月クーデターに参加。 |
DIA-205-1990-02-08-3 | フィリピン | 1990年02月08日 | 1990年代 | アキノ,基地予備交渉は3月に開始。 |
DIA-205-1990-02-08-4 | フィリピン | 1990年02月08日 | 1990年代 | アキノ・下院,新税法審議見合わせで合意―下院議長との会談で,BIRが適切な税を適切な額徴収していると証明するまで。9日下院議長,BIRが40億ペソ未払い税徴収までアルコール等の税法案の審議凍結を決定。 |
DIA-205-1990-02-12-1 | フィリピン | 1990年02月12日 | 1990年代 | 通貨委,自動車部品の輸入自由化承認―15関税品目下の乗用車,トラック,実用車,オートバイの78以上の部品。補修部品需要の約80~90%が自由化。 |
DIA-205-1990-02-13-1 | フィリピン | 1990年02月13日 | 1990年代 | アキノ,北イロコスの指導者と会談―知事,約50人の市町長らと官邸で就任以降初めて。 |
DIA-205-1990-02-13-2 | フィリピン | 1990年02月13日 | 1990年代 | アキノ,米国防長官との会談拒否決定変えず―拒絶は侮辱ではない。今はラモス国防長官と問題を協議するのが最良だ。両国関係は依然強く,確固としている。 |
DIA-205-1990-02-13-3 | フィリピン | 1990年02月13日 | 1990年代 | ブッシュ大統領,アキノを非難―アキノは「太平洋における米国の重要なプレゼンスに関する認識をチェイニーから知ることができる」と苛立ちを明示。 |
DIA-205-1990-02-13-4 | フィリピン | 1990年02月13日 | 1990年代 | ミスアリ,3共和国への分裂を警告―イスラム会議機構(OIC)事務局長との会談で。自治要求を受け入れねば,MNLFは自治の戦いをエスカレートする。 |
DIA-205-1990-02-14-1 | フィリピン | 1990年02月14日 | 1990年代 | 農民団体,「農民7オーラム」結成に合意―3大農民組織が合意。Congress for People’s Agararian Reform(CPAR),自由農民連合(FFF),Sanduguan。 |
DIA-205-1990-02-15-1 | フィリピン | 1990年02月15日 | 1990年代 | マカティ証券取引所で爆発。 |
DIA-205-1990-02-15-2 | フィリピン | 1990年02月15日 | 1990年代 | 米国防長官,アジア駐留米軍の削減計画を発表―在比米軍は約1万6400人。クラーク基地には8500人。 |
DIA-205-1990-02-16-1 | フィリピン | 1990年02月16日 | 1990年代 | 下院,基地交渉停止決議を要求―192人中110人,援助約束実行まで。下院議長は審議阻止表明。 |
DIA-205-1990-02-16-2 | フィリピン | 1990年02月16日 | 1990年代 | サンチャゴ元農改長官,出馬を検討―決心がついたら記者会見を開く。現在汚職反対運動で全国遊説。 |
DIA-205-1990-02-17-1 | フィリピン | 1990年02月17日 | 1990年代 | NDF,基地交渉放棄終了通告,新和平交渉を呼びかけ―アキノ政権が91年までに米軍基地排除を発表するならば,一方的な停戦を宣言する,と再述。 |
DIA-205-1990-02-17-2 | フィリピン | 1990年02月17日 | 1990年代 | ミンダナオ自治地方知事・議会選挙を実施。 |
DIA-205-1990-02-19-1 | フィリピン | 1990年02月19日 | 1990年代 | 米国防長官,比からは2000人削減―ラモス国防長官と会談,政府筋によればスビック基地含む在比米軍を今後3年間に2000人程度削減する考えを正式に伝え,基地存続の希望強調,基地の比米共同使用を打診。 |
DIA-205-1990-02-19-2 | フィリピン | 1990年02月19日 | 1990年代 | ラモス国防長官が,基地共同使用を提案―米大使館発表の共同声明。「双方の経費節減と基地の最適利用」のためクラーク,スビックの共同使用を提案した。 |
DIA-205-1990-02-19-3 | フィリピン | 1990年02月19日 | 1990年代 | 米軍基地反対デモ。 |
DIA-205-1990-02-22-1 | フィリピン | 1990年02月22日 | 1990年代 | 外国商工会議所,外資比率緩和等を要請―第7回両院合同公聴会で意見書提出。外資40%制限の緩和,ネガティブ・リスト方式,インフラ開発促進,輸出登録要件の簡素化,「過剰産業」規制廃止等。 |
DIA-205-1990-02-22-2 | フィリピン | 1990年02月22日 | 1990年代 | 下院で,債務返済制限法案の客議要求―約100人の下院議員が,返済を輸出収入の15%以下に制限する法案の総会審議を要求する議長宛書簡に署名。 |
DIA-205-1990-02-26-1 | フィリピン | 1990年02月26日 | 1990年代 | 軍反徒,アキノを追放する―公開状で。そのために必要なあらゆることをすると言明。 |
DIA-205-1990-02-27-1 | フィリピン | 1990年02月27日 | 1990年代 | 日本4企業,カビテ工業団地から撤退。 |
DIA-205-1990-02-27-2 | フィリピン | 1990年02月27日 | 1990年代 | エンリレ上院議員を起訴・逮捕―12月反乱事件に関与した容疑で。 |
DIA-205-1990-02-28-1 | フィリピン | 1990年02月28日 | 1990年代 | 外銀団と7億ドル新規融資に調印―東京で,新債務戦略(ブレディ構想)を適用,89年10月合意の累積債務軽減策のうち,総額7億1000万ドルの新規融資に調印。80行が引き受け。 |
DIA-205-1990-02-28-2 | フィリピン | 1990年02月28日 | 1990年代 | アキノ,物統令を3月まで延長―NEMO3本。 |
DIA-205-1990-03-01-1 | フィリピン | 1990年03月01日 | 1990年代 | 中国と貿易協定に調印―90年に4億~4億5000万ドル。 |
DIA-205-1990-03-02-1 | フィリピン | 1990年03月02日 | 1990年代 | アキノ,台湾市民との経済関係を擁護―一つの中国政策に違反しないが,国家として台湾を政治的に承認すべきではない。議会の台湾関係法にコメント。 |
DIA-205-1990-03-02-2 | フィリピン | 1990年03月02日 | 1990年代 | 陸軍司令官交代―Cacanando少将からGuillermo G. Flores准将に。 |
DIA-205-1990-03-02-3 | フィリピン | 1990年03月02日 | 1990年代 | エンリレを再度ココナツ課徴金汚職で起訴―法務長官とPCGGが。E・コファンコ,ロブレガット下院議員,その他14人とともに。 |
DIA-205-1990-03-04-1 | フィリピン | 1990年03月04日 | 1990年代 | アキノ,アギナルド等の追及を命令―ツゲララオのホテルで反乱罪容疑の逮捕令状執行のため派遣された国軍民事関係部長フロレンド准将や自治長官等50数人が,アギナルド知事の率いる約600の武装支持者の人質にされ,政府部隊と銃撃戦,准将等人質15人が死亡。知事支持派の民兵ら約2000人が集結,地方官庁や空港を占拠,町全体が占領された形になった。 |
DIA-205-1990-03-05-1 | フィリピン | 1990年03月05日 | 1990年代 | 政府軍,アギナルドの部隊を打破―支持者236人を逮捕.しかし,アギナルドは依然逃亡中。7日政府軍はカガヤンの6町を奪回。 |
DIA-205-1990-03-06-1 | フィリピン | 1990年03月06日 | 1990年代 | LDP,再出馬ならアキノを全面支持―今年初めての「政治幹部会」でLDP下院議員150人が誓約。 |
DIA-205-1990-03-06-2 | フィリピン | 1990年03月06日 | 1990年代 | 最高裁,エンリレの保釈命令―保釈金10万ペソで。 |
DIA-205-1990-03-06-3 | フィリピン | 1990年03月06日 | 1990年代 | NDC団地農民,多数が転換を支持―教区司祭からなる諮問委員会がNDCとDARが認める125人の占有者と協議。3人欠席,94人賛成,28人が農地保持を支持。 |
DIA-205-1990-03-06-4 | フィリピン | 1990年03月06日 | 1990年代 | ベーカー国務長官,アキノ政権に強い支持表明―下院歳出小委員会で。安定と民主主義の継続は米国にとって重要。アキノは反徒に強い措置を取っており,クーデターの犠牲にならないであろう。 |
DIA-205-1990-03-06-5 | フィリピン | 1990年03月06日 | 1990年代 | ラウレル,コファンコと大統領選挙での連合に合意―原則的に。連合は,合法,非暴力,民主的な野党だ。 |
DIA-205-1990-03-06-6 | フィリピン | 1990年03月06日 | 1990年代 | 新海軍司令官を任命―Mariano Dumancas Jr.海軍准将。9日発効。前任のクナナン少将は4月1日退役。 |
DIA-205-1990-03-08-1 | フィリピン | 1990年03月08日 | 1990年代 | 基地予備交渉は4月18日に開始―外務長官。 |
DIA-205-1990-03-10-1 | フィリピン | 1990年03月10日 | 1990年代 | 町長連合は,ミトラを支持―レイエス会長。もし大統領が再選出馬しなければ。 |
DIA-205-1990-03-10-2 | フィリピン | 1990年03月10日 | 1990年代 | 通貨委,外国ローンの条件を緩和―満期10年以上から国際市場で一般的な満期,利率を認める。 |
DIA-205-1990-03-12-1 | フィリピン | 1990年03月12日 | 1990年代 | アキノ,NDC団地で妥協案を決定―農業継続を希望する農民に灌漑農地3ヘクタールを,転換に賛成の農民に迷惑補償料,宅地を供与および団地内で就職斡旋。 |
DIA-205-1990-03-13-1 | フィリピン | 1990年03月13日 | 1990年代 | PC司令官,NDFとRAMの戦術同盟を確認―モンターニョ少将。NDF幹部数人がアベニーナ准将と彼が捕まる1週間前に会った。 |
DIA-205-1990-03-13-2 | フィリピン | 1990年03月13日 | 1990年代 | エンリレ,92年大統領選に出馬の用意―ナショナリスタ党(NP)書記長。軍事評議会に決して入らない。自分に対する告発は捏造だ。党指名を受ける用意ある。 |
DIA-205-1990-03-16-1 | フィリピン | 1990年03月16日 | 1990年代 | 世銀,3.9億ドル電力開発ローン調印。 |
DIA-205-1990-03-16-2 | フィリピン | 1990年03月16日 | 1990年代 | エンリレにホナサン等隠匿で逮捕令状―12月1日にホナサンと100人の重武装兵をかくまった容疑。保釈金を払って直ちに保釈。また,首席検事はエンリレとマルコス政権のエリサルデ大統領補佐官を国軍のM-16ライフル2万丁を詐取した容疑でPCGGに起訴。 |
DIA-205-1990-03-20-1 | フィリピン | 1990年03月20日 | 1990年代 | 自治省,アギナルドの知事解任を決定―共和国に対する不忠誠のため。 |
DIA-205-1990-03-20-2 | フィリピン | 1990年03月20日 | 1990年代 | アキノ,50億ペソ新税制措置の可決を要請―ミトラ他12人の下院議員との会談で。財政赤字の抑制のため。 |
DIA-205-1990-03-21-1 | フィリピン | 1990年03月21日 | 1990年代 | ガリド准将証言,反乱に米軍人が関係―辞職した元南部ルソン司令部司令官。米国防情報局員と名乗る米空軍のマグレオ大佐が援助約束。 |
DIA-205-1990-03-22-1 | フィリピン | 1990年03月22日 | 1990年代 | 米大使館,反乱関与を否定―8月14目にプラット大使が自邸でクーデター陰謀者たちと会ったとの報告は事実ではない。法務長官はマグレオの存在を確認。 |
DIA-205-1990-03-23-1 | フィリピン | 1990年03月23日 | 1990年代 | 国軍,全土の警戒態勢を解除―状況は正常に復したとして。クーデター切迫との報告で89年11月に赤色警戒態勢実施,2月フィリピン士官学校卒業式後に青色警戒態勢(兵の半数は帰宅許可)に引き下げ。 |
DIA-205-1990-03-26-1 | フィリピン | 1990年03月26日 | 1990年代 | 中銀,預金準備率21%に引き上げ―商業銀行は現行20%から21%に,貯蓄銀行は14%から15%に,以後毎月1%引上げ9月26日に21%に。 |
DIA-205-1990-03-27-1 | フィリピン | 1990年03月27日 | 1990年代 | LDP,アバドDAR長官の任命拒否を決定―アバド発行の農地転用ガイドラインに反対。 |
DIA-205-1990-03-27-2 | フィリピン | 1990年03月27日 | 1990年代 | 漁民団体,ラグナ湖開発計画に反対声明―フィリピン全国漁民運動(PAMALAKAYA)。首都の水供給拡大のためラグナを貯水池に変える計画に。 |
DIA-205-1990-03-28-1 | フィリピン | 1990年03月28日 | 1990年代 | KMP,遊休・放棄地の占拠指令―議会任命委員会のアバドDAR長官承認7回無視と農改法発効前の転用を除外する農地転用申請ガイドライン承認で,政府は貧困大衆の福祉より地主の利益を忠実に保護と抗議。 |
DIA-205-1990-03-28-2 | フィリピン | 1990年03月28日 | 1990年代 | セメント28万トン輸入契約―これを含め今年は不足見込160万トンに対し136.4万トン輸入契約。 |
DIA-205-1990-03-28-3 | フィリピン | 1990年03月28日 | 1990年代 | 首都のトラック乗り入れ制限短縮―6~9と16~20時を6~8:30時と16:30~19:30時に。輸送業者の抗議で。 |
DIA-205-1990-03-29-1 | フィリピン | 1990年03月29日 | 1990年代 | 米,LPG,灯油の価格統制延長―4月末まで。 |
DIA-205-1990-03-30-1 | フィリピン | 1990年03月30日 | 1990年代 | 新PC-INP司令官にNazreno准将就任。 |
DIA-205-1990-03-31-1 | フィリピン | 1990年03月31日 | 1990年代 | RAM,当面クーデターはやらない―しかし,国防担当記者に配布された書簡で,「われわれは支配エリートの搾取から国民を最終的に自由にするために1986年の未完の革命を継続する」と言明。 |
DIA-205-1990-04-01-1 | フィリピン | 1990年04月01日 | 1990年代 | アキノ,農地転用新ガイドラインに署名―日付不明。適切な区域内では転用は以前より容易に。 |
DIA-205-1990-04-01-2 | フィリピン | 1990年04月01日 | 1990年代 | NPA,米軍人・日本援助関係者も攻撃目標に―キンタナール司令官。都市攻撃を拡大する,米軍部隊は短時間でもフィリピンに留まる権利はない。日本のODAプロジェクトは地方でわれわれの「大衆基盤」に敵対して使われている。日本政府にその停止を警告する。 |
DIA-205-1990-04-03-1 | フィリピン | 1990年04月03日 | 1990年代 | 政府,肥料輸入の5%補助を復活。 |
DIA-205-1990-04-03-2 | フィリピン | 1990年04月03日 | 1990年代 | 米大使館,マグレオの比滞在を確認―89年ガリド准将に会ったが,USDIA職員,米空軍大佐でもない. |
DIA-205-1990-04-04-1 | フィリピン | 1990年04月04日 | 1990年代 | アキノ・内閣,電力供給制援案を承認―100kW以上使用の政府・民間ビルは4月23日から5週連続月曜日に営業停止。この間カラヤアン貯水池に揚水。 |
DIA-205-1990-04-04-2 | フィリピン | 1990年04月04日 | 1990年代 | 任命委員会,DAR長官承認を審議せず―賛否両派とも多数を取れず。5日にアバド長官は辞表を提出。 |
DIA-205-1990-04-06-1 | フィリピン | 1990年04月06日 | 1990年代 | アキノ,DAR長官の辞表受理―再任,大統領農改調整補佐官,部門代表議員等への任命辞退の決意を尊重。これは農地改革の迅速な推進の後退を意味する。 |
DIA-205-1990-04-08-1 | フィリピン | 1990年04月08日 | 1990年代 | 反徒部隊,ビビッド元中佐を奪回―十数人の覆面の重武装集団が早朝マニラ市刑務所から。「YOU」(青年将校連合)が犯行声明。YOUは以前の声明で,12月反乱参加を認め,もし共産主義者がイデオロギーを放棄するなら,戦術的同盟を結んでもよいと述べた。 |
DIA-205-1990-04-09-1 | フィリピン | 1990年04月09日 | 1990年代 | パサイ市でNPAのNo.2等3人逮捕―総司令部参謀次長・共産党中央委Antonio L. Cabarao等。 |
DIA-205-1990-04-11-1 | フィリピン | 1990年04月11日 | 1990年代 | 米,アキノに強い支持と約束実施の最善努力を保証―ソロモン国務次官補,アキノ会談で伝達。外務長官との会談で,基地予備交渉の5月14日開始確認。 |
DIA-205-1990-04-13-1 | フィリピン | 1990年04月13日 | 1990年代 | YOU,英大使館に警告―政府軍に反撃訓練をしているイギリス人傭兵の即時帰国を要求。 |
DIA-205-1990-04-14-1 | フィリピン | 1990年04月14日 | 1990年代 | RAM,米国の介入に警告―もし内政に介入すれば,米当局は新たなベトナム型の戦争に直面しよう。 |
DIA-205-1990-04-16-1 | フィリピン | 1990年04月16日 | 1990年代 | アキノ,傭兵を強く否定―「イギリス軍チームが政府の要請で大統領警護隊(PSG)を訓練している」との事実を認めながらも,傭兵の存在は強く否定。 |
DIA-205-1990-04-16-2 | フィリピン | 1990年04月16日 | 1990年代 | ホナサン,新たなクーを準備中―16日公表のインタビューで。政府はわれわれに能力はないといっているが,いつでもテロリストになれ,どこでも爆破できる。政府が行儀良くなるまで,どんな形態であれ意義を持ち続ける。アキノは何ら新味ないと声明をはねつけた。 |
DIA-205-1990-04-19-1 | フィリピン | 1990年04月19日 | 1990年代 | アキノ,緊急権限の延長を要請―まず議会と協議するが。経済回復の努力を最適にするために。 |
DIA-205-1990-04-19-2 | フィリピン | 1990年04月19日 | 1990年代 | NPCの2火力発電機が故障―Bataan Ⅱ火力発電所(14万kW),20日Malaya Ⅰが。 |
DIA-205-1990-04-21-1 | フィリピン | 1990年04月21日 | 1990年代 | アキノ,水・電力不足の悪化に警告―環境を当然のことと受け取るべきではない。 |
DIA-205-1990-04-22-1 | フィリピン | 1990年04月22日 | 1990年代 | CPP幹部,RAMの権力奪取を批判―21日逮捕のパスカル中央委。政府転覆でCPPとRAMの同盟はありえない。RAMには「米軍基地,土地改革,社会的公平,富の公平な分配に関する明確な立場」がない。 |
DIA-205-1990-04-23-1 | フィリピン | 1990年04月23日 | 1990年代 | 週4日業務開始―首都の302ビルで月曜休業,8時~17時給電停止。3月以降に1日4時間給電停止。 |
DIA-205-1990-04-23-2 | フィリピン | 1990年04月23日 | 1990年代 | 政府機関,外国企業の国内借入制限に反対―自己資本の10%に制限の上院法案1276号にNEDAと財務省。 |
DIA-205-1990-04-23-3 | フィリピン | 1990年04月23日 | 1990年代 | NPA,革命運動は93年以後に勝利する―地方でNPAは人民戦争の攻勢段階にあり,首都の遊撃隊は軍・警分遣所に奇襲攻撃を掛けて兵隊を無力化した。 |
DIA-205-1990-04-25-1 | フィリピン | 1990年04月25日 | 1990年代 | アキノ・内閣,赤字220億ペソ削減提案承認―(1)一律3%輸入課徴金(EOで,歳入35億ペソ)。議会反対のアルコール等消費税の代案。(2)PCGGの資産売却促進で30億~40億ペソ。(3)徴税効率の引き上げ。 |
DIA-205-1990-04-26-1 | フィリピン | 1990年04月26日 | 1990年代 | BOI,カンルーバン工業団地プロジェクト承認―Carmelray Development Corp.(100%比人)。ラグナ州の440ヘクタール。労働集約,輸出指向の軽・中規模工業用。 |
DIA-205-1990-04-26-2 | フィリピン | 1990年04月26日 | 1990年代 | レクト等を反乱罪で起訴―ジャーナリストCecilio Aeillo,TVホストLito Gorospe。反乱幇助の武器違法所持でVicente Puyatも起訴。 |
DIA-205-1990-04-26-3 | フィリピン | 1990年04月26日 | 1990年代 | 国防長官,基地の10年段階的撤退を提唱―91年9月の期限切れ前からでも米比両国による共同使用を開始,期限切れ後10年をかけ米軍が段階的に撤退する。 |
DIA-205-1990-04-28-1 | フィリピン | 1990年04月28日 | 1990年代 | さらに2発電機故障―Malaya ⅠとⅡ火力発電機。28日現在の不足は52万kW。 |
DIA-205-1990-04-30-1 | フィリピン | 1990年04月30日 | 1990年代 | アキノ,米価統制を延長―全国的に。 |
DIA-205-1990-04-30-2 | フィリピン | 1990年04月30日 | 1990年代 | 日本輸銀,3億ドル世銀協調融資調印―銀行制度改革アンタイド・ローン。 |
DIA-205-1990-05-01-1 | フィリピン | 1990年05月01日 | 1990年代 | 国軍,反乱情報で厳戒態勢に―5月第2週に反乱計画あるとの情報で。 |
DIA-205-1990-05-01-2 | フィリピン | 1990年05月01日 | 1990年代 | アキノ,労働者に新給付―(1)社会保障給付の対象拡大,(2)大統領労働フォーラム設置,(3)新設の労働者生計基金に政府拠出等。TUCP,FFW,LMLC約5万人参加の労働日集会で。30ペソ賃上げ要求に言及せず。労働側,失望表明。他方KMU,政府職員の統一・承認・前進のための連合(COURAGE),フィリピン学生連盟(LFS)はLACC主催の別集会に参加。23ペソ賃金引き上げ,米軍基地撤去,本物の農地改革実施,政府の「全面戦争」停止を要求。11人の基地反対,賃上げ支持の上院議員が参加。 |
DIA-205-1990-05-02-1 | フィリピン | 1990年05月02日 | 1990年代 | アルコール等消費税に替え3%輸入課徴金―政府,議会の抵抗で方針を変更。 |
DIA-205-1990-05-02-2 | フィリピン | 1990年05月02日 | 1990年代 | アキノ,NDC工業団地問題は解決―農地保有を選んだ農民は24人。転用賛成農民は86人。 |
DIA-205-1990-05-03-1 | フィリピン | 1990年05月03日 | 1990年代 | アキノ,週4日営業規制を修正―スカット2号機の復旧で。需給をみて月曜停電を決める。7日から停電時間を全使用者について従来の1日4時間から2時間に短縮。5月21日から8月末まで1時間早める夏時間を実施。スーパー,デパートに営業時間の短縮を指示。 |
DIA-205-1990-05-03-2 | フィリピン | 1990年05月03日 | 1990年代 | 農民団体,NDC団地の処理非難デモ―DARに。KMP,FFF,Sanduguan。 |
DIA-205-1990-05-04-1 | フィリピン | 1990年05月04日 | 1990年代 | セメント会社の接収命令―NEMO第18号。供給・価格安定のため能力以下で操業中のContinental Cement Corp.。緊急権限による民間企業の接収は初めて。 |
DIA-205-1990-05-04-2 | フィリピン | 1990年05月04日 | 1990年代 | オロンガポ市で米軍曹殺害される―犯人不明。ここ13カ月間に軍関係者が殺害されたのは4人目。米軍当局,すべての米軍関係者の基地外休暇を取り消し。 |
DIA-205-1990-05-05-1 | フィリピン | 1990年05月05日 | 1990年代 | 政府,石油価格規制解除計画を策定―91年から。財政赤字削減が目標。 |
DIA-205-1990-05-07-1 | フィリピン | 1990年05月07日 | 1990年代 | 米国の銀行,政府に正式引渡―マルコス夫妻が不正取得資金の洗浄に使ったとされるCarifornia Overseas Bank。イメルダ裁判中の米地方裁での取引の一部。所有者R・ベネディクトに対する起訴を取り下げ。 |
DIA-205-1990-05-08-1 | フィリピン | 1990年05月08日 | 1990年代 | ホナサン,次のクーデターは成功する―前回の誤りの大部分は正した。米国の内政干渉に警告。 |
DIA-205-1990-05-08-2 | フィリピン | 1990年05月08日 | 1990年代 | 議会,石油価格スタンドバイ基金を可決―石油価格安定基金の赤字50億ペソ補填,現行石油価格を維持。 |
DIA-205-1990-05-08-3 | フィリピン | 1990年05月08日 | 1990年代 | アキノ,原発操業提案を拒否。 |
DIA-205-1990-05-09-1 | フィリピン | 1990年05月09日 | 1990年代 | 下院,外資土地保有緩和法案提出。 |
DIA-205-1990-05-10-1 | フィリピン | 1990年05月10日 | 1990年代 | 米国防次官,比基地代替の戦略拠点ない―ウオルホウィツ次官が上院軍事委員会で証言。 |
DIA-205-1990-05-10-2 | フィリピン | 1990年05月10日 | 1990年代 | ミンダナオ独立3組織,統一・調整協定に調印―ミンダナオ独立運動(MIM)が主導する3組織が「モロ民族ミンダナオ連邦共和国」設立のため3軍事司令部設置に合意。第1はSoldiers of the People of Mindando(Reuben R. Canoy),第2はMNLFのAlfatah Abubakar等のBangsamoro Forces(Bangsamoro Mujahideen),第3はDatu Mampatilan下の部族軍。RAMを代表するノブレ元大佐も協定に調印。3司令部の調整は7人から成る「ミンダナオ軍事評議会」(MMC)が行なう。 |
DIA-205-1990-05-10-3 | フィリピン | 1990年05月10日 | 1990年代 | タデオKMP委員長,詐欺事件で逮捕さる―最高裁が下級審判決を支持。86年にNFAが告発。NFAが委託した籾米100トンと空き袋を詐取した疑い。禁固18年。 |
DIA-205-1990-05-11-1 | フィリピン | 1990年05月11日 | 1990年代 | 下院外交委,台湾公式関係法案を拒否―北京の抗議で。 |
DIA-205-1990-05-14-1 | フィリピン | 1990年05月14日 | 1990年代 | 基地予備交渉開始―マングラプス外相は88年基地協定改定による,基地調達資材を米国製品に制限する米国法の比製品適用除外を含む補償パッケージの不足分2億2258万ドルの実行を要求。基地協定は91年9月16日に終了との比憲法の規定を強調。 |
DIA-205-1990-05-14-2 | フィリピン | 1990年05月14日 | 1990年代 | エンリレ,外国軍・基地の排除主張。 |
DIA-205-1990-05-14-3 | フィリピン | 1990年05月14日 | 1990年代 | 6トン以上トラックの首都入域時間制限開始。 |
DIA-205-1990-05-15-1 | フィリピン | 1990年05月15日 | 1990年代 | KMU,基地反対集会の暴力的排除を非難―基地は帝国主義の利益を助長する手段,労働者の搾取を準備するものだ。ボニファシオ広場に3000人,米大使館,中銀にデモ,学生約40人と労働者17人が逮捕された。 |
DIA-205-1990-05-15-2 | フィリピン | 1990年05月15日 | 1990年代 | 外相,比米基地協定終了を正式通告―米側スポークスマン:われわれはこれを受理する以外にないと思う。 |
DIA-205-1990-05-15-3 | フィリピン | 1990年05月15日 | 1990年代 | KMP,大地主所有地の占拠を開始する―特にミトラ,J・コファンコ等のLDP地主議員の所有地を。現在までに大部分は遊休地,放棄地の約7万ヘクタールを占拠。 |
DIA-205-1990-05-15-4 | フィリピン | 1990年05月15日 | 1990年代 | CPP中央委員容疑者逮捕―Edsel Sajor。 |
DIA-205-1990-05-16-1 | フィリピン | 1990年05月16日 | 1990年代 | 上院に90年7月全国選挙実施決議案―ロムロ,サギサグ議員。上院の非公開幹部会は却下。 |
DIA-205-1990-05-16-2 | フィリピン | 1990年05月16日 | 1990年代 | 基地交渉,補償未払い問題で行き詰まり―外相は未実施の概要を列挙,実行を要求。アーミタージュ米代表は怒りを含んで,現金登録機外交をしないと反論。 |
DIA-205-1990-05-16-3 | フィリピン | 1990年05月16日 | 1990年代 | 米大統領,在比基地必要ない―太平洋地域の米国の安全保障上。交渉失敗の場合の代替案を検討中。 |
DIA-205-1990-05-16-4 | フィリピン | 1990年05月16日 | 1990年代 | バス・タクシー輸入自由化命令―NEMO第22号。 |
DIA-205-1990-05-17-1 | フィリピン | 1990年05月17日 | 1990年代 | 労働省,地方3者賃金・生産性委員会招集開始。 |
DIA-205-1990-05-17-2 | フィリピン | 1990年05月17日 | 1990年代 | 米側,未実施補償の実施保証を拒否―こうした不足はないとして。米側:現時点では米国は91年9月16日を協定終了日として認めていない。比側:将来を話し合う前に,過去の勘定を清算せねばならない。 |
DIA-205-1990-05-18-1 | フィリピン | 1990年05月18日 | 1990年代 | 基地予備協議終了,本交渉実施で合意―「88年合意覚書の実施に関する問題の満足のいく解決に鑑み,両パネルは将来の米比関係の討議に移ることを決定した。」援助不履行問題では,西欧や米本土の軍縮で生じる余剰兵器で充当することで合意。経済援助基金や食料援助の穴埋め問題でも食い違いの解消に至った。 |
DIA-205-1990-05-20-1 | フィリピン | 1990年05月20日 | 1990年代 | NPA,次の目標は基地支持経済人―5月13日アンヘルス市で2人の米空軍兵士を殺害。 |
DIA-205-1990-05-21-1 | フィリピン | 1990年05月21日 | 1990年代 | YOU,極左右勢力と戦術的同盟の可能性―最近,スポークスマン:可能性は絶えずある。NPAは共産党と関係を断たねばならない。YOUとRAMが類似のアジェンダをもつ可能性はまだある。12月反乱である程度の協力があったが,YOUは別個の,独立のアイデンティティを維持している。RAMの方法論はクーデターだけだ。 |
DIA-205-1990-05-22-1 | フィリピン | 1990年05月22日 | 1990年代 | 上院議員,商工長官の一族企業優遇を非難―オスメニャ議員。 |
DIA-205-1990-05-24-1 | フィリピン | 1990年05月24日 | 1990年代 | 降雨開始,米増産の可能性―21日から西部,南部ミンダナオ除き。 |
DIA-205-1990-05-26-1 | フィリピン | 1990年05月26日 | 1990年代 | NPAの首都活動阻止に1800人の新PC旅団設立へ。 |
DIA-205-1990-05-26-2 | フィリピン | 1990年05月26日 | 1990年代 | 米国務省,フィリピン旅行で警告。 |
DIA-205-1990-05-26-3 | フィリピン | 1990年05月26日 | 1990年代 | YOU,テロ実旋で警告―特に政府の反乱反対運動に積極的に参加の経済人を殺害,負傷させると警告。 |
DIA-205-1990-05-27-1 | フィリピン | 1990年05月27日 | 1990年代 | YOU,ラモスは7月反乱を計画―米軍基地存続を保障するため米政府と共謀してアキノ外遊中に。 |
DIA-205-1990-05-28-1 | フィリピン | 1990年05月28日 | 1990年代 | 米大使館,2投資家に投資差し控え勧告―不安定な治安状況を理由に。 |
DIA-205-1990-05-28-2 | フィリピン | 1990年05月28日 | 1990年代 | 国軍,首都の24時間監視・パトロール開始―戦闘部隊投入。首都防衛司令部2大隊。PC特別行動部隊,PCハイウエイパトロール。既存の1.5万に約2000増強。 |
DIA-205-1990-05-29-1 | フィリピン | 1990年05月29日 | 1990年代 | オイスカ職員,西ネグロスで誘拐される―西ネグロス研修所長,水野文雄氏。 |
DIA-205-1990-05-29-2 | フィリピン | 1990年05月29日 | 1990年代 | ビコールの公民間企業がNPAに資金援助―マセダ上院議員,上院演説で。現地でNPAオルグから聴取。 |
DIA-205-1990-05-29-3 | フィリピン | 1990年05月29日 | 1990年代 | 世銀,LPCへの1億500万ドル投資を承認―IFCを通じて。 |
DIA-205-1990-05-29-4 | フィリピン | 1990年05月29日 | 1990年代 | RAM-SFPが新学期に合わせ騒乱活動計画―ビアソン参謀総長代理。独立記念日に合わせても。 |
DIA-205-1990-05-30-1 | フィリピン | 1990年05月30日 | 1990年代 | 政労使3者,産業平和協定調印―ECOP(比雇用者連盟),TUCP,LACC,FFW,PDMP(比労働者全国連合),WFTU(労働組合世界連盟,KMU同盟組織)。 |
DIA-205-1990-05-30-2 | フィリピン | 1990年05月30日 | 1990年代 | 米価統制を6月初から年末まで延長―NEMO第29号。また,NEMO第28号でGolden Taxi Co.の接収命令。 |
DIA-205-1990-06-01-1 | フィリピン | 1990年06月01日 | 1990年代 | 下院指導者,政府新税提案に反対―18措置の大部分。徴税強化,引締め,凍結資産の民営化を要求。 |
DIA-205-1990-06-01-2 | フィリピン | 1990年06月01日 | 1990年代 | 財務長官,租税・関税免除の廃止主張―上院で。廃止で関税局収入は1000億ペソに倍増。大部分新しい「クロニー資本家とビッグ・ビジネス」を優遇している。 |
DIA-205-1990-06-01-3 | フィリピン | 1990年06月01日 | 1990年代 | 国軍内にクー反対運動―国軍消息筋。RAM,YOUの脱退グループと見られ,5月29日この“Kawal Pilipino”は首都の基地にRAM,YOU批判のビラを撤いた。 |
DIA-205-1990-06-01-4 | フィリピン | 1990年06月01日 | 1990年代 | KBLとUNIDOがNPに合併―ラウレル発表。 |
DIA-205-1990-06-04-1 | フィリピン | 1990年06月04日 | 1990年代 | SEC委員長,BOIの廃止要求―規制は内外投資の流入を阻害し,巨額の歳入が失われた。 |
DIA-205-1990-06-04-2 | フィリピン | 1990年06月04日 | 1990年代 | 米軍,コープサンダー演習を縮小―4日オロンガポ市での米軍人殺害で基地内収容できる約850人に削減。1日から軍人,国防省職員,家族の基地外出を禁止。 |
DIA-205-1990-06-04-3 | フィリピン | 1990年06月04日 | 1990年代 | カネガル大統領,アキノと会談―政府,MNLFのOIC加盟阻止を要請。5日貿易・農業協定に調印。 |
DIA-205-1990-06-05-1 | フィリピン | 1990年06月05日 | 1990年代 | アキノ,アロヨPNB会長を解任―後任に法務長官任命。 |
DIA-205-1990-06-05-2 | フィリピン | 1990年06月05日 | 1990年代 | パテルノ,外資ネガティブ・リスト法案提出。 |
DIA-205-1990-06-05-3 | フィリピン | 1990年06月05日 | 1990年代 | 最高裁,殺人罪伴う反乱罪はない―エンリレ他22人に対する起訴は成立しない。反乱罪による起訴必要。 |
DIA-205-1990-06-05-4 | フィリピン | 1990年06月05日 | 1990年代 | CPP募集責任者を逮捕―CPPのNo.6,Antonio Tujan中央委員,全国大衆組織委員会委員長。 |
DIA-205-1990-06-06-1 | フィリピン | 1990年06月06日 | 1990年代 | 労働省に時差勤務制実施権限―NEMO第30号。勤務日数の決定権限も。 |
DIA-205-1990-06-06-2 | フィリピン | 1990年06月06日 | 1990年代 | 政府,財政改革6点パッケージ承認―90年。(1)石油補助金廃止,石油産業の規制解除。(2)一部の消費税,手数料,配当の引き上げ。(3)政府支出の計画見直しとその他の節約。(4)BIR,関税局の徴収増加,資産売却と民営化促進。(5)政府の財政運営の改善。 |
DIA-205-1990-06-07-1 | フィリピン | 1990年06月07日 | 1990年代 | 議会第4通常会期閉会―2法案可決。(1)アルコール飲料,タバコ消費税引き上げ法案。(2)Buildoperatie-transfer(BOT)法案。 |
DIA-205-1990-06-08-1 | フィリピン | 1990年06月08日 | 1990年代 | 非常事態権限法が失効。 |
DIA-205-1990-06-08-2 | フィリピン | 1990年06月08日 | 1990年代 | 地裁,エンリレ等に新逮捕令状発行―単なる反乱罪で。Rebecco,Panlilio,Brawner退役准将に。 |
DIA-205-1990-06-08-3 | フィリピン | 1990年06月08日 | 1990年代 | ラモス,YOUの中核指導者確認―PC中佐Victor Batac,大尉Washington Javier,同Diosdado Valerosc。 |
DIA-205-1990-06-09-1 | フィリピン | 1990年06月09日 | 1990年代 | E・コファンコ,経済回復に知識を役立てる―10日の55歳の誕生日を前に。 |
DIA-205-1990-06-09-2 | フィリピン | 1990年06月09日 | 1990年代 | ラウレル,野党は92年に唯一の統一候補出す―エンリレ,E・コファンコと大統領選挙で勢力合同に合意。 |
DIA-205-1990-06-10-1 | フィリピン | 1990年06月10日 | 1990年代 | 年内のPetron民営化予定を延期―Diokno予算次官。91年1月の石油価格規制解除に伴い必要に。 |
DIA-205-1990-06-12-1 | フィリピン | 1990年06月12日 | 1990年代 | アキノ,カビシグ運動開始―共同・連携の意。第92回独立式典で。人民の力を役立て,政府プログラム,プロジェクトの実施と社会・経済発展を促進する。大衆政治運動だが,政党ではない。運動は政党員を含むすべての関心のある人々に開かれている。 |
DIA-205-1990-06-12-2 | フィリピン | 1990年06月12日 | 1990年代 | アギナルド元知事,自首,保釈される―3月4日事件以降,支持者とともに潜伏。直後に知事解任された。 |
DIA-205-1990-06-14-1 | フィリピン | 1990年06月14日 | 1990年代 | 公務員特別裁判所,E・コファンコの逮捕命令―マルコスのダミーとしてBulletin Publishing Corp.の株式54%を保有していたとして。 |
DIA-205-1990-06-14-2 | フィリピン | 1990年06月14日 | 1990年代 | 議会指導者たち,カビシグ批判―マルコスのKBLに類似し,伝統的政治家を無視し,アキノ支持者を分極化させ,与党連合の存続に脅威として。 |
DIA-205-1990-06-14-3 | フィリピン | 1990年06月14日 | 1990年代 | アキノ,基地共同使用提案確認―共同使用取り決めは実際には米訪問時にラモス国防長官が現在でも採用できるものとしてチェイニー国防長官に提案した。 |
DIA-205-1990-06-15-1 | フィリピン | 1990年06月15日 | 1990年代 | CPP/NPA創立者の一人投降―Ruben Guevarra。 |
DIA-205-1990-06-16-1 | フィリピン | 1990年06月16日 | 1990年代 | 北朝鮮,対比国交の用意―CPP/NPAと関係を絶つ意思がある。比議会代表団に託された,達玄副首相・貿易相のアキノ宛公式書簡で。 |
DIA-205-1990-06-20-1 | フィリピン | 1990年06月20日 | 1990年代 | カビシグ全国調整センター・事務局を設立。 |
DIA-205-1990-06-20-2 | フィリピン | 1990年06月20日 | 1990年代 | 閣議,経済再活性化プログラム採択―商工省は保護主義継続を主張したが全閣僚は改革の必要で一致。石油産業の規制解除,金利引き下げ,貿易自由化,投資強化,輸出産業拡大,関税改革,保護主義の除去,免税特権の仰制,公営企業の民営化促進,公共部門の赤字仰制。 |
DIA-205-1990-06-20-3 | フィリピン | 1990年06月20日 | 1990年代 | 7月から石油価格規制を段階的に解除―アキノ。また経済改革の一部として関税を引き下げる。予算長官:7月から政府の石油価格支持基金は機能を停止する。 |
DIA-205-1990-06-22-1 | フィリピン | 1990年06月22日 | 1990年代 | ゴンサレス上院議員,アキノ側近を非難―「伝統的政治家を見くびり,大統領とその政治同盟者の間に楔を打ち込み,権力を取ろうとあらゆることをやろうとしている」マラカニャンのアキノ大統領周辺の「影のような」,しかし強力なグループを非難。24日訪米から帰国したミトラ下院議長も,影の小集団がカビシグを野心のために使っていると非難。 |
DIA-205-1990-06-22-2 | フィリピン | 1990年06月22日 | 1990年代 | IMF,経済実績レビュー開始―財務長官:IMFは新経済改革パッケージを受け入れた。残る主要問題は中銀損失の政府移転。すべての実績基準は満たされた。 |
DIA-205-1990-06-26-1 | フィリピン | 1990年06月26日 | 1990年代 | 米大使館,全平和部隊のマニラ帰任命令―261人。大使が先週末に命令。NPAがボランティア殺害を計画しているとの情報。 |
DIA-205-1990-06-30-1 | フィリピン | 1990年06月30日 | 1990年代 | GNP目標5.8%から4.8~5.2%に引き下げ。 |
DIA-205-1990-06-30-2 | フィリピン | 1990年06月30日 | 1990年代 | 大統領府,米平和部隊の引揚げに抗議―一方的な決定(28日)に。第1陣は29日ハワイに向に出国。 |
DIA-205-1990-07-01-1 | フィリピン | 1990年07月01日 | 1990年代 | ガスタービン発電機操業開始―7万kW,外資BOTの第1号。 |
DIA-205-1990-07-01-2 | フィリピン | 1990年07月01日 | 1990年代 | IMFと改定計画に合意―29日交渉終了。改定目標:(1)GNP成長率,90年6.5%から4.8~5.2%に改定。(2)90年の公的部門赤字を当初目標の330億ペソから400億ペソに増額。(3)インフレを年末までに9.5%に引き下げ。(4)外貨準備を年末までに2.4カ月分,31億ドルに増やす。財務長官:IMFの正式承認は,9月までに見込まれる。貿易と投資体制改善措置の開始に合意した。 |
DIA-205-1990-07-01-3 | フィリピン | 1990年07月01日 | 1990年代 | 米平和部隊員,西ネグロスで誘拐される―Timothy Swanson。6月13日にシライ市山中の僻村で。 |
DIA-205-1990-07-02-1 | フィリピン | 1990年07月02日 | 1990年代 | 電力事情改善,企業フル操業開始へ―ガスタービン発電機運転開始と雨期開始による水力発電の回復で,NPCが停電の解消を保証。 |
DIA-205-1990-07-02-2 | フィリピン | 1990年07月02日 | 1990年代 | アキノ,92年不出馬の立場変わらない―カビシング発足後の憶測に対して。シン枢機卿がカリフォルニアで,アキノ再出馬を望んでいると発言,憶測が再燃。 |
DIA-205-1990-07-02-3 | フィリピン | 1990年07月02日 | 1990年代 | ニューヨーク連邦地裁,イメルダに無罪判決―比政府告発の2億ドル不正取得事件,証拠不十分として。 |
DIA-205-1990-07-03-1 | フィリピン | 1990年07月03日 | 1990年代 | エンリレ,共産党の合法化主張。 |
DIA-205-1990-07-04-1 | フィリピン | 1990年07月04日 | 1990年代 | 内閣,91年国家予算を承認―2474億ペソ。 |
DIA-205-1990-07-04-2 | フィリピン | 1990年07月04日 | 1990年代 | 選管,ムスリム自治地方の知事当選発表―与党候補Zacaria A. Candao,副知事Benjamin T. Loong。 |
DIA-205-1990-07-04-3 | フィリピン | 1990年07月04日 | 1990年代 | LDP,カビシグ支持を約束―アキノとの会談で。また,イメルダ帰国禁止継続の決定を支持。 |
DIA-205-1990-07-05-1 | フィリピン | 1990年07月05日 | 1990年代 | アキノ,債務返済制限法案を再度拒否。 |
DIA-205-1990-07-05-2 | フィリピン | 1990年07月05日 | 1990年代 | 下院議員,カビシグ支持で合意―ミトラ等各党代表。実施に関する3条件で合意。(1)議会承認の公金使用には知事・市町長が参加すること。(2)参加NGOは政治家や政治的動機を持った人物を阻止するため審査されること。(3)新たな官僚機構は作らない。 |
DIA-205-1990-07-07-1 | フィリピン | 1990年07月07日 | 1990年代 | 忠誠派,イメルダ帰国許可要求集会―ルネタ公園で数千人参加。 |
DIA-205-1990-07-09-1 | フィリピン | 1990年07月09日 | 1990年代 | アキノ,BOT法に署名。 |
DIA-205-1990-07-10-1 | フィリピン | 1990年07月10日 | 1990年代 | 上院憲法修正委員会,一院議院内閣制公聴会。 |
DIA-205-1990-07-10-2 | フィリピン | 1990年07月10日 | 1990年代 | 人口政策で,教会に分裂―休止状態の人口計画を社会福祉省から移し予算を増額するとの大統領府発表で。 |
DIA-205-1990-07-10-3 | フィリピン | 1990年07月10日 | 1990年代 | 麻薬捜査でNBI,2陸軍将校を射殺―PC民間人エージェントも。NBIとWPDの連合チームが。 |
DIA-205-1990-07-12-1 | フィリピン | 1990年07月12日 | 1990年代 | 暗殺の危険で,米商議所会頭が出国―NPAの暗殺計画があるかもしれないとの情報で先週香港に。 |
DIA-205-1990-07-13-1 | フィリピン | 1990年07月13日 | 1990年代 | マニラ,マカティの6カ所で爆発事件―深夜から明け方に。プラスチック爆弾とダイナマイト。 |
DIA-205-1990-07-15-1 | フィリピン | 1990年07月15日 | 1990年代 | アキノ,議会の債務返済制限の動きに警告―議会は制限法案の決意を再考すべきだ。 |
DIA-205-1990-07-16-1 | フィリピン | 1990年07月16日 | 1990年代 | ルソン島でM7.7の大地震発生―16時30分頃,震源地カバナツアン市南10キロ付近。25日現在,死者1609人,行方不明1037人,負傷者3204人。15州,9市,39町。 |
DIA-205-1990-07-16-2 | フィリピン | 1990年07月16日 | 1990年代 | 下院指導部は債務返済制限法案を支持―17日PCCIは議会に債務返済制限の立場再考を要求。 |
DIA-205-1990-07-19-1 | フィリピン | 1990年07月19日 | 1990年代 | IMF使節団と新経済措置協議―EFF残り2.5年の経済・金融改革パッケージと上期実績のレビュー。 |
DIA-205-1990-07-19-2 | フィリピン | 1990年07月19日 | 1990年代 | 米保健省,カラギナン輸入禁止を解除。 |
DIA-205-1990-07-20-1 | フィリピン | 1990年07月20日 | 1990年代 | 28日深夜に夏時間廃止―EO第415号。 |
DIA-205-1990-07-20-2 | フィリピン | 1990年07月20日 | 1990年代 | ホナサン,戦闘行為を一方的に停止―17日付け文書で,「国家的緊急事態のため,われわれのアキノ政権に対する行動を一時的に停止する」と宣言。 |
DIA-205-1990-07-21-1 | フィリピン | 1990年07月21日 | 1990年代 | NPA,地震被災地で一方的戦闘停止を宣言―16日付けNPA総司令部声明。北部,中部ルソン,首都地域で。被災地でNPAに救援活動への参加を命令。 |
DIA-205-1990-07-21-2 | フィリピン | 1990年07月21日 | 1990年代 | イメルダ夫人,地震救援に1億ペソ寄付―マニラの弁護士を通じ申し出。使い方は副大統領に一任。 |
DIA-205-1990-07-22-1 | フィリピン | 1990年07月22日 | 1990年代 | サロンガ,債務返済継続は不可能―倫理的,道徳的次元を強調。Freedom from Debt Coalitionの第3回全国大会で。88~92年には債務返済が160億ドル超過。 |
DIA-205-1990-07-22-2 | フィリピン | 1990年07月22日 | 1990年代 | PCCI,関税再編に反対―農工業部門は調整期間を与えられなければならない。 |
DIA-205-1990-07-23-1 | フィリピン | 1990年07月23日 | 1990年代 | アキノ,CPPの停戦歓迎―政府停戦は拒否。 |
DIA-205-1990-07-23-2 | フィリピン | 1990年07月23日 | 1990年代 | 上院,政府に元利返済の3年間停止交渉を要求―23議員全員の賛成で決議第886号(ギンゴーナ案)採択。 |
DIA-205-1990-07-24-1 | フィリピン | 1990年07月24日 | 1990年代 | コファンコ,事実上出馬に名乗り―先週地方都市での演説で。「もし政党に推薦されれば,大統領選に出馬してもよい。大統領に選ばれれば,多国籍企業重視の現在の政策から地場の中小企業重視へ重点を移す」。 |
DIA-205-1990-07-24-2 | フィリピン | 1990年07月24日 | 1990年代 | 下院,2年半債務返済停止決議を採択―地震復旧に返済相当資金をあてる。4案が提出されたが,1本化。 |
DIA-205-1990-07-24-3 | フィリピン | 1990年07月24日 | 1990年代 | 外務長官,米軍墓地でASEAN共通の立場要請―ASEAN外相会議の演説で,在比米軍基地存続に関して。 |
DIA-205-1990-07-26-1 | フィリピン | 1990年07月26日 | 1990年代 | アキノ,債務軽減措置を要請する―災害復旧のため総額5億ドルの緊急融資の交渉を開始した。パリ・クラブ債権国に一時的な金融上の軽減を求める特別声明を作成中だが,一方的全般的な手段は取らず,個別に交渉していく。 |
DIA-205-1990-07-27-1 | フィリピン | 1990年07月27日 | 1990年代 | アキノ,部門代表12下院議員を指名。 |
DIA-205-1990-07-27-2 | フィリピン | 1990年07月27日 | 1990年代 | 和解でマルコス・スイス資産1600万ドル返還。 |
DIA-205-1990-07-28-1 | フィリピン | 1990年07月28日 | 1990年代 | 上院,全反徒との全国的停戦要求決議を採択。 |
DIA-205-1990-07-28-2 | フィリピン | 1990年07月28日 | 1990年代 | EC,マニラに代表部設置協定調印。 |
DIA-205-1990-07-29-1 | フィリピン | 1990年07月29日 | 1990年代 | 産業界,EO第413号の60日公告延期要請。 |
DIA-205-1990-07-29-2 | フィリピン | 1990年07月29日 | 1990年代 | 合同対外債務審議会,モラトリアムを拒否。 |
DIA-205-1990-07-30-1 | フィリピン | 1990年07月30日 | 1990年代 | 財務長官・中銀総裁,モラトリアムで警告―上院の利子・元金返済停止決議案の合同公聴会で,債権者に報復を強い,経済に不幸な結果をもたらすとして。 |
DIA-205-1990-07-30-2 | フィリピン | 1990年07月30日 | 1990年代 | アキノ,ラモスに停戦提案の研究命令。 |
DIA-205-1990-08-01-1 | フィリピン | 1990年08月01日 | 1990年代 | 通貨委,中銀の外為市場介入を停止―上院合同聴聞会で予算長官・通貨委員。 |
DIA-205-1990-08-01-2 | フィリピン | 1990年08月01日 | 1990年代 | 債務返済モラトリアム要求デモ―マラカニャンに向け左派の約3000人。 |
DIA-205-1990-08-02-1 | フィリピン | 1990年08月02日 | 1990年代 | 水野氏,釈放される―NPA声明:水野氏の逮捕は日本政府やオイスカの反ゲリラ政策加担に対する警告である。米平和部隊員スワンソン氏も解放された。 |
DIA-205-1990-08-04-1 | フィリピン | 1990年08月04日 | 1990年代 | 米輸銀,銀行借入保証1.7億ドル供与。 |
DIA-205-1990-08-04-2 | フィリピン | 1990年08月04日 | 1990年代 | フィリピン・インド経済技術協力協定調印。 |
DIA-205-1990-08-07-1 | フィリピン | 1990年08月07日 | 1990年代 | アキノ,地震復旧援助割当法に署名―100億ペソ。RA第6960号。 |
DIA-205-1990-08-08-1 | フィリピン | 1990年08月08日 | 1990年代 | 新たな軍内秘密グループ結成―首都の軍基地で参加呼びかけビラ配布。Just and Objective Intent to Neutralize Unprofessional Service(JOIN US)。軍内の汚職腐敗と戦う,反アキノ反乱には加わらない。 |
DIA-205-1990-08-09-1 | フィリピン | 1990年08月09日 | 1990年代 | 国軍318将校の昇任発表―最近。中佐へ5人,少佐に294人,中尉に2人。 |
DIA-205-1990-08-09-2 | フィリピン | 1990年08月09日 | 1990年代 | 石油値上げすれば大衆行動起こす―KMUとTUCP。 |
DIA-205-1990-08-13-1 | フィリピン | 1990年08月13日 | 1990年代 | イスラム会議機構,MNLF支持を確認―カイロでの外相会議で決議採択。 |
DIA-205-1990-08-13-2 | フィリピン | 1990年08月13日 | 1990年代 | 20日から自家用車の幹線乗り入れ禁止―運輸長官発表。首都幹14線,6~10時,16~20時。 |
DIA-205-1990-08-13-3 | フィリピン | 1990年08月13日 | 1990年代 | 30億ドル貿易信用,1年延長合意―外銀が。 |
DIA-205-1990-08-13-4 | フィリピン | 1990年08月13日 | 1990年代 | 全国エネルギー節約計画の実施指示―EO418号。政府機関に昨年比で電力消費10%,石油製品5%削減等。 |
DIA-205-1990-08-13-5 | フィリピン | 1990年08月13日 | 1990年代 | RAM・KSP,即時停戦,対話を再び呼びかけ―ホナサン署名文書で。 |
DIA-205-1990-08-14-1 | フィリピン | 1990年08月14日 | 1990年代 | 政府,石油輸入外貨に先物カバを一時的復活。 |
DIA-205-1990-08-14-2 | フィリピン | 1990年08月14日 | 1990年代 | 90年GNP目標を4.7%に改訂。 |
DIA-205-1990-08-14-3 | フィリピン | 1990年08月14日 | 1990年代 | 石油価格スタンバイ基金復活へ―予算省。 |
DIA-205-1990-08-14-4 | フィリピン | 1990年08月14日 | 1990年代 | 中銀総裁,外銀に債務返済停止を要請した―利払分の再貸し付けを通じて。しかし,外銀は拒否。 |
DIA-205-1990-08-14-5 | フィリピン | 1990年08月14日 | 1990年代 | 運輸相,自家用車乗り入れ規制を緩和―規制幹線を14から5本に,時間帯も10~16時に。 |
DIA-205-1990-08-15-1 | フィリピン | 1990年08月15日 | 1990年代 | 中銀の手入れで,闇ドル・レート安定。 |
DIA-205-1990-08-15-2 | フィリピン | 1990年08月15日 | 1990年代 | 上院,債務元利返済の2年半猶予の交渉要求決議。 |
DIA-205-1990-08-15-3 | フィリピン | 1990年08月15日 | 1990年代 | 政府,石油産業規制解除計画を延期―91年初から同第2四半期に。 |
DIA-205-1990-08-16-1 | フィリピン | 1990年08月16日 | 1990年代 | ホナサン,国中の目標攻撃再開を命令―ミンダナオのノブレ元大佐に対する政府の攻撃を非難。ここ2日間の4件の爆弾事件には直接言及せず。 |
DIA-205-1990-08-16-2 | フィリピン | 1990年08月16日 | 1990年代 | 政府,社会主義国船舶のスビック湾入り禁止解除―湾内のPilseco施設での修理のため条件付きで。 |
DIA-205-1990-08-18-1 | フィリピン | 1990年08月18日 | 1990年代 | 首都圏で5件の爆弾事件。 |
DIA-205-1990-08-18-2 | フィリピン | 1990年08月18日 | 1990年代 | 米,地震復旧に2000万ドル供与。 |
DIA-205-1990-08-18-3 | フィリピン | 1990年08月18日 | 1990年代 | 民間金融機関,一方的債務返済停止に反対広告 |
DIA-205-1990-08-23-1 | フィリピン | 1990年08月23日 | 1990年代 | 上院,下院の突然の議院内閣制提案を拒否―サロンガ・ミトラ会談後に。会談は行き詰まりで終了。 |
DIA-205-1990-08-23-2 | フィリピン | 1990年08月23日 | 1990年代 | ラモス,戒厳令の計画はない―爆弾事件頻発で,政府は戒厳令を布告するとの報告を否定。 |
DIA-205-1990-08-24-1 | フィリピン | 1990年08月24日 | 1990年代 | 中旬以降首都の爆弾事件17件―23,24日商工長官一族所有の2企業に爆弾が投入された。 |
DIA-205-1990-08-26-1 | フィリピン | 1990年08月26日 | 1990年代 | マニラ警察官,軍反徒非難デモ―約1000人が平服で,軍反徒を非難の約2000の民間人デモに参加。 |
DIA-205-1990-08-27-1 | フィリピン | 1990年08月27日 | 1990年代 | イラン,日量2万バレル追加供給約束。 |
DIA-205-1990-08-29-1 | フィリピン | 1990年08月29日 | 1990年代 | 債権銀行,新規貸付1億1850万ドル実行。 |
DIA-205-1990-08-29-2 | フィリピン | 1990年08月29日 | 1990年代 | 上院,EO第413号の6カ月停止決議採択―下院も1年延長の類似決議採択。 |
DIA-205-1990-08-30-1 | フィリピン | 1990年08月30日 | 1990年代 | 公的債務の再編完了―日本との交渉終了で。 |
DIA-205-1990-08-30-2 | フィリピン | 1990年08月30日 | 1990年代 | アキノ,EO第413号を無期限延期―覚書命令315。 |
DIA-205-1990-08-30-3 | フィリピン | 1990年08月30日 | 1990年代 | 議会で新政治運動発足―「新しい民主主義のための協会」(KBD)。議長Enrico Daynghirang下院議員:類似の政治,経済的考えを持った議員の自由かつ民主的な連合で,必要な法的改革を促進する。 |
DIA-205-1990-08-31-1 | フィリピン | 1990年08月31日 | 1990年代 | アキノ,全ての和平提案を検討する。 |
DIA-205-1990-09-01-1 | フィリピン | 1990年09月01日 | 1990年代 | 洪水,首都・郊外に被害―死者10人以上。大部分の道路冠水。8月24日洪水(死者13)再現。 |
DIA-205-1990-09-02-1 | フィリピン | 1990年09月02日 | 1990年代 | ラモス,NPAとの全国的休戦には反対―上院決議方式の。コミュニティごとの休戦を推進する。 |
DIA-205-1990-09-02-2 | フィリピン | 1990年09月02日 | 1990年代 | 教会,対NPA停戦交渉を支持。 |
DIA-205-1990-09-03-1 | フィリピン | 1990年09月03日 | 1990年代 | 労働省,週5日労働新ガイドライン発行―エネルギー節約措置。労働時間を2時間延長10時間に。学校も週5日から4日へ。授業時間延長(17日取消し)。 |
DIA-205-1990-09-03-2 | フィリピン | 1990年09月03日 | 1990年代 | KMU,米軍基地撤去要求で9月攻勢を準備。 |
DIA-205-1990-09-03-3 | フィリピン | 1990年09月03日 | 1990年代 | グリーンヒルズで爆弾事件―3日午前には軍の赤色警戒が青色警戒(警備任務半減)に緩められたが。8月中ほぼ50件の爆弾事件。 |
DIA-205-1990-09-04-1 | フィリピン | 1990年09月04日 | 1990年代 | 下院3委員会,LPCローンは違法ではない―11対4で最終決定。 |
DIA-205-1990-09-05-1 | フィリピン | 1990年09月05日 | 1990年代 | 50団体,アキノ支持・クー反対を声明―「Citizen’s Statement」。CBCP,PCCI,Makati Business Club,PKP,等。また,比市町長連盟同様の声明発表。 |
DIA-205-1990-09-05-2 | フィリピン | 1990年09月05日 | 1990年代 | アキノ,和平交渉による特赦を考慮―来週招集する多部門評議会には野党メンバーを除くことに決めた。ラウレルは政府を支持したことがないので招かない。 |
DIA-205-1990-09-05-3 | フィリピン | 1990年09月05日 | 1990年代 | アキノ,クー指導者に特赦を認めない―クーを支持するよう誤り導かれた兵士への特赦に合意するが。 |
DIA-205-1990-09-05-4 | フィリピン | 1990年09月05日 | 1990年代 | 停戦協議委,地震被災地の停戦条件大枠合意―停戦の定義,適用地域,違反罰則を含む監視システムで詳細な詰め必要。 |
DIA-205-1990-09-06-1 | フィリピン | 1990年09月06日 | 1990年代 | IMF上半期審査延期―15日予定が。IMFと合意の関税措置,EO413号の実施が遅れるため。 |
DIA-205-1990-09-06-2 | フィリピン | 1990年09月06日 | 1990年代 | 米軍司令官,米軍・民間人にNPAの攻撃で警告―当局は5日,米軍,国防省職員,扶養家族の駐屯地外休暇および不要不急の旅行の無期限停止を発表。 |
DIA-205-1990-09-07-1 | フィリピン | 1990年09月07日 | 1990年代 | アキノ,被災地・首都の停戦に原則合意。 |
DIA-205-1990-09-07-2 | フィリピン | 1990年09月07日 | 1990年代 | 労働団体,39.13ペソ賃上げ要求―Lakas Manggagawa Labor Center(LMLC)が申請。 |
DIA-205-1990-09-09-1 | フィリピン | 1990年09月09日 | 1990年代 | NDFIとYOUが停戦交渉条件提示―特に政府に「米国の支配」に対処する議題を要求。 |
DIA-205-1990-09-09-2 | フィリピン | 1990年09月09日 | 1990年代 | RAM容疑者,武器庫襲撃―ケソンの軍病院武器庫。武器を奪い逃走,追跡の軍と交戦,4人逮捕された。 |
DIA-205-1990-09-10-1 | フィリピン | 1990年09月10日 | 1990年代 | ラウレル,自身の多部門会議招集する―13日国家問題の解決に取り組む非党派の市民危機フォーラム。 |
DIA-205-1990-09-10-2 | フィリピン | 1990年09月10日 | 1990年代 | 上院,カナダ,豪州との犯罪者引き渡し協定批准。 |
DIA-205-1990-09-10-3 | フィリピン | 1990年09月10日 | 1990年代 | 婦人団体連合,政府に産児制限支持を要求。 |
DIA-205-1990-09-10-4 | フィリピン | 1990年09月10日 | 1990年代 | 下院,EO第413号の6カ月延期に合意―1年延期の下院案を破棄,合同決議11号の上院案採択に合意。 |
DIA-205-1990-09-10-5 | フィリピン | 1990年09月10日 | 1990年代 | NEDA,8品目の関税引き下げ承認―実施にはEOまたは議会立法必要。 |
DIA-205-1990-09-11-1 | フィリピン | 1990年09月11日 | 1990年代 | ボニファシオ基地内で爆発―19件目。 |
DIA-205-1990-09-12-1 | フィリピン | 1990年09月12日 | 1990年代 | 国軍に5地域で対CPP-NPA戦闘停止を命令―首都と地震被災の4州。ただし治安維持措置は維持する。 |
DIA-205-1990-09-13-1 | フィリピン | 1990年09月13日 | 1990年代 | 通貨委,再割引率を1%引き上げ―13%から14%に。市場金利を反映させるため。 |
DIA-205-1990-09-13-2 | フィリピン | 1990年09月13日 | 1990年代 | 中銀,24日から外為売買レートを規制―銀行の外貨売買はBAP参考相場を下1%,上2%以内とする等。 |
DIA-205-1990-09-14-1 | フィリピン | 1990年09月14日 | 1990年代 | 農業長官,年内のトウモロコシ輸入停止。 |
DIA-205-1990-09-14-2 | フィリピン | 1990年09月14日 | 1990年代 | 第2回LDP党大会,ゴンサレスを委員長に再選―諮問評議会議長にミトラ,書記長にJose Cojuangco Jr.。 |
DIA-205-1990-09-14-3 | フィリピン | 1990年09月14日 | 1990年代 | アキノ,多部門協議会議を開催―政府,議会,民間部門の代表50人を集めて。決議は採択されず,具体的提案作成のため委員会を設置で合意。アキノ:国は重大な問題に直面しており,ラウレルその他の野党指導者と和解の用意ある。今後の会議に野党を含めると約束。 |
DIA-205-1990-09-14-4 | フィリピン | 1990年09月14日 | 1990年代 | アキノ,再選出馬を示唆か―第2回LDP大会演説で。任期が92年に満了するので,自分と閣僚をレームダックと見なす者達に予め警告する。「期待通りにはならないだろう」。 |
DIA-205-1990-09-16-1 | フィリピン | 1990年09月16日 | 1990年代 | 全国エネルギー節約計画開始―10%節約目標。対象は,首都の工業企業1500,事務所ビル325,数千のデパート・スーパー・ショッピングモール・映画館。 |
DIA-205-1990-09-16-2 | フィリピン | 1990年09月16日 | 1990年代 | ゴンサレス,アキノのLDP加入を要請―17日,アキノは政党参加の呼びかけを拒否。 |
DIA-205-1990-09-17-1 | フィリピン | 1990年09月17日 | 1990年代 | タルラクのVOA中継所で爆発―パラボラ損傷。 |
DIA-205-1990-09-17-2 | フィリピン | 1990年09月17日 | 1990年代 | 基地反対デモ,警官隊と衝突―午前,午後の2回。米大使館に向けてKMU主体の約1000人がデモ。 |
DIA-205-1990-09-18-1 | フィリピン | 1990年09月18日 | 1990年代 | 米軍基地本交渉開始―アーミテージ特別代表冒頭演説:米国は軍事的存在を今後10年間に削減,が米軍は20世紀後まで留まろうと示唆。問題は削減ペースと移行期間中・後の関係。軍事施設の突然の解体は破壊的でありうる。12カ月と12年の開きは非常に大きい。 |
DIA-205-1990-09-19-1 | フィリピン | 1990年09月19日 | 1990年代 | LDP,アキノを大統領候補から除外―党声明発表。LDPは,無党派に留まるとの大統領の決定とLDPに加わらないとの継続的拒否を尊重する。 |
DIA-205-1990-09-19-2 | フィリピン | 1990年09月19日 | 1990年代 | アキノ,石油課税引き下げ法に署名―従価税から従量税への変更で1リットル当り平均2ペソから1.44ペソに。 |
DIA-205-1990-09-19-3 | フィリピン | 1990年09月19日 | 1990年代 | アキノ,利払い容赦交渉を指示―定例閣議で。 |
DIA-205-1990-09-19-4 | フィリピン | 1990年09月19日 | 1990年代 | クバオ・シューマートで爆発―9月7回目,7月以降27回目。前日にもグリーンヒルズの銀行支店で爆発。 |
DIA-205-1990-09-19-5 | フィリピン | 1990年09月19日 | 1990年代 | マラウイでイラク軍撤退要求デモ―約2万人。 |
DIA-205-1990-09-19-6 | フィリピン | 1990年09月19日 | 1990年代 | 新中銀債券の発行開始―“Joeybills”。 |
DIA-205-1990-09-19-7 | フィリピン | 1990年09月19日 | 1990年代 | 政府,NPAとの全国停戦行なわず。 |
DIA-205-1990-09-19-8 | フィリピン | 1990年09月19日 | 1990年代 | 米国,撤退後も墓地アクセス希望―米側声明:段階的に撤退する移行期間後に比基地への継続的アクセスを希望。比側:援助・経済問題を討議した。21日休会。 |
DIA-205-1990-09-20-1 | フィリピン | 1990年09月20日 | 1990年代 | 銀行協会,輸入外貨割当20%削減を決定―9月から会員銀行の輸入外貨売却は最大5.48億ドルに制限。 |
DIA-205-1990-09-21-1 | フィリピン | 1990年09月21日 | 1990年代 | 石油価格,26%引き上げ―平均1.4ペソ/リットル。プレミアム・ガス:8.87ペソ+25.6%他。 |
DIA-205-1990-09-23-1 | フィリピン | 1990年09月23日 | 1990年代 | 2ホテルで爆弾事件―マカティでマニラガーデンとマンダリン。事務所ビルにも焼夷弾。 |
DIA-205-1990-09-24-1 | フィリピン | 1990年09月24日 | 1990年代 | NPA,2週間で停戦中止―キンタナール司令官。石油値上げ,米軍基地抗議デモ抑圧は和平プロセスを損なったとして。NDFは依然和平交渉の用意ありと声明。 |
DIA-205-1990-09-24-2 | フィリピン | 1990年09月24日 | 1990年代 | アキノ,再出馬の憶測を歓迎する―私はレームダックの大統領ではない。92年にの「コリーの選択」候補を募り,支持する計画だ。 |
DIA-205-1990-09-24-3 | フィリピン | 1990年09月24日 | 1990年代 | スビックの継続使用に交渉の余地―アキノ。しかし基地協定失効後にクラークの他小規模4基地の主権支配を取るとのわが国の立場は,確固としたものだ。 |
DIA-205-1990-09-24-4 | フィリピン | 1990年09月24日 | 1990年代 | 石油値上げ抗議ゼネスト―25日も,主要都市の交通麻痺は失敗。約30人逮捕。ダバオ市は約75%が運休。 |
DIA-205-1990-09-24-5 | フィリピン | 1990年09月24日 | 1990年代 | 首都交通料金値上げ―ジープニイ,バス。 |
DIA-205-1990-09-25-1 | フィリピン | 1990年09月25日 | 1990年代 | 主要労組,38.13ペソ賃上げ要求へ。 |
DIA-205-1990-09-25-2 | フィリピン | 1990年09月25日 | 1990年代 | ラモス,92年出馬の可能性示唆―「もし国防長官としての職務を全うすれば,未来がその問題を解決するだろう」,と出馬の可能性を初めて示唆。 |
DIA-205-1990-09-26-1 | フィリピン | 1990年09月26日 | 1990年代 | クラーク当局,旅行制限を部分解除。 |
DIA-205-1990-09-26-2 | フィリピン | 1990年09月26日 | 1990年代 | コーク,ペプシ工場で爆発―コルゲート社でも。 |
DIA-205-1990-09-26-3 | フィリピン | 1990年09月26日 | 1990年代 | 国軍は被災地で攻勢再開せず―デビリャ総参謀長。 |
DIA-205-1990-09-27-1 | フィリピン | 1990年09月27日 | 1990年代 | 協定失効後のクラークの商業使用転換提案―保健長官・比側パネル副委員長。 |
DIA-205-1990-09-27-2 | フィリピン | 1990年09月27日 | 1990年代 | 労組連合,賃上げに期限設定―10月21日。TUCP,LACCが現行の89ペソから38ペソ引上げ要求。 |
DIA-205-1990-09-27-3 | フィリピン | 1990年09月27日 | 1990年代 | 3米系企業で,爆弾事件。 |
DIA-205-1990-09-27-4 | フィリピン | 1990年09月27日 | 1990年代 | 労働長官,労働者のゼネスト参加に警告。 |
DIA-205-1990-09-28-1 | フィリピン | 1990年09月28日 | 1990年代 | アキノ・ガルマン暗殺で16人に終身刑判決―公務員犯罪特別裁判所。被告40人のうちクストディオ准将ら元軍人16人に終身刑。暗殺命令犯は特定せず。 |
DIA-205-1990-09-28-2 | フィリピン | 1990年09月28日 | 1990年代 | 支持米価引上げ―5ペソ/kgから6ペソ/kgに,10月発効。 |
DIA-205-1990-09-28-3 | フィリピン | 1990年09月28日 | 1990年代 | NPC,電力料金値上げ発表―10月14日から全国平均0.2755ペソ/kWh。3カ月で段階的に。 |
DIA-205-1990-10-02-1 | フィリピン | 1990年10月02日 | 1990年代 | 使用者,緊急生活手当を提案―ECOPが両院労働委員長,労働長官,TUCP,LACC代表との会議で提案。15カ月のスト猶予を条件に。 |
DIA-205-1990-10-02-2 | フィリピン | 1990年10月02日 | 1990年代 | 9月末ミンダナオ反乱計画で35人逮捕―PC幹部将校発表。暗号名“Oplan Kagawasan”。RAMによるミンダナオ主要都市の奪取,2将軍人質の計画。 |
DIA-205-1990-10-03-1 | フィリピン | 1990年10月03日 | 1990年代 | 財務長官,外銀は利払い帳消し提案を拒否―IMF総会時に外銀代表と会談,70億ドル債務に対する利払い宥恕の閣議決実を提示したが,受け付けられなかった。 |
DIA-205-1990-10-03-2 | フィリピン | 1990年10月03日 | 1990年代 | 参謀総長,ミンダナオに反乱陰謀ない―何の根拠もない心理作戦にすぎず,35人拘留も本当ではない。 |
DIA-205-1990-10-03-3 | フィリピン | 1990年10月03日 | 1990年代 | バス停留所で爆発―マニラで。2人負傷。 |
DIA-205-1990-10-03-4 | フィリピン | 1990年10月03日 | 1990年代 | Davide調査委員会,報告書提出―大統領に。 |
DIA-205-1990-10-04-1 | フィリピン | 1990年10月04日 | 1990年代 | ノブレ反乱軍,ミンダナオ2市を占拠―早朝ブツアン市とカガヤンデオロ市。約200の兵と準軍兵率い,ブツアン市第402歩兵大隊本部を奪取。次いで装甲兵員輸送車を先頭にカガヤン市にはいった。反乱側は,占拠は政府転覆の右派の陰謀の一部ではなく,「自由・独立ミンダナオ」のための独立した行動だと宣言。 |
DIA-205-1990-10-04-2 | フィリピン | 1990年10月04日 | 1990年代 | アキノに反クーデターの支持―アキノ,早朝緊急閣議招集,議会指導者も。国民に護憲,政府支持呼びかけ。米大使,アキノ支持再表明。 |
DIA-205-1990-10-04-3 | フィリピン | 1990年10月04日 | 1990年代 | 首都で基礎9品目の物価統制実施―EO第423号。 |
DIA-205-1990-10-06-1 | フィリピン | 1990年10月06日 | 1990年代 | アギナルド基地内で爆発―ジープ2台破損。 |
DIA-205-1990-10-06-2 | フィリピン | 1990年10月06日 | 1990年代 | ミンダナオ反乱,ノブレ元大佐投降―部下200と,400は逃走。戦闘の死者は4人。軍は4日,ミンダナオ独立を宣言,ノブレに参加したカノイを逮捕。 |
DIA-205-1990-10-08-1 | フィリピン | 1990年10月08日 | 1990年代 | 地方バス料金引上げ認可―10日発効。 |
DIA-205-1990-10-09-1 | フィリピン | 1990年10月09日 | 1990年代 | アキノ,国軍司令部の全国的再編成を承認。 |
DIA-205-1990-10-09-2 | フィリピン | 1990年10月09日 | 1990年代 | アキノ,公務員のP1000賃上げを拒否。 |
DIA-205-1990-10-10-1 | フィリピン | 1990年10月10日 | 1990年代 | 司教会議,避妊反対司教教書。 |
DIA-205-1990-10-10-2 | フィリピン | 1990年10月10日 | 1990年代 | アキノ辞任要求の署名キャンペーン―カラウ元上院議員をリーダーとする「歩道の喫茶店」が。 |
DIA-205-1990-10-10-3 | フィリピン | 1990年10月10日 | 1990年代 | シソン,アキノに新和平交渉要請の書簡―望むべくは「中立国」での交渉を要請。 |
DIA-205-1990-10-10-4 | フィリピン | 1990年10月10日 | 1990年代 | PNB,2億ドル債券発行断念。 |
DIA-205-1990-10-10-5 | フィリピン | 1990年10月10日 | 1990年代 | 民族主義的工業化運動,急進改革提案―Movement for Nationalist Industrialization(MNI)発足会議で。12組織参加,混合経済で計画工業化計画の策定提案。 |
DIA-205-1990-10-10-6 | フィリピン | 1990年10月10日 | 1990年代 | ノブレ支持者395人投降・逮捕―軍将校7人,下士官兵223人,残りは準軍組織CAFGUメンバー。 |
DIA-205-1990-10-11-1 | フィリピン | 1990年10月11日 | 1990年代 | 第17次円借承認を延期―PAP会議まで。 |
DIA-205-1990-10-12-1 | フィリピン | 1990年10月12日 | 1990年代 | アキノ,91年予算500億ペソ削減に合意―両院議長との会談で議会側提案に。 |
DIA-205-1990-10-12-2 | フィリピン | 1990年10月12日 | 1990年代 | ムスリム・ミンダナオ自治地方に自治権移管―4本のEO発行。国防および外交を除き7省・庁の機能を。 |
DIA-205-1990-10-12-3 | フィリピン | 1990年10月12日 | 1990年代 | カノイを起訴。 |
DIA-205-1990-10-13-1 | フィリピン | 1990年10月13日 | 1990年代 | アキノ,BOIに外資誘致で規制緩和を命令。 |
DIA-205-1990-10-14-1 | フィリピン | 1990年10月14日 | 1990年代 | カノイを反乱・火器違法所持で再逮捕。 |
DIA-205-1990-10-15-1 | フィリピン | 1990年10月15日 | 1990年代 | 首都最低賃金17ペソ引き上げ―首都賃金委員会決定。106ペソに。労働側はただちに拒否。 |
DIA-205-1990-10-15-2 | フィリピン | 1990年10月15日 | 1990年代 | 国防長官,NDFの9点和平議題は罠―彼らが失った影響力と信頼を反徒に与えることになる。13日の全国的和平対話の呼びかけを再述したNDF声明に対し。 |
DIA-205-1990-10-19-1 | フィリピン | 1990年10月19日 | 1990年代 | アキノ,石油会社に出荷10%削減を命令。 |
DIA-205-1990-10-20-1 | フィリピン | 1990年10月20日 | 1990年代 | 基地交渉,10月第3週から11月に延期。 |
DIA-205-1990-10-21-1 | フィリピン | 1990年10月21日 | 1990年代 | 政府,中期GNP目標を6.5%から1%引下げ |
DIA-205-1990-10-21-2 | フィリピン | 1990年10月21日 | 1990年代 | YOU,NPAとの同盟を交渉中―Puruganan少佐,記者4人とRAMの政治機関,Democratic Front of Filipinism(DFF)のメンバー4人との秘密会見で。 |
DIA-205-1990-10-24-1 | フィリピン | 1990年10月24日 | 1990年代 | 予算サミット,91年予算削減等で合意―サロンガ,ミトラら議会代表と。年末見込み600億(目標330億)ペソの公的部門の赤字削減策も協議。 |
DIA-205-1990-10-24-2 | フィリピン | 1990年10月24日 | 1990年代 | アキノ,反乱処罰法に署名―RA第6968号。クーデター含む反乱に最高で終身刑を課す。保釈を認めない。 |
DIA-205-1990-10-24-3 | フィリピン | 1990年10月24日 | 1990年代 | ゼネスト実施,暴力化―賃上げ,石油値下げ要求。4人死亡,30人逮捕。バス18台,タクシー2台焼失。多くの公共交通機関が運行停止,が交通完全麻痺せず。 |
DIA-205-1990-10-25-1 | フィリピン | 1990年10月25日 | 1990年代 | 国家安全保障会議開催―86年設立以降2回目。メンバーのラウレルの他,エンリレ,エスクデロ野党院内総務(KBL)も招かれた。議題:中東危機,エネルギー供給,外貨不足。以下も追加,年内の石油価格維持,エネルギー危機効果の波及阻止緊急計画。非必需品輸入禁止,外貨不足解決の引締め措置,財政赤字削減。 |
DIA-205-1990-10-25-2 | フィリピン | 1990年10月25日 | 1990年代 | NDF,ゼネストの継続呼び掛け―労働者等に賃上げなど「正当な経済的要求」のために闘争継続を呼びかけた。声明は,「IMFや世銀と共謀したアキノ政権がフィリピン国内の貧困と飢餓を永続させている」と批判。 |
DIA-205-1990-10-26-1 | フィリピン | 1990年10月26日 | 1990年代 | 国軍,スト指導のCPPフロントを追及する―参謀次長。バスの焼き討ち,爆発は確実にCPPの仕業だ。 |
DIA-205-1990-10-26-2 | フィリピン | 1990年10月26日 | 1990年代 | 労組,賃上げ要求25ペソに引下げ―ゼネスト以降一連の労働長官との会談で合意。LACC主導の労働側。 |
DIA-205-1990-10-27-1 | フィリピン | 1990年10月27日 | 1990年代 | 労組,ゼネストを終結―KMU,LACC,NATU,FSM,Katipunan。ピケ解除を決定。死者7,焼失自動車23台。 |
DIA-205-1990-10-30-1 | フィリピン | 1990年10月30日 | 1990年代 | KMU委員長を扇動違法集会で逮捕。 |
DIA-205-1990-10-31-1 | フィリピン | 1990年10月31日 | 1990年代 | 対米ドル為替を25.75ペソから28ペソに切り下げ。 |
DIA-205-1990-10-31-2 | フィリピン | 1990年10月31日 | 1990年代 | マニラ電力の給電料金引き上げ承認―0.17ペソ/kWh引上げ。 |
DIA-205-1990-11-02-1 | フィリピン | 1990年11月02日 | 1990年代 | アキノ,エネルギー節約プログラム開始―EO第433号。(1)中央・地方政府機関で電力15%,燃料10%節約。民間部門にも同様要請。(2)映画館上映時間を12~21時(通常9~23時)。(3)デパート等商店は10~20時。(4)外部ネオンサイン等は18~21時。 |
DIA-205-1990-11-03-1 | フィリピン | 1990年11月03日 | 1990年代 | PCGG,ベネディクトと和解契約に調印。 |
DIA-205-1990-11-05-1 | フィリピン | 1990年11月05日 | 1990年代 | 首都賃金委員会,17ペソ賃上げ施行規則―労働長官に提出。125ペソ以下受給者も対象とする他。 |
DIA-205-1990-11-05-2 | フィリピン | 1990年11月05日 | 1990年代 | TUCP,17ペソの条件付き受入を決定―年内石油値上げせず,適用対象200ペソを全国賃金委員会に申請。 |
DIA-205-1990-11-06-1 | フィリピン | 1990年11月06日 | 1990年代 | 法務長官,法人格なく,KMUは禁止できない。 |
DIA-205-1990-11-06-2 | フィリピン | 1990年11月06日 | 1990年代 | ムスリム・ミンダナオ自治地方を正式発足―アキノ出席,コタバト市で式典。 |
DIA-205-1990-11-07-1 | フィリピン | 1990年11月07日 | 1990年代 | 産業界,最高裁にEO第413号延期命令要請―施行延期を指示したEO第315号は延期期間を特定していない。10月29日業界は公聴会を開かなかったとして同EOの無効を最高裁に提起。 |
DIA-205-1990-11-07-2 | フィリピン | 1990年11月07日 | 1990年代 | 米国,91年にクラークから戦闘機部隊を撤退―アーミタージュ代表がマングラプス外相に伝達。(1)91年5月まで第90戦術戦闘機中隊(24機のF-4G),(2)同9月までに第同3中隊(24機のF-4E)を。米大使館は,この他に米軍1800人以上が引揚げることになろうと発表。 |
DIA-205-1990-11-08-1 | フィリピン | 1990年11月08日 | 1990年代 | 第2回基地交渉開始―比側発表:47年協定の争点である「拘束のない使用条項」は破棄されるべきだ。米側は,新協定は「運用上の柔軟性」と呼ばれるべきであると提案。これは包括的な上記条項より制限的であろう。より重要な争点は,クラーク基地の軍空輸司令部ターミナルとクロー渓谷射爆場への米軍のアクセス。 |
DIA-205-1990-11-08-2 | フィリピン | 1990年11月08日 | 1990年代 | ミトラ,92年大統領選出馬を正式表明―下院でのLDP幹部会で,党公認候補として出馬させるよう党の指名を要請。立候補を強めるため大統領の支持を求める。 |
DIA-205-1990-11-08-3 | フィリピン | 1990年11月08日 | 1990年代 | 預金準備率21%から23%に引き上げ―11月15日に22%,同30日に23%。ただし,貯蓄銀行の定期預金は17%,農村銀行は同14%。 |
DIA-205-1990-11-09-1 | フィリピン | 1990年11月09日 | 1990年代 | 12日から給油所12時間営業に制限―11日運輸相は,自家用車の幹線道路乗り入れ禁止計画発表。プレート・ナンバーの末尾の奇数・偶数で制限。午後5時~7時。11月19日から。 |
DIA-205-1990-11-09-2 | フィリピン | 1990年11月09日 | 1990年代 | 2上院議員,1院議院内閣制移行を主張―リナ議員他。来月に92年までに移行するため憲法議会を招集する。支持:Angala,Alvares,Osmena,Paterno,Romulo,Gonzales,Shahani,Laurel,Ziga,Tamano,Enrile. |
DIA-205-1990-11-09-3 | フィリピン | 1990年11月09日 | 1990年代 | 第2回基地交渉終了―今回はどの分野でも最終合意はなかった。91年までに軍事施設の主権コントロールを引き継ぐとの比側の立場は不変,戦闘機の撤収発表等の,米側の協力を歓迎。米側:4小基地を含むクラークおよびスビック基地に関する幾つかの提案を行なった。 |
DIA-205-1990-11-09-4 | フィリピン | 1990年11月09日 | 1990年代 | ビノンドのファンルナで爆弾事件。 |
DIA-205-1990-11-10-1 | フィリピン | 1990年11月10日 | 1990年代 | 米大使館に,手榴弾投入―1発だけマニラ湾で爆発。被害なし。 |
DIA-205-1990-11-11-1 | フィリピン | 1990年11月11日 | 1990年代 | アキノ,天皇即位式に訪日―3日間。国軍,全国で赤色警戒態勢に。 |
DIA-205-1990-11-12-1 | フィリピン | 1990年11月12日 | 1990年代 | ガス・ロテーションの営業時間拡大―営業時間を7~19時から5~21時に拡大。投機・パニック買いで需要が30~40%急増,一部給油所で在庫なしに。 |
DIA-205-1990-11-13-1 | フィリピン | 1990年11月13日 | 1990年代 | 大型台風ルピン,ビサヤ襲撃―第14号で最強。 |
DIA-205-1990-11-13-2 | フィリピン | 1990年11月13日 | 1990年代 | 最高裁,LPCのバタンガス移転認めず―BOIの変更承認は裁量権の乱用。(1)プラント用地は原計画のバタアンにすべし,(2)原料のナフサのみからナフサまたはLPGへの変更は認められない。バタアン選出議員が訴訟。 |
DIA-205-1990-11-13-3 | フィリピン | 1990年11月13日 | 1990年代 | 外務省,米・シンガポール軍施設協定を歓迎―東京でクエール米副大統領とリー首相が了解覚書きに調印。 |
DIA-205-1990-11-14-1 | フィリピン | 1990年11月14日 | 1990年代 | 31州を激甚災害地域に指定―台風ルピンで死者208人,行方不明54人,船舶29隻が沈没・座礁。 |
DIA-205-1990-11-14-2 | フィリピン | 1990年11月14日 | 1990年代 | アキノ,訪日帰国報告―日本政府から援助約束取付け。(1)地震救済緊急商品ローン2億ドル,(2)ノンプロジェクト贈与(対比では初めて)2700万ドルを年内緊急実行。 |
DIA-205-1990-11-16-1 | フィリピン | 1990年11月16日 | 1990年代 | 無許可集会で600人以上を逮捕―大部分KMU,LFSと公務員。当局ゼネスト阻止。民間25ペソ,公務員1000ペソ賃上げ要求して1000人以上の労働者が,第2次ゼネストに参加。 |
DIA-205-1990-11-19-1 | フィリピン | 1990年11月19日 | 1990年代 | 法務長官自宅で4回爆発。 |
DIA-205-1990-11-21-1 | フィリピン | 1990年11月21日 | 1990年代 | セブ・マクタン橋完全閉鎖,セブ経済に大打撃 |
DIA-205-1990-11-21-2 | フィリピン | 1990年11月21日 | 1990年代 | 参謀総長,極右が政府高官10人を暗殺リストに―「暗殺リスト」に商工長官,法務長官等の名前。 |
DIA-205-1990-11-22-1 | フィリピン | 1990年11月22日 | 1990年代 | アキノ,災害指定に5州4市追加―計34州に。 |
DIA-205-1990-11-22-2 | フィリピン | 1990年11月22日 | 1990年代 | アキノ,賃金外給付提供―労組代表との会談で。労働側:受け入れるが,賃金改善の代わりにならない。TUCP,LACCと傘下のFFW,NATU。LACCメンバーだがKMUは招かれず。所得税額控除増額法案の推進約束,生産性奨励法(RA6971号,生産性上昇に比例したボーナス支給に50%相当額の企業所得の特別控除を規定)に署名。医療給付率,SSS貸付限度額の引上げその他。 |
DIA-205-1990-11-23-1 | フィリピン | 1990年11月23日 | 1990年代 | 米国とMAI第1号の1.25ドル億贈与協定に調印。 |
DIA-205-1990-11-23-2 | フィリピン | 1990年11月23日 | 1990年代 | 陸軍,第53歩兵大隊を解体―カガヤンデオロ市で陸軍司令官。第4歩兵師団所属。89年12月反乱と今年10月のミンダナオ反乱に参加。 |
DIA-205-1990-11-27-1 | フィリピン | 1990年11月27日 | 1990年代 | 91年初に4陸軍戦闘大隊を解体―陸軍司令官。2400人。陸軍を7万から5万(70~72大隊)に縮小し,ASEAN地域の軍増強に対応するため節約分で近代兵器を購入する。3大隊は中部ルソン,1大隊はミンダナオ駐留。うち2大隊は,Davide委員会がアキノ政権転覆の試みを実行する可能性あると指摘した部隊。 |
DIA-205-1990-11-27-2 | フィリピン | 1990年11月27日 | 1990年代 | 日本輸銀,ADB協調融資1.5慮ドルを正式コミット―石炭火力発電プロジェクト・ローン。ADBが2億ドル。 |
DIA-205-1990-11-29-1 | フィリピン | 1990年11月29日 | 1990年代 | 政府,対IMF交渉で合意―財務長官:政府は5措置について議会指導者の支持を得て,IMF使節団と合意。ミトラ等の議会代表は29日アキノ・閣僚と会談,一律5%輸入付加税と5%の石油輸入税に支持を保証。彼らは反対の立場を変え,農業・地方開発向けの30億ペソ追加歳入措置を可決すると表明。その他3措置で合意:(1)国内石油価格の「現実的水準」への上方調整,OPSF廃止,91年1月までに石油産業の規制を解除。(2)2税徴収機関に徴収改善に必要な手段を与える法律を制定。VATの対象拡大,職員への奨励供与,事業税控除の抜け穴を塞ぐ等。(3)91年予算の250億ペソ支出削減を最終決定。 |
DIA-205-1990-11-29-2 | フィリピン | 1990年11月29日 | 1990年代 | 最高裁,ベネディクト和解差し止めを命令。 |
DIA-205-1990-11-30-1 | フィリピン | 1990年11月30日 | 1990年代 | 大統領府は,反徒アムネスティを支持―エルミタ国防次官。現在の政治経済問題を乗り切るために。PDP・ラバン主導の祈祷・和解集会でアキノ,与野党指導者は暴力を否定し,平和を求め,92年に公正な選挙に取り組むことを聖書に誓約。 |
DIA-205-1990-12-01-1 | フィリピン | 1990年12月01日 | 1990年代 | 控訴院,コファンコの旅券は有効―この結果,86年以来在米の家族の帰国が認められることになる。 |
DIA-205-1990-12-01-2 | フィリピン | 1990年12月01日 | 1990年代 | 米軍当局,駐留米軍に夜間外出禁止―21時~5時30分。緊急と公務以外の旅行制限も。 |
DIA-205-1990-12-01-3 | フィリピン | 1990年12月01日 | 1990年代 | マラカニャンは依然マルコス一族の帰国に反対―情報長官:不正取得資産の相当部分を返還しても。 |
DIA-205-1990-12-03-1 | フィリピン | 1990年12月03日 | 1990年代 | 反政府左右勢力の同盟,再確認―国軍総参謀長:反徒将校Puruganan少佐自身が,推定100人の軍反徒とNPAの都市暗殺部隊ABBとの同盟を発表した。われわれは,反徒兵士がある時点でABBに爆発物の一部を与えたとの情報を得ている。先週カガヤン州のEnrileで軍通信中継局がNPA容疑者により軍支給タイプの爆発物で爆破された。 |
DIA-205-1990-12-04-1 | フィリピン | 1990年12月04日 | 1990年代 | 最高裁,コルディレラ自治地方は成立せず―住民投票で唯一賛成多数であったイフガオ州だけではCAR成立しない。憲法と設立法の規定に合わない。 |
DIA-205-1990-12-04-2 | フィリピン | 1990年12月04日 | 1990年代 | 米国,対比砂糖クオータ引き上げ決定―1990~91作物年度,26万2147トンから32万1397トンに。 |
DIA-205-1990-12-05-1 | フィリピン | 1990年12月05日 | 1990年代 | 石油製品値上げ―平均2.82ペソ/リットル。プレミアム・ガスの上げ幅(8.87ペソから15.95ペソ)が最大,重油(4.9ペソから4.98ペソ)は最低に。アキノ,ERBに灯油・LPG・ディーゼル油の値上げ幅再考を要請。 |
DIA-205-1990-12-05-2 | フィリピン | 1990年12月05日 | 1990年代 | クラークの部分的占有使用で原則合意―第3回基地交渉(比米協力会議,PACT)で。しかし刑事事件の裁判管轄権で対立。米側発表:特にクラークに適用される4分割クラスター原則で合意した。米国が専ら使用する部分,米国が中心の共同使用部分,フィリピンが中心の共同使用部分,商業目的部分。残された問題は,どの施設をどのクラスターに含めるか。比側発表:米国は暫定的に比側に米軍部隊の規模に上限を設定する権利を与えることに合意した(米側:合意したとは思わない)。 |
DIA-205-1990-12-05-3 | フィリピン | 1990年12月05日 | 1990年代 | 警察少将,狙撃・射殺さる。 |
DIA-205-1990-12-05-4 | フィリピン | 1990年12月05日 | 1990年代 | 政府,クリスマス・新年の戦闘停止を宣言―期間:12月23日午後1時~同26日午後1時および12月30日午後1時~1月2日午後1時。昨年より各期間1日長い。 |
DIA-205-1990-12-06-1 | フィリピン | 1990年12月06日 | 1990年代 | 台湾移民局長,比移民局長と会談―「個人ベース」で会い,台湾の比人出稼ぎ労働者問題を討議。 |
DIA-205-1990-12-06-2 | フィリピン | 1990年12月06日 | 1990年代 | ERB,石油製品の値上げ幅調整―平均値上げ幅変えず。灯油,ディーゼル油,LPGを引き下げ,重油を小幅引き上げ,その分をガソリンの価格引き上げに上乗せ。 |
DIA-205-1990-12-06-3 | フィリピン | 1990年12月06日 | 1990年代 | 上院議員,アキノの辞任要求―石油値上げで。要求者はMaceda,Mercado,Enrileといわれる。アスクナ大統領スポークスマンは,要求は「不当」だと批判。 |
DIA-205-1990-12-06-4 | フィリピン | 1990年12月06日 | 1990年代 | スーパーの棚,空に―食料品価格30~40%値上げの予想で。すでに石油値上げ発表前に米卸業者は値上げ。 |
DIA-205-1990-12-07-1 | フィリピン | 1990年12月07日 | 1990年代 | ジープニィ,タクシー,航空運賃値上げ。 |
DIA-205-1990-12-07-2 | フィリピン | 1990年12月07日 | 1990年代 | 交通スト,マニラは影響なし―地方で50%運休。 |
DIA-205-1990-12-07-3 | フィリピン | 1990年12月07日 | 1990年代 | 基地交渉,合意に達せず終了―比側発表:クラーク基地の商業化ではいくらかの前進。裁判管轄権を含め安全保障以外の問題で,米国がわが国の法律を尊重することを確実にすることが重要。来年初めに交渉団が期間,アクセス,商業化,安全保障以外の問題に関する議論を終了後に,補償パッケージ問題が交渉されよう。米側:米国は現状維持を望まない。新協定は移行段階,共同使用,契約手続き等の特徴を総合したものになろう。 |
DIA-205-1990-12-08-1 | フィリピン | 1990年12月08日 | 1990年代 | YOU,人民の抗議行動を取り締まるな―新聞社に声明。軍・警に「不満を表明している人民に敵対行動を取るな」と警告。また,必需石油製品の価格を直ちに戻し,石油産業を国民化するよう要求。 |
DIA-205-1990-12-09-1 | フィリピン | 1990年12月09日 | 1990年代 | パラワン北西で商業規模油田発見。 |
DIA-205-1990-12-09-2 | フィリピン | 1990年12月09日 | 1990年代 | アキノ,再度ガソリン値下げ要請―TV全国番組で,ERBに6日の値上げ停止,前日水準への引き下げを。 |
DIA-205-1990-12-10-1 | フィリピン | 1990年12月10日 | 1990年代 | 社会主義国国民の入国規制緩和へ―安全保障・政治閣僚委員会が冷戦の終結に鑑み採択。イランも。 |
DIA-205-1990-12-10-2 | フィリピン | 1990年12月10日 | 1990年代 | ガソリン価格を引き下げ―プレミマムを20.70から15.95ペソ,レギュラーを19.55ペソから15ペソに。6日の平均引き上げ幅2.82ペソを0.7688ペソ削減。 |
DIA-205-1990-12-10-3 | フィリピン | 1990年12月10日 | 1990年代 | 穏健労組リーダー2人,射殺される。 |
DIA-205-1990-12-10-4 | フィリピン | 1990年12月10日 | 1990年代 | 石油値上げ抗議ゼネストに中産階級参加―専門職,ビジネスマンが。首都では交通機関が,特に午後には60%,地方都市ではより以上麻痺。小・高校は休校。 |
DIA-205-1990-12-10-5 | フィリピン | 1990年12月10日 | 1990年代 | 後任官房長官にオルボス運輸長官を任命―マカライグ官房長官の辞任は14日発効。 |
DIA-205-1990-12-10-6 | フィリピン | 1990年12月10日 | 1990年代 | アキノ,公務員賃上げに合意―議会が必要資金を調達する措置を講じた場合。 |
DIA-205-1990-12-10-7 | フィリピン | 1990年12月10日 | 1990年代 | アキノ,特別会期に新税案提出する。 |
DIA-205-1990-12-10-8 | フィリピン | 1990年12月10日 | 1990年代 | ラモス,経済危機の軍事的解決を拒否。 |
DIA-205-1990-12-11-1 | フィリピン | 1990年12月11日 | 1990年代 | エンリレ,アキノ辞任すれば出馬せず―臨時選挙,最高裁長官を選挙管理内閣の長とすることを提案。 |
DIA-205-1990-12-12-1 | フィリピン | 1990年12月12日 | 1990年代 | 台湾石化プロジェクト正式に撤退決定―商工長官発表。USI Far East会長が5日付けBOI宛書簡で。 |
DIA-205-1990-12-12-2 | フィリピン | 1990年12月12日 | 1990年代 | コファンコ,大統領選挙出馬を示唆―帰国以来初めて公開の場に姿を見せ,Chamber of Filipino Entrepreneurs(COFE)創立大会で「もし私があなたが求めている指導者であると確信するならば,この国を自立に引き戻すに当たって自分の分を果たすという義務に背を向けないであろう」と演説,出馬の意向を示唆。 |
DIA-205-1990-12-13-1 | フィリピン | 1990年12月13日 | 1990年代 | 特別会期招集―歳入134.5億ペソ調達の5緊急法案審議のため。(1)外国投資の投資活動自由化。(2)木材,林産品に対する森林料の増額(32億ペソ)。(3)外国人滞在合法化計画制度化(45億ペソ)。(4)事業・プロフェッショナルの税額控除制限法案(20億ペソ)。(5)全ての未払い関税に対する租税アムネスティ法案(37.5億ペソ)。 |
DIA-205-1990-12-13-2 | フィリピン | 1990年12月13日 | 1990年代 | アキノ,商工長官の辞表受理。 |
DIA-205-1990-12-13-3 | フィリピン | 1990年12月13日 | 1990年代 | アキノ,一つの中国政策を再確認―李鵬中国首相歓迎の晩饗会の演説で。14日アキノ・李会談で,李首相はクレジットで原油30万トンの供給とバス100台の贈与を申し出。中国は,フィリピンの「純粋に商業的および非政府の台湾との関係」を気にしないと発表。しかし,中国は台湾との公式関係には不賛成を表明しよう。 |
DIA-205-1990-12-13-4 | フィリピン | 1990年12月13日 | 1990年代 | アキノ,国家警察設立法に署名―RA6975号。内務・自治省を設立,国家警察(PNP)を置く。 |
DIA-205-1990-12-14-1 | フィリピン | 1990年12月14日 | 1990年代 | 首都労働者10万,石油値上げ抗議デモに参加―首都10大学の学生も参加。ルソンの他地方でも抗議行動。南カマリネスで28市町長・知事が同情ストに参加。 |
DIA-205-1990-12-15-1 | フィリピン | 1990年12月15日 | 1990年代 | 全国のバス料金値上げ承認。 |
DIA-205-1990-12-15-2 | フィリピン | 1990年12月15日 | 1990年代 | 医療団,湾岸に出発―270人。サウジ政府要請で。 |
DIA-205-1990-12-16-1 | フィリピン | 1990年12月16日 | 1990年代 | NPAのクリスマス,新年休戦発表―NDF声明:NPAはクリスマスの48時間(24日午前1時~26日午前1時),新年の72時間(30日午前1時~1月2日午前1時),戦闘行為を停止するよう命令された。 |
DIA-205-1990-12-17-1 | フィリピン | 1990年12月17日 | 1990年代 | アキノ辞任要求運動―CAMRA(コリー・アキノ即時辞任運動),議長カラウ元上院議員。10月以降ほぼ200万の署名を集めた。 |
DIA-205-1990-12-17-2 | フィリピン | 1990年12月17日 | 1990年代 | サンチャゴ,新党を結成する―候補として引き受ける既存政党がないので,今月選管に,リー首相の人民行動党に類似の新党を党録申請する。大衆基盤は人数的に大多数を占める青年と女性からなる。新党は自分の反汚職運動,“Movers”(責任ある公務員運動,公称20万人)とは独立。党綱領の主要項目は社会の腐敗と汚職の停止および伝統政治の改革になろう。マルコス一族の帰国を認めることに賛成。 |
DIA-205-1990-12-18-1 | フィリピン | 1990年12月18日 | 1990年代 | アキノ,石油補助金の復活を拒否。 |
DIA-205-1990-12-18-2 | フィリピン | 1990年12月18日 | 1990年代 | PCGG,イメルダ和解交渉を取りやめ。 |
DIA-205-1990-12-18-3 | フィリピン | 1990年12月18日 | 1990年代 | 米軍当局,米国人の旅行制限をさらに緩和―NPAの脅威減少として。今回の基地交渉中には事件発生せず。 |
DIA-205-1990-12-19-1 | フィリピン | 1990年12月19日 | 1990年代 | 87年8月反乱の将兵81人に禁固刑判決―軍事法廷,反乱・殺人罪で,最高32年の重労働・禁固刑。 |
DIA-205-1990-12-19-2 | フィリピン | 1990年12月19日 | 1990年代 | 日本,地震・経済復旧商品援助282億円調印。 |
DIA-205-1990-12-19-3 | フィリピン | 1990年12月19日 | 1990年代 | 石油製品10%供給削減命令を廃止。 |
DIA-205-1990-12-20-1 | フィリピン | 1990年12月20日 | 1990年代 | 首都最低賃金,12ペソ引き上げ―118ペソに。首都賃金委員会。TUCPの30ペソ申請が審議中のため暫定調整で,日額142ペソ以下に適用。24日発効。 |
DIA-205-1990-12-20-2 | フィリピン | 1990年12月20日 | 1990年代 | 砂糖値上げ―EO第440号。精白糖を15.90ペソ/kgから16.60ペソ/kg(10%のVATを含む)に。 |
DIA-205-1990-12-21-1 | フィリピン | 1990年12月21日 | 1990年代 | オルボス,大統領顧問職を廃止―Vicente Jayme(金融問題担当),Jose de Jesus(福祉担当)の大統領に最も近く,最も影響力のあると考えられている2人のポスト。 |
DIA-205-1990-12-21-2 | フィリピン | 1990年12月21日 | 1990年代 | バルウェグ,人民解放軍を復活―最高裁がコルディレラ自治地方設立の無効を判決後に。 |
DIA-205-1990-12-21-3 | フィリピン | 1990年12月21日 | 1990年代 | バサ空軍基地爆破計画の軍反徒等4人逮捕。 |
DIA-205-1990-12-21-4 | フィリピン | 1990年12月21日 | 1990年代 | ビアソンを次期総参謀長に指名―アキノ,軍創立55周年式典で。フロレス陸軍司令官を副総謀長に指名。 |
DIA-205-1990-12-21-5 | フィリピン | 1990年12月21日 | 1990年代 | 地方賃金委員会,―律生活手当承認―200~500ペソ。東部ビサヤでは300ペソ等で12~4月に実施。 |
DIA-205-1990-12-21-6 | フィリピン | 1990年12月21日 | 1990年代 | ラウレル,野党は大統領選で統一候補を出す―野党指導者達は単一候補を出すことで原則合意した。最近の会合でエンリレ上院議員とE・コファンコはこの計画に合意した。将来の不安定化の動きを避けるためにホナサンを含む全ての反徒指導者を特赦すべきだ。軍の統一後,大統領は武器放棄を条件にCPPを合法化すべきだ。 |
DIA-205-1990-12-21-7 | フィリピン | 1990年12月21日 | 1990年代 | 5日間の特別会期終了―ミトラ下院議長は,この会期はIMFによって「指令された」ものだと公言。下院は大統領提案の4歳入法案を可決したが,上院は森林伐採料40%引き上げ法案のみ可決で,1件も成立せず。 |
DIA-205-1990-12-21-8 | フィリピン | 1990年12月21日 | 1990年代 | マンハッタン4ビル問題解決―マルコス資産。PCGG発表。比政府が資産売却益1075万ドルの46.5%取る。 |
DIA-205-1990-12-21-9 | フィリピン | 1990年12月21日 | 1990年代 | 中銀,預金準備率を25%に引き上げ―28日発効。 |
DIA-205-1990-12-23-1 | フィリピン | 1990年12月23日 | 1990年代 | コファンコ夫人・子弟帰国。 |
DIA-205-1990-12-23-2 | フィリピン | 1990年12月23日 | 1990年代 | ムスリム・ゲリラ1716人,投降―国防長官にコマンダー33人も。全員Bangsa Moro Liberation Organization(BMLO)。武器1045丁,弾薬を引き渡し。 |
DIA-205-1990-12-24-1 | フィリピン | 1990年12月24日 | 1990年代 | 旱魃でラナオで被害―すでに3週間。 |
DIA-205-1990-12-25-1 | フィリピン | 1990年12月25日 | 1990年代 | 国軍発表,NPA勢力は1万7910人―(1)1987年の2万5200人から30%減少した。(2)保有火器も87年の1万5500から90年には1万1830に23.7%減少した。(3)影響下のバランガイ数も,87年の8000から90年には5752に,28%減少した。(4)CPP-NPAのフロント組織は87年の66から54に減った。(5)ミンダナオのMNLFとMILFの総数は87年の2万6200から2万1600に減少。保有火器は1万4000挺から1万1000挺に減り,リーダー9200人が帰順。 |
DIA-205-1990-12-26-1 | フィリピン | 1990年12月26日 | 1990年代 | アキノ,新准将29人任命式。 |
DIA-205-1990-12-26-2 | フィリピン | 1990年12月26日 | 1990年代 | 付加関税を9%に引き上げる―財務長官。計画されていた7%にではなく。歳入確保のため。 |
DIA-205-1990-12-26-3 | フィリピン | 1990年12月26日 | 1990年代 | サウジ,比に7億5000万ドル繋ぎ融資供与に合意。 |
DIA-205-1990-12-27-1 | フィリピン | 1990年12月27日 | 1990年代 | スイス最高裁,マルコス預金3.5億ドル返還承認―フィリピンでこの事件に関する刑事裁判が法的に効力ある判決を下ししだい,返遷されるべきだ。 |
DIA-205-1990-12-28-1 | フィリピン | 1990年12月28日 | 1990年代 | アキノ,湾岸戦争時の米軍の基地使用は可能。 |
DIA-205-1990-12-29-1 | フィリピン | 1990年12月29日 | 1990年代 | アキノ,エスツアル公共事業相の辞表受理。 |
DIA-205-1991-01-02-1 | フィリピン | 1991年01月02日 | 1990年代 | 下院,大統領に戦時緊急権限付与に同意-緊急幹部会で。緊急権限付与11分野の規定法案を準備。 |
DIA-205-1991-01-02-2 | フィリピン | 1991年01月02日 | 1990年代 | 内務・自治相,すべての検問所の撤去命令。 |
DIA-205-1991-01-02-3 | フィリピン | 1991年01月02日 | 1990年代 | 米海兵隊,スビックで湾岸出撃の準備。 |
DIA-205-1991-01-03-1 | フィリピン | 1991年01月03日 | 1990年代 | アキノ,支出削減措置に署名-行政命令第205号。地方政府,政府所有・管理企業も対象。職員を6月までに5%,年末までに10%削減,等。 |
DIA-205-1991-01-03-2 | フィリピン | 1991年01月03日 | 1990年代 | NDF,湾岸介入の米施設攻撃する-湾岸紛争干渉の特定の施設を攻撃目標にすると警告。 |
DIA-205-1991-01-03-3 | フィリピン | 1991年01月03日 | 1990年代 | 銀行,高金利で貸付一時停止-大幅に削減または停止に。先週の財務省証券加重平均レートほぼ34%。 |
DIA-205-1991-01-03-4 | フィリピン | 1991年01月03日 | 1990年代 | 中東出稼ぎ,緊急避難計画-サウジに59.1万,オマーン2万,UAE9万,バーレインとカタール各1.5万。 |
DIA-205-1991-01-03-5 | フィリピン | 1991年01月03日 | 1990年代 | 環境省,ラグナ湖岸工場の段階的移転勧告-約1000企業。 |
DIA-205-1991-01-04-1 | フィリピン | 1991年01月04日 | 1990年代 | アキノ,輸入賦課金を9%に引き上げ-5%から引き上げる大統領令(EO)443号に署名。 |
DIA-205-1991-01-04-2 | フィリピン | 1991年01月04日 | 1990年代 | 若王子事件容疑者を逮捕-NPA容疑者,Florencio Montepa(30歳)。日本赤軍の事件関与を確認。 |
DIA-205-1991-01-06-1 | フィリピン | 1991年01月06日 | 1990年代 | YOUスポークスマン等2人,逮捕-Emiliano Ong中尉(ペンネーム,Emil Maglaya大尉が有名),Gregorio Tomas中尉,両者とも85年PMA卒。 |
DIA-205-1991-01-07-1 | フィリピン | 1991年01月07日 | 1990年代 | ガソリン配給制に備え自動車登録命令。 |
DIA-205-1991-01-07-2 | フィリピン | 1991年01月07日 | 1990年代 | AFP,総司令部の幕僚人員削減へ。 |
DIA-205-1991-01-08-1 | フィリピン | 1991年01月08日 | 1990年代 | PAL,中東便をキャンセル。 |
DIA-205-1991-01-08-2 | フィリピン | 1991年01月08日 | 1990年代 | 最高裁,死刑の復活勧告。 |
DIA-205-1991-01-08-3 | フィリピン | 1991年01月08日 | 1990年代 | 基地交渉米側,5年段階撤退に反対-外務長官とArmitage米主席代表,PACT議題設定のため会談。 |
DIA-205-1991-01-10-1 | フィリピン | 1991年01月10日 | 1990年代 | 物価統制5品目の上限価格引き上げ-アキノ,EO0445号署名。10~12%引き上げ。 |
DIA-205-1991-01-10-2 | フィリピン | 1991年01月10日 | 1990年代 | イメルダの銀器,500万㌦で競売。 |
DIA-205-1991-01-10-3 | フィリピン | 1991年01月10日 | 1990年代 | BOI登録企業は9%輸入賦課金免除-商工長官,輸出製品の生産に使われる原材料の輸入に対する輸出者の関税払い戻し特権も維持される。 |
DIA-205-1991-01-10-4 | フィリピン | 1991年01月10日 | 1990年代 | BOI,ポリプロピレン・プラント承認。 |
DIA-205-1991-01-10-5 | フィリピン | 1991年01月10日 | 1990年代 | 米軍地位協定で前進なし。 |
DIA-205-1991-01-11-1 | フィリピン | 1991年01月11日 | 1990年代 | 米,2基地の返還に合意-91年9月17日までに,San Miguel naval communications satationとWallace air stationを。また,米側は米軍人,扶養家庭,民間従業員への比移民法適用に合意。 |
DIA-205-1991-01-14-1 | フィリピン | 1991年01月14日 | 1990年代 | IMF交渉開始。 |
DIA-205-1991-01-15-1 | フィリピン | 1991年01月15日 | 1990年代 | 比労働者,リヤドに避難-2000人がイラク国境付近の2市からリヤドに。 |
DIA-205-1991-01-15-2 | フィリピン | 1991年01月15日 | 1990年代 | BOI登録発電施設,60万kW-90年に1000社以上。 |
DIA-205-1991-01-15-3 | フィリピン | 1991年01月15日 | 1990年代 | 米国に軍事攻撃使用の事前協議要求する-オルボス官房長官,14日上院で基地の中東戦争使用に警告したタニャーダ上院議員に1月15日付け書簡で保証。 |
DIA-205-1991-01-17-1 | フィリピン | 1991年01月17日 | 1990年代 | 25日にIMF趣意書に署名予定-Teves下院議員。IMFと原則的合意が達せられた。55億ペソの財政赤字削減を約束。IMFの主要関心は赤字削減能力にある。 |
DIA-205-1991-01-17-2 | フィリピン | 1991年01月17日 | 1990年代 | アキノ,多国籍軍のイラク空爆を支持。 |
DIA-205-1991-01-17-3 | フィリピン | 1991年01月17日 | 1990年代 | Bibid元中佐を再逮捕-90年1月逮捕,90年4月8日マニラ市刑務所から脱走。 |
DIA-205-1991-01-17-4 | フィリピン | 1991年01月17日 | 1990年代 | 大統領府・内閣制度改編EO446号発行-オルボス官房長官による改編を正式化。内閣は任命委承認の省庁の長のみに,10人の大統領顧問と補佐官が降格に。 |
DIA-205-1991-01-18-1 | フィリピン | 1991年01月18日 | 1990年代 | 上院で比米相互防衛条約破棄の動き-上院議員6人が同趣旨の決議支持を確認。1951年締結。 |
DIA-205-1991-01-19-1 | フィリピン | 1991年01月19日 | 1990年代 | 米情報文化センター前で爆発-爆弾を運んでいたイラク人2人のうち1人死亡,1人負傷。 |
DIA-205-1991-01-21-1 | フィリピン | 1991年01月21日 | 1990年代 | 偶・奇数ナンバー制の給油規制開始。 |
DIA-205-1991-01-22-1 | フィリピン | 1991年01月22日 | 1990年代 | 新国軍参謀総長就任-Rodolfo Biazon参謀次長が退役するRenato de Villa(88年初に就任,37年勤続)から引継ぎ。4月に退役予定。 |
DIA-205-1991-01-22-2 | フィリピン | 1991年01月22日 | 1990年代 | 銀行協会,食料・医薬輸入に外貨24%割当て合意。 |
DIA-205-1991-01-24-1 | フィリピン | 1991年01月24日 | 1990年代 | IMF趣意書を下院原則受け入れ,上院一部反対。 |
DIA-205-1991-01-24-2 | フィリピン | 1991年01月24日 | 1990年代 | イラク外交官を国外退去処分。 |
DIA-205-1991-01-27-1 | フィリピン | 1991年01月27日 | 1990年代 | 南カマリネス等でNPA戦闘,29人死亡。 |
DIA-205-1991-01-28-1 | フィリピン | 1991年01月28日 | 1990年代 | 対NPCの燃料費補助金を廃止-Energy Regulatory Board,決議No.91-01発行。16日からERB決議No.87-07(87年11月)に基づく補助金PO.5567/1廃止。 |
DIA-205-1991-01-28-2 | フィリピン | 1991年01月28日 | 1990年代 | 台湾財界・議員代表団,アキノを表敬訪問。 |
DIA-205-1991-01-28-3 | フィリピン | 1991年01月28日 | 1990年代 | 2放送局に爆弾投入-レガスピ市。 |
DIA-205-1991-01-29-1 | フィリピン | 1991年01月29日 | 1990年代 | マラウイで湾岸戦争反対反米デモ-フィリピン人ムスリム約2000人が星条旗を燃やし,抗議デモ。 |
DIA-205-1991-01-29-2 | フィリピン | 1991年01月29日 | 1990年代 | 農民団体,カビテ,ラグナの農地転用停止要求。 |
DIA-205-1991-01-29-3 | フィリピン | 1991年01月29日 | 1990年代 | ロムロ上院議員,全国・地方選挙分離を要求。 |
DIA-205-1991-01-30-1 | フィリピン | 1991年01月30日 | 1990年代 | NPA,VOA施設破壊に失敗-12人がVOA構内に侵入したが,警備隊に撃退された。 |
DIA-205-1991-01-31-1 | フィリピン | 1991年01月31日 | 1990年代 | 米国,今年度基地補償は前年比4600万㌦増に-米大使館発表数値。88年の基地協定レビュー約束額(90~91年度に9億6200万㌦)に1億3320万㌦不足。 |
DIA-205-1991-01-31-2 | フィリピン | 1991年01月31日 | 1990年代 | サウジアラビア大使館ビルで爆発。 |
DIA-205-1991-01-31-3 | フィリピン | 1991年01月31日 | 1990年代 | 5イラク人のビザ取消-出稼ぎ労働者募集に従事。 |
DIA-205-1991-02-01-1 | フィリピン | 1991年02月01日 | 1990年代 | 政府,成長予測を上方改訂-NEDA長官。原油価格の低下でGNP0.4%の最悪シナリオは破棄,2~3%の成長達成が可能。 |
DIA-205-1991-02-04-1 | フィリピン | 1991年02月04日 | 1990年代 | 気象庁,各地方での旱魃開始を正式発表-特にミンダナオ,西ビサヤ地方で9週間の降水不足後。 |
DIA-205-1991-02-04-2 | フィリピン | 1991年02月04日 | 1990年代 | 財務省,肥料の9%賦課金免除承認。 |
DIA-205-1991-02-06-1 | フィリピン | 1991年02月06日 | 1990年代 | NPC,3月に値上げ-配電会社には26日から25センタボ/kWh,消費者は3月,4月に各10.22センタボ/kWh(平均8%)。燃料補助金の廃止等のため。 |
DIA-205-1991-02-06-2 | フィリピン | 1991年02月06日 | 1990年代 | RAMの2幹部逮捕-Abraham A. Purugganan少佐,Victpr G. Batac中佐。 |
DIA-205-1991-02-11-1 | フィリピン | 1991年02月11日 | 1990年代 | アキノ,名誉毀損裁判で証言-マニラ地裁で。Luis Beltran,Maximo Soliven他3人の被告。 |
DIA-205-1991-02-12-1 | フィリピン | 1991年02月12日 | 1990年代 | 30億㌦貿易信用の延長支持-12行外銀諮問委員会が。利用率は平均70~75%。債権行は約300余。 |
DIA-205-1991-02-13-1 | フィリピン | 1991年02月13日 | 1990年代 | 今週中に基地条約暫定合意-当局者示唆。主要問題は今週中に解決しよう。米スポークスマン:今回の交渉中(15日に終了)に暫定合意達成の希望がある。 |
DIA-205-1991-02-18-1 | フィリピン | 1991年02月18日 | 1990年代 | 上院,基地補償は現行以上に-Gonzales上院議員,上院(のモダレート)は,7年のphaseoutを支持するが,88年のManglapus-Shultz協定の約束額(4億8100万㌦)より少ない補償は受け入れないだろう。他の上院議員も基地期間・補償に不満・批判を表明。 |
DIA-205-1991-02-20-1 | フィリピン | 1991年02月20日 | 1990年代 | クラークの米軍兵力で合意-技術レベル交渉で。撤退前の米軍人・民間人の総数は約1万人。91年9月までにクラークに常駐する米関係者を7813人に,92年までに6800人に削減。訓練実施の一時駐留は別枠。 |
DIA-205-1991-02-20-2 | フィリピン | 1991年02月20日 | 1990年代 | IMF,9億1600万㌦,ローンパッケージ承認-中銀総裁発表。(1)18カ月スタンバイ取決めに基づく3億8500万㌦。25%を債務削減計画に留保。(2)補完的・緊急融資4億0300万㌦。(3)追加緊急ファンド1億2800万㌦。 |
DIA-205-1991-02-21-1 | フィリピン | 1991年02月21日 | 1990年代 | 上院,基地協定で米から債務救済合意取付を-パテルノ上院議員が提案。基地補償の現金外支払いの最善の形態として多くの議員が賛成。 |
DIA-205-1991-02-21-2 | フィリピン | 1991年02月21日 | 1990年代 | 上院10議員,基地協定条件を拒否-サロンガによる非公式投票で13議員中10議員が。 |
DIA-205-1991-02-22-1 | フィリピン | 1991年02月22日 | 1990年代 | 最高裁,閣僚等の政府機関兼任は違憲-長官,次官,次官補。この慣行(他に二つの兼任と報酬)を認めたEO284号(87年7月25日)の違憲判断を求めた比汚職反対同盟の訴えを認めた。 |
DIA-205-1991-02-22-2 | フィリピン | 1991年02月22日 | 1990年代 | 上院,債務返済制限法の修正に同意-Romulo金融第3小委員会委員長。10%上限の下院案を修正,国際機関および2国間ローンは除外。 |
DIA-205-1991-02-25-1 | フィリピン | 1991年02月25日 | 1990年代 | 上院,ミトラの基地レファレンダム提案拒否-週末にミトラ,上院の批准前に実施を提案。サロンガ,サギサグ,タニャーダが反対表明。 |
DIA-205-1991-02-25-2 | フィリピン | 1991年02月25日 | 1990年代 | 第3回PAPプレッジング・セッション開催-香港,フィリピン援助計画会議。26日33億㌦約束。前回東京会議では35億㌦。最大は日本で15.6億㌦,米国1.6億㌦,世銀8.69億㌦を約束。PAP援助国は9%輸入賦課金の廃止を要請。 |
DIA-205-1991-02-25-3 | フィリピン | 1991年02月25日 | 1990年代 | 公務員特別裁判所,クローニ企業差押えを解除-エドアルド・コファンコのManila International Port Terminal, Inc. PCGG対International Copra Export Corp.事件での最高裁判決(憲法規定に従い6カ月以内に訴訟手続きを取らなかった場合,PCGGの差押え令状は解除されたと自動的に見なされる)に従い。同裁判所は,UCPBとSMCの株式差し押さえにも適用。 |
DIA-205-1991-02-26-1 | フィリピン | 1991年02月26日 | 1990年代 | ミンダナオ,2時間停電継続-旱魃による水位低下でAgus1(8万kW)停止。 |
DIA-205-1991-02-26-2 | フィリピン | 1991年02月26日 | 1990年代 | ピメンテル,大統領選挙出馬意向示唆。 |
DIA-205-1991-02-27-1 | フィリピン | 1991年02月27日 | 1990年代 | 上院議員14人,新基地協定に反対-サロンガ実施の非公式投票で。9人は,協定の最終版が未定として意見留保。 |
DIA-205-1991-02-27-2 | フィリピン | 1991年02月27日 | 1990年代 | アキノ政治抗議デモ-“Mother of all rallies”主催。25日の政府主催のEDSA5周年集会(1万人参加)に対抗して約2万人が官邸に向けデモ。この民主主義はわれわれを混乱に導いた,と批判。 |
DIA-205-1991-02-27-3 | フィリピン | 1991年02月27日 | 1990年代 | 大統領8立候補予定者,公正選挙要求宣言-大統領に対して公正,不偏,秩序ある,信用できる選挙の実施を求める宣言に署名。コファンコ,サロンガ,エストラーダ,マセダ,ピメンテル,エンリレ,ミトラ,ラウレル。宣言に名前が記載されているが署名しなかった者:オルボス,ラモス,サンチャゴ。 |
DIA-205-1991-03-04-1 | フィリピン | 1991年03月04日 | 1990年代 | 91年GNP成長率,2.5%可能-NEDA長官。上院委員会証言。予測1.5~2.5%の上方で。 |
DIA-205-1991-03-04-2 | フィリピン | 1991年03月04日 | 1990年代 | カビテ輸出加工区(EPZ)拡張停止EO密かに発行-2月14日にEO448号。本EOはE0407号(90年6月)を事実上修正。E0407号は「政府企業を含む全ての政府機関に農業に適する全ての土地の所有権をCARPに基づく分配のためにDARに移転すること」を指示。しかし,同EOは以前の大統領宣言で他の目的に留保された土地をカバーせず。 |
DIA-205-1991-03-04-3 | フィリピン | 1991年03月04日 | 1990年代 | 補助なければ5年間毎年23センタボ/kWh値上げ必要-NPC社長,下院公聴会で。1月に最高裁がNPCは不動産税免除されないとの判決後,NPCは電力料金値上げを決定。84年6月11日~90年末で75億ペソ支払い必要に。 |
DIA-205-1991-03-04-4 | フィリピン | 1991年03月04日 | 1990年代 | カビテEPZ拡張は推進する-EPZA(輸出加工区庁),DAR主張に対しEO448号はCEPZに適用されない,と反論。CEPZ留保地はPD1980号による。 |
DIA-205-1991-03-04-5 | フィリピン | 1991年03月04日 | 1990年代 | サンボアンガで8人が叛徒の人質に-2台のトラックの乗客のうち8人が。2万ペソの身の代金要求。また,サマール島の木材伐採会社の襲撃で兵士2人が人質に。4日,5州での戦闘で叛徒3人,兵・民間人2人が死亡。 |
DIA-205-1991-03-05-1 | フィリピン | 1991年03月05日 | 1990年代 | John Hay基地の返還後保全で比米当局協議-1月31日のCapas Transmitter SiteとSan Miguel Naval Station返還後の内外部略奪は当局間の連絡不足が原因との指摘で。 |
DIA-205-1991-03-05-2 | フィリピン | 1991年03月05日 | 1990年代 | 外務長官,米高官等と会談-基地補償パッケージ増額のため訪米中。国務長官,副大統領,国防長官,財務長官,数人の議員らと。米大使館は,米政府は議会に総額3.6億㌦の基地補償予算割当を要請した,と発表。 |
DIA-205-1991-03-05-3 | フィリピン | 1991年03月05日 | 1990年代 | コファンコ,大統領選出馬計画を公表-「フィリピン党」(Partido Pilipino)候補として。 |
DIA-205-1991-03-06-1 | フィリピン | 1991年03月06日 | 1990年代 | ラモス国防長官,大統領選出馬を示唆-しかし,すでにLDPに加わったとの報道を否定。 |
DIA-205-1991-03-07-1 | フィリピン | 1991年03月07日 | 1990年代 | 中東出稼ぎ派遣禁止令を解除-戦争終結で。 |
DIA-205-1991-03-08-1 | フィリピン | 1991年03月08日 | 1990年代 | LP,サロンガを大統領候補に指名-ギンゴーナを副大統領候補に,他方,エストラーダ上院議員は正副大統領候補選出の秘密投票開始前に離党届け送付。サロンガはLP候補選出で「独裁的」だと非難,大統領に立候補し,自分の政党を結成すると表明。 |
DIA-205-1991-03-11-1 | フィリピン | 1991年03月11日 | 1990年代 | 議会・政府,政策策定で共同歩調へ-債権国・機関の反対に応じて,共通の政策アジェンダの策定で調整し,債権者が提起した問題に対処しつつある。バガチン下院議員:両者の現在の優先問題の一つは,投資環境の改善。より自由な外国投資法の制定や,BOIから規制権限を除き,投資促進へ焦点をシフトさせる措置。 |
DIA-205-1991-03-11-2 | フィリピン | 1991年03月11日 | 1990年代 | 比・中貿易プロトコール調印-先週。目標4.5億㌦,過去2年間と同額。89年実績2億7130万㌦。 |
DIA-205-1991-03-11-3 | フィリピン | 1991年03月11日 | 1990年代 | 米,比側基地補償額に原則反対せず-外務長官。問題は,ハード部分の構成を変更することだが,比側は代わりに,7年以上に米軍の駐留を延ばすことにもドアを閉ざさず。米側はソフト部分に基本的反対はない。 |
DIA-205-1991-03-12-1 | フィリピン | 1991年03月12日 | 1990年代 | ホセ・コファンコ,地方分散農地改革提案-遅れている改革促進のため。 |
DIA-205-1991-03-12-2 | フィリピン | 1991年03月12日 | 1990年代 | アキノ,基地補償に債務削減組込みを支持。 |
DIA-205-1991-03-13-1 | フィリピン | 1991年03月13日 | 1990年代 | 輸入賦課金廃止まで,石油値下げせず-財務長官,代替財源を確保できるまで。 |
DIA-205-1991-03-13-2 | フィリピン | 1991年03月13日 | 1990年代 | LDP,規律違反で2下院議員を除名処分-このほど執行委員会でJuantio Camasura, Jr.とBenjamin Bautistaの除名決議を採択。Sumulong下院与党院内総務:党執行部は先にLDP南ダバオ州評議会が承認した決議(E.Cojuangco Jr.のものとされる政党の地方支部を組織したとして2下院議員を除名)を確認したにすぎない。Hermino Aquino下院議員:党内のパージの端緒にすぎない。党執行部はコファンコと密接な繋がりのある下院議員約20人を注視している。 |
DIA-205-1991-03-13-3 | フィリピン | 1991年03月13日 | 1990年代 | DAR,CEPZ用地で譲歩-閣議でDAR長官はアキノに争点のCEPZ拡張用地はCARPの対象にされない,DARはEO448号の対象地域を特定することになろうと保証。 |
DIA-205-1991-03-13-4 | フィリピン | 1991年03月13日 | 1990年代 | ソ連,比空軍に軍用機のリース申し出。 |
DIA-205-1991-03-14-1 | フィリピン | 1991年03月14日 | 1990年代 | 米側の基地補償額提案,3億9342.8万㌦に-最近のUSIA報告。食糧援助を含めると,比側要求4億㌦に近い額になる。PAP向けの1.6億㌦を除き米国務省は議会に上記額の対比支出割当てを要請。内訳:外国軍事援助2億㌦,経済支援基金1.2億㌦,開発援助4000万㌦,PL480号タイトルⅠ2000万㌦,同タイトルⅡ1億3428万㌦。 |
DIA-205-1991-03-14-2 | フィリピン | 1991年03月14日 | 1990年代 | 湾岸戦終結で,GNP予測2.5~4%に-NEDA長官。インフレは平均15.7%。 |
DIA-205-1991-03-14-3 | フィリピン | 1991年03月14日 | 1990年代 | 下院選挙裁判所メンバー辞任-LDPによるCamasura議員のメンバー撤回決定に抗議して残る8人が辞任。 |
DIA-205-1991-03-14-4 | フィリピン | 1991年03月14日 | 1990年代 | 地主団体,農地評価の新方式提案-Solidarity of Landowners in Central Luzon。 |
DIA-205-1991-03-14-5 | フィリピン | 1991年03月14日 | 1990年代 | DAR,農改援助国協議会議の開催を取り消し-長官公表。多くの論争(汚職からCEPZ問題まで)があり会議を推進しないほうがよいだろう。代わりに,援助機関と2国間交渉を行なう。 |
DIA-205-1991-03-15-1 | フィリピン | 1991年03月15日 | 1990年代 | 最高裁,コファンコ資産差押えを支持-正当な手続に対する権利を侵害しているとしたEduardo Cojuangcoの凍結資産回復申請を却下。マルコス政権と関係の深かった61人の個人の資産を差し押さえるPCGGの決定を支持した公務員特別裁判所の判決を再述したもの。対象:UCPB,SMC,Philsov Shipping Co.の持株,不動産,妻・息子・兄弟の資産。 |
DIA-205-1991-03-15-2 | フィリピン | 1991年03月15日 | 1990年代 | ラモス,イメルダ帰国の脅威は小さい-ビアソン参謀総長も同意見表明。 |
DIA-205-1991-03-18-1 | フィリピン | 1991年03月18日 | 1990年代 | 輸入肥料は第4四半期まで補助。 |
DIA-205-1991-03-18-2 | フィリピン | 1991年03月18日 | 1990年代 | イメルダ夫人に旅券発行しない-外務長官。これが自分が受けている最新の命令だ。官房長官:われわれはまだこの問題をレビューしている。 |
DIA-205-1991-03-18-3 | フィリピン | 1991年03月18日 | 1990年代 | LDP,5月27日に大統領候補選出-ホセ・コファンコ書記長発表,550人の地方・全国リーダーが参加する全員会議を開催。他方,Leonardo Guerrero下院議員:LDPは党に忠誠でない党員を除名するだろう。156人の党下院議員のうち15%(22~25人)が党を支持していないか,エドアルド・コファンコ側を支持している。 |
DIA-205-1991-03-19-1 | フィリピン | 1991年03月19日 | 1990年代 | 米,基地補償に五つのオプション提示-アーミタージュ米代表の2月5日付け外務長官宛の書簡で。反基地の大義志向グループがメディアに公表。期間による補償額のマトリックスを概説。交渉結果により最少1億6000万㌦から最大5億2000万㌦。 |
DIA-205-1991-03-20-1 | フィリピン | 1991年03月20日 | 1990年代 | 陸軍,兵力を20%削減予定-Lisandro Abadia陸軍司令官・中将。対外防衛モードヘのシフトに備えて,7.5万から6万に削減する。人員,装備組織も改革する。国軍近代化に1400億ペソ必要。 |
DIA-205-1991-03-20-2 | フィリピン | 1991年03月20日 | 1990年代 | LDP,軍人・上院議員をリクルート-ミトラ下院議長。4月中旬に退役したら入党するようBiazon参謀総長を,その他,Rafael Illeto大統領安全保障顧問・元国防長官,ラモス国防長官,Renato de Villa元参謀総長,Angara,Aquino上院議員の入党を勧誘している。 |
DIA-205-1991-03-21-1 | フィリピン | 1991年03月21日 | 1990年代 | 最高裁,畜産業のCARP対象外判決再確認-先週,家畜農場をCARPの対象外とした昨年の判決の再考を求める1月2日付けDARの申し立てを却下。 |
DIA-205-1991-03-21-2 | フィリピン | 1991年03月21日 | 1990年代 | ニューヨーク領事,イメルダの旅券発行を拒否。 |
DIA-205-1991-03-22-1 | フィリピン | 1991年03月22日 | 1990年代 | アキノ,前商工長官をPNOC会長に任命-Jose Concepcion。前任はCatalino Macaraig元官房長官。 |
DIA-205-1991-03-23-1 | フィリピン | 1991年03月23日 | 1990年代 | ラモス,LDPに入党届け提出-他方,23日新設の“United People’s Power Movement”(UPPM)が“People Power Assembly”を開催。UPPM(委員長R. de la Cruzマニラ・ロータリークラブ元会頭):過去3カ月間にラモスの立候補を支持する500万の署名を集めている。また,21日Jose Cojuangco主催でラモス,ミトラ,法務長官,予算長官等閣僚を集めて夕食会開催。 |
DIA-205-1991-03-24-1 | フィリピン | 1991年03月24日 | 1990年代 | UPPM,ラモス支援で政党設立に合意-指導部は,もしラモスがLDPの大統領候補指名を得られない場合,その立候補を推進するために政党を組織することに合意。2日間の大会開催,800人の代表はラモスの立候補を求める決議を採択。 |
DIA-205-1991-03-24-2 | フィリピン | 1991年03月24日 | 1990年代 | 湾岸戦参加の米6艦船,スビックに寄港-Okinawa(乗員4000)他,米海軍上陸作戦グループの艦隊。 |
DIA-205-1991-03-25-1 | フィリピン | 1991年03月25日 | 1990年代 | LDP,ラモスにUPPM参加で警告-新聞声明。党は党加入を心理的に留保している個人を容赦しないであろう。 |
DIA-205-1991-03-25-2 | フィリピン | 1991年03月25日 | 1990年代 | 日本輸銀,DBPとAJDEローン調印-8300万㌦相当の円建て。15年,6.6%。 |
DIA-205-1991-03-26-1 | フィリピン | 1991年03月26日 | 1990年代 | 第17次円借款調印-これまでの最大の1200億円。プログラム・ローン3件(370億円),プロジェクト・ローン14件(834億円)。条件:プログラムは25年,プロジェクトは30年,年利2.7%。 |
DIA-205-1991-03-27-1 | フィリピン | 1991年03月27日 | 1990年代 | 農業省,土地利用政策提案-同省招集のthe multisectoral task force on land use policyが策定。約320万㌶を保護地域とする,160万㌶は1級灌漑地,160万㌶は灌漑可能地。 |
DIA-205-1991-03-28-1 | フィリピン | 1991年03月28日 | 1990年代 | 通貨委,20品目の輸入を自由化-IMFの貿易改革要件に従って。回状1279号。クラフト紙,音響機器。 |
DIA-205-1991-03-28-2 | フィリピン | 1991年03月28日 | 1990年代 | パリクラブに第4次リスケ要請-91年7月~92年12月満期の14カ国に対する債務約16億㌦。元本,利子両方の100%リスケを要請。 |
DIA-205-1991-03-28-3 | フィリピン | 1991年03月28日 | 1990年代 | 和平擁護グループ,「和平過程の枠組み」提出-内閣安全保障会議に。教会後援の和平擁護グループ。 |
DIA-205-1991-04-01-1 | フィリピン | 1991年04月01日 | 1990年代 | PCGG,イメルダ残余資産回収で和解解決の方針-David Castro委員長。3.5億㌦のこれまでに確認されているスイス銀行預金以外の資産で。 |
DIA-205-1991-04-01-2 | フィリピン | 1991年04月01日 | 1990年代 | クラメ基地正門で爆発-午後10時頃。 |
DIA-205-1991-04-03-1 | フィリピン | 1991年04月03日 | 1990年代 | 閣議,NPC値上げ原則承認-資金不足カバーと8%の利益率達成のため。 |
DIA-205-1991-04-03-2 | フィリピン | 1991年04月03日 | 1990年代 | ラモス,日本に地域安保の維持・増強分担を要求-東京の演説で。日本はアジア・太平洋における新秩序形成で積極的な役割を果たさなければならない。ソ連はアジアに大きな軍事プレゼンスを維持,アジア諸国にとって引き続き主要な関心事だ。米国は在比勢力を現在(1万4700人)の3分の1に減らすことになろう。 |
DIA-205-1991-04-05-1 | フィリピン | 1991年04月05日 | 1990年代 | 財務省,半導体産業の9%輸入賦課金免除。 |
DIA-205-1991-04-05-2 | フィリピン | 1991年04月05日 | 1990年代 | 3月のIMF目標すべて達成-中銀総裁。 |
DIA-205-1991-04-06-1 | フィリピン | 1991年04月06日 | 1990年代 | アキノ,参謀総長にAbadia陸軍司令官を指名-12日正式就任。比士官学校(PMA)62年卒。 |
DIA-205-1991-04-08-1 | フィリピン | 1991年04月08日 | 1990年代 | Aguirre参謀次長,辞任-無期限(450日以上)の休暇を申請。次期参謀総長に(42人の先任将校を飛び越えて)アバディア中将を指名したアキノの「不公正な決定」に抗議して。アキノは辞表を受理。 |
DIA-205-1991-04-09-1 | フィリピン | 1991年04月09日 | 1990年代 | 世銀,中銀の輸出再割引窓口維持に合意-中銀総裁。 |
DIA-205-1991-04-09-2 | フィリピン | 1991年04月09日 | 1990年代 | MMの4カ所で爆弾事件-BPI支店3カ所とMeralco変電所で。 |
DIA-205-1991-04-10-1 | フィリピン | 1991年04月10日 | 1990年代 | 養魚業者,最高裁にCARL免除を要請-Phil. Federation of Fish Farm Producers(PFFP)所属の500以上の個人・組織。 |
DIA-205-1991-04-10-2 | フィリピン | 1991年04月10日 | 1990年代 | イメルダ,旅券発行拒否で外務長官らを提訴-オンブズマンに。 |
DIA-205-1991-04-11-1 | フィリピン | 1991年04月11日 | 1990年代 | 新陸軍司令官にEnrile准将就任-アバディア新参謀総長から引き継ぎ。 |
DIA-205-1991-04-14-1 | フィリピン | 1991年04月14日 | 1990年代 | アギーレ中将,聡明な指導者が就任すれば復帰。 |
DIA-205-1991-04-14-2 | フィリピン | 1991年04月14日 | 1990年代 | 海軍,台湾漁船員9人を領海侵犯で拘留-ルソン北端から4海里のY’ami島付近の12海里領海内を侵犯。 |
DIA-205-1991-04-15-1 | フィリピン | 1991年04月15日 | 1990年代 | 上院,オゾン層保護の2国際条約批准。 |
DIA-205-1991-04-15-2 | フィリピン | 1991年04月15日 | 1990年代 | 叛徒大尉を逮捕-元PC大尉Edgardo H. Divina。 |
DIA-205-1991-04-15-3 | フィリピン | 1991年04月15日 | 1990年代 | オスメニヤ・セブ知事,大統領選に加わる。 |
DIA-205-1991-04-16-1 | フィリピン | 1991年04月16日 | 1990年代 | 最高裁,コファンコのSMC株主権行使を認む-SMC取締役会からPCGG指名の3取締役を解任,PCGGによる差押え株式の投票権行使を禁止。SMCに,コファンコおよびその他の差押え株を有する個人・企業に15人定員の取締役の選出で投票権行使を認めるよう命令。 |
DIA-205-1991-04-16-2 | フィリピン | 1991年04月16日 | 1990年代 | 退役・現役将校団,アギーレ支持を表明-The Association of AFP Generals and Flag Officers, Inc.。アキノにアギーレの立場を支持するとの書簡を送付。「将校選任で大統領の自由裁量を行使する特権を認めるが,アギーレ将軍が信ずることを擁護する権利をも認める」。将校団メンバー418人,85%が退役将校。 |
DIA-205-1991-04-18-1 | フィリピン | 1991年04月18日 | 1990年代 | アキノ,Abadia中将(兄)を空軍司令官に任命-Loven Abadia中将(PMA60年卒),空軍副司令官。退役するGerardo Protacio将軍の後任に。 |
DIA-205-1991-04-18-2 | フィリピン | 1991年04月18日 | 1990年代 | 参謀総長,アギーレに警告-将校に相応しい行動の境界を超えないよう警告。 |
DIA-205-1991-04-18-3 | フィリピン | 1991年04月18日 | 1990年代 | シンガポールは,9月以降クラークに駐留不可-外務長官発表。9月以降空軍分遣隊を配置できない。シンガポールに,その旨通告した。 |
DIA-205-1991-04-18-4 | フィリピン | 1991年04月18日 | 1990年代 | バタンガス,サンバレスの数町を被災地域に指定-Taal火山とPinatubo火山の噴火で。 |
DIA-205-1991-04-22-1 | フィリピン | 1991年04月22日 | 1990年代 | 政府公務員団体,1000ペソ賃上げ要求集会-上院前で。Public Sector Compensation Review Panel(PSCRP)。 |
DIA-205-1991-04-22-2 | フィリピン | 1991年04月22日 | 1990年代 | YOU,アギーレ支持を表明-4月10日付け書簡で。彼に起きたことは程度は違えYOUの多くのメンバーにも起きた,として。 |
DIA-205-1991-04-22-3 | フィリピン | 1991年04月22日 | 1990年代 | 新条約でのみ米軍の駐留継続可能-アキノ,憲法規定は明白。新協定の調印後に,政府は条約の大衆支持を集めるキャンペーンを行なう。上院議員に条約批准をアピールするだろう。 |
DIA-205-1991-04-23-1 | フィリピン | 1991年04月23日 | 1990年代 | アキノ,PNBの51%株民営化承認。 |
DIA-205-1991-04-24-1 | フィリピン | 1991年04月24日 | 1990年代 | ミトラ・ラモス,地方予備選挙会設置で合意-LDP大統領候補選出で。ゴンサレス委員長発表。Regional primary systemは全国大会と同等の拘束決定。 |
DIA-205-1991-04-25-1 | フィリピン | 1991年04月25日 | 1990年代 | 上院外交委,比米相互防衛条約廃棄決議の検討勧告-エンリレ上院議員提案。上院決議387号。 |
DIA-205-1991-04-25-2 | フィリピン | 1991年04月25日 | 1990年代 | BOI,非パイオニア分野の外国投資を認可-ただし,後進地域で操業する場合。即時発効。 |
DIA-205-1991-04-25-3 | フィリピン | 1991年04月25日 | 1990年代 | カラカの汚染は依然許容水準を超過-環境省のPollution Adjudication Board当局者。最近の検査で。 |
DIA-205-1991-04-25-4 | フィリピン | 1991年04月25日 | 1990年代 | 最高裁判決で財務長官,BOI理事を辞任。 |
DIA-205-1991-04-25-5 | フィリピン | 1991年04月25日 | 1990年代 | PCGG,マルコスとの和解を考慮-委員長示唆。もしマルコス一族が再び政府に対し50億㌦の解決を申し入れるならば。時間がなく和解が唯一の方法だ。 |
DIA-205-1991-04-27-1 | フィリピン | 1991年04月27日 | 1990年代 | ラモス,LDPに正式入党。 |
DIA-205-1991-04-29-1 | フィリピン | 1991年04月29日 | 1990年代 | ミンダナオ,独自の経済政策策定を要求-ミンダナオ選出の46下院議員が中央政府の干渉を受けない農地改革,土地利用分類等の経済政策策定を要求して。 |
DIA-205-1991-04-29-2 | フィリピン | 1991年04月29日 | 1990年代 | 最高裁,対外債務関係マルコス大統領令は有効-対外債務返済の自動割当て等。PD81,1777,1967号。 |
DIA-205-1991-04-30-1 | フィリピン | 1991年04月30日 | 1990年代 | センダーニヤ元報道長官帰国。 |
DIA-205-1991-04-30-2 | フィリピン | 1991年04月30日 | 1990年代 | 第6回基地交渉開始-進展なく,プレス・ブリーフィングをキャンセル。米政府は30日,米国はフィリピンに数十億ドルの余剰非殺傷軍事機材および土木機材を無料で引き渡してきたし,引き渡しつつある,米本土と中東の病院からの機材は,「比・米(基地)予備交渉から生じた追加援助イニシャチブ」の一部であると発表。 |
DIA-205-1991-04-30-3 | フィリピン | 1991年04月30日 | 1990年代 | アキノ,公務員労組と初の団体協約調印-(1)1月1日からの救済手当,総額72億ペソ,(2)休暇の現金転換,総額20億ペソ,等。組合側約束:(1)ストを行なわない。(2)生産性を改善する。(3)公務員の行動基準の順守,他。 |
DIA-205-1991-04-30-4 | フィリピン | 1991年04月30日 | 1990年代 | 上院,台湾の貿易関係停止の脅しに抗議。 |
DIA-205-1991-04-30-5 | フィリピン | 1991年04月30日 | 1990年代 | ギンゴーナ,債務問題でポーランド方式を主張。 |
DIA-205-1991-05-01-1 | フィリピン | 1991年05月01日 | 1990年代 | アキノ,糖業社会法に署名-RA5982号。1991/92糖業年度から総生産ピクル当り5ペソを徴収,80%は砂糖農場・ミル労働者に現金給付する。 |
DIA-205-1991-05-02-1 | フィリピン | 1991年05月02日 | 1990年代 | 銀行協会,条件付きで外銀参入に合意-新政策表明で。伝統的な反対を修正し,中銀に当初は新規に3外国銀行の許可を求めた。ただし,現行の銀行資本金要件に加え,1億㌦を中銀に20年満期,猶予期間10年,LIBOR以下の金利で預金することを条件とする。 |
DIA-205-1991-05-02-2 | フィリピン | 1991年05月02日 | 1990年代 | 第6回基地交渉,合意に達せず-4日間の交渉終了。期間,補償額で合意に達せず。 |
DIA-205-1991-05-02-3 | フィリピン | 1991年05月02日 | 1990年代 | 日本は,債務帳消しには応じない-阿部総領事。4~6日に訪問する海部首相は最大限の譲許を求めるフィリピンの試みを支持するが。 |
DIA-205-1991-05-04-1 | フィリピン | 1991年05月04日 | 1990年代 | 台湾,ココナツの輸入を停止-4500㌧。4日台湾外交部は,在台北のフィリピンの経済・文化事務所に強い抗議を提出,領海問題解決に応じない場合には経済・貿易報復措置を取ると伝えた。 |
DIA-205-1991-05-04-2 | フィリピン | 1991年05月04日 | 1990年代 | ブッシュ大統領,基地交渉にまだ楽観的-しかし,基地維持のためにわれわれがいける限界がある,白紙小切手ではない。 |
DIA-205-1991-05-05-1 | フィリピン | 1991年05月05日 | 1990年代 | 政府・債務帳消し計画を放棄-日本の反対継続で。代わりに6月18日からのパリクラブ交渉で30年,市場金利以下の最大限の譲許を要請する。 |
DIA-205-1991-05-05-2 | フィリピン | 1991年05月05日 | 1990年代 | 海部首相,米軍基地存続に支持表明-アキノとの会談で。地域における強力な米軍事力のプレゼンスは安定と繁栄を保障するに必要。日本は再び軍事大国になるつもりはない。また,第二次世界大戦中の日本冒険主義に「悔恨」と「遺憾の意」を表明。ポーランド方式のODA債務の帳消しに反対表明。債権国とのリスケヘの支援を表明。アキノは,地域安全保障に対する海部首相の支持に無言で応じた。日本のペルシャ湾への掃海艇派遣を理解している,これはフィリピン政府が4日スビックヘの寄港を許可したことで示されている,と述べた。 |
DIA-205-1991-05-05-3 | フィリピン | 1991年05月05日 | 1990年代 | ペソ資金不足で,世銀道路ローン1億5000万㌦取り消し。 |
DIA-205-1991-05-07-1 | フィリピン | 1991年05月07日 | 1990年代 | 次期政権への協定延長権限付与に合意-外務長官:政府は,年8億2500万㌦の補償と引き換えに次期政権が7年後に基地協定を一方的に延長する権限を与えることに合意した。一方,米大使館スポークスマン:この延長条項はわれわれが望んでいるものと類似,が補償問題は外務長官の先の主張のようには解決していない。 |
DIA-205-1991-05-08-1 | フィリピン | 1991年05月08日 | 1990年代 | 環境省,92年から原生林の伐採禁止。 |
DIA-205-1991-05-08-2 | フィリピン | 1991年05月08日 | 1990年代 | NDF,基地条約拒否なら一方的停戦する。 |
DIA-205-1991-05-08-3 | フィリピン | 1991年05月08日 | 1990年代 | ホナサン,参謀総長に対話の打診-参謀総長:第三者ソースから,就任以来対話の打診を受け取っている。ホナサンに会う用意があることをアキノに伝えた。アキノは注意するよう忠告した。叛徒兵士に対する特赦には反対。憲法に忠誠な兵士に良い例にならない。 |
DIA-205-1991-05-09-1 | フィリピン | 1991年05月09日 | 1990年代 | 基地機能移転は割高-対比軍事・経済援助でクラークとスビック両基地維持よりも。米国務・国防総省依頼の,Rnad’s National Defense Research Instituteによる合同調査結果。六つのシナリオでコストは3.7~25億㌦。最善案のコストは,約7億~10億㌦。 |
DIA-205-1991-05-09-2 | フィリピン | 1991年05月09日 | 1990年代 | 官邸当局者,台北で台湾当局者と会談-4月26日に。官邸当局:一つの中国政策は経済,国民同士の関係を排除せず,会談はこれに違反しない。Roberto V.Lucila官房次官補が官房長官の指示で,台湾人と会談するため休暇を取った。台湾はインドネシアとの協定と類似の漁業協力協定を提案した。私的なもので,両国の漁業協会の間で結ばれる。 |
DIA-205-1991-05-09-3 | フィリピン | 1991年05月09日 | 1990年代 | 財務長官,政治が成長を阻害の恐れ-アキノ宛書簡で。財源手当のない賦課金の引き下げ,賃上げ等の人気取り政策は財政規律に悪影響を及ぼす。 |
DIA-205-1991-05-09-4 | フィリピン | 1991年05月09日 | 1990年代 | 新協定の延長権限条項問題-外務長官。新協定は将来の比政権による一方的な米軍駐留の見直しと延長を禁止すべきではない。現政府は将来の政権を拘束し,期間に関してその行動を規制できない。(一方的延長条項はアーミタジュが提案,外務長官が原則的に受け入れたものという)。 |
DIA-205-1991-05-12-1 | フィリピン | 1991年05月12日 | 1990年代 | 国軍,秘密裏に軍叛徒の投降交渉中-ラモス国防長官。トップの5人の投降交渉のため上級将校・情報将校からなる委員会を設置した(Honasan元中佐,Eduardo Kapunan中佐,Felix Turingan元海軍大佐,Domingo Calajate元海軍准将,Andy Gauran大尉)。 |
DIA-205-1991-05-13-1 | フィリピン | 1991年05月13日 | 1990年代 | 日本輸銀,3億㌦ローン取り消し-IMFとの経済計画の変更のため,89年第1回PAPでの債務・債務返済削減ファシリティ6億㌦の残り半分を。 |
DIA-205-1991-05-14-1 | フィリピン | 1991年05月14日 | 1990年代 | RAM,政府と交渉の用意ある-報道機関送付の署名入り声明で。ホナサンとカラハテ元海軍准将:ラモス国防長官が自分達が投降を示唆と発言したとの報道は政治的「仕掛け」だ。われわれは投降交渉の打診をしたことは決してない。 |
DIA-205-1991-05-14-2 | フィリピン | 1991年05月14日 | 1990年代 | サラス元CPP委員長に禁固6年の判決-マニラ地裁。Rodolfo “Kumander Bilog”Salas。5年前に起訴された反乱罪(最高12年)で有罪を認める減刑取引きで92年10月に釈放に。CPPリーダーでこの取引きをしたのは90年に釈放されたミンダナオのJorge Madlosに次ぎ2人目。 |
DIA-205-1991-05-14-3 | フィリピン | 1991年05月14日 | 1990年代 | 軍の掃討作戦で3000人の難民-南スリガオと南アグサソ州の6部落でOplan Rolling Thunderのため。 |
DIA-205-1991-05-15-1 | フィリピン | 1991年05月15日 | 1990年代 | 官邸,台湾に漁業紛争交渉を正式要請-官邸当局者。外務省は,一つの中国政策に違反するとして半公式交渉にも強く反対しているが。官邸筋:交渉招待はLucila官房次官補(South China Sea Disputes Committee委員長)の台湾農業会議議長Yu Yuhsien宛の書簡で。 |
DIA-205-1991-05-16-1 | フィリピン | 1991年05月16日 | 1990年代 | 公務員特別裁判所,ペネディクト資産の差押え解除を命令-PCGGが,Roberot Benedictoのダミー容疑者Exequiel Garciaの資産を差押えリストに含めていなかったとして。この判決で,少なくとも35件の違法取得資産事件の数百人の被告が同一の根拠で彼らの資産に対する差押え解除を求めると見られている。 |
DIA-205-1991-05-20-1 | フィリピン | 1991年05月20日 | 1990年代 | 債務帳消し,リスケ交渉オプションの一つに-第4回パリクラブのリスケ交渉に提示される三つのオプションの一つとして財務省作成文書で。 |
DIA-205-1991-05-20-2 | フィリピン | 1991年05月20日 | 1990年代 | 参謀総長,軍叛徒交渉期限20日深夜-期限までに回答なし。 |
DIA-205-1991-05-21-1 | フィリピン | 1991年05月21日 | 1990年代 | 比・台湾領海紛争予備交渉開始-2日間。公式・政治的協定は結ばない。台湾側代表:団長Tjiu Mao Ing農業問題委員会委員長。比側代表:ルシリア官房次官補。22日合意なく終了。 |
DIA-205-1991-05-21-2 | フィリピン | 1991年05月21日 | 1990年代 | 南部ルソンで最低賃金引き上げ-第4地方賃金委員会。6月に発効。地域別に9~5ペソ。 |
DIA-205-1991-05-21-3 | フィリピン | 1991年05月21日 | 1990年代 | 農業省,マニラ湾商業漁業5年間禁止。 |
DIA-205-1991-05-22-1 | フィリピン | 1991年05月22日 | 1990年代 | PCGG,50億㌦金塊回収を正式に要求する-つい最近チューリッヒのKloten空港の倉庫で発見された325本の金の延べ棒で。 |
DIA-205-1991-05-26-1 | フィリピン | 1991年05月26日 | 1990年代 | ホナサン,予備交渉提案-ホナサンとカラハテの連名で。参謀総長の提案を拒否。交渉のための条件討議のため両者の予備グループを設置,問題に対するより冷静,真剣かつ体系的なアプローチを提案する。 |
DIA-205-1991-05-27-1 | フィリピン | 1991年05月27日 | 1990年代 | コンセプシオン,スト5年禁止提案-外資法に代わり外資誘致のため。外国投資家の主要関心は企業の所有権にはない。産業平和によりウエイトがある。 |
DIA-205-1991-05-29-1 | フィリピン | 1991年05月29日 | 1990年代 | 基地補償で1.85億㌦のギャップ-Bengzon保健長官・交渉団副団長。7年の立場に変更はなく,この点でまだ合意はない。 |
DIA-205-1991-05-29-2 | フィリピン | 1991年05月29日 | 1990年代 | 軍,正式にスカウトレンジャーを復活。 |
DIA-205-1991-05-29-3 | フィリピン | 1991年05月29日 | 1990年代 | 政府,米国に基地最終提案を送付-29日発表。期間7年と補償パッケージとして4件の経済・安全保障関連要求。アキノ:すでに11上院議員に説明。30日に他の上院議員に交渉の進捗状況を説明,協定支持を求める。ベングソン次席代表:最終提案を外務長官が米国に送付した。これは米側の最新の提案を詳しく検討した結果。条約は目前だ。期間最大7年は米側の10~12年要求と大きく離れてはいない。補償4項目は原案にあったもので,現金補償,国軍近代化への寄与,債務救済,貿易アクセス。外務長官とアーミタージュ代表は,1億8500万㌦のギャップを埋めるためルクセンブルグで会談予定。 |
DIA-205-1991-06-02-1 | フィリピン | 1991年06月02日 | 1990年代 | アキノ,基地交渉は継続中-さらに会議を重ねないが,交渉は電話とテレックスで進んでいる。比側の8.25億㌦補償パッケージの再編合意後も,期間と補償で問題が残っている。期間7年の1年増は考えていない。 |
DIA-205-1991-06-02-2 | フィリピン | 1991年06月02日 | 1990年代 | アキノ,再出馬しない-誰が選出されようと「スムースな移行」を保証する。民主主義の回復で自分の仕事は完了した。再出馬の理由,義務は全くない。 |
DIA-205-1991-06-03-1 | フィリピン | 1991年06月03日 | 1990年代 | 基地条約は7月26日に調印-官邸匿名当局者。両国はある種の合意に達したので。 |
DIA-205-1991-06-03-2 | フィリピン | 1991年06月03日 | 1990年代 | LPに大統領候補指名やり直し要求-Mercado,Herrera,Macedaの3上院議員:党規約を改正し,Marcero Fernan最高裁長官の挑戦を可能にすべきだ。 |
DIA-205-1991-06-03-3 | フィリピン | 1991年06月03日 | 1990年代 | PCGG,ペネディクト資産凍結解除の再考要請-公務員特別裁判所は,差し押さえ命令は2人以上の委員の署名が必要であり,1委員の署名だけでは無効と判決。 |
DIA-205-1991-06-04-1 | フィリピン | 1991年06月04日 | 1990年代 | 旱魃で20億ペソの被害-90年12月ビサヤとミンダナオから拡大。降水量は平年の40%以下。 |
DIA-205-1991-06-04-2 | フィリピン | 1991年06月04日 | 1990年代 | さらに2上院議員がフェルナン支持表明-Alberto RomuloとMamintal Tamano。 |
DIA-205-1991-06-04-3 | フィリピン | 1991年06月04日 | 1990年代 | クラークからの米空軍撤退完了-最後のF-4PhantomIIジェット戦闘機3機がアリゾナの空軍基地に向け離陸。撤退で,一部民間人を含む1.8万人が失業する。 |
DIA-205-1991-06-05-1 | フィリピン | 1991年06月05日 | 1990年代 | 米国務省,議会に対比援助6.03億㌦要請。 |
DIA-205-1991-06-05-2 | フィリピン | 1991年06月05日 | 1990年代 | IMF,石油値下げに警告-中銀総裁。政府が8月までに最大2.40ペソ/㍑の値下げを計画との報道に懸念を表明。外銀の新規ローン交渉,ODAリスケ交渉は挫折の恐れ。 |
DIA-205-1991-06-05-3 | フィリピン | 1991年06月05日 | 1990年代 | 任命委,アバディア,モンソッドを承認-参謀総長,選管委員長。選管委員にRegalado Maambongも。 |
DIA-205-1991-06-05-4 | フィリピン | 1991年06月05日 | 1990年代 | LP内,反サロンガ拡大-LP主流は,4日大統領候補指名のやり直し推進に合意。Victor Ziga上院議員ら。 |
DIA-205-1991-06-05-5 | フィリピン | 1991年06月05日 | 1990年代 | 上院歳入委,EO413号の廃棄勧告-8カ月審議の末。代わりに3~50%で6段階の税率設定新法を勧告。 |
DIA-205-1991-06-06-1 | フィリピン | 1991年06月06日 | 1990年代 | 議会,91年外国投資法可決-上院,反対:Laurel,Saguisag,Tanada。保留:Guingona。 |
DIA-205-1991-06-06-2 | フィリピン | 1991年06月06日 | 1990年代 | アキノ,石油価格でIMF条件に従う-取り決めどおり,OPSF赤字が解消されるまで石油価格は引き下げない。 |
DIA-205-1991-06-06-3 | フィリピン | 1991年06月06日 | 1990年代 | 議会,ようやく91年予算可決-一般歳出法。職員経済救済手当法に基づく職員追加手当75億ペソ追加。対外債務返済額を89年輸出受取の20%に制限する条項を含む。 |
DIA-205-1991-06-06-4 | フィリピン | 1991年06月06日 | 1990年代 | アギーレ,任命委員会決定の遵守を呼びかけ-自分の役割は果たされたとして,アバディアの任命を承認した任命委員会の決定に従うよう軍人に呼びかけ。 |
DIA-205-1991-06-09-1 | フィリピン | 1991年06月09日 | 1990年代 | 経済進歩引き換えの自由縮小に警告-アキノ,政党に経済進歩達成のため政治的自由は縮小される必要があるとの「危険な」考えを採用しないよう警告。 |
DIA-205-1991-06-09-2 | フィリピン | 1991年06月09日 | 1990年代 | ピナトゥボ火山,大噴火の前兆-午後,小規模な噴火。クラーク基地の東20km。6世紀の間休火山。 |
DIA-205-1991-06-10-1 | フィリピン | 1991年06月10日 | 1990年代 | 農地改革援助国会議-20カ国代表が参加。DARは農改関係重要プロジェクト89件の資金援助(総額7.22億㌦)を要請。しかし,援助国は静観の態度を選好。 |
DIA-205-1991-06-10-2 | フィリピン | 1991年06月10日 | 1990年代 | 農業省,転換保護農地設定策を採択-300万㌶の農地を転換から保護する。 |
DIA-205-1991-06-11-1 | フィリピン | 1991年06月11日 | 1990年代 | 北朝鮮,NPA支持を放棄-アキノ,金達玄副総理・対外経済委員会委員らの代表団と会談,同副首相は北の外交承認を要請,北朝鮮はNPAに支援を与えないと約束。訪問は大統領の公式スケジュールには含まれず。 |
DIA-205-1991-06-11-2 | フィリピン | 1991年06月11日 | 1990年代 | 米,撤退期間の補償支払を拒否-官邸当局者:米国は年間8億2500万㌦の比側要求を受け入れる方向にあるが,「支払額に対し十分な価値」を望んでおり,撤退期間には支払わないだろうと示唆。 |
DIA-205-1991-06-12-1 | フィリピン | 1991年06月12日 | 1990年代 | 政府,大型民間部門開発計画ローン交渉ヘ-財務省。世銀等の国際金融機関と8億~10億㌦。この大型ローン・パッケージは構造調整ローン,経済回復ローンと同様な方法で進められる。 |
DIA-205-1991-06-12-2 | フィリピン | 1991年06月12日 | 1990年代 | ピナトゥボ火山,3回爆発。 |
DIA-205-1991-06-12-3 | フィリピン | 1991年06月12日 | 1990年代 | アキノ,再び将来の独裁に警告-第93回独立宣言記念日の演説で。自由を大事にし,強化し,92年選挙で民主主義を擁護する候補者に投票するよう呼びかけ。 |
DIA-205-1991-06-12-4 | フィリピン | 1991年06月12日 | 1990年代 | 銀行協会,銀行部門自由化法案策定に合意-外資法原案には100%外国所有の銀行の参入を認める規定があったが,公聴会段階で銀行が反対していた。 |
DIA-205-1991-06-12-5 | フィリピン | 1991年06月12日 | 1990年代 | 生産性ボーナス実施規則発行-労働長官・財務長官。「1990年生産性インセンティブ法」(RA6971号)。生産性水準増加の50%以下の生産性ボーナスの給付に総所得からの控除を認める。 |
DIA-205-1991-06-13-1 | フィリピン | 1991年06月13日 | 1990年代 | アキノ,91年外国投資法に署名-RA7042号。原則的に60:40の内外資本比率制限を廃止,「ネガティブ・リスト」掲示の分野を除き100%外資所有を認める。 |
DIA-205-1991-06-13-2 | フィリピン | 1991年06月13日 | 1990年代 | 経済5団体,政府の経済安定計画支持表明-共同声明で:PCCI,Makati Business Club(MBC),Management Association of the Philippines(MAP),Bankers Association of the Philippines(BAP),Financial Executives Association of the Philippines。従来の主張を変え,公的部門の赤字に懸念を表明。石油価格引下げ,9%輸入賦課金に関する政府の政策を支持。 |
DIA-205-1991-06-13-3 | フィリピン | 1991年06月13日 | 1990年代 | 米国,リスケに最大限のコンセッション支持-財務長官:暫定的な支持を伝えてきた。第4次リスケ対象の,7月1日~92年12月31日満期のODA債務15億㌦のうち,対米分は25%,対日本は48%。パリクラブ会議では債務帳消しを積極的には求めない。 |
DIA-205-1991-06-13-4 | フィリピン | 1991年06月13日 | 1990年代 | アキノ,債務返済制限に拒否権行使する-91年予算法の条項。30億㌦短期貿易ファシリティの91年6月30日から2年間の延長契約の調印式で,外銀代表に約束。 |
DIA-205-1991-06-13-5 | フィリピン | 1991年06月13日 | 1990年代 | 上院超党派議員,フェルナン支持で合意-Osmena,Mercado,Angara等が主要政党の共同候補に推す。 |
DIA-205-1991-06-13-6 | フィリピン | 1991年06月13日 | 1990年代 | 北朝鮮との外交関係樹立措置で合意-外務長官,訪問中の金副首相との会談で。(1)貿易・協力協定策定を保証。(2)91年中のできるだけ早い時期に,外交関係樹立と大使級外交代表の交換に向け措置を取ることで合意。 |
DIA-205-1991-06-15-1 | フィリピン | 1991年06月15日 | 1990年代 | ピナトゥボ火山,大爆発,被害拡大-11回爆発,3.5万㍍上空に火山礫・灰を吹き上げ。 |
DIA-205-1991-06-16-1 | フィリピン | 1991年06月16日 | 1990年代 | 噴火で基地交渉に影響-クラーク基地は一時閉鎖,スビック基地の約100の建物が損壊。軍部隊と家族1.5万人がスビック基地に避難。16日に米国は両基地駐留の軍人家族約2万人のセブ経由米国送還を開始。 |
DIA-205-1991-06-17-1 | フィリピン | 1991年06月17日 | 1990年代 | 基地労働者,14日から無給休暇に-FFCEAとの団体協約に基づいて,クラークの比人労働者4422人が。 |
DIA-205-1991-06-17-2 | フィリピン | 1991年06月17日 | 1990年代 | 軍将校,NPAの墳火被災地休戦発表を歓迎。 |
DIA-205-1991-06-18-1 | フィリピン | 1991年06月18日 | 1990年代 | 米国務省,基地交渉の無期限停止発表-国務省:噴火被害修復コストおよび基地支払を更に検討するため。交渉は遅れ,いつ再開されるかわからない。 |
DIA-205-1991-06-18-2 | フィリピン | 1991年06月18日 | 1990年代 | 労組,首都圏8ペソ賃上げ要求-LAKAS Manggagawa Labor Center,首都賃金・生産性委員会に。 |
DIA-205-1991-06-19-1 | フィリピン | 1991年06月19日 | 1990年代 | 参謀総長,噴火被災地の休戦命令-対NPA。パンパンガ,サンバレスの2州と,タルラク州の2町。 |
DIA-205-1991-06-20-1 | フィリピン | 1991年06月20日 | 1990年代 | 米大使,基地交渉継続を保証-アキノとの会談で,交渉プロセスは実際の中断なく継続している。 |
DIA-205-1991-06-20-2 | フィリピン | 1991年06月20日 | 1990年代 | 米空軍,人員の60%引き揚げを決定。 |
DIA-205-1991-06-25-1 | フィリピン | 1991年06月25日 | 1990年代 | アキノ,基地交渉条件を変えず-噴火前の補償額8.25億㌦,期間7年と撤退期間1年。 |
DIA-205-1991-06-25-2 | フィリピン | 1991年06月25日 | 1990年代 | パリクラブのリスケ条件-中銀総裁。パリクラブのリスケ協定でカバーされる債務の概要:(1)15億㌦のうち,元本は9.74億㌦,利払い6.22億㌦。12)元本の内訳。満期到来債務6.26億㌦,以前にリスケされたローン3.48億㌦およびODA3.44億㌦,非ODA6.30億㌦。(3)期間。ODAの返済延長期間は最長20年超(猶予期間10年)。非ODAでは返済期間9年(5年)。(4)利子率は交渉による。 |
DIA-205-1991-06-25-3 | フィリピン | 1991年06月25日 | 1990年代 | 外銀,2.5億㌦ローン交渉停止-条件合わず。ニューヨークで財務長官,中銀総裁交渉。7銀行作業グループの一部の銀行が,貸付可能額は1.5億㌦と主張。 |
DIA-205-1991-06-25-4 | フィリピン | 1991年06月25日 | 1990年代 | 上院で,債務帳消し要求決議提出-ロムロ議員。噴火被害で再浮上。決議1209号:91~92年の利払額46.35億㌦のキャンセル交渉を要求。他方,エストラーダとメルカードは全債務の返済停止を求める決議を提出。 |
DIA-205-1991-06-26-1 | フィリピン | 1991年06月26日 | 1990年代 | 石油値下げ要求ゼネスト,南部で-ダバオ,ミンダナオの一部,セブ,ビコールの一部で交通・工場スト。LACC,KMUが。レガスピ,スリガオでも大幅麻痺。 |
DIA-205-1991-06-26-2 | フィリピン | 1991年06月26日 | 1990年代 | 基礎商品の物統命令-EO467号。噴火被災地域で。 |
DIA-205-1991-06-27-1 | フィリピン | 1991年06月27日 | 1990年代 | ミスアリ,部下3人を追放-国軍幹部筋。自身に対する追放陰謀の廉で。 |
DIA-205-1991-07-01-1 | フィリピン | 1991年07月01日 | 1990年代 | 米国,ジョンヘイ基地を正式に返還-1903年以来の基地。バギオ市,370㌶。 |
DIA-205-1991-07-01-2 | フィリピン | 1991年07月01日 | 1990年代 | 米大使,基地補償提案の変更ありうる-噴火の基地被害調査団の結果に基づいて。米政府は議会に3.92億㌦の基地補償予算を提出,が全てが基地関連ではい。 |
DIA-205-1991-07-01-3 | フィリピン | 1991年07月01日 | 1990年代 | IMFミッション,第1回レビュー開始-当初は8月の予定であったが,政府がパリクラブ会議でスタンバイ取決めの6カ月延長の用意を表明したので,早められた。 |
DIA-205-1991-07-02-1 | フィリピン | 1991年07月02日 | 1990年代 | 参謀総長,軍叛徒との和平交渉再開。 |
DIA-205-1991-07-03-1 | フィリピン | 1991年07月03日 | 1990年代 | ベングソン,基地交渉次席代表を辞任-アキノ受理。大統領基地委員会(PCB)委員も。 |
DIA-205-1991-07-03-2 | フィリピン | 1991年07月03日 | 1990年代 | 政府,地方別和平交渉に応じる-NDFと。全国ベースは認めない。内閣安全保障委員会の会議で一致。 |
DIA-205-1991-07-03-3 | フィリピン | 1991年07月03日 | 1990年代 | 米,比政府許可なくイメルダ帰国認めない。 |
DIA-205-1991-07-04-1 | フィリピン | 1991年07月04日 | 1990年代 | オルボス官房長官,辞表提出-オルボスと他の5人の閣僚が対立していたという。特にオルボスは石油値下げと9%賦課金の廃止を主張して。 |
DIA-205-1991-07-07-1 | フィリピン | 1991年07月07日 | 1990年代 | 台湾船の無害航行協定に調印-台北でLucila官房次官補とTjiu Mauying農業会議議長が調印。南太平洋の漁場に向かう台湾船の紛争領海域通過を認める。中国政府は抗議を表明。 |
DIA-205-1991-07-07-2 | フィリピン | 1991年07月07日 | 1990年代 | 軍叛徒内に対話で対立-総参謀長:ホナサンは軍指導部と平和的手段で軍内の派閥争い解決のため会談の用意があるが,カラハテ元海軍准将が阻止してきた。 |
DIA-205-1991-07-08-1 | フィリピン | 1991年07月08日 | 1990年代 | アキノ,石油価格政策は変えない-9日予定の全国的な石油値下げ要求交通ストを前に声明。9日,値下げは赤字が解消される8月の見込みと発表。 |
DIA-205-1991-07-09-1 | フィリピン | 1991年07月09日 | 1990年代 | 政府,IMFに目標改定要請を決定-中銀総裁。噴火被害修復の支出増大に鑑み。主に91,92年の財政赤字上限の引き上げを求めることになろう。 |
DIA-205-1991-07-09-2 | フィリピン | 1991年07月09日 | 1990年代 | 米食品衛生局,比国産カラギナンの安全性最終確認。 |
DIA-205-1991-07-09-3 | フィリピン | 1991年07月09日 | 1990年代 | 首都運輸ストは20%の成功率-運輸長官代行。他方,KMUは,首都圏北部では95%の麻痺率と主張。警察当局:影響受けた輸送機関は25~50%。信者数350万のIglesia ni Kristoは,ストの要求を支持する,後日発表する日に大規模ラリーを行なうと発表。 |
DIA-205-1991-07-10-1 | フィリピン | 1991年07月10日 | 1990年代 | 政府,改定92年予算案を承認-4月承認原案の2717億ペソから3084億ペソに増額(91年予算は2868億ペソ)。噴火復旧費のほか,外国援助プロジェクトのペソ資金確保,政府機関の基準予算回復で。公的部門統合赤字は357億ペソ(90年551億,91年計画478億ペソ)に。 |
DIA-205-1991-07-10-2 | フィリピン | 1991年07月10日 | 1990年代 | クラークの損害修復に8億㌦-米国防総省当局者:クロー・バレーを失った代わりにネバダ州のNellis空軍基地の大型射爆場の使用が増やされよう。クラークのC-130軍用輸送機は日本に移された。 |
DIA-205-1991-07-11-1 | フィリピン | 1991年07月11日 | 1990年代 | 米,クラークからの撤退希望通知-外務長官が上院議員にブリーフィング。スビックだけのリースの場合でもピナトゥボ被害修復の必要があり,年額8.25億㌦の補償パッケージを変更するつもりはない。期間の延長に応じよう。98年時点でリースを一方的に3カ年延長できる。また,アキノはクラーク引継ぎに備えて基地転用庁設置法の即時可決を要請。 |
DIA-205-1991-07-11-2 | フィリピン | 1991年07月11日 | 1990年代 | IMF上半期レビューをパス-今回審査は8月の正式審査の準備。第3次トランシュ3700万SDRの引出し可能に。 |
DIA-205-1991-07-11-3 | フィリピン | 1991年07月11日 | 1990年代 | 新税阻止で下院LP,LDPに同調-下院LP幹部Lorna Verano-Yapは,ミトラの繰返し声明(増税新措置には応じないが,税徴収改善措置には応ずる)を支持。 |
DIA-205-1991-07-11-4 | フィリピン | 1991年07月11日 | 1990年代 | ラモス国防長官辞任-辞任は第5議会招集日,7月22日以前にアキノが後任者を任命したときに発効する。 |
DIA-205-1991-07-15-1 | フィリピン | 1991年07月15日 | 1990年代 | 米代表,基地補償額1.03億㌦を提示-アーミタージュ特別代表:米国がクラークからの撤退を決めた場合,92年以降のスビックの補償に。 |
DIA-205-1991-07-16-1 | フィリピン | 1991年07月16日 | 1990年代 | 基地交渉再開,米は補償減額を提案-第7回交渉。17日に合意。両代表の共同声明:協定草案の内容。(1)スビック基地の10年間使用と1年の撤退期間。(2)クラーク基地から撤退。(3)補償額:92年は3.6億㌦。93年はクラークから撤退するため2.03億㌦。(4)また両者は“security assistance fund”と称する新補償パッケージを原則承認。これによってAFPは米国から防衛機材,サービス,訓練を取得でき,政府に対し重要な経済支援を供与する。(5)フィリピンは,米軍の完全に使用可能な余剰防衛機材と医療設備を受け取ろう。年推定1.5億㌦。(6)経済援助の一部として,米軍は今後10年間は年間少なくとも2億㌦の比国産品を調達する。両国スポークスマン:協定草案は両国大統領に承認のため,次いで両国上院に批准を受けるために提出される。 |
DIA-205-1991-07-16-2 | フィリピン | 1991年07月16日 | 1990年代 | 政府,INCのゼネスト不参加説得に失敗-22日の石油値下げ要求・抗議行動に約200万の信徒参加予定。 |
DIA-205-1991-07-16-3 | フィリピン | 1991年07月16日 | 1990年代 | アキノ,石油価格の0.5ペソ/㍑即時引き下げ命令-ゼネスト回避のため。 |
DIA-205-1991-07-16-4 | フィリピン | 1991年07月16日 | 1990年代 | De Villa元参謀総長,国防長官を受諾-第20代,アキノ政権下では4人目。1957年PMA卒,ベトナム戦争に中隊長で参戦,EDSA反乱時にはPC-INPの地方司令官で,反乱側に最初に加わった野戦上級将校の一人。 |
DIA-205-1991-07-16-5 | フィリピン | 1991年07月16日 | 1990年代 | PNP,ミランダ事件でCPP-NPA幹部を告発。 |
DIA-205-1991-07-18-1 | フィリピン | 1991年07月18日 | 1990年代 | 比は,資金なくASEAN銅プロジェクト参加不可能。 |
DIA-205-1991-07-18-2 | フィリピン | 1991年07月18日 | 1990年代 | 軍叛徒逮捕のモラトリアムまだ有効-軍高官:軍叛徒追及の諜報活動も停止中。 |
DIA-205-1991-07-18-3 | フィリピン | 1991年07月18日 | 1990年代 | アキノ,ERBに平均1ペソの石油値下げを支持-マラカニャンからのテレビ放送で。政府が直面している経済困難を理解するよう求め,(1)人気取り政治は永続かつ健全な経済をもたらさない,(2)政治状況安定のため石油価値下げを求めなければならないが,経済安定化計画に対するコミットメントを再確認,(3)議会に歳入法案を可決し政府のタイトな財政問題を緩和するよう求めた。アキノは,OPSF赤字が解消され次第,原油・石油輸入関税を平均1ペソ引き上げる命令を決定。年間の歳入見込み120億ペソで,9%輸入賦課金を4%引き下げ可能に。 |
DIA-205-1991-07-18-4 | フィリピン | 1991年07月18日 | 1990年代 | イグレシア,抗議行動参加を取り消し-アキノの引き下げ発表で。 |
DIA-205-1991-07-18-5 | フィリピン | 1991年07月18日 | 1990年代 | 政府,91年歳出70億ペソ削減を決定-財務長官:アキノとの会談で,2574億ペソから2500億ペソに。議会が追加租税措置を取らない限り,NPCの財務債権管理(コスト75億ペソ)に余裕を持たせるために。 |
DIA-205-1991-07-18-6 | フィリピン | 1991年07月18日 | 1990年代 | アキノ,新基地協定は現状では最善-背信行為だとの批判に対して。 |
DIA-205-1991-07-18-7 | フィリピン | 1991年07月18日 | 1990年代 | BOI,奨励供与を制限ヘ-IPPをできるだけ短くし,「競争力あり戦略的な」産業に分類されるプロジェクトにのみインセンティブを与える。 |
DIA-205-1991-07-19-1 | フィリピン | 1991年07月19日 | 1990年代 | 外務省,基地補償金額の広告掲載。 |
DIA-205-1991-07-21-1 | フィリピン | 1991年07月21日 | 1990年代 | アキノ,国民に基地協定の批准支援を要請-定例テレビ番組で。協定の補償額は現在の状況ではフェアであると考える。もし状況が違っていれば,われわれは必ずもっと主張したであろう。上院議員に批准をアピールする。国民の支援を要請する。 |
DIA-205-1991-07-21-2 | フィリピン | 1991年07月21日 | 1990年代 | 政府,海外経済協力基金,13件のローン協定に調印-総額878.65億円,第17次円借款,1204.06億円の一部。 |
DIA-205-1991-07-22-1 | フィリピン | 1991年07月22日 | 1990年代 | アキノ,第5通常会期一般教書演説-最後の会期。92年の平和的な政権の引き渡しを約束。また,誤りを犯したことは認めたが,これらは誠実に,国民の利益を最優先に考えてなされたものだ,と途べた。 |
DIA-205-1991-07-22-2 | フィリピン | 1991年07月22日 | 1990年代 | 台風雨でMMゼネスト不調-石油価格7ペソ値下げを要求。KMU,People’s Movement Against Poverty,その他大義グループ主催。PNP:影響受けたのは交通ルートの20%,参加工場・事業所は10数個所のみ。約3000人のデモ隊が議会前に集まったが,衝突なし。ミンダナオ,ビサヤ,ビコールの主要都市では成功。 |
DIA-205-1991-07-22-3 | フィリピン | 1991年07月22日 | 1990年代 | 上院,基地条約の再交渉差し戻し案浮上-審議をしないか,政府に再交渉のため戻す。アキノの面目を潰さないために。現在の形態では条約は圧倒的な反対に会うだろう,との上院議員達の考えに基づいている。 |
DIA-205-1991-07-23-1 | フィリピン | 1991年07月23日 | 1990年代 | 下院は,基地条約のプレビサイト希望-ミトラ。上院に批准のため提出される前に。 |
DIA-205-1991-07-23-2 | フィリピン | 1991年07月23日 | 1990年代 | 外銀,2億㌦ローン・債務救済を提案-中銀総裁。2億㌦ローンと1.5億ドルの債務返済負担軽減。2.5億㌦への引き上げを交渉する。91,92年の外貨資金の不足見込み額26億㌦を埋めるために必要なので。 |
DIA-205-1991-07-24-1 | フィリピン | 1991年07月24日 | 1990年代 | 司教会議,アキノを批判的協力の精神で支持-28日予定の司教教書で。われわれは国の資源が浪費され,委託された職務に値しないことを証明した人々によってなされた害悪に民主主義の原則の逸脱を見てきた。しかし,アキノを「批判的協力」の精神で引き続き支持する。 |
DIA-205-1991-07-24-2 | フィリピン | 1991年07月24日 | 1990年代 | 台湾漁船の通過航路の一方的宣言を勧告-比・台漁業協力検討委員会が勧告。協定を一方的宣言で代える。 |
DIA-205-1991-07-24-3 | フィリピン | 1991年07月24日 | 1990年代 | 上院,米上院の基地条約審議要求。 |
DIA-205-1991-07-25-1 | フィリピン | 1991年07月25日 | 1990年代 | 再交渉に現行基地協定の2年延長提案-上院の賛成派議員。基地関連の全ての問題を検討する十分な時間を持つために。 |
DIA-205-1991-07-25-2 | フィリピン | 1991年07月25日 | 1990年代 | 中国外交部,比台漁業協定で大使喚問。 |
DIA-205-1991-07-30-1 | フィリピン | 1991年07月30日 | 1990年代 | 13上院議員,基地協定案を拒否-非公式投票で。投票は16議員。賛成1,未決定1,留保1。31日には反対の上院議員は15人に増加。 |
DIA-205-1991-07-30-2 | フィリピン | 1991年07月30日 | 1990年代 | 最高裁,全国・地方選挙分離法は違憲-RA7056号(地方選挙を11月第2月曜に)は92年5月第2月曜の同時選挙を規定した憲法規定に違反すると判断。 |
DIA-205-1991-07-31-1 | フィリピン | 1991年07月31日 | 1990年代 | マラカニャン,憲法会議招集提案を拒否。 |
DIA-205-1991-07-31-2 | フィリピン | 1991年07月31日 | 1990年代 | 対比砂糖クオータ2.3%削減は10月1日発効。 |
DIA-205-1991-07-31-3 | フィリピン | 1991年07月31日 | 1990年代 | アキノ,イメルダの帰国禁止を解除-ただし,マルコスの遺体の帰国は認めない。 |
DIA-205-1991-07-31-4 | フィリピン | 1991年07月31日 | 1990年代 | NDFのOcampo夫妻に無罪判決-証拠不十分で。 |
DIA-205-1991-08-01-1 | フィリピン | 1991年08月01日 | 1990年代 | イメルダ・子弟を脱税で起訴-マルコス一族に対する国内裁判所での初めての刑事告発。 |
DIA-205-1991-08-01-2 | フィリピン | 1991年08月01日 | 1990年代 | 政府,外銀の新規ローン提案を拒否-財務長官。今年の第1回交渉で,補完融資スキーム(CFS)による新規貸付2億㌦と4~5年間の暫定的利子削減プログラム。 |
DIA-205-1991-08-01-3 | フィリピン | 1991年08月01日 | 1990年代 | DAR,今年のCARP目標を半減-2年続けて。土地取得プロセスの法的および事務的複雑性のため91年の土地分配目標44万7540㌶を25万㌶縮小せざるをえない。 |
DIA-205-1991-08-01-4 | フィリピン | 1991年08月01日 | 1990年代 | 最高裁,コファンコ等のSMC株投票権を確認-PCGGの4月判決の却下要請を否定。 |
DIA-205-1991-08-05-1 | フィリピン | 1991年08月05日 | 1990年代 | 財務長官,政治が成長を阻害-混乱に陥っている経済は行政府と立法府が共同しなかったためだ。 |
DIA-205-1991-08-05-2 | フィリピン | 1991年08月05日 | 1990年代 | アキノ,台湾漁船領海航行許可条約を廃棄-ただし,一方的に外国漁船,主に台湾漁船の無害航行のために太平洋上の二つのシーレーンの開放を宣言。 |
DIA-205-1991-08-05-3 | フィリピン | 1991年08月05日 | 1990年代 | NPA司令官Kintanar夫妻,逮捕される。 |
DIA-205-1991-08-07-1 | フィリピン | 1991年08月07日 | 1990年代 | 内閣,外国法人法の成立促進要請。 |
DIA-205-1991-08-07-2 | フィリピン | 1991年08月07日 | 1990年代 | RAM-SFP-YOU,クーデターを再び実行する-アキノ政権に改革を実行するよう警告し,任期切れ前にクーデターを実行すると脅し。 |
DIA-205-1991-08-07-3 | フィリピン | 1991年08月07日 | 1990年代 | 下院で,マルコス遺体帰還許可決議の支持増加。 |
DIA-205-1991-08-08-1 | フィリピン | 1991年08月08日 | 1990年代 | 米国防長官,上院が基地協定拒否なら撤退-スビック海軍基地から離れたくないが,米国は交渉を再開しないだろう。 |
DIA-205-1991-08-08-2 | フィリピン | 1991年08月08日 | 1990年代 | 参謀総長,ホナサンに和平交渉最終通告。 |
DIA-205-1991-08-15-1 | フィリピン | 1991年08月15日 | 1990年代 | アキノ,輸入賦課金を5%に引き下げ-EO475号に署名。原油・石油製品には9%継続。 |
DIA-205-1991-08-19-1 | フィリピン | 1991年08月19日 | 1990年代 | ラウレル,NP自派の大統領候補に指名さる。 |
DIA-205-1991-08-19-2 | フィリピン | 1991年08月19日 | 1990年代 | 関税改革実施ヘ-NEDA長官。EO470号は8月24日に発効するが,輸入品の市場氾濫はないだろう。5年間にわたり実施。4段階税率:3,10,20,30%。しかし,一部品目の税率は,0,5,15,25,50%。保護に値する幼稚産業は十分な保護を与えられるが,期間は限定される。 |
DIA-205-1991-08-20-1 | フィリピン | 1991年08月20日 | 1990年代 | マセダ上院議員,LPを離党-大統領候補としてサロンガを支持できない。エストラーダを支援する。 |
DIA-205-1991-08-20-2 | フィリピン | 1991年08月20日 | 1990年代 | アキノ,鉄鋼産業法に署名。 |
DIA-205-1991-08-21-1 | フィリピン | 1991年08月21日 | 1990年代 | Lugar米上院議員,基地否決なら軍事援助停止-再交渉はしないだろう。ブッシュは「弾力的」で,条約の内容を非難している比上院議員の一部の要求に応ずるだろう。条約が否決されても,フィリピンとの貿易関係と経済援助は継続するであろうが,比国軍に対する米国の軍事援助が継続するかは多分に疑わしい。 |
DIA-205-1991-08-21-2 | フィリピン | 1991年08月21日 | 1990年代 | 電気製品61品目を自由化。 |
DIA-205-1991-08-22-1 | フィリピン | 1991年08月22日 | 1990年代 | 2年振りに先物ドル取引。 |
DIA-205-1991-08-27-1 | フィリピン | 1991年08月27日 | 1990年代 | 新基地条約に調印-the Treaty of Friendship, Cooperation and Securityと施設・軍事作戦に関するおよび在比米軍の地位取決めに関する補足協定に,アキノ同席で官邸でWisner米大使と外務長官が。92年クラーク撤退,2001年スビック撤退。調印後官房長官が上院に提出。アキノ:87年9月9日設立以降招集されていない“Council of State”を招集しよう。 |
DIA-205-1991-08-27-2 | フィリピン | 1991年08月27日 | 1990年代 | 下院19議員,PACT反対決議提出。 |
DIA-205-1991-08-28-1 | フィリピン | 1991年08月28日 | 1990年代 | ブッシュ,債務救済援助を保証-アキノに8分間の電話で。マニラが債務救済に関する特定の提案をワシントンに提出次第Brady財務長官と問題を議論する。 |
DIA-205-1991-08-29-1 | フィリピン | 1991年08月29日 | 1990年代 | 上院で条件付き批准の動きに支持増加-上院議員たち示唆:条約同意決議に記載される5件の「修正」。(1)憲法の非核兵器条項の実施,(2)米国上院による批准,(3)スビックのリース期間の短縮とできる限り早い時期の民営化,(4)具体的な債務削減スキーム,(5)失職する基地労働者のための計画。 |
DIA-205-1991-08-29-2 | フィリピン | 1991年08月29日 | 1990年代 | ミトラ,議院内閣制計画を放棄-下院決議を上院が承認する希望はないとして。 |
DIA-205-1991-09-01-1 | フィリピン | 1991年09月01日 | 1990年代 | 上院議員,基地梃子に債務帳消し努力要求-先週,批准促進のため即時・最大限の債務救済が浮上。財務長官,大統領宛8月28日付け報告で:債務返済計画の改定を検討中,条約の一部に米国の債務救済を含める。 |
DIA-205-1991-09-02-1 | フィリピン | 1991年09月02日 | 1990年代 | 外銀,15億㌦債務削減に原則合意-大統領は,米国の支援要請のため財務長官を米財務長官との会談に派遣。中銀総裁:6年間に23億㌦以上の現金流入と利払救済になり,実質的に15億㌦の債務削減になる。しかし,原発債務を返済しなければ,協定を結べないだろう。 |
DIA-205-1991-09-02-2 | フィリピン | 1991年09月02日 | 1990年代 | 中銀,ドルの26ペソ台下落防止に介入。 |
DIA-205-1991-09-02-3 | フィリピン | 1991年09月02日 | 1990年代 | 政府・反対派議員,非核政策で隔たり-上院基地公聴会第1日。その他の争点:基地労働者救済計画,基地支払約束の保証メカニズム。 |
DIA-205-1991-09-03-1 | フィリピン | 1991年09月03日 | 1990年代 | 参謀総長,拘留中尉29人を釈放-ホナナサン等への平和交渉呼びかけの強いメッセージとして。 |
DIA-205-1991-09-03-2 | フィリピン | 1991年09月03日 | 1990年代 | 比法曹協会,反基地上院議員支持を表明-全国弁護士協会も。基地は主権を侵害し,核災害の危険はもちろん段階的撤退と支払保証の規定が曖昧であるとして。Labor and Advisory Councilも支持表明。主要な繊維業界3団体は批准を要求。 |
DIA-205-1991-09-03-3 | フィリピン | 1991年09月03日 | 1990年代 | 米軍事援助は中古武器だけになる恐れ-上院基地公聴会の議論。マセダ国防委員長:米外国援助法修正で殺傷兵器を「余剰防衛機材」条項で無償で取得でぎない恐れ。国防長官:戦略的均衡が米軍撤退によって覆されれば,地域の安全保障状況に単独で対処する用意はない。 |
DIA-205-1991-09-03-4 | フィリピン | 1991年09月03日 | 1990年代 | NPAミンダナオ幹部,投降-8月13日に南部ミンダナオ地方党委員会書記Menando Villanueva。運動はマニラでの約59人のリーダーの逮捕で組織再編中。 |
DIA-205-1991-09-04-1 | フィリピン | 1991年09月04日 | 1990年代 | 民営化委員会,PAL株式80%売却承認。 |
DIA-205-1991-09-04-2 | フィリピン | 1991年09月04日 | 1990年代 | 基地協定否決なら,91~92年の外貨不足30億㌦-中銀総裁,上院の基地公聴会で。最新推計の26億㌦から。 |
DIA-205-1991-09-04-3 | フィリピン | 1991年09月04日 | 1990年代 | NEDA,基地拒否なら92年GNPは0.5%低下-3.4%に。長官の上院証言。ODAは50%の減少見込。 |
DIA-205-1991-09-04-4 | フィリピン | 1991年09月04日 | 1990年代 | アキノ,基地協定批准を再度呼びかけ-承認は拒否よりも多くの経済的利益もたらす。また,10日に基地条約批准要求の集会を実施すると発表。官房長官:首都の市町村は住民を動員し,経済グループと2大労組,TUCPとFFWもデモに参加しよう。マカティ・ビジネス・クラブとラモス元国防長官は先に,条約支持を声明。噴火被災地4州のカトリック司教は批准要求声明を出した。 |
DIA-205-1991-09-04-5 | フィリピン | 1991年09月04日 | 1990年代 | NP中央委員会でコファンコとラウレルが対決-コファンコは,ラウレルによるタルラク州のNP指導部の任命に強く抗議,取消を要求。エンリレは欠席。 |
DIA-205-1991-09-04-6 | フィリピン | 1991年09月04日 | 1990年代 | アキノ,新大統領就任までの任期延長に反対-下院法案:当選大統領就任までアキノの任期を延長する。 |
DIA-205-1991-09-05-1 | フィリピン | 1991年09月05日 | 1990年代 | 米大使,基地拒否は債務救済に影響-Wisner新大使:条約なければ,債務削減に使われる援助パッケージはないであろうから,難しくなる。他方,アキノは上院が否決したら,条約を国民投票に付す提案を歓迎。 |
DIA-205-1991-09-05-2 | フィリピン | 1991年09月05日 | 1990年代 | 基地賛否両派の動き-(1)砂糖生産者協会連合は全面公告掲載,承認支持声明。拒否で米国市場での13.5%の割当て,8000万㌦を失うと警告。(2)反対派民間団体は,10日の政府主催賛成集会に対抗,大規模集会を実施すると発表。(3)KMUは,米軍の即時撤退と引き換えに,1年半のスト・モラトリアムを宣言してよいと発表。 |
DIA-205-1991-09-05-3 | フィリピン | 1991年09月05日 | 1990年代 | 内閣安全保障委,地方別和平交渉開始を承認-官房長官・委員長:13のパイロット州で。 |
DIA-205-1991-09-08-1 | フィリピン | 1991年09月08日 | 1990年代 | 米国,条約批准に新たな譲歩せず-米大使館:条約批准を確実にするためにすでに新条約に含まれる以外の譲歩を申し入れる用意はない。条約は特に外銀との債務救済に対する米国の支援約束を十分に含んでいる。もし条約が否決されれば,スビックから引き揚げる。 |
DIA-205-1991-09-09-1 | フィリピン | 1991年09月09日 | 1990年代 | 上院外交委,基地条約拒否決議を採択-12対11で。同意決議を拒否。委員会は上院議員23人全員に拡大。条約反対:サロンガ,ラウレル,ギンゴーナ,アキノ,マセダ,サギサグ,エストラーダ,タニャーダ,ツィガ,ピメンテル,エンリレ,メルカード。賛成:シャハニ,アルバレス,ヘレラ,ゴンサレス,パテルノ,オスメーニャ,ラスル,ロムロ,タマノ,アンガラ,リナ。 |
DIA-205-1991-09-09-2 | フィリピン | 1991年09月09日 | 1990年代 | 国軍,軍叛徒17人を釈放-和解努力継続のため。 |
DIA-205-1991-09-09-3 | フィリピン | 1991年09月09日 | 1990年代 | ヘレラ上院議員,LPを離党-上院労働委員長,TUCP書記長。4万人以上の基地労働者が,基地条約の否決で職を失うのを許す政党を支持できないとして。 |
DIA-205-1991-09-09-4 | フィリピン | 1991年09月09日 | 1990年代 | ブッシュ,コンセッション上積みしない-われわれは最善のオファーをした。チェーニィ国防長官:比上院が条約を拒否したら,米国はスビックを離れる以外にない。 |
DIA-205-1991-09-10-1 | フィリピン | 1991年09月10日 | 1990年代 | アキノ,上院に基地条約の国民投票付託を要請-上院で1時間会談,たとえ条約が否決されても,国民投票を実施できる方法を捜すよう上院議員にアピール。サロンガ:アキノとの会談で上院議員全員は,国民投票は,条約批准の場合にのみ,実施可能で一致した。他方,賛成派上院議員11人は先週,結果に拘らず上院の投票90日後に,基地条約の国民投票実施を求める法案を提出。 |
DIA-205-1991-09-10-2 | フィリピン | 1991年09月10日 | 1990年代 | 基地反対・賛成両派,デモ集会-上院前とキリノ・グランドスタンドで賛成派3万人と反対派1万人が。 |
DIA-205-1991-09-11-1 | フィリピン | 1991年09月11日 | 1990年代 | 西ネグロスのNPA司令官,帰順-先週。Silvino Gallardoネグロス島地方党委員会執行委員会委員。 |
DIA-205-1991-09-11-2 | フィリピン | 1991年09月11日 | 1990年代 | アキノ,条約を国民発案権投票に付す-上院が条約を否決しても,RA6735号により国民投票に提出できる。 |
DIA-205-1991-09-11-3 | フィリピン | 1991年09月11日 | 1990年代 | 参謀総長,Zumelグループにも和平提案-マルコス忠誠派にも。対話参加を求め密使を派遣した。 |
DIA-205-1991-09-12-1 | フィリピン | 1991年09月12日 | 1990年代 | IMFは,財政目標の改訂を拒否-政府は8月21日に改訂目標を提出。マニラ駐在代表。 |
DIA-205-1991-09-12-2 | フィリピン | 1991年09月12日 | 1990年代 | NDF,一方的休戦を発表-11日深夜から発効。上院の基地延長拒否の「明確な傾向」に応えて。 |
DIA-205-1991-09-16-1 | フィリピン | 1991年09月16日 | 1990年代 | 上院,12対11で基地条約を否決-決議1529号採択。決議:8月27日の条約は,憲法の反核兵器政策に違反し,支払の非拘束的約束を含み,天然資源の開発を認め,米国上院の批准を規定していない。条約は,友好・協力・主権平等の精神における両国間の継続する関係に不完全な枠組みを設定するものである。 |
DIA-205-1991-09-16-2 | フィリピン | 1991年09月16日 | 1990年代 | 上院,米軍の3カ年撤退決議提出-サギサグ,アキノ,メルカードが上院決議1266号。(1)米軍部隊と施設の撤退,その他のため段階的引継に一定期間を設定。(2)基地の延長滞在と交換に補償は求めない。(3)撤退後,両者合意の条約に従い,米国は基地の利用権を認められる。 |
DIA-205-1991-09-16-3 | フィリピン | 1991年09月16日 | 1990年代 | 米国,2基地を返還-ラウニオン州のWallace Air Stationとタルラク州カパスのCamp O’Donell。 |
DIA-205-1991-09-16-4 | フィリピン | 1991年09月16日 | 1990年代 | 軍・警,軍叛徒20人を釈放-これで合計71人に。 |
DIA-205-1991-09-17-1 | フィリピン | 1991年09月17日 | 1990年代 | タニャーダ上院議員,LPに入党。 |
DIA-205-1991-09-17-2 | フィリピン | 1991年09月17日 | 1990年代 | 米国に47年基地協定の1年延長を正式通告-外務長官:政府は,ラモス・ラスク交換公文における終了日の解釈を再考し,これを認め,90年5月15日の終了通告を撤回する口上書および新たな終了日を92年9月16日とする口上書を米国大使館に伝達した。国民投票は上院の非承認決議を覆えさせる。基地反対議員,終了通告撤回を非難。 |
DIA-205-1991-09-17-3 | フィリピン | 1991年09月17日 | 1990年代 | 米上院に,米軍の即時撤退決議提出。 |
DIA-205-1991-09-17-4 | フィリピン | 1991年09月17日 | 1990年代 | シソン,政府・NDFの和平交渉仲介を申し出。 |
DIA-205-1991-09-17-5 | フィリピン | 1991年09月17日 | 1990年代 | 公務員裁判所,ロムアルデス9企業の差押え解除。 |
DIA-205-1991-09-19-1 | フィリピン | 1991年09月19日 | 1990年代 | 政府・NDF,香港で予備交渉開始。 |
DIA-205-1991-09-19-2 | フィリピン | 1991年09月19日 | 1990年代 | アキノ,国民投票で態度軟化-閣内の反対と86年憲法委員会の17委員の違憲の恐れありとの声明で。 |
DIA-205-1991-09-19-3 | フィリピン | 1991年09月19日 | 1990年代 | 公務員裁判所,ベネディクト企業の凍結解除命令。 |
DIA-205-1991-09-22-1 | フィリピン | 1991年09月22日 | 1990年代 | アキノ,上院案7年なら受け入れ-上院が採択なら,国民投票計画を取り下げと示唆。賛否両派の決議案の統合を要求。6人の賛成派議員は官邸と協議,決議1268号(撤退期間98年6月12日まで7年間)を先週提案。上院は20日に両決議案を審議したが,合意できず。 |
DIA-205-1991-09-23-1 | フィリピン | 1991年09月23日 | 1990年代 | 政府・上院,行き詰まり打開へ-アキノはサギサグ,メルカードと会談,米国との「適切な」撤退取り決め作成を上院に要請。しかし期間は特定せず。 |
DIA-205-1991-09-23-2 | フィリピン | 1991年09月23日 | 1990年代 | アキノ,国民投票反対4閣僚の辞任回避。 |
DIA-205-1991-09-23-3 | フィリピン | 1991年09月23日 | 1990年代 | 参謀総長,和平交渉中の対軍叛徒作戦の停止命令。 |
DIA-205-1991-09-23-4 | フィリピン | 1991年09月23日 | 1990年代 | 米国にマルコス遺体送還禁止の延長要請。 |
DIA-205-1991-09-24-1 | フィリピン | 1991年09月24日 | 1990年代 | 米国,撤退期間4年を希望-極秘報告で,撤退期間4年で承知する用意があると伝えた。 |
DIA-205-1991-09-24-2 | フィリピン | 1991年09月24日 | 1990年代 | 基地反対議員,条件付き2年撤退を支持-サロンガ:反対上院議員は1年撤退期間で一致,がより妥当な2~3年方式を検討中。23日基地反対の8人が議論した撤退方式の2条件は,(1)米国が撤退期間の基地補償を事実上相殺できるスビックの三つの浮き乾ドック等の施設を譲渡。(2)大統領は,撤退日程の実施パネルに上院議員数人を任命。他の議員が受け入れれば,大統領に米国と暫定協定を結ぶ権限を与える上院決議が起草されよう。 |
DIA-205-1991-09-24-3 | フィリピン | 1991年09月24日 | 1990年代 | クラークの国際空港転用計画を棚上げ。 |
DIA-205-1991-09-24-4 | フィリピン | 1991年09月24日 | 1990年代 | アキノ,ミトラ下院議長を叛徒交渉の代表に任命。 |
DIA-205-1991-09-25-1 | フィリピン | 1991年09月25日 | 1990年代 | サロンガ,撤退期間4年を拒否-また,米大使館:撤退期間4年希望の報道は的外れだが,国民投票または妥協で条約の救済を図るアキノの行動を注視している。 |
DIA-205-1991-09-26-1 | フィリピン | 1991年09月26日 | 1990年代 | 基地国民投票署名運動開始-“Kasama Ka, Kabayan”。暫定議長リナ上院議員。 |
DIA-205-1991-09-30-1 | フィリピン | 1991年09月30日 | 1990年代 | 上院,基地撤退期間で分裂-12人の反対議員も期間で分裂。5人は1年の強硬意見,中間派は2~4年。 |
DIA-205-1991-09-30-2 | フィリピン | 1991年09月30日 | 1990年代 | 公務員裁判所,コファンコのSMC投票権の実行命令。 |
DIA-205-1991-10-02-1 | フィリピン | 1991年10月02日 | 1990年代 | アキノ,米国と3カ年内基地撤退の行政協定を結ぶ-緊急招集の記者会見で。上院議員15人が3年内の最終撤退に関し米国と交渉するとの行政府起草の決議に支持表明。政府決定を米国大使に伝えた。参謀総長にも米軍当局者と撤退プランを議論するよう指示した。官房長官:米国大使館はわれわれの決定を尊重すると表明。 |
DIA-205-1991-10-02-2 | フィリピン | 1991年10月02日 | 1990年代 | アキノ親族,再出馬支持-叔父,与党院内総務F.Sumulong:LDPのアキノ支持に疑問ない。従兄弟E. Tanjuatco下院議員:親族は彼女に出馬を求めたことはない。 |
DIA-205-1991-10-02-3 | フィリピン | 1991年10月02日 | 1990年代 | 対米砂糖輸出クオータ,44.48%減少-米大使館発表。91年度の32万1294㌧から17万8380㌧に。 |
DIA-205-1991-10-03-1 | フィリピン | 1991年10月03日 | 1990年代 | 代替財源なければ,CARPは92年末で停止-下院歳出委員会との会議でDAR次官。 |
DIA-205-1991-10-03-2 | フィリピン | 1991年10月03日 | 1990年代 | 比企業家会議所,91年外国投資法の施行延期要請。 |
DIA-205-1991-10-07-1 | フィリピン | 1991年10月07日 | 1990年代 | 政府,3カ年撤退行政協定を起草ヘ-アキノ,国軍,外務省当局者の会議で。官房長官:91年から3カ年内の米軍の段階的撤退,比国軍の段階的導入スケジュールを設定する。3カ年撤退期間は延長され得ない。 |
DIA-205-1991-10-07-2 | フィリピン | 1991年10月07日 | 1990年代 | 政府,上院決議なくとも3カ年撤退交渉を推進-報道次官。政府は米国に終了通告を出さず,代わりに米軍の撤退交渉を求める外交覚書を送付する。サロンガ:3カ年撤退決議に未署名の9人の反基地上院議員はラモス・ラスク協定規定の1カ年撤退期間に関し「強固」だ。最低線はスビック海軍基地の「軍事的側面」,兵士・兵器システムの1年以内の撤退だ。8日アキノはサロンガ案を拒否。 |
DIA-205-1991-10-08-1 | フィリピン | 1991年10月08日 | 1990年代 | マニラ地方裁,イメルダの旅券発行を命令。 |
DIA-205-1991-10-08-2 | フィリピン | 1991年10月08日 | 1990年代 | 参謀総長,軍叛徒幹部と会談-上院国防委で証言。1週間前マルコス忠誠派のJose M. Zumel元准将と。 |
DIA-205-1991-10-09-1 | フィリピン | 1991年10月09日 | 1990年代 | 参謀総長,叛徒帰順の条件-国軍消息筋。解散し,今後政府を不安定にする動きをしないとの書面約束,等。アキノに提出の方針書で。 |
DIA-205-1991-10-09-2 | フィリピン | 1991年10月09日 | 1990年代 | マルコス遺体,イロコス直行なら帰国許可-アキノ。9日間の通夜後埋葬に書面で同意するなら。 |
DIA-205-1991-10-09-3 | フィリピン | 1991年10月09日 | 1990年代 | 最高裁判事に,大統領法律顧問を指名-アキノ。F. R. P. Romero。5人目の最高裁女性判事。 |
DIA-205-1991-10-09-4 | フィリピン | 1991年10月09日 | 1990年代 | NEDA,ODAの民間貸付ガイドライン承認。 |
DIA-205-1991-10-10-1 | フィリピン | 1991年10月10日 | 1990年代 | アキノ,新地方政府法典に署名。 |
DIA-205-1991-10-11-1 | フィリピン | 1991年10月11日 | 1990年代 | ミンダナオで11月から15%給電カット-1日3~4時間停電に。ラナオ湖の水位低下で。 |
DIA-205-1991-10-14-1 | フィリピン | 1991年10月14日 | 1990年代 | 政府,サロンガ撤退案を拒否-サロンガ妥協案:撤退期間3年,米軍兵力は92年9月16日までに完全撤退。報道次官:われわれは撤退の経済と雇用への影響に関心があるだけだ。政府は,上院の支持がなくても撤退日程に関する行政協定を交渉する。サロンガとその他の反基地議員の声明:もし行政協定が1年内の米軍撤退を規定せねば,政府の行政協定イニシャティブを阻止する。 |
DIA-205-1991-10-14-2 | フィリピン | 1991年10月14日 | 1990年代 | ピメンテル,オルボス,非伝統政治家の全国連合結成に合意。 |
DIA-205-1991-10-14-3 | フィリピン | 1991年10月14日 | 1990年代 | アキノの一族は再出馬に反対-Jose Cojuangco:大統領の親類の大半は賛成していない。アキノとコファンコの両方ともこの問題でまだ分裂している。 |
DIA-205-1991-10-15-1 | フィリピン | 1991年10月15日 | 1990年代 | LP執行委員会,サロンガを公認候補に選出-秘密投票で。サロンガ17票,フェルナン11票,棄権4票。議長D. Mcaapagalと新党員Wigberto Tanadaは棄権。 |
DIA-205-1991-10-15-2 | フィリピン | 1991年10月15日 | 1990年代 | 労働長官に,シソン死亡事件の現地調査命令。 |
DIA-205-1991-10-16-1 | フィリピン | 1991年10月16日 | 1990年代 | PCCI全国会議,銀行自由化・現実的為替レート要請-会議テーマ「自由市場,自由企業」。初日決議で,一層の自由化を要求。 |
DIA-205-1991-10-16-2 | フィリピン | 1991年10月16日 | 1990年代 | LDP,11月30日に州大会でのサーベイに合意-ゴンサレス総裁。ミトラ,ラモス含む党指導者が合意。 |
DIA-205-1991-10-16-3 | フィリピン | 1991年10月16日 | 1990年代 | アキノ,軍叛徒の基地即時撤退要求を拒否-RAM-SFP-YOUの交渉の主要政治要求の一つ。 |
DIA-205-1991-10-17-1 | フィリピン | 1991年10月17日 | 1990年代 | 米ABC放送,比外務長官がRAM暗殺者を雇った-マニラ特派員のインタビューでJack Terrell:マングラプスに指導者暗殺に85万ペソで雇われた。 |
DIA-205-1991-10-17-2 | フィリピン | 1991年10月17日 | 1990年代 | 軍叛徒,和平対話を打診-RAMが下院議員宛にFAXで8点の交渉議題のコピーを送付。交渉は幅広い政治,経済問題をカバーすべきと提案。 |
DIA-205-1991-10-17-3 | フィリピン | 1991年10月17日 | 1990年代 | タニャーダ,米軍部隊の91年内撤退を提案-スビックは撤退の第1段階で基地機能を停止。次いで,92年9月16日までに米国の非軍事部門が撤退。 |
DIA-205-1991-10-23-1 | フィリピン | 1991年10月23日 | 1990年代 | J・コファンコ,ミトラ・ラモスに出馬取り止め要求-正式に両者に,アキノに道を譲って,92年大統領候補のLDP指名準備から撤退するよう要求。 |
DIA-205-1991-10-24-1 | フィリピン | 1991年10月24日 | 1990年代 | アキノは再出馬しないが最終決定-LDPスポークスマン:アキノに会い,最後に最終的な答えを求めた。アキノは出馬しないと言った。 |
DIA-205-1991-10-24-2 | フィリピン | 1991年10月24日 | 1990年代 | NFA小売り米価格,1㌔当り9ペソに-10月1目から過剰在庫処分のための割引価格8.40ペソから,11月16日に。 |
DIA-205-1991-10-25-1 | フィリピン | 1991年10月25日 | 1990年代 | NEDA理事会,外国投資法規則・細則を承認。 |
DIA-205-1991-10-27-1 | フィリピン | 1991年10月27日 | 1990年代 | 軍叛徒はまだ武力革命を放棄せず-ホナサン元中佐,秘密記者会見で(これまでに参謀総長と3回会見)。 |
DIA-205-1991-10-28-1 | フィリピン | 1991年10月28日 | 1990年代 | 米,3カ年撤退期限に原則合意-米大使館:「われわれはすでにフィリピンの立場に原則的に同意した。」外務省高官:日程と撤退対象施設を含む取り決めの詳細は正式交渉で解決が必要。官房長官:非公式交渉は行なわれているが,米国は比側が10月18日に送付した撤退交渉要請の外交覚書に公式にまだ回答していない。 |
DIA-205-1991-10-30-1 | フィリピン | 1991年10月30日 | 1990年代 | LBP,CARP目標の引き下げ要請-農地銀行総裁,上院証言で。特に民間所有地で。280万㌶の目標は過大。年間20万㌶の分配目標はそんなに悪くない。 |
DIA-205-1991-10-30-2 | フィリピン | 1991年10月30日 | 1990年代 | 軍叛徒,クーデタの用意ある-YOU所属の6人の将校が秘密インタビュー。叛徒兵士は,カラハテ元准将を長とするRAM-SFP-YOU執行委員会の合図を待っている。 |
DIA-205-1991-10-31-1 | フィリピン | 1991年10月31日 | 1990年代 | マルコス二世帰国-E・コファンコが持ち家を提供。 |
DIA-205-1991-10-31-2 | フィリピン | 1991年10月31日 | 1990年代 | アキノ,軍叛徒と会見-官房長官。28日拘留中の24人,イメルダ帰国時に不穏状態を起こさぬよう説得。 |
DIA-205-1991-11-04-1 | フィリピン | 1991年11月04日 | 1990年代 | イメルダ・マルコス帰国-警察推定約3万の忠誠派が空港外に参集。5日北イロコス訪問。 |
DIA-205-1991-11-05-1 | フィリピン | 1991年11月05日 | 1990年代 | 熱帯嵐ウリン,ビサヤで大被害-レイテ州で大洪水。北部・中部ルソンでは大型台風Triningで被害。 |
DIA-205-1991-11-06-1 | フィリピン | 1991年11月06日 | 1990年代 | 参謀総長,叛徒強硬派は最後まで戦う用意-カラハテとトゥリンガン元海軍大佐。だが,彼らは戦闘将校ではなく,軍事反乱に必要なテクニックがない。 |
DIA-205-1991-11-06-2 | フィリピン | 1991年11月06日 | 1990年代 | 遺体輸送でマルコス二世に旅券発行する-官房長官。遺体のイロコス直接搬入を認める政策に変りない。 |
DIA-205-1991-11-06-3 | フィリピン | 1991年11月06日 | 1990年代 | マレーシアが米艦船修理を申し出-外務長官:Lumut Port修理施設で引き受けるとの報告を受け取った。 |
DIA-205-1991-11-07-1 | フィリピン | 1991年11月07日 | 1990年代 | G. Araneta III帰国。 |
DIA-205-1991-11-07-2 | フィリピン | 1991年11月07日 | 1990年代 | 4上院議員,LDPに加入へ-ゴンサレス総裁。92年の再出馬に備えて(政党に加盟していたい)少なくとも4人が。観測ではAngara,Herrera(元LP),Osmena(元LP),Aquino(無所属),Angara(同)。現在のLDP上院議員は5人。 |
DIA-205-1991-11-08-1 | フィリピン | 1991年11月08日 | 1990年代 | 国軍・ホナサン,第4次・最終和平交渉開始へ-参謀総長:ホナサン説得のため帰順したカプーナン中佐(11月2日に13人の若手将校と帰順)を派遣する。 |
DIA-205-1991-11-11-1 | フィリピン | 1991年11月11日 | 1990年代 | IMF審査開始-中銀総裁:四つの重要問題,(1)通貨供給,外貨準備,(2)第2四半期開始の70億ペソ歳出削減,(3)1ペソ/㍑の石油輸入関税,(4)92年財政計画。 |
DIA-205-1991-11-11-2 | フィリピン | 1991年11月11日 | 1990年代 | ラウレル,エンリレらの党復帰に4条件-声明。両派が今週予定の違法全国代議員会議を取り消し,等。エンリレ,コファンコともに拒否。 |
DIA-205-1991-11-11-3 | フィリピン | 1991年11月11日 | 1990年代 | RAM士官,先週帰順-元警察軍中尉。政府が軍叛徒との和解の動きを始めてから帰順した軍叛徒では14人目。これまでに18人の将校が投降。残りは約14人。 |
DIA-205-1991-11-11-4 | フィリピン | 1991年11月11日 | 1990年代 | アキノ,原発債務問題検討委員会設置-外銀の債務買い戻し計画に含めるか否かを検討。 |
DIA-205-1991-11-12-1 | フィリピン | 1991年11月12日 | 1990年代 | E・コファンコ,自派NPを結成-約1000人の代表を集め。KBLのSalvador EscuderoとRodolfo Albano率いる約20人の下院議員が正式に同派に加入。総裁に元リサール州知事Isidro Rodriguez,等新役員選出。 |
DIA-205-1991-11-12-2 | フィリピン | 1991年11月12日 | 1990年代 | 主席検事,イメルダを刑事17件で告発。 |
DIA-205-1991-11-12-3 | フィリピン | 1991年11月12日 | 1990年代 | NPA,全国的に攻勢開始-国軍スポークスマン:崩壊を食い止めるため。カガヤン,アクラン,ミンダナオで1週間に兵20人以上戦死。 |
DIA-205-1991-11-14-1 | フィリピン | 1991年11月14日 | 1990年代 | NPラウレル派,エンリレらを正式除名-特別全国大会。新役員を選出:総裁にラウレル再選,書記長にカラウ元上院議員。非公式投票で大統領候補に935票でラウレル。副大統領候補は票が割れ,アダサ386,イメルダ358,オスメーニャ上院議員301,カラウ36。 |
DIA-205-1991-11-15-1 | フィリピン | 1991年11月15日 | 1990年代 | IMF,上院の歳入法案可決に期限設定-財務長官。12月13日まで,さもなくば経済安定化計画の書直し必要。金融当局はできることは総てやった。IMFパネルは92年財政赤字上限の引上げに同意しなかった。 |
DIA-205-1991-11-18-1 | フィリピン | 1991年11月18日 | 1990年代 | 5上院議員,LDP加入計画を確認-アキノ,オスメーニャ,タマノ,ヘレラ,アンガラ。 |
DIA-205-1991-11-18-2 | フィリピン | 1991年11月18日 | 1990年代 | MNLF,政府と交渉再開の用意-Manda Hamza南ラナオ州革命委員会議長:もしイスラム会議機構の後援の下に開かれるなら,交渉再開の用意ある。 |
DIA-205-1991-11-19-1 | フィリピン | 1991年11月19日 | 1990年代 | NPラウレル派,2派のNP名称使用禁止措置要請-選管に。また,先週2派が招集した全国代議員会議の無効判断を正式要請。 |
DIA-205-1991-11-20-1 | フィリピン | 1991年11月20日 | 1990年代 | 上院,同日選挙法可決-下院は18日に可決。選挙日は92年5月11日,記名数を58から43に減らす等。 |
DIA-205-1991-11-20-2 | フィリピン | 1991年11月20日 | 1990年代 | エンリレ,党の大統領指名を求めない-ラウレルとコファンコに争いを止め,NPを維持するようアピール。自分のオプションは上院議員に再出馬するか下院議員に出るか,政治を止めるかだ。 |
DIA-205-1991-11-20-3 | フィリピン | 1991年11月20日 | 1990年代 | 芸人の出稼ぎを選択的禁止-アキノ承認。労働長官:18日の多部門会議の結果を閣議が承認。 |
DIA-205-1991-11-20-4 | フィリピン | 1991年11月20日 | 1990年代 | ホナサン,投降しない-ラジオ・インタビューで。交渉期限は11月23日。 |
DIA-205-1991-11-21-1 | フィリピン | 1991年11月21日 | 1990年代 | 公務員裁判所,ベネィデクト97企業の差押え解除-インテルコ・コファンコ事件の最高裁判決を援用。 |
DIA-205-1991-11-21-2 | フィリピン | 1991年11月21日 | 1990年代 | 行政協定結ばれねば,基地終了を再通告-官房長官。 |
DIA-205-1991-11-22-1 | フィリピン | 1991年11月22日 | 1990年代 | フェルナン,大統領選出馬発表のパーティ開催-支援団体は,広範囲な連合“Union for Progress”。 |
DIA-205-1991-11-25-1 | フィリピン | 1991年11月25日 | 1990年代 | IMFと重要問題で大まかな合意-中銀総裁:しかし,より重要な争点は未解決。正式交渉は26日に終了。IMFミッション:議論が終了しても,比政府は経済安定化計画を順守するため92年財政赤字削減含むすべての措置を実施しなければならない。 |
DIA-205-1991-11-26-1 | フィリピン | 1991年11月26日 | 1990年代 | 国防長官,米は3カ年撤退に合意しよう-比米両パネルは26日会談。非公式会談は10月以来続いている。比側の外交覚書に米側から正式回答はない。 |
DIA-205-1991-11-26-2 | フィリピン | 1991年11月26日 | 1990年代 | 米,クラーク基地を正式に返還-米大使演説:米軍の展開の変化のために,域内の新たな安全保障取決め,ASEAN諸国間のより強力な域内安全対話が必要であり,米国は域内で積極的な役割を果たすであろう。 |
DIA-205-1991-11-26-3 | フィリピン | 1991年11月26日 | 1990年代 | 関税局長更迭,Tomas Apacible財務次官任命。 |
DIA-205-1991-11-27-1 | フィリピン | 1991年11月27日 | 1990年代 | A・アキノ,LDPに入党-ヘレラ上院議員,トレス労働長官も。LDP上院議員は7人に。 |
DIA-205-1991-11-27-2 | フィリピン | 1991年11月27日 | 1990年代 | 主席検事,イメルダ等をさらに汚職で起訴。 |
DIA-205-1991-11-28-1 | フィリピン | 1991年11月28日 | 1990年代 | ミトラ,官邸は自治体予算割当てで買収行為-官房長官,副長官,予算次官,自治次官が,LDP大会でミトラ支持を止めなければ撤回すると地方首長を脅している,と非難。官邸は否定声明。 |
DIA-205-1991-11-29-1 | フィリピン | 1991年11月29日 | 1990年代 | アキノ,次期最高裁長官を指名-12月8日辞任のフェルナン長官の後任,Andres R. Narvasa最高裁判事。 |
DIA-205-1991-11-30-1 | フィリピン | 1991年11月30日 | 1990年代 | ミトラ,予備選でLDP大統領候補に-州別の同時非公式予備選でミトラ2222票,ラモス1730票,棄権等57票。ミトラはラモスに副大統領候補になるよう要請。 |
DIA-205-1991-12-02-1 | フィリピン | 1991年12月02日 | 1990年代 | 在比米海軍司令官,相互防衛条約の維持希望。 |
DIA-205-1991-12-04-1 | フィリピン | 1991年12月04日 | 1990年代 | ミンダナオの給電20%カット-11月の15%から。現在3~4時間の停電。 |
DIA-205-1991-12-04-2 | フィリピン | 1991年12月04日 | 1990年代 | 通貨委,外為取引を大副緩和-92年1月2日発効。 |
DIA-205-1991-12-04-3 | フィリピン | 1991年12月04日 | 1990年代 | 最高裁,91年外資法は合憲。 |
DIA-205-1991-12-09-1 | フィリピン | 1991年12月09日 | 1990年代 | ラモス,LDPを離党。 |
DIA-205-1991-12-09-2 | フィリピン | 1991年12月09日 | 1990年代 | イメルダ,マルコス2世,罪状を否認-ケソン地方裁で脱税告発を否認。 |
DIA-205-1991-12-11-1 | フィリピン | 1991年12月11日 | 1990年代 | アキノ,ラモス・フェルナン・ピメンテルに連合協議指示-3者で候補を形成するよう指示。 |
DIA-205-1991-12-11-2 | フィリピン | 1991年12月11日 | 1990年代 | 最高裁,Banco Filipinoの再開命令。 |
DIA-205-1991-12-11-3 | フィリピン | 1991年12月11日 | 1990年代 | 米海軍,スビック内の学校閉鎖早める-教育年度末(92年6月12日)に基地内の三つの扶養家族のための学校(小,中,高)を閉鎖する計画。最終決定ではない。 |
DIA-205-1991-12-11-4 | フィリピン | 1991年12月11日 | 1990年代 | サントスはミトラ支持で辞任に。 |
DIA-205-1991-12-12-1 | フィリピン | 1991年12月12日 | 1990年代 | 上院議長サロンガ追放,ゴンサレス就任-サロンガとゴンサレス派の交渉が決裂,反サロンガ派の13上院議員が本会議開催。オスメーニャが議長職,その他の役職は空席との動議を提出,ゴソサレスを議長に選出。マセダを議長代理,ロムロを多数党院内総務に選出。92年予算案とSNITS法案(第3読会)を可決。 |
DIA-205-1991-12-15-1 | フィリピン | 1991年12月15日 | 1990年代 | リトアニアと国交樹立。 |
DIA-205-1991-12-16-1 | フィリピン | 1991年12月16日 | 1990年代 | 世銀,ローン承認を留保-電力料金値上げ実施まで理事会に提出しないと示唆。 |
DIA-205-1991-12-16-2 | フィリピン | 1991年12月16日 | 1990年代 | Billy Bibid元PC中佐釈放さる。 |
DIA-205-1991-12-16-3 | フィリピン | 1991年12月16日 | 1990年代 | 米軍は1年内に撤退の用意-米大使館。 |
DIA-205-1991-12-16-4 | フィリピン | 1991年12月16日 | 1990年代 | 上院のリーダーシップ問題で妥協成立-サロンガとゴンサレスが合意。両者は,12日午後の審議で「残留派」によってなされたゴンサレスの上院議長選出および一切の手続を批准,確認する。新役員は1月1日に就任。 |
DIA-205-1991-12-16-5 | フィリピン | 1991年12月16日 | 1990年代 | アキノ,憲法議会招集に反対表明。 |
DIA-205-1991-12-18-1 | フィリピン | 1991年12月18日 | 1990年代 | イメルダの長女Imee帰国。 |
DIA-205-1991-12-18-2 | フィリピン | 1991年12月18日 | 1990年代 | 政府,イメルダを汚職第1号起訴-公務員特別裁判所に。合計6件,うち4件は海外財団経由の違法取得資産の洗浄に関連した汚職。 |
DIA-205-1991-12-19-1 | フィリピン | 1991年12月19日 | 1990年代 | 軍叛徒に92年選挙阻止計画ない-Bibit元PC中佐:また,RAM-KSP-YOUは12月9日クラメ基地武器庫からの軽戦車兵器盗難事件(60のうち40回収)に関係ない。 |
DIA-205-1991-12-19-2 | フィリピン | 1991年12月19日 | 1990年代 | 特別会期終了,可決は1法案のみ-1週間招集。政府要請7法案の上院可決は,APTと民営化委員会の存続期間を91年12月8日から92年8月末まで延長する法案。 |
DIA-205-1991-12-19-3 | フィリピン | 1991年12月19日 | 1990年代 | アキノ,対NPA年末年始の一方的休戦承認。 |
DIA-205-1991-12-20-1 | フィリピン | 1991年12月20日 | 1990年代 | マニラ湾商業漁業禁止は4月16日から。 |
DIA-205-1991-12-20-2 | フィリピン | 1991年12月20日 | 1990年代 | IMF・世銀,0.2245ペソ電力値上げ承認-2段階で実施(1月5日0.15ペソ,2月5日0.0745ペソ)。財務長官:だが政府要請の3歳入法が未成立なのでIMFはまだレビューを承認していない。 |
DIA-205-1991-12-20-3 | フィリピン | 1991年12月20日 | 1990年代 | 石油価格引き下げ-プレミアム・ガス12.75ペソから12ペソに,レギュラーは12ペソから11.5ペソへ,重油は3.86ペソから3.45ペソへ。その他は変わらず。 |
DIA-205-1991-12-22-1 | フィリピン | 1991年12月22日 | 1990年代 | 参謀総長,軍叛徒との和平交渉再開はない。 |
DIA-205-1991-12-23-1 | フィリピン | 1991年12月23日 | 1990年代 | 政府・PCCI,議会に4法案の可決要求-先週,アキノとPCCI役員が会談で決定。(1)資本設備に対する税制インセンティブ期間を5年延長。(2)内国歳入法典修正,純営業損失の繰り越し,プラント,機械類,設備の加速減価償却を規定。(3)コンドミニアム法を拡大し,工業団地を含める。(4)ダンピング取締法強化。 |
DIA-205-1991-12-23-2 | フィリピン | 1991年12月23日 | 1990年代 | スイスと第4次リスケ協定調印-第6番目。仏,米,英,加,スペインと完了。残り8カ国。 |
DIA-205-1991-12-24-1 | フィリピン | 1991年12月24日 | 1990年代 | 14電子・自動車部品を自由化。 |
DIA-205-1991-12-26-1 | フィリピン | 1991年12月26日 | 1990年代 | 政府,独立国家共同体を承認。 |
DIA-205-1991-12-29-1 | フィリピン | 1991年12月29日 | 1990年代 | アキノ,基地転用関係機関の編成命令-官房長官:上院が基地転用庁法を可決していないので暫定グループがスビックの転用計画を実施し,監督しなければならない。 |
DIA-205-1991-12-30-1 | フィリピン | 1991年12月30日 | 1990年代 | KBL,イメルダを大統領候補に指名-約300人のKBL代表の大会で。 |
DIA-205-1991-12-30-2 | フィリピン | 1991年12月30日 | 1990年代 | ホナサン,公正選挙保証に軍と協力する。 |
DIA-205-1991-12-31-1 | フィリピン | 1991年12月31日 | 1990年代 | 比米基地協定終了,1年以内撤退を通告-1947年Military Base Agreementは1992年12月31日終了し,米国にスビック海軍基地からの残存兵力の撤退に1年間与える,と米国政府に通告。Paredes報道次官:3カ年撤退行政協定交渉は失敗,政府は実際上米国との1年撤退協定を申し出た。米代表は申し出を却下し,比側に「最終的な立場の変更は自分たちにはできない」と通告。両代表は,五つの相違を解決できなかった。(1)核兵器禁止の憲法規定,(2)基地の自由使用,(3)明確な撤退スケジュール,(4)基地労働者の退職手当,(5)軍と施設の段階的引き渡しと段階的引き継ぎの関係。 |
DIA-205-1992-01-01-1 | フィリピン | 1992年01月01日 | 1990年代 | ゴンサレス,正式に上院議長に就任。 |
DIA-205-1992-01-03-1 | フィリピン | 1992年01月03日 | 1990年代 | アキノのトロイカ構想崩壊―ラモス,フェルナン,ピメンテルの3者は個別の道を取ることに決定。 |
DIA-205-1992-01-03-2 | フィリピン | 1992年01月03日 | 1990年代 | 貿易外外貨取引き規制緩和―中銀回状1318号。輸出・金融・サービス取引等15業種の外貨収入を除き外貨の保有,持ち出し,持ち込みを自由化。 |
DIA-205-1992-01-04-1 | フィリピン | 1992年01月04日 | 1990年代 | 米,第7艦隊補給司令部をシンガポールに移転―ゴー首相との会談で合意,ブッシュ米大統領発表。 |
DIA-205-1992-01-06-1 | フィリピン | 1992年01月06日 | 1990年代 | 米,スビック全部隊家族の6月中旬撤退命令。 |
DIA-205-1992-01-06-2 | フィリピン | 1992年01月06日 | 1990年代 | 19人目の軍叛徒帰順―Allen Querubin元陸軍少佐。 |
DIA-205-1992-01-07-1 | フィリピン | 1992年01月07日 | 1990年代 | 選管,NPラウレル派大会中止申請(エンリレの申請)を却下。 |
DIA-205-1992-01-07-2 | フィリピン | 1992年01月07日 | 1990年代 | PDP-Laban執行委員会,LPとの連合協定を承認。 |
DIA-205-1992-01-07-3 | フィリピン | 1992年01月07日 | 1990年代 | イメルダ,大統領選挙出馬を発表。 |
DIA-205-1992-01-08-1 | フィリピン | 1992年01月08日 | 1990年代 | 国家警察(PNP),18私兵集団の解体命令。 |
DIA-205-1992-01-08-2 | フィリピン | 1992年01月08日 | 1990年代 | NPラウレル派,大統領・上院候補選出―全国大会。 ラウレルを大統領候補に,副大統領候補の選任はラウレルに委任。 |
DIA-205-1992-01-15-1 | フィリピン | 1992年01月15日 | 1990年代 | IMFと92年経済計画で合意―92年財政・金融の緩和を承認。 |
DIA-205-1992-02-01-1 | フィリピン | 1992年02月01日 | 1990年代 | 米国93年度予算案,対比援助50%削減 |
DIA-205-1992-02-02-1 | フィリピン | 1992年02月02日 | 1990年代 | エストラーダ,出馬宣言―Partido ng Masang Pilipin(フィリピン大衆党)大会で。 |
DIA-205-1992-02-02-2 | フィリピン | 1992年02月02日 | 1990年代 | 司教教書,買収に応じるなと発言―「票を売るな。それは神を冒濱し,国を裏切り,自らの尊厳と将来を悪党に売ることだ。伝統的政党の強力なキャンペーン機構が作り出すパンドワゴン効果に圧倒されるな」。 |
DIA-205-1992-02-02-3 | フィリピン | 1992年02月02日 | 1990年代 | NPエンリレ派,ミトラLDPとの連合に合意。 |
DIA-205-1992-02-03-1 | フィリピン | 1992年02月03日 | 1990年代 | ラモス,Lakas ng Edsa発足式―LDPを離党した下院議員率いるアキノ支援の政治家と民衆組織を正式に統合する組織。ラモスとオスメニャは連合協定に署名。 |
DIA-205-1992-02-03-2 | フィリピン | 1992年02月03日 | 1990年代 | ミンダナオで電力値上げ抗議ゼネスト。 |
DIA-205-1992-02-04-1 | フィリピン | 1992年02月04日 | 1990年代 | サロンガ・ピメンテル,立候補届け出。 |
DIA-205-1992-02-05-1 | フィリピン | 1992年02月05日 | 1990年代 | サンチャゴ,コファンコ,立候補宣言。 |
DIA-205-1992-02-05-2 | フィリピン | 1992年02月05日 | 1990年代 | ケソン市で爆弾テロ事件。 |
DIA-205-1992-02-08-1 | フィリピン | 1992年02月08日 | 1990年代 | 90日の全国選挙運動開始。 |
DIA-205-1992-02-12-1 | フィリピン | 1992年02月12日 | 1990年代 | 選管,正副大統領78候補を失格に―残る正副大統領候補は8組に。 |
DIA-205-1992-03-05-1 | フィリピン | 1992年03月05日 | 1990年代 | IMF,92年経済安定化計画を承認―理事会は経済計画の92年8月から12月への延長も承認。 |
DIA-205-1992-03-13-1 | フィリピン | 1992年03月13日 | 1990年代 | 第3回PAP約束額,17億㌦―香港で。 |
DIA-205-1992-03-30-1 | フィリピン | 1992年03月30日 | 1990年代 | エストラーダ,コファンコの副大統領候補に。 |
DIA-205-1992-04-06-1 | フィリピン | 1992年04月06日 | 1990年代 | 発電所故障で,ルソン4時間停電。 |
DIA-205-1992-04-09-1 | フィリピン | 1992年04月09日 | 1990年代 | 政府,マルコス遺体帰還選挙後まで認めず。 |
DIA-205-1992-04-14-1 | フィリピン | 1992年04月14日 | 1990年代 | 政府,石油製品価格を1ペソ引き下げ。 |
DIA-205-1992-04-16-1 | フィリピン | 1992年04月16日 | 1990年代 | 教会,コファンコ阻止明確に―シン枢機卿は,マニラ大聖堂の対司祭ミサで信徒に教会の敵に投票しないよう呼びかけ,復活祭に教区でこの司教教書で読むよう指示,教書とコファンコの行跡を記録した“The Cocodile File”と題するパンフレットを配布。 |
DIA-205-1992-04-30-1 | フィリピン | 1992年04月30日 | 1990年代 | アキノ,5%の輸入賦課金を廃止。 |
DIA-205-1992-05-10-1 | フィリピン | 1992年05月10日 | 1990年代 | シン,司教教書はラモスを意図せずと発表―どの候補も支援するつもりはない。 |
DIA-205-1992-05-11-1 | フィリピン | 1992年05月11日 | 1990年代 | 大統領・議会・地方同時選挙実施。 |
DIA-205-1992-05-12-1 | フィリピン | 1992年05月12日 | 1990年代 | 政府,送電線警備強化を命令―6カ所の送電鉄塔付近で爆発,少なくとも三つの爆弾を処理。 |
DIA-205-1992-05-21-1 | フィリピン | 1992年05月21日 | 1990年代 | サンチャゴ,大衆抗議行動開始を決定。 |
DIA-205-1992-05-26-1 | フィリピン | 1992年05月26日 | 1990年代 | シン,教会は新政府を支持と表明―「誰が大統領になろうと,われわれは彼を支持すべきだ。負けた者は,抗議すべきではない」。軍・警,選管の実績を称揚。 |
DIA-205-1992-06-03-1 | フィリピン | 1992年06月03日 | 1990年代 | シン,ラモス政権支持を表明―選挙後初めての会談後に。「ラモスと密接に協動する以外に道はない。教会と次期政権の間には何の問題もない」。 |
DIA-205-1992-06-04-1 | フィリピン | 1992年06月04日 | 1990年代 | B0I,発電機免税輸入を拡大―全ての商業事業所に。期限も12月末まで延長。 |
DIA-205-1992-06-17-1 | フィリピン | 1992年06月17日 | 1990年代 | 議会合同集計委員会,暫定集計報告を承認―合同議会に次期正副大統領にラモス,エストラーダの当選宣言を勧告。14委員のうち11委員がすでに署名。 |
DIA-205-1992-06-17-2 | フィリピン | 1992年06月17日 | 1990年代 | サンチャゴ,ラモス当選宣言は違憲―不正があったと議会に全国17万投票所の大部分の投票再集計を要求。 |
DIA-205-1992-06-30-1 | フィリピン | 1992年06月30日 | 1990年代 | ラモス,第8代大統領に就任―リサール公園で就任式典。就任演説:国家が団結するなら,重い足どりの社会を虎に変えよう。貧困者支援の経済政策,国家の統一と治安,清潔かつ誠実な官僚制,環境保護,議会制政府への憲法修正が課題。経済復活戦略として「旧友と貿易相手との関係を強化する」。これら全てを「強力なリーダーシップ」を通じて達成することを希望。 |
DIA-205-1992-06-30-2 | フィリピン | 1992年06月30日 | 1990年代 | 軍叛徒容疑者,首都3カ所で同時爆破。 |
DIA-205-1992-07-01-1 | フィリピン | 1992年07月01日 | 1990年代 | 和平交渉へ向け特赦政策を策定へ―初閣議で検討。左右両叛徒に対し受け入れ可能,現実的特赦政策。 |
DIA-205-1992-07-07-1 | フィリピン | 1992年07月07日 | 1990年代 | ラモス,外銀債務削減パッケージ調印を命令。 |
DIA-205-1992-07-09-1 | フィリピン | 1992年07月09日 | 1990年代 | ラモス,IMFとの中期プログラム交渉許可―現行スタンバイ取り決め失効後93年以降の期間対象。 |
DIA-205-1992-07-13-1 | フィリピン | 1992年07月13日 | 1990年代 | 武装闘争放棄が特赦の条件―ラモス。絶対的,無条件の特赦を与える用意があるが,まず彼らは武装闘争を放棄すべきだ。 |
DIA-205-1992-07-13-2 | フィリピン | 1992年07月13日 | 1990年代 | シン,政府の家族計画を批判―ラモスに人口問題に関する教義を保持するとの選挙約束を守るよう求めた。 |
DIA-205-1992-07-15-1 | フィリピン | 1992年07月15日 | 1990年代 | 8月1日に外為取引所廃止。 |
DIA-205-1992-07-16-1 | フィリピン | 1992年07月16日 | 1990年代 | ラモス,人口抑制の決意―カトリック教会の家族計画に関する見解を尊重するが。 |
DIA-205-1992-07-20-1 | フィリピン | 1992年07月20日 | 1990年代 | ラモス,レインボウ連合を支持―連合は党所属を超えたより高い目標,国益と公共の福祉のために協力を望む195人の下院議員のうち146人からの明確なシグナルだ。議会と政府の協力的関係にとって幸先がよい。 |
DIA-205-1992-07-23-1 | フィリピン | 1992年07月23日 | 1990年代 | LakasにLDP等の12下院議員移籍。 |
DIA-205-1992-07-24-1 | フィリピン | 1992年07月24日 | 1990年代 | 対外銀債務削減パッケージに調印。 |
DIA-205-1992-07-27-1 | フィリピン | 1992年07月27日 | 1990年代 | ラモス,共産党の合法化を提案―第9議会初日の一般教書演説で。破壊活動防止法の廃棄,元新人民軍2100人と元MNLFゲリラ2400人の特赦,またエネルギー省設置等を提案。 |
DIA-205-1992-07-27-2 | フィリピン | 1992年07月27日 | 1990年代 | ラモス,アクセス交渉はまず米国が動くべきだ。 |
DIA-205-1992-07-27-3 | フィリピン | 1992年07月27日 | 1990年代 | ゴンサレス,デベネシア,両院議長に就任。 |
DIA-205-1992-08-07-1 | フィリピン | 1992年08月07日 | 1990年代 | ガルッチョ官房長官辞任―10日ラモスは辞表受理を発表。後任に下院議員Edelmiro Amanteを任命。 |
DIA-205-1992-08-10-1 | フィリピン | 1992年08月10日 | 1990年代 | 経常取引外為規制を全廃―8月7日通貨委員会が改革パッケージを承認。 |
DIA-205-1992-08-11-1 | フィリピン | 1992年08月11日 | 1990年代 | 魚・食肉・コーン・粗糖の関税を引き上げ―7月24日付けE08号。11月1日発効。量的輸入規制を廃止,75~10%の関税に替える。 |
DIA-205-1992-08-21-1 | フィリピン | 1992年08月21日 | 1990年代 | 短期外貨ローン規制緩和。 |
DIA-205-1992-08-31-1 | フィリピン | 1992年08月31日 | 1990年代 | 対NDF予備和平交渉―ハーグで政府代表Jose Yap下院議員およびアドバイザーHoracio Moreles,Jr.とNDF(民族民主戦線)代表Luis Jalandoniが。双方とも強硬要求を棚上げし,1日正式和平交渉の開催を勧告する共同宣言に署名。双方の作業委員会が実質的問題からなる議題に暫定的に合意後に正式交渉を実施する。政府は憲法の承認,武装闘争の放棄,唯一の国軍の承認を,NDFは全面戦争の停止,国外での交渉,600人以上の政治犯の釈放等を要求。 |
DIA-205-1992-09-01-1 | フィリピン | 1992年09月01日 | 1990年代 | 国家統一委員会(NUC)設置―E019号。9委員で,90日以内に叛徒問題で採用する一般特赦プログラムと和平プロセスを策定し,勧告する。 |
DIA-205-1992-09-01-2 | フィリピン | 1992年09月01日 | 1990年代 | ケソン地裁,S.Ocampoの釈放命令。 |
DIA-205-1992-09-02-1 | フィリピン | 1992年09月02日 | 1990年代 | 政府,和平交渉前提条件で武装解除を取り下げ―国防長官,交渉の障害になる,ただしNUCが大統領に最終勧告を行なう。 |
DIA-205-1992-09-03-1 | フィリピン | 1992年09月03日 | 1990年代 | R・キンタナールNPA元司令官,裁判で仮釈放。 |
DIA-205-1992-09-07-1 | フィリピン | 1992年09月07日 | 1990年代 | ラモス,国外和平交渉を拒否―国内問題としてNDF要求を拒否。 |
DIA-205-1992-09-09-1 | フィリピン | 1992年09月09日 | 1990年代 | 停戦なし和平交渉に合意―法務長官とキンタナール元NPA司令官がテレビ番組で非公式に。 |
DIA-205-1992-09-10-1 | フィリピン | 1992年09月10日 | 1990年代 | 共産党幹部,国外交渉拒否を非難―Rafael Baylosis元中央委員会議長(最近釈放)。 |
DIA-205-1992-09-14-1 | フィリピン | 1992年09月14日 | 1990年代 | 新規外国援助プロジェクト,公式無期限停止。 |
DIA-205-1992-09-14-2 | フィリピン | 1992年09月14日 | 1990年代 | 比はサバ請求権放棄を希望―マレーシア外相,ロムロ外務長官が放棄措置を取るであろうが,上院の承認が必要と発言,と会談後発表。15日ラモスもこの方針を支持。 |
DIA-205-1992-09-14-3 | フィリピン | 1992年09月14日 | 1990年代 | 新官房長官にAmante下院議員任命。 |
DIA-205-1992-09-18-1 | フィリピン | 1992年09月18日 | 1990年代 | 比人従軍慰安婦,名乗り出る―Ma.Rosa Luna Henson(65歳)証言。 |
DIA-205-1992-09-20-1 | フィリピン | 1992年09月20日 | 1990年代 | 中国系比人,誘拐犯との闘い宣言―エストラーダ副大統領との会談で,抗議の事業所閉鎖ストの中止に合意。中国系専門職団体の調査では,8月4日以降中国系比人22人が誘拐され,5000万ペソ以上の身の代金が支払われたが,19歳の学生2人が殺害された。 |
DIA-205-1992-09-22-1 | フィリピン | 1992年09月22日 | 1990年代 | ラモス,破防法廃棄法に署名―RA7636号。共和国法1700号(1957年6月20日制定)廃棄,共産党を合法化。上下両院が9月4日全会致で可決した初めての法律。 |
DIA-205-1992-09-23-1 | フィリピン | 1992年09月23日 | 1990年代 | ラモス,犯罪者に全面戦争を約束。 |
DIA-205-1992-09-23-2 | フィリピン | 1992年09月23日 | 1990年代 | 和平交渉開催地問題,一時棚上げに合意―政府とNDF。オランダでシソン,ハランドニと会談したヤップ。 |
DIA-205-1992-09-27-1 | フィリピン | 1992年09月27日 | 1990年代 | 法務長官,破防法違反起訴取り下げ命令―同法違反で有罪になった約200人の拘留者の即時釈放を指示。 |
DIA-205-1992-09-30-1 | フィリピン | 1992年09月30日 | 1990年代 | 上院にE08号停止決議提出。 |
DIA-205-1992-09-30-2 | フィリピン | 1992年09月30日 | 1990年代 | 政府,営利誘拐頻発に死刑復活を提案。 |
DIA-205-1992-09-30-3 | フィリピン | 1992年09月30日 | 1990年代 | 米海軍,スビック海軍基地を返還―スビック湾大都市庁(SBLA)に海軍基地と海軍艦船修理施設の使用権を引き渡し。残る1770人の将兵は隣接のキユービポイント海軍航空基地に引き揚げ,11月24日に完全撤退する。式典に出席したT.Mercer米太平洋軍司令官とソロモン米大使は,比米相互防衛条約は南沙が問題になる前に結ばれたものであり,条約の対象外だ,と発言。 |
DIA-205-1992-10-01-1 | フィリピン | 1992年10月01日 | 1990年代 | ラモス,作物別の農地改革留保限度設定の検討を指示。 |
DIA-205-1992-10-01-2 | フィリピン | 1992年10月01日 | 1990年代 | NUC,左右叛徒との予備交渉再開を提言―また,委員長Haydee Yoracは交渉促進のため,拘留中叛徒兵士の軍法会議審理の停止をラモスに要請。 |
DIA-205-1992-10-02-1 | フィリピン | 1992年10月02日 | 1990年代 | 中国系住民,銃の携帯許可を要求。 |
DIA-205-1992-10-04-1 | フィリピン | 1992年10月04日 | 1990年代 | ラモス,ブルネイ訪問―(~6日)滞在中にボルキア国王,マレーシア,タイ,シンガポールの各首相,スハルト大統領と会談。 |
DIA-205-1992-10-05-1 | フィリピン | 1992年10月05日 | 1990年代 | 元従軍慰安婦,日本政府に公式謝罪を要求。 |
DIA-205-1992-10-05-2 | フィリピン | 1992年10月05日 | 1990年代 | 上院,米の基地アクセスに発言権要求―ゴンサレス上院議長:キュービポイント基地等へのアクセス取り決めが行政協定に含まれるならば上院は承認しない。 |
DIA-205-1992-10-07-1 | フィリピン | 1992年10月07日 | 1990年代 | IMF,第2・3次レビューを承認―4月の予定から7ヵ月遅れ。93年3月までスタンドバイ取り決めを延長。 |
DIA-205-1992-10-12-1 | フィリピン | 1992年10月12日 | 1990年代 | ミスアリ,強硬路線を変えず―9日トリポリでのEduardo Ermita下院議員(NUC委員)との共同声明で。ただし,トリポリ協定に基づいてのみと主張,ラモスはMNLFとの和平交渉は国外でもよいと発言。 |
DIA-205-1992-10-13-1 | フィリピン | 1992年10月13日 | 1990年代 | 電力料金値上げ発表―国家電力会社,12月26日から0.18ペソ/kWhで,ルソンでは1.84ベソ/kWhに値上げ。消費者には1月から0.225ペソの値上げに。 |
DIA-205-1992-10-14-1 | フィリピン | 1992年10月14日 | 1990年代 | ガソリン価格を1ペソ引き下げ―プレミアムでリットル当り10ペソ,レギュラーで9.50ペソに。 |
DIA-205-1992-10-15-1 | フィリピン | 1992年10月15日 | 1990年代 | 11発電機停止で7時間停電―ルソンの需要量300万~320万kWに対し供給量は244.2万kW。 |
DIA-205-1992-10-15-2 | フィリピン | 1992年10月15日 | 1990年代 | 米大使,比の市場開放を要求―米国には,農業・製造業製品だけでなく,知的所有権の十分な保護,銀行,その他のサービス産業についても相互主義に基づくフィリピン市場への大きなアクセスが必要。12年間続いている貿易不均衡,米側赤字は政治的に持続不可能になろう。 |
DIA-205-1992-10-19-1 | フィリピン | 1992年10月19日 | 1990年代 | タニャダ上院議員等,比米相互防衛条約の修正要求―冷戦終結,米軍撤退等,状況が変化,NATOと違い自動報復条項がない,として。 |
DIA-205-1992-10-26-1 | フィリピン | 1992年10月26日 | 1990年代 | ダバオで電力値上げ抗議セネスト。 |
DIA-205-1992-10-28-1 | フィリピン | 1992年10月28日 | 1990年代 | ラモス,正式のPNP長官を任命―Raul Imperia1次官が昇格。C.Nazareno前長官は8月22日に辞任。 |
DIA-205-1992-10-29-1 | フィリピン | 1992年10月29日 | 1990年代 | E08号発効延期―11月1日から93年2月末に。 |
DIA-205-1992-11-03-1 | フィリピン | 1992年11月03日 | 1990年代 | 市場初のペソ・ドル先物取引開始―10月1日開所のマニラ国際先物取引所で。 |
DIA-205-1992-11-09-1 | フィリピン | 1992年11月09日 | 1990年代 | 暁丸の領海航行は認めず―プルトニウム運搬のため,外務省・海軍・環境関係当局者の会議で決定。 |
DIA-205-1992-11-09-2 | フィリピン | 1992年11月09日 | 1990年代 | 上院,審議促進を表明―一般の要求に応え,ゴンサレス議長,議会演説を木曜日に限定することを提案する。 |
DIA-205-1992-11-10-1 | フィリピン | 1992年11月10日 | 1990年代 | 外務長官,べトナム訪問。 |
DIA-205-1992-11-10-2 | フィリピン | 1992年11月10日 | 1990年代 | 下院,増税法案審議に合意―下院議長等の下院幹部,財務長官との会談で歳入改善措置だけでは赤字を減らせないとの政府の要求で政府増税提案の再考を決定。 |
DIA-205-1992-11-10-3 | フィリピン | 1992年11月10日 | 1990年代 | ラモス,叛徒兵士42人の釈放命令―10月の将兵26人の釈放に次ぎ2回目。また,軍法会議にすべての手続きの停止を命令。 |
DIA-205-1992-11-16-1 | フィリピン | 1992年11月16日 | 1990年代 | ルソンで6時間停電。 |
DIA-205-1992-11-18-1 | フィリピン | 1992年11月18日 | 1990年代 | 国家安全保障会議(NSC)開催―ラモス政権下で初。和平,外交を討議,だが経済が5時間の会議の事実上の焦点に。ラモスは,NIEsになるため政治・経済指導者に偏狭な政治的反目と保護主義を捨て去るよう要求。また,NSC委員を10人から29人に増員。 |
DIA-205-1992-11-18-2 | フィリピン | 1992年11月18日 | 1990年代 | リー元シンガポール首相,規律を強調―第18回比ビジネス会議での演説で。 |
DIA-205-1992-11-24-1 | フィリピン | 1992年11月24日 | 1990年代 | スビック基地返還式典―Thomas Mercer米海軍少将とオロンガポ市長が基地管理を引き渡す文書に署名。ラモス演説で,比米相互防衛条約の見直しを主張,新たな安全保障条約を結ぶ必要はないとして,現条約に基づき米国艦船・航空機の寄港を認めた政府決定を擁護。 |
DIA-205-1992-11-24-2 | フィリピン | 1992年11月24日 | 1990年代 | 軍叛徒指導者7人を交渉準備で5日間釈放―NUC,拘留中のアベニナ准将等に在野・拘留中の仲間と和平交渉の議題協議のため安全通行証を発行。 |
DIA-205-1992-11-27-1 | フィリピン | 1992年11月27日 | 1990年代 | 預金準備率を3%段階的に引き下げ―中銀決定。92年1月末,4月末,7月末にそれぞれ1%。 |
DIA-205-1992-12-01-1 | フィリピン | 1992年12月01日 | 1990年代 | 外銀との債務軽減契約を完了―債務交換メカニズムにもとづく総額32.1億㌦。 |
DIA-205-1992-12-01-2 | フィリピン | 1992年12月01日 | 1990年代 | ラモス,ウエスチングハウスの原発和解提案を拒否。 |
DIA-205-1992-12-02-1 | フィリピン | 1992年12月02日 | 1990年代 | NUC,さらに4叛徒将校に通行許可証発行。 |
DIA-205-1992-12-03-1 | フィリピン | 1992年12月03日 | 1990年代 | 最高裁選挙法廷,5月大統領選挙投票の再検数を命令―再検数の推定費用はサンチャゴ側が負担。 |
DIA-205-1992-12-03-2 | フィリピン | 1992年12月03日 | 1990年代 | 政府,般犯罪の政治犯特赦条件を緩和―NUC勧告。 |
DIA-205-1992-12-04-1 | フィリピン | 1992年12月04日 | 1990年代 | First Cavite工業団地落成,22社入居。 |
DIA-205-1992-12-10-1 | フィリピン | 1992年12月10日 | 1990年代 | 南部ミンダナオ主要地域,交通ストで麻痺―電力値上げ抗議。KMU主導,ダバオ,カガヤン,イリガン,北コタバトで90%以上交通麻痺。 |
DIA-205-1992-12-15-1 | フィリピン | 1992年12月15日 | 1990年代 | ラモス,6カ年中期開発計画を承認―期間は1993~98年。 |
DIA-205-1992-12-16-1 | フィリピン | 1992年12月16日 | 1990年代 | 環境省,Masinloc火力の建設を許可。 |
DIA-205-1992-12-17-1 | フィリピン | 1992年12月17日 | 1990年代 | ラモス,タイ訪問―初の公式外国訪問(~20日)。大統領のタイ訪問は24年ぶり。 |
DIA-205-1992-12-17-2 | フィリピン | 1992年12月17日 | 1990年代 | MILF,予備和平交渉を正式に受諾。 |
DIA-205-1992-12-21-1 | フィリピン | 1992年12月21日 | 1990年代 | ゴンサレス,議長辞任の用意―1月議会招集前にもアンガラ上院議員に議長職を引き渡す用意ある。 |
DIA-205-1992-12-21-2 | フィリピン | 1992年12月21日 | 1990年代 | 日本,電力関連プロジェクト融資98億円を供与。 |
DIA-205-1992-12-23-1 | フィリピン | 1992年12月23日 | 1990年代 | 政府・軍叛徒,1月11日和平交渉に合意―ホナサン他7人の叛徒幹部が政府側代表と会談,和平交渉に正式合意,即時・完全な休戦をする予備協定に調印。 |
DIA-205-1992-12-26-1 | フィリピン | 1992年12月26日 | 1990年代 | 0.18ペソ/kWh電力値上げ。 |
DIA-205-1992-12-28-1 | フィリピン | 1992年12月28日 | 1990年代 | ラモス,付加価値税法修正・家賃規制法延長に署名―脱税処罰強化法にも署名。 |
DIA-205-1992-12-30-1 | フィリピン | 1992年12月30日 | 1990年代 | ラモス,官房長官に無期限休暇を承認。 |
DIA-205-1993-01-06-1 | フィリピン | 1993年01月06日 | 1990年代 | ラモス大統領,93年度一般予算法に署名。 |
DIA-205-1993-01-11-1 | フィリピン | 1993年01月11日 | 1990年代 | RAM,NUCに対して交渉議題提出。 |
DIA-205-1993-01-16-1 | フィリピン | 1993年01月16日 | 1990年代 | 大統領,バタンガス市の10万5000kWのディーゼル発電所起工式に出席。米企業と合弁でBOT方式。 |
DIA-205-1993-01-18-1 | フィリピン | 1993年01月18日 | 1990年代 | エドガルド・アンガラ,上院議長に就任。 |
DIA-205-1993-01-27-1 | フィリピン | 1993年01月27日 | 1990年代 | 大統領,マレーシア訪問(~30日)。 |
DIA-205-1993-01-28-1 | フィリピン | 1993年01月28日 | 1990年代 | 最高裁,93年2月から徴収予定の92年12月26日付けのkWh当り,電力料金.0.18ペソの値上げ停止の仮処分判決。 |
DIA-205-1993-02-01-1 | フィリピン | 1993年02月01日 | 1990年代 | Hugo Gutierrez最高裁判事,辞任。 |
DIA-205-1993-02-02-1 | フィリピン | 1993年02月02日 | 1990年代 | マヨン火山噴火,死者34人。3月24日再噴火,避難民は7万人に達する。 |
DIA-205-1993-02-05-1 | フィリピン | 1993年02月05日 | 1990年代 | 大統領,ケソン州パクビラオ石炭火力発電所起工式に出席。70万kWで1995年完成予定。 |
DIA-205-1993-02-09-1 | フィリピン | 1993年02月09日 | 1990年代 | バシラン島で海兵隊員21人が殺害される。政府は大規模な反政府グループ掃討作戦を展開。 |
DIA-205-1993-02-10-1 | フィリピン | 1993年02月10日 | 1990年代 | 大統領,シンガポール訪問(~12日)。 |
DIA-205-1993-02-10-2 | フィリピン | 1993年02月10日 | 1990年代 | NAPOCORの第1,第2,カラカの第1号機が故障し,電力不足は74万kWに達し,停電は1日7時間に。 |
DIA-205-1993-02-11-1 | フィリピン | 1993年02月11日 | 1990年代 | 国家警察の幹部4人に対して汚職の告発。 |
DIA-205-1993-02-17-1 | フィリピン | 1993年02月17日 | 1990年代 | 誘拐グループ「赤い蠍団」リーダー射殺。 |
DIA-205-1993-02-21-1 | フィリピン | 1993年02月21日 | 1990年代 | バシラン島で政府軍と反政府ゲリラ衝突。 |
DIA-205-1993-02-24-1 | フィリピン | 1993年02月24日 | 1990年代 | 経団連ASEANミッション訪比(~26日)。 |
DIA-205-1993-02-26-1 | フィリピン | 1993年02月26日 | 1990年代 | Lucio Tan,PALの経営権取得を発表。 |
DIA-205-1993-03-09-1 | フィリピン | 1993年03月09日 | 1990年代 | ラモス大統領,訪日(~13日)。11日,比日首脳会談。比は基地跡地の投資促進を要請。 |
DIA-205-1993-03-09-2 | フィリピン | 1993年03月09日 | 1990年代 | 日本輸銀,比政府と2億ドルの経済統合融資協定に調印(世銀との協調融資)。 |
DIA-205-1993-03-15-1 | フィリピン | 1993年03月15日 | 1990年代 | 政府,PALの持ち株会社持ち分20%の売却否定。 |
DIA-205-1993-03-15-2 | フィリピン | 1993年03月15日 | 1990年代 | 財務長官,日本政府と第4次パリクラブ債務再編による92年12月まで期限到来分の返済猶予合意書調印。 |
DIA-205-1993-03-18-1 | フィリピン | 1993年03月18日 | 1990年代 | バシラン島でスペイン人のBlanco神父が誘拐される。5月6日に解放。 |
DIA-205-1993-03-20-1 | フィリピン | 1993年03月20日 | 1990年代 | サンミゲル社株主総会で,政府代表取締役が10人,ソリアノ・グループが5人,ダンディン派はゼロに。 |
DIA-205-1993-03-21-1 | フィリピン | 1993年03月21日 | 1990年代 | PLDT社株主総会で,政府代表取締役が11人中6人と多数派に。 |
DIA-205-1993-03-24-1 | フィリピン | 1993年03月24日 | 1990年代 | チュワン・タイ首相,フィリピン訪問(~26日)。 |
DIA-205-1993-03-25-1 | フィリピン | 1993年03月25日 | 1990年代 | ムスリムミンダナオ自治区で知事,副知事および自治区議会議員の選挙。4月1日,知事にリニンディン・パンガンダマン,副知事にナビル・タンが当選。 |
DIA-205-1993-04-05-1 | フィリピン | 1993年04月05日 | 1990年代 | 大統領,93年電力危機法に署名,同日発効。 |
DIA-205-1993-04-14-1 | フィリピン | 1993年04月14日 | 1990年代 | ジャカルタでMNLFと和平予備交渉(~16日)。 |
DIA-205-1993-04-25-1 | フィリピン | 1993年04月25日 | 1990年代 | 大統領,中国・香港訪問(~5月1日)。 |
DIA-205-1993-05-01-1 | フィリピン | 1993年05月01日 | 1990年代 | ゴミ捨て場のスモーキー・マウンテン閉鎖。 |
DIA-205-1993-05-02-1 | フィリピン | 1993年05月02日 | 1990年代 | 大統領,サンバレス州の60万kWマシンロック発電所建設で政府と地元民との合意書調印式に出席。 |
DIA-205-1993-05-05-1 | フィリピン | 1993年05月05日 | 1990年代 | Rodolfo Reyes報道長官,辞任。 |
DIA-205-1993-05-10-1 | フィリピン | 1993年05月10日 | 1990年代 | ヘスス・シソンが報道長官に就任。大統領スポークスマンも兼任。 |
DIA-205-1993-05-10-2 | フィリピン | 1993年05月10日 | 1990年代 | 内国歳入局長官にリワイワイ・チャトが就任。 |
DIA-205-1993-05-21-1 | フィリピン | 1993年05月21日 | 1990年代 | Raul Imperialに代わってウンベルト・ロドリゲスが国家警察長官に就任。 |
DIA-205-1993-05-23-1 | フィリピン | 1993年05月23日 | 1990年代 | 大統領,韓国訪問(~26日)。 |
DIA-205-1993-05-25-1 | フィリピン | 1993年05月25日 | 1990年代 | RAM-YOUとの和平本格交渉開始。 |
DIA-205-1993-06-02-1 | フィリピン | 1993年06月02日 | 1990年代 | Ramon del Rozario財務長官,辞任。 |
DIA-205-1993-06-03-1 | フィリピン | 1993年06月03日 | 1990年代 | 下院,中期開発計画を承認。 |
DIA-205-1993-06-04-1 | フィリピン | 1993年06月04日 | 1990年代 | 大統領,外国人借地法に署名。実質75年の借用。 |
DIA-205-1993-06-14-1 | フィリピン | 1993年06月14日 | 1990年代 | 大統領,新中央銀行法に署名。7月6日発効。 |
DIA-205-1993-06-16-1 | フィリピン | 1993年06月16日 | 1990年代 | IMFマニラ駐在代表,比政府の経済政策を批判。17日NEDAと財務省は反発。18日中銀がIMFは陳謝と発表。 |
DIA-205-1993-06-27-1 | フィリピン | 1993年06月27日 | 1990年代 | Richard Gordonがオロンガポ市長を辞任し,スービック湾メトロポリタン機構長官に正式に就任。 |
DIA-205-1993-06-29-1 | フィリピン | 1993年06月29日 | 1990年代 | テオフィスト・ギンゴナ上院副議長が官房長官に就任。副議長には,Leticia Shahani上院議員。 |
DIA-205-1993-07-01-1 | フィリピン | 1993年07月01日 | 1990年代 | NUC,大統領に報告書提出。 |
DIA-205-1993-07-02-1 | フィリピン | 1993年07月02日 | 1990年代 | ガブリエル・シンソンが新中央銀行総裁に任命。 |
DIA-205-1993-07-06-1 | フィリピン | 1993年07月06日 | 1990年代 | 世銀,小農マグナカルタ法(RA7607号)の農産物輸入規制に不満。EIL第2回の実行は難しいと表明。 |
DIA-205-1993-07-07-1 | フィリピン | 1993年07月07日 | 1990年代 | SEC,フィリピン証券取引所の営業免許を許可。 |
DIA-205-1993-07-09-1 | フィリピン | 1993年07月09日 | 1990年代 | 大統領法律顧問アントニオ・カルピオ,マニラ市が石油税を課すのは違法と述べる。14日,アルナン内務自治長官,石油税の廃止もしくは修正を要請。9月29日にはドリロン司法長官も同様の言明。10月1日,マニラ市,石油税を停止。 |
DIA-205-1993-07-11-1 | フィリピン | 1993年07月11日 | 1990年代 | 大統領,地方の私兵団解体(Oplan Paglalansag)をアルナン内務自治長官に命令。 |
DIA-205-1993-07-12-1 | フィリピン | 1993年07月12日 | 1990年代 | 対NDFおよび対MNLFの和平交渉政府パネル代表,任命される(前者がハワード・ディー元駐バチカン大使,後者がマヌエル・ヤン元参謀総長)。 |
DIA-205-1993-07-15-1 | フィリピン | 1993年07月15日 | 1990年代 | 共産党マニラ・リサール地域委員会がシソンの指導からの自治を宣言。 |
DIA-205-1993-07-22-1 | フィリピン | 1993年07月22日 | 1990年代 | 大統領,PCGGに強要融資で関係者の訴追命令。 |
DIA-205-1993-07-25-1 | フィリピン | 1993年07月25日 | 1990年代 | 大統領,砂糖賠償法の完全実施を指示。 |
DIA-205-1993-07-26-1 | フィリピン | 1993年07月26日 | 1990年代 | 第9議会第2通常会期開会。大統領が施政方針演説。 |
DIA-205-1993-07-31-1 | フィリピン | 1993年07月31日 | 1990年代 | NUC,設置期限終了,解散。 |
DIA-205-1993-08-01-1 | フィリピン | 1993年08月01日 | 1990年代 | 内務自治長官,投降ゲリラの社会復帰計画に526億ペソを配分中と発表。 |
DIA-205-1993-08-02-1 | フィリピン | 1993年08月02日 | 1990年代 | 家族計画プログラム(PFPP)が発足。 |
DIA-205-1993-08-05-1 | フィリピン | 1993年08月05日 | 1990年代 | Emil Javierがフィリピン大学総長に就任。 |
DIA-205-1993-08-06-1 | フィリピン | 1993年08月06日 | 1990年代 | 和平交渉パネルメンバーおよび和平政策担当大統領顧問(オスカー・サントス)が任命される。 |
DIA-205-1993-08-09-1 | フィリピン | 1993年08月09日 | 1990年代 | Conrado BalwegがCPLA司令官を解任される。 |
DIA-205-1993-08-13-1 | フィリピン | 1993年08月13日 | 1990年代 | ラグナ州カラワン町のAntonio Sanchez町長逮捕。 |
DIA-205-1993-08-20-1 | フィリピン | 1993年08月20日 | 1990年代 | 行政・立法経済サミットが開催。 |
DIA-205-1993-08-26-1 | フィリピン | 1993年08月26日 | 1990年代 | 急進的労働粗合「五月一日運動」(KMU)のマニラ支部,全国組織から脱退。9月14日,マニラ支部独自の大会開催。名称を「変革のための労働者連合」(BMP)と変更。 |
DIA-205-1993-08-27-1 | フィリピン | 1993年08月27日 | 1990年代 | 革新的団体の連合である「新民族主義同盟」(Bayan)のマニラ・リサール支部,全国組織から脱退。 |
DIA-205-1993-08-31-1 | フィリピン | 1993年08月31日 | 1990年代 | バタアン州のEnrique Garcia知事,リコールされる。 |
DIA-205-1993-09-01-1 | フィリピン | 1993年09月01日 | 1990年代 | 大統領,バシラン島での軍事作戦停止を命令。 |
DIA-205-1993-09-01-2 | フィリピン | 1993年09月01日 | 1990年代 | 輸入原油,同製品に特別税を導入。 |
DIA-205-1993-09-03-1 | フィリピン | 1993年09月03日 | 1990年代 | タルラック州ラモス町のArnulfo Natividad町長が殺人容疑で逮捕される。 |
DIA-205-1993-09-07-1 | フィリピン | 1993年09月07日 | 1990年代 | マルコス元大統領の遺体,故郷の北イロコス州に到着。 |
DIA-205-1993-09-08-1 | フィリピン | 1993年09月08日 | 1990年代 | 国民経済サミットが開催(PICCで)。「経済開発のための社会契約」(SPEED)を採択。 |
DIA-205-1993-09-10-1 | フィリピン | 1993年09月10日 | 1990年代 | マルコス元大統領の葬儀。 |
DIA-205-1993-09-13-1 | フィリピン | 1993年09月13日 | 1990年代 | 議会制度変更に関する両院協議会への上院代表任命。14日,同下院代表任命。 |
DIA-205-1993-09-15-1 | フィリピン | 1993年09月15日 | 1990年代 | 行政命令第125号発令。和平政策の基本方針とそれを進める政府機関の設立。 |
DIA-205-1993-09-19-1 | フィリピン | 1993年09月19日 | 1990年代 | 銀行協会,外銀の参入論議で相互主義を要求。 |
DIA-205-1993-09-20-1 | フィリピン | 1993年09月20日 | 1990年代 | 大統領,インドネシア訪問(~24日)。「東ASEAN成長の三角地帯」構想の実行可能性討議で合意。 |
DIA-205-1993-09-21-1 | フィリピン | 1993年09月21日 | 1990年代 | 国軍,サマール島での軍事作戦停止を宣言。 |
DIA-205-1993-09-27-1 | フィリピン | 1993年09月27日 | 1990年代 | Benedicto帰国が判明。公務員犯罪特別裁判所に保釈金6万ペソを供託。29日PCGG,強要融資40億ペソの内25億ペソが未返済と告発の準備。 |
DIA-205-1993-09-30-1 | フィリピン | 1993年09月30日 | 1990年代 | 私兵団解体のための特殊部隊創設。 |
DIA-205-1993-09-30-2 | フィリピン | 1993年09月30日 | 1990年代 | KMU加盟のNFL,UWP,Nafluの三つの労働組合がKMUから脱退。 |
DIA-205-1993-10-04-1 | フィリピン | 1993年10月04日 | 1990年代 | 大型台風カディアンの中・北部ルソン島通過で被害(~6日)。 |
DIA-205-1993-10-07-1 | フィリピン | 1993年10月07日 | 1990年代 | 共産党ネグロス地域委員会,シソン派との決別宣言。14日,ビサヤ地方コミッションも同様の宣言。 |
DIA-205-1993-10-22-1 | フィリピン | 1993年10月22日 | 1990年代 | John Negroponte新駐比米国大使着任。 |
DIA-205-1993-10-25-1 | フィリピン | 1993年10月25日 | 1990年代 | MNLFとの本格和平交渉開始。作業部会設立。 |
DIA-205-1993-10-26-1 | フィリピン | 1993年10月26日 | 1990年代 | 内国歳入局,TanのFortune Tobacc社グループ10社に対し92年度申告分で80億ペソの脱税容疑で告発。 |
DIA-205-1993-10-29-1 | フィリピン | 1993年10月29日 | 1990年代 | TUCP,首都圏での最低賃金1日35ペソを要求。11月29日,首都圏賃金委員会,12月16日から17ペソ,4月1日から10ペソの引き上げを勧告。 |
DIA-205-1993-10-30-1 | フィリピン | 1993年10月30日 | 1990年代 | Romulo Kintanar(元NPA最高司令官),Ricardo Reyes(元党書記長),Arturo Tabara(ビサヤ地方コミッション代表),Filemon Lagman(マニラ・リサール地域委員会指導者)が共産党から除名。 |
DIA-205-1993-11-03-1 | フィリピン | 1993年11月03日 | 1990年代 | 最高裁,農地移転で判決。88年6月15日に農地でなかったものは対象外。 |
DIA-205-1993-11-05-1 | フィリピン | 1993年11月05日 | 1990年代 | FFCCCI,誘拐多発でも資本逃避せずと約束。 |
DIA-205-1993-11-07-1 | フィリピン | 1993年11月07日 | 1990年代 | 政府とMNLFが暫定停戦協定署名。 |
DIA-205-1993-11-09-1 | フィリピン | 1993年11月09日 | 1990年代 | 中銀,バンコ・フィリピーノの営業再開許可。 |
DIA-205-1993-11-10-1 | フィリピン | 1993年11月10日 | 1990年代 | ラモス大統領,訪米(~24日)。 |
DIA-205-1993-11-10-2 | フィリピン | 1993年11月10日 | 1990年代 | 首都圏を含むルソンに2日間停電なし。需給バランスの好転による。 |
DIA-205-1993-11-12-1 | フィリピン | 1993年11月12日 | 1990年代 | 地方分権で政府資産・人員の自治体移管が完了。 |
DIA-205-1993-11-15-1 | フィリピン | 1993年11月15日 | 1990年代 | パングタラン島でアメリカ人言語学者Waltonが誘拐される。12月6日,解放される。 |
DIA-205-1993-11-16-1 | フィリピン | 1993年11月16日 | 1990年代 | John Osmena上院議員,「民族主義国民連合」(NPC)の総裁辞任。 |
DIA-205-1993-11-16-2 | フィリピン | 1993年11月16日 | 1990年代 | 公務員犯罪特別裁判所,前内国歳入局長官Jose Ongの2100万ペソ相当の資産を不正蓄財で凍結。 |
DIA-205-1993-11-30-1 | フィリピン | 1993年11月30日 | 1990年代 | 私兵団解体作戦終了。 |
DIA-205-1993-12-02-1 | フィリピン | 1993年12月02日 | 1990年代 | PHILSECO株式の政府持ち分87.7%をJ.G.Summitなどの共同企業体が最高値で応札。 |
DIA-205-1993-12-03-1 | フィリピン | 1993年12月03日 | 1990年代 | PCGG,接収中の鉱業石油14社売却で透明性確約。 |
DIA-205-1993-12-03-2 | フィリピン | 1993年12月03日 | 1990年代 | 比預金保険会社(PIDC),バンコ・フィリピーノに保険金7億ペソを要求。 |
DIA-205-1993-12-10-1 | フィリピン | 1993年12月10日 | 1990年代 | 共産党指導者ホセ・マリア・シソンにフィリピン政府が和平交渉参加のためのパスポートを発行。 |
DIA-205-1993-12-13-1 | フィリピン | 1993年12月13日 | 1990年代 | ラモス大統領,死刑法案に署名。発効。 |
DIA-205-1993-12-15-1 | フィリピン | 1993年12月15日 | 1990年代 | 国軍再編計画の一環として,国軍首都圏防衛司令部廃止。19日,国軍が引き続きもう一年国内治安維持任遂行を決定。 |
DIA-205-1993-12-15-2 | フィリピン | 1993年12月15日 | 1990年代 | PETRON社の政府持ち分40.0%の売却でサウジアラビアのARAMCOが落札。 |
DIA-205-1993-12-20-1 | フィリピン | 1993年12月20日 | 1990年代 | バタアン州で知事選挙実施。23日,知事にLeonardo Roman元知事当選。 |
DIA-205-1993-12-20-2 | フィリピン | 1993年12月20日 | 1990年代 | ヌル・ミスアリMNLF議長,和平交渉の詰めの作業のためホロ島訪問。 |
DIA-205-1993-12-21-1 | フィリピン | 1993年12月21日 | 1990年代 | 政府,共産主義勢力に対して17日間の停戦開始。 |
DIA-205-1993-12-21-2 | フィリピン | 1993年12月21日 | 1990年代 | NDC,国営製鉄会社の持ち分72%の売却を決定。 |
DIA-205-1993-12-22-1 | フィリピン | 1993年12月22日 | 1990年代 | ホセ・マリア・シソン,比政府発行のパスポートを受理。 |
DIA-205-1993-12-22-2 | フィリピン | 1993年12月22日 | 1990年代 | Tanに3回目の告発95億ペソ。総額250億ペソに。 |
DIA-205-1993-12-26-1 | フィリピン | 1993年12月26日 | 1990年代 | ダバオ市のサン・ペドロ聖堂で爆破事件。27日,ダバオ市のモスク,爆破される。 |
DIA-205-1993-12-30-1 | フィリピン | 1993年12月30日 | 1990年代 | 大統領,94年一般予算法に署名。総額3302億ペソと当初案から318億ペソ削減。7項目に拒否権行使。 |
DIA-205-1994-01-11-1 | フィリピン | 1994年01月11日 | 1990年代 | 大統領汚職取締委員会(PCAGC)設立。 |
DIA-205-1994-01-23-1 | フィリピン | 1994年01月23日 | 1990年代 | 国家和解開発評議会(NRDC)に代わって国家和解開発計画評議会(NPUDC)設置。 |
DIA-205-1994-01-28-1 | フィリピン | 1994年01月28日 | 1990年代 | 石油製品価格,電力料金,交通料金引き上げ認可。 |
DIA-205-1994-02-01-1 | フィリピン | 1994年02月01日 | 1990年代 | デオカンポ比開銀会長,財務長官に就任。比開銀会長はアルフレッド・アントニオ副会長が代行。 |
DIA-205-1994-02-01-2 | フィリピン | 1994年02月01日 | 1990年代 | 石油会社3社,アレックス・ボンカヤオ・ブリゲード(ABB)の爆弾テロを受ける。 |
DIA-205-1994-02-03-1 | フィリピン | 1994年02月03日 | 1990年代 | マハティール・マレーシア首相訪問(~6日)。 |
DIA-205-1994-02-05-1 | フィリピン | 1994年02月05日 | 1990年代 | 軍人,警察官,消防士の給与引上げ。 |
DIA-205-1994-02-09-1 | フィリピン | 1994年02月09日 | 1990年代 | 李登輝台湾総統訪問。 |
DIA-205-1994-02-10-1 | フィリピン | 1994年02月10日 | 1990年代 | 中国政府,比政府に対し李登輝・ラモス会談に関して抗議。(16日にも再度抗議) |
DIA-205-1994-02-23-1 | フィリピン | 1994年02月23日 | 1990年代 | 大統領,石油税および石油製品等値上げ認可白紙撤回。 |
DIA-205-1994-03-07-1 | フィリピン | 1994年03月07日 | 1990年代 | 公務員の給与引き上げ。1月1日に遡及して施行。 |
DIA-205-1994-03-21-1 | フィリピン | 1994年03月21日 | 1990年代 | 大統領和平政策顧問事務局(OPAPP),特赦計画を大統領に提出。 |
DIA-205-1994-03-23-1 | フィリピン | 1994年03月23日 | 1990年代 | 大統領和平政策顧問オスカー・サントス辞任。後任にはマヌエル・ヤンが就任。 |
DIA-205-1994-03-24-1 | フィリピン | 1994年03月24日 | 1990年代 | ベトナムに対する貿易制限措置撤廃。 |
DIA-205-1994-03-25-1 | フィリピン | 1994年03月25日 | 1990年代 | 大統領,特赦宣言を出す(第347号,第348号)。5月31日に上下両院承認。 |
DIA-205-1994-03-26-1 | フィリピン | 1994年03月26日 | 1990年代 | 内務自治長官,警察改革の一環として1145人の警察官の解職および1020人の職務停止。その他懲戒処分は316人。 |
DIA-205-1994-03-28-1 | フィリピン | 1994年03月28日 | 1990年代 | 大統領,ベトナム訪問(~30日)。 |
DIA-205-1994-03-28-2 | フィリピン | 1994年03月28日 | 1990年代 | 1200人のフィリピン人労働者,クアラルンプールで逮捕。 |
DIA-205-1994-04-03-1 | フィリピン | 1994年04月03日 | 1990年代 | マビランガン元NPA地域司令官,NPAに射殺される。 |
DIA-205-1994-04-12-1 | フィリピン | 1994年04月12日 | 1990年代 | アルトゥーロ・エンリレ陸軍中将(6月5日に大将に昇進),参謀総長に就任。 |
DIA-205-1994-04-14-1 | フィリピン | 1994年04月14日 | 1990年代 | マレーシア国王訪問(~16日)。 |
DIA-205-1994-04-16-1 | フィリピン | 1994年04月16日 | 1990年代 | フィリピン証券取引所会長にロベルト・コイユト選出。 |
DIA-205-1994-04-16-2 | フィリピン | 1994年04月16日 | 1990年代 | 外国銀行参入・事業範囲自由化法(共和国法第7721号)に大統領署名。 |
DIA-205-1994-05-05-1 | フィリピン | 1994年05月05日 | 1990年代 | 付加価値税(VAT)適用範囲拡大法(共和国法第7716号),証券取引税法(同第7717号),BOT方式修正法(同第7718号)に大統領署名。 |
DIA-205-1994-05-05-2 | フィリピン | 1994年05月05日 | 1990年代 | ウィルマ・ティアムソン共産党(CPP)書記長,逮捕。 |
DIA-205-1994-05-09-1 | フィリピン | 1994年05月09日 | 1990年代 | 統一バランガイ選挙。 |
DIA-205-1994-05-10-1 | フィリピン | 1994年05月10日 | 1990年代 | 大統領,94年投資優先計画(IPP)承認。 |
DIA-205-1994-05-16-1 | フィリピン | 1994年05月16日 | 1990年代 | 東ティモール問題に関して,マングラプス元外務長官を特使としてインドネシアに派遣(~18日)。 |
DIA-205-1994-05-20-1 | フィリピン | 1994年05月20日 | 1990年代 | 比政府,アジア太平洋東ティモール会議(APCET)への外国人の参加を禁止。 |
DIA-205-1994-05-24-1 | フィリピン | 1994年05月24日 | 1990年代 | アンガラ上院議長,LDP新総裁に選出。 |
DIA-205-1994-05-26-1 | フィリピン | 1994年05月26日 | 1990年代 | CPPマニラ・リサール地域委員会委員長フィレモン・ラグマン逮捕。 |
DIA-205-1994-05-31-1 | フィリピン | 1994年05月31日 | 1990年代 | APCET開催(~6月4日)。 |
DIA-205-1994-06-03-1 | フィリピン | 1994年06月03日 | 1990年代 | バシラン島でアブ・サヤフに対する軍事掃討作戦開始。 |
DIA-205-1994-06-25-1 | フィリピン | 1994年06月25日 | 1990年代 | IMF,6億8400万㌦拡大信用供与(EFF)承認。 |
DIA-205-1994-06-30-1 | フィリピン | 1994年06月30日 | 1990年代 | VAT適用拡大法の施行に対し最高裁が一時停止命令(TRO)。 |
DIA-205-1994-07-05-1 | フィリピン | 1994年07月05日 | 1990年代 | アルマンド・ファベリャ教育文化スポーツ長官が辞任。後任にはリカルド・グロリア科学技術長官。科学技術長官はウィリアム・パドリナ次官が代行。 |
DIA-205-1994-07-09-1 | フィリピン | 1994年07月09日 | 1990年代 | ウンベルト・ロドリゲス国家警察長官の退任にともないレカレド・サルミエント副長官が長官に就任。 |
DIA-205-1994-07-19-1 | フィリピン | 1994年07月19日 | 1990年代 | パリクラブで4億9900万㌦の債務繰り延べ。 |
DIA-205-1994-07-19-2 | フィリピン | 1994年07月19日 | 1990年代 | 国家特赦委員会(NAC)の委員,任命。 |
DIA-205-1994-07-22-1 | フィリピン | 1994年07月22日 | 1990年代 | フィリピン援助計画(PAP)において,56億㌦の援助決定。 |
DIA-205-1994-07-25-1 | フィリピン | 1994年07月25日 | 1990年代 | 大統領,施政方針演説。 |
DIA-205-1994-07-25-2 | フィリピン | 1994年07月25日 | 1990年代 | ロナルド・ナルモラ下院議員,与党院内総務辞任。後任はロドルフォ・アルバノ下院議員。 |
DIA-205-1994-07-27-1 | フィリピン | 1994年07月27日 | 1990年代 | NPCのレインボウ連合離脱に伴って,7人のNPC下院議員,小委員会委員長辞任。 |
DIA-205-1994-08-04-1 | フィリピン | 1994年08月04日 | 1990年代 | 国軍,NPAに対して戦略的勝利を宣言。 |
DIA-205-1994-08-06-1 | フィリピン | 1994年08月06日 | 1990年代 | 大統領,ブルネイ訪問(~8日)。 |
DIA-205-1994-08-12-1 | フィリピン | 1994年08月12日 | 1990年代 | 拘留中のRAMメンバー釈放で,政府とRAM,合意。 |
DIA-205-1994-08-15-1 | フィリピン | 1994年08月15日 | 1990年代 | エルネスト・マセダ上院議員,NPCの総裁に就任。 |
DIA-205-1994-08-23-1 | フィリピン | 1994年08月23日 | 1990年代 | 村山首相,訪問(~25日)。 |
DIA-205-1994-08-25-1 | フィリピン | 1994年08月25日 | 1990年代 | 最高裁,VAT適用範囲拡大法に合憲の判決。 |
DIA-205-1994-08-25-2 | フィリピン | 1994年08月25日 | 1990年代 | ザフィーロ・レスピシオ出入国管理局長,11人のインド人国外退去事件に関連して辞任。 |
DIA-205-1994-08-26-1 | フィリピン | 1994年08月26日 | 1990年代 | ラカス-NUCDとラバン,1995年選挙にむけて連合表明。 |
DIA-205-1994-08-26-2 | フィリピン | 1994年08月26日 | 1990年代 | 政府,RAMと選挙改革で協定調印。 |
DIA-205-1994-08-27-1 | フィリピン | 1994年08月27日 | 1990年代 | MILF,北コタバト州で政府灌漑施設建設現場を攻撃。政府軍との戦闘激化。 |
DIA-205-1994-09-05-1 | フィリピン | 1994年09月05日 | 1990年代 | 政府とMNLF,自治と停戦監視に関する合意協定調印。 |
DIA-205-1994-09-08-1 | フィリピン | 1994年09月08日 | 1990年代 | 大統領,タイ経由でヨーロッパ外遊。タイ(~9日),イタリア(9~11日),スペイン(11~13日),フランス(13~15日),ベルギー(15~16日),ドイツ(16~17日)。18日にマクタン島経由で帰国。 |
DIA-205-1994-09-20-1 | フィリピン | 1994年09月20日 | 1990年代 | デルフィン・ラサロ・エネルギー長官,辞任。後任にはフランシスコ・ビライ国家電力公社(Napocor)総裁。 |
DIA-205-1994-09-22-1 | フィリピン | 1994年09月22日 | 1990年代 | 証券取引委員会(SEC),1995年1月以降,大統領府管轄から財務省管轄に移管決定。 |
DIA-205-1994-09-23-1 | フィリピン | 1994年09月23日 | 1990年代 | クアラルンプールで300人のフィリピン人労働者逮捕。 |
DIA-205-1994-09-26-1 | フィリピン | 1994年09月26日 | 1990年代 | マレーシアとの防衛協定調印。 |
DIA-205-1994-09-29-1 | フィリピン | 1994年09月29日 | 1990年代 | MNLFとの休戦協定監視にインドネシア軍将校3人到着。 |
DIA-205-1994-09-30-1 | フィリピン | 1994年09月30日 | 1990年代 | 立法行政開発諮問評議会(LEDAC)と社会改革評議会(SRC)設置。 |
DIA-205-1994-09-30-2 | フィリピン | 1994年09月30日 | 1990年代 | オルテガス・センターにフィリピン証券取引センター開設。 |
DIA-205-1994-10-12-1 | フィリピン | 1994年10月12日 | 1990年代 | 大統領,シンガポール(12~15日)とサウジアラビア(16~17日)訪問。 |
DIA-205-1994-10-28-1 | フィリピン | 1994年10月28日 | 1990年代 | 大統領,マレーシア政府に対しフィリピン人労働者逮捕に関して抗議。 |
DIA-205-1994-11-08-1 | フィリピン | 1994年11月08日 | 1990年代 | 1㌦=23.5ペソを記録。 |
DIA-205-1994-11-10-1 | フィリピン | 1994年11月10日 | 1990年代 | 金泳三韓国大統領訪問(~12日) |
DIA-205-1994-11-13-1 | フィリピン | 1994年11月13日 | 1990年代 | クリントン米大統領訪問。 |
DIA-205-1994-11-14-1 | フィリピン | 1994年11月14日 | 1990年代 | 大統領,APEC参加のためインドネシア訪問(~17日)。 |
DIA-205-1994-11-17-1 | フィリピン | 1994年11月17日 | 1990年代 | ダバオ市にて東ASEANビジネス会議および展覧会開催(~19日)。 |
DIA-205-1994-12-07-1 | フィリピン | 1994年12月07日 | 1990年代 | 大統領,NPAに対して24日間の停戦宣言。 |
DIA-205-1994-12-09-1 | フィリピン | 1994年12月09日 | 1990年代 | ラカス-NUCDとラバン,最終的に連合を決定。 |
DIA-205-1994-12-14-1 | フィリピン | 1994年12月14日 | 1990年代 | 世界貿易機関(WTO)加盟,上院で批准。 |
DIA-205-1994-12-21-1 | フィリピン | 1994年12月21日 | 1990年代 | 反ダンピング法(共和国法第7843号)と輸出促進法(同法第7844号)に大統領署名。 |
DIA-205-1994-12-30-1 | フィリピン | 1994年12月30日 | 1990年代 | 一般歳出法に大統領署名。対外債務支払い費目について拒否権発動。 |
DIA-205-1995-01-06-1 | フィリピン | 1995年01月06日 | 1990年代 | ボニファッシオ基地の土地売却,香港のファースト・パシフィック社(インドネシアのサリムグループ系)の子会社メトロ・パシフィック社によって落札。 |
DIA-205-1995-01-13-1 | フィリピン | 1995年01月13日 | 1990年代 | ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世,来訪(~16日)。 |
DIA-205-1995-01-25-1 | フィリピン | 1995年01月25日 | 1990年代 | 議会選挙審査委員会,ジョーカー・アロヨ下院議員に対し1992年選挙の当選無効を決定。落選したアグスト・シユーコが訴えていたもの。7月17日に最高裁で当選有効と判決。 |
DIA-205-1995-01-28-1 | フィリピン | 1995年01月28日 | 1990年代 | マハティール・マレーシア首相来訪。パンガシナン州のプロトン社工場開設式に出席(~29日)。 |
DIA-205-1995-01-29-1 | フィリピン | 1995年01月29日 | 1990年代 | 政府軍とモロイスラム解放戦線(MILF),停戦協定締結。コタバトの灌漑施設建設現場から共に撤退。 |
DIA-205-1995-01-30-1 | フィリピン | 1995年01月30日 | 1990年代 | ルシオ・タン,カルロス・ドミンゲスに代わりフィリピン航空の会長に就任。 |
DIA-205-1995-02-06-1 | フィリピン | 1995年02月06日 | 1990年代 | 宗教グループによる組織投票許容の法案,上院で破棄される。 |
DIA-205-1995-02-08-1 | フィリピン | 1995年02月08日 | 1990年代 | フィデル・ラモス大統領,中国の艦船がカラヤーン諸島海域で領海侵犯しているとして,中国政府を非難。 |
DIA-205-1995-02-10-1 | フィリピン | 1995年02月10日 | 1990年代 | クリスチャン・モンソドに代わりベルナルド・パルドが選挙委員会委員長に就任。 |
DIA-205-1995-02-13-1 | フィリピン | 1995年02月13日 | 1990年代 | 金融自由化に伴い,国内参入を認められた外国銀行10行が決定。邦銀では東京銀行と富士銀行。 |
DIA-205-1995-02-15-1 | フィリピン | 1995年02月15日 | 1990年代 | オン・テンチョン・シンガポール大統領来訪(~19日)。 |
DIA-205-1995-02-23-1 | フィリピン | 1995年02月23日 | 1990年代 | 国軍近代化法(共和国法第7898号)にラモス大統領署名。 |
DIA-205-1995-02-25-1 | フィリピン | 1995年02月25日 | 1990年代 | 政府と民族民主戦線(NDF)の間で和平交渉の際の安全通行特権に関する協定成立。 |
DIA-205-1995-02-28-1 | フィリピン | 1995年02月28日 | 1990年代 | 政府,1994年のパリクラブにおける6億ドルの債務繰り延べをキャンセル。 |
DIA-205-1995-03-01-1 | フィリピン | 1995年03月01日 | 1990年代 | マスバテ州選出のティト・エスピノーサ下院議員,議会議事堂近くで暗殺される。 |
DIA-205-1995-03-03-1 | フィリピン | 1995年03月03日 | 1990年代 | 比例代表選拳法(共和国法第7941号)にラモス大統領署名。 |
DIA-205-1995-03-05-1 | フィリピン | 1995年03月05日 | 1990年代 | コラソン・アルマ・デレオン社会福祉開発長官,公務員委員会委員長に転任。後任にはリナ・ライゴ次官が昇格。 |
DIA-205-1995-03-05-2 | フィリピン | 1995年03月05日 | 1990年代 | ラモス大統領,中東,ヨーロッパを訪問(アラブ首長国連邦,オランダ,トルコ,イラン,デンマーク,イギリス)。12日にはコペンハーゲンでの社会開発国際サミットで演説。17日帰国。 |
DIA-205-1995-03-15-1 | フィリピン | 1995年03月15日 | 1990年代 | アントニオ・アラゴン,国家捜査局長に就任。 |
DIA-205-1995-03-17-1 | フィリピン | 1995年03月17日 | 1990年代 | シンガポールでフィリピン人メイド,フロア・コンテンプラション,死刑に処さる。 |
DIA-205-1995-03-19-1 | フィリピン | 1995年03月19日 | 1990年代 | 4月に予定されていたゴー・チョクトン・シンガポール首相の来訪が延期。 |
DIA-205-1995-03-20-1 | フィリピン | 1995年03月20日 | 1990年代 | スプラトリー諸島問題に関して中国と交渉開始。フィリピン政府は中国の建造物撤去を主張(~22日)。決着つかず。 |
DIA-205-1995-03-20-2 | フィリピン | 1995年03月20日 | 1990年代 | シンガポールでのメイド死刑問題に関して,エミリオ・ガンカイコを委員長とする調査委員会設置。 |
DIA-205-1995-03-22-1 | フィリピン | 1995年03月22日 | 1990年代 | ラモス大統領,駐シンガポール大使を召還。また,メイド死刑に関して不正が判明したときはシンガポールとの国交を断絶すると言明。 |
DIA-205-1995-03-23-1 | フィリピン | 1995年03月23日 | 1990年代 | メイド死刑事件に関し上院に駐シンガポール大使と領事が喚問される。 |
DIA-205-1995-03-24-1 | フィリピン | 1995年03月24日 | 1990年代 | 左翼系グループのサンラカス,メイド死刑に関しシンガポール政府への大規模な抗議行動を起す。 |
DIA-205-1995-03-25-1 | フィリピン | 1995年03月25日 | 1990年代 | フィリピン海軍,カラヤーン諸島領域において中国漁船拿捕。また,中国の設置した標識を爆破。 |
DIA-205-1995-04-04-1 | フィリピン | 1995年04月04日 | 1990年代 | 約200人のアブサヤフ,南サンボアンガ州のイピルを襲撃。約50人が死亡。 |
DIA-205-1995-04-06-1 | フィリピン | 1995年04月06日 | 1990年代 | ガンカイコ委員会,メイド死刑問題に関する報告書をラモス大統領に提出。 |
DIA-205-1995-04-17-1 | フィリピン | 1995年04月17日 | 1990年代 | ロベルト・ロムロ外務長官,シンガポールでのメイド死刑事件に関連して辞任。後任には駐日大使のドミンゴ・シアソン。 |
DIA-205-1995-04-22-1 | フィリピン | 1995年04月22日 | 1990年代 | カバナトゥアン市長ホノラト・ペレス,ヌエバ・エシハ州知事トマス・ホソンの側近によって暗殺。 |
DIA-205-1995-04-30-1 | フィリピン | 1995年04月30日 | 1990年代 | スービック国際空港開港。フェデラル・エクスプレス社などが乗り入れ。 |
DIA-205-1995-05-06-1 | フィリピン | 1995年05月06日 | 1990年代 | ニェベス・コンフェソール労働雇用長官,メイド死刑事件に関連して辞任。後任にはホセ・ブリリャンテス次官が昇格。 |
DIA-205-1995-05-08-1 | フィリピン | 1995年05月08日 | 1990年代 | 上下両院および統一地方選挙実施。 |
DIA-205-1995-05-20-1 | フィリピン | 1995年05月20日 | 1990年代 | 官房長官テオフィスト・ギンゴナ,司法長官に転任。後任にはラカスのスポークスマン,ルーベン・トーレス。 |
DIA-205-1995-05-22-1 | フィリピン | 1995年05月22日 | 1990年代 | 警察高官4人に対し,拘留中の銀行強盗犯11人を殺害した容疑で上院が調査開始。 |
DIA-205-1995-05-29-1 | フィリピン | 1995年05月29日 | 1990年代 | 1990年国連移民労働者・家族人権保護会議条約が上院で批准。 |
DIA-205-1995-05-29-2 | フィリピン | 1995年05月29日 | 1990年代 | 政府とマルコス忠誠派軍人グループ(Atlas),特赦の覚書調印。364人に特赦。 |
DIA-205-1995-06-05-1 | フィリピン | 1995年06月05日 | 1990年代 | 銀行強盗犯殺害事件に関して国家警察調査開始。 |
DIA-205-1995-06-05-2 | フィリピン | 1995年06月05日 | 1990年代 | エスピノーサ下院議員暗殺事件に関連して,マスバテ選出下院議員アントニオ・コーら9人が訴追される。 |
DIA-205-1995-06-07-1 | フィリピン | 1995年06月07日 | 1990年代 | 国家水資源危機対策法(共和国法第8041号)および移民労働者・在外フィリピン人法(同第8042号)にラモス大統領署名。 |
DIA-205-1995-06-18-1 | フィリピン | 1995年06月18日 | 1990年代 | ヘスス・シソン報道長官辞任。後任にヘクトール・ピリヤヌエバ。 |
DIA-205-1995-06-21-1 | フィリピン | 1995年06月21日 | 1990年代 | アンヘル・アルカラに代わってビクター・ラモスが環境天然資源長官に就任。 |
DIA-205-1995-06-23-1 | フィリピン | 1995年06月23日 | 1990年代 | アントニオ・アラゴン国家捜査局長が急死。マリアノ・ミソン局次長が代行。 |
DIA-205-1995-06-25-1 | フィリピン | 1995年06月25日 | 1990年代 | 政府とNDFの和平交渉ブルッセルで開始。だが,5月17日に逮捕された新人民軍(NPA)ビコール地区司令官ソテロ・リリャマスの釈放問題で暗礁。NDFは交渉を拒否。 |
DIA-205-1995-06-27-1 | フィリピン | 1995年06月27日 | 1990年代 | ロムロ前外務長官,フィリピン長距離電話会社(PLDT)の会長に就任。 |
DIA-205-1995-06-29-1 | フィリピン | 1995年06月29日 | 1990年代 | ビセンテ・カルロス観光長官が辞任。後任にエドワルド・ピラピル。 |
DIA-205-1995-07-04-1 | フィリピン | 1995年07月04日 | 1990年代 | ホセ・デベネシア,議院内閣制導入のため憲法制定会議招集法案を下院に提起。 |
DIA-205-1995-07-07-1 | フィリピン | 1995年07月07日 | 1990年代 | 保健長官代行ガルベス・タンに代わりヒラリオン・ラミロが保健長官に任命される。 |
DIA-205-1995-07-07-2 | フィリピン | 1995年07月07日 | 1990年代 | 国際通貨基金(IMF),フィリピン経済が良好なため,インフレ率,マネーサプライ等の目標緩和を承認。 |
DIA-205-1995-07-14-1 | フィリピン | 1995年07月14日 | 1990年代 | シンガポールでのメイド死刑問題に関してアメリカの検死専門官はシンガポール政府の検死報告を支持。 |
DIA-205-1995-07-17-1 | フィリピン | 1995年07月17日 | 1990年代 | アントニオ・ヘンソンに代わって,クラーク開発公社総裁に退役将軍のロメロ・ダビッドが就任。 |
DIA-205-1995-07-20-1 | フィリピン | 1995年07月20日 | 1990年代 | 税制改革法案まとまる。法人税の対象拡大,個人所得税の簡素化と免除の縮小,物品税の包括的修正,免税措置や投資優遇措置の縮小などを内容とする。 |
DIA-205-1995-07-22-1 | フィリピン | 1995年07月22日 | 1990年代 | 下院規則改正。従来の副議長職(speaker pro tempro)を廃止し,3人の副議長職(deputy speaker)を設置するとともに,議長から副議長への部分的権限委譲。また,新しい特別委員会を13増設し,下院委員会は合計45となった。 |
DIA-205-1995-07-22-2 | フィリピン | 1995年07月22日 | 1990年代 | 関税引き下げのための行政命令第264号がラモス大統領により発布。1978年関税法(大統領令第1464号)の工業部門の修正で,2003年までに関税率を原材料で3%,加工品で10%にし,2004年以降はすべて0~5%にするというもの。 |
DIA-205-1995-07-24-1 | フィリピン | 1995年07月24日 | 1990年代 | 第10議会開会。上院議長にエドワルド・アンガラ,副議長にレティシア・シャハニ,与党院内総務にアルベルト・ロムロ,野党院内総務にエルネスト・マセダ選出。また下院議長にデベネシア,下院副議長にラウル・ダサ,シメオン・ダトゥマノン,ヘルナンド・ペレス選出。 |
DIA-205-1995-07-24-2 | フィリピン | 1995年07月24日 | 1990年代 | ラモス大紋領,第10議会開会に際して施政方針演説。貿易自由化を通じた持続的成長を前提とし,(1)国際的な競争力獲得,(2)選挙制度の改革,(3)犯罪の封じ込め,(4)貧困問題の解決,(5)自立の実現,(6)政府の質と信頼の向上の6点を課題として提起。また,4155億ペソの予算案を提案。 |
DIA-205-1995-08-02-1 | フィリピン | 1995年08月02日 | 1990年代 | 労働組合「五月一日運動」(KMU)議長ロランド・オラリア(1986年暗殺)の殺害容疑者逮捕。元フィリピン警察軍将校。 |
DIA-205-1995-08-07-1 | フィリピン | 1995年08月07日 | 1990年代 | 証券取引委員会の委員4人,ロサリオ・ロペス委員長との対立がもとで辞任。 |
DIA-205-1995-08-10-1 | フィリピン | 1995年08月10日 | 1990年代 | ロペス証券取引委員会委員長,辞任を前提の休職。後任には代行として先に辞任したペルフェクト・ヤサイ委員。 |
DIA-205-1995-08-11-1 | フィリピン | 1995年08月11日 | 1990年代 | 政府,スプラトリー諸島問題に関して,中国と軍事衝突回避を柱とする行動基準協定に合意。 |
DIA-205-1995-08-16-1 | フィリピン | 1995年08月16日 | 1990年代 | ラモス大統領,ニュージーランド(~18日),オーストラリア(~23日)訪問。 |
DIA-205-1995-08-28-1 | フィリピン | 1995年08月28日 | 1990年代 | アンガラ,上院議長から解任される。後任はネプタリ・ゴンサレス。アンガラは野党院内総務に。 |
DIA-205-1995-09-01-1 | フィリピン | 1995年09月01日 | 1990年代 | アンガラ,上院での新しい多数派に対抗して,6人の上院議員で「良心的ブロック」を形成。 |
DIA-205-1995-09-05-1 | フィリピン | 1995年09月05日 | 1990年代 | マセダ上院議員,上院憲法改正委員会委員長を辞任。後任には10月26日にミリアム・デイフェンサー・サンチャゴが就任。 |
DIA-205-1995-09-06-1 | フィリピン | 1995年09月06日 | 1990年代 | 上院アンガラ派,憲法改正反対の立場を表明。 |
DIA-205-1995-09-07-1 | フィリピン | 1995年09月07日 | 1990年代 | セシリア・ムニョス・パルマ元最高裁判事,ホセ・アブエバ元フィリピン大学総長ら憲法改正反対のグループを結成。 |
DIA-205-1995-09-08-1 | フィリピン | 1995年09月08日 | 1990年代 | ラモス大統領,1995年公共事業法に署名。 |
DIA-205-1995-09-08-2 | フィリピン | 1995年09月08日 | 1990年代 | フィリピン,IMFの14条国から8条国に。 |
DIA-205-1995-09-12-1 | フィリピン | 1995年09月12日 | 1990年代 | 最高裁,イメルダ・マルコスの下院議員当選有効と判決。 |
DIA-205-1995-09-14-1 | フィリピン | 1995年09月14日 | 1990年代 | デベネシア下院議長,下院幹部会は経済開発関連法案の審議を優先するため憲法改正論議を凍結したと言明。 |
DIA-205-1995-09-16-1 | フィリピン | 1995年09月16日 | 1990年代 | アラブ首長国連邦でフィリピン人メイド,サラ・バラバガン,雇い主殺害で死刑判決を受ける。 |
DIA-205-1995-09-20-1 | フィリピン | 1995年09月20日 | 1990年代 | 下院憲法改正委員会で憲法改正問題に関する公聴会開始。デベネシア下院議長は翌日,中止を要請。 |
DIA-205-1995-09-24-1 | フィリピン | 1995年09月24日 | 1990年代 | ラモス大統領,ココナッツ税基金は公的資金と言明。 |
DIA-205-1995-10-01-1 | フィリピン | 1995年10月01日 | 1990年代 | ラモス大統領,マレーシア訪問(~2日) |
DIA-205-1995-10-06-1 | フィリピン | 1995年10月06日 | 1990年代 | カルロス・サウル・メネム・アルゼンチン大統領が来訪(~8日) |
DIA-205-1995-10-10-1 | フィリピン | 1995年10月10日 | 1990年代 | レイモンド・ハルケ退役准将,ネグロスでNPAへの参加を宣言。 |
DIA-205-1995-10-12-1 | フィリピン | 1995年10月12日 | 1990年代 | 元バタアン州警察本部長エルノラ・ベルナルディノが警察幹部の違法賭博関与を告発。 |
DIA-205-1995-10-13-1 | フィリピン | 1995年10月13日 | 1990年代 | 政府と愛国革命同盟(RAM),最終的な和平協定調印。RAMメンバー5000人に特赦。 |
DIA-205-1995-10-14-1 | フィリピン | 1995年10月14日 | 1990年代 | 政府,ウエスティンハウス社と1億ドルでフィリピン市場参入禁止解除の取り決め。12月18日には国営電力会社(Napocor)がウエスティンハウス社製品購入禁止を解除。 |
DIA-205-1995-10-16-1 | フィリピン | 1995年10月16日 | 1990年代 | ラモス大統領,ハワイ経由でコロンビア訪問(~23日)。非同盟諸国会議参加。引続き,アメリカ訪問(~26日)。国連50周年式典参加,バングラデシュ,チリ,中国,コスタリカ,イスラエル,タイの首脳と会談。 |
DIA-205-1995-10-18-1 | フィリピン | 1995年10月18日 | 1990年代 | 最高裁,マレーシアのレノン社へのマニラホテル株過半数の売却に一時停止命令。 |
DIA-205-1995-10-19-1 | フィリピン | 1995年10月19日 | 1990年代 | 下院の公共秩序安全委員会でロリト・ゴレス下院議員が中部ルソンの12人の違法賭博元締めを明らかにする。 |
DIA-205-1995-10-24-1 | フィリピン | 1995年10月24日 | 1990年代 | 国家食糧公社(NFA),買い手が混乱していることを理由にコメの直販所閉鎖。翌25日,ラモス大統領,再開を命令。 |
DIA-205-1995-10-26-1 | フィリピン | 1995年10月26日 | 1990年代 | フィリピン,世界貿易機関(WTO)の常任委員会メンバーに。 |
DIA-205-1995-10-28-1 | フィリピン | 1995年10月28日 | 1990年代 | ラモス大統領,NFA総裁ロメオ・ダビッドを解任。農業次官のジョーマリー・ゲロチを総裁代行に任命。 |
DIA-205-1995-10-30-1 | フィリピン | 1995年10月30日 | 1990年代 | 最高裁,付加価値税適用範囲拡大法(共和国法第7716号)に関する一時停止命令解除。1996年1月1日より施行。 |
DIA-205-1995-10-30-2 | フィリピン | 1995年10月30日 | 1990年代 | アラブ首長国連邦で死刑判決を受けていたフィリピン人メイド,第3審で減刑。 |
DIA-205-1995-11-07-1 | フィリピン | 1995年11月07日 | 1990年代 | フィリピン国営石油会社(PNOC)所有のペトロン社株のアルマコ社への売却に関して,最高裁,合法の判決。 |
DIA-205-1995-11-08-1 | フィリピン | 1995年11月08日 | 1990年代 | スプラトリー諸島問題に関して,ベトナムと主権問題に絡ませず国際法に則って解決することで合意。 |
DIA-205-1995-11-14-1 | フィリピン | 1995年11月14日 | 1990年代 | NFA,コメ買い占め取締開始。買い占め米を押収し,売却。 |
DIA-205-1995-11-16-1 | フィリピン | 1995年11月16日 | 1990年代 | ラモス大統領,アジア太平洋経済協力会議(APEC)出席のため訪日(~19日)。 |
DIA-205-1995-11-20-1 | フィリピン | 1995年11月20日 | 1990年代 | エドワルド・フレイ・ルイス・タグレ・チリ大統領,来訪(~21日)。 |
DIA-205-1995-11-21-1 | フィリピン | 1995年11月21日 | 1990年代 | オンブズマン,銀行強盗犯殺害事件に関連して4人の幹部と23人の警官を訴追。 |
DIA-205-1995-11-27-1 | フィリピン | 1995年11月27日 | 1990年代 | ジャカルタで政府とモロ民族解放戦線(MNLF)の第3回和平交渉(~12月1日)。暫定自治政府設立に関しては先送り。 |
DIA-205-1995-11-27-2 | フィリピン | 1995年11月27日 | 1990年代 | 国家警察によるスモーキーマウンテンの不法占拠者一斉取締で住民1人死亡。 |
DIA-205-1995-11-29-1 | フィリピン | 1995年11月29日 | 1990年代 | レ・デュク・アイン・ベトナム国家主席,来訪(~12月2日)。 |
DIA-205-1995-12-05-1 | フィリピン | 1995年12月05日 | 1990年代 | 北部ルソンのフガ島開発計画公表。総額250億ドルで華人系企業のアジアワールド社と台湾のトンテックス社の合弁。 |
DIA-205-1995-12-11-1 | フィリピン | 1995年12月11日 | 1990年代 | 華人ビジネスマン,NPAの都市ゲリラ部隊(ABB)により殺害。労使紛争が原因。 |
DIA-205-1995-12-12-1 | フィリピン | 1995年12月12日 | 1990年代 | ラモス大統領,農産物の関税引き下げのため1978年関税法(大統領令第1464号)を修正する行政命令第288号を発布。 |
DIA-205-1995-12-13-1 | フィリピン | 1995年12月13日 | 1990年代 | ラモス大統領,AFTAの共通効果特恵関税(CEPT)実施のための行政命令第287号を発布。 |
DIA-205-1995-12-13-2 | フィリピン | 1995年12月13日 | 1990年代 | ラモス大統領,ASEAN首脳会議出席のためタイ訪問(~17日)。 |
DIA-205-1995-12-16-1 | フィリピン | 1995年12月16日 | 1990年代 | ラモス大統領,シンガポールとの国交正常化を宣言。 |
DIA-205-1995-12-17-1 | フィリピン | 1995年12月17日 | 1990年代 | ラモス大統領,タイからカンボジア訪問(~18日)。 |
DIA-205-1995-12-20-1 | フィリピン | 1995年12月20日 | 1990年代 | フィリピン国立銀行(PNB)の民営化,第3回の株式公開。これによってPNB株全体のうち57%が民間所有となる。 |
DIA-205-1995-12-26-1 | フィリピン | 1995年12月26日 | 1990年代 | 石油産業の自由化に関して議会の両院協議会で合意が成立せず,法律制定は延期。 |
DIA-205-1995-12-29-1 | フィリピン | 1995年12月29日 | 1990年代 | ラモス大統領,1996年一般歳出法(共和国法第8174号)に署名。総額3948億ペソ。債務支払い項目については拒否権発動。 |
DIA-205-1996-01-01-1 | フィリピン | 1996年01月01日 | 1990年代 | 大統領,マダンダ前参謀副総長をAPEC事務局長に任命。またアバディア前参謀総長をAPEC首脳会議準備本部長に任命。 |
DIA-205-1996-01-01-2 | フィリピン | 1996年01月01日 | 1990年代 | 拡大付加価値税(E-VAT)法が発効。 |
DIA-205-1996-01-06-1 | フィリピン | 1996年01月06日 | 1990年代 | 93年3月にスプラトリー諸島周辺の海域でフィリピン海軍に拿捕された中国の漁船長ら4人に特赦。乗組員62人のうち58人はすでに95年10月に特赦を受け中国に帰還。 |
DIA-205-1996-01-16-1 | フィリピン | 1996年01月16日 | 1990年代 | 首都圏の最低賃金が日額20ペソ引き上げられ165ペソに。 |
DIA-205-1996-01-16-2 | フィリピン | 1996年01月16日 | 1990年代 | キアポ地区,強制立退きで住民が反発。 |
DIA-205-1996-01-16-3 | フィリピン | 1996年01月16日 | 1990年代 | シンガポールと政府が大使交換を発表。95年3月の比人メード刑死事件以来両国の外交関係が中断していたもの。 |
DIA-205-1996-01-20-1 | フィリピン | 1996年01月20日 | 1990年代 | セバスチャン農業長官が更迭さる。後任はマルコス政権期の農業長官エスクデロ下院議員。カルピオ大統領法律顧問が同日付けで辞表を提出。後任にカエタノ弁護士が就任(2月15日付)。 |
DIA-205-1996-01-21-1 | フィリピン | 1996年01月21日 | 1990年代 | サッチャー前英首相,来訪(~21日)。 |
DIA-205-1996-01-22-1 | フィリピン | 1996年01月22日 | 1990年代 | 上下両院にテロ活動防止法が上程。上院ではエンリレ議員他が提出。 |
DIA-205-1996-01-22-2 | フィリピン | 1996年01月22日 | 1990年代 | 比海軍哨戒艇が南シナ海上カポネス島付近で国籍不明の船2隻と銃撃戦。 |
DIA-205-1996-01-25-1 | フィリピン | 1996年01月25日 | 1990年代 | 政府,テロ活動防止法棚上げ表明。これに代え29日,刑法改正法案を議会に上程。 |
DIA-205-1996-01-31-1 | フィリピン | 1996年01月31日 | 1990年代 | ラバン全国代議委員会がラカスとの連合解消で合意。 |
DIA-205-1996-02-02-1 | フィリピン | 1996年02月02日 | 1990年代 | 石油製品が平均0.55ペソ値上げ。 |
DIA-205-1996-02-08-1 | フィリピン | 1996年02月08日 | 1990年代 | ウエルガ・ナ・バヤン(人民スト)が全国7地区で展開。石油製品価格値上げ,E-VAD導入,テロ活動防止法に反対して。 |
DIA-205-1996-02-10-1 | フィリピン | 1996年02月10日 | 1990年代 | 比海軍が夜サンバレス州沖合いで不審船3隻を発見,銃撃戦ののち1隻を拿捕,乗組員20人を逮捕。現地紙は海賊と報道。 |
DIA-205-1996-02-14-1 | フィリピン | 1996年02月14日 | 1990年代 | マカティで爆弾事件。シェル石油ビルとシティバンクタワーへ手投弾,5人負傷。 |
DIA-205-1996-02-18-1 | フィリピン | 1996年02月18日 | 1990年代 | 西ネグロス州カディス沖で老朽フェリーが沈没し53人が死亡,15人が行方不明。 |
DIA-205-1996-02-19-1 | フィリピン | 1996年02月19日 | 1990年代 | フィリピン労働組合会議(TUCP)など労働界代表が大統領と会談,石油製品価格値上げ,E-VAD導入,テロ活動防止法反対。 |
DIA-205-1996-02-19-2 | フィリピン | 1996年02月19日 | 1990年代 | 18カ国の代表約100人による国際犯罪テロリズム会議,バギオで開催(~20日)。 |
DIA-205-1996-02-25-1 | フィリピン | 1996年02月25日 | 1990年代 | エドサ革命10周年記念式典,開催。 |
DIA-205-1996-02-27-1 | フィリピン | 1996年02月27日 | 1990年代 | ミスアリ・モロ民族解放戦線(MNLF)議長がサバ経由でホロ島に到着。 |
DIA-205-1996-02-29-1 | フィリピン | 1996年02月29日 | 1990年代 | 大統領,アジア欧州首脳会議(ASEM)参加でバンコクへ出発(~3月4日)。 |
DIA-205-1996-03-02-1 | フィリピン | 1996年03月02日 | 1990年代 | ゼネラル・サントス市でMNLFと和平予備交渉。サンボアンガで正式交渉(4日)。カガヤン・デ・オロ市で非公式交渉を開催(8日)。一連の交渉での議題は自治区の範囲とその決定方法であったが進展せず。 |
DIA-205-1996-03-06-1 | フィリピン | 1996年03月06日 | 1990年代 | 大統領府,2閣僚の更迭を発表。ガルシア運輸通信長官に代わりラグダンス長官を指名(3月31日付)。アルナン内務自治長官に代わりバーバーズ下院議員(与党ラカス)を指名(4月16日付)。 |
DIA-205-1996-03-19-1 | フィリピン | 1996年03月19日 | 1990年代 | ケソン市ディスコ火災で161人焼死。 |
DIA-205-1996-03-22-1 | フィリピン | 1996年03月22日 | 1990年代 | ラミロ保健長官が汚職容疑で引責辞職,レオディカ同省次官を長官代行に指名。 同次官を長官に指名(4月8日)。 |
DIA-205-1996-03-24-1 | フィリピン | 1996年03月24日 | 1990年代 | マーカパー・マイニング社で銅鉱屑が隧道から流出しボアク川が27キロメートルにわたり汚染。31日,保健省が付近の村民に避難命令。 |
DIA-205-1996-03-27-1 | フィリピン | 1996年03月27日 | 1990年代 | フィリピン証券取引所理事会がプエルト・アズール・ランド社の新規株式公開(IPO)を拒否。同社所有地はマルコス-(漢)族からの委託資産であるとするのが拒否理由。 |
DIA-205-1996-03-28-1 | フィリピン | 1996年03月28日 | 1990年代 | 大統領が4経済法(石油川下産業規制緩和法,外国投資法改正,農業関税化法,食糧保険会社法)に署名。 |
DIA-205-1996-03-30-1 | フィリピン | 1996年03月30日 | 1990年代 | ピラピル観光長官が辞任。郵政局長時代の不正疑惑で議会任命委の承認を得られず。パンティン同省次官を長官代行に指名。 |
DIA-205-1996-04-02-1 | フィリピン | 1996年04月02日 | 1990年代 | 政府軍がモロ・イスラーム解放戦線(MILF)と北コタバト州カルメンで交戦。兵士4人,ゲリラ5人が死亡。 |
DIA-205-1996-04-10-1 | フィリピン | 1996年04月10日 | 1990年代 | 大統領がバタアン原子力発電所の火力発電所転換計画を承認。 |
DIA-205-1996-04-12-1 | フィリピン | 1996年04月12日 | 1990年代 | 軍当局がMILFとの対話開始を発表。18日,マギンダナオ州知事とドミンゲス・ミンダナオ問題特別顧問の仲介で,政府とMILFがカルメン戦闘の一時停戦で合意。 |
DIA-205-1996-04-14-1 | フィリピン | 1996年04月14日 | 1990年代 | 大統領がミンダナオ訪問。15日,南ラナオ州マラバンで「政府はこれ以上ゲリラの挑発に耐える必要はない」と発言。 |
DIA-205-1996-04-15-1 | フィリピン | 1996年04月15日 | 1990年代 | エンリレ参謀総長がミンダナオ派遣の民兵50中隊,4400人新設の予算を議会に求めると言明。17日,アンガラ上院議員が「民兵投入は過去に人権侵害の経験あり」と反対。 |
DIA-205-1996-04-19-1 | フィリピン | 1996年04月19日 | 1990年代 | 上院国防委員会が政府と民族民主戦線(NDF)との秘密交渉の存在を発表。95年6月の交渉再開予定がNDF側がリャマスの釈放がないかぎり前進なしとしてきたもの。 |
DIA-205-1996-04-20-1 | フィリピン | 1996年04月20日 | 1990年代 | バーバーズ新長官が36人の精鋭警察官からなる公共活動グループ(PAG)を新設。大統領犯罪防止委員会(PACC)と競合関係に。 |
DIA-205-1996-04-28-1 | フィリピン | 1996年04月28日 | 1990年代 | 政府軍がMILF占領地域を奪回。エンリレ参謀総長が歩兵第30連隊の部隊がカルメンなど5地域を掃討と発表。 |
DIA-205-1996-05-06-1 | フィリピン | 1996年05月06日 | 1990年代 | 全国でバランガイ青年評議会(Sangguniang Kabataan)選挙を実施。15~21歳の青年による投票。投票率は60%。 |
DIA-205-1996-05-06-2 | フィリピン | 1996年05月06日 | 1990年代 | 最高裁がマニラと主要都市の56下級裁判所を凶悪犯罪訴追の特別裁判所に指定。同裁判所は毎日審理し,60日以内に判決を出す。 |
DIA-205-1996-05-11-1 | フィリピン | 1996年05月11日 | 1990年代 | ピメンテールが92年上院選挙に関し開票集計不正でラグナ州ビニャンの開票点検委員3人を選挙委員会に刑事告発。 |
DIA-205-1996-05-11-2 | フィリピン | 1996年05月11日 | 1990年代 | バーバーズ長官が警察官65人を解雇処分。犯罪への関与,無断欠勤等が理由。就任以来四度目の粛正となり,計171人が解雇された。 |
DIA-205-1996-05-11-3 | フィリピン | 1996年05月11日 | 1990年代 | ベトナム難民第1陣として202人を送還。25日に98人を送還し,計300人に達する。 |
DIA-205-1996-05-18-1 | フィリピン | 1996年05月18日 | 1990年代 | 中央銀行通貨委員会がING Bankにユニバーサル・バンクの免許を認可。 |
DIA-205-1996-05-23-1 | フィリピン | 1996年05月23日 | 1990年代 | 下院憲法改正問題委員会委員長が大統領の任期延長は国民的世論と主張。24日,マカティ・ビジネス・クラブのロムロ会長がこの時期の憲法改正は政権指導力を国際競争力に必要な経済的課題から逸らすと反論。 |
DIA-205-1996-05-27-1 | フィリピン | 1996年05月27日 | 1990年代 | 上院が憲法改正反対決議(上院決議第129号)を17対0で可決し,国民発議,議員発議いずれによる改正も封じる。 |
DIA-205-1996-05-31-1 | フィリピン | 1996年05月31日 | 1990年代 | ラバン党大会がラカスとの連立協定解消決議。同協定は84年8月に締結したもの。 |
DIA-205-1996-06-04-1 | フィリピン | 1996年06月04日 | 1990年代 | 大統領がラカスに対し憲法改正停止を命令。6日,下院憲法改正問題委が憲法改正に関する15法案審議の無期限停止決定。 |
DIA-205-1996-06-04-2 | フィリピン | 1996年06月04日 | 1990年代 | 国軍がカルメン付近のMILF占拠地区を奪回。ゲリラ側は武器を放棄して逃走。 |
DIA-205-1996-06-04-3 | フィリピン | 1996年06月04日 | 1990年代 | デビーリャ国防長官がMNLFの国軍編入に関する大統領の検討指示に関し,「議題は編入数と編入後の階級である」と発言。 |
DIA-205-1996-06-05-1 | フィリピン | 1996年06月05日 | 1990年代 | 大統領がMNLFとの会談で事態進展と言明。ジャカルタでヤン代表がイスラーム諸国会議機構(OIC)の仲介で会談(3~4日)。 |
DIA-205-1996-06-10-1 | フィリピン | 1996年06月10日 | 1990年代 | 4日間の特別議会会期終了。大統領府提案の13法案のうち7法案のみが可決。灌漑危機法,包括税制改革法,拡大VAT法改正法案が審議未了となり大統領は不満を表明。 |
DIA-205-1996-06-11-1 | フィリピン | 1996年06月11日 | 1990年代 | トレス官房長官がミスアリとの会談を確認。5月29~30日にドバイで私的に会談し,SPCPD創設に関する政府案を提示。 |
DIA-205-1997-01-07-1 | フィリピン | 1997年01月07日 | 1990年代 | 政府,モロ・イスラーム解放戦線(MILF)と2月の和平交渉に向け予備会談開始。相互の歩み寄りなく終了(~8日)。 |
DIA-205-1997-01-14-1 | フィリピン | 1997年01月14日 | 1990年代 | 最高裁,「改革・近代化・行動のための人民発議」(PIRMA)に対し執行停止仮処分命令。 |
DIA-205-1997-01-14-2 | フィリピン | 1997年01月14日 | 1990年代 | クレイテン・カナダ首相,来訪(~16日)。 |
DIA-205-1997-01-17-1 | フィリピン | 1997年01月17日 | 1990年代 | 石油製品,平均0.26ペソ値上げ。 |
DIA-205-1997-01-21-1 | フィリピン | 1997年01月21日 | 1990年代 | 首都圏賃金委員会,最低賃金を165ペソから185ペソへ引き上げ発表。2月6日に15ペソ,5月1日に5ペソ上乗せ実施。 |
DIA-205-1997-01-21-2 | フィリピン | 1997年01月21日 | 1990年代 | 政府軍とMILFがマギンダナオ州ブルドンで交戦。少なくともMILF側21人死亡。 |
DIA-205-1997-01-23-1 | フィリピン | 1997年01月23日 | 1990年代 | メトロマニラ上下水道システム(MWSS)民営化で競売実施。東区域はアヤラ商会,西区域はベンプレス持株会社が落札。 |
DIA-205-1997-01-23-2 | フィリピン | 1997年01月23日 | 1990年代 | アロヨ上院議員,野党ラバンを離党,新党KAMPIに入党。 |
DIA-205-1997-01-27-1 | フィリピン | 1997年01月27日 | 1990年代 | 政府軍,MILFと一部地域で暫定停戦に合意。 |
DIA-205-1997-01-29-1 | フィリピン | 1997年01月29日 | 1990年代 | タイ首相,来訪(~30日)。 |
DIA-205-1997-02-01-1 | フィリピン | 1997年02月01日 | 1990年代 | 政府,ユトレヒトで民族民主戦線(NDF)と対話開始(~8日)。和平交渉にむけ作業グループの設置などで予備的合意。 |
DIA-205-1997-02-03-1 | フィリピン | 1997年02月03日 | 1990年代 | 最高裁,マニラホテルの政府保有株51%をマニラプリンスホテル株式会社に売却すべしと判決。95年10月,マレーシアのレノン社が落札した件で。 |
DIA-205-1997-02-04-1 | フィリピン | 1997年02月04日 | 1990年代 | ラモス大統領,1月29日に終了した60日間の反政府勢力に対する攻撃的軍事作戦の停止命令を延長(~3月6日)。 |
DIA-205-1997-02-08-1 | フィリピン | 1997年02月08日 | 1990年代 | 石油産業規制廃止法(共和国法第8180号)の完全実施。 |
DIA-205-1997-02-12-1 | フィリピン | 1997年02月12日 | 1990年代 | ラモス大統領,97年一般歳出法(共和国法第8250号)に署名。総額4338億ペソ。債務利払いなど8項目に拒否権発動。 |
DIA-205-1997-02-25-1 | フィリピン | 1997年02月25日 | 1990年代 | 政府,MILFと交渉開始。1月末の暫定停戦協定を一般停戦協定に拡大できず26日で終了。 |
DIA-205-1997-03-01-1 | フィリピン | 1997年03月01日 | 1990年代 | マンデラ・南アフリカ大統領,来訪(~3日)。 |
DIA-205-1997-03-02-1 | フィリピン | 1997年03月02日 | 1990年代 | ラモス大統領,インド,バングラデシュ,パキスタン,カタール,バーレーンの5カ国訪問に出発(~12日)。 |
DIA-205-1997-03-06-1 | フィリピン | 1997年03月06日 | 1990年代 | 大手精糖会社Victoria Milling Co.総額66億ペソの債務不履行に。 |
DIA-205-1997-03-10-1 | フィリピン | 1997年03月10日 | 1990年代 | 国際金融公社(IFS),ユーロペソ債約26億ペソの発行開始。 |
DIA-205-1997-03-16-1 | フィリピン | 1997年03月16日 | 1990年代 | 政府軍とMILFがマギンダナオ州ブルドンで交戦。学生約10人が死亡。 |
DIA-205-1997-03-18-1 | フィリピン | 1997年03月18日 | 1990年代 | 黄元北朝鮮書記,韓国亡命のため一時入国(バギオ市)(~4月20日)。 |
DIA-205-1997-03-18-2 | フィリピン | 1997年03月18日 | 1990年代 | 政府,NDFと和平交渉をオランダで開始。NDFは独立主権を主張,交渉は24日に中断。 |
DIA-205-1997-03-18-3 | フィリピン | 1997年03月18日 | 1990年代 | 元MNLF兵士約1100人,政府軍に編入。96年9月の和平合意後初めて。 |
DIA-205-1997-03-19-1 | フィリピン | 1997年03月19日 | 1990年代 | 最高裁,PIRMAの再審請求に対し人民発議による憲法改正は不可能と判決。PIRMAに執行停止命令。 |
DIA-205-1997-03-23-1 | フィリピン | 1997年03月23日 | 1990年代 | 中国海軍戦艦2隻,政府軍の招待で寄港。1949年以来初めて。 |
DIA-205-1997-03-25-1 | フィリピン | 1997年03月25日 | 1990年代 | デヴェネシア下院議長,シソン共産党指導者と非公式会談。98年6月末までに和平交渉を終了させることで合意。 |
DIA-205-1997-04-01-1 | フィリピン | 1997年04月01日 | 1990年代 | ラモス大統領,97年投資優先計画(IPP)を承認。32分野の投資に優遇税制措置。 |
DIA-205-1997-04-08-1 | フィリピン | 1997年04月08日 | 1990年代 | 中央銀行,ヤンキーボンド30年物と100年物合わせて12.5億ドル発行開始。 |
DIA-205-1997-04-09-1 | フィリピン | 1997年04月09日 | 1990年代 | 政府軍,バシラン州ランタワンでアブサヤフ占拠地区2カ所を奪回。約5日間の交戦で兵士2人,ゲリラ側約20人死亡。 |
DIA-205-1997-04-13-1 | フィリピン | 1997年04月13日 | 1990年代 | ラモス大統領,辞任したラグダメオ運輸通信長官の後任にエンリレ元国軍参謀総長を任命(16日付け)。 |
DIA-205-1997-04-14-1 | フィリピン | 1997年04月14日 | 1990年代 | ラモス大統領,98年大統領選挙の与党候補者選定準備のためラカス党内に16人からなる委員会を設置。 |
DIA-205-1997-04-20-1 | フィリピン | 1997年04月20日 | 1990年代 | 政府軍,北ザンボアンガMILF占拠地区を奪回。15日からの交戦でMILF側合計25人が死亡。 |
DIA-205-1997-04-21-1 | フィリピン | 1997年04月21日 | 1990年代 | 政府,NDFと和平交渉をオランダで開始。協定の実施方法で対立,23日中断。 |
DIA-205-1997-04-23-1 | フィリピン | 1997年04月23日 | 1990年代 | 政府,暫定停戦違反が続く状況下でMILFと交渉開始。両軍の配置位置で合意得られず24日終了。 |
DIA-205-1997-04-23-2 | フィリピン | 1997年04月23日 | 1990年代 | 中央銀行,約18億ペソの不良債権を抱えたモンテ・デ・ピエタッド貯蓄銀行に営業停止を命令。 |
DIA-205-1997-04-29-1 | フィリピン | 1997年04月29日 | 1990年代 | 株価指数(Phisix)が前日終値から128.87ポイント下落し2708.44に。93年の証券取引所発足以来2番目の大幅下落。 |
DIA-205-1997-04-29-2 | フィリピン | 1997年04月29日 | 1990年代 | 中央銀行,銀行の不動産融資規制の上限を30%から20%に強化。同時に不動産担保融資の担保掛目を70%から60%に引下げ。 |
DIA-205-1997-04-30-1 | フィリピン | 1997年04月30日 | 1990年代 | 政府,25日に南沙諸島海域で発見した中国船3隻の領海侵犯について中国側に抗議。 |
DIA-205-1997-05-01-1 | フィリピン | 1997年05月01日 | 1990年代 | ラモス大統領,社会保障システム(SSS)法(共和国法第8282号)に署名。 |
DIA-205-1997-05-06-1 | フィリピン | 1997年05月06日 | 1990年代 | ラモス大統領,中小企業のためのマグナカルタ(共和国法第8289号,共和国法第6977号改訂)に署名。 |
DIA-205-1997-05-06-2 | フィリピン | 1997年05月06日 | 1990年代 | ラモス大統領,アメリカ,メキシコ,パナマ訪問に出発(~15日)。 |
DIA-205-1997-05-12-1 | フィリピン | 1997年05月12日 | 1990年代 | 全国でバランガイ選挙,実施。 |
DIA-205-1997-05-20-1 | フィリピン | 1997年05月20日 | 1990年代 | 政府,MILFと和平交渉再開。 |
DIA-205-1997-05-20-2 | フィリピン | 1997年05月20日 | 1990年代 | 比海軍,中国人漁民21人を南シナ海スカーボロー礁沖で拘束。4月末の不法侵入者18人の逮捕に続くもの。 |
DIA-205-1997-05-22-1 | フィリピン | 1997年05月22日 | 1990年代 | ラモス大統領,香港訪問(日帰り)。 |
DIA-205-1997-05-26-1 | フィリピン | 1997年05月26日 | 1990年代 | 政府,中国と南シナ海における一連の事件で二国間協議(~28日)。 |
DIA-205-1997-05-29-1 | フィリピン | 1997年05月29日 | 1990年代 | ソットー上院議員,野党ラバンを離党しKAMPIに入党。 |
DIA-205-1997-05-29-2 | フィリピン | 1997年05月29日 | 1990年代 | 政府軍,MILFとの緊張が続くマギンダナオ州ブルドンの軍隊増強を発表。 |
DIA-205-1997-05-29-3 | フィリピン | 1997年05月29日 | 1990年代 | 警察,中国人漁民21人を不法侵入で告発したと発表。 |
DIA-205-1997-06-04-1 | フィリピン | 1997年06月04日 | 1990年代 | エストラーダ副大統領,大統領犯罪取締委員会委員長を辞任。 |
DIA-205-1997-06-09-1 | フィリピン | 1997年06月09日 | 1990年代 | シンガポール首相,来訪(~11日)。 |
DIA-205-1997-06-10-1 | フィリピン | 1997年06月10日 | 1990年代 | 最高裁,PIRMAの再審請求を却下。 |
DIA-205-1997-06-11-1 | フィリピン | 1997年06月11日 | 1990年代 | 野党3党(LDP,PNP,NPC),統一連立野党「フィリピン愛国大衆の戦い」(LAMMP)を結成。 |
DIA-205-1997-06-14-1 | フィリピン | 1997年06月14日 | 1990年代 | 98年大統領選挙の有権者一般登録開始(15日,20~21日にも受付)。 |
DIA-205-1997-06-16-1 | フィリピン | 1997年06月16日 | 1990年代 | 大統領,イギリス,北アイルランド,オマーン,ギリシャ訪問に出発(~24日)。 |
DIA-205-1997-06-16-2 | フィリピン | 1997年06月16日 | 1990年代 | MILF,マギンダナオ州でフィリピン石油会社(PNOC)従業員43人を誘拐,即日解放。 |
DIA-205-1997-06-17-1 | フィリピン | 1997年06月17日 | 1990年代 | 政府,MILFと予備会談開始。一般停戦の合意得られず18日終了。 |
DIA-205-1997-06-18-1 | フィリピン | 1997年06月18日 | 1990年代 | 政府,米国と相互防衛定例会談(~19日)。 |
DIA-205-1997-06-20-1 | フィリピン | 1997年06月20日 | 1990年代 | 比海軍,南沙諸島海域で中国船3隻発見。 |
DIA-205-1997-06-26-1 | フィリピン | 1997年06月26日 | 1990年代 | IMF,23日終了予定の対比拡大信用供与プログラムの年末までの延長を発表。 |
DIA-205-1997-06-26-2 | フィリピン | 1997年06月26日 | 1990年代 | 政府軍,北コタバト州のMILF占拠地区を奪回。 |
DIA-205-1997-06-27-1 | フィリピン | 1997年06月27日 | 1990年代 | デヴィーリャ国防長官,与党ラカスに入党。 |
DIA-205-1997-06-27-2 | フィリピン | 1997年06月27日 | 1990年代 | MILF,政府軍の攻撃に対し宣戦布告の用意ありとし,28日予定の会談延期を発表。 |
DIA-205-1997-07-01-1 | フィリピン | 1997年07月01日 | 1990年代 | 大統領,MILFと交戦続くミンダナオ中部を被災地域に指定。500万ペソ割当て。 |
DIA-205-1997-07-08-1 | フィリピン | 1997年07月08日 | 1990年代 | 政府,在カンボジア比人救助のため軍用機C-130,2機派遣を決定。 |
DIA-205-1997-07-08-2 | フィリピン | 1997年07月08日 | 1990年代 | 選挙委員会,6月23日PIRMAが提出した約550万の署名照合に関する請願を却下。 |
DIA-205-1997-07-11-1 | フィリピン | 1997年07月11日 | 1990年代 | 中央銀行,ペソの対ドル相場の変動制限幅拡大を発表。前日平均26.40ペソから29.45ペソへ約10%下落し,取引き一時中止。 |
DIA-205-1997-07-14-1 | フィリピン | 1997年07月14日 | 1990年代 | ゴンザレス上院議員,与党ラカスに入党。 |
DIA-205-1997-07-18-1 | フィリピン | 1997年07月18日 | 1990年代 | IMF,対比4億ドルの追加融資発表。既存融資の延長と合わせ総額約11億ドルに。 |
DIA-205-1997-07-18-2 | フィリピン | 1997年07月18日 | 1990年代 | 政府,MILFと一般停戦合意。 |
DIA-205-1997-07-20-1 | フィリピン | 1997年07月20日 | 1990年代 | デヴイーリヤ国防長官,98年の大統領選挙に出馬を表明。 |
DIA-205-1997-07-23-1 | フィリピン | 1997年07月23日 | 1990年代 | 政府,外貨準備回復のためIMFより7.12億ドルの融資引出し。 |
DIA-205-1997-07-29-1 | フィリピン | 1997年07月29日 | 1990年代 | 銀行協会,外国銀行6行に対し直物ドル取引の一時停止を申し入れ(8月11日取引き再開)。 |
DIA-205-1997-07-30-1 | フィリピン | 1997年07月30日 | 1990年代 | 政府,MILFと交渉開始。MILF側,占拠地区の政府軍が撤退しなければ交渉を再開しないと宣言(~8月2日)。 |
DIA-205-1997-07-31-1 | フィリピン | 1997年07月31日 | 1990年代 | 政府,オランダでNDFと和平交渉開始。 |
DIA-205-1997-07-31-2 | フィリピン | 1997年07月31日 | 1990年代 | 比海軍,南沙諸島海域で中国人漁民23人を領海侵犯と違法操業で拘束。 |
DIA-205-1997-08-01-1 | フィリピン | 1997年08月01日 | 1990年代 | 石油製品,平均0.47ペソ値上げ。 |
DIA-205-1997-08-01-2 | フィリピン | 1997年08月01日 | 1990年代 | 政府,NDFと包括的和平合意の前提となる人権に関する文書に合意したと発表。 |
DIA-205-1997-08-15-1 | フィリピン | 1997年08月15日 | 1990年代 | ラモス大統領,6日に辞表を提出したデヴィーリヤ国防長官の後任にアバット元少将を指名。 |
DIA-205-1997-08-19-1 | フィリピン | 1997年08月19日 | 1990年代 | メトロマニラの一部,大雨による洪水で官庁や学校,銀行など一日休み。 |
DIA-205-1997-08-20-1 | フィリピン | 1997年08月20日 | 1990年代 | 下院議運委員会,憲法制定議会招集を提案した下院決議第40号の議場審議を決定。 |
DIA-205-1997-08-20-2 | フィリピン | 1997年08月20日 | 1990年代 | 初の通信衛星「アギラ(鷲)II」打上げ。 |
DIA-205-1997-08-20-3 | フィリピン | 1997年08月20日 | 1990年代 | 中央銀行,翌日物貸出しの一時停止発表(10月8日再開)。 |
DIA-205-1997-08-28-1 | フィリピン | 1997年08月28日 | 1990年代 | Phisix史上最大の大幅下落。前日より212.06ポイント,9.28%下落し2071.97に。 |
DIA-205-1997-09-01-1 | フィリピン | 1997年09月01日 | 1990年代 | 91日物財務省証券利回り高騰,前週の14.188%から19.326%に。 |
DIA-205-1997-09-03-1 | フィリピン | 1997年09月03日 | 1990年代 | マニラ首都圏で爆弾テロ。6人死亡,約55人負傷。 |
DIA-205-1997-09-08-1 | フィリピン | 1997年09月08日 | 1990年代 | ハシナ・バングラデシュ首相,来訪(~10日)。 |
DIA-205-1997-09-11-1 | フィリピン | 1997年09月11日 | 1990年代 | ラモス大統領,ロシア,クエート,チェコ,オーストリア訪問へ出発(~20日)。 |
DIA-205-1997-09-12-1 | フィリピン | 1997年09月12日 | 1990年代 | 政府,MILFと停戦ガイドラインに合意。 |
DIA-205-1997-09-16-1 | フィリピン | 1997年09月16日 | 1990年代 | EYCOグループ,約20億ペソの債務支払い一時停止を証券取引委員会(SEC)に要請。 |
DIA-205-1997-09-20-1 | フィリピン | 1997年09月20日 | 1990年代 | ラモス大統領,ジェネラルサントス市で98年選挙は予定どおり実施,自分は出馬しない,選挙前に改憲をしないと表明。 |
DIA-205-1997-09-21-1 | フィリピン | 1997年09月21日 | 1990年代 | 憲法改正反対集会開催。リサール公園に約60万人が参加。 |
DIA-205-1997-09-23-1 | フィリピン | 1997年09月23日 | 1990年代 | 最高裁,PIRMAが7月の選挙委員会判決を不服として審理請求していた件で,否定判決。 |
DIA-205-1997-09-23-2 | フィリピン | 1997年09月23日 | 1990年代 | 大手石油2社,石油製品3種について平均0.51ペソの値上げ実施。 |
DIA-205-1997-09-30-1 | フィリピン | 1997年09月30日 | 1990年代 | ラモス大統領,反レイプ法(共和国法第8353号)に署名。 |
DIA-205-1997-10-01-1 | フィリピン | 1997年10月01日 | 1990年代 | ペソ対ドル相場,大幅下落で一時初の35ペソ台に。 |
DIA-205-1997-10-06-1 | フィリピン | 1997年10月06日 | 1990年代 | MILF,南ラナオ州で2人の死刑囚を公開処刑。 |
DIA-205-1997-10-07-1 | フィリピン | 1997年10月07日 | 1990年代 | ジプニー運転手,石油値上げ反対の全国スト実施。 |
DIA-205-1997-10-07-2 | フィリピン | 1997年10月07日 | 1990年代 | 銀行協会,対ペソ・ドル相場の変動幅を対前日平均上下4%に拡大改訂。 |
DIA-205-1997-10-12-1 | フィリピン | 1997年10月12日 | 1990年代 | 政府,97年のGNP成長率予測を7~8%から5.5~6%に下方修正。 |
DIA-205-1997-10-13-1 | フィリピン | 1997年10月13日 | 1990年代 | ラモス大統領,香港,ミャンマー,ラオス訪問へ出発(~18日)。 |
DIA-205-1997-10-14-1 | フィリピン | 1997年10月14日 | 1990年代 | 最高裁,8日提出のPIRMAの再審請求を却下。 |
DIA-205-1997-10-14-2 | フィリピン | 1997年10月14日 | 1990年代 | 外国人テロリスト2人,マギンダナオ州の政府軍基地襲撃,兵士3人とともに死亡。 |
DIA-205-1997-10-21-1 | フィリピン | 1997年10月21日 | 1990年代 | ラモス大統領,投資会社法(共和国法第8366号,73年法の改訂)に署名。 |
DIA-205-1997-10-21-2 | フィリピン | 1997年10月21日 | 1990年代 | イタリア・プロディ首相,来訪(~22日)。 |
DIA-205-1997-10-27-1 | フィリピン | 1997年10月27日 | 1990年代 | マグサイサイ上院議員,リベラル党(LP)を離党し,与党ラカスに入党。 |
DIA-205-1997-10-28-1 | フィリピン | 1997年10月28日 | 1990年代 | Phisix,4年ぶりの安値更新,1740.18に。1700台は今年初めて。 |
DIA-205-1997-10-30-1 | フィリピン | 1997年10月30日 | 1990年代 | NPA,リサール州の派出所を襲撃,警官2人死亡。警官,軍兵士各1人を誘拐。 |
DIA-205-1997-11-05-1 | フィリピン | 1997年11月05日 | 1990年代 | 最高裁,石油産業規制廃止法に対して違憲の判決。 |
DIA-205-1997-11-09-1 | フィリピン | 1997年11月09日 | 1990年代 | ラカス党,正副大統領候補選出のため党集会を開催。 |
DIA-205-1997-11-12-1 | フィリピン | 1997年11月12日 | 1990年代 | 政府,MILFと交渉開始。13日に停戦違反行為を明確にした一般停戦のための基本原則に合意。 |
DIA-205-1997-11-16-1 | フィリピン | 1997年11月16日 | 1990年代 | ラカス党,9日に続き2回目の党集会を開催。ラモス大統領に次期大統領選候補者指名を一任することに決定。 |
DIA-205-1997-11-16-2 | フィリピン | 1997年11月16日 | 1990年代 | ラモス大統領,日本,米国,カナダ訪問へ出発(~12月2日)。バンクーバーで開催のAPEC会議に出席。 |
DIA-205-1997-11-16-3 | フィリピン | 1997年11月16日 | 1990年代 | 14カ国蔵相・中央銀行総裁代理会合をマニラで開催(~19日)。 |
DIA-205-1997-11-24-1 | フィリピン | 1997年11月24日 | 1990年代 | ラモス大統領,拡大信用供与(EFF)終了後も特別監理(予防協定)下に入ることを示唆。 |
DIA-205-1997-11-26-1 | フィリピン | 1997年11月26日 | 1990年代 | 大統領府,メトロマニラとブラカン州を水不足による被災地域に指定。 |
DIA-205-1997-12-02-1 | フィリピン | 1997年12月02日 | 1990年代 | メトロマニラの一部地域で給水制限開始。 |
DIA-205-1997-12-02-2 | フィリピン | 1997年12月02日 | 1990年代 | 華人実業家ジョン・ゴコンウェイの娘婿,誘拐され警察の救出戦に巻き込まれ死亡。 |
DIA-205-1997-12-03-1 | フィリピン | 1997年12月03日 | 1990年代 | 最高裁,11月18日に政府が請願した石油産業規制廃止法の再審議請求に対し再度違憲判決。 |
DIA-205-1997-12-05-1 | フィリピン | 1997年12月05日 | 1990年代 | NPA,10月末に誘拐した警官と軍兵士を釈放。 |
DIA-205-1997-12-05-2 | フィリピン | 1997年12月05日 | 1990年代 | ラモス大統領,サルミエント国家警察長官の辞表受理(16日付け)。一連の誘拐事件未解決に対する責任を取ったもの。 |
DIA-205-1997-12-06-1 | フィリピン | 1997年12月06日 | 1990年代 | コスタリカ大統領,来訪(~7日)。 |
DIA-205-1997-12-08-1 | フィリピン | 1997年12月08日 | 1990年代 | ラモス大統領,次期大統領候補にデヴェネシア下院議長を指名。 |
DIA-205-1997-12-11-1 | フィリピン | 1997年12月11日 | 1990年代 | ラモス大統領,包括税制改革法(共和国法第8424号)の最終部分と社会改革法(共和国法第8425号)に署名。 |
DIA-205-1997-12-14-1 | フィリピン | 1997年12月14日 | 1990年代 | NDF,クリスマス停戦を宣言(22日~1月7日まで)。 |
DIA-205-1997-12-14-2 | フィリピン | 1997年12月14日 | 1990年代 | ラモス大統領,ASEAN首脳非公式会議出席のためマレーシアに出発。 |
DIA-205-1997-12-15-1 | フィリピン | 1997年12月15日 | 1990年代 | デヴィリア前国防長官,ラカス党を離党し,現与野党に対抗する「第3勢力」の結成を発表。 |
DIA-205-1997-12-16-1 | フィリピン | 1997年12月16日 | 1990年代 | ペソの対ドルレート,初の40ペソ台に下落。1ドル=40.21ペソで取引き終了。 |
DIA-205-1997-12-17-1 | フィリピン | 1997年12月17日 | 1990年代 | 対比援助国会議,パリで開催(~18日)。総額24億ドルの新規援助を表明。 |
DIA-205-1997-12-17-2 | フィリピン | 1997年12月17日 | 1990年代 | カムタイ・ラオス首相,来訪(~19日)。 |
DIA-205-1997-12-20-1 | フィリピン | 1997年12月20日 | 1990年代 | リム・マニラ市長,98年大統領選に出馬表明。 |
DIA-205-1997-12-22-1 | フィリピン | 1997年12月22日 | 1990年代 | エストラーダ副大統領とアンガラ上院議員,統一野党LAMMPからそれぞれ正・副大統領候補として出馬すると表明。 |
DIA-205-1997-12-22-2 | フィリピン | 1997年12月22日 | 1990年代 | ラモス大統領,選挙自動集計システム法等7法案に署名。 |
DIA-205-1997-12-29-1 | フィリピン | 1997年12月29日 | 1990年代 | ペソ対ドル相場,平均40.116ペソに。 |
DIA-205-1998-01-01-1 | フィリピン | 1998年01月01日 | 1990年代 | フィデル・ラモス大統領,原油と石油製品の関税率を同一の3%とする行政命令(EO461)に署名。 |
DIA-205-1998-01-11-1 | フィリピン | 1998年01月11日 | 1990年代 | ミンダナオ島に新たにコンポステラ・バレー州を創設。 |
DIA-205-1998-01-11-2 | フィリピン | 1998年01月11日 | 1990年代 | フィリピン政府と民族民主戦線(NDF),人権問題に関して合意。 |
DIA-205-1998-01-12-1 | フィリピン | 1998年01月12日 | 1990年代 | ルーベン・トーレス,官房長官を辞任。野党LAMMP上院議員候補となる。 |
DIA-205-1998-01-14-1 | フィリピン | 1998年01月14日 | 1990年代 | アルトゥーロ・エンリレ運輸通信長官が急死。 |
DIA-205-1998-01-16-1 | フィリピン | 1998年01月16日 | 1990年代 | エネルギー規制委員会,石油製品を1リットル当り平均0.53ペソ値上げ。 |
DIA-205-1998-01-22-1 | フィリピン | 1998年01月22日 | 1990年代 | 政府,98年のGDP成長率見通しを4~5%から2.4~3.5%へ下方修正。 |
DIA-205-1998-01-29-1 | フィリピン | 1998年01月29日 | 1990年代 | 高架鉄道建設に絡む背任容疑で,イメルダ・マルコス,最高裁にて有罪判決を受ける。 |
DIA-205-1998-02-04-1 | フィリピン | 1998年02月04日 | 1990年代 | フィリピン銀行協会(BAP),会員行のプライムレートを91日物財務省証券利回りプラス3~8%以内とする設定基準を申し合わせ。 |
DIA-205-1998-02-06-1 | フィリピン | 1998年02月06日 | 1990年代 | メトロ・マニラ賃金委員会,最低賃金を185ペソから198ペソへ引き上げ。 |
DIA-205-1998-02-06-2 | フィリピン | 1998年02月06日 | 1990年代 | マハティール・マレーシア首相,来訪(~7日)。 |
DIA-205-1998-02-07-1 | フィリピン | 1998年02月07日 | 1990年代 | ゲンツ・ハンガリー大統領,来訪(~9日)。 |
DIA-205-1998-02-10-1 | フィリピン | 1998年02月10日 | 1990年代 | フィリピン政府,アメリカ政府と地位協定(VFA)に調印。 |
DIA-205-1998-02-10-2 | フィリピン | 1998年02月10日 | 1990年代 | ラモス大統領,川下石油産業規制廃止法(RA8479)に署名。 |
DIA-205-1998-02-14-1 | フィリピン | 1998年02月14日 | 1990年代 | ラモス大統領,一般歳出法(RA8522)に署名。歳出総額は約5653億ペソ。 |
DIA-205-1998-02-14-2 | フィリピン | 1998年02月14日 | 1990年代 | オリエント商業銀行,営業停止に。 |
DIA-205-1998-02-17-1 | フィリピン | 1998年02月17日 | 1990年代 | タンシュエ・ミャンマー議長,来訪。 |
DIA-205-1998-02-26-1 | フィリピン | 1998年02月26日 | 1990年代 | ラモス大統領,新ODA法(RA8555),新金融会社法(同8556)など6法案に署名。 |
DIA-205-1998-02-27-1 | フィリピン | 1998年02月27日 | 1990年代 | フィリピン航空(PAL),労働雇用省に人員削減プログラムの実施を通知。 |
DIA-205-1998-03-06-1 | フィリピン | 1998年03月06日 | 1990年代 | エネルギー規制委員会,石油製品を1リットル当り平均0.57ペソ値下げ。 |
DIA-205-1998-03-07-1 | フィリピン | 1998年03月07日 | 1990年代 | コルディレラ自治区設立に関する住民投票が実施される。承認されず。 |
DIA-205-1998-03-12-1 | フィリピン | 1998年03月12日 | 1990年代 | 中央銀行,預金準備率の変更,分類債権別の貸倒引当率,最低自己資本額の増額計画などを発表。 |
DIA-205-1998-03-14-1 | フィリピン | 1998年03月14日 | 1990年代 | ラモス大統領,LPG,灯油,ガソリン以外の石油製品の規制撤廃に関する行政命令(EO471)に署名。 |
DIA-205-1998-03-18-1 | フィリピン | 1998年03月18日 | 1990年代 | フィリピン政府と民族民主戦線(NDF),3月31日から7月30日までの停戦合意。 |
DIA-205-1998-03-23-1 | フィリピン | 1998年03月23日 | 1990年代 | 公有財産公団のアマリ社への土地売却に関して,ラモス大統領の不正介入疑惑が起こる。 |
DIA-205-1998-03-24-1 | フィリピン | 1998年03月24日 | 1990年代 | BAP,会員行にプライムレート設定基準の変更を申し合わせ。91日物財務省証券利回りへの上乗せ幅を2~7%以内に。 |
DIA-205-1998-03-25-1 | フィリピン | 1998年03月25日 | 1990年代 | 中央銀行,マレーシアとASEAN為替スキームを採用すると発表。 |
DIA-205-1998-03-28-1 | フィリピン | 1998年03月28日 | 1990年代 | 中央銀行,外貨準備高増額のため第2四半期に外国銀行から合計2億ドルほどを借り入れると発表。 |
DIA-205-1998-03-31-1 | フィリピン | 1998年03月31日 | 1990年代 | IMFの拡大信用供与(EFF)が終了。向こう2年間の約13億7000万ドルのスタンド・バイ・クレジットが新たに設定される。 |
DIA-205-1998-04-02-1 | フィリピン | 1998年04月02日 | 1990年代 | 政府,5億ドルの10年物グローバル債を発行。利回りは指標金利となる米財務省債券に3.375%上乗せ。 |
DIA-205-1998-04-06-1 | フィリピン | 1998年04月06日 | 1990年代 | ラモス大統領,98年投資優遇政策(IPP)に署名。 |
DIA-205-1998-04-06-2 | フィリピン | 1998年04月06日 | 1990年代 | ラモス大統領訪米(~11日)。 |
DIA-205-1998-04-07-1 | フィリピン | 1998年04月07日 | 1990年代 | エネルギー規制委員会,石油製品3種(LPG,灯油,ガソリン)の卸売り価格を1リットル当り平均0.40ペソ値下げ。 |
DIA-205-1998-04-20-1 | フィリピン | 1998年04月20日 | 1990年代 | BAP,会員行にプライムレートの設定基準の変更を申し合わせ。91日物財務省証券利回りへの上乗せ幅を1.5~6%以内に。 |
DIA-205-1998-04-21-1 | フィリピン | 1998年04月21日 | 1990年代 | サンミゲル社(SMC),株主総会で役員15人のうち3人をエドワルド・コファンコ陣営から選出。 |
DIA-205-1998-04-23-1 | フィリピン | 1998年04月23日 | 1990年代 | 中央銀行,95年以来据え置かれた再割引信用枠を45億ペソから57億ペソへ拡大。以後9月までに150億ペソへ順次拡大。 |
DIA-205-1998-05-11-1 | フィリピン | 1998年05月11日 | 1990年代 | 総選挙実施。 |
DIA-205-1998-05-18-1 | フィリピン | 1998年05月18日 | 1990年代 | エネルギー規制委員会,石油製品3種の卸売り価格を1リットル当り平均0.10ペソ値上げ。 |
DIA-205-1998-05-20-1 | フィリピン | 1998年05月20日 | 1990年代 | IMF,マクロ経済の第1次レビューを開始(~27日)。 |
DIA-205-1998-05-26-1 | フィリピン | 1998年05月26日 | 1990年代 | 政府,ほぼ半年ぶりに10年物国債を発行。 |
DIA-205-1998-05-29-1 | フィリピン | 1998年05月29日 | 1990年代 | ジョセフ・エストラーダの大統領当選,議会により公式に確定される。 |
DIA-205-1998-05-29-2 | フィリピン | 1998年05月29日 | 1990年代 | 中央銀行,法定準備率を2%引き下げ。商業銀行の預金準備率は17%から15%へ。 |
DIA-205-1998-06-03-1 | フィリピン | 1998年06月03日 | 1990年代 | ロメオ・デ・ラ・クルス検事総長,イメルダ・マルコスの無罪を主張し,最高裁に判決見直しを申請。5日に解任される。 |
DIA-205-1998-06-03-2 | フィリピン | 1998年06月03日 | 1990年代 | 航空パイロット協会(ALPAP),ストライキに突入(~22日まで)。 |
DIA-205-1998-06-12-1 | フィリピン | 1998年06月12日 | 1990年代 | スペインより独立100周年。 |
DIA-205-1998-06-15-1 | フィリピン | 1998年06月15日 | 1990年代 | PAL,経費削減のため従業員5000人を解雇。 |
DIA-205-1998-06-19-1 | フィリピン | 1998年06月19日 | 1990年代 | フェルディナンド・マルコス元大統領の遺体を英雄墓地に埋葬する計画に反対するデモが行われる。24日,遺族が埋葬を断念。 |
DIA-205-1998-06-19-2 | フィリピン | 1998年06月19日 | 1990年代 | PAL,経営再建のため証券取引委員会(SEC)に管財下に入ることを申請。22日,SECはPALの再建策を作成するため暫定委員会を設置。 |
DIA-205-1998-06-25-1 | フィリピン | 1998年06月25日 | 1990年代 | LAMMPが再編されエストラーダ次期大統領の政党LAMPが結成される。 |
DIA-205-1998-06-26-1 | フィリピン | 1998年06月26日 | 1990年代 | ホセリン・ナザレノ,ロバート・ラスティモソがそれぞれ国軍参謀総長と国家警察長官に任命される。 |
DIA-205-1998-06-28-1 | フィリピン | 1998年06月28日 | 1990年代 | ラカスからLAMPに54名の下院議員が移籍。 |
DIA-205-1998-06-30-1 | フィリピン | 1998年06月30日 | 1990年代 | エストラーダがフィリピン共和国大統領に就任。閣僚の任命が行われる。 |
DIA-205-1998-06-30-2 | フィリピン | 1998年06月30日 | 1990年代 | エストラーダ大統領,スービック湾都市圏公団総裁リチャード・ゴードンを解任し,フェリシト・パユモ元下院議員を総裁に任命。 |
DIA-205-1998-07-03-1 | フィリピン | 1998年07月03日 | 1990年代 | SMCのアンドレス・ソリアノ会長兼最高経営責任者,辞任。7日,特別取締役会はエドワルド・コファンコを後任に選出。 |
DIA-205-1998-07-13-1 | フィリピン | 1998年07月13日 | 1990年代 | LPG,灯油,ガソリンの規制が撤廃される。 |
DIA-205-1998-07-22-1 | フィリピン | 1998年07月22日 | 1990年代 | 大統領組織犯罪取締委員会およびタスク・フォース設立。パンフィロ・ラクソン警視がタスク・フォース指揮官に就任。 |
DIA-205-1998-07-22-2 | フィリピン | 1998年07月22日 | 1990年代 | ペルフェクト・ヤサイ証券取引委員会委員長,停職処分。10月23日に停職延長。 |
DIA-205-1998-07-22-3 | フィリピン | 1998年07月22日 | 1990年代 | PAL従業員協会(PALEA),解雇された職員をめぐってストライキに突入(~27日)。 |
DIA-205-1998-07-22-4 | フィリピン | 1998年07月22日 | 1990年代 | PALのガルシア社長,31日付で辞任することを表明。 |
DIA-205-1998-07-24-1 | フィリピン | 1998年07月24日 | 1990年代 | 第31回ASEAN閣僚会議,マニラにて開催。 |
DIA-205-1998-07-26-1 | フィリピン | 1998年07月26日 | 1990年代 | スービック湾都市圏公団の総裁任命をめぐってゴードン排除のため警官隊が導入され,ゴードン支持者と衝突。負傷者が出る。 |
DIA-205-1998-07-27-1 | フィリピン | 1998年07月27日 | 1990年代 | マルセロ・フェルナンが上院議長,マヌエル・ビリヤールが下院議長に選出される。 |
DIA-205-1998-07-27-2 | フィリピン | 1998年07月27日 | 1990年代 | エストラーダ大統領,議会にて施政方針演説。GDP成長率見込みを1.5~2.5%に下方修正。 |
DIA-205-1998-07-27-3 | フィリピン | 1998年07月27日 | 1990年代 | エストラーダ大統領,マドレーン・オルブライト米国務長官と会談。 |
DIA-205-1998-07-31-1 | フィリピン | 1998年07月31日 | 1990年代 | 最高裁,マルコスの不正資産疑惑で86年に政府が接収したプライム・ホールディング社保有のフィリピン通信投資会社(PTIC)株の接収を解除。 |
DIA-205-1998-08-03-1 | フィリピン | 1998年08月03日 | 1990年代 | マカティ・ビジネス・クラブやフィリピン商工会議所などの経済団体,大統領に経済改革7項目を提案。 |
DIA-205-1998-08-05-1 | フィリピン | 1998年08月05日 | 1990年代 | 比米合同軍事演習,スプラトリー諸島近くで行われる。 |
DIA-205-1998-08-11-1 | フィリピン | 1998年08月11日 | 1990年代 | エストラーダ大統領,NDFとの人権に関する合意書承認。 |
DIA-205-1998-08-12-1 | フィリピン | 1998年08月12日 | 1990年代 | フェルナンド・バリカンが大統領スポークスマンに任命される。 |
DIA-205-1998-08-25-1 | フィリピン | 1998年08月25日 | 1990年代 | 軍人恩給基金の運営をめぐりオルランド・メルカド国防長官と国軍幹部の対立が表面化。 |
DIA-205-1998-08-26-1 | フィリピン | 1998年08月26日 | 1990年代 | ブラカン州とリサール州の農地転用問題をめぐって,ホラシオ・モラレス農地改革長官,ウィリアム・ダール農業長官とロナルド・サモラ官房長官の見解の相違表面化。 |
DIA-205-1998-08-26-2 | フィリピン | 1998年08月26日 | 1990年代 | IMF,マクロ経済の第2次レビューを開始(~9月9日)。 |
DIA-205-1998-08-28-1 | フィリピン | 1998年08月28日 | 1990年代 | エストラーダ大統領,PALの経営難を解決するためタスク・フォースを結成。 |
DIA-205-1998-08-31-1 | フィリピン | 1998年08月31日 | 1990年代 | ブルネイ・ボルキア国王,来訪(~9月2日)。 |
DIA-205-1998-09-01-1 | フィリピン | 1998年09月01日 | 1990年代 | 最高裁,スービック湾都市圏公団の総裁問題でゴードンの解任を支持する判決。ゴードン,8日に公団建物から退去。 |
DIA-205-1998-09-03-1 | フィリピン | 1998年09月03日 | 1990年代 | フェリペ・エステレリャ保健長官辞任。同月11日にアルベルト・ロムアルデスが保健長官に任命される。 |
DIA-205-1998-09-04-1 | フィリピン | 1998年09月04日 | 1990年代 | 政府,IMFと98年GDP成長率見通しを1%に下方修正。 |
DIA-205-1998-09-13-1 | フィリピン | 1998年09月13日 | 1990年代 | ホセ・マリア・シソンの共産党主流派から,中部ルソンを中心としたウィルマ・ティアムソンらの武闘派が分裂。 |
DIA-205-1998-09-17-1 | フィリピン | 1998年09月17日 | 1990年代 | PAL取締役会,労使交渉決裂のため23日に営業停止にすることを決定。 |
DIA-205-1998-09-23-1 | フィリピン | 1998年09月23日 | 1990年代 | ダール農業長官,9月に襲った二つの台風による農産物被害は約6560万ペソと発表。 |
DIA-205-1998-09-24-1 | フィリピン | 1998年09月24日 | 1990年代 | エストラーダ大統領,2002年の万博開催を資金不足のため中止すると発表。 |
DIA-205-1998-09-30-1 | フィリピン | 1998年09月30日 | 1990年代 | 選挙管理委員会委員長ベルナルド・パルド,最高裁判事に任命。 |
DIA-205-1998-10-01-1 | フィリピン | 1998年10月01日 | 1990年代 | エストラーダ大統領,マレーシアのアンワール副首相逮捕に遺憾表明。 |
DIA-205-1998-10-02-1 | フィリピン | 1998年10月02日 | 1990年代 | エドアルド・コファンコ,ネグロスの農園の一部を包括的農地改革プログラム下に置くことに同意。 |
DIA-205-1998-10-02-2 | フィリピン | 1998年10月02日 | 1990年代 | 中央銀行,預金準備率を2%引き上げ。商業銀行は15%から17%へ。 |
DIA-205-1998-10-05-1 | フィリピン | 1998年10月05日 | 1990年代 | 中央銀行,12月より上場銀行の情報開示基準を強化することを発表。 |
DIA-205-1998-10-06-1 | フィリピン | 1998年10月06日 | 1990年代 | 最高裁,イメルダ・マルコスの背任に関して無罪判決。 |
DIA-205-1998-10-07-1 | フィリピン | 1998年10月07日 | 1990年代 | PAL,国内運航を再開。 |
DIA-205-1998-10-09-1 | フィリピン | 1998年10月09日 | 1990年代 | フィリピン軍人の地位に関する地位協定,アメリカ政府との間で調印。 |
DIA-205-1998-10-11-1 | フィリピン | 1998年10月11日 | 1990年代 | エストラーダ大統領,シンガポール訪問(~14日)。東アジア経済サミットに参加。 |
DIA-205-1998-10-13-1 | フィリピン | 1998年10月13日 | 1990年代 | ハビビ・インドネシア大統領と会談し貿易決済に現地通貨を利用することで合意。 |
DIA-205-1998-10-14-1 | フィリピン | 1998年10月14日 | 1990年代 | 中央銀行,2月より営業停止していたオリエント商業銀行の閉鎖を決定。預金保険会社の管理下に。 |
DIA-205-1998-10-15-1 | フィリピン | 1998年10月15日 | 1990年代 | マレーシアのアンワール前副首相の娘,訪比。 |
DIA-205-1998-10-27-1 | フィリピン | 1998年10月27日 | 1990年代 | フェリックス・デ・グスマン,大統領行政規律委員会委員長を解任される。30日,マグダンガル・エルマ,大統領行政規律委員会委員長に任命される。 |
DIA-205-1998-10-28-1 | フィリピン | 1998年10月28日 | 1990年代 | 中央銀行,過小資本に陥った銀行の増資計画に関するガイドラインを設定。 |
DIA-205-1998-10-29-1 | フィリピン | 1998年10月29日 | 1990年代 | PAL,国際運航を再開。 |
DIA-205-1998-11-03-1 | フィリピン | 1998年11月03日 | 1990年代 | 主な経済団体と労働団体が向こう1年間多大なレイオフや労使紛争回避などに関する協定に調印。 |
DIA-205-1998-11-03-2 | フィリピン | 1998年11月03日 | 1990年代 | ダール農業長官,10月に襲った二つの台風による農産物被害は約25億ペソと発表。 |
DIA-205-1998-11-04-1 | フィリピン | 1998年11月04日 | 1990年代 | 政府,IMFのスタンドバイ・クレジットから2億8000万ドルを供与される。 |
DIA-205-1998-11-04-2 | フィリピン | 1998年11月04日 | 1990年代 | IMF,マクロ経済の第3次レビューを開始(~18日)。 |
DIA-205-1998-11-05-1 | フィリピン | 1998年11月05日 | 1990年代 | エストラーダ大統領,南シナ海にある中国の建造物の撤去を要求。 |
DIA-205-1998-11-12-1 | フィリピン | 1998年11月12日 | 1990年代 | オンブズマン,8月以来で七つめのマルコス・クローニー不正蓄財訴訟の取り下げ。リカルド・シルベリオらに関するもの。 |
DIA-205-1998-11-16-1 | フィリピン | 1998年11月16日 | 1990年代 | エストラーダ大統領,APEC首脳会議出席のためマレーシア訪問(~19日)。17日,江沢民中国国家主席と,18日,アンワール副首相の妻と会談。 |
DIA-205-1998-11-18-1 | フィリピン | 1998年11月18日 | 1990年代 | 中央銀行,銀行支店の開設基準,FCDUおよび信託ライセンスの取得条件を厳しく改定。 |
DIA-205-1998-11-21-1 | フィリピン | 1998年11月21日 | 1990年代 | ファビアン・ベール元参謀総長,バンコクにて死去。 |
DIA-205-1998-11-23-1 | フィリピン | 1998年11月23日 | 1990年代 | 政府,98年GDP成長率見込みを1%から0%へ下方修正。 |
DIA-205-1998-11-24-1 | フィリピン | 1998年11月24日 | 1990年代 | 香港のファースト・パシフィック社,フィリピン長距離電話会社(PLDT)株式の17.2%を取得したと発表。 |
DIA-205-1998-11-30-1 | フィリピン | 1998年11月30日 | 1990年代 | ヒラリオ・ダビデ,最高裁長官に任命される。 |
DIA-205-1998-11-30-2 | フィリピン | 1998年11月30日 | 1990年代 | フィリピン海軍,中国人漁民20人を領海侵犯容疑で勾留。 |
DIA-205-1998-12-01-1 | フィリピン | 1998年12月01日 | 1990年代 | 司法省,フォーチュン・タバコ社とその関連会社を約253億ペソの脱税容疑でマリキナ地方裁判所に起訴。 |
DIA-205-1998-12-02-1 | フィリピン | 1998年12月02日 | 1990年代 | 大統領行政規律委員会,オンブズマンのマルコス・クローニーに関する訴訟取り下げについて最高裁に不服申し立て。9日に最高裁は申し立てを却下。 |
DIA-205-1998-12-07-1 | フィリピン | 1998年12月07日 | 1990年代 | PAL,単独でSECに再建策を提出。 |
DIA-205-1998-12-11-1 | フィリピン | 1998年12月11日 | 1990年代 | 大統領行政規律委員会の委員2人解任。 |
DIA-205-1998-12-14-1 | フィリピン | 1998年12月14日 | 1990年代 | エストラーダ大統領,ASEAN首脳会議参加のためベトナム訪問(~18日)。 |
DIA-205-1998-12-15-1 | フィリピン | 1998年12月15日 | 1990年代 | 国家通信委員会(NTC)の副委員長1人が辞任,委員長と他の副委員長を大統領が更迭。 |
DIA-205-1998-12-18-1 | フィリピン | 1998年12月18日 | 1990年代 | イスラム反政府組織アブ・サヤフの指導者,アブドゥラジャク・アブバカル・ジャンジャラニ,バシラン島にて警官隊に射殺される。 |
DIA-205-1998-12-18-2 | フィリピン | 1998年12月18日 | 1990年代 | エストラーダ大統領,タイ公式訪問(~20日)。 |
DIA-205-1998-12-22-1 | フィリピン | 1998年12月22日 | 1990年代 | ペドロ・メンドーサ関税局長解任される。 |
DIA-205-1998-12-28-1 | フィリピン | 1998年12月28日 | 1990年代 | ALPAP,PAL再建策を受け入れないことを表明。 |
DIA-205-1998-12-30-1 | フィリピン | 1998年12月30日 | 1990年代 | エストラーダ大統領,99年一般歳出法(RA8745)に署名。総額約5795億ペソ。 |
DIA-205-1998-12-30-2 | フィリピン | 1998年12月30日 | 1990年代 | 中央銀行,商業銀行4行が指定の期日(12月24日)までに最低自己資本額20億ペソを達成しなかったことを公表。 |
DIA-205-1999-01-07-1 | フィリピン | 1999年01月07日 | 1990年代 | ハリエット・デメトリオ大統領首席法律顧問が選挙委員会委員長に任命される。マグダンガル・エルマ大統領行政規律委員会委員長が大統領首席法律顧問を兼任。 |
DIA-205-1999-01-07-2 | フィリピン | 1999年01月07日 | 1990年代 | 政府,10年物と20年物のグローバル債を5億ドルずつ発行。2月9日に再度20年物のグローバル債を2億ドル発行。 |
DIA-205-1999-01-13-1 | フィリピン | 1999年01月13日 | 1990年代 | 証券取引委員会(SEC)を財務省から大統領府に移管[行政命令(EO)第60号]。 |
DIA-205-1999-01-15-1 | フィリピン | 1999年01月15日 | 1990年代 | 政府,新宮沢構想の融資14億ドルについて日本政府と正式に合意。 |
DIA-205-1999-01-15-2 | フィリピン | 1999年01月15日 | 1990年代 | 大統領府,繊維関連など一部品目の関税の暫定的引上げを発表(EO第63号)。 |
DIA-205-1999-01-19-1 | フィリピン | 1999年01月19日 | 1990年代 | パンパンガ州知事マヌエル・ラピッド,6カ月の職務停止命令を受ける。11月23日に再び職務停止。 |
DIA-205-1999-01-20-1 | フィリピン | 1999年01月20日 | 1990年代 | SEC,フィリピン航空(PAL)の暫定再建管財人にキャセイ航空の元幹部3人を含む7人を指名。21日,PALのルシオ・タン会長がルイス・ビラタ社長に最高経営責任者(CEO)職を委譲。 |
DIA-205-1999-02-03-1 | フィリピン | 1999年02月03日 | 1990年代 | アンドレス・ナルバサ前最高裁長官,憲法改正準備委員会委員長に任命される。8月12日に最終的に委員会メンバーが確定。 |
DIA-205-1999-02-04-1 | フィリピン | 1999年02月04日 | 1990年代 | ロバート・アベンタハド大統領経済開発顧問とモロ・イスラム解放戦線(MILF)ハシム・サラマート議長がマギンダナオ州で会談。 |
DIA-205-1999-02-04-2 | フィリピン | 1999年02月04日 | 1990年代 | 1993年死刑復活以降初めての死刑執行。 |
DIA-205-1999-02-12-1 | フィリピン | 1999年02月12日 | 1990年代 | ベンジャミン・ジョクノ予算行政管理長官,ビセンテ・デ・ラ・セルナ官房次官,リカルド・フルゲンシア大統領顧問に対して教科書納入をめぐる汚職疑惑浮上。 |
DIA-205-1999-02-16-1 | フィリピン | 1999年02月16日 | 1990年代 | 政府,1999年のGNP成長率見込みを1.5~3.5%から3~3.7%へ,GDPを1~3%から2.5~3.2%へ上方修正すると発表。 |
DIA-205-1999-02-17-1 | フィリピン | 1999年02月17日 | 1990年代 | 新人民軍(NPA),ダバオ市郊外でフィリピン陸軍のビクター・オビリョ准将ら2人を捕らえる。21日にはソルソゴン州でロベルト・ベルナル国家警察警部が同様に捕らえられる。2月24日,ジョセフ・エストラーダ大統領は共産主義勢力との和平交渉停止を宣言。ベルナル警部は4月9日に,オビリョ准将ら2人は4月16日に解放される。 |
DIA-205-1999-02-26-1 | フィリピン | 1999年02月26日 | 1990年代 | MILF,フィリピン政府との和平交渉停止を宣言。 |
DIA-205-1999-03-04-1 | フィリピン | 1999年03月04日 | 1990年代 | 政府,5年半物のユーロ債を3億ドル発行。 |
DIA-205-1999-03-04-2 | フィリピン | 1999年03月04日 | 1990年代 | 大統領,石油化学とプラスチック製品の輸入管理を目的としたタスク・フォース結成を指示〔行政命令(AO)第58号〕。22日,管理機能を弱めたものに変更(AO第58-A号)。 |
DIA-205-1999-03-09-1 | フィリピン | 1999年03月09日 | 1990年代 | エストラーダ大統領,政府事業の入札に絡み特定外国企業に便宜を図ったとする報道に関して,日刊紙『マニラ・タイムス』を名誉毀損で訴える。4月9日に『マニラ・タイムス』,エストラーダ大統領に対して謝罪。エストラーダ大統領は訴訟を取り下げる。『マニラ・タイムス』の編集者6人の辞職が決定。 |
DIA-205-1999-03-22-1 | フィリピン | 1999年03月22日 | 1990年代 | 中国とのスプラトリー諸島領有権問題をめぐる会合,マニラで開催(~23日)。 |
DIA-205-1999-03-24-1 | フィリピン | 1999年03月24日 | 1990年代 | マリキナ地方裁判所,ルシオ・タンとその関連企業による253億ペソの脱税の疑いに関する司法省の提訴を証拠不十分で却下。 |
DIA-205-1999-03-25-1 | フィリピン | 1999年03月25日 | 1990年代 | 東京で開催された第22回フィリピン支援国会合で,約45億ドルの新規融資決定。 |
DIA-205-1999-04-13-1 | フィリピン | 1999年04月13日 | 1990年代 | ロナルド・プノが内務自治長官,ナルシソ・サンチャゴが内務自治次官に任命される。プノに関し5月に無線機器納入をめぐる汚職疑惑が浮上し,議会任命委員会からの任命承認は10月6日になる。 |
DIA-205-1999-04-13-2 | フィリピン | 1999年04月13日 | 1990年代 | 大統領,地域振興型を特色とする1999年度投資優先計画(IPP)に署名。 |
DIA-205-1999-04-16-1 | フィリピン | 1999年04月16日 | 1990年代 | 中央銀行,流動性準備率を1%引き下げ。1999年になってから3度目の引き下げで預金準備率は14%に。7月2日にさらに2%引き下げて12%に。 |
DIA-205-1999-04-19-1 | フィリピン | 1999年04月19日 | 1990年代 | ラテン・アメリカ担当大統領顧問マーク・ヒメネスに対するアメリカ政府からの刑事訴追問題浮上。6月17日にはアメリカ政府からフィリピン政府に対し,ヒメネスの身柄引き渡しの正式要請。7月29日,ヒメネス,大統領顧問を辞任。 |
DIA-205-1999-04-19-2 | フィリピン | 1999年04月19日 | 1990年代 | ルシオ・タン,PALの取締役会後に社長兼CEOへの復帰を表明。 |
DIA-205-1999-04-20-1 | フィリピン | 1999年04月20日 | 1990年代 | ビンゴ・ゲーム運営許可をエストラーダ大統領の友人ダンテ・タン氏経営の会社に独占的に与えたことに関し,合法であるとの大統領府声明。 |
DIA-205-1999-04-26-1 | フィリピン | 1999年04月26日 | 1990年代 | ロベルト・ラスティモーソ国家警察長官の麻薬取引グループとの関係が問題化。9月28日にはオンブズマンにより6ヵ月の職務停止処分を受け,最終的に辞任。エドモンド・ラロサ副長官が代行。 |
DIA-205-1999-04-29-1 | フィリピン | 1999年04月29日 | 1990年代 | アンワール前マレーシア副首相夫人アジザ,エストラーダ大統領を訪問。 |
DIA-205-1999-05-12-1 | フィリピン | 1999年05月12日 | 1990年代 | Equitable BankがPhilippine Commercial International Bank(PCI Bank)の株式約4割を買収。合併により総資産額2位の銀行が誕生。 |
DIA-205-1999-05-13-1 | フィリピン | 1999年05月13日 | 1990年代 | 政府,フィリピン銅精錬会社(PASAR)の持株38%を33億ペソで売却。 |
DIA-205-1999-05-18-1 | フィリピン | 1999年05月18日 | 1990年代 | SEC,PALの再建計画を2億ドルの新規資本注入を条件に承認。それに伴いルシオ・タンと香港系企業により2億ドルの資本注入達成。 |
DIA-205-1999-05-18-2 | フィリピン | 1999年05月18日 | 1990年代 | エドガルド・アンガラ・フィリピン国立銀行(PNB)会長が農業長官に就任。それにともなって,ナルバサ前最高裁長官がPNB会長,ウィリアム・ダール農業長官が食料問題担当大統領顧問に就任。 |
DIA-205-1999-05-23-1 | フィリピン | 1999年05月23日 | 1990年代 | フィリピン海軍,スプラトリー諸島近海で中国船籍の漁船を沈没させる。 |
DIA-205-1999-05-27-1 | フィリピン | 1999年05月27日 | 1990年代 | アメリカ軍をめぐる地位協定,上院にて批准される。 |
DIA-205-1999-05-28-1 | フィリピン | 1999年05月28日 | 1990年代 | 民族民主戦線,地位協定批准を理由として政府との和平交渉決裂を宣言。 |
DIA-205-1999-06-02-1 | フィリピン | 1999年06月02日 | 1990年代 | エストラーダ大統領,訪日(~6日)。続いて韓国訪問(~9日)。 |
DIA-205-1999-06-07-1 | フィリピン | 1999年06月07日 | 1990年代 | SEC,PALの暫定再建管財人を正式な管財委員会に指名。ところが8月13日,PALの管財委員会を7人から3人に変更。PAL関係者は含まず。 |
DIA-205-1999-06-23-1 | フィリピン | 1999年06月23日 | 1990年代 | エストラーダ大統領,大気清浄化法に署名。 |
DIA-205-1999-06-23-2 | フィリピン | 1999年06月23日 | 1990年代 | スプラトリー諸島におけるマレーシアの建造物設置に対してエストラーダ大統領,抗議を外務省に命令。8月21に正式に抗議。 |
DIA-205-1999-06-26-1 | フィリピン | 1999年06月26日 | 1990年代 | エストラーダ大統領,国政演説および予算書を議会に提出。 |
DIA-205-1999-06-28-1 | フィリピン | 1999年06月28日 | 1990年代 | マルセロ・フェルナン,健康問題で上院議長を辞任。ブラス・オプレ副議長が代行。オプレ,7月26日に正式に議長に就任。フェルナンは7月11日に死去。 |
DIA-205-1999-06-28-2 | フィリピン | 1999年06月28日 | 1990年代 | ロペス・グループのユーヘニオ・ロペスJr.死去。 |
DIA-205-1999-07-06-1 | フィリピン | 1999年07月06日 | 1990年代 | ガブリエル・シンソン中央銀行総裁の任期満了にともない,ラファエル・ブェナベントゥーラPCI Bank前頭取が新中央銀行総裁に就任。 |
DIA-205-1999-07-07-1 | フィリピン | 1999年07月07日 | 1990年代 | アンヘロ・レイエス,フィリピン国軍参謀総長に就任。 |
DIA-205-1999-07-12-1 | フィリピン | 1999年07月12日 | 1990年代 | 日刊紙フィリピン・デイリー・インクワイラーから映画関連の広告が撤収され,エストラーダ大統領からの圧力が報道される。 |
DIA-205-1999-07-12-2 | フィリピン | 1999年07月12日 | 1990年代 | 大統領府,1970年代に徴収され現在サン・ミゲル社の株式になっているココナツ賦課金で信託基金を設ける意向を表明。 |
DIA-205-1999-07-19-1 | フィリピン | 1999年07月19日 | 1990年代 | ジョン・ゴコンウエー,マニラ・タイムス社を売却。27日にゴコンウエー所有下での最終版を出し出版休止。土地開発業者レグヒス・ロメロⅡが株買収。10月25日から新体制で出版再開。 |
DIA-205-1999-07-21-1 | フィリピン | 1999年07月21日 | 1990年代 | 民間航空委員会(CAB),台湾の中華航空に1カ月の台湾・マニラ間の運航停止を申し入れる。8月1日には,1996年の航空協定違反を理由に,中華航空,長榮航空2社に対し10月1日からの運航停止を要求。この日からフィリピン航空は台北行きの便をすべてキャンセル。 |
DIA-205-1999-07-21-2 | フィリピン | 1999年07月21日 | 1990年代 | スプラトリー諸島近海で中国船籍の漁船とフィリピン海軍の警備艇衝突。漁船が沈没。 |
DIA-205-1999-08-03-1 | フィリピン | 1999年08月03日 | 1990年代 | アンティポロ市チェリーヒル住宅地の地滑りで58人死亡,170家屋崩壊。 |
DIA-205-1999-08-10-1 | フィリピン | 1999年08月10日 | 1990年代 | ニノイ・アキノ国際空港第2ターミナル使用開始。 |
DIA-205-1999-08-13-1 | フィリピン | 1999年08月13日 | 1990年代 | 中央銀行,銀行ライセンスの付与を当面中止すると発表。 |
DIA-205-1999-08-16-1 | フィリピン | 1999年08月16日 | 1990年代 | エストラーダ大統領,ブルネイ訪問(~18日)。 |
DIA-205-1999-08-17-1 | フィリピン | 1999年08月17日 | 1990年代 | 中央銀行,銀行の内部関係者への融資(DOSRI loan)の情報開示を2000年から義務づけ(中央銀行回状第208号)。 |
DIA-205-1999-08-20-1 | フィリピン | 1999年08月20日 | 1990年代 | コランソン・アキノ元大統領,ハイメ・シン枢機卿らによる憲法改正反対集会がマカティ市にて行われる。エストラーダ大統領側は宗教団体エル・シャダイのルネタ公園での集会で対抗。 |
DIA-205-1999-08-23-1 | フィリピン | 1999年08月23日 | 1990年代 | 大手石油精製3社,石油製品を1リットル当り平均0.35ペソ値上げ。さらに9月末に一部製品を平均0.36ペソ値上げ。 |
DIA-205-1999-08-29-1 | フィリピン | 1999年08月29日 | 1990年代 | エストラーダ大統領の新政党フィリピン大衆党(LAMP),結成される。 |
DIA-205-1999-09-06-1 | フィリピン | 1999年09月06日 | 1990年代 | PNB,93億ペソの新株引受権の受付開始(17日まで)。 |
DIA-205-1999-09-10-1 | フィリピン | 1999年09月10日 | 1990年代 | エストラーダ大統領,APEC首脳会議参加と関連して,ニュージーランド(~15日),チリ(15~18日),アルゼンチン(18~25日)を訪問。 |
DIA-205-1999-09-15-1 | フィリピン | 1999年09月15日 | 1990年代 | 歴史家レナト・コンスタンティーノ,死去。 |
DIA-205-1999-09-16-1 | フィリピン | 1999年09月16日 | 1990年代 | 政府,1999年のGDP成長率見込みを3~3.5%に上方修正。 |
DIA-205-1999-09-18-1 | フィリピン | 1999年09月18日 | 1990年代 | 東ティモール国連多国籍軍に参加するためフィリピン国軍部隊出発。 |
DIA-205-1999-09-20-1 | フィリピン | 1999年09月20日 | 1990年代 | 関税局に押収された車両の閣僚による不正使用,問題化。 |
DIA-205-1999-09-21-1 | フィリピン | 1999年09月21日 | 1990年代 | フェルディナンド・マルコス元大統領の戒厳令による犠牲者を追悼する記念集会,アキノ元大統領,シン枢機卿によってケソン市にて開催。クローニー復活に対する事実上の反対集会。 |
DIA-205-1999-09-24-1 | フィリピン | 1999年09月24日 | 1990年代 | エストラーダ大統領,公務員への特別給与の支給禁止を命令。 |
DIA-205-1999-09-30-1 | フィリピン | 1999年09月30日 | 1990年代 | 政府,1999年の中央政府財政赤字見込額を680億ペソから853億ペソに引き上げることでIMFと合意。 |
DIA-205-1999-10-03-1 | フィリピン | 1999年10月03日 | 1990年代 | 大統領府,国家食糧庁(NFA)に精米の小売価格1キロ当りペソ引き下げを指示。さらに13日には籾米買上価格の0.5ペソ引き上げ,17日には砂糖小売価格の3ペソ引き下げを指示。 |
DIA-205-1999-10-11-1 | フィリピン | 1999年10月11日 | 1990年代 | マカオの賭博場経営者スタンリー・ホー,ダンテ・タンの賭博事業へ投資するためマニラ訪問。 |
DIA-205-1999-10-12-1 | フィリピン | 1999年10月12日 | 1990年代 | エストラーダ大統領,大統領大衆住宅委員会を設置し,土地開発業者ホセ・ルイス・ユーロと自らを委員長に任命される。これを受けて14日に,カリーナ・ダビッドが住宅問題担当大統領顧問と住宅都市開発調整評議会議長を辞任。ユーロが代わりに任命されるが,刑事訴追を受けていることが発覚し11月8日に辞任。後任としてレオノール・バスケスーデ・ヘスス(大統領秘書室長)とウイルフレド・ヘルナンデス(住宅保険保証公社会長)が大統領大衆住宅委員会委員長に任命される。 |
DIA-205-1999-10-12-2 | フィリピン | 1999年10月12日 | 1990年代 | スプラトリー諸島に駐留のベトナム軍,フィリピン空軍機に対して発砲。 |
DIA-205-1999-10-20-1 | フィリピン | 1999年10月20日 | 1990年代 | Far East Bank and Trust Co.(FEBTC),アヤラ・グループのBank of the Philippine Islands(BPI)との合併を発表。総資産額は第1位に。 |
DIA-205-1999-10-28-1 | フィリピン | 1999年10月28日 | 1990年代 | スプラトリー諸島空域においてマレーシア空軍機,フィリピン空軍機に対し警告行動。 |
DIA-205-1999-10-29-1 | フィリピン | 1999年10月29日 | 1990年代 | 大統領,大手石油精製会社と会談し,石油価格の値上げ幅を少なくするよう要請。 |
DIA-205-1999-11-09-1 | フィリピン | 1999年11月09日 | 1990年代 | アブドゥルラフマン・ワヒド・インドネシア大統領,フィリピン訪問。 |
DIA-205-1999-11-15-1 | フィリピン | 1999年11月15日 | 1990年代 | 下院,予算案を可決。上院は12月13日に可決。両院協議会にかけられる。 |
DIA-205-1999-11-16-1 | フィリピン | 1999年11月16日 | 1990年代 | パンフィロ・ラクソン,国家警察長官に任命される。 |
DIA-205-1999-11-16-2 | フィリピン | 1999年11月16日 | 1990年代 | 大統領,PLDTとGlobe Telecomとの会談で両社の回線接続を改善するよう要請。 |
DIA-205-1999-11-16-3 | フィリピン | 1999年11月16日 | 1990年代 | 政府,1999年のGNP成長率見込みを3.5~4%へ上方修正,2000年は5.3~5.9%から4.5~5.5%へ下方修正。 |
DIA-205-1999-11-19-1 | フィリピン | 1999年11月19日 | 1990年代 | ヒメネス元大統領顧問の息子がマニラ・タイムス社を購入。アントニオ・ロセス会長が辞職。12月31日に発行人カトリーナ・レガルダ辞職。 |
DIA-205-1999-11-24-1 | フィリピン | 1999年11月24日 | 1990年代 | 一連のASEAN関連会議,マニラで開催(29日まで)。 |
DIA-205-1999-12-06-1 | フィリピン | 1999年12月06日 | 1990年代 | 米政府,フィリピンに対する一般特恵関税(GSP)を2001年まで延長。 |
DIA-205-1999-12-07-1 | フィリピン | 1999年12月07日 | 1990年代 | アジア・スピリット航空機,ヌエバ・ビスカヤ州で墜落事故。乗客17人死亡。 |
DIA-205-1999-12-07-2 | フィリピン | 1999年12月07日 | 1990年代 | 政府,中央政府財政赤字見込額を1010億ペソ(GNPの3%)まで増額することでIMFと合意したと発表。 |
DIA-205-1999-12-08-1 | フィリピン | 1999年12月08日 | 1990年代 | ルシオ・タン,PNB理事会メンバーに就任。 |
DIA-205-1999-12-14-1 | フィリピン | 1999年12月14日 | 1990年代 | 違法廃棄物の持ち込みに関して,フィリピン政府が日本政府に引き取りを要請。 |
DIA-205-1999-12-15-1 | フィリピン | 1999年12月15日 | 1990年代 | エドサ通りの高架鉄道MRT,開通。 |
DIA-205-1999-12-16-1 | フィリピン | 1999年12月16日 | 1990年代 | 政府,20年物のグローバル債4億ドルを発行。後日さらに6億ドルを発行。 |
DIA-205-1999-12-17-1 | フィリピン | 1999年12月17日 | 1990年代 | 予算策定過程で,地方政府への内国歳入割当が歳入規模によって支出が調整される項目に含まれ,地方政府首長たちが抗議声明。その後,通常の予算項目に戻される。 |
DIA-205-1999-12-20-1 | フィリピン | 1999年12月20日 | 1990年代 | 憲法改正準備委員会,憲法改正草案をエストラーダ大統領に提出。 |
DIA-205-1999-12-20-2 | フィリピン | 1999年12月20日 | 1990年代 | 中央銀行,旧中央銀行が1985年にBanco Pilipinoを閉鎖して以来係争が続いていた件で,同行に43億ペソを返却することで14年ぶりに和解。 |
DIA-205-1999-12-23-1 | フィリピン | 1999年12月23日 | 1990年代 | 旅客船,セブ沖で沈没事故。乗客30人死亡。 |
DIA-205-1999-12-23-2 | フィリピン | 1999年12月23日 | 1990年代 | 中央銀行,12月末の最低自己資本額達成期限を2000年1月末に1カ月延長。 |
DIA-205-1999-12-26-1 | フィリピン | 1999年12月26日 | 1990年代 | エストラーダ大統領,共産党分派で反シソン派であるフィリピン労働者革命党と和平交渉を行うと表明。 |
DIA-205-1999-12-29-1 | フィリピン | 1999年12月29日 | 1990年代 | 国連東ティモール暫定統治機構平和維持部隊司令官にフィリピン士官学校校長ハイメ・デ・ロス・サントス准将が選ばれる。 |
DIA-205-1999-12-31-1 | フィリピン | 1999年12月31日 | 1990年代 | コンラド・バルウェグ・コルディレラ人民解放軍(CPLA)司令官,アブラ州にてNPAにより射殺される。 |