ID 国名 日付 年代 内容
DIA-207-1990-01-01-1シンガポール1990年01月01日1990年代リー・クアンユー(Lee Kuan Yew)首相の新年メッセージ,「89年の実質経済成長率(GDPベース)は9.2%,80年代の平均成長率は7.1%,90年代の予想成長率は4~6%を見込む。今年中にゴー・チョクトン(Goh Chok Tong)と首相を交替する」。
DIA-207-1990-01-01-2シンガポール1990年01月01日1990年代ゴー第1副首相,独立記念塔(レザー光線,ホンリョン(HL)・グループの寄付)に点火。
DIA-207-1990-01-02-1シンガポール1990年01月02日1990年代MND Holdings,シンガポール開発銀行(DBS)株式の22.9%を取得。
DIA-207-1990-01-03-1シンガポール1990年01月03日1990年代国会の陸上交通政策特別委員会,車の所有制限を目的に,新車購入権利の競買制度導入を提唱。
DIA-207-1990-01-04-1シンガポール1990年01月04日1990年代リー首相,オン・テンチョン(Ong Teng Cheong)第2副首相等,台湾訪問に出発(5日間)。
DIA-207-1990-01-05-1シンガポール1990年01月05日1990年代政府,3番目の高等技術学校となるTemasek Politechnicの開校(93年予定)を承認。タンピニスに400万Sドルで建設し,経営学科とデザイン学科を持つ。
DIA-207-1990-01-05-2シンガポール1990年01月05日1990年代大日本印刷,地場最大の印刷会社Tien Wah社買収。
DIA-207-1990-01-05-3シンガポール1990年01月05日1990年代経済開発庁(EDB),昨年の投資総額は約19億5000万Sドルと発表(88年度は20億1000万Sドル)。
DIA-207-1990-01-06-1シンガポール1990年01月06日1990年代ゴー第1副首相,90年代の3大国家目標として,(1)国民に国家に対する深い親近感を持たせる,(2)国民参加による,より建設的な民主主義を目指す,(3)地域や世界からのさまざまな挑戦に対し,シンガポールのダイナミズムと戦闘的精神を保持する,の3点を挙げる。
DIA-207-1990-01-07-1シンガポール1990年01月07日1990年代シンガポール,日本,台湾,香港,韓国の学者40人が参加し,「東アジアと儒教」国際会議が開催される(11日まで)。
DIA-207-1990-01-08-1シンガポール1990年01月08日1990年代アメリカの化学会社デュポン社,4億Sドルを投資しサクラ島にアジピン酸生産工場を建設すると発表。
DIA-207-1990-01-08-2シンガポール1990年01月08日1990年代マー・ボータン(Mah Boh Tan)商工担当国務相,零細小売業者活性化を目的とする「中小小売企業振興計画」を検討中と述べる。
DIA-207-1990-01-08-3シンガポール1990年01月08日1990年代労働省は,シンガポールで働く外国人メイドは,89年4月の4万人から同年末に5万人に増えたと発表。
DIA-207-1990-01-09-1シンガポール1990年01月09日1990年代シンガポール空軍が,米国に発注していたF-16ファルコン戦闘機5機が,パヤレバ空軍基地に到着。東南アジアでは,タイ,インドネシアに次ぐ購入。
DIA-207-1990-01-10-1シンガポール1990年01月10日1990年代新たに18人が弁護士活動を認められ,このうち13人が香港人弁護士。
DIA-207-1990-01-11-1シンガポール1990年01月11日1990年代シンガポールとインドネシア,「バタム島共同工業開発プロジェクト」に調印。同プロジェクトは,政府系のSingapore Industrial Technology Corporationと,インドネシアのヘルイド・リンティス社が共同で,400万Sドルを投資し500haの工業団地を造成するもの。
DIA-207-1990-01-12-1シンガポール1990年01月12日1990年代Intraco社,ソ連と合弁で資本金100万Sドルの貿易会社,イントエロルグ社を設立。
DIA-207-1990-01-13-1シンガポール1990年01月13日1990年代ラジャラトナム(Rajaratnam)元外相は,最近のシンガポール・マレーシア関係に触れ,「政治指導者は『シンガポール叩き』に対し,黙認せずに毅然たる態度を採らなければならない」と発言。
DIA-207-1990-01-14-1シンガポール1990年01月14日1990年代野党のシンガポール・マレー人国民機構(PKMS)は,政府が検討している「宗教調和維持法案」に反対の立場を表明。宗教(イラスム教)と政治活動は分離不可能で,政治についての概念や定義が不明瞭な新法案は,政府に恣意的な解釈権を与え権力の乱用をもたらす,と指摘。
DIA-207-1990-01-15-1シンガポール1990年01月15日1990年代政府系学校に対する政府補助金削減を目的とする「学校運営委員会法案」が,国会を通過。これにより各学校は独自に,校長,教師,生徒の入・退学,授業料等,を決定する権限を与えられる。
DIA-207-1990-01-16-1シンガポール1990年01月16日1990年代地場の新証券会社,Kim Eng社の株式公募が,応募競争率新記録の783倍を記録(これまでは267倍)。
DIA-207-1990-01-17-1シンガポール1990年01月17日1990年代EDBは,昨年度7社が新たに地域経営本部(OHQ)ステータスを与えられ,86年の制度導入以来の合計は30社に達したと発表。
DIA-207-1990-01-18-1シンガポール1990年01月18日1990年代アメリカ国務省の統計によると,88年度末時点における,シンガポールの累積対米投資総額は4億7500万米ドルで,上位10カ国にランクされアジアでは日本,香港に次いで第3位。
DIA-207-1990-01-19-1シンガポール1990年01月19日1990年代マレーシアの国営石油会社ペトロナス社が,今年中にマレーシアとシンガポールを繋ぐガス・パイプ・ラインの建設を始めると発表。92年に使用開始予定。
DIA-207-1990-01-22-1シンガポール1990年01月22日1990年代民間調査会社のサーベイによると,シンガポールとマレーシア両国の証券取引所を合わせた89年度投資利益成長率は,世界ランクの第5位。
DIA-207-1990-01-23-1シンガポール1990年01月23日1990年代政府提案の「任命国会議員法案」を審議する特別委員会公聴会が開催される。
DIA-207-1990-01-24-1シンガポール1990年01月24日1990年代政府は初代ガーナ・ナイジェリア大使に,Export Credit Insurance Corporation社長のフー・コクスィー(Hu Kok Swee)を任命。
DIA-207-1990-01-25-1シンガポール1990年01月25日1990年代公益事業庁(PUB)は,2月1日より燃料費や経営コスト高騰を理由に,電気料金を5%引き上げると発表。前回の値上げは半年前(7%アップ)。
DIA-207-1990-01-25-2シンガポール1990年01月25日1990年代リー首相は,地域の軍事的安定のため,米軍のフィリピン撤退は,今後20年の間に段階的に行なわれるのが望ましいと発言。
DIA-207-1990-01-26-1シンガポール1990年01月26日1990年代イギリスの軍事専門誌」Jane Dedence Weeklyの編集者が来訪,1月13日付け同誌で「シンガポールがミサイル産業を計画中」と報道したのは,誤りであったと釈明。
DIA-207-1990-01-29-1シンガポール1990年01月29日1990年代政府,シンガポールに置かれる「太平洋経済協力会議」の初代事務局長に,シンガポール国立大学経済学部講師のハンク・リム(Hank Lim)を任命。
DIA-207-1990-01-30-1シンガポール1990年01月30日1990年代リー・シェンロン(Lee Hsien Loong)商工相,宗教団体がシンガポールの政治秩序を乱さないようにするため,宗教活動と政治活動の境界をはっきりさせた法律が必要と語る。
DIA-207-1990-01-31-1シンガポール1990年01月31日1990年代マレーシア政府は,シンガポールの二つの飛行訓練学校が,マレーシア領空を使用することを禁止(2月11日付けマレーシアBerita Minggu紙は,運輸省当局の談話として,訓練飛行がスパイ活動に利用されているため,と報道)。
DIA-207-1990-01-31-2シンガポール1990年01月31日1990年代マレーシア観光促進庁は,89年にマレーシアで一泊以上したシンガポール人は240万人で,6億3000万Sドルが使われた,と発表。
DIA-207-1990-02-01-1シンガポール1990年02月01日1990年代シンガポール通信庁(Telecom),ブルネイ・テレコムとの間で国際電話料金の「無決済協定」に調印。協定は1月1日に遡って発効。これにより両国は料金の相互均衡制度を廃止。
DIA-207-1990-02-01-2シンガポール1990年02月01日1990年代ゴー第1副首相の新筆頭個人秘書に,シンガポール放送協会(SBC)元局長,チアン・チーフー(Chiang Chie Foo)が任命さる。
DIA-207-1990-02-01-3シンガポール1990年02月01日1990年代独占ビール会社,Malayan Breweries社は社名をAsia Pacific Breweries社に変更すると発表(3月12日より正式に変更)。
DIA-207-1990-02-01-4シンガポール1990年02月01日1990年代最高裁の新判事に,前OCBC銀行会長のヨン・プンハウ(Yong Pung How)が任命さる。
DIA-207-1990-02-02-1シンガポール1990年02月02日1990年代リー首相はスイス人ジャーナリストとの会見で,スイスのトータル防衛体制と適切な経済政策選択の二つはシンガポールのよき手本,と語る。
DIA-207-1990-02-02-2シンガポール1990年02月02日1990年代シンガポール観光促進局(STPB),今年中に大阪事務局を開設する予定。89年にシンガポールを訪れた84万人の日本人のうち5万2000人が大阪居住者。
DIA-207-1990-02-02-3シンガポール1990年02月02日1990年代シンガポール通貨委員会(BCCS)委員4名全員が再任される。任期は3年で,OUB銀行会長リエン・インチョウ(Lien Ying Chow),ドレスナー銀行社長ハインツ・ユングヨハン,DBS銀行会長パトリック・ヨー(Yeo Patric),東京銀行シンガポール支店社長早川博之の4名。
DIA-207-1990-02-03-1シンガポール1990年02月03日1990年代日本エア・システムが,最初のシンガポール定期便の就航開始。シンガポール乗り入れ52番目の外国航空会社となる。
DIA-207-1990-02-04-1シンガポール1990年02月04日1990年代ゴー第1副首相は,「今年リー首相が退任する。88年総選挙後の懸案はほとんど解決されており,よいタイミングである,近隣諸国は高度成長を遂げるかもしれないが,シンガポールは土地と労働力の制約により高度成長はもはや難しく,今後10年は5~7%の成長となろう」と語る。
DIA-207-1990-02-05-1シンガポール1990年02月05日1990年代リー首相は「世界経済フォーラム」に出席中のスイスで,ベトナムのボーバン・キエット(Vo Van Kiet)第1副首相兼閣僚会議副議長と会見し,カンボジア問題解決まで政府高官レベルの接触は行なわないと強調。
DIA-207-1990-02-07-1シンガポール1990年02月07日1990年代マー商工担当国務相は,昨年度シンガポール港に出入りした船舶は,3万9000隻で(前年比8.3%増),4年連続世界一と発表。
DIA-207-1990-02-08-1シンガポール1990年02月08日1990年代OCBC銀行とDBS銀行は,プライム・レートをそれぞれ0.25%引き上げ,前者は6%,後者は5.75%に改定(翌日UOB銀行とOUB銀行も6%に引き上げ)。
DIA-207-1990-02-08-2シンガポール1990年02月08日1990年代リー首相,交通事情を緩和し,今より車両台数を30~40%増やすため,地下道路建設を考えていると述べる。
DIA-207-1990-02-09-1シンガポール1990年02月09日1990年代日本のサントリー社は,8億2500万Sドルでイギリス系の食品会社Cerebos Pacific社の株式70%を,親会社から取得。
DIA-207-1990-02-10-1シンガポール1990年02月10日1990年代文部省は,来年南洋理工大学(Nanyang Technological University)を開校し,教育学院と物理教育学院を併合する,と発表。
DIA-207-1990-02-12-1シンガポール1990年02月12日1990年代ブルネイのボルキア国王が独立以来初めて公式訪問(3日間),勲章を授与される。滞在中に空軍と海軍を視察。
DIA-207-1990-02-13-1シンガポール1990年02月13日1990年代昨年度,労働組合ストライキはゼロ件で,86年から3年連続ゼロを記録。労働争議件数も88年の366件から353件に減少。
DIA-207-1990-02-14-1シンガポール1990年02月14日1990年代DBS銀行は,Tat Lee銀行の所有株式を12.7%に増やす。両行の協力関係強化が目的で買収する意図はないと述べる。
DIA-207-1990-02-15-1シンガポール1990年02月15日1990年代政府系企業社のSingapore Aerospace社は,フランス,中国と共同で資本金3億6900万Sドルのヘリコプター生産を行なう合弁会社を設立すると発表。同社の持ち株比率は16%で,フランスのアエロスパシアル社が54%,中国の中国航空技術輸出入公社が30%となる予定。
DIA-207-1990-02-15-2シンガポール1990年02月15日1990年代日本の西松建設は現地のLum Chang社と共同で,UOB銀行本社ビルとなる66階建てUOBプラザの建設を受注。請負額は2億8000万Sドル。
DIA-207-1990-02-16-1シンガポール1990年02月16日1990年代ソ連のルイシコフ首相が同国首相として初のシンガポール訪問(17日まで)。経済合同委員会設立協定に調印。
DIA-207-1990-02-19-1シンガポール1990年02月19日1990年代リー首相,イタリアの「平和のための共同財団」(Together for Peace Foundation)より,シンガポールと地域の発展に貢献した功績で平和賞を贈られる。
DIA-207-1990-02-19-2シンガポール1990年02月19日1990年代リー首相,昨年末シンガポール裁判所の判決を批判的に報道したAWSJ紙とアメリカのダウ・ジョーンズ社会長を提訴。
DIA-207-1990-02-21-1シンガポール1990年02月21日1990年代86年末に,ブルネイ国民銀行不正融資の罪でクー・テクプア(Khoo Teck Puat)を起訴していたブルネイ政府は,同氏に対する起訴を取り下げたと発表。
DIA-207-1990-02-21-2シンガポール1990年02月21日1990年代日本電信電話会社とTelecomは,情報交換や共同事業に関する覚書に調印。
DIA-207-1990-02-22-1シンガポール1990年02月22日1990年代リー第2国防相は,超大国間の緊張緩和があったが,地域の軍事関係は変化していないため,シンガポールの国防予算は従来どおりGDPの6%を維持する,との考えを表明。
DIA-207-1990-02-24-1シンガポール1990年02月24日1990年代人民行動党会議は,元閣僚のリム・キムサン(Lim Kim San)とラジャラトナムを,長年党に貢献した功績により特別表彰。
DIA-207-1990-02-25-1シンガポール1990年02月25日1990年代89年に日本を訪問したシンガポール人観光客は3万8000人で前年より6%増。
DIA-207-1990-02-27-1シンガポール1990年02月27日1990年代インドネシア政府,89年度の対シンガポール輸出額は過去最高の27億7000万Sドルに達し,同国輸出総額の15%,日本,米国についで第3番目の輸出先相手国となった,と発表。
DIA-207-1990-02-27-2シンガポール1990年02月27日1990年代米軍がシンガポールの軍事施設を拡大使用するための話し合いが両国政府の間でスタート。
DIA-207-1990-02-28-1シンガポール1990年02月28日1990年代OCBC銀行は住宅ローン貸出し利子を一律0.25%引き上げ。1~5年期間は5.5%,6~10年期間は5.7%,11~30年期間は6%となる。
DIA-207-1990-03-01-1シンガポール1990年03月01日1990年代89年の政府財政収入は前年より13%増の155億Sドル,支出は10%減の119億Sドル,48億Sドルの黒字。高成長により税収が16%伸び,他方,主だった開発プロジェクトが終了して支出が減ったため。
DIA-207-1990-03-03-1シンガポール1990年03月03日1990年代ゴー第1副首相は,シンガポールの陸上交通政策を検討する関係閣僚委員会を設置すると発表。同副首相が委員長に就任し,道路網システム,自動車利用方法,公共輸送サービスなどの問題を検討する予定。
DIA-207-1990-03-05-1シンガポール1990年03月05日1990年代中華総商会のタン・インジュー(Tan Eng Joo)会長は,日本とシンガポールの貿易関係に触れ,日本からの輸入が輸出の3倍近くになっている現状を改善する必要があると,と指摘。
DIA-207-1990-03-06-1シンガポール1990年03月06日1990年代シンガポール空軍は6~11日の期間,一般道路のリムチューカン通りを閉鎖し,F16s戦闘機を使った緊急離着陸訓練を実施。
DIA-207-1990-03-06-2シンガポール1990年03月06日1990年代道教信徒の全国組織,シンガポール道教連合の団体登録申請が,当局より認可さる(11日に正式成立)。
DIA-207-1990-03-06-3シンガポール1990年03月06日1990年代リー・ヨクスアン(Lee Yock Suan)労働相,新しい外国人労働者政策を発表。外国人労働者の雇用は従来製造業,ホテル,建設業,家事手伝いに限定されていたが,今後は全産業・業種で認められる。そのうち政府が特別に認めた製造業は40%まで,サービス業は10%まで。また外国人労働者雇用税(月額)を,家事手伝いが,230Sドル,他は一律280Sドルへ引き上げ(→8/1)。
DIA-207-1990-03-07-1シンガポール1990年03月07日1990年代ゴー第1副首相兼国防相は,マレーシア国防相の招待で同国を訪問。
DIA-207-1990-03-08-1シンガポール1990年03月08日1990年代インドネシアのアジア・インベストメント・ホールディング社が,シンガポール最大のビデオテープ製造会社Electro Magnetic社株式の公開買い付け発表。
DIA-207-1990-03-08-2シンガポール1990年03月08日1990年代PKMS,政府に対し,政府職員で頭巾を着用したいマレー人女性には,それを認めるよう要望。
DIA-207-1990-03-09-1シンガポール1990年03月09日1990年代香港観光連合会によると,89年に香港を訪れたシンガポール人観光客数は前年より12%減ったが,使ったお金は28%増の2億5100万Sドル,香港の観光全収入の2.8%。
DIA-207-1990-03-10-1シンガポール1990年03月10日1990年代『聯合早報』紙によると,シンガポール人の海外留学生数は80年の約3000人から,88年には52.6%増の4600人。留学先は,米国が最も人気がある。
DIA-207-1990-03-10-2シンガポール1990年03月10日1990年代ラジャラトナムが,最近における政府の種族文化を強調する政策を批判し,「シンガポーリアン・シンガポール」意識醸成の必要性を強調。
DIA-207-1990-03-11-1シンガポール1990年03月11日1990年代PKMSと労働者党(Workers’ Party),共同声明を発表し,「宗教調和維持法案」は宗教の権威をそこなうもの,と撤回を要求。
DIA-207-1990-03-11-2シンガポール1990年03月11日1990年代DBS銀行の89年度決算は,税引き後利益が2億5000万Sドルとなり(対前年比25%増),過去最高を記録。
DIA-207-1990-03-12-1シンガポール1990年03月12日1990年代シンガポール現地企業の対バタム島投資は,17件で外国投資の約半分を占め,累積投資総額は5億5500万Sドル。
DIA-207-1990-03-13-1シンガポール1990年03月13日1990年代東芝がシンガポールにアジア太平洋地域を統括するOHQを設置すると発表。野村グループも東南アジア地域の非上場現地企業への投資を目的とするノムラ/ジャスコ投資社の設立を発表。
DIA-207-1990-03-14-1シンガポール1990年03月14日1990年代大手不動産企業Singapore Land社,近くモスクワで1億8600万Sドルに及ぶホテル,文化センター施設への投資を行なうと発表。
DIA-207-1990-03-14-2シンガポール1990年03月14日1990年代リー第2国防相は,ブラニ海軍基地が飽和状態なため,トゥアスに新基地を建設する予定,長期的にはチャンギの埋立地に本格的な基地を設けると語る。
DIA-207-1990-03-15-1シンガポール1990年03月15日1990年代マー商工担当国務相は,91年11月までに90年代の中期的戦略と,先進国の仲間入りを目指す長期的戦略からなる戦略的経済計画を策定すると語る。
DIA-207-1990-03-16-1シンガポール1990年03月16日1990年代ST紙によると,香港の大実業家リー・カーシンがシンガポールの永住権を取得したとの噂。
DIA-207-1990-03-16-2シンガポール1990年03月16日1990年代イギリス軍参謀総長がシンガポール陸軍参謀総長の招きで,当地を訪問(20日まで)。
DIA-207-1990-03-18-1シンガポール1990年03月18日1990年代政府,SBCの民営化を検討中と発表。
DIA-207-1990-03-19-1シンガポール1990年03月19日1990年代全国労働組合評議会(NTUC),89年度の政府経済報告書で平均賃上げ率が10.3%と発表されているのに対し,独自調査の結果,組合が組織されている企業の賃上げ率は6.3%と反論。
DIA-207-1990-03-19-2シンガポール1990年03月19日1990年代世界85カ国から6000人が参加し,ワールド・トレード・センターで「第26回眼科学会国際会議」が開催される。
DIA-207-1990-03-21-1シンガポール1990年03月21日1990年代今年に入り,タイ人出稼ぎ労働者が睡眠中に死亡する不審事故が相次ぎ,昨日で13人目の死亡者。過去7年では200人に上る。多くは睡眠中に呼吸困難になるもので,政府やタイ大使館の調査にもかかわらず詳しい原因は不明。
DIA-207-1990-03-23-1シンガポール1990年03月23日1990年代外務省,Neptune Orient Lines社会長で,外務省前事務次官のハーマン・ホーホシュタート(Herman Hochstadt)を初代駐モーリシャス大使に任命。
DIA-207-1990-03-23-2シンガポール1990年03月23日1990年代ST紙によると,バタム島で1月に売り出された住居・店舗家屋のうち70%以上がシンガポール人に購入されたという。
DIA-207-1990-03-24-1シンガポール1990年03月24日1990年代都市再開発庁(URA)は,ホテル不足を解消するため政府の所有地4地域をホテル建設用として民間に払い下げる方針,と発表。
DIA-207-1990-03-26-1シンガポール1990年03月26日1990年代内国歳入局(IRD)は9日,United Industrial Corporation社が商業ビル,パラゴンを6億9000万Sドルで日本の「そごう」に売却した利益に対し,1億200万Sドルの税金を支払うよう命令。売却に伴うUICの利益は2億8657万Sドルにのぼっていた。
DIA-207-1990-03-27-1シンガポール1990年03月27日1990年代マレーシアの新聞,ジョホール海峡で操業中の同国漁民がシンガポール当局に連行され拷問を受けたと報道(30日シンガポール当局は事実を否定)。
DIA-207-1990-03-28-1シンガポール1990年03月28日1990年代国会,飲酒運転者に厳しい罰則を盛り込んだ「道路交通(修正)法」を可決。
DIA-207-1990-03-29-1シンガポール1990年03月29日1990年代国会は「任命国会議員法」を可決。これにより政府は民間人を国会議員に指名できる。
DIA-207-1990-03-30-1シンガポール1990年03月30日1990年代タイ政府高官,シンガポールに対しタイ人出稼ぎ労働者の居住k環境を改善するよう要望。
DIA-207-1990-03-30-2シンガポール1990年03月30日1990年代政府によると,シンガポール国民の1人当り預金額は1万8700Sドルで世界第10位。トップの日本の約4分の1。
DIA-207-1990-03-30-3シンガポール1990年03月30日1990年代地域社会振興省は,フィードバック・ユニット監督委員会会長にチャンドラ・ダス(Chandra Das)国会議員を再任。任期は1年。
DIA-207-1990-03-31-1シンガポール1990年03月31日1990年代外務省は新駐エジプト大使に,去年までソ連大使のチアン・ハイデン(Chiang Hai Ding)を任命。
DIA-207-1990-04-02-1シンガポール1990年04月02日1990年代警察の組織改正が行なわれ,各部局の業務を調整するChief of Staffが新設され,前コッミッショナー補のクー・ブーンホイ(Khoo Boon Hui)が就任。
DIA-207-1990-04-03-1シンガポール1990年04月03日1990年代控訴院は,国内治安法で拘束中のテオ・ソーラン(Teo Soh Lung)の4度目の保釈申請を却下。
DIA-207-1990-04-04-1シンガポール1990年04月04日1990年代ジャヤクマール(Jayakumar)法務相は,91年中に200箇所の爆撃避難防空壕を建設し,92年までに最初の全国的規模の緊急避難訓練を実施する,と語る。
DIA-207-1990-04-05-1シンガポール1990年04月05日1990年代貿易振興庁(TDB)長官,ヨー・チーヨー(Yeo Chee Yeow)を団長とする貿易使節団が9日間の日程で中国四川省訪問に発つ。
DIA-207-1990-04-05-2シンガポール1990年04月05日1990年代Jurong Shipyard社とSembawang Shipyard社は,ソ連企業と合弁で7000万Sドルの資金で,モスクワに二つの高級水上ホテルを建設すると発表。
DIA-207-1990-04-06-1シンガポール1990年04月06日1990年代10年ごとに実施されている人口センサスがスタート。結果の発表は半年先の予定。
DIA-207-1990-04-07-1シンガポール1990年04月07日1990年代UICはシンガポール・ランド社の株式26.6%を取得,残りの株式について公開買い付けを発表。
DIA-207-1990-04-07-2シンガポール1990年04月07日1990年代ゴー第1副首相は,リーが首相と人民行動党書記長のポストを降りて行なわれる93年総選挙は,63年総選挙が今日の政治体制を決めるうえで重要であったように,シンガポールの将来にも,決定的な意味を持つであろう,と語る(→6/10,9/26)。
DIA-207-1990-04-08-1シンガポール1990年04月08日1990年代リー商工相,12日間の予定で台湾・韓国・日本の訪問に発つ。
DIA-207-1990-04-09-1シンガポール1990年04月09日1990年代Keppel Corporation,Asia Commercial Bankの株式61.3%を取得,所有合計を71%とする(後に行名をKeppel Bankと改名)。
DIA-207-1990-04-09-2シンガポール1990年04月09日1990年代シンガポールと台湾は「投資保護協定」に調印。
DIA-207-1990-04-10-1シンガポール1990年04月10日1990年代労働省,4月から新規外国人メイドのエイズ検査を義務づけると発表。現在外国人メイドは約5万人で,毎月1500人が新規に到着。
DIA-207-1990-04-10-2シンガポール1990年04月10日1990年代Goodwood Park Hotelの所有者クー・テクプアの娘,メイビス・ウイー(Mavis Wee),地裁より2件の不動産売買法違反により1000Sドルの罰金を言い渡さる。
DIA-207-1990-04-11-1シンガポール1990年04月11日1990年代公共事業局(PWD)によると,昨年スタートした高速道路網整備五カ年計画の内容は,島内を高速道路で結び,市内には地下道路や地下交差点を建設するもの。
DIA-207-1990-04-13-1シンガポール1990年04月13日1990年代ゴー第1副首相が,米国・イギリス訪問(9日間)に発つ。
DIA-207-1990-04-16-1シンガポール1990年04月16日1990年代訪日中のリー商工相,関西経営者と会談。
DIA-207-1990-04-16-2シンガポール1990年04月16日1990年代米国訪問中のゴー第1副首相はブッシュ大統領と会談。大統領は東西緊張緩和があるが,アメリカは従来どおりアジア太平洋地域の軍事力を維持し続けると発言。
DIA-207-1990-04-17-1シンガポール1990年04月17日1990年代「任命国会議員法案」を審議している国会特別委員会は,指名議員制を導入するかどうかは,各任期の国会が決定する方式を提案。
DIA-207-1990-04-18-1シンガポール1990年04月18日1990年代マリーナ公園で開催の「マレー文化ショー」に10万人が参集。マー商工担当国務相はあいさつで,「種族性」の強調は国民統合を妨げるものではなく,むしろシンガポール社会の強化・安定に貢献すると発言。
DIA-207-1990-04-19-1シンガポール1990年04月19日1990年代訪日中のリー商工相,武藤通産大臣と会談。
DIA-207-1990-04-19-2シンガポール1990年04月19日1990年代一級職の上級公務員186人がマレー語研修課程を終了。政府は今後もマレー語研修に力を入れる予定。
DIA-207-1990-04-20-1シンガポール1990年04月20日1990年代シンガポールが希望する北極廻り空路の開設と,東京―米国間の増便をめぐるアメリカとの航空交渉は,後者の拒否で決裂。
DIA-207-1990-04-20-2シンガポール1990年04月20日1990年代68~71年,74~84年国連大使,84年以降駐米大使を勤めるトミー・コー(Tommy Koh)は,任期途中の6月に退任し帰国すると表明。
DIA-207-1990-04-21-1シンガポール1990年04月21日1990年代ジャヤクマール法相兼内務相が台湾を訪問(27日まで)。
DIA-207-1990-04-21-2シンガポール1990年04月21日1990年代第7回国会第1会期が終了。第2会期は6月開催。
DIA-207-1990-04-21-3シンガポール1990年04月21日1990年代イギリス訪問中のゴー第1副首相,当地で首相就任の時期は11月と12月の間を希望,最初の任命国会議員の数は3名にしたいと語る。
DIA-207-1990-04-22-1シンガポール1990年04月22日1990年代外務省は,88年以降空席の駐フィリピン大使に前ブルネイ大使のエドワード・リー(Edward Lee)を任命したと発表。赴任は月末の予定。
DIA-207-1990-04-22-2シンガポール1990年04月22日1990年代ダナバラン(Dhanabalan)国家開発相は,国民の種族比率を保つため,海外移住した高学歴インド系市民の穴埋めに,外国から才能あるインド人の移民を奨励すると語る。
DIA-207-1990-04-22-3シンガポール1990年04月22日1990年代日本のサントリー社は,先に公開買い付けを行なったセレボス・パシフィク社の株式96.8%を取得と発表。
DIA-207-1990-04-23-1シンガポール1990年04月23日1990年代大蔵省は政府各機関に対し,経済の加熱を抑さえるため,今年度は緊急を要するものを除き公共建設プロジェクトを控えるよう要請(後に削減幅目標を予算の15%と設定)。
DIA-207-1990-04-24-1シンガポール1990年04月24日1990年代ゴー第1副首相は,最近行なわれた日本のNHKとの会見で,首相就任後は,政府の役割を基本的なものに止め,民間や国民に参加の自由を与えたいと語る。
DIA-207-1990-04-24-2シンガポール1990年04月24日1990年代通信社のロイター社は,92年までにシンガポールに新通信センターを開設すると発表。
DIA-207-1990-04-26-1シンガポール1990年04月26日1990年代日本興業銀行,今年内にシンガポール金融市場で22億3000万Sドルのシンジケート・ローン調達を行なう計画と発表。
DIA-207-1990-04-27-1シンガポール1990年04月27日1990年代政府は,日本・シンガポール・ソフトウェア・テクノロジー学院(Institute of Japan Singapore Software Technologies)を,将来は日本の協力を得て,アジア太平洋地域の公的機関にしたい意向を表明。
DIA-207-1990-04-28-1シンガポール1990年04月28日1990年代住宅開発庁(HDB),5月1日よりHDBフラット居住者が部屋を又貸しする場合,当局の許可は不要と発表。
DIA-207-1990-04-29-1シンガポール1990年04月29日1990年代ゴー第1副首相,将来のシンガポールの目標は,高い生産性と専門技術者の移民奨励により経済成長を維持し「偉大な小国家」となること,と語る。
DIA-207-1990-04-30-1シンガポール1990年04月30日1990年代リー首相夫妻はマレーシアを日帰り訪問。マハティール首相と会談し,後任のゴーがマレーシア指導者と何らわだかまりのない関係を維持していくよう希望。
DIA-207-1990-05-01-1シンガポール1990年05月01日1990年代リー首相は,もしシンガポール国民が現状に満足することなく努力を続ければ,2000年には先進工業国の仲間入りができると語る。
DIA-207-1990-05-01-2シンガポール1990年05月01日1990年代シンガポール国軍,各軍長の呼称を変更。従来の参謀総長が三軍総長(Chief of Defence Force),各軍は,陸軍総長(Chief of Army),空軍総長(Chief of Air Force),海軍総長(Chief of Navy)となる。
DIA-207-1990-05-02-1シンガポール1990年05月02日1990年代中国反体制グループの「自由の女神号」が,一泊の予定でシンガポール港に入港。
DIA-207-1990-05-03-1シンガポール1990年05月03日1990年代リー首相は,最近行なわれた外国人記者とのインタビューで,シンガポールが先進国並の成熟した社会になるには,あと10余年が必要で現在はその3分の2に到達した段階,と語る。
DIA-207-1990-05-04-1シンガポール1990年05月04日1990年代シンガポール国立大学拡充政策の一環として,これまで厚生省の管轄下にあった国立大学病院が同大学の組織下に移される。
DIA-207-1990-05-05-1シンガポール1990年05月05日1990年代高速輸送庁(MRT)の営業2年目にあたる89年度決算は,初年度より42%増,4600万Sドルの収益を計上。増益は主に旅客収入増によるもの。
DIA-207-1990-05-06-1シンガポール1990年05月06日1990年代シンガポール民主党(Singapore Democratic Party)のチアム・シートン(Chiam See Tong)書記長は,同党主催のメーデー集会(1000人以上参加)演説で,労働者は現在の生活状態に満足せず,自分たちが政治を変える力を持っていることを認識する必要がある,と語る。
DIA-207-1990-05-07-1シンガポール1990年05月07日1990年代中央積立基金庁(CPF)は,90年3月末の累積で同庁公認の信託証券に,7万4925人の加入者が12億6000万Sドルの投資を行なったと発表。
DIA-207-1990-05-07-2シンガポール1990年05月07日1990年代国防省は,米空軍パイロット6名とシンガポール空軍パイロット20名が参加して,共同軍事訓練が2週間実施されたと発表。
DIA-207-1990-05-08-1シンガポール1990年05月08日1990年代シンガポールとインドネシア政府は,両国間の二重課税を廃止し,投資や技術移転の促進を目的とする「租税協定」に調印。
DIA-207-1990-05-09-1シンガポール1990年05月09日1990年代政府は,最近問題となっているタイ人出稼ぎ労働者の健康管理のため,リー首相がタイ人医師のシンガポール駐在を認めることに同意,と発表。
DIA-207-1990-05-09-2シンガポール1990年05月09日1990年代オン第2副首相,日本政府の招待で同国1週間訪問に発つ。
DIA-207-1990-05-10-1シンガポール1990年05月10日1990年代クー・テクプアが,独立25周年記念慈善基金に1機関(個人)では最高の250万Sドルを寄付。
DIA-207-1990-05-11-1シンガポール1990年05月11日1990年代リー第2国防相は,政府系企業民営化政策の一環として,今後数年間に資産が20億Sドルを上回る国防省傘下企業を証券取引所に上場する,と述べる。今年はSingapore Aerospace社,Singapore Shipbuilding Engineering社,Singapore Electric & Engineering社,SAL Industrial Leasing社の4社が上場され,国防省関連企業の持株会社であるShen-Li Holdings社の社名がSingapore Technologies Holdings社と変更される。
DIA-207-1990-05-12-1シンガポール1990年05月12日1990年代クワ・スーンビー(Kwa Soon Bee)厚生省事務次官は,ジュネーブで開かれた「世界健康会議」の報告で,シンガポール全国民が努力して,次世代の時代には禁煙国家となるようにしたい,と発言。
DIA-207-1990-05-14-1シンガポール1990年05月14日1990年代リー首相,3週間の日程で,トルコ,フランス,イギリス,西ドイツ4カ国訪問に出発。
DIA-207-1990-05-14-2シンガポール1990年05月14日1990年代マレーシアの養豚輸出業者は,シンガポールへの出荷を3日間停止すると発表。シンガポール政府が,今後豚肉の売買は政府公認の卸売り市場を通さなければならない,とした措置に抗議したもの。
DIA-207-1990-05-14-3シンガポール1990年05月14日1990年代60年代前半の時期における人民行動党政権の労働,法務,厚生各大臣を歴任し,主要閣僚の一人であったケニー・バーン(K. M. Byrne)が心臓発作のため死亡。
DIA-207-1990-05-15-1シンガポール1990年05月15日1990年代シンガポール港湾庁(PSA)は,93年中頃までに1億6000万Sドルを投資し,パシール・パンジャン・ターミナルを拡充すると発表。
DIA-207-1990-05-18-1シンガポール1990年05月18日1990年代UIC,7カ月に及んだシンガポール・ランド社の買収に成功。11億7000万Sドルの資金で株式の67.4%を取得(27日所要資金は16億5000万Sドルと修正)。
DIA-207-1990-05-20-1シンガポール1990年05月20日1990年代政府の,種族調和を目的とする「コミュニティー・ウィーク」キャンペーンがスタート。
DIA-207-1990-05-20-2シンガポール1990年05月20日1990年代SIAグループ,89年度税引き後利益が,前年度より22%増の12億Sドルで過去最高を記録,と発表。
DIA-207-1990-05-21-1シンガポール1990年05月21日1990年代政府,4月12日付け英紙The Timesで,リー首相の政治スタイルを批判したイギリス人ジャーナリスト,バーナード・レビン(Bernard Levin)に対し,BBCテレビでリー首相と討論するように申し入れたが,同氏が拒否した,と発表。
DIA-207-1990-05-21-2シンガポール1990年05月21日1990年代NTUC Newsによると,過去数年,新規組合員数は増加しているが,脱退者数がそれを上回っているため,実数加入者数は減少傾向にあるという。88年の実増5482人に対し,89年は124人のみ。
DIA-207-1990-05-22-1シンガポール1990年05月22日1990年代インドネシア紙Suara Pembaruanによると,ゴー第1副首相は,シンガポール・インドネシアの良好な関係は,指導者間の個人的親交を超えたもので,スハルト現大統領の後任に誰がなろうとも,両国の友好関係は維持されるだろう,と語る。
DIA-207-1990-05-22-2シンガポール1990年05月22日1990年代日本の渋谷教育学園,91年4月からシンガポールにアジア地域では最初の日本人高校「渋谷幕張シンガポール高校」を開設する予定,と発表。
DIA-207-1990-05-22-3シンガポール1990年05月22日1990年代リー首相,フランス・ミッテラン大統領と会談。
DIA-207-1990-05-23-1シンガポール1990年05月23日1990年代ゴー第1副首相,インドネシアのジャーナリスートとの会見で,首相就任後は最低でも8年間は務めたい,と語る。
DIA-207-1990-05-23-2シンガポール1990年05月23日1990年代南洋工科学院(Nanyang Technological Institute),91年7月の大学昇格にそなえ,米国マサチューセッツ工科大学と,共通教授制度,経営修士学科などに関する5カ年協力協定を結ぶ。
DIA-207-1990-05-24-1シンガポール1990年05月24日1990年代フランス訪問中のリー首相,「成長の三角地帯」構想はシンガポール,マレーシア,インドネシア,3国間の20年,30年にわたる経済協力関係の基礎を築くもの,と語る。
DIA-207-1990-05-24-2シンガポール1990年05月24日1990年代ゴー第1副首相,マレーシアのジョホール州政府に,「成長の三角地帯」構想の基本目的を説明した「コンセプト・ペーパー」を提出。
DIA-207-1990-05-25-1シンガポール1990年05月25日1990年代リー首相,89年6月の「天安門事件」以降,海外の大学滞在中で博士号の資格を持つ中国人専門家55人を,シンガポールに招聘するのに成功した,とパリで語る。
DIA-207-1990-05-27-1シンガポール1990年05月27日1990年代在日シンガポール人による「シンガポール協会」が発足。
DIA-207-1990-05-28-1シンガポール1990年05月28日1990年代全国賃金評議会(NWC)が90年度の賃金勧告を発表。賃上げは特別支給の形で行なうとし,3年連続賃上げ数字の提示なし。
DIA-207-1990-05-29-1シンガポール1990年05月29日1990年代シンガポール・インドネシア海軍の共同演習(2日間)が実施される。
DIA-207-1990-05-30-1シンガポール1990年05月30日1990年代リー首相,イギリスでサッチャー首相と会談。
DIA-207-1990-05-31-1シンガポール1990年05月31日1990年代リー首相,西ドイツを訪れコール首相と会談。
DIA-207-1990-06-01-1シンガポール1990年06月01日1990年代シンガポールと西ドイツ政府は,「文化科学協定」に調印。
DIA-207-1990-06-01-2シンガポール1990年06月01日1990年代エジプトの日刊紙Al-Ahramは,近くシンガポールでアジア太平洋地域版の印刷・発行を行なうと発表。
DIA-207-1990-06-01-3シンガポール1990年06月01日1990年代87年に共産主義陰謀の理由で国内治安法により逮捕,88年に再逮捕・投獄されていた,女性弁護士のテオ・ソーランが条件付きで釈放される。当局の許可なしに国外へ出ない,国内治安法で逮捕・投獄された他の政治犯と接触しない,当局の許可なく政治社会活動をしない,の3条件。
DIA-207-1990-06-04-1シンガポール1990年06月04日1990年代世界各国から約1000人の企業経営者が参加し,3日間の日程で「90年度グローバル戦略会議」が開催。
DIA-207-1990-06-04-2シンガポール1990年06月04日1990年代マレーシア首相とインドネシア大統領がクアラルンプールで会談。シンガポールが提唱している「成長の三角地帯」構想を推進することに合意。
DIA-207-1990-06-05-1シンガポール1990年06月05日1990年代政府,従来マレー系国民に与えていた大学授業料全額免除制度を改め,91年から月収2000Sドル以下の家庭は全額補助,2000~3000Sドルは最高70%まで補助,3000Sドル以上は補助廃止とする,と発表。
DIA-207-1990-06-05-2シンガポール1990年06月05日1990年代PUB,増大する電力,水道,ガス需要に対処するため,94年までに43億Sドルを投資し供給能力の拡大を図る,と発表。
DIA-207-1990-06-06-1シンガポール1990年06月06日1990年代インドネシア雇用関係政府機関は,シンガポールで働く同国人メイド保護を目的とするシンガポール事務所を開設。現在インドネシア人メイドは3500人。
DIA-207-1990-06-06-2シンガポール1990年06月06日1990年代チャンギで,「シンガポール2000―グローバル・テクノロジー」ショーが始まる(18日間)。
DIA-207-1990-06-07-1シンガポール1990年06月07日1990年代国会の第2会期が始まる。
DIA-207-1990-06-07-2シンガポール1990年06月07日1990年代Singapore Pless Holdings社とUOB銀行は,香港の代表的英字紙South China Morning Postの株式14%を1億5400万Sドルで取得。買収の中心人物はUOB銀行会長のウィー・チョーヤオ(Wee Chow Yaw)とみられ,UOB銀行グループが9%,SPHが5%の所有。
DIA-207-1990-06-07-3シンガポール1990年06月07日1990年代シンガポール政府とヤオハン等の合弁事業「シンガポール国際卸売りセンター」が,ジュロンに開業。
DIA-207-1990-06-08-1シンガポール1990年06月08日1990年代SIA,7月1日から「国際航空輸送協会」(IATA)に加盟すると発表。
DIA-207-1990-06-08-2シンガポール1990年06月08日1990年代マレーシアからトゥコン島に迷いこんでいた象3頭が捕獲され,同国に送り返される。
DIA-207-1990-06-09-1シンガポール1990年06月09日1990年代リー商工相は,台湾の新聞とのインタビューで,「マス・メディアの役割は,政府の政策を国民に伝達することにあり,政府に対する支持や反対の態度を促すことではない。政府に反対する人々は,政党を結成して堂々と行動しなければならない」と語る。
DIA-207-1990-06-09-2シンガポール1990年06月09日1990年代タイ陸軍総長,4日間の公式訪問で来訪。
DIA-207-1990-06-10-1シンガポール1990年06月10日1990年代ゴー第1副首相,リー首相が首相を退任する際は,人民行動党書記長のポストも降りるべきだと考えるが,それは党大会で決定されること,と語る。
DIA-207-1990-06-11-1シンガポール1990年06月11日1990年代OCBC銀行とOUB銀行,プライム・レートを0.5%引き上げ7%とする,と発表。今年に入って3回目の改定(後にUOB銀行は13日,DBS銀行は14日に引き上げ)。
DIA-207-1990-06-11-2シンガポール1990年06月11日1990年代スンバワン造船所,UICから不動産関連業のFirst Capital Corporation社の株式24.4%を買収。
DIA-207-1990-06-12-1シンガポール1990年06月12日1990年代外務省は,近く辞任するコー駐米大使を10日付けで無任所大使に任命したと発表。
DIA-207-1990-06-13-1シンガポール1990年06月13日1990年代ゴー第1副首相は国会答弁の席上,11月首相に就任し,副首相を2人置く,リー現首相には上級相として内閣に留まってもらい,若干の内閣改造を行なう,と言明。政権担当後の重要課題として,(1)スムースな政権引き継ぎ,(2)新しい地域協力,(3)「成長の三角地帯」構想の推進,等を挙げる。
DIA-207-1990-06-14-1シンガポール1990年06月14日1990年代ST紙,最近のイギリス紙によると,世界の航空会社89/90年度営業収益ランクで,SIAが6億5900万Sドルの利益を上げ,ブリティッシュ航空を抜き第1位,と報道。
DIA-207-1990-06-15-1シンガポール1990年06月15日1990年代マレーシア政府,SIAの直航便を,東マレーシアのクチンとコタ・キナバルへ就航することに同意。
DIA-207-1990-06-15-2シンガポール1990年06月15日1990年代中国上海市長が,投資誘致のため来訪(6日間)。
DIA-207-1990-06-16-1シンガポール1990年06月16日1990年代インドネシア空軍参謀総長,来訪(3日間)。リー第2国防相らと会見。
DIA-207-1990-06-18-1シンガポール1990年06月18日1990年代ゴー第1副首相,3週間のヨーロッパ休暇旅行に出発。
DIA-207-1990-06-19-1シンガポール1990年06月19日1990年代シンガポール国際金融取引所(SIMEX),世界初のユーロ円先物オプション取引を開始。
DIA-207-1990-06-19-2シンガポール1990年06月19日1990年代87年5月,「マルクス主義政府転覆運動」の中心人物として,国内治安法により逮捕・投獄(3年間)されていたビンセント・チェン(Vincent Chen)が,誓約書に署名後,6項目の条件付きで釈放される。同事件で逮捕されたメンバーとの接触禁止や,国内治安局への毎月報告書の提出が主な条件。これにより同事件で逮捕・投獄された者は全員釈放。
DIA-207-1990-06-19-3シンガポール1990年06月19日1990年代政府,月末開催予定の「アジア太平洋経済協力閣僚会議」(APEC)取材のために出されていた,FEER誌と,AWSJ紙記者の入国申請を拒否。
DIA-207-1990-06-20-1シンガポール1990年06月20日1990年代SIA,労働組合との1年に及ぶ交渉で,定年を現行の55歳から60歳に引き上げることに原則的同意。
DIA-207-1990-06-21-1シンガポール1990年06月21日1990年代TDB,対東欧貿易拡大のため,ブダペストに今年中に事務所を開設予定,と発表。
DIA-207-1990-06-21-2シンガポール1990年06月21日1990年代メキシコ大統領,シンガポールに来訪。同日リー首相等と会見。
DIA-207-1990-06-24-1シンガポール1990年06月24日1990年代民間調査会社の「世界経済競争力報告1990」によると,新興工業国10カ国ランクで,シンガポールが香港を抜いて第1位となる。
DIA-207-1990-06-26-1シンガポール1990年06月26日1990年代政府,現在上限20%の外国人の地場銀行株式所有比率を,近く40%に引き上げる予定,と発表。
DIA-207-1990-06-27-1シンガポール1990年06月27日1990年代リー商工相は,今後10年における毎年の経済成長率目標は6%,と述べる。
DIA-207-1990-06-27-2シンガポール1990年06月27日1990年代ヒンドゥー顧問局(Hindu Advisory Board)の新委員長にNTUC Fairprice社会長のゴピナス・ピレイー(Gopinath Pillai)が任命される。
DIA-207-1990-06-28-1シンガポール1990年06月28日1990年代政府は,政府職員約13万人の今年のボーナス支給は,2.625カ月と発表。
DIA-207-1990-06-29-1シンガポール1990年06月29日1990年代政府,イラン地震被災者に20万米ドルを寄付。
DIA-207-1990-06-30-1シンガポール1990年06月30日1990年代リー首相,人民協会(PA)30周年記念集会演説で,今後はコミュニティー・センターを,より内容を充実したコミュニティー・クラブ(Community Club)にする必要があると強調。
DIA-207-1990-07-01-1シンガポール1990年07月01日1990年代CPFの使用者負担率が1.5ポイント引き上げられ16.5%となる。被雇用者分は従来どおり23%。CPF預金利子も現行の3.77%から3.88%へ引き上げ。またCPF庁と厚生省共同の新保険制度“Medishield”が発足。
DIA-207-1990-07-01-2シンガポール1990年07月01日1990年代政府,Moral Home Societyに対し,82年にシンガポールで活動が禁止された「世界キリスト教統一協会」の支部であるとして,解散を命令。
DIA-207-1990-07-02-1シンガポール1990年07月02日1990年代リー首相が,88年総選挙におけるジェヤレトナム(Jeyaretnam)労働者党書記長の演説を,「中傷誹謗」と訴えた訴訟審理が高等裁判所でスタート。
DIA-207-1990-07-02-2シンガポール1990年07月02日1990年代ヨー・ニンホン(Yeo Ning Hong)運輸通信相,一枚の切符でMRTとバスに乗れる共通切符制度を,91年早々開始すると語る。
DIA-207-1990-07-03-1シンガポール1990年07月03日1990年代労働省,91年1月1日より建設業における外国人労働者の上限雇用比率を,現行の50%から66%に引き上げる,と発表。
DIA-207-1990-07-04-1シンガポール1990年07月04日1990年代シンガポールの実業家2人が,カンボジアの高級ホテル建設事業に参加している事が判明(政府は5日,投資を中止するよう警告)。
DIA-207-1990-07-05-1シンガポール1990年07月05日1990年代ヨー運輸通信相,既存のMRT路線網をチョアチューカンとイーシャンで結び,環状線とする構想を明らかにする。
DIA-207-1990-07-05-2シンガポール1990年07月05日1990年代オーストラリアのニューサウス・ウェールズ州知事が,野党チアム国会議員の案内でポトン・パシール選挙区内のHDB団地を視察。
DIA-207-1990-07-06-1シンガポール1990年07月06日1990年代シンガポール最初の心臓移植手術が,シンガポール総合病院で59歳の男性患者に行なわれる。
DIA-207-1990-07-07-1シンガポール1990年07月07日1990年代アメリカ政府,シンガポール政府との間で進められている米空軍戦闘機や駆逐艦の一時寄港拡大を目的とする「軍事基地使用協定」の合意が近いと説明。4度目の交渉は11日から行なわれる。
DIA-207-1990-07-08-1シンガポール1990年07月08日1990年代シンガポール金融庁(MAS)は,シンガポール・ドル高により89/90年度の収支剰余額は前年度より40%減の6億5230Sドルと発表。
DIA-207-1990-07-09-1シンガポール1990年07月09日1990年代マレーシア・トレンガヌ州の天然ガスを,シンガポールに運ぶパイプライン建設事業のうち,ジョホール水道部分の工事が始まる。工事は91年初め完成し,ガス供給開始は同年末の予定。
DIA-207-1990-07-09-2シンガポール1990年07月09日1990年代人民行動党は,89年の本部婦人部会発足以来,95%の支部で婦人部会支部が結成されたと発表。
DIA-207-1990-07-10-1シンガポール1990年07月10日1990年代リー商工相,インドネシアを訪問(14日まで)。スハルト大統領とリアウ諸島の共同開発等について討議。
DIA-207-1990-07-11-1シンガポール1990年07月11日1990年代PSAによると,今年1~5月のコンテナー荷物取り扱い量は,200万TEUsで香港を抜き世界一。
DIA-207-1990-07-12-1シンガポール1990年07月12日1990年代6月末終えた90年人口センサスの速報によると,永住権と労働許可証保持者を含めたシンガポールの総人口は292万人。
DIA-207-1990-07-13-1シンガポール1990年07月13日1990年代シンガポール国立大学経済研究ユニットが今年の経済成長予測を8.5%から9%の間と発表。インフレ率は5.2%としている。いずれも政府当初予測(成長率6~8%,インフレ率3~4%)よりも高め。
DIA-207-1990-07-14-1シンガポール1990年07月14日1990年代Telecomは民営化に向け,モーガン・グレンフェル・マーチャント銀行を民営化調査顧問に指名。調査は9カ月かかる予定。
DIA-207-1990-07-15-1シンガポール1990年07月15日1990年代ジョホール州首相,最近マハティール首相とリー首相との間で,MRTをジョホール・バルーまで延長する話が行なわれた,と非公式に語る。
DIA-207-1990-07-16-1シンガポール1990年07月16日1990年代米誌Business Weekが毎年発表する株式時価総額による世界1000社90年度ランクに,SIA(403位),DBS銀行(578位),OCBC銀行(638位)の3社が入る。
DIA-207-1990-07-16-2シンガポール1990年07月16日1990年代国軍兵士3人が訓練中にヘリコプターから墜落し死亡。
DIA-207-1990-07-17-1シンガポール1990年07月17日1990年代ンー・ポクトー(Ng Pock Toh)国会議員,NTUC副書記長と中央執行委員会委員を辞任。近くスンバワン・グループの経営責任者に就任予定,とST紙が報道。
DIA-207-1990-07-17-2シンガポール1990年07月17日1990年代SIAは10月末から東ベルリン路線を就航と発表。
DIA-207-1990-07-18-1シンガポール1990年07月18日1990年代リー首相は『日本経済新聞』とのインタビューで,中国との国交樹立は数カ月のうちに行なわれるだろう,独立後25年間の最大の成果は,マレーシアからの分離後,国家としての生存を果たしたことと語る。
DIA-207-1990-07-19-1シンガポール1990年07月19日1990年代政府,過去4カ月に政府とAWSJおよびFEEE誌の発行会社との間で交わされた書簡を公表。両紙誌がシンガポール政府の外国新聞・雑誌政策に従わない限り,発行制限を継続する,と発表(21日,アメリカのベーカー国務長官は,これに遺憾の意を表明)。
DIA-207-1990-07-22-1シンガポール1990年07月22日1990年代住民委員会(Residents’ Committee)代表約1000人が参加し「1990年代のRCs」セミナーが開催される。
DIA-207-1990-07-23-1シンガポール1990年07月23日1990年代リー首相,ゴー第1副首相の政治スタイルについて語り,政治家としてのゴーは,時に高圧的な姿勢をとるマハティール首相よりも,ソフトな姿勢を取り続けたラーマン元首相に近いタイプ,自分との違いは集団指導を重視すること,と分析。
DIA-207-1990-07-24-1シンガポール1990年07月24日1990年代マレーシア・マラッカ州政府は,ジョホール州,インドネシア,シンガポールの間で進められている「成長の三角地帯」プロジェクトへの参加希望を表明。
DIA-207-1990-07-25-1シンガポール1990年07月25日1990年代香港のSouth China Morning Post紙によると,過去1年間にシンガポール政府は約2万6000人の香港人に永住権を許可。このうち1万4500人が熟練労働者,実際に移住したのは400家族。
DIA-207-1990-07-26-1シンガポール1990年07月26日1990年代マレーシアの『新明日報』紙,60年代前半期のマラヤ共産党シンガポール委員会の責任者で,その後30年近く地下に潜行していたファン・チュアンピー(Fang Chuan Pi)が,現在タイ国境付近のマラヤ共産軍「平和村」副村長として健在,と報道。
DIA-207-1990-07-27-1シンガポール1990年07月27日1990年代DBS銀行,日本の大和グループと共同で,ニューヨーク証券取引所に6000万米ドルで「シンガポール・ファンド」を開設。
DIA-207-1990-07-28-1シンガポール1990年07月28日1990年代ヨー運輸通信相がブルネイ訪問。
DIA-207-1990-07-28-2シンガポール1990年07月28日1990年代中国政府外務省代表団が,国交樹立交渉のためシンガポールを訪れる(31日まで)。
DIA-207-1990-07-29-1シンガポール1990年07月29日1990年代アジア太平洋12カ国の外相,蔵相が参加する「第2回アジア太平洋経済協力閣僚会議」がシンガポールで開催。2日間。
DIA-207-1990-07-30-1シンガポール1990年07月30日1990年代米国ダウ・ジョーンズ社,シンガポール政府が同社傘下マスコミ2紙誌記者のAPEC取材ビザ申請を拒否したことに抗議する意見公告をST紙に掲載。
DIA-207-1990-07-30-2シンガポール1990年07月30日1990年代シンガポール政府,イタリア政府と「文化科学技術協力協定」に調印。
DIA-207-1990-07-31-1シンガポール1990年07月31日1990年代今年のシンガポール・ポリテクニック卒業生は,昨年より11.4%増え4196名となり過去最高を記録。
DIA-207-1990-08-01-1シンガポール1990年08月01日1990年代本日より,電力料金が平均5%,ガス料金が平均4%引き下げ。また,外国人労働者雇用税(月額)は300Sドル,メイド雇用税は250Sドルに引き上げ(→3/6)。一方大手石油会社6社は,ガソリン小売価格を1リットルにつき4セント値上げ。
DIA-207-1990-08-02-1シンガポール1990年08月02日1990年代政府は6000人を超える香港在住シンガポール人のために,該地で「シンガポール人学校」を開設することを検討中,と発表。
DIA-207-1990-08-03-1シンガポール1990年08月03日1990年代高等裁判所,リー首相がジェヤレトナム元国会議員を告訴していた「誹謗発言」裁判で,被告に26万Sドルの罰金を命じる判決。
DIA-207-1990-08-03-2シンガポール1990年08月03日1990年代リー商工相,湾岸危機の影響で石油価格高騰とインフレが生じ経済不況となる可能性を警告。
DIA-207-1990-08-04-1シンガポール1990年08月04日1990年代シンガポールで初の「インドネシア商品市」が開かれる。
DIA-207-1990-08-05-1シンガポール1990年08月05日1990年代ゴー第1副首相,湾岸危機に触れ,「シンガポールは,第2のクウェート(経済は豊かでも国防能力ゼロ)となってはならない,兵役を真面目に勤め,期間短縮を考えるべきではない」と語る。
DIA-207-1990-08-06-1シンガポール1990年08月06日1990年代清水建設,オーチャードの「ニーアン・シティー商業ビル」プロジェクトの建設を3億3450万Sドルで受注。92年8月完成,93年初めオープンの予定。
DIA-207-1990-08-06-2シンガポール1990年08月06日1990年代シンガポールの新マレーシア大使にロウ・チューンミン(Low Choon Ming)が着任。新大使は外務省政策・企画局長からの転出。
DIA-207-1990-08-07-1シンガポール1990年08月07日1990年代シンガポール国立大学にリー・コンチェン美術館がオープン。
DIA-207-1990-08-08-1シンガポール1990年08月08日1990年代リー首相の独立記念目テレビ演説。60年代前半期の対共産系グループ政治闘争で政府を支持してくれた一般国民に感謝し,「成長の三角地帯」構想の重要性を強調,また有能で効率的な政府を望むなら指導者に相応の経済的報酬を支払わなければならない,旨の発言。
DIA-207-1990-08-08-2シンガポール1990年08月08日1990年代独立記念日叙勲で,ラジャラトナム元外相に特別勲一等,マイケル・ファム(Michael Fam)MRT会長に勲一等,他にコー前国連大使等も表彰される。
DIA-207-1990-08-09-1シンガポール1990年08月09日1990年代インドネシアのMedia Indonesia紙は,5日のゴー第1副首相の「シンガポールが第2のクウェートとなってはならない」旨の発言を,シンガポールがASEANのパートナーである近隣諸国の誠意と正直さを疑ったものである,と批判(翌日Jakarta Post紙も「ゴー発言は誤解を招きやすい」と批判)。
DIA-207-1990-08-11-1シンガポール1990年08月11日1990年代中国李鵬首相がシンガポールを訪問(13日まで)。晩餐会の席上,両国の国交樹立は近いと語る。
DIA-207-1990-08-12-1シンガポール1990年08月12日1990年代湾岸危機後,株式が暴落しシンガポール証券取引所「ST工業指数」は,1日の1557.8ポイントから7日に1360.5ポイント,10日に1343.7ポイントと大幅下落。
DIA-207-1990-08-13-1シンガポール1990年08月13日1990年代中国,シンガポールとの国交樹立交渉で,シンガポール軍の台湾軍事訓練の必要性に理解を示す。
DIA-207-1990-08-14-1シンガポール1990年08月14日1990年代リー・ヒーセン(Lee Hee Seng)公務委員会(PSC)委員長,新たに教育服務委員会と警察民間防衛委員会委員長に任命さる。
DIA-207-1990-08-16-1シンガポール1990年08月16日1990年代SPHは,今年から営業利益の1%を社会文化活動に寄付すると発表。88/89年度利益の1%は,120万Sドルとなる。
DIA-207-1990-08-17-1シンガポール1990年08月17日1990年代インドネシアの国会議員は,同国を訪問したシンガポール国会議員に,ゴー第1副首相の「第2のクウェート」発言に触れて,シンガポールはもっとインドネシア人の感情に配慮してほしいと語る。
DIA-207-1990-08-18-1シンガポール1990年08月18日1990年代ウォン・カンセン(Wong Kan Seng)外相,選挙区集会の演説で「シンガポールはクウェートのような運命を辿りたくない。イスラエルのように地域緊張の中に囲まれたくもない。スイスのように近隣諸国と友好関係を保ちたい」と述べる。
DIA-207-1990-08-18-2シンガポール1990年08月18日1990年代Telecom,昨年度営業結果発表。純収益は8億8800万Sドルで過去最高を記録。コー・ブーンフィー(Koh Boon Hwee)会長は,18~24カ月以内に民営化されるだろうと語る。
DIA-207-1990-08-19-1シンガポール1990年08月19日1990年代ゴー第1副首相は,「第2のクウェート」発言が近隣諸国から批判されたことで,「現在シンガポールは近隣諸国と友好な関係にある。しかし歴史の教訓は,侵略や脅威は近隣諸国からだけでなく,思いがけない時に思いがけないところからくる」と釈明。
DIA-207-1990-08-19-2シンガポール1990年08月19日1990年代シンガポール民主党のチアム書記長は,結党10周年記念集会の演説で,同党は次の総選挙で5~10人の当選者をだすだろう,と語る。
DIA-207-1990-08-20-1シンガポール1990年08月20日1990年代ST紙,ガソリン小売価格の値上げ後,多数のシンガポール車が低価格のジョホール・バルーに殺到,と報道。
DIA-207-1990-08-20-2シンガポール1990年08月20日1990年代シンガポールとブルネイ海軍が共同演習を実施。
DIA-207-1990-08-21-1シンガポール1990年08月21日1990年代ホンリョン・グループの創業者クエック・ホンプン(Kwek Hong Png)と甥のクエック・レンチャイ(Kwek Leng Chye)が,背任罪で裁判所よりそれぞれ5000Sドルの罰金を言い渡される。
DIA-207-1990-08-22-1シンガポール1990年08月22日1990年代株式指数は暴落を続け,「ST工業指数」は東京,ニューヨーク市場暴落の影響で,昨日だけで67ポイント(5.3%減)下落し,1182ポイントとなる。
DIA-207-1990-08-24-1シンガポール1990年08月24日1990年代シンガポール空軍とアメリカ空軍は,10日から24日まで共同演習を実施。
DIA-207-1990-08-24-2シンガポール1990年08月24日1990年代政府,本日よりイラクとの貿易取引および同国国籍船舶の入港を禁止。
DIA-207-1990-08-26-1シンガポール1990年08月26日1990年代リー首相,最後の独立記念日集会演説。国民に政府を信頼して今まで歩んできた道を歩き続けるように説き,そうすればHDBは10~20年の間にHDBフラットの資産を倍増させ,CPF加入者は民営化後のMRT,PUB,TASの株式を割安で購入できるようになる,と約束。
DIA-207-1990-08-28-1シンガポール1990年08月28日1990年代リー首相とスハルト大統領,インドネシアのバタム島で,「投資保護協定」と「リアウ省開発協力協定」に調印。
DIA-207-1990-08-29-1シンガポール1990年08月29日1990年代クウェート亡命政府の石油相が,亡命政権への支持を訴えにシンガポールを訪問(31日まで)。
DIA-207-1990-08-29-2シンガポール1990年08月29日1990年代民間団体による,アジア太平洋地域のシンガポール研究者を招く「リー・クアンユー交流研究基金」の設立(基金1000万Sドル)が発表され,91年からスタート。
DIA-207-1990-08-30-1シンガポール1990年08月30日1990年代リー首相は集会演説で,「メリット主義」を基盤とするシンガポールの統治原理は,国家の持続的発展のために維持されなければならない,と語る。
DIA-207-1990-08-30-2シンガポール1990年08月30日1990年代政府,「民選大統領法案」と外国新聞・雑誌の発行・販売の認可制を目的とした「新聞印刷紙(修正)法案」を国会に提出。
DIA-207-1990-08-31-1シンガポール1990年08月31日1990年代インドネシア国会議員の一部,リー首相が独立記念日集会演説で,故スカルノ大統領と現スハルト大統領の統治を比較したコメントを,「スカルノに対する思慮に欠け,内政干渉である」と批判。
DIA-207-1990-08-31-2シンガポール1990年08月31日1990年代ボイ・タクハップ(Boey Tak Hup)准将,陸軍司令官を退任し,PUBの副経営責任者に転出。
DIA-207-1990-09-01-1シンガポール1990年09月01日1990年代政府,Asiaweek誌の販売部数を5000部から7500部に増やすことを認める。同誌がシンガポールの内政に干渉しないと約束したため。
DIA-207-1990-09-01-2シンガポール1990年09月01日1990年代三つの地域評議会(Town Council)が新たに設立され,これで81全選挙区をカバーし全部で27となる。
DIA-207-1990-09-02-1シンガポール1990年09月02日1990年代インドネシアのMerdeka紙も,リー首相の故スカルノ大統領に対する発言を,同国の「歴史理解を欠くもの」と厳しく批判。
DIA-207-1990-09-03-1シンガポール1990年09月03日1990年代イギリス総合化学会社,インペリアル・ケミカル・インダストリーズ社がシンガポールにOHQを設置。
DIA-207-1990-09-04-1シンガポール1990年09月04日1990年代シンガポール・アイランド・カントリー・クラブ付近の森で,日本軍占領中に建てられ,敗戦後壊された昭南神社の廃墟が発見される。
DIA-207-1990-09-05-1シンガポール1990年09月05日1990年代故スカルノ大統領の支持者,リー首相への抗議文を,ジャカルタのシンガポール大使館に手渡す。
DIA-207-1990-09-06-1シンガポール1990年09月06日1990年代モービル石油,8億6500万Sドルを投資しジュロン製油所に,石油化学コンプレックスを増設する計画を発表。
DIA-207-1990-09-06-2シンガポール1990年09月06日1990年代ASEAN諸国政府高官会議で,91年末シンガポールで第4回首脳会議を開くことに原則的合意。
DIA-207-1990-09-07-1シンガポール1990年09月07日1990年代マレーシアNew Straits Times紙は,最近シンガポール空軍機が同国の空域を侵犯したと報道。
DIA-207-1990-09-08-1シンガポール1990年09月08日1990年代人民行動党機関誌Petir最新号は,党員の白いユニフォームを今後も続けると述べる(ST紙8日報道)。
DIA-207-1990-09-09-1シンガポール1990年09月09日1990年代ラジャラトナム元外相,「ベンガル協会(Bengali Association)」会合の席上,インド系シンガポール人の海外流出は,近年,華人優先政策が採られているためとする見方に対し,シンガポールに「人種差別はない」と強調。
DIA-207-1990-09-11-1シンガポール1990年09月11日1990年代リー商工相,バンクーバーで開催された「アジア太平洋経済協力閣僚会議」に参加。
DIA-207-1990-09-11-2シンガポール1990年09月11日1990年代タクシー業界の最大手NTUC Comfort社,数年のうちにタクシーを3000台増やし,合計1万台以上とする計画を発表。
DIA-207-1990-09-12-1シンガポール1990年09月12日1990年代シンガポールとインドネシア空軍の共同演習が実施される(18日まで)。
DIA-207-1990-09-13-1シンガポール1990年09月13日1990年代リー商工相,投資誘致でアメリカ訪問に発つ。
DIA-207-1990-09-13-2シンガポール1990年09月13日1990年代インドネシア外相は,リー首相のスカルノ発言について,「多くのインドネシア人が感じるように自分も遺憾に思うが,リー首相は内政に干渉する意図はなかったと思う」と語る。
DIA-207-1990-09-14-1シンガポール1990年09月14日1990年代香港のダン貿易振興庁長官,貿易振興のためシンガポールを訪問し,リー首相と会見。
DIA-207-1990-09-15-1シンガポール1990年09月15日1990年代クブン・バルー住民委員会主催の,リー首相67歳の誕生目を祝う署名簿に7万1190人が署名。
DIA-207-1990-09-16-1シンガポール1990年09月16日1990年代中国・新華社,中国政府代表とシンガポールのコー無任所大使との間で,国交樹立に向け最後の詰めが行なわれている,と報道。
DIA-207-1990-09-17-1シンガポール1990年09月17日1990年代新駐タイ大使に,国防省情報局長のチン・シアットユーン(Chin Siat Yoon)准将が赴任。
DIA-207-1990-09-17-2シンガポール1990年09月17日1990年代DBS銀行,同行所有のSingapore Petroleum社株式のうち,12.8%をナッツスティール社(Nats Steel)に売却。売却後の同行の所有は19.4%。
DIA-207-1990-09-18-1シンガポール1990年09月18日1990年代ジョホール州政府によると,今年1~8月の期澗に760万人のシンガポール国民がマレーシアに入国。89年同期比47%増。
DIA-207-1990-09-18-2シンガポール1990年09月18日1990年代DBS Land社,ジュロン開発公社(JTC)と共同で,60万平方mの敷地に「ジュロン・ハイテク工業団地」を建設する計画を発表(93年完成予定)。
DIA-207-1990-09-19-1シンガポール1990年09月19日1990年代オン第2副首相を団長とする,労働組合使節団が中国を訪問。
DIA-207-1990-09-19-2シンガポール1990年09月19日1990年代「シンガポール・ソ連合同経済委員会」の発足式が,モスクワで開催さる。
DIA-207-1990-09-20-1シンガポール1990年09月20日1990年代湾岸危機の影響で,8月の消費者物価上昇率は,対7月比0.4%増,対前年同月比では2.9%の上昇。
DIA-207-1990-09-21-1シンガポール1990年09月21日1990年代ヨン最高裁判事の,第2代最高裁長官就任宣誓式が行なわる(正式就任は28日)。
DIA-207-1990-09-21-2シンガポール1990年09月21日1990年代イギリス王立産婦人科学会,リー首相に特別名誉会員資格を授与。
DIA-207-1990-09-21-3シンガポール1990年09月21日1990年代世界銀行によると,90年世界貿易に占めるシンガポールのシェアは1.4%で,世界第15位。
DIA-207-1990-09-22-1シンガポール1990年09月22日1990年代リー首相,ゴー第1副首相を伴い,ソ連公式訪問に発つ(5日間,26日ゴルバチョフ大統領と会談)。
DIA-207-1990-09-22-2シンガポール1990年09月22日1990年代政府は,チア・タイポー(Chia Thye Poh)元政治犯に対するスントサ島居住制限を,昼間はシンガポール島に渡り仕事についてもよい,と緩和。
DIA-207-1990-09-23-1シンガポール1990年09月23日1990年代リー商工相,11月にゴー新政権が誕生したら,全力を尽くして新首相を補佐する,と語る。
DIA-207-1990-09-24-1シンガポール1990年09月24日1990年代市内再開発巨大プロジェクトの一つで,8億Sドルをかけ,ブギス地区にホテル,オフィス,商業ビルを建設する「ブギス・ジャンクション・プロジェクト」の調印が行なわれる。参加企業は,ケッペル公社グループのStraits Steamship社(合弁会社株式の32%),インドネシアのアストラ・グループのスンマ投資社(39%),URA系のPidemco Land社(19%)および日本のセゾン・グループ(10%)の4社。
DIA-207-1990-09-25-1シンガポール1990年09月25日1990年代リー首相はモスクワで,この先10年の間に人民行動党の派閥分裂が起こることはないであろう,しかし将来,政策の違いで分裂が起こったとしても,党にとってはマイナスではない,と語る。
DIA-207-1990-09-25-2シンガポール1990年09月25日1990年代シンガポール商工会議所連合,新会長にインド商工会議所代表のラマチャンドラン(Ramachandran)を選出。
DIA-207-1990-09-26-1シンガポール1990年09月26日1990年代ゴー第1副首相は,香港『明報』紙とのインタビューで,「リー首相は,本人が希望する限り人民行動党書記長のポストに留まるだろう」と語る(→4/7,6/10)。またシンガポールの長期目標は,「社会の西欧化を食い止めアジア的性格を保持すること」と述べる。翌日政府は,華人系小学生の教育言語を,華語を第1言語とすることを検討していることを明らかにする。
DIA-207-1990-09-27-1シンガポール1990年09月27日1990年代63年1月以来27年間,最高裁長官を務めたウィー・チョンジン(Wee Chong Jin)が退官。
DIA-207-1990-09-28-1シンガポール1990年09月28日1990年代故スカルノ大統領の支持者,ジャカルタのシンガポール大使館前で,リー首相の故大統領侮辱発言に抗議し,リー首相の肖像画を燃やす。
DIA-207-1990-09-29-1シンガポール1990年09月29日1990年代シンガポール民主党は,支部第1号ケーンヒル(Cairnhill)支部を開設。
DIA-207-1990-09-30-1シンガポール1990年09月30日1990年代ゴー第1副首相が新閣僚構想を発表。11月下旬政権を引継ぐ,オン第2副首相とリー商工相を副首相に任命する,首相外遊の際の首相代理にはリー商工相がなる,新たに情報芸術省を新設,ジョージ・ヨー(George Yeo)准将を担当相に任命する,というもの。
DIA-207-1990-09-30-2シンガポール1990年09月30日1990年代政府91年1月から,観光客に実施しているタバコ購入の免税措置を廃止すると発表。
DIA-207-1990-10-01-1シンガポール1990年10月01日1990年代バス料金を81年以来はじめて全面的に引き上げ。現行料金が各10セント増で,最低が50セント,最高が90セントに。営業コストと燃料費の上昇が値上げ理由。
DIA-207-1990-10-01-2シンガポール1990年10月01日1990年代ムンダキ(MENDAKI)新会長に,ザイヌル・アビディン(Zainal Abidin)が就任。
DIA-207-1990-10-01-3シンガポール1990年10月01日1990年代日本経済新聞社,シンガポールで同紙アジア版の発行を開始。
DIA-207-1990-10-02-1シンガポール1990年10月02日1990年代在シンガポールの台湾通商事務所が,名称を従来の「中華民国駐シンガポール通商代表事務所」から「駐シンガポール台北代表事務所」に改称。
DIA-207-1990-10-02-2シンガポール1990年10月02日1990年代戦前の著名華僑企業家オー兄弟が建てた,タイガー・バーム・ガーデン(Tiger Balm Garden)が,F & Nグループにより,新たにレジーャ・ランドとしてオープン。
DIA-207-1990-10-03-1シンガポール1990年10月03日1990年代シンガポールと中国が国交樹立。ウォン外相と中国の銭外相が,ニューヨークの国連本部で国交樹立に関するコミュニケに調印。
DIA-207-1990-10-03-2シンガポール1990年10月03日1990年代シンガポール国立大学病院が,シンガポールで初の肝臓移植手術を行なう。
DIA-207-1990-10-04-1シンガポール1990年10月04日1990年代政府系のシンガポール・ペトロリアム社,株式の49%を外国人に売出し,クウェート投資庁(KIO)が10.6%,日本の出光石油,共同石油等が14.2%を取得。
DIA-207-1990-10-04-2シンガポール1990年10月04日1990年代国会で「公選大統領法案」の第2読会が始まる。
DIA-207-1990-10-05-1シンガポール1990年10月05日1990年代「国民登録(修正)法案」が国会を通過。これにより,政府は3~5年以内に新しい身分証明書システムを導入し,証明書の更新(顔写真の張り替え)は現行の13歳と17歳に加え30歳でも必要となる。
DIA-207-1990-10-05-2シンガポール1990年10月05日1990年代マレーシア海軍司令官が本日より3日間の日程でシンガポールを訪問,リー第2国防相と会見。
DIA-207-1990-10-06-1シンガポール1990年10月06日1990年代政府は12年目に入った「華語を話そう」(Speak Mandarin)キャンペーンの今年の力点を,華人系の管理職を対象に「華人は職場で華語を話そう」に置く。
DIA-207-1990-10-06-2シンガポール1990年10月06日1990年代ゴー第1副首相は,国会で「公選大統領法案」の提案説明を行ない「これまで1年以上に及んで議論してきたが,これより優れた制度はない」と発言。
DIA-207-1990-10-07-1シンガポール1990年10月07日1990年代ゴー第1副首相は,マレー人集団指導者との会合で,政府機関のムンダキと同じ趣旨の,民間組織を設立するよう提唱。
DIA-207-1990-10-07-2シンガポール1990年10月07日1990年代ホンリョン財団が,68万Sドルを45の慈善社会団体に寄付。うち25万Sドルを独立25周年慈善基金に寄付。
DIA-207-1990-10-07-3シンガポール1990年10月07日1990年代NTUCは,湾岸危機の影響で90年のインフレは5%以上になろう,と警告。
DIA-207-1990-10-08-1シンガポール1990年10月08日1990年代リー首相,5日間の日程でマレーシアのサラワクとブルネイに向けて発つ。
DIA-207-1990-10-09-1シンガポール1990年10月09日1990年代ゴー第1副首相はマレー人集団に,政府の香港人移民奨励政策は,華人系市民の比率増加を意図したものではなく,有能な専門家確保が目的と語る。マレー系,インド系市民の同政策への不満に答えたもの。
DIA-207-1990-10-09-2シンガポール1990年10月09日1990年代外務省は,前駐タイ大使のタン・センチャイ(Tan Seng Chye)を,新オーストラリア大使に任命。
DIA-207-1990-10-09-3シンガポール1990年10月09日1990年代シンガポールとインドネシア海軍,南シナ海域で共同演習を実施。
DIA-207-1990-10-10-1シンガポール1990年10月10日1990年代シンガポール政府,「世界不動産専門家会議」(Wipo)に加盟。127番目の加盟国となる。
DIA-207-1990-10-11-1シンガポール1990年10月11日1990年代通産省,91年1月より技術開発基金(SDF)の援助が適用される労働者の月収上限を,現行の750Sドルから1000Sドルに引き上げる,と発表。
DIA-207-1990-10-11-2シンガポール1990年10月11日1990年代シンガポール民主党,華人系管理職に重点を置いた「華語を話そう」キャンペーンは,シンガポールの種族調和を害なうもの,と批判。
DIA-207-1990-10-12-1シンガポール1990年10月12日1990年代Telecom,電話料金計算システムの全面的改訂計画を発表。91年10月より,現行の固定年額方式から,通話回数請求方式に替える。
DIA-207-1990-10-12-2シンガポール1990年10月12日1990年代海上警察によると,91年になってシンガポール国境海域近辺で「海賊船」による航行中の船舶襲撃が急増,すでに36件が発生。
DIA-207-1990-10-13-1シンガポール1990年10月13日1990年代イギリスの通信社ロイターが,92年までに香港の地域本部をシンガポールに移転する,と発表。
DIA-207-1990-10-14-1シンガポール1990年10月14日1990年代リー商工相,「日本・シンガポール経済顧問会議(Japan-Singapore Economic Advisory Council)」出席のため日本訪問(16日まで)。
DIA-207-1990-10-14-2シンガポール1990年10月14日1990年代リー首相香港訪問,ジャーナリストの会合で講演。
DIA-207-1990-10-14-3シンガポール1990年10月14日1990年代社会主義戦線(Barisan Sosialis)の元指導者フォン・スィースアン(Fong Swee Suan)が新聞のインタビューで,同党の66年の国会ボイコット戦術は誤りであった,と回顧。
DIA-207-1990-10-15-1シンガポール1990年10月15日1990年代ゴー第1副首相,11月28日リー首相から政権を引き継ぐ,就任後も国防相を継続して兼任することを明らかにする。
DIA-207-1990-10-15-2シンガポール1990年10月15日1990年代AWSJ紙,今後シンガポールでの販売を停止すると発表。
DIA-207-1990-10-15-3シンガポール1990年10月15日1990年代タクシー料金,89年12月に次いで値上げ。初乗り(最初の1.5キロ)が現行の1ドル90セントから2ドル20セント,275メートルにつき10セントが250メートルごととなる。
DIA-207-1990-10-16-1シンガポール1990年10月16日1990年代リー首相,ゴー第1副首相,野党のリー・シューチョー(Lee Siew Choh)国会議員等を伴い,5度目の中国訪問(24日まで)。
DIA-207-1990-10-17-1シンガポール1990年10月17日1990年代17日のST紙は,リー首相は最近,南アフリカ共和国の政治状況が改善されているのに鑑み,同国に貿易代表団を設置することや,SIAを就航させることを検討している,と報道。
DIA-207-1990-10-18-1シンガポール1990年10月18日1990年代ブルネイ陸軍参謀総長が来訪(22日まで)。
DIA-207-1990-10-19-1シンガポール1990年10月19日1990年代Telecom,郵便料金引き上げを発表。91年1月1日から国内料金が5~10セント,外国料金が最低10セント以上の幅で引き上げ。前回は89年7月。
DIA-207-1990-10-19-2シンガポール1990年10月19日1990年代日本自衛隊連合参謀会議の寺島議長がシンガポールを訪問し,ヨー国防大臣代理等と会談。
DIA-207-1990-10-20-1シンガポール1990年10月20日1990年代国民登録局,90年1~9月の間に,5211人の永住権保持者がシンガポール国籍を取得と発表。
DIA-207-1990-10-21-1シンガポール1990年10月21日1990年代トニー・タン(Tony Tan)教育相は,現在小学校3年の段階で行なわれている能力分けを,92年から4年の段階に変更する,と発表。
DIA-207-1990-10-22-1シンガポール1990年10月22日1990年代リー首相とゴー第1副首相,マレーシアのマハティール首相に総選挙勝利の祝電を送る。
DIA-207-1990-10-22-2シンガポール1990年10月22日1990年代米軍太平洋地域司令官が,シンガポールを訪問しゴー第1副首相と会談。
DIA-207-1990-10-23-1シンガポール1990年10月23日1990年代シンガポール証券取引所の「ST工業指数」が急上昇,一日で36ポイントアップし,9月14日以来1200ポイントを超え,1209.9ポイントとなる。
DIA-207-1990-10-24-1シンガポール1990年10月24日1990年代リー首相,マレーシアの選挙結果について,両国関係にとり好ましいもの,とコメント。
DIA-207-1990-10-25-1シンガポール1990年10月25日1990年代ネーザン(Nathan)新駐米シンガポール大使が着任。同大使はマレーシア大使からの転任。
DIA-207-1990-10-25-2シンガポール1990年10月25日1990年代日本のキッコーマン醤油社が,シンガポール交響楽団に25万Sドルを寄付。
DIA-207-1990-10-26-1シンガポール1990年10月26日1990年代ゴー第1副首相,インドネシア訪問に出発(3日間)。
DIA-207-1990-10-28-1シンガポール1990年10月28日1990年代SIA,中国・広州へ直航便(週一便)を就航。
DIA-207-1990-10-29-1シンガポール1990年10月29日1990年代リー商工相,ASEAN経済閣僚会議出席のため31日までインドネシアを訪問。
DIA-207-1990-10-30-1シンガポール1990年10月30日1990年代任命国会議員選考委員会,12名の推薦候補者を受け付ける。
DIA-207-1990-10-31-1シンガポール1990年10月31日1990年代Telecom,5000万Sドルを投資しインフォメーション・システム“Teleview”をスタート。
DIA-207-1990-11-01-1シンガポール1990年11月01日1990年代企業の従業員や学生の送迎用にチャーターされる個人バス料金が20%値上さる。
DIA-207-1990-11-02-1シンガポール1990年11月02日1990年代11月末に発足する新政権の閣僚メンバーが発表され,情報・芸術省(Ministry of Infomation and the Arts)が新設さる。
DIA-207-1990-11-02-2シンガポール1990年11月02日1990年代リー首相,華語を話さない国民の間で,「華語を話そう」キャンペーンや政府が現在検討中の華語を小学校の第1言語とする政策に,批判や不満が高まっていることに触れ,英語を共通語とする2言語政策は不変であると強調。
DIA-207-1990-11-02-3シンガポール1990年11月02日1990年代ゴー第1副首相,ブルネイを非公式訪問(2日間)。
DIA-207-1990-11-03-1シンガポール1990年11月03日1990年代日刊工業新聞,東南アジア支局を開設。
DIA-207-1990-11-05-1シンガポール1990年11月05日1990年代ST紙,湾岸危機以来ホテルの平均客室占有率が若干落ち込み,10月分は8月の89%から4%減と報道。
DIA-207-1990-11-06-1シンガポール1990年11月06日1990年代地下鉄料金が値上げ。現行の賃金体系より10セントアップの,最低が60セント,最高が1ドル50セントとなる。学生向け定期券も5~10ドルの値上げ。
DIA-207-1990-11-06-2シンガポール1990年11月06日1990年代インドネシア内務相がシンガポールを訪問し行政システムを視察(8日まで)。
DIA-207-1990-11-07-1シンガポール1990年11月07日1990年代シンガポール・ドルの対米ドル交換率が過去最高の1.70Sドルを記録する。
DIA-207-1990-11-07-2シンガポール1990年11月07日1990年代大阪府,対シンガポール経済交流促進のため,アジア地域最初の代表事務所を開設。
DIA-207-1990-11-08-1シンガポール1990年11月08日1990年代50,60年代におけるマラヤ共産党シンガポール地区指導者ファン・チュアンピー,マレーシア華字紙『新明日報』のインタビューに応じる。
DIA-207-1990-11-09-1シンガポール1990年11月09日1990年代商工省,今年のインフレ率は3.6~3.7%ほどとの見通しを明かす。
DIA-207-1990-11-09-2シンガポール1990年11月09日1990年代国会,「宗教調和維持法案」を承認。
DIA-207-1990-11-09-3シンガポール1990年11月09日1990年代フランス首相,シンガポール訪問(11日まで)。
DIA-207-1990-11-10-1シンガポール1990年11月10日1990年代商工省,来年の経済成長率予測を発表。湾岸危機を考慮し3~6%の低成長を見込む。
DIA-207-1990-11-10-2シンガポール1990年11月10日1990年代バーカー(Barker)元法相,シンガポール証券取引所会長に再任さる。
DIA-207-1990-11-11-1シンガポール1990年11月11日1990年代リー首相,平成天皇即位式出席のため日本を訪問(14日まで)。
DIA-207-1990-11-13-1シンガポール1990年11月13日1990年代リー首相は東京で,アメリカ・クウェイル副大統領と米軍のシンガポール施設使用に関する「軍事施設利用協定」に調印。
DIA-207-1990-11-13-2シンガポール1990年11月13日1990年代リー首相,インドネシア大統領,フィリピン大統領と会談。
DIA-207-1990-11-14-1シンガポール1990年11月14日1990年代大蔵省,将来の通貨不足に備え「通貨備蓄基金」の創設を検討中と明かす。
DIA-207-1990-11-14-2シンガポール1990年11月14日1990年代国会,「公選大統領法案」公聴会を開催。
DIA-207-1990-11-16-1シンガポール1990年11月16日1990年代タン教育相,新小学校教育政策を現在検討中と語る。就学期間を現行の6年から7年に,7年を準備期(1年),基礎期(4年),開発期(2年)に分け,英語,数学,母語の3科目に重点を置く,が主な内容。
DIA-207-1990-11-17-1シンガポール1990年11月17日1990年代マレーシア副首相は,最近イギリスのテレビがマレーシアとシンガポールは潜在的な紛争発生地域,と報道した事に対し,同国はシンガポールを侵略・占領する意図は全くなく,両国の兄弟関係は維持されなければならない,と語る。
DIA-207-1990-11-18-1シンガポール1990年11月18日1990年代人民行動党幹部党員大会,第21次中央執行委員会を選出。リー書記長は留任(「参考資料」参照)。ゴー副首相は大会演説で,リー商工相を新政権の首相代行に選任したのは,シンガポールの10年,20年後を考慮したものと説明。
DIA-207-1990-11-18-2シンガポール1990年11月18日1990年代ウォン外相,日本と韓国を訪問(24日まで)。
DIA-207-1990-11-19-1シンガポール1990年11月19日1990年代シンガポール製造業者協会(SMA)は,2週間前ミャンマーに投資調査代表団を派遣し,現在はベトナムに同様の代表団を派遣していると発表。
DIA-207-1990-11-19-2シンガポール1990年11月19日1990年代リー首相,18日に来訪したネパール首相と会見。
DIA-207-1990-11-19-3シンガポール1990年11月19日1990年代STPB,ハンディクラフト・センター跡地を1億8800万Sドルで商業開発用に,マレーシア・クオック・グループに売却。
DIA-207-1990-11-19-4シンガポール1990年11月19日1990年代厚生省は,シンガポール総人口に占める高齢者(65歳以上)の比率は,89年の6%から2015年には17%となる,との予測を明らかにする。
DIA-207-1990-11-20-1シンガポール1990年11月20日1990年代デスカー(Barry Desker)駐インドネシア大使,ゴー副首相とスハルト大統領の関係は,リー首相とのほどには親密ではないが,同国関係に基本的な変化はないだろう,と語る。
DIA-207-1990-11-22-1シンガポール1990年11月22日1990年代任命国会議員の第一号に,UIC社長リョン・チーワイ(Leong Chee Whye)とシンガポール国立大学医学部心蔵学科長モーリス・チュー(Maurice Choo)の2人が任命さる。
DIA-207-1990-11-22-2シンガポール1990年11月22日1990年代チャンギ国際空港第2ターミナルがオープン。空港の名称は「エアトロポリス(Airtropolis)」に。
DIA-207-1990-11-22-3シンガポール1990年11月22日1990年代液化石油ガス(LPG)の小売り価格が10%引き上げ。家庭用(12.7kg)は1.70Sドルアップの19ドルに。
DIA-207-1990-11-23-1シンガポール1990年11月23日1990年代インドネシア経済相,経済協力問題協議のためシンガポールを訪問(25日まで)。
DIA-207-1990-11-23-2シンガポール1990年11月23日1990年代労働省,サービス業部門における外国人労働者の雇用上限比率を,現行の10%から20%に引き上げ。
DIA-207-1990-11-24-1シンガポール1990年11月24日1990年代リー首相とマハティール首相が立合い,シンガポールとマレーシア・ジョホール州は,新「水協定」に調印。
DIA-207-1990-11-24-2シンガポール1990年11月24日1990年代リー首相,政権31年における最大の成果は,従来の路線を継承できる有能な後継政府の選定,最大の失敗は,マレーシア連邦の維持に失敗したことと語る。
DIA-207-1990-11-24-3シンガポール1990年11月24日1990年代リー労相,リー首相退任後はゴー第1副首相が人民協会(PA)会長に就任すると語る。
DIA-207-1990-11-25-1シンガポール1990年11月25日1990年代ST紙,18日開催された人民行動党幹部党員大会におけるリー書記長(首相)の演説を掲載。リー首相は,「他の国では政治指導者は権力欲や金銭のために政治を行なうが,シンガポールの指導者は,信念と価値のためにしている。シンガポールのユニークなこの政治文化を維持しなければならない」と語る。
DIA-207-1990-11-26-1シンガポール1990年11月26日1990年代リー首相,ウィー大統領に辞表提出。
DIA-207-1990-11-26-2シンガポール1990年11月26日1990年代日本の宮崎県知事,リー首相に彫刻作品を贈る。
DIA-207-1990-11-26-3シンガポール1990年11月26日1990年代地下鉄とバスの共通切符制度,「フェアカード」(Fair-card)の試験的実施がスタート。
DIA-207-1990-11-27-1シンガポール1990年11月27日1990年代ウィー大統領,ゴー・チョクトン第1副首相を共和国第2代首相に任命。ゴー新内閣が発足(「参考資料」参照)。
DIA-207-1990-11-28-1シンガポール1990年11月28日1990年代シティー・ホールでゴー新首相就任宣誓式が行なわれ,新首相は就任演説を行なう(「参考資料」参照)。
DIA-207-1990-11-28-2シンガポール1990年11月28日1990年代DBS銀行,プライム・レートを0.25%引き下げ,7.25%とする(OUB銀行とOCBC銀行は12月6日に同率の引き下げ)。90年2月以降プライム・レートは5度上がり,5.5%から7.5%まで上昇。今回は今年最初の引き下げ。
DIA-207-1990-11-29-1シンガポール1990年11月29日1990年代ゴー首相,国会における当面の政策課題は「公選大統領法案」の成立,「国民共有価値(Shared value白書」の議論を深める,の2点であると語る。
DIA-207-1990-11-29-2シンガポール1990年11月29日1990年代レーガン前アメリカ大統領,「リー氏は原則とビジョンに優れていた」と,ST紙に語る。
DIA-207-1990-11-30-1シンガポール1990年11月30日1990年代90年度小学校共通卒業試験(PSLE)の結果が発表され,合格率は88.2%(89年度は88.4%)。
DIA-207-1990-11-30-2シンガポール1990年11月30日1990年代内務省,60,70年代に活動した元共産系グループ指導者9人(現在マレーシア国籍を持つ)に出されていた,入国禁止措置を撤回したと発表。
DIA-207-1990-11-30-3シンガポール1990年11月30日1990年代マレーシア軍総長,ゴー首相と会見。
DIA-207-1990-11-30-4シンガポール1990年11月30日1990年代通貨委員会,91年1月28日より2ドル紙幣を発行すると発表。
DIA-207-1990-12-01-1シンガポール1990年12月01日1990年代テレビ・ラジオ受信料金が6年ぶりに値上げ。値上げ幅は20~50%で,テレビの場合年間80Sドルから100Sドルに。
DIA-207-1990-12-01-2シンガポール1990年12月01日1990年代新たに外国新聞・雑誌の販売許可制を導入した「新聞印刷紙修正法」が発効。シンガポールで現在販売されている17の外国新聞・雑誌のうち,Asiaweek,Yazhou Zhoukan,Mediaの3誌が政府の販売許可取得が必要。
DIA-207-1990-12-01-3シンガポール1990年12月01日1990年代人民行動党,1000万Sドルの教育基金を開設する計画を明らかにする。
DIA-207-1990-12-01-4シンガポール1990年12月01日1990年代ジョホール州で行なわれた,サッカーのマレーシア杯準決勝シンガポール対ジョホール州戦で,シンガポールの応援団にマレーシア・ファンが投石。
DIA-207-1990-12-02-1シンガポール1990年12月02日1990年代中国銀行,9000万Sドルの34階建て本店ビル建設計画を発表(91年後半着工)。
DIA-207-1990-12-02-2シンガポール1990年12月02日1990年代タン教育相,教育制度視察で訪日(7日まで)。
DIA-207-1990-12-04-1シンガポール1990年12月04日1990年代TDBは,日本市場でシンガポール食品の販売拡張のため,日本の国分社と合弁で,資本金1億円のSingapore Kokubu社を設立する,と発表。
DIA-207-1990-12-04-2シンガポール1990年12月04日1990年代ゴー首相のマスコミ担当秘書官に情報・芸術省広報部長チャン・ヘンウィン(Chan Heng Wing)が任命さる。
DIA-207-1990-12-05-1シンガポール1990年12月05日1990年代インドネシアとフィリピンの軍司令官が,シンガポールを訪問(7日まで)。
DIA-207-1990-12-05-2シンガポール1990年12月05日1990年代政府国会委員会(GPS)新メンバー発表さる。7委員会委員長のうち3人が新任。
DIA-207-1990-12-06-1シンガポール1990年12月06日1990年代NTUC,91年1月より組合費の値上げを発表。大半の組合は,現行の6Sドルに1Sドルのアップ。
DIA-207-1990-12-06-2シンガポール1990年12月06日1990年代UIC会長のウィー・ホンリョン(Oei Hong Leong),日本の本州製紙株式の約33%の買取権を取得したことを明かす。
DIA-207-1990-12-07-1シンガポール1990年12月07日1990年代ウィー大統領とリー・クアンユー上級相,6日死去したラーマン元マレーシア首相に弔辞を送る。
DIA-207-1990-12-07-2シンガポール1990年12月07日1990年代シンガポール証券取引所の「ST工業指数」が急騰。湾岸危機が好転するとの思惑から,前日より約45ポイント増の1197.85ポイント。過去2日間で6.54%の上昇。
DIA-207-1990-12-08-1シンガポール1990年12月08日1990年代ST紙,ゴー新首相の就任以降,世界60カ国を上回る指導者が祝辞を送った,と報道。
DIA-207-1990-12-08-2シンガポール1990年12月08日1990年代シンガポールとインドネシア共同の投資誘致団(40人)が日本を訪問(22日まで)。
DIA-207-1990-12-09-1シンガポール1990年12月09日1990年代HDB,同フラットの入居規定を緩和する。多世代家族計画で購入したフラットを,核家族となった後も保持できる,家族の死別,離婚等の理由で入居者が一人になっても継続して住める,等が主な内容。
DIA-207-1990-12-10-1シンガポール1990年12月10日1990年代アメリカ上院軍事委員会議長がシンガポールを訪問し,ゴー首相と会見(11日まで)。
DIA-207-1990-12-10-2シンガポール1990年12月10日1990年代シンガポール陸軍兵士50人が,インドネシアで同国陸軍と共同演習を開始(5日間)。
DIA-207-1990-12-10-3シンガポール1990年12月10日1990年代日本人女性が,90年にシンガポールを訪れた500万人目の観光客となる。
DIA-207-1990-12-11-1シンガポール1990年12月11日1990年代ガットの発表によると,89年にシンガポールは世界輸出国ランクの第15位となった。
DIA-207-1990-12-11-2シンガポール1990年12月11日1990年代インドネシア海軍参謀総長が,シンガポール訪問(12日まで)。
DIA-207-1990-12-12-1シンガポール1990年12月12日1990年代シンガポール民主党,幹部党員大会を開催し,党路線を討議。
DIA-207-1990-12-12-2シンガポール1990年12月12日1990年代インドネシア工業相,シンガポールと91年前半の時期に,リアウ州の水を同国に供給する「水協定」を締結する予定,締結後3年で供給が可能となろう,と語る。
DIA-207-1990-12-12-3シンガポール1990年12月12日1990年代タン教育相,91年9月にシンガポール最初の海外学校を香港に開校する予定と語る。
DIA-207-1990-12-13-1シンガポール1990年12月13日1990年代ヨー通信相,91年5月より「週末自動車計画」をスタートする予定と語る。計画によれば,週末自動車は,平日の夜間,週末および休日のみ利用でき,道路税は一般車の30%。
DIA-207-1990-12-14-1シンガポール1990年12月14日1990年代独立25周年を記念する「慈善基金」募金が締め切られ,総額6350万Sドルに達する。
DIA-207-1990-12-16-1シンガポール1990年12月16日1990年代人口計画ユニットは,90年の新生児総数は5万1000人に達する見込みで,89年より約3300人増と発表。
DIA-207-1990-12-17-1シンガポール1990年12月17日1990年代政府地域機関委員1700人が参加し,ゴー新首相の就任祝賀パーティーを開催。席上首相は,国民の間に平等な教育機会を確保するために50億Sドルの「教育基金」(Edusave)を設立して,資金補助を行なう計画を明らかにする。
DIA-207-1990-12-18-1シンガポール1990年12月18日1990年代政府系の武器製造企業,Allied Ordnance Singapore社は,海外での製品販売拡張のためフランス・トムソン社と合弁でDefence Electronics of Singapore社を設立。
DIA-207-1990-12-19-1シンガポール1990年12月19日1990年代シンガポール宗郷総連合会が,ゴー新首相就任祝賀パーティーを開催。ゴー首相は演説で,各種族集団が固有の文化価値を保持することを認めながらも,全種族(国民)が共有できる価値を創設する必要性を強調。
DIA-207-1990-12-20-1シンガポール1990年12月20日1990年代NTUC,91年1月よりNTUCと特約した144の民間病院で,組合員は診察費の10%割引を受けられる制度をスタートすると発表。
DIA-207-1990-12-21-1シンガポール1990年12月21日1990年代「公選大統領法案」審議中の国会特別委員会は,法案に大統領候補者の党籍離脱を義務づけた条項を追加する。
DIA-207-1990-12-22-1シンガポール1990年12月22日1990年代ヨー情報・芸術相代行,海外から優れたムスリム・マレー人を移民奨励することを目的とした特別委員会の設置を,発表。
DIA-207-1990-12-25-1シンガポール1990年12月25日1990年代シンガポール仏教連合会会長で仏教徒最高指導者,セク・ホンチューン(Sek Hong Choon)法師が死去。
DIA-207-1990-12-26-1シンガポール1990年12月26日1990年代EDB,シンガポール企業の生産自動化援助計画で,90年は107企業を対象に総額8800万Sドルの援助を実施と発表。
DIA-207-1990-12-27-1シンガポール1990年12月27日1990年代商工省,90年の経済成長率見込みは8.5%と発表(11月に発表した8.3%を上方修正)。
DIA-207-1990-12-27-2シンガポール1990年12月27日1990年代タイ陸軍最高司令官がシンガポールを訪問し,ゴー首相と会見(28日帰国)。
DIA-207-1990-12-28-1シンガポール1990年12月28日1990年代11月末に表面化したUIC社買収合戦が決着。攻勢をかけたインドネシアの大実業家リム・シューリョンが,現所有者ウィー・ホンリョンより同社株式18%の譲渡を受け,新所有者(合計24.5%を取得)となる。
DIA-207-1990-12-28-2シンガポール1990年12月28日1990年代ゴー・チーウィー(Goh Chee Wee)国会議員,NTUC書記次長に任命さる。
DIA-207-1990-12-29-1シンガポール1990年12月29日1990年代青年団体が主催した,ゴー新首相就任を祝福する記名帳に2万5000人が署名し,新首相に贈呈さる。
DIA-207-1990-12-29-2シンガポール1990年12月29日1990年代国立大学病院,91年1月1日より診療費の値上げを発表。アップ幅は約10~20%。
DIA-207-1990-12-29-3シンガポール1990年12月29日1990年代EDB,過去2年間にシンガポールの現地企業は総額20億Sドルの海外投資を行なったと発表。
DIA-207-1990-12-30-1シンガポール1990年12月30日1990年代ゴー首相,経済の2大政策目標は,安定成長の確保と成長の成果を広範囲な国民に与えることと語る。
DIA-207-1990-12-30-2シンガポール1990年12月30日1990年代オン副首相,88物件を入れたタイム・カプセルをエンプレス・プレイスに埋める。カプセルは独立50周年となる2015年に開けられる予定。
DIA-207-1990-12-31-1シンガポール1990年12月31日1990年代ゴー首相,91年2月にシンガポールの長期発展計画を発表すると語る。
DIA-207-1991-01-01-1シンガポール1991年01月01日1990年代ゴー・チョクトン(Goh Chok Tong)首相の新年のメッセージ。世界の不確実な情勢に対処するために,国民は団結し整然としていなければならないと説く。
DIA-207-1991-01-01-2シンガポール1991年01月01日1990年代本日より郵便料金が値上げさる。
DIA-207-1991-01-02-1シンガポール1991年01月02日1990年代政府の発表によると,89年の結婚は1万8546組で,そのうち80%が同じ宗教同士のカップル。
DIA-207-1991-01-02-2シンガポール1991年01月02日1990年代シンガポール証券取引所に上場されている地場企業で,90年末現在の株式時価総額が1億S㌦を上回った企業は,前年より3社減の13社となる。
DIA-207-1991-01-03-1シンガポール1991年01月03日1990年代国会,「大統領公選法案」を可決。
DIA-207-1991-01-03-2シンガポール1991年01月03日1990年代インドネシア最大の企業集団を率いるリム・シューリョン(Lim Siew Leong)が,先週亡くなった大僧正を記念する塔の建設に200万S㌦寄付。
DIA-207-1991-01-04-1シンガポール1991年01月04日1990年代国会に「法律専門職修正法案」が上程さる。
DIA-207-1991-01-04-2シンガポール1991年01月04日1990年代政府は官報で,リー・クアンユー(Lee Kuan Yew)上級相の任務は,各大臣に対する助言と告知。
DIA-207-1991-01-05-1シンガポール1991年01月05日1990年代政府は「国民共有価値白書」(White Paper on Shared Value)を発表。主な内容は,(1)社会よりも国家,個人よりも社会の優先,(2)社会の基本単位は家族,(3)個人は社会を尊重して支える,(4)争いよりも合意,(5)種族的・宗教的調和の維持,の5項目。
DIA-207-1991-01-05-2シンガポール1991年01月05日1990年代Sembawang空軍基地でヘリコプターが墜落し,4人の空軍兵士が死亡。
DIA-207-1991-01-06-1シンガポール1991年01月06日1990年代マレーシア貿易相が来訪(~7日)。
DIA-207-1991-01-06-2シンガポール1991年01月06日1990年代ジョージ・ヨー(George Yeo)情報・芸術相,もしAWSJやFEERが内政に関与しなければ,政府は自由販売を再び認めるだろうと語る。
DIA-207-1991-01-07-1シンガポール1991年01月07日1990年代ゴー首相,マレーシアの通産相と会見し,条件付きで同国提案の「東アジア経済圏構想」を支持すると語る。
DIA-207-1991-01-07-2シンガポール1991年01月07日1990年代OCBC銀行とDBS銀行,プライム・レートを0.25ポイント引き下げ7%とする。
DIA-207-1991-01-08-1シンガポール1991年01月08日1990年代シンガポール・サッカー協会は,プロ・サッカー・リーグの発足を検討中と発表。
DIA-207-1991-01-09-1シンガポール1991年01月09日1990年代ゴー首相は,就任後初の外遊としてインドネシアを本日から2日間訪問し,スハルト大統領と会談。同大統領に対し健康な限り職を務めるべきと述べ,成長の三角地帯を拡大して,21世紀には「東アジア三日月地帯」を創設することを提唱。
DIA-207-1991-01-09-2シンガポール1991年01月09日1990年代マー・ボータン(Mah Boh Tan)通産国務相,90年の実質賃金上昇率は6.5%であったと語る。
DIA-207-1991-01-10-1シンガポール1991年01月10日1990年代経済開発庁,90年の対製造業投資総額は,前年より27%増の24億8000万Sドルで過去最高と発表。
DIA-207-1991-01-11-1シンガポール1991年01月11日1990年代ゴー首相,本日よりマレーシアを3日間訪問。マハティール首相と会談し「東アジア経済圏構想」への支持を表明。
DIA-207-1991-01-11-2シンガポール1991年01月11日1990年代東南アジア最初のカナダ人学校がシンガポールに開校される。
DIA-207-1991-01-13-1シンガポール1991年01月13日1990年代Bradell・MRT駅で,防空訓練が実施される。
DIA-207-1991-01-14-1シンガポール1991年01月14日1990年代アメリカのIBM社は,シンガポールのコングロマリットHong Leongグループと合弁でInternational Application Resources社を設立する予定と発表。
DIA-207-1991-01-14-2シンガポール1991年01月14日1990年代DBS銀行,香港に支店を開設する。
DIA-207-1991-01-15-1シンガポール1991年01月15日1990年代ゴー首相,国会にグループ代表選挙区の定員を現在の3人から4人に変更する「国会選挙修正法」を提案。
DIA-207-1991-01-16-1シンガポール1991年01月16日1990年代政府は,50年代の共産系グループの指導者の一人,ユー・チューイップ(Yu Choo Yip)の入国禁止令を解除する。
DIA-207-1991-01-17-1シンガポール1991年01月17日1990年代アメリカのエクソン社,3億S㌦を投資しシンガポールに新石油精製工場を建設する計画を発表。
DIA-207-1991-01-17-2シンガポール1991年01月17日1990年代国内歳入局長のシュー・ツェクワン(Hsu Tse Kwang),政府系造船企業グループSembawang Shipyardの実権付き会長に任命される。
DIA-207-1991-01-17-3シンガポール1991年01月17日1990年代政府は湾岸戦争の開戦にあたり,連合軍を支持する声明を発表。他方,米軍の短期勝利の見通しから,シンガポール証券取引所のST指数が,1日としては記録的な62ポイントも上昇して1212ポイントとなる。
DIA-207-1991-01-18-1シンガポール1991年01月18日1990年代駐シンガポール・ソ連大使館が,近くASEAN諸国で最初の貿易事務所をシンガポールに設置する予定と明かす。
DIA-207-1991-01-19-1シンガポール1991年01月19日1990年代政府,90年の消費者物価上昇率は3.4%と発表。
DIA-207-1991-01-19-2シンガポール1991年01月19日1990年代UOB銀行会長のウィー・チョーヤオ(Wee Cho Yaw)が「最優秀企業家賞」を受ける。
DIA-207-1991-01-19-3シンガポール1991年01月19日1990年代リー上級相,15日間の日程でアメリカ,メキシコ訪問に出発。
DIA-207-1991-01-20-1シンガポール1991年01月20日1990年代政府は湾岸戦争で,医療チームをサウジアラビアに派遣。
DIA-207-1991-01-21-1シンガポール1991年01月21日1990年代唯一の野党国会議員,チャム・シートン(Chiam See Tong)シンガポール民主党書記長は,野党がこれまでの何でも反対党から,政府の国家建設のパートナーにならなければならないと語る。
DIA-207-1991-01-22-1シンガポール1991年01月22日1990年代マレーシアStar紙,湾岸戦争開始後,シンガポール人のジョホール訪問者数が20~30%減と報道。
DIA-207-1991-01-22-2シンガポール1991年01月22日1990年代政府は,元国連大使で現政策研究所長のトミー・コー(Tommy Koh)を貿易振興庁役員に任命したと発表。
DIA-207-1991-01-22-3シンガポール1991年01月22日1990年代アメリカ訪問中のリー上級相夫妻,ブッシュ大統領と会談。
DIA-207-1991-01-23-1シンガポール1991年01月23日1990年代マー・ボータン通産国務相,湾岸戦争の勃発でもシンガポールは十分な食糧と燃料の貯えがあると語る。
DIA-207-1991-01-24-1シンガポール1991年01月24日1990年代ゴー首相,湾岸戦争により予定していたブルネイ,タイ,フィリピン訪問を延期すると発表。
DIA-207-1991-01-25-1シンガポール1991年01月25日1990年代アティット・タイ外相,来訪。ゴー首相と会見。
DIA-207-1991-01-25-2シンガポール1991年01月25日1990年代人民行動党,91/92年度党委員会新役員を発表。青年局長がリー・シェンロンからジョジ・ヨーに交替。
DIA-207-1991-01-26-1シンガポール1991年01月26日1990年代大蔵省,本日よりシンガポールとインドネシア間の二重課税防止協定が発効したと発表。
DIA-207-1991-01-27-1シンガポール1991年01月27日1990年代『連合早報』紙,今年から外国人雇用改正法が発効して,最初の半月で80人が同法違反で逮捕されたと報道。
DIA-207-1991-01-27-2シンガポール1991年01月27日1990年代マレーシア・パハン州より70人の貿易使節団が投資促進のため来訪。
DIA-207-1991-01-28-1シンガポール1991年01月28日1990年代Singapore Press Holdings社が国民に湾岸戦争について行なったアンケート(ST紙に発表)によると,90%が医療チームを送るのに賛成,連合軍への軍隊派遣には華人の63%,インド人の68%,マレー人の80%が反対。
DIA-207-1991-01-29-1シンガポール1991年01月29日1990年代通貨庁,新たに2ドル紙幣を発行。
DIA-207-1991-01-30-1シンガポール1991年01月30日1990年代リー上級相,メキシコを訪問し,同国大統領と会見。
DIA-207-1991-01-31-1シンガポール1991年01月31日1990年代リー・シェンロン(Lee Hsien Loong)通産相,シンガポールは湾岸戦争で連合軍の行動を支持するが,イラクの解体も望まないと語る。
DIA-207-1991-02-01-1シンガポール1991年02月01日1990年代リー上級相,メキシコでシンガポール企業はもっとメキシコ投資を行なうように,と語る。
DIA-207-1991-02-01-2シンガポール1991年02月01日1990年代マレー人社会指導者が,最近実施された新聞の湾岸戦争に関するアンケート調査はタイミングが悪く,マレー人に対する理解を欠いていると批判。
DIA-207-1991-02-01-3シンガポール1991年02月01日1990年代シンガポール港湾庁,本日より船舶を利用した出入国者に10S㌦の「巡航税」を課す。
DIA-207-1991-02-02-1シンガポール1991年02月02日1990年代マレーシア『南洋商報』は,リー副首相がマレーシア・ジャーナリストとの会見で,もしマレーシアが国内治安法(Internal Security Act)を廃止したなら,シンガポールも廃止を検討すると語った,と報道。
DIA-207-1991-02-03-1シンガポール1991年02月03日1990年代中国国務院秘書長が,ゴー首相と会見。
DIA-207-1991-02-04-1シンガポール1991年02月04日1990年代ゴー首相,日帰りでマレーシアのジョホール州を公式訪問し,リンギュー・ダムを視察。もし将来同州に余剰水があればシンガポールは購入すると語る。
DIA-207-1991-02-04-2シンガポール1991年02月04日1990年代政府はマレーシア・ジョホール州に渡る自動車のガソリン供給基準をこれまでの燃料タンク2分の1から4分の3に改正し,本日より実施。シンガポール市民がガソリンの安いマレーシアで補給するのを防ぐのが狙い。
DIA-207-1991-02-05-1シンガポール1991年02月05日1990年代政府系の東アジア哲学研究所は,中国から帰国した元共産党系グループ指導者のユーを顧問に任命したと発表。
DIA-207-1991-02-05-2シンガポール1991年02月05日1990年代シンガポール航空,職員の定年を55歳から60歳に引き上げることに労使が原則的に合意したと発表。
DIA-207-1991-02-06-1シンガポール1991年02月06日1990年代リー副首相,インドネシア・リアウ省開発会議出席のため,7日までジャカルタを訪問。会議でインドネシア,シンガポール両国は,ビンタン島開発のため今後5年間に63億S㌦を投資することに合意。
DIA-207-1991-02-06-2シンガポール1991年02月06日1990年代政府は,もし湾岸戦争が長期化したならばシンガポールの経済成長は90年より1~2.3%落ち込むだろうとの見通しを明らかにする。
DIA-207-1991-02-07-1シンガポール1991年02月07日1990年代最高裁,インサイダー取引により第一審で懲役1年の判決を受け控訴していた実業家アラン・ソー(Alan Ng)に罰金5万S㌦の減刑判決を行なう。
DIA-207-1991-02-08-1シンガポール1991年02月08日1990年代新聞独占会社のSingapore Press Holdings社は,業績好調により3000人強の従業員に3カ月分の特別ボーナスを支給すると発表。
DIA-207-1991-02-13-1シンガポール1991年02月13日1990年代本日より1カ月間,地場大手銀行の資金援助でCNNニュース放送の受信が可能となる。
DIA-207-1991-02-14-1シンガポール1991年02月14日1990年代野党のPKMS,マレー人社会の利益を擁護するためにマレー人任命国会議員制度の導入を要求する。
DIA-207-1991-02-15-1シンガポール1991年02月15日1990年代ゴー首相,チャイニーズ・ニューイヤー・メッセージで,湾岸戦争への対応でマレー人と非マレー人の意見分裂の問題にふれ,国民の団結を要望する。
DIA-207-1991-02-17-1シンガポール1991年02月17日1990年代シンガポールとソ連の合同経済委員会は,今年中に「投資保護協定」を締結することに合意。
DIA-207-1991-02-18-1シンガポール1991年02月18日1990年代インドネシアの調査・技術相,「成長の三角地帯」構想に関して近い将来インドネシア,マレーシア,シンガポールが3カ国協定を結ぶことはないと語る。
DIA-207-1991-02-19-1シンガポール1991年02月19日1990年代Thomson Consumer Electoronics社,インドネシアとシンガポールが共同開発したバタム工業団地で操業を開始。操業第1号となる。
DIA-207-1991-02-20-1シンガポール1991年02月20日1990年代中華総商会役員改選で,タン・インジュー(Tan Eng Joo)会長が再選される。任期は1年。
DIA-207-1991-02-21-1シンガポール1991年02月21日1990年代シンガポールの地場企業数社とマレーシア・ジョホール州が共同で3億1500万S㌦を投資し,同州にリゾート・センターを建設する計画が発表される。
DIA-207-1991-02-22-1シンガポール1991年02月22日1990年代第7国会の第3期が始まる。ゴー政権の長期的な国家建設政策綱領『ネクスト・ラップ』が発表される(「参考資料」参照)。
DIA-207-1991-02-24-1シンガポール1991年02月24日1990年代政府,ウビン,テコン島のMRT建設を含む,長期的な国家都市開発計画“Concept Plan”を発表。現在の地下鉄路線をWoodlandまで延長する工事は年内に着工予定。
DIA-207-1991-02-25-1シンガポール1991年02月25日1990年代シンガポール観光促進庁,チューリッヒ事務所を開設。
DIA-207-1991-02-26-1シンガポール1991年02月26日1990年代シンガポールの女性国連大使,チャン・ヘンチー(Chan Heng Chee)が2年間勤めて(任期3年)帰国。
DIA-207-1991-02-26-2シンガポール1991年02月26日1990年代教育省,来年度から幾つかの小学校で試験的に全日授業を開始することを発表(現在は半日制)。
DIA-207-1991-02-27-1シンガポール1991年02月27日1990年代通産省,『経済年間報告』を発表。90年度政府の余剰金は,34%減少し,32億S㌦となる。
DIA-207-1991-02-28-1シンガポール1991年02月28日1990年代第1回年間最優秀経営賞に,シンガポール航空など4社が選ばれる。
DIA-207-1991-03-01-1シンガポール1991年03月01日1990年代リチャード・フー(Richard Hu)蔵相,国会に91年度予算案を提出。税金の一部払い戻し,企業向け減税措置が主な眼目。また7月1日より,中央積立基金(CPF)拠出金比率を使用者は1%引き上げ,被雇用者は0.5%引下げの予定。
DIA-207-1991-03-02-1シンガポール1991年03月02日1990年代ゴー首相,ASEAN国際会議出席のためインドネシア・バリに到着。
DIA-207-1991-03-02-2シンガポール1991年03月02日1990年代リー上級相,5日間の日程でモルディブを訪問。
DIA-207-1991-03-03-1シンガポール1991年03月03日1990年代ゴー首相,スハルト大統領と会談。年末にシンガポールで開催予定のASEAN首脳会議について協議。
DIA-207-1991-03-04-1シンガポール1991年03月04日1990年代ゴー首相,バリのASEAN国際会議で演説し,ASEANの新しい協力形態は市場の競争原理に基づくものでなければならない,と語る。
DIA-207-1991-03-05-1シンガポール1991年03月05日1990年代汚職行為調査局は,ウードランド入管事務所の役人14人が,外国人の不法出入国に関与し,賄賂を受け取っていたと発表。翌日,そのうち1人が懲役8カ月の判決を受ける。
DIA-207-1991-03-06-1シンガポール1991年03月06日1990年代日本ASEAN投資会社は,今年度の同社のASEANへの投資総額は200億円,そのうちの40億円をシンガポール企業に投資する予定と明かす。主な投資分野はエレクトロニクスと食品業。
DIA-207-1991-03-06-2シンガポール1991年03月06日1990年代50年代の有力保守政党,進歩党委員長で弁護士のC・C・タン(C.C.Tan)が死去(80歳)。
DIA-207-1991-03-07-1シンガポール1991年03月07日1990年代マレーシア情報相,シンガポールを日帰り来訪し,ゴー首相と会見。ジョホール州の水資源開発にもっと投資するようにと要請する。
DIA-207-1991-03-08-1シンガポール1991年03月08日1990年代シンガポール・テレコム(Singapore Telecom)は,シンガポール最高となる290㍍の送信塔をフォート・カニング地域に建設する計画を発表。
DIA-207-1991-03-09-1シンガポール1991年03月09日1990年代ゴー首相,マレー人社会指導者と会談し,マレー人社会に対し今後5年間で1000万S㌦の補助を行なう計画を明らかにする。
DIA-207-1991-03-11-1シンガポール1991年03月11日1990年代テイ・インスーン(Tay Eng Soon)教育国務相は,政府が今後5年間で職業訓練機関の改善・拡充に2億5000万S㌦を投資する予定と語る。
DIA-207-1991-03-12-1シンガポール1991年03月12日1990年代シンガポール国立大学の文学・社会科学部は,91年度新学期よりマス・コミュニケーション学科(言語学,ヨーロッパ研究,東南アジア研究の3コース)を新設すると発表。
DIA-207-1991-03-13-1シンガポール1991年03月13日1990年代外務省は,次期国連大使にキャリア外交官のチュー・タイスー(Chew Tay Soo)を任命したと発表。新大使は元大阪総領事の経歴を持つ。
DIA-207-1991-03-15-1シンガポール1991年03月15日1990年代石油精製業のシェル社は,今後5年間でブコム島の精製施設に50億S㌦投資する計画を明かす。
DIA-207-1991-03-16-1シンガポール1991年03月16日1990年代ST紙,次期国連事務総長の候補者にシンガポールのトミー・コー元国連大使,チャン・ベンチー前国連大使が挙がっていると報道。
DIA-207-1991-03-17-1シンガポール1991年03月17日1990年代通貨庁は,2月に発行された2S㌦紙幣が,既存の10S㌦紙幣と紛らわしいという市民の苦情が多いので,来年早々デザインを変更すると発表。
DIA-207-1991-03-18-1シンガポール1991年03月18日1990年代本日付けのマレーシア新聞各紙は,先週のマハティール首相の健康問題の噂は,シンガポールが源であったと報道。
DIA-207-1991-03-19-1シンガポール1991年03月19日1990年代労働省は,政府が定めた雇用比率以上の外国人労働者の雇用を希望する企業を対象に,外国人労働者雇用権競売制度の導入を検討中と明かす。
DIA-207-1991-03-19-2シンガポール1991年03月19日1990年代金融庁は,90年8月発令したクウェート人資産の凍結を解除する。
DIA-207-1991-03-20-1シンガポール1991年03月20日1990年代政府発表の91年2月の消費者物価上昇率は4%(前年同月比)を記録し,84年2月に次ぐ高率となる。
DIA-207-1991-03-21-1シンガポール1991年03月21日1990年代シンガポール陸軍の師団編成が改組され,従来の師団本部と3部門の編成から,新たに師団本部の下に7部門が置かれる編成に替わる。
DIA-207-1991-03-22-1シンガポール1991年03月22日1990年代ヨー情報・芸術相,1年以内にテレビ局を新たに2,3局増設する予定と国会で発言。
DIA-207-1991-03-22-2シンガポール1991年03月22日1990年代国会,新年度予算案を承認。
DIA-207-1991-03-22-3シンガポール1991年03月22日1990年代野党の国民団結党(National Solidarity Party)は,現行の任命国会議員,非選挙区任命国会議員制度に替え,40%以上の得票率を獲得した候補者も国会議員とする「二人議員制度」を提唱。
DIA-207-1991-03-23-1シンガポール1991年03月23日1990年代フィリピン空軍司令官が来訪し,ヨー・ニンホン(Yeo Ning Hong)第二国防相と会見。
DIA-207-1991-03-23-2シンガポール1991年03月23日1990年代政府は7月1日より,18歳以上の成人映画の審査基準を緩和すると発表。
DIA-207-1991-03-23-3シンガポール1991年03月23日1990年代グレン・ナイト(Glen Knight)商業事件局長が解任され,汚職調査局が取り調べを開始する。
DIA-207-1991-03-24-1シンガポール1991年03月24日1990年代トニー・タン(Tonny Tan)教育相,もし3番目の大学を設立する場合は,シンガポール国立大学がイギリス,南洋工科大学がアメリカの教育制度を手本にしていることから,日本の大学と提携する考えを明かす。
DIA-207-1991-03-25-1シンガポール1991年03月25日1990年代石油のモービル社が,シンガポールの石油精製施設に10億5000万S㌦を投資する計画を発表。
DIA-207-1991-03-26-1シンガポール1991年03月26日1990年代マレーシアのスバン空港21時15分発,乗客128人を乗せたシンガポール行きシンガポール航空機が,パキスタン人ゲリラ4人にハイジャックされる。犯人グループはチャンギ空港到着後,パキスタンで投獄されている政治犯の釈放とオーストラリア行きを要求。
DIA-207-1991-03-27-1シンガポール1991年03月27日1990年代シンガポールの治安部隊は,午前7時,ハイジャク機内に突入して犯人4人を射殺し乗客を解放する。
DIA-207-1991-03-27-2シンガポール1991年03月27日1990年代アメリカ・ダウ・ジョーンズ社とリー上級相は,FEER誌の報道を巡る訴訟裁判で和解に達し,双方が訴訟を取り下げる。しかし政府は同誌の販売制限は継続。
DIA-207-1991-03-28-1シンガポール1991年03月28日1990年代マレーシア・ジョホール州政府は,シンガポールに供給している水料金の改訂を検討中と通告。
DIA-207-1991-03-30-1シンガポール1991年03月30日1990年代シンガポール国立大学と南洋工科大学は,93年より「リー・クアンユー研究奨学金制度」を設立すると発表。
DIA-207-1991-04-01-1シンガポール1991年04月01日1990年代造船・修理会社の外国人労働者雇用税が,300S㌦から350S㌦に引き上げられる。
DIA-207-1991-04-01-2シンガポール1991年04月01日1990年代公益事業庁(PUB)は職員約6000人の給与を4~23%引き上げる。
DIA-207-1991-04-02-1シンガポール1991年04月02日1990年代オランダ首相,本日より3日間来訪し,ゴー首相と会談。
DIA-207-1991-04-04-1シンガポール1991年04月04日1990年代スイス経済相が来訪しゴー首相と会見(~7日)。
DIA-207-1991-04-05-1シンガポール1991年04月05日1990年代マレーシア・ジョホール州首相,成長の三角地帯を一大観光センターとする案を提唱。
DIA-207-1991-04-06-1シンガポール1991年04月06日1990年代Sunday Times紙が,湾岸戦争後行なった世論調査によると,マレー人の間で連合軍を支持する意見が戦争中よりも増える。また連合軍の武力行使支持は,戦争中の31%から49%に増加。
DIA-207-1991-04-07-1シンガポール1991年04月07日1990年代マー通産国務相を団長とする40人の中国・海南島投資調査団が同地を訪問(~10日)。
DIA-207-1991-04-08-1シンガポール1991年04月08日1990年代警察は,パスポート偽造一味8人を逮捕。一味は過去1年で500万S㌦の利益を稼ぐ。
DIA-207-1991-04-09-1シンガポール1991年04月09日1990年代5月1日実施予定の,夜間・週末のみ利用できる「ウィークエンド・カー」制度の最初の申し込みが行なわれ,250台の割り当てに競争率が5倍。
DIA-207-1991-04-10-1シンガポール1991年04月10日1990年代政府は最近,アメリカ政府が1991 US Trade Estimates Reportで触れたシンガポールの不公平な外国貿易障壁批判に反論し,批判は不正確と誤解に基づくもので,もっと実情を理解すべきであると指摘する。
DIA-207-1991-04-11-1シンガポール1991年04月11日1990年代ゴー首相,本日より2日間フィリピンを訪問しアキノ大統領と会談。席上,他のASEAN諸国とともに同国の債務問題を援助すると発言。
DIA-207-1991-04-12-1シンガポール1991年04月12日1990年代経済開発庁は,テキサス・インストルメント社,ヒューレット・パッカード社,キャノン社と合弁で3億3000万米㌦を投資して,ウードランドに半導体製造会社,TECH Semiconductor Singapore社を設立する計画を発表。同庁は新会社株式の26%を保有。
DIA-207-1991-04-13-1シンガポール1991年04月13日1990年代マレーシア外相がシンガポールを訪問し,ゴー首相と会見(~14日)。
DIA-207-1991-04-14-1シンガポール1991年04月14日1990年代ゴー首相は,国民の一部から出されている比例代表選挙制度の導入は,シンガポールの種族と宗教の多様性の実情にふさわしくないと語る。
DIA-207-1991-04-15-1シンガポール1991年04月15日1990年代政府は国連の要請を受け,中東国連平和維持軍に空軍武装兵10人を派遣することを決定。
DIA-207-1991-04-15-2シンガポール1991年04月15日1990年代ウォン・カンセン(Wong Kan Seng)外相は,92年1月か2月にシンガポールでASEAN首脳会議が開催される予定と語る。
DIA-207-1991-04-17-1シンガポール1991年04月17日1990年代政府系の造船グループKeppel Corporation社は,1400万S㌦でアメリカの航空宇宙産業会社を買収し,金融に続き航空機産業にも進出。
DIA-207-1991-04-18-1シンガポール1991年04月18日1990年代フー蔵相は,シンガポール政府が香港の不動産投資物件を物しょく中と明かす。投資規模は公表せず。これまでは証券投資だけ。
DIA-207-1991-04-20-1シンガポール1991年04月20日1990年代Cockpit Hotelが,隣接する歴史的建物の救世軍本部を2000万S㌦で買収する。
DIA-207-1991-04-20-2シンガポール1991年04月20日1990年代シンガポール観光促進庁によると,湾岸戦争の影響で1月にシンガポールを訪問した観光客は43万2286人,対前年同月比-0.3%となり,過去5年で初めてマイナスを記録。
DIA-207-1991-04-21-1シンガポール1991年04月21日1990年代政府は,大学新学期の7月1日から授業料を35~50%値上げすると発表。値上げ幅は文化系学部が900S㌦,医学部が3600S㌦の大幅値上げ,これと合わせ学費の60%まで借り入れが可能な学費ローン制度の新設も発表される。
DIA-207-1991-04-22-1シンガポール1991年04月22日1990年代ヨー通信・芸術相は,天安門事件後にシンガポール政府が香港人専門家移民奨励政策を実施して以降,2500家族がシンガポールに移住したと語る。
DIA-207-1991-04-24-1シンガポール1991年04月24日1990年代シンガポールの日本人商工会議所は,文化,教育,スポーツ振興のために総額31万S㌦を,シンガポール国立大学日本学科等の3機関に寄付。
DIA-207-1991-04-24-2シンガポール1991年04月24日1990年代マレーシア副首相は,同国がシンガポール領土に所有する鉄道敷地を,シンガポールに売却するか両国が共同開発することで合意した,と語る。
DIA-207-1991-04-25-1シンガポール1991年04月25日1990年代テレムコは,インドネシア2社とバタム島の工業団地に通信サービスを提供する合弁会社を設立すると発表。後には同島全域,ビンタン島にもサービスを拡張する予定。
DIA-207-1991-04-26-1シンガポール1991年04月26日1990年代マレーシア・トレンガス州首相率いる50人の投資誘致団が来訪(~30日)し,ゴー首相,リー通産相等と会見。
DIA-207-1991-04-27-1シンガポール1991年04月27日1990年代全国労働組合評議会(NTUC)は,3年に一度開催の第7回代表大会でオン・テンチョン(Ong Teng Cheong)書記長以下,新中央執行委員21人を選出する(任期は94年まで)。
DIA-207-1991-04-28-1シンガポール1991年04月28日1990年代ゴー首相は,マレーシア,イギリス,オーストラリア,ニュージーランド,シンガポールの国防相が出席した「5カ国防衛協定会議」の席で,地域安全保障条約の強化を歓迎すると語る。
DIA-207-1991-04-30-1シンガポール1991年04月30日1990年代ゴー首相,ブルネイを訪問しボルキア国王と会談。両国は,ASEAN地域だけでなく,アジア・太平洋地域レベルでも協力関係を維持することが,国益にかなうという点で意見が一致する。
DIA-207-1991-05-01-1シンガポール1991年05月01日1990年代全国労働組合評議会はメーデー式典で,リー前首相に「労働者最高栄誉賞」を贈る。
DIA-207-1991-05-02-1シンガポール1991年05月02日1990年代海部首相,シンガポールを訪問(~3日)。ゴー首相,リー上級相らと会談。ゴー首相は日米協力関係の重要性を強調。
DIA-207-1991-05-02-2シンガポール1991年05月02日1990年代リー副首相を団長とする27人の政府訪中経済使節団が出発。2週間滞在する予定でチャム・シートン野党国会議員も同行。
DIA-207-1991-05-03-1シンガポール1991年05月03日1990年代海部首相,ASEAN訪問の目玉「シンガポール宣言」を発表し,今後日本は地域に対し経済だけでなく,政治分野でも貢献したいとの考えを明かす。また第二次大戦での日本軍の侵略を詑びる。
DIA-207-1991-05-04-1シンガポール1991年05月04日1990年代トルコ大統領が来訪(~5日)し,ウィー大統領と会見。
DIA-207-1991-05-05-1シンガポール1991年05月05日1990年代厚生省は,1年以内に18歳以下の者にタバコ販売を禁止する法律を導入する予定と明かす。
DIA-207-1991-05-06-1シンガポール1991年05月06日1990年代リー上級相は,雑誌インタビューで自分はもはや内閣で権力をもっていない,東南アジア地域の人々は日本の軍事的役割を望んではいない,などと語る。
DIA-207-1991-05-07-1シンガポール1991年05月07日1990年代中国訪問中のリー副首相は,同国の楊国家主席,李鵬首相と会談する。
DIA-207-1991-05-08-1シンガポール1991年05月08日1990年代政府系のTemasek Holdings社とGovernment of Singapore Investment Corporation社は共同で8億2400万S㌦を投資し,イギリスのホテルを所有するニュージーランド第2の投資会社Brierley Investments社の株式4.7%を取得する。
DIA-207-1991-05-09-1シンガポール1991年05月09日1990年代国会選挙法が改正され,候補者の法定選挙費用の上限が6000S㌦から1万2000S㌦に引き上げられる。
DIA-207-1991-05-10-1シンガポール1991年05月10日1990年代マレーシア国防相が来訪し,まもなくシンガポールとマレーシア空軍・海軍の共同演習を再開する予定と語る。
DIA-207-1991-05-11-1シンガポール1991年05月11日1990年代ゴー首相,ジョホール州スルタンの就任式に出席し,同州の最高栄誉勲章を与えられる。
DIA-207-1991-05-13-1シンガポール1991年05月13日1990年代マレーシアStar紙,86年末のテー国家開発相自殺に関連する報道内容がリー前首相の名誉毀損として訴えられていた件で,同氏に謝罪し,損害賠償金12万8000S㌦を支払う。
DIA-207-1991-05-16-1シンガポール1991年05月16日1990年代リー副首相,香港在住のシンガポール市民との懇談で,政府は二重国籍を認めるべきかどうか検討中と語る。
DIA-207-1991-05-18-1シンガポール1991年05月18日1990年代政府は,91年の経済成長率見通しを当初の3~6%から6~8%に上方修正する。理由として湾岸戦争が予想よりも早く終結したこと,最大の輸出先国アメリカの景気回復の兆しを挙げる。
DIA-207-1991-05-18-2シンガポール1991年05月18日1990年代1990年センサスの速報が発表され,シンガポールの総人口は300万を上回り300万2800人。このうちシンガポール市民は約269万人。種族比率は華人77.7%,マレー人14.1%,インド人7.1%。
DIA-207-1991-05-20-1シンガポール1991年05月20日1990年代野党のチャム国会議員は,シンガポールが先進国となるには,国会に野党が一定の地位を保ち,マスコミが政府統制から解放される必要があると語る。
DIA-207-1991-05-20-2シンガポール1991年05月20日1990年代第8回太平洋経済協力会議(PECC)が開催される。
DIA-207-1991-05-21-1シンガポール1991年05月21日1990年代クエール・アメリカ副大統領が来訪(~22日)し,ゴー首相等と会見。
DIA-207-1991-05-22-1シンガポール1991年05月22日1990年代シンガポール証券取引所は投資現況を発表。投資家総数は約38万人,そのうち3分の2がシンガポール人の個人投資家,総数約194億株のうち90%をシンガポール人が保有。
DIA-207-1991-05-23-1シンガポール1991年05月23日1990年代アメリカのシーゲイト社は350万S㌦を投資してバタム島に同島最初のディスク・ドライブ工場を設立する計画を明かす。
DIA-207-1991-05-26-1シンガポール1991年05月26日1990年代タン教育相は,新たに民間幼稚園に補助金を与える制度を導入し,まず人民行動党運営幼稚園の1年間パイロット計画に420万S㌦を供与すると発表。
DIA-207-1991-05-27-1シンガポール1991年05月27日1990年代全国賃金評議会(NWC)が勧告を発表。主な内容は,(1)経済の減速が見込まれるため91年の総賃金引き上げ率は90年の9.8%以下に抑えるべき,(2)中央積立基金の使用者負担分を1%引き上げ,(3)賃金引き上げ率は生産性上昇率の範囲内とする。
DIA-207-1991-05-27-2シンガポール1991年05月27日1990年代汚職調査局は2カ月にわたる内偵後,グレン・ナイト前商業事件局長を汚職容疑で逮捕。
DIA-207-1991-05-28-1シンガポール1991年05月28日1990年代日本の小山参議院副議長を団長とする国会議員団8人が来訪(~30日)。
DIA-207-1991-05-29-1シンガポール1991年05月29日1990年代クー・ウォーレン(Khoo Wallen)法律家協会副会長,最高裁判事に任命される。
DIA-207-1991-05-30-1シンガポール1991年05月30日1990年代アナン・タイ首相が来訪(~31日)し,ゴー首相と会談。席上ゴー首相は経済協力の分野でASEANがEC型になることを提唱。
DIA-207-1991-05-31-1シンガポール1991年05月31日1990年代人民行動党は新たに同党の11の国会委員会(GPC)に副委員長を置くこととし,新人事を発表。
DIA-207-1991-06-01-1シンガポール1991年06月01日1990年代500の出版社,点数5万冊の中国書籍市をワールド・トレード・センターで開始(~9日)。
DIA-207-1991-06-01-2シンガポール1991年06月01日1990年代公共事業局(PWD)は,今後5年間に毎年平均8億5000万S㌦を公共事業に投資する計画を発表。
DIA-207-1991-06-02-1シンガポール1991年06月02日1990年代ゴー首相,政治参加を奨励する統治方式の一環として2週間の予定で選挙区訪問を開始し,アンモキオとトムソン選挙区で地域指導者と対話。
DIA-207-1991-06-02-2シンガポール1991年06月02日1990年代シンガポール国立大学は,IQが164のマレーシアの13歳の少年を特別入試の結果,来月より同大学科学部へ入学することを認めたと発表。
DIA-207-1991-06-03-1シンガポール1991年06月03日1990年代新身分証明書の書き替えが開始される。18歳以上の全市民,約162万人を対象に3年間かけて実施する予定。
DIA-207-1991-06-03-2シンガポール1991年06月03日1990年代リー上級相夫妻が本日より一週間の予定で日本を訪問。大阪で開催の国際通貨会議で演説。
DIA-207-1991-06-04-1シンガポール1991年06月04日1990年代ゴー首相は,Asiaweek誌最新号のインタビューで,シンガポール国家の利益のためには,リー上級相が公選大統領となるよりも,現職の上級相に留まることが望ましいと語る。
DIA-207-1991-06-05-1シンガポール1991年06月05日1990年代一次産品局(PPD)は,日本の秋田犬,土佐犬等,5種類の猛犬の輸入を禁止すると発表。
DIA-207-1991-06-05-2シンガポール1991年06月05日1990年代日本の後楽園社は,1億5000万S㌦を投資してシンガポールに遊園地を作る計画を明かす。
DIA-207-1991-06-06-1シンガポール1991年06月06日1990年代強盗で有罪となり,48回の鞭打ち刑を受けた26歳の男性が,鞭打ちの回数は法律が定めた1度の上限24回を超えたとして,政府に損害賠償訴訟を起こす。
DIA-207-1991-06-08-1シンガポール1991年06月08日1990年代リー副首相はマレー人指導者との懇談で,政府の国民支援は,種族を基準とせず,必要な人々に補助を与えることを基本とする,と述べ,マレー人社会への特別支援に否定的な見解を明かす。
DIA-207-1991-06-09-1シンガポール1991年06月09日1990年代情報省は,出版物,ビデオ,映画等の検閲制度を検討するため,トミー・コー無任所大使を委員長とする18人の諮問委員会を発足。
DIA-207-1991-06-10-1シンガポール1991年06月10日1990年代ニューヨーク州港湾庁の貿易事務所がシンガポールに開設される。同事務所はシンガポールだけでなく東南アジア全域をカバーする。
DIA-207-1991-06-11-1シンガポール1991年06月11日1990年代ゴー首相はAsiaweek誌とのインタビューで,近年マレー人社会はシンガポール社会への統合を強めているので,将来もっと多くのマレー人軍人を採用するようになるだろうと語る。
DIA-207-1991-06-12-1シンガポール1991年06月12日1990年代全国労働組合評議会(NTUC)が所有するシンガポール最大の小売りチェーン企業,NTUC Fairprices社は,ASEAN地域への進出と証券取引所への上場を検討中と明かす。
DIA-207-1991-06-14-1シンガポール1991年06月14日1990年代外務省は,初代駐中国大使にチェン・トンファット(Gehng Tong Fatt)現駐日大使を,同大使の後任にリム・チンベン(Lim Chin Beng)シンガポール航空副会長を任命したと発表。両氏の赴任は7月中旬予定。
DIA-207-1991-06-15-1シンガポール1991年06月15日1990年代イギリスのフィソン・グループ,1億2000万S㌦を投資してアジア最初の海外工場となる製薬工場をシンガポールに建設する計画を発表。操業は93年の予定。
DIA-207-1991-06-17-1シンガポール1991年06月17日1990年代政府は国内の販売部数を制限しているFEER誌を,チャンギ空港で150部無料配布することを認める。
DIA-207-1991-06-18-1シンガポール1991年06月18日1990年代フィリピンのピナトゥボ火山噴火の火山灰が約2500㌔離れたシンガポールにも降る。
DIA-207-1991-06-19-1シンガポール1991年06月19日1990年代政府は,華語教育問題の検討を目的に,オン・テンチョン副首相を委員長に22人の委員で「華語検討委員会」を発足させる。
DIA-207-1991-06-19-2シンガポール1991年06月19日1990年代シンガポール航空は,3月26日にハイジャックされた同航空機に乗り合わせた乗客100人余りに,1人につき1000S㌦の航空券を配る。
DIA-207-1991-06-20-1シンガポール1991年06月20日1990年代政府は公益事業庁を改組して,ガスと電力事業を94年初めまでに民営化し,新会社の株式は国民に公募すると発表。しかし水道事業はマレーシア政府との交渉があるので,引き続き政府の管理下に置く。
DIA-207-1991-06-21-1シンガポール1991年06月21日1990年代政府は国連の要請に基づき,西サハラの国民投票を監視する国連監視団に7人の陸軍兵士,10人の警察官を派遣する。滞在は8カ月の予定。
DIA-207-1991-06-22-1シンガポール1991年06月22日1990年代赤字に悩むUnited Industrial Corporation社は,数年前に投資した日本の不動産を4700万S㌦で売却し,230万S㌦の損失を出す。
DIA-207-1991-06-23-1シンガポール1991年06月23日1990年代会社登録局(RCB)は,7月より会社登録手数料を値上げし,現行の1200~2万5000S㌦を,1200~10万S㌦に改訂。
DIA-207-1991-06-24-1シンガポール1991年06月24日1990年代ゴー首相,タイ訪問(~25日)。これで同首相は,首相就任後ASEANの全ての国を歴訪。
DIA-207-1991-06-24-2シンガポール1991年06月24日1990年代90年10月に開園した遊園地,ホーパービラ(Haw Par Villa)の入場者が100万人となる。
DIA-207-1991-06-25-1シンガポール1991年06月25日1990年代ゴー首相はバンコクで,ASEAN経済統合は,「自由貿易地域」の創設が最終目標であると語り,タイ提唱の創設案に支持を表明。
DIA-207-1991-06-27-1シンガポール1991年06月27日1990年代シンガポール陸軍将校の昇格人事が発表され,新たに少将1人,准将3人が誕生する。
DIA-207-1991-06-28-1シンガポール1991年06月28日1990年代リー副首相は,インドネシアを訪問し「水供給協定」に調印。内容は両国が共同でリアウ省の水資源を開発し,ビンタン島からシンガポールに水を供給するというもの。有効期間は50年。
DIA-207-1991-06-29-1シンガポール1991年06月29日1990年代内閣の一部改造が発表され,ヨー・ニンホンが国防相,ジョージ・ヨーが情報・芸術相兼第二外相,シート・アイミーが社会開発相代行に任命される(7月1日に正式発足)。
DIA-207-1991-06-30-1シンガポール1991年06月30日1990年代アメリカ海軍最大の空母がシンガポールに寄港する。
DIA-207-1991-07-01-1シンガポール1991年07月01日1990年代シンガポールニつ目の大学,南洋工科大学(Nanyang Technological University)が開校。同大学は南洋理工学院が昇格したもので,前身は南洋大学。
DIA-207-1991-07-01-2シンガポール1991年07月01日1990年代審査基準が緩和された,18歳以上を対象とする「成人映画」の上映が開始される。
DIA-207-1991-07-01-3シンガポール1991年07月01日1990年代中央積立基金の利子(6カ月)が,4.85%から4.54%に引下げられる。
DIA-207-1991-07-02-1シンガポール1991年07月02日1990年代シンガポール開発銀行(DBS)は,91年の賃上げ率は7~8%の見込みとの予測を発表。
DIA-207-1991-07-02-2シンガポール1991年07月02日1990年代スマトラ西部で発生した地震の影響で,シンガポールも微震を感じる。
DIA-207-1991-07-03-1シンガポール1991年07月03日1990年代リー上級相は,Economist誌最新号のインタビューで,シンガポールは文化が種族別に分化しているので,一つの市民社会を持つことはないだろうと語る。
DIA-207-1991-07-04-1シンガポール1991年07月04日1990年代テイ・インスーン(Tay Eng Soon)文部国務相,全てのシンガポール企業が定年を55歳から60歳に引き上げれば,15万人の新規労働力が生まれると語る。
DIA-207-1991-07-05-1シンガポール1991年07月05日1990年代大蔵省は,92年以降予算発表日を現行の3月初めから2月28日に改めると語る。変更理由は公選大統領制の施行にともなうもの。
DIA-207-1991-07-06-1シンガポール1991年07月06日1990年代シンガポールに国際仲裁センターが設置される。アジアではクアラルンプール,香港に次ぎ3番目。
DIA-207-1991-07-07-1シンガポール1991年07月07日1990年代ゴー首相,シンガポールが二重国籍制度を導入するにはまだ国が若すぎ,50年先のことと語る。
DIA-207-1991-07-08-1シンガポール1991年07月08日1990年代先に汚職容疑で逮捕されたナイト前商業事件局長の夫人と他3人が,詐欺謀議容疑で逮捕される。
DIA-207-1991-07-09-1シンガポール1991年07月09日1990年代シンガポール空軍戦闘機2機が南シナ海で訓練中に衝突し1機が墜落。死者はなし。
DIA-207-1991-07-11-1シンガポール1991年07月11日1990年代化学会社デュポン社は,16億S㌦を投資してサクラ島に世界的規模のナイロン製造工場を建設する計画を発表,93年末操業開始の予定。
DIA-207-1991-07-12-1シンガポール1991年07月12日1990年代チャン・ヘンチー・シンガポール国際基金会長は,アメリカの平和部隊を模した,シンガポール海外青年部隊を8月に結成する計画を明かす。部隊は東南アジア地域で活動を行なうもの。
DIA-207-1991-07-12-2シンガポール1991年07月12日1990年代シンガポールとタイ海軍の共同軍事演習が始まる(1週間の予定)。
DIA-207-1991-07-14-1シンガポール1991年07月14日1990年代インド人社会の教育改善を目的とした「インド人教育問題行動委員会」の報告書が発表される。
DIA-207-1991-07-16-1シンガポール1991年07月16日1990年代リー副首相,91年の経済成長率が8%を超えるのは難しいと語る。
DIA-207-1991-07-19-1シンガポール1991年07月19日1990年代91年3月に英字紙Straits Timesの購読数が初めて100万部を超え,109万3000部となり,前年より18%増となる。
DIA-207-1991-07-20-1シンガポール1991年07月20日1990年代マレーシアで開催されたASEAN閣僚会議は,92年にシンガポールで開催予定の首脳会談で,ASEANの新しい方向を打ち出すことを確認。
DIA-207-1991-07-21-1シンガポール1991年07月21日1990年代ゴー首相,政治が正常でなければ将来の最大の国家課題である教育問題には取り組めないと語る。
DIA-207-1991-07-22-1シンガポール1991年07月22日1990年代フー蔵相,政府が香港の新空港建設とコンテナー港開発プロジェクトへの投資を検討中と明かす。
DIA-207-1991-07-22-2シンガポール1991年07月22日1990年代マレーシア法相が来訪し,ゴー首相と会談。
DIA-207-1991-07-23-1シンガポール1991年07月23日1990年代警察は不正賭博シンジケートの一斉取締りを行ない20人を逮捕する。
DIA-207-1991-07-24-1シンガポール1991年07月24日1990年代ウィー大統領,インドネシアを公式訪問(~28日)。スハルト大統領と会談し,両国の経済協力の緊密化は地域全体のプラスになると語る。
DIA-207-1991-07-25-1シンガポール1991年07月25日1990年代韓国外相(~26日)。オーストラリア外相がそれぞれ来訪し,ゴー首相と会談。
DIA-207-1991-07-26-1シンガポール1991年07月26日1990年代ゴー首相,華人記者クラブで演説し,中国文化・伝統を保持する必要性を認めながらも,国家の目標は多種民族社会であると語る。
DIA-207-1991-07-28-1シンガポール1991年07月28日1990年代カナダ政府の発表によると,最近同国の居住権取得を目的とするシンガポール人の投資が増え,9O年比25%増で100人を上回ったという。
DIA-207-1991-07-29-1シンガポール1991年07月29日1990年代労働者党のリー・シューチョウ(Lee Siew Choh)非選挙区選出国会議員は,公選大統領の資格を巡る国会討議で,同党は最初の公選大統領選挙をボイコットすると語る。
DIA-207-1991-07-30-1シンガポール1991年07月30日1990年代リー副首相,92年のチャイニーズ・ニューイヤー前に紫色の新2S㌦紙幣を発行すると語る。1月に発行された同紙幣の色が赤色の10S㌦紙幣と紛らわしいという市民の苦情に応えたもの。
DIA-207-1991-08-01-1シンガポール1991年08月01日1990年代ゴー首相は,経済開発庁30周年記念式で演説し,シンガポール経済発展の最大の要因は,政治的安定であったと語る。
DIA-207-1991-08-02-1シンガポール1991年08月02日1990年代シンガポールとインドネシアの国防相,Air Combat Manoeuvring Rangeの共同開発を行なう協定に調印する。
DIA-207-1991-08-03-1シンガポール1991年08月03日1990年代シンガポール航空は,57億S㌦の費用でヨーロッパのエアバス・インダストリー社に新たに20機のエアバスを発注したと発表。
DIA-207-1991-08-04-1シンガポール1991年08月04日1990年代ゴー首相は,『ネクスト・ラップ』に発表した同政権の長期的政策に対する国民の信任を得るために,国会選挙を93年の任期切れの前に行なうと語る。
DIA-207-1991-08-04-2シンガポール1991年08月04日1990年代名門の地場華人銀行,OCBC銀行の株式が外国人投資家に買われ,外国人所有比率は上限(40%)に近い39.9%となる。
DIA-207-1991-08-05-1シンガポール1991年08月05日1990年代マレーシアとインドネシアが,シンガポールからわずか20㌔離れたジョホール州南部で7月29日から2週間共同軍事演習を行なっていることに対する数多くの不平・批判が同日以降新聞の読者投書欄に掲載され,この後国会議員等の間から同様の意見が相次ぐ。
DIA-207-1991-08-06-1シンガポール1991年08月06日1990年代都甲兵洋新駐シンガポール日本大使が着任。
DIA-207-1991-08-07-1シンガポール1991年08月07日1990年代リー上級相,BBCとのインタビューで,ゴー首相は期待した以上によくやっていると語る。
DIA-207-1991-08-08-1シンガポール1991年08月08日1990年代ゴー首相,テレビを通じて独立記念日メッセージを発表し,最大の関心は国民の心を一つにすることであると語る。
DIA-207-1991-08-08-2シンガポール1991年08月08日1990年代国会議員のバーナード・チェン(Bernarad Chen)がフレーザー&ニーブ社を辞め,政府系のIntraco社の副経営責任者に転じる。
DIA-207-1991-08-09-1シンガポール1991年08月09日1990年代通産省は,91年上半期の経済成長率は7.3%,通年予測の6~8%は達成可能と発表。
DIA-207-1991-08-10-1シンガポール1991年08月10日1990年代世界30カ国から華人企業家800人が参加し「世界華商大会」が開催される(~12日)。リー上級相が挨拶を行ない,海外中国系人のビジネスの成功は儒教価値意識によるためであったと語る。
DIA-207-1991-08-11-1シンガポール1991年08月11日1990年代ゴー首相,独立記念日集会で演説を行ない,全ての国民がシンガポール家族の一員と感じるようにしたいと語る。
DIA-207-1991-08-12-1シンガポール1991年08月12日1990年代労働者党のリー・シュチョー国会議員,首相が早期の総選挙を示唆したのは,91年11月まで被選挙権を剥奪された同党書記長のジェヤレトナム(Jeyaretnam)の選挙参加を排除することを狙ったものと非難。
DIA-207-1991-08-13-1シンガポール1991年08月13日1990年代オン・テンチョン全国労働粗合評議会(NTUC)書記長は,好調な企業はボーナスをはずむべきと語る。
DIA-207-1991-08-14-1シンガポール1991年08月14日1990年代ゴー首相,国会の抜き打ち解散を行ない,21日が立候補届出日,31日が投票日と発表。
DIA-207-1991-08-15-1シンガポール1991年08月15日1990年代中尾通産相が来訪(~16日)し,ゴー首相と会見。
DIA-207-1991-08-16-1シンガポール1991年08月16日1990年代人民行動党は,新人候補者2人を発表し,前回の88年総選挙得票率(63%)を大幅に上回るとの予測を明かす。他方,シンガポール民主党チャム・シートン書記長は,総選挙を補欠選挙とみなし,野党は国会定員の過半数以下の立候補者で戦う戦術を明かす。
DIA-207-1991-08-17-1シンガポール1991年08月17日1990年代政府は労働者を主な対象としたオープン大学(Open University)設立の構想を明かし,イギリスの先例に習いながら92年7月開校すると発表。
DIA-207-1991-08-17-2シンガポール1991年08月17日1990年代野党のシンガポール民主党と労働者党は,総選挙のグループ代表選挙区で4人の候補者をそろえるために,選挙区によって候補を交換することに合意。
DIA-207-1991-08-18-1シンガポール1991年08月18日1990年代ゴー首相は選挙区集会演説で,総選挙で大勝することを希望し,また人民行動党新人国会議員の登用と野党のジェヤレトナムに選挙の機会を与えるために1年から1年半先に補欠選挙を行なう考えを明かす。
DIA-207-1991-08-18-2シンガポール1991年08月18日1990年代カナダ政府は,シンガポール航空による競争激化を理由に,1年後にシンガポール・カナダ航空協定(4年間有効)が切れた後は,協定を延長しないと通告。
DIA-207-1991-08-19-1シンガポール1991年08月19日1990年代ゴー首相,国民の間で批判や不満の高まっているマレーシア・インドネシア共同軍事演習問題に触れ,演習の直前(前日)にマレーシア政府から通告があったにすぎない事実を明かしたが,危機感を持つ必要はないと語る。
DIA-207-1991-08-20-1シンガポール1991年08月20日1990年代ソ連クーデター事件の発生で,シンガポール証券取引所の「ST工業指数」が暴落し,84ポイント下がって1309ポイント(全体で6.1%暴落)となる。
DIA-207-1991-08-21-1シンガポール1991年08月21日1990年代総選挙の立候補届出が即日締め切られ,野党全体の立候補者数は定員81人に対し過半数以下の40人となる。人民行動党は無投票で41議席を獲得し,政権の継続が決まる。
DIA-207-1991-08-23-1シンガポール1991年08月23日1990年代リー上級相,総選挙に触れ外国人投資家に安心感を与えるために,国会は人民行動党に圧倒的な支持を与えなければならないと語る。
DIA-207-1991-08-24-1シンガポール1991年08月24日1990年代インドネシアの鉱物・エネルギー相が来訪し,ゴー首相と会見。
DIA-207-1991-08-26-1シンガポール1991年08月26日1990年代フィリピンの陸軍参謀総長が来訪(~29日)し,ゴー首相を表敬訪問。
DIA-207-1991-08-27-1シンガポール1991年08月27日1990年代外務省は,ミクロネシア連邦国と外交を樹立したと発表。
DIA-207-1991-08-28-1シンガポール1991年08月28日1990年代ゴー首相,一部野党候補者が人種ショービニズムを主張しているとし,それを打破するためにも人民行動党に対する圧倒的な支持が必要と語る。
DIA-207-1991-08-30-1シンガポール1991年08月30日1990年代リー上級相,今回の選挙は今後10年間の政治安定,発展,繁栄を決めるものと語る。
DIA-207-1991-08-31-1シンガポール1991年08月31日1990年代総選挙の投票,即日開票が行なわれ人民行動党は選挙当選者36人(無投票当選者と合わせ77人),得票率61%に終わる。他方野党は善戦しシンガポール民主党3人,労働者党1人,合計4人が当選,得票率38%を獲得する。人民行動党はグループ代表選挙区は全部勝ったが,小選挙区で4議席を失い,閣僚のシート・アイミー社会開発相代行が落選する(「参考資料」参照)。
DIA-207-1991-09-01-1シンガポール1991年09月01日1990年代ゴー首相,総選挙直後の記者会見で,4議席を失った原因は自由主義的な自分の統治スタイルにある,野党が躍進したので政府国会委員会を廃止すると語る(後に存続とする)。他方,野党のチャム・シンガポール民主党書記長は,今後は建設的な野党になると語る。
DIA-207-1991-09-02-1シンガポール1991年09月02日1990年代シンガポール空軍機1機が,訓練中にジョホール州南部地域に墜落。住民数人が負傷する。
DIA-207-1991-09-03-1シンガポール1991年09月03日1990年代チャム・シンガポール民主党書記長は,労働者党に対して議会協力を提案し,長期的には両党の合併を考えていると語る。
DIA-207-1991-09-04-1シンガポール1991年09月04日1990年代株式市場を中心にゴー首相が総選挙敗北の責任をとって辞任するとの噂が流れる。ゴー首相はただちに噂を否定。
DIA-207-1991-09-04-2シンガポール1991年09月04日1990年代1億5000万S㌦を投資したシェル社のPandan Marketing Centreがオープン。
DIA-207-1991-09-05-1シンガポール1991年09月05日1990年代内閣の一部改造が行なわれ,マー・ボータン(Mah Bow Tan)が通信相,チュン・ジットクーン(Ch’ng Jit Koon)が地域振興上級国務相に昇格する。同時に有力閣僚のトニー・タン(Tony Tan)教育相とダナバラン(Dhanabalan)国家開発相が,それぞれ年末,1年以内に閣僚を退任すると発表される。タンは92年初めにOCBC銀行会長に就任する見込み。
DIA-207-1991-09-06-1シンガポール1991年09月06日1990年代Telecom社は91年度の収益が,史上最高の22億3000万S㌦を記録したと発表。
DIA-207-1991-09-06-2シンガポール1991年09月06日1990年代タン教育相の退任後は,リー・ヨクスアン(Lee Yock Suan)労相が引き継ぐと発表される。
DIA-207-1991-09-07-1シンガポール1991年09月07日1990年代総選挙後に一部改造を行なったゴー新内閣が就任宣誓式を行なう。
DIA-207-1991-09-08-1シンガポール1991年09月08日1990年代ゴー首相は,総選挙後初の公衆演説を行ない,選挙の結果を踏まえて今後政府は,貧民層に配慮した政治を行なうと語る。他方,リー上級相も総選挙後初めて発言し,選挙結果に失望したと語る。
DIA-207-1991-09-09-1シンガポール1991年09月09日1990年代ウィー大統領,中国を公式訪問(8日間)。
DIA-207-1991-09-09-2シンガポール1991年09月09日1990年代初の海外シンガポール人学校Singapore Internationl Schoolが香港に開校する。
DIA-207-1991-09-10-1シンガポール1991年09月10日1990年代リー通産相は,研究・開発部門の振興を目的に20億S㌦の予算で,研究・開発5カ年計画National Technology Planを発表する。
DIA-207-1991-09-11-1シンガポール1991年09月11日1990年代ヨー・ニンホン国防相はブルネイを訪問(2日間)し,同国に対しシシガポールの軍事訓練施設の利用供与を提案する。
DIA-207-1991-09-12-1シンガポール1991年09月12日1990年代都市再開発庁(URA)が,長期的なシンガポール島開発計画の「コンセプト・プラン」(Concept Plan)を発表。
DIA-207-1991-09-14-1シンガポール1991年09月14日1990年代インドネシア・カリマンタン島の山火事による大気汚染の影響で,シンガポール島全体が露につつまれる。
DIA-207-1991-09-15-1シンガポール1991年09月15日1990年代総理府は一時緩和した成人映画規制を再び強化し,入場年齢を18歳から21歳に引き上げる。
DIA-207-1991-09-16-1シンガポール1991年09月16日1990年代植民地時代からの伝統を持つRaffles Hotelが改修され,高級ホテルとしてスタート。
DIA-207-1991-09-17-1シンガポール1991年09月17日1990年代前OUB銀行社長のフォック・シューワー(Fock Siew Wah)が大蔵省特別顧問に任命される。
DIA-207-1991-09-18-1シンガポール1991年09月18日1990年代オン・テンチョン人民行動党委員長は,総選挙結果の分析を行ない,野党に投票したグループとして,(1)政府をチェックする野党の存在を望む人々,(2)華語教育社会,(3)低所得階層,(4)人民行動党批判票,の四つを指摘。
DIA-207-1991-09-18-2シンガポール1991年09月18日1990年代リー上級相,ソ連のカザフスタン,バルト3国を公式訪問(8日間)。
DIA-207-1991-09-19-1シンガポール1991年09月19日1990年代外務省は,今月初めにジョホール州のUMNO支部がマレーシア政府に同国領土であることを明確にすることを要求したPedra Branca領有問題で,1981年協定文書で確認することを提唱。
DIA-207-1991-09-21-1シンガポール1991年09月21日1990年代政府は,過去2年間で香港から3000家族がシンガポールに移住したと明かす。
DIA-207-1991-09-22-1シンガポール1991年09月22日1990年代市内オーチャード通りをくぐる,シンガポール初のトンネル(2カ所)がオープンする。
DIA-207-1991-09-23-1シンガポール1991年09月23日1990年代ゴー首相,記者会見で政府は華語教育の低所得階層に対する政策を検討中と語る。リー上級相も新聞記者とのインタビューで,政府の緊急課題は社会下層の20~30%に対する政策と語る。
DIA-207-1991-09-25-1シンガポール1991年09月25日1990年代政府は2億6500万S㌦を投資して,Tanjong Rhu地域を埋め立て住宅を建設する計画を発表。
DIA-207-1991-09-26-1シンガポール1991年09月26日1990年代来訪したアメリカ海軍提督は,今後シンガポールとの共同演習をもっと増やしたいと語る。
DIA-207-1991-09-26-2シンガポール1991年09月26日1990年代アジア最初の日本人高校,渋谷幕張シンガポール高校が開校。
DIA-207-1991-09-28-1シンガポール1991年09月28日1990年代エジプトのアラビア語日刊紙Al-Ahramは,近くシンガポールでアジア地域版を刊行すると発表。
DIA-207-1991-09-30-1シンガポール1991年09月30日1990年代ゴー首相,華人に対し華語を統一言語にした一つの社会でなければならないと説く。
DIA-207-1991-10-03-1シンガポール1991年10月03日1990年代地区裁判所は汚職等の容疑をかけられた,グレン・ナイトに対し禁固3カ月の有罪判決を下す。ナイトは控訴。
DIA-207-1991-10-04-1シンガポール1991年10月04日1990年代各界指導者4500人が参加して,リー上級相に感謝し「リー・クアンユー奨学金制度」の発足を祝う夕食会が開かれる。
DIA-207-1991-10-06-1シンガポール1991年10月06日1990年代労働省は,製造業企業の外国人労働者雇用制度を改正し,92年1月より雇用上限率を40%から45%に引き上げ,労働者雇用税は最初の35%が300S㌦,残りの10%が450S㌦という2段階とする。
DIA-207-1991-10-07-1シンガポール1991年10月07日1990年代地裁は,アメリカ亡命中の元検事総長のフランシス・シャオ(Francis Seow)に対し,14の脱税容疑に有罪判決を下す。
DIA-207-1991-10-08-1シンガポール1991年10月08日1990年代シンガポール国立大学と南洋理工大学は,共同で大学教育基金を設置し,今後5年間で10億S㌦の寄付金を集める計画を発表。翌日政府は,大学教育基金に5億S㌦を寄付し,さらに条件付で今後5年間に2億5000万S㌦を寄付すると発表。
DIA-207-1991-10-10-1シンガポール1991年10月10日1990年代リー副首相は外国雑誌のインタビューで,人民行動党は中道路線を採り続けるので,シンガポールに西欧的な多党制が生まれる可能性はないと語る。
DIA-207-1991-10-11-1シンガポール1991年10月11日1990年代リー通産相とアメリカのヒルズ通商代表は,両国の「貿易・投資枠組協定」(Trade and Investment Framework Agreement)に調印する。
DIA-207-1991-10-12-1シンガポール1991年10月12日1990年代シンガポールとマレーシア両国の国防相は,92年の早い時期に共同の陸上軍事訓練を行なうことに合意したと発表。
DIA-207-1991-10-13-1シンガポール1991年10月13日1990年代リー通産相,政府はカンボジア問題のパリ会議後に,ベトナム,カンボジアに対する投資禁止措置を解除すると語る。
DIA-207-1991-10-14-1シンガポール1991年10月14日1990年代シンガポー`ル経済の20~30年に及ぶ長期的な基本方向を述べた「戦略経済計画」(Strategic Economic Plan)が発表される。
DIA-207-1991-10-15-1シンガポール1991年10月15日1990年代リー通産相,91年の経済成長率予測を6~8%から6.5~7%に下方修正する。
DIA-207-1991-10-16-1シンガポール1991年10月16日1990年代ゴー首相,ジンバブエで開催された英連邦首脳会議に参加(~22日)。
DIA-207-1991-10-17-1シンガポール1991年10月17日1990年代ペナンに新工場を設立したアメリカ系のディスクドライブ製造会社,コナー・ペリヘェラルズ社が,シンガポール工場の従業員500人を解雇。
DIA-207-1991-10-18-1シンガポール1991年10月18日1990年代教育省は,華人民間団体が6~12の政府系学校の運営を肩代わりすることを望むと語る。華人民間団体は翌日引き受けを断わる。
DIA-207-1991-10-19-1シンガポール1991年10月19日1990年代Times誌は,92年1月よりアジア版の印刷・発行を香港からシンガポールに移転すると発表。
DIA-207-1991-10-20-1シンガポール1991年10月20日1990年代住宅開発庁(HDB)は,住宅購入資格の改正を行ない,35歳以上の独身市民,21歳以上の寡婦市民も新たに購入が認められる。
DIA-207-1991-10-21-1シンガポール1991年10月21日1990年代通産省は,『シンガポールの海外投資,1976~89年』を発表。89年末現在シンガポールからの海外投資累積額は142億S㌦。単年度では85年の25億S㌦が過去最高額。
DIA-207-1991-10-24-1シンガポール1991年10月24日1990年代政府は年末までに,シンガポール各地に40~50のプラスチックや電池等のリサイクルセンターを設置すると発表。
DIA-207-1991-10-26-1シンガポール1991年10月26日1990年代総理府は,一般国民の事務サービス機関であるテレコム,移民局等,11の政府,準政府機関のサービス改善計画を策定したと発表。
DIA-207-1991-10-27-1シンガポール1991年10月27日1990年代政府は開業から10年経ったチャンギ国際空港のターミナル1を,2億S㌦を投資して改装すると発表。
DIA-207-1991-10-28-1シンガポール1991年10月28日1990年代シンガポール・スポーツ評議会は,タンピニス地域に一般市民向けゴルフ場を建設すると発表。完成は数年後の予定。
DIA-207-1991-10-30-1シンガポール1991年10月30日1990年代リー通産相は,シンガポール国家・社会の発展のためには,最も優秀な若い人材を官僚・政治家に確保しなければならないと語る。
DIA-207-1991-10-30-2シンガポール1991年10月30日1990年代ベトナムのボー・バン・キエット首相が来訪(3日間)。
DIA-207-1991-10-31-1シンガポール1991年10月31日1990年代ゴー首相,ベトナムの東南アジア友好協力条約に調印する意向を支持すると語る。
DIA-207-1991-10-31-2シンガポール1991年10月31日1990年代マレーシアのStar紙,これまで2回シンガポール空軍機が同国領土内に墜落したと報道。2回目の事故は9月発生。
DIA-207-1991-11-01-1シンガポール1991年11月01日1990年代人民行動党国会委員会の委員長人事が発表され,11委員会のうち七つの委員会で新委員長が任命される(「参考資料」参照)。
DIA-207-1991-11-01-2シンガポール1991年11月01日1990年代経済開発庁は,ベトナム政府の招待を受け年末か92年初めに投資調査団を派遣すると発表。
DIA-207-1991-11-02-1シンガポール1991年11月02日1990年代教育省は,92年度から小学校の授業方法を改め,4年終了時の試験結果(英語,母語,算数)により,教育言語(英語か母語)を振り分けると発表。
DIA-207-1991-11-02-2シンガポール1991年11月02日1990年代リー通産相は,インドネシア・ジャーナリストに対し,シンガポールはイスラム国家に囲まれているが,イスラエルのようにはならないと語る。
DIA-207-1991-11-05-1シンガポール1991年11月05日1990年代西武セゾン・グループは,ブギス地区の商業開発プロジェクトで,すでに投資済みの8億S㌦(全体の10%)をさらに増やすことを検討中と明かす。同プロジェクトは94年完成見込み。
DIA-207-1991-11-07-1シンガポール1991年11月07日1990年代リー上級相,日本のカンボジア平和維持軍派遣は,非戦闘員の派遣ならば構わないと発言。
DIA-207-1991-11-07-2シンガポール1991年11月07日1990年代シンガポール航空は,92年4月より26人のカンタス航空パイロットを3年契約で雇用すると発表。
DIA-207-1991-11-08-1シンガポール1991年11月08日1990年代新聞独占会社のSingapore Press Holdings社は,91年度の税引き前利益が前年比12.9%増で,過去最高の2億1900万S㌦になったと発表。
DIA-207-1991-11-09-1シンガポール1991年11月09日1990年代ゴー首相,宮沢新首相に祝電を送る。
DIA-207-1991-11-10-1シンガポール1991年11月10日1990年代シンガポール航空は,近くインドネシア・ジョグジャカルタに建設予定の国際クラスのホテル会社の株式20%を取得したと発表。同社初のホテル投資。
DIA-207-1991-11-11-1シンガポール1991年11月11日1990年代ペルー大統領が来訪(3日間)し,ウィー大統領と会見。
DIA-207-1991-11-11-2シンガポール1991年11月11日1990年代石川島播磨重工は,所有するJurong Shipyard社の株式20%(市場価格1億8900万S㌦)を売却。これにより同社の持株比率は10%となる。
DIA-207-1991-11-12-1シンガポール1991年11月12日1990年代大蔵省は,91年の公務員ボーナスは3カ月分の支給,特別ボーナスは行なわないと発表。
DIA-207-1991-11-12-2シンガポール1991年11月12日1990年代ゴー首相,ペルー大統領と会談し,シンガポールはペルーの通信・港湾施設開発に協力すると語る。
DIA-207-1991-11-13-1シンガポール1991年11月13日1990年代玩具製造のトミー・シンガポール社は20年にわたるシンガポールでの生産を止め,地域の流通事務所となり,従業員650人を解雇する。
DIA-207-1991-11-14-1シンガポール1991年11月14日1990年代政府準華人の自助組織として,92年4月に華人発展援助評議会(Chinese Development Assistance Council)を設置すると発表。同機関は,華人市民が中央積立基金の一部を毎月拠出する,低所得層を対象とした教育援助資金の運用にあたる。
DIA-207-1991-11-14-2シンガポール1991年11月14日1990年代人民行動党は,野党国会議員が選出された4選挙区で同党運営の幼稚園の規模を93年までに半分に縮小すると発表。
DIA-207-1991-11-15-1シンガポール1991年11月15日1990年代民間金融機関の調査によると,中央積立基金を除外した1990年のシンガポール国民の平均銀行預金額は1万4492米㌦で,世界第9位。
DIA-207-1991-11-15-2シンガポール1991年11月15日1990年代政府はベトナム,カンボジアヘの投資禁止措置を解除すると発表。
DIA-207-1991-11-16-1シンガポール1991年11月16日1990年代人民行動党,党大会を開催(2日間)。党活動家284人を表彰。大会では地区委員会より四つの報告が行なわれたが,そのうちの一つは党の強い自己批判を行なったもので,内容は公表されず。
DIA-207-1991-11-17-1シンガポール1991年11月17日1990年代住宅開発庁は規約を改正し,国会議員が現在選挙区で使用している公共住宅フラット1階の事務所を92年9月から認めないと発表。
DIA-207-1991-11-17-2シンガポール1991年11月17日1990年代ゴー首相,人民行動党大会で演説を行ない,開かれた統治スタイルを続けるが,同時に厳しい態度もとって野党にそれを利用させないと語る。
DIA-207-1991-11-18-1シンガポール1991年11月18日1990年代香港総督が来訪(2日間)し,ゴー首相,リー上級相と会談。
DIA-207-1991-11-18-2シンガポール1991年11月18日1990年代アメリカ証券市場暴落の影響を受け,シンガポール株式市場の「ST工業指数」が44ポイント下落し,1420ポイントとなる。
DIA-207-1991-11-19-1シンガポール1991年11月19日1990年代ウィー大統領,マレーシアを公式訪問(4日間)し,国王,マハティール首相と会談。
DIA-207-1991-11-20-1シンガポール1991年11月20日1990年代印刷・出版のTimes Printers社は,92年1月よりTimes東南アジア向け版の印刷を5年契約で締結したと発表。
DIA-207-1991-11-21-1シンガポール1991年11月21日1990年代国防省は12月より,ナショナル・サービス従事者手当てを一律30S㌦値上げすると発表。改正後は新規入隊者の手当ては175S㌦となる。
DIA-207-1991-11-21-2シンガポール1991年11月21日1990年代マレーシアの国営自動車会社が,シンガポールは同社製プロトン・サガの2番目の輸入国で,87年の輸出開始以降3519台を輸出したと明かす。
DIA-207-1991-11-22-1シンガポール1991年11月22日1990年代タイのThe Nation紙は,リー上級相がベトナム経済顧問への就任を引き受けたと報道。
DIA-207-1991-11-23-1シンガポール1991年11月23日1990年代金融庁はクレジット・カード発行規制を厳しくし,発行資格者の最低年収額を6000S㌦引き上げ3万S㌦,毎月の利用上限額を月収の2カ月相当分とする。
DIA-207-1991-11-23-2シンガポール1991年11月23日1990年代Singapore Telecomは,2億S㌦の費用で自前の通信衛星サテライトの打ち上げを検討中と明かす。
DIA-207-1991-11-24-1シンガポール1991年11月24日1990年代教育省は,92年7月年に7億S㌦で4番目のポリテクニック,National Polytechnicをアンモキオに開校すると発表。第1期学生数は700人の予定。
DIA-207-1991-11-25-1シンガポール1991年11月25日1990年代シンガポールは93年開催予定の東南アジアスポーツ大会の開催を引き受けたと発表。
DIA-207-1991-11-26-1シンガポール1991年11月26日1990年代貿易振興庁,23番目の海外事務所をソウルに開設。
DIA-207-1991-11-27-1シンガポール1991年11月27日1990年代シンガポール航空,12月よりシンガポール-クアラルンプール間の航空運賃の値上げを発表。エコノミー・クラスは現行の130S㌦から147S㌦にアップ。
DIA-207-1991-11-28-1シンガポール1991年11月28日1990年代ヨー国防相,世界の軍事的緊張緩和がみられるが,地域の潜在的緊張が存続しているので,微兵期間の短縮や軍事費の削減は行なわないと語る。
DIA-207-1991-11-29-1シンガポール1991年11月29日1990年代「公選大統領法」が本日より発効し,ウィー大統領は公選大統領と同様の権限を持つ(任期は93年9月まで)。
DIA-207-1991-12-01-1シンガポール1991年12月01日1990年代シンガポール港湾庁(PSA)は,4億S㌦の費用でコンテナー流通センターKeppel Distriparkを建設するプロジェクトを発表。
DIA-207-1991-12-03-1シンガポール1991年12月03日1990年代都市再開発庁(URA)は,シンガポール川下流付近の8ブロックをショッピング・センター,ホテル,レストラン開発用に民間に売却する計画を明かす。
DIA-207-1991-12-04-1シンガポール1991年12月04日1990年代ビール製造のAsia Paciffic Breweries社が,ベトナムのホーチミン市に1億5000万S㌦を投資し,ビール工場を建設する計画をベトナム政府と交渉中であることが明らかになる。
DIA-207-1991-12-05-1シンガポール1991年12月05日1990年代都甲駐シンガポール日本大使,第二次世界大戦での日本の役割は歴史家の判断に任せればよいと語る。
DIA-207-1991-12-06-1シンガポール1991年12月06日1990年代政府は外国人メイドにビルマ人女性を雇用することを認める。
DIA-207-1991-12-06-2シンガポール1991年12月06日1990年代大手地場企業116社の寄付で,「リークアンユー交換留学生」基金1000万S㌦が集まる。
DIA-207-1991-12-07-1シンガポール1991年12月07日1990年代国防省は,現在18歳から始まる徴兵を,今後希望者は16歳半から入隊できるようにすることを検討中と明かす。
DIA-207-1991-12-07-2シンガポール1991年12月07日1990年代ウォン外相,インドを訪問(2日間)。
DIA-207-1991-12-08-1シンガポール1991年12月08日1990年代情報・芸術省は,日本軍のシンガポール攻撃開始(12月8日)と陥落(2月15日)50周年を記念して展示会などの行事を開催。92年2月には占領期文物展覧会を開催する予定。
DIA-207-1991-12-09-1シンガポール1991年12月09日1990年代アメリカ政府は,シンガポール企業が航空機とミサイル部品をイランに輸出した疑いで調査中と明かす。
DIA-207-1991-12-09-2シンガポール1991年12月09日1990年代シンガポール・ドルの対マレーシア・リンギット交換レートが過去最高の1リンギット=0.586S㌦となる。
DIA-207-1991-12-10-1シンガポール1991年12月10日1990年代ヨー情報・芸術相,第二次世界大戦の日本軍侵略に触れ,「許す,しかし忘れるな」と語る。
DIA-207-1991-12-11-1シンガポール1991年12月11日1990年代リー上級相夫婦,東京での国際会議出席のため香港,日本を訪問(~15日)。
DIA-207-1991-12-12-1シンガポール1991年12月12日1990年代リー副首相,ゴー首相との関係に触れ,2人の性格は違うが,チームとして行動していると語る。
DIA-207-1991-12-12-2シンガポール1991年12月12日1990年代ポッカ飲料水社の谷田会長が,シンガポールの駐名古屋名誉領事に任命される。
DIA-207-1991-12-13-1シンガポール1991年12月13日1990年代経済開発庁の発表によると,91年のシンガポール企業の海外投資額は前年から3倍増の9億9490万S㌦に達した。
DIA-207-1991-12-13-2シンガポール1991年12月13日1990年代リー副首相,元共産党メンバーの政治参加問題は,完全に思想を放棄したかどうか不明のため慎重に対処する必要があると語る。
DIA-207-1991-12-14-1シンガポール1991年12月14日1990年代教育省は,親の強い要望により91年から小学校入学生徒の名前をピンインでなく中国語方言読みでも認めると発表。
DIA-207-1991-12-15-1シンガポール1991年12月15日1990年代リー通産相は,92年の景気見通しはよくないが,政府の成長率予測は5~7%と語る。
DIA-207-1991-12-16-1シンガポール1991年12月16日1990年代アメリカのブッシュ大統領が来年1月初めに3日間来訪し,講演を行なうことが発表される。
DIA-207-1991-12-16-2シンガポール1991年12月16日1990年代アラン・ヨー(Alan Yeo)貿易振興庁長官を団長とする経済使節団がベトナムを訪問(5日間)。
DIA-207-1991-12-18-1シンガポール1991年12月18日1990年代ヨー通信・芸術相,2年以内にSingapore Broadcasting Corporationを民営化すると発表。
DIA-207-1991-12-19-1シンガポール1991年12月19日1990年代政府は,ECがシンガポールを含むアジアNIEsを工業国と認定し,特恵関税特典を廃止する決定を行なったことに不満の意を表明する。
DIA-207-1991-12-20-1シンガポール1991年12月20日1990年代外務省は,92年1月よりキャリア外交官のケサバパニー(K.Kesavapany)を駐ジュネーブ国連代表に任命すると発表。
DIA-207-1991-12-21-1シンガポール1991年12月21日1990年代政府は今後3年間で老人ホーム等の福祉投資に3750万Sドルを追加し,総額1億S㌦とすると発表。
DIA-207-1991-12-23-1シンガポール1991年12月23日1990年代シンガポール・ドルの対米ドル交換レートが過去最高の1米㌦=1.6332S㌦を記録する。
DIA-207-1991-12-25-1シンガポール1991年12月25日1990年代統計局の発表によると,91年1~11月の消費者物価上昇率は,対前年同期比3.5%増で,通年では政府の年初予測3.4%増にほぼ近い見込み。
DIA-207-1991-12-26-1シンガポール1991年12月26日1990年代政府は,中国の楊国家主席が来年1月7~10日に来訪すると発表。中国国家主席の初訪問となる。
DIA-207-1991-12-27-1シンガポール1991年12月27日1990年代強大な権限を持った新設の大統領顧間理事会(Council of Presidential Advisors)メンバー(5人)が発表される。元有力閣僚のリム・キムサン(Lim Kim San),OCBC銀行所有家のリー・センウィー(Lee Seng Wee),フレーザー&ニープ社会長マイケル・ファム(Michael Fam),貿易振興庁部長のリズワン・ザフィル(Ridzwan Dzafir),公務員委員会副委員長のチョン・シューキョン(Cheong Siew Keong)で,発令は92年1月2日。
DIA-207-1991-12-28-1シンガポール1991年12月28日1990年代内閣の一部改造が発表され(92年1月2日発令),トニー・タン教育相が退任。リー・ヨクスアン労相兼第二文相が新たに教育相となる。リー・ブンケン(Lee Boon Keng)総理府長官兼第二国防相は労相兼第二国防相となる。
DIA-207-1991-12-29-1シンガポール1991年12月29日1990年代ST紙は91年の十大ニュースを発表。トップは読者選出が湾岸戦争,編集者選出が8月の総選挙。
DIA-207-1991-12-30-1シンガポール1991年12月30日1990年代環境庁は,チューインガムがMRTの営業を妨げるとの理由から,92年1月3日よりチューインガムの輸入・販売・製造を禁止すると発表。
DIA-207-1991-12-31-1シンガポール1991年12月31日1990年代政府は,国内歳入局(Inland Revenue Department)を92年4月より準政府機関とすると発表。
DIA-207-1991-12-31-2シンガポール1991年12月31日1990年代ゴー首相,92年新年メッセージで,91年の経済成長率は6.5%と発表。
DIA-207-1992-01-01-1シンガポール1992年01月01日1990年代ゴー首相の92年新年メッセージ。世界の経済情勢は悪いが,シンガポールは適切な金融政策で最低5%の経済成長が期待できる,将来の危機に備え外貨準備金を大幅に貯える必要があると語る。
DIA-207-1992-01-03-1シンガポール1992年01月03日1990年代ブッシュ・アメリカ大統領が来訪(~5日)。ゴー首相との会談で,アメリカが92年に在フィリピンの第7艦隊司令部をシンガポールに移転すること,投資相互協定を結ぶことに原則的に合意。
DIA-207-1992-01-07-1シンガポール1992年01月07日1990年代中国の楊国家主席が来訪(~10日)。
DIA-207-1992-01-16-1シンガポール1992年01月16日1990年代ゴー首相国会演説で,今後5年間の重要政策項目として,国民の能力開発,生活水準の向上,政府行政の効率化,長期的な国家展望,の四つを挙げ,政権の評価はこの結果で判断して欲しいと語る。
DIA-207-1992-01-27-1シンガポール1992年01月27日1990年代第4回ASEAN首脳会議,シンガポールで開催さる(~2日間)。
DIA-207-1992-01-28-1シンガポール1992年01月28日1990年代ASEAN6カ国首脳は,ASEANの新方向を盛り込んだ「シンガポール宣言」に調印し,2008年までに「ASEAN自由貿易地域」を創設することに合意。また経済協力強化のために「枠組み協定」と「関税引下協定」も調印さる。今後3~5年ごとに首脳会議を開催することも了解さる。
DIA-207-1992-02-03-1シンガポール1992年02月03日1990年代ゴー首相,チャイニーズ・ニューイヤー・メッセージを発表し,世界経済の停滞にもかかわらずシンガポールの91年投資コミットメント総額は約30億S㌦で過去最高であった,この先5年に多くの雇用を創出するだろう,と語る。
DIA-207-1992-02-15-1シンガポール1992年02月15日1990年代中華総商会などが日本軍によるシンガポール陥落50周年記念行事を開催。
DIA-207-1992-02-16-1シンガポール1992年02月16日1990年代パナマ船籍タンカーLotus-Mが修理中にチャンギで爆発し,死者5人,負傷者16人の事故となる。
DIA-207-1992-02-28-1シンガポール1992年02月28日1990年代92/93年度予算が発表さる。法人税減税(31%から30%)に,5%の所得税払い戻しが主なもの。
DIA-207-1992-03-01-1シンガポール1992年03月01日1990年代国家生産性庁(NPB),生産性向上3カ年計画「Vision1995」を発表。
DIA-207-1992-03-06-1シンガポール1992年03月06日1990年代グレン・ナイト(Glenn Knight)に対する最高裁判決は,地裁の禁固3ヵ月から,禁固1日,罰金1万7000S㌦に減刑。
DIA-207-1992-03-13-1シンガポール1992年03月13日1990年代政府は「社会人大学(Open University)」の政策を転換,政府ではなく民間中心とし94年開校を目指すとする。
DIA-207-1992-03-18-1シンガポール1992年03月18日1990年代厚生省は新しい総合保険制度,メディセイブ(Medisave)の導入を発表。7月より35歳以上の国民は費用の7%を個人負担となる。
DIA-207-1992-04-01-1シンガポール1992年04月01日1990年代国家コンピュータ庁(NCB),15年後にシンガポールのすべての会社,家庭をコンピュータで結ぶ「IT2000」計画を発表。
DIA-207-1992-04-10-1シンガポール1992年04月10日1990年代マレーシアStar紙,リー上級相が賠償金支払いの条件で,FEER,AWSJ2誌・紙に対する訴訟(クアラルンプール高裁)を取り下げたと報じる。
DIA-207-1992-04-18-1シンガポール1992年04月18日1990年代ゴー首相とスハルト大統領が,「バタム工業団地」の公式オープニングに出席。
DIA-207-1992-04-23-1シンガポール1992年04月23日1990年代リー上級相,ベトナム政府の招きで初のベトナム訪問(~27日)。経済視察が主な目的。
DIA-207-1992-04-27-1シンガポール1992年04月27日1990年代「華人支援評議会」(Chinese Development As-sistance Council)が設立さる。初代会長はウィー・チョーヤオ(Wee Chow Yaw),年間570万S㌦の活動資金を集める予定。
DIA-207-1992-05-10-1シンガポール1992年05月10日1990年代シンガポール国立大学政治学科上級講師,今後10年間に野党国会議員は10~12人ほどに増えるだろうと語る。
DIA-207-1992-05-26-1シンガポール1992年05月26日1990年代全国賃金評議会(NWC)が賃金抑制,ビジネス・コスト引下げ要請の内容を勧告。
DIA-207-1992-05-29-1シンガポール1992年05月29日1990年代マレーシアと領有をめぐり論争中のPedra Branca付近で,操業中のシンガポール漁船2隻がマレーシア海上警察に逮捕さる。
DIA-207-1992-06-15-1シンガポール1992年06月15日1990年代ゴー首相が人民行動党の当面の課題は,(1)政府と国民の信頼強化,(2)個々人に市場行動で責任感を持たせること,(3)国民の総資産を増やすことと語る。
DIA-207-1992-06-22-1シンガポール1992年06月22日1990年代国家開発省は,3億8000万S㌦を投資して,2030年までに都市部を地下トンネル環状線で結ぶ,都市道路網整備計画を発表。
DIA-207-1992-06-22-2シンガポール1992年06月22日1990年代外務省,インドシナ復興援助として1600万S㌦をインドシナ諸国に供与すると発表。
DIA-207-1992-06-23-1シンガポール1992年06月23日1990年代リー上級相,日本の国連平和維持軍への自衛隊参加を支持すると語る。
DIA-207-1992-07-05-1シンガポール1992年07月05日1990年代全国労働組合評議会(NTUC)がタントクセン(Tan Tock Seng)病院を所有・運営する計画を明す。
DIA-207-1992-07-07-1シンガポール1992年07月07日1990年代金融庁(MAS)は,シンガポール経済の長期的な持続可能な成長率は,4~6%との見方を明かす。
DIA-207-1992-07-16-1シンガポール1992年07月16日1990年代シンガポール証券取引所(SES)が取引拡大の一環として,本日より取引時間を1時間半延長。朝が30分早く9時30分開始,夕方が1時間伸び5時まで。
DIA-207-1992-07-20-1シンガポール1992年07月20日1990年代国防省は,スペース上の問題からF-16ファルコン戦闘機9機をアメリカに常置する予定と発表。同時に1機3000万S㌦の同機をさらに11機購入する計画を明かす。
DIA-207-1992-08-02-1シンガポール1992年08月02日1990年代ウィー・チョンジン(Wee Chong Jin)前最高裁長官を委員長に,委員9人からなる初代「宗教調和に関する大統領評議会(Presidential Council for Religious Harmony)」が発足。
DIA-207-1992-08-07-1シンガポール1992年08月07日1990年代クレメンティ地区で,建設中の商業ビルでガス爆発が発生し,3人死亡,61人が負傷を負う。
DIA-207-1992-08-13-1シンガポール1992年08月13日1990年代国内治安局は,『ビジネス・タイムス』紙編集者2人と記者1人を,政府機密法違反の理由で事情聴取。後に他の機関も含め4人を逮捕。容疑は経済成長率に関する情報を,政府の公式発表以前に不法に入手し公開したこと。
DIA-207-1992-08-16-1シンガポール1992年08月16日1990年代ゴー首相,独立記念日演説で,シンガポールは経済分野で先進国と競争する準備をしなければならないと語る。
DIA-207-1992-08-24-1シンガポール1992年08月24日1990年代マラッカ海峡で台湾籍客船が衝突して沈没,不明の乗客にシンガポール人5人が含まれる。
DIA-207-1992-08-26-1シンガポール1992年08月26日1990年代都市再開発庁(URA)が,21世紀に向けた都心地域の再開発計画を発表。海岸地域を大幅に埋め立て,ビジネス・商業ゾーンを拡張する内容。
DIA-207-1992-09-01-1シンガポール1992年09月01日1990年代ダナバラン国家開発相辞任。後任はフー大蔵相が兼任。
DIA-207-1992-09-07-1シンガポール1992年09月07日1990年代ゴー首相,ジャカルタの非同盟諸国会議で,シンガポールの経済開発パターンは第3世界開発のモデルとなりうると語る。
DIA-207-1992-09-11-1シンガポール1992年09月11日1990年代バンコクで開催されたAPEC会議は,事務局をシンガポールに設置することを決定する。
DIA-207-1992-09-14-1シンガポール1992年09月14日1990年代国会で,非選挙区選出任命国会議員6人(女性1人)が,就任宣誓を行なう。
DIA-207-1992-09-24-1シンガポール1992年09月24日1990年代シンガポールとベトナムは「貿易協定」に調印し,最恵国待遇を与えあう。
DIA-207-1992-09-25-1シンガポール1992年09月25日1990年代オーストラリア首相シンガポールを訪問。
DIA-207-1992-09-25-2シンガポール1992年09月25日1990年代政府は来年から,公共住宅(HDB)建設の10%を民間に委託する方針であると発表。
DIA-207-1992-09-28-1シンガポール1992年09月28日1990年代リー・クアンユー上級相,中国を公式訪問(~2週間)。
DIA-207-1992-09-29-1シンガポール1992年09月29日1990年代セノコ(Senoko)発電所で火事が発生し,シンガポールの大半の地域で13時間停電した。
DIA-207-1992-10-18-1シンガポール1992年10月18日1990年代放送倫理検討委員会は,映画・テレビの放送基準を強化することを提案,政府は受け入れる。
DIA-207-1992-10-19-1シンガポール1992年10月19日1990年代ウォン・カンセン外相,ベトナム公式訪問。
DIA-207-1992-10-26-1シンガポール1992年10月26日1990年代リー上級相,ジョージ・ヨー情報・芸術相らが南アフリカ共和国を公式訪問しマンデラ議長と会見,両国の経済政治問題を協議。
DIA-207-1992-10-29-1シンガポール1992年10月29日1990年代シンガポールとベトナムは,「投資保護協定」に調印。
DIA-207-1992-11-04-1シンガポール1992年11月04日1990年代ゴー首相,クリントン新大統領がアジアに「深く積極的な関心」を持つことを望むと語る。
DIA-207-1992-11-06-1シンガポール1992年11月06日1990年代台湾でシンガポール人5人が麻薬持ち込みの罪で死刑判決を受ける。
DIA-207-1992-11-15-1シンガポール1992年11月15日1990年代人民行動党が幹部党員大会を開催。新中央執行委員を選出。12月2日新役員が発表され,リー・クアンユーが書記長を退任,ゴー・チョクトンが新書記長に就任する。第1副書記長は,リー・シェンロン,第2副書記長にウォン・カンセン外相が就く。
DIA-207-1992-11-16-1シンガポール1992年11月16日1990年代政府は,リー・シェンロン副首相(40歳)とオン・テンチョン副首相(56歳)が,ガンであると発表。しかし閣僚ポストには従来どおり留まり任務には支障なしと語る。
DIA-207-1992-11-18-1シンガポール1992年11月18日1990年代シンガポール・サッカー協会は,1994年にプロリーグを発足させると発表。
DIA-207-1992-11-23-1シンガポール1992年11月23日1990年代政府は,ワークパーミット所有の外国人労働者に今後エイズ検査を義務づけると発表。
DIA-207-1992-11-25-1シンガポール1992年11月25日1990年代マレーシア国防大臣が,マレーシア海軍が過去40年間使用してきたウッドランド海軍基地を1997年に明け渡し閉鎖すると発表。施設利用料の高騰が理由。
DIA-207-1992-11-27-1シンガポール1992年11月27日1990年代スンバワン造船所のタンカー火災事故が発生し,マレーシア人労働者5人が死亡,17人が負傷する。
DIA-207-1992-11-28-1シンガポール1992年11月28日1990年代厚生省は,17億S㌦を投資してこの先6年以内に三つの公共病院を建設する計画を明かす。
DIA-207-1992-12-02-1シンガポール1992年12月02日1990年代政府は,19日にマリンパレード・グループ代表選挙区で補欠選挙を実施と発表。ゴー首相が,補選参加のため議員を辞任する。同選挙区選出のリム・チーオン議員は政界引退を表明。
DIA-207-1992-12-05-1シンガポール1992年12月05日1990年代リー副首相,負担軽減して病気治療のため通産相を辞任。後任にダナバラン元国家開発相が復帰。7日にリー副首相はゴー首相の特別経済顧問に任命さる。
DIA-207-1992-12-14-1シンガポール1992年12月14日1990年代教育省は,17の学校新設や既存設備改築のため今後3~5年間で9億S㌦を投資する計画を明かす。
DIA-207-1992-12-17-1シンガポール1992年12月17日1990年代シンガポール航空は,カンタス航空の株式取得をめぐりイギリス航空と争っていたが,買収合戦に敗れる。イギリス航空はカンタス社の25%の株式を取得。
DIA-207-1992-12-19-1シンガポール1992年12月19日1990年代マリンパレード・グループ代表選挙区で補欠選挙行なわれる(投票率92.5%)。ゴー首相らの人民行動党が得票率72.9%で当選。野党のシンガポール民主党が24.5%を得る。
DIA-207-1992-12-23-1シンガポール1992年12月23日1990年代今年1~9月の対中国投資は7億9000万S㌦に達し,過去13年分の総額の半分を上回る。
DIA-207-1992-12-31-1シンガポール1992年12月31日1990年代ゴー首相,93年向けニューイヤー演説で,92年の経済成長率は暫定で5.6%,製造業投資額は過去最高の35億S㌦と発表。またこの先数年で,所得税,法人税の直接税を低減し,代わりに間接税である消費税(3%予定)を導入して減収を補完する考えを明かす。
DIA-207-1993-01-01-1シンガポール1993年01月01日1990年代ゴー・チョクトン首相の93年新年演説,シンガポールが国際競争の中で生き残るために,国民は常に目標よりも高い成長率達成に努力しなければならない,数年以内に個人所得税と法人税率を引下げ,代わりに消費税を導入する,との考えを示す。
DIA-207-1993-01-10-1シンガポール1993年01月10日1990年代アメリカ向け非合法移民中国人128人を乗せた船がシンガポール海域で拿捕さる。
DIA-207-1993-01-17-1シンガポール1993年01月17日1990年代リー・クアンユー上級相,今年予定の大統領選への出馬意志はないと語る。
DIA-207-1993-01-19-1シンガポール1993年01月19日1990年代厚生省,18歳以下の未成年者にタバコ販売を禁止する「タバコ法案」を国会に上程。
DIA-207-1993-01-29-1シンガポール1993年01月29日1990年代シンガポールとインドネシアは,スマトラ州カンパル川(Kampar)流域での水資源開発と工業団地開発協定に調印。
DIA-207-1993-02-09-1シンガポール1993年02月09日1990年代政府は「消費税」(Goods & Services Tax)を94年4月1日より導入する計画を発表。税率は3%で,導入理由として,法人税引下げによる国際競争力強化と課税基盤の強化を挙げる。法案は10月12日国会で可決さる。
DIA-207-1993-02-10-1シンガポール1993年02月10日1990年代ラモス・フィリピン大統領が訪問(~12日)。
DIA-207-1993-02-12-1シンガポール1993年02月12日1990年代「アジア・太平洋経済協力閣僚会議」(APEC)事務局が正式にオープン。
DIA-207-1993-02-22-1シンガポール1993年02月22日1990年代コール・ドイツ首相が訪問(~24日)。シンガポールと共同で,中国・アフリカなど途上国共同プロジェクトを行なうことに合意。
DIA-207-1993-02-26-1シンガポール1993年02月26日1990年代1993/94年度予算が発表さる。消費税導入を前提に,法人税を30%から27%に,個人所得税の5%払い戻し,基礎控除額を2000Sドルから3000Sドルに引き上げ,が主なもの。
DIA-207-1993-03-04-1シンガポール1993年03月04日1990年代シンガポール開発銀行(DBS),プライムレートを0.25ポイント引下げ,過去10年で最低の4.75%とする。
DIA-207-1993-03-07-1シンガポール1993年03月07日1990年代ルツコイ・ロシア共和国副大統領,シンガポール訪問(~8日)。
DIA-207-1993-03-22-1シンガポール1993年03月22日1990年代チュアン・タイ首相が訪問(~23日)。
DIA-207-1993-03-30-1シンガポール1993年03月30日1990年代92年12月補欠選挙で野党,シンガポール民主党(SDP)から立候補した,シンガポール国立大学講師のチー・スーンジュアン(Chee Soon Juan)が,公費の私的流用の理由で解雇さる。これに抗議しハンストを行なう(5月4~14日まで)。
DIA-207-1993-04-03-1シンガポール1993年04月03日1990年代通産省,シンガポールに不公平貿易障壁があるとのアメリカ政府の非難に反論。
DIA-207-1993-04-11-1シンガポール1993年04月11日1990年代リー・シェンロン副首相,健康が回復し本日より公務に復帰。
DIA-207-1993-04-12-1シンガポール1993年04月12日1990年代国会は,現行の控訴裁判所と刑事控訴裁判所を控訴裁判所に統合する憲法改正を可決。これによりイギリス枢密院への上訴制度は廃止さる。
DIA-207-1993-04-12-2シンガポール1993年04月12日1990年代国会,退職年齢を現行の55歳から60歳に引上げる「退職年令法案」を可決。将来的には2003年までに67歳とする方向。
DIA-207-1993-04-19-1シンガポール1993年04月19日1990年代ゴー首相,ウォン外相,フー蔵相らが中国を訪問し北京,山東省などを訪問(~29日)。
DIA-207-1993-04-19-2シンガポール1993年04月19日1990年代デバン・ネア元大統領,最高裁で,88年に行なったリー前首相への非難の発言を全て撤回すると発言,リーはそれを承認。
DIA-207-1993-04-27-1シンガポール1993年04月27日1990年代中国と台湾の準政府機関団体代表による,国交正常化に向けた会合がシンガポールで開催さる。共同声明,四つの合意協定に調印(~28日)。
DIA-207-1993-05-05-1シンガポール1993年05月05日1990年代ゴー首相,日本の国連安全保障理事会の常任理事国入りを支持すると語る。
DIA-207-1993-05-09-1シンガポール1993年05月09日1990年代ゴー首相,就任後初の訪日(~12日)。ウォン外相,ジャヤクマール法相,リー労働相が同行。10日に宮沢首相と会談し共同で途上国支援の「日本シンガポール・パートナーシップ・プログラム」を設立することに合意。
DIA-207-1993-05-10-1シンガポール1993年05月10日1990年代リー上級相,中国を非公式訪問(~18日)。江主席と会談。
DIA-207-1993-05-17-1シンガポール1993年05月17日1990年代「海外事業促進委員会」が中間報告書を発表。10月に最終報告書がでる。
DIA-207-1993-05-17-2シンガポール1993年05月17日1990年代シンガポール民主党のチャム・シートン書記長,党内路線対立が原因で書記長辞任。チー・スーンジュアンが書記長代行になる。
DIA-207-1993-05-20-1シンガポール1993年05月20日1990年代カンボジア総選挙監視のために,軍人62人がカンボジアへ派遣さる。
DIA-207-1993-05-20-2シンガポール1993年05月20日1990年代ASEAN拡大外相会議,政治・安全保障両分野第1回次官級会議が開催さる(~22日)。
DIA-207-1993-05-28-1シンガポール1993年05月28日1990年代全国賃金評議会(NWC)の勧告がでる。基本給引上げは生産性上昇の範囲内,今年は経済が好調なのでボーナスの形で支給する,が主な内容。中央積立基金(CPF)拠出率は,7月1日より雇用者が0.5%引き上げ18.5%,被雇用者が0.5%引き下げ21.5%とさる。
DIA-207-1993-06-01-1シンガポール1993年06月01日1990年代教育省,来年に南洋工科大学の教育内容をアメリカ・イギリス方式に全面的に改組と発表。
DIA-207-1993-06-06-1シンガポール1993年06月06日1990年代リー上級相,ビジネスマンらがハンガリー訪問(~9日)。
DIA-207-1993-06-12-1シンガポール1993年06月12日1990年代第17回東南アジア競技会(Sea Game)が開催さる(~20日)。
DIA-207-1993-06-15-1シンガポール1993年06月15日1990年代フィリピンで,初のシンガポール軍との合同軍事演習が行なわれる(10日間)。
DIA-207-1993-06-30-1シンガポール1993年06月30日1990年代アーマド・マター環境相(兼イスラム担当相)が辞任。翌日マー通信相が同相を兼任,アブドラ・タルムギが環境担当国務相とムスリム担当相に就任し国会副議長を辞任。
DIA-207-1993-07-01-1シンガポール1993年07月01日1990年代シンガポール国立大学,南洋工科大学授業費が3~7%値上げ,社会科学関係学部は年間3850Sドルとなる。
DIA-207-1993-07-01-2シンガポール1993年07月01日1990年代シンガポール金融庁(MAS),オフショア銀行のシンガポール・ドル貸し付け上限を現行の7000万Sドルから1億Sドルに引き上げる。
DIA-207-1993-07-06-1シンガポール1993年07月06日1990年代ハード英外相が訪問。
DIA-207-1993-07-07-1シンガポール1993年07月07日1990年代リー上級相,オン副首相,ビジネスマンら120人が中国・山東省訪問(1週間)。
DIA-207-1993-07-23-1シンガポール1993年07月23日1990年代第26回ASEAN外相会議(~24日)・拡大外相会議(26~28日)がシンガポールで開催さる。地域安全保障,APEC,EAEC,AFTA等の問題が討議さる。
DIA-207-1993-07-27-1シンガポール1993年07月27日1990年代クリストファー米国務長官,ゴー首相と安全保障問題で会談。
DIA-207-1993-08-02-1シンガポール1993年08月02日1990年代政府は「エコノミスト』誌が掲載記事への政府反論を載せなかったとの理由で販売部数の制限を発表。翌日同誌が掲載を受け入れ措置は撤回さる。
DIA-207-1993-08-03-1シンガポール1993年08月03日1990年代クレメンティ駅でMRTが衝突事故,160人の負傷者がでる。開設以来初の事故。
DIA-207-1993-08-15-1シンガポール1993年08月15日1990年代ゴー首相,独立記念日演説でシンガポール経済の2大課題は,海外投資競争と外資移転にともなう失業問題と語る。
DIA-207-1993-08-18-1シンガポール1993年08月18日1990年代民選大統領選挙に,副首相オン・テンチョンと前銀行家のチュア・キムヨー(Chua Kim Yeow)の2人が立候補届け。ジェヤレトナム労働党書記長の届けは拒否さる。オンは人民行動党委員長を辞任。後任はトニー・タン。
DIA-207-1993-08-20-1シンガポール1993年08月20日1990年代シンガポール民主党,チャムの除名を決定。チャムは法廷で争い12月11日決定は不法との判決がでる。そのため国会議席は維持。
DIA-207-1993-08-26-1シンガポール1993年08月26日1990年代シンガポール証券取引所のST工業指数,初めて2000ポイントを突破。国内外の資金流入増による。
DIA-207-1993-08-28-1シンガポール1993年08月28日1990年代民選大統領制導入後最初の大統領選挙で,オン・テンチョンが当選(9月1日就任)。しかし得票率は58.7%にとどまり,無名のチュア候補が41.3%を得る。
DIA-207-1993-09-01-1シンガポール1993年09月01日1990年代リー上級相の「政治評論集」(華語)が発売され,3日で6000部を完売。
DIA-207-1993-09-17-1シンガポール1993年09月17日1990年代全国労働組合評議会(NTUC)の新書記長にリム・ブーンヘン(Lim Boon Heng)が選任さる。同時に無任所相に就任(就任は10月11日)。
DIA-207-1993-09-27-1シンガポール1993年09月27日1990年代「コスト・レビュー委員会」が報告書を発表。
DIA-207-1993-10-05-1シンガポール1993年10月05日1990年代ベトナム共産党,ド・ムオイ書記長がシンガポールを訪問(~8日)。
DIA-207-1993-10-07-1シンガポール1993年10月07日1990年代第25回ASEAN経済閣僚会議がシンガポールで開催さる(~8日)。
DIA-207-1993-10-16-1シンガポール1993年10月16日1990年代ラビン・イスラエル首相シンガポールを訪問しゴー首相と会談。
DIA-207-1993-10-20-1シンガポール1993年10月20日1990年代ゴー首相,「英連邦首脳会議」出席のためキプロス訪問。
DIA-207-1993-10-22-1シンガポール1993年10月22日1990年代「厚生白書」が発表さる。
DIA-207-1993-10-28-1シンガポール1993年10月28日1990年代シンガポール・テレコム社の株式申し込みが締め切られ,一般売出し予定より3.5倍の37億6000万株に達する。一般売出し価格は1株3.60Sドルとなる。
DIA-207-1993-10-30-1シンガポール1993年10月30日1990年代教育省,来年の消費税導入にともない1月より「教育援助基金」を1億Sドルに増やすと発表。
DIA-207-1993-11-01-1シンガポール1993年11月01日1990年代シンガポール証券取引所(SES)の営業時間が朝8時から夜8時に延長さる。現行から5時間30分の大幅延長。ただし一時的措置。
DIA-207-1993-11-02-1シンガポール1993年11月02日1990年代貿易振興庁(TDB)の,ヨー・センテク(Yeo Seng Teck)局長が,2億Sドルの詐欺容疑で逮捕さる。
DIA-207-1993-11-06-1シンガポール1993年11月06日1990年代ゴー首相ジャカルタでスハルト大統領と会談。
DIA-207-1993-11-08-1シンガポール1993年11月08日1990年代ゴー首相,韓国訪問(~11日)。
DIA-207-1993-11-08-2シンガポール1993年11月08日1990年代アフリカ諸国から23人の指導者が参加し,シンガポールの開発経験を学ぶ「アフリカ・リーダーシップ・フォーラム」が開催さる。
DIA-207-1993-11-09-1シンガポール1993年11月09日1990年代オン大統領,インドネシアを訪問(~12日)。
DIA-207-1993-11-17-1シンガポール1993年11月17日1990年代ゴー首相,シアトルで開催されたAPEC非公式首脳会議に出席。
DIA-207-1993-11-17-2シンガポール1993年11月17日1990年代リー上級相,ベトナム訪問。
DIA-207-1993-11-22-1シンガポール1993年11月22日1990年代ゴー首相,もし勧誘されればシンガポールはNAFTAに加盟する用意あり,と語る。
DIA-207-1993-12-04-1シンガポール1993年12月04日1990年代政府,7~35%の公務員給与アップを実施。首相の手取給与は4万5867Sドルとなる。
DIA-207-1993-12-15-1シンガポール1993年12月15日1990年代ヨー・ニンホン国防相が94年7月頃,閣僚を辞任すると発表。
DIA-207-1993-12-22-1シンガポール1993年12月22日1990年代内閣改造が発表さる。リー副首相が新たに経済閣僚委員会議長,通産・国防担当総理府相に,ヨー・チュートンが通産相に,ウォン・カンセンが内務相に,ジャヤクマールが外相となる人事が主なもの。94年1月2日より発足。
DIA-207-1993-12-27-1シンガポール1993年12月27日1990年代ゴー首相がタイ訪問(~28日)。
DIA-207-1993-12-28-1シンガポール1993年12月28日1990年代ダナバラン通産相,地場企業振興のために10億Sドルで“Cluster Development Fund”を創設すると発表。
DIA-207-1993-12-29-1シンガポール1993年12月29日1990年代シンガポール証券取引所のストレーツ・タイムス工業指数が,史上最高の2426.85ポイントを記録。1年で58%の上昇。
DIA-207-1993-12-31-1シンガポール1993年12月31日1990年代ゴー首相,94年ニューイヤー・メッセージで,93年のGDP成長率は9.8%,対製造業投資は39億Sドルで過去最高額を記録との数字を発表。94年経済の見通しは良好で6~8%の成長が見込める。重要経済課題は,高齢化社会対策,と語る。
DIA-207-1994-01-01-1シンガポール1994年01月01日1990年代ゴー・チョクトン首相新年メッセージ,94年の重要経済課題は高齢者対策。
DIA-207-1994-01-01-2シンガポール1994年01月01日1990年代406品目の輸入関税廃止を実施。無関税品目総数は5736品目,全体の96%となる。
DIA-207-1994-01-01-3シンガポール1994年01月01日1990年代衛星放送のシンガポール国際テレビジョン(Singapore International Television)が放送開始。
DIA-207-1994-01-10-1シンガポール1994年01月10日1990年代オン・テンチョン大統領,就任後初の国会演説で,競争力維持のために長期的政策が必要と強調。
DIA-207-1994-01-23-1シンガポール1994年01月23日1990年代ゴー首相,インド訪問(~30日),ラオ首相らと会談。バンガロール・ハイテク・パーク促進など投資外交が目的。
DIA-207-1994-02-06-1シンガポール1994年02月06日1990年代地域社会振興省,家族意識醸成のため5項目の価値原則を発表。愛情といたわり,相互尊敬,敬老,積極的参加,責任感,の五つ。
DIA-207-1994-02-08-1シンガポール1994年02月08日1990年代ジュロン・シップヤード社でタンカー爆発事故,8人が死亡。
DIA-207-1994-02-15-1シンガポール1994年02月15日1990年代地裁,前貿易振興庁局長ヨー・センテクに詐欺罪禁固4年の判決。
DIA-207-1994-02-23-1シンガポール1994年02月23日1990年代大蔵省94年度予算を発表。歳出は167億S㌦(前年度比17%増)で,所得税を5%払戻し,海外投資奨励の優遇税制が主なもの。
DIA-207-1994-02-26-1シンガポール1994年02月26日1990年代ゴー首相が訪中(~27日)。リー・クアンユー上級相も帯同し李鵬首相と会談。蘇州工業団地プロジェクトに調印。
DIA-207-1994-03-02-1シンガポール1994年03月02日1990年代ゴー首相,ベトナム訪問(~6日)。投資やASEAN加盟問題を話し合う。
DIA-207-1994-03-03-1シンガポール1994年03月03日1990年代地裁,18歳のアメリカ人少年マイケル・フェイに悪戯行為で,禁固4カ月,ムチ打ち6回,罰金3500S㌦の判決。7日にクリントン大統領,判決が極端と抗議。
DIA-207-1994-03-22-1シンガポール1994年03月22日1990年代シンガポールとマレーシア政府は,コーズウェイを結ぶ第2陸橋の建設合意書に署名。建設費用は4億S㌦,1998年開通予定。
DIA-207-1994-03-28-1シンガポール1994年03月28日1990年代ゴー首相,ミャンマー訪問(~30日)。
DIA-207-1994-04-01-1シンガポール1994年04月01日1990年代消費税(3%)施行さる。
DIA-207-1994-04-09-1シンガポール1994年04月09日1990年代リー上級相,ニュージーランド,オーストラリアを訪問(2週間)。
DIA-207-1994-04-13-1シンガポール1994年04月13日1990年代ゴー首相,経済人を伴いドイツ,イギリス,フランス訪問。投資売り込みが目的。
DIA-207-1994-04-29-1シンガポール1994年04月29日1990年代リー上級相,フランス,ドイツ,イスラエル,ヨルダン4カ国訪問(~5月15日)。
DIA-207-1994-05-04-1シンガポール1994年05月04日1990年代オン・テンチョン大統領,クリントン大統領の減刑請願を一部受入れフェイのムチ打ちを6回から4回に減らすと決定。5日に実行(6月21日減刑で釈放さる)。
DIA-207-1994-05-13-1シンガポール1994年05月13日1990年代全国賃金評議会(NWC)の勧告が出る。賃上げはマクロ経済のパフォーマンスに沿ったもの,各企業の業績にそったボーナス,労働者訓練の必要性を強調。
DIA-207-1994-05-16-1シンガポール1994年05月16日1990年代ベトナムのボー・バン・キエット首相,シンガポール訪問(~18日)。
DIA-207-1994-05-27-1シンガポール1994年05月27日1990年代野党シンガポール民主党書記長代行,チー・スンジュアン将来ビジョンを示した本を出版。同党の政策綱領となる。
DIA-207-1994-06-01-1シンガポール1994年06月01日1990年代タクシー,バス,地下鉄(MRT)料金が値上げ。
DIA-207-1994-06-06-1シンガポール1994年06月06日1990年代シンガポールとマレーシア政府,インフラプロジェクト投資目的で,合弁投資会社を設立に合意。
DIA-207-1994-06-19-1シンガポール1994年06月19日1990年代政府は家族価値促進のため100万S㌦の「家族価値振興基金」(Family Values Promotion Fund)創設を発表。
DIA-207-1994-06-22-1シンガポール1994年06月22日1990年代シンガポール航空(SIA),ボーイングとエアバス52機を157億S㌦で発注。納入は2003年に完了予定。
DIA-207-1994-07-01-1シンガポール1994年07月01日1990年代中央積立基金(CPF)の拠出比率が改正。労使ともに20%,合計40%となる。従来は雇用者18.5%,労働者21.5%。
DIA-207-1994-07-05-1シンガポール1994年07月05日1990年代シンガポール民主党の反主流グループがシンガポール人民党(Singapore People’s Party)を結成,暫定書記長はシン・ケクトン。
DIA-207-1994-07-14-1シンガポール1994年07月14日1990年代リー上級相,ニュージーランド,オーストラリアを訪問(~26日)。
DIA-207-1994-07-23-1シンガポール1994年07月23日1990年代スンバワン・ベスレヘム・シップヤード社の爆発事故で3人死亡。
DIA-207-1994-08-21-1シンガポール1994年08月21日1990年代ゴー首相,独立記念日演説で,家族の絆を強める必要性を強調。経済が好調なので公務員に特別ボーナスを支給と語る。
DIA-207-1994-08-22-1シンガポール1994年08月22日1990年代土井衆議院議長がシンガポール訪問(~24日),ゴー首相,リー上級相と会談。
DIA-207-1994-08-26-1シンガポール1994年08月26日1990年代「喫煙(特定場所禁止)修正法」が発効。エアコン付き事務所,工場廊下での喫煙が禁止さる。
DIA-207-1994-08-28-1シンガポール1994年08月28日1990年代村山首相,シンガポール訪問(~30日),ゴー首相と会談,日本軍犠牲者慰霊碑に献花。
DIA-207-1994-09-01-1シンガポール1994年09月01日1990年代政府,任命国会議員6人を指名。再任2人,新人は4人で政策研究所副所長リー・ツァオ・ユエン(Lee Tsao Yuen)など。
DIA-207-1994-09-01-2シンガポール1994年09月01日1990年代韓国首相,シンガポール訪問(~3日)。
DIA-207-1994-09-02-1シンガポール1994年09月02日1990年代ツアス(Tuas)に新海軍基地を開設。
DIA-207-1994-09-08-1シンガポール1994年09月08日1990年代インド・ラオ首相,シンガポール訪問(~10日)。滞在中,両国企業は12の合弁プロジェクト,総額8億S㌦に調印。
DIA-207-1994-09-12-1シンガポール1994年09月12日1990年代ゴー首相,オーストラリア訪問。
DIA-207-1994-09-27-1シンガポール1994年09月27日1990年代リー上級相,山東省など中国各地を訪問(16日間)。
DIA-207-1994-09-29-1シンガポール1994年09月29日1990年代ゴー首相とスハルト大統領,「観光協力協定」と「新航空サービス協定」に調印。
DIA-207-1994-10-01-1シンガポール1994年10月01日1990年代国営のシンガポール放送協会(SBC)民営化実施。テレビジョン・コーポレーション・オブ・シンガポール(Television Corporation of Singapore)等3社に分割。
DIA-207-1994-10-11-1シンガポール1994年10月11日1990年代マー・ボータン通信相,市内地域に簡易鉄道(Light Rail System)建設計画を発表。
DIA-207-1994-10-12-1シンガポール1994年10月12日1990年代アジア・ヨーロッパ諸国の政府関係者,財界人450人が参加し,「ヨーロッパ・東アジア経済サミット」開催(~14日)。
DIA-207-1994-10-13-1シンガポール1994年10月13日1990年代シンガポールとマレーシア政府は,14年間にわたる交渉を経て,ジョホール海峡境界線に合意。
DIA-207-1994-10-17-1シンガポール1994年10月17日1990年代ゴー首相,フランス,スイス訪問。
DIA-207-1994-11-03-1シンガポール1994年11月03日1990年代国会「閣僚給与引き上げ法案」を可決(賛成61,反対6,保留1)。
DIA-207-1994-11-09-1シンガポール1994年11月09日1990年代中国・江沢民主席がシンガポール訪問(同日だけ)。
DIA-207-1994-11-16-1シンガポール1994年11月16日1990年代ゴー首相,APEC非公式首脳会議の自由化合意を,シンガポールは先進国同様,2010年までに実施すると語る。
DIA-207-1994-11-21-1シンガポール1994年11月21日1990年代ゴー首相,ニュージーランド訪問(~24日)。三つの合弁プロジェクトに調印。
DIA-207-1994-11-29-1シンガポール1994年11月29日1990年代政府,新国会議事堂の建設計画を発表。費用は8000万S㌦,1998年1月に完成予定。
DIA-207-1994-12-04-1シンガポール1994年12月04日1990年代ゴー首相,女性作家キャサリン・リム(Catharine Lim)の,首相の統治スタイル批判新聞記事を首相の威信を損なうと批判。
DIA-207-1994-12-12-1シンガポール1994年12月12日1990年代リー上級相,前シンガポール国立大学講師のアメリカ人クリストファー・リングルと『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙を,10月掲載の記事で裁判所の中立性を侮辱したと提訴。
DIA-207-1994-12-17-1シンガポール1994年12月17日1990年代シンガポール,インドネシア,マレーシア3国,「成長の三角地帯」公式覚書きに調印。
DIA-207-1994-12-28-1シンガポール1994年12月28日1990年代ゴー首相,一部国民の「民主化」要求に触れて,開かれた政治は段階的に進めると語る。
DIA-207-1994-12-31-1シンガポール1994年12月31日1990年代ゴー首相の新年メッセージ。94年の成長率は10.1%,1人当り国民所得は2万9400S㌦で,世界16位に。95年の重要課題は,アジア地域投資の強化と,シンガポールを外資に魅力的な市場にすることと語る。
DIA-207-1995-01-01-1シンガポール1995年01月01日1990年代ゴー・チョクトン首相の95年新年メッセージ,アジア地域の成長を活用,国内市場を外国企業に魅力的にし続ける努力,の2点を強調。
DIA-207-1995-01-03-1シンガポール1995年01月03日1990年代ゴー首相,インド訪問(~6日)。ヨー・チョウトン通産相や企業家36人が同行。
DIA-207-1995-01-07-1シンガポール1995年01月07日1990年代ヨン・プンハウ最高裁長官,3月より地裁内に家庭内暴力や離婚問題を扱う家庭裁判所(Family Court)の設置を発表。
DIA-207-1995-01-11-1シンガポール1995年01月11日1990年代武村蔵相,シンガポール訪問,ゴー首相らと経済問題を協議(~12日)。
DIA-207-1995-01-11-2シンガポール1995年01月11日1990年代政府はマレーシアが1994年4月に実施した石油化学製品輸入制限措置を世界貿易機関(WTO)に提訴(7月19日,両国は和解)。
DIA-207-1995-01-12-1シンガポール1995年01月12日1990年代首相の諮問委員会が閣僚給与引上げは妥当と答申,引上げが確定。しかしゴー首相は5年間引上げ分を返上と発表(本年報1995版参照)。
DIA-207-1995-01-17-1シンガポール1995年01月17日1990年代シンガポールとマレーシア政府が「国防フォーラム」(Defence Forum)開催に合意,また「軍事産業協力協定」(Agreement on defence industry cooperation)に調印。
DIA-207-1995-01-17-2シンガポール1995年01月17日1990年代高裁,シンガポール裁判所批判記事を載せた『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』(IHT)紙と,寄稿者のクリストファー・リングル(Christopher Lingle)元シンガポール国立大学講師に対し,法廷侮辱罪で1500~1万Sドルの罰金判決。
DIA-207-1995-01-28-1シンガポール1995年01月28日1990年代ゴー首相,スイスで開催の「世界経済フォーラム」に出席。
DIA-207-1995-02-01-1シンガポール1995年02月01日1990年代世界貿易機関,第1回閣僚会議を1996年末(12月6~13日予定)にシンガポールでの開催を決定。
DIA-207-1995-02-15-1シンガポール1995年02月15日1990年代オン・テンチョン大統領,1993年9月の就任後初の外国訪問となるフィリピンを訪問(~19日)。
DIA-207-1995-02-15-2シンガポール1995年02月15日1990年代第2次世界大戦終結50周年記念行事が始まる(~9月12日)。情報・芸術省が中心となり戦争受難記念碑建設や展示会などを開催。
DIA-207-1995-02-16-1シンガポール1995年02月16日1990年代経団連訪問団がゴー首相と会見,蘇州工業団地プロジェクトへの参加を話し合い。
DIA-207-1995-02-26-1シンガポール1995年02月26日1990年代イギリス系マーチャント・バンク,ベアリングス証券(Bearings),株価先物取引で9億3200万Sドルの損失を出す。国際金融先物取引所が調査開始。トレーダーのリーソン(Nick Leeson)は海外逃亡。11月下旬送還され,12月2日,6年半の実刑判決。
DIA-207-1995-02-27-1シンガポール1995年02月27日1990年代通産省,95年の成長予測を当初の8~9%から7.5~8.5%に下方修正。
DIA-207-1995-03-01-1シンガポール1995年03月01日1990年代大蔵省,1995年度(4月~3月)予算案発表。所得税の10%戻し,最高500Sドルの中央積立基金(CPF)払戻しが主な政策。
DIA-207-1995-03-05-1シンガポール1995年03月05日1990年代キーティング・オーストラリア首相が来訪(~6日)。APEC問題などを協議。
DIA-207-1995-03-07-1シンガポール1995年03月07日1990年代ブットー・パキスタン首相が来訪(~9日)。両国は「投資保護協定」に調印。
DIA-207-1995-03-08-1シンガポール1995年03月08日1990年代ゴー首相やブットー首相,ビジネスマン150名が出席し,国際会議(Fortune Global Forum)が開催さる。同フォーラム演説でリー・クアンユー上級相が,日本の国連常任理事国入りを支持と発言。
DIA-207-1995-03-15-1シンガポール1995年03月15日1990年代環境省はチャンギ国際空港の喫煙所以外の場所を全面禁煙とする。違反者は1000Sドルの罰金。
DIA-207-1995-03-17-1シンガポール1995年03月17日1990年代1991年に,雇用主の幼児と知人を殺害したフィリピン人メイド,フロア・コンテンプラシオン(Flor Contemplacion)の死刑がチャンギ刑務所で執行さる(処刑後の,シンガポールとフィリピンの摩擦については,本文中の同事件関連日誌を参照)。
DIA-207-1995-03-17-2シンガポール1995年03月17日1990年代ヨー通産相,公益事業庁(PUB)を分割して電力とガス部門の新会社を設立し,1996年央に民営化,上場する計画を発表。同庁に残るのは水道事業だけとなる。
DIA-207-1995-03-27-1シンガポール1995年03月27日1990年代リー上級相,ベトナム訪問。経済交流が目的(~31日)。
DIA-207-1995-04-03-1シンガポール1995年04月03日1990年代シンガポールとマレーシアは,陸・海・空軍合同の共同軍事演習を実施。
DIA-207-1995-04-07-1シンガポール1995年04月07日1990年代チェコ大統領が来訪(~8日)。
DIA-207-1995-04-11-1シンガポール1995年04月11日1990年代地裁は,「ビスケット王」ピライ(Rajan Pillai)を詐欺罪で有罪判決予定。同日ピライはインドに逃亡。7月4日ニューデリーで逮捕され,7日病院で変死。
DIA-207-1995-04-12-1シンガポール1995年04月12日1990年代小規模内閣改造実施。リム・フンキアンが上級国務相から国家開発相に昇格。
DIA-207-1995-04-28-1シンガポール1995年04月28日1990年代ゴー首相,政府の当面の重要政策課題は,公共輸送と住宅問題の二つと語る。
DIA-207-1995-04-29-1シンガポール1995年04月29日1990年代全国賃金評議会(NWC)が年次勧告。企業収益が良好なら大幅ボーナスを,と提言。
DIA-207-1995-05-01-1シンガポール1995年05月01日1990年代リー上級相の次男,リー・シェンヤン(Lee Hsien Yang)がシンガポール・テレコム(Singapore Telecom)社副社長から社長兼最高経営責任者に昇格。
DIA-207-1995-05-01-2シンガポール1995年05月01日1990年代政府は『ファーイースタン・エコノミック・レビュー』(FEER)誌の国内販売部数制限を2000部から4000部に引上げ,制限は継続。
DIA-207-1995-05-05-1シンガポール1995年05月05日1990年代OECD,1996年1月よりシンガポール(他に5カ国)を「途上国リスト」から除外することを決定。
DIA-207-1995-05-11-1シンガポール1995年05月11日1990年代ゴー首相,中国訪問(~20日)。李鵬首相らと南沙問題を協議。内陸都市も訪問,上海では住宅プロジェクトを提唱。
DIA-207-1995-05-15-1シンガポール1995年05月15日1990年代リー上級相の写真や演説を収めたCD-Rom発売さる。1枚6OSドル,初版3万枚は予約完売。売上金150万Sドルを大学基本基金(Universities Endowment Fund)に寄付。
DIA-207-1995-05-20-1シンガポール1995年05月20日1990年代政府は,国連安全保障理事会の非常任理事国(任期2001~2002年)への立候補意向を表明。
DIA-207-1995-06-01-1シンガポール1995年06月01日1990年代ゴー首相,インドネシア訪問。スハルト大統領とAPEC問題を協議。
DIA-207-1995-06-01-2シンガポール1995年06月01日1990年代20年振りに在カンボジア・シンガポール大使館の活動再開。
DIA-207-1995-06-01-3シンガポール1995年06月01日1990年代リー上級相,フランスを非公式訪問し,シラク大統領と会談。この後イギリス訪問。
DIA-207-1995-06-08-1シンガポール1995年06月08日1990年代ミャンマーのタンシュエ国家法秩序回復評議会議長兼首相が来訪(~11日)。両国は「経済協力協定」に調印。
DIA-207-1995-06-13-1シンガポール1995年06月13日1990年代ゴー首相,政府の2大原則,「能力主義」(Meritocracy)と「団結」(Integrity)に対する批判は許さないと語る。
DIA-207-1995-06-24-1シンガポール1995年06月24日1990年代公益事業庁,1カ月にわたる「節水キャンペーン」を開始。
DIA-207-1995-06-25-1シンガポール1995年06月25日1990年代マレーシア国防省は,1965年の分離後も使用してきたウッドランドのマレーシア海軍基地を98年1月1日シンガポールに返還すると発表。他の基地に移転するため。
DIA-207-1995-06-27-1シンガポール1995年06月27日1990年代中国の雛家華副首相が来訪。
DIA-207-1995-06-28-1シンガポール1995年06月28日1990年代シンガポール金融庁(MAS),1995年の成長予測は7~8%と発表。
DIA-207-1995-07-07-1シンガポール1995年07月07日1990年代政府,高齢者30万人(2億5000万Sドル),退職公務員(1500万Sドル),国会議員・閣僚(260万Sドル)に対し功労金として総計2億6800万Sドルを一時支給と発表。
DIA-207-1995-07-10-1シンガポール1995年07月10日1990年代「シンガポール経済会議」(Singapore Economic Forum)が開催さる。
DIA-207-1995-07-10-2シンガポール1995年07月10日1990年代政府は,中期成長目標を4~6%から7%に上方修正。
DIA-207-1995-07-14-1シンガポール1995年07月14日1990年代大華銀行(UOB)会長のウィー・チョーヤオ(Wee Cho Yaw),新設の「ASEAN年間最優秀ビジネスマン」に選ばる。
DIA-207-1995-07-15-1シンガポール1995年07月15日1990年代『ストレーツ・タイムス』紙,1845年の初刊から創立150周年。
DIA-207-1995-07-17-1シンガポール1995年07月17日1990年代ゴー首相,シンガポール政府批判を繰返すニューヨーク・タイムス・コラムニスト,サファイア(William Safire)と研究者のクレーン(George Crane)に対し,シンガポール国立大学での討論会を提唱。サファイアはリー上級相となら引受けると反論。
DIA-207-1995-07-21-1シンガポール1995年07月21日1990年代ジャスライ・モンゴル首相が来訪。両国は「投資保護協定」に調印。
DIA-207-1995-07-26-1シンガポール1995年07月26日1990年代高裁は,『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』(IHT)紙に対し,リー上級相等が同紙1994年8月2日付け「シンガポールは「王朝政治」」との記事は名誉毀損,とする訴訟で,ゴー首相に35万Sドル,リー上級相とリー副首相に各30万Sドル,合計95万Sドルの賠償支払い判決。
DIA-207-1995-08-01-1シンガポール1995年08月01日1990年代トニー・タン華僑銀行(OCBC)会長が,副首相兼国防相として閣僚に復帰。閣僚の人材不足を考慮したためと語る。
DIA-207-1995-08-07-1シンガポール1995年08月07日1990年代シンガポールとマレーシアは,15年に及ぶ交渉の末,ペドラブランカ(Pedra Branca)の領有権などを取決めた「海水境界永久確定協定」(Delimit Precisely the Territorial Waters Boundary)に調印。
DIA-207-1995-08-08-1シンガポール1995年08月08日1990年代ゴー首相,「ナショナルデー」で演説。上半期の成長率は7.7%,世界のトップリーグ仲間入りのために努力を,と要請。
DIA-207-1995-08-14-1シンガポール1995年08月14日1990年代ゴー首相,国民は政府の交替を望んでいない,また人民行動党は60%前後の得票率で満足しなければならないと語る。
DIA-207-1995-08-16-1シンガポール1995年08月16日1990年代パナ通信社(PANA News)が300人の若者に実施したアンケートで,78%が日本は第二次大戦の残虐行為を謝罪すべきと回答。
DIA-207-1995-08-21-1シンガポール1995年08月21日1990年代オン大統領,リー上級相らが中国各地を訪問(~28日)。投資協議が中心。
DIA-207-1995-09-01-1シンガポール1995年09月01日1990年代分散している陸上輸送関連政府機関を統合した,新準政府機関,陸上輸送庁(Land Transport Board)が発足。
DIA-207-1995-09-11-1シンガポール1995年09月11日1990年代ゴー首相,就任後初のカナダ訪問(~14日)。同国首相らと経済交流を協議。
DIA-207-1995-09-15-1シンガポール1995年09月15日1990年代ゴー首相,アメリカを非公式訪問(~16日)。母校ウィリアムズ大学で名誉学位を授与さる。受賞式討論の席上,21世紀まで首相を勤めると語る。授与に反対する学者・学生・シンガポール人政府批判者等は,反対集会を開催。
DIA-207-1995-09-21-1シンガポール1995年09月21日1990年代シンガポールとインドネシア,「民間飛行協定」と「軍事訓練協定」に調印。
DIA-207-1995-09-21-2シンガポール1995年09月21日1990年代世界経済フォーラム主催の「欧州・アジア経済会議」がシンガポールで開催される(~22日)。
DIA-207-1995-09-23-1シンガポール1995年09月23日1990年代タン国防相,スウェーデンから中古潜水艦を購入すると発表。合わせて海軍兵士40名を2~4年同国に訓練のため派遣。
DIA-207-1995-09-26-1シンガポール1995年09月26日1990年代第1回「シンガポール・日本・シンポジウム」が東京で開催される(~27日)。ジョージ・ヨー情報・芸術相,トミー・コー政策研究所所長らが参加。アジアの安全保障,APEC問題などを討議。ヨー大臣は村山首相と会見。
DIA-207-1995-10-03-1シンガポール1995年10月03日1990年代タン副首相,インドネシアを訪問,スハルト大統領と会談。
DIA-207-1995-10-04-1シンガポール1995年10月04日1990年代リー・シェンロン副首相,ヨー通産相ら中国を訪問(~10日)。蘇州工業団地などを視察。
DIA-207-1995-10-06-1シンガポール1995年10月06日1990年代汚職行為調査局(CPIB)は,公益事業庁副最高経営責任者チョイ・ホンティム(Choy Hon Tim)を汚職容疑で逮捕。業者5社から史上最高額の6300万Sドルの賄賂受領の疑い。11月25日に14年の実刑,罰金(追徴金)1380万Sドルの判決。
DIA-207-1995-10-19-1シンガポール1995年10月19日1990年代リー副首相,現行の勤労者定年60歳を67歳に引上げる検討委員会の設置を発表。
DIA-207-1995-10-20-1シンガポール1995年10月20日1990年代野党のシンガポール民主党(SDP)とシンガポール統一マレー機構(PKMS)が,来る総選挙での選挙協力協定に合意。
DIA-207-1995-10-22-1シンガポール1995年10月22日1990年代ゴー首相,国連記念総会出席のためアメリカ訪問(~25日)。ニューヨークで村山首相と会談しAPEC問題を協議。
DIA-207-1995-10-23-1シンガポール1995年10月23日1990年代ゴー首相,金泳三韓国大統領と会談。
DIA-207-1995-10-24-1シンガポール1995年10月24日1990年代ゴー首相,国連総会で演説。また「シンガポール・アメリカ経済協議会」(Singapore-US Business Council)設置を提唱。
DIA-207-1995-10-29-1シンガポール1995年10月29日1990年代オン大統領,ガン治療のためアメリカへ(5週間)。
DIA-207-1995-11-02-1シンガポール1995年11月02日1990年代国会は,子供が親の老後の面倒をみることを義務づけた「両親保護法」(Parents Maintenance Bill)を可決。
DIA-207-1995-11-03-1シンガポール1995年11月03日1990年代人民行動党(PAP),9月にアメリカで政府批判者が行なった裁判所批判に関連しシンガポール民主党のチー・スーンジュアン(Chee Soon Juan)書記長を国会に証人喚問。
DIA-207-1995-11-07-1シンガポール1995年11月07日1990年代シンガポールとマレーシア,270万Sドル資金の「共同投資可能性調査基金」の設立覚書きに調印。
DIA-207-1995-11-07-2シンガポール1995年11月07日1990年代ゴー首相,次の新興市場投資先としてアフリカが有望と語る。
DIA-207-1995-11-09-1シンガポール1995年11月09日1990年代ゴー首相,ニュージーランドで開催の「英連邦首脳会議」に出席(~13日)。
DIA-207-1995-11-16-1シンガポール1995年11月16日1990年代ヨー通産相,APEC大阪会議に出席。
DIA-207-1995-11-18-1シンガポール1995年11月18日1990年代ゴー首相,APEC大阪会議に出席。
DIA-207-1995-11-19-1シンガポール1995年11月19日1990年代コール・ドイツ首相,シンガポール訪問(~21日)。ゴー首相らと「アジア・欧州首脳会議」について協議。
DIA-207-1995-11-25-1シンガポール1995年11月25日1990年代人民行動党幹部党員大会が開催さる(~26日)。
DIA-207-1995-11-30-1シンガポール1995年11月30日1990年代金融庁(MAS)と中国証券管理庁は,中国企業のシンガポール証券取引所上場に向けた「覚書」に調印。
DIA-207-1995-12-01-1シンガポール1995年12月01日1990年代政府は,エアコン付きショッピングセンター,横断地下歩道,タクシー・バス乗場など公共場所での禁煙を決定。
DIA-207-1995-12-02-1シンガポール1995年12月02日1990年代ゴー首相,マハティール首相と会談。両国はさらに協調を深めることで一致。
DIA-207-1995-12-03-1シンガポール1995年12月03日1990年代国内に45支店を有するシンガポール開発銀行(DBS)が,営業時間を朝9時~夕方5時まで延長。従来は9時30分~3時。顧客サービス向上のため。
DIA-207-1995-12-04-1シンガポール1995年12月04日1990年代大蔵省,シンガポール証券取引所に,上場基準を緩めた「外国企業部」(Foreign Board)を新設する計画を発表。外国企業の上場誘致がねらい,時期は未定。
DIA-207-1995-12-04-2シンガポール1995年12月04日1990年代ゴー首相,ガーナ大統領と会談。ビジネス投資について協議。
DIA-207-1995-12-04-3シンガポール1995年12月04日1990年代「アジア新聞社会議」(Asian Newspaper Publishers Convention)が開催さる。
DIA-207-1995-12-12-1シンガポール1995年12月12日1990年代公務員委員会(PSD),今後3年間で法務官給与を民間水準並みに引上げると発表。
DIA-207-1995-12-12-2シンガポール1995年12月12日1990年代初代首相で前駐フランス大使のマーシャル(David Marshall)がガンで死亡,87歳。
DIA-207-1995-12-13-1シンガポール1995年12月13日1990年代ゴー首相,バンコクで開催のASEAN首脳会議に出席(~15日)。シンガポールはASEAN自由貿易地帯(AFTA)CEPTスキームを2000年までに実現するのに賛成と語る。15日にマレーシア首相,ベトナム首相と会談。
DIA-207-1995-12-18-1シンガポール1995年12月18日1990年代リー上級相,東京で開催の「国際フォーラム」に参加。ASEAN諸国経済は,当分6~8%の成長が続くと分析。
DIA-207-1995-12-21-1シンガポール1995年12月21日1990年代地裁,政府系企業のシンガポール・リファイニング社(Singapore Refining Co.)に対し,300トンの石油垂れ流しで罰金15万Sドルを言い渡す。
DIA-207-1995-12-28-1シンガポール1995年12月28日1990年代シンガポール・テレコム社とシンガポール・テクノロジー社は,中国企業と共同で5億~8億米ドルを投資し,通信衛星システムを利用した携帯電話事業を開始。
DIA-207-1995-12-31-1シンガポール1995年12月31日1990年代ゴー首相96年新年メッセージ。95年の成長率は8.9%,1人当りGDPは2万4000米ドル,96年の成長率予測は7~8%,国民は経済繁栄に見合う社会道徳を身につける必要があると語る。
DIA-207-1996-01-01-1シンガポール1996年01月01日1990年代ゴー・チョクトン首相の1996新年メッセージ。96年は7~8%の成長が期待できる。国民は先進国並みとなった経済水準に見合う社会道徳を習得する必要があると語る。
DIA-207-1996-01-02-1シンガポール1996年01月02日1990年代陸上輸送庁(LTA),陸上輸送に関する長期政策ビジョン,A World Class Land Transport System白書を発表。
DIA-207-1996-01-03-1シンガポール1996年01月03日1990年代リー・クアンユー上級相,インド訪問(~5日)。ラオ首相らと会談。
DIA-207-1996-01-08-1シンガポール1996年01月08日1990年代イギリス労働党のブレア党首来訪,ゴー首相と会談。
DIA-207-1996-01-11-1シンガポール1996年01月11日1990年代シンガポールとマレーシアの国防省,両国協調による陸軍兵器の近代化で意見一致。
DIA-207-1996-01-12-1シンガポール1996年01月12日1990年代人民行動党,党員に対し総選挙準備を指示。
DIA-207-1996-01-13-1シンガポール1996年01月13日1990年代テオ環境相代行とアブドラー地域振興相代行が正大臣に昇格。
DIA-207-1996-01-16-1シンガポール1996年01月16日1990年代ヨー通産相,OECDがシンガポールを先進国に格上げしたとの一部マスコミの報道に対し,OECDに確認した結果,まだ先進国扱いではないと語る。
DIA-207-1996-01-17-1シンガポール1996年01月17日1990年代キーティング・オーストラリア首相来訪,ゴー首相と会談し政治・経済・軍事分野での新パートナーシップを強調。
DIA-207-1996-01-17-2シンガポール1996年01月17日1990年代医師団,リー上級相が軽症の失読症(mild dyslexia)と発表。19日に冠状動脈狭窄手術を受ける。23日退院。しかし4月12日再手術,22日退院。
DIA-207-1996-01-22-1シンガポール1996年01月22日1990年代ヨー通産相ら閣僚3人がミャンマー訪問(~26日)。経済協力が主な議題。
DIA-207-1996-02-02-1シンガポール1996年02月02日1990年代政府は15億Sドルの費用で,2004年開設を目標に,チャンギ国際空港第3ターミナル建設計画を発表。
DIA-207-1996-02-03-1シンガポール1996年02月03日1990年代マレーシアのハイウェイでバス事故。シンガポール人旅行者13人が死亡。
DIA-207-1996-02-05-1シンガポール1996年02月05日1990年代1960年代におけるシンガポール政府の経済開発顧問,オランダ人経済学者ウィンセミス(Albert Winsemius)死亡。
DIA-207-1996-02-06-1シンガポール1996年02月06日1990年代1960年代前半期における共産系グループ指導者,リム・チンション(Lim Chin Siong)が心臓発作で死去(62歳)。
DIA-207-1996-02-06-2シンガポール1996年02月06日1990年代野党6党の間で,来る総選挙に向けた選挙協力会合が持たれる。
DIA-207-1996-02-09-1シンガポール1996年02月09日1990年代世界貿易機構(WTO)第1回閣僚会議が開催さる(~13日)。
DIA-207-1996-02-10-1シンガポール1996年02月10日1990年代ゴー首相,3年以内にブキット・パンジャン地区に,モノレール(Light Rail Train)を開通と語る。
DIA-207-1996-02-12-1シンガポール1996年02月12日1990年代ヨー通産相,96年央に予定されていた国営電力会社シンガポール・パワーの上場を,経営不振のため無期限延期と発表。
DIA-207-1996-02-16-1シンガポール1996年02月16日1990年代国会解散。23日立候補届け出。しかし投票日は未発表。ヨー前国防相,ダナバラン前外相ら,20人が政界引退を発表。
DIA-207-1996-02-17-1シンガポール1996年02月17日1990年代チャム前シンガポール民主党書記長,同党を離党しシンガポール国民党に加入。
DIA-207-1996-02-23-1シンガポール1996年02月23日1990年代総選挙立候補届け締切。野党の立候補者総数は39人(36選挙区)。83議席中47議席は無投票で人民行動党候補者が当選。投票日は1997年1月2日と発表さる。
DIA-207-1996-02-24-1シンガポール1996年02月24日1990年代ベルギー首相が初の来訪(~29日),ゴー首相と会談。
DIA-207-1996-02-26-1シンガポール1996年02月26日1990年代アメリカ国務省,人民行動党の政府資金を使った住宅改善選挙戦術は「アンフェアー」と批判,これに対しゴー首相はアメリカの内政干渉に「激怒」と反撥。
DIA-207-1996-02-27-1シンガポール1996年02月27日1990年代金泳三韓国大統領が来訪。
DIA-207-1996-02-28-1シンガポール1996年02月28日1990年代政府,国会に96年度予算案(4月~3月)提出。所得税が30%から28%,法人税が27%から26%に引下げ,徴兵者(ナショナル・サービス)給与引上げが主な新規政策。
DIA-207-1996-02-28-2シンガポール1996年02月28日1990年代ゴー首相,野党労働党候補者による政府の英語教育批判と華語教育強調は,「種族ショービニズム」と批判。大きな選挙イッシューとなる。
DIA-207-1996-02-29-1シンガポール1996年02月29日1990年代ゴー首相,「アジア欧州首脳会議」出席のためタイ訪問(~3月2日)。
DIA-207-1996-02-29-2シンガポール1996年02月29日1990年代シラク・フランス大統領が来訪。
DIA-207-1996-02-31-1シンガポール1996年02月31日1990年代ゴー首相,1997年新年メッセージ。96年の経済成長率は6.5%,97年には5~7%が期待できるとする。
DIA-207-1996-03-01-1シンガポール1996年03月01日1990年代ピレイ(J.Pillay)シンガポール航空会長がイギリス大使に転出,ダナバラン(Dhanabalan)前外相が後任会長に就任。
DIA-207-1996-03-04-1シンガポール1996年03月04日1990年代マー運輸相,地下鉄の北東線は全線20キロメートル16駅,建設費50億Sドル,1997年中頃建設開始,2002年開業予定と語る。
DIA-207-1996-03-20-1シンガポール1996年03月20日1990年代トニー・タン副首相,マレーシア訪問,マハティール首相と防衛問題を協議。
DIA-207-1996-03-29-1シンガポール1996年03月29日1990年代1995年度「最優秀ビジネスマン」に地場資本のインド系貿易会社タクラル社(Thakral)会長タクラルが選ばれる。
DIA-207-1996-03-29-2シンガポール1996年03月29日1990年代ヨン・プンハウ(Yong Pung How)最高裁長官再任さる(任期は5年間)。
DIA-207-1996-04-05-1シンガポール1996年04月05日1990年代政府,21世紀初頭までにシンガポールとクアラルンプルを結ぶ鉄道を,現行の6時間から4時間に短縮する計画を発表。
DIA-207-1996-04-07-1シンガポール1996年04月07日1990年代タン副首相,ブルネイ訪問(~9日)。
DIA-207-1996-04-11-1シンガポール1996年04月11日1990年代高裁,リー上級相が名誉殿損(新聞論文)で訴えた前シンガポール国立大学講師のアメリカ人学者,リングル(Christopher Lingle)に対し10万S㌦の賠償金支払い命令。
DIA-207-1996-04-12-1シンガポール1996年04月12日1990年代陸上輸送庁,建設会社とブキット・パンジャン地区のモノレール(LRT)建設契約を2億8500万Sドルで締結。1999年に開業予定。
DIA-207-1996-04-14-1シンガポール1996年04月14日1990年代シンガポール初のプロ・スポーツ,サッカーの「Sリーグ」が8チームで開幕。
DIA-207-1996-04-15-1シンガポール1996年04月15日1990年代シリントン・タイ王女来訪(~14日)。
DIA-207-1996-04-22-1シンガポール1996年04月22日1990年代シンガポール証券取引所,上場企業のホテル・プロパティーズ社(HPL)の情報開示が遅いと批判(リー上級相のマンション購入の一件を指す)。24日,リー上級相は自分の購入に関する情報を公開しない理由は何もないと語る。26日,ゴー首相,購入には何の問題もなかったと語る。
DIA-207-1996-04-24-1シンガポール1996年04月24日1990年代世界貿易会議が開催さる(~25日)。
DIA-207-1996-04-30-1シンガポール1996年04月30日1990年代シンガポールと香港,1997年以降も継続する航空協定を締結。
DIA-207-1996-05-01-1シンガポール1996年05月01日1990年代マレーシア・ジョホール州が,同州とシンガポールを結ぶ,第3橋(チャンギ地区)の建設計画を発表。
DIA-207-1996-05-03-1シンガポール1996年05月03日1990年代リー上級相,心臓病症状診断のためアメリカに。
DIA-207-1996-05-06-1シンガポール1996年05月06日1990年代ゴー首相,ブルネイ訪問(~8日)。
DIA-207-1996-05-10-1シンガポール1996年05月10日1990年代全国賃金評議会(NWC)勧告。賃上げは成長率(7~8%予測)と整合するものに,業績の優れた企業は特別ボーナス支給の2点を強調。
DIA-207-1996-05-13-1シンガポール1996年05月13日1990年代ゴー首相,ベトナム訪問(~16日)。「ベトナム・シンガポール工業団地」(VSIP)起工式に出席。
DIA-207-1996-05-13-2シンガポール1996年05月13日1990年代通産省,エレクトロニクス産業と建設産業の好調を理由に,年間成長率予測を,年初の7~8%から,7.5%~8.5%に上方修正。
DIA-207-1996-05-20-1シンガポール1996年05月20日1990年代ホテル・プロパティーズ社,リー父子にマンションを値引き(5~12%)したのは,販売戦略上の理由と説明。21日,国会で同問題が討議さる。リー上級相は何もやましいことはないと語るが,国民の疑惑を呼ぶ。
DIA-207-1996-05-23-1シンガポール1996年05月23日1990年代ジャヤクマール外相,エジプト訪問。ムバラク大統領と会談。
DIA-207-1996-05-23-2シンガポール1996年05月23日1990年代ゴー首相,今後,閣僚が不動産を取得した場合,首相への報告義務を課すと語る。
DIA-207-1996-05-24-1シンガポール1996年05月24日1990年代ブルキナファソ大統領が来訪。
DIA-207-1996-05-29-1シンガポール1996年05月29日1990年代カザフスタン大統領が来訪(~30日)。
DIA-207-1996-05-30-1シンガポール1996年05月30日1990年代バンハーン・タイ首相が来訪(~6月1日)。
DIA-207-1996-06-02-1シンガポール1996年06月02日1990年代ゴー首相,フィンランド,スウェーデン,ノルウェー3国を訪問(~9日)。
DIA-207-1996-06-06-1シンガポール1996年06月06日1990年代経済開発庁,日立,日本鋼管と合弁で13億3000万Sドルを投資し,ウェーファー前工程工場を設立する契約を締結。1998年初め操業開始予定。
DIA-207-1996-06-07-1シンガポール1996年06月07日1990年代リー上級相,国内外のジャーナリストと会見。もしマレーシアがシンガポールと同じ能力主義を採用するなら再統合はありうると語る。同発言は,国内とマレーシアで大きな反響を呼び,10日,マレーシア側は現実的でないと反論。『ストレーツ・タイムス』紙が実施したアンケートで(16日),国民10人のうち6人が再統合に反対。
DIA-207-1996-06-09-1シンガポール1996年06月09日1990年代ゴー首相,8月のナショナル・デー後に総選挙をするつもり,マレーシアとの再統合は少しも考えていないと語る。
DIA-207-1996-06-12-1シンガポール1996年06月12日1990年代リー上級相,フランス,ドイツを私的訪問(~19日)。
DIA-207-1996-06-18-1シンガポール1996年06月18日1990年代ゴー首相とスハルト大統領,「成長の三角地帯」プロジェクトの一つ,ビンタン・ビーチ・インターナショナル・リゾート開所式に出席。
DIA-207-1996-06-19-1シンガポール1996年06月19日1990年代世界25カ国から500人強のインド系経営者が参加し,第1回インド人世界企業家会議が開催さる(~20日)。
DIA-207-1996-07-01-1シンガポール1996年07月01日1990年代前国連大使チャン・ヘンチー(Chan Heng Chee),に新アメリカ大使を任命。
DIA-207-1996-07-15-1シンガポール1996年07月15日1990年代政府は,政治・宗教情報を提供するインターネットを免許制にし,ポルノ情報を禁止できる法令を施行。
DIA-207-1996-07-21-1シンガポール1996年07月21日1990年代統計局,6月の非石油地場輸出が対前年度比マイナス6.1%の大幅減と発表。アメリカの需要停滞が原因。
DIA-207-1996-07-22-1シンガポール1996年07月22日1990年代タン副首相,タイ訪問(~24日)。
DIA-207-1996-07-24-1シンガポール1996年07月24日1990年代通産省6億Sドルを投資し2000年に外国人観光客1000万人,観光収入160億Sドルを目指す「観光21」(Tourism 21)計画を発表。
DIA-207-1996-07-25-1シンガポール1996年07月25日1990年代池田外相が来訪(~26日)。
DIA-207-1996-08-01-1シンガポール1996年08月01日1990年代経済開発庁(EDB)設立35周年記念式典が開催さる。
DIA-207-1996-08-01-2シンガポール1996年08月01日1990年代リー上級相の次男,リー・シェンヤン(Lee Hsien Yang)が陸軍を退役,シンガポール・テレコム会長職に専念。
DIA-207-1996-08-08-1シンガポール1996年08月08日1990年代ゴー首相の独立記念日メッセージ。国家への忠誠心と国民相互の連帯感強化を呼びかける。
DIA-207-1996-08-14-1シンガポール1996年08月14日1990年代トルコ首相が来訪(~16日)。
DIA-207-1996-08-18-1シンガポール1996年08月18日1990年代ゴー首相,独立記念日集会で演説。今後5年間に150億Sドルで学校のパソコン教育整備,総選挙の後,全国を10~15地区に分けて地区評議会(Community Council)(定員35人)を設立し,「市長」(Mayors)を任命する計画を検討中,21歳以上の国民にシンガポール・テレコム社株式を一株2.50Sドル(時価は3.40Sドル)で500株売出す,など将来の主要プランを発表。
DIA-207-1996-08-29-1シンガポール1996年08月29日1990年代政府は,不法就業外国人労働者を雇用した韓国系建設会社に,156万1840Sドルの罰金支払い命令。
DIA-207-1996-08-30-1シンガポール1996年08月30日1990年代マハティール首相は同国の新聞に,マレーシア再統合問題はシンガポールが統合を望んでいるからではなく,国内社会引締めの手段に使われているにすぎない,と語る。
DIA-207-1996-08-30-2シンガポール1996年08月30日1990年代リー上級相,中国訪問(~9月11日)。
DIA-207-1996-09-01-1シンガポール1996年09月上旬1990年代マレーシアとシンガポールのマスコミで,再統合問題の議論が再燃。
DIA-207-1996-09-06-1シンガポール1996年09月06日1990年代リー・ツァオユエン(Lee Tsao Yuan)シンガポール政策研究所副所長など,現職任命国会議員6人が再任さる。任期は2年間。
DIA-207-1996-09-12-1シンガポール1996年09月12日1990年代リー上級相と毀ー副首相,香港在住シンガポール人弁護士と『亜洲週間』を,6月2日号でマンション購入問題に関して名誉殿損の記事を掲載したと裁判所に提訴。後に雑誌側は事実無根だったと謝罪。
DIA-207-1996-09-15-1シンガポール1996年09月15日1990年代ティオン・バルー地区で空襲を想定した地下鉄駅構内への避難訓練を実施。
DIA-207-1996-09-17-1シンガポール1996年09月17日1990年代第二次シンガポール・テレコム社株式の国民への売り出し。153万人が1億9400万株を取得。
DIA-207-1996-09-23-1シンガポール1996年09月23日1990年代ウォン内相,建設中の北東線地下鉄駅に防空壕を建設する,また来年,新たに建設する公団住宅と民間住宅の全てに防空壕設置を義務づけた法律制定を行なうと語る。
DIA-207-1996-09-25-1シンガポール1996年09月25日1990年代人民行動党,来る総選挙の第一次新人候補者3人を発表。
DIA-207-1996-09-30-1シンガポール1996年09月30日1990年代ダナバラン前外相,政府系のテマセク持株社(Temasek Holdings)会長に就任。
DIA-207-1996-10-01-1シンガポール1996年10月01日1990年代ゴー首相,選挙区制度をグループ選挙区中心に改正する意図を表明。
DIA-207-1996-10-02-1シンガポール1996年10月02日1990年代国会厚生問題特別委員会,シンガポール民主党の政府批判は全く根拠がないとの報告書を提出。10日,国会は報告書を了承。
DIA-207-1996-10-07-1シンガポール1996年10月07日1990年代リー上級相,イギリスを訪問,メジャー首相と会見(~12日)。
DIA-207-1996-10-09-1シンガポール1996年10月09日1990年代ゴー首相,オランダ,ベルギー,ルクセンブルグ訪問(~17日)。経済協調について協議。
DIA-207-1996-10-11-1シンガポール1996年10月11日1990年代リー副首相,中国訪問(~18日)。
DIA-207-1996-10-15-1シンガポール1996年10月15日1990年代シンガポール証券取引所,「ビジネス・タイムス・シンガポール・リージョナル指数」(BT-SRI)を新たに開設。
DIA-207-1996-10-17-1シンガポール1996年10月17日1990年代タン副首相,オーストラリア訪問(~23日)。地域安全保障問題を協議。
DIA-207-1996-10-22-1シンガポール1996年10月22日1990年代アメリカのシンクタンク,ニクソン平和自由センターが1996年度「新世紀の建築者」(Architect of the new century)にリー上級相を選出。11月12日,アメリカで授賞式。
DIA-207-1996-10-24-1シンガポール1996年10月24日1990年代国会,シンガポール民主党チー書記長を喚問,厚生問題でヒアリング。
DIA-207-1996-10-28-1シンガポール1996年10月28日1990年代国会,憲法の一部修正。民選大統領の法案拒否権の制限(大統領が拒否しても国会の3分の2の賛成で法案通過)が主なもの。
DIA-207-1996-10-29-1シンガポール1996年10月29日1990年代ジャヤクマール外相,オーストラリア訪問。両国は第1回合同閣僚会議を開催。
DIA-207-1996-10-31-1シンガポール1996年10月31日1990年代ナミビア大統領が来訪,同国に対するシンガポールの技術援助について話し合い(~11月4日)。
DIA-207-1996-11-01-1シンガポール1996年11月01日1990年代政府関係者・学者など約40人が参加し,「第2回シンガポール・日本シンポジウム」が開催さる(~2日)。
DIA-207-1996-11-04-1シンガポール1996年11月04日1990年代ゴー首相,カンボジア訪問(~5日)。両国は「投資奨励協定」と「航空サービス協定」に調印。
DIA-207-1996-11-05-1シンガポール1996年11月05日1990年代前シンガポール民主党書記長チャム・シートン(Chiam See Tong),同党の現執行部に対し25万Sドルの名誉毀損訴訟を起こす。
DIA-207-1996-11-15-1シンガポール1996年11月15日1990年代政府,建設費7億~8億Sドルで地下鉄をチャンギ国際空港まで延長する計画(6.4キロメートル)を発表。2001年に開通予定。
DIA-207-1996-11-17-1シンガポール1996年11月17日1990年代人民行動党第24回党大会が開催さる(~18日)。来る総選挙向け政策綱領「シンガポール21」を発表,第24次中央執行委員会を選出。
DIA-207-1996-11-21-1シンガポール1996年11月21日1990年代新選挙区制度が発表さる。グループ選挙区が増え,小選挙区が激減。
DIA-207-1996-11-21-2シンガポール1996年11月21日1990年代チリ大統領が来訪(~23日)。
DIA-207-1996-11-22-1シンガポール1996年11月22日1990年代国会シンガポール民主党幹部4人に対し,国会特別委員会侮辱で5万1000Sドルの懲罰金を科すことを決定。
DIA-207-1996-11-23-1シンガポール1996年11月23日1990年代ゴー首相,APEC首脳会議出席のためフィリピン訪問(~25日)。中国国家主席,フィリピン大統領,ブルネイ国王,インドネシア大統領と個別会談。
DIA-207-1996-11-26-1シンガポール1996年11月26日1990年代メキシコ大統領が来訪(~28日)。
DIA-207-1996-11-29-1シンガポール1996年11月29日1990年代ゴー首相,「第1回ASEAN非公式首脳会議」出席でインドネシア訪問(~30日)。
DIA-207-1997-01-01-1シンガポール1997年01月01日1990年代ゴー首相の1997年新年メッセージ。97年は7.5~8.0%の成長率が期待でき,2000年までこの水準維持が可能と語る。
DIA-207-1997-01-02-1シンガポール1997年01月02日1990年代総選挙実施される。与党人民行動党が全83議席のうち81議席(うち47議席で無投票当選),得票率65.0%で圧勝,野党シンガポール民主党は4議席からゼロ(得票率33.1%)で惨敗。ゴー首相は選挙結果に「満足」と語る。なお与党国会議員18人が引退。
DIA-207-1997-01-10-1シンガポール1997年01月10日1990年代総選挙で惜敗のジェヤレトナム労働者党書記長が野党国会議員に任命される。
DIA-207-1997-01-12-1シンガポール1997年01月12日1990年代橋本首相が来訪(~14日)。ゴー首相と会談し,「日本シンガポール経済協議会」の設立,両国共同で新たに第三国向け技術協力プログラム創設などで合意。
DIA-207-1997-01-13-1シンガポール1997年01月13日1990年代国家開発省,タウン・カウンシルの統廃合を行い,現行23から16機関に削減。
DIA-207-1997-01-18-1シンガポール1997年01月18日1990年代ゴー内閣の新閣僚名簿を発表。リー・ヨクスアンが教育相から通産相へ,テオ・チーヒアンの新教育相就任が主な人事。
DIA-207-1997-01-25-1シンガポール1997年01月25日1990年代第2次ゴー内閣が発足。
DIA-207-1997-02-03-1シンガポール1997年02月03日1990年代リー上級相とリー副首相父子,労働者党タン・リャンホンを,1月総選挙演説で96年の不動産購入問題に関して名誉毀損発言を行ったと告訴。
DIA-207-1997-02-12-1シンガポール1997年02月12日1990年代イギリス外相が来訪。両国は改正「二重課税回避協定」に調印。
DIA-207-1997-02-13-1シンガポール1997年02月13日1990年代第12回ASEAN欧州連合閣僚会議(AEMM),シンガポールで開催(~14日)。リー副首相は開会演説で,両地域の協力関係が世界のモデルとなることを望むと語る。
DIA-207-1997-02-20-1シンガポール1997年02月20日1990年代アルゼンチン大統領が来訪(~22日)。「民間企業相互協力覚書」に調印。
DIA-207-1997-02-21-1シンガポール1997年02月21日1990年代儒教思想研究目的で1983年設立の東アジア哲学研究所(Institute of East Asian Philosophies)が閉鎖される。海外研究者招聘の困難と儒教思想の重要性低下のため。
DIA-207-1997-02-22-1シンガポール1997年02月22日1990年代野党シンガポール民主党役員改選。主要指導者の変更なし。
DIA-207-1997-02-23-1シンガポール1997年02月23日1990年代ゴー首相,アフリカ4カ国(南アフリカ,ジンバブエ,ナミビア,ボツワナ)訪問(~3月5日)。同地域への初の首脳訪問で,貿易・投資拡大が目的。
DIA-207-1997-02-28-1シンガポール1997年02月28日1990年代ヨー環境相,総工費68億Sドル規模の全島下水道建設計画調査の開始を発表。
DIA-207-1997-03-02-1シンガポール1997年03月02日1990年代労働者党党大会で役員改選。主要指導者に交替なし。
DIA-207-1997-03-05-1シンガポール1997年03月05日1990年代南アフリカ共和国大統領,来訪(~6日)。
DIA-207-1997-03-06-1シンガポール1997年03月06日1990年代人民行動党,与党国会委員会委員長(11人)を任命。再任は1人。
DIA-207-1997-03-10-1シンガポール1997年03月10日1990年代高裁,被告タンと弁護士欠席のまま,人民行動党指導者が告訴した12件の訴訟でタンに有罪判決を下す。タンはジョホールバルで,原告寄りの裁判所姿勢を批判。
DIA-207-1997-03-12-1シンガポール1997年03月12日1990年代マレーシアの新聞各紙,一斉にリー上級相の「ジョホール州は,銃撃,強盗,自動車乗っ取りが多発する街として悪名高い」という内容の発言を報道。同発言は,1月のタン裁判での宣誓供述書中の発言。マレーシア政府はただちに謝罪要求。翌13日リーは謝罪するが,以後両国の政治問題に発展(詳細は本文参照)。
DIA-207-1997-03-17-1シンガポール1997年03月17日1990年代ゴー首相とスハルト大統領,両国共同プロジェクトのリアウ省カリマン島工業団地および造船所開所式に出席。
DIA-207-1997-03-18-1シンガポール1997年03月18日1990年代リー副首相,ニュージーランド訪問。両国は「オープン・スカイ協定」に調印。
DIA-207-1997-03-19-1シンガポール1997年03月19日1990年代「1996年度最優秀企業家」にホンリョン・グループ最高経営者のクエック・レンベンが選ばれる。
DIA-207-1997-03-20-1シンガポール1997年03月20日1990年代タイ首相,来訪(~21日)。
DIA-207-1997-03-24-1シンガポール1997年03月24日1990年代ゴー首相,ラオス・タイ訪問(~27日),経済協力協議が目的。
DIA-207-1997-03-28-1シンガポール1997年03月28日1990年代ハワード・オーストラリア首相が来訪(~29日)。両国は「航空協定」に調印。
DIA-207-1997-04-07-1シンガポール1997年04月07日1990年代ジュロン地域とメリマウ島を結ぶ,全長2.3キロの橋工事契約が締結さる。
DIA-207-1997-04-08-1シンガポール1997年04月08日1990年代シンガポールとアメリカ,「オープン・スカイ協定」調印。
DIA-207-1997-04-09-1シンガポール1997年04月09日1990年代ヨー・ニンホン・シンガポール・テクノロジー社会長がシンガポール港湾庁(PSA)会長へ転任。テクノロジー社の新会長にリー副首相夫人のホー・チン社長が昇格。
DIA-207-1997-04-14-1シンガポール1997年04月14日1990年代政府系海運会社のネプチューン・オリエント・ライン社,12億Sドルでアメリカ海運会社APL社を買収。シンガポール企業による海外企業買収で過去最高額。
DIA-207-1997-04-15-1シンガポール1997年04月15日1990年代タン副首相,マレーシア訪問。マハティール首相と会談し,「5カ国軍事協力協定」の必要性を再確認。
DIA-207-1997-04-15-2シンガポール1997年04月15日1990年代エジプト首相,来訪(~17日)。
DIA-207-1997-04-17-1シンガポール1997年04月17日1990年代ハンガリー首相,来訪(~18日)。
DIA-207-1997-04-21-1シンガポール1997年04月21日1990年代ウォン内相ら3閣僚が政府間定期協議のためブルネイ訪問(~22日)。
DIA-207-1997-04-22-1シンガポール1997年04月22日1990年代タン副首相,シンガポール経営学院(SIM)を,シンガポール国立大学,南洋工科大学に次ぐ3番目の大学とする方針を発表。時期は未定。
DIA-207-1997-04-27-1シンガポール1997年04月27日1990年代ゴー首相,中国・香港特別行政区訪問(~5月6日)。中国首脳と会談。両国共同プロジェクトの促進が目的。
DIA-207-1997-05-01-1シンガポール1997年05月01日1990年代ゴー首相のメーデーメッセージ。政府は労働者技能訓練と教育に全力を注ぐ。
DIA-207-1997-05-01-2シンガポール1997年05月01日1990年代インドネシア国営企業プルタミナ社とシンガポール政府系企業,スンバワン社グループが,南シナ海のインドネシア・ナツナ(West Natuna)油田からシンガポールまでの天然ガス・パイプ敷設事業に調印。2000年に供給開始予定。
DIA-207-1997-05-06-1シンガポール1997年05月06日1990年代ジャヤクマール外相,訪日(~8日)。両国共同でアジア太平洋・アフリカの途上国に技術支援を行うことで合意。
DIA-207-1997-05-12-1シンガポール1997年05月12日1990年代インド・バンガロール国際空港建設に参加していたシンガポール企業連合は,インド政府が契約時の永久所有方式(BOO)から将来引き渡し方式(BOT)に転換したのを理由に,プロジェクト撤退を発表。
DIA-207-1997-05-12-2シンガポール1997年05月12日1990年代コートジボアール大統領,来訪(~14日)。
DIA-207-1997-05-23-1シンガポール1997年05月23日1990年代IMFはWorld Economic Outlook最新版でシンガポールなど途上国5カ国を「先進国」と分類,しかし通産省はシンガポールはまだ先進国でないと説明。
DIA-207-1997-05-24-1シンガポール1997年05月24日1990年代シンガポールとブルネイ,ASEAN諸国間初の「オープン・スカイ協定」に調印。
DIA-207-1997-05-26-1シンガポール1997年05月26日1990年代第9次国会スタート。オン大統領は開会演説で,地域諸国間の経済競争が激化しているがシンガポールは遅れをとってはならないと強調。議員は選挙選出議員83人(新人23人)と,野党任命議員1人の計84人。
DIA-207-1997-05-29-1シンガポール1997年05月29日1990年代高裁,労働者党タンに対しゴー首相に140万Sドル,リー上級相に230万Sドルなど計807万5000Sドルの賠償金支払いを命令。
DIA-207-1997-05-30-1シンガポール1997年05月30日1990年代全国賃金委員会(NWC),勧告発表。今年度の賃金引上げは,96年成長率7%と97年第1四半期の3.8%を考慮し,6.7%以下とするが主な内容。
DIA-207-1997-06-01-1シンガポール1997年06月01日1990年代バス,地下鉄,タクシーなど公共料金斉値上げ。バス・地下鉄は5~10セントの上げ幅。
DIA-207-1997-06-05-1シンガポール1997年06月05日1990年代ゴー首相,国会答弁で“Singapore 21 : a Vision for a New Era”構想を明かす。
DIA-207-1997-06-08-1シンガポール1997年06月08日1990年代リー上級相,イギリス・フランス訪問。両国首脳と会談(~15日)。
DIA-207-1997-06-09-1シンガポール1997年06月09日1990年代ゴー首相,フィリピン訪問(~11日)。
DIA-207-1997-06-16-1シンガポール1997年06月16日1990年代ゴー首相,タイ訪問(~18日)。両国は「シンガポール・タイ・パートナシップ強化協定」に調印。
DIA-207-1997-06-21-1シンガポール1997年06月21日1990年代ゴー首相,国連環境会議出席のためアメリカ訪問(~24日)。
DIA-207-1997-07-01-1シンガポール1997年07月01日1990年代総理府,民間給与水準に連動している閣僚と上級官僚の月給を,民間が下がったため2~7%カットすると発表。
DIA-207-1997-07-01-2シンガポール1997年07月01日1990年代水道料金改定で約30%アップ,政府は2000年には改定前の2倍に引上げると発表。
DIA-207-1997-07-08-1シンガポール1997年07月08日1990年代政府は,共産主義活動容疑で1989年5月まで23年間投獄し,釈放後も居住地と活動を制限していたチア・タイポーのドイツ留学申請を認め,活動制限を解除と発表。
DIA-207-1997-07-11-1シンガポール1997年07月11日1990年代総額286億Sドルの97年度予算案が国会に提出される。通常は3月提出だが1月総選挙で暫定予算が組まれたための遅れ。
DIA-207-1997-07-19-1シンガポール1997年07月19日1990年代シンガポールとインド,航空便増設を含む「新航空協定」に調印。
DIA-207-1997-07-25-1シンガポール1997年07月25日1990年代リー労働相,99年1月1日より定年を現行60歳から62歳に延長すると発表。
DIA-207-1997-07-29-1シンガポール1997年07月29日1990年代米国務長官が来訪(~30日)。
DIA-207-1997-08-08-1シンガポール1997年08月08日1990年代ゴー首相の独立記念日メッセージ。年後半に景気が回復するので6~7%の成長が見込めると語る。
DIA-207-1997-08-11-1シンガポール1997年08月11日1990年代IMFのタイ金融危機支援160億ドルのうち,シンガポールは10億ドル支援を決定。
DIA-207-1997-08-15-1シンガポール1997年08月15日1990年代公共場所での禁煙地域が拡大され,個人住宅以外の室内喫煙が全面禁止。
DIA-207-1997-08-19-1シンガポール1997年08月19日1990年代ザンビア大統領,来訪(~21日)。
DIA-207-1997-08-22-1シンガポール1997年08月22日1990年代インドネシア火災による「煙害」が広がり始め,9月下旬に視界が最悪状態に。
DIA-207-1997-08-24-1シンガポール1997年08月24日1990年代ゴー首相,独立記念日集会で演説。「情報化時代に対応するために,有能な人材を海外から集め経済競争力を維持する必要がある」と説く。
DIA-207-1997-08-25-1シンガポール1997年08月25日1990年代中国の李鵬首相,来訪(~27日)。
DIA-207-1997-08-27-1シンガポール1997年08月27日1990年代ジュロン・タウン公社(JTC)は,同社所有の公共住宅(HDBフラット)の外国人(専門家,大学院生など)向け賃貸開始。
DIA-207-1997-08-27-2シンガポール1997年08月27日1990年代ゴー首相が来日(~30日)。「第1回日本シンガポール経済協議会」に出席。
DIA-207-1997-09-09-1シンガポール1997年09月09日1990年代ゴー首相,45人の企業家を帯同してメキシコを訪問(~13日)。
DIA-207-1997-09-13-1シンガポール1997年09月13日1990年代ゴー首相,訪米(~19日)。「アメリカ・ASEAN経済協議会」で開会演説。
DIA-207-1997-09-14-1シンガポール1997年09月14日1990年代トウ香港特別行政区長官が来訪(~5日)。
DIA-207-1997-09-20-1シンガポール1997年09月20日1990年代タン副首相,イギリス,スウェーデン訪問(~27日)。スウェーデンで同国に発注したシンガポール初の潜水艦を視察。
DIA-207-1997-09-22-1シンガポール1997年09月22日1990年代政府とIMF,「IMF・シンガポール地域研修所」の設置協定に調印。地域の金融専門家能力訓練を行うもので,IMFの途上国最初の研修所。
DIA-207-1997-09-25-1シンガポール1997年09月25日1990年代政府は任命国会議員9人を任命。定員が前回の6人から増え,経済界4人,女性2人。任期は10月1日から2年間。
DIA-207-1997-09-27-1シンガポール1997年09月27日1990年代「第1回アジア欧州経済閣僚会議」出席のためリー通産相が来日(~28日)。
DIA-207-1997-09-29-1シンガポール1997年09月29日1990年代高裁は,ジェヤレトナム労働党書記長に対し,ゴー首相を誹謗したとして2万Sドルの賠償金支払いを命令。ただしこれは原告要求額の10%。
DIA-207-1997-10-01-1シンガポール1997年10月01日1990年代民営化へのワンステップで準政府機関のシンガポール港湾局(PSA)が政府系企業PSAコーポレーション社に組織替え。
DIA-207-1997-10-01-2シンガポール1997年10月01日1990年代労働省,国内労働力不足のためサービス産業の外国人労働者雇用比率上限を25%から30%に引上げ。
DIA-207-1997-10-03-1シンガポール1997年10月03日1990年代ストレーツ・タイムス社刊行のリー上級相評伝Lee Kuan Yew : The Man and His Ideasが発売後3日間で3万冊を売り切りベスト・セラーとなる。
DIA-207-1997-10-03-2シンガポール1997年10月03日1990年代ミャンマーのキンニュン国家法秩序回復評議会第1書記が来訪(~5日)。
DIA-207-1997-10-06-1シンガポール1997年10月06日1990年代マレーシア側の税関審査強化によるコーズウェイ渋滞(通過に5時間)が問題化。政府は速やかな改善を要望。
DIA-207-1997-10-13-1シンガポール1997年10月13日1990年代ゴー首相,民間主催の「東アジア経済会議」出席のため香港訪問(~15日)。
DIA-207-1997-10-15-1シンガポール1997年10月15日1990年代シンガポール海峡でタイ籍タンカー(13万トン)とキプロス籍タンカー(7万5000トン)が衝突,キプロス籍タンカーの原油が大量流出し,この種の事故で最大規模の被害。
DIA-207-1997-10-19-1シンガポール1997年10月19日1990年代ゴー首相,21世紀シンガポール社会の望ましい姿を検討する「シンガポール21世紀委員会」(Singapore 21 Committee)の設置を発表。委員長にテオ教育相が就任し,委員数は9人。他に5分科会。
DIA-207-1997-10-20-1シンガポール1997年10月20日1990年代ゴー首相,インドネシア訪問。スハルト大統領と通貨危機について協議(~21日)。
DIA-207-1997-10-22-1シンガポール1997年10月22日1990年代ゴー首相,英連邦首脳会議出席のためイギリス訪問(~27日)。24日,当地でマハティール・マレーシア首相と会談。
DIA-207-1997-10-26-1シンガポール1997年10月26日1990年代タン副首相,中国訪問。安全保障問題を協議(~11月1日)。
DIA-207-1997-10-28-1シンガポール1997年10月28日1990年代ゴー首相,デンマーク訪問(~30日)。
DIA-207-1997-10-28-2シンガポール1997年10月28日1990年代世界同時株価下落で,「ストレーツ・タイムス工業指数」が7.6%急落の1497.03となり,過去最高の下げ幅を記録。
DIA-207-1997-11-01-1シンガポール1997年11月01日1990年代政府はインドネシア通貨危機支援に50億ドルの融資を決定(日本と同額)。
DIA-207-1997-11-03-1シンガポール1997年11月03日1990年代金融庁はインドネシア銀行,日本銀行との協調でルピア防衛市場介入を実施。
DIA-207-1997-11-04-1シンガポール1997年11月04日1990年代リー副首相,金融安定のために金融政策を転換し,個別企業保護より全体システムの維持に重点を置くと語る。
DIA-207-1997-11-09-1シンガポール1997年11月09日1990年代タン副首相,南アメリカ訪問(~11日)。シンガポール国軍の訓練を含む「安全保障協定」に調印。
DIA-207-1997-11-12-1シンガポール1997年11月12日1990年代控訴審は,5月の労働者党タンの名誉毀損賠償金717万5000Sドルを,半額の363万Sドルとする判決。タンは支払いを拒否。
DIA-207-1997-11-22-1シンガポール1997年11月22日1990年代ゴー首相,APEC首脳会議出席のためカナダ訪問(~27日)。当地でボルキア・ブルネイ国王と会談。
DIA-207-1997-11-26-1シンガポール1997年11月26日1990年代リー上級相,ベトナム訪問(~29日)。
DIA-207-1997-11-29-1シンガポール1997年11月29日1990年代リー上級相,中国訪問(~12月9日)。滞在中の4日,「蘇州工業団地」の開発ペースが遅いと批判。8日に江沢民国家主席と会談。同主席はプロジェクト促進を約束。
DIA-207-1997-12-04-1シンガポール1997年12月04日1990年代コスタリカ大統領,来訪(~6日)。
DIA-207-1997-12-14-1シンガポール1997年12月14日1990年代ゴー首相,ASEAN非公式首脳会議出席でマレーシア訪問(~17日)。
DIA-207-1997-12-16-1シンガポール1997年12月16日1990年代政府,98年1月1日から金融庁長官をフー蔵相からリー副首相に交替と発表。
DIA-207-1997-12-18-1シンガポール1997年12月18日1990年代シンガポール航空子会社シルクエアー社のジャカルタ発シンガポール行き飛行機が,スマトラ・パレンバン近郊のムシ川河口に墜落,乗客・乗員108名全員死亡,うちシンガポール人40名。事故原因は不明。
DIA-207-1997-12-22-1シンガポール1997年12月22日1990年代1998年1月2日開通予定のジョホール州とシンガポール・ジュロン地域を結ぶ「第2橋」通行料金に,マレーシアはトラック50Mドル(「第1橋」のコーズウェイは4.20Mドル)を提案。政府と業界が猛反発,マレーシアは再検討を約束。
DIA-207-1997-12-30-1シンガポール1997年12月30日1990年代シルクエアー機事故犠牲者追悼式がゴー首相など政府閣僚出席の下,行われる。
DIA-207-1997-12-31-1シンガポール1997年12月31日1990年代ゴー首相1998年新年メッセージ。97年成長率は予想を上回る7.6%,しかし98年は97年の通貨・金融危機の影響で高成長を期待できず,一層努力の必要ありと説く。
DIA-207-1998-01-01-1シンガポール1998年01月01日1990年代ゴー首相の新年メッセージ。97年成長率は7.6%で予想ほど悪くなかったが,98年の経済環境は厳しいと語る。
DIA-207-1998-01-02-1シンガポール1998年01月02日1990年代リー副首相,フー蔵相担当のシンガポール通貨庁会長(MAS)と証券産業評議会委員長(SIC)に就任し金融政策の全権限を掌握。
DIA-207-1998-01-02-2シンガポール1998年01月02日1990年代シンガポール島とマレーシア・ジョホール州を結ぶ2番目の橋が西部のトゥアス地域に完成(正式開通式は4月18日,当初は無料,3月17日より有料)。
DIA-207-1998-01-04-1シンガポール1998年01月04日1990年代97年12月インドネシア・スマトラで墜落し,死者120人を出したシルク・エア機のブラックボックスが発見さる。しかし墜落原因は不明。6月22日,航空専門家は原因は解明できないだろうと語る。
DIA-207-1998-01-11-1シンガポール1998年01月11日1990年代人民行動党大会開催。ゴー書記長が97年総選挙大勝利再現など5大目標と,総選挙公約を守るなど五つの課題を発表。
DIA-207-1998-01-12-1シンガポール1998年01月12日1990年代政府系企業グループ・ケッペル社,傘下のケッペル銀行とタートリー銀行が年末までに合併と発表。資産規模で国内ランク5位の銀行に。
DIA-207-1998-01-16-1シンガポール1998年01月16日1990年代アメリカ国防長官来訪,タン副首相とシンガポールの軍事基地利用問題を協議。
DIA-207-1998-01-16-2シンガポール1998年01月16日1990年代アメリカ多国籍企業シーゲート・テクノロジー社,従業員の10%に当たる1800人を解雇。
DIA-207-1998-01-19-1シンガポール1998年01月19日1990年代シンガポール経営学院(SIM)は,2000年にシンガポール初の私立大学,シンガポール経営大学(Singapore Management University)となる計画を発表。
DIA-207-1998-01-20-1シンガポール1998年01月20日1990年代ゴー首相,マハティール首相とジョホール州で緊急会談。通貨危機と両国関係問題を協議。
DIA-207-1998-01-20-2シンガポール1998年01月20日1990年代リー上級相,タイ訪問(~22日)。
DIA-207-1998-01-25-1シンガポール1998年01月25日1990年代タン副首相,ニュージーランド訪問,軍事協力問題を協議(~28日)。
DIA-207-1998-02-02-1シンガポール1998年02月02日1990年代政府の諮問機関「金融制度検討委員会」が55項目の勧告を盛った答申書提出。
DIA-207-1998-02-04-1シンガポール1998年02月04日1990年代ゴー首相,ジャカルタでスハルト大統領と会談,経済危機克服支援を表明。
DIA-207-1998-02-06-1シンガポール1998年02月06日1990年代高裁は,97年総選挙後,リー上級相等が名誉毀損で告訴していた野党労働者党タン・リャンホンに破産宣告。
DIA-207-1998-02-07-1シンガポール1998年02月07日1990年代マハティール首相来訪,域内貿易決済通貨問題を協議。
DIA-207-1998-02-10-1シンガポール1998年02月10日1990年代マー通信相,チャンギ空港と都心を結ぶ地下鉄(MRT)建設計画を明かす(2001年開通予定)。
DIA-207-1998-02-16-1シンガポール1998年02月16日1990年代ゴー首相,マレーシアでマハティール首相と水供給,国際鉄道など両国間懸案を協議(~17日)。
DIA-207-1998-02-19-1シンガポール1998年02月19日1990年代リー副首相,民間給与が下がったので98年度は閣僚とトップ官僚の賃金を凍結する方針と語る。
DIA-207-1998-02-27-1シンガポール1998年02月27日1990年代フー蔵相,「1998年度予算案」(98年4月~99年3月)を国会に提出。収入が前年度比3.8%増,支出が14.6%増の景気刺激予算。
DIA-207-1998-02-28-1シンガポール1998年02月28日1990年代外務省審議官チュー・タイスーが新駐日大使に任命さる。
DIA-207-1998-03-09-1シンガポール1998年03月09日1990年代国会で,ヨー経済開発庁(EDB)長官と一部与党議員との間で,政府奨学金ボンド契約の相次ぐ中途退職者の扱いを巡り激しい議論が起こる。11日,リー副首相は,受給者は満期まで勤める「道義的責任」ありと語る。
DIA-207-1998-03-17-1シンガポール1998年03月17日1990年代ボルキア・ブルネイ国王来訪(~19日)。
DIA-207-1998-03-18-1シンガポール1998年03月18日1990年代シンガポール国際金融取引所(Simex)前会長で,OCBC銀行副会長のエリザベス・サムが「1997年女性大賞」に選ばれる。
DIA-207-1998-03-24-1シンガポール1998年03月24日1990年代ゴー首相,ミャンマー・タイ訪問。ミャンマーでは経済協力問題を協議(~26日)。
DIA-207-1998-03-26-1シンガポール1998年03月26日1990年代ケッペル社,ライバルの日立造船シンガポール社株式56%を2億6500万Sドルで取得し傘下に入れる。
DIA-207-1998-03-26-2シンガポール1998年03月26日1990年代モザンビーク大統領来訪(~28日)。
DIA-207-1998-03-31-1シンガポール1998年03月31日1990年代ゴー首相,アジア・欧州首脳会議(ASEM)出席でイギリス訪問(~4月6日)。滞在中,ブレア首相,マハティール首相,朱中国首相らと会談。
DIA-207-1998-04-01-1シンガポール1998年04月01日1990年代労働省が改組され,マンパワー省(Ministry of Manpower)となる。新大臣は前労相リー・ブーンヤンが横滑り。また移民局と国民登録局が統合し,出入国管理・国民登録局(SIR)となる。
DIA-207-1998-04-01-2シンガポール1998年04月01日1990年代イーストコスト・パークウェイで通行税電子徴収制度(Electronic Road Pricing)がスタート。
DIA-207-1998-04-09-1シンガポール1998年04月09日1990年代マレーシア・アンワール副首相来訪,同国の金融・投資政策を説明。
DIA-207-1998-04-13-1シンガポール1998年04月13日1990年代中国外相が来訪(~14日)。
DIA-207-1998-04-18-1シンガポール1998年04月18日1990年代ゴー首相,トウァスの第2橋開通式でマハティール首相と会談,経済危機克服での協力を確認。
DIA-207-1998-04-20-1シンガポール1998年04月20日1990年代ゴー首相,国会でインドネシア貿易を対象にした50億ドルの「相互貿易金融保証計画」の概要を発表。
DIA-207-1998-04-29-1シンガポール1998年04月29日1990年代ゴー首相のメーデー・メッセージ。今年は経済危機のため賃金抑制は不可避と語る。
DIA-207-1998-05-02-1シンガポール1998年05月02日1990年代リー副首相,アメリカ訪問(~11日)。
DIA-207-1998-05-03-1シンガポール1998年05月03日1990年代リム国家開発相,2011年までに海水を飲料水に変える工場(3カ所)を完成予定と語る。同年契約切れの「マレーシア第1次水供給協定」代替が狙い。
DIA-207-1998-05-04-1シンガポール1998年05月04日1990年代小渕外相来訪(~5日)。ゴー首相と経済危機対策を協議。
DIA-207-1998-05-04-2シンガポール1998年05月04日1990年代チャン・ヘンチー駐米大使が,華人アメリカ女性機構主催の「第1回国際女性大賞」に選ばれる。
DIA-207-1998-05-08-1シンガポール1998年05月08日1990年代メダンで発生した「反華人暴動」で多数のインドネシア華人がシンガポールに緊急避難。14日政府は国民に緊急以外のインドネシア訪問自粛を勧告。
DIA-207-1998-05-09-1シンガポール1998年05月09日1990年代ダナバラン前外相がシンガポール航空(SIA)会長からシンガポール開発銀行(DBS)会長に転出。後任はフレザー&ニーブ社のマイケル・ファム会長。
DIA-207-1998-05-20-1シンガポール1998年05月20日1990年代日本政府が,インドネシア在住日本人緊急避難輸送用に派遣した自衛隊C130輸送機6機がシンガポールに到着。
DIA-207-1998-05-20-2シンガポール1998年05月20日1990年代リー上級相イギリス訪問,ブレア首相と会談(~28日)。
DIA-207-1998-05-21-1シンガポール1998年05月21日1990年代スハルト大統領退陣ニュースに,ゴー首相は「政権交替が平和裏に,かつ合憲的になされたことを歓迎する」とのコメントを発表。
DIA-207-1998-05-25-1シンガポール1998年05月25日1990年代全国賃金評議会(NWC)勧告が出る。経済危機下で雇用と競争力を確保するため賃金抑制を強く勧告。抑制勧告は86~87年のマイナス成長期以来。
DIA-207-1998-05-27-1シンガポール1998年05月27日1990年代タン副首率いる「シンガポール・中国経済評議会」が訪中。タン副首相に朱首相は「蘇洲工業団地」成功への努力を約束。
DIA-207-1998-05-28-1シンガポール1998年05月28日1990年代リー副首相,アジア経済危機は政府が外国投資家や国内企業の信頼回復に努力すれば4~5年で回復するとの見通しを明かす。
DIA-207-1998-06-01-1シンガポール1998年06月01日1990年代ルクセンブルク首相来訪(~3日)。
DIA-207-1998-06-01-2シンガポール1998年06月01日1990年代リー副首相,シンガポール地場銀行6行の4月30日現在の対インドネシア融資総額は,39億米ドル,総資産の1.6%と発表。97年末から15億米ドル,28%減。
DIA-207-1998-06-04-1シンガポール1998年06月04日1990年代ブッシュ前米大統領来訪,ゴー首相と会談。
DIA-207-1998-06-05-1シンガポール1998年06月05日1990年代リー上級相,国際経済シンポジウム出席で訪日(~7日)。
DIA-207-1998-06-06-1シンガポール1998年06月06日1990年代タン副首相訪米,MITで講演(~10日)。
DIA-207-1998-06-11-1シンガポール1998年06月11日1990年代タン副首相,独立100周年記念式典参加のためフィリピン訪問(~14日)。
DIA-207-1998-06-12-1シンガポール1998年06月12日1990年代マー通信相,総工費17億5000万Sドル,全長13キロの都心部地下鉄マリナ線建設決定を発表。2000年に部分営業,2004年に全線開通予定。
DIA-207-1998-06-15-1シンガポール1998年06月15日1990年代総理府,デビッド・リム国会議員の国防担当国務相就任など,3人の新閣僚人事を発表。
DIA-207-1998-06-25-1シンガポール1998年06月25日1990年代政府は弁護士の年俸減額を理由に,裁判官,検事など政府法務官の年俸11%カットを決定。
DIA-207-1998-06-29-1シンガポール1998年06月29日1990年代フー蔵相,企業コスト軽減と経済活性化を狙いに20億Sドル強の特別支出の景気浮揚策を発表。
DIA-207-1998-07-05-1シンガポール1998年07月05日1990年代マー通信相,簡易鉄道(LRT)建設をセンカン地域(全長11キロ)は2002年,ポンゴル地域(全長13キロ)は2004年までに建設と発表。両プロジェクトの総費用は6億5600万Sドル。
DIA-207-1998-07-08-1シンガポール1998年07月08日1990年代オン大統領,イギリス・チェコ訪問(~16日)。
DIA-207-1998-07-13-1シンガポール1998年07月13日1990年代スンバワン・グループ率いるシンガポール企業連合はインドネシア企業と合弁で,インドネシア領西ナツナ海からジュロンまで640キロのパイプラインを使った天然ガス供給事業に80億米ドルで調印。供給開始は2001年で22年間継続予定。
DIA-207-1998-07-17-1シンガポール1998年07月17日1990年代控訴審,ゴー首相が野党労働者党ジェヤレトナム書記長を名誉毀損で訴え,高裁が2万Sドルの賠償金支払いを命じた件で,賠償金を10万Sドルへと引上げる判決を下す。
DIA-207-1998-07-24-1シンガポール1998年07月24日1990年代政府系のシンガポール開発銀行(DBS)と郵便貯金局銀行(POSB)の合併が発表さる。開発銀行が16億Sドルで郵便貯金局銀行を吸収,合併後は総資産93億Sドル,世界ランク65位の大銀行に。
DIA-207-1998-08-01-1シンガポール1998年08月01日1990年代マレーシア国際鉄道の出入国管理事務所がタンジョンパガー駅から国境のウッドランド新駅に移転。マレーシア政府は合意なしと移転を「拒否」し,シンガポールの対応は傲慢と非難。4日,内務省はマレーシアの非難は意図的に事実を歪曲と反論。
DIA-207-1998-08-03-1シンガポール1998年08月03日1990年代シンガポール政府の1200万Sドル規模のインドネシア緊急援助第1弾,米1万トンと医薬品がインドネシア・ツアス海軍基地に到着。
DIA-207-1998-08-04-1シンガポール1998年08月04日1990年代シンガポール航空会社(SIA),中華航空社の株式5%(時価1億3500万Sドル)~10%を取得する意図を明かす。将来さらに増やす計画。
DIA-207-1998-08-05-1シンガポール1998年08月05日1990年代テオ教育相兼第2国防相がインドネシア訪問,ウィラント国防相と会談(~7日)。
DIA-207-1998-08-08-1シンガポール1998年08月08日1990年代ゴー首相の独立記念日メッセージ。経済危機克服のため98年と99年は赤字予算を組むが,外貨準備の黒字は取り崩さないと語る。
DIA-207-1998-08-12-1シンガポール1998年08月12日1990年代ラオス首相来訪(~14日)。
DIA-207-1998-08-13-1シンガポール1998年08月13日1990年代通貨庁,シンガポール・ドルを地域内取引に利用できる規制緩和を発表。しかし,シンガポール・ドルの非国際化政策は不変と強調。
DIA-207-1998-08-23-1シンガポール1998年08月23日1990年代ゴー首相,独立記念日演説。対マレーシア,対インドネシア,経済コスト,合理的労働力の四つの重要問題を指摘し,経済構造改革の推進とトラブル続きの隣国関係の適切な対応が重要と語る。
DIA-207-1998-08-27-1シンガポール1998年08月27日1990年代マレーシア政府は,9月実施予定の5カ国共同軍事演習をシンガポールとの関係悪化を理由に不参加表明。演習は無期延期に。
DIA-207-1998-08-28-1シンガポール1998年08月28日1990年代シンガポールとインドネシア空軍の共同軍事演習がスマトラ州パカンバル空軍基地でスタート。
DIA-207-1998-09-01-1シンガポール1998年09月01日1990年代クアラ・ルンプール証券取引所,本日よりシンガポール証券取引所でのマレーシア企業株式店頭取引を認めないと発表,シンガポール側は突然の決定に反撥。マレーシア政府はリンギット取引規制も発表し,シンガポールの金融機関や投資家は深刻な影響を受ける。
DIA-207-1998-09-15-1シンガポール1998年09月15日1990年代タン副首相,シンガポール国立大学近くのブオナビスタ地区に50億Sドルを投資し,15年計画で176ヘクタール規模のシリコンバレー型「サイエンスハブ」(Science Hub)建設計画を明かす。
DIA-207-1998-09-16-1シンガポール1998年09月16日1990年代『リー・クアンユー回顧録』(第1巻)が発売。初版3万5000部は数日で完売しベストセラーに。しかしマハティール首相が,マレーシア分離の経過を書いた部分は事実の歪曲,同国の政治経済が困難な時期に意図的に出版されたと非難。
DIA-207-1998-09-18-1シンガポール1998年09月18日1990年代マレーシア政府,シンガポール空軍の同国領空通過を認めた特別許可を撤廃し,領空通過禁止とする。21日には,シンガポール海軍船舶が救助や捜索目的でも無許可でマレーシア領海に入ることを禁止したことも明らかになる。
DIA-207-1998-09-20-1シンガポール1998年09月20日1990年代ゴー首相,国連会議出席で訪米(~27日)。24日,クリントン大統領と会談。25日,米議会で演説し,アジア経済危機は自由市場システムの是非が問われている,アメリカは支援の主導的役割を果たすべきと語る。26日,アメリカ・アジア協会がゴー首相にアメリカ・アジア関係の架橋に貢献したと「優秀指導者賞」を授与。
DIA-207-1998-09-20-2シンガポール1998年09月20日1990年代シンガポール航空会社,フィリピン航空の運航停止で唯一のマニラ・シンガポール便運行会社となったことから,片道380~430Sルを一気に810Sドルに値上げし批判を招く。
DIA-207-1998-09-22-1シンガポール1998年09月22日1990年代与謝野通産相が来訪(~24日)。
DIA-207-1998-09-28-1シンガポール1998年09月28日1990年代リー副首相,政府系企業幹部を伴い投資促進目的で訪日,小渕首相と会談(~10月2日)。
DIA-207-1998-09-30-1シンガポール1998年09月30日1990年代ゴー首相,チリ訪問(~10月2日)。大統領と会談。
DIA-207-1998-10-07-1シンガポール1998年10月07日1990年代リー上級相,ドイツ(~11日),アメリカ(~18日)訪問。
DIA-207-1998-10-11-1シンガポール1998年10月11日1990年代エストラーダ・フィリピン大統領来訪(~14日)。ゴー首相らと域内貿易や二国間問題を協議。
DIA-207-1998-10-12-1シンガポール1998年10月12日1990年代ゴー首相,「世界経済フォーラム」東アジア部会定例会開会式で演説。現在シンガポールは経済危機後の成長路線に向け準備中と語る。
DIA-207-1998-10-16-1シンガポール1998年10月16日1990年代シンガポール陸軍が独自開発した戦車第1号“Bionix”の性能テストが,オーストラリア軍の協力で同地で行われる。
DIA-207-1998-10-21-1シンガポール1998年10月21日1990年代世界石油メジャーのカルテックス(Caltex)社,本社経営本部をダラスからシンガポールに移すと発表。時期は未定。
DIA-207-1998-10-21-2シンガポール1998年10月21日1990年代タン副首相,フランス訪問。「軍事協力協定」に調印し,同国でシンガポール空軍パイロットの訓練実施に合意。
DIA-207-1998-10-29-1シンガポール1998年10月29日1990年代ゴー首相,経済不況乗り切りには,中央積立基金(CPF)の雇用者負担分を20%から10%に引下げする必要がありと語る。
DIA-207-1998-11-04-1シンガポール1998年11月04日1990年代リー副首相,1999年末を目処にシンガポール証券取引所(SES)とシンガポール国際金融取引所を合併する予定と発表。
DIA-207-1998-11-05-1シンガポール1998年11月05日1990年代ゴー首相,マレーシアでマハティール首相と会談。同国のシンガポールでの資金調達支援を約束。
DIA-207-1998-11-06-1シンガポール1998年11月06日1990年代タン副首相訪米,米海軍による2000年完成予定の新チャンギ海軍基地の利用協定に調印(~17日)。
DIA-207-1998-11-08-1シンガポール1998年11月08日1990年代国民の公徳心向上をねらいにした,政府主導の「シンガポール親切運動週間」(Singapore Kindness Week)がスタート。
DIA-207-1998-11-10-1シンガポール1998年11月10日1990年代通産省,同日発表の第3四半期経済報告書で,シンガポール経済は景気後退(recession)に入ったとの認識を示す。
DIA-207-1998-11-11-1シンガポール1998年11月11日1990年代「シンガポール競争力委員会」(Committee on Singapore’s Competitiveness)は,企業競争力強化を目的に,CPF雇用者負担分引下げなど,総額100億Sドル規模の企業コスト削減策を提言。11日,政府は提言に5億Sドル追加し全面的実施を決定。
DIA-207-1998-11-12-1シンガポール1998年11月12日1990年代全国賃金評議会,労働者賃金の平均5~8%カットを勧告。本年2回目の勧告で極めて異例。
DIA-207-1998-11-13-1シンガポール1998年11月13日1990年代カナダ首相来訪(~16日)。
DIA-207-1998-11-14-1シンガポール1998年11月14日1990年代タン副首相,アメリカ訪問,軍事関連施設を視察(~20日)。
DIA-207-1998-11-16-1シンガポール1998年11月16日1990年代ゴー首相,APEC首脳会議出席でマレーシア訪問(~18日)。滞在中,ハビビ・インドネシア大統領,江・中国国家主席,薫・香港長官等と会談。
DIA-207-1998-11-19-1シンガポール1998年11月19日1990年代ニュージーランド首相が来訪(~20日)。
DIA-207-1998-11-23-1シンガポール1998年11月23日1990年代ゴー首相,マレーシア政府がシンガポールで調達予定の資金調達計画支援と水供給に関し,両国は暫定的合意に達したと語る。しかし,後に破談となる。
DIA-207-1998-11-23-2シンガポール1998年11月23日1990年代シンガポール国際金融取引所の先物取引,“Simex MSCI Hongkong”がスタート。ただし,香港側の反対の中で開始。
DIA-207-1998-12-01-1シンガポール1998年12月01日1990年代人民行動党国会議員チュー・ウィーキアン(Choo WeeKhiang)が,商取引詐欺罪で逮捕された友人を手助けした容疑で逮捕される。現職国会議員の逮捕は1988年以来,与党議員は初めて。
DIA-207-1998-12-10-1シンガポール1998年12月10日1990年代タン副首相来日。海空自衛隊施設を視察(~13日)。
DIA-207-1998-12-11-1シンガポール1998年12月11日1990年代労働省,第3四半期に製造業とサービス業を中心に失業者が2万268人に急増したと発表。
DIA-207-1998-12-11-2シンガポール1998年12月11日1990年代通貨庁,金融緩和政策の一環としてファイナンス会社の現金準備規制緩和などを発表。
DIA-207-1998-12-12-1シンガポール1998年12月12日1990年代政府は,ASEAN首脳会議主要議題の一つカンボジア加盟問題を,急ぐ必要なしと慎重態度を表明。
DIA-207-1998-12-14-1シンガポール1998年12月14日1990年代ゴー首相,ASEAN首脳会議でベトナム訪問(~18日)。同日,経済開発,資本市場育成,軍事訓練などの分野で相互協力を行う「フィリピン・シンガポール行動計画」(Philippine-Singapore Action Plan)に調印。15日にはASEAN諸国の学生30名をシンガポールに留学させる1200万Sドルの奨学金制度創設を発表。17日,マハティール首相と対マレーシア資金援助と水供給問題を協議。
DIA-207-1998-12-31-1シンガポール1998年12月31日1990年代ゴー首相の新年メッセージ。98年成長率は1.3%(後に1.5%へと上方修正)で予想以上の出来,しかし99年予測は-1~1%の間で,経済不況はまだ終わりが見えないと警告。
DIA-207-1999-01-01-1シンガポール1999年01月01日1990年代ゴー首相,新年祝辞で新年も困難な年になろうと警告。
DIA-207-1999-01-04-1シンガポール1999年01月04日1990年代中央積立基金庁,昨年同基金から株式に投資した46万人中9割が損失,と発表。
DIA-207-1999-01-05-1シンガポール1999年01月05日1990年代マレーシア政府筋,シンガポールとの当面の諸問題を解決するための交渉は断食大祭後に再開。
DIA-207-1999-01-08-1シンガポール1999年01月08日1990年代シンガポール・テレコム社,タイの移動体通信会社アドバンスト・インフォ・サービス社株式20%を5億5100万Sドルで取得する契約に調印。
DIA-207-1999-01-15-1シンガポール1999年01月15日1990年代インドネシアと天然ガス買い付けで協定。期間22年,日量3億2500万立方フイート(100万米ドル相当)を買い付け。
DIA-207-1999-01-20-1シンガポール1999年01月20日1990年代国会開催。ジャヤクマル外相,マレーシアとの関係改善は頓挫中,と発表。
DIA-207-1999-01-20-2シンガポール1999年01月20日1990年代経済開発庁(EDB)長官,2010年までに「知識ベース経済」(KBE)の実現を目指す「インダストリー21」計画を発表。
DIA-207-1999-01-21-1シンガポール1999年01月21日1990年代商工相,製造業投資75億ドル,1万3500人の雇用創出が1999年の目標,と発表。
DIA-207-1999-01-21-2シンガポール1999年01月21日1990年代全国労働組合会議(NTUC),加盟組織労働者は28万3000人と発表。過去最多。
DIA-207-1999-01-24-1シンガポール1999年01月24日1990年代人民行動党幹部(約1000人)党大会。新中央委員を選出(「参考資料」参照)。
DIA-207-1999-01-25-1シンガポール1999年01月25日1990年代シンガポール金融庁(MAS)国際顧問団初会合。銀行部門の外資への開放などを提言(~26日)。
DIA-207-1999-01-27-1シンガポール1999年01月27日1990年代公益事業庁(PUB)も八つの雨水ダムを建設の予定と発表。供給可能量は日量500万ガロン。既存の雨水ダムも八つで,現在日量600万ガロン(総需要量の2%)を供給。
DIA-207-1999-01-29-1シンガポール1999年01月29日1990年代ゴー首相,中央積立基金(CPF)の使用者側納付率の10%ポイント削減に労働者の支持を要請。
DIA-207-1999-01-31-1シンガポール1999年01月31日1990年代リー上級相,ダボス会議で「シンガポールでは国民の結合力が危うくなり,将来無傷で生き残れるか心配だ」と語る。
DIA-207-1999-02-01-1シンガポール1999年02月01日1990年代住宅開発庁(HDB),30億Sドルの債券発行計画を発表。
DIA-207-1999-02-02-1シンガポール1999年02月02日1990年代民主党書記長に12月29日の無許可演説で罰金(1400Sドル)の判決。
DIA-207-1999-02-06-1シンガポール1999年02月06日1990年代インドネシア大統領,シンガポールは人種主義的と批判。これに関連し12日,シンガポール・マレー国民組織は政府に,国軍内の人種差別を止めるよう要望。
DIA-207-1999-02-10-1シンガポール1999年02月10日1990年代ケッペル社,赤字転落を発表。
DIA-207-1999-02-20-1シンガポール1999年02月20日1990年代外務省,マラヤ鉄道終着駅のマレーシア税関・移民・検疫業務(CIQ)のウッドランドへの移転問題で,マレーシアから届いた手紙(2月10日付)は,主権問題に対するシンガポール側の憂慮を考慮している,これで両国間問題の交渉に入れる,と発表。この件は3月15日の国会でも確認された。
DIA-207-1999-02-24-1シンガポール1999年02月24日1990年代民主党書記長と同党員に罰金刑。1月5日の無許可演説の件。共に罰金を払わず,12日間の拘留,3月6日釈放。
DIA-207-1999-02-24-2シンガポール1999年02月24日1990年代人民行動党中央委,新役員を選出。
DIA-207-1999-02-26-1シンガポール1999年02月26日1990年代新年度予算案,国会に提出される。
DIA-207-1999-03-04-1シンガポール1999年03月04日1990年代シンガポール港湾公社(PSA),ブルネイ・ムアラのコンテナーポートの開発・経営・運営を受注。
DIA-207-1999-03-05-1シンガポール1999年03月05日1990年代MAS,国内金融機関の有識者を集めた「金融センター顧問団」を設置。すでに設置されている国際顧問団の国内版。
DIA-207-1999-03-05-2シンガポール1999年03月05日1990年代インド海軍と合同演習開始。
DIA-207-1999-03-10-1シンガポール1999年03月10日1990年代国会,華人エリート育成問題で論議。
DIA-207-1999-03-12-1シンガポール1999年03月12日1990年代情報・芸術相,,Malay Heritage Centre構想を発表。
DIA-207-1999-03-18-1シンガポール1999年03月18日1990年代予算案,国会で承認される。
DIA-207-1999-03-20-1シンガポール1999年03月20日1990年代リー副首相,政府は華人エリートの育成と特別援助計画(SAP)校を伸ばそうとしてはいるが,政府の多種族主義は変わらない,心配する必要はない,と言明。
DIA-207-1999-03-21-1シンガポール1999年03月21日1990年代ゴー首相,外国人の人材の必要性を説く。
DIA-207-1999-03-25-1シンガポール1999年03月25日1990年代シンガポール航空(SIA),オーストラリアの航空会社アンセット・ホールディングス社株式50%を同国のニューズ社から5億豪ドルで取得することで合意。
DIA-207-1999-03-31-1シンガポール1999年03月31日1990年代民主党書記長に自書の無許可街頭販売(1998年12月)のかどで600Sドルの罰金刑。
DIA-207-1999-04-03-1シンガポール1999年04月03日1990年代環境省はジュロン浄水場の給水能力を年内に倍増(日量12万5000立方メートル)する予定と発表。
DIA-207-1999-04-08-1シンガポール1999年04月08日1990年代タン副首相,ハイテク起業家育成のため10億ドルの「テクノプレナーシップ投資基金」の設立を発表。
DIA-207-1999-04-15-1シンガポール1999年04月15日1990年代Malay Heritage Centre構想の計画敷地内の住民79人への補償措置,国会で発表される。後に居住者が退去反対運動を展開。
DIA-207-1999-04-17-1シンガポール1999年04月17日1990年代タン副首相,政府奨学金の廃止を提案。
DIA-207-1999-04-24-1シンガポール1999年04月24日1990年代ゴー首相,21世紀のシンガポールのあり方を示す「シンガポール21」ビジョンを発表。
DIA-207-1999-04-30-1シンガポール1999年04月30日1990年代マレーシアのエフェクティブ・キャピタル社,シンガポール国際店頭市場(Clob)に凍結されているマレーシア株の買い取りを提案。
DIA-207-1999-05-05-1シンガポール1999年05月05日1990年代国会,「シンガポール21」の討議開始。ゴー首相「わが国はいまだ国民国家ではなく,単なる国家だ」との見解表明。
DIA-207-1999-05-06-1シンガポール1999年05月06日1990年代クアラルンプール証券取引所,Clobでのマレーシア株取引を非難。
DIA-207-1999-05-10-1シンガポール1999年05月10日1990年代第3の大学,シンガポール経営大学(SMU)の学長決まる。ペンシルバニア大学ワートン・スクールのJ・ベラス教授(女性)。
DIA-207-1999-05-11-1シンガポール1999年05月11日1990年代ゴー首相,南洋工芸大学で「国家建設」を語る。留学エリートの帰国を要望。
DIA-207-1999-05-11-2シンガポール1999年05月11日1990年代マレーシア外相,Clob問題を2国間一括交渉の中へ入れる必要はない,と言明。
DIA-207-1999-05-12-1シンガポール1999年05月12日1990年代『ストレイツ・タイムズ』(ST)紙,Clob問題の解決は,マレーシアの首相と蔵相次第だ,と論評。
DIA-207-1999-05-13-1シンガポール1999年05月13日1990年代パキスタン首相来訪。
DIA-207-1999-05-17-1シンガポール1999年05月17日1990年代リー副首相兼MAS総裁,金融業自由化計画を発表。
DIA-207-1999-05-25-1シンガポール1999年05月25日1990年代最高裁,民主党指導者に選挙参加を認める。
DIA-207-1999-05-28-1シンガポール1999年05月28日1990年代賃金委員会(NWC),全面的景気回復のため賃金抑制を要望。
DIA-207-1999-05-30-1シンガポール1999年05月30日1990年代ST紙,「シングリッシュ」(Singlish,シンガポール英語の意)でレポート。
DIA-207-1999-06-01-1シンガポール1999年06月01日1990年代ゴー首相,アルゼンチン訪問。
DIA-207-1999-06-02-1シンガポール1999年06月02日1990年代人民行動党チュー議員に汚職で有罪判決。同議員は辞職するも選挙法上は補欠選挙は不要。
DIA-207-1999-06-02-2シンガポール1999年06月02日1990年代ケッペル・タットリー銀行,アイルランドのアライド・アイリッシュ(AIB)銀行に3億5000万Sドルのワラント債を売却。AIBは権利行使により24.9%の資本参加が可能に。
DIA-207-1999-06-03-1シンガポール1999年06月03日1990年代新改造内閣発足(「参考資料」参照)。
DIA-207-1999-06-04-1シンガポール1999年06月04日1990年代公衆衛生局長,グリーン・プランの改訂計画を発表。原計画は1993年作成。
DIA-207-1999-06-04-2シンガポール1999年06月04日1990年代ゴー首相,現時点での補欠選挙は経済復興の努力をそらしかねない,と主張。
DIA-207-1999-06-05-1シンガポール1999年06月05日1990年代マレーシアの『スター』紙,水交渉の進捗状況を暴露。7日,外務省はこの報道に抗議,また7日,マハティール首相は,「シンガポールに対して,他から水を求めよ,と言ったことはない」と言明。
DIA-207-1999-06-07-1シンガポール1999年06月07日1990年代マハティール首相,Clob問題は民間の問題なので係わらない,と表明。
DIA-207-1999-06-09-1シンガポール1999年06月09日1990年代リー上級相が香港でCNNに対し,「自分は現在の政府に大きな影響力を持ち,自分がいなければ大きなトラブルに陥ろう」と語る。
DIA-207-1999-06-10-1シンガポール1999年06月10日1990年代シンガポール大学,シンガポール人は自分が思っているほど中国を知っていない,と調査報告。
DIA-207-1999-06-10-2シンガポール1999年06月10日1990年代米国防衛関係週刊誌,東南アジアの海軍力ではシンガポールが随一と報道。
DIA-207-1999-06-10-3シンガポール1999年06月10日1990年代オーストラリアのニューズ社,SIAへのアンセット社株売却を撤回すると発表。アンセット株の50%を保有するニュージーランド航空とSIAの間で調整がつかないことを理由に。
DIA-207-1999-06-19-1シンガポール1999年06月19日1990年代マレーシア首相,シンガポールの『ビジネス・タイムズ』の社説(18日)を批判。
DIA-207-1999-06-21-1シンガポール1999年06月21日1990年代マレーシア海軍,シンガポール海軍との演習再開希望を表明。
DIA-207-1999-06-23-1シンガポール1999年06月23日1990年代ストレイツ・タイムズ株価指数,2167.47ポイントを記録し,3年4カ月ぶりに最高値を更新。
DIA-207-1999-06-28-1シンガポール1999年06月28日1990年代蘇州工業団地計画で中国と覚書交換。シンガポール側の出資比率引き下げへ。
DIA-207-1999-06-30-1シンガポール1999年06月30日1990年代マレーシアのテレコム・マレーシア社とUEM社,共同でClob上場マレーシア株買い取り計画を発表。
DIA-207-1999-07-02-1シンガポール1999年07月02日1990年代政府,国会へ大統領権限に関する白書(5月13日閣議了承)を提出。
DIA-207-1999-07-03-1シンガポール1999年07月03日1990年代違法なデリバティブ取引に伴う巨額損失で英投資銀行ベアリングス社を倒産に追い込み,1995年12月に有罪判決を受けたイギリス人リーソン受刑者が釈放。
DIA-207-1999-07-06-1シンガポール1999年07月06日1990年代国会,人民行動党国会議員有罪判決に伴う補欠選挙を行わないことに決定。
DIA-207-1999-07-07-1シンガポール1999年07月07日1990年代MAS長官,外国為替市場におけるSドルの変動許容幅を通貨危機前の水準に縮小したと発表。
DIA-207-1999-07-12-1シンガポール1999年07月12日1990年代マレーシア外相来訪。「水問題さえ解決すれば全てが解決する」と表明。
DIA-207-1999-07-16-1シンガポール1999年07月16日1990年代オン大統領(63歳),「再選を求めず。政府との間に多くの難問があった」と暴露。
DIA-207-1999-07-20-1シンガポール1999年07月20日1990年代マレーシア外相,対シンガポール関係改善は進展していない,と語る。
DIA-207-1999-07-23-1シンガポール1999年07月23日1990年代ゴー首相,第32回ASEAN閣僚会議で開催演説,ASEANへの投資促進で世界各国へASEAN共同の投資誘致使節団の派遣を提案。
DIA-207-1999-08-01-1シンガポール1999年08月01日1990年代ユナイテッド・オーバーシーズ銀行(UOB),フィリピンのウエストモント銀行に1億3200万Sドルを出資,経営権を取得することで合意したと発表。
DIA-207-1999-08-05-1シンガポール1999年08月05日1990年代リム第二蔵相,シンガポールをアジアの債券市場のハブとするため,債券市場委員会を設立すると発表。
DIA-207-1999-08-06-1シンガポール1999年08月06日1990年代ナタン無任所大使,大統領立候補。
DIA-207-1999-08-11-1シンガポール1999年08月11日1990年代リー上級相,民選大統領は執権職ではない,と言明。
DIA-207-1999-08-14-1シンガポール1999年08月14日1990年代リー上級相,外国からの人材誘致の必要性を強調。シングリッシュもやり玉に。
DIA-207-1999-08-17-1シンガポール1999年08月17日1990年代ゴー首相,オン大統領の再選に政府が反対したのは,同人の健康問題のため,と国会で表明。フー蔵相も国会で自己弁護。
DIA-207-1999-08-18-1シンガポール1999年08月18日1990年代第6代大統領はS・R・ナタンに決定。
DIA-207-1999-08-19-1シンガポール1999年08月19日1990年代シンガポール・テレビ(TCS),ドラマやコメディーなどでのシングリッシュの使用抑制を発表。
DIA-207-1999-08-29-1シンガポール1999年08月29日1990年代マー国家開発相,長期的土地利用計画を発表。
DIA-207-1999-08-29-2シンガポール1999年08月29日1990年代第5回アジア太平洋蔵相,中央銀行総裁代理会議開催(~30日)。
DIA-207-1999-08-31-1シンガポール1999年08月31日1990年代政府,人材開発の国家計画「マンパワー21」を開始。2億Sドルの人材育成支援スキームを設立。
DIA-207-1999-09-01-1シンガポール1999年09月01日1990年代S・R・ナタン,第6代大統領就任。
DIA-207-1999-09-04-1シンガポール1999年09月04日1990年代ゴー首相,華語にも「雑菜」,華語との呼ぶべきものが出来つつある,と指摘。
DIA-207-1999-09-04-2シンガポール1999年09月04日1990年代国会特別選択委員会,指名議員(NMP)の新メンバーを発表。10月1日就任。
DIA-207-1999-09-11-1シンガポール1999年09月11日1990年代政府,ニュージーランドと自由貿易協定締結を目指した交渉開始で合意。
DIA-207-1999-09-13-1シンガポール1999年09月13日1990年代シンガポール電気通信庁(TAS),インターネットプロバイダーへの外資規制(49%以下)を撤廃すると発表。
DIA-207-1999-09-17-1シンガポール1999年09月17日1990年代外務・国防省,東ティモールへ兵員250人の派遣を発表,翌18日より実施。
DIA-207-1999-09-17-2シンガポール1999年09月17日1990年代リー上級相,再びマレー人社会の感情を損なう発言。
DIA-207-1999-09-20-1シンガポール1999年09月20日1990年代新大統領顧問委員会6委員が就任,前委員会の全員が留任。
DIA-207-1999-09-22-1シンガポール1999年09月22日1990年代シンガポール・パワー社,インドネシアの天然ガス買い付け契約調印。
DIA-207-1999-09-28-1シンガポール1999年09月28日1990年代マレー社会,18日のリー上級相の発言に動揺。上級相との親密な対話を希望。
DIA-207-1999-09-30-1シンガポール1999年09月30日1990年代リー上級相,マレー社会とは大人と大人の対話を持ちたいと要望。
DIA-207-1999-09-30-2シンガポール1999年09月30日1990年代第31回ASEAN経済閣僚会議開催。
DIA-207-1999-10-04-1シンガポール1999年10月04日1990年代国会で新大統領が施政演説。
DIA-207-1999-10-06-1シンガポール1999年10月06日1990年代UOB銀行,タイのラダナシン銀行株式の75%を約65億バーツで取得することで合意。
DIA-207-1999-10-13-1シンガポール1999年10月13日1990年代ゴー首相,国会で出生率の低下と国民の海外への流失を憂慮。
DIA-207-1999-10-20-1シンガポール1999年10月20日1990年代マー国家開発相,「建設業21レポート」を発表。2010年までに建設業の外国人労働者(現在約20万人)の半減を目指す。
DIA-207-1999-10-20-2シンガポール1999年10月20日1990年代香港財務長官,香港・シンガポール通貨の単一化を提案。
DIA-207-1999-10-20-3シンガポール1999年10月20日1990年代MAS,5月の金融業自由化に伴い外銀4行に新フル・バンク(QFB)のライセンスを付与すると発表。
DIA-207-1999-10-22-1シンガポール1999年10月22日1990年代ウォン内務相,新聞報道が,犯罪や警察活動に対する一般の信頼を傷つけたと批判。ゴー首相も29日に同調発言。
DIA-207-1999-10-26-1シンガポール1999年10月26日1990年代英連邦5カ国防衛取決(FPDA)の幹部がシンガポールで記者会見。将来の軍事演習は陸軍も対象となる,と発言。
DIA-207-1999-10-28-1シンガポール1999年10月28日1990年代教育省,英語の劣化阻止を計画。
DIA-207-1999-10-31-1シンガポール1999年10月31日1990年代リー副首相,対米関係に時として困難もある,と言明。
DIA-207-1999-11-06-1シンガポール1999年11月06日1990年代軽軌鉄道(LRT),事業開始。
DIA-207-1999-11-09-1シンガポール1999年11月09日1990年代DBS,フィリピンのファー・イースト・バンク・アンド・トラストの株式7.4%を取得したと発表。
DIA-207-1999-11-11-1シンガポール1999年11月11日1990年代ゴー首相,国内政治について従来の上意下達方式の変更を表明。
DIA-207-1999-11-17-1シンガポール1999年11月17日1990年代アメリカのハードディスク・メーカー,ウェスタン・デジタル社がシンガポールでの生産から撤退を発表。
DIA-207-1999-11-23-1シンガポール1999年11月23日1990年代リー副首相,2000年4月にCPFの使用者納付分を2パーセントポイント引き上げ12%とすることを発表。
DIA-207-1999-11-25-1シンガポール1999年11月25日1990年代ゴー首相,引退時期を「次回総選挙後のいつか」と表現,また後継者にはリー副首相が「既定のこと」と答えた。
DIA-207-1999-11-30-1シンガポール1999年11月30日1990年代朱鎔基中国首相が来訪。
DIA-207-1999-12-01-1シンガポール1999年12月01日1990年代SESとSIMEXが合併し,シンガポール取引所(SGX)が誕生。政府,証券業界自由化に向けた政策を発表。
DIA-207-1999-12-04-1シンガポール1999年12月04日1990年代ゴー首相,マレー社会の「知識ベース経済」への取り組みに支援を表明。
DIA-207-1999-12-06-1シンガポール1999年12月06日1990年代シンガポール生産性・規格庁(SPSB),新10カ年生産性計画発表。
DIA-207-1999-12-08-1シンガポール1999年12月08日1990年代ゴー首相,日本と自由貿易協定の研究開始で合意。
DIA-207-1999-12-14-1シンガポール1999年12月14日1990年代マンパワー省,未熟練労働者は能力不足で就職難と発表。
DIA-207-1999-12-20-1シンガポール1999年12月20日1990年代SIA,英航空会社バージン・アトランティックの株式49%を16億ドルで取得。
DIA-207-1999-12-23-1シンガポール1999年12月23日1990年代DBS,フィリピン・アイランド銀行株式の約20%を12億ドルで取得。