ID 国名 日付 年代 内容
DIA-204-1969-01-01-1タイ1969年01月01日1960年代タイ人民解放軍が成立宣言-北京6日発新華社電が1日の「タイ人民の声」放送の報道として伝えるところによると,タイ人民解放軍最高司令部は69年元日に宣言および各級指揮員,戦士に対する命令を発表した。宣言の内容次の通り。 65年11月19日,圧迫と侵略に反対する人民武装勢力の最初の戦闘部隊が成立してから現在まで,すでに3年余りたった。人民武装部隊は各地域で戦い,遊撃地区は全国各地に広がっているので,戦闘の規模は日増しに拡大し,一層激化している。このような状況のもとで,タイ人民解放軍最高司令部は指揮を統一的,効果的に行なうため,その成立を宣言する。 タイ人民解放軍は戦闘,大衆工作,生産を三大任務としている。われわれの重要な政治任務は大衆に宣伝し,大衆を組織し,武装し,大衆が革命政権を樹立するのを援助することである。この軍隊は毛沢東思想の導きに基づき事を処理し,この軍隊をつくったタイ共産党の絶対的指導下におかれている。 タイ人民解放軍は米帝国主義のタイ侵略に反対し,タイにおける米帝の召使いタノム売国集団のファッショ支配に反対する各方面の人士と協力する用意がある。米・タノム集団は人民戦争の銃声の中で必ずほろび去るだろう。(中国通信)
DIA-204-1969-01-03-1タイ1969年01月03日1960年代有権者は1458万人-地方行政局の発表によると,下院議員選挙の有権者総数は1458万4117人である。県別にはプラナコン県(定員15人)63万2698人,トンブリー(6人)30万2206人,チエンラーイ(7人)45万4083人,ナコンラーチャシーマー(9人)60万7266人,チエンマイ(6人)47万1498人,ウボン(9人)67万3674人,コーンケーン(7人)41万0465人,ソンクラー(4人)28万5958人,ラノーン(1人)1万8217人などとなっている。
DIA-204-1969-01-06-1タイ1969年01月06日1960年代新労働法を閣議で承認-ティエン労働局長によると,政府は労働者が組合を結成し,資本家との紛争について協議,要求提出,スト権を認めた労働関係法を原則的に承認した。これは1965年の労働争議調整法の全部改正である。主な内容は以下の通り。 ①組合結成援助のため,労働局は最高3年間同労組と接触する監督官を派遣,組合規約作成や労使協議の方法について助言する。②スト権を確立する前に,30日間の「冷却期間」をおく。③公共企業のストは認めない。④紛争が30日間の「冷却期間」中に解決しなかった場合は,首相の任命した特別委員会に報告する。同委員会は資料を集め,討議し仲裁を行なう。⑤首相はストライキが経済に重大な影響を及ぼすと判断した場合にはそのストを禁止できる。
DIA-204-1969-01-12-1タイ1969年01月12日1960年代小作実態調査-統計局の小作実態調査が終了した。その発表によると,中央平原の農家約49万戸のうち小作農家は40.7%で,このうち純小作24.6%,自作兼小作16.1%となっている。パトゥムターニー県では小作農家は全農家の82%に達し,バンコク県がこれに次ぐ。中部26県のうち小作農家が4%以上となっているのは7県である。北タイでは72万戸の農家中18%が小作農で,ピチット37%,チェンマイ34%であり,16県中3県が25%以上に達している。東北タイでは118万戸中小作農の占める割合は3%と全国で最も低い。4%をこえているのはナコンラーチャシーマーで7%,スリンで4%と2県だけである。南部では36万戸中小作農16%で,20%以上は4県である。プーケット30%,パッタニー28%の順である。全国的には約280万戸中小作農家は46万6480戸,16.7%で,11%が自作兼小作である。この調査は68年3~5月に実施された。
DIA-204-1969-01-20-1タイ1969年01月20日1960年代タイ国民連合演説会,聴衆が騒いて中止-タイ国民連合のプラナコン県立候補者15人はPramianeグランドで演説会を開いた。集まった約1万人の大学生,高校生を中心とする聴衆が壇上の侯補者をやじり倒し,同党のビラをまるめて演壇に投げつけ妨害した。演説会の間中,聴衆は“民主党”と大声で叫び続けた。与党側が演説会を中止したところ今度は石や靴が投げられた。一部の学生は社会福祉事業家のPierra Vejjabul 侯補に無所属で立候補するよう要求し,彼女を尊敬してはいるがタイ国民連合から立候補した以上,彼女に投票することはできないと述べた。一方民主党のレッカ・アパイウォン副委員長は,民主党がそのような事件を起こすことは考えられないし,それだけの動員力もないと語った。
DIA-204-1969-01-22-1タイ1969年01月22日1960年代ベトナム戦後に政治的防衛同盟-タナット外相は朝日新聞特派員に対し,タイの防衛に米軍を使っていない。ベトナム戦後も米軍がタイにとどまるかどうかは戦争が終ってから話しあう。ベトナム戦後には,アジアの自由主義諸国間に軍事同盟ではなく,政治的防衛同盟をつくるのが望ましい。ベトナムから米軍の一部引上げが論議されているが,タイはいまのところ軍隊を引き揚げる考えはないと語った。(朝日新聞1月23日)
DIA-204-1969-01-23-1タイ1969年01月23日1960年代憲法発布後も革命団布告は有効-軍法会議は憲法発布後デモを行ない革命団布告第13号違反によって起訴されていたチャーン他6名に対し,1名を除き無罪の判決を言い渡した。しかし憲法発布後も革命団布告は有効であると述べている。
DIA-204-1969-01-29-1タイ1969年01月29日1960年代下院選挙立候補者は1254人-チャウタイ紙によると,内務省は1254人の下院選挙立候補者を発表した。立候補届は1644人であるが,立候補資格等で1254人となった。女性は34人で,タイ国民連合から5人,民主党から1人,その他は無所属である。候補者の多いのはウボン県65人(定員8人,有権者約67万人),次いでプラナコン県62人(定員15人,有権者約65万人)である。
DIA-204-1969-02-01-1タイ1969年02月01日1960年代タイヤ・チューブの関税率引上げ-タイ政府は,国内タイヤ工業保護のため1日から各種タイヤ・チューブの輸入税率を大幅に引き上げた。普通車輌用の新税率は従価30%,または1本当り1kgまで4バーツ,1kg以上10kg未満までkgごと16バーツ,10kg以上kgごと5バーツの方式で計算した,従量税のいずれか高い税額となる。
DIA-204-1969-02-05-1タイ1969年02月05日1960年代黒ひょう師団1500人,南ベトナムに向け出発
DIA-204-1969-02-05-2タイ1969年02月05日1960年代有権者は1468万人-地方行政局高官筋によると,選挙関係費用は1億0200万バーツ,有権者1468万1279人,投票所1万6684ヵ所。内務省に設けられた選挙実施センターが開票終了まで選挙事務を監督する。
DIA-204-1969-02-08-1タイ1969年02月08日1960年代外国援助額-経済技術協力局の発表によると,1968年の外国からの援助額は,米国5030万ドルで,47プロジェクトの内訳は設備2970万ドル,専門家1080万ドル,サービス740万ドル,教育230万ドルである。国連からの援助は330万ドル,14プロジェクト,コロンボ・プランは470万ドルで,国別にはオーストラリア,日本,ニュージーランド,カナダが大きい。その他の国および機関からの援助は370万ドルである。
DIA-204-1969-02-10-1タイ1969年02月10日1960年代政党別立候補者および当選者数-2月10日に行なわれた,下院議員選挙の政党別立候補者および当選者数は以下のとおり。
DIA-204-1969-02-10-2タイ1969年02月10日1960年代自動車タイヤ・チューブ輸入許可制廃止-政府は2月1日より自動車タイヤ・チューブの輸入関税を引き上げたが,これにより国内産業の保護は十分行なえるとして,これらの輸入許可制を廃止した。
DIA-204-1969-02-15-1タイ1969年02月15日1960年代コロンボ計画のタイ援助-コロンボ・プラン諮問委員会の第16回年次報告書によると,1968年のコロンボ・プラン加盟国のタイに対する援助額は,1位は米国5330万ドルで,内訳は技術援助と支持援助4670万ドル,輸出入銀行借款420万ドル,平和部隊170万ドル,UNICEFを通じて70万ドルとなっている。2位はオーストラリア285万2000ドル,3位はカナダ128万0785ドルとなっている。
DIA-204-1969-02-22-1タイ1969年02月22日1960年代USOM,警察局へのガソリン援助打切り-警察局は123万ドル相当のガソリンその他のUSOM援助が打ち切られたことに驚き,USOMに対して決定を翻すよう説得する。USOMは今年9月まで援助協定に従って援助を続けると約束しているが,援助打切りは,国内の反乱活動鎮圧計画に大きな影響を与えるとみられる。USOMの贈与は1968年は4670万ドルであり,このうち警察へは,ヘリコプター,船,通信設備等1200万ドル以上にのぼっている。警察局高官はUSOM側と援助継続について話合いを進めている。
DIA-204-1969-02-24-1タイ1969年02月24日1960年代東北タイの共産ゲリラ投降者数-第2軍団高官筋によると,1967年10月17日から現在まで東北タイの共産ゲリラ投降者は665人,逮捕640人,殺害121人である。
DIA-204-1969-02-25-1タイ1969年02月25日1960年代上院議員44人任命-上院議員44人が追加任命された。内訳は軍人26人,民間人18人である。
DIA-204-1969-03-01-1タイ1969年03月01日1960年代沖縄のB52はウタパオに移駐-ウタパオ空軍基地当局者は,沖縄が日本に返還された場合,沖縄のB52はウタパオに移駐する。ウタパオにはB52を36機収容できる施設があるが,緊急時には数十機収容できると語った。
DIA-204-1969-03-01-2タイ1969年03月01日1960年代サラブリー国営麻袋工場閉鎖-サラブリー国営麻袋工場(資本金3千万バーツ,年産250万袋)は麻袋の生産過剰とコスト高(1袋当り1.63バーツの損失)を理由として工場閉鎖を決定した。
DIA-204-1969-03-06-1タイ1969年03月06日1960年代下院議長選挙-6日に行なわれた下院の正副議長選挙の結果は以下の通り。 議長 シリ・シリヨーティン(タイ国民連合) 128票 ブッサリン・パックディークン(民主党) 65票 第1副議長 スパン・プーンパット(無所属) 133票 サノ・ラックタム(民主党) 78票 第2副議長 ノーム・ウッパマイ(タイ国民連合) 116票 クン・パンターラック・ラーチャデート(民主党) 85票
DIA-204-1969-03-11-1タイ1969年03月11日1960年代タノム新内閣成立(318頁参照)
DIA-204-1969-03-14-1タイ1969年03月14日1960年代対日輸入制限を通告-タイ政府は非公式に日本大使館に対し,日本がタイ向け出超是正をしない限り,対日輸入制限に踏み切る,また日本資本の新規投資も制限すると伝えた。理由は①日本がタイ一次産品を輸入制限している。②タイの日本企業は100%出資が多く合弁が少ない。タイ経済は日本資本に占拠されつつある。③タイの日本企業はタイ産原料をあまり使用せず,タイ人を重要ポストにつけない点があげられている。
DIA-204-1969-03-18-1タイ1969年03月18日1960年代自由党,政党登録-自由党が内務省に政党の登録を行なった。下院議員は15人,委員長はコーソン・クライルック氏,書記長はブンタム・チュムドゥアン氏。貧者のために働く,民主主義を支持する,政治的,経済的,宗教的自由推進,教育に重点をおくなどを政策として掲げている。
DIA-204-1969-03-21-1タイ1969年03月21日1960年代中タイ和平会談提案-タナット外相は,中タイ和平会談を提案し,これに対する中国側の返事を待っている。外交政策は独立自主であるが,一時には外国軍隊のタイ駐留の必要性から曇ることはある。我々は反中国ではない。会談を希望しているのは,陳毅外相発言の真偽,その動機,協力の可能性を知りたいからだと述べた。
DIA-204-1969-03-21-2タイ1969年03月21日1960年代三電力公社合併-ヤンヒー電力会社,東北電力公社,火力発電公社の3公社は5月1目より合併してタイ電力公社(Electric Generating Authority of Thailand)に改組する。国家開発省の所管で,電力販売は内務省が担当する。現在消費電力の60%が工業,20%が家庭用となっている。
DIA-204-1969-03-24-1タイ1969年03月24日1960年代上院議員補充任命-政府は閣僚任命にともなって空席となった上院議員に,ワン前副首相,ピヤ前法相ら6人を補充任命した。(310頁参照)
DIA-204-1969-03-25-1タイ1969年03月25日1960年代外債-スーム蔵相は下院答弁で,タイの外債残高は2億9400万ドル,外貨準備高は約10億ドル,また昨年の貿易収支赤字100億バーツ,総合収支黒字4億バーツ,GNPは1000億バーツであると答えた。
DIA-204-1969-03-27-1タイ1969年03月27日1960年代ベトナム派兵の理由-プラパート副首相は上院でベトナム派兵の問題に答えて,国外戦斗部隊を送らなければならないのは,ベトナムの問題がタイ国の安全に重要さを持つからである。すなわち,共産主義が侵入し,ベトナムを押えれば,共産主義は東南アジアの他の国へ兵力を移動し,タイ国の安全が脅かされる。タイは富裕であり,東南アジアにおける軍隊の重要な食料倉庫である。その他,中国は公然と南ベトナムの戦いが終れば,タイ国を押えることができると言っていると述べた。
DIA-204-1969-03-27-2タイ1969年03月27日1960年代日本の対タイ技術援助-日本の1968年末までのタイヘの技術援助額は5億ドルにのぼり,諸外国中第1位である。また技術者派遣は1954年から68年までの間に540人となっている。
DIA-204-1969-03-28-1タイ1969年03月28日1960年代中国とは接触の用意-タナット外相は下院の答弁で,会談の用意があるというのは言葉が正しくない。接触する用意がある。これはまだ会談には到らない。タイ国にはいつでも用意があるが,向うに用意がないのに会うことは不可能である。これは向う側が,タイ国と同様の平和を願っていないことを示していると語った。
DIA-204-1969-03-29-1タイ1969年03月29日1960年代1968年の貿易収支-バンコク銀行の報告によると1968年の貿易収支は輸出130億5000万バーツ(前年比8%減),輸入237億バーツ(6.8%増)で,赤字は106億5000万バーツ(26億2900万バーツ増)となった。品目別輸出額は,米105万トン,39.75億バーツ,ゴム24.5万トン,17億バーツ,錫2万5100トン,15.85億バーツ,.メイズ145万7845トン,16.8億バーツ,ケナフ29万6600トン,5.5億バーツ,タピオカ92万トン,7.7億バーツ,冷凍エビ9500トン,3億バーツ,チーク3万1000m3,1.8億バーツ,緑豆4万4000トン,1.15億バーツ,タバコ7500トン,1.1億バーツとなっている。
DIA-204-1969-04-03-1タイ1969年04月03日1960年代第4回東南アジア経済開発閣僚会議開催
DIA-204-1969-04-06-1タイ1969年04月06日1960年代日本品輸入制限を示唆-ブンチャナ経済相は愛知外相に対し,日本が対タイ大幅出超是正措置をとらなければ,日本製自動車,テレビなどの輸入制限を行なうと述べた。
DIA-204-1969-04-10-1タイ1969年04月10日1960年代中古車輸入禁止-経済省は貿易不均衡是正の第1歩として,4トン積み以上のトラックを除く中古車の輸入を禁止した。中古車は大部分日本から輸入されている。この措置で1~2億バーツの外貨節約となる。
DIA-204-1969-04-14-1タイ1969年04月14日1960年代チュチャート・カムプー国家開発副大臣死亡
DIA-204-1969-04-17-1タイ1969年04月17日1960年代下院議員の年令,学歴,職歴(内務省発表)
DIA-204-1969-04-22-1タイ1969年04月22日1960年代タイ・カナダ貿易協定調印-タナット外相とJean Luc Pepin 通産相との間で協定調印。タイシルクおよび黒金象眼細工品は現行より低い関税が適用される。この協定は即日発効し,双方からの通知により3ヵ月毎に更新される。
DIA-204-1969-04-23-1タイ1969年04月23日1960年代関税定率一部改正-大蔵省は国内工業と輸出振興を目的として,紙幣用紙および溶接棒,くわ,チェーン製造用金属原材料の輸入税率を引き上げ,また一部のペレットゴムの輸出税率を引き下げた。
DIA-204-1969-04-24-1タイ1969年04月24日1960年代タノム首相,政策を変更-タノム首相は先に発表した15項目の政策を変更し,14項目の政策を発表した。(いずれも318頁参照)
DIA-204-1969-04-25-1タイ1969年04月25日1960年代ウボン基地周辺で武器の隠し場所を発見-ウボン基地から1kmの地点で大規模な武器の隠し場所を発見した。中国製自動小銃,プラスチック爆弾,手榴弾,爆薬などで基地攻撃のためとみられる。
DIA-204-1969-04-25-2タイ1969年04月25日1960年代EC121偵察機墜落-コーラート基地から発進しようとした米空軍のEC121偵察機が墜落,乗員18人全員が死亡した。
DIA-204-1969-04-25-3タイ1969年04月25日1960年代奢侈品も輸入制限か-ブンチャナ経済相は,現在20品目を調査中で,奢侈品と判定すれば輸入規制か禁止する。輸入に占める日本の割合を2年間で36%から20%に下げたい,今後インドとの貿易を拡大していきたいと述べた。
DIA-204-1969-04-29-1タイ1969年04月29日1960年代ラオス軍のタイ領内通過を許可-タノム首相はラオス情勢に関連して,ラオス政府軍が物資輸送のためタイ領内を通過することに反対はしない。パテト・ラオの攻勢に対して国境を守るため,軍,警察だけでは不十分なので民衆とも協力するよう指示したと語った。
DIA-204-1969-04-29-2タイ1969年04月29日1960年代中古車輸入禁止について-ブンチャナ経済相は,対日入超是正のため日本からの中古車輸入を禁止した。①4月10日以前に船積みされた中古車の輸入は認めるが,同日およびそれ以降のものは禁止する。②輸入禁止措置がとられた際,すでに信用状を開設しているがまだ船積みされていなかったものも輸入を禁止する措置をとったと語った。
DIA-204-1969-04-29-3タイ1969年04月29日1960年代ドゴール仏大統領辞任で金市場高騰-ドゴール仏大統領の辞任でバンコクの金価格は1ウエィト(15.944グラム)あたり5バーツ上昇し,484~486バーツとなった。ゴム,錫も高騰し,錫価格は1ピクル当り,27日の2695バーツから28日2745バーツ,29日2725バーツとなった。
DIA-204-1969-04-30-1タイ1969年04月30日1960年代ミサイル基地建設-タウィー空軍大将は,軍は政府に地対空ミサイル基地建設費を要求し,すでに建設に入った。基地の正確な位置は秘密である。ミサイル・ホークをもらえることになっているが,基地完成時にはもっと近代的ミサイルをもらえるかもしれない。レーダー,電子時代に応じた兵器も装備する,と語った。
DIA-204-1969-05-07-1タイ1969年05月07日1960年代1969年の経済見通し-国家経済開発庁の予測によると,1969年の収入は178億8100万バーツ(68年は164億7800万バーツ)で,内訳は税収161億1390万バーツ,物品サービス収入4億2880万バーツ,公企業利益5億5890万バーツ,雑収入7億8200万バーツ。また支出は239億6000万バーツ(昨年212億6200万バーツ)。第2次6カ年計画にもとづく開発支出は153億3600万バーツで,国家予算から99億8700万バーツ,公企業・地方行政機関18億3600万,外国借款10億3900万バーツを充てる。農業生産は68年より増加する。工業製品では麻袋7200万袋(昨年6300万袋),セメント250万トン(190万トン),紙6万トン(2万4000トン)生産の見込み。
DIA-204-1969-05-08-1タイ1969年05月08日1960年代中国が戦略道路建設-タナット外相は,中国軍がラオスとビルマの北部に侵入し,中国との国境地帯を事実上支配している。将来共産主義者が南へ向って膨張するために,ビルマとラオスの北部に戦略道路が建設されつつあると語った。
DIA-204-1969-05-11-1タイ1969年05月11日1960年代訪東欧貿易使節団出発-ウィチャーン通商情報局長を団長とする,26人の貿易使節団が出発。
DIA-204-1969-05-12-1タイ1969年05月12日1960年代タイ特別円5月末に引渡し完了-タイ特別円は1962年以降毎年10億円の引渡しが行なわれ,今年5月末の26億円の引渡しをもって完了する。これまでの70億円の使途は国鉄25億9250万円,国防省紡績工場16億7770万円,運輸(船)10億9400万円,水力発電所3億3640万円,漁業調査船2億5740万円,残額10億1800万円となっている。
DIA-204-1969-05-16-1タイ1969年05月16日1960年代"下院補欠選挙-ナコンラーチシーマー県の下院補欠選挙は投票率22%で,結果は以下の通り。 当選 チャルーム・インタカノック 中将 タイ国民連合 3万9543票 次点 ナーイ・カムロップ・プートーン 無所属(タイ国民連合党員) 3万5350票  ルアン・ポンソーポン 民主党 2万1474票  ナーイ・プラパンサック・カモンペット 民主党 1万7278票"
DIA-204-1969-05-19-1タイ1969年05月19日1960年代米ドル交換レート変更-タイ中央銀行はタイ製品の輸出促進を目的として1ドル当りの交換レートを次のように変更した。 買(旧) 20.72バーツ→(新) 20.77バーツ 売(旧) 20.77バーツ→(新) 20.82バーツ
DIA-204-1969-05-20-1タイ1969年05月20日1960年代第14回東南アジア条約機構理事会
DIA-204-1969-05-22-1タイ1969年05月22日1960年代ベトナム参戦7ヵ国外相会議
DIA-204-1969-05-22-2タイ1969年05月22日1960年代訪西欧貿易使節団出発-アムヌアイ投資委員会事務局長を団長とする14人が出発。訪問先は西独,英,仏,スイス,オランダ,イスラエルの6ヵ国。
DIA-204-1969-05-23-1タイ1969年05月23日1960年代1968年の米タイ貿易-米商務省の発表によるとタイの対米輸出は8100万ドル,対米輸入は1億8600万ドルで,これまでの最高額を記録した。1967年に比し,輸出ではゴムが300%,カポック50%増,輸入では機械200%・屑鉄248%,綿布30%増となっている。
DIA-204-1969-05-29-1タイ1969年05月29日1960年代財政・技術援助額-経済技術協力局の発表によると,1951年から68年までの財政,技術援助額は以下のようになっている。
DIA-204-1969-06-02-1タイ1969年06月02日1960年代ラオス軍の東北タイ道路使用許可-タノム首相は,通信連絡のためラオス側がタイ東北部の道路を使用することを許可すると語った。なおラオス軍がこれを利用して軍隊移動を行なうかどうかについては触れなかった。
DIA-204-1969-06-03-1タイ1969年06月03日1960年代タイヤの一部に輸入許可制-経済省は6~8kg,30~39kgのタイヤ2種類を輸入許可制とした。なお告示前に船積みされたものに関しては,輸入許可証を必要としない。
DIA-204-1969-06-04-1タイ1969年06月04日1960年代新工場法施行-新工場法は従業員7人以上,2馬力以上の機械を使用する工場に適用される。これにより工場の設立,拡張は許可を必要とし,許可を受けなかった場合の罰則は以前より重い。操業開始に関してはあらためて許可を必要とする。またこれまで操業していたものは今後3年間は更新せずに操業することができる。
DIA-204-1969-06-10-1タイ1969年06月10日1960年代中国と平和的対決を-タナット外相はASPAC会議の演説で,中国に対する平和的対決に各国も参加するよう呼びかけ,中国との話合いは,問題解決を望むからであるが,北京からの返答があるまでASPAC諸国の積極的参加は期待していないと語った。
DIA-204-1969-06-11-1タイ1969年06月11日1960年代経済調整センタ-の設置決定-ASPACは、バンコクに本部をおく経済調整センターの設置を決定した。
DIA-204-1969-06-18-1タイ1969年06月18日1960年代ベトナム戦後の米軍タイ駐留にはタイ政府の許可が必要-タナット外相は,米国がベトナム撤退後もタイ駐留を希望するなら,タイ政府の許可を得なければならない。タイ政府はその時に要請を考慮する。タイは第2のベトナムにならない。パリ和平会談で東南アジアの運命にかかわる問題のときは,関係国すべてが参加して決定すべきであると語った。
DIA-204-1969-06-19-1タイ1969年06月19日1960年代オーストラリアの対タイ援助-援助総額は1968年末迄に1433万9383Aドルで,内訳は技術援助466万5631Aドル,経済開発援助967万3752Aドルとなっている。
DIA-204-1969-06-21-1タイ1969年06月21日1960年代米ドル交換レート改定-プアイ・タイ国立銀行総裁は,海外金利の上昇に伴う措置として23日から米ドル交換レートを改定すると発表した。新レートは1ドルにつき買20.77バーツから20.875バーツヘ,売20.82バーツから20.90バーツに改定される。
DIA-204-1969-06-21-2タイ1969年06月21日1960年代錫輸出割当-国際錫理事会は7月1日から9月30日までの国別輸出割当を決定した。総量は3万9500ロング・トン・タイへの割当は5834ロング・トンである。
DIA-204-1969-06-23-1タイ1969年06月23日1960年代交換レート改定-タイ国立銀行は米ドル交換レート改定を発表。同時に商業銀行に対する国債担保貸付の金利を,8%から11%に大幅引き上げると発表した。これについてブンチュー・バンコク銀行副頭取は,今回のバーツ貨切下げは輸出振興,輸入抑制が目的だが,平衡基金のやり方は正しいとは思わない。昨年7月以来3回連続である。通貨の安定により貿易を伸ばさなければならぬ。タイ国の輸出市場はすべて買手市場である。輸入は経済開発に不可欠な資本財で,バーツの切下げは輸入商品の値上げに等しい。また輸入品はクレジットによる輸入であるから,この措置は輸入業者の負債を増やすことに他ならないと批判した。
DIA-204-1969-06-24-1タイ1969年06月24日1960年代USOM援助の減少を了承-警察局は1969年度の警察向けUSOM援助減少を承認した。援助額は1億4千万バーツ(1968年度は2億4千万バーツ)。援助減少理由は,訓練計画および技術指導の必要がなくなった。ヘリコプター,ジープなどの機器供給も必要なレベルに達したとの理由によるもの。
DIA-204-1969-06-26-1タイ1969年06月26日1960年代砕米の輸出プレミアム引下げ-経済省は輸出振興のため砕米AI Extra Super の輸出プレミアムを,トン当り800バーツから500バーツに引下げ,またバンコク港積出しの時間制限を廃止した。この引下げは2000トン以上輸出する場合にのみ適用し,輸出許可証を受けた後30日以内に輸出することとしている。
DIA-204-1969-06-27-1タイ1969年06月27日1960年代外国人専門家2割削減要求-ポット開発相は米国の援助削減にともなう措置として,政府各省の外国人専門家を2割削減するよう要求した。現在タイには専門家は736人おり,内訳は米国402,コロンボ・プラン130,国連86,ヨーロッパ各国118となっており,総額5億0250万バーツ支払っている。また平和部隊は371人で540万バーツ支払っている。
DIA-204-1969-06-28-1タイ1969年06月28日1960年代ソビエト文化代表団3人訪タイ-団長はエフゲニー・V・イワノフ(ソ連対外文化交流協会)。
DIA-204-1969-07-01-1タイ1969年07月01日1960年代対日輸入制限に反対-ポット開発相は,日本からの輸入は資本財が多く,対日輸入制限は開発途上のタイ経済に悪影響を及ぼす。貿易アンバランスはタイ経済問題の一側面にすぎない。輸出商品の多様化と生産増大,新市場を獲得せねばならぬ。輸入禁止よりは,関税その他税制による抑制が望ましいと語った。
DIA-204-1969-07-04-1タイ1969年07月04日1960年代タイ日貿易年次協定を提案-ブンチャナ経済相は,タイ日貿易年次協定を提案する。この内容は,①日本にタイからの輸入増を求め,輸出はそのままとする,②輸出入量を双方とも増加する,③日本がタイ向け輸出を抑制するの3点のうち,どれかを原則として採用し,毎年の目標額を設定し,3ヵ月毎に検討して調整する。もし日本がこのプランを拒否すれば,輸入関税または輸入ライセンスで厳しい方法をとると語った。
DIA-204-1969-07-08-1タイ1969年07月08日1960年代共産主義浸透地区発表-内務省は共産活動防止法にもとづき,共産主義浸透地区35県を官報告示した。(その後1県追加,資料22地図参照)
DIA-204-1969-07-09-1タイ1969年07月09日1960年代米・タイ秘密軍事協定の存在暴露-米上院のフルブライト外交委員長らは,米・タイ間に秘密軍事協定が存在すると発表した。
DIA-204-1969-07-10-1タイ1969年07月10日1960年代秘密協定問題-タノム首相は,ラスク国務長官との間でどのような秘密協定も結んでいないとその存在を否定した。 一方,米国務省は,米タイ秘密軍事協定は存在するが,SEATO条約の範囲を越えるものではない。この協定は1965年にスチルウェル駐タイ米軍事援助司令官とタノム首相との間で調印された。緊急事態のさいの両国の軍事行動を取り決めたもので,両国政府の合意がなければ発動しないと発表した。ニューヨークの新聞News Day 紙は,「この協定はタイ防衛のために必要となれば,米軍は戦闘支援部隊を送ることを決めてあり,その数は必要なだけとなっている。ニクソン大統領の7月末のタイ訪問で,この協定の更新または改定が討議される。この協定の下に米国は毎年タイ軍のため1億7500万~2億5000万ドルを援助し,その支出は米国予算の他の項目の中に隠されている」と報道している。
DIA-204-1969-07-11-1タイ1969年07月11日1960年代日タイ貿易合同委員会-10,11の両日開かれた日タイ貿易合同委員会で,タイ側は貿易アンバランス是正にタピオカ,バナナ,モチ米,葉タバコ,ゴム,綿花など19品目の輸入割当増加,輸入計画表の作成を要求したが,日本側は,輸入計画表作成は自由貿易の建前に反する。タピオカなど一次産品の輸入増は,日本産澱粉と競合すると反論して結論が出なかった。
DIA-204-1969-07-15-1タイ1969年07月15日1960年代輸入金融利率引上げ-ソムブーン・タイ銀行協会事務局長は,商業銀行の輸入金融利率を10%から11%に引き上げると発表した。なお6月にも9%から10%に引き上げている。これは海外金利の上昇に伴う措置である。
DIA-204-1969-07-16-1タイ1969年07月16日1960年代国際収支赤字を予想-ブンチャナ経済相は国際収支の赤字推定として,1969年7000万バーツ,1970年3億バーツ,1971年7億6000万バーツの数字をあげ,政府としては輸入抑制より輸出振興に重点をおくと語った。
DIA-204-1969-07-22-1タイ1969年07月22日1960年代"1970年度予算草案-閣議は総額272億9900万バーツにのぼる,1970年度予算草案を承認した。支出内訳は以下の通り。(単位バーツ) 国家開発省 6,052,761,200 法務省 89,440,500 内務省 5,513,603,700 工業省 53,349,500 国防省 4,532,650,000 経済省 50,603,400 文部省 1,560,519,000 公企業 695,648,300 大蔵省 1,103,460,700 王立学術院 832,000 厚生省 785,016,200 議会事務局 53,750,900 農業省 649,900,100 王室事務局 1,571,800 運輸省 286,826,300 宮内庁 38,068,600 外務省 144,100,900"
DIA-204-1969-07-23-1タイ1969年07月23日1960年代中国との貿易再開要求-テープ経済人連合戦線委員長は,中国との貿易,カンボジアとの外交関係再開を,世界平和およびタイ自身の経済的地位から考慮すべきである。南部,東北部では大量の中共製品が無課税で流入している。貿易を開けば市場拡大と同時に関税収入も入る。米国は中共の国連加盟を考慮すべきである。世界平和は中共を孤立させておくだけでは達成できないと語った。
DIA-204-1969-07-25-1タイ1969年07月25日1960年代米国の経済技術援助-1969年7月から1970年6月までの,米国のタイに対する経済技術援助額は7億5000万バーツに決まった。
DIA-204-1969-07-27-1タイ1969年07月27日1960年代"緊争農村開発計画(ARD)1970年度予算 総額 877万6700ドル USOM給与 105万0000 特定会社の予約金 79万5000 奨学金 6万8150 各県への資材,機器 587万1750 ターク県,ラムパーン県での事業予備費 73万1300 農業機械 19万9500 医療機動隊用器具 6万1000"
DIA-204-1969-07-28-1タイ1969年07月28日1960年代ニクソン米大統領訪タイ-タイを訪問したニクソン大統領は歓迎式典で特別声明を発表した。 米国はアジアと太平洋での誓約を守る決意である。われわれがこれを守るのは,単にわれわれがそれを厳粛な責務とみなしているだけではない。同じく重要なことはわれわれと東南ア諸国がこの地域の将来の平和と繁栄に決定的な重要性を共に認めているということをわれわれが十分認識しているからである。 南ベトナムの独立を保持する闘争に対して行なったタイの貢献は重要な意義のあるもので,これと共に米国はタイ防衛という米国の誓約を守ると約束した。誓約を守るという米国の決意は,アジア諸国がこの地域の平和と進歩の達成のための責任を次第にになうことができるし,またになわねばならないとの確信と十分合致するものである。 タイと米国はSEATO(東南アジア条約機構)によって堅く結ばれているが,それは両国が共通の考えを共有しており,両国がアジアと世界のために望んでいるものがいまタイの享受している自由の権利,すべての国のための自由の権利であるからである。また,現在両国がこの自由のためにベトナムで共に戦っているように,両国が自由の権利のためには喜んで戦ってきたからでもある。 両国は精神的かつ観念的な深いきずなで結びついている。したがってわれわれが締結している条約は一片の紙きれのようなものではなく,はるかに重要である。 われわれはこの条約のもとで負う義務を名誉とする。われわれは,これまでも共にあったし,現在も共にある。そして米国はタイに対する外からの圧力に対して,タイと共に立向かうことを誇りとするものである。(毎日新聞7月29日)
DIA-204-1969-07-28-2タイ1969年07月28日1960年代ニクソン大統領を襲おうとした男逮捕-バンコク市競技場の近くで反米スローガンを叫び,ニクソン大統領に空びんを投げつけようとした4人の武装した男を逮捕した。1人はトンブリーの商人で,前に数回精神病の治療を受けていたという。
DIA-204-1969-07-28-3タイ1969年07月28日1960年代ウボン基地攻撃さる-米大使館スポークスマンによると,午前2時頃ウボン基地を何者かが攻撃し,5発の爆弾が仕掛けられて歩哨1人が負傷,C-47(DC3)輸送機2機が破壊された。タノム首相はこれに関して,共産テロリストのウボン基地襲撃は,ニクソン米大統領訪タイの関心をそらせるものではないだろう。今回の攻撃は昨年7月27日のウボン基地攻撃1周年を記念したものであろうと語った。
DIA-204-1969-07-29-1タイ1969年07月29日1960年代新駐米大使決定-信頼できる筋によると,新駐米大使はスントン・ホンラダーロム現駐英大使に決定した。
DIA-204-1969-07-29-2タイ1969年07月29日1960年代ニクソン・タノム会談-タナット外相は,ニクソン・タノム会談終了後次のように述べた。 ニクソン大統領は,米軍の南ベトナム撤退がタイの安全を脅かすことはないことを保証し,またタイが国内外の敵に対して自衛できるよう,必要な兵器を供給することを約束した。ベトナム戦後の駐タイ米軍の数についての特別協定はないが,ニクソン大統領は,タイが必要とするだけの空軍力を残すことを明らかにした。タイ国民は自力で独立と自由を維持する責任を自覚していることを強調しておいたが,同時に米国の武器援助も必要であることを強調した。
DIA-204-1969-07-31-1タイ1969年07月31日1960年代南ベトナムからタイ軍撤退か-タナット外相はテレビ放送で,タイは自国内でやることが沢山あるので,南ベトナムから軍隊を引き揚げたい。またタイは米軍の南ベトナム撤退に反対はしないと述べた。
DIA-204-1969-07-31-2タイ1969年07月31日1960年代米国のタイ援助額-国家開発省によると,1969年度の米国のタイ経済援助額は約7億バーツ(44プロジェクト)で,タイの見返り資金額は4億2531万3661バーツである。
DIA-204-1969-08-02-1タイ1969年08月02日1960年代民主党,武器製造を主張-ヤイ民主党書記長は,もしタイが自国を自力で防衛しようとするのなら,タイは自分で武器を作るべきだ。我々は米国に頼ることはできない。武器の自国製造がなければ,人間の力だけでタイを防衛することはできないだろう。米国がタイを援助しようとするなら,武器製造工場建設を援助すべきだ。米国がSEATOにもとづく義務を果すか否かは疑問である。加盟国特にフランスやパキスタンが米国と協力しなければ,SEATOは張子の虎同然であると語った。
DIA-204-1969-08-04-1タイ1969年08月04日1960年代タイ軍の南ベトナム撤退の条件-プラパート副首相は南ベトナム撤退は,①ベトナム戦争の解決または状況が改善されて駐留を必要としなくなったとき,②タイが直接の脅威にさらされて,彼らの存在が必要となったときに行なう。撤退は段階的に行なうと述べた。
DIA-204-1969-08-04-2タイ1969年08月04日1960年代タイ日メイズ貿易合意-7月21日からバンコクで開かれていたメイズ貿易会談が,4日合意に達した。協定期間は70年6月30日まで。輸出目標基準数量は60万トン。価格は米国のCorn No.2 yellow の価格を基準とし,積み月の30日前に決定する。シカゴ定期価格は,価格決定日を遡る30日間における終値のうち三つを平均する。1番目の価格は固定価格で,価格選定期間の中日の終値。2番目3番目の価格は日本側が選択し,相互にかつ固定価格日からも4日以上の間隔をもった日の終値から選択する。米国港湾スト,戦争など不測の事態で,1ヵ月以上米国Cornの日本向け船積みが不可能となり,同時にシカゴ定期価格が,国際価格を反映しなくなった場合には,代替価格について双方で協議することとなっている。
DIA-204-1969-08-05-1タイ1969年08月05日1960年代"10月までの米輸出プレミアム改訂-政府は経済省より提案のあった米輸出プレミアムの改訂を承認した。 whole white rice 1100バーツ/トン(以前1450)9月末日までの措置,単一の業者で1000トンを下まわらないこと Parboiled rice 850(1000) 〃 Broken rice 500(800) 9月末日までの措置,単一の業者で200トンを下まわらないこと"
DIA-204-1969-08-13-1タイ1969年08月13日1960年代秘密協定の存在否定-タナット外相は,タイ米秘密軍事協定があるという批難は米国内の政争に基づくものであり,フルブライトなど米国の上院議員はそれを選挙のために利用していると述べた。
DIA-204-1969-08-14-1タイ1969年08月14日1960年代米輸出プレミアムの延長-ブンチャナ経済省は,米輸出プレミアムは従来からの率を10月1日から延長して適用する。5日に発表した臨時措置は,9月末まで有効とすると語った。
DIA-204-1969-08-15-1タイ1969年08月15日1960年代予算法案下院第1読会通過-予算法案は賛成134,反対50,棄権18で第1読会を通過した。反対は民主党であるが,予算そのものに反対というよりはレーヌー予算局長に対する批判票の意味が強い,他の少数党は棄権にまわった。
DIA-204-1969-08-18-1タイ1969年08月18日1960年代駐タイ米軍はタイ政府の指揮下に-タイ政府スポークスマンによると,タノム首相は15日学生のグループに対し,外部からの侵略を撃退するためタイに派兵される米兵は,タイの指揮下におかれるだろう。米国が秘密協定を関係者に公表する場合,事前にタイの許可を求めなければならないだろうと述べた。
DIA-204-1969-08-21-1タイ1969年08月21日1960年代タイ緊急援助計画を認めず-レアード米国防長官は,タイ国での米軍使用を盛りこんだ1965年のタイ緊急援助計画を認めない。この計画は1965年につくられたものであり,私およびニクソン大統領の承認を得ていないと語った。
DIA-204-1969-08-22-1タイ1969年08月22日1960年代駐タイ米軍撤退交渉を近く開始-タナット外相は,タイは数日中にタイに駐留する4万8干人の米軍の撤退について,米国と交渉を開始するだろうと述べた。また米国務省スポークスマンは,タイ国政府は20日,タイ駐留米軍の削減について米政府との話合いを正式に申し入れてきた。米国政府もこの協議に入ることに同意したと発表した。
DIA-204-1969-08-25-1タイ1969年08月25日1960年代軍人が政治から手をひくことを要求-セーニー民主党委員長は,すべての軍人は政治から手を引き,駐タイ米軍完全撤退後にそなえて,タイの軍事開発に心を注ぐべきとあると語った。
DIA-204-1969-08-29-1タイ1969年08月29日1960年代駐タイ米軍削減の目的-タナット外相は,駐タイ米軍削減の目的は米国内の虚偽と誤解を破ることにある。このような誤解は,①タイが第2のベトナムとなる。②条約義務を通して米国はタイの問題でベトナム型戦争に巻きこまれる。③駐タイ米軍は現在タイ国内で侵略者と戦っているとの三つの誤った予測にもとづいている。これは間違いである。米タイ両国は共通の利害を持っているが,米軍がタイで共産主義者と戦うのに利用されているという噂によって傷つけられていると語った。
DIA-204-1969-09-01-1タイ1969年09月01日1960年代国家開発副大臣にブンロート・ビンサン次官を任命
DIA-204-1969-09-01-2タイ1969年09月01日1960年代食料品輸入規制か-ブンチャナ経済相は,日本が貿易不均衡是正プランを承認しなければ,強い措置をとらざるをえない。まず食料品(年4億バーツ)の輸入規制や輸入禁止を行なうことになるだろうと語った。
DIA-204-1969-09-04-1タイ1969年09月04日1960年代日本に関税引下げ要請-貿易委員会は日本政府に対し,タイの輸出品全品目に対する関税率引下げ,または関税免除の措置をとってほしいと要請した。
DIA-204-1969-09-10-1タイ1969年09月10日1960年代米軍削減は少数-タナット外相は日本人記者団との会見で,タイ駐留米軍の撤退はごく名目的なものに留まるだろう。タイ政府が撤退交渉を要請したのは米国議会や世論の一部に「米国はタイ防衛に引きずりこまれ,ベトナムの二の舞を演じる危険がある」という強い懸念があるのを打ち破りたいからだ。沖縄返還は日本国民自身が決める問題であるが,米国のアジアからの引揚げが早まれば,日本がもっと軍事責任をもてという圧力は強まるだろうと述べた。
DIA-204-1969-09-13-1タイ1969年09月13日1960年代殺人犯罪増加-警察局の発表によると,毎月犯罪件数は2万5000件以上で,昨年1年間の死者は6396入で,1959年の2000人と比較して3倍となっており,特に最近5年間の殺人犯罪の増加が著しい。銃はラオスからの密輸や米軍兵士が盗まれたもの。なお昨年1年間の交通事故死者は5415入。
DIA-204-1969-09-14-1タイ1969年09月14日1960年代国内自動車産業保護策-ウィチットウォン工業経済課長は,政府は外車輸入抑制,国内自動車産業保護(現在10社)のため,今後組立工場の新設禁止などの策を決めたと発表した。対策は,①完成車輸入代替として国内自動車組立て工場の振興,②その将来にわたる保障,③車種制限により部品製造業を市場拡大,④国産部品使用の原則,⑤組立て工場の新設を一時禁止,⑥現存組立て工場は現車種増産に限り拡張を許可するというものである。
DIA-204-1969-09-19-1タイ1969年09月19日1960年代経済省人事-経済省はアムポン次官の退任にともない,新次官にプラユーン・カーンチャナドゥン国内通商局長を,また国内通商局長にチャイ・ニティプラパー貿易局次長を任命した。
DIA-204-1969-09-20-1タイ1969年09月20日1960年代新駐英大使にKonthi Suphamongkhon 西独大使を近く任命(正式任命は70年1月23日)
DIA-204-1969-09-21-1タイ1969年09月21日1960年代南部で回教系ゲリラ活発化-ヤラー県消息筋によると,数百人の回教系盗賊団が国境の共産ゲリラと定期的に会合を開き,共同行動をとろうとしている。回教徒側の目的は南部4県の分離運動で,武器はバンコクの密輸組織から入手,ヤラー,パッタニー,ナラーティワートに集中し,中核は約200人。ヤラー県知事さえも彼らに脅迫されている。役人でマレー語を話せるのは20%以下で,住民との間にギャップがある。盗賊の活動のため都市の生計費は急上昇しているという。
DIA-204-1969-09-25-1タイ1969年09月25日1960年代ゴム税収の減少-ナラーティワート県当局によると,ゴム税収入は,昨年の2000万バーツから今年は700万バーツに大幅減少した。原因はゴム税率引下げと盗賊の横行である。盗賊の横行でゴム園は荒され,労働者が逃げだし,またマンガン鉱の生産も月6000トンから1000トンに落ちている。
DIA-204-1969-09-26-1タイ1969年09月26日1960年代国民党の政策-ウィム・ウィモンマーン下院議員は,同氏が結成した国民党の政策を以下のように明らかにした。 (1)タイ人は国王を指導者とするタイ国の所有者である。外国人は国の法律・伝統・慣習に従わねばならぬ。 (2)帰化した者は国内出生者と同等の市民権を持つ。 (3)すべての職業はまずタイ人に。外国人の企業経営はタイ人の優位を犯さず,かつ国の進歩と福祉を促進する職業の場合のみ。 (4)タイ人は外国人経営企業において同等に参画する権利を持つ。 (5)外国人の政治活動禁止。新聞社への投資および編集長となること,その他マスメディアで何らかの地位につくことも禁止。 (6)外国人で役人に贈賄した者には厳罰。 (7)土地はタイ人に属す,土地の割当は政府の権限に属す。 (8)政府の第1の義務は,農民の負債からの解放と開墾用土地割当,および雇用,労働時間,社会福祉,年令制限,組合設立など労働者に対する十分な保護。 (9) 優秀な学生に奨学金。 (10) 公共の利益のために個人の利益を犠牲にする者は国家の最高の賞賛を受ける。 (11) 宗教,言語,民族衣裳などによる差別をしない。 (12) 外交は平等の原則,タイ語優先使用。
DIA-204-1969-09-27-1タイ1969年09月27日1960年代南部の情勢悪化-タイ南部は強盗とテロで情勢が悪化し,すでに幾つかのゴム園は閉鎖され,また鉱石を積んだトラックが襲われ,このままでは鉱山の閉鎖という事態も起りうる。
DIA-204-1969-09-30-1タイ1969年09月30日1960年代米軍は6000人撤退-タイ米両国政府は,1970年7月1日までに駐タイ米軍6000人を撤退させると発表した。現在駐タイ米軍は4万9000人で,3万6000人が空軍,1万2000人が補助部隊,1000人が軍事顧問である。米大使館筋によると,6000人中空軍は3200人が撤退する。
DIA-204-1969-10-01-1タイ1969年10月01日1960年代南部各県の役人交代-プラパート副首相兼内相は,盗賊鎮圧の第1段階として,南部各県の役人の交代を行なう。役人の多くは現地出身者ではないので住民との意志疎通ができず,現地出身者と代える。テロの危険性があるので役人の輸送には装甲車を使う。分離運動が背後にあるが,タイ・マ両政府はマレーシアの極左分子が原因という意見で一致している。もしマレー人回教徒がマレーシアに帰ることを望むなら許可するが,分離するのは人間だけであって土地ではないと語った。
DIA-204-1969-10-01-2タイ1969年10月01日1960年代国民党,内務省に正式政党登録
DIA-204-1969-10-01-3タイ1969年10月01日1960年代貿易不均衡是正提案-ブンチャナ経済相は,11月の日タイ閣僚会議が不成功に終った場合,貿易不均衡是正策として,①日本品の全面輸入禁止,②輸入関税率引上げ,③外貨使用制限の三つの提案を行なう,今年の貿易収支赤字は130~140億バーツと予想されると語った。
DIA-204-1969-10-02-1タイ1969年10月02日1960年代米軍が東部,東北部に爆弾投下-下院でイン・スィッティタム議員が,ベトナムから引き揚げてくる米軍機が未使用の爆弾をタイ東部,東北部に投下し,タイ人を危険に陥れていると質問。これに対してタウィー空軍大将は,爆弾を投下してもかまわない地域10ヵ所について協定がある。この地域は,平時はタイ陸軍の射爆場であるから,爆弾で死亡した者は立入禁止区域への不法侵入者と言えるが,米軍は犠牲者がいれば補償している。この地域については公表できないと答えた。
DIA-204-1969-10-03-1タイ1969年10月03日1960年代奨励産業優遇措置一部解除-アムヌアイ投資委員会事務局長は,国内原材料使用奨励と貿易収支赤字改善のため,奨励産業の輸入原材料に対する関税の減免措置を解除し,以後輸入税を支払うこととする。その他の優遇措置は従来通りとすると発表した。
DIA-204-1969-10-04-1タイ1969年10月04日1960年代米軍の完全撤退はタイ経済に大きな打撃-プアイ・タイ中央銀行総裁は,米軍人はタイで年約2億ドル消費している(1968年は1億7000万ドル)。従って米軍が完全撤退すればタイ経済は大きな打撃を受けるだろうと語った。
DIA-204-1969-10-08-1タイ1969年10月08日1960年代盗賊・テロ団の分布-プラカーン地方警察コミッショナーの報告によると,盗賊やテロ団の活動地域は次のようなものである。 (1)中国人盗賊:ソンクラー県サダウ郡,ヤラー県ベトン郡,ナラティワート県ウェーン郡,バーチャウ郡。 (2)回教徒の分離運動:パッタニー県サイブリ郡,ナラティワート県バーチャウ郡,ヤラー県ラーマン郡。 (3)共産テロリスト:パッタルン,トラン,スラータニー,ナコンシータマラート,ソンクラー各県で,プロパガンダを中心としている。
DIA-204-1969-10-09-1タイ1969年10月09日1960年代世銀,タイの経済挫折を予想-ー英国のBBC放送は,世界銀行が1970年代のタイは経済的に頓挫することを予測していると報道した。その理由は,米国の軍事援助削減,ジュート・タピオカの市場減少,入口増による生活水準と食料問題があげられている。
DIA-204-1969-10-09-2タイ1969年10月09日1960年代来年頃タイヤ輸入関税引上げ-アムヌアイ投資委員会事務局長は,国産タイヤの生産が十分になったら輸入関税をあげる。来年には国内需要を満たすだけ生産できるだろうと語った。
DIA-204-1969-10-16-1タイ1969年10月16日1960年代早急に貿易赤字対策を,ポット開発相談-奢侈品を含む一部品目の輸入禁止が必要である。緊急かつ長期的手段がとられなければ,タイの外貨準備高は3年以内に現在の9億5000万ドルから6億ドルに減少するだろう。しかし輸入禁止措置は,日本に対してだけというような差別を行なってはならない。輸入禁止以外の方法としては,たとえば香港旅行者への課税がある。タイは10年間経済の好況にめぐまれてきたが,今や,米が買手市場になったこと,ゴムの不安定などで危機に立たされている。もし3年後の財政不安定を防止しようと思うなら,我々はすぐ行動しなければならない。自由貿易は一般的には健全で,我々も続けていきたいと思うが,我我は消費するだけ十分な収入を得ねばならぬ。タイがもっと生産,輸出できなければ,輸入を制限せねばなるまい。日本はもっと我々を援助してタイから買うべきだ。不用なものを買えというのではない。品目はタイと日本で協議,研究すればよい。
DIA-204-1969-10-17-1タイ1969年10月17日1960年代グリーンベレーも撤退-信頼できる筋によると,駐タイ米海兵隊特殊部隊の半数も来年7月1日までに撤退する。
DIA-204-1969-10-19-1タイ1969年10月19日1960年代南部の鎮圧作戦強化-プアン内務次官は,18日のタウィー空軍大将とマレーシアのラザク副首相との会談で,タイ・マ国境地域の鎮圧作戦を強化することになったと発表した。
DIA-204-1969-10-20-1タイ1969年10月20日1960年代輸入制限より農工業振興を,プアイ中央銀行総裁談-輸入制限は貿易収支改善の解決策とならない。農業,工業の生産能力を高めることを通じて改善をはかるべきだ。その理由は,①輸入制限により関連国内製品の価格急騰,②役人の収賄は不可避,③自由貿易政策をとる他の国との交渉上の地位を弱める。④過去5年間の輸入増をみると,奢侈品50%増,原材料100~150%増となっている。 改善策としては,①援助による農業改善,②民族資本の奨励,③どうしても必要な輸入制限は高率関税,④産業行政の近代化と再建,特に農業に関してなどがある。
DIA-204-1969-10-22-1タイ1969年10月22日1960年代スーム蔵相談-輸入制限が貿易赤字解消の解決策にならないというプアイ総裁の意見に同感である。しかし高率輸入関税は効果的でも実際的でもない。貿易赤字解消のためには,良い経済原則にもとづいた正統的方法を採用せねばならぬ。
DIA-204-1969-10-23-1タイ1969年10月23日1960年代外国借款の制限を-プアイ中央銀行総裁は,海外の金利は高いから外国借款を減らすことが必要である。今年半ばの外債残高は3億8000万ドルで,外貨準備9億2000万ドルと比較して良い方といえる。政府債は2億2500万ドルである。世銀とアジア開銀から2億3700万ドル,米国から7400万ドル,西独から5500万ドル借りている。過去10年間に外債残高は,5億6300万ドルから3億8000万ドルに減り,他方外貨準備高は3億から9億2000万ドルにまでふえたと語った。
DIA-204-1969-10-25-1タイ1969年10月25日1960年代南部で激戦-中国人テロリスト約100人がソンクラー県サダウ郡からマレーシアヘ向う道路を遮断して,警官隊と激しい戦闘を行なった。なおゲリラ側が道路に地雷を埋めたため,除去作業も含めてハジャイーペナン間の交通は約1週間全面ストップとなる。
DIA-204-1969-10-27-1タイ1969年10月27日1960年代米国がタイから借款-米下院対外援助小委員会で米国際開発局職員の証言によれば,米国は昨年1億3500万ドルを,米国が援助している国から6%の年利で借り入れたという。この国はタイ,台湾,韓国の3ヵ国で,タイからは1億ドル(年利6%,4年半で返済,韓国1500万ドル,台湾2000万ドル)借り入れている。パースマン議員は,これは援助を裏口からやって表口から利子付で借りているものであり,タイに支払う利子だけでも2700万ドルに達すると指摘した。なおノーター東アジア援助担当官は,3ヵ国からのローンはそれぞれの国の米ドル保有の一部からのもので,米国の国際収支改善のため米国財務省証券に変えられたと述べた。
DIA-204-1969-10-27-2タイ1969年10月27日1960年代ブンチャナ経済相談-ブンチャナ経済相は,日本人記者談と会見して次のように述べた。 タイの対日貿易赤字は2億5000万ドルにのぼっている。日本がもっと買ってくれればよいのだが,日本政府はカラ約束ばかりで実行しようとしない。このまま放置しておくことはもはやタイの世論が許さなくなった。タイの対日貿易依存度は,全輸入額の36%にのぼり大きすぎる。3~5年後にはこれを20~25%に減らしたい。資本財はしかたないが,電気製品などはインド,韓国,台湾からの輸入に切り換える。日本政府がもしタイ側の提案を受け入れなければ,我々は関税障壁,特定品目の輸入制限,日本からの輸入に対する外貨使用制限などの必要な対抗措置をとらねばならなくなるだろう。
DIA-204-1969-10-29-1タイ1969年10月29日1960年代ウ・ヌー前ビルマ首相の亡命承認-タナット外相は,タイをネ・ウィン政権転覆活動の基地として使わない条件つきで,ウ・ヌー前ビルマ首相の政治亡命を認めると発表した。
DIA-204-1969-10-31-1タイ1969年10月31日1960年代米軍300人撤退-アンガー駐タイ米大使は,9月にタイ政府と米軍撤退の合意をみて以来,2~300人の撤兵が行なわれた。近く追加撤兵について再度話合いが行なわれようと述べた。
DIA-204-1969-11-04-1タイ1969年11月04日1960年代日タイ貿易合同委員会-第3回日タイ貿易合同委員会の事務レベル会議が開かれ,タイ側のプラユーン経済次官は貿易不均衡を是正するために,とうもろこし,米,麻,鉄鉱石など主要輸出品目数十品目について,日本側の年間輸入目標額を設定することによって,年間2億ドル以上の日本側の出超を,年約5000万ドル改善していきたいと提案したが,日本側は品目別の輸入目標額設定に反対し,話合いは物別れに終った。
DIA-204-1969-11-06-1タイ1969年11月06日1960年代輸出振興に強力な対策を-スーム蔵相は,貿易バランス問題を是正する努力が先で,バーツ切下げは行なうべきではない。事態は悪いという程ではないが,手遅れになれば大変だ。輸出振興に強力な手が打たれることになろう。外国借款受入れ停止はしない。開発計画を続けるために借款は続けねばならないと語った。
DIA-204-1969-11-08-1タイ1969年11月08日1960年代米タイ秘密協定-フルブライト米上院外交委員長は,米タイ秘密協定の写しをレアード国防長官から受け取った。これはまさに協定であって,計画などではない。後から上院に送付する。上院外交委調査員の考えていた以上の内容をこの協定は持っていると述べた。
DIA-204-1969-11-08-2タイ1969年11月08日1960年代"今年上半期の日タイ貿易 輸入 46億3300万バーツ(前年同期比6億6300万バーツ増) 輸出 14億3500万バーツ(前年同期比7760万バーツ増) 赤字 31億9800万バーツ(前年同期比7億4000万バーツ,30%増) 輸出増加品 ゴム,ケナフ,鉄鉱石,綿,カポック,タバコ,錫,タピオカなど 輸出減少品 米,メイズ,冷凍えび,ヒマ種子"
DIA-204-1969-11-08-3タイ1969年11月08日1960年代日タイ貿易合同委員会-7,8日の両日開かれた日タイ貿易合同委員会閣僚会議が終った。共同コミュニケではタイ側が要望していた,インドネシアへの食糧援助にタイ米を利用するという問題にはふれず,今後閣僚レベルで協議することとなった。共同コミュニケの要旨は以下の通り。 「タイは日本がタイ産品の輸入を増加し,貿易の不均衡を是正するよう要請し,商品別の対日輸出目標リストを提示した。日本はこのリストを関係業界に伝え,協力するよう勧めることを約束した。またタイは農水産業開発で,バナナ,えび,大豆,とうもろこしなどの増産計画を作成するので,日本の資金・技術援助の配慮を求めた。」
DIA-204-1969-11-12-1タイ1969年11月12日1960年代対カンボジアにはウェイト・アンド・シー政策-タナット外相はThe pacific community 誌への論文の中で,対カンボジア関係について次のように述べた。 カンボジアとの外交関係再開の努力については,タイとしてはウェイト・アンド・シー政策をとる。共産勢力は,カンボジア国境を南ベトナム侵略支援に利用している。このことはシアヌーク体制に軍事的,政治的圧力を加え,西との関係を疎遠にさせ,マルクス主義陣営,ことに北ベトナムヘの譲歩を強要している。しかしこれは逆転の可能性を持ち,多大な不安定性と予測できないものを含んでいる。これが,タイがウェイト・アンド・シー政策をとる理由である。
DIA-204-1969-11-12-2タイ1969年11月12日1960年代タイ日貿易会談は一応成功-ブンチャナ経済相は,タイ日貿易会談はタイにとって70%の成功だ。日本はタイが国際砂糖理事会のメンバーになれば,3万6千トン買うと約束した。また農産品買付け増も約束した。それ以上に大きな成功は,タイ政府が,日本品の輸入規制をすることを認めさせたことであると語った。
DIA-204-1969-11-12-3タイ1969年11月12日1960年代日本の農産品輸入規制緩和を要求-タナット外相はタイ日協会で演説し,日本は大国とは保護貿易的になり,タイのような小国に対しては自由貿易政策をとっている。対日輸入制限はタイにとってよくないと考える。しかしタイは,輸入品に払う金を得なければならない。日本政府や業界は,タイからの輸入に対する規制を弱めるべきだと語った。
DIA-204-1969-11-17-1タイ1969年11月17日1960年代奢侈品輸入禁止の特別委設置-ブンチャナ経済相は,奢侈品の一部輸入禁止のため特別調査委員会を近く設置する。日本からの輸入奢侈品は,年3億6000万バーツにのぼっていると語った。
DIA-204-1969-11-18-1タイ1969年11月18日1960年代ブンチャナ経済相,日本政府の無理解を非難-日本政府はタイの経済問題を理解しようとしていない。日本には三つの提案を持っていき,36品目の輸出リストと,一時的輸入規制についてはこれを受け入れさせたが,毎年赤字を10億バーツずつ減らすことについては一顧だにされなかった。しかし対日輸入規制を認めさせたのは成果である。毎年輸出を6億バーツ増,輸入を3~4億バーツ抑えていきたい。また日本人も含めて外国人の事業活動を制限することも考えている。
DIA-204-1969-11-18-2タイ1969年11月18日1960年代貿易バランス調査を指示-政府は国家経済開発庁に貿易バランスの調査を指示した。今年上半期の貿易赤字は53億7200万バーツ,前年同期比1億1100万バーツ増で,対日赤字31億9800万バーツが最大となっている。
DIA-204-1969-11-19-1タイ1969年11月19日1960年代米プレミアムは廃止せず-経済省はその報告で,近い将来米輸出プレミアムの廃止は行なわない。国際市場の需要が多い間は必要であり,また米の大半を輸出してしまわないよう価格のレベルを維持することは必要であると述べている。
DIA-204-1969-11-20-1タイ1969年11月20日1960年代外貨準備高減少-タイ中央銀行の発表によると,外貨準備高(IMF出資分含む)は,9月末8億9450万ドル,10月末8億7360万ドル(昨年10月9億1210万ドル)と減少傾向となっている。
DIA-204-1969-11-21-1タイ1969年11月21日1960年代政府軍飛行機撃墜さる-ピッサヌローク県ナコンタイ郡で,17日に政府軍飛行機がメオ族共産ゲリラの地上砲火を受け,4機破損,1機が撃墜された。21日政府軍飛行機がメオ族ゲリラの潜むジャングル地帯に大量爆撃を行ない,また地上では陸軍2個師団が戦闘を行なっている。
DIA-204-1969-11-25-1タイ1969年11月25日1960年代タイ・ソ通商航海条約草案ほぼ完成-政府筋によると,タイ・ソビエト通商航海条約草案がほぼ完成した。これには,タイ商人が直接ソビエトと通商でき,またソビエト商船のタイ領海内乗入れを認めることなどが含まれている。
DIA-204-1969-11-25-2タイ1969年11月25日1960年代海兵隊南部ヘ-当局筋によると,海兵隊1000人がソンクラーに到着した。共産テロリスト鎮圧に海兵隊が参加するほか,T28,AT6,C47,ヘリコプターなどの特別飛行隊が爆撃に参加している。
DIA-204-1969-12-01-1タイ1969年12月01日1960年代タイ軍の南ベ派兵と引きかえに軍事援助-George D. Aiken 米上院議員は,タイの軍隊を南ベトナムに派兵させるために,米国は多額の金を使った。このことは米上院外交小委員会の聴聞会で確認された。フルブライト委員長が協定の内容を言ったかどうかは言えないと述べた。 一方,ニューヨーク・タイムズ紙は議会筋の発言として,1965年のタイとの5カ年協定で米国はタイに10億ドル払った。秘密兵器は武器,兵站援助,財政援助をタイの師団に約束し,またタイ国軍への軍事援助,政府への経済援助を約束していると報道した。 この点に関して米国務省は,タイ軍が南ベトナムで戦っている間,軍事,経済援助を続ける。タイは他の派遣国と同じく,援助がなければ派遣軍を維持できないからであると言明した。
DIA-204-1969-12-02-1タイ1969年12月02日1960年代革命団布告一部廃止-政府は閣議で,革命団布告16号,20号,30号およびそれにともなう勅令を廃止する法案を承認した。
DIA-204-1969-12-03-1タイ1969年12月03日1960年代援助と引きかえの派兵説否定-タノム首相は,ベトナム派兵と引きかえに米国から10億ドルの援助を受けた事実はないと述べた。
DIA-204-1969-12-03-2タイ1969年12月03日1960年代"米プレミアム改訂-政府は,農民がもっと収入を得られるようにするため,米輸出プレミアムを次のように改訂した(現行より100~450バーツ低くなる。)
DIA-204-1969-12-08-1タイ1969年12月08日1960年代南部の戒厳令強化-プラパート副首相は,南部5県(パッタニー,ソンクラー,サトゥーン,ヤラー,ナラーティワート)の戒厳令強化を指示した。またナコンシータマラート,スラータニー,トラン,パッタルンの4県はすでに11月12日から戒厳令を強化している。戒厳令は,全国に出しているが,全部の条項が適用されているわけではない。今回の措置は全条項の適用で,そのうち東北タイにも適用されようと語った。(AP通信では5県が12月31日から,4県は12月1日から適用と報道されている。)
DIA-204-1969-12-09-1タイ1969年12月09日1960年代タイヘの補助金支出は事実-ニクソン米大統領は記者会見で,米国がベトナムに派兵しているタイ,韓国に補助金を与えたのは事実であるが,これは第2次大戦後,西欧諸国の再軍備に出した援助よりも少ない。タイには10億ドルといわれているが,実際の額はこれよりはるかに少ないと語った。
DIA-204-1969-12-10-1タイ1969年12月10日1960年代B52も撤退-米空軍筋によると,B52戦闘爆撃機30機が東南アジアから撤退するのにともない,タイのウタパオ基地からも何機か撤退する。またタクリー基地のEB66も米兵とともに撤退する。
DIA-204-1969-12-10-2タイ1969年12月10日1960年代共産ゲリラ,鉄橋を爆破-警察筋によると,共産ゲリラがTok Mak 川(マレーシア領内)の鉄橋を爆破,このためタイとマレーシアを結ぶ幹線鉄道は不通となっている。
DIA-204-1969-12-12-1タイ1969年12月12日1960年代タイ・ソ通商交渉-ブンチャナ経済相はNikolai P. Karpov ソビエト商務官と会談。ソビエト側はタイとの貿易拡大,長期貿易協定締結を望む,また海運同盟による高料金をくつがえすため,タイが希望すればソビエト商船をもっと利用できるようにする,ソ連は錫,メイズ,米,ゴムを買い,機械をもっと輸出したいと提案した。またタイが国際砂糖理事会に加入すれば,初年度5万トンの砂糖を輸入したいと述べた。
DIA-204-1969-12-14-1タイ1969年12月14日1960年代西独から戦闘機購入-官辺筋によるとタイ空軍強化のため,西独から偵察機,戦闘機10機を買う。タイが戦闘機を購入するのは今回が初めてで,将来の米軍事援助の減少に備えての決定といわれ,70年度予算では1億2900万バーツが充てられている。
DIA-204-1969-12-14-2タイ1969年12月14日1960年代タナット外相,東南アの団結強調一タナット外相はASEAN 閣僚会議出席のため,クアラルンプールに到着。記者会見で次のように語った。 東南アジア諸国は,米英撤退後の真空を埋めるため早急に団結すべきである。もし他の勢力がこの真空を埋めれば,東南アは再び植民地にされる。各国が直面している問題は,この真空を埋める用意があり,準備しているかどうかだ。東南アのすべての国は自ら責任をもって自分の運命を決めるべきだ。ASEAN加盟国は小さすぎ,人口,経済,軍事力は数えるに足りない。しかし結束すれば大きな力となる。バラバラでは話にならない。軍事機構よりは政治的防衛のほうが重要である。日本は米国や欧州工業国に比べ,東南アで大きな役割を果せると思う。しかし日本が近い将来軍事的役割を果すことは望まない。
DIA-204-1969-12-15-1タイ1969年12月15日1960年代ミサイル・ホークを採用-アラーム陸軍少将は,タイ空軍は1970年に国防用地対空ミサイル・ホークを採用する。来年米国軍事援助の一つとして到着するだろう。空軍は米国へ90人派遣して,ミサイル操縦の訓練を受けさせていると語った。
DIA-204-1969-12-15-2タイ1969年12月15日1960年代タイ中貿易会談-ポット開発相と国府の孫運経済部長が会談。共同声明で,国府が農業技術,タイが都市問題の技術援助を確認,また国府はタピオカ4万8000トンと大豆の買付けを約束した。
DIA-204-1969-12-17-1タイ1969年12月17日1960年代貿易収支赤字対策-ソムポン経済次官は,輸入抑制,輸出振興策について次のような案を述べた。輸入抑制策として,①国内原材料を使う輸入代替産業育成。②奢侈品の輸入関税引上げ。③英国のように輸入業者が6ヵ月間関税局に輸入商品総額の半額を預金する。④月賦商品の統制。⑤特定商品の厳しい輸入規制が考えられる。輸出振興策としては,①品質向上,②海外市場の拡大,③輸出業者の奨励および統制,長期クレジット,過当競争防止,④輸出産業奨励,自由貿易地帯の設置がある。
DIA-204-1969-12-18-1タイ1969年12月18日1960年代ミサイルの引渡し要求-タノム首相は,激化する共産主義者の活動に対抗するため,米国に地対空ミサイル・ホークの引渡しを早めるよう要求する。ミサイルは米国の軍事援助計画(MAP)でタイに渡されることが決まっているが,時期は未定であると語った。
DIA-204-1969-12-18-2タイ1969年12月18日1960年代与党議員がタイ軍のベトナム撤退要求-信頼できる筋によると,タイ国民連合の下院議員20人がタノム首相にあて,タイ軍隊のベトナムからの即時撤退を要求する書簡を提出した。内容は,南ベトナムはベトナム化計画その他の援助で改善されている。タイ国内は共産テロリストの活動で安全とは言い難いから,国内安全のためにもタイ軍を本国にもどすべきであるとの理由である。
DIA-204-1969-12-18-3タイ1969年12月18日1960年代ARD計画の成果-緊急農村開発計画(ARD)当局は,1966年1月26日設立以来1969年9月30日までの成果を発表した。①道路建設2631km(22県)。②灌漑用,飲料用水-井戸,池,水路,掘抜き井戸,堤防1783カ所。③保健所および巡回衛生隊,診療287万5376件。④融資増による農業生産拡大,融資8万件。⑤職業訓練469人。
DIA-204-1969-12-21-1タイ1969年12月21日1960年代タイ軍のベトナム撤退を検討-タナット外相は,タノム首相にタイ軍の一部撤退を正式に提案するつもりだ。南ベトナム外相とも話しあい,南ベトナム防衛上のタイ軍の重要性と必要な人数について,意見を聞いた。タイの最終的決定はタイ独自のもので,米軍の5万人撤退とは関係ないと語った。
DIA-204-1969-12-22-1タイ1969年12月22日1960年代プラパート副首相,タイ軍撤退に反対-プラパート副首相は,タイは南ベトナムから戦闘部隊を1兵も引きあげない。タイは決してそんな行動はとらないと撤兵に反対した。
DIA-204-1969-12-24-1タイ1969年12月24日1960年代70年代の見通し,タナット外相談-タイの1970年代の見通しは暗い,ベトナム戦争によってひきおこされた問題は,タイの将来に暗い影を落している。加えて共産主義者の転覆活動の脅威が強まり,経済的困難に拍車をかけるだろう。タイはベトナム戦争で利益を受けていない。本当に儲けているのは,米国や日本のような軍需物資を生産している工業国である。一つの大きな問題は基地建設終了にともなう失業者の問題である。戦争がタイを傷つけたもう一つのことは,米国と南ベトナムの米輸出問題にまきこまれたことに例証される。経済的概観が暗い一つの理由は,外国市場で何が求められているか生産者に十分知らされていないことだ。
DIA-204-1969-12-26-1タイ1969年12月26日1960年代米軍2400人が撤退-米大使館スポークスマンの発表によると,タイ駐留米軍は12月15日までに2400人が撤退した。このうち2300人が空軍である。この結果駐タイ米軍は現在約4万5600人である。
DIA-204-1969-12-26-2タイ1969年12月26日1960年代籾米保証価格据置き-政府は1970年の籾米保証価格を69年と同じく,籾上等1クィエン当り1300バーツ,籾下等1000バーツとした。理由は生産費が昨年とほぼ同じであることによる。
DIA-204-1969-12-27-1タイ1969年12月27日1960年代71年にミサイル導入-タウィー空軍大将は,1971年にタイ最初のミサイル・ホーク6基が米国からタイに運ばれると発表した。
DIA-204-1969-12-30-1タイ1969年12月30日1960年代国際砂糖理事会に加盟申請-政府は国連の国際砂糖理事会に加盟申請した。これにより1970年は加盟国に国際価格で3万6000トン輸出することになる。
DIA-204-1969-12-31-1タイ1969年12月31日1960年代石油法草案-ポット開発相は,閣議で石油法草案を承認したと語った。これによって政府の受ける利点は,①会社は探査期間中の作業計画を政府に提出する。もし作業が計画通り進まなかったり,支出が計画以下の場合,残金は政府に提出する。②石油を発見し,商業ベースにのせられる量であれば,会社は鉱区料および50%の収入税を払う。③石油は国内に向け適切な価格で売ること。④会社のすべての財産は許可の期間が終ればタイ国政府のものとなる。 一方この法によって会社が受ける利点は,①必要な機械,資材の関税および営業税免税,②サービス以外の他の諸税免除,③収益の本国送金,④探査,生産に関して会社が地主から承諾をとれなかったときに政府は必要な援助を行なう,⑤政府は石油産業に介入,競争したり契約期間中の条件をかえたりしない,などの点がある。