DIA-204-1970-01-02-1 | タイ | 1970年01月02日 | 1970年代 | 国産品愛用を呼びかけ-ブンチャナ経済相は,タイ国民は今から耐乏生活の計画をたててほしい。タイ経済は3年以内に困難に陥るだろう。今こそ輸入奢侈品の代りに国産品を使用すべきときであると語った。 |
DIA-204-1970-01-03-1 | タイ | 1970年01月03日 | 1970年代 | 自国旗船の増配船を要求-ソムポン経済次官はバンコク―日本運賃同盟に,配船制限の廃止を要求し,早急に結論の出ない場合はThai Maritime Navigation(T.M.N)およびThai Mercantile Marine(T.M.M)の配船数を年36航海から42航海,18航海から36航海に増加するよう同盟に書簡を送ったことを明らかにした。 |
DIA-204-1970-01-03-2 | タイ | 1970年01月03日 | 1970年代 | アグニュー米副大統領訪タイ-到着後の声明で,タイの南ベトナム支援と,タイ国内において自力で共産主義者と闘っていることを称賛した。副大統領は5日まで滞在する。 |
DIA-204-1970-01-04-1 | タイ | 1970年01月04日 | 1970年代 | タノム・アグニュー会談-タナット外相が記者会見で会談内容を報告した。アグニュー副大統領は,米国の政策に変化はなく,SEATOとタイへの米国のコミットメントを減らす意志はないことを強調した。タナット外相は国内共産ゲリラの鎮圧作戦の状況を説明した。タイ軍の南ベトナム撤退については,タイ防衛上の必要性を考慮しながらさらに意見を交換することで一致した。 |
DIA-204-1970-01-06-1 | タイ | 1970年01月06日 | 1970年代 | 経済省,化学肥料輸入を許可制に-経済省は次の肥料の輸入を許可制にしたと発表した。これは事実上の輸入禁止に等しい。 1. 硝酸カルシウム・アンモニウム,硫酸硝酸アンモニウムまたは硫酸アンモニウム,硝酸アンモニウム 2.P2O5・K2O 6%以下の窒素混合肥料。 |
DIA-204-1970-01-08-1 | タイ | 1970年01月08日 | 1970年代 | 米国,タイにライフル銃供与-信頼できる政府筋によると,アグニュー米副大統領とタノム首相の間で行なわれた会談で,米国はタイ国内の共産分子鎮圧用に,M16型ライフル銃2万挺を供与することになった。 |
DIA-204-1970-01-10-1 | タイ | 1970年01月10日 | 1970年代 | 共産主義鎮圧作戦の成果 |
DIA-204-1970-01-13-1 | タイ | 1970年01月13日 | 1970年代 | 共産ゲリラ,ウボン基地を攻撃-午前1時55分,共産ゲリラ約16人がウボン基地に侵入し,守備隊と15分間交戦,6人の死体と3丁の自動小銃を残して退却した。米空軍兵士1人が負傷。 |
DIA-204-1970-01-14-1 | タイ | 1970年01月14日 | 1970年代 | 火力発電所に世銀借款-世銀はタイ電力公社に対して,南バンコク火力発電所建設に4650万ドルの借款を承認。返済は5年据置を含む20年,年利7%,なお発電所建設費総額は9240万ドル。 |
DIA-204-1970-01-17-1 | タイ | 1970年01月17日 | 1970年代 | 南ベトナム派遣タイ軍の撤退延期-タノム首相は,南ベトナム政府がタイ軍の撤退についての決定を控えるよう要請してきたので,タイ政府としてはもっと適切な時期がくるまで撤兵を考慮しないことを決めたと語った。 |
DIA-204-1970-01-21-1 | タイ | 1970年01月21日 | 1970年代 | ハンガリー貿易使節団訪タイ。 |
DIA-204-1970-01-21-2 | タイ | 1970年01月21日 | 1970年代 | USOM援助-援助協定に調印。1970年の緊急農村開発計画(ARD)への援助は1億7000万バーツ,タイ政府の見返り資金は2億2700万バーツ。 |
DIA-204-1970-01-23-1 | タイ | 1970年01月23日 | 1970年代 | 米国のタイ援助額-直接援助額は1962年以来15億8000万ドル(推計),内訳は基地建設,米軍雇用のタイ人の給料等7億5900万ドル(6カ所の米空軍基地,コンケーン基地,タイ空軍士官学校用の飛行場,通信施設,道路の建設,米軍雇用タイ人4万4000人の給料,駐留米軍の消費支出)軍事援助4億9480万ドル,USOM関係の経済援助計画3億6220万ドルとなっている。 |
DIA-204-1970-01-24-1 | タイ | 1970年01月24日 | 1970年代 | 日本からの投資制限主張-アムヌアイ投資委員会事務局長は計理士協会総会で,タイの経済とナショナリズムと題して要旨次のように演説した。 外国資本は2~3年前から重要な経済的役割を果し始めたが,それ以後政治的にはナショナリズムの高揚をもたらした。タイは外資を追いだすつもりはないが,外国人の職業をさらに制限することを考えている。日本人がタイ経済に大きな力を持ちすぎている。タイ政府は日本の経済的影響力を制限すべきだ。方法としては,①日本からの投資は同一業種2社以上は認めず,かつ原料生産から販売に至るまでの全過程を支配するのを防止すること,②タイ人の投資奨励と日本以外の国からの外資導入などがある。タイ人はかつて中国人に対して非常にナショナリスティックであったが,今は日本人に対して向けられている。 |
DIA-204-1970-01-29-1 | タイ | 1970年01月29日 | 1970年代 | 外国人技術者の長期滞在特権取りあげ-投資委員会は,タイに居住する外国人技術者301人から,産業投資奨励法にもとづく長期滞在(1年)の特権をとりあげると発表,69年末現在,この特権を受けていたのは208社,1339人にのぼる。 |
DIA-204-1970-02-04-1 | タイ | 1970年02月04日 | 1970年代 | 下院,1970年度予算法案可決-総額は272億9988万9100バーツ,賛成110票,反対62票, |
DIA-204-1970-02-05-1 | タイ | 1970年02月05日 | 1970年代 | B52が誤爆-米大使館スポークスマンによると,2日ウタパオ基地を発進してラオス爆撃に向かったB52戦闘爆撃機が,タイ領内ローイエットの東方30マイルの地点で,爆弾108個(約30トン)を誤って投下,住民2人が負傷,家屋3戸が損害を受けた。 |
DIA-204-1970-02-06-1 | タイ | 1970年02月06日 | 1970年代 | 米・タイ航空協定問題-外務省筋によると米国が新協定を承認しなければ,現行協定(1947年2月26日調印)は2月25日で失効する。現行協定は米国側が「太平洋ルートでバンコク以遠」,タイ側が「最短ルートでロスアンゼルス乗入れ」となっている。新協定ではタイ側がニューヨークまで乗入れられるが,米国政府が公式承認していない。 |
DIA-204-1970-02-08-1 | タイ | 1970年02月08日 | 1970年代 | ブンロート開発副大臣メコン委員会出席のためプノンペンに出発。 |
DIA-204-1970-02-10-1 | タイ | 1970年02月10日 | 1970年代 | 政府,外国人職業規制法原案を承認。 |
DIA-204-1970-02-12-1 | タイ | 1970年02月12日 | 1970年代 | パン・アメリカンのバンコク乗入れ禁止-タイ政府は,2月25日以降,パン・アメリカン航空のバンコク乗入れを禁止した。同航空はベトナム帰休兵の輸送を一手に引受けているので,かなりの影響がでるもようである。 |
DIA-204-1970-02-12-2 | タイ | 1970年02月12日 | 1970年代 | 砂糖の生産調整-工業省は砂糖の生産過剰防止のため次のような指示を出した。砂糖きび栽培者および精糖工場は1969―70年度生産高以上に生産しないこと。在庫の多い精製工場は前年度の80~90%の精製しか許可しない。各精製工場は目標および生産高,砂糖きび買付量および販売計画を工業省に報告する。また栽培者は精製工場との契約がない場合は耕地を拡大してはならない。 |
DIA-204-1970-02-12-3 | タイ | 1970年02月12日 | 1970年代 | 生命保険会社新設条件-経済省は生命保険会社新規設立の条件を発表した。3月31日から実施する。①資本金2000万バーツ以上 ②登録資本の40%を第1期に払い込み,残りは5年以内に全額払いこむこと ③株主の4分の3以上はタイ人であること,④重役は全員タイ人,⑤株主は資本の5%以上持ってはならない。⑥1株は1000バーツ以下。 |
DIA-204-1970-02-16-1 | タイ | 1970年02月16日 | 1970年代 | 投資委員会,1969年の国別投資額発表- 総額1,342,120,000バーツ ①タイ 1,058,563,430バーツ(68年400,000,000バーツ) ②日本 139,466,200バーツ( 53,200,000バーツ) ③台湾 78,601,031〃( 31,000,000〃) ④マレーシア 38,776,783〃 ⑤英国 33,618,700〃 ⑥米国 10,065,200〃( 111,300,000〃) 登録資本 13億4212万バーツ(68年,6億6269万バーツ) 奨励産業適用 117社(68年 142社)1959~69年奨励産業登録資本総額 6,216,987,243バーツ タイ資本 4,148,156,270〃 外国資本 2,068,830,973〃 |
DIA-204-1970-02-17-1 | タイ | 1970年02月17日 | 1970年代 | タイ・西独技術援助協定調印。 |
DIA-204-1970-02-21-1 | タイ | 1970年02月21日 | 1970年代 | ベトナム帰休兵輸送復活-タウィー通信相とアンガー米駐タイ大使との会談で,パン・アメリカン航空のベトナム帰休兵の輸送を10日以内に復活することになった。 |
DIA-204-1970-02-24-1 | タイ | 1970年02月24日 | 1970年代 | 内務省,ラオスとの国境地帯に厳重警戒態勢を指示。 |
DIA-204-1970-02-24-2 | タイ | 1970年02月24日 | 1970年代 | ゴム輸出税引上げ-政府はゴム輸出税をキロ当たり50サタン引上げることを承認した。増収分はゴム栽培促進計画(1970~84年)にまわす。 |
DIA-204-1970-02-26-1 | タイ | 1970年02月26日 | 1970年代 | 国際錫理事会錫輸出規制割当を解除。 |
DIA-204-1970-02-27-1 | タイ | 1970年02月27日 | 1970年代 | 米国に軍事援助要請-信頼できる外交筋によると,25日にワシントンでロジャーズ米国務長官と会談したタナット外相は,引続き米国の軍事援助を要請した。しかしアジア諸国の最終の目標は,米国の援助にあまり頼らない地域防衛機構の発展であると述べた。 |
DIA-204-1970-02-27-2 | タイ | 1970年02月27日 | 1970年代 | 日本など17カ国に通商条約破棄を通告-タイ政府はバンコクに駐在する日本,西ドイツなどアジア,欧州17カ国の大使館に対し「友好通商条約を破棄する」とともに,友好国と新条約の締結について交渉する用意があることを明らかにした。タイ政府が条約破棄を通告した17カ国は,日本,西独,ビルマ,国府,パキスタン,インド,インドネシア,ベルギー,デンマーク,ルクセンブルグ,イタリア,オランダ,ポルトガル,ノールウェー,スウェーデン,スイス,英国である。米国とはすでに2年前,新しい友好条約を調印している。 |
DIA-204-1970-02-28-1 | タイ | 1970年02月28日 | 1970年代 | ブルガリア貿易使節団訪タイ。 |
DIA-204-1970-03-01-1 | タイ | 1970年03月01日 | 1970年代 | 共産ゲリラのキャンプ奪取-ソンクラー県サダウ郡で国境警察隊は30時間の戦闘ののち,共産ゲリラのキャンプを占領した。 |
DIA-204-1970-03-02-1 | タイ | 1970年03月02日 | 1970年代 | 共産ゲリラのキャンプは司令部-タウィー空軍大将は,サダウ郡の共産ゲリラキャンプはおそらく陳平の司令部の一つで,マレー共産党の第8,第10,第12連隊がいたと思われると語った。 |
DIA-204-1970-03-03-1 | タイ | 1970年03月03日 | 1970年代 | タイ・米新航空協定書交換-これによりタイ側はホノルル,ロスアンゼルスを経てカナダ,ヨーロッパに乗入れる。 |
DIA-204-1970-03-04-1 | タイ | 1970年03月04日 | 1970年代 | ブルガリアと貿易協定-タイ政府はタイ訪問中のブルガリア政府代表団と貿易協定を結んだ。タイが共産主義国と貿易協定を結んだのはブルガリアが初めてである。ブルガリアはタイの錫を,タイはブルガリアの医療施設,パワーシャベルなど重機械製品の輸入を期待している。 |
DIA-204-1970-03-06-1 | タイ | 1970年03月06日 | 1970年代 | マレーシアのラザク副首相訪タイ。 |
DIA-204-1970-03-07-1 | タイ | 1970年03月07日 | 1970年代 | タイ・マレーシア国境協力協定調印-新協定により,両国は共産ゲリラ鎮圧作戦を強化する。また合同作戦本部を設置する。旧協定(1965年3月13日調印)で相互に認めていた,8kmまでのゲリラ越境追跡権の幅をさらに広げた。 |
DIA-204-1970-03-08-1 | タイ | 1970年03月08日 | 1970年代 | ラオスへのもち米輸出にプレミアム廃止-経済省はノンカイ,ナコンパノム,サコンナコン,ウボンを通関するラオスへのもち米輸出から米プレミアム徴収を廃止することを決定した。この措置は5月31日まで有効。 |
DIA-204-1970-03-09-1 | タイ | 1970年03月09日 | 1970年代 | タノム首相談-米国政府は1962年のタナット・ラスク共同声明を支持することを明らかにしている。タナット外相は,北部ラオスで共産側が勝利を得ていることを理由に,米国に対して武器,装備の追加供給を要請した。また米当局者にタイの必要とする物資,タイ・ラオス国境の治安状況について報告した。 |
DIA-204-1970-03-09-2 | タイ | 1970年03月09日 | 1970年代 | ラオスでタイ軍が参戦-パテト・ラオ放送は,1万2000人のタイ軍がラオスに派兵され,うち5000人がさきのジャール平原での作戦に参加した。またラオス・タイ国境地区で,タイ軍がラオス政府軍との連携のもとにラオス領内に侵入していると非難した。 |
DIA-204-1970-03-10-1 | タイ | 1970年03月10日 | 1970年代 | DFP分裂-民主主義戦線党の議員6人は,パイトウーン党首との意見の相違を理由に離党,新党を結成することになった。これにより民主主義戦線は下院で2議席となった。 |
DIA-204-1970-03-11-1 | タイ | 1970年03月11日 | 1970年代 | 米輸出にプレミアム割戻措置-経済省は米の輸出を奨励するため,米プレミアムの一部割戻しを決めた。適用される米は輸出は1隻への船積量が玄米1000トン以上,蒸米1000トン以上,砕米1000トン以上,各種米2000トン以上,もち米500トン以上の場合。 上記の量の米輸出を行なうときに米プレミアムの25%を割戻す。 |
DIA-204-1970-03-18-1 | タイ | 1970年03月18日 | 1970年代 | インドネシアのスハルト大統領,アダム・マリク外相一行訪タイ。 |
DIA-204-1970-03-18-2 | タイ | 1970年03月18日 | 1970年代 | カンボジア政変について,タナット外相談-カンボジアでの反共活動の増大は,共産主義者が国境地域をベトナム戦争に利用することも含めて,彼らの活動に対する怒りを示すものだ。シアヌークは農産物貿易協定などを結び,友好的態度を示そうとしたが,共産主義者はそれを無視した。カンボジア国民の抗議は,友好を示そうとする近隣諸国とさえ平和共存しようとしない共産主義者への抗議である。 |
DIA-204-1970-03-19-1 | タイ | 1970年03月19日 | 1970年代 | 国会議員,建設工事に外国企業の締出しを提案-ナーイ・プラトウアン以下3名のタイ国民連合党の国会議員は,タイ国予算を使用する建設工事に外国企業が入札することを禁止するよう政府に提案した。 |
DIA-204-1970-03-20-1 | タイ | 1970年03月20日 | 1970年代 | タイ軍2個大隊がラオスに-ビエンチャンの消息筋によると,ジャール平原のラオス政府軍を支援するため,タイ軍2個大隊がラオスに入った。これらタイ部隊は,タイ領内からラオスの米系航空会社エア・アメリカの輸送機で,バン・パオ将軍指揮下のメオ族部隊が米CIAの支援を得て守っているロンチェン基地に運ばれた。 一方,ジーグラー米大統領報道官はワシントンで,タイ軍部隊がロンチェン基地に緊急輸送された事実を確認し,現地の報道は大げさすぎるが,きわめて限定された介入が行なわれていると述べた。これまでタイがジャール平原周辺のムオンスイに砲兵部隊を常駐させていたほか,ジャール平原周辺に「顧問団」の形で数百人の兵力をひそかに送りこんでいたことは公然の秘密となっていた。 |
DIA-204-1970-03-20-2 | タイ | 1970年03月20日 | 1970年代 | タイ・ルーマニア貿易協定調印。 |
DIA-204-1970-03-22-1 | タイ | 1970年03月22日 | 1970年代 | タイ軍のラオス派兵否定-タノム首相は,タイ軍のラオス派兵の報道を否定し,タイのラオスへの軍事援助は,タイ国内の軍事学校でラオス兵を訓練することに限られている。しかし何人かのタイ人が義勇軍としてラオスに入った可能性はある,彼らの行動はまったく彼ら自身の決断によるもので,タイ政府とは何の関係もないと語った。 なお信頼できるラオス政府軍筋によると,タイからラオスに派遣された支援部隊は,主としてCIAを通じて徴募,訓練された雇兵部隊であるといわれる。 |
DIA-204-1970-03-22-2 | タイ | 1970年03月22日 | 1970年代 | スハルト大統領帰国,共同声明発表-2人の指導者は,両国の友好通商条約の協議は,より実りある関係への望ましいステップであることを確認した。両国指導者は,政治的,経済的,社会的,文化的分野での関係を強化する方法について意見を交換し,また所属している地域機構の政府間の協力に努力する堅い決意を確認した。さらに,外部からの干渉や強制によらず自分の運命を選ぶ権利,および,法と正義の下に平和かつ自由に生きる権利を守る共通の決意を強調した。 |
DIA-204-1970-03-24-1 | タイ | 1970年03月24日 | 1970年代 | 70年度第1・四半期の間接税-70年度第1・四半期の間接税は9億6700万バーツで前年より8800万バーツの増加となった。 |
DIA-204-1970-03-25-1 | タイ | 1970年03月25日 | 1970年代 | ラオス問題でジュネーブ会議再開要請-タナット外相は,英国に対し,ラオスでの北ベトナムの侵略を停止させるため,14カ国のジュネーブ会議再開のアピールを出したと語った。 |
DIA-204-1970-03-26-1 | タイ | 1970年03月26日 | 1970年代 | ソ連と貿易協定の仮調印-タイとソ連は貿易協定に仮調印した。タイとソ連の貿易はこれまで第3国を通じて行なわれていた。今度の協定でソ連はゴム,錫,ジュートを輸入し,機械類を輸出する。 |
DIA-204-1970-03-26-2 | タイ | 1970年03月26日 | 1970年代 | 政府債発行-5億バーツ,年利7%,額面1000バーツ。 |
DIA-204-1970-04-01-1 | タイ | 1970年04月01日 | 1970年代 | ベトナム人難民送還交渉-プアン内務次官によると,北ベトナム政府は3月27日に内務省宛書簡で,タイのベトナム人難民受入れについて,タイ赤十字と会談するため,北ベトナム赤十字の代表団を送りたいといってきた,現在内務省で検討中。対象人員は4万人。 |
DIA-204-1970-04-03-1 | タイ | 1970年04月03日 | 1970年代 | タナット外相,中国を含むアジア太平洋会議を提案-タナット外相は中国を含むアジア太平洋諸国の高級会議を開き平和共存の基盤を作り出すべきであると提案し「われわれは北京,ハノイ,平壌の代表とともにイスにつくべきである」と述べた。 |
DIA-204-1970-04-07-1 | タイ | 1970年04月07日 | 1970年代 | ローイエット県の当選無効-最高裁はローイエットのサムー・アクラプリーディー下院議員の当選無効の判決を下した。理由は同氏が小学校4年の学歴を終了していない。また再開票で,投票数が次点者のそれより少なかったため。 |
DIA-204-1970-04-08-1 | タイ | 1970年04月08日 | 1970年代 | 国境地帯に海兵隊派遣-タノム首相は国軍記念日の演説で,海兵隊1個大隊と海軍特別部隊をラオス・カンボジアとの国境地帯に派遣し,共産分子の浸透防止にあたらせると発表した。 |
DIA-204-1970-04-09-1 | タイ | 1970年04月09日 | 1970年代 | 村長給与引上げ-政府は村長,部落長の給与をそれぞれ月額,100バーツ,50バーツに引上げた。 |
DIA-204-1970-04-09-2 | タイ | 1970年04月09日 | 1970年代 | タイ米輸出順調-ナーム貿易局長はプレミア引下げ後タイ米の輸出は順調であると次のように語った。 年初より4月6日までの米の輸出量は33万6000トンである。香港におけるタイ米の価格は67年当時60kg当たり83.6香港ドル(100%米),中共米は81香港ドルであった。現在タイ米の価格は78香港ドルと中共米を約10香港ドル下回っているが,当時ほど輸出が伸びないのは業者の輸出競争が激化し海外の輸入業者が不信感をいだいているからである。 |
DIA-204-1970-04-14-1 | タイ | 1970年04月14日 | 1970年代 | 閣議,小作料統制法案を承認-政府は内務省の提出した小作料統制法案を承認した。これによると,小作料は県知事の定める料率を越えることができないほか小作契約は文書で定めること,県常駐の委員会を設置すること等を定めている。 |
DIA-204-1970-04-20-1 | タイ | 1970年04月20日 | 1970年代 | アジア会議開催に賛成-タノム首相は,アジア会議開催を歓迎する。またそれが紛争を解決するのに効果的であることを望む,先週ECAFEにおけるタイとカンボジア代表の話合いは,外交関係再開に明るい見通しをもたらしたと語った。 |
DIA-204-1970-04-21-1 | タイ | 1970年04月21日 | 1970年代 | 日本からの輸入制限主張-タパナ・ブンナーク貿易委員会事務局長は,タイの貿易赤字是正の最良の方法は,日本からの輸入品のうち,幾つかを制限することだ,日本側がタイの提案する41品目の輸入を認めても,ギャップを10%縮めることにしかならないと語った。 |
DIA-204-1970-04-22-1 | タイ | 1970年04月22日 | 1970年代 | 米輸出組合設置の提案-米輸出協会は経済省に対し,米輸出協会は経済省に対し,米輸出組合を結成し輸出最低価格を設定,保証金の提出等を義務づけるよう規制をきびしくすべきだとの提案を行なった。 |
DIA-204-1970-04-22-2 | タイ | 1970年04月22日 | 1970年代 | プラパート副首相談-20日のニクソン大統領の演説如何によらず,タイは南ベトナム派遣軍を撤退させない。しかし撤兵計画は現実的問題となっている。撤兵は南ベトナム軍が十分な能力があると判断されたときに行なう。米下院でのベトナム戦争批判については,上院議員はわが国の国会議員と同じく無責任で,非難には真実が含まれていない。 |
DIA-204-1970-04-27-1 | タイ | 1970年04月27日 | 1970年代 | 労働組合の結成許可-ティエン労働局長は,27日より憲法第36条にもとづき,労働組合の結成を許可する。労働局は2~3カ月以内に労働関係法案(Labour Relations Bill)を閣議に提出する予定であると語った。なお5月1日には第1回労働記念日(Labour Day)の式典が行なわれる。 |
DIA-204-1970-04-30-1 | タイ | 1970年04月30日 | 1970年代 | 国内にもち米ストック増大-ナーム貿易局長は69年のもち米生産が増加した結果,国内に40~50万トンの余剰米が生じており,東北,北部で価格が下落している。この問題を解決するためもち米生産を落すよう内務省,農林省へ文書を回したと発表した。 |
DIA-204-1970-04-30-2 | タイ | 1970年04月30日 | 1970年代 | 首相金利引下げを要望-タノム首相は商業銀行に対し,タイ中央銀行が3月30日より標準金利を11%から9%に下げたので,貸出金利を引下げるよう要望した。 スーム蔵相はこれに関し,金利引下げは輸出振興のためであり一般金利の引下げではないと語った。また,S.D.R.のタイへの分配は2200万ドルであり,GATTは工業国のものであるから加入しないと述べた。 |
DIA-204-1970-05-01-1 | タイ | 1970年05月01日 | 1970年代 | 米軍のカンボジア侵攻に支持表明- タノム首相談:アジア会議でカンボジアの北ベトナム軍に対抗する必要ありとされた場合には,タイは軍隊を派遣するだろう。タイはカンボジア政府の要請があれば武器援助する用意がある。ニクソン大統領の決定に異論はない。米国その他同盟諸国はカンボジアのベトコン鎮圧に協力すべきである。 タナット外相談:ニクソン大統領の決定で,ベトナム戦争を早く終らせ,味方の損失を少なくすることができる。しかしこれは方法の一つであり,ほかにも多くの方法がある。 |
DIA-204-1970-05-01-2 | タイ | 1970年05月01日 | 1970年代 | 共産主義鎮圧司令部報告-1965年から69年末までの間,共産主義者と887回の戦闘があった。共産テロリストはプロパガンダのため334村を一時閉鎖し,また政府役人を99回待伏せ攻撃した。 |
DIA-204-1970-05-02-1 | タイ | 1970年05月02日 | 1970年代 | B.O.I.輸出産業,地方産業育成の方針-B.O.I.(投資委員会)は輸出産業,地方産業を育成するため新たな原則を定めたと次のように発表した。 (1) 新規設立企業に限定されている所得税の免除を,国内再投資を奨励するために5年以内であれば設備拡張による所得にも適用する。 (2) 奨励産業に認められている所得税免除は当該企業の市場が国内で十分確保されたと認められる場合には適用を中止することができる。 (3) 関税免除による資材,機械類の輸入は工場設立の段階に限定し,設備更新には認めない。 (4) 原料輸入に対する関税の減免措置は国内原料使用の奨励のため昨年10月から適用されていない。 (5) 輸出産業を奨励するため製品輸出に対する営業税,関税を免除する。製品輸出に対して輸入原料の関税を現行の8分の7の払戻しから100%にするよう大蔵省に提案する。 (6) 地方農業関連産業を育成するため営業税を5年間,現行税率の10分の1にする方向を打出す。 (7) 現行の奨励業種約160を40業種程度に洗いなおす。 |
DIA-204-1970-05-06-1 | タイ | 1970年05月06日 | 1970年代 | カンボジアへの軍事援助用意-タノム首相は,外交関係が再開されれば,タイはいつでも軍事援助できる用意がある。また共産軍による国境侵犯防止のため,タイ・カンボジア国境の軍隊に厳戒態勢を指示したと語った。 |
DIA-204-1970-05-06-2 | タイ | 1970年05月06日 | 1970年代 | タイ・マレーシア国境合同委員会。 |
DIA-204-1970-05-06-3 | タイ | 1970年05月06日 | 1970年代 | タイ・日民間貿易協力会議開催(~7日)-参考資料参照。 |
DIA-204-1970-05-08-1 | タイ | 1970年05月08日 | 1970年代 | タイ・マレーシア国境合同委員会事務レベル会議-地上軍支援のため,ジェット戦闘機による爆撃を強化することになった。 |
DIA-204-1970-05-11-1 | タイ | 1970年05月11日 | 1970年代 | カンボジアのサム・ボウル外相バンコク着。 |
DIA-204-1970-05-12-1 | タイ | 1970年05月12日 | 1970年代 | タイ・カンボジア航空協定調印。 |
DIA-204-1970-05-12-2 | タイ | 1970年05月12日 | 1970年代 | 米プレミアム割戻条件変更-政府は米プレミアムの輸出業者への割戻しを船積量が数回にわたる場合にも適用することを決定した。これはボルネオ・サラワク等への米輸出が港湾施設の関係から小口であり,前回の措置ではこれらの国への輸出奨励策とならないため。 |
DIA-204-1970-05-13-1 | タイ | 1970年05月13日 | 1970年代 | カンボジアとの国交回復に合意-タナット外相とサムボウル外相の会談で国交回復に合意,共同コミニュケ発表(以下要旨)。 国連憲章の目的と諸原則を厳守し,現在の国境を尊重する。両国は相互に善隣政策をとり,互いの内政に干渉しないことを約束し,両国民の相互利益と,東南アジア地域の平和と進歩のために,両国間およびその他の諸国との間に密接かつ効果的な協力関係を実現する。 早急に国交回復と大使交換を行なう。 ベトコンと北ベトナム軍のカンボジアに対する大規模な攻撃は,国際法と54年ジュネーブ協定の侵犯であり,憂慮している。 |
DIA-204-1970-05-16-1 | タイ | 1970年05月16日 | 1970年代 | アジア会議におけるタナット外相演説-今度の紛争の原因は,北ベトナムと南ベトナム解放戦線がカンボジア,ラオス,南ベトナムに武装部隊を送りこみ,征服と支配のための血に飢えた軍事作戦を展開したことにある。これは54年と62年のジュネーブ協定に対する明白な違反である。タイとしては,①脅威を受けている国を調査,報告する視察団を作る,②アジア会議を継続的なものとし,各国代表から成る常任委員会の設置を提案する。 |
DIA-204-1970-05-18-1 | タイ | 1970年05月18日 | 1970年代 | アジア会議に不満-インドネシアのジャカルタで開かれていたアジア会議に出席したタナット外相は,帰国後の記者会見で,会議でタイが得た成果は少ないが,カンボジア問題での今後の会議には,多くの金がかかるだろうが参加していくつもりであると語った。 |
DIA-204-1970-05-21-1 | タイ | 1970年05月21日 | 1970年代 | タウィー・アンガー会談-タウィー空軍大将はアンガー大使に対し,カンボジア情勢も考えて,タイへの武器援助の時期を早めるよう要請した。 |
DIA-204-1970-05-21-2 | タイ | 1970年05月21日 | 1970年代 | アジア会議の結論に拘束されず(プラパート副首相談)-タイの援助はカンボジアを助けるだけでなく,タイ自身も(共産主義の支配から)自由であるためにするのだ。アジア会議では非軍事的仲裁を決めたが,考慮すべき危険が存在する国はその結論に影響されない。タイはカンボジアへの医療援助および幾つかの軍事援助は承認したが,派兵については検討中である。 |
DIA-204-1970-05-22-1 | タイ | 1970年05月22日 | 1970年代 | タイの援助は非軍事的(タナット外相談)-南ベトナムのチュー大統領の反共戦線の提案は,参加国がもっと協議したうえで可能となるものだ。タイのカンボジア援助は非軍事的なものだ。米国務省は,.米国からタイへの軍事援助がなければ,タイはカンボジアに援助できないといっているが,われわれはカンボジアに軍事援助するとはいっていない。 |
DIA-204-1970-05-25-1 | タイ | 1970年05月25日 | 1970年代 | シリラック少将を団長とする軍事代表団,プノンペンに到着。 |
DIA-204-1970-05-26-1 | タイ | 1970年05月26日 | 1970年代 | ラオスへのもち米輸出の特例を延期-政府はラオスへの米プレミアム免除によるもち米輸出を9月30日まで延期することに決定した。 |
DIA-204-1970-05-27-1 | タイ | 1970年05月27日 | 1970年代 | プラパート副首相一行,カンボジアを公式訪問。 |
DIA-204-1970-05-28-1 | タイ | 1970年05月28日 | 1970年代 | カンボジアへ軍事援助-カンボジアから帰国したプラパート副首相は軍事援助について次のように語った。 両国は9年ぶりに国交を回復する。1週間以内に大使を交換する。不法越境と国際的犯罪を防止するために国境地帯で協力すること,および出入国事務を始めることで合意に達した。メコン川をパトロールする20隻の武装警備艇をカンボジアに供与する。また陸上および海上の国境地帯を空中偵察してカンボジアを援助する。6月に軍服,軍靴,レインコートなど5万セットを送る。カンボジアからのタイ軍1個師団派遣要請があったが,討議しなかった。タイは先週,カンボジア支援の原則を決定したが,現在のところ武器,弾薬を供与する立場にない。 |
DIA-204-1970-05-28-2 | タイ | 1970年05月28日 | 1970年代 | カンボジア国境地帯に24時間パトロールの全面警戒体制指示-同国境には海兵隊1個大隊と1000人以上の兵力が駐留し米軍,南ベトナム軍の進攻によってカンボジアからタイ領に逃げ込む共産ゲリラの浸透を防止している。 |
DIA-204-1970-05-28-3 | タイ | 1970年05月28日 | 1970年代 | 共産ゲリラのキヤンプを攻撃-タイ・マレーシア混成軍は,ヤラー県ベトン郡で,マレー共産党第12連隊(隊長はAshi)のキャンプを3日間攻撃,占領した。 |
DIA-204-1970-05-29-1 | タイ | 1970年05月29日 | 1970年代 | ベトナム人送還延期-内務省によると,ベトナム人4万人の北ベトナム送還に関する話合いは,北ベトナム側から延期通知があった。理由はカンボジアの情勢によると思われる。 |
DIA-204-1970-06-01-1 | タイ | 1970年06月01日 | 1970年代 | 義勇軍派遣を考慮(タノム首相談)-タイはカンボジアに大規模な義勇軍派遣を考えている。艦隊派遣についても海軍と協力する。義勇軍はできるだけ大規模とし,遅くとも1カ月以内に展開できるよう準備する。義勇軍はバッタンバンやシェムリエプの防衛にあたる。タイはカンボジアの将校,下士官の訓練,その他5万人の軍服などの援助をする。タイ義勇軍の給与,武器は米国援助にもとづき,カンボジア政府から支給されよう。 |
DIA-204-1970-06-02-1 | タイ | 1970年06月02日 | 1970年代 | 義勇兵の便宜供与のみ行なう-タイ政府は閣議で,カンボジア系タイ人から義勇兵を募り,政府が訓練,便宜供与を行なうことを決めた。したがってベトナム派遣の義勇軍とは性格を異にする。規模は最高1個連隊(約3000人),カンボジアからの要請は戦闘部隊1個師団(約1万人)。消息筋によると,アジア会議の結果を考慮して閣内で意見が分かれ,結局1個連隊に落ちついた。 |
DIA-204-1970-06-02-2 | タイ | 1970年06月02日 | 1970年代 | タイ義勇兵派遣への反響-米国務省スポークスマンは,タイ在住カンボジア人で軍務につくため帰国を志願する者は,米国政府のカンボジア軍事援助計画にもとづいて,武器,装備を与えられると語った。 他方マレーシア外務省筋は,タイ政府の決定はアジア会議の精神を侵しており,和平努力を困難にするだろうと語った。 |
DIA-204-1970-06-04-1 | タイ | 1970年06月04日 | 1970年代 | 義勇兵はアジア会議の精神に反せず(タナット外相談)-義勇兵はタイの軍隊ではなく,カンボジア系住民であり,タイ政府は彼らを単に援助するだけだからアジア会議の精神に反しない。カンボジア系住民が自分の同胞を守るため参戦するのは同会議の精神と完全に調和する。 |
DIA-204-1970-06-04-2 | タイ | 1970年06月04日 | 1970年代 | パテト・ラオ通信-タイは5月30日以降,ラオスに相当数の歩兵と砲兵部隊を送りこんだと非難。 |
DIA-204-1970-06-04-3 | タイ | 1970年06月04日 | 1970年代 | 外国人職業法について(アムヌアイ投資委員会事務局長談)-奨励産業へ働きにくる外国人は自動的に許可を得られる。外国人職業法は,われわれを援助にくる外国人を追い払うものではなく,タイ人の利益を守るものである。建設業のような非熟練,半熟練の仕事はタイ人にとっておくべきである。同法により,従来1~2カ月更新のビザであった外人実業家には,期間が2~3年となることにより有利となる。 |
DIA-204-1970-06-05-1 | タイ | 1970年06月05日 | 1970年代 | 陸軍,義勇兵募集開始-軍事筋によると,陸軍はすでに軍部内のカンボジア系タイ人に回状をまわし,野戦軍司令部で登録すると通知した。一般のカンボジア系住民の募集はまだ行なわれていない。 |
DIA-204-1970-06-05-2 | タイ | 1970年06月05日 | 1970年代 | チャイナートの選挙無効-最高裁はチャイナートの選挙を無効と判定した。これによりタイ国民連合の議席は113に減少。 |
DIA-204-1970-06-06-1 | タイ | 1970年06月06日 | 1970年代 | タノム・ラーマン会談-タノム首相はマレーシアのペナンでラーマン首相と会談し,両国国境地帯の共産テロリストに投降期間を与えることで合意。 |
DIA-204-1970-06-07-1 | タイ | 1970年06月07日 | 1970年代 | 米上院,タイに関する聴聞会の記録公表-米上院外交委員会の対外安全保障協定に関する分科委員会は,昨年11月のタイに関する聴聞会の記録を公表した。アンガー大使など政府側証言の内容は次のとおり。 米国とタイは64年中頃緊急事態に対処するため,2国間の秘密の非常計画を作成することで合意,66年に完成,69年8月に改定,両国間にはほかにも口頭でのいくつかの合意事項がある。 米国政府は南ベトナム政府とともに,タイに対して軍隊をベトナムへ送るよう要請した。67年11月9日の秘密協定で,米国は兵站補給供与,ベトナム駐留タイ軍将兵の海外手当支給,派兵準備並びに訓練の費用負担などを約束。さらにタイ国内の軍事力が手薄になるので,タイ軍の近代化支援のため,68,69両会計年度で3000万ドルの軍事援助増額に同意した。また米空軍の駐留がふえ,敵からの攻撃を受ける可能性が増したとのタイ側の不安を解消するため,対空ミサイルの供与に同意した。 タイ軍の派兵支援のための費用は年間5000万ドル,総額は66年以来2億ドルをこえる。 |
DIA-204-1970-06-09-1 | タイ | 1970年06月09日 | 1970年代 | 南ベトナム,カンボジアへ軍事使節団-消息筋によると,タウィー空軍大将を団長とする一行が南ベトナムへ,またクリエンサック中将を団長とする別の軍事使節団がカンボジアへそれぞれひそかに出発,サイゴンでは黒ひょう師団の撤退について,プノンペンでは義勇軍の派遣地点について会談する予定。 |
DIA-204-1970-06-09-2 | タイ | 1970年06月09日 | 1970年代 | ルーマニア貿易使節団訪タイ。 |
DIA-204-1970-06-10-1 | タイ | 1970年06月10日 | 1970年代 | スーム蔵相談-最近2~3カ月の金融逼迫の原因は,輸出の減少と70年度予算決定の遅れ,それに大規模な民間投資が原因である。しかしインフレというほどには至っていない。 |
DIA-204-1970-06-11-1 | タイ | 1970年06月11日 | 1970年代 | 黒ひょう師団の投入も考慮(タナット外相談)-われわれは争いに巻きこまれたくないが,共産主義者の侵略がタイにまで広がってくるのを座して待つことはできない。タイ軍の介入も必要なときには行なう。黒ひょう師団についても南ベトナムに限らず,カンボジアへの投入が最良と考えられたらそのときは行なう。 |
DIA-204-1970-06-11-2 | タイ | 1970年06月11日 | 1970年代 | プラパート副首相談-カンボジアの軍事高官がタイ国内で,タイ人およびカンボジア系タイ人義勇兵の訓練を行なう。タイは黒ひょう師団のカンボジア投入に反対するものではない。タイ国内から派遣することは外部的圧力(注:アジア会議をさす)のためにできない。しかし黒ひょう師団の投入まで規制されるものではない。それを決めるのは南ベトナムの同盟軍の最高司令部だ。タイはカンボジア国境近くの共産軍の存在で危機にさらされているから,アジア会議の決議を厳密に守るわけにはいかない。 |
DIA-204-1970-06-13-1 | タイ | 1970年06月13日 | 1970年代 | カンボジアへの義勇兵募集開始 |
DIA-204-1970-06-17-1 | タイ | 1970年06月17日 | 1970年代 | タイへの戦闘機供与法案否決-米上院本会議は,タイへのジェット戦闘機供与のワク拡大を求めた有償軍事援助法案修正案を賛成36,反対45で否決した。 |
DIA-204-1970-06-17-2 | タイ | 1970年06月17日 | 1970年代 | 土地計画-サウェーン総理府長官によると,政府は土地改革計画で,4700万バーツの予算中,1200万を農民の負債返済援助に,3500万を土地買上げに充てる予定。買上げた土地は15年の分割払いで農民に売る。この計画は中部タイから実施し,70年に1万4000ライ,71年に3万ライ,72年に3万6000ライ買上げる予定。 |
DIA-204-1970-06-17-3 | タイ | 1970年06月17日 | 1970年代 | 18日 ▲愛知・タナット会談-愛知外相とタナット外相はウェンリントで会談したがこの会談でタナット外相は,タイの義勇兵はまだカンボジア領内に出兵していない,共産側のアジア会議に対する反応を引き出すためにも出兵をやめる努力をしていると述べた。 |
DIA-204-1970-06-19-1 | タイ | 1970年06月19日 | 1970年代 | タノム首相南ベトナムを訪問-エイブラムズ米南ベトナム援助軍司令官,カオ・バン・ビエン南ベトナム軍統合参謀本部長と会談。 |
DIA-204-1970-06-20-1 | タイ | 1970年06月20日 | 1970年代 | 黒ひょう師団は南ベトナムに残る(タノム首相談)-米国,南ベトナムの高官は黒ひょう師団が引き続き,南ベトナムに残ることを望んでいる。南ベトナム軍のカンボジア進攻は支持する。 |
DIA-204-1970-06-20-2 | タイ | 1970年06月20日 | 1970年代 | ホテル業 奨励産業適用対象から除外-投資委員会はバンコク,トンブリーのホテル業を,奨励産業の適用業種からはずすと発表した。 |
DIA-204-1970-06-21-1 | タイ | 1970年06月21日 | 1970年代 | 牛,水牛飼育を奨励産業に-投資委員会は,牛および水牛飼育を奨励産業の業種に追加した。資本金は牛の場合500万バーツ,水牛の場合100万バーツ必要。資本金の60%は国内資本であることを要する。 |
DIA-204-1970-06-22-1 | タイ | 1970年06月22日 | 1970年代 | 対共産圏貿易の拡大望む(ブンチャナ経済相談)-タイはもっと共産圏と貿易すべきだ。中国については,中国のタイに対する姿勢が変れば貿易の門戸も開けよう。ソビエト商船がタイの物資を運ぶという提案には別に反対する理由はない。 |
DIA-204-1970-06-23-1 | タイ | 1970年06月23日 | 1970年代 | 民主党,義勇兵派遣を歓迎-セーニー民主党委員長は,カンボジア戦線で闘う義勇兵に便宜を供与するという政府の決定を歓迎する,またタイ正規軍を派遣しないという決定も賢明であると語った。 |
DIA-204-1970-06-23-2 | タイ | 1970年06月23日 | 1970年代 | 米国,カンボジア派兵にタイを援助-パーチ国務省スポークスマンは,タイ政府がカンボジアのロン・ノル政権を援助するための作戦を決断したときには米国の軍事援助の追加を要求することになろうと語った。 |
DIA-204-1970-06-23-3 | タイ | 1970年06月23日 | 1970年代 | 米国,タイ空軍のカンボジア偵察飛行承認-パーチ米国務省スポークスマンは,タイ空軍がカンボジアで偵察飛行をしていることについて,米国は知っており,承認している,カンボジア援助問題についてタイ側からのいろいろな提案をバンコクで協議しているが,決定はしていないと語った。 |
DIA-204-1970-06-23-4 | タイ | 1970年06月23日 | 1970年代 | プリーディー元首相,北京からパリへ移住-この問題を報告するため,Pairoj Chayanam駐仏大使が急きょ帰国した。 |
DIA-204-1970-06-23-5 | タイ | 1970年06月23日 | 1970年代 | 閣議1971年度予算案承認(総額293億バーツ) |
DIA-204-1970-06-25-1 | タイ | 1970年06月25日 | 1970年代 | 必要なら正規軍の派遣も-タノム首相は議会での質問に答え次のように述べた。必要とする情勢になればタイはカンボジアに正規軍を派遣するだろう。これまでジャカルタ会議の呼びかけを慎重に守ってきた。しかしわれわれが自国の安全を確保しようと望むならカンボジアを援助しなければならない。もし必要な情勢となれば国境を越えなければならなくなろう。 |
DIA-204-1970-06-26-1 | タイ | 1970年06月26日 | 1970年代 | 外務副大臣任命-死亡したチット外務副大臣の後任として,サンガー・キッティカチョン警察少将(タノム首相の弟,50歳)が任命された。 |
DIA-204-1970-06-27-1 | タイ | 1970年06月27日 | 1970年代 | ローイエット県補欠選挙結果- 当選 Chawin Srakham(DFP) 39068票 次点 Chan Janchoon(UTPP) 36908〃 Mrs. Sunirat Tehlan(LP) 34920〃 投票率は20%前後。 |
DIA-204-1970-06-28-1 | タイ | 1970年06月28日 | 1970年代 | 米国からの援助増額確認-米国訪問から帰国したタウィー空軍大将は,ウェストモーランド陸軍参謀本部長やジョンソン国務次官補から,共産主義者と闘うため,今後東南アジア各国に直接間接の援助をふやすとの言質を得たと語った。 |
DIA-204-1970-06-30-1 | タイ | 1970年06月30日 | 1970年代 | 投資委員会,バナナ・プランテーションに奨励法適用-投資委員会はThai Fruit Packing and Export Coを奨励産業に認可した。バナナ年産6480トン(将来10万8000トン),登録資本600万バーツ,タイ資本比率50%,雇用労働者は1900人,農場はチョンブリーまたはラヨン県に開発。 |
DIA-204-1970-07-01-1 | タイ | 1970年07月01日 | 1970年代 | タイ空軍機,カンボジア領爆撃-ウボン基地から出撃したタイ空軍のT28戦闘爆撃機は国境から2マイルのカンボジア領バーンパイ村にある弾薬貯蔵所などを爆撃した。これはカンボジア政府軍が敗走してタイ領内に逃げこんだので,弾薬が共産側の手に入るのを防ぐためである。 |
DIA-204-1970-07-01-2 | タイ | 1970年07月01日 | 1970年代 | 関税率等大幅改正-政府は貿易収支,国際収支の赤字改善および国内産業保護のために229品目にわたる輸入関税引上げ,輸入財に対する営業税率の引上げ等を目的とする緊急勅令を公布し,7月1日より実施すると発表した。関税,営業税の他に国産セメント税,国産石油,石油製品税,清涼飲料水税,酒税についても大幅な改正が行なわれている(参考資料参照)。 |
DIA-204-1970-07-03-1 | タイ | 1970年07月03日 | 1970年代 | 1970年度米経済援助-経済技術協力局高官によると,1970年度の米国からの経済援助額(7月―6月)は3000万ドルで,69年度より500万ドル低かった。部門別では警察局,ARD(緊急農村開発計画)への各600万ドルが最高額。 |
DIA-204-1970-07-07-1 | タイ | 1970年07月07日 | 1970年代 | 便乗値上げに警告-政府はすべての会社,商人に対し,増税に便乗して値上げしないように警告,とくに自動車,セメント,石油,ビール各社には厳重警告した。 |
DIA-204-1970-07-07-2 | タイ | 1970年07月07日 | 1970年代 | 関税引上げの影響による物価上昇-カーウパニット紙の調査によると,諸税引上げが物価を上昇させている。国産品ではセメントが虎印420→465バーツ,象印480→520バーツ,エラワン印520→550バーツ。ビールはシン1ダース125.75→137.75バーツ,石油はベンジンが26サタン/l,ジーゼル油1.5サタン/l,重油2サタン/lと価格が上昇している。輸入商品はまだ関税引上げ前からのストックがあり値上りは顕著ではないが酒税引上げを反映してウィスキー類がほぼ1割上昇している。 |
DIA-204-1970-07-07-3 | タイ | 1970年07月07日 | 1970年代 | 与党若手関税引上げに反対-タイ国民連合党の若手30人は国民生活に重大な影響を与える関税,石油税の引上げに反対,ナコンサワン出身のサタープ議員は今回の引上げにおいて政府が便乗値上げを防ぐ手段を講せず関税を引上げたことは政府が自ら墓穴を掘るようなものと語り,とくに石油税の引上げは生活に必要な消費物資の物価を上げるので少なくとも石油に関しては改正の必要があると述べた。 |
DIA-204-1970-07-07-4 | タイ | 1970年07月07日 | 1970年代 | 民主党議員政府を非難-タマヌーン民主党議員は今回の諸税引上げに対し,これは政府の徴税の無能を示すものであり,諸税引上げによって困惑するのは常に民衆であると政府を非難した。 |
DIA-204-1970-07-08-1 | タイ | 1970年07月08日 | 1970年代 | カンボジア兵に軍事訓練-タノム首相は,タイ国内でカンボジア兵2000人を軍事訓練すると発表した。 |
DIA-204-1970-07-08-2 | タイ | 1970年07月08日 | 1970年代 | タノム首相テレビ演説-タノム首相は諸税引上げに関しテレビで大要次のような演説を行なった。 (1) タイ国は国外からの共産主義の浸透によって,かつてない程の激しい侵略を受けている。政府は軍および警察を国境に派遣するために,多額の資金を必要としている。 (2) 開発計画は進展した。年100万増加する人口に十分な公共施設を供えるため多額の資金を必要とする。 (3) 貿易収支,国際収支を改善するため税の引上げが必要である。国民の不便をできるだけ少なくするような手段を講じる。例えば,石油税はあとで省令を出し引下げる。 もし政府が税を引上げなければ通貨の安定は失われよう。財政支出もできるだけ押える。脱税も防ぐ,国家の利益のためお互いに自己を犠牲にして欲しい。 |
DIA-204-1970-07-08-3 | タイ | 1970年07月08日 | 1970年代 | 共産党幹部を逮捕-タノム首相は8日早朝,バンコク・トンブリ両市のタイ国軍に全面警戒体制につくよう指令した。さらにタノム首相は,3日にタイ共産党幹部プラスート,通称ウープ・イオウチャーイ(50歳)ほか7人を逮捕したと発表した。 |
DIA-204-1970-07-08-4 | タイ | 1970年07月08日 | 1970年代 | 兵器国産化-国防省は閣議に兵器の国産化を提案,閣議は兵器産業を奨励産業とすることを原則として承認した。 |
DIA-204-1970-07-08-5 | タイ | 1970年07月08日 | 1970年代 | 諸物価値上り続く-カーウパニット紙によると市内の丸棒価格は50~100バーツ/トン上昇している。魚,コーヒー豆,ミルク等の食料品も約1割上昇している(参考資料参照)。 |
DIA-204-1970-07-09-1 | タイ | 1970年07月09日 | 1970年代 | 緊急勅令承認法僅少差で議会を通過-諸税引上げの緊急勅令承認法は首相の趣旨説明のあと,セーニー民主党議員,ピチャイ民主党議員,ブンルート無所属議員等から反対の意見が出されたが,討議終了動議を94対92で可決,討議延長動議を102対96で否決したあと本案の採決が行なわれ102対101の僅少差で第一読会を通過した。なお,サワット・タイ国民連合党議員の質問に対して,タノム首相は省令により,石油,セメント税を元の率に下げることを確約した。 |
DIA-204-1970-07-11-1 | タイ | 1970年07月11日 | 1970年代 | 石油,セメント税引下げ-政府は石油,セメント税の引下げを決定した。営業税は7%から再び5%に引下げられる。ベンジンに対する課税はl当たり1バーツから80サタンに,重油税は12サタンから10サタンに,またセメント税はトン当たり50バーツから20バーツに引下げられる。 |
DIA-204-1970-07-12-1 | タイ | 1970年07月12日 | 1970年代 | グエン・カオ・キ南ベトナム副大統領訪タイ。 |
DIA-204-1970-07-13-1 | タイ | 1970年07月13日 | 1970年代 | タノム・キ会談-会談後タナット外相は,カンボジアにおける共産軍の攻撃は,タイ,南ベトナム,カンボジア,ラオスの反共同盟を生みだすかもしれないと語った。消息筋によると,キ副大統領はタノム首相に対し,タイ軍のカンボジア即時派兵を要請したといわれる。 |
DIA-204-1970-07-14-1 | タイ | 1970年07月14日 | 1970年代 | 軍事同盟結成協議-タノム首相は,カンボジアのロン・ノル首相がタイを訪問する際,タイ・カンボジアの軍事同盟結成について協議する,タイは南ベトナム,カンボジア,ラオス,タイ4カ国が軍事同盟を結ぶことが必要と考えていると語った。 |
DIA-204-1970-07-14-2 | タイ | 1970年07月14日 | 1970年代 | USOM米軍撤兵状況を発表-USOMは69年9月30日の6000人撤退のスケジュールの実施状況を発表した。これによると1月31日以来,コーラント・サターヒップ,サコンナコン,コンケーンに駐在する工兵隊,輸送隊,空軍通信隊等が撤退し駐留米軍の数は4万2000人となっている。しかし,一時的な調整により6月30日現在,空軍3万0300人,陸軍9800人,海軍400人の計4万0500人となっている。 |
DIA-204-1970-07-15-1 | タイ | 1970年07月15日 | 1970年代 | チャリット・バンコク市長の解任を決定-民主党中央委員会は12人の行政委員および市会議員から要求されていたチャリット・バンコク市長の解任を決定した。なおチャナ・ルンセーン行政委員は,行政委員,市会議員の職から辞任。 |
DIA-204-1970-07-16-1 | タイ | 1970年07月16日 | 1970年代 | 石油税引下げにより歳入不足懸念-スーム蔵相は石油税引下げにより予定より3億バーツの歳入不足になろうと語った。 |
DIA-204-1970-07-17-1 | タイ | 1970年07月17日 | 1970年代 | 政府支出削減-タノム首相は病院,学校等公共施設以外の建設,役職用乗用車,エア・コンディショナー等に対する支出を削減すると語った。また,開発省ブンロート次官は石油,セメント税引下げによる歳入不足のため,国道,灌漑等の計画に対して3億6000万バーツ支出を削減すると語った。 |
DIA-204-1970-07-19-1 | タイ | 1970年07月19日 | 1970年代 | 投資委員会,人造皮革産業を奨励産業適用業種から除外-理由は,すでに生産高が国内需要約8000トンに見合うだけになったため。 |
DIA-204-1970-07-21-1 | タイ | 1970年07月21日 | 1970年代 | 支出予算削減-閣議は総額6億5400万バーツの予算を削減した。アーチャスック内閣スポークスマンによると,これはタノム首相の指示によるもので,開発省の3億6000万バーツを始めとして,自動車購入費,建設費,雇用労賃などの支出が削減される。 |
DIA-204-1970-07-21-2 | タイ | 1970年07月21日 | 1970年代 | 緊急開発計画-Prasong Sukhum ARD(緊急農村開発計画)事務局長によると,カンボジア国境沿いのウボン,シーサケート,スリン,ブリラム4県で緊急開発計画を実施する。共産側の脅威に対抗するためで,中心は全天候道路372kmの建設。このため他の17県のARD計画は予算を削減して4県に集中する。 |
DIA-204-1970-07-22-1 | タイ | 1970年07月22日 | 1970年代 | ロン・ノルカンボジア首相訪タイ-ロン・ノル首相とタノム首相らの両国高官会議が開かれた。会談後タナット外相が明らかにしたところによると,カンボジア側はタイの武器,軍事訓練その他の援助を要請した。タイ側はさきに伝えられた軍事同盟結成の意図はないことを強調,また両国が意見を交換し,協力する必要があると述べた。 |
DIA-204-1970-07-22-2 | タイ | 1970年07月22日 | 1970年代 | バンコク市議会,暫定市長にタウィン・ラワンパイ氏(民主党)を選出。 |
DIA-204-1970-07-22-3 | タイ | 1970年07月22日 | 1970年代 | セメント価格引下げ-Siam Cementは21日より,セメント価格を引下げることを決定した。虎印420→417バーツ,象印480→475バーツ,エラワン印510→505バーツ,会社の発表によると7月1日から9日までの間,セメント税がトン当たり20→50バーツ,営業税5%→7%に引上げられ,この間の負担は225万バーツに達するが会社が負担するとのこと。 |
DIA-204-1970-07-24-1 | タイ | 1970年07月24日 | 1970年代 | 在韓タイ軍引揚げ-韓国に国連軍として派遣しているタイ軍1個中隊(約110人)を引揚げる。理由は政府支出の削減と,カンボジア情勢がタイの軍事力増強を必要としているため。 |
DIA-204-1970-07-28-1 | タイ | 1970年07月28日 | 1970年代 | Tri発言の真偽究明を指示-タノム首相はニューヨーク・タイムズ紙(18日付)にのった,南ベトナム軍司令官Do Cao Tri将軍の発言の真偽究明を指示し,事実であれば強い対抗措置をとると述べた。Do Cao Tri将軍の発言要旨は「タイは金に貧欲でカンボジア援助に乗り出そうとしない,南ベトナムにいるタイ軍は南ベトナムの防衛にあまり役立っていない」というものである。 |
DIA-204-1970-07-28-2 | タイ | 1970年07月28日 | 1970年代 | 物価の動き-カーウパニット紙によると,先週の主な物価の動きは次のとおり。 (1) セメント Siam Cement 3~5バーツ引下げ,irrigation cement 4バーツ引下げ (2) 外国製タイヤ 10~15%上昇 (3) 国内産タイヤ 変わらず (4) 清涼飲料水 ペプシ・コーラ 大びん(15オンス)12本入り 26.4→30バーツ。中びん(10オンス)24本入り,22.80→26.40バーツ。小びん(6.5オンス)変わらず (5) 洗剤,1箱当たり1バーツ値上げ申請中 |
DIA-204-1970-07-29-1 | タイ | 1970年07月29日 | 1970年代 | Tri発言を非難-プラパート副首相は,タイが金に食欲でカンボジア防衛の責任を拒否していると非難しているのは,嫉妬心から出た根も葉もない悪口だ,タイをカンボジアの戦争に引きずりこもうとしているものだと,Do Cao Tri発言を非難した。 |
DIA-204-1970-07-31-1 | タイ | 1970年07月31日 | 1970年代 | 諸税引上げ緊急勅令承認法第2・第3読会を通過- 第2読会 第3読会 1. 関税率制定勅令(No.23)承認法 109対102 108対100 2. 歳入法改正勅令(No.2)承認法 170対92 109対107 3. 酒税法(No.2)勅令承認法 110対101 4. 清涼飲料水税勅令承認法 111対103 5. 国産セメント税勅令(No.2)承認法 121対40 6. 国産石油,石油製品税勅令承認法 122対18; |
DIA-204-1970-08-05-1 | タイ | 1970年08月05日 | 1970年代 | プリーディー元首相へ書簡-タノム首相は,プリーディー元首相に書簡を送り,政府転覆活動をすることのないように要請したと語った。書簡は7月にプアイ中央銀行総裁がパリでプリーディー氏に渡した(プリーディー元首相は現在パリに居住)。 |
DIA-204-1970-08-05-2 | タイ | 1970年08月05日 | 1970年代 | 与党内不満分子,5閣僚の辞任要求-タイ国民連合党の国会議員69人は,スーム蔵相,ポット国家開発相,アムポーン副法相,マヌーン副農相,チット副国防相の辞任要求をタノム首相に提出した。要求は内閣改造と党の機構強化,議員が閣僚となれることおよび上院の権限縮小のための憲法改正を求めている。 |
DIA-204-1970-08-11-1 | タイ | 1970年08月11日 | 1970年代 | 投資委員会,紡織業を奨励産業適用業種から暫定的に除外。 |
DIA-204-1970-08-13-1 | タイ | 1970年08月13日 | 1970年代 | カンボジア援助で合意-タノム首相は,カンボジア援助に関する米・タイ間の合意が成立したと語った。カンボジア系タイ義勇兵(3000人)と,タイで軍事訓練中のカンボジア兵(2000人)に,米国は必要な経費,武器を追加軍事援助の形でタイに与える。 |
DIA-204-1970-08-14-1 | タイ | 1970年08月14日 | 1970年代 | 予算委員会,野党が多数占める-下院予算委員会委員にタイ国民連合党6,民主党6,無所属6,自由党5,経済人連合戦線1,役人9人が選出された。与党内部の不統一から野党が37人中19人と過半数を占めた。 |
DIA-204-1970-08-16-1 | タイ | 1970年08月16日 | 1970年代 | 与党内でDemocrat Faction結成-与党でプラパート副首相を支持する議員44人が新派閥を結成,Democrat Factionと名乗り,サンガー外務副大臣を支持する20人の若手議員グループ(Young Turk)と対立する姿勢を強めている。 |
DIA-204-1970-08-19-1 | タイ | 1970年08月19日 | 1970年代 | 義勇兵派遣見合わせる-タノム首相は緊急記者会見で,タイ義勇兵のカンボジア派遣は当分見合わせると語った。 |
DIA-204-1970-08-25-1 | タイ | 1970年08月25日 | 1970年代 | 歳入増順調-歳入局は70年度第3・四半期までの歳入は45億バーツ,対前年比3億4479万バーツ増,8.3%の増加であることを明らかにした。これは人口増,所得増のためであり,また奨励産業で免税期間の経過したものが出てきたためであると説明されている。 |
DIA-204-1970-08-25-2 | タイ | 1970年08月25日 | 1970年代 | 米価支持制度の経過報告-倉庫機構は米価支持制度による米の買入状況の中間発表を行なった。これによると年初よりの買入れ量は粳籾2万9172トン,糯籾3万8606トンの計6万7778トンで購入資金は6798万バーツである。 |
DIA-204-1970-08-27-1 | タイ | 1970年08月27日 | 1970年代 | 南ベトナムのタイ軍引揚げ-タノム首相は,タイは南ベトナムからすべての将兵を引揚げる,これはカンボジア,ラオス国境沿いに戦力が必要なためであると語った。 |
DIA-204-1970-08-27-2 | タイ | 1970年08月27日 | 1970年代 | ラオスへの米輸出地点追加-経済省はラオスへのプレミア免除,許可証なしの米輸出通関地点として,新たにチェンライを追加した。 |
DIA-204-1970-08-28-1 | タイ | 1970年08月28日 | 1970年代 | 米政府もタイ軍撤退に同意-米政府スポークスマンは,タイ政府が南ベトナム駐留タイ軍引揚げについて,タイ,南ベトナム両政府間で,原則的決定に達したことを公式通告してきた,米政府も反対の意向はないことを伝えたと語った。なお米政府からタイ兵1人について400ドルの復員費が支払われる。 |
DIA-204-1970-08-28-2 | タイ | 1970年08月28日 | 1970年代 | アグニュー米副大統領訪タイ。 |
DIA-204-1970-08-28-3 | タイ | 1970年08月28日 | 1970年代 | 新聞法に抗議してアグニュー報道をボイコット-タイ新聞人会議(ジャーナリスト協会,記者協会等4団体)は,政府の提案しようとしている新聞法に抗議して,アグニュー米副大統領訪タイに関するニュースを全面的にボイコットすることを決めた。問題となっているのは,内務省係官が平時でも新聞が国家の安全と秩序を脅やかすとみられる報道をした場合,その新聞社を閉鎖する権限を持っている点である。 |
DIA-204-1970-08-28-4 | タイ | 1970年08月28日 | 1970年代 | チャイナート県国会議員選挙-無所属のKriangsak Suksawang氏が当選。 |
DIA-204-1970-08-29-1 | タイ | 1970年08月29日 | 1970年代 | 米国,財政・軍事援助継続を約束-タノム首相,タナット外相らとアグニュー米副大統領の会談後,タナット外相は記者会見で次のように述べた。 アグニュー副大統領は今後も米国はタイに対し財政・軍事上の援助を続けると約束した。タノム首相はタイがすでにニクソン・ドクトリンを実行しており,自国の防衛に1人の外国兵も求めていない点を強調,さらに,単にベトナム化だけでなく,タイ,カンボジア,ラオスの防衛を支えるためにも,東南アジア化のプログラムを作るべきだと述べた。 |
DIA-204-1970-08-30-1 | タイ | 1970年08月30日 | 1970年代 | カンボジア派兵せず-消息筋によると,タノム首相はアグニュー副大統領との会談で,タイの正規軍部隊や志願兵部隊をカンボジアの戦闘に巻き込みたくないとの希望を表明したといわれる。 |
DIA-204-1970-09-01-1 | タイ | 1970年09月01日 | 1970年代 | 日本のタイ援助-日本大使館の発表によると,タイは日本の全技術援助の14.5%,医療援助の20%を受けている。これまでの援助額は1億1680万ドル,そのうち830万ドルは贈与。 |
DIA-204-1970-09-02-1 | タイ | 1970年09月02日 | 1970年代 | カンボジアへのタイ軍派遣必要なし-カンボジアのクン・ウィック外相は,カンボジア情勢が変わったのでタイ軍は必要ない。またカンボジアが正式にタイ軍派遣を要請したことはないと語った。 |
DIA-204-1970-09-03-1 | タイ | 1970年09月03日 | 1970年代 | 日本・インドネシア援助にタイ米買付け-日本政府はインドネシアへの1000万ドルの食料援助のうちタイ米を700万ドル,7万5675トンを購入することを決定した。 |
DIA-204-1970-09-04-1 | タイ | 1970年09月04日 | 1970年代 | 若い軍人グループ,政党結成準備を宣言-リーダーは国防大学講師で,元民主主義戦線副委員長のサマーン・トーンゴーラーム氏,タノム首相の息子ナロン・キッティカチョン中佐も強く支持しているといわれる。 |
DIA-204-1970-09-05-1 | タイ | 1970年09月05日 | 1970年代 | 70年度,第4・四半期の財政収支発表-大蔵省は第4・四半期の財政収支を発表した。それによると,収入は154億5600万バーツ,うち借入金1億0220万バーツ,支出は116億1100万バーツ,うち借入金返済1億1100万バーツである。 |
DIA-204-1970-09-08-1 | タイ | 1970年09月08日 | 1970年代 | 米軍9,800人がさらに撤退-米タイ共同声明が発表され,71年7月1日までに米軍9,800人(空軍7,300人)が撤退することが明らかにされた。タウィー空軍大将はこれに関連して,米軍撤退の代わりとして,来年初めに米国から大型艦載艇6隻,ミサイル何基かが到着する。9,800人の撤退により,引渡しを1年早めるように要請したものであると語った。 |
DIA-204-1970-09-08-2 | タイ | 1970年09月08日 | 1970年代 | カンボジアへの派兵せず-タナット外相は,タイはカンボジアに対して,現在訓練中のクメール系タイ人からなる義勇兵3000人を含むいかなる軍隊も出兵しないことを決めたと語った。 |
DIA-204-1970-09-10-1 | タイ | 1970年09月10日 | 1970年代 | B52撤収についても協議-タノム首相はマッケーン米太平洋統合軍司令官との会談後,ウタパオ基地のB52撤収についても米国と交渉中であると言明した。この会談ではタイ側から主として戦闘機,ヘリコプター,ミサイルなどの援助要請が出された。 |
DIA-204-1970-09-10-2 | タイ | 1970年09月10日 | 1970年代 | 外貨準備減少-タイ中央銀行は7月末の外貨準備は8億2430万ドル,6月末より1670万ドル,前年同月より9230万ドル減少したと発表,この中には,1380万ドルの世銀参加証券の購入が含まれている。 |
DIA-204-1970-09-12-1 | タイ | 1970年09月12日 | 1970年代 | セメント売行き不振-ユニバーサル・セメント社(資本金3000万バーツ,タイ・台湾合弁,従業員100名)のポンチャイ社長はセメント売行きが不振で価格が下落していると次のように語った。 サラブリー工場で2,500トン生産したが,うち600トンしか売れない。日本からの輸入品が市場にあふれている。現在,国内の需要量は2,000トン,供給力は3社で3,000トン,工場建設前にトン当たり1,200バーツであった輸入価格は950バーツに下落,国内産業を育成するためには関税を引上げるべきである。 |
DIA-204-1970-09-12-2 | タイ | 1970年09月12日 | 1970年代 | 輸出加工地域計画-投資委員会筋によると,工業省は輸出振興のため輸出加工地域を設置,同地域内の工場の原材料輸入は免税とし,できあがった製品にはタイの税金をかけるという計画を検討している。 |
DIA-204-1970-09-16-1 | タイ | 1970年09月16日 | 1970年代 | 将来国軍兵力増強-タノム首相は,タイ国軍の兵力は定員不足(70~80%)である。また近い将来国軍兵力を25万人に増強する(現在17万人),タイ軍の南ベトナム撤兵は南ベトナムの状況を考えてやらねばならない。また現在,タクリー基地の存廃も含め,米軍撤退後戦闘機を残していくよう米国と交渉していると語った。 |
DIA-204-1970-09-20-1 | タイ | 1970年09月20日 | 1970年代 | チェンラーイ県知事殺さる-チェンラーイ県チェンセーン郡で,Prayad同県知事,県警察本部長,陸軍第3管区情報部長の3人が,約10人の共産ゲリラに射殺された。共産ゲリラが降伏するといって指定した地点まで出かけ,そこで殺された。同知事は今年4月に赴任。前プラチュアプキーリーカン知事で共産ゲリラ鎮圧で功があった。 |
DIA-204-1970-09-21-1 | タイ | 1970年09月21日 | 1970年代 | 共産ゲリラ追跡を指令-タノム首相はチェンラーイの軍当局に対し,県知事ら3人を殺した共産テロリストを全力をあげて追跡するよう命令した。警察の捜査によると,テロリストは10人で,リーダーのSubin Montriは,この地域一帯のテロリストの指導者Kru Nibhondの弟。 |
DIA-204-1970-09-22-1 | タイ | 1970年09月22日 | 1970年代 | ベトナム戦争の東南アジア化提唱-タナット外相は国連記者クラブで,中共とソ連をパリ和平会談に加えるべきである。またニクソン・ドクトリンの成功を望むが,ベトナムに関してはベトナム化のみでは負けてしまう,ベトナムを共産主義の手から守るためにはラオス,カンボジア,タイ,ビルマへの援助を含む東南アジア化の構想が必要であると語った。 |
DIA-204-1970-09-22-2 | タイ | 1970年09月22日 | 1970年代 | ウタパオ基地のB52出撃回数増加-サイゴンの軍事消息筋によると,インドシナ地域におけるB52の出撃は全体として減少しているが,現在米軍の爆撃はすべてウタパオ基地から出撃しているため,ウタパオ基地のB52の出撃回数は逆に増加している。 |
DIA-204-1970-09-22-3 | タイ | 1970年09月22日 | 1970年代 | 自動車国産化検討-ポン工業相は工業省は近く自動車国産化計画を提出すると次のように述べた。 タイは国産原材料を使って,社会主義国がやっているように1車種のみ生産すべきだ。そうすることによってコストを低減化でき,関連産業の発展をうながせる。いま最適モデルを調査中だが,セダンの中型位になろう。自動車組立ては外国から部品を輸入するから,タイ経済に大きな貢献をしていない。タイが自動車を国産化できれば,外車の完成車輸入税をさらに引上げる。 |
DIA-204-1970-09-24-1 | タイ | 1970年09月24日 | 1970年代 | 関税引下げの影響-トーン・テェーン関税局長は関税引上げによって,国内組立自動車が輸入完成車より割高になっており,閣議は国内業者を何らかの方法で援助することを決定したと語った。その方法としては営業税の引下げが考えられている。 |
DIA-204-1970-09-25-1 | タイ | 1970年09月25日 | 1970年代 | タクリー基地労務者解雇-タイ空軍は,米軍撤退に伴う措置として基地労務者1100人を12月末までに解雇すると発表した。 |
DIA-204-1970-09-25-2 | タイ | 1970年09月25日 | 1970年代 | キャサバ輸出好調-キャサバの輸出が好調,すでに100万トン,10億バーツが輸出されている。価格も好調で60kg当たり30バーツと史上最高である。 |
DIA-204-1970-09-26-1 | タイ | 1970年09月26日 | 1970年代 | 民主党,新書記長選出-民主党は脱党したヤイ・サウィッチャート氏の後任として,タマヌーン・ティエングーン氏を新書記長に選出した。 |
DIA-204-1970-09-28-1 | タイ | 1970年09月28日 | 1970年代 | 北ベトナム赤十字代表団5人バンコク着-約100人のベトナム人が出迎えた。ベトナム難民の送還交渉は10月5日から1959年のラングーン協定に基づき,同協定の実施方法について協議する。 |
DIA-204-1970-09-28-2 | タイ | 1970年09月28日 | 1970年代 | 日タイ貿易合同委員会開催-28日から30日までは事務レベル会議,10月1,2日は閣僚会議(参考資料参照)。 |
DIA-204-1970-09-30-1 | タイ | 1970年09月30日 | 1970年代 | 米価支持政策の成果-倉庫機構は米価支持による米買付状況の中間報告を行なった。それによると,現在までの米買付量は,糯米籾3万9300トン,粳米籾2万9520トン,合計6万8820トン,金額にして6800万バーツである。米備蓄委員会への売渡量は,粳米籾1万2948トン,糯米籾3073トン,粳精白米7250トン,糯精白米2万7434トンである。 |
DIA-204-1970-10-01-1 | タイ | 1970年10月01日 | 1970年代 | 工業化政策の方向-投資委員会は今後の工業化政策の方向として,輸出産業,とくにタイ国内の労働力を吸収する産業を奨励すると発表した。これに該当する産業として,電子産業,時計,その他部品産業をあげている。 |
DIA-204-1970-10-06-1 | タイ | 1970年10月06日 | 1970年代 | 投資委員会発表-1969年度(10月―9月)の国内総生産(GDP)は1117億8100万バーツ,農業部門327億6000万バーツ(29.31%),工業部門187億2600万バーツ(16.75%),商業部門212億8800万バーツ(19.67%),建設88億5900万バーツ(7.93%),運輸通信71億1000万バーツ(6.36%),サービス96億6300万バーツ(8.64%),その他126億7500万バーツ(11.34%),国民1人当たりGDPは3194バーツ。 |
DIA-204-1970-10-07-1 | タイ | 1970年10月07日 | 1970年代 | 日本に1億5000万ドルの借款要請-タイ政府筋は第3次5カ年計画遂行のため,日本に対し1億5000万ドル程度の借款を要請したい意向である旨明らかにした。 |
DIA-204-1970-10-09-1 | タイ | 1970年10月09日 | 1970年代 | ブンチャナ経済相談-ブンチャナ経済相は,マレー半島の石油パイプライン問題は個人的に賛成であるが,輸出のための石油精製所の建設が必要であろうと語った。また米の輸出は現在80万トンで,年内目標100万トンは達成できる予定であると語った。 |
DIA-204-1970-10-15-1 | タイ | 1970年10月15日 | 1970年代 | 対中国政策変更せず-サウェーン総理府長官はカナダと中国との国交回復に関して,タイと中共の国交回復は将来は可能であるが,ヨーロッパ諸国にはそれぞれの事情があるし距離も遠い,しかし,タイは中国に非常に近く,かつ中国が好戦的政策をとっているので,ここしばらくは現在の政策を続けると語った。 |
DIA-204-1970-10-15-2 | タイ | 1970年10月15日 | 1970年代 | バンコク市議会,新市長にタウィン・ラワンパイ氏を選出。 |
DIA-204-1970-10-16-1 | タイ | 1970年10月16日 | 1970年代 | 社会民主党結成準備申請-フォーン・シッティタム(元民主主義戦線),ウィチャイ・セーワマート(元民主党)両氏は,内務省に社会民主党(Social Democratic Party)の結成準備申請を提出した。 |
DIA-204-1970-10-16-2 | タイ | 1970年10月16日 | 1970年代 | タイ人雇兵逮捕-バンコク警察はバス2台でラオスへ向かおうとした57人を逮捕,ピストル,弾薬などを押収した。陸軍軍人15人を含むこのグループは,プーマ政府打倒のためのラオス右派勢力の外国雇兵部隊とみられる。 |
DIA-204-1970-10-16-3 | タイ | 1970年10月16日 | 1970年代 | 国債消化額-1970年度中の国債発行額52億2080万バーツ,消化額38億9500万バーツ。 |
DIA-204-1970-10-18-1 | タイ | 1970年10月18日 | 1970年代 | Thai Oil Refinery増設完了-日産3万バーレルから6万5000バーレルへの増設が完了した。総工費2500万ドル,利益配分は74年まで30%または総販売額の1.25%,その後,2.5%,または1200万バーツ以上である。 |
DIA-204-1970-10-18-2 | タイ | 1970年10月18日 | 1970年代 | 第3次5カ年計画の外国援助-レーヌー国家経済開発委員会事務局長は,第3次5カ年計画では5億ドルの外国援助を必要とする。14カ国に要請するが,米国,西独,日本が関心を示していると述べた(参考資料1参照)。 |
DIA-204-1970-10-19-1 | タイ | 1970年10月19日 | 1970年代 | パッタニー解放戦線-タイ南部の回教徒分離主義者たちはこのほど,バッタニー県を解放し,同県に共和制をしくため,バッタニー共和国民族解放戦線を結成した。 |
DIA-204-1970-10-22-1 | タイ | 1970年10月22日 | 1970年代 | インドネシアと軍事秘密会議-最高司令部に近い筋によると,米軍のアジア撤退に備えて,タイとインドネシアの軍事高官がジャカルタで軍事秘密会議を開いている。 |
DIA-204-1970-10-23-1 | タイ | 1970年10月23日 | 1970年代 | 石油化学コンビナート計画承認-政府は日本の三井石油化学,三井東圧,日石化学,三菱油化,帝人の5社共同による石油化学コンビナート計画を承認した。出資比率は発足当初は50対50,操業開始8年後にはタイ側51%,日本側49%,10年後にはタイ55%,日本45%とする。投資委員会の発表によると,このほか,タイ政府の出資,出資に伴う役員数,生産物価格,増資,減資,株式譲渡,定款の改正,半期毎の事業報告などに関して投資委員会の定める原則に従うことを義務づけている(11月12日,奨励産業として承認)。 |
DIA-204-1970-10-27-1 | タイ | 1970年10月27日 | 1970年代 | 共産ゲリラ鎮圧作戦強化-政府は29県における共産分子鎮圧強化のため,71年度予算の政府中央保有資金から9144万バーツを振分けることを決めた。 |
DIA-204-1970-10-29-1 | タイ | 1970年10月29日 | 1970年代 | 与党議員50人,内閣改造を要請-要請ではプラシット・カーンチャナワット上院議員を閣僚に加え,病気のチッティ副国防相のかわりにクリット・シーワラー副文相をその後任に据えるよう要請している。 |
DIA-204-1970-11-01-1 | タイ | 1970年11月01日 | 1970年代 | 米プレミアム引下げ (単位バーツ/トン) |
DIA-204-1970-11-02-1 | タイ | 1970年11月02日 | 1970年代 | 個人所得増-プラヤット国家経済開発委員会議長によると,1969年の平均個人所得は3583バーツ(68年3326バーツ,67年3169バーツ)。 |
DIA-204-1970-11-05-1 | タイ | 1970年11月05日 | 1970年代 | NEDB,貿易赤字解消で8項目を提案-レーヌー国家経済開発委員会事務局長は日本人商工会議所で日タイ間の貿易赤字解消のため次の8項目を提案した。①タイに対する日本の投資はタイの原材料を使って完成品,半製品の形で日本に輸出できる製造部門により集中する,②タイの日本企業はタイの原材料を使い,日本からの原材料輸入を減らす。日本の企業は必要原材料の77%を日本から輸入している,③日本企業が必要とし,日本から輸入している原材料に代替する原材料生産工業に日本からの投資を集中する,④日本がより多くのタイ一次産品に市場を与えること,⑤タイ人の雇用促進,⑥現地の会社が参加する機会を与えること,⑦日本人観光客の誘致,⑧ひもつき援助をなくすこと。日本産品および役務の購入に結びつけることによって多くの不便や遅れが生じ,援助の利用を妨げる結果となる。 |
DIA-204-1970-11-06-1 | タイ | 1970年11月06日 | 1970年代 | タクリー基地からの米軍機撤収完了-米大使館スポークスマンの発表によると,タクリー基地からすべての米軍機が撤収した。第355戦術航空団のF105ジェット戦闘爆撃機(80機)は大半が米国へ引揚げ,一部はコーラート基地に移動した。 |
DIA-204-1970-11-13-1 | タイ | 1970年11月13日 | 1970年代 | タナット外相談-アジア外の国の中共承認決定は東南アジアの情勢を変えるものではなく,従って中共に対するタイ政府の政策は変わらない。われわれにはわれわれの考え方があり,アプローチのしかたがある。中共と国府はともに2つの中国を否定しており,それをおしつけることは内政干渉になる。中国問題はまず中国人どおしで解決すべき問題である。タイは国府と友好関係にあり,他方北京はタイに敵対的な態度をとっている |
DIA-204-1970-11-13-2 | タイ | 1970年11月13日 | 1970年代 | ブンチャナ経済相談-中共は4年以内に国連加盟を許されるだろう。しかし,中共の国連加盟を認めても,今後10年間は革命の輸出をとめることはできないだろう。中共承認国がふえているが,タイとしてはその前に,経済的,社会的,政治的情勢を慎重に考慮しなければならない。 |
DIA-204-1970-11-15-1 | タイ | 1970年11月15日 | 1970年代 | 南部で大規模なテロリスト掃討作戦開始。 |
DIA-204-1970-11-17-1 | タイ | 1970年11月17日 | 1970年代 | 閣議,外人職業規制法の原則を承認-閣議は規制法の3原則を承認した。①規則は全面的なものではなく,一部の職業と貿易業のみ,②当法律施行前にすでに当該事業に従事しているものには適用しない。③外国人の就業許可の条件は省令で定める。 |
DIA-204-1970-11-17-2 | タイ | 1970年11月17日 | 1970年代 | 統計局,人口センサス発表-4月1日現在,3415万2000人,580万4000世帯,男1700万2000人,女1715万人,前回1960年と比べ,789万4000人(30.1%),118万7000戸(25.7%)増。人口増の激しいのはカムペンペット年平均6.7%,サトゥーン6.5%,人口減はサムットサーコン0.5%,サムットソンクラーム0.2%。 |
DIA-204-1970-11-18-1 | タイ | 1970年11月18日 | 1970年代 | ベトナム派遣タイ軍2月に半数撤兵-タノム首相は,南ベトナムに派遣しているタイ軍の半数は来年2月までに撤兵し,残りは72年中に撤退し終えると語った。 |
DIA-204-1970-11-19-1 | タイ | 1970年11月19日 | 1970年代 | 米プレミアム収入大幅減-経済省高官筋によると,1~10月の米プレミアム収入は昨年同期より43.71%減となっている。金額は5億1627万6144バーツ(昨年同期9億1724万8795バーツ)。民間ベースによるもの3億8670万3649バーツ,政府ベース1億2957万2495バーツ。なお11月17日までの米輸出量は90万9268トン。 |
DIA-204-1970-11-24-1 | タイ | 1970年11月24日 | 1970年代 | 内閣一部改造発表- 副経済相 プラシット・カーンチャナワット(前上院議員) 副文相 アパイ・チャンタウィモン(元文部次官) 副国防相 クリット・シーワラー(前副文相) 副農相 ピチャイ・クンラワニット(前副経済相) 副法相 マヌーン・ボリスット(前副農相) |
DIA-204-1970-11-26-1 | タイ | 1970年11月26日 | 1970年代 | 日本からの輸入規制考慮-ブンチャナ経済相はタイ経営者協会において,もし日本など各国との貿易収支の赤字がこれ以上続くなら,タイはこれらの国から全輸入を禁止するか,あるいは一部商品の輸入規制措置をとるかもしれないと語った。 |
DIA-204-1970-11-27-1 | タイ | 1970年11月27日 | 1970年代 | 黒ひょう師団の撤退遅れる-南ベトナム訪問から帰国したタウィー空軍大将は,黒ひょう師団の撤退は早くても来年8月になる,Sea HorseとAir Force Victoryはその直後になるだろう,タイ・南ベトナム・米国の3者で撤退監督委員会をつくる,タイ全軍が引揚げるかどうかは南ベトナムの情勢如何であると述べた。 |
DIA-204-1970-11-30-1 | タイ | 1970年11月30日 | 1970年代 | 東南ア中立化構想否定-タナット外相はマレーシアの提唱した東南アジア中立化構想や,中国問題について次のように述べた。 アジアの中立化自体が問題なのではなく,中立を中共のような勢力が認めるかどうかだ。もし誰かが,近隣諸国すべての中立を認めると保証できるなら,各国は皆狂喜して中立化するというだろう。 私は中共と相互の利害問題について話しあいたいと思う。しかし,最近の呼びかけに対しても何の返答もない。タイに対して侵略的,転覆活動を行なおうとする者が近隣にいる限り,タイは集団軍事同盟の中に残る。しかし,同時に政治的方法を通じての集団安全保障政策を推進し続ける。 |
DIA-204-1970-12-02-1 | タイ | 1970年12月02日 | 1970年代 | 1970年度財政収支-収入総額は227億8100万バーツ,うち借入金37億3500万バーツ,支出総額267億1800万バーツ,うち借入金返済6億4000万バーツ。 |
DIA-204-1970-12-02-2 | タイ | 1970年12月02日 | 1970年代 | 輸出振興措置検討-アムヌアイ投資委員会(BOI)事務局長は,BOIで立案している輸出振興措置には,輸出業者に対する低利融資と税割戻し案を含む,税割戻し案では原材料輸入は免税として工業生産を刺激すると述べた。 |
DIA-204-1970-12-06-1 | タイ | 1970年12月06日 | 1970年代 | 南部掃討作戦の結果-チャムラート警察局次長への報告によると,11月15日から30日までの2週間の作戦で,戦闘12回,テロリスト17人を殺し,容疑者432人を逮捕した。政府軍側は死者2,負傷5。 |
DIA-204-1970-12-10-1 | タイ | 1970年12月10日 | 1970年代 | 軍需産業に外資導入せず-タノム首相は,軍需産業への外国資本の投資を承認した決定を撤回する,理由は①武器取引きをコントロールする,②政府が計画中の軽火器工場と競争しないようにするためである。軽火器工場は3年以内に生産を開始すると述べた。 |
DIA-204-1970-12-11-1 | タイ | 1970年12月11日 | 1970年代 | 対カンボジア援助増-タノム首相は,カンボジア側からの要請に従ってもっと多くの武器援助をする,あわせてカンボジア兵の軍事訓練も増加させると述べた。 |
DIA-204-1970-12-11-2 | タイ | 1970年12月11日 | 1970年代 | 産投法申請企業減少-アムヌアイBOI事務局長によると,今年の産業投資奨励法適用申請企業数は170件で昨年より100件ほど減少する見込み。この原因は,競争力が十分あると判断する企業には認可を与えず,国産原材料を使うこと等を含めて条件を厳しくしたこと,また景気が必ずしもよくなかったことが原因となっている。今年10カ月間で申請企業は142件(昨年1年間で268件),認可したのは60件,投資総額14億0400万バーツ,3分の2はタイ資本。 奨励法開始以来8月までの認可数は543件でこれを業種別にみると,農産物加工154件,鉱業38件,金属・非鉄59,機械23,電機32,紡績87,化学・石油製品58,サービス84,その他18である。総投資額は249億9200万バーツ(株式30%,借入金70%),年間売上額は227億5100万バーツである。最高の利益を上げているのはThai Oil Refinery Co.の年間1億1700万バーツである,この他,年間利益5000万バーツ以上の会社はタイ・セメント社,ファイアーストーン社を含む4社,1000万~5000万バーツは13社,500万~1000万バーツは20社,100万~500万バーツは70社である。 |
DIA-204-1970-12-12-1 | タイ | 1970年12月12日 | 1970年代 | Budo山麓地域居住禁止-内務省はテロリストへの物資補給,支援を断つために,ヤラー,ナラティワート,パッタニー3県の当局に,Budo山麓地域居住禁止権限を与えたと発表した。同地域へ入ろうとする者は郡長の許可を得なければならない。テロリストの指導者はPoh Yeh,Bu Noh,Seng Luk Mai Pai,Seng Tha Namらである。 |
DIA-204-1970-12-14-1 | タイ | 1970年12月14日 | 1970年代 | マレーシアのラザク首相訪タイ。 |
DIA-204-1970-12-14-2 | タイ | 1970年12月14日 | 1970年代 | アムポン中華総商会会長談-1970年は中国人にとっては最悪の年で,50%が赤字操業の状態となっている。一番苦しいのは繊維商と米穀商,次いで一般小売商。増税の波及で大衆はあまり買わなくなった。どう解決したらよいかわからないでいる。 |
DIA-204-1970-12-15-1 | タイ | 1970年12月15日 | 1970年代 | 旧国民党軍とメオ族が戦闘-チェンラーイ県のDoi LuangとKhum Nam Somの山岳地帯で,旧中国国民党軍(約700人)とメオ族共産ゲリラの戦闘が続いている。12日の戦闘でメオ族27人,中国人8人死亡。メオ族ゲリラは,チェンラーイ県知事を殺害した者と同一グループとみられる。 |
DIA-204-1970-12-15-2 | タイ | 1970年12月15日 | 1970年代 | 経済沈滞-チャルーン・タイ商工会議所会頭はタイ経済は不景気である。国民の購買力が落ち商品が売れず,在庫は増加している。商人は負債を返済できず,輸入業者の8割は金融上の問題を持ち破産寸前である。国民の所得は上昇しないのに物価は上っている。来年の経済の見通しもよくないと語った。 |
DIA-204-1970-12-17-1 | タイ | 1970年12月17日 | 1970年代 | もち米価格下落-ナコンパノム出身のサウェーン与党議員はタノム首相に対して書簡を出し,東北タイでもち米在庫が増加し,価格が12kg当たり5バーツに下落し,農民は困窮している。このため,当面支持価格による政府買付けを即時実施し,長期的にはもち米生産を減少し,他の畑作物を植付けるよう指導してほしいと要請した。 |
DIA-204-1970-12-18-1 | タイ | 1970年12月18日 | 1970年代 | 国外市場優先策を主張-ポン工業相は,これ以上外国市場を失ってはならない,従来は米のように国内市場優先策をとってきたが,今後は国内を犠牲にしても,国外市場優先策をとるべきだ,しかし,それによって国内で極端な値上りを起こすことはさけねばならないと語った。 |
DIA-204-1970-12-22-1 | タイ | 1970年12月22日 | 1970年代 | B.O.I.製鉄所建設を認可-アムヌアイBOI事務局長は製鉄所認可の方針を発表した。認可の基準は,将来,原料開発を行なう計画を有するもの,冷圧延50万トン,出銑量100万トンである。市場が狭いため1社にしか認められない。また原材料は当面外国から輸入してもよい。71年6月末日までに申請書を提出できる。 |
DIA-204-1970-12-23-1 | タイ | 1970年12月23日 | 1970年代 | 71年度国債53億バーツ発行予定 一般国債 約10億バーツ,額面1,000バーツ,利率7.5%,15年 中期投資債 約20億バーツ,額面1,000バーツ,9%,5年 長期投資債 約20億バーツ,額面1,000バーツ,9%,15年 貯蓄債 約3億バーツ,額面100バーツ,7.5%,10年 |
DIA-204-1970-12-25-1 | タイ | 1970年12月25日 | 1970年代 | タイ・ソビエト貿易協定調印-タイは主として一次産品を輸出し,機械,工業製品を輸入する。ソ連の買付ける螢石の価格は日本の買付け値段を大幅に上まわる。 |
DIA-204-1970-12-27-1 | タイ | 1970年12月27日 | 1970年代 | 日本の投資を抑制-信頼できる総理府筋は,国際収支の赤字是正のためにも,日本からの投資は近く政府のより強い規制下におかれるだろうと述べた。 |
DIA-204-1970-12-29-1 | タイ | 1970年12月29日 | 1970年代 | タイ・ソ連通商協定について-タナット外相は,ソビエトがタイと通商協定を結んだということは,ソビエトがタイの自主的政策を認めたしるしである。貿易協定は両国の一層の協力前進のステップであると語った。 |
DIA-204-1970-12-29-2 | タイ | 1970年12月29日 | 1970年代 | タイ・カンボジア,5協定に正式調印-協定は貿易,観光,旅行,通信,fishing grounds. |
DIA-204-1970-12-30-1 | タイ | 1970年12月30日 | 1970年代 | 南ベトナムのタイ軍撤退は7月-信頼できる国防省筋によると,南ベトナム派遣タイ軍の半数は71年7月に撤兵する。 |
DIA-204-1970-12-31-1 | タイ | 1970年12月31日 | 1970年代 | 国際収支の赤字増大-ブンチャナ経済相は,1970年の貿易収支は改善されたが,国際収支赤字は増大している。原因は外国援助と米軍特需の減少によると述べた。70年1~9月の輸出は昨年同期比4億1800万バーツ増,輸入は9100万バーツ減,国際収支は16億1600万バーツの赤字(昨年同期5億6600万バーツ赤字),外貨準備高は10月末現在7億6980万ドル。 |
DIA-204-1970-12-31-2 | タイ | 1970年12月31日 | 1970年代 | 70―71年産米支持価格-政府は70―71年産米の支持価格を決定した。粳米は前年並み,糯米は2等(10~15%),850バーツ3等(20―25%),800バーツ。 |
DIA-204-1971-01-01-1 | タイ | 1971年01月01日 | 1970年代 | 貿易収支の赤字幅縮小-経済省は70年1月~9月の貿易収支は86億7200万バーツの入超であったと発表した。昨年同期の91億8100万バーツより赤字幅は5億0900万バーツほど縮小している。これは,輸出が4億1800万バーツ増加したのに対し,輸入が9100万バーツ減少したためである。とくに7月の関税引上げ後,輸入は5億バーツ減少している。 一方1月~9,月の国際収支は16億1600万バーツの赤字で外貨準備は7億69000万ドルとなった。 |
DIA-204-1971-01-03-1 | タイ | 1971年01月03日 | 1970年代 | 共産圏諸国との貿易について-ブンチャナ経済相は,中共との貿易を将来どうするかはタイ国民の決めることである,タイは現在ソ連など10力国と直接間接の貿易関係を持っている,近く東欧へ貿易使節団を再度派遣する,中共以外の共産国との交易は違法にならないと国内の実業団体に通知したと語った。 |
DIA-204-1971-01-03-2 | タイ | 1971年01月03日 | 1970年代 | 日本の経済支配を懸念-チャールーン貿易委員会議長は,国内の商人は日本の経済支配を恐れていると次のように語った。 タイ・日間の貿易,経済協力はスムースに行なわれ,貿易アムバランス是正のため,日本は過去8カ月の間に2億バーツのタイ製品を買ってはいるが,国内業者は日本人の態度に対して懐疑的であり,日本人がタイ経済を支配しようとしていると恐れている。もし日本がタイ国民に対して真に友好的であるなら,日系企業や商社の株の半分以上を,適切な時期にタイ人に売り渡すべきだ。 |
DIA-204-1971-01-04-1 | タイ | 1971年01月04日 | 1970年代 | 外務省,米国のPL480援助計画に抗議声明-「米国はPL480でアジアの2力国に米11万トン総額1860万ドルの売却を通告してきたが,これはタイの伝統的米市場を荒らすものである。このような非商業ベースによる売却は不公平な競争となり,タイの通商,貿易に重大な影響を与える。タイ政府はこの点について米国がタイの利益を考慮するよう要請する。米国が現在の方針を変更せず,タイの伝統的米市場への米売却を中止しない場合には,追加的な措置をとる」 |
DIA-204-1971-01-05-1 | タイ | 1971年01月05日 | 1970年代 | 奨励産業々種削減-アムヌアイ投資委員会事務局長は,奨励産業の業種を現在の160から40に減らす,輸出産業に重点を置くと語った。 |
DIA-204-1971-01-06-1 | タイ | 1971年01月06日 | 1970年代 | 輸入品の関税評価方式変更-トンテーン副蔵相は,税収の増加と税徴収の効率化のため,輸入品の関税評価方式を変更すると語った。なお1970年の関税収入は56億バーツで目標より2億バーツ多い。 |
DIA-204-1971-01-06-2 | タイ | 1971年01月06日 | 1970年代 | 紡績業界不況対策-プラマーン紡績協会会長は,在庫増と価格下落の対策としてB.O.工.に次のような要請書を提出したと発表。 (1)輸出奨励のため関税,事業税,所得税の払戻し。 (2)電力料金の引下げ。 (3)中央銀行の特別融資。 (4)現行の関税割戻し8分の7を全額にする。 輸入関税の10分の1を支払い残額は6カ月間,利子1.25%での銀行保証とすること。 (5)長期的需給計画の立案。 |
DIA-204-1971-01-06-3 | タイ | 1971年01月06日 | 1970年代 | 閣議輸出奨励策を承認-閣議は4日大蔵省の提案した輸出奨励策のための税制・補助金政策を承認した。 |
DIA-204-1971-01-07-1 | タイ | 1971年01月07日 | 1970年代 | レアード米国防長官訪タイ-到着後タノム首相と会談。 |
DIA-204-1971-01-08-1 | タイ | 1971年01月08日 | 1970年代 | タノム・レアード会談-タノム首相は,レアード米国防長官は軍事援助増加要請について好意的に考慮すると約束し,またPL480による援助米はタイから買うよう政府に伝えると約束した,増大する共産主義の脅威,とくに南部ラオス,カンボジアからの脅威を強調し,軍事援助,とくにヘリコプターやF521型機の増加を要請したと語った。 |
DIA-204-1971-01-08-2 | タイ | 1971年01月08日 | 1970年代 | 70年の投資奨励実績-投資奨励委員会は70年の投資奨励件数を発表した。総数83件,創業66件,拡張17件である。 |
DIA-204-1971-01-08-3 | タイ | 1971年01月08日 | 1970年代 | 円借款協定1年延長-円借款協定は11日で期限切れとなるが,216億円中,79億7000万円分について契約が結ばれていないため。 |
DIA-204-1971-01-08-4 | タイ | 1971年01月08日 | 1970年代 | タイ共産ゲリラの成果-新華社電によると,タイの人民と人民解放軍はタイ共産党の呼びかけにこたえ,昨年1年間で,敵1,000人以上をせん滅し,飛行機50機以上を撃墜,撃破し,拠点20カ所以上を占拠し,10回に及ぶ軍事「包囲討伐」作戦を粉砕した。戦闘例としてあげられている県は,ナーン,ピッサヌローク,ペッチャブーン,チェンラーイ,ヤラー,ソンクラー。 |
DIA-204-1971-01-09-1 | タイ | 1971年01月09日 | 1970年代 | 70年歳入局実績-歳入局は70年の収入は予定を約3000万バーツ上回る59億4936万バーツであったと発表。 |
DIA-204-1971-01-11-1 | タイ | 1971年01月11日 | 1970年代 | 反日クラブ結成呼びかけ-カセサート大学の学生が,反日クラブの結成を呼びかけたビラをまいた。 |
DIA-204-1971-01-12-1 | タイ | 1971年01月12日 | 1970年代 | 南ベトナムのタイ軍引揚げ-タノム首相は,南ベトナムとの間でタイ軍引揚げの協定に達した,半数が今年7月末まで,残りは年末までに引揚げる,しかし名目的な1個中隊は残すと語った。 一方,タウィー空軍司令官は北部の残存国府軍について,すでに3,000人以上を本国へ送還,残り1,000人も武装を解除してすでに軍ではないと語った。 |
DIA-204-1971-01-14-1 | タイ | 1971年01月14日 | 1970年代 | 中共との貿易考慮-タナット外相はチュラロンコーン大学で「共産圏諸国との貿易」と題して講演し,次のように述べた。 タイは中共との貿易関係について考慮中である。すでに特別委員会を設けてその得失を検討している。政経分離で貿易は可能である。12年前特別経済諮問委員会(タナットもその委員)で中共商品の輸入の意見があったが,サリットが拒否した。中共との貿易は政治的意味よりも,貿易関係での前進を重視している。 |
DIA-204-1971-01-14-2 | タイ | 1971年01月14日 | 1970年代 | 反日クラブ不許可-カセサート大学当局は,政治的色彩が濃いとの理由で反日クラブ結成を認めないと発表した。警察では外部の左翼分子の介入があったとみている。 |
DIA-204-1971-01-14-3 | タイ | 1971年01月14日 | 1970年代 | 下院,71年度予算法案可決。 |
DIA-204-1971-01-16-1 | タイ | 1971年01月16日 | 1970年代 | 米軍第2次撤兵-すでに5,800人(うち空軍3,900人)が撤兵,70年12月31日現在の米軍数は3万6200人(空軍2万8100人,陸軍7,700人,海軍400人) |
DIA-204-1971-01-17-1 | タイ | 1971年01月17日 | 1970年代 | 東部タイ労働事情調査-カセサート大学のChanon Aranyakanon氏が10工場について調査。平均賃金は1月685.38バーツまた1日22.84バーツ,家族の収入も含め1人平均月994.58バーツ,または1日33.15バーツ,この収入では子供を学校にやれない。支出は食費が48.97%を占める。3分の1の者が借金をしている。労働時間は1日9時間,週7日で休日は祭日のみ,2工場のみ週休制,金を得るため長時間労働希望が多い。 |
DIA-204-1971-01-21-1 | タイ | 1971年01月21日 | 1970年代 | ラオス,カンボジアに米軍B52出撃-タノム首相,タナット外相によると,ラオス,カンボジア爆撃のため,タイ領内の米軍基地からB52が出撃する。また米国はタイ駐留米軍の撤退を延期するかもしれない。 |
DIA-204-1971-01-21-2 | タイ | 1971年01月21日 | 1970年代 | プラパート副首相,対中共貿易に反対せず-プラパート副首相は,もし中共が正常な商活動にもとついて事を処理することを認めるなら,中共との貿易に反対はしないと述べた。 |
DIA-204-1971-01-22-1 | タイ | 1971年01月22日 | 1970年代 | タナット外相講演-タナット外相は心理戦争研究会で講演し,国家の政策は世界情勢によって変化しうる部分がある,共産主義諸国との接触は平等と相互信頼の立場にある限り可能である,共産国がタイ国内で浸透破壊活動を行なっていることは疑いないが,すべての共産国がわれわれの敵だとみてはならないと語った。 |
DIA-204-1971-01-22-2 | タイ | 1971年01月22日 | 1970年代 | タイ船舶の増便要求-ポット副首相は経済省に対し,日本商品の輸入にタイ船舶の配船増加をするよう,日タイ海運同盟および日本の通産省と交渉することを要求した。 |
DIA-204-1971-01-23-1 | タイ | 1971年01月23日 | 1970年代 | タノム首相,南ベトナムを非公式訪問-南ベトナム政府要人と会談,同夜帰国。 |
DIA-204-1971-01-25-1 | タイ | 1971年01月25日 | 1970年代 | 西独と軽火器工場建設契約-タイ陸軍と西独のHeckler and Koch GMBH社との間で軽火器工場建設契約調印,2年以内に完成する。自動ライフル月産1,000~2,500挺。 |
DIA-204-1971-01-25-2 | タイ | 1971年01月25日 | 1970年代 | ベトナム難民送還交渉について-タイ赤十字のKhun Pipit Virachakarn氏は,タイ国内のベトナム人4万人は4月末までに北ベトナムに送還する,北ベトナム側のVu Hoang団長(現在本国へ報告のため帰国中)がタイに戻れば話がまとまると思うと語った。 |
DIA-204-1971-01-25-3 | タイ | 1971年01月25日 | 1970年代 | 日本陶器の進出不許可-投資委員会は国内業界の反対が強いため,Noritake Co.の工場設立を許可せずと発表した。 |
DIA-204-1971-01-28-1 | タイ | 1971年01月28日 | 1970年代 | 南部独立運動の動き-マレーシアのケランタン州で,「パッタニー解放統一運動」(UPFM)が,南部タイから外国人,シャム人支配者を追い出せ,タイがパッタニーの唯一の真の敵であり,彼らは独立を認めようとせず,パッタニー人民の尊厳を抑圧している,と呼びかけ,南部タイのゲリラ戦争をUPFMが指導し,タイ軍と対決していると述べた文書を出した。 |
DIA-204-1971-01-28-2 | タイ | 1971年01月28日 | 1970年代 | ブンチャナ経済相,反日クラブを称賛-ブンチャナ経済相は,27日にカセサート大学で反日クラブが設立され,29日パネルディスカッションが開かれる,見ならうべき大胆な行動で,愛国的情熱にあふれている,当面は“国産品愛用”運動が最も良いと思うと語った。(反日クラブは「反日」という名称を変えることで,学内クラブとして許可される予定) |
DIA-204-1971-02-02-1 | タイ | 1971年02月02日 | 1970年代 | タイ軍のラオス派兵否定-タノム首相は,ラオス南部で米軍とともにタイ兵1,000人が戦闘に参加している事実はない,しかし東北タイから志願して傭兵となっている者はいるかもしれないと語った。 |
DIA-204-1971-02-02-2 | タイ | 1971年02月02日 | 1970年代 | 上院,71年度予算法案可決-総額286億バーツ。 |
DIA-204-1971-02-03-1 | タイ | 1971年02月03日 | 1970年代 | パテトラオ,タイ軍派兵を非難-ラオス愛国戦線は,タイ軍1個大隊がラオスのボロベン高原に派遣されていると非難した。 |
DIA-204-1971-02-05-1 | タイ | 1971年02月05日 | 1970年代 | 第3次5カ年計画工業部門の目標-ウィチットウォン工業経済企画課長によると,第3次5力年計画期間中の工業部門の目標成長率は年12%,総合工業開発計画では輸出産業,基幹産業,付加価値の高い産業,農産物加工産業を奨励する。5カ年間で工業部門の資本形成は少なくとも250億バーツ増,労働者数は120万人に(現在70万人),工業製品の輸出は毎年10%ずつふやし,76年には18億バーツの目標。 |
DIA-204-1971-02-05-2 | タイ | 1971年02月05日 | 1970年代 | 白色セメント輸入禁止を検討-アムヌアイB.0.工.事務局長は外国産白色セメントが国内市場を圧迫しているので近日中に輸入禁止措置を閣議に提案すると語った。 |
DIA-204-1971-02-06-1 | タイ | 1971年02月06日 | 1970年代 | ラオス情勢で国家安全保障会議招集-タノム首相はラオス情勢を検討するため国家安全保障会議を招集し,全軍に厳戒態勢をとらせると述べた。またタナット外相は,南ベトナム軍のラオス南部侵攻はラオスの利益となるものであるとの見解を表明した。 |
DIA-204-1971-02-09-1 | タイ | 1971年02月09日 | 1970年代 | 地方開発党-チャムナーン元バンコク市長は地方開発党を結成,内務省に登録申請した。地方の権限強化を目的とする。 |
DIA-204-1971-02-11-1 | タイ | 1971年02月11日 | 1970年代 | 南ベトナムのラオス侵攻支持-タノム首相は,南ベトナムのラオス侵攻を支持する,北ベトナムが長期間ラオスの中立を侵しても誰も抗議しなかったのに,南ベトナムが共産軍の侵攻を阻止するためラオスに入ったら急に騒ぐのはおかしいと語った。 |
DIA-204-1971-02-11-2 | タイ | 1971年02月11日 | 1970年代 | タイ軍がパクセへ?-サイゴンの信頼すべき筋によると,タイ軍部隊がラオスのパクセからボロベン高原に向うため準備中。 |
DIA-204-1971-02-12-1 | タイ | 1971年02月12日 | 1970年代 | 砂糖輸出割当増加を要求-ポン工業相はマレーシアが20万トンの砂糖買付を要望しているが,国際協定に加盟しており年間の割当が3万6,000トンしかなく輸出できない,現在割当の増加を要求中であると語った。 |
DIA-204-1971-02-12-2 | タイ | 1971年02月12日 | 1970年代 | 71年度国債発行額-①普通借入債,第1回分,10億バーツ,満期15年,年利7.5%,②投資債,20億バーツ,5年,9%,③投資債,20億バーツ,15年,9.5%,④貯蓄債,3億バーツ,10年,7.5%, |
DIA-204-1971-02-14-1 | タイ | 1971年02月14日 | 1970年代 | ローイエットで国会議員逮捕-ローイエットでゼミナールを開こうとした国会議員14人が警察に逮捕された。理由は5人以上の政治的集会,ハンドマイクを使ったという2点が戒厳令違反のため。 |
DIA-204-1971-02-17-1 | タイ | 1971年02月17日 | 1970年代 | 養鶏業への外資進出に反対-サラブリー養鶏業者は,アルバー・エー』カー社(米国)とチャハーン・ポーカパン(タイ)の合弁会社による養鶏業への進出(投資額1億6000万バーツ)に反対する書簡を首相に提出した。 |
DIA-204-1971-02-18-1 | タイ | 1971年02月18日 | 1970年代 | タイ志願兵ロンチェンへ-ビエンチャンの信頼できる筋によると,タイの志願兵1,600人が17日,ラオスのロンチェン基地へ空輸された。エア・アメリカの飛行士と地上要員は全員タイのウドン基地に撤退した。なおラオス愛国戦線は,タイ軍2個大隊がサムトン,ロンチェン基地に増派されたと非難した。 |
DIA-204-1971-02-18-2 | タイ | 1971年02月18日 | 1970年代 | 原子力発電計画-カムトン・タイ電力公社副支配人は原子力発電計画について,タイの電力消費量は年率28~30%で伸びており,来年原子力発電所建設の入札を行なわないと間にあわないと語った。発電所はシーラチャーに建設,建設費用は28億バーツ,能力40万kw,77年に完成予定。なお現在国内の供給力は90万kw,需要は80万kw。 |
DIA-204-1971-02-19-1 | タイ | 1971年02月19日 | 1970年代 | 米国がタイ軍のラオス派兵要請?-ラオス政府軍筋によると,米国はCIAを通じて,ロンチェン基地防衛にタイ軍の増派を要請したが,タイ政府はこれを拒否した。 |
DIA-204-1971-02-19-2 | タイ | 1971年02月19日 | 1970年代 | USAIDのタイ援助額-1970年度は2700万ドル。北部,東北部の地域開発に重点がおかれていた。 |
DIA-204-1971-02-20-1 | タイ | 1971年02月20日 | 1970年代 | ラオス愛国戦線,タイ軍増派を非難-ラオス愛国戦線はジュネーブ会議共同議長国である英国とソ連にメッセージを送り,タイ軍のラオス派兵を非難した。メッセージの内容は以下の通り。 タイ反動政権は16日,ロンチェン支援のため,コーラートからさらに2個大隊のタイ軍を派遣した。同時に他の多くのタイ部隊が国境で待機し,命令ありしだいラオスへ入る準備をしている。これより先,すでにラオスに不法に入っているタイ第3歩兵師団の2個連隊および若干の砲兵,特攻大隊とともに,前述の大隊はB52を含む米空軍の大規模支援をもって,ジャール平原=シェンクアン地区およびボロベン高原を攻撃することで,ビエンチャン政権軍と協調している。 |
DIA-204-1971-02-23-1 | タイ | 1971年02月23日 | 1970年代 | ベトナム難民送還は中立国の船で-タイ赤十字事務局によると,ベトナム難民の北ベトナム送還は,1,2カ月中に実現する。中立的立場にあるノルウェー,デンマークまたはイギリスの船で送還される見込み。 |
DIA-204-1971-02-24-1 | タイ | 1971年02月24日 | 1970年代 | タイ軍のラオス派兵否定-タノム首相はタイ軍のラオス派兵を否定し,タイ国内で訓練を受けて帰国したタイ系人またはラオス人であろうと語った。また23日の閣議で,プラナコン,トンブリーなど数県に対して,戒厳令の適用をやめることを決めたと語った。 |
DIA-204-1971-02-24-2 | タイ | 1971年02月24日 | 1970年代 | 米価支持長期計画-タルーンNEDB事務次長によると,総額13億バーツの米価支持長期計画を政府は承認した。 |
DIA-204-1971-02-27-1 | タイ | 1971年02月27日 | 1970年代 | タイ国産品愛用連盟結成-ナーイ・ヨット工業副大臣はタイ国産品愛用者連盟を結成しB.O.T.に事務局を設置したと発表。商人,実業家,役人,一般人で貿易収支赤字問題に関心のあるものが参加できる。特定国,特定会社を支援したり排撃したりするものではないと語った。 |
DIA-204-1971-03-01-1 | タイ | 1971年03月01日 | 1970年代 | ブンチャナ経済相,自動車輸入禁止案に賛成-ブンチャナ経済相は,下院議員から3年間の完成車輸入禁止案が出ている,個人的には賛成で,対象は日本車だけでなくすべての外車にすべきである,内閣もこの提案を真剣に検討すべきであると語った。 |
DIA-204-1971-03-01-2 | タイ | 1971年03月01日 | 1970年代 | スーム蔵相バーツ切下げ説を否定-スーム蔵相はバーツ切下げの噂があるが,調べてみるとサンペン筋の商人からでている,サンペン筋には日本商社から伝っている,しかし,バーツは安定しており切下げはありえないと語った。 |
DIA-204-1971-03-02-1 | タイ | 1971年03月02日 | 1970年代 | ラオス空軍機のタイ領空通過許可-政府はラオスの空軍機が修理,補修のためにタイ領空を通過し,タイ空軍基地に着陸することを許可した。71年中有効で,航路はビエンチャン~バンコクおよびサバナケット~バンコク間。 |
DIA-204-1971-03-03-1 | タイ | 1971年03月03日 | 1970年代 | 1月末外貨準備-タイ中央銀行の発表によると,1月末の外貨準備は7億7000万ドル,対前年比1億0660万ドル減,対前月比2500万ドル増加。 |
DIA-204-1971-03-04-1 | タイ | 1971年03月04日 | 1970年代 | サガー内閣官房長解任要求-チュムポン無所属議員は首相に書簡を送りサガー・キッチカチョーン内閣官房長の解任を要求,その理由として,①役所の話を閣議へ出さない,②ベトナム人に森林の破壊を許している,③地方開発費の流用,④灌概局の汚職に関係,をあげている。 |
DIA-204-1971-03-08-1 | タイ | 1971年03月08日 | 1970年代 | 共産ゲリラ鎮圧活動報告-共産主義鎮圧司令部の報告によると,共産テロリストに殺された人数は1970年が最高(人数は明らかにせず),地雷敷設等騒乱活動は68年に259件が集中し,以後減少している。政府とテロリストの交戦は68年の320件が最高で,70年には275件に減少,テロリストの投降者3,913人,逮捕3,083人,射殺620人,部落での宣伝は197回,なお投降者中2%が再びゲリラに戻っている。 |
DIA-204-1971-03-09-1 | タイ | 1971年03月09日 | 1970年代 | 石油パイプライン調査団派遣認可-閣議でクラ地狭の石油パイプライン建設のため,政府ベースの予備調査団の派遣を了承。サガー副外相によると,日本政府の調査団受け入れの条件として,①調査は日タイ両国の政府ベースによる調査とする,②調査に参加する日本側関係企業は,調査費の49%をこえない範囲内で調査費を負担するとなっている。 |
DIA-204-1971-03-09-2 | タイ | 1971年03月09日 | 1970年代 | 国内送油パイプライン計画-エネルギー局が明らかにしたところによると,シーラーチャーから全国への石油輸送パイプの計画がある。全長363km,年間48億リットルが送油される。建設資金4億8000万バーツ,外国からの借款は2億4000万バーツを予定している。 |
DIA-204-1971-03-10-1 | タイ | 1971年03月10日 | 1970年代 | 南ベトナムのキエム首相訪タイ-12日まで滞在。 |
DIA-204-1971-03-12-1 | タイ | 1971年03月12日 | 1970年代 | 72年3月までにB52撤退-米空軍は空軍再編計画を発表したが,その中で,タイのウタパオにあるB52爆撃機51機は72年3月末までに米本国に引揚げる予定である。 |
DIA-204-1971-03-24-1 | タイ | 1971年03月24日 | 1970年代 | タノム首相談-ニクソン大統領は米国のタイへのコミットメントを明確に約束したが,援助増加は留保した。われわれはニクソン・ドクトリンに体現される思想に賛成する。タイは何年も前から自立政策をとってきた。開発途上国であるタイは外国からの経済援助,軍事援助を必要としている。南ベトナム軍のラオス侵攻は成功だった。中共の国連加盟については,中共が平和的意図を表明しない限り,タイが賛成することは困難である。マレーシアの提案した東南アジア中立化構想はあまり現実的ではない。 援助米の問題に関しては,日本よりも米国のほうが頑固である。米国はインドネシア向け援助を35万トンに減らすことにしているが,35万トンというのはなお巨額である。日本はタイに同情的なので,インドネシア向け援助米をタイから買うだろう。米国はもっとタイの農民のことを考えてほしい。 |
DIA-204-1971-03-26-1 | タイ | 1971年03月26日 | 1970年代 | 1970年の外国援助内訳-経済技術協力局の発表によると,70年の外国援助総額10億1195万4300バーツで,米国6億4523万3400バーツ,国連7976万6400バーツ,コロンボ・プラン諸国1億4113万0500バーツ,その他9786万バーツ,平和部隊4796万1900バーツとなっている。 |
DIA-204-1971-03-29-1 | タイ | 1971年03月29日 | 1970年代 | サガー副外相,マレーシア訪問。 |
DIA-204-1971-03-29-2 | タイ | 1971年03月29日 | 1970年代 | ナーン県で共産ゲリラと戦闘-ラオス国境に近いナーン県の国道上で,政府軍と共産テロリストが交戦,政府軍兵士10人,労務者2人,共産テロリスト24人が死亡。北部タイでは連日小規模な衝突が繰り返されている。 |
DIA-204-1971-04-01-1 | タイ | 1971年04月01日 | 1970年代 | 米軍撤退延期か-タナット外相は,現時点における米軍のタイ撤退は不適当であり,この問題で米国と協議するだろう,ベトナム,ラオス,カンボジアで掃討作戦をしているのに,米軍が引揚げるのは不適当,掃討作戦ではタイ基地からの米空軍の支援が行なわれていると語った。 |
DIA-204-1971-04-01-2 | タイ | 1971年04月01日 | 1970年代 | グルタミン酸ソーダ輸入許可制に移行。 |
DIA-204-1971-04-01-3 | タイ | 1971年04月01日 | 1970年代 | 石油税引下げ-大蔵省は1日から石油税をl当り6サタン引下げると発表。これにより石油税はl当り4サタンとなる。原油値上がりに対処した最初の措置で,石油製品価格も自動的に相応額値下げとなる。なおこの措置で年1億2000万バーツの税収減となる。 |
DIA-204-1971-04-01-4 | タイ | 1971年04月01日 | 1970年代 | 米の延払い輸出提案-経済省はタノム首相に3年程度の米の延払い輸出を提案した。現在はセイロンに対し,1年間の延払い輸出(5万トン)をしている。バーター貿易は東欧諸国のほか,インド(機械),インドネシア(石油)がタイ米とのバーターの可能性を検討している。 |
DIA-204-1971-04-01-5 | タイ | 1971年04月01日 | 1970年代 | 農業および農業協同組合銀行債発行一閣議は政府保証による農業および農業協同組合銀行債の発行を承認した。総額1億2000万バーツ。金利,年9%。 |
DIA-204-1971-04-03-1 | タイ | 1971年04月03日 | 1970年代 | 石油小売価格の抑制-政府は暴利取締法により,首都圏の石油価格の最高限度を次のように定めた。 ベンジン 1.91バーツ/l ベンジン上質 2.10バーツ/l ガス・オイル 1.34バーツ/l ヂーゼル油 0.98/l |
DIA-204-1971-04-06-1 | タイ | 1971年04月06日 | 1970年代 | 中共との関係考慮,タナット外相談-国連における2つの中国政策は実行不可能である。台湾は国連に忠実であり,またタイの忠実な友好国であった。モラルの点からも友人を追出すようなことはすべきでない。2つの中国策は北京からも台北からも受入れられないものであり,非現実的である。この問題は両者の間で解決すべきである。現在中共との間に公式の対話はない。中共がバンドン5原則,平和共存政策にもどれば何の問題もなくなる。北京が干渉政策を放棄すれば正常な接触が可能となろう。 |
DIA-204-1971-04-06-2 | タイ | 1971年04月06日 | 1970年代 | ブンチャナ経済相,日本の財界人と会談-日本を訪問しているブンチャナ経済相は,日タイ協力委員会のメンバーである財界首脳と会談,次のように述べた。 日本のタイ製品輸入増加を希望する。またタイの産業開発促進のため設立したIFCT(タイ産業金融公社)に対し,日本政府および市中銀行が出資,協調融資など資本協力するよう要請したい。日本からの進出企業に対する政策は,①日・タイ合弁会社の出資比率はタイ側が最小限50%とする,②タイ人を役員にしない会社は営業を許可しない,③日本への輸出をふやす会社に優先的に許可を与えることにしている。 |
DIA-204-1971-04-07-1 | タイ | 1971年04月07日 | 1970年代 | 木材輸出関税引上げ-チーク材,その他木材各10%の関税率を,40%,20%のノーマルレートに引上げた。 |
DIA-204-1971-04-09-1 | タイ | 1971年04月09日 | 1970年代 | 政府が直接米売込み-プラシット副経済相によると,米輸出促進のため政府が外国の民間輸入業者へ直接売込む。また民間輸出業者も含めて,①10%以下の白米を5,000トン以上輸出すれば米プレミアムを割引く,②白米のほか蒸米,玄米,砕米にも適用する。 |
DIA-204-1971-04-13-1 | タイ | 1971年04月13日 | 1970年代 | コーラート基地に軍事訓練学校-信頼できる米軍筋によると,新設予定の米軍事訓練学校(American War College)の最有力候補地として,コーラート基地があがっている。同校では,タイ,ラオス,ベトナム,カンボジア人を訓練する予定。 |
DIA-204-1971-04-13-2 | タイ | 1971年04月13日 | 1970年代 | 閣議で米の延払い輸出とバーター取引を承認。 |
DIA-204-1971-04-13-3 | タイ | 1971年04月13日 | 1970年代 | 税収順調-ピパット歳入局長によると71年度予算の当初5カ月間(70年10月~71年2月)の税収は25億7000万バーツと前年比11.18%の増加となった。また事業税は1億0400万バーツ増の17億4500万バーツであった。このように増加したのは,①税率が改正された,②徴税を強化した,③奨励産業のうち免税期間を過ぎたものが出たためとみられる。しかし,歳入予算をまだ6%下回っている。 |
DIA-204-1971-04-14-1 | タイ | 1971年04月14日 | 1970年代 | 東南ア米空軍,来年夏までにタイに集結-米国防省筋によると,東南アジアの米空軍はおそらく来年夏までに主としてタイに集結する。この時期までに米軍は南ベトナム領内で直接的軍事支援を中止することを予定しているが,その空軍力で共産側の補給路を攻撃できる。 |
DIA-204-1971-04-16-1 | タイ | 1971年04月16日 | 1970年代 | 中華総商会は対中共貿易賛成-中華総商会のAmporn Bulapakdi会長は,政府の政策の範囲内であれば,あらゆる国と商売することはタイにとって利益がある。中共との貿易はタイの経済問題解決に役立つだろう。中共の市場は大きい,中共および台湾と同時に交易することはタイ政府の政策如何であると語った。 |
DIA-204-1971-04-17-1 | タイ | 1971年04月17日 | 1970年代 | 屠殺業を奨励産業に指定-投資奨励委員会は牛および水牛の飼育,屠殺,冷凍保存を奨励業種に指定,条件は牛の場合,投資額(土地,運転資金を含まず)500万バーツ以上,タイ資本60%以上,業者が3月以上肥育したもの,また冷凍倉庫は一般営業用であってはならない。水牛の場合は投資額100万バーツ以上,他の条件は牛の場合と同じ。 |
DIA-204-1971-04-18-1 | タイ | 1971年04月18日 | 1970年代 | タノム首相,中共を批判-タノム首相は,米国と中共の関係改善は北京の敵対的,攻撃的態度を柔らげ,東南アジアの小国に有利になる,タイとしては国家の安全を脅やかさない限りあらゆる国と友好関係を維持したいと願っている,しかし中共はタイとの貿易に関心を示さず,かつ共産テロリストの活動を減少させようとしていないと語った。 |
DIA-204-1971-04-21-1 | タイ | 1971年04月21日 | 1970年代 | 100%,5%米を除く他の米プレミアム廃止-経済省は100%,5%米以外の米プレミアムを廃止すると告示した。米プレミアムを廃止した低級米は米輸出量の70%を占めている。また30日以前に買付けていた外国の輸入業者に対しては,米で差額を補償する。告示後,国内米価はピクル当り2~3バーツの上昇を示した。またAmphorn Bulapakdi米穀業協会長は,政府の措置を称賛し,業者にとっては励みとなる,輸出拡大には効果がなくとも,輸出減少阻止には役立つだろうと述べた。なお,100%,5%の精白米のプレミアムはトン当り750バーツ,玄米は675バーツ,蒸米は565.50バーツである。 |
DIA-204-1971-04-26-1 | タイ | 1971年04月26日 | 1970年代 | ブンチャナ経済相,対中共貿易に反対-ブンチャナ経済相は,私としては,タイは中共との貿易関係を開くべきでないと思う,中共はまだタイに対する態度を変えていない,ラジオを通じてタイを攻撃し,また浸透を続けており,中共と貿易関係を持つことは危険であると語った。 |
DIA-204-1971-04-26-2 | タイ | 1971年04月26日 | 1970年代 | 米プレミアム廃止により米価回復-白米100%,ピクル(60kg)当り100バーツ(先週中頃は86~87バーツ),蒸米80(70),白米15%,80(67),籾低級1トン当り720バーツ(570),籾最上級1,030バーツ(910)。 |
DIA-204-1971-04-27-1 | タイ | 1971年04月27日 | 1970年代 | 閣議で労働保護法と,労働関係調整法を承認-主な項目は,労働保護法(Labour Protection Bill)は,労働条件,婦人労働,児童労働,賃金,超過勤務,退職金,労災補償。労働関係調整法(Labour Relations Bill)では,労働争議解決の方法,一時解雇およびストライキの規制,労働関係調整委員会の設置,労使協議会の設置とその活動についてとなっている。 |
DIA-204-1971-05-01-1 | タイ | 1971年05月01日 | 1970年代 | 自由党,タイ語党名変更-自由党はタイ語党名をIssaraからSeri Niyomに変更した。変更理由は“ghost party”の評判を消すため。なお英語党名Liberal Partyは変更なし。 |
DIA-204-1971-05-03-1 | タイ | 1971年05月03日 | 1970年代 | ベトナム人送還は南北双方へ-プラパート副首相は南ベトナムのPhan Quang Dan国務相との会談後,ベトナム人送還については南にも送ることを約束した,彼らは南北分裂前の不法入国者だからと語った(今年南ベトナムへ帰国したベトナム人は6人)。 |
DIA-204-1971-05-03-2 | タイ | 1971年05月03日 | 1970年代 | 対中共貿易は間接的に-チャルーン・タイ商工会議所会頭は,北京との貿易に賛成する,しかし中共は何をやりだすかわからないので,当面は香港のような第3国を通じての間接的な貿易が良いと思うと語った。 |
DIA-204-1971-05-03-3 | タイ | 1971年05月03日 | 1970年代 | プリーディー元首相勝訴-最高裁はプリーディー・パノムヨン元首相の名誉殿損の告訴に勝訴の判決を下し,プラチュアプ元サヤーム・ラット紙編集長に罰金刑を言渡した。告訴は,サヤーム・ラット紙が,1966年12月16日付紙面で,プリーディーが彼の摂政期間中,首相の地位への野望を明らかにしたと書き,また67年1月11日に,プリーディーがソ連に行き,共和政体をほめたと書いたのに対し,亡命中のプリーディー元首相が代理人を通じて,事実無根による名誉殿損で告訴していた。 |
DIA-204-1971-05-03-4 | タイ | 1971年05月03日 | 1970年代 | 米の輸出競争激化-経済省の発表によると,米の輸出プレミアム廃止後輸出競争が激化し輸出価格が下落している。たとえば1~2月の中共向け蒸米10%の輸出価格は,C&Fでトン当り122ドルであったが,4月21日以後は85ドルになっている。香港商人は近々プレミアムが全廃されるとみて買控えをしている。 |
DIA-204-1971-05-04-1 | タイ | 1971年05月04日 | 1970年代 | 繊維業界は対中共貿易反対-プラマーン紡績協会長は,対中共貿易について現在はその時期ではない,われわれ自身の準備ができていないし,貿易再開後の政治的問題も考慮すべきである,北京はタイの中国入に毛沢東思想をあおるだろう,また中共がタイから買うものはなく,タイが中共から沢山買ってしまうことになると語った。 |
DIA-204-1971-05-04-2 | タイ | 1971年05月04日 | 1970年代 | 段ボール輸入関税引上げ-段ボール輸入関税kg当り1バーツを,ノーマル・レートの2.5バーツに引上げ。これは段ボールの国内自給が可能になったため。 |
DIA-204-1971-05-05-1 | タイ | 1971年05月05日 | 1970年代 | 中共承認に民主党は条件付賛成-セーニー民主党委員長は,民主党はもし中共がタイの独立を認め,共産主義をタイに輸出しないなら,中共承認を提唱する,小国であるタイは,国際情勢の変化に従っていかねばならないと述べた。 |
DIA-204-1971-05-06-1 | タイ | 1971年05月06日 | 1970年代 | 対中共貿易楽観論に警告-サガー副外相は,対中共貿易賛成者は楽観的になりすぎないよう,国家の安全をまず第1に考えねばならない,日本の例からみても中共との貿易は必ずしも得にならず,政治的には逆効果を与えていると警告した。 |
DIA-204-1971-05-06-2 | タイ | 1971年05月06日 | 1970年代 | タイ・ソ連航空協定調印 |
DIA-204-1971-05-07-1 | タイ | 1971年05月07日 | 1970年代 | 白米,もち米,籾,加工米または強化米,および米製晶の輸入禁止。 |
DIA-204-1971-05-07-2 | タイ | 1971年05月07日 | 1970年代 | 紡績業界政府援助を要請-プラマーン紡績協会長は業界の生きる道は操短か輸出かの2つしかない,16社が出資して輸出奨励金を出すことにしたが,輸出業者はまだ4~5%の赤字である,政府にコストを下げるために課税率を下げるよう要請したと語った。 |
DIA-204-1971-05-08-1 | タイ | 1971年05月08日 | 1970年代 | 中共と第3国を通じて接触-SEATOに出席していたタナット外相が帰国,中共と第3国を通じて接触していると次のように語った。 北京はわれわれの意見やここで何が起っているかに関心を持っている。大陸中国に関心を持っているのはわれわれだけではない。北京はタイが公開の対話を呼びかけているので関心を持っている。第3国がどこかということは明らかにできない。 |
DIA-204-1971-05-08-2 | タイ | 1971年05月08日 | 1970年代 | セーニー民主党委員長タナット外相を非難-セーニー民主党委員長はタナット外相の中国との友好関係を求める意見は賛成であるが,重要な問題は浸透破壊活動が止むかどうかということであると語った。また政府の政策が変るのなら内閣は総辞職すべきである,かつてベトナムに派兵するとき平和を早急に回復するためであると言った,これは現在の言葉と矛盾する,辞職しないなら誰が交渉に行くのか,タナット外相は自分に賛成しない人々に怒っているが外相は冷静な人でなければならないと非難した。 |
DIA-204-1971-05-08-3 | タイ | 1971年05月08日 | 1970年代 | 共産ゲリラへの武器供給者100人以上を逮捕-範囲は15県以上にわたる。153人の容疑者をリストアップしている。武器供給ルート壊滅作戦はあと2~3日続けられる。逮捕者の中には村長もいる。一番多いのはノーンカーイの33人。 |
DIA-204-1971-05-11-1 | タイ | 1971年05月11日 | 1970年代 | マルク交換レート引上げ-タイ銀行協会はマルクの交換レートを14サタン,2.4%引上げ,またポンドを4サタン引下げた。米ドルは変らず。市中銀行はマルクの取引を停止した。 |
DIA-204-1971-05-13-1 | タイ | 1971年05月13日 | 1970年代 | 中共との関係改善のきざし-タナット外相は特別記者会見で次のように述べた。北京は第3国を通じてタイ側の接触者に会談に好意的な返答をしてきている。両者の相違は狭められ,状況は改善されている。北京の指導者たちはわれわれを理解しはじめた。これは真の対話へと導くであろう。2年前,中共に公開の対話を呼びかけて以来,数多くの国が仲介の労をとろうとし,この第3国を通じて間接的に両者の意見交換が行なわれた。 なおRadio Thailandおよびその他すべての政府放送局に対し,中共攻撃をやめるよう命令が下された。 |
DIA-204-1971-05-14-1 | タイ | 1971年05月14日 | 1970年代 | 中華人民共和国に対し緊張緩和政策-タナット外相は外務省での記者会見で,中国との緊張緩和政策は,タノム首相,内閣,国家安全保障会議の承認を得てあると次のように語った。 タイの3500万国民は平和を望んでいる,東南アジアは長く長期戦の舞台であった。タイも否応なく戦争に巻きこまれた。しかしタイ政府は平和の努力を支持し,中華人民共和国,大陸中国もその短期,長期の政策を変えている。われわれが北京やハノイと公開の対話を求める声明を発表した後,いくつかの国が仲介を申し出てくれた。緊張は緩和され,国境沿いの騒動は減った。外交的対話は静かに,慎重にしなければならない。中国への攻撃放送をやめたのは緊張緩和の一手段である。 (「中華人民共和国」の正式名称で呼んだのは今回が初めてである。) |
DIA-204-1971-05-14-2 | タイ | 1971年05月14日 | 1970年代 | フィリピンへ米の延払い輸出-フィリピン政府はタイ米5万トンの買付けを確認した。12年間の延払い。利子7.5%,トン当り米価70.20ドル,最初の3年間は利子分の支払い,4~10年目に90%,11~12年目に残り10%分の代金を払う。 |
DIA-204-1971-05-14-3 | タイ | 1971年05月14日 | 1970年代 | 米商務官繊維輸入制限を示唆-米大使館商務官はタイ政府に対して,外国資本が米国への輸出産業へ進出することを押えるよう要請,要請が入れられない場合,タイ国からの繊維製品の輸入制限を行なうかも知れないと述べた。 |
DIA-204-1971-05-15-1 | タイ | 1971年05月15日 | 1970年代 | 国内米価上昇-経済省は米プレミアムの廃止後,国内米価は上昇していると発表した。それによると次の通り。 |
DIA-204-1971-05-16-1 | タイ | 1971年05月16日 | 1970年代 | ソ連・東欧への貿易使節団出発-団長はブンチャナ経済相,総勢34人,ソ連,ポーランド,チェコ,ルーマニア,ハンガリー,ブルガリアを訪問する。東欧への使節団としてはこれまでの最大の規模。 |
DIA-204-1971-05-16-2 | タイ | 1971年05月16日 | 1970年代 | 工業省発表-今年末まで繊維工場の新設,拡張を認めない。生産量がすでに国内需要をオーバーしている。また,B.O.工.から認可を受けて着工していないものも同様に禁止される。 また原糖および精白糖の生産調整を撤廃する(従来は1工場,原糖20万トン,白糖36万トンまで)。 |
DIA-204-1971-05-17-1 | タイ | 1971年05月17日 | 1970年代 | 与党分裂のきざし-ナーイ・スリン民主党議員は新党結成の動きを批判して次のように述べた。サガー,サウェーン議員の新党結成の動きは党の首脳が否定しても与党の内部が大きく割れていることを示す。プラパート内相の強さを弱めようとする動きである。セーリーマナンカシラーの時代にも同様のことがあった。パオ将軍の権力が党を超えピブンに近い人は不満を持った。そこでタマティパットという新党を結成した。現在もプラパートの権力が強く,タムニヤップ(総理府)系が不満をいだいている。 |
DIA-204-1971-05-18-1 | タイ | 1971年05月18日 | 1970年代 | 新党結成の動き-サヤームラット紙によると,サウェーン総理府長官はサガー副外相など総理府グループに新党結成を働きかけ19人が参加を表明した。主なメンバーは,ナーイ・サワット・カムプラゴープ,ナーイ,プラトウアン・カムプラゴープ,ウィチャイ・チャーイプラスート,スポットタントラクーンなど。 |
DIA-204-1971-05-18-2 | タイ | 1971年05月18日 | 1970年代 | サガー副外相,新党結成説否定-サガー副外相は,新党結成は考えていない,タイをインドネシア型の軍部独裁体制にするつもりはない,政治家は今は経済問題の解決に全力をあげるべきであると語った(なおサウェーン総理府長官も17日に新党結成は考えていない旨表明)。 |
DIA-204-1971-05-18-3 | タイ | 1971年05月18日 | 1970年代 | ポット副首相,中共承認反対-ポット副首相は,タイの中共承認は今は時期ではない,中共がテロリストへの武器供給と,タイに敵対する宣伝をやめるなら関係は改善できるだろう,タイは中共が政経分離したときに貿易を再開すると語った。 |
DIA-204-1971-05-19-1 | タイ | 1971年05月19日 | 1970年代 | タナット外相全国テレビ放送-タイ政府は中華人民共和国との会談に努力し,タイにおける共産主義者の反乱の減少を望んでいる。しかしこれは国交回復を意味するものではない。プロパガンダと転覆活動のリスクがあるからだ。中国人共産主義者を相互信頼と平等のベースのみで扱う。国府との関係について外交政策に基本的な変化はない。しかし世界情勢は変っており,周囲の危険から身を守るためには政策調整をしなければならない。私に反対している者は,私が国王に任命され,首相に信任されていることを銘記すべきである,しかしポストに固執するつもりはないから,もっと適切な人が出てくればやめるだろう。ある政党(民主党)では党員がそのリーダーの辞任を求めている。彼は辞任すべきだ。 |
DIA-204-1971-05-19-2 | タイ | 1971年05月19日 | 1970年代 | 野党,外相更迭を要求-社会民主党と経済人連合戦線は共同声明を出し,外交政策の変更は外相の変更を意味する,また軍事政策は改め,ドミノ理論は放棄すべきである,共産圏諸国との関係樹立に障害となる法律や行政手続きの改廃を要求した。 |
DIA-204-1971-05-19-3 | タイ | 1971年05月19日 | 1970年代 | 経済省,蒸米100%,5%の米プレミアムも廃止と発表-5月21日から発効。 |
DIA-204-1971-05-20-1 | タイ | 1971年05月20日 | 1970年代 | ベトナム難民送還延期-ルアンチャート・ベトナム難民送還委員会議長によると,送還交渉は無期延期となり,北ベトナム代表団は今月末に帰国する。Huaong Thong副団長(16日ビエンチャンからバンコクに帰任)によると,ベトナム戦争の現状では難民の受入れは不可能である。 |
DIA-204-1971-05-20-2 | タイ | 1971年05月20日 | 1970年代 | 閣議,中国との接触を了解せず-プラシット経済副大臣は,閣議では外相が中国との関係再開のために接触することを承認したことはない,もしそうなら,少なくとも共産活動防止法と革命団布告13号の2つは破棄しなければならないと述べた。 |
DIA-204-1971-05-20-3 | タイ | 1971年05月20日 | 1970年代 | タイ人民の声放送-今年1月から5.月半ばまでにタイの人民解放軍と人民は,敵の軍・警700余人を殺傷し,飛行機25機以上を撃墜・撃破し,敵の拠点10余カ所を破壊し,多くの武器と物資を獲得した。 |
DIA-204-1971-05-21-1 | タイ | 1971年05月21日 | 1970年代 | ラオスのタイ雇い兵-フルブライト米上院外交委員長は,タイ軍4,800人が米国の資金供与のもとにラオスで闘っている,これは“ラオス駐留の外国雇い兵を援助するためのいかなる支出をも禁止する”との決議に反していると述べた。1人年間2,000ドル,または4,800人に年間1000万ドル支払っている。なおクリフォード・ケース米上院議員も20日に,CIAを通じ米政府支出の費用で雇われているタイ人兵士4,000人ないし6,000人がラオスに駐留していると述べている。 |
DIA-204-1971-05-21-2 | タイ | 1971年05月21日 | 1970年代 | ベトナム人逮捕-ナコンラーチャシーマー県警は,19日のホーチミン誕生日記念集会に参加したベトナム人59人(全員10代)を逮捕したが,48人は釈放11人を拘留した。政治的集会を開いたこと,および北ベトナム政府へ送る金を集めたことが逮捕の理由。 |
DIA-204-1971-05-22-1 | タイ | 1971年05月22日 | 1970年代 | 首相,対中国政策の変更を認めず-タノム首相は,タナット外相が外交政策を変更して中国と国交を回復すると述べたことに関し,まだ変更はしていない,友好国とはすべて交際する,敵対すれば交際しないと語った。また,タナット外相が閣議で中国と交渉する権限を与えられたということについては,これを否定した。 |
DIA-204-1971-05-23-1 | タイ | 1971年05月23日 | 1970年代 | タノム首相,対中共接近にgo slow,wait and see政策を指示-タノム首相は,中共がタイ国内の共産主義者の反乱に対する支持をやめるまで,中共に対する接近策はgo slow,wait and seeでいくように指示した。しかし政府放送では北京に対する論争は控えるよう指示してある。また政府は国家安全保障会議の忠告に従って現在は中共との貿易再開に反対すると述べた。プラパート副首相によると,タイ国民として定着しつつある中国人が,中共と貿易すると中共の方に向く恐れがあることが主な問題点となっている。 |
DIA-204-1971-05-24-1 | タイ | 1971年05月24日 | 1970年代 | 国内各紙,タナット外相発言に対する声明掲載-タイの新聞関係4団体は要旨次のような声明を各新聞に掲載した。 タナット外相は5月17日と19日に,新聞人と新聞社を侮辱する発言を行なった。その内容は,「政府,就中外務省の政策に反対する声明を出している新聞社がいくつかある。これは国家と人民の利益に反するものであり,彼らが外国筋から賄賂を受けていることを示している」というものである。新聞人4団体は3日以内に,その新聞社および人間を明らかにすることを要求する。もし外相が期日までに明らかにできなければ,4団体はタナット外相を,政治家としての誇りがなく,信頼に値しないものとみなす。 |
DIA-204-1971-05-24-2 | タイ | 1971年05月24日 | 1970年代 | 71年度上半期税収-総額75億8770万バーツで,70年度同期より3億7680万バーツ増。しかし目標額よりは8億1982万バーツ低い。内訳は,輸入税26億9900万バーツ(70年度同期比2億4600万バーツ減),事業税および所得税31億6770万バーツ(3億8970万バーツ増),国内消費税17億2100万バーツ(2億3300万バーツ増)。 |
DIA-204-1971-05-24-3 | タイ | 1971年05月24日 | 1970年代 | 民主党,外相を非難-ソムブン民主党スポークスマンは,タナット外相が中国とひそかに接触しているのであれば共産主義者である。閣議の秘密は中国につつ抜けであった。閣議がその権限を与えていないとすれば,3500万人の国民と中国以外の世界の人々をだましていたことになると非難した。 |
DIA-204-1971-05-25-1 | タイ | 1971年05月25日 | 1970年代 | タイ・北ベトナム赤十字共同声明要旨-情勢が許すようになれば会談を再開する。1959年8月14日,1962年12月17日,1965年9月8日の記録を確認する。また難民に対する必要な援助についても確認する。北ベトナムにおける戦争の状況からみて,ベトナム難民の帰還は実行できず,会談を延期した。 |
DIA-204-1971-05-25-2 | タイ | 1971年05月25日 | 1970年代 | タノム首相,新聞の外相攻撃をやめるよう要請-タノム首相は,国内各紙はタナット外相攻撃をやめよ,19日のテレビ演説についてプラパート副首相の報告では,外相はシンガポールの新聞の事件については触れたが,国内紙は攻撃していない,私は皆が冷静になるよう要請すると語った。 |
DIA-204-1971-05-25-3 | タイ | 1971年05月25日 | 1970年代 | 丸棒類輸入禁止-政府は5月22日から,丸棒類の輸入を規制(経済省の許可なくして輸入できない。)し,あわせて輸出禁止を解除した。輸入について22日以前に船積みされたものについては例外とする。現在,国内の供給力は11社32万6400トン,来年は55万トンとなる。一方,需要は20万トン。 |
DIA-204-1971-05-25-4 | タイ | 1971年05月25日 | 1970年代 | ブルガリアとスイスからバーター取引申入れ-プラシット副経済相によると,ブルガリア政府とスイスの民間会社社(CIBA-GEIGI社)から,各100万ドル,330万ドルのタイ米とのバーター取引の申し出があった。またAICE社からも韓国製肥料とタイ米とのバーターの申入れがあった。政府は,①タイ米の市場拡大,②タイも化学肥料や殺虫剤等を必要としている,③品質と最高価格をコントロールできる等の点からみて有利と判断し,歓迎している。 |
DIA-204-1971-05-25-5 | タイ | 1971年05月25日 | 1970年代 | 全閣僚不信任を-ソムブン民主党スポークスマンは,外相不信任案だけでは他の閣僚に欠点がないかのようにみえるので全員を不信任するのが適切である。閣僚間には何等の意見調整もないと述べた。 |
DIA-204-1971-05-25-6 | タイ | 1971年05月25日 | 1970年代 | タイ中央銀行,籾米買付促進のため手形再割引-精米所の籾米買付増加のために約束手形の再割引をする。市中銀行割引額の90%を越えない範囲内で,年利5%。また精米所は満期180日以内の約束手形を振出せる。 |
DIA-204-1971-05-26-1 | タイ | 1971年05月26日 | 1970年代 | タナット外相と新聞4団体和解,共同声明を発表-この中でタナット外相は,新聞攻撃の意図はなく,各方面に起りうる事態を警告したのみであると述べている。 |
DIA-204-1971-05-26-2 | タイ | 1971年05月26日 | 1970年代 | 政府,バーター取引検討委員会設置-委員長はプラシット副経済相,バーター取引を望む外国会社はすべて経済省と協議する。 |
DIA-204-1971-05-28-1 | タイ | 1971年05月28日 | 1970年代 | タイ中央銀行,農産物購入の約束手形を再割引-協同組合が農民に対して,農産物買付のため振出した手形を対象とする。市中銀行または農業協同組合銀行割引き額の80%をこえない範囲で再割引する。これら銀行は年利7%をこえない率で割引きし,中央銀行は年利5%で再割引する。 |
DIA-204-1971-05-28-2 | タイ | 1971年05月28日 | 1970年代 | 輸出振興のため手形再割引の規制改正-タイ中央銀行は約束手形再割引規制を改正した。6月1日より発効する。主な改正点は,①約束手形の額を,信用状の70%,販売契約の60%から,それぞれ80%,70%に引き上げる。②満期を90日以内から180日以内とする。市中銀行はこの手形を年利7%をこえない範囲で割引き,中央銀行は年利5%で再割引する。 |
DIA-204-1971-05-31-1 | タイ | 1971年05月31日 | 1970年代 | 新聞4団体共同声明拒否-新聞4団体は26日の声明について,タナット外相の一方的発表であるとして共同声明とすることを拒否した。 |
DIA-204-1971-06-03-1 | タイ | 1971年06月03日 | 1970年代 | カーンチャナブリー製紙工場,パルプ生産のみに切替え-ポン工業相によると,カーンチャナブリーの製紙工場はパルプ生産のみとし,アユタヤー,バーンパインの工場はパルプ生産をやめ,製紙のみとする。ここ数年,これら公企業の経営が悪化したため。 |
DIA-204-1971-06-07-1 | タイ | 1971年06月07日 | 1970年代 | サヤーム・ラット紙編集長ら3人を逮捕-警察は,タナット外相を侮辱したかどで,サヤーム・ラット編集長NoPPorn Bunyarit氏,タイ・ラット編集長Kampol Vajarapol氏,タイ・ラットのコラムニストPrasarn Meefuengsart氏を逮捕した。新聞4団体が1人5万バーツの保釈金をつんですぐ釈放。4団体は緊急会議を開いて,今後外相との会見記事や写真の掲載をしない,外交問題についてはサガー副外相に会見する,タナット外相ボイコットは,問題解決または外相の任期終了時まで続けることを決めた。 一方プラパート副首相は,先週の閣議でタナット外相が,外相は中共から賄賂をもらっていると新聞が書いているので,首相に調査を依頼し,法的保護を求めたと語った。 |
DIA-204-1971-06-08-1 | タイ | 1971年06月08日 | 1970年代 | 逮捕したベトナム人を南ベトナムに送還-プアン内務次官は,Lardbuakao刑務所に収容しているベトナム人難民を,南ベトナムに送還する,彼らは政治集会禁止の規則を破り,法に違反して,北ベトナムへ送る金を集めていた,多くのベトナム人難民は金を集めて北ベトナムに送り,また秘密活動を組織していると語った。 |
DIA-204-1971-06-08-2 | タイ | 1971年06月08日 | 1970年代 | ルーマニア,ブルガリアがバーター取引希望-ウィチャーン貿易局長によると,タイの貿易使節団が訪問したルーマニアとブルガリアは,各300万ドル相当の,米,螢石,錫,その他農産物を,ユーゴはメイズとのバーター貿易を希望している。 |
DIA-204-1971-06-14-1 | タイ | 1971年06月14日 | 1970年代 | タノム首相マレーシア訪問,KLでタノム反対デモ-クアラルンプールで,タノム首相のマレーシア訪問に反対する学生,回教徒ら1,500人がデモ,機動隊が催涙弾と警棒を使って鎮圧。逮捕者19人。タノム首相一行の車は予定を変更してデモ地点を通らなかった。学生たちの反対理由は,南タイのマレー人を,タイ政府が弾圧しているとして抗議。 |
DIA-204-1971-06-14-2 | タイ | 1971年06月14日 | 1970年代 | 石油試掘開始-ポット開発相はコンチネンタル社がスラータニー県沖で石油の試堀を開始したと発表。 |
DIA-204-1971-06-15-1 | タイ | 1971年06月15日 | 1970年代 | KLデモで緊急国防会議-プラスート警察局長はマレーシアのタノム反対デモについて緊急国防会議が招集されたと発表した。クアラルンプールでは15日も学生1,000人がタノム訪マ抗議,警察の弾圧に抗議してデモが大学構内で行なわれた。なおバンコク・ポスト紙は“無知の展示”と題した社説の中で,このデモはいわゆるバッタニー解放戦線のメンバーによって煽動されたものであると述べた(16日付社説)。 |
DIA-204-1971-06-15-2 | タイ | 1971年06月15日 | 1970年代 | 砂糖輸出割当増加を要求-工業省スポークスマンは,国際砂糖協定に,1971-72年度の輸出割当を12万トンにするよう要請し,このため代表団を派遣すると発表した。 |
DIA-204-1971-06-16-1 | タイ | 1971年06月16日 | 1970年代 | タノム首相,マレーシアから帰国-マレーシアから帰国したタノム首相は,学生デモの状況およびラザク首相との会談内容などについて次のように語った。 マレーシアでは学生デモの報道は新聞ではほとんどみかけなかった(マレーシア政府の命令で各新聞は報道せず。なおクアラルンプールでは16日も学生2,000人の抗議デモが行なわれた)。 ラザク首相には,中共がタイに侵略戦争を持ち込んできているので,タイは中立化できないと伝え,ASPAC,ASEANを通じて地域協力を推進することを強調した。ラザク首相は,米ソ中3国による東南アジア中立保障を提案したが,タイはこのような協定には疑問である。第2次大戦中のベルギーの例があるからだ。 また,最高司令官の任期一年延長は引受けると語った。プラパート内相はこの件に関し,タノム首相の訪マ中に国家完全保障会議で決定したので,首相は関知しないと語った。 |
DIA-204-1971-06-16-2 | タイ | 1971年06月16日 | 1970年代 | 米国,警察への援助を減額-米国はタイ警察への援助額を2000万バーツ以上削減することを通告した。とくに車両,弾,研修費が削減される。 |
DIA-204-1971-06-16-3 | タイ | 1971年06月16日 | 1970年代 | 米糠油工場油かすの輸出許可を求める-ぬか油業界はぬか油かすの輸出禁止措置を廃止するよう求めている。これは国内の畜産業者が飼料として利用しないため価格がkg当り80サタンから40サタンに下落しても買手がつかないためである。年間の生産量1万1000トン。 |
DIA-204-1971-06-18-1 | タイ | 1971年06月18日 | 1970年代 | 来年度から開発計画に民間企業参加-サガー内閣官房長官は,国家予算の負担軽減のため,来年度から民間企業に対して,開発計画の中の国道,空港,灌概施設建設面での参加を認めると語った。また72年度予算はparty budget,つまり与党のタイ国民連合が内閣の方針に沿って,予算配分を行ない,責任を持つことになるだろうと語った。 |
DIA-204-1971-06-19-1 | タイ | 1971年06月19日 | 1970年代 | 下院党派別現有議席-タイ国民連合123,民主党52,自由党3,社会民主党8,民主主義戦線2,経済人連合戦線4,人民党2,国民党2,イッサラタム1,無所属21,欠員1。 |
DIA-204-1971-06-22-1 | タイ | 1971年06月22日 | 1970年代 | ラオスと電力買取り協定-ラオスのナム・グム・ダムの来年完成予定(3万kW)にともない,ラオス電力局と9万kWの電力買取り協定調印。これはラオスに与えた3000万バーツの借款返済にあたる。返済完了後はタイが現金で電力を買いとる。単価9.32サターン/kwhour。 |
DIA-204-1971-06-22-2 | タイ | 1971年06月22日 | 1970年代 | 米輸出順調-1月~6月15日までの米輸出量は56万2515トン(うち政府20万3370トン)で昨年同期比2万0036トン増となった。 |
DIA-204-1971-06-23-1 | タイ | 1971年06月23日 | 1970年代 | 日本がインドネシア向け援助でタイ米買付け-プラシット副経済相によると,日本政府はインドネシア向け食糧援助1000万ドルのうち,600万ドルをタイ米買付けにあて,またラオスへの援助100万ドルもタイ米を買うことをきめた。 |
DIA-204-1971-06-25-1 | タイ | 1971年06月25日 | 1970年代 | 日タイ海運同盟の決定に不満-ソムポン商業情報局長は,日タイ海運同盟でタイ3社の配船数増加を要求したが,結果は不満足なものであると語った。要求は3社で計108航海,決定は72航海。 |
DIA-204-1971-06-25-2 | タイ | 1971年06月25日 | 1970年代 | 輸出米価下落,国内米価上昇-経済省スポークスマンによると,米プレミアムの廃止後,国内米価はひきつづき上昇,輸出米価は下落している。 国内米価 白米10% 127バーツ/100kg→154.37バーツ/100kg 蒸米5% 145バーツ/100kg→157.50バーツ/100kg 輸出米価(FOB) 白米10% 43.50ポンド/トン→37.25ポンド/トン 蒸米5% 45ポンド/トン→35.62ポンド/トン |
DIA-204-1971-06-30-1 | タイ | 1971年06月30日 | 1970年代 | 第3次5カ年計画の成長率5%に-レーヌー国家経済開発庁事務局長は,第3次5力年計画の実質国民総生産成長率目標を7.5%から5%に下げると次のように語った。 理由は,①国際情勢からみて,国防・治安維持費の予算が多く必要とされる,②米国はタイにより一層の自助努力を求めている,③タイ産品の輸出市場が狭まり,価絡が下落し,収入に影響,④米軍人の消費支出減,⑨税その他収入が目標を下まわっていることなどによる。政府収入はこれまで年12%位のものが,現在3~4%の伸び率に落ちている。政府は生産拡大,市場拡大,国産原材料使用の工業奨励,政府支出の削減などで問題解決に努力している。大規模な国道,ダム建設は行なわれない。 |
DIA-204-1971-06-30-2 | タイ | 1971年06月30日 | 1970年代 | 1972年度予算原案各省別内訳- |
DIA-204-1971-07-01-1 | タイ | 1971年07月01日 | 1970年代 | 1~3月貿易収支赤字幅縮小-1~3月の貿易収支は輸出46億0500万バーツ,輸入61億3200万バーツで15億2800万バーツの入超となったが,70年の輸出38億8900万バーツ,輸入67億4500万バーツ,28億5600万バーツの入超に比べると大幅に改善されている。 |
DIA-204-1971-07-02-1 | タイ | 1971年07月02日 | 1970年代 | ミサイルの代りに対空防衛網-プラパート副首相によると,政府はミサイル・ホークがベトナム戦争の経験からみて実用的でない等の理由からこれをやめ,代りに数百万バーツをかけて対空防衛網を作ることに決めた。米国に対して50~60基のレーダー誘導高射砲を要求している。3個師団相当の人員で,戦略上の要所に配置する。 |
DIA-204-1971-07-04-1 | タイ | 1971年07月04日 | 1970年代 | 上院議員82人任命-上院は3日に任期交代となる議員82人をくじ引きで決めたが,政府は4日に82人を任命した。大半は再任されている。 |
DIA-204-1971-07-04-2 | タイ | 1971年07月04日 | 1970年代 | 資産税新設その他引上げ予定-当局筋によると,政府は資産税の新設と,自動車,会社の登録料,その他の許可料を引上げることを検討中である。 |
DIA-204-1971-07-04-3 | タイ | 1971年07月04日 | 1970年代 | 1~6月米輸出-1~6月の米輸出は62万7480トン(うち政府22万1671トン),金額で12億3650万バーツであった。昨年度の57万5513トン(うち政府15万2930トン),14億6070万バーツに比べると,量は増加しているが輸出価格の下落を反映して輸出額は減少している。 |
DIA-204-1971-07-05-1 | タイ | 1971年07月05日 | 1970年代 | キッシンジャー米大統領補佐官訪タイ。 |
DIA-204-1971-07-05-2 | タイ | 1971年07月05日 | 1970年代 | 東欧へのビザ緩和-ブンチャナ経済相によると,外務省は貿易を目的とする東欧諸国へのビザ発行規制を緩和した。 |
DIA-204-1971-07-06-1 | タイ | 1971年07月06日 | 1970年代 | タノム・キッシンジャー会談-おもな議題は米・タイ関係,南ベトナム臨時革命政府の7項目提案など。会談後タノム首相は,ベトナムからの米軍の全面撤退は,米国や同盟国にとって危険である,ベトコンの7項目提案には新しいものはない,全面撤退は共産主義者を利するだけである,対中国について,北京の計画はこの地域の平和と安全に影響があることを双方で確認した,またニクソン大統領はタイへのコミットを再確認し,経済・軍事援助の継続も約束したと語った。 |
DIA-204-1971-07-06-2 | タイ | 1971年07月06日 | 1970年代 | 丸棒類一部輸入禁止撤回-経済省筋によると,同省はさる5月21日から輸入禁止に踏み切った丸棒類のうち,直径が5.5ミリ以上28ミリまでの丸棒を除き,国産化不可能なものについては輸入禁止措置を撤回する方針を決定した。 |
DIA-204-1971-07-08-1 | タイ | 1971年07月08日 | 1970年代 | タイ軍南ベトナムから撤退開始-南ベトナム駐留タイ陸軍スポークスマンは,10日からタイ軍1万2000人のうち半数が撤退を開始し,7月末までに完了すると発表した。 |
DIA-204-1971-07-09-1 | タイ | 1971年07月09日 | 1970年代 | 消費物資値上り傾向-経済省によると,生活必需品の値上りが目立つ。ヨーロッパ製品は直接値上りしているが,台湾,日本,国内製品は中味を減らして実質上値上げとなっているものが多い。 |
DIA-204-1971-07-11-1 | タイ | 1971年07月11日 | 1970年代 | 国際砂糖協定脱退要請-砂糖業界の代表2人がポン工業相と会談,砂糖輸出促進のため,タイが国際砂糖協定から脱退するよう求めた。72年度割当3万9000トンを13万トンへ増加するよう要求しているが,見通しは悲観的である。 |
DIA-204-1971-07-12-1 | タイ | 1971年07月12日 | 1970年代 | 米秘密文書暴露で米国に抗議-サウェート外務次官は外務省にニューマン米臨時代理大使を招き,「米国に雇われたタイ人部隊がラオスでの戦争に従事していたという米秘密文書を,米国の新聞がすっぱぬいたことについて,懸念を表明した覚書を手渡した。 |
DIA-204-1971-07-13-1 | タイ | 1971年07月13日 | 1970年代 | ゴム価格下落-ゴムの価格は戦後最低となっている。バンコクでは1級品,5。30バーツ/kg,農家段階では5バーツ/kgである。この結果,失業者が増加,都市への流出が続いている。ゴム商人,農場経営者はkg当り50サタンの植え替え基金への拠出金の猶予,20サタンの輸出税の免除を要請している。 |
DIA-204-1971-07-13-2 | タイ | 1971年07月13日 | 1970年代 | タイ人への保留職種-タイ商業会議所とタイ工業協会は,外国人職業規制法に関連して,政府にタイ人への保留職種として次のものをそれぞれ提案した。 タイ商業会議所提案17職種,①卸業および輸入業,②小売業,③観光業およびガイド,④建設業,⑤宝石採堀,研磨,⑥歯科医,⑦会計士,⑧弁護士,法律顧問,⑨ホテル,バー,ナイトクラブ,⑩電力業,水道事業,⑪保険業,⑫銀行業,⑬倉庫業,⑭武器製造業,⑮鉱山業,⑯製材業,⑰バンドマン,歌手。 タイ工業協会提案21職種,①会計士,②弁護士,③観光業,④傷害,生命保険,⑤小売,⑥卸売,⑦広告,⑧建設,⑨国内運輸,⑲鉱山,⑪ホテル,⑫漁業,⑬農業,⑭印刷,新聞,⑮飲食業,⑯興行,⑰医薬品,⑱農産物加工,⑲木彫,⑳植物油搾油業,⑳紡織業。 |
DIA-204-1971-07-14-1 | タイ | 1971年07月14日 | 1970年代 | 第3次5カ年計画について-タルーン国家経済開発庁事務局次長によると,第3次5カ年計画の規模は955億6500万バーツ,資金調達は,651億9000万バーツは政府予算,127億2500万バーツは国際金融機関からの借入れ,156億5000万バーツは公企業および県当局,50億バーツは外国援助。GNP成長率は年6%,1人当り所得は3~3.5%。 |
DIA-204-1971-07-16-1 | タイ | 1971年07月16日 | 1970年代 | ニクソン訪中計画発表に対する反応-タノム首相:もし米国と中国の間に了解があるのなら,国際情勢は改善されるだろう。ニクソン大統領が周恩来首相の招請に答えて訪中すること,このお膳立てをしたのがキッシンジャー氏であると聞いて驚いた。われわれの政策は,敵対的でない国とはすべての国と友好関係を結ぶということである。 サガー副外相:国際緊張を緩和させる良い兆候である。どのような緊張緩和もタイにとっては有利である。ベトコンはパリ会談での主張をゆるめるだろう。タイのような小国は米中間の動きを唯見守るだけである。われわれはまず国益を考え,次いで,国民政府および台湾の人々の自由を考えねばならない。 |
DIA-204-1971-07-18-1 | タイ | 1971年07月18日 | 1970年代 | セーニー民主党党首談-ニクソン訪中について,中国の国連加盟問題などについてはタイも態度を変えなければならないだろう。しかし,国交回復は慎重に考慮しなければならない。なぜなら中共は大使館を国内の破壊活動の基地にするかも知れないから。 |
DIA-204-1971-07-19-1 | タイ | 1971年07月19日 | 1970年代 | パリでプリーディー元首相と会談-サガー副外相がプリーディーに会い,北京との対話のための接触を求めたとの外国誌の報道について,サガー副外相は,タイに平和をもたらすであればあらゆる可能なことを行なうと語った。 |
DIA-204-1971-07-19-2 | タイ | 1971年07月19日 | 1970年代 | ニクソン訪中の過大評価に警告-プラパート副首相は,最初良ければ終りが悪いということもあるので,ニクソン訪中を過大評価してはいけない,タイのような小国はウェイト・アンド・シー政策でいくべきだと語った。 |
DIA-204-1971-07-19-3 | タイ | 1971年07月19日 | 1970年代 | 工業省,自動車組立政策概要発表-(1)各メーカーは72年12月31日までに,乗用車または商業車に専業化する。 (2)モデルとエンジン・サイズの規制 乗用車は,既存工場は72年7月1日から,3モデルまで,エンジンは3サイズ(ただし2,000cc以上は1つのみ),国産化率は総額の25%を73年12月31日まで。未操業工場は操業時から2モデルまで,エンジンは2サイズ(ただし2,000cc以下のみ),国産化率については既存工場に同じ(ただし操業開始時から15%以上)。商業車は既存工場は72年7月1日から,5モデルまで,国産化率は総額(リャーボディを含まず)の25%を73年12月31日まで。未操業工場は操業時から,3モデルまで,国産化率は既存工場に同じ(ただし操業開始時から15%以上)。 (3)新工場は1日8時間労働で,30台以上の生産能力があり,投下資本の額,機械,備品,建物の合計額が2000万バーツ以上のこと。 |
DIA-204-1971-07-20-1 | タイ | 1971年07月20日 | 1970年代 | 国際砂糖協定脱退決定-政府はタイへの砂糖輸出割当(昨年7万5000トン,今年3万5000トン,タイの割当要求は12万トン)を不満として,国際砂糖協定(ISO)脱退を決定した。インドネシア,シンガポール,マレーシア,韓国等ISO非加盟国と長期協定を結んで輸出の安定,促進をはかる予定。 |
DIA-204-1971-07-21-1 | タイ | 1971年07月21日 | 1970年代 | プリーディー元首相との会談確認-タノム首相は下院の答弁で,パリの大使館で,2人の閣僚がプリーディー元首相と別個に会ったことを確認したが,政治的な話はしていないと語った。 |
DIA-204-1971-07-21-2 | タイ | 1971年07月21日 | 1970年代 | 民主党議員内閣総辞職を要求-ナーイ・ヤイ民主党議員はニクソン大統領の中国訪問について,タイのような小国は独自の政策は展開できない,米国のような保護国について行かざるを得ないが,中国を認めるなら内閣は総辞職をすべきである。とくに外務大臣は交代すべきである,外交政策は現在,穏健で柔軟性のあるものが必要とされていると語った。 |
DIA-204-1971-07-21-3 | タイ | 1971年07月21日 | 1970年代 | 日タイ海運同盟に配船増要求-ソムポン商業情報局長によると,タイの船会社3社は日タイ海軍同盟に対し,代表をバンコクに派遣し,日タイルートでのタイ船への不公平な配船の問題を解決するために会談するよう提案した。タイ側要求は7月から年108航海の配船を要求。同盟は今年72航海,来年90,再来年108を決定。また今日から運賃プール参加と,guarantee shareを1航海につき最低0.15%,最高0.25%を要求。 |
DIA-204-1971-07-22-1 | タイ | 1971年07月22日 | 1970年代 | 経済人連合戦線内閣総辞職要求-経済人連合戦線のナーイ・クレウは中国の国連加盟に賛成,わが国の政策も世界情勢の変化に適応して変えるべきだと語った。また,政府が政策を変更するときは,総辞職すべきである,少なくとも外務大臣は変るべきであると語った。 |
DIA-204-1971-07-23-1 | タイ | 1971年07月23日 | 1970年代 | 反政府デモ-約500人の青年,学生が,「タナット,サガーの解任」,「中国との国交支持」「米軍のタイ撤退」などの要求を掲げて首相官邸に向ったが,警官隊に阻止された。 |
DIA-204-1971-07-23-2 | タイ | 1971年07月23日 | 1970年代 | 1~6月観光客微減-6カ月間の観光客は21万4162人で対前年比4%減となった。これは前年がエクスポ関係で多かったほかに,アメリカの経済の不振,東南アジアの政治,軍事情勢の悪化,ドンムアン空港の工事拡張による不便が主な理由と考えられる。 |
DIA-204-1971-07-23-3 | タイ | 1971年07月23日 | 1970年代 | 鉄鋼一貫生産計画-投資委員会は5社から出されていた鉄鋼一貫生産計画について,Chow Chowkwan yuen氏のプランを採用することに決めた。総額236億6820万バーツで5段階にわたり,①1976年からチョンブリー県レームチャバンに年産50万トンの冷圧延工場,②79年から熱圧延および剪断機③80年から年産100万トンの溶鉱炉,④82年から厚鋼板圧延,⑤85年から100万トンの溶鉱炉建設。登録資本4億2000万バーツでタイ側は26%。 |
DIA-204-1971-07-24-1 | タイ | 1971年07月24日 | 1970年代 | ソ連のスパイ-MACTHAIの軍曹1人がソ連に情報を流した容疑で逮捕された。同軍曹と接触していたソ連大使館員2人は20日に帰国している。 |
DIA-204-1971-07-25-1 | タイ | 1971年07月25日 | 1970年代 | 首相に北京訪問要請-タイ国民連合のユアン・イアムシラー下院議員は,もし周恩来首相から招待状がくれば,タイ国民連合としては,タノム首相に北京訪問を要請する,しかしキッシンジャー氏のような方法ではなく,中国側からの招待を待つべきである,中国との貿易はすぐに再開すべきである,アジア人の目から見ると,ニクソン大統領は北京への巡礼で面子を失ないつつある。 |
DIA-204-1971-07-27-1 | タイ | 1971年07月27日 | 1970年代 | 船貨保留制度-政府は船貨保留制度を決定した。来週商業情報局が船会社の代表を呼び,どの品目をタイ船用に保留するか検討する。 |
DIA-204-1971-07-27-2 | タイ | 1971年07月27日 | 1970年代 | 日本,インドネシア向け食糧援助でタイ米発注-タイ米7万1005トン(25%米,600万ドル)。 |
DIA-204-1971-07-28-1 | タイ | 1971年07月28日 | 1970年代 | 外国人の規制職業-プラユーン経済省登録局次長によると,外国人職業規制法案による規制職種としてこれまでに決まったのは次の11職種である。弁護士,会計士,観光ガイド,ホテル経営,ナイトクラブ経営,運送業,小売業,行商以外の卸売業,宝石採堀業,農業を基盤とする産業,武器製造業,この他,新聞,建設など議論されたが結論は次回に持越された。 |
DIA-204-1971-07-30-1 | タイ | 1971年07月30日 | 1970年代 | 中国問題について,ポン工業相談-中共との関係を打開するよう政府に圧力をかけるべきではない。そうすることは国家にとって危険である。政府はウェイト・アンド・シーの正しい政策をとっている。ニクソン訪中は米国にとって助けになるし,タイムリーだろう。米国はベトナムで多くの金と人命を失なっているから。北京の態度如何で,世界の緊張緩和,もしくは米国の地位強化をもたらすだろう。 |
DIA-204-1971-07-30-2 | タイ | 1971年07月30日 | 1970年代 | 議員訪中希望表明-ウィチャイ・ナコンサワン出身議員は10名の議員連名で首相に書簡を送り訪中を希望した。同議員は,米中接近により両国の関係が近いうちに持たれるものと考えられる,追従外交ではなく自主外交を始めるべきであると語った。 |
DIA-204-1971-08-03-1 | タイ | 1971年08月03日 | 1970年代 | 予算法案第1読会通過-1972年度予算法案は,賛成106,反対76で下院第1読会を通した。タノム首相の予算演説によると,支出予算総額は290億バーツで,前年度比3億5500万バーツ増となっているが,債務返済を除外すると,前年度より5億バーツ減の予算となる,支出予算の目的別分類は,①経済,69億8870万バーツ,24.1%,②教育,55億4530万バーツ,19.1%,③国防,53億4460万バーツ,18.4%,④債務返済34億1780万バー。ツ,⑤公衆衛生,社会福祉関係33億7600万バーツ,11.6%,⑥治安維持関係20億7990万バーツ,7.2%,⑦一般行政12億4930万バーツ,4.3%,⑧その他9億9680万バーツ,3.5%。 |
DIA-204-1971-08-03-2 | タイ | 1971年08月03日 | 1970年代 | 外資流入テンポ鈍化-工業省の発表によると,投資奨励法の申請が減少しはじめているのみならずタイに投資している企業の近隣諸国への逃避が始まっている。奨励法適用申請件数は69年,268件,70年,161件,71年1~5月,36件。その原因としては,輸出加工区のないこと,徴税,通関上の問題,入国査証,土地取得問題職業制限法などが考えられている。 |
DIA-204-1971-08-04-1 | タイ | 1971年08月04日 | 1970年代 | 対東欧輸出規制緩和-タイ中央銀行は輸出振興のため,ポーランド,チェコ,ハンガリー,ルーマニアに対する輪出規制を緩和した。これら諸国の輸入業者は取消不能信用状の送付や事前の代金送金を必要としないことになる。なお中共とモンゴルについてはこれらが必要であり,当局が承認した場合と交易商品が280ドル以下の場合は必要としない。 |
DIA-204-1971-08-04-2 | タイ | 1971年08月04日 | 1970年代 | タイ欧海運同盟との運賃延戻協定破棄-ジュート協会はケナフ輸出に関して,タイ・ヨーロッパ海運同盟との運賃延戻協定を11月1日から破棄することを決め,違反業者は協会から除名することを決めた(輸出権を持つのは同協会員に限られる)。 |
DIA-204-1971-08-05-1 | タイ | 1971年08月05日 | 1970年代 | セーニー72年度予算を非難-セーニー民主党総裁は72年度予算は73億バーツの赤字予算で昨年より4億5500万バーツも増加している。政府は増税しないといっているが,法人税を増やすべきであると語った。 |
DIA-204-1971-08-06-1 | タイ | 1971年08月06日 | 1970年代 | 議会紛糾-反共法とタナット外相の中国への接近の関係についての質問に対して,同外相が回答を拒否したため議会が紛糾,同外相の発言の撤回を要求して,30人の議員が退場した。 |
DIA-204-1971-08-08-1 | タイ | 1971年08月08日 | 1970年代 | バンドン型のアジア首脳会議提唱か-内閣筋によると,政府はバンドン会議に似たアジア首脳会議を提唱する予定。南ベトナム,国府,韓国は除く。米中接近が将来アジアに及ぼす影響について話しあい,ニクソン大統領が周恩来首相と会う以前に,共通の見解と勧告をニクソン大統領に提出する。 |
DIA-204-1971-08-09-1 | タイ | 1971年08月09日 | 1970年代 | 首相,引退を希望-タノム首相は60歳の記念パーティーで,9月に最高司令官の職を辞したあと政界から引退したいと語った。 |
DIA-204-1971-08-09-2 | タイ | 1971年08月09日 | 1970年代 | フィリピンへ米の延払い輸出-経済省はフィリピンへ米12万トンを12年の延払いで輸出すると発表した。3年据置き,C.0.B価格72.5ドル/トン,金利7.5%,当初24万トンの引き合いがあったが,国内の集荷の見通しが立たず,とりあえず半量の契約となったもの。 |
DIA-204-1971-08-14-1 | タイ | 1971年08月14日 | 1970年代 | 国産晶優先政策-タルーンN.E.D.B事務局次長は政府,公企業はもしも国産品が外国製品より7%以下の割高であれば国産品を優先して入札購入するよう政府に提案し,閣議は原則を承認したと語った。 |
DIA-204-1971-08-16-1 | タイ | 1971年08月16日 | 1970年代 | 民主党,バンコック市議補欠選挙で大勝-ナーイ・サマック民主党議員が7,437票で2位以下を大きく引離して当選した。 |
DIA-204-1971-08-16-2 | タイ | 1971年08月16日 | 1970年代 | ニクソン声明について(プアイ前中央銀行総裁談)-もし米国がドルを切下げれば,バーツも追随せざるをえないだろう。ニクソン大統領のとった措置は,米国かベトナムの戦争をやめれば正しいものとなろう。10%の輸入課徴金は,タイの対米輸出(タイシルク,米,ゴム,錫)に影響があるだろう。 |
DIA-204-1971-08-18-1 | タイ | 1971年08月18日 | 1970年代 | 米国の政策を慎重に検討-タノム首相は大蔵省に米国の経済政策を慎重に検討するよう指示し,米国はすぐにドル切下げをしないだろうと思う,輸入課徴金で対米輸出は減るだろうと述べた。なお銀行協会筋の意見は,ニクソン声明によって円の切上げは不可避で,その場合には日本からの輸入の多くが長期延払い信用であり,また日本からの輸入が減るとは思われないのでタイにも大きな影響を与えるとみている。 |
DIA-204-1971-08-20-1 | タイ | 1971年08月20日 | 1970年代 | 下院バンコック補欠選挙結果-投票率21.7%(有権者81万5088人,投票者17万6648人)民主党のアパイウォン夫人が8万3944票で圧勝,次点は地方開発党のチャムナーン・ユアブーン氏(元バンコク市長)2万7012票。 |
DIA-204-1971-08-22-1 | タイ | 1971年08月22日 | 1970年代 | 対中共貿易禁止解除要請-国会議員70余名がタノム首相宛に,中共との貿易を禁止した革命団布告53号の廃止を要請する。24日に提出予定。 |
DIA-204-1971-08-23-1 | タイ | 1971年08月23日 | 1970年代 | 対中共貿易について-チャルーン商業会議所会頭:国会議員の出した革命団布告53号廃止要請に賛成,経済省はライセンスを出して貿易を監督し,また中共製品輸入業者が同額の対中輸出をするように奨励すべきである。対中貿易はまず第3国を通じるやり方が良い。 タパナ・ブンナーク貿易委員会事務局長:中共との貿易はその得失を検討すべきである。安い中共製品を氾濫させてはならない。貿易再開前にその予防措置をとっておかなければならない。 |
DIA-204-1971-08-25-1 | タイ | 1971年08月25日 | 1970年代 | 対中共貿易否定的-タノム首相は,中共との貿易を禁止した革命団布告53号の廃止を約60人の国会議員が要請したのに対して,中共との貿易は得るものよりも失なう方が大きいだろうと語った。 |
DIA-204-1971-08-26-1 | タイ | 1971年08月26日 | 1970年代 | 国会議員の中共訪問は認めず-タノム首相は国会で,経済人連合戦線の議員の質問に対して,政府としては国会議員が中共へ実情視察に行くことは許可できない,反共法違反になる,中共の国連加盟は反対しないが,国府追放ということは支持できないと語った。 |
DIA-204-1971-08-27-1 | タイ | 1971年08月27日 | 1970年代 | 円の変動相場制移行について-ピスット中央銀行総裁は,円の変動相場制移行はタイに有利で,日タイ貿易の不均衡を是正する,日本製品の価格が上るので売行きは落ちるだろうと語った。 |
DIA-204-1971-08-30-1 | タイ | 1971年08月30日 | 1970年代 | 国連の中国代表権問題への態度-サガー副外相は,中共の国連入りについて,タイは賛成かまたは棄権の態度をとるだろう,ただし国府を国連から追放するいかなる措置にも反対すると語った。 |
DIA-204-1971-08-30-2 | タイ | 1971年08月30日 | 1970年代 | 日本製品値上げ-日本の輸出商社が円の変動相場制移行に対処して,日本商品の値上げをタイ側に通告してきた。値上げ幅は未定。また商社の多くは信用状を円建てにするよう要求している。 |
DIA-204-1971-08-30-3 | タイ | 1971年08月30日 | 1970年代 | 倒産増える-サンペン商店街で倒産が増えている。すでに繊維関係3社が2000万~3000万バーツ以上の負債で倒産。その他乾物卸売商10社が300万~400万バーツの負債で行き詰まっている。これら各社の売上げは昨年の60~70%に低下している。 |
DIA-204-1971-09-02-1 | タイ | 1971年09月02日 | 1970年代 | 学生世論調査-タイ自由青年連盟が4,367人について実施。 (1)首相公選 賛成62%,反対23%,不明15% (2)プリーディー元首相帰国,賛成46%,反対24%,保留20%,彼を知らない10% (3)学生の政治活動 賛成84%,反対8%,保留8% (4)選挙は個人か党か,個人35%,政党15%,個人と政党35%,保留11% (5)中共との国交樹立,賛成40%,反対41%,保留19% (6)中共の国連加盟,賛成46%,反対36%,保留18% |
DIA-204-1971-09-02-2 | タイ | 1971年09月02日 | 1970年代 | 外資撤退-68年に米,タイ合弁で設立されたタイ農業サービス会社はタイから撤退を決定した。同社は農業の普及や訓練などを目的としすでに2000万バーツ以上投資していたが,タイ政府から適切な援助が得られないなどを理由に今回の措置を決めた。 |
DIA-204-1971-09-03-1 | タイ | 1971年09月03日 | 1970年代 | 中国問題で論戦-チュラロンコーン大学で開かれた“タイの現状における共産主義問題”と題するパネル・ディスカッションで,セーニー民主党々首が,中共との国交樹立に反対し,破壊活動の激化以外何ももたらさないと述べたのに対し,テープ経済人連合戦線党首は民主党の態度を非難し,民主党員の大半は資本家だからだと述べたため,両者の間で論戦が行なわれた。 |
DIA-204-1971-09-03-2 | タイ | 1971年09月03日 | 1970年代 | 米価支持政策廃止-ブンチャナ経済相によると,米価支持政策による農民からの米の買付けは今年からやめ,政府も効果がないことを認めて廃止を承認した。理由は買付資金不足,担当係官の人数不足,貯蔵倉庫の不足が主なものである。今後も倉庫機構と米穀予約委員会は籾,精米の買付けをするが,農業団体から買う。また,プレミアムは変更しない。現在プレミアムによる政府収入は1億5000万バーツである。 |
DIA-204-1971-09-05-1 | タイ | 1971年09月05日 | 1970年代 | 所得税,営業税引上げ計画-大蔵省スポークスマンによると,予算不足解消のため所得税,法人税の引上げをする,所得税税率は年収40~70万バーツの者は50%,70~100万バーツが,55%,100万バーツ以上が60%,営業税は純利益10万バーツ以下が20%,10万~100万バーツが25%,100万バーツ以上が30%,この措置によって所得税7~8000万バーツ,営業税2~3億バーツの増収を期待している。 |
DIA-204-1971-09-07-1 | タイ | 1971年09月07日 | 1970年代 | 商店街に空室目立つ-建設業界によると,バンコク・トンブリの商店街の空室は約2万に達している。経済不況のほか,これらが土地付き分譲のため,土地取得に対する土地局の規制も影響しているものと考えられている。 |
DIA-204-1971-09-08-1 | タイ | 1971年09月08日 | 1970年代 | 日本商品の関税評価額10%引上げ-関税局は,円の変動相場制移行に伴う暫定措置として,日本商品の関税評価額(CIF価格)を10%引上げ,8月28日から実施とすると発表した。これは関税引上げではないが,輸入業者は輸入税,営業税を多く払うことになるため,国内物価へのはね返りは必至とみられる。 |
DIA-204-1971-09-10-1 | タイ | 1971年09月10日 | 1970年代 | 国家安全保障会議,国連の中国招請賛成,国府追放反対を決定-タナット外相はこの決定の理由として,中共の国連加盟で国際緊張が緩和すること,また北京が国連憲章を守る機会を与える,タイに有利なのは,外交関係がなくても中共と会談できる機会が持てることをあげた。 |
DIA-204-1971-09-10-2 | タイ | 1971年09月10日 | 1970年代 | 原材料輸入関税90%割引か-プラマーン工業協会長によると,政府は輸出振興のため,輸出品用の原材料輸入関税を90%割引する予定。この措置で輸入した原材料は製品として12カ月以内に輸出しなければならない。輸入業者は供託金か政府債,または市中銀行保証を必要とする。供託金を出さず,12カ月以内に輸出できなかったときは1%の利子をつけた関税全額を払い,13カ月以内でできなかったときは2%の利子をつけた関税全額を払う必要がある。関税割引の申請は関税局で受ける。 |
DIA-204-1971-09-13-1 | タイ | 1971年09月13日 | 1970年代 | 外国人職業規制について-ティエン労働局長によると,外国人職業規制法が立法化されると,現在タイ国内で働いている外国人は労働許可申請前に,居住申請が必要となる。非居住者ビザの者は,立法後90日以内に労働許可を申請し,特別警察の審査を経て労働許可証が交付される。労働者,ウェイター,事務員,観光ガイド,宝石採堀,宝石商,会計士,計理士,弁護士,電気技術者,漁師への外国人の就業は禁止され,その他の職種は検討中である。外国人歌手の入国も禁止となるだろう。 |
DIA-204-1971-09-15-1 | タイ | 1971年09月15日 | 1970年代 | タイ国民連合,増税法案否決-タイ国民連合党大会は,政府が提出する予定の所得税法人税増税法案(9月5日参照)と,借款法案(第3次5力年計画のため,120億バーツの外国借款の権限を政府に与える)に強硬に反対した。このため党執行部は法案を撤回し,党の経済問題委員会で検討,改正する。 |
DIA-204-1971-09-17-1 | タイ | 1971年09月17日 | 1970年代 | マンハッタン反乱に有罪判決-最高裁は1951年6月29日のマンハッタン号反乱事件の首謀者Anond Phunthrikapa海軍大佐,およびAmnuay Virakalas海軍大尉(いずれも当時の地位)に対し徴役12年の刑を言い渡した。 |
DIA-204-1971-09-18-1 | タイ | 1971年09月18日 | 1970年代 | タイ人民の声放送が政府攻撃-共産側のタイ人民の声放送は,国連の中国代表権問題でタイ政府の決定を,2つの中国を作るものとして非難した。これについてタイの政界では,タイの態度を中共が歓迎すると思っていただけに,意外の感を持っている。 |
DIA-204-1971-09-21-1 | タイ | 1971年09月21日 | 1970年代 | 民間投資を奨励-レーヌーNEDB事務局長は,第3次5力年計画では民間投資を政府投資の2倍の約1310億バーツに増やすが,タイ人の持株を増やすなどしてあまり影響力を強くないようにすると語った。 |
DIA-204-1971-09-23-1 | タイ | 1971年09月23日 | 1970年代 | 協力基金,11億円融資-日本の海外経済協力基金はアジア開発銀行との協調融資で,タイに11億5200万円を融資し,合意書に調印した。送電網拡充計画に使用する。 |
DIA-204-1971-09-23-2 | タイ | 1971年09月23日 | 1970年代 | 米100万トンの輸出達成-経済省の発表によると,9月20日現在でタイ米の輸出は100万1986トンと100万トンを越えた。 |
DIA-204-1971-09-25-1 | タイ | 1971年09月25日 | 1970年代 | タイ積み日本向貨物運賃5%引上げ-経済省発表によると,タイ日海運同盟は円の変動相場制移行に伴い,タイ積み日本向け貨物運賃を5%引上げ,17日にさかのぼって実施することを決めた。 |
DIA-204-1971-09-26-1 | タイ | 1971年09月26日 | 1970年代 | 貿易収支改善-商業情報局の報告によると,1971年上半期の貿易収支赤字は47億2550万バーツで,前年同期比15億5500万バーツ,25%減となった。輸出は82億2720万バーツ(8億2530万バーツ,11%増),輸入129億5270万バーツ(7億2980万バーツ,5%減)。 |
DIA-204-1971-09-28-1 | タイ | 1971年09月28日 | 1970年代 | 倒産続く-サンペン街ではさらに8件の倒産があった。負債は最大3000万バーツ,あとは5~600万バーツである。ある商人は,国民の購買力が低下したことと運転資金の詰ったことを理由としてあげている。 |
DIA-204-1971-09-29-1 | タイ | 1971年09月29日 | 1970年代 | 第4次円借款-日本輸出入銀行と外国為替諸銀行,タイに7億9200万円の円借款,首都圏電話増設プロジェクトに使われる。 |
DIA-204-1971-10-01-1 | タイ | 1971年10月01日 | 1970年代 | タノム首相,第3次5力年計画開始記念演説-主要政策は,国民経済の基盤強化によるGNP増,地域開発促進による貧富の格差縮小,社会正義の奨励,熟練労働力の育成と雇用の増大,民間企業の奨励。輸出を振興し,観光開発を外貨獲得のため強化する。第3次計画予算は1002億7500万バーツで,国家予算から695億バーツ,公企業から138億4500万バーツ,残りは外国援助,借款による。 |
DIA-204-1971-10-01-2 | タイ | 1971年10月01日 | 1970年代 | 日本製自動車値上げ-変動相場制による円高と,タイ政府の日本品関税評価10%引上げにより,自動車価格が8~10%値上げ(4,000~8,000バーツ)された。 |
DIA-204-1971-10-02-1 | タイ | 1971年10月02日 | 1970年代 | 凶悪犯罪増加で政府を非難-プラソン・チョンブリ県出身議員は,凶悪犯罪が広がっているのは,警察が無能であるということのほかに,米国の撤退,米価の低落などによる経済悪化で失業者が増えたためであり,もし対策が正しくなければ国家社会に重大な危険となろう,取揃を強化するより失業をなくすような経済政策を行うべきである。政府は軍事に重点を置く予算を中止して国民生活に重点を置くべきだと語った。 |
DIA-204-1971-10-03-1 | タイ | 1971年10月03日 | 1970年代 | 紡績業への投資抑制-工業省は紡績の新設,拡大に対する優遇措置を2年間停止したと発表。 |
DIA-204-1971-10-05-1 | タイ | 1971年10月05日 | 1970年代 | 観光事業振興策-政府は観光事業振興に関するタイ観光協会の提案を閣議で承認した。内容は以下の通り,①ノービザ滞在期間現行3日を7日間に,②税関での手荷物検査緩和,③ドンムアン空港に免税店設置,④出国時の観光客の宝石,金細工品の輸出税免税,このうち,①と②は実施している。 |
DIA-204-1971-10-09-1 | タイ | 1971年10月09日 | 1970年代 | 内閣官房長官任命-サガー・キッティカチョン(副外相)が先週多忙を理由に内閣官房長官を辞任。後任にAnant Neteroj海軍大将が任命された。 |
DIA-204-1971-10-11-1 | タイ | 1971年10月11日 | 1970年代 | ルーマニアが石油化学プラン提出-ブンチャナ経済相は,ルーマニア政府は石油化学プラント建設のために,資本金数百万バーツの合弁企業設立を提案するだろう,タイ政府が承認すれば,チョンブリー県レームチャバンに建設される,またルーマニア代表団の調査では,東北タイに製塩工場を作れるだけの十分な岩塩があることを確認したと語った。 |
DIA-204-1971-10-12-1 | タイ | 1971年10月12日 | 1970年代 | ルーマニアがトラック工場,製塩工場建設を希望-タイ商業会議所副会長のOb Vasuratna氏はルーマニア貿易使節団と会談。ルーマニアはトラツ工場の建設と技術指導,製塩工場建設を希望している。製塩工場ができれば,食塩トン当り80バーツ,工業用塩40バーツで提供できる。Ob氏は上記以外の分野へもルーマニアからの投資を希望した。 |
DIA-204-1971-10-15-1 | タイ | 1971年10月15日 | 1970年代 | 予算委員会審議終了-政府原案290億バーツから,3億8565万6558バーツ削減。削減額内訳は総理府4159万7910バーツ,大蔵1881万6600,農林1947万4760,運輸962万7950,国家開発2億5219万7508,内務2682万1000,文部479万4200,経済110万2890,厚生754万6380,工業10万9360,公企業356万8300。 |
DIA-204-1971-10-17-1 | タイ | 1971年10月17日 | 1970年代 | 原糖生産割当増-ポン工業相は,1971-72年度の原糖生産量割当をこれまでの25万トンから35万トン(公企業および民間合計)に増加すると発表。 |
DIA-204-1971-10-19-1 | タイ | 1971年10月19日 | 1970年代 | 輸出工業製品に対する税金全額払戻し-総理府からタイ工業協会への通知によると,政府は輸出振興のため,輸出向け工業製品製造に関する営業税,物品税,原材料や部品,機械の輸入税,燃料税その他すべてを各企業に払戻す。払戻しは現金ではなく手形で行なう。この新しい措置は数週間後に実施する予定。 |
DIA-204-1971-10-20-1 | タイ | 1971年10月20日 | 1970年代 | 米輸出順調-1月から9月までの輸出量は107万0144トンで前年同期比28万3598トン,26.5%増となっている。10月12日までの輸出量は111万1730トン。 |
DIA-204-1971-10-25-1 | タイ | 1971年10月25日 | 1970年代 | 米価支持政策で質問-ブンルアン民主党議員は米価の落下と米価支持策について経済相に次のような質問を行なった。 (1)69年以来米価は低落の一途をたどっている。農民は生産費の上昇,米価の下落,もち米400バーツ/トン,うるち米600バーツ/トンにより苦しんでいる。政府の農民援助の手段は何か。 (2)政府の米価支持政策は農民に達していない。規則が煩雑なため中間商人の利益となっている。この事実を知っているか。 (3)次の年の米作を刺激する,米価を上昇させる手段を有しているか。 (4)米在庫を輸出により急いで減らすことができるか。もしできないとすれば何故か。 |
DIA-204-1971-10-25-2 | タイ | 1971年10月25日 | 1970年代 | 革命の噂-タイ国民連合党所属のスポット予算委員会は,ある委員が国防省の2億8000万バーツの予算増額を予算委員会が認めないときは,革命,議会の閉鎖があるだろう,サガー・キッチカチョンは国防省の会議に出席してこの件を知っているという噂を撤いているが,これはサガーの名誉を傷つけるのみならず政府,軍部の統一を乱すものであると語った。 |
DIA-204-1971-10-25-3 | タイ | 1971年10月25日 | 1970年代 | 国防省,予算増額-予算委員会は国防省予算2億8000万バーツの増額を認めたことを明らかにした。 |
DIA-204-1971-10-26-1 | タイ | 1971年10月26日 | 1970年代 | 国連の中国代表権問題-タナット外相は国連総会で,中国招請,国府追放のアルバニア案可決後次のように述べた。 国連総会の決定は,国府とタイの外交関原に何らの影響を与えるものではない。アルバニア案に棄権したのは,逆重要決議案が敗れたときは,アルバニア案に棄権するとあらかじめ政府が決定していたからだ。われわれは台湾が現実に存在していることを無視できない。帰国後,タイと北京との直接会談について政府と相談する。キッシンジャー氏の2度目の訪中は,国連での票決に重要な影響を与えたと思う。国府追放は道義的には悪い前例を残したが,しかしそれは政治的方法である。 |
DIA-204-1971-10-26-2 | タイ | 1971年10月26日 | 1970年代 | 国連総会の決定について華僑指導者の意見-Chin Sophonphanichバンコク銀行専務:難しい問題だ。2つの国が中国を代表するのは無理だが,中共を国連に参加させるべきではない。Amphorn Bullapakdi中華総商会会長:政府の政策を支持する。中華民国はタイの良き友人であり,その追放は残念。政府が対中共政策を変えない限り,タイの貿易に変化はないだろう。Limin Lamsam中華総商会副会長:ノーコメント。 |
DIA-204-1971-10-26-3 | タイ | 1971年10月26日 | 1970年代 | 中古バイク輸入禁止を閣議決定-中古オートバイを輸入禁止。また100cc以下の新車輸入を制限する。100cc以上のものも将来国産化できれば輸入規制する。国内3社に対しては値上げしないよう勧告し,必要であれば暴利取締法を適用する。工業省は今後5年間は新会社設立を認めず,既存3社に対しては国産部品使用率を30%から50%にあげるよう要求する。 |
DIA-204-1971-10-26-4 | タイ | 1971年10月26日 | 1970年代 | 米在庫180万トン-経済省によると,米の輸出用在庫は180万トンに達している。71年の統計局の調査によると在庫は145万トンであるが,米穀局の調査によるとそれを大幅に上回っている。今年は2期作による収穫が40万トン以上あり,奥地の精米所などの在庫を合わせると,輸出用米の在庫は180万トンに達している。 |
DIA-204-1971-10-27-1 | タイ | 1971年10月27日 | 1970年代 | サガー,中国が国連へ加盟するなら辞職-サガー・キッチカチョン外務副大臣は,閣議に国連総会の報告をしたあと,次週の国家安全保障会議で外交政策を議論するため,タナット外相を急遠,帰国させることにしたと発表,また,中国が国連へ加盟すれば自分は直ちに外務副大臣をやめると語った。 |
DIA-204-1971-10-27-2 | タイ | 1971年10月27日 | 1970年代 | 新聞の営業税免除-新聞用紙の輸入者が自ら印刷を行なう場合,営業税が免除される。販売もしくは印刷に出す場合は適用されない。 |
DIA-204-1971-10-29-1 | タイ | 1971年10月29日 | 1970年代 | 中国との国交は時期尚早-タイ国民連合党大会で,同党全議員が今後も国府と友好関係を維持するよう求めた緊急動議を出したのに対して,タノム首相は答弁の中で,中国との国交樹立を考えるのは時期尚早である,中国は国連に入ったばかりであり,国連憲章を守るかどうかまだわからないからであると述べた。 |
DIA-204-1971-10-29-2 | タイ | 1971年10月29日 | 1970年代 | 3人の議員が毛沢東に祝電-サナーン・ティーラシーチョート(経済人連合戦線),カイセーン・スックサイ(人民党),ソムキット・シーアンコム(社会民主党)の3人の議員が中国代表権問題の勝利で毛沢東に祝電を送った。なお3党は,中国に対する適切な外交政策が早急に決定することを求める。政府は一部大国の政策に追随している,中国の国連復帰は,国際政治の正義を求める,国連加盟国の継続的努力によるものであると共同声明を発表した。 |
DIA-204-1971-10-31-1 | タイ | 1971年10月31日 | 1970年代 | タナット外相帰国-国連総会に出席していたタナット外相が帰国し,中国問題で次のように語った。 米国は2つの中国政策を2~3年前にとるべきであった。その頃はまだ国府支持が強かった時期である。ニクソン訪中計画とキッシンジャー再訪中は,中小国の多くに国府反対の態度を決めさせた。代表権が中共にあることを米国が認めるのだと多くの国が信じた。アルバニア案に棄権したのは,中国招請に反対したのではなく,国府追放に反対したからだ。タイとしては棄権が最良の方法と考えたし,多くの国もわれわれの決定を歓迎した。国府も理解してくれた。賛成は日和見になるし,反対するのは国益を考えると誤りとなる。 |
DIA-204-1971-11-02-1 | タイ | 1971年11月02日 | 1970年代 | コナリー・タノム会談-1日に訪タイしたコナリー米財務長官は2日にタノム首相らと会談した。タナット外相によると,コナリー長官はタイへの軍事・経済援助を続けるために米国政府は可能なあらゆる手段をとると約束し,また米上院が外国援助法案を否決したことはニクソン大統領の政策に反するものであると述べた。 |
DIA-204-1971-11-02-2 | タイ | 1971年11月02日 | 1970年代 | 製薬業界,関税引上げを要望-製薬業界は製品の関税引上げを要望している。これは現行の税率が原料関税30%,営業税1.5%,販売営業税7.7%であり,製品の関税率10%と比較して著しく不利なためである。 |
DIA-204-1971-11-03-1 | タイ | 1971年11月03日 | 1970年代 | 対中国貿易禁止解除-国家安全保障会議は,中国との貿易禁止解除,現行反共法の緩和,中国から招待された文化,スポーツ代表団の訪中許可の方針を決めた。しかし外交関係は近い将来には樹立せず,また個人および政治的団体の中国訪問は現段階では許可しない。貿易禁止解除により,革命団布告53号は廃止となる。また経済省に対し,貿易上の必要な規制措置を立案するように指示が下された。 |
DIA-204-1971-11-04-1 | タイ | 1971年11月04日 | 1970年代 | 新中国政策を確認-タノム首相は,大陸中国に対する政府の態度緩和は,中国との一層の関係改善の地ならしである,貿易は最初は政府間レベルでのみ認められることになろうと述べた。 |
DIA-204-1971-11-04-2 | タイ | 1971年11月04日 | 1970年代 | オートバイ工場5年間新設禁止-工業省は国内オートバイ産業振興のため,今後5年間は新企業設立を認めないと発表した。また現存企業は2年以内に,国産部品を金額で最低50%以上使用に高めねばならない。 |
DIA-204-1971-11-08-1 | タイ | 1971年11月08日 | 1970年代 | プラパート,中国人の監視命令-プラパート内相は警察局及び地方行政局に対して国内の中国人の行動を監視するよう命令した。中国の国連加盟によって,タイ国内の中国人の分裂を警戒している。小さなことが大きく発展しないよう急いで準備すると語った。また外交政策については,いずれの国にも頼らず自立できるよう努力するというこれまでのものを堅持すると語った。 |
DIA-204-1971-11-09-1 | タイ | 1971年11月09日 | 1970年代 | 中国のエカフェ参加認める-タノム首相は,バンコクで開かれるエカフェ会議に中国の代表団が参加するのを認める,タイは中国と通商関係を結ぶかもしれないが,どんな基盤で中国と貿易するかを検討しなければならないと語った。 |
DIA-204-1971-11-09-2 | タイ | 1971年11月09日 | 1970年代 | 今年上半期貿易収支改善-経済省報告によると,今年上半期は輸入129億5270万バーツ,輸出82億2720万バーツで,赤字は47億2550万バーツと,昨年同期比15億5510万バーツ,25%減となった。 |
DIA-204-1971-11-12-1 | タイ | 1971年11月12日 | 1970年代 | 中国がタイと会談準備,タナット外相談-第3国を通じて中華人民共和国がタイとの会談に入る意志と準備があることを表明してきた。お互いに便利な場所であるならどこででも北京の代表と会う。会談は大使級のレベルで行なう。北京側は国府との外交関係断絶を求めるだろう。この問題について中国の共産主義者がどれだけ柔軟かみる必要がある。 |
DIA-204-1971-11-13-1 | タイ | 1971年11月13日 | 1970年代 | 米軍撤兵中止-タナット外相は,カンボジアとラオスを救うため,米軍のタイ駐留をひきつづき認め,米軍のタイ撤兵を一時中止すると発表した。米軍は6月25日現在で3万2000人(空軍2万6000人,陸軍5700人)。 |
DIA-204-1971-11-15-1 | タイ | 1971年11月15日 | 1970年代 | 73年まで対中国交樹立せず-サガー副外相は,現内閣の任期が終る73年までは中国との国交樹立はないだろう,政府が慎重なのは国内の中国人に問題があるからだと語った。 |
DIA-204-1971-11-15-2 | タイ | 1971年11月15日 | 1970年代 | 野党が中国承認要求-経済人連合戦線,社会民主党,労働党,地方開発党の野党4党は共同声明を発表し,政府に中華人民共和国の承認を要求した。なお4党はゆるやかな形の政党連合の話合いを進めており,将来は単一政党に合同する予定である。 |
DIA-204-1971-11-15-3 | タイ | 1971年11月15日 | 1970年代 | 民主党政府を非難-ピチャイ民主党議員は11月3日の国家安全保障会議の決定について,これは69年3月のタノム首相の施政方針演説と矛盾する,政府にはっきりした外交方針がないことを示していると政府を非難した。 |
DIA-204-1971-11-16-1 | タイ | 1971年11月16日 | 1970年代 | 工業部門の伸び順調-工業振興課筋によると,第2次5ヵ年計画期間中の工業部門の伸びは年率11.5%,71年度の工業生産額は220億バーツでGNPに占める割合は17.2%,新規採用年平均2万人,10月末労働者数は75万人,工場数増加は年平均2,300だが,大半は資本金100万バーツ以下の小工場,現在の工場総数は5万3000。 |
DIA-204-1971-11-17-1 | タイ | 1971年11月17日 | 1970年代 | 革命団がクーデターで全権掌握-タノム首相をリーダーとする革命団は夜7時クーデターで全権を掌握した。戒厳令が全面発動され,憲法の廃止,議会,内閣の解散,5人以上の政治的集会禁止が布告された。タノム元帥は,プラパート陸軍大将,ポット・サラシン,プラスート警察大将,タウィー空軍大将を伴って,革命団の行動の必要性について国王に報告,国王は革命団に祝福を与えた。 同日朝10時に軍の指導者が会談し,クーデターの必要性についてタノム首相の考えを支持した。国民には夜8時のラジオ放送を通じて事態が知らされた。革命団司令部のあるスワパー広場付近は,戦車6台とジープ4台が警戒にあたり,警察局および第1軍団司令部のあるParuskawan Palace付近は通行禁止となっている。 与党議員から辞任を要求されていたスキッヒ文相,および回顧録を発表してその内容を批判されていたブンチャナ経済相は,クーデター前に辞表を提出した。タナット外相はクーデターのニュースを聞いたあと,今回の革命は新鮮な血液,新しい人と新しい思想をもたらし,タイを開発の道に導いていくだろう,唯一つ残念なのは,この変化がノーマルな発展を通じて行なわれたものでないことであると述べた。 米国のアンガー駐タイ大使と,15日夜タイに到着していたアレクシス・ジョンソン政治問題担当国務次官(元駐タイ大使)は,クーデター後,タノム元帥ら革命団首脳と会談を行なった。 |
DIA-204-1971-11-18-1 | タイ | 1971年11月18日 | 1970年代 | 革命団声明-革命団は午前0時35分,クーデターの理由について以下の声明を発表した。 1.国家の安全と王室を脅やかす危険について考慮するに,立憲王制に基づく政府政体を変えて非民主的政体へ変えようとする危険は,タイ各地で騒乱を起そうとするテロリストの扇動にみられるように激化してきている。 もし情勢をしっかりと把握していなければ,国家,王室,国民を危険に陥れることになるであろう。 2.仏暦2511年憲法の発布,および総選挙以後,国民の中の一部グループは憲法に保障された権利を乱用し,扇動と破壊をもたらし,まったく個人的利益のために政府の事業を妨害し,困難と遅滞をもたらすために議会の内外で彼らの影響力を利用した。 一部グループは,種々の問題を解決し,危険を事前に予防することに協力せずに,機を捉えて分裂と妨害を行ない,政府が問題を容易に解決することを妨げた。 彼らは民衆や各種団体が政府に反対,抵抗するよう扇動し,学生はデモを,労働者はストライキをするように扇動した。 これらの行動は政府の事業を妨げた。政府はあらゆる方法で,立法府および行政府の各部門も含めて,誰に対しても公正であるように努めてきた。 緊急の問題を憲法上の手段で解決するのは適切ではない。決定的かつタイムリーな行動で権力を掌握することが必要である。 外部の情勢がいかに悪くても,国内に平和と秩序が保たれていれば解決は簡単である。もし国内に混乱,分裂,不和があれば,内外の情勢を打開するのは極めて困難となるであろう。 |
DIA-204-1971-11-18-2 | タイ | 1971年11月18日 | 1970年代 | 革命団幹部-タノム元帥は革命団幹部9人を発表した。革命評議会議長タノム元帥,副議長兼軍政長官プラパート陸軍大将(前副首相兼内相),議長補佐ポット・サラシン(前副首相兼国家開発相),民政長官プラスート警察大将(前厚相兼警察局長),軍政副長官タウィー空軍大将(前運輸相),軍政長官補佐ブンチュー空軍大将,タウィン海軍大将,民政副長官タウィン・スントーンサラトゥーン(前副内相),革命団書記クリット・シーワラー陸軍大将(前副国防相) |
DIA-204-1971-11-18-3 | タイ | 1971年11月18日 | 1970年代 | 官庁高官に事情説明-タノム革命団議長はスワパー広場の司令部に,各省次官,局長,課長,大学学長ら154人を集めて,趣旨説明を以下のように行なった。 国家の発展と国民の幸福のために,最大限に断固として権限を行使せねばならなかった。社会への脅威,とくに凶悪犯罪に対しては徹底的に対処する。すべての高官は正直かつ献身的に仕事をし,国民を抑圧したり,トラブルを起させたりしてはならない。 近隣諸国およびタイ自身も含め,国際情勢が混乱している結果として,国家の主権と国王を守るために,このような行動がとられねばならなかった。中共の国連復帰によって生じた国際情勢の変化に伴い,タイ在住中国人の反応がどのようになっているか,当局としてはっきり確信できない。われわれは中国人がどのようなイデオロギーを持っているかわからない。もし中国人の多くが共産主義に加担していれば,共産主義者はあらゆる地域で浸透,転覆活動を行なうだろう。もし親共中国人がテロリストに加われば活動は激化し,国家の安全を大きな危機に陥れるだろう。この情勢に照らして,迅速,強力かつ徹底的な手段の行使が必要であった。国家および国王への脅威は極めて増大している。 |
DIA-204-1971-11-19-1 | タイ | 1971年11月19日 | 1970年代 | 国家行政評議会発足-タノム革命団議長はクーデター後初の記者会見で,国家行政評議会(National Executive Council,以後NECと略称,16人)が,新内閣が任命されるまで3~4ヵ月間行政を担当すると以下のように語った。 暫定憲法を起草する。また各方面の著名民間人から構成する委員会で永久憲法を起草する。これは早急に行なう。 凶悪犯罪者に対して断固たる処罰を加える。刑法を改正して罰則を強化する。 NECは共産テロリストに対して迅速かつ徹底的な行動をとる。また左翼政治家が学生,労働者,農民に破壊活動を扇動するのを防ぐために同様の行動をとる。 民主党が多数を占めていたバンコク市議会,および全国の県,市町村議会は解散しない。しかしもし彼らが任務と機能を適切に遂行できなければ,変更はありうる。 NECは国家の開発,政治的安定と国家の安全保持に専念する。 私は中共が平和共存と,内政不干渉の原則を行動で示してくれるのを待っている。現在までのところ北京がタイ国内の共産テロリストへの援助を減少させたという徴候はない。中国はラオスに,タイへ向う戦略道路の建設を進めている。われわれは北,東北,南部で共産テロリストと闘い,北京からの支援の証拠を発見した。ゲリラの訓練は昔は外国で訓練されていたが,今ではウドン県プパン山麓のジャングルの中で行なわれている。中共の国連参加の直前直後に,無分別な学生のストライキやデモ,農民の大きな破壊活動があった。左翼,親共政治家は政府に北京を承認させようとし,プラパート副首相に,政府の代りに中共と接触することを申出た者もいた。中共が今後タイへの浸透,テロ分子に対する援助を減少させなければ,前向きのアプローチはとれない。 議会は与野党を問わず,政府への介入,妨害が度をこしている。政府与党で構成されている予算委員会ですら,予算成立を,私利私欲にかられて妨害し,政府を苦境に追いこんだ。 外交方針は従来と変化はない。既存の諸外国との条約,協定は順守する。 |
DIA-204-1971-11-20-1 | タイ | 1971年11月20日 | 1970年代 | 全政党解散-革命団は布告第9号で,仏暦2511年政党法を廃止した。同法の下に設立された政党はすべて解散し,今後新党結成は認められない。 |
DIA-204-1971-11-20-2 | タイ | 1971年11月20日 | 1970年代 | 革命団,ASEAN会議代表にタナット前外相を派遣。 |
DIA-204-1971-11-21-1 | タイ | 1971年11月21日 | 1970年代 | セーニー民主党首引退-セーニー・プラモート前民主党委員長は,老齢を理由に政界引退を表明,革命団が権力を掌握したので,政治問題について心配することなしに休養できる時間を持てると語った。 |
DIA-204-1971-11-21-2 | タイ | 1971年11月21日 | 1970年代 | ソビエト商船タイ・ケナフを輸送一ピニット,ジュート協会々長によると,ソビエト商船が毎月タイのケナフをヨーロッパに輸送することになった。輸送費はトン当り15ポンド,または同盟船運賃の半額,ポーランドと西独も毎月1回配船を約束している。 |
DIA-204-1971-11-22-1 | タイ | 1971年11月22日 | 1970年代 | 革命団,緊急経済開発計画実施予定-タノム議長は現在の5ヵ年計画を3~4年に短縮,失業問題,工業化推進,農産物の価格安定などのため緊急開発計画を立案し,このために革命団内に委員会を設置すると語った。 |
DIA-204-1971-11-22-2 | タイ | 1971年11月22日 | 1970年代 | 革命団,72年度予算を承認-革命団は総額72年度予算を承認した。 (バーツ) 総理府 1,432,383,048 国防省 5,268,100,000 大蔵省 4,587,966,600 外務省 166,819,400 農業省 647,694,640 運輸省 192,010,750 開発省 4,911,921,892 内務省 6,407,450,110 法務省 92,801,400 文部省 1,957,975,952 経済省 49,727,010 厚生省 953,110,520 工業省 50,230,498 王立学術院 1,000,000 議会事務局 49,432,000 王室 47,633,580 宮内庁 1,991,500 公企業 178,248,000 中央基金 2,003,500,000 |
DIA-204-1971-11-24-1 | タイ | 1971年11月24日 | 1970年代 | 東南ア中立化構想支持-NEC特使としてクアラルンプールで開かれるASEAN閣僚会議に出席するタナット前外相は,NECは東南アジアが外部勢力に干渉されない平和な地域であることを望むと,中立構想支持を確認した。 |
DIA-204-1971-11-26-1 | タイ | 1971年11月26日 | 1970年代 | 行政担当者任命-タノムNEC議長は,行政担当者5人を任命した。各省の分担は以下のとおり タノムNEC議長 総理府,外務 プラパート副議長 国防,内務,法務 タウィー空軍大将 農業,運輸,国家開発 ポット・サラシン 大蔵,経済,工業 プラスート警察大将 文部,厚生 |
DIA-204-1971-11-29-1 | タイ | 1971年11月29日 | 1970年代 | 食塩輸入関税引下げ-大蔵省は食塩の輸入関税をkg当り2.22バーツから0.22バーツに引下げた。この措置は国内の食塩利用産業の保護育成のためである。この措置により国内の食塩価格はトン当り600~700バーツ急落している。 |
DIA-204-1971-11-30-1 | タイ | 1971年11月30日 | 1970年代 | 麻袋価格統制-プラユーン暴利取締委員会議長は,麻袋不足から商取引上の暴利を防止するために,全国の麻袋の価格を統制することを決め,同時に麻袋製造業者は国内通商局に対して,12月5日までに現在のストック,生産,販売能力,倉庫の位置を報告し,以後も15日ごとに報告しなければならないと発表した。 |
DIA-204-1971-12-03-1 | タイ | 1971年12月03日 | 1970年代 | 共産ゲリラの活動-衝突事件及びテロ件数は1966年300件,70年1,100件,71年1~7月900件。東北タイの一部地域では約200村が共産主義者の支配下にある。ゲリラの人数は東北タイ1,500人,北部2,000人,南部800人。 |
DIA-204-1971-12-03-2 | タイ | 1971年12月03日 | 1970年代 | 米輸出順調-11月末までの輸出量は141万8059トン(政府ベース59万2935トン),輸出額は25億4300万バーツ。この他ラオスへ4万トン輸出している。 |
DIA-204-1971-12-05-1 | タイ | 1971年12月05日 | 1970年代 | 制憲議会設置せず-プラスート警察局長は,3~4カ月先きに国民の各層から成る憲法制定委員会を設置する。制憲議会は費用と時間がかかるので設置しないと語った。 |
DIA-204-1971-12-08-1 | タイ | 1971年12月08日 | 1970年代 | 国家行政評議会正式発足-国家行政評議会は行政担当を5部門に分割し,業務を開始した。これに伴い,軍政,民政の区別は廃止される。 |
DIA-204-1971-12-08-2 | タイ | 1971年12月08日 | 1970年代 | 共産ゲリラの攻撃-チェンラーイ県チェンカム郡で,共産ゲリラの待伏せ攻撃により,兵士8人,志願兵1人,山地種族民3人が死亡し,また負傷者5人を出した。 |
DIA-204-1971-12-08-3 | タイ | 1971年12月08日 | 1970年代 | 麻袋輸出禁止-NECの経済・大蔵・工業担当省は,国内供給確保と値上り防止のため,麻袋輸出規制を決めた。輸出しようとする者は許可を必要とする。 |
DIA-204-1971-12-11-1 | タイ | 1971年12月11日 | 1970年代 | 憲法起草-タノム議長は革命団法律顧問団に暫定憲法起草を命じたと発表した。サリット時代の暫定憲法が若干修正される模様である。 |
DIA-204-1971-12-14-1 | タイ | 1971年12月14日 | 1970年代 | タノム議長,南ベトナムを非公式訪問-南ベトナムのチュー大統領,キエム首相,ラム外相らと会談した。会談の内容は一切発表されていないが,大統領官邸筋によると,カンボジア救援軍の編成およびタイ軍の南ベトナム撤退が中心。この日の会談で,プノンペン防衛のためメコン川の両側から作戦を行なうことで合意したとの見方が出ている。 |
DIA-204-1971-12-14-2 | タイ | 1971年12月14日 | 1970年代 | 日タイ海運同盟,タイ船配船増承認-ソムポン商業情報局長によると,日タイ海運同盟はタイ船舶3社に,72年に108航海を割当てることを承認した。これは71年に比し50%増である。 |
DIA-204-1971-12-14-3 | タイ | 1971年12月14日 | 1970年代 | 71年度間接税収-71年度間接税収は35億1000万バーツで,前年度比3億1500万バーツ,9%増となった。しかし見込額よりは2億1000万バーツ,6%低い。 |
DIA-204-1971-12-15-1 | タイ | 1971年12月15日 | 1970年代 | 地方議会選挙は実施せず-革命団は布告第19号で,市町村議会,県議会の補欠選挙,一斉選挙は行なわず,政府が新しい議員を任命すると発表した。議員の選定は内務省が行なう。 |
DIA-204-1971-12-15-2 | タイ | 1971年12月15日 | 1970年代 | 新投資奨励法草案完成-ソムポン投資委員会事務局長によると,投資奨励法(Promotion of Investment Act)の草案が完成した。産業投資,学校,大学,病院等への投資,地方への投資を奨励する。 |
DIA-204-1971-12-19-1 | タイ | 1971年12月19日 | 1970年代 | バーツ切下げ-ピスット中央銀行総裁は,10力国蔵相会議で決ったドル切下げ(7.89%)に追随してバーツも切下げ,1ドル=20.80バーツのレートを維持すると発表した(NECによる正式発表は20日)。対外債務は,対独2億0030万バーツから2億2500万バーツへ,対日本が110億2800万バーツから129億2500万バーツに増加する。 |
DIA-204-1971-12-21-1 | タイ | 1971年12月21日 | 1970年代 | バンコック・トンブリー合併-革命団は布告第24号で,プラナコン県とトンブリー県を合併すると布告した。新県名はNakhon Luang Bangkok Thonburi。新県会議員は内務省が任命する。また布告25号で,バンコク,トンブリー両市を合併して市とし,内務省が市長と理事(8人以下)を任命すると発表した。市長は県知事が兼任する。 |
DIA-204-1971-12-22-1 | タイ | 1971年12月22日 | 1970年代 | 大バンコク県知事等任命-内務省は大バンコク県知事にWinyu Angkananurksa氏を任命した(首都市長兼任)。また市理事6人,県会議員30人,市会議員24人を任命した。旧議員のうち旧民主党員はすべて除外され,旧トンブリー・グループからは4人が任命されている。 |
DIA-204-1971-12-22-2 | タイ | 1971年12月22日 | 1970年代 | 外貨準備にスイス・フラン-大蔵省は現在ドル・ポンドを中心とする外貸準備をスイス・フランに変える方針で革命団の承認を得たと発表した。 |
DIA-204-1971-12-24-1 | タイ | 1971年12月24日 | 1970年代 | 中国問題棚上げ-NEC高官によると,NECは北京との関係改善は緊急のものではなく,また通商も必要ないと判断して,当分棚上げすることを決めた。 |
DIA-204-1971-12-24-2 | タイ | 1971年12月24日 | 1970年代 | 革命団,行政改革を検討-革命団は現在の行政5部門方式が順調に運営されていることから,とくに経済省,農業省,工業省など経済関係の省を中心とする行政改革を検討している。 |
DIA-204-1971-12-27-1 | タイ | 1971年12月27日 | 1970年代 | インドネシアと貿易協力協定-信頼できる筋によると,タイとインドネシアはメイズとタピオカの輸出で協力し,相互に競争しない旨の協定を結んだ。 |
DIA-204-1971-12-28-1 | タイ | 1971年12月28日 | 1970年代 | 共産側が最大規模の反政府宣伝,プラパートNEC副議長談-タイの共産テロリストは,ラオス,カンボジア,南ベトナムの共産側の大攻勢にあわせて,各地で最大級の反政府宣伝をくりひろげている。彼らは中国人共産主義者から,60ミリ砲のような近代的重火器の供給を受けている。大砲は主にチェンラーイ県で使われている。タイの共産主義者が,近隣諸国共産勢力の乾季攻勢と共同作戦をとったのはこれが初めてである。 |
DIA-204-1971-12-28-2 | タイ | 1971年12月28日 | 1970年代 | 国産品保護-プラシット・カーンチャナワット経済・大蔵・工業省副長官と,タイ商工会議所,タイ工業協会代表との会合で,市場拡大および国内産業発展のため,政府,民間を問わず国産品の使用促進を決め,以下の対策を決めた。①国内輸出業者の税負担緩和,②輸出業者の過当競争防止,および輸出品の品質向上のため,政府奨励の下に,輸出制度を改善する。③国産品保護のための新税制,④密輸防止,⑤工業団地への工場移転と公企業の設立。 |
DIA-204-1971-12-30-1 | タイ | 1971年12月30日 | 1970年代 | 米輸出業者の営業税免税-Ob Vasuratna商工会議所副会頭によると,NECは営業税を米輸出業者からはとらず,精米業者からのみ集めることを決めた。 |
DIA-204-1972-01-04-1 | タイ | 1972年01月04日 | 1970年代 | 共産ゲリラへの重火器援助増加─消息筋によると,北部共産ゲリラへの外国からの援助は2年間で10倍となり,B40ロケット砲,軽火器,50口径機関銃,地雷等が供給されている。北部では軍事行動が中心だが,東北タイでは政治闘争を展開し,一部地域に解放区を作っている。 |
DIA-204-1972-01-04-2 | タイ | 1972年01月04日 | 1970年代 | 輸出産業に税払戻し─大蔵省は輸出奨励のため,輸出向工業製品の製造原価中の税を払戻すことを決めた。払い戻すのは間接税,各種地方税,販売税,および設備,予備部品,機械,燃料その他動力にかけられた税金で,輸出業者にtax credit cardで払い戻す。但し石油は対象から除き,所得税,鉱区料,天然資源に課せられた税は除く。払戻しには,5万バーツ以上輸出することが条件となる。1日にさかのぼって発効。 |
DIA-204-1972-01-05-1 | タイ | 1972年01月05日 | 1970年代 | 4トン以上の中古トラック輸入規制。 |
DIA-204-1972-01-06-1 | タイ | 1972年01月06日 | 1970年代 | 71年の米輸出好調─71年の米輸出は155万4487トンとこの3年間の水準を大幅に上廻った。 |
DIA-204-1972-01-07-1 | タイ | 1972年01月07日 | 1970年代 | エイプラムズ司令官,タノム議長と会談─エイプラムズ南ベトナム米軍司令官はバンコクを訪問,ラオス情勢についてタノム国家行政評議会(以下NECと略)議長と会談した。 |
DIA-204-1972-01-10-1 | タイ | 1972年01月10日 | 1970年代 | ゲリラがウタパオ基地攻撃─共産ゲリラ2人がウタパオ基地に潜入,B52を爆破しようとして失敗,1人は射殺され,1人は逮捕された。B52の1機はエンジンを損傷,2機が軽微な損害を受けた。射殺された男はベトナム人とみられる。 |
DIA-204-1972-01-10-2 | タイ | 1972年01月10日 | 1970年代 | 外資への規制緩和─プラパートNEC副議長は,政府は民間外資導入に関する規制をすべて撤廃するだろう,同時に外国企業におけるタイ人の雇用も促進させる,また鉱業資源への外資導入も考えていると語った。 |
DIA-204-1972-01-14-1 | タイ | 1972年01月14日 | 1970年代 | タイ政府軍3,000人がラオスへ─ビエンチャンの消息筋によると,ロンチェン基地防衛のため約3,000人のタイ政府軍が米軍の飛行機で同地区に空輸された。この増援は7日のエイブラムズ南ベトナム米軍司令官とタノム議長の会談で決まったといわれる。 |
DIA-204-1972-01-17-1 | タイ | 1972年01月17日 | 1970年代 | 紡績10社ポリエステル輸入規制に反対─紡績会社10社はNECに対して,タイ・テトロンから出されていたポリエステル繊維の輸入禁止又は関税引上げ申請を拒否するよう要請した。反対理由は,同社は日本側が90%の株を持つタイ国内唯一のポリエステル会社だが,同社の生産量は国内需要の半分に満たず,かつ輸入品に比べて4~5割高となっているため。 |
DIA-204-1972-01-19-1 | タイ | 1972年01月19日 | 1970年代 | タイ・カンボジア国境協定調印─協定は1年で自動延長。国境地帯で両国の合同パトロール隊を編成,また越境追跡権を認めている。 |
DIA-204-1972-01-19-2 | タイ | 1972年01月19日 | 1970年代 | 産業奨励計画─経済・財政顧問団はNECに産業奨励計画を答申した。輸出加工区や工業団地の造成の他,工業化計画では労働集約産業を最優先とし,綿花プランテーション,ゴム,皮革製品,おもちゃ,エレクトロニクス産業への投資に特別な奨励を行ない,輸出振興のため税制優遇などをあげている。 |
DIA-204-1972-01-21-1 | タイ | 1972年01月21日 | 1970年代 | ゲリラがロケット砲使用─サムラーン第3軍区司令官によると,共産テロリストはソビエト製のB40ロケット砲ばかりでなく,80ミリや100ミリ砲などの高火力の武器を持ちこんでおり,最近もナーン県で軍の車がB40ロケット砲の攻撃で大きな損害を受けた。 |
DIA-204-1972-01-24-1 | タイ | 1972年01月24日 | 1970年代 | 外国借款法延長─時限立法(1971年9月30日迄)を76年9月30日まで延長。同法では借款の額を90億バーツまで,返済期間を50年以内とするよう定めてある。 |
DIA-204-1972-01-25-1 | タイ | 1972年01月25日 | 1970年代 | 経済政策発表─経済・大蔵・工業省は10項目の経済政策を発表した。要点は①経済開発促進。②農産物の市場確保。③工業奨励。④国内外からの投資奨励および民間金融機関の整備。⑤国産品愛用。⑥国産品輸出促進。⑦貿易収支改善。⑧税制改正。⑨行政改革。⑩経済問題の解決。 |
DIA-204-1972-02-04-1 | タイ | 1972年02月04日 | 1970年代 | 北部へ政府軍2個師団派遣─ペッチャブーン,ピッサヌローク,ルーイ3県のHin Long Kla山中の共産ゲリラ掃討のため,バンコクから第1師団,サラブリから騎兵師団を派遣した(プー・クワン作戦)。 |
DIA-204-1972-02-06-1 | タイ | 1972年02月06日 | 1970年代 | ヤソートン県新設─ウボン県北部の6郡をヤソートン県として新設。 |
DIA-204-1972-02-10-1 | タイ | 1972年02月10日 | 1970年代 | 米空軍のB52ウタパオに増強─今週初め,少なくとも12機のB52が増強された。 |
DIA-204-1972-02-15-1 | タイ | 1972年02月15日 | 1970年代 | 共産ゲリラの解放区を占領─サムラーン第3軍区司令官によると,政府軍は空軍の支援を受けて,Hin Long Kla山麓のメオ族共産ゲリラの解放区を占領した。メオ族ゲリラは3~500人で,ソビエト製兵器や対空用火器を装備している。 |
DIA-204-1972-02-16-1 | タイ | 1972年02月16日 | 1970年代 | 米国援助徐々に減少─米政府高官は,タイ政府が能力を持ち,また国際機関から多くの援助を受けられるようになったので,米国はタイへの援助を徐々に削減していると次のように語った。緊急農村開発計画への援助は4~5年以内に終わるだろう。米国の政策は諸外国を援助計画に参加させ,また世銀,アジア開銀,国連開発計画を通じてもっと援助を注ぐことである。米国は輸出入銀行を通じて開発途上国の政府や民間企業に借款を与える。71年度にタイが受取る贈与額は前年度からの繰越し分も含めて3600万ドル程度。72年度は2250万ドル程度(警察への援助含む)。USAID当局によると,警察への援助は2年前からの分を含めて72年度680万ドル程度。最高時1500万ドルだが,71年度は530万ドル。ARDの職員は64年の197人から71年の3,368人に増加。米人技術者は68年の103人をピークに,72年は47人に減。76年には4~5人にまで減らす予定。 |
DIA-204-1972-02-17-1 | タイ | 1972年02月17日 | 1970年代 | 市中銀行農業開発に協力─タイ銀行協会は,各市中銀行の預金量の1%を農業及農業協同組合銀行を通じて低利融資することを決めた。融資総額は15行で3億6000万バーツくらい。 |
DIA-204-1972-02-20-1 | タイ | 1972年02月20日 | 1970年代 | 米を担保に融資─農業及農業協同組合銀行は米を担保に年利7%で農民に融資することを決めた。資金5000万バーツは中央銀行から年利5%で借り入れる。 |
DIA-204-1972-02-21-1 | タイ | 1972年02月21日 | 1970年代 | 輸出入手形割引率引下げ─市中銀行15行は輸入手形割引率を米ドル,英ポンド手形共に8.5%から8%に,輸出手形についてはポンド手形0.35バーツ/月から0.34バーツ/月へ,ドル手形を0.1405バーツ/月から0.1305バーツ/月へ,マレーシア及シンガポールドルを13/16サタン/週から11/16サタン/週に,香港ドルを9/16サタン/週から17/32サタン/週に引き下げた。22日から実施する。 |
DIA-204-1972-02-27-1 | タイ | 1972年02月27日 | 1970年代 | 米中共同声明について─タウィー空軍大将(運輸・国家開発・農業省長官)は米中共同声明について次のように語った。我々は最初双方が何らかの一致点に到達するとは思っていなかった。合意に達したことは良い兆候である。しかし共同声明で中国はラオス,カンボジア,ベトナムの革命政府支援を表明し,米国は撤兵について何の約束もしていない。この点に関しては事態の推移を見守る必要がある。 |
DIA-204-1972-02-29-1 | タイ | 1972年02月29日 | 1970年代 | 自動車産業新政策発表─すべての乗用車,トラックは1974年12月31日までに国産部品を最低25%使用すること。例外は車体のみ。車種又はエンジン・モデルの増加,変更,廃止は工業省の許可が必要。新組立工場は5年以内に,生産開始日から日8時間労働で日産30台以上の機械,設備を保有しなければならない。最低設備投資額は2000万バーツ。 |
DIA-204-1972-03-01-1 | タイ | 1972年03月01日 | 1970年代 | バドミントンを通じて中国と接触─消息筋によると,タイは中国からのバドミントン・チームの招待を待っている。香港のバドミントン協会を通じて可能性を打診している。中国の外交官との接触は,中国の国連加盟後,ニューヨーク,オタワ,パリで行なわれている。 |
DIA-204-1972-03-01-2 | タイ | 1972年03月01日 | 1970年代 | タイ米軍増強─サイミントン米上院議員は,現地調査の結果,タイ駐留米軍が増強されており,やがて現在ベトナムに駐留する米軍11万人のほぼ半数に達し,タイは東南アジアにおける米軍の全活動の基地となるだろうと語った。 |
DIA-204-1972-03-02-1 | タイ | 1972年03月02日 | 1970年代 | 米中共同声明で戦争は終わらない─タノムNEC議長は,周恩来首相は共同声明の中でベトナム,ラオス,カンボジアの革命政府支援続行を表明しており,インドシナの戦争は続くだろう,私は7日に来るグリーン米国務次官補の説明を待っていると語った。 |
DIA-204-1972-03-07-1 | タイ | 1972年03月07日 | 1970年代 | グリーン米国務次官補訪タイ─8日にタノム議長と会談する。 |
DIA-204-1972-03-07-2 | タイ | 1972年03月07日 | 1970年代 | 71年の貿易収支改善─経済省発表。輸入266億9650万バーツ(70年比1%減),輸出173億2850万バーツ(同17%増)で,貿易収支赤字は93億6800万バーツと23%の改善をみた。 |
DIA-204-1972-03-10-1 | タイ | 1972年03月10日 | 1970年代 | 首都圏に戒厳令─国家行政評議会は首都圏に戒厳令を発令,軍隊を出動させ,政府転覆の陰謀で3人の元国会議員を逮捕した。なお3人はNECによる議会解散に反対して告訴していた。プラパート副議長は,今回の逮捕は告訴と無関係である,新聞は無用の混乱を避けるため,告訴について報道しないよう求めると語った。 |
DIA-204-1972-03-10-2 | タイ | 1972年03月10日 | 1970年代 | 外資を優遇─プラパートNEC副議長,ポット議長補佐は,外国の投資家に多くの特権を与える,現在の規制や条件は除かれるだろう,合弁企業でのタイ側持株比率確保は要求しないだろうと述べ,さらにプラパート副議長は次のように語った。我々は外資に多くの規制を押しつけすぎた。彼等はタイへの投資を危険なものとみている。タイ側持株比率確保を求められた外国側は必要な資本金確保に困難を感じている。外資ができるだけ自由にタイに流入し,タイ人が労働力を売るのが望ましい。 |
DIA-204-1972-03-12-1 | タイ | 1972年03月12日 | 1970年代 | 対日貿易収支改善─経済省の報告によると,71年の対日貿易収支赤字は56億6600万バーツで,70年比11%減の改善となった。輸入は99億2780万バーツ(70年比1億7890万バーツ減),輸出42億6180万バーツ(同4億9140万バーツ増)。 |
DIA-204-1972-03-16-1 | タイ | 1972年03月16日 | 1970年代 | 新労働法公布─4月16日より発効。主な点は①労働条件,衛生等の規定,②最低賃金の規定,③労働災害の補償金基金の設立,④労働争議の調停で,細目は内務省令による。 |
DIA-204-1972-03-16-2 | タイ | 1972年03月16日 | 1970年代 | 対米綿製品輸出割当7.5倍増─タイ・米繊維交渉で,対米綿製品輸出割当を今年4月から1500万平方ヤード(1億バーツ)とすることを決めた。これは従来の割当量の7.5倍である。さらに今後5年間に毎年5%ずつ増加,5年後に1820万平方ヤード(1.4億バーツ)にする。また現在凍結しているナイトウエア4万ダース(1000万バーツ)の輸入を認め,この分は協定分の数量に加えないことを決定。 |
DIA-204-1972-03-20-1 | タイ | 1972年03月20日 | 1970年代 | 米軍事顧問等525名─バンコクの米当局筋によると,現在タイには軍事顧問245名,陸軍特殊部隊280人。軍事顧問は17の軍事顧問団ステーションに,特殊部隊は8~9の訓練キャンプに駐留している。ピッサヌロークとロムサック町の間にあるSarit Senaキャンプ(秘密基地)の特殊部隊はラオスで闘うタイ人義勇兵の訓練にあたっており,米国務省はこれらタイ兵をラオスの国内軍と見なしている。ロムサック町には10人の米軍事顧問がいるが,プー・クワン作戦が始まると17人となった。特殊部隊の多くはロッブリーの特殊戦争センターにいる。 |
DIA-204-1972-03-23-1 | タイ | 1972年03月23日 | 1970年代 | 輸入関税引下げ─化学肥料用硫黄10%から1%へ,アンチオキシダント30%から10%へ,感光板およびX線用フィルム30%から3%へ,ゴム採液用化学品30%から5%へ。なおカルシウムカーバイド(30%),船体スクラップ(5%)は免税扱いを廃止,本来のレートに戻る。 |
DIA-204-1972-03-25-1 | タイ | 1972年03月25日 | 1970年代 | 輸入関税引上げ─白色セメントは110バーツ/トンから50%または350バーツ/トンへ,グルタミン酸ソーダ11%から60%または45バーツ/kg,靴下は一率15%から木棉製20%,その他60%へ,かつら等27.5%から60%へ,銅,アルミ製電線5.5~15%から30%へ,ゴルフボール10%から50%へ。 |
DIA-204-1972-03-30-1 | タイ | 1972年03月30日 | 1970年代 | 市中銀行貸出金利引下げ─工業用貸出金利を11%から10.5%に,輸出用9%から8.5%に,優良企業向最優遇貸出金利10%から9.5%に,新規企業向12%から11.5%にそれぞれ下げる。 |
DIA-204-1972-03-31-1 | タイ | 1972年03月31日 | 1970年代 | 中銀貸出金利引下げ─大蔵省および中央銀行は市中銀行の貸出金利引下げを援助するため,中銀貸出金利を9%から8%に引下げ,あわせて農業手形の再割引を7%から5%に下げ,また市中銀行および農業協同組合銀行の農業手形割引金利を12%以下から10%以下にすると発表した。 |
DIA-204-1972-04-02-1 | タイ | 1972年04月02日 | 1970年代 | 内務省,人口統計発表─71年末の全国人口は36,820,097人,男18,553,258人,女18,266,839人。バンコク・トンブリ市の人口は3,659,474人。 |
DIA-204-1972-04-07-1 | タイ | 1972年04月07日 | 1970年代 | B52増強─ベトナム爆撃強化のため,B52が20機と機数不明のF4ファントムがタイに到着した。現在ウタパオにはB52が70機前後,ウドンにF4ファントムが100機以上駐留しているといわれる。 |
DIA-204-1972-04-12-1 | タイ | 1972年04月12日 | 1970年代 | 外国人職業法─NECは外国人職業法,外国人事業法,移民法の3法案草案を承認した。外国人職業法では,外国人の就業禁止職種は従来の15から50に増える。同法発効以前から就業している者は今後も営業を許可するが,2年以内に資本比率を50%以下にしなければならない。但し最恵国待遇の2国間協定がある場合および投資委員会または政府が国益上必要と認めた場合はこの規制から除外する。 |
DIA-204-1972-04-12-2 | タイ | 1972年04月12日 | 1970年代 | 日本から新規円借款─640億円(41億6000万バーツ)の円借款協定が調印された。この額は第3次5カ年計画借款予定額の30%にあたる。内訳は開発プロジェクト460億円,工業融資(産業金融公社)100億円,農業融資(農業及農業協同組合銀行)80億円で,工業および農業融資はバンク・ローンで,工業向は輸銀から年利5.25%,7年据置の20年償還で,農業融資は海外経済協力基金から3.75%~4.25%,期間は輸銀と同じ条件で融資される。プロジェクト・ローンは輸銀・民間銀行が120億円(年利5%,期間はバンク・ローンと同じ),基金が340億円(同3.25%,7年据置の25年)となっている。 |
DIA-204-1972-04-17-1 | タイ | 1972年04月17日 | 1970年代 | 中国がタイのバドミントン・チーム招請─信頼できる筋によると,中国のバドミントン協会は香港の協会を通じて,タイ・チームに公式の親善訪問をするよう招請,あわせて中国側のタイ訪問の希望を伝えてきた。 |
DIA-204-1972-04-19-1 | タイ | 1972年04月19日 | 1970年代 | 『カウパニット』紙発刊停止─政府は『カウパニット』紙が革命団に重大な影響を与える記事を掲載したとして発刊停止を命じた。記事の内容は,元議員3人が反逆罪でタノム元帥を告発したものである。 |
DIA-204-1972-04-21-1 | タイ | 1972年04月21日 | 1970年代 | 広州交易会参加禁止─プラパートNEC副議長は,一部実業人から広州交易会への参加希望が出ているが,反共法および外交関係がないので参加は許可しないと語った。 |
DIA-204-1972-05-01-1 | タイ | 1972年05月01日 | 1970年代 | 農業融資─農業協同組合銀行を通じて5年間に12.5億バーツ,年利5%(現行9%)。貸付対象は協同組合または農民団体。5億バーツは政府予算で残りは外国借款(米国,日本)。融資にあたっての奨励作物はメイズ,シルク,大豆,牛,エビ,ココナッツ。 |
DIA-204-1972-05-03-1 | タイ | 1972年05月03日 | 1970年代 | 共産ゲリラの密輸武器押収─ノンカイ市内の民家に隠されていた武器を押収。4人を逮捕。M1カービン銃34,M2カービン銃22,M16カービン銃12挺押収。この密輸は今回で5回目といわれる。逮捕した4人はいずれもタイ共産党員。 |
DIA-204-1972-05-04-1 | タイ | 1972年05月04日 | 1970年代 | 共産ゲリラが影の内閣組織─ウドン県当局が押収したタイ共産党の地域責任者(暗号名Son)宛の手紙から,プパン山麓のノーンブアバーン郡にタイ共産党が影の内閣を組織していることが判明した。3村を1郡,3郡を1県,3県を1管区とする行政機構を作りあげている。ウドン以外のどの県が1管区に含まれるか不明,また東北農村青年の間で活動する民主青年連盟(Democratic Youth League)を組織している。ウドン・ノンカイ地域には5つのグループ(1グループ30~60人)の軍隊が活動している。①No.11─ウドン県ナムソーム郡,ナークラーン郡,ノンカイ県サンコム郡で活動。②No.78─プパン山およびバーンプー郡。③No.78の1─プパン山東側。④No.78の2─プパン山西側。⑤No.78の3─ムアン郡からノーンブアラムプー郡の間。 |
DIA-204-1972-05-05-1 | タイ | 1972年05月05日 | 1970年代 | ゲリラの密輸武器は偽造紙幣で購入─3日に逮捕したゲリラを訊問した結果,メーホーソン県に近いビルマ領内で4種の紙幣を偽造,武器買付にあてていることがわかった。チェンマイの大金持が黒幕として全国に武器を配っている。 |
DIA-204-1972-05-06-1 | タイ | 1972年05月06日 | 1970年代 | タクリー基地再開─米大使館スポークスマンはF4ファントム約72機と米軍人2,000~3,000人が駐留する予定であると発表。現在使用中の5基地はベトナム爆撃の強化で過密となっているため,タクリー基地を再開して一時使用することを決めた。 |
DIA-204-1972-05-07-1 | タイ | 1972年05月07日 | 1970年代 | ラオスのタイ義勇兵は1万人─米上院外交委員会でサイミントン議員は,ラオス国内にタイの非正規軍1万人が活動,米国は年間1億ドルをこれに支給しており,ウドン基地が連絡中枢となっていることを明らかにした。 |
DIA-204-1972-05-08-1 | タイ | 1972年05月08日 | 1970年代 | 国防予算来年度から増額─来年度から2年間国防予算の一部を増額する。①兵員増。②訓練改善。③地上部隊の装備強化。④支援補給強化。⑤空軍支援体制強化。なお米国からの軍事援助は72米会計年度1500万ドル。 |
DIA-204-1972-05-12-1 | タイ | 1972年05月12日 | 1970年代 | 鉄鋼輸出禁止解除─経済省は9日から棒鋼,山形鋼,平鋼,鋼片,インゴット,銑鉄の輸出許可制を解除すると発表。 |
DIA-204-1972-05-16-1 | タイ | 1972年05月16日 | 1970年代 | アグニユー米副大統領訪タイ。 |
DIA-204-1972-05-17-1 | タイ | 1972年05月17日 | 1970年代 | 米国援助─消息筋によると,1973米会計年度の援助額は5億8000万バーツ(約2800万ドル),で,贈与は1億バーツの予定。すでに19プロジェクト,6000万バーツ分について調印。その他警察局へ1億2000万バーツ,緊急農村開発計画への一括援助1億1400万バーツ。 |
DIA-204-1972-05-18-1 | タイ | 1972年05月18日 | 1970年代 | 中国がタイの卓球チーム招待─中国はアジア卓球連合(ATTU)を通じてタイの卓球協会に対し,9月に北京で開かれるアジア卓球大会に17人の選手,役員を招待してきた。タイ卓球協会はNECと協議して招待を受理するかどうか決める。 |
DIA-204-1972-05-20-1 | タイ | 1972年05月20日 | 1970年代 | 大量の密輸武器差押え─カラシン県でラオスから密輸した武器を輸送中の2人を逮捕。武器密輸では最大規模。M16-39挺,M79ロケット砲3門,M2-1,M1ライフル8,M79用ロケット257個,M16用弾薬3万9680個。チェンマイのChinese Haw族に売る予定だったという。 |
DIA-204-1972-05-26-1 | タイ | 1972年05月26日 | 1970年代 | レーダー爆破未遂でベトナム人逮捕─ノンカイ県ターボー郡でベトナム人Kiak Sae Danを逮捕,家宅捜索によりウドン基地のレーダー爆破を計画したベトナム語の文書,およびKiakを東北タイのゲリラの指導者に任命したメダルを発見した。警察によると,先週ノンカイのベトナム人難民から集めた500万バーツがハノイに送られた。Kiakを逮捕したとき約1,000人の群衆が警官隊に投石し,その後100人が警察署前で抗議デモを行なった。 |
DIA-204-1972-05-27-1 | タイ | 1972年05月27日 | 1970年代 | ナムポーン米軍基地新設─NEC広報局は,タイ・米軍事援助協定に基づいてコンケーン県のナムポーン基地の施設整備を開始していることを明らかにした。同基地ではすでに500人以上の米陸軍工兵隊が基地建設を開始し,先週中に180台のトラック,数機の軍輸送機が資材を運びこんでいる。なお信頼できる筋によるとタイと米国は既存6基地の拡張についても了解に達しているという。 |
DIA-204-1972-06-02-1 | タイ | 1972年06月02日 | 1970年代 | 救国戦線結成─スエーデンでタイ人留学生が救国戦線を結成,タイ国内の新聞社やタイ人留学生に反政府的機関紙を送りつけている。指導者はSunthorn Wongnongwa。左翼で8年前スエーデン国籍を取得している。 |
DIA-204-1972-06-04-1 | タイ | 1972年06月04日 | 1970年代 | ウボン基地にゲリラ侵入─ウボン基地にゲリラが侵入し,1人は射殺されたが3人逃亡。射殺された男はベトナム人とみられ,チェコ製自動小銃と弾85発,手榴弾4個を持っていた。 |
DIA-204-1972-06-11-1 | タイ | 1972年06月11日 | 1970年代 | 米兵8,000人がベトナムからタイに移動─ベトナムのダナン基地等から空軍及び海軍飛行中隊が数週間以内に移動する。米兵は約8,000人。飛行機126機。空軍はコーラート及びタクリー基地へ,海軍飛行中隊3個中隊は新設のナムポーン基地へ移動する。 |
DIA-204-1972-06-13-1 | タイ | 1972年06月13日 | 1970年代 | ベトナム人難民がハノイに送金─ナコンパノム県知事は,ナコンパノムのベトナム人難民は北ベトナム政府援助のため1100万バーツをハノイに送金した,10万バーツ以上寄付した58人のベトナム人の名簿を持っている,同県の約2万人のベトナム人は50人の地下指導者によって組織されていると語った。 |
DIA-204-1972-06-13-2 | タイ | 1972年06月13日 | 1970年代 | 72年度上半期財政収入─収入130億1800万バーツ,支出88億4500万バーツ,収入内訳は税収100億2900万バーツ,ローン29億8900万バーツ。 |
DIA-204-1972-06-14-1 | タイ | 1972年06月14日 | 1970年代 | 中国接近に反対─ASPAC閉幕総会でポット団長は,中国がテロリストを援助しているので,タイとしては中国との関係改善の努力には合意できないと語った。 |
DIA-204-1972-06-15-1 | タイ | 1972年06月15日 | 1970年代 | 「新植民地主義」企業を攻撃─ブンチュー・バンコク銀行副頭取は英国人商工会議所昼食会で演説し,タイ人スタッフに技術的知識を与えずに自国人だけを採用してタイを食い物にする「新植民地主義」企業を非難,タイはこのような外国人の支配を何年間も耐えることはできない,彼等は友人として歓迎されている時期に,タイは参加を求めているのであって経済支配を求めているのではないことを銘記すべきだと語った。 |
DIA-204-1972-06-16-1 | タイ | 1972年06月16日 | 1970年代 | クラ地峡運河認可の見込─国家安全保障会議で検討中。NECの大勢は認可に傾いているが,軍の一部は防衛上の問題で難色を示しており,同運河を境としての分離運動が起きかねないとみている。 |
DIA-204-1972-06-16-2 | タイ | 1972年06月16日 | 1970年代 | 日本製品一部輸入禁止勧告─タイ日貿易経済協力合同委員会のタイ側委員会は,貿易収支改善のため不必要な日本製品の輸入削減が必要であるとの結論に達し,NECに提出した。 |
DIA-204-1972-06-16-3 | タイ | 1972年06月16日 | 1970年代 | 国営製紙工場閉鎖─サムセン及びカンチャナブリの2工場閉鎖を決定。設備の老朽化と経営不振のため。 |
DIA-204-1972-06-16-4 | タイ | 1972年06月16日 | 1970年代 | 税払戻し率─NECは輸出用工業製品のうち繊維とセメントについて税払戻し率を定めた。セメントについてはトン当り10.05バーツ払い戻し。払戻し対象は奨励産業適用企業のみ。 |
DIA-204-1972-06-18-1 | タイ | 1972年06月18日 | 1970年代 | 円借款の秘密条項?─タイの対日貿易関係業者は日本からの円借款の秘密条項はタイ側に不利であると反対している。タイ産業金融公社(IFCT)への円借款(100億円,20年,5.25%)では,民間企業への融資金利は最高9%となり,IFCTは7年以内に返済金を民間企業から回収しなければならない。また融資は日本商品輸入の場合に限られている。市中銀行向借款(80億円,15年,5.25%)も日本からの財・サービス輸入に限られ,保険が必要である。同様の条件は460億円の政府借款にも適用されている(25年,3.25%)。タイ側業者は今後15年以内に円の再切上げが行なわれた場合の債務増大,日本製品輸入による経済的束縛を懸念している。 |
DIA-204-1972-06-21-1 | タイ | 1972年06月21日 | 1970年代 | 石油パイプライン建設承認─ポット・サラシンNEC議長補佐はクラ地峡の石油パイプライン建設を承認したと発表,またクラ地峡運河についても個人的支持を表明した。石油パイプライン建設は日本政府に委任し,完成後タイ政府は収入の半分を建設費用返済に充てる条件付。建設費用は約40億バーツで,1年間1億トン以上の原油を輸送する。 |
DIA-204-1972-06-21-2 | タイ | 1972年06月21日 | 1970年代 | タイ国産品愛用運動集会─チュラロンコン大学で“タイ経済のための闘争センター”設立のための集会が開かれた。奢侈品の排斥,タイ国産品の使用奨励のほか,一般タイ人を加えて,72-73年を“タイ経済のための闘争の年”とすることを決めた。当センターは,ステッカー,ポスター,演説会,出版活動などで一般に訴えるほか,国産品愛用週間,セミナーなどを行なう。 |
DIA-204-1972-06-21-3 | タイ | 1972年06月21日 | 1970年代 | 国際砂糖協定再加入を予定─ヨット工業次官はタイが国際砂糖協定に再加入を準備していると語った。アジア各国が同協定に加入しているので将来の市場確保の必要があるため。 |
DIA-204-1972-06-22-1 | タイ | 1972年06月22日 | 1970年代 | クラ運河の共同建設拒否─ポット・サラシンNEC議長補佐は,マレーシアのクラ運河共同建設提案を拒否した,運河を共同管理下に置くことによって問題が生ずるのを望まないからであると語った。 |
DIA-204-1972-06-22-2 | タイ | 1972年06月22日 | 1970年代 | 韓国からタイ軍撤退─国連軍としていたタイ兵157人全員帰国。 |
DIA-204-1972-06-24-1 | タイ | 1972年06月24日 | 1970年代 | タイから北ベトナム軍への補給ルート─官辺筋が語ったところによるとタイとラオスの戦争商人達は,ラオス国境の町を中継点としてタイ国内から石油,米その他を北ベトナム軍に売り渡している。 |
DIA-204-1972-06-27-1 | タイ | 1972年06月27日 | 1970年代 | 新SEATO事務総長─オーストラリアのキャンベラで開かれているSEATO総会は,タイのスントーン・ホンラダーロム氏(現在駐米大使)を新事務総長に任命した。 |
DIA-204-1972-06-27-2 | タイ | 1972年06月27日 | 1970年代 | ポンド・フロートの影響少ない─チャルーム・タイ銀行協会議長は,ポンドのフロート移行について,現在は昔と異なり貿易のポンド建ては少なく,外貨中のポンドも少ないので影響はあっても少ないだろうと語った。 |
DIA-204-1972-06-30-1 | タイ | 1972年06月30日 | 1970年代 | ポンド・フロートの影響─プラユーン広報局長はポンドのフロート制移行について,米のマレーシア,シンガポール,英国向け輸出がポンド建てになっており,米輸出商人の受けた影響が最も大きい。LCが開設され,まだ決済を行なっていないものは約6万9000トンあると語った。 |
DIA-204-1972-07-02-1 | タイ | 1972年07月02日 | 1970年代 | 中国との国交樹立は拒否─ポットNEC議長補佐は,中国との国交樹立という考えはとらない,しかし非公式の友好関係は持ってると語った。 |
DIA-204-1972-07-03-1 | タイ | 1972年07月03日 | 1970年代 | 米輸出100万トンに─3日現在で年初来の米輸出は100万トン(19億3300万バーツ)に達した。経済省では昨年に比べて輸出量が大幅に増加しているので,年末の米不足と米価の高騰を懸念している。 |
DIA-204-1972-07-05-1 | タイ | 1972年07月05日 | 1970年代 | 73年度予算原案─総額312億バーツ。内務省70億0200万バーツ,国防省57億,国家開発省49億,総理府16.2億,大蔵49億,外務1.79億,農業7.92億,運輸通信2.31億,法務1.1億,文部20.2億,経済0.62億,厚生10.3億,工業0.62億,公企業1.9億,中央基金21.34億。一方歳入面では税収180億バーツを予定している。直接税78億バーツ,関税60億バーツ,間接税40億バーツ。 |
DIA-204-1972-07-05-2 | タイ | 1972年07月05日 | 1970年代 | タイ人口,800万人増加(70年センサス)─70年センサスの速報によると,タイの人口はこの10年間,789万4000人増加した。増加率の高かった県は,ガンパンペット県6.7%(年率),サトウーン県6.5%,低かった県はチャオナート県,シンブリ県の0.5%,また全国の人口は34,152,000人。 |
DIA-204-1972-07-07-1 | タイ | 1972年07月07日 | 1970年代 | 中国との接触なし─プラパートNEC副議長は記者会見で,中国側と政府の代理として接触を申し出た者はいるが,我々は中国に叩頭するつもりはないと語り,またプラシット経済・大蔵・工業省副長官とブンチュー・バンコク銀行副頭取に中国と秘密の接触を持つように命じたとの噂を否定した。 |
DIA-204-1972-07-07-2 | タイ | 1972年07月07日 | 1970年代 | 輸入関税率変更─引上品目,クラフト紙および段ボール(1バーツ→2.5バーツ/kg),タイ語印刷物(0→5バーツ/kg),天然繊維織物(0→2.5バーツ/kg,または60%),充填物(タバコ用フィルターを含む,30→60%)。床用タイル(0→5バーツ/kg),装身具および金属製家具(30→50%),トラクター部品(5→15%),バッテリー(50→80%),バッテリー用コンテナー及び金属板(30→50%)。引下品目,鮮魚及び冷凍魚(10~60%→0),印刷用フィルム,カメラ(40→10%),ナイロン原料用カプロラクタム(10→3%),映画用の35ミリ以上のフィルム及び録音テープ(20,50%→10%),電線産業用プラスチック・テープ(50→10%),スピンドルテープ,グラスファイバーテープ(30→10%),鉄又は銅被覆電線(20%,0.7バーツ/kg→10%,0.35バーツ/kg)。 |
DIA-204-1972-07-09-1 | タイ | 1972年07月09日 | 1970年代 | A37Bスカイレーダー援助─タイ空軍は米国から72年の軍事援助の一環としてスカイレーダー17機の供与を受けることを発表した。 |
DIA-204-1972-07-10-1 | タイ | 1972年07月10日 | 1970年代 | クラ運河の調査─タノムNEC議長は国家エネルギー公社に対し,クラ運河建設の予備調査を指示した。同公社の調査ではパンガー湾からタッププット郡(パンガー県),パノム支郡,プンピン郡(スラーターニー県)を経てタイ湾に至る地域(全長150km,深さ18m,幅120m)を建設予定地とし,90億バーツの費用を予定しており,このうち70億バーツを外国借款に期待している。 |
DIA-204-1972-07-13-1 | タイ | 1972年07月13日 | 1970年代 | 干ばつでメイズに打撃─ナコンラーチシーマー,サラブリー,ロッブリー3県のメイズ地帯は干ばつにより,60万ライ以上,3億バーツ相当の損害を受けた。農業振興局は農家救済のため500万バーツの援助を決めた。 |
DIA-204-1972-07-15-1 | タイ | 1972年07月15日 | 1970年代 | クラ運河の資金協力要請に欧州へ─NECはクラ運河の資金,技術協力の要請のため,財界のチョウ氏(Thai Oil Refinery支配人)をヨーロッパおよび米国へ派遣した。 |
DIA-204-1972-07-16-1 | タイ | 1972年07月16日 | 1970年代 | 西岸に精油所建設─政府の特別委員会(議長はウィモン工業振興局長)はThai International Petroleum Co. Ltd.(TIPCO)との協定を結び)日産10万バーレルのタイ最大の精油所を西岸に建設,75年末迄に操業を開始することを決めた。投資総額は30億バーツ。TIPCOはアメリカ及び西独のパートナーの協力の下に建設する(西独はドユッセルドルフのMannesman社,アメリカはロサンゼルスのFlour Corporation)。 |
DIA-204-1972-07-17-1 | タイ | 1972年07月17日 | 1970年代 | 無認可の中国人学校増加─ゴー特別教育局長によると,最近無認可の中国人学校が急増しており,発見されるのを防ぐために場所を転々と変えている。現在公認の中国人学校は全国で140校ある。 |
DIA-204-1972-07-19-1 | タイ | 1972年07月19日 | 1970年代 | タイ・日メイズ協定─今年9月から来年5月迄の期間に80~100万トン,また日本側は運賃をトン当り7.5ドルから7ドルに下げること,麻袋価格をトン当り2ドルから3.5ドルに(麻袋使用が総船積量の15%以下のとき),または4ドルから4.5ドル(同15%以上のとき)に上げることを認めた。 |
DIA-204-1972-07-21-1 | タイ | 1972年07月21日 | 1970年代 | 紡績輸出に税払戻し─大蔵省は奨励産業の適用を受けていない紡績会社についても,製品を輸出している場合は同率で税の払戻しを行なうと発表した。これは6月16日の発表を更に対象を拡大したもの。 |
DIA-204-1972-07-21-2 | タイ | 1972年07月21日 | 1970年代 | プランテーションを奨励産業に─投資委員会はプランテーションを奨励産業にすると発表した。資本金は有限会社が200万バーツ以上,協同組合又は農民団体が100万バーツ以上で,タイ側資本は60%以上,面積は1,000ライ以上必要。 |
DIA-204-1972-07-26-1 | タイ | 1972年07月26日 | 1970年代 | マクガバンが米大統領になれば米軍撤退を要求─タウィー空軍大将は,マクガバン米上院議員が11月の選挙で大統領になったら直ちにタイの米軍撤退を要求するだろう,タイは米国の植民地ではない,マクガバン氏の目的のためにタイを使うことは許さないと語った。 |
DIA-204-1972-07-26-2 | タイ | 1972年07月26日 | 1970年代 | 暫定憲法は年末─タノムNEC議長は,暫定憲法は年末までに公布されるだろうと語り,また日中関係については,日本は貿易国であるから市場拡大を望むのは自然である,日本が国府と縁を切り,中国と外交関係を結んでもタイには影響がない,日タイ貿易の話合いは順調に進んでいると語った。 |
DIA-204-1972-07-28-1 | タイ | 1972年07月28日 | 1970年代 | 地方都市開発に世銀借款─レーヌー国家経済開発庁事務局長によると,東北タイのウボン,ウドン,コンケーン,ナコンラーチシーマーの4都市開発に世銀が2億5300万バーツの借款を認めた。利率は2%程度。 |
DIA-204-1972-07-28-2 | タイ | 1972年07月28日 | 1970年代 | スントーン駐米大使SEATO強化を強調─スントーン駐米大使は離任に際して中国は米国,ヨーロッパと友好関係を結んでも破壊活動はやめないだろうし東南アジアに共産勢力を拡大する政策は変えないだろう,共産主義の浸透に抵抗するためSEATOを強化すべきだと語った。 また,米国は米国の利害関係にタイ国を引入れた,タイは米国に十分協力したが,他のアジア諸国のように報酬は要求しなかった。米国の軍事,経済援助,特に新しい武器は適切な時期に貰えなかったし,量も不足したと語った。 |
DIA-204-1972-07-28-3 | タイ | 1972年07月28日 | 1970年代 | 外貨9億ドル台回復─Krung Thai Bankの発表によると,6月末9億2100万ドルに回復。半年で1億5520万バーツ増。これは輸出が好調なうえ,米軍消費支出が再び増加したこと,およびサービス,観光部門の好調によるもの。 |
DIA-204-1972-07-29-1 | タイ | 1972年07月29日 | 1970年代 | 不在地主の土地買上げ─ナロン・キッチカチョン国家安全保障長官補佐によると,NECは土地改革計画を承認した。この計画では不在地主の土地を政府が買いあげるが,その促進のため末利用地への課税を引上げることとし,買い上げた土地は農民に1人当り25ライを分割払いで売却する。 |
DIA-204-1972-07-29-2 | タイ | 1972年07月29日 | 1970年代 | 日本の経済帝国主義非難─ナロン・キッチカチョン国家安全保障長官補佐はタイにおける日本の経済帝国主義を非難して次のように語った。日本人はタイ側パートナーの蔭に隠れて鉱物資源,特に螢石の貿易を支配しようとしている。NECは鉱石輸出を扱う国営のNational Mining Companyを設立し,日本人の独占を防ぐ計画である。日本人はダンピング輸出してタイ経済を支配しようとしてきた。彼等はタイの天然資源を支配しようとしている。彼等はタイ経済に入り込むときタイ人を隠れみのにする。日本人は最初はタイ側パートナーに51%の出資比率を認めながら,その後は資本金を増やし,タイ側の資本力がないことを理由に最後には合弁企業の支配権を握ってしまう。タイの一部役人が日本の企業と個人的関係を持っているところに問題がある。 |
DIA-204-1972-07-30-1 | タイ | 1972年07月30日 | 1970年代 | 台湾とメイズ協定─45万トン,約5億バーツ。メイズを詰める麻袋価格もトン当り1.2~1.5ドル引上上げ。 |
DIA-204-1972-08-01-1 | タイ | 1972年08月01日 | 1970年代 | アンタイドローンを要求─円借款640億円のプロジェクト協議の席上,タイ側は日本政府調査団に対し,日本の製品及び役務を使用するヒモ付条項をなくすこと,金利も2~3%に下げるよう要求した。また金利の低い海外経済協力基金融資分の比率を増やすよう要求した。 |
DIA-204-1972-08-02-1 | タイ | 1972年08月02日 | 1970年代 | 北京のアジア卓球大会に参加,プラシット氏も同行プラパートNEC副議長(タイ国オリンピック委員会会長)は,北京で開かれるアジア卓球大会にタイも参加する,また訪中卓球チームに中国チームをタイに招待する招待状を持たせると語った。なお7月28日にアジア卓球連合から,タイが同連合の正式メンバーとして加入を要請する手紙が来ている。当局筋によると,プラパート副議長は個人的使節としてプラシット大蔵・経済・工業省副長官を卓球チームに同行させ,周首相ら中国首脳と会談,通商関係樹立の可能性等について打診することになっている。 |
DIA-204-1972-08-03-1 | タイ | 1972年08月03日 | 1970年代 | 白色セメント輸入許可─経済省は白色セメントおよび白色セメント・クリンカーの輸入禁止を8月1日から解除すると発表。なお,輸入関税は従価25%から50%,従量150バーツから300バーツに引上げられた。 |
DIA-204-1972-08-04-1 | タイ | 1972年08月04日 | 1970年代 | 北京亡命中のタイ人とも接触考慮─訪中卓球代表団長のチュムポン・ローハチャーラ警察中将(中央情報局長)は記者会見で,北京に亡命中のタイ人とも接触する用意のあることを明らかにした。亡命者の中にはKularb Saipradist(元タイ新聞協会会長),Payome Chulanon(元国会議員),Mongkol no Nakhon(元政治家)らが含まれる。 |
DIA-204-1972-08-05-1 | タイ | 1972年08月05日 | 1970年代 | 金価格高騰で金細工職人失業─金価格は616バーツ(=15.244g)に高騰しているため,金細工品も583.66バーツ/15.244g上がり,買い控えから50~75%の売行ダウンとなり,日給制の金細工職人数百人が失業。 |
DIA-204-1972-08-06-1 | タイ | 1972年08月06日 | 1970年代 | 共産ゲリラがヘリコプター撃墜─当局筋によると,先週鎮圧作戦に当っていた空軍のヘリコプターがプパン山麓上空で共産ゲリラに撃墜され,2人は脱出したが8人行方不明となっている。 |
DIA-204-1972-08-10-1 | タイ | 1972年08月10日 | 1970年代 | タイ共産党幹部等逮捕─警察は全国一斉に共産主義者逮捕を行ない,バンコクではタイ共産党中央委員数名を含む30人を逮捕(うち5名は女性)し,トラック4台分の文書,制服,宣伝物を押収した。警察は200人の容疑者リストを持っている。警察筋では幹部の逮捕によってタイ共産党の指導力の30~50%は破壊されたとみている。記者会見でプラパートNEC副議長は,タイ共産党は都市ゲリラと農村ゲリラの共同闘争の段階に入っていると次のように述べた。「逮捕者の多くは商人又は無職であり,国民に知られていない者が多い。タイ共産党中央委員会のメンバーもSuppachai Sisati(60年代始めに処刑)の頃とまったく変わっている。最も重要な隠れ家はラーマ4世通りのクローントゥーイにあった。」なおノンカイではベトナム労働党員といわれる難民2人を逮捕した。 |
DIA-204-1972-08-11-1 | タイ | 1972年08月11日 | 1970年代 | 共産主義者98人逮捕─警察の一斉検挙で共産主義者98人を逮捕した。33人は首都圏で逮捕したが,タイ共産党副書記長が含まれている。またバンコク市中心部にある青年訓練センターからはタイ共産党および中国共産党の文書,制服や米100袋を押収した。逮捕者の多くはタイ国籍の中国人である。 |
DIA-204-1972-08-15-1 | タイ | 1972年08月15日 | 1970年代 | 中国がタイ卓球チームの親善訪問正式招待─中国卓球協会は電報でアジア卓球大会終了後タイ代表団を賓客として中国に滞在するよう招請した。なお卓球チームに同行するプラシット氏は中国首脳との会談の準備を進めているが,次の議題を持出す予定である。①中国のタイの共産侵略者支援について,②平和共存,③中国内にいるタイの亡命者,④中国内の中国系タイ人,⑤二重国籍問題,⑥台湾問題,⑦貿易,⑧人民間の接触,⑨将来の関係,⑩ECAFEでの中国代表部。 |
DIA-204-1972-08-16-1 | タイ | 1972年08月16日 | 1970年代 | ラオス向米輸出規制─東北タイ6県からのラオス向もち米輸出は毎月600トン以内(6県から100トン以内)に制限。 |
DIA-204-1972-08-18-1 | タイ | 1972年08月18日 | 1970年代 | 共産ゲリラ逮捕に賞金─サーイユット共産主義鎮圧司令部(CSOC)長官は,共産テロリストの活動はバンコクにまでのびてきており,CSOCは近く共産主義者幹部の名前を公表し,逮捕又は殺した者に1万バーツまでの賞金を出すと次のように語った。バンコクでこれまでテロリズムと無関係であった多くの学生や労働者が共産主義者の活動に参加してきている。他の都市もやはり影響を受けている。これまで首都での彼等の攻撃はなかったが,居住又は宣伝のために旅行してきている。地方における政府の作戦で彼等は活動が困難になっているので,都市での活動が活発化しよう。 |
DIA-204-1972-08-18-2 | タイ | 1972年08月18日 | 1970年代 | 米輸出を規制─経済省は国内米価値上げ抑制と外国政府向の米確保のため米の輸出規制を決めた。1,000トン以上輸出する業者は経済省の許可が必要。籾を輸出する者は輸出数量の5%に相当する25%白米を経済省に売り渡さねばならない。先週政府ベースでインドネシアに25%白米8万トンの輸出を決めたが,3万トンしか確保できなかった。国内籾価格は66年以来の高値で,低級籾は昨年8月550バーツ/クィエンから1,300バーツに,上級米は1,450バーツに値上がりしている。 |
DIA-204-1972-08-19-1 | タイ | 1972年08月19日 | 1970年代 | 共産ゲリラ幹部公開捜査─パッタルン県で政府軍は南部共産ゲリラ指導者陳平の後継者と言われるPrasith Thiensiri(中国名Lib Term Lim)及びその部下のSunthorn On-ruangをBanthand山脈一帯で捜査している。他方スラータニー県では幹部8人の顔写真を各所に張り出して公開捜査している。 |
DIA-204-1972-08-20-1 | タイ | 1972年08月20日 | 1970年代 | 共産ゲリラのキャンプ包囲─スラータニー県で政府軍は共産ゲリラのキャンプを包囲し,爆撃で50人以上を殺した。同キャンプはNo.82と呼ばれ,1,000人くらいのゲリラがいるとみられる。 |
DIA-204-1972-08-21-1 | タイ | 1972年08月21日 | 1970年代 | 電力料金10月から20%値下げ。 |
DIA-204-1972-08-23-1 | タイ | 1972年08月23日 | 1970年代 | 南部タイのゲリラ─タイ南部のゲリラは分離主義者と協力し,南部4県の分離に力を注いでいる。活動は3グループに分かれている。①第8連隊,中国人のTo Kha Limが指揮,約251人,ソンクラー県で活動,②第10連隊,マレー人のAbdul Larsiti,224人,ナラテイワート県,③第12連隊,指導者はAr-sae,706人,ヤラー県。 |
DIA-204-1972-08-24-1 | タイ | 1972年08月24日 | 1970年代 | 訪中卓球代表団出発。 |
DIA-204-1972-08-28-1 | タイ | 1972年08月28日 | 1970年代 | 貿易収支改善─商業情報局の報告によると,今年5カ月間の貿易収支赤字は前年同期比11億0870万バーツ,30%の改善となった。赤字は25億4580万バーツ,輸入122億2070万バーツ,輸出96億7490万バーツ。品目別輸出では米86万1783トン,15億8300万バーツ,メイズ107万8889トン,11億3910万バーツ,砂糖21万3902トン,8億2750万バーツ。 |
DIA-204-1972-08-29-1 | タイ | 1972年08月29日 | 1970年代 | 東北タイで米の販売制限─経済省はノンカイ,ナコンパノム,ウボン3県全域及びチェンライ,ルーイ2県のラオス国境沿地区での米の販売数量を,1回20kg以下に規制した。またメコン河での米輸送および取引も禁止した。これは密輸防止のため。 |
DIA-204-1972-08-30-1 | タイ | 1972年08月30日 | 1970年代 | 製紙工場2社閉鎖─NECは工業省所属のカンチャナブリおよびサムセンの2工場の閉鎖を認めた。労働者500人のうち熟練工50人はバーンパイン工場に移る。 |
DIA-204-1972-09-01-1 | タイ | 1972年09月01日 | 1970年代 | 低質米の米輸出プレミアム復活─政府は9月1日より,71年4月21日,同年11月19日の米プレミアムに関する告示を廃止し新たに次のように米プレミアムを定めた。 |
DIA-204-1972-09-02-1 | タイ | 1972年09月02日 | 1970年代 | 密輸武器捕獲─ノンカイ県ターボー郡で共産ゲリラに武器を密輸しようとした車を押さえ,M16銃37挺を押収した。運転手は逃走。 |
DIA-204-1972-09-03-1 | タイ | 1972年09月03日 | 1970年代 | プラシット氏,中国の韓念竜副外相と会談。 |
DIA-204-1972-09-03-2 | タイ | 1972年09月03日 | 1970年代 | 貿易収支改善─商業情報局の報告によると,今年上半期の貿易収支赤字は前年同期比12億6800万バーツ,27%の改善となった。赤字34億8160万バーツ,輸入147億4100万バーツ,輸出112億5940万バーツ,米輸出は103万4903トン,18億9930万バーツ。 |
DIA-204-1972-09-04-1 | タイ | 1972年09月04日 | 1970年代 | 共産ゲリラの闘い─『人民日報』は「タイ人民の声」放送の報道として,タイ人民解放軍が今年4カ月半の間に,軍人や警察700余人を死傷させ,ヘリコプター等25機以上を撃墜し,政府軍の拠点10余カ所を破壊したと伝えた。 |
DIA-204-1972-09-05-1 | タイ | 1972年09月05日 | 1970年代 | プラシット氏,周恩来首相と会談。 |
DIA-204-1972-09-05-2 | タイ | 1972年09月05日 | 1970年代 | 米不足の懸念─米不足解消のための特別委員会は首都圏に550カ所の安売小売店を設置することを決定した。 |
DIA-204-1972-09-06-1 | タイ | 1972年09月06日 | 1970年代 | タイ共産党に北京から資金援助─プラパートNEC副議長は,共産主義者一斉逮捕の際に押収した文書から,タイ共産党が過去3年間に中国から6~700万バーツの資金援助を受けていることが判明したと発表した。 |
DIA-204-1972-09-06-2 | タイ | 1972年09月06日 | 1970年代 | 日タイ貿易収支悪化─関税局によると今年1~5月の対日貿易収支赤字は23億0090万バーツで,前年同期比26%増で,全貿易収支赤字の90%を占める。輸入は43億7880万バーツ,輸出20億7790万バーツ。 |
DIA-204-1972-09-06-3 | タイ | 1972年09月06日 | 1970年代 | メイズ輸出40%減か─貿易委員会の発表によると,干ばつによる生産減のためメイズ輸出は40%減となる見込である。 |
DIA-204-1972-09-09-1 | タイ | 1972年09月09日 | 1970年代 | 県知事任命─内務省はチェンマイ,ソンクラ一等21県の県知事と,12県の副知事の任命を発表した。任期は10月1日から。 |
DIA-204-1972-09-10-1 | タイ | 1972年09月10日 | 1970年代 | メイズ輸出規制─メイズ輸出統制委員会はメイズ生産激減のため,恒常的買付国以外の国へのメイズ輸出を停止し,恒常的買付国についても,日本45万トン(55万トン減),台湾25万トン(20万トン減),シンガポール,マレーシア,香港30万トンに押さえることを決定した。干ばつのため今年の生産は130万トン前後(昨年は230万トン)と予想され,輸出余力は100万トンしかなくなる。 |
DIA-204-1972-09-12-1 | タイ | 1972年09月12日 | 1970年代 | 反政府運動4人の国籍剥奪─内務省はスエーデンに在住して「救国戦線」を結成,反政府運動をしているSunthorn Wongnongwah,Samat Singnomklao,Samak Sombatsuk,Sawaeng Boonchamnienの4人のタイ国籍を剥奪したと発表した。同戦線はタイ内外の共産主義者と接触し,スエーデンに亡命臨時政府の樹立を宣言している。 |
DIA-204-1972-09-14-1 | タイ | 1972年09月14日 | 1970年代 | 周首相との会談内容報告─中国から帰国したプラシット氏は周恩来首相等との会談内容を記者会見で報告した。周首相とは45分間,外務部次官と2時間,商業部次官とは1時間会談した。周首相は,中国はタイに門戸を開いている,平等の原則に基づくタイとの友好を歓迎していると語った。周首相はプラシット氏に国王とタノムNEC議長,プラパート副議長,ワン元外相によろしく伝えるよう依頼した。韓念竜外務部次官は,中国は東南アジア諸国の華僑を支配しようとはしない,海外の中国人は居留国に忠実であらねばならず,その国の法律に従うべきであると考えていると語った。李商業部次官は,中国はタイと政府間ベース,又は政府民間ベースの貿易に関心を持っていると語った。プラシット氏がタイの共産侵略者に対する中国の支援について質問すると,周首相は,中国は他国の内政問題には干渉しないが,各国の自由のために闘う人民は支持すると語った。周首相とは人民大会堂で会見したが,プラシット氏が,私達は長期間台湾やアメリカと緊密な関係を持っていたので中国との接触には少々厄介だと思っていた,一方の側との関係を改善するためにもう一方との関係を断つことは困難だと思うと述べると,周首相はタ |
DIA-204-1972-09-15-1 | タイ | 1972年09月15日 | 1970年代 | 歳入法典改正─10月1日から発効する。改正点は以下の通り。①個人所得税で年間純所得が70万バーツ以上の税率を50%から55%に,100万バーツ以上を50%から60%に引上げる。共稼ぎ夫婦の基礎控除を2人で2万バーツであったのを各人2万バーツとする。配偶者控除を2,000バーツから4,000バーツに引上げる。生命保険料年間4,000バーツまでを2万バーツの基礎控除に加えうることとする。配当金は5,000バーツまでは基礎控除に含め,5,000バーツをこえる場合は超過額の80%に課税する。課税最低額を年収1万バーツから2万バーツに引上げる。②法人所得税率15,20,25%を各5%ずつ引上げる。外国企業に対する税率は15,20,25%を一律25%とする。③原材料輸入について国産原材料に対する事業税と同じ税率を課す(従来は免税)。④収入印紙税は一部を除いて廃止。 |
DIA-204-1972-09-18-1 | タイ | 1972年09月18日 | 1970年代 | 中国との貿易提唱─プラパートNEC副議長は,中国がもし正式招待すればタイは貿易使節団を派遣するだろうと次のように語った。プラシット氏は中国政府がタイの貿易使節団派遣を望んでいることを伝え,10月の広州交易会に代表団を送ることを提案した。中国との貿易は外交関係がなくても何世紀もの間続いてきている。将来は中国製品の合法的輸入が認められるだろう。中国は国連加盟後他国への内政干渉を少なくする政策に転換していると信ずる。しかし中国がラオスに建設している道路はメコン河に達し,我々の喉元を狙っている。中国は国外に派兵しないだろうが,その準備をしているようにみえる(この記者会見でプラパート副議長は初めて中華人民共和国の正式名称を使った)。 |
DIA-204-1972-09-18-2 | タイ | 1972年09月18日 | 1970年代 | 米を食いすぎるな─プラパートNEC副議長はタイ国民に米を食べ残さぬようにと次のように語った。我々は米を無駄にしすぎている。誰もが米を食残して棄てている。もし皆が一皿に1スプーンの米を節約すれば,大量の米を輸出にまわせる。 |
DIA-204-1972-09-18-3 | タイ | 1972年09月18日 | 1970年代 | 共産ゲリラの活動減少─サーイユット共産主義鎮圧司令部長官は外国人記者クラブで会見し,中国がラオスに建設した道路はタイの共産主義者への武器輸送に使われている,最近タイが中国と接触したことについても過度の楽観はすべきでない,中国はいわゆる解放闘争を支援し続けるだろうから,私の考えでは中国は米軍が全インドシナおよびタイから撤退するのを望んでいない,米軍の存在がプロパガンダに有利だからだと述べ,共産ゲリラの活動については,政府側の犠牲者が昨年の3分の1に減ったこと,共産ゲリラを射殺したのが50%増えたこと,村落での共産ゲリラの宣伝集会が昨年の394件から今年(1~8月)は46件に減っていることを明るい材料としてあげた。 |
DIA-204-1972-09-18-4 | タイ | 1972年09月18日 | 1970年代 | 銀行資金ダブツキ気味─チャルーム銀行協会会長は,市中銀行は預金者の増加と貸出対象の希少によって資金がダブつき,また預金金利支払増などで困難に直面している,これは経済の発展と海外からの低利借款の2つの要因による。海外からの民間借款がこのまま続けば市中銀行貸出金利を下げねばならない,預金はこの2年間で年30%ずつふえていると語った。 |
DIA-204-1972-09-19-1 | タイ | 1972年09月19日 | 1970年代 | 県知事ゲリラに襲われる─ナコンパノム県知事Yong na Nakhon少将の一行は県南部のゲリラ鎮圧作戦を指揮しての帰途,ムクダーハーン郡とタートパノム郡の郡境の国道で共産ゲリラに攻撃されたが負傷者はなかった。当局によると約20人のベトナム人が北ベトナムから同地に潜入,また昨年は約200人のベトナム人難民がゲリラ戦の訓練を受けるため密出国しているという。 |
DIA-204-1972-09-21-1 | タイ | 1972年09月21日 | 1970年代 | 低質米輸出規制─貿易局はシンガポール向け20%以下の低質米の輸出規制を決めた。経済省は9月の米輸出を5万トン(民間)に押さえており,10月も5万トンまでしか許可しない予定。また輸出許可証有効期間を従来の30日から10日間に縮めた。 |
DIA-204-1972-09-25-1 | タイ | 1972年09月25日 | 1970年代 | タイ・カンボジア国境委員会─両国国境での協力を強めること,6つの郡段階での国境委員会設定を決定。 |
DIA-204-1972-09-25-2 | タイ | 1972年09月25日 | 1970年代 | 米国経済技術援助─72年の米国の経済技術援助額は前年より800万ドル減少の3500万ドルである。 |
DIA-204-1972-09-26-1 | タイ | 1972年09月26日 | 1970年代 | 11月中に暫定憲法公布─タノムNEC議長は11月中に暫定憲法を公布すると発表し,行政機構の改革は今月末に行なう,立法府としての国会とは別に,憲法小委員会で永久憲法を作成すると語った。なお機構改革により,農業省は農業及協同組合省,経済省は商務省に名称変更,国家開発省は廃止して各部局を関係省に配置変えする。また国家経済開発庁は国家経済開発委員会に名称変更,その他各省庁で部局を統合または新設。 |
DIA-204-1972-09-26-3 | タイ | 1972年09月26日 | 1970年代 | 金融会社法発効─既存金融会社については,登録資本金を1年以内に1000万バーツ,3年以内に2000万バーツ,5年以内に4000万バーツ以上とし,払込み資本は各50%以上とすること。新規企業は登録資本4000万バーツ,払込み50%以上であること。支店設置は大蔵省の事前承認が必要で,申請は中央銀行に対して行なう。金融会社は有限会社であること及び企業創設は中央銀行に対して行なう。会社の定款や重役の変更は15日以内に大蔵省に報告する。中央銀行が定めた一定額の準備金を維持し,一日の貸出限度額を中央銀行が定めた額以下とすること。貸借対照表の写しを中央銀行に提出すること。 |
DIA-204-1972-09-29-1 | タイ | 1972年09月29日 | 1970年代 | 日中国交回復を批判─有力官辺筋は日中国交回復について,中国との国交,台湾との断交は性急すぎる,この田中首相の行動は日本人が利己的であることを示したものだと批判した。 |
DIA-204-1972-10-01-1 | タイ | 1972年10月01日 | 1970年代 | 1973年度外国援助約束額─総額4266万1350ドルで内訳は米国2550万ドル,国連372万7550ドル,コロンボ・プラン諸国528万8000ドル,その他579万5000ドル,volunteer agency235万ドル。 |
DIA-204-1972-10-02-1 | タイ | 1972年10月02日 | 1970年代 | 共産ゲリラがウボン基地砲撃─2日夜共産ゲリラが36ミリ迫撃砲でウボン基地を砲撃,7発が基地内に打込まれ,管制塔に軽微な損害を与えた。タイ国軍最高司令部は全国の基地に全面警戒体制をしいた。なお同日朝タイの警察・軍パトロール隊は基地周辺で5人のゲリラと交戦,3人を射殺している。 |
DIA-204-1972-10-03-1 | タイ | 1972年10月03日 | 1970年代 | ウドン基地も攻撃さる─共産ゲリラ4人がウドン基地内に侵入したが,監視兵に発見されて銃撃戦となり,重傷の1人を置いて逃げた。タイ人監視兵1人死亡,1人負傷,米兵2人負傷。数時間後基地周辺で軍隊が10人のゲリラと遭遇,3人を殺した。タイ国内の米軍基地はタイ駐留始まって以来の厳しい警戒体制をとっている。軍当局筋はウボン,ウドンへの攻撃を,米国の北ベトナム爆撃を防害するためにハノイが指揮して行なわせた煽動の始まりかもしれぬとみている。 |
DIA-204-1972-10-03-2 | タイ | 1972年10月03日 | 1970年代 | 広州交易会に参加決定─NECは中国からの広州交易会参加招待状の受諾を決定した。 |
DIA-204-1972-10-04-1 | タイ | 1972年10月04日 | 1970年代 | ウドン基地攻撃に北ベトナム,パテト・ラオ兵士が参加か─ウドン基地を攻撃して負傷,逮捕された男は警察の取調べに対し,東北タイの米軍基地を攻撃,破壊する目的で,9月初めタイに潜入したベトナム人とラオス人の混成部隊80人のうちの1人で,ウドン攻撃には他に3人のベトナム人が参加していた,ディエンビエンフーで訓練を受け,タイ潜入後は各地の軍事施設奇襲攻撃のため分散した,ウドン攻撃グループは指導者のベトナム人がウドン市内のホテルに泊まり,他は近くのベトナム人難民の家に隠れていたと自供した。当局はこの男をパテト・ラオの兵士とみている。攻撃に加わった者のうち9人はプパン山を目指して逃走している。 |
DIA-204-1972-10-07-1 | タイ | 1972年10月07日 | 1970年代 | ウタパオ基地へ向かう道路閉鎖─タウィー空軍大将は,共産ゲリラの攻撃に対拠するためウタパオ基地へ向かう道路を閉鎖すると発表した。また米軍人の宿泊しているChao Phyaホテルも警戒を厳重にした。 |
DIA-204-1972-10-09-1 | タイ | 1972年10月09日 | 1970年代 | サタヒップで800人が抗議デモ─NECは8日にサタヒップの軍事施設の周辺10km以内の地区のバー及び1軒しかないホテルの閉鎖を命令した。これは共産ゲリラの基地攻撃等から守る必要のため。9日にこの命令に抗議してタクシー運転手,バーの所有者やホステスがデモ,郡庁へ押しかけた。 |
DIA-204-1972-10-10-1 | タイ | 1972年10月10日 | 1970年代 | 広州交易会代表団決定─NECは広州交易会に参加する代表団17人を決定した。団長はプラシット・カンチャナワット経済・財政・工業省副長官。副団長はウイチャーン商務次官。17人の構成は役人5人,民間12人で,Ob vasuratna貿易委員会第一副会長の他,板ガラス,砂糖,麻袋,自動車,製薬,運輸,海運,鉱業,飲料水,繊維の業界代表が参加している。 |
DIA-204-1972-10-11-1 | タイ | 1972年10月11日 | 1970年代 | 日本企業の合弁参加で批判─日本商工会議所投資調査団に対し,投資委員会と貿易委員会は別個に会談,日本企業の合弁参加の際,タイ人の昇進に道を閉ざしていること,増資によって日本側持株比率を大きくして経営権を支配すること,原材料を日本から大量に輸入していること,輸入する機械の価格を不当に高くしていること等を批判,また日本はタイの国内借入れに頼るのでなく,日本から資本を持ってくるよう要請した。 |
DIA-204-1972-10-13-1 | タイ | 1972年10月13日 | 1970年代 | 広州交易会代表団出発─一行は広東の他,上海,南京,北京を訪問する。 |
DIA-204-1972-10-16-1 | タイ | 1972年10月16日 | 1970年代 | ラオス,カンボジアに中立政府を要求─高官筋によると,タイはベトナム和平後のタイの安全保障のため,ラオスとカンボジアに中立政府の樹立を望んでいる。当局はパリ会談の成行に注目しており,結論が出る前に米国が同盟国と会談することを望んでいる。またベトナム和平後もタイ駐留米軍は人数が減少しても駐留は東南アジアの平和維持に必要である,ベトナム停戦は米大統領選挙前との見方が強い。 |
DIA-204-1972-10-17-1 | タイ | 1972年10月17日 | 1970年代 | 学生が日本のボクシングジム襲撃─学生約200人が野口キックボクシングジムを襲撃,投石した。なお14日には同ジム所有者の野口氏に対し,タイの国技を盗んだと非難,キックボクシングをタイボクシングに名を変えなければ殺すとの脅迫状が送られていた。 |
DIA-204-1972-10-19-1 | タイ | 1972年10月19日 | 1970年代 | ウドンで再び厳戒体制─ウドン基地の弾薬庫を爆破しようとしたベトナム人2人をタイの監視兵が発見,発砲した後,ウドン基地は再び厳戒体制がとられた。 |
DIA-204-1972-10-20-1 | タイ | 1972年10月20日 | 1970年代 | 中国がタイとの貿易約束─広州交易会代表団のプラシット団長は一足先に帰国し,中国はタイの代表団に要人待遇の歓迎を与え,タイとの貿易を希望していると語った。 |
DIA-204-1972-10-20-2 | タイ | 1972年10月20日 | 1970年代 | 新投資奨励法─NECは内外企業の投資奨励に関する布告を出した。奨励対象産業は運送,漁業,農業,牧畜,製造業(特に輸出志向産業),観光,機械修理。主な奨励点は以下の通り。①投資額と同額の外貨の国外持出し許可。②外国企業による専門家および配偶者,扶養家族の無制限入国許可。③製品保護のため,輸入禁止又は50%までの輸入関税障壁。④一定期間所得税免税(3年以上8年以下)。⑤税制面で免税措置─輸入原材料の輸入税及び事業税を50%まで免税。5年間以下に限って製品販売の事業税を90%まで免税。輸送費,電気,水道料金を必要経費として2倍差引く。利潤の25%以下をサービス設備の設置又は建設必要経費として差引く。輸出製品用原材料の輸入税,事業税も免除する。なおこの新投資法により従来の産業投資奨励法は廃止される。 |
DIA-204-1972-10-21-1 | タイ | 1972年10月21日 | 1970年代 | 中国との貿易で貿易収支不均衡是正─プラシット氏は,中国から安い製品を輸入することによって日本との貿易赤字だけでなく,全体の貿易赤字を減らせる,中国側はタイのジュート,麻袋,砂糖及び木製品の買付の可能性を示し,ドル,ポンド等による決済を希望した,と語った。 |
DIA-204-1972-10-21-2 | タイ | 1972年10月21日 | 1970年代 | 国連から3400万ドル援助─国連開発計画(UNDP)のThomas F.Power氏は,タイの第3次5カ年計画に対して国連から約3400万ドルの援助が与えられると語った。内訳はUNDP1500万ドル,WHO400万ドル,UNICEF500万ドル等。 |
DIA-204-1972-10-22-1 | タイ | 1972年10月22日 | 1970年代 | ベトナム和平近い─サリバン米国務次官補代理と会談後,タノムNEC議長は,ベトナム停戦はまもなく訪れる,平和解決は我々にも最も利益がある,米国は情報を我々に提供し続けていると語った。 |
DIA-204-1972-10-24-1 | タイ | 1972年10月24日 | 1970年代 | 共産ゲリラがヘリコプター2機撃墜─ラーツブリー県パークトー郡で陸軍のヘリコプター2機が共産ゲリラに撃墜され,5人が負傷した。 |
DIA-204-1972-10-27-1 | タイ | 1972年10月27日 | 1970年代 | ベトナム和平協定歓迎─プラパートNEC副議長はベトナム和平協定案について,実際にベトナム和平が実現すればタイは平和になるだろう,9項目の協定は主に米国と北ベトナム間のものであると語った。官辺筋によると,南ベトナム,ラオス,カンボジアからの北ベトナム軍の撤退,17度線を国境として維持することの2点がないことに関心をよせ,南ベトナムの3派連合協議会に不安を抱いているが,最終的に選挙ではチュー派が勝つと信じている。またタイ駐留米軍は一部削減するが引続き駐留すると予測され,他方ではSEATOを軍事同盟から経済,社会,文化面での協力機構に変えようとする動きもある。 |
DIA-204-1972-10-28-1 | タイ | 1972年10月28日 | 1970年代 | 広州交易会代表団帰国─副団長のウイチャーン商務次官は,李先念副首相らと会談した。中国は「平等互恵」の原則に基づくタイとの貿易の準備ができている,中国側はケナフ,砂糖,硬質木材,ゴムの買付けを希望し,代わりに旋盤,船舶用ディーゼルエンジン,電動モーター,農業機械,化学肥料等の輸出を望んでいる,中国側が買付けを希望しているのは他にタバコ,麻袋,米などである,決済はポンドで行なうと語った。代表団一行は中国貿易に明るい見通しを持っている。 |
DIA-204-1972-11-03-1 | タイ | 1972年11月03日 | 1970年代 | 中国貿易に国営機関設立─消息筋によると,NECは2日に,中国貿易を扱う国営機関の設置と,中国製品の輸入を禁止した旧革命団布告53号の改正を承認した。 |
DIA-204-1972-11-06-1 | タイ | 1972年11月06日 | 1970年代 | 日本製品不買提唱─全国学生センターの代表14人は日本大使館に赴き,日本によるタイの経済支配を非難した田中首相宛抗議文を手渡した。また全国学生センターの執行委員会は10日間の日本製品不買運動を決め,1万2000枚のポスターと10万枚のステッカーで不買を呼びかけることとし,NECに対しても4項目の提案をすることを決めた。田中首相宛抗議文は「対日貿易不均衡はタイの経済発展を妨げているが,日本政府は事態改善に真剣に取組んでいない。タイに対する投資や日本の商社員の好ましくない行動について改善されないなら,日本資産の破壊といった事態も起こる」と警告し,①日本の借款条件の緩和,②タイ製品輸出拡大への協力と日本の輸入制限緩和,③開発途上国の産業発展に役立つ投資を要求している。 |
DIA-204-1972-11-06-2 | タイ | 1972年11月06日 | 1970年代 | 米輸出175万トンに─商務省の報告によると,今年初めから10月までの米輸出量は172万9646トンに達し,過去20年間で最高の記録となった。年末には190万から200万トンに達する見込み。 |
DIA-204-1972-11-10-1 | タイ | 1972年11月10日 | 1970年代 | 学生の行動を支持─プラパートNEC副議長は全国学生センターの反日運動を支持して次のように述べた。学生達は愛国者である。彼らは国産品使用促進と倹約奨励に関心を持っている。彼らは勉強して,日本との貿易収支赤字に苦しんでいるのを理解した。学生達はキャンペーンを続ける権利がある。法律には違反していない。しかし,日本大使館への最後通牒を伝えたとするなど,新聞は事態を誇張して伝えている。第三者の手が関与している感じがする。日本との友好関係に悪影響を与えぬよう注意すべきである。新聞は誇張した報道を控えてほしい。 |
DIA-204-1972-11-10-2 | タイ | 1972年11月10日 | 1970年代 | 全国学生センターが日本非難の声明発表─全国学生センターは,日本はタイを甘い言葉でだましてきたエコノミック・アニマルであるとの以下のような非難声明を出した。多くの日本人の策略によってタイはこれまで1000億バーツ以上の貿易赤字に苦しめられてきた。日本はタイへの投資で株式の過半を手に入れようとしてきた。ある場合には,日本企業は最初はタイ側持株過半数を認めながら,後からそれを奪いとってしまった。これは原材料輸入価格をつり上げ,安い製品を国内に氾濫させて経営を困難にさせることによって達成した。対日輸出では,日本は様々な手段でタイ製品を安く買いたたこうとしてきた。またタイが古くからの取引相手であり,値段も安く売っているのに,2年前に日本は中共を喜ばせるために中共から海産物を買った。今年1月にも,タイ側の螢石8万トン買付増の要請を無視して,日本は20万トン,トン当り34ドルの買付をしたが,その後にやはり北京を喜ばせるために中共から螢石を10万トン,トン当り55ドルで買ったのだ。 |
DIA-204-1972-11-11-1 | タイ | 1972年11月11日 | 1970年代 | 反日運動を高校生にも呼びかけ─全国学生センターはチュラロンコン大学に高校生代表を招き,反日運動を広げるための会議を開いた。同センターのThirayudh Bunmee事務局長は,日本は他国と比べて距離的にタイに近いので脅威になる,更に米国や欧州諸国はタイの開発を援助したが,日本は保護貿易主義をとっていると述べた。この会議には招待した46校中8校の代表しか参加しなかった。 |
DIA-204-1972-11-12-1 | タイ | 1972年11月12日 | 1970年代 | 日本品不買のポスター貼られる─日本品不買を訴えるポスター400枚以上がラージャダムリー通りを中心に学生達の手で貼られた。また数百枚がチェンマイに郵送された。1万2000枚のポスター製作費はチュラロンコン大学の学生クラブ及び学生連合からの借金。 |
DIA-204-1972-11-13-1 | タイ | 1972年11月13日 | 1970年代 | 高校生がタイ大丸襲撃計画─約150人の高校生が短刀,ナイフ,ドライバー,T定規・金尺などを持って,タイ大丸に向けて反日デモを行なったが,入口で警官隊に阻まれ,その後他高校の学生が出席する集会になぐりこみをかけようとして,警官に凶器を没収された。 |
DIA-204-1972-11-13-2 | タイ | 1972年11月13日 | 1970年代 | 中国貿易国営化に反対─Phinit Leenawatジュート協会会長は,中国との貿易は政府規制を最小限に抑えて自由にすべきである,農産物輸出は需要や価格の変動が激しいから,制限するようなやり方はかえって不利な結果をもたらす,中国は現在香港経由でタイのケナフを買っているが,提示する値段は欧州諸国よりも良いと語った。 |
DIA-204-1972-11-15-1 | タイ | 1972年11月15日 | 1970年代 | Hin Long Kla山再掃討作戦─2月の政府軍の大攻勢で,Hin Long Kla山から追われた共産ゲリラが再び同地域に戻ってきているとの情報で,タノムNEC議長は大規模な軍隊の増派を命じ,第11独立連隊等が直ちに現地に向かった。 |
DIA-204-1972-11-16-1 | タイ | 1972年11月16日 | 1970年代 | 暫定憲法について─暫定憲法は12月の第3週に公布される予定であるが,1959年の暫定憲法と次の2点で異なる。①首相の特別権限が国防関係に限定されること。②新恒久憲法の完成期限が設定されること。また憲法制定議会は立法権限のみで,人数は前の国会よりも多い見込み。 |
DIA-204-1972-11-16-2 | タイ | 1972年11月16日 | 1970年代 | 日本が反日運動に懸念表明─日本の通産省はタイの反日運動について,タイとの友好を維持し,反日感情を消し,日本の経済侵略又は経済支配という心配を一掃するために,日本政府はタイへの経済技術協力を強化していくだろうと述べた。他方外務省や経団連は,反日運動が日本の経済的浸透に変化をもたらすことになろうとの懸念を表明し,日本企業各社に対し,タイ国内での採用をふやすこと,タイ人により多くの昇進の道を開くように要請した。 チュラロンコン大学で24校の高校生代表90人を集めて,高校生の間に反日運動を広げる問題について会合が持たれ,全国学生センターの提案した各高校に反日運動クラブを作ることに10校が賛成した。 |
DIA-204-1972-11-16-3 | タイ | 1972年11月16日 | 1970年代 | 日本製品の広告ボイコット呼びかけ─『サヤームラット』紙のククリット・プラモート氏はタイの全新聞に対し,日本品不買運動週間中日本製品の広告掲載を拒否するよう呼びかけた。 |
DIA-204-1972-11-17-1 | タイ | 1972年11月17日 | 1970年代 | 日本品不買を呼びかけるビラ配布─全国学生センターの学生達はバンコク市内で通行人に,11月20日から30日にかけての日本品不買週間に協力を呼びかけるビラを配った。 |
DIA-204-1972-11-18-1 | タイ | 1972年11月18日 | 1970年代 | 国王が学生に慎重な行動を訴える─プミポン国王夫妻はカセサート大学の定期演奏会に出席し,集まった2,000人の学生に対し反日運動について以下のように語った。日本品不買運動というアイデアはすぐれたもので,奢侈品購買はやめるべきだからこの運動は支持されるべきである。奢侈品を買わずに倹約するというアイデアは全体として支持する。しかし何を要求しているかについて慎重な考慮を払わないと,目的からはずれてしまう。たとえば日本品不買を訴えるデモをすれば警官とトラブルを起こすが,警官は日本製のパトロールカーと携帯用無線通信機を使わねばならず,これでは間接的に日本製品使用を奨励することになってしまう。もし皆がこの運動に協力すれば,金を節約し,日本や他の国との貿易赤字を改善するだけでなく,自立することもできよう。 |
DIA-204-1972-11-18-2 | タイ | 1972年11月18日 | 1970年代 | 反日運動抑制を指示─当局筋によると,NECは各大学当局に対し,全国学生センターの反日宣伝をやめさせるよう指示し,運動が手に負えなくなったり,共産主義者が利用する事態に対処する準備を整えている。NECは国営のラジオ,テレビ放送局に,反日運動の報道を控えるよう指示し,また日本の藤崎大使にNECは学生センターの行動を認めていない旨伝えた。大学局では,「日本品不買」より「国産品愛用」をスローガンにすべきだとしている。NECの指示は①アジアの安全と平和のため大国日本との友好関係維持が必要,②学生が政治に影響を与えうると感じ始めれば,急進勢力の指導下に入ってタイを分裂させる要因になるとの2点が動機と言われる。 |
DIA-204-1972-11-18-3 | タイ | 1972年11月18日 | 1970年代 | 日本企業の脱税を非難─全国学生センターは日本企業が輸入税を脱税していると非難する以下の声明を出した。国内企業と政府高官は関税局に対してその無能さと,日本企業から賄賂を受取って輸入税の脱税を手助けしていることを非難している。日本企業は二重帳簿で所得税をごまかしている。しかし直接税務局の役人は厳しい措置をとらず,中には日本企業と結託して政府収入に重大な損失を与えている。日本企業は所得税・関税合わせて約10億バーツの脱税を行なっている。移民局は無能で多くの日本人が働きにくるのを許可している。多くの日本人が観光ガイド,受付係,経理課員,ウェイトレス,さらにはマッサージ師として働いており,タイ人の職業を奪っている。彼らは観光ビザでやってきて,ラオスやシンガポール,マレーシアでビザを更新して再入国してくる。全国学生センターはNECに対し,これらの事実を調べて,また関税局と直接税務局の改善を要請する。 |
DIA-204-1972-11-19-1 | タイ | 1972年11月19日 | 1970年代 | 日本品不買を訴えてデモ─約600人の学生がバス4台や乗用車を連ねてシーロム通りなどをデモ行進し,日本品不買を呼びかけた。その後タイ大丸の前でポスターを示したりして気勢をあげた。 タノムNEC議長は,学生達の日本品不買運動をやめるよう命令はしていない,しかし暴力があってはならず,日本大使館にデモをかけることも許されないと語った。 |
DIA-204-1972-11-19-2 | タイ | 1972年11月19日 | 1970年代 | 反日運動は政府を助ける─ブンチュー・バンコク銀行副頭取は,反日運動は日本との貿易交渉の際タイ政府の交渉力を強めるだろう,政府の交渉力がこれだけ強くなるのは嘗てない,この運動は他のアジアの国々も見ならうべき良い見本だと語った。 |
DIA-204-1972-11-19-3 | タイ | 1972年11月19日 | 1970年代 | ベトナム停戦予想で外資流入減─ソムポン投資委員会事務局長は,インドシナ戦争の停戦予想で,タイへの外国資本の投資が減少しており,停戦が実現すればアジア各国が外資勧誘で激しい競争になろうと述べた。 |
DIA-204-1972-11-20-1 | タイ | 1972年11月20日 | 1970年代 | 日本品不買週間始まる─日本品不買運動週間が始まったが,全国学生センターはタノムNEC議長に経済改善,貿易収支是正に関する10項目の勧告書を提出した。内容は①外国人の職業規制の強化。②外国企業の事業活動の制限,および技術,建築業をタイ人用職種とすること。③外国系デパートは不要であり,既存デパートは拡張を認めず,今後新設は認めないこと。外国系デパートは商品の40%以上をタイ国産品とし,本国商品は20%以下にする。④不要品の輸入制限又は禁止。⑤外国人投資規制方法を改善し抜け穴を防止する。⑥移民局,関税局役人の監督強化。⑦船荷輸送における価格の是正。⑧外国人投資の審査強化,追跡調査と規制のための機関設置。⑨日本製俗悪テレビ映画の規制。NECの指導者も国産品愛用の模範を示すこと。なおタイ国産品展示会がチュラロンコン大学で開かれた。 |
DIA-204-1972-11-21-1 | タイ | 1972年11月21日 | 1970年代 | 脱走兵に恩赦─NECは脱走兵が来年2月15日までに原隊に復帰すれば罪に問わないと布告した。 |
DIA-204-1972-11-21-2 | タイ | 1972年11月21日 | 1970年代 | タイ人従業員の労働条件改善を予想─労働局のチャルーン労働関係調整保護課長は,日本品不買運動の後,日系企業での労働条件は改善されるだろう,三交代制の職場では10分から15分の食事時間しか与えられていないが,労働法では1時間とされていると語った。 |
DIA-204-1972-11-22-1 | タイ | 1972年11月22日 | 1970年代 | ベトナム和平に対するタイの主張─政府高官によると,①ラオス,カンボジアも同時に停戦,②ラオス,カンボジアからのすべての外国軍隊の撤退,③南ベトナムの大統領選挙にはグエン・バン・チュー大統領も参加する,④総選挙には解放戦線も参加できる,⑤米軍は引続きタイに駐留する,⑥タイは民族和解協議会や和平協定には反対しないが,3派連立政権をおしつけることには反対する。 |
DIA-204-1972-11-22-2 | タイ | 1972年11月22日 | 1970年代 | 中国貿易調査委員会委員長にポット・サラシンを任命。 |
DIA-204-1972-11-22-3 | タイ | 1972年11月22日 | 1970年代 | 中国貿易局設置に強く反対─オップ貿易委員会副会長は,商務省内に中国貿易を扱う特別局を作るとの構想に強い反対を表明した。 |
DIA-204-1972-11-22-4 | タイ | 1972年11月22日 | 1970年代 | タイ向け借款条件緩和─日本政府筋によると,発展途上国に対する経済援助積極推進の初の試みとして,タイ向け円借款(今年4月調印,640億円)に「部分アンタイドローン」を採用し,交換書簡を一部改訂することを決めた。この部分アンタイドローンは1プロジェクトのうち70~80%についてソフトな条件によるひも付き援助分とし,残りの30~20%をアンタイドにしようというもの。 |
DIA-204-1972-11-23-1 | タイ | 1972年11月23日 | 1970年代 | 輸入関税率変更─プラスチック原材料30%→40%または3.5バーツ/kg。プラスチック製品50%→60%または6バーツ/kg。プラスチック,ゴムおよびアスベスト床タイル50%→60%。カーペット50%→100%または70バーツ/kg。銑鉄3%→5%。ラジオおよびテレビのキャビネット20%→50%。ミシン台20%→50%。ニンニク5バーツ/kg→8バーツ/kg。原皮輸出関税5バーツ/kg。同なめし皮4バーツ/kg。天然ゴム輸入税無税。 |
DIA-204-1972-11-24-1 | タイ | 1972年11月24日 | 1970年代 | 日本との貿易赤字は避けられない─プラパートNEC副議長は,日本との貿易イムバランスは,経済開発計画に基づく重機械の輸入によって,避けられないものである,と次のように語った。他国から買えば3倍になることもある。日本は低価格だから契約を受注する。だからタイは大きな貿易赤字を生む。愛国心をかきたて,国産品愛用を勧める学生の運動は全体として支持する。学生の10項目の提案はすでにNECで検討している。日本との貿易赤字縮小のため中国との貿易促進という提案については,現在NECで考慮中である。 なお全国学生センターの学生達はタノム議長に日本車の輸入禁止を要請した。 |
DIA-204-1972-11-24-2 | タイ | 1972年11月24日 | 1970年代 | ベトナム和平後もタイの米空軍力維持─米国およびタイの当局者によると,ベトナム停戦協定成立後も,空軍力を中心とする4万人台の米軍を引続きタイに駐留させることで両国政府は合意ずみである。タイの米軍は現在4万9000人。 |
DIA-204-1972-11-25-1 | タイ | 1972年11月25日 | 1970年代 | 外国企業職業規制を布告は外国企業職業規制布告を出した。同布告は50以上の業種をA,B,Cの3業種に分け,タイ国内の外国企業で,資本または株式の50%以上を外国人が所有,または経営者が外国人の企業を規制する。Aの12業種は2年後に外国企業の営業が完全に禁止される。B,Cの業種は引続き営業が許可されるが,1972年度を基準として年30%以上の生産,販売の増加は認められず,また商業登録局の許可がなければ新支店開設は認められない。A,B業種は別に布告が出るまで新規営業開始が認められず,C業種は商業登録局の許可が必要。外国企業は90日以内に営業許可申請が必要とされるが,許可対象となるのは1年以上営業しているか,または事業が順調にいっていることが必要。許可申請の際,商務局は,投資額に占める資本金,借入金の比率,外国からの持込資金,資本持株比率,タイ人および外国人の人数等をチェックする。布告に違反した場合は3万~50万バーツの罰金および企業解散処分となる。業種については,参考資料参照。 |
DIA-204-1972-11-25-2 | タイ | 1972年11月25日 | 1970年代 | 学生が日本製品の模型を焼く─約1,000人の学生が芸術大学から第一次大戦記念碑までデモ行進し,記念碑前でわら人形や,日本の奢侈製品を形どった紙の模型を焼いた。各大学の代表が約2,000人の見物人を前に演説し,日本及びタイ政府を非難した。 |
DIA-204-1972-11-27-1 | タイ | 1972年11月27日 | 1970年代 | 反日ポスターを没収─警察局は日本品不買を呼びかけるポスターのうち,日の丸に×印を書いたポスターを,日本の国旗を侮辱し,日タイ関係を損う恐れがあるとして禁止,没収を命じた。 |
DIA-204-1972-11-27-2 | タイ | 1972年11月27日 | 1970年代 | 外国企業職業規制について─チャイ商業情報局長が記者会見で明らかにしたところによると,今回の職業規制布告によって影響を受けるのは日本,中国(台湾),インド等を中心とする約4万社である。プラユーン広報局長は外国人の経営する企業でも,タイで生まれた子供に経営権を譲るか,株の大半を譲る,またはタイ人を企業に参加させれば,今回の職業規制によって大きな影響は受けないだろうと語った。 |
DIA-204-1972-11-27-3 | タイ | 1972年11月27日 | 1970年代 | 日本との貿易ギャップ広がる─関税局によると,今年1~8月の対日貿易は赤字が42億3520万バーツで,昨年比6億8680万バーツ,19%増となった。貿易収支赤字は52億8850万バーツで,昨年比12億3840万バーツ減となった。対日赤字は貿易収支赤字の72%を占める。 |
DIA-204-1972-11-30-1 | タイ | 1972年11月30日 | 1970年代 | 学生がNEC前で集会─日本品ボイコット週間最終日の夜6時頃,学生約2,000人がNEC前に座り込み,10項目の要求に対する回答を求めてタノム議長に面会を求めたが,タノム議長は面会せず,代わってクリットNEC事務局長がThirayuth NSC書記長と会見,その後チャラームチャイ広報局長と学生代表9人が会見した。 |
DIA-204-1972-12-01-1 | タイ | 1972年12月01日 | 1970年代 | 外国企業規制で米国は除外か─米国大使館スポークスマンは,米タイ通商航海条約の存在により,外国人職業規制布告第2条の「双務的協定を結んでいる国の企業は適用から除外される」との項目に基づき,米国系企業は適用外となると述べた。日本・英国・フランス等の旧通商条約が破棄,交換公文の形をとっている国も適用外となるかどうかは微妙。 |
DIA-204-1972-12-01-2 | タイ | 1972年12月01日 | 1970年代 | 学生,NECの態度に不満─全国学生センターは,NECは10項目提案の一部しか考慮に入れず,ナショナリズムを高め,タイ製品の評価を高めようとしたわれわれの努力が失敗に終わるのではないかと恐れるとの声明を発表した。同声明によるとNECが同意したのは外国人職業規制法,出入国管理法の2点だけである。他方チャラームチャイ広報局長は学生代表との会見内容について,NECは10項目提案の全部に賛成であり,すでに外国企業規制布告など具体的措置をとり始めている,外国人職業規制法,出入国管理法もまとまり次第実施に移していく,タノム議長も学生の運動を高く評価しているが,昨夜のような不法デモには強く自粛を要望していると語った。 |
DIA-204-1972-12-01-3 | タイ | 1972年12月01日 | 1970年代 | プラパート,学生運動を批判─プラパートNEC副議長は,学生の行動は国民の目を醒まさせる正しいもので国家にとっても有益である,しかし,11月30日のデモ行進は法律違反で範囲を逸脱したものであると語った。また,デモには学生以外のものが沢山入り込んでおり,誰か清潔でない手が介入している感じがすると語った。 |
DIA-204-1972-12-01-4 | タイ | 1972年12月01日 | 1970年代 | 児童保護法制定─NECはタイで最初の児童保護法を布告した。両親または後見人は子供を病院,福祉センター,託児所前に棄てたり,売買したり,乞食に使ってはならず,違反した場合は500バーツから2,000バーツの罰金か,1カ月から1年の懲役となる。両親が死亡したり,棄てられたり,正当な待遇を受けていない子供は政府が保護する。 |
DIA-204-1972-12-03-1 | タイ | 1972年12月03日 | 1970年代 | ゲリラがナコンパノム基地侵入─2人の共産ゲリラがナコンパノム基地に侵入したが,監視兵に発砲されて逃走した。 |
DIA-204-1972-12-04-1 | タイ | 1972年12月04日 | 1970年代 | 職業規制は全外国企業に適用─NEC広報局,は,外国企業職業規制布告はタイとの協定の有無に関わらず,すべての国の企業に適用されると発表した。 |
DIA-204-1972-12-04-2 | タイ | 1972年12月04日 | 1970年代 | ベトナム停戦後も米軍はタイに駐留─タノムNEC議長は,ベトナム停戦協定締結後も米軍の兵力,戦闘機は引続きタイに駐留する,これは北ベトナムの協定違反監視のため必要であると語った。 |
DIA-204-1972-12-07-1 | タイ | 1972年12月07日 | 1970年代 | メイズ引渡し時期を延期─貿易委員会スポークスマンは,日本と台湾に対して来年1,2月に予定しているメイズ引渡し時期を6月迄延ばすよう要請したと語った。メイズ不作のため国内価格は1ピクル85バーツとなり,輸出価格より13バーツも高く,このまま輸出を続けると業者の損害が大きくなるため。 |
DIA-204-1972-12-08-1 | タイ | 1972年12月08日 | 1970年代 | 1~9月貿易収支─輸出163億バーツ,輸入220億バーツ,貿易収支の赤字は57億バーツ,輸入で増加したもの,食料33%増,工業製品75%。輸出で増加したもの,米,砂糖,タピオカ等,一方減少したものは,メイズ,螢石,ゴムなどである。 |
DIA-204-1972-12-10-1 | タイ | 1972年12月10日 | 1970年代 | 中国接近を中止─プラパートNEC副議長は,北京との通商その他の交流検討を中止したと次のように語った。先週メコン河沿いの地域で北ベトナム軍がラオス領から発砲した130ミリ砲の砲弾が見つかった。これは中国製である。この大砲はタイの持っているものよりも威力がある。また数千人の中国人技術者が中国からタイ領へ向かう道路を建設している。この道路はタイの安全にとって脅威である。(北ベトナムのグエン・タン・レ和平会談代表が内政不干渉を北ベトナムの方針と述べたことに対し),そういうことは周恩来・プラシットの会談でも出たが,しかし北ベトナムと中国は共にタイ国内の共産ゲリラを支援しており,多くの文書や武器が見つかっている。従って北京との接触はタイにとって安全となる時期まで中止する。 |
DIA-204-1972-12-11-1 | タイ | 1972年12月11日 | 1970年代 | 旧国民党軍の支配地域解消を命令─プラパートNEC副議長はチェンライ,チェンマイ,メーホーソーンに跨がる地域の旧国民党軍による支配をやめさせ,彼らによるアヘン取引やビルマからの流入を取締るよう命令した。旧国民党軍支配地区では山地民族が追い出され,アヘンが栽培されている。旧国民党軍は5,500~6,000人で,武装している。 |
DIA-204-1972-12-11-2 | タイ | 1972年12月11日 | 1970年代 | 棉花も大きな被害─貿易委員会によると,干ばつと虫害のため棉花生産は大きな被害を受け,ペッチャブーンでは50%減となっている。 |
DIA-204-1972-12-13-1 | タイ | 1972年12月13日 | 1970年代 | クラ運河は国営会社が所有─クラ運河は国営会社が所有することが決まり,予備調査は米国の2つの会社が行なう。現在チョウ氏が米国で米国政府や原子力委員会と接衝を続けている。調査報告は来年9月1日提出予定。 |
DIA-204-1972-12-13-2 | タイ | 1972年12月13日 | 1970年代 | 司法権限を法務省に大幅移譲─NECは布告299号で司法府の権限を法務省に大幅移譲した。判事の任命,昇進,移動および罷免権を法相が握る。法制審議会でも会長は法相,副会長は最高裁長官となる。12人の委員中4人は内閣による任命。 |
DIA-204-1972-12-13-3 | タイ | 1972年12月13日 | 1970年代 | 工業投資に減免税措置─産業投資奨励法の適用を受けた企業は営業税や輸入税を免税とする。免税の権限は投資委員会が持つ。①過去5年以内に輸入した特定設備の免税。②必要な機械,部品,設備について,a旧投資奨励法により奨励産業に決定され,投資委員会が証書を発行する間に輸入し,b国産できず,かつ一定量を越えないものの輸入税免税。②と同じ条件による輸入機械の輸入税,営業税の免税。 |
DIA-204-1972-12-15-1 | タイ | 1972年12月15日 | 1970年代 | 暫定憲法公布─全文23条,制憲議会は35歳以上の議員299人で構成され,定足数は3分の1。首相は1959年暫定憲法より強大な権限を与えられ,首相特別命令が出せる。内閣が任命されるまで,タノムNEC議長が首相代理を勤める。 |
DIA-204-1972-12-15-2 | タイ | 1972年12月15日 | 1970年代 | 司法権限の法務省移譲に抗議して学生がデモ─布告299号に抗議してタマサート大学の学生2,000人がデモを行なった。またリエン・チャヤカーン元法相もこの布告は民主主義を破壊するものであると非難した。 |
DIA-204-1972-12-15-3 | タイ | 1972年12月15日 | 1970年代 | タイ工業団地公社設立─工業団地および輸出加工区を管轄する。 |
DIA-204-1972-12-16-1 | タイ | 1972年12月16日 | 1970年代 | 制憲議会議員任命─299人の議員の3分の2は軍人と警察,内訳は陸軍413人,海軍30人,空軍23人,警察13人,官僚及び民間人99人。議員の中にはタナット前外相,ブンチャナ前経済相,スキッヒ前文相,サガー前副外相らが含まれている。 |
DIA-204-1972-12-16-2 | タイ | 1972年12月16日 | 1970年代 | 米軍司令部の移駐認める─タノムNEC議長は,ベトナム停戦後,サイゴンにある米軍司令部をタイのナコンパノム基地へ移駐することを承認したと語った。 |
DIA-204-1972-12-18-1 | タイ | 1972年12月18日 | 1970年代 | 制憲議会議長選出─制憲議会は議長にシリ・シリヨーティン陸軍少将(242票)を選出した。上部からのシリ議長選出指示に反発したグループがナロン・キチカチヨン陸軍大佐を推したが34票にとどまった。第1副議長はタウィー前副内相,第2副議長はカモン海軍大将。 |
DIA-204-1972-12-18-2 | タイ | 1972年12月18日 | 1970年代 | 首都の機構改革─首都名はクルンテープ・マハーナコンとし,市長を廃して知事,副知事を置く。知事(副大臣級)は閣議に出席する。郡と村は各zone(ketres),region(kwaengs)と変更する。議会は最初は任命(任期4年),試験期間がすぎれば半数を民選。 |
DIA-204-1972-12-18-3 | タイ | 1972年12月18日 | 1970年代 | チェンマイでも学生が抗議デモ─チェンマイ大学の学生約300人は,布告299号に抗議して市内をデモした。 |
DIA-204-1972-12-19-1 | タイ | 1972年12月19日 | 1970年代 | タノム新内閣成立─ 首相 タノム・キチカチョン元帥(国防,外務兼任) 副首相 プラパート・チャルサティエン陸軍大将(内務兼任) 総理府 サウェーン・セナナロン陸軍中将 大蔵 スーム・ウイニットチャイクン 農業及協同組合 タウィー・チュラサップ空軍大将 通信 ポン・プンナカン陸軍大将 商務 プラシット・カンチャナワット 法務 カモン・ワンナプラパー 文部 アパイ・チャンタウイモン 厚生 プラスート・ルチラウォン警察大将 工業 クリット・シーワラー陸軍大将 大学 ブンロート・ビンサン 副大臣 国防 タウィン・ラーヤナーン海軍大将,ブンチュー・チャンタルベークサー空軍大将 大蔵 ソムマーイ・フントラクーン 外務 チャートチャイ・チュンハワン陸軍代将 農業及協同組合 ピチャイ・クンラワニット警察中将 サウェーン・クントンカム 通信 チャリー・シントゥソーポン海軍少将,ウタイ・ウッティクン 商務 オーソット・コーシン 内務 タウイン・スントーンサラトゥーン,プアン・スワナラット 内務 マーライ・フアナン 法務 ソムポップ・ホートラキット 文部 ブンソム・マーティン 厚生 ソムブン・ポーンアクサラ 工業 サアート・ホンヨン |
DIA-204-1972-12-19-2 | タイ | 1972年12月19日 | 1970年代 | 内閣,布告299号廃止を決定。 |
DIA-204-1972-12-19-3 | タイ | 1972年12月19日 | 1970年代 | 外国人職業規制法─官報公示の90日後に発効する。具体的な規制職業は省令で後日公示される。禁止職種50種,条件付職種150種と予想される。発効後はタイで働く外国人は労働局から証可証を得なければならない。 |
DIA-204-1972-12-21-1 | タイ | 1972年12月21日 | 1970年代 | ヘイグ米特使タノム首相と会談─20日に訪タイしたヘイグ米特使は,21日タノム首相,プラパート副首相らと会談し,パリ会談の交渉内容を伝え,さらにタイへの全面的な軍事,経済援助を続けるとのニクソン大統領の言を伝えた。 |
DIA-204-1972-12-26-1 | タイ | 1972年12月26日 | 1970年代 | チャムナーン氏を首都知事に任命─政府はチャムナーン・ユアブーン元バンコク市長を首都知事に任命した。副知事はモンチャイ・パンコンチューン首都警察局長。 |
DIA-204-1972-12-26-2 | タイ | 1972年12月26日 | 1970年代 | 中国問題は慎重に─タノム首相は記者会見で,中国問題は慎重に進める,急ぐ必要はない,中国卓球団の招請は考えていない,日本,オーストラリア,ニュージーランドの中国承認によってASPACの将来は不安定となるだろう,SEATOも経済,技術協力の方面に重点が変わってこようと述べた。 |
DIA-204-1972-12-26-3 | タイ | 1972年12月26日 | 1970年代 | 移民割当を削減─プラパート副首相は,現在1国年間200人の移民割当を更に削減すること,近い将来この割当枠も廃止する考えを明らかにした。 |
DIA-204-1972-12-27-1 | タイ | 1972年12月27日 | 1970年代 | 対日貿易赤字増大─関税局の発表による今年9月までの対日貿易赤字は48億1570万バーツで,昨年同期比7億6810万バーツ増となった。主として鉄鋼,機械等資本財輸入の増加,輸入価格の増加によるものである。輸入80億9580万バーツ(昨年同期比14%増),輸出32億8000万バーツ(同8%増)。 |
DIA-204-1972-12-27-2 | タイ | 1972年12月27日 | 1970年代 | 投資委員会議長にクリット工業相を任命。 |
DIA-204-1972-12-28-1 | タイ | 1972年12月28日 | 1970年代 | 政府に米を5%供出─アムポン米穀協会長によると,国内米価安定のため,米輸出業者は来年初めに手持の輸出米の5%を商務省国内通商局に供出することを決めた。 |
DIA-204-1973-01-03-1 | タイ | 1973年01月03日 | 1970年代 | タイ義勇軍捕虜釈放か-権威筋が3日,バンコクポスト紙に語ったところによると,ラオス政府とパテトラオ間の協定で釈放される捕虜の中に300~400人のタイ人義勇兵が含まれている。ラオス政府に参加しパテトラオー北ベトナム軍に捕虜となったタイ義勇軍の数が明らかにされたのは始めてである。 |
DIA-204-1973-01-03-2 | タイ | 1973年01月03日 | 1970年代 | 学生運動の方針-タイ学生センターのティラユット書記長は,学生運動の新方針として,タイの実際的な民族衣装の着用によって民族の統一と誉りを盛上げると語った。これは,外国製品は優秀で国産品は劣悪であるという国家にとって危険な価値判断を変えることを目的としている。この運動の推進によって,不要不急の外国製奢侈品の輸入による貿易赤字の縮小をはかろうとするもの。 |
DIA-204-1973-01-04-1 | タイ | 1973年01月04日 | 1970年代 | 米不足の懸念-72-73年の米生産は国内需要に達しないのではないかとの懸念が強まっている。統計局は今年の国内需要は籾1173万トンと予測,一方国家経済開発庁の72-73年度米生産は1169万トンと予測されている。この予測が正しければ,籾で4万トン,白米換算で約2万6000トン不足する。72年末の国内在庫は籾154万といわれていたが,最近の調査では首都圏でわずか30万トンであることが判明した。特に最近売惜しみが見られる。 |
DIA-204-1973-01-05-1 | タイ | 1973年01月05日 | 1970年代 | 学生奢侈品排斥運動-タイ学生センターは20日まで,タイ人の輸入奢侈品の排斥運動を開始した。学生は輸入延払方式により消費者の浪費をまねいている外国商社を非難している。学生のスポークスマンは,タイ人が輸入商品を買えば買うほど外国の事業家が豊かになると語った。 |
DIA-204-1973-01-06-1 | タイ | 1973年01月06日 | 1970年代 | 対外貿易政策の目標-プラシット経済相は,今年の対外貿易政策の重点目標を発表,日本,欧州共同体,米国および南ベトナム,ラオス,カンボジアのインドシナ三国の市場を集中的に開拓する方針を明らかにした。 |
DIA-204-1973-01-06-2 | タイ | 1973年01月06日 | 1970年代 | タナット前外相,中国との接触を強調-タナット前外相は広報局主催の公開討論会で誤解,遺恨,疑問を解くために政府は中国との接触を急ぐべきだと強調した。そしてもし彼が政府であれば,ビンポンよりも外交ルートで中国と接触するであろうと述べ,国益を守るために中国と接触すべきであると語った。 |
DIA-204-1973-01-07-1 | タイ | 1973年01月07日 | 1970年代 | リー・カン・ユー来タイ。 |
DIA-204-1973-01-07-2 | タイ | 1973年01月07日 | 1970年代 | ラオスから難民-パテトラオ,北ベトナムの攻撃により1000人以上の子供を中心とする難民がメコン河を越えてナコンパノムに流入した。 |
DIA-204-1973-01-08-1 | タイ | 1973年01月08日 | 1970年代 | 人身売買で日本人逮捕。 |
DIA-204-1973-01-08-2 | タイ | 1973年01月08日 | 1970年代 | 域内協力を強調-来タイ中のリー首相は変動する経済,政治,安全保障のもとで生きぬくために東南アジア地域内の協力が今後最も重要な課題になろうと語った。 |
DIA-204-1973-01-09-1 | タイ | 1973年01月09日 | 1970年代 | イラン,エチレン供給に合意-イラン政府は,1977年以後,タイの石油化学に毎年10万トンのエチレンを供給することに合意した。 |
DIA-204-1973-01-10-1 | タイ | 1973年01月10日 | 1970年代 | 繊維産業拡張の動き-消息筋によると,工業省は海外からの需要に応じるため繊維産業の新設,拡張を認可する。現在,輸出余力は2億ヤード弱であるが,海外需要が増加し注文に応じられなくなったために,これまで禁止していた設備拡張を今後2年間,5億ヤードの増設を認めようというもの。 |
DIA-204-1973-01-10-2 | タイ | 1973年01月10日 | 1970年代 | タノム・リー会談-タノム首相とリー首相は,インドシナの平和確立後,地域の安全と平和を維持するために,米国の援助が必要であることで意見が一致した。 |
DIA-204-1973-01-10-3 | タイ | 1973年01月10日 | 1970年代 | 停戦後も米軍駐留-タノム首相は,タイ政府はインドシナ戦争後もタイの米軍基地を存続させたいとの米政府の要求を受入れたと言明した。同首相はさらに米軍基地の存続は,共産主義者に協定違反を思いとどまらせるだろう。違反すれば,米軍は直ちに行動をとることができると付け加えた。 |
DIA-204-1973-01-13-1 | タイ | 1973年01月13日 | 1970年代 | タナット前外相リー首相構想に反対-タナット前外相は,外国の軍隊の駐留は汚職や道徳の退廃を招くので,リー首相のタイを緩衝国とする構想には賛成できないと語った。 |
DIA-204-1973-01-15-1 | タイ | 1973年01月15日 | 1970年代 | タノム首相,最高司令官の辞意表明-タノム首相は最高司令官をプラパート大将に本年8月に譲ると発表した。 |
DIA-204-1973-01-15-2 | タイ | 1973年01月15日 | 1970年代 | インドシナ復興に協力-タノム首相は,建設資材,食料,その他消費財を供給することでインドシナ復興に参加したいと語った。 |
DIA-204-1973-01-17-1 | タイ | 1973年01月17日 | 1970年代 | ベトナム民主共和国との友好関係の用意-チャイ外務次官は,隣国として相互の利益と平等を基礎としてインドシナのすべての国と関係を持ちたい,ベトナム民主共和国との友好関係を持つ用意がある。また,ベトナムの停戦後,直ちにASEAN諸国は外務大臣級の東南アジア会議を紹集すると語った。 |
DIA-204-1973-01-19-1 | タイ | 1973年01月19日 | 1970年代 | 外国人登録の義務-内務省は,外国人職業規制が3月14日に発効すれば,タイで慟く外国人は90日以内に労働局に登録し許可を得なければならないと発表した。内務省によれば,この適用を受ける外国人は次の3つに分類される。 1.法律の公布以前からタイ国で働く外国人は労働局に登録し許可を受けなければならない。 2.投資奨励法によって就労している外国人は,同局に登録し許可を受ける必要が生まれるだろう。 3.同法律の施行後入国する外国人は,入国前に許可を受け移民局の認める期間,就労することが許可される。 また,観光ビザで入国し海外へ出国してビザを更新する外国人を排除するよう努める。 禁止職業のリストは3月1日に公示される。 |
DIA-204-1973-01-20-1 | タイ | 1973年01月20日 | 1970年代 | シャム湾で油田-ユニオン・オイルはシャム湾で天然ガスを発見,油層のある可能性が強い。発見した場所は,ナコン・シータンマラートの東北135キロ,深さ1万1000フィート。 |
DIA-204-1973-01-25-1 | タイ | 1973年01月25日 | 1970年代 | 日・タイ貿易委員会コミュニケ-22日から開かれていた第5回日タイ貿易合同委員会は,25日午前,コミュニケを発表して閉会した(参考資料I.1参照)。 |
DIA-204-1973-01-25-2 | タイ | 1973年01月25日 | 1970年代 | 中曽根通産大臣談話-中曽根通産大臣は,貿易合同委員会終了後,次のように述べた。 1.第5回日タイ貿易合同委員会の合意内容は従来にない具休的かつ詳細なもので,これはタイ政府の要望に応え,農産品を中心に短期,長期の買付け計画を示したものである。 2.特に第2次円借款640億円のうち460億円をアンタイドとしたのは,わが国の援助形式としては初めてのものである。 3.ベトナム和平に伴い,日本のインドシナ復興援助の中で難民救済などのため約10億円相当のタイ産品や役務の買付けなどにも協力することは了承した。 4.日本の統済支配に対する反日ムードを考慮し,日本進出企業の看板広告を見て歩いた。また当局や関係者との話合いなどを通じ,反日ムードは日本で考えてきたほどは深刻ではないが,日本の企業活動は現状が最大限だと思い,現地の日本商工会議所関係者たちには,自粛を要望した。地元英字紙の私への公開質問状に対して,異例ではあるが文書で回答した。この中でも述べた通り,日・タイ関係を重視し,タイ国民が日本企業のいきすぎの行動に不快感を持たないため,帰国して経団連な ど指導者とさらに話合って,海外進出企業の行動基準のようなものを考えたいと思っている。 |
DIA-204-1973-01-28-1 | タイ | 1973年01月28日 | 1970年代 | 繊維製品値上リ―繊維製品の値上りが目立っている。特に生地の値上りが激しく,昨年9月の2倍になった。これは商人による買占めが原因とみられている。 |
DIA-204-1973-01-29-1 | タイ | 1973年01月29日 | 1970年代 | B.O.I.繊維産業の新増設受付開始-29日から新増設の申請を受付ける。このB.O.I.の決定は,輸出用の紡績,紡織,染色,仕上げを合む。B.O.Iの主な条件は次の通り。 1.奨励産業は輸入機械のCIF価格の4倍の製品を操業開始後5年以内に輸出しなければならない。 2.当初,登録資本の少なくとも50%はタイ側の保有でなければならない。 3.奨励認可を受けて8年経過後は,タイ側の出資比率は51%でなければならない。 4.更に10年経過すれば,55%に高める。 5.外人所有の株式のタイ側への放出は,時価による。 6.所得税の免除は適用されない。 7.奨励産業は権利取得後6ヵ月以内に工場を建設しなければならない。また2年以内に操業を開始しなければならない。 |
DIA-204-1973-01-29-2 | タイ | 1973年01月29日 | 1970年代 | 皮革値上り-国内の皮および皮革製品の価格は6ヵ月前より2倍に高騰した。政府は先月,塩皮の輸出税を1から5バーツに,乾燥皮のそれを3から5バーツに引上げたが,海外の需要家が税の半分を負担しているので,輸出が増大している。 |
DIA-204-1973-02-01-1 | タイ | 1973年02月01日 | 1970年代 | 反ビルマ活動禁止-チャチャイ外務次官は,ビルマ政府のベトナム和平後の東南アジアの地域協力に積極的に参加するとの意向に関し,ビルマとの関係改善のためタイ領内での反ビルマ政府活動を認めないと発表した。同次官は,タイ亡命中のウー・ヌー前首相とその一派が,タイ領内でビルマ合法政府との関係を損うような活動をすることは今夜認めないと強調,タイの安全維持のためには西側で国境を接するビルマが東側国境のラオス,カンボジアと同様,中立で友好的であることが重要であると語った。 |
DIA-204-1973-02-02-1 | タイ | 1973年02月02日 | 1970年代 | タイ援助続行約束―タイ政府スポークスマンによるとアグニュー米副大統領はタノム首相らタイ首脳陣と会談したが,同副大統領はベトナム停戦後も米国のタイに対する軍事,経済援助は続行すると確約した。 |
DIA-204-1973-02-02-2 | タイ | 1973年02月02日 | 1970年代 | 72年末外貨準備高―72年12月末の外貨は9億6880万ドルで71年末より2億3000万ドルの増加となった。 |
DIA-204-1973-02-03-1 | タイ | 1973年02月03日 | 1970年代 | ゲリラに特赦を予定-サイユート共産主義平定司令官は共産ゲリラが投降すれば特赦をし土地も与える計画をしていると語った。 |
DIA-204-1973-02-05-1 | タイ | 1973年02月05日 | 1970年代 | 消費者物価上昇基調-首都圏の消費者物価指数は72年12月,前月より0.3%上昇し128.5を記録した。この上昇は主として,食料,衣類,保健衛生費の上昇による。これは前年同月より6.4%の上昇である。 |
DIA-204-1973-02-12-1 | タイ | 1973年02月12日 | 1970年代 | 卸売物価上昇―昨年12月の卸売物価は,11月の指数117.0から1.9%上昇した。この上昇の原因は,農産物,食料,繊維,建設資材の価格上昇によるものである。農産物は3.9%,食料は2.8%上昇した。昨年価格の上昇した穀物は特にメイズの58.6%急騰により更に4.5%上昇した。 工業製品は0.4%の微騰であった。建設資材は3.2%上昇,鋼管は18%上昇した。 |
DIA-204-1973-02-12-2 | タイ | 1973年02月12日 | 1970年代 | ベトナム避難民送還-プラペート副首相は,4万人のベトナム避難民の送還を直接,北ベトナムと交渉するだろうと語った。これまで国際赤十字を通じて交渉が行なわれており約3万人が送還されている。 |
DIA-204-1973-02-12-3 | タイ | 1973年02月12日 | 1970年代 | タイ移駐を式正発表-米国防総省は,ベトナム和平協定に基づき南ベトナムの米援助軍司令部が解散されたあとは,東南アジアにおける米空軍の作戦活動の司令部はタイのナコンパノムに移されると発表した。この司令部は米支援活動団司令部と呼ばれ,司令官には現第7空軍司令官ジョン・ボークト将軍が就任する。 |
DIA-204-1973-02-13-1 | タイ | 1973年02月13日 | 1970年代 | 平価切下げ-タイ政府はパーツの10%切下げを決定した。対米レートはこれまで通り1ドル,20.80バーツとなる。 |
DIA-204-1973-02-14-1 | タイ | 1973年02月14日 | 1970年代 | 棒鋼輸出禁止-棒鋼は商業省の許可がない限り輸出が禁止される。 |
DIA-204-1973-02-14-2 | タイ | 1973年02月14日 | 1970年代 | 経済見通し暗い-ヴィスディ・タイ中央銀行総裁はタイ銀行協会の年次総会で洪水と旱魃のため,農産物輸出が減少し経済の見通しは暗いと次のように語った。特に米が問題だろう。輸出余力には限界がある。米価の上昇が収量低下を補うことが期待できるが,これは都市の住民の生計費を上昇させることになる。 チャルーム銀行協会会長は,外国人企業規制法等の規制が危機をより悪化させることを懸念していると次のように語った。 この法律が不明確なことで投資に水をさすかもしれない。規制措置は積極的側面を有し,制限よりも成長を目ざすべきである。この暗い見通しの中にあって,唯一つの明るい点はベトナムの和平である。平和はインドシナの復興に資材を供給できるタイの輸出産業に良い前兆である。 |
DIA-204-1973-02-14-3 | タイ | 1973年02月14日 | 1970年代 | 金価格高騰-14日の金価格は1重量バーツ(15.244グラム)当り710バーツの新高値となった。中央銀行によると,2月9日現在の外貨準備高は11億9400万ドルで,このうち6億8410万ドル(57%)が米ドル,残りは,金または他国通貨である。ドル切下げにより金は3億バーツの評価益となった。マルクは約4億バーツの評価益が出るものと考えられる。72年末の負債残高は8億4000万ドル,うち7950万ドルがマルク,5960万ドルが円である。 |
DIA-204-1973-02-14-4 | タイ | 1973年02月14日 | 1970年代 | バーツ切下げ論評-ブンチュー氏(銀行家)ドル切下げに追随したバーツ切下げは我国にとって有益である。ドルと密接な関係にあるタイにとって,切下げ以外に選択の道はないと語った。 |
DIA-204-1973-02-15-1 | タイ | 1973年02月15日 | 1970年代 | 砂糖30万トン長期輸出契約-信頼すべき筋によると,タイは15年間砂糖30万トン約15億バーツを日本に輸出することに同意した。この決定は,輸出できるすべての砂糖を日本1カ国に輸出することを意味する。三井物産と日商岩井は工業省を通じてタイ砂糖の買付け交渉を行ない,間もなくこの契約は締結される。砂糖は国営のThai Sugar Corporation Limitedを通じて輸出される。73年には7万トンが輸出される。 |
DIA-204-1973-02-15-2 | タイ | 1973年02月15日 | 1970年代 | 通貨危機に準備を-ブンチューバンコク銀行副頭取は,次のドル切下げに対し損失を受けないよう警戒しなければならないと次のように語った。 バーツは米ドルに密着しているため同じ運命にあう。タイの外貨準備200億バーツ以上がドルで,この価値は180億バーツに減少した。バーツがドルに密着しているだけでなく,我国はその他でも米国に深くかかわっている。米国の友邦国の一つであるにもかかわらず,切下げによるタイの通貨ポジションに対する損害は全く無視される。我国の傷については決して考慮しない。 |
DIA-204-1973-02-15-3 | タイ | 1973年02月15日 | 1970年代 | ASEAN外相会議開幕-東南アジア諸国連合5カ国の特別外相会議がクアラルンプールで開催された。 |
DIA-204-1973-02-16-1 | タイ | 1973年02月16日 | 1970年代 | ベトナム派遣軍の撤退完了-タイ政府は,南ベトナムに派遣していたタイ軍の最後の部隊38人の撤退を完了,6年間にわたるベトナム戦争参加に終止符を打ったと発表した。 |
DIA-204-1973-02-16-2 | タイ | 1973年02月16日 | 1970年代 | サリバン米国務次官補着-サリバン米国務次官補が特別機でビエンチャンからバンコクに到着した。同副次官補はキッシンジャー米大統領補佐官のハノイ訪問の会談の内容など最近のインドシナ情勢についてタイ首脳と会談する。 |
DIA-204-1973-02-16-3 | タイ | 1973年02月16日 | 1970年代 | チャチャイ外務次官ASEAN会議より帰国-ASEAN会議から帰国した同次官は空港で記者会見し次のように語った。 インドシナの平和が実現すれば,すべての外国軍はタイから撤退するだろう。タイの外国軍は一時的である。戦争,武器がなくなると信じる。戦争がなければ,彼等は去らなくてはならない。タイのASEANに対する3つの提案は受入れられた。 |
DIA-204-1973-02-16-4 | タイ | 1973年02月16日 | 1970年代 | ASEANで提案-タイはベトナム戦争後の,東南アジア諸国の正しい役割を可能にする三つの具体策を提案。 ASEAN諸国は,2月26日パリで開催される12カ国会議にオブザーバーを派遣する。 東南アジアのすべての国を包含する拡大会議が,将来の地域協力を討論するため適切な時期に開催する。 インドシナの復興と建設に援助を出すため,ASEAN調整会議を設置する。 |
DIA-204-1973-02-17-1 | タイ | 1973年02月17日 | 1970年代 | 北ベトナム送還受入れ-チャチャイ外務次官は,北ベトナムはすべてのベトナム避難民を受け入れるだろう,またタイは北ベトナムの復興を援助すると次のように語った。駐ラオス大使がビエンチャンで直接北ベトナム大使と接触している。 |
DIA-204-1973-02-17-2 | タイ | 1973年02月17日 | 1970年代 | 対中貿易-チャチャイ外務次官は,タイ政府はすべてのビジネスマンに中華人民共和国との貿易の門戸を開いたと次のように語った。もし,ビジネスマンが中国と取引きしたいときは政府から必要な許可をとり,することができる。政府は中国貿易に関達する種ーな問題を研究する委員会を設置した。 |
DIA-204-1973-02-18-1 | タイ | 1973年02月18日 | 1970年代 | 石油価格上昇は必至-エッソのウィシット副専務は,ドル切下げは石油の国際価格の上昇をもたらしタイ政府は国内の石油価格の引上げを認めなければならないだろうと語った。 |
DIA-204-1973-02-22-1 | タイ | 1973年02月22日 | 1970年代 | 繊維価格規制-暴利取締委員会は繊維製品の最高価格を設定した。 |
DIA-204-1973-02-23-1 | タイ | 1973年02月23日 | 1970年代 | 特恵待遇の廃止-政府は外国企業規制法,外国人職業規制法の例外措置を排除するためすべての特恵貿易を廃止することを決定した。現存の条約は期限の終了後更改される。 |
DIA-204-1973-02-24-1 | タイ | 1973年02月24日 | 1970年代 | 米軍基地の存続を了解-クリット陸軍副司令官は,ベトナム,ラオスの停戦後も無期限に米空軍の駐留を認めると次のように語った。米軍の存在はインドシナにおける共産主義者の攻撃に対して抑止力となる。中国は米軍の撒退による真空地帯にソビエトが入り込むことを恐れ,米軍の空軍力がタイで維持されることに強い反対はしないだろう。 |
DIA-204-1973-02-25-1 | タイ | 1973年02月25日 | 1970年代 | 駐留米軍など削減-リチャードソン米国防長官は,ボルチモアー・サン紙のインタビューで,米国はタイ駐留の米空軍とトンキン湾の米第七艦隊を間もなく削減すると述べた。これらの削減は米捕虜の釈放とベトナム和平協定の条件に基づくものであると言明した。 |
DIA-204-1973-02-26-1 | タイ | 1973年02月26日 | 1970年代 | 外国人登録-商業登録局が明らかにしたところによると,外国人職業規制法により同局に登録した外国人の数は5万6135人である。バンコク地区だけで4万0011人,うちA種は3270,B種3万3062人,C種は3679人である。 |
DIA-204-1973-02-27-1 | タイ | 1973年02月27日 | 1970年代 | バーツ切上げの噂を否定-チャルームタイ銀行協会会長は,バーツの5%切下げの噂があるが,現行レートが適切でありその必要はないと語った。 |
DIA-204-1973-02-27-2 | タイ | 1973年02月27日 | 1970年代 | 対中国貿易教策の決定を求める-プラシット経済相は,中国との貿易政策の決定を内閣に求める。これは中国系の2会社が中国との貿易許可を求めてきたことによると述べた。 |
DIA-204-1973-02-27-3 | タイ | 1973年02月27日 | 1970年代 | 石油価格の引上げ拒否-政府はEsso Standard(Thailand)の石油価格引上げの申請を拒否した。石油価格監督委員会は国際価格が2~5サタン,ドル減価分の引上げが1~5サタンで1リットル当り4サタンの価格上昇があり,国民生活を考慮して若干の引上が考えられるとこの申請に好意的であったが,政府はこの引上げ申請を認めなかった。 |
DIA-204-1973-02-28-1 | タイ | 1973年02月28日 | 1970年代 | 生計費上昇-バンコク・ポスト紙の調査によるとバーツ切下げ後諸物価の高騰が目立つ。 庶民生活に最もポピュラーなサバは3匹2.5バーツから5バーツ,椰子は1.9バーツから2.9バーツ,玉ねぎ2.5バーツから5バーツ,パックブンは1把0.5バーツから1バーツ,マッチは1箱25サタンから50サタンに,米15kgは35バーツから50バーツ以上に,鉄棒はトン当り3000バーツから5~6000バーツ,に上昇した。唯一の救いは,大企業の数社が15%程度の賃上げを考えていることである。 諸物価の高騰が閣議で取上げられたが,プラシット経済相は,この原因について,生産費の上昇,輸出増加,ドルの切下げ,商人の投機など,多くの要因がからみ合っている。輸出価格統制など一連の政策を取ってはじめて事態は改善できるだろうと述べた。 |
DIA-204-1973-02-28-2 | タイ | 1973年02月28日 | 1970年代 | 丸棒,線材価格引上げ-B.O.I.の鉄鋼部会は丸棒,線材の上限価格の引上げを認めた。これが正式に認可されると,トン当り30%アップの900バーツとなる。 |
DIA-204-1973-02-28-3 | タイ | 1973年02月28日 | 1970年代 | 砂糖輸出を否定-Thai Sugar Corporationのバンチャー会長は日本への30万トン砂糖輸出の報道を否定した。 |
DIA-204-1973-03-02-1 | タイ | 1973年03月02日 | 1970年代 | 米価上昇,家計に打撃―米価の急騰に打つ手がない。 降雨の不順も一因であるが,最大の理由は中間商人の買いだめである。マラヤ,インドシナ,香港,アフリカ諸国への輸出が事態を悪化させている。国内商業局は輸出の10%を輸出価格より安い価格で買い取り統制価格で国内に放出している。以前は毎月2万袋,来月も1万袋確保。 商人は農民から1,200~1,300バーツで買上げ,現在1,600~1,700バーツ。 統制店の放出価格100%,58バーツ,混合,55バーツ,これは対前月比20バーツの上昇である。 |
DIA-204-1973-03-02-2 | タイ | 1973年03月02日 | 1970年代 | タナット前外相,バーツ切下げを批判-タナット前外相はバーツのドル追随切下げはタイ国にとって何の利益にもならないと次のように述べた。それは我国が輸出より輸入が多いからである。以前よりも多く支払われなければならないことを意味する。輸出を容易にするという議論もあるが,我国の輸出商品は基礎物資であり,これは当っていない。例えば,我々は他の諸国のぼう大な需要に応えるに十分の米を持っていない。昨年我々は約200万トンの米を輸出することが出来た。しかし,今年100万トンを輸出できれば,それは僥幸というべきであろう。錫の場合も同様である。一方,輸入は主として投資に必要なもので,これはこれまでより10~20%多く払わなければならないことを意味する。過去14ヵ月に外貨準備のうち20億バーツの評価損を受けた。 |
DIA-204-1973-03-03-1 | タイ | 1973年03月03日 | 1970年代 | 米空軍基地の存続は必要-チャチャイ外務次官は,ラオス,カンボジアの北ベトナム軍が撤退するまでは米空軍はタイに移駐すべきであると次のように述べた。この不安定な時期に地域の安定と我国の安全のために,米空軍が駐留しても,一部の人が云うように何等不名誉なことではない。インドシナに真の平和が実現したときこそアメリカの存在は不要となろう。その時に我々は米軍の撤退を要請し東南アジアの中立地帯を作ることを始めることができる。 |
DIA-204-1973-03-05-1 | タイ | 1973年03月05日 | 1970年代 | 輸出米の25%を備蓄へ-貿易局は輸出米のうち国内商業局への売渡量を10%から25%へ引上げた。この米は一般消費者に売出されるほか,軍,病院,学校,その他政府機関へ供給される。 |
DIA-204-1973-03-08-1 | タイ | 1973年03月08日 | 1970年代 | バーツ切上げ要請-タイエコノミスト協会は,バーツを20%切上げるかドル追随切下げ前の水準に戻すよう政府に勧告した。同協会はこの措置は商品価格を引下げて国民生活の困難をやわらげると主張している。この決定はバーツに関する討論のあと,マルクと円と同率の切上げが望ましいとの結論に達した。その理由としては,原材料の85%が切上げ国から輸入される,バーツが切上げられれば,原材料は安く輸入できる,退蔵問題も解決できる,バーツの切上げは,タイ産品の価格を上げるが,農産物輸出には影響を与えないだろう,国際市場での需要は価格上昇を相殺しより大きな利益を保証するなどがあげられる。 |
DIA-204-1973-03-08-2 | タイ | 1973年03月08日 | 1970年代 | 観光客増加-TOTの発表によるとタイへの観光客は,一昨年は638,738人であったが昨年は820,758人と28.50%増加した。マレーシアが一番多く162,566人,二番目は米国で151,602人,次いで日本の93,534人である。 |
DIA-204-1973-03-14-1 | タイ | 1973年03月14日 | 1970年代 | 外国人職業規制発表さる-タイ内務省労働局が14日発表した外国人職業規制法に基づく外国人就業禁止39職種は下記の通りである。 1)建設,土木に関達する評価,システム計画,研究計画,実験,監督,諮間,2)建造物,建築物設計,製図(設計の助言,コスト見積もり,建設監督を含む),3)会計,経理および会計サービス,4)弁護士,5)事務員,秘書,6)ブローカー,代理業,7)競売業,8)理髪,理容,美容業,11)旅行案内,旅行社,12)米作,農業,漁業,林業(監督,専門作業を除く),13)ぞうげ細工,14)絹織物手織り,15)布地手織り,16)絹製品手作り,17)洋服仕立て,18)タイ文字植字,19)漆器製造,20)原動機なしおよび原動機付き車輌運転,国内線パイロット 仏像製作,22)ライスペーパー手すき製造,23)手巻きたばこ,24)敷物製造,25)マットレス,毛布製造,26)カサ製造,27)製靴,28)木彫り,29)ナイフ製造,30)宝石研磨,31)金銀等金属装飾品製造,32)陶器製造,33)タイ楽器製造,34)タイ人形製作,35)レンガ積み,大工などの建築業種,36)たくはつ用の鉢製造,37)国産植物繊維を材料とする敷物,衣料の製造,38)石材象眼製造,39)筋肉労働。 |
DIA-204-1973-03-19-1 | タイ | 1973年03月19日 | 1970年代 | 72年の貿易赤字減少-72年の貿易収支は82億6260万バーツの赤字であった。これは71年より12億5050万バーツ,約13%の減少である。輸出は224億6840万バーツで約30%増加,輸入は307億3100万バーツ,15%の増加である。 |
DIA-204-1973-03-19-2 | タイ | 1973年03月19日 | 1970年代 | 中国貿易の必要性強調-プラパート副首相は,タイはタイ産品を中国に売りたい。また価格が安ければ中国から必要商品を輸入したいと述べた。中国がタイのゴム買付けに関心を示したことについては,彼等は申込をすべきである。条件が魅力的であれば我々は喜んで売ると述べた。しかし,中国貿易に関する規則を明らかにすることは拒否した。 |
DIA-204-1973-03-22-1 | タイ | 1973年03月22日 | 1970年代 | 中国外交官を招請-チャチャイ外務次官は2日間のラオス訪問から帰国し,ビエンチャン駐在中国大使に都合のよい時期にバンコクを訪問するよう招請したと発表した。 |
DIA-204-1973-03-22-2 | タイ | 1973年03月22日 | 1970年代 | 駐ラオス中国大使を招待-チャチャイ外務次官は,ラオスから帰国し21日ビエンチャンで駐ラオス中国大使に会いエカフェに常駐事務所を作るために中国に招待状を送ったと発表した。また中国との貿易については,北京と貿易関係について合意に達すれば,中国との接触,中国商品の所有を禁じている法令を廃止すると語った。 |
DIA-204-1973-03-25-1 | タイ | 1973年03月25日 | 1970年代 | 日・タイ貿易不均衡拡大-72年の日・タイ貿易の不均衡は,16%拡大した。タイの輸入は114億1020万バーツで対前年比13億1760万バーツ,13%の増加,一方,日本への輸出は46億4920万バーツ,対前年比3億7190万バーツ,9%の増加である。この結果,貿易収支は67億6100万バーツの赤字で,前年比9億4570万バーツ,16%の増加となった。 |
DIA-204-1973-03-27-1 | タイ | 1973年03月27日 | 1970年代 | 上海・バンコク間衛星通信承認-政府はバンコクー上海間の衛星通信に関する中国の要請を承認した。バンコクー上海間の電信は9月に可能になる。 |
DIA-204-1973-03-28-1 | タイ | 1973年03月28日 | 1970年代 | 物価上昇続く-物価上昇が続いている。パルプは72年7月にトン当り3640バーツ,10月3952バーツ,73年1月は4160バーツである。新聞用紙も71年に一連,84バーツであったものが72年93バーツ,73年1月は105バーツ。波鉄板は1フィート,2.8バーツから3バーツ,かん入りミルクは3.75バーツに価格制限をされているが,原材料値上りで生産を中止した。 政府は物価上昇を防ぐため,これらの生産に必要な原材料の輸入関税と事業税の引下げを決定した。 |
DIA-204-1973-03-29-1 | タイ | 1973年03月29日 | 1970年代 | 米の二期作-タウィー農業大臣は,国会で米の二期作の生産量は40万~60万トンに達しようと述べた。これまで15万ライで二期作が行なわれているが,適地は約140万ライあるといわれる。農業相は統計局で発表された72-73年のもみ生産の推定量1282万は低目であると語った。 |
DIA-204-1973-03-30-1 | タイ | 1973年03月30日 | 1970年代 | 対中国政策-プラパート副首相は台湾との正しい誠意ある関係は維持するが,他の国との問題や一般の国際問題では自動的な支持は行なわないと述べた。北京とはスポーツや文化交流の接触は維持し貿易の働きかけには有好に反応すると述べた。消息筋によると,北部タイの国民党の非正規兵の武装解除を命令したといわれる。また,チェンライの台湾による放送施設の建設は中止命令が出された。 |
DIA-204-1973-04-01-1 | タイ | 1973年04月01日 | 1970年代 | 米の輸出規制を強化-国内の米の供給を確保するため,商業省は輸出業者に対し政府への売渡量を輸出量の25%から50%に引上げた。輸出業者は米輸出量の50%の米を保存することが義務づけられる。品質は5~10%白米で政府に100kg袋当り200~190バーツで売渡される。 |
DIA-204-1973-04-02-1 | タイ | 1973年04月02日 | 1970年代 | タイ輸出市場暗い-プラシット商務大臣によると,中国は香港市場でタイ・ジュ-トの買付けを中止しており,10~20万トンのメイズの在庫も売れていない。米の退蔵は国内米価を押上げ,輸出規制は輸入国を他の市場に向けている。 72-73年(9月~8月)にタイは5万トンのジュ-トを香港経由で中国に輸出した。 |
DIA-204-1973-04-05-1 | タイ | 1973年04月05日 | 1970年代 | 米輸出好調-第1四半期の米の輸出量は,50万4700トン,このうち24万4267トンが政府部門の輸出であった。 |
DIA-204-1973-04-09-1 | タイ | 1973年04月09日 | 1970年代 | タノム・ヘイグ会談ヘイグ米大統領特使はタノム首相と,東南アジア問題に関し1時間にわたって会談した。 |
DIA-204-1973-04-11-1 | タイ | 1973年04月11日 | 1970年代 | 物価対策-商業省は物価対策として,米,棒鋼,綿糸などの輸出制限,繊維,棒鋼価格の制限を行なったが十分な効果を発揮できなかったので他の手段を検討している。 大蔵省は粉ミルク,バター,油脂,鉄板などの輸出関税の引下げを,通貨当局は債権の民間への売出しを検討,政府は財政投資の繰下げを検討している。 |
DIA-204-1973-04-12-1 | タイ | 1973年04月12日 | 1970年代 | カンボジア派兵を否定-タノム首相はプノンペンのタイ公務員に対し,情勢が一段と悪化すれば緊急避難するよう命令した。ヘイグ特使との会談でカンボジア派兵の要請があったという噂については,これを否定した。しかし,現在行なっているカンボジア陸軍の訓練を海軍に拡げる可能性はあると述べた。 |
DIA-204-1973-04-12-2 | タイ | 1973年04月12日 | 1970年代 | 日タイ貿易協力会議閉会-9日からバンコクで開かれていた民間レベルの日タイ貿易協力会議は93品目の73年対日輸出目標額をまとめ,共同声明を採択して閉会した。 タイ側の提出した品目は,折衝の過程で1品目追加され99品目になったが,要求通りに決まった品目38,要求額を下廻った品目26,要求額を上廻った品目5,試験輸入15,日本に余裕のないもの6となった(参考資料1.2参照)。 |
DIA-204-1973-04-14-1 | タイ | 1973年04月14日 | 1970年代 | 経済計画に遅れ-N.E.D.B.は,物価値上りのため設備,機械の輸入に大量の資金を必要とする計画の延期を検討中といわれる。この計画には,灌漑用ダム,発電所の建設が含まれる。 |
DIA-204-1973-04-16-1 | タイ | 1973年04月16日 | 1970年代 | 卸売物価急騰-全国の卸売物価指数は,1月の120.4から2月には122.9と2.1%上昇した。昨年同期比16.7%の急上昇である。ほぼ全品目にわたって上昇した。 |
DIA-204-1973-04-16-2 | タイ | 1973年04月16日 | 1970年代 | ASEAN,日本の合成ゴムを非難-タイ,マレーシア,フィリビン,シンガポールの外相はASEAN諸国のゴム産業を脅かす日本の合成ゴムの拡大に警告を出した。マレーシアのイスマイル副首相は会議で日本の合成ゴムの生産が61年の5万1000トンから72年には85万トンに増大した。そして昨年24万5000トンをマレーシア,タイ両国に輸出した。更にプエルトリコ,韓国,イランと合弁企業を設立し増産をはかろうとしている。現在の合成ゴムの生産水準とこの合弁企業が天然ゴムを破壊しASEAN諸国の経済に重大な影響を与えようとしていると報告した(参考資料)。 |
DIA-204-1973-04-17-1 | タイ | 1973年04月17日 | 1970年代 | アジア・フォーラム-チャチャイ外務次官は,東南アジア諸国の集団安全保障を確立する目的をもつ拡大ASEAN会議の提案が他のアジア諸国の原則的な支持を得たと語った。 |
DIA-204-1973-04-20-1 | タイ | 1973年04月20日 | 1970年代 | 外国企業規制法再検討-商務省筋によると政府は海外投資家からの強い圧力を受けて外国企業規制法の廃止を検討しはじめた。B.I.O.は当法律の悪影響を調査するための委員を任命した。 |
DIA-204-1973-04-21-1 | タイ | 1973年04月21日 | 1970年代 | 反米運動を-ティラユット全国学生センター書記長は,もし米軍基地が存続すれば,近い将来反米運動が起こるだろうと語った。これが次の運動方針がどうかは云えないが,反米運動の基礎がすでに活動家グループに用意されている。 |
DIA-204-1973-04-21-2 | タイ | 1973年04月21日 | 1970年代 | タイが第2の水俣に-タイ全国学生センターのティラユット書記長は,開発途上国に公害発生企業を作ろうとする日本政府の新政策に従うとタイが公害ダムビングの犠牲になるかもしれないと語った。 |
DIA-204-1973-05-17-1 | タイ | 1973年05月17日 | 1970年代 | 卸売物価急騰-卸売物価指数は,2月の122.9から3月には128.5と過去5年間のうち最高の4.6%と急騰した。この急騰は飲料水,石油製品,皮革以外の全製品の値上りによる。昨年同期比19.2%の上昇である。食品は乳製品以外すてべ上昇し4.8%,繊維製品2.6%,建設資材9.4%,化学製品8.5%,紙製品5.9%,ゴム製品16.6%。 |
DIA-204-1973-05-18-1 | タイ | 1973年05月18日 | 1970年代 | プラパート・米援助削減に警告-プラパート副首相は,米国の援助削減はタイを含む友邦の信頼をそこなうものであり,米国への信頼の欠如はアジア,アフリカ,ヨーロッパでのコミュニストの影響力を増すものであると語った。援助の削減はかなりの額にのぼり警察への経済技術援助に影響を与えそうである。現在進められているタイへの援助は合計3160万ドルでうち12~1300万ドルが贈与である。68年にはこの贈与は5000万ドルであった。 |
DIA-204-1973-05-19-1 | タイ | 1973年05月19日 | 1970年代 | 石油化学計画調印-タイ石油化学計画の契約調印が行なわれた。アップ・ストリームはダッチシェルグループのThai Petro-Chemical Co.Ltd.(エチレン,プロピレン,年産20万トン),ダウン・ストリームは,タイ・三菱グループのTripetch polymer(Thailand)Co.Ltd.(低圧ポリエチレン年産1000万トン),三井石油化学グループのThai Polymer Co.(高圧ポリエチレン年産3万3000トン,ポリプロピレン年産3万3000トン),三井グループのSiam Polymer Co.Ltd.(塩ビモノマー塩ビポリマー各年産4万トン),三井,日本石油化学グループ(アルキールベンゼン年産2万5000~3万トン)である。工場建設予定地はチョンブリ県シーラチャー,2200ライ,予定投資額は60~80億バーツ,1977年後半に操業開始予定。 |
DIA-204-1973-05-29-1 | タイ | 1973年05月29日 | 1970年代 | プラパート元帥に昇進-プラパート大将,チャチャイ准将は元帥,大将への昇進が閣議で承認された。 |
DIA-204-1973-05-30-1 | タイ | 1973年05月30日 | 1970年代 | 警察全国ストライキに警告-チャイ警察特務局司令官は,戒厳令下の全国的なストライキは政府に対する攻撃とみなされる,組織者に対して法的な措置が取られようと語った。この中で共産主義者に扇動されているとはいわなかったが,共産勢力は各国で労働運動の中に弱点を見出そうとしていると語った。 |
DIA-204-1973-06-01-1 | タイ | 1973年06月01日 | 1970年代 | 鉄鋼会社でスト-サムット・プラカーン県のThailand Steelworks Co.で医療問題からストライキが発生した。 ASPAC閣僚会議延期を決定-ASPAC常任委員会は,ASPAC閣僚会議を適当な時期まで延期することを決定した。 |
DIA-204-1973-06-11-1 | タイ | 1973年06月11日 | 1970年代 | 米価上昇で政府を非難-B.O.Tのオプ議長は米価の急騰は政府が生産目標を設定し消費者を痛めないでどれだけ輸出できるかを決めていれば今日の問題には直面しなかったろうと政府の無策を非難した。 |
DIA-204-1973-06-12-1 | タイ | 1973年06月12日 | 1970年代 | インドネシア50万トンのタイ米輸入要請。 |
DIA-204-1973-06-12-2 | タイ | 1973年06月12日 | 1970年代 | 卸売物価更に上昇-4月の卸売物価は3月の128.5(1968=100)から129.7と更に0.9%上昇した。ゴム,ゴム製品,飲料水,石油製品以外のすてべの商品が上昇した。昨年同期比20.2%の上昇である。 |
DIA-204-1973-06-12-3 | タイ | 1973年06月12日 | 1970年代 | 米輸出全面禁止-タイ政府は米の輸出を一時全面的に禁止すると発表した。1月から6月10日まで61万9572トン輸出している。 |
DIA-204-1973-06-13-1 | タイ | 1973年06月13日 | 1970年代 | 米輸出を禁止-タイ政府は13日午前から米の対外輸出を全面的に禁止する措置をとった。 |
DIA-204-1973-06-17-1 | タイ | 1973年06月17日 | 1970年代 | ビンポンチーム訪タイ-タイ初訪問の中国卓球団(団長 荘則棟)がマレーシアからバンコクに到着した。 |
DIA-204-1973-06-20-1 | タイ | 1973年06月20日 | 1970年代 | 家族ビザ延長認めず-内務省移民局は,在住の日本商社員50人の家族に対し,非永住ビザによる長期滞在は認めないとの決定を下し,48時間以内の国外退去を通告した。 |
DIA-204-1973-06-20-2 | タイ | 1973年06月20日 | 1970年代 | 対中関係慎重に-タノム首相は,タイと中国との関係について,中国卓球団のタイ初訪問は相互理解と関係改善に貢献しているが,長い歴史をもつタイと中国の関係がさらに緊密化するためには,中国側がタイの反政府ゲリラと北京放送によるタイ攻撃をやめなければならないと語った。さらに,同首相は,今後スポーツ,文化,貿易,技術など民間ベースでの交流を重ねたうえで,公式の政府間関係の樹立に移行しようがその時期はまだわからないと述べた。 |
DIA-204-1973-06-20-3 | タイ | 1973年06月20日 | 1970年代 | 駐留米軍の地位を交渉中-タノム首相は記者会見で,駐留米軍に関し次のように述べた。タイ当局と米大使館は変化する情勢に応じて軍事力の削減を検討するだろう。タイ政府はラオス・カンボジアに北ベトナム軍が残留し休戦協定を破る限り米軍に軍事基地を使用させることが必要だと考える。米国はタイの基地を正規の協定ではなく共同コミュニケにもとづいて使用している。現在,協定の交渉中である。米軍に基地を使用させている理由は4つある。まず第一は,敵がカンボジア,ラオスの攻撃を中止することを欲するため。何故ならそれは直接の脅威であるから。第二は,相手側が停戦条項を実行しなければ,停戦の違反に対応するのにさらに一定期間,米国に基地の使用を認めることが必要だと考える。第三に,タイ基地の米軍は共産鎮圧と関係ない。最後に,政府はいつでも米軍撤退を要求する完全な権利を有する。 |
DIA-204-1973-06-20-4 | タイ | 1973年06月20日 | 1970年代 | 学生デモで厳戒体制-プラパート内相は学生デモに対して,バンコク市内で軍,警察に厳戒体制をとるよう命令した。ラーマカムヘン大学の学生達はサクディ学長による学生の大量除名を非難してビラを配布した。一方,チュラロンコン大学では,数干人の学生が14人の空軍士官を正規の入試を受けずに全国4大学に入学許可した内閣を非難する報告会に参加したo Asian Instituteof Technologyでは食事と管理の改善を要求して300人の学生がストライキを決定した。 |
DIA-204-1973-06-21-1 | タイ | 1973年06月21日 | 1970年代 | 1万人の学生デモ-9人のラ-マカムヘン大学の学生除名に抗議して,約1万人の学生がバンコク市内をデモ行進した。 学生達は学長の辞任,2人の学生の傷害事件の調査,6ヵ月以内の憲法の公布を要求している。 |
DIA-204-1973-06-21-2 | タイ | 1973年06月21日 | 1970年代 | 5万人がデモ-全国7大学の学生約1万人が21日午後から夜にかけて,バンコク市内中心部のデモクラシー記念碑広場に押しかけ,ラーマカムヘン大学で学生9人が追放された事件に抗議するとともに6ヵ月以内の憲法制定を要求して抗議集会を開いた。これに一般市民4万人が加わった。 タイ政府当局は,学生代表に,9学生の復学,大学学長と学生を負傷させた警備員の処分,恒久憲法の早期制定を約束した。 |
DIA-204-1973-06-22-1 | タイ | 1973年06月22日 | 1970年代 | 政府,学生の要求を入れる-政府は9学生の復学,学長の審査,2学生の傷害事件の調査を行なうことを確約した。ティラユッ全国学生センター書記長は,学生の権利と自由に直接影響を与える除名に対する斗いは始まりである,学生と国民は憲法のために斗わなければならない。現在の政府に満足はしていない。抗議は学生問題にとどまらない。学生は米傾危機の調査,精米所の立入検査をしていると語った。 |
DIA-204-1973-06-24-1 | タイ | 1973年06月24日 | 1970年代 | ゲリラ支援停止を要望-チャチャイ外務次官は,訪タイ中国卓球選手団の陳副団長との会談で,両国関係改善の必要条件として,中国がタイ・ゲリラと「タイ人民の声」放送に対する支援をやめるよう要請したことを明らかにした。 |
DIA-204-1973-06-27-1 | タイ | 1973年06月27日 | 1970年代 | プラパート学生に警告-プラパート警察局長は警察は忍耐の限界にあり,ラーマカムヘン大学の混乱状態を正常化するために適切な手段をとるかもしれないと警告した。 |
DIA-204-1973-06-29-1 | タイ | 1973年06月29日 | 1970年代 | 完成車輸入禁止の提案承認-政府は,完成車輸入禁止の運輸省の提案を承認した。ポン運輸相によると,現在バンコク首都圏には17万台の個人乗用車があり,交通障害を引起こしている。 |
DIA-204-1973-07-01-1 | タイ | 1973年07月01日 | 1970年代 | 国府ゲリラに警告-政府は北部国境地帯で活動中の国府情報部隊に中国への活動を中止するよう命令した。 |
DIA-204-1973-07-03-1 | タイ | 1973年07月03日 | 1970年代 | 政府石油価格引上げを認可-政府は平均10.9%の石油価格を認めた。 |
DIA-204-1973-07-03-2 | タイ | 1973年07月03日 | 1970年代 | 未外貨備準・11億ドル台-6月末の外貨準備は11億4800万ドルとなった。 |
DIA-204-1973-07-05-1 | タイ | 1973年07月05日 | 1970年代 | 鉄道労働者スト-マカサンの鉄道工員3000入は待遇改善を要求してストライキを決行した。 |
DIA-204-1973-07-08-1 | タイ | 1973年07月08日 | 1970年代 | 政治的変化を予測-ティラユット前タイ全国学生センター(NSCT)書記長は,政府が国民の不満を無視しつづけ世論を留意しなければ年内に政治的変化が生じるのは避けられないだろうと語った。 |
DIA-204-1973-07-08-2 | タイ | 1973年07月08日 | 1970年代 | カンボジア訓練司令部解散-ネーション紙によると,タイ政府はカンボジア情勢の微妙な変化のため,ロッブリーに設けられていたカンボジア政府軍山岳特殊部隊,空てい部隊のための訓練供与司令部を6月中旬に解散した。同司令部はタイ政府のロン・ノル政府に対する軍事援助の一部として71年に設けられたもので,計画が中止されるまでに,ゲリラ部隊300人と空てい部隊160人の訓練を終えていた。 |
DIA-204-1973-07-09-1 | タイ | 1973年07月09日 | 1970年代 | 米軍の撤退を議論-ネーション紙によると,政府は8月15日のカンボジア爆撃停止後,タイ駐留の米軍の縮小を検討している。 |
DIA-204-1973-07-09-2 | タイ | 1973年07月09日 | 1970年代 | 経済成長鈍化-国連の経済報告によると,72年のタイの経済成長率は3.9%で世界の平均5.5%を下廻った。また,71年の6.4%に比較しても大幅に成長率は鈍化している。 |
DIA-204-1973-07-09-3 | タイ | 1973年07月09日 | 1970年代 | インフレ対策-政府は6項目のインフレ対策を検討した。(1)来年度の予算削減,(2)バス料金を含む公共料金の凍結,(3)食料価格の統制,(4)農・工業生産の振興,(5)公共支出の削減,(6)各種商品の価格のチェック。 |
DIA-204-1973-07-10-1 | タイ | 1973年07月10日 | 1970年代 | ドル売買停止-タイ国立銀行は,ドル売りが殺到したため,市中銀行に対するドルの売買を停止した。 |
DIA-204-1973-07-11-1 | タイ | 1973年07月11日 | 1970年代 | 事実上の変動制に-タイ国立銀行は,11日夜バーツの対米ドル変動幅を基準レートの各上下各1%と定めた63年為替管理法規則を10日付けで廃棄すると通告した。これによりバーツの対米ドル・レートは実質的に変動相場制に移行することになった。 |
DIA-204-1973-07-15-1 | タイ | 1973年07月15日 | 1970年代 | バーツ切上げ-大蔵省は15日,同国通貨バーツの対米ドル・レートを3.846%切上げ,1ドル20.00バーツとした。 |
DIA-204-1973-07-15-2 | タイ | 1973年07月15日 | 1970年代 | 肉不足-商務省の価格統制により多くの肉屋が経営難になり,店を閉めた。 |
DIA-204-1973-07-16-1 | タイ | 1973年07月16日 | 1970年代 | 新米大使にウイリアム・キントナー政府は次期駐タイ米使がペンシルバニア大学のWilliam R.Kintner氏となったとの通知を受けた。 |
DIA-204-1973-07-17-1 | タイ | 1973年07月17日 | 1970年代 | バーツ事実上5%切上げ-各商業銀行の買レートは19.70バーツ,売レートは20バーツで,買レートは以前の20.775バーツを比較して事実上5.1%の切上げになっている。為替平衡基金の介入幅は以前の0.25バーツから0.85バーツに拡大している。新しいレートは買19.575バーツ,売20.425である。 |
DIA-204-1973-07-18-1 | タイ | 1973年07月18日 | 1970年代 | タノム首相外遊延期-タノム首相はインドシナ諸国の状況が悪化しているので8月14日から23日まで予定したインドネシア,シンガポールへの旅行を中止すると発表した。延期の主な理由とみなされる国内問題については答えなかった。 |
DIA-204-1973-07-19-1 | タイ | 1973年07月19日 | 1970年代 | 投資委員会(BOI)フォード部品工場の進出許可。 |
DIA-204-1973-07-30-1 | タイ | 1973年07月30日 | 1970年代 | 対中貿易の規制緩和-タイ国家安全保障会議は対中国貿易の法的規制緩和について閣議の承認を求めることを決めた。 |
DIA-204-1973-07-30-2 | タイ | 1973年07月30日 | 1970年代 | ラオス情報で緊急安保会議-タノム首相はラオス情勢討議のため,国家安全保障会議の緊急会議を召集した。タイは,29日ラオス政府とラオス愛国戦線の間で達せられた政治的軍事的合意について「合意の詳細な内容を入手していない」として沈黙を続けていたが,同スポークスマンは「タイと960キロにわたり国境を接しているラオスはタイの国家安全にとって常に重大な関心の的であった」と述べた。 |
DIA-204-1973-07-31-1 | タイ | 1973年07月31日 | 1970年代 | タイ雇兵,撤退開始-ラオスにいたるタイの軍事筋は,タイ人雇い兵のラオス撤退がすでに始まっており,8月末までに1万5000人のうち3000人を残して撤兵するだろうと語った。同筋によると,タイ人雇い兵の7個大隊はすでにラオスからの引き揚げを終えたという。3000人のタイ軍隊は,ラオス北部にある米中央情報局および特殊部隊のロンチェン基地防衛のために残留することになろう。 |
DIA-204-1973-08-10-1 | タイ | 1973年08月10日 | 1970年代 | タイ・米のカンボジア政策非難-タイ外務省スポークスマンは,米国は追放されたシアヌーク殿下を支持するか,プノンペンのシリマタク殿下を支持するのか,その意図をわれわれに明確にしていないと述べ,米国がカンボジア政策を同盟国に対して卒直に知らせていないことを非難した。この強硬な声明は,タノム首相兼外相の命令で出されたものとみられる。 |
DIA-204-1973-08-14-1 | タイ | 1973年08月14日 | 1970年代 | 対中禁輸を解除か-タイスポークスマンはタイ政府が中国との貿易禁止措置を解除することにならないと発表した。同スポークスマンによると,これは14日開かれた定例閣議で了承されたもので,実現されればタイの私企業は最近設置された府政の貿易機関を通じて中国と貿易ができることになる。タイは1959年から中国との貿易を禁止している。 |
DIA-204-1973-08-15-1 | タイ | 1973年08月15日 | 1970年代 | タイ国軍が国境集結-タイ政府はアメリカのカンボジア爆撃が停止される15日午前11時以後,起こりうる不測の事態にそなえてタイ国境沿いに集結し警戒体制に入っていることを確認した。 |
DIA-204-1973-08-17-1 | タイ | 1973年08月17日 | 1970年代 | 在タイ米軍撤退協議―タノム首相プラパート副首相,チャチャイ外務次官以下の最高首脳会議の結果,タイ駐留米軍の撤退のための話し合いを,米軍政府と直ちに開始するが,その水準は東南アジアの安全保障上の要請との関連で決められるとの米国政府との共同声明を発表した。 |
DIA-204-1973-08-20-1 | タイ | 1973年08月20日 | 1970年代 | プーマ支持メッセージ-タノム首相はラオス政府のプーマ首相に,タイはプーマ政権を支持してきたし,今後も支持を変えないとのメッセージをビエンチャンのタイ大使館を通じて送った。 |
DIA-204-1973-08-22-1 | タイ | 1973年08月22日 | 1970年代 | ノサバン将軍は無関係-タノム首相は記者会見でタイ亡命中のラオス右派指導者プーミ・ノサバン将軍は20日のクーデター未遂事件に関係していなかったと述べた。同首相によると,ノサバン将軍はタイ警察当局に対し,タオ・マ元空軍司令官,ブンロート大佐らとの連絡は,事件の2日前から切れていたと述べたという。 |
DIA-204-1973-08-24-1 | タイ | 1973年08月24日 | 1970年代 | 米軍大量撤退で合意-タイに駐留している米軍の撤退第一陣として兵力3550人,米軍機100機余の撤退が24日決まった。この撤退計画は同日午後,米側からトーマス・メレン将軍,タイ側からクリアンサク・チャマナンダ将軍ら双方の代表がタイ外務省で話し合った結果,合意されたもの。 発表によると,この双方による協議は,15日の米軍機によるカンボジア爆撃停止措置に続く17日,米・タイ両国政府がタイ駐留米軍の撤退について話し合うことになった合意に基づいて行なわれた。この日合意された撤退計画はその段階的米軍撤退の第一陣であり,第一陣の撤退は直ちに行なわれることになろうとしている。 また,双方は東南アジアの安全確保に配慮しながらその後の米軍撤退計画の具体化を話し合うことでも合意し,次回協議は9月第1週に開くことで一致をみた。 |
DIA-204-1973-08-31-1 | タイ | 1973年08月31日 | 1970年代 | クラ地峡プロジェクト実行可能-タイ・オイル・リファイナリー会社が資金1000バーツを提供し,6ヵ月にわたって行なってきた予備調査で,この計画が経済的,技術的に実行可能という結論を得た。 |
DIA-204-1973-08-31-2 | タイ | 1973年08月31日 | 1970年代 | 米国はタイ爆撃も-アリゾナ選出の共和党議員ゴールド・ウォーター氏は,「もし,タイ国が攻撃されるならば,私は大統領がタイ国民を救うために爆撃をしても完全に正当化される」と語った。 |
DIA-204-1973-09-02-1 | タイ | 1973年09月02日 | 1970年代 | 学生政府の言論弾圧に抗議-タマサート大学学生同盟と学生活動家諸グループは,8月17日付の国立大学庁の大学構内におけるゼミナールおよび討論集会へ外部者の参加に対する警告状に反対し,抗議行動を開始した。 |
DIA-204-1973-09-03-1 | タイ | 1973年09月03日 | 1970年代 | チュラロンコン大学当局学生を支持-チュラロンコン大学当局は国立大学庁に書簡を送り,国立大学庁の討論弾圧に反対し,大学生のこの問題に対する態度を支持する旨を表明した。 |
DIA-204-1973-09-04-1 | タイ | 1973年09月04日 | 1970年代 | 株式市場プラン閣議を通過-新しい株式交換所設立案は,閣議を通過,交換所が実際に開設されるのは,年末になる見込み。 |
DIA-204-1973-09-04-2 | タイ | 1973年09月04日 | 1970年代 | 全国学生センター米国大使館に抗議-全国学生センターは,ゴールド・ウオーター発言に抗議する2万5000枚のパンフレットを市民に配布するとともに,3代表を米国大使館に送り,抗議文を手渡した。 |
DIA-204-1973-09-04-3 | タイ | 1973年09月04日 | 1970年代 | ナロン大佐労働局官僚を非難-国家行政検察庁(BIFGO)庁官ナロン大佐は労働関係高級官僚を召集し,労働関係官僚の中に個人的利益のために労使粉争を扇動し,最近多発するストライキから利益を得ている者がいると非難した。 |
DIA-204-1973-09-05-1 | タイ | 1973年09月05日 | 1970年代 | 3大学学生,国立大学庁命令に反対-タマサート大学,チュラロンコン大学,ラームカムヘーン大学の学生数千人は,プラマイン広場で,国立大学庁の学生ゼミナールおよび討論会を弾圧しようとする命令に対する抗議集会を開いた。 |
DIA-204-1973-09-06-1 | タイ | 1973年09月06日 | 1970年代 | カセサート大学学生も政府の討論禁止命令に反対-カセサート大学の4000名の学生は,午後,授業をボイコットし,大学記念講堂前で,政府の討論禁止命令に反対する集会を開き,構内をデモした。 |
DIA-204-1973-09-07-1 | タイ | 1973年09月07日 | 1970年代 | 共産主義テロリスト,パッターニーで交番襲撃-パッターニー県サイ・ブリー区の区警察署は,7日未明10人の共産主義テロリストに襲撃され,巡査部長が殺され,2人の警官が重傷を負った。 |
DIA-204-1973-09-07-2 | タイ | 1973年09月07日 | 1970年代 | 土地買収にまつわる汚職続発-タノム首相はBIFGOに土地買収にまつわる5つの汚職事件の審査を命じた。 |
DIA-204-1973-09-08-1 | タイ | 1973年09月08日 | 1970年代 | スーム蔵相附加価値税の導入を示唆-スーム蔵相は,国家収入を増やすために,EEC諸国が実施している附加価値税を採用するかもしれないと語った。 |
DIA-204-1973-09-08-2 | タイ | 1973年09月08日 | 1970年代 | 米軍バーに手りゅう弾投げ込まる-ウドンで,7日深夜,米軍専用バーに手りゅう弾が投げ込まれ,2人が死亡,米人3名を含む25人の死傷者が出た。 |
DIA-204-1973-09-08-3 | タイ | 1973年09月08日 | 1970年代 | 日本人学校閉鎖か-タイ国文部省は,政府に対し,日本大使館の日本人学校の存続はタイ私立学校法に違反しているため閉鎖を要求していたが。国家安全保障会議(NSC)で間もなく閉鎖の決定が下る模様である。現在,同校には700人の生徒がおり,日本の教育制度で教育を受けている。 |
DIA-204-1973-09-09-1 | タイ | 1973年09月09日 | 1970年代 | メイズ豊作-経済消息筋によると,ここ数週間,首都圏のサイロはフル操業をしており,どこのサイロも貯蔵庫にメイズが溢れ,海外市場向のメイズがチャオ・ピアー川に船積のままで多量に放置されているとのことである。 |
DIA-204-1973-09-10-1 | タイ | 1973年09月10日 | 1970年代 | クリット・シワラー大将,陸軍総司令官に任命さる-タノム首相は,プラバート副首相の地位を強化すべく陸軍のトップ・クラス49名の移動を発表。この改造は10月1日に効力を発する。今回の移動で注目されるのは,タイ国政界で,首相,副首相に次いで第3の権力を握る陸軍総司令官に59歳のクリット・シワラー大将が,プラパート元帥に代わって任命されたことである。彼は,1966年より陸軍副司令官をつとめ,現工業大臣である。 |
DIA-204-1973-09-10-2 | タイ | 1973年09月10日 | 1970年代 | プラパート副首相,中国を非難-プラパート副首相は,インドシナおよび東南アジアにおける争乱の源は中国にあると非難した。 |
DIA-204-1973-09-10-3 | タイ | 1973年09月10日 | 1970年代 | ブンマー大蔵副大臣辞職-セーム大蔵大臣は,ブンマー大蔵副大臣の辞職願を受理した。ブンマー氏はタイで尊敬されている財政通の1人あるで。辞職の理由は,セーム大蔵大臣によれば,健康上の理由と後進に道を譲りたいということになっているが,謎に包まれた部分が多いと新聞は報じている。 |
DIA-204-1973-09-11-1 | タイ | 1973年09月11日 | 1970年代 | 中国と医師交換-訪中していたチャート・トナワニット医療保健局長は,帰国後,中国はタイ国との間に医療チームを交換することに同意したと発表。 |
DIA-204-1973-09-12-1 | タイ | 1973年09月12日 | 1970年代 | ラオス和平協定の締結を歓迎-タイ外務省は,ラオス和平協定に関する公式見解として,同協定は「この地域への平和の前ぶれ」として歓迎すると発表。 |
DIA-204-1973-09-13-1 | タイ | 1973年09月13日 | 1970年代 | 生活費月13%で急上昇-レーム・トーン銀行の外国部長ソムブーン・ナンタビワット氏は,この2ヵ月,生活費は月平均13%で急上昇していると語った。 |
DIA-204-1973-09-13-2 | タイ | 1973年09月13日 | 1970年代 | 国際収支尻は11%アップ-タイランド銀行は,今年上半期の国際収支尻が3億5260万バーツとなり,昨年同期と比べて11%増となったと発表。 |
DIA-204-1973-09-14-1 | タイ | 1973年09月14日 | 1970年代 | 労働局は最近1ヵ月間に70件のストスライキが起きたと発表。 |
DIA-204-1973-09-14-2 | タイ | 1973年09月14日 | 1970年代 | ナロン大佐,父親タノム首相に反撥-ナロン大佐は,タノム首相の閣僚および官吏の企業との結びつきを切るべきだとの指示に反対であると語った。 |
DIA-204-1973-09-16-1 | タイ | 1973年09月16日 | 1970年代 | 天然ゴム戦後最高の高値-タイ国ゴム援助基金事務局長ラッタナ・ペッチアン氏は,タイのゴム価格はキロ当り5バーツから12バーツにはね上り,戦後最高の価格を示していると語った。 |
DIA-204-1973-09-16-2 | タイ | 1973年09月16日 | 1970年代 | 日本との貿易交渉は大成功-プラシット・カンチャナワット氏は,日本での中曽根通産大臣との交渉結果を次のように語った。日本はパイン缶詰,冷凍肉,タピオカ粉の買付を増大することになろう。タピオカ粉のクォーターは昨年より50%増える予定である。日本はタイへ原料物資,例えば石油化学,薬品,鋼鉄,鉄スクラップ,化学繊維,紙パルプ,絹等の輸出が増えるニとになろう。 |
DIA-204-1973-09-17-1 | タイ | 1973年09月17日 | 1970年代 | タイはアジア競技連盟で2つの中国の立場を堅持-タイ国オリンピック委員会会長プラパート・チャルサティエン氏は,アジア競技連盟(AGF)ではあくまで二つの中国の立場を守ると語った。 |
DIA-204-1973-09-17-2 | タイ | 1973年09月17日 | 1970年代 | シリキット・ダム建設に汚職か―国家行政検察局(BIFGO)トンチャーム氏は,ウットラディット県に建設された,タイ最大貯水面積を誇るシリキット・ダムをめぐって1億9200万バーツの不正があったとの証拠があがり,調査中であると発表。 |
DIA-204-1973-09-18-1 | タイ | 1973年09月18日 | 1970年代 | タイ代表アジア競技連盟の会議から退席-バンコクのドゥシット・ホテルで開かれていたアジア競技連盟実行委員会において,イラン代表が台湾を追放し,全中国スポーツ連盟(中国)を唯一の合法的代表と認めるよう提案し,それについて投票に入ろうとした時,マレーシア,インドネシア,台湾の代表とともにタイ代表も退席した。4カ国退席のまま投票が行なわれ。イラン提案は可決された。 |
DIA-204-1973-09-18-2 | タイ | 1973年09月18日 | 1970年代 | シャム湾の石油採掘-資原局から,シャム湾の石油採掘は1976年までに商業ベースにのる可能性ありとの報告を受けたタノム首相は,石油および天然ガスはシャム湾の7カ所の試掘のうち2カ所で発見され,少なくとも1日5000バレルの石油が採掘されることになろうと語った。 |
DIA-204-1973-09-18-3 | タイ | 1973年09月18日 | 1970年代 | 米輸出50.83%ダウン―貿易局の発表によれば,今年1月~8月間の米輸出は67万5240トン,22億5100万バーツで昨年同期に比して50.83%ダウンとなっている。 |
DIA-204-1973-09-19-1 | タイ | 1973年09月19日 | 1970年代 | タノム首相外交政策の転換を主張-タノム首相は,ラジオ・タイランドの放送を通じて,アメリカの東南アジアからの後退姿勢を指摘し,それにともなう外交政策の調整の必要を述べた。アメリカの対タイ援助額にふれ,今年アメリカから受けた贈与は僅かに2億8000万バーツで今までに受けた額で最も少なかったと指摘した。 |
DIA-204-1973-09-19-2 | タイ | 1973年09月19日 | 1970年代 | 1973年経済成長は目標を大幅に下回る-タノム首相は,73年財政年度における経済成長率が非常に低いことに失望していると語った。第3次5カ年計画の初年度にあたる今年度の経済成長率は僅かに3.9%で,経済成長目標7%を3.1%も下回っているためである。 |
DIA-204-1973-09-20-1 | タイ | 1973年09月20日 | 1970年代 | トゥン・ヤイ密猟事件の9被告に逮捕状-同事件調査委員会委員長スウット・ソティタット警察大佐は,今年4月に発表した,カンチャナブリー県,トゥン・ヤイにおける密猟事件の被告9名(軍人6名,警官,商人,女優各1名)に逮捕状が出されたと発表,なお,保釈金は5万バーツに決定していると述べた。 |
DIA-204-1973-09-21-1 | タイ | 1973年09月21日 | 1970年代 | ナム・ポン基地からの米軍撤退終る-8月30日から開始されたナム・ポン基地からの米軍撤退プランは,今朝2100名が撤退し完了した。 |
DIA-204-1973-09-21-2 | タイ | 1973年09月21日 | 1970年代 | 科学者クラ運河計画を非難-クラ運河建設の予備調査報告書をめぐるパネル・ディスカッションがタマサート大学で開かれ,4人の報告者である科学者は,全員この計画に反対した。特に,チュラロンコン大学のタウィサック・ピヤカーン教授は,運河掘さくにあたって核エネルギー使用の件についてふれ,それは汚染した野菜,家畜,魚類を通じて人命に与える影響が大であると強く非難した。 |
DIA-204-1973-09-22-1 | タイ | 1973年09月22日 | 1970年代 | 政府,新治安維持法を起草中-ネーション紙の報ずるところによれば,政府は,タイ固に浸透しようとする中国の脅威に対抗して,広範にわたる国内治安維持法を起草中であり,この法は,反共産主義法に代わるもので,結社,新聞,学校,労働関係法も修正されることになろうとしている。 |
DIA-204-1973-09-24-1 | タイ | 1973年09月24日 | 1970年代 | プラパート副首相物価危機を認める―プラパート副首相は,バンコク銀行総裁の資格において,「食料およびその他消費物資の価格は,異常な水準にまで高まり,国民の間に危機的状況が生じている」ことを認めた。これは同銀行の上半期報告書の中で「総裁からのメッセージ」で書かれたものである。 |
DIA-204-1973-09-25-1 | タイ | 1973年09月25日 | 1970年代 | マライ国境共産主義者の報復-タイ共産主義制圧活動部隊のサン・イットパティス陸軍少将は,マライ国境のタイ政府による共産主義弾圧活動に対し,共産主義者は報復し,過去6ヵ月間に11名の民間人と警官1名が殺されていると述べた。また,現在,マライ国境には武装共産主義者が約1500名おりジャングルの中で活動していると語った。 |
DIA-204-1973-09-26-1 | タイ | 1973年09月26日 | 1970年代 | 1974年度各省別予算-総額360億バーツ |
DIA-204-1973-09-26-2 | タイ | 1973年09月26日 | 1970年代 | プラパート最高副司令官の定年延長-政府筋の公式発表によれば,プラパート元帥は,11月25日に満61才の誕生日を迎え,最高副司令官の任期が切れることになるが,タノム首相の発議によって,来年の誕生日までまる1年任期を延長することが閣議で決定された。 |
DIA-204-1973-09-28-1 | タイ | 1973年09月28日 | 1970年代 | 高等教育専門学校,全国学生センターに加入-プラサミット師範学校および7つの関係専門学校は,文部省に禁止されているが,大学団体であるNSCTの活動に加わることになった。 |
DIA-204-1973-09-29-1 | タイ | 1973年09月29日 | 1970年代 | 日本への輸出72%増-関税局の発表によると,今年1月~7月までの間の日本への輸出は,昨年同期に比べて72%の増となった。 タイは7ヵ月間に47億4470万バーツを輸出し,昨年同期に比して19億9350万バーツの増になっている。 |
DIA-204-1973-09-30-1 | タイ | 1973年09月30日 | 1970年代 | タイ代表,国連でイスラエルを攻撃―国連総会で,タイ国代表チャチャイ外務副大臣は,1967年の6日戦争後も,イスラエルがアラブ諸国から占領した地域をそのまま支配していることについて強く攻撃した。 |
DIA-204-1973-09-30-2 | タイ | 1973年09月30日 | 1970年代 | メイズ輸出ピーク時に戻る-プリダー・カーナスト農業および協同組合副大臣は,メイズ輸出について,今年は200万トンに達し,昨年を80万トン上回り,2年前のピーク時と同水準に達したと語った。 |
DIA-204-1973-10-01-1 | タイ | 1973年10月01日 | 1970年代 | クリット・シワラー大将,陸軍総司令官に-すでに閣議決定をみていたことであるが,陸軍副司令官クリット・シワラー大将は,プラパート元帥の後を継いで,1日付で,正式に陸軍総司令官になった。 |
DIA-204-1973-10-02-1 | タイ | 1973年10月02日 | 1970年代 | 今年8ヵ月間に132件のストライキ―タイ工業協会(ATI)によって編集された報告書によれば,本年に入って,この8ヵ月間に132件のストライキが発生し,延べ10万人日の損失で,金額にして6780万バーツの欠損となっている。また,この期間にストライキが発生した企業を調査したところ,23企業が悪い労働条件,15企業が労働法適用のミス,1企業が賃金カット,11企業が労務管理に対する不満が,その原因であった。 |
DIA-204-1973-10-03-1 | タイ | 1973年10月03日 | 1970年代 | SEATOは今後も軍事援助をする-タノム首相は,ニューヨークで先週開かれたSEATO会議の結果として,SEATOが再編成されたとしても,共産主義侵略に対し,加盟諸国を保護するという基本的目的は守られ,攻撃を受けた場合,加盟国は今後も,SEATOに軍事介入を要請することができると語った。 |
DIA-204-1973-10-04-1 | タイ | 1973年10月04日 | 1970年代 | 憲法要求百人委員会組織さる-学者,ジャーナリズム,国会議員,学生指導者,前閣僚からなる恒久憲法の発布を政府に要求する1つの政治運動団体が組織された。この会のメンバーの1人,チュラロンコン大学教授兼国会議員キエン・ティラゥット博士によれば,この運動には数百人の憲法熱望者が参加しており,この組織は恒久憲法を政府に要求する公共的調整機関となろう。また一般大衆は,平和的手段によって恒久憲法を要求する,この運動によって刺戟されることになろう。この運動は,マス・メディアやパンフレット配布を通じて,一般大衆に政治一般の知識を提供することになる。また,この運動は,政府が憲法発布および普通選挙の日程を明確にするよう働きかける手段として,討論会,ゼミナール,世論調査などを行なうであろうとしている。 |
DIA-204-1973-10-05-1 | タイ | 1973年10月05日 | 1970年代 | ナロン大佐抗議行動に警告-ナロン大佐(タノム首相の息子)は,大学教官らが新憲法を要求して,街頭でも行なうなら,その街頭に軍隊を送り込むことになるかもしれない,憲法要求の運動であってもデモは違法であると語った。 |
DIA-204-1973-10-05-2 | タイ | 1973年10月05日 | 1970年代 | サガー前外相百人委員会に加わる-タノム首相の弟,前外相サガー・キチカチョン氏は,ウェンマイの自宅で,実際に嘆願書に署名はしていないが,学生が来てリストに名前を連ねるかどうか尋ねられれば,それを拒否する理由はなにもないと語り,委員会に加わる姿勢を明らかにした。 |
DIA-204-1973-10-05-3 | タイ | 1973年10月05日 | 1970年代 | 駐留米軍の撤退停止か-タイ軍部筋の情報によれば,タイー米政府間協議において,米軍のタイからの撤退は一時停止される模様である。その理由として,インドシナ情勢の依然たる混迷があげられている。現在,米軍は,ピーク時より6万5000名減少して,3万8500名タイに駐留している。このうち,来年の6月までに6500名撤退することになっていたが,そのまま駐留することになろう。 |
DIA-204-1973-10-06-1 | タイ | 1973年10月06日 | 1970年代 | 憲法要求百人委員会メンバー逮捕さる-憲法の早期発布を要求するパンフレットを配布していた百人委員会のメンバー11名が,NECの「政治目的のために5名以上で集会を開くのを禁止する」という布告に違反するかどで逮捕された。逮捕者は下記の11名である。 1.ティラユット・ブンミー氏(前タイ学生センタ書記長) 2.プラパンサック・カモンペット氏(元バンコク市会議員) 3.ノップポン・スワンパーニット氏(前チュラロンコン大学講師) 4.タウィー・ムーンニコン氏(タマサート大学経済学部講師) 5.モントリー・チュンシリアーラック氏(社会科学レビュー結論説委員) 6.プリディー・ブンチュー氏(タマサート大学経済学部4年生) 7.チャイワット・スラウィッチャイ氏(元チュラロンコン大学学生同盟副委員長) 8.ブンソン・チャレートン氏(タイ学生センター副委員長) 9.バンティット・エンニララット氏(タマサート大学文学部4年生) 10.ウィサー・カンタップ氏(ラームカムヘーン大学人類学部3年生) 11.タンヤー・チュンチャターターン氏(タマサート大学政治学部4年生) |
DIA-204-1973-10-07-1 | タイ | 1973年10月07日 | 1970年代 | 逮捕者12名となる-前日逮捕された11名の学生,知識人と同様の容疑で,ラームカムヘーン大学3年生コンキャット・コンガー氏が大学寄宿舎で逮捕された。彼は労働関係誌の記者で,百人委員会のメンバーに加わっていなかったが,前日逮捕された11名と共にパンフレットを配布している現場を警察に見られていた。 |
DIA-204-1973-10-07-2 | タイ | 1973年10月07日 | 1970年代 | 学生,逮捕に抗議か-全国学生センターのソムバット書記長は,「我々は民主主義の国復のための行動にでるであろう。我々は,11人の活動家が国を思う善良な信念で行動して被害を蒙ることは許さないであろう」と語った。また緊急記者会見で,全国学生センターは,公式に,警察の憲法運動家の逮捕を非難し,その行動は独裁的であり,王国に恐怖政治をつくりだすものだと抗議した。 |
DIA-204-1973-10-07-3 | タイ | 1973年10月07日 | 1970年代 | サガー,今回の逮捕は政府のミス―前外相サガー・キチカチョン氏は,「政府は活動家グループを逮捕したことで大きな誤りを犯した。もし,彼等が恒久的憲法を要求して捕えられたのであれば,警察は,この私をも直ちに逮捕すべきであろう」と語った。 |
DIA-204-1973-10-08-1 | タイ | 1973年10月08日 | 1970年代 | 憲法運動家12名逮捕に対する学生の抗議活動活発化-12名逮捕に対する抗議は,朝からポスター,パンフレット,グループ討論の型で,バンコク首都圏,チェンマイ市で活発化し,両市の大通りには反政府的パンフレットが散乱した。 タマサート大学学生100名がバーン・ケンの警察学校を訪れ,学生との面会許可を繰返し要求した。ブラサーミット高等師範学校で,学生早朝会議が反政府討議に発展し,午後1時まで討議が続いた。国立行政研究所(NIDA)の学生99名が,12名の無条件釈放を首相に請願する文書に署名した。タマサート大学学生同盟は,9日午後5時から12名逮捕に抗議するため大衆討議を行なう計画をたてた。チェンマイ県では,チェンマイ大学学生会委員長は大衆抗議行動に出る準備をし,学生指導者と討議すべく,バンコクに向かうと言明した。 |
DIA-204-1973-10-08-2 | タイ | 1973年10月08日 | 1970年代 | プラパート副首相,反乱計画と主張-プラパート副首相は,憲法要求運動は,学生を盾に使って政府転覆を狙う若干の政治家による反乱計画であるときめつけた。彼は,また,警察は,容疑者の家宅捜査を通じて,政府部内に文官と武官の分裂を招くよう,彼らが計画している証拠を握ったと言明した。このような見解にたって,彼は警察に完全なる警戒体制を敷くよう指令した。 |
DIA-204-1973-10-08-3 | タイ | 1973年10月08日 | 1970年代 | バンコク首都圏の消費者物価指数僅かにダウン-バンコク首都圏の消費着物価指数は,7月に139.8(1962=100)であったのが,8月に139.5と僅かに2%ながら低下した。この下落は主として,食料および飲料の0.9%低下によってもたらされたものである。 |
DIA-204-1973-10-08-4 | タイ | 1973年10月08日 | 1970年代 | 元国会議員カイセーン・スックサイに逮捕令状-警察特別局は恒久憲法の早期発布を要求するパンフレット配布運動を扇動した容疑で,セイセーン・スックサイ氏に逮捕令状を出したと発表。カイセーン氏は憲法要求百人委員会のメンバーで,ナコン・パノム選出の元国会議員である。彼の法律事務所から犯罪的文書,パンフレットが発見されたことから逮捕されるに至った。 |
DIA-204-1973-10-09-1 | タイ | 1973年10月09日 | 1970年代 | 逮捕者13名となる-バンコク首都圏警察当局は,前日逮捕令状が出たカイセーン・スックサイ氏を逮捕したと発表。 |
DIA-204-1973-10-09-2 | タイ | 1973年10月09日 | 1970年代 | 学生,授業,試験を放棄-タマサート大学では1万にのぼる学生が授業を放棄,その中には中間試験を教案した2000名の学生が含まれていた。タマサート大学の教官も,政治が転覆計画をもっていたという容疑で逮捕した13名を釈放することを首相に求める請願書に署名して学生の動きと同調,学生は国歌を歌い,「われわれは,われわれが欲するものを獲得するまで戦うぞ!!」というシュプレヒコールを繰り返した。午前7時過ぎ,不満を抱く学生は国旗を降し,哀悼の印である黒旗を掲げた。群衆に混じった警官は,政府に対する学生の攻撃を忍耐強く聴いていた。1人ずつ学生指導者は立上ってスピーカーを通じて,タイにとって,なぜ民主主義的支配が必要であるかを説いた。全国学生センター書記長ソムバット氏は,全学生指導者は,逮捕反対に一致団結した行動をとることを誓ったと言明した。 |
DIA-204-1973-10-09-3 | タイ | 1973年10月09日 | 1970年代 | 学生と市民の連合なる-タマサート大学に結集した,学生,教官,市民で学生,市民連合を結成したことを,共同コミュニケで発表された。このコミュニケの最後で,「われわれはあまりにも止まり過ぎた。われわれは前進する決意をした。今日,われわれは目的を達するまで戦うことを誓った」と述べている。 |
DIA-204-1973-10-09-4 | タイ | 1973年10月09日 | 1970年代 | 首相,「陰謀者」の拘留を命ず-タノム首相は暫定憲法第17条の絶対権力を行使して,1人の共産主義者に扇動された政府転覆計画との見方から,逮捕した13名を「カイセーンと彼のグループ」と断定し,彼等の無期限拘留を命じた。 |
DIA-204-1973-10-10-1 | タイ | 1973年10月10日 | 1970年代 | 全国の学生,続々とタマサート大学に集結-10日夜,13名の政治活動家の逮捕に抗議する学生は,タマサート大学構内に充満し,その数は1万5000~2万と推定される。昼といわず夜といわず全国の大学,専門学校から学生がタマサート大学に集結すべくバンコクに流れ込んできている。チェンマイ大学で試験を終えた数百人の学生が,鉄道,自動車でバンコクに向かい,師範学校関係から授業を放棄した数千人の学生が,午後到着。試験延期で大学側と合意に達したカセサート大学の学生が,タマサート大学の集会に合流。マヒドーン大学学生が,タマサート大学に集結せる学生への支持表明。 タマサート大学に集結した学生を前に全国学生センターの指導者ソンバッ氏は,憲法のため一般大衆とともに戦うことを誓い,13名の逮捕者の釈放をかち取るまで,「有効なるものは,どんな手段でもとる」と演説した。また全国学生センターの副書記長クラノック氏は,「学生は最後まで戦う」と誓い,過去数日間,政府は満足する回答を与えないので,最後通告を政府に出すであろうと語り,さらに,全国学生センターは引き続き,本部をタマサート大学に置き,平和的抗議行動を続ける決意であるとつけ加えた。 |
DIA-204-1973-10-10-2 | タイ | 1973年10月10日 | 1970年代 | プラパート副首相,特別権限を得る-プラパート副首相は,エスカレートする学生の抗議行動に対処し,「平和と秩序を回復」するための独立した機関の長に任命された。この機関は共産主義抑圧活動司令部(CSOC)に本部を置く,新しい弾圧機関で,プラパート副首相の副官として,タイ陸軍総司令官クリット大将が任命されている。 |
DIA-204-1973-10-10-3 | タイ | 1973年10月10日 | 1970年代 | タノム首相,平和的,合法的手段でと語る-タノム首相は,平和的,合法的手段で憲法の早期発布の目的を果たすべきだと学生に警告した。さらに,13名の逮捕され活動家は学生と直接結び付きを持つ人達ではない。全国学生連合は,この点を,充分考慮すべきであると語った。 |
DIA-204-1973-10-10-4 | タイ | 1973年10月10日 | 1970年代 | タノム首相,アメリカ軍の完全撤退に反対-タノム首相は,今日の東南アジア状勢から見て,アメリカ軍のタイからの完全撤退は,あまりにも危険であると語った。 |
DIA-204-1973-10-11-1 | タイ | 1973年10月11日 | 1970年代 | プラパート副首相,学生代表と話合う-プラパート副首相は,全国学生センターの学生代表11名を呼んで話合った。ソムバット書記長に率いられた学生代表は,政府転覆活動のかどで逮捕された13名の活動家の釈放を要求した。これに対し,プラパート副首相はその要求を拒否した。彼は拘留者に充分な裁判と情状酌量が与えられるであろうと述べ,逮捕者のうち若干の者は共産主義文書を保持し,政府転覆計画をもっていたことが判明していると語った。また,彼は,政府もまた憲法の発布を望んでおり,彼自身が委員長をつとめる起草委員会は,2月8日の会議で,20ヵ月以内に起草が完了することに同意していると語った。 |
DIA-204-1973-10-12-1 | タイ | 1973年10月12日 | 1970年代 | 政府13名の保釈を許すも,彼等は拒否-政府は36時間に亘ってハンガー・ストライキを続けている憲法運動家13名の保釈を許したが,完全なる釈放を要求して,彼等はバーンケン拘置所を出ることを拒否した。 |
DIA-204-1973-10-12-2 | タイ | 1973年10月12日 | 1970年代 | 全国学生センター,最後通牒を政府に突きつける-全国学生センターは10月12日正午より24時間以内に逮捕した憲法運動家13名を釈放するよう要求し,もし全国学生センターが満足できる回答が,この時間内に,政府から得られない場合,思い切った行動に出るであろうとの最後通牒を政府に送った。 |
DIA-204-1973-10-12-3 | タイ | 1973年10月12日 | 1970年代 | 抗議行動,全国的規模に-タマサート大学での抗議集会以外に,各地で学生の抗議集会が開かれている。チェンマイでは4万人の学生が,ウボンでは3000人の学生が,ナコン・サワンで4700名の学生が,マハサラカーンでは7600名の学生が,ピサヌロークでは5000名の学生が,それぞれ抗議集会を開いた。 |
DIA-204-1973-10-12-4 | タイ | 1973年10月12日 | 1970年代 | 学生数15万人に-タマサート大学に集結した学生数は,午後7時現在15万人にふくれあがっている。 |
DIA-204-1973-10-13-1 | タイ | 1973年10月13日 | 1970年代 | 空前の大デモ行進始まる-憲法の早期発布と憲法運動家13名の不当逮捕に反対する学生,一般市民は,タマサート大学構内に結集し,4日間にわたって夜を徹して集会を開いていたが,最後通牒の期限切れの13日正午,大学構内を出て,憲法記念塔に向かって行進を開始,その数20万人に達し,タイ史上空前のデモとなった。 |
DIA-204-1973-10-13-2 | タイ | 1973年10月13日 | 1970年代 | 国王仲裁に乗り出す-国王は,まずタノム首相および閣僚と会見,国王に首相は,逮捕者を無条件で釈放したことを告げるとともに,恒久憲法を来年10月までに発布することを誓った。国王は,次いで全国学生センター代表と会見,この旨を伝え,学生代表に平和と秩序を守るよう訴えた。 |
DIA-204-1973-10-14-1 | タイ | 1973年10月14日 | 1970年代 | 学生決起,「血の日曜日」のクロノロジー- 10:30-武装警察隊,富くじ局屋上に移動,デモ隊に向かって発砲開始,ヘリコプター,戦車市街に現わる。 11:00-軍隊出動,国税庁を奪還。 11:30-軍隊,デモ隊を広報局の反対側に追いやる。 12:50-ラジオ・タイランド,政府軍とデモ隊間に激しい戦闘が行なわれていると報道。 13:15-政府,プラマイン広場周辺の住民に外出禁止を通告。 14:00-学生,国家行政査察庁(BIFGO)を含む4つの政府建物に放火。 14:15-政府軍との戦闘で殺された学生5人の遺体が,3000人の群衆の手で,メモリアル・ブリッヂを渡って,トンブリー大広場に運び込まる。 14:20-男,女学生50名以上の遺体が広報局前に横たわる。 14:30-学生,バーングランポーにある交番に放火。 14:35-政府,学生指導者に当局と速やかに折衝するよう要求。 15:30-国王,ラーチャダムヌーン通りにおける戦闘をヘリコプターで視察し,王宮に戻る。 16:40-政府,バンコク首都圏,ノンタブリー,サムットプランカーン両県の教育機関の一時閉鎖を通告。 17:00-政府がタマサート大学から学生の退去を命じ,その指定時間の1時間前,学生はチャオ・ピアー川を渡って, |
DIA-204-1973-10-14-2 | タイ | 1973年10月14日 | 1970年代 | タノム,プラパート,ナロン国外に去る-タノム,プラパートの両元帥およびナロン大佐は,彼等の家族を含む30人以上の人達とともに,午後9時47分,タイ・インターナショナル特別機でタイ国を去った。 |
DIA-204-1973-10-14-3 | タイ | 1973年10月14日 | 1970年代 | サンヤー・タマサック氏首相に任命さる-国王は,14日夜,新首相として,タマサート大学学長サンヤー・タマサック氏を指命した。サンヤー氏は,タイ政界では全くニュー・フェースである。4年前タマサート大学学長に任命されて今日に至っているが,その前は30年間にわたって法務省畑を歩いてきた人である。1907年4月5日トンブリーに生まれ,アサンプション専門学校を卒業後,法務省法律学校に入学,同校で高等弁護士の資格を得た。その後4年間英国に留学,帰国後30年間法務省畑にあった。その間法務省副大臣,高等裁判所主任判事,高等裁判所長官などを歴任し,退官後タマサート大学学長となり現在に至っている。 |
DIA-204-1973-10-14-4 | タイ | 1973年10月14日 | 1970年代 | 憲法は6ヵ月以内に-サンヤー首相は,14日夜,ラジオ放送を通じて,「できるだけ速やかに憲法を発布し,総選挙を実施したい,その時期は現在より6ヵ月以内になるだろう」と語った。 |
DIA-204-1973-10-14-5 | タイ | 1973年10月14日 | 1970年代 | サンヤー新首相,民主主義による政治を確約-サンヤー首相は,全国ネット・ワークのテレビ,ラジオを通じて,真に民主主義的方法で,政治を行なう決意を表明した。 |
DIA-204-1973-10-15-1 | タイ | 1973年10月15日 | 1970年代 | 全国学生センター,新首相への協力約す-全国学生センターの代表者達は,テレビ放送を通じて,タマサート大学学長であるサンヤー首相と全国学生センターは,学生ー教師の関係を通じて,国民による政治がタイに実現するよう協力することを約束した。 |
DIA-204-1973-10-15-2 | タイ | 1973年10月15日 | 1970年代 | サンヤー首相クリット大将を起用-サンヤー首相は陸軍総司令官クリット・シワラ大将を法と秩序を回復するため,首都圏統轄責任者に任命した。 |
DIA-204-1973-10-16-1 | タイ | 1973年10月16日 | 1970年代 | 新内閣の閣僚名簿発表さる―サンヤー新首相は,16日午後1時15分,ラジオ放送を通じて,閣僚名簿を発表した・新内閣は首相を含め,大臣15人,副大臣13人で構成され,全大臣のうち12人が民間人で,軍人は3名にすぎず,文官主導型内閣となっている・有力大学の学長3名が人間したことは,学生の意向を政治に反映させようとする意志の表われとも見られる・サンヤー内閣の顔ぶれは下記の通りである。 首相:サンヤー・タマサック氏(タマサート大学学長)副首相:スキット・ニンマーヘーミン氏(前文部大臣)総理府長官:サウェーン・セーナーナロン陸軍中将(留任) 国防大臣:タウィー・チュラサップ空軍大将(前農業および協同組合大臣) 大蔵大臣:ブンマー・ウォンサワン氏(元大蔵副大臣)外務大臣:チャルーンパン・イサラーンクーン・ナ・アユタヤ氏(前外務副大臣) 農業および協同組合大臣:チャクラパン・ペンシリ・チャクラパン氏(カセサート大学学長) 通信大臣:チャリー・シンツソーポン氏(前通信副大臣) 商業大臣:チャーンチャイ・リーターウォン氏(前関税局局長) 内務大臣:カモン・ワンナプラパー氏(前法務大臣)法務大臣:プラコープ・フタシン氏(前最高裁長官)教・ |
DIA-204-1973-10-17-1 | タイ | 1973年10月17日 | 1970年代 | タノムはボストンへ,プラパート,ナロンは台湾に亡命。 |
DIA-204-1973-10-17-2 | タイ | 1973年10月17日 | 1970年代 | 学生,特別な行教的地位を得る-国王およびサンヤー首相は,全国学生センターをタイにおける氏主主義回復のための,第一の,そして最も重要な圧力団体と公認した。タイ観光公社ビルに事務所が用意されるまで,全国学生センターの暫定的本部に王宮の一部を提供した。全国学生センターは民主主義の知識を学生間のみならず,大衆に浸透させる役割をになうことになり,また国益にかかわる重要問題を提起するとともに,その問題解決を図るべく政府に協力することになった。 |
DIA-204-1973-10-17-3 | タイ | 1973年10月17日 | 1970年代 | 憲法3ヵ月以内に発布か-総理府スポークスマンは,6ヵ月以内とサンヤー首相が約束したが,3ヵ月以内に起草が完了するだろうと語った。 |
DIA-204-1973-10-17-4 | タイ | 1973年10月17日 | 1970年代 | 学生デモで死者76名,行方不明者400名-全国学生センターの発表によると,今回のデモでの死者は76名で,そのうち男子学生32名,女子学生5名,尼憎1名の身元が確認された。行方不明者は男性381名,女性42名,少年15名,少女2名となっている。 |
DIA-204-1973-10-17-5 | タイ | 1973年10月17日 | 1970年代 | ブンチャナ氏,日本実業家の汚職調査を要求-元商業大臣,チュラロンコン大学教授ブンチャナ・アッタコーン氏は,新政府に日本実業家と前政府指導者間にあったと思われる汚職に関する犯罪調査を提言した。また同氏は,日本との間の貿易アンバランスの問題について,学生および議会のメンバーが,解決を求めて圧力をかけることになろうと述べ,さらに,奢侈品の輸入禁止,奢侈品の輸入税引き上げなどを提案した。 |
DIA-204-1973-10-18-1 | タイ | 1973年10月18日 | 1970年代 | タイ法律家協会,政治犯の釈放を提案-タイ法律家協会は,新政府に対し,タノム政権下で逮捕され,服役している政治犯18名,共産主義者85名の大赦を提案した。 |
DIA-204-1973-10-18-2 | タイ | 1973年10月18日 | 1970年代 | 私は共産主義者ではない-タノム軍事政権を打倒した立役者,セクサン・プラスートクン氏は,ネーション紙の記者に,「私は共産主義者ではない。全国学生センターは私を反逆者の指導者と誤解したようだが,現在は,正しく私を理解してくれている」と語った。 |
DIA-204-1973-10-19-1 | タイ | 1973年10月19日 | 1970年代 | 軍,警察は政治と手を切る-タウィー国防大臣は「軍人は政治と絶対に分離されるであろう」と言明,プラチアップ警察局長も警察関係高級官僚会議で,警察は政治からはっきりと分離されることになると語った。 |
DIA-204-1973-10-20-1 | タイ | 1973年10月20日 | 1970年代 | タノム前首相,タイヘ戻る計画をもつ-ボストンで,タノムの義息スウィット・ョートマニー氏が記者の質問に答えて,タノム前首相はタイ国へ戻る計画をもっていると語った。 |
DIA-204-1973-10-21-1 | タイ | 1973年10月21日 | 1970年代 | 第3次開発計の停滞で外国借款を増やすことが必要-国家経済社会開発局,社会計画部長バラパ・チァットプラサート夫人は,第3次開発計画の停滞によって,政府は外国からの借款を180億バーツから244億6000万バーツに増やす必要に迫られていると語った。 |
DIA-204-1973-10-21-2 | タイ | 1973年10月21日 | 1970年代 | “血の日曜日”に虐殺を命じたのはナロン大佐-国防省学生虐殺審査委員会の審査結果について,タウィー国防大臣が発表。暴動対策委員会議長であったナロン・キチカチョンが暴徒に射撃を命じたのであり,陸軍総司令官クリット・シワラー大将は,その決定には全く関係していなかったと語った。 |
DIA-204-1973-10-22-1 | タイ | 1973年10月22日 | 1970年代 | 軍は政治に関与せず-陸軍総司令官クリット・シワラー大将および高級軍人は関与しないし,次期総選挙において政党を結成することもないと断言した。クリット大将は総司令官のポストを廃止し,国防大臣が直接軍を統轄するようサンヤー首相に提言した。また同大将は,軍が大衆から遊離してしまった現在の危機が続く間,軍を完全に統制することを続けるが,その危機が去ったら政治的任務から手を引きたいと語った。 |
DIA-204-1973-10-22-2 | タイ | 1973年10月22日 | 1970年代 | 国家行政検察局(BIFGO)廃止-政府は,ナロン・キチカチョン大佐の政治活動への跳躍台として設置され,各省の目付役的役割をもっていたBIFGOを廃止する意向を明らかにした。 |
DIA-204-1973-10-23-1 | タイ | 1973年10月23日 | 1970年代 | プラパートは学生2000人の射殺を決めていた-プラパート前首相が主催した,10月8日の特別会議内容を記した秘密書類によると,その席上,プラパートは憲法要求デモの参加者を10万と推定し,その2%を犠牲にしても止かを得ないと決意していたようである。 |
DIA-204-1973-10-24-1 | タイ | 1973年10月24日 | 1970年代 | サンヤー内閣施政方針を発表-1.新政府は王制を維持し,可能な限り速やかに国政の根本原理としての憲法を発布する。2.政府は内外からの脅威に対し,経済力,軍事力の両面を動員して国家の安全を維持する。軍を自立せしめるようにし,国民と軍の間の相互理解を深めるよう努力し,また軍人のモラルの向上を図る。3.財政政策は国家収入の増大,および労働者,農民の福祉改善を促進する方向で進める。税制度はより公正な基盤を作るよう分析検討する。4.新政府は,イデオロギーが異なる諸国をも含めて,タイと友好的な諸国との親善関係を確立するよう努力する。中国との対話は従来と同じようなテンポで進められるであろう。新外交政策はASEAN支持の姿勢を持続するであろう。5.政府は,国内外の市場に適合した農業生産を促進する。それは生活費の引下げ,技術援助および生産施設の形での農民援助の提供によって行なわれるであろう。6.政府は,通信,気象,運輸のための施設の改善,拡張,建設を図る。特に地方の最も経済的運輸手段である水上運輸が重視されよう。7.商人および商業活動にたずさわる者は,市場の設立および地方生産物の市場の拡充のために,統計集収の面で政府と協力的役割をになうこと・ |
DIA-204-1973-10-24-2 | タイ | 1973年10月24日 | 1970年代 | 憲制委員会メンバー決まる-法務大臣プラコープ氏を委員長,内務大臣カモン氏を副委員長とする憲制委員会全委員18名の名前が発表された。委員の中には大学関係者3名,すなわち,国立行政研究所のチャイナート博士,タマサート大学のプラモート博士,チュラロンコン大学のポンペン教授らが含まれている。軍関係者は唯1人,国防副大臣スラキット陸軍大将だけである。バンコク・ポスト,バンコク・ワールド紙で健筆を揮っている若い女性記者スマリー・ウィラワイット夫人が委員に運ばれ,女性が運ばれたのは,憲法制定史上初めてのことで話題となっている。その他著名な人としては,サイアム・ラット紙の主幹ククリット・プラモート氏が加わっている。 |
DIA-204-1973-10-25-1 | タイ | 1973年10月25日 | 1970年代 | 新政府,外交方針を発表-チャルーンパン外務大臣は,就任後初の記者会見を行ない外交方針について語った。政府は中国との緊密な友好的交流の道を求める。中国は国連の経済社会理事会(ECOSOC)のメンバーになることに同意してくれたと語った。またタイにおける米軍に関して,その最終目標は完全なる撤退にあるが,状勢に応じてその時期を選はなければならないと述べた。同席したチャチャイ外務副大臣は,もし,北ベトナムがその勢力をラオス,カンボジアから撤退するならば,タイにおける米軍は必要なくなろうと語った。 |
DIA-204-1973-10-25-2 | タイ | 1973年10月25日 | 1970年代 | サンヤー首相,戒厳令をとかず-サンヤー首相は,「個人的意見として,私は戒厳令を憲法発布,そして総選挙の終るまで解くべきでないと思う」と語った。また革命団布告については,全ての布告の内容を検討し,改廃すべきものを選びたいと語った。 |
DIA-204-1973-10-25-3 | タイ | 1973年10月25日 | 1970年代 | 中等職業学校学生センターできる-130の中等職業学校から約500名の代表がパトゥムワン工業学校で会議を開き,全国職業学生センター(NUSCT)の設立のための実行委員を選出し,また暫定的委員長としてセクサン・プラスートクン氏を選んだ。 |
DIA-204-1973-10-27-1 | タイ | 1973年10月27日 | 1970年代 | プーイ氏帰国-タマサート大学経済学部長ウィンユー氏によれば,プーイ・ウッパコーン氏はタマサート大学で教職に就くため帰国するが,彼は新聞に報じられているように政党を結成することはないだろうと語った。 |
DIA-204-1973-10-27-2 | タイ | 1973年10月27日 | 1970年代 | 国王不正の絶滅を訴える-国王は,初等,中等,職業学校等150校の代表および全国学生センター代表等合わせて675名を招待し,アンポーン庭園でパーティーを催され,その席上,「もし,君達が善意で団結を続けるならば,不正な人物は,1日でタイ国から消去るであろう」と述べた。 |
DIA-204-1973-10-28-1 | タイ | 1973年10月28日 | 1970年代 | プリディ帰国してタイで余生を送るか-シンガポールのThe New Nationの記者として有名なディック・ウイルソン氏は,パリーで,プリディ氏と会見,27年間にわたって亡命していた同氏がタイ国で余生を送ることを欲していたと語った。 |
DIA-204-1973-10-28-2 | タイ | 1973年10月28日 | 1970年代 | 新作付年次の米生産は良好-チャルーン商業副大臣は,11月で終る今作付年次の米生産1200万トンに比して,新作付年次(1973/1974)の米生産は1300万トンとさらに増産が見込まれると語った。 |
DIA-204-1973-10-29-1 | タイ | 1973年10月29日 | 1970年代 | 日本人観光客数トップに出る-タイ観光公社(TOT)の発表によると,今年上半期に,日本人観光客数は昨年同期より89%増え,アメリカ人観光客数を押えてトップに立った。日本人観光客数は,1月から6月に7万9418人となっている。 |
DIA-204-1973-10-30-1 | タイ | 1973年10月30日 | 1970年代 | 3悪人の資産凍結-サンヤー首相は,初めて暫定憲法第17条の強権を発動し,タノム前首相,プラパート副首相,ナロン大佐および彼等夫人の資産を凍結した。 |
DIA-204-1973-10-30-2 | タイ | 1973年10月30日 | 1970年代 | 「黒い10月」組織現わる-黒い10月(Black October)と名のる秘密組織が全国学生センターにメモを送り,海外に逃亡した3悪人への復讐および悪事を働く政治家,3悪人の逃亡を助ける外国政府に対して断固たる制裁を加える約束をした。 |
DIA-204-1973-10-31-1 | タイ | 1973年10月31日 | 1970年代 | 武装中国人ゲリラ警官を襲う-武装した中国人ゲリラ30名が,タイーマレーシア国境のサダオ地区の道路上で,移動中の警官を襲い,7名を殺害し,9名に重傷を負わせた。 |
DIA-204-1973-10-31-2 | タイ | 1973年10月31日 | 1970年代 | 憲制委員会,国名をシャムに戻すかどうかで論争。 |
DIA-204-1973-11-01-1 | タイ | 1973年11月01日 | 1970年代 | タイ学生評議会内の権力争い-タイ学生評議会(National Student Council of Thailand)の特別会議でセクサン氏がソムバット書記長の辞任を要求,数時間に亘って議論されたが,提案を拒否され,セクサン氏は退場し,ソムバット書記長を辞任に追い込むことに失敗した。 |
DIA-204-1973-11-02-1 | タイ | 1973年11月02日 | 1970年代 | 学生,台湾大使館にデモ-約20名の学生が台湾大使館に押しかけ,台湾政府がプラパ-ト元帥,ナロン大佐および彼等の家族の台湾滞在を認めていることに抗議し,代表が大使に会い,台湾政府への抗議文を手渡した。 |
DIA-204-1973-11-02-2 | タイ | 1973年11月02日 | 1970年代 | ティラユット氏学生の団結を訴える-前全国学生センター書記長ティラユット氏は,学生指導間の対立を批判し,「もし,指導者から分裂が生じるようならば,血の日曜日は何の意味をもつのか? 自らの命を犠牲にした英雄たちはどうなるのか?」と語り団結を訴えた。 |
DIA-204-1973-11-03-1 | タイ | 1973年11月03日 | 1970年代 | セクサン再び退場-全国学生センタ-実行委員会で,センサン氏自身があらゆる中央学生組織から引退したいと申し出たが,投票の結果4対3で否決され,セクサン氏は11月1日に続いて再び退場した。 |
DIA-204-1973-11-03-2 | タイ | 1973年11月03日 | 1970年代 | 職業学生,警官と協力-職業学生は警官と協力して,職業学生のユニホームで市中をのし歩いている不良分子を一掃する活動を開始した。 |
DIA-204-1973-11-04-1 | タイ | 1973年11月04日 | 1970年代 | 職業学生センター,政府に要求-新たに組織された職業学生センターは,10月14日の戦闘時,攻撃的な行動に出た軍人,官吏の処罰調査を開始すべきであると,政府に要求した。 |
DIA-204-1973-11-04-2 | タイ | 1973年11月04日 | 1970年代 | 軍指導者は大衆に誓え-スキット副首相は,軍が政治から手を引くことを直接大衆に誓うべきであると,首相に提言した。 |
DIA-204-1973-11-05-1 | タイ | 1973年11月05日 | 1970年代 | セクサン氏の全国学生センタ-からの離脱について関心高まる-セクサン氏の全国学生センタ-からの離脱は,学生指導者によって過激分子と烙印される恐れありと大学教官の間に関心が高まっている。チュラロンコン大学のカモン・トンタマチャ-ト博士は,彼の全国学生センタ-の辞職は,彼の身に危険があるとし,旧勢力が彼に過激家のレッテルを貼って,穏健な学生から彼を分離させ,孤立せしめ,セクサン氏の政治生命を絶ち切る恐があると述べている。一方,憲法起草委員の1人,チャイアナント・サムッタワニット博士は,セクサン氏の全国学生センタ-からの離脱に賛成し,その理由として,保守的なイデオロギ-をもつ全国学生センタ-を通じては,国家に貢献することができないからだとしている。 |
DIA-204-1973-11-05-2 | タイ | 1973年11月05日 | 1970年代 | カラシンで共産主義者,政府軍を殺害-カラシン県,カ-オ・ウォン区で,待伏せしていた共産主義者の攻撃を受け,24名の兵隊と国防志願兵が殺害され,6名が負傷した。 |
DIA-204-1973-11-06-1 | タイ | 1973年11月06日 | 1970年代 | 全国学生センター危機に直面-全国学生センターは三派への分裂,セクサン氏の学生指導者に対する攻撃によって危機に直面している。セクサン氏は,1日,全国学生センターのソムバット書記長の辞任を迫ったが失敗した。そのことは全国学生センターから離脱する学生を増大させ,全国学生センターの危機を招いている。また全国学生センター実行委員会は,現在,三派に分裂している。タマサート,マヒドーン,チェンマイ大学派,カセサート,ラームカムヘーン大学派,チュラロンコン,シンラパコン大学派の三派である。書記長ソムバット氏はカセサート大学生で,その派閥からの支持を受け,一方セクサン氏はタマサート大学生で,その派閥から支持を受けている。 |
DIA-204-1973-11-06-2 | タイ | 1973年11月06日 | 1970年代 | サリット,タノム政権下の布告検討-政府は,サリット,タノム政権下に出された300以上の布告を検討すると発表。選挙法はまず廃止され,中国の貿易を禁止した布告No 53も廃止されることになろう。 |
DIA-204-1973-11-07-1 | タイ | 1973年11月07日 | 1970年代 | 政府軍ミャオ族テロリストを爆撃-チェンライからの報告によれば,北ベトナム人に指導されたミャオ族テロリスト数百人が,この3日頃より活発に動きだしていたが,政府軍がこれに爆撃を加え,多数の死者が出ている模様である。 |
DIA-204-1973-11-07-2 | タイ | 1973年11月07日 | 1970年代 | 血の日曜日の死者66名-厚生省は,首都圏の14病院から提出された報告書をまとめ,10月14日の決起での死亡者は66名,負傷者は876名と発表した。 |
DIA-204-1973-11-09-1 | タイ | 1973年11月09日 | 1970年代 | 警察,3大使館を警戒-警察は,台湾大使館爆破脅迫状,反米,反日スロ-ガンの氾濫など,台湾,米国,日本に対する敵意が最近高まってきたため,これら大使館の警戒に入った。 |
DIA-204-1973-11-09-2 | タイ | 1973年11月09日 | 1970年代 | 3悪人の資産-タノム,プラパート,ナロンの財産調査委員会の報告では,このトリオの資産は2億1700万バーツにのぼり,不動産は今月末までに報告される。委員会は,これらが不正所得かどうか調べ,没収する。 |
DIA-204-1973-11-10-1 | タイ | 1973年11月10日 | 1970年代 | 爆破脅迫状について学生弁明-全国職業学生センター(NUSCT)は,タイ・スリヤ技術学校生グループの台湾大使館爆破計画はNUSCTの政策に反するので,事前に警察へ連絡した。また脅迫状が,実際に技術学校から出されたものかどうか疑わしいし,市内の反米,反日スローガンも外部の者の仕業と信じていると言明した。 |
DIA-204-1973-11-11-1 | タイ | 1973年11月11日 | 1970年代 | イタ石油危機深刻化-石油不足により,バンコクでバス40台が止まり,市民の足が奪われ,石油危機が深刻化してきた。 |
DIA-204-1973-11-12-1 | タイ | 1973年11月12日 | 1970年代 | セクサン氏を議長とする学生グループ誕生-全国学生センターの一切の職から離れたセクサン氏は,12人からなる「自由タマサート・グループ」を組織した。このグループは4つの方針を掲げている。それによると,自由と宗教と国王を擁護し,民主的政府への基盤となる学生,民衆への援助,政府に提言するための経済,教育,社会,政治問題の研究,民衆の利益となる政策の支持となっている。短期的目標としては,夜学と討論集会場を作ることを掲げている。 |
DIA-204-1973-11-13-1 | タイ | 1973年11月13日 | 1970年代 | 石油危機について政府声明-タイ国への原油供給の16%カットが予定されているため,政府はガソリン節約を国民に要請し,節約がなされない場合には強制的な政策をとると発表した。 |
DIA-204-1973-11-13-2 | タイ | 1973年11月13日 | 1970年代 | 各種石油の値上げ認める-内閣は,各種石油のスタンド売り価格を平均24.7%値上げすることを認めた。 |
DIA-204-1973-11-13-3 | タイ | 1973年11月13日 | 1970年代 | 全国学生センター,士官学校,警察学校の学生と初会合-全国学生センターは,理解を深めるため,サンヤー首相立会いのもとに,初めて陸軍士官学校,警察学校の代表者と会見した。その会見後共同コミュニケを発表し,二つのグループは平和と繁栄を国家にもたらすため協力して働くことを誓った。 |
DIA-204-1973-11-14-1 | タイ | 1973年11月14日 | 1970年代 | 軍,政治からの分離を国民に誓う-クリット陸軍総司令官は,現暫定内閣の任期終了後も,軍人は政治から分離すると国民に誓った。軍人は政治には参加せず,職業軍人として,国防大臣の指揮下に入ると語った。これは,4日の副首相の提言に答えたものである。 |
DIA-204-1973-11-14-2 | タイ | 1973年11月14日 | 1970年代 | サガー,教党は結成せず-サガー・キチカチョン氏は,「キチカチョン」という姓が傷つけられたため,決して政党を結成することはないと語った。 |
DIA-204-1973-11-14-3 | タイ | 1973年11月14日 | 1970年代 | 米国はタイ軍のため900万バーツ払い続ける-タウィー国防大臣は,SEATO条約によってタイ国はタイ基地防衛を義務づけられているが,予算がないため米国から毎月900万バーツ払われていたが,今後もそれが続けられようと語った。また同大臣は,米軍駐留に関し,外国軍の駐留は好ましいことではないが,我々は国家の安全を考えねばならないと語った。 |
DIA-204-1973-11-15-1 | タイ | 1973年11月15日 | 1970年代 | 恩赦法案可決-国会は,恩赦法案を満場一致可決した。法務大臣は,その適用範囲について語り,これは前政権を倒す因となった決起とデモに参加した人びとだけに限られ,血の日曜日以降のすてべのデモには適用されないと述べた。 |
DIA-204-1973-11-16-1 | タイ | 1973年11月16日 | 1970年代 | 中国,煙草葉と交換で原油供給申し込む-情報局プラチャー局長が明らかにしたところによれば,中国はバンコクの民間会社を通じて,煙草葉をタイから買付け,見返りとして原油を供給したいとの意向を伝えてきている。 |
DIA-204-1973-11-16-2 | タイ | 1973年11月16日 | 1970年代 | 憲法で教育の開放規定か-憲法起草委員メンバーであるポンペン・サクソンタバイ氏によれば,憲法の中で,友愛と社会正義の原理が強調され,社会,経済の格差是正のため,貧困者への社会福祉増進と,教育の開放が組み込まれることになろうと語った。 |
DIA-204-1973-11-16-3 | タイ | 1973年11月16日 | 1970年代 | 石油不足で錫鉱山閉鎖か?-権威筋の情報によれば,ラノーン県,プーケット県の鉱山のうち60カ所が操業を中止し,その他350カ所が今週中にも操業中止に追込まれることになろう。その結果,金錫生産量は50%ダウンすることになろうと伝えている。 |
DIA-204-1973-11-17-1 | タイ | 1973年11月17日 | 1970年代 | 実業から政治を追放するグループ結成-教育者,行政官によって組織された「実業活動を改革するためのグループ」は,実業から政治を追放することを企図している。このグループの指導者はタナン・ブンナン氏で,グループの目標は,自分の競争者に対し有利な立場にたつため政治を使用している実業家および自分の富を増やすために実業を行なっている政治家の追放にある。 |
DIA-204-1973-11-17-2 | タイ | 1973年11月17日 | 1970年代 | 3悪人,軍人裁判に-国防省,陸軍法務局部長によって,タノム,プラパート,ナロンに対する不法行為調査命令が出された。 |
DIA-204-1973-11-18-1 | タイ | 1973年11月18日 | 1970年代 | 全国学生センター首脳部交替-全国学生センター実行委員会は,学生間の相互批判,分裂による失われた信頼を回復するため,緊急会議を開き,総辞職を決定。組織および運営面の刷新が行なわれる模様である。 |
DIA-204-1973-11-19-1 | タイ | 1973年11月19日 | 1970年代 | 大幅な税率改正-政府は新税率に関する閣議を開き,税率改正を行なうことを決定した。その内容は,生活困窮者救済のための生活必需品の減税,および奢侈品への増税である。たとえば,ミルク,米などの農産品は,現在,1.5~7%の税率であるが,無税となる一方,喫煙者は1箱吸うごとに50サタンの税金を支払うこととなる。 |
DIA-204-1973-11-19-2 | タイ | 1973年11月19日 | 1970年代 | 憲法起草委員会は2院制を採用-憲法起草委員会は,上・下院からなる2院成をもって国会を構成し,2院とも総選挙によって議員を選ぶことに同意した。 |
DIA-204-1973-11-19-3 | タイ | 1973年11月19日 | 1970年代 | 全国学生センター暫定書記長にウイトヤー氏-全国学生センター役員の総辞職にともない,ウイトヤー・レーンランスリー氏(前全国学生センターの高等師範学校代表)が暫定書記長に就任した。その期間は選挙が行なわれるまでの2週となっている。彼は,「全国学生センターと独立学生連合(FIST)との協調の必要性」を述べた。 |
DIA-204-1973-11-19-4 | タイ | 1973年11月19日 | 1970年代 | 政府,デモを止めるよう訴える-政府はコミュニケを発表し,学生および大衆は自らの不満を公式のチャンネルを通じて訴え,デモによるそれは止めるよう勧告した。 |
DIA-204-1973-11-20-1 | タイ | 1973年11月20日 | 1970年代 | 政府自粛を要請-政府は,10月上旬以来,首都近郊諸県に続発している,国家および地方公務員,警官,教師追放運動の自粛を,学生,大衆に呼びかけた。 |
DIA-204-1973-11-20-2 | タイ | 1973年11月20日 | 1970年代 | セクサン,全国学生センター選挙に立候補か-学生指導者,セクサン氏は2週間以内に実施される全国学生センター書記長選挙に立候補する旨を,彼の側近が示唆した。 |
DIA-204-1973-11-20-3 | タイ | 1973年11月20日 | 1970年代 | 新駐タイ米使着任-新駐タイ米大使ウイリアム・キントナー(William Kintner)氏が着任した。 |
DIA-204-1973-11-21-1 | タイ | 1973年11月21日 | 1970年代 | 君主制批判に困惑-チャルーンパン外務大臣は,スウェーデン大使を外務省に招き,ストックホルムで発刊され,11月20日付サイアム・ラット紙に掲載された,君主制を批判している『タイ自由運動』誌について,両国友好関係をそこなうものとして口頭で抗議し,また善処を要請した。 タイ職業学校センターの学生は,ルンピニー公園で,君主制批判に対する抗議集会を開いた。一方にカモン内務大臣は,「不適当な記事」として,サイアム・ラット紙編集主幹ククリット・プラモート氏を非難した。なお,警察当局の推定では,その記事はスントーンあるいはポーク。ウォンノーンワによって書かれたものと推定されている。当局の資料によれば,スントーンはローイ・エットに生まれ,バンコク工業専門学校卒業後,クルサパー印刷所およびスウェーデン大使館に勤務,1963年,勉学のためスウェーデンに渡っている。 |
DIA-204-1973-11-22-1 | タイ | 1973年11月22日 | 1970年代 | 過激家スントーン-ータイ国王批判記事を書いたスントーンは,信頼できる筋によれば,スウェーデン在住のアフリカ人との交友を深め,タイ君主制批判,タイ自由運動へと走ったものであるが,スウェーデン在住のタイ人留学生らの支持はない。彼の活動は2年前に始まり,その後まもなくタイ市民権を剥脱され,現在はスウェーデンのパスポートを保持している。タイ共産党との結びつきについての確証は警察当局も握っていない。 |
DIA-204-1973-11-22-2 | タイ | 1973年11月22日 | 1970年代 | 全国学生センタ-の新機構-全国学生センタ-は,行政機構を2委員会からなるよう改革した。委員会を中央委員会と実行委員会に分け,中央委員会は・従来適り,各大学の指導者によって構成され,実行委員会は各大学の学生が選出した委員をもって構成される。 |
DIA-204-1973-11-22-3 | タイ | 1973年11月22日 | 1970年代 | 260企業生産ダウン-タイ工業協会プラマ-ン会長は,石油危機から260企業で生産を削減することを考慮中であると語った。 |
DIA-204-1973-11-23-1 | タイ | 1973年11月23日 | 1970年代 | 新最低賃金告示-内務省筋によれば,1日16バーツに最低賃金が決定された。これは次の地区で,1974年1月1日より効力を発する-首都圈,サムットプラカーン,ノンタブリー,パトゥーン。これで4県に存在する3万5000工場の20万人の労働者に新賃金が給付されることになるだろう。 |
DIA-204-1973-11-23-2 | タイ | 1973年11月23日 | 1970年代 | 学生,議会解散要求-3000人からなる学生グループは,次の4つの理由により,現国会議員の辞職を要求した。(1)「恐るべきトリオ」の利益に奉仕しただけであって,あなたたちは,国家および国民のために働く能力に欠けている。(2)あなたたちを任命した者は,大衆によって排撃され,信頼を失ったため,必然的にあなたたちの信頼も央われている。(3)あなたたちは,たとえすばらしい理想をいだいていたとしても,軍事政権下では,何もできなかったのであるから,辞職し,立憲君主下で,国民の信義を問うべきである。もし,すばらしい信念を持つなら,きっと再選されるであろう。(4)あなたたちは,大衆の敵のあやつり人形にすぎなかった。国外に逃亡した彼らのように,昔のままでいつづけようとする人たちなら,民主主義をうんぬんする資格はない。 |
DIA-204-1973-11-26-1 | タイ | 1973年11月26日 | 1970年代 | BIFGOに代わる新しい局の設置-消息筋は,政府機構の収入と支出の監視をするための政府活動査察局(The Government Operation Inspection Department)という新しい局の設置を大蔵大臣が計画していると語った。この新しい局は,政府活動の査察と,役人の汚職,背任行為の防止,警戒を義務としており,10月暴動後廃止されたBIEFGOに代わる機関となる。 |
DIA-204-1973-11-26-2 | タイ | 1973年11月26日 | 1970年代 | サンヤー首相への訴え-新たに結成された自由市民連合(UCL)は,サンヤー首相に,前首相タノムによって反逆罪で逮捕された3人の国会議員の釈放,NECの11の布告の廃止,労働法の改正の3点を訴えた。 |
DIA-204-1973-11-27-1 | タイ | 1973年11月27日 | 1970年代 | 公務員の賃金アップ-内閣は,生活費の上昇にともない政府関係職員,警官,軍人の給与改正を行なうことを決定した。改正審議は1ヵ月以内に完了させ,1974年1月1日から実施される予定である。これによって,政府関係機関,公営企業のストライキが終熄するものと期待されている。 |
DIA-204-1973-11-28-1 | タイ | 1973年11月28日 | 1970年代 | 全国学生センター複式選挙方式を批判-全国学生センター委員タネット氏は,西独の選挙方式,すなわち立候補者への投票と政党への投票とからなる複式選挙方式を,投票が煩雑となり,国政を不安定にする連立政権になりやすいことを理由に支持できないと語った。 |
DIA-204-1973-11-29-1 | タイ | 1973年11月29日 | 1970年代 | 税制大幅に改正-消息筋は,国家財政規模が拡大したため,蔵相が10万バーツ以上の高額所得者層から徹底的に税をとり,低所得者層のためになる新しい税制を作成していると伝えている。 |
DIA-204-1973-11-29-2 | タイ | 1973年11月29日 | 1970年代 | 全国学生センター,労働争議について声明-労働局と協力して,ストライキ・ラッシュを止めるキャンペーンをやってきている全国学生センターは声明を発し,ストライキは長期間の圧制と社会不正の結果であって,全国学生センターは,それを支持するが,正当な目的と秩序をもって,法の限度内で行なうよう訴えた。 |
DIA-204-1973-11-30-1 | タイ | 1973年11月30日 | 1970年代 | 日本赤軍派学生閉め出される-全国学生センター主催のアジア経済学生会議に出席するためバンコクへ向かった,3人の日本赤軍派学生は,タイ当局の要請によって香港で足止めされ,学生会議から閉め出された。 |
DIA-204-1973-11-30-2 | タイ | 1973年11月30日 | 1970年代 | 労働危機に取組む新センター設置-労働局副局長ポーン氏は,労働局に労働問題,特に私企業,公企業のストライキ解決のために労働調整センターを設置したと語った。 |
DIA-204-1973-12-01-1 | タイ | 1973年12月01日 | 1970年代 | 新駐タイ米大使語る-新駐タイ米大使ウイリアム・R・キントナー教授は,タイ学生の私に対する曲解を正すために,彼等と会談したいと語るとともに,次のような諸問題について見解を明らかにした。〔タイ・米関係〕タイ人は主権をもった独立国の国民であり,タイ人の能力に敬意をひだいている。タイ国は自らのことは自らの手で管理すべきだ。米国は世界の新しい動きに,自らの役割を適応させつつあり,援助は,その国が望んだ場合に限って行なう。〔駐タイ米軍〕米軍の駐在は,米国が望んでいるだけでなく,タイ国にとっても利益があるからである。いずれ完全に撤退することになるが,その時期は政府間の話合いで決められよう。〔SEATO〕これは非常に重要な同盟であり,今後も長期間にわたって維持される必要があろう。そして,この同盟はASEANと同様,大きな貢献をしており,これに代わるべき有益な相互防衛協定はないだろう。〔政変〕10月の事件によって,タイ国民は,国家を導くのは誰れか,また不可欠な命令者の地位を誰れにまかせるかの偉大なる選権権を与えられたと思う。 |
DIA-204-1973-12-02-1 | タイ | 1973年12月02日 | 1970年代 | ティラユット氏,労働組合結成を支持-学生運動指導者ティラユット氏は,労働組合の結成を認めるよう要望しまた,「労働者が,前政権の下で長い間抑圧されていたことは知っていた。前政府は社会正義を全然もたず,タイでは労働者は不当に取扱われてきていた。とりわけ,今日のストライキの原因は,労働法を暴力的,作為的に用いた雇用者側にある。ストライキは民主主義にとっては良い徴候であり,もし労働組合が結成されれば,労働者は雇用者と有効な取り決めをすることができる」と語った。 |
DIA-204-1973-12-02-2 | タイ | 1973年12月02日 | 1970年代 | 学生,経済闘争を計画-学生によるアジア経済会議の決定にしたがって,広範囲な抗議を,統制的に行なうため国際的学生運動が組織される。計画されているこの学生運動は,アジアに経済的侵略を進めている大国の経済帝国主義への国際的抗議を統制的に行なう圧力グループとして行動する。 |
DIA-204-1973-12-03-1 | タイ | 1973年12月03日 | 1970年代 | 独立タイ学生連合の政策-独立タイ学生連合(FIST)のナッティ代理委員長は,タイ国民の能力を信ずると述べ,その理念達成に外国の影響を持ち込まないと語った。また彼は同連合について次のような点を明らかにした。独立タイ学生連合の基本理念は,憲法,宗教,君主制,民主主義の護持である。実践活動としては,真の民主主義と国の繁栄の基礎となる議会へ誠実な代表者が送り込まれるように農民を教育すること,大衆のもつ問題を解決するために学生,大衆を助けること,経済,社会,教育に関する諸問題を解決する方法をさぐり,政府および大衆に訴えること,政治から利益を求めるいかなる政党をも支持せず,大衆の利益にもとづいた行動をとること,独立,国家,宗教,政治の中の経経済,軍隊,文化を擁護すること,などを掲げている。 |
DIA-204-1973-12-04-1 | タイ | 1973年12月04日 | 1970年代 | 選挙制度について-憲法起草委員会委員ポンペン氏は,ドイツのD’hondt選挙制度は,3悪人の派閥が合法的に権力を得ることができる門を開いていると心配している。また,同氏は,憲法起草委員会によって承認されたD’hondt制度では,200名の国会議員が一般選挙によって直接選ばれ,100名の国会議員は,政党が投票でえた票数に比例して政党から運ばれることになる。この制度では,3悪人の派閥が,選挙民の賛成なしに国民議会に自動的に運ばれることが可能になると語った。 |
DIA-204-1973-12-05-1 | タイ | 1973年12月05日 | 1970年代 | 全国学生センター新幹部選出-6日全国学生センターの新委員が選出されるが,立候補者は,下記の通りであるが,チュラロンコン大学選出のタネス氏が有力視されている。コンデット・チャイルアンデット(高等師範学校)タネス・チャロエンムアン(チュラロンコン大学)・ウェン・トーチャカーン(マヒドーン大学)ピニット・チャルソンバット(ラームカムヘーン大学)そして,前書記長ソムバット・タムロンタンヤウォン(農業大学)。 |
DIA-204-1973-12-06-1 | タイ | 1973年12月06日 | 1970年代 | ソムバット選出さる-マヒド-ン大学政治学部講堂で行なわれた全国学生センタ-書記長選挙は,12対7の絶対多数でソムバット氏が再選された。経済部会委員長にはノック・ウォントランナン氏,教育部会委員長にはピ-ヤポン・スウバワニッチカン氏が選されたが,政治部会委員長は,候補者1名のため延期された。 |
DIA-204-1973-12-06-2 | タイ | 1973年12月06日 | 1970年代 | 米輸出プレミアム引き下げ-100%米輸出を促進するため,商業省はトン当り5000バーツから3000バーツに輸出プレミアムを大幅に引下げたと発表。この40%に及ぶ引き下げは,国際市場へのタイ米輸出を増大させることになろう。 |
DIA-204-1973-12-06-3 | タイ | 1973年12月06日 | 1970年代 | プーイ博士入党拒否-部タイランド銀行総裁プーイ・ウッパコーンは,国政参加に不適格であり,またそう望まず,下野で民主主義の擁護者になると正式に見解を明らかにした。また「前軍事政権からの経済危機の病根は深く,短期に収拾不可能である。現暫定政権は,「社会悪」を正し,「コミュニスト」と目される人々と協議すべきである」と経済学者として語った。 |
DIA-204-1973-12-06-4 | タイ | 1973年12月06日 | 1970年代 | ナロン帰国か-警察局局長プラチュアップ氏は,ナロンがタイ北部の国民党軍の助けを借りて帰国しようとしており,十分ありうることであるけれども,時期尚早と思われ,たとえ彼に従順な国内の部下が反乱を起こすとしても軍と協力して鎮圧すると語った。 |
DIA-204-1973-12-07-1 | タイ | 1973年12月07日 | 1970年代 | 選拳法骨子固まる-憲法起草委員会は,選挙法について,次のように決定した旨発表した。選挙権の年齢制限を20歳以上であったものを18歳以上に,下院被選挙権の年齢制限を25歳以上にした。また,下院彼選挙人は75名以上の立候補者をたてる政党の党員であらねばならない。彼らは約150選挙区から選出され,下院議員数は240~300名程度である。 上院については,以上の規定はない。枢密院が300名の上院候補者を学識経験者,実業家等から選び,その300名の互選によって100名の上院議員が選ばれることになっている。国会解散時には,上・下院同時に解散する。上下院とも任期は4年である。 |
DIA-204-1973-12-08-1 | タイ | 1973年12月08日 | 1970年代 | 外務副大臣中東歴訪-チャチャイ外務副大臣は,12日各省高官を伴い,1974年の原油74万バーレル確保のため,中東諸国を歴訪するが,それに先立って,イスラエルに対し,シナイ半島および他の占領地域からの即時撤退を要請した。また,タイ国としては,原油の見返りとして,米,セメント等の輸出を希望している。なお,タイは中国,インドネシアからの原油輸入をとり付けている。 |
DIA-204-1973-12-09-1 | タイ | 1973年12月09日 | 1970年代 | 警察,軍選出議員辞職-195名の軍,警察選出国会議員は11日に,議長に辞表を提出する予定である。その内訳は,138名の陸軍軍人,24名の海軍軍人,23名の空軍軍人,10名の警察官である。なお,現国会の総議席数は299名である。 |
DIA-204-1973-12-10-1 | タイ | 1973年12月10日 | 1970年代 | 石油危機,米輸出に打撃-米輸出業界筋によると,アラブ諸国の石油供給制限のため,海外市場へ米やとうもろこしを運ぶ,日本貨物船が約80%航行不能であるため,米輸出は大打撃を蒙ることになろう。 |
DIA-204-1973-12-11-1 | タイ | 1973年12月11日 | 1970年代 | 政府税制改正-増税へ-公務員給与のアップのため,10億バーツの追加税収の必要があるため,政府は,車,家庭用電化製品,石油税の増税を決定したと発表した。たとえば,エアコン,冷蔵庫,テープレコーダー,レコードプレーヤー,テレビ,その他類似電化製品に対する課税は,15%から30%に引き上げられる。なお,車の登録料や土地譲渡料の増額もまた含まれる。 |
DIA-204-1973-12-11-2 | タイ | 1973年12月11日 | 1970年代 | デモクラシーの道を開く集会-政府は,民主主義の青写真を立て,あらゆる地位,職業の2343人の市民に,その任を依託することを発表した。その2343人からなる国民集会は,ワン・ワイタヤコー殿下の議長のもとで,暫定的国民議会を構成する299名の国民代表を選出するため開催されることになった。 |
DIA-204-1973-12-12-1 | タイ | 1973年12月12日 | 1970年代 | 労働争議の深刻化-サンヤー首相は,タイ経済に深刻な影響をおよぼしているストライキ中止をテレビを通じて呼びかけた。労働者が暴力的になることを戒め,労使の話合いを強張し,労働局に提訴し,労働法に従うよう力説した。今日ストライキは,タイ輸出品の価格を高め,国際競争力の弱化を招いている。 |
DIA-204-1973-12-12-2 | タイ | 1973年12月12日 | 1970年代 | 所得税率引き下げ-大蔵省によれば,生活費の値上りによる負担を軽減するため,低・中額所得者の個人所得税を引き下げられる。 |
DIA-204-1973-12-14-1 | タイ | 1973年12月14日 | 1970年代 | 石油に国家歳入の半分支払う-元工業省副大臣ポーン・シーチャモーン博士は,今月の原油価格を基礎にして,タイ国の年間原油消費額を積算すると90億バーツと1969年消費額の約4倍になり,現在,タイの国家歳入額は200億バーツなので,その約半分が石油に食われたことになると語った。 |
DIA-204-1973-12-14-2 | タイ | 1973年12月14日 | 1970年代 | 日本-タイ貿易会議終る-4日間にわたって,東京で開かれていた日本-タイ貿易会議が終了,共同声明が発表された。それによると,来年,タイから日本はもち米4万トン,冷凍牛肉1200トンの買付けを約束し,さらにパイン缶詰,タピオカの買付けを増加することになった。一方,タイは工業用ビニール塩化物,農業用肥料を輸入することになった。(参考資料I.3参照) |
DIA-204-1973-12-15-1 | タイ | 1973年12月15日 | 1970年代 | 1月末までに憲法草案国会へ-ソムポッブ法務副大臣によると,現在審議中の恒久憲法草案は,1月初めに審議を完了し,中旬に閣議にかけられ,1月末には国会に提出されることになりそうである。 |
DIA-204-1973-12-15-2 | タイ | 1973年12月15日 | 1970年代 | 港湾スト,港を破壊する恐れ-6000名の沖仲仕のストライキが2日目に入ったが,500名の荷役係りがこのストに合流して悪化の一途を辿っている。このストライキは1日当り40バーツの賃金を80バーツに引き上げることを要求しており,現在51隻の船舶が麻痺状態になり,労働者はナイフ,ピストル,手りゅう弾で武装し,港湾内をうろついている。 |
DIA-204-1973-12-16-1 | タイ | 1973年12月16日 | 1970年代 | 国会解散-暫定憲法第16条の規定にもとづいて,国王は勅命をもって国会を解散した。 |
DIA-204-1973-12-16-2 | タイ | 1973年12月16日 | 1970年代 | 戒厳令28県で解除か-内務省は,国家安全保障会議に対し,共産主義テロリストの出没する諸県を除いて,28県で,戒厳令を廃棄するよう勧告した。 |
DIA-204-1973-12-17-1 | タイ | 1973年12月17日 | 1970年代 | クラ地峡オイル・パイプラインについて田中首相と協議か-国家エネルギー庁ニチパット事務局長は,日本の田中首相訪タイの際サンヤー首相との間で,クラ地峡を横断するパイプ・ラインの建設について協議するよう,同庁が提案していると語った。 |
DIA-204-1973-12-17-2 | タイ | 1973年12月17日 | 1970年代 | 国民会議メンバー70名減少-国民会議メンバーに任命された2346名の登録期限が切れ,70名が登録に間に合わず,結局メンバーは2276となった。 |
DIA-204-1973-12-18-1 | タイ | 1973年12月18日 | 1970年代 | サウジアラビア低価で原油供給-アラブ諸国を歴訪していたチャチャイ外務副大臣は,サウジアラビアが市場価格よりも低価で原油をタイに供給することに同意したと語った。 |
DIA-204-1973-12-19-1 | タイ | 1973年12月19日 | 1970年代 | 混乱の中で国民会議の投票終る-新しい国会議員を選ぶ,歴史的国民会議が王室競馬場で開かれた。未経験な志願者が多く,コンピューターによる集計が大幅に遅れた。投票した国民会議メンバー数は2270名であった。 |
DIA-204-1973-12-20-1 | タイ | 1973年12月20日 | 1970年代 | 新国会議員決まる-19日に開かれた国民会議の投票結果が,今朝6時に集計が終り,明らかになった。当選した299名の新国会議員の60%を官僚が占めた。職業別内訳は下記の通りである。 陸軍軍人 16 空軍軍人 2 海軍軍人 4 警官 14 ジャーナリスト 15 講師 47 官吏 98 国営企業従業員 7 法律家 17 実業家 23 銀行家 6 区長(カムナン) 8 村長(プーヤイ・バーン) 3 裁判官 4 芸術家 2 退職官吏 13 園丁 1 自治体議員 9 県会議員 4 農民 2 無職 2 SEAMES従業員 1 サームロー運転手 1 新たに選出された議員の得票結果をみると,サイアム・ラット主幹ククリット・プラモート氏が最高得票1105票を獲得,次いで元タイランド銀行総裁のプーイ・ウッパコーン氏が948票で第2位で当選している。299番目は,159票を獲得したサームロー運転手プラティープ・シアンワン氏であった。 |
DIA-204-1973-12-22-1 | タイ | 1973年12月22日 | 1970年代 | ラィラユット奢侈品追放運動始める-民主主義のための国民グループの調整者であるティラユット氏は,新たに組織されたタイ国消費者擁護連盟と手を結んで,明朝10時からラーチャダムリー商店街で,奢侈品追放運動を開始すると語った。 |
DIA-204-1973-12-23-1 | タイ | 1973年12月23日 | 1970年代 | 奢侈品への抗議行動始まる-元全国学生センター書記長に率いられた200名以上の学生は,クリスマスおよび新年の買物ラッシュを控えて,今日から15日間の日本商品および奢侈品に対する抗議行動を始めた。ティラユット氏は,日本の経済侵略について非難し,「経済侵略は,この国における米軍基地の存在より以上に悪い」と語った。この抗議行動は1月5日まで続けられる。この他に,日本の日中首相が訪中する1月9日に田中首相“歓迎”キャンペーンが準備されている。 |
DIA-204-1973-12-24-1 | タイ | 1973年12月24日 | 1970年代 | 政府,共産主義者と休戦か-タウイー国防大臣の語るところによれば,政府は,共産主義反乱分子との戦闘の1ヵ月間中止を宣言することを計画しているとのことである。 |
DIA-204-1973-12-24-2 | タイ | 1973年12月24日 | 1970年代 | 田中首相と会うべくグループ結成-来月訪タイする日本の田中首相と会見するため新しいグループが結成された。このグループはティラユット氏が指導する「民主主義のための国民」グループの分派で,「日本・タイ経済関係を研究する国民委員会」と呼ばれている。このグループは,田中首相の訪タイ期間に彼と会見し,提言を行なうことを計画している。この委員会には,ウッティト・ナークサワット博士,キエン・ティラウィット博士,プラチオーム・チョムチャイ博士,タウィー・ムエンニコーン氏,レー・ディロックウィッタャー氏,スパ チャイ・マナスパイブーン氏,ウィラポン・ラマンクラ氏,ランセン・タナポーンパン氏,ブーンサノンハーンチャオ博士,ソムサック・チュートー博士,ブンチャナ・アッタコーン博士等が加わっている。 |
DIA-204-1973-12-24-3 | タイ | 1973年12月24日 | 1970年代 | 訪中使節団協議進む-21日北京入りしたチャチャイ外務副大臣以下,13名のタイ訪中代表団は,8日間の日程で協議を続けているが,新華礼電によれば,中国とタイ国の貿易拡大について友好的に協議がされているとのことである。 |
DIA-204-1973-12-27-1 | タイ | 1973年12月27日 | 1970年代 | 石油危機のため,暫定憲法15条を行使-サンヤー首相は,暫定憲法第15条の絶対権を行使して石油節約を命令した。この命令は1年間有効とされ,スタンドにおけるガソリンの日曜日の販売禁止,遊興施設の11時閉店が含まれている。 |
DIA-204-1973-12-28-1 | タイ | 1973年12月28日 | 1970年代 | 新国会開かる-19日,国民会議で選出された新国会議員299名が,国王によって正式に任命された。 |
DIA-204-1973-12-28-2 | タイ | 1973年12月28日 | 1970年代 | 中国,タイに門戸開く-チャチャイ外務副大臣は中国との貿易交渉を終えた帰途,香港で語り,次のような諸点を明らかにした。 1.中国は大きな貿易の窓口を開いてくれた。タイは中国貿易のための特別公社は設立しない。タイの民間商社と中国の国営貿易会社間で取引きすることになろう。 2.5万トンのディーゼル石油交渉は成功裡に終った。石油価格は,タイが交渉を始めた11月時点の価格で決まった。周首相は“これは友好価格です”と語っていた。 3.周首相は,タウィー・チュラサップ大将をタイオリンピック委員長の資格で招聘し,他の委員を同時に招聘された。 4.タイは,4月にバスケット,チームを中国に送払医師と学術関係者の相互交換を検討することになった。中国は体操チームおよびアクロバット・チームをタイに送るとのことである。 5.タイ側は,タイ貿易促進会議議長フォン・ヤオティン氏をタイに招聘した。 6.周首相はアメリカ軍の早期撤退を要求しなかった。 7.北京の平和への欲求は深く印象づけられた。中国は防衛のみを考え,侵略を考えておらず,中国指導者は平和を欲している。 8.中国はソ連の拡張政策を警戒していた。 9.北タイの国民党に関しては,阿片を売る無法者と述べ |
DIA-204-1973-12-29-1 | タイ | 1973年12月29日 | 1970年代 | サウジ・アラビアから石油300百バーレル-チャチャイ外務副大臣は,サウジ・アラビアは,タイ国に300万バーレルの石油を売ることに同意したと語った。 |
DIA-204-1973-12-29-2 | タイ | 1973年12月29日 | 1970年代 | 中国との国交樹立間近-北京で貿易交渉を終えて帰国したチャチャイ外務副大臣は,中国の承認は間近いであろう。それは時間の問題だとし,台湾については,台湾がタイにおける自分自身の地位を考えるべきであろうと語った。 |
DIA-204-1974-01-01-1 | タイ | 1974年01月01日 | 1970年代 | 国王の新年メッセージー「いくつかの危機が経済・財政・政治構造に影響を与えつつある。国民は,決断と長期的視野をもって対処せねばならない。」と全国民に混乱状態の回避,国民の相互信頼公益のための自己犠牲よびかける。 |
DIA-204-1974-01-01-2 | タイ | 1974年01月01日 | 1970年代 | サンヤ首相は,石油危機を訴え,状況打開のため,国民の統一と理性と公正を訴える。 |
DIA-204-1974-01-03-1 | タイ | 1974年01月03日 | 1970年代 | 政府は,来週から全石油の市場操作を行ない,重要11産業に優先的に割当てると発表。 指定産業―①農耕を含む農業関係産業,②石油採掘③観光産業,④鉱業,⑤教育器機産業,⑥輸送を含む輸出指向産業,⑦公益事業,⑧石油製品製造業,⑨工芸産業,⑩漁業,⑪畜産業。 |
DIA-204-1974-01-03-2 | タイ | 1974年01月03日 | 1970年代 | チュラロンコン大学で,学生・教師などによる経済セミナーが開かれ,田中首相訪タイにおける学生の役割,日タイ関係の改善が論議され,不必要な産業に対する日本の投資抑制,日本が途上国との関係で,オープンマイドであることなど,田中首相への提案を決めた。 |
DIA-204-1974-01-04-1 | タイ | 1974年01月04日 | 1970年代 | 外相はNSCT書記長ソムバットと会談し,田中首相訪タイ中,学生が混乱をおこさぬことを要請。NSCTは,田中首相訪タイ時には,エラワンホテルが学生デモの中心となると発表。 |
DIA-204-1974-01-04-2 | タイ | 1974年01月04日 | 1970年代 | 米軍3700人の撤収発表。現在駐タイ米軍は3万5000入になったと最高司令官発表。 |
DIA-204-1974-01-05-1 | タイ | 1974年01月05日 | 1970年代 | 米大使館CIAが国内問題に介入したこと認める-米大使館は,タイ共産党の大物Cbamrasの名で,首相や新聞社に送られた,共産側の自治とひきかえに停戦を認める手紙は,CIAが書いたと政府に陳謝。これでCIAが,国内問題までに干渉していることがはじめて明らかとなる。 |
DIA-204-1974-01-05-2 | タイ | 1974年01月05日 | 1970年代 | 新空港建設反対運動高まる―新しい空港の必要があるのか,あるとしたらNong Ngu Haoは適地かで,論議が高まっているが,20億バーツの出費は経済危機の中で余裕がない,予定地は政府高官の所有であり,空港としても不適であるとして,NSCT,FIST,大学院生グループは6日,政府に抗議。7日,交通郵政相の説明を不満として学生活動家,首相と会見し,建設契約の破棄陳情。 |
DIA-204-1974-01-06-1 | タイ | 1974年01月06日 | 1970年代 | CIAに対する抗議高まる―NSCTとPDG(民主主義を求める国民グループ)は米大使館に抗議した。 |
DIA-204-1974-01-07-1 | タイ | 1974年01月07日 | 1970年代 | VSCT 田中首相抗議方針決める一27校の代表が集まった執行委員会でVSCTは,空港・エラワンホテルを抗議集会地と決め,この運動中,警察当局と協力していくことを決めた。 |
DIA-204-1974-01-07-2 | タイ | 1974年01月07日 | 1970年代 | NSCTは首相に,タイ側の対日政府機構の改善を要望。タイ側のたるみが日本との経済関係で不利を招いている一因としている。 |
DIA-204-1974-01-08-1 | タイ | 1974年01月08日 | 1970年代 | 政府,買占め取締強化―憲法17条の首相大権により,買占め商品を没収し,公表する方針を決める。このため商務・農務両省は商人の適正在庫量を決める。 |
DIA-204-1974-01-08-2 | タイ | 1974年01月08日 | 1970年代 | PDGのチュラユット世話役は首相と会見し,物価統制のための部局創設を陳情ごまた買占め緩和のため,学生が協力することと伝える。 |
DIA-204-1974-01-08-3 | タイ | 1974年01月08日 | 1970年代 | 日本人学校認可される。 |
DIA-204-1974-01-09-1 | タイ | 1974年01月09日 | 1970年代 | 田中首相の訪タイ―晩餐会の席上,サンヤ首相は経済発展のための東南アジア閣僚会議を訴え,田中首相は東南アジア青年の船計画をのべた。 この日3000人のNSCT,VSCT,FISTの学生がエラワンホテル前で抗議。700人のVSCT学生は大丸デパートに押しかけ,窓ガラスを割った。またJETRO前でプラスチック爆弾爆発。 |
DIA-204-1974-01-09-2 | タイ | 1974年01月09日 | 1970年代 | 米大使館にも抗議―反田中集会の後PDGの指導下に数千人のデモ隊か大使館にCIAの国内問題干渉を抗議。またキントナー米大使が訪問しているチェンマイ大学でも,北部学生センターはCIA問題について大使に抗議して米国旗を焼いた。 |
DIA-204-1974-01-10-1 | タイ | 1974年01月10日 | 1970年代 | 日タイ首脳会議で,経済協力・運輸・原料供給・融資援助などが話し合われた。商務大臣は,田中首相に2国間の輸送について,2国間協定の原則を要望し,またタイ企業のため,半製品供給確保を要望。蔵相は円ローンの条件について要望。 |
DIA-204-1974-01-10-2 | タイ | 1974年01月10日 | 1970年代 | 田中首相NSCT代表と会見―日本の経済支配,日本製テレビ番組の影響,関税,日本人の行儀の悪さ,環境問題などが話し合われた。その後学生は,首相のいいのがれと傲慢さに驚いたと語った。 |
DIA-204-1974-01-10-3 | タイ | 1974年01月10日 | 1970年代 | 職業学校生徒,教育省舎を占拠―9日の5000人にのぼる職業学校生の教育省抗議デモにつづいて,10日2000人余の生徒が火器弾薬をもって省舎を占拠した。彼らは,職業学校卒業生が,より高次の教育機関への入学のチャンスの増大,卒業生に学位を与えることなど要求している。16日文部相はこの要求を容れる。学生は解散。学生間の乱闘で1人死亡。 |
DIA-204-1974-01-10-4 | タイ | 1974年01月10日 | 1970年代 | 商務省,買占め防止策打出す―首都および隣県の商品(7品目指定)保持者は10日からその量と場所を報告することが義務づけられた。指定された7商品は,食用植物油,洗剤,パルプ,印刷紙,新聞用紙,麻袋,鉄棒。 |
DIA-204-1974-01-11-1 | タイ | 1974年01月11日 | 1970年代 | 田中首相,日本人商工会議所メンバーと会見―この席で石油危機にも拘らず,原料供給を日本国内と同等にすること,援助計画達成のため,港湾および基礎産業の発展に特別の注意を払うこと,などが陳情された。 |
DIA-204-1974-01-12-1 | タイ | 1974年01月12日 | 1970年代 | NSCT 主婦のための大会開く―1000人の学生社会人が参加し,政府に1週間の期限をつけて物価上昇に対し,効果的措置をとるよう要求。彼らは物価騰貴の原因を石油危機,買占めおよびこれを助ける銀行とみている。 |
DIA-204-1974-01-13-1 | タイ | 1974年01月13日 | 1970年代 | ラノーング県で知事が不当利得者に甘いとして,1万人以上の集会があった。また各地でデモがある。 |
DIA-204-1974-01-13-2 | タイ | 1974年01月13日 | 1970年代 | 政府,高利貸に対する不満調査委員会設置これは北中部の農民と高利貸の間でトラブルがたえないことで設置された。 |
DIA-204-1974-01-14-1 | タイ | 1974年01月14日 | 1970年代 | 中国から5万トンのジーゼル油一石油燃料公団理事長によると,華潤公司との間に供給契約が結ばれた。 |
DIA-204-1974-01-14-2 | タイ | 1974年01月14日 | 1970年代 | バス7台焼かれる―バス値上げに反対する500人の利用者はバスを焼いて反対した。 |
DIA-204-1974-01-14-3 | タイ | 1974年01月14日 | 1970年代 | ウドンで反米集会-CIAの国内干渉に端を発して,2000人の学生が米軍基地撤去のデモを行なった。 |
DIA-204-1974-01-15-1 | タイ | 1974年01月15日 | 1970年代 | CSOC(共産主義者抑圧本部)から内部告発-アナント少佐を中心として6人の軍人警察によって書かれた『親愛なる共産主義者』によると,過去8年間に反共産主義者作戦のため4万7300人が従事し2600人が死亡した。また40億バーツが使われたという。 |
DIA-204-1974-01-15-2 | タイ | 1974年01月15日 | 1970年代 | タイ,モンゴルと国交。 |
DIA-204-1974-01-15-3 | タイ | 1974年01月15日 | 1970年代 | 警察,NSCT,VSCTと協力して買占め,不当利得者の取締り始める。ソムバット書記長,商務大臣と会談して,取締りの方法を話し合った。 |
DIA-204-1974-01-15-4 | タイ | 1974年01月15日 | 1970年代 | 国会,内閣提案の自動車登録税法案否決。 |
DIA-204-1974-01-16-1 | タイ | 1974年01月16日 | 1970年代 | 首相,反共政策を再確認-首相は,CIAは麻薬取引の監視などをしている点で有益である。しかし国内事項の干渉については,現在検討中と発表。また共産反乱者に対する政策はかえないと発表。 |
DIA-204-1974-01-16-2 | タイ | 1974年01月16日 | 1970年代 | 外相,外国人記者クラブで演説-この中で外交政策を次のように語った。①特に近隣諸国との善意ある理解の促進,②効果的地域協力の全面的支持。これが地域全体の安定と繁栄の道である,③社会制度・イデオロギーに拘らず,全てのタイに悪意をもたぬ国との友好関係の増進,④長期政策として,東南アジアの中立化,⑤タイヘの援助は,国力を増しタイ経済を自立させるものでなければならない。 |
DIA-204-1974-01-18-1 | タイ | 1974年01月18日 | 1970年代 | 第5次5カ年計画の改訂-閣議でこの計画は失敗であり,国家経済社会開発庁に状況に合せて改訂させることにした。この失敗の原因として,①資本財の価格上昇をもたらした国際金融情勢,②石油価格の上昇,③過去3ヵ月間の続発する労働不安,④インフレと物の買占め。 |
DIA-204-1974-01-19-1 | タイ | 1974年01月19日 | 1970年代 | 首相,国王に謁見-内閣は国会において,自動車登録新税案を否決され,また物価騰貴の責任として,学生団体に3経済閣僚の辞任を要求され苦境にあるが,首相は国王に謁見して,国事と国会の動き報告。 |
DIA-204-1974-01-19-2 | タイ | 1974年01月19日 | 1970年代 | ノンカイ・ナコンパノムで共産側の攻撃。連日の戦いで,7人の警察官,家族死亡。 |
DIA-204-1974-01-21-1 | タイ | 1974年01月21日 | 1970年代 | ラオス国境を越えてきたタイ人民解放軍は,Baan Na Sai村付近に解放区をつくろうとして失敗,この攻撃は25日頃まで続く。 |
DIA-204-1974-01-22-1 | タイ | 1974年01月22日 | 1970年代 | 学生,日本製テレビ番組の上映禁止要求-広報局は,この要求に従いタイ製番組優先および道徳的・芸術的価値のガイドラインを設けた。 |
DIA-204-1974-01-25-1 | タイ | 1974年01月25日 | 1970年代 | 中華人民共和国展開かる-30日までタマサート大学で,反共法の存在にも拘らず開かれ,毛沢東の肖像がはじめて公衆の前にでた。 |
DIA-204-1974-01-25-2 | タイ | 1974年01月25日 | 1970年代 | 国会は自動車登録税法案を緊急令として承認。また政治目的のための5人以上の集会を禁止した革命団布告4号(1958年)を廃止した。 |
DIA-204-1974-01-25-3 | タイ | 1974年01月25日 | 1970年代 | コンケーン大生,タイ人民解放軍リーダーと会見-彼らはノンカイのBaan Na Ngiew村で会見し,解放軍リーダーは停戦の条件として,①政党を組織する権利,②CIAの追放,③米軍および施設の撤去,などを求めたという。 |
DIA-204-1974-01-26-1 | タイ | 1974年01月26日 | 1970年代 | 旧政権下の政治犯釈放-1971年11月のクーデターをやった軍事政権を告訴し,反逆罪にとわれた3元国会議員は,NEC令36号廃止国王署名ののち,解放された。 |
DIA-204-1974-01-28-1 | タイ | 1974年01月28日 | 1970年代 | 副外相は,石油危機緩和方法として,①タイ湾での石油開発の促進,②石油開発において外国企業との合併の促進,③石油の節約と価格安定のための介入を語った。 |
DIA-204-1974-01-29-1 | タイ | 1974年01月29日 | 1970年代 | 今年の成長率予測5.6%-国家経済社会開発庁によると1973年の成長率は7%となり,この高成長は豊作と高輸出価格によってもたらされたという。 |
DIA-204-1974-01-30-1 | タイ | 1974年01月30日 | 1970年代 | 外相は,米国はタイヘの軍事援助を減らし,経済・教育協力に重点をおくべきだと発言。 |
DIA-204-1974-01-31-1 | タイ | 1974年01月31日 | 1970年代 | 拘留回教徒釈放革命団布告43号(社会に望ましくない人物の拘留を政府に認める)により,3年近く分離運動の疑いで拘留されていた回教徒152人が釈放された。 |
DIA-204-1974-02-01-1 | タイ | 1974年02月01日 | 1970年代 | オーストラリア首相ウィトラム訪タイ-31日から6日間の日程で訪タイしたウィトラム氏にサンヤ首相は,貿易の不均衡の是正を要望した。またウィトラム首相は「東南アジアの安定と平和はオーストラリアに有益であり,ASEANの東南アジア平和・自由・中立構想を支持する」と語ったという。 |
DIA-204-1974-02-01-2 | タイ | 1974年02月01日 | 1970年代 | タイ銀行,インフレ抑制策-銀行預金利子を定期7%から8%に,普通3.5%から4.5%にした。また預金準備金率を7%から8%に。タイ銀行貸出金利を10%から11%にした。また基礎産業(鉄鋼・化学・建設資材)などに最優先に信用供与し,基礎資材の生産コストを下げる方針。 |
DIA-204-1974-02-02-1 | タイ | 1974年02月02日 | 1970年代 | タイにおける外国投資の是非を調査する委員会を工業相任命。この委員会はBoI設置以後,外国投資がタイ経済に与えた影響を調査する。 |
DIA-204-1974-02-03-1 | タイ | 1974年02月03日 | 1970年代 | ターク・ナン-チェンライ間の2本の道路は共産側の攻撃で着工できず。 |
DIA-204-1974-02-04-1 | タイ | 1974年02月04日 | 1970年代 | 国防相タウィー訪中へ-中国との間には石油取引,政治諸問題が話し合われる予定。タウィー氏は,タイオリンピック委員会委員長の肩書による訪中である。 |
DIA-204-1974-02-04-2 | タイ | 1974年02月04日 | 1970年代 | 1975年の投資-外国企業規制法が景気後退をもたらすとの予測に反し,1973年は投資額は最大となりBoI(投資院)により奨励を受けた企業は87,総額85億5585万バーツである。87企業中47は合弁で大半は日本との間の合弁である。 |
DIA-204-1974-02-06-1 | タイ | 1974年02月06日 | 1970年代 | 農務省,米価安定計画発表-これによると主要米作地に倉庫をつくり,米市場に介入する方針。また仲買業者の影響を減らすため各県の中央市場をつくる計画。 |
DIA-204-1974-02-06-2 | タイ | 1974年02月06日 | 1970年代 | インガソル米国務次官補訪タイ-サンヤ首相,チャルーンパン外相と会見。タイ側は軍事協力から経済協力に重点がおかれること要望。またインガソルは砂糖・繊維の輸入割当ての増大,タイヘの肥料供給の考慮を約した。 |
DIA-204-1974-02-07-1 | タイ | 1974年02月07日 | 1970年代 | PDG憲法案を非民主的と発表彼らは,①上院は国民投票にするべきだ,②政治的イデオロギー表現の自由の条項を加えよ,③地方首長は公選にせよ,と要求している。 |
DIA-204-1974-02-09-1 | タイ | 1974年02月09日 | 1970年代 | 副商務相,来月医師団の訪中を発表。これは薬品の取引に結論を出すため。また5月頃までに民間が中 国と直接取引するようになろうと見通しをのべた。 |
DIA-204-1974-02-11-1 | タイ | 1974年02月11日 | 1970年代 | 憲法草案内閣へ-プラコープ司法大臣を長とする憲法起草委員会の草案が10時間以上に亘って閣議で検討された。ここでは,①王位継承を規定した血統令の修正廃止はできないことを憲法に明記する,②大学講師と上下議員の兼職の禁止,③146条に議員提案で,予算を伴う立法は事前に首相によって修正されるという条項を加える,④216条の削除,の4大修正が行なわれ,国会に提出された。なお,サンヤ首相はこの憲法を最も民主的で完全な憲法と評価。 |
DIA-204-1974-02-12-1 | タイ | 1974年02月12日 | 1970年代 | 政府は友好通商条約を更新しない方針-現在17カ国との間にこの条約関係にあるが,外国人企業・職業規制法の2法に対し,外国からの圧力がかかるのを避けるためという。 |
DIA-204-1974-02-14-1 | タイ | 1974年02月14日 | 1970年代 | 米大使館員が語ったところでは「現政府の決断のない雰囲気が,米投資家に次の選挙まで静観の態度をとらせている。」 |
DIA-204-1974-02-14-2 | タイ | 1974年02月14日 | 1970年代 | PDGのチュラユット氏らは,先月の共産テロ軍と政府軍の戦闘中,ノンカイ県Baan Na Sai村では,政府軍によって村が焼かれ3人が死亡したと告発。 |
DIA-204-1974-02-14-3 | タイ | 1974年02月14日 | 1970年代 | インド洋での米ソ海軍について公式論評。 (1)タイ国は,インド洋は平和地帯の宣言がなされるべきだとの国連の決議を支持する。 (2)タイ国は,近隣諸国に大国の介入があることを望まない。海洋国家として,インド洋では緊張がないことを望む。 |
DIA-204-1974-02-15-1 | タイ | 1974年02月15日 | 1970年代 | Doi Inthanond山頂のレーダー基地建設に反対している学生自然保護団体に“アカ”攻撃連日続く。 |
DIA-204-1974-02-15-2 | タイ | 1974年02月15日 | 1970年代 | 首相Baan Na Sai村民に会う一PDGと首都に来た4人の村民は首相と会った。彼らは誰もが共産主義者のレッテルをはられる村には帰りたくないといっている。 |
DIA-204-1974-02-15-3 | タイ | 1974年02月15日 | 1970年代 | 国会で副首相は「政府は,共産主義者の国内反乱問題は,中国,北ベトナムなど社会主義国との接触で解決できると信じている。現在,北ベトナムとの対話を模索中である」と語る。 |
DIA-204-1974-02-17-1 | タイ | 1974年02月17日 | 1970年代 | 文官と武官の協力-国家安全保障会議と国家経済社会開発庁は,共同で非常事態に対処する共同準備センターをつくった。これは主に経済の非常事態に対し,文官と武官が共同で行なう最初の準備計画である。 |
DIA-204-1974-02-18-1 | タイ | 1974年02月18日 | 1970年代 | 政府,土地改革に合意-農務次官は「サンヤ首相は土地改革に合意した。この法案は内務省と農務省の合意でつくられ,主要目的は農民に土地所有権を与えることである」と語る。1971年現在中央部では35%の農家が借地農である。 |
DIA-204-1974-02-18-2 | タイ | 1974年02月18日 | 1970年代 | 地方行政局,民主主義の普及運動はじめる-これは3月末まで続けられ,この指導は,旧タンボン会メンバー,村の教師などを対象としてなされ11万0393人が指導を受ける予定。 |
DIA-204-1974-02-19-1 | タイ | 1974年02月19日 | 1970年代 | クーデターのうわさ流れる一NSCT,PDG,FISTの首脳は秘密会を開き,この数週間流れている軍若手のクーデターのうわさを検討した。 |
DIA-204-1974-02-19-2 | タイ | 1974年02月19日 | 1970年代 | 強力な証券市場の育成ヘー大蔵省は,銀行預金による所得に課税し,資金を直接投資に流す方針である。 |
DIA-204-1974-02-20-1 | タイ | 1974年02月20日 | 1970年代 | NSCT,FIST,PDGの主催によるBaan Nai Sai事件の真相を明らかにするための集会が開かれた。これには1万人以上が参加した。共同コミュニケは「民主主義および国家の存続を乱す事態に直面した時,共同の力で人民の利益・権利・自由を守る」と宣言。またチュラユット氏は「クーデターの場合は,事前の知らせがなくとも,プラメーン広場に集まり,最後の1人になるとも独裁と闘おう」と呼びかける。 |
DIA-204-1974-02-21-1 | タイ | 1974年02月21日 | 1970年代 | タイ漁民協会,首相に陳惰-50万人にのぼる会員を有する漁民協会会長は,首相にディーゼル油の供給,魚粉の輸出解禁,漁具に対する低課税を求めた。 |
DIA-204-1974-02-22-1 | タイ | 1974年02月22日 | 1970年代 | 19日,内閣は内務省にBaan Na Sai事件の調査委員会の設立を命じたが,国会では独自の調査団が否決された。これは,国会の間接的政府信任投票である。 |
DIA-204-1974-02-24-1 | タイ | 1974年02月24日 | 1970年代 | 民主党セニ氏を党首に-政党としてはじめて民主党が,次の選挙への名のりをあげた。3000人以上が参加した党大会ではセニ党首および24人の執行委員を選出した。セニ党首は「北欧型の社会主義を目標とし,政党政治を力づけ,社会における腐敗の根絶,社会正義を確立する。党は財産権を尊重し,農民を無視せず,公益・国営企業を支持する」と語る。 |
DIA-204-1974-02-25-1 | タイ | 1974年02月25日 | 1970年代 | 工業相Osot Kosin演説-ECAFEによるエネルギー危機に関する会議で「タイはエネルギーの大部分を輸入石油に頼っており,石油の供給量・価格は,経済社会開発に大きな影響を与える。特に価格騰貴は,成長の障害となる。これはインフレを促進し,国際収支は悪化をきたしている。石油輸出国の余剰金が低開発国の利用に供されることを望む」と演説。 |
DIA-204-1974-02-26-1 | タイ | 1974年02月26日 | 1970年代 | サンヤ政権下で二度目の石油価格値上げがみとめられた。 |
DIA-204-1974-02-27-1 | タイ | 1974年02月27日 | 1970年代 | 安全保障会議,対共産主義者政策変更-投降を促進するため,武力弾圧から,政治的戦略に重点をおくことを決める。また,この席で革命団布告53号(中国との自由貿易を禁じたもの)廃止問題もとりあげられたが結論でず。 |
DIA-204-1974-03-01-1 | タイ | 1974年03月01日 | 1970年代 | 農民,米価で政府にはじめて要求-15県の米作農民1000人以上が,首都で米価値上げの要求をし,この後代表が首相に,①現在の仲買商人売渡値,クウィエン当り1800バーツを政府は3000バーツ保証せよ,②政府はディーゼル油を確保し,農業団体に一定の供給を確保せよ,③政府は肥料・農薬を確保せよ,の3項目を陳情。首相は米のプレミアム3億バーツでこの価格保証をやると語ったという。 |
DIA-204-1974-03-04-1 | タイ | 1974年03月04日 | 1970年代 | Mae Klong河の公害悪化-乾期とともに水量の減った川に砂糖工場から流出する多量の糖分の多い温水は川の生物を死滅させ,またサムットソンクラーム県,ラッチャブリー県民30万人の飲水,日常生活に影響を与えている。 |
DIA-204-1974-03-05-1 | タイ | 1974年03月05日 | 1970年代 | 政府,農業政策を発表閣議で,農業に対する政府の努力として「銀行からの借入により倉庫建設をし,農民団体が米の取引をできるようにする。また農民団体による米の輸出を促進する。農民援助基金へ米輸出プレミアムを割り当てる」と発表。 |
DIA-204-1974-03-06-1 | タイ | 1974年03月06日 | 1970年代 | 新しい力の党(Palang Mai)選挙出馬へ-学生蜂起後結成された党は「立憲王制の支持,あらゆる独裁反対,より公正と機会を国民に与える経済組織の促進」を基本政策として,農民を含めた多彩な顔ぶれで選挙へ。党資金としては,党員の寄付によるが,大衆に基礎をおき,彼らの献金に頼る政党を考えている。 |
DIA-204-1974-03-07-1 | タイ | 1974年03月07日 | 1970年代 | 内閣から国会に提出された憲法草案の審議はじまる。35人の第2読会の委員は,国会に決める権限があること,逐条審議の方式でやることを決めた。 |
DIA-204-1974-03-08-1 | タイ | 1974年03月08日 | 1970年代 | 民主党反セニ派の動き一Chumphol Maneener氏を中心として,1400人の党員をもつ民主党の反セニ派が,新党をつくった。 |
DIA-204-1974-03-09-1 | タイ | 1974年03月09日 | 1970年代 | 7社会主義政党,4労働団体合併-連合経済党,社会民主党,民主戦線党,人民戦線党,スリ・アラヤタム党,社会党,労働党の7党,南部労働団体,セリタクシン,社会主義戦線,タイ労働センターの4労働団体は,合併の合意をした。外交政策については,どの国ともイデオロギーに拘らず,友好関係をつくり,外国援助は,ひもつきでないものに限る。また経済政策については一致しなかった。党資金は出版物収入および寄付による。 |
DIA-204-1974-03-10-1 | タイ | 1974年03月10日 | 1970年代 | 民主主義宣伝に派遣する学生の訓練キャンプ始まる-国立大学局によると4月休暇中に1万5000人の学生が民主主義の宣伝のため各地に派遣されるが,このため500人を一グループとする訓練が始まった。 |
DIA-204-1974-03-10-2 | タイ | 1974年03月10日 | 1970年代 | 漁民ストの方針を決める-34漁業協会の会談の結果,政府交渉が失敗した時,3月21日に漁に出ない(ストライキ)を実施することを決定。 |
DIA-204-1974-03-11-1 | タイ | 1974年03月11日 | 1970年代 | 一部漁民ストに入る-サムット・プラカン県では,漁業協会がストに入った。 |
DIA-204-1974-03-11-2 | タイ | 1974年03月11日 | 1970年代 | 政府は閣議で魚粉の輸出解禁の決定をした。 |
DIA-204-1974-03-11-3 | タイ | 1974年03月11日 | 1970年代 | 民主党3派に-反セニ派のうち,Ta-Ngai氏はChumphol派とたもとを分って第3の民主党をつくった。 |
DIA-204-1974-03-13-1 | タイ | 1974年03月13日 | 1970年代 | 米不足で密輸取締機関設置-商品の国境での密輸を取締る委員会できる。これは学生蜂起以後廃止されたBIFGDの復活である。 |
DIA-204-1974-03-13-2 | タイ | 1974年03月13日 | 1970年代 | 中国は「タイ国が必要としない商品は輸出しない」と伝えてきた。これはタイ側の自由貿易による中国商品の乱入の懸念を解くもの。 |
DIA-204-1974-03-14-1 | タイ | 1974年03月14日 | 1970年代 | NSCT,FIST市民の自由連合などの学生団体は農民の生活改善の提案を政府にし,①全国に農民居住地区をつくり,ここに在住する農民は当初給料,その後安い地代で農地を払い下げられる,②全国に農民協同組合をつくり,この組合は農業・組合銀行および農務省と協力する,③憲法の中に土地改革の規定を加える。この3案中1案を採用するよう政府に要求した。 |
DIA-204-1974-03-15-1 | タイ | 1974年03月15日 | 1970年代 | 農民援助基金法案起草委員長は年100億バーツの資金を集めるため全農産物輸出品にプレミアムをかける方針であり,この基金は農産物の価格安定のため,使われると語る。 |
DIA-204-1974-03-15-2 | タイ | 1974年03月15日 | 1970年代 | チエコスロバキアと国交。 |
DIA-204-1974-03-15-3 | タイ | 1974年03月15日 | 1970年代 | 国会憲法審議第1読会で上院制反対強い-民選によらない上院案に対し,強い反対がなされ,その理由のひとつは,国王を政治の中に引きこむものだという非難である。 |
DIA-204-1974-03-16-1 | タイ | 1974年03月16日 | 1970年代 | 汚職減らず-会計検査委員長は,公務員の汚職で毎年1億バーツの金が失われ,この傾向はサンヤ政権下でも変わっていないと語る。 |
DIA-204-1974-03-17-1 | タイ | 1974年03月17日 | 1970年代 | 米不足で,新規の米の輸出契約は一時禁止と商務省発表。 |
DIA-204-1974-03-18-1 | タイ | 1974年03月18日 | 1970年代 | 首相辞意もらす-サンヤ首相は,米不足問題・漁民のストライキなど,政府に対する批判の高まりに対し,憲法の第1読会審議終了後辞任したいと側近にもらした。 |
DIA-204-1974-03-19-1 | タイ | 1974年03月19日 | 1970年代 | 閣議で,中国との自由貿易を禁止した布告53号を廃止決議。この案を国会に提出した。 |
DIA-204-1974-03-20-1 | タイ | 1974年03月20日 | 1970年代 | ビルマ内紛でビルマ人タイに避難-ビルマ軍は,タイ=ビルマ国境のカレン族に包囲されたMyawaddyを攻撃。2500人のビルマ人がMae Sot側に避難した。またこの戦闘でタイ領内のタイ人2名死亡。 |
DIA-204-1974-03-21-1 | タイ | 1974年03月21日 | 1970年代 | 漁民,全国ストライキに入る-このため魚の供給量は半減している。 |
DIA-204-1974-03-22-1 | タイ | 1974年03月22日 | 1970年代 | 商務省は,米の国内価格を落着けるため,輸出プレミアムを上げ,各月の民間輸出割当を半減した。また農民福祉のため,政府米の値上げを発表した。 |
DIA-204-1974-03-23-1 | タイ | 1974年03月23日 | 1970年代 | 国会,政府提案の布告53号廃止案を保留-多くの議員は,中国との貿易について基本的には賛成しているが,民間貿易になった場合の中国商品の乱流に懸念を示し,また政府が急速に布告53号廃止を提出した理由の説明を求めている。 |
DIA-204-1974-03-25-1 | タイ | 1974年03月25日 | 1970年代 | 農民,政府に農地の買戻し要求-債権者に差押えられた農地を政府は憲法17条の首相大権で買戻し,再び旧所有者に売渡せという500人の農民デモが首都で行なわれた。彼らは30日まで連続して,政府に要求を行なう。 |
DIA-204-1974-03-26-1 | タイ | 1974年03月26日 | 1970年代 | 首相,現在の経済状勢の打開ができなければ辞職すると語る。27日蔵相は「政府の努力にも拘らず,物価騰貴には解決策がない。政府の努力を国民が信頼してくれなければ,辞職せざるを得ないというのがサンヤ首相の真意だ」と語る。 |
DIA-204-1974-03-27-1 | タイ | 1974年03月27日 | 1970年代 | 漁民スト中止へ-石油不足は深刻であり,減税要求の見通しもないが,漁民協会は「国民経済の混乱に対し国家的利益を漁民集団の利益の上におく」という考え方でスト中止の方針を出した。 |
DIA-204-1974-03-27-2 | タイ | 1974年03月27日 | 1970年代 | 首相,学生団体の農民の生活改善提案に答える-首相は農民援助委員会に,農民負債者に1年間の徳政期間を与える方向で債権者と協議に入ることを指示。 |
DIA-204-1974-03-28-1 | タイ | 1974年03月28日 | 1970年代 | 政府駐タイ米軍に対する態度表明-インド洋における偵察のため,ウタパオ基地のB-52が使われるというジェシンガー発言に対し,タイ国からの米空軍の活動は事前に,両政府が協議しタイ側が承認を与えた場合のみ許されるという原則を明らかにした。 |
DIA-204-1974-03-29-1 | タイ | 1974年03月29日 | 1970年代 | タイ=米の合意で,本年末までに現在3万4800人の駐タイ米軍を1万人ほど減らすことに決めた。 |
DIA-204-1974-03-30-1 | タイ | 1974年03月30日 | 1970年代 | 首相,国王に謁見-この席で国王は,現在の危機を世界危機の-環とみ,「国民との理解に達するよう」と語った。 |
DIA-204-1974-03-30-2 | タイ | 1974年03月30日 | 1970年代 | 首相,政府強化,経済危機の乗切はかる-首相は現状打破の意欲をみせた。閣僚の多くは辞任の用意があるが,首相に引きとめられているという。また首相は,首相顧問としてプエイ博士など著名なエコノミスト7名による経済諮問委員会,外交にはタナット氏,汚職問題にはアタシット警察少将をむかえ,政府強化をはかった。 |
DIA-204-1974-03-31-1 | タイ | 1974年03月31日 | 1970年代 | 総理府,首相声明を発表「全国民は現在の経済混乱を克服するため一致協力しなければならない。首相は,国王に辞職を求めた事実もないし,内閣の改造も考えていない。政府はその使命が未だ達成されていないことを認識している。内閣は国家と国民のため,真剣にかつ協力して,その全能力を発揮し直面している多くの問題を解決する覚悟である。」 |
DIA-204-1974-03-31-2 | タイ | 1974年03月31日 | 1970年代 | 外相はコロンボのECAFE大会で,駐スリランカ中国大使に貿易の原則に関する公式文書の提案をした。 |
DIA-204-1974-03-31-3 | タイ | 1974年03月31日 | 1970年代 | 政府環境対策強化-国家環境委員長スーキット副首相は工業相,副外相とともに東海岸チョンブリー県を視察。同委員会は公害防止のため国家経済社会開発庁,投資委員会とともに当地域の石油化学・原子力発電・精油などの工場立地を検討する。東海岸は重要な観光地であることにもよる。 |
DIA-204-1974-04-03-1 | タイ | 1974年04月03日 | 1970年代 | 憲法第1読会通過-違憲立法審査権を有し,国会議員の身分についても審査できる憲法裁判所(11章)の構成で論議されたが,全12章が国会第1読会を通過。 |
DIA-204-1974-04-04-1 | タイ | 1974年04月04日 | 1970年代 | 企業内組合を越えた労組の結成へ-現労働関係法は,企業内組合のみしかみとめず,各産業毎に労働協会が組織されているが,この法を改正し,一般組合を規定するため,労使代表・工業相代表3者15名による改正検討委員会がつくられた。 |
DIA-204-1974-04-04-2 | タイ | 1974年04月04日 | 1970年代 | 国会は35名の憲法修正委員を任命した。この委員会は第1読会の審議に基づき,修正案の提案を45日以内にしなければならない。 |
DIA-204-1974-04-05-1 | タイ | 1974年04月05日 | 1970年代 | 国会,政府提案の布告53号廃止に検討委員会を設ける国会はこの問題を秘密会にして討議したが,この会で結論を出すことを避け,政府側10人,国会側11人の対中貿易検討委員会を設けた。国会では,カサメ発電公団理事長を中心とした公務員・実業家からなる100人以上の水曜会議員が,政府提案の民間貿易案に反対したという。 |
DIA-204-1974-04-05-2 | タイ | 1974年04月05日 | 1970年代 | サンヤ首相,ラオス連合政府樹立を歓迎-ラオスとの友好を望むとの祝電を打つ。 |
DIA-204-1974-04-08-1 | タイ | 1974年04月08日 | 1970年代 | 著しい物価上昇-経済局長は1973年の物価上昇は18%にのぼり,-方1人当り平均所得は8.5%の増大にすぎないと語る。物価上昇の原因は食料品の値上りによるところが多く,特に米価は2倍になった。また1人当り年間所得は4000バーツになったという。 |
DIA-204-1974-04-09-1 | タイ | 1974年04月09日 | 1970年代 | 建設協会は今後,政府の建設計画の入札には応じないと発表。彼らは資材の2倍にのぼる騰貴により,政府に既契約分の建設期間の遅れ,代金の大幅な追加を認めるよう要求している。 |
DIA-204-1974-04-10-1 | タイ | 1974年04月10日 | 1970年代 | 米の輸出順調-今年第1四半期中に42万3634トンの米を輸出し,42億0800万バーツにのぼった。これは1972年に次ぐが,米価格が平均トン当り昨年の4000バーツから1万2000バーツの3倍になったことによる。 |
DIA-204-1974-04-10-2 | タイ | 1974年04月10日 | 1970年代 | 外相ビルマを訪問-13日外相はNe Win大統領,Sein Win首相と会見した。タイ=ビルマ国境でのビルマ反乱軍の戦闘,密輸問題,ビルマに抑留されているタイ漁民などについて論議された。ビルマ側からタイは国境で反乱軍を助けているのではないかとの抗議があったのに対し,タイ側はビルマ内での政府軍・反乱軍の紛争には不干渉を言明。 |
DIA-204-1974-04-12-1 | タイ | 1974年04月12日 | 1970年代 | タイ国会での布告53号の廃止棚上げに対する中国側の反応-①中国は香港を通じてのケナフ買付交渉を断ってきた。②香港でタイ人は中国旅行社を通じて訪中できていたが,これができなくなった。この2つの動きが伝えられているという。 |
DIA-204-1974-04-12-2 | タイ | 1974年04月12日 | 1970年代 | タイ,北ベトナムとの対話の姿勢-首相は外交顧問タナット氏にハノイとの対話を推進するよう命じた。ハノイ側は対話の条件としてタイの中立化即ち,外国軍の撤退および外国に対し基地を提供しないことを条件としているが,タイ側はこれを受け入れ難いとしている。 |
DIA-204-1974-04-14-1 | タイ | 1974年04月14日 | 1970年代 | ラオス系クメール人,タイ国内で軍事訓練うける-ウドンターニーで137人のラオス系クメール人がタイ空軍・米軍により,攻撃訓練をうけていることが明らかとなる。 |
DIA-204-1974-04-17-1 | タイ | 1974年04月17日 | 1970年代 | 土地開発局次長,土地改革の早期必要を説く-次長によるとこの土地改革が達成できなければ,暴力を手段とした改革の可能性もあるという。現在土地改革委員会が検討している案は,個人当り50ライ以上の農地所有をみとめない,また農地銀行をつくりこれが農地の政府買入の際金を出したり,債権者への返済のため,融資するという案。 |
DIA-204-1974-04-17-2 | タイ | 1974年04月17日 | 1970年代 | 理由なく解雇された私立学校教師は1000人以上にのぼるが,彼らは教育相と会見し解雇された教師の職の斡旋,理由なく解雇した経営者に対する許可の取消など陳情。18日夕方,6000人のぼる教師の学生が抗議集会。274の私学に115万人の学生生徒が学んでいるという。 |
DIA-204-1974-04-18-1 | タイ | 1974年04月18日 | 1970年代 | 追加予算案30億3000万バーツ,国会第1読会を通過。この会で2億5300万バーツにのぼる軍事追加予算の内訳の説明を求められた国防相は,安全保障上の理由で拒否した。 |
DIA-204-1974-04-18-2 | タイ | 1974年04月18日 | 1970年代 | 新聞紙数大幅に増大-副内相は「タイは学生蜂起以後表現の自由を謳歌している。しかしある程度の自己抑制は必要だ」と発言。10月14日以後,タイ字紙は20紙から100紙以上に,華字紙は15紙から19紙に増え,また英字紙も現在9紙が認められている。 |
DIA-204-1974-04-19-1 | タイ | 1974年04月19日 | 1970年代 | 国連特別大会に出席した副外相チャチャイ氏は演説の中で「石油の値上げでタイは1973年より39.6%上回る136億バーツの貿易収支の赤字となろう。」また中国に対しては,友好的な発言をし,ディーゼル油のタイヘの供給を感謝した。また「社会制度やイデオロギーの相違に拘らず開発途上国は互いにこの必要時に助けあおう」と語った。 |
DIA-204-1974-04-21-1 | タイ | 1974年04月21日 | 1970年代 | 投資委員会長によると1960年以来,14年間に696企業346億7100万バーツの投資に奨励が与えられ,この企業に16万1000人が雇用された。またこの投資総額中69%はタイ人による投資である。現在投資委員会が奨励している業種は,農業関係,鉱業,金属および窯業,化学工業,建設資材工業,繊維,サービス産業,輸出指向産業,ホテルおよび観光業であり,特に輸出指向産業,国内農産物を原料とした輸入代替産業には特別の考慮を与える。 |
DIA-204-1974-04-25-1 | タイ | 1974年04月25日 | 1970年代 | タイ駐米大使アナント氏はソ連のアジア集団安保加入を否定。これは政府高官のはじめてのソ連構想への反応。彼はソ連との友好関係強化の必要を説きながらも,新しい軍事協定は世界の相互和解協調の雰囲気と相反すると論文の中でのべている。 |
DIA-204-1974-04-25-2 | タイ | 1974年04月25日 | 1970年代 | 南ベトナム砲艦,タイ漁船を砲撃-62マイル管轄権を主張している南ベトナムは,50マイルの海上で操業中の漁船を砲撃し,タイ人船長は死亡。 |
DIA-204-1974-04-26-1 | タイ | 1974年04月26日 | 1970年代 | 北朝鮮貿易代表団訪タイ-桂応泰外国貿易相はじめ5人が,初めてタイを公式訪問。29日商務相と会見,北朝鮮は,各種工業産品の供給ができること,タイのケナフ・麻袋を買う意向を示した。また外相と会見し,相互信頼強化について話しあった。 |
DIA-204-1974-04-27-1 | タイ | 1974年04月27日 | 1970年代 | 労働団体二分-首都の労働界は,鉄道労働者のナショナル労働センターと他の33労働者協会に分裂した。統一メーデーは中止。 |
DIA-204-1974-04-27-2 | タイ | 1974年04月27日 | 1970年代 | 第2のBaan Na Sai事件-ウィラトNSCT副書記長の調査団は,昨年12月6日ナコンパノム県のBaan Nai Hin Kong村は軍隊によって71戸中57戸が焼かれたことを明らかにした。 |
DIA-204-1974-04-29-1 | タイ | 1974年04月29日 | 1970年代 | センイ産業操短へ-プラマンセンイエ業会長は,今年から各月3週間の操業に滅らしていると発表。 |
DIA-204-1974-04-30-1 | タイ | 1974年04月30日 | 1970年代 | 訪中医師団16名帰国-中国の医僚事情を見学してきた。 |
DIA-204-1974-05-01-1 | タイ | 1974年05月01日 | 1970年代 | メーデ-―国鉄労働者2000人,国営企業労働者5000入はルンピニ公園で,30以上の労働協会は,タマサート大学で集会。後者は米帝国主義と追従者日本・台湾を非難し,中国における労働者の成功を賞賛するポスターを使い,革命団布告103号(労働法)は使用者のために作られていると非難。 |
DIA-204-1974-05-06-1 | タイ | 1974年05月06日 | 1970年代 | パターニー解放戦線は,南部4県のマレーシア帰属を要求した手紙を海外伝道団本部に出した。この布教師2婦人が誘拐されている。 |
DIA-204-1974-05-06-2 | タイ | 1974年05月06日 | 1970年代 | 石油燃料公社は,石油不足を訴え,中国と石油購入のため,再び話し合いを進めるよう政府に求めている。 |
DIA-204-1974-05-07-1 | タイ | 1974年05月07日 | 1970年代 | 農民300人再び上京-先月と同じ農民団体が上京し,政府の悪徳資本家に対する措置要求。政府側は違法者に対しては,ドラスチックな手段を用いるとの閣議決定を読み上げた。 |
DIA-204-1974-05-07-2 | タイ | 1974年05月07日 | 1970年代 | 南ベトナムとの漁業区域紛争について,共同委員会を設ける方針を閣議決定。 |
DIA-204-1974-05-08-1 | タイ | 1974年05月08日 | 1970年代 | タナット首相外務顧問は,駐タイ外国軍の規制法案は,北ベトナムとの接触を効果的にし,タイ側の交渉力を強めると語る。 |
DIA-204-1974-05-09-1 | タイ | 1974年05月09日 | 1970年代 | ククリット国会議長,首相の名乗り新党結成と首相をめざす意向を明らかにして,私は軍と接触があり,クーデターはないと確信している。将来においても立憲王制は,強固なものであろう。学生の力については疑いをもっている。議員も市民も学生の抗議にはあきていると語った。 |
DIA-204-1974-05-10-1 | タイ | 1974年05月10日 | 1970年代 | 犯罪急増-警察は,防犯キャンペーンを職業学校生の協力を得て1~3月やったが,4月からは再び犯罪増加。ギャンブル,麻薬,盗犯の順。 |
DIA-204-1974-05-10-2 | タイ | 1974年05月10日 | 1970年代 | 反共方針継続-内相は,内務省は国家の安全,宗教,王制を破壊する資料の出版者は,厳しく取締る,共産主義の宣伝文書を多量に没収したと発表。 |
DIA-204-1974-05-10-3 | タイ | 1974年05月10日 | 1970年代 | B52戦略爆撃機の一部撤退を含む米軍1万人以上を年末までに引きあげることで,米国と最終的合意に達した外務省によると,6米空軍基地中ウタパオ基地のみ口頭の協定があるのみで,国益を守る立場から公式の協定を望んでいるという。 |
DIA-204-1974-05-11-1 | タイ | 1974年05月11日 | 1970年代 | Krasae氏新しい力の党の総裁に-党綱領を立憲王制と社会民主主義による経済問題の解決と決め,全ての人の政治参加を求めている。 |
DIA-204-1974-05-11-2 | タイ | 1974年05月11日 | 1970年代 | 失業私立学校教師,文相に抗議-1000人は,再就職に尽力するとの約束が守られなかったとして,文相に抗議した。この抗議は文相の辞任要求になって18日まで続いた。 |
DIA-204-1974-05-12-1 | タイ | 1974年05月12日 | 1970年代 | ニャンザン紙は,今までの強い対タイ批判調を和げ・米軍基地については批判しながらも,タイとの関係は,タイ政府が北ベトナムの独立と主権を尊重するならば改善されようと語った。 |
DIA-204-1974-05-14-1 | タイ | 1974年05月14日 | 1970年代 | ククリットに首相就任要請-長い閣議後首相は,国会議長を訪ね要請した。ククリットは,政党を結成しつつあり,今首相になるつもりはないと答えた。 |
DIA-204-1974-05-14-2 | タイ | 1974年05月14日 | 1970年代 | 回教国会議事務局長マハメットハサン氏は,訪タイして,回教国会議はタイの南部問題に干渉しない,それ は国内問題だと語る。 |
DIA-204-1974-05-14-3 | タイ | 1974年05月14日 | 1970年代 | 国防相はソンクラに来て南部4県知事・第5方面隊司令官・警察責任者と反乱及び分離派問題を協議した。 |
DIA-204-1974-05-15-1 | タイ | 1974年05月15日 | 1970年代 | 首相,内閣改造の意向-首相はクリット陸軍司令官と共に,国王に謁見。夜PDGメンバーと会見し,PDGは文部,商,工,総理府,副商,大学局の6閣僚辞任を求めた。これに対し,首相は一両日中に内閣改造と副文部大臣辞任問題に結着つけると語った。一方,Kasame氏は,内閣改造は必要だが総辞職には同意できないと語る。99人会は,クリット将軍を講師として会合。これにチュラユット氏も参加。セニ氏もサンヤ首相が辞任したら,国家は混乱に陥る,後に替わる人を見つけることは難しいと語る。 |
DIA-204-1974-05-15-2 | タイ | 1974年05月15日 | 1970年代 | 中国バトミントン団訪タイ。 |
DIA-204-1974-05-16-1 | タイ | 1974年05月16日 | 1970年代 | 総理府長官は国会で,日本商人の商品価格過小申告に対し,昨年中に1億バーツ以上の課徴金を課したと答弁。 |
DIA-204-1974-05-17-1 | タイ | 1974年05月17日 | 1970年代 | 首相は,国王謁見時の会話メモを各閣僚に回した。自分で辞任するか否かを決めることを期待している。これは今までの,閣僚全員進退を共にしようという考え方を変えたもの。 |
DIA-204-1974-05-17-2 | タイ | 1974年05月17日 | 1970年代 | 国会,新憲法の国民投票案を否決一プェイ氏の提案は現行憲法上の規定を改正し,この道を開くものだが,改正の前例がない,憲法は尊重さるべき,などの理由で74対54で。 |
DIA-204-1974-05-17-3 | タイ | 1974年05月17日 | 1970年代 | Serirat党,初大会-選挙候補者を決めるため。若手,古手,旧議員支持派に意見分れる。 |
DIA-204-1974-05-19-1 | タイ | 1974年05月19日 | 1970年代 | Palang Mai党,党員登録式Krasae氏執行委員長に。大衆の利益になるもの以外は,あらゆる分野の独占に反対。立憲王制を維持し,一切の独裁に反対。公正と就職の機会と安全を,人口の85%を占める貧しい層に与えると語る。 |
DIA-204-1974-05-20-1 | タイ | 1974年05月20日 | 1970年代 | 蔵相副蔵相,辞職を申し出る。 |
DIA-204-1974-05-21-1 | タイ | 1974年05月21日 | 1970年代 | 首相辞職老齢と政治の困難を解決できないことを理由に,辞職を国王に申し出る。他閣僚,これに歩調あわす。18時より軍・警察,警戒体制に入る。 |
DIA-204-1974-05-21-2 | タイ | 1974年05月21日 | 1970年代 | NSCT,PDG,FIST,NIDA学生自治会は,合同委員会をつくりよい内閣形成の促進をすること決める。 |
DIA-204-1974-05-21-3 | タイ | 1974年05月21日 | 1970年代 | セニ氏,サンヤ氏が最適任だ,彼は国家のため,よい方向に常に妥協していると語る。 |
DIA-204-1974-05-22-1 | タイ | 1974年05月22日 | 1970年代 | サンヤ氏記者会見で,辞職してなかったならば悪徳債権者によって土地を失った農民のため,憲法17条によって土地を没収したであろう,次期政権の第一にやることはこの問題だと語る。 |
DIA-204-1974-05-22-2 | タイ | 1974年05月22日 | 1970年代 | 夜,クリット陸軍司令官とククリット議長は,サンヤ復帰の可能性を話し合った。一方,99人会はサンヤ復帰支持を決めた。 |
DIA-204-1974-05-23-1 | タイ | 1974年05月23日 | 1970年代 | 国王は,国会に首相の指名を求めた。一方,国会は275人の圧倒的多数でサンヤ再任を支持。ククリット議長は副議長とともに,サンヤ氏に会ってこの旨を伝えた。 |
DIA-204-1974-05-23-2 | タイ | 1974年05月23日 | 1970年代 | NSCTサンヤ再任を支持-ソムバット書記長は,サンヤ氏と会見後,大衆,学生,国会の支持があればサンヤ氏は首相になるであろうと語る。 |
DIA-204-1974-05-23-3 | タイ | 1974年05月23日 | 1970年代 | 憲法審議会,上院は,任命制にすることを決めた。 |
DIA-204-1974-05-24-1 | タイ | 1974年05月24日 | 1970年代 | サンヤ氏国会に受諾の手紙-国会の信任に感謝する旨の手紙。 |
DIA-204-1974-05-24-2 | タイ | 1974年05月24日 | 1970年代 | サンヤ氏,軍からも,全面的に支持し閣僚選考に条件を付さないという保証を得た。 |
DIA-204-1974-05-24-3 | タイ | 1974年05月24日 | 1970年代 | ブーンチャイ陸軍参謀は,ラオス駐留のタイ人部隊は,6月末までにラオス連合政権との協定で引きあげると語る。 |
DIA-204-1974-05-25-1 | タイ | 1974年05月25日 | 1970年代 | 議長は国王に謁見し,国会のサンヤ再任の動きを伝えた。 |
DIA-204-1974-05-25-2 | タイ | 1974年05月25日 | 1970年代 | サンヤ氏,閣僚構想はあるが,国王の任命があるまでは明らかにできない,若手のエネルギーを入れるつもりだ,最優先課題は農耕期も間近なので農民援助だ,憲法17条行使の考えはなくなったと語る。 |
DIA-204-1974-05-26-1 | タイ | 1974年05月26日 | 1970年代 | サンヤ氏は私人の資格で国王に謁見。国王は,首相就任の場合は,閣僚人事について国王に相談の必要ないと語る。サンヤ氏,私は農民問題と腐敗には妥協しない,インフレ・犯罪などの基本問題を解決できるよう各団体が政府に過大な圧力をかけぬことを願うと語る。 |
DIA-204-1974-05-27-1 | タイ | 1974年05月27日 | 1970年代 | サンヤ氏,閣僚侯補者に招請状を出し懇談した。 |
DIA-204-1974-05-27-2 | タイ | 1974年05月27日 | 1970年代 | NSCT,PDG,FIST,大学院生団体は新内閣に合同提案-①3人組の財産没収を,憲法17条により可及的に。②国会における憲法審議の促進,③憲法17条による地主・高利貸からの強制買上げ,④政治犯の解放と早期の裁判,⑤労働者,農民,職業団体に自由に,労働組合,組合連合をつくる権利,⑥米軍の撤退,⑦資本家に対する強い政策。 |
DIA-204-1974-05-27-3 | タイ | 1974年05月27日 | 1970年代 | 日本人がスパイ?-サムラン陸軍副司令官はチェンマイ県ファン郡で,5日本人が宗教家・農業技術者をよそおってスパイ活動していると発表。 |
DIA-204-1974-05-27-4 | タイ | 1974年05月27日 | 1970年代 | ウドンタニー県で60人のテロリストが攻撃をかけ,警察官など18人死亡。 |
DIA-204-1974-05-28-1 | タイ | 1974年05月28日 | 1970年代 | 国王,正式にサンヤ氏を首相任命。 |
DIA-204-1974-05-28-2 | タイ | 1974年05月28日 | 1970年代 | NSCT書記長,ナコンサワンの農民援助に21人を派遣した。新政権が17条行使までの短期間,NSCTは農民が<自分の>土地で働けるよう援助すると語る。 |
DIA-204-1974-05-30-1 | タイ | 1974年05月30日 | 1970年代 | 新閣僚人選終わる。首相Sanya Dhammasak 副首相 Prakob Hutasingh 博士 国防大臣 Kruan Suthanin 陸軍大将 副〃 Tawil Rayanond 海軍大将 副〃 Bua Sirisap 空軍大将 大蔵大臣 Sommai Hoontrakul 副〃 Panas Simasathien 内務大臣 Luang Attbasith 警察少将 副〃 Prachuab Suntrangkul 警察大将 副〃 Chumpol Lohachala警察中将 副〃 Thien Achakul 文部大臣 Kriang Keeratikorn 副〃 Koh Sawasdipanich 副〃 Chirayu NopPawongse 商務大臣 Vicharn Nivartvongse 博士 副〃 Prasong Sukhum 工業大臣 Aroon Sorathesh博士 副〃 Prakaipet Indhusophon 農務大臣 Chakrapanpensiri Chakrapan 副〃 Thalerng Thamrongnawasawat博士 副〃 Panlert Buranasilpin 外務大臣 Charoonphan Issarangkul 副〃 Chatichai Cboonhavan陸軍少将 厚生大臣 Udom Posakrisna博士 副〃 SemPringpuangkaew博士 運輸大臣 Chao na Silwan博士 副〃 Sribhumi Sukhnetre 法務大臣 Kitti Sihanond 副〃 Sompob Hotrakij 総理府長官 Manoon Borisut 国立大学庁長官 Kasem Suwankul博士 留任11人,新人19人,平均年齢49歳・ |
DIA-204-1974-05-31-1 | タイ | 1974年05月31日 | 1970年代 | 憲法審議会は選挙権は20歳以上という決定をした。 |
DIA-204-1974-05-31-2 | タイ | 1974年05月31日 | 1970年代 | 国王,内閣認証 |
DIA-204-1974-06-01-1 | タイ | 1974年06月01日 | 1970年代 | 閣僚,国王に謁見-首相は短期政策として,①憲法17条行使により悪徳地主・高利貸から騙し取られた農民に土地を返す。②犯罪の増加を抑える。③物価を抑える。また,主要かつ重要な内閣の仕事として,選挙を公正に運営すると述べた。 |
DIA-204-1974-06-01-2 | タイ | 1974年06月01日 | 1970年代 | NSCT書記長,農民の土地紛争を中介のためナコンサワンヘ。 |
DIA-204-1974-06-01-3 | タイ | 1974年06月01日 | 1970年代 | 政府が任命した農民負債調査委員会によると,5月末までに11,707件が提出され,調停をしたのは3463件のみ。 |
DIA-204-1974-06-02-1 | タイ | 1974年06月02日 | 1970年代 | 内相は働きの悪いあるいは腐敗官僚は容赦なくクビにすると語った。 |
DIA-204-1974-06-03-1 | タイ | 1974年06月03日 | 1970年代 | 3センイ労働者協会が政府に,工場側の賃金カットと人員整理をやめさせるよう陳情した。 |
DIA-204-1974-06-04-1 | タイ | 1974年06月04日 | 1970年代 | 最初の閣議で首相は,憲法17条により,今年度の耕作を可能にするため,調停委員会を作った。調停委員会は,土地を失った農民と地主の調停につとめる。調停が成立しない時は,昨年その土地を耕作したことか,地主が契約で不正であらたことが証明されれば,昨年の限度において,委員会は,農民に耕作を許すことができる。 |
DIA-204-1974-06-04-2 | タイ | 1974年06月04日 | 1970年代 | クリット陸軍司令官は平和維持長官に再任された。 |
DIA-204-1974-06-05-1 | タイ | 1974年06月05日 | 1970年代 | NSCT,PDG,FISTの3団体は共同声明を出し,センイ労働者支援を明らかにした。外国資本家である工場経営者は,タイの開発援助に誠意がなくタイ国民の利益に関心がない。タイ経済の支配をはかる外人投資家に反対する。 |
DIA-204-1974-06-06-1 | タイ | 1974年06月06日 | 1970年代 | 第5回日タイ民間貿易合同委員会-3日から東京で開かれ,94品目,推定5億3000万ドルのタイ産品買付目標で合意。共同コミュニケを採択。 |
DIA-204-1974-06-07-1 | タイ | 1974年06月07日 | 1970年代 | 首相所信表明-農民援助,土地改革,教育改革などを主要政策とした。また,タイ共産党が国家破壊計画をもっていると発表。 |
DIA-204-1974-06-08-1 | タイ | 1974年06月08日 | 1970年代 | 10代の女性労働者を中心としたセンイ労働者3000人が,サムットサコーン県でレイオフされた労働者の復職を求めて集会,①レイオフされた労働者の復職,②労働法の改正,③センイ工場での最低賃金の上昇,④臨時工を本雇いに,⑤福祉の増進,⑥抗議労働者に報復しない,の6要求を出した。一方センイ労働者協会代表と工場経営者会合。この協会には,800工場中70が属している。政府側から,内務副相が調停につとめた。 |
DIA-204-1974-06-09-1 | タイ | 1974年06月09日 | 1970年代 | 労働者はバンコクまで歩いてデモに押しかけた。この労働者は協会に属していない。要求,①現在16バーツの最低賃金を25バーツにせよ,②デモ参加者をたとえ合法的な退職金を払っても解雇するな,③労働者が規則違反の時は,使用者は労働指導者に伝え,調査に加えねばならない,④スト中の賃金を払え,⑤政府は労働指導者に,紡績工場での労働条件を調査できる権限を与えよ,⑥退職金は3ヵ月分とせよ。 |
DIA-204-1974-06-10-1 | タイ | 1974年06月10日 | 1970年代 | 労働局当局者,使用者は6項目要求はすぐには容れられないと回答。プラメーン広場には,5000人の労働者が集り,すべての労働協会代表と学生指導者は集会支援。 |
DIA-204-1974-06-11-1 | タイ | 1974年06月11日 | 1970年代 | NSCTなど5団体は,ジェトロを訪ね「侵略者の真の顔を見極めよう」と題する声明文を手交。 |
DIA-204-1974-06-11-2 | タイ | 1974年06月11日 | 1970年代 | 5労働側代表は内相,工業相に会い6項目について,早急な回答を求めた。 |
DIA-204-1974-06-12-1 | タイ | 1974年06月12日 | 1970年代 | プラメーン広場の座りこみは5日目となり,センイ外の産業の労働者も参加し,6000人になった。学生運動家も加わり,日本人投資家の絞首刑の模擬人形を焼いた。 |
DIA-204-1974-06-12-2 | タイ | 1974年06月12日 | 1970年代 | 8調停委員会は,活動センターを,ピチツ,ナコーンサワン,ペッチャブーン,ピッサヌローク,カムペーングペツの6県,8カ所におくこと。調停団の構成は総理府監察長官,各県知事,副知事,農民負債調査会代表,地方検察所長,地方警察本部長,警察局代表,NSCT代表とすることを決めた。 |
DIA-204-1974-06-12-3 | タイ | 1974年06月12日 | 1970年代 | 農務省が土地改革法案を完成し,閣議に提出。 |
DIA-204-1974-06-13-1 | タイ | 1974年06月13日 | 1970年代 | 労働者の一部はバスを乗取って,バンプー,オムノイの工場へスト参加のオルグに行く。一方,労働局,副内相は,労働側と論議の末20バーツの最低賃金をみとめた。夜半には3万人以上の群集が集まった。 |
DIA-204-1974-06-14-1 | タイ | 1974年06月14日 | 1970年代 | 労働者の勝利労働運動指導者は’首相,副首相,プラチュアプ警察局長と会い首相声明をテープにとった。最低賃金を20バーツ適用地域にサムットサコン,ナコンパトムを加える,退職金として120日以上就労者に1月分,1~5年には3月分,5年以上には6月分を与える,ストライキ期間7日間の給料は払う,レイオフ・解雇者の再雇用の保証は政府の権限外,など声明。 |
DIA-204-1974-06-18-1 | タイ | 1974年06月18日 | 1970年代 | NSCTは,調停委員会から手を引くと発表。委員が地主寄りで,調停不成立の場合は強権を行使しないで放置していると非難。 |
DIA-204-1974-06-18-2 | タイ | 1974年06月18日 | 1970年代 | BoIlへ新投資政策勧告-蔵相を長とするエコノミストグループは,①投資時における国内投資家の役割を緩和し,次第に移動させる方式をとる,②政府投資の強化,を勧告。 |
DIA-204-1974-06-18-3 | タイ | 1974年06月18日 | 1970年代 | 砂糖にもプレミアムを課すこと閣議決定。 |
DIA-204-1974-06-19-1 | タイ | 1974年06月19日 | 1970年代 | NSCTは副首相と会見し,調停委員を政府委員と同数にせよと要求。20日政府はこれを認めた。 |
DIA-204-1974-06-20-1 | タイ | 1974年06月20日 | 1970年代 | マレーシア政府・アスリ大臣はタイに遺憾の意-13日マレーシアのアスリ土地・回教問題相が,回教徒党大会で「タイ国内の回教徒の自治を求める戦いは正しい」と発言。17日外務省はこれに重大な懸念を示すとともに,マレーシア大使に説明を求め,NSCTは大使館に内政干渉を抗議した。18日外相はマレーシア大使と会談し,はっきりとした対タイ政策を求めた。 |
DIA-204-1974-06-20-2 | タイ | 1974年06月20日 | 1970年代 | 社会行動党(Kij Sangkhom)成立-ククリットは党綱領が完成したことを発表。 |
DIA-204-1974-06-22-1 | タイ | 1974年06月22日 | 1970年代 | NSCT調停団からの再度の引上げ発表-調停が過去1年間の問題にのみしぼられることに不満。6月15日以来,調停団に寄せられた件数は,アーングトーング県1252件。ナコンサワン県500件。Tha Tako郡925件。このうち解決したのは89件で,17件に憲法17条の大権が行使された。 |
DIA-204-1974-06-24-1 | タイ | 1974年06月24日 | 1970年代 | 農民7要求を出す-ナコンサワン県Tha Tako,Nong Bua,Pai Sali,の600人の農民に,チャイナット県San Buriの農民も加わって700人の負債農民は副首相に7要求を出した。首相,副首相は丸一日の協議の後,副首相の自筆で次の回答を出した。要求1,この1年間に土地を失った農民だけでなく,数年中に土地を失った農民にも,もとの土地の耕作が許されるべきだ。回答,考慮がなされるであろう。農民負債調査委員会が勧告を行なう。要求2,土地改革のはっきりした計画がでるまで,政府は地主・高利貸から土地を借り,耕作期までに農民に転貸すべきだ。回答もし他の農民が借地しているなら,政府は援助することはできないだろう。しかしこの場合政府は,政府地を負債で立退いた農民に貸す。要求3,農地がだまし取られたのかどうかを決定し,援助計画を具体化するため,調査を行なうべきだ。回答,確かに農民はだまし取られたのだが,援助計画は検討するために時間がかかろう。要求4,農民は,あまりに長く,自力で守るよう放置されてきた。今は政府は,援助に踏み切るべきだ。回答,政府はすでに多くの点で援助している。更に援助を考えている。要求5,調停団は心から,農民の利益のために行動し,地主・・ |
DIA-204-1974-06-25-1 | タイ | 1974年06月25日 | 1970年代 | 副首相は6県を視察して,学生代表は8調停団の活動を混乱させていると非難。一方ThaTakoの数百人の旧借地を借地できなかった農民は,国立大学庁に座りこみNSCTに窮状を訴えた。 |
DIA-204-1974-06-25-2 | タイ | 1974年06月25日 | 1970年代 | 政府は,副首相を8調停委員会を監督する特別委の長として任命。また閣議で①政府は富裕な地主から土地を買い,分割払方式で農民に売渡す。②負債農民に農民の権利保証基金から,3500万バーツを貸出す。③本日より政府は努力して,窮状農民が開墾地で働けるようにする。④開墾の進んだ国有林は農民に耕作する許可を与える,の決定。農民は,プラメーン広場に移り,更に,Sawangha郡から160人が参加し,政府の決定を不満として座り込み続行。 |
DIA-204-1974-06-26-1 | タイ | 1974年06月26日 | 1970年代 | 石油行政一本化のため,石油政策委員会つくられる。 |
DIA-204-1974-06-27-1 | タイ | 1974年06月27日 | 1970年代 | ウタイタニー,アユタヤ,ターク,プレープラチンブリー県の農民に加わり,2000人がプラメーン広場で集会。農民代表は農民負債調査会長と会う。 |
DIA-204-1974-06-27-2 | タイ | 1974年06月27日 | 1970年代 | 国会,タノム等3人の資産を国庫に移す法案を98対54で第1読会決定。 |
DIA-204-1974-06-27-3 | タイ | 1974年06月27日 | 1970年代 | 米軍当局は,ウボン基地から年末までに,タクリ基地から10月1日までに引きあげると発表。 |
DIA-204-1974-06-27-4 | タイ | 1974年06月27日 | 1970年代 | 副外相,現在の対マレーシア,カンボジア,ビルマの3国境委員会を廃止して,国家国境委員会に統一すると発表。 |
DIA-204-1974-06-28-1 | タイ | 1974年06月28日 | 1970年代 | 農民代表は,副首相に会い,政府の農民援助5計画を聞いた。①政府は高利貸に土地を失った農民が同じ土地か近くの土地の耕作が続けられるよう努力する。②政府は土地を持たない農民に,協同組合に加わり開墾地に居住できるよう努力する。③農民負債調査委員会が,高金利により土地を失った農民の例を提出した時,首相は憲法17条を適用するか否かを考える。④高利貸が追及を避けるため転売することがないよう,高利貸の土地を凍結するよう努める。⑤政府は法に基づいて農民が公正な扱いをうけることを助けるため,全てのことをなす。この計画を聞いた後,一部の農民は解散し,政府によりパスが供給。しかし500人の農民は政府の約束が信用できないとして座りこみを続行。彼らは明瞭かつ緊急の措置をとるまで解散しないと主張。FISTも回答はあいまいで抜け穴が多いと批判。 |
DIA-204-1974-06-29-1 | タイ | 1974年06月29日 | 1970年代 | NSCTソムバット書記長,カノック副書記長辞任-前日の政府回答をうけ農民の座りこみを中止する方針のNSCT書記長・副書記長は,これに強い反対をうけ,午前3時辞任。これはFISTの強行路線に,NSCTの多数が従ったためにおこった。 |
DIA-204-1974-06-29-2 | タイ | 1974年06月29日 | 1970年代 | 政府,農民の要求に署名-ウィラットNSCT書記長代行は6農民代表と首相に会見し新回答を求めた。首相は回答草案をつくり副首相がこれにサインした。①政府は今耕作期前に,困窮農民に失った土地の耕作を許すか,政府が調達した土地を与えるかして農地を確保する。②農民を欺いている資本家に,首相は強い能度をとる。③差押えた土地が資本家によって転売されることを中止させる。④政府は農協ベースで農民に土地を確保する。⑤公定より高い利息を払い,土地を失った農民は資本家から返還か保障をうける。⑥誤解により,他人の土地を占有した農民に対し,政府は逮捕および提訴はしない。 |
DIA-204-1974-06-30-1 | タイ | 1974年06月30日 | 1970年代 | 学生リーダーは,農民に統一と地主による不公正な扱いに戦い続けることを呼びかけた。25台のバスに分乗して農民解散。 |
DIA-204-1974-07-01-1 | タイ | 1974年07月01日 | 1970年代 | 労働法改正委員会第1回の会合-委員会は,労使代表,議員,専門家からなり,内相は労働法を,現在の社会経済情勢にあうようにするのが目的だといっている。 |
DIA-204-1974-07-02-1 | タイ | 1974年07月02日 | 1970年代 | 反汚職委員会できる-首相,副首相,内,法相で構成。5日)米軍の早期完全撤退を求める集会NSCT書記長代行演説「米のタイ支配の危険が増大している。タイは6米軍基地の一部で主権を失っている」。18団体共同声明「米帝国主義のタイからの根絶への戦いは続けられ,米侵略者の敗北は近い」 |
DIA-204-1974-07-02-2 | タイ | 1974年07月02日 | 1970年代 | プラプラチャイで駐車違反のタクシー運転手,警察に殴られ逮捕さる。群集が運転手の釈放を求めて警察署へ押しかける。 |
DIA-204-1974-07-02-3 | タイ | 1974年07月02日 | 1970年代 | 中国,タイ人科学者15人の訪中を招待。 |
DIA-204-1974-07-04-1 | タイ | 1974年07月04日 | 1970年代 | 群集暴動へ-早朝警察の発砲で8人死亡。夜若者グループがバスを乗取り,警察に発砲。殺害の報復に中国人が武器を集めているといううわさあり。 |
DIA-204-1974-07-04-2 | タイ | 1974年07月04日 | 1970年代 | プラメーン広場で1万人以上の人がNSCTの反米演説を聞く。米大使館へのデモは中止。 |
DIA-204-1974-07-04-3 | タイ | 1974年07月04日 | 1970年代 | 社会行動党ククリット総裁記者会見-4大原則①個人の自由,②法の前の平等,③機会の平等,④富の公平な分配,閥族と縁故制を廃する。農民が永久に搾取される制度を廃する。官僚を主人とみなす制度を廃する。 |
DIA-204-1974-07-05-1 | タイ | 1974年07月05日 | 1970年代 | 早朝非常事態宣言-首相は,平和維持長官,警察局長と話しあい,学生指導者には説明した。夜,再び銃をもったグループが警察・市民を襲った。首相は緊急閣議でこの暴動の背景に鷲,竜といった地域ギャングがあると説明。潮州人会長はラジオで,法律を守り,秩序回復のため,当局と協力するようよびかける。 |
DIA-204-1974-07-06-1 | タイ | 1974年07月06日 | 1970年代 | 暴動鎮静化-学生団体は,この事件は警察がつくり出したと非難。24人が死亡,124人が負傷。67人逮捕され,40人が手配中。25日国会で内相は,この暴動の参加者は500~600人,210万バーツの損失と発表。 |
DIA-204-1974-07-09-1 | タイ | 1974年07月09日 | 1970年代 | 非常事態宣言解除。 |
DIA-204-1974-07-10-1 | タイ | 1974年07月10日 | 1970年代 | 政府は食品,薬品,原料,機械を含む306品目の輸入税減税。物価を抑え投資を高めるため。 |
DIA-204-1974-07-11-1 | タイ | 1974年07月11日 | 1970年代 | 北東部で干害-1200万ライが被害。15~30歳の青年を中心として3000人が求職のため首都に上京してきたという。 |
DIA-204-1974-07-12-1 | タイ | 1974年07月12日 | 1970年代 | 駐タイ米軍に態度表明-外相は米大使に,米空軍機は1972年パリ平和協定実施のためにのみ使われるべきだと告げた。ウタパオ基地からインド洋に偵察飛行がなされているという報告があり,これに対し,①インド洋平和地帯国連宣言を支持するタイ政府の立場に反する。②平和・中立のASEAN宣言をタイは支持する。③ウタパオ基地使用に関するタイ-米合意ではこの使用はインドシナ戦争に限られる,を理由に外務省,国防省は米軍基地の使用について統制を強めようとしたもの。 |
DIA-204-1974-07-15-1 | タイ | 1974年07月15日 | 1970年代 | 反汚職委員会は工・文・内省の高級官僚の汚職の証拠をつかんだと発表。60件が検討中である。 |
DIA-204-1974-07-17-1 | タイ | 1974年07月17日 | 1970年代 | 副首相は,調停委員会に15,837件が提出され,2481件に調停が成立した,残りは政府が介入できない負債問題であると発表。 |
DIA-204-1974-07-18-1 | タイ | 1974年07月18日 | 1970年代 | 国会でタノム等3人の凍結財産没収が第3読会を通過。 |
DIA-204-1974-07-21-1 | タイ | 1974年07月21日 | 1970年代 | 首相記者会見で,先月クリアンサク総司令部副参謀長が政府に連絡なく,プノンペンを訪問したことについて,軍部は依然政府とは別個に行動していることを認めた。また「タイはカンボジア軍を訓練し続ける。ロンノル政府はもし北ベトナムが介入しないことが続けばクメールルージュに対抗できると思う」と語った。 |
DIA-204-1974-07-22-1 | タイ | 1974年07月22日 | 1970年代 | アジア学生協会(ASA)は,3名の代表をNSCT大会に送り,政治抑圧と経済帝国主義に対して,アジアの人民と学生が団結することを呼びかけている。 |
DIA-204-1974-07-22-2 | タイ | 1974年07月22日 | 1970年代 | 政府は高利貸・地主の裁判所提訴に対し,農民援助のため弁護士を送ると発表。 |
DIA-204-1974-07-24-1 | タイ | 1974年07月24日 | 1970年代 | 内務省の土地所有審議会は初会合で,農地の所有制限を50ライとすることで合意。 |
DIA-204-1974-07-25-1 | タイ | 1974年07月25日 | 1970年代 | クリット陸軍司令官記者会見-タイが文民統治下におかれることを望む。しかし軍は依然国家の独立を守る有用な役割をもっている。軍は政治的復位はしないであろう。兵士も国民であり,皆民主的統治を欲している。 |
DIA-204-1974-07-25-2 | タイ | 1974年07月25日 | 1970年代 | 国会NEC令19号を廃止-1971年来禁止されていた自治体・県評議会選挙を復活する法案を通過させた。 |
DIA-204-1974-07-26-1 | タイ | 1974年07月26日 | 1970年代 | 首相,国会の財産没収法を拒否-首相は22日副首相法,副法,内,総理府長官及び陸軍司令官と協議し,国会の17条行使によるタノム等3人の財産没収法案に国王の署名を求めず拒否することに決めた。首相は絶対権が与えられているのは首相であり国会ではない,国会の決議は違憲であるとしている。 |
DIA-204-1974-07-26-2 | タイ | 1974年07月26日 | 1970年代 | 国会,売春管理法案を89対21で否決。 |
DIA-204-1974-07-26-3 | タイ | 1974年07月26日 | 1970年代 | NSCT執行部会で,首相の17条行使拒否は世論に反していることで一致した。しかし,NSCTは何の行動も考えてない。 |
DIA-204-1974-07-27-1 | タイ | 1974年07月27日 | 1970年代 | 農民援助中央委員会は,20日に期限が切れた.8調停委員会の仕事の肩がわりのため,各県に委員会をつくる方針。30日,8月5日から開始される委員会には学生代表は含まれないと発表。Suthee.委員長は「学生は 学問に集中すべきである。農民問題は広範でこれに働く政府職員をもっている」と語る。 |
DIA-204-1974-07-29-1 | タイ | 1974年07月29日 | 1970年代 | 首相,国会議長会談-「8月4日を期限として憲法17条により財産没収するが,合法的に取得したと証明する権利を3者とその妻に与える」という案をククリット提案。 |
DIA-204-1974-07-30-1 | タイ | 1974年07月30日 | 1970年代 | 1日中かかった閣議で,ククリット案を拒否。ククリットが国会を説得できるか疑問視している。 |
DIA-204-1974-07-31-1 | タイ | 1974年07月31日 | 1970年代 | 首相,国会議長と会見し,60日以内に合法的に取得したものについては,証明できるという条件を付して没収に合意。 |
DIA-204-1974-08-01-1 | タイ | 1974年08月01日 | 1970年代 | 首相「10月30日以来凍結されている3人及びその妻の財産は国家に収用される。ただし,60日以内に合法的に取得した財産についてはその証拠を提出できる」と発表。 |
DIA-204-1974-08-02-1 | タイ | 1974年08月02日 | 1970年代 | 国会,99人会のカサメ議員の動議により,政府は財産没収法案について国王署名を求める必要ないと137対45で決議。 |
DIA-204-1974-08-04-1 | タイ | 1974年08月04日 | 1970年代 | タマサート大で,朝鮮における血の支配のパネルに1000人参加。朝鮮において,学生決起後再び軍政が復活した例をひいて,軍の力と対抗できるため異なったイデオロギー下でも連合しようとよびかけ。 |
DIA-204-1974-08-05-1 | タイ | 1974年08月05日 | 1970年代 | 全国に最低賃金一内相は10月1日から中・南部18バーツ,北・北東部16バーツの最低賃金を施行と発表。 |
DIA-204-1974-08-06-1 | タイ | 1974年08月06日 | 1970年代 | タイ銀行脇会長は,タイ銀行に公式に金融緩和を求めた。 |
DIA-204-1974-08-07-1 | タイ | 1974年08月07日 | 1970年代 | タイ人民の声放送再開-武装闘争の道を堅持し,人民戦争を拡大し一層大きな勝利をかちとろう,という社説を掲げた。 |
DIA-204-1974-08-08-1 | タイ | 1974年08月08日 | 1970年代 | カンボジア首相ロン・ポレ氏訪タイ。国連代表権での支持を求めた。 |
DIA-204-1974-08-08-2 | タイ | 1974年08月08日 | 1970年代 | NSCTなど学生グループは,韓国金首相の訪タイに対し,抗議を行なうことを決めた。 |
DIA-204-1974-08-08-3 | タイ | 1974年08月08日 | 1970年代 | ホテルスト始る-内相はサイアムインターナショナルホテルの労働代表者を招き,ホテル客に対し不便がかけられているが,これは観光産業に大きな障害となると警告。同ホテルでは7日から6管理職の追放を要求している。 |
DIA-204-1974-08-09-1 | タイ | 1974年08月09日 | 1970年代 | 75年度予算案全会一致で国会第1読会通過-8日夜,内閣は137人の議員に招待状を送り,副外相宅でパーティを開催。予算の規模は租税収入385億バーツ,借入80億バーッ,その他15億バーツで総額480億バーツ |
DIA-204-1974-08-10-1 | タイ | 1974年08月10日 | 1970年代 | ブルガリアと国交樹立。 |
DIA-204-1974-08-11-1 | タイ | 1974年08月11日 | 1970年代 | フォード米新大統領,首相に米政府の政策に変化はない,という趣旨のメッセージ。 |
DIA-204-1974-08-12-1 | タイ | 1974年08月12日 | 1970年代 | ロムロ・フィリピン外相訪タイ-13日,東南アジア諸国間の強力な政治意思に支えられた,より強固な協力を提案。また外相との会談でASEAN諸国間の不可侵条約を提案した模様。 |
DIA-204-1974-08-13-1 | タイ | 1974年08月13日 | 1970年代 | 大僧上は首都,ノンタブリー,サムットプラカンから全僧院長500余名を集め「仏教の範囲で俗人が直面している問題の解決を助けるよう。このための一つとして戒律を厳重に守ること。最近多くの仏僧が世俗的になり,仏教徒の信頼を傷つけている。僧としての尊敬をうける地位としてだけでなく,タイ市民としてもっと社会に貢献すべきだ」と講話。 |
DIA-204-1974-08-13-2 | タイ | 1974年08月13日 | 1970年代 | 14国営企業の従業員10万人以上が,300バーツの生活手当を要求し,これが容れられない時は行動に訴えると迫っている。 |
DIA-204-1974-08-14-1 | タイ | 1974年08月14日 | 1970年代 | サイアムインターナショナルホテルのストを支援して,ドゥシットタニー,シェラトン,ナライ,オリエンタルの各ホテルもストに入ると発表。 |
DIA-204-1974-08-14-2 | タイ | 1974年08月14日 | 1970年代 | 国会,憲法第2読会へ。 |
DIA-204-1974-08-14-3 | タイ | 1974年08月14日 | 1970年代 | 内閣,北朝鮮に貿易使節送ること同意。 |
DIA-204-1974-08-14-4 | タイ | 1974年08月14日 | 1970年代 | 韓国大使館は,タイ外務省の要請で金首相の訪タイを延期すると発表。 |
DIA-204-1974-08-15-1 | タイ | 1974年08月15日 | 1970年代 | サイアムインターナショナルホテルのスト,経営側の譲歩でスト終わる。 |
DIA-204-1974-08-17-1 | タイ | 1974年08月17日 | 1970年代 | NSCT書記長選出できず。 |
DIA-204-1974-08-18-1 | タイ | 1974年08月18日 | 1970年代 | 警察局は背任行為のあった警察官を地方にとばす罰をやめて,本部下に移して監督を厳しくする方針。 |
DIA-204-1974-08-19-1 | タイ | 1974年08月19日 | 1970年代 | 蔵相は,預金準備率を1%下げることは,金融緩和に役立つと発表。23日タイ銀行は,8%から7%に下げた。 |
DIA-204-1974-08-20-1 | タイ | 1974年08月20日 | 1970年代 | 首相は副首相,国防相,陸軍司令官,警察局長と話合い,ナロンからの帰国申入れを拒否することに決めたと発表。 |
DIA-204-1974-08-20-2 | タイ | 1974年08月20日 | 1970年代 | 内閣は退職,傷病労働者の家計のため厚生基金をつくることを決定。また過去1年間の労働不安を調査して①低賃金と低福祉水準,②中小企業経営者は,労働保護法の要求するものを充してない,③不公平な管理に対する労働者の不満,を3原因とした。 |
DIA-204-1974-08-22-1 | タイ | 1974年08月22日 | 1970年代 | Kaengkhoi麻袋工場で,賃上げと日本人管理職16名の追放を要求しスト。日本人管理者監禁さる。 |
DIA-204-1974-08-24-1 | タイ | 1974年08月24日 | 1970年代 | 全国青年局とVSCT共催で,職業学校指導者セミナー開催。目的は統一と理解力を増し,指導者の能力をつけ,当局と協力して学生が創造的仕事をみつけだすためである。 |
DIA-204-1974-08-25-1 | タイ | 1974年08月25日 | 1970年代 | NSCT書記長選挙再び失敗一代行として,Chungthong Ogassiriwitチュラロンコン大学工学部4年を選んだ。 |
DIA-204-1974-08-25-2 | タイ | 1974年08月25日 | 1970年代 | ホテル経営者の会合で,ドゥシットタニーホテル問題が他にも及ぶことを避けるため,①払える限度内の賃金を払う②賃上額が納得されない時は財務表を公開することを決めた。 |
DIA-204-1974-08-26-1 | タイ | 1974年08月26日 | 1970年代 | 労働法改正-①交渉が24時間以内に妥結しない時は労働局に通知せねばならない。②労働者の要求を受けた日より,2日以内に交渉を開始せねばならない。③労働調停者は通知によって中介し,5日以内に妥結しない時は,どちらか一方は他方の承認を得て仲裁を申し出ることができる。④この8日間を過ぎるまで,スト及び工場閉鎖は許されない,と政府発表。 |
DIA-204-1974-08-26-2 | タイ | 1974年08月26日 | 1970年代 | 今年中に245のストが発生し,7万人が参加,23万労働日が失われたと労働局発表。 |
DIA-204-1974-08-27-1 | タイ | 1974年08月27日 | 1970年代 | 農民負債調査委及び農民援助委にかえて首相は中央農民負債委とその支部を各県に置いた。ただし,中央農民援助委はそのまま。 |
DIA-204-1974-08-28-1 | タイ | 1974年08月28日 | 1970年代 | 副外相邸での国会議員の夕食会に招れた首相は議員から学生の暴力と労働不安に対する弱腰を突き上げられた。 |
DIA-204-1974-08-29-1 | タイ | 1974年08月29日 | 1970年代 | 国会第2読会で2院制採用へ-142対86で決まる。 |
DIA-204-1974-08-30-1 | タイ | 1974年08月30日 | 1970年代 | ドゥシットタニーホテルで遂にスト入り。 |
DIA-204-1974-08-31-1 | タイ | 1974年08月31日 | 1970年代 | 国会議員選挙法第3読会を通過。 |
DIA-204-1974-08-31-2 | タイ | 1974年08月31日 | 1970年代 | 国家貿易法案第1読会通過130対27で。7政府委員及び8国会議員からなる臨時委員会にまわされた。 |
DIA-204-1974-09-02-1 | タイ | 1974年09月02日 | 1970年代 | 国会予算審査会は,国防省予算について,内訳が提出されるまで審議を中止。他省と同じように警察・国防省に内訳を求めたのに対し,国防省は拒否していた。 |
DIA-204-1974-09-03-1 | タイ | 1974年09月03日 | 1970年代 | 東独と国交樹立。 |
DIA-204-1974-09-03-2 | タイ | 1974年09月03日 | 1970年代 | 三井,三菱両グループは,昨春タイ政府と契約した石油化学コンビナートの建設計画を中断することを蔵相に伝えた。 |
DIA-204-1974-09-04-1 | タイ | 1974年09月04日 | 1970年代 | 米軍発表-8月中に2500人,航空機26機が引きあげられ,米軍は27,500人,380機の規模になった。3月に発表された撤退計画をほとんど完成し,これ以上の縮小計画は現在ない。 |
DIA-204-1974-09-05-1 | タイ | 1974年09月05日 | 1970年代 | BoIは石油化学計画をあくまで推進することを決め,次の点で政府の協力を求めた。①日本投資家と合意されたタイ側資本のシェアを確保する,②政府は同計画について,投資家を安心させる。③日タイ二国間のよりよい理解をもたらす。 |
DIA-204-1974-09-05-2 | タイ | 1974年09月05日 | 1970年代 | 上院,国王任命制に-国王の任命は国王を政治に引込むという批判はあったが,111対86で第2読会通過。 |
DIA-204-1974-09-06-1 | タイ | 1974年09月06日 | 1970年代 | 三井,三菱両グループは,BoI事務局長に,石油コンビナート計画を3年間中断したいと伝えた。この理由として①タイにおけるプラスチック需要の激減。②設備投資額も当初予定の3.5倍になった。③反日運動も盛んで現在のタイの投資環境は極めて悪い。 |
DIA-204-1974-09-06-2 | タイ | 1974年09月06日 | 1970年代 | 国会憲法審議第2読会は71県を選挙区に分け,各選挙区から最高3人の代表を出すことを決めた。 |
DIA-204-1974-09-07-1 | タイ | 1974年09月07日 | 1970年代 | 選挙権20歳以上,被選挙権25歳以上に一前者147対68,後者135対29,また無所属では立候補できないが133対27で国会第2読会通過。 |
DIA-204-1974-09-08-1 | タイ | 1974年09月08日 | 1970年代 | ホテル労働者協会長Therdphum Jaideeは,ドゥシットタニーホテルでの労使会談が失敗すれば,大きな労働不安がおこると警告。 |
DIA-204-1974-09-09-1 | タイ | 1974年09月09日 | 1970年代 | 蔵相は年末までに各企業の厚生基金を集め,中央厚生基金をつくる。これは労働者保護と国家資本にとって,便益となると発表。 |
DIA-204-1974-09-09-2 | タイ | 1974年09月09日 | 1970年代 | 全政府企業労働者連合-首都電力公社労働者協会長は,この連合のため規約が起草中である,連合は政府企業労働者の合法的権利保護に重点を置き,政治からは離れると語る。 |
DIA-204-1974-09-10-1 | タイ | 1974年09月10日 | 1970年代 | ソ連映画の上映許可。 |
DIA-204-1974-09-11-1 | タイ | 1974年09月11日 | 1970年代 | 首相は,昨年12月以来の石油節約のための映画上映時間の制限,ネオンサイン規制を解いた。 |
DIA-204-1974-09-11-2 | タイ | 1974年09月11日 | 1970年代 | ラオスは,タイが東北開発のための電源と期待したPa Mongダムに関心を示せず,将来のエネルギー供給計画の見直しの必要に迫られている。 |
DIA-204-1974-09-12-1 | タイ | 1974年09月12日 | 1970年代 | 憲法第2読会で国王は,議会野党第党で5分の1以上をとった党の総裁を野党党首として任命すると決めた。 |
DIA-204-1974-09-13-1 | タイ | 1974年09月13日 | 1970年代 | 国会憲法第2読会は,首相は下院議員より選出され,閣僚の半数以上は上下院議員でなければならないとした。 |
DIA-204-1974-09-13-2 | タイ | 1974年09月13日 | 1970年代 | ドゥシットタニーホテル前に他のホテルなど1000人の労働者が集まる中で,仲裁委員会の裁定を労働者側は受け入れ,スト終わる。 |
DIA-204-1974-09-13-3 | タイ | 1974年09月13日 | 1970年代 | Therdphum Jaidee,Prasith Inso,Prasith Chaiyo,Sanan Sukdee,Banyat Sukpolの15県を代表するという労働運動家5人は7項目の要求を出し,来月12日までに政府の回答を求めた。①全国一律25バーツの最低賃金②公休日にも給与を全労働者に払え,③スト中使用者はロックアウトはやるな,④ストのできない公益事業を特定せよ,⑤デッドロックになった時はスト代表,使用者代表,政府代表各2人からなる仲裁委員会をつくり解決せよ。しかし,政府代表は決定権なし,⑥労働協会代表は会員の働く工場を勤務時間中視察できる,⑦犯罪を犯してない労働者は解雇できない。 |
DIA-204-1974-09-14-1 | タイ | 1974年09月14日 | 1970年代 | 国会は第2読会で,憲法224条全部の審議を終了。 |
DIA-204-1974-09-16-1 | タイ | 1974年09月16日 | 1970年代 | 商務省,全原料糖の輸出禁止-国内での砂糖不足に対処して。 |
DIA-204-1974-09-18-1 | タイ | 1974年09月18日 | 1970年代 | 15学生団体・活動家グループ憲法に反対-夕方に1万人以上の聴衆を集め①選挙権を20歳から18歳に引き下げること,②被選挙権を25歳から23歳に,③国王の任命になる上院制の廃止,④外国軍のタイ駐留,タイ軍の国外派遣は国会承認事項にする,の4点を要求。 |
DIA-204-1974-09-19-1 | タイ | 1974年09月19日 | 1970年代 | 国会,学生の要求を拒否国会は語句の一部訂正をして,憲法審議第2読会を終了。選挙権,被選挙権,上院制を再び議題とするか否かを,各々135対50,131対42,124対45で否決。 |
DIA-204-1974-09-19-2 | タイ | 1974年09月19日 | 1970年代 | 夜2000人の抗議者と3000人の群集は,民主主義記念塔前で憲法修正要求集会が続けられ,国会議長ククリットと99人会は真の民主主義を破壊していると非難。 |
DIA-204-1974-09-19-3 | タイ | 1974年09月19日 | 1970年代 | 160人のタイ人CIA庸兵の捕虜が,パテト・ラオによって,ジャール平原で解放され,ノンカイ県Nam Pong基地に収用された。) |
DIA-204-1974-09-19-4 | タイ | 1974年09月19日 | 1970年代 | 南ベトナム代表団訪タイ-漁業区問題を話しあうため。 |
DIA-204-1974-09-20-1 | タイ | 1974年09月20日 | 1970年代 | 反憲法集会続く-学生を中心した5000人以上が民主主義記念塔に集り,憲法修正を要求。更にホテル労働者300人も参加。99人会は国会に独裁をひき込んでいる,草案は以前のものと比べて決してよくない,と非難。 |
DIA-204-1974-09-20-2 | タイ | 1974年09月20日 | 1970年代 | VSCTは憲法賛成の集会-プラメーン広場で。NSCTは寄付金をVSCTに適切に渡さず1人占めし,10月14日の国民葬も含んで多くの運動についてVSCTに相談しないと非難。 |
DIA-204-1974-09-21-1 | タイ | 1974年09月21日 | 1970年代 | 首相,チラユット氏及びNSCT代表と会見。憲法が国会第3読会で否決されれば,新草案をつくると約束。集会は解散される。チラユット「10月4日の第3読会まで待とう。もし国会が拒否したら10月5日に集って我々の望むもののために戦おう。」 |
DIA-204-1974-09-23-1 | タイ | 1974年09月23日 | 1970年代 | VSCT反NSCT集会-VSCTを中心とした職業学校生7000人は,王宮広場で集会。プラスチック爆弾の爆発で9人負傷。彼らはセクサン,チラユット氏を寄付金の使途問題などで非難。また国会に圧力をかけようとするどのような動きとも戦うと宣言。 |
DIA-204-1974-09-23-2 | タイ | 1974年09月23日 | 1970年代 | 首相は,私は国会の第3読会で憲法案が否決されるよう影響力を行使するつもりはないと語る。 |
DIA-204-1974-09-24-1 | タイ | 1974年09月24日 | 1970年代 | NSCT会計報告-前年10月11日より8月19日までの寄付金,23,481,952.94バーツ。第1期支出610万バーツ.,内訳,民主主義維持基金240万バーツ・Athipat出版費30万バーツ,10月蜂起犠牲者ヘ130万バーツ。第2期支出860万バーツ,内訳,10月蜂起犠牲者へ800万バーツ,活動家Niran Musikawongse葬式代21,674バーッ,英雄記念塔建設準備金3000バーツ,死者記念誌10,000バーツ,10月蜂起運動記念誌出版387,547バーツ,農民計画93,715バーツ,労働不安計画18,150バーツ,現在残金8,744,404.69バーツ。 |
DIA-204-1974-09-24-2 | タイ | 1974年09月24日 | 1970年代 | NSCT執行部記者会見一Paitool Chitta委員は,「NSCTは,タイの青年が国政に関心を示したことで満足している。彼らが強力な勢力になることを信ずる。NSCTは職業学校生の集会に反対しなかった。もし職業学校生が独立してないなら他人によって誤って誘導される。両組織の誤解は,双方の調整がうまくいかなかったためだ」 |
DIA-204-1974-09-24-3 | タイ | 1974年09月24日 | 1970年代 | 99人会幹部会で,憲法支持の態度に変わりないことを決めた。 |
DIA-204-1974-09-25-1 | タイ | 1974年09月25日 | 1970年代 | 首相,テレビで,国会に干渉しないと言明-NSCTに第3読会で憲法が否決されれば新草案をつくると約束したが,これは国会への干渉を意味するものでない。10月4日には平和を維持してどのような暴力も避けるように。大事な日は10月14日の国葬であり,悪いことが起きないようにしよう。 |
DIA-204-1974-09-26-1 | タイ | 1974年09月26日 | 1970年代 | 草案に強く反対していた議員50人は,第3読会で反対しない方針へ。この反対派の中心プェイ氏も賛成票を投じる意向を明らかにした。 |
DIA-204-1974-09-27-1 | タイ | 1974年09月27日 | 1970年代 | 国会は政党に国庫補助を与える政党法内の条項を77対51で否決。賛成者は資金力のある団体下に政党がおかれることを避け,政党制を強固にするために提案。 |
DIA-204-1974-09-30-1 | タイ | 1974年09月30日 | 1970年代 | NSCT全国学生リーダー会議-180人の代表は4項目憲法修正を,選挙権を18歳以上には160人の賛成,他は全会致で支持。しかし,国会第3読会を通過した場合には,抗議集会が唯一のものでないと声明。 |
DIA-204-1974-09-30-2 | タイ | 1974年09月30日 | 1970年代 | 24労働協会は憲法を支持したり,反対したりする運動には加わらぬことに決めた。「労働者の主要目的はよりよい生活と社会正義のため戦うことであり,憲法の可否の票決には干渉しない」と発表。 |
DIA-204-1974-09-30-3 | タイ | 1974年09月30日 | 1970年代 | 国防相は,権力の蓄積によるクーデターを避けるため,各軍司令官の任期を3年とする方針。 |
DIA-204-1974-10-01-1 | タイ | 1974年10月01日 | 1970年代 | 最低賃金‘全国に実施-北東・北部16バーツ,南・中央部18バーツ。首都近県5県では,既に20バーツ実施しているが,来年1月16日よりは25バーツにすると政府発表。 |
DIA-204-1974-10-01-2 | タイ | 1974年10月01日 | 1970年代 | タマサート大自治会は,NSCTの4項目修正要求には賛成するが,5日の行動には加わらぬと発表。これは大学生グループとVSCTの衝突は再び独裁を目ざす勢力を利するからである。 |
DIA-204-1974-10-03-1 | タイ | 1974年10月03日 | 1970年代 | NSCTは,5日には何の組織的行動もしないと発表。 |
DIA-204-1974-10-03-2 | タイ | 1974年10月03日 | 1970年代 | 政党法国会通過-167対2。政党をつくるには最低15人。党員は20歳以上。 |
DIA-204-1974-10-04-1 | タイ | 1974年10月04日 | 1970年代 | 副首相は国会で,政府は既に40,190ライの土地を農民に売るよう地主に強制したと発表。 |
DIA-204-1974-10-05-1 | タイ | 1974年10月05日 | 1970年代 | 憲法第3読会通過-賛成280名,反対6名,棄権1名,欠席11名,欠員1名。 |
DIA-204-1974-10-06-1 | タイ | 1974年10月06日 | 1970年代 | 39労働協会からなる連合は,小委員会を作って,各政党の労働政策を検討することにした。 |
DIA-204-1974-10-06-2 | タイ | 1974年10月06日 | 1970年代 | チラユット氏僧院へ。 |
DIA-204-1974-10-07-1 | タイ | 1974年10月07日 | 1970年代 | 国王,憲法に署名-ただし国王は「枢密院議長は,上院議員任命勅命に副署するとした107条に強く反対する。その理由は,16条で枢密院議長の任命は国王大権になっており,民主主義制度の下では,国王は政治を超越するという原則に反するからである。他にも考慮の余地ある問題があるが,変化する時代と状況に合わせて,憲法上の手続において修正されるべきである」と王室声明を出した。 |
DIA-204-1974-10-07-2 | タイ | 1974年10月07日 | 1970年代 | 文部省,立候補予定の政府機関職員に辞職勧告。これは教員の中に,政治家の集票係的役割を果したものが多いため。 |
DIA-204-1974-10-09-1 | タイ | 1974年10月09日 | 1970年代 | 副首相は,憲法が要求している議員,閣僚の財産公表の手続法案は,現政府下ではできないだろう,憲法には多くの問題があり,各条項が互いに補完しないので解釈に困ると語る。 |
DIA-204-1974-10-09-2 | タイ | 1974年10月09日 | 1970年代 | Chart Tbai党はDhamma Sangkhom党と合併するとチャチャイ幹事長語る。 |
DIA-204-1974-10-10-1 | タイ | 1974年10月10日 | 1970年代 | ククリット議長辞任-憲法公布の成功と選挙出馬を理由に。首席副議長Samran将軍(副参謀長)も辞任。11日Prapasna Vaychai議長,Boonchana Attbakor副議長選出。レタマサート大で15日まで10月蜂起記念展開催。 |
DIA-204-1974-10-10-2 | タイ | 1974年10月10日 | 1970年代 | DhammaSangkhom党スポークスマンは,Chart Thai党と合併する必要はないと語る。 |
DIA-204-1974-10-10-3 | タイ | 1974年10月10日 | 1970年代 | 民主主義党(Prachatipatai)成立。 |
DIA-204-1974-10-10-4 | タイ | 1974年10月10日 | 1970年代 | 国会第1読会を,1951年の借地規制法改正案88対2で通過。 |
DIA-204-1974-10-11-1 | タイ | 1974年10月11日 | 1970年代 | BoIによると,内務省はBoI奨励を受けた外国企業が,タイでもうかっているという誤解を解くため,3項目の勧告をした。①人事管理者は外国人に替え,タイ人を雇用すること,②中央銀行は外貨の国外送金に関する規制を検討し,BoIは内部留保をタイに再投資するよう外国企業に要請すること,③一定期間内に外国人技術者,管理者に替わるタイ人を訓練すること。 |
DIA-204-1974-10-11-2 | タイ | 1974年10月11日 | 1970年代 | 農民負債調査委員会によると,6月以来4万件以上が提出されたが,解決したのは334件のみである。 |
DIA-204-1974-10-12-1 | タイ | 1974年10月12日 | 1970年代 | Kaset Sangkhom党,執行委員及び立候補者を決める。105名の候補者中,60名旧議員。 |
DIA-204-1974-10-13-1 | タイ | 1974年10月13日 | 1970年代 | 国葬はじまる-プラメーン広場には学生,僧侶,犠牲者の親類など10万人が参加。 |
DIA-204-1974-10-14-1 | タイ | 1974年10月14日 | 1970年代 | 国王夫妻,首相,各国大使など出席して,71人の国葬。首相は「昨10月民主主義のために戦って死んだ人々は,国家のために大きな犠牲となった。その死は家族にとっては損失であったが,民主主義への道を開くものである。死は無駄ではなかった。その精神をたたえ,民主主義的統治を守っていこう」と賞徳文。1000人の軍人,5000人の警察・ボーイスカウト,1万人の職業学校生が警備。 |
DIA-204-1974-10-15-1 | タイ | 1974年10月15日 | 1970年代 | 農民,国王直訴達動へ-Chai Wantrakulに率られた一団の農民は,王室事務総長より提訴は農民負債調査委員会に出すよう言われたが,Cbai氏「多くの農民を集め,国王に謁見を求める。国王のみが我らの土地を取り返せる」 |
DIA-204-1974-10-16-1 | タイ | 1974年10月16日 | 1970年代 | 社会科学評論Pansak Vinyarath氏は今月始めハノイに招待され,ブー・コク・ウイ対外文化関係委員長の「北ベトナムは対話を開くため,文化代表を送りたい」という意向を伝えた。閣議で外相は「ハノイの態度は二国間の緊張した関係の雪どけの兆である」と語る。 |
DIA-204-1974-10-16-2 | タイ | 1974年10月16日 | 1970年代 | 政党法公布-政党,登録はじまる。 |
DIA-204-1974-10-16-3 | タイ | 1974年10月16日 | 1970年代 | Chai,氏農民負債調査委員長と会見後「政府は真剣でない。政府は農民に希望をもたせてくずしてしまった。政府は資本家側だ」と非難。FISTは「農民と地主が法廷で争うのを助ける」と発表。 |
DIA-204-1974-10-17-1 | タイ | 1974年10月17日 | 1970年代 | 民主党(Prachatipat)内紛-セニ派とレカ派は,ともに民主党として登録しようとした。 |
DIA-204-1974-10-18-1 | タイ | 1974年10月18日 | 1970年代 | 60人の議員,改憲動議-被選挙権を23歳に,選挙権を18歳に下げること,外国軍駐タイ及びタイ軍国外派遣を国会承認事項とすることを要求して。 |
DIA-204-1974-10-19-1 | タイ | 1974年10月19日 | 1970年代 | タウィー陸軍大将はDhamma Sangkhom,党に加わったことを明らかにした。 |
DIA-204-1974-10-22-1 | タイ | 1974年10月22日 | 1970年代 | タイ社会党成立-3社会主義政治団体の会合で,タイ社会党(Boonsanong総裁)と社会民主党は合併することで合意。新党は総裁Somkid Sisangkhom,幹事長Boonsanong。一方社会主義戦線党はこの合併に加わらない。 |
DIA-204-1974-10-24-1 | タイ | 1974年10月24日 | 1970年代 | 30県の戒厳令延長-18日,首相は,来年末まで戒厳令の延長を求めたが,国会は160対11で承認。 この戒厳令は1971年11月17日に施行以来のもの。今年3月20日には40県で解除。 |
DIA-204-1974-10-24-2 | タイ | 1974年10月24日 | 1970年代 | 民主党,社会行動党,新新勢力党は互いに攻撃せず,協力してゆくため非公式会見。彼らは旧連合タイ国民党系の進出を恐れている。 |
DIA-204-1974-10-24-3 | タイ | 1974年10月24日 | 1970年代 | 選挙法,国会通過。 |
DIA-204-1974-10-24-4 | タイ | 1974年10月24日 | 1970年代 | 内閣は,国内安全保障活動本部(ISOC)にタイ志願兵村に代り「戦闘のための村」設置を認めた。タイ志願兵村は4万村まで増やす計画だったが,これは失敗に終った。新しい戦闘村はISOCの直轄下に,村民を訓練し,戦闘の主力として武器を与える。 |
DIA-204-1974-10-26-1 | タイ | 1974年10月26日 | 1970年代 | 陸軍副司令官Booncbai将軍は「私は中華人民共和国,北ベトナムと関係を設定することに反対する。イデオロギーがちがう以上,良い関係を発展させることは難しい」。 |
DIA-204-1974-10-29-1 | タイ | 1974年10月29日 | 1970年代 | ククリット氏は南部のテレビ演説で「国王をもっていて,国王を使うことをしなかったなら,像を持っているようなものだ。」という旨の発言をしたとして,旧ラームカムヘン大自治会長に不敬罪の告発をうけた。 |
DIA-204-1974-10-30-1 | タイ | 1974年10月30日 | 1970年代 | タイ党結成一旧NSCT書記長ソムバット氏などは新党をつくった。 |
DIA-204-1974-10-30-2 | タイ | 1974年10月30日 | 1970年代 | 第9回労働局記念日で,Nikhom局長は「平均2000人が,毎日労働局を訪れ求職する。機械でなく,人力を使った産業政策への修正,地方開発計画により政府による地方民の雇用の増大を求める」と語る。 |
DIA-204-1974-10-31-1 | タイ | 1974年10月31日 | 1970年代 | 財界労働攻勢に戦略-50人の主要財界人の集りで,労働問題解決のため政府に提言援助するため,商業・産業学術局がつくられる方針が決まる。 |
DIA-204-1974-11-02-1 | タイ | 1974年11月02日 | 1970年代 | Thien副内相は,外国人職業・企業規制法は外国投資が逃げる恐れがあるので強く実施できないと語る。 |
DIA-204-1974-11-03-1 | タイ | 1974年11月03日 | 1970年代 | 首相環境視察-副首相,厚生相,副工業相などは,砂糖工場による河川汚染の激しいラーツブリー県のメクログ河視察。 |
DIA-204-1974-11-04-1 | タイ | 1974年11月04日 | 1970年代 | 地方自治体118の議員選挙-締切日の4日までに,1912議席に対し5175人立った。 |
DIA-204-1974-11-04-2 | タイ | 1974年11月04日 | 1970年代 | プラメーン広場で,ククリット氏を不敬罪で取調べるよう要求する集会。1000人以上の聴衆あり。 |
DIA-204-1974-11-05-1 | タイ | 1974年11月05日 | 1970年代 | 労働関係法改正案内閣へ-内務省の起草による草案は内閣で承認。ストライキの場合の交渉を早め,経済危機の時は政府にスト中止命令権がある。労働者に労働組合,連合体の結成を許す一方,使用者にも強い交渉権を与えている。 |
DIA-204-1974-11-05-2 | タイ | 1974年11月05日 | 1970年代 | 警察は,過去10ヵ月中,1,2月をピークに学生間の乱闘が55件あり,3人死亡51人負傷した。また学生1人が殺人,26人が殺人未遂,騒乱罪で逮捕された,と発表。 |
DIA-204-1974-11-05-3 | タイ | 1974年11月05日 | 1970年代 | 中国フットポールチーム28人訪タイ。 |
DIA-204-1974-11-05-4 | タイ | 1974年11月05日 | 1970年代 | サナン副蔵相,汚職を調査され,辞任。しかし大蔵次官の地位はそのまま。 |
DIA-204-1974-11-06-1 | タイ | 1974年11月06日 | 1970年代 | 13県の農民は,政府は6月29日の6項目の約束を実施していないとして,国王に直訴すること決定。 |
DIA-204-1974-11-06-2 | タイ | 1974年11月06日 | 1970年代 | 外相ラオス訪問,パテトラオ指導者と会談-プーミ外相と会談。7日はスファヌボンに「米軍の駐タイは,ラオス中立の恐れとなる」と米軍の早期撤退を求められる。また,ラオスに経済援助として,現金で500万バーツ,物資(米,衣料)で1000万バーツを与えた。 |
DIA-204-1974-11-07-1 | タイ | 1974年11月07日 | 1970年代 | 480億バーツの1975年予算国会通過。 |
DIA-204-1974-11-08-1 | タイ | 1974年11月08日 | 1970年代 | 警察,学生に対し強い態度-ピストル,爆弾などをもった100余人の職業学校生は,首都北東部郊外でバスを攻撃し,56人が騒乱罪で逮捕された。これは10月蜂起以後,職業学校生にとられた,はじめての厳しい措置。 |
DIA-204-1974-11-08-2 | タイ | 1974年11月08日 | 1970年代 | 東独,ポーランド,ハンガリー,ルーマニア,チェコスロバキアをタイ代表団訪問へ。 |
DIA-204-1974-11-12-1 | タイ | 1974年11月12日 | 1970年代 | 輸入センイ品のCIF価格を,外国企業のダンピングを避けるため決めること閣議決定。 |
DIA-204-1974-11-12-2 | タイ | 1974年11月12日 | 1970年代 | 蔵相,景気回復策-不況のセンイ,建設を回復させ,失業者を減らすため。 |
DIA-204-1974-11-13-1 | タイ | 1974年11月13日 | 1970年代 | 国会議員64人からSawasdi Utbaisri財務局長の突然の更迭に対し,内閣に説明を求める要求が憲法158条によってなされた。 |
DIA-204-1974-11-18-1 | タイ | 1974年11月18日 | 1970年代 | 先月18日の改憲動議について,議長は40法案が既に提出されており,審議の見通しがたたないと語る。 |
DIA-204-1974-11-18-2 | タイ | 1974年11月18日 | 1970年代 | 11学生団体農民支持-6項目の約束を実施しない政府に抗議する農民を支持すると発表。ただしNSCTは加わらず。 |
DIA-204-1974-11-19-1 | タイ | 1974年11月19日 | 1970年代 | 閣議は,丸棒,線材など鉄鋼二次製品の輸入関税を一挙に10倍にした。 |
DIA-204-1974-11-20-1 | タイ | 1974年11月20日 | 1970年代 | 遅くまで16県26人の農民代表はNSCTと会見し,政府に求める農民援助5項目を決めた。①6月の政府の約束の法制化。②もし①が受け入れられないなら,政府は100ライ以上の土地所有者から土地を買い,長期契約で農民に貸与せよ。③10年以上占有した公有土地は占有者に与えよ。④1950年借農地法の全県実施。借地期間の6年までの拡大。⑤キウィエン当り3000バーツ保証。 |
DIA-204-1974-11-21-1 | タイ | 1974年11月21日 | 1970年代 | 警察に裁判所の命令なく暴力容疑で拘留できる権限を与えた布告21号,43号が国会で廃止。これにかわって暴力規制法通過。 |
DIA-204-1974-11-21-2 | タイ | 1974年11月21日 | 1970年代 | 国立大学局は,選挙監視計画をNSCTと共同でやる用意はないと発表。 |
DIA-204-1974-11-22-1 | タイ | 1974年11月22日 | 1970年代 | 農民代表は首相との面会断られる。副首相は,農民は要求をはっきりさせてない,政府は言い分が判らない,と非難。 |
DIA-204-1974-11-24-1 | タイ | 1974年11月24日 | 1970年代 | 農民連合組織できる-プラメーン広場での抗議農民のリーダーは,政府に農民が作物を売渡すための仲介機関として,農民連合組織をつくることに合意。総裁はChai Wangtrakul。 |
DIA-204-1974-11-25-1 | タイ | 1974年11月25日 | 1970年代 | 中東・東欧旅行から帰国した副外相は,クウェート,ポーランドに大使館をおく方針を語る。クウェートはペルシャ湾岸石油産出国,ポーランドは社会主義国と接触のため。 |
DIA-204-1974-11-26-1 | タイ | 1974年11月26日 | 1970年代 | 閣議,農民要求拒絶-①政府が6月約束した6項目の法制化はできない。②新憲法では旧憲法の17条はなく,高利貸へのドラスチックな対処はできない。③政府は私人が農民に対し,法的措置をとることを中止させえない。④政府は土地改革法で買入を規制する。⑤1950年の借農地法は,地主は耕作のため借地を解約する権利をもち,農民がこの法の施行を要求することは自分の損である。⑥今週第2読会で論じられる土地改革法は,農民に有利であり,また20年,5%の利子で融資する。⑦3000バーツの米価保証はできない。農民リーダー「国王への直訴以外に道はない。内閣の決定を知って農民は求めなくとも上京しよう」。 |
DIA-204-1974-11-26-2 | タイ | 1974年11月26日 | 1970年代 | ウィトーン副警察局長,タノム前首相が老齢の父親見舞に帰国を希望していると発表。 |
DIA-204-1974-11-27-1 | タイ | 1974年11月27日 | 1970年代 | 宗教最高会議は,僧の政治参加を一切禁止する声明。 |
DIA-204-1974-11-28-1 | タイ | 1974年11月28日 | 1970年代 | 国家貿易法案第5読会通過-111対5で。公布告180日内に,社会主義国と貿易を行なう法人設立さる。 |
DIA-204-1974-11-28-2 | タイ | 1974年11月28日 | 1970年代 | 首相は,国王に謁見後,当分の間タノムの帰国はみとめないと発表。 |
DIA-204-1974-11-28-3 | タイ | 1974年11月28日 | 1970年代 | 選挙受付け始まる-1候補の供託金は4000バーツ。 |
DIA-204-1974-11-28-4 | タイ | 1974年11月28日 | 1970年代 | プラメーン広場で集会している農民は,首相副首相の人形を焼き,29日17時を期限として,より満足できる回答を求めた。 |
DIA-204-1974-11-29-1 | タイ | 1974年11月29日 | 1970年代 | 大農民デモ-FISTを中心とする学生,サムットサコーンの800人のセンイ労働者,カセサート大生なども加わり,1万人以上がプラメーン広場から王室広場まで僧20人を先頭に行進。午後8時半には2万人になった。首相は学生・農民代表と会う9時を期限として学生は回答を求める。午後10時10分,内閣スポークスマンは,「双方の合意が成立し,後に詳しい発表がある。」と発表。 |
DIA-204-1974-11-30-1 | タイ | 1974年11月30日 | 1970年代 | 農民解散12日ぶりに多くの要求を受け入れられ解散。 |
DIA-204-1974-12-01-1 | タイ | 1974年12月01日 | 1970年代 | タイ共産党,32周年声明。 |
DIA-204-1974-12-02-1 | タイ | 1974年12月02日 | 1970年代 | ソ連貿易展が20日間開催。 |
DIA-204-1974-12-03-1 | タイ | 1974年12月03日 | 1970年代 | 北ベトナム・グエンズイチン外相書簡-ベトナム民主共和国とタイ国との正常化への障害は,タイ国が米帝国主義のインドシナ侵略と干渉の構想の促進を追求していることにある。タイとの善隣関係を求めることは,ベトナム民主共和国の不変の方針である。もし貴国が平和友好政策をとり,米国とのゆ着をやめ,米軍及び米軍基地の完全な撤退を行ない,またベトナムとインドシナ各国民の基本的国家権を尊重するなら,独立,主権の相互尊重,平等及び互恵を基礎に二国間の正常化に関して早急に交渉に入る用意がある。 |
DIA-204-1974-12-03-2 | タイ | 1974年12月03日 | 1970年代 | 農民デモの先頭に立った僧のうち,3人の訪問僧が寺を追放された。これに抗議するラームカムヘン大生などはプラメーン広場で集会。一方,僧の政治参加には風当りも強い。 |
DIA-204-1974-12-04-1 | タイ | 1974年12月04日 | 1970年代 | 立候補締切一政党は42党が登録した。 |
DIA-204-1974-12-04-2 | タイ | 1974年12月04日 | 1970年代 | NSCTは,選挙の監視立会計画を,財政難と人手不足であきらめると発表。 |
DIA-204-1974-12-05-1 | タイ | 1974年12月05日 | 1970年代 | 中国バスケットポール団訪タイ-在タイ華人による歓迎パーティ席上,李代表は「訪タイ支持を阻止しようとした将介石体制と戦った努力に感謝する。海外の中国人は国内法に従い,国家を開発する手助けをすべきだというのが中国の政策である」と語る。 |
DIA-204-1974-12-06-1 | タイ | 1974年12月06日 | 1970年代 | 布告53号廃止-126対0で国会通過。 |
DIA-204-1974-12-06-2 | タイ | 1974年12月06日 | 1970年代 | 借農地規制法国会通過-この法の施行以前の借地契約で6年以下及び期限の定めのないものは6年間の契約とみなす。これは先月末の農民要求に対する政府の回答のひとつ。 |
DIA-204-1974-12-07-1 | タイ | 1974年12月07日 | 1970年代 | 副首相は「現在の衆愚政治にうんざりだ。政府は,混乱をつくりだす運動には,どのようなものでも強い態度をとる。この状況が続けば軍部が再び政治権力をとろう」と発言。 |
DIA-204-1974-12-07-2 | タイ | 1974年12月07日 | 1970年代 | 中国製映画上映許可。 |
DIA-204-1974-12-09-1 | タイ | 1974年12月09日 | 1970年代 | 副首相記者会見-先のプラメーン広場での農民集会は,民衆に反政府暴動を扇動しようと不法者が引きおこしたものである。農民出身の警察官,軍人,無知の人々が反政府反乱の扇動を受けてきた。この背後に誰がいるかを政府は知っており,これを深刻にうけとめ,手段を考えている。また,新聞は政府に対し,非建設的批判を控えるべきで,正しくない攻撃には容赦しない,と発言。 |
DIA-204-1974-12-10-1 | タイ | 1974年12月10日 | 1970年代 | 政府,土地改革法を国会提出。 |
DIA-204-1974-12-10-2 | タイ | 1974年12月10日 | 1970年代 | NSCT,マレーシア学生支持-「インフレと貧困と戦うマレーシア学生を支持する。政府に国民がもつ問題の解決のため援助するよう求めるのは,学生の権利である。」 |
DIA-204-1974-12-12-1 | タイ | 1974年12月12日 | 1970年代 | 憲法159条に基づいて,財務局長の突然の更迭に関する一般討論がなされた。蔵相は,財務局内の汚職問題,常任公務員に対する干渉などを追及された。 |
DIA-204-1974-12-12-2 | タイ | 1974年12月12日 | 1970年代 | 外相は,タイ代表と中国側との北京での話合では,外交の正常化までは含まれない,現政権は,短期間しか続かず,中・タイ関係のドラステックな変化には尚早である,と語る。 |
DIA-204-1974-12-13-1 | タイ | 1974年12月13日 | 1970年代 | 蔵相信任さる-投票の結果,95対21,棄権54で信任。 |
DIA-204-1974-12-13-2 | タイ | 1974年12月13日 | 1970年代 | 公務員法通過。同じポストに4年以上とどまっている局長は,彼の「王国建設」を避けるため,他に移すことも74対49で決まる。 |
DIA-204-1974-12-14-1 | タイ | 1974年12月14日 | 1970年代 | 訪中・北朝群代表団出発-プラソグ団長(副商務相)は「タイで広くは生産されてないものを買うことで,国内産業を保護することを約束する。一方では,物価安定の助けとなる物資を買うつもりだが,国内の弱少産業を常に念頭におく。」と語る。 |
DIA-204-1974-12-14-2 | タイ | 1974年12月14日 | 1970年代 | 118自治体で議会公選-1967年以来はじめて。 |
DIA-204-1974-12-16-1 | タイ | 1974年12月16日 | 1970年代 | BoI奨励申込大幅減少-1974年1~10月までの申込件数は183で前年同期の439に比べ大幅な落こみ。 |
DIA-204-1974-12-16-2 | タイ | 1974年12月16日 | 1970年代 | 南部5県で教師スト-11日ヤラで,3女教師がテロリストに誘拐された事件で,南部3県の教師5000人余は政府の弱腰を批判して集会。 |
DIA-204-1974-12-16-3 | タイ | 1974年12月16日 | 1970年代 | タイ・オーストラリア文化交流協定。 |
DIA-204-1974-12-18-1 | タイ | 1974年12月18日 | 1970年代 | 各軍司令官及び参謀総長は,マレーシア,シンガポール,フィリピン,ビルマを訪問。 |
DIA-204-1974-12-18-2 | タイ | 1974年12月18日 | 1970年代 | 14国営企業の労働協会は「反汚職委員会を恒常的な機関にするという政府の方針を支持する。国会での強い反対を予想して政府を支持することを決めた」とスポークスマン語る。 |
DIA-204-1974-12-18-3 | タイ | 1974年12月18日 | 1970年代 | NSCT内に汚職-印刷社に払うべき金20万バーツが,担当者に持逃げされた。 |
DIA-204-1974-12-19-1 | タイ | 1974年12月19日 | 1970年代 | タイ代表団,北朝鮮訪問-副首相,外国貿易大臣と会談。北朝鮮側は,鉄マンガン重石,スズ,ゴムなど,タイは肥料などを購入したい意向を示したという。 |
DIA-204-1974-12-19-2 | タイ | 1974年12月19日 | 1970年代 | 閣僚給与大幅引上げ-汚職防止のため現行1万3500バーツの首相月額給与は6万3500バーツに,閣僚も平均4万バーツ上げて5万バーツに。法案国会通過。 |
DIA-204-1974-12-20-1 | タイ | 1974年12月20日 | 1970年代 | 政府提案の憲法改正案否決-政府は上院制廃止のため,これに関する107条~110条の削除案を出したが,支持121,反対54,棄権35で,全議員の過半数146が得られず否決。政府提案は12月10日の憲法記念式典で,国王に10月7日王室声明の実施状況を質問されたことに端を発する。 |
DIA-204-1974-12-20-2 | タイ | 1974年12月20日 | 1970年代 | タイ代表団訪中-布告53号施行後はじめての公式訪中団。団長プラソグ副商務相,副団長アナント駐国連・米大使及びパンラート副農務相。23日,喬冠華外交部長と会見。24日,李先念国務院副総理と会見。25日北京を離れ,南部訪問。この間各輸出入総公司と貿易取引について話し合う。 |
DIA-204-1974-12-20-3 | タイ | 1974年12月20日 | 1970年代 | 99人会リーダーKasame氏,議員辞職。新憲法は官僚が議員になることを禁じていることによる。 |
DIA-204-1974-12-20-4 | タイ | 1974年12月20日 | 1970年代 | 土地改革法案,全会一致で第1読会通過-50ライを一応の制限とする。強力な土地改革局を置くが骨子。 |
DIA-204-1974-12-21-1 | タイ | 1974年12月21日 | 1970年代 | 国会は内閣提案の上院制廃止案否決後,王室声明を考慮して,上院の任命には枢密院議長の副署ではなく,首相の副署に改正する方向に動いている。 |
DIA-204-1974-12-23-1 | タイ | 1974年12月23日 | 1970年代 | 社会主義政党は,国内安全保障活動司令部(ISOC)が県当局に社会主義政党に投票しないよう指示したと非難。 |
DIA-204-1974-12-23-2 | タイ | 1974年12月23日 | 1970年代 | 県議会立候補受付はじまる。 |
DIA-204-1974-12-26-1 | タイ | 1974年12月26日 | 1970年代 | 国会,憲法改正案第1読会通過一支持182,反対8,棄権12。 |
DIA-204-1974-12-26-2 | タイ | 1974年12月26日 | 1970年代 | 憲法改正案,第2読会通過。 |
DIA-204-1974-12-27-1 | タイ | 1974年12月27日 | 1970年代 | 早朝タノム夫妻帰国-内閣は緊急閣議で,国防省の監視下においた。副首相「政府は当初タノムを再追放したかったが,この態度をかえ,法的措置をとることにした。政府は事前にタノムの帰国を知らなかった」と発表。正午米大使館は「タノム前首相の米国からの出発について,何ら関知しない」と発表。軍指導者は「選挙に影響を与える一切の不安鎮静にその力を用いる」と発表,午後NSCT,VSCTなど学生諸グループと会見。一方,タノム夫妻はドンムアグのKamo1空軍大将邸で1日を過す。 |
DIA-204-1974-12-28-1 | タイ | 1974年12月28日 | 1970年代 | タマサート夫で反タノム集会-学生,労働者参加。政府企業労働協会長Paisam氏r誰がクーデターを試みようとも労働者はストライキを起こすだろう」この集会にVSCT系の一部職業学生は,火煙ビンを爆発させ,FISTはタノム帰国を理由に混乱をつくり出していると非難。 |
DIA-204-1974-12-28-2 | タイ | 1974年12月28日 | 1970年代 | NSCT声明-タノム夫妻の帰国に最後まで反対する。タノム帰国は,国家の統に対する挑戦であり,国家の安全にとって脅威である。我々は法と秩序を維持し,国家を民主的統治下に保つことを決意している。 |
DIA-204-1974-12-28-3 | タイ | 1974年12月28日 | 1970年代 | 軍高官も含んだ緊急閣議で,明日タノム夫妻を出国させることに決まった。 |
DIA-204-1974-12-29-1 | タイ | 1974年12月29日 | 1970年代 | 反独裁国民連合戦線結成日-学生,労働者,市民の23団体は,3悪人の帰国時には法的措置がとられるよう政府に要求。 |
DIA-204-1974-12-29-2 | タイ | 1974年12月29日 | 1970年代 | 副首相とタノムの交渉の結果,空軍機でタノム夫妻,タノムの父親をシンガポールに送った。 |
DIA-204-1974-12-29-3 | タイ | 1974年12月29日 | 1970年代 | プラソグ訪中・北朝鮮代表団長,香港で記者会見。「中国は貿易代表団招待を受け入れ,来年中に訪タイするだろう。中国との話し合いで,タイ・中間直接貿易の合意ができた。タイ・中間の貿易は良好で,これは将来の外交関係樹立をもたらそう。北朝鮮との間では何の合意もなされなかったが,予備的貿易交渉がなされた」 |
DIA-204-1974-12-31-1 | タイ | 1974年12月31日 | 1970年代 | NSCT書記長代行は,学生の半数がNSCTを信頼していないという事実を認めた。また,NSCTはかつてのような運動において指導的役割を果す立場から運動の支持者の立場に変っていると発言。一方,新たに結成された反独裁国民連合戦線はNSCTから指導的役割を肩替りするつもりである。 |
DIA-204-1975-01-03-1 | タイ | 1975年01月03日 | 1970年代 | 外相,北ベトナムからの書簡に回答―この中で,「タイは問題解決のため,北ベトナムと会談の意思がある。タイは,他国に干渉することをやめたいと思っている。」 |
DIA-204-1975-01-03-2 | タイ | 1975年01月03日 | 1970年代 | 反汚職法,国会第一読会通過―108対0,棄権9。 |
DIA-204-1975-01-04-1 | タイ | 1975年01月04日 | 1970年代 | 副外相,訪中―「公式には,石油購入のためだが,中国要人とインド洋平和地帯問題など含めた政治問題も話し合いたい。ASEANの平和,自由,中立宣言を中国が承認するよう求めたい」と語る。 |
DIA-204-1975-01-06-1 | タイ | 1975年01月06日 | 1970年代 | 中国との貿易を禁止した布告53号廃止法および国家貿易法公布。 |
DIA-204-1975-01-07-1 | タイ | 1975年01月07日 | 1970年代 | 国民のための職業学校生戦線(VSFP)結成―「赤い野牛」などの過激な行動に反対。 |
DIA-204-1975-01-07-2 | タイ | 1975年01月07日 | 1970年代 | 45労働組合代表60人デモ―労働関係法案の一部手直しと審議促進を求めてデモ。 |
DIA-204-1975-01-09-1 | タイ | 1975年01月09日 | 1970年代 | ハノイ放送―「タイ外相書簡は,タイがハノイの善隣外交に応ずる意思のないことを示している」と非難。 |
DIA-204-1975-01-10-1 | タイ | 1975年01月10日 | 1970年代 | 副外相訪中報告―周首相は,タイ―北ベトナム関係が正常化し,2国がこの地域の経済建設で助けあうことができるよう望む,と語った。また,インド洋での増大する対立について,共通の関心を分ちあった。 |
DIA-204-1975-01-13-1 | タイ | 1975年01月13日 | 1970年代 | タイ―ラオス国境委員会(閣僚レベル)―ラオス連合政権以来最初の重要会議。運輸,経済,文化,技術,国境問題が話し合われる。16日の共同コミュニケ①タイはラオスの国際収支改善のため,ラオスからの輸入を増やし,②ラオスの学生に奨学金を与え,両国の教育担当者による会議を行なう,③輸送問題に関しては,恒久的な委員会を設置する,④ラオス内の道路改修中は,タイ内の道路の通行を認める,⑤米,豚等の食料援助。 |
DIA-204-1975-01-13-2 | タイ | 1975年01月13日 | 1970年代 | 選挙運動で暗殺3人目。 |
DIA-204-1975-01-16-1 | タイ | 1975年01月16日 | 1970年代 | 憲法改正案第一読会通過―上院議員は,国王が任命し首相が副署することになる。 |
DIA-204-1975-01-16-2 | タイ | 1975年01月16日 | 1970年代 | パンガー県知事,工業省を批判―これはTEMCOに採掘権を与えようとしたため。 |
DIA-204-1975-01-17-1 | タイ | 1975年01月17日 | 1970年代 | 農業のための土地改革法国会通過―家族の自作用農地を50ライとし,100ライをこえて牧畜を行なう場合は土地改革事務所の許可が必要。プランテーションで1000ライ以上については,15年経過後農業団体または協同組合の要求があれば,株式の60%以上を譲渡しなければならない(3月5日官報公布)。 |
DIA-204-1975-01-19-1 | タイ | 1975年01月19日 | 1970年代 | 初のタイ―インドネシア共同海軍演習(~24日) |
DIA-204-1975-01-20-1 | タイ | 1975年01月20日 | 1970年代 | 学生,首相にTEMCO採掘権取消およびこれに関する汚職官僚の処分を要求。 |
DIA-204-1975-01-21-1 | タイ | 1975年01月21日 | 1970年代 | 労働関係法国会通過―200人の労働者代表が傍聴。Tannai議員は,労働者に不利な修正案を出しこれが可決。労働者は,同議員の人形を焼いて抗議。 |
DIA-204-1975-01-23-1 | タイ | 1975年01月23日 | 1970年代 | 首都行政組織法,国会通過―6ヵ月以内の首長,議会の選出を規定。 |
DIA-204-1975-01-24-1 | タイ | 1975年01月24日 | 1970年代 | 対中貿易―中国から7万5000トンのディーゼル・オイル輸入協定。 |
DIA-204-1975-01-26-1 | タイ | 1975年01月26日 | 1970年代 | 国民代表議会議員選挙―投票率は47.42%,バンコクは33%。 |
DIA-204-1975-01-26-2 | タイ | 1975年01月26日 | 1970年代 | 上院議員100名任命―大半は旧官僚と実業家。 |
DIA-204-1975-01-27-1 | タイ | 1975年01月27日 | 1970年代 | 社会正義党,タイ国民党など右派5党会談―タウィット社会正義党党首談「民主党は野党にならざるを得ないだろう。5党による連立で一応合意に達した」。プラマーン国民党党首談「我らの主要政策は統一を作り出すことだから,どの党ととも連立する用意がある」。 |
DIA-204-1975-01-27-2 | タイ | 1975年01月27日 | 1970年代 | セーニー民主党党首談―新勢力党や政策においてあまり距離がないならば社会主義政党とも連立をつくる。新勢力党,タイ社会党は民主党との連立を否定。 |
DIA-204-1975-01-29-1 | タイ | 1975年01月29日 | 1970年代 | 民主党執行委員会,連立推進を決定―タイ国民党,社会行動党,社会農業党などに接触。セーニー・ククリット会談,ククリットは民主党内閣を支持するが,連立には加わらない,と語る。 |
DIA-204-1975-01-29-2 | タイ | 1975年01月29日 | 1970年代 | 社会正義党,連立へのイニシアチブ放棄―間近い解散まで野党でいるべきだという党幹部の主張が,タウィット党首を押える。 |
DIA-204-1975-01-29-3 | タイ | 1975年01月29日 | 1970年代 | プラマーン国民党党首談―最大多数党がまず組閣のチャンスをもつべきだ。我党の連立のための3条件は,党の政策が一致できること,条件が受け入れられること,内閣が国民の支持をえること。 |
DIA-204-1975-01-29-4 | タイ | 1975年01月29日 | 1970年代 | 土地改革準備委員会任命―会長はタルーン副内相。 |
DIA-204-1975-01-29-5 | タイ | 1975年01月29日 | 1970年代 | ブンチュー社会行動党幹事長談―我党は,民主党とは連立しない。民主党の政策がはっきりしないこと,我党と信頼関係がないことが理由である。 |
DIA-204-1975-01-31-1 | タイ | 1975年01月31日 | 1970年代 | 連立3党の閣僚ポスト配分でもめる―民主党は,内務相と国防相を求めているタイ国民党の要求は受け入れ難い,と発表。 |
DIA-204-1975-02-02-1 | タイ | 1975年02月02日 | 1970年代 | 新勢力党は,民主党政権の無条件支持を決定。 |
DIA-204-1975-02-03-1 | タイ | 1975年02月03日 | 1970年代 | セーニー談―民主党と社会農業党は,密接に協議して活動する。国防,内務相のポストに執着するタイ国民党の主張は受け入れ難い。 |
DIA-204-1975-02-05-1 | タイ | 1975年02月05日 | 1970年代 | 民主党議員総会で,社会農業党との連立の推進を再確認。 |
DIA-204-1975-02-05-2 | タイ | 1975年02月05日 | 1970年代 | タイ国民党を中心とする18政党秘密会談。 |
DIA-204-1975-02-06-1 | タイ | 1975年02月06日 | 1970年代 | 国会議長選挙―代表議会では,買収などの噂の中で,2時間余かかって秘密投票で行なわれる。代表議会議長プラシット・カーンチャナワット,副議長Pramual Kulamart,勅選議会議長Jitti Tingsapat,副議長Lek Chulnanont。投票数 プラシット(社会国家党)141票,ソムブン(民主党)108票,ソムキット(社会党)20票。 |
DIA-204-1975-02-06-2 | タイ | 1975年02月06日 | 1970年代 | プラシット下院議長談―首相候補者は,各党首との会談で調整する。この問題について議会に相談するつもりはない。 |
DIA-204-1975-02-07-1 | タイ | 1975年02月07日 | 1970年代 | 政党連合会議―閣僚名簿が用意された。 |
DIA-204-1975-02-08-1 | タイ | 1975年02月08日 | 1970年代 | プラマーン・ククリット会談―プラマーンは,ククリットに首相のポストを申し出,協力を求める。 |
DIA-204-1975-02-08-2 | タイ | 1975年02月08日 | 1970年代 | セーニー・サウェト会談―共同発表「両党は,タイ国民党を中心とする政権への動きを阻止する」。 |
DIA-204-1975-02-09-1 | タイ | 1975年02月09日 | 1970年代 | プラマーン国民党党首談―政党連合の勝利を確信している。この政権は,タイでは実現できない社会主義,自由主義の両者はとらず,タイ主義の経済政策を行なう。 |
DIA-204-1975-02-09-2 | タイ | 1975年02月09日 | 1970年代 | ククリット談―民主党が政権をとれるなら支持しよう。もしとれないのなら,再考の余地がある。 |
DIA-204-1975-02-11-1 | タイ | 1975年02月11日 | 1970年代 | チャーチャーイ談―我党は直ちに連立政権をつくれる。ククリットを首相にしての連立政権が90%確実だ。 |
DIA-204-1975-02-12-1 | タイ | 1975年02月12日 | 1970年代 | プラシット議長,各党首と個別会談―この席で,セーニーは首相候補者の国会での公開投票を求める。プラマーンは,139議員が署名支持したとして,政党連合による組閣を求める。プラシット議長談「各党首と折衝の結果,どちらのブロックから首相候補を出すか,結論が出なかった」。 |
DIA-204-1975-02-13-1 | タイ | 1975年02月13日 | 1970年代 | 国会本会議―議長は休会にしようとするが,民主,社会農業,新勢力党に強く要求され,首相候補者の国会での選出に踏みきる。この最中,プラウーンなどタイ国民党,社会正義党議員の一部46人退場。セーニーを首相候補に選出。セーニー133票,チャーチャーイ52票,棄権38票。 |
DIA-204-1975-02-14-1 | タイ | 1975年02月14日 | 1970年代 | NSCT,パッタルン大量殺人事件で国内治安司令部(ISOC)を非難―王宮前広場に1万人の聴衆。赤い野牛グループが爆弾を投げ込む。 |
DIA-204-1975-02-15-1 | タイ | 1975年02月15日 | 1970年代 | 国王,セーニー首相を任命。 |
DIA-204-1975-02-15-2 | タイ | 1975年02月15日 | 1970年代 | セーニー・サウェト・チャーチャーイ会談―チャーチャーイは連立への参加の態度をはっきりさせず。 |
DIA-204-1975-02-16-1 | タイ | 1975年02月16日 | 1970年代 | セーニー首相,サウェトと共同記者会見―サウェト談「農業開発の大きな障害である米輸出プレミアムを廃止するか減少することを考えている。新政権は,土地改革で所有の制限を行なう」。セーニー談「我党の穏やかな社会主義の意味は,公益に関する企業に国家介入することである。個人の諸権利は尊重する。政府は,精米所経営をやったり米取引の肩替りをしたりはしない。新政権は,米の売却においては農民組合を奨励する。しかし銀行が買占商人のため融資する時は,政府は当然介入するだろう」。 |
DIA-204-1975-02-16-2 | タイ | 1975年02月16日 | 1970年代 | プラマーン,原則として民主党と連立すると語る―「個人としては野党でいたいが,国家の安定のため連立参加を決めた。副総理,国防,農,厚の各大臣と4副大臣を約束された。今回が民主党の約束を信じる最後だ」。 |
DIA-204-1975-02-16-3 | タイ | 1975年02月16日 | 1970年代 | セーニー・ククリット会談―セーニーは連立への参加を求める。しかしククリットは閣外協力を約すのみ。 |
DIA-204-1975-02-17-1 | タイ | 1975年02月17日 | 1970年代 | セーニー談―「タイ国民党の農相ポスト要求は受入れ難い。同党を除外して,社会農業党との間で連立を進める。しかし,タイ国民党は閣外協力を約している」。プラマーン談「我党は民主党に閣外協力はしない」。 |
DIA-204-1975-02-18-1 | タイ | 1975年02月18日 | 1970年代 | セーニー首相,国王に謁見―閣僚リスト案を呈示したのに対し,国王は再検討を促されたという。 |
DIA-204-1975-02-18-2 | タイ | 1975年02月18日 | 1970年代 | 民主党は再びタイ国民党との連立を働きかけるが,プラマーンは拒絶。 |
DIA-204-1975-02-21-1 | タイ | 1975年02月21日 | 1970年代 | 国王,内閣を任命。ただしセーニーに謁見せず 首相 Seni Pramoj(民) 副首相 Sawet Piampongsarn(社) 国防相 Tawit Seniwongse将軍(無) 副国防相 Tawil Rayananond将軍(無) 副国防相 Usa Chainam将軍(無) 内務相 Artasidhi Sidhisuntorn警察少将(無) 副内務相 Thamnoon Thienngem(民) 副内務相 Sombun Siritho(民) 副内務相 Sant Thepmni(社) 大蔵相 Sawet Piampongsarn(社) 副大蔵相 Pramut Buranasiri(民) 外務相 Pichai Rattakal(民) 副外務相 Lek Nana(民) 文部相 Koh Sawasdipanich(無) 副文部相 Khunthong Pupiewduan(民) 商務相 Damrong Lathapipat(民) 副商務相 Pratuang Khamprakob(社) 農相 Sawasdi Khamprakob(社) 副農相 Kraisorn Tantipong(民) 副農相 Samak Sundaravej(民) 副農相 Paen Sirivejpan(社) 法相 Tiem Chaiyanand(民) 副法相 Chuan Leekpai(民) 通信相 Surat Osatanukorn(民) 副通信相 Uthai Pimchaichorn(民) 副通信相 Somsart Ratanasak(社) 厚生相 KLai Laongmani(民) 工業相 Nitipat Jalichan(無) 総理府長官 Surin Masdit(民) 総理府長官 Boonying Nantapiwat(民) 大学庁長官 Kasem Suwanuakul(無) |
DIA-204-1975-02-22-1 | タイ | 1975年02月22日 | 1970年代 | 新外相談―既に我政府はアラブの数ヵ国と接触をもっており,市場価格より高くない価格で石油は購入できる。中華人民共和国への政策について我国は大国と友好関係を持つこと以外に選択はない。如何にこれをやってゆくかは,タイをとりまく状況と我々の戦術による。我々の政策は「一つの中国」であり,台湾との関係は心配していない。米軍撤退についての我々の政策は,タイ社会党と同じである。しかし,国家の安全保障も考えて詳細な研究を要する。ASEANについてASEANを全面的に支持する。それとともにハノイとも交渉する。 |
DIA-204-1975-02-23-1 | タイ | 1975年02月23日 | 1970年代 | 新首相談―国会で信任を得たのち政府のやる最初の仕事は,各閣僚の履歴を調査することだ。もし閣僚が汚職の経験があったり,または政府の政策に従えないなら,即刻やめてもらう。 |
DIA-204-1975-02-23-2 | タイ | 1975年02月23日 | 1970年代 | 新商務相談―自由競争によって米,卵,砂糖などの主要消費物資の価格を下げるために,商業,工業部門のすべての独占的要素を廃するのが緊急の課題だ。また小口投資家に門戸を開くため,協同組合を設置することで取引を増進させねばならない。また,財産に累進課税を行なえば,奢侈品の消費が減少しよう。 |
DIA-204-1975-02-23-3 | タイ | 1975年02月23日 | 1970年代 | タイ国民党,社会正義党会談―2党を中心とする「国家統一派」の会合で,民主党の所信表明に対する態度を協議した。これには社会行動党の2幹部も参加したという。 |
DIA-204-1975-02-24-1 | タイ | 1975年02月24日 | 1970年代 | チャーチャーイ談―新外相の声明には何の新味もない。アラブ諸国とは,既に良好な理解に達している。新政権は即刻,中華人民共和国を承認すべきである。また,共産反乱者には特赦が与えられるべきだ。また米軍隊は,1年以内に全面的に撤退されるべきだ。私はククリットが首相になることを希望している。 |
DIA-204-1975-02-25-1 | タイ | 1975年02月25日 | 1970年代 | セーニー邸で最初の閣議―TEMCO問題,パッタルンでの大量殺人などが話し合われる。セーニー談「政府の所信表明案は完成せず,各大臣が所轄事項について再検討することにした」。 |
DIA-204-1975-02-25-2 | タイ | 1975年02月25日 | 1970年代 | サワディー社会農業党副党首談―私は,社会主義戦線,社会行動党,社会党などの幹部に会っている。各党にあたって反応を確かめるとともに,所信表明の内容で手直しできるところは直してゆく。 |
DIA-204-1975-02-25-3 | タイ | 1975年02月25日 | 1970年代 | 北ベトナムに反論―米軍基地はタイに残すべきだという新国防相発言を北ベトナムが批判したのに対し,新国防相は「北ベトナムは米軍撤退については,直接アメリカと話し合うべきだ。北ベトナムが批判するのは自由だが,私はタイ人として国益を守らねばならない。ISOCは解散するのではなく,再組織するのが望ましい。解散すると共産主義者鎮圧に責任もって当る機関がなくなる」。 |
DIA-204-1975-02-25-4 | タイ | 1975年02月25日 | 1970年代 | タイ国民党影の内閣―新内閣の活動を監視するため“影の内閣”を設けた。 |
DIA-204-1975-02-26-1 | タイ | 1975年02月26日 | 1970年代 | 新国防相はカンボジア情勢について「アメリカが,ロンノル政権へ現在と同じように援助を続けるなら,プノンペンの陥落は考えられない。戦争が拡大した場合,もし北ベトナムが関係しているなら,タイはSEATOに援助を求める」。 |
DIA-204-1975-02-27-1 | タイ | 1975年02月27日 | 1970年代 | 新内閣,国王に宣誓―この後首相は,カンボジア情勢について「アメリカが援助を削減しており戦争がタイ内に広がる懸念がある。カンボジア情勢について,軍指導者と話し合う予定である」。 |
DIA-204-1975-02-27-2 | タイ | 1975年02月27日 | 1970年代 | 社会党,内閣不信任を表明―党首は「米軍撤退,反共法廃止は,早急になさねばならない」と語る。 |
DIA-204-1975-02-28-1 | タイ | 1975年02月28日 | 1970年代 | 国会信任をまだ受けてないセーニー内閣が,サンヤー内閣から引継ができるかの問題をめぐって,プラシット議長は,全政党首会談を開く。この後,タイ国民党,社会正義党,社会国家党,タイ社会党など11党はサンヤーに「未だ国会の信任を得ていないセーニー内閣は,国政に当る資格を有しない。セーニーに権力を渡すことは憲法違反であり,国家安全保障法の下に処罰の対象になる」と抗議書を出した。 |
DIA-204-1975-02-28-2 | タイ | 1975年02月28日 | 1970年代 | 民主党,閣僚ポストの配分をめぐって内紛表面化。 |
DIA-204-1975-03-01-1 | タイ | 1975年03月01日 | 1970年代 | チャーチャーイ談―プノンペンへの空輸に,ウタパオ基地が使用されているのに反対する。カンボジアは自分自身の問題は自分で解決すべきである。 |
DIA-204-1975-03-01-2 | タイ | 1975年03月01日 | 1970年代 | プラマーン談―セーニー内閣がサンヤー政権を引継ぐことは違憲であり,政治道義にも反する。5日にこのための討論が国会でなされることを要求する。セーニー内閣が引継ぐと,国家の安全にとって重要な秘密を知ることになり,彼らが野党になった場合には,行政にとって危険である。 |
DIA-204-1975-03-02-1 | タイ | 1975年03月02日 | 1970年代 | プァイ博士を仲介としてセーニーは,タイ社会党,社会主義戦線の支持を働きかける。 |
DIA-204-1975-03-03-1 | タイ | 1975年03月03日 | 1970年代 | 新内閣の政策公表―新閣僚は,サンヤー内閣の閣僚から正式に事務の引継を行なう。 |
DIA-204-1975-03-03-2 | タイ | 1975年03月03日 | 1970年代 | 社会党首談―新内閣が,米軍撤退にはっきりした計画を持っているとは思わない。また,本当の社会主義制度を採用するとも思わない。 |
DIA-204-1975-03-04-1 | タイ | 1975年03月04日 | 1970年代 | サンヤー政権から公式に政権を引き継ぎ,このための儀式が行なわれる。 |
DIA-204-1975-03-04-2 | タイ | 1975年03月04日 | 1970年代 | タイ国民党執行委員会で協議―プラマーン党首談「我々は,現在135以上の支持を獲得している。セーニー連立政権を倒すつもりはないが,彼らは,自らの違憲行為で自壊しよう。現連立内閣が成立できない時,我々は1週間以内に組閣できる。また我々は,12ヵ月以内に外国軍を撤退させるだろう」。 |
DIA-204-1975-03-06-1 | タイ | 1975年03月06日 | 1970年代 | セーニー内閣不信任―所信表明に対し,11時間に渡る質疑の後,社会正義党の提案で秘密投票により投票。信任111,不信任152。信任票は,与党と閣外協力を約している社会行動党,新勢力党の議員の合計より少ない。これは社会行動党の大半と民主党内の不満派の一部票が不信任に流れたため。なお,ククリットが激しく新政権の政策を批判して注目された。 |
DIA-204-1975-03-07-1 | タイ | 1975年03月07日 | 1970年代 | 第一軍管区長を委員長とする国境委員会設置―プノンペン陥落の可能性もあるので,4万の軍隊をカンボジア国境に配置することを決定。 |
DIA-204-1975-03-07-2 | タイ | 1975年03月07日 | 1970年代 | 深夜,タイ国民党,社会正義党を中心に「政党連合」の各党代表加って,1週間以内に組閣すること,ククリットを首相として招くこと,を決めた。 |
DIA-204-1975-03-08-1 | タイ | 1975年03月08日 | 1970年代 | プランシット議長,ククリット,タウィットと会談―タウィット社会正義党党首は,ククリット支持議員140人の署名を議長に渡した。ククリット談「私は挙国一致内閣が希望だ。当初においては野党はなく,政局の安定が確保された時,野党がでてくるような。しかしこれは私の希望で実現しないだろう」。 |
DIA-204-1975-03-08-2 | タイ | 1975年03月08日 | 1970年代 | セーニー首相談―憲法によって首相は,国王の同意を得て国会解散ができる。もし「政党連合」が組閣に失敗したら,政府は解散についての見解を国王に提出できると解散を示唆。 |
DIA-204-1975-03-08-3 | タイ | 1975年03月08日 | 1970年代 | クリット陸軍司令官,インドネシアを訪問。 |
DIA-204-1975-03-09-1 | タイ | 1975年03月09日 | 1970年代 | タウィット・プラマーン・チャーチャーイ会談―チャーチャーイ談「閣僚ポストの配分を話し合った。閣僚は,ククリットによって承認されねばならない」。 |
DIA-204-1975-03-10-1 | タイ | 1975年03月10日 | 1970年代 | 8党首会談―早期の政権樹立を議す。また連合政策をつくるため,各党からの代表による委員会設置。この後,ククリット談「新政権は17日までにできるだろう。私が首相を受ける条件は,政策および閣僚の構成が承認できることだ。閣僚ポストは,数に比例した配分でなく適材適所であるべきだ」。 |
DIA-204-1975-03-11-1 | タイ | 1975年03月11日 | 1970年代 | ククリット「各党から閣僚候補者名簿をうけとった。閣僚を決めるのは私の権利だが,明日タウィット,プラマーンに相談する」。 |
DIA-204-1975-03-11-2 | タイ | 1975年03月11日 | 1970年代 | 深更,ククリット,タウィット,プラマーン,社会行動党のプラカイペト氏,社会国家党副党首ワタナ会談。ククリット「閣僚は決まったが,そのポストについては未定だ。閣僚は,党首,幹事長など幹部から選ばれた」。 |
DIA-204-1975-03-11-3 | タイ | 1975年03月11日 | 1970年代 | 中国医師訪タイ代表団帰国。 |
DIA-204-1975-03-11-4 | タイ | 1975年03月11日 | 1970年代 | 白砂糖価格―暴利取締り委員会は白砂糖の工場出荷価格を400バーツ/100kgと決定。 |
DIA-204-1975-03-12-1 | タイ | 1975年03月12日 | 1970年代 | タイ国民党議員総会―ククリット支持を決定。 |
DIA-204-1975-03-13-1 | タイ | 1975年03月13日 | 1970年代 | 国会,ククリットを首相に指名―ククリット135,ソムキット59,民主党,社会農業党は棄権。民主党,社会農業党から,票数が合わないと抗議。新勢力党はソムキット支持。 |
DIA-204-1975-03-14-1 | タイ | 1975年03月14日 | 1970年代 | 国王,ククリットを首相に任命―ククリット「政治的にも経済的にも,我国は苦しい時だ。しかしこのような時こそ,私が首相になりたいと思っていた時だ。首相として,特別なグループの利益を考えず働く。この政権の第一の仕事は,貧富の差を縮めることだ。更に,汚職とも取組む。閣僚が,模範を示すべきだ」。 |
DIA-204-1975-03-14-2 | タイ | 1975年03月14日 | 1970年代 | セーニー内閣,TEMCOの採掘権取消を決定。 |
DIA-204-1975-03-15-1 | タイ | 1975年03月15日 | 1970年代 | NSCTなど,TEMCO事件に米大使館が介入したとして抗議,「帝国主義追放」の声明よむ。 |
DIA-204-1975-03-17-1 | タイ | 1975年03月17日 | 1970年代 | ククリット内閣,国王の任命うける― 首相 Kukrit Pramoj(社会行動党) 副首相 Pramarn Adireksarn少将(タイ国民党) 国防相 副首相兼任 副国防相 Kamol Sitakalin大将 内相 Boontheng Thongsawat(社会行動党) 副内相 Boonlert Lertpricha警察中将(社会正義党) 副内相 Prakob Prayoonpokaraj(タイ国民党) 蔵相 Boocnchu Rojastien(社会行動党) 副蔵相 Timakorn Pankavi(タイ国民党) 通信相 Siri Siriyothin少将(タイ国民党) 副通信相 Boonyong Watanapongse(社会正義党) 副通信相 Anand Chaisang(平和国民党) 文部相 Nibhone Sasithorn博士(社会正義党) 副文部相 Prasert Boonsom(社会国家党) Suwan Thanakanya(社会正義党) 商務相 Thongyod Chittavira(社会正義党) 外相 Chatichai Choonhavan少将(タイ国民党) 厚生相 Prachoom Ratanapian(社会正義党) 副厚生相 Uthai chunhachan(社会国家党) 法相 Yai Sawitachart(社会行動党) 副法相 Boonkum Chansrisuriyawongse(国民勢力党) 工業相 Surin Thepkanchana(社会正義党) 副工業相 Prakob Prayoonpokalarp(タイ国民党) 農相 Dewitt Klinprathum(社会正義党) 副農相 Anand Phakprapai(タイ党) 副・ |
DIA-204-1975-03-17-2 | タイ | 1975年03月17日 | 1970年代 | ククリット内閣支持の12党による共同政策公表(資料参照)。 |
DIA-204-1975-03-18-1 | タイ | 1975年03月18日 | 1970年代 | ククリット内閣,国王に宣誓。 |
DIA-204-1975-03-18-2 | タイ | 1975年03月18日 | 1970年代 | 民主党,社会農業党,新勢力党,タイ社会党,ククリット内閣不支持決定。 |
DIA-204-1975-03-19-1 | タイ | 1975年03月19日 | 1970年代 | ククリット内閣信任―信任140,不信任124,12時間に亘り34議員質疑。この中でククリットは「①農村への資金の流れのために新しい銀行の設立,あるいは支店の開設を認める。②責任ある行動をとる企業しか設立をみとめない。これは買占や値上げを避けるためである。③地方の医療向上のため,国民医療部隊を作りたい」などと答弁。 |
DIA-204-1975-03-19-2 | タイ | 1975年03月19日 | 1970年代 | 国防相―タイは,米国がカンボジアやラオスに,当地から武器を供給することを今後認めないつもりだ。カンボジア,南ベトナム情勢は懸念されるが,タイはこれらの戦争に介入しない。 |
DIA-204-1975-03-20-1 | タイ | 1975年03月20日 | 1970年代 | 首相談「タムボン(村)を経済・政治開発の中心にしようという政策実現のため,政府は,タムボンで働く5000人位の社会学の卒業者を募集するだろう。彼らはタムボン顧問として,副郡長に類似した役割を担う。また政府は,タムボン行政に干渉するつもりはない。この政権にとって,タムボンレベルで国民を助けることは緊急の課題である。また25億バーツの補助金は,政府の予備費あるいは他からの流用でまかなえる」。「1000バーツ以下の家庭への無料バス,無料医療,無料義務教育については,準備のため6ヵ月かかる」。「政府の最優先課題は,砂糖問題だ。一方では砂糖倉庫に横積されているのに,他方では欠乏が著しい。砂糖取引の独占はやめねばならない」。 |
DIA-204-1975-03-20-2 | タイ | 1975年03月20日 | 1970年代 | 最初の閣議―戒厳令の延長問題議される。国防相「隣国での戦争が国家の安全を脅かしており,政府は戒厳令(3月末で期限)を延長するだろう」。 |
DIA-204-1975-03-21-1 | タイ | 1975年03月21日 | 1970年代 | 国家安全保障会議開く―この後,首相「米国のプノンペンへの空輸を直ちに止めさすことに決めた。プノンペン陥落があったにしてもカンボジア情勢は,タイの安全保障にとって脅威にはならない。しかし,情勢が急速に悪化していることは認める。要請がないので,タイはプノンペンには何ら軍事援助を与えないし,同国の軍隊を訓練することはやめる。内政不干渉が我々の政策だ」。またこの会議では,戒厳令延長問題が議され,延長支持派の国防相,クリット陸軍司令官と延長反対派との間で議論があったという。 |
DIA-204-1975-03-22-1 | タイ | 1975年03月22日 | 1970年代 | 外相は中華民国大使と会談後「中華人民共和国の承認は必然であり,これによってすべての緊張が緩和しよう。内閣に中国承認を提案するつもりだ。しかしその前に,二重国籍の中国人から北京承認によってどのような反響があるか,調査せねばならない」。またISOC顧問が,北ベトナムは東北タイをカンボジアとベトナムに併合する意図があると語ったことに対し「タイは植民地化の経験がなく,そのようなことにはならないだろう」と語る。 |
DIA-204-1975-03-23-1 | タイ | 1975年03月23日 | 1970年代 | カンボジア空輸問題について―クリット司令官「私は空輸中止の命令は受けてないし,アメリカも続けている。勿論,安全保障会議議長である首相は,指令が出せるのだが。タイはカンボジアに武器は送っていず,人道上の物資のみだ」。 |
DIA-204-1975-03-23-2 | タイ | 1975年03月23日 | 1970年代 | 首相,農相,総理府長官などは農民問題を直接知るため,スパンブリー県,アーントーン県を視察。スパンブリーでは4000人の農民と対話し,質問に答え,政府の政策を説明した。 |
DIA-204-1975-03-24-1 | タイ | 1975年03月24日 | 1970年代 | タイ社会党,反共法廃止案を国会議長に提出―これに対し民主党,社会農業党は,同法廃止前に国家安全保障法の設置を求めている。 |
DIA-204-1975-03-25-1 | タイ | 1975年03月25日 | 1970年代 | 閣議は,28県において戒厳令を1年間延長することを決め,国会に承認を求めた。 |
DIA-204-1975-03-25-2 | タイ | 1975年03月25日 | 1970年代 | 農民連盟代表,閣僚と会見し要求声明を手交。これに対し首相は,4月1日回答すると答える。 |
DIA-204-1975-03-26-1 | タイ | 1975年03月26日 | 1970年代 | 国防相談―戒厳令の延長は,反乱者と戦っている軍隊を保護するためである。ゲリラを見分けることは難しく,戒厳令では,容疑者を裁判所の承認なく拘留できるからだ。 |
DIA-204-1975-03-27-1 | タイ | 1975年03月27日 | 1970年代 | 蔵相は農業・農業協同組合銀行会長プァイと,入質している農地買戻援助の件を協議。農相「農民の12項目の要求を政府は処理できるから,安心してほしい。緊急の課題は,農民に農業のための資金が欠如していることだ。農務省は,農民を助けるための長期計画を行なう。農民は,5年以内に自分自身の土地をもち,生産性も2倍になるだろう」。 |
DIA-204-1975-03-27-2 | タイ | 1975年03月27日 | 1970年代 | 外相談―中国と国交樹立する前には多くの解決せねばならぬ問題がある。この5月か6月に訪中の予定だ。アジアの諸国,特に大国とは友好関係を結ぶのは必要なことだ。またASEAN諸国訪問をやるつもりだ。今年中には北朝鮮との国交を結ぶ。また,米軍撤退の手順などを協議するため米大使に会う。外務省はカンボジア問題が最も緊急だと考えている。カンボジアはタイに隣接し,しかも危険な状態にある。それ故に駐カンボジア大使を呼び戻した。カンボジアの実情を知り,カンボジア政府とクメールルージュの平和的安定の手助けをするつもりだ。 |
DIA-204-1975-03-28-1 | タイ | 1975年03月28日 | 1970年代 | 「政府支持議員会」成立―16党から109議員が参加して,与党議員のグループ結成。会長ククリット,副会長プラマーン,チャルーン・ワッタナコン,幹事長タウィット。 |
DIA-204-1975-03-28-2 | タイ | 1975年03月28日 | 1970年代 | カンボジア大使館閉鎖―外相談「本日カンボジア大使館を閉鎖した。ロンノル首相には電話で,我国は亡命を受入れる用意があることを伝えた。ASEAN諸国は,カンボジア・ラオス情勢を近々協議する。また31日カンボジア外相が訪タイし,カンボジア情勢を話し合う」。 |
DIA-204-1975-03-28-3 | タイ | 1975年03月28日 | 1970年代 | NSCT,パッタルン大量殺人事件で政府に公開質問状。この中で,パッタルンの住民に正義をもたらすのに何か措置をしたか,と質問。 |
DIA-204-1975-03-29-1 | タイ | 1975年03月29日 | 1970年代 | 首相,ロータリ地区会議で7集団に協力を求める―新聞に対し責任ある報道のため協議会の設置を,学生には成熟と寛容を,教師には学生に真実は有限でないことを教えるよう,兵士には成熟した政治のために民主的政治過程に介入しないよう,国民に対し忍耐を,政治家にも成熟を,民間部門には脱税せず,また国民の日常生活に影響する物資の需給関係を崩さぬよう。そして1年すれば,資本主義的社会主義が機能しよう,と語る。 |
DIA-204-1975-03-29-2 | タイ | 1975年03月29日 | 1970年代 | 労働組合(Labour Unions)新労働関係法により認められる―同法は本日より施行され,従来の労働協会(Labour Association)は労働組合になった。労組数55。 |
DIA-204-1975-03-30-1 | タイ | 1975年03月30日 | 1970年代 | アランヤプラテートからカンボジアへ依然武器が供給されているという報道に対し,首相「武器供給が中止されなくて残念だ。国民への約束が早急に実施されるようはからう」。国防相「武器弾薬は輸送してない。食料,医薬などが中心である」。 |
DIA-204-1975-03-30-2 | タイ | 1975年03月30日 | 1970年代 | 1月の南部水害時に,ナコンシタマラート知事の救援物資分配方法に不満で知事公舎を焼いた容疑で,28日17人が逮捕されたが,NSCTはこれについて声明「政府はファシスト独裁の本性を現わした。カンボジア,南ベトナムにおいてアメリカ帝国主義と加担した各国政府は敗北に直面しており,この逮捕は,これによって国民の力を試し,一層の暴力的弾圧の準備のためである」。 |
DIA-204-1975-03-30-3 | タイ | 1975年03月30日 | 1970年代 | カンボジア外相Keuky Lim氏,タイを公式訪問。チャーチャーイ外相「タイはカンボジアの平和交渉を努力したが,今は手遅れのようだ」。国家安全保障会議事務局長「首相も含めてカンボジア情勢を論議し,現在はカンボジアに干渉しないことに決めた。故にどのような政権ができるとも,友好関係をつくれるだろう」。 |
DIA-204-1975-03-31-1 | タイ | 1975年03月31日 | 1970年代 | 戒厳令延長さる。政府提案の28県での戒厳令1年延長案は,200対113で可決。上院議員は,3人を除いて皆政府案を支持。首相「厳戒令は安全保障上のためのみに使い,自分の体制のためには使わない。状況が良くなり次第,県毎に廃止してゆく」。 |
DIA-204-1975-04-01-1 | タイ | 1975年04月01日 | 1970年代 | 閣議,17人逮捕について警保局長に再調査を命じる―ナコンシータマラートでは,2000人余りの師範学校生などが釈放を求めて集会。 |
DIA-204-1975-04-01-2 | タイ | 1975年04月01日 | 1970年代 | 外相は,インドネシアに向うロンノル,ロンボレをウタパオで迎えた後「ロンノル出国によってカンボジア停戦は真近だ。ロンボレ首相がバンコクに戻ってタイと協議する」。 |
DIA-204-1975-04-01-3 | タイ | 1975年04月01日 | 1970年代 | 首相および閣僚,農民連盟700人と7時間の対話集会―農民連盟は,土地改革法の改正,負債農民に40億バーツ融資,流質した土地の回復,耕地のない農民に土地供与,開発した森林地の農地の所有権をみとめること,農民関係の法廷紛争の停止,不法侵入により逮捕された農民の釈放,戒厳令の廃止などを求めた。これに対し首相は,農民にとって有害な灌漑計画の中止を認めただけ。 |
DIA-204-1975-04-01-4 | タイ | 1975年04月01日 | 1970年代 | 公定歩合引下げ―中央銀行は公定歩合を10%に引下げ。即日実施。 |
DIA-204-1975-04-01-5 | タイ | 1975年04月01日 | 1970年代 | 農業開発政策―農相が発表。①農民援助の範囲拡大,②土地改革の実行,③価格保証を伴う農産品販売援助,市場開拓,④コスト引下げ―肥料,殺虫剤,農業機械の適正価格,農業への融資枠拡大と手続改善,⑤農民福祉基金による価格安定と生産奨励,⑥農業生産の基盤整備。 |
DIA-204-1975-04-02-1 | タイ | 1975年04月02日 | 1970年代 | チャイ農民連盟議長談―地主を調査できる権限をもった農民,学生,政府代表の3者からなる委員会設置要求は,特に政府に要求しつづけていく。 |
DIA-204-1975-04-03-1 | タイ | 1975年04月03日 | 1970年代 | 首相,再び農民連盟と会見―首相は農業裁判所を設置すること約束。 |
DIA-204-1975-04-03-2 | タイ | 1975年04月03日 | 1970年代 | 国家安全保障会議は,カンボジア内戦後できるどのような政権も承認する,ロンノル政権派の亡命政権をタイにつくることは認めない,と決定。 |
DIA-204-1975-04-03-3 | タイ | 1975年04月03日 | 1970年代 | ナコンシータマラートの8人の逮捕者釈放。 |
DIA-204-1975-04-05-1 | タイ | 1975年04月05日 | 1970年代 | 逮捕された8人が釈放されたことに抗議して,ナコンシータマラートを中心に1000人の警察官は職場を放棄して集会。 |
DIA-204-1975-04-05-2 | タイ | 1975年04月05日 | 1970年代 | 首相,北部農村視察―チェンマイで農民に「政府は安い肥料を農民に供給するため肥料取引を国有化するつもりだ。また近々,数作物の最低価格を公表するだろう。森林を開墾した人々を追出したりはせず,このために逮捕された人は釈放し,所有権を示すものを発行するつもりだ。6400万ライのタイの土地中,所有権が確認されているのは2400万ライに過ぎないから」。 |
DIA-204-1975-04-05-3 | タイ | 1975年04月05日 | 1970年代 | 籾米価格支持予算増額―農民のための市場機構に2億バーツ,協同組合奨励局に1億3000万バーツ。 |
DIA-204-1975-04-06-1 | タイ | 1975年04月06日 | 1970年代 | タムボン計画の詳細発表―次の要件を充たす計画を政府は承認する。①4月から7月までの3ヵ月内に完成できるもの,②地方の労働力が雇用できるもの,③かつて承認された計画と重複しないもの,④次年度も予算を必要とするものでないもの。この計画を実施する機関として,内務相を委員長とする「地方開発および農民に乾期の雇用を与えるための1975年委員会」が設置された。この委員会下に,9地方委員会そしてタムボン委員会が設置される。タムボンからの援助要請は,10日までに内務省に提出せねばならない。 |
DIA-204-1975-04-07-1 | タイ | 1975年04月07日 | 1970年代 | 国家安全保障会議は,カンボジア国境に軍隊および国境パトロール警察を増強することを決めた。また首相は,カンボジア国境を視察したという。 |
DIA-204-1975-04-07-2 | タイ | 1975年04月07日 | 1970年代 | 外相,ロンボレ・カンボジア首相と会見―「私はシアヌーク殿下とキューサンファン氏に,ロンノル政権とバンコクで平和会談を始めるよう説得してきた。私はカンボジアの長年の流血を終わらせたいという信念でやっているのであって,米国などの大国のためにやっているのではない。また,食料・医薬品の供給は,カンボジアの内政干渉にはならない。ロンボレ首相はこの人道的措置に満足していた」。なお,カンボジア兵のタイ領通過が事実であることを認めた。 |
DIA-204-1975-04-09-1 | タイ | 1975年04月09日 | 1970年代 | ナン県トゥンチャーン郡の政府軍前進拠点を,重武装したメオ族共産反乱軍が攻撃。政府軍は17人が死亡,23人負傷。メオ族は30人以上死亡。 |
DIA-204-1975-04-10-1 | タイ | 1975年04月10日 | 1970年代 | 南部分離運動の中心人物ポ・スー氏はブンルート副内相と交渉の後,降服に同意したことをナラーティワート県庁で公表。 |
DIA-204-1975-04-11-1 | タイ | 1975年04月11日 | 1970年代 | 首相談―タイは,東南アジアの軍事的,政治的変化に対応する計画をもっている。国防相「米援助の削減の中でタイが軍事的に自立する時だ」。最近の北部でのゲリラ活動について「政府軍は情勢を掌握している。今回の攻撃は事前に計画されており,これに名は明らかにできないが,外国政府から援助を得ているという証拠がある」。 |
DIA-204-1975-04-12-1 | タイ | 1975年04月12日 | 1970年代 | クリアンサク参謀長,マレーシアのガザリ内相とバッタンバン視察―参謀長「文官も政府軍のクメールルージュ軍と断固戦う決意のようだ」ガザリ内相は15人の代表団とともに訪タイ,11日外相と会見した。 |
DIA-204-1975-04-14-1 | タイ | 1975年04月14日 | 1970年代 | 外務省100年祭での外相演説―ククリット内閣の外交政策は,クアラルンプール宣言擁護である。東南アジアの中立維持のためには,この地域の諸国は自ら中立であることを示さねばならない。タイは,一超大国(米国)と密接な関係を有し,他方,別の超大国(中国)には反発してきた。故にタイは,これら大国との関係におけるバランスを創るため調整せねばならない。更にタイは,タイおよび東南アジアの大国の利益均衡をつくり出すつもりだ。 |
DIA-204-1975-04-14-2 | タイ | 1975年04月14日 | 1970年代 | クリット陸軍司令官談―現在全国に,150~200人のグループで総員7000人の武装共産反乱軍がいる。この数字は,国家安全保障会議が戦略をたてる場合の基礎となるものだ。野党から反共法廃止の動きがあるが,国家安全保障会議は,政府にこの廃止が可能か否か通知する。反共法が廃止されても,現行法で認められている軍への権限を認めた新法が必要だ。 |
DIA-204-1975-04-16-1 | タイ | 1975年04月16日 | 1970年代 | 「政府支持議員会」が109人が参加して開かれ,首相はタムボン開発法案の国会通過協力を求めた。これは野党側が,国会の承認なくして25億バーツを配分しようとした内閣を強く批判したため。 |
DIA-204-1975-04-17-1 | タイ | 1975年04月17日 | 1970年代 | プノンペン陥落―内相は国境閉鎖を命じる。また,国防相は国境への兵力増強を承認。外相「本日ASEAN諸国の駐タイ4大使と協議し,カンボジア民族団結政府承認の共同声明草案をつくることに合意した」。国防相「タイはもはや米国政府の声明を信頼できない。米政府はたとえやりたくても,自らの言ったことは実行できないからだ。タイはアメリカのこの地域に対する外交を,再考研究することとなろう」。 |
DIA-204-1975-04-17-2 | タイ | 1975年04月17日 | 1970年代 | 4党議員がシアヌークに祝電―シアヌーク,ペンヌートおよびキューサンファン氏に20名の議員祝電。この議員は,社会主義戦線,新勢力党,タイ社会党,主権党。 |
DIA-204-1975-04-18-1 | タイ | 1975年04月18日 | 1970年代 | タイ,カンボジア承認―ASEAN諸国は公式に「承認はこの地域の平和と安定を促進させるため加入国によって合意された」と発表(ただし,インドネシアは正式に承認せず)。タイ総理府は「カンボジア承認は,政治制度の相違に拘らずすべての国と友好関係を結ぶというタイの外交政策と一致している」と発表。 |
DIA-204-1975-04-18-2 | タイ | 1975年04月18日 | 1970年代 | 首相,79人のタイジャーナリストと懇談―ジャーナリストは,表現の自由を制限している布告17号の廃止を求めた。また,新聞協議会法案の促進を話し合った。 |
DIA-204-1975-04-21-1 | タイ | 1975年04月21日 | 1970年代 | プノンペン陥落直後の国家安全保障会議決定―もしタイが共産側の攻撃にあった場合,米国が援助することを確認し,また軍事援助の増大を求めるために,軍事使節団をクリット将軍を長として派遣することを決めたという。 |
DIA-204-1975-04-22-1 | タイ | 1975年04月22日 | 1970年代 | ククリット・リーカンユー会談―リー・シンガポール首相「タイ政府は急いで米軍を撤退させ,中ソ対立に巻き込まれるべきでない」と語る。リー氏は訪ジャマイカ,訪米の途中。 |
DIA-204-1975-04-22-2 | タイ | 1975年04月22日 | 1970年代 | 外相談―「プノンペン陥落,南ベトナムの悪化は米国からの支持の欠如による。このことはタイには良い教訓となり,米国はそれほど信頼できないことを教えた」。首相「私は今まで米国に頼ろうと思ったことはない。しかし,タイは米国と協力していくだろう」。 |
DIA-204-1975-04-22-3 | タイ | 1975年04月22日 | 1970年代 | 農民連盟声明―「法制局は17日,農民負債問題の解決と農業裁判所に関する法案を内閣に提出したが,農民負債問題委員会は,政府委員と本当に農民を代表しない農民代表とから構成されている。また農業裁判所は,各農民の問題しか解決せず,農民問題の原因を正すものではない。農民問題は社会の腐敗から起こり,これを正す政策を政府は立案する必要があり,また早急かつ効果的な土地改革を全国に亘ってやるべきだ」。またウイチャイ副議長はタムボン計画への反対を表明し,全国農民の負債総額40億バーツの救済に使用すべきであると主張。 |
DIA-204-1975-04-23-1 | タイ | 1975年04月23日 | 1970年代 | ノーンカーイ県ブンカーン郡の中央安全保障司令部の移動開発部隊が攻撃され,ボランティアなど12人死亡。また,この近くの警察署および民衆に放火,略奪。カラシン県でも,ムアン郡の警察署が100人近い共産ゲリラに攻撃され,2人死亡。 |
DIA-204-1975-04-23-2 | タイ | 1975年04月23日 | 1970年代 | スリン投資委員会事務局長,奨励策発表―公害,資源乱用防止とタイの国益を守る。輸出産業,アグロ・インダストリー,地方立地産業を重点,(1)輸出ゼロかFOB価格で売上の20%以下の場合,①土地と運転資金を除く投資総額が1000万バーツ以上,②タイ側資本60%以上,③付加価値30%以上,④保護関税率は30%未満,⑤バンコク外に立地,⑥3年以内に全面稼動。以上の事業について現行規定による特典を与える。法人税免税は以下の場合のみ付与。永久資産への投資額が5000万バーツ以上,または雇用労働者200人以上。免税期間は5年。 (2)FOB価格で輸出額が売上額の20%を超える場合。現行規定による特典を与え,法人税免税期間は以下のようにする。付加価値30%以下または労働者200人以下は5年,31~40%または201~400人は6年,41~50%または401~600人は7年,50%以上または600人以上は8年。 |
DIA-204-1975-04-24-1 | タイ | 1975年04月24日 | 1970年代 | 国会でタムボン開発法案通過―賛成151,反対16,棄権98。社会主義戦線は政府支持。首相「政府は貧乏克服の決意である。この開発計画は,乾期に失業している60万農民に職を与え,また地方住民の心に,民主的政府に対する信頼を浸透させてゆくだろう。この前の選挙ではわずか47%の投票率だったのだからだ。またこの計画は,穀物生産を増大させ,長期的には国民経済に貢献する。また一部の批判者のようにインフレを高めるとは思わない」。セーニー「この計画は全くの浪費だ。それに中央基金から支出するのは国民経済に混乱をもたらす」。ソムキット「国民が援助を必要としていることは認めるが,緊急事でないものに中央基金を使うのは違法だ」。現在内務省は,4930村からの3万7148計画,23億7442万7028バーツを承認している。 |
DIA-204-1975-04-24-2 | タイ | 1975年04月24日 | 1970年代 | サイゴンのタイ大使館閉鎖。 |
DIA-204-1975-04-24-3 | タイ | 1975年04月24日 | 1970年代 | 外相談―反共法廃止が国会で認められれば,タイは直ちに中国を承認するだろう。 |
DIA-204-1975-04-25-1 | タイ | 1975年04月25日 | 1970年代 | 外相,マスターズ米臨時大使と会談―インドシナ情勢について話し合われ,タナット―ラスク声明,米国およびSEATOのタイに対するコミットメントに焦点があてられた。またマスターズは,今年中に撤退すべき米軍数を来週にもタイが明らかにするよう求めた(28日外相談による)。 |
DIA-204-1975-04-26-1 | タイ | 1975年04月26日 | 1970年代 | 国防相は,トラート県におけるクメールルージュ兵士の侵入に対し反応が遅いという批判の中で,三軍の司令官が政府に許可を求めることなく,カンボジア国境防衛のために兵力を動員,展開できることを認めた。 |
DIA-204-1975-04-27-1 | タイ | 1975年04月27日 | 1970年代 | 米国援助―今年の経済・技術援助は,有償200万ドル,無償800万ドル,計1000万ドルで,今後3~4年は同程度の額となる見込。 |
DIA-204-1975-04-28-1 | タイ | 1975年04月28日 | 1970年代 | 外相談―中国承認と反共法の廃止は厳密には関係ない。外務省は,ペーン次官を長とする中国との国交に関する委員会を設置した。 |
DIA-204-1975-04-28-2 | タイ | 1975年04月28日 | 1970年代 | タイ・日借款協定―170億円,年利2.75~4%,長距離電話施設拡充,シリトン・ダムの発電機購入,サートン橋建設,チェンマイの水路開発に充てる。 |
DIA-204-1975-04-29-1 | タイ | 1975年04月29日 | 1970年代 | サイゴン陥落に伴い,ウタパオ基地に少なくともベトナム機74,2000人近くのベトナム人飛来―これについて外務省スポークスマン「事前協議なく大量の避難民を送り込んだ米政府は,タイ主権を侵害している。米政府は,遅滞なくベトナム避難民を離タイさせるべきである」。 |
DIA-204-1975-04-29-2 | タイ | 1975年04月29日 | 1970年代 | 韓国交通部長官崔慶祿訪タイ―北朝鮮が来月初め国交樹立のための代表団を送ってくるのに対し,これを阻止しようとするもの。 |
DIA-204-1975-04-30-1 | タイ | 1975年04月30日 | 1970年代 | 首相談―ASEANは共同で臨時革命政府を承認するだろう。ベトナム難民については,米政府が全面的責任をとるのを期待する。またすべてのベトナム機,武器弾薬を没収し臨時革命政府に返す。 |
DIA-204-1975-04-30-2 | タイ | 1975年04月30日 | 1970年代 | 上院,82―0でタムボン開発法案を可決。 |
DIA-204-1975-05-01-1 | タイ | 1975年05月01日 | 1970年代 | 国会でのインドシナ論議の中で外相は「数日中に米軍撤退に関するコミュニケが発表されるであろう」と語る。 |
DIA-204-1975-05-01-2 | タイ | 1975年05月01日 | 1970年代 | サイゴン新政権について外相談―サイゴンの新政権承認前にASEAN諸国の協議がなされる。タイはこの問題については,ASEANと歩調をあわす。 |
DIA-204-1975-05-01-3 | タイ | 1975年05月01日 | 1970年代 | メーデー―ルンピニ公園には労働者の日委員会主催下に国鉄,タバコ,専売公社,ホテル,急行運送機関などの労働者1万人以上が集会,内相も出席して演説。他方,タマサート大にも3000人の労働者が集まって民主主義記念塔まで行進。 |
DIA-204-1975-05-02-1 | タイ | 1975年05月02日 | 1970年代 | 南ベトナム軍用機問題―1日に南ベトナム臨時革命政府外務省は,タイに飛来した航空機等の返還を求める声明を出したが,北ベトナムニュースも「ベトナム人民は,旧軍事独裁政権によってなされた悪行は許すが,これ以上のこの種の行為には寛大ではない」と返還を要求した。これに対し外相は「タイ国法の下にベトナム機は没収できる。これをどう処分するかはタイ政府の権限であり,6日に閣議で決める」。国防相は「南ベトナム,米国両者の話合いによる処理を希望する」と語った。一方,シュレジンジャー米国防長官は「軍事援助物資は,米国の許可なく他国への移動は禁じられており,米国に最終所有権がある」と語った。 |
DIA-204-1975-05-02-2 | タイ | 1975年05月02日 | 1970年代 | 外相「タイ―米間で,この数ヵ月中に撤退する米軍数について合意がなされた」。またこの人数は多くの人を驚かせるほど大規模であることを示唆。 |
DIA-204-1975-05-03-1 | タイ | 1975年05月03日 | 1970年代 | 南ベトナム外相からタイ外相宛書簡―臨時革命政府が南ベトナム人民の唯一の代表になったことを伝えると共に,公式に旧南ベトナム機等の返還を求めた。一方,北ベトナム当局も公式にタイ当局に南ベトナム人民の財産の返還を求めた。 |
DIA-204-1975-05-03-2 | タイ | 1975年05月03日 | 1970年代 | 国防相談―ウボン,シーサケットを訪問したが南ベトナム機問題について,米当局は同機の7~15日間の駐タイを求めており,この問題はアメリカの問題であると言明。 |
DIA-204-1975-05-03-3 | タイ | 1975年05月03日 | 1970年代 | 農民連盟が政府に要求書―26県の代表38人の協議で,4日,再度政府に12項目の要求を出し6日までに回答を求めることを決めた。また各県に平和的集会を開いて,知事に彼らの要求を伝えるよう指令,4日NSCTは,連盟を支持し1万バーツ寄付することを決定。また,タイ社会党も支持声明。 |
DIA-204-1975-05-04-1 | タイ | 1975年05月04日 | 1970年代 | 国家安全保障会議,北ベトナム早期承認勧告。 |
DIA-204-1975-05-04-2 | タイ | 1975年05月04日 | 1970年代 | 首相,旧南ベトナム機の米国引渡を示唆。 |
DIA-204-1975-05-05-1 | タイ | 1975年05月05日 | 1970年代 | 南ベトナム代表団訪タイの意向―外相談。3日と5日付で南ベトナム政府より電報を受けた。この中で駐タイ大使館の保全,旧南ベトナム機等の返還を求めるとともに,大使館引継のため代表団を送ることを伝えてきた。両国間に直接の接触ある以上,公式の承認ということは必要ないと考える。 |
DIA-204-1975-05-05-2 | タイ | 1975年05月05日 | 1970年代 | 米軍7500人の撤退発表―米・タイは同時に,現存2万7000人中7500人を6月末頃までに撤退と発表。 |
DIA-204-1975-05-06-1 | タイ | 1975年05月06日 | 1970年代 | 南ベトナム代表の訪タイを要請―閣議はウタパオ基地に残存する旧南ベトナム機の接収を決めるとともに,外相は米大使館にこれらの凍結を求めた。また,返還交渉のため南ベトナム代表の訪タイを求めた。 |
DIA-204-1975-05-06-2 | タイ | 1975年05月06日 | 1970年代 | 農民連盟,対政府交渉失敗―政府はあらためて前回同様の立場を表明し,連盟の12項目要求拒否。上京した7000名近い農民は今後農村での闘争を行なうと決定して帰村。 |
DIA-204-1975-05-08-1 | タイ | 1975年05月08日 | 1970年代 | 北朝鮮と国交樹立。 |
DIA-204-1975-05-08-2 | タイ | 1975年05月08日 | 1970年代 | ポ・スー氏76人とともに降服―ヤラ県ラーマン郡にて。 |
DIA-204-1975-05-09-1 | タイ | 1975年05月09日 | 1970年代 | シーソク・ラオス国防相,タイに避難―ラオス連合政権からの追放を南部視察中に知りウボンに避難。10日,タイの軍部高官に接触。 |
DIA-204-1975-05-10-1 | タイ | 1975年05月10日 | 1970年代 | サコンナコンで反ベトナム人運動―1年以内にタイからの追放を要求。11日には500人の暴徒がベトナム人経営の商店に投石。一方,2000人近くの師範学校生は市庁舎前で集会し,ベトナム避難民はタイ人の職を奪い,当局から優遇され,また不法に自分たちの学校をつくっている,と非難。3日以内に外相かその代理との会見要求。 |
DIA-204-1975-05-10-2 | タイ | 1975年05月10日 | 1970年代 | 資本逃避―ブンサノン社会党書記長談。かなりの人数の金持が,人民による革命が起るのを恐れて,銀行から預金を引き出して闇市場でドルを買いあさり,米国やヨーロッパで土地を買ったり,事業に投資している。 |
DIA-204-1975-05-12-1 | タイ | 1975年05月12日 | 1970年代 | 反べトナム人運動下火へ―プラコープ副内相は急ぎサコンナコンを訪れ,1年以内のベトナム避難民の送還を約す。外務省高官筋は,米国が煽動したと推測。 |
DIA-204-1975-05-12-2 | タイ | 1975年05月12日 | 1970年代 | プラウダ紙に支局開設許可―訪タイした同紙アジア編集者Ivan Schedrov氏は,首相,外相と会見。 |
DIA-204-1975-05-13-1 | タイ | 1975年05月13日 | 1970年代 | マヤグエス号事件発生―首相(外相代理)は,この事件で米国が在タイ米軍基地を使用することは許可しない,と米大使に通告(米国はこの通告を無視し,沖縄基地等から海兵隊をウタパオに移動)。 |
DIA-204-1975-05-13-2 | タイ | 1975年05月13日 | 1970年代 | ASEAN定期外相会議(~15日)―外相演説「73年に共通の問題を話し合うための全東南アジア諸国会議を提案したが,再度これを提案する。またASEAN友好協力条約草案を承認する。この条約は,平和・自由・中立地帯への重要な一歩であると考える」。また記者会見で,新しい東南アジア情勢に応じるため首脳会議開催に同意すると語る。 |
DIA-204-1975-05-14-1 | タイ | 1975年05月14日 | 1970年代 | 政府,米国に抗議―海兵隊のウタパオへの移動に対し「米政府のこの措置は,両国の友好関係にも反する。直ちに海兵隊の撤去がない場合,深刻かつ破壊的結果を招こう」と抗議の覚書。 |
DIA-204-1975-05-14-2 | タイ | 1975年05月14日 | 1970年代 | ウタパオから発進した米空軍,カンボジア軍艦を撃沈。海兵隊はコータン島上陸。 |
DIA-204-1975-05-15-1 | タイ | 1975年05月15日 | 1970年代 | 学生グループ,市民グループ,新勢力党,タイ社会党など米大使館に抗議。抗議集会に2万人参加。 |
DIA-204-1975-05-16-1 | タイ | 1975年05月16日 | 1970年代 | 閣議,対米抗議を決定―駐米大使の召還,タイ―米間の一切の条約,協定の再検討を決める。 |
DIA-204-1975-05-16-2 | タイ | 1975年05月16日 | 1970年代 | NSCT,米大統領の謝罪,および再度タイ主権を侵害しないことの約束を求め,24時間内の回答を求める。 プラマーン広場では抗議集会。 |
DIA-204-1975-05-16-3 | タイ | 1975年05月16日 | 1970年代 | 与点議員から42人の秘書官任命。内訳:首相顧問23人,総理府秘書官12人,総理府長官秘書官3人,総理府副スポークスマン4人。 |
DIA-204-1975-05-16-4 | タイ | 1975年05月16日 | 1970年代 | 南ベトナム代表団訪タイ―グエン・ミン・フン代表談「我々は臨時革命政府の代表として,航空機・艦船等の全旧南ベトナム財産を引取り,大使館,情報部引き継ぎのため訪タイした。過去,米帝国主義者は南ベトナム侵略のためタイを基地として使用した。東南アジアの真の平和と独立のためにはこの地域からの米軍と米軍基地の撤去は,緊急かつ不可欠のことである」。 |
DIA-204-1975-05-17-1 | タイ | 1975年05月17日 | 1970年代 | 反米デモ盛上る―NSCTを中心とした学生諸団体や市民グループ数千人は,米大使館へ抗議デモ(19日まで)。 |
DIA-204-1975-05-17-2 | タイ | 1975年05月17日 | 1970年代 | キッシンジャー国務長官遺憾の意―新しい情勢変化に対応し,両国関係を調整する話合いに,協力と友好精神に基づいて応じる用意がある。タイ政府に困惑を与えた限りで,遺憾の意を表する。 |
DIA-204-1975-05-17-3 | タイ | 1975年05月17日 | 1970年代 | 外相,南ベトナム代表団と会見―会見後,できるだけ早く南ベトナムに大使を送りたいと語る。この後代表団は,タイ側ペーン外務次官と旧南ベトナム機等の返還問題を交渉。 |
DIA-204-1975-05-18-1 | タイ | 1975年05月18日 | 1970年代 | 外相,米国務長官の遺憾発言を拒否―これを非公式であるとして,20日午後6時までに適切な措置をとるよう求めた。また,首相および外相は反米デモを評価。 |
DIA-204-1975-05-18-2 | タイ | 1975年05月18日 | 1970年代 | ノーンカーイで反ベトナム人集会―ターボー郡では500人,県庁で100人がベトナム難民の送還を要求。また一部で投石。 |
DIA-204-1975-05-19-1 | タイ | 1975年05月19日 | 1970年代 | 米大使,遺憾の覚書―「事前の協議なく米海兵隊を上陸させタイの主権を侵害したことに意憾の意を表明する。このような事件が再発しないことを保証する」という旨の覚書に署名し外相に手渡す。これに対し外相は満足の意。しかし,米大使召換とタイ―米間の条約,協定の見直しの方針は継続。 |
DIA-204-1975-05-19-2 | タイ | 1975年05月19日 | 1970年代 | タイ―南ベトナム交渉不調―帰国に当って南ベトナム代表団は「タイ側が南ベトナム人民の正当な財産返還要求に応じないことは,両国の正常化の障害となっている。ただし,タイ政府の臨時革命政府承認および南ベトナム復興再建のために貢献すると約束したことは歓迎する」と声明。一方,チャーチャーイ外相は楽観的に「今回はまず初回にすぎず次の交渉はサイゴンで行なわれよう」と語る。 |
DIA-204-1975-05-19-3 | タイ | 1975年05月19日 | 1970年代 | 株価暴落―政治情勢を反映して株価は平均25%下落。某一流銀行については年初の350バーツから270バーツに下っている。 |
DIA-204-1975-05-20-1 | タイ | 1975年05月20日 | 1970年代 | 閣議 プラシット国会議長の訪中を決める。 |
DIA-204-1975-05-21-1 | タイ | 1975年05月21日 | 1970年代 | 北ベトナム代表団訪タイ―ファン・ヒェン団長談「両国関係の正常化は両国民の願望である。現在の状況は正常化のための好機である」。 |
DIA-204-1975-05-21-2 | タイ | 1975年05月21日 | 1970年代 | 農業銀行への貸出金利引下げ―農村乾期事業計画の農業・協同組合銀行扱い分12億バーツについて,市中銀行は同行への貸出金利を9%から8%に引下げ。 |
DIA-204-1975-05-22-1 | タイ | 1975年05月22日 | 1970年代 | パテト・ラオ放送タイ政府を非難―同放送はバン・パオ将軍やシースク前国防相など右派にタイ政府が亡命を許していると非難。一方国防相は,ラオス難民の政治亡命は一人も認めない,と言明。 |
DIA-204-1975-05-24-1 | タイ | 1975年05月24日 | 1970年代 | ハノイ放送タイ政府を非難―ノーンカーイでの反ベトナム難民暴動は,タイ当局の真の意図を示している,と非難。 |
DIA-204-1975-05-26-1 | タイ | 1975年05月26日 | 1970年代 | 外相談―北ベトナムとの話合いは大成功だ。来月,招待によってハノイを公式訪問する。東北タイの反ベトナム難民事件は,政府とは全く無関係と伝えただけで問題にならなかった。話合いの結果については共同コミュニケが発表されよう。 |
DIA-204-1975-05-26-2 | タイ | 1975年05月26日 | 1970年代 | 首相,訪マレーシア決定―中国との国交樹立協議のため。 |
DIA-204-1975-05-28-1 | タイ | 1975年05月28日 | 1970年代 | ストに警察介入,流血―解雇をめぐって泥沼化していたスタンダード織物会社のストは,スト非参加者の入場を警察が助けて,ピケをはっていた労働者16人が負傷。一方,ズシットタニホテルでもストが長期化。 |
DIA-204-1975-05-29-1 | タイ | 1975年05月29日 | 1970年代 | 北ベトナムと正常化ならず―13人の代表団帰国。ファン団長声明「卒直な雰囲気の中で多くの重要な点が合意された」。また記者に,我々はタイの代表の訪問を招待した。これの実現が早期であることを望む,と語る。 |
DIA-204-1975-06-02-1 | タイ | 1975年06月02日 | 1970年代 | 労組,政府に6項目要求―警察官の労働者暴行事件について,労働組合側は,ユッタナー警察大佐解任,負傷者への治療費と慰謝料支払,ズシットタニホテルから「赤い野牛」を追い出すことなど6項目を政府に要求し,4日に回答を指定した。 |
DIA-204-1975-06-02-2 | タイ | 1975年06月02日 | 1970年代 | 第6回日タイ貿易委員会(民間)。 |
DIA-204-1975-06-03-1 | タイ | 1975年06月03日 | 1970年代 | 労働者への政府回答―政府は事実関係究明を7日までに行なう。労働問題改善のための政策10項目を発表。治療費と慰謝料は払う。労使双方を呼んで仲介。ズシットタニホテルの営業再開と「赤い野牛」追放。 |
DIA-204-1975-06-03-2 | タイ | 1975年06月03日 | 1970年代 | パッタニーで閉店スト―政府が南タイの治安悪化を放置しているのに抗議して,パッタニー,ナラーティワート2県で商店が閉店スト。 |
DIA-204-1975-06-04-1 | タイ | 1975年06月04日 | 1970年代 | 米プレミアム引下げ―米輸出停滞打開のため。 |
DIA-204-1975-06-05-1 | タイ | 1975年06月05日 | 1970年代 | 月収1000バーツ以下の低所得者の登録はじまる。 |
DIA-204-1975-06-06-1 | タイ | 1975年06月06日 | 1970年代 | ピチャイ前外相,中国訪問を終えて帰国―中国滞在中,韓念竜外務次官と会談した。 |
DIA-204-1975-06-07-1 | タイ | 1975年06月07日 | 1970年代 | 国会議員訪中団出発―30人,団長はプラシット下院議長。 |
DIA-204-1975-06-09-1 | タイ | 1975年06月09日 | 1970年代 | ククリット首相,マレーシア,インドネシア訪問に出発。 |
DIA-204-1975-06-11-1 | タイ | 1975年06月11日 | 1970年代 | タイ・マレーシア共同声明。 |
DIA-204-1975-06-12-1 | タイ | 1975年06月12日 | 1970年代 | 農民の武装訓練―プラードン全国学生センター書記次長談。政府は偽情報で農民や学生にアカのレッテルをはっている。農民の武装訓練は与党の中の人間がやっている。当局は学生と民衆を分断するためNSCTの仕業にしている。 |
DIA-204-1975-06-13-1 | タイ | 1975年06月13日 | 1970年代 | タイ党が農民に武装訓練―プラードンNSCT書記次長は,政府が学生,農民の逮捕に踏みきったことについて,ウタイタニとナコンサワンで農民の武装訓練をしているのは,ククリット政権与党のタイ党のメンバーであり,農民を分裂させ,学生に悪評をかぶせようとするものであると発表。この男はタイ党書記長のソムバット・タムロンタンユワン(元NSCT書記長)。タイ党のカノック書記次長は,ソムバットは個人の資格で行なったとタイ党との関係を否定。 |
DIA-204-1975-06-16-1 | タイ | 1975年06月16日 | 1970年代 | アナン国連大使中国訪問に出発―事務レベルでの折衝を行なう。タイ国会議員代表団は同日鄧小平副首相に会見。 |
DIA-204-1975-06-17-1 | タイ | 1975年06月17日 | 1970年代 | 内務省,農民・学生の逮捕命令。 |
DIA-204-1975-06-17-2 | タイ | 1975年06月17日 | 1970年代 | 中部農民への肥料援助―30万トン。運送費は米プレミアム収入の中から支出。今日まで確保した肥料は10万トン。 |
DIA-204-1975-06-18-1 | タイ | 1975年06月18日 | 1970年代 | 社会正義党内紛―スチン議員が中心となって27人のグループ結成。社会正義党からは24人参加。タウィット党首に,自分たちを党から除名するよう要求。大臣に任命されなかったことが不満の一因。 |
DIA-204-1975-06-18-2 | タイ | 1975年06月18日 | 1970年代 | 1976年度支出予算案―総額626億5000万バーツ。 今年度比30.5%増。各省別には,内務省58%増,農業・協同組合省31.8%増,国防省26.8%増。なお収入予算は486億7480万バーツで,前年比101億7400万バーツ増。 |
DIA-204-1975-06-19-1 | タイ | 1975年06月19日 | 1970年代 | 訪中国会議員団帰国。 |
DIA-204-1975-06-19-2 | タイ | 1975年06月19日 | 1970年代 | 内務省,流行歌3曲禁止―「稲は雨を待っている」,「勤労大衆」,「人と水牛」の3曲。大衆を煽動し,国民を反抗的にするとの理由。 |
DIA-204-1975-06-20-1 | タイ | 1975年06月20日 | 1970年代 | 乾季農村援助計画の成果―5027村,4万1142件。 |
DIA-204-1975-06-23-1 | タイ | 1975年06月23日 | 1970年代 | ククリット首相「解放区」視察―ナコンサワン県バンパタピサイ郡バーンデーン村ノーンナムクン部落。解放区で赤旗が立っているとの役人の報告に実地視察。 |
DIA-204-1975-06-23-2 | タイ | 1975年06月23日 | 1970年代 | 商相談―籾米の価格保障を急ぐ。8月から庭先価格2500バーツ/クイエン。価格を守らない業者には罰則。政府,工場,農民代表(同数)で構成する砂糖協議会設置。砂糖取引公社を作るが,民間2社の長期契約にはタッチしない。 |
DIA-204-1975-06-25-1 | タイ | 1975年06月25日 | 1970年代 | モナズ石発見―チュラロンコン大学工学部のスワンナ・セーン・ペート教授は,パンガー県のTEMCO鉱区内でモナズ石とウラニウムを発見したと発表した。モナズ石はトリウム含有率5%,推定価格1兆0800億バーツ。埋蔵量約6万トン。鉱石は現在は米系企業にkg2バーツで売られている。 |
DIA-204-1975-06-26-1 | タイ | 1975年06月26日 | 1970年代 | 土地法改正―土地所有を,農業50ライ,工業10ライ,商業5ライ,居住用5ライに制限。 |
DIA-204-1975-06-26-2 | タイ | 1975年06月26日 | 1970年代 | 土地改革予算―76年度は4億バーツ(予算要求は20億バーツ)。使途は土地買収費3億バーツ,50万ライ,中部タイ土地改良費2000万バーツ,1万3333ライ,東北部,北部,南部開墾費4000万バーツ,5万7141ライ,予備費4000万バーツ。 |
DIA-204-1975-06-27-1 | タイ | 1975年06月27日 | 1970年代 | ククリット首相談―記者会見およびテレビでの外交,内政政策。アジアの情勢に応じて新しい外交政策をとる。中国との国交回復で失うものはない。我々はすべての面で原則を守ってきた。台湾とは経済・文化面での関係は継続。7月4日の米軍基地追放集会は国民の権利として認めるが,法律には違反しないでもらいたい。米軍は出ていくのだから追討ちをかける必要はないが,集会を持ちたければそうさせればよい。 |
DIA-204-1975-06-28-1 | タイ | 1975年06月28日 | 1970年代 | NSCT役員改選―書記長グリェンガモン・ラウハポーロート(チュラロンコン大),書記次長は経済担当がサラーイ・ウドムチャルーンチャイキット(タマサート大),社会・教育担当がソムブーン・シマセーンヤーポン(ラームカムヘン大)。政治担当書記次長は再選挙。 |
DIA-204-1975-06-28-2 | タイ | 1975年06月28日 | 1970年代 | チェンマイ1区補選―インソム・チャイヤチャーウォン(民主党)が3万2383票で当選。次点は国民党のカノック・ラッタナイ1万7856票。 |
DIA-204-1975-06-29-1 | タイ | 1975年06月29日 | 1970年代 | ククリット首相一行中国訪問に出発―首相はドムアン空港で,共同声明では内政問題不干渉の条項を絶対に入れる。また啓徳空港で,米軍が撤退すれば国内の反米感情は静まる,学生の反米運動は重要ではないと語った。 |
DIA-204-1975-06-30-1 | タイ | 1975年06月30日 | 1970年代 | 訪中団北京着―盛大な歓迎をうけて到着後,周総理を病院に見舞う。ククリット,鄧小平第1回会談。歓迎宴での鄧小平あいさつ「インドシナの勝利はアジアに好影響を与えた。しかし某超大国はアジアに新しい軍事基地を求めている。アジアの団結によってのみこの陰謀を打破できる。」ククリット首相「各国民のみが政治・経済・社会制度を選ぶ権利をもっている」。 |
DIA-204-1975-07-01-1 | タイ | 1975年07月01日 | 1970年代 | 首相,毛主席と会談―小一時間に渡る話合いで,タイの共産ゲリラ活動も話題となる。8日首相が語ったところによると,毛主席は「タイ共産党は小組織であり,党員とは会ったこともないこと,共産党対策は議会制民主主義を有効に使い,弾圧による殉教者を作らぬことだ」と語ったという。 |
DIA-204-1975-07-01-2 | タイ | 1975年07月01日 | 1970年代 | ククリット・鄧小平政治会談―鄧副首相から中国によるラオスの道路建設は軍事目的でないことが告げられ,南ベトナムの状況,タイからの米軍撤退問題が話し合われた。 |
DIA-204-1975-07-01-3 | タイ | 1975年07月01日 | 1970年代 | 国交樹立の共同コミュニケ署名―周総理の病院で,周・ククリット会談に立合ったチャーチャーイ外相「周総理は国交樹立後,中国は決してタイの内政干渉をしないことを強調し,またソ連勢力の拡張に対し安全保障問題に懸念を示した」。また周首相はシアヌーク殿下がタイ=カンボジアの正常化の意思のあることを伝えたという。 |
DIA-204-1975-07-01-4 | タイ | 1975年07月01日 | 1970年代 | 新華社社長,タイの解放勢力との関係に答える―タイ記者団を招待した席で質問に答え「各国共産党の戦いを支持するのは中国共産党の一貫した政策である。しかし滲透し何らかの関与をすることではない。支持というのは心理的,理論的支持のことだ」。ククリット・鄧会談に同席したSithi少将(安全保障会議事務局長)は3日上海で,この会談で中国側が決してタイ主権の侵害をしないと保証を与えたこと及び在タイ華僑のタイ国籍化を簡便化する必要を語る。 |
DIA-204-1975-07-01-5 | タイ | 1975年07月01日 | 1970年代 | 国交樹立に対する反響―プラシット下院議長は朱徳氏に祝電。民主党歓迎。社会農業党首は歓迎しながらも共産ゲリラと中国との関係に懸念。新勢力党は両国人民の関係における新しい章の始まりと評価,社会主義戦線も歓迎。セリチョン党は共産主義と友好を持つことは危険と反対。 |
DIA-204-1975-07-02-1 | タイ | 1975年07月02日 | 1970年代 | チャーチャーイ・喬冠華両外相会談―この後,王耀廷国際貿易促進委員会主席と会談。貿易に関しては,訪中時二度の実務者会談がなされ,タイ側が大幅な入超是正を求めたのに対し,中国側はジュート,原糖,タバコ,メイズを購入する用意があることを明らかにした。 |
DIA-204-1975-07-03-1 | タイ | 1975年07月03日 | 1970年代 | 職業学生3000人親米デモ―米大使館に。反米の左翼学生に対抗して。2日文部省は省議で,反米反軍事基地デモの動きに対し,各学校に平常通り授業を行ない学生を監督させること決定。 |
DIA-204-1975-07-03-2 | タイ | 1975年07月03日 | 1970年代 | 首相一行は華国鋒副総理,韓念竜副外相とともに上海訪問。4日昆明訪問,5日広東。 |
DIA-204-1975-07-04-1 | タイ | 1975年07月04日 | 1970年代 | アメリカ独立記念日平穏―NSCTが一月前に反米デモの予定を発表して以来,緊張が高まっていたが,この日NSCTはタマサート大で集会を開くにとどまった。チュラロンコン大,シンラパーコン大では反米運動に批判的な動きが強まっている。NSCT書記長は,米軍撤退後は中ソのタイにおける違法活動を調査することになろうと語る。 |
DIA-204-1975-07-04-2 | タイ | 1975年07月04日 | 1970年代 | タノム前首相の没収財産返還訴訟敗訴―判決理由は8500万バーツの財を官僚の身で作ることは不可能。8日没収された高級車49台の競売はじまる。 |
DIA-204-1975-07-05-1 | タイ | 1975年07月05日 | 1970年代 | 首相,広東からタイ国民に向け放送―中国指導者と会談して中国が決して覇権を求めないことを確信した。彼らの話は卒直で決して中国の直面する問題を隠したりしなかった。訪中の最大の成果は,直接話し合い多くの友人を得たことだ。 |
DIA-204-1975-07-05-2 | タイ | 1975年07月05日 | 1970年代 | 警察,パテトラオのメコン河越の砲撃に対し反撃を指示―タイ側は共産主義者及び難民の流入阻止武器密輸取締のためパトロールを強化しているが,これに対しラオス側は,しばしば砲撃。 |
DIA-204-1975-07-05-3 | タイ | 1975年07月05日 | 1970年代 | 籾米支持価格予算―タウィット農相談。農業福祉基金から4億バーツ借りて,今年度は10億バーツ(二期作目の籾米用)とする。 |
DIA-204-1975-07-06-1 | タイ | 1975年07月06日 | 1970年代 | 首相一行帰国―政府高官・各国使節の他,華僑団首長,学生,農民,市民団体など1万人余が迎える。首相は両国の信頼の深まりを強調し,経済・文化・軍事など色々な形での協力が始まると語る。Prida農務次官は近々農業技術者交換協定を調印すると発表。 |
DIA-204-1975-07-07-1 | タイ | 1975年07月07日 | 1970年代 | パテトラオ軍,タイパトロール船砲撃―警察官1人重傷。軍当局抗議書を送る。 |
DIA-204-1975-07-08-1 | タイ | 1975年07月08日 | 1970年代 | 閣議中国語学校数の増大抑制を決定―国家安全保障会議の提案による。またタイ―ソ連スポーツ交流計画も承認さる。 |
DIA-204-1975-07-09-1 | タイ | 1975年07月09日 | 1970年代 | 国民党との関係初めて公表―クリアンサク陸軍参謀長談,政府はチェンライ県Doi Pa Monにおいて旧国民党残存部隊に武装させ共産ゲリラに対抗させている。指導者であるリー,トゥアン2将軍には密輸,麻薬取引に関与しないことを条件に昨年タイ籍を与えた。近日中に管轄官庁を最高司令部から内務省に移す予定である。 |
DIA-204-1975-07-09-2 | タイ | 1975年07月09日 | 1970年代 | 国会憲法3修正案大差否決―3案は,議席を失うことなく党籍移転できるようになす案,議長・副議長の任期制限案,及び汚職調査権を国会に与える案。 |
DIA-204-1975-07-09-3 | タイ | 1975年07月09日 | 1970年代 | ラオス政府国内の3タイ領事館の一時閉鎖要請―ラオス大使館によると,タイに亡命したラオス人がタイを基地としてラオスで破壊活動やっており,突発事から館員の生命の安全をはかるため。14日,領事館員はタイに引き上げ,メコン河対岸のタイ国内に同じような業務を扱う事務所を開く方針。 |
DIA-204-1975-07-09-4 | タイ | 1975年07月09日 | 1970年代 | タイ海軍は放送でパテトラオに激しく抗議―パトロール船はタイ領内にあったのをパテトラオが意図的に待伏せたと抗議。 |
DIA-204-1975-07-10-1 | タイ | 1975年07月10日 | 1970年代 | 新聞規制令(革命団布告17号)廃止―下院は政府に新聞の廃刊を命じる権限を与えた同令は憲法に反すと全員一致で,16日上院も全員一致で廃止。 |
DIA-204-1975-07-10-2 | タイ | 1975年07月10日 | 1970年代 | ハノイ,タイの戦争行為を非難―7日のパテト・ラオとの衝突に関して。更にタイ当局は米政府の反ラオス計画にのって,ラオス難民の送還を怠り逆に難民収容所に押し込んでいる。これはタイが依然ラオスに干渉する政策を捨ててないと非難。 |
DIA-204-1975-07-11-1 | タイ | 1975年07月11日 | 1970年代 | サラブリージュート工場労働者,日本大使館に抗議―215人の解雇に端を発し6月19日より長期ストに入っているが,代表が日本大使館前で抗議。 |
DIA-204-1975-07-11-2 | タイ | 1975年07月11日 | 1970年代 | ラオス政府,正式に抗議―メコン河の衝突に関して。但し責任を河川域の範囲を知らない地方官憲に帰している。 |
DIA-204-1975-07-14-1 | タイ | 1975年07月14日 | 1970年代 | 20人のパテトラオ軍,サバナケットのタイ領事館に侵入し捜査。 |
DIA-204-1975-07-15-1 | タイ | 1975年07月15日 | 1970年代 | 閣議で副首相内閣改造を求める―特に農務省では農相は社会正義党,副農相はタイ国民党,タイ党から出ており,権限をめぐって対立深刻化。またブンロート副内相は,南部の治安回復に成功しなかった責を負って辞表を提出したが首相慰留。 |
DIA-204-1975-07-15-2 | タイ | 1975年07月15日 | 1970年代 | 総理府,サンヤー内閣によるタノム等3人の調査実態を発表―これによると軍当局から3人は違法との報告をうけたにも拘らず,サンヤー首相は調査委員会を不必要として設置せず何らの処罰も行なわなかった。 |
DIA-204-1975-07-16-1 | タイ | 1975年07月16日 | 1970年代 | 内閣改造要求高まる―組閣以来,政党連合内に改造要求があったが,この日の政党連合大会で噴出。特に社会正義党内は,閣僚ポスト配分をめぐって3派に分れる。スチン派は反政府の動きを強めている。 |
DIA-204-1975-07-16-2 | タイ | 1975年07月16日 | 1970年代 | ラオス,パクセ附近の国境閉鎖―タイ側は国境貿易が不可能になるとして閉鎖せず。 |
DIA-204-1975-07-17-1 | タイ | 1975年07月17日 | 1970年代 | ラオス難民2万7000人―現在ナン県に7000人ナムポン基地に1万人,ノンカイ県に1000人のメオ族難民がいる。また難民中2000人は黒タイ族。ラオス政府は難民の帰還を無条件で歓迎しており,パテトラオ高官がノンカイに帰還を促すため来訪したが成果なし。 |
DIA-204-1975-07-18-1 | タイ | 1975年07月18日 | 1970年代 | 与野党議員100人余,内閣改造要求決議―ティンナコーン議員(社会正義党)によると,①月末までにククリットを首班としながらも改造をやること,②一部閣僚は全議員と友好的であること③犯罪取締の強化,④農民への援助増強。これらの要求が容れられない時は,予算案中機密費に反対する。 |
DIA-204-1975-07-18-2 | タイ | 1975年07月18日 | 1970年代 | EC議会議員団訪タイ―ASEAN訪問の一環。 |
DIA-204-1975-07-21-1 | タイ | 1975年07月21日 | 1970年代 | 首相フィリピン訪問―出発に当ってインドネシア,マレーシア首脳は2国間の交渉による問題解決を求めており当面ASEAN首脳会議は開かれまい。SEATOは即時解散するのでなく,役割を変えるべきだ。 |
DIA-204-1975-07-21-2 | タイ | 1975年07月21日 | 1970年代 | 選挙権・被選挙権引下憲法改正案否決―上・下院合同国会で369議席中,賛成181,反対53,棄権62,欠席69,で過半数の支持得られず。提案者は新勢力党で多数の青少年が傍聴した。 |
DIA-204-1975-07-21-3 | タイ | 1975年07月21日 | 1970年代 | 協議のため一時帰国したサウェト駐ラオス大使は記者会見で,18日よりソ連製パトロール艇40隻が配備されたこと,ナムポン基地のラオス難民がラオス国内で破壊活動をやっている事実のあること,またアメリカがメオ族のタイへの入国を援助した可能性のあることなど公表し,政府は旧ラオス右派要人を国外か遠融地に送るべきだと語る。 |
DIA-204-1975-07-22-1 | タイ | 1975年07月22日 | 1970年代 | ラオス大使,ソ連製パトロール艇の事実を否定―一時帰国に当って,ソ連はタイ大使の発言に抗議するだろうと語る。これに先だつプラマン副総理との会見では,副総理はタイがメコン河パトロールをやめる意思のないことを伝える。 |
DIA-204-1975-07-23-1 | タイ | 1975年07月23日 | 1970年代 | ククリット・マルコス首脳会談―22日に引きつづいた会談で,アメリカの軍事力がこの地域の安全にとって基本となること,ASEANの強化など合意。 |
DIA-204-1975-07-23-2 | タイ | 1975年07月23日 | 1970年代 | 農業資金需要―農業・農業協同組合銀行によると,7月初めの農業団体代表者会議で明らかとなった資金需要は45億7100万バーツで,内訳は短期債23億3800万バーツ,中期債13億6800万バーツ,長期債3億1700万バーツ,種子その他5億4700万バーツで,126万5600戸分である。 |
DIA-204-1975-07-24-1 | タイ | 1975年07月24日 | 1970年代 | タイ・フィリピン共同コミュニケ―SEATOの原則的解消,ASEANの強化,地域経済協力の強化,ASEAN首脳会議の開催,米軍基地は暫定的なものであることなど合意。また両国の文化協定締結。 |
DIA-204-1975-07-24-2 | タイ | 1975年07月24日 | 1970年代 | カンボジアと初めて接触―ポイペットにおいてプノンペンからの代表とタイ側郡官吏は会見し,貿易の再開などを話し合う。27日インドシナ諸国,特にカンボジア,ラオスと国交正常化の意思を有するという首相発言をペノンペン放送歓迎。 |
DIA-204-1975-07-25-1 | タイ | 1975年07月25日 | 1970年代 | 捜査権の警察から知事・郡長移管法案第一読会通過。161対3。提案者は民主,社会農業,タイ国民3党の3人。 |
DIA-204-1975-07-26-1 | タイ | 1975年07月26日 | 1970年代 | NSCT第3世界の学生団体と連帯へ―ティラチャイ政治担当副書記長談,帝国主義の侵略に抵抗するため第3世界と連帯する。当面は第3世界における米軍基地撤去のキャンペーンを行ない,ラオスの学生団体とも提携する。8月17日クリアンカモン書記長談,両国の誤解を解くため代表をヴィエンチャンに送る。 |
DIA-204-1975-07-27-1 | タイ | 1975年07月27日 | 1970年代 | タイ・シンガポール共同声明―ASEAN首脳会議の準備,ASEANの協力強化,どの大国からもASEANは援助をうける用意があることなど合意。首相は24日からタイ首相として初めてシンガポール訪問。 |
DIA-204-1975-07-28-1 | タイ | 1975年07月28日 | 1970年代 | 最高司令部,タイ―米間の軍事協定書の提出拒否―内閣は5月20日,マヤグエス号事件によって,タイ―米間の条約,協定見直しのため全政府機関に本文を外務省へ提出することを求めたが,最高司令部は依然拒否。 |
DIA-204-1975-07-28-2 | タイ | 1975年07月28日 | 1970年代 | ハノイ,タイのレーダー基地建設を非難―タイは米帝国主義者と公然と結託して,東南アジア人民に敵対していると非難。 |
DIA-204-1975-07-29-1 | タイ | 1975年07月29日 | 1970年代 | 南ベトナム強くタイを非難―解放通信は,タイが依然SEATOに固執していること,タイ―米海軍合同演習を予定していることを強く非難。 |
DIA-204-1975-07-31-1 | タイ | 1975年07月31日 | 1970年代 | 予算案第一読会通過―社会正義党のスチン,チャルーン2領袖も政府案支持。野党では社会主義戦線が棄権して政府寄の態度をみせた他は,反対。 |
DIA-204-1975-08-01-1 | タイ | 1975年08月01日 | 1970年代 | タイ農民連盟,NSCT集会―インター北部農民連盟会長が,31日チェンマイで暗殺され,この1年内の農民指導者銃撃事件は21件(内死亡7人)になったが犯人はほとんど逮捕されておらず,政府に取締強化を要求した。また民主,タイ社会,社会主義戦線,新勢力の4党も首相にこれら事件の解決を求めた。農民を含めた政治テロの犠牲者は今年すでに19人に達している。 |
DIA-204-1975-08-03-1 | タイ | 1975年08月03日 | 1970年代 | 農民指導者,学生9人逮捕さる―ラムプーン,チェンマイ警察は,ブンマ・ラムプーン県農民連盟会長,チェンマイ大学生などを5月12日の鉱山の不法占拠及び公務員の監禁予備罪,6月6日の森林放火などを理由に逮捕。これはモンチャイ副警察総監が犯罪取締センターとして決定したもの。 |
DIA-204-1975-08-03-2 | タイ | 1975年08月03日 | 1970年代 | カンボジアへ食糧援助の用意―外相談,今月末ラオス訪問後,カンボジアと閣僚レベルの会談を開く用意がある。 |
DIA-204-1975-08-03-3 | タイ | 1975年08月03日 | 1970年代 | 新米価―トーンヨット商相談。籾米庭先価格は2500バーツ/クィエンを最低とする。精米は1タング当り70バーツになるが,プレミアムと税率引下げで小売価格は50バーツにできる。備蓄米引渡率は下げるだろう。 |
DIA-204-1975-08-05-1 | タイ | 1975年08月05日 | 1970年代 | NSCT抗議集会―バンコクで2000人余の学生が参加して,逮捕された9人の釈放要求と農民指導者暗殺に抗議する(14日まで)。またラムプーンでも300人の学生が県警本部前で抗議集会。政府はポット警察総監をチェンマイ,ラムプーンに派遣。 |
DIA-204-1975-08-05-2 | タイ | 1975年08月05日 | 1970年代 | 閣議NSCTの要求拒否―9人の無罪が証明されるまで勾留することと,農民指導者に特別の安全保障措置を与えることは,彼らの地位が法的なものでないので不可能と決定。 |
DIA-204-1975-08-05-3 | タイ | 1975年08月05日 | 1970年代 | ラオス,駐ラオス大使館のタイ武官補2各逮捕―5名の武官補中の2名で容疑はスパイ行為。 |
DIA-204-1975-08-06-1 | タイ | 1975年08月06日 | 1970年代 | NSCT,タイ農民連盟,反独裁戦線,労働者調整センターは共同で,①9人の即時無条件釈放,②農民指導者暗殺者の1ヵ月以内の逮捕の2要求を決定。 |
DIA-204-1975-08-06-2 | タイ | 1975年08月06日 | 1970年代 | 9人起訴さる。全員保釈を求めず。スポークスマンはこの理由を,彼らの行為は人民のためになした正しい行為であり,人民のみが彼らを釈放できると説明。 |
DIA-204-1975-08-06-3 | タイ | 1975年08月06日 | 1970年代 | NSCTを支持して,チェンマイ,タマサート,ラームカムヘン大で大規模抗議集会。9国営企業労組も支持声明。 |
DIA-204-1975-08-06-4 | タイ | 1975年08月06日 | 1970年代 | ポット警察総監談―農民学生が色々な犯罪容疑で更に逮捕されよう。 |
DIA-204-1975-08-07-1 | タイ | 1975年08月07日 | 1970年代 | タマサート大で統一抗議集会―6日タマサート,チェンマイ大学生連盟で無期限ストを決めたの続きチュラロンコン,ラームカムヘン大でも無期限スト。またNVSCTもNSCTと共同歩調。警察,軍当局は厳戒体制。 |
DIA-204-1975-08-07-2 | タイ | 1975年08月07日 | 1970年代 | 首相要求を拒否―9人の逮捕は違法行為によるものであり,政府は司法に干渉できないと拒否。内務省は暗殺容疑者1人が逮捕されていること,9人の逮捕は政治問題ではなく法律問題であると声明。 |
DIA-204-1975-08-07-3 | タイ | 1975年08月07日 | 1970年代 | 外務省,ラオスに2武官補の釈放について夜半までに回答求める。しかし公式の反応なし。総理府はラオスの行為は国際法に反し,タイ国を侮辱するものである。また両国の友好関係を重視するというラオス側の声明にも反していると強く非難。 |
DIA-204-1975-08-07-4 | タイ | 1975年08月07日 | 1970年代 | ハノイ,タイ愛国戦線の武装闘争支持―武力闘争10周年に際し。 |
DIA-204-1975-08-07-5 | タイ | 1975年08月07日 | 1970年代 | 国会逮捕問題,タイ基地ガードマン待遇問題,暗殺事件などで一般討論開く。民主党,タイ社会党議員政治危機克服のため政府に対策迫る。 |
DIA-204-1975-08-08-1 | タイ | 1975年08月08日 | 1970年代 | 抗議集会続く―タマサート大でNSCTを中心とする集会は最高1万人に。各大学は12日まで休校と決める。 |
DIA-204-1975-08-08-2 | タイ | 1975年08月08日 | 1970年代 | 首相放送―農民・学生逮捕の時期は適切でなかったが,この逮捕と農民暗殺事件は関係はない。両者が同時に起ったことが,政府が無実の人を暗殺し,あるいは逮捕しているという誤解を生んだ。 |
DIA-204-1975-08-08-3 | タイ | 1975年08月08日 | 1970年代 | 銃撃事件続発―3日,6日のチェンマイでの農民指導者暗殺,未遂に続き,8日カムペーンペット,ナンでも2件発生。 |
DIA-204-1975-08-08-4 | タイ | 1975年08月08日 | 1970年代 | ラオスに報復―2ラオス大使館員を好ましからざる人物として即時出国を求める。またサウェト駐ラオス大使に,ラオス側が強い反応を示せば帰国するよう訓令。 |
DIA-204-1975-08-09-1 | タイ | 1975年08月09日 | 1970年代 | パテトラオ放送のタイ非難―過去も現在もタイ反動政権は,組織的に常に羊の皮を着た狼というトリックによって,ラオスの平和と国民的一致を妨げてきた。ククリット首相の両国の平和共存の主張にも拘らず,反動的権力者は米帝国主義者と結托してメコン河パトロールを強化とラオス沿岸民を脅し,ラオス領空を偵察し,密輸を行ない,最も卑劣にも,ラオスから追放された反動派を歓迎し,ラオス国内にスパイを送り混乱を起している。5日のタイ武官補の逮捕がスパイ行為の明白な証拠である。ラオス人民は,タイの愛国的人民に両国の共通の敵,タイ反動派の追放をよびかける。 |
DIA-204-1975-08-10-1 | タイ | 1975年08月10日 | 1970年代 | バンコク知事及び議会選挙―知事は民主党が9万9247票で獲得。次点は新勢力党の9万1678票。議会は民主党36議席,新勢力党5議席。投票率は13.35%と低調。なお,公選知事は初めて。タマヌーン・ティエングン知事は17日,2年以内に腐敗と官僚主義をなくすると語る。 |
DIA-204-1975-08-10-2 | タイ | 1975年08月10日 | 1970年代 | インター暗殺の容疑者逮捕。 |
DIA-204-1975-08-11-1 | タイ | 1975年08月11日 | 1970年代 | 閣議ラオス援助を凍結―即時釈放を要求しながらラオス側の出方を待つと決定。またこの閣議で犯罪取締センターの管轄を総理府へ移すこと決定。 |
DIA-204-1975-08-12-1 | タイ | 1975年08月12日 | 1970年代 | ラオス,タイに抗議―パテト・ラオ放送はサバナケットのタイ領事館から武器が発見され,タイ政府に抗議したと発表。一方,サウェト駐ラオス大使はプーン・シパスート外相に接触できないまま,協議のため帰国。 |
DIA-204-1975-08-13-1 | タイ | 1975年08月13日 | 1970年代 | NSCT 首相に最後通牒―14日午後5時までの回答求める。一方タイ社会党,社会主義戦線議員22人も首相に会い,鉱山占拠予備事件は,地方官憲が住民を抑圧しているところに原因があると主張。 |
DIA-204-1975-08-14-1 | タイ | 1975年08月14日 | 1970年代 | 学生の要求半分容れらる―9人は起訴を取消され釈放される。15日首相は,この取消はアルン検察長官によってなされた。政府は,農民が鉱山汚水に苦しめられたのがこの事件の発端であるから,農民に同情していると説明。セーニー民主党首も,起訴取消は超法的であるが,国家の安全が国家の法に優越すると語る。16日副首相は先の閣議で,法律に基づいた処理を行なうと決めたのに突然起訴取消をしたのは不満と語る。 |
DIA-204-1975-08-14-2 | タイ | 1975年08月14日 | 1970年代 | ラオス,2タイ武官補の追放決定―ラオスは,2武官補がCIAの活動の一部としてスパイ行為をしていたことを認めたと声明。 |
DIA-204-1975-08-15-1 | タイ | 1975年08月15日 | 1970年代 | 釈放された9人はバンコクの各大学の集会に出席。NSCTは,暗殺事件の解決を政府に求めていくが5日からの連続集会は中止。 |
DIA-204-1975-08-15-2 | タイ | 1975年08月15日 | 1970年代 | 起訴取消に抗議―「ラムプーンの愛国者」と名乗る多数の警察官を含んだ団体を中心に,1000人以上がラムプーン県庁,検察庁舎などで集会。16日2時までに首相・検察長官の来ラムプーンを求める。 |
DIA-204-1975-08-15-3 | タイ | 1975年08月15日 | 1970年代 | 内務省ラオス右派のタイ亡命者にラオスの内政干渉を行なった者は追放すると警告。 |
DIA-204-1975-08-15-4 | タイ | 1975年08月15日 | 1970年代 | 国会,南部3県での政府への投降者特赦法案否決。閣内も賛否分れる。 |
DIA-204-1975-08-16-1 | タイ | 1975年08月16日 | 1970年代 | 警察の一部,捜査権の県知事・郡長移轄に反対―同法案審議反対をチュムポン前起訴部長を中心に9警察管区代表が大会で決議。 |
DIA-204-1975-08-17-1 | タイ | 1975年08月17日 | 1970年代 | ラムプーンのデモ高まる―「法の支配」を求めるデモに北部各県,南部の警察官の一部部隊も参加。首相,検察長官の来ラムプーンとNSCT書記長の治安騒擾罪による処罰など7項目要求。一方,首相はラムプーンに行く必要はないとして,内相に対策指示。 |
DIA-204-1975-08-17-2 | タイ | 1975年08月17日 | 1970年代 | 外務省情報局長談―外相はオーストラリア,ニュージーランド訪問し帰国したが,この2国はSEATO事務局の解消には他のASEAN諸国と同様同意したが,条約解消の必要はないとの意向だ。 |
DIA-204-1975-08-17-3 | タイ | 1975年08月17日 | 1970年代 | ケナフ生産減少―東北タイ11県のケナフ栽培面積は137万2915ライで昨年比27%減。利益が多いキャッサバに転換している。1ライから上る利益はケナフ110バーツに対し,キャッサバは792バーツ。 |
DIA-204-1975-08-19-1 | タイ | 1975年08月19日 | 1970年代 | 警察官首相私邸に乱入―警察総監の全警察官は所定職務につくようにとの指示にも拘らず,午後5時頃からサナムルアンでもバンコク近郊の下級警察官2000人が集会し,首相の出席を求める。これを拒否され,首相私邸にデモした一部は,未明私邸に乱入。またラムプーンでも1万人近い警察官,住民が県庁占拠。 |
DIA-204-1975-08-19-2 | タイ | 1975年08月19日 | 1970年代 | 職業学校生反NSCT集会―先日タマサート大での集会でNSCTのガードマンに職業学校生が銃撃され負傷した事件の加害者名を公表するよう要求。3000人が集まる。 |
DIA-204-1975-08-19-3 | タイ | 1975年08月19日 | 1970年代 | ラオスとの国境会議開けず―外相談,パテトラオのプーン外相と接触ができず,ラオス国内の問題が片づくまで両国の話合はできないだろう。 |
DIA-204-1975-08-20-1 | タイ | 1975年08月20日 | 1970年代 | 未明緊急閣議開かる―クリット司令官の主張を退け非常事態宣言は出さず。軍は朝まで厳戒体制,首相は乱入者は処罰せずと語る。 |
DIA-204-1975-08-20-2 | タイ | 1975年08月20日 | 1970年代 | 職業学校生タマサート大学を襲う―バンコク技術学校生を中心とした職業学校生は,バスをハイジャックしてサナムルアンに行進し,NSCTの回答を不満としてタマサート大を大規模に破壊。警察は何ら取締を行なわず。21日NSCT書記長は破壊を行なったのは「赤い野牛」であり,その背後に首都警察の高官がいると非難。 |
DIA-204-1975-08-20-3 | タイ | 1975年08月20日 | 1970年代 | ラムプーンのデモ更に大規模化―3万人以上が参加し,電気,水道,電話,鉄道施設等占拠。 |
DIA-204-1975-08-20-4 | タイ | 1975年08月20日 | 1970年代 | タイ基地ガードマン,労働局に乱入―長らく退職補償金の増額を求めて集会と交渉を続けていたが,政府側一方的支払阻止のため。 |
DIA-204-1975-08-20-5 | タイ | 1975年08月20日 | 1970年代 | クリット最高司令官代行談,三軍・幹部を集め情勢を検討し全軍人にデマに惑されぬよう伝えた。 |
DIA-204-1975-08-20-6 | タイ | 1975年08月20日 | 1970年代 | トンヨット商相,李先年副総理と会談―国交後初の訪中団で貿易交渉。タイ米20万トンと原油及びジーゼル油56万3366トンの交換協定成立。 |
DIA-204-1975-08-20-7 | タイ | 1975年08月20日 | 1970年代 | 繊維不況深刻―オップ商業会議所会頭談。政府が対策を急がなければ倒産も出る。原料在庫30億バーツ,製品在庫30億バーツであり,運転資金が不足している。サムペンの問屋街ではすでに8件倒産。 |
DIA-204-1975-08-21-1 | タイ | 1975年08月21日 | 1970年代 | ナワポン結成Ⅰ周年―民族,宗教,王制の擁護を主張する右翼団体で,結成以来58県で75万6733人の会員を獲得したという。 |
DIA-204-1975-08-21-2 | タイ | 1975年08月21日 | 1970年代 | ラムプーンのデモ終わる―内相一行はデモの代表と会見し,NSCT書記長,検察長官に対し法的措置を考慮する,全学生団体を登録制にする,警察官のスト参加者の処分はしないなど約束。 |
DIA-204-1975-08-22-1 | タイ | 1975年08月22日 | 1970年代 | 国防会議(国防相議長)は元帥の称号は,以後国王のみが保持すること,最高司令官と陸軍司令官は兼任できないことを決定。 |
DIA-204-1975-08-25-1 | タイ | 1975年08月25日 | 1970年代 | 日本大使館サラブリージュート工場の日本人経営者の保護と装置の保全要請。 |
DIA-204-1975-08-25-2 | タイ | 1975年08月25日 | 1970年代 | 土地無し農民調査結果発表―農相は土地改革プロジェクトのための調査が北・中部について完成したと発表。 |
DIA-204-1975-08-26-1 | タイ | 1975年08月26日 | 1970年代 | 国王5万ライ寄付―土地改革計画促進のため。首相は,富裕者が国王に続くことを期待すると語る。 |
DIA-204-1975-08-26-2 | タイ | 1975年08月26日 | 1970年代 | 反独裁戦線,クーデタ計画を調査するよう首相に求める―ある集団が国内を混乱に陥れ,独裁の復帰を計画している証拠があると首相に調査要望。25日クリット陸軍司令官は,クーデタのうわさがあるが部下は固く掌握しており,私の在任中はありえないと語る。 |
DIA-204-1975-08-28-1 | タイ | 1975年08月28日 | 1970年代 | サウェト駐ラオス大使ラオスへ―政府はラオス右派指導者6人の強制出国を決定。9月24日までに全員出国。 |
DIA-204-1975-09-01-1 | タイ | 1975年09月01日 | 1970年代 | 外相談―ラオス国境沿に居住している全ラオス右派指導者亡命者を他に移すことを決定した。 |
DIA-204-1975-09-02-1 | タイ | 1975年09月02日 | 1970年代 | 閣議治安維持法案承認―同法案は①公務員に職務を放棄させるようにパニックを起こした場合,②国民が,国家防衛,納税,投票などの義務を行なうことを拒否するようなパニックを起した場合,③公有財産を破壊するよう国民を扇動あるいは説得した場合,④国会あるいは内閣に変更をもたらすため,または国民経済を破壊するため暴力を用いることを扇動した場合を犯罪構成要件として,死者が出た場合には最高死刑の刑を定めている。同法案は,国家安全保障会議が起草し,成立すれば1952年の反共法及びその改正法令は廃止される。一方,タイ社会党,社会主義戦線,新勢力党,NSCT,労組,記者協会などの言論機関は,同法は刑法と競合すること,国民の基本権に抵触すること,政府に反対党弾圧のため使われる危険があることなど理由に反対。 |
DIA-204-1975-09-02-2 | タイ | 1975年09月02日 | 1970年代 | 閣議公務員停年65歳に延長案差戻す―ティナコン議員らは,クリット最高司令官など軍上層の在職期間延長をねらい提出。 |
DIA-204-1975-09-03-1 | タイ | 1975年09月03日 | 1970年代 | アナン・イエンサリ会談―アナン国連大使はイエンサリ・カンボジア副首相と国連で会談。両国の公式の対話は初めて。 |
DIA-204-1975-09-03-2 | タイ | 1975年09月03日 | 1970年代 | 外相談,中国とのバランス上グロムイコソ連外相に文化協定締結のため訪タイを招待した(協定案は2日の閣議で承認)。 |
DIA-204-1975-09-05-1 | タイ | 1975年09月05日 | 1970年代 | 内務次官談―反共法令が廃止されれば,国法の範囲内での共産主義者の活動は許される。 |
DIA-204-1975-09-05-2 | タイ | 1975年09月05日 | 1970年代 | 米穀取引規制布告,商相談―国内での売買価格の統制,米取引規制区の設定を行ない,輸出会社については,必要な要件や必要備蓄量を発表。 |
DIA-204-1975-09-06-1 | タイ | 1975年09月06日 | 1970年代 | ビエンチャンで反タイ集会―2000人のラオス,ベトナム人が参加しタイの二面政策を厳しく非難。早期の在タイラオス右派の出国を要求。 |
DIA-204-1975-09-08-1 | タイ | 1975年09月08日 | 1970年代 | 首相談―治安維持法案は未だ初期の段階であり修正の余地がある(これは各方面の反対に譲歩したもの)。 |
DIA-204-1975-09-09-1 | タイ | 1975年09月09日 | 1970年代 | 公務員規制法施行―同法は閣僚が特別官の公務員(局長,知事)以外の人事に介入できないようにし,各省次官に人事権を与えている。また,職階制をタイ官僚制度上初めて広範に導入した。同法はサンヤー時代に国会を通過。 |
DIA-204-1975-09-09-2 | タイ | 1975年09月09日 | 1970年代 | 閣議,ツースク警察中将を総監に昇進させること決定。警察出身の総監はポット現総監に次ぎ2人目。 |
DIA-204-1975-09-09-3 | タイ | 1975年09月09日 | 1970年代 | 失業率―ポン労働局次長発表,バンコクの失業約7万人(就業人口100万人)。全国の都市部失業者20万人。大学卒業生の30%は失業。 |
DIA-204-1975-09-10-1 | タイ | 1975年09月10日 | 1970年代 | 郵便電報局職員ストライキ―同職員2000人は,同局を省の一局から国営企業に昇格させる電気通信法案の早急な国会上程を要求。12日法案第一読会通過。 |
DIA-204-1975-09-12-1 | タイ | 1975年09月12日 | 1970年代 | 内務省公衆福祉局スト―局長など2名が汚職容疑で異動されたので。首相に2名の復職や次官に強い権限を与えた職階制廃止を要求。 |
DIA-204-1975-09-15-1 | タイ | 1975年09月15日 | 1970年代 | ASEAN首脳会議準備第1回会議シンガポールで開く。 |
DIA-204-1975-09-15-2 | タイ | 1975年09月15日 | 1970年代 | 鉄鋼在庫増―オップ商業会議所会頭談。生産の半分が在庫につながる。生産能力は50万トン,国内需要30万トン。生産の5分の2の輸出許可と,外国からの輸入禁止を政府に求める。 |
DIA-204-1975-09-16-1 | タイ | 1975年09月16日 | 1970年代 | タイ共産党分裂か?―国内治安活動司令部(ISOC)が首相にした報告によると農村活動に力点をおく従来の親中国タイ共産党から,都市ゲリラを主張する親ソ連派が分裂したという。 |
DIA-204-1975-09-16-2 | タイ | 1975年09月16日 | 1970年代 | 政府,国家貿易法廃止―ソ連から社会主義国を差別するものと抗議され,ソ連へ廃止の意を伝える。 |
DIA-204-1975-09-16-3 | タイ | 1975年09月16日 | 1970年代 | 外相談―北ベトナム訪問は,北ベトナムが現在のような非難を続けている限りありえない。 |
DIA-204-1975-09-16-4 | タイ | 1975年09月16日 | 1970年代 | 閣議帰化要件を簡略化―従来の在タイ期間の制限をなくした。政治犯罪者でないこと,月収2000バーツ以上の定収があることは必要。 |
DIA-204-1975-09-17-1 | タイ | 1975年09月17日 | 1970年代 | 政党連合,新公務員規制法反対を決議。 |
DIA-204-1975-09-17-2 | タイ | 1975年09月17日 | 1970年代 | タマサート大学,FIST,農民連盟事務局を大学外に移すよう指示。 |
DIA-204-1975-09-18-1 | タイ | 1975年09月18日 | 1970年代 | NSCT,農民連盟に8万8057バーツ寄付。サワイ副書記長談,農民指導者暗殺の犯人逮捕を一月以内にやるという期限は切れたが,何も政府はやってない。政府は農民の窮状を無規すべきでない。 |
DIA-204-1975-09-19-1 | タイ | 1975年09月19日 | 1970年代 | 首都内の21バス会社スト―政府のバス会社統合案(出資比率,政府51%,民間49%)に反対し,国営企業化を要求して。20日政府,待遇改善約して終束。 |
DIA-204-1975-09-19-2 | タイ | 1975年09月19日 | 1970年代 | 国会地方行政法で熱論―同法案は,村長,部落長公選を初めて導入。この日で国会閉会。 |
DIA-204-1975-09-20-1 | タイ | 1975年09月20日 | 1970年代 | ブンロート副内相談―警察局内で縁故関係が重要な役割を果しているという長期にわたる批判を打破するため委員会を設置する。 |
DIA-204-1975-09-20-2 | タイ | 1975年09月20日 | 1970年代 | プラシット社会国家党首も内閣改造支持。 |
DIA-204-1975-09-26-1 | タイ | 1975年09月26日 | 1970年代 | タイ医師団北ベトナム訪問―北ベトナム医療協会の招待により,ウドムタイ医療協会長,カセー新勢力党総裁など5人は北ベトナムを初めて公式訪問。 |
DIA-204-1975-09-26-2 | タイ | 1975年09月26日 | 1970年代 | 与党首脳内閣改造を協議―首相は副首相,外相,農相,国会議長などと会見。農相は,社会農業党も与党に加えた内閣改造提案。また農相は,クリット現最高司令官を国防相にするべきだとして,プラマン国防相と対立。 |
DIA-204-1975-09-26-3 | タイ | 1975年09月26日 | 1970年代 | 陸軍トップ人事決まる―首相,国防相,クリット最高司令官代行,新陸軍司令官の協議により。従来最高司令官提出の人事案には変更が加えられない慣行だったが国防相が一部手直ししたために波乱が生じていた。 最高司令官 Sangad Chalawyoo海軍大将 副最高司令官 Kamol Dejatungka空軍司令官兼任 最高司令官補 Kriangsak Chammanand陸軍大将 陸軍司令官 Boonchai Bumrungpongse将軍 海軍からの最高司令官ははじめて。 クリット現最高司令官代行兼陸軍司令官は,国内治安活動司令部顧問に。 |
DIA-204-1975-09-27-1 | タイ | 1975年09月27日 | 1970年代 | 首相談―予算成立まで内閣改造をやらない。 |
DIA-204-1975-09-27-2 | タイ | 1975年09月27日 | 1970年代 | パンガー県で知事の留任を求める6000人デモ。 |
DIA-204-1975-09-28-1 | タイ | 1975年09月28日 | 1970年代 | 社会正義党首10月2日までに改造を要求―これが容れられない場合は政党連合から脱すると説明。但し同党内には異見も強い。 |
DIA-204-1975-09-28-2 | タイ | 1975年09月28日 | 1970年代 | 民間投資の動向―中央銀行発表。工業省は1~7月で2801工場を認可(前年同期2798件)。7月までの投資総額は46億3900万バーツ(前年同期80億5400万バーツ)。1~8月の投資委員会への申請は60件,登録資本金33億1600万バーツ(前年同期140件)。32件,5億5000万バーツを認可(114件,44億2300万バーツ)。25件,3億7500万バーツが操業開始(61件,14億6800万バーツ)。 |
DIA-204-1975-09-30-1 | タイ | 1975年09月30日 | 1970年代 | 閣議で首相中途退場―タウィット農相とプラマーン国防相の確執を話し合う予定は中止。首相は気分不快により退場,これに続き両相も退場。 |
DIA-204-1975-09-30-2 | タイ | 1975年09月30日 | 1970年代 | ビザ事務を善処するためのタスクフォース設置―閣議で外国投資・技術協力促進のためビザの期限延長を簡略化するために設置。 |
DIA-204-1975-09-30-3 | タイ | 1975年09月30日 | 1970年代 | 1975年度国民所得―国民所得は1565億7000万バーツ。対前年度80億7500万バーツ,5.4%増。成長率は3.8%で,農業部門4.2%,非農業部門5.9%。国民支出は政府部門6.1%,民間部門6.0%増と推定(74年度は1129億バーツ,1160億バーツ)。政府サービス支出は11.1%増(74年度は255億バーツ)。 |
DIA-204-1975-10-01-1 | タイ | 1975年10月01日 | 1970年代 | 中華総商会初めて国慶節を祝う―華僑1万人が参加。首相も祝言(代読)。 |
DIA-204-1975-10-01-2 | タイ | 1975年10月01日 | 1970年代 | ブンチャイ新陸軍司令官談―私は政治家が軍のことに千渉することを認めない。軍は民選による政府のみを支持する。私がこのポストにいる限り,軍が政治的圧力を加えることを認めない。 |
DIA-204-1975-10-01-3 | タイ | 1975年10月01日 | 1970年代 | 農相,6日までに内閣改造を要求―この要求が受け入れられない時は,予算案は通過させないと言明。また同相は,民主党幹部と会合し新しい連立政権の可能性を協議。一方政党連合への参加を求められていた社会農業党は不参加と決定。 |
DIA-204-1975-10-01-4 | タイ | 1975年10月01日 | 1970年代 | 新勢力党,総選挙を求める―先月30日の民主党の選挙希望表明につづいて。 |
DIA-204-1975-10-01-5 | タイ | 1975年10月01日 | 1970年代 | 農業融資実績―1~6月の市中銀行直接融資8億1220万バーツ(昨年は1年間で4億9100万バーツ),農業・協同組合銀行直接融資21億7300万バーツ(1~7月),同間接融資9億7900万バーツ。 |
DIA-204-1975-10-03-1 | タイ | 1975年10月03日 | 1970年代 | カンボジアに復興援助の申し出―外務省情報局長によると,タイは米・砂糖,石油などを友好価格で売る用意のあることを伝えたが,未だ返事はきていないという。 |
DIA-204-1975-10-04-1 | タイ | 1975年10月04日 | 1970年代 | 外相訪日―出発に当って会見,「宮沢外相と経済問題,東南アジア地域の問題,難民問題を話し合い,難民問題に対する日本の援助に感謝を表する。また経済人に会って,タイ産品の輸入促進を求めたい。最も重要なことは,経済関係のより対等を求めることだ。米国との関係では,米に対タイ援助の型の変更を求める。即ちタイ自立を促進する援助を求めたい。センイ輸出枠の増大を求めていたが,米国は同意した。これは,米軍撤退がタイ―米経済関係に影響ないことを示している。」(7日まで在日)。 |
DIA-204-1975-10-04-2 | タイ | 1975年10月04日 | 1970年代 | タノム・プラパート・ナロンの犯罪調査委設置―国防相によれば,国防省内に置かれ委員長はカモン副国防相。10月14日が近づき,NSCTがこれ以上の委員会設置引延しに抗議する動きが出てきたため。 |
DIA-204-1975-10-04-3 | タイ | 1975年10月04日 | 1970年代 | タイ・マレーシア共同共産ゲリラ掃討作戦開始―ヤラー県ベトン郡一帯で。7日には,ゲリラキャンプを攻撃するが成果なし。8日夜第2キャンプ攻撃。 |
DIA-204-1975-10-06-1 | タイ | 1975年10月06日 | 1970年代 | 下院で予算案審議の第2読会始まる―国内治安司令部費に対し,野党から強い反発。首相は,共産ゲリラ対策として最良のものは経済開発であると発言し,同予算の厳正な支出を約す。8日には軍の機密費について論議。9日は無料バス予算をめぐって与党内からも恩恵が一部の都会人であるとして反対が出て,かろうじて通過。10日は,タンボン開発計画費について,これをめぐる汚職問題論議。 |
DIA-204-1975-10-06-2 | タイ | 1975年10月06日 | 1970年代 | 対米繊維輸出割当―タイ―米繊維交渉の結果,3年間で2億1600万m2。初年度7200万m2のうち生地1400万m2,既製服5800万m2。76年1月より適用。これまでは73年の5700万m2が最高の輸出量,従来は綿製品のみが規制対象であったが,76年からはすべての繊維製品を対象。 |
DIA-204-1975-10-06-3 | タイ | 1975年10月06日 | 1970年代 | ナムグムからの電力供給保証―ラオスとの協議で,ナムグムからの電力供給継続が保証された。新料金は1.05セント。12日から適用する。 |
DIA-204-1975-10-08-1 | タイ | 1975年10月08日 | 1970年代 | 海軍パテトラオ軍と交戦―メコン河パトロール中に砲撃を受けて。双方死傷者なし。 |
DIA-204-1975-10-10-1 | タイ | 1975年10月10日 | 1970年代 | 下院第3読会で予算案通過。 |
DIA-204-1975-10-10-2 | タイ | 1975年10月10日 | 1970年代 | 紙の輸入税率引下げ措置廃止―国内産業保護のため,3日にさかのぼって,税率を正常レートに戻す。 |
DIA-204-1975-10-12-1 | タイ | 1975年10月12日 | 1970年代 | ラオス,タイを非難―独立30周年記念式典で,タイ政府は反動派を支持し,対ラオス政策を変えてないと非難。 |
DIA-204-1975-10-12-2 | タイ | 1975年10月12日 | 1970年代 | ラムパーン県で暴動―メー・リァング錫鉱山の汚水が農地に被害を与えていると農民と同鉱山職員衝突。 10数名死亡。17日内務省同鉱山の許可取消。既に9月22日2000人の武装した農民に,チェンマイ大生も参加して当局に抗議し道路を閉鎖。 |
DIA-204-1975-10-13-1 | タイ | 1975年10月13日 | 1970年代 | 投資奨励策―投資委員会発表。(1)工業地区内への工場設立企業は10年間税制優遇―①所得税算出にあたって,電力,運送,水道料を控除,②工場施設建設費として純益の25%を控除。(2)当該製品の最初の生産者であるときはさらに,③5年間,原材料の輸入税,営業税50%減税,④同製品販売についての営業税を5年間,最高90%減税,⑤5年間,所得税を最高50%減税,以上を未操業企業に適用,新規企業には①②⑤を適用。 |
DIA-204-1975-10-14-1 | タイ | 1975年10月14日 | 1970年代 | 閣議,タイ―米調整委員会の解消承認―国防省が「情勢の変化」のために提案したもの。 |
DIA-204-1975-10-14-2 | タイ | 1975年10月14日 | 1970年代 | 外相談―米大使は,タイが軍需工業を興すのに協力すると語った。 |
DIA-204-1975-10-14-3 | タイ | 1975年10月14日 | 1970年代 | 10月政変記念日―NSCTを中心とする学生,市民など1万人は,死者記念碑建立予定地まで行進。 |
DIA-204-1975-10-14-4 | タイ | 1975年10月14日 | 1970年代 | パッタニー独立への戦闘を宣言―パッタニー解放戦線司令官ポ・イェは南タイ3県での回教徒虐待を非難,パッタニー共和国建設のためのゲリラ戦争を宣言した。兵士は現在1万人以上。リビアからの援助は否定したが,将来はありうると述べた。 |
DIA-204-1975-10-15-1 | タイ | 1975年10月15日 | 1970年代 | 地域別1人当り国民所得―1974年,全国平均5718バーツ,中部1万0379バーツ(前年比2149バーツ増),南部5454バーツ(1111バーツ増),北部3939バーツ(915バーツ増),東北部2587バーツ(444バーツ増)。また農業部門は1人当り3115バーツ,非農業部門は6314バーツ。 |
DIA-204-1975-10-16-1 | タイ | 1975年10月16日 | 1970年代 | ゲイラー米太平洋軍司令官訪タイ―アジア諸国訪問の一環として,外相と会談。また外相は,タイ軍事当局と,どの程度ウタパオ基地に米軍施設を残留させるかで協議。 |
DIA-204-1975-10-16-2 | タイ | 1975年10月16日 | 1970年代 | カセー新勢力党首,訪北ベトナム後談―両国間の正常化の唯一の障害は,航空機問題だ。タイの発展が今と同じペースなら,ベトナムに遅れをとろう。タイは全体の発展のためにぜい沢な生活をやめるべきだ。 |
DIA-204-1975-10-17-1 | タイ | 1975年10月17日 | 1970年代 | 海軍,隣国への武器密輸中止を求める―海軍は,タイからの武器の密輸がタイの安全を破壊するものになるとして,これを従来する漁民に中止を強く求め,またタイが窮地に陥った場合,タイが隣国に援助したようには,隣国は援助しないと発表。この声明は,海軍当局が出した久々の政治的声明。 |
DIA-204-1975-10-17-2 | タイ | 1975年10月17日 | 1970年代 | 軍内部で造反か―「三軍兵士団」名の声明が各新聞社に郵送される。政府,議会,軍上層部を批判し,月給300バーツ増等7項目を要求,23日にラーマ5世像の前で集会を開くとしている。ウイトゥーン参謀長補佐は,これは軍を分裂させようとする外部の人間の仕業であると述べた。 |
DIA-204-1975-10-17-3 | タイ | 1975年10月17日 | 1970年代 | Dow Chemical社進出―同社の子会社Pacific Plastic Company(Thailand)がポリスティレン工場を建設,資本金2億4000万バーツ,78年から操業予定,年産1万5000トン。 |
DIA-204-1975-10-18-1 | タイ | 1975年10月18日 | 1970年代 | メオ・ヤオ族のラオスからの流入急増―この45日間に1万3000人増え,現在21収容所に6万8000人が収容されている。 |
DIA-204-1975-10-18-2 | タイ | 1975年10月18日 | 1970年代 | 内相,訪マレーシア―南部回教分離運動鎮圧協力要請のため。 |
DIA-204-1975-10-20-1 | タイ | 1975年10月20日 | 1970年代 | 呂子波中国臨時代理大使着任―1000人余の僑胞が迎える。呂大使談「第一の仕事は大使館を設けることだ。両国の国交は両国人民が求めたものだ。今後両国の友好は新段階に入る。」 |
DIA-204-1975-10-20-2 | タイ | 1975年10月20日 | 1970年代 | 北朝鮮貿易使節団訪タイ―北朝鮮側は尿素肥料,鉄鋼を輸出し,タイの麻袋,生地,ゴムの輸入を希望。 |
DIA-204-1975-10-21-1 | タイ | 1975年10月21日 | 1970年代 | 外務省・ラオスを批判―両国の直面しているメコン河での衝突,難民問題は,タイ側だけでは解決できないとして,ラオス側の態度を批判。 |
DIA-204-1975-10-21-2 | タイ | 1975年10月21日 | 1970年代 | 呂子波臨時代理大使外相と会見―呂大使は,両国関係の重要性を説くとともに,近々柴沢民大使が赴任することを伝え,大使館設置問題を協議。この後中華総商会黄主席と同じく大使館設置問題を話し合う。 |
DIA-204-1975-10-21-3 | タイ | 1975年10月21日 | 1970年代 | 投資環境改善案―首相談。投資法を改正して技術者の入国人数制限を改善する。利益送金法をタイに有利となるように改正する。 |
DIA-204-1975-10-22-1 | タイ | 1975年10月22日 | 1970年代 | 予算案上院通過―タンボン開発,無料バス,無料医療予算をめぐって議論活発。これに対し首相は,伝統的な右翼的政策下では国家は維持できない,中道的社会主義政策をとる時だ,共産主義に対し,国家・宗教・王制を守るという名の下に,軍のグループが国政を握ることは無駄だ,却って軍政によって,上記の制度は破壊されると発言。 |
DIA-204-1975-10-23-1 | タイ | 1975年10月23日 | 1970年代 | 政党連合内閣改造を決議―週毎の定期大会で首相に早期の改造を求める決議。首相は次の国会が開かれる月初までに改造することを示唆。 |
DIA-204-1975-10-23-2 | タイ | 1975年10月23日 | 1970年代 | 外国投資奨励委員会―外相を議長。ビザ発給および再入国手続きについて改善することで合意。 |
DIA-204-1975-10-24-1 | タイ | 1975年10月24日 | 1970年代 | 地方行政法上院で否決―下院を151―1で通過した同法案は,上院で38―19で否決。上院での反対者の多くは退役軍人・官僚で,現職の村長,部落長からは選挙について強い反対が上っていた。一方下院は同法は草の根民主主義のため必要なもので,非選出の状態では共産主義の浸透を助けると同法成立を強く支持していた。これに対し上院の多数は,共産主義者が同選挙を利用して浸透すると反対。29日内相も選挙による共産主義者の浸透を防止できないと反対表明。 |
DIA-204-1975-10-25-1 | タイ | 1975年10月25日 | 1970年代 | 政府,ラオスの航空機返還交渉団の来タイを断る―ラオスは6月に右派がタイに持込んだ18機の返還を求めている。タイはこれは米―ラオス間の問題としている。 |
DIA-204-1975-10-25-2 | タイ | 1975年10月25日 | 1970年代 | 外務省,北京・ワルシャワに大使館開設の予定と発表。 |
DIA-204-1975-10-25-3 | タイ | 1975年10月25日 | 1970年代 | 社会農業党首談―首相から要請があれば,与党(政党連合)に参加する用意がある。 |
DIA-204-1975-10-27-1 | タイ | 1975年10月27日 | 1970年代 | 社会党・社会主義戦線代表団訪中―団長カイセーン社会党副党首以下18人は,全国人民代表大会常務委員会の招待で。帰路に北ベトナム,ラオスを訪問。 |
DIA-204-1975-10-27-2 | タイ | 1975年10月27日 | 1970年代 | 75年度借入金実績―当初予算80億バーツ,実績61億1000万バーツ(国債40億,大蔵省債券20億,政府保証債1億1000万)。 |
DIA-204-1975-10-28-1 | タイ | 1975年10月28日 | 1970年代 | カンボジア代表団訪タイ―イエン・サリ副首相をはじめ8人の代表団5日間の公式訪問。会談後タイ外相声明「両国は外交政策について意見を交換し,以下の3党の共通点を見出した。両国は,善隣外交が最重要であることに同意した。カンボジア側は,その非同盟政策を強調し,タイ側はその立場に近づきつつあることを語った。難民問題については,できるだけ早く送還することに同意した」。またこの会談でタイ外相は,タイ国はカンボジアの経済・貿易の発展のため極力援助することを申し出た。 |
DIA-204-1975-10-28-2 | タイ | 1975年10月28日 | 1970年代 | 閣議で,ソ連のオイルシェィル開発の専問家を派遣するという申出を受けること。ビルマとの国境委員会は今までの軍部当局に替り外務省が受け持つこと。ASEAN事務局を昇格して,局にすること。南タイ3県1227村電化計画のためクウェートから6000万ドルの借款をうけることなどを承認。 |
DIA-204-1975-10-28-3 | タイ | 1975年10月28日 | 1970年代 | パテト・ラオ軍メコン河パトロール中のタイ海上警察に銃撃。またパテト・ラオ通信は,タイ機が領空内で偵察飛行あるいは挑発飛行をやっていると非難。 |
DIA-204-1975-10-29-1 | タイ | 1975年10月29日 | 1970年代 | タイ―カンボジア会談―会談後外相は,非常に友好的な雰囲気の中で,実際的交渉がなされたと語る。カンボジア側は両国の貿易の再開に興味をもっているようで,タイ・ペーン外務次官によると,既往は語らず現在,未来に渡る論議がなされた。但し難民問題では合意に達しなかったもよう。この席には,駐中国大使を予定されているカセム氏も出席して注目された。(カンボジア代表団中には,トクカンデーン駐中国大使も参加)両国の会談がうまくいっている原因の一つは,カンボジア側が解放時にタイに飛来した航空機を問題としてないこと。 |
DIA-204-1975-10-29-2 | タイ | 1975年10月29日 | 1970年代 | 中国語政策変更―政府は政治の不安定化を理由に中国語を選択課目から除いていたが,閣議で他の外国語と同等に扱うことを決定。但し小学1~4年まではタイ語以外の教育を禁じた。 |
DIA-204-1975-10-29-3 | タイ | 1975年10月29日 | 1970年代 | 石油節約―プラマーン(副首相)石油政策委員長発表。①官庁,公企業の石油消費10%削減,②公用車購入は高級幹部用1800cc以下,中堅幹部用1300cc以下,③日曜のガソリン販売禁止,平日は9~5時,④乗用車税率はエンジン・サイズを基準,⑤水力発電増加,⑥官庁,公企業の電力10%削減,⑦遊興施設の時間制限。 |
DIA-204-1975-10-30-1 | タイ | 1975年10月30日 | 1970年代 | 首相,イエン・サリ副首相と会見―この後昼食会での首相あいさつ「カンボジアのみならず,タイも含んだこの地域の国民の熱望が,この地域の変化の助けとなった。タイにおける変化は,国政への国民の参加となり,現政権は民主主義に基づくものである」。昼食会後首相談で,カンボジアへの援助の申出をしたが,カンボジア側はこれを断った。自力回復を考えているようだ。 |
DIA-204-1975-10-30-2 | タイ | 1975年10月30日 | 1970年代 | 全大学に政治課目を導入―文部省は,青年の政治教育のため師範学校・商業学校などに課程を置くことを決定。 |
DIA-204-1975-10-30-3 | タイ | 1975年10月30日 | 1970年代 | 中華総商会赴中華人民共和国工商訪問団一行訪中―黄作明会長を団長に,中国側の都合により82人の団員を2組に分けて訪中。訪中の目的は,両国人民の友誼の強化及び両国貿易の促進のため。 |
DIA-204-1975-10-31-1 | タイ | 1975年10月31日 | 1970年代 | カンボジアと共同コミュニケ調印―タイ外相談,ポイペトにタイの連絡事務所が開かれる。ここで両国は政治・経済問題を協議する。大使館は来年までに開かれよう。イエン・サリ談,タイ側は両国関係正常化に非常に熱心であるという印象をもった。カンボジアは両国の友好関係維持のため最大の努力を行なう。 |
DIA-204-1975-11-01-1 | タイ | 1975年11月01日 | 1970年代 | カンボジアとの関係成立について財界人の反応は,4月以来閉鎖された国境貿易が再び活発化しようと歓迎。タイの全国境貿易額は年間10億バーツ。 |
DIA-204-1975-11-02-1 | タイ | 1975年11月02日 | 1970年代 | 首相は大学研究者協会の定期会合で,アメリカはタイを守ることに利益がなくなると何も援助を与えなく尽るだろう。政府はすべての世論に耳を傾けるわけではない,決定が圧力団体に左右されれば政府を弱くするだけだなど発言。 |
DIA-204-1975-11-03-1 | タイ | 1975年11月03日 | 1970年代 | 国家安全保障会議,政策ガイドラインを提示―76年~80年に実行すべき14項目を提示し閣議での検討求める。①政府は国民との関係を深め政治の安定を図ること。特に法の厳格な適用を図ること,②政府機構の効率化を図り,国民に民主主義的生活を奨励すること。国民イデオロギー形成に努めること,③汚職防止,④イデオロギーに拘らずすべての国家との友好,特に近隣諸国との友好,⑤外部からの脅威に対処できるようマンパワーの開発。テロリスト弾圧に最重点をかけること。⑥地域格差を是正しながら国民所得の増大をはかること,⑦財政及び物価の安定,⑧タイ人が国民経済の中でより活発な役割を担うよう奨励,⑨ナショナリズム,道徳,勇気,犠牲などに重点を置いた大規模教育により国民の質的改善を行なうこと,⑩自給可能なように資源の開発,⑪科学研究の奨励など。 |
DIA-204-1975-11-03-2 | タイ | 1975年11月03日 | 1970年代 | 登録労組数―労働局の報告書による,72年に9労組,73年13,74年23,75年53が登録して現在98労組がある。 |
DIA-204-1975-11-05-1 | タイ | 1975年11月05日 | 1970年代 | 国防相,士官学校での演説―タイは史上例のない危険な状態にあり脅威が真近に迫っている。自由の乱用,衆愚政,扇動も重大な脅威の一部である。 |
DIA-204-1975-11-07-1 | タイ | 1975年11月07日 | 1970年代 | 下院,地方行政法を再可決―1000人余の村長,部落長が同法廃止を要求して国会で集会。首相は彼らの任期(5年)が終わるまで選挙をしないと約束。民主党も首相の約束を支持。民主党が公然と政府を支持したのは初めて。 |
DIA-204-1975-11-07-2 | タイ | 1975年11月07日 | 1970年代 | 県行政の再組織勧告―地方行政局内の委員会(局長=委員長)は県行政に経済社会開発行政も新たに加えるべきこと,中央政府からの統制を緩め県の行政権を強めるべきこと,事務の簡素化を図ることなど勧告。 |
DIA-204-1975-11-07-3 | タイ | 1975年11月07日 | 1970年代 | 輸出米備蓄率引下げ―米輸出の際の国内備蓄米率を,輸出と同量から,その2分の1に引下げた。同時に5%,10%米の買上げ価格を1袋各250バーツ,240バーツから,275バーツ,265バーツに引上げ。 |
DIA-204-1975-11-09-1 | タイ | 1975年11月09日 | 1970年代 | 民主党大会―セーニー総裁再任。副総裁はタマヌーン,ピチャイ,チュワン,スリンの4氏で,前2者は保守派,後2者は中道左派。また21人の中央委員会も選出。党員1万人以上が参加。セニ総裁演説,サイゴン,プノンペン体制崩壊後,我国は独力で防衛するため効果的方法を作り出さねばならない。隣国との関係は我国の友好的態度に拘らず依然問題あるが,外交により結着をつけるべきだ。治安を乱している数グループがあるが,近い将来我々は衆愚政でなく民主的方法により権利実現の方法を学ばねばならない。 |
DIA-204-1975-11-11-1 | タイ | 1975年11月11日 | 1970年代 | 村長,部落長,首相私邸にデモ―内相は,任期が切れるまで選挙をしないよう国会で法改正をやると説明。しかし村長,部落長400余人は5年間は選挙をしないこと,給与引上,年金,医僚・子弟授業科の無料化など要求。 |
DIA-204-1975-11-11-2 | タイ | 1975年11月11日 | 1970年代 | 外相,米大使と米軍撤退を協議―現在1万6000人米軍人が駐留しているが,来3月20日までの撤退について話し合う。また顧問団は現在500人の半分になるもよう。 |
DIA-204-1975-11-11-3 | タイ | 1975年11月11日 | 1970年代 | 石油価格値上げ要求―Summit社(パナマ籍)は,政府が石油価格を20日までに値上げしなければ工場を閉鎖する,1965年以降の追加投資額12億バーツを返還してくれれば,政府に譲ると発表。現在1日150万バーツの赤字(日産6万バーレル)。 |
DIA-204-1975-11-13-1 | タイ | 1975年11月13日 | 1970年代 | ストの国鉄職員,列車をバリケードで停める。14日武装警官がバリケードを排除。 |
DIA-204-1975-11-14-1 | タイ | 1975年11月14日 | 1970年代 | 米軍撤退―12月31日迄に兵士5000人,F4E,F4D戦闘機計70機を撤退。ウドン基地は76年1月31日迄に閉鎖。9月3日に合意した3000人の撤退と,10月末のナコンパノム基地閉鎖は完了。 |
DIA-204-1975-11-14-2 | タイ | 1975年11月14日 | 1970年代 | 砂糖価格決定―蔵相(砂糖政策委員長)発表。工場出荷価格キロ当り5バーツ(従来4バーツ),小売り価格5.5バーツ(4.5バーツ)。 |
DIA-204-1975-11-15-1 | タイ | 1975年11月15日 | 1970年代 | アジア学生連合大会チェンマイで―9ヵ国から参加。NSCT書記長談,主題は第3世界における学生指導者の役割である。またいかに各国の学生が協力できるかも話し合う。 |
DIA-204-1975-11-17-1 | タイ | 1975年11月17日 | 1970年代 | タイ海軍パテトラオと交戦―午後1時頃ノーンカーイ県ターボー郡のメコン河をパトロール中の海軍艇はパテトラオ軍に砲撃され,ドーンノーイ村前方のドーンテーン島付近の砂州に乗上げ死者1人,負傷3人。死者及び艇はそのまま残される。タイ海軍河川パトロール隊長によると,パテト・ラオはソ連製の戦車,銃砲を使いタイ側に優っているという。 |
DIA-204-1975-11-17-2 | タイ | 1975年11月17日 | 1970年代 | チャーチャーイ・イエンサリ国境会談―ポイペットをタイ代表団は訪問し,貿易問題を話し合う。また両国の連絡委員会も設置さる。 |
DIA-204-1975-11-17-3 | タイ | 1975年11月17日 | 1970年代 | カイセーン社会党副党首談―中国に続き北ベトナムを7日間訪問しファム・バン・ドン首相と会見した。ファム首相はククリット首相に,北ベトナムは外交関係樹立を求めていること,これにより,貿易・文化等の交流を深める意思のあることを伝えた。グエン・ズイ・チン外相は,南ベトナム機問題について交渉に入る意思があると語った。 |
DIA-204-1975-11-17-4 | タイ | 1975年11月17日 | 1970年代 | NSCT,タイ労働組合連絡会など石油価格値上に反対―Summit社が政府に求めている価格値上に反対し,同会社の国営化を求める。タイ労働組合連絡会下の46労組NSCT,反独裁戦線などが集会。 |
DIA-204-1975-11-18-1 | タイ | 1975年11月18日 | 1970年代 | 交戦続く―死体奪還作戦中のタイ軍はパテトラオの砲撃を受け,1人負傷。政府はノーンカーイ県のメコン河封鎖及びサウェト駐ラオス大使の召喚を決定。最高司令部は,ターボー郡付近の増強とドーンテーン島はタイ領であるとして,死体及びパトロール船の奪還を司令。 |
DIA-204-1975-11-18-2 | タイ | 1975年11月18日 | 1970年代 | ラオスタイ政府に抗議―数隻のタイ艇が最初に砲撃し,更に軍を増強している。この事件の責任はすべてタイにある。 |
DIA-204-1975-11-19-1 | タイ | 1975年11月19日 | 1970年代 | 政府ラオスに抗議―ラオス大使に①タイパトロール船に対する攻撃は遺憾である。②ラオスがタイ船が先に砲撃したと抗議したのは事実に反する,③違法入国,物資・武器の密輸,タイに混乱を持込む人物の入国防止のためパトロールは必要である,④タイはラオスの攻撃を非友好的行為と考える。しかしタイは両国の平和共存を求めており,問題解決のため高いレベルの会談を求めるとの内容の覚書を渡す。 |
DIA-204-1975-11-19-2 | タイ | 1975年11月19日 | 1970年代 | 外相談―突然ラオスがタイからの援助にも拘らず侵略的になったのは,背後に第3国がラオス国民を変えようとしているからだろう。タイはラオスの立場を理解しており,外交により紛争を片づける。 |
DIA-204-1975-11-20-1 | タイ | 1975年11月20日 | 1970年代 | ハノイ放送,タイを非難―タイ反動派は直ちにラオスに対する軍事的冒険と干渉やめ,ラオスの主権を尊重すべきだ。タイはその行為の結果に対し,すべての責任を負わねばならない。 |
DIA-204-1975-11-21-1 | タイ | 1975年11月21日 | 1970年代 | 政府,ラオスに再び覚書―ラオスとの国境を決めたタイ―仏条約のうち,ラオスは1893年の条約をとっているのか,1926年の条約に立っているのか明確な回答を求め,ドーンテーン島,ドーンタム島はタイ領であると主張。 |
DIA-204-1975-11-21-2 | タイ | 1975年11月21日 | 1970年代 | ラオス話合い拒否―サウェト駐ラオス大使はラオスに戻り,プーン外相に国境紛争についての話合いを求めるが拒否さる。 |
DIA-204-1975-11-21-3 | タイ | 1975年11月21日 | 1970年代 | 職業学校生3000人ラオス大使館に抗議―「赤い野牛」,「タイ国家護持」などの右翼団体も参加。ラオスはタイの援助に感謝すべきこと,ラオスは両国の良好関係を破壊しようとするベトナムなどに牛耳られるべきでないことなど要求。更に22日には1500人がソ連,ラオス大使館へ抗議デモ。 |
DIA-204-1975-11-21-4 | タイ | 1975年11月21日 | 1970年代 | NSCT記者会見―政府に慎重な考慮を求めたい。軍のラジオは国民にラオス敵視をうったえているが,これは良い方法ではない。また社会主義戦線,タイ社会党はパトロール船奪還作戦の強行に反対。 |
DIA-204-1975-11-22-1 | タイ | 1975年11月22日 | 1970年代 | 外相ソ連大使と会談―外相はメコン河紛争について説明し,大国は中立であるべきだと語る。 |
DIA-204-1975-11-23-1 | タイ | 1975年11月23日 | 1970年代 | 国防相,パトロール船の奪還を指令―ターボー郡を視察した国防相は,奪還中パテトラオの攻撃があれば反撃するよう指令。遺体は19日に発見され,その後も連日,パトロール船の奪還作業が続けられてきた。両軍の交戦は17,18日のあとは休止。 |
DIA-204-1975-11-24-1 | タイ | 1975年11月24日 | 1970年代 | ターボー郡,シーチェンマイ郡で反ベトナム住民暴動―ベトナム人の商店,民家が略奪さる。これはベトナム人がパテト・ラオのスパイをしているとの疑いが理由。ターボー郡には3500人のベトナム人が在住と推定。26日北ベトナム政府タイを非難。 |
DIA-204-1975-11-25-1 | タイ | 1975年11月25日 | 1970年代 | 政府,首相官邸前で座り込みを続けるタイ基地ガード数百人を治安妨害として逮捕。彼らは5ヵ月半同所で政府に抗議。 |
DIA-204-1975-11-26-1 | タイ | 1975年11月26日 | 1970年代 | チャーチャーイ・キッシンジャー会談―12月5日の発表によると外相は訪米し,タイ政府―アメリカ間武器製造合併企業をつくること,米軍の引上げなど合意。国務長官は,米国はタイを見捨てることはないと語ったという。 |
DIA-204-1975-11-26-2 | タイ | 1975年11月26日 | 1970年代 | タイ―カンボジア連絡事務所開かる。 |
DIA-204-1975-11-26-3 | タイ | 1975年11月26日 | 1970年代 | ラオスからの難民依然続く―プラコプ副内相によると現在5万0821人のラオス難民がおり,この一週間にも381人の難民が主にメコン河を泳いでタイ側に移った。理由は,再教育拒否や食糧事情悪化のため。 |
DIA-204-1975-11-27-1 | タイ | 1975年11月27日 | 1970年代 | 農民連盟役員改選―委員長チャムラット・ムワンヤー(ラヨーン県),書記長プムサン・パコン(スパンブリー県),副委員長は6人。 |
DIA-204-1975-11-27-2 | タイ | 1975年11月27日 | 1970年代 | 反ベトナム人暴動続く―ノーンカーイ県に夜間外出禁止令。 |
DIA-204-1975-11-30-1 | タイ | 1975年11月30日 | 1970年代 | パトロール船回収―パテト・ラオの攻撃なし。 |
DIA-204-1975-11-30-2 | タイ | 1975年11月30日 | 1970年代 | 商務省の奢侈品輸入規制委員会発足。 |
DIA-204-1975-12-02-1 | タイ | 1975年12月02日 | 1970年代 | 農業裁判所法案起草完成―法相談,次の国会に提出する。また現在,7移動裁判所があるが,76年度予算でこれを23に増加する。 |
DIA-204-1975-12-02-2 | タイ | 1975年12月02日 | 1970年代 | 地方警察本部4分割―能率化のため従来のバンコク本部に加え,北・東北,南本部設置。 |
DIA-204-1975-12-02-3 | タイ | 1975年12月02日 | 1970年代 | 農民援助で価格政策米価値上げ―ククリット首相は農民援助策の中で,従来の価格支持策に代る価格保証政策を導入し,米と砂糖について76年1月から実施すると発表した。米価は精米所の籾買付価格を政府が決定し,精米小売価格も上限を設定する。砂糖については工場出荷価格をkg当り5バーツ,小売価格を5.5バーツとし,輸出用砂糖については100kgについて92バーツの補助金を砂糖工場に対して出す(砂糖は12月22日から値上げ)。 |
DIA-204-1975-12-03-1 | タイ | 1975年12月03日 | 1970年代 | タイ―韓国共同コミュニケ発表―アジア諸国の地域協力のための場の設定を提唱。 |
DIA-204-1975-12-03-2 | タイ | 1975年12月03日 | 1970年代 | 米の保証価格―5%白米用籾米2500バーツ/トンを基準として各等級の保証価格を決定。また白米小売価格も5%白米をkg65~75バーツに設定。1月1日から実施。 |
DIA-204-1975-12-04-1 | タイ | 1975年12月04日 | 1970年代 | 対ラオス政策不変―首相は,東北タイの海軍パトロール,黒タイ難民キャンプを視察後,1日にラオス人民民主共和国が成立したが,これはタイの対ラオス政策を変えるものでないし,ラオス王制の廃止もタイ王制に影響を与えるものでないと語る。5日外相,無条件承認の方針と語る。 |
DIA-204-1975-12-04-2 | タイ | 1975年12月04日 | 1970年代 | ラオス人民民主共和国成立の反響―セーニー民主党首「両国の関係は―層難しくなろう。腐敗と不況が共産化の2大要因である」。カセー新勢力党首「ラオス政変は,タイ国民統一のためのよい教訓だ。」 |
DIA-204-1975-12-04-3 | タイ | 1975年12月04日 | 1970年代 | テムコ問題再燃―政府の沖合鉱業機構が3日に,TEMCO社から取り上げたパンガー沖合の鉱業採掘権を,ビリントン社(TEMCO社大株主)他2社に与えたことに対し,タイ資源保護戦線は非難声明を発表。反独裁者戦線や全国学生センターも抗議行動に動く。 |
DIA-204-1975-12-04-4 | タイ | 1975年12月04日 | 1970年代 | 米プレミアム再引下げ―白米100%はトン当り1000バーツ,5%は800バーツ,10%,15%,20%は700バーツ,25%,35%,45%は500バーツ,玄米100%,5%は700バーツ,砕米特A1は500バーツ。 |
DIA-204-1975-12-06-1 | タイ | 1975年12月06日 | 1970年代 | ラオス,タイとの正常化希望公式表明。 |
DIA-204-1975-12-08-1 | タイ | 1975年12月08日 | 1970年代 | 中華人民共和国貿易代表団来タイ。 |
DIA-204-1975-12-08-2 | タイ | 1975年12月08日 | 1970年代 | 総理府,労使紛争に第三者の介入禁止の警告―労働争議を投資の減少,失業者増大など経済の停滞の一因であるとして。 |
DIA-204-1975-12-11-1 | タイ | 1975年12月11日 | 1970年代 | 海兵隊の南部住民5人刺殺抗議集会始まる―パッターニー県庁前で数千人の回教徒は,人民保護グループに組織され,軍隊の南部からの撤退・犯人逮捕,首相の直接の回答など要求。この事件は11月29日同県サーイブリー郡で起り,生残った少年の証言で明らかになったもの。13日夜には,この集会で爆弾事件があり13人死亡。 |
DIA-204-1975-12-11-2 | タイ | 1975年12月11日 | 1970年代 | 新カンボジアに塩輸出―アランヤプラテートでタイ商人は,10月以後クメールルージュが未納の掛金返済要求のため一時塩輸送列車を停める。 |
DIA-204-1975-12-11-3 | タイ | 1975年12月11日 | 1970年代 | 米大使,タイ米関係は良好と演説―「状況に合せて戦闘部隊は引き上げているが,タイ米間の政治・経済・軍事関係はきわめて良好であり,今後も続く。」 |
DIA-204-1975-12-11-4 | タイ | 1975年12月11日 | 1970年代 | 国境警察,クメールルージュと交戦―プラーチンブリー県タープラヤー郡の国境で。警察官など数名行方不明。15日ポイペットの連絡事務所で停戦成立。但し両国とも交戦地は自国領内と主張。 |
DIA-204-1975-12-12-1 | タイ | 1975年12月12日 | 1970年代 | タイ・ラオス新政権承認―外相は両国の対話の必要を強調。駐ラオス大使は,外相親書をラオス副首相に手交。 |
DIA-204-1975-12-12-2 | タイ | 1975年12月12日 | 1970年代 | スファヌボン国家首席,タイ大使と会見―首席はラオス―タイ間の血縁を強調し,両国の紛争は小さな問題で解決は簡単と語る。 |
DIA-204-1975-12-12-3 | タイ | 1975年12月12日 | 1970年代 | タイ中貿易交渉―中国側はメイズ15万トン買付に合意。 |
DIA-204-1975-12-14-1 | タイ | 1975年12月14日 | 1970年代 | 国王,タイへの直接侵略を警告―危険が直前に迫っており,国家の主権と自由が最優先であると放送。 |
DIA-204-1975-12-15-1 | タイ | 1975年12月15日 | 1970年代 | 政府,南部3県からの軍隊引上げ拒否―民主党も政府支持。 |
DIA-204-1975-12-15-2 | タイ | 1975年12月15日 | 1970年代 | タイ―インドネシア海軍共同演習。6日間。 |
DIA-204-1975-12-16-1 | タイ | 1975年12月16日 | 1970年代 | 与党内の不満高まる―23人の首相顧問団全員辞任の動き,理由は首相が顧問団の意見をとり入れないこと。また政党連合の45人からなる政策委員会でも首相が同委員会を一回も開かず,与党の意向を無視していると不満高まる。 |
DIA-204-1975-12-17-1 | タイ | 1975年12月17日 | 1970年代 | 野党政府不信任の動き―カイセーンタイ社会党副総裁談,政府は国民への社会的経済的福祉政策に失敗したので不信任のための国会一般討議を求める。 |
DIA-204-1975-12-17-2 | タイ | 1975年12月17日 | 1970年代 | 米,砂糖の買占売惜み一斉摘発―1月からの値上げ予定で品不足が著しいため。政府倉庫機構には輸出業者が備蓄米を送ってこないため,小売業者への販売米が無くなる。 |
DIA-204-1975-12-17-3 | タイ | 1975年12月17日 | 1970年代 | 教育改革の実施状況―文部相によると地域に応じた教科書の作成が進められ,既に南部,北部のものは完成。また校外の職業教育に力を入れている。 |
DIA-204-1975-12-18-1 | タイ | 1975年12月18日 | 1970年代 | 内相と南部回教指導者の話合い失敗――南部3県の回教指導は首相との直接交渉を求める。パッターニーのモスクでは連日3000人余の回教徒が集会。 |
DIA-204-1975-12-18-2 | タイ | 1975年12月18日 | 1970年代 | 福祉政策の実施状況―内務省社会開発課報告書によると,10月から始った無料医療,バス利用のため社会福祉カードを受け取った低所得者(月収1000バーツ以下)はバンコクで有資格者の10%余の10万2000人,この政策が実施された12県では4.2%と低調。原因は宣伝不足,及び住民届が当局に登録されていないこと。 |
DIA-204-1975-12-18-3 | タイ | 1975年12月18日 | 1970年代 | カンボジア・ラオス共同コミユニケ,タイ米軍基地を非難―タイ内に米軍基地,及びカンボジア・ラオスの反逆者の存在は,両国の安全平和への脅威である。 |
DIA-204-1975-12-19-1 | タイ | 1975年12月19日 | 1970年代 | 最後の米軍戦闘機引上げ―現在残存しているのは45軍用機のみ。 |
DIA-204-1975-12-19-2 | タイ | 1975年12月19日 | 1970年代 | 回教徒最後通牒―刺殺・爆弾事件の死亡者18人に対する保障,南部3県からの政府軍引き上げ要求について48時間内の回答及び首相が22日午後5時までに来南することを要求。 |
DIA-204-1975-12-21-1 | タイ | 1975年12月21日 | 1970年代 | タイ労働組合連絡会(FLUT)新役員選出―会長パイサーン・タワットチャイナン(再任)副会長アーリー・タウィーポーク,アーロム・ポンパガン。 |
DIA-204-1975-12-21-2 | タイ | 1975年12月21日 | 1970年代 | バンコクでも回教徒抗議―タイ回教センターで。 |
DIA-204-1975-12-21-3 | タイ | 1975年12月21日 | 1970年代 | 軍放送局タイ共産化の危機と放送―全軍兵士に対し,現在の状況は共産主義者の転覆活動の最終段階にあると警告。また9月15日にタイ共産党幹部トン・ジェームマニーが多数の兵士と会談し,軍内部の分裂をはかっていると報道。 |
DIA-204-1975-12-22-1 | タイ | 1975年12月22日 | 1970年代 | 首相,来南を拒否―前例になるのを避けるため,また政府軍の駐留は必要と強調。パッターニーモスクでは,5万人の回教徒が首相の人形を焼き抗議。 |
DIA-204-1975-12-22-2 | タイ | 1975年12月22日 | 1970年代 | タイ労働組合連絡会,政府の砂糖,米値上に反対―25日までに満足できる回答がない場合大規模の抗議を予定。 |
DIA-204-1975-12-23-1 | タイ | 1975年12月23日 | 1970年代 | 閣議低所得者に価格据置で米の販売を決定―閣議は商務省の砂糖・米の値上を承認するとともに,低所得者(月収1500バーツ以下)には特別価格で米の販売をすることを決める。 |
DIA-204-1975-12-24-1 | タイ | 1975年12月24日 | 1970年代 | 上院でも反政府の動き―50人余の上院議員は政府の経済政策について協議。米価格保証などについて強い不満がでる。 |
DIA-204-1975-12-24-2 | タイ | 1975年12月24日 | 1970年代 | 民主党中央委員会,内閣不信任のため国会開会要求を決定。政府の米・砂糖値上政策を第一の失政と指摘。 |
DIA-204-1975-12-26-1 | タイ | 1975年12月26日 | 1970年代 | タイ労働組合連絡会1月2日からゼネストと決定―62労組代表中51代表支持。27日の声明「米・砂糖の値上を阻止するまで,市民,警察,兵士,公務員,学生,農民のストを呼びかける。また農民に対する米価保証を支持する。しかしこの米価保証は,仲買人,一部政治家を利しているだけである」。 |
DIA-204-1975-12-28-1 | タイ | 1975年12月28日 | 1970年代 | 教育無料化政策実施できず―文相談,義務教育を受け持つ内務省と文部省との調整がうまくいかず,予算もついていない。 |
DIA-204-1975-12-29-1 | タイ | 1975年12月29日 | 1970年代 | タイ―ラオス国境再開を決定―国家安全保障会議は1月よりの再開を決定。11月19日以来43日ぶり。 |
DIA-204-1975-12-29-2 | タイ | 1975年12月29日 | 1970年代 | 社会主義戦線も内閣不信任を決議。 |
DIA-204-1975-12-30-1 | タイ | 1975年12月30日 | 1970年代 | 社会農業党の一部与党に参加か?―与党連合の会合に同党の4議員も出席。首相は,同党も加えて新しく内閣改造をやると語る。 |
DIA-204-1975-12-30-2 | タイ | 1975年12月30日 | 1970年代 | 米価値上15日延期―政府は値上時期を1月15日からとし,特別販売価格対象者を月収2000バーツ以下の者にまで広げることで,労組側にスト回避を呼びかけたが,組合側は拒否。 |
DIA-204-1976-01-01-1 | タイ | 1976年01月01日 | 1970年代 | ククリット首相米価値上げ理由説明―籾米生産原価,農家収入,低所得者対策を含めて値上理由説明(アジア動向年報1976年版参照)。 |
DIA-204-1976-01-02-1 | タイ | 1976年01月02日 | 1970年代 | 労働者が米価値上抗議スト―20万人参加。内務省は労働者に職場復帰するようアピールし,違法ストであり,命令に従わなければ逮捕すると警告。 |
DIA-204-1976-01-03-1 | タイ | 1976年01月03日 | 1970年代 | 野党党首会談―セーニー民主党総裁が主催。政府不信任案の提出を準備する。この会合に与党の社会正義党と社会国家党の幹部も出席。 |
DIA-204-1976-01-04-1 | タイ | 1976年01月04日 | 1970年代 | ナワポン,議会解散を要求―ナワポン指導者のワッタナー氏らはプラマーン副首相に,議会の解散と改革議会の設置等事実上の軍政復帰要求を行なった。 |
DIA-204-1976-01-05-1 | タイ | 1976年01月05日 | 1970年代 | 米価値上抗議集会―1万人参加。内閣は備蓄米がなくなるまで現行価格で売ることを提案したが,労組側は全面撤回を要求して拒否。野党は政府不信任案を検討,この会合には与党の社会国家党も参加。労働者の抗議スト参加は70組合に増加。 |
DIA-204-1976-01-06-1 | タイ | 1976年01月06日 | 1970年代 | 米価値上撤回―政府は小売価格を現行据置,籾米価格保証は2500バーツ/トンにすると発表。新価格については労働者,農民,学生,政府代表各5人より成る委員会で検討する。 |
DIA-204-1976-01-08-1 | タイ | 1976年01月08日 | 1970年代 | 第2次ククリット内閣成立―社会農業党も政権に参加。閣僚は以下の通り。 首相 ククリット・プラモート(行) 副首相1 プラマーン・アディレークサーン(国) 〃2 タウィット・クリンプラトゥム(正) 〃3 ブンテーン・トーンサワット(行) 国防相 プラマーン・アディレークサーン(国) 内相 ククリット・プラモート(行) 副内相 プラコープ・プラユーンポーカラート(国) ブンルート・ルートプリーチャー(正) 通信相 シリ・シリヨーティン(国) 副通信相 プラトゥアン・ロムヤーノン(国) 法相 ブンテーン・トーンサワット(行) 文相 プラチュム・ラッタナピアン(正) 副文相 パンチャ・ケーソントーン(農) スワンナ・タンカンヤー(正) 外相 チャートチャ-イ・チュンハワン(国) 副文相 プラトゥアン・カムプラコープ(農) 蔵相 ブンチュー・ローチャナサティエン(行) 副蔵相 プラパッタポン・ウェーチャーチーワ(タイ) 厚相 サワット・カムプラコープ(農) 副厚相 アナン・チャーイセーン(平) 商相 トーンヨット・チットウィーラ(正) 副商相 チャイシリ・ルアンカーンチャナセーン(人) タネードン・イアサクン(社国) |
DIA-204-1976-01-09-1 | タイ | 1976年01月09日 | 1970年代 | 新内閣動揺―アナン副厚相が改造人事に不満を表明して辞任。 |
DIA-204-1976-01-10-1 | タイ | 1976年01月10日 | 1970年代 | 三軍の意見書―プラマーン国防相がククリット首相に手交。新内閣が不信任となれば,社会主義政党を含む連立政権が確実であり,これを阻む対策として国会の解散を要求。 |
DIA-204-1976-01-10-2 | タイ | 1976年01月10日 | 1970年代 | 与党連合分裂一少数政党の17人が与党連合から離脱。また社会正義党も10人以上が政府不信任にまわるため,現状では政府不信任案可決の公算大となる。 |
DIA-204-1976-01-12-1 | タイ | 1976年01月12日 | 1970年代 | 国会解散―ククリット首相は政権が不安定なことを理由として国会を抜打解散。 |
DIA-204-1976-01-15-1 | タイ | 1976年01月15日 | 1970年代 | 社農党サウェート派,民主党と合同―社会農業党党首サウェートら9人が民主党に入党。 |
DIA-204-1976-01-16-1 | タイ | 1976年01月16日 | 1970年代 | 下院議長が倒閣運動―サワット社会農業党副党首によると,倒閣運動の中心人物は与党のプラシット下院議長で,アナン副厚相も加わっていた。 |
DIA-204-1976-01-19-1 | タイ | 1976年01月19日 | 1970年代 | リークアンユー・シンガポール首相訪タイ。 |
DIA-204-1976-01-19-2 | タイ | 1976年01月19日 | 1970年代 | ビルマ国境で戦闘―カーンチャナブリー県サンカラブリー郡で国境警察と共産ゲリラが戦闘,警察側は2人死亡,3人負傷。 |
DIA-204-1976-01-21-1 | タイ | 1976年01月21日 | 1970年代 | 米プレミアム引下げ―22日から発効。白米100%,5%は700バーツ/トン,10%,15%,20%は500バーツ,25%,35%,45%は400バーツ,玄米100%,5%は450バーツ,10%,15%,25%は400バーツ,蒸米100%,5%は400バーツ等に変更。 |
DIA-204-1976-01-22-1 | タイ | 1976年01月22日 | 1970年代 | 社会正義党分裂―ブンルート前幹事長ら離党。 |
DIA-204-1976-01-23-1 | タイ | 1976年01月23日 | 1970年代 | パッタニー間題解決―政府と住民代表で合意成立。犠牲者への見舞金,海兵隊の移駐,南部4県対策,ナラーティワート事件の究明等。 |
DIA-204-1976-01-24-1 | タイ | 1976年01月24日 | 1970年代 | スリランカ首相訪タイ。 |
DIA-204-1976-01-24-2 | タイ | 1976年01月24日 | 1970年代 | 砂糖プレミアム改訂―トン当りの価格6000バーツ以上の砂糖は,6000バーツをこえた額について100%のプレミアムを課す。 |
DIA-204-1976-01-26-1 | タイ | 1976年01月26日 | 1970年代 | 初代中国大使柴沢民氏着任。 |
DIA-204-1976-01-26-2 | タイ | 1976年01月26日 | 1970年代 | 選挙協力―社会行動党とタイ国民党が候補者調整で合意した。 |
DIA-204-1976-01-28-1 | タイ | 1976年01月28日 | 1970年代 | ラオスへ抗議文―メコン河でラオス側が発砲してナコンパノムの漁民を死傷させた事件で,バンコクを訪問したタウ・ウン・ファン副外相に抗議文手交。 |
DIA-204-1976-01-29-1 | タイ | 1976年01月29日 | 1970年代 | 原子力発電検討委員会設置。 |
DIA-204-1976-02-01-1 | タイ | 1976年02月01日 | 1970年代 | ラオス国境で銃撃戦―1月31日と2月1日の2日間,ビエンチャン近くのメコン河でタイ人とラオス兵が銃撃戦。タイ人5人が死亡,4人がラオス兵に逮捕さる。ラオス側も3人死亡。 |
DIA-204-1976-02-03-1 | タイ | 1976年02月03日 | 1970年代 | 米輸出国営化検討―政府は輸出業者が籾米価格保証政策に協力しなければ,国営企業の倉庫機構に輸出業務を行なわせると発表。 |
DIA-204-1976-02-09-1 | タイ | 1976年02月09日 | 1970年代 | 総選挙立候補受付開始―政党数は現在53党。 |
DIA-204-1976-02-11-1 | タイ | 1976年02月11日 | 1970年代 | 石油対策―石油政策委員会は国営石油機構を設置し,経営危機のSummit社の代りに精油所経営を準備することを承認。また石油価格は据置とし,赤字経営の石油会社には1億バーツを援助(2月1日より)する。 |
DIA-204-1976-02-13-1 | タイ | 1976年02月13日 | 1970年代 | タウィット副首相らを解任―ククリット首相は11日付で,タウィット副首相兼農相,ブンソン副農相,アナン副厚相の3人を解任。籾米価格保証をめぐる意見の相違を一方的に公表したのと,政策に非協力の態度をとっていることが理由。 |
DIA-204-1976-02-15-1 | タイ | 1976年02月15日 | 1970年代 | 新勢力党本部爆破さる―「赤い野牛」グループの4人が乱入,爆破した。乱入者の1人死亡。 |
DIA-204-1976-02-17-1 | タイ | 1976年02月17日 | 1970年代 | サミット社精油所の国営移管を閣議決定。 |
DIA-204-1976-02-19-1 | タイ | 1976年02月19日 | 1970年代 | 学生センター執行委員暗殺―アマレート執行委員がナコンラーチャーシーマーで殺さる。 |
DIA-204-1976-02-19-2 | タイ | 1976年02月19日 | 1970年代 | 官憲の弾圧に抗議―スラータニーで官憲の弾圧に抗議し,軍隊の移駐を要求して集会。 |
DIA-204-1976-02-22-1 | タイ | 1976年02月22日 | 1970年代 | 石油値上げ―卸売価格を3サタン/l値上げ。小売価格は据置き。 |
DIA-204-1976-02-25-1 | タイ | 1976年02月25日 | 1970年代 | 軍将校を緊急招集―24日18時から25日6時まで,三軍高官を国内治安維持司令部に緊急招集した。プラマーン国防相,ブンチャイ陸軍司令官は,これは単なる訓練であると言明。 |
DIA-204-1976-02-26-1 | タイ | 1976年02月26日 | 1970年代 | ブンチャイ陸軍司令官談―クーデターを考えるグループもいるが,他の軍高官から,現在は適切でないと言われて中止している。今クーデターが起れば流血の事態となる。クーデターを起そうとする者がいれば私が規制する。 |
DIA-204-1976-02-28-1 | タイ | 1976年02月28日 | 1970年代 | 社党書記長暗殺さる―ブンサノン社会党書記長は帰宅途中,自宅近くの国道上で2発の銃弾を受け,暗殺された。 |
DIA-204-1976-03-01-1 | タイ | 1976年03月01日 | 1970年代 | ブンサノン社党書記長葬儀―追悼集会には約7000人参加。ククリット首相は,政治的暗殺と地下闘争が増えると民主主義制度を弱めることになると警告。 |
DIA-204-1976-03-03-1 | タイ | 1976年03月03日 | 1970年代 | ラ-マ6世技術学校爆破―学生等5人死亡,犯人は右翼。なお王宮前広場では社会党主催のブンサノン追悼集会が開かれ,3万人が参加した。チラユット・ブンミーは「森に入り,武器をとって闘え」と演説。 |
DIA-204-1976-03-04-1 | タイ | 1976年03月04日 | 1970年代 | クーデターを警告―全国学生センターやタマサート大学生自治会は,クーデターの可能性があり,それに反対する準備を進めるよう声明。 |
DIA-204-1976-03-06-1 | タイ | 1976年03月06日 | 1970年代 | 国内治安維持司令部が左派攻撃―ウイラット社会党書記長代行は,国内治安維持司令部の役人教育用テープを公開した。その内容は,ブンサノンら社会党幹部,チラユットやセークサーンら元学生運動指導者,タートプーミら労働運動指導者,また大学教授ら多数の実名をあげて危険人物として攻撃している。なお社会党総会で議会闘争継続を決議。 |
DIA-204-1976-03-07-1 | タイ | 1976年03月07日 | 1970年代 | 米軍撤退問題―米大使館,全国学生センターの質問状に返書。ラーマスーンとコカー基地はタイ政府と交渉中,ドーイ・インタノンは建設が終れば米軍は撤退,軍事顧問人数はタイ政府と交渉,近隣諸国への干渉には関心ない,タイへの内政不干渉を約束。 |
DIA-204-1976-03-10-1 | タイ | 1976年03月10日 | 1970年代 | 米軍一部残留か―ククリット首相は,通信・レーダー計画の技術習得に時間がかかるので,その間は米軍(約4000人)に残ってもらう,特権は与えないと語った。他方スチャート元職業学生センター書記長は,米軍基地追放は共産主義に奉仕するものだと全国学生センターを非難,15日から21日までラーヂャダムヌーン通りや王宮前広場を実力で閉鎖すると語った。 |
DIA-204-1976-03-10-2 | タイ | 1976年03月10日 | 1970年代 | 28県の戒厳令延長―1年間。 |
DIA-204-1976-03-11-1 | タイ | 1976年03月11日 | 1970年代 | 職業学生の道路占拠禁止―ククリット首相,シースック警察局長は,職業学生の道路占拠を禁止し,警察が通行の自由を保証すると発表。なおククリット首相は20日前後の情勢を検討するため緊急国防会議を召集。 |
DIA-204-1976-03-12-1 | タイ | 1976年03月12日 | 1970年代 | スト労働者逮捕命令―ブンルート副内相は,ストライキ,工場占拠中の2杜の労働者逮捕を命令。 |
DIA-204-1976-03-13-1 | タイ | 1976年03月13日 | 1970年代 | 米軍撤退要求集会―全国学生センターの呼びかけで52団体,100人が参加。同日,全国学生センターと反独裁戦線の代表10人がククリット首相と会談。 |
DIA-204-1976-03-14-1 | タイ | 1976年03月14日 | 1970年代 | 米軍撤退に左右の動き―全国学生センター,反独裁戦線,労働者協力センター,農民連盟4団体が「クーデター反対,米軍撤退」の声明発表。学生センターと職業学生センターの会談で,双方暴力を使わないことを確認。赤い野牛グループがおしかけて,会談を妨害しようとした。 |
DIA-204-1976-03-15-1 | タイ | 1976年03月15日 | 1970年代 | 米軍撤退交渉―チャーチャーイ外相とホワイトハウス大使が会談。米軍反対集会が開かれ,1万人が参加。他方サガット国軍司令官は,学生は共産主義者の罠にかからぬよう警告。 |
DIA-204-1976-03-18-1 | タイ | 1976年03月18日 | 1970年代 | 米軍撤退期限に備え厳戒体制―サガット国軍司令官は午前中三軍首脳を緊急召集,午後全面厳戒体制を指示(バンコクのみ)。他方学生,教授,労働組合,政党等36団体がクーデター反対,米国の内政干渉に抗議する声明発表。 |
DIA-204-1976-03-20-1 | タイ | 1976年03月20日 | 1970年代 | 米軍撤退は4ヵ月後―政府は米軍撤退期限を7月20日までに延期することを決定。ホワイトハウス大使はできるだけ早く撤退すると述べた。王宮前広場で開かれていた米軍撤退要求集会に爆弾が投げこまれ,2人が負傷。 |
DIA-204-1976-03-21-1 | タイ | 1976年03月21日 | 1970年代 | 米軍追放集会―1万人が参加。デモ行進中に爆弾が投げこまれ,4人死亡,73人以上負傷。ククリット首相は緊急閣議召集(軍,警察高官も列席),非常事態宣言を検討したが,出す必要なしと判断。 |
DIA-204-1976-03-24-1 | タイ | 1976年03月24日 | 1970年代 | 新勢力党演説会場に爆弾―チャィナート県。9人死亡,12人負傷。新勢力党幹部には脅迫状がきている。 |
DIA-204-1976-03-26-1 | タイ | 1976年03月26日 | 1970年代 | 国防支出増額要求―サガット司令官は米軍撤退後の国防力増強のため,100億バーツの予算を要求。ククリット首相は選挙後実行することを約束。 |
DIA-204-1976-03-26-2 | タイ | 1976年03月26日 | 1970年代 | 選挙活動の時間制限―シースック警察局長は,今後も爆弾事件が予想されるため,選挙運動を午後6時で打ちきり,6時をすぎる場合は警察に連絡するよう勧告。 |
DIA-204-1976-03-26-3 | タイ | 1976年03月26日 | 1970年代 | 立候補者2人狙撃さる―チャンタブリー県でタイ国民党,ピチット県で駐党の候補者が狙撃され,民主党のユット候補は死亡。 |
DIA-204-1976-03-29-1 | タイ | 1976年03月29日 | 1970年代 | タノムら無罪―プラマーン副首相は調査委員会の結論として,73年10月のタノム元首相ら3人の行動について無罪であると語った。 |
DIA-204-1976-03-30-1 | タイ | 1976年03月30日 | 1970年代 | 反共法違反で逮捕―サムットサーコン県で,労働者5人,大学生4人を逮捕(4人の学生は労働組合の顧問)。 |
DIA-204-1976-03-31-1 | タイ | 1976年03月31日 | 1970年代 | プラマーン副首相,発言を否定―「タノムら3人が無罪とは言っていない。」 |
DIA-204-1976-04-02-1 | タイ | 1976年04月02日 | 1970年代 | 副文相銃撃さる―パンチャ副文相がペッチャブーン県の宿舎で銃撃されて重傷。チュムポン副警察局長が現地に急行。 |
DIA-204-1976-04-04-1 | タイ | 1976年04月04日 | 1970年代 | ククリット首相落選―総選挙の結果は,新勢力党や社会党が大幅に後退し,保守の圧勝となったが,ククリット首相をはじめ現職閣僚10人が落選。第1党の民主党はタイ国民党,社会正義党,社会国家党との連立政権を組むと表明。選挙結果は以下の通り。民主党114,タイ国民党56,社会行動党45,社会正義党28,社会農業党9,社会国家党8,新勢力党,人民勢力党各3,地方開発,社会党各2,タイ擁護,民主主義,社会主義連合,タイ社会,民主正義,社会進歩,労働,新シャム,民主主義連合各1。合計19党。女性議員は7人。 |
DIA-204-1976-04-09-1 | タイ | 1976年04月09日 | 1970年代 | 財界代表団訪中―バンチャート工業協会長ら,22人が中国訪問。広東,北京,上海,漢口をまわって,22日に帰国する。 |
DIA-204-1976-04-12-1 | タイ | 1976年04月12日 | 1970年代 | 共産主義浸透地域追加―カムペーンペット,ローイエット,チャヤプーム,カーンチャナブリーの4県。合計で31県。 |
DIA-204-1976-04-14-1 | タイ | 1976年04月14日 | 1970年代 | 陸軍人事移動―チョート副司令官を軍総監察官に,チャラート司令官補佐を副司令官に任命。 |
DIA-204-1976-04-14-2 | タイ | 1976年04月14日 | 1970年代 | タイ国民党の政権参加理由-ーアヌワット国民党顧問は同党議員との会合で,①タイ国民党は野党ではいられない,②民主党政権は6ヵ月もたない,従って政権に参加して民主党の政策を知り,次のタイ国民党政権実現の方法を計画する,との理由をあげた。 |
DIA-204-1976-04-15-1 | タイ | 1976年04月15日 | 1970年代 | 軍人事で紛糾―チョート陸軍大将は辞表を提出,サガット国軍司令官,ブンチャイ陸軍司令官も,国軍や陸軍司令部との相談ぬきで行なわれた人事に不満を表明。軍部内でも意見が分裂。クリエンサック参謀総長補佐も辞表提出。 |
DIA-204-1976-04-21-1 | タイ | 1976年04月21日 | 1970年代 | セーニー内閣成立。 首相 セーニ・プラモート(民) 副首相1 プラマーン・アディレークサーン(国) 2 サウェ-ト・ピアムポンサーン(民) 3 タウィー・チュラサップ(正) 国防 正 クリット・シーワラー元陸軍大将 副 タウィット・セーニーウォン(民) 内務正 セーニー・プラモート(民) 副 クントーン・プーピウドゥアン(民) 〃 サマック・スントラウェート(民) 〃 ソムブン・シリトン(民) 〃 チューサガー・ルッティプラサート(国) 外務 正 ピチャイ・ラッタクン(民) 副 レック・ナーナー(民) 農業 正 プラマーン・アディレークサーン(国) 副 カイソン・タンティポン(民) 〃 アヌワット・ワッタナポンシリ(国) 工業 正 チャートチャーイ・チュンハワン(国) 副 ペーン・シリウェーパン(民) 〃 バンハーン・シラプアーチャー(国) 大蔵 正 サウェート・ピアムポンサーン(民) 副 ティンコン・パンクラウィー(国) 商務 正 ダムロン・ラッタピパット(民) 副 クラーイ・ラオーンマニー(民) 通信 正 タウィット・クリンプラトウム(正) 副 ブンカート・ヒランカム(民) 〃 プラチュム・ラッタナピア |
DIA-204-1976-04-23-1 | タイ | 1976年04月23日 | 1970年代 | クリット国防相急死―心臓発作のため。 |
DIA-204-1976-04-25-1 | タイ | 1976年04月25日 | 1970年代 | 軍内部でスーム参謀長批判ビラがまかれる。 |
DIA-204-1976-04-28-1 | タイ | 1976年04月28日 | 1970年代 | 軍内部でタイ国民党非難のビラまかれる。 |
DIA-204-1976-04-30-1 | タイ | 1976年04月30日 | 1970年代 | セーニー内閣信任―賛成212 反対5 棄権10。社会行動党,社会農業党,新勢力党は質疑打切りを不満として退場。 |
DIA-204-1976-05-02-1 | タイ | 1976年05月02日 | 1970年代 | ヤラー県でマ軍撤退要求集会―マレー軍が共産ゲリラを越境追跡し,タイ人を逮捕したことに抗議し,ベトン駐留のマレーシア野戦警察軍の撤退を要求。事件は4月17日に起きた。 |
DIA-204-1976-05-04-1 | タイ | 1976年05月04日 | 1970年代 | マ軍撤退要求デモ―ヤラー県ベトン郡でタイ人1万人が,マレーシア野戦警察軍駐留に抗議してデモ,投石を行なつた。 |
DIA-204-1976-05-05-1 | タイ | 1976年05月05日 | 1970年代 | チャラート陸軍副司令官解任―タウィット国防相が発表。「時限爆弾を取り除く」と説明。 |
DIA-204-1976-05-06-1 | タイ | 1976年05月06日 | 1970年代 | 軍部大人事移動―チャラート副司令官は最高司令部付に,スーム参謀長は副司令官になり,またパイトゥーン中将(プラマーン副首相顧問)も最高司令部付に移された。 |
DIA-204-1976-05-06-2 | タイ | 1976年05月06日 | 1970年代 | マレーシアのラーマン元首相訪タイ。 |
DIA-204-1976-05-08-1 | タイ | 1976年05月08日 | 1970年代 | マレーシア警察の撤退要求―ピチャイ外相談。ベトンのマレーシア警察撤退を強く要求する。国境委員会は,マレーシアが国境協定改訂に応ずる態度を示さない限り開かない。改訂では密輸取締も含めることを要求。 |
DIA-204-1976-05-09-1 | タイ | 1976年05月09日 | 1970年代 | 学生をさらに逮捕―チェンマイ県で,国家の安全を脅やかしたとして,学生5人とラムプーンの農民連盟委員長を逮捕。全国学生センターは直ちに抗議。 |
DIA-204-1976-05-10-1 | タイ | 1976年05月10日 | 1970年代 | タイ・マレーシア外相会談―軍隊の相手国内駐留で意見が対立。月末にマレーシアで再協議する。 |
DIA-204-1976-05-14-1 | タイ | 1976年05月14日 | 1970年代 | 米軍撤退交渉再開―米側から新提案があった。ラーマスーン基地確保と,ウタパオ基地での燃料補給が主な内容。 |
DIA-204-1976-05-15-1 | タイ | 1976年05月15日 | 1970年代 | 共産ゲリラの攻撃―ナコンシータマラート県ターサーラー郡,郷土防衛隊員12人死亡,13人負傷。 |
DIA-204-1976-05-19-1 | タイ | 1976年05月19日 | 1970年代 | コカー基地をタイに引渡し―米軍スポークスマンは,コカー基地をタイに渡すと発表。設備の見積りは6500万バーツ相当。 |
DIA-204-1976-05-23-1 | タイ | 1976年05月23日 | 1970年代 | 米軍基地問題でセーニー首相アピール―米軍基地交渉への政府の態度に理解を呼びかける。ラーマスーン基地の維持をはかるが,米人技術要員に外交特権は与えないと言明。 |
DIA-204-1976-05-23-2 | タイ | 1976年05月23日 | 1970年代 | 72番目の県―チェンラーイ県の南部7郡を分割してパヤウ県とする。人口は41万人。面積7776k㎡。 |
DIA-204-1976-05-25-1 | タイ | 1976年05月25日 | 1970年代 | ピチャイ外相マレーシア訪問―国境協定改訂交渉に入る。 |
DIA-204-1976-05-25-2 | タイ | 1976年05月25日 | 1970年代 | 消費者米価―50バーツ/タンで引き続き売ることを決定。なお5%米の籾米保証価格を2100バーツ/トンに設定(ククリット内閣では2500バーツ)。 |
DIA-204-1976-05-26-1 | タイ | 1976年05月26日 | 1970年代 | バンコクの工場建設禁止解除―条件としては低公害産業であること等。 |
DIA-204-1976-05-26-2 | タイ | 1976年05月26日 | 1970年代 | 農民援助要求―チャムラット農民連盟委員長は,農民の負債救済や小作料等について,政府に10項目の要請を行なった。 |
DIA-204-1976-05-28-1 | タイ | 1976年05月28日 | 1970年代 | タイ武官補逮捕でラオスに抗議―政府はタイの武官補がスパイ容疑で逮捕されたこと(23日)に抗議し,ラオスに釈明を要求した。 |
DIA-204-1976-05-30-1 | タイ | 1976年05月30日 | 1970年代 | 労組団体名称変更―タイ労働組合連合(FLUT)を全国労働会議(NLC)に変更。 |
DIA-204-1976-06-01-1 | タイ | 1976年06月01日 | 1970年代 | ピチャイ外相演説―米軍は7月20日までに撤退する。ラーマスーン基地はタイ軍が管理する。幾つかの施設を残してもらうよう米軍と交渉中。タイ・米関係にヒビを入れることはない。 |
DIA-204-1976-06-01-2 | タイ | 1976年06月01日 | 1970年代 | 戒厳令4県に再施行―ローイエット,チャヤプーム,カーンチャナブリー,カムペーンペットの4県。4月5日にさかのぼって適用。 |
DIA-204-1976-06-02-1 | タイ | 1976年06月02日 | 1970年代 | ピチャイ外相,インドネシア,シンガポール訪問に出発。 |
DIA-204-1976-06-06-1 | タイ | 1976年06月06日 | 1970年代 | 国軍最高司令部声明―対米交渉に対する外君省の態度を非難。弾薬・機材の交渉不成立を懸念。 |
DIA-204-1976-06-06-2 | タイ | 1976年06月06日 | 1970年代 | マレーシア野戦警察軍撤退―タイ側は国境警察軍をベトン地区に増強。 |
DIA-204-1976-06-07-1 | タイ | 1976年06月07日 | 1970年代 | 対米交渉―セーニー首相,ホワイトハウス大使と会談。他方タウィット国防相は陸軍のブンチャイ司令官とスーム副司令官を呼び,対米交渉に軍が介入しないように要請した。 |
DIA-204-1976-06-07-2 | タイ | 1976年06月07日 | 1970年代 | 韓国外相訪タイ。 |
DIA-204-1976-06-10-1 | タイ | 1976年06月10日 | 1970年代 | タムボン計画存続―サウェート蔵相は,来年度はタムボン開発計画に20億バーツの予算を支出するが,金は県に渡して支途を監督すると語った。 |
DIA-204-1976-06-10-2 | タイ | 1976年06月10日 | 1970年代 | 学生センター機関紙印刷所爆破さる―右翼の犯行とみられる。以前に爆被の脅迫状が来ていた。機関紙アティパットの前編集長は暗殺されている。 |
DIA-204-1976-06-13-1 | タイ | 1976年06月13日 | 1970年代 | 下院外交委員会一行ラオス訪問。 |
DIA-204-1976-06-13-2 | タイ | 1976年06月13日 | 1970年代 | 軍の青年将校20人,セーニー首相と会談。 |
DIA-204-1976-06-14-1 | タイ | 1976年06月14日 | 1970年代 | 米価問題合意―政府,労働者,農民代表間で,25日から消費者米価を1タン当り62バーツとすることで合意した。低所得層向けは従来通り50バーツ。また籾米保証価格はトン当り2100バーツ。 |
DIA-204-1976-06-18-1 | タイ | 1976年06月18日 | 1970年代 | 対カンボジア外交関係再開―ピチャイ外相は16,17日にカンボジアを訪間,イエン・サリ副首相との会談で,完全な外交関係の再開を合意,また両国の貿易を再開することも決めた。 |
DIA-204-1976-06-18-2 | タイ | 1976年06月18日 | 1970年代 | スト中止命令―内務省は帝人ポリエステル社のストライキに対して,紡績産業,ひいてはタイ経済への影響が大であるとして中止命令を出し,21日までに職場復帰するよう命令した。 |
DIA-204-1976-06-19-1 | タイ | 1976年06月19日 | 1970年代 | スト指導者逮捕―スト中のNortheast Jute Mill(国営企業)の指導者9人を逮捕。 |
DIA-204-1976-06-20-1 | タイ | 1976年06月20日 | 1970年代 | 米軍撤退完了―ラーマスーンとウタパオ基地から全員撤退。現在はバンコクに550人を残すだけで,7月20日以降は270人に減少する。ラーマスーンの残余施設はタイに譲渡される。 |
DIA-204-1976-06-22-1 | タイ | 1976年06月22日 | 1970年代 | ピチャイ外相フィリピン訪問―引き続きマニラでのASEAN外相会議に出席する。 |
DIA-204-1976-06-24-1 | タイ | 1976年06月24日 | 1970年代 | 共産ゲリラと戦闘―ペッチャブーン県クロー山での戦闘は2週間続き,政府側死者8人,ゲリラ側死者34人に達した。ゲリラ兵力は約1000人で,大部分がメオ族である。 |
DIA-204-1976-06-27-1 | タイ | 1976年06月27日 | 1970年代 | 全国学生センター役員改選―書記長にチュラ・ロンコン大学のスタム・セーンブラトゥムを選出。書記次長はプラユーン・アッカラップウオン(ラームカムヘン大),チャトゥロン・プンヤラッタナスントン(同),スチラー・タンチャイナン(タマサート大,女性)。 |
DIA-204-1976-06-29-1 | タイ | 1976年06月29日 | 1970年代 | クロー山のゲリラ基地占領―ゲリラ側死者35人,政府軍死者27人,基地は宿舎11棟を持つ大規模な基地である。 |
DIA-204-1976-07-02-1 | タイ | 1976年07月02日 | 1970年代 | 米軍追放集会―クリエンカモン前学生センター書記長は,もう一度人民の集会に爆弾が投げこまれるようなら,私は森に入って武器をとって闘うと言明。赤い野牛や職業学生らが集会を妨害した。一方警察は高官会議で4日から20日まで警戒体制をとることを確認。 |
DIA-204-1976-07-04-1 | タイ | 1976年07月04日 | 1970年代 | 反米抗議集会―タマサート大で1万人が参加し,パイトゥーン外交委員会委員長がメッセージをよせた。 |
DIA-204-1976-07-06-1 | タイ | 1976年07月06日 | 1970年代 | 77年度予算原案閣議決定―総額は687.9億バーツ。前年度比9.8%増。収入予算および支出予算は以下の通り。単位100万バーツ。 |
DIA-204-1976-07-06-2 | タイ | 1976年07月06日 | 1970年代 | 軍放送局の改善申入れ―女性記者グループはセーニー首相に対し,政府の放送局は政府の方針に沿った放送をするよう申し入れた。特に機甲師団放送局は無責任な反共個人攻撃を繰り返している。 |
DIA-204-1976-07-08-1 | タイ | 1976年07月08日 | 1970年代 | 米機の給油立寄許可―ピチャイ外相は,20日以降,インド洋上のディエゴガルシアへ向う米軍機のタイ立寄り,給油を許可すると発表。 |
DIA-204-1976-07-14-1 | タイ | 1976年07月14日 | 1970年代 | 日タイ貿易委員会―政府間,於東京。~17日。 |
DIA-204-1976-07-15-1 | タイ | 1976年07月15日 | 1970年代 | 右派大学生組織―全国学生評議会を結成。15日に全国学生センター本部前にデモをかけた。 |
DIA-204-1976-07-16-1 | タイ | 1976年07月16日 | 1970年代 | 米軍撤退完了―タイ米共同声明発表。ラーマスーンの施設,1万5000トンの弾薬,ICSの機器については協議継続。ラーマスーンは6月20日,サタヒープは7月15日にタイ側に返還。MACTHAI司令部は7月20日に閉鎖する。30日以降残るのはJUSMAGの263人のみ。 |
DIA-204-1976-07-20-1 | タイ | 1976年07月20日 | 1970年代 | 米軍追放集会平穏に終る―全国学生センターはラームカムヘン大(8000人)とカセサート大(200人)に分散して集会。 |
DIA-204-1976-07-24-1 | タイ | 1976年07月24日 | 1970年代 | セーニー首相訪マーペナンでフセイン・オン・マレーシア首相と国境問題について会談(25日まで)。 |
DIA-204-1976-07-25-1 | タイ | 1976年07月25日 | 1970年代 | 警察がNSCT本部捜索―右派学生が「NSCT本部内に武器や違法文書がある」との訴えがあって捜索したが,何も発見できず。 |
DIA-204-1976-07-29-1 | タイ | 1976年07月29日 | 1970年代 | 汚職調査委員会選任否決さる―下院の採決で敗れる。賛成116,反対124,保留31。タウィット通信相,プラチュム同副相は反対,プラマーン副首相やプラシット法相は保留した。民主党内部で社会正義党への不満が強まり,一部議員は国会解散を要求。 |
DIA-204-1976-07-31-1 | タイ | 1976年07月31日 | 1970年代 | ピチャイ外相,ラオス・ベトナム訪問に出発。 |
DIA-204-1976-08-03-1 | タイ | 1976年08月03日 | 1970年代 | タイ・ラオス共同声明発表―国境の2~3ヵ所を再開。ラオスにいるタイ人囚人の釈放を含む両国関係の改善,平和共存と内政不干渉。国境問題での定期協議。メコン河を平和友好地帯と宣言する方向で努力する。 |
DIA-204-1976-08-06-1 | タイ | 1976年08月06日 | 1970年代 | タイ・ベトナム共同声明―第一声明では①独立と領土保全尊重,内政不干渉,②領土を他国への攻撃干渉基地として使わせない,③経済協力と文化交流,④地域協力強化,東南アジアの独立,平和,中立化。第二声明では,①外交関係の樹立,②タイ航空のベトナム上空通過許可,③ベトナム人難民引取,④タイ人の釈放,⑤タイへの貿易使節団派遣について合意を発表。 |
DIA-204-1976-08-10-1 | タイ | 1976年08月10日 | 1970年代 | 民主党内主導権争い激化―タマヌーン民主党副総裁はセーニー総裁は指導力がないと非難,他方セーニー総裁は,党員はリーダーとしての私の意見を無視していると反論した。党内は保守派のタマヌーン,サマック(副内相),中道派のセーニー,ピチャイ,進歩派のダムロン(商相),スリン,チニアン(共に総理府長官)の三派に分裂し,相互非難を繰り返している。 |
DIA-204-1976-08-10-2 | タイ | 1976年08月10日 | 1970年代 | ASEAN経済閣僚会議―於KL。ダムロン商相出席。 |
DIA-204-1976-08-16-1 | タイ | 1976年08月16日 | 1970年代 | プラパート元副首相帰国―15日夜に中華航空機で帰国し,税関を通らずに姿を消す。セーニ-首相は閣僚および軍首脳を招集して緊急会議を開いた。 |
DIA-204-1976-08-17-1 | タイ | 1976年08月17日 | 1970年代 | プラパートの帰国確認―セーニー首相はプラパート元副首相が帰国したことを確認し,警察にその追跡を命令したと発表。全国学生センターは王宮前広場で集会(1万人参加)を開き,政府に,48時間以内にプラパートを逮捕し,起訴せよと要求。 |
DIA-204-1976-08-18-1 | タイ | 1976年08月18日 | 1970年代 | プラパートの身柄拘束―チャーイチャーン陸軍カラーテレビ局長(プラパートの甥)の家に隠れていたプラパート元副首相を発見。タウィー副首相,タウィット国防相,ダムロン商相,ニティパット官房長官,ウィトゥーン陸軍副参謀長の5人が会って出国を要請したが,プラパートが拒否したため,ヨット第1軍区司令官が身柄を拘束,連れ去った。 |
DIA-204-1976-08-19-1 | タイ | 1976年08月19日 | 1970年代 | プラパートに1週間の滞在許可―プラマーン副首相,タウィー副首相,タウィット国防相,チャーチャーイ工業相,シリ文相の旧軍人5閣僚がプラパートと第2回目の会談。1週間以内の滞在許可を伝えた。これに先だつ緊急閣議では,一旦は2時間以内の追放を決めたが,軍部の要求で決定を覆し,軍出身の閣僚を派遣することとなった。政府の決定に不満な学生ら2万人が深夜まで抗議集会を開き,21日までに納得のいく回答がなければ実力行使に移ると通告。 |
DIA-204-1976-08-20-1 | タイ | 1976年08月20日 | 1970年代 | 労働者も抗議行動へ―全国労働会議は抗議文を送り,プラパートを即時追放しなければ,水道,電気を含む国営企業の全国ストに入ると表明。タマサート大での抗議集会は徹夜で続き,なお1万人以上が参加している。全国職業学生センターは首相宛公開書簡で,プラパートを国外に出すよう求めた。事態を憂慮した国王はセーニー首相を謁見した。 |
DIA-204-1976-08-21-1 | タイ | 1976年08月21日 | 1970年代 | 流血の事態に発展―1万5000人が集会を開いているタマサート大に,職業学校生のグループがおしかけて銃撃戦となり,学生2人死亡,36人が負傷した。他方プラパート元副首相は閣僚チームとの第3回会談で,22日に出国することを承諾した。 |
DIA-204-1976-08-22-1 | タイ | 1976年08月22日 | 1970年代 | プラパート出国―プラパート元副首相は国王に拝謁したあと,台北に向け出発した。 |
DIA-204-1976-08-24-1 | タイ | 1976年08月24日 | 1970年代 | 反ベトナムを煽動―東北タイのサコンナコンを中心にナワポンや赤い野牛が,ベトナム人に対する反感を煽り,ベトナム人への暴行が続発している。 |
DIA-204-1976-08-25-1 | タイ | 1976年08月25日 | 1970年代 | プラパート問題―セーニー首相はプラパートが国王の要請で出国したことを明らかにした。なおプラパートは機中で,あるグループから帰国をすすめられたと語った。 |
DIA-204-1976-08-25-2 | タイ | 1976年08月25日 | 1970年代 | タウィット国防相辞任―民主党保守派のタウィット国防相は,プラパート問題処理に対する批判を理由に辞任した。国防相は首相が兼任する(27日任命)。 |
DIA-204-1976-08-25-3 | タイ | 1976年08月25日 | 1970年代 | 公定歩合引下げ―10%から9%に引下げ。 |
DIA-204-1976-08-26-1 | タイ | 1976年08月26日 | 1970年代 | タノムの入国申請拒否―閣議で決定。 |
DIA-204-1976-08-26-2 | タイ | 1976年08月26日 | 1970年代 | 市中銀行プライム・レート引下げ―公定歩合引下げに伴い,現行の11~11.5%から10.5に引下げる。 |
DIA-204-1976-09-01-1 | タイ | 1976年09月01日 | 1970年代 | 陸軍人事の噂―軍高官筋によると,タウィット前国防相が軍部内意見聴取の結果は,プラスート・タマシリ司令官,チャラート・ヒランシリ副司令官,スーム・ナ・ナコン国防次官説が有力である。 |
DIA-204-1976-09-02-1 | タイ | 1976年09月02日 | 1970年代 | 共産主義白書―過去10年間の戦闘で,政府側死者2746人,共産ゲリラ側死者1979人,負傷者は各5893人,605人,捕虜となっ者各99人,6543人,ゲリラの投降6853人で,武力衝突は3552回あった。 |
DIA-204-1976-09-04-1 | タイ | 1976年09月04日 | 1970年代 | タイ・マレーシア外相会談。 |
DIA-204-1976-09-05-1 | タイ | 1976年09月05日 | 1970年代 | ワン殿下死去―85歳,元副首相。バンドン会議をはじめとする外交活動で著名であった。 |
DIA-204-1976-09-06-1 | タイ | 1976年09月06日 | 1970年代 | 地方行政法改正案下院通過―村長,部落長の直接選挙制が内容。 |
DIA-204-1976-09-07-1 | タイ | 1976年09月07日 | 1970年代 | 軍人事ほぼ固まる―セーニー首相が三軍首脳と会談。陸軍はブンチャイ現司令官の案通り,スーム司令官,プラスート副司令官となる。 |
DIA-204-1976-09-17-1 | タイ | 1976年09月17日 | 1970年代 | 三軍人事発表―主要人事移動は以下の通り。 国軍最高司令官 カモン・デーチャトゥンカ空軍大将(空軍司令官を兼任) 同副司令官 クリエンサック・チャマナン陸軍大将 同司令官補佐 カウィー・シンハ海軍大将 陸軍司令官 スーム・ナ・ナコン大将 同 副司令官 プラスート・タマシリ大将 〃 司令官補佐 ヨット・テープハッサディン中将 〃 〃 シッティ・チラロート中将 〃 副参謀長 チャウ・サワッソンクラーム中将 〃 副参謀長 ウィトゥーン・ヤサワット中将 第1軍区司令 アムナート・ダムリカーン中将 第4〃 ピン・タマシリ少将 海軍司令官 アモン・シリカーヤ大将 同 副司令官 ソンティ・ブンヤチャイ大将 同 参謀長 チン・チュンラスクム大将 |
DIA-204-1976-09-19-1 | タイ | 1976年09月19日 | 1970年代 | タノム元首相が帰国―僧形のタノム元首相はバウォンニウェート寺院へ警察の先導で入った。政治的野心はないとの声明発表。セーニー首相は,政府としては暴力事件がおきない限り彼の出国を強制できない,彼の父親は重病であるということもあり,父が死に,葬式が済むまでは滞在できると語った。全国学生センターは,タノムの国外追放を要求する声明を発表し,政府の 弱腰を非難した。また全国労働会議は73年の10月14日事件で,タノムの起訴を要求し,タノムのやり方は仏教への冒であると非難。 |
DIA-204-1976-09-20-1 | タイ | 1976年09月20日 | 1970年代 | タノム問題で世論分裂―タノム元首相は還俗後もタイにとどまることを確認。タイ国仏教会は俗界からの干渉を防ぐとしてタノムを擁護することを決めた。セーニー首相は,タノム出国を求める民主党幹部や,滞在を認めるとするタイ国民党,社会正義党の幹部らと個別に会談を続けている。全国学生センターは5000人の学生を動員して戸別訪問し,タノム帰国に対する市民の反応を確かめている。全国職業学生センターは,タノム帰国に反対せずとの態度を表明。 |
DIA-204-1976-09-21-1 | タイ | 1976年09月21日 | 1970年代 | タノム説得へ―即時追放を主張する民主党と滞在許可を主張する他の与党の対立で閣内は分裂し,結論が出ないため,父の死後は出国するようタノムを説得するために,ダムロン商相以下4名の閣僚を派遣する。 |
DIA-204-1976-09-23-1 | タイ | 1976年09月23日 | 1970年代 | セーニー首相辞任―国会で民主党議員からタノム問題で優柔不断を批判された直後に辞任。内閣は自動的に総辞職となる。セーニー首相はその後再組閣の意思を明らかにした。深夜ククリット前首相はセーニー首相私邸で会談。消息筋によると,ククリットはセーニーに,タイ国民党と手を切ると,同党支持グループがクーデターを起す可能性があるので,引続きタイ国民党とのつながりを持っておくように忠告したといわれる。なお陸海空三軍と警察は厳戒体制に入った。 |
DIA-204-1976-09-25-1 | タイ | 1976年09月25日 | 1970年代 | 国王,セーニーを首相に再度任命―4党連立合意。 |
DIA-204-1976-09-25-2 | タイ | 1976年09月25日 | 1970年代 | 反タノム活動家絞殺さる―以日夜,ナコンパトムでタノム追放要求のビラを貼りに出かけた地方配電公社の労働者2人(反独裁戦線の活動家)が,25日に絞殺死体で発見された。死体のそばで警察伍長の肩章を発見。全国学生センターや反独裁戦線の代表12人はセーニー首相と会見し,タノム即時追放と,活動家殺害犯の逮捕を要求。全国労働会議代表も同じ要求でセーニー首相と会談した。 |
DIA-204-1976-09-27-1 | タイ | 1976年09月27日 | 1970年代 | 活動家殺害は警官が犯人か―タイ・ラット紙が警察官の犯行と報道。また29日付プラチャーティパタイ紙も目撃者の証言から,犯人は警官と報道。 |
DIA-204-1976-09-29-1 | タイ | 1976年09月29日 | 1970年代 | タノム問題で抗議集会―王宮前広場に3万人が参加。タノム追放と労働者殺害犯逮捕を要求し,政府に10月2日までに回答するよう要求。 |
DIA-204-1976-09-29-2 | タイ | 1976年09月29日 | 1970年代 | 77年度予算案下院通過―修正後の各省別予算は以下の通り。単位100万バーツ。 中央基金 4,334 農業 6,811 文部5,152 総理府 2,782 通信 5,443 厚生 3,521 国防 12,319 商務 243 工業 392 大蔵 8,198 内務 17,766 公企業 1,094 外務 317 法務 195 その他 223 |
DIA-204-1976-09-30-1 | タイ | 1976年09月30日 | 1970年代 | タノム出国拒否―ダムロン商相,プラシット法相らの出国要請を再拒否。 |
DIA-204-1976-10-01-1 | タイ | 1976年10月01日 | 1970年代 | タノム説得は8日以後―プラシット法相,ダムロン商相,ニポン大学庁長官がタノムと会談し,出国を要請したが再度拒否された。その後政府は声明を出し,タノムの説得は8日の安居明けまで待つと発表した。他方1973年10月14日事件の犠牲者遺族5人がタノム帰国に抗議して,総理府前でハンガー・ストに入った。 |
DIA-204-1976-10-01-2 | タイ | 1976年10月01日 | 1970年代 | ワチラロンコン皇太子帰国―軍事訓練留学先のオーストラリアから突然の帰国で,理由は説明されていない。 |
DIA-204-1976-10-02-1 | タイ | 1976年10月02日 | 1970年代 | 学生がセーニー首相と会談―スタム全国学生センター書記長ら12人はセーニー首相と会談し,タノム追放と活動家殺害犯逮捕を要求した。首相は,活動家殺害事件については捜査強化を約束したが,タノムについては8日まで待つとの態度を変えず。学生達はこの回答を不満として,4日から無期限集会に入ることを決めた。全国労働会議はタノム追放集会を支持し,もし集会が暴力で妨害された場合には全国的ストを行なうと決定。 |
DIA-204-1976-10-03-1 | タイ | 1976年10月03日 | 1970年代 | タノム問題で左右両派の動き活発化―チェンマイ大,コンケーン大では学生がバンコクへ向うため試験をボイコットし,大学当局も試験延期を決めた。右派のナワポン500人はチャイ広場で集会を開き,タノム支持を表明した。またタイ・ラット紙本社に爆弾が投げこまれた(被害少)が,右派の犯行とみられる。新聞社爆破事件は,アティパット紙,プラチャーチャート紙に次いで3件目である。 |
DIA-204-1976-10-04-1 | タイ | 1976年10月04日 | 1970年代 | 反タノム集会始まる―会場のタマサート大学には3000人が集まり,全国学生センターや全国労働会議その他左派系団体代表が演説し,政府の優柔不断な態度を攻撃し,タノムの即時追放を要求した。 |
DIA-204-1976-10-04-2 | タイ | 1976年10月04日 | 1970年代 | 活動家殺害は警官の犯行―シースック警察局長はナコンパトムの活動家殺害事件は警官の犯行であることを認めた。突然の発表は,セーニー首相が早期解決を強く求めたためとみられる。 |
DIA-204-1976-10-05-1 | タイ | 1976年10月05日 | 1970年代 | 第2次セーニー内閣成立―新閣僚は,国防相にサガット・チャローユー前国軍最高司令官,副国防相兼官房長官にニティパット・チャリーチャン。閣内での移動は,プラシット・カーンチャナワット(法相→副首相),チユアン・リークパイ(総理府長官→法相),ペーン・シリウェートパン(副工相→副内相),チユーサガー・ルッティプラサート(副内相→副文相),ダープチャイ・アッカラート(副文相→副内相)で,この結果副首相は4人となり,また民主党右派のサマックとソムブンは副内相のポストを失った。 |
DIA-204-1976-10-05-2 | タイ | 1976年10月05日 | 1970年代 | タノム追放運動広がる―全国学生センターのスタム書記長らは総理府長官に会い,反対集会参加者の安全確保を要求し,総理府長官はこれを約束した。チュラロンコン大,ラーマカムヘン大は期末試験中止となり,学生達はタマサート大学へ向った。試験が正常に行なわれているのはカセサート大のみ。全国学生センターは,政府に何日間も猶予を与えたが回答がないので,タノムが国外に出るまでタマサートでの集会を続ける,地方での集会も増加させると声明を発表した。集会参加者は夜7時半には1万人以上となった。ナコンラーチャシーマー,パッターニー,ナコンシータマラート,チエンマイ,ウットラディット,コンケーン,マハーサーラカム,ピッサヌロークでも学生達を中心とした抗議集会が開かれている。バンコクの労働組合中43労組は,政府が10日までにタノムを国外追放しなければ,ゼネズトに入ることを決議した。全国労働会議は10日に代表者会議を開いて情勢を検討することにしている。 |
DIA-204-1976-10-05-3 | タイ | 1976年10月05日 | 1970年代 | 不敬罪問題で情勢緊迫―4日の学生の集会でアトラクションとして,活動家絞殺事件を実演したが,ダーウ・サヤーム紙とバンコク・ポスト紙が掲載じた写真では,首吊りを演じた学生の顔がワチラロンコン皇太子に似ていることから,右派のヴイレジ・スカウトやナウポシが騒ぎだし,警察に対して学生達の逮捕を要求した。このためセーニー首相は政府声明を発表し,王室侮辱罪で警察に捜査を命令した。学生側は,一部の新聞が写真を意図的に修正して,王室を事件にまきこもうとしているものだと反論し,この点について釈明するため,スタム書記長らはセーニー首相私邸を訪問した。他方プラマーン副首相はセーニー首相に電話で,政府は全国学生センターに対して不敬罪で法的措置をとること,およびこの件に関与した政治家ないし大臣を逮捕,起訴するよう要求した。なおカモン国軍最高司令官は,クーデターは時代遅れであり,軍部は絶対にクーデターを起さないと言明した。 |
DIA-204-1976-10-05-4 | タイ | 1976年10月05日 | 1970年代 | 右派が全国動員かける―愛国者グループを名乗る右派群衆が総理府前で集会を開き,サマック,ソムブンが入閣しなかったことに抗議して内閣改造を要求した。同グループは午後3時頃に王宮前広場へ移動して再度集会を開き,全国学生センターはバーウォンニウェート寺院を焼き打ちしょうとしていると非難し,さらにダムロン商相やスリン総理府長官は学生達を支援していると非難した。夕刻,ナワポンは機甲師団放送局を通じて,全国学生センターは,国家,宗教,国王という国体を破壊しょうとしており,タイ国民は国体護持のために今こそ立ち上る時であると決起を呼びかけ,さらに「国家,宗教,国王擁護国民司令部」名で,①72時間以内に全国学生センター幹部の逮捕,②全国学生センターの活動を支援している者の行動を調査するとと,その名簿はナワポンが揃え,24時間以内に政府に渡す,③騒ぎを起している者に対して24時間以内に法的措置をとること,の3点を要求した。またヴィレジ・スカウト司令部も同放送を通じて,6日は全国で準備態勢をとるよう命令した。 |
DIA-204-1976-10-05-5 | タイ | 1976年10月05日 | 1970年代 | 軍関係放送局学生を攻撃―政府は午後5時50分に政府系の放送局(ラジオ,テレビ)に対し,政府批判や,国内の分裂を煽るようなニユース,論評,インタービュー,新聞記事からの引用等の放送を禁止したび午後6時10分,軍関係放送局で構成する自由ラジオグループは緊急声明を出して,機甲師団放送局に全局の召集をかけ,同局をキイ・ステーションとして,政府を攻撃する愛国者グループの演説を流し続けた。午後8時40分に自由ラジオグループは声明を発表し,国内の安寧秩序を乱すグループが,国家,宗教,国王を破壊しょうとしている,全国学生センターを国体破壊の罪で処罰せよ,6日に愛国者グループが再度集会を開き,午後2時まで政府の回答を待つが,もし政府が行動しなければ,自分達で彼らを処罰すると放送し,右派群衆によるタマサート大学包囲を呼びかけた。 |
DIA-204-1976-10-06-1 | タイ | 1976年10月06日 | 1970年代 | 反タノム集会流血の惨事に―午前1時,チユムポン警察局次長はセーニー首相と協議し,事態の打開をはかるため,プアイ・タマサート大学長と連絡をとろうとしたが接触できなかった。午前2時頃,タマサート大学前に集っていた約2000人の右派群衆がへいを乗り越えて構内に入ろうとしたが,構内から銃撃を受けて退却した。シースック警察局長ら高官は警察局で協議を続けている。警察は右派群衆が大学構内に入らないよう制止している。午前5時すぎ,大学の講堂ごしに運動場へ爆弾2発が撃ちこまれ,学生9人が死亡した。午前6時,右派群衆の一部はバスを使って大学構内に突入しょうとした。6時すぎ,文部省はバンコク市内の学校の1日休校を発表した。6時半すぎから,構内の学生と右派群衆や警官隊との間で激しい銃撃戦が展開された。事態の打開をはかるためセーニー首相私邸へ向ったスタム書記長ら6人は,8時頃警察に逮捕された。タマサート大学周辺では国境警備警察が首都警察と交代していたが,午前8時10分,完全武装の警官隊1000人以上が一斉射撃を開始して構内に突入し,また右派群衆もバスで校門付近のバリケードを破って構内に突入し,このため学生達の中には大学裏手のメナム川にとび込んで逃げる・ |
DIA-204-1976-10-06-2 | タイ | 1976年10月06日 | 1970年代 | タマサート大事件に対する政府の対応―セーニー首相は午前中緊急閣議を招集し,戒厳令布告を検討したが,事態がおさまったため,①バンコク市内全校の臨時休校を11日まで続ける,②首都圏の銃砲店の一時閉鎖,③バンコクのガソリンスタンドを午後6時から午前6時までの間閉鎖,④バンコクに出入りするトラックやバスを中心に各道路の検問実施,という措置で事態を見守ることとした。さらに政府は午後2時に以下のような声明を発表した。「6日午前8時にスタム学生センター書記長らを逮捕した。警察は不敬罪を犯した学生達に降服するよう呼びかけたが,学生達は聞き入れなかった。怒った群衆が午前2時頃大学構内に乱入しようとしたが,構内から致命的武器で撃たれて数人が負傷した。事態の悪化を避けるため,警察局長は警察力の増強を命じた。しかし構内からの銃撃はやまないため,警察が構内に入ったところ,構内の至る所から銃撃を受けたため,警察は反撃し,午前11時にはすべての建物を占拠できた。」また首相と4名の副首相より成る治安維持委員会を設置した。なおニティパット副国防相は,軍は政府を支持している,タマサ-ト大銃撃事件によって全面警戒体制がしかれていると語った。 |
DIA-204-1976-10-06-3 | タイ | 1976年10月06日 | 1970年代 | 右派がセーニー内閣に圧力―午前9時45分,王宮前広場に集まった約3万人のヴィレジ・スカウトなど右派群衆は,以下の項目について午後2時までに回答するよう政府に要求した。①スリン総理府長官,ダムロン商相チユアン法相の閣外追放,ウイーラ民主党中央委員追放(いずれも民主党左派),②サマックとソムプンを副内相に,③反共法の厳格な適用,④社会党中央委員会とプアイ・タマサート大学長の逮捕。夕方,ヴィレジ・スカウトを中心とする右派1万人以上が首相官邸におしかけて,左派閣僚の罷免を要求し,同官邸の門を破って乱入した。このためセーニー首相は右派の要求を受け入れることを表明した。その後ワチラロンコン皇太子が陸軍大佐の制服をつけて官邸に姿を見せ,右派を支持すると共に,君達はすでに勇気を示したと述べて,群衆に解散を呼びかけた。なお今回のタノム帰国抗議集会に加わらなかったカセサート大学自治会は,全国学生センターからの脱退を決めた。 |
DIA-204-1976-10-06-4 | タイ | 1976年10月06日 | 1970年代 | 軍部がクーデター―サガット・チャローユー国防相を議長とする軍の国家統治改革団がクーデターを起し,全権を握った(午後6時)。改革団は午後7時に声明(資料参照)を発表してクーデターを起した理由を説明すると同時に,午後7時10分より全国に戒厳令をしき(布告第1号),国内治安維持司令官に,カモン・デーチャトウンカ国軍最高司令官兼空軍司令官を任命(布告第2号)した。改革団はその後,憲法,国会,内閣の廃止(布告第3号),国連憲章遵守等の外交方針表明(改革団第2声明),5人以上の政治的集会禁止(布告第4号),日刊新聞等の発行停止,週刊誌の事前検閲,ラジオ番組の統制,共産主義関係出版物の没収と処分(布告第5号),政党廃止(布告第6号),商品の隠匿や便乗値上げ禁止(布告第7号),共産主義活動防止法に基づく容疑者を軍事裁判所の審理下におく(布告第8号),首都圏について24時から午前5時までの外出禁止(布告第9号)と相次いで対策を打ち出した。また国内治安維持司令部命令として,スーム・ナ・ナコン陸軍司令官を首都治安維持司令官に任命した。 サガット国家統治改革団議長は夜10時からの全国放送で要旨次のような談話を発表した。情勢を検討してクーデターのやむ |
DIA-204-1976-10-07-1 | タイ | 1976年10月07日 | 1970年代 | 国家統治改革団メンバー発表―6日付発令。 1.サガット・チャローユー海軍大将(前国軍最高司令官兼海軍司令官,国家統治改革団議長) 2.カモン・デーチャトウンカ空軍大将(国軍最高司令官兼空軍司令官,改革団副議長) 3.クリエンサック・チャマナン陸軍大将(国軍最高副司令官,改革団事務局長) 4.カウィー・シンハ海軍大将(国軍最高司令官補佐,改革団事務局次長) 5.チャルーン・ポンパーニット陸軍大将(国軍参謀総長,改革団事務局長補佐) 6.ブンチャイ・バムルンポン陸軍大将(前陸軍司令官) 7.スーム・ナ・ナコン陸軍大将(陸軍司令官) 8.アモン・シリカーヤ海軍大将(海軍司令官) 9.シースック・マヒントラテープ警察大将(警察局長) 10.パニエン・カーンタラット空軍大将(空軍副司令官) 11.プラスート・タマシリ陸軍大将(陸軍副司令官) 12.プラローン・ウィーラプリヤ陸軍大将(陸軍参謀長) 13.カムロン・リーラシリ空軍大将(空軍参謀長) 14.プラサーン・アマータヤクン陸軍大将(最高司令部付) 15.サタープ・ケーヤーノン海軍中将(戦略艦隊司令官) 16.ヨット・テープハッサディン陸軍中将(陸軍司令官補佐) 17.プレーム・ティナ・ |
DIA-204-1976-10-07-2 | タイ | 1976年10月07日 | 1970年代 | 国家統治改革団布告―布告第10号で報道検閲後の新聞等印刷出版物の発行を許可することとし,そのため5名より成る審査委員会を任命した。委員にはサマック元副内相も含まれる。布告第11号で外出禁止令を解除。第12号で,銃器,弾薬,爆発物を所有している者は14日までに地方登録官に差し出すよう命令した。なおサガット改革団議長はセーニー前首相を呼び出し,国家統治改革団司令部の保護下においた。 |
DIA-204-1976-10-07-3 | タイ | 1976年10月07日 | 1970年代 | タイ人民の声放送―ファシスト軍閥集団はタノム偏国以来社会不安を譲成し,クーデターの口実とした。その残虐性は73年10月を上回り,史上最悪であると非難。また今回のクーデターは米帝国主義の命令によるものであると論評した。タイ共産党中央委員会は声明を発表し,軍部のクーデターを非難し,学生達の行動をたたえて,10月14日の精神をもって武装闘争に立ち上ることを呼びかけた。 |
DIA-204-1976-10-08-1 | タイ | 1976年10月08日 | 1970年代 | 国王が声明―国家の安定,進歩,繁栄のために国民の団結と連帯を呼びかけた。 |
DIA-204-1976-10-08-2 | タイ | 1976年10月08日 | 1970年代 | サガット改革団議長演説―夜8時に放送。できるだけ早く憲法を出すことを最優先課題とし,その後すぐに文民内閣を作る。国内の治安回復と国民の生活水準引上げ,消費物資の価格維持,公共事業の効率改善をはかる。 |
DIA-204-1976-10-08-3 | タイ | 1976年10月08日 | 1970年代 | ターニン氏を新首相に任命―国家統治改革団は最高裁判事,タマサート大法学部教授で反共の闘士として知られるターニン・クライウィチエン氏を首相に任命した。午後11時に新首相は国営テレビ局を通じて就任の演説を行ない,タイ国が直面している,共産主義,腐敗した公務員の汚職,公務員による弱者抑圧,貧困,王制民主主義転覆の野望という五つの危機を根絶するためには民主主義制度が必要だが,それは一歩一歩達成せねばならないと述べ,さらに,14日以内に組閣することを明らかにした。 |
DIA-204-1976-10-10-1 | タイ | 1976年10月10日 | 1970年代 | チヤラート陸軍大将解任―改革団議長命令で最高司令部付のチヤラート大将を解任し,予備役に編入。理由は6日のクーデター後,午後9時までに3軍高官は国家統治改革団司令部に結集すべきところ,彼は欠席したため。 |
DIA-204-1976-10-11-1 | タイ | 1976年10月11日 | 1970年代 | 憲法起草開始―改革団はスタム最高裁判事を長とする法律委員会を任命し,憲法起草を開始した。 |
DIA-204-1976-10-11-2 | タイ | 1976年10月11日 | 1970年代 | 通信次官解任―改革団命令。カン運輸通信次官やプラディット陸運局長ら3人を解任。また情報局管轄下のテレビ会社支配人等も免職。 |
DIA-204-1976-10-11-3 | タイ | 1976年10月11日 | 1970年代 | 共産ゲリラの攻撃―トラン県でゲリラが国道警察を襲って3人殺した。クーデター後最初の攻撃である。 |
DIA-204-1976-10-12-1 | タイ | 1976年10月12日 | 1970年代 | 反政府活動に警告―改革団は,力を失った政治的グループによる各地,特に南部での扇動に対して警告し,これらグループの捜査を指示した。 |
DIA-204-1976-10-13-1 | タイ | 1976年10月13日 | 1970年代 | 王制民主主義への道程―ターニン首相は国民に対して以下のような所信表明を行なった。民主主義の,実現は段階的に行う。1期を4年間として3段階に分け,第1期は任命議員のみから成る一院制国会とし,経済的政治的安定を目指す国家再建期,第2期は任命による上院と選挙による下院の2院制とし,同等の権限を持たせ,民主制度発展初期とする。第3期は上院の権限を徐々に縮小させ,民主制度発展期とする。最後の4年が終了した時点で民主主義が十分発達していれば,選挙による下院だけとなる。第1期4年間の当面の課題は国家の再建であり,市民に過去のような権利と自由を与えることはできない。与えれば国家は破滅の道を辿る。過度の権利と自由は共産主義者につけ入る隙を与えてしまう。国家統治改革の仕事は,国家統治改革団によってすでに着手されている。新内閣や議会発足後も国家統治改革団は首相顧問団に外装を変えるだけで,改革を遂行するために影響力を行使する。新内閣は行政の簡素化をはかる。共産主義に対して一致して闘う。非友好国へのへつらいをやめ,友好国,特にASEAN諸国との協力を強化する。 |
DIA-204-1976-10-13-2 | タイ | 1976年10月13日 | 1970年代 | 外出禁止再実施―改革団は情勢がまだ信頼できる状態にないとして,午後10時より午前4時30分までの外出禁止令を出した。また全国の学校に対して10月末日まで休校とする命令が出された。 |
DIA-204-1976-10-13-3 | タイ | 1976年10月13日 | 1970年代 | ウィトゥーン日本へ―ウィトウーン・ヤサワット陸軍参謀次長は在日タイ人留学生監督官として日本へ向った。事実上の追放である。 |
DIA-204-1976-10-17-1 | タイ | 1976年10月17日 | 1970年代 | 反共法改正で首相権限強化―改革団は共産主義活動防止法を改正し,首相に,共産主義浸透地区の指定と同地区への立入禁止命令権を与えた。また首相はタイ人の訪問禁止国を指定できることとなっている。 |
DIA-204-1976-10-18-1 | タイ | 1976年10月18日 | 1970年代 | 77年度予算成立―総額は変更なく各省別配分を変更。単位100万バーツ。中央基金6353,農業省6703,内務省1万6052,文部省5022,公企業1020。 |
DIA-204-1976-10-19-1 | タイ | 1976年10月19日 | 1970年代 | 学生らに帰宅呼びかけ―改革団は,逮捕を恐れて地下に潜っている学生,労働者,市民に対して帰宅を呼びかけ,逮捕するのは確たる証拠のある中核分子だけであると述べた。他方左派の逮捕は全国で続けられている。改革団は軍事裁判所に対し,タマサート大で逮捕した学生達を180日拘留する権限を与えた。なおメコン川を渡ってラオスに逃げこんだ学生は200人を越えた。 |
DIA-204-1976-10-21-1 | タイ | 1976年10月21日 | 1970年代 | ぜいたくを禁止―改革団は警察,軍人,官僚のイメージ改善のため,ぜいたくな生活禁止,供応を受けない,企業の重役辞退等8項目の規律を指示した。 |
DIA-204-1976-10-21-2 | タイ | 1976年10月21日 | 1970年代 | 共産主義容疑者の逮捕―警察局発表によると,共産主義幹部約100人のうち逮捕したのは20人のみ,その他に共産主義容疑者のリストがあり,この中からは40人逮捕。ジャーナトストで逮捕されたのは5~6人である。なお改革団は1976教育年度中は一切の学生の活動を禁止した。他方ルーイ県ダーンサーイ郡で共産ゲリラ20人か役人の乗ったバスを攻撃し,4人を殺した。 |
DIA-204-1976-10-21-3 | タイ | 1976年10月21日 | 1970年代 | タイ社会党武装闘争を声明―カイセーン副委員長,チャイワット副書記長,プラサーン執行委員,プラヨン前下院議員の4人はタイ人民の声放送を通じて,タイ人民および社会党員への訴えを発表し,「10月6日の流血は,独立,民主,繁栄を求める愛国的民主的人民の今後の闘争は,議会の道を通しては実行できないということを決心させるに至った」として,血で汚れた独裁支配を受け入れない,社会党は武装闘争に参加して最後まで闘うと述べた。 |
DIA-204-1976-10-22-1 | タイ | 1976年10月22日 | 1970年代 | 新憲法発布―全文29条。第21条では国家の安寧秩序維持のために必要な場合,いかなる命令も発し得るという首相大権を規定している。 |
DIA-204-1976-10-22-2 | タイ | 1976年10月22日 | 1970年代 | ターニン新内閣発足―( )内は前職。 首相 ターニン・クライウィチエン(最高裁判事) 副首相 ブンチャイ・バムルンポン(陸軍司令官) アムポン・チャンタラウィチット(通信省港湾局長) 国防相 サガット・チャローユー(国軍最高司令官) 副国防相 レック・ネーウマリー(国防会議事務局長) 内相 サマック・スントラウェート(元副内相) 副内相 カヌーン・ルーチャイ(検事) 運輸相 ルーサック・ソムバットシリ女史(会社社長) 総理府 ドウシット・シリワン(テレビ司会者) 文相 ピンヨー・サートン(元チュラ大教授) 外相 ウパディット・パーチャリヤンクン(駐米大使) 大学 ウィモンシリ・チャムナンウェート女史(チユラ大助教授) 商相 スティー・ナータワラタット(商務省貿易局長) 法相 セーマ・ラッタナマライ(判事) 工業相 パーム・リムピサワット(元空軍中将) 蔵相 スパット・スタータム(専売公社理事) 農相 インシイ・チャンタラサティット(元カセサート大学長) 厚相 ヨンユット・サーチャワニット(元チェンマイ大学副学長) 女性が大臣となったのは史上初めて。副首相,国防相,副国防相は改革団が指名した。 |
DIA-204-1976-10-23-1 | タイ | 1976年10月23日 | 1970年代 | アナン外務次官解任―アナン次官は米軍撤退交渉,対中国交回復,ラオス,ベトナム訪問等に実績があり,右派からは攻撃されていた。彼と共に働いたコーソン外務省政治局長,チャワン同次長も左遷。なおブンタム予算局長,ソーター同次長はAir Siam問題で解任された。 |
DIA-204-1976-10-24-1 | タイ | 1976年10月24日 | 1970年代 | ベトナム人逮捕―チャムナーン・ノンカイ県知事は,県内のベトナム人有力者55人の逮捕を命令。 |
DIA-204-1976-10-26-1 | タイ | 1976年10月26日 | 1970年代 | 首相顧問団―国家統治改革団は新内閣発足に伴い,首相顧間団に衣替え。議長にカモン,副議長にクリエンサックを選出。 |
DIA-204-1976-10-27-1 | タイ | 1976年10月27日 | 1970年代 | タイ・マレーシア国境協定-クリエンサック首相顧問団副議長は,新協定ではタイ回教徒の分離運動鎮圧にマレーシアの協力を要請しないものとなるだろと語った。 |
DIA-204-1976-10-27-2 | タイ | 1976年10月27日 | 1970年代 | 外国の新聞を非難―内閣はタイについて悪い評判を与えるような記事を送っている外国新聞記者の問題について,処理権限をウパディット外相に与えた。 |
DIA-204-1976-10-29-1 | タイ | 1976年10月29日 | 1970年代 | ターニン首相施政方針演説―首相顧間団に対して行なう。要旨以下の通り。国家,宗教,国王という国体護持のため以下の政策をとる。(1)国防力の整備増強。(2)共産主義根絶,公務上の不正,国民抑圧,麻薬追放,貧困解決,雇用促進,所得の向上。(3)司法の充実。(4)国家利益,安全,安定が外交の最優先原則,国連憲章支持,ASEAN諸国との関係緊密化,(5)財政の効果的運用。(6)国民生活向上のための商業,外国市場拡大,流通機構合理化。(7)日常必需品の工業化,石油工業,化学肥料,総合飼料,農産物加工工業育成,鉱業資源の有効利用,(8)交通運輸のサービス増強,首都圏路線バス充実。(9)協同組合の育成と土地改革の推進,負債救済,家内工業育成。⑩教育改革と人材の養成,⑪福祉・厚生(資料参照)。 なおブンチャイ副首相はテレビで政策演説を行ない,次の4点の指標をあげた。①国内治安維持と法の厳格な履行,②国外からの侵略防止,③共産テロリズム鎮圧,④善隣外交。 |
DIA-204-1976-10-29-2 | タイ | 1976年10月29日 | 1970年代 | ナーン県でゲリラと戦闘―約100人の共産ゲリラが国境警備警察2個小隊を包囲している。 |
DIA-204-1976-10-30-1 | タイ | 1976年10月30日 | 1970年代 | ルーイ県でもゲリラの攻撃―ターンサーイ郡,共産ゲリラ約100人が政府軍哨所を攻撃,政府軍兵士8人が死亡。 |
DIA-204-1976-10-30-2 | タイ | 1976年10月30日 | 1970年代 | 外国紙非難―ターニン首相は10月6日事件に関する外国紙の報道は事実をねじまげていると非難。 |
DIA-204-1976-10-31-1 | タイ | 1976年10月31日 | 1970年代 | 学生運動指導者武装闘争声明―セークサーン・プラスートクン,ティラユット・ブンミーら学生運動指導者7人はタイ人民の声を通じて声明(14日付)を発表し,平和的手段での闘争が武力で弾圧された以上,「敵が銃を持つならわれわれも銃を」「人民と反動支配階級の闘争は人民戦争によってのみ解決できる」と武装闘争を呼びかけた。 |
DIA-204-1976-10-31-2 | タイ | 1976年10月31日 | 1970年代 | 政府放送局強化―ターニン首相は,国営タイ放送が全国で明瞭に聞きとれるよう放送局を1ヵ月以内に設置することを指示。東北タイ等では政府放送よりもタイ人民の声放送等がはっきり聴取できるためその対抗策。現在,タイ人民の声,ハノイ,モスクワ各放送がタイ政,府を激しく非難(北京放送は完全に沈黙)しているという。 |
DIA-204-1976-11-02-1 | タイ | 1976年11月02日 | 1970年代 | 教科書再点検―文部省で検討委員会を設け,共産主義的傾向の記述を排除し,国家,宗教,国王を強調したものとする。 |
DIA-204-1976-11-02-2 | タイ | 1976年11月02日 | 1970年代 | ルーイ県の戦闘結果―兵士10人と志願防衛隊員2入死亡,共産ゲリラ側も多数の死傷者が出た模様。 |
DIA-204-1976-11-03-1 | タイ | 1976年11月03日 | 1970年代 | カンボジア軍と衝突―トラート県クローンヤイ郡近くの海陸で交戦,カンボジア兵20人が侵入し,昼から夜7時まで散発的に撃ちあい。 |
DIA-204-1976-11-03-2 | タイ | 1976年11月03日 | 1970年代 | カーター米夫統領当選の反応―タイ政府は静観するが,東アジア政策,特に韓国と中国への対応に注目。 |
DIA-204-1976-11-08-1 | タイ | 1976年11月08日 | 1970年代 | 警察局人事移動―サマック内相が警察のイメージ改善のため突然発令。シースック局長を更送。モンチャイ副局長を局長代理に,ナロン・マハーノンを副局長代理とする。チャムラット,クリットの両局長補佐は左遷。 |
DIA-204-1976-11-10-1 | タイ | 1976年11月10日 | 1970年代 | タイ・マレーシア国境委員会―共同声明を発表。テロリストの活動をおさえるために両国の共同作戦を活発化し,海の共同パトロール区域も拡大する。 |
DIA-204-1976-11-10-2 | タイ | 1976年11月10日 | 1970年代 | シースック前警察局長国内治安維持作戦司令部へ転任―サガット国防相の要請による。 |
DIA-204-1976-11-11-1 | タイ | 1976年11月11日 | 1970年代 | 韓国が教科書作成に協力―ピンヨー文相は韓国の反共教育を称賛し,韓国大使の提案により,中等教育の教科書作成とカリキュラム改善のために韓国が専問家を派遣することになったと述べた。 |
DIA-204-1976-11-12-1 | タイ | 1976年11月12日 | 1970年代 | 軍事借款法案―首相顧問団会議で,国防力増強計画のため30億バーツの借款を求める権限を国防省に与える法案承認。大半は軽火器購入にあてる。 |
DIA-204-1976-11-12-2 | タイ | 1976年11月12日 | 1970年代 | サダト・エジプト大統領夫人訪タイ。 |
DIA-204-1976-11-12-3 | タイ | 1976年11月12日 | 1970年代 | 警察官汚職防止委員会委員10人任命。 |
DIA-204-1976-11-16-1 | タイ | 1976年11月16日 | 1970年代 | スラータニーで共産ゲリラの攻撃―プラセーン~スラータニー間国道でゲリラ50人が攻撃,志願防衛隊員と警官計15人が死亡。 |
DIA-204-1976-11-17-1 | タイ | 1976年11月17日 | 1970年代 | 全国学生センターの行動称賛―タイ人民の声放送は15日から17日にかけて,全国学生センターの行動を称賛する論評を発表した。 |
DIA-204-1976-11-18-1 | タイ | 1976年11月18日 | 1970年代 | 社会民主主義が目標―ターニン首相は外人記者クラブで演説し,究極的には英国またはオランダ式の社会民主主義が目標である,ハノイはまだゲリラに援助をしており,そのはっきりした証拠を握っていると述べた。なお逮捕した学生で現在も拘留されているのは323人である。 |
DIA-204-1976-11-18-2 | タイ | 1976年11月18日 | 1970年代 | 愛国教育―大学1年で民族主義,愛国主義についての教育を行ない,教官は軍心理作戦学校から派遣。 |
DIA-204-1976-11-19-1 | タイ | 1976年11月19日 | 1970年代 | 投資委員会議長に首相が就任―投資委員会22人を任命。首相が議長になったのは初めて。 |
DIA-204-1976-11-20-1 | タイ | 1976年11月20日 | 1970年代 | 改革議会議員任命―総数340人,軍人135人(陸72,海35,空28),警察10人,実業家30人,大学教授,12人,元議員・閣僚38人,女性19人等で,人数的には軍人,高級官僚の順。ナワポン指導者のワッタナーらも含まれている。元閣僚からはタウィット・セーニーウォン,レック・ナーナ-,ソムブン・シリトン,タナット・コーマン等。タマヌーン・プラナコン県知事,ウイチット労働局次長,オップ商業会議所会頭,アムヌアイ・ウィラワンも任命されている。 |
DIA-204-1976-11-20-2 | タイ | 1976年11月20日 | 1970年代 | 労働運動指導者声明―タートプーミ・チャイディーとプラシット・チャイヨーはタイ人民の声放送を通じて,「よりよい生活を獲得するために,ファッショ独裁反対の闘争で団結を守れ」との声明を発表し,労働者の団結と武装闘争への決起を呼びかけた。 |
DIA-204-1976-11-21-1 | タイ | 1976年11月21日 | 1970年代 | ターニン首相外交方針説明―自由主義陣営との関係を改善する。第1にASEAN,第2に重要な同盟国として米国,日本,韓国。タイのイメージは過去3年間の民選政府および10月6日についての間違った報道で傷つけられた。 |
DIA-204-1976-11-21-2 | タイ | 1976年11月21日 | 1970年代 | 軍備充実―ターニン首相談。共産主義の侵略に対抗するため,軍の装備率現行80%を100%にまで高める。 また国境警察も強化する。 |
DIA-204-1976-11-21-3 | タイ | 1976年11月21日 | 1970年代 | カンボジア国境で交戦頻繁―トラート県クローンヤイ郡で国境紛争のため頻繁に衝突。 |
DIA-204-1976-11-23-1 | タイ | 1976年11月23日 | 1970年代 | カンボジア国境で再び交戦―トラート県クローンヤイ郡。海軍艦艇3隻支援下の国境警察とカンボジア兵が交戦。カンボジア側27人,タイ側1人死亡。 |
DIA-204-1976-11-26-1 | タイ | 1976年11月26日 | 1970年代 | 改革議会議長選出―議長はHarin Hongskul元空軍大将,副議長はUkris Mongkolnavinチュラ大法学部教授とKriang Kiratikorn元文相。 |
DIA-204-1976-11-26-2 | タイ | 1976年11月26日 | 1970年代 | タイ・カンポジア国境会談始まる―於ポイペト。 |
DIA-204-1976-11-26-3 | タイ | 1976年11月26日 | 1970年代 | 農業融資拡大―市中銀行の77年融資目標は100億バーツ,76年は目標61億3900万バーツで,実績は65億3800万バーツ。 |
DIA-204-1976-11-29-1 | タイ | 1976年11月29日 | 1970年代 | タイ・マレーシア首脳会談―ペナンでターニン首相とフセイン・オン首相が会談。新国境協定で合意。共産ゲリラ掃討協力で意見一致。 |
DIA-204-1976-11-29-2 | タイ | 1976年11月29日 | 1970年代 | 米軍事援助要請せず―サガット国防相は,米軍事援助計画は来年で終るが,以後は援助要請はしない,借款で米国から武器を購入する,200億バーツの軍事借款法案はまもなく承認されようと語った。 |
DIA-204-1976-12-01-1 | タイ | 1976年12月01日 | 1970年代 | 集団安保体制を検討―ターニン首相は,将来時機が熟せば集団安保体制を考える,しかしASEANは軍事ブロックではないと述べた。また対米関係は改善,強化されるだろうとの所感を表明した。 |
DIA-204-1976-12-01-2 | タイ | 1976年12月01日 | 1970年代 | 外資規制緩和―閣議は外国資本導入促進のため,外国企業規制法のカテゴリーB,C業種に対する30%条項(生産または販売の対前年伸び率が30%を越えてはならない)の適用停止を決め,外国人職業規制法や投資奨励法も改正することを決定。 |
DIA-204-1976-12-01-3 | タイ | 1976年12月01日 | 1970年代 | タイ共産党創立34周年声明―資料参照。 |
DIA-204-1976-12-02-1 | タイ | 1976年12月02日 | 1970年代 | 首相シンガポール訪問―リー首相と会談。 |
DIA-204-1976-12-02-2 | タイ | 1976年12月02日 | 1970年代 | 内相米大使と会談―サマック内相は米国のホワイトハウス駐タイ大使と会談し,国境警備警察に対する米国の援助を要請した。 |
DIA-204-1976-12-03-1 | タイ | 1976年12月03日 | 1970年代 | ASEANの団結強化で合意―ターニン首相帰国。シンガポールと,ASEANの団結強化と経済協力の促進,タイ・シ間の海底電信設置で合意。 |
DIA-204-1976-12-05-1 | タイ | 1976年12月05日 | 1970年代 | 国王誕生日―ワチラロンコン皇太子が祝辞を述べ,近隣諸国は共産主義者の手に落ちたが,タイは国王の慈悲によって独立と平和な安定を保っていると述べた。 |
DIA-204-1976-12-08-1 | タイ | 1976年12月08日 | 1970年代 | サマック内相ベトナムの侵略を警告―ハノイは2月15日を一斉蜂起日として3方面からの攻撃を開始し,ベトナム人難民は内部で騒乱を起し,政府が法と秩序を回復しょうとすると,ハノイは難民保護の口実で干渉してくる計画があると発表。 |
DIA-204-1976-12-08-2 | タイ | 1976年12月08日 | 1970年代 | 閣議で新投資奨励法原案承認―投資委員会にサービスセンターを設け,同センターが会社登記,工場登記,ビザ発給を援助する。また投資委員会の権限を強化する。公企業や財団も奨励対象に加え,また初めて環境保護条項を入れて公害防止を義務付ける。 |
DIA-204-1976-12-11-1 | タイ | 1976年12月11日 | 1970年代 | タイ・インドネシア共同声明―10日にターニン首相がインドネシアを訪問。インドネシアはタイ米30万トン買付け,タイは原油を買う。化学肥料と漁業でも協力に合意。タ-ニン首相は共産主義との闘いを強調するアピールを発表。 |
DIA-204-1976-12-14-1 | タイ | 1976年12月14日 | 1970年代 | ヴィレジ・スカウト育成―内務省のヴィレジ・スカウト小委員会は,来年から5ヵ年計画で毎年100万人ずつヴィレジスカウトを育成する。現在は100万人が組織されている。 |
DIA-204-1976-12-18-1 | タイ | 1976年12月18日 | 1970年代 | ゲリラの攻撃でスラータニー県副知事負傷―ウィエンサラ郡でゲリラが政府軍のキャンプを攻撃,兵士7人負傷。その後警察の特別行動隊を乗せた4台の車が銃撃を受け,1台は地雷で破壊された。9人死亡,6人負傷,負傷者には同県副知事を含む。同地域は11月中旬から,午後8時から午前5時までの外出禁止令がしかれている。 |
DIA-204-1976-12-20-1 | タイ | 1976年12月20日 | 1970年代 | 首相共産ゲリラヘの全面戦争宣言―なおスラータニー県では19日にもゲリラが志願防衛隊キャンプを攻撃し,1人死亡,16人を負傷させた。スラポン副警察局長発表によると,10月6日以降2ヵ月間で170回の戦闘があり,ゲリラの死者38,捕虜22,投降11,警察の死者25,負傷51人,戦闘回数は東北部82件,北部20件,南部62件,中部5件(すべてプラチンブリー県)。 |
DIA-204-1976-12-20-2 | タイ | 1976年12月20日 | 1970年代 | 首相フィリピン訪間に出発―22日帰国。 |
DIA-204-1976-12-21-1 | タイ | 1976年12月21日 | 1970年代 | タイ・フィリピン会談―ターニン首相,マルコス大統領と会談。経済文化協力促進と軍事情報交換で合意。1億バーツ相当のバーター貿易合意-フィリピンの化学肥料とタイのもち米,メイズ。 |
DIA-204-1976-12-22-1 | タイ | 1976年12月22日 | 1970年代 | ゲリラの攻撃でスラータニー県副知事死亡―警察のヘリコプターが銃撃を受け,ソムサック副知事死亡,サガット警察少将が負傷した。政府軍はロッブリーの特殊戦センターから落下傘部隊をスラータニーに急派。 |
DIA-204-1976-12-23-1 | タイ | 1976年12月23日 | 1970年代 | 反共自衛軍育成―ウインユー地方行政局長発表。東北および北部の共産主義浸透地域14県に,1隊250人の市民軍部隊を3500隊創設(志願制)し,共産ゲリラの浸透を防ぐ。 |
DIA-204-1976-12-25-1 | タイ | 1976年12月25日 | 1970年代 | エジプト航空機ドンムアン空港近くに墜落―空港近くのThai Weaving Industry工場に墜落。飛行機乗員全員死亡。同工場労働者中少なくも3人死亡,少なくも17人行方不明,約30人負傷。 |
DIA-204-1976-12-25-2 | タイ | 1976年12月25日 | 1970年代 | ブリラム県でゲリラと衝突―ラハーンサーイ郡。ゲリラ5人,政府軍2人死亡。 |
DIA-204-1976-12-26-1 | タイ | 1976年12月26日 | 1970年代 | ナーン県でゲリラの攻撃―メーチャリム支郡,約100人のゲリラがナーン~メーソム間国道で政府軍を攻撃し,兵士22人死亡,4人を負傷させた。また政府軍哨所も70人のゲリラに襲われ,政府軍は全員逃亡。 |
DIA-204-1976-12-27-1 | タイ | 1976年12月27日 | 1970年代 | タノムらの告訴取下げ―1973年10月14日事件に関するタノム,プラパート,ナロン3人に対する告訴取り下げの文書に警察局長が署名。これによってまだ国外にいるプラパート,ナロンは自由に帰国できることとなる。 |
DIA-204-1976-12-29-1 | タイ | 1976年12月29日 | 1970年代 | 南部共産ゲリラ指導者逮捕に懸賞金―16人のゲリラ指導者逮捕(生死を問わず)に3万~10万バーツの懸賞金。これによってゲリラ内部からの諜反をも狙う計画。10万バーツはスラータニー,ナコンシータマラート地区の指導者チャムノン・チョンチット,他の幹部は3万~5万バーツ。 |
DIA-204-1976-12-29-2 | タイ | 1976年12月29日 | 1970年代 | スラータニーへ海兵隊派遣―来年1月にゲリラ掃討の大作戦を展開する。ロッブリーの落下傘部隊も参加する。 |
DIA-204-1976-12-29-3 | タイ | 1976年12月29日 | 1970年代 | エア・サヤ-ム運航停止―1977年1月1日から運航を停止すると発表。不明確な政府の航空政策と,累積する赤字(毎月5000万バーツ)に耐えきれなくなったことが理由。乗客の問題はすべて政府に責任があると述べている。 |
DIA-204-1976-12-29-4 | タイ | 1976年12月29日 | 1970年代 | 砂糖工場新設禁止―5年間禁止,現在41工場が操業中。 |
DIA-204-1976-12-29-5 | タイ | 1976年12月29日 | 1970年代 | ラオス国境警備強化―難民急増のため。12月25~29日で800~1000人がタイ領へ逃げこんできた。大半は鉄道建設に従事させられていた者。 |
DIA-204-1977-01-01-1 | タイ | 1977年01月01日 | 1970年代 | 国家擁護を呼びかけ―国王は国民への新年の挨拶で,一般情勢はまだあまり明るくないこと,緊急かつ効果的な開発が必要であると指摘し,国民の団結と国家擁護を訴えた。またターニン首相も,共産テロリスト根絶のために政府への協力を呼びかけた。 |
DIA-204-1977-01-01-2 | タイ | 1977年01月01日 | 1970年代 | ウパディット外相談―インドシナ戦後の地域の真空は外部の力に頼らず,ASEAN加盟国自身で埋めるべきである。 |
DIA-204-1977-01-02-1 | タイ | 1977年01月02日 | 1970年代 | 政府打倒呼びかけ―タイ人民の声放送は,クリエンカモン前全国学生センター書記長ら学生活動家6名の声明(12月1日付)を報道,政府打倒を呼びかけ。 |
DIA-204-1977-01-03-1 | タイ | 1977年01月03日 | 1970年代 | 皇太子御成婚。 |
DIA-204-1977-01-03-2 | タイ | 1977年01月03日 | 1970年代 | 南部の立入禁止区域指定―ピン第4軍区司令官発表。共産ゲリラ全面掃討作戦のため,スラータニー,ナコンシータマラート,パッタルン,ソンクラー,トランの山脈沿い5県と,ヤラー,サトゥーン,ナラティワートの国境3県に立入禁止区域を指定。 |
DIA-204-1977-01-03-3 | タイ | 1977年01月03日 | 1970年代 | 海軍基地建設―アンダマン海防衛のため,パンガー県のターイムアンに海軍基地を建設する。 |
DIA-204-1977-01-04-1 | タイ | 1977年01月04日 | 1970年代 | 皇太子御成婚記念病院建設寄付―3日間で1億1790万バーツに達した。 |
DIA-204-1977-01-06-1 | タイ | 1977年01月06日 | 1970年代 | ゲリラの投降期限―サックディー・トラン県知事によると,8日迄をゲリラの投降期間とし,以後は大掃討作戦を展開する予定で,山脈沿いに住む村民を他へ移住させている。またスーム陸軍司令官によると,パッタルンでは夜間外出禁止令を出し,ゲリラ地域に空からの爆撃を続けている。 |
DIA-204-1977-01-06-2 | タイ | 1977年01月06日 | 1970年代 | 左派学生非難―クリエンサック国軍副司令官は,共産ゲリラの活動活発化は左派学生がジャングルに逃げこんだ(推定600人)のも一因である,彼らを引き戻せるかどうかは政府次第だが,戻って来なければ弾圧すべきである。政府はあまりおしゃべりせずにもっと行動すべきだと語った。 |
DIA-204-1977-01-07-1 | タイ | 1977年01月07日 | 1970年代 | ベトナムの戦力懸念―スーム陸軍司令官は,ベトナムは米軍が残した武器を大量に持っており,タイもそれに対抗出来るだけの軍備増強が必要だと語った。 |
DIA-204-1977-01-07-2 | タイ | 1977年01月07日 | 1970年代 | メコン河のパトロール一時中止―ラオス軍との小ぜりあいが頻繁にあること,および乾季による水位低下が理由。陸上パトロールに切りかえる。 |
DIA-204-1977-01-08-1 | タイ | 1977年01月08日 | 1970年代 | プラバート元副首相帰国―ヨット陸軍司令官補佐が出迎え。 |
DIA-204-1977-01-08-2 | タイ | 1977年01月08日 | 1970年代 | 左派が秘密集会―ウィチエン首都警察長官は,左派系の学生や労働者は秘密集会を開き,陰謀を放棄していないと警告した。 |
DIA-204-1977-01-08-3 | タイ | 1977年01月08日 | 1970年代 | 米緩衝在庫設置勧告―米価統制委員会は,政府の米買い上げにより米価を適正水準に押し上げるため緩衝在庫設置を勧告した。 |
DIA-204-1977-01-09-1 | タイ | 1977年01月09日 | 1970年代 | 米太平洋海軍司令官訪タイ―MauriceF.Weisner司令官訪タイ。12日まで滞在。 |
DIA-204-1977-01-09-2 | タイ | 1977年01月09日 | 1970年代 | 学生に帰宅呼びかけ―政府軍飛行機は南部山中にビラをまき,学生達が帰宅するなら罰しないと投降を呼びかけた。空からの爆撃は続けられている。 |
DIA-204-1977-01-10-1 | タイ | 1977年01月10日 | 1970年代 | 共産圏訪問禁止―閣議で政府機関代表団の共産圏諸国訪問を禁止。 |
DIA-204-1977-01-10-2 | タイ | 1977年01月10日 | 1970年代 | 陸軍テレビ外国映画放映停止―外国映画の放映をやめ,愛国心を鼓舞する国産映画のみとする。76年末の外国映画フィルム課税14倍化に続く規制措置。 |
DIA-204-1977-01-12-1 | タイ | 1977年01月12日 | 1970年代 | プラパート元副首相国王に拝閲―2時間会談。 |
DIA-204-1977-01-14-1 | タイ | 1977年01月14日 | 1970年代 | ビッグスター作戦―タイとマレーシア両軍は,ソンクラー県サダウ郡で共産ゲリラ合同鎮圧作戦を開始した。参加兵力はタイ側1500人,マレーシア側2000人。 |
DIA-204-1977-01-14-2 | タイ | 1977年01月14日 | 1970年代 | Air Siam社の運航免許を2週間停止。 |
DIA-204-1977-01-14-3 | タイ | 1977年01月14日 | 1970年代 | プラパート元副首相記者会見―政治はもう沢山だ。しかし将来どうするかはわからない。73年10月政変は共産主義者の煽動によるものであり,当時の13人逮捕命令は正しかったと思っている。 |
DIA-204-1977-01-14-4 | タイ | 1977年01月14日 | 1970年代 | 武器提出命令―スラータニー県ウィエンサラ郡の全住民に対し,武器弾薬を当局に提出するよう命令。 |
DIA-204-1977-01-15-1 | タイ | 1977年01月15日 | 1970年代 | タイ人民の声放送―教師の権利擁護センターメンバーの声明(1月8日付)発表。 |
DIA-204-1977-01-17-1 | タイ | 1977年01月17日 | 1970年代 | 学制改革承認―新学期から実施。初等教育は現行7年を6年に,高校教育は2年を3年に変える。 |
DIA-204-1977-01-17-2 | タイ | 1977年01月17日 | 1970年代 | 政府の資本参加ガイドライン―投資委員会が認可した株式会社に対してのみ,49%までの政府の資本参加を認める。近く投資委員会で承認の見込み。 |
DIA-204-1977-01-17-3 | タイ | 1977年01月17日 | 1970年代 | 砂糖工場新設禁止―政府は6項目の砂糖対策を決定,工場の新設や拡張は5年間禁止される。 |
DIA-204-1977-01-19-1 | タイ | 1977年01月19日 | 1970年代 | ゲリラ幹部18人逮捕―ターニン首相はビッグスター作戦でこれまでゲリラ130人を捕虜とし,このうち18人は幹部級であると報告。マレーシアのイブラヒム陸軍参謀長が18日に来タイ,作戦の進行を協議。 |
DIA-204-1977-01-20-1 | タイ | 1977年01月20日 | 1970年代 | ビッグスター作戦拡大―パダンベサールでの両国軍首脳会議で決定。従来国境から19km迄のサダウ郡内に作戦は限られていたが,今後はマレーシア軍がさらにタイ領内深く作戦を展開する。 |
DIA-204-1977-01-20-2 | タイ | 1977年01月20日 | 1970年代 | ASEAN経済閣僚会議―於マニラ,タイからはスティー商相が出席。 |
DIA-204-1977-01-20-3 | タイ | 1977年01月20日 | 1970年代 | 繊維輸入関税障壁―投資委員会は化繊製品に対する20~30%の輸入課徴金をさらに一年継続と決定。 |
DIA-204-1977-01-21-1 | タイ | 1977年01月21日 | 1970年代 | 首都の外出禁止緩和―スーム首都治安維持司令官発表。2月1日から午前1時~4時半とする。 |
DIA-204-1977-01-21-2 | タイ | 1977年01月21日 | 1970年代 | スト指導者逮捕―サラブリー県の製陶工場の労働者15人をスト煽動の容疑で逮捕した。カモン全国治安維持司令官は,ストやロックアウトには厳罰でのぞむと警告した。 |
DIA-204-1977-01-25-1 | タイ | 1977年01月25日 | 1970年代 | 投資促進アピール―ターニン首相は欧州諸国,米国,日本の商業会議所会員約1000人に対し,新投資法の概要を説明,外国企業の投資促進を要請した。 |
DIA-204-1977-01-25-2 | タイ | 1977年01月25日 | 1970年代 | ウパディット外相ビルマを非公式訪問。 |
DIA-204-1977-01-26-1 | タイ | 1977年01月26日 | 1970年代 | 深水港建設へ―政府はレームチャバンに深水港建設を認可した。総面積1万ライのうち,3157ライは工業団地公社による輸出加工区が建設される。 |
DIA-204-1977-01-26-2 | タイ | 1977年01月26日 | 1970年代 | 価格統制―暴利取締委員会は繊維製品,タイヤ,自動車,洗済,歯磨等18品目の価格統制を発表。 |
DIA-204-1977-01-27-1 | タイ | 1977年01月27日 | 1970年代 | Billiton社の錫採掘権認可。 |
DIA-204-1977-01-27-2 | タイ | 1977年01月27日 | 1970年代 | カンボジア兵侵入―国境沿いの3村を砲撃し,村民8人と国境警備警察1人死亡。戦闘継続中。 |
DIA-204-1977-01-29-1 | タイ | 1977年01月29日 | 1970年代 | カンボジア国境閉鎖―27日の事件による戦闘は29日朝に終った。死者は30人を越すとみられる。 |
DIA-204-1977-01-30-1 | タイ | 1977年01月30日 | 1970年代 | リークアンユー首相訪タイ。 |
DIA-204-1977-01-31-1 | タイ | 1977年01月31日 | 1970年代 | ターニン・リー会談―ASEAN工業プロジェクト,投資,関税引下げ等を含む相互協力協議。 |
DIA-204-1977-01-31-2 | タイ | 1977年01月31日 | 1970年代 | ブンチャイ副首相カンボジアに警告―タイ人大量虐殺に厳しい措置をとる。アランヤプラテートの連絡事務所を通じての抗議が効果なければ国連に提訴する。タイ兵を領土外に派遣はしないが,侵略は容認しない。 |
DIA-204-1977-02-01-1 | タイ | 1977年02月01日 | 1970年代 | カンボジアに正式抗議―ポイペトで抗議文を手交。抗議とあわせて緊急かつ正当な補償を要求。 |
DIA-204-1977-02-01-2 | タイ | 1977年02月01日 | 1970年代 | 機甲師団放送局に異変―ウターン番組編成局長は,国家のために全力を尽したが,誤った愛国の仕方であるとの批判を受けた,これ以上我々は国のために尽すことが出来ない,国土防衛は国民の手にゆだねる,私の身柄はスーム陸軍司令官に預けると発表して放送を停止し,その後ずっと軍歌を流し続けた。 |
DIA-204-1977-02-02-1 | タイ | 1977年02月02日 | 1970年代 | ―タイ・シンガポール共同声明―ASEAN地域への投資と貿易増大を先進国に呼びかける。先進国との経済面の対話促進。タイ・シンガポール両国は相互に関税10%引下げ。投資保証協定の締結,二国間の経済協力,ASEAN工業プロジェクトの市場協力。 |
DIA-204-1977-02-03-1 | タイ | 1977年02月03日 | 1970年代 | ウパディット外相マレーシアのペナン訪問。 |
DIA-204-1977-02-03-2 | タイ | 1977年02月03日 | 1970年代 | 運輸省Air Siam社の免許取消。 |
DIA-204-1977-02-03-3 | タイ | 1977年02月03日 | 1970年代 | 繊維救済委員会設立―議長はウィモン工業次官。 |
DIA-204-1977-02-04-1 | タイ | 1977年02月04日 | 1970年代 | タイ・マレーシア新国境協定仮調印。 |
DIA-204-1977-02-05-1 | タイ | 1977年02月05日 | 1970年代 | ウパディット外相シンガポール訪問。 |
DIA-204-1977-02-05-2 | タイ | 1977年02月05日 | 1970年代 | ビッグスター作戦終了―タイ軍は引続きスラータニー,ナコンシータマラート,トラン,パッタルンの4県で作戦を継続する。マレーシア軍は撤退完了。この作戦でゲリラキャンプ9を占領,ゲリラ25人を殺し,17人を負傷させた。 |
DIA-204-1977-02-08-1 | タイ | 1977年02月08日 | 1970年代 | 山地種族を訓練―ソムサック第3軍区司令官によると,北部共産ゲリラに対抗して5個連隊の山地種族部隊を訓練し,政府軍と協力して戦果をあげている。 |
DIA-204-1977-02-09-1 | タイ | 1977年02月09日 | 1970年代 | ラオス兵と交戦―ノンカイ県シーチェンマイ郡で,難民を追跡してきたラオス兵とタイ国境警察が交戦してラオス兵1人死亡。ラオス難民が連日タイに流入しているため国境の緊張が高まり,小規模な戦闘が続いている。 |
DIA-204-1977-02-09-2 | タイ | 1977年02月09日 | 1970年代 | 中タイ貿易協定調印―於北京。 |
DIA-204-1977-02-10-1 | タイ | 1977年02月10日 | 1970年代 | 国境の村焼く―プラチンブリー県。自由クメール兵を追ってカンボジア兵がタイ領内侵入。住民の家16軒や穀物倉庫に放火。 |
DIA-204-1977-02-11-1 | タイ | 1977年02月11日 | 1970年代 | ディーゼルエンジン国産化へ―投資委員会が投資奨励対象とすることを決定。 |
DIA-204-1977-02-12-1 | タイ | 1977年02月12日 | 1970年代 | タイ人民の声放送―タイ・ムスリム学生指導者2人の闘争声明(1月28日付)発表。 |
DIA-204-1977-02-13-1 | タイ | 1977年02月13日 | 1970年代 | ゲリラが皇太子一行襲撃―ペッチャブーン県ロムサック部のソムデート基地へ向う皇太子一行をゲリラが襲撃したが,撃退された。 |
DIA-204-1977-02-13-2 | タイ | 1977年02月13日 | 1970年代 | 女子学生のゲリラ死亡―スラータニー県で警察署をゲリラが攻撃,ゲリラ10人死亡(うち女子学生5人)。警官は3人死亡。 |
DIA-204-1977-02-14-1 | タイ | 1977年02月14日 | 1970年代 | 僧もゲリラに参加―最高司令部によると,青年僧侶運動のリーダー,Maha Chad Kongsukは2月に僧籍を離れて南部のゲリラに参加している。 |
DIA-204-1977-02-15-1 | タイ | 1977年02月15日 | 1970年代 | タイ・ラオス会談―ウパディット外相陸路ラオスに入国。国境問題と航空交渉で会談。 |
DIA-204-1977-02-16-1 | タイ | 1977年02月16日 | 1970年代 | 王女ゲリラに殺さる―王妃名代で国境警察慰問に出かけたウィパーワディー王女の乗ったヘリコプターが,スラータニー県ウィエンサラ郡でゲリラの狙撃にあい,王女は死亡した。 |
DIA-204-1977-02-16-2 | タイ | 1977年02月16日 | 1970年代 | 外人記者追放―Far Eastern Economic ReviewのNorman Pegam記者。同誌2月11日号で軍と政府の内部対立を報道したため,政府が国外追放を命じた。 |
DIA-204-1977-02-16-3 | タイ | 1977年02月16日 | 1970年代 | カンボジアが返書―1月27日の大量虐殺については触れず,同地域はカンボジア領であるとしてタイ政府に謝罪を要求。 |
DIA-204-1977-02-18-1 | タイ | 1977年02月18日 | 1970年代 | スラータニーへ軍隊増派―近隣諸県から派遣。情勢が悪化すれば南部3県の海兵隊も派遣する。 |
DIA-204-1977-02-18-2 | タイ | 1977年02月18日 | 1970年代 | 社会主義連合戦線党闘争声明―タイ人民の声放送は,広範な革命的連合戦線への結集を呼びかけた同党々員2人の声明(1月10日付)を発表。 |
DIA-204-1977-02-18-3 | タイ | 1977年02月18日 | 1970年代 | 経済改革とゲリラ鎮圧―ターニン首相は内閣と首相顧問会議の昼食会で演説し,ゲリラ鎮圧予算の大幅増額,6週間の地方自助開発計画の実施,3~4年後近隣諸国が強力な経済的ライバルとなることに対処するための緊急経済改革計画,農業開発重視を訴えた。 |
DIA-204-1977-02-22-1 | タイ | 1977年02月22日 | 1970年代 | タノム元首相記者会見―政界には戻らないが,助言する用意はある。回顧録を執筆する予定。 |
DIA-204-1977-02-22-2 | タイ | 1977年02月22日 | 1970年代 | タイ人民の声放送―タイ人民連合戦線プラサートポン書記長の声明(12月26日付)を発表。 |
DIA-204-1977-02-22-3 | タイ | 1977年02月22日 | 1970年代 | タイは200海里宣言せず―漁業関係閣僚会議で一致,その代りバングラデシュには200海里内でのタイの操業認可を求ある。 |
DIA-204-1977-02-23-1 | タイ | 1977年02月23日 | 1970年代 | ウパディット外相マニラへ―ASEAN外相会議出席のため。外相は出発前に,ラオスとの航空交渉は成功した,またビェンチャンでベトナム大使と会ったが,ベトナム側はタイ航空のベトナム上空通過交渉について,タイ代表団受入れの準備が出来ていると連絡してきたと語った。 |
DIA-204-1977-02-23-2 | タイ | 1977年02月23日 | 1970年代 | 米・タイ海軍合同上陸演習。 |
DIA-204-1977-02-24-1 | タイ | 1977年02月24日 | 1970年代 | 相互特恵関税協定―ASEAN外相会議で調印。 |
DIA-204-1977-02-24-2 | タイ | 1977年02月24日 | 1970年代 | 就職難―労働局によると,大卒,職業学校卒の各61%の就職がまだ決っていない。 |
DIA-204-1977-02-25-1 | タイ | 1977年02月25日 | 1970年代 | 第9回アジア特殊戦司令官会議―於ロッブリー。参加国は米国,韓国,タイ,シンガポール,フィリピン。 |
DIA-204-1977-02-26-1 | タイ | 1977年02月26日 | 1970年代 | ゲリラ掃討作戦―ナコンシータマラートで開始。夜間外出禁止令施行(夜8時から翌朝5時迄)。8郡に経済封鎖命令(3月1日から更に2郡追加する)を出し,食料や石油等戦略物資保有者は郡役所に報告し,毎日の販売量と客の住所氏名を24時間以内に報告すること,5人以上の事業所では全員の経歴を15日以内に報告すること,物資の移動は週2回のみとして量や輸送手段を規制するとしている。また3月1日までにすべての武器を当局に提出するよう命令。 |
DIA-204-1977-02-26-2 | タイ | 1977年02月26日 | 1970年代 | タイ人民の声放送―ウィパーワディー王女死亡に関して政府や軍に反論し,政府軍の村民虐殺,国境警察 の人民殺害,麻薬や密輸取引関与を指摘し,人民の敵の車に同乗することは避けるよう国民に呼びかけ。 |
DIA-204-1977-02-28-1 | タイ | 1977年02月28日 | 1970年代 | スラータニーでも外出禁止―従来実施のウィエンサラ郡の他に,ムアン部を含む3郡に外出禁止令および経済封鎖布告。 |
DIA-204-1977-03-04-1 | タイ | 1977年03月04日 | 1970年代 | タイ・マレーシア国境協定調印―新協定では長期駐留は認めないが,軍隊の越境追跡権を承認。なおマレーシアのフセイン・オン首相がタイを訪問,ターニン首相と会談。 |
DIA-204-1977-03-04-2 | タイ | 1977年03月04日 | 1970年代 | タイ人民の声放送―7人のジャーナリストの闘争声明(2月20日付)を発表。 |
DIA-204-1977-03-06-1 | タイ | 1977年03月06日 | 1970年代 | タイ・マレーシア共同声明発表。 |
DIA-204-1977-03-06-2 | タイ | 1977年03月06日 | 1970年代 | タイ援助を約束,マレーシア首相記者会見―タイが侵略されて援助を求めるなら出来るだけ援助する。ASEANは軍事ブロックではないが,防衛上の観点を無視するものではなく,相互防衛協定を除外しない。 |
DIA-204-1977-03-06-3 | タイ | 1977年03月06日 | 1970年代 | カンボジアと交戦―2カ所で戦闘,警官1人死。 |
DIA-204-1977-03-11-1 | タイ | 1977年03月11日 | 1970年代 | 外国人職業規制法改正案―改革議会第一読会通過。 |
DIA-204-1977-03-11-2 | タイ | 1977年03月11日 | 1970年代 | 発禁本指定―共産主義,社会主義に関する本100冊の販売や所持を禁止。 |
DIA-204-1977-03-12-1 | タイ | 1977年03月12日 | 1970年代 | タイ人民の声放送―カムパン・インタイから2人のムスリム学生指導者への公開書状(2月15日付)で,北部における闘いを述べると同時に,国家・宗教・国王の3つの国体はファシスト独裁者の権力維持の道具にすぎないと批判。 |
DIA-204-1977-03-12-2 | タイ | 1977年03月12日 | 1970年代 | 米軍機再飛来―タイへの軍事援助物資輸送再開。77米会計年度は援助800万ドル,長期軍事借款3000万ドルとなっている。 |
DIA-204-1977-03-14-1 | タイ | 1977年03月14日 | 1970年代 | 第2次ビッグスター作戦開始―ソンクラー県サダウ郡。タイ軍1400人,マレーシア軍3200人。 |
DIA-204-1977-03-16-1 | タイ | 1977年03月16日 | 1970年代 | スリランカ大統領訪タイ。 |
DIA-204-1977-03-16-2 | タイ | 1977年03月16日 | 1970年代 | リビアと国交樹立。 |
DIA-204-1977-03-16-3 | タイ | 1977年03月16日 | 1970年代 | 天然ガス公社設立。 |
DIA-204-1977-03-18-1 | タイ | 1977年03月18日 | 1970年代 | 原発計画修正―国家動力庁,原子力発電最終計画を提出。計画の遅れから総額は80億バーツから130億バーツに膨張。容量60万kW。 |
DIA-204-1977-03-18-2 | タイ | 1977年03月18日 | 1970年代 | タイ人民の声放送―タイ農民連盟シートン副委員長の闘争声明を発表。 |
DIA-204-1977-03-18-3 | タイ | 1977年03月18日 | 1970年代 | サマック内相暗殺未遂―ラムパーン県。テレビ局からの帰路,手榴弾と銃撃が内相の車を襲う。サマック内相は軽傷を負った。 |
DIA-204-1977-03-23-1 | タイ | 1977年03月23日 | 1970年代 | ビルマ国境の村砲撃さる―ターク県メーソット郡ワンカー村。ビルマ政府軍とカレン族反乱軍の戦闘で,約20発の砲弾が国境を越えて直撃。50人以上死亡。450戸中250戸以上が全焼。 |
DIA-204-1977-03-25-1 | タイ | 1977年03月25日 | 1970年代 | 乾季開発計画―6週間の乾季自助自主開発計画を開始。650万人が参加予定。 |
DIA-204-1977-03-25-2 | タイ | 1977年03月25日 | 1970年代 | マスコミ機構設置。 |
DIA-204-1977-03-26-1 | タイ | 1977年03月26日 | 1970年代 | クーデター失敗―早朝チャラート元陸軍副司令官を首謀者とするカンチャナブリ第9師団の兵300人が広報局,最高司令部,第1師団司令部を占領。9時のラジオ放送で,プラスート陸軍副司令官を頭とする革命団が権力を掌握したと発表した。これに対しスーム陸軍司令官はテレビを通じて,三軍は依然政府を支持しており,反乱グループの投降,市民の平静を呼びかけた。その後スームやサガット国防相は,クーデターの首謀者はチャラートであること,プラスートは捕虜となって首領となることを強制されたと発表した。アルン第一師団長は反乱軍への参加を拒否して射殺された。政府軍は反乱軍のたてこもる建物を包囲し,反乱兵は相次いで投降,さらにクリエンサック国軍副司令官は,人質となっているプラスートとプラローン陸軍参謀長の解放と引換えに,チャラートら首謀者5人の国外亡命を認めることとして,反乱兵全員を投降させた。クリエンサックはチャラートら5人を空港まで送り,台北行きの中華航空機に乗せたが,その後台湾政府は5人の入国を拒否したため,タイ空軍は5人を逮捕した。 |
DIA-204-1977-03-27-1 | タイ | 1977年03月27日 | 1970年代 | 5人を軍事裁判に―サガット国防相は,反乱および殺人容疑で首謀者5人を軍事裁判にかける,彼らを亡命させる考えはないと発表。 |
DIA-204-1977-03-27-2 | タイ | 1977年03月27日 | 1970年代 | ブンチャイ副首相内閣改造否定―内閣を改造する理由はない。政府は事前に知らされていなかった。噂が沢山ありすぎてあまり重大に考えていなかった。 |
DIA-204-1977-03-28-1 | タイ | 1977年03月28日 | 1970年代 | クリエンサック国軍副司令官記者会見―クーデター計画について徹底的な調査を行なう。元政治家や実業家が関与しているかどうかも調べる。300人の兵隊でクーデターを行なうのは気狂い沙汰であり,誰かが背後にいる。軍は7~8日前に気付いたが,リーダーは兵士から尊敬されず,現役でもないので軽くみていた。兵士は罰しないが,軍曹以上は処分する。 |
DIA-204-1977-03-28-2 | タイ | 1977年03月28日 | 1970年代 | クーデター参加容疑者逮捕―ラックサック広報局長とチャーウタイ紙顧問ピチャイを逮捕。 |
DIA-204-1977-03-29-1 | タイ | 1977年03月29日 | 1970年代 | 法制局次長逮捕―クーデター参加容疑でアモン次長を拘留。 |
DIA-204-1977-03-30-1 | タイ | 1977年03月30日 | 1970年代 | ジャーナリスト3人逮捕―クーデター謀議でチャーウタイ紙のソムブーン編集長,シーラ次長,デーリーニュース紙のソムチャイ編集委員逮捕。アノップ警察大佐も逮捕した。 |
DIA-204-1977-03-30-2 | タイ | 1977年03月30日 | 1970年代 | 中古車の車体輸入禁止―中古車輸入は3年前に禁止されているが,最近は車体とエンジンを切り離して輸入する者が出てきたため。 |
DIA-204-1977-03-31-1 | タイ | 1977年03月31日 | 1970年代 | ウィーラが出頭―ウィーラ元民主党国会議員(チャーウタイ紙コラムニスト)がクーデター参加容疑を晴らすため警察に出頭。 |
DIA-204-1977-04-02-1 | タイ | 1977年04月02日 | 1970年代 | クーデター援助者逮捕―ウィチエン警察大尉を逮捕。 |
DIA-204-1977-04-06-1 | タイ | 1977年04月06日 | 1970年代 | クーデター参加容疑者―チャルーム元陸軍輸送局長,ソムポート・チャーウタイ紙取締役,デーチャ警察大尉を指名手配。 |
DIA-204-1977-04-07-1 | タイ | 1977年04月07日 | 1970年代 | 犠牲者追悼式―国王出席の下に,昨年共産ゲリラとの闘いで死亡した553人の合同慰霊祭挙行。内訳は兵士272人,警官112人,民兵159人,民間人10人。 |
DIA-204-1977-04-09-1 | タイ | 1977年04月09日 | 1970年代 | ラオス政府が抗議―3月29日以来メコン河のChin Chu島を反乱分子が占領していることについて,ラオスの安全を脅やかし,タイ・ラオス友好関係を危機に落し入れるものであるとタイ政府に抗議。タイ軍は国境で厳戒体制。 |
DIA-204-1977-04-10-1 | タイ | 1977年04月10日 | 1970年代 | マレーシアのガザリ国務相訪タイ。 |
DIA-204-1977-04-10-2 | タイ | 1977年04月10日 | 1970年代 | カンボジア兵侵入―チャンタブリー県,国境警察と交戦,民家17軒と倉庫3軒全焼。 |
DIA-204-1977-04-11-1 | タイ | 1977年04月11日 | 1970年代 | タイ・マレーシア国境委員会―共産ゲリラ掃討作戦の拡大強化で合意。 |
DIA-204-1977-04-13-1 | タイ | 1977年04月13日 | 1970年代 | 4人の軍籍剥奪―スーム陸軍司令官命令,クーデター首謀者のサナン中佐ら4人の軍籍剥奪。 |
DIA-204-1977-04-14-1 | タイ | 1977年04月14日 | 1970年代 | 首相大権発動で麻薬運搬人処刑―大権発動による死刑命令第1号。処刑は15日。 |
DIA-204-1977-04-14-2 | タイ | 1977年04月14日 | 1970年代 | 民兵組織―ソムサック第3軍区司令官によると,共産ゲリラに対抗するため,ペッチャブーン県で民兵組織を作っている。 |
DIA-204-1977-04-16-1 | タイ | 1977年04月16日 | 1970年代 | サマック内相帰国―米国,カナダ,日本訪問終える。米国ではタイ人学生から数回爆弾の脅迫あり。 |
DIA-204-1977-04-20-1 | タイ | 1977年04月20日 | 1970年代 | ESCAP総会開幕―ラオス代表のヌハン副外相は,タイがラオスの反政府勢力を援助していると強く非難した。 |
DIA-204-1977-04-20-2 | タイ | 1977年04月20日 | 1970年代 | 第2次ビッグスター作戦終了―ゲリラのキャンプ18カ所を破壊した。 |
DIA-204-1977-04-21-1 | タイ | 1977年04月21日 | 1970年代 | チャラートを処刑―首相大権発動。チャラート元陸軍大将死刑。他の4人には終身刑を命令。 |
DIA-204-1977-04-21-2 | タイ | 1977年04月21日 | 1970年代 | クリエンサック訪米―クリエンサック国軍副司令官は友好関係強化と米国の援助要請のため訪米。 |
DIA-204-1977-04-21-3 | タイ | 1977年04月21日 | 1970年代 | ラオス副外相と会談―ウパディット外相はラオスのヌハン副外相と会談,両国関係改善のため,高官の定期協議と大使の早期交換について合意。ベトナム,ラオスとタイの非公式接触は3日間続いている。 |
DIA-204-1977-04-25-1 | タイ | 1977年04月25日 | 1970年代 | タイ人民の声放送チャラート処刑を論評―チャラートと麻薬運搬人の突然の処刑は,彼らがクリエンサック大将が麻薬のボスであることを明らかにしようとしたために,黙らせるために処刑した。クリエンサックの突然の訪米は,文民と軍部の権力闘争が続いていることを示している。 |
DIA-204-1977-04-26-1 | タイ | 1977年04月26日 | 1970年代 | 首都議会紛糾―タマヌーン知事に反対して副知事2人と議員14人が辞表提出。 |
DIA-204-1977-04-26-2 | タイ | 1977年04月26日 | 1970年代 | 機動隊移管―機動隊を警察局から首都治安維持司令官の管轄に移転。また警察の特殊兵器戦術部隊廃止。 |
DIA-204-1977-04-27-1 | タイ | 1977年04月27日 | 1970年代 | ベトナム人逮捕―ウドン県で54人を転覆活動容疑で逮捕(28日にも2人逮捕)。 |
DIA-204-1977-04-29-1 | タイ | 1977年04月29日 | 1970年代 | 首都知事罷免―ターニン首相は大権を発動し,首都行政府と議会の解散を命令。サマック内相はチェンマイのチャロー知事を新首都知事に任命。副知事4人と議員45人も同日任命した。 |
DIA-204-1977-04-29-2 | タイ | 1977年04月29日 | 1970年代 | 6月にビエンチャンで会談―タイ,ラオス,ベトナム3国代表は,6月にメコン委員会再開について協議を続けることで合意。3カ国の共同声明発表。 |
DIA-204-1977-04-30-1 | タイ | 1977年04月30日 | 1970年代 | 汚職税関吏逮捕―カンボジアへ戦略物資を密輸した罪で,アランヤプラテートの税関吏24人,警官5人や商人を逮捕。 |
DIA-204-1977-05-03-1 | タイ | 1977年05月03日 | 1970年代 | 東北部で立入禁止区域指定―プレム第2軍区司令官によると,ウボン,ブリラム,コーラート,シーサケート,サコンナコン,ナコンパノム6県の50村以上を立入禁止区域として,村民は強制移住させ,共産ゲリラ掃討作戦を行なっている。期間は4月25日から6カ月間としている。 |
DIA-204-1977-05-03-2 | タイ | 1977年05月03日 | 1970年代 | 14労組解散命令―首都教員組合,ホテル労組,白バス労組等,労組設立に関する法律違反による。 |
DIA-204-1977-05-05-1 | タイ | 1977年05月05日 | 1970年代 | 対ラオス経済援助―ウォン外務次官一行がラオスを訪問して経済援助目録(1000万バーツ相当,もち米,子豚等)を渡した。貿易や国境問題も協議。 |
DIA-204-1977-05-05-2 | タイ | 1977年05月05日 | 1970年代 | 新投資奨励法発効。 |
DIA-204-1977-05-07-1 | タイ | 1977年05月07日 | 1970年代 | 社会党が統一戦線呼びかけ―タイ人民の声放送はタイ社会党の声明を発表し,同党が4月6日に中央委員会を開き,4項目の緊急政策と常任委員設置を決めたと報道。政策は①各階層の団結による民族民主戦線の結成,②タイ人民解放軍との協力,③国民の生活改善,④独立,自主,非同盟外交を決めている。中央委員会の上におかれる常任委員会議長にはカイセン・スックサイ,副議長にブンジェン・ウォートーン,書記長にチャムニ・サックディセート,副書記長にチャイワット・スラウィチャイとピラポン・ティヤカセーム,顧問にカムシン・シーノークを選出した。民族民主戦線結成のための会議を呼びかけている。 |
DIA-204-1977-05-08-1 | タイ | 1977年05月08日 | 1970年代 | カンボジア国境で交戦―チャンタブリー県ポーンナムローン郡。カンボジア兵10人死亡,またプラチンブリーでも交戦,カンボジァ兵3人死亡。 |
DIA-204-1977-05-09-1 | タイ | 1977年05月09日 | 1970年代 | 新聞法提案―改革議会議員Chakchaiが提案。新聞社の全員を内務省に登録して許可制とし,誤った報道をした場合は30日間の許可証停止とするのが骨子。 |
DIA-204-1977-05-10-1 | タイ | 1977年05月10日 | 1970年代 | クーデター参加者処分―首相大権発動。18人に5~20年の実刑,2人に終身刑,アモン法制局次長は証拠不十分で釈放。 |
DIA-204-1977-05-11-1 | タイ | 1977年05月11日 | 1970年代 | タイ人民の声放送―サガット=ターニン盗賊集団の魔法の言葉,国家,宗教,国王は76年10月6日のクーデター以後その魔力を失なってきていると論評。 |
DIA-204-1977-05-12-1 | タイ | 1977年05月12日 | 1970年代 | カンボジア兵と交戦―アランヤプラテート,カンボジア兵2人死亡。 |
DIA-204-1977-05-12-2 | タイ | 1977年05月12日 | 1970年代 | 天然ガス計画―天然ガス公社が実行計画提出。パイプラインを80年末迄に敷設。天然ガス及び液化天然ガスの生産は81年から開始する予定。 |
DIA-204-1977-05-13-1 | タイ | 1977年05月13日 | 1970年代 | ジャーナリスト協会新聞法案を批判。 |
DIA-204-1977-05-15-1 | タイ | 1977年05月15日 | 1970年代 | 新聞法反対決議―新聞5社代表会議。 |
DIA-204-1977-05-16-1 | タイ | 1977年05月16日 | 1970年代 | 国境警察を国軍指揮下に―カモン国軍司令官によると,共産ゲリラ掃討効率化のため,国境警察の戦闘部隊を国軍最高司令部指揮下に近く移す予定。 |
DIA-204-1977-05-16-2 | タイ | 1977年05月16日 | 1970年代 | クリエンサック国軍副司令官帰国―バンス国務長官,ホルブルック国務次官,国防省,国家安全保障会議,CIAの高官等と会談した。「米国は引続きタイに経済,軍事援助を与え,また地域の平和をもたらす地域協力支持を約束している」。 |
DIA-204-1977-05-16-3 | タイ | 1977年05月16日 | 1970年代 | 新聞5団体新聞法反対を決議。 |
DIA-204-1977-05-18-1 | タイ | 1977年05月18日 | 1970年代 | ハンガリー貿易使節団訪タイ。 |
DIA-204-1977-05-18-2 | タイ | 1977年05月18日 | 1970年代 | ゲリラ訓練学校―ウボン県知事によると,ラオスとカンボジアに少なくとも3つのタイ人ゲリラ訓練学校がある。 |
DIA-204-1977-05-20-1 | タイ | 1977年05月20日 | 1970年代 | サマック内相暗殺謀議―容疑者2人を逮捕。1人は元全国職業学生センター副書記長。もう1人は大学生で陸軍少将の息子(8月4日武器不法所持罪のみで告訴)。 |
DIA-204-1977-05-21-1 | タイ | 1977年05月21日 | 1970年代 | チュラ大副学長逮捕―サマック内相暗殺謀議の首謀者としてチュラロンコン大学のプラパンポン副学長を逮捕(8月4日証拠不十分で釈放さる)。 |
DIA-204-1977-05-22-1 | タイ | 1977年05月22日 | 1970年代 | 米国務次官補訪タイ―Robert B.Oakley国務次官補訪タイ。 |
DIA-204-1977-05-22-2 | タイ | 1977年05月22日 | 1970年代 | 旧国民党軍ゲリラ掃討に参加―タークで旧国民党軍と国境警察の混成パトロール隊が共産ゲリラの攻撃を受け,旧国民党軍兵士4人死亡。旧国民党軍が政府軍に参加してゲリラ掃討にあたっているとの公式の確認は今回が初めてである。 |
DIA-204-1977-05-25-1 | タイ | 1977年05月25日 | 1970年代 | 米空母寄港―米空母コンステレーション号パタヤーに寄港。ターニン首相やカモン国軍司令官が同艦を視察。 |
DIA-204-1977-05-26-1 | タイ | 1977年05月26日 | 1970年代 | ウパディット外相オークレイ米国務次官補と会談―内容は人権問題,インドシナ難民,対ベトナム関係,米国のタイ援助等多岐にわたっている。外相によると,米議会で承認された800万ドルの軍事援助の他に経済援助を続けること,マニラ協定やタナット=ラスク共同声明にもとずく米国のコミットメントを保証した。 |
DIA-204-1977-05-27-1 | タイ | 1977年05月27日 | 1970年代 | ASEAN労働関係閣僚会議―於パッタヤー。 |
DIA-204-1977-05-27-2 | タイ | 1977年05月27日 | 1970年代 | 新聞法案議会で否決。 |
DIA-204-1977-05-29-1 | タイ | 1977年05月29日 | 1970年代 | ルーイでも立入禁止区域―ブンチャイ副首相はルーイ県でも立入禁止区域を指定したと述べた。近く住民を移住させて共産ゲリラ掃討作戦を行なう。 |
DIA-204-1977-05-29-2 | タイ | 1977年05月29日 | 1970年代 | 国王がクーデター推進―タイ人民の声放送は5月15日付の前広報局報道主任Sri Inthapantiの証言を報道した(資料参照)。 |
DIA-204-1977-05-29-3 | タイ | 1977年05月29日 | 1970年代 | タイ人民の声放送―論評で東北6県の住民強制移住を旧南ベトナムの戦略村の再現と批判。また麻薬取締に触れて,麻薬のボス12人は旧国民党軍でCIAの手先であり,かつクリエンサック国軍副司令官の友人達である,国境警察の大物達もこれに関係していると報道。 |
DIA-204-1977-05-31-1 | タイ | 1977年05月31日 | 1970年代 | 海軍造船所建設―国防自立化の一環としてパクナムに建設する,1980年完成予定。 |
DIA-204-1977-06-01-1 | タイ | 1977年06月01日 | 1970年代 | インドシナ難民―内務省発表,5月末で7万7430人で,ラオスから6万5237人,カンボジア1万753人,ベトナム1450人。既に第3国へ1万3283人が出国。 |
DIA-204-1977-06-02-1 | タイ | 1977年06月02日 | 1970年代 | 米タイ経済技術協力協定調印―1950年9月の旧協定に代るもの。 |
DIA-204-1977-06-02-2 | タイ | 1977年06月02日 | 1970年代 | 地下放送所在地―アンクーン国境警察長官によると,タイ人民の声放送局はラオスのKaen Tao(ルーイ県の対岸)にあり,この町には多くのタイ人学生が逃げてきている。 |
DIA-204-1977-06-05-1 | タイ | 1977年06月05日 | 1970年代 | 列車爆破未遂―スガイコロク~バンコク間急行列車がターセー駅に入る直前,駅構内で爆発があり,列車は脱線しかかった。南部分離運動のPattani United Liberation Organization(PULO)の犯行とみられる。 |
DIA-204-1977-06-05-2 | タイ | 1977年06月05日 | 1970年代 | ラオスでタイ大使館員逮捕さる―広報担当官がラオス政府に逮捕された。 |
DIA-204-1977-06-06-1 | タイ | 1977年06月06日 | 1970年代 | スパット蔵相日本へ―日本からの20億バーツ借款について協議のため。帰路韓国訪問予定。 |
DIA-204-1977-06-09-1 | タイ | 1977年06月09日 | 1970年代 | クーデターの噂否定―ヨット陸軍司令官補が声明を出してクーデターの噂を否定し,事態は正常であると発表。その後国防省も声明発表,軍は政府に全面的協力を与えると言明した。 |
DIA-204-1977-06-09-2 | タイ | 1977年06月09日 | 1970年代 | タイ人民の声放送―クーデターの噂について政府が7日に緊急閣議を開いたと報道,噂の根拠は軍高官,特に実戦部隊を握っている者の昇進をめぐる抗争にあると指摘し,大封建地主グループと軍閥の抗争は激化していると述べた。 |
DIA-204-1977-06-10-1 | タイ | 1977年06月10日 | 1970年代 | クーデターの噂を調査―サガット国防相は調査を命令,右派や左派の影響力を回復し,権力に返り咲こうとしている者によって噂が広められている,3日に若手陸軍将校が深夜突然スーム陸軍司令官宅を訪問したのは異例だが,軍や政府との理解を深める努力のあらわれであると語った。クーデターの噂は市内各所に怪電話で流され,国軍司令官,陸軍司令官,首相,国防相らが逮捕されたと伝えられた他,軍隊内では政府批判が流された。なお3日の青年将校達は内閣改造を要求したとみられる。 |
DIA-204-1977-06-12-1 | タイ | 1977年06月12日 | 1970年代 | 流言防止センター―クリエンサック国軍副司令官は軍部内には問題がないことを強調,流言防止センターを設置すべきだろうと語った。 |
DIA-204-1977-06-16-1 | タイ | 1977年06月16日 | 1970年代 | ウパディット外相インドネシア訪問―マリク外相と会談。 |
DIA-204-1977-06-17-1 | タイ | 1977年06月17日 | 1970年代 | ウパディット外相記者会見―ASEAN諸国が団結しなければ1国ずつ共産主義者の手に落ちる。国家の強靱性を強めるべき。米軍がタイに戻るかどうかは米議会次第である。タイが攻撃されたらASEAN諸国が援助してくれることを望む。 |
DIA-204-1977-06-17-2 | タイ | 1977年06月17日 | 1970年代 | プアイが武装闘争支持表明―タイ人民の声放送は,プァイ前タマサート大学長がスエーデンの新聞とのインタービューで,独裁政府に加担するか人民解放軍に参加するかの2つの道しかない,人民解放軍への薬品と資金の援助をすると語ったと報道。 |
DIA-204-1977-06-22-1 | タイ | 1977年06月22日 | 1970年代 | 難民の移動要求―内務省筋によると,カンボジアとラオスは,国境沿いに住む難民が反政府ゲリラの温床になっており,またタイとの関係正常化を妨害しているとして,これら難民を国境地帯から移動させるよう要求している。 |
DIA-204-1977-06-24-1 | タイ | 1977年06月24日 | 1970年代 | ドンムアン空港爆破―空港出発ロビーで時限爆弾2個のうち1個が爆発。負傷者4人。南部分離主義者の Sabi-lillah(アラーへの道)Muslimグループの犯行で,南部5県の自治権を要求するビラが散乱。 |
DIA-204-1977-06-27-1 | タイ | 1977年06月27日 | 1970年代 | 経済投資計画小委員会設置―議長はサノ中央銀行総裁。経済,投資問題の政策提言を行なう。 |
DIA-204-1977-06-27-2 | タイ | 1977年06月27日 | 1970年代 | ASEAN経済閣僚会議―於シンガポール,特恵関税71品目合意。 |
DIA-204-1977-06-28-1 | タイ | 1977年06月28日 | 1970年代 | 総合製鉄所計画―産業金融公社の計画案を投資委員会が承認。総額100億バーツ,雇用8000人。チョンブリーに建設。政府が20~25%,産業金融公社10%,世銀の国際金融会社が5~10%,国内民間20%の出資比率。残り40%は外資。 |
DIA-204-1977-06-29-1 | タイ | 1977年06月29日 | 1970年代 | ハジャイ駅爆破―ハジャイ駅で2個の時限爆弾が爆発,16人が負傷。犯人はPULOとみられる。 |
DIA-204-1977-06-30-1 | タイ | 1977年06月30日 | 1970年代 | SEATO本部閉鎖。 |
DIA-204-1977-07-01-1 | タイ | 1977年07月01日 | 1970年代 | 首都警察長官解任―モンチャイ警察局長は3月26日クーデターの際に命令通りに行動しなかったとの理由で,ウイチエン首都警察長官を解任した。 |
DIA-204-1977-07-04-1 | タイ | 1977年07月04日 | 1970年代 | スハルト訪タイ―インドネシアのスハルト大統領はターニン首相と,ASEANおよび両国間の貿易協力について会談。 |
DIA-204-1977-07-04-2 | タイ | 1977年07月04日 | 1970年代 | タイ・マレーシア合同鎮圧作戦開始―ヤラー県ベトン郡で「聖なる光」作戦開始。マレー共産党第12連隊を対象とする。8月10日まで。 |
DIA-204-1977-07-05-1 | タイ | 1977年07月05日 | 1970年代 | タイ・インドネシア共同声明発表。 |
DIA-204-1977-07-05-2 | タイ | 1977年07月05日 | 1970年代 | 外相シンガポールへ―ASEAN外相会議出席のため。ウパディット外相は,会議では先進国の保護貿易主義やASEANに対する貿易差別に対抗する措置を検討すると語った。 |
DIA-204-1977-07-06-1 | タイ | 1977年07月06日 | 1970年代 | 陸軍介入の噂否定―スーム陸軍司令官は,ウィチエン首都警察長官解任は陸軍の圧力によるとの噂を否定した。 |
DIA-204-1977-07-07-1 | タイ | 1977年07月07日 | 1970年代 | 合同鎮圧作戦拡大―ナラティワート県ウェーン郡でも掃討作戦(聖なる光Ⅱ作戦)を開始した。マレーシア軍数百人が同郡に人ってタイ軍と合流。マレー共産党第10連隊(約450人)の他,ベトンの第12連隊のうち150人がウェーン郡に移動している。ウェーン郡では夜8時から朝5時までの外出禁止令と検問実施。 |
DIA-204-1977-07-07-2 | タイ | 1977年07月07日 | 1970年代 | 政府の安定保証―クリエンサック国軍副司令官はターニン政権の安定と軍部の支持を表明。また4月に首相大権で処刑された麻薬運搬人は,麻薬取引の背後にクリエンサックがいることの口封じの処刑であるとの西側の新聞報道を否定した。 |
DIA-204-1977-07-07-3 | タイ | 1977年07月07日 | 1970年代 | 内閣不信任の動きに警告―ヨット陸軍司令官補は,議員には不信任動議を出す権利があるが,国家の利益を念頭において行動するようた警告。 |
DIA-204-1977-07-08-1 | タイ | 1977年07月08日 | 1970年代 | 米輸出規制―貿易局は国内販売米確保のため,今後1回1万トン以上の米輸出を許可しないと発表。 |
DIA-204-1977-07-08-2 | タイ | 1977年07月08日 | 1970年代 | オートバイ国産化率引上げ―79年8月2日迄に国産化率を70%とする(現行60%)。また150cc以下のオートバイは2年間輸入を禁止する。 |
DIA-204-1977-07-10-1 | タイ | 1977年07月10日 | 1970年代 | ナロン・キッティカチョン帰国―移民局はナロンの帰国を確認。軍当局は国内各紙に帰国を報道しないよう指示した。 |
DIA-204-1977-07-12-1 | タイ | 1977年07月12日 | 1970年代 | ベトンの町を捜査―タイ軍はベトンの町に潜む共産ゲリラ摘発のため,一軒一軒捜査している。食料がゲリラの手に渡るのを防ぐたあ,住民は一週間分以上の食料備蓄を禁止されている。 |
DIA-204-1977-07-13-1 | タイ | 1977年07月13日 | 1970年代 | 第8回日タイ民間貿易会議終る―77年度の対日輸出目標額は56品目,133億バーツ。 |
DIA-204-1977-07-13-2 | タイ | 1977年07月13日 | 1970年代 | 78年度予算原案決る―総額810億バーツで今年度比20%増。各省別内訳は以下の通り(100万バーツ)。 内務省 18270 文部省 5834 法務省 208 国防省 14746 厚生省 3417 工業省 457 大蔵省 12261 大学庁 2347 公企業 1236 中央基金 7249 外務省 330 その他 224 農林省 7200 総理府 880 運輸省 6176 商務省 165 |
DIA-204-1977-07-13-3 | タイ | 1977年07月13日 | 1970年代 | 日本のベトナム援助に警告―ターニン首相は田口日本貿易代表団長と会談,共産主義との闘いを強調し,日本のベトナム援助は正しいが,与えすぎ又は不必要な援助は日本にとって両刃の剣であると警告した。 |
DIA-204-1977-07-15-1 | タイ | 1977年07月15日 | 1970年代 | 国境戦略村計画―ラオス,ヵンボジアとの国境沿い20ヵ所に戦略的経済自立村を作り,1村500家族としてその60%は元兵士から選ぶ。 |
DIA-204-1977-07-18-1 | タイ | 1977年07月18日 | 1970年代 | 最低賃金引上げ決定―首都圏6県は日給現行25バーツから28バーツに,東北部は16→18バーツ,北部は16→19バーツ,南部と中部は18→21バーツに引上げる。公務員物価手当の200バーツ引上げが行なわれる10月から実施する。引上率は各地の物価上昇率に応じて算定。 |
DIA-204-1977-07-20-1 | タイ | 1977年07月20日 | 1970年代 | 電力料金値上げ―8月から平均20%値上げ, |
DIA-204-1977-07-20-2 | タイ | 1977年07月20日 | 1970年代 | 副国防相訪マ―レック副国防相とクリエンサック国軍副司令官は国境委出席のためマレーシア訪問。 |
DIA-204-1977-07-21-1 | タイ | 1977年07月21日 | 1970年代 | カンボジアと大規模な衝突―20日午後3時からタイ軍とカンボジア兵200人がノーイパライ村で交戦,タイ側17人,カンボジア側46人死亡。タイ軍はヘリコプターや飛行機で銃爆撃を続けている。重戦車と130人の連隊を現地に急派。 |
DIA-204-1977-07-22-1 | タイ | 1977年07月22日 | 1970年代 | カンボジアとの戦闘続く―ウパディット外相はカンボジアに抗議する,問題解決のため外交的接触をはかると語った。 |
DIA-204-1977-07-22-2 | タイ | 1977年07月22日 | 1970年代 | 米輸出抑制強化―貿易局布告。米輸出業者が商務省に売り渡す15%白米(キロ3バーツで買取)の量を2倍とする。100%や5%白米を輸出する場合は輸出量の40%の15%白米を政府に売ることとなる。 |
DIA-204-1977-07-23-1 | タイ | 1977年07月23日 | 1970年代 | タイ・ラオス航空協定調印―20日以内に運航開始。タイ航空とラオス航空は週2便ずつ。 |
DIA-204-1977-07-23-2 | タイ | 1977年07月23日 | 1970年代 | 鳩山外相訪タイ。 |
DIA-204-1977-07-24-1 | タイ | 1977年07月24日 | 1970年代 | 米国務次官訪タイ―Warren M.Christopher国務次官,Robert Oakley国務次官補訪タイ。 |
DIA-204-1977-07-24-2 | タイ | 1977年07月24日 | 1970年代 | スリンでもカンボジア兵侵入―国境警察5人とその家族4人殺さる。カンボジアに対して20日の事件について先週に公式の抗議がなされた。 |
DIA-204-1977-07-25-1 | タイ | 1977年07月25日 | 1970年代 | クリストファー・ターニン会談―ターニン首相は国境紛争について説明。麻薬,人権,ASEAN,米タイ関係について協議。 |
DIA-204-1977-07-26-1 | タイ | 1977年07月26日 | 1970年代 | 国境に前線司令部―カンボジアの侵人に備えるため,アランヤプラテートに混成作戦司令部設置。陸,海,空軍と国境警察で編成。国境沿いの住民には国境から2km離れるよう命令。 |
DIA-204-1977-07-28-1 | タイ | 1977年07月28日 | 1970年代 | カンボジア兵引揚げ―スーム陸軍司令官によると,タイ領内のカンボジア兵数百人の大半は引揚げた。同司令官は,カンボジア兵追い出しは空と陸からの砲撃だけで,地上軍は使わないと語った。 |
DIA-204-1977-07-29-1 | タイ | 1977年07月29日 | 1970年代 | PLO代表訪タイ―ファルーク政治局長一行訪タイ。30日にウパディット外相と会談。 |
DIA-204-1977-07-30-1 | タイ | 1977年07月30日 | 1970年代 | 難民収容所砲撃―ナーン県プア郡の難民収容所を共産ゲリラが砲撃し,ラオ人2人死亡。 |
DIA-204-1977-07-31-1 | タイ | 1977年07月31日 | 1970年代 | カラシンで物品販売統制―共産ゲリラに物資が流れるのを防止するため。 |
DIA-204-1977-07-31-2 | タイ | 1977年07月31日 | 1970年代 | タイ共産党第一書記―中国人民解放軍創立50周年へのメッセージは,タイ共産党第一書記兼軍事委員会責任者としてMit Samananの名を伝えた。 |
DIA-204-1977-08-01-1 | タイ | 1977年08月01日 | 1970年代 | 全国民監視体制―内務省スポークスマンによると,共産主義活動地域の全住民に特別の身分証明書を発行し,同時に詳細な記録を作る。また内務省としては全国民の完全な身上調書を作って政府が市民を追跡しやすくすることを検討中で,これは国民総背番号方式をとる。共産主義者活動地域の住民については,ナコンシータマラート,スラータニー,パッタルン,トランの順で始める予定。 |
DIA-204-1977-08-02-1 | タイ | 1977年08月02日 | 1970年代 | カンボジア兵が再び大量虐殺―プラチンブリー県タープラヤー郡の3村を深夜攻撃,野戦病院を含む建物に放火,女性5人,子供14人を含む29人を殺害した。スーム陸軍司令官は軍首脳を緊急招集した。首相顧問評議会は,カンボジア兵侵人に対抗する政治的軍事的行動に必要なすべての権限をターニン首相に付与すると共に,ASEAN首脳会議の議題として取り上げるよう要求することを決めた。 |
DIA-204-1977-08-02-2 | タイ | 1977年08月02日 | 1970年代 | メイズ輸出削減―干ばつによるメイズの生産減から,今月から来年1月までの日本と台湾向け輸出量を50%削減することを決定。 |
DIA-204-1977-08-03-1 | タイ | 1977年08月03日 | 1970年代 | カンボジアに警告―スーム陸軍司令官は,タイは外交的軍事的に可能なあらゆる手段をとる,今後の侵人に対しては強力かつ速やかに反撃すると述べた。 |
DIA-204-1977-08-04-1 | タイ | 1977年08月04日 | 1970年代 | ASEAN首脳会議―(於クアラルンプール)。ターニン首相は難民問題と共産インドシナからの脅威について演説し,ベトナムによるASEAN諸国との選択的外交は,ASEANの団結を堀り崩そうとするものであると警告した。 |
DIA-204-1977-08-04-2 | タイ | 1977年08月04日 | 1970年代 | 全国軍首脳会議―カンボジア国境に戦車,重火器,軍隊を増派する。タープラヤー郡では2日に攻撃された3村の住民の移住終了。 |
DIA-204-1977-08-06-1 | タイ | 1977年08月06日 | 1970年代 | ターニン首相カンボジアに警告―国境での攻撃を繰り返すなら反撃する。今年すでに400回以上侵人し,婦人や子供,非武装の男を殺してきた。われわれは75年の協定を守り,友好的,平和的に振舞おうとしてきたが,カンボジアは不当かつ不自然に攻撃的であった。ASEANでは安全保障問題は話しあわれなかったが,各国から全面的同情を受けた。 |
DIA-204-1977-08-06-2 | タイ | 1977年08月06日 | 1970年代 | タイ人民の声放送武装闘争の成果発表―東北部では76年8月7日から77年7月23日までに政府軍1542人をせん滅(うち死者716人),北部では同時期に701人(死者298人),中部では76年8月7日から77年7月19日までに44人(死者10人),南部では同時期に823人(死者302人)を,特にスラータニーとナコンシータマラートでは76年12月23日から77年7月19日までに511人をせん滅したと報道。 |
DIA-204-1977-08-08-1 | タイ | 1977年08月08日 | 1970年代 | ニュージランド首相訪タイ―11日まで。 |
DIA-204-1977-08-09-1 | タイ | 1977年08月09日 | 1970年代 | カンボジア兵16人殺害―タイ軍は戦闘でカンボジア兵9人を殺した。また8日にスパイとして逮捕されたカンボジア兵9人のうち7人は,興奮した村民によって虐殺された。 |
DIA-204-1977-08-09-2 | タイ | 1977年08月09日 | 1970年代 | マレーシア軍タイ駐留か―ベトンのタイ,マレーシア軍当局によると,マ軍5000人のうち一部は10日合同鎮圧作戦終了後タイ領内に常駐する。 |
DIA-204-1977-08-10-1 | タイ | 1977年08月10日 | 1970年代 | タイ・マレーシア合同鎮圧作戦終了。 |
DIA-204-1977-08-10-2 | タイ | 1977年08月10日 | 1970年代 | ラオスへ抗議―外務省は5月15日から6月25日までの期間に,ラオス兵の挑発行為により,多くのタイ人が殺されたり負傷したとしてラオス政府に抗議した。 |
DIA-204-1977-08-10-3 | タイ | 1977年08月10日 | 1970年代 | カンボジア征討論―タイ・ラット紙によると,軍の一部にはプノンペンを占領し,カンボジア側を和平交渉に引き出そうととする意見が出ている。 |
DIA-204-1977-08-13-1 | タイ | 1977年08月13日 | 1970年代 | 回教徒ゲリラ射殺―ヤラー駅でPULOの指導者を射殺。なおウィチット警察少将によると回教徒ゲリラ組織は,マレー共産党と提携するNational Revolutionary Movement,ポ・イエの指導するPattani National Liberation Movement,ハジャイ駅爆破のPattani United Liberation Organization,ドンムアン空港爆破のOrganization of War for God(Sabi Lillah)の4団体に分れている。 |
DIA-204-1977-08-15-1 | タイ | 1977年08月15日 | 1970年代 | 福田首相訪タイ―17日まで。 |
DIA-204-1977-08-16-1 | タイ | 1977年08月16日 | 1970年代 | 福田・ターニン会談―タイ側は1億ドルの借款の倍増を要請,福田首相もこれを了承した。対日貿易についてはタイ製品への市場を開放するよう要請し,日本側は経済事情が悪いことを説明したが,56品目の買付増加を約束した。この他日本に対して技術援助や民間投資の増加を要請した。 |
DIA-204-1977-08-17-1 | タイ | 1977年08月17日 | 1970年代 | バングラデシュ副大統領訪タイ。 |
DIA-204-1977-08-18-1 | タイ | 1977年08月18日 | 1970年代 | 新聞発行停止に抗議―シエンプアンチョン紙が13日にマレーシア紙の報道を紹介して,マレーシア軍がタイ領内に駐留するとの記事で10日間の発行停止となったのに対し,新聞5団体は抗議を決定。 |
DIA-204-1977-08-19-1 | タイ | 1977年08月19日 | 1970年代 | マ軍常駐否定―レック副国防相は,タイ・マレーシア国境で中国がゲリラを支援している,およびマレーシア軍がタイ領内に常駐するとの2つの噂を全面否定。 |
DIA-204-1977-08-19-2 | タイ | 1977年08月19日 | 1970年代 | クリエンサック国軍副司令官記者会見―民間投資家に対し,国家のために国防産業への投資を要請。カンボジアがタープラヤーを占領しようとするなら,タイはシエムレアプ,バッタンバン,シーソフオンを占領する。カンボジア兵がタイに侵人し,国民を惨殺したため多くの人々はカンボジアへの侵人を望んでいる。しかしわれわれは戦争を望まないからカンボジアを攻撃できない。また過去の事件は宣戦布告する程深刻なものではない。現在彼らはわれわれを理解していないが,いつかは話し合いの努力が成功する。カンボジアとの国境紛争は,境界線が不明確なこと,および彼らがタイの反乱分子を支援しているため起っている。しかしカンボジアは戦争を考えてはいないだろう。国内再建で7~8年は要するから。(ターニン首相やサマック内相の発言を暗示して)十分な証拠なしに他を攻撃したり,ベトナムが侵略というような誤った声明が政府高官からなされることは,タイの政情に悪影響を与えるので,発言は慎重にしてもらいたい。 |
DIA-204-1977-08-19-3 | タイ | 1977年08月19日 | 1970年代 | 米輸出規制さらに強化―貿易局布告,1回2500トンを越える米輸出を禁止し,1200トン以上の輸出は事前許可制とした。 |
DIA-204-1977-08-25-1 | タイ | 1977年08月25日 | 1970年代 | ラオス領にタイのゲリラ部隊集結か―国軍最高司令部声明。サイブリ州パークライ郡にタイ人民軍の 戦闘部隊が司令部を設けた。この動きはタイの安全に重大な影響を与える。タイ国民はラオスからタイへの越境を監視せよ。 |
DIA-204-1977-08-25-2 | タイ | 1977年08月25日 | 1970年代 | インドネシア海軍と合同演習―ジャワ沖でタイ軍艦艇3隻参加。 |
DIA-204-1977-08-29-1 | タイ | 1977年08月29日 | 1970年代 | クリエンサック日韓訪問に出発―クリエンサック国軍副司令官ら軍幹部一行が韓国と日本を訪問するために出発。 |
DIA-204-1977-08-29-2 | タイ | 1977年08月29日 | 1970年代 | ラオスの抗議否定―タイの飛行機が8月5日にラオスのサイブリ州の村を爆撃したとの抗議に対し,カムロン空軍参謀長は根拠のないものとして否定。 |
DIA-204-1977-09-02-1 | タイ | 1977年09月02日 | 1970年代 | 民主主義への道―ターニン首相は国会で演説し,現在進めている改革をチュラチョムクラウ(ラーマ5世)計画と呼ぶと述べると共に,民主主義の基礎確立,タイ人の政治教育,国家の政治的安定の3本の柱について説明を行なった。 |
DIA-204-1977-09-02-2 | タイ | 1977年09月02日 | 1970年代 | ASEAN経済閣僚会議―於パッタヤー。 |
DIA-204-1977-09-02-3 | タイ | 1977年09月02日 | 1970年代 | 中国大使ターニン首相と会談―柴沢民大使はターニン内閣の多くの成果を賞賛した。 |
DIA-204-1977-09-03-1 | タイ | 1977年09月03日 | 1970年代 | 全国学生センターが執行部選出―タイ人民の声放送によると,全国学生センターは8月15日に会議を開き,執行部選出と,民族民主統一戦線と人民の民主的政府樹立の決議を採択した。執行部は,クリエンガモン・ラオハパイロート(1975年書記長)を書記長代行に,サワイ・ウドムチャルーンチャイヤキット(75年副書記長)を副書記長代行(政治担当),チャトゥロン・ブンヤラッタナスントン(76年副書記長)を副書記長(経済担当)に,プラピムパン・スッチャキアト(76年中執)を副書記長代行(社会・教育担当)とした。 |
DIA-204-1977-09-04-1 | タイ | 1977年09月04日 | 1970年代 | ASEAN経済閣僚会議終了―一次産品問題で米国やECに対して共同歩調をとること,特恵関税70品目について合意。 |
DIA-204-1977-09-05-1 | タイ | 1977年09月05日 | 1970年代 | 10月6日事件軍事法延開く―国防省内の法廷で開く。報道陣90人以上が詰めかけ,被告の家族や友人が周囲を取り囲んだ。検察官は反共法違反,不敬罪,建造物破壊,警察官の公務執行妨害,武器の不法所持を罪状とし,反共法違反については,73年12月6日から76年10月6日までの期間に,共産主義活動グループを結成し,演説やビラで政府を批判して大衆を煽動し,また中国展を開いて親共宣伝をし,種々の工場や企業で労働者を煽動してストライキによる経済的混乱をひき起したと論告した。スタム全国学生センター書記長は18人の被告を代表して,私は1974年憲法ではその行動は認められているものであり,すべての容疑を否定して,即時保釈すべきであり,軍事法廷は私を裁く権限はなく,私を裁くのは刑事法廷であり,刑法,人権宣言,民主的伝統にもとずき,私を守るための弁護士が与えられるべきであると述べた。スタムは大声で,私は無罪だ,すぐ釈放しろと叫び,他の被告もこれに唱和した。 |
DIA-204-1977-09-07-1 | タイ | 1977年09月07日 | 1970年代 | ターニン首相日韓訪問に出発。 |
DIA-204-1977-09-07-2 | タイ | 1977年09月07日 | 1970年代 | 新聞検閲を批判―新聞関係5団体は新聞諮問委員会が権力を乱用し,正確な報道をした新聞に圧力をかけて誤報とさせようとしたと批判する声明を発表。事件はドウシット総理府長官が「2つのグループが軍部を通じて政府を転覆させようとしている」と発言したことに対し,プラローン陸軍参謀長が「彼は政府高官なのだから根拠なしに発言すべきでない」と批判したことが記事となったが,同委員会は新聞経営者を呼んで,プラローンはそのような発言をしていないとしてドウシットとプラローンへの謝罪を要求した。後刻プラローンは新聞社に連絡して,「記事は正確であり,謝罪問題については何も知らぬ」と述べた。 |
DIA-204-1977-09-08-1 | タイ | 1977年09月08日 | 1970年代 | ターニン福田会談―経済,文化,スポーツ,科学技術の分野での協力促進に合意。 |
DIA-204-1977-09-08-2 | タイ | 1977年09月08日 | 1970年代 | クリエンサック帰国―記者会見で,タイ人投賃家に武器製造への投資を呼びかけ,韓国の国防計画,日本の国防能力と工業の軍需転換可能性を賞讃した。 |
DIA-204-1977-09-08-3 | タイ | 1977年09月08日 | 1970年代 | 思想テストを実施―文部省は来年から教員志望学生に政治思想調査を実施すると発表。 |
DIA-204-1977-09-09-1 | タイ | 1977年09月09日 | 1970年代 | 日本が2億ドル援助―ターニン首相によると78年度43億バーソの援助が行なわれる。内訳は30億バーツが地方開発,10億バーツが国有企業,3億バーツが技術協力。タイ・日共同声明発表。 |
DIA-204-1977-09-09-2 | タイ | 1977年09月09日 | 1970年代 | 米輸出をさらに抑制―米輸出はすべて事前許可制とし,かつ量は1回1000トン以下とする。 |
DIA-204-1977-09-11-1 | タイ | 1977年09月11日 | 1970年代 | ターニン首相韓国訪問。 |
DIA-204-1977-09-13-1 | タイ | 1977年09月13日 | 1970年代 | カンボジアとの対話求める―国軍最高司令部は声明を発表し,国境紛争の平和的解決のため,75年共同声明の線でカンボジアと話しあいたいと述べ,カンボジアのタイ,ラオス,ベトナムとの国境紛争については理解と同情を表明した。 |
DIA-204-1977-09-14-1 | タイ | 1977年09月14日 | 1970年代 | ターニン首相帰国。 |
DIA-204-1977-09-14-2 | タイ | 1977年09月14日 | 1970年代 | 内務次官にウィンユー地方行政局長を任命。 |
DIA-204-1977-09-15-1 | タイ | 1977年09月15日 | 1970年代 | 6大脅威を指摘―ターニン首相は国防教育ゼミナールで,共産主義,汚職,官僚の国民抑圧,貧困,民主制度転覆の陰謀,各種犯罪の6大脅威を指摘した。 |
DIA-204-1977-09-17-1 | タイ | 1977年09月17日 | 1970年代 | カンボジア問題で国軍最高司令部声明―国境貿易に関わる紛争と国境線の不明確なことが現在の危機の原因であり,1月28日の事件につながった。タイは対カンボジア外交関係の回復に不断の努力を続けており,この目的は近い将来達成されると期待している。 |
DIA-204-1977-09-17-2 | タイ | 1977年09月17日 | 1970年代 | ウパディット外相国連総会へ―ニューヨークではベトナム,ラオス,カンボジァの代表団と接触する。既にビエンチャン駐在カンボジア大使はタイ領事と会談している。 |
DIA-204-1977-09-17-3 | タイ | 1977年09月17日 | 1970年代 | 国軍人事―サガット国防相は,クリエンサック副司令官が国軍最高司令官となるのは500%確実である,重要ポストは年令に関係なく登用し,非重要ポストは年令順とすると述べた。 |
DIA-204-1977-09-18-1 | タイ | 1977年09月18日 | 1970年代 | ウィトゥーン復帰か―クリエンサック国軍副司令官によると,現在日本にいるウィトウーン前陸軍副参謀長は最高司令部帰任を申請している。またベトナムの国連加盟を支持すると発言。 |
DIA-204-1977-09-18-2 | タイ | 1977年09月18日 | 1970年代 | 武器工場建設―サラブリー県に建設,総工費12億バーツ。3年半後完成予定。 |
DIA-204-1977-09-22-1 | タイ | 1977年09月22日 | 1970年代 | 国王臨席の集会で爆発―ヤラー県ムアン郡で国王夫妻臨席の下に,回教学校16校の表彰式とビレジスカウトへの旗授与式の最中に,手製爆弾が爆発して47人が負傷した。国王夫妻は無事で予定通り式典を終えた。なお21日にも国王の乗った車に警官の運転するオートバイが衝突するという事故があった。 |
DIA-204-1977-09-23-1 | タイ | 1977年09月23日 | 1970年代 | 外国人職業規制法改正を議会で承認―罰則規定が強化され,罰金は最高10万バーツとなった他,労働許可証手数料を値上げ。 |
DIA-204-1977-09-23-2 | タイ | 1977年09月23日 | 1970年代 | 駐ラオス大使赴任―Seth Herabatr氏。 |
DIA-204-1977-09-24-1 | タイ | 1977年09月24日 | 1970年代 | ヤラー爆弾事件について―モンチャイ警察局長によると,事件は国王夫妻を狙ったものではなく,内外の注意を喚起して外部からの援助引出しを狙ったもので,背後には「アラーの道」とPULOのムスリム団体が関わっている。 |
DIA-204-1977-09-24-2 | タイ | 1977年09月24日 | 1970年代 | ダム警備所攻撃さる―チャヤプーム県のチュラポンダム警備員詰所がゲリラに攻撃され,3人死亡。 |
DIA-204-1977-09-25-1 | タイ | 1977年09月25日 | 1970年代 | 労働法再考要請―首相顧問評議会は,国有企業労働者を労使関係法の保護からはずすとの政府原案について再考を要請した。 |
DIA-204-1977-09-26-1 | タイ | 1977年09月26日 | 1970年代 | ”軍部人事移動発表 国防次官 プラローン・ウィーラプリヤ大将 国軍司令官 クリエンサック・チャマナン大将 〃副司令官 カウィー・シンハ海軍大将 〃司令官補 カムロン・リーラシリ空軍大将 〃副参謀総長 ルアンチャイ・カーンチャナポーキン空軍大将 陸軍副司令官 ヨット・テープハッサディン大将 司令官補 チャオ・サワッソンクラーム中将 〃 プレーム・ティナスラーノン中将 陸軍参謀長 シッテイ・チラロート大将 空軍司令官 パニエン・カーンタラット大将 〃副司令官 プラチヤック・スッティマイ大将 〃参謀長 チャン・チュンラチャート大将 海軍副司令官 チン・チュンラスクム大将 司令官補 ティエム・マッカラーノン中将 参謀長 パントウム・タウィーウォン中将 今回の人事移動ではウィトウーン前陸軍副参謀長の復帰は見送られた。なお国境警察を国軍司令部指揮下におくこととなった。” |
DIA-204-1977-09-28-1 | タイ | 1977年09月28日 | 1970年代 | 右派団体国王警護問題で懸念表明―「赤い野牛」等右派5団体は記者会見し,ヤラー爆弾事件にみられた国王警護態勢に懸念を表明し,王室擁護に責任ある者が全責任を負うよう要求した。 |
DIA-204-1977-09-29-1 | タイ | 1977年09月29日 | 1970年代 | 第9回日タイ貿易会議開会―チュムポン貿易局長は開会挨拶で,タイの対日輸出の主な障害は日本の関税障壁と,日本国内の事業活動制限を含む非関税障壁にある,と指摘した。 |
DIA-204-1977-09-30-1 | タイ | 1977年09月30日 | 1970年代 | 王室警護で内相が反論―サマック内相は議会の答弁で,王室警護は適切に行なわれており,辞任はしない,何故なら内相を辞任させようとする者は,国王臨席の儀式に爆弾を仕掛けるだけでよいこととなると反論した。 |
DIA-204-1977-10-01-1 | タイ | 1977年10月01日 | 1970年代 | 日タイ貿易会議終了―スティー商相と田中通産相共同声明発表。 |
DIA-204-1977-10-03-1 | タイ | 1977年10月03日 | 1970年代 | ゲリラの攻撃―チェンライ県のチェンカムとナーンを結ぶ道路で,道路建設会社の武装ガードを乗せたトラックが共産ゲリラに襲われ,17人が死亡,3月4日にも近くのテーン郡で同じく29人が殺されている。 |
DIA-204-1977-10-04-1 | タイ | 1977年10月04日 | 1970年代 | カンボジア兵侵入―アランヤプラテートのターカム村で交戦,カンボジア兵2人死亡。 |
DIA-204-1977-10-04-2 | タイ | 1977年10月04日 | 1970年代 | タイ愛国民主勢力協調委員会結成―タイ人民の声放送は愛国民主勢力協調委員会が結成されたことを報道し,9月28日付の同委員会声明を発表(資料参照)。 |
DIA-204-1977-10-05-1 | タイ | 1977年10月05日 | 1970年代 | サマック内相の責任追求―赤い野牛グループは国王警護問題でサマック内相の責任追求の訴えを警察に提出した。 |
DIA-204-1977-10-05-2 | タイ | 1977年10月05日 | 1970年代 | カンボジアとの会談要求―国軍最高司令部は公式に,タイ,カンボジア両政府に平和的話しあいを持つよう要求すると共に,トラート県隣接地にいるカンボジア兵は戦術を変えて防御態勢に変り,国境近くに大量の地雷を埋めていると発表した。 |
DIA-204-1977-10-06-1 | タイ | 1977年10月06日 | 1970年代 | 右派のデモの噂で緊迫―5日から右派が集会を呼びかけるビラをまいたため,憲兵や首都警察が市内をパトロールし,モンチャイ警察局長は警察高官会議を招集した。サガット国防相はテレビを通じて次のように警告した。国の平和と秩序を望まないグループが,政府の交代,軍内部の対立等10月に政変があるとの噂を広めているが,これは国に対するサボタージュであり,国民は注意を払ってほしい。国内の共産主義,外国の侵略,悪意の噂の三悪は国の安定に重大な影響を与える。国内の状態は3年前よりずっと良く,大国からの侵略という直接的脅威はない,また国王の警護は政府の能力をこえるものではない。 クリエンサック国軍司令官は,軍はサマック内相をめぐる問題から生ずるいかなる危機にも対処する準備をしていると語った。 |
DIA-204-1977-10-06-2 | タイ | 1977年10月06日 | 1970年代 | サマック内相の辞任を要求―軍部ヤング・タークスのリーダーであるプラチャック中佐は,改革議会で内相の辞任要求動議を出したが取り上げられなかったため,内閣改造を要求する演説を行なったあと議場から退席した。 |
DIA-204-1977-10-07-1 | タイ | 1977年10月07日 | 1970年代 | 対インドシナ関係打開へ―クリエンサック国軍司令官は記者会見で次のように述べた。ラオス,カンボジア,ベトナムがタイを侵略するとは思わない。多くの人々はこの3国がタイを侵略すると恐れているが,私の情報では,彼らはタイが侵略してくると恐れている。これは双方が誤解していることを示しており,もし双方が良く理解しあえば外的脅威はなくなる。近隣諸国との友好が必要である。我々はラオス,カンボジアを兄弟と考えている。彼らは仇敵ではない。彼らは干ばつや飢饉等国内問題を抱えており,タイを攻撃することは考えていないだろうし,我々も他国を侵略しない。 他方国連総会出席中のウパディット外相は,総会の場でベトナム,ラオス,カンボジアと接触することを明らかにした。 クリエンサック国軍司令官は記者会見の場で,もし我々が大国のバランスを適切にとればすべてがうまくいくと述べると同時に,国軍自立化のために武器工場を建設し,また国境警察の装備を軍隊並みに引上げることを明らかにした。また貝殻(軍部)は貝(ターニン政府)を守るかとの質問に対し,貝殻は国家,宗教,国王という国体とタイ国民を守るのであって,特定のグループを守ることを意味しないと回答した。 |
DIA-204-1977-10-09-1 | タイ | 1977年10月09日 | 1970年代 | ヤラー爆弾事件犯人逮捕―容疑者6人中4人を逮捕。いずれもPULOのメンバー。首謀者は逃走中。 |
DIA-204-1977-10-10-1 | タイ | 1977年10月10日 | 1970年代 | クリエンサック司令官談―人道的立場からラオスとカンボジアに対して,戦略物資以外の物を援助すべきである。我々の善意の表明は彼らの非友好的態度を変えるだろう。米国の援助が停止される以上,我々が出来ることは我々自身の軍事力を強化することだ。しかしタイの友人達がまたいつか軍事援助を再開してくれることを望む。 |
DIA-204-1977-10-10-2 | タイ | 1977年10月10日 | 1970年代 | ククリット訪中団出発―ククリット元首相は中国の招待で訪中に出発。 |
DIA-204-1977-10-12-1 | タイ | 1977年10月12日 | 1970年代 | ターニン首相テレビ演説―国民に対し,過去1年間の成果,今後3年間の計画(地方開発,政治教育後の選挙),共産主義や悪意の政府攻撃に対する国民の注意喚起,地方開発や法と秩序の維持,家族計画等について政府への協力を呼びかけた。この中でラオス,カンボジア,ベトナムとの友好促進を確認した。 |
DIA-204-1977-10-13-1 | タイ | 1977年10月13日 | 1970年代 | ククリット元首相華国鋒中共党主席と会談。 |
DIA-204-1977-10-14-1 | タイ | 1977年10月14日 | 1970年代 | 大蔵次官解任―アムヌアイ次官が投資委員会事務局長時代に,紙製品輸入を原材料と偽って脱税を助けた疑いが出たため。 |
DIA-204-1977-10-14-2 | タイ | 1977年10月14日 | 1970年代 | 米輸出規制緩和―商務省は,国内販米に余裕があるので,10,11月は月間15万トンまでの輸出を認めると発表(これまでは月間10万トンまで)。 |
DIA-204-1977-10-15-1 | タイ | 1977年10月15日 | 1970年代 | カンボジア国境封鎖―トラート県クローンヤイ郡で12日深夜,カンボジア兵が国境警察詰所2ヵ所を攻撃し,警官2人を殺し,6人を負傷させたため,カンボジアから同郡へ通ずるすべての道を封鎖し,カンボジアのトーチカを空軍機で破壊する国境防衛作戦を遂行。カンボジア兵10人以上死亡。 |
DIA-204-1977-10-16-1 | タイ | 1977年10月16日 | 1970年代 | 武装闘争の戦果―タイ人民の声放送は,1976年10月7日から77年10月3日までに,人民解放軍が717回(前年比267回増)の攻撃をかけ,3435人(前年同期比1153人増)の敵をせん滅し(死者1475人,負傷1802人,捕虜158人),ヘリコプターを3機撃墜,25機破壊,飛行機撃墜,2機破壊,車輌130台以上破壊したと報道した。 |
DIA-204-1977-10-17-1 | タイ | 1977年10月17日 | 1970年代 | プラスート元警察局長ら訪中―中国の招待でプラスート元警察局長,タウィット元国防相が出発(11月7日帰国)。 |
DIA-204-1977-10-17-2 | タイ | 1977年10月17日 | 1970年代 | レック副国防相マレーシア訪問。 |
DIA-204-1977-10-18-1 | タイ | 1977年10月18日 | 1970年代 | 政情不安否定―スーム陸軍司令官は政情不安の噂を否定し,今必要なのは団結であると述べた。 |
DIA-204-1977-10-19-1 | タイ | 1977年10月19日 | 1970年代 | 対インドシナ関係改善―ウパディット外相帰国。カンボジアのイエンサリ副首相との間で,対決に終止符をうち,平和のために共に活動すること,ベトナムのグエンズイチン副首相と,76年8月協定尊重と大使交換の話し合い開始について,ラオスのプーン副首相と,兄弟的関係の回復についてそれぞれ合意が成立したことを明らかにした。 |
DIA-204-1977-10-19-2 | タイ | 1977年10月19日 | 1970年代 | 外国企業規制法緩和か―プラユーン商業登録局長によると,投資促進のため,78年1月からB,C業種に対する生産,販売規制(前年の30%増以下に抑える)を解除する方針。 |
DIA-204-1977-10-19-3 | タイ | 1977年10月19日 | 1970年代 | 王族一行中国訪問に出発―王族7人を含む35人。 |
DIA-204-1977-10-20-1 | タイ | 1977年10月20日 | 1970年代 | 軍部クーデター決行―サガット国防相を議長とする革命団が午後6時にクーデターで全権を掌握,内閣と議会を解散し,1976年憲法を廃止した。今週始めに首相顧問団が7~9人の閣僚更迭を要求したのに対してターニン首相が拒否したため,軍首脳は午前と午後緊急会議を行ない,クーデターを決行した。 革命団声明第1号(要旨),1977年10月20日に革命団が権力を掌握した。国民は平常の生活を,役人は任務遂行に務め,軍人と警察は許可なく移動しないこと。国王,王族は革命団が保護している。国王を元首とする民主政体を保証する。外国人を保護する。軍・警察は従来通りの上司の命令に従え。 革命団声明第2号。(1)革命団は国家の利益のために以下の決定を下した。①1976年憲法の廃止,②現内閣と国家統治改革議会廃止,③枢密院は存続,④裁判所の完全な機能保証,⑤戒厳令継続,⑥サガットを議長とする革命団司令部設置,⑦各省業務は次官が大臣と同等の権限を持って遂行する。(2)新聞に対する規制又は検閲は行なわない。新聞諮問評議会は解散する。国家・宗教・国王,および国家の利益に反する報道は迅速かつ厳しい報復を受ける。 革命団声明第3号,戒厳令は引続き存続し,5人以上の政治的集会を禁止する。 革命団声明第4号,首都圏の平和と秩序維持のため,午前1時から午前4時半まで外出禁止。 革命団声明第5号,首相および閣僚の権限は革命団議長,または議長から権限を委任された者が執行する。 革命団布告,投機や価格つり上げ禁止(第1号)。各省次官は21日午前9時半に革命団司令部へ出頭せよ(第2号)。新聞の検閲は行なわない,新聞諮問評議会は解散する(第3号)。各県知事は治安を維持し,政府財産や重要公共施設の安全を確保せよ(第4号)。すべての現金や財産の国外移動禁止(第5号)。ヴィレジスカウトの訓練継続を保証する(第6号)。クリエンサック国軍司令官を全国の,スーム陸軍司令官を首都の治安維持の責任者とする。 |
DIA-204-1977-10-20-2 | タイ | 1977年10月20日 | 1970年代 | サガット革命団議長演説―テレビ,ラジオを通じて国民にクーデターの理由を説明。以下要旨 1977年10月20日午後6時から革命団が権力を掌握した。革命団は権力掌握の理由と必要性を説明したい。前政府の下では役人や国民の間に不団結,分裂,協力欠如が明瞭となった。役人は業務遂行に不安を感じ,確信を持てなくなっている。経済は悪化し,外国からの投資は減少し,投資家は政情を懸念している。この状況を放置すると問題の解決は困難となる。さらに軍,警察,文民から成る革命団は3段階12年にわたる民主主義開発計画は不必要に長すぎて,国民の希望にそわないことを理解するに致った。そこで民主主義開発の期間を短縮することが適当と考え,1978年に総選挙を行なうこととした。しかし1976年憲法の下での総選挙ではさらに混乱,不団結,分裂を生ぜしめるので,国民の安全,進歩,福祉のために権力を掌握することとした。革命団としては,新憲法や総選挙を準備する期間中に,前政権の誤ちや弱点を是正し,政治的安定,国の進歩,国民の幸福のためた,行政,経済,社会制度を改善するための時間の余裕をもらいたい。 |
DIA-204-1977-10-20-3 | タイ | 1977年10月20日 | 1970年代 | 東北タイ共産ゲリラ掃討―今年9月までにゲリラ50人を殺し,59人を捕虜とした。投降者は297人。 |
DIA-204-1977-10-21-1 | タイ | 1977年10月21日 | 1970年代 | サガット革命団議長記者会見―クーデターの理由を説明した後,新憲法の起草,公布後は戒厳令を解除して,政党の結成,活動を認めると述べた。同席したクリエンサック国軍司令官は,民主主義を実行しながら学ぶことを始めると述べると共に,今年の干ばつの影響を考慮して第4次5ヵ年計画のプロジェクト優先順位の見直しを行なうと述べた。また対外政策についてサガット議長は,外交方針は前政府と同じであるが,近隣諸国に対してより和解的になる,国境に軍隊をおくよりは対話を持ちたいと述べた。またジャーナリズムに対して協力と建設的意見を求め,誤報や,誤解を招くような報道をしないよう要請した。 |
DIA-204-1977-10-22-1 | タイ | 1977年10月22日 | 1970年代 | 革命団メンバー23人を発表― 議長 サガット・チャローユー海軍大将(退役) 副議長 カモン・デーチャトゥンカ空軍大将(退役) 事務局長 クリエンサック・チャマナン陸軍大将 事務次長 カウィー・シンハ海軍大将 局長補佐 チャルーン・ポンパーニット陸軍大将 以下団員 ブンチャイ・バムルンポン陸軍大将(退役),スーム・ナ・ナコン陸軍大将,アモン・シリカーヤ海軍大将,シースック・マヒントラテープ警察大将(退役),パニエン・カーンタラット空軍大将,プラスート・タマシリ陸軍大将,プラローン・ウィーラプリヤ陸軍大将,カムロン・リーラシリ空軍大将,プラサーン・アマータヤクン陸軍大将(退役),ヨット・テープハッサディン陸軍大将,サタープ・ケーヤーノン海軍中将,プレーム・ティナスラーノン陸軍中将,ソムサック・パンチャマーノン陸軍中将,アムナート・ダムリカーン陸軍中将,ピン・タマシリ陸軍少将,テープ・カンラート陸軍少将,サウェーン・チャーモンチャン陸軍少将,プラティアップ・テープウィサーン陸軍少将。 革命団メンバーに当初予想されていたモンチャイ警察大将が入らなかったことについてサガット議長は,彼を入れるとすれば他にも多くの人を入れなければならなくなると説明した。 |
DIA-204-1977-10-23-1 | タイ | 1977年10月23日 | 1970年代 | チュラロンコン大王記念日―プーミポン国王は背広姿で式典に出席したがこれは極めて異例のこと。 |
DIA-204-1977-10-23-2 | タイ | 1977年10月23日 | 1970年代 | ククリット元首相中国訪問から帰る―「ターニン首相の後ではすべてが良くなることが出来る。革命団が提供するポストを受けるかどうかは今言えない。中国でポルポト・カンボジア首相と会っていない」。 |
DIA-204-1977-10-24-1 | タイ | 1977年10月24日 | 1970年代 | 革命団司令部機構発表―事務局(局長はクリエンサック大将)内に軍政本部と民政本部をおく。軍政本部責任者はプラローン国防次官で,内務省(治安部門),国防省,国防会議,国内治安維持司令部を統轄する。民政本部責任者はブンルアン総理府次官とし,プリーダー農業次官が,大蔵省,農業省,運輸省,工業省,商業省を,プラサート大学庁次官が,外務省,内務省(地方行政部門)を各々統轄する。 |
DIA-204-1977-10-24-2 | タイ | 1977年10月24日 | 1970年代 | ビエンチャン航路運航停止―10月上旬にタイが実施した戦略物資禁輸措置によって,ラオスは航空燃料の不足で運航停止。同時にタイ航空も運航停止した。 |
DIA-204-1977-10-26-1 | タイ | 1977年10月26日 | 1970年代 | 干ばつ対策委員会設置―プレーム中将を議長として,被害の最小限度抑制,農民救済にあたる。 |
DIA-204-1977-10-26-2 | タイ | 1977年10月26日 | 1970年代 | カンボジアの反応を歓迎―ヨット陸軍副司令官は,プノンペン放送が25日にタイ国境での衝突,およびタイのクーデターについて論評抜きで報道したことについて,関係改善の良い兆候であると歓迎。 |
DIA-204-1977-10-26-3 | タイ | 1977年10月26日 | 1970年代 | マレーシア国防相訪タイ―26,27日の両日にわたってクリエンサック首相と会談。 |
DIA-204-1977-10-26-4 | タイ | 1977年10月26日 | 1970年代 | 共産党内紛か―政府に投降したゲリラ指導者によると,北タイと東北タイの作戦指導者が互いに相手を修正主義者と非難しあったり,学生をリーダーにしようとしたため古くからのゲリラ幹部が不満を持った等のことがあった。 |
DIA-204-1977-10-27-1 | タイ | 1977年10月27日 | 1970年代 | マレーシアのイブラヒム参謀総長訪タイ―11月2日まで滞在し,タイ軍首脳と今後の軍事協力について協議する。 |
DIA-204-1977-10-28-1 | タイ | 1977年10月28日 | 1970年代 | スタム元NSCT書記長らの恩赦拒否―サガット革命団議長は,各方面から出されている恩赦要請に対して拒否する旨発表。 |
DIA-204-1977-10-28-2 | タイ | 1977年10月28日 | 1970年代 | 反インドシナ宣伝禁止―サガット革命団議長は,自由ラジオグループの放送局の編集者を呼び,近隣諸国との良い関係に悪影響を与える評論をしないよう要求。 |
DIA-204-1977-10-31-1 | タイ | 1977年10月31日 | 1970年代 | カンボジア兵が攻撃―プラチンブリー県各地でカンボジアがタイの村を砲撃し,村民5人死亡。(11月1日さらに2人死亡)。 |
DIA-204-1977-11-01-1 | タイ | 1977年11月01日 | 1970年代 | 米軍事顧問削減―100人から40人に減。 |
DIA-204-1977-11-03-1 | タイ | 1977年11月03日 | 1970年代 | カンボジア国境で砲撃戦―プラチンブリー県で散発的に砲撃戦が行なわれ,タイ農民1人,カンボジア兵4人死亡。 |
DIA-204-1977-11-03-2 | タイ | 1977年11月03日 | 1970年代 | 麻薬王処刑―革命団命令で,麻薬王のLao FanとCharnの2人を処刑。同じく麻薬王で10月25日に入院先の病院から逃走したLao Suはなお行方不明。 |
DIA-204-1977-11-03-3 | タイ | 1977年11月03日 | 1970年代 | 深水港建設優先―クリエンサック革命団事務局長は運輸省に,レームチャバンの深水港建設を優先するよう指示した。これには産業基盤整備,鉄道建設を含む。 |
DIA-204-1977-11-04-1 | タイ | 1977年11月04日 | 1970年代 | 国境紛争に理解―サガット革命団議長は,国境でのカンボジア兵の攻撃はプノンペンの政府は知らず,地方兵がやっていることである,両国関係は10月のウパディット=イエンサリ会談後改善されていると語った。この日もタープラヤー郡で交戦があり,タイ兵1人,カンボジア兵8人が死亡した。 |
DIA-204-1977-11-04-2 | タイ | 1977年11月04日 | 1970年代 | 労働運動指導者と会談―クリエンサック革命団事務局長はFoundation of Thai Employees主催のパーティに出席し,労組指導者と会談した。 |
DIA-204-1977-11-07-1 | タイ | 1977年11月07日 | 1970年代 | 徴税改善と脱税者救済―革命団声明第8号で,徴税捜査手続や,警察の税金問題介入禁止等を規定。同9号では脱税者に対して,78年1月までに歳入法に従って税金を納めるなら,刑事罰は免責,罰金や追加徴収分を50~90%減ずる旨発表。 |
DIA-204-1977-11-08-1 | タイ | 1977年11月08日 | 1970年代 | 新税制発表―革命団声明第10号で歳入法を改正した。主な点は①77年から,従来夫の所得と合算していた共働きの妻の所得を分離して申告する(所得税軽減)。②普通預金を除く銀行預金からの利子収入に対して10%課税。③株の短期保有(6ヵ月未満)による売却益に対して課税。④配当控除について。株式市場上場企業の場合は,配当所得1万バーツまで非課税,40万バーツまでは30%の控除を,非上場企業の場合は,5000バーツまで非課税,20万バーツまでは15%の配当控除を認める。⑤法人所得税率を,上場企業は純所得の30%,非上場企業は引上げ。35%とする。⑥各種印紙税を2~10倍③の売買差益税は78年5月1日から税率10%で実施され,80年から総合課税方式となる。①の所得税軽減によって4億バーツの減収となるが,新設の銀行利子税4.5億バーツでカバーできる見込み。 |
DIA-204-1977-11-09-1 | タイ | 1977年11月09日 | 1970年代 | 国家政策評議会設立―旧首相顧問団の権限,財産,人員等すべて国家政策評議会に移管する。 |
DIA-204-1977-11-09-2 | タイ | 1977年11月09日 | 1970年代 | 軍事法廷法改正―革命団布告25号。軍事法廷の被告に弁護士を選任する権利を認める。この改正により,76年10月6日事件のスタム元NSCT書記長ら18人に弁護人をつけることが可能となった。 |
DIA-204-1977-11-09-3 | タイ | 1977年11月09日 | 1970年代 | 共産ゲリラの攻撃―パヤオ県チェンカム郡で約40人のゲリラが道路建設現場を襲撃し,ガードマン25人を殺し,15人を負傷させた。 |
DIA-204-1977-11-10-1 | タイ | 1977年11月10日 | 1970年代 | 暫定憲法発表―全文32条。序文で革命団の権力掌握の目的を説明。立法議会,内閣,国家政策評議会を設置し,立法議会は1978年選挙を実施できるよう恒久憲法を作成する。国家政策評議会は首相解任権を有する。また第27条で首相大権を規定。 |
DIA-204-1977-11-10-2 | タイ | 1977年11月10日 | 1970年代 | 国家政策評議会―事務局長にカウィー・シンハ海軍大将,次長にカムロン空軍大将,局長補佐にヒラン陸軍中将を任命,9日から発効。 |
DIA-204-1977-11-11-1 | タイ | 1977年11月11日 | 1970年代 | 新首相任命―国王はクリエンサック国軍司令官を首相に任命した。クリエンサック首相は,来年の経済情勢は暗く,過去40年間で最も困難な年になるだろうと述べ,国民の協力と団結を呼びかけた。 |
DIA-204-1977-11-11-2 | タイ | 1977年11月11日 | 1970年代 | カンボジアの会談呼びかけ歓迎―ウォン外務次官は,10日にカンボジアから国境問題についてビエンチャンで会談を開きたいとの声明があったことを確認し,この提案を歓迎して,駐ビエンチャン大使に会談準備を指示した。 |
DIA-204-1977-11-12-1 | タイ | 1977年11月12日 | 1970年代 | クリエンサック首相談―国会議員には新聞関係者を任命しない。報道の独立性を守るために政治に巻きこむべきではない。その代り政府のイメージを反射する鏡になるべきである。ベトナム代表団をバンコクに招待するために接触している。カンボジアの会談呼びかけを歓迎する。ラオスに対する戦略物資禁輸措置は25%緩和したし,今後もさらに緩和する。 |
DIA-204-1977-11-12-2 | タイ | 1977年11月12日 | 1970年代 | カンボジア兵が農民虐殺―スリン県で農作業の農民がカンボジア兵に襲われ,少女2人を含む11人が殺された。 |
DIA-204-1977-11-13-1 | タイ | 1977年11月13日 | 1970年代 | ”クリエンサック内閣成立―第36代目の内閣。 首相 クリエンサック・チャマナーン陸軍大将(国軍最高司令官) 副首相 1スントン・ホンラダーロム(前SEATO事務総長,元駐米・英大使,元蔵相) 2ブンチャイ・バムルンポン陸軍大将(退役,前副首相,元陸軍司令官) 3ソムポップ・ホートラキット(法制局長官) 総理府 ブンルアン・ブアチャルーン陸軍中将(総理府次官) 総理府 ソムポン・ブンヤクップ(BOI事務局長) 国防相 レック・ネーウマーリー陸軍大将(退役,前副国防相) 副国防相 タウィン・ラーヤナーノン海軍大将(退役,元海軍司令官) 副国防相 プラソン・クナディロック空軍大将(退役,元空軍参謀長) 蔵相 スパット・スタータム(前蔵相) 副蔵相 チャローン・プントラクーン(元中銀副総裁) 外相 ウパディット・パーチャリーヤーンクーン(前外相) 副外相 ウォン・ポンニコン(外務次官) 農相 プリーダー・カンナスット(農業次官) 副農相 アーポン・シーピパット(FAO,元東南アジア漁業開発センター事務局長) 副農相 タムノーン・シンカーラワニット(農業・協同組合銀行) 運輸相 スラキット・マイラープ陸軍大将(退役,元国軍参謀総長) 副運輸相 サノーン・ニサーラック海軍少将(退役,元台湾,ユーゴ大使) 副運輸相 プラソン・スクム(内務省政策企画局長) 〃 プラシット・ナロンデート(住宅公社総裁) 商相 ナーム・プーンワット(元貿易局長) 副商相 プロック・アムラナン(ESCAP国際貿易局長) 内相 クリエンサック首相兼任 副内相 プレーム・ティンスラーノン陸軍中将(陸軍司令官補佐) 副内相 ダムリ・ノーイマニー(元内務次官) 副内相 チャムノン・テープハッサディン・ナ・アユタヤー(内務次官) 法相 スタム・パッタラーコム(前最高裁長官) 文相 ブンソム・マーティン(体育局長,元文相) 副文相 ゴー・サワッディパーニット 厚相 ヨンユット・サッチャワーニット(前厚相) 副厚相 プラポン・ピヤラット 工相 カセーム・チャーティカワニット(EGAT総裁) 副工相 ブンジン・ナンナーピワット(サンヨーユニバーサル社長,元総理府長官) 大学庁 カセーム・スワンナクン(チュラロンコン大元政治学部長,元大学庁長官)” |
DIA-204-1977-11-13-2 | タイ | 1977年11月13日 | 1970年代 | タマサート大学長解任―学内の混乱収拾のため,大学庁はプリーディー学長を解任。 |
DIA-204-1977-11-13-3 | タイ | 1977年11月13日 | 1970年代 | 天然ガス計画促進―革命団は天然ガス機構に対して,計画完成を急いで,当初の4年後を2年半後とするように指示した。 |
DIA-204-1977-11-14-1 | タイ | 1977年11月14日 | 1970年代 | タムボン計画復活,スントン副首相談―ククリット時代のタムボン計画を復活する。彼の計画は,期間が短かかったこと,地方への予算がごまかされ,役人の不正によって資金が減った等の点で不完全なものであった。今後のタムボン計画は予算とプロジェクトを厳密にチェックして実施する。ターニン時代の乾季開発計画は無償労働だったため不人気だった。 |
DIA-204-1977-11-15-1 | タイ | 1977年11月15日 | 1970年代 | サガット議長が国家統治のガイドライン提示―国家・宗教・国王を擁護し,国民的一体感と特性を追求し,国民的思想を開発,強化する。麻薬,犯罪,公害,社会的不正等を解決して社会的安全を推進する。国家,民間での節倹。地方開発と都市問題解決を併行して促進,国家教育開発計画に基づく青年の教育,民衆の政治意見表明と政治活動参加を認める。国民に十分な公共施設を供給しうる範囲内に人口調整。農民の生活,所得水準引上げと,農産物の市場と公正価格を確保。良好な労使関係促進と雇用問題解決。貿易,工業,輸出の促進,重要品目の価格統制,既存投資援助と新規投資奨励。天然資源の有効利用。徴税制度の改善,公務員の福利改善,汚職一掃とモラルの高揚。質量両面の警察と軍の強化。国の安全維持への民衆の参加奨励。破壊活動とテロリズム鎮圧には政治的方法と開発計画で対処し,軍事力使用は支持的手段とする。すべての国,特に近隣諸国とASEAN諸国との友好促進。 |
DIA-204-1977-11-16-1 | タイ | 1977年11月16日 | 1970年代 | 立法議会議員任命―360人,うち陸軍125人,海軍39人,空軍36人,警察12人。女性は10人,労組指導者のパイサーンとスントンの2人も任命。 |
DIA-204-1977-11-17-1 | タイ | 1977年11月17日 | 1970年代 | クリエンサック首相,15項目の政策を発表―この中で特にジャングルに逃げた学生に対して帰宅を呼びかけ,過去の事は忘れて,国家の進歩のために協力しようとの演説が注目を集めた(参考資料参照)。 |
DIA-204-1977-11-17-2 | タイ | 1977年11月17日 | 1970年代 | 軍事裁判延期―スタム元NSCT書記長ら被告18人のうち,半数がまだ弁護人を指定出来ないため,78年1月2日まで裁判を延期。 |
DIA-204-1977-11-18-1 | タイ | 1977年11月18日 | 1970年代 | 政府への米売却比率引上げ―貿易局は輸出規制と政府の備蓄米増加のため,米輸出業者が政府に売渡す量を,白米や高級もち米について輸出量の50%とした。 |
DIA-204-1977-11-20-1 | タイ | 1977年11月20日 | 1970年代 | 電力開発6カ年計画―原子力発電を除いて総額134億5000万バーツ。バーンパコンにガスタービン4基(2基は2年以内完成),1基60MW。建設中のメーモ火力(石炭)は1983年までに全4基を完成させる。さらにガスまたは石油でバーンパコンに500MWの発電所を計画中。 |
DIA-204-1977-11-22-1 | タイ | 1977年11月22日 | 1970年代 | 国王生誕50周年恩赦,クリエンサック首相談―一般の囚人と共に3月26日クーデターに参加した政治犯も釈放する。この事件での首相大権発動は公正な取調べぬきであったために,海外でのタイのイメージを暗いものにした。チャラートの息子やその友人達は国家を破壊しようとしたのではなく,政府を変えようとしただけである。団結と相互理解を深め,国家のためにお互いの誤ちを許す新時代が開かれるべきである。ジャングルに逃げた学生は帰宅すべきである。彼らは犯罪を犯したわけではなく,前政府を恐れて逃げただけだから,政府が彼らの身の安全を保証する。 |
DIA-204-1977-11-23-1 | タイ | 1977年11月23日 | 1970年代 | 副首相任務分担―スントン副首相が,大蔵,外務,農業,運輸,商業,工業,ブンチャイ副首相が国防,ソムポップ副首相が法務,文部,厚生,大学の各省庁の行政を指導する。 |
DIA-204-1977-11-24-1 | タイ | 1977年11月24日 | 1970年代 | 立法議会議長選出―議長にハリン・ホンサクン,副議長にチャルームチャイ・チャールワット,プラトゥアン・キーラティプットを選出。 |
DIA-204-1977-11-24-2 | タイ | 1977年11月24日 | 1970年代 | 学生の恩赦要請―チュラロンコン大とタマサート大の教官50人が首相に対して,10月6日事件被告18人の恩赦を要請。 |
DIA-204-1977-11-25-1 | タイ | 1977年11月25日 | 1970年代 | カトリック団体も学生の恩赦を要請―要請に対してクリエンサック首相は,裁判中の被告を恩赦するのは不適当であると回答。 |
DIA-204-1977-11-26-1 | タイ | 1977年11月26日 | 1970年代 | 軍事裁判を早める―モンコン法律家協会長の学生恩赦要請に対し,クリエンサック首相は,恩赦はしないが裁判を早め,判決が出た後に政府が判断すると回答した。 |
DIA-204-1977-11-27-1 | タイ | 1977年11月27日 | 1970年代 | 都市計画改善を首相が指示―都市計画課に対しては,商業ビル建設は首都当局と協力して,交通問題を起さぬよう認可を厳格にする旨指示,工業団地公社に対しては開発促進を,工業関係部局には工場の郊外移転を急ぐよう命令。 |
DIA-204-1977-11-28-1 | タイ | 1977年11月28日 | 1970年代 | 民間武器工場認可か―クリエンサック首相は,政府工場(ライフル銃)建設と同時に,民間工場の認可も検討していると述べ,すでに戦車,装甲車,機関銃等について複数の民間業者が政府に接触していることを明らかにした。 |
DIA-204-1977-11-29-1 | タイ | 1977年11月29日 | 1970年代 | 隣国敵視せず―クリエンサック首相は全国知事会議で演説し,特に国境沿いの県知事に対しては,隣国を敵視せず,紛争が起きたら歩み寄る態度をとるよう指示した。また政府の目的を,景気の回復,公正な選挙準備,次期政権の基礎をしくことにあると説明した。, |
DIA-204-1977-11-29-2 | タイ | 1977年11月29日 | 1970年代 | 首相がスラム街の家内工業振興指示―国営の金融機関に対して融資による雇用増を指示。バンコクのスラムは約300ヵ所,70万人,小工業融資事務所が担当する。あわせて電気,水道,道路の改善命令が出された。 |
DIA-204-1977-11-30-1 | タイ | 1977年11月30日 | 1970年代 | 憲法起草委員会―35人で構成し,25人は議会で互選,10人は政府が任命する。任命された10人は,ククリット・プラモート,カセー・チャナウォン,タウィー・チュラサップ,プラマーン・アディレークサーン,セーニー・プラモート,サワット・カムプラゴープ(以上元政党々首),カモン元法相,ブンチャナ元経済相,タウィー元法制局副長官,カモン・チュラロンコン大学政治学部長。 |
DIA-204-1977-11-30-2 | タイ | 1977年11月30日 | 1970年代 | 景気回復対策―国家経済社会開発庁は,停滞する景気の回復策として,農村開発計画促進による雇用拡大と農民の所得増加,建設と農業関連部門を中心とする国内投資刺激,貿易収支や総合収支の改善努力,および外貨準備減少防止策等を政府に進言した。 |
DIA-204-1977-11-30-3 | タイ | 1977年11月30日 | 1970年代 | タイ共産党創立35周年声明―タイ共産党第1書記Mit Samanan名で党創立35周年声明「全国の人民は固く団結して,断固として売国的反動政府を打倒せよ」を発表(資料参照)。 |
DIA-204-1977-12-01-1 | タイ | 1977年12月01日 | 1970年代 | ベトナムと復交―ウパディット外相によると,タイとベトナムは2日に共同声明を発表する。クリエンサック首相は就任直後にファン・バン・ドン首相宛に私信を送り,1976年8月6日の協定支持と早期実行,特に大使交換の希望を表明した。クリエンサック首相は国軍副司令官時代に,ベトナム,ラオス,カンボジアに人を派遣して接触をはかっていた。 |
DIA-204-1977-12-02-1 | タイ | 1977年12月02日 | 1970年代 | タイ・ベトナム共同声明―バンコクとハノイで同時発表。ラオス駐在のタイおよびベトナム両国の大使による一連の協議の結果,1976年8月の協定を友好協力関係の基礎とすること,関係正常化のため直ちに歩を進めることで合意した。ウパディット外相は,ビエンチャンでの協議が国連総会での接触後開始されたことを明らかにし,ベトナムとの関係正常化は貿易・協力に道を開くものであり,国連やメコン開発での協力も行なう,近くベトナム上空通過交渉も行なうと語った。 |
DIA-204-1977-12-02-2 | タイ | 1977年12月02日 | 1970年代 | クーデター参加者恩赦法案成立―官報公布後直ちに発効。故チャラート将軍の恩赦動議は大差で否決。 |
DIA-204-1977-12-02-3 | タイ | 1977年12月02日 | 1970年代 | ゲリラの攻撃―ピッサヌロークで農民を乗せた軍のトラックが攻撃され,農民9人死亡。 |
DIA-204-1977-12-04-1 | タイ | 1977年12月04日 | 1970年代 | クーデター参加者恩赦―22人を釈放。国王生誕50周年恩赦は全国で行なわれ,囚人6万8000人中4万人が対象となり,そのうち1万人が釈放される予定。 |
DIA-204-1977-12-05-1 | タイ | 1977年12月05日 | 1970年代 | ラオスがタイを非難―「タイ当局はラオス新体制を破壊しようとしている」として国境地帯の警備強化を指令。 |
DIA-204-1977-12-07-1 | タイ | 1977年12月07日 | 1970年代 | 国際砂糖協定再加盟―閣議で再加盟を決定。 |
DIA-204-1977-12-08-1 | タイ | 1977年12月08日 | 1970年代 | 中国が首相を招待―柴沢民大使が華国鋒主席からの招待状をクリエンサック首相に渡した。78年4~5月頃訪中の予定で,その後やはり招待のあったソ連を訪問する予定。柴沢民との会談で首相は,外交関係ではタイの国益を追求することを強調し,「1つの中国」政策をとって中国と全面的な外交関係を持つが,台湾とも商業ベースの関係を続けることを確認した。 |
DIA-204-1977-12-08-2 | タイ | 1977年12月08日 | 1970年代 | 市中銀行の農業融資増加―中央銀行は市中銀行に対し,78年度は96.47億バーツ(77年度比35億バーツ増)を農業開発融資にまわすよう指示した。 |
DIA-204-1977-12-08-3 | タイ | 1977年12月08日 | 1970年代 | ゲリラの攻撃―サコンナコン県。警官7人と郷土防衛隊員2人が死亡。 |
DIA-204-1977-12-08-4 | タイ | 1977年12月08日 | 1970年代 | 木材輸出禁止―商務省布告。9日から発効。最終製品を除くすべての木材輸出を禁止する。 |
DIA-204-1977-12-09-1 | タイ | 1977年12月09日 | 1970年代 | 私立商業学校での中国語授業を禁止―政治的目的に利用されるのを防止するため。 |
DIA-204-1977-12-10-1 | タイ | 1977年12月10日 | 1970年代 | ラオス代表団訪タイ―Souphan外務次官一行到着,航空協定調印のため。 |
DIA-204-1977-12-11-1 | タイ | 1977年12月11日 | 1970年代 | ラオスへの物資輸送解禁―プロック副商相によると,ターニン政権下で禁止されていたラオスへの通過貨物輸送を解禁した。 |
DIA-204-1977-12-11-2 | タイ | 1977年12月11日 | 1970年代 | ウィチエン無罪―ウィチエン前首都警察長官(7月1日解任)の無実を確認。 |
DIA-204-1977-12-12-1 | タイ | 1977年12月12日 | 1970年代 | タイ・ラオス航空協定―双方週1便ずつ運行する。ラオスへの燃料輸送は11月15日から再開されており,ラオスの燃料事情が好転すれば平常の週4便に回復される。クリエンサック首相はラオスのSouphan外務次官と会談し,相互援助,関係改善方法,物資輸送,観光客などの問題を協議し,また両国のラジオおよび新聞報道について,現在の改善されつつある関係を妨害しないよう自粛することで合意した。 |
DIA-204-1977-12-13-1 | タイ | 1977年12月13日 | 1970年代 | ラオス難民逮捕―ノンカイの難民キャンプで,54人をスパイ,破壊活動容疑で逮捕した。そのうち42人を拘留した。 |
DIA-204-1977-12-13-2 | タイ | 1977年12月13日 | 1970年代 | ベトナム代表団訪タイ―グエン・スアン無任所大使を団長とする一行4人が陸路ビエンチャンから入国。ベトナム大使館開設と,グエン・ズイ・チン外相訪タイの準備のため。 |
DIA-204-1977-12-14-1 | タイ | 1977年12月14日 | 1970年代 | ベトナム代表団と会談―ウパディット外相,クリエンサック首相と個別に会談。ウパディット外相は,対ベトナム貿易は今から開始できる,ベトナム側はハノイでの航空交渉を希望し,これにはプラシット副運輸相が行く,また貿易・経済協力の希望も表明されたと会談内容を述べた。クリエンサック首相とは主に大使交換が話しあわれ,またファン・バン・ドン首相からの手紙が手渡された。 |
DIA-204-1977-12-14-2 | タイ | 1977年12月14日 | 1970年代 | カンボジア兵の攻撃―タープラヤー郡。国境警察4人と村民1人死亡。 |
DIA-204-1977-12-14-3 | タイ | 1977年12月14日 | 1970年代 | 木材輸出禁止一部を撤回―竹,しゅろ,ラタン,ベニヤ材の輸出認可,9日にさかのぼって発効。 |
DIA-204-1977-12-15-1 | タイ | 1977年12月15日 | 1970年代 | リー・シンガポール首相訪タイ―17日まで。 |
DIA-204-1977-12-15-2 | タイ | 1977年12月15日 | 1970年代 | カンボジア兵が虐殺―アランヤプラテート郡の2つの村に200人以上のカンボジア兵が侵入,銃や大砲で攻撃し,子供8人を含む村民16人を殺した。 |
DIA-204-1977-12-16-1 | タイ | 1977年12月16日 | 1970年代 | 国王,ターニン前首相を枢密院議員に任命 |
DIA-204-1977-12-16-2 | タイ | 1977年12月16日 | 1970年代 | 米プレミアム引上げ―白米100%,5%はトン当り900バーツ(現行700バーツ),白米10%~45%は700バーツ(10~20%は500バーツ,25~45%は400バーツ),蒸米最上級900バーツ(200バーツ)など。 |
DIA-204-1977-12-16-3 | タイ | 1977年12月16日 | 1970年代 | クリエンサック=リー会談。 |
DIA-204-1977-12-17-1 | タイ | 1977年12月17日 | 1970年代 | リー首相帰国―記者会見で,タイ政府の国民的和解政策を支持する,カンボジアは国境での中央政府の権威確立に時間がかかるので,タイの友好政策は実を結ぶのに時間がかかるだろうが,相手が無能力で関係改善をすぐにできないからといって方針を変えるべきではないと語った。 |
DIA-204-1977-12-17-2 | タイ | 1977年12月17日 | 1970年代 | ベトナム代表団帰国。 |
DIA-204-1977-12-17-3 | タイ | 1977年12月17日 | 1970年代 | カンボジア問題―クリエンサック首相談。クメール・ルージュの放送を傍受すると,実戦部隊長らは上官に,国境紛争について事実とまったく違うことを報告している。虚偽の報道はベトナムとの国境紛争についても同様である。絶え間なく挑発があるが,第3国の助けを借りずに,あらゆる可能な手段でカンボジアとの関係改善に努力する。しかし侵略に対しては容赦しない。軍と警察には侵入者の撃退を命じた。タイとカンボジアは異なる地図を持っているので事件は繰り返し起っている。キュー・サムファン議長から国王に生誕50周年の祝辞があったが,これは前例のないことである。カンボジアは中国に激励されて,最近タイと対話を持とうとしている。 |
DIA-204-1977-12-18-1 | タイ | 1977年12月18日 | 1970年代 | カンボジアはタイ人虐殺を否定―プノンペン放送は15日の事件について,国境部隊は敵の侵略から国土を守ったと放送。 |
DIA-204-1977-12-18-2 | タイ | 1977年12月18日 | 1970年代 | 対共産圏貿易―ナーム商相は,社会主義国との交易に政府機関を設立する必要はなく,民間業者が直接に交易できると語った(13日の閣議で共産圏との貿易を認可した)。 |
DIA-204-1977-12-20-1 | タイ | 1977年12月20日 | 1970年代 | カンボジア兵が再び攻撃―カンボジア兵がアランヤプラテート郡のクローンルーク村の市場クローンナムサイ村の国境警察駐屯所など4村を攻撃。タイ側は支援部隊を急派。 |
DIA-204-1977-12-20-2 | タイ | 1977年12月20日 | 1970年代 | ベトナムとの無線テレタイプ通信再開―閣議でホーチミン市とバンコク間の無線テレタイプを再開するとのベトナムの提案を承認。 |
DIA-204-1977-12-20-3 | タイ | 1977年12月20日 | 1970年代 | 銑鉄輸入禁止―国内産業保護のため。 |
DIA-204-1977-12-21-1 | タイ | 1977年12月21日 | 1970年代 | タイ空軍機撃墜さる―カンボジア国境で撃退作戦中のタイ空軍機がカンボジア兵に撃墜され,パイロットはカンボジア領内1kmの地点で脱出した。タイ軍はカンボジア領内を砲撃し,ヘリコプターでパイロットを救出したあと,さらに空軍機でポイペト周辺に機銃掃射を行なった。 |
DIA-204-1977-12-22-1 | タイ | 1977年12月22日 | 1970年代 | スエーデン大使がカンボジアに入る―タイ駐在のスエーデン大使夫妻がアランヤプラテートの国境からカンボジアに入った。 |
DIA-204-1977-12-22-2 | タイ | 1977年12月22日 | 1970年代 | カンポジア側が砲撃―22日夜からタイ領砲撃を再開した。11月20日から12月19日までの期間,カンボジア側は29ヵ所を攻撃,12回の交戦があった。 |
DIA-204-1977-12-22-3 | タイ | 1977年12月22日 | 1970年代 | カンボジアに穏やかな抗議―外務省で国防会議,軍部,内務,外務の高官会議が開かれた。ウォン副外相によると,国境での敵対関係を緩和させる方法を協議した。カンボジアに対しては,カンボジア兵の攻撃による人命,財産の損失に対して穏やかな抗議をした。 |
DIA-204-1977-12-22-4 | タイ | 1977年12月22日 | 1970年代 | ビザ規制緩和か―ウィチット労働局長によると,タイで働く外国人のビザについて国内で延長をできるようにし,一時出国を不要とする予定。また外国人の規制職業数を減らすことを検討している。 |
DIA-204-1977-12-23-1 | タイ | 1977年12月23日 | 1970年代 | 国境警備を強化―カンボジアとの国境視察から帰ったクリエンサック首相は記者会見で次のように語った。国境の警備を強化する。しかし平和的解決の外交攻勢は弱めない。紛争に第3者が介入しているとは思わないが,タイ共産党が最近チャンタブリーとトラートで活動を強化している。両県を共産主義浸透地域に指定し,単一の司令官を任命して鎮圧作戦を進める。国境付近住民の集団移住計画はない。バンコク市民には新年の贈り物として外出禁止令を近く解除する。新年に共産テロリストが都市に潜入して騒ぎを起すというのは噂にすぎない。国境紛争に第3国の斡旋を依頼したことはない。 |
DIA-204-1977-12-24-1 | タイ | 1977年12月24日 | 1970年代 | ゲリラ指導者に懸賞金―共産主義鎮圧司令部は64名のゲリラ指導者に10万バーツから3000バーツの懸賞金を出した。10万バーツはSin Termlim(別名Son Win)にかけられている。 |
DIA-204-1977-12-26-1 | タイ | 1977年12月26日 | 1970年代 | 農家負債救済基金―クリエンサック首相は農業省に対し,内務省と協力して,農業支出によって生じた債務負担を救済するよう指示した。5億バーツの特別基金を作る。 |
DIA-204-1977-12-27-1 | タイ | 1977年12月27日 | 1970年代 | タイ代表団ハノイへ―プラシット副運輸相を団長とする14人が航空交渉のたあハノイに向け出発。 |
DIA-204-1977-12-27-2 | タイ | 1977年12月27日 | 1970年代 | クリエンサック首相スエーデン大使と会談。 |
DIA-204-1977-12-27-3 | タイ | 1977年12月27日 | 1970年代 | 重要産業保護特別基金―重要産業の安定化をはかるため大蔵省に特別基金を設け,企業への投資や,資金借入れの権限を大蔵省に付与する。対象企業は株式市場上場企業とし,株式未払い分の5分の1以上の取得はできないが,政府の承認があれば全株式の3分の1までの取得ができる。この株式保有は5年以下の期間とする。法案は近く国会に提出予定。 |
DIA-204-1977-12-27-4 | タイ | 1977年12月27日 | 1970年代 | 輸出入計画委員会―閣議で設置を決定。委員長はスントン副首相の予定。輸出促進,輸入安定化のため税制調整を含む大きな権限を付与する。すでに商務省内で3つの作業グループを設置し,中東,共産圏その他諸国の市場開拓の可能性を検討中。 |
DIA-204-1977-12-28-1 | タイ | 1977年12月28日 | 1970年代 | 共産指導者逮捕―ノンカイ県ポーンピサイ郡の共産主義浸透村を300人の政府軍が急襲。ゲリラ指導者8人を逮捕。 |
DIA-204-1977-12-28-2 | タイ | 1977年12月28日 | 1970年代 | 砂糖協定批准―カセム工業相は,今週中に国際砂糖協定を批准する,タイの輸出割当は120万トンとなっており,このため国内在庫増加対策を急ぎ,農民に対しては作付削減を指導すると語った。 |
DIA-204-1977-12-29-1 | タイ | 1977年12月29日 | 1970年代 | 深水港建設に全力―クリエンサック首相は深水港開発委員会に対し,78年着工,81年完成予定で建設を急ぐこと,あわせて同地の新都市建設も同時着工するよう指示した。建設請負はタイ企業を優先する。 |
DIA-204-1977-12-30-1 | タイ | 1977年12月30日 | 1970年代 | 経済改革実行―スパット蔵相は,78年の経済の悪化を避けるため,予算,金融,貿易政策の大改革を行なうと語った。主な内容は,税制では直接税の比重(現在15%)を高める。予算配分は景気刺激よりも安定を重視する。一部産業への補助金は廃止する。石油節約の方法を検討する。石油値上げも考慮する。 |
DIA-204-1977-12-30-2 | タイ | 1977年12月30日 | 1970年代 | バンコクの外出禁止令解除―78年1月1日から。 |
DIA-204-1978-01-02-1 | タイ | 1978年01月02日 | 1970年代 | タイ・ベトナム航空協定成立―ベトナムから帰国したプラシット副運輸相が,協定成立を報告。タイ航空はホーチミン市経由で香港に向う。ベトナムはバンコクからラングーン,インド以遠権獲得。タイ国内航空もビエンチヤンからホーチミン市とハノイへ路線を延長できる。 |
DIA-204-1978-01-02-2 | タイ | 1978年01月02日 | 1970年代 | 旱ばつ被害報告―国家経済社会開発庁によると,77年の旱ばつによる被害は約70億バーツで,全農地の15%にあたる780万ライに被害が出,季節労務者10万人が失業した。輸出への影響は約40億バーツ。 |
DIA-204-1978-01-03-1 | タイ | 1978年01月03日 | 1970年代 | エネルギー節約対策―閣議でエネルギー節約のための委員会(国家石油政策・石油産業開発委員会)設立を承認。委員長はカセム工業相。 |
DIA-204-1978-01-03-2 | タイ | 1978年01月03日 | 1970年代 | 農業融資目標拡大―中央銀行は78年の市中銀行による農業融資額を,77年末預金高の11%,145億バーツとすることを決定。農産品を50%以上使う農産品加工業も融資対象に加える。 |
DIA-204-1978-01-04-1 | タイ | 1978年01月04日 | 1970年代 | イラン皇太子訪タイ。 |
DIA-204-1978-01-04-2 | タイ | 1978年01月04日 | 1970年代 | 通貨対策で提案―1部閣僚を含む若手エコノミストが,対米ドル固定相場制廃止,変動相場制移行により,国際収支を改善することを提案。中銀通貨当局は輸入増大を招くとして反対している。 |
DIA-204-1978-01-05-1 | タイ | 1978年01月05日 | 1970年代 | バーツの平価変更否定―大蔵省と中央銀行は共同で,バーツ平価の変更は不必要と声明した。一方,サノ中銀総裁は外国人記者クラブで講演し,輸出促進,輸入抑制の全面的かつ系統的対策がとられているので,タイの貿易・国際収支赤字は許容限度内に保ちうる,国内的には需要インフレを抑えるよう,国内信用を規制すると述べた。 |
DIA-204-1978-01-06-1 | タイ | 1978年01月06日 | 1970年代 | ヴイレジ・スカウト不安定化―ヴィレジ・スカウト創立者のSomkuan Harikul警察少将は,一部の人間が利己的目的に利用することを狙って介入してきているため,ヴィレジ・スカウト運動は不安定な時代に入ったと述べた。 |
DIA-204-1978-01-07-1 | タイ | 1978年01月07日 | 1970年代 | シンガポールの国防相訪タイ。 |
DIA-204-1978-01-09-1 | タイ | 1978年01月09日 | 1970年代 | ベトナム外相訪タイ―グェン・ズイ・チン外相一行タイ訪問。到着後クリアンサック首相と会談した。首相は大使の早期交換や技術協力を提案し,ベトナム外相は両国の関係強化を希望すると述べた。カンボジア問題については双方共この地域に紛争が起るのを望まないという点で一致した。 |
DIA-204-1978-01-09-2 | タイ | 1978年01月09日 | 1970年代 | タマサート大事件裁判―陸軍内の特別法廷で,スタム元全国学生センター書記長ら18人の被告の審問を開始。法廷外には被告を支援する3000人が集まり,また米,英,仏,西独,ソ連など8ヵ国の外交官も審理を傍聴した。 |
DIA-204-1978-01-09-3 | タイ | 1978年01月09日 | 1970年代 | 労組活動緩和―ウィチット労働局長は,1月中旬から,労組の会議や教育訓練活動を完全に自由にすると発表した。 |
DIA-204-1978-01-09-4 | タイ | 1978年01月09日 | 1970年代 | 回教ゲリラ掃討作戦―ヤラー県で400人の兵士,警官を動員してKunchorn II作戦開始。 |
DIA-204-1978-01-10-1 | タイ | 1978年01月10日 | 1970年代 | プライム・レート引上げ―商業銀行はプライムレートを10.5%から11%に引上げた。なお外銀支店は既に引上済。 |
DIA-204-1978-01-11-1 | タイ | 1978年01月11日 | 1970年代 | 貿易,航空協定調印―タイとベトナム間の貿易・経済・技術協力協定,航空協定に調印。タイ航空は既に9日からベトナム上空を通過して運航している。 |
DIA-204-1978-01-12-1 | タイ | 1978年01月12日 | 1970年代 | ベトナム外相帰国―共同声明で,友好関係の強化発展を再確認し,大使館開設と大使交換の早期実現,両国間の問題の平和的友好的解決法をとることで合意。 |
DIA-204-1978-01-13-1 | タイ | 1978年01月13日 | 1970年代 | オークレイ米国務次官補訪タイ―麻薬と人権問題でタイ側と協議する。 |
DIA-204-1978-01-13-2 | タイ | 1978年01月13日 | 1970年代 | 重要産業保護法案撒回―スパット蔵相は,政府が私企業保護のため投資することに対して,議会で批判が出たので取り下げると発表。 |
DIA-204-1978-01-13-3 | タイ | 1978年01月13日 | 1970年代 | 政党数規制か―憲法起草委員会で検討中。案の内容は,政党は選挙区の半分以上に候補者をたて,当選者が全議席の10%以下であれば政党の資格がなくなって解散させられる。 |
DIA-204-1978-01-15-1 | タイ | 1978年01月15日 | 1970年代 | 弁護士への脅迫続く―タマサート大学事件被告の弁護士に対して尾行や脅迫が続いているため,弁護士協会はクリアンサック首相,スーム首都平和維持司令官,モンチャイ警察局長に対し,身辺保護を求めた。 |
DIA-204-1978-01-16-1 | タイ | 1978年01月16日 | 1970年代 | 全国で教員がデモ―200バーツの生活手当を要求。首相は各県当局に支給を指示。 |
DIA-204-1978-01-16-2 | タイ | 1978年01月16日 | 1970年代 | マレーシア軍参謀総長訪タイ。 |
DIA-204-1978-01-17-1 | タイ | 1978年01月17日 | 1970年代 | カーター米大統領を招待―クリアンサック首相はオークレイ米国務次官補らと会談。麻薬一掃努力強化のためヘリコプターの援助を要求し,またカーター大統領のタイ訪問を招請。 |
DIA-204-1978-01-18-1 | タイ | 1978年01月18日 | 1970年代 | 総合地方開発計画―旱ばつ被災地約40県を対象とし,78年度予算から16億バーツを流用する。(27日に議会で承認) |
DIA-204-1978-01-18-2 | タイ | 1978年01月18日 | 1970年代 | コンケンで教員スト―公務員化を要求してストに入る。このため県管轄の999校中600校が休校。 |
DIA-204-1978-01-19-1 | タイ | 1978年01月19日 | 1970年代 | ディーゼル・エンジン認可―投資委員会が6社の奨励を認可。3社は60~300馬力の自動車用,3社は30馬力以下の農業用。 |
DIA-204-1978-01-21-1 | タイ | 1978年01月21日 | 1970年代 | カンボジア国境で7人死亡―チャンタブリー県ポーンナムローン郡の国境から3kmの地点で,バスがカンボジア兵に攻撃されて7人死亡。同地点では19日にも家族3人が殺されている。 |
DIA-204-1978-01-22-1 | タイ | 1978年01月22日 | 1970年代 | 日本に貿易不均衡改善を要請―プロック副首相は人見大使を呼んで,不均衡改善のため,タイ産品の買付拡大と,日本の対タイ輸出を抑制するよう要請。 |
DIA-204-1978-01-24-1 | タイ | 1978年01月24日 | 1970年代 | ウォン副外相ラオスへ―ラオス向食糧援助引渡しのため。 |
DIA-204-1978-01-25-1 | タイ | 1978年01月25日 | 1970年代 | タイ・ラオス国境紛争の扱いで合意―ウォン副外相とラオスのKampa副外相の会談で,将来の紛争に備えた地方当局者の定期的会合,メコン河の島と砂州の領有権に関する1955年の協定順守,メコン河の漁業資源と運航権の共有,ビエンチャンサバナケット線のラオス航空のタイ領上空運行を週3回許可などで合意。 |
DIA-204-1978-01-26-1 | タイ | 1978年01月26日 | 1970年代 | 政党規制撤回―憲法起草委員会は,全議席の1割以下の政党は自動的に解散するとの条項に対する反対が強いためこれを撤回した。 |
DIA-204-1978-01-27-1 | タイ | 1978年01月27日 | 1970年代 | カンボジア兵の攻撃―スリン県サンカー郡で約300人のカンボジア兵がタイ国境警察詰所を攻撃,村民1人死亡,村民と警察に8人の負傷者。 |
DIA-204-1978-01-30-1 | タイ | 1978年01月30日 | 1970年代 | 外相カンボジア訪問―ウパディット外相一行20人プノンペンに到着。イエンサリ副首相が出迎え。外相は出発前の記者会見で,双方が異なった国境の地図を持ち,また国境の役人の間にも誤解がある,双方の自己規制と誤解をとくことが国境の平和にとって必要であると語った。 |
DIA-204-1978-01-31-1 | タイ | 1978年01月31日 | 1970年代 | 奢侈品輸入禁止―政府は貿易・国際収支改善のための暫定措置として,2月1日から自動車,オートバイ,革製品など18品目の輸入を禁止した。 |
DIA-204-1978-01-31-2 | タイ | 1978年01月31日 | 1970年代 | 公定歩合引上げ―中央銀行は輸入抑制のため,金融会社による自動車の割賦販売融資残高規制を発表,あわせて公定歩合を9%から10.5%に引上げた。 |
DIA-204-1978-01-31-3 | タイ | 1978年01月31日 | 1970年代 | カンボジア兵の攻撃―シーサケート県カンタラック郡で民間人2人死亡,1人重傷。 |
DIA-204-1978-02-01-1 | タイ | 1978年02月01日 | 1970年代 | 奢侈品輸入禁止について―クリアンサック首相は,貿易・国際収支改善のために必要なら将来増税も考える,しかしそれは国民の大多数に与える影響を最小限にするよう配慮すると語った。 |
DIA-204-1978-02-02-1 | タイ | 1978年02月02日 | 1970年代 | 外相カンボジアから帰国―ウパディット外相によると,タイとカンボジア両国は,貿易の再開,大使交換,国境紛争の停止,平和共存5原則と75年10月の共同声明を基礎とする関係正常化に合意した。貿易は,魚を輸入し,大豆,落花生,木材,棉花,パンヤなどを輸出し,海上はSadet島,陸上はアランヤプラテートで交易する。決済はバーツで行なう。外相は,タイ・カンボジアの新時代が始まったと語った。 |
DIA-204-1978-02-07-1 | タイ | 1978年02月07日 | 1970年代 | 農家負債の負担軽減措置―クリアンサック首相は農業・協同組合銀行に対し,全国農民の生産目的の負債を肩代りするよう命令した。内務省が農家負債を調査し,肩代りのアレンジをする。 |
DIA-204-1978-02-08-1 | タイ | 1978年02月08日 | 1970年代 | マスメディア機構存続―閣議で存続,強化を決定,広報局下のすべての地方テレビ局(5局)を同機構の監督下に移す。 |
DIA-204-1978-02-08-2 | タイ | 1978年02月08日 | 1970年代 | 自動車工場拡張禁止―工業省は国産化率についての省令改正がなされるまで工場拡張を禁止した。 |
DIA-204-1978-02-09-1 | タイ | 1978年02月09日 | 1970年代 | 77年農業融資実績―中銀発表。商業銀行の農業融資実績は104億1980バーツで,目標を7億7280万バーツ上回った。 |
DIA-204-1978-02-10-1 | タイ | 1978年02月10日 | 1970年代 | カンボジア兵がタイ農民を拉致―9日ウボン県ナムユーン郡にカンボジア兵が侵入し,10日に退却する際,約300人の村民を拉致,50頭の水牛や牛を略奪した。政府軍の反撃で約40人のカンボジア兵を死傷させた。村民のうち約90人は同日逃げ帰った(カンボジア兵の攻撃は11日にもあり,3人の村落防衛隊員が死亡)。 |
DIA-204-1978-02-10-2 | タイ | 1978年02月10日 | 1970年代 | もち米輸出一時禁止―北部と東北部での価格上昇を防ぐため。 |
DIA-204-1978-02-15-1 | タイ | 1978年02月15日 | 1970年代 | カンボジア兵再び住民を連行―ブリラム県で約200人のカンボジア兵が侵入し,2人を殺し,家屋15軒と学校を焼き,住民150人を連れ去った。 |
DIA-204-1978-02-15-2 | タイ | 1978年02月15日 | 1970年代 | 中東からの送金―ウイチット労働局長によると,中東への出稼者約8000人からの送金は控え目にみて月に5600万バーツにのぼる。 |
DIA-204-1978-02-15-3 | タイ | 1978年02月15日 | 1970年代 | 爆弾所持者逮捕―濠,米,英国人の3人を逮捕,インドのAnanda Marg派の信徒で,インド大使館爆破を計画していた。警察は英連邦諸国の大使館を警護。 |
DIA-204-1978-02-17-1 | タイ | 1978年02月17日 | 1970年代 | 首相一行ASEAN歴訪に出発―インドネシアを最初に訪問。一行は外相,運輸相,工業相,農相,商相らを含む24人。18日にスハルト大統領と会談。 |
DIA-204-1978-02-17-2 | タイ | 1978年02月17日 | 1970年代 | カンボジアに文書―外務省は10日,15日の農民拉致事件を知らせる書簡をイエンサリ副首相あてに出し,注意を喚起した。 |
DIA-204-1978-02-17-3 | タイ | 1978年02月17日 | 1970年代 | 証券取引所規定―大蔵省は,上場企業の資本金,株主数,1人当り持株数などの規定を定めた。また株券は1株100バーツに統一する。 |
DIA-204-1978-02-19-1 | タイ | 1978年02月19日 | 1970年代 | タイ・インドネシア共同声明―両国間の貿易促進,インドシナ諸国との関係正常化の努力で合意。貿易はタイがインドネシアに米を優先的に輸出,またインドネシアはタイに原油と工業用LPGを供給する。 |
DIA-204-1978-02-20-1 | タイ | 1978年02月20日 | 1970年代 | クリアンサック首相一行フィリピン訪問。 |
DIA-204-1978-02-22-1 | タイ | 1978年02月22日 | 1970年代 | カンボジア兵の攻撃―アランヤプラテートの町から5kmの地点で待伏せ攻撃。タイ国境警察3人死亡。 |
DIA-204-1978-02-23-1 | タイ | 1978年02月23日 | 1970年代 | タイ・フィリピン共同声明―ベトナム・カンボジア武力紛争の終結が東南アジアの平和と安定に貢献するとの認識で一致。首相一行はその後マレーシアを訪問。 |
DIA-204-1978-02-24-1 | タイ | 1978年02月24日 | 1970年代 | カンボジアが返書でタイを非難―タイ側の攻撃による犠牲を列挙し,紛争はタイ側が仕掛けたものであると非難。 |
DIA-204-1978-02-25-1 | タイ | 1978年02月25日 | 1970年代 | カンボジアがゲリラ訓練か―軍高官筋によると,国境近くで基地を設営し,情報収集やゲリラ訓練をタイ人に施している,プノンペン政府は国境の情勢をすべて把握していない。なおプラチンブリー県タープラヤー郡でカンボジア兵の攻撃により,タイ兵士2人死亡。 |
DIA-204-1978-02-26-1 | タイ | 1978年02月26日 | 1970年代 | 国連の介入要請―クリアンサック首相はクアラルンプールでの記者会見で,ベトナム・カンボジア紛争が第3国の手で拡大しないよう,国連が行動をとることを要請すると語った。タイとマレーシアの共同声明では,国境地帯の共産ゲリラに対する合同軍事作戦を継続することを確認。首相一行はシンガポールを訪問。 |
DIA-204-1978-02-28-1 | タイ | 1978年02月28日 | 1970年代 | ベトナム大使館開設。 |
DIA-204-1978-02-28-2 | タイ | 1978年02月28日 | 1970年代 | 建築資材値上り―今年初めから上昇し,現在前年同期で15%アップ。今後も上昇気配。 |
DIA-204-1978-03-01-1 | タイ | 1978年03月01日 | 1970年代 | 鉄道新線建設計画―チャチュンサオ~レームチャバン~サタヒープを結ぶ。総工費3億6400万バーツの予定。 |
DIA-204-1978-03-01-2 | タイ | 1978年03月01日 | 1970年代 | メイズ輸出規制解除―今年7月まで輸出自由化。 |
DIA-204-1978-03-01-3 | タイ | 1978年03月01日 | 1970年代 | 鉄鋼委員会―カセム工業相を委員長として,銑鋼一貫製鉄所を推進する委員会を設置した。 |
DIA-204-1978-03-02-1 | タイ | 1978年03月02日 | 1970年代 | 海外で国債発行―スパット蔵相は,第4次5ヵ年計画の資金調達のため,西独と日本で国債を発行すると発表した。海外での発行は65年ぶり。西独で5000万マルク,日本で100億円の予定。 |
DIA-204-1978-03-05-1 | タイ | 1978年03月05日 | 1970年代 | マレーシアのガザリ陸軍参謀長タイ訪問。 |
DIA-204-1978-03-07-1 | タイ | 1978年03月07日 | 1970年代 | 商相一行ECへ出発―輸出拡大のため。 |
DIA-204-1978-03-07-2 | タイ | 1978年03月07日 | 1970年代 | ESCAP総会開幕。 |
DIA-204-1978-03-08-1 | タイ | 1978年03月08日 | 1970年代 | バーツバスケット方式に移行―政府はバーツの対米ドル固定レート制を廃し,米ドルを含む主要通貨とのバスケット方式を採用すると発表した。なお中銀は対米ドル・レートは当面変えないと発表した。 |
DIA-204-1978-03-08-2 | タイ | 1978年03月08日 | 1970年代 | 141品目の輸入関税引上げ―一貿易赤字縮小と国内産業振興のため。主要品目の関税引上げは次の通り。乗用車80%→150%,バン・小型トラック・ジープ60%→80%,カラーテレビ80%→100%,白黒テレビ60%→80%,ラジオ50%→60%,レコードプレーヤー・テープレコーダー30%→50~60%,エアーコンディショナー30%→80%,その他家電製品60%→80%,食料品60%→80%,繊維・衣料品40~60%→80~100%。 |
DIA-204-1978-03-08-3 | タイ | 1978年03月08日 | 1970年代 | ガソリン税引上げ―66%の引上げ。他にビール,ソーダ,ウィスキーの物品税も引上げ。 |
DIA-204-1978-03-09-1 | タイ | 1978年03月09日 | 1970年代 | 輸入関税引上げ理由を説明―クリアンサック首相は,今回の措置は大多数の国民に影響を与えるものではなく,貧困層への影響も最小限にとどめるよう配慮した,また石油節約の必要がある,バーツのバスケット方式移行はバーツの価値に影響しないと語った。 |
DIA-204-1978-03-09-2 | タイ | 1978年03月09日 | 1970年代 | バーツについてサノ中銀総裁説明―1年以上の分析・検討の結果決定した。これから輸出シーズンに入ること,政府の貿易・国際収支不均衡是正のための財政的手段決定にタイミングをあわせた。為替平衡基金は従来と同様にドルの売買に無制限に応じる。 |
DIA-204-1978-03-09-3 | タイ | 1978年03月09日 | 1970年代 | タイ・ラオス外相級会談―ウパディット外相はラオスのNouphan副外相と会談し,誤解を避けるため両国国境の役人は武器を使用しないこと,また貿易使節団交換でも合意した。 |
DIA-204-1978-03-09-4 | タイ | 1978年03月09日 | 1970年代 | 通貨・輸入関税への業界の反応―ブンチュー・バンコク銀行頭取「バーツのバスケット方式移行は偉大な前進である」。オップ貿易院会長「輸入関税引上げは貿易収支改善に必要」。テート紡績協会副会長「繊維の輸入関税引上げは国内産業への真の援助にならない。輸入量は小さい。政府は香港やシンガポールからの密輸を取締るべきだ」。家電業界は全面支持で,テレビ,ラジオ,テープレコーダーの輸入禁止を求める。テレビの30%が合法輸入,70%が密輸だから,密輸取締りの強化を求める。自動車振興委員会は部品国産化促進の立場から支持。しかし小型トラックは農業用で奢侈品ではないので影響を懸念。 |
DIA-204-1978-03-10-1 | タイ | 1978年03月10日 | 1970年代 | タイ・マレーシア合同軍事演習(6日間)。 |
DIA-204-1978-03-12-1 | タイ | 1978年03月12日 | 1970年代 | 深海港建設―サノン副運輸相の発表によると,プーケットとソンクラーに建設する。5年以内に完成。 |
DIA-204-1978-03-12-2 | タイ | 1978年03月12日 | 1970年代 | カンボジア兵が砲撃―タープラヤー郡の国境地帯の村が砲撃され,村民13人負傷,多くの家が破壊さる。 |
DIA-204-1978-03-13-1 | タイ | 1978年03月13日 | 1970年代 | ソ連副外相と会談―ウパディット外相は非公式訪問中のフィリューピン副外相と会談,ベトナム・カンボジア国境紛争の平和的解決で意見一致。 |
DIA-204-1978-03-13-2 | タイ | 1978年03月13日 | 1970年代 | 最低賃金50バーツ要求―Labour Council of Thailandは近く政府に首都圏日給50バーツと,ターニン政権下で出されたストライキ禁止の撤回を要求する。 |
DIA-204-1978-03-13-3 | タイ | 1978年03月13日 | 1970年代 | 増税の影響―チャローン副蔵相は,輸入関税や国内消費税の引上げが物価上昇に与える影響は1%程度にすぎないと語った。なお,バンコク・ポスト紙の調査では,5~10%の値上りをみせている。消費者保護委員会(議長ソムポップ副首相)の要請で,商業省は物価監督官を出動させた。 |
DIA-204-1978-03-15-1 | タイ | 1978年03月15日 | 1970年代 | 代理大使ハノイへ―サナン代理大使が出発。 |
DIA-204-1978-03-16-1 | タイ | 1978年03月16日 | 1970年代 | 王女にも王位継承権―憲法起草委員会は皇太子に継ぐ王位継承権を王女に認める条項を確認した。 |
DIA-204-1978-03-16-2 | タイ | 1978年03月16日 | 1970年代 | 投資奨励地域削減―官庁筋によると,投資委員会は奨励地域を11から4に減らした。理由はインフラ未整備のため民間企業が関心を示していないことによる。4地域は,①ラムプーン県ムアン郡とチェンマイ県サンカムペーン郡,②サラブリー県ムアン郡,ゲーンコーイ郡とナコンラーチャシーマー県ムアン郡,パークトーンチャイ郡,パークチョーン郡,③コンケーン県ムアン郡,バーンパイ郡,④ソンクラー県ムアン郡,ハジャイ郡。 |
DIA-204-1978-03-17-1 | タイ | 1978年03月17日 | 1970年代 | 少数民族問題検討―国軍最高司令部は麻薬取引一掃などのため,ビルマ国境の少数民族グループの一掃を検討している。 |
DIA-204-1978-03-20-1 | タイ | 1978年03月20日 | 1970年代 | 最低賃金45バーツ要求―パイサーンLCT議長は最低賃金首都圏日給45バーツ,スト禁止撤回など5項目の要求書を政府に提出した。 |
DIA-204-1978-03-21-1 | タイ | 1978年03月21日 | 1970年代 | 繊維工場新設禁止―在庫をこれ以上増やさないため,新設や拡張禁止。 |
DIA-204-1978-03-21-2 | タイ | 1978年03月21日 | 1970年代 | 国鉄機関士組合合順法闘争。 |
DIA-204-1978-03-22-1 | タイ | 1978年03月22日 | 1970年代 | ラオス副首相訪タイ―Phoune Sipraseuth副首相兼外相がクリアンサック首相と会談。首相はラオスに亡命しているタイ人学生を罰する意図はないので,彼らの帰国を援助してくれるよう要請し,また両国間の紛争の平和的解決を保証すると述べた。 |
DIA-204-1978-03-22-2 | タイ | 1978年03月22日 | 1970年代 | 労働開発諮問評議会設立―National Labour Development Advisory Council設立,政府,退役官僚,労働者,経営者の4者代表20人で構成。 |
DIA-204-1978-03-23-1 | タイ | 1978年03月23日 | 1970年代 | タイ人囚人釈放約束―タイ・ラオス外相会談で,ラオスにいるタイ人囚人の釈放を約束,また貿易地点の追加開港の可能性も検討。 |
DIA-204-1978-03-25-1 | タイ | 1978年03月25日 | 1970年代 | タイ・ラオス共同声明―紛争の平和的解決,ムクダハン・サバナケット間で貿易取引開始,メコン河平和地帯化の便宜と安全供与で合意。Phoune副首相は口頭でウパディット外相のラオス訪問を要請,クリアンサック首相はタイ学生の帰国の便宜供与と学業継続を保証。 |
DIA-204-1978-03-25-2 | タイ | 1978年03月25日 | 1970年代 | 自動車国産化率引上要請―自動車振興委員会は国産化率を現在の25%から30~35%に引上げるよう要請,2年以内に50%にすることも可能と述べた。 |
DIA-204-1978-03-26-1 | タイ | 1978年03月26日 | 1970年代 | 精油所に政府が資本参加―石油政策・石油産業開発委員会は,Thai Oil Refinery Co.の拡張に49.9%の資本参加を決めた。1981年のTORC精油所の政府への返還後,官民合弁として拡張計画に着手する。 |
DIA-204-1978-03-26-2 | タイ | 1978年03月26日 | 1970年代 | カンボジアから9人の農民逃げ帰る―2月にカンボジアへ強制連行された農民約400人のうちの9人が逃げ帰った。各地の学校で洗脳を受け,労働に使われている。タイ共産党の経営するmarch 8 School→Obtober 6 School(共産主義思想教育)→51 School(戦闘訓練)→ゲリラとしてタイ国内へ,との順序という。 |
DIA-204-1978-03-27-1 | タイ | 1978年03月27日 | 1970年代 | ストに警告―クリアンサック首相はPWWA労働者のストライキ予告に対して警告し,停止を求めた。 |
DIA-204-1978-03-29-1 | タイ | 1978年03月29日 | 1970年代 | 首相中国訪問に出発―外相,副内相,工業相,陸軍副司令官らが同行。北京空港では華国鋒主席ら中国首脳が出迎え。人民大会堂での歓迎宴で答礼演説にたったクリアンサック首相は,持てる国と持たざる国との関係への中国の態度や国際紛争平和解決促進を評価し,中国のASEAN支持に喜びを表明した。 |
DIA-204-1978-03-29-2 | タイ | 1978年03月29日 | 1970年代 | タバコ公社労働者スト。 |
DIA-204-1978-03-30-1 | タイ | 1978年03月30日 | 1970年代 | 鄧小平年内訪タイ―鄧・クリアンサック会談で鄧小平が受諾。 |
DIA-204-1978-03-30-2 | タイ | 1978年03月30日 | 1970年代 | 砂糖法―閣議で,政府に品質規制,生産調整の権限を与える法を承認。農民,精糖業者,政府3者から成るSugar Boardを設立する。 |
DIA-204-1978-03-31-1 | タイ | 1978年03月31日 | 1970年代 | 国王夫妻を中国が招待―華・クリアンサック会談で,華主席はタイに石油を友好価格で売ることを申し出。鄧・クリアンサック会談で,鄧副首相は国王夫妻を中国に招待。ウパディット・黄華両外相会談で,貿易協定,科学技術協力協定に調印。貿易協定では,タイは中国から石油を輸入,ゴム,緑豆,砂糖,繊維などを輸出する。決済は米ドルや西独マルク。科学技術協力では,毎年双方の首都で交互に定期協議する。 |
DIA-204-1978-03-31-2 | タイ | 1978年03月31日 | 1970年代 | 列車爆破―ファラムポーン駅(バンコク中央駅)で,ハジャイ行列車に南部分離ゲリラPULOが仕街けた爆弾が爆発,4人軽傷。その6時間後バーンスー駅ではナコンシータマラート行列車に大量の爆発物を持って乗った女性1人を逮捕。 |
DIA-204-1978-04-01-1 | タイ | 1978年04月01日 | 1970年代 | アランヤプテート攻撃さる―2年間の国境紛争では初めて,カンボジア側がアランヤプラテートの町を中国製107ミリ砲で砲撃した。近隣4村で負傷者が出ている。カンボジアからの攻撃はウパディット外相のカンボジア訪問後逆に増加している。 |
DIA-204-1978-04-03-1 | タイ | 1978年04月03日 | 1970年代 | カンボジア兵を撃退―アランヤプラテートのセーンスーク村に侵入してきたカンボジア兵を戦闘機の爆撃で追い返した。1~2日のカンボジアの砲撃は,アランヤの町に3発,近隣農村に約20発打ちこまれた。この日も2時間の銃撃戦が行なわれた。 |
DIA-204-1978-04-03-2 | タイ | 1978年04月03日 | 1970年代 | 電力需要―カムトンEGAT副総裁によると,電力需要は毎年18%伸びているが,近い将来の電力危機はない見通し。 |
DIA-204-1978-04-05-1 | タイ | 1978年04月05日 | 1970年代 | 輸銀設立に踏み出す―サノ中銀総裁によると,クルンタイ銀行Public Banking Deptを中銀と商業銀行の協力で設置し,輸出銀行設立への第1歩とする,また中小輸出業者への援助として,50万バーツまでの約束手形の再割引を行なうと述べた。またスントン副首相は,輸出信用改善のため,輸出銀行を設立するか,国営銀行を改組すると述べた。 |
DIA-204-1978-04-05-2 | タイ | 1978年04月05日 | 1970年代 | 30人乗以上の6輪バス輸入を禁止。 |
DIA-204-1978-04-06-1 | タイ | 1978年04月06日 | 1970年代 | クリアンサック首相記者会見―(於香港)①大国は東南アジアを自分の目的に利用しないように。②中国は平和・自由・中立地帯構想を支持した。③中国はシンガポール,インドネシアとの国交を望んでいる。④プリーディ元首相(在パリ)の帰国を認可する。⑤タイのインドシナ難民10万人のために外国の援助を要請する。⑥タマサート大事件被告は法的に決着がついた後に救済する。⑦華国鋒,鄧小平は年内にタイを訪問する。⑧中国はタイ・カンボジア紛争の仲介にたたない,衡突はカンボジア政府というより,タイ人共産主義者が起していると思うと語った。首相一行は7日に帰国。 |
DIA-204-1978-04-07-1 | タイ | 1978年04月07日 | 1970年代 | サガット政策評議会議長演説―7%の物価上昇を予想し,国民は節約を,労働者は賃上げ要求を自粛するよう呼びかけると共に,クーデターの噂にまどわされないよう警告した。 |
DIA-204-1978-04-09-1 | タイ | 1978年04月09日 | 1970年代 | カンボジアと共産ゲリラの攻撃―ブリラム県バーンクルワト郡で,カンボジア兵とタイ共産ゲリラ(Siam Organization)約30人が国境警察署と開拓村を包囲,砲撃し,70軒を破壊,17人を殺した(農民は7人)。 |
DIA-204-1978-04-09-2 | タイ | 1978年04月09日 | 1970年代 | 国営企業赤字決算―77年度約100企業のうち13企業が赤字を出した。国鉄が1.97億,メーモ化学肥料5200万,首都水道公社4500万,住宅公社3700万バーツなどである。 |
DIA-204-1978-04-10-1 | タイ | 1978年04月10日 | 1970年代 | ブリラムの戦闘激化―死者は22人(警察6人,開拓村関係16人)に達した。被害は500万バーツをこえる。第2軍区の戦闘機はゲリラの潜む地域を繰り返し爆撃している。クリアンサック首相は,クメール・ルージュが攻撃したという確証はないと語った。ウパデイット外相は,事件をイエンサリとの会談でとりあげる,カンボジア政府が全土を掌握していないのだから,事件を防ぐのは不可能だ,互いに背を向けるよりは話しあう方が良いと語った。首相は軍高官を招集して対策を協議している。 |
DIA-204-1978-04-12-1 | タイ | 1978年04月12日 | 1970年代 | 旱ばつ救済事業の成果―2月15日から4月17日まで約11.2億バーツの事業計画がたてられ,11.13億バーツを消化し(2万6571件),約200万の農民に職を与えた。 |
DIA-204-1978-04-13-1 | タイ | 1978年04月13日 | 1970年代 | 外相インドネシアへ―クリアンサック首相の訪中についてASEAN4ヵ国を歴訪して説明する。 |
DIA-204-1978-04-15-1 | タイ | 1978年04月15日 | 1970年代 | ゲリラの攻撃―トラート県のカンボジア国境近くでSiam Organizationゲリラが国境警察を襲撃,警官5人死亡,3人重傷。他方アランヤプラテートでは国境近くの村に対し,カンボジア兵が無差別砲撃を再開した。 |
DIA-204-1978-04-17-1 | タイ | 1978年04月17日 | 1970年代 | 国境の軍隊増強―クリアンサック首相談。共産ゲリラと闘うために国境地帯に軍隊を定期的に派遣する。ゲリラによる村民虐殺を防ぐため,点在する部落の住民を安全な村に集める。また攻撃を受けやすい村に臨時に国境警察を派遣する。タイは昨年1年間のカンボジアとの衝突で,警官,役人,村防衛隊員583人を失なっている。 |
DIA-204-1978-04-18-1 | タイ | 1978年04月18日 | 1970年代 | サガット外遊―サガット政策評議会議長,プラローン国防次官,カムロン最高司令官補佐が45日間の欧州,南米訪問に出発。 |
DIA-204-1978-04-19-1 | タイ | 1978年04月19日 | 1970年代 | ベトナム臨時代理大使Hoang Bao Son着任。 |
DIA-204-1978-04-23-1 | タイ | 1978年04月23日 | 1970年代 | 南部でタイ・マ合同作戦開始―作戦はSela-mat-Sawasdi作戦と呼ばれ,無期限。マレーシア軍は26日にタイ領内に入った。 |
DIA-204-1978-04-25-1 | タイ | 1978年04月25日 | 1970年代 | 化学肥料輸入付加金廃止―このためセントラルケミカル社は拡張計画を無期延期とした。 |
DIA-204-1978-04-27-1 | タイ | 1978年04月27日 | 1970年代 | カンボジアから農民帰る―軍スポークスマンによると,今年カンボジアで政治,軍事訓練を受けた200人以上の農民がタイに帰ってきている。Siam Orgnizationは国境から10km以内のカンボジア領内で13の基地を作り,農民を訓練している。別の情報によると,School 81は逃亡者が多いため,その位置をカンボジア領内深く移動した。最近も18人の逃亡者がスリンに脱出してきたが,その中にはSchool 81の教官も含まれている。さらに別の筋によると,亡命学生と共産党指導者の意見が対立している。 |
DIA-204-1978-04-28-1 | タイ | 1978年04月28日 | 1970年代 | レック国防相談―タイ・マ合同作戦は今回タイム・リミットを設けない。ベトンに共産ゲリラが再集結し,活動を強化している。軍隊は双方から1000人ずつ出し,必要なら空からも支援する。マレーシア軍がタイ領内に常駐することはない。 |
DIA-204-1978-04-29-1 | タイ | 1978年04月29日 | 1970年代 | アランヤプラテート再び砲撃さる―朝10時半から同郡内の全村に対してカンボジアが無差別砲撃を行ない,アランヤプラテート市内のホテルへの直撃で少なくとも市民8人と警官3人が負傷した。砲弾は市場や映画館近くにも落ち,市内はパニック状態となり,全商店が閉鎖,住民はバスやタクシー,徒歩で近くのワッタナーナコン郡へ逃げ,バンコクにまで逃げてくる者も出た。戦闘中カンボジア軍のプロペラ機2機が偵察にタイ領内に入っている。 |
DIA-204-1978-04-30-1 | タイ | 1978年04月30日 | 1970年代 | アランヤプラテート緊張続く―住民は家に戻りはじめたが,商店の60%はなお休業,この日もカンボジアのプロペラ機3機がタイ上空に入って偵察。 |
DIA-204-1978-04-30-2 | タイ | 1978年04月30日 | 1970年代 | 籐の輸出禁止―国内家具産業の材料確保のため。 |
DIA-204-1978-05-01-1 | タイ | 1978年05月01日 | 1970年代 | 政府軍の反撃を許可―クリアンサック首相はカンボジア国境のタイ政府軍に対し,攻撃された場合には事前の許可なく反撃して発砲することを認めると発表した。アムナート第1軍区司令官は,4月29日の攻撃はタープラヤー郡の分断を狙って果せなかったため,アランヤプラテートを攻撃してタイ軍の防衛線を伸ばし,タープラヤー郡の兵力を手薄にすることを狙ったものであると述べた。 |
DIA-204-1978-05-01-2 | タイ | 1978年05月01日 | 1970年代 | ユーゴ外相訪タイ―Milof Minicユーゴ外相はウパディット外相と会談し,タイ外相のメッセージを次に訪問するカンボジアのイエンサリ副首相に伝えることを約束した。 |
DIA-204-1978-05-01-3 | タイ | 1978年05月01日 | 1970年代 | 株の売買利益に10%課税実施。 |
DIA-204-1978-05-02-1 | タイ | 1978年05月02日 | 1970年代 | 新空港建設延期―閣議で,ノーンングーハオ新空港建設は膨大な資金が必要なため建設を延期し,ドンムアン空港を今後10年間の使用に耐えうるよう拡張することを決めた。拡張費用は20億バーツ。 |
DIA-204-1978-05-02-2 | タイ | 1978年05月02日 | 1970年代 | カンボジア兵も増強か―ポイペトに集結し,新兵器も運びこまれた模様。 |
DIA-204-1978-05-03-1 | タイ | 1978年05月03日 | 1970年代 | 第3回タイ・韓国貿易閣僚会議終了。 |
DIA-204-1978-05-03-2 | タイ | 1978年05月03日 | 1970年代 | 所得・価格政策委員会発足,議長はスントン副首相。 |
DIA-204-1978-05-04-1 | タイ | 1978年05月04日 | 1970年代 | モンデール米副大統領タイ訪問―到着後直ちにクリアンサック首相と会談。タイの安全保障に対する米国のコミットを再確認し,米国の対外武器売却(FMS)による援助で,F5E18機追加購入を含む必要な国防兵器の購入,麻薬一掃のためのヘリコプターを含む援助の拡大,タイのインドシナ難民2万人受入れ,ASEAN-US会談を大使レベルから閣僚レベルに引上げて東南アジアへの米国の関心を示すことなどで合意した。また米国はFMSの枠拡大というタイの要請を好意的に検討することとした。クリアンサック首相はカーター大統領のタイ公式訪問を招待,また米国側はクリアンサック政府下の自由化政策を高く評価した。 |
DIA-204-1978-05-05-1 | タイ | 1978年05月05日 | 1970年代 | モンデール記者会見―米国はタイのエネルギー問題に協力し,エネルギー局の調査チームを派遣する。ク首相は太陽熱利用に関心を示した。天然ガス生産へのタイ政府の努力を支持する。将来,地上軍を東南アジアに派遣する計画はない。しかしマニラ協定のコミットメントは生きている。首相に対して,米国は太平洋国家であり,我々のアジアへの関心は永続的なものであると伝えた。タイの繁栄と独立の持続は米国にとって最も重要なことである。 |
DIA-204-1978-05-05-2 | タイ | 1978年05月05日 | 1970年代 | 労働省タイの失業者180万人と発表。 |
DIA-204-1978-05-05-3 | タイ | 1978年05月05日 | 1970年代 | ゲリラが住民拉致―ブリラム県ラハーンサーイ郡で,共産ゲリラが106人の村民をジャングルに連れていった(カンボジア国境10kmの地点)。 |
DIA-204-1978-05-05-4 | タイ | 1978年05月05日 | 1970年代 | 景気見通し―アメリカ商工会議所調査。下半期のタイ経済について,米系企業の62%が楽観しており,41%が投資増を検討している。 |
DIA-204-1978-05-08-1 | タイ | 1978年05月08日 | 1970年代 | 首相10月からの公務員給与引上発表。 |
DIA-204-1978-05-09-1 | タイ | 1978年05月09日 | 1970年代 | 東北タイ灌漑整備―プリーダー農相によると,今後10年間に100億バーツを投入して東北タイの灌漑整備を進める。これはメコン開発計画の一環である。 |
DIA-204-1978-05-09-2 | タイ | 1978年05月09日 | 1970年代 | 外国語授業を許可―政府はターニン政権下で禁止された小学校での外国語授業を認可した。154校(バンコクに140校)の中国人学校では週5時間以内の中国語授業が許される。 |
DIA-204-1978-05-10-1 | タイ | 1978年05月10日 | 1970年代 | クリアンサック首相ビルマ訪問―ビルマ首相と国境の安全,麻薬問題,ビルマ人不法移民(約4000人)について協議する。 |
DIA-204-1978-05-11-1 | タイ | 1978年05月11日 | 1970年代 | 国営2企業閉鎖―ノンブリの麻袋工場とカンチャナブリの製紙工場。赤字累積,施設老朽化が原因。 |
DIA-204-1978-05-12-1 | タイ | 1978年05月12日 | 1970年代 | 首相帰国記者会見―ビルマとの間で初めて麻薬に関する情報交換に合意,また貿易,文化,技術面での協力を拡大する。 |
DIA-204-1978-05-16-1 | タイ | 1978年05月16日 | 1970年代 | 高速輸送システム―クリアンサック首相はバンコクの交通混雑緩和のため,高速輸送システムの計画作成を指示した。最も有望なのはモノレール。 |
DIA-204-1978-05-17-1 | タイ | 1978年05月17日 | 1970年代 | 米輸出割当増加―国内米価維持のため5月分の割当量を5万トン(蒸米または低品質米のみ)追加。 |
DIA-204-1978-05-17-2 | タイ | 1978年05月17日 | 1970年代 | バンコク~ハノイ航空略線開設。 |
DIA-204-1978-05-17-3 | タイ | 1978年05月17日 | 1970年代 | タイ・ラオス貿易会談(於ビエンチャン)終了。 |
DIA-204-1978-05-17-4 | タイ | 1978年05月17日 | 1970年代 | ワイスナー米太平洋艦隊司令官訪タイ。 |
DIA-204-1978-05-17-5 | タイ | 1978年05月17日 | 1970年代 | 輸出手形再割引―中銀は輸出促進のため,輸出手形の再割引上限を50万バーツに引上げると発表。 |
DIA-204-1978-05-18-1 | タイ | 1978年05月18日 | 1970年代 | カンボジアとの国境紛争回数―軍当局の発表によると1~4月で111件。 |
DIA-204-1978-05-18-2 | タイ | 1978年05月18日 | 1970年代 | 農家負債―内務省,農業・協同組合銀行,農民援助中央委員会などの共同調査。6万8600人の農民(土地所有127万ライ)で負債総額20億バーツ。 |
DIA-204-1978-05-18-3 | タイ | 1978年05月18日 | 1970年代 | 国境警備警察移管―内務・国防両省で合意。国境警察の戦略的作戦は軍の統一的な指揮下におく。 |
DIA-204-1978-05-22-1 | タイ | 1978年05月22日 | 1970年代 | 経済問題対策委員会設置―貿易収支・経済問題解決国家合同委員会を設置し,官民の連絡調整機関として,貿易・経済対策に取組む。議長はスントン副首相。 |
DIA-204-1978-05-22-2 | タイ | 1978年05月22日 | 1970年代 | 錫採鉱で最終合意―沖合鉱業公団とBilliton社が折半出資で新企業を設立し,タイ湾の錫の調査採鉱に取組む。登録資本100万バーツ。 |
DIA-204-1978-05-23-1 | タイ | 1978年05月23日 | 1970年代 | カンボジア兵が虐殺―アランヤプラテートからKlong Hat村への道路で,3人のカンボジア兵がバスを襲撃,運転手と乗客11人を殺した。政府は夜間外出禁止令を出し,関係当局で対策を協議している。 |
DIA-204-1978-05-25-1 | タイ | 1978年05月25日 | 1970年代 | 憲法起草終了―総選挙は憲法公布後120日以内。国家政策評議会メンバーが自動的に上院議員となるという条項には,批判が強く出ている。 |
DIA-204-1978-05-25-2 | タイ | 1978年05月25日 | 1970年代 | 国境問題についてクリアンサック首相談―国境紛争が続いてはいるが,タイ共産党とクメールルージュを分断するため,カンボジアとの善隣関係を維持する。同時にカンボジア国境全域の軍・警察力は最大限に強化している。 |
DIA-204-1978-05-25-3 | タイ | 1978年05月25日 | 1970年代 | 銀行新設認めず―スパット蔵相は,現在は認めない,商業銀行法改正後に検討すると述べた。 |
DIA-204-1978-05-29-1 | タイ | 1978年05月29日 | 1970年代 | 貿易収支・経済問題解決国家合同委員会―第1回会合で,輸出促進小委員会設置決定。 |
DIA-204-1978-05-31-1 | タイ | 1978年05月31日 | 1970年代 | ハノイに貿易使節団―プロック副商相一行出発。タイはベトナムから石炭,鉄屑,魚を買い,自動車部品,電気機器,鉄鋼,タピオカを売る予定。 |
DIA-204-1978-05-31-2 | タイ | 1978年05月31日 | 1970年代 | 外相ラオスへ―貿易協定など調印のため。 |
DIA-204-1978-05-31-3 | タイ | 1978年05月31日 | 1970年代 | ASEAN海底ケーブル協定―タイはシンガポール,フィリピンとの海底ケーブル建設維持協定に調印。 |
DIA-204-1978-06-01-1 | タイ | 1978年06月01日 | 1970年代 | チョンブリー工業化計画―10年以内の完成予定で,総面積40~50万ライ。レームチャバン~サタヒープ鉄道とも連結して開発する。都市計画法の規制でバンコクから移転する工場を受入れる。 |
DIA-204-1978-06-02-1 | タイ | 1978年06月02日 | 1970年代 | 銀行融資を方向付け―スントン副首相は銀行法を改正して,貸付先をトルコ風呂など非生産部門から生産的部門へ回すよう立法措置をとる,また政府は建設投資を病院など緊急と考えられるもの以外は抑制すると語った。 |
DIA-204-1978-06-04-1 | タイ | 1978年06月04日 | 1970年代 | 対米繊維輸出枠拡大―パタヤで開かれていたタイ米会談で合意。米国はタイ製織布の輸入規制を撤廃し,衣料も毎年7%の割当増を認める。5年間有効。 |
DIA-204-1978-06-04-2 | タイ | 1978年06月04日 | 1970年代 | ルクセンブルグ首相訪タイ。 |
DIA-204-1978-06-07-1 | タイ | 1978年06月07日 | 1970年代 | ゲリラの攻撃―パッタルンでゲリラ300人と国境警察80人が交戦,警官12人死亡,ゲリラ側も27人以上死亡。 |
DIA-204-1978-06-07-2 | タイ | 1978年06月07日 | 1970年代 | セメント価格引上げ―セメント不足が深刻で,投機防止のため急ぎ値上げ認可,トン当り60バーツ値上。 |
DIA-204-1978-06-07-3 | タイ | 1978年06月07日 | 1970年代 | 日タイ民間貿易会議(於東京)。 |
DIA-204-1978-06-07-4 | タイ | 1978年06月07日 | 1970年代 | 繊維の20%輸入付加金廃止。 |
DIA-204-1978-06-07-5 | タイ | 1978年06月07日 | 1970年代 | タイの銀行家代表団訪中。 |
DIA-204-1978-06-08-1 | タイ | 1978年06月08日 | 1970年代 | ゲリラの攻撃―チェンライ県チェンコン郡で国境警察を攻撃。警官5人死亡,12人負傷,ゲリラは約300人で,指揮者は元女子大生,1976年10月6日への報復を叫んでいた。 |
DIA-204-1978-06-09-1 | タイ | 1978年06月09日 | 1970年代 | 外国人職業規制法議会通過。 |
DIA-204-1978-06-10-1 | タイ | 1978年06月10日 | 1970年代 | 憲法草案完成―全文191条。草案は立法議会議長に渡された。 |
DIA-204-1978-06-10-2 | タイ | 1978年06月10日 | 1970年代 | 中国に貿易使節団―ナーム商相,サノ中銀総裁ら一行18人出発。 |
DIA-204-1978-06-13-1 | タイ | 1978年06月13日 | 1970年代 | 高級車組立認可―工業省はベンツとシトロエンの国内組立を認可。 |
DIA-204-1978-06-13-2 | タイ | 1978年06月13日 | 1970年代 | 駐タイ中国大使館初代武官毛顕起着任。 |
DIA-204-1978-06-14-1 | タイ | 1978年06月14日 | 1970年代 | ASEAN外相会議開催―於パッタヤー。クリアンサック首相のあいさつ,各国外相の演説のあと,秘密会談に入った。各国外相は,ベトナム―カンボジア,ベトナム―中国の紛争に強い懸念を表明した。 |
DIA-204-1978-06-14-2 | タイ | 1978年06月14日 | 1970年代 | カンボジアとの電報通信再開。 |
DIA-204-1978-06-15-1 | タイ | 1978年06月15日 | 1970年代 | ASEAN外相会議―インドシナ難民は国際問題であるとして,先進国,特に米,仏,加,濠に対して毎年一定の難民を受入れるよう決議。またインドシナの紛争に対して平和的解決を求める共同アピールを採択。会議は16日に終了。 |
DIA-204-1978-06-16-1 | タイ | 1978年06月16日 | 1970年代 | ゲリラの攻撃―ナコンシータマラート県で200人のゲリラが志願防衛隊の詰所を攻撃して10人殺害,ゲリラも約20人死亡。 |
DIA-204-1978-06-17-1 | タイ | 1978年06月17日 | 1970年代 | ASEAN―日本外相会議―共同声明で,東南アジアの平和と安定への努力,ASEAN文化基金への日本側5億円拠出,貿易・観光・投資ASEAN―日本協力センター設立をうたう。日本の園田外相は,日本の対東南アジア政策,日中友好条約について説明。 |
DIA-204-1978-06-17-2 | タイ | 1978年06月17日 | 1970年代 | 日タイ外相会談―園田外相は,貿易不均衡改善のため日本の保護主義を徐々に緩和する,近い将来タイに間接的経済援助を与える,ベトナム援助物資をタイから買いつけると語った。 |
DIA-204-1978-06-17-3 | タイ | 1978年06月17日 | 1970年代 | 園田外相クリアンサック首相と会談―園田外相は近い将来タイへの援助増加を約束,地方開発援助も直ちに検討することを約束,さらに1982年のバンコク200年祭への援助も検討すると述べた。 |
DIA-204-1978-06-17-4 | タイ | 1978年06月17日 | 1970年代 | カンボジアがタイ漁船攻撃―トラートのタイ領海内で,タイのトロール漁船がカンボジアの艦艇に攻撃され,漁民11人死亡。 |
DIA-204-1978-06-19-1 | タイ | 1978年06月19日 | 1970年代 | 園田外相・スントン副首相会談―タイ側は2億バーツのソフトローンを希望。 |
DIA-204-1978-06-19-2 | タイ | 1978年06月19日 | 1970年代 | 中国がタイ製品買付け―ナーム商相一行は中国から帰国し,4.3億バーツ相当の商談が成立したことを報告。価格などの詳細は今後の話しあいによる。品目はメイズ10万トン,ケナフ1万トン,麻袋700万袋など。中国からはハイスピード・ディーゼルオイルを輸入する。 |
DIA-204-1978-06-20-1 | タイ | 1978年06月20日 | 1970年代 | 株売買差益税廃止―閣議で承認,代りの財源として株売買に0.1%の営業税を徴収する。 |
DIA-204-1978-06-20-2 | タイ | 1978年06月20日 | 1970年代 | 天然ガス価格妥結―タイ政府とUnion Oil社との間で,天然ガス価格を100万BTU当り,1.04米ドルとすることで合意した。第1段階では1日2.5億立方フィートを購入する。タイ側が受取るロイヤリティー,税,利益分与の割合は100万BTU当り38%。 |
DIA-204-1978-06-20-3 | タイ | 1978年06月20日 | 1970年代 | セメント不足―ナーム商相はセメント会社3社の代表を呼び,実情を聴取した。 |
DIA-204-1978-06-21-1 | タイ | 1978年06月21日 | 1970年代 | セメント価格統制―投機防止のため。価格は39.5バーツ/袋と45.25バーツ/袋。 |
DIA-204-1978-06-22-1 | タイ | 1978年06月22日 | 1970年代 | インド洋大陸棚協定調―(於ニューデリー)インド,インドネシア,タイの間で調印。 |
DIA-204-1978-06-23-1 | タイ | 1978年06月23日 | 1970年代 | 部品用原材料営業税引下げ―ラジオ,テレビ,扇風機,機械,電話機,自動車,オートバイのスペアパーツ用原材料輸入にかかる営業税を5~7%から1.5%に引下げ。 |
DIA-204-1978-06-27-1 | タイ | 1978年06月27日 | 1970年代 | セメント在庫報告命令―ナーム商相名布告,首都圏5県のセメント5トン以上の保有者は,半月毎に政府に報告する。但しセメント生産者,建設業者,小売業者は除く。 |
DIA-204-1978-06-28-1 | タイ | 1978年06月28日 | 1970年代 | 住宅建設目標を拡大―クリアンサック首相は,住宅公社の住宅建設を年間2万戸から1.2万戸に減らす案を拒否し,1978-82年に12万戸とするよう命令。また低所得層(2500バーツ/月以下)向住宅に集中するよう指示した。 |
DIA-204-1978-06-29-1 | タイ | 1978年06月29日 | 1970年代 | 憲法草案議会審議開始。 |
DIA-204-1978-07-02-1 | タイ | 1978年07月02日 | 1970年代 | 南部のゲリラ掃討戦略―ピン中将は,軍隊の大量投入をせず,小部隊を戦略地点に配置し,爆撃機の支援の下にゲリラ掃討を進めており,ベトン都では戦果をあげていると報告した。 |
DIA-204-1978-07-02-2 | タイ | 1978年07月02日 | 1970年代 | 小規模灌漑計画―マナット灌漑局長によると,旱ばつ被災地域の小規模灌漑計画(総額2.9億バーツ)は98%完了した。工事で30万人を雇用し,1人1ヵ月600バーツの収入を与え,80万ライを灌漑した。 |
DIA-204-1978-07-03-1 | タイ | 1978年07月03日 | 1970年代 | ベトナム副外相と会談―ファン・ヒエン副外相は,「平和・真の独立・中立地帯」構想を説明し,中国やカンボジアとの紛争の平和的解決を望むベトナムの立場を伝え,ウパディット外相は平和的解決に同意し,ハノイの提案はASEANの構想に相応するものであると述べた。 |
DIA-204-1978-07-03-2 | タイ | 1978年07月03日 | 1970年代 | 労働3団体初の共闘―内務省が,土日曜と祝祭日が重なった場合の代休廃止,および解職者に対するボーナスまたは退職金の支払い不要と定めたことに対し,NLCT,NLUC,FLCTの労働3団体は一致して反対し,初めて共闘を組み,クリアンサック首相に対して政策変更を求めた。首相は労働開発諮問評議会にはかると回答した。 |
DIA-204-1978-07-06-1 | タイ | 1978年07月06日 | 1970年代 | 79年度予算原案―総額920億バーツ(78年度比13.6%増)。省別内訳(単位100万バーツ)は, 総理府 937 法務省 260 国防省 17651 教育省 6268 大蔵省 11172 厚生省 3972 外務省 354 工業省 484 農業省 7822 大学庁 2474 運輸省 6844 公企業 1825 商務省 189 その他 279 内務省 20320 中央基金 3182 |
DIA-204-1978-07-10-1 | タイ | 1978年07月10日 | 1970年代 | カンボジア兵国境地帯から撤退―軍部筋によると,イエンサリ副首相のタイ訪問にあわせて紛争を減らすため,カンボジア軍は6月末からタイ国境地帯の兵力を削減している。西側外交筋は兵力をベトナム国境に移動させていると指摘している。 |
DIA-204-1978-07-11-1 | タイ | 1978年07月11日 | 1970年代 | 代休廃止等の内務省令撤廃―国家労働開発諮問評議会は,代休と退職金に関する内務省令の撤廃を決議した。 |
DIA-204-1978-07-11-2 | タイ | 1978年07月11日 | 1970年代 | ベトナム副首相と会談―クリアンサック首相はベトナムのHuynh Tan Phat副首相と,貿易,難民,技術援助の問題で会談。 |
DIA-204-1978-07-12-1 | タイ | 1978年07月12日 | 1970年代 | 新中国大使張偉烈着任。 |
DIA-204-1978-07-12-2 | タイ | 1978年07月12日 | 1970年代 | 深海港はサタヒープ―政府筋によると,首相は深海港の候補地として,レームチャバン開発は懸案として残し,サタヒープ軍港を転用することに決定し,現在の4バースを12バースに拡張する計画である。 |
DIA-204-1978-07-13-1 | タイ | 1978年07月13日 | 1970年代 | 憲法草案第1読会通過。 |
DIA-204-1978-07-13-2 | タイ | 1978年07月13日 | 1970年代 | 深海港決定再考を要請―プラシット副運輸相は,将来の経済の拡大に対処するため,サタヒープ拡張とレームチャバン開発を併行実施するよう求めると語った。海運業界は首相決定に失望の色をみせている。 |
DIA-204-1978-07-14-1 | タイ | 1978年07月14日 | 1970年代 | イエンサリ副首相タイ訪問―カンボジアのイエンサリ副首相一行7人はアランヤプラテートから陸路タイに入国。周辺地域は13日から厳重な警戒態勢がとられていた。副首相は声明で,タイ指導者との会談で,両国間の友好と相互理解をさらに促進できると述べた。バンコク到着後ウパディット外相と会談。双方の代表団は国境地帯における諸事件が誤解から生じたものであることを認めた。イエンサリは誤解を解くことを約束し,カンボジアがタイと非友好的となる理由はないことを強調し,カンボジア政府が平和5原則を承認することを再確認した。また大使交換と国境調整委員会(77年1月以来活動停止)再開について協議した。なお共同声明発表の予定はない。 |
DIA-204-1978-07-14-2 | タイ | 1978年07月14日 | 1970年代 | ラオスとの貿易合意―プロック副商相とラオスのKhamma Promkong副通産相とで続けられていた協議で,タイからラオスへ,米,砂糖,衣料,印刷機,乳製品など,ラオスからタイへ林産物,コーヒーの取引が成立。決済は米ドル。またタイは通過貿易品について全面協力を約束した。 |
DIA-204-1978-07-15-1 | タイ | 1978年07月15日 | 1970年代 | イエンサリとの会談―スントン副首相によると,サリ副首相はカンボジアがメコン・プロジェクトに関心を持っているが,国内優先で今は参加できないので来年に参加を検討すると約束した。ウパディット外相によると,国境紛争の終結,過去を忘れて新しい友好の時代を開始すること,大使交換,政府レベルの直通ケーブル通信,貿易代表団と技術科学情報(特に農業と漁業)の交換に合意した。貿易は政府べースで行なう。 |
DIA-204-1978-07-16-1 | タイ | 1978年07月16日 | 1970年代 | クリアンサック・サリ会談―クリアンサック首相によると,共産ゲリラや自由クメールを含めて紛争に導く問題はとりあげず,将来の協力問題だけが話しあわれた。首相は,軍事的衝突を回避する具体的手段はないが,双方の政府が国境の軍隊を把握できるだろうということについては楽観していると語った。 |
DIA-204-1978-07-19-1 | タイ | 1978年07月19日 | 1970年代 | 初代駐ベトナム大使Kosol Sinehavanond赴任。 |
DIA-204-1978-07-21-1 | タイ | 1978年07月21日 | 1970年代 | 外国人職業規制法改正発効―今回の法改正は,難民への規制対象範囲拡大,違反者への罰金刑強化が主な点である。なお25日に外国企業規制法も改正し,同じく規制対象範囲を難民の企業活動にまで拡大した(20日から発効)。 |
DIA-204-1978-07-24-1 | タイ | 1978年07月24日 | 1970年代 | セメント工場新設・拡張禁止―投資委員会の認可を受けた者には新設・拡張を認める。 |
DIA-204-1978-07-28-1 | タイ | 1978年07月28日 | 1970年代 | カンボジア難民増加―国境地帯のカンボジア兵が部分的に撤退したため。10日間で300人以上。 |
DIA-204-1978-07-30-1 | タイ | 1978年07月30日 | 1970年代 | 工業開発融資利率引下げ―産業金融公社は首都圏以外の工業金融利率を12%から11%に引下げた。 |
DIA-204-1978-07-31-1 | タイ | 1978年07月31日 | 1970年代 | 新米国大使Morton I. Abramowitz着任。 |
DIA-204-1978-07-31-2 | タイ | 1978年07月31日 | 1970年代 | ベトナム難民問題―ハノイから帰国したウォン副外相は,ベトナム難民引取りについて両国で合同委員会を設置すると語った。 |
DIA-204-1978-08-01-1 | タイ | 1978年08月01日 | 1970年代 | 国産品使用義務付け―閣議で決定。すべての政府機関は,輸入品よりも多少品質が落ち,価格が15%位高くても,国産品を優先使用する。 |
DIA-204-1978-08-01-2 | タイ | 1978年08月01日 | 1970年代 | ゲリラの攻撃―ナコンパノム県タートパノム郡で,メコン川パトロール隊の水兵6人がゲリラの待伏せ攻撃にあって死亡。 |
DIA-204-1978-08-05-1 | タイ | 1978年08月05日 | 1970年代 | バーツの対米ドル・レート切上げ―大蔵省と中央銀行が発表。為替平衡基金の対市中銀行売買レートを7日から,買20.175(現行20.375),売20.225(現行20.425)とする。バーツの安定,および対円で下落しているドルに連動して下落するのを避けるため。 |
DIA-204-1978-08-06-1 | タイ | 1978年08月06日 | 1970年代 | バーツ切上げについてサノ中銀総裁談―バーツ切上げはインフレ抑制のための抱括的なパッケージの一部であり,かつドルと連動して減価するのを避けるためである。インフレは現在10%近くに達している。バーツの調整はインフレ圧力を弱め,インフレの心理的不安を抑制することにある。現在の政府の主要な関心はインフレとの闘いである。貿易収支や総合収支はすでに幾つかの手段をとって顕著な改善をみている。インフレ抑制のために中銀として,①来年度予算での財政支出抑制,②国内信用の規制,③バーツの対ドル交換レート調整,④財政,金融,所得,価格政策を含む抱括的対策,の4点を政府に進言した。また交換レートのdaily fixing systemを提言する予定で,市中銀行に協力を求めている。この方式の方が市場の実勢を反映する。 |
DIA-204-1978-08-06-2 | タイ | 1978年08月06日 | 1970年代 | 輸出振興新政策―投資委員会は,年間輸出総額5億バーツ以上の輸出会社に対して5年間法人税を免除すると決定した。また2年続けて10億バーツ以上輸出すると免税期間を3年延長できる。但し資本金2000万バーツ以上,株式会社または公募会社である必要がある。 |
DIA-204-1978-08-07-1 | タイ | 1978年08月07日 | 1970年代 | PEA電化計画―今後10年間で地方の電力普及率80%を目指すもの。現在は69県590郡2700支部1万2000村に供給。総額25億バーツで,継続中のものを含めて6つのプロジェクトがある。 |
DIA-204-1978-08-08-1 | タイ | 1978年08月08日 | 1970年代 | 農民が米を略奪―プレーの農民200人がバンコクに向う米輸送列車を襲い,米約300袋だけを持ち去った。 |
DIA-204-1978-08-10-1 | タイ | 1978年08月10日 | 1970年代 | 一院制を決定―憲法草案精査委員会は,草案の二院制に代えて一院制を決定した。半数民選,半数任命とし,4年後にはすべて民選議員とする。 |
DIA-204-1978-08-10-2 | タイ | 1978年08月10日 | 1970年代 | 新ソ連大使Yuri Ivanovitch Kuznetsov着任済。 |
DIA-204-1978-08-11-1 | タイ | 1978年08月11日 | 1970年代 | 予算第1読会通過―支出の分類は,①国防費190億バーツ,②経済開発179.27億バーツ,③教育177.99億バーツ,④債務返済100.33億バーツ,⑤公共投資60.37億バーツ,⑥治安50.28億バーツ,⑦衛生38.8億バーツ,⑧一般行政29.31億バーツ,⑨公務員等賃上財源93.63億バーツ。また収入は,①租税収入等720億バーツ,②借入れ167億バーツ,③国庫から33億バーツで,②の内訳は,中銀から76億バーツ,政府貯蓄銀行から25億バーツ,民間から66億バーツ, |
DIA-204-1978-08-12-1 | タイ | 1978年08月12日 | 1970年代 | 内閣一部改造―クリアンサック首相兼内相は国防相兼任に,レック国防相は内相に,ヨット陸軍副司令官,アモン海軍司令官を各副国防相に,タウィン副国防相を総理府長官に任命。副国防相はこれで陸海空3軍の代表で占められた。9月末に軍を退役する首相の軍に対する権限を強化するものと言われているが,クーデターの企みを阻止するためとの観測もある。 |
DIA-204-1978-08-13-1 | タイ | 1978年08月13日 | 1970年代 | 憲法草案改正批判―ヤイ元法相は,一院制はタイを共産主義者の手にスムースに渡すものであると批判,またソムキット元社会党党首も,タイの民主主義を40年前に引戻すものであると述べた。 |
DIA-204-1978-08-13-2 | タイ | 1978年08月13日 | 1970年代 | 自動車国産化率引上決定―政府は国産化率引上げ,工場の拡張や新設不許可と発表した。国産化率は布告後2年以内に比率を25%から35%にし,その後毎年5%ずつ増やして,1983年末には50%とする。組立の仕様変更(新車種)は認めない。モデルチェンジは1年以上経ているものについて認めるが,工業省の事前許可が必要とされる。これは国内部品産業育成のためである。8月25日より発効する。 |
DIA-204-1978-08-14-1 | タイ | 1978年08月14日 | 1970年代 | 米・ASEAN会談の成果―ウパディット外相と共に米・ASEAN会談(8月2~4日,於ワシントン)に出席したプロック副商相によると,米国はASEANに貿易・投資面での一層の協力を約束し,同時にCommodities Stabilizing Fund,US・ASEAN Business Council設置にも合意した。 |
DIA-204-1978-08-15-1 | タイ | 1978年08月15日 | 1970年代 | 洪水救済資金―政府は北部と東北部の洪水被災地域の復旧資金に500万バーツの支出決定。被害は19県,80万ライに及ぶ。 |
DIA-204-1978-08-15-2 | タイ | 1978年08月15日 | 1970年代 | 肥料産業重点―クリアンサック首相は国内原料を使う化学肥料の開発を指示し,投資委員会に審査のスピードアップを命令した。 |
DIA-204-1978-08-16-1 | タイ | 1978年08月16日 | 1970年代 | カンボジアが大使交換用意―カンボジアのイエンサリ副首相はウパディット外相宛に,大使交換の用意があると連絡してきた。なお外相はベトナムのファンバンドン首相のタイ訪問について,地域に関係する問題が出てきても,ASEANの他の4ヵ国と相談してからでなければいかなる取決めも行なわないと語った。 |
DIA-204-1978-08-17-1 | タイ | 1978年08月17日 | 1970年代 | 日本・ASEAN民間フォーラム開催―クリアンサック首相が開会あいさつを行ない,日本に対してASEAN諸国と平等な立場に立ち,より緊密な関係を作る上でのリード役となることを要望した。 |
DIA-204-1978-08-20-1 | タイ | 1978年08月20日 | 1970年代 | 工業都市建設縮小―住宅公社によると,政府が深海港をサタヒープに決定すると,レームチャバンに予定していた工業都市をサタヒープに移して建設するが,用地の制約上規模は従来の15万ライ,100万人から,6万ライ,30~40万人に縮小する。この工業都市には天然ガスを利用する産業のすべてが移動する。 |
DIA-204-1978-08-21-1 | タイ | 1978年08月21日 | 1970年代 | 低品質米輸出自由化―ナーム商相発表。国内米価を高水準で維持して農民の所得を保証するため。 |
DIA-204-1978-08-22-1 | タイ | 1978年08月22日 | 1970年代 | 深海港決定―閣議でサタヒープの深海港建設,ドンムアン空港拡張を決定。 |
DIA-204-1978-08-23-1 | タイ | 1978年08月23日 | 1970年代 | ASEAN諸国と武器取引―クリアンサック首相兼国防相は,ASEAN諸国や近隣諸国と武器取引を始める,しかしこれは軍事協力ではなくて貿易協力であり,ASEANの軍事同盟化を意味しない,インドネシアからPASA2機,シンガポールからダイナマイトを買った,タイは500ポンド爆弾を製造して他国に売ると語った。 |
DIA-204-1978-08-23-2 | タイ | 1978年08月23日 | 1970年代 | 難民大量流入―カンボジアから1度に400人が逃げてきた。この400人はカンボジア政府が約500人単位で組織するmobile youth battalionで,単位組織の全員が逃亡してきた。なおカンボジア難民は月平均100人が流入している。 |
DIA-204-1978-08-23-3 | タイ | 1978年08月23日 | 1970年代 | 79年度は7%成長―スントン副首相は,79年度予算はインフレ抑制に留意し,7%の成長率を目指すものであると語った。 |
DIA-204-1978-08-23-4 | タイ | 1978年08月23日 | 1970年代 | ゴー副教育相一行訪中。 |
DIA-204-1978-08-28-1 | タイ | 1978年08月28日 | 1970年代 | 物価上昇は10%―NESDBの予測によると,78年の物価上昇は年平均で10%となる。これは米価,輸送費,建設資材の値上りによるもので,1~6月は6.4%の上昇となっているが,1~3月4.9%,4~6月7.8%と上昇傾向が強まっている。しかし経済情勢全般は,農業生産の回復,工業生産の拡大,投資の伸びからみて好調である。 |
DIA-204-1978-08-29-1 | タイ | 1978年08月29日 | 1970年代 | 最低賃金引上げと籾米価格安定制度―政府発表。最低賃金は首都5県を28バーツから35バーツへ,中部と南部は21バーツから28バーツへ,北部と東北部は19バーツから25バーツに引上げた。10月1日から実施する。籾米価格安定制度は以下の手段で籾米価格をトン当り2400~2700バーツに維持する。①米プレミアムの調整および政府間ベースの米輸出促進,②米緩衝在庫の設置,③精米業者,農民,協同組合,政府代表より成る米委員会の設置。これによって将来はトン当り3000バーツで安定させたいとしている。 |
DIA-204-1978-08-29-2 | タイ | 1978年08月29日 | 1970年代 | 繊維業界の問題点―NESDB報告によると,繊維は過去3~4年の市場の問題から,今年は低い輸出価格に問題が移っている。上半期の輸出価格は15~20%上ったが,他方でコストは20%以上上っている。対米,EC諸国への輸出割当は,77年の達成率76%,88%で,その理由は競争が激しいため。しかし生産・輸出とも大幅な改善をみており,特に綿製品が好調である。今年は米,EC,スェーデンの市場拡大と,中国,ベトナム,サウジアラビア,バングラデシュなどの新規市場を開始した。 |
DIA-204-1978-08-29-3 | タイ | 1978年08月29日 | 1970年代 | 米緩衝在庫設置を閣議決定―農民援助基金からの9億バーツの資金で運営する。 |
DIA-204-1978-08-30-1 | タイ | 1978年08月30日 | 1970年代 | カンボジア国境でゲリラの攻撃―アランヤプラテートのクローンナムサイで,軍のジープ2台が約70人のゲリラとカンボジア兵に襲われ,救援に向った部隊も現場近くで待伏せ攻撃にあって,7人死亡,6人負傷。 |
DIA-204-1978-08-30-2 | タイ | 1978年08月30日 | 1970年代 | 所得・価格検討委員会を設置―プロック副商相によると,同委員会は所得・価格政策のガイドラインを作成するもので,米緩衝在庫について中心的役割を果す。ナーム商相が議長。 |
DIA-204-1978-08-30-3 | タイ | 1978年08月30日 | 1970年代 | メコン暫定委員会第3回定期会合。 |
DIA-204-1978-08-31-1 | タイ | 1978年08月31日 | 1970年代 | 皇太子ゲリラに襲わる―東北タイ視察中のワチラロンコン皇太子の乗ったヘリコプターが,ウドン県ナムソーム郡とノンカイ県サンコム郡の山地で共産ゲリラの銃撃を受けた。皇太子は無事。 |
DIA-204-1978-09-01-1 | タイ | 1978年09月01日 | 1970年代 | ASEAN関税協定発効―759品目。タイは159品目に特恵関税を適用するが,596品目の適用の恩恵を受ける。 |
DIA-204-1978-09-02-1 | タイ | 1978年09月02日 | 1970年代 | Phn Sang爆撃―軍の飛行機,ヘリコプターが皇太子が襲撃を受けたPhu Sang一帯を爆撃し,戦車が退路を塞いでいる。近隣30村の住民は一時退去。ゲリラの数は推定600人。 |
DIA-204-1978-09-02-2 | タイ | 1978年09月02日 | 1970年代 | ベトナムとの電気通信再開―電話,電報,テレックス通信再開,1日に3回,約1時間ずつ。 |
DIA-204-1978-09-03-1 | タイ | 1978年09月03日 | 1970年代 | ギランゴー仏外相訪タイ。 |
DIA-204-1978-09-03-2 | タイ | 1978年09月03日 | 1970年代 | サタヒープへ鉄道延長―サタヒープ商港化にともない,チャチューンサオからシーラーチャー経由サタヒープへの鉄道を建設する(160km)。総工費約7億バーツで,米国の援助を受ける。 |
DIA-204-1978-09-04-1 | タイ | 1978年09月04日 | 1970年代 | 国連難民救済高等弁務官訪タイ。 |
DIA-204-1978-09-04-2 | タイ | 1978年09月04日 | 1970年代 | タイ仏外相会談行なわれる。 |
DIA-204-1978-09-05-1 | タイ | 1978年09月05日 | 1970年代 | 福田・クリアンサック会談―福田首相は中東訪問の途次タイに立寄り,クリアンサック首相と会談,日中条約,ベトナムへの5000万ドル借款について説明し,円高問題,対日貿易不均衡についても話しあった。 |
DIA-204-1978-09-05-2 | タイ | 1978年09月05日 | 1970年代 | インフレ対策―スパット蔵相は,インフレ抑制のため市中銀行の対民間貸付けを制限することになろう,政府は民間金融機関から財政借り入れを行ない,国債で分配し直すと語った。 |
DIA-204-1978-09-05-3 | タイ | 1978年09月05日 | 1970年代 | 輸入関税引上げの効果―ウィロート大蔵次官補によると,3月の輸入関税引上げにより,輸入手形の決済が減少している。6月は決済7573万バーツで対前年同月比15%減となっており,特に乗用車,バス,オートバイは激減している。乗用車の部品,アクセサリーは24%減。他方141品目からの関税収入は6月だけで対前年同月比75.6%減。また1月の輸入禁止18品目による輸入は6月が2100万バーツ(禁止前LC開設分)。 |
DIA-204-1978-09-05-4 | タイ | 1978年09月05日 | 1970年代 | チーク在庫―77年11月29日の原木輸出禁止により,在庫は1.6万トン,4億バーツ相当になっている。 |
DIA-204-1978-09-05-5 | タイ | 1978年09月05日 | 1970年代 | アンコールワットをタイ観光客に再開か―チャートチャーイ元外相によると,バンコク~シェムレアプ間定期飛行をカンボジアに申し入れ,イエンサリ副首相からチャートチャーイをカンボジアに招待し,詳細を話しあいたい旨返答してきた。 |
DIA-204-1978-09-06-1 | タイ | 1978年09月06日 | 1970年代 | ベトナム首相一行訪タイ―9県のベトナム人代表が民族衣裳で歓迎。クリアンサック首相,ソムポップ副首相らが出迎えた。訪問に反対する右派グループは50人がカセサート大でびらをまき,40人がエラワン・ホテル前で旗じるしを掲げた。ファンバンドン首相はクリアンサック首相私邸で1時間の非公式会談を行なった。 ベトナム側は1972年のウドン,ウボン米軍基地攻撃で逮捕されたベトナム人ゲリラ2人の釈放を要求し,タイ側は善意の表明としてこれを認める予定。タイは交換条件としてベトナム戦争中に捕まったタイ人の釈放または最初のベトナム難民送還を求める。ベトナムはベトナム領海内で逮捕したタイ漁民15人の釈放を予定している。またタイ政府はベトナムの提案している不侵略条約,友好条約,文化協定は時期が不適当として調印しないことを決めている。 |
DIA-204-1978-09-06-2 | タイ | 1978年09月06日 | 1970年代 | 錫プロジェクト破産―Bethlehem SteelとAlco Co.は4億バーツのプロジェクトから撤退を決定。当初1.2万ライの鉱区で,世界最大のドレッジャを建設したが,3.7万ライの鉱区追加申請が4年たっても許可がおりないため,採算がとれないとして撤退を決めた。 |
DIA-204-1978-09-06-3 | タイ | 1978年09月06日 | 1970年代 | 日タイ商相会談―河本通産相(5~7日訪タイ)はタイの貿易収支改善に全面的協力を約束,投資調査団派遣,買付促進調査団の派遣,農業開発への機器援助,道路建設・拡張へのローン供与を約束した。 |
DIA-204-1978-09-07-1 | タイ | 1978年09月07日 | 1970年代 | ベトナムに1億バーツ借款―クリアンサック首相とファンバンドン首相の会談内容をウパディット外相が報告。①タイはベトナムの経済復興のために1億バーツの借款を供与する。タイの与えた援助としては最高額で,タイからの製品,資材購入にあてられる。②ベトナムは,サイゴン陥落後チュー政権の兵士によってタイに持込まれた飛行機,船の返還を求めた国連への提訴を取り下げる。③対仏独立戦争当時のベトナム人難民の引取りに関する合同委員会の設置。第1回会合は10月16日。④郵便・電気通信協定起草合同小委員会設置。⑤技術,農業,漁業協力協定の履行。タイはベトナム人学生のアジア工科大学留学を可能にする措置をとる。⑥ベトナムは10月にタイへ経済使節団,漁業使節団を派遣する。⑦ベトナムは領海内で拿捕したタイ漁民30人と漁船2隻を釈放することで合意。 両首相の私的会談で,ベトナムが要請した,ベトナム人ゲリラ2人,ソンクラーに漂着した海兵3人の釈放に同意した。不侵略条約,友好条約,文化協定は議論されなかった。 |
DIA-204-1978-09-07-2 | タイ | 1978年09月07日 | 1970年代 | 工業省ベンツの組立を許可―自動車振興委員会の承認は自動車政策発表(8月13日参照)以前であったと説明されている。 |
DIA-204-1978-09-08-1 | タイ | 1978年09月08日 | 1970年代 | オーストラリアのマクドナルド国軍参謀長タイ訪問。 |
DIA-204-1978-09-09-1 | タイ | 1978年09月09日 | 1970年代 | クリアンサック首相談―訪越招請を受諾,会談の成果に双方満足している。難民引取りでは一致せず。 |
DIA-204-1978-09-10-1 | タイ | 1978年09月10日 | 1970年代 | タイ・ベトナム共同声明発表―ファンバンドン首相は声明の内容について記者会見で以下の通り述べた。ベトナムはタイに影響を与える共産ゲリラまたはその他の活動を支持しない。我々はタイの独立と主権を尊重し,誤解を生ずるようなことは避ける。我々は高価な戦いで独立を勝ち取った。独立程尊いものはない。訪問は大きな成功であった。共同声明は両国と地域に利益を与える友好促進の原則となる。 クリアンサック首相はベトナムのゲリラ不支持発言について,ベトナムのタイに対する誠意を示すものである,両国関係発展で顕著な前進があった,タイは近隣諸国への攻撃に自国領土を使わせないと約束したと語った。 共同声明調印と同時に郵便・通信協定も調印した。共同声明はこれまでの合意事項の他に,1976年8月6日共同声明の再確認,内政不干渉,紛争の武力行使禁止と平和的解決などをうたっている。 |
DIA-204-1978-09-11-1 | タイ | 1978年09月11日 | 1970年代 | ウパディット外相欧州歴訪に出発。 |
DIA-204-1978-09-12-1 | タイ | 1978年09月12日 | 1970年代 | サラブリ武器工場拡張を政府が承認。 |
DIA-204-1978-09-12-2 | タイ | 1978年09月12日 | 1970年代 | 国営カンチャナブリ製紙工場閉鎖―閣議で決定。同工場の資産はバーンパイン製紙工場に移される。 |
DIA-204-1978-09-13-1 | タイ | 1978年09月13日 | 1970年代 | 「タマサート18」釈放に反対せず―右派の「赤い野牛」指導者スットサイ少将は,伝えられるタマサート大事件被告18人の釈放に反対せず,敵対行動はとらないと約束した。 |
DIA-204-1978-09-14-1 | タイ | 1978年09月14日 | 1970年代 | 「タマサー18」恩赦法―クリアンサック首相談。恩赦法を15日に議会に提出する。18人の拘留期間はもう十分に長いので釈放すべきと考える。裁判の進行状況をみるとあと4~5年はかかるだろう。問題は国王を煩わせる程のものでない。国家政策評議会にはかる程重要な問題ではなく,政府が自分で決定できる。 セーニー,ククリット両元首相は恩赦支持を表明。被告のスタム元全国学生センター書記長は,18人の自由のために闘った人々に感謝の意を表明した。スーム陸軍司令官は右翼のデモに対する警戒を指示した。 |
DIA-204-1978-09-15-1 | タイ | 1978年09月15日 | 1970年代 | 「タマサート18」恩赦法を議会で可決―票決は180対1。約80人が棄権。首相は,法案は国家の将来にとって重要なものであると述べ,国民的和解と団結を強調した。 |
DIA-204-1978-09-16-1 | タイ | 1978年09月16日 | 1970年代 | タマサート大事件被告釈放―タマサート大事件の報告18人と,首吊劇で逮捕された1人の計19人が釈放された。肉親や友人約1000人が出所を出迎えた。スタム元全国学生センター書記長は,国王に最高の感謝の意を表明し,過去を忘れて新しく出直すと語った。スタムら5人は近く出家する。クリアンサック首相は,釈放は国王の当初からの御意思であった,ジャングルに逃げた者でも1976年10月4~6日の事件に関与しただけなら恩赦が認められると語った。 |
DIA-204-1978-09-16-2 | タイ | 1978年09月16日 | 1970年代 | ハンガリーと貿易協定―訪欧中のウパディット外相が調印。今後ハンガリーとの科学技術,文化面での協力の可能性もある。 |
DIA-204-1978-09-17-1 | タイ | 1978年09月17日 | 1970年代 | 首相,タマサート事件被告を招待―「過去のことは忘れて学業や仕事に戻ること,問題解決に暴力を使わないこと,あるグループに政治的に利用されないこと」とアドバイスした。 |
DIA-204-1978-09-18-1 | タイ | 1978年09月18日 | 1970年代 | タイとベトナム文化教育情報交換に合意。 |
DIA-204-1978-09-19-1 | タイ | 1978年09月19日 | 1970年代 | 公務員給与体系法の改正を政府承認。 |
DIA-204-1978-09-19-2 | タイ | 1978年09月19日 | 1970年代 | ウパディット外相ルーマニアとの貿易協定調印。 |
DIA-204-1978-09-20-1 | タイ | 1978年09月20日 | 1970年代 | 農業融資目標達成―中銀発表によると,8月までの実績は203.6億バーツに達し,年間143.9億バーツの目標を超過した。 |
DIA-204-1978-09-20-2 | タイ | 1978年09月20日 | 1970年代 | 国産品購入優先―政府は消費節約・国産品促進委員会の提案を承認。公企業,政府機関は国産品を優先購入すること。外国借款がからんでいる場合も借款先と国産品購入に資金を使えるよう相談すること。 |
DIA-204-1978-09-20-3 | タイ | 1978年09月20日 | 1970年代 | ウパディット外相チェコとの貿易協定に調印。 |
DIA-204-1978-09-21-1 | タイ | 1978年09月21日 | 1970年代 | 世論調査でクリアンサック支持圧倒的―民間調査機関の世論調査によると,過去8ヵ月の首相の方針に対して89%が支持を表明,72%が今後も在任することを望んでいる。プレーム副内相の閣僚としての評価も75%が支持。またすぐ選挙をするか,または5年間クリアンサックが首相としてとどまるかとの選択については,前者が37%,後者が63%であった。 |
DIA-204-1978-09-22-1 | タイ | 1978年09月22日 | 1970年代 | 79年度予算案成立。 |
DIA-204-1978-09-24-1 | タイ | 1978年09月24日 | 1970年代 | カムロン国軍司令官補佐(空軍大将)北タイ視察中心臓マヒで急死。 |
DIA-204-1978-09-26-1 | タイ | 1978年09月26日 | 1970年代 | タイ貿易使節団北朝鮮訪問。 |
DIA-204-1978-09-27-1 | タイ | 1978年09月27日 | 1970年代 | 軍人を大使に―クリアンサック首相は,外務省に適当な人材がいなければ軍人を大使に任命することもありうる,また輸出促進のためビジネスマンを大使にすることもできると語った。 |
DIA-204-1978-09-27-2 | タイ | 1978年09月27日 | 1970年代 | 洪水の被害―中旬の洪水で,北部と東北部の4000人以上被災,10万ライが冠水,41の県道に被害。 |
DIA-204-1978-09-29-1 | タイ | 1978年09月29日 | 1970年代 | プレームを陸軍司令官に抜擢―クリアンサック首相兼国防相は軍幹部の定期異動を発表した。主要異動人事は次の通り,括孤内は現職と出身軍部。 国軍司令官 スーム・ナ・ナコン(陸軍司令官) 〃副司令官 チャルーン・ポンパーニット(国軍参謀総長,陸軍) 〃〃 クラセー・インタラット(国防副次官,空軍) 〃〃 パントゥム・タウィーウォン(海軍参謀長) 〃参謀総長 サーイユット・カートポン(国軍副参謀総長,陸軍) 〃副〃 ポン・パントサープ(国防副次官,海軍) 〃〃〃 チャラーム・ティーワウェート(空軍司令官補佐) 〃〃〃 トゥアントーン・スワンナタット(軍事作戦局長,陸軍) 陸軍司令官 プレーム・ティナスラーノン(司令官補) 〃副司令官 シッティ・チラロート(参謀長) 〃司令官補 ブンスーム・アルワット(副参謀長) 〃参謀長 サン・チットパティマー(副参謀長) 〃副参謀長 アムナート・ダムリカーン(第1軍区司令官) 〃第1軍区司令官 テープ・クランラート(戦略教育局長) 〃〃2〃 Laks Saligupta(副司令官) 〃第3軍区司令官 Sima Panikabutr(〃) 海軍司令官 カウィー・シンハ(国軍副司令官) 今回の人事異動は事前の予想を |
DIA-204-1978-09-30-1 | タイ | 1978年09月30日 | 1970年代 | スームに閣僚ポスト約束か―信頼できる筋によると,スーム国軍司令官には名誉ある閣僚のポストが与えられる可能性が強い。スーム派の将校は依然協議を続けていると伝えられている。一方,スーム国軍司令官は,人事については事前に知らされていなかったが,新しい任務に満足している,3軍の間の良き協力と調和をもたらすことができると思う,人事問題は完全に終りにしたいと語った。 クリアンサック首相は不満を表明した将校達に対し,銃をとるな,兵士の血を流すな,誰とでも個人的に会って話をする,上官の命令だけに従えと語った。また首相の身辺護衛を申し出た数グループの兵士に対して,その必要はないとして彼らを返した。 |
DIA-204-1978-09-30-2 | タイ | 1978年09月30日 | 1970年代 | ゲリラの攻撃―スラータニーのバーンナーサーン郡の志願防衛隊員詰所が攻撃され,9人死亡,12人重傷。 |
DIA-204-1978-10-02-1 | タイ | 1978年10月02日 | 1970年代 | 首相中部の洪水被災地区視察―稲への被害は1%程度といわれる。北部や東北部で大きな被害が出ており,各地の道路,鉄道が寸断されている。 |
DIA-204-1978-10-02-2 | タイ | 1978年10月02日 | 1970年代 | 憲法の改正草案―憲法精査委員会が改正草案を議長に提出。主な修正個所は次の通り。①最初の選挙では無所属の立候補を認め,4年後はすべて政党に所属する。②国家政策評議会は今後4年間存続させ,定員を26人から40人に増員,③首相大権を認める。④議会は一院制とし,半数選挙,半数任命とする。 |
DIA-204-1978-10-02-3 | タイ | 1978年10月02日 | 1970年代 | 工業振興地区決定―投資委員会は現行の11地区を以下の4地区に変更した。①チェンマイ県サンカムペーン郡,ラムプーン県ムアン郡,②ナコンラーチャシーマー県ムアン郡,パークトンチャイ郡,パークチョーン郡,サラブリー県ムアン郡,ゲーンコーイ郡,③コンケーン県ムアン郡,バーンパイ郡,④ソンクラー県ムアン郡,ハジャイ郡。①②に対して,営業税5年間50%減税,法人税5年間50%減税又は8年間輸送,電力,水道コストの2倍の控除等,また③④に対して,営業税5年間75%減税,法人税5年間50%減税または10年間コストの2倍控除等の優遇措置が与えられる。 |
DIA-204-1978-10-02-4 | タイ | 1978年10月02日 | 1970年代 | 米輸出規制解除―ナーム商相発表。米価を高水準で維持して農民の所得を保証するため,10月から6ヵ月間,糯米を除いて米の自由輸出を認める。糯米は12月から自由化する。政府に引渡す備蓄米の比率は10月は1対1,11月から0.5対1とする。 |
DIA-204-1978-10-04-1 | タイ | 1978年10月04日 | 1970年代 | 貿易会社を奨励―クリアンサック首相(投資委員会議長)は,輸出促進のため投資委員会の奨励する貿易会社に広汎な特典を与えると発表した。①輸出品製造用輸入原材料の輸入税と営業税免税,②貿易会社に製品を売った企業の営業税免税,③所得税減税,④広告,マーケッティングコストの2倍を5年間控除,⑤外貨建預金口座開設許可などである。但し貿易会社は,登録資本金は当初3000万バーツ以上,3年目からは5000万バーツ以上の払い込みを必要とし,タイ国籍株主が75%以上の株を握る公募会社,有限会社であること,証券取引所上場企業の資格基準を満すこと,1年目3億バーツ,2年目4億バーツ,3年目以降5億バーツ以上輸出することなどが要求される。 |
DIA-204-1978-10-05-1 | タイ | 1978年10月05日 | 1970年代 | 憲法の改正草案を批判―カモン・チュラロンコン大学法学部長は,憲法草案は60%民主的であったが,今回の改正草案はそれを20%に減じてしまったと批判。 |
DIA-204-1978-10-06-1 | タイ | 1978年10月06日 | 1970年代 | 洪水による米の被害内務省洪水救済センター発表。浸水200万ライ,稲の被害10億バーツと推定。 |
DIA-204-1978-10-09-1 | タイ | 1978年10月09日 | 1970年代 | ベトナム兵を送還―72年に米軍基地を攻撃したゲリラ2人と,77年に漂着した水兵3人の計5人をベトナムに送還した。 |
DIA-204-1978-10-09-2 | タイ | 1978年10月09日 | 1970年代 | 洪水の被害―内務省洪水救済センター発表。死者37人,被災者44万2281人(1003村),浸水田畑249万7058ライ。コンケーンの被害が最も大きい(死者10人,浸水田畑53万5663ライ),政府はすでに洪水救済のため2000万バーツを支出している。 |
DIA-204-1978-10-09-3 | タイ | 1978年10月09日 | 1970年代 | 難民問題でアピール―ウパディット外相は国連総会の演説で,インドシナ難民の負担軽減への協力を求めた。タイは既に16万人以上受入れ,5万人以上が移住したが,現在でも約11.5万人残っている。 |
DIA-204-1978-10-10-1 | タイ | 1978年10月10日 | 1970年代 | タイ漁民帰国―ベトナムから釈放された漁民30人がトラートに上陸。 |
DIA-204-1978-10-10-2 | タイ | 1978年10月10日 | 1970年代 | タイ・べトナム貿易会談開始―ベトナムのChanh副外国貿易相が訪タイ。 |
DIA-204-1978-10-11-1 | タイ | 1978年10月11日 | 1970年代 | 米軍事援助は継続―Abramowitz駐タイ米国大使は米国人商工会議所での講演で,軍事援助は今後も続けると述べた。今年度は3000万ドルの軍事借款と100万ドルのタイ軍人訓練。 |
DIA-204-1978-10-11-2 | タイ | 1978年10月11日 | 1970年代 | 首相は二院制支持か―消息筋によると,首相は近く立法議会に意向を伝える予定。憲法の改正草案に対しては元国会議員の多くから,非民主的であるとの非難が強く出されている。 |
DIA-204-1978-10-11-3 | タイ | 1978年10月11日 | 1970年代 | 難民引取交渉のベトナム代表団到着―団長のVu Hoangのみ14日に到着。 |
DIA-204-1978-10-12-1 | タイ | 1978年10月12日 | 1970年代 | 過去1年の工業政策・カセム工業相談―①工業製品の生産調整を行ない,砂糖,タピオカ,紡績などで改善,しかしこのために「工場を閉鎖する男」と言われた。②セメントやディーゼルエンジン等成長可能性のある業種への投資奨励,③工場の地方分散は当初の20地域を5ヵ所に減らして現実的なものとした。④サタヒープ港開発とドンムアン空港の拡張,⑤最低賃金引上げ,籾米価格保証,乾季農民雇用計画などの所得分配。政府は3.26クーデター参加者恩赦,社会主義国との対話,18品目輸入禁止,141品目輸入関税引上げ,ガソリン税引上げ等々,不人気な政策でも敢行した。他の国ではノーマルな政策でもタイでは勇気がいる。 |
DIA-204-1978-10-14-1 | タイ | 1978年10月14日 | 1970年代 | ベトナムと貿易取決め―5万トンのメイズと8000トンの縫糸売却協定調印。 |
DIA-204-1978-10-15-1 | タイ | 1978年10月15日 | 1970年代 | 大型乗用車製造禁止を検討―消息筋によると,石油節約のため乗用車の排気量を2500cc以下に抑える方針。自動車振興委員会で2500cc以上の乗用車を生産している既存の工場に急激な打撃を与えない方法を検討中。 |
DIA-204-1978-10-16-1 | タイ | 1978年10月16日 | 1970年代 | タイ・マ合同作戦の成果―タイ・マレーシア国境合同委員会(地方官レベル)発表。ゲリラ12人を殺し,12人負傷させ,6人投降。ゲリラの隠れ場所36ヵ所占領。多数の武器を捕獲。 |
DIA-204-1978-10-16-2 | タイ | 1978年10月16日 | 1970年代 | ベトナムが米買付け―A1特等砕米2万トン,価格はトン当り190ドル。またタイは来年10万トンの原糖を供給することを約束。 |
DIA-204-1978-10-16-3 | タイ | 1978年10月16日 | 1970年代 | サタヒープ商港化に懸念―海運業界は,同港の水深,船舶大型化,夜間接岸禁止,飲料水確保,サタヒープからの輸送コストなどの問題で,現在のバンコク港以上の有利な条件はあまりないとしている。 |
DIA-204-1978-10-17-1 | タイ | 1978年10月17日 | 1970年代 | 憲法の改正草案に反対声明―ソムキット元社会党党首が呼びかけて,約30人の元国会議員が署名,ククリット元首相も参加している。 |
DIA-204-1978-10-17-2 | タイ | 1978年10月17日 | 1970年代 | 日タイ貿易会談中止か―官辺筋によると,事務レベルで満足な成果を得られなければ,ナーム商相は東京行を中止する。ナーム商相は,東京会談で具体的成果がなければ,対日貿易で他の効果的手段を検討せねばならないと語った。 |
DIA-204-1978-10-17-3 | タイ | 1978年10月17日 | 1970年代 | 5バーツ硬貨廃止―19日より実施。国内に偽造硬貨が大量に出まわっているため。 |
DIA-204-1978-10-17-4 | タイ | 1978年10月17日 | 1970年代 | チークの輸出規制緩和―品質はヨーロッパ向け第2級またはそれ以上の品質のもので3000まで。 |
DIA-204-1978-10-18-1 | タイ | 1978年10月18日 | 1970年代 | 憲法草案への反対強まる―反対声明に署名した元国会議員は80人で,ソムキット,ククリットの他,プラシット・カンチャナワット,ヤイ・サウイットチャートらを含む。声明は国家政策評議会の存続,一院制,首相大権存続の3点に反対を表明。 |
DIA-204-1978-10-19-1 | タイ | 1978年10月19日 | 1970年代 | ハジャイ駅で爆弾―駅のターミナルビルで灰皿の中に隠した時限爆弾で10人負傷。犯人とみられるタイムスリム8人とサウジアラビア人1人逮捕。 |
DIA-204-1978-10-19-2 | タイ | 1978年10月19日 | 1970年代 | 日本を強く非難―Adrian Gundlachタイ貿易院副会長は,ナーム商相の東京行中止を称賛し,対日貿易不均衡是正のため決定的行動をとれ,日本が不均衡を是正するまで日本からの全工業製品輸入禁止も考慮すべきだと語った。またパット貿易局長は,日本はタイ製品輸入制限をやめてもっとタイ製品を買うべきだ,日本は他の国から沢山原材料を買っているが,タイからは非常に僅かしか買わないと述べた。 |
DIA-204-1978-10-19-3 | タイ | 1978年10月19日 | 1970年代 | 政府は燃料油の輸入を自由化すると発表。 |
DIA-204-1978-10-20-1 | タイ | 1978年10月20日 | 1970年代 | 被災地農民に無利子融資―クリアンサック首相は被害を受けた農民に対し,生産目的の資金を無利子で1家族3000バーツ融資(期間1年)すると発表。 |
DIA-204-1978-10-20-2 | タイ | 1978年10月20日 | 1970年代 | 平和維持司令官―クリアンサック首相は,スーム国軍司令官を全国平和維持司令官に,プレーム陸軍司令官を首都平和維持司令官に任命。発令は10月1日にさかのぼって行なわれた。 |
DIA-204-1978-10-21-1 | タイ | 1978年10月21日 | 1970年代 | 憲法草案再修正か―クリアンサック首相は,立法議会は草案を通過させる前に国民の要求にあうように改善するだろうと語った。 |
DIA-204-1978-10-21-2 | タイ | 1978年10月21日 | 1970年代 | 農民に現金支給―プリーダー農相によると,政府は洪水被災地農民への融資にプラスして,各家族に3500バーツを贈与することを決めた。 |
DIA-204-1978-10-21-3 | タイ | 1978年10月21日 | 1970年代 | 79年は農民の年,クリアンサック首相談―政府は国内の幾つかの地域で経済改善の基礎をしいたので,来年は農民の年になるだろう。東北タイへは159の揚水ポンプ支給。所得を増やすためのインフラ整備計画も立案中である。この1年で平和と秩序を回復したので,次は農村経済の改善をはかる。 |
DIA-204-1978-10-22-1 | タイ | 1978年10月22日 | 1970年代 | 難民引取交渉難航―ベトナム側は,帰国希望者のみ送還,タイに残る者はタイ市民と同じ法的地位を与える,1959年ラングーン協定を交渉の基礎としないことを主張。タイ側は,全員送還,ラングーン協定を基礎とすることを主張し,法的地位の問題については内政干渉であるとして反発。双方主張を固持して譲らず,会談は難航している。 |
DIA-204-1978-10-22-2 | タイ | 1978年10月22日 | 1970年代 | 破壊活動減少―国内治安作戦司令部によると,9月は東北タイを除いて全国的に活動が減少。9月15日から10月12日までに38回の衝突があり,ゲリラ5人死亡,5人負傷,8基地破壊,38人投降。 |
DIA-204-1978-10-23-1 | タイ | 1978年10月23日 | 1970年代 | 米国務次官補訪タイ―ホルブルック東アジア太洋州担当国務次官補。インドシナ情勢,難民,麻薬問題について話しあう予定。 |
DIA-204-1978-10-23-2 | タイ | 1978年10月23日 | 1970年代 | 国家政策評議会を批判―ククリット元首相はサヤームラット紙上で,NPCはすぐ解散させるべきで,そうしなければ解散させるのが困難になる程強大になるだろうと述べた。 |
DIA-204-1978-10-24-1 | タイ | 1978年10月24日 | 1970年代 | 共産主義活動防止法改正閣議承認―①38県の共産主義浸透地域の指定を廃し,共産活動鎮圧に整合佳と公正をもたらす。②鎮圧の最高責任者を内相から首相に移す,③浸透地域内の役人に与えられていたすべての特典,報酬を,前線で働いている者にのみ限定。④当局の権限乱用を防ぐため,逮捕には証拠を必要とする。 |
DIA-204-1978-10-24-2 | タイ | 1978年10月24日 | 1970年代 | 首相米国務次官補と会談―ホルブルックは山地民族の麻薬から畑作物への転換計画に4000万バーツの援助を約束した。 |
DIA-204-1978-10-25-1 | タイ | 1978年10月25日 | 1970年代 | クーデターの噂―首相,副首相とも否定。 |
DIA-204-1978-10-25-2 | タイ | 1978年10月25日 | 1970年代 | ベトナムの態度軟化―難民引取交渉で,ベトナム人の帰国意志調査は行なわないと言明。 |
DIA-204-1978-10-26-1 | タイ | 1978年10月26日 | 1970年代 | ゲリラの攻撃―ソンクラー県サダウ郡でマラヤ共産党とみられるゲリラの攻撃で,国境警察の5人死亡,9人負傷。 |
DIA-204-1978-10-26-2 | タイ | 1978年10月26日 | 1970年代 | 憲法論議白熱―議会で一院制か二院制かをめぐって激論が展開された。他方新聞5団体は,憲法第29条は報道の自由を侵す非民主的なものであると批判。 |
DIA-204-1978-10-26-3 | タイ | 1978年10月26日 | 1970年代 | 日タイ貿易会談延期―日本の政変で,通産相が総裁公選に立候補して辞任したため,新通産相任命後再開するとタイ政府が発表。 |
DIA-204-1978-10-26-4 | タイ | 1978年10月26日 | 1970年代 | ディリー・フィクシング・レート制実施―中央銀行は11月1日から,従来のバスケット方式を廃止して,ディリー・フィクシング方式によって為替レートを決定すると発表した。この方式の実施方法は,毎日午前8時より中央銀行スリウォン支店に地場および外国銀行30行の代表者が集まり,まずバーツとドルの為替レートを決定し,次いで英ポンド,西独マルク,日本円,Sドル,Mリンギ,香港ドルの6ヵ国の通貨とのクロスレートを算出し,決定したレートを午前9時に発表する。 |
DIA-204-1978-10-27-1 | タイ | 1978年10月27日 | 1970年代 | 憲法審議で激論続く―チャラームチャイ副議長は各議員に対し,冷静になるよう呼びかけた。他方,国鉄労組は,現在の憲法草案を破棄し,総選挙後に憲法を起草するよう求めた。クリアンサック首相はこうした意見に対し,選挙後の国会で憲法改正を発議すればよいと語った。 |
DIA-204-1978-10-28-1 | タイ | 1978年10月28日 | 1970年代 | 中国への航空機乗入れ不許可―閣議で運輸省提案のタイ~中国路線開設を否決。タイ・台湾貿易に打撃を与えるとの理由による。対台湾貿易は黒字で,かつタイ~台湾はドル箱路線となっているため。 |
DIA-204-1978-10-29-1 | タイ | 1978年10月29日 | 1970年代 | フィリュービン・ソ連外務次官タイ訪問。 |
DIA-204-1978-10-29-2 | タイ | 1978年10月29日 | 1970年代 | 首相,プレーム陸軍司令官を国内治安作戦司令部長官に任命。 |
DIA-204-1978-10-30-1 | タイ | 1978年10月30日 | 1970年代 | クリアンサック・フィリュービン会談―フィリュービン外務次宮はASEANへの支持を表明,他方首相はソ連との文化協定には明確な返答を避けた。その他,貿易,協力関係拡大について話しあい,首相は2月末ソ連訪問の要請を受諾した。 |
DIA-204-1978-10-31-1 | タイ | 1978年10月31日 | 1970年代 | 首相憲法草案再修正に動く―クリアンサック首相は国会議長と憲法精査委員会委員長に対し,どのような憲法を望んでいるかを,国軍最高司令官,陸海空三軍司令官同席の下に伝えた。①民選の下院と任命の上院の二院制とし,上院定数は下院の4分の3以下,②国家政策評議会の存続は不要で,そのメンバーは上院議員に移行,③上院議員の推薦権は国家政策評議会議長ではなく首相が持つ,④首相大権は不要,⑤完全な民主制への移行期間は4年ではなく2年で十分。また首相は,一院制,上院議員任命権は国家政策評議会議長,首相大権存続,という内容の憲法が成立した場合には,選挙後に内閣を組織することは拒否すると伝えたといわれる。 |
DIA-204-1978-10-31-2 | タイ | 1978年10月31日 | 1970年代 | 労働裁判所設置法―閣議で承認,裁判所は各地域毎に設置する。 |
DIA-204-1978-10-31-3 | タイ | 1978年10月31日 | 1970年代 | 土地改革の用地買収権移管―今後農地改革事務所は技術面,農業・協同組合銀行は土地買収面と機能を分担する。銀行内の用地買収担当部門は将来土地銀行に発展させる。 |
DIA-204-1978-11-01-1 | タイ | 1978年11月01日 | 1970年代 | 3.26クーデーター参加者釈放―1977年3月26日のクーデターに参加して20年の刑を言い渡された3人の元警官を釈放。 |
DIA-204-1978-11-01-2 | タイ | 1978年11月01日 | 1970年代 | デイリーニューズ紙発刊禁止―1日の新聞のコラムの内容が大逆罪に問われたため。またコラムニスト1人が逮捕された。(20日に紙名と編集人を変えて再発行許可) |
DIA-204-1978-11-01-3 | タイ | 1978年11月01日 | 1970年代 | 木材産業国有化へ―プリーダー農相は,森林政策委員会で木材伐採業を政府が独占することに決定したと発表。今後は新規の木材伐採権を与えず,現在民間企業に与えられている許可については更新せず,期限切れ後直ちに林業公団が業務を引継ぐ。 |
DIA-204-1978-11-01-4 | タイ | 1978年11月01日 | 1970年代 | ディリー・フィクシング・レート制開始―初日のレートは買いが1ドル=20.1025バーツ,売りが1ドル=20.2325バーツで,10月31日の相場(買20.25バーツ)よりバーツ高となった。 |
DIA-204-1978-11-02-1 | タイ | 1978年11月02日 | 1970年代 | 二院制に再修正―憲法精査委員会は修正草案の一部を再修正して議会に提出した。修正は①議会は2院制とし,上院は任命議員,下院は選挙で選ばれた議員で構成し,上院の定数は下院の4分の3とする。②上院議員は首相が任命する。 |
DIA-204-1978-11-02-2 | タイ | 1978年11月02日 | 1970年代 | 洪水被災地援助―洪水被災地28県は公益施設の補修費として政府に2億バーツの援助を要請した。レック内相は各県に300万バーツを配分し,被災農民の雇用資金にあてるよう指示した。またスントン副首相は政府系銀行に対し,被災農民向け融資の返済期限の延長を指示した。 |
DIA-204-1978-11-04-1 | タイ | 1978年11月04日 | 1970年代 | 難民引取交渉暗礁に―ベトナム側の1000人だけ引取るとの提案をタイ側が拒否。 |
DIA-204-1978-11-05-1 | タイ | 1978年11月05日 | 1970年代 | 中国の鄧小平副首相訪タイ―空港で約20分,出迎えのクリアンサック首相と会談。宿舎に着いた後,総理府でさらに1時間半会談し,夕方国王に拝閲。空港には約1000人の中国人が出迎えた。歓迎晩餐会で鄧副首相は,ソ連とベトナムの覇権主義を非難した。 |
DIA-204-1978-11-06-1 | タイ | 1978年11月06日 | 1970年代 | クリアンサック・鄧会談―クリアンサック首相はカンボジア行中国機のタイ領空通過を認め,鄧副首相はタイに原油60万トン,ハイスピードディーゼルオイル24万トンを友好価格でタイに売ることを約束した。中国機は昆明~ラングーン~プノンペン路線で週1便。中国・ベトナム紛争の影響でベトナム,ラオス上空通過が危険なため,タイ領上空を通るルートとなった。会談では他に,中国・ベトナム紛争,ベトナム・カンボジア紛争,ソ連・ベトナム友好条約,中国の華僑対策,タイ共産党に対する中国の支援などの問題も話しあわれた。 首脳会談と併行して進められた実務者レベルの会談では,双方の貿易委員会設置,貿易品目,科学技術協力の細目で合意がなされた。タイは原油60万トンとディーゼルオイル24方トン(合計16億バーツ)を中国から買い,メイズ10万トン,タピオカフラワー5万トン,ケナフ2万トン,麻袋500万袋,タバコ1000トン,ゴム3万トン,化繊1万トン,緑豆2万トンを売る。 |
DIA-204-1978-11-06-2 | タイ | 1978年11月06日 | 1970年代 | 土地銀行を来年創設―アーポン副農業相は,土地改革の金融機関として土地銀行を来年設立すると発表。 |
DIA-204-1978-11-06-3 | タイ | 1978年11月06日 | 1970年代 | 森林破壊進む―国家経済社会開発庁によると,木材の不法伐採で,タイの森林面積は国土の30%になっており,近年は毎年325万ライが破壊されている。最もひどいのは東北部で森林面積は33%にまで減少しており,過去26年間で3340万ライの森林が破壊されたが,これは東北部全面積の半分にあたる。 |
DIA-204-1978-11-08-1 | タイ | 1978年11月08日 | 1970年代 | 鄧小平ベトナムを非難―記者会見で,ベトナムは「東のキューバ」,「東南アジアの不良」であるとこれまでにない強い調子で非難し,ソ越条約は世界支配を狙う軍事同盟であると述べた。ASEANの平和,自由,中立地帯構想支持を再度確認。タイ共産党支援に関しては,中国は政府レベルと党レベルという2つのレベルでの関係を維持すると述べた。鄧副首相一行はロッブリーの砲兵センター・でタイ軍の軍事演習を2時間にわたって視察した。共産国の首脳が演習を視察したのは初めてである。 |
DIA-204-1978-11-08-2 | タイ | 1978年11月08日 | 1970年代 | 一社一新聞のみ発行―閣議で,新聞および週刊誌は今後一社一紙の発行しか認めないと決定。 |
DIA-204-1978-11-09-1 | タイ | 1978年11月09日 | 1970年代 | 鄧副首相のタイ訪問終る―クリアンサック首相は次のように述べた。ASEANの平和,自由,中立地帯構想が中ソ米越から支持を受けたことで安心し,幸せである。鄧訪タイの成果には大変満足しており,タイ・中両国の関係を強化した。最も満足できるのは中国の,平和,自由,中立地帯構想支持である。中越紛争は東南アジアへの脅威になるとは思わない。両国は最後は平和的に解決するだろう。共産ゲリラに対する鄧小平とファンバンドンの発言は時が証明するだろう。 鄧離タイに先だち,科学技術協力,貿易合同委員会設置,1979年の貿易品目決定についての議定書に調印した。科学技術協力は本年3月31日に締結された協定に基づいており,科学技術協力合同委員会を設置(双方35人の委員で構成,年に1回バンコクと北京で交互に会議を開く)し,79年の実施プロジェクト29件(タイ側受入12件,中国側受入れ17件)が決められた。 |
DIA-204-1978-11-09-2 | タイ | 1978年11月09日 | 1970年代 | メイズ輸出許可制に―輸出には貿易局の承認を要する。日本向けメイズの確保と,国内の価格高騰抑制のため。 |
DIA-204-1978-11-10-1 | タイ | 1978年11月10日 | 1970年代 | 難民交渉進展せず―ベトナム側は3000~4000人の受入れを提案したが,全員受け入れは拒否。 |
DIA-204-1978-11-10-2 | タイ | 1978年11月10日 | 1970年代 | 国家政策評議会解散に反対せず―サガット政策評議会議長は,新憲法によって解散となっても反対しない,メンバーの誰も政府をコントロールするため残ろうと思っていない,上院議員任命権は議会が決めることであって干渉しようと思わない,政府との対立はないと述べるとともに,憲法草案は立派なものであるとして,これを修正した憲法精査委員会を批判した。 |
DIA-204-1978-11-12-1 | タイ | 1978年11月12日 | 1970年代 | メイズ輸出を再度割当制に―今年の輸出自由化が混乱をもたらしたため,79年1月から従来通りの割当制とする。 |
DIA-204-1978-11-13-1 | タイ | 1978年11月13日 | 1970年代 | 森林伐採権50%削減―森林政策委員会(議長はソムポップ副首相)は森林保護のため,現在与えられている約500の森林伐採権を50%削減することを決定。なお木材需要に対処するため,ラオスやビルマからの原木輸入を増加する。 |
DIA-204-1978-11-16-1 | タイ | 1978年11月16日 | 1970年代 | 低所得層向け住宅建設―住宅公社は79年から始まる4ヵ年計画で,低所得層向5万756戸(バンコクに4万8766戸)を建設する。 |
DIA-204-1978-11-16-2 | タイ | 1978年11月16日 | 1970年代 | 西サモアと外交関係樹立。 |
DIA-204-1978-11-17-1 | タイ | 1978年11月17日 | 1970年代 | イエンサリとの会談報告―15日からカンボジアを訪問していたチャートチャーイ元外相は,カンボジアは今年末までに駐タイ大使を派遣する,アジア競技大会に3人のオブザーバーを派遣する,アンコールワット見物のバンコク~シェムレアプ間航空路線開設に同意したとの会談内容を発表した。 |
DIA-204-1978-11-18-1 | タイ | 1978年11月18日 | 1970年代 | クーデター防止を約束―テープ第1軍区司令官は,クーデターを防止することを約束,またタノムら3人組の資産返却のため彼が政府に圧力をかけているとの噂を否定した。これはテープの就任後,3人組復帰クーデターの噂が絶えないため。 |
DIA-204-1978-11-18-2 | タイ | 1978年11月18日 | 1970年代 | プリーダー農相訪中。 |
DIA-204-1978-11-21-1 | タイ | 1978年11月21日 | 1970年代 | 地雷で13人死亡―タープラヤー郡のカンボジアとの国境近く3kmの地点で,タイ軍のトラックがカンボジアが敷設した地雷に触れ,さらにゲリラの攻撃にあって,軍人8人,村民5人死亡。 |
DIA-204-1978-11-21-2 | タイ | 1978年11月21日 | 1970年代 | バンコク・ハノイ線増便―15日からのサノン副運輸相のハノイ訪問で,各々週2便とすることで合意。 |
DIA-204-1978-11-22-1 | タイ | 1978年11月22日 | 1970年代 | 石油公社法成立―同公社は石油開発,精製,貯蔵,輸入,販売に至る石油産業に関するすべての業務を扱う。軍エネルギー局とタイ天然ガス公団は同公社に吸収合併される。 |
DIA-204-1978-11-22-2 | タイ | 1978年11月22日 | 1970年代 | 新聞規制に反対―新聞5団体協会は,政府の新聞社数制限政策は独占に導き,民主的制度にとって危険であると反対を表明。新聞の自由のために,新聞5団体協会が6月30日に首相に提出した出版法案を検討し,現行1941年出版法と国家統治改革団布告42号を廃止すること,57の日刊紙(実際は週1~2回しか発行せず,そのほとんどは地方紙)閉鎖は,出版法の解釈を間違えており,最高裁決定に反する等6項目の意見を提出。 |
DIA-204-1978-11-22-3 | タイ | 1978年11月22日 | 1970年代 | 79年の農業融資目標―中央銀行は1979年の市中銀行による農業融資目標額を,78年末預金残高の13%(推定205億バーツ)とすると発表。 |
DIA-204-1978-11-22-4 | タイ | 1978年11月22日 | 1970年代 | 外国貿易局もち米の輸出規制解除。 |
DIA-204-1978-11-23-1 | タイ | 1978年11月23日 | 1970年代 | 輸出業者の新規参入規制―商務省提案を閣議で承認。米,メイズ,ソルガム,タピオカ,ケナフの新たな貿易事業登録を制限して,農協,農民団体,国際貿易会社のみに認める。現在の輸出業者数は,米が85社,メイズ148社,ソルガム66社,ケナフ32社,タピオカ62社。メイズ対目輸出不履行の業者は登録を取消す。 |
DIA-204-1978-11-24-1 | タイ | 1978年11月24日 | 1970年代 | 金融会社規制―サノ中銀総裁によると,ファイナンス・カンパニー規制強化のため,今後は資本金の60%以上を有価証券購入に投資することは認めない。規制策は,融資拡大の抑制や,流動比率を11月17日から5%に,79年2月16日から6%に引上げること等が実施されている。 |
DIA-204-1978-11-24-2 | タイ | 1978年11月24日 | 1970年代 | 憲法草案第2読会通過。 |
DIA-204-1978-11-25-1 | タイ | 1978年11月25日 | 1970年代 | 共産ゲリラ守勢に―第2軍区高官によると,東北タイでタイ共産党は大きな損失を蒙っている。今年の死者・投降者数は817人(昨年は509人)で,投降者中には共産党の県段階の幹部もいる。Mitr Samanont(別名Charoen Wanngarm)指導下の共産党は政府との心理戦に負け,テロによる支配を敢行しているが,より大きな困難に直面しているという。 |
DIA-204-1978-11-26-1 | タイ | 1978年11月26日 | 1970年代 | 対日メイズ輸出延期を要請―メイズ生産貿易協会は貿易局に対し,メイズ輸出延期を日本側と協議するよう要請した。国内価格が協定輸出価格を上回っており,また荷が集まらないため。 |
DIA-204-1978-11-27-1 | タイ | 1978年11月27日 | 1970年代 | 新規難民受入拒否―クリアンサック首相は,タイはこれ以上難民を受け入れない,難民船が入港したら,必要な物資を補給して出港させると語った。 |
DIA-204-1978-11-27-2 | タイ | 1978年11月27日 | 1970年代 | 北朝鮮貿易代表団(催貞根貿易部長を団長)訪タイ。 |
DIA-204-1978-11-27-3 | タイ | 1978年11月27日 | 1970年代 | 産業金融公社地方への融資拡大―79年の地方への融資目標は7.5億バーツで,利率もバンコクより1%低い11%とする。今年9月迄の全体の融資額は10億バーツ(目標8.5億バーツ)に達する。過去5年間融資額の52%が地方に配分されている。 |
DIA-204-1978-11-28-1 | タイ | 1978年11月28日 | 1970年代 | スト中止を命令―政府は賃上げを要求してストに入っているタバコ公社の労働者2000人に対し中止を命令。 |
DIA-204-1978-11-28-2 | タイ | 1978年11月28日 | 1970年代 | 英国と経済投資保護協定締結。 |
DIA-204-1978-11-30-1 | タイ | 1978年11月30日 | 1970年代 | ベトナムとの海運サービス協定承認―政府は締結に原則的承認。初めての協定で,これが成功すれば他の国とも結ぶ予定。 |
DIA-204-1978-12-01-1 | タイ | 1978年12月01日 | 1970年代 | 第8回ベトナム難民交渉決裂―次回は79年1月5日に開催。 |
DIA-204-1978-12-01-2 | タイ | 1978年12月01日 | 1970年代 | アジア再保険会社設置協定を否決―立法議会はバンコクにAsian Re-insurance Corporationの本部を設置する協定の批准を否決した。加盟8ヵ国中3ヵ国が既に批准しているが,同協定はタイにとって不利との理由で否決。 |
DIA-204-1978-12-02-1 | タイ | 1978年12月02日 | 1970年代 | 上院議員の任命―クリアンサック首相は,上院議員の任命については国家政策評議会と相談すると語った。 |
DIA-204-1978-12-02-2 | タイ | 1978年12月02日 | 1970年代 | 北朝鮮と貿易協定締結。 |
DIA-204-1978-12-02-3 | タイ | 1978年12月02日 | 1970年代 | ゲリラ26人死亡―ナコンシータマラート県ターサーラー郡Krung Chingの共産ゲリラ基地に対する政府軍の攻撃で,ゲリラ約26人が死亡(11月28日~12月2日)。 |
DIA-204-1978-12-03-1 | タイ | 1978年12月03日 | 1970年代 | 精油所拡張を最優先石油製品の輸入増による貿易赤字増大に対処するため,先週の経済閣僚会議でThai Oil Refinery Coの拡張計画に最大限の努力を払うことに決定。78年8月までの石油輸入は原油が77年同期比6%増に対して,石油製品は71.5%増となっている。 |
DIA-204-1978-12-03-2 | タイ | 1978年12月03日 | 1970年代 | ソーダ灰計画―工業省筋によると,計画開始が承認され,85年にはASEAN諸国に供給できる。投資総額は30億バーツ。 |
DIA-204-1978-12-04-1 | タイ | 1978年12月04日 | 1970年代 | 公定歩合引上げ―中央銀行は公定歩合を10.5%から12.5%に引上げた。海外の高金利で短期ローン返済の動きが活発化し,11月は1ヵ月で3億ドルが流出しており,今回の引上げはこれを抑制するため。 |
DIA-204-1978-12-06-1 | タイ | 1978年12月06日 | 1970年代 | 選挙区は分割方式―選挙法起草委員会は,人口15万人に議員1人の基準で,1選挙区の定員を3人とし,それ以上となる県については選挙区を分割すると決定。この方式は79年4月の選挙のみに適用し,以後は憲法の規定通り全県1区制とする。 |
DIA-204-1978-12-06-2 | タイ | 1978年12月06日 | 1970年代 | プライム・レート引上げ―市中銀行はプライム・レートを11%から12%に引上げ。 |
DIA-204-1978-12-07-1 | タイ | 1978年12月07日 | 1970年代 | 首相ポーランドのEmil Wojtazek外相と会談。 |
DIA-204-1978-12-08-1 | タイ | 1978年12月08日 | 1970年代 | オークレイ米国務次官補訪タイ。 |
DIA-204-1978-12-09-1 | タイ | 1978年12月09日 | 1970年代 | シンガポールのリークァンユー首相訪タイ。 |
DIA-204-1978-12-09-2 | タイ | 1978年12月09日 | 1970年代 | インドシナ情勢について―スーム国軍司令官は,他国の内政不干渉,すべての国との友好とのタイの立場を再確認。現在サーイユット国軍参謀総長が訪米し,インドシナ情勢について米当局者と協議している。 |
DIA-204-1978-12-11-1 | タイ | 1978年12月11日 | 1970年代 | クリアンサック・リー会談―双方はベトナムとカンボジアの紛争とその東南アジアへの影響について強い懸念を表明し,救国統一戦線の結成は紛争をエスカレートさせるとして,ASEAN首脳会議招集の可能性も検討。ASEANの経済的成果,特に日本,EC,濠,米との協力については満足を表明。 |
DIA-204-1978-12-12-1 | タイ | 1978年12月12日 | 1970年代 | 国鉄スト―国鉄マカサン工場労働者4000人賃上げを要求してスト突入(13日終了)。 |
DIA-204-1978-12-12-2 | タイ | 1978年12月12日 | 1970年代 | 精油所拡張―クリアンサック首相は,TORCの精油所拡張と,天然ガスの開発を急ぐよう指示。 |
DIA-204-1978-12-13-1 | タイ | 1978年12月13日 | 1970年代 | ラオスの攻撃―ノンカイ県。メコン河のパトロール艇2隻がラオス側からの砲撃を受け,1隻が沈み,4人が負傷。 |
DIA-204-1978-12-13-2 | タイ | 1978年12月13日 | 1970年代 | 難民交渉で善処約東―日本への途次バンコクに立寄ったベトナムのグエンズイチン副首相は,ウパディット外相と会談し,ベトナム難民送還交渉で最大限の努力を約束し,またカンボジア救国戦線に対するベトナムの態度について説明した。 |
DIA-204-1978-12-14-1 | タイ | 1978年12月14日 | 1970年代 | ラオスに事情説明要求―タイ政府は13日のメコン河での事件に憂慮を表明し,タイ駐在ラオス大使を呼んでラオス政府が説明するよう求めた。スーム国軍司令官は,事件は第3者によって起こされたと思われ,両国の友好を傷つけるものではないと述べた。 |
DIA-204-1978-12-14-2 | タイ | 1978年12月14日 | 1970年代 | タイがラオス船を攻撃―ノンカイ県。夕刻,タイのパトロール艇はラオスのサバナケットを出た護衛船2隻を攻撃して沈め,ソビエト製の軍事物資輸送船に被害を与えた。 |
DIA-204-1978-12-14-3 | タイ | 1978年12月14日 | 1970年代 | 対ルーマニア貿易急増―ルーマニア貿易使節団が先週8000万バーツのタイ産品を買付けた。78年の貿易総額は10億バーツの見込で,77年比350%増である。 |
DIA-204-1978-12-16-1 | タイ | 1978年12月16日 | 1970年代 | 米中国交回復についてクリアンサック首相談―外交面での飛躍的前進である。アジアにおける安定を回復し,平和を促進するだろう。米国がなお台湾と文化,商業その他非公式の関係を保ち,台湾住民の幸福に関心を寄せていることは喜ばしい。 |
DIA-204-1978-12-16-2 | タイ | 1978年12月16日 | 1970年代 | ASEAN米緩衝在庫―ASEAN経済閣僚会議で,5万トンの米緩衝在庫設置に合意。タイは1.5万トンを拠出する。 |
DIA-204-1978-12-18-1 | タイ | 1978年12月18日 | 1970年代 | 憲法第3読会通過―賛成330,反対9,棄権3で成立。審議の始まる前,国会の外で学生達が,新憲法はタイの歴史上最も非民主的憲法であり,間違いなく独裁支配への道につながるとして抗議を表明。なお修正ざれた主な点は以下の通り。①国会は2院制とし,下院は選挙,上院は任命(首相が指名し,国王が承認する)。②政府役人は現行職務を兼任したまま閣僚など政治職につける。立候補者は79年の選挙に限り無所属で立候補できる(4年後はすべて政党所属)。③上院議長が国会議長となる。④国家政策評議会は新内閣成立後解散する。⑤暫定期間(4年間)の首相と44人の閣僚は国会議員である必要はないが,その任命には国会議長の副署を必要とする。新内閣は施政方針演説を行なうが,それに対する信認投票は不要,⑥首相大権は削除。 |
DIA-204-1978-12-18-2 | タイ | 1978年12月18日 | 1970年代 | ラオスがメコン河の事件で反論―13日および14日の事件はいずれもタイのパトロール船がラオス領内に侵入して,ラオスの船や近隣の村を攻撃してきたものであると反論。なおクリアンサック首相は国会があるため予定通りラオスを訪問できないと通告してきたが,ラオスとしては適切な時期の訪問を歓迎すると表明。 |
DIA-204-1978-12-19-1 | タイ | 1978年12月19日 | 1970年代 | クリアンサック首相選挙に不出馬―一私は選挙に出ず,政党も作らない。私は職業軍人であり,政治家として訓練されていない。政党を作るには国民の支持と巨額の金がいるが。私は金を持っていない。また選挙活動をする時間の余裕がなく,残された時間を義務を果し,目標達成のために使う。 |
DIA-204-1978-12-19-2 | タイ | 1978年12月19日 | 1970年代 | 燃料油不足に対処―カセム工業相は,燃料不足対策として国内備蓄からハイスピードディーゼルオイルの放出を認め,また中国に対してディーゼルオイルの引渡しを早めるよう要請すると発表。OPECの原油値上げに対しては国内で便乗値上げや投機を防止する手段をとることとし,国内価格の値上げは在庫がなくなってから認可する。発電用重油は大幅削減して石炭にきりかえる方針である。 |
DIA-204-1978-12-20-1 | タイ | 1978年12月20日 | 1970年代 | ホテル建設再奨励―投資委員会はバンコクで600室以上のデラックスホテル建設を奨励すると発表。今後5年間に5800室増が必要とされるため。 |
DIA-204-1978-12-21-1 | タイ | 1978年12月21日 | 1970年代 | 国内石油価格は来年値上げ―クリアンサック首相は国内価格を来年値上げすると発表。石油燃料公団は灯油を除く他のすべての石油製品の供給制限開始,また商務省はディーゼルオイル不足に対処するため,石油供給業者に対して在庫放出を命令。 |
DIA-204-1978-12-21-2 | タイ | 1978年12月21日 | 1970年代 | 小規模灌漑―プリーダー農相は,79年度予算では東北タイを中心とする400ヵ所の小規模灌漑整備に7億バーツを支出すると発表。3億バーツは予算から,4億バーツは日本からの借款による。灌漑は東北217ヵ所,北86ヵ所,中部59ヵ所,南部38ヵ所。78年度は3億バーツの予算で330ヵ所(うち東北240ヵ所)の小規模灌漑整備が実施された。 |
DIA-204-1978-12-22-1 | タイ | 1978年12月22日 | 1970年代 | 新憲法公布―1932年以降10番目の恒久憲法である。国会では選挙法が第1読会通過。 |
DIA-204-1978-12-23-1 | タイ | 1978年12月23日 | 1970年代 | 銃の輸入削減求める―タイの殺人事件発生率が高いため,警察局は銃火器の輸入50%削減と銃を不法販売している銃砲店の閉鎖を内務省に要請する。バンコク市内には約400軒の銃砲店があり,3000クォーター与えられている。1クォーターでピストルとライフル銃を各20,50挺輸入できるが,これを10,25と半分に削減させる。またすでに39店(主としてワンブーラパー地区の店)が閉鎖され,許可を取消されている。 |
DIA-204-1978-12-26-1 | タイ | 1978年12月26日 | 1970年代 | 下院選挙は79年4月22日―地方行政局は選挙を4月22日に設定。立候補受付は5日間,選挙運動期間は45日間。法定選挙費用は15万バーツとなる見込。 |
DIA-204-1978-12-26-2 | タイ | 1978年12月26日 | 1970年代 | ゲリラが列車襲撃―スラータニー県バーンナーサーン郡で,約300人の共産ゲリラが早朝Phrupi駅で列車を襲撃し,プーケット県の役人の給料の一部120万バーツを強奪した。ゲリラによる列車襲撃は初めて。 |
DIA-204-1978-12-26-3 | タイ | 1978年12月26日 | 1970年代 | 投機の動きに警告―クリアンサック首相は,ハイスピードディーゼルオイルの買占めなどをはかる業者は営業許可を取消し,厳罰に処すると警告。 |
DIA-204-1978-12-27-1 | タイ | 1978年12月27日 | 1970年代 | アンコールワット観光団第1陣―今回は主に報道人が中心。 |
DIA-204-1978-12-27-2 | タイ | 1978年12月27日 | 1970年代 | ディーゼルオイル対策―商務省は12月28日から1月6日までの間,各ガソリンスタンドは販売客のサインを受取り,毎日商務省に報告するよう命令。内務省は首都への石油輸送交通規制を緩和。また政府は国内生産量を増やす(約8~10%)ため,ディーゼルオイルの質を落すことを承認した。 |
DIA-204-1978-12-27-3 | タイ | 1978年12月27日 | 1970年代 | 日本に3.3億ドルの援助要請―クリアンサック首相は1月に日本を訪問する際,3.3億ドル(借款2.8億ドル,技術援助5000万ドル)の援助を求める予定。 |
DIA-204-1978-12-28-1 | タイ | 1978年12月28日 | 1970年代 | ラオス訪問日程―クリアンサック首相は79年1月4~6日ラオスを訪問する。友好の印として,トラック20台分の米,砂糖,塩,干物,毛布を洪水被災援助として贈与する。 |
DIA-204-1978-12-28-2 | タイ | 1978年12月28日 | 1970年代 | 16品目の輸入禁止解除に合意―大蔵省は輸入禁止18品目中16品目の解除に合意した。これはIMFが2億ドルの融資をタイに認める条件として,輸入禁止の解除を求めたため。 |
DIA-204-1978-12-29-1 | タイ | 1978年12月29日 | 1970年代 | 反共法第1読会通過―新法では,軍および県当局に共産主義容疑者拘留を540日(現行法は180日)まで認め,被疑者が無実であっても損害回復の訴訟は起せない。しかし共産主義防止,鎮圧の権限行使は,共産主義浸透地区として指定された地域内に限られる。 |
DIA-204-1978-12-30-1 | タイ | 1978年12月30日 | 1970年代 | 農民援助―クリアンサック首相は北79年は「農民の年」として,農民援助に200億バーツ以上注ぎこむことを計画している,40億バーツは水利改善,農業融資,化学肥料,農地などにあてると発表。 |
DIA-204-1978-12-31-1 | タイ | 1978年12月31日 | 1970年代 | タイ共産党は孤立化―クリアンサック首相は,政府が共産国と関係を緊密化しているため,タイ共産党は外国の支持を失なっている,南部の列車強盗はゲリラの絶望的な行動の一例だが,そうすることによって彼らは民衆の支持を失なうだろう,南部の状況は昨年に比べてそう深刻ではないと語った。 |
DIA-204-1979-01-04-1 | タイ | 1979年01月04日 | 1970年代 | 首相ラオス訪問-3日間公式訪問。クリアンサク首相は,過去の誤解を忘れ,相互理解と善隣の新しい時代を始めようとあいさつ,ラオスのカイソン首相も,クリアンサク首相のラオス訪問は長い兄弟的関係の再建であると語った。 |
DIA-204-1979-01-05-1 | タイ | 1979年01月05日 | 1970年代 | タイ・ラオス両国首相会談-ウパディット外相は4日の両国首相会談の内容を以下の通り報告。双方共,相手国政府に敵対し,転覆をはかる動きに対して援助をしないこと,メコン河を真の平和と友好の河とすることを約束した。会談は心暖る雰囲気で行なわれ,いくつかの重要問題で相互理解に達した。また双方の代表団は以前の共同声明の諸原則の支持を再確認した。 |
DIA-204-1979-01-05-2 | タイ | 1979年01月05日 | 1970年代 | バンコク首都圏の政治集会禁止解除。 |
DIA-204-1979-01-06-1 | タイ | 1979年01月06日 | 1970年代 | カンボジア情勢についてクリアンサク首相談-ワルトハイム国連事務総長は個人的にカンボジアへ行って,緊張緩和を援助せよ。東南アジア諸国も情勢を緩和する平和的手段を見出すよう努力することを訴える。現在のカンボジアとベトナムの戦闘は,いつかは理解に達しうる兄弟喧嘩とみている。しかし情勢は依然緊迫しているので,国連は無関心であってはならない。他方プレーム陸軍司令官は,プノンペンは陥落しないだろう,戦争は終る,タイは情勢の展開を注目しているが,特別な警戒はしないと語った。またブンチャイ副首相は,カンボジアとの国境防衛は警戒すべきだと語った。 |
DIA-204-1979-01-07-1 | タイ | 1979年01月07日 | 1970年代 | プノンペン陥落についてクリアンサク首相談-タイ国民にパニックをおこさないよう要請。タイ国軍はいかなる外敵の侵略に対しても国を守る行動をとりうる態勢にある。国連がプノンペンまたはハノイで紛争解決のための行動をとってほしい。 |
DIA-204-1979-01-08-1 | タイ | 1979年01月08日 | 1970年代 | カンボジア難民流入-タイはカンボジアとの国境を閉鎖。しかし983人の外国人の入国は認め,アランヤプラテートからウタパオ基地に移送した。内訳は中国人922人,北鮮49人,ビルマ7人,ユーゴ,ルーマニア各2人,エジプト1人。国境警備警察によると,7日にカンボジア難民21人がタイに流入,なお数百人が入国の機会を待っている。クリアンサク首相は,記者会見で以下の通り語った。タイはすべての人と友人である。しかしカンボジア情勢がタイの安全に影響を与えないよう,すべての可能な手段をとる。午前の国防会議で,国家防衛のための17項目の行動指針を軍首脳に与えた。ベトナム軍もポル・ポト派ゲリラもタイ領に足を踏み入れることはないと思う。タイには既に十分な難民がいるので,カンボジア難民は受入れられない。もしカンボジア兵がタイに入ったら武装解除して送り返す。難民は国際問題であり,タイだけがその重荷を負うべきではない。(ポル・ポトを支援するかとの質問に)隣国に対する攻撃に我国の領土を使うことは誰にも許さない。新政権承認について何の決定もしていない。ASEAN諸国による軍事行動はない。 |
DIA-204-1979-01-09-1 | タイ | 1979年01月09日 | 1970年代 | 首相訪日日程短縮-首相は日程を2日間短縮し,総選挙前に何か起ればソ連訪問を延期すると語った。またシアヌークが北京で,「タイが認めれば,中国はカンボジアに武器を渡せる」と発言したことについて,シアヌークの言うことを聞いてはならない,タイは中立政策を堅持する,タイが他国と軍事協定を結ぶ可能性はしばらくないと語った。 |
DIA-204-1979-01-09-2 | タイ | 1979年01月09日 | 1970年代 | 国籍不明機侵入-軍部筋によると,国籍不明のミグジェット機2機がカンボジアからタイ領内へ侵入し,Burapha Phayak基地近くの畑に2発の爆弾を投下。 |
DIA-204-1979-01-10-1 | タイ | 1979年01月10日 | 1970年代 | イエンサリがタイ領通過要求-ポルポト政権側はタイ側役人をポイペトに招き,キュー・サムファンとイエン・サリが第3国へ出国するにあたって,タイ領を通過する許可を求める書簡を渡した。 |
DIA-204-1979-01-11-1 | タイ | 1979年01月11日 | 1970年代 | イエン・サリ出国-ポイペトからタイ軍のヘリコプターでドンムアン空港に飛び,タイ航空機で香港に向った。一行は女,子供を含む11人。 |
DIA-204-1979-01-11-2 | タイ | 1979年01月11日 | 1970年代 | クリアンサク首相談-カンボジアのポル・ポト体制は非常に近い将来,完全に敗北するだろう。しかし,ポル・ポトやキュー・サムファンが第3国に政治亡命するとは考えられない。 |
DIA-204-1979-01-12-1 | タイ | 1979年01月12日 | 1970年代 | ASEAN緊急外相会議。 |
DIA-204-1979-01-13-1 | タイ | 1979年01月13日 | 1970年代 | 中国,タイにポル・ポト支援要求-華国鋒主席は訪中したスントン副首相と会談し,カンボジアへのベトナムの侵略に対して中国と共に協力することを要請。 |
DIA-204-1979-01-13-2 | タイ | 1979年01月13日 | 1970年代 | タイ高官カンボジアへ?-カーテンで窓を覆った1台を含む7台の車が12日午後9時にカンボジア領内に入り,13日午前1時に戻ってきた。クメールルージュ高官と3時間会談している。 |
DIA-204-1979-01-14-1 | タイ | 1979年01月14日 | 1970年代 | クメール兵流入-300人以上のクメール・ルージュ(大部分負傷兵)が12日にポイペトに到着,2日間の交渉後,タイは入国を許可した。 |
DIA-204-1979-01-14-2 | タイ | 1979年01月14日 | 1970年代 | クリアンサク首相談-ASEAN各国はタイが侵略されればタイを援助する準備が出来ている。カンボジアからの外国軍の即時完全撤退が無視されたら,ASEANは次に続く手段を持っている。 |
DIA-204-1979-01-15-1 | タイ | 1979年01月15日 | 1970年代 | ベトナムが首相宛親書-ベトナムのPhan Trong Tue通信相がタイを訪問し,ファン・バン・ドン首相の親書をクリアンサク首相に渡した。スウィット副スポークスマンによると,1978年9月の共同声明のすべての点を順守するとのドン首相の保証が述べられている。Tue通信相は,ベトナムはカンボジアに何回か交渉を呼びかけたが無視されたと語った。ク首相はタイの中立方針を説明し,カンボジアの新政権を承認するかどうかは時間をかけると伝えた。 |
DIA-204-1979-01-15-2 | タイ | 1979年01月15日 | 1970年代 | 60品目を価格統制-暴利取締委員会は,豚,牛,水牛,砂糖ミルク,セメント,丸棒,釘等11品目に公定最高価格を設定,26品目について生産・販売調整実施,23品目について生産原価と販売価格を当局に報告を求めると発表。16日から実施。 |
DIA-204-1979-01-16-1 | タイ | 1979年01月16日 | 1970年代 | クリアンサク首相訪日-一行60人。出発前の談話で以下のように述べた。政府はベトナムに対して,ベトナム軍をタイ国境に派遣しないよう告げた。ドン首相のメッセージは,共同声明を守ることを約束している。カンボジア情勢はそれほど重大でなくなったと思う。クメール・ルージュの負傷兵は治療をしたあとカンボジアに返す。カンボジア問題ではタイは中立であり,クメール・ルージュへの武器輸送の基地または中継地として利用されていない。 |
DIA-204-1979-01-17-1 | タイ | 1979年01月17日 | 1970年代 | クリアンサク・大平会談-第1回会談。カンボジア情勢を中心に意見を交換。ク首相が地図を広げてカンボジアの戦況を説明し,さらに,共産主義の脅威に対抗する自由世界の前戦であるタイに経済援助を増やすよう要請,日本の対ベトナム援助は,対タイ援助よりも良い条件となっていると指摘した。クリアンサク首相はこの後,経団連など5団体共催の懇談会に出席し,日本の農産物輸入拡大と,重工業,天然ガス等資源開発への投資増大を求めた。またナーム商相と江崎通産相の会談で,2億ドルの円借款協議成立。ナーム商相は貿易不均衡是正のため,農産物や衣料品等の輸入拡大を要請した。また日本は輸入促進使節団を3月に派遣すると伝えた。 |
DIA-204-1979-01-17-2 | タイ | 1979年01月17日 | 1970年代 | 政党法草案-政党としての最低要件は,発起人15人,党員2000人以上。 |
DIA-204-1979-01-17-3 | タイ | 1979年01月17日 | 1970年代 | 中国と原油輸入契約-先週,スントン副首相と中国側との間で,5年間480万トン(原油450万トン,ハイ・スピード・ディーゼル・オイル27.9万トン)の協定成立。 |
DIA-204-1979-01-17-4 | タイ | 1979年01月17日 | 1970年代 | 木製品輸入禁止-木材密輸取締強化のため。 |
DIA-204-1979-01-17-5 | タイ | 1979年01月17日 | 1970年代 | 米輸出規制-パット貿易局長は,17日からJoint Export Schemeを適用と発表。米穀輸出協会が輸出米の下限価格を設定し,500トン以上の輸出は協会による価格と割当量を守ること,また海外の業者との契約に成功した業者に対しては契約量の10%を割当て,残り90%はプールして,過去3年間の実績に基づいて各業者に割当てる等の内容となっている。 |
DIA-204-1979-01-17-6 | タイ | 1979年01月17日 | 1970年代 | 農業振興計画-ユック農業振興局長は,1979年を農民の年とする政策に沿って,3443のプロジェクトを準備していると語った。1640は乾季,1803は雨季に実施。 |
DIA-204-1979-01-17-7 | タイ | 1979年01月17日 | 1970年代 | タイの安全で米大統領が警告-カーター米大統領はワシントンでの記者会見で,カンボジア紛争が隣接するタイの安全を脅かすことを望まないとしてソ連やベトナムに対して警告し,中国もタイに強い支持を与えていると強調,2月クリアンサク首相が訪米する際に,タイの安全,平和への米国の関心を保証すると語った。 |
DIA-204-1979-01-18-1 | タイ | 1979年01月18日 | 1970年代 | クリアンサク首相記者会見-タイは,カンボジア紛争については厳正中立を維持する。新政権を承認するか否かは,新政権が国民の支持を得ているかどうか詳細に検討してから決定する。もしタイ領が外国軍隊によって侵略されたら,我々は全面的に抵抗する。カンボジア情勢は周辺諸国の深い関心事であるが,過渡な警戒は必要ない。タイは東南アジアの安定と平和の条件づくりに可能な最大限の努力をする。ASEAN首脳会議の前に閣僚レベルの会議を持つが,日本政府が参加できるよう話をすすめたい。日本は東南アジアの経済発展だけではなく,平和と安定を促進する上でも極めて重要な役割を持っている。 |
DIA-204-1979-01-18-2 | タイ | 1979年01月18日 | 1970年代 | 第2回クリアンサク・大平会談-クリアンサク首相は,日本の対ベトナム援助に慎重な配慮を要請。タイに対する460億円の円借款供与を盛りこんだ共同声明を発表。円借款は,第6次分390億円(第5次325億円),第7次分70億円で,このうち両年度140億円が農村開発に充てられる。条件は金利年3.25%と変わらないが,償還期間を30年(据置10年)と今までの25年(同7年)より緩和する。またクリアサンク首相は,タイに流入しているインドシナ難民への日本の援助を要請した。 |
DIA-204-1979-01-18-3 | タイ | 1979年01月18日 | 1970年代 | 日・タイ共同声明発表-要旨は①カンボジアの情勢に深い懸念を表明。民族自決,内政不干渉の原則と国連憲章に基づく平和的方法によって平和と安定の回復を希望。大平首相はASEAN外相会議共同声明を支持。②インドシナ難民問題で日本はタイの負担軽減と有効な解決のために協力する。③円借款490億円供与。 |
DIA-204-1979-01-19-1 | タイ | 1979年01月19日 | 1970年代 | クリアンサク首相帰国記者会見-バンコクのベトナム大使館が出した声明(「ベトナムは東南アジアの独立,自由,平和,中立,繁栄地帯設立について,ASEAN諸国と個別または集団的討議を持つ用意がある」)については,現在の情勢はベトナムとASEAN諸国間のいかなる話合いも認められない。タイはカンボジア紛争で中立を維持する。ファン・バン・ドン首相がバンコク訪問時の決意(内政不干渉とゲリラ不支持)を捨てないよう希望している。日本の大平首相もASEANの要求を支持している。カーター米大統領の発言はタイ国民の士気を大いに高揚させた。私が東京で発言したという「カンボジア新政権が次に東北タイを狙っている」との発言は誤報である。 |
DIA-204-1979-01-19-2 | タイ | 1979年01月19日 | 1970年代 | クメール兵流入-スリン県で300人のクメール・ルージュが18日に流入。 |
DIA-204-1979-01-20-1 | タイ | 1979年01月20日 | 1970年代 | 米国に兵器の早期引渡要請,クリアンサク首相談-2月の訪米で,カンボジア紛争によるタイの安全の問題を協議,カーター米大統領からタイに対する保障を求める。その他,経済,貿易,投資問題も話し合う。タイが米国から買う兵器(F5E迎撃機16機,曲射砲,戦車,小火器等)の引渡しを急ぐよう要請する。 |
DIA-204-1979-01-21-1 | タイ | 1979年01月21日 | 1970年代 | タイ・中航空協定-プラシット副運輸相によると,先週中国代表団がバンコクに到着,航空協定の作業で合意に達した。早ければ79年年央からバンコクと北京の直行便を運航開始する。 |
DIA-204-1979-01-21-2 | タイ | 1979年01月21日 | 1970年代 | 共産ゲリラ衰退か-第2軍区高官によると,カンボジア紛争でタイ人ゲリラSiem Organizationは,クメール・ルージュから避難場所や,弾薬,必需物資の供給を得られなくなり,後退している。1月に入って既に約30人の投降者が出ている。なお第2軍区では,タイ共産党の073作戦地域と言われるウドン,ノンカイ,カラシン,ウボンで大規模な掃討作戦を展開している。 |
DIA-204-1979-01-22-1 | タイ | 1979年01月22日 | 1970年代 | 米国が兵器即時引渡保証,クリアンサク首相談-米国は,もし情勢が要求するなら,即座に兵器をタイに渡すと保証してきた。ウタパオ基地を米軍向けに再開することはない。政治的・経済的援助とスピィーディな兵器供給が自立を助ける。今後年に5~6大隊増員し,20大隊を拡充する。政府は共産ゲリラに対する絶え間ないキャンペーンの開始を命令した。我々はゲリラが最近静かなのは何故かも調べようと努力している。外国軍はタイ国境に近づいていない。ファン・バン・ドン首相に手紙を出し,彼の約束に感謝の意を伝えた。 |
DIA-204-1979-01-22-2 | タイ | 1979年01月22日 | 1970年代 | ベトナムと通商航海条約締結。 |
DIA-204-1979-01-23-1 | タイ | 1979年01月23日 | 1970年代 | 米国,タイ向け兵器売却増-バンコクの米大使館が発表。現行2400万ドルに600万ドルを追加。これはクリアンサク首相の要請に応えたもの。 |
DIA-204-1979-01-24-1 | タイ | 1979年01月24日 | 1970年代 | 3紙発禁処分-モンチャィ警察局長発表。カンボジア戦争の報道が誇張しすぎているとの理由で,Daily Mirror, Siang Puangchon, Tawan Siamのタイ語紙3紙を発禁,Daily News紙には警告処分を行なった。 |
DIA-204-1979-01-25-1 | タイ | 1979年01月25日 | 1970年代 | ベトナム難民送還交渉無期延期-ベトナム側の要請によるもの。 |
DIA-204-1979-01-25-2 | タイ | 1979年01月25日 | 1970年代 | 借款プロジェクト-プラウィット大蔵省金融財政部長発表。日本からの円借款プロジェクト79年分は以下の通り。①新農村開発計画7.35億バーツ ②アユタヤ土地改革事業1400万バーツ ③農村電化計画7.4億バーツ ④バンナー~タールア間高速道路6.4億バーツ ⑤首都圏水道公社上水道改良計画8.86億バーツ ⑥ドンムアン空港の補修と拡張5.8億バーツ ⑦農業・農業協同組合銀行の農業金融4億バーツ ⑧発電プラントバージのタンカー購入1.2億バーツ。 |
DIA-204-1979-01-26-1 | タイ | 1979年01月26日 | 1970年代 | クメール・ルージュを送還-武装解除を拒否した200人をカンボジア領内に押し返した。 |
DIA-204-1979-01-28-1 | タイ | 1979年01月28日 | 1970年代 | 造船に年2億バーツ援助-政府は今後5~8年の間,毎年2億バーツ援助する。投資委員会から奨励を受けた企業を対象とし,額は資本金の80%以下とする。 |
DIA-204-1979-01-30-1 | タイ | 1979年01月30日 | 1970年代 | 選挙法国会通過-31日公布。 |
DIA-204-1979-01-30-2 | タイ | 1979年01月30日 | 1970年代 | 中国でホテル建設-チャートチャーイ・チュンハワンAmherst社社長は,タイの建設会社が中国でホテルを建設することに,中国側が合意したと発表した。6カ所で,うち1カ所はチベットに建設。 |
DIA-204-1979-01-30-3 | タイ | 1979年01月30日 | 1970年代 | 石油製品値上げ発表-政府はガソリン,灯油,ディーゼル油,燃料油8品目の小売価格を9.2%~17.2%値上げすると発表。31日から実施。消費者物価に与える影響は,上昇率を1.2%押し上げると計算されている。 |
DIA-204-1979-01-31-1 | タイ | 1979年01月31日 | 1970年代 | 奢侈品8品目輸入禁止解除-78年2月から禁止されていた18品目中,ぶどう,旅行用品,ふかのひれ,ジュース,カレンダー等8品目の輸入禁止が解除された。これはIMFの特別引出権を利用するため。 |
DIA-204-1979-01-31-2 | タイ | 1979年01月31日 | 1970年代 | 発電公社に補助金-カセム工業相は,9月末まで現行電力料金を維持するため,石油基金から約3億バーツを補助金として発電公社(EGAT)に与えると発表。 |
DIA-204-1979-02-01-1 | タイ | 1979年02月01日 | 1970年代 | 首相一行,英米訪問に出発-クリアンサク首相一行57人が出発。17日まで。首相は出発前に次のように語った。今年の枠4000万ドルの兵器を米国に発注する。これにはF5E戦闘爆撃機は含まれていない。すでに発注した兵器の引渡しを早めるよう要請する。経済協力について米国側と協議する。カンボジア情勢の意見交換も行なう。中国がポル・ポト派に送っている武器はタイ領を通過していないし,カンボジアに帰ったイエン・サリもタイを通過していない。 |
DIA-204-1979-02-01-2 | タイ | 1979年02月01日 | 1970年代 | 反共法改正案成立-新法の骨子は,①共産主義容疑者拘留は最高480日(刑事訴訟法では84日)。②当局は何時,何如なる人物,物件に対しても捜査できる。③共産主義取締り責任者として,総司令官,県司令官,地区司令官をおく。今回特に地区司令官の権限が大幅に強化され,検閲,出版禁止の権限を持つ。④従来の38県の共産主義浸透地域の指定は解除。 |
DIA-204-1979-02-01-3 | タイ | 1979年02月01日 | 1970年代 | 移民法改正成立-①移民割当を年間100人とする。②一時滞在者を従来の5種から12種の分類に細分し,滞在期間を個別に定める。 |
DIA-204-1979-02-02-1 | タイ | 1979年02月02日 | 1970年代 | 首相英国訪問-キャラハン英首相と会談。キャラハン首相は英国がタイ及びASEANとの関係を重視していることを強調。クリアンサク首相は,東南アジアにおけるベトナムの意図について懸念を表明。また国連で東南アジアにおけるベトナムの政策が再度取上げられるときは,英国が全面的に支持するとの約束をとりつけた。 |
DIA-204-1979-02-03-1 | タイ | 1979年02月03日 | 1970年代 | スーム国軍司令官談-如何なる国であれ,タイを通ってカンボジアに武器を輸送することは認めない。政府はクメール・ルージュの聖地提供を拒否する。中国船がタイ領海内に入るのは,タイと中国間に貿易関係があるのだから異例ではない。しかし中国船がタイ領海を通ってクメール・ルージュに武器を供給していることはない。 |
DIA-204-1979-02-04-1 | タイ | 1979年02月04日 | 1970年代 | 首相米国訪問。 |
DIA-204-1979-02-04-2 | タイ | 1979年02月04日 | 1970年代 | 社会民主党結成-社会党と社会主義戦線が合同。党首にソムキット,書記長にクレウを選出。 |
DIA-204-1979-02-05-1 | タイ | 1979年02月05日 | 1970年代 | ラオス政府代表団訪タイ。 |
DIA-204-1979-02-06-1 | タイ | 1979年02月06日 | 1970年代 | カーター・クリアンサク会談-歓迎式典でカーター米大統領は,「米国はタイの領土と安全に強い関心を持ち,深く関っている。双務的,多角的なコミットメントはマニラ協定に基づいている」と強調した。クリアンサク首相は,「東南アジアの平和と安定がまだ樹立されていないことは残念である。タイはすべての挑戦に対して立上る。東南アジアにおける米国の活発かつ建設的役割を歓迎する。我が政治的・経済的発展を達成しようとするなら,米国の存在は重要である」と述べた。その後約1時間半首脳会談が行なわれた。カーター大統領は米国のタイへのコミットメントを再確認した。またタイの麻薬およびインドシナ難民問題について話し合った。さらに夕食会の席上でカーター大統領は,ベトナム戦争終了後米軍がタイのコーラート基地に貯蔵している1130万ドル相当の弾薬をタイに無償で譲渡するため,米議会の承認を得ることを約束した。この弾薬は2年前に8.5億バーツでタイが米軍から買い取ったものの未払分にあたる。 |
DIA-204-1979-02-07-1 | タイ | 1979年02月07日 | 1970年代 | 米・タイ共同新聞声明発表-要旨は,①両国首脳はアジア及び東南アジアの最近の情勢,両国政府による地域の平和と安定追求の努力について議論した。②米国はタイの領土保全を支援する。マニラ条約における米国のコミットメントが引続き有効であることを確認する。③米国はタイへの兵器援助を迅速化し,79年度のタイ向け対外軍事借款を増額する。タイ側の新たな要請を検討する。1130万ドル相当の弾薬無償引渡しを米議会に要請する。④インドシナ難民への援助 ⑤麻薬取締りについての両国の協力。 |
DIA-204-1979-02-07-2 | タイ | 1979年02月07日 | 1970年代 | クリアンサク首相,記者会見-世銀はタイ向けの借款を今後3年間年額3億ドルから5億ドルに引上げるだろう。これは世銀のマクナマラ総裁が約束した。カーター大統領は,カンボジアの戦闘がエスカレートしてタイの安全が脅やかされた場合には,米国は確固たる行動をとると繰り返し強調した。軍事援助は米国兵器の供給増以外は期待していない。外国の軍隊や飛行機のタイ領内への導入は求めない。我々が欧州や米国に求めているのは自分達を守る手段である。自分で国の安全を守ることが出来ると確信している。カンボジアのポル・ポト派ゲリラへの支援物資が中国からタイ領へ送りこまれているという件については,中国がそのような要請を行なってはいるが,許可するかどうかは私が行なう。正式にはまだ許可していない。 |
DIA-204-1979-02-07-3 | タイ | 1979年02月07日 | 1970年代 | ゲリラ基地攻撃-ピン第4軍区司令官は,空軍機がヤラー県サダウ部のゲリラ基地を爆撃し,爆弾500発を投下したと発表した。これは2月4日から開始されたマレーシアとの合同ゲリラ掃討作戦(暗号名792Alfa)の一環で,パッタルン,スラータニー,ソンクラー県でも作戦遂行中。タイ軍がNam Kang山に迫り,マレーシア軍はベトンでゲリラの退路を断つ。 |
DIA-204-1979-02-07-4 | タイ | 1979年02月07日 | 1970年代 | 総合製鉄所構想宙に浮く-Siam Motor Groupがスポンジ・アイアン工場のみ単独に建設すると決定(総額30億バーツ)したため,タイの「鉄鋼王」Chamni氏が総合製鉄所建設計画(総額170億バーツ)から手を引くと発表した。 |
DIA-204-1979-02-07-5 | タイ | 1979年02月07日 | 1970年代 | 農業金融-中銀発表。市中銀行の農業向け融資額目標を1980年には,79年末預金残高の15%(農業向け13%,アグロインダストリー向け2%)に引上げる。80年以後は15%に固定。79年の目標額は,13%,204.71億バーツで,内訳は農業向け11%,173.21億バーツ,アグロ・インダストリー向け2%,31.49億バーツで,需要推定251.4億バーツの70%を満たせる。78年は目標143.87億バーツ,内訳は農業向け117.71億バーツ,アグロ・インダストリー向け26.16億バーツで,実績は各194.88億バーツ,136.75億バーツ,58.13億バーツであった。 |
DIA-204-1979-02-08-1 | タイ | 1979年02月08日 | 1970年代 | 首相,国連事務総長と会談。 |
DIA-204-1979-02-08-2 | タイ | 1979年02月08日 | 1970年代 | タイ・ラオス貿易協定締結-総額10億バーツ。タイが供与する1億バーツの借款については,ラオス側が無利子を望んだため合意できなかったが,1年以内に借款による買付けを始めることで合意した。貿易活動のためタケク等5地点を一時的に開く。ラオスへKrung Thai Bankより500万バーツの借款供与。 |
DIA-204-1979-02-10-1 | タイ | 1979年02月10日 | 1970年代 | シアヌーク発言を否定-中国の武器がタイを通ってカンボジアのポル・ポト派ゲリラに渡されているとのシアヌーク元カンボジア国家元首の発言について,米国訪問中のタイ政府高官はこれを否定し,タイは域内の如何なる紛争に対しても一方に荷担せず,他国の国内問題に干渉しないと述べた。 |
DIA-204-1979-02-10-2 | タイ | 1979年02月10日 | 1970年代 | 共産ゲリラ基地攻撃-第4軍区当局者は,スラータニーとナコンシータマラートの共産ゲリラを攻撃し,50人を殺し,3つの基地を破壊した,米軍機がスラータニーのバーンナサーンとカーンチャナディットを爆撃していると報告。また第4軍区広報官は,タイ共産党が最近南部で第4回党大会を開き,政府と闘う7項目の方針を決定したと語った。 |
DIA-204-1979-02-10-3 | タイ | 1979年02月10日 | 1970年代 | プレーム副内相米国訪問から帰国-米国がタイ軍の火力増強のため5000万ドルの兵器売却を認めた(今年度2000万ドルの増加)ことを確認。 |
DIA-204-1979-02-11-1 | タイ | 1979年02月11日 | 1970年代 | タイ人ゲリラ-第2軍区高官によると,カンボジアの戦争で食料や武器を得られなくなった約1200人のタイ共産ゲリラが,タイに戻るチャンスを待っている。約1000人がスリン県とウボン県の近くに,残り200人は散在しており,その多くは76年10月以降に参加した中部や東北部の学生である。他に約2000人のタイ人農民が拉致され,洗脳教育を受けているという。この学校はSchool 61, March 8 School, October 6 School, School 03, School 81, May 1 School, Headquarters 303の7校。 |
DIA-204-1979-02-12-1 | タイ | 1979年02月12日 | 1970年代 | 中国の圧力-タイ高官及び西側筋がAP通信に述べたところによると,中国は公式,非公式に,中国からカンボジアへの武器輸送タイ領通過を認めるよう圧力をかけている。中国はサタヒープ海軍基地の使用を要求した。最近陸路からの供給の必要性を強調している。シアヌークは先週,中国側がポル・ポト派ゲリラの武器供給にタイの港を使うことを保証したと語った。 |
DIA-204-1979-02-13-1 | タイ | 1979年02月13日 | 1970年代 | 中国兵器のタイ領通過説否定-タイ軍高官は,中国は武器や弾薬をカンボジアのコン島からポル・ポト派に供給しており,タイ領を通過していないと語った。 |
DIA-204-1979-02-14-1 | タイ | 1979年02月14日 | 1970年代 | 軍の徴兵10%増-プレーム陸軍司令官は,軍の5カ年計画に基づき,今年は10%増の8万人を徴募すると語った。3月から開始する。今年の陸軍の予算は90億バーツで,50億バーツを兵器購入にあてる。 |
DIA-204-1979-02-14-2 | タイ | 1979年02月14日 | 1970年代 | スントン副首相米国訪問から帰国-クリアンサク首相一行は,米国で暖かい歓迎を受け,政治・軍事・経済協力の面で満足すべき成果を得た。米国の投資家はタイへの投資に多大の関心を寄せた。世銀も第4次5カ年計画のプロジェクトに5億ドルの借款を原則的に認めた。 |
DIA-204-1979-02-18-1 | タイ | 1979年02月18日 | 1970年代 | クリアンサク首相,記者会見-カーター米大統領はタイの招請を受けて,多分6月にタイを訪問する。カーターは,米国がタイと同じく他のASEAN諸国の自由と安全にコミットしており,域内の平和と安定は維持されるだろうとのASEAN各国首脳へのメッセージを私に託した。今回の英米訪問では,貿易,投資の面での協力と共に,タイに対する軍事的政治的援助が約束された。キャラハン英首相は,タイが発注したスコーピオン戦車や他の近代兵器の引渡しを早めることを約束し,さらに難民援助で700万ポンド供与に合意した。またタイ国際航空のDC10に代わるBoeing747型機のロンドン乗入れに原則的に合意し,EC諸国へのタイ製品の輸出にも好意的な回答を得た。マクナマラ世銀総裁はタイの農業・農村開発計画の詳細について協議するため3月に訪タイする。世銀は農村開発への低利融資を,米国のビジネスマンはタイへの投資に関心を表明した。米国政府は兵器の早期引渡しと対外武器売却(FMS)の増加を約束した。 |
DIA-204-1979-02-19-1 | タイ | 1979年02月19日 | 1970年代 | 中国のベトナム侵攻について-クリアンサク首相談。ASEAN5カ国は20日に,インドシナ紛争に対する中立政策と,関係諸国に対して平和的手段による問題解決を要請する声明を出す。ASEANの立場は18日にインドネシア外相によって宣言された。声明では,他の国を侵略したすべての外国軍の撤退を求める。 |
DIA-204-1979-02-19-2 | タイ | 1979年02月19日 | 1970年代 | マレーシア首相訪タイ-チェンマイで首脳会談を行う。大陸棚及びインドシナ紛争が主要議題。 |
DIA-204-1979-02-19-3 | タイ | 1979年02月19日 | 1970年代 | ブルガリア貿易使節団一行訪タイ-21日に貿易合同委員会設置,79年貿易目標額1億バーツの覚書調印。 |
DIA-204-1979-02-20-1 | タイ | 1979年02月20日 | 1970年代 | タイ・マレーシア首相会談-両国の領海主張がオーバーラップしているタイ湾地域の天然ガス,原油販売の利益を均等に分けあうことで合意。 |
DIA-204-1979-02-21-1 | タイ | 1979年02月21日 | 1970年代 | タイ・マレーシア大陸棚海底資源共同開発-期間50年の了解覚書に調印。共同事業対象面積は,ナラティワート県(タイ)とトレンガヌ州(マレーシア)の沖合2058km2。またタイ・マ両国首脳は,スガイコーロック川開発技術委員会設置に合意。共同声明を発表し,インドシナからの全外国軍隊の撤退,大国は紛争をエスカレートさせるような行動をやめることを要求。 |
DIA-204-1979-02-21-2 | タイ | 1979年02月21日 | 1970年代 | 中国の立場説明-張駐タイ中国大使は,中国はポル・ポト軍への物資通過をタイに要求していない。そうすることはタイに困難をもたらすからと語った。 |
DIA-204-1979-02-21-3 | タイ | 1979年02月21日 | 1970年代 | 世銀援助増加-スントン副首相談。世銀は今後10年間のタイの経済社会開発の青写真作りに協力するため,専門家を派遣してくる。マクナマラ世銀総裁は,今後3年間タイ向け借款を年3億ドルから5億ドルに引上げること,第2世銀借款も33万ドルから5000万ドルに引上げることを努力すると約束した。 |
DIA-204-1979-02-23-1 | タイ | 1979年02月23日 | 1970年代 | 全国の政治的集会禁止を解除。 |
DIA-204-1979-02-23-2 | タイ | 1979年02月23日 | 1970年代 | ユーゴ貿易代表団訪タイ-Metod Rotar貿易相一行。26日貿易協定調印。 |
DIA-204-1979-02-26-1 | タイ | 1979年02月26日 | 1970年代 | タイ・マレーシア農業協力協定締結。 |
DIA-204-1979-02-26-2 | タイ | 1979年02月26日 | 1970年代 | 警察官が座りこみ-バンケンの首相邸で1667人の警察曹長が少尉のポスト増加を要求して1日中座り込んだ。モンチャイ警察長官が警察少尉のポストを800に増やすことを約束した後解散。 |
DIA-204-1979-02-27-1 | タイ | 1979年02月27日 | 1970年代 | 首相・米国務次官補会談-クリストファー米国務次官補は,バンコクに4時間立寄り,クリアンサク首相とインドシナ情勢を討議,また米国の関心とタイの安全へのコミットメントを再確認したカーター米大統領のメッセージを手渡した。 |
DIA-204-1979-02-27-2 | タイ | 1979年02月27日 | 1970年代 | 石油節約対策-政府はすべての官庁の冷房禁止を決め,民間にも協力を呼びかけた。 |
DIA-204-1979-02-28-1 | タイ | 1979年02月28日 | 1970年代 | クリアンサク首相談-インドシナ紛争はタイの安全に重大な脅威とならない。タイは国連憲章を厳守する。紛争はこれ以上エスカレートしないだろう。 |
DIA-204-1979-02-28-2 | タイ | 1979年02月28日 | 1970年代 | 石油政策批判-タイ工業協会代表は,タイのエネルギー危機は確固たる長期的石油政策の欠如と,政府の近視眼的行動の結果である,国内石油精製能力の拡張,石油備蓄,原油供給交渉など以前からの懸案がまだ未解決のままであると政府を批判。 |
DIA-204-1979-03-01-1 | タイ | 1979年03月01日 | 1970年代 | カンボジアの非難を否定-クリアンサク首相は,中国からポル・ポト軍への武器,食料供給のタイ領経由をタイ政府が認めているとの非難について,その事実はないと否定し,逆にタイはカンボジア国境での武器密輸取締りを強化していると述べ,また,インドシナの紛争はまだタイの安全に影響していないと語った。 |
DIA-204-1979-03-01-2 | タイ | 1979年03月01日 | 1970年代 | ラオス代表団訪タイ-Thongsawad Kaikampithoum副首相府相一行4人。カイソン首相からのメッセージ携行。経済協力,ナムグム・ダムからの電力供給料金について協議する。 |
DIA-204-1979-03-01-3 | タイ | 1979年03月01日 | 1970年代 | 電力カット計画-発電公社は,石油節約対策(官庁・公企業の冷房停止,テレビ放映時間とネオンサイン点灯時間短縮,電圧低減)が予期したほどの効果がなければ,首都や各県の電力カットを行うと発表。 |
DIA-204-1979-03-01-4 | タイ | 1979年03月01日 | 1970年代 | カンボジア難民増加-過去4日間に801人の難民が流入してきた。 |
DIA-204-1979-03-02-1 | タイ | 1979年03月02日 | 1970年代 | 石油不足対策-カセム工業相は,石油製品の出荷価格をシンガポール並みに引上げると発表。インドネシアはタイに原油4万トンを供給すると約束。総理府は電力節約を国民に呼びかけ。 |
DIA-204-1979-03-04-1 | タイ | 1979年03月04日 | 1970年代 | ビルマのネ・ウィン大統領訪タイ。 |
DIA-204-1979-03-04-2 | タイ | 1979年03月04日 | 1970年代 | カンボジア兵タイ領を攻撃-午前8時頃,アランヤプラテート郡クローンルーク地区に2部隊約200人のカンボジア兵がポイペト方面から侵入,1隊はタイの警察署,1隊は村落を攻撃した。タイ空軍機がタイ領であることを告げると,11時頃カンボジア領に戻った。最高司令部副広報局長は,この侵入は意図的なものではなく,ポイペトでの戦闘の延長で誤ってタイ領内に入ったものである,ヘン・サムリン軍かポル・ポト軍かはわからない,ベトナム軍との確認は出来ないと語った。 |
DIA-204-1979-03-04-3 | タイ | 1979年03月04日 | 1970年代 | 投票ボイコット呼びかけ-ウタイ元国会議長ら旧民主党グループ100人は,現行憲法が非民主的であるとの理由で4月22日の総選挙ボイコットを呼びかけた。 |
DIA-204-1979-03-04-4 | タイ | 1979年03月04日 | 1970年代 | 日本の輸入促進使節団訪タイ。 |
DIA-204-1979-03-05-1 | タイ | 1979年03月05日 | 1970年代 | 米政府タイに戦闘機売却と発表-F5戦闘機18機(1億ドル)を売却する方針を発表。 |
DIA-204-1979-03-05-2 | タイ | 1979年03月05日 | 1970年代 | 総選挙立候補受付開始。 |
DIA-204-1979-03-06-1 | タイ | 1979年03月06日 | 1970年代 | タイ・ビルマ共同声明発表-貿易,通信,麻薬一掃,関税,移民対策,漁業会談,密輸取締り,科学技術の分野で協力を拡大する。国境問題で協力する。 |
DIA-204-1979-03-06-2 | タイ | 1979年03月06日 | 1970年代 | 79年工業団地計画-工業団地公社発表。79年の投資額20億バーツ。緊急計画として,①ソンクラー,1500ライ,3億バーツ ②レーム・チャバン,3700ライ,8.8億バーツ,うち1000ライは輸出加工区 ③ラート・ガバン,1700ライ,4億バーツ,うち120ライは輸出加工区,78年から着工。他にコンケイ,チェンマイまたはラムプーンに建設する予定で調査中。なお工業団地法は3月1日に国会で成立。 |
DIA-204-1979-03-06-3 | タイ | 1979年03月06日 | 1970年代 | 日本の輸入促進使節団を批判-Ah-ram Kotikulaタイ工業協会監事は,日本代表団は真剣にタイ製品を買おうとか,長期的に貿易収支を是正しようとしていない,備準不足が明白であると非難。 |
DIA-204-1979-03-08-1 | タイ | 1979年03月08日 | 1970年代 | 日本が4億バーツ買付け-日本の輸入使節団は,今後6カ月以内に4億バーツのタイ産品買付け協定に調印。 |
DIA-204-1979-03-09-1 | タイ | 1979年03月09日 | 1970年代 | 中国原油購入増-クリアンサク首相は,中国の李強対外貿易相(7~14日タイ訪問)と会談。中国はタイ向け原油を60万トンから80万トンに増加することに合意。タイは米10万トン,緑豆2万トンを中国へ輸出。 |
DIA-204-1979-03-09-2 | タイ | 1979年03月09日 | 1970年代 | 石油節約対策-スントン副首相は,13日の閣議でレストランと映画の深夜営業禁止,テレビ放映は10時半で打切りを提案すると語った。また,クリアンサク首相は,いくつかの県で石油不足となっており,これは不足を恐れての買だめによる,スラータニーでは漁船の操業に影響が出ていると語った。 |
DIA-204-1979-03-09-3 | タイ | 1979年03月09日 | 1970年代 | ククリット元首相談-(於外人記者クラブ)クリアンサクは首相の地位を維持するだろうが,その内閣は弱体かつ不安定なものとなり,平和と秩序を維持できまい。クリアンサクが失敗した後のベスト・チョイスは私だ。クリアンサクの人間的弱みは支持者にノーと言えないことだ。「軍部の介入」は3年前とかなり変った。近代的精神の若い人が実戦部隊をコントロールしている。連立政権の苦い経験から,過半数をとらなければ私は首相にならない。 |
DIA-204-1979-03-09-4 | タイ | 1979年03月09日 | 1970年代 | カンボジア国境緊張-ポル・ポト軍がポイペト奪還作戦に出るとの予想から,カンボジア国境でタイ軍は戦車を出して警戒態勢をとった。 |
DIA-204-1979-03-10-1 | タイ | 1979年03月10日 | 1970年代 | マレーシアが石油供給-カセム工業相は,マレーシアが1日1万バレルをタイに供給すると約束したと発表。クリアンサク首相は,ソ連も原油供給を申し出ており,訪ソ時に詳細を検討すると語った。 |
DIA-204-1979-03-10-2 | タイ | 1979年03月10日 | 1970年代 | ベトナムの非難を否定-クート島をポル・ポト軍への軍需物資輸送に利用しているとのベトナムの非難に対し,海軍は内外80人のジャーナリストをクート島に案内してこの非難を否定する説明を行った。 |
DIA-204-1979-03-12-1 | タイ | 1979年03月12日 | 1970年代 | 新農村開発計画-クリアンサク首相は,5月から開始する計画の概要を発表。東北部,北部,南部の28県4000村を重点に選び,3カ年計画で44億バーツ投資(14億バーツは日本の援助)する。すでに首相を長とする国家農村開発庁を設置した。計画は,①生産と所得の増大のため,政府は肥料,種子,殺虫剤を配給,また家畜飼育と家内工業奨励。予算は12.3億バーツ ②農村のインフラ開発として,井戸4500カ所,電気441村,運河900km,および道路改良,予算22.3億バーツ ③農民団体,主婦グループの訓練,職業開発センター150カ所建設,予算9.4億バーツ。 |
DIA-204-1979-03-14-1 | タイ | 1979年03月14日 | 1970年代 | 3精油所拡張承認-石油対策について閣議で,TORC, Esso, Summit3社の精油所拡張を承認。TORCには政府が資本参加する。ディーゼル油値上げは見送り。すでに中国原油3.3万トンとインドネシア原油1.3万トンは到着。Shell, Cartexからの特別輸入は15日に到着する。なおディーゼル油不足緩和と投機防止のため,政府は備蓄(2.6億l)から1億lの放出を検討している。 |
DIA-204-1979-03-14-2 | タイ | 1979年03月14日 | 1970年代 | ラオス副通産相訪タイ。 |
DIA-204-1979-03-15-1 | タイ | 1979年03月15日 | 1970年代 | イランへ商相派遣-国家石油政策委員会は,ナーム商相をイランに派遣し,石油確保についてイラン新政権と協議することを決定。 |
DIA-204-1979-03-15-2 | タイ | 1979年03月15日 | 1970年代 | 米輸出制度に反対-米穀輸出業協会は1月に実施したRice Joint Export Schemeが,事実上のカルテルであること,市場拡大意欲を失なわせること,また新参業者に対して不公平になるとの理由から反対を表明。 |
DIA-204-1979-03-16-1 | タイ | 1979年03月16日 | 1970年代 | クリアンサク首相一行,マレーシア訪問-ソ連訪問の前にASEAN首脳と意見調整のため。ペナンでフセイン・オン首相と会談し,インドシナ紛争,難民問題,国境地帯共産ゲリラ掃討合同作戦,石油購入等について協議。 |
DIA-204-1979-03-17-1 | タイ | 1979年03月17日 | 1970年代 | 首相,インドネシア,シンガポール訪問-メダンでスハルト大統領と,シンガポールでリークアンユー首相とインドシナ紛争について会談。 |
DIA-204-1979-03-19-1 | タイ | 1979年03月19日 | 1970年代 | ゲリラ指導者投降-軍高官筋によると,2月初めからすでに約50人のゲリラ指導者の投降が相次いでおり,ゲリラの内部は動揺,分裂している。投降者の中には,10万バーツの最高の懸賞金がかけられていたChin Chonchitr及びその息子のSuphachaiがいる。Chitrの投降は20日にプレーム陸軍司令官も確認。 |
DIA-204-1979-03-20-1 | タイ | 1979年03月20日 | 1970年代 | 立候補者暗殺さる-ペッブリー県で社会行動党の候補者と護衛の3人が帰宅途中,約20人の殺し屋(M16ライフル銃使用)によって射殺された。 |
DIA-204-1979-03-21-1 | タイ | 1979年03月21日 | 1970年代 | 首相,ソ連訪問-モスクワでコスイギン首相らが出迎え,ブレジネフ書記長,コスイギン首相との首脳会談は22,23日。 |
DIA-204-1979-03-21-2 | タイ | 1979年03月21日 | 1970年代 | 燃料油再値上げ-ナーム商相発表。原油輸入価格値上りのため,燃料油3種を1l当り各0.04バーツ値上。 |
DIA-204-1979-03-21-3 | タイ | 1979年03月21日 | 1970年代 | ラオス副農業灌漑相訪タイ。 |
DIA-204-1979-03-21-4 | タイ | 1979年03月21日 | 1970年代 | 金融調整措置発表-サノ中央銀行総裁は金融逼迫緩和の調整措置を発表。①国債の買戻し市場を新設,②譲渡可能預金証書発行③外国資金借入れの負担軽減,国内貯蓄動員の対策をたてる。 |
DIA-204-1979-03-21-5 | タイ | 1979年03月21日 | 1970年代 | 中立の立場強調-クリアンサク首相は,クレムリン官殿での歓迎夕食会の演説で次のように述べた。タイ政府と国民は厳正中立の立場を維持し,現在の紛争の一方に荷担することはしない。タイの国境に近い,または隣接する諸国間の軍事的行動から生じたインドシナの情勢を憂慮している。タイは紛争の拡大を望まない。これは地域全体への重大な脅威である。……ソ連とタイは平和への共通の努力,友好と協力強化の願いで結ばれていると深く確信している。 |
DIA-204-1979-03-22-1 | タイ | 1979年03月22日 | 1970年代 | タイ・ソ連首脳会談-クリアンサク首相は,ブレジネフ書記長と約1時間会談,東南アジア情勢,貿易促進,科学技術協力の可能性について協議した。ベトナムとカンボジアからの外国軍隊撤退を求めるASEAN提案は話題とされていない。会談後クリアンサク首相はタイ人記者団に次のように語った。ブレジネフ書記長に対して,タイはヘン・サムリン政権がカンボジア国民の支持を得ていることを我々が確かめるまでは同政権を承認しないと告げた。承認は一方に肩入れするようなものである。我々は中立を望んでいる。承認決定前に他のASEAN諸国と協議するだろう。タイは近隣諸国に外国軍がいるのを望まない。これは中立,独立,内政不干渉を保持するタイの政策の一部である。タイはポル・ポトを支援していない。モスクワは今やこのことを良く理解している。ASEANについて,経済協力ブロックとしてソ連が承認する見通しは明るくなった。ソ連はASEAN諸国との個別の関係を促進するだろう。コスイギン首相の訪タイを招請した。 |
DIA-204-1979-03-22-2 | タイ | 1979年03月22日 | 1970年代 | 南部のゲリラ掃討戦-国内治安維持司令部によると,2月9日から3月15日までに,ゲリラの投降104人,戦死34人,負傷10人,逮捕19人,また36のキャンプを破壊した。 |
DIA-204-1979-03-22-3 | タイ | 1979年03月22日 | 1970年代 | 農業開発プロジェクト-国家経済社会開発庁は,総額200億バーツのプロジェクト35を発表。内訳は社会的サービスと農業生産関係20,農産物価格補助金6,農業金融3,農業機関強化1,生産向上2,農民雇用関係2(資料参照)。 |
DIA-204-1979-03-24-1 | タイ | 1979年03月24日 | 1970年代 | 南部に立入禁止区域-第4軍区司令部は,南部8県の山岳ジャングル地帯を共産ゲリラ掃討作戦のための立入禁止地区に指定。ナコンシータマラート,スラータニー,パッタルン,トラン,ソンクラー,ヤラー,パッターニー,ナラーティワートの8県。なおChitr Chongchitrの投降後さらに幹部のChalerm BoriphanとChitrの妻が投降条件について当局に接触している模様。 |
DIA-204-1979-03-25-1 | タイ | 1979年03月25日 | 1970年代 | タイ・中国海運協定調印(5年)。 |
DIA-204-1979-03-25-2 | タイ | 1979年03月25日 | 1970年代 | 米輸出制度改正-年初に実施したRice Joint Export Schemeは業界からの批判が強いため廃止。自由貿易制にすることが発表された。但し1000トン以上の輸出は事前承認が必要。 |
DIA-204-1979-03-27-1 | タイ | 1979年03月27日 | 1970年代 | 選挙運動員暗殺-ロッブリーで社会行動党の運動員暗殺される。 |
DIA-204-1979-03-27-2 | タイ | 1979年03月27日 | 1970年代 | 南部のディーゼル油不足深刻化。 |
DIA-204-1979-03-27-3 | タイ | 1979年03月27日 | 1970年代 | ラオスとの交易地点増設-閣議でナコンパノム等4地点開設することを承認。 |
DIA-204-1979-03-28-1 | タイ | 1979年03月28日 | 1970年代 | クリアンサク首相帰国談-ソ連指導者は,ベトナムがタイを侵略するのは不可能だと保証した。タイはハノイの攻撃を恐れる必要はない。東南アジアを平和地帯とすることでは合意したが,その平和をどのように維持するかでは相違。ソ連はタイの中立・友好政策を評価した。タイはベトナム,ラオス,カンボジアが自主的な独立国であることを望むと伝えた。ソ連はASEANが軍事機構でないことに留意し,ASEANとの関係を改善することを認めた。コスイギン首相はタイ訪問の要請を受けた。モスクワからの帰途インドに寄り,デサイ首相とインドシナ問題やASEANの姿勢を説明した。インド洋漁業合弁企業設立協定に合意した。(タイ・ソ連共同声明は27日に発表) |
DIA-204-1979-03-28-2 | タイ | 1979年03月28日 | 1970年代 | OPEC原油値上げへの対策-ナーム商相は石油企業6社に,在庫から毎日1300万lを直接ガソリンスタンドへ放出するよう命令。国家石油政策委員会は緊急会議で,石油節約策立案のための作業委員会を任命。今回の値上げでタイの石油輸入額は約23億バーツ増加する見込み。 |
DIA-204-1979-03-30-1 | タイ | 1979年03月30日 | 1970年代 | 石油対策-閣議で石油の買占め等投機行為,近隣諸国への密輸出を行う者に対して,憲法第200条による大権発動の権限を首相に付与すること,また石油製品,特にディーゼル油の流通に監督を強めることを決定した。なおサノ中銀総裁は,石油輸入額は3年以内に500億バーツをこえ,貿易収支,国際収支に大きな打撃を与える,エネルギー消費を削減する手段が必要であると語った。クリアンサク首相は,ブンチャイ副首相を長とする石油不足防止委員会の設置を命じた。 |
DIA-204-1979-03-30-2 | タイ | 1979年03月30日 | 1970年代 | 石油の投機・密輸防止対策を閣議で決定-①警察と軍に,石油を運ぶすべてのトラックと船の抜き打ち検査を行う権限を与える。4月1日から実施。②100l以上の高速ディーゼル油,または200l以上の低速ディーゼル油を備蓄している者は3日以内に国内通商局に報告すること。③各ガソリン・スタンドはトラックまたは乗用車1台に20l以上給油してはならない。但し農業用は100lまで,漁業,工業,その他石油依存のビジネス関係は通常の給油を受けられる。 |
DIA-204-1979-04-01-1 | タイ | 1979年04月01日 | 1970年代 | ラオスのカイソン首相一行訪タイ。 |
DIA-204-1979-04-02-1 | タイ | 1979年04月02日 | 1970年代 | クリアンサク・カイソン会談-約5時間にわたる会談後,クリアンサク首相は,国境全域を平和地帯とすることで合意し,その実現方法について協議した,ラオス側はタイにいるラオス難民で帰国を希望する者を引取ることに合意,将来交易地点を増設すると会談内容を語った。 |
DIA-204-1979-04-02-2 | タイ | 1979年04月02日 | 1970年代 | 石油投機防止策-3月30日の政策一部変更。ディーゼル油配給量,投機防止等9項目の対策。 |
DIA-204-1979-04-04-1 | タイ | 1979年04月04日 | 1970年代 | タイ・ラオス共同声明発表-両国国境地帯を平和・友好地帯とすること,国境地帯を利用する反政府分子を抑圧する対策をとる等で合意。しかしタイがラオスに供与する1億バーツ借款の利子,およびラオスからの電力購入価格は決まらず,調印直前に声明から削除された。 |
DIA-204-1979-04-04-2 | タイ | 1979年04月04日 | 1970年代 | ディーゼル油不足-バンコクでは3日にガソリンスタンドが販売停止。4日には,中部各県では不足からl当り6バーツの闇値となり,農業に影響が出ている。 |
DIA-204-1979-04-05-1 | タイ | 1979年04月05日 | 1970年代 | 第24回タイ・マレーシア国境合同委員会-タイからクリアンサク首相兼国防相が出席。軍事面では,ゲリラ共同鎮圧,経済面ではバーンラーン・ダム,クローク川開発計画,国境地帯海底資源共同検討委員会に協力することで合意。なおピン第4軍区司令官は,共産ゲリラはジャングルの奥深く逃げ込み,補給路はタイ・マレーシア軍が断っているので,抵抗は長く続かない,合同軍は深追いせず,包囲してゲリラが出てくるのを待っていると語った。 |
DIA-204-1979-04-07-1 | タイ | 1979年04月07日 | 1970年代 | カンボジアから兵士越境-ポイペト周辺の激戦で6日にアランヤプラテートへ,ヘン・サムリン軍兵士174人が,7日にトラート県ボー・ライへ,ポル・ポト軍兵士約700人が避難してきた。 |
DIA-204-1979-04-07-2 | タイ | 1979年04月07日 | 1970年代 | 石油消費10%節約-クリアンサク首相発表。このために石油配給制,灯火管制,ガソリン・スタンドの特定日営業禁止等の措置を取る予定。 |
DIA-204-1979-04-07-3 | タイ | 1979年04月07日 | 1970年代 | ナコンサワンで社会農業党運動員2人暗殺さる。 |
DIA-204-1979-04-08-1 | タイ | 1979年04月08日 | 1970年代 | ジア・バングラデシュ大統領訪タイ(8~10日)。 |
DIA-204-1979-04-09-1 | タイ | 1979年04月09日 | 1970年代 | カンボジア国境アランヤプラテート厳戒体制。 |
DIA-204-1979-04-10-1 | タイ | 1979年04月10日 | 1970年代 | 国境警察増強-来年度4000人増員。今年度は1500人。1974年から死傷者が増加しているため。共産ゲリラとの武力衝突件数,国境警察の死者,負傷者数は,74年90,54,43,75年142,70,185,76年144,87,189,77年298,135,125,78年244,195,229。 |
DIA-204-1979-04-10-2 | タイ | 1979年04月10日 | 1970年代 | タイ・バングラデシュ共同声明発表。 |
DIA-204-1979-04-10-3 | タイ | 1979年04月10日 | 1970年代 | スントン副首相サウジアラビアへ。 |
DIA-204-1979-04-11-1 | タイ | 1979年04月11日 | 1970年代 | ポル・ポト軍兵士1000人越境-ブリラム及びアランヤプラテートへ約1000人。食糧,医療を与えた後戦闘地点から南に移動させてカンボジアへ送り返した。 |
DIA-204-1979-04-11-2 | タイ | 1979年04月11日 | 1970年代 | 石油確保-カムチャット政府スポークスマンは,石油各社が1日1300万lのディーゼル油供給を誓約したと発表。ナーム商相は中国に電報を打ち,月平均原油6万トン,ディーゼル油2万トンの供給を,4月から10万トン,3万トンに増加するよう要請した。 |
DIA-204-1979-04-12-1 | タイ | 1979年04月12日 | 1970年代 | ポル・ポト兵再び越境-アランヤプラテートの南30~50kmの地点に兵士2000人と難民1000人流入。 |
DIA-204-1979-04-14-1 | タイ | 1979年04月14日 | 1970年代 | ポル・ポト軍高官越境要請-トラート県ボーライで代表4人がタイ政府に,高官300人の越境許可を求めてきた。 |
DIA-204-1979-04-14-2 | タイ | 1979年04月14日 | 1970年代 | 輸入原油横流し-クリアンサク首相は,サウジアラビアから購入している日量10万バレルの一部をシンガポールに流している企業について,スントン副首相の帰国後調査すると語った。 |
DIA-204-1979-04-15-1 | タイ | 1979年04月15日 | 1970年代 | カンボジア国境に立入禁止区域-カンボジアからの難民流入を阻止するため,アランヤプラテートから南方50kmのKlong Hardまでの地域を立入禁止区域に指定して,地雷を埋める。 |
DIA-204-1979-04-16-1 | タイ | 1979年04月16日 | 1970年代 | 銑鉄輸入禁止解除。 |
DIA-204-1979-04-17-1 | タイ | 1979年04月17日 | 1970年代 | ベトナムへの米5万トン売却協定調印。 |
DIA-204-1979-04-18-1 | タイ | 1979年04月18日 | 1970年代 | 外国製タバコ輸入一時禁止。 |
DIA-204-1979-04-18-2 | タイ | 1979年04月18日 | 1970年代 | 立法議会政党法審議打切り決定。 |
DIA-204-1979-04-19-1 | タイ | 1979年04月19日 | 1970年代 | 武器輸送報道禁止-最高司令部ソム情報局長は,中国がタイ領を経由してカンボジアのポル・ポト軍に武器を輸送しているとの報道は事実ではないので,ニュースを流すことをやめるよう新聞に警告。 |
DIA-204-1979-04-19-2 | タイ | 1979年04月19日 | 1970年代 | マレーシアから原油緊急輸入-協定に調印。19日以内に15万バレルのミリ原油を輸入する。 |
DIA-204-1979-04-19-3 | タイ | 1979年04月19日 | 1970年代 | カンボジア難民5000人流入-タープラヤ郡。タイ側の説得を無視して500mタイ領内に入りこんだ(22日にカンボジア領内に戻る)。 |
DIA-204-1979-04-20-1 | タイ | 1979年04月20日 | 1970年代 | 負傷ポル・ポト軍兵士600人越境-アランヤプラテート。寺に収容され,国際赤十字による手当を受けている。 |
DIA-204-1979-04-21-1 | タイ | 1979年04月21日 | 1970年代 | 2万人が流入-ポル・ポト兵8000人,難民1万2000人がアランヤプラテートの南18kmの地点に流入。国境から100m以内のタイ領を通って南に10km以上移動。タイ軍はポル・ポト軍の武装解除はせず,領内迂回を黙認した。 |
DIA-204-1979-04-22-1 | タイ | 1979年04月22日 | 1970年代 | 上院議員225人を任命-内訳は,陸軍113人海軍37人,空軍35人,警察8人,民間32人。国家政策評議会のメンバーは,入閣候補とみられる7人を除いて全員上院議員となった。民間人の中ではジャーナリストや労働界からは選ばれていない。上院議員任命にあたって首相が相談した相手は,レック内相とプレーム陸軍司令官の2人だけ。 |
DIA-204-1979-04-22-2 | タイ | 1979年04月22日 | 1970年代 | 下院議員選挙-投票率は43.54%。最高はヤソートン県の77.11%,最低はバンコクの19.45%。地域別には,東北部53.33%,北部47.94%,南部42.04%,東部37.83%,中部36.59%,議席総数301。126選挙区。選挙結果は,社会行動党83議席,タイ国民党38,民主党32,タイ人民党32,自由正義党21,国家人民党13,新勢力党8,社会農業党,民主行動党各3,タイ統一党2,その他3,無所属63。社会民主党の当選者がなかったことから新議会は保守派ですべて占められた。首都のバンコクでは民主党を脱退したサマック元内相のタイ人民党が32議席中29議席を獲得,民主党はピチャイ元外相が落選,タナット元外相1人の当選にとどまった。他の2議席は社会行動党の党首ククリットとカセム幹事長が占めた。地方ではカセー新勢力党党首が落選。地盤としたバンコクでの敗北が明らかになった後,セーニー民主党党首は,6カ月以内に引退するつもりだったが政界にとどまることを発表した。またククリット社会行動党党首は,バンコクでの民主党の敗北はタイの新聞の敗北でもある,新聞のサマック非難が彼とタイ人民党への同情をもたらしたと語った。なお社会行動党は第一党となったが目標とした過半数獲得には遠く及ばなかっ |
DIA-204-1979-04-23-1 | タイ | 1979年04月23日 | 1970年代 | カンボジアの兵士・難民が大移動-タイに越境してきたカンボジアのポル・ポト軍兵士及び民衆約4万人が,武装したタイ兵士に護衛されながら国境沿いに南へ大移動を開始した(25日発表で5~8万人に増加)。ベトナム軍及びヘン・サムリン軍がいない地域まで移動してカンボジア領に戻す予定。アランヤプラテート周辺に2.5万人,カンボジアのパイリン近くのタイ領に1.5万人が越境してきた。なおアランヤプラテート郡当局は,タイ人がカンボジア人と連絡や交易を行なうこと,金をとって越境を助けることを禁止,また戦闘が起きた場合は国境から2km以内の立入禁止,およびアランヤプラテートからKlong Hardまでの国境沿いの道路から5km迄を立入禁止とした。 |
DIA-204-1979-04-24-1 | タイ | 1979年04月24日 | 1970年代 | 組閣の用意-クリアンサク首相は下院議員の支持グループと会談後,プラシット副運輸相(自由正義党副党首)を通じて,新内閣組閣の意向を発表した。 |
DIA-204-1979-04-25-1 | タイ | 1979年04月25日 | 1970年代 | インドシナ難民数-内務省発表。3月末の登録難民数は14万5243人,ラオス人12万9313人,カンボジア人1万4263人,ベトナム人1667人。その他に掌握していない難民が約5万人いるとみられる。 |
DIA-204-1979-04-26-1 | タイ | 1979年04月26日 | 1970年代 | 外国軍隊の侵入に警告-クリアンサク首相は,タイはカンボジアと接する東部国境への外国軍隊の如何なる侵入に対しても,軍事的報復措置をとると警告し,またポル・ポト軍の撤退を助けるためにタイがカンボジア領を砲撃したとのベトナムの非難を全く根拠がないものとして否定した。ポル・ポト軍及び難民のタイ領内移動はなお続いている。アランヤプラテート周辺の農民は,難民の移動で約2300ライのメイズ畑が破壊されたと郡に告訴した。 |
DIA-204-1979-04-29-1 | タイ | 1979年04月29日 | 1970年代 | 外国借款利子支払いへの課税一時停止-大蔵省と中央銀行は金融逼迫打開の対策のひとつとして,外国からの資金導入を進めるため,市中銀行が外国から借り入れた資金への利子支払いにかかるwithholding tax(10%)課税を5月から9月末迄停止することを決定。 |
DIA-204-1979-04-30-1 | タイ | 1979年04月30日 | 1970年代 | ポル・ポト軍と難民カンボジア領へ-タイに越境してチャンタブリー県ポーンナムローンに移動してきた兵士と難民約5万人は,ポル・ポト軍の移動命令でカンボジア領内に戻った。クリアンサク首相は記者会見で,ヘン・サムリン政府は過剰反応を示しており,タイは,最近バンコクに向けられた警告をこわがってはいない,カンボジアは小国にすぎないと述べると共に,国連がカンボジア問題を解決する努力をすること,国際赤十字が難民援助に乗り出すことを訴えた。 |
DIA-204-1979-05-02-1 | タイ | 1979年05月02日 | 1970年代 | 民主党幹部総辞職-ピチャイ副党首は選挙戦略に失敗し,4月22日選挙で敗北した責任をとって中央委員全員の辞任を発表。(26日タナット・コーマン元外相を新党首に選出) |
DIA-204-1979-05-03-1 | タイ | 1979年05月03日 | 1970年代 | バンコク市,停電の危機-2カ月前の石油危機からやがてはタイ発電公社が停電に踏み切る段階が来ると思われていたが,今日にもバンコク市はその危険があると発電公社幹部発表。 |
DIA-204-1979-05-03-2 | タイ | 1979年05月03日 | 1970年代 | 石油会社,石油不足緩和を約束-サミットとエッソの両石油会社は石油不足を緩和し電力カットを防ぐため早急に処置すると約束。 |
DIA-204-1979-05-06-1 | タイ | 1979年05月06日 | 1970年代 | 農民生活水準改善策発表-クリアンサク首相は農民の生活水準向上のため2つの対策を発表。第1は,農民に栽培技術を教育し農業生産性を向上させる。さらに,化学肥料を援助するかもしくは市場価格より低価格で供給する。第2は,一年中農業用水が利用できるようにするため灌漑設備を充実させる。現在,灌漑面積は耕地の15%強であるが,緊急プロジェクトとして続けると首相が語る。 |
DIA-204-1979-05-07-1 | タイ | 1979年05月07日 | 1970年代 | 中国,軍事援助を誓約-「タイがベトナムに侵略されれば中国はタイを援助する」と中国の宋之光外務次官補,北京訪問中のフランス人記者団に語る。 |
DIA-204-1979-05-09-1 | タイ | 1979年05月09日 | 1970年代 | 上院,下院の議長,副議長決まる-上院:議長ハリン・ホンサクン,第1副議長カモン・デーチャトウンカ,第2副議長サノン・トゥチンダー 下院:議長ブンテン・トーンサワット(社会行動党),第1副議長モンコン・スコンタカチヨン(タイ国民党),第2副議長ティエム・チャイナン(民主党), |
DIA-204-1979-05-09-2 | タイ | 1979年05月09日 | 1970年代 | 首相,国際赤十字と難民問題を協議-クリアンサク首相は国際赤十字の運営支配人Jean Pierre Hocke氏と会談した。首相は,国際赤十字のタイにおける難民援助努力に喜んで協力するが,難民問題の管理と運営はタイ当局によってなされなければならないと語った。 |
DIA-204-1979-05-10-1 | タイ | 1979年05月10日 | 1970年代 | インドシナ難民数発表-国軍最高司令部情報局がインドシナ紛争以来79年4月15日までのタイに逃れてきたインドシナ難民数を発表した。難民収容所人数:14万4972人(ラオス人12万4350,カンボジア人1万4149,ベトナム人1474)ボートピープル:3728人 ランドピープル:185人 第3国へ出発した難民:8万9412人 第3国へ出発を待っている難民:1501人 非合法入国カンボジア人:3017人(5月5日まで) |
DIA-204-1979-05-11-1 | タイ | 1979年05月11日 | 1970年代 | クリアンサクを首相に指名-社会行動党(88議席),タイ国民党(42議席),タイ人民党(32議席)が国会招集の正規の手続きがなされていないとして出席をボイコットしたが,クリアンサク氏は過半数の263票を上回る311(上院210,下院101)票を獲得し,首相に指名された。12日,国王により任命された。 |
DIA-204-1979-05-11-2 | タイ | 1979年05月11日 | 1970年代 | ラージヤー・ファイナンスの監視チーム結成-経営困難に陥ったラージヤー・ファイナンス社に対し,公共の利益と通貨制度秩序維持のためマネージメントチームを結成しコントロールすると大蔵大臣発表。 |
DIA-204-1979-05-13-1 | タイ | 1979年05月13日 | 1970年代 | ワルトハイム国連事務総長訪タイ-ワルトハイム氏はバンコクに到着するとすぐアランヤプラテートのカンボジア難民センターを視察,彼らの運命を「人類の大悲劇」と語った。 |
DIA-204-1979-05-13-2 | タイ | 1979年05月13日 | 1970年代 | 首相,カンボジア難民に国際的援助訴える-首相は,ワルトハイム国連事務総長を招いた席上で,「タイのカンボジア難民問題はタイ国だけでは解決できない問題であり国際的援助が必要である。インドシナ難民を永久的な避難民とみなければならない」と語り,先進国の一層の努力を訴えた。 |
DIA-204-1979-05-14-1 | タイ | 1979年05月14日 | 1970年代 | 首相,ワルトハイム国連事務総長と会談-両氏はタイのインドシナ難民問題について会談。クリアンサク首相―タイにおけるインドシナ難民問題は国内問題であり経済,社会,国家安全の見地から考えなければならない。国連はタイのインドシナ難民対策を決定する権利はなく,我々は我々のやり方で難民問題を処理する。ワルトハイム事務総長―難民は母国を出国する権利を有しており,すべての国が逃れてきた人たちを受け入れ歓迎する義務がある。 |
DIA-204-1979-05-16-1 | タイ | 1979年05月16日 | 1970年代 | 世銀に援助増額を要請-訪タイしたマクナマラ世銀総裁は,クリアンサク首相が要請したタイへの長期無利子融資増額(現行の3000万ドルから5000~7000万ドル)を検討することを約束した。 |
DIA-204-1979-05-16-2 | タイ | 1979年05月16日 | 1970年代 | 侵略されれば戦う-友好国とは戦うことはないが,侵略されれば応戦さぜるをえないとクリアンサク首相語る。 |
DIA-204-1979-05-20-1 | タイ | 1979年05月20日 | 1970年代 | 住民,政府の難民対策に抗議-チャンタブリ及び近隣の住民約1,000人がカンボジア難民のタイ流入に抗議。抗議の人々は,政府のインドシナ難民への扱いが手ぬるいと批判,もしインドシナ難民がこのままタイ領土にとどまるならば国家の安全に重大な危機となろうと警告。 |
DIA-204-1979-05-22-1 | タイ | 1979年05月22日 | 1970年代 | ASEAN,タイを支持-ベトナム軍10個師団がタイ―カンボジア国境沿いのカンボジア領内に配置されたことに関連して,ASEANはハノイに対して合同外交政策を考えることになろうとASEAN幹部語る。 |
DIA-204-1979-05-23-1 | タイ | 1979年05月23日 | 1970年代 | 国境ニュース報道を一本化-タイ―カンボジア国境におけるすべてのニュースはこの目的のために設立される情報センターを通してのみ発表されることになるであろうと政府筋語る。情報センターは,国境状況に関して国民及び外国に知らせる絶対的責任を有し,タイに対する他国からの批判に対して敏速な対応をするためのものと説明されている。また,いかなる報道関係者も指定軍事地域に入ることはできず,外国人通信員は「情報収集制限区域」に入るには外務省の事前許可が必要となった。 |
DIA-204-1979-05-24-1 | タイ | 1979年05月24日 | 1970年代 | 第2次クリアンサク内閣成立-総選挙から1カ月強,クリアンサク氏が首相に任命されてから13日たって,第2次クリアンサク内閣閣僚メンバーが発表された。(閣僚名簿は後掲資料参照) |
DIA-204-1979-05-24-2 | タイ | 1979年05月24日 | 1970年代 | ユーゴのVidoje Zarkovic副大統領訪タイ。 |
DIA-204-1979-05-27-1 | タイ | 1979年05月27日 | 1970年代 | 石油不足緩和計画-政府は,中国および中東から石油供給によって石油不足を緩和する計画をたてる。中国はすでに今月から少なくとも1カ月当り7万トンの石油供給を約束している。また,サミット石油会社も中東からの原油供給を2倍にするよう依頼している。 |
DIA-204-1979-05-28-1 | タイ | 1979年05月28日 | 1970年代 | アメリカから緊急援助-アメリカはタイの難民援助として100万ドルの緊急援助をおこなうと米国大使語る。クリアンサク首相は一週間の予定で帰国するアブラモーイッツ米国大使に「アメリカが財政面だけでなく難民受け入れの面でも援助してくれることをタイは望んでいる」とカーター大統領に伝えてほしいと頼む。 |
DIA-204-1979-05-29-1 | タイ | 1979年05月29日 | 1970年代 | 対ベトナム政策修正-政府は施政方針起草のため特別閣議を開いたが,カンボジアにおけるベトナムの役割に対する政策が最重点課題となっている。会議における新しい決定は公表されなかったが,アルン副外相によるとタイの外交政策は国家の防衛のために修正される。 |
DIA-204-1979-05-31-1 | タイ | 1979年05月31日 | 1970年代 | 米価格安定策発表-乾期米の籾米価格を1トン当り2500バーツに安定するように財政援助を行なうと政府発表。この最低価格によって農民が20%の利益を得ることを政府は期待している。 |
DIA-204-1979-06-02-1 | タイ | 1979年06月02日 | 1970年代 | 相互不可侵協定必要なし-クリアンサク首相とベトナムのグエン・コ・タク外務次官との会談で,タイ―ベトナム相互不可侵協定は必要なしという合意に達した。この会談の中で首相は次のように語った。タイとベトナムは国境を接しておらず両国ともお互いに侵略する意志はない。それゆえもし両国が相互不可侵協定を結べばそれは極めておかしなことになる。また,難民問題はタイの重要問題であり政府は人道上の見地から最善を尽くす。 |
DIA-204-1979-06-02-2 | タイ | 1979年06月02日 | 1970年代 | 第2次クリアンサク内閣施政方針-第2次クリアンサク内閣施政方針草案議会に提出。第1次内閣によって採用されたものとほとんど同じであるが経済の向上が強調されている。具体的には,富裕者と貧困層の所得水準ギャップ縮小,都市と地方の人口調整,農業団体の助成,農業信用拡張,土地改良促進,農業生産性向上,を目指している。目標は,農業および工業の開発,外国投資誘致,失業の解消,バーツの安定に向けられている。 |
DIA-204-1979-06-03-1 | タイ | 1979年06月03日 | 1970年代 | ボート難民を海上封鎖-政府は,難民流人を阻止するため,ベトナムからのボート難民を乗せた船を封鎖するように海軍に命令。 |
DIA-204-1979-06-04-1 | タイ | 1979年06月04日 | 1970年代 | 政府施政方針発表-クリアンサク首相が施政方針声明を発表。国家の安全と主権の確保とともに,国際社会が人道上の見地から難民問題解決に大きな責任を果すように政治的,外交的努力をおこなうと強調している。難民問題が施政方針に含まれたのはタイ国史上はじめてである。外交政策では他のASEAN諸国との共同促進が強調されている。国防は,軍隊,警察,自発的市民軍の増強,タイ国防衛のため戦時体制としていることが注目される。 |
DIA-204-1979-06-05-1 | タイ | 1979年06月05日 | 1970年代 | 選挙法改正-選挙法17条,18条が差別的であるとして政治家,国民から強い批判を受けていたが,内閣は選挙法を修正すると発表。17条,18条は,外国人の両親をもつタイ国籍者は高等教育と財政基盤を備えたものだけが投票できるというものであった。内閣は今後の選挙ではすべての国民が投票できるように選挙法を修正すべきであることを認め,内務大臣に修正草案作成を命じた。 |
DIA-204-1979-06-06-1 | タイ | 1979年06月06日 | 1970年代 | ソビエトに難民問題救済を要請-ウパディット外務大臣は,難民問題は国際問題でありいかなる国も難民問題に取り組むべきだと語り,ソビエトに難民問題救済のためタイへの援助をソビエト駐タイ大使に要請。 |
DIA-204-1979-06-07-1 | タイ | 1979年06月07日 | 1970年代 | 世銀,3大プロジェクト援助-バンコク・ポストによれば,世銀幹部と都市開発局長とのさきごろの会談で,世銀は,東海岸経済資源開発,バンコク市外地域開発,地方都市センター,の3大プロジェクトに数百万バーツの資金援助を誓約。 |
DIA-204-1979-06-08-1 | タイ | 1979年06月08日 | 1970年代 | カンボジア難民に厳しい対策-カンボジア難民問題は政府では解決できない問題にまでなっており,到着する難民はすべて国境沿いの安全なカンボジア領内に追い返すとクリアンサク首相が語った。即日,タイ軍は7,000人以上のカンボジア難民をバス100台以上に分けて護送し,カンボジア領内へ強制送還をおこなった。バンコクの軍事情報筋は,アランヤプラテート,タープラヤ郡に逃れてきた約3万人のカンボジア人は,トラックで東北部に運ばれ安全地域を通ってカンボジア領内へ追い返すと語った。なお政府は難民直接援助を申し出た国際機関や民間諸団体の提案をすべて拒否した。 |
DIA-204-1979-06-08-2 | タイ | 1979年06月08日 | 1970年代 | 侵略されればシンガポール援助-クリアンサク首相と,リー・クァン・ユー・シンガポール首相会談。クリアンサク首相は,必要時にはASEAN諸国はお互いに軍事援助を行なうと語った。リー首相は,タイが侵略されればシンガポールはタイを援助すると約束。 |
DIA-204-1979-06-08-3 | タイ | 1979年06月08日 | 1970年代 | ヘン・サムリン政権に対する態度表明-シッテイ国防会議事務局長が,社会行動党のカセム氏の質議に対し,タイはヘン・サムリン政権を認める最後の国となろうと答えた。これは,ヘン・サムリン政権に対するタイ政府の態度を表明したものである。 |
DIA-204-1979-06-09-1 | タイ | 1979年06月09日 | 1970年代 | 7万8000人の難民追い出し-政府は7万8000人のカンボジア難民を母国カンボジアへ強制送還する計画であると軍事筋語る。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は,8日までのカンボジア難民数は,アランヤプラテートに5万人,チャンタブリとトラートに3万人と推定している。 |
DIA-204-1979-06-09-2 | タイ | 1979年06月09日 | 1970年代 | カンボジア国境に精鋭師団-政府は,カンボジア紛争のタイへの波及防止に備え,バンコク首都圏に配置している陸軍第一機甲師団をタイ―カンボジア国境へ投入決定。 |
DIA-204-1979-06-11-1 | タイ | 1979年06月11日 | 1970年代 | 海外の批判に反論-国際赤十字のカンボジア難民強制送還批判に対し,クリアンサク首相は次のように語った。これは我々の問題であり,カンボジア難民強制送還は国家利益を守るためになされたものである。国際赤十字代表による批判はタイの苦しみと要求を理解していない意見である。 |
DIA-204-1979-06-11-2 | タイ | 1979年06月11日 | 1970年代 | 石油節約対策導入を決定-石油消費を5~10%近く削減するため,政府は7月早々にも大規模な石油節約対策の導入を決定したと政府筋語る。 |
DIA-204-1979-06-11-3 | タイ | 1979年06月11日 | 1970年代 | マレーシア,軍事援助惜しまず-マハティル・マレーシア副首相が次のように語った。タイが侵略されればそれはマレーシアの安全を脅かすものであり,マレーシアはタイに軍事援助をおこなうであろう。 |
DIA-204-1979-06-11-4 | タイ | 1979年06月11日 | 1970年代 | タイ共産党分裂-タイ語紙『マティチョン』はタイ共産党が分裂,ベトナム支持派が新党設立準備と報道。 |
DIA-204-1979-06-12-1 | タイ | 1979年06月12日 | 1970年代 | ポル・ポト首相に親書-クリアンサク首相がカンボジアのポル・ポト首相へ次のような親書を送った。「タイ政府が強制送還した数万人のカンボジア難民の安全を保障するのは君たちの義務である」。なお第1次(8日~12日)に強制送還したカンボジア難民の数は3万6000人。 |
DIA-204-1979-06-12-2 | タイ | 1979年06月12日 | 1970年代 | クリアンサク首相,中国に中国系カンボジア難民受け入れ要請。 |
DIA-204-1979-06-14-1 | タイ | 1979年06月14日 | 1970年代 | 第2次カンボジア難民強制送還-今週中にも第2次カンボジア難民強制送還を実施と国軍筋語る。 |
DIA-204-1979-06-15-1 | タイ | 1979年06月15日 | 1970年代 | 難民問題会議開催地にバンコク-英国が提案した国連主催によるインドシナ難民問題を協議する特別国際会議を是認し,開催地にバンコクを提供するとクリアンサク首相発表。 |
DIA-204-1979-06-15-2 | タイ | 1979年06月15日 | 1970年代 | 米国,武器供給スピードアップ-米国はタイとのすべての契約を守り,マニラ協定にもとづきタイへの武器輸出をスピードアップするとAbramowitz米国大使語る。 |
DIA-204-1979-06-16-1 | タイ | 1979年06月16日 | 1970年代 | 3副首相の担当決定-タウイ…外務省,交通通信省,大学庁。スーム…国防省,内務省,科学・技術省。ソムポップ…法務省,文部省,厚生省。 |
DIA-204-1979-06-16-2 | タイ | 1979年06月16日 | 1970年代 | ワルトハイム,緊急メッセージ-ワルトハイム国連事務総長から,人道上の見地よりカンボジア難民を一時的にタイにとどめてほしいという緊急メッセージ。 |
DIA-204-1979-06-18-1 | タイ | 1979年06月18日 | 1970年代 | カンボジア難民対策に新たな判断-もし第3国がカンボジア難民の受け入れを保証すれば,タイはカンボジア難民の強制送還を中止するとクリアンサク首相語る。難民送還済4万2986人,未送還4万3888人。 |
DIA-204-1979-06-20-1 | タイ | 1979年06月20日 | 1970年代 | 米国,ベトナムに警告-ベトナムのタイ侵略計画との報道に対し,カンボジアのベトナム軍がタイ国境を侵入することはタイとの防衛契約上,米国にとっても重大なことであると米国がベトナムに警告。 |
DIA-204-1979-06-21-1 | タイ | 1979年06月21日 | 1970年代 | 第2次カンボジア難民強制送還中止-米国が1121人のカンボジア難民を引き受けると約束したことから,16日から始まった第2次カンボジア難民強制送還を一時的に中止。なお米国は他国にも難民を受け入れるように説得。 |
DIA-204-1979-06-23-1 | タイ | 1979年06月23日 | 1970年代 | イエン・サリ副首相,タイ経由して帰国-イエン・サリカンボジア副首相がバンコクに到着,タイ軍のヘリコプターでカンボジアに戻った。 |
DIA-204-1979-06-25-1 | タイ | 1979年06月25日 | 1970年代 | 学生,ベトナム大使館に抗議-総合大学,単科大学の18校から学生代表者が集まりベトナム大使館に抗議。学生たちは①インドシナでの軍事行動を中止せよ,②インドシナ難民の責任をとれ,という要求書を大使館側に手渡そうとしたが,ベトナム大使館側が拒否したため読みあげた。 |
DIA-204-1979-06-25-2 | タイ | 1979年06月25日 | 1970年代 | 西独のゲンシャー外相訪タイ。 |
DIA-204-1979-06-26-1 | タイ | 1979年06月26日 | 1970年代 | 1980年度財政予算案-内閣,80年度財政予算案(1090億,前年比18.5%増)を承認。農民の年と提唱している農業政策と,難民問題等に直面していることから国家安全に重点。80年度歳出予算の省庁別内訳 総理府 931(△10.6) 法務省 385(46.9) 国防省 20390(14.1) 科学技術省 780(―) 大蔵省 13529(23.0) 文部省 7867(26.2) 外務省 500(38.9) 厚生省 4546(14.3) 農業省 9545(25.1) 工業省 517(6.8) 運輸省 8959(31.1) 大学庁 3476(27.2) 商務省 245(26.9) その他 2818(65.5) 内務省 24370(21.3) 中央基金 10141(9.3) 歳出予算の機能別内訳 経済 22916(28.8) 社会厚生 12266(23.5) 教育 22586(27.0) 治安維持 6047(20.1) 国防 22271(16.9) 一般行政 3513(19.1) 借入金返済 12378(23.4) その他 7024(△25.4)(単位:100万バーツ,( )は対前年増加率) |
DIA-204-1979-06-27-1 | タイ | 1979年06月27日 | 1970年代 | タイ国軍報復攻撃-ベトナム軍の攻撃により15人のタイ人が重軽傷を負う。これに対しタイ国軍はアランヤプラテートの南5kmの地点からカンボジア領内のベトナム軍に報復攻撃。 |
DIA-204-1979-06-27-2 | タイ | 1979年06月27日 | 1970年代 | ウパディット外相,難民国際会議のバンコク開催返上と発表。 |
DIA-204-1979-06-28-1 | タイ | 1979年06月28日 | 1970年代 | 22品目が新たに価格統制下-中央物価統制反トラスト委員会が卸売物価統制のため新たに22品目を追加。これによって生産者,輸入業者,販売業者は,価格統制下品目については6月27日づけの在庫を7月31日までに売買価格成分,質,量,サイズなどにわたて当局に届け出なければならない。また追加22品目が新たに生産,輸入された場合には,15日以内に届け出る必要があり,販売については販売規準価格に応じた価格札を明確に表示しなければならない。追加品目:コンデンス・ミルク,料理用植物油,歯磨粉。石けんなど。 |
DIA-204-1979-06-29-1 | タイ | 1979年06月29日 | 1970年代 | 首相,国民に警告-クリアンサク首相は国民に難民問題に関する愛国心表明を自制するように呼びかけた。 |
DIA-204-1979-06-30-1 | タイ | 1979年06月30日 | 1970年代 | ASEAN,タイ支持-ASEAN外相会議はカンボジア国境紛争が激化すればタイを支持することを誓約。 |
DIA-204-1979-06-30-2 | タイ | 1979年06月30日 | 1970年代 | ベトナム抗議の学生署名運動-18大学から代表者が集まり,ベトナムの自国民追い出しをベトナム大使館に抗議するため通行人に署名を求めた。同時に「ベトナムはタイを侵略するか」との題で討論会開催(結論は「侵略せず」)。 |
DIA-204-1979-06-30-3 | タイ | 1979年06月30日 | 1970年代 | 販売価格をチェック-国内通商局と犯罪防止部は,価格統制下にある商品が統制価格で販売されているかバンコク市内のすべての商店の検査を始めた。 |
DIA-204-1979-07-01-1 | タイ | 1979年07月01日 | 1970年代 | ASEAN外相会議声明を支持-クリアンサク首相は,同声明を支持する,ベトナムにカンボジア国内の戦闘停止を受け入れさせるために,ASEANは外交的手段をとろうと述べると共に,ASEANは経済的政治的連合体であり,軍事同盟に変える必要はないとの意見を再確認した。 |
DIA-204-1979-07-02-1 | タイ | 1979年07月02日 | 1970年代 | 難民収容に6島を提案-海軍はインドシナ難民収容場所として,タウ島を含む6島を提案。他方クリアンサク首相は,難民向けに米200トンの緊急放出を命令すると同時に,諸外国に食糧緊急援助を要請した。 |
DIA-204-1979-07-04-1 | タイ | 1979年07月04日 | 1970年代 | ウパディット外相談-ASEAN外相会議では近隣諸国への難民流入とカンボジアの政治的騒乱はハノイに責任があるとの結論を出した。ASEAN諸国が難民を収容することはその受容限度を越えており,この人類の悲劇を解決するための援助努力を国際社会に求める。 |
DIA-204-1979-07-04-2 | タイ | 1979年07月04日 | 1970年代 | 村民7人殺さる-タープラヤー郡でカンボジア難民との交易に向った7人が自由クメール・ゲリラに射たれて死亡。 |
DIA-204-1979-07-04-3 | タイ | 1979年07月04日 | 1970年代 | 世銀からの融資急増-79年度(78年7月~79年6月)の世銀からの融資額は285.1百万米ドル。(78年度は231.5百万米ドル) |
DIA-204-1979-07-05-1 | タイ | 1979年07月05日 | 1970年代 | チェコのBohuslav Chnoupek外相訪タイ。 |
DIA-204-1979-07-05-2 | タイ | 1979年07月05日 | 1970年代 | 難民はこれ以上受入れず-クリアンサク首相は,施政方針に関する国会答弁で,難民をこれ以上受入れないこと,難民一時収容に2つの島を準備していること,4万人のカンボジア難民を強制送還したことを明らかにした。現在国内に残っているカンボジア難民は約11万人で,近く6000人を強制送還する。 |
DIA-204-1979-07-06-1 | タイ | 1979年07月06日 | 1970年代 | 円建債発行-100億円(10億バーツ)に相当する円建債を日本で発行。割引率は8.8%,発行価格は99.4円。 |
DIA-204-1979-07-08-1 | タイ | 1979年07月08日 | 1970年代 | ヘン・サムリン軍との交易許可-タイ政府はカンボジアのヘン・サムリン政権兵士とタイの商人,地元住民との物々交換を許可した。タープラヤー郡の指定地点で衣類,医薬品,調味料等と金を交換しているが,価格は通常の3~10倍。軍部筋は,密輸防止,タイ人が掠奪を受けたり殺されたりしないようにするため地域を指定したと述べている。 |
DIA-204-1979-07-10-1 | タイ | 1979年07月10日 | 1970年代 | 現金輸送列車襲撃-ナコンシーコマラート県で約100人の武装集団が現金輸送列車を襲撃,鉄道警察官7人死亡。当局は共産ゲリラの襲撃と発表。 |
DIA-204-1979-07-10-2 | タイ | 1979年07月10日 | 1970年代 | タイ共産党の地下放送停止-「人民の声」放送は,党内に誤った行動をとる者がいるとの論評を流し,今月17日から放送を一時中止すると発表した。 |
DIA-204-1979-07-11-1 | タイ | 1979年07月11日 | 1970年代 | 米開発援助増-USAIDのコーヘン駐タイ所長は今年度の米国のタイ向け開発援助が320万ドル増額され,今年度の援助額は合計1540万ドルとなると発表。 |
DIA-204-1979-07-12-1 | タイ | 1979年07月12日 | 1970年代 | カンボジア国境3県戒厳令下に-テープ陸軍第1軍区司令官名で,プラチンブリー,チャンタブリー,トラート3県の国境から1km以内の5地域を戒厳令下におき,立入禁止区域とした。同域内の住民は移住する。 |
DIA-204-1979-07-13-1 | タイ | 1979年07月13日 | 1970年代 | 石油製品価格大幅値上げ-政府は石油製品8品目の値上げを決定し,首相がこれを発表。40.0~67.3%という大幅な値上げで,特に灯油は67.3%の値上げとなっている。同日,中央物価統制反トラスト委員会も調理用プロパンガスについて,容量別に51.5~57.6%の大幅値上げを発表した。いずれも14日より実施。石油製品の輸入税率引上げおよび国内精製品にかかる石油税引上げに関する勅令も13日に公布された。 |
DIA-204-1979-07-13-2 | タイ | 1979年07月13日 | 1970年代 | インドネシアのモフタル外相訪タイ-会談後ウパディット外相は,難民問題解決のため,①カンボジア内戦の停止,②外国軍隊の撤退,③カンボジアにいずれの側も受入れ可能な政権を作ることを訴えると述べた。 |
DIA-204-1979-07-13-3 | タイ | 1979年07月13日 | 1970年代 | タイ天然ガス機構,解散-クリアンサク首相,タイ天然ガス機構の解散,すべての業務をタイ石油公社に移すことを命令。 |
DIA-204-1979-07-15-1 | タイ | 1979年07月15日 | 1970年代 | インドネシア,石油供給を約束-インドネシアはタイが必要な量の石油を友好価格で供給するとスハルト・インドネシア大統領約束。供給量は1日当り1万~2万バーレルになる見込み。現在の石油不足量は1日当り4万バーレル。 |
DIA-204-1979-07-15-2 | タイ | 1979年07月15日 | 1970年代 | 中国,石油供給増加に同意-中国が原油供給を現在の月7万トンから9万トンに増加することに同意。期間は7月~11月まで。 |
DIA-204-1979-07-17-1 | タイ | 1979年07月17日 | 1970年代 | 難民問題国際会議にシッティ総理府相出席-出発にあたってシッテイ代表団長は以下の通り語った。タイはすべての事実を明らかにし,難民問題がタイにとっていかに重荷となっているかをはっきりさせる。この会議で問題が根源から解決されるかという点では悲観的である。タイにはカンボジア難民4万人を含む16万人のインドシナ難民がいる。第3国がこれら難民の移住に協力してくれることを望む。他方下院の難民問題委員会(議長タナット民主党総裁)は難民問題が国防,政治,行政,経済,社会面で重大な脅威を与えているとして,難民問題解決のための対策を議会に提出する予定。同案には難民の右手首の刺青や産児制限案も含まれる(19日に下院で可決)。なお1月7日から7月6日までの流入カンボジア難民は15万4925人で,10万8719人を強制送還。 |
DIA-204-1979-07-17-2 | タイ | 1979年07月17日 | 1970年代 | 石油節約策発表-プラシット工業相は18日に発表する節約策の内容を説明し,石油・電力の節約キャンペーンを開始すると語った。節約策は民間部門では娯楽場の営業時間制限,ネオン広告の消灯時間繰り上げ,30都市繁華街の駐車禁止,自動車の市外最高速度制限,政府部門では全官庁の電力消費量5%節減,勤務時間外の公用車使用禁止となっている。 |
DIA-204-1979-07-18-1 | タイ | 1979年07月18日 | 1970年代 | 物価抑制に戒厳令適用主張-タイ国民党のプラマーン総裁は,商人の不当な価格つり上げに対して戒厳令適用を主張し,労働者のストライキ抑圧に適用して成功してきたのだから,投機防止に使えない理由はないと語った。 |
DIA-204-1979-07-18-2 | タイ | 1979年07月18日 | 1970年代 | 世銀がタイ経済開発に勧告-予算を割り当てる予算局を国家経済社会開発庁に統合する。これはタイの経済発展には極めて重要である。経済・社会目標を実行可能な計画にする行政措置を確立する。タイの潜在経済成長率は高いが,10年前に比べて難しい問題を抱えており今後は経済成長率を低めに設定し政府は今まで以上に積極的な役割を果たさなければならない。石油危機と先進国の保護貿易主義により国際収支の赤字解消が重要な課題となっているが,この問題については農業生産性の向上によって対処する。 |
DIA-204-1979-07-19-1 | タイ | 1979年07月19日 | 1970年代 | 労働者数千人が集会-王宮前広場で,戒厳令違反との警告を無視して集会を開き,石油価格大幅値上げで政府を非難,最低賃金60バーツを要求。 |
DIA-204-1979-07-20-1 | タイ | 1979年07月20日 | 1970年代 | 灯油とガスの値上幅修正-政府は,石油税と石油輸入税引上げに反対する野党との妥協策として,同法案の成立と引換えに,国民生活に直接影響する調理用ガスと灯油を首都圏5県について,新価格から平均10%引下げた修正価格を発表した。同じく野党側から要求のあったディーゼル油価格引下げは見送られた。 |
DIA-204-1979-07-21-1 | タイ | 1979年07月21日 | 1970年代 | 国連安保理開催支持-アルン副外相は難民問題について安保理開催を要求する米国支持の立場を表明し,もしジュネーブの難民問題国際会議が積極的解決策を見出しえなかったときには,タイ政府としては適切と考えられる行動をとると語った。 |
DIA-204-1979-07-23-1 | タイ | 1979年07月23日 | 1970年代 | 米国の軍事援助-駐タイ米国大使館広報官は,1980年度のタイ向け軍事借款(FMS)は6億バーツ,軍事訓練1700万バーツであると発表。79年度は各5.9億バーツ,2000万バーツである。 |
DIA-204-1979-07-23-2 | タイ | 1979年07月23日 | 1970年代 | 基本物資の価格引上げ-経済関係閣僚会議で,32の基本物資について,石油価格大幅値上げによる生産コスト上昇を反映した統制価格の引上げをすること,農民,労働者の所得引上げについて合意。 |
DIA-204-1979-07-23-3 | タイ | 1979年07月23日 | 1970年代 | ジュネーブ会議を一応評価-難民問題国際会議から帰国したシッティ総理府相は,会議の成果はまったく失望というものではないと述べて,ベトナム難民問題については評価すると共に,タイはボート・ピープルだけでなくカンボジア戦災避難民の影響を受けている,しかしこの問題は会議では取り上げられなかったと述べた。 |
DIA-204-1979-07-25-1 | タイ | 1979年07月25日 | 1970年代 | 共産ゲリラ道路建設現場攻撃-チェンラーイ県ターン郡の道路建設現場をゲリラが襲撃,ガードマン19人とゲリラ6人が死亡,ガードマン41人が負傷した。7月初めにもチェンカム郡で同様の事件があり,ガードマンら12人が死亡している。現場近くの山にはゲリラの大規模な基地があり,政府軍が爆撃を続けている。 |
DIA-204-1979-07-25-2 | タイ | 1979年07月25日 | 1970年代 | IMF特別引出権検討-中央銀行は,石油価格上昇による国際収支赤字の縮小のためIMFからの特別引出権に基づく引出を検討中。 |
DIA-204-1979-07-26-1 | タイ | 1979年07月26日 | 1970年代 | 下院で首相非難決議-農業省の農民援助計画について答弁する予定であったクリアンサク首相兼農相が無断欠席したため,怒った野党側が非難決議を提出して反対なしで可決(賛成155票)。首相は27日に謝罪。 |
DIA-204-1979-07-28-1 | タイ | 1979年07月28日 | 1970年代 | ククリット社会行動党党首,経済改善のためクリアンサクの退陣を要求。 |
DIA-204-1979-07-31-1 | タイ | 1979年07月31日 | 1970年代 | タイ共産党分裂-タイ語紙『マティチョン』は軍スポークスマンのパット陸軍大佐の談話として,ソ連とベトナムが新しいタイ共産党を東北タイ16県に建設し,新党のメンバーは約3,000人であり,その訓練センターがラオス南部のサバナケットにおかれ,既に数百人が軍事教練を受けたと伝えた。現在のタイ共産党は内部で中国派とソ連・ベトナム派に分裂し,イデオロギー闘争だけでなく武力衝突もあり,幻滅した学生多数が投降してきている。 |
DIA-204-1979-07-31-2 | タイ | 1979年07月31日 | 1970年代 | 選挙法改正に政府同意-政府スポークスマンのウターン陸軍大佐は,批判の強かった外国人を父親とするタイ国籍者の投票資格を公正なものにすると発表。 |
DIA-204-1979-08-01-1 | タイ | 1979年08月01日 | 1970年代 | 「社会の敵」布告廃止-議員提案による国家統治改革団布告第22号廃止を国会は満場一致で可決。クリアンサク首相も同布告に基づく権力乱用の批判があることを認めて廃止を歓迎。同布告で拘留されているのは現在約350人。 |
DIA-204-1979-08-01-2 | タイ | 1979年08月01日 | 1970年代 | 原油購入契約を調査-Summit社がサウジアラビアから輸入する原油(日量10万バーレル,価格は市場価格より7%安い)をシンガポールに流している件について,政府はプレーム国防相とプラシット工業相をサウジに派遣して調査することに決定。なおSummit社はシンガポールに流している3.5万バーレルのうち1.5万バーレルを8月末までにタイに再度振り向けることにしている。 |
DIA-204-1979-08-02-1 | タイ | 1979年08月02日 | 1970年代 | 内閣改造の噂を否定-スーム国軍司令官は,国軍は政府の下に団結していると宣言,Young Turksや,Democratic Soldiersの名で,自由正義党の閣僚更迭要求,クリアンサック首相退陣要求のビラが流されていることから噂されている軍内部の不和を否定した。 |
DIA-204-1979-08-03-1 | タイ | 1979年08月03日 | 1970年代 | 共産ゲリラ基地占領-チェーンラーイ県ターン郡のゲリラ基地を政府軍が破壊。ゲリラ側死者90人で残り100人は逃亡,政府側は20人死亡,103人負傷。 |
DIA-204-1979-08-03-2 | タイ | 1979年08月03日 | 1970年代 | 資本市場開発基金設立-16の市中銀行と大蔵省,中央銀行,政府貯蓄銀行,産業金融公社の間で調印。当初資金総額10億バーツ。株式市場の不振打開・安定化のため(7日から業務開始)。 |
DIA-204-1979-08-06-1 | タイ | 1979年08月06日 | 1970年代 | 国際赤十字等難民援助機関が835万ドルの援助約束。 |
DIA-204-1979-08-07-1 | タイ | 1979年08月07日 | 1970年代 | 漁民が海上封鎖計画-ソンクラーの漁民は石油不足に抗議して,事態がこれ以上悪化すれば漁船を連ねてソンクラー湖を封鎖すると宣言。 |
DIA-204-1979-08-07-2 | タイ | 1979年08月07日 | 1970年代 | 政府,ラージャ・ファイナンス社の免許取消を決定-政府は金融不安で5月2日以来取引を停止させていた同社の免許を取消した(20日に上場廃止)。 |
DIA-204-1979-08-08-1 | タイ | 1979年08月08日 | 1970年代 | ラージャの再現なしと保証-クリアンサク首相兼蔵相はRaja Finance Co。の免許取消しについて,政府は金融会社の財務状況を調査する権限を持つ委員会を設置したので,Rajaのように倒産する金融会社はもう出ないと約束。なお株式市場は資本市場開発基金の設立を好感して若干の値動きがみられた。 |
DIA-204-1979-08-09-1 | タイ | 1979年08月09日 | 1970年代 | ベトナムのタイ侵略はない-チャルーン国軍副司令官はタイ経営者協会の講演で,諸々の条件を検討してみると,現在の状況では,少なくともあと5年はベトナムがタイを侵略することはないだろうと語った。 |
DIA-204-1979-08-10-1 | タイ | 1979年08月10日 | 1970年代 | 国境貿易厳禁-カンボジア国境のワッタナーナコン,タープラヤー,アランヤプラテート各郡での国境貿易を禁止,また国境から2km以内に商人が物資を持ち込むことを禁止。 |
DIA-204-1979-08-10-2 | タイ | 1979年08月10日 | 1970年代 | 籾米保証価格引上げ-アーポン副農相発表。トン当り籾米100%米3300バーツ(現行3000バーツ),5%米3000バーツ(2800バーツ),メイズkg当り2.2バーツ,ひまの種kg当り7バーツ。 |
DIA-204-1979-08-10-3 | タイ | 1979年08月10日 | 1970年代 | 漁民向け石油-クリアンサク首相は,タイ漁業協会の要請に答え,全国の漁民に日量約300万lのディーゼル油を優先供給していると語った。 |
DIA-204-1979-08-13-1 | タイ | 1979年08月13日 | 1970年代 | 農民向け貸出上限引上げ-農業・協同組合銀行は政府の農民援助政策に沿って,貸出上限を引上げた。短期貸出を従来の5000~1万2000バーツから2万バーツに,農業生産以外の短中期貸付額を1万2000バーツから1万5000バーツに引上げる。 |
DIA-204-1979-08-13-2 | タイ | 1979年08月13日 | 1970年代 | ベトナム軍撤退を信ぜず-クリアンサク首相は,レスター・ウルフ米上院議員との会談で,近い将来のベトナム軍のカンボジア撤退は本当とは思わないと語った。また首相が同議員に託したドン首相宛の親書の返書で,ドン首相はタイ不侵略を再確認したと明らかにした。 |
DIA-204-1979-08-14-1 | タイ | 1979年08月14日 | 1970年代 | 市バス代据置き-政府はバス代値上げ提案を却下し,代りにバンコク大量輸送公団の負債17億バーツを肩代りすると決定。 |
DIA-204-1979-08-14-2 | タイ | 1979年08月14日 | 1970年代 | 難民問題で論議-外国人記者クラブ主催のパネルディスカッションで,タナット民主党総裁は,難民問題でのタイの自衛権,難民国際会議でランド・ピープルを取りあげなかったことや先進国の態度を非難。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の代表は,難民がタイの安全にとって危険なら,難民を国境から離してフェンスで隔離するだけの費用を払う,UNHCRは援助を倍増しようとしたが,タイ政府が周辺住民の反発を恐れて断わった,UNHCRの今年のタイ援助は1800万ドルで,難民がタイ政府に税負担をかけるものではないと反論。 |
DIA-204-1979-08-15-1 | タイ | 1979年08月15日 | 1970年代 | ヘン・サムリン政権不承認を再確認-ASEAN外相会議に出席するウパディット外相が再確認,またクリアンサク首相がベトナム訪問を原則的に了承したと語った。 |
DIA-204-1979-08-15-2 | タイ | 1979年08月15日 | 1970年代 | タイ・中航空協定無期延期-プラソン副運輸相発表。政治的経済的情勢が好転するまで調印延期。 |
DIA-204-1979-08-15-3 | タイ | 1979年08月15日 | 1970年代 | 第10回日・タイ民間貿易合同委開催-17日に79年の対日輸出目標を44品目,163億4910万バーツで合意。 |
DIA-204-1979-08-16-1 | タイ | 1979年08月16日 | 1970年代 | 米・タイ代替エネルギー開発協定締結。 |
DIA-204-1979-08-16-2 | タイ | 1979年08月16日 | 1970年代 | 難民引取増-Abramowitz駐タイ米国大使は,タイのインドシナ難民を9月から毎月6000(現在5000)人米国に移住させると発表。 |
DIA-204-1979-08-17-1 | タイ | 1979年08月17日 | 1970年代 | レック内相,アルン副外相ラオス訪問-アルン副外相は,一方の国を基地として相手国を転覆しようとする如何なる分子をも認めないことで合意し,カイソン首相は,ラオス領内にいる親中派タイ共産党残党一掃を続けると語ったことを報告。他の合意事項は,反乱分子についての情報交換,ラオス難民の流出防止と帰国受入れ,国境合同委員会設置,メコン河の安全航行,チェンコン・ファイサイ間交易開設。 |
DIA-204-1979-08-19-1 | タイ | 1979年08月19日 | 1970年代 | ラオスの反ゲリラ作戦提案拒否-政府筋はラオスが提案した合同鎮圧作戦を,双方が相手とする敵が違うとの理由で拒否した。 |
DIA-204-1979-08-20-1 | タイ | 1979年08月20日 | 1970年代 | アジア開銀,融資予定額発表-アジア開発銀行は今後2年間のタイ向け融資を各年2.5億米ドル(約50億バーツ)に設定。しかしながら,融資額の追加を検討中。 |
DIA-204-1979-08-21-1 | タイ | 1979年08月21日 | 1970年代 | 史上最悪の列車事故-バンコク郊外のタリンチャン駅構内で長距離列者と通勤列車が衝突,死者51人,負傷者184人を出す大惨事となった。国鉄総裁テープ第1軍区司令官はこの責任をとって24日に辞任。 |
DIA-204-1979-08-21-2 | タイ | 1979年08月21日 | 1970年代 | 公務員給与と労働者最低賃金等引上げ-閣議決定。公務員給与を80年1月から平均20%引上げ,労働者の最低賃金を10月から首都圏45バーツ,中部と南部38バーツ,北部と東北部35バーツに引上げ,農民所得引上げのため次の収穫期から籾米保証価格を5%米トン当り3100バーツ(22%増)とする。 |
DIA-204-1979-08-23-1 | タイ | 1979年08月23日 | 1970年代 | 難民追い出し続行-国軍最高司令部は7月19日からの約1カ月間で,トラート県のカンボジア難民2万人を強制送還したと発表。 |
DIA-204-1979-08-24-1 | タイ | 1979年08月24日 | 1970年代 | 報道の自由規制に抗議-新聞の権利と自由を規制した国家統治改革団布告42号を政府が存続と決定したことに対し,新聞関係5団体が抗議の共同声明発表。 |
DIA-204-1979-08-24-2 | タイ | 1979年08月24日 | 1970年代 | 原木の一部輸出禁止解除。 |
DIA-204-1979-08-27-1 | タイ | 1979年08月27日 | 1970年代 | 首相,シアヌーク訪タイを拒否-クリアンサク首相はシアヌーク元カンボジア元首が難民に会うためタイを訪問することに反対を表明。 |
DIA-204-1979-08-28-1 | タイ | 1979年08月28日 | 1970年代 | 10月から地方バス代と電話料金値上げ決定。 |
DIA-204-1979-08-30-1 | タイ | 1979年08月30日 | 1970年代 | 毎月8000人難民移住-プラソン国防会議事務局次長は,UNHCRがタイから毎月8000人を移住させることをみとめたと発表,これで19万人の難民が2年で一掃されると述べた。 |
DIA-204-1979-08-30-2 | タイ | 1979年08月30日 | 1970年代 | カンボジアの戦闘激化を予想-クリアンサク首相は外国人記者クラブで講演,もしベトナムのカンボジア占領を終らせる政治的,外交的行動を直ちに起こさないと,1~2カ月後には大規模な軍事行動が予想されると警告。しかし対ベトナム関係についてはベトナムの対タイ政策によって決まる,域内の平和と安定のためにベトナムの経済開発にはできるだけ協力すると語り,さらに質問に答えて,カンボジア亡命政権樹立の可能性はないこと,シアヌークの入国許可申請を拒否したこと,タイを経由するカンボジアへの人道的国際援助を認める意向であること,難民送還は強制でなく,自発的に戻るよう説得した結果である等の見解を明らかにした。 |
DIA-204-1979-08-31-1 | タイ | 1979年08月31日 | 1970年代 | 首相外遊-8日間,スエーデン,デンマーク,カナダを訪問,カナダでは世界食糧会議に出席する。 |
DIA-204-1979-09-01-1 | タイ | 1979年09月01日 | 1970年代 | 失業者数増大-国防会議のプラソン事務局長が,①少なくとも今後10年はインドシナ紛争が続く,②2年以内に失業者数は120万人に達し労働人口の5.6%になると報告。なお失業者は,71年の8万5000人,76年の5万9000人から78年には111万7000人に増加している。 |
DIA-204-1979-09-01-2 | タイ | 1979年09月01日 | 1970年代 | タイをカンボジア援助の拠点に-人道上の見地からタイは喜んでカンボジア両サイドへの援助の拠点地となるとクリアンサク首相がストックホルムでの記者会見で語った。「援助はカンボジア人民のためである。カンボジアの両軍が飢えているという現実をみなければならない。正しいことを実行するためには大胆でなくてはならない。もし我々がカンボジア人民への援助を怠たれば我々がカンボジア人民を殺すことになる」。 |
DIA-204-1979-09-02-1 | タイ | 1979年09月02日 | 1970年代 | 首相,ハノイ訪問計画-クリアンサク首相はファン・バン・ドンベトナム首相のベトナム訪問招待に応じ,今年末ハノイを防問すると語った。 |
DIA-204-1979-09-04-1 | タイ | 1979年09月04日 | 1970年代 | 援助状況の報告を要求-政府は,人道上の見地から行われている国際的援助が軍隊にではなくカンボジア人民に届くことを保証する手段の詳細を明らかにするように,国際赤十字を通してハノイとプノンペンに要求。救援物資が物資を必要としているカンボジア人民に届いていれば,中立的立場を維持するタイは,タイを経由して行なわれているカンボジア援助をさらに促進するとシッティ総理府相が語った。 |
DIA-204-1979-09-05-1 | タイ | 1979年09月05日 | 1970年代 | キュー・サムファンのタイ領通過承認-クリアンサク首相がオタワで以下のように発言。国連がポル・ポト政権を認めており,ポル・ポト政権のサムファン議長がタイを通ってハバナで開かれる非同盟諸国首脳会議に出席することは国際法上違反ではない。 |
DIA-204-1979-09-07-1 | タイ | 1979年09月07日 | 1970年代 | サミット石油会社,原油輸入増発表-サミット石油会社の石油製品輸入停止発表に政府首脳が激怒した結果,サミット石油会社は原油の輸入を増加させると発表。外国から低価格で買った石油を法外な価格で売りつけ不当な利益を得ることを政府は許さないとオップ商業相激怒。 |
DIA-204-1979-09-10-1 | タイ | 1979年09月10日 | 1970年代 | クリアンサク首相,帰国-首相は10日間でカナダ,スエーデン,デンマークの3国を訪問,3国からインドシナ難民援助の約束をとりつけ帰国。カナダは来年までに年間1万6000人のインドシナ難民の受け入れ,130万米ドルをUNHCRを通じて寄付することを約束。デンマークは210万米ドル,スエーデンは食糧援助をともにUNHCRを通して援助することを約束。 |
DIA-204-1979-09-12-1 | タイ | 1979年09月12日 | 1970年代 | 旱ばつによる被害に援助-最近の旱ばつで被害にあった農民に早急に全面的援助を行なう,援助費用は予算審議委員会による予算再配分から調達されるとクリアンサク首相が発表。他省からの予算引き戻し額は明らかにされていないが,少なくとも1億7500万バーツが各省の予算削減によって調達される見込。 |
DIA-204-1979-09-12-2 | タイ | 1979年09月12日 | 1970年代 | 石油備蓄タンク新設-政府が発表した石油備蓄増加政策にもとづき,タイ石油公社は石油備蓄増加のため1億4500万バーツの投資を決定。現在の備蓄可能量は1億6000万l,既存のタンクの修理に1500万バーツ,5000万リッター備蓄タンクを2基設立に1億3000万バーツ,を投資する。新タンクの建設には約18カ月かかる見込み。 |
DIA-204-1979-09-13-1 | タイ | 1979年09月13日 | 1970年代 | 石油精製所の新設発表-石油消費が急激に増加していることから国内石油精製能力を引き上げるため,2年以内に既存の3精油所の拡張,日産10万バーレルの精油能力をもつ精油所の建設,をおこなうと政府発表。現在の精油能力は3社合せて日産17万バーレル,これに対し石油消費は22.5万バーレルとなっており,不足分を輸入にたよっている。拡張計画だけで日産30万バーレルの精製能力を見込んでいる。 |
DIA-204-1979-09-14-1 | タイ | 1979年09月14日 | 1970年代 | サムファン,イエン・サリ到着-カンボジアのサムファン議長とイエン・サリ副首相がバンコクを経由してカンボジアに向った。両氏はハバナで開かれた非同盟諸国首脳会議に出席するため8月24日バンコクを通過。 |
DIA-204-1979-09-14-2 | タイ | 1979年09月14日 | 1970年代 | 官庁のエネルギー新節約策-内務省は,先に官庁の石油消費削減策としてとられたエアーコンの事実上の廃止,公用車使用制限では手ぬるいとして一年以内に10%の石油消費削減を図る新対策を発表,すべての地方官庁に厳しく守るように要請。 |
DIA-204-1979-09-17-1 | タイ | 1979年09月17日 | 1970年代 | 総合金融対策発表-政府が,流動性不足の解消,国内投資の刺激のため金利の1%引き上げなどを含む総合通貨対策発表。なお,貯蓄関連対策(6項目)は10月1日から実施,証券・資本市場改善対策(5項目)は年内実施。〔貯蓄対策〕・外国からの融資に対する課税停止を80年9月30日まで1年間延長―外国資金の流入促進。・商業銀行預金金利の1%引き上げ。・政府系金融機関に対する特別利子優遇措置の廃止。・外貨建預金に対する利子12%天井を廃止,フロートさせる。これに追随して産業金融公社とファイナンス・カンパニーの商業銀行預金金利もフロート。・約束手形の額面額をバンコク市では5万バーツから1万バーツ,他県では1万バーツから5000バーツに引き下げる。〔証券・資本市場対策〕・証券投資による配当金に対する二重課税をなくすため投資家にtax refund creditを与える。以下4項目。 |
DIA-204-1979-09-19-1 | タイ | 1979年09月19日 | 1970年代 | ラオスの要請を拒絶-ラオス側はタイで救済物資を購入し,タイ領空を通ってカンボジアのヘン・サムリン政権支配地域に輸送する依頼をしてきたが,タイ政府は中立的立場維持のため拒否。 |
DIA-204-1979-09-19-2 | タイ | 1979年09月19日 | 1970年代 | 国境付近は警戒体制-ベトナム軍国境に接近,タイへの攻撃に備えタプラヤ郡は全面的警戒体制。 |
DIA-204-1979-09-19-3 | タイ | 1979年09月19日 | 1970年代 | 公務員給与の20%引き上げ承認-内閣は,公務員,軍人,警官,政府関係者の月給を80年1月から20%引き上げることを基本的に承認。 |
DIA-204-1979-09-20-1 | タイ | 1979年09月20日 | 1970年代 | ディーゼル・オイル輸入に助成金-10月から始まる乾期6カ月間で5.4億リッターのハイスピード・ディーゼルオイル不足が予想されるため,ハイスピード・ディーゼルオイルの輸入に1リッター当り最高1.8バーツの助成金をだす計画をタイ石油公社が発表。適用期間は10月1日から80年3月末まで。 |
DIA-204-1979-09-20-2 | タイ | 1979年09月20日 | 1970年代 | タイ領上空のソ連機増便拒否-ソ連政府はタイ上空を通過してベトナムへ向かう輸送機の増便を要請してきたが,タイ政府は拒否。 |
DIA-204-1979-09-21-1 | タイ | 1979年09月21日 | 1970年代 | 代替エネルギーによる発電計画発表-石油に代わるエネルギー資源(天然ガスや亜炭)による発電を開発中であるとタイ発電公社が発表。天然ガスと石油の両方を使用して50万キロワットの発電能力を有する発電所をチャチュンサオ県,バン・パコン郡に現在建設中であり,完成予定は80年である。この発電所では天然ガスパイプラィンが完成する81年まで石油による発電をおこなう。また,ランパーン県,メー・モ郡に亜炭による発電所を建設する計画。なお現在の発電能力は全国で288万5600キロワット,そのうち石油による発電は70%,残りを水力発電でおこなっている。 |
DIA-204-1979-09-22-1 | タイ | 1979年09月22日 | 1970年代 | 米軍が残した弾薬の使用承認-米国が,1974年撤退しタイに残していった弾薬を自由に使用することに同意したとクリアンサク首相発表。米国上下両院とも残留弾薬をタイが使用することを承認した。 |
DIA-204-1979-09-24-1 | タイ | 1979年09月24日 | 1970年代 | 難民避難地域認める-クリアンサク首相が,トラート県の一部を病気あるいは負傷したカンボジア市民の避難所として認め,必要な治療をおこなう,と発表。 |
DIA-204-1979-09-26-1 | タイ | 1979年09月26日 | 1970年代 | 難民援助に積極協力表明-政府はバンコクで開かれた日米等15カ国と国際諸機関代表との会議で,難民援助に積極協力を表明,総額3100万ドルの援助計画を示して各国の協力を求めた。 |
DIA-204-1979-09-27-1 | タイ | 1979年09月27日 | 1970年代 | 3野党,不信任案提出-社会行動党,タイ国民党,タイ人民党の3野党(合計156議席となる)が,通信,商業,内務,工業の大臣・副大臣に対する不信任案を提出。なお,民主党は不信任案を提出しなかった。 |
DIA-204-1979-09-27-2 | タイ | 1979年09月27日 | 1970年代 | ブルガリア,ポーランドの申込み拒否-政府は,ヘン・サムリン政権への物資を供給するためタイ領上空の通過を要請してきたブルガリアとポーランドの申し込みを拒否。もし,領空通過特権を与えヘン・サムリン政権への物資供給を認めれば,ポル・ポト政権を支持する国も同じことを要求することになるであろうとアルン副外相が語った。 |
DIA-204-1979-09-27-3 | タイ | 1979年09月27日 | 1970年代 | 近隣諸国に石油製品の供給を要請-シンガポール,フィリピン,台湾の石油製品余剰国に石油製品の供給を要請することに決定,プラシット工業大臣が3国を訪問する。プラシット工業大臣は次のように語った。精油能力が十分でないタイは,石油不足を補うため石油製品余剰国と交渉が必要である。現在政府は石油精製能力の拡張を急いでいるが拡張計画が完成されるまでの当分の間,現在の石油不足の解消はできない。現在の石油情勢を考えると世界市場で精油を購入するよりは原油を購入する方が容易である。もし,タイが精油能力を拡張すれば,石油不足の問題はずっと緩和されることになる。 |
DIA-204-1979-09-28-1 | タイ | 1979年09月28日 | 1970年代 | 国境道路封鎖-第一軍管区は,アランヤプラテートとタプラヤ間の道路,および道路の東側からカンボジア国境までの地域の,午後8時から午前4時まで通行を禁止。この措置はカンボジア国境での闇市をストップさせるためであり,各郡に指令がとどき次第実施される。なお上記2郡は,国境1キロ以内を立入禁止とするなどカンボジア国境での非合法取引を抑える対策をおこなってきたが,闇市は依然として活発におこなわれていた。 |
DIA-204-1979-09-28-2 | タイ | 1979年09月28日 | 1970年代 | UNHCR,タイに1000万バーツ贈与-国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は,タイ政府のカンボジア国境地域難民への救済努力に対し,1000万バーツを贈与。 |
DIA-204-1979-09-29-1 | タイ | 1979年09月29日 | 1970年代 | 軍部の人事異動-注目される人事は,サン大将が陸軍参謀長から陸軍副司令官へ昇進したことで,プレム現司令官が来年退官すれば陸軍司令官となる。またピン第4軍区司令官が第1軍区司令官,アーティット第3師団長が第1師団長に,ユタサック第5師団長がチュラチョムクラウ陸軍士官学校長に昇進しているが,この3人は国王への忠誠心が極めて強い軍人である。国軍幹部の名前は資料参照。 |
DIA-204-1979-10-01-1 | タイ | 1979年10月01日 | 1970年代 | 電話料金引き上げ-タイ電話公社は,電話サービスの拡張,改善のため電話料金引き上げを発表。新料金は10月1日から実施。 |
DIA-204-1979-10-01-2 | タイ | 1979年10月01日 | 1970年代 | 高速輸送公団が輸送料金を15%引き上げ。 |
DIA-204-1979-10-02-1 | タイ | 1979年10月02日 | 1970年代 | 予算案承認-最終読会を賛成238,反対108で可決。 |
DIA-204-1979-10-02-2 | タイ | 1979年10月02日 | 1970年代 | ICEM,難民引受け-ヨーロッパ移民諸国間委員会の手によって9月の1カ月間で総計8200人の難民を引受けたとCarlin議長が発表。 |
DIA-204-1979-10-02-3 | タイ | 1979年10月02日 | 1970年代 | 石油備蓄-前石油燃料機構で現在タイ石油公社の石油供給・備蓄局は,タイの石油備蓄量を引上げるため民間会社4社と1億リッター以上の購入契約を結んだ。これによって石油備蓄量の精油能力に対する比率は今までの約5%から20%まで上昇する。 |
DIA-204-1979-10-03-1 | タイ | 1979年10月03日 | 1970年代 | 6カ国が難民受入れを表明-アルゼンチン,ルクセンブルク,イスラエル,オーストリア,スペイン,オーストラリアの6カ国は,難民受入れを増加させると表明。6カ国の難民受入増加数は合計7250人。 |
DIA-204-1979-10-04-1 | タイ | 1979年10月04日 | 1970年代 | ソ連軍輸送機の無法領空通過-タイ領空を無法通過しベトナムに向ったソ連軍輸送機数は1月から9月まで210機とタイ国軍筋が発表。 |
DIA-204-1979-10-04-2 | タイ | 1979年10月04日 | 1970年代 | 世銀,開発計画の草案作りに参加-世銀は81年10月に始まる第5次開発計画の草案作りを手伝うことになるであろうと国家経済社会開発庁事務局長が表明。世銀は5カ年計画の目標経済成長率設定など重要な経済目標の設定に参加する。 |
DIA-204-1979-10-06-1 | タイ | 1979年10月06日 | 1970年代 | ポル・ポト軍と銃撃戦-国境警備警察軍は国境を越えプラチンブリー県に侵入してきたポル・ポト軍と二度にわたる銃撃戦。 |
DIA-204-1979-10-07-1 | タイ | 1979年10月07日 | 1970年代 | 英国,食糧援助-英国政府は,カンボジアの飢饉に近い状態を救うため100万ポンド(4400万バーツ)の救済援助を発表。 |
DIA-204-1979-10-08-1 | タイ | 1979年10月08日 | 1970年代 | バンコクへの人口流入急増-1975年11月から1977年10月まで約10万人が地方からバンコクへ流入したことが国家統計局の調査でわかった。調査報告によると,この数字はバンコクの人口の2%にあたり流入の3分の1は東北部からであり,今後もバンコクへの流入は続くということである。また,都市部への人口流出により農村人口は85%から75%まで低下した。 |
DIA-204-1979-10-08-2 | タイ | 1979年10月08日 | 1970年代 | 国営企業の財務状況見直し-工業省管轄の国営企業の財務状況見直しをプラシット工業大臣が指示。財務状況の悪い国営企業は,民間に売却する方針を決定。 |
DIA-204-1979-10-09-1 | タイ | 1979年10月09日 | 1970年代 | 石油カット許さず-商業省は,鉱業,漁業,運輸の3部門へのハイスピード・ディーゼルオイル供給を9月の供給量より少ない供給を3カ月間認めないと各石油会社に通達。 |
DIA-204-1979-10-10-1 | タイ | 1979年10月10日 | 1970年代 | 4省閣僚に対する不信任案の討議が始まる。 |
DIA-204-1979-10-10-2 | タイ | 1979年10月10日 | 1970年代 | 世銀融資は75%増-今後12カ月間の世銀融資は前年比70%以上増加の5億米ドル(100億バーツ)となるとベオグラードで開かれた世銀総会に出席し帰国したチャーンチャイ副大蔵大臣が語った。 |
DIA-204-1979-10-11-1 | タイ | 1979年10月11日 | 1970年代 | カンボジア難民の流入続く-10日には,カンボジア領内でのベトナム―ヘン・サムリン軍の攻撃により,推定8000人のカンボジア難民がタイ領に逃れてきた。またポル・ポト軍兵士も国境を越えようとしたが,アランヤプラテートから南40キロにいたタイ軍によって阻止された。11日にも,カンボジア難民の流入が続き,国軍筋の情報によれば1万5000人がすでにタイ領内に到着した。タイ政府は,すべての難民を一時的には受け入れると語っている。 |
DIA-204-1979-10-13-1 | タイ | 1979年10月13日 | 1970年代 | ヘン・サムリン政権がタイを批難-カンボジアのヘン・サムリン政権は,タイが中国と共同してポル・ポトゲリラに物資を供給しているとタイ政府を非難。 |
DIA-204-1979-10-14-1 | タイ | 1979年10月14日 | 1970年代 | カンボジア難民キャンプに砲弾-ベトナム軍のものと推定される砲弾2発が,アランヤプラテートの南約30キロのタププリク村にある仮設難民キャンプに命中。難民5人が死亡,12人が重軽傷を負った。タイ領内の難民キャンプでカンボジア内戦によるこうした犠牲者が出たのは今回が初めてで,タイ政府は「最も恐れていた危険な事態になった」と警戒感を強めており,同難民キャンプに部隊を増派して不測の事態に備えた。 |
DIA-204-1979-10-14-2 | タイ | 1979年10月14日 | 1970年代 | 中国,タイのインドシナ政策を支持-シッティ国防会議事務局長発表。中国政府は,カンボジアからの外国軍隊の撤退とカンボジア人民が受入れられる政治的解決を目指すというインドシナ紛争に対するタイとASEAN諸国の政策を全面的に支持した。 |
DIA-204-1979-10-14-3 | タイ | 1979年10月14日 | 1970年代 | インドネシア,特別価格で原油供給-インドネシアは,1日当り5000バーレルを2カ月間,友好価格の1バーレル=21米ドルで原油を供給することに同意。インドネシアが加盟しているOPEC設定の原油公定価格は1バーレル=23.5米ドル。 |
DIA-204-1979-10-15-1 | タイ | 1979年10月15日 | 1970年代 | カンボジア難民急増-カンボジア領内での軍事的緊張が高まり,年10万人のカンボジア人が逃れてきたと政府筋が語った。 |
DIA-204-1979-10-15-2 | タイ | 1979年10月15日 | 1970年代 | ベトナム,タイに警告-ベトナム外務省は,ハノイ駐在のコーソン・タイ大使に対し,「タイ政府が今後ともインドシナ三国人民に敵対する態度を取りつづけるなら,タイだけでなく東南アジア全体の平和と安全に利益とならないことを知るべきである」と警告。バンコク・ポスト紙がモニターしたハノイ放送による声明は以下の通り。①タイ軍隊はベトナム戦争で米国側につき戦った。②現在タイは,ベトナムに名誉毀損を押しつけるため中国側の反動的徒党に参加している。③もしタイがインドシナ人民に対して敵対した態度をとり続けるならば,タイばかりでなく東南アジアの平和と安全になんら利益とはならないであろう。④タイ政府は誤った態度に対し全面的責任をとらねばならない。 |
DIA-204-1979-10-15-3 | タイ | 1979年10月15日 | 1970年代 | 世銀への出資金を増加-タイが世銀での投票権を維持するため,世銀出資金を1億3830万米ドル増加させる(93.6%増)とチャーンチャイ副大蔵大臣が発表。加盟国は当初の出資金に対し7.5%の出資金増額を要請されている。 |
DIA-204-1979-10-16-1 | タイ | 1979年10月16日 | 1970年代 | 内閣閣僚に対する不信任案否決-4日間にわたる討議の後,不信任案に対する投票が行なわれ,上院と下院の合計526定員のうち490人が投票,否決される。この結果,通信省,商業省,内務省,工業省の大臣および副大臣11人が辞職をまぬがれた。 |
DIA-204-1979-10-16-2 | タイ | 1979年10月16日 | 1970年代 | 国連に声明文を提出-カンボジアのベトナム軍によるタイへの砲撃に関する声明文を国連に提出。タイ政府は,表明文を国連安全保障理事会,総会の加盟国に公文書として配布するようにワルトハイム事務総長に依頼。 |
DIA-204-1979-10-17-1 | タイ | 1979年10月17日 | 1970年代 | 45バーツの最低賃金が不徹底-17日のバンコク・ポスト紙によれば,多数の雇用主側が従業員に対する新最低賃金の45バーツをいまだ拒んでおり,このことがストライキ多発の原因となっていると労働省は報告している。 |
DIA-204-1979-10-17-2 | タイ | 1979年10月17日 | 1970年代 | ベトナムがタイを非難-カンボジアのポル・ポトゲリラはタイの援助なくしては抵抗を続けることはできないとして,ベトナムはカンボジアの戦争を助長しないようにタイ政府に要求。 |
DIA-204-1979-10-17-3 | タイ | 1979年10月17日 | 1970年代 | カンボジア国境沿い緊迫-国軍最高司令部はカンボジア国境沿いに現在8個師団約4万人のベトナム軍が400キロにわたって展開しており,一部前線部隊はタイ領まであと4キロのところに迫っていると述べた。こうした情勢からクリアンサク首相も同日国境を視察。 |
DIA-204-1979-10-19-1 | タイ | 1979年10月19日 | 1970年代 | 難民受入れに方針転換-難民に対する政府方針を大幅に変更し,すべてのカンボジア難民を一時的に保護した後,30万人収容可能な国家難民収容センターを建設,そこで収容する,とクリアンサク首相が発表。 |
DIA-204-1979-10-19-2 | タイ | 1979年10月19日 | 1970年代 | 批難応酬に終止符-ベトナムのグエン・コ・タク国務相との会談後,タイとベトナムの両国はお互いに非難応酬を中止,過去の相互不理解を忘れ,両国の新しい友好時代を始めることに合意した,とクリアンサク首相が語った。 |
DIA-204-1979-10-20-1 | タイ | 1979年10月20日 | 1970年代 | タイを侵略せず-グエン・コ・タクベトナム国務相は,ベトナム大使館において,タイを侵略することはない,と語った。 |
DIA-204-1979-10-20-2 | タイ | 1979年10月20日 | 1970年代 | 中国と80年貿易協定合意-中国は,80年にはタイから農作物を主として30億バーツ以上購入することに合意。80年両国間貿易は70億バーツを越えるものと思われる。また中国は,年初にタイと5カ年原油供給契約を結び,今年は60万トンの原油供給を約束しているが,80年は80万~100万トンに原油供給を引き上げるかもしれないと中国側は発言した。 |
DIA-204-1979-10-21-1 | タイ | 1979年10月21日 | 1970年代 | カンボジア領内から越境砲撃-カンボジア領内からベトナム軍によるものと思われる迫撃砲20発が撃ち込まれ,タイ人3人,カンボジア人1人が死亡。 |
DIA-204-1979-10-21-2 | タイ | 1979年10月21日 | 1970年代 | 中国がタイ共産党に要求-バンコク・ポスト紙によると姫鵬飛中国副首相が,タイ共産党に対し,クリアンサク政府と共同してベトナムの東南アジア覇権に反対するように要求。 |
DIA-204-1979-10-21-3 | タイ | 1979年10月21日 | 1970年代 | ホルブルック米極東担当国務次官補訪タイ。 |
DIA-204-1979-10-22-1 | タイ | 1979年10月22日 | 1970年代 | 国連に提訴-タイ政府は,ハノイ駐在大使を帰国させ,同時にベトナム軍によるタイへの迫撃砲攻撃などベトナム側の挑発行為を国連に提訴。 |
DIA-204-1979-10-22-2 | タイ | 1979年10月22日 | 1970年代 | カンボジア難民を安全地域に移動-タイ領内国境付近にある難民キャンプのカンボジア難民約6万人を国境から50キロのプラチンブリ県サケオ難民キャンプに移すことになった(24日から開始)。また,国境沿いのタイ村民も国軍部隊の後方に移されることになった。 |
DIA-204-1979-10-22-3 | タイ | 1979年10月22日 | 1970年代 | 電気・水道料金の値上承認-内閣は,タイ発電公社,首都水道公社による電気料金,水道料金の引上げ申請を基本的に承認。新料金は11月から実施され,新料金については後日,タイ発電公社,首都水道公社からそれぞれ発表される。 |
DIA-204-1979-10-23-1 | タイ | 1979年10月23日 | 1970年代 | 首相,ASEAN諸国を訪問-クリアンサク首相は,ASEAN諸国の最初の訪問国マレーシアへ出発。首相は5日間の予定でマレーシア,インドネシア,フィリピンの各国を訪問し,インドシナ情勢,難民問題,石油供給問題について各国首脳と会談する。 |
DIA-204-1979-10-23-2 | タイ | 1979年10月23日 | 1970年代 | 中央銀行総裁にヌクン氏-サノ現中央銀行総裁は病気を理由に11月1日辞職するが,内閣は新総裁にヌクン大蔵省調整局長を後任に任命。 |
DIA-204-1979-10-24-1 | タイ | 1979年10月24日 | 1970年代 | 電気料金引上発表-国家電力政策委員会は電気料金の引上を発表。新料金は11月1日から実施される。新料金体系では家庭電気料金は5単位まで5バーツから60%増の8バーツとなる。 |
DIA-204-1979-10-24-2 | タイ | 1979年10月24日 | 1970年代 | バス・国鉄料金の引上承認-内閣は,バス料金,国鉄料金の引上を基本的に承認。新料金は来月中に発表される。 |
DIA-204-1979-10-25-1 | タイ | 1979年10月25日 | 1970年代 | 首相,緊急帰国-クリアンサク首相はASEAN3カ国の訪問を打ち切り緊急に帰国。クリアンサク首相の緊急帰国理由について,タイ当局は同首相の病気とカンボジア国境情勢の緊迫化を挙げているが,タイ軍内部でのベトナム軍に対する対応をめぐる対立のためとする情報も流れている。なお,タイ軍内には以前からカンボジア侵攻も辞せずとする強硬派の存在が伝えられている。 |
DIA-204-1979-10-25-2 | タイ | 1979年10月25日 | 1970年代 | ヘン・サムリンが隣人関係要求の親書-プノンペンの公式ニュース筋が語ったところによると,カンボジアのヘン・サムリンがカンボジアとタイの両国隣人関係要求の親書を送り,24日クリアンサク首相に手渡された。 |
DIA-204-1979-10-25-3 | タイ | 1979年10月25日 | 1970年代 | 新政党はクリアンサクを支持-新政党はシャム民主党と名づけられ,クリアンサク政府の支持を表明。新党は政治的信条から無所属となっていた43議員から成り立ったものである。タウィー副首相が顧問となっている。党首はポン・ラーンプラスートウィット。 |
DIA-204-1979-10-25-4 | タイ | 1979年10月25日 | 1970年代 | ベトナムがタイへの不侵入を再約束-グエン・コ・タク・ベトナム国務相は,カンボジアのポル・ポト軍を追跡のため誤って国境を越えることはあっても,ベトナム軍はタイにとどまることはない,と述べた。 |
DIA-204-1979-10-26-1 | タイ | 1979年10月26日 | 1970年代 | 国連に調査団の派遣を要請-クリアンサク首相は,タイ―カンボジア国境現状の視察とベトナム軍砲撃事件の調査をする調査団派遣を国連に要請。 |
DIA-204-1979-10-26-2 | タイ | 1979年10月26日 | 1970年代 | 米国が戦車を供給-米国大使館筋が,米国はM48A型戦車を150台タイに供給すると発表。なお,第一陣として27日に15台の戦車がタイに到着する予定。 |
DIA-204-1979-10-26-3 | タイ | 1979年10月26日 | 1970年代 | 水道料金の引上発表-バンコク水道公社は,生産コストの上昇を理由に水道料金を引上げる,と発表。新料金は11月1日から実施される。 |
DIA-204-1979-10-26-4 | タイ | 1979年10月26日 | 1970年代 | 砂糖不足の緩和対策発表-暴利取締中央委員会は,買いだめと売惜しみに対し砂糖不足の緩和のため過剰保有取締り政策を発表。 |
DIA-204-1979-10-29-1 | タイ | 1979年10月29日 | 1970年代 | カンボジア領内から再度の迫撃砲-最高司令部の発表したところによると,27日の早朝,カンボジア領内から迫撃砲が再び撃ち込まれ,カンボジア人7人が死亡,3人が重軽傷を負った。 |
DIA-204-1979-10-29-2 | タイ | 1979年10月29日 | 1970年代 | 中国の難民の受入は6000人-中国は当初1万人の難民を受入れると思われていたが,中国代表がこのほどタイのカンボジア難民を6000人受入れると語った。 |
DIA-204-1979-10-29-3 | タイ | 1979年10月29日 | 1970年代 | 日本,UNHCRから難民援助金-難民援助と難民流入により被害を受けているタイ村民のため使用してほしいと,5000万バーツがクリアンサク首相に手渡された。援助資金は,日本政府から3000万バーツ,UNHCRから2000万バーツ。 |
DIA-204-1979-10-29-4 | タイ | 1979年10月29日 | 1970年代 | マレーシア,石油供給増加に合意-マレーシアは,ハイスピード・ディーゼル油月当り1万トンの短期供給と同様,長期にわたり原油4000バーレル(1日当り)を供給することに合意。 |
DIA-204-1979-10-30-1 | タイ | 1979年10月30日 | 1970年代 | 中国が必要時には武器供給を約束-ベトナムの侵略を阻止するため武器が必要であれば,中国は武器を供給する,石油不足の時には,いつでも石油を供給する,と,先ごろ中国を訪問したタイのジャーナリストに陳潔副貿易大臣が語った。 |
DIA-204-1979-10-31-1 | タイ | 1979年10月31日 | 1970年代 | 旱ばつ被害に対し緊急資金援助-旱ばつの被害が予想される地域の農民に対し,1.15億バーツを緊急援助資金として80年度予算から割り当てる,と農業省が発表。 |
DIA-204-1979-11-01-1 | タイ | 1979年11月01日 | 1970年代 | 野党から公共料金引上にクレーム-今回の一連の公共料金引上に対し,野党および学生活動家たちがクリアンサク内閣を批判。野党各党からは,国会において一連の公共料金引上に対し緊急説明を要求された。 |
DIA-204-1979-11-01-2 | タイ | 1979年11月01日 | 1970年代 | EECから開発援助金-農産物の多様化を図るため,メコン河から水を引く灌漑開発の促進,地方開発計画促進に対し,EECから2億3900万バーツの援助を受けると農業省が発表。 |
DIA-204-1979-11-01-3 | タイ | 1979年11月01日 | 1970年代 | UNHCR,難民キャンプ設立援助金-UNHCRは,タイに5つの難民収容センターと巨大国家難民収容センターを設立するというタイ側の提案を了承し,5900万米ドルの資金援助を約束。 |
DIA-204-1979-11-03-1 | タイ | 1979年11月03日 | 1970年代 | 国境侵害問題で批難応酬が再燃-タイとカンボジアのヘン・サムリン政権との間で,互いに国境を侵害したとして批難応酬が再燃。プラチャー・タイ国連大使は,ワルトハイム国連事務総長に対し,ベトナム軍が国境を越えタイ領内に約500メートル侵害したことを提訴するとともに最近のカンボジア領内からの迫撃砲攻撃について報告した。 |
DIA-204-1979-11-06-1 | タイ | 1979年11月06日 | 1970年代 | カンボジア問題に関連して政府が発言-政府報道官はカンボジア問題に関連して次のような発言をおこなった。①ASEAN諸国の国防相は,非軍事物資(オイルなど)の共同供給という前例のないことについてすぐにも議論することになろう。②国連は,カンボジア情勢を世界に報告するためにカンボジア国境に3人の調査員を派遣した。 |
DIA-204-1979-11-07-1 | タイ | 1979年11月07日 | 1970年代 | シーサワット・ラオス総理府相が訪タイ-タイとラオスの両国は,両国間の国境決定,メコン河開発,難民問題について協議。 |
DIA-204-1979-11-07-2 | タイ | 1979年11月07日 | 1970年代 | 電気・水道料金の引上を撤回-野党,労働組合,学生活動家,さらには政府支持派議員からの反対もあって,クリアンサク首相は電気料金と水道料金の引上をみおくることを発表。この発表のあと,カセム総理府相(兼タイ発電公社総裁)は,クリアンサク首相にすべての政府現職のポスト辞職を申しでた。 |
DIA-204-1979-11-07-3 | タイ | 1979年11月07日 | 1970年代 | 石油備蓄を90日に増大-国家石油対策委員会は,石油備蓄を現在の30日から90日に増大させる提案を承認。 |
DIA-204-1979-11-08-1 | タイ | 1979年11月08日 | 1970年代 | カセム総理府相が辞職-クリアンサク内閣で初の辞職。しかしタイ発電公社総裁のポストにはとどまる。 |
DIA-204-1979-11-08-2 | タイ | 1979年11月08日 | 1970年代 | 電気・水道料金の見直し委員会設置-電気料金と水道料金の引上撤回にひき続き,電気・水道料金の見直しをおこなう委員会を設置することを,下院および政府が承認した。 |
DIA-204-1979-11-09-1 | タイ | 1979年11月09日 | 1970年代 | ロザリン米大統領夫人,難民キャンプ視察-ロザリン・カーター米大統領夫人は,8日バンコクに到着,9日タイにある24の難民キャンプのうち2カ所を視察,インドシナ難民にできるかぎりの援助をおこないたいと語った。 |
DIA-204-1979-11-09-2 | タイ | 1979年11月09日 | 1970年代 | 国境での取材禁止-タイ国軍は,カンボジア国境地域における取材活動を全面的に禁止した。この理由は明らかにされていないが,タイ国軍がカンボジアのクメール・セライ支配地域に迫撃砲攻撃をおこなったという外国報道機関のニュースに,タイ国軍が不満を持っているためと思われる。 |
DIA-204-1979-11-10-1 | タイ | 1979年11月10日 | 1970年代 | 4番目の精製油所設立に正式許可-クリアンサク首相は,タイに4番目の石油精製所を設立することを正式に許可した。新精油所は少なくとも日産10万バーレルの精油能力をもつ。具体的な交渉は来年半ばから始まるものと思われる。現在,米国,西独,フランス,スペインなどの国際的石油会社5社が,設立の希望申請をしている。 |
DIA-204-1979-11-12-1 | タイ | 1979年11月12日 | 1970年代 | タイ国軍がポル・ポト軍に迫撃砲攻撃-タイ国軍は,国境地域のバン・クロンワァーでポル・ポト軍に対し,タイ領内への侵入を防ぐため迫撃砲攻撃をおこなった。この地域には先月の初め3万人以上のポル・ポト軍に率いられたカンボジア難民が逃れてきて,このうち1万人以上がサケオの難民キャンプに疎開,残りはカンボジア領土に戻り国境近くにとどまっていた。 |
DIA-204-1979-11-12-2 | タイ | 1979年11月12日 | 1970年代 | 難民の金持ち込みを合法と決定-タイ―カンボジア国境からの難民によって持ち込まれている金を非合法的ではないとして基本的にとり扱うことを,大蔵省が決定。 |
DIA-204-1979-11-12-3 | タイ | 1979年11月12日 | 1970年代 | 金融逼迫緩和対策に100億バーツを導入-現在の金融逼迫状況を緩和し資金市場を改善するため,資金市場に100億バーツの資金を導入する,とクリアンサク首相が発表。資金のうち80億バーツは,商人が農民から農作物を購入できるように商業銀行に,残りは金融逼迫改善のため他の金融機関に中央銀行割引の形でおこなう予定である。割引期間は11月15日から始まり60日間。 |
DIA-204-1979-11-13-1 | タイ | 1979年11月13日 | 1970年代 | 外資流入が低下-5月1日~9月30日の外資流入は,政府が外国融資に対する課税を免除したことから20億8644万米ドル,1カ月平均約4億米ドル,を記録,しかし10月以降は,課税免除を続行しているにもかかわらず,主要国際短期資金市場の利子が軒並み15%を越えたことから,10月の外貨資金流入は3億2930万米ドルと低下した。 |
DIA-204-1979-11-13-2 | タイ | 1979年11月13日 | 1970年代 | 株配当金に対する二重課税を廃止-内閣は,株配当金に対してこれまでの二重課税を廃止し,15%の配当金課税のみとすると発表した。これは,活気のなくなった株式市場を立て直すため,株式投資の誘引をねらったものである。実施は80年1月1日から2年間の予定。新しい規定に関する詳細は以下の通り。①上場株とオープン・エンド型投資に対する課税は分離課税とする。②配当収入が1万バーツ以下については課税を免除。③次の1万バーツから総額40万バーツに対しては,その30%を経費として免除,残り70%に対して15%の配当税を適用。また政府は,農業協同銀行への貸出を現行の25億バーツから30億バーツに増加させるとともに,中銀貸出率を5%から3.5%に引下ること,を承認。 |
DIA-204-1979-11-13-3 | タイ | 1979年11月13日 | 1970年代 | 世銀,国際収支悪化問題解決に新しい判断-世銀は,タイ経済とその問題点を調査した結果,国際収支悪化問題を解決するには工業製品輸出を促進する道しかないと判断,工業製品輸出促進のための貸出がなされるべきであるとしバックアップを約束,世銀調査報告によれば,「適切な工業製品輸出が促進されれば,タイの工業製品輸出は力強く増加する。そのためには計画的な貸出がおこなわれなければならない」と結論づけている。 |
DIA-204-1979-11-13-4 | タイ | 1979年11月13日 | 1970年代 | 産業金融公社がエネルギー節約計画を援助-政府のエネルギー節約政策に呼応して,産業金融公社はエネルギー節約のため生産システムを変更する国内産業に対し資金面,技術面の援助をおこなう,とスクリ産業金融公社総裁が述べた。 |
DIA-204-1979-11-14-1 | タイ | 1979年11月14日 | 1970年代 | 国連調査団がバンコクに到着-国境状況を視察する国連調査団がバンコクに到着。調査団は3週間の予定でタイ―カンボジア国境を視察する。 |
DIA-204-1979-11-16-1 | タイ | 1979年11月16日 | 1970年代 | 国境紛争激化の恐れから立入禁止区域設定-5000人以上のポル・ポト軍がタラートとチャンタブリ県の国境付近に待機しており,一方ベトナム軍も戦闘準備を完了している。このため最高司令部は,チャンタブリ県のレーン村からカンボジア国境までの区域を即日立入を禁止した。 |
DIA-204-1979-11-17-1 | タイ | 1979年11月17日 | 1970年代 | 自由正義党の内閣閣僚が辞表提出-内閣改造を容易にするため,自由正義党の閣僚全員(3人)がクリアンサク首相に辞表を提出。 |
DIA-204-1979-11-18-1 | タイ | 1979年11月18日 | 1970年代 | ベトナム軍が侵入-ベトナム軍が17日,18日と続いてタイ領土にポル・ポト軍追跡のため侵入,タイ軍と衝突。タイ軍兵士1人が死亡,3人が重傷。なおベトナム軍は11日にもタイ領内に1キロほど侵入しており,一週間で3度侵入したことになる。 |
DIA-204-1979-11-18-2 | タイ | 1979年11月18日 | 1970年代 | 50万人以上の難民が国境付近に待機-タイ史上最大数の難民流入が国境付近のカンボジア領内で待機している。国軍筋によれば,チャンタブリ県北部にポル・ポト軍に率いられたカンボジア人が20万人,プラーチンブリ県北部にはセレイ軍に率いられた40万人のカンボジア人が,タイに逃れるため集結している。タイと国際機関のスタッフは,難民の大量流入に備え物資供給の最終的準備を始めた。 |
DIA-204-1979-11-18-3 | タイ | 1979年11月18日 | 1970年代 | 国境の難民56万人の収容を表明-タイ国軍最高司令部は,カンボジア国境線上にとどまっている難民56万人を国境から約10キロの地点に移し,UNHCRが新たに作る難民収容所に移す,と発表。 |
DIA-204-1979-11-19-1 | タイ | 1979年11月19日 | 1970年代 | 79―80年度籾米生産は1550万トン-雨期米は旱ばつによる影響で水田の20%が被害を受け,生産目標の1600万トンに対し1450万トン,乾期米は水不足のため最悪の状態で,前年度50%減の100万トンの見込。 |
DIA-204-1979-11-19-2 | タイ | 1979年11月19日 | 1970年代 | 大蔵省が貸出金利上限15%の廃止を内閣に提案。 |
DIA-204-1979-11-20-1 | タイ | 1979年11月20日 | 1970年代 | インドネシア,マレーシアが石油長期供給約束-インドネシア,マレーシアの両国は,長期ベースで石油製品をタイに供給することを約束したと,トングチャ・タイ石油公社総裁が語った。この約束は,先週チェンマイで開備されたASEAN石油会議において決定された。両国の供給量については決定されていないが,長期の契約でタイに今まで以上に供給がなされることになった。 |
DIA-204-1979-11-21-1 | タイ | 1979年11月21日 | 1970年代 | 内閣閣僚3人が辞表提出-カセム総理府相,プラソン副運輸相,サガー副農林相の閣僚3人が辞表を提出。しかし,新内閣組閣に努力するためクリアンサク首相に対する支持を続けることを表明。 |
DIA-204-1979-11-21-2 | タイ | 1979年11月21日 | 1970年代 | 中東からの出稼ぎ送金20億バーツ-労働省の発表によると,現在約5万人のタイ人が中東諸国で働いており,今年の送金は10月までで20億バーツに達する。なお,現在海外で働いているタイ人は約10万人。 |
DIA-204-1979-11-22-1 | タイ | 1979年11月22日 | 1970年代 | 80年輸出目標計画-商業省は,80年の輸出目標額を発表。通常目標が1100億バーツ(79年度比10%増),この場合の工業製品の輸出の総輸出に対する割合は25%。努力目標額は,前年比20%増の1200億バーツ,工業製品輸出割合は30%。 |
DIA-204-1979-11-22-2 | タイ | 1979年11月22日 | 1970年代 | スエーデンに貿易拡大を要請-オップ商業大臣は,スエーデンに対し両国の貿易拡大のため,タイ製品の特恵関税適用品目の拡張を要請。現在のタイ産品に対する特恵関税品目は少数に限られていることから,冷凍海産物やその他の特産物に対する特恵関税適用,繊維製品輸入制限の緩和,を要請。 |
DIA-204-1979-11-23-1 | タイ | 1979年11月23日 | 1970年代 | ベトナムの砲撃に対し,再度国連に提訴。 |
DIA-204-1979-11-23-2 | タイ | 1979年11月23日 | 1970年代 | 政府,難民救済の資金援助を早めるように世界に要請。 |
DIA-204-1979-11-26-1 | タイ | 1979年11月26日 | 1970年代 | 首相,日本に農村開発計画援助を早めるように要請。 |
DIA-204-1979-11-26-2 | タイ | 1979年11月26日 | 1970年代 | クリーブランド米国務省タイ局長訪タイ。 |
DIA-204-1979-11-28-1 | タイ | 1979年11月28日 | 1970年代 | タイ石油公社(PTT)が資金不足-政府が電気料金を凍結したため,タイ発電公社は燃料費支払資金が不足,PTTの石油基金から多額な助成金を受けていた。この結果,PTTもハイスピード・ディーゼル油の購入が心配されるほど資金が不足している。 |
DIA-204-1979-11-29-1 | タイ | 1979年11月29日 | 1970年代 | カンボジアの諸勢力を批難-スイッティ総理府相が次のように語った。カンボジア人民への食糧援助は続けられ,増加されなければならない。しかし,カンボジアに援助供給された食糧の分配は,非効率でありしかも勢力維持のため武器として使われている。このことはカンボジア難民問題に関心のある世界中のすべての人にとって耐え難いことで,中止されなければならない。 |
DIA-204-1979-12-01-1 | タイ | 1979年12月01日 | 1970年代 | タイ国軍が「越境外国軍」に警告砲撃-タイ国軍は,11月30日と12月1日に2度にわたりカンボジア国境を越え侵入してきた外国軍隊に対し,警告砲撃をおこなった。 |
DIA-204-1979-12-01-2 | タイ | 1979年12月01日 | 1970年代 | 国境付近地域の非武装化を国連に提案-タイ政府は,カンボジア国境付近にいるカンボジア難民への救済物資供給を容易にするため,アランヤプラテートの北約20キロの2村を非武装地域に宣言することを国連に提案。 |
DIA-204-1979-12-02-1 | タイ | 1979年12月02日 | 1970年代 | 米大使館に爆弾攻撃の脅迫電話-米大使館に爆弾攻撃をおこなうという脅迫電話があり,タイ警察は援兵を派遣。なお,11月30日,米大使館構内で爆弾によるとみられる爆発があった。 |
DIA-204-1979-12-02-2 | タイ | 1979年12月02日 | 1970年代 | 政府,電気・水道料金の引上を約束-大蔵省は,アジア開銀によるタイ発電公社と都市水道公社への融資を進めるため,政府が電気料金・水道料金を引上げることをアジア開銀に約束。 |
DIA-204-1979-12-03-1 | タイ | 1979年12月03日 | 1970年代 | タイ国軍が国境難民キャンプへの援助停止-タイ国軍は,クメール・セレイ軍支配下カンボジア人の国境難民キャンプへの援助を停止。クメール・セレイ軍の幹部が援助を横取りし,また難民のカオイダン・キャンプへの移送妨害をしているため。 |
DIA-204-1979-12-03-2 | タイ | 1979年12月03日 | 1970年代 | 中国軍代表団,訪タイ-王尚栄副総参謀長を団長とする中国軍事代表団が訪タイ。両国の軍事関係強化を図るのではないか,と注目されている。 |
DIA-204-1979-12-03-3 | タイ | 1979年12月03日 | 1970年代 | 8閣僚が辞表提出-サワット総理府相他7閣僚がクリアンサク首相に辞表を提出。辞職理由は,クリアンサク首相が新内閣組閣にあたり最適な人事をおこなうためである,とサワット総理府首相が語った。 |
DIA-204-1979-12-03-4 | タイ | 1979年12月03日 | 1970年代 | 首相,電気料金の引上を決定-クリアンサク首相は,経済開発と国家存続のため電気料金引上が不可欠であるとして,電気料金の引上をおこなうと発表。 |
DIA-204-1979-12-04-1 | タイ | 1979年12月04日 | 1970年代 | 資本市場育成基金に資金追加-資本市場の購買力増強のため,タイ銀行協会,政府貯蓄銀行,中央銀行は資本市場育成基金を新たに10億バーツ追加することを合意。資本市場育成基金は,8月初めに政府貯蓄銀行,中央銀行,タイ銀行協会が,それぞれ,2.8億バーツ,3億バーツ,4.2億バーツを出資し発足。 |
DIA-204-1979-12-05-1 | タイ | 1979年12月05日 | 1970年代 | タイ国軍が完全防衛体制-12月15日から25日にかけて,ベトナム軍によるポル・ポト軍総攻撃が予想され,両軍のまんいちの越境に対し数個師団が,カンボジア国境沿いのタプラヤ,アランヤプラテートからチャンタブリ県,トラート県にかけて全面配置された。なお,国境のカンボジア領内に展開されているベトナム軍は,8個師団,約7万人。 |
DIA-204-1979-12-07-1 | タイ | 1979年12月07日 | 1970年代 | クメール・セレイ支配下カンボジア難民への援助停止を解除-タイ国軍は,タプラヤ郡のカンボジア国境付近にいるクメール・セレイ支配下難民25万人に対する援助停止を解除。解除の理由は明らかにされていないが,クメール・セレイ軍推定300人が,支配下カンボジア人民を1日に4000人,支配地域を離れて国境から16キロのカオ・イ・ダン難民キャンプに行くことを許可したため,とされている。 |
DIA-204-1979-12-07-2 | タイ | 1979年12月07日 | 1970年代 | タイ国軍とクメール・セレイ軍衝突-タイ国軍筋によると,タプラヤ郡の国境付近で,タイ軍とクメール・セレイ軍が銃撃戦。タイ軍兵士1人が死亡,クメール・セレイ軍も少なくとも3人が死亡。 |
DIA-204-1979-12-10-1 | タイ | 1979年12月10日 | 1970年代 | 対ラオス貿易規制緩和-バンコク・ポスト紙によると,商業省外国貿易局は,タイとラオスの両国間貿易拡張のため,タイ国内会社がラオス国家輸出入会社との貿易取引をおこなえるようになった,と発表。 |
DIA-204-1979-12-11-1 | タイ | 1979年12月11日 | 1970年代 | 1万人のカンボジア人がタイに避難-1万人以上のカンボジア人が,10日,11日の2日間にカンボジア領内からタプラヤ郡北部に逃れてきた。難民は,現在7万人以上が収容されているカオ・イ・ダン難民キャンプに収容される予定。 |
DIA-204-1979-12-13-1 | タイ | 1979年12月13日 | 1970年代 | 西独,経済・社会開発プロジェクトに資金贈与-西独は,経済・社会開発プロジェクトに対し,タイ政府に2億2000万バーツの贈与。今回の贈与は,数十万人のインドシナ難民を抱えているタイの負担を軽減するという西独政府の好意による。 |
DIA-204-1979-12-13-2 | タイ | 1979年12月13日 | 1970年代 | インドネシア,80年原油供給量を発表-インドネシアは,80年のタイへの原油供給量を1日当り5000バーレルと発表。なお,タイは1カ月当り200万リッターの原油供給をインドネシアに要請した。 |
DIA-204-1979-12-14-1 | タイ | 1979年12月14日 | 1970年代 | 追加予算案が上院・下院を通過-追加予算案は,55億5650万バーツ,来年度からの公務員給与引上と米その他穀物価格の安定のため追加された。 |
DIA-204-1979-12-16-1 | タイ | 1979年12月16日 | 1970年代 | クメール・セレイ軍がカンボジア人を強制送還-タイ領国境近くに避難していたカンボジア人20万人以上が,クメール・セレイ軍の手によってカンボジア領内にひきもどされた。 |
DIA-204-1979-12-16-2 | タイ | 1979年12月16日 | 1970年代 | ソ連,石油頁岩調査の権利を要請。 |
DIA-204-1979-12-17-1 | タイ | 1979年12月17日 | 1970年代 | 内閣,80年輸出促進計画を承認-バンコク・ポスト紙によると,内閣は,商業省が提出した80年の輸出増加のための11項目にのぼる輸出促進計画を承認。承認された計画では,輸出製品の高品質維持,政府と民間の協力に重点がおかれている。 |
DIA-204-1979-12-17-2 | タイ | 1979年12月17日 | 1970年代 | 80年石油輸入代金は500億バーツ-石油専門家が語ったところによると12月のOPECによる原油価格引上げにより,80年の石油輸入支払額は,79年より150億バーツ増加(35%増)の500億バーツ,80年輸出所得の40%以上,となる。この推定額は,エネルギー節約対策によって石油消費が節約され消費増加率が3~4%と仮定した楽観的な場合である。 |
DIA-204-1979-12-18-1 | タイ | 1979年12月18日 | 1970年代 | 貿易収支,国際収支が悪化-政府エコノミストが次のように発表。79年の貿易収支,国際収支は,それぞれ470億バーツ,138億バーツの赤字となり,タイ経済は構造的問題を抱えており,IMFの緊急貸出によって修正する段階にきている。政府は,80年,81年の2年間で6億米ドルのIMF緊急貸出を受ける準備をしている。 |
DIA-204-1979-12-18-2 | タイ | 1979年12月18日 | 1970年代 | ビルマ軍兵士300人が誤ってタイ領に越境。 |
DIA-204-1979-12-19-1 | タイ | 1979年12月19日 | 1970年代 | 天然ガスの最優先供給先を変更-タイ石油公社は,シャム湾の天然ガス最優先供給先をタイ発電公社から重工業部門への変更を決定。変更理由について,タイ石油公社は,重工業部門の開発がタイ経済の発展にとって極めて重要であると考え,重工業部門開発推進の義務を果たすためである,と語った。 |
DIA-204-1979-12-20-1 | タイ | 1979年12月20日 | 1970年代 | 石油問題により80年経済開発に支障-トングチャ・タイ石油公社総裁は,80年の石油消費量削減のため,80年についてはいくつかの開発計画を遅らせるか廃棄することもある,と語った。なお80年の石油消費増加率は,当初7%と予測されている。 |
DIA-204-1979-12-21-1 | タイ | 1979年12月21日 | 1970年代 | 利子率法改正-現行の15%貸出利子率上限を大蔵相に引上権を与える法案が可決。 |
DIA-204-1979-12-22-1 | タイ | 1979年12月22日 | 1970年代 | タイ国軍,警戒態勢に-カンボジア国境沿いに展開するタイ国軍は,ベトナム軍のポル・ポト軍に対する最終攻撃に備え,全面警戒態勢に入った。 |
DIA-204-1979-12-22-2 | タイ | 1979年12月22日 | 1970年代 | ベトナム,タイに対する批難を再開-ベトナムは,2カ月前に結ばれたお互いに批難をしないという協定を破り,タイはカンボジア紛争に対し中立的でない,と批難。 |
DIA-204-1979-12-24-1 | タイ | 1979年12月24日 | 1970年代 | モフタル・インドネシア外相,帰国-モフタル・インドネシア外相が,3日間タイを訪問,クリアンサク首相らとインドシナ問題を協議,帰国した。 |
DIA-204-1979-12-26-1 | タイ | 1979年12月26日 | 1970年代 | クリアンサク首相,国境視察-クリアンサク首相は,カンボジア国境視察のため,国境地帯に向かった。なおベトナム軍は最近兵力増強を図り,近く大攻撃に出るものと見込まれている。 |
DIA-204-1979-12-28-1 | タイ | 1979年12月28日 | 1970年代 | ベトナムを名指で国連に提訴-タイ政府は,ベトナムをカンボジアからの侵入者として国連に提訴。 |