ID 国名 日付 年代 内容
DIA-201-1976-01-01-1ベトナム1976年01月01日1970年代ニャンザン紙:中央農業委員会は1976年の目標として米作地90万ヘクタールの灌排水施設を整備する計画であると発表。
DIA-201-1976-01-01-2ベトナム1976年01月01日1970年代バクタイ省でNui Coc湖水利事業(運河とダム建設)開始。
DIA-201-1976-01-01-3ベトナム1976年01月01日1970年代(バンコク)タイ政府は,ラオス国境を2ヵ月ぶりに再開すると発表。
DIA-201-1976-01-02-1ベトナム1976年01月02日1970年代ニャンザン紙は,北部行政機構の再編成後,特別都市と各省の新名称,面積,人口および人口密度について次のような細目を報道。
DIA-201-1976-01-02-2ベトナム1976年01月02日1970年代ダナンで機械工場建設始まる。
DIA-201-1976-01-03-1ベトナム1976年01月03日1970年代ニヤンザン紙:チュオン・チン政治局員および国会議長はハノイ市党委員会総会に出席し“今年中,わが党と国家は党の全国第4回大会開催と国家統一総選挙の二つの重大な活動を実現する”と発言。
DIA-201-1976-01-03-2ベトナム1976年01月03日1970年代ホー・チ・ミン市で,大学入学試験に4万3000人が参加。
DIA-201-1976-01-03-3ベトナム1976年01月03日1970年代ダオ・ツン(Dao Tung)ベトナム通信社(V.N.A)社長ビエンチャンを訪問。
DIA-201-1976-01-03-4ベトナム1976年01月03日1970年代ニャンザン紙:商業中央大学の今年度卒業者は2000人そのうち,36%が経済管理を,41%が商品選別と業務技術を,23%が公共飲食事業の管理を専攻した。
DIA-201-1976-01-03-5ベトナム1976年01月03日1970年代ベトナム通信社代表団(団長ダオ・ツオン編集 長),ラオス友好訪問のためピエンチャンへ。
DIA-201-1976-01-04-1ベトナム1976年01月04日1970年代ベトナム軍事代表団(団長ボー・グエン・ザップ国防相)キューバ公式訪問を終る。
DIA-201-1976-01-04-2ベトナム1976年01月04日1970年代ニャンザン紙:南部のヒェップホアとビンズオン両製糖工場生産を再開。
DIA-201-1976-01-04-3ベトナム1976年01月04日1970年代昨年12月23日から開催されていた最高人民評議会第1回全体会議終了。
DIA-201-1976-01-05-1ベトナム1976年01月05日1970年代ジャマイカと大使級の外交関係を樹立。
DIA-201-1976-01-05-2ベトナム1976年01月05日1970年代ニャンザン紙:家畜業中央公司は南部の家畜業の発展を援助するため,鶏と鴨の玉子11万5000個を空輸。
DIA-201-1976-01-05-3ベトナム1976年01月05日1970年代新憲法発布―フ・ニム情報・宣伝相がコミュニケ発表。
DIA-201-1976-01-05-4ベトナム1976年01月05日1970年代(パテトラオ通信)チャンパサク省パクセ市タラット村の遊撃部隊はスパイ団4人を死亡させ,4人を捕虜に。7日には同省解放軍はフォントーン県でタイから侵入した亡命右派残党3人を死亡さす。
DIA-201-1976-01-06-1ベトナム1976年01月06日1970年代ニャンザン紙:電力石炭省の発表によると1975年の電力部門の生産は計画より2.3%増,1965年の2倍に達した。また1975年の石炭生産は計画より1.7%増,1965年の19%増に達した。
DIA-201-1976-01-06-2ベトナム1976年01月06日1970年代タイのプラチンブリ県のカンボジア国境に数キロの地点でタイ兵士がカンボジア軍のロケット砲撃を浴び1人が死亡,5人が重傷。
DIA-201-1976-01-07-1ベトナム1976年01月07日1970年代ビルマのウー・ラ-・フォンCu Hla Phon外相,ハノイ到着。
DIA-201-1976-01-07-2ベトナム1976年01月07日1970年代13号道路上にベトナム援助の浮橋(300m,パク・カディン橋)完成。
DIA-201-1976-01-08-1ベトナム1976年01月08日1970年代ファム・バン・ドン首相はアルジェリアのブーメディエン非同盟会議議長代行へメッセージを送り,ベトナム人民と政府はアンゴラ人民の正義の闘争を支持すると表明した。
DIA-201-1976-01-08-2ベトナム1976年01月08日1970年代通信・公共事業・運輸省,自動車所有者に対する燃料の割当切符制に関する声明。
DIA-201-1976-01-09-1ベトナム1976年01月09日1970年代党と政府の指導者は中国の周首相死去にあたって弔電を送る。
DIA-201-1976-01-09-2ベトナム1976年01月09日1970年代フアン・チョン・クアン文化省映画局長はビエンチャンを訪問。
DIA-201-1976-01-09-3ベトナム1976年01月09日1970年代ルーマニア外務省特別使節団(ニターレ駐中国ルーマニア大使館顧問とデュリプレスク・ルーマニア外務省副局長ら)プノンペン訪問。11日イエン・サリ副首相と,22日シアヌーク元首と会見。23日帰国。
DIA-201-1976-01-09-4ベトナム1976年01月09日1970年代内務・在郷軍人・社会福祉省,ラオス・米協会に対し,同協会の学校閉鎖を命令。
DIA-201-1976-01-10-1ベトナム1976年01月10日1970年代ポー・グエン・ザップ国防相,アルジェリアへの友好訪問を終る。
DIA-201-1976-01-10-2ベトナム1976年01月10日1970年代南ベトナム共和国はクウェートと大使級の外交関係を樹立。
DIA-201-1976-01-10-3ベトナム1976年01月10日1970年代東チモールのFRETILIN代表団(団長ラボト国防相兼最高指揮官)ハノイ到着。
DIA-201-1976-01-10-4ベトナム1976年01月10日1970年代シアヌーク元首,ペン・ヌート首相,キュー・サムファン副首相,周恩来首相の逝去に対し,毛沢東主席,朱徳委員長,鄧小平副首相に弔電。
DIA-201-1976-01-10-5ベトナム1976年01月10日1970年代シアヌーク元首,ペン・ヌート首相,キュー・サンファン副首相,ソン・セン副首相,駐プノンペン中国大使館を弔問。
DIA-201-1976-01-10-6ベトナム1976年01月10日1970年代ポンビチト副首相を団長とする党・政府代表団は,キューバ共産党第1回大会出席を終え,ソ連経由で10日ビエンチャン帰着。
DIA-201-1976-01-10-7ベトナム1976年01月10日1970年代政府,ビエンチャン住民に対するガソリン,砂糖,ミルク等の配給割当を決める。
DIA-201-1976-01-12-1ベトナム1976年01月12日1970年代ベトナム民間航空総局設置。
DIA-201-1976-01-12-2ベトナム1976年01月12日1970年代ニャンザン紙:ハイフォン市人民委員会は市内の物資分配に対する人民検査委員会を設置,各国営商店と商業合作社を厳しく検査。
DIA-201-1976-01-12-3ベトナム1976年01月12日1970年代国営放送報道;チャンパサクで昨年12月25日,今年1月3日と2回にわたり“反動派”との衝突があり,1月3日の戦闘では“反動派”6人が死亡。
DIA-201-1976-01-13-1ベトナム1976年01月13日1970年代アメリカのマクガバン上院議員,ハノイ到着。
DIA-201-1976-01-13-2ベトナム1976年01月13日1970年代タイ国営放送発表,パテトラオがタイ北東部ナコンパノム県のメコン川国境でタイのパトロール艇に対し機関銃とロケット砲で攻撃。タイ側応戦,損害なし。
DIA-201-1976-01-14-1ベトナム1976年01月14日1970年代南ベトナム林業局は森林調査を完了。それによると,解放以来,16万立方米の木材が建築に使用された。
DIA-201-1976-01-14-2ベトナム1976年01月14日1970年代ニャンザン紙:ホーチ・ミン市の燃料供給量が今までより30%増加。市内のガソリン給油所252ヵ所も営業再開。農村と海岸および山岳各地帯への燃料供給系統も拡張。
DIA-201-1976-01-14-3ベトナム1976年01月14日1970年代チラナで,ベトナムとアルバニアの1976~80年および1976年度の物資交換および支払協定締結。
DIA-201-1976-01-15-1ベトナム1976年01月15日1970年代ニャンザン紙:政府とハノイ市行政委は故周首相の葬儀期間中,中央から地方まで各官庁と機関で半旗を揚げるよう指示。
DIA-201-1976-01-15-2ベトナム1976年01月15日1970年代南ベトナムでは85万人が成人学級,補習教育に参加。
DIA-201-1976-01-16-1ベトナム1976年01月16日1970年代外務省声明,インドネシア軍の東チモールから,の即時撤退を要求。
DIA-201-1976-01-17-1ベトナム1976年01月17日1970年代ニャンザン紙によると,ディン・バ・チ革命政府代表はジャマイカで開かれた世界銀行と国際通貨基金総会(7~9日まで)に出席し,米国政府が旧ベトナム銀行の預金総額9000万ドルを凍結していることを非難。
DIA-201-1976-01-17-2ベトナム1976年01月17日1970年代ソ連海運省代表団(団長L.S.アレクサンドロビッチ次官)ハノイ到着。
DIA-201-1976-01-17-3ベトナム1976年01月17日1970年代中国の桂林市革命委員会代表団,ホー・チ・ミン市を訪問。
DIA-201-1976-01-17-4ベトナム1976年01月17日1970年代国連難民高等弁務官事務所ラオス駐在代表部と政府,76年におけるラオス難民援助に関する協定に調印。600万ドル相当の物資供給。
DIA-201-1976-01-18-1ベトナム1976年01月18日1970年代ニャンザン紙:北部の少数民族ジャオ族の人口は現在20万人以上に達す。
DIA-201-1976-01-18-2ベトナム1976年01月18日1970年代民間航空局発表,「ラオス航空」設立。19日から営業。
DIA-201-1976-01-19-1ベトナム1976年01月19日1970年代グエン・コ・タク外務次官,首相特使はイラク訪問を終る。
DIA-201-1976-01-20-1ベトナム1976年01月20日1970年代ニャンザン紙:北部の国会代表と南部の革命政府諮問協議会は合同会議を開催,1976年4月25日に統一国会総選挙を実施することを決定,同時に南北代表を含む全国総選挙中央委員会を設置。同委員会のメンバーは次のとおり。 北部から参加: TRUONG CHINH北の国会議長(政治局員) HOANG VAN HOAN〃副議長(政治局員) XUAN THUY〃〃(中央委書記) NGUYEN XIEN〃〃(社会党書記長) TRAN DANG KHOA〃(民主党副書記) CHU VAN TAN上将国会副議長兼民族委員長(ヌン族出身) TRAN DINH TRI国会事務局長 NGUYEN THI MINH NHA北の婦人連合会副会長 VO THANH TRINH牧師・カトリク教徒の平和と祖国を愛する全国連絡員 TRAN QUANG DUNG僧侶統一仏教協会副会長 TRUONG TAN PHAT北の国会事務局書記 南部から参加: PHAM HUNG南部解放戦線労働党代表(政治局員兼南部党支局書記) NGUYEN HUU THO解放戦線中央委議長 革命政府諮問協議会議長 HUYNH TAN PHAT解放戦線中央委書記長,革命政府首相 TRINH DINH THAO民族民主平和連盟議長,革命政府諮問協議会副議長 TRAN NAM TRUNG解放戦線中央委副議長,革命政府国防相(党中央委員) DANG TRAN THI解放労働連盟副議長(中部地区代表) Y BI ALEO解放戦線中央委副議長,タイグエン少数民族自治区代表 THICH THIEN HAO僧侶解放戦線内仏教徒代表 NGUYEN HUU THE解放農民協会会長 NGUYEN HO解放労働連盟副議長(党中央委員,ホー・チ・ミン市党代表) NGO BA THANH女史,元婦人生活権の擁護運動議長,ホ-チ・ミン市知識者協会副会長,解放婦人連合会中央委員。
DIA-201-1976-01-20-2ベトナム1976年01月20日1970年代ハ・バク省の窒素肥料工場建設を援助した中国人専門家を表彰。
DIA-201-1976-01-21-1ベトナム1976年01月21日1970年代ホ-・チ・ミン市(旧サイゴン市とジアディン地区)人民革命委員会成立―革命委員会のメンバーは次のとおり。 議長:VO VAN KIET(党中央委員) 副議長:MAI CHI THO(大佐),LE DINH NHON,NGUYEN VAN HIEU(革命政府国務相) 委員:LE QUANG CHANH,NGUYEN DUY CUO NG,TRAN VAN DANH(軍人),VAN DAI,BUI THANH KHIET,NGUYEN KIEN LAP,DO THI DUY LIEN(女史),LE VAN QUYNH,TRAN TAN,NGUYEN VAN THEUYEN,DUONG DINH THAO。
DIA-201-1976-01-21-2ベトナム1976年01月21日1970年代ホー・チ・ミン市軍事管理委員会は同市人民革命委員会(議長Vo Van Kiet)に権力を委譲。
DIA-201-1976-01-21-3ベトナム1976年01月21日1970年代グエン・コ・タク外務次官,イラン訪問を終る。
DIA-201-1976-01-21-4ベトナム1976年01月21日1970年代ニューヨーク・タイムズ紙報道;昨年10月末から新たに農民大移動。
DIA-201-1976-01-21-5ベトナム1976年01月21日1970年代政府発表,アンゴラ人民共和国(MPLA)承認。
DIA-201-1976-01-22-1ベトナム1976年01月22日1970年代(バンコク)東南ア文化祭のラオス代表団長としてバンコクを訪れているオウンヘウアン情報次官はタイのチャチャイ外相と会談。①チャチャイ外相が来月初めビエンチャンを訪問,②国境紛争,武器・商品の密輸を話し合う合同委の設置,で合意。 24日タイのナコンパノム県タートパノム郡のメコン河でタイ漁民射殺さる。チャチャイ外相はこの事件に抗議する覚書をオウンヘウアン次官に手交。
DIA-201-1976-01-23-1ベトナム1976年01月23日1970年代中国民航の北京・プノンペン直通航空路開設。隔週,金曜日,一往復。
DIA-201-1976-01-23-2ベトナム1976年01月23日1970年代国連反麻薬委ラオス駐在代表モロランライフォンラト氏はボンビチト副首相と会談,席上,国連が教育・医療面を中心に再建に援助する用意があると言明。
DIA-201-1976-01-24-1ベトナム1976年01月24日1970年代ハンガリアのFrigyes Puja外相,公式訪問のためハノイに到着。
DIA-201-1976-01-24-2ベトナム1976年01月24日1970年代ユーゴ政府経済代表団(団長ムゴビン・ベイダット科学技術経済協力委議長)はハノイに到着。
DIA-201-1976-01-24-3ベトナム1976年01月24日1970年代ニャンザン紙:北部では現在まで50県,350の農業合作社が秋季の食糧納入義務を完遂。
DIA-201-1976-01-24-4ベトナム1976年01月24日1970年代農業中央委員会によると現在まで,北部では16県が農業灌漑整備3ヵ年計画を完成,また1975年中に,北部全体の主要地区の灌漑施設完備面積は28万9910ヘクタールに達した。
DIA-201-1976-01-24-5ベトナム1976年01月24日1970年代ラオス経済代表団(団長サイソムペン商工相)訪ソ。30日,ソ連との間に76/77年度援助協定に調印。
DIA-201-1976-01-25-1ベトナム1976年01月25日1970年代ニャンザン紙:1975年一年間で北部全農村の交通路系統の改修と新設は2万8000kmに達す。
DIA-201-1976-01-25-2ベトナム1976年01月25日1970年代ニャンザン紙:中部高原に住む少数民族バナ(Bana)族の入口は10万に達す。
DIA-201-1976-01-26-1ベトナム1976年01月26日1970年代グエン・コ・タク外務次官,シリア訪問を終る。Mahmoud Al Ayoubi首相と会見。
DIA-201-1976-01-26-2ベトナム1976年01月26日1970年代シアヌーク元首,ファン・バン・バ駐プノンペン南ベトナム大使と会見。
DIA-201-1976-01-26-3ベトナム1976年01月26日1970年代ビエンチャン市公安局は法律違反で米人2人の追放を決定。1人は武器貯蔵とラオス人使用人への給料不払い,1人は自動車事故。
DIA-201-1976-01-27-1ベトナム1976年01月27日1970年代レ・タン・ギ副首相はソ連医療代表団(団長プアガソプ・医療次官)と会見,両国の1976~1980年の医療関係協力協定に調印。
DIA-201-1976-01-28-1ベトナム1976年01月28日1970年代ニャンザン紙:北部ゲチン省の春季とうもろこし栽培面積は4万5000ヘクタール。
DIA-201-1976-01-28-2ベトナム1976年01月28日1970年代バグダッドでイラクとの援助および経済協力協定に調印。
DIA-201-1976-01-28-3ベトナム1976年01月28日1970年代ソ連民間航空代表団,ビエンチャン訪問。
DIA-201-1976-01-29-1ベトナム1976年01月29日1970年代政府は生産の再組織と経済管理に関する決議を布告。
DIA-201-1976-01-29-2ベトナム1976年01月29日1970年代ビエンチャンに初の国営商店開設。公務員・兵士向け。
DIA-201-1976-01-31-1ベトナム1976年01月31日1970年代党代表団(団長Van Tien Dung政治局員)フランス共産党第22回大会に出席するためパリに到着。
DIA-201-1976-01-31-2ベトナム1976年01月31日1970年代夜,市場近くで手りゅう弾が投げられ,ビエンチャン北東50キロでは陣地が攻撃さる。タイに逃げて来た難民によれば,旧政府軍兵士2000人がチャンパサク,パクセ両省の一部を支配。ビエンチャン北90キロのバンビエンでは守備隊の一部がメオ族反乱軍に参加し,ビエンチャンとルアンプラバンを結ぶ道路の治安を脅かしている。
DIA-201-1976-02-02-1ベトナム1976年02月02日1970年代南部解放戦線代表団(団長グエン・チ・ビン革命政府外相)はフランス共産党第22回大会に出席のためパリに到着。
DIA-201-1976-02-02-2ベトナム1976年02月02日1970年代ニャンザン紙:チュオン・チン国会議長はゲチン,タィンホア,ハナムニン各省を訪問,同各省の幹部と人民とともに新年を祝う。
DIA-201-1976-02-02-3ベトナム1976年02月02日1970年代ニャンザン紙:レ・ジュアン党第一書記はハノイ市内中国人協会の事務所と中国系新聞「新越華」本社を訪問,新年を祝賀した。
DIA-201-1976-02-02-4ベトナム1976年02月02日1970年代プノンペン放送,戦士の守るべき12項目の道徳規律について報道。
DIA-201-1976-02-03-1ベトナム1976年02月03日1970年代ニャンザン紙:ファム・フン政治局員兼南部党支局書記はメコン・デルタの各省を訪問,各省党委員会および人民とともに新年を祝う。
DIA-201-1976-02-03-2ベトナム1976年02月03日1970年代ファム・バン・ドン首相はアンゴラ人民の正義の闘争を支持する国際会議(2月2~4日)にアンゴラ人民の正義の闘争を全面的に支持するとの電報を送る。
DIA-201-1976-02-03-3ベトナム1976年02月03日1970年代ニャンザン紙:ボー・グエン・ザップ副首相兼国防相はレ・ドク・ト政治局員に同行して南部メコン・デルタ各省を訪問。同各省の軍司令官と幹部および人民とともに新年を祝賀。
DIA-201-1976-02-03-4ベトナム1976年02月03日1970年代ニャンザン紙は党中央委第24回総会の決議を掲載。決議の重点は次のとおり。 ○ベトナム人民は民族4000年の歴史の輝しい時代に突入している。 ○わが労働党はベトナム労働者階級と全人民を指導し,団結を強化し,全国を国家面で統一させ,統一した社会主義国家を建設するという重大な使命を持っている。 ○統一社会主義国家の目標は農業と工業の近代化,強力な国防,進歩した文化と科学,文明と幸福な生活を建設し,世界に高い位置を占めるようにすることである。 ○わが党は全人民とともに故ホー主席の偉大な革命路線を止むことなく継承し,常に党の独立と自主および国際団結の精神を高め,わが国と世界においてマルクス・レーニン主義が完全に勝利するため闘争することを決意した。 ○わが党は政権を握った指導政党であり,党幹部と全党員は故ホー主席の教えを厳格に堅持し実行しなければならない。 ○いつまでも,わが党を清潔に保なければならない,また,人民の指導者であると同時に人民の公僕でもあることを忘れてはならない。
DIA-201-1976-02-03-5ベトナム1976年02月03日1970年代プノンペン放送,生産協同組合強化について報道。
DIA-201-1976-02-03-6ベトナム1976年02月03日1970年代国家計画委で,中国政府からの援助物資受領式。トラック150台,自転車8000台,米1万トン,石油1万トン,セメント3000トン等。
DIA-201-1976-02-04-1ベトナム1976年02月04日1970年代ニャンザン紙:ファム・バン・ドン首相の北部高原のカオラン,クアンニン両省を訪問,同地方幹部,人民とともに新年を祝う。
DIA-201-1976-02-04-2ベトナム1976年02月04日1970年代ニャンザン紙:旧正月を迎えるに当り,党と政府の首脳は各地方の農村を訪問,革命家族,革命戦士の遺族を慰問した。ホアン・アィン副首相はフエ市とクアンチ市をドー・ムウィ副首相はハイフォン市をホアン・バン・タイ上将副参謀長はベトバク自治区を訪問。ホー・チ・ミン市革命委と党委代表はともに新経済開発区を訪問,ボー・チ・コン党中央委員兼中部党委書記はクアンナムーダナン地区を訪問。
DIA-201-1976-02-04-3ベトナム1976年02月04日1970年代郵便事業代表団(団長Vu Van Quy郵便事業局次長)は社会主義諸国の郵便協力機構閣僚会議に出席のためキューバへ出発。
DIA-201-1976-02-04-4ベトナム1976年02月04日1970年代フー・ニム情報・宣伝相は放送を通じて,第1回人民代表議会選挙が3月20日に実施されると発表。
DIA-201-1976-02-05-1ベトナム1976年02月05日1970年代党・政府代表団,ハノイ訪問(~11日)―団長カイソン・フォムビハン,副団長ヌハク・プームサワン党政治局員兼財政相。総勢20人。11目共同声明調印。
DIA-201-1976-02-06-1ベトナム1976年02月06日1970年代首相府は手975年1月9日付けで,人戻統制委員会を設置したことを発表。
DIA-201-1976-02-06-2ベトナム1976年02月06日1970年代ニャンザン紙:水利大学技師課程の卒業者166人。専門別にみると農業灌漑施設44人・河川施設の設計,水力発電設計22人,治水工事設計44人,水の気象情報25人,総合水利31人。
DIA-201-1976-02-06-3ベトナム1976年02月06日1970年代ミロラド・ミヨビク・ユーゴ大使,プノンペソ到着。
DIA-201-1976-02-07-1ベトナム1976年02月07日1970年代レ・タン・ギ副首相は東ドイツ政府国家計画委代表団(団長ブルノラット同党中央委員候補国家計画副委員長)と会談。
DIA-201-1976-02-07-2ベトナム1976年02月07日1970年代7,8日,ソ連,ハノイ経由で大量の援助物資をビエンチャンに空輸。
DIA-201-1976-02-08-1ベトナム1976年02月08日1970年代ニャンザン紙:農業の機械化計画に努力している全北部は,大型トラックター5000台を保有し,うち平原地帯だけで3000台を保有している。
DIA-201-1976-02-08-2ベトナム1976年02月08日1970年代ニャンザン紙:北部辺境少数民族の中に,コーム族(Kho mu)の人口は1万5000人。
DIA-201-1976-02-09-1ベトナム1976年02月09日1970年代グエン・コ・タク外務次宮,クウェート訪問を終る。
DIA-201-1976-02-10-1ベトナム1976年02月10日1970年代ニャンザン紙:経済計画大学の物資経済,国民経済計画,統計,労働経済などを専攻した卒業者105人は今後,政府機関と合作社に就職。
DIA-201-1976-02-10-2ベトナム1976年02月10日1970年代ニャンザン二紙:北部は農業用水整備計画の第1段階を終ろうとしているが灌漑施設3ヵ年計画を完成した県が17,農業用水9系統が完成し米作地20万4000ヘクタールの灌漑施設が完全に整備された。
DIA-201-1976-02-11-1ベトナム1976年02月11日1970年代ラオスの党と政府代表団(団長カイソン・フォムビハン党書記長・首相)との間に共同コミュニケ。
DIA-201-1976-02-11-2ベトナム1976年02月11日1970年代ベトナム中国友好協会創立26周年記念式典。
DIA-201-1976-02-11-3ベトナム1976年02月11日1970年代(バンコク)チャチャイ外相,27日カンボジアを訪問すると発表。
DIA-201-1976-02-12-1ベトナム1976年02月12日1970年代ニャンザン紙:旧サイゴン政権時代に外国企業と合弁で設立されたVIKYNO(日本の久保田農機会社との合弁企業),VINPRO(日本のヤンマー会社との合弁企業)の両企業は解放後,南北技術者の合同研究によって新農機(Dai Thang5)の製造に成功。
DIA-201-1976-02-13-1ベトナム1976年02月13日1970年代ニャンザン紙:南部ビエンホア地区のVADACO(新建材)工場は耐熱建材の製造に成功。
DIA-201-1976-02-13-2ベトナム1976年02月13日1970年代ホー・チ・ミン市の公安当局は,Vinh Son教会で革命権力に反抗し国民経済に対してサボタージュを続けていた叛乱グループを逮捕。
DIA-201-1976-02-13-3ベトナム1976年02月13日1970年代ニャンザン紙:南部ロンアン省の人民2万3000人は省内キソン(Ky s6n)のダム建設工事に労働力を提供。同ダムは長さ76メートル,幅12メ-トル,ダムの目的は塩水浸透の防止。
DIA-201-1976-02-13-4ベトナム1976年02月13日1970年代ニャンザン紙:地質,自然地理,地形などの分野を専攻したハノイ総合大学の第6回卒業者数23人。
DIA-201-1976-02-14-1ベトナム1976年02月14日1970年代カンポトから13キロのチャクレイティン・セメント工場が生産再開。
DIA-201-1976-02-15-1ベトナム1976年02月15日1970年代ホー・チ・ミン市で科学新聞,Khoa hoc Phothong発刊。
DIA-201-1976-02-15-2ベトナム1976年02月15日1970年代ホーチ・ミン市人民革命委と同市解放戦線委は共催で,聖地を利用して反革命を起こした事件について,市民討論集会を開催。出席者は次のとおり。 解放戦線代表:NGUYEN HO,TA BA TONG同両副議長 革命委代表:LE DINH NHON同副議長。 労働者と農民代表:NGUYEN HUU THE農民協会会長 婦人協会代表:NGUYEN THI DINH同会長 解放戦線カトリク教代表:Gio dep HO HUE BA牧師 〃仏教徒代表:THICH THIEN HAO僧侶 民族民主連盟代表:TRINH DINH THAO同議長 市内第10区(事件発生地区)革命委代表:NGUYEN THI CHAU委員長 市内カトリク教会総司教:NGUYEN VAN BINH 南北中部カトリク教会諸牧師:VO THANH TRINH,NGUYEN HUY LICH,HUYNH PHONG MINH HO VAN VUI,LUONG MINH KY,HUYNH HUU DANG 仏教諸派代表:TU HANH師,VIEN HAO師,HUYNH LIEN尼僧 カオダイ教代表:TRAN CHI THANH師,CAO HOAI HA教授 キリスト教代表:NGUYEN THANH LONG
DIA-201-1976-02-15-3ベトナム1976年02月15日1970年代ラオス・ソ連友好協会設立。会長カムスク・サイニャセン。
DIA-201-1976-02-16-1ベトナム1976年02月16日1970年代ジャイホン紙によれば,新経済区に住宅1万1000戸を建設。
DIA-201-1976-02-16-2ベトナム1976年02月16日1970年代(北京)ナイジェリアと大使級外交関係樹立協定調印。
DIA-201-1976-02-16-3ベトナム1976年02月16日1970年代タイ・カンボジア国境会談のタイ側代表会議は,今後タイはインドシナ難民を受け入れないことを決定。
DIA-201-1976-02-17-1ベトナム1976年02月17日1970年代外務省スポークスマンは現在タイ国内破壊活動分子はベトナム領内ホアビン省で訓練を受けたベトナム人特攻部隊であるとのタイ国防相の言明を全面的に否定。また同スポークスマンは,わが政府はタイをはじめ東南アジア諸国と外交関係を樹立,平和と友好の政策を実現すると強調。
DIA-201-1976-02-18-1ベトナム1976年02月18日1970年代ニャンザン紙:科学活動誌は山岳と平原の鉱物資源についての地質調査成果を発表。 ○調査期間-現在まで20年間調査 ○鉱物-50種類の埋蔵地区を発見 ○地質関係地図作成-50万分の1と20万分の1の地図を作成 ○重要な鉱物-石炭:高粘結炭の埋蔵地域は現在開発中のホンガイーカムフア,ケバン島の東北まで150kmの地域にまで広がっている。1975年の生産量は500万トン。今後,数千万トンの生産が可能。また平原地帯で埋蔵量数十億トンに達する石炭が発見されたが現在の技術程度では開発不可能。 石油:ホンハー川沿岸デルタ地区に発見。またアルミニウム鉱も発見。 鉄鉱石について:ハージャン,エンバイ,ハーチンの各地区で数百万トンの埋蔵を発見。その他ホンハー川右岸と中部の高原地帯で埋蔵を発見。その他クロム,ニッケル,コバルト,マンガン,チタン鉱もバクタイ,カオバン,クアンニン,トエンクアン,ライチョウ,タインホア各省で発見。 銅:ラオカイ,ソンラ両省で大量埋蔵を発見。 金:タイバクとベトバク両自治区で金山を発見,とくにバクタイ,トエンクアン,ライチョウ各省では金鉱とともに水銀鉱も発見。
DIA-201-1976-02-18-2ベトナム1976年02月18日1970年代南部革命政府は南部の都市と各省の行政機構を再編。また全南部の人口調査の結果を発表。省別の新省名と人口および人口密度は次のとおり。
DIA-201-1976-02-18-3ベトナム1976年02月18日1970年代ラオス放送局の招きでベトナム放送・テレビ局代表団(団長チャン・ラム同局長)ラオス訪問。
DIA-201-1976-02-18-4ベトナム1976年02月18日1970年代(北京)ラオスの在北京大使館は声明を発表し,タイ政府に国境の無条件開放を呼びかけ。
DIA-201-1976-02-19-1ベトナム1976年02月19日1970年代中央農業委員会は各県に農業委員会を設置。
DIA-201-1976-02-19-2ベトナム1976年02月19日1970年代グエン・コ・タク外務次官はリビア訪問を終る。経済・文化協力協定に調印。
DIA-201-1976-02-19-3ベトナム1976年02月19日1970年代強制移住ラオス人帰郷委員会は,国連のラオス難民委と合意の上,70世帯250人をシェンクアン省に帰郷させる。
DIA-201-1976-02-20-1ベトナム1976年02月20日1970年代ニャンザン紙:ホー・チ・ミン市のシンコ国営ミシン工場はミシンの全部品の製造に成功。
DIA-201-1976-02-20-2ベトナム1976年02月20日1970年代PLO,ザンビア,スウェーデン,エジプト,チュニジア,アフガニスタン各外交代表,プノンペン着。5日帰国。
DIA-201-1976-02-20-3ベトナム1976年02月20日1970年代タイ側発表によると,シャム湾のクット島沖3~4キロでタイ漁船にカンボジア船(漁船を改造して武装)が発砲,1隻撃沈。タイ海軍の沿岸警備艇がカンボジア船1隻を撃沈。 26日のプノンペン放送は,この事件がタイ側の領海侵犯に起因するものと言明。この事件の後,カンボジア政府はイエン・サリ外相とチャチャイ外相の国境会談の延期を通告。
DIA-201-1976-02-21-1ベトナム1976年02月21日1970年代全国選挙協議会第一回会議,ホー・チ・ミン市で開会,議長にチュオン・チン,副議政治局員,副議長にファム・フン政治局員,事務局長にチャン・ディン・チ氏,副事務局長にグエン・ホー氏を選出。
DIA-201-1976-02-21-2ベトナム1976年02月21日1970年代カイソン書記長を団長とするラオス人民革命党代表団,アエロフロート機でラングーン経由モスクワに向け出発。24日開会のソ連共産党第25回大会出席のため。代表団は訪ソに当り経済・軍事・文化などの援助要請品目リストを携行したといわれる。
DIA-201-1976-02-21-3ベトナム1976年02月21日1970年代スファヌボン大統領,駐中国ラオス大使としてタウォン・シーチャルーンを任命。
DIA-201-1976-02-22-1ベトナム1976年02月22日1970年代ベトナム労働党代表団(団長レ・ジュアン第一書記),ソ連共産党第25回大会に出席のため,ハノイを出発。
DIA-201-1976-02-22-2ベトナム1976年02月22日1970年代ニャンザン紙:鉱山地質大学の卒業者232人。
DIA-201-1976-02-22-3ベトナム1976年02月22日1970年代ニャンザン紙:グエン・バン・ビン・サイゴン地区カトリック教会総司教はビンソン教会の反乱事件について「聖堂を利用,反国民,反革命の活動をするのは,祖国と国民に対する重い犯罪だけでなく,教会に対しても重大犯罪である」との声明を発表。
DIA-201-1976-02-22-4ベトナム1976年02月22日1970年代ニャンザン紙:北部のベトチ製糖工場は2月中旬までに440トンを生産して第1四半期生産計画を完遂。
DIA-201-1976-02-22-5ベトナム1976年02月22日1970年代革命政府のビン外相,ソ連党第25回大会に参加。
DIA-201-1976-02-23-1ベトナム1976年02月23日1970年代エチオピアと大使級の外交関係を樹立。
DIA-201-1976-02-23-2ベトナム1976年02月23日1970年代ラオス,イスラエルと断交。
DIA-201-1976-02-25-1ベトナム1976年02月25日1970年代日本政府代表団(有田外務省審議官)ハノイ到着。
DIA-201-1976-02-26-1ベトナム1976年02月26日1970年代Vinh Phu省のViet Tri化学工場の修復および拡張を援助した中国人専門家を表彰。
DIA-201-1976-02-26-2ベトナム1976年02月26日1970年代ニャンザン紙:中部クアンナムとダナン地区の実業家273人は52の協同組合を結成,林業と漁業開発に資本を投資。現在119人は植林用の苗木の栽培について,国家と契約を結んでいる。
DIA-201-1976-02-26-3ベトナム1976年02月26日1970年代政府声明,25日米機がシエムリアプを爆撃。
DIA-201-1976-02-26-4ベトナム1976年02月26日1970年代(ワシントン)フォード大統領は,ラオスに対する最恵国待遇を撤回すると発表。74年通商法で共産圏に対する最恵国待遇は禁止されている。
DIA-201-1976-02-26-5ベトナム1976年02月26日1970年代(バンコク発AFP)数週間前から革命政権に対して武装闘争を続けている右派グループが,このほど「ラオス人民戦線」を結成。
DIA-201-1976-02-27-1ベトナム1976年02月27日1970年代PLOのAli Fayad特命全権代表,バン副大統領に信任状呈出。
DIA-201-1976-02-27-2ベトナム1976年02月27日1970年代ラオス仏教連合会の招きでソ連仏教代表団,ビエンチャン到着。
DIA-201-1976-02-28-1ベトナム1976年02月28日1970年代ホー・チ・ミン市人民革命委,旧サイゴンの政府と軍で働いていた旧軍人,旧官史の市民権回復について討議。
DIA-201-1976-02-28-2ベトナム1976年02月28日1970年代ベトナム外務省,米軍のSiem Reap爆撃を非難し,民主カンボジア政府の26日声明を支持すると表明。
DIA-201-1976-02-28-3ベトナム1976年02月28日1970年代イタリア大使とオーストリア大使,南ベトナム共和国のグエン・フー・ト議長に信任状呈出。
DIA-201-1976-02-28-4ベトナム1976年02月28日1970年代ニャンザン紙:ボー・チ・コン中部党支局書記は高原ジャコン,ダクラク両省,平原各省,第5軍区司令部,第773師団の責任者を招集して中部党拡大会議を開催,タイグエン地区の長期開発計画を討議。
DIA-201-1976-02-28-5ベトナム1976年02月28日1970年代プノンペンで米機のシエムリアプ爆撃を非難して軍代表1万人が集会。
DIA-201-1976-02-28-6ベトナム1976年02月28日1970年代北ベトナム外務省,シエムリアプ事件について米国とタイを非難する声明発表。
DIA-201-1976-02-29-1ベトナム1976年02月29日1970年代ニャンザン紙:春季の稲植えつけ面積は現在75%。
DIA-201-1976-02-29-2ベトナム1976年02月29日1970年代南ベトナム臨時革命政府外務省声明,26日のカンボジア政府声明支持。
DIA-201-1976-02-29-3ベトナム1976年02月29日1970年代北ベトナム,南ベトナム,中国,北朝鮮,キューバ,アルバニア,ユーゴ,PLO,ザンビア,スウェーデン,エジプト,チュニジア,パキスタンの各外交代表は,イエン・サリ副首相とトイ・プーン公共事業相の案内でプノンペンを出発,2日までの3日間,シエムリアプの爆撃現場,国道6号線の建設作業,アンコール・ワットなどを視察。
DIA-201-1976-02-29-4ベトナム1976年02月29日1970年代(パテトラオ通信)昨年11月から今年2月末までにルアンプラバン市に集中した難民6338人が帰村。
DIA-201-1976-02-29-5ベトナム1976年02月29日1970年代ラオス中国友好協会創立,会長にM.カイカムピトーン国家計画委主任就任。
DIA-201-1976-03-01-1ベトナム1976年03月01日1970年代ニャンザン紙は“食糧生産の促進と節約の実行”と題とする要旨つぎのような社説を発表: ○社会主義建設事業の過程でわが党と政府が人民のすべてに衣,食,住および教育を充分に供給できるようになるためには引き続いて努力が必要である。 ○食糧問題は,わが党の最優先の問題である。北部は長年食糧生産の拡大に努力し,かなり成果を収めたがまだ毎年食糧を輸入しなければならない。南部は食糧に恵まれているが,1963年以後,戦争で荒廃した。解放後,食糧問題には明るい展望が開かれたが,それは長期展望であるにすぎない。 ○わが党と政府の食糧生産は計画通りいかず,不安定な状態である。食糧生産はあまり増加しないのに人口増加率はかなり高く,人民生活の向上と建設事業推進よりする食糧需給量は日に日に増大するため,全国の食糧バランス維持が困難になっている。党と政府はもっと努力しなければならない。
DIA-201-1976-03-01-2ベトナム1976年03月01日1970年代ニャンザン紙:北部ハソンビン省では家族計画1975年度実行運動に積極的に参加した婦人は1万2032人。
DIA-201-1976-03-01-3ベトナム1976年03月01日1970年代ニャンザン紙:中部高原ダクラク省の学校は159校,生徒6万7000人に達す。そのうちジャライ族,モーノン族,エーディ族の児童2万8000人で省の生徒総数の3分の1を占め,解放前の4倍になった。
DIA-201-1976-03-01-4ベトナム1976年03月01日1970年代Quang Tri省の人民は過去6ヵ月間に33万日の労働日を提供し,47平方キロの土地を農地として整地した。
DIA-201-1976-03-02-1ベトナム1976年03月02日1970年代ビエンチャン北東128キロのパクサン西1.6キロにある13号道路上の橋(長さ150m)が爆破さる。
DIA-201-1976-03-03-1ベトナム1976年03月03日1970年代中国の保険公司代表団,ベトナムへの友好訪問を終る。2日にはチャン・フー・ズク副首相と会見。
DIA-201-1976-03-03-2ベトナム1976年03月03日1970年代ブルガリア政府の経済代表団(団長Mako Dakov教授,副首相,党中央委員),ハノイ到着。
DIA-201-1976-03-03-3ベトナム1976年03月03日1970年代統一国会総選挙の南部委はホー・チ・ミ市で,第1回会議を開催,役員を選出, 委員会議長:Pham Hung.副議長:Nguyen hun Tho,Huynh tan Phat,Trinh dinh Thao,Tran nam Trung,Dang tran Thi.事務局:Nguyen van Hieu,Nguye minh Duong,Huyun viek Thang.
DIA-201-1976-03-03-4ベトナム1976年03月03日1970年代メク・トゥチ駐ラオス・カンボジア大使,ビエンチャン到着。
DIA-201-1976-03-03-5ベトナム1976年03月03日1970年代ラオス外務省,シエムリアプ爆撃事件について声明,2月26日のカンボジア政府声明を支持。
DIA-201-1976-03-03-6ベトナム1976年03月03日1970年代ミエットトット・ラオス駐在カンボジア全権大使,赴任のためビエンチャン到着。
DIA-201-1976-03-04-1ベトナム1976年03月04日1970年代ニャンザン紙:南北両政府は中部フーカイン省に,全国綿花栽培センターの設立を決定。
DIA-201-1976-03-04-2ベトナム1976年03月04日1970年代イラク政府代表団(Saddul Hammadi博士外相)ベトナムへの公式訪問終る。共同コミュニケ発表。
DIA-201-1976-03-04-3ベトナム1976年03月04日1970年代グエン・コ・タク外務次官,アンゴラ人民共和国への友好訪問を終る。
DIA-201-1976-03-04-4ベトナム1976年03月04日1970年代ラオス放送;イラクと大使級外交関係樹立で合意。これはハムディ・イラク外相が今週3日間にわたりラオスを訪問した際決定されたもの。
DIA-201-1976-03-05-1ベトナム1976年03月05日1970年代ベトナムのアジア・アフリカ連帯委員会,モザムビク人民の闘争を支持。
DIA-201-1976-03-05-2ベトナム1976年03月05日1970年代ニャンザン紙:南部ミンハイ省の国立銀行支店は1月末までに農民協会に,種籾購入,農具の購入,畜産発展のため12万7400ドンの金を貸出。
DIA-201-1976-03-05-3ベトナム1976年03月05日1970年代モーリタニア大使館特使モハメド・ブーシムル・アリとアクメド・クメンナヤ・モーリタニア大使,5日から9日まで,カンポジア訪問。アリ・ディウム・セネガル大使も5日から19日までカシボジア訪問。
DIA-201-1976-03-05-4ベトナム1976年03月05日1970年代李強対外貿易部長の率いる中国政府経済貿易代表団,プノンペン到着。5日夜,イエン・サリ副首相が招宴。7日,シアヌーク元首が会見。10日経済協力協定調印。12日帰国。
DIA-201-1976-03-06-1ベトナム1976年03月06日1970年代キューバ共産党中央委代表団(団長Isidoro Malmierca Peoli書記),キュ-バ政府経済代表団(団長Hector Rodriguez Llompart経済・科学・技術協力全国委員会副議長)はともにハノイ到着。
DIA-201-1976-03-06-2ベトナム1976年03月06日1970年代南部武装公安部隊の創立17周年記念。同式典に出席した要人は次のとおり, Nguyen huu Tho解放戦線議長,Huynh tan Phat革命政府首相,Tran nam Trung同政府国防相,Tran van Tra上将南部解放軍総司令官,Nguyen van Linhホー・チ・ミン市党委書記,Tran Quyet同政府内務次官,Cao dang Chiem南部公安委副委員長,Le Thanh南部公安隊司令官。
DIA-201-1976-03-06-3ベトナム1976年03月06日1970年代タウォン・シーチャルーン駐中国ラオス大使,北京に着任。9日朱徳委員長に信任状提出。
DIA-201-1976-03-07-1ベトナム1976年03月07日1970年代労働党中央委員会,ブレジネフ・ソ連共産党書記長再選へ祝電。
DIA-201-1976-03-07-2ベトナム1976年03月07日1970年代(ストックホルム)ビヨルク・スウェーデン駐中国兼駐カンボジア大使,7日発売のスウェ-デン紙とのインタビューでカンボジアの印象を語る。
DIA-201-1976-03-08-1ベトナム1976年03月08日1970年代ニャンザン紙:中部フーカイン省のトイホア製糖工場建設工事が完成,同工場の生産能力は日産50トン。
DIA-201-1976-03-08-2ベトナム1976年03月08日1970年代ビエンチャン近くのタムケ監獄,襲撃さる。警備員20人死亡。「人民戦線」はこの襲撃を宣伝。
DIA-201-1976-03-09-1ベトナム1976年03月09日1970年代ニャンザン紙:北部タインホア省クアンチョウ地区で排水施設工事を起工。同工事は第2次五ヵ年計画の治水関係工事のうちでは一番大きいもので,青年,軍隊および民兵24万人の投入が予定されている。排水路9キロメートル,水路の両岸には道路を建設する。水路の水深は10トン級の船が運航できるようにする。25村1万3000ヘクタールにわたる水害の解決を意図している。
DIA-201-1976-03-09-2ベトナム1976年03月09日1970年代ビエンチャン放送局の庭で手投げ弾爆発。警察によれば犯人は外国から来た反動派。
DIA-201-1976-03-09-3ベトナム1976年03月09日1970年代(ビエンチャン)西独と援助協定調印。西独はナムグム・ダム建設工事継続に政府へ1300万マルク貸付。
DIA-201-1976-03-10-1ベトナム1976年03月10日1970年代ニャンザン紙:今月5日までの北部の春季米作付面積は86万5000ヘクタールで今季作付け計画の87.1%。
DIA-201-1976-03-10-2ベトナム1976年03月10日1970年代カムチー・ドアンツォンラ・ラオス大使はバン副大統領に信任状を呈出。
DIA-201-1976-03-11-1ベトナム1976年03月11日1970年代ベトナム人民軍第3軍はバン・メ・ツォト勝利1周年を祝賀。
DIA-201-1976-03-11-2ベトナム1976年03月11日1970年代ベトナムのプロテスタント派はハノイで21回会議を開催,生産と建設に努力することを決議。
DIA-201-1976-03-11-3ベトナム1976年03月11日1970年代Quy Nhon師範大学開校1000人が入校。
DIA-201-1976-03-11-4ベトナム1976年03月11日1970年代モーリタニアのMoktar Ould Daddah特使,グエン・フー・ト議長を訪問。
DIA-201-1976-03-12-1ベトナム1976年03月12日1970年代ハバナで開かれた社会主義諸国の観光サービス会議はベトナム観光サービスとの協力を決定。
DIA-201-1976-03-12-2ベトナム1976年03月12日1970年代レ・ジニアン党第一書記はソ連党第25回大会に出席した後,ハノイに帰着。
DIA-201-1976-03-12-3ベトナム1976年03月12日1970年代フランスにベトナム医学協会設立。
DIA-201-1976-03-12-4ベトナム1976年03月12日1970年代ビエンチャンのソ連大使館で手投げ弾2発が爆発,4人負傷。
DIA-201-1976-03-14-1ベトナム1976年03月14日1970年代フランスにベトナム科学技術協会およびベトナム社会科学協会設立。
DIA-201-1976-03-15-1ベトナム1976年03月15日1970年代ラオス党・政府代表団,訪中―団長カイソン首相,副団長プーン・シパスート副首相兼外相。17日,毛主席と会見。15,16日,華国鋒首相代行,姚文元党政治局員らと会談。24日帰国。共同声明調印なし。18日経済技術協力協定調印。これにより中国は引続き無利子借款を供与。代表団員はシソムフォン・ロバンサイ党中央政治局員・最高人民議会副議長,シサバト・ケオブンファン党中央委員・総理府長官・人民解放軍参謀総長,マイスーク・サイソンフェン党中央委員・商工相シサナ・シサン党中央委員候補・情報・宣伝・文化・観光相,タボン・シチャレウン中国駐在大使。
DIA-201-1976-03-16-1ベトナム1976年03月16日1970年代南部電力総局は農業生産に電力を使用するため ミート―カイラィ―カイベ間送電線を敷設。
DIA-201-1976-03-16-2ベトナム1976年03月16日1970年代ラオスのアジア・アフリカ人民連帯委員会大会,議長にボンビチト氏再選。
DIA-201-1976-03-17-1ベトナム1976年03月17日1970年代マ・ポムコン駐カンボジア・ラオス大使,赴任。
DIA-201-1976-03-17-2ベトナム1976年03月17日1970年代シアヌーク元首はこのほど,ネト・アンゴラ大統領に書簡を送り,カンボジアがアンゴラ人民共和国を承認したことを伝えた。
DIA-201-1976-03-17-3ベトナム1976年03月17日1970年代カムマ・フォンコン駐カンボジア大使,赴任のためプノンペン到着。
DIA-201-1976-03-17-4ベトナム1976年03月17日1970年代キューバ共産党中央委代表団ビエンチャン到着。
DIA-201-1976-03-18-1ベトナム1976年03月18日1970年代ニャンザン紙:南部タイニン省交通運輸局は同省内のゴードウハー大橋を再建。同橋は長さ267メートル,幅4.2メートル。
DIA-201-1976-03-19-1ベトナム1976年03月19日1970年代ニャンザン紙:政府は建設省の直轄機関「建設資材総合局」の設立を布告。
DIA-201-1976-03-19-2ベトナム1976年03月19日1970年代ダン・ベト・チョウ副首相はベルリンで東ドイツ政府対外貿易相と1976~80年の長期貿易協定に調印。
DIA-201-1976-03-19-3ベトナム1976年03月19日1970年代メンチュロ・キューバ外務省アジア局長,22日までカンボジア訪問。シャフイ・アル・ラウィ・イラク大使,4月2日までカンボジア訪問。
DIA-201-1976-03-20-1ベトナム1976年03月20日1970年代ソ連地質代表団(団長A.イアロモルク同省次官)はハノイに到着。
DIA-201-1976-03-20-2ベトナム1976年03月20日1970年代人民議会選挙―有権者数363万5581人,投票率98%,名,立候補者総数515入,選出議員数250人。
DIA-201-1976-03-20-3ベトナム1976年03月20日1970年代シエン・パンでラオスへの援助米3000トンの引渡し式。
DIA-201-1976-03-21-1ベトナム1976年03月21日1970年代ニャンザン紙:統計総局の資料によると20日までで全北部の春季米作付面積は95%を終る。
DIA-201-1976-03-21-2ベトナム1976年03月21日1970年代ビエンチャン東方55キロで軍事輸送隊,待伏せさる。死者5,負傷者8。
DIA-201-1976-03-22-1ベトナム1976年03月22日1970年代フォレロ国連世界食糧計画(P.A.M)代表団団長は,南部の農業,林業,ゴム園生産,新経済開発区などを視察するため,南部を訪問。
DIA-201-1976-03-23-1ベトナム1976年03月23日1970年代ヴー・ゴク・ウイ対外文化連絡委代表はキューバ代表と,1976~77年の文化協力協定に調印。
DIA-201-1976-03-23-2ベトナム1976年03月23日1970年代コロンボでスリランカ政府代表と,郵便協力協定に調印。
DIA-201-1976-03-23-3ベトナム1976年03月23日1970年代ビエンチャン南方Simmano,Kho yaidengの解放軍哨所,襲撃さる。死者4,負傷者6。
DIA-201-1976-03-24-1ベトナム1976年03月24日1970年代ニャンザン紙:中部高原ジャコン省道路局第2課はタイグエン地区で一番重要なレーバク(Le bac)橋(335メートル)の再建工事を完成。
DIA-201-1976-03-24-2ベトナム1976年03月24日1970年代ニャンザン紙:オムバリット国連事務総長特使は,南部の経済復興と国民生活状況を視察するためホー・チ・ミン市を訪問。
DIA-201-1976-03-24-3ベトナム1976年03月24日1970年代ドン首相はフランソア・ミソフ元仏政府大臣と会見。
DIA-201-1976-03-24-4ベトナム1976年03月24日1970年代ソ連・ラオス友好協会代表団,ビエンチャン到着。
DIA-201-1976-03-26-1ベトナム1976年03月26日1970年代南部のホー・チ・ミン人民革命青年団はホー・チ・ミン労働青年団に改称。
DIA-201-1976-03-26-2ベトナム1976年03月26日1970年代ニャンザン紙:党代表団(団長ホアン・バン・ホアン党政治局員)と解放戦線代表団(団長グエン・バン・チエン同戦線中央委員)はブルガリア共産党第11回大会に出席するため,ハノイを出発。
DIA-201-1976-03-26-3ベトナム1976年03月26日1970年代D.A.デビット世界気象機構事務局長はハノイを訪問。
DIA-201-1976-03-26-4ベトナム1976年03月26日1970年代ダナン市技術大学が開校,学生数550人。
DIA-201-1976-03-26-5ベトナム1976年03月26日1970年代ニャンザン紙:3月29日現在,北部ビン市のセメント工場は今年第1四半期に1600トンを生産。
DIA-201-1976-03-26-6ベトナム1976年03月26日1970年代夜,叛乱軍,ビエンチャン南110キロ,ロー河の橋を爆破。
DIA-201-1976-03-29-1ベトナム1976年03月29日1970年代「人民の声」紙報道,警備隊はこのほどビエンチャン東方50キロのハトサイポン付近のメコン河で国境を侵犯したタイのパトロール船3隻に向け発砲,1人を死亡させ,数人を負傷させた。
DIA-201-1976-03-29-2ベトナム1976年03月29日1970年代(バンコク発AFP)ラオス放送(タイ語番組)は,タイがラオス反動分子に対し訓練施設を提供していると非難。訓練施設はロプブリ,カンチャナブリ,ナムフォンの秘密基地にあり,これらは撤収が決まった米軍基地の中に含まれていない。
DIA-201-1976-03-29-3ベトナム1976年03月29日1970年代ビエンチャン東60キロ,国道13号線にかかる長さ200mの鉄橋爆破さる。その直後パテト・ラオ兵士と爆破グループが銃撃戦,爆破グループ10人射殺さる。またこのあとビエンチャン市内と郊外で大捜査網がしかれ,198人が逮捕さる。
DIA-201-1976-03-29-4ベトナム1976年03月29日1970年代(ビエンチャン)カムペン・ブパー郵便通信相,ソ連大使と郵便・通信協力協定調印。
DIA-201-1976-03-30-1ベトナム1976年03月30日1970年代ハノイでベトナムとソ連の両代表は両国の地質調査と採鉱協力協定に調印。
DIA-201-1976-03-30-2ベトナム1976年03月30日1970年代プノンペン放送は乾期農作業時間について,午前5時から10時までと午後3時から6時までの計8時間,昼の時間は休息とカゴ,ムギワラ帽などの編み細工にあてると報道。
DIA-201-1976-03-30-3ベトナム1976年03月30日1970年代タイのプラコブ内務次官言明「コン・レ将軍,ラオスに潜入」
DIA-201-1976-03-31-1ベトナム1976年03月31日1970年代ニャンザン紙:中部ツゥンハイ省の国営カナ製塩企業は今年第1四半期に塩1万3600トンを生産。
DIA-201-1976-03-31-2ベトナム1976年03月31日1970年代長谷川日本大使はバン副大統領に信任状を呈出。
DIA-201-1976-03-31-3ベトナム1976年03月31日1970年代ルアンダ大使信任状を呈出。
DIA-201-1976-03-31-4ベトナム1976年03月31日1970年代労働党中央委書記局は大衆と統一戦線組織に対する宣伝工作会議を開催。
DIA-201-1976-04-01-1ベトナム1976年04月01日1970年代ニャンザン紙は,今月から人民軍総参謀長バン・チエン・ズン大将のホーチ・ミン作戦回顧録を連載。
DIA-201-1976-04-01-2ベトナム1976年04月01日1970年代フーカン省ナチャン市の師範大学開校。
DIA-201-1976-04-01-3ベトナム1976年04月01日1970年代ニャンザン紙:北部ハイフン省の農業合作社の70%は手工業を発展させ,現在5万人が手工業生産に参加(1974年は2万人)。
DIA-201-1976-04-01-4ベトナム1976年04月01日1970年代ビエンチャン南10キロ地点で,ラオス軍の小型舟艇4隻が,無人のまま強風でタイ側へ押し流されたため,ラオス軍兵士が別の船で越境して2隻を回収。タイ警備当局の説明によれば,その直後,ラオス側がロケット弾と軽機関銃で銃撃を始めたため,タイ側も国境警備隊2個大隊,戦車2台を急派して一時撃ち合い。
DIA-201-1976-04-02-1ベトナム1976年04月02日1970年代シアヌーク元首声明,政府に対し引退を申し入れ。4日の閣議はこの要求を素認し,同殿下に「偉大な愛国者」の称を贈ること,殿下とその家族の一生の生活費を負担,年金8000ドルを支払うことを決め,人民議会に提案した。
DIA-201-1976-04-02-2ベトナム1976年04月02日1970年代ビエンチャンのキューバ大使館に手投げ弾が投げ込まれる。
DIA-201-1976-04-02-3ベトナム1976年04月02日1970年代「人民の声」紙報道,米CIAはタイへ亡命したラオス人を訓練し,米国へ4000人,オーストラリアへ5000人移住させようとしている。
DIA-201-1976-04-03-1ベトナム1976年04月03日1970年代ニャンザン紙:北部工業部門の第1四半期生産実績は1975年同期と比べ,17.2%増,今年の年間計画の22.5%に達す。
DIA-201-1976-04-03-2ベトナム1976年04月03日1970年代ソ連共産党幹部代表団(団長I.S.Gustov中央委員 候補,ソ連共産党統制委員会第一副議長)ハノイ到着。
DIA-201-1976-04-04-1ベトナム1976年04月04日1970年代ソ連世界平和防衛委代表団(団長カーロンコプ同委副委員長,モスクワ市副市長)はハノイを訪問。
DIA-201-1976-04-05-1ベトナム1976年04月05日1970年代ニャンザン紙:中部クアンダ省は冬春季米の収穫を完了,収量は平均1ヘクタール当り2.5トンに達す。
DIA-201-1976-04-05-2ベトナム1976年04月05日1970年代ニャンザン紙:南部の水産加工部門は1976年第1四半期に,輸出用冷凍えび,魚貝類700トンを生産。
DIA-201-1976-04-05-3ベトナム1976年04月05日1970年代(バンコク AFP)反政府分子は75年9月6日MOLINAK(クメール民族解放運動)結成。兵力3000人。
DIA-201-1976-04-05-4ベトナム1976年04月05日1970年代5,6日,約50人のパテト・ラオ軍は,メコン河の中州3ヵ所を攻撃,先月末以来ここを占領していた反共ゲリラ300人のうち約20人を殺した。
DIA-201-1976-04-06-1ベトナム1976年04月06日1970年代クウェートと大使級の外交関係を樹立。
DIA-201-1976-04-06-2ベトナム1976年04月06日1970年代ルアンプラバンでバッタナ大統領顧問は,旧王宮とその財産を国立博物館に引渡し。
DIA-201-1976-04-06-3ベトナム1976年04月06日1970年代ラオス・中国幹線道路建設工事再開についての両国間協定締結。(ラオス北部からルアンプラバンまでの100km道路建設援助協定の補充議定書)
DIA-201-1976-04-07-1ベトナム1976年04月07日1970年代ニャンザン紙:農業中央委員会直属の耕作栽培総局は1年間に南部各省へつぎのような農作物の種子を送った。米:新種8/22号と314号335トン,とうもろこし:混種5号889トン。いんげん豆と大豆の種子252トン,落花生の種子110トン,綿花の種子とジュートの種子40トン。
DIA-201-1976-04-07-2ベトナム1976年04月07日1970年代ベトナム通信によると,南ベトナムは約1万の普通教育の学校があり,400万の生徒が通学している。ホー・チ・ミン市だけでは815校,80万の生徒がいる。
DIA-201-1976-04-07-3ベトナム1976年04月07日1970年代ポーランド政府の貿易代表団(団長Nestrovich外国貿易次官),1976~80年の貿易協定と経済協力協定調印のためハノイ到着。
DIA-201-1976-04-07-4ベトナム1976年04月07日1970年代ペン・ヌート首相,放送を通じて内閣総辞職を発表。
DIA-201-1976-04-07-5ベトナム1976年04月07日1970年代(バンコク発AFP)ラオス政府はこのほどタイ・ブリジストン社に対しタイヤ1000セットを発注。
DIA-201-1976-04-08-1ベトナム1976年04月08日1970年代政府,豪政府から苗木農園4園,住宅4団地,トラクター,トラック,農業機械等の援助を受け取る。
DIA-201-1976-04-08-2ベトナム1976年04月08日1970年代ラオス国営放送は,タイ機が3月29日と4月4~5日パクサンおよびサバナケット上空に飛来と報道。
DIA-201-1976-04-09-1ベトナム1976年04月09日1970年代ファム・バン・ドン首相,華国鋒氏の第一副主席と首相への就任に祝賀のメッセージを送る。
DIA-201-1976-04-09-2ベトナム1976年04月09日1970年代南部の21の省および都市からの文化代表団(団長Thanh Nghi南ベトナム共和国の情報文化次官),フン王の墓(ベトナム国の創立者)を訪問。
DIA-201-1976-04-09-3ベトナム1976年04月09日1970年代プラハで,チェコとの1976~80年の国民経済計画の協力覚書に調印。
DIA-201-1976-04-09-4ベトナム1976年04月09日1970年代(ニューヨーク)第3次海洋法会議のカンボジア代表団は声明を発表し,同国が69年9月以来12カイリ領海を設定しており,この海域における無害通航は認められないことを明らかにした。
DIA-201-1976-04-10-1ベトナム1976年04月10日1970年代グエン・ズイ・チン外相,ビルマを友好訪問。
DIA-201-1976-04-10-2ベトナム1976年04月10日1970年代フアファン省サムティ県で第2水力発電所完成。
DIA-201-1976-04-10-3ベトナム1976年04月10日1970年代ラオス人民革命党代表団(団長ボンビチト政治局員)チェコ党第15回大会出席のため同国訪問。
DIA-201-1976-04-10-4ベトナム1976年04月10日1970年代ラオス放送局代表団(団長チャロン・ボンサムアン総局長),ハノイ訪問。
DIA-201-1976-04-10-5ベトナム1976年04月10日1970年代(ビエンチャン)ソ連政府代表と石油ガソリン貯蔵所,運送車修理工場建設補充援助協定調印。
DIA-201-1976-04-10-6ベトナム1976年04月10日1970年代(ビエンチャン)政府代表,国連難民救援委員会委員長と援助協定に調印。70万ドル相当の医薬・医療関係設備を供与。
DIA-201-1976-04-11-1ベトナム1976年04月11日1970年代ベトナム労働党代表団(団長グエン・ズイ・チン政治局員),チェコ共産党15回大会に出席のためプラハに到着。
DIA-201-1976-04-11-2ベトナム1976年04月11日1970年代ニャンザン紙:統計総局の資料によると今月5日までの全北部の春季米作付け面積は計画の96・1%に達す,昨年より1万5000ヘクタール減少。
DIA-201-1976-04-11-3ベトナム1976年04月11日1970年代農林業における生産の再組織化と経営管理改善運動開始。
DIA-201-1976-04-11-4ベトナム1976年04月11日1970年代人民代表議会第1期第1回全体会議(~13日)―常任委員会を任命,シアヌーク殿下の処遇に関する政府提案を可決,政府総辞職願いを受理,国家幹部会を任命,新政府を指名(新人事は資料参照)。
DIA-201-1976-04-11-5ベトナム1976年04月11日1970年代(ビエンチャン発ロイター)ラオス放送によると,シサナ情報相は都市住民に革命的生活を教えるため「文化革命」が進行中であることを明らかにした。信頼筋によると,この革命は反動勢力と堕落した西側の生活スタイルを一掃するのが目的で,この2日間に何百人もの人々が逮捕された。
DIA-201-1976-04-12-1ベトナム1976年04月12日1970年代グエン・コ・タク外務次官,アラブ首長国連邦への訪問終る。
DIA-201-1976-04-12-2ベトナム1976年04月12日1970年代海外経済協力基金は,第2期ナムグム水力発電事業の追加資金の一部として20億1000万円を限度とする貸し付けを決め,貸付合意書に調印。金利年2.0%,10年据置き30年償還。
DIA-201-1976-04-12-3ベトナム1976年04月12日1970年代今年初めから今日まで,ルオンナムター省フェイサイ,トンフォン両県は,タイへ亡命した1379人の帰国を歓迎し,生活と住居を援助。
DIA-201-1976-04-13-1ベトナム1976年04月13日1970年代(バンコク発AFP)信頼筋によれば,青年3000人以上が共産主義政権に反抗したため逮捕され,再教育キャンプに送られた。
DIA-201-1976-04-13-2ベトナム1976年04月13日1970年代ビエンチャンから20キロのパクサン街道沿いにある弾薬庫,爆破さる。
DIA-201-1976-04-14-1ベトナム1976年04月14日1970年代ニャンザン紙:中部ギアビン省のレ・タン・トア省党委書記は同省の戦後復興状況についてつぎのように報告している。 ○農民組合とか労働団体への加人者70万人 ○省全体の面積1万2500平方キロのうち,農地は30万ヘクタール,戦争のため荒廃し,戦後は15万ヘクタールから生産を開始し,今年春季の耕地は18万ヘクタールに増加,平均収量は2~2.2トン。 ○水利建設に大型ポンプ1万7000台と300万労働日を投入,現在農地の40%に水を確保できる。 ○水牛および牛の保有数24万頭,養豚数41万2500頭。
DIA-201-1976-04-14-2ベトナム1976年04月14日1970年代ニャンザン紙:中部高原ダクラク省現在7500ヘクタールのコーヒー,30,000ヘクタ-ル以上のゴムを栽培している。
DIA-201-1976-04-14-3ベトナム1976年04月14日1970年代北ベトナムのトン・ドク・タン大統領,レ・ズアン第一書記,チョン・チン議長,ファン・バン・ドン首相から,キュー・サムファン議長,ヌオン・チェア議長,ポル・ポト首相に祝電。
DIA-201-1976-04-14-4ベトナム1976年04月14日1970年代国家幹部会コミュニケ,ペン・ヌート殿下を首相と同等の地位を持つ国家幹部会の高級顧問に任命。
DIA-201-1976-04-15-1ベトナム1976年04月15日1970年代ニャンザン紙:水利省は南部水利建設の企画化を支援するため,専門家と技術者を5班に編成し調査に派遣。 第1班 ビン・チ・チエン水利建設参加 第2班 中部沿岸各省の水利施設の設計 第3班 中部高原各省灌漑用水施設の建設を指導 第4班 ドンナイ地区水利と運河調査 第5班 メコン・デルタ地帯水利調査と設計。
DIA-201-1976-04-15-2ベトナム1976年04月15日1970年代フランスの数学者Laurent Schwartz教授夫妻,ベトナム訪問終る。
DIA-201-1976-04-15-3ベトナム1976年04月15日1970年代15~17日,プノンペンで解放1周年祝賀式典。
DIA-201-1976-04-15-4ベトナム1976年04月15日1970年代(モスクワ)ポドゴルヌイ議長,キュー・サムファン議長に就任の祝電。
DIA-201-1976-04-16-1ベトナム1976年04月16日1970年代(北京)毛主席,朱徳委員長,華国鋒首相,カンボジア解放1周年にあたり,キュー・サムファン議長,ポル・ポト首相,ヌオン・チニア議長に祝電。
DIA-201-1976-04-16-2ベトナム1976年04月16日1970年代(ハノイ)ソク・ケアン駐ハノイ民主カンボジア臨時代理大使主催のカンボジア解放1周年レセプションに日本,ソ連,ビルマの大使が招待されて出席。
DIA-201-1976-04-16-3ベトナム1976年04月16日1970年代北朝鮮経済貿易代表団(団長・鄭松南対外経済事業相),プノンペン到着。29日通商協定調印。30日帰国。
DIA-201-1976-04-16-4ベトナム1976年04月16日1970年代ビエンチャン省人民裁判所は,先月12日ソ連大使館テロ事件で起訴された6人(内3人はタイへ逃亡)に死刑判決,即日刑を執行。1人は禁固25年,残る3人は再教育センター送り。
DIA-201-1976-04-16-5ベトナム1976年04月16日1970年代ヌパン・シパサイ外務次官,マニラ訪問の帰途バンコクでチャチャイ外相を訪問。
DIA-201-1976-04-17-1ベトナム1976年04月17日1970年代ソ連のベトナム協力委員会代表団(団長アクキポプ副首相兼ソ越経済科学技術協力委のソ連委員会委員長)ハノイに到着。
DIA-201-1976-04-17-2ベトナム1976年04月17日1970年代イラクの経済代表団(団長Dawoud Al Ubeidi外国貿易省総務局長)ハノイ到着。
DIA-201-1976-04-17-3ベトナム1976年04月17日1970年代(北京)ピク・チャン中国駐在臨時代理大使,独立1周年記念レセプションを開く。葉剣英副主席ら出席。ピク・チャン臨時代理大使,喬外相があいさつ。
DIA-201-1976-04-17-4ベトナム1976年04月17日1970年代プノンペン放送は今後12ヵ月間の総動員体制維持を発表。
DIA-201-1976-04-19-1ベトナム1976年04月19日1970年代グエン・ズイ・チン外相,スウェーデンを友好訪問。
DIA-201-1976-04-19-2ベトナム1976年04月19日1970年代(バンコク発AFP)消息筋によると,ルアンプラバンで16日以来,政府が由緒ある仏像(Phra Bang)をビエンサイに移すことを決めたことに反対して6000人以上の住民がデモ行進を続けている。この仏像は800年前にカンポジアからフア・グム王に贈られたもの。
DIA-201-1976-04-20-1ベトナム1976年04月20日1970年代ニャンザン紙南部でも刊行。
DIA-201-1976-04-20-2ベトナム1976年04月20日1970年代ラオス党・政府代表団,訪ソ―団長カイソン首相。22日共同声明調印。文化科学協力協定,貿易・支払い協定,地質調査協力議定書にも調印。同代表団は5月5日帰国。
DIA-201-1976-04-21-1ベトナム1976年04月21日1970年代政府は軍を生産活動に参加させるため,国防省内に経済建設総局を設置することについての政令を公布。
DIA-201-1976-04-22-1ベトナム1976年04月22日1970年代ベトナム通信によると,この1年間に北部は南部に160万トンの物資を供給。
DIA-201-1976-04-23-1ベトナム1976年04月23日1970年代サイゴンで総選挙を支持して100万人以上がデモ。
DIA-201-1976-04-23-2ベトナム1976年04月23日1970年代(ニュ-ヨ-ク)海洋法会議に出席中のチウン・プラシト代表は記者会見で,シャム湾のワイ島に対するベトナム軍の攻撃についての質問に答えて「ベトナムの社会主義者との間にいくつかの問題があったのは事実だが,ベトナム軍部隊はすでに同島から撤退している」と言明。
DIA-201-1976-04-23-3ベトナム1976年04月23日1970年代ペルーと大使級外交関係樹立。
DIA-201-1976-04-24-1ベトナム1976年04月24日1970年代コスタリカと大使級の外交関係を樹立。
DIA-201-1976-04-24-2ベトナム1976年04月24日1970年代チュオン・チン国会議長は長谷川日本大使と会見。
DIA-201-1976-04-24-3ベトナム1976年04月24日1970年代ビルマと大使級外交関係樹立。
DIA-201-1976-04-25-1ベトナム1976年04月25日1970年代統一選挙。
DIA-201-1976-04-25-2ベトナム1976年04月25日1970年代在仏ベトナム人協会設立,トン・デュク・タン大統領からメッセージ届く。
DIA-201-1976-04-25-3ベトナム1976年04月25日1970年代レ・ジュアン第9書記ソ連のグレチコ国防相の死に弔意のメッセージ。
DIA-201-1976-04-25-4ベトナム1976年04月25日1970年代ビエンチャン北方10キロのサムケ刑務所から政治犯を含む400人以上の囚人が看守を殺して脱走,100人が再逮捕された。昨年9月から収容されていたボン・スバナボン(75年までラオス統一党党首),スク・ボアボン殿下(バッタナ前国王の甥)らも脱走に失敗して逮捕された。ボン氏はCIA協力者として投獄されていた。
DIA-201-1976-04-27-1ベトナム1976年04月27日1970年代ニャンザン紙:選挙の投票結果発表。 ○ハノイ市有権者総数の99.82%が投票に参加 ○ホー・チ・ミン市は95%以上 ○全南部では有権者総数の93%以上が投票に参加。
DIA-201-1976-04-28-1ベトナム1976年04月28日1970年代ハバクの燐酸肥料工場(年産20,000トン)の建設開始。
DIA-201-1976-04-28-2ベトナム1976年04月28日1970年代インドのガンジー首相は駐印ベトナム大使を接見して,我々は常にベトナム人民の正義の闘争を支持すると述べた。
DIA-201-1976-04-29-1ベトナム1976年04月29日1970年代ホー・チ・ミン市に社会科学図書館(30,000冊)開館。
DIA-201-1976-04-29-2ベトナム1976年04月29日1970年代ニャンザン紙:北部ハバク省工業局は年間生産2万トン燐灰石工場の建設に着工。
DIA-201-1976-04-29-3ベトナム1976年04月29日1970年代日本大使は天皇陛下の誕生日に当り,レセプションを開催,ファン・アン対外貿易相とホアン・バン・チエン外務次官など政府高官多数が出席。
DIA-201-1976-04-30-1ベトナム1976年04月30日1970年代ニャンザン紙:解放後1年のホー・チ・ミン市の復興状況を発表。 ○8ヵ月間に生活困難な家庭に米13万5000トンを無料で配給。労働者地区に住宅1000戸を建設。 ○国内原料と資材を使って,技術者も自前で12種類の機械や農機具を製造。小工業と手工業を再組織して労働者5万2000人に職を与えた。 ○6ヵ月間に,化学工業に700万ドン相当の物資を供給。国立銀行は企業,経済組織や農民団体に1億5700万ドンを貸出した。 ○市バスは70の民営企業がバス700台,従業員3000人で23路線を運航,サイゴン港には16ヵ国から数百隻の大型船舶が入港した。 ○幼稚園455,保母1625人,園児5万6000入,市内の50万人の青少年が通学。
DIA-201-1976-04-30-2ベトナム1976年04月30日1970年代マレーシアと大使級外交関係樹立。
DIA-201-1976-04-30-3ベトナム1976年04月30日1970年代軍のヘリ飛行教官リー・キム・クオン,ヘリでタイに逃亡。5月5日のバンコク・ポスト紙インタビューで,最高指導部のメンバーは,サロト・サル,ヌン,イエン・サリ,ソン・セン,ヤンの5人と言明。
DIA-201-1976-05-01-1ベトナム1976年05月01日1970年代非鉄冶金プラント完成。
DIA-201-1976-05-01-2ベトナム1976年05月01日1970年代ポル・ポト首相,セニ・プラモート・タイ新首相に祝電。
DIA-201-1976-05-04-1ベトナム1976年05月04日1970年代中央農業委員会付属の経済地域計画委員会は南部の1700万ヘクタールのうち1500万ヘクタールについて調査を完了。
DIA-201-1976-05-04-2ベトナム1976年05月04日1970年代ベトナム通信によると,1975年9月3日から1976年4月までにホー・チ・ミン廟への訪問者は130万人に達した。
DIA-201-1976-05-04-3ベトナム1976年05月04日1970年代北ベトナムはメイズ,芋,キャッサバ,野菜,茶,ピーナツ,砂糖きび,煙草,ジュ-ト,蘭,桑などの集約栽培のため特殊農地として180,500ヘクタ-ルを選定区画した。
DIA-201-1976-05-04-4ベトナム1976年05月04日1970年代ニャンザン紙:ホー・チ・ミン市交通運輸局はトン・チエン・ブオン(Tung thien Vuong)通りのキエンザン・ロンアン省とを結ぶニ-・チエン・ドゥン(Nhi Thien Duong)大橋の復旧を完成。
DIA-201-1976-05-04-5ベトナム1976年05月04日1970年代ユーゴ婦人代表団(団長マリア・ドベキツトソミトスコリシ女史)ハノイを訪問。
DIA-201-1976-05-05-1ベトナム1976年05月05日1970年代ニャンザン紙:南部ビエンホア市商業局は国営の商店76店を開業。
DIA-201-1976-05-05-2ベトナム1976年05月05日1970年代フィリピンと大使級外交関係樹立。
DIA-201-1976-05-06-1ベトナム1976年05月06日1970年代シンガポールと大使級外交関係樹立。
DIA-201-1976-05-07-1ベトナム1976年05月07日1970年代ビエンチャン省パクサン県のゲリラ部隊は,タイから侵入してきたラオス反動派特殊部隊8人を包囲・攻撃し,3人(うち,タイ人2人)を殺した。
DIA-201-1976-05-08-1ベトナム1976年05月08日1970年代ホー・チ・ミン市でベトナム語の科学用語の標準化を検討する会議開催。
DIA-201-1976-05-09-1ベトナム1976年05月09日1970年代ニャンザン紙:ホー・チ・ミン市の各大学の入学試験合格者3976名,そのうち旧政権の大学生745人。
DIA-201-1976-05-10-1ベトナム1976年05月10日1970年代ニャンザン紙社説“県レベルの建設”:県は合作社など生産単位と経営の諸活動を直接に指導すると同時に県全体の管理と計画の機関でもある。技術センターの役割も果さなければならない。
DIA-201-1976-05-10-2ベトナム1976年05月10日1970年代チャン・ディン・チ統一国会総選挙中央委員会事務局長は総選挙の結果を発表。選挙区,北部50,南部30,計80;国会議員492人(北部249,南部243);立候補者数605人;投票率98.77%;当選者の内訳,労働者80人,農民100人,手工業職人6人,軍人54人,政治幹部141人,知識人および民主人士98人,宗教人13人。また少数民族の代表72人が含まれている。
DIA-201-1976-05-10-3ベトナム1976年05月10日1970年代中国の孫浩駐カンボジア大使,キュー・サムファン議長に信任状提出(新体制選出のため)。
DIA-201-1976-05-10-4ベトナム1976年05月10日1970年代4月初めから今日までに,ウドムサイ省ムウンクン県内で農作地1000ha灌漑のための小型水利施設多数を建設。
DIA-201-1976-05-11-1ベトナム1976年05月11日1970年代ラオス政府への援助米3000トン,両国国境で引渡し。
DIA-201-1976-05-12-1ベトナム1976年05月12日1970年代ベトナムのアジア・アフリカ連帯委員会はアンゴラ人民へ薬品1トンを贈った。
DIA-201-1976-05-12-2ベトナム1976年05月12日1970年代グエン・ツオン北ベトナム大使,キュー・サムファン議長に信任状提出(新体制選出のため)。
DIA-201-1976-05-13-1ベトナム1976年05月13日1970年代ベトナム外務省は国連の難民委員会代表との間に1975~76年の援助協定調印。
DIA-201-1976-05-13-2ベトナム1976年05月13日1970年代ニャンザン紙:旧サイゴン政権の人口調査資料によると,南部の人口は1954年993万人,1962年1920万人,また旧政権は1981年の人口は2500万人に達すると推定している。しかし今年1月の人口調査によれば現在の人口は2404万人,増加率4%。
DIA-201-1976-05-13-3ベトナム1976年05月13日1970年代チウン・プラシトを団長とする代表団,セネガル友好訪問。同代表団は18日マリ訪問,22日ギニア訪問,26日アルジェリア訪問。
DIA-201-1976-05-14-1ベトナム1976年05月14日1970年代北朝鮮のキム・イル・キウン駐カンボジア大使,キュー・サムファン議長に信任状提出(新体制選出のため)。
DIA-201-1976-05-15-1ベトナム1976年05月15日1970年代ニャンザン紙:1975年現在の北部農作地面積150万ヘクタールのうち,灌概施設整備面積は95万ヘクタール。南部は農作地330万ヘクタールのうち,灌漑施設整備面積は45万ヘクタール。
DIA-201-1976-05-15-2ベトナム1976年05月15日1970年代ベトナム労働党代表団(団長グエン・ズイ・チン政治局員),東独の統一社会党第9回大会出席のためハノイ出発。
DIA-201-1976-05-15-3ベトナム1976年05月15日1970年代ハノイでパレスチナ人民支援集会。
DIA-201-1976-05-15-4ベトナム1976年05月15日1970年代ジャライ・コンツム省は1975年3月以来,10万人を定住させるために39の新経済区を設立した。
DIA-201-1976-05-15-5ベトナム1976年05月15日1970年代臨時革命政府のファン・バン・バ駐カンボジア大使,キュー・サムファン議長に信任状提出(新体制選出のため)。
DIA-201-1976-05-17-1ベトナム1976年05月17日1970年代(バンコク・ポスト17日)政府は25日までにビエンチャン市の朝市を閉鎖するよう命令。15日には政府軍兵士がランサン通りの商店を接収。
DIA-201-1976-05-17-2ベトナム1976年05月17日1970年代ラオス人30人が東北タイに越境,村民1人をつかまえたため,タイ国境警察とラオス兵が30分間交戦。
DIA-201-1976-05-18-1ベトナム1976年05月18日1970年代グエン・チ・ビン革命政府外相はインドとスリランカを訪問するため,ハノイ出発。20日,インドに到着,23日に,スリランカを訪問,27日に帰国。
DIA-201-1976-05-18-2ベトナム1976年05月18日1970年代ニャンザン紙:現在までの南部各省の冬春季稲作の収穫面積は27万3000ヘクタール。
DIA-201-1976-05-19-1ベトナム1976年05月19日1970年代ホアン・バン・ロイ外務次官は首相特使としてユーゴとアルジェリアを訪間するためハノイを出発。23日ユーゴに到着。27日にアルジェリアを訪問,30日に帰国。6月2~5日に,ソマリアを訪問。
DIA-201-1976-05-19-2ベトナム1976年05月19日1970年代西サハラのPOLISARIO戦線代表団(団長Mohamed Salem Ould Salek戦線運営委員会委員),ベトナム訪問を終る。
DIA-201-1976-05-19-3ベトナム1976年05月19日1970年代北ベトナム最大の河川用船舶修理工場落成。120トンの船を10隻同時に修理することができる。
DIA-201-1976-05-20-1ベトナム1976年05月20日1970年代ファンチエットに日産6トンの海産物冷凍工場完成。
DIA-201-1976-05-20-2ベトナム1976年05月20日1970年代タイグエンの医科大学から少数民族出身の医師65人が誕生,1968年の創立以来卒業者は500人。
DIA-201-1976-05-20-3ベトナム1976年05月20日1970年代レ・ジュアン党第一書記タイビン省を視察。
DIA-201-1976-05-20-4ベトナム1976年05月20日1970年代農業脇同組合創設3周年記念日に当り全土で集会,3方針を打出す。①土地・家畜・子供を人民と革命のために,②治水事業の推進,③協同組合の目標は大躍進。
DIA-201-1976-05-20-5ベトナム1976年05月20日1970年代デンマークと国交樹立。
DIA-201-1976-05-20-6ベトナム1976年05月20日1970年代タイの駐ラオス武官補チャトロン少佐,ラオス当局に逮捕さる。
DIA-201-1976-05-21-1ベトナム1976年05月21日1970年代サラバン省治安局はコンセドン県でタイから侵入した亡命右派16人を殺す。
DIA-201-1976-05-22-1ベトナム1976年05月22日1970年代ニャンザン紙:南部の各大学教授,講師や大学生は4ヵ月間の政治学習に参加。
DIA-201-1976-05-23-1ベトナム1976年05月23日1970年代中央農業委員会は省,市,県の幹部,農業林業各合作社の責任者を集めて大会を開き,合作社の管理改善,経済・技術水準の向上,集団所有の強化を指示した。
DIA-201-1976-05-24-1ベトナム1976年05月24日1970年代首相府は大学院コースの設置を決定。
DIA-201-1976-05-24-2ベトナム1976年05月24日1970年代ハクディ・インドネシア大使はバン副大統領に信任状を呈出。
DIA-201-1976-05-25-1ベトナム1976年05月25日1970年代ナイジェリアと外交関係を樹立。
DIA-201-1976-05-25-2ベトナム1976年05月25日1970年代ニャンザン紙:南部ドンカプ省の戦前の農地面積は32万ヘクタールであったが戦争で3分の1が荒廃した。解放後,耕作地面積は33万5000ヘクタ-ルに達し,1万5000ヘクタール増加した。
DIA-201-1976-05-25-3ベトナム1976年05月25日1970年代南部革命政府は,旧政権の軍人,官吏および政治活動家に対する12項目の政策を発表。
DIA-201-1976-05-25-4ベトナム1976年05月25日1970年代(パテトラオ通信)今年初めから今日まで国内各省人民は水田3500haを開墾。
DIA-201-1976-05-26-1ベトナム1976年05月26日1970年代ジャライ・コンツム(Gia Lai-Kontum)省のKong Trang Klaダム完成。長さ156m,高さ10m,付属運河10kmで1000ヘクタールに灌漑用水を供給することができる。
DIA-201-1976-05-27-1ベトナム1976年05月27日1970年代中国科学院の招きで,中越間の科学協力協定締結のためベトナム科学代表団北京に到着。
DIA-201-1976-05-29-1ベトナム1976年05月29日1970年代ニャンザン紙:南砂群島の駐留部隊(海軍171艦隊所属)は燐灰石を開発,150トンを採取。
DIA-201-1976-05-29-2ベトナム1976年05月29日1970年代政府発表,今年4ヵ月間にチャンパサク省出身のタイ亡命者800人が最近帰国。
DIA-201-1976-05-29-3ベトナム1976年05月29日1970年代最高人民評議会常務委開会。
DIA-201-1976-05-29-4ベトナム1976年05月29日1970年代シサナ・シサン情報相は29日付の英字紙「ザ・ネーション」のインタビューに答え,ソ連がラオス領内にレーダー施設を建設したとの報道を否定。
DIA-201-1976-05-30-1ベトナム1976年05月30日1970年代アルジェで開かれた非同盟諸国調整委員会会議にオブザーバーを派遣。
DIA-201-1976-05-30-2ベトナム1976年05月30日1970年代ニャンザン・:南部ハウザン省駐屯軍は経済建設工作に参加,1976年中に1800~4000ヘクタール規模の三つの農場を建設。現在合計で1万ヘクタールを開発,そのうち,2500ヘクタールで秋季米を作付した。
DIA-201-1976-05-30-3ベトナム1976年05月30日1970年代今年初から今日までに,ビエンチャン,フォンサリ,ルアンプラバン,カムムアン,サバナケット,アトプ各省は,60の国営商店と商業合作社を設立。
DIA-201-1976-06-01-1ベトナム1976年06月01日1970年代ニャンザン紙報道;チャンパサク省モウンユーン県地方部隊は,タイから送られてきた亡命右派分子5人を殺した。
DIA-201-1976-06-02-1ベトナム1976年06月02日1970年代ハノイ大学創立20周年記念。
DIA-201-1976-06-02-2ベトナム1976年06月02日1970年代アジア・アフリカ連帯委員会ベトナム代表団,東独を訪問。
DIA-201-1976-06-02-3ベトナム1976年06月02日1970年代国連経済代表団(団長Viktor Umbricht),ワルトハイム事務総長にベトナム経済についての報告書を提出。
DIA-201-1976-06-02-4ベトナム1976年06月02日1970年代ニャンザン紙:“東チモ-ル人民の自決権を尊重しなければならない”と主張。
DIA-201-1976-06-03-1ベトナム1976年06月03日1970年代ニャンザン紙:南部各省の今春季米作の収穫終了,今季の生産実績はビン・チ・チエン省,平均1ヘクタール当り2,2~2.5トン,フーカィン省2.5トン,ギアビン省2.2トン,メコン・デルタ各省では3~3.5トンに達す。
DIA-201-1976-06-04-1ベトナム1976年06月04日1970年代キューバとの1976~1980年の貿易協定および1976年度キューバからベトナムへの無償援助協定に調印。
DIA-201-1976-06-05-1ベトナム1976年06月05日1970年代革命政府,南沙群島に対するベトナムの主権を再確認―外国企業による南沙群島での石油試掘の報道に関して,革命政府外務省スポークスマンはこれらの島に関する南ベトナム共和国の主権を強調した。
DIA-201-1976-06-05-2ベトナム1976年06月05日1970年代ホー・チ・ミン労働青年団中央委,全国統一大会を開催―中央委員92名(南部から36名),常務委27名,書記局10名,中央委第1書記にVu Quang(党中央委員)を選出。
DIA-201-1976-06-05-3ベトナム1976年06月05日1970年代仏週刊誌ル・ポワンによれば,シアヌーク殿下は現在プノンペンで捕われの身になっており,同殿下の友人達がブーメジェン議長,金日成主席,マンスフィールド議員に釈放運動を要請している。
DIA-201-1976-06-05-4ベトナム1976年06月05日1970年代対外貿易代表団(団長ヌサイ・チットチサイ対外貿易省),北京到着。今年3月18日調印された援助協定の実施について協議。
DIA-201-1976-06-05-5ベトナム1976年06月05日1970年代中国の撮影代表団,取材のためビエンチャン到着。
DIA-201-1976-06-06-1ベトナム1976年06月06日1970年代サバナケット省ムオンフィン県ナニョム村で,ベトナム援助によるクアンビン-サバナケット友好水利施設の引渡し式典。
DIA-201-1976-06-07-1ベトナム1976年06月07日1970年代南北の労働者団体の統一大会―大会は全会一致で,新組織の名称を「ベトナム労働総同盟」とすることを承認。中央委員28名,議長ホアン・コク・ベト,副議長にグエン・ドク・ツゥン,グエン・コン・ホア,チュオン・チ・ミ,グエン・ホーの4名,書長長にグエン・ドク・ツゥンを選出。
DIA-201-1976-06-07-2ベトナム1976年06月07日1970年代革命政府は国連の連絡事務所を常駐オブザーバーの事務所に格上げすることを決定。
DIA-201-1976-06-07-3ベトナム1976年06月07日1970年代(ビエンチャン)政府代表はソ連政府代表と援助計画書調印。ソ連は1万5000人都市を建設し,附属施設を供与。
DIA-201-1976-06-08-1ベトナム1976年06月08日1970年代ノルウェー政府経済代表団,ベトナムを訪問。
DIA-201-1976-06-08-2ベトナム1976年06月08日1970年代ニャンザン紙報道;スウェーデン政府は,農具・物資購入のため2000万クローネの贈与を決定。
DIA-201-1976-06-09-1ベトナム1976年06月09日1970年代アメリカのガーディアン紙によると,MPLAのLara書記長は「ベトナム革命はアンゴラ革命に最初の時点から積極的影響を持った」と語った。
DIA-201-1976-06-10-1ベトナム1976年06月10日1970年代チャン・ダン・ギア国家科学技術委員会委員長はチェコに滞在中,両国科学技術協力協定に調印,11日にソ連訪問のためモスクワに到着。17日にソ連代表と1976~78年度科学技術協力協定に調印。
DIA-201-1976-06-11-1ベトナム1976年06月11日1970年代ホー・チ・ミン市で南北婦人団体の統一大会。新名称「ベトナム婦人連合会」,中央委員114名,常務委30名,議長に.Ha thi Que(党中央委員),第一副議長にNguyen thi Dinh.また南からNguyen thi Binh,Ngo ba Thanh女史を副議長に選出。
DIA-201-1976-06-11-2ベトナム1976年06月11日1970年代アルバニアのディシテル・スタモ駐カンボジア大使,ユーゴのミロラッド・ミヨビッテ駐カンボジア大使,キューバのラウル・バルザガ・ナバス駐カンボジア大使はそれぞれキュー・サムファン議長に信任状提出。
DIA-201-1976-06-12-1ベトナム1976年06月12日1970年代レ・タン・ギ副首相はモンゴル人民革命党第17回大会に出席のためハノイを出発。
DIA-201-1976-06-12-2ベトナム1976年06月12日1970年代最高人民評議会開会。
DIA-201-1976-06-12-3ベトナム1976年06月12日1970年代ベトナム政府の民族委員会代表団(団長Duongcong Hoa同委副委員長),ビエンチャン訪問。
DIA-201-1976-06-13-1ベトナム1976年06月13日1970年代駐仏カンボジア政府代表部は声明を発表し,フランスのマスコミがカンボジアの反政府活動地域のルポをとりあげたことを非難した。
DIA-201-1976-06-14-1ベトナム1976年06月14日1970年代ニャンザン紙:中部高原ジャコン省バウカンの国営茶栽培農場が再建。現在栽培面積540ヘクタールで1ヘクタール当りの収穫量5.5トン。農場の製茶工場は1日当り1トンの製茶が可能。
DIA-201-1976-06-14-2ベトナム1976年06月14日1970年代南北ベトナムの通信社は合併してVNA(Viet Nam News Agency)となる。
DIA-201-1976-06-15-1ベトナム1976年06月15日1970年代ドン首相は新任インドネシア大使ハックディ氏と会見。
DIA-201-1976-06-15-2ベトナム1976年06月15日1970年代南ベトナム解放民族戦線と民族・民主・平和勢力連合の両中央委員会は合同会議を開き,祖国戦線中央委員会との話合いへの代表を選出。
DIA-201-1976-06-15-3ベトナム1976年06月15日1970年代今年5ヵ月間にサバナケット省からタイへ亡命した870人が帰国。
DIA-201-1976-06-15-4ベトナム1976年06月15日1970年代政府布告,通貨交換―旧通貨20キップが新通貨1キップに。対ドル交換レートも1米ドル=200キップに。
DIA-201-1976-06-15-5ベトナム1976年06月15日1970年代タイ下院外交委員会一行9人,ビエンチャン訪問。
DIA-201-1976-06-16-1ベトナム1976年06月16日1970年代16,17日,ピチャイ外相を団長とするタイ代表団,カンボジア訪問。シソフォンでイエン・サリ外務担当副首相を団長とするカンボジア代表と会談。
DIA-201-1976-06-17-1ベトナム1976年06月17日1970年代ザップ駐日初代全権大使,天皇に信任状を呈出。
DIA-201-1976-06-17-2ベトナム1976年06月17日1970年代モスクワでソ連との1976~78年の科学技術協力に関する議定書に調印。
DIA-201-1976-06-18-1ベトナム1976年06月18日1970年代ニャンザン紙によると,ベトナムと中国の両鉄道局は中国昆明市で約2週間(1~13日)鉄道協力委員会第18回会議を開催。
DIA-201-1976-06-18-2ベトナム1976年06月18日1970年代FAOからの援助による肥料5000トン,ダナンに到着。
DIA-201-1976-06-19-1ベトナム1976年06月19日1970年代中国駐在の南北ベトナム大使館員全員は北京近郊の中越友好人民公社で生産労働に参加。
DIA-201-1976-06-19-2ベトナム1976年06月19日1970年代Hoang Van Loi外務次官,モザンビークへの友好訪問終る。
DIA-201-1976-06-21-1ベトナム1976年06月21日1970年代ハンガリアのMorjoi Jozsef外務次官ハノイ到着。
DIA-201-1976-06-21-2ベトナム1976年06月21日1970年代ベトナム作家協会代表団(団長Dang thai Mai文化工作者同盟議長),ソビエト作家大会に出席。
DIA-201-1976-06-21-3ベトナム1976年06月21日1970年代ヌオン・チェア議長,チョン・チン議長とグエン・フー・ト議長にあて統一国会に祝電。
DIA-201-1976-06-22-1ベトナム1976年06月22日1970年代ニャンザン紙:統計総局の通信速報によると今月15日現在,北部16省と都市の春季米生産は平均1ヘクタール当り2.9トン,収穫面積は33万7330ヘクタール。
DIA-201-1976-06-22-2ベトナム1976年06月22日1970年代ニャンザン紙:メコン・デルタ地区の国立銀行各支店は農業生産資金として,ロンアン省の200万ドン,ドンタプ省に11万4000ドン,ミンハイ省に26万4500ドンを貸与。
DIA-201-1976-06-23-1ベトナム1976年06月23日1970年代李先念中国副首相はヴー・ゴク・ホ革命政府大使と会見して“ベトナムの諸同志は長年にわたる困難を乗越え,完全な勝利を得た。中国人民の代表として,祝賀を申し上げたい。両国の党と人民は今まで通り,今後も友好と兄弟的団結をひき続き強化発展させて行きたい”と述べた。
DIA-201-1976-06-23-2ベトナム1976年06月23日1970年代政府代表,国連難民委員会代表と,難民の帰郷ならびに生活再建に対する援助協定に調印。
DIA-201-1976-06-23-3ベトナム1976年06月23日1970年代シパスート外相,ブーテフリカ・アルジェリア外相に朝鮮問題について返書。
DIA-201-1976-06-24-1ベトナム1976年06月24日1970年代統一国会第1回会議開催―統一国会第1回の主要議題は次のとおり。 ○総選挙中央委議長チュオン・チンによる4月25日の投票結果の報告 ○レ・ジュアン党中央委第一書記の政治報告 ○当選者の資格審査の承認。 ○国名,国彰,国旗,国歌,首都,サイゴン市の新名称の決定。 ○国家行政機構および新憲法の制定までの国家活動の原則を決定。 ○国家正副大統領,首相,内閣,国防会議の副議長と委員を選出,また,最高人民裁判所と最高人民検察院の両長官を選出。
DIA-201-1976-06-24-2ベトナム1976年06月24日1970年代ハノイでスウェーデンとの間の家族計画および母子福祉に関する協力協定に調印。
DIA-201-1976-06-25-1ベトナム1976年06月25日1970年代モンゴルとの友好協力協定調印15周年記念。
DIA-201-1976-06-25-2ベトナム1976年06月25日1970年代モスクワでソ連・ベトナム友好週間の開幕。
DIA-201-1976-06-26-1ベトナム1976年06月26日1970年代Yen Xuan鉄橋(7スパン,427m)完成。
DIA-201-1976-06-26-2ベトナム1976年06月26日1970年代イタリアと大使級外交関係樹立。
DIA-201-1976-06-26-3ベトナム1976年06月26日1970年代レ・バン・ヒエン・ベトナム大使,離任のあいさつのためカイソン首相を訪問。
DIA-201-1976-06-27-1ベトナム1976年06月27日1970年代ニャンザン紙:北部の春季米収穫面積は46%(8省の36万ヘクタール)に達す,米11万トンが入庫。
DIA-201-1976-06-27-2ベトナム1976年06月27日1970年代ソ連政府職業委員会代表団は約20日間(9~23日)ベトナムを訪問し,労働省代表と熟練工の訓練協定に調印。
DIA-201-1976-06-28-1ベトナム1976年06月28日1970年代チラナでアルバニアとの間の科学技術協力に関する議定書調印。
DIA-201-1976-06-28-2ベトナム1976年06月28日1970年代タイ国営放送によれば,タイのチャンタブリ県でタイ国境警備隊とカンボジア軍が衝突。タイ側負傷5カンボジア側戦死15人。
DIA-201-1976-06-28-3ベトナム1976年06月28日1970年代ナムグム発電所からポントン,タナレン,ビエンチャン南部への115kv送電線建設契約についての会合。伊のSociata Anoia Electrication,印のTatand Testeens,日本の東洋棉花,西独のシーメンスら出席。
DIA-201-1976-06-28-4ベトナム1976年06月28日1970年代Ali Fayyad PLO代表,ビエンチャン訪問。
DIA-201-1976-06-30-1ベトナム1976年06月30日1970年代労働党中央委は中国共産党創立55周年に当り,中国共産党中央委あて祝電を送る。
DIA-201-1976-06-30-2ベトナム1976年06月30日1970年代ヨーロッパの共産党・労働者党会議は閉幕にあたり,ベトナム,ラオス,カンボジアの再建への支援を呼びかけたアピ-ルを採択。
DIA-201-1976-06-30-3ベトナム1976年06月30日1970年代キュー・サムファン議長,アフリカ統一機構首脳会議に当り,セウサグル・ラングーラム議長にメッセージ。
DIA-201-1976-06-30-4ベトナム1976年06月30日1970年代Jozsef Marjaiハンガリ-外務次官,ビエンチャン訪問。
DIA-201-1976-07-01-1ベトナム1976年07月01日1970年代統一国会第1回総会は,全会一致で,新しい国名,国旗,国歌,国章,首都を決定―また今国会総会の資格,サイゴン,ジャディン地区の新名称を承認。その細目は次のとおり, ○国名:ベトナム社会主義共和国。 ○国旗:赤地に黄星。 ○国歌:進軍歌(今まで人民軍の歌)。 ○国章:O型の赤い地,中心に黄色の五角星,その回りに稲穂,下に車輪。 ○首都:ハノイ ○今国会総会は1945年の国会総会から継続した国会であるので,今国会第6期第1回と決定。 ○サイゴン,ジャディンおよびチョロンの一部は合併され,正式にホー・チ・ミン市と命名。
DIA-201-1976-07-02-1ベトナム1976年07月02日1970年代統一国会は,正副大統領,国会常務委,内閣,国防委のメンバーを選出―資料参照。
DIA-201-1976-07-02-10ベトナム1976年07月02日1970年代社会主義国からベトナム経由でラオスに送られる援助物資の輸送協定調印。
DIA-201-1976-07-02-2ベトナム1976年07月02日1970年代国会総会は全員一致で,新憲法の制定まで1959年の憲法を基礎にすることを決定。
DIA-201-1976-07-02-3ベトナム1976年07月02日1970年代統一国会は新憲法制定委員会を設立,同委の議長と委員36名を選出,その36名のうち,北部出身は20名,南部出身は16名。
DIA-201-1976-07-02-4ベトナム1976年07月02日1970年代ニャンザン紙;南部全体で今年初め6ヵ月間に,水利建設の工事に参加した者の数480万人に達す。この水利建設の完成で,農地3万8000ヘクタールが海水浸透を防止でき,5万8000ヘクタールの酸性を改良でき,55万ヘクタールを灌漑でき,2,3毛作もできる。
DIA-201-1976-07-02-5ベトナム1976年07月02日1970年代(パリ)ボー・バン・スン駐仏大使はジヤンイバー・ハバレ仏政府国家金庫国際局局長と1週間(6.11~7.2)にわたって会談を行ない,仏政府は旧ベトナムに対する貿易信用と援助信用諸金額の使用について同意したとの共同声明を発表。
DIA-201-1976-07-02-6ベトナム1976年07月02日1970年代ニャンザン紙;中国共産党創立55周年記念を祝ってハノイ市のThang long(昇竜)橋の建設工事現場,クアンニン省マオケ炭鉱などの技術協力中国技術者と幹部は,ベトナム技術者・幹部と合同で祝賀式典を開催。
DIA-201-1976-07-02-7ベトナム1976年07月02日1970年代キュー・サムファン議長,トン・ドク・タン・ベトナム社会主義共和国大統領就任に当り祝電。
DIA-201-1976-07-02-8ベトナム1976年07月02日1970年代ポル・ポト首相,ファン・バン・ドン首相に就任祝電。
DIA-201-1976-07-02-9ベトナム1976年07月02日1970年代ヌオン・チェア議長,チョン・チン・ベトナム国会議長就任に祝電。
DIA-201-1976-07-03-1ベトナム1976年07月03日1970年代ファン・ヒエン(Pllan Hien)外務次官を団長とする代表団,ASEAN加盟諸国を会式訪問するため,ハノイを出発―5日マレーシア訪問。9日フィリピン訪問,12日同国と大使級国交樹立に関する共同声明に調印。13日シンガポール訪問。16日インドネシア訪問。20日ビルマ訪問。ラングーンに行く途中バンコク空港でパニアラチュン・タイ外務次官に出迎えられ,同国ピチャイ外相と会談。24日ラオス訪問。26日にハノイに帰着。
DIA-201-1976-07-03-2ベトナム1976年07月03日1970年代ブルガリア外務省代表団(団長ニコラ・ミンチエプ外務次官),ハノイ訪問。
DIA-201-1976-07-03-3ベトナム1976年07月03日1970年代カイソン書記長,中国共産党創立55周年記念日に当り,祝電。
DIA-201-1976-07-03-4ベトナム1976年07月03日1970年代ビエンチャン国内放送;米機は6月8日タイからラドムサイ省ムオンサイ県に,6月22日には同省ムオンベン県に偵察飛行。
DIA-201-1976-07-04-1ベトナム1976年07月04日1970年代スファヌボン大統領,米建国200年記念日に当り,フォード大統領に祝賀メッセ-ジ。
DIA-201-1976-07-05-1ベトナム1976年07月05日1970年代チン外相はベトナムと東南アジア諸国との関係に対するベトナム通信社の質問に,次のように答えた。「インドシナ3国の抗米救国の闘争が完全勝利した後,東南アジア情勢は変化し,同地域諸国は独立,平和,中立へ進もうと努力する有利な条件がある。また,その目標に達する際には,ベトナムに,平和五原則を基礎に,東南アジア諸国と関係を正常化し,相互協力を進める用意がある」
DIA-201-1976-07-05-2ベトナム1976年07月05日1970年代チン外相はピチャイ・タイ外相あてに“もしタイ政府が平和五原則の基礎を承認し,実行するならば,8月中に,両国関係の諸懸案の交渉のため,ハノイへ代表団を派遣することに同意する”との覚書を送った。
DIA-201-1976-07-05-3ベトナム1976年07月05日1970年代チュオン・チン統一国会議長兼新憲法起草委員長は同委員会の会合を開き,常務委と書記局を設立。
DIA-201-1976-07-06-1ベトナム1976年07月06日1970年代ニャンザン紙;ソ連と中国の党・政府首脳はベトナムの党・政府および国会首脳にあて,祝電を送る。
DIA-201-1976-07-06-2ベトナム1976年07月06日1970年代全国の各民族戦線(祖国戦線,解放戦線,平和連盟)はハノイで会議を開き,3つの民族戦線を合併し,全国民族統一戦線を成立するための準備委員会を設立。各戦線代表38人から,同委員会を編成。同委員会の任務は統一民族戦線の綱領と条例を起草,同戦線の全国大会の開催を準備すること。
DIA-201-1976-07-06-3ベトナム1976年07月06日1970年代Mek Tuoch駐ラオス大使,カンボジアからラオスへの援助品塩300トンが両国国境で引渡されたことをラオス外務省に通告。
DIA-201-1976-07-06-4ベトナム1976年07月06日1970年代カンボジアから塩300トン援助。
DIA-201-1976-07-07-1ベトナム1976年07月07日1970年代(ハノイ)北部と南部の報道新聞界代表(北側ホアン・ツン新聞協会会長,南側タン・ドク愛国新聞協会会長)は大会を開催,統一した全国新聞協会を設立することに同意。新協会名は「ベトナム新聞協会」とし,新役員メンバーは次のとおり。 会長 Hoang Tung労働党機関紙ニャンザン編集長(党中央委員) 副会長 Tan Duc(南部新聞協会々長) 〃 Huynh van Tieng 書記長 Luu quy Ky
DIA-201-1976-07-07-2ベトナム1976年07月07日1970年代ギ副首相は,ベルリンで開催された社会主義諸国経済協力委第30回大会にオプザ-バーの資格で参加。
DIA-201-1976-07-07-3ベトナム1976年07月07日1970年代キュー・サムファン議長,トン・ドク・タン大統領に統一祝賀メッセージを送る。ヌオン・チェア議長,ポル・ポト首相もそれぞれチョン・チン議長,ファン・バン・ドン首相に祝賀メッセージ。
DIA-201-1976-07-07-4ベトナム1976年07月07日1970年代プノンペン放送,「カンボジアとベトナムの戦闘的連帯と友好はますます深まる」とのコメント。
DIA-201-1976-07-07-5ベトナム1976年07月07日1970年代キュー・サムファン議長,ヌオン・チェア人民代表議会議長,ポル・ポト首相,中国指導者に対し朱徳議長逝去に当り弔電。
DIA-201-1976-07-07-6ベトナム1976年07月07日1970年代ブルガリア新大使,スファヌボン大統領に信任状提出。
DIA-201-1976-07-08-1ベトナム1976年07月08日1970年代ニャンザン紙;北部化学部門は今年6ヵ月間に,南部化学生産企業へ化学原料2万トンを送る。
DIA-201-1976-07-08-2ベトナム1976年07月08日1970年代ラオスの駐カンボジア大使Khamma Phonkong,キュー・サムファン議長に信任状提出。
DIA-201-1976-07-08-3ベトナム1976年07月08日1970年代ベトナム社会主義共和国大使館で統一祝賀レセプション。ヌオン・チェア議長,イエン・サリ副首相ら出席。
DIA-201-1976-07-08-4ベトナム1976年07月08日1970年代ラオス警察幹部,空軍将校ら5家族15人,ヘリでタイのウドン空港に逃亡。
DIA-201-1976-07-09-1ベトナム1976年07月09日1970年代党中央委政治局,国会,政府の過半数の代表団はハノイ駐在中国大使館を訪問。朱徳中国党中央委政治局員兼人民代表常務委員長の遺影に花輪をささげて哀悼の意を表した。
DIA-201-1976-07-09-2ベトナム1976年07月09日1970年代ニャンザン紙;全北部各省は今月5日現在,春季収穫食糧買入計画を52%達成。また,1300の農業合作社は春季食糧義務を完遂。
DIA-201-1976-07-09-3ベトナム1976年07月09日1970年代ホアン・バン・ロイ外務次官は大統領特使として,モザムビクを訪問,17日まで滞在,23~26日マダガスカルを訪問,27日に帰国。
DIA-201-1976-07-09-4ベトナム1976年07月09日1970年代(東京)日本政府閣議,駐ラオス大使に矢野泰男駐チュニジア大使を任命。
DIA-201-1976-07-10-1ベトナム1976年07月10日1970年代首相府は11日終日,政府機関,外務省,ハノイ市民委事務所,国会などで,朱徳中国人民代表委員長に対し半旗をかかげて哀悼するよう指示。
DIA-201-1976-07-10-2ベトナム1976年07月10日1970年代ニャンザン紙;統計総局資料によると,今月5日現在,北部各省の春季収穫面積は85%に達す。また,秋季米播種面積は92%に達す。
DIA-201-1976-07-10-3ベトナム1976年07月10日1970年代ニャンザン紙;ホンガイ石炭公司の発表による今年の石炭生産は上半期に年間計画の50%を達成。
DIA-201-1976-07-10-4ベトナム1976年07月10日1970年代ホアン・バン・チエン外務次官は大統領の特使としてアフリカ諸国の一部を歴訪するため,ハノイを出発。15日ギニア到着。20日まで滞在。21~24日マリ訪問。26~30日ギニア・ビサオ訪問。7月30日~8月3日Capeverde Islands訪問。8~14日コンゴ人民共和国訪問。14~20日ニジェール訪問。28日帰国。
DIA-201-1976-07-10-5ベトナム1976年07月10日1970年代ディン・バー・チ国連常駐(オブザーバー)統一ベトナム大使,赴任のためニューヨークに到着。
DIA-201-1976-07-10-6ベトナム1976年07月10日1970年代キュー・サムファン議長,ヌオン・チェア議長,ポル・ポト首相,イエン・サリ副首相,朱徳委員長の逝去に当り中国大使館を弔問。
DIA-201-1976-07-10-7ベトナム1976年07月10日1970年代ソン・セン国防担当副首相,アルバニア人民軍建軍記念日に当り,アルバニア首相兼国防相にメッセージ。
DIA-201-1976-07-10-8ベトナム1976年07月10日1970年代ベトナム・ジャーナリスト代表団(団長Tran Thanh Xuan VNA副社長),プノンペン訪問。
DIA-201-1976-07-10-9ベトナム1976年07月10日1970年代林野庁は今年初めの6ヵ月間に2.2万㎡の木材を伐採。植林のため120kgの種を用意。3~6月アトプ省の製材所は2.8万㎡を製材。
DIA-201-1976-07-11-1ベトナム1976年07月11日1970年代ニャンザン紙;党中央委書記局は農業合作社の規模拡大を全北部に指示,その重点は次のとおり。 ○農業合作社の規模を,平原地帯では300ヘクタール規模から500ヘクタール規模へ拡大,高原地帯では1000ヘクタール規模から1500ヘクタール規模へ拡大。 ○中央から直接に指導,あるいは地方で自主的に実施。各省と都市の党委はこの工作を厳格に指導し違反行為を検査する。
DIA-201-1976-07-11-2ベトナム1976年07月11日1970年代ホー市革命委は同市全市民とともに,国会が同市をホーチ・ミン市に正式に命名した決議に対する歓迎集会を開催。
DIA-201-1976-07-12-1ベトナム1976年07月12日1970年代フィリピンと大使級国交樹立に同意したコミュニケに調印。
DIA-201-1976-07-12-2ベトナム1976年07月12日1970年代バンコックに届いた報告によると,カンボジア軍兵士10人がタイ東部のウボンラチャタニ県に逃げ込む。
DIA-201-1976-07-12-3ベトナム1976年07月12日1970年代ベトナムの駐ラオス新大使Dinh ngo Liem,スファヌボン大統領に信任状提出。
DIA-201-1976-07-13-1ベトナム1976年07月13日1970年代ディン・バー・チ大使,国連事務総長に信任状を提出。
DIA-201-1976-07-13-2ベトナム1976年07月13日1970年代(プラハ)グエン・バン・ダオ対外貿易次官はチェコ政府代表と,1976~80年の物資交換・支払いおよび借款協定に調印。
DIA-201-1976-07-13-3ベトナム1976年07月13日1970年代ニャンザン紙はホー市内消費合作社の一部の成果について論評を掲載,その重点は次のとおり。 ○旧サイゴン市解放後,人民の生活必需品を保障するため,生活と消費の再組織の問題は同市革命委の最優先間題である。 ○同市人口は約350万人。市内商売関係従事者総数は30万以上。それらの商売の改造,あるいは排除のため,国営商業の発展と強化をはかり,同時に労働者の手で組織・管理された集団商業を設立し,強化する。 ○市内第8区のある消費合作社の場合,昨年10月26日に設立され,当初加入社員276人,各人投資1780ドルであったが,現在3730人,資金30万に達し,同区の労働者総数の95%に達す。
DIA-201-1976-07-13-4ベトナム1976年07月13日1970年代世界平和委員会のオーストラリア委代表団(団長ケンサー同委員長),ハノイに到着。
DIA-201-1976-07-13-5ベトナム1976年07月13日1970年代コロンビア共産党青年団中央委代表団(団長ハイメカイセド党中央委政治局員兼同団第一書記),ハノイを訪問。
DIA-201-1976-07-13-6ベトナム1976年07月13日1970年代(プラハ)グエン・チエン・トン駐チェコ大使は政府代表として,チェコ政府代表と1975~77年のベトナム技術者訓練についての援助協定に調印。
DIA-201-1976-07-13-7ベトナム1976年07月13日1970年代国際赤十字代表,ラオス赤十字代表に自転車200台を贈与。
DIA-201-1976-07-15-1ベトナム1976年07月15日1970年代ハノイ駐在南部共和臨時革命政府代表部は同事務所を閉鎖,解散と発表。
DIA-201-1976-07-15-2ベトナム1976年07月15日1970年代ニャンザン紙;ハノイ第一師範大学の卒業生1123人(数学187人,文学233人,理科199人,化学135人,生物科77人,農業技術100人,工業技術65人,歴史科68人,地理科59人を含む),全国の一般学校の第3級校(高校)に就職。
DIA-201-1976-07-15-3ベトナム1976年07月15日1970年代コスイギン・ソ連首相,ギ副首相と会談。
DIA-201-1976-07-15-4ベトナム1976年07月15日1970年代ホアン・コク・ベト労働総同盟議長は15~23日ソ連を訪問。24~8月1日ユーゴ訪問。4日ハノイに帰着。
DIA-201-1976-07-15-5ベトナム1976年07月15日1970年代イエメン人民民主共和国と大使級外交関係樹立。
DIA-201-1976-07-16-1ベトナム1976年07月16日1970年代ビルマ政府貿易代表団(団長ウーフラエイ同国貿易相),ハノイに到着。ダン・ベト・チャウ対外貿易相と両国貿易協定に調印。
DIA-201-1976-07-16-2ベトナム1976年07月16日1970年代新政府の全閣僚は初閣議を開き,次の議題を討議。 ○生産促進,経済管理の改善に努力。 ○北部では社会主義生産関係を継続的に完成,政府機関と管理の改善。 ○南部では国営経済力量を強化。同時に社会主義改造を促進。一歩一歩南部全体の経済を社会主義の軌道に乗せるよう努力する。
DIA-201-1976-07-17-1ベトナム1976年07月17日1970年代ニャンザン紙;メコン・デルタ地帯各省農民の国家機関への米売却の状況は次のとおり。 ○ミンハイ省カマウ市とバクリユー市の両市革命委は物価安定,投機ヤミ売買の防止の目的で,人民への食糧配給制度を実施,食糧と生活必需品の買入れなどをよく組織,バクリユー市委は5,6月に農民から米223~400トンを買入れ,一般人民に米300トンを配給した。またカマウ市委も6月に人民に米138トンを分配した。 ○ハウザン省農民は農業税を納入した外,国家に米176トンを売却。 ○アンザン省フータン県農民は6月25日までの1ヵ月間に国家に米3885トンを亮却,同省のホアハオ村(ホアハオ教発祥地)の農民は農業税323トンを納め,国家に1799トンを売却した。
DIA-201-1976-07-17-2ベトナム1976年07月17日1970年代ニャンザン紙;中部フーカイン省では今年3月から6月初めまでに,トイホア,トイアン,カムライン,カィンニン,カィンスアン,ソンホア,ドンスアン各県で地方部隊所属第9と第470大隊が地雷と不発弾1万2000個を除去,農地66万平方メートルを解放し生産再開。
DIA-201-1976-07-17-3ベトナム1976年07月17日1970年代統一仏教協会は日本で開催される,第4回アジア仏教大会に参加するため,同協会代表団(団長チック・チエン・ハオ師,副団長ファム・テ・ロン師)を派遣すると発表。
DIA-201-1976-07-17-4ベトナム1976年07月17日1970年代「クメール解放政府」首班を名乗るSouvatthana大佐はパリで声明を発表,13万5000人以上のカンボジア人が反共地下抵抗組織に加わっていると述べた。
DIA-201-1976-07-18-1ベトナム1976年07月18日1970年代ニャンザン紙;今月15日までに全北部各省は春季食糧義務計画の73.5%を達成。そのうち5省は同義務計画を完遂。
DIA-201-1976-07-19-1ベトナム1976年07月19日1970年代ニャンザン紙;南部海運局船舶修理部は1年間の船舶修理で,現在2万トン級の船11隻を海運に提供,運行を開始。
DIA-201-1976-07-19-2ベトナム1976年07月19日1970年代キエンザン省の人民委と軍事委は,拿捕したタイ漁民212人と漁船8隻を釈放すると発表。
DIA-201-1976-07-19-3ベトナム1976年07月19日1970年代「人民の声」紙,ラオス政府が月末にピチャイ・タイ外相を招請と伝える。
DIA-201-1976-07-20-1ベトナム1976年07月20日1970年代キュー・サムファン議長,ポル・ポト首相,イエン・サリ副首相ら,ベトナム報道代表団と会見。ポル・ポト首相は次のように言明「解放後の問題は第1に革命の成果を守り,米帝と手先による権力奪取を防ぐこと,第2に人民の生活を緊急に保障すること。我々は150万haの田への灌水計画を立て,3分の1完成した。ゴムについてはクレープ処理工場を完全に復旧しなければならず,76年2万トンのクレープ状ゴムの輸出を計画。他の工業生産施設については修理・復興にとどまっている。
DIA-201-1976-07-20-2ベトナム1976年07月20日1970年代カイソン首相,チャンパサク省サナソムブン県パクソン村訪問,国防次官ら同行。
DIA-201-1976-07-20-3ベトナム1976年07月20日1970年代(KPL)新解放区で60%以上の工場・手工業設備が回復。ビエンチャンでは84の国営・私営工場ないし手工業施設が生産再開。
DIA-201-1976-07-21-1ベトナム1976年07月21日1970年代カムタン・テプブリー・ラオス統一仏教会会長,東京で開かれる第4回アジア仏教徒平和会議出席のためビエンチャンを出発。
DIA-201-1976-07-22-1ベトナム1976年07月22日1970年代ニャンザン紙;この1月半にも雨が降らず,例年より雨量が少なく,川と湖の水量も減少,とくに北部南端と中部以北の諸地区がひどい。
DIA-201-1976-07-22-2ベトナム1976年07月22日1970年代ニャンザン紙;建設省はホー市で全幹部の大会を開き,ファト副首相とドー・ムオイ副首相兼建設相が同大会に出席。大会はツウンハイ省以南と全南部の復旧と新建設の成果を総括。
DIA-201-1976-07-24-1ベトナム1976年07月24日1970年代ファン・ヒエン外務次官,ビエンチャン訪問。
DIA-201-1976-07-25-1ベトナム1976年07月25日1970年代ニャンザン紙;ホー市党委所属青年突撃隊の一部5000人はソンベー省の5新経済開発地区(フージャオ,ベンカット,タンウエン,ドンソアイ,チヨウタイン)の開発と建設に従事。
DIA-201-1976-07-25-2ベトナム1976年07月25日1970年代東チモール代表団,プノンペン訪問。
DIA-201-1976-07-25-3ベトナム1976年07月25日1970年代外務省スポークスマン声明,韓国へのアメリカの軍事力導入を非難。
DIA-201-1976-07-25-4ベトナム1976年07月25日1970年代タイ内務省発表によると,チャンタブリ県の村でタイの農場から豆を盗むのを発見されたカンボジアの兵士20人が警備に当っていた村民に発砲,1人死亡,10人負傷。
DIA-201-1976-07-25-5ベトナム1976年07月25日1970年代(KPL)すべての省で旧解放区における現在の労働交換組を強化し,新解放区における同様のチームの設立のために努力。8省で439の労働交換組設立。シエンカン省では40の協同組合設立。また5省で6ヵ所の国営農場設立。
DIA-201-1976-07-26-1ベトナム1976年07月26日1970年代ニャンザン紙;軽工業省はホー市で会議を開き,南部軽工業の関係責任者と技術者および労働者200人が出席,南部軽工業諸企業の組織と生産管理などを討議。現在南部軽工業は国内原料を使用,生産を促進,新しい研究を進め,新製品を生産することで意見一致。
DIA-201-1976-07-26-2ベトナム1976年07月26日1970年代ニャンザン紙;南部クーロン省は7ヵ月かかって同省のカウガン,チャク両県米作地3600ヘクタールの海水浸透害を防止する目的で,ベンザー・ダム建設工事を完成。
DIA-201-1976-07-26-3ベトナム1976年07月26日1970年代フン・テ・タイ・ベトナム民航代表団長と,ハノイ―プノンペン間航空路開設に合意した文書に調印。
DIA-201-1976-07-26-4ベトナム1976年07月26日1970年代リビアと外交樹立。
DIA-201-1976-07-28-1ベトナム1976年07月28日1970年代ニャンザン紙;傷病兵と戦死兵士の遺族代表はホー市で大会を開催。レ・ドク・ト政治局員が出席。
DIA-201-1976-07-28-2ベトナム1976年07月28日1970年代ニャンザン紙;世界平和運動のベトナム委代表団(団長レ・トァン・ツ同委員長兼アジア・アフリカ人民連帯委副議長),日本で開催される核兵器禁止運動の第22回大会に参加するため,ハノイを出発。ツ団長は8月15日ハノイに帰着。
DIA-201-1976-07-28-3ベトナム1976年07月28日1970年代ニャンザン紙;全国人民軍の経済建設と食糧自給政策の実現についての初歩的成果は次のとおり。 南部第9軍区(メコン・デルタ地区)所属の全部隊は今年上半期に,農作地2万1100ヘクタールを開墾,水利・送水路工事を建設,5月までに稲作付面積は1万5700ヘクタールに達す,塩生産100トン,魚類300トン。北部ホンハー川左岸軍区所属部隊も,マニヨク90万本を植え,牛・水牛1000頭,豚4000頭,ヤギ178頭,鶏・あひる1万羽を保有。
DIA-201-1976-07-28-4ベトナム1976年07月28日1970年代気象庁は7月26~27日両日全北部に雨が降り,かなり雨量があったと発表。
DIA-201-1976-07-29-1ベトナム1976年07月29日1970年代ニャンザン紙;レ・タイン・ギ副首相は最近,南部海上のコンソン島を訪問。
DIA-201-1976-07-29-2ベトナム1976年07月29日1970年代ドン首相は華国鋒中国首相にあて,河北省内の大地震災害についての見舞電報を送る。
DIA-201-1976-07-29-3ベトナム1976年07月29日1970年代ニャンザン紙;スアン・トイ党中央委書記はコロムビア共産党青年団代表団と会見。
DIA-201-1976-07-29-4ベトナム1976年07月29日1970年代カンボジアの駐仏代表部は声明を発表し,仏政府当局が12日,同代表部の活動停止の決定を下したことを非難。
DIA-201-1976-07-30-1ベトナム1976年07月30日1970年代ニャンザン紙;南部メコン・デルタ地帯全体の秋季農作面積は200万ヘクタール。6月30日までに耕作を終了した面積は160万ヘクタールで計画の60.7%。とくにドンタプとアンザン両省の稲植え付け終了面積は約16万ヘクタールで,秋季計画面積の95%に達す。
DIA-201-1976-07-30-2ベトナム1976年07月30日1970年代ニャンザン紙;中部高原ダクラク省のホー労働青年団は「3つの突撃」運動で優秀な成績を獲得した青年団員の大会を開催。①労働生産,②治安と秩序の維持,③文明的で健全な生活の建設。
DIA-201-1976-07-30-3ベトナム1976年07月30日1970年代ピチ・チアン駐中国カンボジア大使,北京に着任。8月7日信任状提出。
DIA-201-1976-07-30-4ベトナム1976年07月30日1970年代イエン・サリ外交担当副首相,非同盟諸国首脳会議出席のためプノンペン発,8月6日北京立寄り。
DIA-201-1976-07-30-5ベトナム1976年07月30日1970年代(KPL)ビエンチャン市他7省で現在63の国営百貨店があり7省で90の販売協同組合設立。
DIA-201-1976-07-31-1ベトナム1976年07月31日1970年代(バンコク・ロイター)タイ湾上の国境沖でタイ海軍軍艦がカンボジアの武装漁船と交戦。
DIA-201-1976-07-31-2ベトナム1976年07月31日1970年代タイのピチャイ外相,ビエンチャン訪問,8月1~3日シパスート外相と会談。3日共同声明調印。これまで2ヵ所しか開いていない国境を更に,3ヵ所開くこと,プラオスに抑留されているタイ人を釈放すること,懸案事項解決のため合同委を設置することなどで合意。
DIA-201-1976-08-01-1ベトナム1976年08月01日1970年代ニャンザン紙;南部各製糖工場(ヒエプホア,バリア,ファンラン,カインホイ)の生産は現在までに年間生産計画の84%に達す。
DIA-201-1976-08-01-2ベトナム1976年08月01日1970年代政府とホー市人民委は,解放後も南部に残留した米国市民とその家族全員の帰国を許可。
DIA-201-1976-08-01-3ベトナム1976年08月01日1970年代ギリシアと大使級外交関係樹立。
DIA-201-1976-08-02-1ベトナム1976年08月02日1970年代ニャンザン紙;中部各省では農業技術者とポンプ操作員の養成計画を実施。ソンベ省では100人が参加して農業技術の短期訓練を開催。ダクラク省では作物保存技術員66人を養成。ジヤコン省では初級農業技術者160人を養成。ギアビン省も,自動ポンプ操作技師150人を訓練。
DIA-201-1976-08-02-2ベトナム1976年08月02日1970年代郵便中央総局はホー市で全国の郵便局の責任者と幹部を召集。同部門運営の統一について討議。
DIA-201-1976-08-02-3ベトナム1976年08月02日1970年代日本と大使級外交関係樹立。
DIA-201-1976-08-03-1ベトナム1976年08月03日1970年代ニャンザン紙;アルジェリア労働者連合会代表団(団長アイサラセン書記長),ハノイに到着。
DIA-201-1976-08-03-2ベトナム1976年08月03日1970年代ニャンザン紙;キューバ労働総同盟代表団(団長ラダロ・ドミゲ実行委員)は9月17~31日までベトナム全国各地を訪問。
DIA-201-1976-08-03-3ベトナム1976年08月03日1970年代ニャンザン紙はハノイ市,ホー市等の今年上半期の交通事故件数と自動車台数を発表。ハノイ市では交通事故486件,そのうち,死亡40人,重軽傷294人。車両損害のうち自動車123台,モーター付車と自転車185台,ホーチミン市では787件,死亡80人,重軽傷886人,車両損害229台。ダナン市では300件。現在,ハノイ市内の工業用機械車両2万1000台,自動車,モーター付車1万3000台,自転車37万台。交通整理公安員380人。ホー市では自動車6万4000台,3輪車2万1000台,モーター付車とモーターシクロ6万7000台,自転車56万台,交通整理公安員2000人。
DIA-201-1976-08-03-4ベトナム1976年08月03日1970年代ピチヤイ・タイ外相はベトナム関係諸懸案の交渉のため,ハノイを訪問。
DIA-201-1976-08-03-5ベトナム1976年08月03日1970年代ホン・ロン金属機械次官は政府代表としてバクタイ省内第2医療用具製造工場建設に援助・協力した中国の専門家と技術者代表団に労働勲章を贈与。
DIA-201-1976-08-04-1ベトナム1976年08月04日1970年代ニャンザン紙;南部各省で現在すでに国営植林場25ヵ所を建設,植林面積1万ヘクタールに達す。
DIA-201-1976-08-04-2ベトナム1976年08月04日1970年代ニャンザン紙;南北赤十字社はホー市で,両社の統一問題の討議のため,拡大会議を開催。新組織名は「ベトナム赤十字社」と決定。新役員と常務委を選出。新社長グエン・バン・ツ(Nguyen van Thu)(元南部革命政府所属赤十字社社長),事務局長チャン・チ・デッチ(Tan thi Dich)(女史)。常務委15名。
DIA-201-1976-08-04-3ベトナム1976年08月04日1970年代ホアン・ビック・ソン外務次官は同盟首脳第5回会議への参加準備のため,コロンボ訪問。
DIA-201-1976-08-05-1ベトナム1976年08月05日1970年代ニャンザン紙;軽工業省の指示により,南部金属・機械・電機各企業は,農業と漁業に服務する方向で生産を分担,第一歩として財政,資材,労働および会計管理を統一することを決定。
DIA-201-1976-08-05-2ベトナム1976年08月05日1970年代統一鉄道総局はビン-ユエ間の鉄道・自動車並用エンスアン大橋の完成式を開催。
DIA-201-1976-08-05-3ベトナム1976年08月05日1970年代「人民の声」紙,市経済決議の効果的な実行に参加しようと題する社説を掲載。国家機関三集団機関,個人に家畜や魚の飼育を勧告。
DIA-201-1976-08-05-4ベトナム1976年08月05日1970年代北朝鮮の許淡副首相兼外相を団長とする代表団,ビエンチャン訪問。
DIA-201-1976-08-06-1ベトナム1976年08月06日1970年代ニャンザン紙;ホー市人民委と市内各区人民各級の勧告で,市内に住む生活不安定な人とその家族55万人が故郷へ帰るか新経済区へ移住。特に今年5,6,7の3ヵ月間に市内から移動した者は13万人に達す。
DIA-201-1976-08-06-2ベトナム1976年08月06日1970年代(ハノイ)タイと大使級外交関係樹立コミュニケに調印。
DIA-201-1976-08-06-3ベトナム1976年08月06日1970年代許淡北朝鮮金日成主席特使,ハノイを訪問。
DIA-201-1976-08-07-1ベトナム1976年08月07日1970年代ニャンザン紙;南部ソンベ省人民委は省内新経済地区で12村,30区および家屋2万軒を建設。現在,10万5000人が同地区へ移住し,これらの家屋に入居。ロンアン省はホー市の3万人の移住を受け入れ,1976年末までに28万入の受け入れを準備。
DIA-201-1976-08-07-2ベトナム1976年08月07日1970年代郵便総局は郵便運営と管理の全国統一会議を開催,ファット副首相が同会議に出席。
DIA-201-1976-08-07-3ベトナム1976年08月07日1970年代許淡北朝鮮副首相兼外相,カンボジア訪問。
DIA-201-1976-08-07-4ベトナム1976年08月07日1970年代レン・セイ議員らカンポジア民主婦人連合代表団,アルバニア訪問。同代表団は8月28日ベトナム訪問。
DIA-201-1976-08-07-5ベトナム1976年08月07日1970年代(KPL)キューバ政府,ラオスに乳牛1000頭と家畜飼育施設を供与することを決定。
DIA-201-1976-08-08-1ベトナム1976年08月08日1970年代ニャンザン紙;北部各省の農業灌概整備面積は45万5300ヘクタール,灌漑施設計画の53%に達す。
DIA-201-1976-08-08-2ベトナム1976年08月08日1970年代キュー・サムファン議長,シンガポール独立記念日に当り,シアーズ大統領に祝電。
DIA-201-1976-08-09-1ベトナム1976年08月09日1970年代レ・ズイ・チン(Le duy Trinh)農業省次官はマニラで開催されたFAO第13回大会に出席。
DIA-201-1976-08-09-2ベトナム1976年08月09日1970年代ニャンザン紙;南部全体の農民は互助組,労働交換組の加入運動に積極的に参加。ハウザン省では互助組2100組合が成立し,組合員5万5000人に達す。ロンアン省でも全省で互助組と労働交換組が成立,各村人口99%が加入。
DIA-201-1976-08-09-3ベトナム1976年08月09日1970年代チン外相は第5回非同盟首脳会議準備外相会議に出席するため,ハノイを出発。
DIA-201-1976-08-09-4ベトナム1976年08月09日1970年代外務省声明,朝鮮政府の8月5日声明支持。
DIA-201-1976-08-09-5ベトナム1976年08月09日1970年代英国,フィンランドとそれぞれ大使級外交関係樹立。
DIA-201-1976-08-10-1ベトナム1976年08月10日1970年代ダオ・チェン・チ財政相の主催で,ホー市で,財政省幹部と全国各省財政関係責任者大会開催。主要議題は,全国財政部門の管理統一問題。
DIA-201-1976-08-10-2ベトナム1976年08月10日1970年代(バンコク)タイ政府,アラニャプラテトで行われているカンボジアとの国境貿易を自由化することを決定。
DIA-201-1976-08-10-3ベトナム1976年08月10日1970年代(バンコク)タイ政府,ムクダハン,チョンメクの2ヵ所をラオス国境再開地点に指定。
DIA-201-1976-08-11-1ベトナム1976年08月11日1970年代海運総局はホー市で,同局大会を開催。全国河川・海運部門の統一を討議。
DIA-201-1976-08-11-2ベトナム1976年08月11日1970年代(マニラ)カムシン農業局長は,FAOアジア地域会議で,虫害で北部の米作が大打撃を受け,北部6省のコメ不足救済のためFAOが緊急援助を行ったと言明。
DIA-201-1976-08-12-1ベトナム1976年08月12日1970年代ニャンザン紙;フン副首相はホー市で,南部各省と中部南端各省の復旧・発展計画,収支予算に関する責任者大会を開催。
DIA-201-1976-08-12-2ベトナム1976年08月12日1970年代ホアン・アン(Hoang Anh)国立銀行総裁の主催により,ホー市で3日間(12~15日)銀行関係幹部と全国支店長大会を開催。銀行部門の1年間の活動を総括,とくに南部各省の通貨,信用,銀行工作の実現方法を検討。
DIA-201-1976-08-12-3ベトナム1976年08月12日1970年代ニャンザン紙;北部で今年7月初めまでにタムディェプ(Tam Diep)新工業地区の建設工事を完成。
DIA-201-1976-08-12-4ベトナム1976年08月12日1970年代ニャンザン紙;南部各省の秋季米作状況は,ベンチェ省で3万5065ヘクタール,ハウザン省で13万ヘクタール,ドンナイ省で5万ヘクタール,ミンハイ省で25万4350ヘクタールに達す。
DIA-201-1976-08-12-5ベトナム1976年08月12日1970年代ソク・キエン民主カンボジア大使,バン副大統領に信任状を提出。
DIA-201-1976-08-12-6ベトナム1976年08月12日1970年代ソク・チアン駐ベトナム・カンボジア大使,信任状提出。
DIA-201-1976-08-13-1ベトナム1976年08月13日1970年代ニャンザン紙;政府閣議は全国人民のすべてに身分証明書を発給することを決定。
DIA-201-1976-08-14-1ベトナム1976年08月14日1970年代ドン首相,第5回非同盟首脳会議に出席―20日帰国。
DIA-201-1976-08-14-2ベトナム1976年08月14日1970年代東チモール革命戦線代表団(団長アビリオ・アワザヨ同中央委員兼社会経済相),ハノイに到着。
DIA-201-1976-08-14-3ベトナム1976年08月14日1970年代キュー・サムファン議長,非同盟諸国首脳会議出席のため,中国民航機でコロンボ到着。18日同会議で演説。
DIA-201-1976-08-14-4ベトナム1976年08月14日1970年代スファヌボン大統領,非同盟諸国首脳会議出席のためコロンボ到着。19日同大統領演説,東南アジア中立地帯化に関するASEAN提案をそのまま受け入れることはできないと言明。
DIA-201-1976-08-17-1ベトナム1976年08月17日1970年代駐ハノイ・インドネシア大使の主催で,同国の国慶節に当りレセプション開催。ビン教育相,グェン・ディン・ツ大学専門中学相,ファン・ヒエン外務次官が出席。
DIA-201-1976-08-17-2ベトナム1976年08月17日1970年代マンスフィールド米民主党上院院内総務,ラオスを数時間訪問後ビルマへ。
DIA-201-1976-08-18-1ベトナム1976年08月18日1970年代ニャンザン紙;南部15省で夏秋季米作付面積が53万1500ヘクタールに達す。
DIA-201-1976-08-19-1ベトナム1976年08月19日1970年代ニャンザン紙は,8月革命31周年記念日に当り今年の南北両地域の発展状況を次のように発表。 北部:農業生産については1975年のよい成績を獲得,1976年には,全県総数の3分の1が水利施設完備,天候不順があったが全体として豊作。工業生産については上半期,1975年同期と比べて18%増。電力2.4倍,肥料2.5倍,機械2.5倍。 南部:水利施設の建設。開墾地30万ヘクタール増加,秋季生産面積は70万ヘクタール増加。
DIA-201-1976-08-19-2ベトナム1976年08月19日1970年代ドン首相は華国鋒中国首相あてに,同国四川省内地震被害について見舞電報を送る。
DIA-201-1976-08-19-3ベトナム1976年08月19日1970年代タン大統領はマルコス・フィリピン大統領あてに,同国内地震被害について見舞電報を送る。
DIA-201-1976-08-19-4ベトナム1976年08月19日1970年代ソ連レーニン青年団代表団(団長グリゴリエプ同団中央委書記),ハノイに到着。
DIA-201-1976-08-20-1ベトナム1976年08月20日1970年代ニャンザン紙;北部各省で15日現在,秋季米作付面積90%に達す。
DIA-201-1976-08-20-2ベトナム1976年08月20日1970年代ニャンザン紙;グエン・フー・ト副大統領はアンザン省農業生産地区を視察。
DIA-201-1976-08-20-3ベトナム1976年08月20日1970年代ディン・バ・チ大使はK.ワルトハイム国連事務総長にベトナムの国連加盟申請状を提出。
DIA-201-1976-08-22-1ベトナム1976年08月22日1970年代ニャンザン紙;北部各省は現在,義務食糧の収集の外,食糧6万3000トンを購入。
DIA-201-1976-08-23-1ベトナム1976年08月23日1970年代ペトソン西ドイツ大使,バン副大統領に信任状を提出。
DIA-201-1976-08-25-1ベトナム1976年08月25日1970年代25~27日,党中央委書記局,ホー市で全国党幹部各級代表大会を開催―党書記局は,ホー市に全国党幹部,とくに南と中部各省と都市の幹部を召集。レ・ジュアン党第1書記も出席。同第1書記はコンソン島,ソンベ,チエンザン,ハウザン各省を訪間,新経済地区を視察。
DIA-201-1976-08-25-2ベトナム1976年08月25日1970年代ト副大統領,南部ソンベ省を訪問,新経済地区を視察。
DIA-201-1976-08-25-3ベトナム1976年08月25日1970年代ニャンザン紙;スアン・トイ国会副議長,東チモール革命戦線代表団と会見。
DIA-201-1976-08-25-4ベトナム1976年08月25日1970年代東ドイツ政府はベトナムに18の小型工場を贈与,その内容は,タィンホア・ラジオ修理工場,ビンチチエンとビンフー両省のラジオ修理工場,ゲチンとタインホア両省の時計修理工場,ハノイ,ハイフォン,ハナムニン3地区の電機関係修理工場,ゲチン,ハナムニン,クアンニン3省の4衣料縫製工場。
DIA-201-1976-08-25-5ベトナム1976年08月25日1970年代「人民の声」紙;ソ連はこのほどラオスの農業開発に3200万ループルの借款供与。
DIA-201-1976-08-26-1ベトナム1976年08月26日1970年代ニャンザン紙;南部ソンベ省で7万250人を含む248労働交換組,生産合作130組が設立され,ロンアン省でも,6月30日までに互助組と労働交換組124組が成立。チエンザン省では互助と労働交換組3000組が組織され,組合員は5万人に達す。
DIA-201-1976-08-26-2ベトナム1976年08月26日1970年代中国と貿易協定調印。
DIA-201-1976-08-27-1ベトナム1976年08月27日1970年代ニャンザン紙;国家物価委員会は農産品奨励のため,購入価格を値上げすると発表,その細則:落花生,大豆,青豆,黒豆,茶などの価格50%増,塗料原料,綿花,ジュート,イ草40%,麻,タバコ,木油30%増。
DIA-201-1976-08-27-2ベトナム1976年08月27日1970年代中部ビンチチエン省交通道路局は省内最大のアンロ大橋を完成と発表。同橋の長さ272m;,幅8m,歩行者通路1m。
DIA-201-1976-08-27-3ベトナム1976年08月27日1970年代ニャンザン紙;解放放送局はベトナムの声放送局と合併。9月1日以後,中央放送局(ハノイ市)からの南部中継放送局となる。
DIA-201-1976-08-27-4ベトナム1976年08月27日1970年代ディン・バー・チ大使は,9月の国連安保理事会議長に就任するキクヒア・リビア大使をはじめ,同理事会委員となるソ連,中国,英,仏,タンザニア,ガィアナ,パナマ,スウェーデン,日本,パキスタン,ルーマニアイタリア,ベニン各国大使と接触。
DIA-201-1976-08-27-5ベトナム1976年08月27日1970年代党中央委,政府,南部解放戦線中央委の合同代表団はホー市内の戦士墓地を訪問,花輪をささげる。レ・ドク・ト党政治局員も同行。
DIA-201-1976-08-27-6ベトナム1976年08月27日1970年代(KPL)中国の道路建設専門家グループ,ルアンプラバン訪問を終了。
DIA-201-1976-08-28-1ベトナム1976年08月28日1970年代ニャンザン紙;国会常務委は会議を開き,新憲法起草委が起草進行状況を報告,同常務委の活動と国会代表の活動に関する条例を討議。
DIA-201-1976-08-28-2ベトナム1976年08月28日1970年代モハメト・イスマイワカヒン・マリ大使,バン副大統領に信任状を提出。
DIA-201-1976-08-28-3ベトナム1976年08月28日1970年代民主カンボジア婦人代表団(団長リエンサィ・プノンペン市婦人協会委員,プノンペン病院々長,人民代表),ハノイに到着。30日ホー市訪間。
DIA-201-1976-08-28-4ベトナム1976年08月28日1970年代ニャンザン紙;首相府は今月16~27日ホー市で,南部各省と都市行政代表,各部門と企業代表を召集。国家機関と企業の賃銀,手当などの給料制度を討議。南部の旧制度を完全廃止,平等,公平,合理的制度を実施。
DIA-201-1976-08-28-5ベトナム1976年08月28日1970年代越ソ友好協会代表団(団長ホアン・ミン・ザム祖国戦線中央委員),ソ連親善訪問のため,ハノイを出発。
DIA-201-1976-08-29-1ベトナム1976年08月29日1970年代政府大型代表団(団長レ・タィン・ギ副首相),正式にラオスを訪問。9月1日帰国。
DIA-201-1976-08-29-2ベトナム1976年08月29日1970年代ベトナム政府代表団(団長レ・タイン・ギ副首相兼国家計画委議長),ラオス訪問―1日援助協定調印。ベトナムはラオスに食料,食品,薬品,生活必需品,技術物資と必要な施設を提供し,経済・文化専門家を送り,ラオスの技術を援助し,幹部養成を助け,76/77年無償援助・無利子借款を供与する。双方はまた,経済・文化・移学技術協力に関する協定,経済・文化・科学技術協力委員会樹立,交易と領土内通過移送に関する協定に調印。ベトナムはラオスにダナン港を使用させる。またラオスからベトナムの海岸までの鉄道建設を検討。
DIA-201-1976-08-30-1ベトナム1976年08月30日1970年代タイとの国境クロン・ルクで交易再開。9月5日再閉鎖,15日再開。
DIA-201-1976-08-30-2ベトナム1976年08月30日1970年代オーストリアと大使級外交関係樹立。
DIA-201-1976-08-31-1ベトナム1976年08月31日1970年代ニャンザン紙;南部15省と都市の夏秋季の農業収穫面積は16万6830ヘクタールで,平均1ヘクタール当り,2.5~3トンを生産。秋季米作付面積は107万3640ヘクタールに達す。また北部の秋季米作面積は92.1%に達す。
DIA-201-1976-08-31-2ベトナム1976年08月31日1970年代(モスクワ)グエン・フーキ・キュ駐ソ大使はフィリュービン同国外務次官と,ソ連・ベトナム両国1976年文化科学協力計画書に調印。
DIA-201-1976-09-01-1ベトナム1976年09月01日1970年代ベトナム統一後初めての独立記念式典。
DIA-201-1976-09-02-1ベトナム1976年09月02日1970年代ニャンザン紙;8月19日現在,97ヵ国と外交関係樹立。また国家として22の国際機構に正式に加盟(そのうち国連だけはオブザーバーの資格)。外交関係のある国のうち,アジア地域25ヵ国,ヨーロッパ地域27ヵ国,アフリカ地域34ヵ国,アメリカ地域9ヵ国,大洋州2ヵ国。
DIA-201-1976-09-03-1ベトナム1976年09月03日1970年代Mey Prang交通委委員長を団長とする経済・貿易代表団,プノンペン発。 9~18日,同代表団はユ-ゴ訪問,18~25日アルバニア訪問。25~10月2日ルーマニア訪問。
DIA-201-1976-09-03-2ベトナム1976年09月03日1970年代セネガル,エジプト,ギニア各国大使,プノンペン到着。ソン・セン副首相兼外相代理が歓迎宴。3国大使は5日キュー・サムファン議長に信任状提出。
DIA-201-1976-09-03-3ベトナム1976年09月03日1970年代(KPL)4月に調印されたソ連・ラオス経済協力協定に基づき,ソ連からの追加物資船積みに関する議定書調印。
DIA-201-1976-09-04-1ベトナム1976年09月04日1970年代カイソン書記長・首相を団長とする党・政府代表団,ビエンチャンを出発。5~7日ソ連訪問。6日ブレジネフ書記長と会見。8~15日キューバ訪問。16~20日チェコ訪問。20~23日ルーマニア訪問。23~27日ハンガリー訪問。27~10月1日ブルガリア訪問。1日~4日ポーランド訪問。6~12日モンゴル訪問。16日帰国。
DIA-201-1976-09-05-1ベトナム1976年09月05日1970年代婦人連合会はホー市で,婦人労働競争運動の総括大会を開催。次の運動方針を全会一致で採択。 ○労働と生産に参加,家族の帰郷と生活再建,また新経済地建設への参加を促進。 ○生産と節約を実行。食糧用作物栽培,畜産業発展,また副業も発展。 ○食糧と必需品の分配工作に積極的に参加, ○婦人と児童の権利を守る。
DIA-201-1976-09-06-1ベトナム1976年09月06日1970年代ニャンザン紙;北部各省は,森林保護地区4万614ヘクタールを設置,水源保護林区20万4000ヘクタールを企画,また山林の貴重な鳥獣の保護区1万3224ヘクタールを設置。
DIA-201-1976-09-06-2ベトナム1976年09月06日1970年代キュー・サムファン議長,ヌオン・チェア国会議長,ポル・ポト首相は,ベトナム建国31周年に当りベトナム3首脳に祝電。
DIA-201-1976-09-07-1ベトナム1976年09月07日1970年代ニャンザン紙;ホー市人民委は全国の勤務時間の統一のため,今月3日から全南部,とくにホー市内の政府機関の勤務時間は次のように変更すると発表。 午前:7時30分から12時まで。 昼休み:12時から13時まで, 午後:13時から16時30分まで。 但し,各工場と企業については交通ラッシュ回避のため,午前7時から16時まで。
DIA-201-1976-09-07-2ベトナム1976年09月07日1970年代ニャンザン紙;労働省は政府の指示によって,中,南部の急速な復興建設のため,ビンチチエン省からミンハイ省までの全地域人民のすべては次の通り労働義務(勤労奉仕)を実行しなければならないと発表。 ○労働義務年齢:男性18~50歳,女性18~45歳。 ○農村・都市別期間:農村人民は最高30日間。都市人民(大学生・実業学校学生,専門中学生徒など)は最高15日間,幹部,熟練工,公務員などは最高7日間。 ○労働参加義務の免除者:傷病・疾患証明書を持つ傷病兵,主要な国家と団体の指導幹部(各級党委書記,人民委議長・中央と省級の国家と団体の責任者),企業・農場・工場の最高責任者,病院長,学校・国営・公私合弁企業の在勤労働者,重病・長期闘病者,宗教専門家,治療中の患者,妊婦,1歳未満の乳児を持つ婦人,家族を養う者一人,新経済地区移住1年未満の人,戦争によって完全に破壊された地区の人,旧戦略村から帰郷して1年未満の人,除隊帰郷1年未満の人。
DIA-201-1976-09-07-3ベトナム1976年09月07日1970年代ニャンザン紙;南部各省で現在までに国営農場50を建設。そのうち新設は30,旧政権の20農園を復旧,拡張。
DIA-201-1976-09-07-4ベトナム1976年09月07日1970年代ィエン・サリ副首相メキシコ訪問の途中,日本に立ち寄り。8日宮沢外相と会談。8日メキシコ訪問。
DIA-201-1976-09-07-5ベトナム1976年09月07日1970年代(ビエンチャン)ベトナムと民間航空協定調印。
DIA-201-1976-09-08-1ベトナム1976年09月08日1970年代文化代表団(団長グエン・バン・ヒュー文化相),モンゴルで社会主義諸国文化相会議(8日から1週間)に出席するためハノイを出発。
DIA-201-1976-09-09-1ベトナム1976年09月09日1970年代ニキンザン紙;サイゴン港は現在,河と港の拡張改善工事の完成で2万トン級の船が入港できる。
DIA-201-1976-09-09-2ベトナム1976年09月09日1970年代政府は,北部ビンフー省ベトチ区でベニヤ工場(スイス政府の援助)の完成式を開催。同工場の生産能力は年間7500。
DIA-201-1976-09-09-3ベトナム1976年09月09日1970年代外務省スポークスマンは,“ベトナム政府の善意を示し米国人民との親善を強化する目的で,現在,ベトナム領内行方不明米空軍将校12人の遺骨収集に関する情報をパリ駐在米大使を通じて通知したことを明らかにし,同時に,米政府にパリ協定第21条を厳格に実行するよう要求した。しかし,米国政府は同第21条に言及せず,行方不明者全員の情報を通知することを要求する”との非難声明を発表。
DIA-201-1976-09-09-4ベトナム1976年09月09日1970年代キュー・サムファン議長,ヌオン・チェア国会議長,ポル・ポト首相は,呉徳人代常務委副委員長,華国鋒党中央委第一副主席・首相あて,毛首席死去への弔電。
DIA-201-1976-09-09-5ベトナム1976年09月09日1970年代メキシコと外交関係樹立。
DIA-201-1976-09-10-1ベトナム1976年09月10日1970年代党中央委は毛沢東中国首席の死去に当り,追悼声明を発表し,“毛沢東の功績を称賛する。ベトナムの党は自分で,今後,越中両党と人民の団結と親善を強化,発展することを誓う。同時に中国党中央委にベトナムへの支援と団結を不変に継続することを希望する’と述べた。
DIA-201-1976-09-10-2ベトナム1976年09月10日1970年代党政治局と政府の全員は,ハノイ駐在中国大使館を訪問し,毛沢東主席の死去に哀悼の意を表した。
DIA-201-1976-09-10-3ベトナム1976年09月10日1970年代ホアン・ルオン(Hoang Luong)外務次官は首相特使として,第3世界経済社会研究センターの完成式典(9月14日)に参加するため,メキシコに到着。
DIA-201-1976-09-11-1ベトナム1976年09月11日1970年代ニャンザン紙;政府は全国の森林保護のため,全国の省と県に林野検査・保護人民委を設立。
DIA-201-1976-09-11-2ベトナム1976年09月11日1970年代ニャンザン紙;政府は全国のイ草栽培に力を入れている。現在,輸出用イ草生産専門合作社は500社,農家の副業イ草栽培組合は300組合成立。年間で国家にイ草製品230万メートルを供給。また日本をはじめ19ヵ国へイ草製品を輸出。
DIA-201-1976-09-11-3ベトナム1976年09月11日1970年代(ワルシャワ)ポーランド政府代表と,民間航空協定に調印。
DIA-201-1976-09-12-1ベトナム1976年09月12日1970年代政府は毛沢東中国党主席の死去を追悼するため,18日終日,全国の政府機関,学校,船舶,企業,工場,軍の駐屯地,鉱山現場などで,半旗を掲げるよう指示。
DIA-201-1976-09-12-2ベトナム1976年09月12日1970年代中央政府機関職員,ハノイ市民数万人は毛主席の死去を追悼するため,中国大使館を訪問。
DIA-201-1976-09-13-1ベトナム1976年09月13日1970年代ニャヤンザン紙;現在,ビンチチエン省を含む北部全体で秋季米作付面積が計画の93.8%に達す。
DIA-201-1976-09-13-2ベトナム1976年09月13日1970年代ニャンザン紙;財政省は1976~80年の全国農業部門に対する支援計画を発表。その重点は次のとおり。 ○国家資金の投資と支援により,北部では農業用水と治水施設の整備を継続的に行ない,南部では水利施設の建設運動を促進。とくにメコン・デルタ地帯で水利整備の完成に努力。 ○水源保護のため,植林と林業発展を強化。 ○農業関係の主要部門:イネ研究センター,新経済地区に集中的に農機の装備を強化試験所を建設。
DIA-201-1976-09-13-3ベトナム1976年09月13日1970年代外務省スポークスマンは,米新国連大使スコレン氏が9日“ベトナムで米国市民の行方不明者問題についてベトナムの固執により交渉進展がないので,国連で同問題を取り上げるだろう”と発言したのに対する反論声明を発表。また両国の交渉の経過を暴露。
DIA-201-1976-09-14-1ベトナム1976年09月14日1970年代ニャンザン紙;ハイフォン市建設局はミンドク・セメント新工場を完成。生産能力は年間5000トン。
DIA-201-1976-09-14-2ベトナム1976年09月14日1970年代(東京)グエン・ザプ駐日大使は中江日本外務省アジア局長と,日本の1976年度分無償援助協定に調印。
DIA-201-1976-09-14-3ベトナム1976年09月14日1970年代ニャンザン紙;中部電力局は,ビンチチエン,クアンダー,フーカィン,ダクラク,ジヤコン各省の農業地区へ電力を送るため,送電線を拡張。現在,高圧送電線敷設370㎞,変電所181ヵ所を建設。
DIA-201-1976-09-14-4ベトナム1976年09月14日1970年代ドン首相は三木首相にあて,日本の南九州の台風災害について見舞電報を送る。
DIA-201-1976-09-14-5ベトナム1976年09月14日1970年代フランス国連代表は国連安保理事会で,ベトナムの国連加盟申請審査について,11月初旬まで延期するよう提案。ベトナム代表も異議なく,同理事会はこの提案を承認。
DIA-201-1976-09-15-1ベトナム1976年09月15日1970年代ニャンザン紙;郵政省は政府閣議の決定により,ラジオ,テレビ,マイクロなどの登録制度の一部(1975年9月25日付法令344号の第1条)を廃止。但し無線機の登録制度は継続されると発表。
DIA-201-1976-09-15-2ベトナム1976年09月15日1970年代ニャンザン紙;党と国家の計画による1年以上の全国の水利建設の運動成果は次のとおり。 ○人民団体による小規模工事建設: 送水路とダムの復旧,あるいは新設1万5000ヵ所。運河と水路の拡張,新規建設,全長5000km。旧堤防修理,新堤防建設950km。貯水池,井戸建設2万ヵ所。建設土木使用量1800万,800万労働日を動員。 ○中・大型工事建設(国家による実施): 土木使用量400万。コンクリートでの建設工事6500。レンガでの建設1万5000。以上は北部全体の工事 ○中部北端の水利建設成果: 1975年の秋季米作面積12万5000ヘクタールの灌漑用水を解決,1974年同期より2万8000ヘクタール増,1975~76年の冬春季の米作面積の灌洩整備完了15万ヘクタールに達す。1974~75年同期より5万6000ヘクタール増。 ○南部と中部南端地区の建設成果: 海水浸透防止面積5万ヘクタール。水の酸性質の排出面積5万8000ヘクタール。灌漑整備面積55万ヘクタール。耕作総面積の内2毛作面積は56%増。
DIA-201-1976-09-15-3ベトナム1976年09月15日1970年代党中央委,国会常務委,政府は合同で,故毛主席へ哀悼の花輪をささげるため,ホアン・チョン・ニユ外務省儀典局長を北京へ派遣。
DIA-201-1976-09-15-4ベトナム1976年09月15日1970年代IMF実行委員会大会は,賛成多数により,ベトナムの加盟を正式に承認。
DIA-201-1976-09-16-1ベトナム1976年09月16日1970年代ギ副首相はソ連都市拡張計画専門家代表団(団長スミク・ノプ同レニングラッド市企画院々長)と会見。今後,ハノイ首都拡張建設への企画援助を話し合う。
DIA-201-1976-09-16-2ベトナム1976年09月16日1970年代レ・ジュアン党中央委第1書記,軍事技術院を訪問。
DIA-201-1976-09-17-1ベトナム1976年09月17日1970年代(ハノイ)ヴー・ゴク・フィ対外文化連絡委員長代理は,チェコ政府代表と両国の1976~77年文化協力協定計画書に署名。
DIA-201-1976-09-17-2ベトナム1976年09月17日1970年代イエン・サリ外務担当副首相,メキシコ訪問の帰途北京着,故毛主席を弔問。
DIA-201-1976-09-18-1ベトナム1976年09月18日1970年代プノンペンで2000人が参加して毛主席追悼集会。
DIA-201-1976-09-18-2ベトナム1976年09月18日1970年代政府命令No.560/NY,次の事項を禁止:物資の隠匿・退蔵,国家が定めた以上に価格を引上げること,物資購入ないしは国有財産の着服を目的に文書を偽造すること,許可書により購入した物資の販売,許可書なしに売買すること。
DIA-201-1976-09-18-3ベトナム1976年09月18日1970年代愛国婦人会代表団(団長カムフェン・ブパー会長),ハノイ訪問。
DIA-201-1976-09-18-4ベトナム1976年09月18日1970年代プーマ政府顧問,ビエンチャンを出発,モスクワ経由パリヘ。
DIA-201-1976-09-19-1ベトナム1976年09月19日1970年代ニャンザン紙;民用航空総局は次のように各空路を開設,運航開始。 ○ハノイ→フーバイ(フエ)→ダナン週2回往復,金曜。 ○ホー市→ニャチャン市→ダナン市週2回往復,水,金曜。 また将来ホー市からラクジャ市→フーコク→コンソン島,ハノイ市→ホー市直行の航路も開設。
DIA-201-1976-09-19-2ベトナム1976年09月19日1970年代ニャンザン紙;鉄道建設総局は17度線以南で大小の橋105本の建設工事を完成。
DIA-201-1976-09-20-1ベトナム1976年09月20日1970年代ニャンザン紙;ドンナイ省ビエンホア市商業公司は,同市内外の人民に服務するための国営雑貨品店60店を開業。
DIA-201-1976-09-20-2ベトナム1976年09月20日1970年代ニャンザン紙;軽工業省はホー市で15~19日まで,軽工業関係責任者の大会を開催。同大会は南部各省の地方工業事情を検討。今後,軽工業発展の任務と方向を討議。
DIA-201-1976-09-20-3ベトナム1976年09月20日1970年代ニャンザン紙;南部ベンチェ省チュン党委書記は活動報告書の中で“同省解放直後,食糧不足を解決するため,農業生産の増加運動を行い,農地8万5000ヘクタールの灌漑用水施設を完備,その他1万3000ヘクタールを改良。同時に,農民集団を組織し,現在,労働交換組1339組を設立,2万4000人が加入。同組合の生産能力1人当り150~300kgに達す。また国家に米4000トンを売却。
DIA-201-1976-09-20-4ベトナム1976年09月20日1970年代ファム・フン副首相,タイニン省の洪水防止の施設工事現場を視察。
DIA-201-1976-09-21-1ベトナム1976年09月21日1970年代ニャンザン紙;統一鉄道建設により,現在ホー市から中部までの部分的な線路の工事が完成し,運行開始: ○ホー市→ニャチャン市(急行列車) ○ホー市→バンフー(ギアヒン省) ○ホー市→ビエンホアー→ジヤライ ○バンフー→ニャチャン市 ○ムウンマン→タプチャム(ツゥンハイ)→ジュチ(キニョン市)
DIA-201-1976-09-21-2ベトナム1976年09月21日1970年代世界銀行実行委で米国を除く全加盟国がベトナム加盟を支持。
DIA-201-1976-09-21-3ベトナム1976年09月21日1970年代ハノイ-ホー市-プノンペン航空路開設式典開催。ベトナム航空局所属の1番機1087便が飛び立つ。同航路は2週間に1回(火曜)往復。
DIA-201-1976-09-21-4ベトナム1976年09月21日1970年代ニャンザン紙;ベトナム新聞協会代表団(団長リュ・クイ・キ文化次官,副団長タン・ドク同協会副会長),フィンランドで開催の国際新聞者総会第8回大会に出席。
DIA-201-1976-09-21-5ベトナム1976年09月21日1970年代ラオス愛国婦人協会代表団(団長カムペン・ブパー同協会々長),ホー市を訪問。
DIA-201-1976-09-21-6ベトナム1976年09月21日1970年代ホー市で,青年連合会(北部青年組織)と解放青年連合会(南部青年団体)が20日から合同集会を開催。全会一致で全国青年団体の統一を承認,同統一中央委を選出。レ・クアン・ビン(Le quang Vinh)教授とフィン・タン・マム(Huynh tan Mam)氏をそれぞれ同統一中央委議長と総書記に任命。
DIA-201-1976-09-21-7ベトナム1976年09月21日1970年代ハノイ-プノンペン民間航空路開設。一番機がプノンペン到着。
DIA-201-1976-09-22-1ベトナム1976年09月22日1970年代ニャンザン紙;ハノイでホーチミン労働青年団の幹部工作の総括報告会開催。同団の活動は,1961~1975年まで,全国団員総数80万人から300万人近くに増加。幹部級の数は北部だけで28万人,南部解放後,各省の同団幹部数は30~50人。
DIA-201-1976-09-22-2ベトナム1976年09月22日1970年代ドン首相,サイゴン地区のカトリック教会総司教グエン・バン・ビン司教と親しく会見。
DIA-201-1976-09-22-3ベトナム1976年09月22日1970年代グエン・トー・チャン労働相,ワルシャワで開かれる社会主義諸国の職業訓練工作についての労働相会議に出席するためハノイを出発。
DIA-201-1976-09-22-4ベトナム1976年09月22日1970年代チャン・コン・ツオン内閣法制委員会委員長はソフィアで開かれる社会主義諸国法相会議に出席するためハノイを出発。
DIA-201-1976-09-23-1ベトナム1976年09月23日1970年代ニャンザン紙;米国人アンフレエト夫妻はチェコ駐在ベトナム大使を通じて,ベトナム再建に7500西独ヤルクを贈与。
DIA-201-1976-09-23-2ベトナム1976年09月23日1970年代アジア開発銀行,ベトナム政府に,ベトナム加盟の承認を通告。
DIA-201-1976-09-24-1ベトナム1976年09月24日1970年代ニャンザン紙;労働省と労働総同盟は合同で全国職業訓練学校責任者大会を開催。これらの学校で現在までに300の職種で養成された熟練工は10万人に達す。今後,5年間の養成計画(1976~80)で120万人を養成。
DIA-201-1976-09-24-2ベトナム1976年09月24日1970年代ニャンザン紙;北部の灌漑施設建設状況は1年間で10省と都市の耕作地面積50万ヘクタールの灌漑整備。また90万ヘクタールへ送水可能に。
DIA-201-1976-09-24-3ベトナム1976年09月24日1970年代(ハノイ)東ドイツと1976~77年の両国文化協力協定に調印。
DIA-201-1976-09-25-1ベトナム1976年09月25日1970年代ホー市で,全国青年組織の全体会議開催。出席者は,フン・バン・クン解放戦線中央委副議長,ヴー・クアン・ホー労働青年団中央委第一書記,グエン・ホー労働総同盟副議長ら。祖国建設と防衛の労働運動で積極的に競争し,政治と革命の道徳を高め,文化と科学技術および業務の学習に努力,青年連合会内の大団結を強化,ラオスとカンボジア青年層との団結強化などの決議を採択。
DIA-201-1976-09-26-1ベトナム1976年09月26日1970年代南と中部各省で1976~77年新学期の入学試験を実施,大学受験学生数は10万人に達す。ホー市の大学11校の受験者は3万6000人。ダナン大学も2000人が受験。
DIA-201-1976-09-27-1ベトナム1976年09月27日1970年代ニャンザン紙;チャン労働相は賃銀問題に関する論文の中で“賃銀制度を改善しなければならない。とくに南部の賃銀制度の男女差別がひどい。それらの制度を一歩一歩改善し,南北賃銀制度を統一させる。また,党の賃銀基本政策は,男女平等,同一労働賃銀である”と述べた。
DIA-201-1976-09-27-2ベトナム1976年09月27日1970年代(ローマ)FAO代表は,駐イタリア大使に,ベトナム少数民族の住民定着,新経済地区の建設援助として3550万ドル相当の物資目録書を渡す。
DIA-201-1976-09-27-3ベトナム1976年09月27日1970年代対外貿易省主催で,ホー市で,輸出用製品と農水産品の展示会開催。展示品内容:輸出用の農水産品,野菜と果物多数,林業特殊産品,農業機械,テレビ,ラジオ,電機製品,機械部品,竹製品,雑貨品,手工美術品,鉱物,建設資材。
DIA-201-1976-09-27-4ベトナム1976年09月27日1970年代ホアン・ルウン外務次官,首相特使としてカナダを訪問。同国外相と意見交換。2日帰国。
DIA-201-1976-09-27-5ベトナム1976年09月27日1970年代ローマで開催される国連農業開発基金準備委員会会議は,ベトナムは同機構に50万ドルを納入するとの条件で,正式メンバーとして承認。
DIA-201-1976-09-27-6ベトナム1976年09月27日1970年代キュー・サムファン議長,ヌオン・チェア国会議長,ポル・ポト首相は連名で,中国国慶節にあたって呉徳人代副委員長と華国鋒首相にあて祝電。
DIA-201-1976-09-27-7ベトナム1976年09月27日1970年代プノンペン放送;ポル・ポト首相静養のため,27日付でヌオン・チニア国会議長が首相代行に。この人事は20日の閣議と22日の人民代表議会常任委の決定による。
DIA-201-1976-09-28-1ベトナム1976年09月28日1970年代新憲法起草委総会第2回会議,ハノイで開催。チン同委議長は,新憲法の基本点を説明,“わが社会主義共和国憲法はプロレタリア独裁を明確に規定。一般人民に対する民主制を実施するが,人民と国家の敵に対しては厳しく独裁を実行しなければならない。国家を通じて人民集団を主とする権限を保障,人民と国家の密切な関係,人民の3つの革命進行を保障”と述べる。
DIA-201-1976-09-29-1ベトナム1976年09月29日1970年代ニャンザン紙;政府が超過利潤税政策を発表(6月17日)して以来,ホー市内外15郡で同政策が実施されている。超過利潤税の基準は,商業については資本金に対する利潤の割合10%,工業については20~25%として,これらの基準を超過した分は,利潤税以外に超過税を納入しなければならない。
DIA-201-1976-09-29-2ベトナム1976年09月29日1970年代ニャンザン紙;ホー市商業局は野菜専門経営公司を設立。同公司はラムドン省農産・食品局と契約を結び,同省の全野菜を買入れ,ホー市内外156市場の野菜小売業者組合と協議,野菜配分,売出時間,価格などを規定。この組織改善によって,現在,自由市場の野菜価格は以前より15~20%値下げ。
DIA-201-1976-09-29-3ベトナム1976年09月29日1970年代26日から3日間,ホー市で,南部輸出用品生産促進の会議,開催。チヨウ対外貿易相は上半期の輸出事情を報告。現在の南部の輸出主要産品:水産,林産,ゴム,コーヒー,木材,野菜,民芸品,その他軽工業品。
DIA-201-1976-09-29-4ベトナム1976年09月29日1970年代ダオ・チエン・チ財政相主催で,ホー市でビンチチエン省からミンハイ省までの各省の財政・税務関係責任者の大会開催。現在,政府法令によって3つの農業税を徴収,①面積,②年間生産,③農家人口。減・免税も実施され,米と現物による納税もある。農業合作社の初期,新経済地区については特例あり。
DIA-201-1976-09-29-5ベトナム1976年09月29日1970年代ポルトガル労働総同盟代表団(団長ベアトリ・サンタナ同書記局委員),親善訪問のためハノイに到着。
DIA-201-1976-09-30-1ベトナム1976年09月30日1970年代ニャンザン紙;ホー市商業局は同市内販売店65店,その売場276拠点,その他小売店多数を設立。また,市内6万世帯,その他幹部,労働者,公務員30万人に買物帳を発給。
DIA-201-1976-09-30-2ベトナム1976年09月30日1970年代南部14省とホー市は夏秋季の米作収穫を終了。今年の生産性は,平均1ヘクタール当り2.8トン。メコン・デルタ地区各省の48万ヘクタールでは平均3トンに達す。
DIA-201-1976-10-01-1ベトナム1976年10月01日1970年代(ウランバートル)グエン・スアン・ホエ大使はモンゴル政府代表と,両国の1976~77年の文化協力協定に調印。
DIA-201-1976-10-01-2ベトナム1976年10月01日1970年代イエン・サリ外務担当副首相,国連総会出席のためプノンペン発。同副首相は国連出席の後,13日ユーゴ訪問,14日ルーマニア訪間。
DIA-201-1976-10-03-1ベトナム1976年10月03日1970年代ニャンザン紙;南部対外貿易関係責任者の大会開催。ファム・フン副首相は“わが国の独立・主権の尊重と両者の相互利益を基礎に社会主義国以外の非同盟国,資本主義国とも幅広く関係を樹立。熱帯地域経済の可能性を尽用,輸出を促進するよう努力。必要な原料,近代設備と技術を輸入”と演説。
DIA-201-1976-10-04-1ベトナム1976年10月04日1970年代首相府は,ホーチ・ミン大統領の遺体の保存とホー廟建設に参加したソ連専門家に労働勲章を贈与。
DIA-201-1976-10-04-2ベトナム1976年10月04日1970年代大学・中学校専門省は,旧サイゴン法科大学を南部の新経済大学に編入。新経済大学の専門部は国民経済計画化,工業経済,対外貿易・価格計算,統計,銀行などの80科から成る。学生総数3800人。
DIA-201-1976-10-04-3ベトナム1976年10月04日1970年代キュー・サムファン議長とポル・ポト首相,北朝鮮の崖庸健副主席死去に当り金日成主席と朴成哲首相に弔電。
DIA-201-1976-10-05-1ベトナム1976年10月05日1970年代コマラソアミESCAP委員長は,農業,水産,水利,土壌の4人の専門家とともにベトナムを訪問。チン外相と,国連の4920万ドルの援助計画の実現実施について討議。
DIA-201-1976-10-05-2ベトナム1976年10月05日1970年代南部全体の文化大会,ホー市で開催。リュ・フー・フォク国会文化教育委主任,グエン・バン・ヒュー文化相,その他文化省次官4人も出席,全南部の文化活動家多数が参加。
DIA-201-1976-10-05-3ベトナム1976年10月05日1970年代政府通信委委員長メイ・プラン氏を団長とする経済代表団,平壌到着。12日北京訪間。
DIA-201-1976-10-05-4ベトナム1976年10月05日1970年代(ビエンチャン国内放送)駐越ブルガリア大使館はこのほど同地のラオス大使館に対し,9月6日援助物資100トン以上(食料,薬品等)がハイフォン湾に到着と通知。
DIA-201-1976-10-06-1ベトナム1976年10月06日1970年代党中央委は今年12月中旬頃に第4回党全国大会を開催すると発表。議題は,①全国の社会主義革命路線の討論,承認②第2次国家5ヵ年計画(1976~80年)③党規約改正,新中央委員会の選出。
DIA-201-1976-10-06-2ベトナム1976年10月06日1970年代アラニャプラテートの国境通行禁止。
DIA-201-1976-10-08-1ベトナム1976年10月08日1970年代ニャンザン紙;消費者合作社と売買合作社の系統がホー市内17区と市外全体で設立され,現在100合作社,加盟者12万人,資本金130万ドンに達す。
DIA-201-1976-10-08-2ベトナム1976年10月08日1970年代ドン首相はインド農業代表団(団長MAソアミナタン同国農業科学技術研究評議会議長)と会見。
DIA-201-1976-10-08-3ベトナム1976年10月08日1970年代ビエンチャン国内放送は,バンコクからの報道として,サガト将軍をリーダーとするいわゆる国家行政改革評議会のもとに,タイ極右反動派将校グループがセニ内閣打倒クーデターを行ったと報道。
DIA-201-1976-10-09-1ベトナム1976年10月09日1970年代ボー・チ・コン副首相,ハイフォンとクアンニン両地区の漁業を視察。
DIA-201-1976-10-10-1ベトナム1976年10月10日1970年代グエン・フー・ト副大統領,タイビン省を訪問。
DIA-201-1976-10-10-2ベトナム1976年10月10日1970年代農業省は,現在までに南部14省とホー市の秋米作付面積が94%に,また植林面積が9700ヘクタールに達すと発表。
DIA-201-1976-10-11-1ベトナム1976年10月11日1970年代11~17日,フランス政府代表団,ラオス訪問。 17日,資金贈与,貸付に関する協力協定,文化・技術協力計画改訂に調印。
DIA-201-1976-10-12-1ベトナム1976年10月12日1970年代ニヤンザン紙;ハノイ市郊外農民労働者600人と専門家86人(医者,医療班,経済管理,中級技術者を含む)は先鋒隊として8ヵ月前,中部高原ラムドン省新経済地区へ移住。開墾地1万4396ヘクタールを調査,野菜栽培を開始。
DIA-201-1976-10-12-2ベトナム1976年10月12日1970年代ニャンザン紙;南部石油運送専用船3000トン級2隻が修理を完了。現在,ホー市とニャチャン市の間の石油運送に就航。
DIA-201-1976-10-12-3ベトナム1976年10月12日1970年代(モスクワ)ソ連政府代表と,両国のテレビ・放送技術協力議定書に調印。
DIA-201-1976-10-12-4ベトナム1976年10月12日1970年代ハノイ・ビエンチャン民間航空路開設。
DIA-201-1976-10-14-1ベトナム1976年10月14日1970年代タイ陸軍司令官発表,14日未明タイ北部ラオス国境に近いナヘオ付近で,メコン河支流を渡って越境してきたラオス軍1個中隊とタイ国境警備警察が交戦。バンコク発ロイターによれば,衝突はタイの左派学生がタイ北東部ロエイ県からラオス領に逃げ込んだことから起きた。
DIA-201-1976-10-15-1ベトナム1976年10月15日1970年代(ハノイ)ハンガリー政府代表と,放送・テレビ技術関係協力協定に調印。
DIA-201-1976-10-16-1ベトナム1976年10月16日1970年代外務省スポークスマンは最近バンコク軍事集団がタイに居住するベトナム人の全員を収容所に集中させるよう命令したことに対する抗議声明を発表。
DIA-201-1976-10-18-1ベトナム1976年10月18日1970年代ニャンザン紙;政府決定により,ダラット市の行政はラムドン省に直属,ホー市に直属するコンソン島をコンソン県に改称,また,領海内諸島については,人口1000人以上の島は村としての行政単位を設立でき,ホー市各郡とダナン市各郡は県行政単位に当たるものとする。
DIA-201-1976-10-19-1ベトナム1976年10月19日1970年代婦人連合会は同会創立46局年記念式典を開催。
DIA-201-1976-10-19-2ベトナム1976年10月19日1970年代社会主義諸国の国際鉄道協力機構が,ハノイで第2回大会を開催。議題は国際列車の各国連結列車,運行時刻,運賃,1977~79年の協力協定討議。参加国はソ連,中国,朝鮮,コンゴルと東欧諸国
DIA-201-1976-10-19-3ベトナム1976年10月19日1970年代仏政府は,ハノイ市外語師範大学の仏語教師養成センター建設に関する無償援助議定書に,ハノイで調印。
DIA-201-1976-10-20-1ベトナム1976年10月20日1970年代ゴー・ヂエン外相補佐はナイロビ市で開催されるユネスコ第19回大会に出席するため,ハノイを出発。
DIA-201-1976-10-20-2ベトナム1976年10月20日1970年代ビエンチャン省行政委,木材伐採・流通に関する指示。
DIA-201-1976-10-20-3ベトナム1976年10月20日1970年代(ビエンチャンAFP)「人民の声」紙は20日,数ヵ月前民兵を大幅に削減することが決定されたこと,この決定は民兵による権力の乱用からとられたものであること,民兵を強化すべきことを明らかにした。
DIA-201-1976-10-21-1ベトナム1976年10月21日1970年代ソ連労働総同盟代表団(団長ムラビオプ同中央委員),ハノイに到着。
DIA-201-1976-10-22-1ベトナム1976年10月22日1970年代ニャンザン紙はホー市の経済潜在能力について次のように発表。 中央企業級350企業,地方国営企業級65企業,個人経営,小工業手工業1万8000単位。 これらの企業は旧政権時代(1960~70年)に建設され,設備がよく,近代的,自動的。製造面はまだ遅れ,修理,組立,部品生産面ではかなり優良。扇風機は年間10万台,自転車10万台。紡績業は年産2000万メートル(綿糸,人絹糸,混合糸)。ゴム業は年産6万トン,タイヤ類250万個,ガラス業年産3万トン。製紙業年間2万トン。 畜産業養豚278ヵ所,大型養豚所5000~6000頭。養鶏247ヵ所,大型養鶏所2万羽。
DIA-201-1976-10-22-2ベトナム1976年10月22日1970年代ギ副首相,ソ連農業専門家代表団(団長ルーノプ農業次官)と会談。
DIA-201-1976-10-23-1ベトナム1976年10月23日1970年代ニャンザン紙;中部ダクラク省と北部タイビン省の両党委は合同で,ダクラク省新経済地区の開発に従事するためタイビン省農業技術・開墾経験者を先遣隊として,年末までに4000人を派遣。住宅と開発の基礎を準備,来年中に移住者2万人を迎える。
DIA-201-1976-10-23-2ベトナム1976年10月23日1970年代ユーゴ政府代表団はハノイで,同政府の援助物資を引渡。援助内容は,ベニヤ工場設備,畜産用飼料製造工場,薬品,消費財の一部等。
DIA-201-1976-10-24-1ベトナム1976年10月24日1970年代大学・中学専門省は,現在,ビンチチエンからミンハイまでの学生6万人以上が1976~77年の専門中等学校50校を受験。とくにホー市では18校を,2万5000人が受験。選抜の基本原則は社会主義改造と建設に服務する技術者と経済管理幹部の養成であると発表。
DIA-201-1976-10-25-1ベトナム1976年10月25日1970年代党と政府首脳は連名で,華国鋒中国党主席就任に祝電を送る。
DIA-201-1976-10-25-2ベトナム1976年10月25日1970年代党中央書記局と政府常務委は合同で,南部各省の農業と水利関係の諸問題の討論大会を開催。出席者は,ファム・フン副首相兼政府中央農業林業指導委副委員長,トー・フー党中央委書記・農林指導委副委員長,ボー・ツ・ドン農業相,グエン・タイン・ビン水利相,ホアン・バン・タイ人民軍副参謀長・国防省代表,グエン・バン・ソ新経済地区担当(同大会の司会役)。
DIA-201-1976-10-25-3ベトナム1976年10月25日1970年代ニャンザン紙は「北京天安門で華国鋒党主席兼軍委主席の就任祝賀集会の模様」と「同集会で呉徳北京市革命委主任が4人組の罪悪について行った演説の全文」(新華社とベトナム駐北京特派員の報道)を掲載。
DIA-201-1976-10-25-4ベトナム1976年10月25日1970年代ニャンザン紙;フン副首相は南部農業大会での演説の中で“わが国が食糧自給自足体制を獲得するのは,2,3年後である。全人民を動員し,国力を投入し,増産しなければならない”と指摘。
DIA-201-1976-10-25-5ベトナム1976年10月25日1970年代キュー・サムファン議長,ヌオン・チェア国会議長,ポル・ポト首相は連名で,中国の華国鋒主席あてに,党主席および党軍事委主席就任を祝って祝電。
DIA-201-1976-10-25-6ベトナム1976年10月25日1970年代(KPL)国連から自動車25台,農具,食料など600万ドル相当の物資が最近ラオスに贈られる。
DIA-201-1976-10-26-1ベトナム1976年10月26日1970年代ホアン・コク・ベト労働総同盟中央委議長はソ連労働総同盟代表団と,両国の労働問題を討議。
DIA-201-1976-10-26-2ベトナム1976年10月26日1970年代ソムポーン農業局長,ADB代表団と会見。ビエンチャン東北地域開発計画について討議。
DIA-201-1976-10-27-1ベトナム1976年10月27日1970年代ニャンザン紙;政府による行政機関の中央から地方までの勤務時間の改正は次のとおり, 動務時間 午前 7時30分~11時50分 午後 13時~16時30分 昼休み 午後 12時~13時 但し,ハノイ市とホー市の人口の多い都市は時差通勤を実施。
DIA-201-1976-10-27-2ベトナム1976年10月27日1970年代ニャンザン紙;平穣で社会主義諸国民間航空局第11回大会開催。参加国,朝鮮,東ドイツ,ルーマニア,モンゴル,ブルガリア,ハンガリー,ベトナム,チェコ,ポーランド,ソ連。同大会は乗客運賃,荷物料金などの統一値段を討議。
DIA-201-1976-10-28-1ベトナム1976年10月28日1970年代ホアン・バン・ホアン政治局員を団長とする代表団,第7回アルバニア党大会に出席するため,ハノイを出発。
DIA-201-1976-10-28-2ベトナム1976年10月28日1970年代ニャンザン紙;北部のタムダオ山の1250メートルの山頂で,テレビ・アンテナ塔建設工事が完成。
DIA-201-1976-10-28-3ベトナム1976年10月28日1970年代グエン・バン・ツ赤十字社長はタイ赤十字社長シリキット皇后へ覚書を送り,タイ居住ベトナム人に対する圧迫行為を停止するよう要求。
DIA-201-1976-10-29-1ベトナム1976年10月29日1970年代ニャンザン紙;傷病兵・社会省は南部各省で,傷病兵と戦死者を確認するため,調査を行ない,それらの遣族と家族の状態を各村で調査し,資料を作成。
DIA-201-1976-10-29-2ベトナム1976年10月29日1970年代マリのシナト・テラ駐カンポジア大使とタンザニアのマルセラ・ルシンデ駐カンボジア大使,プノンペンに着任。31日,キュー・サムファン議長に信任状提出。
DIA-201-1976-10-29-3ベトナム1976年10月29日1970年代政府,農業税規則を公布。
DIA-201-1976-10-30-1ベトナム1976年10月30日1970年代ニャンザン紙;ハイフォン市セメント工場は従業員5000人,生産能力は国内原料により年間50万トンに達す。
DIA-201-1976-10-30-2ベトナム1976年10月30日1970年代グエン・コ・タク外務次官,ハノイを出発。11月1~5日滞仏。7~10日,ベルギーを訪問。10~13日までオランダを訪問。13日帰国。
DIA-201-1976-10-30-3ベトナム1976年10月30日1970年代ソ連新聞代表団(団長ヘクラモプ農村生活紙編集長),ハノイに到着。
DIA-201-1976-10-31-1ベトナム1976年10月31日1970年代ニャンザン紙;全国の大学と中等学校の再編成と移転の内容は次のとおり。 ○再編成と新設について:ハノイ,フエ,ホー市で3つの総合大学を設立。医薬総合大,一般師範大,経済大,農大,建築大,実業百科大を,3大都市以外のダナン,カント,ダラット,タイグエン(中部高原)各市で新設。 ○移転について:旧ハイフォン市水産大をニャチャン市へ移転,同大を海洋産物大に改称,ベトチ市軽工業大の分校を廃止,同校の教授と学生を各百科大に編入。 ハバク省の農業第2大をゲチン省に移転。建設大(ビンフー省内)と鉱山・地質大は移転先を選ぶ。
DIA-201-1976-11-01-1ベトナム1976年11月01日1970年代ニャンザン紙;ファム・スアン・ホアン地質総局技術局長は,オブザーバーの資格で,コメコン機構の地質委第32回大会に参加。
DIA-201-1976-11-03-1ベトナム1976年11月03日1970年代ソ越友好協会代表団(団長アレベデプ大学中等省次官・協会副会長),親善訪問のため,ハノイに到着。
DIA-201-1976-11-03-2ベトナム1976年11月03日1970年代ニャンザン紙は,政府の南部の個人経済商工業に対して政策(9月25日付の法令)を掲載。その重点は次のとおり。 ○南部解放後,個人の経営者と資産家の一部は,戦後の困難を利用し,あらわれる手段を使って,国家政策と計画実施を妨害してきたが,多数の者は積極的に国家政策と計画実施に協力,正しく企業を経営。人民生活に対する役割が大きい。これらの人々の義務と権利を明確に規定する必要がある。 ○公私合営の政策:国家は旧経営者の企業に介入し,投資,経営,生産を指導,監督する。旧経営者は管理委に参加できる。合法的投資額を保障,企業利潤の配分を実施。企業の生産計画は国家計画の枠内で実現される。合併後,旧経営者の息子は企業内で働くことを認める。 ○国家の個人企業継続営業に対する政策: ①原料と資材の供給,②経営者の資金借款政策,③利潤政策,④納税政策,⑤経営者と従業員の関係についての政策。
DIA-201-1976-11-03-3ベトナム1976年11月03日1970年代日越友好協会,ベトナム人民支援協会両代表団,ハノイに到着。
DIA-201-1976-11-03-4ベトナム1976年11月03日1970年代タイ内務省スポークスマン発表;シャム湾に面したトラート県のクロンヤイ郡に20人のカンボジア兵士が越境。
DIA-201-1976-11-03-5ベトナム1976年11月03日1970年代プーマ元首相,帰国。
DIA-201-1976-11-04-1ベトナム1976年11月04日1970年代党と府政首脳は,ハノイで公演中の中国舞術団30人と会見。
DIA-201-1976-11-05-1ベトナム1976年11月05日1970年代ニャンザン紙;党中央委の第4回党大会への政治報告草案が発表される。 ○ベトナム民族の偉大な勝利,歴史の最高点:南部全面解放,祖国統一,北部の社会主義革命,ベトナム全体の革命の新段階。 ○ベトナム社会主義革命の路線:社会と経済の後進性・小生産から,資本主義を通らず,大規模社会主義生産へ直行。しかし南部では新植民地の残跡による困難と障害があり,徐々に改造する必要がある。社会主義の集団主人公制度の建設と強化。 ○第2次国家5ヵ年計画(1976~80年)の方向と任務:国民経済各部門の発展の方向。社会主義的生産関係の改造と強化。 ○文化と社会工作の促進,新文化の建設。 ○社会主義国家機構を増強,大衆工作をよくする。 ○党の国際的任務と対外政策, ○党の役割,指導と戦闘力を高める。
DIA-201-1976-11-05-2ベトナム1976年11月05日1970年代ニャンザン紙;ビルマ政府はベトナムへ肥料5000トンを贈与。
DIA-201-1976-11-06-1ベトナム1976年11月06日1970年代ファン・アン平和委議長,ソ連訪問のためハノイを出発。
DIA-201-1976-11-06-2ベトナム1976年11月06日1970年代ニャンザン紙;ハウザン省チャノク火力発電所(日本援助によるカント発電所)は現在,全農業生産区へ電力を送っている。灌漑用水ポンプ中継所17ヵ所に電力を供給。高圧送電線の敷設で,近隣各省へ送電でき,省内外の農業品加工各工場へ送電する。
DIA-201-1976-11-06-3ベトナム1976年11月06日1970年代サントーメ・プリンシペと大使級外交関係樹立。
DIA-201-1976-11-07-1ベトナム1976年11月07日1970年代ホー市労働総同盟は市内で第1回大会を開催。労働者代表1万人が参加,第4回党大会の問題と生産増加について討議。
DIA-201-1976-11-08-1ベトナム1976年11月08日1970年代ニャンザン紙;ファム・フン副首相の司会により,メコン・デルタ地区内各省で,灌漑と水利に関する三つの会議開催。第1回はカント市で開かれ,ハウザン,アンザン,キエンザン,ミンハイ4省の人民委,軍隊代表水利専門家などが参加。第2回はミートー市で開かれ,チエンザン,ロンアン,ドンタプ,クーロン4省の責任者が参加。第3回はベンチエ省。
DIA-201-1976-11-08-2ベトナム1976年11月08日1970年代(ハノイ)ルーマニア政府代表と,1976~78年の両国文化科学交換・協力計画書に調印。
DIA-201-1976-11-08-3ベトナム1976年11月08日1970年代政府はラオスのタットルアン展示場で展示した機械などの出品全部を同国政府に贈与。
DIA-201-1976-11-08-4ベトナム1976年11月08日1970年代ドン党中央委政治局員はハイフォン市党大会に出席。全国大会に同市党代表団の一員として選出される。
DIA-201-1976-11-09-1ベトナム1976年11月09日1970年代ニャンザン紙;社会主義教育実現のための教師と教育管理幹部の養成は現在,北部では第3級学校教師養成のための師範大学5校,学生1万3000人。第2級学校教師養成のための専門高等師範29校,学生1万7000人。第1級学校教師養成のための学校36校,学生3000人。保母と幼稚園の先生を養成するもの22校。教育管理幹部養成中央校1校,学生800人。南部では,師範大3校,学生6000人。専門師範高等校6校,学生5000人。第1級教師養成校19校,学生6000人。保母学校2校,学生500人。管理幹部養成校は建設中。
DIA-201-1976-11-09-2ベトナム1976年11月09日1970年代ニャンザン紙;中部5省(クアンダ,ギアビン,フーカィン,ジヤコン,ダクラク)の林地面積632万ヘクタールでは,木材開発林業10工場,植林13ヵ所,木材加工製造工場18工場,木苗栽培センター49ヵ所,林産4公司,木材運搬5単位などを設立。現在,貴重な木材類の林区をよく保護。
DIA-201-1976-11-09-3ベトナム1976年11月09日1970年代ルーマニア経済代表団(団長ポンニシゲトスク副首相),ハノイを訪問。両国経済科学技術協力第4回委に出席。10日,77年両国物資交換・支払い協定に調印。15日,ギ副首相は同団長と,両国の経済・科学技術協力諸協定に調印。
DIA-201-1976-11-09-4ベトナム1976年11月09日1970年代オランダ政府経済代表団(団長ジョンマン外務省国際協力局副局長),経済援助と協力について協議のためハノイに到着。13日,ファン・ヒエン外務次官は,同団長と,ベトナム経済復旧・発展協力協定に調印。
DIA-201-1976-11-10-1ベトナム1976年11月10日1970年代ニャンザン紙;グエン・コ・タク外務次官は滞仏中(1~5日),仏政府と会談した他,ベトナムに支店を持つ企業,石油企業,全仏企業委員会などの代表と意見を交換。
DIA-201-1976-11-10-2ベトナム1976年11月10日1970年代ニャンザン紙;グエン・タィン・ビン水利相の司会により,南部東区各省(ドンナイ,ソンベ,タイニン,ホー市)の責任者大会開催。同地区の1977年水利建設計画と任務を討議。
DIA-201-1976-11-10-3ベトナム1976年11月10日1970年代チュオン・チン党中央委政治局員はハナムニン省党大会に出席。同省の代表団の一員として,全国大会に参加。
DIA-201-1976-11-10-4ベトナム1976年11月10日1970年代(ハノイ)インド政府代表と,両国郵便協定に調印。
DIA-201-1976-11-10-5ベトナム1976年11月10日1970年代ボンビチト党政治局員を団長とする愛国戦線代表団,ハンガリー訪問のためビエンチャン出発。
DIA-201-1976-11-11-1ベトナム1976年11月11日1970年代ニャンザン紙;グエン・フー・キュ党中央委候補を団長とする代表団は,ポルトガル共産党第8回大会(11~14日)に出席するため,ハノイを出発。18日帰国。
DIA-201-1976-11-11-2ベトナム1976年11月11日1970年代ニャンザン紙;ホー市テレビ局はコンソン島でテレビ中継所を完成。
DIA-201-1976-11-11-3ベトナム1976年11月11日1970年代ニャンザン紙;北部では水利建設により,1975~76年春季耕作地の灌漑面積が91万ヘクタール,そのうち完全灌漑施設整備面積が73万6363ヘクタールに達す,1976年には,秋季耕作地面積100万ヘクタールのうち,灌漑施設完備面積が88万3000ヘクタールに達す。
DIA-201-1976-11-11-4ベトナム1976年11月11日1970年代グエン・バン・ダオ対外貿易次官はチェコ対外貿易次官ストルガン氏と,両国の1977年の物資交換・支払い協定に調印。
DIA-201-1976-11-12-1ベトナム1976年11月12日1970年代ファム・フン党政治局員はホー市党大会に出席。同大会には市内外各級代表439人が参加,その内110人は旧サイゴン政権に投獄されたもの。
DIA-201-1976-11-12-2ベトナム1976年11月12日1970年代ニャンザン紙;ボー・チ・コン副首相兼海産開発相主催により,ニャチャン市で海産物開発関係責任者大会(4~8日)開催。ト副大統領も出席。
DIA-201-1976-11-12-3ベトナム1976年11月12日1970年代ジュアン党第1書記,ハノイ市党大会に出席。参加代表数539人。トン・ドク・タン党中央委員も出席。全国大会への代表団にジュアンとタン両氏を含める。
DIA-201-1976-11-12-4ベトナム1976年11月12日1970年代(ビエンチャンAFP)西側諸国で唯一の駐在武官であるフランス大使館付武官,12月2目までに退去を命じられる。
DIA-201-1976-11-13-1ベトナム1976年11月13日1970年代ニャンザン紙;ハノイ-ホー市間の統一鉄道の全線路1730kmのうち,復旧工事が必要な区間は1411km現在,復旧工事は1140kmまで完成。列車がテスト運行中。残る271km(クアンガイ-ダナン間・ドンホイ-フォンフ間)も急いで建設中。
DIA-201-1976-11-13-2ベトナム1976年11月13日1970年代グエン・ディン・ツ大学・中等学校相は,社会主義諸国の大学中学校相第10回会議に出席するためハノイを出発。
DIA-201-1976-11-13-3ベトナム1976年11月13日1970年代プーン・シパスート政治局員の率いる代表団,アルバニア党大会出席の後,帰国。
DIA-201-1976-11-14-1ベトナム1976年11月14日1970年代ニャンザン紙;全国各省と都市の党大会と,全国大会への参加代表団の選出が完了。
DIA-201-1976-11-14-2ベトナム1976年11月14日1970年代ニャンザン紙;ザップ大将,レ・ドク・ト,ズン大将の3政治局員,全軍隊党大会に出席。全国党大会に参加する軍隊代表団の中に同3人も選出される。
DIA-201-1976-11-15-1ベトナム1976年11月15日1970年代国連安保理事会,ベトナムの加盟申請について投票。メンバー15ヵ国のうち14ヵ国が賛成。米国だけ拒否権を行使。
DIA-201-1976-11-15-2ベトナム1976年11月15日1970年代ニャンザン紙報道;パテトラオ通信によれば,ラオスの新制度の下での1周年の成果は,農業面では9省で農作地2万2649ヘクタールを復旧。11省で1万7092ヘクタールを開墾。旧解放区では焼畑を梯田に改造。
DIA-201-1976-11-16-1ベトナム1976年11月16日1970年代外務省は米国のベトナム国連加盟申請に対する拒否権発動を非難する声明を発表。
DIA-201-1976-11-17-1ベトナム1976年11月17日1970年代ニャンザン紙;首相府は全国地方機関責任者に対し,現在,国家に対する借款返済,義務以外の国家への食糧売却などはまだ徹底的に実現されていないと指摘,食糧義務を具体的に実現するよう指示。
DIA-201-1976-11-18-1ベトナム1976年11月18日1970年代ニャンザン紙;水利省は南部全体各省の水利問題について,第1段階の調査と企画工作の基本を完成。同省は1年間に,幹部,技師,技術幹部,労働者1500人を同調査に派遣。水利建設の4公司を設立。
DIA-201-1976-11-18-2ベトナム1976年11月18日1970年代フン副首相は全南部各省党委と人民委に対し“農業と水利機械および財政銀行各部門と協力し,1976~77年の冬春季農業生産を集中的に指導するよう”指導。
DIA-201-1976-11-18-3ベトナム1976年11月18日1970年代ギ副首相,ポーランド代表団(団長イアン・チリンスキ党中央委員兼国家計画委第1議長)と会見。
DIA-201-1976-11-18-4ベトナム1976年11月18日1970年代ノルウェーと大使級外交関係樹立。
DIA-201-1976-11-20-1ベトナム1976年11月20日1970年代ニャンザン紙;ハノイ-ダナン間の国道1号線沿線779kmの往復通信回線1273kmを敷設。
DIA-201-1976-11-20-2ベトナム1976年11月20日1970年代グエン・チャィン(Nguyen Chanh)対外貿易次官はフィンランドとスウェーデン両国を訪問するため,ハノイを出発。11月28日~12月1日スウェーデン訪問。12月1日。同国政府ベクチン・スバク対外貿易次官と,両国貿易協定に調印。12月2日フィンランドに到着,4日同国マッチ・ツォビネン外務省官房長官と,両国の信用協定に調印。
DIA-201-1976-11-20-3ベトナム1976年11月20日1970年代ドー・ムオイ副首相はソ連訪問のため,ハノイを出発。
DIA-201-1976-11-20-4ベトナム1976年11月20日1970年代ニャンザン紙;北部の秋季米収穫面積32.1%,南部各省では秋季米収穫完了。国家に対する売却計画を73.1%達成。
DIA-201-1976-11-20-5ベトナム1976年11月20日1970年代統計総局の集計によれば,北部各省と都市の秋季米収穫面積は40万7000ヘクタールに達す。また冬春季の作付面積を14万ヘクタール増やす計画を発表。
DIA-201-1976-11-21-1ベトナム1976年11月21日1970年代(バンコク・共同)タイー・カンボジア国境最南端のトラート県で両軍衝突。
DIA-201-1976-11-22-1ベトナム1976年11月22日1970年代エジプト新大使,シパスート外相に信任状提出。25日,モンゴル新大使,信任状提出。26日,スリランカ,デンマーク新大使,信任状提出。
DIA-201-1976-11-24-1ベトナム1976年11月24日1970年代国会常務委は会議を開き,来月中に国会第6期第2回会議を召集するとの提案を承認,また,フィン・バン・クィ氏を最高人民裁判所副長官に任命。
DIA-201-1976-11-24-2ベトナム1976年11月24日1970年代プノンペン国内放送論評「今日新しい様相を呈している。農村で最も目立つのは新しい田畑である。これは協同組合農民が革命機関の指導の下に提防・灌漑建設にはげんだ結果である。都市で最も目立つのは工場である。戦争で破壊された工場は修復され,多くが生産を再開し,多くの新しい工場を建設した。」
DIA-201-1976-11-25-1ベトナム1976年11月25日1970年代ニャンザン紙;北部ハバク省農民集団代表大会開催。
DIA-201-1976-11-25-2ベトナム1976年11月25日1970年代国連加盟国52ヵ国代表は同総会に,ベトナム加盟間題の再審要請書を提出。
DIA-201-1976-11-25-3ベトナム1976年11月25日1970年代ニャンザン紙はザップ大将・副首相の全軍高・中級幹部の経済建設任務の学習大会での演説全文を掲載,その重点は次のとおり。 ○軍の新紀元に対する新任務。 ○全人民とともに新戦線に英雄的に進む。国家と民族の後進性と貧乏に打ち勝つ。 ○党の社会主義経済建設の路線をシッカリ掌握。経済戦線で,軍隊の突撃精神を発揮。 ○経済は戦争と同じように,科学と技術によって実行。 ○軍隊は社会主葬の新しい人間を養成,訓練する大学である。 ○軍隊内の党組織指導能力を高める。幹部を養成。 ○軍内団結の強化。国家機関,各地方人民委および一般人民と密接に結合。
DIA-201-1976-11-25-4ベトナム1976年11月25日1970年代(ハノイ)ダオ対外貿易次官は東ドイツ府政代表と,両国の1977年の援助と支払い協定に調印。
DIA-201-1976-11-25-5ベトナム1976年11月25日1970年代タイ政府,カンボジア難民26人をカンボジア側に引渡し。
DIA-201-1976-11-25-6ベトナム1976年11月25日1970年代タイ当局によれば,タイのトラート県ハートレーク村のタイ・カンポジア国境地区でカンボジア側から砲撃。
DIA-201-1976-11-26-1ベトナム1976年11月26日1970年代国連総会は,国連安保理へ,ベトナム加盟問題の再審議を要求する78ヵ国の提案について投票・結果は賛成124ヵ国,反対1ヵ国(米国),白票3ヵ国(英国,西ドイツ,イスラエル)。
DIA-201-1976-11-26-2ベトナム1976年11月26日1970年代香港の英字紙エイシアン・ウォール・ストリート・ジャーナルによれば,カンボジアは10月香港に国営貿易会社「レン・フン」を設立。
DIA-201-1976-11-27-1ベトナム1976年11月27日1970年代メキシコ,デンマーク,エジプト,マレ-シア,ニュージーランド,オランダ各国大使,グエン・フー・ト副大統領に信任状を提出。
DIA-201-1976-11-28-1ベトナム1976年11月28日1970年代ニャンザン紙;北部各省では,水利施設3ヵ年(1974~76年)計画の実現運動が行われ,現在46県で完成。
DIA-201-1976-11-28-2ベトナム1976年11月28日1970年代ニャンザン紙;ホー市で全国法制責任者大会(25~27日)開催。南部各省における社会主義法制の工作と組織の討議。
DIA-201-1976-11-28-3ベトナム1976年11月28日1970年代Dao Tung V.N.A.(ベトナム通信社)社長はハバナで開催の社会主義国の通信・新聞社編集長会議に出席。
DIA-201-1976-11-28-4ベトナム1976年11月28日1970年代キュー・サムファン議長,東チモ-ル民主共和国大統領に,同国宣言1周年記念祝賀メッセージ。
DIA-201-1976-11-29-1ベトナム1976年11月29日1970年代ホアン・バン・ホアン国会副議長ら代表団はキューバ初の国会総会に出席するためハバナに到着。
DIA-201-1976-11-30-1ベトナム1976年11月30日1970年代グエン・コン・ホア労働総同盟中央委副議長はポーランド労働総同盟第8回大会(12月6~8日)に出席するため,ハノイを出発。
DIA-201-1976-11-30-2ベトナム1976年11月30日1970年代グエン・ツエト労働総同盟書記局委員は世界労働総同盟第9回大会の開催準備のためニューデリーで開かれる同総同盟連合常務委第15回会議(12月3日)に出席するためハノイを出発。
DIA-201-1976-11-30-3ベトナム1976年11月30日1970年代ラオス当局,タイとの国境をタドアで閉鎖。2日の建国記念行事のため。
DIA-201-1976-11-30-4ベトナム1976年11月30日1970年代ソ連政府からAN-24機2機,引渡し式。
DIA-201-1976-12-01-1ベトナム1976年12月01日1970年代ディン・バー・チ国連オブザーバー大使はメキシコのホセロペト・ポークチジヨ新大統領の就任式典に出席するため,同国を訪間。
DIA-201-1976-12-01-2ベトナム1976年12月01日1970年代ニャンザン紙;内閣法令319号による17度線以南全体の旧政権の各大学学生の今年の卒業生は4000人に達し,これらの人々で採用基準合格者は2年間の実習に従事しなければならない。実習期間中は政府の公務員初任給の85%を受ける。
DIA-201-1976-12-01-3ベトナム1976年12月01日1970年代ニャンザン紙;労働省の法令13号により,国営部門の経済各単位は,月例賞与制度を規定。 ○労働者と一般公務員の場合,月内生産,あるいは仕事の任務の完遂者が対象。月末に審査。賞与額は月給の10%以内。任務超過者は給料の20%以内。 ○管理,業務,行政,党などの各幹部の場合,賞与審査が3ヵ月に1回行なわれる。
DIA-201-1976-12-01-4ベトナム1976年12月01日1970年代ニャンザン紙;政府の法令により,今日以降,コンソン県(コンソン島)がハウザン省の直轄,行政単位となる。
DIA-201-1976-12-01-5ベトナム1976年12月01日1970年代キュー・サムファン議長,ヌオン・チェア国会議長,ポル・ポト首相,ラオス人民民主共和国成立1周年に当り,スファヌボン大統領とカイソン首相に祝賀メツセージ。
DIA-201-1976-12-02-1ベトナム1976年12月02日1970年代タイのウパディット外相は,同国の駐北京大使に対し,北京駐在のカンボジア大使館と接触,国境緊張回避のため交渉に入るよう訓令したと言明。
DIA-201-1976-12-02-2ベトナム1976年12月02日1970年代建国1週年記念式典。
DIA-201-1976-12-03-1ベトナム1976年12月03日1970年代ニャンザン紙;教育省の通告第20号によれば,一般学校の教師と大学講師および教授の年間有給休暇は1ヵ月。但し,山岳,海島および辺境地区の教師の有給休暇は45日間と規定。
DIA-201-1976-12-03-2ベトナム1976年12月03日1970年代ニャンザン紙;電力石炭省は,中部北区の農業と人民生活に服務するため,クアンチ発電所,クアンニン発電所(ビンチチエン省の北・南両端),タクハー発電所(ゲチン省)の建設工事を開始。
DIA-201-1976-12-03-3ベトナム1976年12月03日1970年代国会常務委は鄧穎超女史(故周首相夫人)の中国人民代表常務委副委員長昇格について,同女史あて祝電を送る。また,チン外相は同日,黄華中国新外相あて祝電を送る。
DIA-201-1976-12-03-4ベトナム1976年12月03日1970年代AFP通信ビエンチャン支局閉鎖。
DIA-201-1976-12-03-5ベトナム1976年12月03日1970年代三井物産は,このほどラオス政府からダンプトラック24台,ランドクルーザーなど合計36台,1億1600万円を受注したことを明らかにした。
DIA-201-1976-12-04-1ベトナム1976年12月04日1970年代ニャンザン紙;ハウザン省人民委は従来の水産販売業者を集団に組織させ,公私合営方式による水産物購入配分組合を設立。
DIA-201-1976-12-04-2ベトナム1976年12月04日1970年代統一鉄道建設総局は,同鉄道建設の最後の区間チュレ―ミンカム区間の工事を完成。同鉄道全長1730kmの再建を完了。ハノイとホーチミン両市から列車の試運転を開始すると発表。
DIA-201-1976-12-04-3ベトナム1976年12月04日1970年代ドー・ムオイ副首相兼建設相はソ連公式訪問(11月22日~12月4日)を終え,帰国の途中,北京に到着。
DIA-201-1976-12-06-1ベトナム1976年12月06日1970年代ニャンザン紙;政府の法令134号により,現在ベトナム領土内で生活している15歳以上の全人民に差別なく,身分証明書を発給。
DIA-201-1976-12-06-2ベトナム1976年12月06日1970年代ニャンザン紙;北部ホアンリエンソン省の住民30民族で構成する農民集団代表大会開催。全省の代表参加数364人。
DIA-201-1976-12-06-3ベトナム1976年12月06日1970年代ドー・ムオイ副首相は北京滞在中,華国鋒中国党主席兼首相と会談。7日ハノイに帰着。
DIA-201-1976-12-07-1ベトナム1976年12月07日1970年代ニャンザン紙;通信総局は統一鉄道に服務する1500kmの通信線の建設工事を完成。
DIA-201-1976-12-08-1ベトナム1976年12月08日1970年代ニャンザン紙;ファム・フン副首相主催で南部各省と都市人民委の大会開催。同大会は①労働再配分,②新経済地建設の議題を討議。現在までにホー市住民70万人が新経済区へ移住,ないしは帰郷。そのうち,帰郷者35万人,ホー市の東部各省への移住者27万人,残りは新経済区へ移住。
DIA-201-1976-12-10-1ベトナム1976年12月10日1970年代ベルギーと大使級外交関係樹立。
DIA-201-1976-12-11-1ベトナム1976年12月11日1970年代ニャンザン紙;今度の第4回全国党大会に参加する代表の総数は,党員総数150万人のうち代表1008人に達す。そのうち1945年8月革命以前からの党員214人,1954以後,米帝と手先の刑務所に20年以上生きた党員200入。また女性同志142人。少数民族出身党員98人。軍入党員39人。各経済科学部門党員131人。
DIA-201-1976-12-11-2ベトナム1976年12月11日1970年代ニャンザン紙;医療・財政両省の合同法令第17号により,政府は今後,全国の女性幹部,女子労働者,女子公務員の家族計画(避妊,堕胎)の実行費用(入院,薬代および療養費)の全額を支給。
DIA-201-1976-12-11-3ベトナム1976年12月11日1970年代(ハノイ)ヴー・バン・クィ郵便総局副局長はイラク政府代表と,両国の郵便交換協定に調印。
DIA-201-1976-12-12-1ベトナム1976年12月12日1970年代越ソ両党代表団正式会談。
DIA-201-1976-12-13-1ベトナム1976年12月13日1970年代ニャンザン紙;北部高原各省は長年水利建設に力を入れ,現在,農地40万ヘクタールの灌漑用水を保障,小・中型水力発電所278ヵ所(1000kW以上)を建設。
DIA-201-1976-12-13-2ベトナム1976年12月13日1970年代ニャンザン紙;南部メコン・デルタ地区では農業多毛作を実現,1975~76年の冬春季の生産面積26万3000ヘクタール,平均収穫量1ヘクタール当り3トン,1976年の夏秋季の生産面積50万ヘクタール平均2.9トン。
DIA-201-1976-12-13-3ベトナム1976年12月13日1970年代鉄道総局は,ホー市から,農産物直行貨物列車が同日正午ハノイ市ハンコ中央駅に到着。同時に同駅から肥料満載貨物列車がホー市へ向って発車と発表。
DIA-201-1976-12-13-4ベトナム1976年12月13日1970年代キュー・サムファン議長,ヌオン・チア国会議長・首相代行,中国報道代表団(10日北京発)と会見。
DIA-201-1976-12-14-1ベトナム1976年12月14日1970年代アルバニア党代表団(団長ドレットシ・プラサリ党中央委員),ベトナム党大会に参加するためハノイに到着。
DIA-201-1976-12-14-2ベトナム1976年12月14日1970年代ニャンザン紙;今大会に外国から29の代表団が参加。 ○東欧から8ヵ国(ユーゴの党は出席せず,アルバニアの党は参加) ○西欧の共産党6ヵ国(オランダ,ベルギー,ルクセンブルグを除く) ○北欧の共産党2ヵ国(フィンランドとスウェーデン左派共産党) ○米州の共産党5ヵ国(キューバ,米,カナダ,チリ,メキシコ) ○アジアの共産党4ヵ国(北朝鮮,モンゴル,ラオス,日本) ○中東・アフリカの解放組織3団体(パレスチナ,アンゴラ,モザンビク)と南アフリカ共産党。 (注)中国と民主カンボジアおよび東南アジアの共産党と解放戦線は欠席。
DIA-201-1976-12-14-3ベトナム1976年12月14日1970年代労働党第4回全国大会,開催―14日,レ・ジュアン党中央委第一書記,政治報告。その重点は次のとおり。 ○ベトナム革命は偉大な歴史的勝利。 ○新段階に当り,社会主義革命の路線へ徐々に進行。 ○第2次5ヵ年計画の方向と任務:経済と文化の発展と改造,科学と技術の発展。 ○南部では旧生産関係を改造,社会主義生産関係の強化と完成。 ○思想と文化革命:新文化の建設と発展。 〇社会主義国家の強化,集団的役割の発揮,大衆工作をよくする。 16日,ファン・バン・ドン首相が第2次5ヵ年計画について報告。 17日,レ・ドク・ト政治局員が党規約改正に関する党中央委報告を,またグエン・ズイ・チン政治局員が外交方針を報告。 20日,党名をDang Cong San Viet Nam(ベトナム共産党)と改称する動議を採択,新人事,政治報告,第2次5ヵ年計画,党規約改正等に関する決議案を採択して閉幕。 レ・ドク・ト政治局員が大会閉会直前に発表した新人事は, ○新中央委員101人,候補32人。 ○政治局員14人,候補3人。 ○書記局員9人。また現在の党員総数155万3500人,総人口の3.13%。 (注)党第3回全国大会(1960年9月5日~10日)で選出された中央委員43人,候補28人,政治局員11人,候補2人,書記局7人,党員総数約50万,外国党代表17ヵ国参加。 28日のニャンザン紙によれば,チン政治局員兼外相の外交基本路線に関する演説の重卓は次のとおり。 ○ソ連,中国および社会主義各国とは,マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義を基礎にあらゆる面で密切な協力関係と団結的な戦闘精神を強化。 ○ラオス,民主カンボジアとは,インドシナ3国の堅固な団結が3国の民族と国家の生存に関する問題であり,われわれ3国は,完全な平等,独立の尊重,国家主権の尊重,領土保全の諸原則により,団結を強化,相互の国家建設と防衛,独立と繁栄の中に3国を永遠に結ぶ。 ○東南アジア地域諸国とは,同地域の各民族と人民は民族独立,真の民主,平和,中立および領土上からの外国軍基地と軍隊の撤去などのための正義の闘争を徹底的に支持。しかし,同地域諸国との国家間の関係は,平和5原則の基礎により友好と協力関係を設立,発展する用意あり,互恵の立場から,各国の資源に対する主権と独立を防衛する地域協力を実現。経済,文化,科学技術各分野で,相互に援助,帝国主義,新植民地主義の圧力に対抗する。 ○非社会主義国,西欧諸国とは,平和5原則を尊重する立場から,関係を樹立。とくに米国のパリ協定の公約を実行し,敵対的態度を改善するならば,正常な関係を樹立する用意あり。
DIA-201-1976-12-15-1ベトナム1976年12月15日1970年代(ハノイ)ベトナム労働党大会2目目,カイソン書記長あいさつ。
DIA-201-1976-12-16-1ベトナム1976年12月16日1970年代ニャンザン紙はソ連と中国の両党中央委のベトナム党大会への祝電を並べて一面トップに掲載。
DIA-201-1976-12-16-2ベトナム1976年12月16日1970年代キュー・サムファン議長,バングラデシュ人民共和国成立記念目に当り同国大統領に祝賀メッセージ。
DIA-201-1976-12-18-1ベトナム1976年12月18日1970年代(ハノイ)ヴー・ゴク・クィ対外文化連絡委主任代理はインド大使と,,両国の文化協力協定に調印。
DIA-201-1976-12-21-1ベトナム1976年12月21日1970年代ホーチミン労働青年団中央委総会開催。団の名称をホー・チ・ミン共産青年団に改称することを決定。
DIA-201-1976-12-21-2ベトナム1976年12月21日1970年代バンク・オブ・アメリカ発行「インドチャイナ・スポットライト」12月号によれば,米国務省はこのほどマラリア用のDDT45万ドル相当のカンボジア向け輸出を許可。
DIA-201-1976-12-22-1ベトナム1976年12月22日1970年代モスクワと北京両首都で,ベトナム人民軍創立32周年記念が盛大に開催される。
DIA-201-1976-12-22-2ベトナム1976年12月22日1970年代ソン・セン国防担当副首相,ベトナム人民軍の日に当りザップ副首相兼国防相に祝電。
DIA-201-1976-12-22-3ベトナム1976年12月22日1970年代キューバ共産党代表団,ベトナム党大会出席の帰途,ラオス公式訪問。25日まで。
DIA-201-1976-12-23-1ベトナム1976年12月23日1970年代ベトナム・ラオス両党代表団,正式会談。
DIA-201-1976-12-24-1ベトナム1976年12月24日1970年代中国政府経済代表団(団長,方毅対外経済連絡部長),カンボジア訪問(1月4日まで)。同代表団は26~31日,カンボジア東部ならびに北部工場,鍛治屋,ゴム園等を訪問。25日中国が提供するプラント項目の議定書と両国の科学技術協力協定調印。
DIA-201-1976-12-27-1ベトナム1976年12月27日1970年代タィンホア省建設局は肥料工場拡張建設工事を完成。同工場の生産能力はこれまで年間1万トン,今後2万トンを生産。
DIA-201-1976-12-27-2ベトナム1976年12月27日1970年代(バンコク)タイのタナット・コーマン国家改革議会外務委員長は,諜報筋の情報として,ソ連はラオスの高原地帯に中国あるいは南方を攻撃しうるミサイル発射用サイロ建設をすでに終えたと言明。
DIA-201-1976-12-28-1ベトナム1976年12月28日1970年代政府閣議は1977年4月12日に全国各省と都市人民代表の選挙を行ない,同月30日までに完了と決定。
DIA-201-1976-12-28-2ベトナム1976年12月28日1970年代キューバ共産党代表団(団長:セルヒオ・デル・バリエ・ヒメネス政治局員・内相),プノンペン訪問。
DIA-201-1976-12-28-3ベトナム1976年12月28日1970年代(パリ・共同)カンボジア政府はこのほど,フランス商社「SCOA」を通じてフランスとの商談を開始。
DIA-201-1976-12-28-4ベトナム1976年12月28日1970年代ミトロファン・ポドルスキ・ソ連新大使,スファヌボン大統領に信任状提出。
DIA-201-1976-12-30-1ベトナム1976年12月30日1970年代ニヤンザン紙;ドー・ムオイ政治局員候補兼副首相は,党大会での演説の中で,1980年までに国家建設に全力をあげ,食糧生産目標2100万トン,そのうち,米1750万~1800万トン,食肉100万トン,水産品130万トン,木材350万立方メートルを生産すると強調。
DIA-201-1976-12-31-1ベトナム1976年12月31日1970年代ハノイとホーチミン両市は同時に統一鉄道運行式典を開催。同鉄道再建日程は,ハノイ―ビン間(320km)1964年5月19日完成。フエ-ダナン間(103km)1975年5月19日完成。ホー市-フーミ間(680km)1975年11月25日完成。1977年1月15日からハノイ-ホー市の直行急行列車を運行,一般乗客を受ける。 乗客列車について:急行列車運行,週2回(往復),停車駅:ビン,フエ,ダナン,クアンガイ,ニャチャン,乗客の荷物20kgまで,各停列車は毎日各区間連結で運行。
DIA-201-1976-12-31-2ベトナム1976年12月31日1970年代ニャンザン紙;南部各省での大学入学試験の結果は,1976~77年度6700人が合格。
DIA-201-1976-12-31-3ベトナム1976年12月31日1970年代ニャンザン紙;ポー・ツ・ドン中央委員兼農業相は党大会での農業間題の報告の中で,平和回復後,農業生産に灌漑施設工事,近代技術と新種を投入,また多毛作を実現したので,1976年の米生産量は約1250万トンに達し,この経験により1980年までに500万トンまで増産,したがって年間生産8%増を確信したと強調。
DIA-201-1976-12-31-4ベトナム1976年12月31日1970年代スリニバサン・インド新大使,スファヌボン大統領に信任状提出。
DIA-201-1977-01-01-1ベトナム1977年01月01日1970年代民間航空総局はHa noi-Nasan-Dien bien phu間の国内線(300km)の再開と週2便(火・土曜)の運行を発表。
DIA-201-1977-01-01-2ベトナム1977年01月01日1970年代ニャンザン紙;76年末までに全国の大学総数は47校(勤労大学と各部門所属大学を含まず),大学生総数10万3000人,教授と講師1万人に達す。
DIA-201-1977-01-03-1ベトナム1977年01月03日1970年代ニャンザン紙;76年の米以外の食糧作物の栽培面積と生産量の実績(75年を100とする)
DIA-201-1977-01-03-2ベトナム1977年01月03日1970年代ニャンザン紙;中部高原ラムドン省党委は,少数民族の居住と生活の改善のため,居住・耕作の定着地6地区を建設。
DIA-201-1977-01-04-1ベトナム1977年01月04日1970年代ニャンザン紙;中部のラムドン省(高原),ツアンハイ省(沿海)および南部の東と西地区の132県の農林地区の分画と企画を実施。
DIA-201-1977-01-04-2ベトナム1977年01月04日1970年代ニャンザン紙;現在までに全国で160の国営農場を建設。
DIA-201-1977-01-05-1ベトナム1977年01月05日1970年代ニャンザン紙;石油・天然ガス総局,ハノイで総会。今年の油鉱と天然ガスの調査活動の強化計画を採択。
DIA-201-1977-01-06-1ベトナム1977年01月06日1970年代ニャンザン紙;タイニン省の党委と人民委は南部解放後,旧サイゴン市から75年5月~76年11月までに住民4万6200人を受け入れ,移住者のために住宅1万4343軒を建設。
DIA-201-1977-01-06-2ベトナム1977年01月06日1970年代ニャンザン紙;アンジアン省で都市労働者とその家族8万人が同省の新経済地区へ移住,政府は,住宅225軒,米14トン,農具,資金,稲のタネなどを供給。
DIA-201-1977-01-07-1ベトナム1977年01月07日1970年代ニャンザン紙;国会常務委員会は人民最高検察院副委員長にLam van The(別名Ba Huong南部出身)を任命。
DIA-201-1977-01-07-2ベトナム1977年01月07日1970年代グエン・バン・ダオ対外貿易次官はハンガリー滞在中,同国貿易次官と77年の物資交換・支払い協定に調印。
DIA-201-1977-01-08-1ベトナム1977年01月08日1970年代ニャンザン紙;交通運輸と林業両省は国道と省道の沿道両側の植樹が同両省の指導の下に実行されると発表。
DIA-201-1977-01-10-1ベトナム1977年01月10日1970年代ニャンザン紙;ビンフー省では76年12月末までに各機関,企業,工場,工事現場,合作社などで,人民検査の314班を設立。
DIA-201-1977-01-11-1ベトナム1977年01月11日1970年代国会第6期第2回総会開催―12日,77年国家計画を承認。15日,国家予算・決算を初めて公表。
DIA-201-1977-01-11-2ベトナム1977年01月11日1970年代東ドイツ贈与の飛行機(複数)とその設備および部品の引渡式。
DIA-201-1977-01-11-3ベトナム1977年01月11日1970年代ハイフォン市でユーゴから贈与される9000トン級貨物船1隻の引渡式。
DIA-201-1977-01-12-1ベトナム1977年01月12日1970年代ニャンザン紙;ハイフンとタイビン両省の河川沿岸合作社は600haで冬季のとうもろこしの収穫を開始。平均1ha当り3トン。
DIA-201-1977-01-13-1ベトナム1977年01月13日1970年代非同盟グループの代表団は国連本部内で,ベトナムとラオスに対する団結基金運動委を設立。参加国はベトナムとラオスのほか,スリランカ,インド,イラク,ユーゴ,アンゴラ,アルジェリア,リビア,タンザニア,キューバ,ガイアナ,パナマの11ヵ国。
DIA-201-1977-01-13-2ベトナム1977年01月13日1970年代統計総局は南部14省とホー市で1976年の秋季米収穫が50%に達し,冬春季稲植付面積が55%に達すと発表。
DIA-201-1977-01-14-1ベトナム1977年01月14日1970年代Phung the Tai(少将・副参謀長)民間航空総局長は北朝鮮に滞在中,同国と航空協定に調印。
DIA-201-1977-01-16-1ベトナム1977年01月16日1970年代ニャンザン紙;政府はCon Son島県をハウジアン省の行政単位に編入することを決定。
DIA-201-1977-01-16-2ベトナム1977年01月16日1970年代ニャンザン紙;党中央委政治局は今までの党理論中央機関誌Hoc Tapを77年1月号から「Tap Chi Cong San」に改称すると決定。
DIA-201-1977-01-16-3ベトナム1977年01月16日1970年代グエン・フー・ト副大総領はジャンビエー・ホッチ国際赤十字社の援助局長と会見。
DIA-201-1977-01-16-4ベトナム1977年01月16日1970年代ホー市党委は現在同市の国営企業数が76年の3倍に増加し,集団生産単位数も12倍に増加と発表。
DIA-201-1977-01-17-1ベトナム1977年01月17日1970年代ニャンザン紙;クイニョン港の復旧・拡張工事完成。
DIA-201-1977-01-17-2ベトナム1977年01月17日1970年代ニャンザン紙;南部15省は水利施設工事に20万人を動員。
DIA-201-1977-01-17-3ベトナム1977年01月17日1970年代ニャンザン紙;ハバク省人民委と化学総局は,同省の発電所の拡張と化学工場の建設に技術協力した中国の専門技術団に労働・友好両勲章を贈与。
DIA-201-1977-01-18-1ベトナム1977年01月18日1970年代ニャンザン紙;“重工業の建設と発展”と題する社説。その重点は次のとおり。 ○国家経済の要求,財源の能力と適合の枠内で,合理的に一歩一歩重工業の建設と発展をはかる。 ○3つの重要部門:工作機械,原料,燃料関係,また6つの基本部門:機器,冶金,化学,建設資材,電力,燃料。
DIA-201-1977-01-18-2ベトナム1977年01月18日1970年代ニャンザン紙;中部高原各省の人民委は5ヵ年計画の期間内に少数民族70万人を耕作と居住に定着させ,生産と生活の再組織と結合をはかると決定。
DIA-201-1977-01-18-3ベトナム1977年01月18日1970年代南北両地域の文学・芸術協会ハノイで会合。全国の文学と芸術の統一問題を討議。出席者:To Huu党中央委政治局員候補,Tran Do党中央委員兼教宣副委員長,Nguyen dinh Thi文芸連合会副会長,Luu huu Phuoc南部解放文芸協会会長。
DIA-201-1977-01-18-4ベトナム1977年01月18日1970年代ザップ副首相兼国防相は民主カムプチア革命軍創立9周年記念に当り,ソン・セン副首相兼国防相あてに,祝電を送る。
DIA-201-1977-01-19-1ベトナム1977年01月19日1970年代グエン・コ・タク(党中央委員)外務次官は公式にイタリアを訪問,22日まで滞在,24~26日ノルウェーを訪問。
DIA-201-1977-01-20-1ベトナム1977年01月20日1970年代ニャンザン紙;現在,南部各省で熟練工訓練センター30校を復旧,新設。そのうち,中央機関の管理校は11校。
DIA-201-1977-01-21-1ベトナム1977年01月21日1970年代ダン・ビエト・チャウ対外貿易相はラオス訪問中,同日,ラオス政府と76~77年の物資交換・支払いおよび国境隣接各省の貿易各協定に調印。
DIA-201-1977-01-21-2ベトナム1977年01月21日1970年代グエン・バン・ダオ対外貿易次官はポーランド訪問中,同政府と77年の両国物資交換・支払い各協定に調印。
DIA-201-1977-01-22-1ベトナム1977年01月22日1970年代ニャンザン紙;北部全域で76年までに託児所3万4621ヵ所を設立。収容児童数65万人。そのうち都市部では政府機関と団体機関および工業地区に,農村部では各農業合作社に。
DIA-201-1977-01-22-2ベトナム1977年01月22日1970年代政府閣議は公務員と労働者に対する有給休暇の制度を決定。細目は次のとおり。 ○新暦正月の休暇:1月1日(終日) ○旧暦正月の休暇:年末年始3日間(旧12月30,あるいは31日。旧正月,1,2日) ○国際労働日(メーデー)1日と半日(4月30日の半日と5月1日の終日) ○国慶節:2日間(9月2~3日) ○宗教信徒は自分の宗教の祭日に参加するため1日以内の休暇を誌められる。
DIA-201-1977-01-22-3ベトナム1977年01月22日1970年代ニャンザン紙;政府閣議は76年9月22日付の179法令による民間航空総局に直属する空港局の設立を決定。
DIA-201-1977-01-22-4ベトナム1977年01月22日1970年代ニャンザン紙;政府閣議は76年9月29日付法令による,中央教宣委の中央新聞司の通信局への編入,通信総局に直属する新聞局の設立を決定。
DIA-201-1977-01-22-5ベトナム1977年01月22日1970年代仏労働総同盟代表団(団長M.W.ソラック仏共産党中央委員兼同同盟書記長),ハノイに到着。
DIA-201-1977-01-23-1ベトナム1977年01月23日1970年代ニャンザン紙;政府は全国の農業生産責任者に77年の農作面積を820万haにするよう指示。
DIA-201-1977-01-23-2ベトナム1977年01月23日1970年代ニャンザン紙;全南部各省の文盲者総数150万人のうち,文盲一掃運動で76年末までに64万人が読み書きができるようになった。
DIA-201-1977-01-24-1ベトナム1977年01月24日1970年代ニャンザン紙;農業省の今年からの農業発展の目標;労働者1人当りの年間食糧生産2トン,食用肉類100kg。また労働者1人当り耕作地1haを負担。
DIA-201-1977-01-24-2ベトナム1977年01月24日1970年代解放戦線中央委と民族民主平和連盟中央委は合同でホー市で大会。全国民族統一戦線の設立を準備。
DIA-201-1977-01-24-3ベトナム1977年01月24日1970年代政府は全国で伐採禁止区10地区の設置を決定。
DIA-201-1977-01-25-1ベトナム1977年01月25日1970年代ニャンザン紙;77年の新経済地区建設に従事する青年男女の動員目標は50万人以上,昨年より38%増。
DIA-201-1977-01-25-2ベトナム1977年01月25日1970年代ニャンザン紙;南部電力総局は南部の電力生産と運営を再編,76年より生産量を6%増加するよう努力。
DIA-201-1977-01-26-1ベトナム1977年01月26日1970年代米国宗教合同委代表団(A.F.S.C.)(団長オアラット・コレット同委議長),ハノイに到着。2月1日スアン・トイ国会副議長と会見。
DIA-201-1977-01-26-2ベトナム1977年01月26日1970年代ニャンザン紙;首相府は南部の農,林,畜産中級学校を再編,関係各省の直轄とすることを決定。
DIA-201-1977-01-26-3ベトナム1977年01月26日1970年代モンゴル政府貿易代表団(団長イウ・アイウト対外貿易次官),ハノイに到着。
DIA-201-1977-01-27-1ベトナム1977年01月27日1970年代日本の法律家国際連帯委はベトナム法律家協会にトラクター4台(500万円相当)を贈与。
DIA-201-1977-01-28-1ベトナム1977年01月28日1970年代全国各民族戦線(祖国戦線,民族解放戦線,民族民主平和連盟)代表団はホー市で全国民族統一戦線準備会議。各民族戦線の機関紙:Cuu Quoc(北)とGiai Phcng(南)を合併,新たに週刊の機関誌Dai doan ket(大団結)の発行を決定。
DIA-201-1977-01-29-1ベトナム1977年01月29日1970年代軽工業省は,中国援助で建設した(72年起工,76年完成)ハイフン省の医療用ガラス製品工場建設に協力した中国技術者に3等労働勲章,友好勲章を贈与。
DIA-201-1977-01-30-1ベトナム1977年01月30日1970年代Nguyen duc Thuan労働総同盟中央委副議長兼書記長は日本総評の招待で訪日のため,ハノイを出発。
DIA-201-1977-01-31-1ベトナム1977年01月31日1970年代全国民族統一戦線創立大会,開催。2月4日決議を採択。決議の重点は次のとおり。 ○過去の各民族戦線を解体,新たにベトナム祖国戦線(Mat tran To Quoc Viet Nam)を設立。政党,民族,宗教などを団結,平和,独立,統一,社会主義ベトナム国家を建設。 ○戦線の政治活動8項目:a)社会主義の集団主人公制度の建設,b)社会主義大規模生産の建設,c)社会主義の新文化と人間の建設,d)人民の経済と文化生活を良くする,e)国防強化,治安,社会秩序を守る,f)民族平等,男女平等の実現。信仰自由を尊重,g)国際友好と協力関係の増強,h)愛国と社会主義の各勢力を幅広く団結。 また新役員と中央委員を選出,名誉議長Ton duc Thang,議長Hoang quoc Viet,事務長Nguyen van Tien。中央委員191人,そのうち,南北から半分ずつ41人を議長団に選出。
DIA-201-1977-01-31-2ベトナム1977年01月31日1970年代ニャンザン紙;傷病兵・社会福祉省は1976年11月27日付法令により,社会主義改造を受ける民族資本家に対する社会保険制度を実施。
DIA-201-1977-01-31-3ベトナム1977年01月31日1970年代ニャンザン紙;労働省は1976年5月13日付法令により,化学と殺虫剤生産の職業病および公害病の手当給与制度を実施。
DIA-201-1977-02-01-1ベトナム1977年02月01日1970年代グエン・バン・ダオ対外貿易次官はハノイで,モンゴル対外貿易次官と,両国77年物資交換・支払協定に調印。
DIA-201-1977-02-01-2ベトナム1977年02月01日1970年代民間航空総局は国内線のハノイ―ホー市間の空路にジェットT.U-134型機を投入。
DIA-201-1977-02-02-1ベトナム1977年02月02日1970年代グエン・チャン対外貿易次官ら代表団は北京を訪問。
DIA-201-1977-02-02-2ベトナム1977年02月02日1970年代ニャンザン紙;過去1年間にホー市の労働者総数の45%が労働総同盟のホー市支部組織内に吸収。
DIA-201-1977-02-02-3ベトナム1977年02月02日1970年代東ドイツ政府経済代表団(団長ゲアハルト・ワイス党中央委員・副首相・独越経済科学技術協力委議長)は協力委第8回総会に出席するため,ハノイに到着。
DIA-201-1977-02-02-4ベトナム1977年02月02日1970年代ブルガリア政府貿易代表団(団長P.バシカロフ対外貿易次官)は両国77年の物資交換・支払い協定に調印するため,ハノイに到着。
DIA-201-1977-02-02-5ベトナム1977年02月02日1970年代ソ連科学アカデミー代表団(団長フェドセーエフ同副総裁)はソ連の援助による中央科学研究所の完成式に参加するため,ハノイに到着。
DIA-201-1977-02-02-6ベトナム1977年02月02日1970年代ソ連海洋運輸省代表団(団長S.A.ルキヤセンコ同省次官)は両国の海洋領域に対する協力委の第1回会議に出席するため,ハノイに到着。
DIA-201-1977-02-02-7ベトナム1977年02月02日1970年代フィリピン商工会議所代表団(団長F.J.エリダン同所会長)ハノイを訪問。
DIA-201-1977-02-03-1ベトナム1977年02月03日1970年代チョン・チン国会議長はラオス医療代表団(団長スク・ボンサク医療相)と会見。
DIA-201-1977-02-03-2ベトナム1977年02月03日1970年代ホーチミン共産青年団中央委総会は昨年の運動成果について,同団の組織の2万5000単位から120万人以上が祖国建設に志願登録し,その中,57万人は生産各目標任務を完遂したと報告。
DIA-201-1977-02-03-3ベトナム1977年02月03日1970年代ファン・ヒエン外務次官は首相特使として南アジア各国を歴訪。3~7日,インドを訪問。8~10日,パキスタンを訪問。10~15日,ネパールを訪問。16~18日,スリランカを訪問。19~21日,バングラデシュを訪問。22~24日,アフガニスタンを訪問。25日に帰国。
DIA-201-1977-02-03-4ベトナム1977年02月03日1970年代ビンヘム米下院議員兼国際経済・貿易小委員会委員長は同院総会で,現在,韓国を除けば,対ベトナム禁輸措置をとっているのは世界中で米国だけであるとの理由で,禁輸政策の廃止を議会に提案。
DIA-201-1977-02-05-1ベトナム1977年02月05日1970年代ホー共産青年団中央委は民主カムプチア青年団の創立記念日に当り,祝電を送る。
DIA-201-1977-02-07-1ベトナム1977年02月07日1970年代ニャンザン紙;レ・ズアン党中央委書記長は南部訪問中,チャン・バン・チャー(上将)第7軍区司令官兼政治委員と同行して同軍区を視察。
DIA-201-1977-02-07-2ベトナム1977年02月07日1970年代ハ・チ・クエ婦人連合会会長ら代表団は民主カムプチアを訪問。
DIA-201-1977-02-07-3ベトナム1977年02月07日1970年代ニャンザン紙社説“農業生産戦線に全労働力を投入”。
DIA-201-1977-02-07-4ベトナム1977年02月07日1970年代南イエメン政府代表団(団長モハメト・サリ・ヤファイ・ムチ外相),ハノイに到着。
DIA-201-1977-02-07-5ベトナム1977年02月07日1970年代ブルガリア貿易代表団と経済協力・物資交換および支払い協定に調印。
DIA-201-1977-02-07-6ベトナム1977年02月07日1970年代ニュージーランド国会議員団議員(団長W.F.パット),ハノイに来訪。
DIA-201-1977-02-09-1ベトナム1977年02月09日1970年代ニャンザン紙;南部各省では生徒450万人の入学のたあ,9万7000教室を設立。100万人は文化補充校,平民学校に入学。現在,文盲160万人のうち,77万5000人が読み書きできる。
DIA-201-1977-02-09-2ベトナム1977年02月09日1970年代東ドイツ経済代表団と経済協力・科学技術協力協定に調印。
DIA-201-1977-02-09-3ベトナム1977年02月09日1970年代オーストラリア大使と,国営農場内の牧畜発展への協力協定に調印。
DIA-201-1977-02-09-4ベトナム1977年02月09日1970年代ニャンザン紙;メコン・デルタ地域農民の国家に対する農業税の納入と売却の状況はハウジアン省:納税9100トン,売却1万8700トン。ホー市:納入と売却2000トン,ロンアン省:納税と売却4750トン,キエンジアン省:納税と売却1万4300トン,ティエンジアン省のゴコン県のみ7000トン,ベンチエ省:納入と売却1160トン,ミンハイ省:納税1800トン,売却1万3300トン,ドンタプ省:納税と売却4200トン,アンジアン省:納税と売却2万トン。
DIA-201-1977-02-09-5ベトナム1977年02月09日1970年代ソ連援助による最新科学中央研究所建設工事が完成。
DIA-201-1977-02-10-1ベトナム1977年02月10日1970年代米国民主団体所属の各地方代表がワシントンに集まり,議会に対し対ベトナム敵視態度をやめるよう要求,ベトナムとの正常化,復旧援助の実現を要求する10万人署名決議をカーター米大統領に提示。
DIA-201-1977-02-10-2ベトナム1977年02月10日1970年代越中友好協会創立27周年記念式典開催。
DIA-201-1977-02-10-3ベトナム1977年02月10日1970年代外務省スポークスマンは,4日付民主カムプチア外務省のタイ軍部集団の国境挑発事件についての報告書を全面的に支持すると発表。
DIA-201-1977-02-10-4ベトナム1977年02月10日1970年代民間航空総局は,現在,国内線の運行路線は17路線に達すと発表。
DIA-201-1977-02-11-1ベトナム1977年02月11日1970年代ホー市人民委は76年の同市水利建設の競争運動の総括会議を開催。同年中人民180万労働日を動員,第1級運河水路51系統。第2,3級の運河155系統,長さ180km。海水防止堤防50km。ダム20などを建設。
DIA-201-1977-02-11-2ベトナム1977年02月11日1970年代ニャンザン紙;労働総同盟の各単産は中央から末端まで家族計画の運動を強化。
DIA-201-1977-02-11-3ベトナム1977年02月11日1970年代Nguyen tuong LanとS.A.ルキアセンコ越ソ海洋運輸両次官はハノイで海運協力委の第1回会議後,海運部門の協力協定に調印。
DIA-201-1977-02-11-4ベトナム1977年02月11日1970年代Phan My首相府長官はアーメド・インド大統領の国葬に参加するため,ハノイを出発。
DIA-201-1977-02-11-5ベトナム1977年02月11日1970年代ソ連全友好連合会とソ越友好協会代表団(団長Z.クルゴロバ党中央委員兼同会会長),ハノイに来訪。
DIA-201-1977-02-11-6ベトナム1977年02月11日1970年代ハー・チ・クエ婦人連合会会長ら代表団は民主カムプチア訪問を終え,陸路で帰国。
DIA-201-1977-02-14-1ベトナム1977年02月14日1970年代ニャンザン紙;海運局はホーチミン市の港(旧サイゴン港)で乗客の待合室(収容600~800人)の工事を完成。
DIA-201-1977-02-14-2ベトナム1977年02月14日1970年代ニャンザン紙;道路部門はメコン・デルタと結ぶMy Thuanフェリーに大型フェリー(200トン級)を投入。同フェリーは長さ54m,幅13m,880馬力。
DIA-201-1977-02-14-3ベトナム1977年02月14日1970年代ダナン市は同市のテレビ放送局建設工事を完成。
DIA-201-1977-02-15-1ベトナム1977年02月15日1970年代ニャンザン紙;南部で農村交通と新経済地区の交通幹線系統を建設,拡張。76年中,橋の修理と新設5360m,道路1120kmを補装。戦前10年以上閉鎖されていたBac lieud-Ca Mau間とPhan thiet-Ho Nai-Day day間の交通路を完全に復旧。
DIA-201-1977-02-15-2ベトナム1977年02月15日1970年代Nguyen khanh Toan社会科学委議長は社会主義諸国の科学アカデミー・議長会議(同月14~21日)に出席するため,ハノイを出発。
DIA-201-1977-02-15-3ベトナム1977年02月15日1970年代越朝科学技術協力委第10回(14~15)大会が閉会。14日今後の協力計画に調印。
DIA-201-1977-02-16-1ベトナム1977年02月16日1970年代ホー市教育部門は同部門の競争運動総括第1回大会を開催。現在,市内教員2万2000人,小学校生徒と中高大学生100万人以上。文盲7万2184人が読み書きできるようになり,文化補充者数5万6000人に達す。
DIA-201-1977-02-21-1ベトナム1977年02月21日1970年代ハンガリー経済代表団(団長イアノト・ホルバンディ党中央委員・副首相)は両国経済科学技術協力委の第6回会議に出席するためハノイに到着。28臼ド・ムオイ副首相と経済科学技術協力協定調印。
DIA-201-1977-02-22-1ベトナム1977年02月22日1970年代ニャンザン紙;統計総局によると,15日現在,全国の冬春季の稲植付は計画の51.2%に達す。
DIA-201-1977-02-22-2ベトナム1977年02月22日1970年代ニャンザン紙;76年に,ホー市の郊外に新経済区12区を建設。総面積3万ha。現在7万人が移住,生産地を建設。
DIA-201-1977-02-22-3ベトナム1977年02月22日1970年代レ・ズアン党中央委書記長は旧正月に当り故郷ビン・チ・チェン省を訪問。
DIA-201-1977-02-22-4ベトナム1977年02月22日1970年代Tran Quynh 科学技術委副委員長はハノイで,チェコ政府代表団のメラゼク技術発展・投資省次官と両国協力計画書に署名。
DIA-201-1977-02-23-1ベトナム1977年02月23日1970年代ソ連政府対外貿易代表団(団長コリシン同省次官)は両国の77年物資交換・支払い各議定書に調印するため,ハノイに到着。3月2日77年物資交換・支払各議定書に調印。
DIA-201-1977-02-24-1ベトナム1977年02月24日1970年代ニャンザン紙;スアン・トイ国会副議長兼事務長はスウェーデンのベトナム委員会代表団(団長バクゲトタ・ダン議員・同委議長)と会見。
DIA-201-1977-02-24-2ベトナム1977年02月24日1970年代ニャンザン紙;ファム・フン党政治局員兼副首相はファット副首相とともに21~22日Con son島県を訪問。またジャップ政治局員兼副首相も20~23日故郷ビン・チ・チエン省を訪問。
DIA-201-1977-02-24-3ベトナム1977年02月24日1970年代李先念中国副首相は中国滞在中のグエン・チャン対外貿易次官と会見。
DIA-201-1977-02-25-1ベトナム1977年02月25日1970年代ニャンザン紙;ボ・チ・コン政治局員兼副首相はクアンナム・ダナン省を訪問。
DIA-201-1977-02-25-2ベトナム1977年02月25日1970年代ニャンザン紙;フィリプ・ボレンFAO代表団団長,ハノイを訪問。
DIA-201-1977-02-25-3ベトナム1977年02月25日1970年代政府はソ連・ベトナム衣好協会に友好勲章を贈与。
DIA-201-1977-02-26-1ベトナム1977年02月26日1970年代ニャンザン紙;ハイフォン造船工場はメコン川デルタ地区の水利工作に使用する浚渫船7隻を建造。
DIA-201-1977-02-26-2ベトナム1977年02月26日1970年代ソ連のマルクス・レーニン主義研究所代表団(団長A.D.イワノビッチ副所長),ハノイを訪問。
DIA-201-1977-02-26-3ベトナム1977年02月26日1970年代ニャンザン紙;25日現在,北部の平原と中間両地帯の8省と都市で農業灌漑用水整備3ヵ年計画(74~76)を完成,そのうち,完全整備面積78万ha。
DIA-201-1977-02-27-1ベトナム1977年02月27日1970年代ニャンザン紙;ロンアン省農民は籾の納税・売却1万8000トン,計画の70~74%に達す。
DIA-201-1977-02-28-1ベトナム1977年02月28日1970年代内閣改造―国会常任委は内閣一部改造を決定。その改造内容は次のとおり。 財政相 Hoang Anh(前国家銀行総裁) 国家銀行総裁 Tran Duong 首相府の国務相 Vu Tuan(前軽工業相) 軽工業相 Tran huu Du 海産開発相 Nguyen Quang Lam 国家科学技術委員長 Tran Quynh(同前副委員長) 政府民族委員長 Vu Lap
DIA-201-1977-03-01-1ベトナム1977年03月01日1970年代政府閣議は検査委員会の組織と活動の条例を発表。
DIA-201-1977-03-01-2ベトナム1977年03月01日1970年代ニャンザン紙;メコン・デルタ全区と南部の東区および中部の南区で水利施設の大型工事を起工。
DIA-201-1977-03-01-3ベトナム1977年03月01日1970年代Vu Cong Thuyet医療省次官代表団,北京訪問。
DIA-201-1977-03-01-4ベトナム1977年03月01日1970年代Ngo Dien外相補佐兼外務省新聞局長はコロムボの非同盟情報通信相の第1回共同会議に出席。
DIA-201-1977-03-02-1ベトナム1977年03月02日1970年代ニャンザン紙;キエンジアン省ハチエン地区の大規模良質石灰鉱山を開発。
DIA-201-1977-03-02-2ベトナム1977年03月02日1970年代ニャンザン紙;メコン・デルタ地区の各省は秋米収穫後,前月20日間にハウジアン省は国家に納税・売却籾3万9600トン。ティエンジアン省チョガオ県は納税・売却4万1500トン,アンジアン省も4万3000トン。
DIA-201-1977-03-03-1ベトナム1977年03月03日1970年代ニャンザン紙;全国の文化程度補充と文盲一掃運動の成果は次のとおり。 ○文化補充と文盲一掃に参加した者147万人,ギアビン省8万人,ビンチチエン省とタンホア両省6万5000人,ハノイ市6万1000人,ティエンジアン省6万人・ホー市5万6000人,ハナムニン省4万9000人。 ○文盲一掃により南部の文盲者総数の50%近く(77万人以上)が読み書きでき,文化補充に参加。
DIA-201-1977-03-03-2ベトナム1977年03月03日1970年代ニャンザン紙;中部高原の経済建設に従事する軍隊第732部隊はジアライ・コンツム省のPlay Can製糖工場の建設工事を完成。同工場の生産能力は1日当り130トン。また原料確保のためサトウキビ栽培800haを開発。
DIA-201-1977-03-03-3ベトナム1977年03月03日1970年代ラオス民間航空の第1便,ハノイに到着。ベトナム航空総局長Phung the Tai氏の外,ソ連,中国,東ドイツ各民間航空代表も出迎。
DIA-201-1977-03-03-4ベトナム1977年03月03日1970年代科学技術委はベトナム科学院(Vien Khoa hoc Viet Nam)の新役員名簿を発表。院長Tran dai Nghia,副院長Nguyen van Hieu,Phan dinh Dieu,Vu dinh Cu,Hoang dinh Phu,Ho Si Thang,Nguyen van Chien,Dang ngoc Thanh,事務局長Nguyen Van Dao,院内政治局主任Le Dinh.
DIA-201-1977-03-05-1ベトナム1977年03月05日1970年代Phan My 首相府国務相は政府代表としてハノイの中国大使館の経済担当官に友好勲章を贈与。
DIA-201-1977-03-06-1ベトナム1977年03月06日1970年代ニャンザン紙;ホー市は農地2万1000haの範囲で,9国営農場を建設。米作の外,トウモロコシ,マニオク,高渠,サツマイモ,野菜を栽培,畜産業も経営。
DIA-201-1977-03-06-2ベトナム1977年03月06日1970年代Ngo Dien外相補佐はチュニジアで開催の非同盟国グループの情報責任者会議に出席。
DIA-201-1977-03-07-1ベトナム1977年03月07日1970年代ラオス政府経済代表団(団長マ・カイカムピトン党中央委員兼国家計画委員長兼両国合同委のラオス側委員長),ハノイに到着。19日,両国の科学技術・経済協力協定実施議定書調印。
DIA-201-1977-03-08-1ベトナム1977年03月08日1970年代ニャンザン紙;ホー市の3つの企業(縫製第2工場,紡織第5工場,解放自転車工場)はテストとして,ノルマと出来高払い方式を実行。
DIA-201-1977-03-08-2ベトナム1977年03月08日1970年代軍事代表団,正式にソ連東欧諸国を歴訪のためハノイ出発―代表団の編成:団長Vo nguyen Giap(大将)副首相兼国防相,副団長Le trong Tan(中将)人民軍副参謀長兼軍技術学校校長,同Le quang Hoa(中将)入民軍総政治部副主任。10~27日,ソ連訪問。28~4月6日,東ドイツ訪問。7~16日,ハンガリー訪問。21~30日ポーランド訪問。5月3日,モスクワに到着4日ブレジネフ書記長と会談。6日,帰国途中北京に到着,揚成武中国軍副参謀長をはじめ軍首脳に出迎られる。7日,ハノイに帰着。
DIA-201-1977-03-09-1ベトナム1977年03月09日1970年代海産開発省はノルウエー政府の冷凍工場設備と海洋水産研究船(Dong hai号)の援助引渡式典をハイフォン港で開催。
DIA-201-1977-03-10-1ベトナム1977年03月10日1970年代ニャンザン紙;南部で農業の機械研究・発展中央センター設立。各省農業の機械化と電化の実現を指導。
DIA-201-1977-03-10-2ベトナム1977年03月10日1970年代(北京)中国と,1977~80年の医療協力協定に調印。
DIA-201-1977-03-11-1ベトナム1977年03月11日1970年代ニャンザン紙;南部廃品回収総公司は全南部で金属類廃物,鉄鋼くずなど100万トンを回収。また航空機,戦艦タンク,装甲車,大砲,薬きょうなどの解体で5~10年間各工場に原料と鋼材を供給できる。現在,機械工作27台,大型車51台,一般車107台,中小型トラック41台,ディーゼル9台,大小船17隻を修理。
DIA-201-1977-03-11-2ベトナム1977年03月11日1970年代ニャンザン紙;ハウジアン省農民が2月末までに国家に納税・売却した籾は11万5250トンに達す。
DIA-201-1977-03-11-3ベトナム1977年03月11日1970年代民間航空総局はホーチミン,バンメトート,ダナンの3市を結ぶ空路を開設,当面週1便(金),4月以後,週2便を運行すると発表。
DIA-201-1977-03-12-1ベトナム1977年03月12日1970年代ニャンザン紙;国家中央銀行は南部の銀行業務補充学習をブンタウで開催。南部の各県銀行支店長と副支店長88人が参加,そのうち党員84人。
DIA-201-1977-03-12-2ベトナム1977年03月12日1970年代ニャンザン紙;ホー市の住民は銀行の節約預金を実行,総額4300万ドンに達す。
DIA-201-1977-03-13-1ベトナム1977年03月13日1970年代ニャンザン紙;第7軍区所属の軍隊は,農業生産のため10万haを開発。
DIA-201-1977-03-13-2ベトナム1977年03月13日1970年代ニャンザン紙;アンジアン省農民が2ヵ月間に国家に納税,売却した籾5万トン。
DIA-201-1977-03-13-3ベトナム1977年03月13日1970年代東ドイツ政府経済研究所代表団(団長W.ハインリヒ所長),ハノイを訪問。
DIA-201-1977-03-14-1ベトナム1977年03月14日1970年代政府閣議で,地方各級人民代表選挙の延期内容を発表,次のとおり。 ○各省と中央直轄大都市の人民代表選挙日を5月15日(当初予定4月17日)に延期。 ○各県,郡,省都市,村の人民代表選挙日は5月31日(4月30日)に変更。 ○クァンナム・ダナン省以南全体の地方人民代表の選挙は遅くとも6月30日までに実施。
DIA-201-1977-03-16-1ベトナム1977年03月16日1970年代ニャンザン紙;農民集団代表全国大会準備委は南部各省の農民協会代表を召集。南部農民の生産団結のため,農村の相互支援組,労働交換組,生産集団を強化,農民を合作化組織に徐々に吸収するよう指示。
DIA-201-1977-03-16-2ベトナム1977年03月16日1970年代ウッドコック米大統領使節代表団ハノイを訪問。ドン首相,チン外相と個別会談。19日に帰国。
DIA-201-1977-03-17-1ベトナム1977年03月17日1970年代ニャンザン紙は“農業労働力の再組織と再分割”と題する社説掲載,その重点は次のとおり。 ○各部門,各地帯に社会労働を再配置。 ○北部デルタ地区,中部沿岸と南部各都市の労働力の一部を新経済地区へ移動。 ○各都市内に残存する労働者の仕事を解決。農村の労働者のため,農業生産の現場での仕事をふやす。
DIA-201-1977-03-17-2ベトナム1977年03月17日1970年代(ブカレスト)グエン・バン・ダオ対外貿易次官はルーマニア訪問中,両国の物資交換・支払い補充協定に調印。
DIA-201-1977-03-18-1ベトナム1977年03月18日1970年代ニャンザン紙;戦後の軍隊による経済建設の実績は,開墾面積3万5000ha,農産物栽培面積3万8000ha,食糧生産数万トン,畜産2万頭,経営利潤から,国家に数百万トンを納入,建設用レンガ数億枚。
DIA-201-1977-03-18-2ベトナム1977年03月18日1970年代党高級学校は南部各省と都市党委の高中級幹部のため,党大会第4回決議の研究講演会を開催。
DIA-201-1977-03-19-1ベトナム1977年03月19日1970年代(北京)中国政府代表と77年の物資交換・支払い各協定に調印。
DIA-201-1977-03-19-2ベトナム1977年03月19日1970年代ホアン・クオク・ベト労働総同盟議長はソ連労働総同盟第16回大会(同月21日から)に出席するため,ハノイを出発。
DIA-201-1977-03-20-1ベトナム1977年03月20日1970年代フニヤウペク・チェコ外相,ハノイを訪問。21日,77~81年文化協力協定調印。
DIA-201-1977-03-21-1ベトナム1977年03月21日1970年代VIKINO機械工場は農業用ポンプ700台を製造。
DIA-201-1977-03-22-1ベトナム1977年03月22日1970年代南部のアンジアン,ドンタプ,ミンハイの3省農民が,国家に納税,売却した籾は16万5000トンに達す。
DIA-201-1977-03-23-1ベトナム1977年03月23日1970年代ニャンザン紙;77年第1四半期の消費品生産は昨年同期比12%増,そのうち主要品4%増。
DIA-201-1977-03-23-2ベトナム1977年03月23日1970年代北朝鮮貿易代表団(団長バン・テ・リウン同対外貿易次官),ハノイを訪問。24日,77年物資交換・支払い議定書調印。
DIA-201-1977-03-23-3ベトナム1977年03月23日1970年代チェコ医療代表団(団長イアロスラプ・プロコペク同医療相),ハノイを訪問。
DIA-201-1977-03-24-1ベトナム1977年03月24日1970年代(平譲)北朝鮮政府代表と郵便協定に調印。
DIA-201-1977-03-25-1ベトナム1977年03月25日1970年代政府閣議,全国の法律統一の実施指導に関する法令を決定。
DIA-201-1977-03-26-1ベトナム1977年03月26日1970年代ニャンザン紙;ホーチミン共産青年団中央委は新団員の資格基準を決定。 ○国家計画の実現に労働志願。 ○生産,工作,学習で高成績。 ○共産主義の理想を初歩的に理解。 ○新経済地区の建設青年突撃隊員。 ○運動目標として青年団員1000万人,児童と少年2100万人を組織。
DIA-201-1977-03-26-2ベトナム1977年03月26日1970年代エジプト政府貿易代表団(団長サレ・トラン同貿易次官),ハノイを訪問。29日貿易協定調印。
DIA-201-1977-03-28-1ベトナム1977年03月28日1970年代ニャンザン紙;キエンジアン省農民が国家に,同月20日までに納税,売却した籾は8万4000トン。
DIA-201-1977-03-28-2ベトナム1977年03月28日1970年代ニャンザン紙;ハバク省機械工場は南部各省に,大型ポンプ700台を供給。
DIA-201-1977-03-29-1ベトナム1977年03月29日1970年代ニャンザン紙;クァンナム・ダナン,ビンチチエン,タイビン3省青年労働者男女1万6000人がダクラク省新経済地区の建設に従事。
DIA-201-1977-03-29-2ベトナム1977年03月29日1970年代ニャンザン紙;石炭部門は第1四半期生産計画の108.6%に達す。
DIA-201-1977-03-30-1ベトナム1977年03月30日1970年代ニャンザン紙;電力部門は第1四半期の生産計画の110.5%に達す。
DIA-201-1977-03-30-2ベトナム1977年03月30日1970年代国連児童基金代表団,ハノイを訪問。78~79年の2ヵ年児童基金の援助計画を討議。
DIA-201-1977-03-31-1ベトナム1977年03月31日1970年代ニャンザン紙;ホー市住民4万人が同市の新経済地区の水利工事に参加。
DIA-201-1977-04-01-1ベトナム1977年04月01日1970年代ニャンザン紙;クァンナム・ダナン省のPhu ninh県貯水湖建設工事着工。建設内容:貯水量2億7000万m3,建設期限4年間,完成後,米作2万3000haに灌漑用水を送る。
DIA-201-1977-04-04-1ベトナム1977年04月04日1970年代ニャンザン紙;空軍司令部は3372飛行団に,米軍の飛行機各種(F5,C47,UHI型機)の操縦訓練競争を指示。
DIA-201-1977-04-04-2ベトナム1977年04月04日1970年代ニャンザン紙;“生産と節約”と題する社説掲載。重点は次のとおり。 ○第1四半期は77年国家計画の実現に努力,しかし,北部では長期の冷害で,苗がかなり損害,南部では各省の一部で旱ばつ,苗不足,虫害,ネズミ害,また原料と資材不足で人民の生活に因難。 ○全国の生産労働運動を継続,北部各省で冬春季の稲植付は95%に達す,春季の稲植付ができない部分では夏季に補充の稲植付。南部では計画目標に達しない。
DIA-201-1977-04-04-3ベトナム1977年04月04日1970年代ニャンザン紙;政府は南部各省で勤務する国家公務員と兵士および公安隊員の定年待遇制度を決定。その重点は次のとおり。 ○定年対象は一般公務員男性60歳,女性55歳。15年間の継続勤務(54年7月20日から今月まで)。 ○軍隊の兵隊と公安隊員は,男性55歳,女性50歳。15年間の継続勤務,少なくとも軍隊と公安内勤務5年間工作。 ○定年後の恩給は現職給料の45%,また高功績者と英雄戦士の場合は恩給以外に特に給料の5~10%。
DIA-201-1977-04-05-1ベトナム1977年04月05日1970年代ニャンザン紙;高原ダクラク省では2年間に,少数民族4万3000人が居住・耕作に定着。13の新経済区を建設。
DIA-201-1977-04-05-2ベトナム1977年04月05日1970年代ホー市人民委と同市解放農民協会は合同で,昨年の農業生産競争運動の総括大会を開催。運動成果:1975年より開墾・復旧農地1万ha増,生産面積1万7000ha増,生産量72%増,野菜栽培面積60.60%増,畜産27%増。
DIA-201-1977-04-06-1ベトナム1977年04月06日1970年代ニャンザン紙;北部のハイフン省人民委は南部のロンアン省のMoc hoa県新経済地区の建設へ,経験豊富な労働者1600人を派遣。
DIA-201-1977-04-06-2ベトナム1977年04月06日1970年代グエン・バン・ダオ対外貿易次官,アルジェリアを訪問。17日まで滞在,17~22日リビア訪問。18日経済協力協定に調印。
DIA-201-1977-04-06-3ベトナム1977年04月06日1970年代ニャンザン紙;デルタ地区駐屯部隊は国家に籾2万3950トンを納入。
DIA-201-1977-04-06-4ベトナム1977年04月06日1970年代ニャンザン紙;南部デルタ地区4省(ティエンジアン,ドンタプ,アンジアン,ミンハイ)の国家に対する納税・売却総量21万4526トンに達す。
DIA-201-1977-04-06-5ベトナム1977年04月06日1970年代チ副首相兼外相代表団はニューデリーで開催の非同盟共同委会議(11日)に出席するため,ハノイを出発。
DIA-201-1977-04-06-6ベトナム1977年04月06日1970年代ダン・ビエト・チャウ対外貿易相はベトナム・ユーゴ経済科学技術協力委総会に出席するため,ハノイを出発。14日経済・科学技術協力・貿易各協定調印。
DIA-201-1977-04-06-7ベトナム1977年04月06日1970年代国会常務委は政府の提案によりベトナム科学院院長Tran dai Nghiaに対し大臣級相当の待遇を与える制度を承認。
DIA-201-1977-04-06-8ベトナム1977年04月06日1970年代シンガポール華僑商工会議所視察団(団長陳共存同所財政委員長),ハノイを訪問,両国の経済と貿易の発展を討議,16日帰国。
DIA-201-1977-04-07-1ベトナム1977年04月07日1970年代ズアン党書記長はタインホア省を訪問。
DIA-201-1977-04-07-2ベトナム1977年04月07日1970年代祖国戦線中央委総会。次の問題を討議。 ○地方各級人民代表選挙に積極的に参加,立候補者を紹介,投票を検査。 ○戦後の地方組織の拡大,とくに村委組織。 ○人民を新文化生活の建設に参加させる運動。 ○全人民を新憲法草案に積極的に意見を提供させる運動。
DIA-201-1977-04-08-1ベトナム1977年04月08日1970年代ニャンザン紙;ハナムニン省は1976年中,農民労働者2万7000人を新経済地区へ派遣。今年の計画では6万人を派遣,第1回目として,ミンハイ省新経済区へ5万1000人を移動。
DIA-201-1977-04-08-2ベトナム1977年04月08日1970年代ニャンザン紙;Viet Tri化学工場の今年第1四半期の生産実績は昨年同期より4倍増。
DIA-201-1977-04-09-1ベトナム1977年04月09日1970年代ニャンザン紙;国連ESCAP委員会のJ.B.P.マラミット同事務代表団はハノイを訪問中,新経済地区とホー市を訪問。外務省と同委の権限内による復旧援助を討議。
DIA-201-1977-04-09-2ベトナム1977年04月09日1970年代ホー市婦人連合会支部は昨年の運動の総括のため総会を開催。市内の保母養成と保育園および託児所について。保育146ヵ所,託児所33ヵ所,現在収容6000人,保母2527人。
DIA-201-1977-04-11-1ベトナム1977年04月11日1970年代ニャンザン紙;3月末までに北部の米作重要地域省内で旱ばつ害3万8967haに達す。石油・電気ポンプ4170台を動員し,あらゆる灌漑手段を使用して,4月8日までに2万ha以上を救出。
DIA-201-1977-04-13-1ベトナム1977年04月13日1970年代Phung the Tai民間航空総局長,パリを訪問。14日民間航空協定と関連議定書調印。
DIA-201-1977-04-14-1ベトナム1977年04月14日1970年代ニャンザン紙;政府閣議で全国の県単位の一部合併と再編を決定。
DIA-201-1977-04-14-2ベトナム1977年04月14日1970年代ニャンザン紙;ファム・フン副首相は物価委員会総会で演説。その中で,現在の経済因難の原因として,①経済生産がまだ小規模で分散,②戦争による破壊の深刻さ,③労働能率がまだ低い,④生産管理と組織工作にまだ欠点が多い,ことなどを指摘。
DIA-201-1977-04-14-3ベトナム1977年04月14日1970年代グエン・チャン対外貿易次官は駐ハノイのウント・カレックボータンスカメン・フィンランド大使と,両国経済協力議定書に調印。
DIA-201-1977-04-15-1ベトナム1977年04月15日1970年代ニャンザン紙;ホー市全人民は治安と社会秩序を守る工作に参加。各区内に人民防衛隊を設立。昼夜の警備を担当。解放前と比べ違法・犯罪事件数が70%減少。
DIA-201-1977-04-16-1ベトナム1977年04月16日1970年代ニャンザン紙評論員は米国議会の東南アジア歴訪代表団(団長ウォン・フォー議員)のジャカルタでの発言を厳しく批判。
DIA-201-1977-04-16-2ベトナム1977年04月16日1970年代タン大統領をはじめ,党,国会,政府百脳は連名で民主カムプチアの正月に当り同国キュー・サムファン革命組織議長,ヌオン・チェア人民代表議長,ポル・ポト首相あて,祝電を送る。
DIA-201-1977-04-16-3ベトナム1977年04月16日1970年代チン副首相兼外相は正式にインドを訪問後,16~19日イラク訪問。19~22日南イエメン訪問。23日帰国。
DIA-201-1977-04-16-4ベトナム1977年04月16日1970年代ソ連平和委員会代表団(団長V.P.ロマキン党中央委員・沿海地区党委書記),ハノイに到着。
DIA-201-1977-04-18-1ベトナム1977年04月18日1970年代ニャンザン紙;南部の3省(ハウジアン,キエンジアン,タイニン)は国家に籾数十万トンを売却,そのうち,ハウジアン省だけで10万トン。
DIA-201-1977-04-19-1ベトナム1977年04月19日1970年代ドン首相訪仏―同首相と同行の団員:Dinh duc Thien石油・天然ガス担当相。Nguyen co Thach外務次官,Ton That Tung教授。25日パリ着。30日モスクワ立寄り。
DIA-201-1977-04-20-1ベトナム1977年04月20日1970年代ニャンザン紙;全国の国営農場の設立と発展の状況:北部各省とクァンナム・ダナン省で31農場,総面積は71年の86倍。南部各省の国営農場は専属耕作14地区で農場150,そのうち,米作専耕3地区で60農場,とうもろこしと大豆専属栽培13農場,マニオク栽培専属区5農場,サトウキビ栽培専属区7農場,ゴム栽培専属区16農園,綿花専属栽培区8農場,乳牛牧場専区8牧場,コーヒー栽培専属区7農場。
DIA-201-1977-04-20-2ベトナム1977年04月20日1970年代ニャンザン紙;ホー市の文盲排除運動は基本的に完了。
DIA-201-1977-04-21-1ベトナム1977年04月21日1970年代電力石炭省はソ連援助カムファ(Cam pha)中央機械工場の建設工事を完成。
DIA-201-1977-04-21-2ベトナム1977年04月21日1970年代グエン・バン・リン党政治局員はホー市で開催された全南部の大衆芸術大会に出席。
DIA-201-1977-04-22-1ベトナム1977年04月22日1970年代Vo van Sung駐仏大使はロベブレン仏財政経済担当相と,両国の財政協力に関する議定書に調印。その内容は仏政府は在ベトナムの仏人資産と企業の買入れのため,資金を貸出,またベトナム発展計画に優先的に使用する。
DIA-201-1977-04-23-1ベトナム1977年04月23日1970年代ニャンザン紙;ゴム生産部門の76年の実績は生産計画の104.5%に達す。ゴム面積の90%を復旧,ゴム収穫70%,新栽培2000ha,ゴム加工工場と機械修理工場も再建,今年の生産目標は昨年より20%増。
DIA-201-1977-04-23-2ベトナム1977年04月23日1970年代ニャンザン紙;ビンチチエン省Tun lang地区水利工事着工。その工事内容:貯水量1600万m3,送水路24系統,6村の2毛作1240haの灌漑用水を保障,工事投資750万ドン。
DIA-201-1977-04-24-1ベトナム1977年04月24日1970年代チェコ経済代表団(団長ルドルフ・ローリチェク副首相兼両国合同委のチェコ委員長),ハノイに到着。29日経済・科学技術協力協定調印。
DIA-201-1977-04-24-2ベトナム1977年04月24日1970年代ニャンザン紙;ハチュエン省で少数民族5万8000人が,居住と耕作に定着,新経済地区を建設。
DIA-201-1977-04-26-1ベトナム1977年04月26日1970年代ソ連アジア・アフリカ人民連帯委代表団(団長スラブコフスキ同委副議長),ハノイを訪問。
DIA-201-1977-04-26-2ベトナム1977年04月26日1970年代Dinh ba Thi外務省国際機構・会議局長はESCAP委の第33回総会(20~30日バンコクで開催)に出席。
DIA-201-1977-04-27-1ベトナム1977年04月27日1970年代ニャンザン紙;国会の計画・予算委員会はホー市で第3回会議(13~23日)を開く,南部各省と中部の南の農業発展と水利建設を討議。
DIA-201-1977-04-27-2ベトナム1977年04月27日1970年代(パリ)仏政府代表と,経済と工業協力協定と文化科学技術協力協定に調印。
DIA-201-1977-04-27-3ベトナム1977年04月27日1970年代ファット副首相の司会の下にホー市で首相府主催の会議(18~23日)。南部の各県,村,合作社における物質的・技術的基礎の建設企画を討議。
DIA-201-1977-04-28-1ベトナム1977年04月28日1970年代(ハバナ)グエン・チャン対外貿易次宮はキューバ政府代表と,77年物資交換・支払い各議定書に調印。
DIA-201-1977-04-28-2ベトナム1977年04月28日1970年代各国人民との団結友好委員会創立。議長Hoang minh Giam氏,その他,中央委幹部会22人を選出。
DIA-201-1977-04-29-1ベトナム1977年04月29日1970年代ファン・ヒエン外務次官は米政府代表(団長はリチャード・ホルブルック同国務次官補)と5月3日から会談のため,パリに到着。
DIA-201-1977-04-29-2ベトナム1977年04月29日1970年代キュー・サムファン・民主カムプチア革命組織議長,ヌン・チア人民代表議長兼首相代理は連名で,ベトナム南部完全解放記念日(4月30日)に当り,ベトナムの党,国会,政府首脳あてに祝電を送る。
DIA-201-1977-04-29-3ベトナム1977年04月29日1970年代ホー市党委は第2回大会を開催,同市党員2万8071人の代表588人が出席。レ・ドク・ト政治局員,同大会で講演。
DIA-201-1977-05-01-1ベトナム1977年05月01日1970年代ニャンザン紙;ズアン党中央委書記長は党高級幹部学校(Nguyen ai Quoc 学校)の党決議の研究会(3.14~4.30)に出席。
DIA-201-1977-05-01-2ベトナム1977年05月01日1970年代ファム・フン副首相の司会で,メーデー前夜祭を開催。
DIA-201-1977-05-01-3ベトナム1977年05月01日1970年代フン副首相は石油と天然ガスの採掘団第36連隊とソ連専門技術者の協力による石油試掘現場を視察。
DIA-201-1977-05-02-1ベトナム1977年05月02日1970年代(ハノイ)ハンガリー政府代表と77~80年の文化,教育および科学協力計画書に署名。
DIA-201-1977-05-03-1ベトナム1977年05月03日1970年代ニャンザン紙;3つの対米主要問題(①両国関係正常化,②戦争中の行方不明米人,③米国によるベトナム戦争傷跡の克服・再建への協力),を同時に再交渉・解決することについて党と政府の立場を発表。
DIA-201-1977-05-04-1ベトナム1977年05月04日1970年代ト副大統領はクーロン省祖国戦線大会に出席。
DIA-201-1977-05-04-2ベトナム1977年05月04日1970年代ポアン・コク・ベト労働総同盟議長は東ドイツとチェコ両労働同盟の大会に出席するため,ハノイを出発。
DIA-201-1977-05-04-3ベトナム1977年05月04日1970年代ヒエン外務次官は米国代表との2回にわたる会談後,記者会見を行ない,次のように述べた。 ○米国側は,ベトナムの戦争中行方不明米人問題に対する誠意と実行を高く評価。 ○ベトナム側は,ベトナムの戦争傷跡の克服と再建への協力に対し米国に責任と義務があると強調。 ○米国は会談中,ベトナムの国連加盟を妨害しないと明言。 ○ベトナム側は早急に両国関係の正常化を実現するため,対ベトナム敵視政策を中止し,ベトナムに対する禁輸措置を解除するよう要求。
DIA-201-1977-05-05-1ベトナム1977年05月05日1970年代ニャンザン紙;ビンチチエン省でセメント工場が完成。同工場の年間生産能力は1万トン。
DIA-201-1977-05-05-2ベトナム1977年05月05日1970年代(ベルリン)Nguyen van Hieu科学技術院副院長は東ドイツ政府代表と,77~78年度の科学技術協力計画書に署名。
DIA-201-1977-05-06-1ベトナム1977年05月06日1970年代ニャンザン紙;タインホア省で年産120万トンのセメント工場が完成。
DIA-201-1977-05-06-2ベトナム1977年05月06日1970年代Nguyen ngoc Hoan外務省国際機構・会議局副局長はA.カセフ国連事務総長代理とベトナム戦争難民への77年分援助の合意書に署名。
DIA-201-1977-05-07-1ベトナム1977年05月07日1970年代ニャンザン紙;ツアンハイ省で11新経済地区建設。省都市の5万人が同各地区移住。
DIA-201-1977-05-10-1ベトナム1977年05月10日1970年代ニャンザン紙;首相府と祖国戦線中央委は合同で地方人民代表選挙準備工作の検査委を設立,南部のPhung van Cung,Nguyen thi Luu,中・北部のY.WangとPhan tu Nghiaの4氏を選ぶ。
DIA-201-1977-05-11-1ベトナム1977年05月11日1970年代ニャンザン紙;現在までに北部全体で農作物の干ばつと虫害面積が9万4000ha(稲植付の10%)に達す。
DIA-201-1977-05-11-2ベトナム1977年05月11日1970年代Tran Tri科学技術委員はスウェーデン大使と,科学技術研究工作協力協定に調印。
DIA-201-1977-05-11-3ベトナム1977年05月11日1970年代(ワルシャワ)世界平和委員会はPhan Anhベトナム平和委議長を同委の副議長に選出。また,ト副大統領に同委の最高勲章(ジョリオ・キュリー勲章)を贈与することを決定。
DIA-201-1977-05-12-1ベトナム1977年05月12日1970年代ト副大統領はホー市紡織工場を視察。
DIA-201-1977-05-12-2ベトナム1977年05月12日1970年代政府,12海里領海と200海里に関する宣言。
DIA-201-1977-05-12-3ベトナム1977年05月12日1970年代政府は内閣直轄の放送・テレビ委員会「ベトナムの声放送」(Dai tieng Noi Viet Nam)を設立。また「Viet Nam Thong tan Xa」を「Thong tan Xa Viet Nam」に改名。
DIA-201-1977-05-13-1ベトナム1977年05月13日1970年代ニャンザン紙;ドンナイ省で夏秋季の稲作灌漑用水の確保のため,水利12工事を完成。
DIA-201-1977-05-13-2ベトナム1977年05月13日1970年代ニャンザン紙;ラムドン省で近代的養鶏センターが完成。
DIA-201-1977-05-14-1ベトナム1977年05月14日1970年代グエン・バン・ヒュー文化相はブルガリア,ポーランド,東ドイツを歴訪するため,ハノイを出発。
DIA-201-1977-05-14-2ベトナム1977年05月14日1970年代ニャンザン紙;国家銀行関係者の全国大会開催(5月6~13日)。フン副首相とTran Duong同銀行総裁が出席。
DIA-201-1977-05-15-1ベトナム1977年05月15日1970年代地方人民代表選挙―南部各省の一部では準備工作に時間がかかるとの理由で,アンジアンとハウジアン両省の県と村の人民代表選挙の投票は同月29日,ティエンジアン省の村人民代表選挙の投票は6月5日,ダクラク省とホーチミン市の村と市内各区の人民代表選挙は6月26日に実施。
DIA-201-1977-05-15-2ベトナム1977年05月15日1970年代地方選挙検査の調査で,選挙投票の有権者数は2300万人に達す。
DIA-201-1977-05-16-1ベトナム1977年05月16日1970年代ニャンザン紙;4月30日までに,全南部の文盲一掃運動で97万人が読み書きできるようになり,文盲者の65%に達す。
DIA-201-1977-05-16-2ベトナム1977年05月16日1970年代ニャンザン紙;政府法令による有給と無給休暇の制度を決定,細目次のとおり。 有給休暇: 正月 1日(終日) 旧正月(テト)  3日間(旧暦12月30日~1月1日) メーデー  1日半(4月30日午後~5月1日) 国慶節  2日間(9月2日~3日) 無給休暇:宗教祭日
DIA-201-1977-05-17-1ベトナム1977年05月17日1970年代ニャンザン紙;タイニン省軍指揮部は省内にある米軍の地雷,不発弾,時限爆弾の除去に関する専門部隊900人を養成,29万2000個を除去,農地438haを解放。
DIA-201-1977-05-18-1ベトナム1977年05月18日1970年代ユーゴと郵便協定に調印。
DIA-201-1977-05-18-2ベトナム1977年05月18日1970年代ニャンザン紙;ドンナイ省は国家に塩5万トンを売却。
DIA-201-1977-05-18-3ベトナム1977年05月18日1970年代ハノイ市選挙委員会は同市人民代表選挙の投票結果を発表。その内容は次のとおり。 ○投票率98.75%,当選者140人,そのうち婦人56人。 ○当選者:若者(21歳~30歳)21人,直接生産と工作に携わる者64人,前人民代表の再選57人,工業所属2人,手工業代表6人,国営と集団農業生産18人,流通分配とサービス部門9人,教育関係13人,医療関係10人,文芸4人,公共事業6人,人民団体8人,市党委と公務員24入。
DIA-201-1977-05-18-4ベトナム1977年05月18日1970年代ホー市選挙委員会は同市人民代表選挙の投票結果を発表,投票率98.64%,立候補者174人,当選者139人。
DIA-201-1977-05-18-5ベトナム1977年05月18日1970年代ポーランド党代表団(団長クバシェビッチ同党中央委組織副委員長),ハノイを訪問。
DIA-201-1977-05-19-1ベトナム1977年05月19日1970年代ズアン党書記長,ビンフー省を訪問。
DIA-201-1977-05-19-2ベトナム1977年05月19日1970年代ホー市党委と祖国戦線委は合同で故ホー大統領の生誕87周年記念式典を開催。
DIA-201-1977-05-21-1ベトナム1977年05月21日1970年代ニャンザン紙;党と国会および政府は合同で「偉大な十月革命60周年記念」の組織委員会を設立,ズアン党書記長はじめ22人で編成。
DIA-201-1977-05-22-1ベトナム1977年05月22日1970年代ニャンザン紙;全国35省と都市で林区保護地区45万8397haを規定,防火線22kmを設置。
DIA-201-1977-05-22-2ベトナム1977年05月22日1970年代リタオディン・マレーシア外相,ハノイを公式訪問。26日のニャンザン紙によればチン副首相兼外相とマレーシア外相(滞在22~25日まで)の会談内密の要点は:東南アジア各国と友好関係と協力増強を再確認。両国の経済,文化,技術,航空,郵便各実施協定の締結を検討,専門技術者の交流を拡大,またマレーシア外相の招待を受諾,訪問時期は外交ルートで交渉。
DIA-201-1977-05-23-1ベトナム1977年05月23日1970年代ニャンザン紙;タイピン省青年突撃隊2000人はソンベ省のビンロン市新経済地区の建設現場へ移動。
DIA-201-1977-05-23-2ベトナム1977年05月23日1970年代ニャンザン紙は現在までの対米交渉に関する文書を発表。
DIA-201-1977-05-23-3ベトナム1977年05月23日1970年代ニャンザン紙;ホー市党委第2回総会開催,同市の個人経営商工業者の改造完成の目標は1978年末まで,小工業と手工業および農業の集団化,市内160万人を新経済地区へ移動することを決定。
DIA-201-1977-05-23-4ベトナム1977年05月23日1970年代ボー・チ・コン副首相はブルガリアとの両国協力合同委第6回総会に出席するため,ハノイを出発。
DIA-201-1977-05-23-5ベトナム1977年05月23日1970年代スペイン王国と大使級外交関係を樹立。
DIA-201-1977-05-23-6ベトナム1977年05月23日1970年代Nguyen Thuong外務省国際法局長は国連海洋法第6回会議に出席。
DIA-201-1977-05-24-1ベトナム1977年05月24日1970年代ニャンザン紙;中・南部各省の食糧買入れ状況:10日現在,南部各省は秋季と冬春季(76~77)の食糧買入計画の65%を達成。とくにデルタ地区では計画の50~80%を達成。中部各省もかなりの高水準に達す。
DIA-201-1977-05-25-1ベトナム1977年05月25日1970年代ニャンザン紙;ゲチン省の農民は灌漑用水引入の努力による千ばつ害から1万haを放出。
DIA-201-1977-05-25-2ベトナム1977年05月25日1970年代国連UNESCO機構代表団(団長アマド・マタバウ同機構事務長),正式にハノイを訪問。
DIA-201-1977-05-26-1ベトナム1977年05月26日1970年代グエン・チ・ビン教育相はソフィア開催の社会主義国教育相第2回会議に出席するため,ハノイを出発。
DIA-201-1977-05-26-2ベトナム1977年05月26日1970年代ニャンザン紙;4月初めから今日までに,ロンアン,ベンチェ,ドンタプの3省が国家に納税,売却した籾量は約2万トン。
DIA-201-1977-05-26-3ベトナム1977年05月26日1970年代ニャンザン紙;合作社の規模拡大条件について。
DIA-201-1977-05-26-4ベトナム1977年05月26日1970年代ヒュー文化相,ポーランドを訪問,31日まで滞在。
DIA-201-1977-05-27-1ベトナム1977年05月27日1970年代ニャンザン紙;20日現在,北部全体の干ばつ被害面積は稲植付の32.8%に達す。南部17省では夏秋季の稲植付が14万1000haに達す。
DIA-201-1977-05-27-2ベトナム1977年05月27日1970年代モスクワで開催中(26~27日)の国際投資銀行第16回総会で,ベトナムの加盟が承認。
DIA-201-1977-05-27-3ベトナム1977年05月27日1970年代ニャンザン紙;全国の塩生産状況:北部では上半期計画より49%増,南部では年間計画を完遂。
DIA-201-1977-05-27-4ベトナム1977年05月27日1970年代ニャンザン紙;女子労働者と女子公務員で3歳以下の子供を持つ者は月に手当5ドン,山岳高原への工作者は10ドン。
DIA-201-1977-05-28-1ベトナム1977年05月28日1970年代宗教団体代表団(団長Nguyen the Vinh牧師)はモスクワで開催の世界平和宗教家大会に出席するため,ハノイを出発。
DIA-201-1977-05-29-1ベトナム1977年05月29日1970年代ニャンザン紙;ハイフン省では全人民を動員し,5日間で,稲植付1万haの干ばつ被害を克服,ビンフー省も2500haを救出。
DIA-201-1977-05-29-2ベトナム1977年05月29日1970年代ニャンザン紙;ハノイ市の現在の人口総数144万4000人。市内と郊外の人口は同数。婦人人口は50%を占め,労働年齢人口は71万8000人。
DIA-201-1977-05-29-3ベトナム1977年05月29日1970年代ドン首相ら代表団は公式にフィンランドを訪問。代表団員はThien石油・天然ガス相,Thach外務次官,Hoang quoc Dung首相府事務局長,Ngo Dien外相補佐,Mai van Bo外務省欧洲第2局局長。31日まで滞在。1~2日,デンマーク王国を訪問,2~5日,ノルウェー王国を訪問。モスクワと北京経由で帰国。6日モスクワ到着。ブレジネフ書記長らと会談。8日北京到着,華主席らと会談。
DIA-201-1977-05-29-4ベトナム1977年05月29日1970年代ドン首相はフィンランド滞在中,記者会見で,対米正常化交渉の再開について,米国はパリ協定第21条を実行し,ベトナム戦争の傷跡の克服に協力せよと強調。
DIA-201-1977-05-30-1ベトナム1977年05月30日1970年代ニャンザン紙;Ninh binh発電所は稲植付の干ばつ被害の克服に服務するため,1ヵ月以上で,電力1000万kw/hを生産。
DIA-201-1977-05-30-2ベトナム1977年05月30日1970年代モンゴル政府代表団(団長ダラムン・イオンドン党中央委員・外務第1次官),ハノイを訪問。
DIA-201-1977-05-30-3ベトナム1977年05月30日1970年代ニャンザン紙;キエンジアン省農民が国家に納税,売却した籾9万3000トン。
DIA-201-1977-05-30-4ベトナム1977年05月30日1970年代中国鉄道代表団(団長肖成僚洲鉄道局副局長)は両国鉄道第19回会議に出席するため,ハノイに到着。6月14日のニャンザン紙によれば,第19回定例会議(5.31~6.11日)で,両国の鉄道の運行連絡の協力工作の促進などに関する議定書に署名。
DIA-201-1977-05-31-1ベトナム1977年05月31日1970年代ニャンザン紙;北部6省で現在,稲植付9万5000haの干ばつ害を克服,南部各省では,基本的に冬春季の収穫を終る。
DIA-201-1977-05-31-2ベトナム1977年05月31日1970年代(ソフィア)ダオ対外貿易次官はブルガリア政府代表と77年物資交換の補充協定に調印。
DIA-201-1977-05-31-3ベトナム1977年05月31日1970年代ド・ムオイ副首相は農業,水利,電力,石炭など各省と物資供給局,気象総局および米作重要地区各省農業担当者を召集,農業生産増加を討議。
DIA-201-1977-06-01-1ベトナム1977年06月01日1970年代デンマーク王国政府代表と両国の経済・工業協力協定に調印。
DIA-201-1977-06-02-1ベトナム1977年06月02日1970年代ジァップ副首相兼国防相ら軍事代表団,正式に中国を訪問。3日華国鋒主席兼首相,葉剣英副主席兼国防相らと会談。6日,中国解放軍のベトナム支援に高成績を収めた部隊に友好勲章贈与。中国滞在中,大慶油田,海軍基地等を訪問。20日帰国。
DIA-201-1977-06-03-1ベトナム1977年06月03日1970年代ニャンザン紙;ズアン党書記長はハノイ市党委総会に出席,市の緊急課題は3つの革命(生産と節約,都市の美化建設労働に従事,文明生活の実現と新文化家を建設)運動と強調。
DIA-201-1977-06-03-2ベトナム1977年06月03日1970年代モンゴル政府代表団と,文化・科学協力協定に調印。
DIA-201-1977-06-03-3ベトナム1977年06月03日1970年代ネエン郵便総局長はモンゴル大使と,両国郵便協定に調印。
DIA-201-1977-06-03-4ベトナム1977年06月03日1970年代ディン・ドク・チエン石油・天然ガス担当相はノルゥェー政府代表と,両国の経済,工業,技術協力および貿易各協定に調印。
DIA-201-1977-06-03-5ベトナム1977年06月03日1970年代ニャンザン紙;タインホア省で春季の稲植付8000hの干ばつ害を克服。
DIA-201-1977-06-04-1ベトナム1977年06月04日1970年代ニャンザン紙;フン副首相はクーロンとドンタブ両省の水利工事現場を視察。
DIA-201-1977-06-04-2ベトナム1977年06月04日1970年代ソ連外務省代表団(団長N.P.フィリュービン外務次官),ハノイを訪問。
DIA-201-1977-06-05-1ベトナム1977年06月05日1970年代ニャンザン紙;北部6省で稲植付4万haの干ばつ害の克服。そのうちビンフ省1万ha,ハソンビン省数万ha,バクタイとハナムニン省6300ha,ハバク省2000ha。
DIA-201-1977-06-05-2ベトナム1977年06月05日1970年代ニャンザン紙;パリでの米国との再交渉(2~3日)の結果,3つの議題のうち,第2議題(戦後協力)に米国が確答を回避。この会談は今後も継続され,時期と場所は両国の外交ルートで決定。
DIA-201-1977-06-05-3ベトナム1977年06月05日1970年代ソ連と77年文化・科学協力計画書に署名。
DIA-201-1977-06-06-1ベトナム1977年06月06日1970年代ニャンザン紙;北部7省で5月30日現在,春季稲植付11万2000haの干ばつ被害を克服。南部15省で冬春季の収穫は26万7000ha,夏秋季の稲植付は15万5000haに達す。
DIA-201-1977-06-06-2ベトナム1977年06月06日1970年代(ハノイ)Vu quoc Uy対外文化連絡委員長代理はアルバニア大使と両国の科学・文化協力計画書に署名。
DIA-201-1977-06-07-1ベトナム1977年06月07日1970年代ニャンザン紙;フン副首相はビンチチエン省を訪問。
DIA-201-1977-06-07-2ベトナム1977年06月07日1970年代ニャンザン紙;ハウジアン省党委と人民委は,食用肉類の市場を統制,豚肉商業者を改造,集団を組織同集団は農民から国家が規定する価格で買入れ,手数料を受ける制度を設立。
DIA-201-1977-06-09-1ベトナム1977年06月09日1970年代ニャンザン紙;ホー市とキエンジアン省では基本的に文盲一掃運動終了,94.32%に達す。
DIA-201-1977-06-09-2ベトナム1977年06月09日1970年代ニャンザン紙;メコン・デルタ地区に近い将来,大型機械を投入し使用する目的で,農機と農業機械化の研究所を設立。地質調査を継続,土壌図を作成。
DIA-201-1977-06-09-3ベトナム1977年06月09日1970年代(パリ)ヒエン外務次官は米国の大学教授グループと会見(リチャー・フォンコ・プリンストン大法律教 授,スッオト・スコア・ブルックリン大歴史学教授,ワシントン政策研究所エーアマー政治学教授)。
DIA-201-1977-06-10-1ベトナム1977年06月10日1970年代ニャンザン紙;ティエンジアン省は基本的に文盲一掃運動完了,同省人民の90%は読み書きできる。
DIA-201-1977-06-11-1ベトナム1977年06月11日1970年代ニャンザン紙;月末までにデルタ地区の4省農民が国家に納税,売却した数は数十万トン。
DIA-201-1977-06-11-2ベトナム1977年06月11日1970年代外務省直轄のUNESCO国家委員会設立。委員長1人(外務次官クラス)副委員長3人(対外文化連絡委員長,文化と教育両省次官)委員5人,書記局4人。
DIA-201-1977-06-11-3ベトナム1977年06月11日1970年代フン副首相は北部各省と都市人民委各議長を召集。春季収穫,食糧工作,秋季と冬季の農作の積極的準備などを指示。
DIA-201-1977-06-16-1ベトナム1977年06月16日1970年代ニャンザン紙;10日現在,ホンガイ石炭公司は上半期の生産計画を完遂。
DIA-201-1977-06-16-2ベトナム1977年06月16日1970年代ホー市のタンソンニャット空港の復旧工事が完成。
DIA-201-1977-06-17-1ベトナム1977年06月17日1970年代タン大統領をはじめ,党,国会,政府首脳は連名で,ブレジネフ・ソ連党書記長の全ソ最高幹部会議長就任に当り,同書記長あて,祝電を送る。
DIA-201-1977-06-17-2ベトナム1977年06月17日1970年代ネエン郵便総局長はイタリア大使と,両国郵便協定とその議定書に調印。
DIA-201-1977-06-19-1ベトナム1977年06月19日1970年代ニャンザン紙;ホー市青年突撃隊は食糧自給50%を確保。ドンタプ省青年20万人は農民とともに水利施設工事に参加,米作1万2000haの灌漑用水を保障。
DIA-201-1977-06-19-2ベトナム1977年06月19日1970年代ニャンザン紙;アンジアン省農民が6月の10日間で国家に納税,売却した籾9万8722トン。
DIA-201-1977-06-20-1ベトナム1977年06月20日1970年代鉄道総局はハノイとホー市を結ぶ統一鉄道の運行方法を発表。今後,毎日直行列車と区間列車の2本立てで運行。直行列車は毎日往復1本。停車駅:ハノイ,ナムディン,タインホア,ビン,フエ,ダナン,ジュチ,ニャチャン,タプチャム,ホー市。区間列車は①ハノイ―ビン,②ビン―ドンホイ,③ドンホイ―ダナン,④ダナン―ボンソン,⑤ボンソン―ニャチャン,⑥ニャチャン―ホー市。
DIA-201-1977-06-20-2ベトナム1977年06月20日1970年代ニャンザン紙;キエト・ホー市党委書記兼同市人民委議長は,市内青年の再教育を目的とするホー共産青年団管理下の新生活建設青年学校に来訪,“米侵略者の新植民地の手段と陰謀により,純潔を破壊され,中毒された数万人を早急に再教育,正しい生活にもどし,新社会主義集団に入れ,社会主義大生産に参加させる”と述べる。
DIA-201-1977-06-20-3ベトナム1977年06月20日1970年代チュオン・チン国会議長はホー市を訪問中南部党機関ニャンザン総支局を視察。
DIA-201-1977-06-21-1ベトナム1977年06月21日1970年代ニャンザン紙;北部各省で春季収穫の状況は,15日までに15省で21万6000haに達す。全国米作地の干ばつ被害は13万ha。
DIA-201-1977-06-21-2ベトナム1977年06月21日1970年代政府は仏越友好協会と仏平和運動に友好勲章を贈与。
DIA-201-1977-06-22-1ベトナム1977年06月22日1970年代ニャンザン紙;新憲法制定起草委員会はホー市で第3回総会(11~20日)を開催。1946と1959年の両憲法を参考に草案は作成され,前文と11章からなる。全国の幹部と末端人民団体へ送られ討議を行なう。
DIA-201-1977-06-22-2ベトナム1977年06月22日1970年代ニャンザン紙;地方選挙後,ハノイ市人民代表第7期第1回総会(20~21日)開催。同市人民委Tran Vy(党中央委員・同市党委副書記)新議長(市長相当)と委員14人を選出。
DIA-201-1977-06-22-3ベトナム1977年06月22日1970年代ハ・チ・クエ婦人連合会会長はモスクワで開催される社会主義各国の婦人協会と婦人問題の討議総会に参加のため,ハノイを出発。
DIA-201-1977-06-23-1ベトナム1977年06月23日1970年代ニャンザン紙;ギアビン省の文盲一掃運動は基本的に完了,95.2%に達す。
DIA-201-1977-06-25-1ベトナム1977年06月25日1970年代ニャンザン紙;ト副大統領は22~23両日,コンソン島を訪問。
DIA-201-1977-06-26-1ベトナム1977年06月26日1970年代ニャンザン紙;地方選挙後,ホー市人民代表1第期第1回総会(20~24日)開催。Vu dinh Lieu(党中央委員・同市党委副書記)新人民委議長(市長相当)と委員15人を選出。
DIA-201-1977-06-26-2ベトナム1977年06月26日1970年代ニャンザン紙;国家計画委の主催でハイフォン市で計画化工作と労働賃銀問題の全国会議(15~20日)開催(15~20日)。
DIA-201-1977-06-26-3ベトナム1977年06月26日1970年代ギ副首相,モスクワを訪問。28日,コスイギン首相,バイバコフ副首相と会談。29日,ソ越経済科学技術協力合同委第4回総会に出席。
DIA-201-1977-06-26-4ベトナム1977年06月26日1970年代ホー市内外17郡の青少年10万人以上が社会主義労働日に参加。
DIA-201-1977-06-26-5ベトナム1977年06月26日1970年代国立中央歌舞楽団は北京での公演のため,同地に到着。
DIA-201-1977-06-26-6ベトナム1977年06月26日1970年代ハノイ市祖国戦線第8回大会開催。Pham khac Quang医学博士・同戦線新議長と委員94人を選出。
DIA-201-1977-06-27-1ベトナム1977年06月27日1970年代ニャンザン紙;20日現在,ビンチチエン省以北と全北部各省のうち,9省で春季米収穫22万5000ha,28.7%に達す。
DIA-201-1977-06-28-1ベトナム1977年06月28日1970年代ニャンザン紙;政府は77~78年までに,全国の土地の調査と統計工作の実施を決定。調査と統計の完了期限は北部で1978年4月末,南部で同年7月末。
DIA-201-1977-06-28-2ベトナム1977年06月28日1970年代東ドイツ盲人協会はベトナム盲人用工場を贈与。
DIA-201-1977-06-30-1ベトナム1977年06月30日1970年代ニャンザン紙;ジャライ・コントム省は同省Dac uyダム建設工事を完成,秋季耕作500haの灌漑用水を保障。
DIA-201-1977-06-30-2ベトナム1977年06月30日1970年代ニャンザン紙;クァンナム・ダナン省は農業集団化として,労働交換7864組合を組織,それらの組合の労働力は21万5000人。
DIA-201-1977-07-01-1ベトナム1977年07月01日1970年代ニャンザン紙;第1軍区所属部隊の今年上半期の経済建設の成果:植林4980ha,道路建設153km,建設資材用レンガなど1000万枚を生産。
DIA-201-1977-07-02-1ベトナム1977年07月02日1970年代ニャンザン紙;ミンハイ省農民が今年上半期に国家に納税,売却した籾は10万8125トン,今年計画の72%に達す。
DIA-201-1977-07-02-2ベトナム1977年07月02日1970年代ニャンザン紙;ホンガイ石炭公同は今年上半期,年間生産計画の51~52%(選炭済)達成。
DIA-201-1977-07-03-1ベトナム1977年07月03日1970年代ニャンザン紙;ツアンハイ省農民総数の70%は集団生産組織(団結組,交換組,合作組)に参加。また同省党委は2つの村で全村の合作社を組織。
DIA-201-1977-07-03-2ベトナム1977年07月03日1970年代ニャンザン紙;化学部門は上半期,年間生産計画の50%達成。
DIA-201-1977-07-04-1ベトナム1977年07月04日1970年代ニャンザン紙;全国の塩生産は今年上半期50万9000トン。北部では昨年同期と比べ,6万4000トン増。南部では年間生産計画を完遂し,34万4000トン,年間計画より1万4000トン増。
DIA-201-1977-07-04-2ベトナム1977年07月04日1970年代党中央委第2回総会閉会―6月21日から7月4日までハノイで開催。農業に関する決議採択。
DIA-201-1977-07-04-3ベトナム1977年07月04日1970年代ジャプ副首相兼国防相はジャラム空港で,パレスチナ人民解放組織(PLO)代表団(団長アブ・ギハット同組織政治局員兼武装勢力副司令官)を出迎え。
DIA-201-1977-07-05-1ベトナム1977年07月05日1970年代ニャンザン紙;地質部門は今年上半期の調査成果を発表,南部で豊富な鉱物を発見。
DIA-201-1977-07-05-2ベトナム1977年07月05日1970年代ニャンザン紙;ドンタプ省人民委は上半期に青年労働者42万人を動員,水利施設を建設。多毛作5万haの灌排水を保障。
DIA-201-1977-07-05-3ベトナム1977年07月05日1970年代傷病兵・社会問題省は現在南部各省,県,郡,村で傷病兵と戦死者およびその遺族の確認工作を実施し,1976年下半期より4倍増,今年計画の40%に達すと発表。
DIA-201-1977-07-05-4ベトナム1977年07月05日1970年代政府はビンフーとタインホア両省間各県での合弁の実施を予定。
DIA-201-1977-07-05-5ベトナム1977年07月05日1970年代(ソフィア)Nguyen Hong大使はブルガリア政府代表と,両国の77~80年の医療関係協力計画書に署名。
DIA-201-1977-07-06-1ベトナム1977年07月06日1970年代ニャンザン紙;ホー市では現在,社会主義商業組織が発展。市内外で国営系の売店66店,売買・消費両合作社数325社,またその売店700カ所,市内の区と村の総数の90%を占める。
DIA-201-1977-07-06-2ベトナム1977年07月06日1970年代インド商工会議所代表団(団長B.P.ポダ同議長),ハノイに到着。
DIA-201-1977-07-06-3ベトナム1977年07月06日1970年代ニャンザン紙;人民軍第333師団はTay Nguyen地区の経済建設に参加。1976年から今日までに7000ha以上を開墾,そのうち2600haで食糧生産2400トン(籾1700トン)。
DIA-201-1977-07-06-4ベトナム1977年07月06日1970年代ニャンザン紙;ロンドンの対ベトナム薬品・科学援助委の事務長マクマイコン博士は,ヂチン省Ky Anh病院再建委のジャック・アトキン同委議長に援助額2万5000ポンドを手渡す。
DIA-201-1977-07-06-5ベトナム1977年07月06日1970年代ポリサリオ民族戦線代表団(団長バシア・ムスタファ・サイアト同戦線政治局員兼書記長),ハノイに到着。
DIA-201-1977-07-06-6ベトナム1977年07月06日1970年代ポーランド科学アカデミー代表団,ハノイを訪問。
DIA-201-1977-07-07-1ベトナム1977年07月07日1970年代ニャンザン紙;ホー市工業局直轄22企業は今年上半期の生産計画の100~128%を達成。
DIA-201-1977-07-07-2ベトナム1977年07月07日1970年代ニャンザン紙;電力部門は今年上半期,昨年同期と比べ,農業向けに43.5%を増加。
DIA-201-1977-07-08-1ベトナム1977年07月08日1970年代ニャンザン紙;母子保護委は同委の上半期の活動成果を発表。現在,全国で保育園2034園を増設,保母1万455人を養成,入園園児8万1108人。南部各省では600園,園児1万4000人,保母の養成1900人,とくにホー市では204園,園児6783人,北部各省では1444園,園児6万7000人,保母養成8545人。
DIA-201-1977-07-09-1ベトナム1977年07月09日1970年代ニャンザン紙;タイグエン製鉄工場は今年上半期で,年間生産計画の甲%を達成。
DIA-201-1977-07-09-2ベトナム1977年07月09日1970年代ニャンザン紙;南部15省で夏秋季の食品作物と短期工業用作物の栽培が12万6000haに達す。
DIA-201-1977-07-10-1ベトナム1977年07月10日1970年代ニャンザン紙;ハナムニン省農民は春季収獲後,義務食糧の籾米1万トン以上を納入。
DIA-201-1977-07-10-2ベトナム1977年07月10日1970年代ニャンザン紙;ソンベ省農民総数の50%は集団生産組織に加入,ダクラク省農民の30%が集団化。
DIA-201-1977-07-10-3ベトナム1977年07月10日1970年代ニャンザン紙;南部全体で消費財と食品加工各企業は今年上半期の計画を完遂,とくに塩生産は年間計画を超過。
DIA-201-1977-07-11-1ベトナム1977年07月11日1970年代ニャンザン紙;建設部門は上半期各種セメント42万2000トンを生産,362工事と住宅7万5000m2を完成。
DIA-201-1977-07-11-2ベトナム1977年07月11日1970年代ニャンザン紙;ロンアン省党委第2回大会は,次のような諸目標を決定。 ○省人口90万人以上,党員数6000人。 ○77~78年計画:開墾4万4000ha,78年に稲植付22万3000ha。 ○78年までに農業生産集団化(交換組,団結組)50%を達成。 ○80年に,食糧生産100万トン,畜産:豚43万頭,鶏鴨800万羽,卵1億2000万個。
DIA-201-1977-07-11-3ベトナム1977年07月11日1970年代ボー・チ・コン副首相ら代表団は,ポーランド政府との年間両国経済科学技術協力委定例会議に出席するため,ハノイを出発。16日,協力委第6回総会決議書に署名。
DIA-201-1977-07-12-1ベトナム1977年07月12日1970年代ニャンザン紙;北部全体の春米収穫は5日現在,59万1000ha,稲植付の65%に達す。
DIA-201-1977-07-12-2ベトナム1977年07月12日1970年代ニャンザン紙;ホー市で青年団体の大会(3~10日)開催。市内外17区と郡の青年団員100万人の代表者451人が出席。
DIA-201-1977-07-12-3ベトナム1977年07月12日1970年代北部の大学入学試験委は今年の受験者が13万人に達すと発表。
DIA-201-1977-07-13-1ベトナム1977年07月13日1970年代ニャンザン紙;首相府は新情勢に対応して物価管理を強化するよう指示。
DIA-201-1977-07-13-2ベトナム1977年07月13日1970年代ニャンザン紙;第9軍区所属部隊は同地区の水利施設工事に参加,2万5000haを開墾,道路新設20km。
DIA-201-1977-07-13-3ベトナム1977年07月13日1970年代ニャンザン紙;ホー市は上半期に水利施設の技術者400人を養成。そのうちには,水利建設現場に工作する青年突撃隊員を含む。
DIA-201-1977-07-13-4ベトナム1977年07月13日1970年代国会常務委は,通信情報総局を文化省に合併する政府の提案を承認。新省名は文化通信省。
DIA-201-1977-07-13-5ベトナム1977年07月13日1970年代ニャンザン紙;全国10省で養蚕業の復旧と強化,桑栽培面積6500haに達す。
DIA-201-1977-07-13-6ベトナム1977年07月13日1970年代ラオス交通運輸相とダナン港のラオスによる使用に関する協定に調印。
DIA-201-1977-07-14-1ベトナム1977年07月14日1970年代ニャンザン紙;ハウジアン省人民委は第2四半期集団化を促進,交換組500組(組合員総数2万5000人)を組織。現在,同省の労働交換組総数は3700組に達す。
DIA-201-1977-07-14-2ベトナム1977年07月14日1970年代ニャンザン紙;ドンタプ省党委第2回総会は次の活動諸の目標を決定。 ○省全体の食糧不足は2年間で解決,また今後,毎年,義務食糧納入籾6万トンを確保。 ○1976年の籾生産60万トン。1980年の目標100万トン。 ○植林5万ha,牧畜:牛と水牛6万頭,豚50万頭,鶏鴨700万羽。 ○1977年末から1978年初め,各県内で合作社を組織,同時に国営農場を建設。
DIA-201-1977-07-15-1ベトナム1977年07月15日1970年代党・政府代表団,ラオス訪問―代表団編成は次のとおり。 団長 レ・ズアン党中央委書記長 副団長 ファム・バン・ドン政治局員・首相 団員 ファム・フン政治局員・副首相 〃 チュ・フイ・マン(上将)政治局員・人民軍総政治部主任 〃 ダン・チ党中央委員・国務相 〃 グェン・タン・レ中央委員・党対外委副委員長 〃 ホアン・ビク・ソン外務次官 18日共同宣言等調印。ラオス日誌参照。
DIA-201-1977-07-15-2ベトナム1977年07月15日1970年代レ・ドク・ト政治局員は東ドイツ訪問中,パオ・ビックノ同党政治局員と会談。
DIA-201-1977-07-15-3ベトナム1977年07月15日1970年代Le van Luong政治局員兼ハノイ市党委書記ら代表団はモンゴルを訪問するため,ハノイを出発。
DIA-201-1977-07-16-1ベトナム1977年07月16日1970年代ニヤンザン紙;ロンアン省労働総同盟第1回大会開催。労働団体の目標は1978年に食糧生産60万トン,パイナップル3万トン,落花生1万トン,サトウキビ25万トン。
DIA-201-1977-07-17-1ベトナム1977年07月17日1970年代ニャンザン紙;現在,ハノイ市の自転車総数は37万4796台。自転車による交通事故の発生率は16%。
DIA-201-1977-07-17-2ベトナム1977年07月17日1970年代ホー市人民委と選挙委は同市内各区の人民代表選挙の投票を実施。ト副大統領,キエト市党委書記,Lieu 新人民委議長も投票に参加。投票率は80%。
DIA-201-1977-07-20-1ベトナム1977年07月20日1970年代国連安保理総会(19~20日)は昨年の国連総会でのベトナム加盟申請書の再審議要請決議を討議。全会一致で,国連総会へベトナム加盟承認勧告の決議を送る。同事務総長はチン外相に決議内容を通知。
DIA-201-1977-07-21-1ベトナム1977年07月21日1970年代ニャンザン紙;労働総同盟中央委は南部各省の同盟組織の大会開催の完了を発表。
DIA-201-1977-07-24-1ベトナム1977年07月24日1970年代ニャンザン紙;ホー市人民委は手工業と小工業者3万4260人を集団に組織。21合作社と800生産組合を設立。
DIA-201-1977-07-24-2ベトナム1977年07月24日1970年代ニャンザン紙;ホー市人民委は過去の市場価格の管理状況を検討,今後の管理と安定化の方法を研究。
DIA-201-1977-07-25-1ベトナム1977年07月25日1970年代ニャンザン紙;北部は過去20年間(1957~1977年)のマラリア病絶滅運動により,現在基本的に同病を一掃,南部では,解放後,治療・予防運動で,1958年に比べ56.4%から3.9%に減少。
DIA-201-1977-07-26-1ベトナム1977年07月26日1970年代ニャンザン紙;ラムドン省の少数民族総数の41%が,住居と耕作の定着運動に参加。
DIA-201-1977-07-26-2ベトナム1977年07月26日1970年代チン副首相兼外相,東ドイツを訪問。27日,チェコを訪問。8月5~8日,ハンガリーを訪問。11日帰国。
DIA-201-1977-07-27-1ベトナム1977年07月27日1970年代ジャブ副首相兼国防相は中国人民解放軍創立50周年記念日に当り,葉剣英党副主席兼国防相にあて,祝電を送る。その中で“ベトナム人民軍は故ホー大統領の遺言を守り,両国武装勢力の友好と兄弟的団結の強化を継続,今後も中国人民解放軍の援助と支援を希望する”と述べる。
DIA-201-1977-07-28-1ベトナム1977年07月28日1970年代ニャンザン紙;ホー市とブンタオ市を結ぶ国道15号線のCo May橋を復旧,(長さ148m)。
DIA-201-1977-07-29-1ベトナム1977年07月29日1970年代ニャンザン紙;グエン・バン・リン政治局員は第7軍区の全軍幹部・兵士集会に出席。
DIA-201-1977-07-29-2ベトナム1977年07月29日1970年代南部16大学入学試験委によれば,現在までに77~78年度の入学試験の受験者数4万人,そのうち,ホー市内2万人。
DIA-201-1977-07-29-3ベトナム1977年07月29日1970年代バン・ティエン・ズン人民軍総参謀長は中国大使館付武官主催の同国人民解放軍創立50周年記念レセプションに出席。
DIA-201-1977-07-29-4ベトナム1977年07月29日1970年代ジャプ副首相兼国防相はデルタの第9軍区を訪問。同行者はLe trong Tan(中将)副参謀長,Le duc Anh(中将)同軍区司令官,Hoang the Thien(少将)軍部経済建設総局主任。また,ハウジアンとキエンジアン両省党委と駐屯部隊を訪問,戦闘訓練と経済建設の成果に対し満足の意を表明。
DIA-201-1977-07-30-1ベトナム1977年07月30日1970年代ニャンザン紙;ホー市党委の実行委は市内活動5目標を決定。 ○労働人民の集団の主人公としての権利を高く発揮。 ○国土と都市の建設のため,全市で節約運動。 ○略奪,他人や外国に依存した生活,ヤミと投機,非合法商売,汚職と横領,浪費,役人的役所的態度,人民に対する迷惑行為などを徹底的に防止。 ○新生活,新社会主義人間の建設。 ○経済管理の改善,生産促進,人民生活の改善。
DIA-201-1977-07-30-2ベトナム1977年07月30日1970年代ボ・ツク・ドン農相解任―国会常務委は,政府の提案により,ボー・ツク・ドン農相(中央委員)を解任,後任にボー・チ・コン副首相(政治局員)の兼任を承認。
DIA-201-1977-08-01-1ベトナム1977年08月01日1970年代ニャンザン紙;南部全体で解放後から今年6月末までに文盲からの離脱者総数は115万人,文盲者総数の76%に達す。
DIA-201-1977-08-01-2ベトナム1977年08月01日1970年代ニャンザン紙;アンジアン省 Phu Can 県内の1つの村で生産団結組合が成立。参加戸数439戸(2739人),耕作面積411ha,1毛作から2毛作に増加。
DIA-201-1977-08-01-3ベトナム1977年08月01日1970年代国会代表団,ソ連東欧訪問―代表団の編成は次のとおり。 団長:チュオン・チン国会議長,副団長:Phan van Dang同副議長,同:Tran dinh Tri同事務局長,団員:Cu Thi Hau同代表(労働総同盟),Nguyen thi Di同代表(農業合作社技術幹部),Y Blok E Ban大佐(ダクラク省祖国戦線議長),Do xuan HOP大佐・軍医大学校長,Tran Kiem Ly同国会代表。 1日,同代表団は北京空港に到着,中国の譚震林全人代常務委副委員長と韓念竜外務次官に出迎えられる。3日,モスクワに到着。12~21日,ブルガリアを訪問。23~28日,モンゴルを訪問。29日,北京に到着,華国鋒中国党主席と会談。
DIA-201-1977-08-02-1ベトナム1977年08月02日1970年代ニャンザン紙;フン副首相は国家計画の実現状況の検査のため,アンジアン,ドンタプ,クーロン,ティエンジアン,ロンアンの5省を視察。
DIA-201-1977-08-03-1ベトナム1977年08月03日1970年代ルーマニア党中央委宣伝代表団ハノイを訪問。
DIA-201-1977-08-04-1ベトナム1977年08月04日1970年代ニャンザン紙;ホー市で商工業者連絡委と建設業者連絡委の合同会議開催。個人経営の商工業と企業に対する社会主義改造の路線と政策を学習。Linh政治局員兼南部社会主義改造責任者が同会議に出席。
DIA-201-1977-08-04-2ベトナム1977年08月04日1970年代ニャンザン紙;第5軍区(中部海岸)所属海軍部隊は地方軍との合同作戦で,海上の逃亡者120人を発見逮捕。また破壊陰謀グループを粉砕。
DIA-201-1977-08-04-3ベトナム1977年08月04日1970年代ニャンザン紙;“個人経営の商工業の社会主義改造”と題する社説掲載,その重点は次のとおり。 ○生産,流通,分配について資本主義制度を徹底的に排除。多様式下に主要な生産手段を公有化。資産階段が小中商業と農民を操縦するのを完全に防止。農村合作化の実現。都市の小商業,小工・手工業の改造について具体的条件を準備。 ○一歩一歩,資本主義所有を社会主義所有に編入,残存する個人経営を国家管理の軌道に引込む。 ○経済改造を通じて,プロレタリア独裁政権を強化。労働人民の集団の主人公としての権利を増強。反革命勢力を根絶。経済面での国家統一を完成。社会主義共和国の国力を早急に発揮。
DIA-201-1977-08-05-1ベトナム1977年08月05日1970年代ニャンザン紙;海軍第1師団所属戦艦は第4,5区浴岸警備隊の協力で領海侵犯外国船多数を発見。拿捕。
DIA-201-1977-08-08-1ベトナム1977年08月08日1970年代ニャンザン紙;ソンベ省では南部解放以来今日までのホー市からの移住者14万600Q人,省内各市から新経済建設に参加した者1万3000人。45新村を建設。そのうち完全整備村数25村,村人口5~6000人,土地使用基準:1世帯の住宅用地1000m2,生産用地1haから半ha。
DIA-201-1977-08-08-2ベトナム1977年08月08日1970年代ボー・チ・コン副首相兼農業相は8~11日の4日間ホー市にビンチチエン省以南の各省の党常務委,人民委,および重点各県委を召集,南部農業の社会主義改造の成果を検討。
DIA-201-1977-08-09-1ベトナム1977年08月09日1970年代ニャンザン紙;Linh政治局員兼南部社会主義改造責任者は労働総同盟主催の民間企業労働者の集会に出席,社会主義改造について講演。
DIA-201-1977-08-09-2ベトナム1977年08月09日1970年代ニャンザン紙;ホー市商業局は市内売買系統と小売店の拡大計画にもとづき,現在,団体系の商業20企業,国営系商業66,小売店976店を設立。
DIA-201-1977-08-10-1ベトナム1977年08月10日1970年代ニャンザン紙;“工業労働者は社会主義の改造と建設に対する主権を実現”と題する社説を掲載。
DIA-201-1977-08-10-2ベトナム1977年08月10日1970年代ニャンザン紙;ハノイ市の住宅建設の状況は上半期完成したものは,住宅用高層建物14棟,3階建住宅22棟,その総面積2万2879ha。また建設中のものは116棟,高層建物33棟,3階建83棟,その総面積6万9775m2。
DIA-201-1977-08-11-1ベトナム1977年08月11日1970年代ギ副首相はソ連訪問中,マズロフ・ソ連党政治局員(首相代理)と会談。
DIA-201-1977-08-11-2ベトナム1977年08月11日1970年代ニャンザン紙;ミンハイ省内で,えび養殖池(広さ1510ha)を建設。
DIA-201-1977-08-12-1ベトナム1977年08月12日1970年代ニャンザン紙;ビンチチエン省からミンハイ省までの海岸地区で輸出用水産物拡大のため,冷凍して工場を新しく完成。
DIA-201-1977-08-12-2ベトナム1977年08月12日1970年代民間航空総局は国内線のジアラム―ダナン―プレイク,またホーチミン―コンツム―プレイク両空路を開設すると発表。
DIA-201-1977-08-14-1ベトナム1977年08月14日1970年代ニャンザン紙;フン副首相はラムドンとツゥンハイ両省を訪問。
DIA-201-1977-08-15-1ベトナム1977年08月15日1970年代ニャンザン紙;レ・ズアン党中央委書記長はクアンニン省を訪問中,炭鉱地区を視察。
DIA-201-1977-08-15-2ベトナム1977年08月15日1970年代ニャンザン紙;ホー市のホー共産青年団は団員3万4000人の中から成績優秀な青年39人を選び,大学入学試験に参加させる。
DIA-201-1977-08-15-3ベトナム1977年08月15日1970年代中国生物学者代表団(団長李紫英生物院院長)は15~31日,ハノイを訪問。北から南部デルタ地区まで各大学と研究所を訪問,専門家と意見を交換。
DIA-201-1977-08-16-1ベトナム1977年08月16日1970年代ニャンザン紙;ギ副首相はソ連からの帰国途中,北京に到着後,李先念中国副首相と会談。
DIA-201-1977-08-16-2ベトナム1977年08月16日1970年代ヴー・コク・ウイ対外文化連絡委員長代表はポーランド政府代表と,両国長期文化科学協力協定に調印。
DIA-201-1977-08-17-1ベトナム1977年08月17日1970年代ニャンザン紙;チャン・クオク・ホアン(政治局員)内務相はゲチン省を訪問。
DIA-201-1977-08-18-1ベトナム1977年08月18日1970年代ニャンザン紙;レ・ズアン書記長は同月初旬バクタイとハートエン両省を訪問。
DIA-201-1977-08-18-2ベトナム1977年08月18日1970年代ニャンザン紙;チュー・フイ・マン(上将)政治局員・軍委副書記兼人民軍総政治部主任は海軍幹部大会(15~16日)に出席,領海侵犯と反革命分子の逃亡の防止を強化,警戒心を高めるよう指示。
DIA-201-1977-08-18-3ベトナム1977年08月18日1970年代ニャンザン紙;ドンタプ省サデク市で売買合作社5社を設立,社員1万4830人,社員の投資総額9万5000ドン。
DIA-201-1977-08-18-4ベトナム1977年08月18日1970年代(ラングーン)フン・テ・タイ民間航空総局長はウチンオー・ビルマ運輸交通次官と,航空協定に調印。
DIA-201-1977-08-19-1ベトナム1977年08月19日1970年代首相府は首相の指示により全国小型セメント工場の発展の成果の検討会を開催。現在,同型59工場を完成,年間生産62万7500トン。
DIA-201-1977-08-20-1ベトナム1977年08月20日1970年代ニャンザン紙;ジャプ副首相兼国防相は軍部最高幹部を伴って中部高原地区を観察,ラムドン省内ダラット軍事学校を訪問。
DIA-201-1977-08-21-1ベトナム1977年08月21日1970年代党中央は中国党中央委第11回総会に祝電を送る,ズアン書記長は華国鋒中国党主席にあて,祝電を送る。
DIA-201-1977-08-22-1ベトナム1977年08月22日1970年代ニャンザン紙;ト副大統領は16~18日の3日間ドンナイ省内の工場を視察。
DIA-201-1977-08-22-2ベトナム1977年08月22日1970年代ホー共産青年団中央委実行委はVu Quang(党中央委員)中央委第一書記の辞任申請を承認,後任にDang quo c Bao(党中央委員)を選出。
DIA-201-1977-08-24-1ベトナム1977年08月24日1970年代グエン・チャン対外貿易次官はインド訪問のため,ハノイを出発。25日~9月9日,インドに滞在。9月9~13日,バングラデシュを訪問,帰国。
DIA-201-1977-08-26-1ベトナム1977年08月26日1970年代ニャンザン紙;ホー市郊外各県で生産集団と団結組1680団体を設立,規模2万920ha,郊外各県の耕作地の30%を占める。
DIA-201-1977-08-27-1ベトナム1977年08月27日1970年代Nguyen Vinh党幹部学校学長(グエン・アイ・コク学校)ら代表団はソ連訪問のためハノイを出発。
DIA-201-1977-08-28-1ベトナム1977年08月28日1970年代ニャンザン紙;党中央委書記局は農業発展の任務を実現するたあ,幹部工作の増強を指示。
DIA-201-1977-08-28-2ベトナム1977年08月28日1970年代ニャンザン紙;ルウン政治局員兼ハノイ市党委書記はTran Vy(党中央委候補)人民委議長とともに同市人民委第7期第2回大会(22~27日)に出席。
DIA-201-1977-08-29-1ベトナム1977年08月29日1970年代ニャンザン紙;ギアビン省ではPhuoc Van県内Phuoc Thang第1・第2農業合作社を試験的に設立。
DIA-201-1977-08-29-2ベトナム1977年08月29日1970年代ニャンザン紙;党軍委と国防省は合同で農業発展についての党中央委の決議の実現を討議するため,全軍高級幹部大会を開催。
DIA-201-1977-08-29-3ベトナム1977年08月29日1970年代国会常務委は政府の提案により,国慶節に当り,囚人たちのうちの改造と再教育で良い成績をあげた者の釈放,あるいは減刑を決定。
DIA-201-1977-08-30-1ベトナム1977年08月30日1970年代ニャンザン紙;南部各省では今年上半期の農産品の買入れ状況は昨年同期と比べ250%増,青豆6倍増,落花生2.2倍,ハチミツ加工26倍,大豆1000トン増。
DIA-201-1977-08-31-1ベトナム1977年08月31日1970年代ニャンザン紙;バン・チエン・ズン総参謀長は全軍の祖国防衛と経済建設の2大任務の実現状況を視察するため,北から南まで各軍区を訪問。
DIA-201-1977-09-01-1ベトナム1977年09月01日1970年代ニャンザン紙;郵便総局はハノイ市からホー市,ミンハイ省に至る直通通信系統本線工事に着工。工事内容:本線全長2080km,ハノイ市から国道1号線を通って,南部Thu duc地区に至り,同地区で2本に分かれひとつはホー市へ,もうひとつは国道4号線を通ってハウジァン省Omon県まで。またミンハイ省カマウ市に達す。本線から各省へ支線を敷設。工事期間3年。
DIA-201-1977-09-02-1ベトナム1977年09月02日1970年代国慶節32周年記念式典。
DIA-201-1977-09-02-2ベトナム1977年09月02日1970年代ドン首相は国慶節記念式典での演説で農業生産に言及,次のように述べた。 ○今年初めから,気候不順の困難が続いたが,北部各省では社会主義の農業合作社の制度の下に努力し,南部では国家が効果的に支援し,生産は安定,長期間の冷害と全国規模の干ばつ害および台風3号の害をほぼ克服した。今年春季と夏秋季の生産を1976年水準に維持する。 ○現在全国の耕作地は500万ha,人口5000万人の食糧を保障することが可能である。しかし,人口増加の速度が早く,これを合理的に制限しなければならない。 ○今第2次5ヵ年計画で開発地100万ha,第3次5ヵ年計画で開発地400万ha,合計して耕作地は1000万haとなり,人口6500万人の食糧を保障できるだろう。
DIA-201-1977-09-02-3ベトナム1977年09月02日1970年代ニャンザン紙;全国の教育問題と南部解放後の成果:現在南部の文盲数150万人のうち120万人が読み書きできる。76~77年度全国の入学生徒1300万人,教師35万人,また大学数47校,学生数10万800人,高等・専門中学校223校,学生10万人。
DIA-201-1977-09-02-4ベトナム1977年09月02日1970年代ニャンザン紙>北部農業発展の32年間の成果は次のとおり。 ○現在農業合作社数1万5200社(高級合作社30%,中級40%,下級30%)。 ○農業合作社の規模は平原と中間両地帯では1社当り耕作地300~500ha,農業労働者約2000人。高原地帯では平均100ha以下。現在平原で2000haの経営合作社を試験的に建設。 ○国営農場は現在105農場,耕作地5万5000ha,牧畜用草原5万ha,各農場の労働者と幹部7万人。
DIA-201-1977-09-04-1ベトナム1977年09月04日1970年代ニャンザン紙;ズアン党中央委書記長はホー市党委と人民委合同の国慶節記念式典に出席。
DIA-201-1977-09-04-2ベトナム1977年09月04日1970年代ニャンザン紙;南部各省(ソンベ,ドンナイ,クーロン,ミンハイ,キエンジアン各省とホー市)では農業の集団化をすすめ,現在同各省では生産隊941隊,生産団結組合5400組,労働交換組合8300組。それらの集団組織に吸収された農民数十万人に達す。
DIA-201-1977-09-04-3ベトナム1977年09月04日1970年代ニャンザン紙;オランダ政府は米7800トン(8月18日),EECグループも988トン(8月28日)を贈与。
DIA-201-1977-09-05-1ベトナム1977年09月05日1970年代ニャンザン紙;南部15省と都市の県単位での農業関係の企画工作を年末までに完了させるため,農業省から派遣された耕作・畜産・機械専門技師5~10人の編成チームは,現地で養成した企画工作専門幹部数千人と合同で,各県で調査と企画を実施中。
DIA-201-1977-09-05-2ベトナム1977年09月05日1970年代ニャンザン紙;リン政治局員兼南部社会主義改造委員長はPham van Kiet同副委員長とともに,国営ミシン工場を視察。
DIA-201-1977-09-05-3ベトナム1977年09月05日1970年代放送・テレビ委員会代表団(団長Tran Lam同委編集長)は中国訪問のため,ハノイを出発。
DIA-201-1977-09-06-1ベトナム1977年09月06日1970年代ニャンザン紙;ソ中の党・政府首脳はそれぞれ国慶節に当り祝電を送る。
DIA-201-1977-09-06-2ベトナム1977年09月06日1970年代ニャンザン紙;Tran Phuong経済学協会会長代表団は東京開催の世界経済学会に参加(8月29日~9月3日)した後,ハノイに帰着。
DIA-201-1977-09-06-3ベトナム1977年09月06日1970年代ニャンザン紙;ラオスと民主カムプチアの首脳はそれぞれ国慶節に当り,祝電を送る。
DIA-201-1977-09-06-4ベトナム1977年09月06日1970年代ニャンザン紙;ホー共産青年団中央委書記局は農業生産戦線での青年の革命活動の10項目を発表。その重点は次のとおり。 ○第4回党大会の決議と中央委第2回総会の決議について教育,宣伝。 ○青年層が米作の多毛作と食糧作物の生産の先頭に立つよう動員。 ○若者は新経済地区へ行き,開墾と耕作面積の拡大の先頭に立つよう運動。 ○青年団の政治役割を発揮し,北部では農業集団の強化,南部では農業関係の改造に積極的に参加。 ○水利工事に全面的に参加,一般に対する模範となる。 ○畜産業では青年の突撃任務を発揮。 ○林・漁業に全ての若者が参加。 ○学習と実践に積極的に参加,新生活・新農村・社会主義の新人間を建設。 ○工業労働青年,学校・各機関の青年を動員,農業発展に効果的に服務。 ○秋季の全面勝利を獲得,77~78年の各春季生産に向け積極的に技術と物覚を準備。
DIA-201-1977-09-08-1ベトナム1977年09月08日1970年代ニャンザン紙;政府は解放後今日まで,南部各省と都市の各専門機関の専門幹部を補強するため,中堅専門幹部数万人を移動。
DIA-201-1977-09-08-2ベトナム1977年09月08日1970年代ニャンザン紙;フカイン省党委総会は省の経済目標を決定。1980年までに食糧生産52万トン(籾50%),養豚60万頭,水産物9万トン,植林1万4000ha,新開墾5万ha,新経済区へ15万人を移動。農業と林業の企画工作の実行,工業用作物の専門栽培区の設立(綿花1万ha,ヤシ9000ha,サトウキビ5000ha,煙草3000ha)。
DIA-201-1977-09-08-3ベトナム1977年09月08日1970年代ニャンザン紙;地方各省と都市の各級党支部600支部での第2回大会の開催完了。新実行委員会を選出。新委員は皆35歳以下,文化・教育程度が第2,3級の委員は76%,初・中級技術を持つ委員は20%を占め,党委書記は大学程度の学力を持つ。
DIA-201-1977-09-10-1ベトナム1977年09月10日1970年代キューバ経済科学技術協力代表団(団長リノ・カンラト党中央委員・農業次官),ハノイを訪問。
DIA-201-1977-09-10-2ベトナム1977年09月10日1970年代ニャンザン紙;ダクラク省では輸出用農産物を増産工業用長期作物を栽培。コーヒー,ゴム,ココアなどの集中・専属生産区60万ha以上。
DIA-201-1977-09-10-3ベトナム1977年09月10日1970年代マレーシア・ゴム科学技術代表団(団長セカール同国ゴム研究所所長),ハノイを訪問。
DIA-201-1977-09-10-4ベトナム1977年09月10日1970年代党政治局,党南部農業改造中央委設立を決定。委員長にボー・チ・コン副首相兼農相。
DIA-201-1977-09-12-1ベトナム1977年09月12日1970年代ラオス軍事代表団,ハノイ訪問。
DIA-201-1977-09-12-2ベトナム1977年09月12日1970年代ニャンザン紙;ギアビン省党委総会は省の食糧生産目標を決定,78年に農作地10万8000ha,籾48万7000トン,その他食糧作物16万トンを生産。
DIA-201-1977-09-15-1ベトナム1977年09月15日1970年代ニャンザン紙;ホー市では今年初めから今日までに排水施設40カ所,3つのダム,3つの海水防止埠防を建設。
DIA-201-1977-09-15-2ベトナム1977年09月15日1970年代チン副首相兼外相は国連総会出席のため,グエン・コ・タック外務次官とゴー・ディエン外相補佐兼新聞報道担当とともにハノイを出発。同日北京に到着後,毛沢東主席記念堂に花輪をささげ,黄華中国外相と会談。モスクワ,パリ経由でニューヨークへ向う。21日,国連総会で加盟承認感謝の演説。23日,チン外相は米国宗教団体ならびに進歩派議員・団体と会見。25日,米国進歩団体代表3000人はニューヨークでベトナム代表団の歓迎会を開催,28日,チン外相は鳩山日本外相と会談。また同日ウパヂト・タイ外相とも会談。10月4日,フランス経由帰国。
DIA-201-1977-09-15-3ベトナム1977年09月15日1970年代ニャンザン紙;南部各省では1年間に農村で売買合作社1400拠点,消費合作社300拠点を設立。村総数の50%を占め,社員200万人以上,資本金1500万ドン。専門幹部8000人を養成。
DIA-201-1977-09-16-1ベトナム1977年09月16日1970年代Nguyen Khanh Toan社会科学委員長はユネスコのパリ会議(19~20日)に出席するため,ハノイを出発。
DIA-201-1977-09-17-1ベトナム1977年09月17日1970年代ニャンザン紙;チェコ・テレビ局はベトナムのテレビ局にテレシネマ全部品を贈与。
DIA-201-1977-09-17-2ベトナム1977年09月17日1970年代ニャンザン紙;ビンフー省ではとうもろこし専門栽培農場12農場を設立,現在各委の栽培6000haに達す。
DIA-201-1977-09-18-1ベトナム1977年09月18日1970年代赤道ギニヤ政府代表団(団長マシエノゲマ・ビゴドニネゲノドン大統領兼首相),ハノイを訪問。
DIA-201-1977-09-19-1ベトナム1977年09月19日1970年代ニャンザン紙;ゲチン省党委総会は農業生産の再組織,物資と技術基礎の建設,専門耕作区の企画を決定。78年の目標として食糧生産90万トン,そのうち籾米60万トン。輸出用作物総額90万ドン。80年の目標として食糧120万トン,そのうち籾70万トン,輸出用農産物総額1億4500万ドン。
DIA-201-1977-09-19-2ベトナム1977年09月19日1970年代第32回国連総会,ベトナム加盟を承認。
DIA-201-1977-09-19-3ベトナム1977年09月19日1970年代陳志方新中国大使,タン大統領に信任状提出。
DIA-201-1977-09-19-4ベトナム1977年09月19日1970年代ソ・中の党・政府首脳はそれぞれベトナムの国連加盟承認に当り,党・政府にあて祝電を送る。
DIA-201-1977-09-19-5ベトナム1977年09月19日1970年代グエン・チ・ビン教育相は21~30目,ソ連訪問,77~78年度の教育協力協定に調印。9月30日~10月10日,東ドイツを訪問,同国と教育協力協定に調印。10月11~22日,ハンガリーを訪問,同国と教育協力協定に調印。帰国。
DIA-201-1977-09-22-1ベトナム1977年09月22日1970年代ニャンザン紙;チャン・ブー・キエム祖国戦線幹部会委員ら代表団は12~20日,ハンガリーを訪問。
DIA-201-1977-09-22-2ベトナム1977年09月22日1970年代ダオ・トゥン・ベトナム通信社社長は22~28日,モンゴル訪問。
DIA-201-1977-09-23-1ベトナム1977年09月23日1970年代(ハノイ)グエン・バン・ダオ対外貿易次官はスウェーデン大使と,両国の2年間(77~78年と78~79年)の発展協力協定に調印。
DIA-201-1977-09-23-2ベトナム1977年09月23日1970年代Duong thi Duyen婦人連合会幹部委員代表団は米国婦人団体の大会(9月23~25日)に出席。
DIA-201-1977-09-24-1ベトナム1977年09月24日1970年代ホアン・コク・ベト労働総同盟議長はモスクワで開催された社会主義諸国労働同盟議長大会に出席。
DIA-201-1977-09-25-1ベトナム1977年09月25日1970年代ニャンザン紙;デンマーク友好団体は病院設備,医療関係資料書籍20トンを贈与。スウェーデン友好団体も医学関係資料6トンを贈与。
DIA-201-1977-09-26-1ベトナム1977年09月26日1970年代フン・バン・クン祖国戦線幹部会委員,ソ連のレニングラッドで開催(26~28日)の「10月革命の平和運動に対する意義」についての討論会に出席。
DIA-201-1977-09-26-2ベトナム1977年09月26日1970年代ニャンザン紙;政府は南部7省と都市(ミンハイ,ハウジアン,クーロン,ロンアン,キエンジアン,ツウンハイ各省とホー市)へ専門工作団を派遣。同団は水利,農業,建設,電力石炭,財政,交通運輸,物資,機械金属各省と国家計画委および軍の経済建設局の代表から編成。
DIA-201-1977-09-26-3ベトナム1977年09月26日1970年代ニャンザン紙;党中央委政治局はホーチミン博物館の建設決定を発表。
DIA-201-1977-09-26-4ベトナム1977年09月26日1970年代ニャンザン紙;第4回党大会後,党勢を拡大。入党資格を厳しく選考,現在新党員の91.5%はホー共産青年団出身者。
DIA-201-1977-09-26-5ベトナム1977年09月26日1970年代ニャンザン紙;クアンナム・ダナン省党委総会は農業発展の目標を決定,80年までに食糧生産50万トン,そのうちとうもろこしなどが40~50%を占める。畜産業は豚50万頭,水牛1000頭,牛10万頭,鶏鴨320万羽,卵2500万個,パイナップル栽培4000ha,桑栽培3000ha,新開墾2万5000~3万ha。
DIA-201-1977-09-26-6ベトナム1977年09月26日1970年代日本総評全国代表団(団長長岡同副議長),ベトナム訪問。10月8日まで。
DIA-201-1977-09-28-1ベトナム1977年09月28日1970年代ニャンザン紙;工業関係の9ヵ月間の生産状況は,年間総生産額の70%,そのうち,中央工業74%,地方工業67%,昨年同期と比べ増加。
DIA-201-1977-09-28-2ベトナム1977年09月28日1970年代全国婦人連合会は同会の全国代表を召集,ハノイで9月28日~10月3日,会議を開催。新農業,新農村,社会主義新婦人の建設に積極的に参加するよう呼びかけ。
DIA-201-1977-09-28-3ベトナム1977年09月28日1970年代ニャンザン紙;ト副大統領はハナムニン省を視察中,ナムディン近代紡織工場を訪問。
DIA-201-1977-09-28-4ベトナム1977年09月28日1970年代党中央はカムプチア共産党創立17周年記念日に当り,同党首脳へ祝電を送る。
DIA-201-1977-09-29-1ベトナム1977年09月29日1970年代ニャンザン紙;ホー市Cu Chi県党委は県内の2つの村(ビンミとトルンフー両村)で農業合作社の建設に着手。
DIA-201-1977-09-29-2ベトナム1977年09月29日1970年代ズアン書記長は陳志方新中国大使と歓談。
DIA-201-1977-09-29-3ベトナム1977年09月29日1970年代祖国戦線,越中友好協会,対外文化連絡委などは合同で中国の国慶節28周年記念式典を開催。
DIA-201-1977-09-30-1ベトナム1977年09月30日1970年代ドン首相をはじめ政府・軍首脳多数は中国大使主催の国慶節祝賀レセプションに出席。
DIA-201-1977-09-30-2ベトナム1977年09月30日1970年代チン副首相兼外相は非同盟諸国外相会議に出席。
DIA-201-1977-09-30-3ベトナム1977年09月30日1970年代政府は全国経済区企画委の中央・地方両委の設立を決定。中央委にはギ副首相が委員長,コンとムオイ両副首が副委員長に就任。科学技術委主任と国家計画委副委員など10人が委員に就任。
DIA-201-1977-10-01-1ベトナム1977年10月01日1970年代ニャンザン紙;統計総局の集計によれば9月25日現在,北部全体では秋季稲植付は順調でほぼ完了。南部では同季計画の72.2%(全計画の155万ha)に達す,また夏秋季の収穫が12万3086haに達す。
DIA-201-1977-10-01-2ベトナム1977年10月01日1970年代ニャンザン紙;ホー市党委は市の全党員と人民に同委の4つの革命運動の実現を呼びかけ,①社会主義改造,②生産強化と節約で都市建設,③新文化と新人間の建設,④社会秩序の防衛。
DIA-201-1977-10-02-1ベトナム1977年10月02日1970年代建設省はビンフ省のDao tuコンクリート工場(東ドイツ援助)を完成と発表。
DIA-201-1977-10-03-1ベトナム1977年10月03日1970年代(ハノイ)社会主義諸国航空総局第12回総会開催。ラオス民間航空総局もオブザーバーとして,経済相互援助機構事務局代表も参加,航空通賃と貨物運送料の統一協定を討議。
DIA-201-1977-10-03-2ベトナム1977年10月03日1970年代政府は山岳と高地および平原の未開発地についての政策を決定,その重点は次とおり。 ○全国の山岳高原と平原未開発地は国有地。 ○それらの地区の開発や新経済区建設に参加する各合作社を優遇。 ○開発期間5年間は免税。 ○合作社内の1人労働力当り1~4haを経営,1人当り住宅用地200~300m2,副業生産500~700m2。
DIA-201-1977-10-03-3ベトナム1977年10月03日1970年代Tran Do党中央委教宣委副委員長はソ連訪問を終え(9月22日~10月3日),ハノイに帰着。
DIA-201-1977-10-03-4ベトナム1977年10月03日1970年代ベトナムと中国の石油天然ガス相,北京で会談―チエン石油天然ガス相(団長)は同省専門技術者団とともに中国を訪問。康世安中国石油相との会談で科学技術協力の強化を再確認。また重要な油田と石油工業を視察。
DIA-201-1977-10-04-1ベトナム1977年10月04日1970年代ニャンザン紙;クイニョン港の復旧・拡張工事完成。今まで800トン以下の船しか入港できなかったが,現在1000~1200トン級の船が入港できる。
DIA-201-1977-10-04-2ベトナム1977年10月04日1970年代ニャンザン紙;第5軍区(中部高原と沿岸)の軍隊による経済建設の成果は開墾数万ha,牛,水牛,豚飼育8688頭,道路建設2038km,橋50本,住宅43万5892m2,林区の企画25万ha。
DIA-201-1977-10-05-1ベトナム1977年10月05日1970年代ニャンザン紙;ダクラク省で,国営レンガ工場を完成。同工場生産能力は1時間当り1500枚。
DIA-201-1977-10-05-2ベトナム1977年10月05日1970年代ニャンザン紙;9ヵ月間に北部平原各地からホアンリエンソン省の新経済地区へ2000人が移住。
DIA-201-1977-10-05-3ベトナム1977年10月05日1970年代ニャンザン紙;ゲチン省で燐灰石肥料工場を完成。生産能力は年間2万5000トン。
DIA-201-1977-10-05-4ベトナム1977年10月05日1970年代Tran Tong党史研究委副委員長は5~10日,ポーランドを訪問。
DIA-201-1977-10-06-1ベトナム1977年10月06日1970年代ニャンザン紙;ホー市は今年9ヵ月間に輸出用水産・果実冷凍品9000トンを生産,年間計画の93.89%に達す。昨年同期と比べ2倍増。
DIA-201-1977-10-06-2ベトナム1977年10月06日1970年代ニャンザン紙;ドンタプ省の食糧生産の状況は,今年の3毛作面積は20万9643ha,昨年より10.1%増,また今年上半期に農民は国家に籾3万773トンを売却。
DIA-201-1977-10-06-3ベトナム1977年10月06日1970年代ニャンザン紙;グエン・フー・バオ国内商業次官の報告書によれば,2年間の南部の社会主義商業部門の発展は,国営商業の発展と並び,農村で売買合作社1000社,都市で消費者合作社300社が成立され,全南部の50%を占める。
DIA-201-1977-10-06-4ベトナム1977年10月06日1970年代国連経済・財政委会議は各国にベトナム再建援助について呼びかける決議を承認。米国を除く,決議参加国53ヵ国。
DIA-201-1977-10-07-1ベトナム1977年10月07日1970年代ニャンザン紙;フン副首相はハイフン省を視察。
DIA-201-1977-10-07-2ベトナム1977年10月07日1970年代ニャンザン紙;医療と財政両省は合同で今後国家は人民の治療費と入院費のすべてを負担すると発表(政府の9月14日付法令による)。
DIA-201-1977-10-07-3ベトナム1977年10月07日1970年代チャウ対外貿易相は,ハノイ訪問中のデンマーク商工業代表団(団長ハン・クリットテエン同国外務省局長)と会談。
DIA-201-1977-10-07-4ベトナム1977年10月07日1970年代ニャンザン紙;郵便総局は全国電話線の本線1Aの建設を決定,工事内容は本線全長2080km,建設期間3年間,本線は国道1号線に沿って,ハノイからホーチミン市のThu duc地区で2本に分かれ,1本はホー市中心部へ,もう1本は国道4号線に浴ってミンハイ省カーマオ市まで延ばす。同本線から各省へ支線も建設。
DIA-201-1977-10-07-5ベトナム1977年10月07日1970年代ディン・バ・チ国連初代大使は国連事務総長に信任状を提出。
DIA-201-1977-10-09-1ベトナム1977年10月09日1970年代ニャンザン紙;Tran Phuong売買合作社全国中央機関議長は日本訪問中,日本消費者組合からベトナム消費者合作社への贈与2000万円を受ける。
DIA-201-1977-10-10-1ベトナム1977年10月10日1970年代ニャンザン紙;ハノイ市党委は今年上半期,新党員240人を承認。そのうち120人はホー共産青年団の出身,83人は労働者,18人は農業合作社,11人は科学技術者の出身。
DIA-201-1977-10-10-2ベトナム1977年10月10日1970年代ソ連軍部政治局指導部代表団,ハノイを訪問―同代表団の編成は次のとおり。 団長 A.A.エピシェフ(大将)3軍総政治部主任。 団員 X.A.ボブレフ(上将)防空・空軍政治局主任。 〃 V.I.バラクトレフ(中将)総政治部組織・工作局長。 〃 A.M.チェフチェンコ(中将)総政治部第7局局長。 〃 N.I.スモリゴ(少将)総政治部宣伝運動副局長。
DIA-201-1977-10-10-3ベトナム1977年10月10日1970年代ルーマニア外務省代表団(団長コンスタンチン・オアンチェア同省次官),ハノイを訪問。
DIA-201-1977-10-11-1ベトナム1977年10月11日1970年代ニャンザン紙;南部各省で輸出用バナナを買入れ,9ヵ月間に5700トン。
DIA-201-1977-10-11-2ベトナム1977年10月11日1970年代(ハノイ)チャウ対外貿易相はルシエン・ウトター・ベルギー王国発展協力相と,経済・工業・技術などの総合協力協定と特殊鉄道技術協力協定に調印。
DIA-201-1977-10-12-1ベトナム1977年10月12日1970年代ニャンザン紙;ギ副首相は中国援助により完成したビンフ近代紡織工場を視察。
DIA-201-1977-10-12-2ベトナム1977年10月12日1970年代Luong党政治局員兼ハノイ市党委書記ら代表団は日本共産党第14回全国大会に出席するため,ハノイを出発。26日に帰国。
DIA-201-1977-10-12-3ベトナム1977年10月12日1970年代グエン・チャン対外貿易次官ら代表団はビルマを訪問するため,ハノイを出発。19日帰国。
DIA-201-1977-10-12-4ベトナム1977年10月12日1970年代東ドイツ民族戦線代表団,ハノイ訪問。
DIA-201-1977-10-12-5ベトナム1977年10月12日1970年代ソ連労働総同盟中央委代表団(団長L.G.サーキアン同中央委員),ハノイ訪問。
DIA-201-1977-10-13-1ベトナム1977年10月13日1970年代ニャンザン紙,タインホア省人民委員は農業労働者と一般労働者15万人とトラクタ150台を動員,未開発の1万haを開墾。
DIA-201-1977-10-14-1ベトナム1977年10月14日1970年代ニャンザン紙;ホー市の運輸関係企業経営者400人は商工連絡委と合同で政府の民間経営商工業の改造政策について研究会を開催。
DIA-201-1977-10-14-2ベトナム1977年10月14日1970年代ニャンザン紙;第9軍区所属部隊はデルタ各省内の爆弾,地雷など不発弾77万6500個を除却,農地1万5432haを解放,これで危険地区のうち89%を解放。
DIA-201-1977-10-14-3ベトナム1977年10月14日1970年代第32回国連総会は55ヵ国提案の「ベトナム再建への援助」に関する決議を承認。
DIA-201-1977-10-15-1ベトナム1977年10月15日1970年代モザムビク解放民族戦線と同政府代表団,ハノイを訪問。
DIA-201-1977-10-17-1ベトナム1977年10月17日1970年代ニャンザン紙;南部各省では義務食糧納入が目標の73.3%に達す。南部の一部では干ばつとネズミ害で反収が減少,メコン・デルタ各省では良好。ハウザン省は籾16万9360トン,ミンハイ省は籾11万6500トン,キエンジア省は籾9万6155トン,アンジアン省は籾10万1540トン。
DIA-201-1977-10-17-2ベトナム1977年10月17日1970年代ニャンザン紙;ドン首相はホー市訪問中,ベトナム科学院分院を視察。
DIA-201-1977-10-17-3ベトナム1977年10月17日1970年代肖善民中国軽工業省次官ら代表団は中国援助のビンフ紡織工場建設の完成式に出席するためハノイを訪問。同工場完成式開催日は同月19日,工場生産能力は年間5000万m。
DIA-201-1977-10-19-1ベトナム1977年10月19日1970年代ハンガリー放送テレビ委代表団,ハノイを訪問。
DIA-201-1977-10-20-1ベトナム1977年10月20日1970年代フン副首相は20~21日,ギアビン省を訪問。
DIA-201-1977-10-20-2ベトナム1977年10月20日1970年代ジャプ副首相兼国防相はハノイで開かれた科学技術通信関係の第2回全国大会(20~22日)に出席。
DIA-201-1977-10-22-1ベトナム1977年10月22日1970年代ニャンザン紙;党中央委書記局は政治局の経済・社会生活の中で消極的態度との闘争,経済と社会の管理方法の増強についての大衆運動に関する決議228号の実行を指示。
DIA-201-1977-10-22-2ベトナム1977年10月22日1970年代ニャンザン紙;農業省の主催でハノイで全国農業専門幹部の大会開催。ドン首相出席。
DIA-201-1977-10-22-3ベトナム1977年10月22日1970年代フン副首相はクアンナム・ダナン省(22~23両日)を訪問。
DIA-201-1977-10-24-1ベトナム1977年10月24日1970年代ニャンザン紙;ホー市紡織企業は紡織新機械8700台を入替。
DIA-201-1977-10-25-1ベトナム1977年10月25日1970年代ニャンザン紙;ホー市の輸出財生産促進の運動成果は,今年9ヵ月間に輸出額比率が年間計画の72%に達す。
DIA-201-1977-10-25-2ベトナム1977年10月25日1970年代ニャンザン紙;第7軍区所属部隊は7ヵ月間に開墾7824ha,道路建設60km,1978年の開墾計画2万1000ha。
DIA-201-1977-10-26-1ベトナム1977年10月26日1970年代ニャンザン紙;統一鉄道のTien An―Hue間で9駅工事を完成。
DIA-201-1977-10-26-2ベトナム1977年10月26日1970年代ソ連友好代表団(団長ゲックマン・チトフ・ソ越友好協会会長),ハノイに到着。
DIA-201-1977-10-27-1ベトナム1977年10月27日1970年代ニャンザン紙;ツウンハイ省以南全体では夏秋季稲の収穫24万ha,計画の57%に達す,1ha当り約2.5トン。
DIA-201-1977-10-28-1ベトナム1977年10月28日1970年代ニャンザン紙;タインホア省ではSong muc貯水湖建設工事に着工。同湖容量2億m3。耕作地1万1500haに灌漑用水を供給。
DIA-201-1977-10-29-1ベトナム1977年10月29日1970年代ニャンザン紙;ハノイ市の冬季の野菜の栽培面積は昨年同期と比べ,23.5%増。
DIA-201-1977-10-29-2ベトナム1977年10月29日1970年代Mai Luong農業省国際協力局長はフトセン・オーストラリア臨時大使と,同国の牛乳加工工場とその設備の無償援助協定に調印。
DIA-201-1977-10-29-3ベトナム1977年10月29日1970年代ニャンザン紙;統計総局の集計によれば20日現在,南部10省と都市の秋季稲植付は計画の88.5%に達す。また第5軍区(中部沿岸と高原各省)では,23万haで,計画の88.1%に達す。
DIA-201-1977-10-29-4ベトナム1977年10月29日1970年代プーン・シパスート・ラオス党政治局員副首相兼外相はハノイを訪問。31日,チン外相と友好・経済協力・国境線画定など各協定の実務議定書に署名。
DIA-201-1977-10-29-5ベトナム1977年10月29日1970年代Truong Tung建設省住宅建設局副局長ら代表団はハバナで開催の住宅建設問題国際会議(11月6~11日)に出席するため,ハノイを出発。
DIA-201-1977-10-29-6ベトナム1977年10月29日1970年代ハバク省は中国援助による化学肥料工場建設工事の完成式典を開催。出席者 ベトナム側:Do Muoi副首相,Le Tu化学局総局長。中国側:陳志方大使と経済担当官。同工場は年産1万トン。
DIA-201-1977-10-29-7ベトナム1977年10月29日1970年代ベトナム民間航空総局所属の国内便がハイジャックさる―ホーチミン市タンソンニャット空港からフーコク島へ向うため,離陸直後,ハイジャックされ,犯人4人が乗員2人を殺害し,一時,タイのウタパオ空港に着陸。同国に入国を拒否され給油後,シンガポール空港に到着。
DIA-201-1977-10-30-1ベトナム1977年10月30日1970年代ニャンザン紙;物資省廃物回収公司は今年初めから今日までに鉄くずスクラップ2万5400トンを回収,ホー市各機械工場へ供給。
DIA-201-1977-10-30-2ベトナム1977年10月30日1970年代ニャンザン紙;ソ連政府代表団(団長K.G.ダビド・ビッチ・同連邦グルジア社会主義共和国副首相),ハノイを訪問。
DIA-201-1977-10-30-3ベトナム1977年10月30日1970年代ニャンザン紙;ハノイから40km地点に数百ha以上の近代国際空港建設工事の一部が完成。年末か年始に開港。
DIA-201-1977-10-30-4ベトナム1977年10月30日1970年代ニャンザン紙;現在ベトナム民間航空総局の使用機種は次のとおり。
DIA-201-1977-10-30-5ベトナム1977年10月30日1970年代党・政府代表団,10月革命60周年記念式典に参加―同代表団の編成は次のとおり。 団長:レ・ズアン党中央委書記長。 副団長:レ・タイン・ギ政治局員兼副首相。 団員:ボー・バン・キエト政治局候補兼ホー市党委書記 〃:スアン・トイ党中央委書記兼党対外委員長。 〃:Nguyen huu Khieu中央委員兼駐ソ大使。
DIA-201-1977-10-31-1ベトナム1977年10月31日1970年代ニャンザン紙;農業省の農業企画と設計院の幹部は7ヵ月間南部各省の農業関係責任者と合同で,ツウンハイ省からミンハイ省までの15省と126県での土壌調査と地図作成を完成。これらの地図は各県の2万5000分の1,各省の10万分の1,また南部の東と西両地区の25万分の1の地図を完成。
DIA-201-1977-10-31-2ベトナム1977年10月31日1970年代ビンチチエン省人民委はDong Ha総合病院建設工事を完成。同病院はオランダ政府の援助。220ベッド,職員住宅2000m2。
DIA-201-1977-11-01-1ベトナム1977年11月01日1970年代スリランカ首相特使ラリト・アツラムダ国務相,ハノイを訪問。
DIA-201-1977-11-01-2ベトナム1977年11月01日1970年代ニャンザン紙;ホー市の商工業者の改造委員会は南部13省の各部門と食糧食品省の合同会議を開催。19県のサトウキビ栽培地区内での収穫後の買入の管理方法を討議。リン政治局員兼個人経営企業改造責任者も出席。
DIA-201-1977-11-02-1ベトナム1977年11月02日1970年代グエン・チャン対外貿易次官を団長とする経済代表団はマレーシア,シンガポール,フィリピン,インドネシアの4カ国を歴訪するため,ハノイを出発。7日,マレーシアに到着,同月24日まで滞在。24~30日,インドネシアを訪問,12月1日に帰国。
DIA-201-1977-11-03-1ベトナム1977年11月03日1970年代(北京)Le Khac国家科学技術委副主任は中国政府の関係責任者と両国の1977~1978年度の科学技術協力議定書に署名。
DIA-201-1977-11-03-2ベトナム1977年11月03日1970年代タインホア省人民委はソ連援助による Mat Son製緬工場の完成を発表。
DIA-201-1977-11-04-1ベトナム1977年11月04日1970年代ニャンザン紙;ギ副首相はソ連滞在中,4~5の両日,アルヒポフとバイバコフ両副首相と両国の経済と科学技術の協力問題を討議。
DIA-201-1977-11-05-1ベトナム1977年11月05日1970年代ニャンザン紙;南部15省と都市(Thuan Hai省からMinh Hai省まで)では今年初め10カ月間に開墾・復旧した面積8万8000ha,そのうち,6万4300haで生産を開始。
DIA-201-1977-11-06-1ベトナム1977年11月06日1970年代党と政府および人民団体によるロシァ10月革命60周年記念合同組織委員会は同革命記念式典を盛大に開催。
DIA-201-1977-11-06-2ベトナム1977年11月06日1970年代ボー・バン・キエト政治局員候補兼ホー市党委書記はレーニングラッド市に来訪中,同市党委書記と,両市が姉妹都市関係を結ぶ文件に署名。
DIA-201-1977-11-07-1ベトナム1977年11月07日1970年代グエン・クアン・ラム海洋開発相はハノイ滞在中V.E.ビレエプ・ソ連ラトビア地区漁業総局長と漁業開発について意見を交換。
DIA-201-1977-11-07-2ベトナム1977年11月07日1970年代ホアン・ミン・ジャム対外団結・友好委議長ら代表団はユーゴを訪問するため,ハノイを出発。
DIA-201-1977-11-07-3ベトナム1977年11月07日1970年代キューバ政府は,ハバナで開催の非同盟・後進国漁業問題会議に参加する39カ国のうち,ベトナム代表を常務委員に選出と発表。
DIA-201-1977-11-07-4ベトナム1977年11月07日1970年代ワルトハイム国連事務総長はFAOに手紙を送り,ベトナムの天災による食糧難に継続的に援助するよう要請。
DIA-201-1977-11-09-1ベトナム1977年11月09日1970年代レ・トアン・ツ対外団結・友好委員は西ドイツの独越友好協会とベトナム支援委から贈与の野菜多種タネ8.5トンと薬品を受けとる。
DIA-201-1977-11-09-2ベトナム1977年11月09日1970年代財政省は関係各省代表と各総局代表を召集,今年の農業不振による国内収入計画未達成,国営経済地区での貯蓄比率減少などの財政・経済状況に対処するため,1978年と5カ年計画の予算案を討議。
DIA-201-1977-11-09-3ベトナム1977年11月09日1970年代ソ越経済科学技術協力委小委はモスクワで第4回会議9~11日を開催。
DIA-201-1977-11-09-4ベトナム1977年11月09日1970年代Dang quoc Bao ホー共産青年団中央委第1書記ら代表団,9~18日ソ連を訪問,レーニン青年団代表と会談。
DIA-201-1977-11-10-1ベトナム1977年11月10日1970年代ニャンザン紙;ビンチチエン省の食糧生産の状況は,次のとおり。 ○解放後 不発弾と地雷600万個を除去,開墾と復旧3万ha,中,小型水利施設を建設。 ○1975年の農作地17万8500ha,1976年は20万8000haに増加。生産量籾24万200トンから35万1670トンに増産。その中で雑穀収穫(籾換算)は5万5000トンから9万2000トンに増加,(雑穀は食糧の26%を占め),1人当り平均食糧144kgから200kgに増。 ○19977年の食糧総生産50万トン,そのうち雑穀は30%を占め,また,1人当り平均280kg,1978年の総生産60~65万トン,そのうち雑穀は45%占め,1人当り330~360kg。1980年の食糧生産目標80万~85万トン,そのうち雑穀は50%を占める。第2次5カ年計画中,省の40万人を高地へ移動(省人口の22%),15万haを開墾,現在まで7万4000人を移動,13評経済地区を建設。
DIA-201-1977-11-10-2ベトナム1977年11月10日1970年代ズアン党書記長代表団は訪ソ後,ハノイに帰着。
DIA-201-1977-11-10-3ベトナム1977年11月10日1970年代Nguyen thi Dinh婦人連合会第1副会長ら代表団,10~17日ルーマニアを訪問。
DIA-201-1977-11-11-1ベトナム1977年11月11日1970年代国営技術輸入公司は,仏重工業グループのクルゾ・ロワール企業代表と,総額2億ドルに上る鉄鋼工場群の建設に関する基本契約に調印。 (注)この工場はハノイ北方80キロ地点タイグエンで建設。現地原料とホンガイ炭を使用。80年代に年産25万ないし50万トンの鉄鋼生産を目指す。
DIA-201-1977-11-11-2ベトナム1977年11月11日1970年代11~14日,南部の畜産と獣医の科学・技術会議開催。
DIA-201-1977-11-12-1ベトナム1977年11月12日1970年代ニャンザン紙;政府閣議は第2次5カ年計画の農業生産目標を達成するため,水利施設の建設戦線で連続的に大衆運動を展開すると決議。現在,北部全体では農作地110万haの灌漑水(引入と排出)を保障,南部全体では40万haの水を保障できる。しかし,技術,管理,経済面ではまだ欠陥が多い。
DIA-201-1977-11-12-2ベトナム1977年11月12日1970年代ラオス農業,林業,水利省代表団(団長カムスク・セィニャセェン同省大臣),ハノイを訪問。
DIA-201-1977-11-13-1ベトナム1977年11月13日1970年代ニャンザン紙;党政治局は中央委と内閣の直轄経済管理中央研究所の設立を決定。同研究所の資格,任務,根限などは次のとおり。 ○政府内閣の1省,党中央委の委員会に相当。 ○全国の社会主義の経済管理系統を研究。経済管理に関する各提案を作成,政治局と内閣に提出する。国全体の経済管理の実践を総括。小生産から大生産へ進行過程の経済規律を研究,運用。社会主義各国とその他各国の経済管理の組織経験を研究,国の社会主義の経済管理を科学的に建設。 ○経済管理に関する党と国家の高級幹部の水準を培養,地方の経済管理の幹部養成について,各学校と養成所を指導する,また研究内容と方法も指導する。
DIA-201-1977-11-13-2ベトナム1977年11月13日1970年代デンマーク政府の国際発展協力局代表団(団長ハンサ・ジェトベクソン同外務次官)は経済協力について協議するため,ハノイを訪問。
DIA-201-1977-11-13-3ベトナム1977年11月13日1970年代ホー市人民裁判所はLuc luong dan quan Phuc quoc(復国民兵勢力)と自称した反革命組織10人に判決。犯罪内容と判決は,反革命の宣伝,紙幣偽造,武装反乱。死刑3人,終身刑3人,その他3年~20年刑。
DIA-201-1977-11-14-1ベトナム1977年11月14日1970年代グエン・チ・ビン(女史)教育相,イラクを訪問。
DIA-201-1977-11-14-2ベトナム1977年11月14日1970年代ニャンザン紙;ベンチエ省でGiong tromポンプ中継所工事を完成,同所はポンプ10台を使用,1日当り揚水4000m3,農作地1万1000haの灌漑水を保障。
DIA-201-1977-11-14-3ベトナム1977年11月14日1970年代農業省主催で14~17日,農業開発大会開催。1976~77年(同年9月末まで)の2年間に全国の132万9000人(その中労働者56万人を含む)を新経済地区建設に参加させるため移住,また数十万人は各都市から帰郷し,生活を再建。
DIA-201-1977-11-14-4ベトナム1977年11月14日1970年代Tran Ouynh科学技術主任は14~21日ルーマニアを訪問,同国と協力協定に調印。
DIA-201-1977-11-15-1ベトナム1977年11月15日1970年代食糧食品省は南部クーロン省に15省(ツウンハイ省以南ミンハイ省まで)の食糧買入責任者を召集し,1977年の食糧買入工作の総括大会を開く。10月30日現在,買入の年間計画の83.8%に達し,5ヵ月間の入庫量は昨年同期と比べ8万3404トン増。
DIA-201-1977-11-15-2ベトナム1977年11月15日1970年代食糧食品省はオランダ政府の第2回贈与米2万トンを積載した船がハイフォン港に到着と発表。
DIA-201-1977-11-15-3ベトナム1977年11月15日1970年代Vu Tien駐フィリピン初代大使,マルコス大統領に信任状提出。
DIA-201-1977-11-16-1ベトナム1977年11月16日1970年代ニヤンザン紙;Nguyen van Kinh 党中央委対外副委員長はアフリカ党(P.A.I.G.C)中央委第3回大会(15~20日)に参加するため,ハノイを出発。
DIA-201-1977-11-16-2ベトナム1977年11月16日1970年代ダクラク省人民委は省都ブオンメツート市内Tay Nguyen大学を完成,開校式を開催。
DIA-201-1977-11-16-3ベトナム1977年11月16日1970年代ニャンザン紙;ハソンビン省人民委はラムドン省の新経済地区の建設従事のため,10~11月の2カ月間に5000人を移動する。第1陣2630人は同地に到着。
DIA-201-1977-11-16-4ベトナム1977年11月16日1970年代ニャンザン紙;ホアン・ゴク・ベト労働総同盟中央委議長,ラオスを訪問。
DIA-201-1977-11-17-1ベトナム1977年11月17日1970年代ニャンザン紙;ファット副首相はハノイ訪問中(7~16日)の日本の共同通信社代表団(団長酒井新二同編集主幹)と会見。
DIA-201-1977-11-17-2ベトナム1977年11月17日1970年代首相府は新経済地区の建設と開墾および労働者移動の成果を発表。10月末までに各都市から新経済地区の建設の労働者11万3000人を移動。計画の31.6%,開墾から生産開始15万3000ha,年間計画の56.7%に達す。
DIA-201-1977-11-20-1ベトナム1977年11月20日1970年代ニャンザン紙;タイビン省人民委は新経済地区の建設従事に同省の青年男女20万人を派遣するが,第一陣,数万人が建設地点に到着。
DIA-201-1977-11-20-2ベトナム1977年11月20日1970年代党と政府代表団,正式に中国訪問―団長レ・ズアン党中央委書記長,副団長レ・タイン・ギ政治局員兼副首相兼国家計画委員長。団員:スアン・トイ中央委員・党対外連絡委員長兼国会副議長・事務局長,Bui San中央委員・ビンチチエン省党委書記。25日広洲から特別機で帰国。
DIA-201-1977-11-21-1ベトナム1977年11月21日1970年代ニャンザン紙;南部各省での今冬春季の稲植付目標54万7000ha,前年同期より12万1000ha増。しかし,現在のところ灌漑水の確保面積は15万haしかない。残る30万haは自然水源に依存しており,水源の管理と開発を増強,拡大する必要がある。 ニャンザン紙;チエンザン省党委はゴコンとカイライ両県で,合作社のモデル地区を設立。
DIA-201-1977-11-21-2ベトナム1977年11月21日1970年代横浜市ピンポン代表団(団長飛鳥田一雄同市市長),友好試合のため,ハノイを訪問。26日飛鳥田市長はドン首相と会見。
DIA-201-1977-11-21-3ベトナム1977年11月21日1970年代(ハノイ)Dinh van Tram対外貿易省社会主義諸国局長はソ連のバプロプ貿易代表とソ連供給の車両,機械,設備,用具などの技術保護工作改善のための協力協定に調印。
DIA-201-1977-11-21-4ベトナム1977年11月21日1970年代中国芸術代表団,ハノイを訪問。25日にホー市を訪問。
DIA-201-1977-11-22-1ベトナム1977年11月22日1970年代第2次内閣改造―国会常務委は政府の内閣一部改造の提案を承諾,改造内容は次のとおり。 ○Dong Si Nguyen建設次官は建設相に昇格。 Do Muoi副首相は兼任する建設相を辞任,基本建設,工業交通運輸,郵便などを担当。 ○Nguyen Van Kha経済中央委副委員長は機械・金属相に昇格。 Nguyen Con副首相は兼任する機械・金属相を辞任。 ○Tran Van Hien商業省次官は商業相に昇格。 Hoang quoc Thinhは同相を辞任。 ○Do Chinhハイフォン市人民委議長は海産開発相に昇格。 Nguyen quang Lamは同相を辞任。
DIA-201-1977-11-22-2ベトナム1977年11月22日1970年代Vo van Quy郵便総局副局長はラオスと郵便関係会談のため,ビエンチャンに到着。
DIA-201-1977-11-22-3ベトナム1977年11月22日1970年代22~26日,ボー・チ・コン副首相兼農相兼南部農業改造中央委員長の主催で,農業集団化の目標に進行するため,生産団結組や生産隊の運動促進,試験としての県単位建設と合作社建設などの討議大会開催。
DIA-201-1977-11-23-1ベトナム1977年11月23日1970年代政府はデンマーク政府の食糧援助計画による第1次分とうもろこし5820トンを載せた船がハイフォン港に到着と発表。
DIA-201-1977-11-24-1ベトナム1977年11月24日1970年代(モスクワ)グエン・カイン・トアン社会科学委員長はA.V.シドリェンコ・ソ連科学アカデミー副議長と,1978~79年度の科学協力協定に調印。
DIA-201-1977-11-26-1ベトナム1977年11月26日1970年代ホー共産青年団中央委と全国青年連合協会は来年夏ハバナで開催される第11回世界青年大会に対する準備会の組織のため,大会を開く。バオ共産青年団中央委第1書記とレ・クアン・ビン青年連合協会会長をそれぞれ準備会の正副議長に選出。
DIA-201-1977-11-26-2ベトナム1977年11月26日1970年代ラオス教育体操・儀典省代表団(団長ビシエン・ブンハクサ同省次官),ハノイを訪問。
DIA-201-1977-11-27-1ベトナム1977年11月27日1970年代ニャンザン紙;Vu Lap党中央委員とNguyen van Kinh党対外委副委員長ら代表団はアンゴラ解放人民戦線党の第1回全国大会(12月4~10日)に参加するため,ハノイを出発。
DIA-201-1977-11-28-1ベトナム1977年11月28日1970年代ド・ムオイ副首相はルーマニアを訪問するため,ハノイを出発。同国滞在中,経済科学技術協力委に出席。12月8日同委第5回総会の文件に署名。またダオ対外貿易次官は78年の両国の物資交換・支払い各議定書に署名。ツウン大使は同国のナムディン実業学校の建設工事無償援助に関する文件に署名。
DIA-201-1977-11-29-1ベトナム1977年11月29日1970年代ニャンザン紙;南部個人経営商工業改造委と運輸省の合同で,ホー市で関係責任者を召集。南部名省と都市の個人と資本家組織の運送力量に対する社会主義改造の促進方法を討議。
DIA-201-1977-11-29-2ベトナム1977年11月29日1970年代ダン・ゴク・バオ共産青年団中央委第1書記代表団,ラオスを訪問。
DIA-201-1977-11-29-3ベトナム1977年11月29日1970年代ラオス・ベトナム友好協会代表団(団長ドオン・スンナラト同会副会長),ハノイを訪問。
DIA-201-1977-11-30-1ベトナム1977年11月30日1970年代党中央委はタイ共産党中央委あて,同党創立35周年記念の祝電を送る。
DIA-201-1977-11-30-2ベトナム1977年11月30日1970年代ニャンザン紙;漁業部門の今年10カ月間の漁獲量50万トン。
DIA-201-1977-12-01-1ベトナム1977年12月01日1970年代ニャンザン紙;ハノイ市党委常務委は党員資格と成績を審査した結果,党規約に違犯する党員を除名,あるいは警告。現在,同市党組織の1126の基礎では優秀党員の比率が1975年より22%増。悪い成績の党員の比率が3%に減少。
DIA-201-1977-12-01-2ベトナム1977年12月01日1970年代ニャンザン紙;アンザン省の6県と2市の40村落で売買合作社が設立され,同省の村総数の50%を占め,加入社員数12万8352人,社員の投資金総額69万3960ドン,また今年初めから売り上げ金額158万0336ドンに達す。
DIA-201-1977-12-01-3ベトナム1977年12月01日1970年代タイと国家関係正常化の合意書に調印―リエム駐ラオス大使はビエンチャンで,セット・ヘラバト駐ラオス大使と両国関係正常化問題について会談後,合意書に調印。その合意書の2項目は次のとおり。 ○両国間の友好と協力関係の発展,東南アジア地域の真の平和,独立,中立事業に貢献するため,1976年8月6日ハノイで調印したコミュニケとその関連各議定書を全面的に実行。 ○両国代表は両国間の関係正常化のため,万全な諸方法をただちに実行すると約束。
DIA-201-1977-12-01-4ベトナム1977年12月01日1970年代(ベルリン)グエン・バン・ダオ対外貿易次官は東ドイツ政府代表と,1978年の両国物資交換・支払い協定に調印。
DIA-201-1977-12-02-1ベトナム1977年12月02日1970年代ニャンザン紙;ナムディン紡織工場は11月末までに1976年より輸出用綿製品200万mを増産,また,輸出用綿糸の生産は3倍に増加。
DIA-201-1977-12-03-1ベトナム1977年12月03日1970年代チャン・フー・ズ軽工業相はビンフー紡織総合工場に技術援助の中国専門技術団と個人に友好勲章27個を贈与。
DIA-201-1977-12-03-2ベトナム1977年12月03日1970年代ウーディン・リユ・ホー市人民委員長は東ドイツのライプチッヒ市とホー市が姉妹都市を結ぶと発表。
DIA-201-1977-12-04-1ベトナム1977年12月04日1970年代東ドイツ党政府代表団と,友好・協力,共同声明,文化・科学および経済援助の諸協定に調印。
DIA-201-1977-12-04-2ベトナム1977年12月04日1970年代ファン・アン平和委員長はモンゴル訪問のため,ハノイを出発。
DIA-201-1977-12-05-1ベトナム1977年12月05日1970年代ニャンザン紙;ホー市の第1肥料工場は4日までに77年の生産計画(6万トン)を完遂。
DIA-201-1977-12-05-2ベトナム1977年12月05日1970年代ドン首相とチン副首相兼外相はワルトハイム国連事務総長のウムブリッチ特使ら代表団(同代表は11月21日から来訪)と会見。代表団の訪問目的は,国連第32回総会のベトナム復興援助決議の実現について現地で調査分析し,またベトナム政府と意見を交換。
DIA-201-1977-12-05-3ベトナム1977年12月05日1970年代中国映画製作公司代表団はベトナム全国訪問の日程を終え,帰国。滞在中ベトナム映画関係責任者と両国の映画製作と上映の協力・作品交換・配給などの協定に調印。
DIA-201-1977-12-06-1ベトナム1977年12月06日1970年代ニャンザン紙;ビルマ政府芸術使節団(団長ウーヌンツ文化省芸術局長),公演のためハノイに到着。
DIA-201-1977-12-08-1ベトナム1977年12月08日1970年代ニャンザン紙;ハノイ近郊の国際級空港の建設工事が一部完成。とくに大型旅客機の離着陸滑走路を完成。
DIA-201-1977-12-08-2ベトナム1977年12月08日1970年代ヴー・バン・カン医療相ら代表団,フランスを訪問。滞在中,シーモン仏医療相と医学協力協定に調印。
DIA-201-1977-12-09-1ベトナム1977年12月09日1970年代ニヤンザン紙;Hoang trong Dai対外貿易次官はマルタ共和国訪問中,同国と貿易・経済・科学技術協力協定に調印。
DIA-201-1977-12-09-2ベトナム1977年12月09日1970年代ニャンザン紙;ビンチチエン省党委と人民委は今年初めから今日までにダクラク,ジヤライ・コントム両省の新経済地区の建設に労働者1万5000人を派遣。
DIA-201-1977-12-09-3ベトナム1977年12月09日1970年代ハンフリー米民主党上院議員は上院総会で同国政府の対ベトナム貿易禁止条令の撤回を要求する演説。
DIA-201-1977-12-11-1ベトナム1977年12月11日1970年代ニャンザン紙;統計総局集計によれば,5日までに北部の18省と都市で秋稲収穫が109万6000ha,植村の90%に達す。そのうち平原各省の収穫は完了。冬季の野菜栽培20万7000ha,計画の81.6%に達す。また,南部13省と都市では秋稲収穫が13万7385haに達す。
DIA-201-1977-12-11-2ベトナム1977年12月11日1970年代ニャンザン紙;国連の世界食糧計画機構(W.F.P)はベトナムの天災,干ばつの克服に対し緊急食糧援助を決定。また植林と水利工事の援助に関する2つの草案を承認,総額3370万ドル相当。
DIA-201-1977-12-12-1ベトナム1977年12月12日1970年代ニャンザン紙;中部地帯7省とタイグエン地区ではマラリア病の患者136万8500人が完全に回復。
DIA-201-1977-12-13-1ベトナム1977年12月13日1970年代ニャンザン紙;ホー市商業局は人民の衣服縫製業を促進する目的で,労働者1500人を縫製部門に採用し,ミシン1200台を動かし,合作社の集団生産方式を組織。
DIA-201-1977-12-15-1ベトナム1977年12月15日1970年代(モスクワ)ダオ対外貿易次官はグリシン・ソ連対外貿易次官と,両国の78年の物資交換・支払い議定書に調印。同議定書の内容はソ連から,機械,設備,原料,燃料などを供給。その他設備,農産物,建設資材の供給量の増加,ベトナムから伝統的物資,原料,農林産物,手工芸品,軽工業品などを供給。議定書の外,食糧供給の補充分として借穀援助協定にも調印。
DIA-201-1977-12-16-1ベトナム1977年12月16日1970年代(ベルリン)Le Quy テレビ局副局長は東ドイツ政府代表と78年のテレビ関係の協力計画書に調印。
DIA-201-1977-12-16-2ベトナム1977年12月16日1970年代ニャンザン紙;ハウザン省の商業社会主義化の成果は,省内の村総数の80%で売買合作社が成立。現在,123売買合作社あり,加入社員は約20万人,加入資本金約100万ドン。省内全体で売店130店を設置,物資分配組700組を設立。今年10カ月間に61社の売り上げ金額1100万ドンに達す。
DIA-201-1977-12-18-1ベトナム1977年12月18日1970年代ニャンザン紙;党の農業中央委と農民団体代表大会準備委は共同で,ホー市で南部(ドンナイ省からミンハイ省まで)各省の農民協会の代表大会を開催。2年間の各省の農民協会の活動,とくに集団生活と集団生産の運動成果を検討,また今後の運動方向を討議。
DIA-201-1977-12-19-1ベトナム1977年12月19日1970年代ニャンザン紙;電力と石炭部門は76年より77年に農業生産の服務を増大。電力は農業生産に2億5550万kw/hを供給,計画の80%に達す。北部だけでは,昨年より供給量3300万kw/h増,したがって,農業服務の電力は商業電力総量の17.2%を占あた。また石炭は23万9513トンを供給,計画より19.75%越える。
DIA-201-1977-12-19-2ベトナム1977年12月19日1970年代ニャンザン紙;ハウザン省党委と人民委の両常務委は,同省の1978年と1980年の農業生産目標を決定。1978年の全省の食糧生産124万8000トン,そのうち,雑穀10万トン。また1980年までの食糧目標220万トン,そのうち,籾米190万トン,雑穀30万トン。
DIA-201-1977-12-20-1ベトナム1977年12月20日1970年代ニャンザン紙;南部20省と都市は現在までに基本的に文盲を一掃。12月末までに140万人が読み書きでき,文盲人総数の95%に達す。
DIA-201-1977-12-20-2ベトナム1977年12月20日1970年代ファン・ヒエン外務次官はパリの大使館内で,米政府代表団(同月19~20両日)と会談。会談後の記者会見で,今会談で両代表とも会談継続に同意,次回の日時と場所は外交ルートを通じて通知,またベトナム領海侵入の米国人3人の釈放を通告,米国の招待で,来年初め,ホノルルの米軍の遺体確認センターの訪問を受けたと発表。
DIA-201-1977-12-20-3ベトナム1977年12月20日1970年代国会第6期第3回総会開催―レ・タイン・ギ副首相兼国家計画委員長は国家5カ年計画の基本任務と主要目標,78年の国家計画の具体的任務と主要目標を報告。28日,上記の報告ならびに76年の決算と78年の予算を承認して閉会。
DIA-201-1977-12-21-1ベトナム1977年12月21日1970年代ドン首相はバチカン系のカトリック世界大会に参加して帰国したTrinh nhu Khue(大司教・北部出身),Nguyen van Binh(司教・サイゴン地区),Trinh van Can(司教・中部出身)の全国カトリック教最高指導者代表団と会見。
DIA-201-1977-12-21-2ベトナム1977年12月21日1970年代(プラハ)ダオ対外貿易次官はチェコ政府代表と,1978年の物資交換・支払い議定書に調印。
DIA-201-1977-12-22-1ベトナム1977年12月22日1970年代人民軍創立31周年記念式典開催。
DIA-201-1977-12-23-1ベトナム1977年12月23日1970年代ニャンザン紙;電力と石炭部門は1977年の生産計画を102.3%達成。
DIA-201-1977-12-24-1ベトナム1977年12月24日1970年代ニャンザン紙;全国各省と都市では1977年の水利建設の成果として農作地400万haへの引入と排出の灌漑用水を保障。
DIA-201-1977-12-24-2ベトナム1977年12月24日1970年代ニャンザン紙;ホー市では小工業と手工業各企業は輸出用品の生産増加のため,新しい労働者5万人を採用。
DIA-201-1977-12-25-1ベトナム1977年12月25日1970年代ニャンザン紙;北部各省の農民集団組織代表の議長級大会。
DIA-201-1977-12-26-1ベトナム1977年12月26日1970年代ニャンザン紙;郵便総局は1977年に通信系統網3400kmを敷設,300工事を施工。
DIA-201-1977-12-26-2ベトナム1977年12月26日1970年代ニャンザン紙;クアンニン石炭地区の運送強化のため,Kep-Uong bi C間の100kmの鉄道建設工事を完成。
DIA-201-1977-12-26-3ベトナム1977年12月26日1970年代チン副首相兼外相は公式にラオスを訪問するため,ビエンチャンに到着。同国の国家と政府首脳と会談し28日まで滞在。同行者:Vo dong Giang外務次官(大佐・元革命政府国防次官),Le duy Trinh農業次官,・Vu Thanh外務省第2アジア局長代理。
DIA-201-1977-12-27-1ベトナム1977年12月27日1970年代ニャンザン紙;ハノイ市建設局は1977年に住宅12万m2を完成,昨年より倍増。 タイ政府の民間航空代表団(団長パラシト・ナロンジェト交通運輸次官),ハノイを訪問。両国航空路の開設交渉を行なう,同団長はクリアンサック同国首相の親書をドン首相に手渡す。
DIA-201-1977-12-27-2ベトナム1977年12月27日1970年代ニャンザン紙;ハノイ市では1977年に,工業と手工業各企業と建設部門に労働者5万3000人を新しく採用。
DIA-201-1977-12-28-1ベトナム1977年12月28日1970年代ニャンザン紙;南部各省の農業生産に関する社会主義集団化運動の発展状況は,ベンチェ省では5月末までに集団生産組織1900組が設立され,組合員4万3000人。生産地の管理,労働力,農具,生産物分配の管理を実現。ドンナイ省では生産組1000組,加入組合員農民1万8000世帯,生産地1万ha以上を管理。
DIA-201-1977-12-28-2ベトナム1977年12月28日1970年代ニャンザン紙;ホンガイ石炭公司は25日までに年間生産指標の100~104を達成。選炭済で1976年より11.5~25%増,年間生産計画以外の増加分100万トンの生産に努力。
DIA-201-1977-12-28-3ベトナム1977年12月28日1970年代チン副首相兼外相,初めて正式にASEAN諸国を歴訪―チン外相を団長とする代表団はラオス訪問後,インドネシア訪問のため,ジャカルタに到着,31日共同声明発表。
DIA-201-1977-12-29-1ベトナム1977年12月29日1970年代建設と交通運輸両省は合同で,Thang loi道路工事の完成式典を開催。同道路はキューバ政府の技術と資材の援助と協力でXuan Mai-Son tay間を結ぶ。
DIA-201-1977-12-29-2ベトナム1977年12月29日1970年代(ソフィア)Dao対外貿易次官はP.バシカロプ・ブルガリア対外貿易次官と,両国の1978年物資交換・支払い議定書に調印。
DIA-201-1977-12-30-1ベトナム1977年12月30日1970年代ニャンザン紙;党の農業中央委と農民団体代表大会の準備委の合同主催で,クアンナム・ダナン省からソンベ省までの各省農民協会代表はニャチャン市に集まり,大会を開催。2年間の活動を検討,今後の集団化運動の方向を討議。
DIA-201-1977-12-31-1ベトナム1977年12月31日1970年代政府はカンボジアとの国境紛争問題について声明を発表(資料参考)。
DIA-201-1977-12-31-2ベトナム1977年12月31日1970年代ラオス貿易代表団(団長マイスク・サイソムフェン工業・商業相),ハノイに到着。
DIA-201-1978-01-01-1ベトナム1978年01月01日1970年代(ND紙とはNhan Danニャンザン紙のこと。「ND紙」ではじまる記事の日付は,新聞の日付で,事件の日付ではない)
DIA-201-1978-01-01-2ベトナム1978年01月01日1970年代ND紙社説;“友好・団結政策を堅持し交渉の道を通じてカンボジアとの国境問題を解決”。
DIA-201-1978-01-01-3ベトナム1978年01月01日1970年代ND紙;南部における農業作物別専門地区の企画について発表。77年150の国営農場設立。また12の大規模産地指定。
DIA-201-1978-01-01-4ベトナム1978年01月01日1970年代建設省はハノイ首都の西北30km地点で新国際空港建設工事第一段階を完了,開港。滑走路の長さ2800m,幅45mと発表。
DIA-201-1978-01-02-1ベトナム1978年01月02日1970年代ND紙;Che Viet Tan国家計画委副委員長の“労働力の再編,住民移動の目的と計画および目標”と題する論文の重点は次のとおり。 「今後20年間に,北部デルタ地帯と中部平原地帯の密集地区から労働者400万人を含む住民1000万人を北部高原山岳地帯,中部高原地帯,南部メコン・デルタ地帯,南部東区および各海島へ移住させ,経済開発,国防強化に従事させる。500万haを開墾,耕作地1000万ha(現在500万ha)の目標を達成し,新植林700万ha」。
DIA-201-1978-01-02-2ベトナム1978年01月02日1970年代デンマーク王国政府,ベトナムへ食糧を贈与。同日米6050トン運送の第2船がハイフォン港に到着。
DIA-201-1978-01-03-1ベトナム1978年01月03日1970年代カンボジア駐在Tran Xuan Man臨時代理大使は同大使館員全員とともにハノイに帰着。
DIA-201-1978-01-03-2ベトナム1978年01月03日1970年代チン副首相兼外相,マレーシアを公式訪問。ボー・ドン・ジアン外務次官とレ・ズイ・チン農業次官が同行。5日同国政府代表と,貿易,経済,技術などの各協定に調印。6日共同声明を発表。両国の貿易,農業,加工業,航空,海運,郵便,観光,医学研究などで協力のための合同委員会の設立に同意。
DIA-201-1978-01-03-3ベトナム1978年01月03日1970年代マルミエルカ・キューバ外相は同国駐在ハ・バン・ラウ大使と会見した際,カンボジアとの国境紛争についてベトナム政府の昨年12月31日付声明を支持すると表明。
DIA-201-1978-01-03-4ベトナム1978年01月03日1970年代チェコ,ポーランド両外務省声明,ベトナム政府のカンボジアとの国境紛争についての声明を支持。
DIA-201-1978-01-04-1ベトナム1978年01月04日1970年代ND紙;昨年中に全国で住宅83万4000㎡を建設。14の浄水場工事を完成,1日当り人民に水21万を供給。
DIA-201-1978-01-04-2ベトナム1978年01月04日1970年代(プラハ)チェコ・テレビ総局はベトナムのテレビ局に移動中継車の全設備を贈与。
DIA-201-1978-01-04-3ベトナム1978年01月04日1970年代ドン首相はカンボジアとの国境紛争の経過と対策についてVNA通信の質問に次のように回答。 ○75年4月17日のカンボジア解放勝利後,同国領内に居住するベトナム人を残酷に迫害,数千人を殺し,財産を略奪,生存者をベトナムへ追放。同年5月4日フーコク島を攻撃,その後2年間続継的に侵入,攻撃,破壊。 ○昨年12月31日に断交宣言後,侵入行動を増強,ベトナムは忍耐したが,今日忍耐の限度を越えたので,自衛のために反撃しなければならない。
DIA-201-1978-01-04-4ベトナム1978年01月04日1970年代ソ連航空局所属のIL62M型機1機が初めてハノイの新国際空港に着陸。モスクワ―ハノイ間飛行時間は11時間(9000km),今までのTU154型機より6時間短縮,IL18型機より18時間短縮。
DIA-201-1978-01-04-5ベトナム1978年01月04日1970年代東ドイツ外務省は,ベトナム政府の声明を支持と発表。また,仏共産党をはじめ西欧共産党もベトナムの話し合い解決の主張を支持。
DIA-201-1978-01-04-6ベトナム1978年01月04日1970年代(ブダペスト)グエン・バン・ダオ対外貿易次官はハンガリー政府代表と,78年の物資交換・支払い議定書に署名。
DIA-201-1978-01-05-1ベトナム1978年01月05日1970年代ND紙;76~77の2年間に新経済地区の建設に移動した人数は133万人に達す。その中,労働者は56万人で,30万haを開墾。
DIA-201-1978-01-05-2ベトナム1978年01月05日1970年代(ビエンチャン)ベトナム,ラオス,タイの2国代表は会議を開き,メコン開発臨時委員会の設立に同意。
DIA-201-1978-01-05-3ベトナム1978年01月05日1970年代ND紙,昨年中,南部(ツアンハイ省以南)では,橋と排水路の復旧と新設が8750m,農村交通道路1670kmを完成。
DIA-201-1978-01-06-1ベトナム1978年01月06日1970年代ND紙社説は耕作面積拡大のため,78年,メコン・デルタ,南部東区,中部高原地区,中部沿岸,北部南区各省,北部山岳地区などで30万haを開墾,新経済地区を建設,労働者46万人を移動すると述べる。
DIA-201-1978-01-06-2ベトナム1978年01月06日1970年代ND紙;セメント部門の77年の総生産は83万4000トンに達す。住宅建設用レンガ・カワラ生産40億枚。
DIA-201-1978-01-06-3ベトナム1978年01月06日1970年代ND紙;Nguyen Van Trungドンナイ省選出国会議員は国会第6期第3回総会で,同省の経済建設の状況を報告。28村落内で新経済地区を建設,国営7農場を設立。農村労働者と新入植農民のすべては生産農地を持つ。76年と比べ,77年に全耕作面積18.3%増,米作14.3%増,雑穀45%増。75年に平均1人当り食糧生産92kg,77年は214kgに増加,そのうち雑穀が50%を占める。
DIA-201-1978-01-06-4ベトナム1978年01月06日1970年代外務省報道局長は,内外記者団にカンボジア軍の侵入,攻撃,殺害などに関する白書を発表。
DIA-201-1978-01-06-5ベトナム1978年01月06日1970年代チン副首相兼外相は公式にフィリピンを訪問,9日まで滞在。9日同国代表と経済・科学技術協力協定,貿易協定に調印。また共同声明を発表。その中で民間航空協定について近日中に具体的な協議に入ることで合意。また両国は将来対立と紛争事件が発生したならば,和解と友好の精神で協議し解決することで合意。
DIA-201-1978-01-07-1ベトナム1978年01月07日1970年代(ハノイ)ラオスと78年の貿易・支払い協定に調印。
DIA-201-1978-01-09-1ベトナム1978年01月09日1970年代ト副大統領とジャプ副首相兼国防相,ホー市で開催の科学技術者大会に出席,12日まで。
DIA-201-1978-01-09-2ベトナム1978年01月09日1970年代(ハノイ)フィンランド大使と,両国間の貿易・支払い協定に調印。
DIA-201-1978-01-09-3ベトナム1978年01月09日1970年代チン副首相兼外相は公式にタイ王国を訪問。12日まで滞在。10日チェンマイで国王を表敬訪問。11日航空協定,貿易,経済,技術協力協定に調印。共同声明を発表。両国の郵便,国際電信電話交換に同意。海上領海線について友好,平等,理解の精神で討議することに同意,13日ハノイに帰着。
DIA-201-1978-01-10-1ベトナム1978年01月10日1970年代ND紙;Nguyen Trung Tinギアビン省国会議員は国会での報告で,同省の77年に比べた78年の目標として耕作地16.2%増,食糧生産量39.2%増に努力すると述べる。
DIA-201-1978-01-10-2ベトナム1978年01月10日1970年代(北京)Nguyen Chanh対外貿易次官は中国対外貿易次官と78年物資交換・支払い協定に調印。
DIA-201-1978-01-10-3ベトナム1978年01月10日1970年代(チラナ)ダオ対外貿易次官はアルバニア政府代表と78年の物資交換・支払い協定に調印。
DIA-201-1978-01-13-1ベトナム1978年01月13日1970年代ハノイ市人民委はハノイ港拡張工事起工式典を開催。工事期間2年(78~79),工事規模24ha,荷物と貨物の揚陸場8ヵ所348m,船3000トン級が入港可能。
DIA-201-1978-01-13-2ベトナム1978年01月13日1970年代Chanh対外貿易次官はモンゴル滞在中,同国政府代表と78年の物資交換・支払い議定書に署名。
DIA-201-1978-01-14-1ベトナム1978年01月14日1970年代文化省主催により,ホー市で,新植民地主義文化の残跡排除運動大会開催,17日まで。
DIA-201-1978-01-14-2ベトナム1978年01月14日1970年代ND紙,タイニン省で解放後から今日までに社会主義の生産集団へ移行する準備のため,労働力交換組,生産集団などの2300組合が成立。加入農民数3万6700世帯,その中,中堅労働者12万6000人。
DIA-201-1978-01-16-1ベトナム1978年01月16日1970年代ND紙;今年初め1月4~11日までカンボジア軍は連続的にソンベ省からキエンジアン省までの国境隣接各地区へ砲撃,侵入,破壊活動。とくにアンジアン省のTinh Bien地区へ連隊を動員し進攻。
DIA-201-1978-01-16-2ベトナム1978年01月16日1970年代ND紙;ビンチチエン省の解放後の食糧生産の状態。同省人口180万人以上,面積180万ha,その中,可耕地面積は50万ha以上。75年には生産地17万8547haで食糧生産量24万0283トン,77年には23万7960haで,生産量は75年の倍に増加。また地雷と不発弾除去数は76年に600万個,77年に22万個。
DIA-201-1978-01-16-3ベトナム1978年01月16日1970年代ND紙;家族計画運動の成果は北部では62~76年の間,年間人口増加率が3.4から2.5%に減少。年間産婦率は62年の22.6%から76年16.06%に減少。党政府の目標は,80年に人口増加率を2%に減らし,避妊婦人率を5%にすること。北部ではこの計画実行は111%,南部では41%に達す。また78年に全人口増加率を77年比1.5%減らすよう努力。
DIA-201-1978-01-16-4ベトナム1978年01月16日1970年代新憲法起草委員会は第4回総会で,同憲法草案が党と政府の中央レベルで討論を完了,全国地方各級幹部と人民団体責任者へ送り,討論会を開くよう指示することを決定。
DIA-201-1978-01-17-1ベトナム1978年01月17日1970年代ND紙;77年にホー市内で失業者2万5000人を手工業に吸収,現在4万6845人が手工業の29合作社で働く。フエ市でも失業者2471人を縫織業に吸収。
DIA-201-1978-01-17-2ベトナム1978年01月17日1970年代東ドイツ党中央委監察委代表団(団長エリヒ・ミャッケンベルガー党政治局員・同委委員長),ハノイ着。
DIA-201-1978-01-17-3ベトナム1978年01月17日1970年代カイソン・ラオス党書記長兼首相はレ・ズアン党書記長とドン首相あてに覚書を送る。その中でベトナムとカンボジア両兄弟国の国境武力紛争に対し,紛争が長びくと両国の復興と建設に悪い影響を与えるとの心配を表明。
DIA-201-1978-01-17-4ベトナム1978年01月17日1970年代ホー市で母子保護全国大会開催。20日まで。昨年中に全国で保育園と託児所3万9000ヵ所を設立。76年と比べ108.2%増。保母10万9800人,そのうち文化程度第2,3級者は57%を占める。園児82万6000人。
DIA-201-1978-01-19-1ベトナム1978年01月19日1970年代ND紙;全国農業改造中央委員会は南部の重点各省・県の農業改造工作担当幹部300人以上を集め,改造の基本理論と業務問題に関するゼミナールを開催。Phan Van Dang, Pham Van Kiet両農業改造委副委員長(両者ともメコン・デルタ出身)が出席。
DIA-201-1978-01-19-2ベトナム1978年01月19日1970年代ND紙;ホー市人民委は1年間以上にわたる小工業・手工業者集団化運動の成果を発表。現在,46合作社と集団生産1071組合を組織。労働者4万8060人がそれらの合作社と組合に加盟。77年の生産総額3億8400万ドン(76年と比べ2倍に増加)。輸出用生産品は76年に比べ,77年は5倍に増加。
DIA-201-1978-01-20-1ベトナム1978年01月20日1970年代ND紙;政府は私営商工業改造中央委員会の設立を決定。同委員会のメンバーは次のとおり。委員長:Do Muoi副首相(政治局員),副委員長:Vo Van Kietホー市党委書記(政治局候補),Hoang Ouoc Thinh前商業相(党中央委員),Le Trung Toan, Pham Van Kiet南部商工業改造委副委員長。
DIA-201-1978-01-20-2ベトナム1978年01月20日1970年代Nguyen Ouang Huyネパール王国駐在初代大使は同国ビレンドラ国王に信任状を提出。
DIA-201-1978-01-21-1ベトナム1978年01月21日1970年代ND紙;第7・9軍管区の合同発表によると,18日,領内の奥5km(タイニン省)に侵入したカンボジア軍の8人を消滅。19日同軍は同省郊外に130ミリ大砲70発を打ち込み,市民4人が死亡。同日アンジアン省国境隣接区に侵入したカンボジア軍2個大隊を全滅。
DIA-201-1978-01-23-1ベトナム1978年01月23日1970年代ジャプ国防相はカンボジア国境隣接第7軍管区の各部隊を訪問―ND紙;ジャプ大将はLe Trong Tan副参謀長,Bui Phung軍補給総局主任,Dang Vu Hiep軍政治総局副主任などを伴い,第7軍区を訪問。同軍区のTran Van Tra軍区司令官兼政治主任,Vo Van Thauh, Dong Van Cong両副司令官,Hoang Camホー市防衛司令官兼政治主任と,軍区内の軍事状況と軍経済建設について討議。
DIA-201-1978-01-24-1ベトナム1978年01月24日1970年代ND紙;77年中に全国人民の節約預金総額1億ドンに達す。
DIA-201-1978-01-24-2ベトナム1978年01月24日1970年代(プラハ)Phung The Tai民間航空総局長はチェコ航空総局長と航空協定に調印。
DIA-201-1978-01-24-3ベトナム1978年01月24日1970年代Cbanh対外貿易次官は北朝鮮訪問中,同国政府代表と78年の物資交換・支払い協定に調印。
DIA-201-1978-01-25-1ベトナム1978年01月25日1970年代ND紙;国境地区司令部発表によると,17,18両日,ドンタプ省とアンジャン省の奥3km地点にカンボジア軍が進撃,21日キエンジャン省各地区の奥8km地点に侵入,占領。地方軍が反撃して,1060人を全滅,多数を捕虜にし,武器441丁を捕獲。
DIA-201-1978-01-25-2ベトナム1978年01月25日1970年代外務省新聞局はホー市で内外記者団に,今月1~20日まで,アンジャン,キエンジャン,ドンタプ,ロンアン,タイニン各省にカンボジア軍が侵入した犯罪経過と証拠を公表。
DIA-201-1978-01-26-1ベトナム1978年01月26日1970年代Ngo Dien外相補佐兼同省新聞局長は内外記者団を案内し,カンボジア軍の領内侵入,村落破壊,農民殺傷の現場を視察。
DIA-201-1978-01-28-1ベトナム1978年01月28日1970年代ミロット・ビエリッチ国連経済社会理事会事務長,ハノイ訪問。2月7日まで。
DIA-201-1978-01-31-1ベトナム1978年01月31日1970年代ND紙;解放後,昨年12月末までに南部各省では文盲一掃運動の成果が92.18%に達す。
DIA-201-1978-01-31-2ベトナム1978年01月31日1970年代(ハノイ)ギ副首相はフサール・イシュトヴァーン・ハンガリー副首相と,両国の78~80年経済協力計画書に署名。
DIA-201-1978-01-31-3ベトナム1978年01月31日1970年代国境防衛司令部の発表によると,カンボジア軍はタイニン省ロンホア市場に大砲130ミリを37回打ち込み,買物客30人が死亡。また同省国境公安隊に大砲82ミリを100回打ち込み,チャウドク市の住民区には11回打ち込む。
DIA-201-1978-02-01-1ベトナム1978年02月01日1970年代ND紙;水産部門はホー市で全国大会を開催。77年の海産物生産50万7000トン,輸出用冷凍海産物6700トン,国家による海産物買入18万970トン(76年比14.7%増)。
DIA-201-1978-02-01-2ベトナム1978年02月01日1970年代インド政府経済代表団,ハノイ着。7日まで滞在。団長:S.クンドゥ外務省審議官,団員P.C.ルツア設備輸出公司総裁,D.P.グプタ工業開発銀行総裁,V.S.ナタラジャン国立銀行総裁,その他製鉄,鉱山,財政,貿易などの代表を含む。
DIA-201-1978-02-01-3ベトナム1978年02月01日1970年代ズアン党書記長とドン首相は2月1日付で覚書をカイソン・ラオス党書記長兼首相あてに送り,その中でベトナムの党・政府の昨年12月31日と2月5日の声明と提案に対し現在,カンボジア側はまだ返事をしていないが,しかしどんな事態となっても,最大限に努力し忍耐し,ベトナム,ラオス,カンボジア兄弟3国の人民の団結を固く守り,平和的に問題を解決することを再確認。
DIA-201-1978-02-02-1ベトナム1978年02月02日1970年代ND紙;越ソ経済科学技術協力合同委の海運部門協力工作責任者はモスクワで第2回会合を開催。
DIA-201-1978-02-03-1ベトナム1978年02月03日1970年代外務省は,米政府が発表したDinh Ba Thi国連大使とスパイ活動事件との関連を全面的に否定。また同大使に対する国外退去要求について,47年の米国と国連の国連協定に違犯すると抗議。
DIA-201-1978-02-04-1ベトナム1978年02月04日1970年代党中央委政治局は全国の幹部と人民の間での新憲法草案討論集会について2段階の組織を指示。第一段階では党,政府,軍隊,民族戦線内,高級幹部と中級幹部,各国会代表,また省・都市人民代表の間で討論集会を開催,草案に補充。第二段階では一般幹部,労働者,農民,兵士,公務員,また一般人民各界層の間で討論集会。
DIA-201-1978-02-05-1ベトナム1978年02月05日1970年代政府はカンボジアとの国境紛争の解決に対する3項目提案を発表。―1.両国は国境線沿いの地区では敵対的挑発的軍事活動を全面停止,両側の武装部隊は国境線から自国領内奥の5km地点まで撤退。2.両政府代表はハノイ,あるいはプノンペン,また両国の国境線上の地点で会合,討議し,国境協定を締結。相区の独立,主権および領土保全の尊重を厳格に約束。相互の侵略,武力行使,武力によるおどかしなどの行為をせず,相互の内部干渉,クーデター活動などを実行せず,相互の平等な待遇,良い善隣関係により平和的友好的に共存する。3.両国は国際保証と国際査察の適当な形式に同意。
DIA-201-1978-02-06-1ベトナム1978年02月06日1970年代チン副首相兼外相はワルトハイム国連事務総長あてにカンボジアとの国境紛争についての覚書を送る。また同日非同盟諸国外相あてに同問題についての覚書を送る。両覚書の中であくまでも話し合いで解決をはかることを確認。
DIA-201-1978-02-06-2ベトナム1978年02月06日1970年代中ソ・東欧各国駐在大使は同各国外務省に,ベトナム政府のカンボジアとの国境紛争の解決案を手渡す。
DIA-201-1978-02-07-1ベトナム1978年02月07日1970年代(ビエンチャン)プン・シパスート副首相兼外相はHoat駐ラオス臨時代理大使との会見で,ベトナム政府の2月5日付3項目提案を全面的に支持すると表明。また同外相は,その提案は合理的な提案であり,カンボジア政府は早急に回答し,紛争の中止,友好と平和の回復をはかることを希望。
DIA-201-1978-02-10-1ベトナム1978年02月10日1970年代ND紙;4~5両日カンボジア軍はタイニンとロンアン両省の国境隣接都市に130ミリ大砲多数を打ち込み,一般市民10人が死亡,25人が負傷。また同時期,第2師団第11連隊はアンジアン省に侵入,同地方の軍隊が反撃して4個大隊をせん滅,1000人以上を戦闘不能にし,多数を捕虜に。
DIA-201-1978-02-10-2ベトナム1978年02月10日1970年代(モスクワ)Hoang Xuan Tuy大学・実業中学省次官はソ連政府代表と,大学と中学の教育問題に関する両国協力協定に調印。両国の学位の相互承認に関する議定書に署名。
DIA-201-1978-02-11-1ベトナム1978年02月11日1970年代電力石炭省発表。77年の全国の電力生産総量は30億kW/h。
DIA-201-1978-02-13-1ベトナム1978年02月13日1970年代(ビエンチャン)国際民間航空機構主催によりラオスとベトナムの領空通過問題会議開催。参加者は主催者の外,各国民間航空会社代表,国際パイロット連盟,ベトナム,ラオス,タイおよび香港航空公司代表。同会議は通過問題の技術,運賃,通過料,通過手続などを解決。3月23日以後の通過実現に同意。
DIA-201-1978-02-15-1ベトナム1978年02月15日1970年代ソ連のレーニングラード市党委代表団(団長G.U.ロマノフ同市党第一書記・政治局員),ハノイに到着。
DIA-201-1978-02-17-1ベトナム1978年02月17日1970年代ディン・バー・チ国連大使は米国の国外退去要求によりハノイに帰着。
DIA-201-1978-02-17-2ベトナム1978年02月17日1970年代モンゴルのウランバートル市党委代表団(団長B.アルタンゲレル政治局員・市党委第一書記),ハノイ着。
DIA-201-1978-02-17-3ベトナム1978年02月17日1970年代ポーランド政府代表団(団長エミン・ボイタセッチ党中央委員兼外相),ハノイに到着。
DIA-201-1978-02-18-1ベトナム1978年02月18日1970年代南部軍事最高責任者代表団,訪ソ―Tran Van Tra副参謀長兼第7軍管区司令官・同軍区政治主任ら代表団はソ連軍建軍60周年記念式に出席するため,モスクワに到着。3月1日ハノイ帰着。
DIA-201-1978-02-20-1ベトナム1978年02月20日1970年代ND紙;小工業と手工業部門の77年生産実績は生産総額32億ドン,そのうち北部の生産は15億4000万ドン。
DIA-201-1978-02-20-2ベトナム1978年02月20日1970年代ソ連党中央委教宣委代表団(団長V.N.セービルク同委副委員長),ハノイに到着。
DIA-201-1978-02-21-1ベトナム1978年02月21日1970年代(ハノイ)国連メコン委員会の主催で臨時委員会開催。参加国:ラオス代表,タイ王国代表,ベトナム代表。22日に同委総会開催で全員一致。
DIA-201-1978-02-22-1ベトナム1978年02月22日1970年代(ハノイ)Vu Quoc Uy対外文化連絡主任代理はポーランド大使と78~80年の文化・科学協力計画書に署名。
DIA-201-1978-02-24-1ベトナム1978年02月24日1970年代ND紙;南部の私営資本商工業の種類と社会主義改造の内容は次のとおり。①漁業と魚商,肉と野菜商の私営を完全に排除。②運送と交通部門,出版,印刷企業,製薬などの私営を一歩一歩改造。③私営ホテル,料理店,借家主人に対し試験的改造。
DIA-201-1978-02-24-2ベトナム1978年02月24日1970年代ドン首相,公式にインドを訪問―ドン首相以外の団員はダン・ベト・チャウ対外貿易相,グエン・コ・タク外務次官,ヴー・ゴク・ウィ対外文化連絡主任代理,グエン・バン・シン駐インド大使。
DIA-201-1978-02-24-3ベトナム1978年02月24日1970年代26日インド政府と4つの両国協力協定に調印。①科学技術協力協定,②農業と水利関係の協力協定,③貿易・経済協力協定,④借款協定,ならびに78~79年の文化協力計画書。3月2日共同声明発表。インドは小麦30万トンを有償援助,また貿易信用3億ルピーを供与。
DIA-201-1978-02-25-1ベトナム1978年02月25日1970年代ND紙;党中央監査委はホー市で全国大会を開催。同委の任務は,党員の紀律と国家法律違犯の罪を審査,一般人民の党員に対する苦情を解決。
DIA-201-1978-02-25-2ベトナム1978年02月25日1970年代日本消費者連盟代表団はハイフォン港で売買合作社中央委に商業設備と技術および装備などを贈与品として引渡。
DIA-201-1978-02-25-3ベトナム1978年02月25日1970年代(ウランバートル)Tran Lam放送・テレビ委主任はモンゴル代表と,両国の放送協力協定に調印。
DIA-201-1978-02-27-1ベトナム1978年02月27日1970年代ルーマニア国会代表団,ハノイを訪問。
DIA-201-1978-02-28-1ベトナム1978年02月28日1970年代越日友好協会はハノイで,日本人民のベトナム人民への支援物資の第12回引渡式を開催。
DIA-201-1978-03-02-1ベトナム1978年03月02日1970年代ドン首相ら代表団,公式にスリランカ訪問のため,コロンボに到着。
DIA-201-1978-03-03-1ベトナム1978年03月03日1970年代Chau対外貿易相とUy対外文化連絡委はそれぞれスリランカ政府代表と,貿易協定と文化協定に調印。同代表団は5日ハノイ帰着。
DIA-201-1978-03-03-2ベトナム1978年03月03日1970年代ND紙;カンボジア軍は2月19~26日まで,数百回領土に侵入,攻撃。とくに国道13号南北両側に130ミリ大砲1000発を撃ち込む。
DIA-201-1978-03-03-3ベトナム1978年03月03日1970年代ハノイ市人民裁判所は食糧食品券に対する元中国系ベトナム人を含む投機・ヤミ活動グループに有罪判決。主犯に10年,共犯に5年の刑を判決。
DIA-201-1978-03-03-4ベトナム1978年03月03日1970年代ハノイで祖国戦線中央委第2回総会開催。5日まで。
DIA-201-1978-03-03-5ベトナム1978年03月03日1970年代3~5日フィンランドのヘルシンキで各国議員(参加14ヵ国)会議開催。同会議はベトナムとカンボジアの国境紛争について,ベトナムの2月5日付提案を支持,両者に早急に話し合いで解決するよう決議を採択。
DIA-201-1978-03-06-1ベトナム1978年03月06日1970年代タン大統領,チン国会議長,ドン首相は連名で中国の葉剣英全人代委員長,華国鋒首相あてに祝電を送る。
DIA-201-1978-03-07-1ベトナム1978年03月07日1970年代ND紙;ドンナイ省ビエンホア工業地区では昨年中,機械生産135%増,組立313%増,竹の民芸品554%増,縫製品169%増,木材加工品309%増。
DIA-201-1978-03-07-2ベトナム1978年03月07日1970年代ND紙;ホー市輸出入公司設立。香港とシンガポールなどへ直接輸出権限を持つ。
DIA-201-1978-03-08-1ベトナム1978年03月08日1970年代ND紙;ジャプ副首相兼国防相は徐向前中国新副首相兼国防相あてに同相の就任を祝う祝電を送る。その中で両国軍隊と人民の兄弟的闘争と友情ある団結を永遠に守ると誓約。
DIA-201-1978-03-09-1ベトナム1978年03月09日1970年代ND紙;政府閣議は食糧工作の討議の中で全国の農業生産は人民の食糧と食品,工業原料,輸出用農産物の目標をまだ保障できていないことを認め,今後雑穀に関心をもつよう努力しなければならないことで一致。
DIA-201-1978-03-09-2ベトナム1978年03月09日1970年代呉酌年教授・中国科学院植物学者代表団々長,ハノイを訪問。Tran Dai Nghia科学院々長と,同学問について意見を交換。4月5日まで。
DIA-201-1978-03-10-1ベトナム1978年03月10日1970年代ND紙;ビンチチエン,フーカィン,ツウンハイ,ベンチェ,ミンハイ各省で海産物保存冷凍工場を完成。
DIA-201-1978-03-10-2ベトナム1978年03月10日1970年代ND紙;3~4日,タイニン省軍隊は,同省のサマート地区に侵入したカンボジア軍に反撃し,100人をせん滅。また総合報告では2月27日から3月4日までにカンボジア軍400人に戦死を与える。
DIA-201-1978-03-13-1ベトナム1978年03月13日1970年代S.エプテエプ国連環境計画(U.N.E.P.)機関代表団団長はベトナム全国の視察後帰国。
DIA-201-1978-03-13-2ベトナム1978年03月13日1970年代(ベルリン)東ドイツ政府代表と友好・協力協定の各公文書類の交換式典を開催。
DIA-201-1978-03-14-1ベトナム1978年03月14日1970年代ホー市で労働総同盟の私営商工業改造委拡大会議開催。18日まで。ド・ムオイ副首相兼私営商工業改造中央委員長出席。
DIA-201-1978-03-14-2ベトナム1978年03月14日1970年代アントニ・ダオソン国連世界食糧機構事務長代表団は18日間(2月25日~3月14日まで)ベトナム全域を視察。帰国直前,ハノイで同機構の南部食糧援助の成果に満足の意を表明。新年度援助計画の作成着手を発表。
DIA-201-1978-03-16-1ベトナム1978年03月16日1970年代ND紙;今月4~40日までに国境隣接各県に侵入したカンボジア軍500人に反撃し戦闘不能に。
DIA-201-1978-03-16-2ベトナム1978年03月16日1970年代ND紙;ホー市電力局はダニム・ダム水力発電所からホー市への高圧送電線(230KV)の修理を完了。またチョロン市からミートとゴーコン両市への高圧送電線を敷設すると発表。
DIA-201-1978-03-17-1ベトナム1978年03月17日1970年代ND紙;民間航空総局は,今月16日以後,ハノイ―ビエンチャン間を今までの週2便から3便(火,木,土)に増便。
DIA-201-1978-03-18-1ベトナム1978年03月18日1970年代ND紙;政治局員は,ハノイ訪問中のラドモプ・ソ連党中央委の組織工作副委員長と会談。
DIA-201-1978-03-20-1ベトナム1978年03月20日1970年代ND紙;党中央書記局は,党と政府の価格工作会議を開催。ドン首相,フン副首相,ホアン・アィン副首相兼財政相と価格,賃銀,通貨小委員長が出席。
DIA-201-1978-03-20-2ベトナム1978年03月20日1970年代ND紙;Dang Van Vinh農業省ゴム研究所長はマレーシアを訪問中,同国とゴム生産技術と科学協力の議定書に署名。
DIA-201-1978-03-20-3ベトナム1978年03月20日1970年代ND紙;水利省の全国水利建設の成果の総括書によれば,現在,北部の米作地の完全灌漑面積は85万ha,南部のメコン・デルタ区と東区の水利建設で76年の冬春季(6万4000ha)と夏秋季(7万4000ha)の農作灌漑水を保障。またその施設で,春季灌漑面積は27万3000ha,秋季面積は44万8000haに増加。
DIA-201-1978-03-21-1ベトナム1978年03月21日1970年代ND紙;今月14~16日の3日間カンボジア軍2個連隊は砲兵隊と海軍の支援のもとにキエンジアン省ハチエン地区沿岸を攻撃。また別の2個大隊は16日ソンベー省ブドプ地区に侵入,サ・チャク村の住民100人以上を殺害,家屋120軒を焼壊。同両省地方軍の反撃で戦闘不能と降伏数百人,70人を消滅。
DIA-201-1978-03-22-1ベトナム1978年03月22日1970年代ビクター・ウムブリヒト国連事務総長補佐の主催で,同本部で国連使節団のベトナム訪問報告会と国連各機構のベトナム再建についての討論会を開催。Vo Dong Giang外務次官が同会に出席。
DIA-201-1978-03-23-1ベトナム1978年03月23日1970年代南部で私営商業経営活動の全面禁止令を実施―同日午後2時に南部各省と都市の全域で一斉に私営商業経営活動の禁止令を発動。同私営商業者戸数は3万以上に達し,彼らのすべてを新生産部門に転入させる。
DIA-201-1978-03-23-2ベトナム1978年03月23日1970年代ホー市の労働総同盟と各団体は23~25日集会を開き,私営商工業者に対する社会主義改造を早急に完成,生産を促進するとの決議を採択。
DIA-201-1978-03-24-1ベトナム1978年03月24日1970年代レ・チュン・ナム北朝鮮駐在大使は同国政府代表と,78年~79年の文化交換計画と長期文化協力協定に調印。
DIA-201-1978-03-25-1ベトナム1978年03月25日1970年代ND紙;ホー市共産青年団中央委は同団の昨年中の全活動を発表。①農業生産では,水利工事参加者数370万人,2700万労働日。新経済地区への建設従事回数383万7000回,開墾面積13万1000ha。②工業生産では,工業生産の1万9900設計案を作成。③文化活動では,文盲一掃運動の指導に参加した数12万人。④昨年中の同国への新入団員数30万人。
DIA-201-1978-03-25-2ベトナム1978年03月25日1970年代党中央委書記局は25日付で“国営企業内党組織の建設と増強”を指示。その要点は次のとおり。 ○党基礎組織の指導と検査能力を高める。 ○党組織の建設と増強。 ○国営企業内党中堅幹部の隊列を健全化することを重視。 ○地方各党委は各国営企業内党基礎の組織指導を増強。
DIA-201-1978-03-27-1ベトナム1978年03月27日1970年代ND紙;ホー市と各省では社会主義商業系統を拡大。現在,8省と都市で社会主義商店700ヵ所,代理・小売店数千地点を設置。また各省・都市の村落総数の60%で売買合作社を組織。
DIA-201-1978-03-27-2ベトナム1978年03月27日1970年代ND紙;13~20日までカンボジア国境隣接各省に侵入したカンボジア軍との交戦で,同軍約700人を戦闘不能にし全滅させる。内訳:タイニン省西南区で180人をせん滅,同省西区で150人をせん滅,ドンタプ省で186人をせん滅,アンジャン省で60人をせん滅ロンアン省で100人を戦闘不能に。
DIA-201-1978-03-27-3ベトナム1978年03月27日1970年代教育省の主催により,ホー市で全国文盲一掃運動総括大会開催。総括の重点は次のとおり。①北部(17度線以北)では同運動は54~59年,1月22日までに平原と中間両地帯で完了。61~65年までに山岳地帯小数民族内で完了。②南部(17度線以南)では全域解放後,運動に着手78年2月28日までに全域で基本的に完了,その成果は94.15%に達す。年令別:男子12~50歳,女子12~45歳,小数民族12~40歳,94.15%は読み書きができる。
DIA-201-1978-03-28-1ベトナム1978年03月28日1970年代Phan Tu Quang石油天然ガス総局副局長は,レオロレンデン・ノルウェー政府国際発展機関代表と,石油開発技術者の訓練センターの建設援助協定に調印。
DIA-201-1978-03-31-1ベトナム1978年03月31日1970年代ND紙;統計総局の集計によると25日現在,全国の野菜と雑穀および工業用作物の栽培面積は83万9000ha,昨年より25万ha増。また南部各省での冬春季米の収穫18万3000ha,平均1ha当り約2トン。
DIA-201-1978-03-31-2ベトナム1978年03月31日1970年代ND紙;ビンチチエン省で国連児童基金の援助により2つの病院を完成。
DIA-201-1978-03-31-3ベトナム1978年03月31日1970年代ド・ムオイ副首相は首相の代理として,私営商業者の生産転入政策についての決定書に署名。
DIA-201-1978-04-01-1ベトナム1978年04月01日1970年代第9軍管区司令部発表によると,同日午後10時20分にカンボジア軍武装船1団がHon Doc島附近の領海に侵入,操業中の漁船を攻撃。海軍の反撃で2隻を撃沈,1隻に損害を与えた。また前月29日にもフーゴク島Ganh dau岬西の領海に侵入,漁船を攻撃した武装船2隻を撃退。
DIA-201-1978-04-02-1ベトナム1978年04月02日1970年代チン副首相兼外相は,カンボジアとの国境紛争の現場を視察,取材した後ハノイに帰着したユーゴ記者団と会談。
DIA-201-1978-04-03-1ベトナム1978年04月03日1970年代私営商業者200人以上はホー市で,経営停止と生産転入計画について協議する集会を開催。
DIA-201-1978-04-03-2ベトナム1978年04月03日1970年代(南寧)Tran Man鉄道総局副局長は越中鉄道協力に関する第20回定期総会に出席(12日まで)。両鉄道代表は昨年の貨物運送の状況を検討,今後の運送計画と方法を討議。協力議定書に調印。
DIA-201-1978-04-03-3ベトナム1978年04月03日1970年代(ジャカルタ)Dao Tungベトナム通信社社長は非同盟諸国通信社協力委大会(5日まで)に出席。
DIA-201-1978-04-04-1ベトナム1978年04月04日1970年代(ハノイ)Nguyen Van Bien石油・天然ガス総局長は西ドイツのデミネックス石油採掘会社々長と,ベトナム近海の油田採掘・調査開発協定に調印。
DIA-201-1978-04-05-1ベトナム1978年04月05日1970年代首相府は国営農場の一部を各省人民委の管理と運営に任せることを決定。
DIA-201-1978-04-05-2ベトナム1978年04月05日1970年代仏航空会社はパリ―ホー市間の週1便(水曜日)の定期便の開設を決定。同日第1便が就航。
DIA-201-1978-04-07-1ベトナム1978年04月07日1970年代ND紙;ホー市ではチョロン区と他の各区で国営商店200店を開業。小商業者数万人を国営・集団商業に吸収,職を与える。また工業資本家260企業を公私合営企業に編入。
DIA-201-1978-04-07-2ベトナム1978年04月07日1970年代ND紙;タイニン,ギアビン,アンジアン3省では3月23~28日までに私営商業の営業を停止,改造を完全に実施。
DIA-201-1978-04-07-3ベトナム1978年04月07日1970年代Ngo Dien外相補佐兼新聞局長は内外記者団にカンボジアとの紛争に関する2つの重要資料を発表。①インドシナ連邦問題の真相,②ベトナムと民主カムプチアの国境問題の実質。
DIA-201-1978-04-08-1ベトナム1978年04月08日1970年代首相府は全国小商業者のすべてを生産に転業させる政策を発表。
DIA-201-1978-04-08-2ベトナム1978年04月08日1970年代ND紙;3月23日から4月6日までの期間に,国境公安隊と地方軍はダクラク省のBu Prang地区,タイニン省地区のCa Tum,Xa Mat,Ta Nat,Lo Go各区,ドンタプとロンアン両省国境隣接各県に侵入したカンボジア軍に反撃し,数百人を死亡さす。
DIA-201-1978-04-08-3ベトナム1978年04月08日1970年代(ジャカルタ)Tungベトナム通信社々長はイスマイルANTARA通信社々長と,両通信社の情報・写真交換協定に調印。
DIA-201-1978-04-10-1ベトナム1978年04月10日1970年代ホー市人民委は同市内私営商業者に最終期限として今月20日までに営業停止,生産部門への転業を申請するよう通告。
DIA-201-1978-04-10-2ベトナム1978年04月10日1970年代スウェーデン外務省代表団(団長カリン・ソーダー外相),ハノイに到着。
DIA-201-1978-04-10-3ベトナム1978年04月10日1970年代パリでベトナム再建第2回国際会議(13日まで)開催。国際組織100団体を含む16ヵ国の160代表が参加。ベトナム代表Tran Trong Quat世界平和委議長団委員。
DIA-201-1978-04-12-1ベトナム1978年04月12日1970年代(プラハ)Tran Quynh政府科学技術委主任はシュプカ・チェコ技術投資開発相と,科学技術協力協定に調印。
DIA-201-1978-04-14-1ベトナム1978年04月14日1970年代ND紙;南部河川建設・開発局支局はメコン川沿岸地帯の大水利工事現場6ヵ所を開設。
DIA-201-1978-04-14-2ベトナム1978年04月14日1970年代ND紙;ユーゴ政府の援助によるとうもろこし5200トンと綿糸,合繊糸2000トンの運搬船がハイフォン港に到着。
DIA-201-1978-04-14-3ベトナム1978年04月14日1970年代ND紙;ホー市内の社会主義商業の中心拠点再組織状況は次のとおり,3つの中心区域を設立。 ①市内の第1区,中央市場(旧Ben Thanh市場)を含むレ・ロイ,ハムギ,ドンコイ各通り。 ②市内の第5区,第6区のビンタイ市場を含む,チャン・フン・ダオ,チヨウ・バン・リエム,ハイツンランオン,各通り。 ③市内旧ジヤディン地区,バーチュ市場を含む。バッチダン,ファン・ダン・リユ,ブイ・フイ・ギア各通り。
DIA-201-1978-04-15-1ベトナム1978年04月15日1970年代ホー市人民委は市内各露天市場活動の禁止令を実施。16日,市公安隊は青年と婦人の協力で同禁止令を実行。
DIA-201-1978-04-15-2ベトナム1978年04月15日1970年代民主カムプチア解放3周年記念日に当り,15日付で政府は同周首脳あてに祝電を送る。その中で,もう一度両国関係の諸問題の討議のため,話し合いをはじめるよう呼びかけ。
DIA-201-1978-04-17-1ベトナム1978年04月17日1970年代ND紙;ドンナイ省で私営バス会社23社を公私合弁バス企業に編入。ギアビン省でも公私合弁バス企業が成立,経営者以外,運転士,修理技術者260人と車115台を合弁企業に編入。
DIA-201-1978-04-18-1ベトナム1978年04月18日1970年代Bien石油天然ガス総局長はアジップ石油会社社長と,ベトナム大陸棚の2ヵ所で石油を探掘・開発する契約書に署名。
DIA-201-1978-04-19-1ベトナム1978年04月19日1970年代(ニューデリー)G.S.メトター・インド外務省官房長官はLe Hoan対外貿易銀行副総裁,Le Quang Tuong機械輸出入公司総裁,Tran Nhat Tan農産物輸出入公司総裁と会談。
DIA-201-1978-04-21-1ベトナム1978年04月21日1970年代ドン首相はブーメディエン・アルジェリア大統領特使と会見。
DIA-201-1978-04-22-1ベトナム1978年04月22日1970年代ダン・ゴク・バオ・ホー共産青年団中央委第1書記ら代表団は,ソ連のレーニン共産青年団第18回全国大会に出席するためハノイを出発。
DIA-201-1978-04-24-1ベトナム1978年04月24日1970年代ニャンザン紙は南部完全解放4周年に当り,経済と社会の改造と開発の成果を報道。その要点は次のとおり。 ○人民132万9000人(そのうち中堅労働者56万人)を動員,新経済地を建設。新規開墾33万ha。国営農場150農場を建設。専問耕作区13区を企画。 ○農民100万世帯は集団生産組織の各簡易形式に参加。県級単位と専耕地区の成立に進む。
DIA-201-1978-04-24-2ベトナム1978年04月24日1970年代ND紙;南部では昨年12月31日までに,旧政権の各大学,高校,専門中学などの学校を再編。現在,大学は16校,高校10校,専門中学93校。特に高原少数民族の高級教育のためタイグエン大学を新設。
DIA-201-1978-04-25-1ベトナム1978年04月25日1970年代ND紙;バン・チエン・ズン総参謀長はハイフォン市の防空ミサイル部隊基地を視察。
DIA-201-1978-04-25-2ベトナム1978年04月25日1970年代ND紙;解放後4年目の南部の電力復旧・発展状況は,現在全南部年間電力生産10億kW/h,農業用送電300万kW/h。
DIA-201-1978-04-25-3ベトナム1978年04月25日1970年代ND紙;南部では鉱物資源の3年間の調査活動の結果,金,鋼,鉄,石炭など30種類以上の鉱山を発見。50万分の1の資源地図を作成。
DIA-201-1978-04-27-1ベトナム1978年04月27日1970年代ND紙;国営商業の助けとして南部全域で商業合作社2250基礎を設立。
DIA-201-1978-04-27-2ベトナム1978年04月27日1970年代ND紙;ホー市とアンジャンおよびチエンジャン両省では,3年間にわたる農民集団組織運動の成果としてホー市の農民33万1000人が生産集団と団結組2388集団に加入,耕作面積の50%を占め,国営の農場に徒事する農民は5万8000人。アンジャン省の農民4230世帯は生産集団に所有農地5万haを提供。チエンジャン省の農民12万5000人は集団の3200組織に加入。
DIA-201-1978-04-28-1ベトナム1978年04月28日1970年代ND紙;23~24日両日,ハチエン市地区とタイニン省に侵入したカンボジア軍に反撃。死者100人の遺体を残して撤退。
DIA-201-1978-04-28-2ベトナム1978年04月28日1970年代(ハノイ)日本政府代表と経済無償援助・協力協定議定書に調印―Vo Dong Giang外務次官と長谷川日本大使が署名。
DIA-201-1978-04-28-3ベトナム1978年04月28日1970年代南イエメン政府代表団(団長アリ・ナセル・モハメド首相),ハノイを訪問。
DIA-201-1978-04-29-1ベトナム1978年04月29日1970年代ミロシ・ミニッチ・ユーゴ副首相兼外相ら代表団,ハノイに到着。
DIA-201-1978-04-29-2ベトナム1978年04月29日1970年代対外貿易省は同省創立20周年記念日に当り,活動総括を発表。○現在貿易関係のある国60ヵ国,協定による正常の定期貿易国は44ヵ国。国際信用と援助資金の使用,設備,機械原料,燃料,肥料の大量の輸入。○輸出入状況:輸出は75年より76年には70%増。また77年は76年比42%増。輸出品目:コーヒー,ゴム,木材,冷凍えび・イカ,冷凍パイナップル,民芸品,縫製衣服類。
DIA-201-1978-05-01-1ベトナム1978年05月01日1970年代Linh労働総同盟書記はメーデー祭典で,解放後3年間での復旧と建設の成果を次のように総括した。①旧戦場の農地数10万haで不発弾と地雷を除去,生産に戻す。戦争で破壊された数千の村と部落を再建。失業者数100万人の仕事を徐々に解決。文盲数100万人を解決。都市と農村で病人,博徒,売春婦,麻薬中毒者多数を更生,治療。②農業発展と生産集団組織については1976~77年に農地拡大100万ha,全国開墾45万ha,新経済地区多数を建設。北部では社会主義大生産の方向へ進行,南部では数百万世帯の農民が集団生産に参加。③文化・教育面では全国で基本的に文盲を一掃。現在,一般学校の入学者数1200万人,文化補充参加数100万人。76年以後,一般学校の学費免除。77年以後,全人民の医療費を無料化。
DIA-201-1978-05-01-2ベトナム1978年05月01日1970年代ND紙;ホー市内の私営各病院を,国営管理制度に編入。
DIA-201-1978-05-01-3ベトナム1978年05月01日1970年代国際稲研究所(I.R.R.I)代表団(団長N.C.ブラディー所長)ベトナム訪問,稲作重点地を視察。8日まで。
DIA-201-1978-05-03-1ベトナム1978年05月03日1970年代ND紙;Le Chi Namアンジヤン省人民委員長(省長)は同省の経済建設と発展の状況を報告。その報告の要点は次のとおり。 ○耕作面積の中,75年の米作多毛作化の実現規模1万3000ha。77年に9万3000ha。開墾6000ha。収穫量は76年に籾米54万トン,77年に60万トン。 ○農業調査と改造により,米作地2万2000haを回収,農民5万人に分配。
DIA-201-1978-05-03-2ベトナム1978年05月03日1970年代ドン首相は,モハメッド・タラキ・アフガニスタン民主共和国大統領兼首相あてに同国を承認する書簡を送る。
DIA-201-1978-05-03-3ベトナム1978年05月03日1970年代国立銀行,通貨交換を実施。 新通貨の種類は次のとおり。 ○紙幣:1ドン,5ドン,10ドン,20ドン,50ドン。 ○硬貨:1ハオ,2ハオ,5ハオ。 新旧通貨交換は3日間で完了。
DIA-201-1978-05-05-1ベトナム1978年05月05日1970年代ベトナム通信は,ベトナム華僑の帰国問題についてスアン・トイ党中央委書記兼党対外連絡委員長にインタビューを行なう。同委員長の回答の要点は次のとおり。 ○最近,各企業,合作社,学校内の一部で華僑の一部が突然財産を売り,地方当局に移動申請をせず,出入国管理事務所を通らないで,違法に出国して中国へ帰った。これは越中国境線出入に関する合意項目に違犯。 ○華僑内の悪質分子は越中関係を分裂させ,デマを撒き,華僑をだまし,おどかし“中国はカンボジアを支持,支援するので越中戦争発生の危険がある。早く中国へ帰らないと殺される”,また“現在中国政府は華僑の帰国を呼びかけている”といったうわさを流している。 ○カンボジアとの国境紛争は,相手側の行動により発生。ベトナム側は領土と主権,人民の生命と財産を守る正当な行動をとっている。中国に対しては,近隣社会主義国家であり,マルクス・レーニン主義と国際主義を基礎に友好協力関係の団結と発展を強化すると主張。 ○ベトナム華僑の問題は,1955年に北部完全解放後,両党中央委はベトナム労働党のもとに華僑のベトナム帰化,公民権の獲得に同意した。これまで20年間以上ベトナム人と完全に同等な利益と義務を受
DIA-201-1978-05-05-2ベトナム1978年05月05日1970年代ダオ対外貿易次官はアンゴラ訪問のため,ハノイを出発。6日,アンゴラ政府代表と貿易協定に調印。
DIA-201-1978-05-05-3ベトナム1978年05月05日1970年代(ベルリン)チャン・クイン国家科学技術委主任は東ドイツ政府代表と科学技術協力協定に調印。
DIA-201-1978-05-06-1ベトナム1978年05月06日1970年代タイニン省地方軍司令部は同省の国境隣接各県に侵入したカンボジア軍第3師団所属第153連隊の第125,127両大隊に1個大隊全滅の損害を与えたと発表。
DIA-201-1978-05-08-1ベトナム1978年05月08日1970年代労働総同盟の全国第4回大会開催―新議長にリン政治局員を選出,新執行委員155人を選出,新規約採択。
DIA-201-1978-05-10-1ベトナム1978年05月10日1970年代Hoang Bao Son初代駐タイ大使,タイ国王に信任状提出。
DIA-201-1978-05-12-1ベトナム1978年05月12日1970年代ND紙;アンジャン省ではTinh Bien市南のBay Nui地区に侵入したカンボジア軍に反撃し,600人を戦闘不能にした。タイニンとソンベー両省でも国道13号と1号に侵入した軍多数を死亡させ,多数を捕虜,5月5日までにそれらの地区から侵入軍を完全に追出。
DIA-201-1978-05-12-2ベトナム1978年05月12日1970年代(ハノイ)ユーゴ大使と,両国の1978~79年度の文化協力協定計画書に署名,交換。
DIA-201-1978-05-12-3ベトナム1978年05月12日1970年代Tran Van Hung初代駐チュニジア大使,ブルギバ大統領に信任状を提出。
DIA-201-1978-05-15-1ベトナム1978年05月15日1970年代ND紙;全国農民集団代表大会準備委員会総会,ホー市で開催。党中央委の指示24号の実現を検討。南部全域での農民協会の拡大・強化運動を決定。
DIA-201-1978-05-16-1ベトナム1978年05月16日1970年代Hieu文化相とGiang外務次官はハバナ開催(18~20日)の非同盟国合同委に出席のため,ハノイを出発。
DIA-201-1978-05-16-2ベトナム1978年05月16日1970年代(ハノイ)モンゴル大使と両国の78,79,80年各年の文化・科学協力計画書に署名。
DIA-201-1978-05-17-1ベトナム1978年05月17日1970年代タイ航空(TAC)所属AVRO521便は乗客14人を乗せてハノイ国際空港に着陸。
DIA-201-1978-05-18-1ベトナム1978年05月18日1970年代エア・フランス航空会社のテスト飛行で第1便ボーイング747型機がホー市タンソンニヤット国際空港に着陸。今後,パリ―ホー市定期便は週1回木曜日に運行する。
DIA-201-1978-05-19-1ベトナム1978年05月19日1970年代Tran Hoan駐英国初代大使はエリザベス女王に信任状提出。
DIA-201-1978-05-22-1ベトナム1978年05月22日1970年代日本経済団体連合会(経団連)代表団(団長水上同通商部長),初めてハノイを訪問。
DIA-201-1978-05-22-2ベトナム1978年05月22日1970年代ベトナム航空総局所属AN24型機229便は初めて乗客14人を乗せてビエンチャン経由,バンコクに到着。
DIA-201-1978-05-22-3ベトナム1978年05月22日1970年代ホー市人民委と赤十字社支局は,米国教会の国際事務機関(C.W.C)による贈与小麦1万トンの引渡式を開催。(援助船は同日サイゴン港に入港)。
DIA-201-1978-05-23-1ベトナム1978年05月23日1970年代ルーマニア党・政府代表団,ハノイに到着。団長チャウシェスク党書記長兼大統領。団員ユルネル(政治局員)副首相兼対外貿易・経済協力相,シュテファン(政治局候補)外相。25日に両党の同意コミュニケを発表。また両国政府代表は1979年の物資交換・支払い議定書,鉄道設備,農機輸入資金のための借款文書,協力協定内工業建設工事の規約書,1976~80年の借款公文などに署名。
DIA-201-1978-05-24-1ベトナム1978年05月24日1970年代ND紙;カナダ政府は今年初め小麦粉500万ドル(カナダドル)相当と運搬費200万ドル相当をベトナムへ無償援助することを決定,4月末に援助船2隻がハイフォン港に到着。また昨年の同政府による小麦粉の援助額は150万ドル。
DIA-201-1978-05-24-2ベトナム1978年05月24日1970年代オーストラリア政府の無償援助小麦6200トンを運ぶ船がハイフォン港に到着。
DIA-201-1978-05-24-3ベトナム1978年05月24日1970年代ホー市党委と人民委の共催で,市の新兵選抜・入隊式典を開催。市民3000人が参加。新兵1万人が訓練を受けるため,第9軍管区と第7軍管区に配属。
DIA-201-1978-05-26-1ベトナム1978年05月26日1970年代ND紙;カンボジア武装船1団はキエンジャン省の領海に侵入(同月21日夜から22日朝まで),漁船を攻撃。沿岸地方軍の反撃で1隻が沈没,1隻が大損害。また23日タイニン省に侵入した軍に反撃,1個大隊を全滅,1部を捕虜,武器多数を捕獲。
DIA-201-1978-05-27-1ベトナム1978年05月27日1970年代ホアン・ビック・ソン外務次官,陳志芳駐ハノイ中国大使と会談。中国外務省の覚書を受けとる。同次官は,中国責任者によるベトナム在住華僑迫害についての発言は事実無根であると抗議。また中国の華僑帰還派遣船問題は上級へ報告することを約束。
DIA-201-1978-05-27-2ベトナム1978年05月27日1970年代ホー市人民議会の主催で,中国のベトナム華僑政策に対するデマと中傷の宣伝展開に抗議する集会を開く。市内華僑数百人がその中傷とデマを否定すると発言。
DIA-201-1978-05-27-3ベトナム1978年05月27日1970年代外務省スポークスマンは中国のベトナム華僑政策に対する中傷とデマに対する抗議声明を発表。その重点は次のとおり。 ○ベトナム領内居住・出生華僑の問題は,1955年から両党中央委の同意により,ベトナム党支配の下に華僑たちは徐々にベトナムに帰化,公民権を取得。また1961年1月,駐ハノイ中国大使館からは今後,ベトナム華僑に対する旅券を発給しない,中国へ旅行する華僑はベトナム人と同じく待遇すると提案。南部華僑は1956年以後,ベトナム国籍を取得,ベトナム公民になった。 ○民主カムプチア政権は,1977年初めから国境紛争を起こし,拡大した。同時に反越宣伝戦も激しく“中国がカンボジア側を支持するので,中越戦争あるいは中ソ戦争が起きるかもしれない。今後中国系ベトナム人は弾圧されるだろう,また中国政府は華僑帰国を呼びかけている”とのデマと噂を華僑社会の中に流し込んでいる。 ○越中両人民の基本利益は友好団結,相互支持と援助にあり,両国の共同目的は社会主義と共産主義の建設である。30年間以上ベトナム側はその団結を守り,中国極左分子の破壊時期にもベトナムは忍耐し,終始団結を堅持した。
DIA-201-1978-05-29-1ベトナム1978年05月29日1970年代ホアン・ビック・ソン外務次官は陳志芳中国大使との会談の際,外務省の覚書を手渡す。その中で両国の華僑帰還船の派遣を含む問題の討議のため,できるだけ早く,もし中国が同意するならば6月初旬に北京で会談を開くよう提案。
DIA-201-1978-05-29-2ベトナム1978年05月29日1970年代5月29日~6月8日まで,レ・チ・シュエン婦人連合会副会長以下の代表団はアルバニア婦人連合会大会に出席。
DIA-201-1978-05-30-1ベトナム1978年05月30日1970年代ND紙;ホー市第10区の旧チャン・コク・トアン露天マーケットの解体後,技術資材交易・工業展示場センターが完成。
DIA-201-1978-05-31-1ベトナム1978年05月31日1970年代タイ政府の商業・協力代表団(団長ブロク・アムラナン副商業相,アーポン・シーピパット副農業・協同組合相),ハノイに到着。
DIA-201-1978-05-31-2ベトナム1978年05月31日1970年代ベトナム通信社は5月30日に北京放送が,ベトナム軍は華僑一般市民に向けて発砲したと報道したのに反論し,事件の真相を発表。クアンニン省,モンカイ県スアンミン村の民兵隊は27日沿岸でパトロール中,無国籍小舟4隻を発見,停船を命令したが無視したので発砲し,1隻が停船,他の3隻は中国へ逃げ,同船の負傷者2人を病院へ運び治療した。
DIA-201-1978-05-31-3ベトナム1978年05月31日1970年代ホー市で市内外10県と郡,国営農場の農民100万人の代表600人が参加して第1回大会開催。6月2日まで。フーカイン省からミンハイ省に至る各省の農民協会代表も出席。現在までの農民集団の組織状況は,農民人口70%以上が生産団結組に吸収,全農地60%を管理,多毛作の実現3万ha,開墾3万ha。77年に農作地7万5000ha(1975年4万5000ha)増加,また77年食糧生産20万トン(75年9万5000トン)増産。解放直後農民協会加入数1000人,現在7万5000人。
DIA-201-1978-06-01-1ベトナム1978年06月01日1970年代(ハノイ)Va Quy建設次官はK.エングルンド国連開発計画(UNDP)のハノイ常駐代表部首席と1977~81年の5ヵ年間のベトナムにおける水源と水質,農業と鉱物調査,分析研究に対する援助協定に調印。
DIA-201-1978-06-02-1ベトナム1978年06月02日1970年代ND紙;日本国民は東京の古物商店でベトナムの古鐘を発見,同古鐘を買取りベトナムへ贈る目的で,1000万円のカンパを募った。同月11日に東京からベトナムへ出港。
DIA-201-1978-06-02-2ベトナム1978年06月02日1970年代トルコ共和国と大使級外交関係樹立。
DIA-201-1978-06-03-1ベトナム1978年06月03日1970年代ND紙;74年から今日まで北部12省で1062林業合作社の経営に任された林地が38万6252haに達す。
DIA-201-1978-06-03-2ベトナム1978年06月03日1970年代ND紙;Nguyen Van Hieu文化相は政府代表団長として,国連軍縮特別総会に出席。
DIA-201-1978-06-03-3ベトナム1978年06月03日1970年代ハノイ市に住む元中国系ベトナム人各階層150人は集会開催。中国当局のデマと中傷に抗議,外務省声明支持を決議。
DIA-201-1978-06-03-4ベトナム1978年06月03日1970年代(ハノイ)水利省代表は国連開発計画(UNDP)のハノイ常駐代表と78~80年の4つのダム建設工事設計に対する援助協定に調印。
DIA-201-1978-06-05-1ベトナム1978年06月05日1970年代クーロン省Tra Vinh市ではクメール族の僧侶・幹部350人(省内150寺院代表とクメール人口30万人の代表)は集会開催。中国のベトナムに対する中傷に抗議。
DIA-201-1978-06-05-2ベトナム1978年06月05日1970年代ホアン・ビック・ソン外務次官は陳志芳中国大使と会談,覚書を手渡す。中国の中傷を全面的に否定。
DIA-201-1978-06-05-3ベトナム1978年06月05日1970年代ND紙;第9軍管区司令部主催で国境隣接各県の地方軍とゲリラ隊の戦闘成績の歓迎集会を開催。
DIA-201-1978-06-05-4ベトナム1978年06月05日1970年代ND紙;クアンニン省Mong Duong第6建設工事(石炭開発建設工事)に従事する元中国系ベトナム労働者113人が突然帰国。その帰国労働者数は同工事労働者の10%を占め,建設進行の停滞防止のため,代わりに青年突撃隊1000人を現場へ派遣。
DIA-201-1978-06-05-5ベトナム1978年06月05日1970年代外務省はベトナム居住華僑問題について声明を発表,その要点は次のとおり。 ○ベトナムの5月27日付声明,同月28日付中国外務省への覚書に対し,中国側から拒否の返書(6月2日付)を受け取る。 ○華僑は数10年間にわたりベトナム社会の中にベトナムと平等かつ平和的に共存生活。 ○北部華僑はベトナム人と同じ権利と義務を受けている。南部の華僑でベトナムを離れたい者は,ベトナム当局に出国手続を申請し,許可を受け,財産を持出すことができる。残留者は他の外国人と同じ待遇を受ける。 ○中国が派遣する華僑帰還船は外国船と同じ入港手続を受けた後,入港を認める。入港はベトナム政府により港を指定。第1船は20日以後,入港先はハイフォン港,南部のヴンタオ港,中部のキニョン港。
DIA-201-1978-06-06-1ベトナム1978年06月06日1970年代ND紙;第3軍管区では78年の新兵選抜と入隊計画の実施完了。
DIA-201-1978-06-06-2ベトナム1978年06月06日1970年代外務省は民主カムプチア政府へ,3項目提案を再確認する覚書を送る。
DIA-201-1978-06-06-3ベトナム1978年06月06日1970年代ND紙;ブルガリア党国家計画・経済中央委代表団(団長D.R.ポリアドプ同副委員長),ハノイを訪問。
DIA-201-1978-06-07-1ベトナム1978年06月07日1970年代ND紙;首相府官房長官は現金の通貨交換基準額の超過分の証明書を持つ人々に対し,証明書の持主の意思により預金あるいは現金での支払いを即時に解決するよう指示。
DIA-201-1978-06-07-2ベトナム1978年06月07日1970年代ND紙;ホー市とミンハイ省の両人民委は合同で会議を開き,ホー市から商人と労働者7万人を移住させる条件を準備するよう討議。ムオイ副首相兼私営商工業者改造中央委員長も出席。
DIA-201-1978-06-07-3ベトナム1978年06月07日1970年代ND紙;北部では20年間(1957~77年)の倹約預金への加入者350万人,預金総額8億ドン。南部では解放後3年間の短期間で加入者200万人,総額100万ドン以上に達す。
DIA-201-1978-06-10-1ベトナム1978年06月10日1970年代ND紙;76年初めから今日まで,全国から各新経済地区への移住者総数150万人,開墾40万ha。
DIA-201-1978-06-10-2ベトナム1978年06月10日1970年代ND紙;ハイフォン市では全人民が国家防衛政策を実現するため,各生産単位で生産各任務を実行,戦闘に備え,同各単位内に民兵と自衛団を建設。現在,連隊単位にまで成長,武器も近代化・機動化。
DIA-201-1978-06-10-3ベトナム1978年06月10日1970年代ND紙;ホー市で交通運輸省主催で,水陸交通・運輸の建設・改造工作の中間総括会議を開く,ド・ムオイ副首相も出席。
DIA-201-1978-06-10-4ベトナム1978年06月10日1970年代ND紙;クアンニン省カムファ市で,石炭生産地区と市郊外の野菜栽培合作社に従事する中国系労働者の1部が突然帰国,炭鉱と野菜生産の上半期計画の実現に支障を与えた。この困難を克服するため,市の各合作社では経験労働者を選出,炭鉱に送り,ハイフォン市青年460人も野菜栽培に参加。
DIA-201-1978-06-10-5ベトナム1978年06月10日1970年代ホー市人民委の主催で,祖国西区の国境防衛任務を遂行するタイニン省軍民との合同作戦に参加する青年突撃隊各連隊の出兵式典を開く。
DIA-201-1978-06-11-1ベトナム1978年06月11日1970年代レ・バン・ルウン党政治局員兼ハノイ市党委書記は,同市のドンアイン県を訪問。同県内の首都防衛司令部を視察,防空ミサイル部隊基地も訪問。
DIA-201-1978-06-13-1ベトナム1978年06月13日1970年代16日のタイ紙ネーション・レビューによれば,ニューヨーク滞在中のボ・ドン・ジアン外務次官は13日,ASEAN加盟国,ビルマ,ラオスの代表を招き,東南アジアの「平和・独立・中立地帯」構想を提案。
DIA-201-1978-06-14-1ベトナム1978年06月14日1970年代越・日友好協会,統一仏教協会,古物史跡保蔵院は合同で,ハノイ市内大寺院(Quan Su寺)で日本人民から贈与されたベトナム古鐘の引渡式典を開催。(日本人民の1000万円のカンパで東京古物商から買戻す)
DIA-201-1978-06-14-2ベトナム1978年06月14日1970年代(ハノイ)レ・ズイ・チン農業次官はK.エングルンド国連開発計画(UNDP)のハノイ常駐代表と1977~81年の農業科学研究所の増強土壌農化研究所の増強,1977~80年の綿花研究・栽培技術の増強に関する各計画への援助議定書に署名。
DIA-201-1978-06-15-1ベトナム1978年06月15日1970年代ND紙;今年上半期の農業生産の状況は,76年より50万ha増,77年より23万ha増。北部の冬春季の生産面積は計画を超過,南部の生産面積は今年計画にまだ達しないが,昨年より増加。生産能率は76年より低いが77年より高い。また雑穀生産は77年の1.5倍,76年の2倍。
DIA-201-1978-06-15-2ベトナム1978年06月15日1970年代(ベルリン)ヴー・ゴク・ウィ文化連絡委員長代理は東ドイツ滞在中,両国の1978~80年の文化・科学協力各協定計画書に署名。
DIA-201-1978-06-16-1ベトナム1978年06月16日1970年代ND紙;全国空軍部隊は戦闘作戦技術の訓練を強化,戦争の発生に備え,日夜警戒。
DIA-201-1978-06-16-2ベトナム1978年06月16日1970年代ND紙;ハ・チエット・フン(Ha Thiet Hung)・ホアンリエンソン省人民委員長(元中国系ベトナム人)は,中国当局のベトナムに対するデマと中傷の宣伝を中止するよう呼びかけ。省内32少数民族のうち,華人数千人も平等かつ平和的に共存と述べる。
DIA-201-1978-06-17-1ベトナム1978年06月17日1970年代ND紙;第9軍管区各省(メコン・デルタ地帯)では,4~6月初めまでに1978年の新兵選抜計画の実施完了。合格者は軍部目標の20%に達す。また,ホー市内各大学でも大学生1万1000人が軍事訓練を受け,戦場へ行く準備。
DIA-201-1978-06-17-2ベトナム1978年06月17日1970年代中国政府は駐中国のベトナム3総領事館の閉鎖と全館員の引揚げを命じる―中国外務省は駐北京ベトナム大使館を通じて,16日付で中国領内広州,昆明,南寧の3ベトナム総領事館を閉鎖し,短期間に館員全員を引揚げるようにとの覚書を送る。
DIA-201-1978-06-17-3ベトナム1978年06月17日1970年代チャワン・ボンサムアン・ラオス放送総局長代表団,ハノイに到着。25日,78年の放送協力議定書に調印。
DIA-201-1978-06-17-4ベトナム1978年06月17日1970年代外務省は,中国政府がベトナム総領事館の閉鎖と館員引揚げを命じたことに抗議。同時にそれら3つの総領事館の担当下にベトナム僑民の生命,財産および正当な利益を保護するよう中国政府に要求。
DIA-201-1978-06-17-5ベトナム1978年06月17日1970年代第9軍管区の発表によると,同日にカムプチア軍1個連隊がアンザン省Bay nui県地区に侵入,同地区の地方軍とゲリラ部隊の反撃で,戦闘不能者350名,捕虜多数,武器各類100丁と戦死100遺体を残して撤退。
DIA-201-1978-06-19-1ベトナム1978年06月19日1970年代ND紙は“われわれベトナムの力”と題する社説を掲載し,中国と民主カムプチアを名指しで警告。
DIA-201-1978-06-19-2ベトナム1978年06月19日1970年代ND紙は越中両政府の交換覚書の全文を公表。中国側の覚書は本年5月12日付と5月30日付の2通,ベトナム側の覚書は本年6月17日付と6月18日付の2通で,両者の内容は中国援助の大部分が停止されたことを確認。とくに5月12日から30日までの18日間だけで72の援助プロジェクトとその資金が全面停止。同時にその援助プロジェクト関係の技術専門家の大部分が引き揚げ。
DIA-201-1978-06-19-3ベトナム1978年06月19日1970年代外務省は華僑帰還について中国に5項目を提案―①帰還船のハイフォン,ホーチミン両港停泊期限は3日間。ベトナムの港湾規則法律を厳守。 ②華僑帰還船活動期限は,今月20日の第1船から3ヵ月間。 ③帰還船は入港の前に乗船者名簿を中国大使館へ通告,ベトナム当局は帰還を希望する華僑と家族に出国ビザを発給。 ④中国はベトナム側と合同作業にあたる代表を早急に派遣すること。 ⑤華僑とその家族のためにクイニョン港(中部)を開く。
DIA-201-1978-06-19-4ベトナム1978年06月19日1970年代香港のマイケル・エモンズ米国商工会議所議長は,19~26日ハノイを訪問。チョウ対外貿易相,タッチ外務次官,銀行と輸出入公司責任者などと一連の会談。
DIA-201-1978-06-21-1ベトナム1978年06月21日1970年代外務省領事局は華僑帰還船について次のような新聞発表を行なった。 ○政府の6月5日付の声明に対し,中国側は6月12日この提案に同意,駐ハノイ中国大使館に合同作業に参加する責任を持つと通告。 ○外務省領事局は13~16日まで,合同作業内容についての協議に出席するよう通告したが,19日になってもまだ返事がない。同日午後,同大使館員は領事局に来訪,中国側の6条件を提示。その6条件の内容は次の4点からなる。①帰還華僑の対象は迫害,差別および弾圧の被害を受けた華僑。②帰還船と合同作業班の名称は華僑難民帰還船と難民帰還作業班。③停泊期間として3日間は無理。④華僑出国の手続問題については中国大使館自身で希望者を審査,名簿を作成し,ベトナム当局はこれを確認するだけ。これらの条件はベトナムの国家主権を侵犯,国際慣例にも違犯,また中傷と破壊を目的とするものでベトナムは同6条件の提案を拒否。
DIA-201-1978-06-22-1ベトナム1978年06月22日1970年代ND紙;第4軍管区では戦闘訓練,沿海の巡回と警備を強化。またタインホア,ゲチン,ビンチチエン3省ではゲリラ部隊を組織。現在各企業と工場および合作社内で大隊から機動化連隊の単位まで成立。
DIA-201-1978-06-22-2ベトナム1978年06月22日1970年代長谷川駐ハノイ日本大使は,医療省代表にホー市のCho Ray総合病院に贈与する薬品多量を手渡す。
DIA-201-1978-06-22-3ベトナム1978年06月22日1970年代第9軍管区の発表によると,カムプチア軍6個大隊がアンザン省Bay Nui地区に侵入,同地区の地方軍とゲリラ部隊の反撃で800人が死亡。中国製の武器,地雷,手投弾多量を捕獲。
DIA-201-1978-06-23-1ベトナム1978年06月23日1970年代(モスクワ)ヴー・ゴク・ウイ対外文化連絡委員長代理はソ連政府代表と,両国の1978~80年の文化・科学協定計画書に署名。
DIA-201-1978-06-24-1ベトナム1978年06月24日1970年代ND紙;ホアンリエンソン省では最近,華僑内破壊活動分子がDao,Giaiy両少数民族の部落(同省の中国隣接Bao Thang,Bat Xat,Simaica,Muong Khuong各県内)に潜入。“メオ,ジァオ,ジャイ各部族の故郷は中国である,中国がベトナムを攻撃する前に中国へ行かないと殺害される”とのウワサを流す。
DIA-201-1978-06-24-2ベトナム1978年06月24日1970年代ハノイで24~26日の3日間,東欧,北欧,西ヨーロッパ各国への研修生と留学生の派遣選考試験を開催。受験者1000人,そのうち婦人116人。
DIA-201-1978-06-25-1ベトナム1978年06月25日1970年代ドン首相はE.G.ホイットラム議員(前オーストラリア首相)と会見。
DIA-201-1978-06-26-1ベトナム1978年06月26日1970年代ND紙;アルバニア党紙は24日付社説で中国の他国への圧力政策を批判,ベトナムの自主と独立の立場を支持。
DIA-201-1978-06-26-2ベトナム1978年06月26日1970年代イラク政府代表団(団長バース党ムニップアン・ラダット副書記兼対外委員長),ハノイに到着。
DIA-201-1978-06-27-1ベトナム1978年06月27日1970年代ギ副首相を団長とし,レ・カク国家計画委副委員長を団員とする代表団はブカレストでコメコン第32回総会に参加するため,同地に到着。
DIA-201-1978-06-27-2ベトナム1978年06月27日1970年代ND紙;南部各省と都市および各県代表はホー市で大会を開き,農業生産の労働と物資の協力による成果を検討,農業合作社へ進行する方法を討議。
DIA-201-1978-06-27-3ベトナム1978年06月27日1970年代ベトナム通信社は政府から権限を委任されて声明を発表。イエン・サリ民主カムプチア副首相兼外交担当が6月24日プノンペン駐在外交団に対して,ベトナムと米国CIAの共謀によるクーデター陰謀を発見,粉砕したと発表したのに対し,その発言は事実無根と全面的に否定。
DIA-201-1978-06-27-4ベトナム1978年06月27日1970年代国会常務委員会定例会議はチン副首相兼外相の中国との関係悪化の情勢について報告を聞き,政府の対応策を全面的に支持。また内閣直轄観光総局の成立を承認。Vu Lap内閣民族委員会主任を解任。
DIA-201-1978-06-28-1ベトナム1978年06月28日1970年代外務省は中国大使館に対し,ベトナムの国家主権を侵犯する各要求を撤回するよう要求する覚書を送る。
DIA-201-1978-06-28-2ベトナム1978年06月28日1970年代ND紙;ホー共産青年団中央委員会は全国幹部大会を開催。新情勢に対応するため,祖国防衛と国家再建に従事する各突撃隊の組織を決定。
DIA-201-1978-06-28-3ベトナム1978年06月28日1970年代28日開催予定の華僑帰還船に関する外務省領事局と中国大使館員第8回交渉を中国側は1日に延期するよう提案。
DIA-201-1978-06-29-1ベトナム1978年06月29日1970年代ND紙;クアンニン省クアンハー県では海上民兵部隊を組織。各漁業合作社内に民兵隊を設立。軍隊生活の訓練。生産しながら,沿岸と海上防衛に参加。
DIA-201-1978-06-29-2ベトナム1978年06月29日1970年代コメコン第32回総会はベトナムの正式加盟を承認。
DIA-201-1978-06-30-1ベトナム1978年06月30日1970年代ND紙;第9軍管区のキエンジャン,アンジャン,ドンタプ,ロンアン各省では戦闘村と戦闘防衛路を緊急建設,強化。
DIA-201-1978-06-30-2ベトナム1978年06月30日1970年代最近,日本放送協会(NHK)と米国のVOA放送はベトナム正規軍7,8万人がカムプチア国境に侵入,50~60kmまで進撃したと報道したが,ND紙はこの報道はデマと中傷であると否定。逆に28日にカムプチア軍はタイニン省Lo go区とアンジャン省カインビン区,キエンジャン省チャチェン地区に侵入,領内10km地点まで進撃した事実がある。
DIA-201-1978-06-30-3ベトナム1978年06月30日1970年代(ハノイ)ホアン・スアン・トイ大学・実業中学省次官はブルガリア政府代表と,両国の1978~79年の大学などの教育問題に関する協力議定書に署名。
DIA-201-1978-06-30-4ベトナム1978年06月30日1970年代国会対外委員会は,最近の政府の東南アジア各国との関係強化の政策を支持し,また対中国,民主カムプチアへの政府の態度と具体策を全面的に承認。
DIA-201-1978-07-01-1ベトナム1978年07月01日1970年代(ハノイ)ハンガリー政府代表と経済・科学技術協力関係各議定書に調印。
DIA-201-1978-07-01-2ベトナム1978年07月01日1970年代ソ連の党・政府首脳は連名で,ベトナムの党・国会・政府首脳あてに社会主義共和国創立2周年記念日に当り祝電を送る。
DIA-201-1978-07-01-3ベトナム1978年07月01日1970年代国会対外委員会は6月30~7月1日の2日間,全体会議を開き,政府の東南アジア各国と友好関係の強化政策を支持,中国,民主カムプチアに対する態度と主張および具体的行動を承認。
DIA-201-1978-07-02-1ベトナム1978年07月02日1970年代ND紙;6月24~26日まで,アンジャンからジャライ・コントム各省の地方軍と民兵部隊は,カムプチア侵入軍に激しく反撃,敵軍に戦闘不能670名と捕虜多数,武器弾薬多量を捕獲,またベトナム領内の敵連隊指揮部を破壊。
DIA-201-1978-07-03-1ベトナム1978年07月03日1970年代外務省領事局代表は中国大使館代表と,第9回会議を開催。進展なし。
DIA-201-1978-07-03-2ベトナム1978年07月03日1970年代ファン・ヒエン外務次官は初めての訪日のため,ハノイを出発。11日まで滞在。その間,福田首相,園田外相,有田外務次官らと一連の会談。また経済と財政関係について,蔵相,通産相,経済企画長官,農林各次官と協議。経団連首脳とも意見交換を行なう。有田外務次官と1978年の100億円借款協定に署名。11月に日本を出発,シンガポールを訪問。13~18日までオーストラリアを訪問。18日からニュージーランドを訪問。26日に帰国途中,ビエンチャンでサリ・ボンカムサオ・ラオス国務相と会談,アジアと大洋洲訪問の成果を報告。
DIA-201-1978-07-03-3ベトナム1978年07月03日1970年代中国南部の駐在各総領事とその館員の全員はハノイ中央駅に到着。 (注)Le Quang Dien中国広州駐在総領事,Thai Hoang南寧駐在総領事,Nguyen Luong昆明駐在副領事。
DIA-201-1978-07-03-4ベトナム1978年07月03日1970年代中国政府はベトナムへの経済・技術援助を全面停止,技師,専門家派遣団全員の引揚を決定。
DIA-201-1978-07-04-1ベトナム1978年07月04日1970年代ギ副首相は東ドイツに滞在中,4日両国の経済・科学技術協力議定書に署名。次の訪問国チェコのプラハに5日到着。6日同国フーラ首相代理と経済・科学技術協力議定書に署名。7~11日ソ連訪問,滞在中,コスイギン首相,バイバコフ副首相と会談。
DIA-201-1978-07-05-1ベトナム1978年07月05日1970年代ND紙;政府は海産開発省直轄の海産総公司,海産輸出総公司の設立を決定。
DIA-201-1978-07-05-2ベトナム1978年07月05日1970年代ND紙;クァンニン省出身の国会議員と地方人民代表の合同代表団は,高原地区と国境地区の少数民族各部落を訪問,中国の陰謀工作を説明。
DIA-201-1978-07-05-3ベトナム1978年07月05日1970年代グエン・コー・タッチ外務次官は5~10日ポーランドを訪問。10~15日チェコを訪問。17~19日西ドイツを訪問。20~24日フランスを訪問。8月2日東ドイツを訪問。10~15日までソ連を訪問。
DIA-201-1978-07-06-1ベトナム1978年07月06日1970年代ND紙;化学部門は上半期ニンビン,ハイフン,ゲチンの3つの地方隣灰石肥料工場を完成,生産開始。同3工場のそれぞれの年間生産能力は4万トン。
DIA-201-1978-07-06-2ベトナム1978年07月06日1970年代外務省領事局代表は中国大使館代表と第10回会談を開く。中国代表に次の各点の質問状を提示。 ○ベトナムは帰還船の派遣を認める。中国側は今回に帰還を待つ華僑のため,乗船手続のワク内だけで早急に解決する誠意を持つか。 ○中国側は被害華僑だけの引揚げを主張しているが,現実に被害華僑はいない。中国系住民を引揚げるか。 ○中国側は自分で帰還華僑の名簿を作成,出国証明を発給,ベトナム側はその出国の確認に署名だけと主張しているが,それらの主張は両国政府の1961年の同意事項の精神に反する。中国側に対するその同意事項はまだ有効であるか。 ○帰還船停泊期限3日間は短か過ぎると中国側は主張したが,何日間が合理的であろうか。
DIA-201-1978-07-06-3ベトナム1978年07月06日1970年代ホアン・ビック・ソン外務次官は曽明中国臨時代理大使と合った際,中国政府の3日付の経済・技術援助全面停止の通告書の内容について抗議書を手渡す。
DIA-201-1978-07-07-1ベトナム1978年07月07日1970年代越中両代表は第11回会談を開く,進展なし。
DIA-201-1978-07-07-2ベトナム1978年07月07日1970年代(ソフィア)Dao対外貿易次官はバシカロプ・ブルガリア対外貿易次官と,1979~80年借款協定の議定書に署名。
DIA-201-1978-07-07-3ベトナム1978年07月07日1970年代Hieu文化通信相はモスクワの社会主義各国文化相第9回会議に出席。
DIA-201-1978-07-08-1ベトナム1978年07月08日1970年代ND紙;初めて西側外交団のA.R.メンディ・カナダ大使は,同国経済発展・援助機関代表を伴って,クァンナム・ダナン省とホーチミン市を訪問。
DIA-201-1978-07-10-1ベトナム1978年07月10日1970年代ND紙;全国の今冬春季の収穫状況はかなり良く,北部では面績,反収,生産量とも増加。南部では生産面績は5.8%増,したがって前冬春季(76~77年冬春季)より23万ha増。
DIA-201-1978-07-10-2ベトナム1978年07月10日1970年代ND紙;銀行部門は今年上半期,南部12省の新経済256重点地区の生産発展と生活安定のため,信用資金400万ドンを供給。
DIA-201-1978-07-10-3ベトナム1978年07月10日1970年代ND紙;1日タイニン省軍民はカムプチア侵入軍に反撃し,1個大隊を全滅,他の1個大隊に大損害を与える。
DIA-201-1978-07-10-4ベトナム1978年07月10日1970年代ND紙;世界医学機関は東ドイツ駐在大使館にベトナム人民の栄養剤購入のため100万マルクを贈与。
DIA-201-1978-07-10-5ベトナム1978年07月10日1970年代外務省領事局代表は中国大使館代表と第12回会談を開き,中国側に2項目の提案。 ○領事局代表は,中国側に帰国希望者2250人の名簿を提出。中国側に帰還希望者の名簿があるならば検討するため,提出するよう要求。 ○中国の華僑帰還船の停泊期限は5日間まで延長できる。しかし中国側はこの提案を拒否。
DIA-201-1978-07-10-6ベトナム1978年07月10日1970年代外務省中国局Tan Phong局長は,クアンニン,カオラン両省の領空30kmまで侵犯した中国戦闘機について,中国大使館へ抗議の覚書を送る。
DIA-201-1978-07-11-1ベトナム1978年07月11日1970年代労働総同盟中央委実行委員会はハノイで11~13日の3日間第2回全体会議を開く。Linh同議長は国家の新情勢と任務を説明,労働者階級は自主独立意識,愛国心,社会主義の愛,集団主人公精神,自力更生などを発揮するよう強調。
DIA-201-1978-07-12-1ベトナム1978年07月12日1970年代ND紙;ファム・フン副首相司会の下にホー市で政府常務委は旧新通貨の回収と発行の工作成果の総括会議を開催。
DIA-201-1978-07-12-2ベトナム1978年07月12日1970年代外務省領事局代表は中国大使館代表と第13回交渉を開く。同領事局代表はベトナム領内に被害華僑は存在しないが,カムプチア当局の弾圧と迫害からベトナム領内に流れ込む華僑難民2万人以上が存在する。その中で中国帰還を希望する者1507人に達すと強調。その帰還希望者名簿を中国に提示。しかし中国側は受取を拒否。
DIA-201-1978-07-14-1ベトナム1978年07月14日1970年代ND紙;ホー市と南部客省では現在までに小商業者数万人が生産に転業,同市の13区内の私営商人1万人は商業改造政策の実施で生産に転業。また6万2000人が小工業と手工業各合作社に加入。
DIA-201-1978-07-14-2ベトナム1978年07月14日1970年代ND紙は“アルバニアの不屈伏”と題する無記名の評論を掲載。
DIA-201-1978-07-14-3ベトナム1978年07月14日1970年代Tran Anh Vinh電力石炭省次官はイバノビチ・サドプ・ソ連石炭省次官と石炭開発への協力議定書に署名。 (注)同代表団は5月15日から7月14日までベトナム訪問。
DIA-201-1978-07-14-4ベトナム1978年07月14日1970年代外務省領事局代表は中国大使館代表と第14回交渉。中国側に第12回と第13回に提出した各提案に対する回答をするよう要求。中国側は,①中国へ行く希望者の名簿は被害華僑ではなく,ベトナム市民であるとの理由で拒否,②中国側は被害華僑と接触できないので名簿を作成できない,③カムプチアからベトナム領内に逃げ込む華僑難民の中から中国へ行く希望者の名簿はベトナムとの今回の交渉と関係ない問題であるとして拒否。
DIA-201-1978-07-14-5ベトナム1978年07月14日1970年代ND紙は“カムプチア人民を大量殺害し,ベトナムとカムプチアの兄弟戦争を起す首謀者”と題する社説を掲載。
DIA-201-1978-07-15-1ベトナム1978年07月15日1970年代ボー・ツク・ドン農業中央委員長(前農業相)ら代表団,ソ連訪問。29日ハノイに帰着。
DIA-201-1978-07-16-1ベトナム1978年07月16日1970年代ND紙;ドンナイ省ビエンホア市では今年上半期に小工業と手工業の150基礎の建設工事を完成し,同省内の労働者2000人以上を採用。また生産管理,財政管理,統計,計算など専門幹部148人を養成。
DIA-201-1978-07-17-1ベトナム1978年07月17日1970年代ND紙;各都市では過去2年間に労働者の就労数が約150万人。そのうち新経済地区の建設従事,生産参加のための帰郷50万人,国家の各部門への就職44万3000人,残る53万2000人は都市内で不定期に働く。今年上半期にハイフォン市で2万入が就労,ハノイ市で2万3000人,ホー市で1万1000人が就職。
DIA-201-1978-07-17-2ベトナム1978年07月17日1970年代バングラデシュ政府経済代表団(団長M.M.ラーマン商務次官),ハノイに到着。
DIA-201-1978-07-17-3ベトナム1978年07月17日1970年代Ho Truc教育次官はユネスコ副議長として,コロンボで開催のアジア・大洋洲地域の教育相・計画相会議に出席。
DIA-201-1978-07-17-4ベトナム1978年07月17日1970年代中国政府はベトナムの実習生と研究生の養成・訓練協定の破棄を決定。
DIA-201-1978-07-18-1ベトナム1978年07月18日1970年代ND紙;今年上半期の漁業生産実績は23万トン,国家の買入量9万5000トン。
DIA-201-1978-07-18-2ベトナム1978年07月18日1970年代外務省領事局代表は中国大使館代表と第15回交渉。同領事局は質問状(5項目)を提出。
DIA-201-1978-07-20-1ベトナム1978年07月20日1970年代ND紙;農業省の主催でホー市で全国の新経済区の建設と開墾工作の方法,任務,方向についての討論会を開く。76~77年の開墾35万ha,新経済区の建設への従事者は114万人,その中,中堅労働者60万人。
DIA-201-1978-07-20-2ベトナム1978年07月20日1970年代ホー共産青年代表団(団長ダン・ゴク・バオ党中央委員兼同青年団中央委第一書記)はハバナで開催の世界青年・学生第11回大会に参加するため,ハノイを出発。
DIA-201-1978-07-20-3ベトナム1978年07月20日1970年代外務省領事局代表は中国大使館代表と第16回交渉。同領事局代表は中国側に中国の国境閉鎖(12日に決定)で立往生した中国行希望者を船で帰還させるかと質問。中国側は回答を拒否。
DIA-201-1978-07-22-1ベトナム1978年07月22日1970年代コーソン・シンハワノン駐ハノイ初代タイ大使はト副大統領に信任状を提出。
DIA-201-1978-07-22-2ベトナム1978年07月22日1970年代チン副首相兼外相はユーゴで開催される非同盟外相会議に出席するため,ハノイを出発。23日同国に到着。
DIA-201-1978-07-22-3ベトナム1978年07月22日1970年代スアン・トイ国会副議長兼事務局長はキューバ解放(27日)記念式典に出席するためハバナに到着。
DIA-201-1978-07-22-4ベトナム1978年07月22日1970年代外務省は中国外務省が19日付の覚書で,ハノイで8月上旬に両国外務次官の会談開催を提案したのに対し同意すると発表。
DIA-201-1978-07-24-1ベトナム1978年07月24日1970年代ウォン・ポンニコン・タイ副外相ら代表団,ハノイに到着。26日ドン首相と会見。
DIA-201-1978-07-24-2ベトナム1978年07月24日1970年代外務省領事局代表は中国大使館代表と第17回交渉。同領事局代表は中国による華僑帰国の扇動と陰謀計画の証拠を提出,中国側に説明を要求。
DIA-201-1978-07-25-1ベトナム1978年07月25日1970年代フィン・タン・ファット副首相はイラク国慶節10周年記念式典に参加した後,ハノイに帰着。
DIA-201-1978-07-25-2ベトナム1978年07月25日1970年代(パリ)第1回越仏経済工業合同委員会開催。ベトナム側マイ・バン・ボ外務省欧州第2局々長,仏側ジュアン・フランソアノイビン同国アジア・オーストラリア局々長はそれぞれの団長として出席。
DIA-201-1978-07-25-3ベトナム1978年07月25日1970年代(北京)グエン・トロン・ビン大使はモゲンサー・スバム駐北京デンマーク代理大使とデンマークのベトナムへの無利子・長期の4000万クネーロの借款協定書に署名。
DIA-201-1978-07-26-1ベトナム1978年07月26日1970年代ソ連の石油・天然ガス代表団(団長V.A.イアカリウク同地質省次官)は6月29~7月26日までベトナムを訪問。ベトナム領内でソ連の援助と協定による石油と天然ガスの調査と試掘の成果を検討,現場を視察。
DIA-201-1978-07-29-1ベトナム1978年07月29日1970年代領事局代表は中国大使館員と会談。現在,国境で立往生している華僑のため,国境出入口を開くよう強く要求。
DIA-201-1978-07-30-1ベトナム1978年07月30日1970年代ND紙;タイニン省ベンカウ県軍民は,22日カムプチヤ侵入軍3個大隊を全滅,2個大隊に損害を与える。
DIA-201-1978-07-31-1ベトナム1978年07月31日1970年代E.ケネディ米民主党上院議員の顧問・補佐官代表団はハノイに到着,8月7日まで滞在。団長ジーン・メイア・タフツ大学学長。
DIA-201-1978-07-31-2ベトナム1978年07月31日1970年代ジャプ大将・副首相兼国防相は7月31日付で中国建軍51周年記念に当り,徐向前中国副首相兼国防相あてに祝とを送る。また同日Vu Xuan Chiem少将・国防次官電ホアン・ビク・ソン外務次官はハノイ駐在中国大使館付武官主催の祝賀会に出席。
DIA-201-1978-08-01-1ベトナム1978年08月01日1970年代チン副首相兼外相は非同盟外相会議に出席後,ブルガリアを訪問。
DIA-201-1978-08-01-2ベトナム1978年08月01日1970年代Luu Thi Phuong Mai食糧食品省次官はモスクワで1~3日開かれたコメコン食品工業小委員会第30回総会に出席。
DIA-201-1978-08-02-1ベトナム1978年08月02日1970年代北京放送はハイフォン港とヴンタオ港外に停泊中の華僑帰還船2隻は7月31日に中国の黄鋪港に帰港したと発表。
DIA-201-1978-08-03-1ベトナム1978年08月03日1970年代ND紙;アンジャン省のホー共産青年団はカムプチアとの国境接点Bay Nui県へ青年突撃隊3万人を送り,農業合作社を建設,59合作社を組織,ゲリラ隊を編成,国境防衛に従事,戦闘に備える。
DIA-201-1978-08-03-2ベトナム1978年08月03日1970年代ND紙;ホー市の紡織工業の状況は,国営企業13,公私合弁企業8,紡織合作社100社,また紡織機械1万4000台(軽工業省管理の機械を除く)。
DIA-201-1978-08-04-1ベトナム1978年08月04日1970年代(ソフィア)レ・クアン・ヒプ大使はG.ポーポプ・ブルガリア外務次官と,両国の78~80年の文化・科学協力計画書に署名。
DIA-201-1978-08-05-1ベトナム1978年08月05日1970年代キューバの党・政府は越中の激しい対立に対応するため,新しいキューバ・ベトナム団結友好協会の成立を決定。
DIA-201-1978-08-05-2ベトナム1978年08月05日1970年代仲曦中国外務省次官,ハノイに到着。
DIA-201-1978-08-05-3ベトナム1978年08月05日1970年代第1回地質・科学全国大会,ハノイで開催。参加者:科学技術委,地質総局,石油天然ガス総局,化学総局,科学院,大学・実業中等省など各代表。ザプ副首相も出席。
DIA-201-1978-08-08-1ベトナム1978年08月08日1970年代越中外務省次官級第1回会談。ベトナム側からはホアン・ビク・ソン外務次官が団長として出席。
DIA-201-1978-08-08-2ベトナム1978年08月08日1970年代越中国境で立往生の華僑一部は公安隊,報道記者と衝突。
DIA-201-1978-08-09-1ベトナム1978年08月09日1970年代グエン・フー・タン民間航空総局代表はハノイ常駐国連開発計画代表と,国連からベトナム航空への援助設備の引渡式を開催。
DIA-201-1978-08-09-2ベトナム1978年08月09日1970年代グエン・チエン外務省中国局局長は曽明中国臨時代理大使と会談。中国当局は国境に立往生する華僑の暴力を扇動すると抗議。
DIA-201-1978-08-10-1ベトナム1978年08月10日1970年代クアンニン省マオケ石炭鉱開発委は,石炭開発の自力第2鉱山の建設工事を完成,生産開始。同炭鉱の生産能力は年産35万~45万トン。今年中に50万5000トンに達すと発表。
DIA-201-1978-08-11-1ベトナム1978年08月11日1970年代ズウン・ナム・タン石油天然ガス総局代表はハノイ常駐国連開発計画代表と,国連の石油精製,肥料生産など関連産業地区建設の設計と工事に対する支援計画書に署名。
DIA-201-1978-08-12-1ベトナム1978年08月12日1970年代ND紙;ホー市の青年数千人は軍事訓練期間を完了,カムプチアの国境戦線へ行く。
DIA-201-1978-08-12-2ベトナム1978年08月12日1970年代ND紙;党と政府の南部農業改造中央委は,ホー市で南部の農業合作社の建設進行状況を検討する大会を開催。現在,試験的に建設した合作社数は132合作社に達す。そのうち,中部沿海地帯で108合作社,中部高原で19社,南部東区で2社,メコン・デルタ地区で2社,ホー市周辺で1合作社。
DIA-201-1978-08-14-1ベトナム1978年08月14日1970年代ND紙;中国軍4人は同月10日雲南省富寧県の人民公社所属の生産隊37人を指揮,ハトエン省メオバク県ルンレイ地区に侵入し開墾作業。国境警備隊の阻止と説得を無視,暴行を起す。
DIA-201-1978-08-14-2ベトナム1978年08月14日1970年代ND紙;8月10日現在,国家の新情勢に対応するため,全国から青年男女500万人が祖国の建設と防衛の突 撃隊に登録。
DIA-201-1978-08-15-1ベトナム1978年08月15日1970年代越中外務次官第2回会談。
DIA-201-1978-08-16-1ベトナム1978年08月16日1970年代ND紙;ベトナム通信社は政府から権限を受けて,プノンペン放送が13日に伝えたベトナムのミグ型4機(7月19~24日,8月11日)撃墜の報道を否定。
DIA-201-1978-08-16-2ベトナム1978年08月16日1970年代(ニューデリー)ダン・ベト・チョウ対外貿易相はESCAP機構総会に出席。
DIA-201-1978-08-16-3ベトナム1978年08月16日1970年代ND紙;ボー・ツク・ドン農業中央委員長はハンガリーと東ドイツ両国を訪問。
DIA-201-1978-08-16-4ベトナム1978年08月16日1970年代セムチョ・サウアン団長らタイ報道代表団,ハノイを訪問。30日帰国。
DIA-201-1978-08-18-1ベトナム1978年08月18日1970年代アフマド・カミル・ジャファール・マレーシア駐ハノイ大使はト副大統領に信任状を提出。
DIA-201-1978-08-19-1ベトナム1978年08月19日1970年代ソ連最高会議幹部会議長団はタン大統領90才の誕生日に当り,同大統領に10月革命勲章の贈与を決定。
DIA-201-1978-08-19-2ベトナム1978年08月19日1970年代ND紙;南部の21省と都市では今年2月末までに基本的に文盲一掃運動を完成。現在全国で150万人が文化補足に参加。
DIA-201-1978-08-19-3ベトナム1978年08月19日1970年代グエン・バン・リン労働総同盟議長,ソ連訪問のため,ハノイを出発。
DIA-201-1978-08-19-4ベトナム1978年08月19日1970年代越中外務次官第3回会談ら
DIA-201-1978-08-23-1ベトナム1978年08月23日1970年代ND紙;南部21省と都市では運送・交通部門は私営を廃止,社会主義運営へ進行。現在,同部門は国営系11企業,公私合弁系51企業を設立。
DIA-201-1978-08-23-2ベトナム1978年08月23日1970年代ND紙;今月10日,ハートエン省Meo Vat県農村,とくに国境隣接Xim Cai村のLung Lay地区で中国軍の後援のもとに中国人グループが国境線を越え侵入,占領地で開墾開始。公安隊の厳しい阻止で撤退。
DIA-201-1978-08-23-3ベトナム1978年08月23日1970年代Tran Lam放送・テレビ総局編集局長ら代表団は,インド,フィリピン,マレーシア,インドネシア,タイ各国を歴訪するため,ハノイを出発。
DIA-201-1978-08-23-4ベトナム1978年08月23日1970年代国連児童委員会の1979年国際児童年のベトナム委員会設立。ト副大統領が同委員長に就任。
DIA-201-1978-08-23-5ベトナム1978年08月23日1970年代レ・ズイ・チン農業次官,インドを訪問。
DIA-201-1978-08-24-1ベトナム1978年08月24日1970年代グエン・チエン外務省中国局々長は曽明中国大使代理と会談,中国の国境警備隊と公安隊が同月12日にカオラン省の国境地区に侵入,同省公安隊と衝突した事件について厳しく抗議。
DIA-201-1978-08-24-2ベトナム1978年08月24日1970年代国会常務委員会は囚人の減刑と釈放の内容を承認し,決議を採択。
DIA-201-1978-08-25-1ベトナム1978年08月25日1970年代ND紙;ホー市でThay Cai運河と送水路の建設工事は完成,農作地3万5000haの灌漑水を保証。
DIA-201-1978-08-25-2ベトナム1978年08月25日1970年代ND紙は“南部における農業合作化の運動拡大の条件を準備”と題する社説掲載。全国の農業生産可能面積1100万ha,そのうち南部650万から700万ha。しかし現在350万haしか使用していない。
DIA-201-1978-08-25-3ベトナム1978年08月25日1970年代ND紙;過去2年間に全国の労働者就職総数150万人。また新経済地区の建設従事者50万人に達す。
DIA-201-1978-08-25-4ベトナム1978年08月25日1970年代ND紙;コン副首相・農業相兼農業改造委議長はホー市で開かれた南部農業合作社建設初期報告会で次のように演説。 現在,農民総数の90%は合作社と生産集団に加入,生産手段とする農地96%,機械と牛および水牛の80%を合作社と集団組織に提供。今春季55万ha,夏秋季67万5000haに増加,農民の労賃日額は1.2~2ドン,1人当り1ヵ月食糧15kg以上。また合作社と集団生産の生産物配分は各社員に60~70%,国家に納入20%,貯蓄と福祉10%。成果と並んで欠陥を克服しなければならない。つまり合作社内の労働管理と分割がまだ良くない。その原因は集団規模が管理能力より大き過ぎる。現在の規模700~1000ha(今まで北部での経験は規模300~400ha)。
DIA-201-1978-08-25-5ベトナム1978年08月25日1970年代チェン外務省中国局長は曽明中国代理大使と会談,友誼関門での衝突事件について厳重に抗議。
DIA-201-1978-08-26-1ベトナム1978年08月26日1970年代ND紙;ドン首相はハノイ訪問中モンゴメリー(民主党)米下院議員代表団(同月21~25日滞在)と会見。同席で,ベトナムから同代表団に戦時中の行方不明米人11人の遺骨の送還を通告。
DIA-201-1978-08-26-2ベトナム1978年08月26日1970年代越中外務次官級第4回会議開催。
DIA-201-1978-08-28-1ベトナム1978年08月28日1970年代槇枝日本総評議長代表団は,同総評の援助により建設されたクアンニン省炭鉱地区の労働会館工事の完成式に出席するため,ハノイに到着。
DIA-201-1978-08-28-2ベトナム1978年08月28日1970年代祖国戦線中央委員会はハノイで第3回総会(会期3日間)を開催。全国38省と都市代表全会一致で政府の対中国政策を支持。
DIA-201-1978-08-28-3ベトナム1978年08月28日1970年代ラム放送代表団はインド滞在中,同国放送関係と技術協力議定書に署名。
DIA-201-1978-08-28-4ベトナム1978年08月28日1970年代ND紙;ズン大将・人民軍総参謀長は同紙上に“ベトナム民族は新時代の中で偉大な国を守る力を持つ”と題する論文を発表。
DIA-201-1978-08-29-1ベトナム1978年08月29日1970年代Dinh Nha Khanh水利省次官は,ビエンチャンで国連メコン開発臨時委員会第3回総会に出席するため同地に到着。同会議は29日から9月1日まで開催。洪水害緊急救援計画,援助3ヵ年計画を討議。
DIA-201-1978-08-29-2ベトナム1978年08月29日1970年代29~30日の両日,プラハでベトナム,北朝鮮,モンゴルをはじめソ連と東欧各国外務次官クラスは国連第33回総会対策の協議のため,会議を開催。ホアン・ルウン外務次官が出席。
DIA-201-1978-08-30-1ベトナム1978年08月30日1970年代外務省スポークスマンは中国のベトナム国境への侵入と挑発について声明文を発表。
DIA-201-1978-08-30-2ベトナム1978年08月30日1970年代ベトナム通信社は政府の権限を受けて,8月26~27日にベトナム軍が中国領に侵入,占領したとの新華社の報道を全面的に否定。
DIA-201-1978-09-01-1ベトナム1978年09月01日1970年代ソ越友好協会はソ連全国でソ越友好週間(1~10日まで)を組織。
DIA-201-1978-09-02-1ベトナム1978年09月02日1970年代Nguyen Van Bien石油・天然ガス総局局長はホー市で,カナダ石油各社代表団(G.R.ハーリットバウーバリ社社長,A.A.マーケン・ソプター社社長,P.D.ウィリアム・オエトスバン社社長,A.G.ガウド・シーベンス社副社長)と,ベトナム大陸棚南部地域の石油採掘と精製などの協力協定に調印。
DIA-201-1978-09-02-2ベトナム1978年09月02日1970年代グエン・ラム党中央委書記は,代表団長として北朝鮮国慶節30周年記念式典に参加のため,ハノイを出発。
DIA-201-1978-09-03-1ベトナム1978年09月03日1970年代外務省スポークスマンは同日中国当局の越中国境線地区での挑発,扇動,領土侵入行為について即時中止するよう要求する声明を発表。
DIA-201-1978-09-04-1ベトナム1978年09月04日1970年代ND紙;今新学期全国の入学者総数は1500万人に達す。そのうち,園児130万人,前年より18%増。一般学生1200万人,9.3%増。文化補足研修生160万人。師範学校学生11万人。少数民族の学生100万人。
DIA-201-1978-09-04-2ベトナム1978年09月04日1970年代仲曦東中国外交部副部長は一時帰国を終え,ハノイに帰着。
DIA-201-1978-09-05-1ベトナム1978年09月05日1970年代ト副大統領はアフリカ各国の一部を歴訪するため,ハノイを出発。同行者:ダン・チ国務相,ボー・ドン・ザン外務次官,ヴー・ゴク・ウィ対外文化連絡委員長代理。8日ギニア共和国に到着。11~13日ギニア・ビサウ共和国を訪問。13~15日カボベルデを訪問。15~17日マリを訪問。17日~20日リビアを訪問。20~21日チュニジアを訪問。22日東ドイツを訪問。25~27日アルジェリアを訪問。27~10月2日チェコを訪問。2~7日アンゴラを訪問。7~10日赤道ギニヤを訪問。14~17日ベニンを訪問。17~24日ブルガリアを訪問。24~28日コンゴを訪問。28~30日エチオピアを訪問。30~11月1日モザンビクを訪問。1~4日マダガスカルを訪問。6日ハノイに帰着。
DIA-201-1978-09-05-2ベトナム1978年09月05日1970年代ハイフォン海産業国営企業連合代表は,ソ連贈与の漁船(複数=MRS-225型,近代設備)12トン級の引渡式を開催。
DIA-201-1978-09-06-1ベトナム1978年09月06日1970年代ND紙;ハウザン省農民協会第1回大会で解放後の農業状況を次のように報告。農民3万2000世帯に農耕地2万5000haを分配。75年と比べ,76年生産面積35%増,生産量65%増。77年の悪天候でも76年の生産水準を維持。76~77と78年の上半期は食糧義務の納入45万トンに達す。
DIA-201-1978-09-06-2ベトナム1978年09月06日1970年代ND紙;ソンベ省では,現在,同省農民総数の50%が生産集団組織に加入。集団を設立。1集団規模は36世帯,91労働力,耕作地38ha。77年の収入,1人当り食糧971kg。集団の納税・売却食糧178トン。76年より25トン増。
DIA-201-1978-09-06-3ベトナム1978年09月06日1970年代ルイ・ドギランゴ仏外相,ハノイに到着。
DIA-201-1978-09-07-1ベトナム1978年09月07日1970年代チン副首相兼外相はドギランゴ仏外相と,両国の関係問題を討議,国際情勢について意見を交換。同席で両国の海運関係の協力協定に調印。
DIA-201-1978-09-07-2ベトナム1978年09月07日1970年代チェン外務省中国局々長は,曽明中国代理大使と会談。中国との国境隣接地区ラオカイ区の鉄道修理工事に対する中国公安隊の妨害について抗議。
DIA-201-1978-09-07-3ベトナム1978年09月07日1970年代ドン首相,東南アジア各国の歴訪を開始―ドン首相は初めて公式にタイ王国を訪問,バンコクに到着。随行者:ダン・ベト・チョウ対外貿易相,ファン・ヒエン外務次官,ホアン。ゴク・ズン国務次官,ゴ・ディエン外相補佐,ファム・ビン外務省政治局総局長,ゴ・タィン・ザン対外貿易省第2局々長,ホアン・チョン・ヌ外務省儀典局長,ヴー・ホアン領事局長,チン・スアン・ラン外務省アジア第3局長。8日タイ国王は南部別荘で接見。10日両国首相は共同声明を発表。1億バーツ借款援助協定,郵便電信協定に調印,帰国。同日,ビエンチャンでカィソン・ラオス首相と会談。
DIA-201-1978-09-07-4ベトナム1978年09月07日1970年代ハーケ・タン党中央委員ら代表団は,エチオピア革命4周年記念式典に参加のため,ハノイを出発。25日まで滞在。25日~10月2日シリアを訪問。
DIA-201-1978-09-07-5ベトナム1978年09月07日1970年代越中外務次官級第5回会議開催。
DIA-201-1978-09-07-6ベトナム1978年09月07日1970年代チャン・ラム・ラジオ・テレビ総局長は,マレーシア滞在中,同日アジア太平洋ラジオ・テレビ放送発展機構(AIZD)に正式会員として加盟を申請。同機構と加盟承認協定に調印。9~14日インドネシアを訪問。17~20日タイを訪問。
DIA-201-1978-09-08-1ベトナム1978年09月08日1970年代ND紙;国連ベトナム代表部によると,米国内の民間貿易有志による米越貿易協会設立。
DIA-201-1978-09-08-2ベトナム1978年09月08日1970年代ND紙;メコン川の洪水で現在南部アンジャン,ドンタプ,ロンアン,キエンジャン,ハウジャン,ソンベー,ドンナイ各省が被害。
DIA-201-1978-09-08-3ベトナム1978年09月08日1970年代大統領官庁はソ連最高幹部会からのタン大統領に対する10月革命勲章贈与式典を開催。
DIA-201-1978-09-08-4ベトナム1978年09月08日1970年代グエン・スアン外務次官は国連人口問題対策基金の実行委サラット委員長と,同委のベトナム人口対策5ヵ年計画への援助協定に調印。
DIA-201-1978-09-09-1ベトナム1978年09月09日1970年代ND紙;カムプチア軍は8月末から9月初めまでにアンザン省バイバイ区,タイニン省サマット区に侵入,同地方軍の反撃で200人以上が死亡。
DIA-201-1978-09-10-1ベトナム1978年09月10日1970年代ND紙;政府はメコン・デルタ地区の洪水防止とその被害対策を直接指導のため,ド・ムウィ副首相を団長とする専門家代表団を同地区へ派遣することを決定。
DIA-201-1978-09-10-2ベトナム1978年09月10日1970年代ND紙;8日,中国解放軍の支援で,武装グループは,国境のバクルウン橋のベトナム側に侵入。同区駐在幹部と公安隊に暴行,公安隊1人が死亡,幹部多数が負傷。
DIA-201-1978-09-12-1ベトナム1978年09月12日1970年代越中外務次官級第6回会議開催。ソン外務次官は中国の暴行殺人について激しく非難。
DIA-201-1978-09-12-2ベトナム1978年09月12日1970年代クアンニン省人民委は同省モンカイ県チャコ村で領海内で操業中の漁船が中国の武装船に攻撃され,漁民1人が死亡,2人が負傷したと発表。
DIA-201-1978-09-13-1ベトナム1978年09月13日1970年代ND紙;ダクラク省では農民総数の70%が集団生産組織に加入。現在,15合作社,生産集団の530団が成立,農民5万6000世帯。
DIA-201-1978-09-13-2ベトナム1978年09月13日1970年代ND紙;クーロン省では農業生産の279集団を設立,農民6012世帯が加入,農地1万0862haを管理,集団規模は1集団当り30~50世帯,60~70労働力,耕作地30ha。また同省は農業団の管理幹部4623人を養成。
DIA-201-1978-09-13-3ベトナム1978年09月13日1970年代ND紙;ソンベー省では,21合作社,47集団を設立,農民の2429世帯が加入,5000労働力。農民の50%が集団に加入。
DIA-201-1978-09-13-4ベトナム1978年09月13日1970年代ND紙;ツウンハイ省では現在,漁民2万1000人と漁船3000隻が合作社と集団組織に加入。
DIA-201-1978-09-14-1ベトナム1978年09月14日1970年代ND紙;南部10省と都市では近い将来,農業合作型に転換する条件をつくるため,現在までに農業生産2127集団を設立。集団規模:3040世帯,労働力60~70人,耕作地40~50ha。
DIA-201-1978-09-14-2ベトナム1978年09月14日1970年代Ha Van Lau新国連大使(前駐キューバ大使)はワルトハイム国連事務総長に信任状を提出。
DIA-201-1978-09-14-3ベトナム1978年09月14日1970年代グエン・タィン・レ党対外連絡委副委員長はソ連訪問のため,モスクワに到着。21日まで同国に滞在。21~26日ポー・ランドを訪問,28~10月1日チェコを訪問。
DIA-201-1978-09-15-1ベトナム1978年09月15日1970年代ND紙;コン副首相兼農相はポーランド政府との経済合同委第7回会議に出席するため,ハノイを出発。20日まで同国に滞在。21~27日ハンガリーを訪問。29日ハノイに帰着。
DIA-201-1978-09-15-2ベトナム1978年09月15日1970年代外務省中国局代表は中国大使館代表と会談,中国が8月初め以来,連続的に武装隊を侵入させ挑発していることについて抗議書を渡した。
DIA-201-1978-09-16-1ベトナム1978年09月16日1970年代ドン首相ら代表団はフィリピンとインドネシア公式訪問のため,ハノイを出発。16~20日フィリピンに滞在,マルコス同国大統領と共同声明を発表。20~23日インドネシアを訪問,スハルト同国大統領と共同声明を発表,帰国。
DIA-201-1978-09-16-2ベトナム1978年09月16日1970年代グエン・バン・リン労働総同盟中央委議長は訪仏のため,パリに到着。27日まで滞在。28日帰国途中,モスクワ訪問,29日ハノイに帰着。
DIA-201-1978-09-19-1ベトナム1978年09月19日1970年代越中外務次官級第7回会談開催。ソン次官は同席で中国側の4項目提案について新味がないとして全面的に拒否。
DIA-201-1978-09-19-2ベトナム1978年09月19日1970年代北京駐在大使館は中国外務省の同月18日付の発表について全面的に否定。
DIA-201-1978-09-20-1ベトナム1978年09月20日1970年代ND紙;南部デルタ各省の水害の克服状況は,ドンタプ省では収穫期の夏秋季稲作3100haを守り抜き収穫完了。アンザン省では緊急に夏秋稲作2万haの収穫を完了。ハウザン省では1万1000haを防止,収穫を準備。ドンナイ省では雑穀栽培40~60%を水害から救出。キエンザン省でも水害から5万3000haを救出。
DIA-201-1978-09-22-1ベトナム1978年09月22日1970年代ND紙;北部各省では今年冬季の食糧用雑穀栽培を35万ha拡大。昨年同期より60%増。そのうち,ポテト栽培12万ha,サツマイモ8万ha,トウモロコシ4万ha,その他米と野菜11万ba。
DIA-201-1978-09-25-1ベトナム1978年09月25日1970年代ND紙;今月1~10日まで中国の武装勢力(複数)が連続的に国境隣接各県に侵入,挑発活動。
DIA-201-1978-09-25-2ベトナム1978年09月25日1970年代ND紙;南部各省では今年8月31日までに農産物の買入実績が昨年同期より2~10倍増加。とくに落花生6000トン,大豆2025トン,青豆(モヤシ用)1829トン,ゴザ1万7000枚,イ草265トン。
DIA-201-1978-09-25-3ベトナム1978年09月25日1970年代チョウ対外貿易相はイラクで開催の第15回国際見本市(10月1日)に参加するため,ハノイを出発。
DIA-201-1978-09-26-1ベトナム1978年09月26日1970年代ND紙;党中央委書記局は南部各省と都市の医療工作3ヵ年(1978~80)計画の実現について指示。
DIA-201-1978-09-26-2ベトナム1978年09月26日1970年代越中外務次官級第8回会談開催。ソン外務次官の発言の要旨は次のとおり。 ○今までの会談の中心問題は華僑間題であり,その対象は3種類ある,①中国系ベトナム人,②南部に住む中国系の1部で台湾籍,香港籍を持つ人々,③最近数年来カムプチアから避難した中国人。 ○第1対象は法律,人道,客観的現実を基礎とする。彼らはベトナム市民である。過去数10年ベトナム全体とともに戦闘,労働,国土の防衛と建設に労働力と才能を貢献。ベトナム人と同じように権利と義務を持つ,差別と迫害をしない。 ○第2対象については,外国僑民の規則に依拠して対処。他の外国人と同じように権利を保護,義務を守る。 ○第3対象については,わが政府は彼らに緊急に衣食住と薬品を分け,深い人道的立場で待遇する。
DIA-201-1978-09-26-3ベトナム1978年09月26日1970年代越中外務次官級会談,無期限中止。
DIA-201-1978-09-26-4ベトナム1978年09月26日1970年代チン副首相兼外相はグエン・コ・タク外務次官とともに国連第33回総会に出席するため,ハノイを出発。4日,チン副首相兼外相は演説の中で“ベトナムの対外政策は民族独立,自主,平和,友誼,団結および国際協力”であることを再確認。
DIA-201-1978-09-27-1ベトナム1978年09月27日1970年代ND紙は“食糧用雑穀の増産強化”と題する社説の中で第2次5ヵ年計画の農業発展計画の2年間の実績は,マニョク2倍,トウモロコシ2倍,ポテト3倍,食糧生産に占める雑穀の比率10~17%と述べる。
DIA-201-1978-09-27-2ベトナム1978年09月27日1970年代仲曦東中国外務次官帰国。
DIA-201-1978-09-27-3ベトナム1978年09月27日1970年代ギ副首相はモンゴルで開催のコメコン第87回総会(27~10月1日まで)に出席。ギ副首相の要請により,総会はまずハノイ―ホーチミン間鉄道の強化,拡大,近代化に当面緊急に支援・協力,第2には中国援助で建設中の各工場の工事の継続,完成のため,技術と資材を援助することを満場一致で決議。
DIA-201-1978-09-28-1ベトナム1978年09月28日1970年代ND紙;農業省主催によりタイビン省で農業生産検討会を開く。
DIA-201-1978-09-29-1ベトナム1978年09月29日1970年代ND紙は首相官房の南部国営企業条例実施についての23日付指示を掲載。
DIA-201-1978-09-29-2ベトナム1978年09月29日1970年代(ハノイ)ホアン・ルウン外務次官はサーフリン・ソ連大使と両国領事協定に署名。
DIA-201-1978-09-29-3ベトナム1978年09月29日1970年代ファット副首相,シエン国会副議長・祖国戦線議長兼越中友好協会会長,ソン外務次官は,政府と国会および民族戦線の代表として,中国大使館の主催による同国慶節29周年記念レセプションに出席。
DIA-201-1978-09-29-4ベトナム1978年09月29日1970年代英国政府はベトナム洪水害に救援金2万5000ポンドを送る。
DIA-201-1978-10-01-1ベトナム1978年10月01日1970年代ND紙;中国の国慶節29周年記念日に当り,タン大統領,ジュアン党中央委書記長,チン国会議長,ドン首相は連名で,華国鋒中国党主席兼首相,葉剣英全国人民代表常務委員長あてに祝電を送り,その中で,故ホー主席の遺言を遵守して,両党と人民の伝統的団結と友誼を守り続けることを再確認。
DIA-201-1978-10-01-2ベトナム1978年10月01日1970年代外務省スポークスマンはポル・ポト民主カンプチア首相の9月27日付友好不可侵条約締結提案について,ベトナムを中傷する提案なので全面的に拒否と言明。ベトナムは2項目と4項目提案を再主張。
DIA-201-1978-10-03-1ベトナム1978年10月03日1970年代ND紙;外務省の案内で9月30日~10月1日両日ハノイ駐在各国大使館のうち,34ヵ国の大使,代理大使,大使館員,また国連各機関代表は,中部と南部メコン・デルタ地帯の洪水被害地区を視察。
DIA-201-1978-10-03-2ベトナム1978年10月03日1970年代外務省中国局代表は中国大使館へ,9月初めから今日まで中国の武装隊が連続的に国境線に侵入,挑発行為を働いたことについて抗議覚書を渡す。
DIA-201-1978-10-04-1ベトナム1978年10月04日1970年代洪水台風防止と被害救援中央委員会は今回の洪水と台風の状況について次のように発表。 ○今年5月中旬にホンハー川とタイビン川では大洪水が発生。6月末に中部沿海ギアビン省に台風が上陸,8月末に南部メコン川で大洪水が発生。9月に北部クアンニン省に台風が上陸。南部各省で洪水が発生。 ○例年より1ヵ月早いので数10万haが被害を受け,数10万人が避難した。
DIA-201-1978-10-04-2ベトナム1978年10月04日1970年代西ベルリン婦人団体はベトナムの洪水と台風の被害地区に救援金1万マルクを送ると発表。
DIA-201-1978-10-05-1ベトナム1978年10月05日1970年代ND紙;Tran Duong国家銀行総裁はモスクワで社会主義各国の第22回国際投資銀行委総会と第48回国際経済協力銀行委総会に出席。
DIA-201-1978-10-05-2ベトナム1978年10月05日1970年代Tran Van Hien商業相はハンガリーでのコメコン各国商業相第10回総会(9~14日)に出席するためハノイを出発。
DIA-201-1978-10-07-1ベトナム1978年10月07日1970年代労働総同盟リン議長はハリ・チトソ・東ドイツ労働総同盟議長と,労働問題に関する協力計画書に調印。
DIA-201-1978-10-07-2ベトナム1978年10月07日1970年代コメコン常務委はソ連タシケント地方で地質問題,第36回総会(3~7日)を開催。総会終了直後,ベトナムでの地質調査への全面援助・協力についての決議を発表,ベトナムのグエン・バン・ジエプ地質総局長が出席。
DIA-201-1978-10-08-1ベトナム1978年10月08日1970年代ND紙;ブレジネフ・ソ連党書記長とコスイギン首相は連名で,ベトナムの党・政府首脳へ洪水台風の被害について見舞電報を送り,緊急救援物資を送るとの決定を通告。
DIA-201-1978-10-09-1ベトナム1978年10月09日1970年代ND紙;スウェーデン政府はベトナムの洪水害に対する緊急救援で1500万クローナを贈与。
DIA-201-1978-10-09-2ベトナム1978年10月09日1970年代グエン・チャィン対外貿易次官はタイを訪問するため,ハノイを出発。10日クリアンサク・タイ首相と会見。
DIA-201-1978-10-09-3ベトナム1978年10月09日1970年代ND紙;チョウ対外貿易相はイラク訪問。両国経済協力委第1回総会に出席。
DIA-201-1978-10-09-4ベトナム1978年10月09日1970年代国会と政府は全国の洪水と台風の被害地区へ合同代表団の派遣を決定。
DIA-201-1978-10-11-1ベトナム1978年10月11日1970年代チョウ対外貿易相はモスクワでのコメコン各国対外貿易相第53回会議(10~13日)に出席のため,ハノイを出発。
DIA-201-1978-10-11-2ベトナム1978年10月11日1970年代チン副首相兼外相は帰国途中11日パリ到着,ドギランゴ仏外相と会談,また12日モスクワでグロムイコ・ソ連外相と意見交換後,ハノイに帰着。10日ND紙によれば,タッチ外務次官は米政府代表との交渉のため,米国にとどまる。
DIA-201-1978-10-11-3ベトナム1978年10月11日1970年代ND紙;フィンランド政府はベトナム洪水害に緊急無償援助20万マルクを供与。 ND紙;ド・ムウィ副首相兼洪水害対策中央委員長はロンアン,チエンザン,ドンタップ,アンザン各省の洪水防止工作を検査するため,同各地区を視察。
DIA-201-1978-10-11-4ベトナム1978年10月11日1970年代ドン首相はマレーシアとシンガポール公式訪問のため,ハノイを出発。同行者:Nghiem Xuan Yem農業科学技術担当相,Nguyen Xuan外務次官,Hoang Quoc Dung国務次官。12~15日マレーシア滞在,共同声明を発表,航空協定に調印。16~17日シンガポールを訪問,共同声明に調印。18日ハノイに帰着。
DIA-201-1978-10-11-5ベトナム1978年10月11日1970年代世界カトリック教会評議会(W.C.C)はベトナム洪水害各地区へ10万ドル相当の米を援助。西ドイツ宗教団体は米300トンを贈与。米国教会全国評議会の世界機関(C.W.S)も救援募金を開始。
DIA-201-1978-10-12-1ベトナム1978年10月12日1970年代ND紙;国連のPAM機構はベトナム洪水害各地区へ小麦粉1万1300トンを援助。
DIA-201-1978-10-13-1ベトナム1978年10月13日1970年代フランス共産党中央委代表団(団長ガストン・フィリトソンニエ同政治局員・中央委書記)ハノイを訪問。
DIA-201-1978-10-13-2ベトナム1978年10月13日1970年代国連駐在代表団は,イエン・サリ民主カムプチア副首相の12日の総会での演説の中でベトナムの対カムプチア乾期攻撃の準備について述べたのに対して,同総会で全面的に否定。
DIA-201-1978-10-13-3ベトナム1978年10月13日1970年代Bui Huy Dap科学技術委副委員長は北朝鮮で両国科学技術協力委第11回会議(3~13日)に出席。協力各議定書に署名。
DIA-201-1978-10-14-1ベトナム1978年10月14日1970年代ND紙;現在までの各国政府のベトナム洪水害への救援は次のとおり。フランス:食糧1万3000トン。オランダ:医療品と住宅資材の買入のため50万フローリンを贈与。ニュージーランド:2万5000ドル。日本:緊急救援1億円。オーストラリア:米500トン。モンゴル政府:肉かん詰15トン,魚かん詰15トン,綿織品5万メートル。インド:30万ルピー相当の薬品と布フ。
DIA-201-1978-10-14-2ベトナム1978年10月14日1970年代Vu Hoang外務省領事局局長はタイ政府代表とベトナム僑民問題について協議のため,ハノイを出発。
DIA-201-1978-10-15-1ベトナム1978年10月15日1970年代タンフォン外務省中国局副局長は曽明中国臨時代理大使と会見。中国兵隊が領内に侵入,警備隊2人を殺害,国境担当幹部1人を連行した事件について厳重に抗議。
DIA-201-1978-10-16-1ベトナム1978年10月16日1970年代(ハノイ)グエン・ツン・ラン交通運輸次官はカク・デトスロ東ドイツ海運総局長と,両国の海運関係協力協定に調印。
DIA-201-1978-10-16-2ベトナム1978年10月16日1970年代Hoang Ngoc Dieu民間航空総局長はヒネッチ・イミン・ハンガリー民間航空総局長と,両国民間航空協定と物資運送協定に調印。
DIA-201-1978-10-16-3ベトナム1978年10月16日1970年代ホーチ・チ軽工業次官は,ハバナでコメコン軽工業問題第31回総会に出席。
DIA-201-1978-10-17-1ベトナム1978年10月17日1970年代グエン・ガン・フォー対外貿易省第2局長は,ビンヘム・ブレタィスタイ・フィンランド外務省国際開発協力局長と,海洋船修理ドックの建設協力援助協定に調印。
DIA-201-1978-10-18-1ベトナム1978年10月18日1970年代ND紙;中国側は同月13~17日まで軍隊と公安隊および数10人を動員,カオラン省国境地区に侵入,挑発活動。
DIA-201-1978-10-18-2ベトナム1978年10月18日1970年代ソ連労働総同盟代表団(団長ルバコフ同機械製造部門労働組合議長),ハノイに到着。
DIA-201-1978-10-18-3ベトナム1978年10月18日1970年代(ハノイ)ブルガリア政府代表団と,科学技術および経済協力協定,物資交換・支払い協定,無償援助協定などに調印。
DIA-201-1978-10-18-4ベトナム1978年10月18日1970年代EEC機構代表団(団長エミリアノ・フオトサチ同開発・発展総局長)は18~25日までハノイを訪問。滞在中,緊急救援として食糧5000トンと6万ドルの贈与を通告。
DIA-201-1978-10-25-1ベトナム1978年10月25日1970年代ND紙;国連の天災救済機関(UNDRO)代表団は,洪水と台風の被害状況を調査するため,1週間以上ベトナム各地域を視察。
DIA-201-1978-10-26-1ベトナム1978年10月26日1970年代ダン・ゴク・バオ・ホー共産青年団中央委第1書記,ソ連訪問のため,ハノイを出発。
DIA-201-1978-10-27-1ベトナム1978年10月27日1970年代中国駐在大使館は中国外務省の国境衝突各事件についての主張に全面的に反論する覚書を同国外務省に送る。
DIA-201-1978-10-27-2ベトナム1978年10月27日1970年代グエン・フー・キュ駐ソ大使は,ソ連政府にタン大統領とチン国会議長のコメコン加盟の条例と規約の批准書を提出。
DIA-201-1978-10-27-3ベトナム1978年10月27日1970年代(ニューデリー)アジア太平洋放送テレビ機構(ABU)は第15回総会で,ベトナムの正式メンバーとしての加盟申請を承認。
DIA-201-1978-10-28-1ベトナム1978年10月28日1970年代ND紙;ラムドン省ダラット市では,野菜,花,雑穀,栽培,農民3586世帯が生産集団組織に加入。現在全市で生産集団61団,生産団結17組1合作社が成立。加入農民は殺虫剤用ポンプ2181台,送水ホース2181mを集団に提供。
DIA-201-1978-10-30-1ベトナム1978年10月30日1970年代ND紙;中国側からの領内侵入,武装挑発の件数と動員入数が最近10日間急速に増加。2,3件から20~30件に,20数人から数百人までに増加。
DIA-201-1978-10-30-2ベトナム1978年10月30日1970年代(ハバナ)Le Tu化学総局長はコメコンの化学工業小委員会の会議に出席。
DIA-201-1978-10-31-1ベトナム1978年10月31日1970年代グエン・アイ・ハク対外貿易省設備輸入・技術交換総局長代理は,ハノイでタイニン省ジョウチエン地区の水利工事に対する設備輸入国際入札を開催。この工事設備輸入の資金はIDAからの長期借款援助6000万ドルである。参加会社は8ヵ国(日本,スウェーデン,仏,英国,インド,イタリア,西ドイツ,フィンランド)から24会社。
DIA-201-1978-10-31-2ベトナム1978年10月31日1970年代党・政府代表団,公式に訪ソ―参加者は次のとおり。団長:Le Duan書記長,団長:Pham Van Dong首相,団員:Le Thanh Nghi副首相兼国家計画委員長,Van Tien Dung人民軍参謀総長,Nguyen Co Thach外務次官,Nguyen Hieu Khieu駐ソ大使,Le Khac国家計画副委員長。3日,越ソ友好・協力条約調印。 4日ギ副首相はバイバコフ・ソ連副首相と6つの協力協定に調印。 ○経済・科学技術協力の発展と強化協定 ○Thang Long(昇竜)大橋工事完成の技術援助,ハノイ鉄道中継センター再建,ハノイ―ハイフォン間の鉄道線路幅拡張の協定 ○地上宇宙通信中継センター建設(完全無償)協定 ○ハノイ―ホーチミン間の統一鉄道の平常運行の保障に対する援助協定 ○各農業合作社の薬草木農場の組織化,薬品製造工業建設協定 ○専門家と熟練工多数の養成・訓練協定
DIA-201-1978-11-01-1ベトナム1978年11月01日1970年代ダオ対外貿易次官はオレン・カットノ東ドイツ対外貿易次官と,両国の79年バーター貿易・支払い協定に調印。
DIA-201-1978-11-02-1ベトナム1978年11月02日1970年代日越友好議員連盟代表団(団長木村俊夫元外相・同連盟議長)は駐日大使館に洪水被害を見舞い,救援金100万円を贈与。
DIA-201-1978-11-05-1ベトナム1978年11月05日1970年代ND紙;スイス政府は,洪水被害地区へ小麦粉1000トン,10万スイス・フランの緊急援助を決定。オーストラリアのベトナム友好協会は緊急支援として2500米ドルを贈る。オランダ・ベトナム医学協会も米1000トン,小麦粉300トン,砂糖200トンを贈与。
DIA-201-1978-11-05-2ベトナム1978年11月05日1970年代(ハノイ)ダオ・バン・タプ社会科学委副委員長はサクダリン・セミット・モンゴル科学院副院長と,両国科学協力協定に調印。
DIA-201-1978-11-07-1ベトナム1978年11月07日1970年代インド国会議員超党派統一代表団(団長マドゥ・リマエ同ジャナタ党中央委書記長),友好親善訪問のため,ハノイに到着。
DIA-201-1978-11-07-2ベトナム1978年11月07日1970年代モフタール・インドネシア外相,初めて正式にハノイを訪問。
DIA-201-1978-11-10-1ベトナム1978年11月10日1970年代(ハノイ)ダオ対外貿易次官はジェッマン・アマドブランコ・キューバ対外貿易次官と,両国の79年無償援助・支払い各議定書に署名。無償分に砂糖4万トンを含む。
DIA-201-1978-11-10-2ベトナム1978年11月10日1970年代Hoang Ngoc Dieu民間航空総局長はミロラ・スリイバ・ユーゴ政府交通郵便副委員長と航空協定に調印。
DIA-201-1978-11-12-1ベトナム1978年11月12日1970年代ND紙;11月初めから今日まで中国の国境侵入,挑発,とくに武力行動件数が急増。
DIA-201-1978-11-13-1ベトナム1978年11月13日1970年代ND紙;デンマーク政府は洪水被害地区へ1000万クローネを緊急援助。オーストラリア海運組合は2万5000米ドル,ノルウェー労働組合も100万クローネを救援。
DIA-201-1978-11-13-2ベトナム1978年11月13日1970年代13~16日ハバナで,コメコン価格委員会総会開催。To Duy国家価格委員長が出席。
DIA-201-1978-11-14-1ベトナム1978年11月14日1970年代ベトナム・ベルギー経済技術協力合同委員会は14~17日ハノイで第1回総会を開催。
DIA-201-1978-11-15-1ベトナム1978年11月15日1970年代ダオ対外貿易次官はプレミ・ストルガン・チェコ対外貿易次官と,79年の物資交換・支払い議定書に署名。
DIA-201-1978-11-15-2ベトナム1978年11月15日1970年代サノン・ニサーラック・タイ副運輸相(王国海軍提督),ハノイを訪問。
DIA-201-1978-11-15-3ベトナム1978年11月15日1970年代李先念中国副首相は宇都宮徳馬衆議院議員ら日本訪問客の質問に答え,日本のベトナムへの経済援助に対し不満を表明。
DIA-201-1978-11-16-1ベトナム1978年11月16日1970年代在仏僑民代表団は洪水被害地区救援で駐仏大使館に70万フランを渡す。
DIA-201-1978-11-17-1ベトナム1978年11月17日1970年代ホアン・B・クルス駐ハノイ比大使は政府代表として,同国からベトナムへの稲作研究と実験設備,稲種子など農業研究援助リストを手交。
DIA-201-1978-11-17-2ベトナム1978年11月17日1970年代国連本部常駐ベトナム代表団スポークスマンは,米国務省スポークスマンが16日付でハイホン難民船事件についてベトナム政府の人権侵害を非難した声明に対し,事実無根と反論。
DIA-201-1978-11-18-1ベトナム1978年11月18日1970年代レ・ズイ・チン農業次官は,モスクワで21~24日開催のコメコン農業小委員会49回総会に出席のため,ハノイを出発。
DIA-201-1978-11-18-2ベトナム1978年11月18日1970年代(ワルシャワ)ホアン・チョン・ダイ対外貿易次官は,メソトロビチ・ポーランド貿易経済次官と,79年の物資交換・支払い協定に調印。
DIA-201-1978-11-19-1ベトナム1978年11月19日1970年代ND紙;10日カムプチア軍はドンタプ省国境線に侵入,農民22人を殺害,水牛50頭を奪取。同地方の人民と地方軍の反撃で1個大隊に大損害,2個大隊が戦闘不能。撤退後,戦死者遺体15人を残す。
DIA-201-1978-11-21-1ベトナム1978年11月21日1970年代ND紙;党中央委書記局は各省,都市,県郡,村各党級支部の党大会開催について,次の点を指示。 ○各地方党級支部の政治と組織の任務を確定する。①生産と人民生活,②国家安全と国防,③大衆の集団の主としての権利保護,④党組織拡大と強化。 ○地方各党級支部の選出条件について。党支部役員幹部は地方の政治,経済,文化,国防,治安など各方面に対する指導的中核,先頭役であり,清潔,高い品質,経済指導能力,国防と治安指導能力などを持つ同志である。また選出される者は平均して若く,工員,経済技術程度を持つ同志や女性幹部も増加,自治区の少数民族出身幹部数も増加。 ○各地方級の全員は大会へ向けて準備の進行を指導。
DIA-201-1978-11-21-2ベトナム1978年11月21日1970年代ホアン・チン統計総局長はモスクワで21~24日開催のコメコン統計総局小委員会第32回総会に出席。
DIA-201-1978-11-21-3ベトナム1978年11月21日1970年代To Duy国家価格委員長は21~30日ソ連を訪問。
DIA-201-1978-11-22-1ベトナム1978年11月22日1970年代ボー・チ・コン副首相兼農業相は,ソ連党中央委農業委代表団(団長L.A.ボロジン・アストラカン省党第1書記)と会見。
DIA-201-1978-11-23-1ベトナム1978年11月23日1970年代ND紙;中国雲南省内居留僑民は洪水被害地区へ救援金450人民元を送る。
DIA-201-1978-11-23-2ベトナム1978年11月23日1970年代首相府は同日付で生産促進と生活節約について指示,①天災の被害で生活に困難をきたしている時,会合と宴会の回数を減らす。正月(テト)は簡素に祝う。企業,政府機関,合作社などは正月の支出額を減らす。不法,浪費および無計画な支出者は公金に全額を返還する。②外務,対外貿易,観光各省を除く各機関のカレンダーと年賀状の印刷と使用を禁じる。
DIA-201-1978-11-24-1ベトナム1978年11月24日1970年代仏共産党中央委員会はベトナムの内外政策を全面的に支持する特別声明を発表。
DIA-201-1978-11-25-1ベトナム1978年11月25日1970年代Nguyen Tien Phong児童委副委員長代表団は11月25~12月3日までマニラで開催のアジア・太平洋地域79年児童国際年組織会議に出席。
DIA-201-1978-11-26-1ベトナム1978年11月26日1970年代ND紙;イラク政府は洪水害地区へ100万ドル相当の物資を支援。ビルマ政府は米300トン,マレーシア政府も小麦粉81トン,食用油21トンの救援物資船を派遣。
DIA-201-1978-11-27-1ベトナム1978年11月27日1970年代ND紙;Tong Tran Dao農業次官,ニュージーランドとオーストラリア両国を訪問。
DIA-201-1978-11-29-1ベトナム1978年11月29日1970年代ND紙;ドンナイ省では農業生産の6合作社と249生産集団を設立。合作社の規模200ha。生産集団の規模34ha,労働力120人。
DIA-201-1978-11-29-2ベトナム1978年11月29日1970年代ND紙;Nguyen Xuan Huuフーカイン省党委書記の報告によれば同省の農業発展の状況は,75年と比べ,実際農業生産地が5万haから現在8万5000haに増加。生産量は18万トンから30万トンに増加。食糧のうち雑穀の占める比率は8%から24%に。今年の食糧生産の中央計画は97%達成。省計画は80%達成。
DIA-201-1978-11-30-1ベトナム1978年11月30日1970年代ND紙;Nghiem Xuan Yem農業科学技術担当国務相はハバナで開催のキューバとの科学技術合同委第3回総会に出席。
DIA-201-1978-12-02-1ベトナム1978年12月02日1970年代ND紙;南部10省と1都市(ハウジャン,ドンナイ,ソンベ,クーロン,ラムドン,チエンジャン,ドンタプ,ツウンハイ,ミンハイ,キエンジャン各省とホーチミン市)の政府関係責任者と農業生産各団体の間に78~79年の冬春季生産計画と経済契約制度を実施。
DIA-201-1978-12-04-1ベトナム1978年12月04日1970年代チン副首相兼外相はアルバニア政府貿易・技術両代表団(団長ロアドロ・ジョト同建設省次官)と会見。
DIA-201-1978-12-05-1ベトナム1978年12月05日1970年代ND紙;政府内閣法制委は,全国少数民族地区を持つ20省以上の法律責任者代表会議を開く。主要議題は,少数民族地区内での集団主人公権利の保護について。法制による保護強化の方法を討議。
DIA-201-1978-12-05-2ベトナム1978年12月05日1970年代ホー市党と人民両委は合同で,ECC機構援助の農業生産と開墾用トラクター36台の引渡式を開催。
DIA-201-1978-12-06-1ベトナム1978年12月06日1970年代ND紙;ビン教育相はベンチェとチエンジャン両省の教育活動状況を視察。
DIA-201-1978-12-06-2ベトナム1978年12月06日1970年代ギ副首相兼国家計画委員長はモスクワでコメコン機構計画協力委第18回総会(6~7日)に出席。
DIA-201-1978-12-06-3ベトナム1978年12月06日1970年代レ・ビン党機関紙国際局長代表団は6~18日フィリピンを訪問。
DIA-201-1978-12-07-1ベトナム1978年12月07日1970年代ND紙;リビア政府は洪水被害地区へ16万8469ドルを援助。
DIA-201-1978-12-07-2ベトナム1978年12月07日1970年代ND紙;党中央委機関紙委は,東ドイツ政府の援助でニャンザン紙の印刷工場の近代化・拡大工事完成式を開催。
DIA-201-1978-12-08-1ベトナム1978年12月08日1970年代ソ連邦最高会議幹部会はソ越友好・協力条約を承認。
DIA-201-1978-12-08-2ベトナム1978年12月08日1970年代レター・クァン・チェン国家スポーツ委員会副委員長は,ハノイ訪問中のV.スモットスキン・ソ連スポーツ委副委員長と,両国の79年スポーツ関係協力,スポーツ用具生産設備援助と技術指導などの計画書に署名。
DIA-201-1978-12-08-3ベトナム1978年12月08日1970年代ダオ対外貿易次宮は,ハノイ訪問中のハンガリー政府代表団長ジョゼフ・カブラ対外貿易次官と,79年物資交換・支払い各議定書に署名。
DIA-201-1978-12-08-4ベトナム1978年12月08日1970年代ホー市で8~9日仏教アンクアン寺院派指導部の一部の反政府・反革命犯罪についての裁判を開催。
DIA-201-1978-12-09-1ベトナム1978年12月09日1970年代掲公素駐ハノイ新中国大使,ト副大統領に信任状提出。同大使は11月4日ハノイに到着。
DIA-201-1978-12-09-2ベトナム1978年12月09日1970年代ND紙;ルクセンブルグ政府はベトナム洪水被害地区へ小麦粉300トンを贈与。
DIA-201-1978-12-09-3ベトナム1978年12月09日1970年代ユーゴ政府経済代表団(団長クロボダン・クリゴリジェベユーゴ・ベトナム経済科学技術協力合同委のユーゴ側議長),ハノイに到着。11日,チャウ対外貿易相と経済・科学技術協力協定に調印。
DIA-201-1978-12-10-1ベトナム1978年12月10日1970年代ND紙;ベトナム通信社は政府の委任を受けて,最近バンコク駐在AFP通信特派員が現地新聞記事を引用し“ドン首相はタイ愛国戦線代表と会見の際,同戦線への支持の再確認を表明した”と伝えたことに対し,悪意に中傷したと全面的に否定。
DIA-201-1978-12-11-1ベトナム1978年12月11日1970年代ND紙;党中央委書記局は人民軍創立35周年記念日に当り,各人民武装勢力の戦闘能力を高め,人民軍の輝かしい本領を発揮する運動を全国で展開するよう指示。また79年全軍内で5つの目標を達成するよう運動。 ホー市祖国戦線委は,仏教アンクアン寺派の一部による政府の政策に対する抵抗運動と反革命犯罪について討議するため,戦線委拡大会議を開催。各宗教団体代表の出席者:Thich Tri Thuアンクアン寺院化導院院長,NgHgen Van Binh大司教,Thai Liep Thanhカオダイ教法師など。
DIA-201-1978-12-12-1ベトナム1978年12月12日1970年代ドン首相は,米国法律家代表団(団長ジョン・クンチリ副会長)と会見。
DIA-201-1978-12-12-2ベトナム1978年12月12日1970年代(ハノイ)北朝鮮と通信情報・写真交換協定に調印。
DIA-201-1978-12-12-3ベトナム1978年12月12日1970年代ディン・ドク・チエン石油天然ガス相,インドを訪問。
DIA-201-1978-12-13-1ベトナム1978年12月13日1970年代ND紙;ダオ対外貿易次官は,イダクセン・デンマーク政府外務省国際発展協力局副局長と,精糖工場全設備と建設の援助議定書に署名。
DIA-201-1978-12-13-2ベトナム1978年12月13日1970年代ND紙;ベルギー政府は,ベトナム洪水被害地区へ3000万フランを緊急援助。スウェーデン政府も4回目の補充援助400万クローナを送る。
DIA-201-1978-12-13-3ベトナム1978年12月13日1970年代ND紙;ベトナム通信社は政府の委任を受けて,APとAFP両通信社のバンコク駐在特派員が10日バンコク・ポスト紙の記事を引用して“セクナ・ナコン・タイ最高参謀総長は記者にラオス駐屯ベトナム軍4万人は国境を越えてカンボジア領に侵入したと述べた”と報道したことについて,事実無根と全面的に否定。
DIA-201-1978-12-13-4ベトナム1978年12月13日1970年代(ハノイ)チン外相はサフリン駐ハノイ・ソ連大使と両国友好・協力条約批准書に調印,交換式を開催。
DIA-201-1978-12-13-5ベトナム1978年12月13日1970年代チン副首相兼外相は,日本,アフガニスタン,バングラデシュ,ネパール,パキスタンを歴訪するため,ハノイを出発。14~22日,日本に滞在中,前年度と同額の140億円(無償40億,有償借款100億)の借款援助と米15万トンの貸付などで同意。21日~26日アフガニスタンを訪問。26~28日バングラデシュを訪問。28~30日非公式にインドを訪問。30~1月1日ネパール王国を訪問。1~3日パキスタンを訪問。4日ハノイに帰着。
DIA-201-1978-12-14-1ベトナム1978年12月14日1970年代政府閣議は南部における農地・農業経営両政策を決定(参考資料参照)。
DIA-201-1978-12-15-1ベトナム1978年12月15日1970年代ND紙;ユーゴ政府はベトナム洪水被害地区へ5万ドル相当の食糧と物資を贈与。同国労働総同盟も1万ドル相当の薬品と衣料を送る。
DIA-201-1978-12-15-2ベトナム1978年12月15日1970年代ND紙;ベトナム通信社は政府の委任を受けて,マレーシア駐在AFP通信社特派員が13日現地情報を引用して“ベトナム当局は難民を利用し,船30万隻を動員して,タイ,カンボジア,マレーシア各国沿岸へ接近,上陸占領の計画を持つ”と報道したことについて事実無根と全面的に否定。
DIA-201-1978-12-15-3ベトナム1978年12月15日1970年代ホアン・ビク・ソン外務次官は揚公素中国新大使と会見。最近の中国軍の海陸での継続的,計画的領土侵犯,武装挑発に激しく抗議。
DIA-201-1978-12-15-4ベトナム1978年12月15日1970年代コロムビア政府と1979年1月1日から大使級外交関係を樹立することを決定。
DIA-201-1978-12-16-1ベトナム1978年12月16日1970年代ND紙;党軍事委員会は今後各種人民軍と民間各武装勢力の輝かしい伝統的本質を発揮し,戦闘能力と技術を高める運動の実現について指示。
DIA-201-1978-12-16-2ベトナム1978年12月16日1970年代ドン首相は揚公素中国大使と会見。
DIA-201-1978-12-16-3ベトナム1978年12月16日1970年代(ハノイ)ヴー・カク・マン水利次官とチャン・バン・クス林業次官は国連のPNUD,PAM両機構ハノイ常駐代表と,クアンナム・ダナン省のフーニン水利建設工事,ラムドン省ダラット植林工事,ハノイ市トーリッチ河建設の3つの工事に対し,食糧食品援助2ヵ年(79~80)分3500万ドルの援助計画書に調印。
DIA-201-1978-12-17-1ベトナム1978年12月17日1970年代ND紙;南部各省では私営の大・中1500企業(電工,機器,化学,紡織,皮革,製紙,建設資材,食糧食品加工各企業)が国営と公私合弁の650企業に編入され,それら企業の従業労働者は13万人,私営企業の従業労働者総数の70%を占め,それらの生産総額は南部の工業生産総額の70%を占める。
DIA-201-1978-12-18-1ベトナム1978年12月18日1970年代(ベルリン)ドアン・フオン国家科学技術委副委員長は東ドイツとの協力合同委第13回総会に出席。ルドン・ムラ同国側協力委副委員長と79年の協力各議定書に署名。
DIA-201-1978-12-19-1ベトナム1978年12月19日1970年代外務省スポークスマンは中国外務省の16日付のベトナムの対カンボジア侵略行為非難に対し否定声明を発表。
DIA-201-1978-12-19-2ベトナム1978年12月19日1970年代ハイフォン市人民委は国連のUNICEF機関の援助による児童施設センターを完成。
DIA-201-1978-12-20-1ベトナム1978年12月20日1970年代チュオン・チン国会議長とドン首相はそれぞれ個別に揚公素新中国大使と会見。
DIA-201-1978-12-20-2ベトナム1978年12月20日1970年代ドー・ムオイ副首相はハバナでキューバとの経済科学技術協力合同委第3回総会に出席。23日農業,科学技術および海産などの各小委員会協力議定書に署名。
DIA-201-1978-12-21-1ベトナム1978年12月21日1970年代ND紙;郵政省の長距離通信・電話線建設部門は,1年間の工事でハノイ首都からホー市を通って南部最南端ミンハイ省に至る1650km(コンクリート電柱使用)の通信・電話線を敷設・現在開通。
DIA-201-1978-12-21-2ベトナム1978年12月21日1970年代ND紙;軽工業省は23ヵ月かかってキムアン万年筆工場を完成。
DIA-201-1978-12-21-3ベトナム1978年12月21日1970年代ND紙;カンボジア軍は13~16日ドンタプ省国境地区に侵入,同地方軍と人民の反撃で,150名が死亡。武器100丁捕獲,その中大砲1門,機関銃9丁。
DIA-201-1978-12-21-4ベトナム1978年12月21日1970年代ND紙;政府は最近南部建設資材生産企業グループ(国営69企業,公私合弁22企業)を設立。同各企業は78年後半レンガ1億9000万枚,建設用里石29万8000,タイル2600万枚を生産。
DIA-201-1978-12-21-5ベトナム1978年12月21日1970年代ハ・バン・ラウ国連大使は,カンボジア国連代表が同国の救国民族団結戦線の成立について国連内でベトナムを中傷する活動をしたことについて,国連事務総長に否定と反論の書簡を送る。
DIA-201-1978-12-22-1ベトナム1978年12月22日1970年代国会第6期第4回総会開催。29日,79年国家計画予算および77年決算を承認して閉会。 国会はまた29日,政府の提案により,カオラン省を分け,カオバンとランソン両省を新行政単位とすることを承認。
DIA-201-1978-12-23-1ベトナム1978年12月23日1970年代ND紙;チン国会議長は22日の国会総会で,ザップ副首相兼国防相は21日人民軍建軍32周年記念で演説を行ない,両民とも,全人民と全軍に,大民族主義者集団の侵略を阻止し,民族独立を防衛し,一致団結して戦闘を準備するよう呼びかけ。
DIA-201-1978-12-26-1ベトナム1978年12月26日1970年代ND紙;タイニン省軍民は,カンボジア侵入軍400人を全滅。キエンジャン省ハーチエン市でも100人を死亡させ,ドンタプ省では2日間の戦闘で侵入軍2個大隊,2個中隊を壊滅。
DIA-201-1978-12-26-2ベトナム1978年12月26日1970年代ND紙;鉄道総局は中国鉄道省が同月22日付で暫定的に国際列車の運行を中止すると通告したので,ベトナム側も同日から国際列車の営業を中止すると発表。
DIA-201-1978-12-26-3ベトナム1978年12月26日1970年代チエン外務省中国局長は曽明中国大使館参事官と会見,中国のベトナムに対する中傷を非難,また中国軍の領内侵入,公安隊3人の連行に抗議する覚書を渡す。
DIA-201-1978-12-27-1ベトナム1978年12月27日1970年代ND紙;現在までにホー市では消費品と輸出品生産の109合作社と1603の合作組合が成立。109合作社(社員総数2万)の生産内訳:紡織,皮革,縫製70社。機器,金属各類16社,建材と木材14社。その他19社。また合作組合の規模は組合員7万1208人,同市の手工業と小工業の労働者数の64.2%を占める。
DIA-201-1978-12-27-2ベトナム1978年12月27日1970年代ドン首相はA.A.イサコフ・ソ連漁業相と会見,(22~27日滞在)。同相はギ副首相と両国の漁業関係協定議定書に署名。
DIA-201-1978-12-27-3ベトナム1978年12月27日1970年代ダオ対外貿易次官は北朝鮮対外貿易次官と79年物資交換・支払い協定に調印。
DIA-201-1978-12-28-1ベトナム1978年12月28日1970年代ファット副首相は政府代表団長として故ブーメディエン・アルジェリア大統領の国葬に参列のため,ハノイを出発。
DIA-201-1978-12-29-1ベトナム1978年12月29日1970年代ベトナム通信社(VNA)は政府の権限を持って,プノンペン放送がベトナム軍はスヌルへ進攻,ミグ機がフンサィ市を爆撃したと報道したことに対し事実無根と否定。逆に同月末カンボジア軍は130ミリ大砲を使って,タイニン省市内を砲撃したと非難。
DIA-201-1978-12-30-1ベトナム1978年12月30日1970年代祖国戦線中央委はカンボジア救国民族団結戦線の対外政策に対し,完全に支持するとの声明を発表。
DIA-201-1978-12-30-2ベトナム1978年12月30日1970年代政府は西砂・南砂両群島の主権と領有を再確認―外務省スポークスマンは中国外務省の同月29日付の南砂群島についての声明を全面的に拒否。両群島(西砂,南砂)はベトナムの領土の一部であり,政府と人民は自分達の領土全体の防衛を決心,いかなる外国勢力による両群島の探査,調査,開発,占領などあらゆる活動も違法であると強調。
DIA-201-1978-12-31-1ベトナム1978年12月31日1970年代ND紙;タイニン省の軍と人民は23日から5日間カンボジア精鋭軍が同省に侵入占領しようとした陰謀を粉砕,全面的反撃で,敵軍3個連隊を壊滅,武器各類700丁,軍用車多数,タンクと装甲車9台,弾薬数十トンを捕獲,あるいは奪取。
DIA-201-1978-12-31-2ベトナム1978年12月31日1970年代スリランカ・ベトナム友好団結協力委,コロムボで成立。同国スバーシンゲ工業相が委員長に就任。
DIA-201-1979-01-01-1ベトナム1979年01月01日1970年代ND紙社説は,人民生活の安定・戦争後遺症と経済後進性の克服・資本蓄積の増大を訴えると同時に,北部・西南国境での国際反動に対する警戒強化を強調。
DIA-201-1979-01-03-1ベトナム1979年01月03日1970年代米政府はカンボジア紛争に関し「外国の一方的介入は正当化されえない」との声明を発表。
DIA-201-1979-01-03-2ベトナム1979年01月03日1970年代ND紙:ハノイ港建設工事の第一段階が終了。地方・首都間の河川による物資運送の拡大強化が目的。
DIA-201-1979-01-03-3ベトナム1979年01月03日1970年代ND紙:78年に全国の保育園,幼稚園の入園児童数は103万6352人に達した。77年と比べ25%増であり,うち北部は99万2981人。
DIA-201-1979-01-04-1ベトナム1979年01月04日1970年代ND紙:南部の78年の私営商工業・運輸建設業に関する社会主義改造と建設の諸成果―以下の通り。○商業部門-①工業品を扱う私営商業者6万世帯(同商業者総数比26%)の営業を停止,国家の管理下に置く。また他の商業者3万世帯の在庫商品を買上げ。②小売業者4万2000人を生産に転入。うち7000人が農業に,5000人が手工業に,8000人が社会主義商業系統に参加③私営の食糧加工業・商業700を省・都市の管理下に置き,国営企業・公私合弁企業に転入。④改造後,社会主義的商店200を開店。国営商業では商業第1級17公司,第2級205公司,商店2000軒が成立。従業員5万人。売買・消費者合作社は平原・盆地両地帯の村落の92%以上で設立され,参加者は2万5000人。○工業部門―①大・中型私営工業1500の所有権・管理権を国営企業・公私合弁企業に再編成。従業員数15万人(私営企業労働者総数比70%)。優秀労働者64人が省と都市管理下の公私合弁企業の監督職に,同100人以上が中央機関管理下の企業の支部工場長に昇格。②小工業・手工業の合作社350,生産協同組合3500,生産団結組4000が成立。これらの労働者総数は23万4000人(同部門労働者総数比46%)。○運輸部門―①陸上運輸を再編成し,国営企業15,公私合
DIA-201-1979-01-04-2ベトナム1979年01月04日1970年代国連のFAOはベトナムの洪水犠牲者への緊急援助として,小麦粉1万トンの送付を決定した。
DIA-201-1979-01-05-1ベトナム1979年01月05日1970年代米当局者は,戦車・航空機・重火器を伴う中国正規軍の大部隊がベトナム北部国境付近の雲南省・広西チワン族自治区に移動,集結中であると明らかにした。
DIA-201-1979-01-05-2ベトナム1979年01月05日1970年代外務省当局者はハノイの中国大使館当局者に,3日中国側がカオバン省とホアンリエンソン省に越境し,カオバン省では国境警備隊員1人を射殺,4人を負傷させ1人を中国領に連行した,と強く抗議した。
DIA-201-1979-01-05-3ベトナム1979年01月05日1970年代中国外務省はベトナム駐中国大使館に覚書を送り,最近ベトナムは中国領内へ国境住民の追立てを行なっている,と抗議,これらの住民をベトナム領内へ引戻し類似の事件を繰返さぬよう要求した。
DIA-201-1979-01-06-1ベトナム1979年01月06日1970年代外務省は声明を発表。民主カンボジアが,ベトナムがカンボジアへ侵攻したとして国連緊急安保理を招請したことに対し「カンボジア人民・救国戦争の正義の闘争を否定し世論をあざむくものである」と述べた。
DIA-201-1979-01-06-2ベトナム1979年01月06日1970年代祖国戦線中央委は,ハノイにカンボジア救国戦線の通信・連絡常駐代表部の開設を決定した,と発表。
DIA-201-1979-01-06-3ベトナム1979年01月06日1970年代新華社は,ベトナムが中越国境地域を立ち入り禁止区域にし,同地域に夜間外出禁止令を出した,と報道。
DIA-201-1979-01-06-4ベトナム1979年01月06日1970年代ノルウェー政府経済代表団,訪越。経済・産業・貿易・技術相互協力議定書に調印。10日,帰国。
DIA-201-1979-01-06-5ベトナム1979年01月06日1970年代政府は,79年に任期切れとなる都市区・省都・省・県・市・村などの人民議会の改選を5月31日までに行なうよう指示した。
DIA-201-1979-01-06-6ベトナム1979年01月06日1970年代ND紙:ミンハイ省は県と行政単位を再編し,新県・市を設立した。
DIA-201-1979-01-07-1ベトナム1979年01月07日1970年代ND紙:政府閣議は党中央委第5回全体会議決議と国会第4回会議決議を実現する方法について討論。
DIA-201-1979-01-07-2ベトナム1979年01月07日1970年代外務省は声明を発表し,中国が北部国境地帯に大軍を集結させ新たな敵対行動を準備していると強く非難,あらゆる領土侵犯を直ちにやめるよう警告した。
DIA-201-1979-01-07-3ベトナム1979年01月07日1970年代外務省は中国駐越大使館に覚書を送り,5日の中国外務省覚書に対して反論,中国側が策略によって華人をベトナムから中国へ行かせたのであり,このようなデマと華人のベトナムへの送り返しをやめるよう要求した。
DIA-201-1979-01-07-4ベトナム1979年01月07日1970年代中国政府は,ベトナムのカンボジア侵攻を非難する声明を発表,ソ連拡張主義に奉仕するものだと述べた。
DIA-201-1979-01-07-5ベトナム1979年01月07日1970年代ND紙:南部15省と都市で78年に復旧,又は新建設した農村交通系統の工事は173にのぼり,そのうち橋は9800m,村落道路は1125kmに達した。
DIA-201-1979-01-08-1ベトナム1979年01月08日1970年代7日のプノンペン解放に際しND紙社説は,「カンボジア革命の偉大な勝利はインドシナ三国が団結し独立・主権を尊重し,平等・相互援助によって新生活を共にする新たな時代を開いた」と述べた。
DIA-201-1979-01-08-2ベトナム1979年01月08日1970年代ND紙:ホー市では農業生産合作化の運動と合作化の専門幹部の養成計画を実施80年までに中緊幹部2万5000人を養成する。特に今年は,農業合作社30と生産集団9000を建設し,幹部1万5600人の養成を計画。
DIA-201-1979-01-08-3ベトナム1979年01月08日1970年代ND紙:ギアビン省では農業合作社167が成立。うちわけは米作専業63,雑穀栽培71,米作・雑穀・小工業作物の混合生産12,漁業・塩業5,山岳林業生産12など。
DIA-201-1979-01-08-4ベトナム1979年01月08日1970年代ハノイ港に2本の波止場が追加され埠頭面積は2万6000m2に。完成すれば同港の能力は年間,現在の2倍の130万トンになる。(ベトナム通信)
DIA-201-1979-01-09-1ベトナム1979年01月09日1970年代政府は,カンボジア人民革命評議会を,カンボジアの唯一の合法政府として承認。
DIA-201-1979-01-09-2ベトナム1979年01月09日1970年代米政府当局者,ベトナムのカンボジア侵攻により,パリでの対越国交正常化交渉は中断された,と語る。
DIA-201-1979-01-09-3ベトナム1979年01月09日1970年代ND紙:79年のタインホア省の小工業・手工業の生産実績は,農業向け物資,並びに国内消費・輸出用物資で総額1450万トンに達した。
DIA-201-1979-01-10-1ベトナム1979年01月10日1970年代ハノイ放送は,中国のモーターボート1隻が8日,クアンニン省モンカイ県チャコ島沖の領海へ侵入,ベトナム民兵隊が警告を発したところ,乗組隊は同船を放棄して中国へ向け,泳いでいった,と報道。
DIA-201-1979-01-10-2ベトナム1979年01月10日1970年代スウェーデン国会は,79年度対ベトナム無償援助として4億クローナを承認。
DIA-201-1979-01-10-3ベトナム1979年01月10日1970年代首相は最近,地方と関係部門に指令を送り,遅れている冬春作物植付けを強化し,化学肥料の不足にあたり堆肥・緑肥運動を開始するよう訴えた。(ハノイ放送)
DIA-201-1979-01-10-4ベトナム1979年01月10日1970年代ND紙:南部農業改造委は,南部と中部両地域の社会主義改造の速度差の原因について以下のように分析。○中部,特にクァンナム=ダナン,ギアビン両省では54年までの人民政権下で農地改革を徹底的に遂行した結果,75年の完全解放後の個人占有の廃止・農地調整・合作化の政策が首尾よく遂行された。○南部では農地改革が完全には行なわれなかったため,農村内の富農・資産階級が多く残存し,また南部農民総数の60%を占める自作農は集団化に対して消極的であり,自己と政治問題に対して憂慮するからである。
DIA-201-1979-01-10-5ベトナム1979年01月10日1970年代ND紙:ギアビン省ビンソン県ではこれまでに農業合作社17が成立。クーロン省でも生産集団1000を組織。ティエンジャン省でも10村で生産集団7が成立した。
DIA-201-1979-01-10-6ベトナム1979年01月10日1970年代ND紙:中部高原ダクラク省では農業合作社20,生産集団580が成立。省内農民世帯の73%が組織された。
DIA-201-1979-01-11-1ベトナム1979年01月11日1970年代カンボジア問題を討議する国連緊急安保理事会開催-ポル・ポト政権特使のシアヌーク殿下と陳楚中国大使のベトナムのカンボジア侵攻を非難する演説の後,ハ・バン・ラウ・ベトナム大使が発言し「ポル・ポト一味による対越国境戦争に対しベトナム人民が反撃を余儀なくされた戦争と,北京の道具であるポル・ポト一味の独裁的支配に対するカンボジア人民の革命戦争という二つの種類の戦争を区別する必要がある」と述べた。15日,カンボジア問題に関する決議は出ずに,閉会。
DIA-201-1979-01-12-1ベトナム1979年01月12日1970年代グエン・ズイ・チン外相は,①徴兵下の者,②国家に必要な事務に携わる者,生産・社会福祉の重職にある者,③犯罪者,裁判を待つ者,を除いて全てのベトナム人に海外への出国を許可する,と発表。
DIA-201-1979-01-12-2ベトナム1979年01月12日1970年代(ハノイ)チャウ貿易相は,グリシン・ソ連貿易次官と,79年度貿易支払い議定書と対越物資追加供給に関する協定に調印。
DIA-201-1979-01-13-1ベトナム1979年01月13日1970年代(ハノイ)アジア・アフリカ人民連帯機構幹部会第7回会議,開催。ドン首相は「ベトナムは東南ア諸国との友好協力を発展させ,過去の誓約の実行を再確認する」と演説。また会議全体宣言は,カンボジア救国戦線との連帯促進を呼びかけた。15日,閉会。
DIA-201-1979-01-13-2ベトナム1979年01月13日1970年代(バンコク)12日からのASEAN緊急外相会議は13日,カンボジア領内からの外国勢力の即時撤退などを要求した共同声明を発表,閉会。
DIA-201-1979-01-13-3ベトナム1979年01月13日1970年代チエン外務省中国局長は魯明・中国臨時代理大使と会い,8~12日にかけて中国武装勢力がクアンニン,ランソン,カオバン,ホアンリエンソンなどの省に計画的連続的に侵入し銃撃を行なった,と激しく抗議。
DIA-201-1979-01-13-4ベトナム1979年01月13日1970年代(ハノイ)建設部門は会議を開催。78年の建設部門の失敗と目標未達成を確認し,79年の建設プロジェクトの早期完成・操業と,不必要なプロジェクトの縮小,中断と,建設資材生産の発展を強調した。(ハノイ放送)
DIA-201-1979-01-15-1ベトナム1979年01月15日1970年代ホーチミン共産青年団会議開催。18日の中央委総括報告では,78年までにベトナムの支配各組織に吸収した青年男女は800万人,青年団への正式加入者は100万人,青年連合会への加入者64万人,と発表された。
DIA-201-1979-01-15-2ベトナム1979年01月15日1970年代外務省はスポークスマン声明を発表。「小規模な中国軍部隊が14日と15日,カオラン省,クアンニン省などベトナム領各地に侵入,大規模な砲撃や自動小銃の銃撃で人民多数を死傷させ,あるいは,ら致した」と非難。
DIA-201-1979-01-15-3ベトナム1979年01月15日1970年代ファン・チョン・トゥエ交通運輸相,タイ訪問。22日,タイ外務次官と貿易海運協定に調印。
DIA-201-1979-01-15-4ベトナム1979年01月15日1970年代民間航空総局は,ソ連から無償供与される民間航空旅客機IL18型機1機の贈与引渡式を開催。
DIA-201-1979-01-15-5ベトナム1979年01月15日1970年代日本の日立造船は,このほどベトナムの外貨事情悪化のため対越大型肥料プラントの輸出商談を断念。(日経1.15)
DIA-201-1979-01-16-1ベトナム1979年01月16日1970年代ギニア・ビザウ共和国党・政府代表団,訪越。25日,両国協力協定に調印。同日,帰国。
DIA-201-1979-01-16-2ベトナム1979年01月16日1970年代(モスクワ)コメコン執行委第88回総会,18日まで。フィン・タン・ファット副首相が出席。
DIA-201-1979-01-17-1ベトナム1979年01月17日1970年代(ハノイ)暫定メコン委第4回総会,開催―カシボジアは参加せず。
DIA-201-1979-01-17-2ベトナム1979年01月17日1970年代チア・ロット新カンボジア駐越大使,信任状奉呈。
DIA-201-1979-01-17-3ベトナム1979年01月17日1970年代ND紙:ハソンビン省では年間1万トンの生産能力を持つセメント工場が完成。次いで年産2万トン級工場の建設工事を起工した。
DIA-201-1979-01-20-1ベトナム1979年01月20日1970年代中国外務省が19日,ベトナムが中越国境鉄道の運行一時停止(78年12月22日)を理由に同鉄道接続点その他の中越国境地区で重大な事件を準備しているとして,中国領での不法行為の即時停止を呼びかけたことに対し,外務省はこれを完全に否定,両国鉄道接続点は1887年と1895年の清仏協定に拠ればベトナム領ランソン省バンラン県パオラム村にあり,中国こそ領内での挑発行動と敵対的陰謀を即時停止し,鉄道の正常な運行を再開すべきだ,との覚書を駐越中国大使館に送った。
DIA-201-1979-01-20-2ベトナム1979年01月20日1970年代ND紙:15日現在,全国の冬春季の稲植付は83万2000ha,計画の50.5%に達す。
DIA-201-1979-01-22-1ベトナム1979年01月22日1970年代中国とビザ協定破棄-19日に中国外務省は中越両国間のビザ手続き協定・ビザ手数料免除協定の破棄をベトナムに通告。22日,外務省はこれに対し「23日以降ベトナムに入国,あるいは出国する全ての中国人はいかなる旅券を持っていようともベトナム発行のビザを申請せねばならない」と駐越中国大使館に通告。
DIA-201-1979-01-22-2ベトナム1979年01月22日1970年代ND紙:中央銀行はこのほど開催された同行の会議で,78年の同銀行への人民の預金高は2億5000万ドンに達し,77年比1億5000万ドン増であると発表した。
DIA-201-1979-01-23-1ベトナム1979年01月23日1970年代オーストラリアはベトナムのカンボジア侵攻と難民流出政策を理由に,対越酪農援助計画(総額710万オーストラリア・ドルで大部分は終了)の停止と文化交流の中断を決定。25日,ベトナム政府はこれに抗議。
DIA-201-1979-01-23-2ベトナム1979年01月23日1970年代バンコクの西側外交筋は「ハノイはこのほど組織的な難民流出はすべて中断した」と述べた。
DIA-201-1979-01-26-1ベトナム1979年01月26日1970年代グエン・チ・ビン教育相はモザンビークで開かれる非同盟諸国調整会議へ出席のため,ハノイを出発。途中アンゴラへ立寄り,28日,開催地マブド着。
DIA-201-1979-01-27-1ベトナム1979年01月27日1970年代ND紙:冶金・機械部門の78年の生産総額は計画の110.4%。
DIA-201-1979-01-29-1ベトナム1979年01月29日1970年代外務省は駐越中国大使館に覚書を送り,中国武装勢力は26~27日にハツエン省ホアンビンソン町へ侵入29日には中国兵100人がランソン省友誼関国境地域に侵入し,多くの国境警備隊員を負傷させたため,ベトナム武装勢力は中国兵を国境の向こうに撤退させた,と述べる。
DIA-201-1979-01-30-1ベトナム1979年01月30日1970年代アルヒポフ・ソ連副首相兼越ソ科学技術合同委議長以下代表団,訪越。31日,同委第5回会議開催。両国間海運部門の物資輸送協定調印。2月2日,トラクター工場,鍛圧設備工場など企業建設への援助協定調印。
DIA-201-1979-01-31-1ベトナム1979年01月31日1970年代ハノイ放送は「カンボジア問題の根源は中国の膨張・覇権政策にある」との論評を掲載。
DIA-201-1979-02-01-1ベトナム1979年02月01日1970年代外務省は中国駐越大使館へ覚書を送り,中国武装勢力はクアンニン,ランソン,カオバン,ハチエン,ホアンリエンソン各省国境地域に連続的に侵入,挑発行為を行い,1月29日にはライチャウ省で国境警備隊員1人を殺害,多数を負傷させた,と激しく抗議した。
DIA-201-1979-02-02-1ベトナム1979年02月02日1970年代米政府筋は,中国がベトナムに対して電撃的な限定侵攻を行う公算が極めて大きくなった,と言明。
DIA-201-1979-02-02-2ベトナム1979年02月02日1970年代カオバン省軍司令部は,中国軍が国境から同省クアンバ県クイトアン村のフオクホア精糖工場を砲撃,工場建物と住居多数が損傷し,女工多数が負傷した,と発表。
DIA-201-1979-02-02-3ベトナム1979年02月02日1970年代コソン駐越タイ大使は,タイ政府人民の洪水被害民への援助として,食糧・食料品・薬品を引渡した。
DIA-201-1979-02-02-4ベトナム1979年02月02日1970年代南部は交通路復旧・建設工事において,道路400kmを新設し,橋(大・小)40本の工事を完成した。
DIA-201-1979-02-02-5ベトナム1979年02月02日1970年代ND紙:ハバク省では昨年の食糧用雑殻生産の実績は栽培面積5万3744ha(1昨年より1万8000ha増),収穫量12万977トンに達す。雑殻の食糧用比率は77年は19.7%,78年は25.5%。
DIA-201-1979-02-03-1ベトナム1979年02月03日1970年代ND紙:ハイフォン市小工業・手工業合作社200(従業員2万3000人)の生産実績は,全資本金(固定財産)2100万ドン,消費用・輸出用品200品目を生産し年間平均生産総額1億ドン。77年の生産額1億4200万ドン,78年は約1億6500万ドンで同市工業総額の40%。
DIA-201-1979-02-04-1ベトナム1979年02月04日1970年代中国軍数千人はランソン省カオロク県カオラウ村に侵入,各高地を占領し大砲基地を設置。ベトナム公安隊はこれに警告を与え中国領へ撤退させた。
DIA-201-1979-02-04-2ベトナム1979年02月04日1970年代東独人民軍ボルフカ査察長官・中将以下代表団,訪越。軍事関係者と会談。13日,帰国。
DIA-201-1979-02-04-3ベトナム1979年02月04日1970年代ND紙:ホー市党委は市内党支部各級大会の準備のため実行委会議を開催。今年の工業生産目標を78年比11%増とし,輸出品額を全工業品の20%と定める。
DIA-201-1979-02-07-1ベトナム1979年02月07日1970年代鄧小平・中国副首相,「ベトナムの今般の行動には制裁を加える必要がある」と発言-訪日中,大平首相との会談で。「中国人は言ったことは必ず実行する。しかし,慎重に行動する」とも述べた。
DIA-201-1979-02-07-2ベトナム1979年02月07日1970年代モンゴルと79年物資交換支払い議定書に調印。
DIA-201-1979-02-07-3ベトナム1979年02月07日1970年代ND紙:解放直後に社会主義的商業系統が成立したミンハイ省では,77年に国家経営の商業公司7,購買店42,小売店26が成立。78年には,購買店は6増,小売店は28増,裁縫店と自転車修理店を開業し,国営系統商業は省内92村,売買合作社も90村で設立された。省民は160万ドンを投資。
DIA-201-1979-02-07-4ベトナム1979年02月07日1970年代国連ユニセフ代表団,ハノイ訪問。14日まで。
DIA-201-1979-02-08-1ベトナム1979年02月08日1970年代ND紙:中国軍のベトナム領土,領海,領空への1月中の侵入・挑発件数は171件に達す。うちクアンニン省領内24件,ランソン省領内40件,カオバン省領内43件,ハチエン省領内18件,ホアンリエンソン省領内39件,ライチャウ省領内7件。総数は78年第3四半期より2倍増,同第4四半期とほぼ同数。
DIA-201-1979-02-08-2ベトナム1979年02月08日1970年代ハノイ放送は,中国軍は6日にライチャウ省フォント県マハチャイ村に侵入し,兵士3人を殺害,6人を負傷させ,4人を連れ去った,と報道。
DIA-201-1979-02-08-3ベトナム1979年02月08日1970年代ND紙:フーカイン省セメント企業はホンコイ工場内に農業用石灰工業を建設。年産約1万トン。
DIA-201-1979-02-09-1ベトナム1979年02月09日1970年代タン・フォン外務省中国局副局長は魯明中国代理大使と会見。2月1日~8日までの中国軍の60回以上の侵入,挑発行為と最近の鄧小平副首相の横暴な脅迫的発言に抗議。
DIA-201-1979-02-09-2ベトナム1979年02月09日1970年代米政府は,中国軍のベトナム侵攻の可能性に対して憂慮の意を表明,中国に対して公式に警告。
DIA-201-1979-02-09-3ベトナム1979年02月09日1970年代ベトナム・チェコ科学技術協力議定書調印。
DIA-201-1979-02-09-4ベトナム1979年02月09日1970年代国際医療機関(OMS)は洪水被害民への救済援助として,薬品・医療用具など7万米ドル相当贈与。
DIA-201-1979-02-10-1ベトナム1979年02月10日1970年代グエン・ズイ・チン副首相兼外相はワルトハイム国連事務総長に,中国はベトナム国境に20個師団の兵力と戦闘機数百機,多くの戦車を集結し,戦争を準備している,と中国を激しく非難する緊急覚書を送る。
DIA-201-1979-02-10-2ベトナム1979年02月10日1970年代中国外務省は北京のベトナム大使館に覚書を送り,1月15日から2月7日までのベトナム側の国境侵犯事件で中国側に死傷者70数名が生じたとして,厳重に抗議。
DIA-201-1979-02-11-1ベトナム1979年02月11日1970年代(北京)李先念・中国副首相はパキスタン軍事代表団との会見の席上,ベトナムは中国の言っていることを聞き流すな,との警告発言を行なう。(中国通信)
DIA-201-1979-02-11-2ベトナム1979年02月11日1970年代ベナトム通信は,10日中国軍1個大隊がランソン省カオロク県のベトナム軍監視所4ヵ所を襲撃,中国軍は同日,同省ロクビン県の監視所も攻撃しベトナム兵1人を殺害,2人を中国領へ連れ去った,と報道。
DIA-201-1979-02-13-1ベトナム1979年02月13日1970年代ハノイ放送は,中越国境カオラン,ランソン両省の公安部隊司令部が各部隊に対し,戦闘準備を一層整えるよう指令した,と報道。
DIA-201-1979-02-13-2ベトナム1979年02月13日1970年代北京放送は,ベトナムの新聞・放送の報道として,ベトナム当局が全土で戦争動員をかけ,全軍が高度の戦闘態勢に置かれたことを明らかにした。(RP=東京)
DIA-201-1979-02-13-3ベトナム1979年02月13日1970年代英政府は,難民などベトナム国内の人権問題を理由に,対越援助を一切中止する方針を決定,発表。
DIA-201-1979-02-13-4ベトナム1979年02月13日1970年代政府,イラン回教共和国を承認。
DIA-201-1979-02-13-5ベトナム1979年02月13日1970年代ND紙:ホー市内のモーター付車両・自転車関係企業は,現在国営系企業10,公私合弁系企業6,市内17郡と県で合作社4と製造基礎400を設立,自転車部品を製造。78年に10台を生産(77年比5000台増)。
DIA-201-1979-02-14-1ベトナム1979年02月14日1970年代外務省は,中国当局の国境侵犯と戦争準備に関する覚書を発表-内容は以下の通り。ベトナムと中国の国境は,フランス政府と清朝の1887年と1895年の条約で定められており,1957~58年に両国は国境紛争は全て交渉で解決し,現状を維持することで合意した。しかし中国側は57~77年に北部六省50ヵ所以上で国境を侵犯,その活動は74年以降急速に増加した。74年 179件。75年 294件。76年 812件。77年 873件。同じ57~77年には中国船舶はベトナム領海に1500回以上も侵入,74年にはホアンサ(西沙)群島を占領した。すでに55年,友誼関=イエンビエン間の鉄道修理の際中国側は鉄道接続点を300mベトナム領に引き込み,これを両国国境上の一地点と見なしてきたのである。(A)中国当局は,中国系住民に国境で事件を起こすよう扇動し,78年にはその数十万人に中国領へ行くようそそのかし,あるいは強要した。(B)中国の国境侵犯件数は増え続け,78年には583件に,79年の1月と2月の第1週だけで230余件となり,ベトナムの民間人,民兵,武装公安員40人以上を殺害し,数百人を負傷させ,20人以上を中国領に連行した。78年には飛行機による領空侵犯は100回を越え,船舶による領海での挑発活動は481回であった
DIA-201-1979-02-14-2ベトナム1979年02月14日1970年代米国務省は,ベトナムに,残留元米兵の出国を要請。
DIA-201-1979-02-15-1ベトナム1979年02月15日1970年代シンガポール政府筋は,2月中旬予定の同国のハノイ駐在通商代表部開設の見送りを表明。
DIA-201-1979-02-15-2ベトナム1979年02月15日1970年代ND紙:ドンナイ省では,同省人口140万人中40%が大衆団体に,労働者3万人が労働総同盟に参加し,農民3万世帯・農業労働者7万5000人が630の合作者・生産集団に加入した。
DIA-201-1979-02-16-1ベトナム1979年02月16日1970年代ファン・バン・ドン首相以下政府代表団,カンボジア人民革命評議会の招待でプノンペン訪問-16~17日,両国代表団は首脳会談。18日,ベトナム=カンボジア平和友好協力条約(資料を参照),経済技術協力協定,文化・保健・科学協力協定に調印。19日,ベトナム代表団帰国。20日,ハノイでベトナム=カンボジア共同声明発表。
DIA-201-1979-02-16-2ベトナム1979年02月16日1970年代ハノイ放送は,中国軍一個中隊が15日,ランソン省バンラン県バオラム村の一高地を占領,また中国武装勢力は同日,チャンビエン県コクカン村の国境標識地区に侵入し防空ごうや塹壕を掘った,と報道。
DIA-201-1979-02-16-3ベトナム1979年02月16日1970年代中国外務省は北京のベトナム大使館に覚書を送り,2月8~12日の5日間にベトナム武装勢力が中国国境地区に30回近く侵入,中国側要人34人を殺傷したとして抗議すると同時に,挑発・襲撃・殺害を停止しなければ,これから生じる結果にベトナムは全責任を負わねばならないと警告した。17日,ベトナム外務省は反論した。
DIA-201-1979-02-17-1ベトナム1979年02月17日1970年代中国軍,ベトナムへ本格的侵攻開始-ハノイ放送に拠れば同日未明,歩兵,砲兵,戦車を含む大部隊が北部国境地域のランソン,ホアンリエンソン,カオバン,ライチャウ,クアンニン各省へ侵入・攻撃。ベトナム軍民はこれに激しく反撃,敵兵250人を戦死させ戦車12台を破壊。
DIA-201-1979-02-17-2ベトナム1979年02月17日1970年代ベトナム政府声明「ベトナム軍民は自衛権を行使し侵略者を断固として撃退する。北京の支配層に侵略戦争の即時停止とベトナム領からの全軍撤収を要求する」。
DIA-201-1979-02-17-3ベトナム1979年02月17日1970年代グエン・ズイ・チン外相はワルトハイム国連事務総長に書簡を送り,国連が中国軍をベトナムから撤退させるための適切な措置をとるよう要求。
DIA-201-1979-02-17-4ベトナム1979年02月17日1970年代米政府は中国のベトナム攻撃を非難し即時撤退を求める声明を発表,ベトナム軍のカンボジア撤兵も要請。
DIA-201-1979-02-18-1ベトナム1979年02月18日1970年代中国新華社声明-ベトナム攻撃について①ベトナムの中国領侵犯に対しやむなく反撃に出た②しかるべき反撃の後,中国軍は撤収し国境警備にあたる②国境紛争解決のための中越会談開催を提案する,と述べる。
DIA-201-1979-02-18-2ベトナム1979年02月18日1970年代ソ連政府声明は中国のベトナム侵攻を激しく非難し「ソ連はソ越友好協力条約に盛られた義務を遵守する。中国は時機を逸しないうちに撤退せよ」と述べる。
DIA-201-1979-02-18-3ベトナム1979年02月18日1970年代日本政府は中越紛争に際し,中国,ベトナム双方に平和的収拾を訴える園田外相談話を発表。19日,長谷川駐越大使はベトナム外務省に,紛争の平和的解決と即時停戦,ベトナム軍のカンボジア撤退を申し入れた。
DIA-201-1979-02-18-4ベトナム1979年02月18日1970年代中越紛争に関する主な諸外国の態度は以下の通り。○キューバ(17日),東独,チエコ,モンゴル(以上18日),ハンガリー,インド(以上19日),アルバニア(21日)は,中国を非難し即時撤兵を要請。○ルーマニアは中越両国の停戦・撤退を主張(18日)。○オーストラリアは,中国はベトナムからベトナムはカンボジアから撤兵するよう要請(19日)。○EC 9ヵ国声明は「事態に懸念を表明」(19日)。
DIA-201-1979-02-18-5ベトナム1979年02月18日1970年代17日いっぱいで,ベトナムは地方軍を中心に中国兵数百人を戦死させ,戦車46台を破壊した。(ハノイ放送)
DIA-201-1979-02-18-6ベトナム1979年02月18日1970年代中国軍は同日までに北部国境5省の八カ所を占領。ビンラプ,チャンディン,ロクドン,バンラン(以上ランソン省),チャソン,ハクアン,クアンホア(以上カオバン省),ムオンクオン,バットサット(以上ホアンリエンソン省),フォント(ライチャウ省),ビンレウ(クアンニン省)。(ハノイ放送)
DIA-201-1979-02-18-7ベトナム1979年02月18日1970年代ハノイ放送,中国軍のベトナム攻撃は同日午後3時一時止まった,と報道。
DIA-201-1979-02-18-8ベトナム1979年02月18日1970年代(ハノイ)フランスと,ベトナムでの外国投資規定に従った薬品生産協力協定調印。期限は15年間。
DIA-201-1979-02-19-1ベトナム1979年02月19日1970年代ハノイ放送論評,中越国境会談開催を拒否。
DIA-201-1979-02-19-2ベトナム1979年02月19日1970年代17~18日の戦闘で,ベトナムは中国兵3500人を死傷させ,12大隊をせん滅,戦車80台を破壊(ハノイ放送)。
DIA-201-1979-02-19-3ベトナム1979年02月19日1970年代17~18日の戦闘で多くの打撃を受けた中国軍は補給を待つため休止しており,ベトナム軍民は19日,引続き侵略軍に打撃を与え1500人をせん滅。(ハノイ放送2.20)
DIA-201-1979-02-20-1ベトナム1979年02月20日1970年代(バンコク)ASEAN 5国は中越紛争に際し声明を発表-インドシナ地域の戦闘停止と同地域内紛争地からの全ての外国軍隊の撤退を要請,外部の勢力に対し紛争を拡大する行動をとらぬよう訴えた。
DIA-201-1979-02-20-2ベトナム1979年02月20日1970年代ベトナム攻撃中の中国軍部隊は,昆明,広州部隊など「八個軍」24万人で,うち「二個軍」6万人は武漢・福州からの援軍とみられる。(共同)
DIA-201-1979-02-21-1ベトナム1979年02月21日1970年代(ハノイ)グエン・コ・タク外務次官は内外記者団と会見し,次のように述べた。「侵攻開始以来中国軍はランソン,カオバン,ホアンリエンソン三省を最も激しく攻撃した。中国軍は20日から攻撃を再開し,現在ラオカイ市は占領され(24日付新華社は19日占領を確認),ドンダン,カオバン市で激戦が続いている。限定作戦との公式態度に反して中国側は近い将来にこれまでと異なる地点で大攻勢に出るだろう。また日米両政府の態度は中国に同調するものである。」
DIA-201-1979-02-21-2ベトナム1979年02月21日1970年代米下院移民難民問題小委委員長以下議会代表団,訪越。難民移住問題を協議。24日,北部国境地帯視察。
DIA-201-1979-02-21-3ベトナム1979年02月21日1970年代ポーランド商業省代表団,訪越。3月2日,ハノイで79年度物資交換・支払い議定書に調印。
DIA-201-1979-02-21-4ベトナム1979年02月21日1970年代ND紙:統計総局の集計に拠れば,15日現在で全国の稲植付けは139万3000ha(計画の84.5%)に達す。うち南部各省では60万ha以上(計画の102%)。また野菜と雑殻・工業用作物栽培は68万2000ha(計画の25.4%)。
DIA-201-1979-02-22-1ベトナム1979年02月22日1970年代ベトナムは17~21日の5日間で中国兵1万2000人を殺傷,中国軍14大隊をかい滅・大打撃を与え,戦車と装甲車140台を破壊した。(ハノイ放送)
DIA-201-1979-02-22-2ベトナム1979年02月22日1970年代日本防衛庁首脳は,ラオス,カンボジアの駐留ベトナム正規軍が21日現在,ハノイ周辺に移動中であることを明らかにした。(朝日2.22)
DIA-201-1979-02-22-3ベトナム1979年02月22日1970年代西側消息筋に拠れば,ソ連はベトナムに対し軍事物資の大規模空輸を開始した模様である。(NYタイムズ)
DIA-201-1979-02-22-4ベトナム1979年02月22日1970年代中国当局者は「懲罰はまだ終わっていない。中国軍はこのままではひき下がらない」と述べ,またベトナム正規軍の一部との交戦事実を明らかにした。(共同)
DIA-201-1979-02-22-5ベトナム1979年02月22日1970年代ランソン,ホアンリエンソン両省でベトナム軍は中国兵1000以上に大打撃を与え,戦車4台,大砲6門,迫撃砲2門,軍用車7台を破壊した。(ハノイ放送2.23)
DIA-201-1979-02-23-1ベトナム1979年02月23日1970年代国連緊急安保理,開催-西側4ヵ国提案の「東南アジア情勢と国際平和・安全問題」の議題でインドシナ情勢を討議。同日,ソ連・チェコがベトナムからの中国軍撤退要求の決議案を,24日,中国がベトナム軍の軍事行動停止とカンボジアの全ベトナム軍引揚げ要求の決議案を提出。この日,ハ・バン・ラウ・ベトナム国連大使は中越紛争問題で発言し「中国の軍事行動は“自衛”ではなく侵略戦争であり,ソ連・チェコ決議案への参加国の支持を希望する」と呼びかけた。
DIA-201-1979-02-23-2ベトナム1979年02月23日1970年代バンコク情報筋は,中国軍がハイフォン港で陸揚げ中のソ連製レーダーとミサイルに対し空爆を行なった,と述べる。(共同)
DIA-201-1979-02-23-3ベトナム1979年02月23日1970年代ソ連外務省東南アジア局長,ハノイへ到着。
DIA-201-1979-02-24-1ベトナム1979年02月24日1970年代閣僚会議(内閣)の一部改造-以下の通り。○ボー・チ・コン副首相兼農業相(南部農業改造委員長)は農業相兼任を解任。新農業相にグエン・ゴク・チウ農業次官(農業改造中央委副委員長)が昇格。○フィン・タン・ファット副首相は国家基本建設委員会委員長を兼任。○ホアン・バン・キェウ林業相は閣僚会議民族委員会委員長に転出。新林業相にグエン・トゥアン・タイ(別名チャン・キエン)が就任。
DIA-201-1979-02-24-2ベトナム1979年02月24日1970年代ND紙社説:中国はベトナムから,ベトナムはカンボジアから共に撤退せよ,との諸外国の主張を拒否する。
DIA-201-1979-02-24-3ベトナム1979年02月24日1970年代ハノイ放送は同日,タン大統領が中国軍に対し軍功のあった人民軍と地方軍13部隊に勲章を授与したと報道,ベトナム正規軍の参加が明らかになった。(共同)
DIA-201-1979-02-26-1ベトナム1979年02月26日1970年代(ハノイ)祖国戦線中央委第4回総会開催-28日の閉会日には,レ・ズアン党書記長が演説,国防と国家建設のため全人民に1日10時間の労働を呼びかけた。会議は同日,中国を強く非難する声明と,以下に掲げる新情勢下の戦線の任務と活動に関する決議を採択した。1.戦闘準備を行ない,国防と政治的安定を強化し,中国反動派の侵略戦争を完全に打ち破り,社会主義祖国を防衛するため,全人民と全軍を動員する。2.79年国家計画実現に向けて,全人民を動員する。3.全人民の生活の安定と保障に注意を払う。4.新憲法の作成・社会主義法制の確立,人民権力の強化のために全人民運動を展開する。5.世界各国との友好協力関係を引続き強化する。
DIA-201-1979-02-26-2ベトナム1979年02月26日1970年代ベトナム軍はホアンリエンソン省カムズオン地区での戦闘で中国兵800人を殺傷,24~26日までに同地区で中国兵2200人をせん滅した。(ハノイ放送2.27)
DIA-201-1979-02-26-3ベトナム1979年02月26日1970年代ハノイ放送論評は,中国軍の勢力は25個師団に達し,ある地点ではベトナム領に40キロ侵入した,と報道。
DIA-201-1979-02-26-4ベトナム1979年02月26日1970年代ディーハン副高等弁務官以下UNHCR代表団,訪越。ベトナムと,出国許可申請者に関する問題と在越カンボジア難民援助問題について協議。3月5日まで。
DIA-201-1979-02-26-5ベトナム1979年02月26日1970年代首相はこのほど全省・市委員会に冬春耕作期にあたってのメッセージを送り,78年以来の工業用作物耕地の逓減輸出用工業用作物(ジュート,タバコ,落花生,砂糖キビなど)の耕作目標未達成を指摘し,工業用作物の耕作を回復させるよう要求した。(ハノイ放送)
DIA-201-1979-02-26-6ベトナム1979年02月26日1970年代ND紙:中部高原全域(ジャライ=コントム,ダクラク,ラムドン3省)の農林畜産業開発の可能性調査と分析結果,重点は以下の通り。○全域面積500万ha以上。人口が少ない(1平方キロメートル当り平均20人)。農業開発可能面積160万ha,林業開発可能地区230万ha。木材量3億m3。○気候は雨期と乾期にわかれ,年間降雨量は1700~3000ミリ。灌漑に関して,貯水池と水力発電所の建設が可能。第1段階調査では灌漑保障面積は30万~40万ha。○解放後,同地域の食糧自給は完全に解決し食糧生産量は20万7000トンから44万トンに増加。工業作物として,ゴム20万ha,コーヒー17万ha,茶2~3万ha,桑畑2~3万haを栽培。その他,パイナップル,薬用樹草,落花生,綿花,大豆,煙草,甘庶,胡麻を栽培。
DIA-201-1979-02-27-1ベトナム1979年02月27日1970年代ランソン市周辺で激戦開始-米政府・軍事筋が28日明らかにしたもの。同地は戦略上の拠点で中国軍はこれに集中攻撃をかけたと見られる(朝日3.1)。28日のハノイ放送はベトナム軍が27日,同高地の占領を計った中国軍を撃退,敵兵1600人以上を殺傷したと報道。
DIA-201-1979-02-27-2ベトナム1979年02月27日1970年代中国側の公式戦果報告に拠れば,中国軍は開戦以来一週間で広西チワン族自治区方面戦線でベトナム兵7000人以上をせん滅,同2日間で雲南省方面戦線で1万人をかい滅させ,ベトナム兵数千人を捕虜にした。(共同)
DIA-201-1979-02-27-3ベトナム1979年02月27日1970年代国連緊急安保理事会,第4日。ハ・バン・ラウ・ベトナム大使はカンボジア問題で「ポル=ポト一味こそベトナム侵略者である」と発言,また中国軍の即時撤退を要求。中国の陳楚代表は「反撃が終了すれば撤兵する」と述べ,両国国境会談を提案。28日,同理事会は散会。
DIA-201-1979-02-28-1ベトナム1979年02月28日1970年代ベトナムはランソン市近くの国道一号線沿いで中国兵1100人を殺傷,戦車5台破壊。(ハノイ放送3.1)
DIA-201-1979-02-28-2ベトナム1979年02月28日1970年代ND紙:中部高原のジヤライ=コントム,ダクラク両省の青年男女,特に少数民族の出身者4万人は祖国防衛のため入隊を志願。うち合格者数2100人。
DIA-201-1979-02-28-3ベトナム1979年02月28日1970年代東独のギュンター・ペチケADN通信理事長は,ベトナム通信理事長と業務協力強化に関する協定に調印。
DIA-201-1979-03-01-1ベトナム1979年03月01日1970年代中国外務省は北京のベトナム大使館に覚書を送り,中国政府は2月17日についで中越両国の国境紛争解決のための外務次官級会談を再び提案する,と述べる。
DIA-201-1979-03-01-2ベトナム1979年03月01日1970年代ND紙:2月17日以来28日までにベトナム軍民は中国兵2万7000人を戦死させ,装甲車・戦車200台を含む軍用車両320台を破壊・炎上させた。
DIA-201-1979-03-01-3ベトナム1979年03月01日1970年代中国軍はドンダンの南5キロ(ランソン近郊)の4高地を攻撃したが,ベトナム軍は反撃し,中国兵1100人を戦死させ,戦車5台を破壊した。(ハノイ放送3.2)
DIA-201-1979-03-02-1ベトナム1979年03月02日1970年代中国軍ランソン市を制圧-米政府・国防省が明らかにしたもの。(朝日3.3)
DIA-201-1979-03-02-2ベトナム1979年03月02日1970年代外務省は1日付の中国外務省覚書に対し「中国軍が両国の歴史的国境線の向う側まで即時,無条件,完全に撤退した時には,両国関係を正常化するため交渉する用意がある」との回答覚書を中国外務省に送る。
DIA-201-1979-03-02-3ベトナム1979年03月02日1970年代(モスクワ)ブレジネフ・ソ連共産党書記長は,中国軍の即時停戦・完全撤退を要求,ソ連は,ソ越友好協力条約を遵守する,と発言。最高会議代議員の選挙集会で。
DIA-201-1979-03-02-4ベトナム1979年03月02日1970年代政府は,サハラ・アラブ民主共和国の承認を決定。
DIA-201-1979-03-03-1ベトナム1979年03月03日1970年代ND紙:2月27日以来3月1日までの3日間で,ランソン省軍民は反撃作戦により中国兵4000人をせん滅,装甲車と戦車9台,大砲36門を破壊した。
DIA-201-1979-03-03-2ベトナム1979年03月03日1970年代ホアン・ビク・ソン外務次官は,マニラで開かれるESCAP第35回総会に出席のため,ハノイ出発。10日マルコス比大統領とベトナム情勢について意見を交換。
DIA-201-1979-03-03-3ベトナム1979年03月03日1970年代ND紙:国営企業条例実施指導中央委は検討会で同条例実施の拡大と経済管理工作を良くする決議を採択。
DIA-201-1979-03-04-1ベトナム1979年03月04日1970年代党中央委は「全人民と戦士あてのアピール」を発表-中国の侵略を非難し軍民に徹底抗戦を訴えた。
DIA-201-1979-03-04-2ベトナム1979年03月04日1970年代2月17日以来3月2日までにベトナムは中国兵4万1705人をせん滅,装甲車・戦車259台を含む軍用車両381台,大砲・迫撃砲66門を破壊した。(ハノイ放送3.4)
DIA-201-1979-03-05-1ベトナム1979年03月05日1970年代中国,全軍の撤退を宣言-5日付新華社声明は次のように述べた。「すでに反撃の目的を達成した。中国政府は3月5日をもって中国国境守備隊が全部,中国領内へ撤退を開始することを声明する。ベトナムに国境紛争解決のための交渉を行なうよう再度提案する。」
DIA-201-1979-03-05-2ベトナム1979年03月05日1970年代ベトナム,総動員令を発表-国会常任委が5日の緊急総会で決定。トン・ドク・タン大統領は「国会常任委の決定と59年憲法第63条に基づき,祖国を防衛し中国の侵略戦争を完破するため,全国総動員令を発令する」と発表,全成年人民の武装勢力への参加が決定された。
DIA-201-1979-03-05-3ベトナム1979年03月05日1970年代閣僚会議は「祖国を防衛し中国侵略者を完破するため全人民を軍事化・武装化する」法令を発表-同日の総動員令発令を受けたもので,法令の重点は次の通り。1.全ベトナム公民(男子18~45歳,女子18~35歳)は民兵,ゲリラ隊,自衛部隊に参加すべし。該当年令以外の者は志願により人民武装組織に編入し得る。ある地域に戦闘が発生した場合,疎開許可者以外は全て戦闘に参加し戦役に服務しなければならない。2.各行政単位の民兵,ゲリラ隊,自衛部隊は当該戦闘部隊に組織され,あるいは国防省計画に従って他地域の戦闘・支援に編入,服務するよう割当てられる。3.閣僚会議の次の決定まで,国家機関,企業,工場,農林場の全労働者と公務員は8時間労働と軍事訓練2時間の10時間勤務を行なう。中学から大学までの全学生は専門科目の時限以外は2時間の軍事訓練を行う。4.上記職場においては戦闘準備と,当該地域の戦争に備えての戦闘計画を制定しなければならない。5.各級の軍司令部は当該地域の指揮・監督を行なう。6.スパイ,密国者,扇動者,妨害者などは積極的に発見し,尋問し,戦時法令で処理されねばならない。7~10.(略) 閣僚会議を代表して 副首相ファム・フン
DIA-201-1979-03-05-4ベトナム1979年03月05日1970年代外務省,在ハノイ外交団に婦女子の引揚げを勧告。
DIA-201-1979-03-06-1ベトナム1979年03月06日1970年代ベトナム,中国提案の国境会談受諾-外務省スポークスマン声明は「歴史的国境線の向う側に中国軍が撤退した後,ベトナム両国の関係正常化についてただちに外務次官級会談を行なう用意がある。場所と時期については双方の合意による」と述べた。
DIA-201-1979-03-06-2ベトナム1979年03月06日1970年代ファン・アイン・ベトナム平和委議長以下代表団,6日~8日フィンランドで開かれるベトナム支援緊急国際会議へ出席のため,ハノイ発。同会議には100余国の進歩勢力,30以上の国際団体代表400人以上が参加。中国のベトナム侵略を非難,ベトナム人民との連帯強化,ベトナム支持の国際運動の展開などの諸決議を採択。
DIA-201-1979-03-06-3ベトナム1979年03月06日1970年代(北京)ベトナム大使館は,同大使館に不法侵入した王金錠なる中国軍人を捕え,中国国防省に引渡した。
DIA-201-1979-03-07-1ベトナム1979年03月07日1970年代ND紙:ベトナム領からの中国軍撤退を確認。
DIA-201-1979-03-07-2ベトナム1979年03月07日1970年代ハノイ放送は,ベトナムは中国軍が行なった全ての挑発行為に対し正当な懲罰の権利を留保する,と言明。
DIA-201-1979-03-07-3ベトナム1979年03月07日1970年代ND紙:2月17日以来3月5日までにベトナム軍は中国兵4万5000人をせん滅,戦車・装甲車273台を含む軍用車両400台,大砲,迫撃砲など数百門を破壊した。
DIA-201-1979-03-07-4ベトナム1979年03月07日1970年代米政府筋は,トンキン湾沖合に展開していたソ連海軍艦のうち3隻が5~6日,ベトナムのハイフォン港とダナン港に入港したことを明らかにした。(朝日3.8)
DIA-201-1979-03-07-5ベトナム1979年03月07日1970年代7日付米クリスチャン・サイエンス・モニター紙が北京の信頼筋の話として伝えるところに拠れば,中国共産党内部で回覧されている「参考資料(3日付)」はベトナム侵攻に関し①中越両軍の被害はほぼ互角②中国は”近代戦”を行い得なかった,ことを確認。(共同)
DIA-201-1979-03-07-6ベトナム1979年03月07日1970年代シーワラダム国際赤十字アジア太平洋地区責任者以下国際赤十字代表団,ハノイ訪問。14日まで。
DIA-201-1979-03-07-7ベトナム1979年03月07日1970年代(ハノイ)インドネシア政府からのベトナムの水害被災者への医薬品3万トンの贈与引渡式。
DIA-201-1979-03-08-1ベトナム1979年03月08日1970年代ベトナム軍,ランソンを奪回。(AFP時事)
DIA-201-1979-03-08-2ベトナム1979年03月08日1970年代ハノイ放送は,6~8日中国軍がカオバン,ランソン,ホアンリエンソン3省で依然として挑発行為を続けベトナム人民や村落に危害を加えている,と報道。
DIA-201-1979-03-09-1ベトナム1979年03月09日1970年代外務省スポークスマンは声明を発表し,中国軍が撤退声明にもかかわらず撤退を引き延ばし,依然ベトナム領内で人民に危害を加えている,と激しく非難。
DIA-201-1979-03-09-2ベトナム1979年03月09日1970年代新華社は,6~8日にかけて撤収中の中国軍に対しベトナム側は砲撃を続けている,と報道。
DIA-201-1979-03-10-1ベトナム1979年03月10日1970年代ファン・バン・ドン首相は朝日新聞社の井川特派員とのインタビューに答え,次のように述べた。○ポル=ポト政権が自国民を大量虐殺したこととベトナムに対して国境戦争を起こしたことの源流には,北京指導部の「大民族膨張・覇権主義」がある。彼らはベトナムと東南アジア全域を支配するためにカンボジアを利用した。カンボジア人民の救国闘争はベトナムの自衛的反撃に助けられてポル=ポト政権の打倒に成功,これにより両国の国境紛争も停止した。○カンボジア人民共和国の誕生後,両国の伝統的団結は回復され,同国は現在と将来にわたり東南アジアの平和と安定を守る積極的要素の一つとなった。○中国はベトナム軍民の猛烈な反撃と世界世論の非難および国内の批判により,撤退宣言を声明せざるを得なくなった。中国の行動を見守る一方で,その懲罰留保発言には絶えず警戒を高めなければならない。○南部の社会主義改造については基本的な成果もあったが問題が多い。現在ベトナム人民は祖国防衛と社会主義の成功的建設という重大任務にたずさわっている。
DIA-201-1979-03-11-1ベトナム1979年03月11日1970年代外務省スポークスマンは声明を発表し「中国は撤退を遅らせ占領地を拡大している。10日にはランソン省の国境標識をベトナム領深くまで移動させた。ベトナムは重ねて中国軍の即時,無条件撤退を要求し,国境線変更の行動を中止することを要請する」と述べた。
DIA-201-1979-03-11-2ベトナム1979年03月11日1970年代ドン首相は3月5日付の閣僚会議法令を受けて全人民の労働時間と軍事訓練を規定した指令を発表。15日以降人民は10時間労働(含軍事訓練2時間)を行う。
DIA-201-1979-03-11-3ベトナム1979年03月11日1970年代ホー市人民委は青年突撃隊5個師団(市内出身者3師団,青年労働者1師団,中学生から大学生まで1師団)を編成。同市の防衛線の建設,治安の維持等に従事。
DIA-201-1979-03-11-4ベトナム1979年03月11日1970年代政府は,ベトナムにおける米帝国主義戦争犯罪調査告発委を解散し,中国拡張・覇権主義者の侵略戦争犯罪調査告発委の設立を決定。ズオン・クォック・チン戦傷者・社会事業相を委員長に任命。
DIA-201-1979-03-11-5ベトナム1979年03月11日1970年代ND紙:統計総局の集計によると,5日現在,全国の稲植付けは165万2000ha(計画の100.2%)に達す。昨年同期より13万7000ha増。うち北部100万ha以上(計画の96.4%),南部62万ha(計画の107%)に達した。
DIA-201-1979-03-12-1ベトナム1979年03月12日1970年代「祖国防衛と国家建設のため食糧増産を」と題するND紙社説に拠れば,現在春作米の植付けは超過達成され,副次作物の植付け促進が呼びかけられている。
DIA-201-1979-03-13-1ベトナム1979年03月13日1970年代ND紙社説「国境諸省は生産回復と増産を」。
DIA-201-1979-03-13-2ベトナム1979年03月13日1970年代外務省は「ベトナム国境地帯における中国の挑発と領土侵食に関する白書」を発表。
DIA-201-1979-03-13-3ベトナム1979年03月13日1970年代レ・ズアン党中央委書記長は駐越ソ連大使と会見。
DIA-201-1979-03-15-1ベトナム1979年03月15日1970年代外務省は中国外務省に覚書を送り,中越会談に関して6日の声明を再確認し以下の具体案を提案した。1.両国の歴史的国境線の向う側に中国軍が完全撤退した一週間後,両国は外務次官級交渉を開始する。2.交渉の場所は,今回はハノイを提案する。中国側が希望すれば国境地区での会談なども可能である。3.ベトナムは,国境地域の平和と安全を目的とする緊急措置,両国の正常な関係について討議することを提案する。
DIA-201-1979-03-15-2ベトナム1979年03月15日1970年代ハノイ人民裁判所は16~17日,昨年8月11日ハノイ駅のホテルで治安を乱した中国系ベトナム人の公開裁判を行ない,うち3人に3~5年の懲役と釈放後3年間の選挙権・立候補権はく奪を言い渡した。
DIA-201-1979-03-16-1ベトナム1979年03月16日1970年代国連緊急安保理,再開-(ニューヨーク)インドシナ問題でASEAN 5か国が13日提出した①全当事国の敵対行為の中止②紛争当時国軍隊の紛争地からの撤退③東南ア以外の国の紛争拡大行為の自制,から成る決議案を討議。ラウ・ベトナム大使は「東南アジアの平和と安定のためASEANは北京反動と手を結ぶべきでない」と発言。ソ連の拒否権で同案否決。閉会。
DIA-201-1979-03-16-2ベトナム1979年03月16日1970年代中国,全軍の撤収完了を宣言-(北京)16日夜の記者会見で黄華・中国外相が声明。中越交渉に関しては黄外相は早期の開催に積極的な姿勢を示した。
DIA-201-1979-03-17-1ベトナム1979年03月17日1970年代グエン・チエン外務局長は魯明中国代理大使と会見,中越会談を23日にハノイで開きたい,と述べた。
DIA-201-1979-03-18-1ベトナム1979年03月18日1970年代ND紙社説“中国膨張主義の撃退が,現在のインドシナ3国の生存・独立・防衛の緊急課題である”。
DIA-201-1979-03-19-1ベトナム1979年03月19日1970年代国防省は「コミュニケ」を発表-2月17日以来3月18日までの対中戦の戦果報告を行い,その中で「6万2500人の侵略者の戦闘能力を奪い,戦車280台を含む軍用車両550台を炎上または破壊し,大砲・迫撃砲115門を破壊し,中国兵多数を捕虜にした」と述べた。
DIA-201-1979-03-19-2ベトナム1979年03月19日1970年代中国外務省は北京のベトナム大使館に覚書を送り,交渉をハノイと北京で交互に開催し,第一回会談は3月28日ごろハノイで開催するよう提案,中国政府代表として韓念竜外務次官を派遣する,と述べた。
DIA-201-1979-03-19-3ベトナム1979年03月19日1970年代ハート英海外開発担当国務相は,人権問題を理由に対越援助を80年半ばに打切るとの英政府方針を表明。
DIA-201-1979-03-20-1ベトナム1979年03月20日1970年代ソ連の志願海運技術専門家と労働者代表団は,ベトナム海運港湾関係部門への協力・援助でハノイ着。
DIA-201-1979-03-21-1ベトナム1979年03月21日1970年代外務省は中国外務省に覚書を送り,19日付中国覚書に回答,「中国軍は18日現在で領内16ケ所と3地域を占領している。領内から即時・完全・無条件撤退するならば,3月29日にベトナムはハノイで交渉を開始する。交渉の遅れの全責任は中国側にある。」と述べた。22日,外務省スポークスマンは同主旨の声明を発表した。
DIA-201-1979-03-21-2ベトナム1979年03月21日1970年代ND紙:統計総局の集計によれば,15日現在,全国の稲植付けは167万8000ha(計画の101.8%)に達す。うち北部は104万3000ha(計画の98.4%)。北部山岳各省では未だ2万2000haの植付けが終っておらず,特に戦災にあった北部国境諸省では1万8000haが遅れている。
DIA-201-1979-03-22-1ベトナム1979年03月22日1970年代首相,堤防・水利施設を敵の破壊から守るための防衛措置に関する指令を発表。その中で,諸地域の公安機関は,堤防,貯水池,水利施設の周辺に住む悪質分子をきびしく監督しなければならない,と述べた。
DIA-201-1979-03-22-2ベトナム1979年03月22日1970年代マレーシアのマハティール副首相兼貿易工業相は,4月に予定されていた同国経済貿易代表団のベトナム派遣の無期延期と,78年に同意した対越ゴム産業復興援助(41億米ドル相当)の中断を表明した。(朝日3.23)
DIA-201-1979-03-23-1ベトナム1979年03月23日1970年代外務省は声明を発表し「中国側の交渉呼びかけはベトナム領占領を正当化するためである」とし,29日の会談実現に向け,中国軍の全面撤退を再主張した。
DIA-201-1979-03-23-2ベトナム1979年03月23日1970年代フィンランド政府は,すでに供与済みの対越借款開発援助5,500万マルクを79年初めにさかのぼって無償援助に切換えることを決定,ベトナム政府に通告した。
DIA-201-1979-03-23-3ベトナム1979年03月23日1970年代インド政府はベトナムの洪水災害救援物資として,30万ルピー相当の医薬品・毛布などを引渡した。
DIA-201-1979-03-24-1ベトナム1979年03月24日1970年代ND紙社説は,22日のラオス=カンボジア共同声明を歓迎し「ベトナム,ラオス,カンボジア人民は自らの運命の絶対的主人公であり,これを侵そうとする者は3国の戦闘的連帯の力で滅されるであろう」と述べた。
DIA-201-1979-03-24-2ベトナム1979年03月24日1970年代北京放送は,20~22日のラオス政府代表団のカンボジア訪問を,ベトナム当局のインドシナ連邦構想の一つの現われである,とベトナムを非難した。
DIA-201-1979-03-24-3ベトナム1979年03月24日1970年代ニコライ・モホフ・ソ連文化次官以下文化代表団,訪越。79年度文化協力に関する文書に調印,同日帰国。
DIA-201-1979-03-24-4ベトナム1979年03月24日1970年代グエン・ラム党中央書記以下党代表団,イタリア共産党第15回大会に出席するため,ハノイを出発。
DIA-201-1979-03-25-1ベトナム1979年03月25日1970年代(ワシントン)米下院情報委アスピン情報監視委員長は「中越紛争に関する米情報活動調査報告」を公表し,その中で「中国のベトナム侵攻をCIA(米中央情報局)は6週間前に察知していた」と述べた。
DIA-201-1979-03-26-1ベトナム1979年03月26日1970年代外務省スポークスマン,中国の3.22付公表文書に関し反論声明発表-(注:中国は3月22日に,1977年6月10日ファム・バン・ドン首相が北京訪問の際,李先念・中国副首相と会談した時の覚書を発表。内容は両国国境問題に関し,ドン首相が南沙・西沙諸島を中国領と認め,79年1月20日(日誌参照)に問題となった両国鉄道接続点も中国領としてすでに同意したとしている。)
DIA-201-1979-03-26-2ベトナム1979年03月26日1970年代中国外務省はベトナム外務省へ覚書を送り,21日付ベトナム覚書内容を会談開催を引延ばすもの,と非難。
DIA-201-1979-03-26-3ベトナム1979年03月26日1970年代ND紙:統計総局の集計に拠れば,15日現在,全国の冬春季の野菜・工業用作物の栽培面積は87万2000ha(計画の33.7%)に達す。昨年同期比8万ha増。(うち北部3万3000ha,南部4万7000ha)。
DIA-201-1979-03-27-1ベトナム1979年03月27日1970年代“東南アジアの好機”と題するND紙社説要旨「中国拡張主義者の東南アジア侵略の野望に対し,カンボジアとベトナムはその防波堤となり,この地域の諸民族の平和と独立の強化のためすばらしい機会を作り出した。しかるにこの地域の幾つかの国の支配層はこの新たな侵略者に手を貸している。」
DIA-201-1979-03-27-2ベトナム1979年03月27日1970年代チエン外務省中国局長は魯明中国代理大使と会見し,中国外務省あて覚書を手渡す。覚書は26日付の中国覚書を会談を引延ばすものと反論,ベトナムは中国軍が完全撤退した翌日から交渉を始める,と述べる。
DIA-201-1979-03-27-3ベトナム1979年03月27日1970年代グエン・バン・リン労働総同盟議長以下労働代表団は,ハノイを出発。27日~4月5日まで東独滞在,10日からブルガリアで開かれた世界労連第3回総会に出席。14日からチェコを訪問,4月25日,ハノイへ帰着。
DIA-201-1979-03-28-1ベトナム1979年03月28日1970年代グエン・ズイ・チン外相は仏共産党機関紙「ユマニテ」の特派員とのインタビューで「ベトナム軍のカンボジア駐留はプノンペン当局の要請によるものでありその目的は中国とその手先であるポル=ポト一味の侵略と戦うカンボジア人民の支援にある」と述べた。
DIA-201-1979-03-28-2ベトナム1979年03月28日1970年代米政府スポークスマン「ソ連艦のベトナム寄港が恒常化するならこれを深刻に懸念する」と表明。
DIA-201-1979-03-29-1ベトナム1979年03月29日1970年代新駐越ユーゴスラヴィア大使,信任状奉呈。
DIA-201-1979-03-30-1ベトナム1979年03月30日1970年代外務省スポークスマン声明。会談開催の遅れは中国に全責任がある,と。
DIA-201-1979-04-01-1ベトナム1979年04月01日1970年代民間航空総局はハノイ―ビエンチャン―バンコク間の定期便運行日を発表。○土曜日 ハノイ―ビエンチャン―バンコク間(片道)○月,木,土曜日 ハノイ―ビエンチャン間(往復)○水,金曜日直行便 ハノイ―バンコク間(往復)○月,木,在曜日 ビエンチャンバンコク間(往復)○月曜日 バンコク―ビエンチャン―ハノイ間(片道)
DIA-201-1979-04-01-2ベトナム1979年04月01日1970年代(ハノイ)ベトナム・ラジオ・テレビ委員会はキューバ・テレビ・ラジオ協会と放送技術協力議定書調印。
DIA-201-1979-04-01-3ベトナム1979年04月01日1970年代ND紙:79年第1・四半期における北部電力生産は,同期計画の100.09%,農業部門への供給計画の108.97%に達す。
DIA-201-1979-04-03-1ベトナム1979年04月03日1970年代日本政府は閣議で,インドシナ難民の定住を図るため①定住ワクを500人に拡大する②定住許可条件を緩和し身元引受人の要件を弾力的に運用する③定住希望者には日本語修得や職業訓練の機会を与える―を決定。これまでの定住者は3人で諸外国からの批判があった。
DIA-201-1979-04-03-2ベトナム1979年04月03日1970年代ラウ国連大使は国連事務総長に書簡を送り,国連内でのプラシット民主カンボジア代表の行動はカンボジア人民を代表しておらず資格違反である,と抗議した。
DIA-201-1979-04-03-3ベトナム1979年04月03日1970年代ND紙論評は,ユーゴ報道機関の最近のカンボジアと中越紛争における中国側への支持の態度を批判。
DIA-201-1979-04-03-4ベトナム1979年04月03日1970年代(プラハ)コメコン軽工業委第32回会議は,ベトナムの協力提案と,ベトナムの加工業・印刷業建設への協力,援助継続に関する参加国の提案を検討。(VNA)
DIA-201-1979-04-03-5ベトナム1979年04月03日1970年代ND紙:79年第1・四半期における中・南部電力局の農業部門への電力供給量は昨年同期より2倍に増加。南部電力局は雨期入りまでに,ダニム水力発電所からホー市までの230kW高圧送電線敷設工事の完成に努力。
DIA-201-1979-04-04-1ベトナム1979年04月04日1970年代ファン・ヒエン外務次官は記者会見で,3月31日付中国外務省覚書への回答覚書を発表,「中国側は3月16日に全軍撤退を強調したが事実に反する。現時点で中国軍はベトナム領内10ヵ所にとどまっている。しかしベトナムは4月10日にハノイでの会談開催を提案する」と述べ,これまでの前提条件であった中国軍の即時・完全・無条件撤退にはこだわらないことを示唆した。
DIA-201-1979-04-05-1ベトナム1979年04月05日1970年代南部農業改造会議開催―クーロン省で改造の初歩的総括を行う。9日まで。ボー・チ・コン副首相兼南部農業改造中央委議長が総括報告。重点は次の通り。「I.4月初頭の時点で,南部では生産集団8169,合作社210が成立,農地組織化率は15.8%,農業労働者18.5%を集団化した(4.17付ND紙は農家31万9912戸(南部全農家戸数比16.3%),農地34万8879ha(同耕地比13.7%)を集団化した,と報道)。また富農の機械を編入し大規模機械合作社54,器具修理合作社2を組織した。合作化の進んでいるのは,クーロン,ソンベ,キエンジャン各省,ホー市などである。私営の状態と比べて,現存生産集団の2/3が生産量を増大させた。穀物生産量は労働者1人で1日当り平均5~8kg,メコン地帯では同8~10kgであり,労働者の賃金は1日当り平均3~5ドンである。現在,国家は収穫の30~35%を徴収し私営セクターでは昨年十月米ではha当り200kgを徴収している。この比率は低い,と言えよう。しかし,全体として改造運動は遅く,むらがある。集団が2%,あるいは3~5%にしか達していない省がある。私営機械も8000台の重トラクター中600台しか組織化されていない。このままでは80年までに基本的な集団化の完了はおぼつかない。・
DIA-201-1979-04-05-2ベトナム1979年04月05日1970年代社会主義諸国の数学的方法と計算技術の応用の基本問題に関する国際会議,ハノイで開催。10日まで。
DIA-201-1979-04-06-1ベトナム1979年04月06日1970年代中国外務省はベトナム外務省に覚書を送り,中国政府代表団が4月14日ハノイへ到着する,と言明。
DIA-201-1979-04-06-2ベトナム1979年04月06日1970年代ND紙:ハイフン省は戦災の被害が深刻なランソン省の農業生産の復旧に,タネ籾とトウモロコシ種子700トンを供給。バクタイ省の少数民族もカオバン省の少数民族に農業生産の種子,薬品,消費物資を供給。
DIA-201-1979-04-06-3ベトナム1979年04月06日1970年代ND紙:ロンアン省では現在まで農業合作社で,生産集団168,生産団結組2784が成立。同省は79年末までに,合作社23と生産集団1414を設立させる予定。
DIA-201-1979-04-07-1ベトナム1979年04月07日1970年代外務省は中国外務省に覚書を送り,6日付の中国の覚書に対して「ベトナムは4月14日に中国政府代表団を出迎える用意がある」と述べた。
DIA-201-1979-04-07-2ベトナム1979年04月07日1970年代ND紙社説は,諸地域・諸部門における輸送の要求と輸送能力の間にあるギャップを是正するよう要求。
DIA-201-1979-04-08-1ベトナム1979年04月08日1970年代(ウィリアムズバーグ)訪米中の園田・日本外相筋は,ベトナムに対し,カムラン湾がソ連基地化すれば対越援助を打切ることを既に通告した,と述べた。
DIA-201-1979-04-08-2ベトナム1979年04月08日1970年代ND紙:中央政府直接管理下の国営農場の78年生産総額達成度は91.9%,77年比20.4%増,75年比48.2%増。うち生産品額は年間計画を1%超過,77年比16%増,75年比52.8%増。また前年比で国庫返済5%増,利潤納入34.2%増,消耗納入10%増。
DIA-201-1979-04-09-1ベトナム1979年04月09日1970年代中国新華社は,ベトナム軍が3月24日から4月8日までの15日間に,中国広西チワン族自治区地域,竜州や雲南省富寧,河口などの諸県に何回も銃・砲撃を加え,領内に侵入して戦闘を行い,あるいは地雷を敷設して少数の人民公社員を死傷させた,と報道。
DIA-201-1979-04-09-2ベトナム1979年04月09日1970年代ND紙:ホー市野菜栽培各集団は生産地において入水路37ヵ所,排水路11ヵ所の施設工事を完成。現在,国営商業に1日あたり野菜4トンを売却中。
DIA-201-1979-04-10-1ベトナム1979年04月10日1970年代ND紙:中国軍による児童殺害犯罪調査委員会設立。ホアン・ディン・カウ医療次官が委員長に就任。
DIA-201-1979-04-10-2ベトナム1979年04月10日1970年代ホー市人民委副議長以下代表団,プノンペン訪問。
DIA-201-1979-04-10-3ベトナム1979年04月10日1970年代ND紙:(ハノイ)ブルガリア援助によるレンガ工場完成。90%が機械化され,年産能力2500万枚。
DIA-201-1979-04-11-1ベトナム1979年04月11日1970年代日本防衛庁は極東ソ連軍の長距離偵察機TU95D型機が「ベトナムに着陸した可能性が強い」ことを明らかにした。同庁は26日に両機の帰投を確認した。
DIA-201-1979-04-11-2ベトナム1979年04月11日1970年代(北京)韓念竜・中国外務次官は日本人記者団と会見し,中越会談に臨むにあたり次のように述べた。「①千数百キロにおよぶ中越国境地域の係争点は60~70ヵ所にすぎず両国に大きな対立はない②中国のベトナム攻撃は,ソ連に後押しされたベトナムの地域覇権主義に反対したものだ③会談はしないよりはした方が良い④カンボジアからのベトナム軍撤退を求めることになろう。」
DIA-201-1979-04-12-1ベトナム1979年04月12日1970年代(ハノイ)ヒエン外務次官は外人記者団と会見し,中国の韓念竜外務次官が11日に北京の記者会見で中国側の考える交渉内容を一方的に発表した,と批判し「会談が良い雰囲気で行われるよう希望する」と発言。またカンボジア問題を議題にしない意向を示した。
DIA-201-1979-04-12-2ベトナム1979年04月12日1970年代ND紙社説によると,現在まで全南部では農業合作社799が設立された。うち561は中部,51は中部高原,187はホー市をはじめとするメコン・デルタ全域にある。また12,000の生産集団が組織された。
DIA-201-1979-04-12-3ベトナム1979年04月12日1970年代ND紙:ドンナイ省では精塩工場が完成。同工場は輸出用塩類を生産し年産能力2万トン。
DIA-201-1979-04-13-1ベトナム1979年04月13日1970年代中国外務省は北京のベトナム大使館に覚書を送り,ベトナム当局が派遣した武装船が10日,西沙諸島で中国領海を侵犯,中国パトロール船に対し挑発行為を行なった,と非難した。
DIA-201-1979-04-13-2ベトナム1979年04月13日1970年代(ハノイ)ベトナム・カンボジア平和友好協力条約の批准書交換式。同条約は2月18日に調印されたもの。
DIA-201-1979-04-13-3ベトナム1979年04月13日1970年代アメリカ政府はインドシナ難民などの受入れワクを6万人に拡大した,と発表。
DIA-201-1979-04-14-1ベトナム1979年04月14日1970年代韓念竜外務次官以下中国政府代表団,ベトナムとの外務次官級会談に出席するため,ハノイに到着。
DIA-201-1979-04-14-2ベトナム1979年04月14日1970年代外務省は中国外務省あてに覚書を送り,13日付の中国覚書の非難は“でっち上げ”であると反論。
DIA-201-1979-04-15-1ベトナム1979年04月15日1970年代中国機,ベトナム領に墜落-外務省は同日,中国空軍機1機がハナムニン省上空に侵入,同省ハイハウ県の水田に墜落したと中国当局に通知,抗議の覚書を送った。18日,中国外務省は同事件は「技術的な事故」である,との覚書を回答。24日,ベトナム国防省代表は中国人操縦士の遺体をハノイの中国大使館に引渡した。
DIA-201-1979-04-15-2ベトナム1979年04月15日1970年代全ソ連組織委はソ連人民の共産主義土曜労働の報酬収入総額の75%をベトナム人民へ支援する,と発表。
DIA-201-1979-04-15-3ベトナム1979年04月15日1970年代ND紙:林業部門の開発実績は今年第1四半期に木材41万4144m3,昨年同期より20%増。
DIA-201-1979-04-16-1ベトナム1979年04月16日1970年代(プラハ)世界国会議員連盟大会開催。ジャム国会対外委員長によるベトナムの同連盟への加盟申請は承認され,ベトナムは80番目の加盟国に。21日まで。
DIA-201-1979-04-16-2ベトナム1979年04月16日1970年代日本外務省筋は,日本が申し入れていた対越日本米援助をベトナムが断わってきたことを明らかにした。
DIA-201-1979-04-18-1ベトナム1979年04月18日1970年代中越外務次官級会談,ハノイで開催-ベトナム代表:ファン・ヒエン外務次官,中国代表:韓念竜外務次官。ファン・ヒエン次官が発言し,両国関係に関する諸問題を解決するため,次の三項目提案を行なった。1.両国国境地域の平和・安定を確保し,戦争中捕虜となった人々を早期に家族と再会させるための緊急措置①国境付近への軍の集結の停止。国境全線の双方の武装勢力を79年2月17日以前に実際に管理していた線から3~5キロ離れた自国領内へ撤退させる。②相手側の主権・領土保全を侵害し,安全を脅かす全ての挑発行為・敵対活動の停止。③双方の武装勢力が存在しなくなる地帯は非武装地帯となる。④戦争中捕虜となった人々を早期に交換するため早急に名簿を交換する。⑤以上の措置実現のため双方は合同委を設立する。2.平和共存五原則を基礎とし,両国間の正常関係を回復する。鉄道,郵便,航空などの諸関係を回復し,戦争災害に関する諸問題を解決する。3.仏政府と清朝が1887年と1895年に締結した条約で画定され,中越両国で同意ずみの歴史的国境線の現状を尊重して,両国間の国境・領土問題を解決する。
DIA-201-1979-04-19-1ベトナム1979年04月19日1970年代ND紙:首相府はファム・フン副首相のもとに,ビンチチエン省以南ミンハイ省までの省人民委,内務省,公安省,交通運輸省,海軍司令部の代表大会をホー市で開催。領海の安全と主権の防衛強化の方策を討議。
DIA-201-1979-04-19-2ベトナム1979年04月19日1970年代サハラ・アラブ民主共和国革命評議会(ポリサリオ民族戦線)の議長特使以下代表団,ハノイに到着。
DIA-201-1979-04-19-3ベトナム1979年04月19日1970年代ベトナム通信は,中国軍はいまだにベトナム領を10ヵ所にわたって占領している,と非難する報道を行った。
DIA-201-1979-04-19-4ベトナム1979年04月19日1970年代ホンゲイ無煙炭の対日輸出契約で,ベトナムは54年4~9月の輸出価格を53年9月~54年3月価格比で平均3%引上げることで合意に達した。(日経4.18)
DIA-201-1979-04-19-5ベトナム1979年04月19日1970年代タイ政府筋に拠れば,このほどタイ・ベトナム両政府は,タイからベトナムへの米5万トンの輸出契約に調印した。(バンコク発共同)
DIA-201-1979-04-19-6ベトナム1979年04月19日1970年代ND紙:今まで製鉄用石炭は全て輸入に依存していたが,フンメ鉱の良質炭は輸入炭の代りに,製鉄用に70~80%供給できうる。
DIA-201-1979-04-20-1ベトナム1979年04月20日1970年代ND紙:政府は,ホアンリエンソン省のバクハ,シンマカイ両県を統合しバクハ県と,ラオカイ,カムドゥオン両市を統合しラオカイ市とすることを決定。
DIA-201-1979-04-20-2ベトナム1979年04月20日1970年代メダゴダ・ソンマティッサ・アジア仏教徒平和評議会議長以下代表団,訪越。25日,ホーチミン市訪問。5月2日,トー副大統領と会見。3日,ハノイを出発。
DIA-201-1979-04-20-3ベトナム1979年04月20日1970年代ホーチミン市の末端各級党支部1308支部では,20日までに党委大会を開催した。(ND紙4.24)
DIA-201-1979-04-22-1ベトナム1979年04月22日1970年代ND紙:4月15日現在,北部全域では春季稲植付け後の第2回除草面積は80万ha(稲植付け面積の76.3%)に達す。有機肥料使用量570万トン。南部各省では現在までに冬春季稲の収穫は41万2000ha(稲植付け面積の63.5%)に達した。
DIA-201-1979-04-23-1ベトナム1979年04月23日1970年代国会常任委員会は定例会を開催。24日まで。○中国侵略に対する勝利,北部国境諸省の被害状況・克服努力についての政府報告を聴取。○中越次官級会談の経過聴取,三項目提案を承認。○ゴ・ミン・ロアン食糧相の新任務への転出にあたり,ホー・ヴェト・タンを新食糧相に任命。○チャン・テ最高人民検察院副院長の就任を承認,など。
DIA-201-1979-04-23-2ベトナム1979年04月23日1970年代ND紙:ランソン省では各一般学校はすでに再開され,通学生徒総数は90%に達する。
DIA-201-1979-04-23-3ベトナム1979年04月23日1970年代ラッセ・ヤンセン・ノルウェー社会党書記長以下代表団,訪越。5月2日,ドン首相と会見。3日,帰国。
DIA-201-1979-04-24-1ベトナム1979年04月24日1970年代ND紙:ビンチチエン省以南の南部16省は,私営交通運輸企業の社会主義改造を完了。
DIA-201-1979-04-24-2ベトナム1979年04月24日1970年代グエン・チョン・ビン駐中国ベトナム大使,北京へ帰任。同氏は昨年秋に北京を離れていた。(AFP時事)
DIA-201-1979-04-24-3ベトナム1979年04月24日1970年代国際民主法律家協会(中国軍のベトナム侵犯調査団)代表団,訪越。5月4日,ドン首相と会談。8日離越。
DIA-201-1979-04-24-4ベトナム1979年04月24日1970年代ND紙:国連のFAOは,ベトナム北部6省人民へ小麦1万8900トンの緊急援助を決定。
DIA-201-1979-04-24-5ベトナム1979年04月24日1970年代ND紙:ジャライ=コントム省党委・人民委・地方司令部は合同で,カンボジア軍に打撃を与え高原領土を防衛した少数民族出身の功労者の表彰大会を開催。
DIA-201-1979-04-26-1ベトナム1979年04月26日1970年代中越外務次官級会談,第2回-(ハノイ)韓念竜・中国外務次官が八項目提案。(資料を参照)
DIA-201-1979-04-26-2ベトナム1979年04月26日1970年代ワルトハイム国連事務総長,訪越-グエン・ズイチン外相と会談。外相は「カムラン湾へのソ連船寄港は同港のソ連基地化を意味しない」と述べた。27日,ドン首相と中越紛争,カンボジア問題,難民問題について話し合い。28日,ホーチミン市へ。29日,北京へ出発。
DIA-201-1979-04-26-3ベトナム1979年04月26日1970年代閣議,初級国営生産・経営単位の労働者・公務員の「集団主人公」制に関する権利についての法令を発布。
DIA-201-1979-04-28-1ベトナム1979年04月28日1970年代ハノイ放送論評は,中国の八項目提案を拒否。
DIA-201-1979-04-28-2ベトナム1979年04月28日1970年代東独公衆衛生省代表団,訪越。ベトナム・東独支好病院と,ハノイなど2カ所に整形外科センターを建設するための東独の援助について協議。5月8日,帰国。
DIA-201-1979-04-28-3ベトナム1979年04月28日1970年代ND紙:中国軍は現時点で領内14ヵ所に残留中。
DIA-201-1979-04-28-4ベトナム1979年04月28日1970年代ND紙:3月中旬~4月24日にかけて中国は領海・領空を侵犯。領海ではハイフォン市管轄の各島,クアンニン,ゲティン両省とホー市の海域,島に侵入。領空では戦闘機20機が北部国境6省上空を侵犯した。
DIA-201-1979-04-28-5ベトナム1979年04月28日1970年代ND紙:農業省は農業生産の国家目標を超過,高成績を確立したハバク,タイビン,カオバン,ランソン,トゥンハイ,ダクラク,アンジャンの省を表彰。
DIA-201-1979-04-29-1ベトナム1979年04月29日1970年代ND紙:ホー市人民委は労働者,技術者,軍人を召集し,生産・工作・戦闘の競争大会を開催。中央系工業生産は今年第1四半期目標の130%を達成。地方系工業・小工業・手工業生産も112%に達した。
DIA-201-1979-04-30-1ベトナム1979年04月30日1970年代(ハノイ)メーデーなど諸記念日祝賀集会。グエン・バン・リン労働総同盟議長が祝賀演説を行った。
DIA-201-1979-04-30-2ベトナム1979年04月30日1970年代党と政府指導者は中国侵入軍との戦闘勝利の功績者の表彰式に出席。同指導者出席メンバーは次のとおり。Tho副大統領,Chinh国会議長,Dong首相,Giap国防相,Trinh外相,Nghi国家計画委員長,Dung人民軍総参謀長,Linh労働総同盟議長,Cong南部農業改造委員長,Huu党教宣委員長,Muoi副首相,Thuy’ Dao党中央委書記,Quoc Viet祖国戦線議長。
DIA-201-1979-05-01-1ベトナム1979年05月01日1970年代ドン首相はハノイのメーデー祭典で演説し,全人民・各階層は経済,生産,戦闘準備などの諸戦線に結集するよう呼びかけた。またホー市の祭典ではレ・ドク・ト党政治局員が,南部人民・各階層に民族全体に対する意識高揚を訴え,生産増,社会主義改造,戦闘準備,カンボジア人民への国際義務の完遂の決意を強調した。
DIA-201-1979-05-02-1ベトナム1979年05月02日1970年代ハノイ放送は,鄧中国副首相が1日,北京でワルトハイム国連事務総長と会見した際「ベトナムに教訓を与える権利を留保している」と述べたことに反発,攻撃を受ければしかるべき懲罰を与えよう,と反論した。
DIA-201-1979-05-02-2ベトナム1979年05月02日1970年代スウェーデン国会は79年度対越援助総額4億クローナの政府提案を承認。
DIA-201-1979-05-03-1ベトナム1979年05月03日1970年代(マニラ)アジア開発銀行総会は,ベトナムの同行への委員参加を承認(委員会の委員総数は12人)。
DIA-201-1979-05-03-2ベトナム1979年05月03日1970年代ND紙:ダクラク,ソンベ,タイニン,ロンアン各省人民委は西南国境における対カンボジア戦の大勝利祝賀会を開催。またメコン・デルタ各省はカンボジア人民の農業再建に早生種600トンを贈与。同日,この種籾積載船はカンボジアのバーサク港に入港。
DIA-201-1979-05-04-1ベトナム1979年05月04日1970年代中越外務次官級会談,第3回-ファン・ヒエン外務次官は中国の八項目提案を正式に拒否。次のような新提案を行った。「1.両国が既に行った提案の第一項に討議内容をしぼる。次回の会談ではベトナム提案の第一項を討議する。2.中国外務省が既に何度も表明した“国境・領土紛争解決の提案”を尊重し,いずれこれを討議する。3.早急に捕虜名簿の交換を行う。」
DIA-201-1979-05-04-2ベトナム1979年05月04日1970年代ディン・ニョ・リエム外務次官はマニラで開かれるUNCTAD第5回総会に出席のため,ハノイを出発。14日,総会で演説。15日,タイへ立寄った後,帰国。
DIA-201-1979-05-04-3ベトナム1979年05月04日1970年代ND紙:クアンナム=ダナン省の農業合作社165。
DIA-201-1979-05-05-1ベトナム1979年05月05日1970年代ND紙:ベトナム赤十字社は,国際赤十字代表団が訪越中に中国捕虜の訪問を許可されなかったと述べた西側報道を否定,ベトナム側の勧めにもかかわらず代表団の方が訪問を拒否したのだ,と。
DIA-201-1979-05-05-2ベトナム1979年05月05日1970年代北京放送は,4月初めから中国広西領内へ追いたてられた華僑とベトナム人民は2万人に達す,と報道。
DIA-201-1979-05-07-1ベトナム1979年05月07日1970年代グエン・チ・ビン教育相・政府特使はインドを訪問。8日,デサイ首相とインドシナ及び非同盟会議に関する問題を討議。14日,帰国。
DIA-201-1979-05-07-2ベトナム1979年05月07日1970年代グエン・バン・リン労働総同盟議長以下労働代表団ハノイを出発。総評の招待で日本を訪問。18日,帰国。
DIA-201-1979-05-07-3ベトナム1979年05月07日1970年代グエン・バン・ヒュー文化相・大統領特使は7~11日までギニア訪問,その後アルジェリア,イラク,シリアを歴訪し,14日,帰国。
DIA-201-1979-05-07-4ベトナム1979年05月07日1970年代トー・フー党政治局員候補以下党代表団,フランス共産党第23回党大会に出席するため,ハノイを出発。大会に出席後,南仏を訪問。24日に帰国。
DIA-201-1979-05-07-5ベトナム1979年05月07日1970年代バン・ティエン・ズン人民軍総参謀長は4月中旬に軍の中・上級幹部に対する講習で,地方軍を主体とした「新人民戦争理論」を展開した。(バンコク発共同)
DIA-201-1979-05-07-6ベトナム1979年05月07日1970年代国連のFAOは対越緊急食糧援助(540万米ドル相当)を認めた,と発表。
DIA-201-1979-05-07-7ベトナム1979年05月07日1970年代オーストラリア政府は,今後1年間にインドシナ難民1万2000人を受入れることになろう,と発表。
DIA-201-1979-05-09-1ベトナム1979年05月09日1970年代農業省は北部タイビン省で全国39省・都市所属農業局と農業生産基礎指導幹部代表の全国大会を開催。報告は昨年秋季米作状況を総括し,全体としての生産計画未達成を確認。またカンボジアとの国境紛争のため3年間放置されていた農地6万haを今秋季米の生産に投入するよう主張。11日,閉会。
DIA-201-1979-05-09-2ベトナム1979年05月09日1970年代農業省,北部農業代表者会議開催-このほどビンフー県で。78年の成果報告で成績優良な合作社数を4558(北部合作社全体の38%)と発表。同時に生産・管理運動総括で大規模化を急ぐあまりの経営管理の不備が指摘された。(ハノイ放送)
DIA-201-1979-05-09-3ベトナム1979年05月09日1970年代(ハノイ)ドン首相が解任されたか健康状態がすぐれないのでは,との観測が当地で流れた。7日付ND紙のディエンビエンフー攻防戦勝利の記念写真にドン首相の写真が含まれていなかったため(AFP=時事)。10日,外務省スポークスマンはこの報道を否定した。
DIA-201-1979-05-09-4ベトナム1979年05月09日1970年代共産党中央委は声明を発表。中国の再侵攻に備え,全軍民に祖国防衛態勢を整えるよう呼びかけた。
DIA-201-1979-05-09-5ベトナム1979年05月09日1970年代(ビエンチャン)ラオス・ベトナム地質調査協力覚書,調印。(ラオスの項,参照)
DIA-201-1979-05-09-6ベトナム1979年05月09日1970年代ND紙:クアンナム=ダナン省では現在まで農業合作社164が成立。合作化を行なった地区では農民総数の99.8%,牛・水牛総数の98%が合作社へ加入した。
DIA-201-1979-05-10-1ベトナム1979年05月10日1970年代ND紙社説に拠れば,現在ベトナムの農業労働者数は1500万人に達した。
DIA-201-1979-05-10-2ベトナム1979年05月10日1970年代米国防省筋は,ソ連潜水艦が先ごろベトナムのカムラン湾海軍基地に入港したことを表明。(朝日5.11)
DIA-201-1979-05-10-3ベトナム1979年05月10日1970年代ND紙:ギアビン省では今年の4ヵ月間で農業合作社83が成立。同省はこれまでに農業合作社246,高原地帯で農業生産集団329,農業器材供給合作社16が成立。全省農民総数中61.5%がこれらの合作社・集団に加入。
DIA-201-1979-05-11-1ベトナム1979年05月11日1970年代外務省スポークスマンはベトナム通信とのインタビューで,ソ連船がベトナムに寄港しているとの外報に対し「それは友好関係にある国との正常な取決めであり国際関係における正当な原理である。ベトナムには外国のいかなる軍事基地もなく,他国に対して第3国を脅かすためにはベトナム領を使用させない」と述べた。
DIA-201-1979-05-11-2ベトナム1979年05月11日1970年代(北京)仲曦東・中国外務次官は記者会見で,中国は中越紛争中のベトナム軍捕虜1600人中100余人を,19日に両国国境の友誼関で釈放する,と発表した。
DIA-201-1979-05-11-3ベトナム1979年05月11日1970年代中国は最近,華僑を扇動させるために4人のスパイをクアンニン省ヴィン・トゥック島に上陸させた。同地公安隊・住民はこれを捕え備品を押収。(ハノイ放送)
DIA-201-1979-05-11-4ベトナム1979年05月11日1970年代ホーチミン市では港湾業務協力のため同市に派遣されたソ連人志願技術・労働者の歓迎集会を開催。同技術者・労働者は6月4日,ホー市を離れて帰国の途に。
DIA-201-1979-05-11-5ベトナム1979年05月11日1970年代ND紙:5日現在で,南部全域の冬春季収穫は終了まじか。同季生産効率はha当り平均3.5トンに達した。
DIA-201-1979-05-12-1ベトナム1979年05月12日1970年代(ハノイ)中越外務次官級会談,第4回-ファン・ヒエン次官は中国の八項目提案を受入れるように,との主張を拒否,両国提案の第一項を交互に討議するよう改めて主張。同次官は中国の捕虜交換提案には同意。
DIA-201-1979-05-12-2ベトナム1979年05月12日1970年代グエン・チャン電力石炭相,コメコン石炭産業常設委第53回会議へ出席のため,ハノイ発。ハンガリーへ。19日よりポーランド訪問。電力石炭問題の相互協力について討議。31日まで。6月4日~12日までソ連を訪問。ソ連第10次5ヵ年計画に関する国際会議に出席。
DIA-201-1979-05-12-3ベトナム1979年05月12日1970年代米国NBC放送は,ソ連がベトナムのカムラン湾に電子傍受基地を建設中である,と報道。(時事)
DIA-201-1979-05-12-4ベトナム1979年05月12日1970年代日本外務省筋は,このほどベトナムが,既に提示していた日本の借款援助140億円の商品リスト45品目(肥料,農器具,部品,繊維品,薬品,送電設備)に加え,穀物援助を追加要請してきたことを明らかにした。
DIA-201-1979-05-12-5ベトナム1979年05月12日1970年代(北京)ベトナム・デンマーク両駐中国大使は,デンマークの対越国家建設借款援助議定書No.4に調印。
DIA-201-1979-05-12-6ベトナム1979年05月12日1970年代ND紙:4月に各省・都市末端基礎の党支部各級の大会開催。各級支部委員の平均年令38~39歳を確保。党の老化を防止する政策を実現した。
DIA-201-1979-05-12-7ベトナム1979年05月12日1970年代VD紙:アンジャン省ではポル・ポト軍の侵入破壊行為に対し,人民の安全をはかるため1年間以上に農地6000haの生産を放棄。現在同農地の生産復旧中。
DIA-201-1979-05-13-1ベトナム1979年05月13日1970年代ザップ将軍,「雑誌共産」5月号に「新時代における祖国防衛のための人民戦争」と題する論文を発表。(ハノイ放送)
DIA-201-1979-05-13-2ベトナム1979年05月13日1970年代ND紙:4月末から5月初旬にかけて中国軍は陸海・空より計画的・継続的に国境地域へ侵入,武装挑発活動を行い,国境全線の軍隊を増強した。
DIA-201-1979-05-14-1ベトナム1979年05月14日1970年代北部諸省・都市代表は会議を開催。79年初期の国家計画実行状況と80年の合作社・企業レベルでの計画作成について討議した。会議では生産と分配(特に穀物)の統制の重要性が指摘され,また農業生産に関しては地方,基礎単価が上級単価に頼らずに“草の根”運動を推進し得ることが確認された。(ハノイ放送)
DIA-201-1979-05-14-2ベトナム1979年05月14日1970年代ホー・アィン・トアン・ベトナム国連ジュネーブ事務所常駐大使は国連事務所長に信任状奉呈。
DIA-201-1979-05-14-3ベトナム1979年05月14日1970年代(ローマ)14日~25日まで開かれた世界食糧計画(PAM)年次定例会は,ベトナムのゲティン,タインホア両省の水利復旧工事に対する1250万ドル援助を決定。
DIA-201-1979-05-15-1ベトナム1979年05月15日1970年代難民センター設立国際会議開幕-(ジャカルタ)米,日,仏,ASEAN諸国,ベトナムなど20数ヵ国が参加。同日,フ・ホアン・ベトナム代表は「受入れ国が確保されれば6月から毎月1万人を合法的に出国させる用意がある」と提案。16日,インドネシアのガラン島にセンターを設立することで各国合意,閉幕。
DIA-201-1979-05-15-2ベトナム1979年05月15日1970年代ハノイ放送は,ベトナム沿岸警備隊は4月27日,中部トゥアンハイ省フートウイ海岸で人民の海外逃亡を組織的に行っていた反動家40数人を逮捕した。と報道。
DIA-201-1979-05-15-3ベトナム1979年05月15日1970年代(ハノイ)国家民族委第二回全国会議開催。過去の民族活動,農業達成事項を総括し,開墾作業が進行したため北部の合作化が維持されたと報告。(ハノイ放送)
DIA-201-1979-05-15-4ベトナム1979年05月15日1970年代(モスクワ)コメコン執行委第90回総会開催。フィン・タン・ファット副首相が出席。17日,閉会。
DIA-201-1979-05-15-5ベトナム1979年05月15日1970年代ND紙:ボー・チ・コン副首相兼南部農業改造委員長,トウアンハイ省の農業合作化状況を視察。同省は農業合作社163と多数の生産集団を設立した。
DIA-201-1979-05-15-6ベトナム1979年05月15日1970年代ND紙:ダクラク省では農業合作社68(農民総数の35%が参加),生産集団565が成立。
DIA-201-1979-05-16-1ベトナム1979年05月16日1970年代(ハノイ)民族委中央委員会開催。高原地帯の少数民族の開墾・定住農業の事業を総括。19日,閉会。
DIA-201-1979-05-16-2ベトナム1979年05月16日1970年代「中国膨張・覇権主義者の侵略戦争犯罪に関するコミュニケ」発表-“中国の戦争犯罪調査委員会”が。
DIA-201-1979-05-16-3ベトナム1979年05月16日1970年代ND紙:ホー市近郊では現在まで農業合作社,農業生産集団845が成立。農家5万5265世帯(農家総数比57.7%)耕作面積3万3000ha(総面積比42.5%)を組織。
DIA-201-1979-05-16-4ベトナム1979年05月16日1970年代ND紙:ラムドン省では農業合作社13,生産集団735を設立。農家2万7000世帯(農家比64.2%)を組織。
DIA-201-1979-05-17-1ベトナム1979年05月17日1970年代ND紙:南部私営工商業企業の社会主義改造,基本的に完了-このほど開催された南部私営工商業企業社会主義改造委会議が宣言。国家は基幹産業と重要な経済文化設備を制御し,管理を統一し,主要な商品交易を拡大している,と宣言文は述べている。
DIA-201-1979-05-17-2ベトナム1979年05月17日1970年代ND紙:タイニン省の国営ゴム園は77~78年の国家2カ年計画を完成。生産計画を1%超過達成し,輸出用ゴム製品は1.2%増,新植付220ha,新開墾500haに。
DIA-201-1979-05-18-1ベトナム1979年05月18日1970年代(ハノイ)中越外務次官級会談,第5回-中国側がハノイでの交渉打切りと,次回以降は北京で会談を再開させることを提案。ハノイでの交渉終了。
DIA-201-1979-05-18-2ベトナム1979年05月18日1970年代外務省は「中越問題に関する調書」発表-74年と77~78年の中越国境交渉の全資料と経緯を解説したもの。
DIA-201-1979-05-18-3ベトナム1979年05月18日1970年代ベトナムは76年7月社会主義国諸国9ヵ国で調印された宇宙空間調査研究協力協定に調印,「インター・コスモス」計画の10番目の加盟国となり,同計画加盟諸国の共同飛行に関する取決めに従い,同国宇宙飛行士はソ連の宇宙飛行士訓練センターで訓練中。(モスクワ放送)
DIA-201-1979-05-18-4ベトナム1979年05月18日1970年代北部山岳地帯諸省・県は79~80年の経済・農業・林業発展計画実行にあたり効果的な方策を学ぶための会合を開催。ドン首相が出席,演説した。(ハノイ放送)
DIA-201-1979-05-19-1ベトナム1979年05月19日1970年代4月18日の交渉開始以来これまで,中国はベトナム領への銃砲撃69件,待ち伏せ攻撃50件,スパイ・特殊部隊の派遣40件など挑発行為159件を行い,ベトナム人49人を殺傷,多数を中国領へ連行し,民家数十軒を焼き払い,牛・水牛30頭近くを強奪。また領空侵犯数十回,領海侵犯は数百回にのぼった。(ハノイ放送)
DIA-201-1979-05-19-2ベトナム1979年05月19日1970年代民間航空総局はダクラク省人民委と共同で,同省バンメトート空港管制塔・乗客待合室の工事を完成。
DIA-201-1979-05-21-1ベトナム1979年05月21日1970年代中越第一回捕虜交換。両国赤十字社代表団により,中国領広西チワン族自治区友誼関=ベトナム領ランソン省ドンダン間の国境地帯で行なわれ,ベトナム側43人,中国側120人の捕虜を釈放。両赤十字社,会談。
DIA-201-1979-05-21-2ベトナム1979年05月21日1970年代韓念竜・中国外務次官以下代表団,北京へ帰国。
DIA-201-1979-05-21-3ベトナム1979年05月21日1970年代ND紙:統計総局の発表に拠れば,15日現在で今春季の早苗収穫は北部全体の11万6000ha(稲植付けの11.5%)に達す。また南部では15日現在,夏秋季の稲植付けは22万1000ha(計画の30%)に達した。
DIA-201-1979-05-22-1ベトナム1979年05月22日1970年代“経済の義務”と題するND紙社説は,農民の国家への貢献が不足ぎみであり,今年の冬春作米の豊作(特に南部)にもかかわらず,その収集と国家による購入が機能せず市場管理に悪影響を与えている。と指摘。
DIA-201-1979-05-22-2ベトナム1979年05月22日1970年代南部各省農業改造委責任者代表会議,ホーチミン市で開催。生産集団の管理強化と,300~500haの規模の合作建設についての決議を採択。24日,閉会。
DIA-201-1979-05-22-3ベトナム1979年05月22日1970年代中越両国赤十字社代表団,国境地帯で第2回会合。次回の捕虜交換を28日に実施することで合意。
DIA-201-1979-05-22-4ベトナム1979年05月22日1970年代初代駐越トルコ大使,信任状奉呈。
DIA-201-1979-05-23-1ベトナム1979年05月23日1970年代(ホーチミン市)首相府はこのほどレ・タィン・ギ副首相のもとに79年国家計画実施状況と79~80年の計画強化に関する会議を開催。物資の収集・購入と社会主義財産管理の欠点を是正するよう強調。(ホー市放送)
DIA-201-1979-05-23-2ベトナム1979年05月23日1970年代ND紙:ベトナム赤十字社は国際赤十字から最終回の救援米2000トンを受取る。同米積載船ハイフォン入港。
DIA-201-1979-05-23-3ベトナム1979年05月23日1970年代ND紙:政府は北部104県内の合作社に山林経営・管理を委託する制度を実現。現在,133万haを2087の合作社に委託。
DIA-201-1979-05-24-1ベトナム1979年05月24日1970年代国会常任委員会は定例会開催。主な決定事項 ○第六期第五回国会開催の準備を行なう。○グエン・コ・タック外務次官を首相補佐の外務担当無任所国務大臣に任命する。○土地管理局とホーチミン博物館を設立する,など。
DIA-201-1979-05-24-2ベトナム1979年05月24日1970年代ND紙:ハイフン省コーケン石炭鉱開発(9ヵ年工事)完成,生産開始。今年第1四半期の生産2200トン。
DIA-201-1979-05-24-3ベトナム1979年05月24日1970年代ND紙:南部諸省の国営ゴム園は今年初めの4ヵ月間の生産計画を0.5%超過達成。昨年同期比2倍増。また79年ゴム栽培用地の開墾は計画比61.6%に達す。
DIA-201-1979-05-25-1ベトナム1979年05月25日1970年代ND紙:党書記局,党の発展と党組織の拡大,強化に関する指令を発令-問題点として,地方の党で不活発であり特に基礎単位では党員管理(未資格党員の排除)が不充分であること,全体に戦闘性が欠如していること,高年令党員と堕落幹部の存在が大衆との結合を妨げていることなどを揚げ,次のような指示を行った。1.80年末までに全ての基礎単位に党支部を建設する。同時に資格不充分の党員を除名する。2.党員の選択を注意する(過去の解放闘争の闘士を勧誘し,南部,山岳地方ではこれを強化する)。年齢若返りを促進し,青年団の精鋭からの入党を強化する。4.非党員を会議などに参加させ党員を批判させる。大衆団体は6ヵ月毎有望な非党員を党支部に報告する。7.党全体で批判・自己批判を始める。(3,5,6略)
DIA-201-1979-05-25-2ベトナム1979年05月25日1970年代国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)代表団,訪越-ベトナム政府と,ベトナム人の合法的出国許可問題で合意。30日,“7項目の了解事項”発表。(全文)1.家族が一ヵ所に集うため,あるいはその他の人道的ケースでベトナムからの出国と外国への定住を望む人人の合法的出国は,できるだけ早く,最大限行われる。これらの人々の数は,ベトナム出国申請の量と受入れ国の入国ビザ発行の能力の双方にもとづく。2.この了解事項にもとづき,出国を認められる人々の選択は,いつの場合でも,ベトナム政府の用意するリストと,受入れ国の用意するリストを基礎に行われる。双方のリストに登録された人々は,出国資格が与えられる。一方のリストだけに登録された人々についてはベトナム政府とUNHCR,ベトナム政府と受入れ国のしかるべき話し合いによる。3.UNHCRは潜在的受入れ国のあいだでこの了解事項に対する支持を得るため,あらゆる努力を払う。4.ベトナム政府とUNHCRは,それぞれ,この了解事項を実行するために密接に協力を行う要員を任命する。5.この要員は,出国業務を進めるために,ハノイ,ホー市,その他必要な所での活動を認められる。6.出国業務は,適切な輸送方法で定期的に行われる。7.ベトナム
DIA-201-1979-05-25-3ベトナム1979年05月25日1970年代デネシュ・シン・インド首相特使,訪越。30日,ドン首相と会見。グエン・ズイ・チン外相と会談。非同盟会議に関する問題について討議。同日,ベトナム出発。
DIA-201-1979-05-25-4ベトナム1979年05月25日1970年代香港の米国商業会議所会頭と対越通商関係委員会委員長以下米国商業会議所代表団,訪越。ベトナム商工会議所副議長,石油天然ガス担当相と会談。ブンタオ石油開発基地などを視察。6月1日まで。
DIA-201-1979-05-25-5ベトナム1979年05月25日1970年代ND紙:政府は現在までに中央機関の農業・建設・交通運輸関係の専門幹部・技師1500人を南部250県・市へ派遣し農業調査と各県責任者との合同で生産規画を完成,2万5000分の1の地図作成と専門生産区を設計。
DIA-201-1979-05-26-1ベトナム1979年05月26日1970年代中越両国赤十字社代表団,友誼関=ドンダン間の国境地帯で第3回会談。残存捕虜の相互交換を同地点で,5月28日,6月5日,13日,22日の4回に分けて継続することで同意した。
DIA-201-1979-05-26-2ベトナム1979年05月26日1970年代グエン・バン・シン駐印大使は政府特使としてイランを訪問。ホメイニ師,バサルガン首相と会談。特使はイラン革命の成功を賞賛した。6月2日,訪問終了。
DIA-201-1979-05-28-1ベトナム1979年05月28日1970年代(ハノイ)国会第6期第5回総会開催-28日ザップ将軍が閣僚会議報告を行い,①南西国境(対ポル=ポト戦)と北部国境(対中国戦)における2つの偉大な祖国防衛戦争の勝利を確認,②北京支配者層の大民族膨張・覇権主義を糾弾し,③新情勢下の軍民の任務として,経済と国防の結合,生産増大と節約・管理の強化,ラオス・カンボジア人民,社会主義諸国,非同盟諸国との連帯,ASEAN諸国との友好関係の発展を訴えた。30日,総会決議を採択。また南部ヴンタオ市とコンソン県を特別区(省と同格)にするとの政府提案を承認。
DIA-201-1979-05-28-2ベトナム1979年05月28日1970年代中越第2回捕虜交換。国境地帯でベトナム側20人(広州所属部隊),中国側118人の傷病兵を釈放。
DIA-201-1979-05-28-3ベトナム1979年05月28日1970年代ND紙:越赤十字社はカンボジア赤十字へ医薬品10トン,粉ミルク3トン,綿製品3万mを贈与。
DIA-201-1979-05-31-1ベトナム1979年05月31日1970年代ND紙:クーロン省では4月20日まで農業生産集団3446を設立。農家13万3007世帯(全農家比67%),農業労働者36万3005人(全農業労働者比68.2%),農地11万4764ha(全耕地比63.7%)がこれに編入。特にクメール人地区,ホアハオ,カオダイ,カトリック各宗教地区でも集団化を実現。また農機具,自動ポンプ,牛・水牛などの使用権を管理,近い将来に集団化を実現。
DIA-201-1979-05-31-2ベトナム1979年05月31日1970年代地質総局代表団,チェコ訪問。コメコン地質委37回総会に出席。チェコと地質協力協定調印。(VNA)
DIA-201-1979-05-31-3ベトナム1979年05月31日1970年代英サッチャー首相,国連に対しベトナム難民救済問題に関する緊急会議を招集するよう要請。
DIA-201-1979-05-31-4ベトナム1979年05月31日1970年代ND紙:フーカイン省では,5月初めまでに農林漁業合作社189が成立。農業生産者65万人(全農民比88%)が合作社へ加入。合作化農地は全農耕地の84%に達す。
DIA-201-1979-06-01-1ベトナム1979年06月01日1970年代グエン・コ・タク国務相(外交担当)7~9日の非同盟諸国外相会議に出席のためコロンボへ向け出発。途中タイに立寄り。2日,クリアンサック・タイ首相,ウパジット外相と会見,両国不可侵条約締結を打診。タイ側は両国が国境を接していないことなどから不必要だと回答した。3日,コロンボ着。15日,帰国。
DIA-201-1979-06-01-2ベトナム1979年06月01日1970年代キューバ民間航空省代表団,訪越。8日,両国間航空運輸・物資輸送協定に調印。
DIA-201-1979-06-01-3ベトナム1979年06月01日1970年代ファン・チョン・トゥエ交通運輸相,コメコン輸送交通常任委第57回会議出席のため,ブルガリアへ出発。
DIA-201-1979-06-01-4ベトナム1979年06月01日1970年代労働総同盟,北部代表者会議を開催。“集団主人公”制に関する4月26日閣議決定の主旨を,末端レベルに浸透させる運動を行うことを決定(ハノイ放送)。4~7日ホー市で開かれた南部代表者会議もこれを確認。
DIA-201-1979-06-02-1ベトナム1979年06月02日1970年代ND紙:統計総局によれば北部各省で5月中に春季収穫26万8000ha,稲植付の25.2%に達す。昨年同期より13ha増。また南部各省でも夏秋季の稲植付32万3000ha,計画の43.6%に達す。
DIA-201-1979-06-04-1ベトナム1979年06月04日1970年代“良い模型と良い方法の実現”と題するND紙社説は,79年の南部農業改造と合作化の進行過渡期においては,重点地を選択し実験合作社少数と多数の生産集団を設立するよう強調。
DIA-201-1979-06-04-2ベトナム1979年06月04日1970年代農業省,北部農業部門・中央諸部門の合同代表者会議を開催-この数年生産が低下している畜産部門(特に豚)発展のための方策を討議。総括報告は年産目標を①耕地ha当り,豚4~5頭飼育,豚肉200kg,肥え10t,籾5t生産,②専業農耕地区では豚6~12頭飼育。③農家一戸当り,豚2頭飼育,豚肉100kg生産,と設定。その他各地方は耕地の15%を畜産に確保すること,合作社5~7を1単位として飼料加工工場を作ること,などを強調。ボー・チ・コン副首相が演説し飼料問題解決のためマニオクの増産を訴えた。(ハノイ放送)
DIA-201-1979-06-04-3ベトナム1979年06月04日1970年代ND紙:ハウジャン省では5月初めまでに塩業合作社2,農業機械を集団化した集団31を含む農業生産集団1086を組織。農業労働者8万5000人,集団農地4万6000ha以上がこれに編入された。
DIA-201-1979-06-04-4ベトナム1979年06月04日1970年代ND紙:クァンナム=ダナン省では4月中旬までに農業合作社164が成立。農家14万2400世帯(農家総数比,70%),農地6万4000ha(全農地比52.1%)を編入。
DIA-201-1979-06-04-5ベトナム1979年06月04日1970年代ND紙:ダクラク省では現在まで農業合作社94,生産集団510を組織。省内農民90%以上がこれらに参加。
DIA-201-1979-06-05-1ベトナム1979年06月05日1970年代中越第3回捕虜交換。友誼関=ドンダン間で。ベトナム側55人,中国側傷病兵487人を釈放。
DIA-201-1979-06-05-2ベトナム1979年06月05日1970年代“地方工業発展の努力”と題するND紙社説に拠れば,現在,地方工業に関して国営系企業1700(工員・技術幹部20万人),公私合弁系企業3000,生産組系企業4500(双方の労働者数150万人)が成立。79年の地方工業の生産総額は全工業生産総額の52%を占めた。
DIA-201-1979-06-05-3ベトナム1979年06月05日1970年代ND紙:中国軍は5月22日~31日まで陸と海よりベトナム領内に侵入,武装挑発を行なった。
DIA-201-1979-06-05-4ベトナム1979年06月05日1970年代(モスクワ)コメコン対外貿易小委員会第55回総会開催。グエン・バン・ダオ貿易次官が出席。8日まで。
DIA-201-1979-06-05-5ベトナム1979年06月05日1970年代ND紙:キエンジャン省では現在まで農業合作社1,生産集団1185,農林業集団5を組織。農家4万3053世帯,農業労働者8万5872人,農地5万haをこれらに編入。
DIA-201-1979-06-05-6ベトナム1979年06月05日1970年代ND紙:アンジャン省では今年5ヵ月間で実験的農業合作社6,生産集団200,生産団結組1500を組織。年末までに合作社30,生産集団2000を成立させる,と。
DIA-201-1979-06-06-1ベトナム1979年06月06日1970年代ND紙:外務省領事局は,ハノイの中国大使館がベトナム当局の陰謀によりベトナム人が同大使館に不法乱入したとの発表に反論,新華社員と称するフン・ヴァン・クエンなる中国系ベトナム人が5日,中国大使館に入ろうとする所を同大使館に発見され,ベトナム領事局へ引渡そうとしたところ,クエンは自分は中国大使館員であり「どこへ連れていかれねばならないのだ」と中国語で語ったのが真相であり,これはベトナムに反対する華人を中国が利用している明白な証拠だと抗議した。
DIA-201-1979-06-06-2ベトナム1979年06月06日1970年代ハイフォン近郊で過去数日間豪雨,洪水。水田数万haが冠水,野菜の収穫が打撃を受けた。(ハノイ放送)
DIA-201-1979-06-07-1ベトナム1979年06月07日1970年代中国外務省はベトナム外務省へ口上書を送り,第二次中越次官級会談を25日に北京で開きたいと提案。ベトナム外務省はこれに同意する旨の覚書を発表。
DIA-201-1979-06-07-2ベトナム1979年06月07日1970年代この数ヵ月,中国当局は自らの圧力と扇動によってベトナムから出国させた中国人を再びスパイとしてベトナム領へ送り返す運動を再開した。(ハノイ放送)
DIA-201-1979-06-07-3ベトナム1979年06月07日1970年代ND紙:(ベルリン)ベトナム数学研究所は,社会主義諸国数学センターへの正式加入を承認された。
DIA-201-1979-06-07-4ベトナム1979年06月07日1970年代ボー・チ・コン副首相兼南部農業改造中央委員長はクアンナム=ダナン省の農業生産と合作化運動の状況を検査視察するため同省を訪問。
DIA-201-1979-06-07-5ベトナム1979年06月07日1970年代ND紙:ギアビン省では全農家の69%が合作社・生産集団に加入し全耕作地の61%と水牛・牛72%が集団化された。成立した合作社249のうち米作専属合作社は85,1社当り平均生産地は337ha。他に雑殻・米作混合生産合作社123,雑穀・米作・工業用作物混合生産合作社24。
DIA-201-1979-06-07-6ベトナム1979年06月07日1970年代ND紙:ギアビン省フーカット県は100人以上の小商売業者を生産部門に編入し製紙合作社を成立させた。
DIA-201-1979-06-08-1ベトナム1979年06月08日1970年代“闘志を高めよ”と題するND紙社説は,熱心な党員が増加しないことに関し,すでに大量党員をかかえる組織は入党勧誘が不活発であり,新入党員の教育にも手が回らない,また老幹部が地位に居座っていることがこれを助長しているとして,年に1回はrankの審査を行い,党員の昇降格をすみやかに実施するよう強調。
DIA-201-1979-06-08-2ベトナム1979年06月08日1970年代ボート・ピープル,5月は5万1139人に倍増-ジュネーブのUNHCRが8日,船で脱出したベトナム難民の数として明らかにしたもの。(AFP=時事)
DIA-201-1979-06-08-3ベトナム1979年06月08日1970年代ハノイ放送論評は,中国がいわゆる“難民問題”でベトナムを中傷,事実を歪曲している,と反論。
DIA-201-1979-06-08-4ベトナム1979年06月08日1970年代閣議は国家諸機関・国営企業の幹部・職員に対し“公共財産保護,人民の服務などの制度・責任・規律”に関する法令を発表。
DIA-201-1979-06-09-1ベトナム1979年06月09日1970年代“消費政策の実行”と題するND紙社説は,外国援助に依存せずに国民収入を基礎とした建設を行なうにあたり,①国民生活改善,②国防保障,③拡大再生産のために貯蓄を実行するように,と強調した。
DIA-201-1979-06-10-1ベトナム1979年06月10日1970年代ND紙:タイビン,ビンフー両省党委・人民委は生産と分配に関する「集団主人公」制の権利を発揮し以下の管理工作内「5つの公開」実現運動を行なっている;①合作社社員の労働点数の公開②収入・支出帳簿の公開③生産品分配量の公開④借金総額とその残金の公開⑥各倉庫の食糧・生産物資などの総量・残量の公開。
DIA-201-1979-06-11-1ベトナム1979年06月11日1970年代ホーチミン市人民裁判所は公開裁判を行ない,今年初めから今まで55家族を海外へ逃げるよう扇動したファン・ホァット(旧政権下の米機関職員)に終身刑,共犯者たちに7~10年の実刑を言い渡した。
DIA-201-1979-06-11-2ベトナム1979年06月11日1970年代ファン・ヒエン外務次官,訪ソ。26日まで。
DIA-201-1979-06-11-3ベトナム1979年06月11日1970年代チェコ軽工業省代表団,訪越。21日,繊維・雑貨・ゴム製品・木製品に関する両国軽工業協力覚書に調印。
DIA-201-1979-06-11-4ベトナム1979年06月11日1970年代ND紙:現在ベトナム36省中34省で県・村・同級の地方人民委選挙が終了。投票率は90~99%に達した。
DIA-201-1979-06-11-5ベトナム1979年06月11日1970年代ND紙:南部デルタ各省では4月,5月の2ヵ月間に農業合作社数十,生産集団1500を組織。現在までに農業合作社230,生産集団1万が成立した。運動の最も進んでいるのはメコン・デルタのクーロン省。
DIA-201-1979-06-12-1ベトナム1979年06月12日1970年代マレーシア,インドネシア両政府は難民上陸をこれ以上認めないとの態度を打出した。これまでインドネシアは3万1000人,マレーシアは7万7000人の難民を国内に抱えていた。またインドネシアのモフタル外相は難民問題で協議するため,ベトナム政府代表団の早急なジャカルタ訪問を要請した。(朝日6.13)
DIA-201-1979-06-12-2ベトナム1979年06月12日1970年代12日付NYタイムズ紙は,ベトナム政府が中国系ベトナム人を全て国外に追放する決意を固め,これらから没収した数百億ドルの外貨・金をソ連に対する武器購入などの返済資金にあてている,と報道。
DIA-201-1979-06-13-1ベトナム1979年06月13日1970年代中越第4回捕虜交換。友誼関地区で。中国側557人,ベトナム側65人を釈放。ベトナムの釈放した中国兵は昆明,成都,武漢,広州など各軍区の部隊に所属。
DIA-201-1979-06-13-2ベトナム1979年06月13日1970年代ND紙:ソンベ省内では38村,3県が農民集団化を基本的に完了。現在,同省では農業合作社152,生産集団639が成立。うち優秀合作社・中級以上合作社率78%,同生産集団率81%。年末までに農民・農地の90%の組織化を予定。
DIA-201-1979-06-13-3ベトナム1979年06月13日1970年代ND紙:ロンアン省では農業合作社3,農業生産集団133が成立,農家6000世帯,農地6300haをこれに編入。同省は年末までに合作社25~30,生産集団1500~2000を組織することを目標とする。
DIA-201-1979-06-13-4ベトナム1979年06月13日1970年代ND紙:ミンハイ省では農業生産集団630を現在までに組織。農地6万ha,水牛・牛数千頭をこれに編入。うちトラクター集団化を終えた集団6。
DIA-201-1979-06-14-1ベトナム1979年06月14日1970年代外務省・英政府の“難民問題”に対する態度を非難-英外務省あてに覚書を送り,米中と結託する行動を非難,ベトナムへの中傷を止めるよう強く抗議。
DIA-201-1979-06-14-2ベトナム1979年06月14日1970年代ホー市当局はベトナム人グループをかくまい,その不法出国を組織したギリシア籍貨物船「ニキタフ・F」号を拘束した。同乗組員に対する公開裁判が22日にホー市で行なわれ,船長に1万1000ドンの,他の乗組員3人に2500~7000ドンの罰金と警告が言い渡された。
DIA-201-1979-06-14-3ベトナム1979年06月14日1970年代アンゴラ人民共和国政府・党・労働代表団,訪越。16日,越政府と友好を確認した共同声明を発表,帰国。
DIA-201-1979-06-14-4ベトナム1979年06月14日1970年代ND紙:政府はフーカイン省タイソン県に新行政単位としてクンソン市を設立させることを決定した。
DIA-201-1979-06-15-1ベトナム1979年06月15日1970年代(ハノイ)憲法起草委第6回全体会議開催。高級幹部により修正された新憲法草案を討議。21日まで。
DIA-201-1979-06-15-2ベトナム1979年06月15日1970年代マレーシア政府,収容難民7万6000人の公海への送り返しを発表-マハティール内相が声明。17日,ベトナム難民第一陣の強制出国を実施した。
DIA-201-1979-06-15-3ベトナム1979年06月15日1970年代日本外務省筋によると,日本政府は7月2~3日の拡大ASEAN外相会議(含日,米,豪,ニュージーランド)で,インドシナ難民国際会議の開催を提唱する意向で,関係国に非公式打診を始めた。(朝日6.16)
DIA-201-1979-06-15-4ベトナム1979年06月15日1970年代ND紙:南部農業改造委は,ドンナイ,ロンアン,ミンハイ,ハウジャン,アンジャン,キエンジャン6省内の重点地7県における私営農機具運営の初歩成果を発表。それに拠ると農機具運営を組織した10集団では,機械設備が集団化され,加入団員は労働点数で報酬を受ける。集団に農機具を売り渡す所有主は集団から購入頭金を受取り,残金を利息を付けた分割払いで獲得する。
DIA-201-1979-06-16-1ベトナム1979年06月16日1970年代トー・フー・党教宣委員長・政治局員候補はソ連訪問のためモスクワへ出発。ブレジネフ・ソ連党書記長と協力関係を協議。26日以降,ブルガリアへ。7月6日,東独を,10日,チェコを歴訪して,7月下旬に帰国。
DIA-201-1979-06-16-2ベトナム1979年06月16日1970年代タイ政府は,ベトナム難民のタイ領海侵入阻止のため海・空軍を動員,警戒態勢に入る。(朝日6.18)
DIA-201-1979-06-16-3ベトナム1979年06月16日1970年代ND紙:ベトナム統一仏教協会代表団,第5回仏教徒平和会議へ出席するためウランバートルへ出発。
DIA-201-1979-06-16-4ベトナム1979年06月16日1970年代北朝鮮駐越大使,信任状奉呈。
DIA-201-1979-06-16-5ベトナム1979年06月16日1970年代ND紙:ボー・チ・コン副首相兼南部農業改造中央委員長はギアビンとフーカィン両省の農業生産と改造状況の検査のため,両省を訪問。
DIA-201-1979-06-16-6ベトナム1979年06月16日1970年代ND紙:過去10年間に北部のビンチチエン省からランソン省までの234県では林区・林地の経営管理を3457の合作社に委託。また大衆護林隊・組1314を組織した。
DIA-201-1979-06-17-1ベトナム1979年06月17日1970年代ND紙:ジャライ=コントム省では現在までに農業合作社41,生産集団1000が成立。少数民族農家5万3935戸を吸収(全省農民世帯比57%),また農業労働者8万4554人(全省農業労働者比53%)を集団化した。
DIA-201-1979-06-17-2ベトナム1979年06月17日1970年代ソ連民間航空局との協定に従い,19日からモスクワ=ホーチミン市間の定期直航便が開通する。週一便でホーチミン市へは火曜日,モスクワへは水曜日に運行。
DIA-201-1979-06-17-3ベトナム1979年06月17日1970年代EC外相会議(18日),英サッチャー首相(18日),米下院(19日)は難民国際会議の緊急開催を提唱。
DIA-201-1979-06-17-4ベトナム1979年06月17日1970年代ヴー・ヴァン・カン保健相,ソフィアにおけるコメコン公衆衛生分野協力常任委第8回会議に出席。24日まで。帰路モスクワで保健業務に関しソ連保健相と会談。
DIA-201-1979-06-17-5ベトナム1979年06月17日1970年代ND紙:統計総局の集計によれば6月5日現在で,全国の夏秋季の野菜と雑穀および工業用作物の栽培面積は20万ha(雑穀13万3000ha,野菜とインゲン類3万7000ha,工業用作物3万ha)に達す。
DIA-201-1979-06-19-1ベトナム1979年06月19日1970年代国連,インドシナ難民に対する緊急国際会議開催を決意-ワ事務総長は関係国に打診を開始した。
DIA-201-1979-06-19-2ベトナム1979年06月19日1970年代デンマーク政府,難民受入れを1000人に倍増。
DIA-201-1979-06-19-3ベトナム1979年06月19日1970年代ハソンビン省ホアビン地区では,ソ連援助によるダー川水力発電所(200万kw)がまもなく建設開始。現在ソ連人技術者と地質・地盤調査を行っており,この装置を含めた都市建設を基礎に,将来はホアビン地区をエネルギー産業の都市とする予定。(ベトナム通信)
DIA-201-1979-06-20-1ベトナム1979年06月20日1970年代外務省,ベトナム人の出国問題に関する声明を発表-いわゆる難民問題について。要旨以下の通り。1.アメリカと中国の対越侵略戦争が難民問題の元凶であり,両国が同問題に関し全責任を負うべきである。2.ベトナムは,ベトナム人の不法出国問題に関し,国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)や他の東南アジア諸国と協力するため全力を尽す用意がある。合法的出国に関する政府の態度は1月12日の発表や5月30日のUNHCRとの7項目了解事項に示されている。ベトナム社会主義共和国政府は以下の事を再宣言する。○必要な手続きを終えたベトナム人の合法的出国を認める。不法出国組織・煽動者は国内法で処罰される。○UNHCRとの7項目了解事項遂行に関して討議するUNHCR主宰の会議には出席する用意はあるが,提起されているその他の国際会議には出席しない。○東南アジア関係諸国と二国間での会議を続行する。
DIA-201-1979-06-20-2ベトナム1979年06月20日1970年代ND紙:中部沿岸各省(ビンチチエン省からトウンハイ省まで)と中部高原各省(ジャライ=コントムからラムドン省まで)は合作社と生産集団の形態での農業集団化を基本的に完了-生産資材の集団化と労働点数による分配を行なっている。沿岸各省では300~400haの耕作地規模を持つ合作社1000以上が成立。高原各省では生産集団レベルで合作社を推進し,合作社148,生産集団2180を組織し,農家の75%を吸収した(うち合作社に28.2%,生産集団に46.1%が加入)。
DIA-201-1979-06-21-1ベトナム1979年06月21日1970年代ND紙:ラムドン省では現在までに農業合作社13,生産集団738が成立,64%の農家をこれらに編入。
DIA-201-1979-06-22-1ベトナム1979年06月22日1970年代中越捕虜交換,最終回。友誼関=ドンダン間。中国側354人,ベトナム側55人(成都,昆明,広州所属の中国兵)の捕虜釈放。ベトナム赤十字代表は記者会見で,中国は捕虜を未だ完全に釈放していない,と強調。
DIA-201-1979-06-22-2ベトナム1979年06月22日1970年代石炭産業はクァンナム=ダナン,ハバック,ハナムニン,ビンチチエン各省の炭坑を再建・拡大。ハソンビン,ソンラ両省の旧鉱再開発と,ハイフン省新鉱山開発により,国内の炭田数は7に。これらは年産12万の採掘が可能。80年より年産30万トンを目標とする。(VNA)
DIA-201-1979-06-22-3ベトナム1979年06月22日1970年代ND紙:6月15日現在,北部各省と都市では春季収穫87万2000ha,稲植付の82%を占める。そのうち平原地帯40万7000ha,山岳地帯の収穫は50%にしか達していない。同地域の米作未収穫19万haに達す。
DIA-201-1979-06-22-4ベトナム1979年06月22日1970年代ND紙:南部各省と都市では15日現在,夏秋季の稲植付は49万1000ha,計画の70.4%に達す。
DIA-201-1979-06-23-1ベトナム1979年06月23日1970年代マイ・バン・ボ政府特使代表団,インドネシアとマレーシア訪問のため,ハノイを出発。難民問題について討議するため。24日,ジャカルタ着。25~26日,モフタル・インドネシア外相と協議。27~28日,マレーシア政府と協議。両国においてボ特使は20日の外務省声明に見られる政府の立場を主張。具体的な進展得られず。
DIA-201-1979-06-23-2ベトナム1979年06月23日1970年代ND紙:論評は難民に関する米中英の結託を批判。
DIA-201-1979-06-23-3ベトナム1979年06月23日1970年代北京放送は23日,中国の華国鋒首相が18日の第5期全人代第2回会議の政府活動報告の中で,ベトナムを“覇権主義”と非難,カンボジアのベトナム軍撤退を要求したことを伝えた。(RP=東京)
DIA-201-1979-06-23-4ベトナム1979年06月23日1970年代日本政府は,インドシナ難民定住ワク(現行500人)の漸次拡大など,定住条件の緩和を決定。(朝日6.23)
DIA-201-1979-06-23-5ベトナム1979年06月23日1970年代ノルウエー政府はこのほどベトナムの難民政策を理由に対越援助9000万クローネ(約34億円)を凍結,うち1000万クローネを難民の国際援助に振り向けた,と発表した。(AFP=時事)
DIA-201-1979-06-23-6ベトナム1979年06月23日1970年代ルーマニア民間航空省代表団,訪越。26日,ハノイで両国間航空輸送協定に調印。27日,帰国。
DIA-201-1979-06-23-7ベトナム1979年06月23日1970年代鉄道総局は中国軍に破壊されたフォール駅からランジャン駅までの鉄道21kmと橋13本(全長355m)を1カ月の工事の後,復旧。23日に試運転を行なった。
DIA-201-1979-06-24-1ベトナム1979年06月24日1970年代ファン・バン・ドン首相以下政府代表団,コメコン第33回総会=創立39周年記念式典に出席するためハノイを出発-同日,モスクワ着。レ・タイン・ギ副首相兼国家計画委議長,レ・カク同委副議長,チャウ対外貿易相が同行。他にチャン・クェン国家科学技術委議長,ファン・ヒエン外務次官が参加。総会は26~28日まで。27日,ドン首相は総会で演説し,ベトナムのコメコン加盟を,社会主義諸国との連帯強化とベトナム社会主義建設促進のための原則的政策だ,と位置づけた。同日,首相はベルデツ・ルーマニア副首相の要請により会談。28日,総会はベトナムに関して「モンゴルとキューバに行なわれたのと同様な,ベトナムの経済発展促進のための特別措置を含む総合計画の原則的諸条項の適用を呼びかける」決議を採択。閉会。7月3日,首相はコスイギン・ソ連首相と会談,4日,代表団離ソ。6日,帰国。
DIA-201-1979-06-24-2ベトナム1979年06月24日1970年代マレーシア政府筋は,5月に同国に上陸した難民のうちベトナム人の中国人に対する比率の急増(全体の48%)を,全く新しい傾向だ,と語った。(朝日6.25)
DIA-201-1979-06-25-1ベトナム1979年06月25日1970年代ASEANは,このほど難民上陸阻止合同作戦展開で合意。インドネシア政府筋が明らかにしたもの。
DIA-201-1979-06-25-2ベトナム1979年06月25日1970年代ディン・ニョ・リェム外務次官以下政府代表団は,北京で開催される第2次中越次官級会談に出席するためハノイを出発。同日,北京着。
DIA-201-1979-06-25-3ベトナム1979年06月25日1970年代カオバン省軍・人民は中国軍が撤退中に破壊した同省市内への通路であるヒエン川の橋の復旧工事を完成。
DIA-201-1979-06-25-4ベトナム1979年06月25日1970年代ND紙:国防省と大学・実業中等省は79年の高等教育機関卒業生を予備将校として訓練養成するための方策について討議した。
DIA-201-1979-06-25-5ベトナム1979年06月25日1970年代ND紙:ホー市人民委・農業改造委が市郊外23村で計画した実験農業合作社27中,6合作社の成立が完了。
DIA-201-1979-06-26-1ベトナム1979年06月26日1970年代ベトナムからの合法的出国者第一陣107名,ベトナム機でホーチミン市からバンコクへ到着。(共同)
DIA-201-1979-06-26-2ベトナム1979年06月26日1970年代ゲティン省で少数民族者代表会議,開催。スアン・トイ党政治局員が出席。(ハノイ放送)
DIA-201-1979-06-26-3ベトナム1979年06月26日1970年代フランス政府,難民5000人の受入れを決定(共同)。スウェーデン政府,7月より難民受入れワクを2500人に倍増を決定。(AP)
DIA-201-1979-06-27-1ベトナム1979年06月27日1970年代(ハノイ)ベトナム民主党第4回党大会開催-60年11月の大会以来19年ぶり。代議員200人が参加。チュオン・チン共産党政治局員が来賓演説。29日,ギェム・スアン・イェム現書記長を再選。20年間の党活動を総括し,新情勢下の任務を行うにあたって,共産党との連帯・協力の確認と共産党の路線の全面支持を党員,実業家,知識人に訴えた大会宣言を採択。同日,閉会。
DIA-201-1979-06-28-1ベトナム1979年06月28日1970年代中越外務次官級会談,第6回-第2ラウンドを北京で開催。ベトナム側代表,ディン・ニョ・リエム次官。中国側代表,韓念竜次官。リエム次官はこれまでの“三項目提案”に加え,7月5日を期して国境地域での武力進攻,挑発行為,偵察行動の停止などを求める,「国境緊張緩和協約」草案を提出。中国,難民問題非難。
DIA-201-1979-06-28-2ベトナム1979年06月28日1970年代東京サミット「インドシナ難民に関する特別声明」発表-インドシナ諸国に難民流出停止,世界各国に難民資金増・受入れ増,国連に難民会議開催,を訴えた。国連事務総長はこれを歓迎,他国への協力を呼びかけ。
DIA-201-1979-06-28-3ベトナム1979年06月28日1970年代(バリ島)ASEAN外相会議開催-30日,①カンボジアのベトナム軍撤退,②難民流出国としてのベトナム非難,③ASEAN各国が難民を差し戻す権利の主張,④難民国際会議提唱,などをもった共同声明発表。7月2日より,日,米,豪,ニュージーランドを含めた9ヵ国拡大外相会議を開催。同日,閉会。
DIA-201-1979-06-28-4ベトナム1979年06月28日1970年代国会常任委,定例会を開催。
DIA-201-1979-06-28-5ベトナム1979年06月28日1970年代政府は,ニカラグア国家再建臨時政府を承認。
DIA-201-1979-06-28-6ベトナム1979年06月28日1970年代ND紙:ロンアン省では6月初めまでに192の生産集団が成立した。
DIA-201-1979-06-29-1ベトナム1979年06月29日1970年代日本共産党代表団(団長野坂議長),訪越。30日と7月1日にレ・ズアン党書記長以下代表と首脳会談。この首脳会談の席上でレ・ズアン書記長が「国連主催の難民会議に出席する用意があり,国連にも既に回答した」と発言したことが,2日,明らかにされた。3日,日本共産党一部代表団はプノンペンを訪問。5日,越日共産党はハノイで,連帯と協力をうたった共同声明を発表。同日,代表団はラオス訪問へ。
DIA-201-1979-06-29-2ベトナム1979年06月29日1970年代コメコン第33回総会において政府代表団はコメコン諸国と越・コメコン間航空協力協定に調印。(内容)○国際空港発展協力協定 ○国内線使用に関する協力組織協定 ○国際線に関する予約席,切符販売の自動化システムの設立・使用に関する協定 ○航空自動化テストセンター組織協定(VNA 6.29)
DIA-201-1979-06-29-3ベトナム1979年06月29日1970年代ND紙:3月16日以来,中国軍のベトナム領侵犯,武装挑発は551回に達す。うち銃撃・砲撃は243回,武装勢力侵入は308回で,100人近くのベトナム人が死傷し,あるいは中国領に連行された。
DIA-201-1979-06-30-1ベトナム1979年06月30日1970年代西独外務省は,西独船が29日にベトナム南部沖合の石油採掘ヤグラ上の難民300人を救助しようとしたところをベトナム軍船に発砲されたとして,ハノイの西独大使館に厳重抗議するよう訓令。7月1日,ベトナム外務省はこれに反論,西独船は海外脱出を希望するベトナム人に対し,逃走の手伝い,勧誘を行ったと抗議。同日,西独外相は,この問題に関し,難民流出を続ける限りベトナムへは開発援助を行わない,と言明した。
DIA-201-1979-07-01-1ベトナム1979年07月01日1970年代トー・フー党中央委員教宣委員長,ベルリンで開催の各国社会主義政党の対外思想工作担当書記大会に出席。
DIA-201-1979-07-02-1ベトナム1979年07月02日1970年代Phan Van Dang南部農業改造副委員長は2日のニャンザン紙にクーロン省の農業改造状況に関する報告を発表。78年7月以後各県・村の党支部および各団体の代表大会を開いた後,生産集団の組織化に着手。現在3600集団を設立・集団化農地12万2000ha,農業労働者30万人を集中。また完全に集団化した県と市はウンリエム,チョウタィン,ロンホーの3県とビンロン市である。また今年中に全省の集団化運動を完成,重点地区で農業合作社を設立する。
DIA-201-1979-07-02-2ベトナム1979年07月02日1970年代タク外交問題担当首相補佐は,20日VNA通信が発表したインタビューで,6月28日にウパディット・タイ外相がベトナムによるタイ侵略の危機について発言したのに対し次のように述べた。「私は6月2日バンコクでクリアンサック首相と会見した時,同首相に両国間の不可侵条約の締結を提案したが,同首相は,両国が国境を接していないし,相互に侵略の脅威もないのでそのような条約は必要ないと述べ,また双方は,両国関係を損うような発言はしないと約束した。」
DIA-201-1979-07-03-1ベトナム1979年07月03日1970年代ND紙:統計総局の集計によると,6月25日現在,北部の各省と都市での春季収穫は101万4000ha,稲植付面積の95.4%に達す。
DIA-201-1979-07-03-2ベトナム1979年07月03日1970年代ND紙は6月30日のASEAN外相会議コミュニケについて評論員論評を掲げ,「同コミュニケは,ASEANとベトナムの関係をそこねるもの」と述べた。
DIA-201-1979-07-04-1ベトナム1979年07月04日1970年代EC委,79年のベトナム向け食糧援助約3400万ドルを停止し,緊急援助として8000万トンの米をUNHCRを通じ難民にふり向けることを決定。この決定は理事会の承認を必要とする。
DIA-201-1979-07-05-1ベトナム1979年07月05日1970年代(北京)第7回中越外務次官級会談開催。
DIA-201-1979-07-05-2ベトナム1979年07月05日1970年代ブリックス・スウェーデン外相,ベトナムに対する開発援助の打切りは行わないと言明。
DIA-201-1979-07-06-1ベトナム1979年07月06日1970年代外務省スポークスマンはバリ島でのASEAN会談コミュニケ(6月30日)のインドシナ問題に対する言及に反論し,次のように言明。「タイとカンボジアの国境地帯の緊張の原因は北京の膨張集団にあり,北京などの各勢力がポト軍への支援を中止すれば,同地帯の緊張状態は解決できる。」「カンボジア問題はカンボジア人民自身が決定する。ベトナムとカンボジア両国の関連問題は外部の干渉なしに両国間で決定する」。
DIA-201-1979-07-06-2ベトナム1979年07月06日1970年代ND紙:チエンジャン省人民裁判所は,4家族32人の海外逃亡をたすけようとした主犯ダン・タイン・ドン(同省国営漁業企業責任者)に10年の実刑を判決。
DIA-201-1979-07-08-1ベトナム1979年07月08日1970年代ND紙:ホー共産青年団は今年上半期に新団員37万人の入団を承認。党中央委に優秀団員13万人を紹介し入党規準を満たした4000人を入党させた。
DIA-201-1979-07-08-2ベトナム1979年07月08日1970年代ND紙:今年上半期,メコン・デルタ地区各省では農業機械集団133を組織,トラクター1500台を集団化。農機所有者数千人がそれら各集団に加入。
DIA-201-1979-07-09-1ベトナム1979年07月09日1970年代ND紙:ニャチャン市の漁業関係者は282の生産団結組,7つの合作組,1つの合作社を設立。労働者5260人,漁船1362隻を集団化。
DIA-201-1979-07-09-2ベトナム1979年07月09日1970年代ND紙:ギアビン省では現在,農業合作社246を設立。
DIA-201-1979-07-10-1ベトナム1979年07月10日1970年代ND紙:農業省,商業省および婦人連合会は合同で,ホー市において養豚発展についての会議を開催。南部の養豚は全国の32%を占め,そのうち家庭養豚が90%を占め,現在メス豚34万頭を保有している。
DIA-201-1979-07-10-2ベトナム1979年07月10日1970年代ND紙:南部肥料公司は今年上半期,国内原料を開発して,肥料2万8600トンを生産。
DIA-201-1979-07-10-3ベトナム1979年07月10日1970年代ND紙:電力石炭省の主催により地方石炭開発拡大討議大会,開催。第1回会議(1978年6月)決議の実行の結果,3つの地方炭鉱を復旧,拡大。現在,1部が完成し生産開始。年間生産5万3000トン。また4つの新炭鉱開発により,年間7万5000トン。1977年の地方石炭生産量より2倍増。(日誌6.22参照)
DIA-201-1979-07-10-4ベトナム1979年07月10日1970年代ND紙:ジャライ=コントム省党委は第7回省党委大会を開催。全党員1万1402人の代表者362人が出席,省内政治・経済・社会活動の成果を次のように報告。○農業生産集団化により933生産集団と41合作社が成立。加入農家数は農家総数の60%。開墾面積3万ha,現在の省の耕作地に7万haを加える。少数民族20万人(省内少数民:族の65%)が生産と居住に定着。小商人2万人が生産に転入,手工業と小工業に従事。
DIA-201-1979-07-11-1ベトナム1979年07月11日1970年代6~11日ニャチャン市でビン教育相の司会により全国教育責任者大会を開く。教育発展の成果は1978~1979年の一般学生総数1122万6000人に達す。文化補充部門の参加者150万人,保育と幼稚園の園児総数135万1245人。
DIA-201-1979-07-11-2ベトナム1979年07月11日1970年代ND紙:南部各省では夏秋季の稲植付57万ha,国家計画の82%に達す。また,現在,全南部で農業生産集団1万775を設立。
DIA-201-1979-07-11-3ベトナム1979年07月11日1970年代スティルン仏外務次官,13日までベトナム訪問。
DIA-201-1979-07-12-1ベトナム1979年07月12日1970年代ND紙:ダクラク省では現在109合作社と500生産集団が成立。省内農民総人口の83.5%,農家総数の93.6%を吸収。
DIA-201-1979-07-12-2ベトナム1979年07月12日1970年代ND紙社説は,閣僚会議がこのほど輸出品生産奨励の政策と措置に関する規定を公布したと発表。
DIA-201-1979-07-12-3ベトナム1979年07月12日1970年代ノルウェー政府による身障者再訓練施設建設に関する無償援助の協定調印。
DIA-201-1979-07-12-4ベトナム1979年07月12日1970年代(モスクワ)キュ駐ソ大使はソ連外務次官と,両国領事協定批准書交換。
DIA-201-1979-07-13-1ベトナム1979年07月13日1970年代ドン首相はウルブリヒト(国連事務総長補佐)国連ベトナム再建国際援助担当官と会見。
DIA-201-1979-07-15-1ベトナム1979年07月15日1970年代ホー市最高裁はこのほど,旧サイゴン政府軍の大尉ら2人に対し反革命罪で死刑を判決。(ハノイ放送)
DIA-201-1979-07-16-1ベトナム1979年07月16日1970年代ND紙:コン副首相兼南部農業改造委員長は6月に開かれた中部全域の農業改造に関する総括の中で,解放直後の集団化連動で粗末および小型から精細および大型までの集団組織を達成,農地300~350ha規模で合作社を設立,同地域の沿岸地区では合作社が主で現在1023合作社,高原地区では合作社より生産集団が主で,148合作社,2180生産集団が成立したと報告。(6.20参照)
DIA-201-1979-07-16-2ベトナム1979年07月16日1970年代外務省は16日付でグレナダ人民革命政府と大使級外交関係を樹立すると発表。
DIA-201-1979-07-17-1ベトナム1979年07月17日1970年代ND紙:タイニン省の国営ゴム園は今年上半期に1100トンを生産。
DIA-201-1979-07-18-1ベトナム1979年07月18日1970年代(北京)第8回中越外務次官級会談開催-リエム団長は,ベトナム・カンボジア関係は両国政府自身で決定する問題であり,他が干渉すべきでないこと,中国当局はベトナムの海外逃走者について発言する資格を持たないことを強調。
DIA-201-1979-07-19-1ベトナム1979年07月19日1970年代ND紙:政府は最近,海外への逃走者とその勧誘組織者に対する懲罰政策を決定-各省人民裁判所は継続的に犯罪者を処罰している。フーカイン省は犯罪13件の主犯と共犯61人に対し3~30年の実刑。トゥンハイ省は12件88人のうち,死刑1人,その他5~20年の実刑。クアンナム=ダナンでも2件,死刑4人,その他3~20年の実刑を宣告。
DIA-201-1979-07-19-2ベトナム1979年07月19日1970年代ND紙:ドンナイ省党委は同省党委第2回大会を開催し省内経済発展について報告。76年耕作地11万ha,78年15万haに増加。食糧生産は76年21万トン,77年24万トン。78年の洪水害で5万haが被害を受け収穫18万4000トン。省人民の食糧納入状況は76年6700トン,78年1万9000トン。食糧用雑穀の生産増加率は76年37%増,78年64%増。今後の食糧生産の目標は79~80年75~80万トン(そのうち雑穀は3分の2を占める)。畜産業について現在,豚15万頭,水牛1万頭,牛3万頭。漁業について年間3万5000トン,塩10万トン。工業小手工業の総生産額3億5000万ドン,輸出用品総額1億5000万ドン。
DIA-201-1979-07-19-3ベトナム1979年07月19日1970年代タンロン橋建設会社,紅河の最後の橋脚にコンクリートを打ち込む。
DIA-201-1979-07-20-1ベトナム1979年07月20日1970年代ND紙は“(難民流出の)原因とその解決方法”と題する社説を掲載。その中で,原因は仏,米国および中国の侵略戦争,戦争の脅威,経済包囲,国内での天災の連続的発生にある。その解決方法として,これら諸外国が戦争脅威,逃走者への煽動の陰謀・組織および経済包囲政策などを停止しベトナムへの協力と援助を実行することを主張。
DIA-201-1979-07-20-2ベトナム1979年07月20日1970年代ND紙:トゥンハイ省沿岸バクビン県公安隊と人民自衛団は領海に侵入,上陸した中国船を発見,拿捕。
DIA-201-1979-07-20-3ベトナム1979年07月20日1970年代Nguyen Luong Bang副大統領死去-75歳。
DIA-201-1979-07-20-4ベトナム1979年07月20日1970年代(ジュネーブ)インドシナ難民問題国際会議開催-ファン・ヒエン外務次官出席。21日まで。
DIA-201-1979-07-24-1ベトナム1979年07月24日1970年代ND紙:南部各省の食糧加工業の改造と建設の状況は,メコン・デルタ地区の省で中小型企業は5220,今年第1四半期までに食糧加工の中小型国営と公私合弁の65企業を設立。公私合弁企業で機械所有者は企業内で就職を待遇され,また年間固定利潤の8%を受領する。
DIA-201-1979-07-24-2ベトナム1979年07月24日1970年代ND紙:ハウジャン省の工業用作物の生産状況は,カント市で砂糖栽培(解放前500ha)が5000haに拡張,1ha当り収穫60トンの計算で年間収穫30万トンに達す。製糖企業は中小型で250工場,粗糖3万トン,精製糖1万トン,また省内のヤシ栽培50万本,1本当り収穫40個,年間収穫2000万個,ヤシ油工場の生産は1日当り1.5~2トンに達す。
DIA-201-1979-07-24-3ベトナム1979年07月24日1970年代ND紙:郵便省は通信・電話全国拡張計画を完成。ハノイ=ホーチミン市の電話本線以外に,中部高原とメコン・デルタ各省も本線につながる支線で全国どこでも電話可能に。
DIA-201-1979-07-24-4ベトナム1979年07月24日1970年代南イエメン党代表団(団長マディ・アブダラ・サイド・イエメン社会主義党中央委書記),ハノイ到着。
DIA-201-1979-07-25-1ベトナム1979年07月25日1970年代(ベルリン)ホアン・ト駐東ドイツ大使は同国政府代表と,緊急援助議定書に署名。
DIA-201-1979-07-26-1ベトナム1979年07月26日1970年代ホー市で中央洪水・台風監督委員会開催。南部における台風害の防止について討議。
DIA-201-1979-07-26-2ベトナム1979年07月26日1970年代ND紙:首相府はハバク省(100.4%)とハソンビン省(100.1%)の79年春季食糧義務超過達成を賞賛。
DIA-201-1979-07-26-3ベトナム1979年07月26日1970年代野田駐ベトナム新大使はト副大統領に信任状を提出。
DIA-201-1979-07-29-1ベトナム1979年07月29日1970年代ND紙:ベトナム通信社は政府の権限を持って,最近(7月21日)西側の報道がフィリピン軍事筋の情報を引用して,6月22日にベトナム難民船が暴風で西沙群島に上陸したが,同島のベトナム守備隊に射殺された,と報道したのに対し,その情報は事実無根と否定。
DIA-201-1979-07-30-1ベトナム1979年07月30日1970年代(北京)第9回中越外務次官級会談開催-会談後リエム次官は,中国側のベトナム援助についての発言に反論。
DIA-201-1979-07-31-1ベトナム1979年07月31日1970年代ND紙:7月25日現在,全国で秋季稲植付154万3000ha,計画の48%に達す。また夏秋季の野菜と雑穀および工業用作物栽培40万5000ha,昨年同期より7万2000ha増。
DIA-201-1979-07-31-2ベトナム1979年07月31日1970年代外務省は中国外務省へ覚書を送り,最近,国境地区で中国軍が激しく攻撃し,緊張状態をつくっていることに対し警告。
DIA-201-1979-08-01-1ベトナム1979年08月01日1970年代ND紙:鉄道総局は今までハノイ=ホーチミン市間の週2回の直行列車の運行にかえ,1日以後,1日往復2便を運行。①ハノイ市から第1列車の統一1号は13時発,第2列車統一3号は21時発,②ホーチミン市から第1列車の統一2号は5時発,第2列車統一4号は20時発。
DIA-201-1979-08-01-2ベトナム1979年08月01日1970年代VNA:スウェーデン援助のバイバン製紙工場建設,80%完了。機械組立は50%完了。
DIA-201-1979-08-02-1ベトナム1979年08月02日1970年代政府非国営企業育成に関する政策を決定-7日に発表。要旨「政府は,非国営企業による地方原料・廃物を利用した商品生産の促進を奨励する。国家は,このために必要な物資・設備の購入に関して融資を行う」。これに関し8.7付ND紙社説は,「社会主義の下では国営・集団私営経済は密接な関係を有する」と。
DIA-201-1979-08-02-2ベトナム1979年08月02日1970年代Chu Huy Man(上将)人民軍総政治部主任の率いる代表団はソ連訪問のためハノイを出発。8日まで滞在。10日ブルガリアを訪問。
DIA-201-1979-08-02-3ベトナム1979年08月02日1970年代外務省スポークスマンは米国の第7艦隊の難民救助について声明を発表。米国の行動は非合法出国と逃走者を煽動し大量逃走を奨励するものであり,ジュネーブ会議(7月20~21日)の決定した各項目を達成する国際的努力を阻止するものである,と非難。
DIA-201-1979-08-04-1ベトナム1979年08月04日1970年代ND紙:コメコン加盟各国の資源・地質専門家は,ベトナムの地質と資源の調査に協力するため,ハノイで会議を開く。
DIA-201-1979-08-04-2ベトナム1979年08月04日1970年代ND紙:ハウジャン省では現在農業生産の2400集団を組織,集団化農地12万4000ha,農民世帯11万3000世帯が集団に加入,省の農民総数の34%を占める。
DIA-201-1979-08-04-3ベトナム1979年08月04日1970年代ザムベルレッチ・イタリア難民救済委員会議長(国会議員),ハノイを訪問。
DIA-201-1979-08-05-1ベトナム1979年08月05日1970年代ホアン・バン・ホアン(前政治局員)国会副議長,中国へ政治亡命-スアン・トイ国会事務局長はVNA通信のインタビューに答え次のように言明。ホアン氏はわが国の寛大な政策を利用,海外逃走の目的で,東ドイツへ病気治療として出国を申請,7月3日出国,ハノイ・ベルリン間の航空路の途中カラチ空港で休息中心臓病として安静療養を申請,5日ホテルから逃走。現在常務委は同氏の行動と犯罪を調査,分析後,国家法律により処理する。同氏は第2次大戦前長期間中国で生活,国民党軍内で活動。抗仏中,長期間中国駐在大使をつとめ,抗米戦中いつも病気を理由に外国へ療養。毎年一定期間中国滞在。北京指導部の路線に盲従,文革を全面支持,4人組の政策を称賛。最近では4人組打倒勢力を支持。第4回党大会(1976)で党中央委と政治局から解任され,現在,国会での任務を捨てて外国へ逃走。
DIA-201-1979-08-05-2ベトナム1979年08月05日1970年代VNA通信社は政府の権限を持って,ジャカルタ駐在AFP通信が4日,ハノイ駐在インドネシア大使がドン首相と会見した際,同首相は中国がポル・ポト集団を復活させないならカンボジアの政治解決に同意すると発言したと報じたのを,事実無根と言明。
DIA-201-1979-08-06-1ベトナム1979年08月06日1970年代外務省スポークスマンは,米下院議員団がベトナム訪問の前に東南アジアのインドシナ難民収容センターを視察した際,同議員団の1員R.ドリナン議員(民主党)がベトナム政府の政策を非難したため,入国許可を取り消すと発表。
DIA-201-1979-08-07-1ベトナム1979年08月07日1970年代外務省,ホアンサー(西沙),チュオンサー(南沙)両群島の領有権について声明を発表-7月30日に中国側が同両群島の領有権に関する証拠資料を公表したのに反論。
DIA-201-1979-08-08-1ベトナム1979年08月08日1970年代祖国戦線中央委幹部会,ハノイで7~8日開催-祖国の西南国境でポト軍の侵略計画を打ち破り,北部国境で中国侵略軍60万に打撃を与えたと報告。祖国再建が困難にぶつかった原因の1つは我々自身にもあり,経済管理と組織の欠陥が多く,社会管理も厳格でない。またホアン氏の中国逃亡事件について,同氏の戦線議長団委員の資格をはく奪。また国会常務委に彼の議員資格と副議長職務をはく奪し,厳しく罰するよう要求。
DIA-201-1979-08-08-2ベトナム1979年08月08日1970年代ND紙:政府常務委はコン副首相の司会のもとにホー市で各省とメコン・デルタ地区の責任者の会議を開き,79年の食糧納入と買入の全面動員計画の実現方法を討議。
DIA-201-1979-08-08-3ベトナム1979年08月08日1970年代ローゼンタール米下院議員を団長とする米議会代表団,訪越。タク国務相らと会談。9日帰国。
DIA-201-1979-08-10-1ベトナム1979年08月10日1970年代ND紙:党中央委政治局は2月3日付で来年の3つの記念行事の準備を指示。①党創立50周年(2月3日),②ホー生誕90周年(5月19日),③ベトナム民主共和国の創立35周年(9月2日)。
DIA-201-1979-08-10-2ベトナム1979年08月10日1970年代米下院議員団10人(団長レスター・ウルフ同院外交委東アジア太平洋小委員会),10~12日ベトナムを訪問。
DIA-201-1979-08-10-3ベトナム1979年08月10日1970年代ND紙:VNA通信は政府の権限をうけ,ベトナム人20万人以上がカンボジア領内に入植した,との北京放送ならびに新華社の報道を,事実無根と否定。
DIA-201-1979-08-10-4ベトナム1979年08月10日1970年代国連ユネスコ代表団(団長P・ステュルツ文化遺産保護委員長),ハノイを訪問。21日まで。
DIA-201-1979-08-11-1ベトナム1979年08月11日1970年代ND紙:5日現在,全国で秋米植付196万ha,計画の60%に達す。そのうち,北部94%,南部39%。
DIA-201-1979-08-11-2ベトナム1979年08月11日1970年代ND紙:米国民間代表団(団長DVチッチカネィ米国友人奉仕委員会委員)はベトナム訪問後,ワシントンでの記者会見で,ジョーン・バエズ歌手のベトナム政府への公開質問状に反論。ファム・ビュータム博士とトン・タット・ズオンキ教授がホー市で拘束されているとの情報について,両氏は健在で,われわれは同市で両氏と会談したと述べた。
DIA-201-1979-08-14-1ベトナム1979年08月14日1970年代チン新憲法起草委員長,憲法草案を発表-同委員長は同新憲法を一般人民各階層の間で討論させるため,ラジオとテレビを通じて全文を発表。
DIA-201-1979-08-14-2ベトナム1979年08月14日1970年代(北京)第10回中越外務次官級会談開催-中国側は,ベトナムが地域覇権主義の道を歩んでいるとして,ベトナムの内政・外交政策を全面的に非難。
DIA-201-1979-08-14-3ベトナム1979年08月14日1970年代国会常務委はホアン国会副議長の中国への逃走について討議。同氏の行動は祖国と人民に対する裏切りとして,国家と人民の敵への逃走罪と決め,検察院に同氏の反国家罪について人民最高裁へ告訴するよう要求。
DIA-201-1979-08-15-1ベトナム1979年08月15日1970年代党中央委書記局はホアン・バン・ホアンの党員資格はく奪と除名を決定。
DIA-201-1979-08-16-1ベトナム1979年08月16日1970年代ND紙:タック国務相は米国議会の2つの議員団の来訪についてVNA通信のインタビューに次のように答えた。○米議員団の関心のある諸問題,難民の実態などについて明確に答え,戦時米人行方不明者について人道的立場で努力すると約束した。○両国関係の正常化は両者に利益を与え,東南アジア地域の安定と平和にも有利である。われわれは正常化のために,万全に準備した。しかし,正常化を実現するための,米国の条件は絶対に受け入れられない。○カンボジアの情勢を逆流させることはできないと断言した。同国の将来は同人民自身のみが決定し,どんな国際会議も同国の政治制度を決定できない。カンボジア駐留ベトナム軍の問題は両国友好協力協定を基礎に実現された。○われわれは米国へ移住する出国ベトナム人の手続のため米国の領事官3人を入国させることに同意しない。
DIA-201-1979-08-16-2ベトナム1979年08月16日1970年代政府閣議は16日付で南部地域の国家許可行為による物資・商品流通の妨害と検査の行き過ぎの行為を禁止することを決定。
DIA-201-1979-08-16-3ベトナム1979年08月16日1970年代ND紙:現在までに全国10省内の県と市級の党支部大会と,省および大都市内の末端基礎のすべての党支部大会が完了。
DIA-201-1979-08-16-4ベトナム1979年08月16日1970年代日越友好議員連盟代表団(団長木村武夫自民党議員連盟会長),ベトナム訪問,20日,ドン首相と会見。
DIA-201-1979-08-17-1ベトナム1979年08月17日1970年代ND紙:政府は今までの10年間に各合作社に国有林の経営・保護事業を委託,その委託面積は200万haに達す。
DIA-201-1979-08-17-2ベトナム1979年08月17日1970年代ND紙:チャン・クアン・フイ首相府文化教育担当の司会で,ホー市で各省と都市の文化教育活動責任者大会を開催。
DIA-201-1979-08-19-1ベトナム1979年08月19日1970年代ND紙:国慶節と8月革命記念日に当り,放送局のアンテナ塔260mの工事,ギアビン省のガラス工場(年産1000トン)の工事,クイニョン市・プレイク市間の電話線の工事,クイニョン港再建工事などを完成。
DIA-201-1979-08-19-2ベトナム1979年08月19日1970年代ND紙:トゥンハイ省で年産1万トンのセメント工場の工事を完成。
DIA-201-1979-08-20-1ベトナム1979年08月20日1970年代ND紙:トーフー党中央委教宣委員長は職業訓練学校の管理・教育担当幹部会議に出席。現在全国で職業訓練校366校,学生総数2万人(企業内職業養成数万人を含まない数)。
DIA-201-1979-08-21-1ベトナム1979年08月21日1970年代ND紙:仏政府はベトナム人民救援の小麦粉8600トンを送る。パリに住むベトナム人協会も衣服と薬品200トンを送る。
DIA-201-1979-08-22-1ベトナム1979年08月22日1970年代カンボジア革命評議会・政府代表団,訪越-団長ヘン・サムリン議長。
DIA-201-1979-08-22-2ベトナム1979年08月22日1970年代ND紙:外務省は,米国VOA放送が同月10日,米国務省スポークスマンは沿海各国の領海権について3カイリ内だけを認め,米国の船と航空機はそのカイリ外の紛争地区を通過できると主張したことを伝えたのに対し,その発言と主張は国際法と国際慣例に違反し,沿海諸国の主権侵犯である,と批判。
DIA-201-1979-08-22-3ベトナム1979年08月22日1970年代ND紙:ドンナイ省で国連児童基金の援助により保育・幼稚園の工事を完成。初回収容園児150人。同省全域で保育・幼稚園113園,園児3000人を収容。
DIA-201-1979-08-24-1ベトナム1979年08月24日1970年代チン国会議長兼憲法起草委員長は,通信,新聞など報道関係各幹部と会見,新憲法草案の討論運動について積極的に全人民各階層へ宣伝するよう指示。
DIA-201-1979-08-24-2ベトナム1979年08月24日1970年代タック外交担当国務相,ハバナに到着。
DIA-201-1979-08-27-1ベトナム1979年08月27日1970年代ND紙:イタリア港に停泊中のソ連船はイタリア政府のベトナムへの救援小麦粉3311トン,同国に住むベトナム人の救援薬品2.5トンをのせてベトナムへ向って出港。
DIA-201-1979-08-28-1ベトナム1979年08月28日1970年代ND紙:南部農業集団化の進行状況。フーカイン省では,195の農業合作社,クーロン省では省内農機所有者242人を説得,26馬力を持つ農耕機101台を集団化,ベンチェ省でも15合作社と500生産集団を設立。
DIA-201-1979-08-28-2ベトナム1979年08月28日1970年代ND紙:教育省は政府決定により全国統一の新学期の開講日は9月5日であると発表。
DIA-201-1979-08-28-3ベトナム1979年08月28日1970年代ND紙:ホー市では職人10万人が集団組織に加入。市内の小工業・手工業労働総数の72.3%を占める。そのうち2万9000人は小・手工業の155合作社に加入,7万4000人を2017生産組合に吸収。今年上半期,市内の小・手工業生産総額は3億4653万3000ドン,昨年同期より22.1%増。
DIA-201-1979-08-28-4ベトナム1979年08月28日1970年代ドン首相は第6回非同盟首脳会議に出席のため,ハバナに向けハノイを出発。29日,モスクワ着,30日コスイギン首相と会見。9月1日ハバナ着。
DIA-201-1979-08-28-5ベトナム1979年08月28日1970年代ディン(女史)傷病兵・社会次官はソ連訪問のためハノイを出発。
DIA-201-1979-08-29-1ベトナム1979年08月29日1970年代(北京)第11回中越外務次官級会談。
DIA-201-1979-08-30-1ベトナム1979年08月30日1970年代ND紙:教育省は一般学校条令を発表。
DIA-201-1979-08-30-2ベトナム1979年08月30日1970年代ND紙:現在全国で山岳地帯とくに北部国境各省で道路建設,12万kmを完成。そのうち新経済地区と防衛道路3000km。国家投資額は今年上半期に500万ドン,また全人民は1000万労働日,10万ドン相当の資材を提供。
DIA-201-1979-08-30-3ベトナム1979年08月30日1970年代ND紙:ホー市では各農業生産集団の1日の労働収入3.2ドン,1カ月に30日間労働。また集団養豚の保有数は78年に50頭,今年初め100頭に増加。年末までに300頭に達す予定。家族養豚は1世帯1頭から2頭,今年上半期に政府に野菜1000トン,豚肉2642kgを売却。
DIA-201-1979-08-30-4ベトナム1979年08月30日1970年代(ハノイ)チェン水利次官はハノイ常駐国連PAM機構イバー・クラレ次席代表と,タインホアとゲチン両省間の水利・灌漑大工事計画に同機構から1250万米ドルを援助する議定書に署名。
DIA-201-1979-08-30-5ベトナム1979年08月30日1970年代27~30日モスクワでコメコン機構加盟各国代表は,ベトナムの海・陸の地質・資源調査,探掘など技術協力,協定調印について討議。
DIA-201-1979-08-31-1ベトナム1979年08月31日1970年代ND紙:統計総局によれば,25日までに全国の秋稲植付234万1000ha,計画の70.8%に達す。そのうち北部128万6947ha,計画の97.4%。南部105万4605ha,計画の53%に達する。
DIA-201-1979-09-01-1ベトナム1979年09月01日1970年代ハノイで建国34周年記念集会。レ・タイン・ギ副首相が首相代理として演説。
DIA-201-1979-09-02-1ベトナム1979年09月02日1970年代ND紙:ホー市では最近,首相府が農村と都市の物資流通検査についての幹部の行き過ぎ行為を禁止-以後,農村から同市に大量の物資が流入,米,肉類,魚類,砂糖,野菜の値段が下がりはじめた。一般米は前より1kg当り1~1.5ドン値下げ,特選米1kg当り1.5ドン値下げ,豚肉1kg当り2~3ドン値下げ,魚類1kg当り1~2ドン値下げ。
DIA-201-1979-09-02-2ベトナム1979年09月02日1970年代(ハバナ)タック外交担当国務相は,記者会見で次のように言明。「帝国主義と膨張反動各勢力は,非同盟首脳会議開催を妨害しようとしたが失敗した」「中国膨張主義者のカンボジア革命に対する脅威がなくなれば,ベトナム軍は撤退する」
DIA-201-1979-09-03-1ベトナム1979年09月03日1970年代政府は,小・手工業品の生産,物資供給,消費に関する契約締結・実現条例を施行。
DIA-201-1979-09-03-2ベトナム1979年09月03日1970年代外務省スポークスマンは中国民間航空総局の7月23日付の通告に対し全面的拒否声明を発表。「中国は国際海域と西沙群島海域上で4つの危険地区を設け外国航空機のこれら地区上空の通過を無期限に禁止した。この通告はベトナム領土を粗暴に侵犯し,領土紛争の交渉による解決という原則を否定するものである」。
DIA-201-1979-09-03-3ベトナム1979年09月03日1970年代タック国務相はハバナで,ミゲンディ・エスコト・ニカラグア外相と,両国の大使級外交関係の樹立に関する協定に調印。
DIA-201-1979-09-04-1ベトナム1979年09月04日1970年代ファット副首相ら代表団はエチオピア革命5周年記念式典に参加するため,ハノイを出発。
DIA-201-1979-09-04-2ベトナム1979年09月04日1970年代ペルー共産党代表団(団長グスタボ・エスピノサ党政治局員兼書記),ハノイに到着。
DIA-201-1979-09-05-1ベトナム1979年09月05日1970年代ドン首相,ハバナ開催の非同盟諸国首脳会議で演説,同首相は12日以降,メキシコ(12~13日),ニカラグア(13~15日),パナマ(15~16日),ジャマイカ(16~17日),を訪問。各国と共同声明調印。モスクワ(21~23日),イラク(24~27日)を訪問後,10月2日帰国。
DIA-201-1979-09-05-2ベトナム1979年09月05日1970年代教育省発表,今年新学期(9月1日)に入学した生徒総数1285万人。教師総数30万人。そのうち新人教師2万7000人,また国家からの無料配布教科書1000万部以上。
DIA-201-1979-09-06-1ベトナム1979年09月06日1970年代ND紙:コン南部農業改造中央委員長は同委総会で報告書を発表-現在までメコン・デルタ地帯を含む東西両部の南部では農業生産合作社271と生産集団1万2437を設立。加入農民世帯49万1364世帯,集団化農地面積45万3400ha,集団化農民は農民総数の31%を占め,集団化農地は農地総面積の24%を占め,合作化運動の専門責任幹部10万人を養成。
DIA-201-1979-09-06-2ベトナム1979年09月06日1970年代ND紙:政府は輸出用品の生産奨励政策を実施。ハノイ市は輸出用の美術・工芸品の生産労働賃銀を引上げ,また対外貿易省もそれらの利潤税を90%から30%に切下げ,同市人民委も同生産部門の職人と労働者に食糧を特別に配給することを決定。
DIA-201-1979-09-07-1ベトナム1979年09月07日1970年代民間航空総局発表。TU-134A型機102便をハノイ・プノンペン間空路に使用。往復で週2便(月と金曜)。
DIA-201-1979-09-07-2ベトナム1979年09月07日1970年代(ハノイ)ダオ対外貿易次官はベルギー王国ハノイ駐在臨時代理大使と,79年度の財政援助協定に調印。
DIA-201-1979-09-07-3ベトナム1979年09月07日1970年代ND紙:最近ECC機構のベトナム人民救援粉ミルク4500トン,バター油500トンをのせたロンタドット号がハイフォン港に入港,8月31日に出港。
DIA-201-1979-09-10-1ベトナム1979年09月10日1970年代政府,農業用地の徹底利用に関する措置を決定。
DIA-201-1979-09-11-1ベトナム1979年09月11日1970年代ND紙:同月5日現在,統計総局によると,全国の秋稲植付249万6308ha(計画面積300万ha),計画の75.6%。昨年より低い。そのうち北部129万5717ha,計画の98.1%,南部120万0591ha,計画の60.3%。
DIA-201-1979-09-11-2ベトナム1979年09月11日1970年代スースロフ・ソ連党政治局員,モスクワで療養中のレ・ドク・ト党政治局員と会談。
DIA-201-1979-09-12-1ベトナム1979年09月12日1970年代ND紙:大学・実業中等省,南部各省の大学,高校および実業中学の入学資格と特別待遇条件を発表。
DIA-201-1979-09-13-1ベトナム1979年09月13日1970年代ND紙:クアンナム=ダナン省の工業と手工業の発展状況は,現在7万300基礎を設立,78年就労総数5万4000人。また生産実績は国営部門だけでも78年は生産総額6100万ドン(75年1300万ドン)に達す。今年末までの目標8500万ドン。
DIA-201-1979-09-13-2ベトナム1979年09月13日1970年代ヒエン外務次官は第34回国連総会に団長として出席するためハノイを出発。
DIA-201-1979-09-17-1ベトナム1979年09月17日1970年代コン副首相,ブルガリア訪問のためハノイを出発。
DIA-201-1979-09-19-1ベトナム1979年09月19日1970年代ND紙:ベトナム通信社は政府権限を持って,BBC放送が中国領内カンボジア放送の報道を引用し,ベトナム軍によるカンボジア領内作戦での有毒ガス使用を伝えたことに対し全面的に否定。
DIA-201-1979-09-19-2ベトナム1979年09月19日1970年代14~19日,C.P.A(国際食糧援助プロジェクト),P.A.M.(世界食糧計画)両機構の会員国のハノイ常駐代表団(ハンガリー,エジプト,スウェーデン,タイ,西ドイツ,オーストラリア,日本,英国,北アイルランド,オランダ,パキスタン,インド,仏国)は,クアンナム=ダナン省Phu minh灌漑用施設工事,ビンチ=チエン省植林地区などを視察。
DIA-201-1979-09-20-1ベトナム1979年09月20日1970年代ND紙:フーカイン省では解放後,小・手工業合作社の設立運動委を設立。現在,小・手工業の共同企業13,合作社123,生産組合258を設立,手工業の職人3万7000人のうち2万人を吸収,76年の生産総額は5976万ドン,77年6660万ドン,1978年7850万ドンに達す。
DIA-201-1979-09-20-2ベトナム1979年09月20日1970年代(北京)第12回中越外務次官会談開催。
DIA-201-1979-09-22-1ベトナム1979年09月22日1970年代ND紙:Vo Hong Chuong社会科学院所属通信情報所所長,マニラで開催のアジア社会科学研究第3回会議に出席。
DIA-201-1979-09-22-2ベトナム1979年09月22日1970年代ND紙:財政省と国立銀行は,預金者に対し全国の各支店での必要金額の引出し許可制度を発表。
DIA-201-1979-09-22-3ベトナム1979年09月22日1970年代外務省新聞局は最近,中国当局の国境上武装活動の増強,第2次侵略準備の証拠について白書を発表。
DIA-201-1979-09-25-1ベトナム1979年09月25日1970年代統一後初の全国国勢調査実施-政府閣議は今年10月1日から10日まで全国国勢調査を実施すると発表。(注)74年に北部の国勢調査,76年に南部の国勢調査を実施。78年7月20日から今調査を準備。今調査の目的は80~85年第3次国家5カ年計画の資料にするため。
DIA-201-1979-09-25-2ベトナム1979年09月25日1970年代ND紙:今年8カ月間に南部のゴム生産実績は昨年より輸出用4115トンを増産。
DIA-201-1979-09-25-3ベトナム1979年09月25日1970年代Tuan国連常駐代表首席代理は第34回総会で発言権を行使,カナダ,英国,日本など各代表の難民とカンボジア両問題に対する発言に反論。“ベトナム民族は米帝国主義をはじめ各帝国主義と膨張主義の難民であり,カンボジアとベトナム両国は独立と主権を持った国家である。内政問題は自分たちで解決し,外部からの干渉を拒否する”と述べる。
DIA-201-1979-09-26-1ベトナム1979年09月26日1970年代ND紙:現在までに中央各機関の半分と16省と都市の幹部と人民の間で新憲法草案の討論会を基本的に完了。
DIA-201-1979-09-26-2ベトナム1979年09月26日1970年代ヒエン次官は記者会見で,日本外務省アジア局長との会談内容についての共同通信の報道に反論。カンボジア救援について帝国主義と反動各勢力および膨張主義者は内政干渉をしている,カンボジア革命評議会を通さない救援活動は内政干渉であると主張。
DIA-201-1979-09-27-1ベトナム1979年09月27日1970年代ND紙:現在,全国32省と都市の村落行政単位の年間予算制度が確立。北部の全村落独自の年間収入総額1億6000万ドン。1村平均の役場の収入2万5000ドン。南部8省の全村役場の収入総額1800万ドン,村平均の収入1万6000ドン。
DIA-201-1979-09-28-1ベトナム1979年09月28日1970年代外務省新聞局はホアンサとチュオンサ両群島に対する法律的歴史的証拠資料の白書を発表。
DIA-201-1979-09-29-1ベトナム1979年09月29日1970年代ブルガリア党・政府代表団,公式に訪越-団長ジフコフ第一書記。30日友好協力条約調印。10月1日科学・技術協力協定,民間航空協定,海洋貿易協定,領事協定に調印。
DIA-201-1979-09-30-1ベトナム1979年09月30日1970年代国会と政府は中国の国慶節に当り祝電を送る。
DIA-201-1979-10-03-1ベトナム1979年10月03日1970年代ND紙:9月25日現在,南部全域の秋稲植付147万9000ha,計画の74.3%に達す(昨年同期162万3000ha)。
DIA-201-1979-10-03-2ベトナム1979年10月03日1970年代チャン・ゴク・バイ医療省薬品局副局長はミシェル・パテル仏ルゼル・ウクラフ製薬会社総支配人と,公私合弁会社設立協定(期限15年間)に調印。
DIA-201-1979-10-04-1ベトナム1979年10月04日1970年代ジャップ副首相兼国防相は東ドイツ建国30周年記念式典に参加のため,ハノイを出発。
DIA-201-1979-10-04-2ベトナム1979年10月04日1970年代外務省,「越中関係30年間の事実」に関する白書を発表。
DIA-201-1979-10-05-1ベトナム1979年10月05日1970年代ND紙:党政治局は農民団体連合会の創立を決定。創立の目的は①幅広い範囲で全国労働農民(合作社の内・外農民)を集合し,団体を組織する。②農民団体は祖国戦線組織の一員である。③農民労働団体は集団と個人の権利の実現を監察する。
DIA-201-1979-10-07-1ベトナム1979年10月07日1970年代ベトナム人民との団結友好米国人民組織25団体代表400人は,ニューヨーク大学講堂でファン・ヒエン外務次官をはじめベトナム国連代表団の歓迎会を開催。
DIA-201-1979-10-08-1ベトナム1979年10月08日1970年代2~8日ラムドン省党委はダラット市で同党委第2回全省大会を開催。チャン・レ同党委書記の報告によれば,同省の食糧生産の状況は76年1人当り47kg,78年230kg。小工業・手工業合作社は労働者4000人を集団に吸収。省の総生産は76年の4倍に増加。全農民の80%,農地の90%を生産集団と合作社に編入。少数民族8万人のうち5万5000人は居住と生産に定着。
DIA-201-1979-10-09-1ベトナム1979年10月09日1970年代9日のND紙は,9月に開かれた党第6回中央委員会総会の消費財産業と地方工業の発展に関する決談を掲載。
DIA-201-1979-10-09-2ベトナム1979年10月09日1970年代9~16日,メオ族第2回大会開催。
DIA-201-1979-10-10-1ベトナム1979年10月10日1970年代政府,食糧生産促進に関する措置を発表。
DIA-201-1979-10-10-2ベトナム1979年10月10日1970年代ND紙:ハンガリー外交代表団(団長ハディ・ベンセ外務次官),ハノイを訪問。
DIA-201-1979-10-10-3ベトナム1979年10月10日1970年代ND紙:人民軍総参謀本部と軍総政治部は合同で,人民各武装勢力の“輝かしい軍の本領を発揮し,戦闘能力を高める”運動を継続的に促進。
DIA-201-1979-10-10-4ベトナム1979年10月10日1970年代ND紙:首都ハノイ市の解放後25年間の発展状況は次のとおり。○人口:今年10月1日現在,人口総数255万6991人。そのうち少数民族のムウン・ジャオ両族人口1万2000人。○都市面積:600km2から現在1536km2に拡張。○経済発展:工業と小工業および手工業について55年の17基礎から,現在国営系254企業,そのうち中央直轄140企業,地方企業114企業。工員総数21万人。また小・手工業は426合作社,従業員5万8000人。農業:生産地9万9000ha,林業地2万5000ha。
DIA-201-1979-10-11-1ベトナム1979年10月11日1970年代ND紙:新学期開講。同時に全国一般学校の第3級学校生徒は軍事訓練を受ける。
DIA-201-1979-10-11-2ベトナム1979年10月11日1970年代(ハノイ)ハンガリー政府代表と両国領事協定に調印。
DIA-201-1979-10-12-1ベトナム1979年10月12日1970年代(モスクワ)Khieu駐ソ大使はソ連対外貿易次官と,全ソ人民の1日社会主義労働参加の収入総額をベトナムの中国侵入による被害地区住民への救援物資の購入に使用する議定書に署名。
DIA-201-1979-10-12-2ベトナム1979年10月12日1970年代ダオ対外貿易次官はモンゴル訪問中,同国政府と80年の両国物資交換・支払い協定に調印。
DIA-201-1979-10-13-1ベトナム1979年10月13日1970年代世界平和評議会代表団(団長ロメシュ・チャンドラ議長),ハノイを訪問。
DIA-201-1979-10-13-2ベトナム1979年10月13日1970年代政府,商業経営活動拡大措置を決定-国家への納税・双務契約による売却以外の農産品・手工業品の妥当な価格での売買促進を指導。地域による価格差を防止。
DIA-201-1979-10-13-3ベトナム1979年10月13日1970年代政府閣議は私営商業による売買禁止品目を発表。その内容は次のとおり。○国家経営の石油,ガソリン,化学肥料,殺虫剤,セメント,木材,電器各類と,その部品,機器各類,化学製品,金属製品,鉱物などの生産資材と商品のすべて。○国家による統一管理の特別各農産物タバコ,コーヒー,豆,樹油,肉桂,茶,ジュート,イ草,糖キビ。○消費品について国家は投機とヤミの活動を厳しく禁じる。また商券各類の売買も禁止し,市場を混乱させる悪徳商業者を厳しく処罰する。
DIA-201-1979-10-15-1ベトナム1979年10月15日1970年代ホアン・ギン外務省アジア第2局長代理はハノイ駐在大使を招いて,タイ外相の国連総会での発言についての抗議文を渡す。
DIA-201-1979-10-16-1ベトナム1979年10月16日1970年代(ニューヨーク)ヒエン外務次官はR.ホルブルック米国務次官浦と会見。17日,帰国のためニューヨークを出発。
DIA-201-1979-10-18-1ベトナム1979年10月18日1970年代ファム・ニエン郵便総局長はハノイ駐在クナイター・オーストラリア大使と,両国の郵便協定に調印。
DIA-201-1979-10-18-2ベトナム1979年10月18日1970年代12~18日フーカイン省党委は第2回大会を開く。グエン・スアン・フエ同省党委書記の報告によれば,同省の2年間の農業開発と改造の成果は,解放直後の耕作地6万haが現在10万haに拡張,農業労働者10万人を再配置。食糧増産12万トン。合作社210社,生産集団200団を組織。基本的に農業合作化を完成。
DIA-201-1979-10-19-1ベトナム1979年10月19日1970年代タック国務相はバンコクで開催のアジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)の閣僚会議に出席のため,ハノイを出発。
DIA-201-1979-10-19-2ベトナム1979年10月19日1970年代(北京)第13回中越外務次官会談。
DIA-201-1979-10-19-3ベトナム1979年10月19日1970年代リエム外務次官は北京で記者会見。○最近とくに10月初めから今日まで中国当局はベトナムの第2次侵攻を準備。同時に会談のテーブルでも両国関係とくに国境安全の問題の討議を避け,両国と関係のない第3国問題を持出している。○中国当局からの4つの危険地区の設立について,ベトナムの領土侵犯と国際法違犯なので完全に拒否する。○中越会談とソ中会談は完全に別の問題である。中国側は両会談を利用し,越ソ,あるいは社会主義各国間を分裂しようとしているが完全に失敗するだろう。○シアヌーク氏の問題についてとくにドン首相への同氏の手紙について,現カンボジア革命評議会が同氏の言動は民族権利に反し彼の役割は何もないと声明したのを完全に支持する。
DIA-201-1979-10-19-4ベトナム1979年10月19日1970年代クリアンサク・タイ首相はタック国務相と会見。同席でタイ首相にドン首相の親書を手渡す。
DIA-201-1979-10-19-5ベトナム1979年10月19日1970年代ザップ副首相兼国防相はチェコ訪問のためプラハに到着。
DIA-201-1979-10-19-6ベトナム1979年10月19日1970年代15~19日,モスクワで第6回ソ越科学・技術協力小委員会開催。
DIA-201-1979-10-21-1ベトナム1979年10月21日1970年代ND紙:ドン・シ・グエン建設相はソ連と東ドイツ両国の訪問のため,ハノイを出発。
DIA-201-1979-10-22-1ベトナム1979年10月22日1970年代外務省スポークスマンは中国当局の海上危険地区4カ所の設立発表について正式に拒否する声明を発表。
DIA-201-1979-10-23-1ベトナム1979年10月23日1970年代ND紙;南部各省はカンボジア各省との姉妹協定により,カンボジアの11省と都市へ食糧8270トンを救援。
DIA-201-1979-10-23-2ベトナム1979年10月23日1970年代ND紙:南部各省と都市では地元の原料を開発,小・手工業を発展,消費品の増産に労働者数万人を採用。
DIA-201-1979-10-23-3ベトナム1979年10月23日1970年代ドン首相はホイットラム・オーストラリア前首相と会見。
DIA-201-1979-10-23-4ベトナム1979年10月23日1970年代(バンコク)タック国務相は米上院議員と会見。R.ホルブルック米国務次官補とアブラモビッチ駐タイ米大使も同席。
DIA-201-1979-10-23-5ベトナム1979年10月23日1970年代(ハノイ)ソン外務次官はハノイの常駐国連各機関(PNUD, PAM, UNFPA, OMS, FAO, UNICEF, HCR)の代表と会見。
DIA-201-1979-10-23-6ベトナム1979年10月23日1970年代ソ連党中央委計画・財政委代表団(団長ロバソフ同委副委員長)ハノイを訪問。11月1日まで。
DIA-201-1979-10-24-1ベトナム1979年10月24日1970年代ジュアン党中央委書記長はニャンザン紙上に「地方経済に関する諸問題」と題する論文を発表。
DIA-201-1979-10-24-2ベトナム1979年10月24日1970年代19~24日ハノイで内務省主催による内務・公安部門の75~79年の祖国の安全保障全国運動の総括会議,開催。ドン首相とホアン内務相が同会議に出席。
DIA-201-1979-10-24-3ベトナム1979年10月24日1970年代チャン・バン・クアン(中将)国防次官はモザムビーク人民解放戦線創立15周年記念式典に参加した後,ハノイに帰着。
DIA-201-1979-10-24-4ベトナム1979年10月24日1970年代(プラハ)ダオ対外貿易次官はチェコ対外貿易次官と,両国の80年物資交換・支払各議定書に署名。
DIA-201-1979-10-25-1ベトナム1979年10月25日1970年代ドン首相はインター・タックメン国連事務総長特使と会見。
DIA-201-1979-10-26-1ベトナム1979年10月26日1970年代(ハノイ)コメコン加盟各国の科学技術高級専門家の総会開催。ベトナムとの科学・技術協力計画,その関連各問題を討議。
DIA-201-1979-10-27-1ベトナム1979年10月27日1970年代ND紙:Cu Dinh Ba国連常駐代表ニューヨークでINTELSAT加盟協定に署名。
DIA-201-1979-10-27-2ベトナム1979年10月27日1970年代ND紙:ツウンハイ省党委は同委第2回大会を開催。
DIA-201-1979-10-28-1ベトナム1979年10月28日1970年代ND紙:VNA通信社,西側報道が26日,タック国務相が米上院議員団との会見でタイから陸路でカンボジア国民への救援運送の安全を保証したと報じたのを否定。カンボジア革命評議会にその提案を提示すると述べる。
DIA-201-1979-10-28-2ベトナム1979年10月28日1970年代外務省新聞局は中国当局のベトナムの新たな侵略の準備促進の全証拠を発表。
DIA-201-1979-10-28-3ベトナム1979年10月28日1970年代ソ連労働総同盟中央委代表団(団長ラプシン同委員),ハノイを訪問。
DIA-201-1979-10-30-1ベトナム1979年10月30日1970年代ND紙:ソ連の党と政府はベトナムの人工衛星通信中継施設工事の援助協定実施に着手,来年6月末までに完成。モスクワ・オリンピック大会の衛星中継を実現の予定。
DIA-201-1979-10-30-2ベトナム1979年10月30日1970年代(ハノイ)3大水利建設工事設備購入国際入札会第2回開催-設備セット輸入と技術総公司はアジア開銀の長期借款資金を使用。ビンディン,ゴーコン,タンアンの3つの水利建設,設備輸入のため,同銀行の会員国ハノイ駐在各大使が出席。入札参加申請は7ヵ国(スウェーデン,スイス,フィンランド,インド,仏,日本,西ドイツ)18会社。入札結果は120日後,参加各会社に通知。
DIA-201-1979-10-30-3ベトナム1979年10月30日1970年代ジャップ副首相兼国防相はチェコ訪問後,アルジェリア武装蜂起記念式典に参加のため同国に到着。11月3日まで滞在,3~10日までリビアを訪問。帰国途中,17日にウスチノフ・ソ連国防相と会談,23日ハノイに帰着。
DIA-201-1979-10-30-4ベトナム1979年10月30日1970年代10.21~30日までローマで開催のPAM機構所属食糧援助の政策・計画(CPA)委第8回総会は,ベトナムのビンチチエンとクァンナム=ダナン両省の植林地区の拡大建設資金に746万ドルの援助を決定。
DIA-201-1979-10-31-1ベトナム1979年10月31日1970年代ND紙:統計総局の集計によると同月25日現在,北部各省と都市では秋稲収穫21万1000ha。稲植付の15.3%(昨年同期の収穫12万2000ha)。1ha当り平均2.7トン。また同地域での冬季の雑穀栽培16万ha。南部各省と都市では25日現在秋稲植付168万1000ha,計画の84.5%。
DIA-201-1979-10-31-2ベトナム1979年10月31日1970年代ND紙:ダクラク省は76年食糧生産7万5000トン,78年16万1000トン。平均1人当り347kg。同省の伝統的食糧不足は基本的に解決される。
DIA-201-1979-10-31-3ベトナム1979年10月31日1970年代ギ副首相,クロクコプスキ東ドイツ国務相兼外務次官と会見,両国領事協定に調印。
DIA-201-1979-11-01-1ベトナム1979年11月01日1970年代10月26~11月1日,水利省全国幹部大会開催。80年の農業生産服務の方法を討議。
DIA-201-1979-11-03-1ベトナム1979年11月03日1970年代ND紙:南部各省・都市の79~80年各春季の農業生産目標は,米作67万5000ha,雑穀29万ha,食糧総生産量245万トン。
DIA-201-1979-11-04-1ベトナム1979年11月04日1970年代ND紙:ソ連政府代表団(団長コザロフスキー地質相),ハノイを訪問。16日,ダー川のホアビン水力発電所建設起工式に出席。
DIA-201-1979-11-05-1ベトナム1979年11月05日1970年代政府閣議,農業合作社と生産集団の収入分配政策に関する法令を決定。
DIA-201-1979-11-05-2ベトナム1979年11月05日1970年代ソ連太平洋艦隊分隊,初めてハイフォン港入港-ベトナム国防省の招きによる公式友好訪問。
DIA-201-1979-11-05-3ベトナム1979年11月05日1970年代ギ副首相はフォルセ・スウェーデン・国際発展機関総局長と会談。両国の79~80年の発展協力の問題を討議。同国の援助により建設中のハノイ児童病院,ウオンビ総合病院,バイバン製紙工場への援助継続も協議。
DIA-201-1979-11-07-1ベトナム1979年11月07日1970年代ラブイサ国連児童基金委員長,ハノイを訪問。
DIA-201-1979-11-08-1ベトナム1979年11月08日1970年代(ベルリン)ダオ対外貿易次官は東ドイツ対外貿易次官と,両国の80年の物資交換・支払い各議定書に調印。
DIA-201-1979-11-09-1ベトナム1979年11月09日1970年代スアン・トイ党中央委対外連絡委員長は,A.N.グジェンコ(漁業次官)・ソ連対外文化連絡協会代表団長と会見。
DIA-201-1979-11-10-1ベトナム1979年11月10日1970年代ND紙は“集団経済の各組織規模”と題する社説を掲載,その中で,北部の平原と盆地,また中部沿海地帯では農業合作社の規模は平均300~500ha,北部高原山岳地帯では60~70ha(林地を除く),南部各省,特にデルタ地帯では生産集団の規模30~50ha,また中南部山岳地帯では合作社,あるいは生産集団の労働力規模60~70人と発表。
DIA-201-1979-11-10-2ベトナム1979年11月10日1970年代トン・チヤン・ダオ農業次官は,同月10~29日までローマで開催の国連FAO第20回総会に出席のためハノイを出発。
DIA-201-1979-11-10-3ベトナム1979年11月10日1970年代グエン・タイン・レ党中央委対外副委員長は英国共産党第36回全国大会に出席。
DIA-201-1979-11-11-1ベトナム1979年11月11日1970年代ND紙:統計総局によると,同月5日現在,北部全域の秋稲収穫42万7000ha,植付の33%(昨年同期収獲29万3000haのみ)に達す。冬季作物裁培21万8532ha,(昨年同期14万1393ha),また南部全域の秋稲植付168万1000ha,計画の84.5%に達す。
DIA-201-1979-11-12-1ベトナム1979年11月12日1970年代財政省は,生産奨励と買入および市場管理などの各政策の実現について地方関係各機関へ指示。
DIA-201-1979-11-14-1ベトナム1979年11月14日1970年代ND紙:ギアビン省党委第2回大会で,同省の経済発展状況について次のような報告が行なわれた。食糧生産は76年に総生産量43万トン,78年に55万6000トンに増産,79年は天災による減収にも拘らず50万トンに達した。工業生産総額は76年比1979年38%増。現在省内国営企業62企業。80年の食糧生産目標60万トン,81年の目標65万トン。
DIA-201-1979-11-14-2ベトナム1979年11月14日1970年代(ブダペスト)ダオ対外貿易次官は,ハンガリー対外貿易次官と,両国の80年物資交換・支払い各議定書に署名。
DIA-201-1979-11-15-1ベトナム1979年11月15日1970年代外務省は国連総会のカンボジア情勢に関する決議を拒否する声明を発表。
DIA-201-1979-11-15-2ベトナム1979年11月15日1970年代商工会議所と日越貿易会の共催により,ハノイ市で日本の79年農機・工作機械展示会開催の参加会社は300社に達す。
DIA-201-1979-11-15-3ベトナム1979年11月15日1970年代ノルウェー国会は,ベトナムへの80年度援助計画総額5000万クローネを承認。
DIA-201-1979-11-16-1ベトナム1979年11月16日1970年代外務省スポークスマンは,バンコク駐在西側通信がタイ外務省の発言を引用して,最近ドン首相とクリアンサック・タイ首相の間でカンボジアの政治解決について重要な意見を交換したと報道したのに対し,事実無根であると否定。
DIA-201-1979-11-17-1ベトナム1979年11月17日1970年代(チラナ)ダオ対外貿易次官は,アルバニア対外貿易次官と,両国80年物資交換・支払い各議定書に署名。
DIA-201-1979-11-20-1ベトナム1979年11月20日1970年代ND紙:メコン・デルタ各省では現在までに,農機所有者の農業機械295集団を組織,集団化機械数は,大型トラクター4826台(そのうち使用可能4000台以上),小型トラクター(2輪)9000台(そのうち使用可能8000台),各モーター類(4~12馬力)20万4000台,ポンプ類16万5000台。
DIA-201-1979-11-20-2ベトナム1979年11月20日1970年代人民日報と新華社の評論員は,ベトナム外務省の10.4付中越関係白書を論評。
DIA-201-1979-11-21-1ベトナム1979年11月21日1970年代国際新聞記者機構(OIJ)実行委員会の19回総会ハノイで開催。
DIA-201-1979-11-21-2ベトナム1979年11月21日1970年代レ・クアン・ダオ(中将)党中央委書記はルーマニア党全国大会に出席中,同国議長と会談。
DIA-201-1979-11-21-3ベトナム1979年11月21日1970年代トン・ドク・タン大統領は児童保護と教育についての法令に署名。
DIA-201-1979-11-22-1ベトナム1979年11月22日1970年代(北京)第14回中越外務次官級会談。
DIA-201-1979-11-23-1ベトナム1979年11月23日1970年代農業省代表にエングルンド国連発展計画(PNUD)ハノイ常駐代表と,病虫害からの作物保護についての国連の技術援助計画に署名。また22日国連設備基金(FENU)代表とクアンナム=ダナン省のフーニン灌漑・発電建設工事への国連援助計画に署名。
DIA-201-1979-11-26-1ベトナム1979年11月26日1970年代(ハノイ)ギ副首相はロフリチェフ・チェコ副首相と,経済・技術協力議定書に署名。
DIA-201-1979-11-27-1ベトナム1979年11月27日1970年代ND紙:北部6省と都市の各合作社社員は,国家から冬季雑穀栽培のため2万2000haを借用。
DIA-201-1979-11-28-1ベトナム1979年11月28日1970年代ベトナム社会党第4回全国大会開催-60年の第3回大会以来19年ぶり。
DIA-201-1979-11-28-2ベトナム1979年11月28日1970年代外務省スポークスマン声明,インドネシアが,ベトナムと線引きについて交渉中の大陸棚地区で国際入札を行なったことに抗議。
DIA-201-1979-11-28-3ベトナム1979年11月28日1970年代ND紙:ノルウェーとの経済協力計画により,ベトナム石油・天然ガス総局の注文で建造されたひき船が進水。
DIA-201-1979-11-28-4ベトナム1979年11月28日1970年代外務省スポークスマン声明,最近中国当局が西沙群島附近の領空に4つの危険地区を設置したのを拒否。
DIA-201-1979-11-28-5ベトナム1979年11月28日1970年代(モスクワ)ダオ対外貿易次官はソ連対外貿易次官と,両国の80年度の物資交換・支払い各議定書に署名,ソ連から供給される商品と物資に対する清算資金は優遇条件で借款供与。ソ連はベトナムへ食糧,石油とガソリン,肥料,綿花,金属製品,綿製品,薬品,その他消費品,車両,設備とその附属部品を供給,ベトナムからは熱帯農産物,軽工業品,美術民芸品を輸出。
DIA-201-1979-11-29-1ベトナム1979年11月29日1970年代ND紙:ダクラク省党委第8回大会開催。省内の経済開発に関する報告。解放後,開墾地5万haを含め現在農作地9万ha。食糧生産量は76年7万5000トン,78年16万1000トン。国営系17農場。集団系の合作社114社,350生産集団,集団加入の農民数は93%に達す。
DIA-201-1979-11-30-1ベトナム1979年11月30日1970年代設備輸入・技術交換総公司はアジア開銀の資金を使ってホー市内の送電・配電建設資材と設備購入のため,国際入札会を開催。仏,インド,日本など8会社が参加。
DIA-201-1979-12-01-1ベトナム1979年12月01日1970年代モンゴル党・政府代表団(団長バトムンフ首相),訪越-3日友好・協力条約,共同声明,無償援助協定,領事協定などに調印。
DIA-201-1979-12-03-1ベトナム1979年12月03日1970年代ND紙:ドンタプ省では解放前,個人所有大型トラクター(26馬力)600台,脱穀機械1000台,ポンプ2400台,その他農機850台であったが,現在集団化運動で61集団が成立,集団化大型機械529台,集団加入者1630人,そのうち機械所有者403人。
DIA-201-1979-12-03-2ベトナム1979年12月03日1970年代ND紙:ジャライ=コントム省の経済発展と食糧生産の状況は,少数民族の定着運動で100地点を設置,1地点の規模300~500ha。生産集団933と農業合作社41を設立。少数民族総人口の65%がそれらの集団と合作社に加入。75年に新開墾1万7000ha,78年に7万ha,79年に5万ha。食糧生産は11万5896トンから19万4600トンに増加。
DIA-201-1979-12-04-1ベトナム1979年12月04日1970年代タック国務相,国連総会議長あてに,中国の対ベトナム戦争犯罪についての提訴文書を送付。
DIA-201-1979-12-05-1ベトナム1979年12月05日1970年代政府閣議,山岳国境と各群島駐在の工作従事幹部に対する特別待遇法令を決定。
DIA-201-1979-12-05-2ベトナム1979年12月05日1970年代ND紙:タイビン省党委大会で発表された同省の経済発展についての報告によれば,同省は,今までの純農業生産の省から工業と小工業・手工業も発展し,これらは工農業の総生産額の27%を占め,人口1人当りの年間小・手工業による収入は30ドンに達す。
DIA-201-1979-12-06-1ベトナム1979年12月06日1970年代ND紙:ハナムニン省党委の大会で発表された報告によれば,同省の冬季栽培の面積は76年と比べ79年に3倍増。工業(小工業と手工業を含む)の生産総額は77~79年は74~76年と比べ31%増。また79年の輸出総額は5300万ドンに達し,76年と比べ500万ドン増。
DIA-201-1979-12-06-2ベトナム1979年12月06日1970年代ND紙:ハノイ市近郊で外交団専用住宅の5階建6建物を完成。
DIA-201-1979-12-06-3ベトナム1979年12月06日1970年代(ハノイ)ホアン・ゴク・ズエ民間航空総局長はスイスの駐ハノイ大使と,両国民間航空協定に調印。
DIA-201-1979-12-07-1ベトナム1979年12月07日1970年代ND紙:党中央委書記局は1年間の党員審査 の後,新党員の身分証明書の発給を決定。
DIA-201-1979-12-07-2ベトナム1979年12月07日1970年代ND紙:ハソンビン,タイビン・ハイフン3省は秋季と年間の食糧納入(納税と売却)の義務を完遂。
DIA-201-1979-12-07-3ベトナム1979年12月07日1970年代(ベルリン)東独と80年海運協力議定書調印。
DIA-201-1979-12-10-1ベトナム1979年12月10日1970年代ND紙は“南部農業合作社の方向をしっかり掌握”と題する社説を掲載,1年間以上の集団化運動により,中部各省では合作社1398社,生産集団3400団を設立。農地の集団化面積は総面積の82%を占める。生産集団は実際には小規模合作社である。また南部では合作型がまだ試験段階に過ぎない。重点は生産集団の形成で,1万3000集団を組織したが,実際の団体生産は7000単位だけ。
DIA-201-1979-12-10-2ベトナム1979年12月10日1970年代ドン首相,かんばつ対策を指令。
DIA-201-1979-12-12-1ベトナム1979年12月12日1970年代ND紙:北部の盆地地帯に属するハバク省は長年の食糧不足状態を解消するため,雑穀栽培の拡大運動を展開。77年と比べ78年の雑穀栽培は31%増,同年の1人当り食糧生産313.7kg。
DIA-201-1979-12-12-2ベトナム1979年12月12日1970年代外務省は中国大使館を通じて,中国当局のベトナム領海・領空侵犯,漁船への発砲事件について非難の覚書を送る。
DIA-201-1979-12-13-1ベトナム1979年12月13日1970年代外務省スポークスマンは,中国当局と外国石油会社が,トンキン湾と西沙群島附近で石油開発調査協定を締結したことについて声明を発表。ベトナム領海内での調査活動はベトナム国家主権を侵犯するものと警告。
DIA-201-1979-12-13-2ベトナム1979年12月13日1970年代ダイ対外貿易次官はハバナでガルシア・キューバ対外貿易次官と,両国の1980年の物資交換・支払い協定に調印。
DIA-201-1979-12-13-3ベトナム1979年12月13日1970年代ファム・ディン・ソン林業次官はハノイでエングルン世界食糧計画ハノイ駐在代表と,ビンチチエンとクアンナム=ダナン両省の植林計画への援助協定に調印。食糧援助総額(80~81年)740万6000ドル。
DIA-201-1979-12-13-4ベトナム1979年12月13日1970年代対外貿易省直轄設備・技術交換総局はホー市内の配水施設の工程建設のため,アジア開銀の長期借款資金を使用,同建設資材などの購入のための入札会を開く。入札に参加したのは仏,日本,シンガポール3ヵ国の7会社。
DIA-201-1979-12-18-1ベトナム1979年12月18日1970年代ND紙:クアンナム=ダナン省党委は第12回党代表大会を開催。同省の経済発展と農業改造についての報告によれば,79年の耕作面積13万2500ha,77年より25.4%増。食糧総生産量46万トン,77年より60.3%増。同省の平原と盆地の両地帯の農業改造は基本的に完成。農業合作社235を設立,農業労働者の97.8%を吸収,集団化面積92.2%に達す。小工業と手工業の総生産額は79年約2億4000万ドン,工農生産の56%を占める。
DIA-201-1979-12-18-2ベトナム1979年12月18日1970年代キューバ軍代表団(団長グアドラド国防次官兼海軍司令官),ハノイを訪問。
DIA-201-1979-12-19-1ベトナム1979年12月19日1970年代外務省スポークスマンはASEAN外相会議の14日付共同コミュニケに反論する声明を発表。
DIA-201-1979-12-19-2ベトナム1979年12月19日1970年代(北京)第15回中越外務次官級会談。
DIA-201-1979-12-20-1ベトナム1979年12月20日1970年代ソ連軍事代表団,ハノイに到着-団長ゴルシコフ国防次官兼海軍総司令官,団員プラモフ防空副司令官,エザルズニン極東軍区政治主任,コザロフ海軍省官房長官,ミトロファノフ同太平洋艦隊参謀部員。
DIA-201-1979-12-20-2ベトナム1979年12月20日1970年代ダイ対外貿易次官はポーランド対外貿易次官と両国の80年物資交換・支払い協定に調印。
DIA-201-1979-12-21-1ベトナム1979年12月21日1970年代ND紙は,スター・リン生誕100周年記念に当り,同氏の晩年の誤りを認めながらも,社会主義と共産主義の運動に対する功績と事業を称賛する論文を掲載。同時にブ・ソ連共産党書記長も称賛。
DIA-201-1979-12-21-2ベトナム1979年12月21日1970年代(プラハ)ホン・トワン・ワン職業訓練総局長はチェコ労働・社会相と,チェコ留学中の技術工員の程度向上協定に調印。
DIA-201-1979-12-22-1ベトナム1979年12月22日1970年代党中央軍事委は人民軍創立35周年記念式典を開催-ソ連をはじめキューバ,ラオス,カンボジア軍首脳代表団も参加。
DIA-201-1979-12-24-1ベトナム1979年12月24日1970年代(ソフィア)ブルガリアとの友好協力条約批准書交換。(9月29日参照)
DIA-201-1979-12-24-2ベトナム1979年12月24日1970年代国会第6期第6回総会開幕-25日,ギ副首相は80年国家計画を発表。29日閉幕。
DIA-201-1979-12-28-1ベトナム1979年12月28日1970年代財政省直轄保険公司と民間航空総局代表は,80年1月1日から航空機上の荷物保険についての合意書に署名。ベトナム人,外国人とも国内航空の荷物保険を実施。
DIA-201-1979-12-31-1ベトナム1979年12月31日1970年代ND紙:私営商業改造中央委はホー市で全体会議を開く。今までの改造成果の検討,今後の改造方向を討議。ド・ムオイ副首相兼同委員長も出席。
DIA-201-1979-12-31-2ベトナム1979年12月31日1970年代チン外相,アフガニスタンのモハマド・ドスト新外相就任に祝賀メッセージ。 カンボジア