ID 国名 日付 年代 内容
DIA-201-1970-01-02-3北ベトナム1970年01月02日1970年代ゴ・ツエン新大使,薫必武中国国家副主席に信任状を提出。
DIA-201-1970-01-08-5北ベトナム1970年01月08日1970年代国際監視委員会のインド代表ハノイに来訪の際,ドン首相とチャンサム国防次官と会談。
DIA-201-1970-01-09-3北ベトナム1970年01月09日1970年代アルジェリアと貿易支払協定調印。ファン・アン対外貿易相アルジェリア訪問。
DIA-201-1970-01-13-1北ベトナム1970年01月13日1970年代スウェーデン政府北ベトナムに借款供与-1970年度から3年間に総額2億2500万クローナ(約162億円)の長期借款を与えると発表。
DIA-201-1970-01-16-2北ベトナム1970年01月16日1970年代チェコ政府,繊維研究所の装置を供与
DIA-201-1970-01-19-4北ベトナム1970年01月19日1970年代外交部,17日のB52によるフォンラップ村の爆撃に対して抗議。
DIA-201-1970-01-20-5北ベトナム1970年01月20日1970年代ハノイの新聞ニクソン政権の1周年に論評-ニクソン大統領就任1周年に当たりハノイの各新聞はベトナムにおける米国の犯罪とニクソンの政策に対する論評を一斉に掲載した。要旨次のとおり。 (1) 昨年,南ベトナム各地に米軍が散布した化学性毒薬によって28万5000人が中毒にかかり,500人が死亡,90万5000ヘクタールの水田と畑が破壊された。 (2) 昨年1年間に南ベトナムに投下された爆弾は,合計120万トンにも達した。
DIA-201-1970-01-21-2北ベトナム1970年01月21日1970年代ドン首相米大統領と会談の意向-米実業家イートン氏はハノイ訪問後,ナションナル・プレス・クラブで演説を行なった。要旨次のとおり。 (1) ファム・バン・ドン首相は戦争解決を話合うため,どこか中立的な場所でニクソン大統領と会うつもりがあると確信する。 (2) いまから60日以内に10万の米軍を引揚げる旨を発表するならば,諸問題はすべて迅速に解決することが可能となろう。 (3) ハノイの当局者と話合ったところでは,平和実現を妨げている最大の障害は,米国が口では戦争をやめたいといいながら,戦争を続ける準備をしているとハノイ側が信じ込んでいることにある。
DIA-201-1970-01-21-3北ベトナム1970年01月21日1970年代ブーチェン駐ラオス北ベトナム代理大使は米人捕虜の氏名を公表する必要はないと強調した。
DIA-201-1970-01-24-2北ベトナム1970年01月24日1970年代労働党機関紙ニヤンザン,パリ会談1周年を迎えるに当たり評論員の論文を発表-同論文の要旨は次のとおり。 (1) 現在の会談の行詰まりは完全に米国の責任である。 (2) ベトナム民主共和国(北ベトナム)と南の革命政府の両代表はベトナム問題を平和的に解決する希望を(米側に)説明した。合意の基礎はベトナム人民の基本的,民族的権利の尊重,南ベトナム人民の自決権の保証である。 (3) ベトナム民主共和国と南の革命政府の両代表は世界の広範な世論の支持をかち得ている。その原則的立場,まじめな態度,善意を堅持して,今後も10項目の提案を基礎とする南ベトナム問題の正しい政治的解決のための闘争を続けるだろう。
DIA-201-1970-01-27-1北ベトナム1970年01月27日1970年代ハンガリー人民軍総参謀長,ハノイ訪問。
DIA-201-1970-01-27-2北ベトナム1970年01月27日1970年代インドに祝電-トン・ドク・タン大統領,ファム・バン・ドン首相は,インドの建国記念日を祝してギリ大統領,ガンジー首相に祝電を送り,両国の友好関係の強化発展を祈った。
DIA-201-1970-01-27-3北ベトナム1970年01月27日1970年代モンゴル,70年度無償経済軍事援助供与を決定。
DIA-201-1970-01-29-2北ベトナム1970年01月29日1970年代レ・ドク・ト,パリ会談首席代表顧問パリに帰任。
DIA-201-1970-01-29-3北ベトナム1970年01月29日1970年代セネガルと大使級外交関係樹立-南ベトナムとの関係は継続。南北ベトナムと同時に外交関係を結んでいる国はほかにラオス,スウェーデン(大使級),インド,ビルマ(総領事館)がある。
DIA-201-1970-01-30-3北ベトナム1970年01月30日1970年代マヌエル・カサノバ,キューバ大使信任状奉呈。
DIA-201-1970-01-30-4北ベトナム1970年01月30日1970年代米軍当局は北爆全面停止後,北ベトナム上空で米軍機8機が撃墜されたと発表。
DIA-201-1970-02-01-3北ベトナム1970年02月01日1970年代政府貿易代表団シリア訪問-ファン・アン対外貿易相を団長とする北ベトナム政府貿易代表団は,シリアでアタッシ大統領,経済,外国貿易,外務,石油,電力,工業各相を訪問,1月30日にはカダム経済・外国貿易相を団長とするシリア貿易代表団と正式会談を行なった。
DIA-201-1970-02-02-1北ベトナム1970年02月02日1970年代労働党創立40周年記念-労働党中央委員会と祖国戦線中央委員会は労働党創立40周年を記念する集会を開いた。レ・ジュアン労働党中央委第1書記は同集会で演説を行ない「現在のベトナム革命のさし迫った任務は米侵略者に完全に勝利し,南ベトナムを解放し,北ベトナム社会主義を守り,祖国の平和的統一に向かって前進することである。何十年もたえまなく戦闘を続けてきたベトナム人民は心から平和を望んでいる。しかし米帝国主義がかたくなにベトナム人民の基本的な民族権利を認めない限り,われわれはかれらを一人残らず追払うまで戦い続けなければならない。われわれは米国が侵略の野心を捨て,わが人民の主権とわが国の領土保全を尊重し,南ベトナムから米軍を一人残らず引揚げて帰国させるまで,今後さらに何年でもたたかう準備をしなければならない」と述べた。
DIA-201-1970-02-06-1北ベトナム1970年02月06日1970年代レ・ドク・ト政治局員,フランス共産党創立50周年記念に出席。
DIA-201-1970-02-06-2北ベトナム1970年02月06日1970年代タス通信の伝えるところによると,ソ連の航空技師団は北ベトナムを援助するため,ハノイに到着した。
DIA-201-1970-02-10-3北ベトナム1970年02月10日1970年代ハノイは中国の侵略に抵抗した18世紀(1789年頃)のドンダ作戦の大勝利記念式典を行なった。
DIA-201-1970-02-13-2北ベトナム1970年02月13日1970年代ソ連外務省代表団訪問-N.P.フィリュービン外務次官を団長とするソ連外務省代表団は,外交部の招待による友好訪問のため13日ハノイ着。
DIA-201-1970-02-14-3北ベトナム1970年02月14日1970年代ボー・グエン・ザプ国防相は南ベトナム人民解放武装勢力統一9周年記念日(2月15日)にあたって,南の革命政府のチャン・ナム・チュン国防相に祝電を送り次のように述べた。 南ベトナム人民解放武装勢力は全人民とともに今世紀の最も凶暴な侵略者米帝国主義者に打ち勝ち,わがベトナム民族の外国の侵略に反対する歴史にきわめて輝しい数ページを書きしるした。南ベトナムの武装勢力と人民は解放戦線と革命政府の光栄ある旗の下に必ず勝利のうちに前進し,総攻撃と一斉決起を推し進めて,完全な勝利まで抗米救国の抵抗戦争を堅持し進めるであろう。
DIA-201-1970-02-16-2北ベトナム1970年02月16日1970年代ドン首相,1970年は勝利の年と強調-ファム・バン・ドン首相は17度線すぐ北のビンリン地区を訪問したさい,演説し,ベトナムは「限りなく続く」戦争に耐えなければならないと,次のように述べた。 (1) 米侵略者とその手先をわれわれの国から一掃し,南を解放し,民族革命を完成し,国の平和的再統一に向かって前進するため「最後の勝利まで」戦う北ベトナム国民の決意を称賛する。 (2) 1970年は最後の勝利へ向かっての前進のため好ましい条件をつくり出すきわめて偉大な勝利の年となろう。
DIA-201-1970-02-16-3北ベトナム1970年02月16日1970年代軽工業部門,生産計画を討議-軽工業部門は最近会議を開き,昨年度の業績を総括し,今年度の生産計画の方向,任務を討議した。 70年度は軽工業,食品工業が消費物資の量を69年度より15%増加するよう努力することに決定した。 軽工業部門は,資本蓄積面で69年生産計画を達成し,労働者1人あたりの労働の能率は,68年に比して4%増加し,生産コストは0.3%引下げられる。
DIA-201-1970-02-17-2北ベトナム1970年02月17日1970年代1970年度の建設任務を重視-レ・タン・ギ副首相は69年度の建設事業をふり返り,70年度の基本建設目標達成への道を次のように強調した。 基本建設計画を早期に実現させる方向に向かわねばならない。 兄弟諸国から提供される資材,技術設備を十二分に活用するだけでなく,原料,資材の生産力を高め,節約精神を発揮する。 技術的,専門的知識を一層改善し,労働規律を強化し,1日8時間労働し,でき高払い制度の実行を促進することが必要である。
DIA-201-1970-02-17-3北ベトナム1970年02月17日1970年代ビンフー省の軍隊と人民,米軍の無人偵察機1機を撃墜。
DIA-201-1970-02-18-3北ベトナム1970年02月18日1970年代AP通信社の米国人記者に入国許可。
DIA-201-1970-02-19-6北ベトナム1970年02月19日1970年代日本の農業協同組合の貿易窓口となる組合貿易(真坂武夫社長)は北ベトナム貿易拡大のため,同国の商工会議所の招請に応じて係員の派遣を決定。北ベトナム貿易は燐灰石,肥料など30億円を輸入した実績があるが,今回燐灰石輸入商談のほかに,①日本からの農業機械,化学肥料の輸出,②北ベトナムにおける飼料の開発輸入の可能性などベトナム戦後の北ベトナム貿易をひろく展望したアプローチを試みる方針である。したがって,北ベトナムの産業復興計画に対しても,農業協同組合の特色を生かした技術協力など幅広い接近も考えられている。
DIA-201-1970-03-01-1北ベトナム1970年03月01日1970年代ニャンザン紙,インドシナ3国の団結強化を強調-労働党機関紙ニヤンザンはインドシナ人民会議5周年記念日に当たって社説を発表し,ベトナム,ラオス,カンボジア人民が過去5年間にかちとった大きな勝利と3国人民の堅い団結の意義を強調した。
DIA-201-1970-03-04-1北ベトナム1970年03月04日1970年代アレクサンドロフ・ソ連電力エネルギー第1次官ハノイに来訪。
DIA-201-1970-03-04-2北ベトナム1970年03月04日1970年代再建用機械満載の外国船,ハイフォン港にぞくぞく入港-ダニエル・デ・ルースAP特派員はハノイ滞在中,ハイフォン港に来訪したが,同氏の伝えるところによると,同港は,ベトナム第1の港として,ほとんど目の届く限り外国船で埋まっている。新しいトラクター,クレーン,ブルドーザー,ローラーなど,爆撃で大穴のあいた道路やくずれた橋を補修するのに使う大型機械,物資流通網の再建に使う大小さまざまのトラック,疎開した工場に送る発電機,機械工具など,北ベトナムの産業活動の維持に必要なあらゆるものを,これら外国船が運んでいる。これら機械の製造国と輸送国はソ連,中国,東独,ルーマニア,チェコ,ポーランドが多く,また社会主義諸国以外ではフランスが一番活動しているようである。
DIA-201-1970-03-06-2北ベトナム1970年03月06日1970年代米軍捕虜の家族と文通を許可-郵政当局は,捕虜になっている約320人の米軍飛行士が本国の家族と文通することを許可した。
DIA-201-1970-03-07-5北ベトナム1970年03月07日1970年代米軍捕虜リストを発表-スウェーデン外務省スポークスマンは,ベトナム政府から抑留中の米軍飛行士14人のリストを受取ったことを明らかにした。
DIA-201-1970-03-10-2北ベトナム1970年03月10日1970年代チン外相,AP通信記者に米国が全軍撤退を約束すれば南ベトナムでの戦闘をやめると伝える-ダニエルAP特派員が,グエン・ズイ・チン外相と単独会見を行なった際,同外相は「いま米国が将来,南ベトナムからすべての米軍,同盟軍を撤退させると約束する用意があるなら,われわれベトナム人軍隊は南ベトナムでの戦闘の全面的中止に喜んで同意するだろう」と述べた。
DIA-201-1970-03-11-2北ベトナム1970年03月11日1970年代青少年組織にホー・チ・ミンの名称を与える-ベトナム労働党中央委員会は,ベトナム労働青年同盟を今後ホー・チ・ミン労働青年同盟とし,ベトナム少年先鋒隊をホー・チ・ミン少年先鋒隊,ベトナム児童隊をホー・チ・ミン児童隊と呼ぶことに決定した。
DIA-201-1970-03-13-1北ベトナム1970年03月13日1970年代米政府は米上院外交委員会に対して,1964年8月のトンキン湾決議を撤回するとの議会の決議に賛成も反対もしないと通告した。
DIA-201-1970-03-14-2北ベトナム1970年03月14日1970年代レ・スアン・タイ国営農場部次官の発表によると,1969年の国営農場の生産実績は1968年より,1.63%増加した。また1970年には全国営農場の機械化と電化の計画を実現する予定である。
DIA-201-1970-03-14-3北ベトナム1970年03月14日1970年代ベトナムと中国との間で1970年度の科学技術協力計画議定書に調印。
DIA-201-1970-03-16-4北ベトナム1970年03月16日1970年代西独労働青年同盟代表団,友好訪問のためハノイに到着。
DIA-201-1970-03-18-2北ベトナム1970年03月18日1970年代領空侵犯の米軍無人偵察機1機を撃墜。
DIA-201-1970-03-21-3北ベトナム1970年03月21日1970年代スウェーデンの社会民主党書記長,国際問題担当書記局員,ベトナムを訪問。
DIA-201-1970-03-23-2北ベトナム1970年03月23日1970年代ハンガリーと70~71年度の科学技術協力協定に調印。
DIA-201-1970-03-24-3北ベトナム1970年03月24日1970年代食品工業企業体の設備提供-ソ連は4つの食品工業企業体の設備を提供。またソ連は協定に基づいて技術協力も行なっており,設計,専門家の養成も引受けている。
DIA-201-1970-03-25-1北ベトナム1970年03月25日1970年代外交部,カンボジア人民の愛国闘争を支持-カンボジアの解放は,カンボジア人民の事業であるという原則から出発して,ベトナム政府は,シアヌーク元首の3月23日の5項目の宣言を全面的に支持し,ベトナム人民は相互の尊重と連帯および相互援助の精神に基づいてこの正義の闘争を最後の勝利まで全力をあげて支持する。
DIA-201-1970-03-28-2北ベトナム1970年03月28日1970年代アラファト・パレスチナ解放機構一行ハノイに来訪。
DIA-201-1970-03-28-3北ベトナム1970年03月28日1970年代プノンペン駐在のベトナム民主共和国政府と南ベトナム革命政府の両大使館員,通商事務所員,ベトナム通信社の特派員など28人はハノイに帰着した。
DIA-201-1970-03-30-1北ベトナム1970年03月30日1970年代チェコの特派員がハイフォン港の状況について次のように報告。「現在,ソ連,ポーランドなど共産圏の船をのぞいてはフランス,ホンコンの英国船およびギリシャ船が入港している。ハノイからハイフォンへの途中セメント工場がある。米軍の爆撃で破壊されたが,現在復旧され,生産をはじめている。同工場の生産は国内消費に向けられるだけでなく,輸出もされている。またハイフォンの他の工場も復旧された」
DIA-201-1970-04-01-2北ベトナム1970年04月01日1970年代サイゴン米軍司令部は,北ベトナム上空で米軍F4ファントム型機1機が撃墜されたと発表。
DIA-201-1970-04-02-5北ベトナム1970年04月02日1970年代レアード米国防長官は,北側が米軍攻撃を強化すれば,北爆再開ありうると言明。
DIA-201-1970-04-05-2北ベトナム1970年04月05日1970年代祖国戦線中央委員会,カンボジアの反米闘争を決議-祖国戦線中央委員会は最近ハノイで同戦線のこれまでの活動状況を総括し,当面の任務を決定するため,トン・ドク・タン中央委議長(大統領)の司会の下で第19回拡大会議を開いた。同大会で次の4つの決議が採択された。 (1) 南部支援のため,全力をあげること。 (2) 生産性を高めて増産を実現すること。 (3) 集団的な国家の一員であるとの自覚をもって社会主義的民主主義の発展運動に積極的に参加すること。 (4) カンボジア,ラオス人民の反米闘争を断固支持し,国際舞台での活動を強化すること。
DIA-201-1970-04-07-3北ベトナム1970年04月07日1970年代レ・ダン・ギ副首相は農業生産の責任者の大会に出席し,次のような演説を行なった。 過去4年の農業生産状況を分析-1966年からの4年間に,米帝国主義者の破壊戦争,寒波および洪水の害があったが,農業生産は順調に発展し,偉大な前線へ補給できるようになった。わが人民は戦闘と生産を遂行している。農業,畜産業などは計画目標を達成するだけでなく,それ以上の生産をあげている。
DIA-201-1970-04-09-1北ベトナム1970年04月09日1970年代ソ連からの援助-モスクワ放送によると,今年になってから北ベトナムの港に60隻のソ連船が入り,工業用の機械設備,食糧品などを供給した。 また,ソ連専門家の参加の下で200以上の工農施設が建設されるかまたは建設中である。
DIA-201-1970-04-11-1北ベトナム1970年04月11日1970年代ハイフォン市軍民は米軍の無人偵察機1機を撃墜。
DIA-201-1970-04-11-2北ベトナム1970年04月11日1970年代社会主義的な集団制による手工芸組合2000組合が成立した。
DIA-201-1970-04-12-2北ベトナム1970年04月12日1970年代外交部,カンボジア人によるベトナム系住民の虐殺を非難。
DIA-201-1970-04-13-4北ベトナム1970年04月13日1970年代米国知識分子の代表団,ハノイを訪問。同代表団のメンバーはNoam Chomskyマサチューセッツ工科大学教授Douglas Dowdコーネル大学経済学教授など4人である。
DIA-201-1970-04-13-5北ベトナム1970年04月13日1970年代ライチアウ省労働党大会開催。
DIA-201-1970-04-16-3北ベトナム1970年04月16日1970年代北ベトナムの南端ビンリン地区人民軍は同地区西部上空に侵入した米偵察機1機を撃墜。
DIA-201-1970-04-18-2北ベトナム1970年04月18日1970年代レ・ジュアン第1書記訪ソ-レ・ソユアン第1書記を団長とするベトナム労働党代表団がレーニン生誕百周年記念祝賀式典に出席するため,ハノイからモスクワへ向け出発した。
DIA-201-1970-04-19-2北ベトナム1970年04月19日1970年代ドン首相,ホー大統領生誕80周年記念集会でインドシナの持久戦を強調 (1) ベトナム人民の抗米救国のレジスタンスは国際的意義を持つ革命闘争である。この革命闘争を遂行するため,ホー大統領とわが党はわれわれを完全な勝利に導く戦略を適用した。 (2) この戦略は,敵に打撃を加えることを決意している数百万人の力をよりどころとした攻勢の戦略である。同時にこの戦略は持久的な長期にわたる不屈の徹底的闘争の戦略である。
DIA-201-1970-04-21-1北ベトナム1970年04月21日1970年代チュオン・チン国会常務委員長,すでにインドシナ統一戦線が結成されたと言明-チュオン・チン国会議長はハノイで開かれたレーニン生誕百周年を祝う労働党中央委員会,祖国戦線中央委員会などの合同記念大会で演説し,「ベトナム,カンボジア,ラオスの独立主権,統一を守るためインドシナ3国人民の抗米統一戦線が結成された」と述べた。
DIA-201-1970-04-21-2北ベトナム1970年04月21日1970年代レ・ジュアン第1書記モスクワで社会主義の団結を訴える-レ・ジュアン第1書記はレーニン生誕百年祭で演説を行ない「反帝闘争を成功裡に遂行するためには,マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義を基礎に,社会主義諸国および兄弟党が団結と統一を回復し強化することが必要である」と訴えた。
DIA-201-1970-04-22-2北ベトナム1970年04月22日1970年代パリの外交筋が語ったところによると,北ベトナムはフランスのインドシナ問題に関する国際会議の提案を拒否する態度をとっている。また同筋は,ソ連のマリク国連大使が先に同提案を受け入れるとの発言をその後撤回したのも北ベトナムの圧力によるものと述べた。
DIA-201-1970-04-22-3北ベトナム1970年04月22日1970年代北ベトナム雑品輸入総公司(POCONTAD)は繊維第2次製品の委託加工について,第一通商,三進交易など友好商社との間で話合いを進めている。日本から原糸を輸出,それを現地で製品化して輸入しようというものである。繊維2次製品の海外での委託加工は日本国内での人手不足,加工賃の上昇などから目立って活発になってきているが,共産圏で試みるのは初めて。北ベトナム側では対日貿易拡大のための具体的手段として前から提案していたものである。
DIA-201-1970-04-24-3北ベトナム1970年04月24日1970年代ブレジネフ・ソ連共産党第1書記はレ・ジュアン第1書記と会談。
DIA-201-1970-04-25-3北ベトナム1970年04月25日1970年代ニャンザン紙,ジャカルタで開かれたアジア会議を非難-ニャンザン紙はインドネシアの提唱でジャカルタで開催されたカンボジア問題についてのアジア会議に対してつぎのように論評した。 (1) インドネシアのカンボジアに対する態度やこの会議に招かれる諸国の国名などから判断すれば,この会議がインドシナ人民に敵対する性格のものであることは明らかである。 (2) 3月18日のロン・ノル,マタク一味のクーデターとその後の事態の背後には米帝国主義があり,ロン・ノル,マタク一味はインドシナ人民をインドシナ人民と戦わせるという米帝国主義のたくらみに奉仕している。 (3) こうした明白な事実にもかかわらず,マリク(インドネシア)外相は米帝国主義の干渉と侵略行為には一言もふれずに会議を呼びかけ「カンボジアにいる北ベトナムとベトコン軍が撤退することが重要だ」と米,ロン・ノル,マタク一味と調子を合わせている。 (4) 会議に招かれることになっている日本,タイ,フィリピン,オーストラリア,ニュージーランド,マレーシアなどの諸国の当局者は米国のベトナム侵略戦争の支持者,ロン・ノル,マタク一味の共犯者であり,クメール人民およびインドシナ人民の愛国闘争に敵対的な態度をとってきている。この会議にサイゴンかいらい政権まで招かれるということが,インドネシア当局の悪意をいっそう明白なものにしている。
DIA-201-1970-05-01-1北ベトナム1970年05月01日1970年代ドン首相はメーデーの集会で演説し,「米帝がどんな態度に出ても,われわれの回答はただ一つ,インドシナ人民会議に代表される人民統一戦線を中心とした統一と団結および勝利だ」と断言した。
DIA-201-1970-05-02-2北ベトナム1970年05月02日1970年代米軍機約100機,北ベトナム19度線付近を激しく爆撃。
DIA-201-1970-05-02-3北ベトナム1970年05月02日1970年代ベトナム民主共和国政府声明-声明は「ニクソン米大統領が4月30日の演説で米地上軍のカンボジア領土侵攻命令を発したことを激しく非難し,米国が,ベトナム,ラオス,カンボジアを侵略するならば3国人民はインドシナ人民首脳会議の歴史的な呼びかけを実行して,さらに団結を強め,インドシナ半島から米侵略者を1人残らず追払い完全な勝利をかちとるまで断固として戦闘を推し進めるだろう」と述べた。
DIA-201-1970-05-02-4北ベトナム1970年05月02日1970年代レアード米国防長官,北軍の浸透激化すれば北爆全面再開ありうると警告-レアード国防長官は現在自衛の目的で北ベトナムの南端だけを爆撃しているが,もし北軍が非武装地帯に浸透を激化すれば,北爆を全面再開するかもしれないと警告した。
DIA-201-1970-05-03-2北ベトナム1970年05月03日1970年代労働党中央委,ホー大統領生誕80周年記念で戦闘への決意を高めるよう指示。
DIA-201-1970-05-04-2北ベトナム1970年05月04日1970年代ハノイ放送,レアード米国防長官の警告に屈せずと非難。
DIA-201-1970-05-05-9北ベトナム1970年05月05日1970年代人民軍最高司令部,米軍機15機を撃墜したと発表。
DIA-201-1970-05-06-1北ベトナム1970年05月06日1970年代シアヌーク殿下の王国民族団結政府を承認。 △米軍の北爆再開を理由に北ベトナムと革命政府の両代表は,パリ和平会談第66回をボイコット。
DIA-201-1970-05-09-3北ベトナム1970年05月09日1970年代ハノイ各紙,ウ・タント国連事務総長のインドシナに関する新国際会議の提案を拒否。
DIA-201-1970-05-09-4北ベトナム1970年05月09日1970年代ハノイ放送,日本の佐藤政府を非難-ハノイ放送は「米国の手先,佐藤一味の悪がしこい正体は日ましに明らかになっている」と放送。要旨は次のとおり。 佐藤政府はインドネシアが提唱したいわゆる「カンボジア問題についてのアジア会議」に積極的に参加することを明らかにした。世界の進歩的世論はこの会議がカンボジアに対する米国の干渉と侵略の陰謀をおおいかくし,これを合法化するための煙幕である。またカンボジアの内部問題に対する露骨な干渉であることをはっきりと指摘し,アジアの多くの国々はそのアジア会議の内幕が明らかであるので,同会議の参加を拒否した。佐藤政府は自らこの不法な陰謀の協力者となった。
DIA-201-1970-05-10-3北ベトナム1970年05月10日1970年代レ・ジュアン第1書記ソ連訪問の帰途北京を公式訪問。
DIA-201-1970-05-11-3北ベトナム1970年05月11日1970年代レ・ジュァン第1書記,毛,林をはじめ中国の党と政府首脳と会見。
DIA-201-1970-05-18-2北ベトナム1970年05月18日1970年代中国共産党,ホー大統領生誕80周年記念に祝電 (1) 革命闘争の伝統を持つベトナム人民がホー・チ・ミン大統領の教えを守り,持久戦争を堅持し独立,自主を堅持,自力更生を堅持し,英雄的なカンボジア人民,ラオス人民と緊密に団結し,お互いに支援し合い,共に戦い抜けば,米帝国主義が戦争拡大をもくろもうとも,反動派,修正主義者とその手先を利用しようとも,国連や国際会議を通じて干渉や破壊を企てようとも,米帝国主義とその手先の徹底的な失敗を救うことはできない。 (2) ベトナム,カンボジア,ラオス人民は米帝国主義をインドシナから全部追出し,民族の独立,解放を実現することが出来ると確信する。 (3) 7億中国人民はわれわれの偉大な指導者毛主席の教えを守り,ベトナム,カンボジア,ラオス人民の強固な後ろだてとなることを誓い,ベトナム,カンボジア,ラオス人民が抗米救国戦争に勝利するまで断固として支持する。
DIA-201-1970-05-25-2北ベトナム1970年05月25日1970年代中国の対ベトナム無償援助にかんする補足議定書にリ・バン対外貿易次官が調印。
DIA-201-1970-05-25-3北ベトナム1970年05月25日1970年代シアヌーク殿下ハノイ訪問。
DIA-201-1970-05-26-2北ベトナム1970年05月26日1970年代B52型機を含む米軍機の大編隊は非武装地帯の北側の村落を激しく爆撃した。
DIA-201-1970-05-28-3北ベトナム1970年05月28日1970年代チェコとの1970年度科学技術協力議定書に調印。
DIA-201-1970-06-01-2北ベトナム1970年06月01日1970年代ファム・バン・ドン首相,セイロンの新首相に祝電。
DIA-201-1970-06-01-3北ベトナム1970年06月01日1970年代カンボジアとあらゆる関係を断絶。
DIA-201-1970-06-08-2北ベトナム1970年06月08日1970年代ソマリアとの間に大使級の外交関係樹立に合意。
DIA-201-1970-06-11-4北ベトナム1970年06月11日1970年代ソ連との軍事経済の追加援助協定に調印-新協定はモスクワ訪問中の北ベトナム政府代表団(ギェム・バー・ドク対外貿易次官)とソ連政府当局者との交渉の結果,合意に達したものである。ソ連はこの協定に基づき,1970年中に北ベトナムに対し同国の国民経済と国防力の強化に必要な工業関係設備,その他の設備,日用品資材などを追加供与することになる。ソ連と北ベトナムは昨年10月にドン首相が訪ソしたさい,すでに1970年の無償経済,軍事援助の協定を結んでいるが,今度の追加援助の協定の理由として,米帝国主義が南ベトナムにおける侵略戦争を強化し,北ベトナムの一部地域への爆撃を行ない,ラオスでもエスカレーションを実施し,カンボジアで侵略戦争を進めていることを指摘している。
DIA-201-1970-06-12-2北ベトナム1970年06月12日1970年代ハノイ放送,ジャカルタ会議3国委員会を非難-ハノイ放送の評論員は,日本,インドネシアおよびマレーシアからなるジャカルタ会議3国委員会の活動を非難し,「3国委員会の活動はかれらが称するようなカンボジアの平和回復の道を求めるためのものでなく,米国のカンボジア侵略を隠し,不法なロン・ノル政権を合法化して,公然とカンボジアの内部問題に干渉し,カンボジア人民とインドシナ人民の抗米救国の闘争に敵対するというジャカルタでのアジア会議の腹黒い陰謀を実現するためである」と述べた。
DIA-201-1970-06-14-1北ベトナム1970年06月14日1970年代米の収穫高-統計局の発表によると,1970年6月10日現在米の収穫高は前年より30%増加。
DIA-201-1970-06-24-2北ベトナム1970年06月24日1970年代米上院はトンキン湾決議の廃案を多数で可決。
DIA-201-1970-06-24-3北ベトナム1970年06月24日1970年代セイロン政府,ベトナム民主共和国承認を宣言。
DIA-201-1970-06-29-1北ベトナム1970年06月29日1970年代スウェーデン政府はハノイに常設外交代表部を開くことを発表し,ニルソン外相の個人秘書で東南アジア政策担当のジャン・クリストフ・エーベリ氏を代表部首席に任命。代表部は7月開設の予定。北ベトナムはすでにストックホルムに大使館を置いている。
DIA-201-1970-07-01-3北ベトナム1970年07月01日1970年代ニャンザン紙,中国共産党創立49周年を祝う論文を発表-同論文の要旨次のとおり。 半世紀近くにわたる勝利の革命闘争を経て,中国は今日すでに強大な社会主義国となり,平和を守り,アジアと世界における米帝国主義の侵略と戦争の陰謀に反対する堅固なとりでとなり,各国人民の民族独立,平和,民主,社会主義をかちとる闘争にとって貴重な支持と激励になっている。これは敬愛する毛沢東主席をはじめとする光栄ある中国共産党と英雄的な中国人民の偉大な勝利である。これはまた,国際共産主義運動の共同の勝利でもある。ベトナム人民は兄弟の中国人民の偉大な勝利に限りない喜びを感じている。
DIA-201-1970-07-01-4北ベトナム1970年07月01日1970年代モンゴルとの1970年度文化協定に調印。
DIA-201-1970-07-02-6北ベトナム1970年07月02日1970年代統計局の発表によると,10月米の移植はクアンビン,ハジャン,トエンクアン,ラオカイ,ランソン諸省では6月末までに70~80%まで完了。
DIA-201-1970-07-04-3北ベトナム1970年07月04日1970年代米軍犯罪調査委員会,北爆の内容を発表-ベトナムの米軍犯罪調査委員会は1970年の上半期に米軍機がおこなった爆撃の内容を発表した。
DIA-201-1970-07-05-3北ベトナム1970年07月05日1970年代北ベトナム,米国にパリ会談進展の3条件を提示-北ベトナム駐在の外交筋がロンドンで明らかにしたところによると,北ベトナム側は米国が事前に基本的な3つの条件を受け入れた場合,パリ会談で米国のブルース新首席代表と本格的に和平交渉にはいる用意がある。その3つの条件は次のとおり。 (1) ベトナムから全米軍が完全かつ無条件に撤退する確固とした期日を示す。この期日はできるだけ早いこと。 (2) 米国は南ベトナムのチュー政権への支持を正式に撤回し同政権は辞任する。 (3) 和平交渉開始に当たり,米国は南ベトナム連立政府樹立の原則を認める。
DIA-201-1970-07-07-2北ベトナム1970年07月07日1970年代ポーランドと1970年度の文化協力協定に調印。協定の主要項目はテレビ塔の建設。
DIA-201-1970-07-07-3北ベトナム1970年07月07日1970年代ライチョウ省の各合作社の10月米の作付け面積は80%に達した。
DIA-201-1970-07-07-4北ベトナム1970年07月07日1970年代ランソン省では灌漑系統が完成したので昨年より米の作付け面積は5300ヘクタール増加。
DIA-201-1970-07-07-5北ベトナム1970年07月07日1970年代ニンビン省の各合作社の10月米の作付け面積は80%に達した。
DIA-201-1970-07-07-6北ベトナム1970年07月07日1970年代首相府の発表によると,現在北ベトナムには40種族,人口400万の山岳民族が住んでいる。
DIA-201-1970-07-07-7北ベトナム1970年07月07日1970年代インド紙の報道によると,ハノイを訪問したフィリュービン・ソ連外務次官は帰途ニューデリーに立ち寄り,インド外交官にインドシナ戦争に関するすべての勢力を集めた“ジュネーブ会議”形式の和平国際会議の開催交渉を打診した。
DIA-201-1970-07-15-2北ベトナム1970年07月15日1970年代ハーバク省チエンソン県の10月米作付け面積は前年より3.7%増加し,労働力は7.3%,生産は12%増加した。
DIA-201-1970-07-16-1北ベトナム1970年07月16日1970年代ホアン・バン・ホアン労働党中央委員会政治局員兼国会常務副委員長を団長とする国会代表団はアルバニアの首都チラナに到着。
DIA-201-1970-07-16-2北ベトナム1970年07月16日1970年代東ドイツと1970年度国防,経済援助協定に調印。
DIA-201-1970-07-16-3北ベトナム1970年07月16日1970年代セイロン政府,正式に北ベトナムを承認し外交関係を樹立。
DIA-201-1970-07-16-4北ベトナム1970年07月16日1970年代1970年の上半期に,ビンフー省タンバー県の肥料工場は月間1000トンの化学肥料を生産。
DIA-201-1970-07-19-4北ベトナム1970年07月19日1970年代外交部,ジュネーブ協定16周年に際して声明。
DIA-201-1970-08-02-3北ベトナム1970年08月02日1970年代7月末までに10月米の作付け面積は目標の70%完了。
DIA-201-1970-08-03-3北ベトナム1970年08月03日1970年代ハノイの自動車部品製造工場の電池生産班は6カ月間に5万個を生産。
DIA-201-1970-08-05-3北ベトナム1970年08月05日1970年代北ベトナム経済調査団訪日。
DIA-201-1970-08-06-1北ベトナム1970年08月06日1970年代ド・ムイ副首相は茶の生産責任者会議で,努力して1970年の目標を達成するよう呼びかけた。同副首相によると1960~69年の間に各合作社と33の国営農場は毎年茶の栽培面積を7%増加し,1ヘクタール当たりの生産量は3.3トンに達した。これは1960年に比べ700キログラムの増加である。
DIA-201-1970-08-06-2北ベトナム1970年08月06日1970年代食糧と食品生産合作社-8月革命を記念する4つの運動を発表した。①生産品の質と量を高める。分配を迅速にする。計量と価格の公正を期する。②これから5カ年間食糧配給の任務を達成するため努力する。③今年第3四半期の生産計画を超過達成するよう努力する。④1970年度計画を15%超過達成するよう努力する。
DIA-201-1970-08-11-1北ベトナム1970年08月11日1970年代カオバン省とゲアン省の山岳民族は政府の援助で新村建設と生産増加に参加した。現在ヤオ族の新村は54に達し,2113戸,1万2908人が居住している。また合作社への参加率は59.53%から93.95%に上昇した。
DIA-201-1970-08-15-2北ベトナム1970年08月15日1970年代ザプ国防相,地方軍強化を強調-ザプ国防相は中央と地方の軍代表者会議で「抗米救国の事業で地方軍の役割は大きい。南部同胞の抗米救国に対する大後方(北ベトナム)として,地方経済の発展と同時に,地方軍も強化しなければならない」と強調した。
DIA-201-1970-08-16-2北ベトナム1970年08月16日1970年代トン・ドク・タン大統領インドネシア独立記念日に祝電。
DIA-201-1970-08-16-3北ベトナム1970年08月16日1970年代ニャンザン紙日本に警告-ニャンザン紙は,日本の敗戦25周年に当たり「第2次世界大戦中,日本ファシストはインドシナ人民に対し多くの血債を負った。米帝国主義のインドシナ侵略開始以来,日本政府は彼らに協力することにより,その罪を重ねている」と非難。
DIA-201-1970-08-21-1北ベトナム1970年08月21日1970年代チャン・フン・ダオ機械工場は技術と管理の改善によって1970年の第3四半期で1968年の年間生産と同じ生産成績をあげた。1970年の生産は1969年に比して倍増が期待されている。
DIA-201-1970-08-26-4北ベトナム1970年08月26日1970年代地方工業発展-カオバン省は,米国の破壊戦争の時期に,総出力4332kWの中小型水力発電所32カ所,農具機械工場10,セメント,リン酸肥料,製糖など10工場を建設した。
DIA-201-1970-08-27-2北ベトナム1970年08月27日1970年代政府代表団,ソフィアでブルガリアとの1970~71年の文化協力協定に調印。
DIA-201-1970-09-01-8北ベトナム1970年09月01日1970年代建国25周年記念集会-ドン首相は建国25周年記念集会で演説し,真の独立と平和の達成まで戦い続ける。ラオス,カンボジア人民の抗米救国の事業を全力をつくして支援する。即時撤退をした後,臨時連合政府を樹立すると述べた。
DIA-201-1970-09-01-9北ベトナム1970年09月01日1970年代ドン首相は建国記念のレセプションで,ラオスのプーマ首相とスファヌボン殿下の特使との会談を支持すると表明した。
DIA-201-1970-09-03-4北ベトナム1970年09月03日1970年代故ホー大統領の遺体を永久保存-労働党中央委員会と国会常務委員会および政府閣僚会議は,故ホー・チ・ミン大統領の遺体を永久に保存するため,同大統領の廟を建設することを決定。
DIA-201-1970-09-03-5北ベトナム1970年09月03日1970年代紙の生産,1970年の計画を21%超過。本年8カ月で生産量は昨年に比して73%増加。
DIA-201-1970-09-07-3北ベトナム1970年09月07日1970年代フアンビン省レトイ県ダイフォン合作社の収入総額は,1961~1964年の4年間に49万から78万2000ドン(北ベトナム通貨)に増加した。そのうち,同合作社の社員に対する配分額は30万から47万6000ドン,預金は3万5000から6万1000ドンに増加した。社員の日収は平均1.10ドンから1.48ドンに達した。また同合作社は政府に籾米500トン,肉類8~12トンを売却した。 (注) 1ドル当たり3.53ドン
DIA-201-1970-09-11-1北ベトナム1970年09月11日1970年代ソ連の経済開発援助の増加を取り決めた新議定書調印。
DIA-201-1970-09-11-2北ベトナム1970年09月11日1970年代祖国戦線創立15周年記念式典。
DIA-201-1970-09-12-2北ベトナム1970年09月12日1970年代グエン・コン副首相を団長とする経済軍事代表団,中国を訪問。
DIA-201-1970-09-15-3北ベトナム1970年09月15日1970年代農村の民主化,合作社制度の強化を決議-中央委政治局と政府閣僚は,農村の民主化,合作社の制度の強化および合作社の条令の実施を運動することについて決議を発表した。その要点は次のとおり。①農村の民主化を発展させ,集団化制度を強化する。②合作社の管理は大衆の集団権力を保障する。政治制度と新生産運動の欠点を改善する。③集団化と生産増加との運動は社員の集団権力を強化するため,生産,配分,選挙を通じて農村の民主化を徹底することを目的としている。④一つの合作社は社会主義の経済集団の組織で,新経済制度の単位である。⑤合作社の管理権は個人の所有権ではない。⑥農村民主化は,合作社の管理能力向上に貢献し,合作社の生産増加,国家の社会主義農業経済地域の管理を支援し工農連帯を堅固に発展させる。⑦個人が合作社条令に違反することは社会主義国家の法律に違反することになる。
DIA-201-1970-09-15-4北ベトナム1970年09月15日1970年代ニャンザン紙,ソ連と西ドイツの武力不行使条約を評価。
DIA-201-1970-09-18-3北ベトナム1970年09月18日1970年代米人,タイ上空で小型セスナ機を乗っとって北ベトナム入りに成功。
DIA-201-1970-09-18-4北ベトナム1970年09月18日1970年代政府閣僚会議,小工業と手工業生産の発展について決議-決議の要旨は,①生産品の質を改善し,新品を開発,とくに食糧と食品物加工,農業用品などの生産に努力する。②社会主義化,集団生産を促進する。③国営経済機関は地方小工業を支援する任務を持つ。
DIA-201-1970-09-18-5北ベトナム1970年09月18日1970年代今年上半期の手工業による消費物資の生産は昨年同期より6.5%増加。
DIA-201-1970-09-18-6北ベトナム1970年09月18日1970年代クアンニン炭鉱の出炭は8月に国家計画を130%超過。
DIA-201-1970-09-21-1北ベトナム1970年09月21日1970年代グエン・デン・チ氏を団長とするベトナム代表団,日本ベトナム友好協会の招きで来日。
DIA-201-1970-09-23-2北ベトナム1970年09月23日1970年代グエン・コン経済軍事代表団は北京に滞在中,毛沢東主席と林彪副主席と会見。
DIA-201-1970-09-23-3北ベトナム1970年09月23日1970年代統計局の発表によると,9月15日現在,北ベトナム全土の10月米作付け面積は計画の96.4%を完了。
DIA-201-1970-09-23-4北ベトナム1970年09月23日1970年代24日 △ソ連国営航空社,モスクワとハノイとを結ぶ民間定期航空路を開設-ソ連航空公社は10月15日からモスクワ―ハノイ間に民間定期航路を開設する。使用する機種はイリューシン18型ジェット旅客機で,途中タシケント,カラチ,カルカッタ,ビエンチャンに寄港し,モスクワ―ハノイ間970キロを15時間55分で結ぶ。
DIA-201-1970-09-24-1北ベトナム1970年09月24日1970年代タイビン省の養豚業は,1970年4月1日までの期間に,個人経営は前年同期と比べ1.0%増,集団経営は20.3%増加。
DIA-201-1970-09-24-2北ベトナム1970年09月24日1970年代ハ・ケ・タン水利相によれば高原地帯では水利建設と灌漑系統の建設によって,1969~70年の冬春農期に農作面積の80%の水を保持して干害から守った。
DIA-201-1970-09-25-1北ベトナム1970年09月25日1970年代成田委員長を団長とする日本社会党代表団,ベトナム訪問終る。
DIA-201-1970-09-30-2北ベトナム1970年09月30日1970年代国会,政府および労働党最高首脳は中国国慶節に当たり連名で毛,林,周の中国首脳あてに祝電を送り,ニャンザン紙は4年ぶりに毛沢東主席の写真を一面トップに掲載。
DIA-201-1970-10-02-1北ベトナム1970年10月02日1970年代ベトナムとタイの赤十字代表,タイ在留ベトナム人送還の交渉を正式に開始。
DIA-201-1970-10-02-2北ベトナム1970年10月02日1970年代故ホー大統領の造林の呼びかけによって1970年1~9月に全国で5万7000ヘクタールの植林がおこなわれた。
DIA-201-1970-10-02-3北ベトナム1970年10月02日1970年代政府はナセル故大統領の国葬式にダンチ国家計画副委員長の派遣を決定した。
DIA-201-1970-10-04-3北ベトナム1970年10月04日1970年代水利大学の第7回卒業式が行なわれたが,今年の卒業者は378人に達し,そのうち山岳民族出身8人,南ベトナムから集結した幹部の子息13人,また女子13人であった。
DIA-201-1970-10-04-4北ベトナム1970年10月04日1970年代薬科大学の今年の卒業生は219人に達した。そのうち,行政機構幹部,農民,労働者の子息90%,党幹部と労働者10%,女子62%,山岳民族2.5%,南ベトナム出身者13%に達した。
DIA-201-1970-10-04-5北ベトナム1970年10月04日1970年代農業省は農業中学,大学の学生,経済管理の幹部,農業技術と科学幹部など3000人を地方の農業合作社へ派遣した。
DIA-201-1970-10-05-2北ベトナム1970年10月05日1970年代1970年第3四半期の石炭生産は1969年同期と比べ64.3%増加。
DIA-201-1970-10-05-3北ベトナム1970年10月05日1970年代クアンビン省党委と軍事委員会は大会を開催し,抗米救国の4年間の成果を検討し,新情勢に対処することを協議した。ザプ国防相も同会議に出席。
DIA-201-1970-10-06-2北ベトナム1970年10月06日1970年代中国との1971年度軍事経済援助協定に調印。
DIA-201-1970-10-10-3北ベトナム1970年10月10日1970年代ケニア共和国との郵便電信協定に調印。
DIA-201-1970-10-10-4北ベトナム1970年10月10日1970年代タンホア省は現在100万本のヤシを栽培し,今年1000万個を収穫した。ヤシ油750トンを生産し,洗剤1700トンを生産した。
DIA-201-1970-10-10-5北ベトナム1970年10月10日1970年代外交部,ニクソン米大統領の提案を全面的に拒否。
DIA-201-1970-10-20-2北ベトナム1970年10月20日1970年代経済復興援助のため,スウェーデン政府代表団政府の招きでハノイに来訪。
DIA-201-1970-10-20-3北ベトナム1970年10月20日1970年代社会主義財産の侵犯に対する懲罰法(参考資料参照)
DIA-201-1970-10-22-1北ベトナム1970年10月22日1970年代ベトバク自治区の高原少数民族約4万2500人は最近2年間に遊牧生活を永久に放棄し,農業に従事した。これらの少数民族はすべて農業合作社に参加。
DIA-201-1970-10-22-2北ベトナム1970年10月22日1970年代ソ連と1971年度経済軍事援助協定に調印-グエン・コン副首相兼国家計画委員長を団長とする政府代表団はモスクワに滞在中,ソ連政府の経済軍事関係責任者と一連の会談を行ない,1971年の経済軍事援助協定に調印した。
DIA-201-1970-10-23-2北ベトナム1970年10月23日1970年代ハノイでアルバニアと1971年無償援助協定と商品交換協定に調印。
DIA-201-1970-10-23-3北ベトナム1970年10月23日1970年代ハノイ放送,日本の佐藤首相の国連総会での演説を非難。同放送は,佐藤一味はアジア人同士を戦わせようとするニクソン・ドクトリンを実行するうえで,米帝国主義の有力な手先となり,米帝のインドシナ侵略戦争の共犯者であると述べた。
DIA-201-1970-10-23-4北ベトナム1970年10月23日1970年代手工業合作社社員の収入は毎月普通43ドンから59ドン(家族の副収入を含まない)であるが,有能な社員の中には毎月100ドンに達するものもいる。
DIA-201-1970-10-25-1北ベトナム1970年10月25日1970年代タイと北ベトナムとの両赤十字代表はベトナム難民送還の交渉で合意に達した。ベトナム難民4万人のうち第一陣は来年1月に送還される。
DIA-201-1970-10-26-1北ベトナム1970年10月26日1970年代ハイフォン省党委員会は全省の党員と軍人を招集し,軍事中央委員会の命令,地方軍の任務を討議した。レ・タン・ギ政治局員兼副首相が同会議に参加。
DIA-201-1970-10-26-2北ベトナム1970年10月26日1970年代木材製品工業は1970年の1月から9月末までで国家計画の83.69%を達成。
DIA-201-1970-10-29-2北ベトナム1970年10月29日1970年代軍事科学会議を開催-軍事中央委員会は軍事科学の発展,党の決議の実行のため,軍事科学会議を開催。ザプ副首相兼国防相をはじめ,総司令部,各軍区司令官,指揮官,軍事技術,軍事医学の責任者が参加した。国防相は「ベトナムの軍事科学はマルクス・レーニン主義とベトナム民族の伝統の中に発展し,成長してきた」と述べた。
DIA-201-1970-10-30-2北ベトナム1970年10月30日1970年代海陸空司令部および前線指揮官,米国の戦争拡大に対処するため緊急会議。
DIA-201-1970-10-30-3北ベトナム1970年10月30日1970年代ハバナでキューバとの1971年度科学技術協力協定に調印。
DIA-201-1970-10-31-2北ベトナム1970年10月31日1970年代中国との間に1971年度相互物資供給,支払い,プラント供給,技術者派遣などについての協定締結。
DIA-201-1970-11-02-4北ベトナム1970年11月02日1970年代ホ・シ・ゴイ労働総同盟中央委書記を団長とする代表団はチリ労働連盟の招きでチリを訪問。
DIA-201-1970-11-06-2北ベトナム1970年11月06日1970年代チェコと1971年の経済軍事援助協定に調印。
DIA-201-1970-11-11-1北ベトナム1970年11月11日1970年代トン・ドク・タン大統領ドコール将軍の死去に弔電。
DIA-201-1970-11-11-2北ベトナム1970年11月11日1970年代社会主義財産侵犯懲罰法で3人の高級官僚に判決-ニャンザン紙によると,ハノイ人民裁判所は高級官僚3人の社会主義財産を侵犯した罪に対して判決を行なった。内訳つぎのとおり。 ファム・チ・ツェン元国内商業省食品局の局長,故意に政府の経済政策に違反したかどで8年の投獄。レ・ウ・ズン元国内商業省工芸品公司主任,国家経済の制度に違反したかどで3年の投獄。グエン・フー・ジ元国内商業省食品計画局幹部,責任感欠如と配給制度に違反したかどで30カ月の投獄。
DIA-201-1970-11-12-2北ベトナム1970年11月12日1970年代カンボジア王国民族団結政府首相,ハノイ訪問。
DIA-201-1970-11-12-3北ベトナム1970年11月12日1970年代ハノイでブルガリアと1971年の経済軍事援助協定に調印。
DIA-201-1970-11-13-1北ベトナム1970年11月13日1970年代レアード米国防長官,北爆再開を警告。
DIA-201-1970-11-15-3北ベトナム1970年11月15日1970年代レ米国防長官に反論-クアンドイ・ニャンザン紙はレアード米国防長官の警告に対して「レアード氏の言葉は米国の侵略的本性を一層さらけ出し,ベトナム人民の憎しみを深めるだけである。ベトナム側にとっては侵略者のいっさいの海賊的行為に対しては適時かつ適確に反撃するという回答があるのみである」と反論。
DIA-201-1970-11-20-2北ベトナム1970年11月20日1970年代ルーマニアと1971年度経済軍事援助協定に調印。
DIA-201-1970-11-20-3北ベトナム1970年11月20日1970年代ソンタイ作戦-レアード米国防長官は米軍捕虜を救出するため特別部隊がハノイから30キロのソンタイ省の収容所に強行着陸したが失敗したと発表した。
DIA-201-1970-11-20-4北ベトナム1970年11月20日1970年代北ベトナム上空で米軍機6機を撃墜。
DIA-201-1970-11-21-1北ベトナム1970年11月21日1970年代米軍,数百機を動員して北爆を強行-レアード米国防長官はつぎのような声明を発表した。 (1) すでに公表された政策として,また米人の生命を保護する断固とした努力の一環として,われわれは北爆19度線以南の北ベトナム地域にあるミサイル,対空砲火基地および関連施設に対して,限定された期間,防御的反撃措置として空爆を実施している。これらの爆撃はわが非武装偵察機が攻撃を受けたのに対し行なわれた。 (2) この防御的反撃措置の目的は,①北ベトナム上空を飛行する非武装偵察機のパイロット,②南部ラオス全域を経由して南ベトナムへ向かう北ベトナムからの軍事補給阻止のため出動するパイロットの生命を保護することである。 (3) 非武装地帯偵察飛行継続が許されることは了解事項だった。
DIA-201-1970-11-21-2北ベトナム1970年11月21日1970年代労働党政治局は全軍の政治思想を検討し,今後,全軍の政治思想強化運動を展開することを決定。
DIA-201-1970-11-21-3北ベトナム1970年11月21日1970年代北朝鮮と1971年の経済軍事援助協定に調印。
DIA-201-1970-11-26-5北ベトナム1970年11月26日1970年代米軍の捕虜救出作戦に警告-グアンドイ・ニャンザン紙は米軍の捕虜救出作戦に対して次のような警告を発表した。 (1) 米侵略者は軍事的冒険の口実として,北ベトナムで捕虜になっている米軍パイロットの救出をでっち上げたが,そうすることによって米国人民の偏きょうなナショナリズムをかきたて,米国の侵略行為を人道的な行為にすり替え,独立と主権を侵す重大な戦争行為を米軍兵士救出行為に仕立てようと望んでいる。 (2) いわゆる米軍捕虜救出作戦と大空襲は米帝国主義による重大な戦争行為である。 (3) 北ベトナム人民,軍は寛大な政策をとり,米軍捕虜を保護する措置を講じてきた。向こう見ずな行為を犯した米侵略者は米軍捕虜の人命に全責任を負うことになろう。
DIA-201-1970-11-28-1北ベトナム1970年11月28日1970年代デン・ドク・チエン機械・冶金工業相を団長とする機械・冶金視察団,中国訪問。
DIA-201-1970-11-30-4北ベトナム1970年11月30日1970年代政府外人記者団にソンタイ地区を視察することを許可。
DIA-201-1970-11-30-5北ベトナム1970年11月30日1970年代ハタイ省ビンダ合作社の1970年の籾生産は1ヘクタール当たり10トンの目標に達した。
DIA-201-1970-12-02-2北ベトナム1970年12月02日1970年代ジャック・アンダーソン記者は「ジーグラー米大統領報道官はホワイトハウスの秘密会議の席上,米軍捕虜に対して報復手段が加えられた場合は,懲罰として北ベトナムの指導者を捕虜として抑留すべきであると警告した」と報道した。
DIA-201-1970-12-02-3北ベトナム1970年12月02日1970年代ハノイ訪問中のイタリア共産党代表団,ベトナム労働党政治局員と会談。
DIA-201-1970-12-02-4北ベトナム1970年12月02日1970年代ドン首相はホアビン省で社会主義の青年労働学校の設立を指示。
DIA-201-1970-12-02-5北ベトナム1970年12月02日1970年代駐北京北ベトナム大使館員全員は中国のダム建設工事に参加。
DIA-201-1970-12-03-2北ベトナム1970年12月03日1970年代タンホア,ゲアン省の1970年秋季の米生産は13%増加。冬春季米と合せて約5トン以上に達した。
DIA-201-1970-12-04-3北ベトナム1970年12月04日1970年代ローマ法王パウロ6世はコロンボ訪問への機上からトン・ドク・タン大統領あてに“正義ある平和”への希望を表明したメッセージを放送。
DIA-201-1970-12-04-4北ベトナム1970年12月04日1970年代ハチン省ダイタン合作社の1970年の籾生産は1ヘクタール当たり5トンに達した。
DIA-201-1970-12-04-5北ベトナム1970年12月04日1970年代全土で米軍の空爆と突撃を防衛するため,防空壕修理と軍事訓練を強化。
DIA-201-1970-12-06-2北ベトナム1970年12月06日1970年代ドムイン副首相は,地方各省の行政機構の幹部を召集し,1971年の地方政治,社会経済の活動方針を討議。地方の農業発展のため,地方工業の強化を決議。
DIA-201-1970-12-06-3北ベトナム1970年12月06日1970年代ベトナム外交部,米国の先制攻撃論を激しく非難。
DIA-201-1970-12-07-3北ベトナム1970年12月07日1970年代米下院本会議米軍捕虜の救出作戦を支持する決議案を可決。
DIA-201-1970-12-08-1北ベトナム1970年12月08日1970年代パリ会談北ベトナム代表団,捕虜問題についての米政府の発言に反論-同代表団の発言の要旨は次のとおり。 (1) 他人を人道的にもてなすのは,われわれ北ベトナム人の伝統である。捕虜は戦争犯罪人として扱うが,われわれはこの伝統を忘れてはいない。 (2) わが国は貧しい小国で,しかも独立を獲得し,それを守るために30年も戦いつづけている。その結果,物資は不足しており,食糧も衣料も配給という状態である。 (3) それにもかかわらず,一言でいえば,捕虜の給与は北ベトナムの平均よりよい。私(代表団員)よりよいくらいだ。一例を示せば,毛布の配給は北ベトナム人1人当たり1枚だが,米兵は2枚である。 (4) 全捕虜は例外なく1カ月に1回家族との文通を許されている。また,本国の家族から2カ月に1回3キロまでの郵便物の発送を許し,クリスマスのプレゼントにとくに制限を5キロまで拡大している。 (5) ニクソン政権はこういう事実を故意にかくし,米国民の感情に訴えようとしているのは,戦争の拡大,ベトナムを含むインドシナ半島の新植民地化という政策をかくそうとする戦術からである。 (6) 捕虜の中には4年あるいは5年も家族の顔を見ない者がいる。だが,それはいったいだれのせいなのか,戦争を継続しようとする米国の政策のせいではないか,われわれの兵士の中には北南にわかれ20年も家族に会えない者も多いのだ。 (7) ニクソン米大統領が南ベトナム臨時革命政府代表ビン外相の8項目提案にあるように来年6月末までに撤兵すると宣言すればよいのだ。
DIA-201-1970-12-09-3北ベトナム1970年12月09日1970年代地方工業は1970年の9カ月間に1969年の同期と比べて,消費品は11.5%増産,年間計画の73.5%を達成した。
DIA-201-1970-12-09-4北ベトナム1970年12月09日1970年代米国学生連盟(ASA)の代表団,ハノイに来訪。
DIA-201-1970-12-10-4北ベトナム1970年12月10日1970年代ベトナム労働党と政府,全軍民にアピールを発表(参考資料参照)。
DIA-201-1970-12-13-2北ベトナム1970年12月13日1970年代祖国戦線中央委員会は党と政府のアピールを支持。
DIA-201-1970-12-13-3北ベトナム1970年12月13日1970年代中国共産党と政府は,党と政府のアピールを全面的に支持する声明を発表。
DIA-201-1970-12-14-6北ベトナム1970年12月14日1970年代コスイギン・ソ連首相は北ベトナム大使と会見,抗米闘争支援の約束を表明。
DIA-201-1970-12-15-4北ベトナム1970年12月15日1970年代ベトバク地区の軍事委員会は全地区の司令官と指揮官および幹部を召集し,軍事清勢と防衛強化を討議した。
DIA-201-1970-12-16-3北ベトナム1970年12月16日1970年代ソ連政府,北の抗米闘争声明を支持。
DIA-201-1970-12-19-5北ベトナム1970年12月19日1970年代マイ・バン・ボ駐フランス総代表部首席は本国に召還された。
DIA-201-1970-12-19-6北ベトナム1970年12月19日1970年代日本社会党,北のアピールを支持。
DIA-201-1970-12-21-2北ベトナム1970年12月21日1970年代閣議は消費物資の生産に重点を置いた1971年度経済計画と予算を承認。
DIA-201-1970-12-22-1北ベトナム1970年12月22日1970年代ベトナム人民解放軍の成立26周年と全国抗戦24周年記念の集会でザプ国防相は,「北ベトナムは,どのような型の米機がわが領空を侵犯しようともこれを監視し,撃墜する権利を持っている」と強調した。
DIA-201-1970-12-22-2北ベトナム1970年12月22日1970年代ケネディ民主党上院議員は,記者会見で同議員の代理人である弁護士のジョン・ノーラン氏がパリで北ベトナム代表から北ベトナムにとらえられている368人の米将兵の名簿を手渡されたと発表した。
DIA-201-1970-12-23-2北ベトナム1970年12月23日1970年代北ベトナムは米国の捕虜交換の提案を拒否。
DIA-201-1970-12-24-5北ベトナム1970年12月24日1970年代米国の人民連帯委員会は,米国の捕虜者たちへクリスマスの贈り物と手紙をもってハノイに来訪。 カンボジア
DIA-201-1971-01-05-1北ベトナム1971年01月05日1970年代電力石炭などのエネルギー生産は,1970年の目標を3.7%超過し,1969年と比べ8.6%増加した。電力生産は計画を3%,1969年と比べ,15.5%を増加した。石炭生産は精練炭については100%に達し,1969年と比べ3.2%を増加した。また政府の石炭開発に対する投資は1969年に比べ76.4%増加した。
DIA-201-1971-01-07-2北ベトナム1971年01月07日1970年代ゲアン省の冬春季の落花生栽培面積は8,500ヘクタールに達し1ヘクタール当り,平均10.7トンを収穫。
DIA-201-1971-01-11-3北ベトナム1971年01月11日1970年代タンホア省エンデイン県の1970年の綿花生産は80トンに達したが,1ヘクタール当りの生産量は虫害のため550キロ(1969年は680キロ)減少した。また同県の綿花による収入は1968年が21万2400ドン,1969年が34万0800ドンであった。
DIA-201-1971-01-12-4北ベトナム1971年01月12日1970年代レ・タン・ギ副首相を団長とする経済代表団はハンガリー政府と,1971年の軍事経済援助,技術と科学の援助,および経済相互協力の3つの協定に調印。
DIA-201-1971-01-15-1北ベトナム1971年01月15日1970年代ビエスシニ新フランス総代表部首席はドン首相にフランス首相の信任状を提出。
DIA-201-1971-01-16-1北ベトナム1971年01月16日1970年代ポーランドと1971年の経済援助および経済協力協定に調印。
DIA-201-1971-01-20-5北ベトナム1971年01月20日1970年代フアンアン貿易相を団長とする経済代表団,キューバと1971年の経済援助協定に調印。
DIA-201-1971-01-22-2北ベトナム1971年01月22日1970年代東ドイツと1971年の国防,経済と科学技術の援助および協力協定に調印。
DIA-201-1971-01-26-4北ベトナム1971年01月26日1970年代グエン・ダン・ハン駐ユーゴ大使はチトー大統領に信任状を提出。
DIA-201-1971-02-02-2北ベトナム1971年02月02日1970年代労働党中央委員会第19回総会開催。
DIA-201-1971-02-04-2北ベトナム1971年02月04日1970年代外務省スポークスマン,米軍が非武装地帯の北側を砲爆撃したことを激しく非難。
DIA-201-1971-02-04-3北ベトナム1971年02月04日1970年代タン大統領とドン首相は連名でセイロンの独立記念日に祝電。
DIA-201-1971-02-04-4北ベトナム1971年02月04日1970年代農業省は農業における3つの目標を達成するため,作物,畜産の生産を高め,労働生産性の向上に努める競争運動を開始。
DIA-201-1971-02-05-2北ベトナム1971年02月05日1970年代モンゴルと1971年のバーター取引きおよび支払い協定に調印。
DIA-201-1971-02-06-1北ベトナム1971年02月06日1970年代ブラザビル・コンゴの特使はハノイに赴任しチヨン・チン国会議長と会見。
DIA-201-1971-02-07-2北ベトナム1971年02月07日1970年代労働党と祖国戦線の両中央委員会は全党員および軍隊と人民に戦闘体制の準備を呼びかく。
DIA-201-1971-02-08-5北ベトナム1971年02月08日1970年代トン・ドク・タン大統領の招きによりシアヌーク殿下夫妻は1月26日から2月9日まで,ベトナムを友好訪問した。2月8日共同声明を発表。
DIA-201-1971-02-08-6北ベトナム1971年02月08日1970年代国会常務委員会は第4期国会総選挙を4月11日に実施すると発表(国会議員定数420人,選挙区数80)。
DIA-201-1971-02-09-1北ベトナム1971年02月09日1970年代レ・タン・ギ副首相を団長とする経済代表団,ソ連と1971年技術援助協定に調印。 (注)1971年度の軍事経済援助協定は1970年10月22日に調印。
DIA-201-1971-02-10-2北ベトナム1971年02月10日1970年代政府声明-政府はアメリカがラオスに戦争を拡大したことに対して抗議と警告の政府声明を発表。
DIA-201-1971-02-10-3北ベトナム1971年02月10日1970年代ニヤンザン,ラオス問題に対する佐藤日本首相の発言を非難。
DIA-201-1971-02-13-3北ベトナム1971年02月13日1970年代人民軍機関紙は全軍に米海兵隊が南部沿岸に上陸することを警戒するよう呼びかけた。
DIA-201-1971-02-15-3北ベトナム1971年02月15日1970年代レ・タン・ギ副首相を団長とする経済代表団,中国と1971年の経済軍事の補足援助供与協定に調印。 (注)1971年度の援助協定は1970年10月6日に調印。
DIA-201-1971-02-16-1北ベトナム1971年02月16日1970年代農業および食品製造合作社は政府と農産物および食品供給の契約を結んだ。
DIA-201-1971-02-20-1北ベトナム1971年02月20日1970年代外務省スポークスマンはニクソン米大統領の2月17日のラオス作戦についての発言を激しく非難。
DIA-201-1971-02-22-1北ベトナム1971年02月22日1970年代リ・バン対外貿易次官は李強中国対外貿易部副部長,閻仲川中国人民解放軍副総参謀長と北京で1971年度軍事経済の補足援助供与協定に関する議定書に調印。
DIA-201-1971-02-22-2北ベトナム1971年02月22日1970年代ゲアン省クンリユー県はいも類の栽培面積を昨年より4,000ヘクタール拡張した。このためいも類の栽培総面積は25%増加した。
DIA-201-1971-02-22-3北ベトナム1971年02月22日1970年代ニヤンザンの社説は,食糧確保のため,農業問題の改善,とくに技術,水利,灌漑系統の建設に力を入れるよう強調した。
DIA-201-1971-02-23-4北ベトナム1971年02月23日1970年代米軍北爆を強化。
DIA-201-1971-02-25-4北ベトナム1971年02月25日1970年代ソ連政府インドシナ3国人民の米侵略者に反対する闘争を全面的に支持すると声明。
DIA-201-1971-02-25-5北ベトナム1971年02月25日1970年代クアンニンの露天掘り石炭生産は1971年の第1四半期計画の63%に達し,昨年同期と比べ108%増加した。また1970年第4四半期の生産と比べ4%増加した。
DIA-201-1971-02-25-6北ベトナム1971年02月25日1970年代ハノイの大学講師,技師,幹部など327人は各農業合作社の生産に参加。
DIA-201-1971-02-26-1北ベトナム1971年02月26日1970年代ニヤンザンによると,ホンゲイ石炭の対日輸出量は昨年の22万6000トン前後になる予定。
DIA-201-1971-02-27-1北ベトナム1971年02月27日1970年代外交部,アメリカのベトナム石油資源開発計画を非難-外交部の非難要旨は次のとおり。 チュー,キ,キエムかいらい政権は米帝の命令を受けて,ベトナムでの石油開発に関する規定という法令に署名し,公表した。その法令は米国系石油財団のベトナムの南部領海内の石油を測量,採掘するのに便宜を与える。 米国は最近ベトナムだけでなく,カンボジア,中国,朝鮮などの領海でも石油とその鉱物資源を略奪するため,一連の計画を打ち出した。それは米国のアジアでの新植民地主義的行動である。 ベトナム化計画を実行し戦争の長期化をはかっているのはこれらの新植民地主義的政策を実現するためである。
DIA-201-1971-02-28-1北ベトナム1971年02月28日1970年代ハバク省では田植えを早く終了するため,同省の幹部,工員,学生など5,000人が各農業合作社の田植えに参加した。
DIA-201-1971-02-28-2北ベトナム1971年02月28日1970年代フランスと長期貿易協定に調印。
DIA-201-1971-03-02-2北ベトナム1971年03月02日1970年代北ベトナム居留中国人連盟はハノイ駐在三幼平中国大使の出席をえて第3回大会を開催し,つぎのようなコミュニケを発表した。「ベトナムに住んでいる中国人全体はこの国に対する義務と権利を持っている。戦闘と生産に参加しなければならない。これまで前線で勇敢に戦った中国人がたくさんいる。今後ベトナム人と並んで勝利まで戦闘し続ける決意である」
DIA-201-1971-03-04-2北ベトナム1971年03月04日1970年代第3期国会第7回総会開会-3月2日から4日にかけて1965年総会以来7年ぶりに第3期国会第7回総会が開会された,最終日のコミュニケによれば,この総会でつぎの3つの決議が承認された,①ドン首相の政治報告,②1971年1月9日付の国会常務委員会の1969年度予算の決算報告を採択。③1946年全国(南北を含む)から選出された南ベトナム人民代表の任期の満了を認める。
DIA-201-1971-03-05-1北ベトナム1971年03月05日1970年代ドン首相,対米長期戦の勝利を強調-ドン首相は第3期国会第7回総会で政治報告を行ない「ニクソン大統領は外交教書の中では平和を望んでいるが,実際には戦争の継続および拡大計画を実行している,ラオス作戦で,米とかいらいは完全に敗北した。米帝の侵略戦争に対するわれわれの抵抗戦争は長引くかもしれない。しかし,完全に勝利するまで米侵略者と戦う決意をしなければならない」と述べた。
DIA-201-1971-03-05-2北ベトナム1971年03月05日1970年代中国党・政府代表団,ハノイ訪問-周恩来首相を団長とする中国の党政府代表団はベトナムの党と政府の招きでハノイに来訪した。 空港には,レ・ジュアン第1書記,ドン首相,ザップ国防相,チン外相,ギ副首相,ホアン国会常務委員会副議長,中越友好協会会長が出迎えた。 8日共同声明発表。
DIA-201-1971-03-05-3北ベトナム1971年03月05日1970年代2月中旬海兵隊を乗せた米艦船が北ベトナム南部海岸に接近-ベトナム通信(VNA)の発表によると,米軍はサイゴン軍をラオス南部に侵入させると同時にトンキン湾を常時巡航している第7艦隊の艦船を14隻から17隻に増強した。そのうち,一部は沖縄からきた海兵隊1,500人を上陸待機の状態にして北ベトナムのクアンビン,ハチン,ゲアン3省の沿岸に接近した。現在同部隊は引揚げた模様である。
DIA-201-1971-03-07-2北ベトナム1971年03月07日1970年代中国,北ベトナムへ3,000トン級の船1隻を援助-中国天津市造船所の技術者と労働者はベトナム人研修生と協力して3,000トン級の船を建造し,進水した。この船は戦闘号と命名され,ベトナム研修生を乗せてハイフオン港へ向った。
DIA-201-1971-03-22-1北ベトナム1971年03月22日1970年代クアンビン,ハチンの両省の武装勢力は米軍戦闘機6機を撃墜。
DIA-201-1971-03-25-4北ベトナム1971年03月25日1970年代イエーメン共和国評議会議長はトン・ドク・タン大統領に電報を送り,ベトナム人民の新植民地主義と帝国主義の侵略に反対する抵抗戦争の勝利を確信し,全面的にこれを支持すると述べた。
DIA-201-1971-03-26-3北ベトナム1971年03月26日1970年代チリ共和国大統領北ベトナム貿易代表団と会見。
DIA-201-1971-03-27-1北ベトナム1971年03月27日1970年代ソ連国防相グレチコ元帥はボー・グエン・ザップ国防相にラオス南部の大勝利を祝う電報を送った。
DIA-201-1971-03-30-1北ベトナム1971年03月30日1970年代レ・ジュアン労働党第1書記,ソ連党第24回大会に出席-レ・ジュアン労働党中央委員会第1書記を団長とする労働党代表団は,ソ連共産党第24回党大会に出席した。同書記は同大会で祝辞を読上げ,「ソ連の党,人民および政府,中国の党,人民および政府,また社会主義諸国の党,人民および政府にベトナム人民の抗米救国の闘争を支持,支援してくれたことに感謝する」と述べた。
DIA-201-1971-04-01-1北ベトナム1971年04月01日1970年代農業省,国営農場省,農業合作社管理委員会の3つを合併して,中央農業委員会を設置,議長にはホアン・アン副首相を,副議長にギエム・スアン・イエム氏とグエン・バン・ロック氏を任命。
DIA-201-1971-04-02-1北ベトナム1971年04月02日1970年代ボ・バン・スン(Vo Van Sung)駐仏総代表部新首席,仏首相にドン首相の信任状を提出。
DIA-201-1971-04-03-1北ベトナム1971年04月03日1970年代中国の柳州鉄道局副局長宋達渋氏を団長とする代表団は北ベトナム鉄道局の招待でハノイに来訪,両国の第13次鉄道協定を討議。
DIA-201-1971-04-03-2北ベトナム1971年04月03日1970年代キューバ政府は特殊印刷機械の部品を贈与し,指導のため,技術者を派遣した。
DIA-201-1971-04-05-1北ベトナム1971年04月05日1970年代8月革命紡織工場は1971年の第1四半期の生産目標を越え,綿製品50万メートルを生産した。
DIA-201-1971-04-08-2北ベトナム1971年04月08日1970年代国内商業の重要政策実施-商業関係諸機関の責任者はハノイで会議を開き,1970年の成果と1971年の政策を検討し,承認した。
DIA-201-1971-04-08-3北ベトナム1971年04月08日1970年代1970年活動と成果 1.生産増加,とくに国産商品の増産,輸入品を減らし,輸出用品の増加を達成して社会主義市場の商品流通が拡張した。 2.国営商業と商業合作社の強化。 3.自由市場を制限するとともに縮小させ,投機,ヤミを防止するのに成功した。 4.商品流通と貨幣流通とのバランスを守り,通貨の購買力を高め,人民の生活を保証,経済のあらゆる分野を改善した。 1971年の政策と活動方針。 1.商業諸機関は農工業生産に対する,流通分配の責任を持って,農工業の生産と発展に積極的に参加する。生産量の増加を保証するだけでなく,商品の質も改善しなければならない,良い商品の生産を保証する。 2.商業機関は工芸品,食品,食糧の配分を通じて,労働管理を強化。分配は公平に,合理的,民主的に実行する。 3.大衆食堂を強化,朝食の露天食堂を工業地帯で拡張する。 4.社会主義商業の増加と強化について販売,小売は国営化を促進。消費合作社の発展,売買合作社の強化。農村市場の改善と管理。小売商人を社会主義体制にできるだけ編入する。経営管理の工作改善。経済分析と計算能力を高め,流通費をできるだけ節約する。以上の諸方針を実現するため,幹部を教育し養成することが急務である。
DIA-201-1971-04-08-4北ベトナム1971年04月08日1970年代ソ連党大会はラオス,カンボジア,ベトナムの3国人民の米帝侵略主義者と戦い,民族解放,自由独立を守ることを全面的に支持し支援する決議を採択した。
DIA-201-1971-04-10-1北ベトナム1971年04月10日1970年代首相官庁,今年の大学試験と入学制度を発表-今年度の入学試験と検査は各地方で行なわれる。選抜はつぎの条件が優先する:①2年以上,戦闘と生産に参加した者,②兵士,傷病兵,青年突撃隊員,③労働者,農業,手工芸合作社員,幹部,④政府機関職員,⑤女子学生,戦没兵士の子息,革命に貢献した人の子息,⑥少数民族に対しては幹部養成のため,選抜は簡単にする。また,合格と同時に徴兵に合格した場合は兵役完了後,自動的に入学できる。選抜と検査は公平,厳正,敏速,民主の原則によって行なう。推薦権限は合作社幹部,地方行政委員会の幹部,地方の中,高等学校の校長と幹部にある。また,今後大学生活は,教室より農場,工場,水利などの建設現場で講義しながら,労働に参加することに重点を置く。
DIA-201-1971-04-11-1北ベトナム1971年04月11日1970年代第4期国会議員選挙。
DIA-201-1971-04-27-1北ベトナム1971年04月27日1970年代タイ政府はタイ在住ベトナム人が地方当局に非協力の態度をとったとの理由で強制的に審査すると発表。
DIA-201-1971-04-29-2北ベトナム1971年04月29日1970年代モスクワ訪問中のグェン・ズイ・チン外相コスイギン・ソ連首相と会談。
DIA-201-1971-05-01-1北ベトナム1971年05月01日1970年代グエン・ズィ・チン外相中国のメーデーに参加。
DIA-201-1971-05-01-2北ベトナム1971年05月01日1970年代閣議で技術科学研究所の設立を決定,同研究所は労働者を保護するため,法律,制度を研究,法律の修正および成立をはかる。労働災害から労働者を保護し,また職業病を最低におさえ,防止する技術を高めるため,労働者の訓練も行なう。
DIA-201-1971-05-01-3北ベトナム1971年05月01日1970年代タイグエン発電所は1970年の計画を2カ月半前に達成。また1971年第1四半期の計画も超過達成。
DIA-201-1971-05-01-4北ベトナム1971年05月01日1970年代労働競争審査中央委員会は工業,流通分配,文化社会事業,行政,手工業に従事している3,562の班と隊に1970年度社会主義労働部隊の称号を授与した。
DIA-201-1971-05-04-1北ベトナム1971年05月04日1970年代ニヤンザン社説,地方軍の重要性を強調,社説は地方軍の組織の発展はわが党の軍事路線と一致している。わが党の軍事路線は人民戦争の路線である。地方軍は省の単位で組織され,省の経済の開発発展と人民生活に奉仕し,同時に省の防衛,人民の財産と生命を守る任務を持っていると述べている。
DIA-201-1971-05-04-2北ベトナム1971年05月04日1970年代ソ連法律家代表団親善のため,ハノイに来訪。
DIA-201-1971-05-04-3北ベトナム1971年05月04日1970年代国立銀行創立20周年記念-ター・ホアン・コ国立銀行総裁は創立20周年記念に当り,ニヤンザンに論文を発表。論文の要旨は次のとおり。 1951年5月6日創立されてから今日まで20年間国立銀行は党と政府の指導の下に自主貨幣を創造し,社会主義銀行へと発展し,貨幣方面から民族解放と社会主義建設に奉仕した。 抗仏戦の時期1946年11月国会は通貨の発行を承認した1950年中,戦争はもっとも激しく,財政も経済も戦争に対応する必要があった。この結果国立銀行が設立された。新通貨の発行,旧通貨の回収,金庫の管理,信用政策の実施,国営貿易と協力,敵との貨幣闘争に勝利することがこの時の任務であった。北の全面解放後,敵の通貨を無効にし,17度線以北全域へ通貨を発行した。信用を供与し国営貿易機関が物資を購入,農民が荒廃土地を復旧して生産するのを資本援助した。 国家5カ年計画(1959年2月28日)により経済を復旧し軌道に乗せた後,国立銀行は旧貨幣を回収,新貨幣を発行,通貨単位を変えた。 党第3回大会(1960年末)の決議により通貨管理を強化した。また1965~68年の間,破壊戦争に対応するため,組織を緊急に改善しなければならなかった。地方に分散した合作社と企業を支援,とくに工業と交通部門に積極的に資本援助をした。長期借款援助も実施しとくに農業の借款は倍にのぼった。また抗米救国のため節約と貯金の運動も展開している。
DIA-201-1971-05-05-1北ベトナム1971年05月05日1970年代ニヤンザンは1968年の党中央委員会14回大会が決定した地方防衛と経済発展のための地方の交通系統の建設を実現するため,各地方は人民の力で建設工事を進めようと呼びかけた。
DIA-201-1971-05-06-1北ベトナム1971年05月06日1970年代1971年第1四半期のクアンニンの石炭生産は計画を8.2%超過,また,タイグエン鉄鋼生産は計画を1,000トン超過。
DIA-201-1971-05-09-1北ベトナム1971年05月09日1970年代モスクワ訪問中のレ・ジュアン労働党第1書記はブレジネフ・ソ連共産党第1書記と会談。
DIA-201-1971-05-10-2北ベトナム1971年05月10日1970年代タイビン省は1971年4月までに洪水防止計画の76%を完成した。とくにキエンスエン,フート,ドンフンの3県は防止計画の80~90%を完成した。またハイフオン市では堤防建設のため31万4000立方メートルの土地が掘られ,水害防止計画は80%完成した。
DIA-201-1971-05-10-3北ベトナム1971年05月10日1970年代ハバク省のタンフオン合作社は1964年に豚169頭を保有していたが1965年には560頭に増加した。それ以後1970年まで520~560頭の間を維持していた。平均して年間に1労働力で豚肉10トンを生産できる。また野菜生産は1970年に12トンに達し,米の生産は1ヘクタール当り2.5トン前後を維持している。畜産業の年間収入額は1964年に1万4226ドン,1970年に4万2897ドンにのぼった。1971年になって,同合作社は養豚中央センターを建設し現在豚2,000頭を保有している。
DIA-201-1971-05-10-4北ベトナム1971年05月10日1970年代レ・ジュアン労働党第1書記,公式に北京訪問,11日中国政府首脳と会談。
DIA-201-1971-05-11-1北ベトナム1971年05月11日1970年代ビエンチャンでラオスの警官,ベトナムの外交官に投石。
DIA-201-1971-05-11-2北ベトナム1971年05月11日1970年代ホアン・タン・チヤイ駐セイロン大使,セイロン大統領に信任状を提出。
DIA-201-1971-05-12-2北ベトナム1971年05月12日1970年代ハタイ省のダンフオンとハイドク両県は水利工事に努力両県の灌漑面積はそれぞれ1万7000,2万5000ヘクタールに達した。また1970年の籾生産量は平均1ヘクタール当り7.2トンに達した。
DIA-201-1971-05-15-1北ベトナム1971年05月15日1970年代ホアン・ドク・フオン駐イラク大使・イラク大統領に信任状を提出。
DIA-201-1971-05-15-2北ベトナム1971年05月15日1970年代ゲアン省党委員会の発表によると,同省の秋季の耕作面積は2万ヘクタールに達した。うち米田は1万2000ヘクタール,いも類の面積は2,000ヘクタール,工業用作物の面積は昨年より10%を増加した。各春季の収穫以前に水利工事を強化したことによって冬春季の灌漑面積は4万1000ヘクタールに達した。
DIA-201-1971-05-17-3北ベトナム1971年05月17日1970年代レ・ジュアン第1書記帰国。
DIA-201-1971-05-18-4北ベトナム1971年05月18日1970年代サンチアゴでチリのベトナム連帯委員会は故ホー大統領の誕生日記念集会を開催。
DIA-201-1971-05-19-1北ベトナム1971年05月19日1970年代ハイフオン水産局は自力で近代装備の漁船を建造。
DIA-201-1971-05-19-2北ベトナム1971年05月19日1970年代外務省は最近タイ政府が東北タイで故ホー大統領誕生日の記念集会を行なっていたベトナム人59人を逮捕したことについて,その行為は両国赤十字社の協定に違反すると非難した。
DIA-201-1971-05-21-3北ベトナム1971年05月21日1970年代ハノイ人民委員会は第5回大会を開催し,新行政委員会の委員長に前委員長チヤン・ズイ・フン博士を選出した。また,ハノイ市労働党委員会第1書記にはグエン・チヤン氏が任命された。
DIA-201-1971-05-22-1北ベトナム1971年05月22日1970年代レ・スアン・タイ中央農業委員会委員は農業相の代理として,ソ連の農業機械指導専門家,中国の農業技術者およびキューバの獣医に労働と友好の勲章を授与した。
DIA-201-1971-05-23-2北ベトナム1971年05月23日1970年代中央農業委員会は各地方に冬春季と秋季の農期について指示を送った。1971年4月末現在,冬春季の稲栽培面積は総面積の92.4%に達し,1969~70年度より4万ヘクタール増加した。冬春季の収穫まで水田の水を守り,虫害を防止する。収穫の道具と運搬方法を準備すること。また秋季では堤防の補修が必要である。
DIA-201-1971-05-23-3北ベトナム1971年05月23日1970年代パリで開催された世界キリスト教会議にハノイからホー・タン・ビエン師を団長とする代表団が参加。
DIA-201-1971-05-23-4北ベトナム1971年05月23日1970年代レ・タン・ギ副首相チェコ共産党第14回大会に参加。
DIA-201-1971-05-24-1北ベトナム1971年05月24日1970年代パテト・ラオ中央委員会代表団,ベトナムを友好訪問-スファヌボン殿下を団長とするパテト・ラオ代表団は24日から30日までベトナムを友好訪問し,5月30日共同声明を発表。
DIA-201-1971-05-25-1北ベトナム1971年05月25日1970年代国営農場は茶栽培についての討論会を開催し,1973年の努力目標をヘクタール当り7,000kgに決定した。
DIA-201-1971-05-26-1北ベトナム1971年05月26日1970年代中国と民間航空と貨物運輸についての協定に調印。
DIA-201-1971-05-27-2北ベトナム1971年05月27日1970年代ハノイ市治安局は全人民に治安維持を完全にする運動を呼びかけた。
DIA-201-1971-05-28-1北ベトナム1971年05月28日1970年代赤十字社代表団タイから帰国,同代表団によると,昨年10月5日に両赤十字社は1959年8月14日の協定,1962年12月17日の協定,1965年7月8日の諸協定がまだ有効であることを確認し,送還時期までベトナム人同胞の生活と安全を保護することで合意した。
DIA-201-1971-06-03-3北ベトナム1971年06月03日1970年代ベトナム通信はサイゴン政権のいわゆる北ベトナム捕虜の釈放条件を拒否すると発表。
DIA-201-1971-06-05-3北ベトナム1971年06月05日1970年代ソンテイ機械工場は破壊戦争の時期でも,総生産計画を4~10%を超過達成した。製品のうち,農業関孫が50%を占めた。
DIA-201-1971-06-05-4北ベトナム1971年06月05日1970年代レ・タン・ギ副首相,モンゴル人民革命党第16回大会に出席。
DIA-201-1971-06-08-2北ベトナム1971年06月08日1970年代ソンラ,ライチヤウ,ギアロー3省は秋季農期に備えて,水利系統の工事を完成。
DIA-201-1971-06-08-3北ベトナム1971年06月08日1970年代ドマカラ,ポーランド新大使はトン・ドク・タン大統領に信任状を提出。
DIA-201-1971-06-08-4北ベトナム1971年06月08日1970年代仏医学協会はインドシナ人民に医学用具と薬品18トン(175万8600フラン相当)を贈与。
DIA-201-1971-06-10-2北ベトナム1971年06月10日1970年代国会第4期第1回総会-第4期国会第1回総会は6日から,10日まで開かれた。この間,総会は政府の軍事,外交報告をきき,正副大統領,国会常務委員会のメンバー,国防会議のメンバー,閣僚会議のメンバーなど国家機関の指導者を選んだ。
DIA-201-1971-06-10-3北ベトナム1971年06月10日1970年代ザプ国防相はカンプチア王国民族団結政府のキュー・サン・フアン新国防相兼総司令官に祝電。
DIA-201-1971-06-10-4北ベトナム1971年06月10日1970年代ハイクン省バンラム県の,1970年の籾生産は1ヘクタール当り7トン以上,1971年には9トンを目指して努力中。
DIA-201-1971-06-10-5北ベトナム1971年06月10日1970年代スーダン政府動物資源相ハノイに来訪。
DIA-201-1971-06-11-2北ベトナム1971年06月11日1970年代全〓北朝鮮大使ダムフオン合作社の収穫に参加。
DIA-201-1971-06-11-3北ベトナム1971年06月11日1970年代タンロン工場は1971年第1四半期のタバコ生産計画を135%達成。
DIA-201-1971-06-13-4北ベトナム1971年06月13日1970年代レ・タン・ギ副首相は北京に到着し,周恩来首相と会談。
DIA-201-1971-06-15-2北ベトナム1971年06月15日1970年代ルーマニア党政府代表団,ハノイ訪問-ベトナム労働党中央委員会と政府の招きに応じてチャウシェスク・ルーマニア党書記長兼国家評議会議長を団長とし,マウレル首相を含む党,政府代表団はハノイに到着した。同代表団は6月19日まで滞在し,同日共同コミュニケを発表。
DIA-201-1971-06-16-1北ベトナム1971年06月16日1970年代ナムハー省ギアフン県ダイハイ合作社は1963年以前には食糧生産が不振で,毎年国家から食糧を買入れていた。1963年以後,1969年まで,同合作社は生産技術の改善および耕作面積の拡大に努力した。1970年に同合作社は1ヘクタール当り6トンの籾を収穫できた。また1970~71年の冬春季には籾5トンを収穫した。
DIA-201-1971-06-22-2北ベトナム1971年06月22日1970年代ハテイン省ダンフオン県の合作社の冬春季の籾収穫は平均1ヘクタール当り4.8トンであった。そのうち15合作社は5トン以上,14合作社は4.9トンに達した。1970年は2期作合計してヘクタール当り7トンの収量であった。
DIA-201-1971-06-23-2北ベトナム1971年06月23日1970年代タンホア省の合作社は冬春季の収穫が終った後,国家に納付すべき年間の義務量の65~75%を引渡した。同省チュソン県は義務食糧250トンを納付した後,さらに政府に籾100トンを売却した。
DIA-201-1971-06-24-3北ベトナム1971年06月24日1970年代レ・ドク・ト政治局員パリに到着。
DIA-201-1971-06-29-1北ベトナム1971年06月29日1970年代タイビン省の1970~71年冬春季の米作面積は計画より1.7%,昨年と比べ2%増加した。1人当りの生産量は計画より14%,昨年と比べ18.4%増加,生産量は計画より16%,昨年に比べ20%増加した。1ヘクタール当りの収量は1970年に3.32トン,1971年に3.5トンであった。
DIA-201-1971-07-01-2北ベトナム1971年07月01日1970年代スアン・トイ無任所相,パリ会談で7項目提案を支持。
DIA-201-1971-07-04-3北ベトナム1971年07月04日1970年代チヤン・サム国防次官を団長とする軍事代表団は北京で中国政府と1971年度の軍事装備物資無償補充供与に関する議定書に調印。
DIA-201-1971-07-06-4北ベトナム1971年07月06日1970年代ニヤンザン紙によると,6月30日現在の全国各地の政府に対する食糧供出は春季だけでも年間の25.7%に達した。細目は次のとおり,ナムハ省42%,ニンビン省36.3%,ハイフン省34.7%,ハノイ市33.1%,ゲアン省31.1%,タンホア省30.6%,タイビン省30.4%,ハテン省29.5%,なお全国で900の合作社が供出義務量の超過分を政府に売却した。
DIA-201-1971-07-06-5北ベトナム1971年07月06日1970年代上半期の電力と石炭の生産はすでに年間計画の57.5%に達し,昨年同期より26.86%増加,労働生産性は昨年同期より29%増加した。電力生産は1971年計画の59.1%,昨年同期より26.4%増,石炭生産は年間計画の57.7%に達し,昨年同期より31.7%増した。また石炭企業の建設計画は昨年同期より60.4%増加した。
DIA-201-1971-07-07-1北ベトナム1971年07月07日1970年代ランソン省では灌漑系統が完成したので米の作付面積は昨年より5,300ヘクタール増加した。
DIA-201-1971-07-08-3北ベトナム1971年07月08日1970年代グエン・ズイ・チン外相は党代表団をひきいて,モンゴール人民革命党50周年記念式典に参加するためハノイを出発。
DIA-201-1971-07-09-2北ベトナム1971年07月09日1970年代ビンフー省ビンツウン県の1970年から1971年へかけての冬春季の米の生産は,平均1ヘクタール当り,1.7トンに達し,昨年より30%増,作付面積は,5.9%増,総生産量は40%増であった。
DIA-201-1971-07-10-2北ベトナム1971年07月10日1970年代ハノイ統計支局によると,ハノイ市郊外の1970~1971年の冬春季の米の収穫は1ヘクタール当り,3トン以上に達した。
DIA-201-1971-07-10-3北ベトナム1971年07月10日1970年代林基〓中国人民銀行副総裁を団長とする経済代表団ハノイに来訪。
DIA-201-1971-07-11-1北ベトナム1971年07月11日1970年代北ベトナム全土の山岳民族の人口は60種族400万人。
DIA-201-1971-07-11-2北ベトナム1971年07月11日1970年代閣議,農地管理工作の強化を決議。
DIA-201-1971-07-11-3北ベトナム1971年07月11日1970年代ナムハー省スアンフオン合作社,住民の2/3はカトリック教徒で,米作面積150ヘクタールを持っているが,1970~1971年の冬春季の収穫は1ヘクタール当り,籾6トンであった。
DIA-201-1971-07-12-1北ベトナム1971年07月12日1970年代ベトナム・クーリエは教育発展3カ年計画(1969~1971年)の成果をつぎのように発表した。  学生,生徒数 470万人  小学生 326万8000人  幼稚園・託児所 162万5000人(保母5万人)  成人学級 50万人(パート・タイムの教師4万人)  普通教育の教員 13万4000人  成人補修教育の教員 5,500人  地方師範学校教師 4,200人  高等教育の教授および助手講師 1,800人  高等師範学校の生徒 1万6000人(来年2万人)
DIA-201-1971-07-12-2北ベトナム1971年07月12日1970年代1970~71年の冬春季の水稲の収穫完了。
DIA-201-1971-07-14-1北ベトナム1971年07月14日1970年代合作社の通信と放送担当者の全国代表者会議,レ・タン・ギ副首相も出席。
DIA-201-1971-07-14-2北ベトナム1971年07月14日1970年代ピエスシニ北ベトナム駐在フランス総代表部首席はフランス国慶節記念レセプションを開催。政府の出席者は次のとおり。 首相 フアム・バン・ドン 対外貿易相 フアン・アン 文化相 ホアン・ミン・ジアム 対外文化連絡委副委員長 ブー・ゴク・ウィ 仏越友好協会副会長 フアン・バン・チュオン 文化部次官 グエン・ドク・クイ 外文部欧州第2局局長 マイ・バン・ボ
DIA-201-1971-07-14-3北ベトナム1971年07月14日1970年代グエン・ズイ・チン外相はモンゴルからの帰途北京で周中国首相らと会談。
DIA-201-1971-07-14-4北ベトナム1971年07月14日1970年代グエン・ズイ・チン外相は北京でシアヌーク殿下,ペンヌート首相などカムプチア王国民族団結政府首脳と会見。
DIA-201-1971-07-15-3北ベトナム1971年07月15日1970年代B52ビンリン地区のフオンラプ村を爆撃。
DIA-201-1971-07-15-4北ベトナム1971年07月15日1970年代レ・スアン・タイ中央農業委員会委員は土壌化学と食品保存の技術指導を行なったソ連人博士2人に友誼,労働勲章を授与。
DIA-201-1971-07-17-1北ベトナム1971年07月17日1970年代レ・チ・スエン婦人連合会副会長を団長とする婦人代表団訪ソ。
DIA-201-1971-07-17-2北ベトナム1971年07月17日1970年代ビンフー省タンバ県の肥料工場は今年上半期に月間1,000トンの化学肥料を生産。
DIA-201-1971-07-19-5北ベトナム1971年07月19日1970年代ディオプ・ママデュ・ケニア共和国駐ベトナム大使はグエン・ルウン・バン副大統領に信任状を提出。
DIA-201-1971-07-21-2北ベトナム1971年07月21日1970年代ジュネーブ協定調印記念に際して外務省声明。
DIA-201-1971-07-21-3北ベトナム1971年07月21日1970年代ハイフオン市アンハイ県の友誼合作社は1970~1971年の冬春季に作付面積の60%で,1ヘクタール当り3.8トンを収穫した。
DIA-201-1971-07-21-4北ベトナム1971年07月21日1970年代工業部門の上半期生産は昨年同期と比べて18%近く増加し,そのうち,中央工業は昨年同期と比べて,33%増加した。電力,石炭の総生産は年間計画の57.5%に達し,昨年同期と比べて26%以上増加した。発電量は年間計画の58.1%に達し,昨年と比べて26.4%増加,出炭量は年間計画の57.7%に達し,石炭の質も著しく高まっている。機械冶金部門の生産は国家計画を3.9%上回って完遂,軽工業は年間計画の52.7%を達成し,昨年と比べて36.8%増加した。
DIA-201-1971-07-22-3北ベトナム1971年07月22日1970年代ベトナム社会党は創立25周年記念式典を開催。グエンスエン書記長は全党員にベトナム革命,抗米救国の事業で労働党とともに祖国と人民のため,積極的に活動するよう呼びかけた。
DIA-201-1971-07-26-2北ベトナム1971年07月26日1970年代今年前半の成果,農業:冬春季の稲作面積は昨年同期に比して20%増すなわち4万ヘクタール増。ヘクタール当りの米の収量は規定より0.2トン,昨年同期より0.3トンの増加,増収の原因の一つは“春米”という種籾を使用したこと。この品種の作付面積は全体の60%に達し,昨年同期の3倍となった。タイビン省はヘクタール当りの平均収量が3.58トンに達し,全国のトップを占めた。約百の合作社が冬春季だけでヘクタール当り5トンの収量をあげた。 工業:総生産額は昨年同期と比較して18%増。電力は計画より50%,昨年同期に比して26.4%増加,石炭は計画より58%,昨年同期に比して32%増加,化学製品は計画より59.6%,昨年同期より26%増加,セメントは計画を60%超過,主食の生産は計画の50%,昨年同期より16~25%増加,基本建設は昨年同期より20%増加。
DIA-201-1971-07-29-4北ベトナム1971年07月29日1970年代外務省のホアン・ムオイアジア第3局長はインドネシアの駐ハノイ・スアバント領事を呼んで,ロサシン将軍が引率する軍事代表団がサイゴンを訪問したことに対して抗議した。
DIA-201-1971-07-31-3北ベトナム1971年07月31日1970年代ボー・グエン・ザプ副首相兼国防相は中国人民解放軍創立44周年記念に当り,林彪党副主席兼国防相に祝電。
DIA-201-1971-07-31-4北ベトナム1971年07月31日1970年代フィリピン下院議員団は7月23日から31日まで国会の招きでハノイに来訪。
DIA-201-1971-08-01-1北ベトナム1971年08月01日1970年代ブーテフリカ外相を団長とするアルジェリア政府代表団は1日から6日までベトナムを友好訪問。8月9日共同声明発表。
DIA-201-1971-08-01-2北ベトナム1971年08月01日1970年代レ・ドク・ト政治局員パリからの帰途北京に立ち寄り,周恩来首相と会談。
DIA-201-1971-08-05-3北ベトナム1971年08月05日1970年代ゲアン省フインルイ県の現在までの秋米の植付面積は1万2000ヘクタールで昨年同季より600ヘクタール増加した。
DIA-201-1971-08-06-1北ベトナム1971年08月06日1970年代全国各地の学校で「ハイトット」(学習と生産で良い成績)をあげる運動。
DIA-201-1971-08-06-2北ベトナム1971年08月06日1970年代タイビン省は7月の10日間に秋米の植付けで作付面積の30~60%を完了。また灌漑に12万5000人の労働力を投入。
DIA-201-1971-08-07-1北ベトナム1971年08月07日1970年代全国公安責任幹部大会でレ・ゴク・タン公安部次官は国境と沿岸の防衛および都市の治安は責任幹部の努力と地元人民の協力でよい成績をあげたと強調。
DIA-201-1971-08-08-3北ベトナム1971年08月08日1970年代タンホア省各機関の職員と幹部5,000人は合作社の水利工事に参加。
DIA-201-1971-08-09-2北ベトナム1971年08月09日1970年代ナムハ省の1970~71年冬春季,米作面積は計画より2.8%,昨年より3.3%増,労働能率は計画より,9.6%,昨年より18.5%増。生産量は計画より10.3%,昨年より,22.4%増。
DIA-201-1971-08-13-1北ベトナム1971年08月13日1970年代ミルコ・タラバノフ外相を団長とするブルガリア代表団,友好訪問のためハノイに到着。
DIA-201-1971-08-14-1北ベトナム1971年08月14日1970年代統計局によると秋季の稲の植付面積は総面積の80%に達した。とくに7.月25日から8.月5日までの10日間には,植付面積は平均1日3万6000ヘクタールに達した。8月5日現在,ハージヤン省98.1%,ランソン省92.1%,エンバイ省91.4%,ラオカイ省90%,ライチヤウ,ソンラ,ツアンクアン,タイビンなどの諸省はそれぞれ90%に達した。
DIA-201-1971-08-15-1北ベトナム1971年08月15日1970年代ベトバク自治区行政委員会は自治区成立15周年の記念式典を開催。自治区党書記のチュー・バン・タン中将兼中央委員は自治区の全民族は党と政府の下に団結し,国境の防衛および戦闘と生産に積極的に参加した。われわれ全民族は祖国の抗米救国の戦争に対し重要な任務を負っていると演説した。
DIA-201-1971-08-16-2北ベトナム1971年08月16日1970年代今年の夏には“海の家”,“山の家”が大部分修復されたので,約10万の労働者,国家職員が15日ないし10日の有給休暇をここで過した。
DIA-201-1971-08-16-3北ベトナム1971年08月16日1970年代外務省スポークスマンは,B52を含む米機が17度線より北のフオンラプ村を15日爆撃したことに対して,抗議声明を発表。
DIA-201-1971-08-17-1北ベトナム1971年08月17日1970年代チュオン・チン政治局員兼国会議長は人民軍幹部の集会に出席。
DIA-201-1971-08-17-2北ベトナム1971年08月17日1970年代タイビン省タンフオン合作社の1ヘクタール当りの籾生産量は1966年が7トン,1967年が8トン,1968年が8.5トン,1969年が8.55トン,1970年が9トン。
DIA-201-1971-08-18-3北ベトナム1971年08月18日1970年代国会は中ソおよび東欧諸国へ国会代表団を派遣することを決定した,代表団の編成は次のとおり。 団長 ボアン・バン・ホアン政治局員,国会副議長。 副団長 チュー・バン・タン中将,党中央委員,国会副議長,ベトバク自治区党書記。 代表団書記 チャン・ディン・チ国会常務委員。 団員 グエン・タン・ジ・チョン博士,国会常務委員,民主党中央委員。 団員 チュウン・タン・ファト弁護士,国会法務委副委員長。 団員 グェン・カオ・ルエン建築士,国会議員,建設部次官,社会党中央委員。 団員 ギエム・チュウォン・チャウ,国会議員,国会社会文化委員。 団員 チャン・チ・リイ国会議員,人民武装勢力英雄,ドンホイ市民衛隊政治委員。 団員 ド・チヤン国会議員,タンホア発電所所長。
DIA-201-1971-08-19-3北ベトナム1971年08月19日1970年代創立15周年を迎えるビエト・バク自治区の近況 農業:農家の90%が合作社に参加,20の村と80の合作社が年ヘクタールあたり5トンの籾を収穫している。300万立方メートルの木材を伐り出し,1万2000ヘクタールを植林した。 工業:電力は12倍,自治区は60の小発電所を建設した。基本建設の投資は40倍で,政府直営の企業のほか,自治区には,200の地方企業と350の手工業合作社と生産チームがある。
DIA-201-1971-08-19-4北ベトナム1971年08月19日1970年代北京訪問中の国会代表団周恩来首相と会見。
DIA-201-1971-08-21-2北ベトナム1971年08月21日1970年代ソ連と1971年度補足無償軍事援助協定に調印。
DIA-201-1971-08-21-3北ベトナム1971年08月21日1970年代世界労連代表団ベトナム総工同盟の招きでハノイを来訪。
DIA-201-1971-08-23-5北ベトナム1971年08月23日1970年代人民軍紙,“ベトナム戦争とアメリカの世界戦略”と題するチエン・タン論文を発表。
DIA-201-1971-08-23-6北ベトナム1971年08月23日1970年代外交部は中国政府の国連代表権問題に対する声明を全面的に支持すると発表。
DIA-201-1971-08-26-2北ベトナム1971年08月26日1970年代地方経済視察のため中国を訪問したレ・クアン・ツアン・ハバク省党書記を団長とする代長団は李先念副首相と会見。
DIA-201-1971-08-26-3北ベトナム1971年08月26日1970年代首相府洪水に関する指令を発表。 全国民は水害で流された財産を取得したならば地方当局に引渡す。 洪水状況を利用し国家,合作社および人民個人の財産を奪取することを厳しく禁ずる。 洪水で国家,合作社,人民個人の財産を守り,大切に保護した人は表彰される。 地方行政委員会はそれらの財産を受けとり,所有主に完全に返還する。
DIA-201-1971-08-27-1北ベトナム1971年08月27日1970年代ナムディン市の青年7,000人は8月革命の精神を発揮しホー主席の遺言を実現するため軍事訓練に積極的に参加し,入隊し前線へ出陣する希望を表明。
DIA-201-1971-08-28-3北ベトナム1971年08月28日1970年代ハチン,クアンビン両省は秋季の稲植付面積の98%を完了。
DIA-201-1971-08-28-4北ベトナム1971年08月28日1970年代グエン・チヤン対外貿易次官はウランバートルでモンゴールとの1972年度貿易協定に調印。
DIA-201-1971-08-31-1北ベトナム1971年08月31日1970年代ニヤンザン社説,全軍と人民に水害防止に全力をつくすよう呼びかく。
DIA-201-1971-09-02-3北ベトナム1971年09月02日1970年代ドン首相水害の克服を呼びかく-党と政府は8月革命と国慶節第26回記念の式典を開催。ドン首相は演説で洪水で農業などにかなりの損害がでたことを認めた。
DIA-201-1971-09-02-4北ベトナム1971年09月02日1970年代毛沢東,林彪,周恩来中国の党政府首脳から水害の見舞電報。
DIA-201-1971-09-04-1北ベトナム1971年09月04日1970年代グエン・スエン越ソ友好協会会長を団長とする代表団・ソ越友好協会第3回全国大会に参加するため,モスクワへ出発。
DIA-201-1971-09-05-1北ベトナム1971年09月05日1970年代党中央委書記局と閣議の水害からの復旧に関する共同決議。 堤防をひきつづき堅く守る。 水害地区の人民の生活を救済する。 生産を緊急に回復し,安定させる。経済活動を平常にもどす。
DIA-201-1971-09-05-2北ベトナム1971年09月05日1970年代アンゴラ民族解放運動代表団8月16日から9月3日までハノイに来訪。
DIA-201-1971-09-06-3北ベトナム1971年09月06日1970年代米国の2つの平和団体の代表団,ハノイに来訪。
DIA-201-1971-09-07-1北ベトナム1971年09月07日1970年代グエン・バン・カ国家計画委副委員長を代表団長とする代表団スウェーデンを訪問。
DIA-201-1971-09-09-2北ベトナム1971年09月09日1970年代ホー・チ・ミン青年団のウー・クアン議長を団長とする代表団はチリを訪問,アリエンデ大統領と会見。
DIA-201-1971-09-09-3北ベトナム1971年09月09日1970年代党政治局員と政府閣僚は各地の水害地域を視察。
DIA-201-1971-09-09-4北ベトナム1971年09月09日1970年代チヤン・ダン・コア国会常務委副議長は国会を代表してアメリカの侵略を非難し,戦闘の停止と即時全軍隊の撤退を要求した決議に署名したインド国会の237議員に感謝の書簡を送った。
DIA-201-1971-09-10-2北ベトナム1971年09月10日1970年代党中央委書記局と政府は水害を受けた地域と人民のための緊急対策を決定。 洪水で9月分の食糧を全て失なった農民に平均1人当り白米13kgを供給する。 全ての場所に野菜と食糧作物を栽培する。医療班は病人,産婦にミルク,栄養剤,砂糖を平常分以外に,臨時供給を行なう。 医療機関は水害地区に医療幹部を派遣し伝染病の防止に努力する。 政府は再建の困難な家庭に資材を供給する。 全機関,軍隊など諸団体は積極的に人民を救援する。 秋季耕作を緊急に回復するだけでなく,1971~72年冬春季の準備をする。
DIA-201-1971-09-10-3北ベトナム1971年09月10日1970年代日本共産党代表団(団長宮本書記長)ハノイに来訪。
DIA-201-1971-09-12-2北ベトナム1971年09月12日1970年代ゲアン省の青年は南部を解放し北の社会主義を守るため,積極的に入隊し,熱心に訓練を受け,前線へ出陣する決意を表明。
DIA-201-1971-09-13-4北ベトナム1971年09月13日1970年代ツアンクアン,ホアビン,カオバン,ハジヤン各省の人民は洪水後,秋季の植え直しを行なっている。
DIA-201-1971-09-13-5北ベトナム1971年09月13日1970年代ハノイ紡織工場の生産実績は1969年が計画より4.7%増,1970年が計画より8.7%増で1971年には7ヵ月間で20万着の衣服を製造した。
DIA-201-1971-09-17-1北ベトナム1971年09月17日1970年代ニンビン省は1カ月間水害と戦ったが,同省の合作社は全面積の90%の田植えを終了した。
DIA-201-1971-09-19-2北ベトナム1971年09月19日1970年代ソンラ,ギアロー両省で青年8,000人が入隊の手続に参加。
DIA-201-1971-09-20-4北ベトナム1971年09月20日1970年代モザンビク民族解放戦線代表団はベトナムAA人民連帯委員会の招きで,ハノイに来訪。
DIA-201-1971-09-20-5北ベトナム1971年09月20日1970年代ソ連の党と政府,水害に見舞電報。援助物資もハノイ到着。
DIA-201-1971-09-20-6北ベトナム1971年09月20日1970年代中国,水害に緊急援助を決定,救援物資がハノイに到着。
DIA-201-1971-09-21-1北ベトナム1971年09月21日1970年代クアンビン省の軍民は米のジェット機2機を撃墜。これまでの撃墜機総数は3,399機。
DIA-201-1971-09-22-3北ベトナム1971年09月22日1970年代農業中央委員会は大会を開き,1971年の冬季農業生産においてとくにいも類の栽培を促進することを決定。
DIA-201-1971-09-24-1北ベトナム1971年09月24日1970年代北爆に対して中国外交部声明。
DIA-201-1971-09-25-3北ベトナム1971年09月25日1970年代薬科大学を卒業した薬学士94人が前線へ出発。
DIA-201-1971-09-27-1北ベトナム1971年09月27日1970年代レ・タン・ギ副首相,李先念副首相を団長とする中国政府代表団と中国のベトナムへの1972年度無償軍事経済援助協定書に署名。
DIA-201-1971-09-27-2北ベトナム1971年09月27日1970年代ナムハ省は冬季に野菜と米以外の殻物の栽培に1万7000ヘクタールを準備。
DIA-201-1971-09-29-3北ベトナム1971年09月29日1970年代中国の国慶節第22回記念集会を祖国戦線の中央委員会が開催。
DIA-201-1971-09-30-3北ベトナム1971年09月30日1970年代中国大使主催の同国国慶節レセプションへのベトナム側出席者,チュオン・チン国会議長,フアム・バン・ドン首相,ボー・グエン・ザプ国防相,グエン・ズイ・チン外相,レ・タン・ギ副首相,ホアン・バン・ホアン国会副議長,トーフー,グエン・バン・チヤン中央委書記局員,ホアン・コク・ベト労働総同盟議長。
DIA-201-1971-09-30-4北ベトナム1971年09月30日1970年代北朝鮮,東ドイツ,チェコ,ルーマニア,ハンガリー,ポーランドなどの社会主義諸国,水害に見舞電報。
DIA-201-1971-10-03-3北ベトナム1971年10月03日1970年代ポドゴルヌイ国家最高評議会議長を団長とするソ連の党,政府代表団は党と政府の招きでハノイに来訪。 団長 ポドゴルヌイ政治局員最高評議会議長 副団長 マズロフ政治局員第1副首相 団員 カートセフ中央委書記 団員 V.N.ノビコフ中央委員副首相 団員 スカットソコフ中央委員,政府対外経済委員会委員長 団員 ソコロフ(大将)党中央委員,国防第1次官 団員 N.P.フィリュービン外務次官 団員 I.T.ギリシン対外貿易次官 団員 I.X.シチェルバコフ中央委員 駐ベトナム大使 7日共同声明を発表。
DIA-201-1971-10-07-1北ベトナム1971年10月07日1970年代レ・タン・ギ副首相はノビコフ副首相とソ連のベトナムへの1972年度無償軍事経済援助および新規借款協定に調印。チヤンサム国防次官はソコロフ国防次官と1972年度軍事技術の援助協定に,フアンアン対外貿易相はギリシン対外貿易次官と1972年度物資交換の協定に調印した。
DIA-201-1971-10-15-3北ベトナム1971年10月15日1970年代第9回(1967~1971年)の経済計画大学の卒業生は386人に達した。
DIA-201-1971-10-15-4北ベトナム1971年10月15日1970年代フアム・バン・ドン首相はカムプチア民族統一戦線の学生,青年代表団と会見。
DIA-201-1971-10-18-4北ベトナム1971年10月18日1970年代グエン・ズイ・チン外相はイタリア共済協同組合代表団と会見。
DIA-201-1971-10-19-2北ベトナム1971年10月19日1970年代グエン・ズイ・チン外相は前スゥェーデン王国外相トークステン・ニンソン氏と会見。
DIA-201-1971-10-20-1北ベトナム1971年10月20日1970年代ベトナム婦人連合会成立25周年にあたり,「ベトナム・クーリエ」は婦人の地位向上について,つぎの数字を発表した。 (1)国会議員
DIA-201-1971-10-24-1北ベトナム1971年10月24日1970年代北朝鮮の党と政府代表団は党と政府の招きでハノイに来訪。 団長 朴成哲 政治局員,第2副首相 副団長 楊享〓 政治局員候補,中央委書記 団員 孔振泰 対外経済委員長 団員 金炳三 ベトナム大使 団員 張正柱 中将国防次官 団員 高成淳 外務省顧問。29日共同声明に調印。
DIA-201-1971-10-27-1北ベトナム1971年10月27日1970年代フアム・バン・ドン首相カムフアイ・ブーフアラオス愛国戦線党中央委員と会見。
DIA-201-1971-10-28-2北ベトナム1971年10月28日1970年代レ・タン・ギ副首相はレ・クアン・ホン駐ハノイ南ベトナム革命政府代表団団長代理と会見し,水害を受けた南ベトナムの中部地域の同胞に,革命政府を通じて,米4万トン,綿製品400万メートル,薬品20トンの救援物資を贈与する旨を伝えた。
DIA-201-1971-10-29-1北ベトナム1971年10月29日1970年代国連決定でフアム・バン・ドン首相は周恩来中国首相に祝電。
DIA-201-1971-11-01-3北ベトナム1971年11月01日1970年代フアム・バン・ドン首相,日本ベトナム友好協会とベトナム人民支援委員会の両代表団と会見。
DIA-201-1971-11-02-1北ベトナム1971年11月02日1970年代グエン・バン・チヤン中央委書記はアルバニア労働党第6回大会で演説。
DIA-201-1971-11-03-2北ベトナム1971年11月03日1970年代国会常務委員会,人民最高裁の新判事2人,候補者7人を承認。
DIA-201-1971-11-06-2北ベトナム1971年11月06日1970年代気象観測衛星のための電波中継所,ソ連の援助で完成。
DIA-201-1971-11-08-1北ベトナム1971年11月08日1970年代米機北爆(17度線より225キロから290キロの地点),ゲアン省の軍民はF4型機2機を撃墜。
DIA-201-1971-11-08-2北ベトナム1971年11月08日1970年代コーネル大学の調査団によると第2次大戦でアメリカが投下した爆弾は200万トン,朝鮮1戦争では100万トン,インドシナでは1971年末までに600万トンの爆弾が投下された。このうち300万トンがニクソン政権が誕生してからのものである。この調査によると,年80万トンのうちカンボジア9万トン,ラオス40万トン,南ベトナム30万トンとなっている。
DIA-201-1971-11-10-2北ベトナム1971年11月10日1970年代カンプチア民族統一戦線代表団(団長イエムサリ)ハノイに来訪。 団長イエームサリ 統一戦線と民族団結政府の国内特別代表 副団長 サリンチヤク政治局員,団結政府外相 団員 ズオンサムオル政治局員,兵器調達相 団員 チアサン政治局員,法律相 団員 キエトソン政治局員候補,官房長官 団員 チュオンプラシト政治局員候補,解放闘争組織相 団員 シエンアン中央委員駐ベトナム大使 団員 サウキエムホン統一戦線青年部責任者 17日共同声明を発表。
DIA-201-1971-11-11-2北ベトナム1971年11月11日1970年代“人民軍”編集部は「アメリカの特別攻撃隊の手口」という小冊子を刊行。
DIA-201-1971-11-13-2北ベトナム1971年11月13日1970年代農業中央委員会と統計局によると,現在までの秋季の収穫は全面積の15%を完了。
DIA-201-1971-11-15-4北ベトナム1971年11月15日1970年代ハバク省ルクナム県では青年300名が,入隊のため,選抜委員会に志願書を提出。
DIA-201-1971-11-17-2北ベトナム1971年11月17日1970年代米軍機4機,北爆。
DIA-201-1971-11-20-2北ベトナム1971年11月20日1970年代フアム・バン・ドン首相を団長とする党と政府の代表団は中国の党と政府の招きで北京を訪問。26日共同声明を発表。
DIA-201-1971-11-20-3北ベトナム1971年11月20日1970年代北ベトナム代表団を迎えての周首相の演説,1)インドシナ問題の解決が当面最もさしせまった問題である,2)解決はインドシナ各国人民のものである,3)アメリカ帝国主義は中越共通の敵である,4)ベトナム人民はアメリカ帝国主義に致命的一撃を与えた,5)中国は全面勝利まで支持する。
DIA-201-1971-11-21-1北ベトナム1971年11月21日1970年代空軍,海軍,防空各部隊は米軍の新しい挑発と侵入を予想して,訓練と警戒心を強化する運動を強化。
DIA-201-1971-11-21-2北ベトナム1971年11月21日1970年代ゲアン省の軍民は米軍のA7型機1機を撃墜。
DIA-201-1971-11-22-2北ベトナム1971年11月22日1970年代ドン首相の率いる代表団-毛沢東主席と会見。
DIA-201-1971-11-22-3北ベトナム1971年11月22日1970年代ギエム・バー・ドク対外貿易次官はチラナでアルバニア政府と1972年度対ベトナム経済援助協定と支払い協定に調印。
DIA-201-1971-11-23-1北ベトナム1971年11月23日1970年代ドン首相北京でシアヌーク殿下と会見。
DIA-201-1971-11-23-2北ベトナム1971年11月23日1970年代スウェーデン外相は国会でニクソン米大統領のベトナム化政策を非難。
DIA-201-1971-11-25-1北ベトナム1971年11月25日1970年代ノルウェーとデンマーク両王国と外交関係を樹立。
DIA-201-1971-12-01-2北ベトナム1971年12月01日1970年代政府は水害地区に対して農業生産回復の具体的政策を決定。 秋米生産用に科学肥料や種子の購入,ポンプなどのガソリン購入のため政府から資金を借入れた合作社で水害のため返済できないものはこれを免除する。 政府からの長期借入れ金の1971年末返済分を水害のため,1972年春まで延期する。 水害地区の農業合作社に対しては復興のため,あらゆる供給を無料にする。 水害で1971年10月から,家畜のえさが足りなくなったので緊急に家畜のえさを援助する。
DIA-201-1971-12-01-3北ベトナム1971年12月01日1970年代ニヤンザンは評論員のアセアンの東南アジア中立化構想について論文を掲載。 アセアン機構はアメリカの侵略政策の母体であるから中立化を宣言するのは東南アジアで米国の努力が10~15年前より弱くなっている証拠である。 東南アジアの真の中立,平和を実現する条件は米国の干渉,侵略に反対し,同地域から全軍隊,戦争手段を撤退するよう要求し,ニクソン・ドクトリンを全面的に拒否しなければならない。
DIA-201-1971-12-04-1北ベトナム1971年12月04日1970年代グエン・ズイ・チン外相を団長とする代表団はポーランド統一労働者党第6回党大会に出席。
DIA-201-1971-12-05-1北ベトナム1971年12月05日1970年代リバン対外貿易部次官は北京で李強中国対外貿易次官と,1972年度物資交換と支払い協定に調印。
DIA-201-1971-12-06-1北ベトナム1971年12月06日1970年代ソンラ省山岳地区の秋米の収穫は2.6トンから3トンに達した。
DIA-201-1971-12-08-2北ベトナム1971年12月08日1970年代カオバン省のとうもろこし,いも類の栽培面積は3,000ヘクタールに達した。とくにトンカン県では米以外の農産物の栽培面積は2,000ヘクタールに達した。
DIA-201-1971-12-09-1北ベトナム1971年12月09日1970年代グエン・ミン・ビ通信総局局長,タンザニアの独立記念式典に出席。
DIA-201-1971-12-09-2北ベトナム1971年12月09日1970年代レ・タン・ギ副首相は東ドイツ経済代表団と1972年の軍事,経済援助協定と経済相互協力協定に調印。
DIA-201-1971-12-10-2北ベトナム1971年12月10日1970年代クアンビン省の軍民は米のF4型機1機を撃墜。
DIA-201-1971-12-13-1北ベトナム1971年12月13日1970年代ベトバク自治区人民委員会は1972年から73年の経済発展2カ年計画の目標と任務を決定した。同計画は農産品の生産を40%増加させ,畜産業を副業から正業へ昇格させることを目標としている。
DIA-201-1971-12-13-2北ベトナム1971年12月13日1970年代ニヤンザン米軍の北爆拡大の動きに対処するため戦闘準備を強化するよう,全軍民に呼びかけ。
DIA-201-1971-12-14-4北ベトナム1971年12月14日1970年代祖国戦線第3回全国大会を開催。南部からグエン・バン・ゴイ解放戦線中央委員,ラム・バン・テト民族民主平和連盟副議長らの率いる解放戦線代表団と平和連盟代表団が参加。
DIA-201-1971-12-14-5北ベトナム1971年12月14日1970年代ニヤンザン,祖国戦線の第3回大会に当り,「全人民の大団結は無敵」と題する社説を掲載。
DIA-201-1971-12-21-1北ベトナム1971年12月21日1970年代ベトナム人民軍総司令部は米機を撃墜したクアンビン,ゲアン,タンホア,ホアビン,ビンフー,タイグエン省の軍民を表彰。
DIA-201-1971-12-23-2北ベトナム1971年12月23日1970年代米軍機ハノイから120キロの地点を爆撃。
DIA-201-1971-12-24-1北ベトナム1971年12月24日1970年代ペンタゴンの発表によれば,北ベトナムの防空態勢は過去1年間に倍増したとのことである。北越からラオスへのホー・ルート沿いには,地対空ミサイル130基以上,高射砲450門がある。空軍力は245機のうち165機が戦闘機で,そのうち40機はミグ21型機である。アメリカはこの地域に350機の戦闘爆撃機を持っている。以前は1,200機。
DIA-201-1971-12-25-1北ベトナム1971年12月25日1970年代ソ連と72年度経済科学技術協力議定書に調印。
DIA-201-1971-12-26-2北ベトナム1971年12月26日1970年代北爆再開-米空軍200機で北ベトナムを爆撃。
DIA-201-1971-12-30-3北ベトナム1971年12月30日1970年代中国外交部声明,北爆を非難。
DIA-201-1971-12-30-4北ベトナム1971年12月30日1970年代ソ連政府は政府声明で北爆を非難し,これに対抗してベトナムへ新兵器を含め,防衛力増強のため新軍事援助協定に調印し,ただちに,新型兵器を送り込んだ。
DIA-201-1971-12-30-5北ベトナム1971年12月30日1970年代米軍司令部は5日間連続の北爆が終了したと発表。
DIA-201-1972-01-01-3北ベトナム1972年01月01日1970年代トン・デュク・タン大統領,新年のメッセージで抵抗戦争を完勝まで継続強化するよう呼びかけ。
DIA-201-1972-01-02-2北ベトナム1972年01月02日1970年代グエン・チャン対外貿易次官,ハバナでキューバの援助協定調印。
DIA-201-1972-01-02-3北ベトナム1972年01月02日1970年代モスクワでソ連の1972年度軍事援助補充協定に調印。
DIA-201-1972-01-02-4北ベトナム1972年01月02日1970年代労働党フランス共産党代表団との共同コミュニケに調印。
DIA-201-1972-01-03-3北ベトナム1972年01月03日1970年代農業生産合作社と国営農場の責任者の経験交流大会。
DIA-201-1972-01-05-1北ベトナム1972年01月05日1970年代北ベトナム通信はパリで,1971年の南における戦果をつぎのように発表した。 敵兵25万名をせん滅,米軍および衛星国軍2万人を含む。地上で破壊もしくは空中で撃墜した飛行機1,800機,武器1万5000を捕獲。
DIA-201-1972-01-05-2北ベトナム1972年01月05日1970年代タンホア省の軍民は1964年8月5日から今日まで,同省上空で米軍機284機を撃墜した。生産面では,1ヘクタール当り籾5トンに達した合作社数は,1966年に9社,1967年に114社,1968年に138社,1969年に152社,1970年に229社。籾5トンに達した県数は1968年に1県,1971年に5県であった。
DIA-201-1972-01-05-3北ベトナム1972年01月05日1970年代米軍機バン・カライを爆撃。
DIA-201-1972-01-07-4北ベトナム1972年01月07日1970年代インドと大使級の外交関係を樹立。
DIA-201-1972-01-07-5北ベトナム1972年01月07日1970年代ハモウス副首相以下のチェコ政府経済代表団来訪。
DIA-201-1972-01-08-3北ベトナム1972年01月08日1970年代省,市,県などの地方党委員会代表全国大会は畜産発展3カ年計画(1971~1973年)を承認。それによれば各地方に平均1,000頭以上を持つ養豚センターを建設する。現在ナムハの合作社は平均140頭の豚を所有し,同省の集団保有の豚数は11万5000頭に達している。
DIA-201-1972-01-10-2北ベトナム1972年01月10日1970年代ニンビン省のい草栽培面積は1971年の300ヘクタールから現在では1,000ヘクタールに拡張した。今後2年間で2,000ヘクタールにする予定。
DIA-201-1972-01-12-3北ベトナム1972年01月12日1970年代機械と金属部門の1972年の目標,71年より54.6%増。
DIA-201-1972-01-14-2北ベトナム1972年01月14日1970年代ハノイでチェコ政府経済代表団と1972年度経済・軍事援助協定およびバーター取引き協定に調印。
DIA-201-1972-01-16-1北ベトナム1972年01月16日1970年代ロンビエン工場,病院,療養所,託児所向けに大型のG800-25型洗濯機を製造中。
DIA-201-1972-01-18-3北ベトナム1972年01月18日1970年代『人民軍』紙への論文でソン・ハオ人民軍総政治部長「政治意識のある人間がいなければ,革命軍はありえないが,近代装備と技術的知識がなければ効果的な軍隊もありえない」と言明。
DIA-201-1972-01-19-1北ベトナム1972年01月19日1970年代米空母エンタプライズ,インド洋からトンキン湾に戻り,ホー・ルート爆撃に参加。
DIA-201-1972-01-20-1北ベトナム1972年01月20日1970年代化学部門の1972年の目標,71年の69%増。
DIA-201-1972-01-21-2北ベトナム1972年01月21日1970年代クラシコ副首相以下のポーランド政府経済代表団来訪。
DIA-201-1972-01-21-3北ベトナム1972年01月21日1970年代外交部,タイのラオス,カンボジアへの介入増大を非難し,これに警告する声明発表。
DIA-201-1972-01-22-1北ベトナム1972年01月22日1970年代中国の72年軍装備,経済物資補足供与議定書に北京で調印。
DIA-201-1972-01-24-2北ベトナム1972年01月24日1970年代バクタイ省国営農場の茶の1971年収穫量は70年より200トン増加。
DIA-201-1972-01-26-2北ベトナム1972年01月26日1970年代キッシンジャー補佐官,北ベトナム復興に25億ドルを提示。
DIA-201-1972-01-27-2北ベトナム1972年01月27日1970年代ハノイでポーランド政府代表団と1972年の軍事援助,経済・科学・技術協力協定に調印。
DIA-201-1972-01-29-2北ベトナム1972年01月29日1970年代『ニャンザン』,米の8項目提案を米の古い陰謀のむし返しと非難。
DIA-201-1972-01-31-2北ベトナム1972年01月31日1970年代パリ会談代表団9項目案のテキストを発表。
DIA-201-1972-01-31-3北ベトナム1972年01月31日1970年代ブログリ議員以下のフランス国会外交委員会代表団訪問。
DIA-201-1972-02-01-2北ベトナム1972年02月01日1970年代『ニャンザン』,祖国戦線大会時のチュオン・チン報告を公表。
DIA-201-1972-02-01-3北ベトナム1972年02月01日1970年代米軍機,1月30日と2月1日,北部の対空陣地を爆撃。
DIA-201-1972-02-01-4北ベトナム1972年02月01日1970年代ボー・トク・ドン(Vo thuc Dong)駐ソ新大使,コスイギン首相と会見。
DIA-201-1972-02-02-2北ベトナム1972年02月02日1970年代フォック首相以下のハンガリー党政府代表団来訪。
DIA-201-1972-02-03-3北ベトナム1972年02月03日1970年代労働党創立42周年記念,党員数100万以上。
DIA-201-1972-02-05-3北ベトナム1972年02月05日1970年代国営農場部門の1971年の生産総量は前年に比して5%増加。
DIA-201-1972-02-10-4北ベトナム1972年02月10日1970年代日本外務省の三宅課長,井上事務官,ハノイに来訪。
DIA-201-1972-02-11-6北ベトナム1972年02月11日1970年代インドシナ人民支援のベルサイユ大会,ホアン・クオク・ベト平和委副委員長出席。
DIA-201-1972-02-11-7北ベトナム1972年02月11日1970年代ホアン・アン農業中央委員会委員長,1972年の農業生産を1971年より23.5%増加するよう指示。
DIA-201-1972-02-12-2北ベトナム1972年02月12日1970年代シアヌーク殿下,ハノイに来訪。
DIA-201-1972-02-12-3北ベトナム1972年02月12日1970年代閣僚会議は科学幹部と技術幹部の配置と運用を改善する決議を発表。
DIA-201-1972-02-15-4北ベトナム1972年02月15日1970年代日本の全購連,ベトナムの合作社と農業技術の交流を拡大することに合意。
DIA-201-1972-02-16-1北ベトナム1972年02月16日1970年代米軍機,非武装地帯の北レーツイ地区,ビン・リン地区を爆撃。
DIA-201-1972-02-17-2北ベトナム1972年02月17日1970年代ハノイの外文出版社『ニクソンの罪悪の数々』を発表。
DIA-201-1972-02-18-2北ベトナム1972年02月18日1970年代労働党書記局基本建設の仕事を強化すべしと指令。
DIA-201-1972-02-24-3北ベトナム1972年02月24日1970年代『ニャンザン』社説,ニクソン外交を非難。
DIA-201-1972-02-25-5北ベトナム1972年02月25日1970年代フルツェワ文化相以下のソ連文化省代表団とグジェンコ海洋船舶相以下のソ連海洋船舶代表団来訪。
DIA-201-1972-02-25-6北ベトナム1972年02月25日1970年代堤防保護に関する法令公布。
DIA-201-1972-02-25-7北ベトナム1972年02月25日1970年代日本の超党派の衆参両院議員18人は「ベトナム問題議員懇話会」を発足させることを決定。
DIA-201-1972-02-28-1北ベトナム1972年02月28日1970年代首相府,洪水制圧の準備を指令。
DIA-201-1972-03-01-3北ベトナム1972年03月01日1970年代経済計画大学の卒業生1961年の創設以来2,000人に達す。
DIA-201-1972-03-01-4北ベトナム1972年03月01日1970年代ノルウェーの初代大使着任。
DIA-201-1972-03-03-3北ベトナム1972年03月03日1970年代『ニャンザン』,米中共同声明を論評。
DIA-201-1972-03-05-2北ベトナム1972年03月05日1970年代シアヌーク,トン・ドク・タン共同声明。
DIA-201-1972-03-10-3北ベトナム1972年03月10日1970年代ソ連の郵政相代表団,ハノイに来訪。
DIA-201-1972-03-13-2北ベトナム1972年03月13日1970年代ラドレスク副首相以下のルーマニア政府経済代表団来訪。
DIA-201-1972-03-15-3北ベトナム1972年03月15日1970年代商業合作社数5,500に達す。
DIA-201-1972-03-16-2北ベトナム1972年03月16日1970年代ソ連との通信協力協定。
DIA-201-1972-03-20-2北ベトナム1972年03月20日1970年代第4期第2回国会。
DIA-201-1972-03-20-3北ベトナム1972年03月20日1970年代デンマークの初代大使着任。
DIA-201-1972-03-20-4北ベトナム1972年03月20日1970年代中越鉄道責任者代表,昆明で国境鉄道協力協定に調印。
DIA-201-1972-03-20-5北ベトナム1972年03月20日1970年代経済代表団訪日。
DIA-201-1972-03-25-1北ベトナム1972年03月25日1970年代バチッキー防空軍総司令官以下のソ連代表団来訪。
DIA-201-1972-03-26-1北ベトナム1972年03月26日1970年代国会第4期第2回総会,政府の軍事・経済・外交報告を聴取し,1972年度の国家計画を承認。
DIA-201-1972-04-01-5北ベトナム1972年04月01日1970年代人民軍,非武装地帯を越えて大攻勢。
DIA-201-1972-04-02-3北ベトナム1972年04月02日1970年代労働党中央委書記局は党の中・高級幹部のための研修学校(修業期間3年で卒業者はグエン・アイ・クオク党中央学校の卒業者と同等の資格を持つ)を開設。 現在同校には400人が在席している。
DIA-201-1972-04-02-4北ベトナム1972年04月02日1970年代米国政府筋の推定によると,1971年のベトナムに対する共産圏諸国の援助つぎのとおり。ソ連:軍事援助1億ドル(1970年7000万ドル),経済援助3億1500万ドル(1970年3億6000万ドル)。中国:軍事援助7500万ドル(1970年8500万ドル),経済援助1億ドル,(1970年6000万ドル)。その他社会主義諸国:軍事・経済援助1億1500万ドル(1970年2億0500万ドル)。
DIA-201-1972-04-04-9北ベトナム1972年04月04日1970年代養豚の発展,1971年に国営養豚は11%,集団養豚は14.7%増加した。省別ではナムハ省61.2%,タイビン省111.2%増加した。
DIA-201-1972-04-06-4北ベトナム1972年04月06日1970年代米国,北爆再開。
DIA-201-1972-04-06-5北ベトナム1972年04月06日1970年代ベトナム人民軍総司令部,全軍に警戒体制にはいってあらゆる事態に備えるよう命令。
DIA-201-1972-04-06-6北ベトナム1972年04月06日1970年代ベトナム外務省,抗議声明。
DIA-201-1972-04-07-5北ベトナム1972年04月07日1970年代ベトナムの駐パリ代表部,フランス政府に対して,影響力を行使してアメリカの北爆を停止するよう要請。
DIA-201-1972-04-08-6北ベトナム1972年04月08日1970年代米海軍艦艇,ファンビン省沿岸を砲撃。
DIA-201-1972-04-10-4北ベトナム1972年04月10日1970年代首相府,米帝の軍事行動に備えるよう全国民に指示。
DIA-201-1972-04-10-5北ベトナム1972年04月10日1970年代中国外交部,米軍の砲爆撃を非難する声明を発表。
DIA-201-1972-04-10-6北ベトナム1972年04月10日1970年代労働党中央委員会総会第20回会議開催。
DIA-201-1972-04-11-6北ベトナム1972年04月11日1970年代米の大規模北爆に抗議して政府声明。
DIA-201-1972-04-12-7北ベトナム1972年04月12日1970年代ホアビン省のマニオク栽培面積は1970年の5,500ヘクタールから1971年には8,900ヘクタールに拡大したが,1972年には1万ヘクタールに拡大する計画である。ヘクタールあたりの生産量も6トンであったが,1972年には6.5トンから7.5トンにする予定。
DIA-201-1972-04-14-3北ベトナム1972年04月14日1970年代訪日中の経済技術視察団は日本外務省の南東アジア課の三宅課長と会談。
DIA-201-1972-04-15-4北ベトナム1972年04月15日1970年代ガス・ホール書記長以下の米国共産党代表団ハノイを訪問。
DIA-201-1972-04-16-5北ベトナム1972年04月16日1970年代ソ連外務省,ハイフォン港停泊中の貨物船2隻が米機の攻撃を受けたことについて駐ソ米大使に抗議。
DIA-201-1972-04-16-6北ベトナム1972年04月16日1970年代党と政府,全国軍民に対し,米侵略者一掃のため不屈の抵抗戦争を堅持するよう呼びかけ。
DIA-201-1972-04-16-7北ベトナム1972年04月16日1970年代米機,ハノイを爆撃。
DIA-201-1972-04-17-1北ベトナム1972年04月17日1970年代楊杰交通部長以下の中国交通代表団来訪。
DIA-201-1972-04-17-2北ベトナム1972年04月17日1970年代ハノイ疎開実施。
DIA-201-1972-04-18-3北ベトナム1972年04月18日1970年代祖国戦線中央委臨時拡大会議。
DIA-201-1972-04-19-2北ベトナム1972年04月19日1970年代ソ連のカツシエフ共産党中央委書記局員非公式に来訪。
DIA-201-1972-04-20-2北ベトナム1972年04月20日1970年代外交部,外交官や外国人居住者にとくに必要でない職員と婦女子の国外への引揚げを勧告。
DIA-201-1972-04-22-2北ベトナム1972年04月22日1970年代『ニャンザン』論文,ニクソンの訪ソを論評。
DIA-201-1972-04-24-2北ベトナム1972年04月24日1970年代バン・ジャン少将以下の政府と軍の代表団,北朝鮮の人民革命軍建軍記念日祝典に出席。
DIA-201-1972-04-26-4北ベトナム1972年04月26日1970年代ニクソン米大統領,北爆継続を命令。
DIA-201-1972-04-28-2北ベトナム1972年04月28日1970年代レ・ドク・ト政治局員パリへ帰仏の途中,北京で中国の周恩来首相と会談。
DIA-201-1972-04-29-2北ベトナム1972年04月29日1970年代外交部,ニクソン演説に反ばくする声明を発表。
DIA-201-1972-04-29-3北ベトナム1972年04月29日1970年代『ニャンザン』紙,ジュネーブ協定第6条により,17度線は国境ではないと主張。
DIA-201-1972-05-01-3北ベトナム1972年05月01日1970年代メーデーに,抗米救国戦争の勝利を決議。
DIA-201-1972-05-02-4北ベトナム1972年05月02日1970年代パリでレ・ドク・ト政治局員とキッシンジャー補佐官が秘密会談。
DIA-201-1972-05-03-5北ベトナム1972年05月03日1970年代リ・バン貿易次官,北京着。
DIA-201-1972-05-05-4北ベトナム1972年05月05日1970年代ハノイの新聞,戦闘状態に突入と宣言。
DIA-201-1972-05-05-5北ベトナム1972年05月05日1970年代レ・タン・ギ副首相,首相代理として,戦時下の治安と市場統制など経済統制に関する法令を公布。
DIA-201-1972-05-06-1北ベトナム1972年05月06日1970年代労働党中央委員会と政府は疎開児童の生活と健康を守るよう指示。
DIA-201-1972-05-08-3北ベトナム1972年05月08日1970年代ニクソン米大統領,北爆の強化と港湾の封鎖を発表。
DIA-201-1972-05-09-5北ベトナム1972年05月09日1970年代ソ連のグレチコ国防相,ドイツ占領27周年に際してベトナム人民への支援を確認。
DIA-201-1972-05-09-6北ベトナム1972年05月09日1970年代中国の船舶紅旗152号と160号の2隻,米軍機の攻撃で大損害。
DIA-201-1972-05-10-7北ベトナム1972年05月10日1970年代ハノイ,ハイフォン,ハイフン,エンバン4都市の軍民,米軍機16機を撃墜,現在までの撃墜機数3,558機。
DIA-201-1972-05-10-8北ベトナム1972年05月10日1970年代米の爆撃強化と機雷封鎖に抗議してベトナム政府声明。
DIA-201-1972-05-11-4北ベトナム1972年05月11日1970年代ソ連,政府声明でベトナムへの支持を確認。
DIA-201-1972-05-11-5北ベトナム1972年05月11日1970年代中国政府声明,ベトナム支持を確認。
DIA-201-1972-05-13-3北ベトナム1972年05月13日1970年代スアン・トイ代表,モスクワ,北京で両国首相と会談して帰国。
DIA-201-1972-05-20-1北ベトナム1972年05月20日1970年代祖国戦線中央委総会第2期第2回大会開催。
DIA-201-1972-05-23-3北ベトナム1972年05月23日1970年代米国防省スポークスマン,工業設備も爆撃すると言明。
DIA-201-1972-05-24-4北ベトナム1972年05月24日1970年代ホアン・バン・ホアン政治局員,モンゴール共和国国会議長の葬儀に参加。
DIA-201-1972-05-26-2北ベトナム1972年05月26日1970年代水利省,4月14日から5月24日までに580個の爆弾が各河川の堤防に投下されたと発表。
DIA-201-1972-05-27-1北ベトナム1972年05月27日1970年代爆撃のため,年末試験は疎開地で実施。
DIA-201-1972-05-28-2北ベトナム1972年05月28日1970年代在ベトナム華僑総会大会抗米戦争遂行を誓約。
DIA-201-1972-06-01-2北ベトナム1972年06月01日1970年代チリと大使級の外交関係を樹立。
DIA-201-1972-06-03-1北ベトナム1972年06月03日1970年代ニンビン省の農機具工場疎開。
DIA-201-1972-06-07-2北ベトナム1972年06月07日1970年代『ニャンザン』紙は「どんな情勢になろうとも農業生産を守り抜こう」と題する社説で,水利施設や堤防の破壊と戦うよう呼びかけ。
DIA-201-1972-06-08-2北ベトナム1972年06月08日1970年代ハタイ省ダムフォン合作社は4日間で米田55ヘクタール春季全米田の25%の収穫を完了した。
DIA-201-1972-06-09-1北ベトナム1972年06月09日1970年代ナムハ省とハイフン省は1971~1972年の冬春季作物の収穫を70~80%完了。
DIA-201-1972-06-10-2北ベトナム1972年06月10日1970年代米軍機,ホンゲイ市を破壊,400人の民間人が死傷。
DIA-201-1972-06-13-1北ベトナム1972年06月13日1970年代ゲアン省エンタン県の冬春季の米作面積は前年の冬春季より6%増え,収穫はヘクタール当り700キロ増加して平均3.5トンに達した。
DIA-201-1972-06-14-2北ベトナム1972年06月14日1970年代ベトバク自治区の少数民族大会で,党中央委員会と政府の呼びかけに応えて,8万の青年が入隊志願を申請。
DIA-201-1972-06-15-1北ベトナム1972年06月15日1970年代グエン・フー・ゴ駐ノルウェー大使,国王に信任状を呈出。
DIA-201-1972-06-15-2北ベトナム1972年06月15日1970年代ソ連のポドゴルヌイ最高会議幹部会議長,非公式にハノイに来訪。
DIA-201-1972-06-16-2北ベトナム1972年06月16日1970年代ハノイでヂミトロフ生誕90周年記念式典。
DIA-201-1972-06-16-3北ベトナム1972年06月16日1970年代水利省は,4月10日から6月10日までの2カ月間に米機は重要堤防を68回爆撃し,堤防32カ所と水利施設31カ所を破壊したと発表した。
DIA-201-1972-06-20-3北ベトナム1972年06月20日1970年代米機ナムディンを爆撃。
DIA-201-1972-06-20-4北ベトナム1972年06月20日1970年代スウェーデンのクリストフォーオーベ駐ハノイ大使,信任状を提出。
DIA-201-1972-06-25-1北ベトナム1972年06月25日1970年代国家統計院の第1期集計によると,ハイフン,ハバク,ハタイ,ビンフー4省内の500の合作社は春季の義務食糧の供出を完了,うち30の合作社は年間の義務食糧の供出を完了した。
DIA-201-1972-06-25-2北ベトナム1972年06月25日1970年代外務省,タイが米のインドシナ侵略の基地として使われているのを非難。
DIA-201-1972-06-26-4北ベトナム1972年06月26日1970年代ケニアのシソコ外相,ナムディン国立第3技術学校再建基金に1000万ポンド贈与。
DIA-201-1972-06-27-4北ベトナム1972年06月27日1970年代ハノイの防空部隊,米軍機5機を撃墜,1964年8月5日以来の撃墜機数3,700機。
DIA-201-1972-06-28-5北ベトナム1972年06月28日1970年代北京で中国と1972年度経済軍事援助補充援助協定に調印。
DIA-201-1972-06-29-4北ベトナム1972年06月29日1970年代ゲアン省の春季米作面積は昨年より2,000ヘクタール,収穫量は16%増加した。省内合作社の70%が1ヘクタール当り2ないし2.1トンを収穫した。
DIA-201-1972-06-30-3北ベトナム1972年06月30日1970年代米国防省によると中越間に石油パイプラインが完成。
DIA-201-1972-07-06-2北ベトナム1972年07月06日1970年代ハノイ郊外の合作社は今年冬春季にヘクタール当り3.3トンから45トンの籾を,また野菜は14.8トンを収穫した。野菜のうち,キャベツ35トン,カブ15.5トン,いんげん類11トンであった。
DIA-201-1972-07-06-3北ベトナム1972年07月06日1970年代米機タンホア省のバイツォンの水利ダムを爆撃。
DIA-201-1972-07-07-3北ベトナム1972年07月07日1970年代保健省,30の保健施設が爆撃を受けたと発表。
DIA-201-1972-07-07-4北ベトナム1972年07月07日1970年代スアントイ,パリ代表は北京で中国の周首相と会見。
DIA-201-1972-07-07-5北ベトナム1972年07月07日1970年代ハバク省の今冬春季の米作面積は前期と比べると3.6%,生産量は11%増加した。
DIA-201-1972-07-07-6北ベトナム1972年07月07日1970年代ハイフン省,食糧義務を100%完了。
DIA-201-1972-07-12-5北ベトナム1972年07月12日1970年代レ・ドク・ト顧問,パリへ帰任の途中,北京で周首相と会談。
DIA-201-1972-07-12-6北ベトナム1972年07月12日1970年代労働党中央委書記局,全国の党・政府機関に傷病兵,戦死者の遺族,兵士の家族に対して援助と保護を与えるよう指示。
DIA-201-1972-07-13-2北ベトナム1972年07月13日1970年代政府,秋季農作に努力するよう指示。
DIA-201-1972-07-14-2北ベトナム1972年07月14日1970年代トン・ドク・タン大統領,ジュネーブ協定調印18周年を前にして全人民と軍隊にアピール。
DIA-201-1972-07-14-3北ベトナム1972年07月14日1970年代ハノイで日本共産党創立50周年記念祝賀会。
DIA-201-1972-07-15-3北ベトナム1972年07月15日1970年代レ・ドク・ト政治局員,パリに帰任。
DIA-201-1972-07-16-1北ベトナム1972年07月16日1970年代7月10日までに全国で6つの省と都市,41の県および3,250の合作社が義務食糧の供出,借穀の返済を完遂し余剰米を国家へ売却した。
DIA-201-1972-07-17-1北ベトナム1972年07月17日1970年代戦時労働義務令公布。
DIA-201-1972-07-19-2北ベトナム1972年07月19日1970年代レ・ドク・ト政治局員とキッシンジャー補佐官秘密会談。
DIA-201-1972-07-19-3北ベトナム1972年07月19日1970年代ハノイの米国の「戦争犯罪調査委員会」は「米軍機が北ベトナムに投下した爆弾の数は4月以来8万3000に達し,うち1万4000が今月前半にB52により投下された」と発表。 105ミリ,155ミリの砲弾は4万4000発が沿岸地方に打ち込まれた。
DIA-201-1972-07-19-4北ベトナム1972年07月19日1970年代モンゴールと文化協力協定に調印。
DIA-201-1972-07-22-2北ベトナム1972年07月22日1970年代ソ連のX.ルキアセンコ海軍次官,ハノイに来訪。
DIA-201-1972-07-23-1北ベトナム1972年07月23日1970年代米国防総省筋によれば北・中国に新パイプライン。
DIA-201-1972-07-24-1北ベトナム1972年07月24日1970年代ワルトハイム国連総長,「もし堤防爆撃が本当だとすると大災害となり,何千人という人が死ぬことになる。これは避けねばならない」と語る。
DIA-201-1972-07-24-2北ベトナム1972年07月24日1970年代米機,ハノイを夜間爆撃。
DIA-201-1972-07-25-3北ベトナム1972年07月25日1970年代米軍機,ハチン省のラ河のダムを破壊。
DIA-201-1972-07-26-2北ベトナム1972年07月26日1970年代ソンラ省,7月15日までに秋季米の植付けを75%完了。
DIA-201-1972-07-26-3北ベトナム1972年07月26日1970年代米国務省スポークスマン,堤防爆撃は故意にやっているのではないと強調。
DIA-201-1972-07-26-4北ベトナム1972年07月26日1970年代米軍機,タイビン省のチャリ河のダムを大型爆弾で破壊。
DIA-201-1972-07-27-2北ベトナム1972年07月27日1970年代ソ連のグロムイコ外相,ボー・トク・ドン駐ソ大使にソ連がベトナム人民の立場を支持することを約束。
DIA-201-1972-07-29-1北ベトナム1972年07月29日1970年代クアンミ水利部次官によると,過去4カ月間に米軍機の堤防爆撃回数は173回。
DIA-201-1972-07-29-2北ベトナム1972年07月29日1970年代全欧州共産党会議,ベトナム人民支援を決議。
DIA-201-1972-07-31-1北ベトナム1972年07月31日1970年代カイロでアラブ連合共和国と郵便協定に調印。
DIA-201-1972-07-31-2北ベトナム1972年07月31日1970年代グエン・フー・ゴ駐デンマーク大使,信任状を提出。
DIA-201-1972-07-31-3北ベトナム1972年07月31日1970年代ハノイで中国人民解放軍建軍45周年記念式典,ボー・グエン・ザップ国防相出席。
DIA-201-1972-08-05-2北ベトナム1972年08月05日1970年代米国防筋によると,中越間に2本目の石油パイプラインが建設中。
DIA-201-1972-08-05-3北ベトナム1972年08月05日1970年代スウェーデンのクラッケンバーグ外務次官を団長とする経済代表団来訪。
DIA-201-1972-08-05-4北ベトナム1972年08月05日1970年代ベトナム人民軍の砲兵,高射部隊,空軍,海軍および民兵部隊は1964年8月5日から1972年8月2日現在までに,米軍機F105,F4,A7,A6,B52,無人偵察機など各種の米機3,797機を撃墜した。そのうちB52,16機が含まれている。また捕虜となったパイロットは409人である。
DIA-201-1972-08-08-2北ベトナム1972年08月08日1970年代戦時経済体制の強化。
DIA-201-1972-08-10-3北ベトナム1972年08月10日1970年代グエン・ベット外交部アジア局の局長代理はインドネシアの代理大使にASEAN会議のベトナム問題解決案は適当でないと抗議した。
DIA-201-1972-08-12-2北ベトナム1972年08月12日1970年代国の秋季米植付け面積は80%完了。
DIA-201-1972-08-16-4北ベトナム1972年08月16日1970年代ハノイに来訪して北爆を目撃したクラーク元司法長官,米上院で証言。
DIA-201-1972-08-18-1北ベトナム1972年08月18日1970年代レ・ドク・ト政治局員,パリからの帰途北京で中国の周首相と会談。
DIA-201-1972-08-22-3北ベトナム1972年08月22日1970年代米軍機,ベトナム領海で中国船紅旗151号を攻撃,船長以下5人の中国船員が死亡。
DIA-201-1972-08-22-4北ベトナム1972年08月22日1970年代ラオス愛国戦線中央委員会代表団ハノイに来訪。
DIA-201-1972-08-25-1北ベトナム1972年08月25日1970年代ソ連と1973年度文化,科学協力協定に調印。
DIA-201-1972-08-27-1北ベトナム1972年08月27日1970年代8月20日現在北ベトナム全域で秋季稲植え面積95%に達した。
DIA-201-1972-08-28-1北ベトナム1972年08月28日1970年代全世界で米の堤防破壊に抗議。
DIA-201-1972-08-29-2北ベトナム1972年08月29日1970年代ハイフォン港に中国船入港。
DIA-201-1972-08-30-1北ベトナム1972年08月30日1970年代サイゴンの米軍当局によると3月30日から今月までの5カ月間に北爆で84機が撃墜されパイロット74名が行方不明になった。
DIA-201-1972-08-30-2北ベトナム1972年08月30日1970年代首相府は戦時情勢に対応するため,中学と大学に学習と同時に戦闘と生産にも服務するよう指示した。
DIA-201-1972-08-30-3北ベトナム1972年08月30日1970年代チュニジアのマットスムデ外相,ドン首相と会談。
DIA-201-1972-08-30-4北ベトナム1972年08月30日1970年代大型機によるハノイ向けソ連の空輸急増。
DIA-201-1972-08-31-2北ベトナム1972年08月31日1970年代今春季の農業生産は国家計画より全体で6%高かった。ハテン省は114.6%,ハイフン省110%,ハバク省は126.5%,ゲアン省は115.2%,ナムハ省は103.6%,クアンビン省は136.8%,ハテン省は103%,タンホア省は101.1%,ソンラ省は110%,ツウンクアン省は107%,タイビン省は102.5%,ビンフー省は105%,ビンリン特別区は100%であった。
DIA-201-1972-09-01-2北ベトナム1972年09月01日1970年代ドン首相8月革命と建国27周年を記念する集会で演説。 ・北ベトナムは米空軍による破壊戦争と港湾封鎖を打破り,さらにこれを完全に打破る決意を堅めている。「ベトナム化」戦略に致命的な打撃を与え,完全な勝利の日まで,さらに大きな勝利をかちとる決意を堅めて前進しよう。 ・われわれは社会主義兄弟諸国の人民に対し,プロレタリア国際主義の旗を高く掲げ,インドシナの戦場で,現在,くりひろげられている米帝国主義に反対する戦いに対する自らの国際的義務を果たすよう要求する権利を持っている。
DIA-201-1972-09-01-3北ベトナム1972年09月01日1970年代赤道ケニア共和国と大使級の外交関係を樹立。
DIA-201-1972-09-01-4北ベトナム1972年09月01日1970年代統一カメルーン共和国と大使級の外交関係を樹立。
DIA-201-1972-09-01-5北ベトナム1972年09月01日1970年代政府と人民軍,米人捕虜3人の釈放を決定。
DIA-201-1972-09-05-2北ベトナム1972年09月05日1970年代訪日中のハノイ総合大学のグイ・ニュー・コンツム学長は越智日本学術会議会長を訪問,学術交流で合意。
DIA-201-1972-09-07-3北ベトナム1972年09月07日1970年代米情報当局によるとバン・チェン・ズン人民軍参謀長とチャン・コク・ホアン公安部長が労働党政治局員に昇格。
DIA-201-1972-09-08-1北ベトナム1972年09月08日1970年代レ・ドク・ト政治局員,スアン・トイ無任所相は北京で中国の周首相と会談。
DIA-201-1972-09-11-4北ベトナム1972年09月11日1970年代トン・ドク・タン大統領,森林保護令に署名。
DIA-201-1972-09-12-2北ベトナム1972年09月12日1970年代都市から農村と山岳部へ児童600万が疎開。
DIA-201-1972-09-13-1北ベトナム1972年09月13日1970年代米国防総省と中央情報局の最近の報告書は激しい北爆にもかかわらず北から南への兵力および武器の供給は減少しておらず,解放軍は今後2年間にわたって南での戦闘を現在の規模で続行する力を持っていると述べた。
DIA-201-1972-09-14-1北ベトナム1972年09月14日1970年代ザンビアと大使級の外交関係を樹立。
DIA-201-1972-09-15-1北ベトナム1972年09月15日1970年代海運交通大学の卒業生,今年は324人。
DIA-201-1972-09-17-1北ベトナム1972年09月17日1970年代首相府一般教育課程で英,露,中,仏の外国語教育を強化するよう指示。
DIA-201-1972-09-19-2北ベトナム1972年09月19日1970年代農業水利施設管理指導委員会設置。議長にホアン・アン副首相が就任。
DIA-201-1972-09-20-2北ベトナム1972年09月20日1970年代ハノイで,キューバの1973年度無償援助協定と物資交換協定に調印。
DIA-201-1972-09-22-2北ベトナム1972年09月22日1970年代ブルガリアと1972~73年度文化協力協定に調印。
DIA-201-1972-09-22-3北ベトナム1972年09月22日1970年代米国の平和委員会代表と釈放された捕虜の家族は捕虜帰国の4条件をニクソン大統領に要請。4条件は,①釈放捕虜は家族とともに民間機で米国に向かう,②彼等が望むならば,30日間の休暇を与える,③彼等が選択する民間あるいは軍の病院で完全な健康診断を受けさせる,④インドシナにおける米国の戦争に彼等は今後いっさいのかかわりをもたない。
DIA-201-1972-09-28-1北ベトナム1972年09月28日1970年代ハノイの農業第一大学技師課程の本年度卒業生は881人。内訳は栽培科302人,畜産科52人,獣医科158人,農業経済科198人,農業機械科47人,農業電力科24人である。また卒業生のうち,女子275人,少数民族出身60人,南ベトナム出身79人。
DIA-201-1972-10-01-2北ベトナム1972年10月01日1970年代国慶節にあたり中国首脳へ祝電。ハノイでの祝賀会には,チュオン・チン国会常務委員長,ファム・バン・ドン首相,ボー・グエン・ザプ副首相兼国防相,グエン・ズイ・チン副首相兼外相,レ・タン・ギ副首相が出席。
DIA-201-1972-10-02-4北ベトナム1972年10月02日1970年代米下院,北ベトナムへの入国を制限する法案を否決。
DIA-201-1972-10-02-5北ベトナム1972年10月02日1970年代英国の『デイリー・ミラー』は「今月キッシンジャーとの重要会談あり」と報道。
DIA-201-1972-10-02-6北ベトナム1972年10月02日1970年代駐ハノイ,デンマーク大使到着。
DIA-201-1972-10-03-3北ベトナム1972年10月03日1970年代全国の37都市の行政委員会主席は連名で全世界の都市の首長に対し,ニクソン政権の残虐な行為を非難するようアピールを発表。
DIA-201-1972-10-05-4北ベトナム1972年10月05日1970年代タイビン省で「全党および全人民は冬季生産競争」運動のための全省大会開催。
DIA-201-1972-10-05-5北ベトナム1972年10月05日1970年代6日付けの英紙『タイムズ』,ベトナム戦争終結に関し,米国と北ベトナムが大筋の合意に達したと報道。
DIA-201-1972-10-06-3北ベトナム1972年10月06日1970年代ポーランドと1972~73年文化協力協定。
DIA-201-1972-10-07-2北ベトナム1972年10月07日1970年代政府は人民の貯金を奨励するため預金金利をつぎのように改定,10月1日から実施。 5年以上の節約預金については年利を旧来の2%から5.2%へ,普通預金の月利は0.25%から0.32%へ,6カ月以上の定期預金の月利0.30%から0.32%へ,1年以上の定期預金の月利を0.35%。
DIA-201-1972-10-08-4北ベトナム1972年10月08日1970年代キッシンジャー補佐官とレ・ドク・ト顧問会談,ヘイグ少将も同席。
DIA-201-1972-10-11-2北ベトナム1972年10月11日1970年代秘密会談4日連続。
DIA-201-1972-10-11-3北ベトナム1972年10月11日1970年代米機,ハノイのフランス代表部を爆撃,スシニ代表重体(19日パリで死亡)。
DIA-201-1972-10-12-3北ベトナム1972年10月12日1970年代『シカゴ・デイリー・ニュース』は,ハノイの仏総代表部を破壊した11日の米軍機のハノイ中心部爆撃は,米統合参謀本部からの極秘命令によるものだったと報じた。
DIA-201-1972-10-13-2北ベトナム1972年10月13日1970年代ディン・チ・カン中央委員候補兼母子保護委員会議長を団長とする代表団訪日。
DIA-201-1972-10-13-3北ベトナム1972年10月13日1970年代ト顧問ハノイへ出発。
DIA-201-1972-10-14-3北ベトナム1972年10月14日1970年代ドン首相,ラクチュール記者との会見で米国は軍事問題と政治問題の不可分を承認し,南に選挙前に三派連合政府を作ることを認めたと語った。
DIA-201-1972-10-14-4北ベトナム1972年10月14日1970年代クアン・ドイ・『ニャンザン』紙「この主人にしてこの従僕あり」と題する論評で「米は和平望まず」と非難した。
DIA-201-1972-10-14-5北ベトナム1972年10月14日1970年代中国の魏震東広州海運局局長を団長とする海運代表団,ハノイに来訪。
DIA-201-1972-10-17-3北ベトナム1972年10月17日1970年代ビンフー省の軍民,米軍のF111型1機を撃墜,これで北上空で撃墜された米機は4,000機に達した。
DIA-201-1972-10-17-4北ベトナム1972年10月17日1970年代駐パリ,ボー・バン・ソン総代表シューマン外相と会見。
DIA-201-1972-10-18-3北ベトナム1972年10月18日1970年代キッシンジャー補佐官パリでスアン・トイ代表と会談,その後サイゴンへ,サリバン国務次官も同行。
DIA-201-1972-10-21-4北ベトナム1972年10月21日1970年代カムファイ・ブファー駐ベトナムのラオス愛国戦線代表部団長,グエン・ルウン・バン副大統領に信任状を提出。
DIA-201-1972-10-23-6北ベトナム1972年10月23日1970年代ドン首相,『ニューズ・ウイーク』誌で3段階の和平案を説明。
DIA-201-1972-10-26-4北ベトナム1972年10月26日1970年代政府声明で9項目の合意内容発表(資料参照)。
DIA-201-1972-10-27-2北ベトナム1972年10月27日1970年代タス通信によるとコスイギン首相,ベトナム民主共和国と南ベトナム臨時革命政府の両大使との会見で,早期調印の希望を表明。
DIA-201-1972-10-27-3北ベトナム1972年10月27日1970年代シアヌーク殿下ハノイに来訪,28日共同声明発表。
DIA-201-1972-10-27-4北ベトナム1972年10月27日1970年代レアード米国防長官,20度線以北のベトナム爆撃を全面的に停止したことを確認。
DIA-201-1972-10-28-4北ベトナム1972年10月28日1970年代日本の会社大洋漁業にトンキン湾漁場開発に協力を要請。
DIA-201-1972-10-30-2北ベトナム1972年10月30日1970年代中国,米に9項目協定の調印を要求する政府声明を発表。
DIA-201-1972-11-02-2北ベトナム1972年11月02日1970年代日本の正和海運,ベトナム対外貿易運輸公司との間に和平後に定期航路を開設すると発表。
DIA-201-1972-11-03-2北ベトナム1972年11月03日1970年代米政府当局者,過去数週間に最低2個連隊の北正規軍が南ベトナム北部から引き揚げたとみられると語った。
DIA-201-1972-11-03-3北ベトナム1972年11月03日1970年代対外貿易運輸公司,日本の友好海運会社に,「11月中に両国間の航路が正常にもどるので集荷をいそぐように」と電報。
DIA-201-1972-11-03-4北ベトナム1972年11月03日1970年代フランスの経済紙『レゼコー』は「北ベトナム政府がフランスに植林など各分野にわたる技術協力を要請」と報道。
DIA-201-1972-11-04-1北ベトナム1972年11月04日1970年代ニクソン政権,75億ドルにのぼるインドシナ戦後経済復興援助5カ年計画を検討中,このうち北ベトナムへ25億ドルの援助を見込む。
DIA-201-1972-11-04-2北ベトナム1972年11月04日1970年代スアン・トイ代表発言。 ・われわれは,再会談に難題をつけているわけではない。 ・実質的問題について再交渉するのなら,こちらもベトナム人民間抑留者問題の再検討を求めるかもしれない。停戦後,60日以内にすべての軍人と外国民間人捕虜の釈放を要求する合意項目から,ベトナム人民間抑留者を除外したのは,北ベトナムの譲歩である。
DIA-201-1972-11-05-2北ベトナム1972年11月05日1970年代サイゴンの米国筋によると,米軍は北に対する政治ビラ散布や宣伝放送を中止。
DIA-201-1972-11-06-1北ベトナム1972年11月06日1970年代党,国会と政府の首脳は10月革命55周年を記念してソ連指導部へ祝電。
DIA-201-1972-11-06-2北ベトナム1972年11月06日1970年代ワシントンのAFP北軍の残留認め,3地域に再編成で妥協成立と報道。
DIA-201-1972-11-07-2北ベトナム1972年11月07日1970年代サイゴンの米軍筋,北米,カンボジア国境に根拠地を再構築中と語る。
DIA-201-1972-11-07-3北ベトナム1972年11月07日1970年代スイスの全権大使,ハノイ着任。
DIA-201-1972-11-07-4北ベトナム1972年11月07日1970年代グエン・ズイ・チン外相,日本の鎌倉市長正木千冬氏らと会見。
DIA-201-1972-11-08-2北ベトナム1972年11月08日1970年代北軍11万人の引揚げで密約説流る。
DIA-201-1972-11-08-3北ベトナム1972年11月08日1970年代パキスタンと大使級の外交関係を樹立。
DIA-201-1972-11-09-1北ベトナム1972年11月09日1970年代ハノイ消息筋,米捕虜の送還は海路の予定。
DIA-201-1972-11-09-2北ベトナム1972年11月09日1970年代米国防総省,機雷除去のため米掃海部隊の北部集結を認める。
DIA-201-1972-11-09-3北ベトナム1972年11月09日1970年代ニクソン大統領,記者会見で,「我々は北ベトナムに対しても経済ベースの若干の援助を行なうだろう,我々の関心はいま戦争を終わらせるための協定を実現することだけでなく,この問題で将来とも影響力を確保することにも寄せられている」と語った。
DIA-201-1972-11-10-4北ベトナム1972年11月10日1970年代スアン・トイ代表はAFPとの会見で,3派評議会は政府ではなく管理機構であると,キッシンジャー補佐官の見解を支持。
DIA-201-1972-11-11-4北ベトナム1972年11月11日1970年代『ニャンザン』紙,「反グエン・バン・チュー戦線が拡大している」と題する社説を発表。
DIA-201-1972-11-13-2北ベトナム1972年11月13日1970年代ザンビア共和国の初代全権大使着任。
DIA-201-1972-11-14-3北ベトナム1972年11月14日1970年代駐米ソ連大使突然帰国。
DIA-201-1972-11-14-4北ベトナム1972年11月14日1970年代ト顧問,北京で周恩来首相,李先念副首相と会談。
DIA-201-1972-11-14-5北ベトナム1972年11月14日1970年代日本の全農,中央合作総社との間に和平協定調印後,2人の研修生を受けいれることに同意。
DIA-201-1972-11-16-1北ベトナム1972年11月16日1970年代ト顧問,モスクワでスースロフ政治局員,カツシエフ書記,グロムイコ外相と会談。
DIA-201-1972-11-17-1北ベトナム1972年11月17日1970年代ト顧問パリ到着。
DIA-201-1972-11-17-2北ベトナム1972年11月17日1970年代ホワイトハウス,キッシンジャー補佐官は北ベトナムとの会談を20日から開始すると発表。
DIA-201-1972-11-20-2北ベトナム1972年11月20日1970年代パリ秘密会談。
DIA-201-1972-11-22-2北ベトナム1972年11月22日1970年代秋季米作面積の70%で収穫を完了。
DIA-201-1972-11-22-3北ベトナム1972年11月22日1970年代17度~20度線地域に対して北爆激化,B52,15波出動。
DIA-201-1972-11-22-4北ベトナム1972年11月22日1970年代B52,1機を撃墜。
DIA-201-1972-11-23-1北ベトナム1972年11月23日1970年代タイビン省ドンフン県では今秋季に平均1ヘクタール当り3.5トンの籾を収穫。
DIA-201-1972-11-24-1北ベトナム1972年11月24日1970年代大学および中等専門学校の講師などの団体,社会主義労働組合を結成。
DIA-201-1972-11-25-3北ベトナム1972年11月25日1970年代ハイフン省の米作,年間で1ヘクタール当り5トンの目標を達成,内訳,春季,2.76トン,秋季2.4トン。
DIA-201-1972-11-25-4北ベトナム1972年11月25日1970年代B52,14波の北爆。
DIA-201-1972-11-26-2北ベトナム1972年11月26日1970年代タンホア省の今秋季米作ヘクタール当り2.6トンで年間5トンを達成。
DIA-201-1972-11-26-3北ベトナム1972年11月26日1970年代バングラデシュとの間に大使級の外交関係を樹立。
DIA-201-1972-11-26-4北ベトナム1972年11月26日1970年代北京で中国とレ・タン・ギ副首相を団長とする経済代表団1973年度の経済軍事物資無償援助協定と軍事装備物資無償供与議定書に調印。
DIA-201-1972-11-26-5北ベトナム1972年11月26日1970年代チョウ・バン・ビエン駐インド大使,ギリ大統領に信任状を提出。
DIA-201-1972-11-27-2北ベトナム1972年11月27日1970年代ボバン・スン駐仏総代表,シューマン外相と会談。
DIA-201-1972-11-27-3北ベトナム1972年11月27日1970年代グエン・コ・タク外務次官帰国。
DIA-201-1972-11-27-4北ベトナム1972年11月27日1970年代『ニャンザン』,「米国はどのような道を選ぶのか」評論員論文。
DIA-201-1972-11-27-5北ベトナム1972年11月27日1970年代チリのマリア・マルエンダ代理大使,着任。
DIA-201-1972-11-29-2北ベトナム1972年11月29日1970年代労働党中央委員会,タイ共産党,創立30周年にあたり同党中央委員会に祝電。
DIA-201-1972-11-30-1北ベトナム1972年11月30日1970年代政府,傷病退役軍人の社会復帰のための一連の措置を発表。
DIA-201-1972-11-30-2北ベトナム1972年11月30日1970年代ツウエンクアン省の今秋季米作はヘタタール当り2.3トンで年間では4.2トンに達した。
DIA-201-1972-11-30-3北ベトナム1972年11月30日1970年代インドのシリア・グップ大使着任。
DIA-201-1972-12-01-4北ベトナム1972年12月01日1970年代オーストリアと大使級の外交関係を樹立。
DIA-201-1972-12-02-2北ベトナム1972年12月02日1970年代コスイギン首相,レ・タン・ギ副首相と会見。
DIA-201-1972-12-03-2北ベトナム1972年12月03日1970年代『ニャンザン』,「責任は誰にあるのか」と題する社説を発表。
DIA-201-1972-12-03-3北ベトナム1972年12月03日1970年代電波ニュース,北の自由市場で米の価格1キロ1.5ドン(150円)から1ドンへ,豚の上肉1キロ5ドンから4ドンに下った。
DIA-201-1972-12-05-3北ベトナム1972年12月05日1970年代ハノイの外大英語科71-72年度卒業生は5日緊急の理由により大学へ戻るよう命令された。
DIA-201-1972-12-05-4北ベトナム1972年12月05日1970年代ハノイに警戒体制公布。
DIA-201-1972-12-08-2北ベトナム1972年12月08日1970年代日越貿易会,停戦後に北へ経済使節団派遣を検討。
DIA-201-1972-12-09-1北ベトナム1972年12月09日1970年代レ・タン・ギ副首相,ソ連の1973年度経済と軍事無償援助協定,長期借款協定,物資交換協定,両国間の経済・科学・技術協力協定に調印。
DIA-201-1972-12-10-2北ベトナム1972年12月10日1970年代フランス共産党第20回大会出席のためレ・タン・ギ代表団,パリ到着。
DIA-201-1972-12-10-3北ベトナム1972年12月10日1970年代B52,90波もの北爆。
DIA-201-1972-12-12-3北ベトナム1972年12月12日1970年代B52,ドンホイ周辺に13波の爆撃。
DIA-201-1972-12-14-2北ベトナム1972年12月14日1970年代ホク・タプ「われわれが現在進めている和平交渉は,南ベトナムを将来政治的に制圧するための一時的策略である」という論文を掲載。
DIA-201-1972-12-14-3北ベトナム1972年12月14日1970年代グエン・タン・レ・スポークスマンは記者会見で,「和平協定はパリ会談に参加している4者の調印が必要である」と言明。 10月27日の記者会見では米のロジャース長官と北のグエン・ズイ・チン外相でいいと言明。
DIA-201-1972-12-15-2北ベトナム1972年12月15日1970年代ハノイ放送は「パリ交渉が長引いているのは,米国が軍事援助を全面停止することを拒否し,南ベトナムにおける新植民地主義的支配の維持をねらっているためである」と非難した。
DIA-201-1972-12-15-3北ベトナム1972年12月15日1970年代B52,16波の北爆。
DIA-201-1972-12-16-5北ベトナム1972年12月16日1970年代ト顧問,モスクワでキリレンコ政治局員,カツシエフ書記と会見。
DIA-201-1972-12-16-6北ベトナム1972年12月16日1970年代チョオン・チン政治局員・国会議長を団長とする党,国会・政府代表団,ソ連共和国創立50周年式典に出席のためソ連へ出発。
DIA-201-1972-12-17-1北ベトナム1972年12月17日1970年代米機,ハイフォンを爆撃。
DIA-201-1972-12-17-2北ベトナム1972年12月17日1970年代ニヤンザン社説,米の調印引き延ばしを非難。
DIA-201-1972-12-17-3北ベトナム1972年12月17日1970年代チュオン・チン中央政治局員,ホアン・バン・ホアン中央政治局員らは周恩来首相,張春橋政治局員と会見。
DIA-201-1972-12-17-4北ベトナム1972年12月17日1970年代ト顧問,周恩来首相と会見,18日ハノイへ出発。
DIA-201-1972-12-18-4北ベトナム1972年12月18日1970年代米20度線以北の北爆を再開─ハイフォン港に機雷設置。
DIA-201-1972-12-18-5北ベトナム1972年12月18日1970年代レアード国防長官は20度線以北の北爆制限を解除すると発表。
DIA-201-1972-12-18-6北ベトナム1972年12月18日1970年代ト顧問,ハノイ着。
DIA-201-1972-12-19-2北ベトナム1972年12月19日1970年代マダガスカル共和国と外交関係を樹立。
DIA-201-1972-12-19-3北ベトナム1972年12月19日1970年代外務省声明,完全勝利まで抗米救国闘争を強化し闘うと述べた。
DIA-201-1972-12-19-4北ベトナム1972年12月19日1970年代トイ代表,キ補佐官は12月13日に,126カ所の修正要求を持ちだしたと語る。
DIA-201-1972-12-19-5北ベトナム1972年12月19日1970年代空母エンタープライズ・トンキン湾へ。
DIA-201-1972-12-19-6北ベトナム1972年12月19日1970年代デンマークの首相,米国に抗議。
DIA-201-1972-12-20-2北ベトナム1972年12月20日1970年代北代表団,専門家会談を延期。
DIA-201-1972-12-20-3北ベトナム1972年12月20日1970年代中国外務省勝利まで支援すると声明。
DIA-201-1972-12-20-4北ベトナム1972年12月20日1970年代スウェーデンのクリステル・ウイクマン外相,米の爆撃を盲目的かつ残酷と非難。
DIA-201-1972-12-20-5北ベトナム1972年12月20日1970年代B52,100機と戦闘爆撃機500機以上がハノイ・ハイフォン地区を爆撃。
DIA-201-1972-12-20-6北ベトナム1972年12月20日1970年代パリの専門家会談再開。サリバン国務次官補代理とトイ代表が出席。
DIA-201-1972-12-20-7北ベトナム1972年12月20日1970年代駐ハノイ仏総代表にクロード・シャイエ(Claude Chayet)氏。
DIA-201-1972-12-21-3北ベトナム1972年12月21日1970年代米機延べ数百機でハノイ・ハイフォン地区を集中爆撃。
DIA-201-1972-12-21-4北ベトナム1972年12月21日1970年代公式会談で北および臨時革命政府代表団,米を非難し退場,28日再開を提案。
DIA-201-1972-12-21-5北ベトナム1972年12月21日1970年代ハノイ放送北爆再開後,B52,15機,その他34機を撃墜と発表。
DIA-201-1972-12-21-6北ベトナム1972年12月21日1970年代政府声明─「ベトナム人民とベトナム民主共和国政府は,ソ連,中国,その他の社会主義兄弟諸国の政府と人民,平和を愛し正義を主張する各国の人民と政府,およびアメリカ人民が,時をうつさずニクソン政府の罪悪的魔手をとりおさえ,かれらにベトナム侵略戦争をやめさせ,1972年10月20日にベトナム民主共和国と合意ずみの協定に即時調印することを要求するよう,心から呼びかける」。
DIA-201-1972-12-21-7北ベトナム1972年12月21日1970年代ブレジネフ共産党書記長,ソ連はこの侵略行動を激しく非難すると演説。
DIA-201-1972-12-22-1北ベトナム1972年12月22日1970年代米機ハノイを5日連続猛爆。
DIA-201-1972-12-23-1北ベトナム1972年12月23日1970年代北代表団,専門家会談でも抗議して退場。
DIA-201-1972-12-23-2北ベトナム1972年12月23日1970年代ニュージーランド首相,米に抗議の手紙。
DIA-201-1972-12-24-2北ベトナム1972年12月24日1970年代ハノイ放送によるとベトナムの軍民はB52,18機とFⅢ5機を含む米軍用機53機を撃墜,米艦8隻を炎上させた。
DIA-201-1972-12-26-1北ベトナム1972年12月26日1970年代ハノイ市当局,人口100万のうち40万人が疎開したと発表。
DIA-201-1972-12-26-2北ベトナム1972年12月26日1970年代米機,ハノイ,ハイフォン地区を爆撃,ベトナム人民軍,B52,8機を撃墜。
DIA-201-1972-12-27-2北ベトナム1972年12月27日1970年代北代表団,米軍機の爆撃が続くかぎり,専門家会談には応じられないと通告。
DIA-201-1972-12-27-3北ベトナム1972年12月27日1970年代中国とベトナム,1973年度物資相互供給・支払い協定に調印。
DIA-201-1972-12-29-2北ベトナム1972年12月29日1970年代北京で北ベトナム人民・抗米救国闘争支持大会(1万人集会)。
DIA-201-1972-12-29-3北ベトナム1972年12月29日1970年代米,パルメ首相の北爆非難に対してスウェーデン大使の受入れを拒否。
DIA-201-1972-12-29-4北ベトナム1972年12月29日1970年代チュオン・チン政治局員,モスクワでスースロフ政治局員,ウスチノフ書記と会談。
DIA-201-1972-12-29-5北ベトナム1972年12月29日1970年代ハノイ上空でB52,1機を撃墜,18日以来B52,34機を撃墜,その他を加えて総数79機を撃墜。
DIA-201-1972-12-30-2北ベトナム1972年12月30日1970年代チュオン・チン政治局員モスクワを出発,帰国の途へ。
DIA-201-1972-12-30-3北ベトナム1972年12月30日1970年代ホワイトハウス,パリ秘密会談1月8日に再開と発表。また20度線以北の北爆停止も発表。
DIA-201-1972-12-30-4北ベトナム1972年12月30日1970年代北代表団,秘密会談及び技術会談に同意。
DIA-201-1972-12-31-1北ベトナム1972年12月31日1970年代チュニジアと外交関係樹立。
DIA-201-1973-01-01-2北ベトナム1973年01月01日1970年代北ベトナムのパリ会談代表団コミュニケ発表。 ・米国は12月29日午後7時以降20度線以北に対する砲爆撃の中止に合意したので,両代表の交渉に合意する。 ・もし米国が同様の態度を示しさえすれば,戦争終結とベトナムでの平和回復に関する協定に速やかにこぎつけることが可能である。
DIA-201-1973-01-01-3北ベトナム1973年01月01日1970年代『ニヤンザン』紙,1972年の戦果を発表,1972年の撃墜機数732機(うちB52型54機)。
DIA-201-1973-01-02-3北ベトナム1973年01月02日1970年代ソ連邦成立50周年記念式典に出席した党,国会政府代表団(団長チュオン・チン国会常務委員長)帰国。
DIA-201-1973-01-02-4北ベトナム1973年01月02日1970年代パリで専門家会談再開,米側,サリバン国務副次官補,ベトナム側グエン・コ・タク外務次官が出席。
DIA-201-1973-01-02-5北ベトナム1973年01月02日1970年代チュニジアと大使級の外交関係樹立。
DIA-201-1973-01-02-6北ベトナム1973年01月02日1970年代レ・タン・ギ副首相を団長とする代表団,ルーマニアを訪問。1973年度経済軍事援助協定に調印。
DIA-201-1973-01-03-2北ベトナム1973年01月03日1970年代クロード・シャイエ駐ハノイ仏総代表着任。
DIA-201-1973-01-03-3北ベトナム1973年01月03日1970年代レ・ドク・ト政治局員,北京で局恩来首相と会見。
DIA-201-1973-01-04-4北ベトナム1973年01月04日1970年代米機20度線と21度線の間のドンライ村を爆撃。
DIA-201-1973-01-05-2北ベトナム1973年01月05日1970年代外務省,米の20度線以北の爆撃を非難。
DIA-201-1973-01-05-3北ベトナム1973年01月05日1970年代レ・ドク・ト政治局員,モスクワでキリレンコ政治局員,カツシェフ書記と会談。
DIA-201-1973-01-06-1北ベトナム1973年01月06日1970年代政府閣僚会議,爆撃被災者に緊急救援計画を指令。
DIA-201-1973-01-07-1北ベトナム1973年01月07日1970年代ハノイ放送,米の第4軍区における軍事行動に準備するよう警告。
DIA-201-1973-01-07-2北ベトナム1973年01月07日1970年代日本政府,北ベトナムからの留学生に入国許可。
DIA-201-1973-01-08-4北ベトナム1973年01月08日1970年代レ・タン・ギ代表団ハンガリーと1973年経済軍事援助協定に調印。
DIA-201-1973-01-08-5北ベトナム1973年01月08日1970年代政府救援措置,1人当り米約1月分配給,110~245ドンの現金支給,毛布,寝具,建設資材供給。
DIA-201-1973-01-08-6北ベトナム1973年01月08日1970年代キッシンジャー大統領補佐官とレ・ドク・ト政治局員パリで秘密交渉再開。
DIA-201-1973-01-08-7北ベトナム1973年01月08日1970年代B52北ベトナム南部地帯に15波の爆撃。
DIA-201-1973-01-09-2北ベトナム1973年01月09日1970年代レ・タン・ギ代表団,東独と1973年経済軍事協定に調印。
DIA-201-1973-01-09-3北ベトナム1973年01月09日1970年代『ニヤンザン』紙「交渉が結実することを示唆する兆候はなにひとつない,逆に米側にはむしろ悪い兆候がある」と述べた。
DIA-201-1973-01-10-1北ベトナム1973年01月10日1970年代SAC(米戦略空軍司令部)は北爆出撃を拒否した機長が軍事裁判にかけられるであろうと発表した。
DIA-201-1973-01-10-2北ベトナム1973年01月10日1970年代ゲアン省の軍民,米のB52型機2機を撃墜。
DIA-201-1973-01-11-1北ベトナム1973年01月11日1970年代ソ連のブレジネフ書記長,「ペトナム戦争は少しずつ終局に近づいている」と言明。
DIA-201-1973-01-11-2北ベトナム1973年01月11日1970年代クレメンツ国防次官,上院軍事委でもしベトナム和平パリ交渉が完全に決裂した場合,米国が北ベトナムに対し核兵器を限定的に使用する可能性を否定するつもりはないと証言。
DIA-201-1973-01-11-3北ベトナム1973年01月11日1970年代外務省スポークスマン,米軍は新たな軍事冒険を準備していると非難。
DIA-201-1973-01-12-2北ベトナム1973年01月12日1970年代レ・タン・ギ代表団チェコと,1973年の軍事経済援助協定に調印。
DIA-201-1973-01-13-2北ベトナム1973年01月13日1970年代パリ会談北ベトナム代表団声明「1月8日からの米側との交渉は進展をみた。専門家会談は1月15日午前10時半からジフ・シュール・イベットで開く」
DIA-201-1973-01-15-1北ベトナム1973年01月15日1970年代ニクソン米大統領,20度以南を含む北ベトナム全土に対する爆撃中止を指令。
DIA-201-1973-01-18-3北ベトナム1973年01月18日1970年代レ・タン・ギ代表団ブルガリアと1973年経済軍事援助協定に調印。
DIA-201-1973-01-19-3北ベトナム1973年01月19日1970年代レ・タンギ代表団,ポーランドと1973年経済軍事援助協定に調印。
DIA-201-1973-01-24-5北ベトナム1973年01月24日1970年代レ・ドク・ト政治局員記者会見して合意に達したと発表。
DIA-201-1973-01-25-3北ベトナム1973年01月25日1970年代フィンランドと大使級の外交関係を樹立。
DIA-201-1973-01-26-5北ベトナム1973年01月26日1970年代レ・タンギ代表団,北朝鮮と1973年経済軍事援助協定に調印。
DIA-201-1973-01-26-6北ベトナム1973年01月26日1970年代国会常務委員会,パリ交渉の結果を承認。
DIA-201-1973-01-27-3北ベトナム1973年01月27日1970年代パリ協定に調印(参考資料参照)。
DIA-201-1973-01-28-7北ベトナム1973年01月28日1970年代テトにあたり,ハノイで1954年のジュネーブ協定後北に集結した旧南出身者が集会。
DIA-201-1973-01-29-5北ベトナム1973年01月29日1970年代祖国戦線中央委総会,パリ協定を承認,新たな任務を提起。
DIA-201-1973-01-29-6北ベトナム1973年01月29日1970年代アルバニア政府経済代表団来訪。
DIA-201-1973-01-29-7北ベトナム1973年01月29日1970年代軍事合同委員会代表団長にレ・クアン・ホア少将を任命。
DIA-201-1973-01-30-4北ベトナム1973年01月30日1970年代日本電極会社は三菱商事と日商岩井と協力してホンゲイ炭工場の建設計画を送付。
DIA-201-1973-01-30-5北ベトナム1973年01月30日1970年代ブレジネフ書記長,レ・ドク・ト政治局員と会見。
DIA-201-1973-01-30-6北ベトナム1973年01月30日1970年代シアヌーク殿下夫妻,イエンサリ特使とともに来訪。
DIA-201-1973-01-31-2北ベトナム1973年01月31日1970年代周恩来首相,レ・ドク・ト政治局員と会見。
DIA-201-1973-02-01-3北ベトナム1973年02月01日1970年代ハノイ郊外に新首都建設を計画。
DIA-201-1973-02-01-4北ベトナム1973年02月01日1970年代米国防総省スポークスマン,機雷撤去に5,000人の兵力を動員と語る。
DIA-201-1973-02-01-5北ベトナム1973年02月01日1970年代中国の毛沢東主席,レ・ドク・ト政治局員グエン・ズイ・チン外相と会見,ベトナム人民に対する支援に感謝したのに答えて,毛主席は「われわれこそ感謝している」と述べた。
DIA-201-1973-02-02-2北ベトナム1973年02月02日1970年代『ニヤンザン』紙,党創立43周年を記念する社説で,1973年1月28日からベトナム革命の第4章が始まったと述べた。
DIA-201-1973-02-02-3北ベトナム1973年02月02日1970年代ブルック米上院議員,北ベトナムを訪問すると発表。
DIA-201-1973-02-05-3北ベトナム1973年02月05日1970年代ハイフォンで米代表団と政府代表団機雷除去作業について協議。
DIA-201-1973-02-05-4北ベトナム1973年02月05日1970年代全北部で春季米の植付け面積51%を完了。
DIA-201-1973-02-06-3北ベトナム1973年02月06日1970年代米側ハイフォン沖で機雷除去に着手。
DIA-201-1973-02-06-4北ベトナム1973年02月06日1970年代ファム・バン・ドン首相,記者会見でニクソン大統領の1月23日の発言は協定違反である。北部は南部に共産化を押しつけない。南北統一は必ず実現すると語った。
DIA-201-1973-02-06-5北ベトナム1973年02月06日1970年代ハノイでアルバニアと1973年度無償経済援助協定,物資交換および支払い協定に調印。
DIA-201-1973-02-06-6北ベトナム1973年02月06日1970年代「ニヤンザン」紙のホアン・トン編集長はTBSの古谷氏との会見で日越関係について以下のように述べた。 ・平等互恵の原則にもとづいて,米国を含む世界各国と正常な関係を結ぶ用意がある。 ・日本とサイゴン政府との関係は国交樹立に当たって障害にならない。 ・日本がベトナム再建のために寄せるあらゆる暖助を歓迎する。
DIA-201-1973-02-07-2北ベトナム1973年02月07日1970年代アルジェリア政府より10万ドル贈与。
DIA-201-1973-02-08-3北ベトナム1973年02月08日1970年代カンプチア王国民族団結政府と共同コミユニケ発表。
DIA-201-1973-02-10-3北ベトナム1973年02月10日1970年代ナムディン市,住宅3万平方メートルを建設。
DIA-201-1973-02-10-4北ベトナム1973年02月10日1970年代キッシンジャー米大統領補佐官,ハノイ着。
DIA-201-1973-02-11-4北ベトナム1973年02月11日1970年代バングラデシュ人民共和国と大使級の外交関係を樹立。
DIA-201-1973-02-12-4北ベトナム1973年02月12日1970年代ビンフー省で植樹運動。
DIA-201-1973-02-12-5北ベトナム1973年02月12日1970年代人民軍総政治部,米軍捕虜116人の釈放を発表。
DIA-201-1973-02-13-1北ベトナム1973年02月13日1970年代1967~1972年度の345人がハノイ薬科大学を卒業,うち婦人は55.6%。
DIA-201-1973-02-14-1北ベトナム1973年02月14日1970年代スアン・トイ首席代表,ローマ法王と会見。
DIA-201-1973-02-14-2北ベトナム1973年02月14日1970年代ハノイ=ビン間,ハノイ=ハイフォン間,ハノイ=タイグエン間,ハノイ=ランソン間,ハノイ=ラオカイ間,道路と鉄道双方開通。
DIA-201-1973-02-14-3北ベトナム1973年02月14日1970年代ハノイにある6つの駅が復興。
DIA-201-1973-02-15-3北ベトナム1973年02月15日1970年代ジャイフォン機械工場では新しい情勢に直面して,生産計画を13%拡大した。
DIA-201-1973-02-15-4北ベトナム1973年02月15日1970年代キッシンジャー代表団との共同コミュニケ,経済合同委員会の設置とパリ国際会議開催について合意。
DIA-201-1973-02-16-6北ベトナム1973年02月16日1970年代政府,幹部,工員,公務員に生活再建補助基金を貸与。最高額500ドン,期間3年,利率月0.45%。
DIA-201-1973-02-20-2北ベトナム1973年02月20日1970年代第4期国会第3回総会開催-抗米救国闘争の勝利を確認し,パリ協定を承認。
DIA-201-1973-02-22-2北ベトナム1973年02月22日1970年代ラオス平和協定について『ニヤンザン』社説“英雄的ラオス人民の偉大な勝利”
DIA-201-1973-02-24-1北ベトナム1973年02月24日1970年代タイグエン省発電所の修復完了。
DIA-201-1973-02-25-3北ベトナム1973年02月25日1970年代キッシンジャー補佐官,NBCのインタビューで,「米国は共産主義者が平和的かつ民主的にベトナム全土を支配しても,反対しないだろう」と述べた。
DIA-201-1973-02-25-4北ベトナム1973年02月25日1970年代オーストラリアと大使級の外交関係を樹立。
DIA-201-1973-02-26-3北ベトナム1973年02月26日1970年代ベトナムに関するパリ国際会議開催。 ベトナム代表団,団長,グエン・ズイ・チン外相,グエン・コ・タク外務次官,グエン・ビン・ビパリ代表団副首席,グエン・タン・レパリ代表団員,ボー・バン・スン駐仏総代表,グエン・バン・ルー外務省局長,グ・ジエン外務省局長,グエン・マン・カム外務省局次長。
DIA-201-1973-02-27-4北ベトナム1973年02月27日1970年代政府,地方人民議会選挙を発表。
DIA-201-1973-02-27-5北ベトナム1973年02月27日1970年代パリでグエン・ズイ・チン外相,ワルトハイム国連事務総長と会談。
DIA-201-1973-02-28-5北ベトナム1973年02月28日1970年代ハノイの建材工場,レンガ1,000枚当りの価格を6.50ドンから6.30ドンへ引下げ。
DIA-201-1973-02-28-6北ベトナム1973年02月28日1970年代パリでフランス在住ベトナム人協会,パリ協定歓迎会を開催。
DIA-201-1973-03-01-4北ベトナム1973年03月01日1970年代外務省スポークスマン,米国のパリ協定違反について声明。
DIA-201-1973-03-02-4北ベトナム1973年03月02日1970年代パリ国際会議協定調印(参考資料参照)。
DIA-201-1973-03-02-5北ベトナム1973年03月02日1970年代ニクソン大統領,記者会見で,北ベトナムへの援助は国防費や対外援助費から支出すると述べた。
DIA-201-1973-03-03-2北ベトナム1973年03月03日1970年代鉄道総局ロンビエン橋の復旧を発表。
DIA-201-1973-03-04-2北ベトナム1973年03月04日1970年代鉄道の運行回数-ハノイ=ハイフォン間,1日2回,ハノイ=タイグエン間,1日2回,ハノイ=ドンダン間,1日1回,ハノイ=ラオカイ間,1日2回,ハノイ=ビン間,1日3回。
DIA-201-1973-03-06-2北ベトナム1973年03月06日1970年代ハノイ=ハイフォン間のトンバク橋復旧。
DIA-201-1973-03-06-3北ベトナム1973年03月06日1970年代ゲアン省では8,000ヘクタールに落花生を栽培。
DIA-201-1973-03-10-1北ベトナム1973年03月10日1970年代航空路再開-ハノイ=ビン=ドンホイ間,往復週3回(火,木,土),ハノイ=ナサム間,往復2回(水,全)。
DIA-201-1973-03-11-2北ベトナム1973年03月11日1970年代統計局によると春米植付けは3月5日までに95%を完了。昨年同期に比べて6万8000ヘクタール増加。
DIA-201-1973-03-12-3北ベトナム1973年03月12日1970年代党中央委政治局,1973年2月20日付けの「新段階における幹部工作について」と題する決議を発表。
DIA-201-1973-03-13-2北ベトナム1973年03月13日1970年代タツクバー水力発電所復旧。
DIA-201-1973-03-13-3北ベトナム1973年03月13日1970年代ゲアン省の春季米作面積は前年同期より6,000ヘクタール増加。
DIA-201-1973-03-13-4北ベトナム1973年03月13日1970年代米政府,北部の兵力南下に懸念を表明。
DIA-201-1973-03-14-4北ベトナム1973年03月14日1970年代レ・ジュアン第一書記,「社会主義革命におけ る幹部と組織についての諸問題」と題する論文を『ニヤンザン』紙に発表。
DIA-201-1973-03-15-2北ベトナム1973年03月15日1970年代越米経済合同委員会パリで開催。ベトナム側団長ダン・ビエト・チャウ財政相,米側団長モーリス・ウィリアムズAID次長。
DIA-201-1973-03-15-3北ベトナム1973年03月15日1970年代東独の党・政府代表団(団長ウィリ・ストップ首相)ハノイ到着。
DIA-201-1973-03-15-4北ベトナム1973年03月15日1970年代春季米の植村け全土で97.5%完了。
DIA-201-1973-03-18-1北ベトナム1973年03月18日1970年代ファム・バン・ドン首相,カナダのシャープ外相と会見。ドン首相,和平と南北の統一に矛盾はないと強調した。
DIA-201-1973-03-19-2北ベトナム1973年03月19日1970年代ハノイでアラブ共和国と1973ー74年度の文化協定調印。
DIA-201-1973-03-21-3北ベトナム1973年03月21日1970年代ナムハ省ナムニン県ラクホン合作社の養豚,合作社の養豚数1970年1,450頭,1971年1,855頭,1972年2,700頭,農家の養豚数1970年1,126頭,1971年1,325頭,1972年1,940頭。
DIA-201-1973-03-21-4北ベトナム1973年03月21日1970年代ホアン・バン・ジェム首相府対外経済連絡委員会委員を団長とする代表団はラオス解放区を訪問し,友好病院と郵便通信機関の引渡し式に出席した。
DIA-201-1973-03-22-4北ベトナム1973年03月22日1970年代ベルギーと大使級の国交関係を樹立。
DIA-201-1973-03-23-3北ベトナム1973年03月23日1970年代各地で堤防工事。
DIA-201-1973-03-23-4北ベトナム1973年03月23日1970年代カトリックの全国聖職者大会。祖国再建の任務完遂を呼びかける。
DIA-201-1973-03-23-5北ベトナム1973年03月23日1970年代イタリアと大使級の国交を樹立。
DIA-201-1973-03-27-1北ベトナム1973年03月27日1970年代アジア開銀の井上総裁は北ベトナムへの融資は困難と語る。
DIA-201-1973-03-29-4北ベトナム1973年03月29日1970年代トン・ドク・タン大統領は地方,戦闘単位および個人の抗米救国の闘いにおける功績に対して勲章を授与する法令に署名。
DIA-201-1973-03-29-5北ベトナム1973年03月29日1970年代ハノイで世界労連常務委員会特別会議開催。
DIA-201-1973-03-30-6北ベトナム1973年03月30日1970年代マレーシアと大使級の外交関係を樹立。
DIA-201-1973-04-02-4北ベトナム1973年04月02日1970年代『ニヤンザン』紙社説“ベトナムの救国闘争と英雄主義の115年”を掲載。
DIA-201-1973-04-02-5北ベトナム1973年04月02日1970年代ハノイ滞在中のチャン・バン・チャ革命政府代表団首席,ドン首相を訪問。
DIA-201-1973-04-02-6北ベトナム1973年04月02日1970年代スウェーデン国際開発局,製紙工場建設に3億クローネを資金援助。
DIA-201-1973-04-04-1北ベトナム1973年04月04日1970年代チェコ国会代表団(団長アロイサ・インドラー国会議長)ハノイ着。
DIA-201-1973-04-05-3北ベトナム1973年04月05日1970年代米上院,大統領の北ベトナム復興援助支出権限を制限。
DIA-201-1973-04-06-1北ベトナム1973年04月06日1970年代スアン・トイ首席代表,メスメル仏首相を訪問。
DIA-201-1973-04-06-2北ベトナム1973年04月06日1970年代政府ブルック米上院議員の入国を認めず。
DIA-201-1973-04-06-3北ベトナム1973年04月06日1970年代シアヌーク殿下,カンボジアの解放区からの帰途,公式訪問。
DIA-201-1973-04-07-3北ベトナム1973年04月07日1970年代ファム・バン・ドン首相,ノルウェー政府代表団(団長c外務省国際開発局長アンドソン氏)と会見。
DIA-201-1973-04-09-3北ベトナム1973年04月09日1970年代オランダと大使級の国交関係を樹立。
DIA-201-1973-04-12-2北ベトナム1973年04月12日1970年代フランスと両国の総代表部を大使館に昇格させることに同意。
DIA-201-1973-04-13-3北ベトナム1973年04月13日1970年代パテト・ラオ代表団(団長ヌハク・フォムサバン愛国戦線中央委員)祖国戦線と政府の招待で来訪。
DIA-201-1973-04-14-3北ベトナム1973年04月14日1970年代政府,アセアン会議からの招待を拒否。
DIA-201-1973-04-15-1北ベトナム1973年04月15日1970年代レ・ジュアン第一書記,ラオス愛国戦線のヌハク・フォンサバン中央委員と会見。
DIA-201-1973-04-16-1北ベトナム1973年04月16日1970年代ブルンジと大使級のん外交関係を樹立。
DIA-201-1973-04-17-2北ベトナム1973年04月17日1970年代『クアンドイニヤンザン』米は戦争を強化していると非難。
DIA-201-1973-04-17-3北ベトナム1973年04月17日1970年代『ニューヨークタイムズ』によれば米公式筋はソ連が北ベトナムにSAM3型ミサイル数百期を供与しえいるので北爆の場合,日の損害はバイになる可能性ありと判断。
DIA-201-1973-04-18-1北ベトナム1973年04月18日1970年代ラオス愛国戦線の商業だいひょうだんと1973年度商業と物資交換協定に調印。
DIA-201-1973-04-18-2北ベトナム1973年04月18日1970年代イタリア炭化水素会社の代表団とトンキン湾沖合いの石油試掘に関する協定に仮調印。
DIA-201-1973-04-18-3北ベトナム1973年04月18日1970年代外務省,米の嫌い撤去中止を非難する声明を発表。
DIA-201-1973-04-18-4北ベトナム1973年04月18日1970年代外務省スポークスマンは「米国が北ベトナム海域の機雷除去作業を理由無く引き延ばしていると非難する声明を発表。米国防総省も17日,停戦違反を理由に中断を認めた。
DIA-201-1973-04-20-2北ベトナム1973年04月20日1970年代米,北ベトナムの偵察飛行を再開。
DIA-201-1973-04-20-3北ベトナム1973年04月20日1970年代日本ホンゲイ炭の輸入を再開。約2,000トン。
DIA-201-1973-04-21-2北ベトナム1973年04月21日1970年代日本外務省の三宅南東アジア課長,ハノイ訪問を終える。
DIA-201-1973-04-21-3北ベトナム1973年04月21日1970年代米,北ベトナムの違反を警告する文書をパリ会議参加国に配布。
DIA-201-1973-04-21-4北ベトナム1973年04月21日1970年代『ニヤンザン』紙社説“平等主義は良くない”
DIA-201-1973-04-22-1北ベトナム1973年04月22日1970年代スアン・トイ首席代表,アルバニアを訪問。
DIA-201-1973-04-22-2北ベトナム1973年04月22日1970年代第1回の地方人民議会選挙開始。
DIA-201-1973-04-23-1北ベトナム1973年04月23日1970年代ソ連の気象,水,天文代表団来訪。
DIA-201-1973-04-24-2北ベトナム1973年04月24日1970年代日本の大平外相,北ベトナムとの国交樹立についてとくに重大な支障はないようだと語る。
DIA-201-1973-04-24-3北ベトナム1973年04月24日1970年代スアン・トイ首席代表,モンゴルを訪問。
DIA-201-1973-04-24-4北ベトナム1973年04月24日1970年代春季の米作面積,昨年より1.9%増。
DIA-201-1973-04-25-2北ベトナム1973年04月25日1970年代スウェーデン,ハノイに小児病院建設のため4000万クローネ(約21億円)の予算を計上。
DIA-201-1973-04-25-3北ベトナム1973年04月25日1970年代北京訪問中のスアン。トイ首席代表,周恩来首相と会見。
DIA-201-1973-04-26-1北ベトナム1973年04月26日1970年代外務省スポークスマンは,米の偵察飛行を非難。
DIA-201-1973-04-27-2北ベトナム1973年04月27日1970年代パリでグエン・コ・タク外務次官,サリバン米副国務次官補と会談。
DIA-201-1973-04-28-3北ベトナム1973年04月28日1970年代北欧商業銀行代表団ハノイに来訪。
DIA-201-1973-04-29-1北ベトナム1973年04月29日1970年代第2回地方人民議会選挙。
DIA-201-1973-04-29-2北ベトナム1973年04月29日1970年代運輸関係のラオス愛国戦線代表団ハノイに来訪。
DIA-201-1973-05-01-1北ベトナム1973年05月01日1970年代米側,経済合同委員会をボイコット。
DIA-201-1973-05-01-2北ベトナム1973年05月01日1970年代ベトチ製紙工場再建完了。
DIA-201-1973-05-04-1北ベトナム1973年05月04日1970年代『ニヤンザン』紙,「ニクソンの外交教書の脅迫は時代おくれである」と非難。
DIA-201-1973-05-04-2北ベトナム1973年05月04日1970年代タイビン省は海浜地帯4万5000ヘクタールを開墾。
DIA-201-1973-05-05-2北ベトナム1973年05月05日1970年代国会,恩赦を決定。
DIA-201-1973-05-06-2北ベトナム1973年05月06日1970年代ハイフオン市のセメント工場,焼成用回転炉分工場,第3炉を再建,工場全体では7炉が復旧。
DIA-201-1973-05-08-1北ベトナム1973年05月08日1970年代ビンフー省の養鴨業,現在135合作社,保有数5万5000羽,1973年末には10万羽にする予定。
DIA-201-1973-05-08-2北ベトナム1973年05月08日1970年代『ニヤンザン』紙社説“合作社の経営システムを改善しよう”
DIA-201-1973-05-08-3北ベトナム1973年05月08日1970年代全国の農業用水使用率60~70%,114万2000ヘクタールが灌漑施設を,29万5000ヘクタールが排水施設を使用中。
DIA-201-1973-05-09-1北ベトナム1973年05月09日1970年代ナムハ省では籾米運搬用船舶1万5000隻を建造。
DIA-201-1973-05-09-2北ベトナム1973年05月09日1970年代東京で“日本ベトナム科学技術交流協会”設立。
DIA-201-1973-05-10-1北ベトナム1973年05月10日1970年代青年の3つの準備の第2回大会,第1回は1964年8月9日。
DIA-201-1973-05-10-2北ベトナム1973年05月10日1970年代スウェーデンの外務次官L・クラクケンベ氏,ハノイに来訪。
DIA-201-1973-05-10-3北ベトナム1973年05月10日1970年代アルジェリア革命評議会代表団(団長M.B.アプデンガニ大佐)ハノイに来訪。
DIA-201-1973-05-11-3北ベトナム1973年05月11日1970年代レ・ドク・ト,ホアン・バン・ホアン両政治局員,周首相と会見。
DIA-201-1973-05-11-4北ベトナム1973年05月11日1970年代外務省,パリ協定実施白書を発表。
DIA-201-1973-05-13-1北ベトナム1973年05月13日1970年代南部の解放戦線青年英雄代表団,トン・ドク・タン大統領を訪問。
DIA-201-1973-05-14-1北ベトナム1973年05月14日1970年代『ニヤンザン』紙,パリ会談進展のための4条件として①空中偵察の中止,②機雷除去作業再開,③北越米合同経済委員会継総,④パリ協定の義務実施をあげた。
DIA-201-1973-05-14-2北ベトナム1973年05月14日1970年代『ニヤンザン』紙社説“数字を正確に”
DIA-201-1973-05-14-3北ベトナム1973年05月14日1970年代地方人民議会の選挙終了。
DIA-201-1973-05-16-2北ベトナム1973年05月16日1970年代『ニヤンザン』紙社説“市場管理”
DIA-201-1973-05-17-2北ベトナム1973年05月17日1970年代建設資材生産部門はパリ協定後の4カ月間にレンガ700万枚を生産。
DIA-201-1973-05-17-3北ベトナム1973年05月17日1970年代バングラデシュのサムスンハック首相特使,ハノイに来訪。
DIA-201-1973-05-17-4北ベトナム1973年05月17日1970年代レ・ドク・ト政治局員とキッシンジャー補佐官,パリで会談。
DIA-201-1973-05-19-2北ベトナム1973年05月19日1970年代カウジャイ=ギアダン間の鉄道(38キロ)開通。
DIA-201-1973-05-19-3北ベトナム1973年05月19日1970年代アルジェリア軍事代表団(団長第3軍管区司令官ゲツクギニ・モハメッド大佐)来訪。
DIA-201-1973-05-20-2北ベトナム1973年05月20日1970年代パリで米と北ベトナムの専門家交渉始まる。 北ベトナム:グエン・コ・タク外務次官 米:サリバン副次官補。
DIA-201-1973-05-22-2北ベトナム1973年05月22日1970年代デンマーク政府経済代表団来訪。
DIA-201-1973-05-22-3北ベトナム1973年05月22日1970年代タンホア省,ハムロン燐鉱石生産工場復旧。
DIA-201-1973-05-23-2北ベトナム1973年05月23日1970年代ハノイでブルガリアと1973~75年の技術労働者養成に関する援助協定調印。
DIA-201-1973-05-25-1北ベトナム1973年05月25日1970年代『ニヤンザン』紙,フランスがサイゴン政権との外交関係を回復したことに対し,仏政府を非難。
DIA-201-1973-05-26-1北ベトナム1973年05月26日1970年代ランソンとギアロ両省山岳地帯の少数民族部落の75%が共同化に参加。
DIA-201-1973-05-30-2北ベトナム1973年05月30日1970年代春季米収穫75%完了。
DIA-201-1973-05-30-3北ベトナム1973年05月30日1970年代首相府,1973年春季の食糧動員工作について指示。
DIA-201-1973-05-30-4北ベトナム1973年05月30日1970年代ゲアン省,春季食糧の提出義務を51%まで達成。
DIA-201-1973-06-02-1北ベトナム1973年06月02日1970年代日本の革新系国会議員代表団,来訪。
DIA-201-1973-06-02-2北ベトナム1973年06月02日1970年代知識分子大会,南部における政治犯の釈放を要求。
DIA-201-1973-06-02-3北ベトナム1973年06月02日1970年代外務省,“北ベトナムの捕虜について”声明。
DIA-201-1973-06-04-2北ベトナム1973年06月04日1970年代レ・ジュアン第一書記とファム・バン・ドン首相の党と政府代表団中国訪問。
DIA-201-1973-06-05-2北ベトナム1973年06月05日1970年代『ニヤンザン』紙のホアン・ツン編集長は本多朝日新聞特派員との会見で「われわれは日本との国交樹立を望んでいる,南部の革命政府の承認を国交樹立の条件にしていない」と述べた。
DIA-201-1973-06-05-3北ベトナム1973年06月05日1970年代ベトナムの党,政府代表団,毛沢東中共主席と会見。
DIA-201-1973-06-06-4北ベトナム1973年06月06日1970年代レ・ドク・ト政治局員パリでキッシンジャー補佐官と会談。
DIA-201-1973-06-06-5北ベトナム1973年06月06日1970年代レ・ジュアン第一書記,ファム・バン・ドン首相,シアヌーク殿下と会見。
DIA-201-1973-06-08-1北ベトナム1973年06月08日1970年代レ・タンギ副首相,北京で李先念副首相との間で1974年度経済軍事の無償援助協定に調印。
DIA-201-1973-06-08-2北ベトナム1973年06月08日1970年代スウェーデンのクリステ・ビッチマン外相来訪。
DIA-201-1973-06-10-1北ベトナム1973年06月10日1970年代北ベトナムの平原デルタ,中間地帯および17度線近くの4省は春季食糧の提出義務を41%実現。
DIA-201-1973-06-11-1北ベトナム1973年06月11日1970年代党政府代表団中国との間に共同コミュニケ。
DIA-201-1973-06-13-2北ベトナム1973年06月13日1970年代ベトナム和平協定履行に関する4者共同声明(参考資料参照)。
DIA-201-1973-06-13-3北ベトナム1973年06月13日1970年代ハムロン発電所復旧。
DIA-201-1973-06-14-1北ベトナム1973年06月14日1970年代国会常務委員会,人事異動を承認-国家計画委員会委員長にグエン・ラム前副委員長昇格,グエン・コン前委員長(副首相)は閣議常務主任に就任,ド・ムオイ副首相,新設の建設相を兼任,水利相にグエン・タン・ビン前査察委員会主任,ハ・ケ・タン前水利相はダー河ダム建設特別相に就任。
DIA-201-1973-06-14-2北ベトナム1973年06月14日1970年代日本の大平外相,国会答弁で,北ベトナム要求の賠償には無償援助の形式で応じる考えのあることを示唆。
DIA-201-1973-06-16-2北ベトナム1973年06月16日1970年代パテト・ラオ中央委員会の財政食糧代表団来訪。
DIA-201-1973-06-18-2北ベトナム1973年06月18日1970年代パリで米越経済合同委員会再開。
DIA-201-1973-06-18-3北ベトナム1973年06月18日1970年代米国の機雷撤去艦隊ハイフォン港に入港。
DIA-201-1973-06-19-1北ベトナム1973年06月19日1970年代レ・タン・ギ副首相,『ニヤンザン』紙に論文を発表“製品の質を安定化し量を増加する必要について”
DIA-201-1973-06-20-1北ベトナム1973年06月20日1970年代『ニヤンザン』紙社説“合作社の規模拡大について”
DIA-201-1973-06-21-1北ベトナム1973年06月21日1970年代『ニヤンザン』紙社説,“3つの契約制度をしっかりと把握しよう”
DIA-201-1973-06-21-2北ベトナム1973年06月21日1970年代ベトナム民主党,抗米救国の成果を祝賀する大会。
DIA-201-1973-06-22-1北ベトナム1973年06月22日1970年代『ニヤンザン』紙社説“労働生産性と賃金の出来高払い”
DIA-201-1973-06-22-2北ベトナム1973年06月22日1970年代ハノイ=ハイフォン間のフールウン鉄橋再建。
DIA-201-1973-06-23-2北ベトナム1973年06月23日1970年代ハノイでパテト・ラオ代表団と1973~74年度医療協定と援助協定に調印。
DIA-201-1973-06-24-1北ベトナム1973年06月24日1970年代タンホア省,2万4000ヘクタールに灌漑。
DIA-201-1973-06-25-1北ベトナム1973年06月25日1970年代党,政府代表団(ファム・バン・ドン首相),モンゴールの党と政府と会談。
DIA-201-1973-06-25-2北ベトナム1973年06月25日1970年代食糧の提出義務,77%を実現。
DIA-201-1973-06-26-1北ベトナム1973年06月26日1970年代『ニヤンザン』紙社説,“旱ばつ災害を防止するための緊急任務”
DIA-201-1973-06-26-2北ベトナム1973年06月26日1970年代ファン・ケ・トアイ副首相病死。
DIA-201-1973-06-26-3北ベトナム1973年06月26日1970年代ハバナでキューバと1974~75年度の医療協力協定に調印。
DIA-201-1973-06-26-4北ベトナム1973年06月26日1970年代党と政府代表団(ファム・バン・ドン首相),北朝鮮を訪問。
DIA-201-1973-06-26-5北ベトナム1973年06月26日1970年代タイビン省の今春季の収量は1ヘクタール当り3,157キロであった。作付け面積は計画より0.38%増加。
DIA-201-1973-06-28-2北ベトナム1973年06月28日1970年代閣議,1973年前期の国家予算と国家計画の実施状況を検討。
DIA-201-1973-06-30-3北ベトナム1973年06月30日1970年代ウォン・ビ発電所復旧。
DIA-201-1973-06-30-4北ベトナム1973年06月30日1970年代シリア共和国軍事代表団(団長ムスタファ・タラット中将)国防部の招きでハノイに到着。
DIA-201-1973-07-02-2北ベトナム1973年07月02日1970年代米軍,ハイフォン,ホンゲイ,カムファの各港湾入口の機雷撤去を完了。
DIA-201-1973-07-02-3北ベトナム1973年07月02日1970年代ナムハ省ミンチエン合作社の今春季のヘクタール当り収量は4.7トンで,籾100キロの生産に8人の労働力と通貨8ドンを要した。
DIA-201-1973-07-03-2北ベトナム1973年07月03日1970年代ファンニン省の炭鉱,北爆開始以前の生産水準を回復。
DIA-201-1973-07-04-1北ベトナム1973年07月04日1970年代6月30日現在の全国の義務食糧納入率は81.2%
DIA-201-1973-07-04-2北ベトナム1973年07月04日1970年代タイグエンの鉄鋼コンビナートの付属機械工場,農具と機関車部品の製造に成功。
DIA-201-1973-07-04-3北ベトナム1973年07月04日1970年代ナムハ省の今春季の籾収量はヘクタール当り2.5トン(昨年より260キロ減)。
DIA-201-1973-07-05-1北ベトナム1973年07月05日1970年代全インド労働総同盟事務局長と全インド農民協会代表は駐印ベトナム大使館にベトナム人民支援のための募金8万7500ルピーを手渡す。
DIA-201-1973-07-05-2北ベトナム1973年07月05日1970年代カオバン省の煙草栽培面積1,200ヘクタール(前年より400ヘクタール増加)。
DIA-201-1973-07-05-3北ベトナム1973年07月05日1970年代山岳地帯に吊橋350本を架設。
DIA-201-1973-07-07-1北ベトナム1973年07月07日1970年代ハイフォン市では手工業者や小売商人の95%が合作社に加入。
DIA-201-1973-07-07-2北ベトナム1973年07月07日1970年代『ニヤンザン』に日米関係と題する評論員春香論文。
DIA-201-1973-07-09-1北ベトナム1973年07月09日1970年代レ・ジュアン第一書記とファム・バン・ドン首相の党・政府代表団ソ連訪問。
DIA-201-1973-07-10-1北ベトナム1973年07月10日1970年代統計局の資料によると1972~1973年冬春季の米の栽培面積は計画の0.95%増,前年同季の1.1%増,生産量は計画の94.42%,前年同季の95.47%であった。
DIA-201-1973-07-10-2北ベトナム1973年07月10日1970年代今春季収穫後の義務食糧の納入率と返済率は85.6%。
DIA-201-1973-07-10-3北ベトナム1973年07月10日1970年代ブレジネフ書記長,「北ベトナムに対する過去の援助は無償にする」と演説。
DIA-201-1973-07-11-2北ベトナム1973年07月11日1970年代ハノイ市とクアンニン省,台風と洪水に備えて堤防を強化。
DIA-201-1973-07-12-1北ベトナム1973年07月12日1970年代外務省,カナダの停戦監視委員会からの脱退に同意。
DIA-201-1973-07-12-2北ベトナム1973年07月12日1970年代ハノイ省の今春季米作収量はヘクタール当り2.4トン。
DIA-201-1973-07-13-1北ベトナム1973年07月13日1970年代ハノイ鉄道工場,1973年上半期の計画を達成した上に客車160両を製造した。
DIA-201-1973-07-16-1北ベトナム1973年07月16日1970年代ベトナム総工会代表団(グエン・コン・ホア同会副議長)総評の招きで一行5人訪日。
DIA-201-1973-07-16-2北ベトナム1973年07月16日1970年代タンホア省の6月末までの落花生買入れは1,118トンで昨年同期の5.7倍。
DIA-201-1973-07-16-3北ベトナム1973年07月16日1970年代党,政府代表団(団長ファム・バン・ドン首相)ハンガリーを訪問。
DIA-201-1973-07-17-1北ベトナム1973年07月17日1970年代党と政府代表団ソ連との間に共同コミュニケ。
DIA-201-1973-07-18-2北ベトナム1973年07月18日1970年代日本の大和ハウスと大出産業,北ベトナムにプレハブ住宅を輸出。
DIA-201-1973-07-18-3北ベトナム1973年07月18日1970年代米海軍,港湾と河川からの機雷引揚げ作業の完了を通告。
DIA-201-1973-07-19-3北ベトナム1973年07月19日1970年代戦死者の遺族と傷病兵の家族および軍人家族に対して生活安定を保証する政策発表。
DIA-201-1973-07-20-3北ベトナム1973年07月20日1970年代バングラデシュのカマンホットセン外相,チン外相の招きでハノイに来訪。
DIA-201-1973-07-20-4北ベトナム1973年07月20日1970年代北朝鮮と1973~74年度の科学技術協力協定に調印。
DIA-201-1973-07-20-5北ベトナム1973年07月20日1970年代春季米作の収穫完了,義務食糧納入率は90%,4,000の合作社が借穀を返済。
DIA-201-1973-07-20-6北ベトナム1973年07月20日1970年代中国訪問中の『ニヤンザン』紙編集部代表団,周首相と会談。
DIA-201-1973-07-23-2北ベトナム1973年07月23日1970年代秋米の植付け50%完了。
DIA-201-1973-07-25-1北ベトナム1973年07月25日1970年代外務省,米機の偵察行動に抗議声明。
DIA-201-1973-07-25-2北ベトナム1973年07月25日1970年代日本との国交交渉,パリで始まる。日本:徳久公使,北ベトナム:リュー駐仏臨時大使。
DIA-201-1973-07-25-3北ベトナム1973年07月25日1970年代ソ連と援助協定,73~76年の4年間に8,000人の技術者を養成。
DIA-201-1973-07-26-1北ベトナム1973年07月26日1970年代ポルトガル共産党代表団来訪。
DIA-201-1973-07-27-1北ベトナム1973年07月27日1970年代ポーランド訪問中の党と政府の代表団,共同コミュニケを発表。
DIA-201-1973-07-28-1北ベトナム1973年07月28日1970年代米国の科学者代表団,ハノイに来訪。
DIA-201-1973-07-31-3北ベトナム1973年07月31日1970年代ノレーマニア訪問中の党と政府代表団,1974年度軍事援助協定と経済協力協定に調印。
DIA-201-1973-08-01-3北ベトナム1973年08月01日1970年代シンガポールと大使級の外交関係を樹立。
DIA-201-1973-08-01-4北ベトナム1973年08月01日1970年代外務省,6月13日のパリ共同声明の実施状況について声明を表発。
DIA-201-1973-08-01-5北ベトナム1973年08月01日1970年代交通運輸部門,3,370メートルの橋を復旧。
DIA-201-1973-08-02-1北ベトナム1973年08月02日1970年代チャンフンダオ機械工場,3月8日紡織工場,ハノイ醸造工場に加えて計6つの工場が経営管理改善の第2段階に移行。
DIA-201-1973-08-02-2北ベトナム1973年08月02日1970年代全農家の83%が養豚農家で1戸当り1.57頭を飼育。
DIA-201-1973-08-02-3北ベトナム1973年08月02日1970年代パリで米国との経済合同委員会に出席中のダン・ベト・チョウ財政相,帰国。
DIA-201-1973-08-03-1北ベトナム1973年08月03日1970年代AFPによると,ワシントンの公式筋は米国が北ベトナムに約束した援助額は5年間で7億5000万ドルであると言明。
DIA-201-1973-08-03-2北ベトナム1973年08月03日1970年代ベイルートの新聞『アル・ハヤト』によれば,シリアはソ連からの軍事・技術顧問団に変えて北ベトナムから招くことを決定。
DIA-201-1973-08-03-3北ベトナム1973年08月03日1970年代チン外相アフガニスタン共和国政府の承認を通告。
DIA-201-1973-08-04-1北ベトナム1973年08月04日1970年代レ・ジュアン第一書記,クリミアでブレジネフ書記長と会談。
DIA-201-1973-08-04-2北ベトナム1973年08月04日1970年代アイルランド共和国と大使級の外交関係を樹立。
DIA-201-1973-08-04-3北ベトナム1973年08月04日1970年代バンディンとソンラムの両精糖工場復旧。
DIA-201-1973-08-04-4北ベトナム1973年08月04日1970年代塩田復旧,合作社の80%が年間ヘクタール当り100トンを生産。
DIA-201-1973-08-04-5北ベトナム1973年08月04日1970年代イランと大使級の外交関係を樹立。
DIA-201-1973-08-05-1北ベトナム1973年08月05日1970年代東独,今までのベトナム援助を無償にすると発表。
DIA-201-1973-08-05-2北ベトナム1973年08月05日1970年代ホングイ炭4,850トンが東京港に到着。
DIA-201-1973-08-05-3北ベトナム1973年08月05日1970年代ブルガリアを訪問中の党と政府代表団,1974年度,経済・軍事協定,経済・科学技術協力協定に調印。
DIA-201-1973-08-08-1北ベトナム1973年08月08日1970年代輸出用民芸品工業は全国に30企業でこれに働く技術者と工員は12万人。
DIA-201-1973-08-10-1北ベトナム1973年08月10日1970年代ソ連,ポーランド,チェコの3国と1973~76年度の技術者訓練協定に調印。
DIA-201-1973-08-13-1北ベトナム1973年08月13日1970年代10~1,000キロワットの小型水力発電所200ヵ所を建設。
DIA-201-1973-08-14-2北ベトナム1973年08月14日1970年代党と政府代表団,ソ連と経済・技術援助協定に調印。
DIA-201-1973-08-14-3北ベトナム1973年08月14日1970年代農業中央委員会,山岳高原地帯の農業生産発展3カ年(1973~75年)計画を承認。
DIA-201-1973-08-15-2北ベトナム1973年08月15日1970年代山岳地帯の教育発展状況,現在師範大学,医科大学,農林大学の3大学があり,このほか山岳民族出身の学生3,000人が国内国外の諸大学で学習中,すでに大学卒業者は1,000人以上でうち博士号取得者が7人,タイ族,ヌン族,メオ族については文字改良と文典作成が進んでいる。
DIA-201-1973-08-15-3北ベトナム1973年08月15日1970年代秋米の植付け95%。
DIA-201-1973-08-16-1北ベトナム1973年08月16日1970年代モスクワからの帰途北京に立ち寄ったファム・バン・ドン首相,シアヌーク殿下と会談。
DIA-201-1973-08-16-2北ベトナム1973年08月16日1970年代川崎寛治日本社会党国際局長,祖国戦線中央委員会の招きでハノイに来訪。
DIA-201-1973-08-17-2北ベトナム1973年08月17日1970年代農業中央委員会,農業の現状を発表。 食糧総生産;1965~68年の時期に比して11%増加,春米の植付け面積は1969年には植付け総面積の12%,1972年には64%。 集団化;1972年には農民総数の95.64%が1万9564の合作社に加入,うち86.8%は高級合作社に加入,合作社の経営資金は1960年に比して1972年は470%増加。科学技術幹部,経営管理幹部や熟練工で農業合作社の仕事に従事しているもの4万774人,うち大学卒1,245人。
DIA-201-1973-08-17-3北ベトナム1973年08月17日1970年代最近の3年間の植林面積113万1000ヘクタール。
DIA-201-1973-08-17-4北ベトナム1973年08月17日1970年代シュレジンジャー米国防長官,北ベトナムが侵略すれば北爆再開を要請すると言明。
DIA-201-1973-08-18-1北ベトナム1973年08月18日1970年代ファム・バン・ドン首相帰国。
DIA-201-1973-08-19-1北ベトナム1973年08月19日1970年代党政治局と政府は10月1日から15日まで,国家財産の総点検を行なうと発表。統計を正確にし,あらゆる部門での精密な経済計算を実現することを目的としている。
DIA-201-1973-08-20-1北ベトナム1973年08月20日1970年代ベトバク自治区の医科大学で25人のドクターが卒業。
DIA-201-1973-08-21-4北ベトナム1973年08月21日1970年代カナダと大使級の外交関係を樹立。
DIA-201-1973-08-27-1北ベトナム1973年08月27日1970年代北ベトナムから日本商社にボールペン,家庭用水道器具,ボタン,トイレット,アルミニウムのキッチン設備,眼鏡レンズ,皮靴,ワイシャツ,石油コンロなど生活必需品の製造プラントの引合。
DIA-201-1973-08-28-2北ベトナム1973年08月28日1970年代政府,台風5号による災害の復旧対策について地方機関に指令。
DIA-201-1973-08-29-2北ベトナム1973年08月29日1970年代ベトナム体育協会,全国陸上競技大会を開催。
DIA-201-1973-08-29-3北ベトナム1973年08月29日1970年代バクタイ省の石灰工場,2,000トンの石灰を生産。
DIA-201-1973-08-30-1北ベトナム1973年08月30日1970年代ハジャン省のドンバン農業センター,リンゴ20万本を植付け。
DIA-201-1973-08-31-2北ベトナム1973年08月31日1970年代外務省,南ベトナムにおけるICCSの要員を削減することを提案。
DIA-201-1973-08-31-3北ベトナム1973年08月31日1970年代レ・ジュアン第一書記ハノイに帰着。
DIA-201-1973-08-31-4北ベトナム1973年08月31日1970年代政府,平和経済への転換で労働基準を改定し,経済管理制度を導入。
DIA-201-1973-09-01-2北ベトナム1973年09月01日1970年代ファム・バン・ドン首相独立記念式典で政治経済報告-1973~1975年の3カ年は経済復興に重点を置き,次の5カ年計画の時期に備える。1976~80年の長期発展計画では社会主義の物質的技術的基礎を造りあげる。
DIA-201-1973-09-01-3北ベトナム1973年09月01日1970年代英国と大使級の外交関係を樹立。
DIA-201-1973-09-01-4北ベトナム1973年09月01日1970年代非同盟首脳会議に出席のためアルジェーに向かうグエン・フー・ト解放戦線議長,ハノイに到着。
DIA-201-1973-09-02-1北ベトナム1973年09月02日1970年代ハノイでの独立記念式典でグエン・フー・ト解放戦線議長演説。
DIA-201-1973-09-02-2北ベトナム1973年09月02日1970年代山岳高原地帯の諸省,水利灌漑問題の解決に努力 1954~1973年に,貯水池3,164ヵ所,ダム1万5236ヵ所を建設,また中継所に電動および重油によるポンプ1,212台,完全自動ポンプ900台を設置。洪水防止堤防系統4つが完成。
DIA-201-1973-09-03-2北ベトナム1973年09月03日1970年代ハノイの電力消費量,1954年の4倍に増加,変電所は10ヵ所。
DIA-201-1973-09-05-2北ベトナム1973年09月05日1970年代米国情報担当筋,ベトナム労働党が来年全国大会を開催すると観測。
DIA-201-1973-09-06-2北ベトナム1973年09月06日1970年代台風6号でナムハ省の米作地帯54%が被害。 ドハチン省の合作社で山火事に備えて消防隊を結成。
DIA-201-1973-09-09-1北ベトナム1973年09月09日1970年代バクタイ省で大水利工事,面積25平方キロ,貯水量2億立方メートルの中央ダム1ヵ所,付属ダム5ヵ所,幹線水路75キロ。
DIA-201-1973-09-10-1北ベトナム1973年09月10日1970年代タイグエン鉄鋼コンビナートの高炉1号完成。
DIA-201-1973-09-10-2北ベトナム1973年09月10日1970年代ハイフン省の保育園3,500ヵ所に達す。
DIA-201-1973-09-11-1北ベトナム1973年09月11日1970年代今年度の大学受験者4万人以上。
DIA-201-1973-09-11-2北ベトナム1973年09月11日1970年代外務省,パリ協定第8条を実行しないのは米国であると反論の声明を発表。
DIA-201-1973-09-12-1北ベトナム1973年09月12日1970年代キューバのカストロ首相,党と政府の招きでハノイに来訪。
DIA-201-1973-09-14-2北ベトナム1973年09月14日1970年代スウェーデンのビッチマン外相,ファムバン駐スウェーデン大使に,バクマイ病院の再建にと同国政府と国民による贈与金2050万クローネを手渡す。
DIA-201-1973-09-15-2北ベトナム1973年09月15日1970年代『ニヤンザン』社説,ラオスの平和議定書調印について「この勝利はラオス革命の発展における重要な転換点」と論評。
DIA-201-1973-09-18-1北ベトナム1973年09月18日1970年代キューバ代表団との共同コミュニケ,双方は国際的団結のため努力することで一致。
DIA-201-1973-09-19-1北ベトナム1973年09月19日1970年代ファム・バン・ドン首相,来訪中のバングラデシュ平和評議会代表団と会見。
DIA-201-1973-09-20-2北ベトナム1973年09月20日1970年代マルタと外交関係樹立。
DIA-201-1973-09-21-1北ベトナム1973年09月21日1970年代日本と大使級の外交関係を樹立。
DIA-201-1973-09-22-2北ベトナム1973年09月22日1970年代来訪中の東ドイツ政府代表団,1973~1979年に1万人以上のベトナム人訓練生を受け入れる協定に調印。
DIA-201-1973-09-22-3北ベトナム1973年09月22日1970年代国際赤十字の北ベトナムへの住宅贈与プロジェクト(約4億円)を新日鉄グループが受注。
DIA-201-1973-09-22-4北ベトナム1973年09月22日1970年代日本政府,北ベトナム無償援助として約2000万ドルを48年度予算に計上。また北ベトナムへの輸銀使用を認める方針。
DIA-201-1973-09-24-2北ベトナム1973年09月24日1970年代ヒュサイン・アシュ・サアフィ副大統領を団長とするアラブ共和国代表団来訪。
DIA-201-1973-09-25-1北ベトナム1973年09月25日1970年代ハイフォン市の手工業部門,消費財生産の熟練工2,000人を養成。
DIA-201-1973-09-25-2北ベトナム1973年09月25日1970年代外務省,チリでの大使館活動を中止すると発表。
DIA-201-1973-09-27-3北ベトナム1973年09月27日1970年代ハイフォン第一造船所,135動力漁船を建造。
DIA-201-1973-09-27-4北ベトナム1973年09月27日1970年代エンバイ省の農業開発委員会,工業用作物栽培のため4万9000ヘクタールを開墾。
DIA-201-1973-09-28-1北ベトナム1973年09月28日1970年代スウェーデン金属労働組合,ベトナム人民に10万クローネを贈与することを決定。
DIA-201-1973-09-28-2北ベトナム1973年09月28日1970年代ゲアン省クィン・リュー県漁業合作社の年初からの8カ月間の漁獲量は2,097トン。
DIA-201-1973-09-28-3北ベトナム1973年09月28日1970年代日商岩井と東洋石油開発,トンキン湾の海洋石油開発について北ベトナム政府と合意。
DIA-201-1973-09-28-4北ベトナム1973年09月28日1970年代『ニヤンザン』社説,冬季作物の重要性を強調,冬季作物の栽培面積1971年が8万ヘクタール,1972年が11万ヘクタール。
DIA-201-1973-09-29-2北ベトナム1973年09月29日1970年代ハノイで中国の国慶節を祝って集会。
DIA-201-1973-09-30-1北ベトナム1973年09月30日1970年代ニュージーラード首相,北ベトナムとの外交関係の樹立を示唆。
DIA-201-1973-10-02-4北ベトナム1973年10月02日1970年代外務省スポークスマン,米海軍の挑発行動に抗議声明。
DIA-201-1973-10-03-1北ベトナム1973年10月03日1970年代ハイフォン市漁業合作社の8月末までの魚獲量1万トン。
DIA-201-1973-10-04-2北ベトナム1973年10月04日1970年代フランス経済代表団(ミソフ国会議員),国家計画委員会の招きでハノイに来訪。
DIA-201-1973-10-04-3北ベトナム1973年10月04日1970年代祖国戦線中央委第4回総会開催,グエン・フー・ト解放戦線議長も出席。
DIA-201-1973-10-04-4北ベトナム1973年10月04日1970年代労働党中央委員会,チリ軍部のファシスト的行為を非難する声明を発表。
DIA-201-1973-10-05-1北ベトナム1973年10月05日1970年代北京で中国のベトナムに対する1974年の軍事装備と物資の無償援助協定に調印。
DIA-201-1973-10-06-1北ベトナム1973年10月06日1970年代外務省,パリ国際会議参加国に,米国とサイゴン政権のパリ協定違反を非難する覚書を送る。
DIA-201-1973-10-08-1北ベトナム1973年10月08日1970年代今年初めからの植林,計画を1万7000ヘクタール超過。
DIA-201-1973-10-09-1北ベトナム1973年10月09日1970年代『ニヤンザン』社説“アラブ諸国人民の正義の闘争を完全に支持する”
DIA-201-1973-10-11-1北ベトナム1973年10月11日1970年代トンキン湾油田開発計画に伊藤忠グループ調査団を派遣。
DIA-201-1973-10-11-2北ベトナム1973年10月11日1970年代『ニヤンザン』紙,とうもろこしの生産拡大を呼びかける。栽培面積5~7年で50万ヘクタール,ヘクタール当り収量2.0~2.5トン。
DIA-201-1973-10-12-1北ベトナム1973年10月12日1970年代ハノイで祖国戦線中央委員会主催のアラブ人民支援集会。
DIA-201-1973-10-13-1北ベトナム1973年10月13日1970年代中央農業委員会におけるファム・バン・ドン首相の演説。
DIA-201-1973-10-14-1北ベトナム1973年10月14日1970年代サイゴン政権の戦闘行動に対して『ニヤンザン』紙社説警告“米国とその手先にとって危検な道”
DIA-201-1973-10-15-1北ベトナム1973年10月15日1970年代『クアンドイニヤンザン』紙,タイの学生闘争について論評“タイ人民の闘争勝利の一週間”
DIA-201-1973-10-16-3北ベトナム1973年10月16日1970年代党と政府代表団(団長ファム・バン・ドン首相)東欧へ出発。
DIA-201-1973-10-16-4北ベトナム1973年10月16日1970年代首相1973~74年乾季の建設計画を急いで達成するよう指令。
DIA-201-1973-10-18-2北ベトナム1973年10月18日1970年代ベトナム支援日本委員会とベトナム,日本友好協会代表団団長星野つとむ議員)ハノイ到着。
DIA-201-1973-10-18-3北ベトナム1973年10月18日1970年代党と政府代表団(ファム・バン・ドン首相)東ベルリンに到着。
DIA-201-1973-10-20-1北ベトナム1973年10月20日1970年代ベトナムの平和委員会代表団(団長ホアン・ミン・ジャム文化相)モスクワの平和大会へ出発。
DIA-201-1973-10-21-1北ベトナム1973年10月21日1970年代北ベトナム,日越貿易業界にホテル建設について引合い。ホテルは6階建て,客室300,総工費50億円の予定。
DIA-201-1973-10-22-2北ベトナム1973年10月22日1970年代ヤンマーに北ベトナムからディーゼル・エンジンの引合い。
DIA-201-1973-10-22-3北ベトナム1973年10月22日1970年代『クアンドイニヤンザン』紙に評論員戦士の論文,“現時点におけるアメリカ帝国主義の戦略的諸問題”
DIA-201-1973-10-23-3北ベトナム1973年10月23日1970年代レ・ドク・ト政治局員,ノーベル平和賞を辞退。
DIA-201-1973-10-23-4北ベトナム1973年10月23日1970年代党・政府代表団チェコ訪問。
DIA-201-1973-10-25-2北ベトナム1973年10月25日1970年代『ニヤンザン』紙社説で水利施設の保全強化を呼びかける。
DIA-201-1973-10-26-2北ベトナム1973年10月26日1970年代『ニヤンザン』紙社説で消費物資の生産増加を呼びかける。
DIA-201-1973-10-30-1北ベトナム1973年10月30日1970年代米国務省スポークスマン,北ベトナムが協定に違反すれば報復すると警告。
DIA-201-1973-10-31-1北ベトナム1973年10月31日1970年代祖国戦線代表団(団長ホアン・コク・ベト最高人民検察院院長),日本社会党,日本共産党,総評などの招きで訪日。
DIA-201-1973-10-31-2北ベトナム1973年10月31日1970年代『ニヤンザン』紙社説で公共資財の管理強化を呼びかける。
DIA-201-1973-10-31-3北ベトナム1973年10月31日1970年代米空母ハンコック,トンキン湾を去ってインド洋へ。
DIA-201-1973-11-01-2北ベトナム1973年11月01日1970年代アルバニアの党と政府代表団と共同コミュニケ。
DIA-201-1973-11-03-2北ベトナム1973年11月03日1970年代首相府,10月米の収穫について指令。
DIA-201-1973-11-03-3北ベトナム1973年11月03日1970年代訪ソ中のドン首相,コスイギン首相,カツシェフ党中央委書記,ノビコフ副首相と会見。
DIA-201-1973-11-03-4北ベトナム1973年11月03日1970年代外務省,米国とサイゴン政権のパリ協定違反について,国際会議参加国へ覚書を送る。
DIA-201-1973-11-04-2北ベトナム1973年11月04日1970年代ラオス解放区訪問中のレ・ジュアン第一書記サムネアの大衆集会で演説し,ラオスの新民族連合政府との友好協力およびシアヌーク元首の王国民族団結政府への支持を強調。
DIA-201-1973-11-05-1北ベトナム1973年11月05日1970年代『ニヤンザン』社説“二次作物の生産を拡大せよ”
DIA-201-1973-11-06-3北ベトナム1973年11月06日1970年代東欧諸国を歴訪したファム・バン・ドン首相を団長とする党・政府代表団ハノイ帰着。
DIA-201-1973-11-06-4北ベトナム1973年11月06日1970年代トー・フー党中央委書記,英国共産党大会第33回大会へ出席。
DIA-201-1973-11-07-3北ベトナム1973年11月07日1970年代東洋石油開発,トンキン湾の海底油田開発についてベトナム政府と合意。
DIA-201-1973-11-07-4北ベトナム1973年11月07日1970年代レ・ジュアン第一書記を団長とする党,政府代表団ラオスから帰国。
DIA-201-1973-11-08-1北ベトナム1973年11月08日1970年代外務省,米軍のSR71型機の偵察活動に抗議。
DIA-201-1973-11-09-4北ベトナム1973年11月09日1970年代訪日中のホアン・コク・ベト祖国戦線代表団長大平外相と会談。
DIA-201-1973-11-09-5北ベトナム1973年11月09日1970年代カンプチア王国民族団結政府のイエム・サリ特使,ズン・サム・オル軍需相,チウンプラシト民族解放連絡相は帰国の途中ハノイを訪問。
DIA-201-1973-11-10-1北ベトナム1973年11月10日1970年代政府声明,米国とサイゴン政権のパリ協定違反を非難。
DIA-201-1973-11-10-2北ベトナム1973年11月10日1970年代『ニヤンザン』紙社説“厳しい警告”
DIA-201-1973-11-10-3北ベトナム1973年11月10日1970年代フランス共産党代表団,党中央委の招待でハノイに到着。
DIA-201-1973-11-11-1北ベトナム1973年11月11日1970年代『ニヤンザン』紙社説“ベトナムとラオスの戦闘的連帯の無敵の強さ”
DIA-201-1973-11-11-2北ベトナム1973年11月11日1970年代労働党代表団(団長党中央委書記グエン・バン・チャン),日本共産党大会に出席。
DIA-201-1973-11-13-2北ベトナム1973年11月13日1970年代ハノイ在住の華人第4回総会開催。
DIA-201-1973-11-15-2北ベトナム1973年11月15日1970年代国会統一委員会,米国とサイゴン政権の協定違反を非難するコミュニケを発表。
DIA-201-1973-11-15-3北ベトナム1973年11月15日1970年代駐北京のゴ・ツエン大使,対日関係正常化の3条件として,南ベトナム臨時革命政府の承認,米軍が日本の港を利用して南ベトナムへ武器を運搬している問題,第2次大戦の賠償問題の解決をあげた。
DIA-201-1973-11-15-4北ベトナム1973年11月15日1970年代ルクセンブルグと大使級の国交を樹立。
DIA-201-1973-11-16-2北ベトナム1973年11月16日1970年代オートボルタと大使級の国交を樹立。
DIA-201-1973-11-17-1北ベトナム1973年11月17日1970年代祖国戦線中央委の訪日代表団(団長ホアン・コク・ベト党中央委員)帰国。
DIA-201-1973-11-18-2北ベトナム1973年11月18日1970年代貨物船ホンハ号,ホンゲイ炭3,652トンを積んで東京港に入港。
DIA-201-1973-11-19-1北ベトナム1973年11月19日1970年代政府,南部の臨時革命政府の風水害見舞として米6万トン,布800万メートル,薬品を贈与。
DIA-201-1973-11-20-3北ベトナム1973年11月20日1970年代『ニヤンザン』紙,日本の田中首相のインタビューを非難,日米安保条約の背骨である米第7艦隊はアジア大陸の安全にとって基本的要素となるものでは決してない。
DIA-201-1973-11-20-4北ベトナム1973年11月20日1970年代『ニヤンザン』紙社説“社会主義教育の優越性を正しく発揮しよう”
DIA-201-1973-11-20-5北ベトナム1973年11月20日1970年代10月米の収穫面積,全土で60%に達す。
DIA-201-1973-11-21-1北ベトナム1973年11月21日1970年代『ニヤンザン』紙,英国のロイル外務次官の声明に反駁。
DIA-201-1973-11-21-2北ベトナム1973年11月21日1970年代『ニヤンザン』紙社説“社会主義の法律制度の有効性を強化しよう”
DIA-201-1973-11-21-3北ベトナム1973年11月21日1970年代訪日中のグエン・バン・チャン労働党中央委書記,記者会見で「日本が平等互恵,内政不干渉の原則にもとづいて援助してくれるなら,われわれは喜んで受け入れたい」と語った。
DIA-201-1973-11-22-2北ベトナム1973年11月22日1970年代『クアンドイニヤンザン』紙社説“絶えず戦闘準備を点検し改善せよ”
DIA-201-1973-11-22-3北ベトナム1973年11月22日1970年代『ニヤンザン』紙,米国財界は石油問題について悲観的でかついら立ちを示していると論評。
DIA-201-1973-11-23-3北ベトナム1973年11月23日1970年代『ニヤンザン』紙に春香論文“ニクソン政権と国際的緊張緩和”
DIA-201-1973-11-23-4北ベトナム1973年11月23日1970年代グエン・フー・ト解放戦線議長。中国訪問からの帰途ハノイに立ち寄る。
DIA-201-1973-11-26-1北ベトナム1973年11月26日1970年代アルバニアと文化協力協定。
DIA-201-1973-11-27-3北ベトナム1973年11月27日1970年代キューバと1974年の物資交換協定および物資援助協定。
DIA-201-1973-11-27-4北ベトナム1973年11月27日1970年代外務省声明,サイゴン軍によるタイニン地区爆撃を非難。
DIA-201-1973-11-28-3北ベトナム1973年11月28日1970年代首相府,1973年度国家計画の達成度を点検するよう通達を出す。
DIA-201-1973-11-29-1北ベトナム1973年11月29日1970年代東独と1974年の科学技術協力協定。
DIA-201-1973-11-30-5北ベトナム1973年11月30日1970年代外務省,南ベトナムから民間人に偽装した米軍人2万4000人をただちに撤退することを要求する声明を発表。
DIA-201-1973-11-30-6北ベトナム1973年11月30日1970年代ホックタップ』誌11月号社説“農業に新しい変化を生み出すためにあらゆる努力を集中しよう”
DIA-201-1973-12-01-1北ベトナム1973年12月01日1970年代『ニヤンザン』紙社説“勝利への唯一の道,アラブ首脳会議の決定を歓迎”
DIA-201-1973-12-01-2北ベトナム1973年12月01日1970年代トン・ファン・フィエト国会常務委員会書記長死去。
DIA-201-1973-12-02-1北ベトナム1973年12月02日1970年代『ニヤンザン』紙社説“米国はすべての干渉を停止せよ”
DIA-201-1973-12-03-3北ベトナム1973年12月03日1970年代『ニヤンザン』紙社説“労働管理”
DIA-201-1973-12-04-2北ベトナム1973年12月04日1970年代『ニヤンザン』紙社説“市場管理”物価を安定し,人民の生活を防衛し,かつ不法な商人を合法的商業に立ち戻らせるためには市場管理業務に習熟しなければならないと呼びかける。
DIA-201-1973-12-06-4北ベトナム1973年12月06日1970年代『ニヤンザン』紙社説“けんめいに働き学びかつ質素な生活を送ろう”と党員の質の向上を呼びかけた。
DIA-201-1973-12-07-2北ベトナム1973年12月07日1970年代外務省,米空母ミッドウエーが北ベトナム沖で挑発活動をしていると非難。
DIA-201-1973-12-08-1北ベトナム1973年12月08日1970年代『ニヤンザン』紙社説“カンボジアの抵抗運動に対する大きな国際支援”
DIA-201-1973-12-10-1北ベトナム1973年12月10日1970年代『クアンドイニヤンザン』紙,タイの政変につてアメリカの干渉は続いており「最近のタイ政府の交代は古いびんに新しいワインを盛ったものにすぎない」と論評。
DIA-201-1973-12-10-2北ベトナム1973年12月10日1970年代統計局の第1次推定によると今10月米の成績は国家計画を下まわる見込み。作付面積は計画の86.24%,生産性は計画の92.30%,生産量は計画の80%。旱ばつと台風が原因。
DIA-201-1973-12-10-3北ベトナム1973年12月10日1970年代『ニヤンザン』紙社説“農業生産戦線における青年”
DIA-201-1973-12-10-4北ベトナム1973年12月10日1970年代米軍,空母ミッドウェー,北ベトナム沖で活動中であることを確認。
DIA-201-1973-12-11-1北ベトナム1973年12月11日1970年代訪問中のオーストラリアのジェームズ・ケーン対外貿易相はドン首相と会談。
DIA-201-1973-12-12-1北ベトナム1973年12月12日1970年代統計局によれば本年10月迄の養豚数は1973年度計画を4.4%,昨年同期に比して9.1%増加。
DIA-201-1973-12-19-1北ベトナム1973年12月19日1970年代ソビエト最高会議幹部会代表団(団長ニヤズベコフ幹部会副議長),国会常務委員会の招きで友好訪問。
DIA-201-1973-12-20-4北ベトナム1973年12月20日1970年代パリでキッシンジャー・レ・ドク・ト会談。
DIA-201-1973-12-21-2北ベトナム1973年12月21日1970年代フランスと1億フランの対ベトナム経済援助に調印。
DIA-201-1973-12-21-3北ベトナム1973年12月21日1970年代ベトナム人民軍第29回創立記念。バン・チェン・ズン総参謀長主催。ジャップ国防相欠席。
DIA-201-1973-12-24-1北ベトナム1973年12月24日1970年代レ・ドク・ト政治局員,フランスのテレビ放送で「米国が南ベトナム内部問題に介入を続けるならばあらゆる手段に訴えてこれに報復する」と語る。
DIA-201-1974-01-02-1北ベトナム1974年01月02日1970年代ニャンザン紙報道;農業機械化計画の中で,ニンビン省は今春農季に耕作用トラクター総数の90%を投入。
DIA-201-1974-01-02-2北ベトナム1974年01月02日1970年代ニャンザン紙報道;ランソン省で農作用高地へ灌漑用水を送るため,送水路とポンプの灌漑用水施設12ヵ所を完成。現在新工事7ヵ所も着工中。
DIA-201-1974-01-09-2北ベトナム1974年01月09日1970年代ニャンザン紙報道;農業合作社総数の中で,組織的集団養豚を採用したものは50%以上に達した。
DIA-201-1974-01-09-3北ベトナム1974年01月09日1970年代スペイン共産党代表団,ハノイに来訪。
DIA-201-1974-01-14-3北ベトナム1974年01月14日1970年代ニャンザン紙報道;タイグエン鉄鋼コンビナートは現在生産活動を再開。
DIA-201-1974-01-15-2北ベトナム1974年01月15日1970年代ニャンザン紙報道;1973年の養豚業実績は1972年より8.1%増。また,養豚家は農民人口総数の85%に達し,各農家は平均豚1.5頭を飼育。
DIA-201-1974-01-15-3北ベトナム1974年01月15日1970年代マルタ国と大使級外交関係樹立。
DIA-201-1974-01-17-3北ベトナム1974年01月17日1970年代Ngo Dien外相捕佐官,外国記者クラブで,パリ協定に対する米とサイゴン政権の違犯についての白書を発表。
DIA-201-1974-01-19-3北ベトナム1974年01月19日1970年代ニャンザン紙報道;ビンフー省は県と村落内の道路2000キロを修理,新設。
DIA-201-1974-01-22-2北ベトナム1974年01月22日1970年代統一戦線議長シアヌーク殿下,旧正月に当り,ハノイに来訪。
DIA-201-1974-01-29-2北ベトナム1974年01月29日1970年代国際監視委員会の4代表団団長,初めてハノイに来訪。
DIA-201-1974-01-30-2北ベトナム1974年01月30日1970年代外務省スポークスマン,バック外相の南北関係の正常化についての両外相会談の提案を全面的に拒否。
DIA-201-1974-02-03-2北ベトナム1974年02月03日1970年代ホー・チ・ミン青年団中央委員会発表,1973年中,クァンニン省の炭鉱地帯の開発に従事した同青年団支部は,生産と政治思想について成績優秀な225人を労働党中央委に推せん審査の後,入党が認めらる。
DIA-201-1974-02-03-3北ベトナム1974年02月03日1970年代地質局第36隊は,石油,天然ガス開発のためトンキン湾沖で深さ3200メートルを掘削する試掘櫓の2本目の組立を完了。
DIA-201-1974-02-04-5北ベトナム1974年02月04日1970年代第4期第4回国会経済復興総会開催。
DIA-201-1974-02-08-3北ベトナム1974年02月08日1970年代ザップ副首相兼国防相,朝鮮人民軍創立26周年記念に当り祝電。
DIA-201-1974-02-10-1北ベトナム1974年02月10日1970年代国会,国家経済復興発展2ヵ年計画案を承認。
DIA-201-1974-02-10-2北ベトナム1974年02月10日1970年代ニャンザン社説“国家2ヵ年計画の主要な3目標を達成しよう”
DIA-201-1974-02-11-3北ベトナム1974年02月11日1970年代ベトナム労働総同盟第3回大会開催-主催者発表によると,現在の組合員総数は100万人。今大会には各単産代表5000人が参加。名誉議長にTon duc Thang,議長にHoang quoc Vietを選出。
DIA-201-1974-02-13-4北ベトナム1974年02月13日1970年代(ジュネーブ)戦争難民保護国際大会に参加。
DIA-201-1974-02-15-4北ベトナム1974年02月15日1970年代ザップ副首相兼国防相,ベトナム南部人民武装勢力統一13周年記念に当り,チャン・ナム・チュン革命政府国防相あてに祝電。
DIA-201-1974-02-15-5北ベトナム1974年02月15日1970年代外務省,米軍SR71型機のゲアン,ハチン両省上空への侵入と偵察活動を非難。
DIA-201-1974-02-17-3北ベトナム1974年02月17日1970年代ハノイ財政大学は,財政,銀行,計理などの諸専門学科からの卒業生501人の卒業式典を行なった。
DIA-201-1974-02-19-4北ベトナム1974年02月19日1970年代ホー・チ・ミン労働青年団全国大会開催-Vu Quang第1書記はじめ全役員再選。正式団員数は現在280万人,今大会には全国から代表383人が参加。
DIA-201-1974-02-22-1北ベトナム1974年02月22日1970年代政府は省と中央直轄都市の人民議会代表選挙日を,今年5月5日に,自治区内省級の人民議会代表選挙日を4月15日と5月15日の間と決定。
DIA-201-1974-02-23-2北ベトナム1974年02月23日1970年代ザップ副首相兼国防相,ソ連海軍創立56周年記念に当り祝電。
DIA-201-1974-02-23-3北ベトナム1974年02月23日1970年代ドン首相,世界回教国首脳会議へ祝電。
DIA-201-1974-02-25-4北ベトナム1974年02月25日1970年代政府,第2回国勢調査の方法,目的,実施時期を発表。
DIA-201-1974-02-26-3北ベトナム1974年02月26日1970年代ザップ副首相兼国防相,東ドイツ建軍18周年記念に当り祝電。
DIA-201-1974-03-04-2北ベトナム1974年03月04日1970年代婦人連合会第4回全国大会開催-全国から代表600人が参加。8日次のような決議文採択。 ○祖国,社会,家庭に対する諸義務を完遂するため,社会主義婦人層を教育し,養成する。 ○全国婦人階層は,社会主義事業の建設のため労働,生産節約の競争に参加する。 ○連合組織は国家機関とともに婦人,子供の権利,生活および健康を守り,家庭の長い組織を指導する。 ○ベトナム南部の婦人階層の独立,民主,平和および婦人生活権を守るため,闘争事業を支援する。 ○世界の婦人階層の闘争と団結する。
DIA-201-1974-03-05-1北ベトナム1974年03月05日1970年代アルジェリア政府代表団(団長ブーメディエン革命委議長兼首相)ハノイ訪問。9日共同声明発表。
DIA-201-1974-03-05-2北ベトナム1974年03月05日1970年代イタリア共産党代表団,レ・ジュアン第1書記と会談。10日共同コミュニケ発表。
DIA-201-1974-03-06-3北ベトナム1974年03月06日1970年代米軍代表団,ハノイのジャラム空港で北ベトナムで死亡した米軍12人の遺骨を受けとる。
DIA-201-1974-03-08-1北ベトナム1974年03月08日1970年代アルジェリア代表団同行記者団は,南ベトナム解放区からハノイに帰着する直前乗機が墜落し,全員が死亡。
DIA-201-1974-03-09-4北ベトナム1974年03月09日1970年代日本共産党代表団,ハノイに来訪。16日共同コミュニケ発表。
DIA-201-1974-03-11-2北ベトナム1974年03月11日1970年代ニャンザン紙報道;ハイフォン市のセメント大工場が復旧したほか,21の小セメント工場も復旧,これらの小工場は1973年中に2万3000トンを生産,1973年の増産計画目標は10万トン。
DIA-201-1974-03-12-3北ベトナム1974年03月12日1970年代ニャンザン紙社説“農業合作社条例を正しく実行せよ,それによって,今後経済復興と発展の諸任務を実現できる。またこれは農村における集団制度強化の第一条件である”と強調。
DIA-201-1974-03-12-4北ベトナム1974年03月12日1970年代ホンガイ石炭公司全体会議,1974年2ヵ月の生産実績を検討した後,1974年の国家計画以外に24万トンの増産を政府に約束。
DIA-201-1974-03-12-5北ベトナム1974年03月12日1970年代国立銀行,新紙幣0.10ドン札の発行を発表。
DIA-201-1974-03-17-2北ベトナム1974年03月17日1970年代国勢調査中央委員会は訓練を受けた幹部10万人を全国に配置し各地方と単産の調査を指導すると発表。
DIA-201-1974-03-18-2北ベトナム1974年03月18日1970年代政府代表団(団長ドン首相)東欧,アフリカおよびその他諸国を親善訪問のため出発。18日北京到着。 19日 モスクワ到着,20日コスイギン首相と会談。24日キューバ訪問,31日キューバ政府と共同コミュニケ発表。 4月5日アルジェリアと共同コミュニケ発表。5日ユーゴ訪問,8日共同コミュニケ発表。8日スウェーデン訪問,11日国王と会見。11日帰途モスクワに到着。
DIA-201-1974-03-18-3北ベトナム1974年03月18日1970年代ザップ副首相兼国防相,モンゴル人民軍創立53周年記念に当り祝電。
DIA-201-1974-03-19-2北ベトナム1974年03月19日1970年代ニャンザン紙社説“カンボジア,ラオス兄弟の団結と戦闘事業に積極的に貢献せよ”
DIA-201-1974-03-19-3北ベトナム1974年03月19日1970年代ニャンザン紙社説“革命警戒を高め,米帝とその手先のあらゆる陰謀を失敗させよう”
DIA-201-1974-03-20-1北ベトナム1974年03月20日1970年代ポーランド政府経済代表団,ハノイに来訪。
DIA-201-1974-03-21-1北ベトナム1974年03月21日1970年代ニャンザン紙報道;ハバク省は農作地3万ヘクタールの灌漑用水系統工事を完成。
DIA-201-1974-03-22-3北ベトナム1974年03月22日1970年代ニャンザン紙社説“地方の経済,軍事,文化の安定,強化は,国の防衛と経済,文化の発展に重要な役割をもつ”
DIA-201-1974-03-23-1北ベトナム1974年03月23日1970年代中国と1973~1974年の科学,技術協力協定に調印。
DIA-201-1974-03-24-3北ベトナム1974年03月24日1970年代政府声明,革命政府の民族和解の6項目提案を全面的に支持。
DIA-201-1974-03-25-1北ベトナム1974年03月25日1970年代ポーランド政府代表団と1974年の経済技術,科学協力協定に調印。
DIA-201-1974-03-27-3北ベトナム1974年03月27日1970年代政府と労働総同盟議長団代表は,国営部門における労働と生産の競争,節約,社会主義建設に集中するよう運動することを決議。
DIA-201-1974-03-27-4北ベトナム1974年03月27日1970年代政府は,大学の入学試験受験者に自分の才能と能力および国家の緊急性と必要性を見きわめてよく選択するよう強調。
DIA-201-1974-03-28-2北ベトナム1974年03月28日1970年代キュー・サムファン・カンボジア団結政府副首相兼国防相代表団ハノイに来訪。4月1日共同コミュニケ発表。
DIA-201-1974-03-29-4北ベトナム1974年03月29日1970年代チン外相,公式にハンガリーを訪問。
DIA-201-1974-04-01-3北ベトナム1974年04月01日1970年代第2回国勢調査の実施開始。
DIA-201-1974-04-02-2北ベトナム1974年04月02日1970年代交通運輸省発表,ソンロ(ベトチ地区)造船所完成式典。
DIA-201-1974-04-03-3北ベトナム1974年04月03日1970年代内閣改造- レ・タン・ギ副首相,国家計画委員長を兼任 グエン・コン副首相,機械部門を担当,機械金属相を兼任 チャン・フー・ズク国務相,副首相に昇格,内政問題を担当 ファン・チョン・トエ交通運輸相,副首相に昇格,工業と交通運輸部門を担当 ダン・ベト・チャウ財政相,副首相に昇格,財政,商業,銀行部門を担当 グエン・バン・ロク中央農業委員会副委員長,内閣検査委員会委員長に就任 ダン・チ内閣官房長官,内閣統一委員会委員長に就任 ズウン・バク・リエン交通運輸次官,交通運輸相に昇格 ディン・ドク・チエン機械金属相,辞任,他の職務に転任 グェン・ラム国家計画と国家物価両委員全委員長,他のポストに転任のため辞任
DIA-201-1974-04-03-4北ベトナム1974年04月03日1970年代国会,チャン・ディン・チを新国会事務局長に選出。
DIA-201-1974-04-05-2北ベトナム1974年04月05日1970年代ブルンジ共和国の駐ベトナム大使シプイレ・アンベ氏,バン副大統領に信任状を提出。
DIA-201-1974-04-05-3北ベトナム1974年04月05日1970年代イラン王国駐ベトナム大使アラム・アプバ氏,ハノイに到着。
DIA-201-1974-04-06-2北ベトナム1974年04月06日1970年代ニャンザン紙社説“今日ラオスの歴史は転換期にある”
DIA-201-1974-04-06-3北ベトナム1974年04月06日1970年代チン外相,ポンピドー故フランス大統領の葬儀に参加するため,パリに到着。
DIA-201-1974-04-08-1北ベトナム1974年04月08日1970年代ハノイ市労働党委員会第6回大会開催。
DIA-201-1974-04-08-2北ベトナム1974年04月08日1970年代レ・タン・ギ副首相,東ドイツ政府の教育専門家代表団と会見,1974~75年大学と専門学校に対する協力諸協定に調印。
DIA-201-1974-04-08-3北ベトナム1974年04月08日1970年代チェコと技術者養成諸協定に調印。
DIA-201-1974-04-08-4北ベトナム1974年04月08日1970年代政府,1974年の洪水と台風に対する万全な予防を指令。
DIA-201-1974-04-09-3北ベトナム1974年04月09日1970年代ニャンザン紙社説“国家と人民の力を集中して重要な工事の完成を促進せよ”
DIA-201-1974-04-10-1北ベトナム1974年04月10日1970年代祖国戦線中央委員会第5回総会開催。12日次の通り決議案を採択。 ○ベトナム北部全人民を動員し,南部同胞と固く団結し,平和を守りパリ協定の厳格な実施を保証するため断固として闘争する。 ○全人民各階層を動員し,労働生産,社会主義建設において積極的に競争する。 ○社会主義の民主的発展の運動に積極的に参加する。人民民主政権を強化する。 ○新しい人間の建設に参加,文明生活を実現する。 ○ベトナム人民と世界人民との団結友好の強化に貢献する。
DIA-201-1974-04-13-4北ベトナム1974年04月13日1970年代オーストリア共産党代表団,ハノイに来訪。
DIA-201-1974-04-16-4北ベトナム1974年04月16日1970年代ニャンザン紙社説“農業生産の労働能率を強化しよう”
DIA-201-1974-04-16-5北ベトナム1974年04月16日1970年代人民軍政治総局,軍事中央委の全軍に対する決戦競争運動の指示について具体的な運動方針を討議。
DIA-201-1974-04-17-4北ベトナム1974年04月17日1970年代ニャンザン紙社説“農業生産合作社において労働時間を強化,労働日時を効果的に使用せよ”
DIA-201-1974-04-18-6北ベトナム1974年04月18日1970年代ニャンザン紙社説“各地方の間の労働力の過不足状態を解消するため,労働力を再配分しよう”
DIA-201-1974-04-18-7北ベトナム1974年04月18日1970年代ソ連,漁船2隻を贈与。
DIA-201-1974-04-19-4北ベトナム1974年04月19日1970年代ニャンザン紙社説“企業内労働力と資金の消耗を最少限に守ろう”
DIA-201-1974-04-20-2北ベトナム1974年04月20日1970年代政府,個人と団体の企業,商業経営に対する許可条件を次のように決定。 ○団体(合作社,組合)の場合は国家の責任を持つ機関の許可によって創立され,運営された団体経営でなければならない。 ○個人経営の場合は,営業許可の申請者はその地元の正式な住民戸籍を持ち,申請職業,営業に対する経験と労働力を持つ人でなければならない。 ○国家諸機関あるいは企業に既に在勤する労働者および公務員は,経営許可申請が禁止され,どんな民間営業団体にも参加できない。 ○営業許可申請する職業ないし経営分野はその地方の一般経済の発展計画,政策,各発展企画に合致しなければならない。 ○申請する職業と生産品は,国家に禁止されたり,国家による社会労働分担の方針に反するならば,経営を許可しない。
DIA-201-1974-04-25-1北ベトナム1974年04月25日1970年代クアンドイ・ニャンザン紙はレーニン生誕104周年記念に当り無署名論文を掲載し,“米帝国主義者の侵略本質はなんにも変わらない”と強調。
DIA-201-1974-04-26-2北ベトナム1974年04月26日1970年代M. H. J. chルットテエン・オランダ外務省国際協力局次長,ハノイを訪問。
DIA-201-1974-04-26-3北ベトナム1974年04月26日1970年代内閣一部改造- ○ホアン・アイン副首相,農業委員会主任の兼任を解除 ○グエン・ト・チャン氏,労働相に就任(グエン・フ・キュ前労働相は他の任務に転出) ○グエン・フーマイ電力,石炭相辞任,他の任務に転出。
DIA-201-1974-04-26-4北ベトナム1974年04月26日1970年代イラク駐ベトナム全権大使アサマライ氏,バン副大統領に信任状を提出。
DIA-201-1974-04-26-5北ベトナム1974年04月26日1970年代チュニジア共和国駐ベトナム全権大使リタクリビ氏バン副大統領に信任状を提出。
DIA-201-1974-04-26-6北ベトナム1974年04月26日1970年代フィンランド政府代表団と両国財政関係協定書に調印。
DIA-201-1974-04-28-2北ベトナム1974年04月28日1970年代政府,大衆革命運動の3っの方針を決定。 ○労働と生産における競争と節約の実行に積極的に参加する運動 ○経済関係の管理工作に参加する運動 ○社会建設と生産,日常生活の中での消極的な現象を排除するよう闘争する運動
DIA-201-1974-04-29-3北ベトナム1974年04月29日1970年代ニャンザン紙報道;タンホア省の全家畜合作社は1974年第1四半期にあひるの玉子270万個を生産。
DIA-201-1974-04-30-2北ベトナム1974年04月30日1970年代ラオカイ省地質調査隊,省内新燐灰石鉱を発見。
DIA-201-1974-04-30-3北ベトナム1974年04月30日1970年代ニャンザン紙社説“新段階に対応するため,労働者は新しい労働態度を持とう”と呼びけ。 ○労働者階級は社会の主人階級であることを自覚し,祖国と社会の利益と自分の階級および個人の利益を含む事業のため,労働義務を完遂しなければならない。 ○雇用されているという意識を根底から排除するよう闘争しなければならない。 ○労働者を奴隷と同様に見る旧い慣習に反対しなければならない。
DIA-201-1974-04-30-4北ベトナム1974年04月30日1970年代政府,経済と社会の管理工作に地方人民議会の職能をもっと発揮するよう指示。
DIA-201-1974-05-01-4北ベトナム1974年05月01日1970年代ニャンザン紙社説;バンジェン燐灰石肥料工場,1974年の第1四半期生産実績は,米国の破壊戦争以前の高い生産水準年の50%に達した。
DIA-201-1974-05-03-4北ベトナム1974年05月03日1970年代日本,ベトナムへカキの品種改良用種苗を輸出。
DIA-201-1974-05-04-3北ベトナム1974年05月04日1970年代ASEAN第7回外相会議の主催国インドネシア外相の招待状を拒否。
DIA-201-1974-05-05-1北ベトナム1974年05月05日1970年代全国の自治区,省および中央直轄都市の人民議会選挙投票開始-16日中央選挙管理委員会選挙結果について,投票率は95~99.52%に達し,直接生産現場に参加する責任者の当選者は当選総数の50%を占めたと発表した。
DIA-201-1974-05-06-2北ベトナム1974年05月06日1970年代中央農業委員会,地方農業技術と経済管理工作を指導し支援するため専門幹部3000人を各地方へ派遣。
DIA-201-1974-05-07-4北ベトナム1974年05月07日1970年代ディエン・ビエン・フー大勝利20周年記念式典に長期間療養していたザップ副首相兼国防相が出席し,演説。
DIA-201-1974-05-08-4北ベトナム1974年05月08日1970年代ウガンダ共和国駐ベトナム大使S. K. マトブ氏,バン副大統領に信任状を提出。
DIA-201-1974-05-08-5北ベトナム1974年05月08日1970年代モンゴル政府代表と,1974~75年両国文化協力協定に調印。
DIA-201-1974-05-11-1北ベトナム1974年05月11日1970年代ニャンザン紙社説“経済生産統計数字を偽造し水増させ,国家経済バランスを混乱させる人々を激しく懲罰しよう”
DIA-201-1974-05-11-2北ベトナム1974年05月11日1970年代ホアン・ミン・ザム文化相代表団は,ハバナで開催される社会主義諸国文化相会議に出席するため,ハノイを出発。
DIA-201-1974-05-12-1北ベトナム1974年05月12日1970年代ニャンザン紙社説“タイを含む東南アジア諸国と,独立,主権,内政不干渉の相互尊重を基礎に友好関係を樹立するよう努力する。とくにタイとの関係改善は双方と東南アジアの平和に有益であろう”
DIA-201-1974-05-14-1北ベトナム1974年05月14日1970年代国会代表団(団長 チュオン・チン議長),東欧諸国を親善訪問のため出発。6月12日帰国。
DIA-201-1974-05-18-2北ベトナム1974年05月18日1970年代ニャンザン紙社説“農業生産合作社内の生産分配について,労働力による生産品分配は社会主義の経済規律であり,生産資材と労働者に対する生産品の分配問題は,共同所有制度関係に反映する,生産成績は分配を決定し,長い分配は直接的に生産を促進する”
DIA-201-1974-05-19-1北ベトナム1974年05月19日1970年代ニャンザン紙報道;キューバ政府援助によるクアンビン省省都ドンホイ市の再建を起工。
DIA-201-1974-05-19-2北ベトナム1974年05月19日1970年代ニャンザン紙報道;中国の物資と技術援助による放送局が完成。
DIA-201-1974-05-22-4北ベトナム1974年05月22日1970年代(東京)訪日国会代表団団長チャン・ザィン・トウエン物資相兼ベトナム日本友好協会会長は記者会見で,両国の関係諸問題について次のように述べた。 ○両国の外務省間による,大使館開設などを前提とした協議が継続している。 ○昨年秋季の自然災害はかなりの規模であるが,人民の団結と努力で克服された。 ○米国はパリ協定に定められた,戦後復興の義務をまだ履行していない。われわれはあくまで米国の実行を要求する。 ○1973年から開始された復興3カ年計画は順調に運んでいる。
DIA-201-1974-05-25-2北ベトナム1974年05月25日1970年代日本全国農業協同組合連合会は農業発展に対する援助問題を協議するため,来月上旬頃にハノイヘ代表団を派遣すると発表した。協力の内容は①飼料原料であるトウモロコシを中心とした食糧増産。②燐灰石を原料とした肥料工場の建設計画,および燐酸肥料の輸入。③農作業衣と地下たびなどのベトナムヘの委託生産の可能性。④良質な練炭の原料となるホンガイ炭の輸入増大。
DIA-201-1974-05-27-2北ベトナム1974年05月27日1970年代ニャンザン紙は「仕事に対する不誠実な態度と行為の原因と,防止克服の方法についての読者の意見書」をのせた。内容は次のとおり。 不誠実の原因一①諸幹部の一部には成績主義にこだわる態度がまだ見られる。②個人の利益と地位に対する動機が幹部内にはまだ残っている。③総合的研究の程度,経済管理の程度がまだ低い。 防止克服の方法一①現場に深く入り込み,調査し,状況をよく研究する。②定期的臨時的に大衆と幅広く接触する。③優秀な政治資質,誠実さ,および専門知識を持つ統計幹部団を養成する。④不誠実で不正確な報告者に対し厳しく批判し懲罰しなければならない。
DIA-201-1974-05-27-3北ベトナム1974年05月27日1970年代(東京)訪日国会議員団と日本国会議員超党派歓迎実行委員会の共同談話発表。
DIA-201-1974-05-27-4北ベトナム1974年05月27日1970年代(東京)ベトナム国会議員団の歓迎実行委員会は次の点で意見一致。①ベトナム民主共和国との友好促進と復興への協力。②パリ協定の尊重。③ベトナム南部共和臨時革命政府を承認し外交関係の樹立を促進する。早い時期に歓迎実行委員会を「日本ベトナム友好議員連盟」に発展させる。
DIA-201-1974-05-29-3北ベトナム1974年05月29日1970年代日本ベトナム貿易協会は本年度の計画としてハノイに常駐事務所を設置すると発表。
DIA-201-1974-05-30-4北ベトナム1974年05月30日1970年代ハチン省水産局は,えび養殖湖の建設を発表。同湖の広さは200ヘクタール,年間のえび漁獲量は100トンと推定。
DIA-201-1974-06-01-1北ベトナム1974年06月01日1970年代(東京)ベトナム民主共和国との友好,ベトナム南部共和臨時革命政府との外交関係の樹立促進を目的とした「日本ベトナム友好議員連盟」が二院クラブを含む衆参両院の全党派の議員(自民,民社両党は有志だけ参加)によって結成された。
DIA-201-1974-06-03-6北ベトナム1974年06月03日1970年代首相府,今年の洪水と台風の季節に当り人民,団体および国家の生命と財産を守るよう指示。
DIA-201-1974-06-07-3北ベトナム1974年06月07日1970年代日本とベトナム,民間ベースでの両国技術交流合意書に調印。
DIA-201-1974-06-08-2北ベトナム1974年06月08日1970年代シプファンヌボン殿下ラオス民間航空局局長はハノイに来訪し,ベトナム側航空責任者と,両国の民間航空協定とその諸議定書に署名した。
DIA-201-1974-06-10-3北ベトナム1974年06月10日1970年代大阪貿易会,共産圏との経済交流推進計画実現の第1段階として,ベトナム民主共和国との加工貿易の実現を決定。
DIA-201-1974-06-10-4北ベトナム1974年06月10日1970年代首相府,1974年の秋季農作に対しあらゆる手段を使って防衛するよう指示。
DIA-201-1974-06-10-5北ベトナム1974年06月10日1970年代ソムリット・セイニャポン・ラオス愛国戦線中央委員兼郵便代表団団長,ハノイでベトナム郵便総局と討議,同部門の技術援助協定に署名。
DIA-201-1974-06-11-4北ベトナム1974年06月11日1970年代ニャンザン紙,キッシンジャー米国務長官のインドシナに関する発言に対し「米国務長官は再び公約を裏切った」と批判。
DIA-201-1974-06-14-1北ベトナム1974年06月14日1970年代ソ連と1974年文化科学および技術諸協定に調印。
DIA-201-1974-06-14-2北ベトナム1974年06月14日1970年代首相府,台風第2号に対し積極的に防備し災害結果を克服するため万全の準備を整えるよう指示。
DIA-201-1974-06-19-3北ベトナム1974年06月19日1970年代ニャンザン紙社説“農業生産合作社内の食糧と収入に対する次の4つの要求を実行しなければならない”と強調。 ○規準量について生産用作物種子,優良種の最高量を貯蔵する。飼料用穀物も貯蓄する。 ○国家に対する食糧供給の義務を実現する。その義務内容は次のとおり。 A.農業税,B.供給義務ワク内で売るべき稲米,C.借款返済,D.義務外に売却する稲米 ○優秀,勤勉,重労働などの農業労働者に対する奨励政策と基準を設置する。 ○食糧消費量もできるだけ節約する,浪費,横領などの違法行為を防止するよう努力する。
DIA-201-1974-06-20-1北ベトナム1974年06月20日1970年代ニャンザン紙社説“社会主義の建設を成功させる方法は生産の増加と節約の実行である。生産増加と節約を同時に実行しなければ党と国家の政策を実現できない。人民各人は資金,労働力,時間,食糧,原料および資材を節約しなければならない”と強調。
DIA-201-1974-06-21-1北ベトナム1974年06月21日1970年代外務省は,ベトナム南部共和臨時革命政府に属する領海クアベトに停泊中の貨物船がサイゴン軍機に撃沈されたことについて激しく非難,ベトナムに関する国際会議への参加国と国連事務総長にあて覚書を送った。
DIA-201-1974-06-27-2北ベトナム1974年06月27日1970年代ニャンザン紙社説“農業の機械と労働力をバランスをとって使用しよう”
DIA-201-1974-06-29-1北ベトナム1974年06月29日1970年代ベトナム民主党創立30周年記念式典。労働党首脳全員が出席。
DIA-201-1974-06-30-1北ベトナム1974年06月30日1970年代ハ・フィ・ザプ党中央委員代表団,オーストラリア共産党創立24周年記念に参加した後ハノイに帰着。
DIA-201-1974-07-03-3北ベトナム1974年07月03日1970年代タンホワ省漁業局発表;今年上半期の漁獲量は6200トン,昨年同期と比べ2600トン増。また塩生産量は1820トン増で,年間計画の54%に達した。
DIA-201-1974-07-04-5北ベトナム1974年07月04日1970年代ニャンザン紙社説“一部の農業生産合作社の経営不振の原因を分折し,改善しようと次のとおり述べた。 ○今年初め党中央委総会第22回大会において,各地方党委員会は農業合作社の改善と強化を提案した。 ○一部の農業合作社の経営不振の原因を列挙すると, ①農業合作社条令が正しく実行されていなかった。 ②合作社幹部は社員を主人とする集団権限を重視しなかった。 ③合作社の管理面では,とくに財政と生産品分配が厳格に行なわれなかった。 ④合作社の保有する物資と技術的基礎が小さいため集団生産の発展に役だたない。 ⑤合作社内の幹部と社員の社会主義に対する理解度がまだ低い。 ⑥合作社の管理班と生産隊の指揮部の業務と経済管理の程度がまだ,薄弱である。 ⑦地方党支部の組織は粗末な状態であり,党幹部と党員多数はまだ党と国家の路線と政策をしっかり掌握していない。 ○農業生産合作社は農民と労働者の集団経済組織であり,合作社の欠陥状態を克服するには,地方農民と労働者が自発的に改善しなければならない。
DIA-201-1974-07-05-4北ベトナム1974年07月05日1970年代ニャンザン紙報道;ゲアン省は灌漉用水の貯水湖とダムの建設工事計画を進め,現在までに200カ所を完成した。完成された諸貯水湖とダムの容積量は1億立方メートルに達した。
DIA-201-1974-07-05-5北ベトナム1974年07月05日1970年代レ・タン・ギ副首相を団長とする代表団,社会主義諸国を訪問するため,ハノイを出発-8日北京で李先念副首相と会談。8日モスクワでバイバコフ副首相と会談。9日ブルガリア訪問。13日東独訪問。16日東独と1975年度経済援助,協力協定に調印。17日ハンガリー訪問。20日モスクワ訪間,23日コスイギン首相と会談。8月1日北京到着,2日李先念副首相と会談。4日シァヌーク議長,ペン・ヌート首相と会談。6日広西チワン自治区を訪問。
DIA-201-1974-07-06-1北ベトナム1974年07月06日1970年代モンゴルと1975-1976年度の医療関係の協力協定に調印。
DIA-201-1974-07-08-2北ベトナム1974年07月08日1970年代政府閣議は1974年の国家計画実現の上半期実績を検討し,下半期実現の方法を討議した。上半期の成果としては,農業生産はとくに春季米生産は国家計画目標に達した。しかし一部の地方では計画目標を達成しなかった。工業生産は,石炭,電力,軽工業は国家計画目標を達成した。
DIA-201-1974-07-08-3北ベトナム1974年07月08日1970年代ニャンザン紙報道;燐灰石生産工場の1974年の上半期生産実績は国家計画より2~12%を超過達成。
DIA-201-1974-07-08-4北ベトナム1974年07月08日1970年代ニャンザン紙報道;軽工業の日常生活必需品の生産実績は1974年の上半期計画の57.6%に達し,1973年下半期と比べ37.4%ふえた。
DIA-201-1974-07-09-3北ベトナム1974年07月09日1970年代ニャンザン紙報道;南端諸省と高原諸省の農業生産合作社1000社以上は7月初旬までに,春季食糧生産の義務を完遂した。また100社は年間の食糧生産義務を完了した。
DIA-201-1974-07-10-1北ベトナム1974年07月10日1970年代ニャンザン紙報道;1974-1975年度大学入学試験の合格者数は6万人。
DIA-201-1974-07-10-2北ベトナム1974年07月10日1970年代ニャンザン紙報道;クァンビン省漁業合作社は1974年上半期の漁獲量が3000トンに達し,昨年同期と比ベ1000トンふえた。
DIA-201-1974-07-10-3北ベトナム1974年07月10日1970年代ニャンザン紙報道;ナムハー省は灌漑用水施設の建設工事の15カ所を完成。これで同省は今年秋季の農作地2万ヘクタールを灌漑できる。
DIA-201-1974-07-12-1北ベトナム1974年07月12日1970年代農業中央委員会発表,諸地方の春季農業収穫を完了。同時に,秋季農作の準備を開始。
DIA-201-1974-07-13-1北ベトナム1974年07月13日1970年代日本へのうるし安定供給に合意。今年分10トンを日本へ輸出する契約を締結。
DIA-201-1974-07-15-1北ベトナム1974年07月15日1970年代ニャンザン紙報道;金属部門の1974年上半期の生産実績は国家計画より18.3%を超過達成。
DIA-201-1974-07-15-2北ベトナム1974年07月15日1970年代外務省スポークスマンは,米軍が7月10日SR71型機1機を2回北部上空に侵入させ偵察活動を行なったと非難。
DIA-201-1974-07-16-1北ベトナム1974年07月16日1970年代外務省スポークスマンは,タイ政府が,ベトナムはタイの安全とラオス中立に脅威を与えていると中傷したのに反論。
DIA-201-1974-07-16-2北ベトナム1974年07月16日1970年代ニャンザン紙報道;食糧食品加工部門の1974年上半期の生産実績は昨年同期と比べ39%増。
DIA-201-1974-07-16-3北ベトナム1974年07月16日1970年代ニャンザン紙報道;小工業部門の1974年上半期の生産実績は年間計画の52.6%を達成,昨年同期と比べ14・6%増。
DIA-201-1974-07-17-3北ベトナム1974年07月17日1970年代ニャンザン紙報道;ホアビン省の山岳地帯遊牧少数民族は党と政府の呼びかけに応じて住居と農耕定着建設に参加したが,今年上半期の農耕地新開墾面積500ヘクタールを完成した。
DIA-201-1974-07-17-4北ベトナム1974年07月17日1970年代食糧食品省発表7月10日現在,春季の食糧生産義務,を完遂した地方数は5省,46県,2200合作社に達す。
DIA-201-1974-07-17-5北ベトナム1974年07月17日1970年代政府閣議は,傷病兵と戦死兵士の遺族のための補充法案を決定。同法案の重点は次のとおり。 ○政府の1964年10月30日付の傷病と戦死兵士遺族の待遇に関する法令161号の第3,14条を改正。第14条の改正部分は重傷病一般兵士が第6,7,8級に昇格され,それら兵士を世話する家族の日常生活費は本俸の10%と同額を支給し,手当額も増額し,生活費も10%を支給する。傷病兵士の第6,7級者は今まで手当10ドン以下を受けていたが,今後10ドン以上を支給する。第8級者は今まで12ドン以下を受けていたが,12ドン以上を支給する。 ○第45条の改正内容は,戦死者2人を持つ両親あるいは1人息子が戦死したため生産と生活の労働力を失った両親は,1人当り農村に住む者には毎月15ドン,都市に住む者には18ドンを支給する。 ○以上の改正部分の実施日は1974年7月。
DIA-201-1974-07-18-3北ベトナム1974年07月18日1970年代三井銀行とベトナム貿易銀行は今後人的交流拡大,とくに訓練生の受け入れ問題に合意。
DIA-201-1974-07-19-3北ベトナム1974年07月19日1970年代ニャンザン紙報道;農業物資部門は秋季農業生産に当り,計画より多量の燐灰石肥料を供給。
DIA-201-1974-07-19-4北ベトナム1974年07月19日1970年代ニャンザン紙報道;軍事工場は1974年上半期に主要な目標を超過達成。
DIA-201-1974-07-19-5北ベトナム1974年07月19日1970年代ニャンザン紙報道;ハイフォン市は1974年上半期に住宅2万平方メートルを建設。
DIA-201-1974-07-20-1北ベトナム1974年07月20日1970年代統計総局発表;4月1日までに養豚業集団の保有豚数は3.7%ふえ,昨年同期と比べ10%増加。
DIA-201-1974-07-20-2北ベトナム1974年07月20日1970年代ニャンザン紙報道;防空部隊所属士官学校は同校の学生実習のため,大規模な演習。
DIA-201-1974-07-20-3北ベトナム1974年07月20日1970年代食糧食品省発表;7月20日現在,12省,68県,平原地帯およびタンホア省以南の3800の農業合作社は春季の食糧生産義務を超過達成。
DIA-201-1974-07-21-2北ベトナム1974年07月21日1970年代ニャンザン紙報道;秋季稲植え状況は,山岳高原地帯は植付面積60~186%を完了,平原地帯は遅れて稲植付面積13%しか達成していない。
DIA-201-1974-07-22-1北ベトナム1974年07月22日1970年代ニャンザン紙報道;カオバン省は現在,牧草面積数万ヘクタールを持ち,水牛と牛8000頭を保有。
DIA-201-1974-07-22-2北ベトナム1974年07月22日1970年代(モスクワ)ソ連・ベトナム経済科学技術協力第1回委員会開催。ベトナムの発電,石炭産業,建設資材工業,その他建設部門と両国計画機関の設置などで合意。
DIA-201-1974-07-23-1北ベトナム1974年07月23日1970年代ニャンザン紙報道;カオバン省は農業合作社の経済管理の若手幹部500人を養成。
DIA-201-1974-07-26-2北ベトナム1974年07月26日1970年代ニャンザン紙報道;ホンガイ石炭公司幹部と労働者は国家計画に基づく生産以外に輸出用24万トンの生産計画を誓約。
DIA-201-1974-07-26-3北ベトナム1974年07月26日1970年代ニャンザン紙報道;ゲアン省は1974年上半期に塩3万トンを生産,年間生産量をほぼ達成。
DIA-201-1974-07-26-4北ベトナム1974年07月26日1970年代ニャンザン紙報道;Bach dang造船所と交通運輸省機械局は合同で今まで,船舶1万トン級以上の修理ドックを持っていたが,最近2万トン級以上の大型船舶の修理ドックの建設を完成。
DIA-201-1974-07-29-3北ベトナム1974年07月29日1970年代ニャンザン紙報道;ナムハー省落花生合作社は国家に350トンを売却,ゲアン省も7月までに1700トンを売却。
DIA-201-1974-07-31-1北ベトナム1974年07月31日1970年代Nguyen Trong Vinh駐中国新特命全権大使(党中央委員)は朱徳中国全国人民代表常務委員会委員長に信任状を提出。
DIA-201-1974-08-02-1北ベトナム1974年08月02日1970年代ニャンザン紙報道;ハバク省のカムソン灌漑用発電貯水湖の建設工事を完成。同湖はハバク省とバクジャン市の農業生産面積5万ヘクタールへ灌漑用水を送り,カムリン水力発電にも利用される。
DIA-201-1974-08-02-2北ベトナム1974年08月02日1970年代ニャンザン紙報道;バクタイ省は秋季農業生産の肥料使用量をふやすため,同省内で緑肥5000トンを生産。
DIA-201-1974-08-03-1北ベトナム1974年08月03日1970年代ニャンザン紙報道;諸省と都市党委は党幹部と党員を再訓練するため,省と市内に,業務技術,文化および政治思想の養成・補修学校を開設。今年上半期には幹部と党員4万人が入学。
DIA-201-1974-08-05-1北ベトナム1974年08月05日1970年代ニャンザン紙報道;北部諸地方間を結ぶ新しい幹線道路建設の状況は,1971~1973年の建設計画の工事を完成した。この3カ年計画では農村の新幹線道路系統7万0800キロを建設した。また,土地節約政策にもとづき,水利建設と道路建設の結合計画を実現できた。
DIA-201-1974-08-05-2北ベトナム1974年08月05日1970年代平野・丘陵地域農業会議でレズアン第1書記演説。
DIA-201-1974-08-06-2北ベトナム1974年08月06日1970年代ニャンザン紙報道;ハノイ変電機械製造工場は農業に服務する目的で,1974年上半期に50~1800KVA変電機械を製造し,とくに7月だけで排水用モーター付ポンプの560KVAと1000KVAの2種類を生産した。
DIA-201-1974-08-06-3北ベトナム1974年08月06日1970年代スウェーンデ大使,ベトナムに対するベニヤ工場建設援助協定書に署名。
DIA-201-1974-08-07-2北ベトナム1974年08月07日1970年代ニャンザン紙編集部は「誠実に仕事をしよう」という問題に対する読者各階層の討論を提唱したが,2カ月間毎日同紙上で積極的な意見が述べられ,次の重点をまとめた。 ○ベトナム社会主義制度の優良性が証明された。全人民各階層は,政府,経済,思想,文化,社会および家庭の諸領域に,人民を主人とする集団権力の制度を強化させることで致した。 ○集団精神の建設について全員が賛成した。 ○誠実に仕事をする社会の建設を主張した。
DIA-201-1974-08-09-1北ベトナム1974年08月09日1970年代日越貿易協会発表,昨年日本はベトナム特産無煙炭18万5000トンを輸入。今年上半期だけで31万4000トンを輸入。年間輸入量が戦後最高だった1961年の62万トンを上回るのは確実。
DIA-201-1974-08-10-2北ベトナム1974年08月10日1970年代農業中央委員会の専門家は,農業生産合作社内の労働能率の向上の方法をニャンザン紙上に発表。その諸重点は次のとおり。 ○労働者に対する計画化。農業に関する諸部門と諸業務の間に均衡的に労働を配分。 ○個人の責任と集団における役割を結びつける。 ○労働者の仕事の場所を組織し,良い労働資材を準備。 ○労働者に対する衛生と安全の技術の改善。 ○工員の技術を高め,工員の間の技術熟練の格差を縮小。 ○労働制度を制定し,合理的な休暇,適当な労働時間を保障しながら,体力の損害と疲労を防止。 ○労働力には正しく支払い,厳格に懲罰する。 ○「労働者は入々のため仕事をする」労働態度を教育する。
DIA-201-1974-08-11-2北ベトナム1974年08月11日1970年代電力石炭省発表;ウォンビー発電所の第4建設部門は高成績を獲得し,1974年第2四半期の電力生産は134.51%に達し,商品化電力生産は136.51%,労働能率は27.6%に増加した。
DIA-201-1974-08-12-2北ベトナム1974年08月12日1970年代食糧食品省発表;食糧食品の増産運動の中で,1974年上半期の生産と加工総量は国家計画の110%に達した。
DIA-201-1974-08-12-3北ベトナム1974年08月12日1970年代ニャンザン紙報道;タイビン省の8月上旬までの塩生産実績は昨年同期に比べ35%増,年間生産計画を完遂。また,南の同胞のため2000トンを生産。
DIA-201-1974-08-12-4北ベトナム1974年08月12日1970年代ニャンザン紙報道;電力機械工場は農業用モーターの目標増加分100台を製造。同モーターの出力50~1000KVA。現在までに農業合作社に同類のモーター400台を供給。
DIA-201-1974-08-15-3北ベトナム1974年08月15日1970年代ニャンザン紙社説は,フォード米大統領の8月12日の議会演説の中で「ニクソン・ドクトリン」の継続を強調したことについて論評し,“フォード政権は今後,インドシナに関する各前政権の軍事・政治干渉を継続するならば・前政権の運命をたどり,米国の経済政治および社会の破産状態は継続し,もっと惨敗を受けるだろう”と批判した。
DIA-201-1974-08-15-4北ベトナム1974年08月15日1970年代ベトナム日本友好協会は,日本人民のベトナム人民への支援物資第10次船の歓迎式典を行なった。
DIA-201-1974-08-15-5北ベトナム1974年08月15日1970年代Nguyen huu khieu(前労相)新駐ソ大使はソ連最高議会議長代理に信任状を提出。
DIA-201-1974-08-16-3北ベトナム1974年08月16日1970年代グエン・バン・ダオ対外貿易省次官はユーゴ政府代表と両国の貿易・支払い3年間協定に調印。
DIA-201-1974-08-17-4北ベトナム1974年08月17日1970年代ニャンザン紙報道;防空と空軍部隊,合同大演習。
DIA-201-1974-08-17-5北ベトナム1974年08月17日1970年代王幼平駐ベトナム中国全権大使は,新任務に就くため帰国。
DIA-201-1974-08-18-3北ベトナム1974年08月18日1970年代赤道ギニア共和国政府代表団,公式訪問。
DIA-201-1974-08-19-3北ベトナム1974年08月19日1970年代党と政府は合同で,8月革命29周年記念式典を挙行。
DIA-201-1974-08-19-4北ベトナム1974年08月19日1970年代キューバ政府から乳牛の牧場設備引渡し。
DIA-201-1974-08-20-2北ベトナム1974年08月20日1970年代スウェーデン政府と年間5万5000トンの紙を生一産する能力を持つパルプ製紙工場(約525億円),総合病院(約21億円)児童専門病院(約28億円)などの無償援助諸協定に調印。
DIA-201-1974-08-20-3北ベトナム1974年08月20日1970年代ニャンザン紙報道;タイビン省農業合作社の社員総数の4分の3は個人経営で豚3~4頭を飼育。
DIA-201-1974-08-20-4北ベトナム1974年08月20日1970年代ニャンザン紙報道;党と政府が全農民労働力を水利建設に投入すると決定して以来,今年上半期だけで農民集団組織から数百万労働日が提供され,水利農業施設の工事を完成した。現在,農作地25万0936ヘクタールに灌漑用水を送ることができる。また4万7560ヘクタールが部分的に灌漑された。
DIA-201-1974-08-21-3北ベトナム1974年08月21日1970年代国会常務委員会,政府の提案による西欧駐在大使名簿の一部を承認。
DIA-201-1974-08-21-4北ベトナム1974年08月21日1970年代政府はバングラデシュ人民の作物復旧に稲苗多量を贈与し,27日までに飛行機で同国へ運送すると決定。
DIA-201-1974-08-22-2北ベトナム1974年08月22日1970年代農業総統計局発表;8月15日現在,秋季稲植付面積総数は90.6%に達した。
DIA-201-1974-08-22-3北ベトナム1974年08月22日1970年代ラオスと民間航空協定とその諸議定書に調印。
DIA-201-1974-08-22-4北ベトナム1974年08月22日1970年代グエン・フー・トとチン・ディン・タオ平和連盟議長代表団一行は北朝鮮を訪問するため,ハノイに到着。
DIA-201-1974-08-22-5北ベトナム1974年08月22日1970年代ニャンザン紙報道;家畜業の上半期生産実績は昨年同期と比べ集団と個人ともに養豚数を3.7%増やし,とくにメスは9.10%増,また,牧場を全面的に改善したので,各都市と工業区に牛乳663トンを供給できた。
DIA-201-1974-08-22-6北ベトナム1974年08月22日1970年代スファヌポン議長,ルアンプラバンから解放区へ帰る途中,ハノイに到着。
DIA-201-1974-08-27-2北ベトナム1974年08月27日1970年代国勢調査中央委員会,国勢調査結果を発表この調査資料によると,北ベトナムの人口変動は次のとおり。 1974年4月1日現在の総人口は2378万7375人(海外居住ベトナム移民を除く)。そのうち100歳以上は1587人,140歳に達した人は4人。1960年3月1日の第1回調査に比べた人口増加率は49.9%(787万人)。また1960年の調査では男性が48.3%,女性が51.7%を占めたが,今回の調査では,男性48.9%,女性51.1%であった。少数民族人口は1960年には総人口の14.8%だったが,現在15.6%を占める。
DIA-201-1974-08-28-2北ベトナム1974年08月28日1970年代ニャンザン紙報道;カオバン省(高原地帯)の農村交通幹線道路建設は85%を完成。
DIA-201-1974-08-28-3北ベトナム1974年08月28日1970年代オーロプ・バンメ・スウェーデン王国首相は,与党民主社会党年次大会で演説し次のように述べた。“わが国はベトナム民主共和国の戦争の傷跡を克服するため,長期計画に協力を約束した。また,南の革命政府のわが国における総代表部の開設に同意し,同政府に3000万クローナを贈与した。現在,南北ベトナムヘの援助総額は10億クローナに達し,その援助金額はわが国の対外援助の中で最高額である”
DIA-201-1974-08-31-2北ベトナム1974年08月31日1970年代ニャンザン紙報道;工業が農業発展に服務した実績:
DIA-201-1974-09-01-3北ベトナム1974年09月01日1970年代農業中央委員会発表;8月25日現在,北部全体の10省は秋季の稲植付面積が計画を越えた。
DIA-201-1974-09-02-2北ベトナム1974年09月02日1970年代国慶節29周年記念式典。
DIA-201-1974-09-02-3北ベトナム1974年09月02日1970年代カナダ政府国際開発局,社会福祉関係施設に117万ドルを贈与。
DIA-201-1974-09-02-4北ベトナム1974年09月02日1970年代ベレット・ベネズエラ大統領,北ベトナム記者団との会見で“ベトナム民主共和国と外交関係の促進をすでに検討している”と強調。
DIA-201-1974-09-05-2北ベトナム1974年09月05日1970年代符活駐ベトナム新中国全権大使,タン大統領に信任状を提出。
DIA-201-1974-09-05-3北ベトナム1974年09月05日1970年代ニャンザン紙報道;ナムハー省家畜生産合作社は,国家機関にあひるの玉子1000万個を売却,計画の80%を達成。
DIA-201-1974-09-07-4北ベトナム1974年09月07日1970年代ハイフン省ナムサック県は,党と政府の家族計画の運動に関する決議に対する同県の実現方法と成果を発表。その内容は次のとおり。 ○家族計画の方法:①青年男女はできるだけ早婚を避ける。婚姻法と家庭法のきめた結婚年齢,男性20歳,女性18歳を厳格に守ること。また,若妻は政治と文化教育をもっと学習できる,母としての役割の準備時間が必要なので,急いで子供を作らない。②お産は5年に1回にすること。③病弱夫婦はもっと妊娠を制限しなければならない。④子供2,3人以上を持つ家庭は妊娠をできるだけ避ける。 ○運動の成果:県内では2年間の運動で子供4人以上を持つ夫婦4527人が妊娠制限を実行した。県人口増加率は1971年の3.4%から1973年2.03%に減少した。
DIA-201-1974-09-10-3北ベトナム1974年09月10日1970年代ニャンザン紙報道;ゲアン省ジエンチヨウ県の落花生の栽培面積と生産量は年々増加した。1970年の栽培面積は1479ヘクタール収穫後,国家に820トンを売却。1972年は2270ヘクタールで,国家に2174トンを売り,現在は2735ヘクタールで,8月15日現在,国家に2680トンを売却。
DIA-201-1974-09-10-4北ベトナム1974年09月10日1970年代カムファィ・ブファー駐ベトナム・ラオス全権新大使,タン大統領に信任状を提出。
DIA-201-1974-09-11-2北ベトナム1974年09月11日1970年代ニャンザン紙報道;タンホア省の塩生産は8月末までに年間計画の83.5%を達成,昨年と比べ3000トン増。
DIA-201-1974-09-12-4北ベトナム1974年09月12日1970年代農業中央委員会発表;9月5日現在,全北部の秋季稲植付面積は99.5%に達した。
DIA-201-1974-09-13-3北ベトナム1974年09月13日1970年代ニャンザン紙報道;ハイフォン市は進歩に反する風俗と慣習および迷信の排除運動を展開,同時に,迷信排除の教育学校を開設。迷信営業者74人は同学校に入学した後,新しい職業に転業。
DIA-201-1974-09-14-4北ベトナム1974年09月14日1970年代ブルガリアと経済技術援助協力諸協定に調印。
DIA-201-1974-09-14-5北ベトナム1974年09月14日1970年代アルジェリアと経済技術および科学協力諸協定に調印。
DIA-201-1974-09-15-3北ベトナム1974年09月15日1970年代母子保護院副院長ファム・ウ・トアン博士の発表によると,政府が1961年12月26日に国家の経済・文化の発展速度とあわせて人口増加を調整しようと呼びかけて以来,各都市と平原デルタ地帯で人民各階層は積極的に参加し,良い成果を収めた。1960年は人口増加率は3.41%,1966年は2.68%,1967年は2.5%,1968年は2.58%までに減少した。
DIA-201-1974-09-16-2北ベトナム1974年09月16日1970年代アフガニスタン共和国と外交関係樹立,大使交換。
DIA-201-1974-09-16-3北ベトナム1974年09月16日1970年代労働党中央委書記局は地方諸党支部に「農業生産を再組織し,社会主義の大規模生産方式によって農業関係の末端から中央までの農業管理を改善しよう」と指示した。
DIA-201-1974-09-18-2北ベトナム1974年09月18日1970年代ラオス政府代表団と両国の経済と文化協力諸協定に調印。同協定にはラオスからベトナム海岸への物資運搬道路の建設協力,ラオス国道7号修復に対する物資と資材の供与等の諸項目が含まれる。
DIA-201-1974-09-18-3北ベトナム1974年09月18日1970年代党中央委書記局は,地方党支部各級と諸農業合作社に,来年第1四半期の間に予定される農民集団全国代表大会の開催の準備を指示。
DIA-201-1974-09-22-2北ベトナム1974年09月22日1970年代統計総局発表;9月15日現在,秋季稲植付面積は農業生産計画を0.3%越え,昨年同季より9万1000ヘクタールふえた。
DIA-201-1974-09-22-3北ベトナム1974年09月22日1970年代全北ベトナムのカトリック教連絡委員会常務委員会,ハノイで大会を開催。国家の新しい革命段階におけるカトリック教徒の新任務を討議し,カトリック教徒愛国運動は全人民の民族解放と外国侵略防衛闘争の運動に合流しなければならないとの点で全会一致。
DIA-201-1974-09-23-2北ベトナム1974年09月23日1970年代ニャンザン紙報道;タンホア省平原地帯各県は政府の植林運動を実現,木材用,油用,果樹,海岸防壁用植林諸類1700万本を植えた。
DIA-201-1974-09-24-1北ベトナム1974年09月24日1970年代ニャンザン紙報道;バンデエム製糖工場は9月13日にまで,年間生産計画の81.75%を達成。
DIA-201-1974-09-27-6北ベトナム1974年09月27日1970年代外務省スポークスマン発表;米軍のSR71型機がハノイ・ハイフォン両市を含む北部全域上空に侵入し,偵察活動を行なった。
DIA-201-1974-09-27-7北ベトナム1974年09月27日1970年代ニャンザン紙報道;党中央委書記局は8月初めに,タイビン省(生産5トンの実績をもち,党の農村と農業諸政策運動実現のモデル省といわれる)で「平原と丘陵両地帯の農業生産と管理改善を再組織する」諸問題を討議するため,農業関係責任者大会を開催。
DIA-201-1974-09-30-2北ベトナム1974年09月30日1970年代符活駐ベトナム新中国全権大使,国慶節25周年記念に当り,ハノイで盛大なレセプションを開催。ベトナムの党と政府首脳のほとんどが出席,ザップ副首相も姿をみせた。
DIA-201-1974-10-01-3北ベトナム1974年10月01日1970年代党と政府の指導者は連名で,中国国慶節25周年に当り,毛沢東主席,周恩来首相をはじめ中国の党と政府首脳に祝電。
DIA-201-1974-10-03-4北ベトナム1974年10月03日1970年代ニャンザン紙は農業生産高級合作社細目条例草案を掲載。同紙はこの細目条例草案は簡約条例(1969年8月9日の基本項目と,その条例を実行した諸経験と成果をとりあげ,党政治局がその草案を作成し,現在各地方党支部各級と各農業合作社に送り,全党員と農民に研究・討論され,来年の全国大会に正式に提出,承認されるものであると説明。
DIA-201-1974-10-04-6北ベトナム1974年10月04日1970年代ニャンザン紙報道;ハバク省内肥料工場建設工事計画は9月末までにほぼ完成。
DIA-201-1974-10-05-1北ベトナム1974年10月05日1970年代ソ連ベトナム友好脇会代表団(団長チトプ元宇宙飛行士),親善訪問のため,ハノイに到着。
DIA-201-1974-10-07-1北ベトナム1974年10月07日1970年代アルバニアと1975年経済無償援助協定と物資交換,支払い協定に調印。
DIA-201-1974-10-07-2北ベトナム1974年10月07日1970年代外務省はベトナムに関するパリ協定が調印されて以来20ヵ月が過ぎたが,米とサイゴン政権は革命政府に民間捕虜を5000人しか釈放していないし,現在数十万人の民間捕虜と約1万5000人の軍人捕虜がまだ釈放されていないと告訴。
DIA-201-1974-10-09-1北ベトナム1974年10月09日1970年代祖国戦線中央委員会拡大会議第6回大会開催。
DIA-201-1974-10-09-2北ベトナム1974年10月09日1970年代ハノイ市党委,行政委,祖国戦線市委はハノイ首都解放20周年記念式典を開催。
DIA-201-1974-10-09-3北ベトナム1974年10月09日1970年代ボー・バン・スン駐仏全権大使,仏大統領に信任状を提出。
DIA-201-1974-10-10-3北ベトナム1974年10月10日1970年代ブラウン米統合参謀本部議長は記者会見で,「命令であれば,米軍機は3,4時間以内に北ベトナムの攻撃目標を爆撃することができる。米空母は数時間以内にトンキン湾に直行することができる」と言明。
DIA-201-1974-10-10-4北ベトナム1974年10月10日1970年代ホン・シック・タム首相府事務局長,ベトナム駐在中国経済専門家と技術者3人に労働勲章を贈与。
DIA-201-1974-10-11-1北ベトナム1974年10月11日1970年代ニャンザン紙報道;ハノイ,ハイフォン両市防空部隊は猛烈に訓練,演習,戦闘準備を行なう。
DIA-201-1974-10-11-2北ベトナム1974年10月11日1970年代プーミ・ボンビチト・ラオス首相代理兼外相,国連総会からの帰国途中,ハノイに到着。ソト・ペトラシ同国経済計画相を団長とする経済代表団も各国を訪問した後ハノイに到着。
DIA-201-1974-10-11-3北ベトナム1974年10月11日1970年代中国と1975~1976年文化協力協定調印。
DIA-201-1974-10-12-3北ベトナム1974年10月12日1970年代ニャンザン紙社説“ラオス人民は現在民族独立と自由の道へ進行中”
DIA-201-1974-10-14-3北ベトナム1974年10月14日1970年代ニャンザン紙報道,北部全土の省,県,村内各地で,農民代表大会を開催。合作社条例草案を討論,来年上旬予定の農民代表全国大会の下準備を進める。
DIA-201-1974-10-14-4北ベトナム1974年10月14日1970年代外務省スポークスマン,現在,米国はサイゴン政権を援助するため「多国間援助」計画を進めていることを非難。
DIA-201-1974-10-15-4北ベトナム1974年10月15日1970年代ベトナム通信(V,N.A)報道;塩生産業,9月末までに1974年年間計画の105.5%を達成,前年と比べ6万トン増。
DIA-201-1974-10-15-5北ベトナム1974年10月15日1970年代ニャンザン紙報道;政府は農業生産合作社と個人が農業生産の増加に積極的に努力するよう激励するため,農産物の購入価格と農業関係資材原料の売却価格を合理的に調整するよう,関係諸機関に指示。
DIA-201-1974-10-15-6北ベトナム1974年10月15日1970年代ラオスと郵便電報通信協定に調印。
DIA-201-1974-10-16-1北ベトナム1974年10月16日1970年代Le Tha電力石炭省次官発表,現在26省のうち16省で農業生産に服務する専用の電力系統を完成。
DIA-201-1974-10-17-4北ベトナム1974年10月17日1970年代南革命政府代表団,東欧,中近東およびアフリカ諸国一部を親善訪問後,解放区に帰途ハノイに到着。
DIA-201-1974-10-18-2北ベトナム1974年10月18日1970年代外務省スポークスマンは米軍のSR71型機が北部上空に侵入し,偵察を活動したと発表。
DIA-201-1974-10-20-5北ベトナム1974年10月20日1970年代スファヌボン殿下,ルアンプラバン王都に帰任するため,ハノイに到着。
DIA-201-1974-10-21-3北ベトナム1974年10月21日1970年代労働党中央委書記局は新段階の地方軍事工作について,全党員に次のとおり指示した。 ○政治・思想を教育,幹部,党員および人民の国防意識を高める。 ○強力な民兵と自衛隊を建設,予備隊を幅広く組織,地方部隊の質量を高める。 ○戦闘準備と生産,社会主義建設の間の関係を良く解決。 ○治安防衛工作を増強,地方防衛を準備する。 ○軍隊に対する後方政策を良く実行する。戦争の傷跡の諸問題を良く解決する。 ○経済建設と国防強化を固く結合する。地方の力量を経済生産と建設参加に動員する。 ○軍事工作に対する党委各級の指導力を増強,軍事工作は地方党委の主要工作として重視しなければならない。
DIA-201-1974-10-24-2北ベトナム1974年10月24日1970年代中国と1975~1976年医療関係脇力協定に調印。
DIA-201-1974-10-26-3北ベトナム1974年10月26日1970年代日本の大学学生連合代表団,親善訪問のためハノイに到着。
DIA-201-1974-10-26-4北ベトナム1974年10月26日1970年代(北京)中国と1975年経済,軍事物資援助諸協定に調印。これには3つの議定書があり,①無償軍事物資供与議定書。②一般物資無償供与議定書。③1975年の両国の物資相互供給支払い議定書。
DIA-201-1974-10-27-3北ベトナム1974年10月27日1970年代ギ副首相,中国滞在中,シアヌーク殿下,ペンヌート首相と国際情勢について意見交換。
DIA-201-1974-10-27-4北ベトナム1974年10月27日1970年代チェコと1975年経済,科学,技術協力協定に調印。
DIA-201-1974-10-28-2北ベトナム1974年10月28日1970年代レイエン・サリ・カンボジア王国民族団結政府経済代表団,ハノイに到着。
DIA-201-1974-10-29-1北ベトナム1974年10月29日1970年代ニャンザン紙社説“農業生産の再組織の運動における党員の役割”
DIA-201-1974-11-01-4北ベトナム1974年11月01日1970年代ニャンザン紙報道,ハノイ第1農業大学在学生中南部出身少数民族20人は農業技師課程(1969~1974年)を卒業。
DIA-201-1974-11-01-5北ベトナム1974年11月01日1970年代カンボジア王国民族団結政府代表団と経済,金融通貨および貿易などの諸問題を討議。この会合は10月29日から11月1日まで行なわれた。出席者は次のとおり。 ベトナム側:ダン・ベト・チョウ副首相 グエン・チャン対外貿易次官 ヴー・ズイ・ヒュー国家銀行副総裁 カンボジア側:イエン・サリ特別顧問 シエンホン東部地区ゴム生産委員会委員長 ベッチチェン北部地区ゴム生産委員会委員長 トクリン対外貿易委員会委員長 ビンロイ銀行委員会委員長 ソンハイ国家経済財政委事務局長
DIA-201-1974-11-01-6北ベトナム1974年11月01日1970年代チャンラム・ラジオ・テレビ局編集局長は中国を訪問。
DIA-201-1974-11-02-2北ベトナム1974年11月02日1970年代ニャンザン紙報道,ライチョウ省(少数民族自治区)では古来の農業生産の焼畑方式から,専耕と深耕の定着農業に転換。
DIA-201-1974-11-02-3北ベトナム1974年11月02日1970年代ニューデリーのアジア仏教協会大会に代表団を送る。
DIA-201-1974-11-03-2北ベトナム1974年11月03日1970年代ニャンザン紙報道,ビンフー省内各県の農業合作社は合作社細目条例草案,農業の生産増加と合作社の管理強化などについて意見交換のため,農民大会を順次開催。
DIA-201-1974-11-03-3北ベトナム1974年11月03日1970年代ベトナム通信(VNA)報道,バクタイ省内のルーマニア援助のレンガ・カワラ製造工場建設工事を完成。同工場は全面機械化,生産能力年産2000万枚。
DIA-201-1974-11-03-4北ベトナム1974年11月03日1970年代ハンガリーと経済・科学技術援助協力諸協定に調印。
DIA-201-1974-11-04-2北ベトナム1974年11月04日1970年代J.P.プロン・オランダ王国国際発展協力相夫妻はパリで,駐仏南北大使(北ベトナムと革命政府)に医療関係物資リスト(全額400万フロリン)を手渡す。
DIA-201-1974-11-05-2北ベトナム1974年11月05日1970年代(北京)中国・テレビ・ラジオ協力諸協定に調印。
DIA-201-1974-11-05-3北ベトナム1974年11月05日1970年代M.Alfred Kastler仏物理学者(ノーベル賞受賞者)ハノイに来訪。
DIA-201-1974-11-06-3北ベトナム1974年11月06日1970年代ベトナム通信報道,ナムハー紡織工場は,1974年生産計画を良く完遂した外,南部同胞へ送るため,綿製品3万メートルを生産。
DIA-201-1974-11-06-4北ベトナム1974年11月06日1970年代ニャンザン紙報道,ベトチ,バンジェン,ソンラム各製糖工場は1974年生産計画を完遂,1975年計画に突入。
DIA-201-1974-11-06-5北ベトナム1974年11月06日1970年代ニャンザン紙報道,ホァン・バン・タイ副参謀長は地方軍事工作責任者大会に出席,同将軍は6年間公式場に姿をみせず,報道もなかった。
DIA-201-1974-11-07-3北ベトナム1974年11月07日1970年代ニャンザン紙報道,タイビン省内の重要な橋の復旧工事が完成,同橋はタイビン,ハイフォン,ナムハーの3地域の交差地点である。
DIA-201-1974-11-07-4北ベトナム1974年11月07日1970年代スアン・トイ党中央委員はソ連ベトナム友好脇会代表団(団長A.N.オシポプ職業訓練委副委員長)と会見。
DIA-201-1974-11-08-1北ベトナム1974年11月08日1970年代ベトナム通信報道,ウンビ発電所は1974年の電力生産計画を完遂,また,経済関係各部門に服務するため,5400万KWAを生産。
DIA-201-1974-11-08-2北ベトナム1974年11月08日1970年代ニャンザン紙報道,航路保安局(海運局の所属)は大型船舶が入港できるよう,ハイフォン港の拡張整備工事計画を完成。
DIA-201-1974-11-08-3北ベトナム1974年11月08日1970年代ベトナム通信報道,ホンガイ無煙炭生産の1974年計画を完遂,現在1975年計画実施中。
DIA-201-1974-11-09-1北ベトナム1974年11月09日1970年代婦人連合会代表団(団長ハ・チ・クエ会長,党中央委員)はソ連東欧を訪問し,キューバ婦人協会大会に出席のため出発。
DIA-201-1974-11-11-2北ベトナム1974年11月11日1970年代ニャンザン紙報道,ソ連共産党中央委代表団(団長メトベデップ・バデムァンドレビッチ党中央委教宣委員長)ハノイを訪問。
DIA-201-1974-11-11-3北ベトナム1974年11月11日1970年代東ドイツと経済・科学および技術協力協定に調印。
DIA-201-1974-11-11-4北ベトナム1974年11月11日1970年代モスクワで,ソ連と文化・科学援助協力協定に調印。同協定の内容:両国の科学,大学,教育,医療,文化,出版,印刷,芸術,彫刻,音楽,演劇,映画,新聞報道,ラジオ,テレビ,体育,体操など各分野での協力と援助。
DIA-201-1974-11-12-3北ベトナム1974年11月12日1970年代トー・フー党中央委書記,ソ連党代表団に,南北ベトナムの現情勢と同党の思想と路線を説明。
DIA-201-1974-11-12-4北ベトナム1974年11月12日1970年代華国風中国党中央政治局員は郵便通信代表団(団長ヴ・バン・キニー郵便総局長)と会見。
DIA-201-1974-11-14-2北ベトナム1974年11月14日1970年代ニャンザン紙報道,農業中央委員会は農業関係科学・技術幹部大会を開催。1974~75年計画を完遂するための努力,1976~80年の国家5カ年計画実現への諸条件を討論。
DIA-201-1974-11-14-3北ベトナム1974年11月14日1970年代ニャンザン紙報道,ベチ製糖工場の生産は昨年より30%増。
DIA-201-1974-11-14-4北ベトナム1974年11月14日1970年代ニャンザン紙報道,A.M.インゴン夫妻(カナダ・アカデミー委員)「ベトナム民間人を助ける会」会長として,ハノイ来訪。
DIA-201-1974-11-14-5北ベトナム1974年11月14日1970年代(北京)姚文元中国党中央政治局員は放送局代表団(団長チャンテム)と会見。
DIA-201-1974-11-15-2北ベトナム1974年11月15日1970年代ニャンザン紙報道,政府諸省と機関および諸団体は1974年の地方軍事工作訓練計画を完遂。
DIA-201-1974-11-15-3北ベトナム1974年11月15日1970年代ベトナム通信報道,ハイフォン港の荷物陸揚状況は第3四半期の計画より20.5%増。
DIA-201-1974-11-15-4北ベトナム1974年11月15日1970年代ホンガイ無煙炭公司は1974年の石炭生産目標量の96.5%に達すと発表。
DIA-201-1974-11-16-2北ベトナム1974年11月16日1970年代ニャンザン紙報道,タンホア省の農業中級学校では今年の卒業生数286人(農耕科130人,畜産科158人)。
DIA-201-1974-11-16-3北ベトナム1974年11月16日1970年代ニャンザン紙報道,ゲアン省の荒れた高地(面積30ヘクタール)は長年の改造で,みどりの高地に変わった。
DIA-201-1974-11-16-4北ベトナム1974年11月16日1970年代ニャンザン紙報道,バクタイ省は平原地帯へ農業用水牛と牛1500頭を供給。
DIA-201-1974-11-16-5北ベトナム1974年11月16日1970年代ベトナム通信報道,西ドイツのベトナム人民との連帯組織はナムハー省の学校復旧に10万マルクを贈与。
DIA-201-1974-11-17-2北ベトナム1974年11月17日1970年代ニャンザン紙報道,ゲアン省内の農村交通幹線道路の復旧と新設が2000キロに達す。
DIA-201-1974-11-17-3北ベトナム1974年11月17日1970年代ニャンザン紙報道,全国塩生産実績は10ヵ月間に年間生産計画の90%を達成。
DIA-201-1974-11-18-1北ベトナム1974年11月18日1970年代ニャンザン紙報道,化学総局所属新建材公司はハノイ塗料総合工場を組立。
DIA-201-1974-11-19-1北ベトナム1974年11月19日1970年代紀登奎中国党中央委政治局員はレ・ドク・ト政治局員とスアン・トイ党中央書記と会見。
DIA-201-1974-11-19-2北ベトナム1974年11月19日1970年代ニャンザン紙報道,軍事運搬部門は全面的に機械化。
DIA-201-1974-11-19-3北ベトナム1974年11月19日1970年代ベトナム通信報道,ラオス解放区経済代表団(団長ツォンダム・フォンパンニャ農業生産委員長),ハノイに来訪。
DIA-201-1974-11-20-2北ベトナム1974年11月20日1970年代ユーゴ代表団と科学,教育,文化および技術各協定に調印。
DIA-201-1974-11-21-1北ベトナム1974年11月21日1970年代ニャンザン紙報道,タイビン省農業合作社総数の90%は農民集団大会を開催。
DIA-201-1974-11-22-2北ベトナム1974年11月22日1970年代ニャンザン紙報道,11月15日現在の秋季米収穫面積,38%に達す。
DIA-201-1974-11-22-3北ベトナム1974年11月22日1970年代グエン・バン・チャン党中央委書記はルーマニア党第11回大会に出席。
DIA-201-1974-11-22-4北ベトナム1974年11月22日1970年代(ワルシャワ)ポーランドと,1975年経済援助と物資交換各協定に調印。
DIA-201-1974-11-23-3北ベトナム1974年11月23日1970年代イエメン人民共和国代表団(団長アクサ・レエチオバット大統領),公式にハノイ来訪。
DIA-201-1974-11-23-4北ベトナム1974年11月23日1970年代ニャンザン紙報道,ハージャン省各少数民族地区(テイ族,ヌン族,ジァオ族,メオ族)の農業合作社は農民集団大会を開催,農業合作社細目条例を討議。
DIA-201-1974-11-23-5北ベトナム1974年11月23日1970年代ベトナム通信報道,グエン・ツァン電力石炭次官は1975年の電力生産量からは農業生産に0.3%しか供給できなかったが,1973年には17%を供給したと発表。
DIA-201-1974-11-23-6北ベトナム1974年11月23日1970年代ベトナム通信報道,海運総局は現在遠洋船舶4隻を保有(Hong ha号,Song da号,Ben thny号,Viet bao号),1974年の外国運輸計画より12%を超過。
DIA-201-1974-11-23-7北ベトナム1974年11月23日1970年代(ブダペスト)ルーマニアと1974~75年の文化・科学協力協定に調印。
DIA-201-1974-11-23-8北ベトナム1974年11月23日1970年代米国カトリック教会全国代表団,ハノイ来訪。
DIA-201-1974-11-25-4北ベトナム1974年11月25日1970年代レ・ドク・ト党中央委政治局員,スアン・トイ党中央委書記,パリに到着。
DIA-201-1974-11-25-5北ベトナム1974年11月25日1970年代チャン・フーズク副首相,アルバニア建国30周年記念式典に出席。
DIA-201-1974-11-26-2北ベトナム1974年11月26日1970年代ニャンザン紙報道,ヴー・クアン・ホー・チ・ミン青年団第1書記は13~20日までラオス解放区を親善訪問。
DIA-201-1974-11-26-3北ベトナム1974年11月26日1970年代(キャンベラ)オーストラリアと政府間貿易協定に調印。両国は貿易の最恵国待遇に同意。
DIA-201-1974-11-27-4北ベトナム1974年11月27日1970年代ニャンザン紙報道,ラオス交通運輸代表団(団長バンツォン・センムオン),ハノイ来訪。
DIA-201-1974-11-27-5北ベトナム1974年11月27日1970年代チン外相はタイ外相にあて,駐タイ米軍撤退とその基地撤去の条件付で両国正常化交渉に同意すると返書。
DIA-201-1974-11-27-6北ベトナム1974年11月27日1970年代イエメン人民共和国と共同声明。
DIA-201-1974-11-27-7北ベトナム1974年11月27日1970年代メキシコ共産党代表団(団長バレンチン・カパムー党中央委政治局員),ハノイに到着。
DIA-201-1974-11-29-3北ベトナム1974年11月29日1970年代ニャンザン紙報道,バクタイの第7番目の製茶大型工場が完成,日産13.5トン。
DIA-201-1974-11-29-4北ベトナム1974年11月29日1970年代ウィルシー・オーストラリア外相はベトナムへの商品援助(総額約8億円)と技術援助の決定を発表した。その内容は次のとおり。 ○商品援助:粗糖2000トン,毛糸100トン,ナイロン糸28トン,綿糸131トン,教育用機材。 ○技術援助:技術者と学生の訓練を受け入れ,現地の農村道路開発,小規模発電所など農業開発プロジェクトの予備調査のため,技師と専門家を来年6月頃に派遣する。
DIA-201-1974-11-29-5北ベトナム1974年11月29日1970年代外務省発表,米軍SR71型偵察機は28日に領空に侵入,偵察活動。
DIA-201-1974-11-29-6北ベトナム1974年11月29日1970年代(パリ)フランスと,1974年の財政援助協定に調印。
DIA-201-1974-11-30-2北ベトナム1974年11月30日1970年代フランス経済代表団(団長フランソア・ミットソプ),ハノイに到着。同代表団は12月4日まで滞在,チョウ副首相と両国間の長期の経済復旧・発展協力などを討議。
DIA-201-1974-12-01-1北ベトナム1974年12月01日1970年代ニャンザン紙報道,全国の秋季米収穫面積は11月25日までに72%に達す。
DIA-201-1974-12-02-1北ベトナム1974年12月02日1970年代ニャンザン紙報道,タンホア省のムクソン製紙工場の復旧工事を完了,生産を開始。
DIA-201-1974-12-02-2北ベトナム1974年12月02日1970年代ドン首相,米国カトリック教会全国代表団と会見。
DIA-201-1974-12-02-3北ベトナム1974年12月02日1970年代(パリ)レ・ドク・ト代表団はフランス共産党と共同声明。
DIA-201-1974-12-03-1北ベトナム1974年12月03日1970年代ベトナム通信報道,ハタイ製糖,製紙,醸酒各工場は1974年生産計画を完遂。生産増加分は製紙66トンと酒15万リットル。
DIA-201-1974-12-03-2北ベトナム1974年12月03日1970年代キッシンジャー米国務長官は上院財政委の公聴会で,北ベトナムヘの援助の全面放棄を証言。
DIA-201-1974-12-04-2北ベトナム1974年12月04日1970年代ベトナム通信報道,キューバ政府援助による近代養鶏センターが完成。
DIA-201-1974-12-04-3北ベトナム1974年12月04日1970年代ハノイ-ビエンチャン間航空路開設式典,ジャラム空港での開設式典に出席した者はベトナム側:グエン・ツォン・ラン運輸次官,チャン・ズイ・フン・ハノイ市長,ド・スアン・ギ民間航空局副局長。ラオス側:パリアスバナフーマ殿下,プンコン・プラディチット・ビエンチャン市長,ケリンビラバク首相府事務局長。
DIA-201-1974-12-05-3北ベトナム1974年12月05日1970年代グエン・ツォン・ラン運輸次官はハノイ発のロイヤル・エアラオ機で,初めてラオスを公式に訪問。
DIA-201-1974-12-05-4北ベトナム1974年12月05日1970年代ザップ副首相兼国防相は軍部首脳および幹部とともに,南部から訪問中の英雄兵士代表団と会見。
DIA-201-1974-12-05-5北ベトナム1974年12月05日1970年代レ・ドク・ト代表団は帰国途上,北京に立ち寄り,周恩来中国首相と会見。
DIA-201-1974-12-06-3北ベトナム1974年12月06日1970年代ニャンザン紙報道,電力石炭省発表によると,11月30日までの石炭生産は国家計画の100.5%に達す。
DIA-201-1974-12-07-3北ベトナム1974年12月07日1970年代ベトナム通信報道,チン外相はソ連滞在中,コスイギン首相と会談。
DIA-201-1974-12-08-1北ベトナム1974年12月08日1970年代(モスクワ)ソ連と1975年軍事経済援助各協定に調印。
DIA-201-1974-12-10-4北ベトナム1974年12月10日1970年代ジャン・ビッチシボクソ・オランダ太使はハノイに到着。13日にグエン・ルオン・バン副大統領に信任状を提出。
DIA-201-1974-12-11-2北ベトナム1974年12月11日1970年代ニャンザン紙報道,タイビン省の米生産は年々増加し1966年に1ヘクタール当り5トン,1972年に6トン,1974年に7トンに達す。またハイフン省も1974年に6トンに増加。
DIA-201-1974-12-13-2北ベトナム1974年12月13日1970年代ニャンザン紙報道,塩生産部門は1974年計画を完遂しただけでなく,超過。
DIA-201-1974-12-14-4北ベトナム1974年12月14日1970年代ニャンザン紙報道,ハチン省の年々の米生産増加実績は1ヘクタール当り1970年に4.6トン,1972年に5.1トン,1974年に5.7トン。また5トン以上生産合作社数,1970年243社,1972年375社,8~12トン生産合作社数,1970年に10社,1972年に16社,1974年に56社。
DIA-201-1974-12-15-1北ベトナム1974年12月15日1970年代ニャンザン紙報道,ナムハー省の1974年の米生産増加実績,1ヘクタール当り5.7トン,年間で生産面積102.9%に達す。
DIA-201-1974-12-18-1北ベトナム1974年12月18日1970年代ニャンザン紙報道,国営農場幹部と労働者大会が開催,同大会の主要議題は中間と高原両地帯の農業発展諸問題。
DIA-201-1974-12-20-2北ベトナム1974年12月20日1970年代英国外務省は来年1月から駐ベトナム大使を召還,代理大使に格下げすると発表。(注)英国は今年1月にフォーセット大使を派遣したが,信任状が受理されなかった。
DIA-201-1974-12-21-1北ベトナム1974年12月21日1970年代外務省は英国の大使召還と外交代表格下げについて論評「英国政府の今回の行動は不当であり,この事態が発生した責任は英国政府にある。英国はパリ和平に関する国際会議の文書に署名しながら,何回も,パリ協定と国際会議文書にそぐわない言明をおこない,ベトナム民主共和国と革命政府に対する不当な態度をとり続けていたためである。ベトナム側はいつも英国との関係正常化を強く望んでいるが,それは英国政府の態度いかんにかかっている。」
DIA-201-1974-12-22-2北ベトナム1974年12月22日1970年代人民軍建軍30周年記念式典,ホアン・バン・タイ中将副参謀長,出席。
DIA-201-1974-12-24-1北ベトナム1974年12月24日1970年代タイ政府はベトナム政府へ,無条件で関係正常化交渉開始を提案。
DIA-201-1974-12-26-4北ベトナム1974年12月26日1970年代日本との貿易実績は1~9月まで往復総額93億3500万円に達す。そのうち,輸出総額33億1200万円,輸入総額60億2300万円(1965年56億7000万円,1973年32億5300万円)である。
DIA-201-1974-12-28-2北ベトナム1974年12月28日1970年代国会第4期第5回総会は国家の1975年計画を採択した後,閉会。
DIA-201-1975-01-01-1北ベトナム1975年01月01日1970年代ニャンザン紙報道;ナムハー省内のソンダオ橋の建設工事が完成。同橋はソンダオ川沿岸,ナムディン市と同省の県とを結ぶ。
DIA-201-1975-01-02-1北ベトナム1975年01月02日1970年代ドン首相,チン国会議長は,ベトナム駐在新ソ連大使サプリンボリット・ニコラエビッチ氏と会見。
DIA-201-1975-01-03-1北ベトナム1975年01月03日1970年代ディン・チ・カン母子保護委員会委員長は駐ベトナム・スウェーデン大使と1974~75年度の家族計画化実現への援助・協力協定に調印。
DIA-201-1975-01-04-1北ベトナム1975年01月04日1970年代米軍機,ハイフォン港などの上空に侵入,偵察活動。
DIA-201-1975-01-07-1北ベトナム1975年01月07日1970年代ニャンザン紙報道;外務省スポークスマンは「タイ政府は,わが外務省の覚書に回答したが,故意に基本問題を避け,明確に回答していない」と発表。
DIA-201-1975-01-08-1北ベトナム1975年01月08日1970年代ニャンザン紙報道―党中央委政治局は,1975年中の3大記念式典組織運動について次のように指示した。 ○労働党創立45周年記念(2月3日)―党幹部,党員および人民は,共産主義の理想,英雄的な闘争の歴史,労働党の階級性,先鋒性をよく認識しなければならない。また,同党は人民の指導者である・一方,忠誠な公僕として永遠に人民に奉仕する。 ○ホー大統領生誕85周年記念(5月19日)―党幹部,党員および人民はホー大統領の徹底した革命思想,愛国精神,プロレタリア国際精神,謙正,勤勉,私益より公益を尊重する道徳,簡素な作風,人民との親密な行動などを学習する。また,ホー大統領の遺言を積極的,全面的に実現するよう努力する。 ○ベトナム民主共和国創立30周年(9月2日)―党と人民は過去30年間,革命闘争,人民政権の建設,防衛,人民民主政権を強化,革命の成果を発揮。経済と社会の管理工作を実践的に改革,増強する。わが民族に自由と幸福な生活を与えるよう努力する。これらの記念日は,国家に対する党の指導性を表明する機会である。また国家第2次5ヵ年計画を勝利のうちに実現するための条件を準備する。
DIA-201-1975-01-09-1北ベトナム1975年01月09日1970年代ニャンザン紙報道;タイビン省内では,現在農業の管理と生産の改善を実行した合作社数は430社に達した。これは同省合作社総数の93.4%を占めた。同省の各合作社と各県は農民代表大会を開催し,合作社条例草案の討議を通じて,合作社内の違法な農地占拠1780畝を回収した。
DIA-201-1975-01-09-2北ベトナム1975年01月09日1970年代ドン首相はベトナム人民との友好維持米国人民代表団(インドシナ資料センターに所属する専門家グループ)と会見。
DIA-201-1975-01-09-3北ベトナム1975年01月09日1970年代ボー・バン・スン駐仏大使は駐オランダ大使を兼任するため,同国女王に信任状を提出。
DIA-201-1975-01-10-1北ベトナム1975年01月10日1970年代ニャンザン紙報道;チュオン・チン国会議長はオーマン解放人民戦線代表団と会見。
DIA-201-1975-01-10-2北ベトナム1975年01月10日1970年代ニャンザン紙報道;平原デルタと中間両地帯の農業合作社総数の80%,山岳高原地帯の合作社総数の60%,また60県では農民代表大会を続々開催。
DIA-201-1975-01-11-1北ベトナム1975年01月11日1970年代ニャンザン紙報道;全国婦人連合会は総会を開き,1975年の婦人工作の方向と任務を討論。
DIA-201-1975-01-11-2北ベトナム1975年01月11日1970年代チン外相はタイ外相に緊急覚書を送る。
DIA-201-1975-01-14-1北ベトナム1975年01月14日1970年代ベトナム・ラオス友好協会,創立。チャン・フー・ズク副首相,ファン・アィン対外貿易相がそれぞれ正副会長に就任。
DIA-201-1975-01-14-2北ベトナム1975年01月14日1970年代チン・スン・チェン食糧食品省次官は中国の食品加工専門家に国家労働勲章を贈与。
DIA-201-1975-01-14-3北ベトナム1975年01月14日1970年代米国務省は北ベトナムが1973年のパリ協定に違反していることを理由に,米国も同協定を破る自由があると言明。
DIA-201-1975-01-20-1北ベトナム1975年01月20日1970年代政府閣議は,政府各機関,団体関係機関,各工場,各学校の勤務,あるいは労働時間の新制度を決定。 同制度は1975年3月3日から実施される。1日8時間勤務,朝8時から午後4時30分まで,昼の休息30分。
DIA-201-1975-01-21-1北ベトナム1975年01月21日1970年代ベトナム・カンボジア友好協会,創立。ファン・チョン・トエ副首相,ホアン・ミン・ジャム文化相がそれぞれ正副会長に就任。
DIA-201-1975-01-25-1北ベトナム1975年01月25日1970年代国会第5期代表選挙管理中央委員会が成立。
DIA-201-1975-01-25-2北ベトナム1975年01月25日1970年代チン外相はタイ外相の回答覚書の中に米軍基地問題に対する返事がなかったと不満の意を表明。
DIA-201-1975-01-27-1北ベトナム1975年01月27日1970年代モンゴル政府代表団と,1975年度の物資交換,支払い諸協定に調印。
DIA-201-1975-01-27-2北ベトナム1975年01月27日1970年代チン外相はパリ国際会議に参加した各国へ覚書を送る。
DIA-201-1975-01-28-1北ベトナム1975年01月28日1970年代ニャンザン紙は党創立45周年記念日に当り,党幹部と党員の10項目の任務を発表。 ○党の各決議と指示を実現。継続的に党の生活に参加。また党の諸任務の完遂の方法を研究する。 ○党の団結統一精神を実現,強化。 ○党紀律に厳格に服従,国家の法律を自分の参加した革命大衆の団体の中で模範的に実行。 ○マルクス・レーニン主義,党の政策と路線を積極的に学習。文化,技術,業務も学習。また,自分の政治程度,思想,工作能力を連続的に高める。 ○党と人民に徹底的に服務,個人の利益より,党と人民の利益を重視。 ○大衆と関係を密切に結び,大衆から学び,大衆の意見,願望をよく理解し,それらの大衆の声をよく聞いて,正しく解決するため,党の政策と路線を反映させる。大衆に入ってマルクス・レーニン主義と党の政策を宣伝,教育するべく努力。大衆の中に,党の影響力を強化し,発展させる。 ○労働と生産の中で党と政府の政策を徹底的に実行,労働と工作などの活動に関する模範,国家と団体の財産保護に関する模範,節約を実行,浪費,横領を防止。 ○自己批判,他人批判を実行。党内外の党と革命事業を害する思想と行動を断固阻止する。 ○党に対する絶対的な忠誠。党路線を曲・
DIA-201-1975-01-28-2北ベトナム1975年01月28日1970年代ファン・チョン・トエ副首相はラオス臨時民族連合政府経済技術代表団と会見。
DIA-201-1975-01-28-3北ベトナム1975年01月28日1970年代ルーマニア政府経済代表団,ハノイに来訪。
DIA-201-1975-01-29-1北ベトナム1975年01月29日1970年代グエン・コー・タク外務次官,ジュネーブで開催される国際人道法律大会に出席。
DIA-201-1975-02-01-1北ベトナム1975年02月01日1970年代中国共産党中央委員会,ベトナム労働党創立45周年記念日に当り,祝電を送る。
DIA-201-1975-02-03-1北ベトナム1975年02月03日1970年代労働党創立45周年記念式典開催。
DIA-201-1975-02-06-1北ベトナム1975年02月06日1970年代ニャンザン紙報道;ヴークュ建設省次官はタックバー(thsc ba)水力発電所の建設工事に従事したソ連技術者(複数)にベトナム労働勲章を贈与。
DIA-201-1975-02-07-1北ベトナム1975年02月07日1970年代ニャンザン紙報道;党中央委書記局は新生活運動を実現,強化するよう指示。その内容は結婚,葬儀,誕生日,祭日などについて浪費と反革命を排除するもの。
DIA-201-1975-02-08-1北ベトナム1975年02月08日1970年代トーゴ共和国と大使級外交関係樹立。
DIA-201-1975-02-08-2北ベトナム1975年02月08日1970年代ベトナム人民支援日本委員会代表団(団長星野共産党参院議員)はハノイを訪問。18日ドン首相と会見。
DIA-201-1975-02-09-1北ベトナム1975年02月09日1970年代シアヌーク殿下夫妻は旧正月の休暇のため,ハノイを訪問。
DIA-201-1975-02-09-2北ベトナム1975年02月09日1970年代ベトナムのラオス解放区に対する米とセメント援助の第3次運送団が同解放区に到着。
DIA-201-1975-02-15-1北ベトナム1975年02月15日1970年代ニャンザン紙報道;ザップ大将・副首相兼国防相はベトナム南部人民解放武装勢力の統一45周年記念日に当り,チャン・ナム・チュン革命政府国防相あてに祝電を送る。
DIA-201-1975-02-18-1北ベトナム1975年02月18日1970年代ニャンザン紙報道;グェン・バン・チャン党中央委書記局委員兼ハノイ市委書記は国会議員代表団の団長として,イタリアを友好親善訪問した後,ハノイに帰着。
DIA-201-1975-02-21-1北ベトナム1975年02月21日1970年代ニャンザン紙報道;ベトナムのアジア・アフリカ人民連帯代表団(団長グエン・バン・フエン教育相)は,イラクを友好親善訪問。
DIA-201-1975-02-24-1北ベトナム1975年02月24日1970年代ニャンザン紙報道;ベトナム民主党は労働党の新経済,社会,人間建設の競争運動に積極的に参加するよう呼びかけ。
DIA-201-1975-02-26-1北ベトナム1975年02月26日1970年代ニャンザン紙報道;建設部門は熟練労働者1万5750人を養成。
DIA-201-1975-02-28-1北ベトナム1975年02月28日1970年代中国軍事代表団,ハノイを訪問―団長;楊勇党中央委員,新彊軍管区司令官,副団長;曹里懐空軍副司令官・党中央委員,団員:参謀部作戦局副局長,参謀部訓練局副局長,国防部対外局副局長,補給総局装備局副局長,軍事科学院戦史副院長,広州軍区部隊副参謀長,昆明軍区部隊副参謀長。同代表団はベトナム軍首脳と両国の軍事問題について討議した後3月14日帰国。
DIA-201-1975-03-02-1北ベトナム1975年03月02日1970年代ニャンザン紙報道;今春季米作の早苗の植え付け面積は90%に達す。
DIA-201-1975-03-04-1北ベトナム1975年03月04日1970年代ベトナム・ソ連経済科学技術協力委員会の小委員会はハノイで,2月26日~3月4日まで,第1回会合を開き,1975年度の各分野の協力協定に調印。
DIA-201-1975-03-05-1北ベトナム1975年03月05日1970年代ファン・チョン・トエ副首相兼ベトナム・カンボジア友好協会々長はカンボジア全国人民大会へ祝電を送る。
DIA-201-1975-03-05-2北ベトナム1975年03月05日1970年代西ドイツのベトナム革命支援委員会はベトナムのテレビ局にテレビ技術とその機械を贈与。
DIA-201-1975-03-06-1北ベトナム1975年03月06日1970年代外務省は米軍が同日SR71型機を北部上空に侵入させ,偵察活動をしたと非難。
DIA-201-1975-03-11-1北ベトナム1975年03月11日1970年代ニャンザン紙報道;レ・タィン・ギ党政治局員,グエン・バン・キン党中央委員はハンガリー第11回党大会に出席のため,ハノイを出発。
DIA-201-1975-03-11-2北ベトナム1975年03月11日1970年代カトリック教徒全国連絡評議会創立20周年記念式典開催。
DIA-201-1975-03-12-1北ベトナム1975年03月12日1970年代ニジェール共和国と大使級外交関係樹立。
DIA-201-1975-03-12-2北ベトナム1975年03月12日1970年代ニャンザン紙報道;グエン・フー・キュー党中央委候補を団長とする代表団はスウェーデン共産党左派第24回大会に参加のため,ハノイを出発。
DIA-201-1975-03-13-1北ベトナム1975年03月13日1970年代ベトナム駐在オーストリア大使はグエン・ルオン・バン副大統領に信任状を提出。
DIA-201-1975-03-15-1北ベトナム1975年03月15日1970年代リビア共和国と大使級外交関係樹立。
DIA-201-1975-03-17-1北ベトナム1975年03月17日1970年代ニャンザン紙報道;チン外相はケネディ米上院民主党議員と,ベトナム領内での米人行方不明問題について手紙を交換。
DIA-201-1975-03-17-2北ベトナム1975年03月17日1970年代政府経済使節団(団長チャン・バン・タン外務省アジア第1局長代理)は訪日のため北京経由,羽田空港に到着。
DIA-201-1975-03-19-1北ベトナム1975年03月19日1970年代祖国戦線中央委員会は第1回定例大会を開催―23日,満場一致で次の決議を採択。 ○ベトナム北部全人民の間で,政治と思想工作について幅広く動員しなければならない。南部同胞の解放区建設事業を全力をあげて支援する。 ○全人民階層すべてを動員。労働,生産に対する競争運動に積極的に参加,社会主義建設に献身する。1975年国家計画を完成。第2次5ヵ年計画の万全な準備(1976~80)。 ○人民政権強化を積極的に運動。国会第5期代表選挙,地方人民代表選挙を良く組織する。 ○党中央委書記局による指示214号のもとに人民生活を改革し,改善しなければならない。したがって結婚,葬儀,誕生日,祭日式典の旧風俗に対する新生活規則を組織し,拡大させるよう運動する。
DIA-201-1975-03-21-1北ベトナム1975年03月21日1970年代ニャンザン紙報道;首相府は各省,各都市各単産の生産関係責任者を召集し,1975年の国家計画の農業と林業計画の実現状況を検討,欠点を解決,計画完遂の方法を討議。
DIA-201-1975-03-21-2北ベトナム1975年03月21日1970年代ドン首相は米国のベトナム戦争犯罪調査代表団(団長フラング・スヴィーデン弁護士)一行と会見。
DIA-201-1975-03-22-1北ベトナム1975年03月22日1970年代ラオス民族連合政治評議会代表団はハノイを訪問。代表団のメンバーは次の通り。 団長シスマン・シサルムサク殿下(評議会副議長),副団長サナン・ストチチャク評議会書記(愛国戦線中央委員),団員フムファエン・スカソム憲法制定・選挙小委員会委員,シサバン・チャンテファー評議会書記,ジャンダオ政治・憲法・選挙小委員会委員,ヘン・サイツャビ対外・援助小委員会委員,ブンティン・インシシィエンマイ教育文化小委員会委員。
DIA-201-1975-03-24-1北ベトナム1975年03月24日1970年代東ドイツと1975~76年度の科学計画協力協定に調印。
DIA-201-1975-03-25-1北ベトナム1975年03月25日1970年代ニャンザン紙報道;10ヵ月間の工事でバクジャン大橋が完成。
DIA-201-1975-03-26-1北ベトナム1975年03月26日1970年代グエン・クアン・クイ外務省アジア局第3局長代理はインドネシア大使を呼んで,同国外務省声明について抗議。
DIA-201-1975-03-31-1北ベトナム1975年03月31日1970年代ホアン・アィン副首相はブルガリアに滞在中,同国政府代表と経済科学技術協力協定に調印。
DIA-201-1975-04-01-1北ベトナム1975年04月01日1970年代ニャンザン紙報道;ハンガリー労働総同盟代表団(団長タマトラットジョロ食品労組代表)はハノイに到着。
DIA-201-1975-04-04-1北ベトナム1975年04月04日1970年代政府経済使節団は日本との交渉の難航について帰国直前,宮沢日本外務大臣と会談。
DIA-201-1975-04-04-2北ベトナム1975年04月04日1970年代ノールウェー王国大使はグエン・ルオン・バン副大統領に信任状を提出。
DIA-201-1975-04-06-1北ベトナム1975年04月06日1970年代国会第5期代表選挙の投票開始。
DIA-201-1975-04-06-2北ベトナム1975年04月06日1970年代ニャンザン紙報道;インド政府は,家畜類人工受精の設備を贈与。
DIA-201-1975-04-07-1北ベトナム1975年04月07日1970年代レ・ジュアン,チュオン・チン,ファム・バン・ドン党,国会および政府首脳はハノイの中国大使館を訪問。董必武中共中央委政治局員人民代表議会副議長の葬儀に花輪を贈与。
DIA-201-1975-04-07-2北ベトナム1975年04月07日1970年代ダホメー共和国と大使級国交樹立。
DIA-201-1975-04-08-1北ベトナム1975年04月08日1970年代外務省は,フォード米政権が南部同胞を強制的に移住させていると告訴。
DIA-201-1975-04-09-1北ベトナム1975年04月09日1970年代チャン・バン・タィン外務省アジア第1局長代理は訪日の経過についてVNA通信の質問に次のように回答。 「日本と外交関係樹立(1973.9.21)の合意を発表した後,ビエンチャンで戦争賠償問題を含む両国関係諸問題,について交渉を継続し,その第1段階の合意を実現するため,日本政府の招待で訪日。具体的に討議し,協定に調印した。戦争賠償の代わりに,無償援助の方式で,その援助の一部は1975年に使用され,残額は1976年に使うとの点で合意をみた。しかし,協定成立の進行中,日本側は新しい手続問題を提示,その目的は協定調印を延期する戦術にほかならぬ」。
DIA-201-1975-04-09-2北ベトナム1975年04月09日1970年代ニャンザン紙報道;北部各省(ハイフン,ナムハー,タイビン,ゲアン,ハノイ,タンホア,ハイフォン,ビンフー,ハバク,ハティ)の人民は南部新解放区へ種豚2万頭を贈与。獣医と畜産技術者を指導の目的で派遣また水牛と牛1万頭を援助。
DIA-201-1975-04-09-3北ベトナム1975年04月09日1970年代ニャンザン紙報道;チュオン・チン議長の主催で,国会常務委員会を開き,政府閣僚も出席,ザップ副首相兼国防相は最近の南部解放軍攻勢の大勝利について報告。
DIA-201-1975-04-10-1北ベトナム1975年04月10日1970年代ニャンザン紙社説は全北部人民が南部完全解放の支援と社会主義の建設のため,2人分働くよう競争を呼びかける。
DIA-201-1975-04-12-1北ベトナム1975年04月12日1970年代ドン首相はバンドン会議20周年記念日に当り,祝電を送る。
DIA-201-1975-04-15-1北ベトナム1975年04月15日1970年代ギリシャ共和国と大使級外交関係樹立。
DIA-201-1975-04-17-1北ベトナム1975年04月17日1970年代ニャンザン紙報道;ズオン・バク・リエン交通運輸相は東ドイツ滞在中,同国政府と民間航空協定に調印。
DIA-201-1975-04-19-1北ベトナム1975年04月19日1970年代ファン・チョン・トエ副首相の中国昆明鉄道総局副局長代表団と会見。
DIA-201-1975-04-20-1北ベトナム1975年04月20日1970年代ベトナム民主共和国と南革命政府とともに国連の世界保健機構(WHO)と世界気象機構(WMO)に加盟を申請。
DIA-201-1975-04-21-1北ベトナム1975年04月21日1970年代ニャンザン紙報道;タイビン省の全農民数十万世帯は南部同胞を支援するため,生産促進,食糧節約運動に,積極的に参加し成果を収める。6日間で南部への支援米2000トンを集める。
DIA-201-1975-04-21-2北ベトナム1975年04月21日1970年代ニャンザン紙報道;ハノイ―ユエ両市間の電報と電話,20年ぶりに再開。
DIA-201-1975-04-23-1北ベトナム1975年04月23日1970年代中国と17回目の鉄道協力協定に調印。
DIA-201-1975-04-23-2北ベトナム1975年04月23日1970年代スイス政府代表は,ハノイで建設省代表に,同政府援助のベニヤ工場の全設備を引渡し。
DIA-201-1975-04-24-1北ベトナム1975年04月24日1970年代政府は24,25,26の3日間にカンボジアの祖国完全解放を祝賀するため,政府各機関,学校および公共の場所に国旗を掲げるよう指示。
DIA-201-1975-04-24-2北ベトナム1975年04月24日1970年代ニンビン省農民と労働者各団体は生産促進,食糧節約の運動による南部同胞への支援米1650トンを貯蓄。
DIA-201-1975-04-26-1北ベトナム1975年04月26日1970年代国会第5期代表総選挙の当選者名簿発表。
DIA-201-1975-04-26-2北ベトナム1975年04月26日1970年代南部同胞への支援物資運送船ソンダ号(4000トン級)がダナン港に入港。
DIA-201-1975-04-27-1北ベトナム1975年04月27日1970年代政府は南部の政治軍事情勢についての26日付の南部革命政府の声明を徹底的に支持すると声明。
DIA-201-1975-04-28-1北ベトナム1975年04月28日1970年代ニャンザン紙報道;紡織部門幹部と技術および工員は南部同胞支援のため,生産増加運動により,追加分の木綿製品150万メートル,綿糸70トンを生産。
DIA-201-1975-04-29-1北ベトナム1975年04月29日1970年代ニャンザン紙報道;タイビンとハイフン両省は南部同胞へ支援米1万トンを送る。またハイフン省のポンプ製造工場は南部新解放地区の農業を支援するためポンプ1000台と鋤1万本を製造。
DIA-201-1975-04-29-2北ベトナム1975年04月29日1970年代キ米国務長官は記者会見で「米国はパリ協定に対する米国の約束項目を守るが,北ベトナムが同協定を破壊したため約束項目は失効した」と述べた。
DIA-201-1975-05-01-1北ベトナム1975年05月01日1970年代ドン首相はメーデー祭典の集会で演説を行ない,その中で「わが全人民は故ホーおじさんの遺言を輝しく実現した」と述べた。
DIA-201-1975-05-01-2北ベトナム1975年05月01日1970年代チュオン・チン国会議長はイラン大使とパレスチナ解放組織代表と会見。
DIA-201-1975-05-02-1北ベトナム1975年05月02日1970年代スアン・トイ党中央委書記局書記はハンガリー新聞報道協会代表団と会見。
DIA-201-1975-05-03-1北ベトナム1975年05月03日1970年代ソ連ベトナム友好協会代表団(団長V.S.スミロノープ会長)は親善訪問のためハノイに到着。
DIA-201-1975-05-03-2北ベトナム1975年05月03日1970年代ファン・チョン・トエ副首相団長,ホアン・ミン・ザム文化相副団長はシアヌーク殿下の母堂シソワト・コサマック皇太后の葬儀に参列するため北京へ出発。
DIA-201-1975-05-03-3北ベトナム1975年05月03日1970年代ラオス・ベトナム友好協会,ビエンチャンで創立。 会長:スク・ボンサク通信情報・観光相,副会長ブンクォン・ブラデチット・ビエンチャン市長,書記フーポン・フィムマソン氏,副書記ソンカムバンボンサ氏。
DIA-201-1975-05-05-1北ベトナム1975年05月05日1970年代党中央委員会書記局は「民族の偉大な勝利」を全国(南北を含む)で祝賀する集会の計画について指示。
DIA-201-1975-05-06-1北ベトナム1975年05月06日1970年代ニャンザン紙報道;グエン・チ・タプ党中央委員会委員を団長とする代表団は東ドイツのファシスト戦争勝利30周年記念式典参加のためベルリンを訪問。
DIA-201-1975-05-07-1北ベトナム1975年05月07日1970年代国連の世界気象機構(WMO)総会は北ベトナムからの加盟申請を承認。
DIA-201-1975-05-07-2北ベトナム1975年05月07日1970年代国防省の招きで,ソ連国防省代表団(団長アブラモップ上将)は独ソ戦争勝利30周年記念祝賀式典に参加するためハノイに到着。
DIA-201-1975-05-09-1北ベトナム1975年05月09日1970年代グエン・ズイ・チン政治局員・副首相兼外相を団長とする代表団はソ連党中央委の招きで,ソ連のドイツ・ファシスト集団打破勝利30周年記念式典に参加。
DIA-201-1975-05-10-1北ベトナム1975年05月10日1970年代首相府は5月15,16両日を祭日休暇にすると発表。 ○人民は集会に参加,15日に大衆のパレード。 ○各機関,各単産,民家などは15日から21日まで1週間,国旗を揚げる。 ○工場,学校,役所の休業期間は2日間(15,16日)。
DIA-201-1975-05-11-1北ベトナム1975年05月11日1970年代チン副首相兼外相は滞ソ中,M.A.スースロフ党中央委政治局員と会談。
DIA-201-1975-05-12-1北ベトナム1975年05月12日1970年代(モスクワ)ソ連と緊急無償援助協定に調印―ベトナム南部の完全解放後,ベトナム人民の生活安定,生産復旧と発展を支援するため,1975年分として燃料,肥料,食糧,運搬車両,その他消費品などを送る。
DIA-201-1975-05-13-1北ベトナム1975年05月13日1970年代南北両地域間の郵便通信連絡が21年ぶりに再開―同日郵便通信用航空第1便がタンソンニャット空港からハノイへ向って飛び立った。
DIA-201-1975-05-13-2北ベトナム1975年05月13日1970年代外務省はタイの親米・反動派の陰謀で,タイ暴力デモ隊がベトナム僑民を傷害したことに抗議し,中止するよう要求する。
DIA-201-1975-05-14-1北ベトナム1975年05月14日1970年代ニャンザン紙報道;地方人民代表選挙の結果によれば,労働生産関係の責任者の当選率が高く,生産現場と直接担当の人々の当選率は50~60%に達し,その中婦人代表の当選率は平原地帯で40%,高原地帯で30%を占め,若者は30~40%を占める。
DIA-201-1975-05-14-2北ベトナム1975年05月14日1970年代国連世界保健機構(WHO)の年次総会は北ベトナムからの加盟申請について賛成多数で可決(南ベトナム旧政権の代表権は南革命政府が占める)
DIA-201-1975-05-15-1北ベトナム1975年05月15日1970年代ネパール王国と大使級外交関係樹立。
DIA-201-1975-05-15-2北ベトナム1975年05月15日1970年代外務省は米帝侵略者のカンボジア領海侵入,攻撃を激しく非難。
DIA-201-1975-05-15-3北ベトナム1975年05月15日1970年代チャン・クィ・ハイ国防次官は国防省代表としてソ連訪問を終え,帰国。
DIA-201-1975-05-17-1北ベトナム1975年05月17日1970年代タン大統領ら政府代表団は南部完全解放の祝賀式典に出席するため,サイゴン市を訪問した後,ハノイに帰着。
DIA-201-1975-05-17-2北ベトナム1975年05月17日1970年代ソ連国防省代表団はベトナム親善訪問を終了し帰国。またソ連ベトナム友好協会代表団も同日帰国。
DIA-201-1975-05-19-1北ベトナム1975年05月19日1970年代ホー・チ・ミン大統領生誕85周年記念式典。
DIA-201-1975-05-20-1北ベトナム1975年05月20日1970年代ザップ副首相兼国防相はキューバ・ベトナム団結委議長メンバヘクナンディ女史と会見。
DIA-201-1975-05-20-2北ベトナム1975年05月20日1970年代ファン・ヒエン外務次官代表団は,タイ政府代表と両国関係諸問題を話し合うため同国を訪問。
DIA-201-1975-05-21-1北ベトナム1975年05月21日1970年代ニャンザン紙報道;南部完全解放,ホー大統領生誕85周年祝賀の成績を確立するため,ダイ(Day)川沿岸のハイフン,ハバク,タイビン,ビンフー各省およびハノイ,ハイフォン両市は同川の堤防修復とダム建設計画を3年間かかって15日に完成。同川の堤防とダムの建設目的は北部平原デルタ米作地帯とハノイ,ハイフォン両市洪水害を防止することにある。
DIA-201-1975-05-22-1北ベトナム1975年05月22日1970年代ベトナム・ソ連友好協会創立(1950.5.23)25周年記念式典開催。
DIA-201-1975-05-23-1北ベトナム1975年05月23日1970年代ニャンザン紙報道;党中央委員会はインドネシア共産党創立50周年記念に当り祝電を送る。
DIA-201-1975-05-24-1北ベトナム1975年05月24日1970年代ニャンザン紙報道;タイビン省農業生産合作社350社はあひる85万羽を飼う,肉用700トン,玉子3200万個を生産。
DIA-201-1975-05-26-1北ベトナム1975年05月26日1970年代東ドイツ政府はベトナム通信とテレビ局に放送とテレビ局などの設備関係機械を贈与。
DIA-201-1975-05-27-1北ベトナム1975年05月27日1970年代ニャンザン紙報道;自動車工場幹部と技術者および工員は新解放区のユエ,ダナン両市の市民の往来に役立てるため,両市へバス60台,運転手および修理熟練工員150人を送る。
DIA-201-1975-05-28-1北ベトナム1975年05月28日1970年代ビルマ政府と大使級外交関係樹立。
DIA-201-1975-05-29-1北ベトナム1975年05月29日1970年代ベトナムとタイ両政府代表,共同コミュニケを発表。
DIA-201-1975-05-30-1北ベトナム1975年05月30日1970年代ニャンザン紙報道;ハノイなど各工場は南部の農業復旧,生産発展を支援するため,農具関係77万個を製造。
DIA-201-1975-05-30-2北ベトナム1975年05月30日1970年代ルーマニア政府貿易代表団はベトナムと貿易関係について討議するため,ハノイを訪問。
DIA-201-1975-05-31-1北ベトナム1975年05月31日1970年代(北京)中国と緊急無償援助協定に調印―同協定の目的は,ベトナム南部完全解放後の全人民の生活安定,生産復旧と発展を早急に援助するもの。
DIA-201-1975-05-31-2北ベトナム1975年05月31日1970年代国会常務委は総会を開き,第5期第1回国会通常総会開催準備,政府の提示した外国駐在全権大使リストを承認。
DIA-201-1975-06-01-1北ベトナム1975年06月01日1970年代農業中央委員会はキューバ政府援助による近代養鶏センター建設工事を1年間かかって完成。
DIA-201-1975-06-02-1北ベトナム1975年06月02日1970年代ニャンザン紙はハビブ米国務次官補極東問題担当の最近の東南アジア5ヵ国歴訪を論評。 ○同氏の今度の訪問目的は米国のインドシナ地域での完全惨敗後の米国の立場を説明,米の威信を維持,東南アジア地域の米軍基地を維持,今後も公約任務を果すと強調。 ○ハビブ氏がどんなにうまく米国の立場を弁明しても,東南アジア地域の米国離れ,自主独立,中立外交の方向へ進む潮流を阻止することはできないだろう。現にインドシナで自分の勢力を守ることができず,大敗したのが具体的証拠である。
DIA-201-1975-06-03-1北ベトナム1975年06月03日1970年代国会第5期代表選挙第1回総会開催。国会第5期代表選挙の結果,国会代表総数424人のうち213人が再選挙された。国会内で各階層の占める比率は次のとおり。 労働者代表 22% 農民集団代表 21% 軍人代表 6.6% 社会主義知識分子 22% 婦人代表 32% 若者(21~35歳)代表 33.5% 少数民族代表 総数の6分の1 手工業代表 1人 愛国人士 4人 宗教団体(カトリック,仏教,カオダイ,キリスト教) 8人 また代表年例別: 21~30歳 79人 31~40歳 119人 41~50歳 75人 50~60歳 83人 60歳以上 68人(そのうち80,81,85,87歳の4人を含む)
DIA-201-1975-06-04-1北ベトナム1975年06月04日1970年代米国務省スポークスマンは,ドン首相が米国との国交正常化を呼びかけたのに対し無意味だと拒否の態度を表明。
DIA-201-1975-06-06-1北ベトナム1975年06月06日1970年代(プラハ)チェコ政府と1975~76年度の2ヵ年医療関係協力協定に調印。
DIA-201-1975-06-07-1北ベトナム1975年06月07日1970年代ソ連モスクワ市党委員会と市民は,ハノイ市党委と市民に市内交通用バス15台,道路清掃車5台,一般学校第3級の実験室設備を贈与。
DIA-201-1975-06-08-1北ベトナム1975年06月08日1970年代ニャンザン紙社説,「戦時中の英雄的な精神を労働生産に転入し。富強繁栄の国家を建設するよう」呼びかけ。
DIA-201-1975-06-09-1北ベトナム1975年06月09日1970年代東ドイツのベトナム委員会代表団は親善訪問のため,ハノイに到着。
DIA-201-1975-06-10-1北ベトナム1975年06月10日1970年代ニャンザン紙報道;タンホア省農具生産工場は,南部同胞の農業復旧を支援するため,各種農具1万個を製造。
DIA-201-1975-06-10-2北ベトナム1975年06月10日1970年代メキシコで開催された国連婦人年国際会議に出席。
DIA-201-1975-06-11-1北ベトナム1975年06月11日1970年代(ハノイ)仏政府代表と,郵便電信両協定に調印。
DIA-201-1975-06-11-2北ベトナム1975年06月11日1970年代日本のベトナム人民支援委員会発表,日本人民と民主各団体のカンパ700万円相当の食糧食品,衣服,薬品および日常生活品などの支援物資を満載した支援船が同日神戸港を出港。
DIA-201-1975-06-12-1北ベトナム1975年06月12日1970年代ニャンザン紙は“東南アジア人は米帝国主義および外国の支配を離れて,民族資源と独立自主経済を守り繁栄の地域を造る”と強調。
DIA-201-1975-06-18-1北ベトナム1975年06月18日1970年代マルディブ共和国と大使級外交関係樹立。
DIA-201-1975-06-18-2北ベトナム1975年06月18日1970年代ブルガリア祖国戦線代表団(団長デミトボラセプ党中央委員)は親善訪問のため,ハノイに到着。
DIA-201-1975-06-19-1北ベトナム1975年06月19日1970年代(平壌)北朝鮮と緊急無償援助協定に調印。
DIA-201-1975-06-20-1北ベトナム1975年06月20日1970年代(アルジェ)アルジェリア政府代表と郵便協定に調印。
DIA-201-1975-06-21-1北ベトナム1975年06月21日1970年代ドン首相はベトナム戦争中行方不明になった米国人について,米議会下院議員27人の質問に回答。その中で“ベトナム側はパリ協定各項目を履行,米人捕虜を釈放,死亡者遺骨を引渡し,行方不明者の全国調査を開始した。しかし米国側は計画的に連続して同協定に違反,破壊している。米国がパリ協定の約束項目を履行するならば,われわれも完全に協力するだろう”と述べた。
DIA-201-1975-06-23-1北ベトナム1975年06月23日1970年代インド国会議員団はハノイを訪問,団長G.S.ディロン下院議長。
DIA-201-1975-06-24-1北ベトナム1975年06月24日1970年代ラオスのルアンプラバン王都代表団,親善訪問のため,ハノイに到着。
DIA-201-1975-06-26-1北ベトナム1975年06月26日1970年代ニュージーランド政府と大使級外交関係樹立。
DIA-201-1975-06-26-2北ベトナム1975年06月26日1970年代フランス科学者グループはベトナムとの科学技術協力委員会を設立,ベトナム戦争の傷跡の復旧に仏各界とくに科学技術者の支援と協力を呼びかけ。
DIA-201-1975-06-28-1北ベトナム1975年06月28日1970年代ソ連と1975年度の文化・科学協力協定計画書に署名。
DIA-201-1975-06-29-1北ベトナム1975年06月29日1970年代ハノイのカトリック教会大司教会議はレ・フー・クン牧師をブイチュ教区新司教に任命。ファム・タン牧師をタンホア教区の新司教に任命。1955~1975年の間に北部のカトリック10教区で司教13人が任命された
DIA-201-1975-06-29-2北ベトナム1975年06月29日1970年代ニャンザン紙報道;現在まで15県が今春季食糧生産供給義務を完遂。
DIA-201-1975-06-29-3北ベトナム1975年06月29日1970年代ニャンザン紙報道;ハノイ市とホンハ川の毎年の洪水害の防止のためソンダィ川の堤防とダム水位調節近代水門6門の建設が完了。
DIA-201-1975-06-30-1北ベトナム1975年06月30日1970年代ニャンザン紙報道;ザップ国防相,ズン総参謀長は連名で「1975年春季の進攻と蜂起の大勝利」と題する論文を発表。
DIA-201-1975-07-01-1北ベトナム1975年07月01日1970年代ニャンザン紙報道;ナムディン連合紡織工場は南部同胞支援のため木綿製品50万メートルを生産。
DIA-201-1975-07-01-2北ベトナム1975年07月01日1970年代ポルトガルと大使級外交関係樹立。
DIA-201-1975-07-02-1北ベトナム1975年07月02日1970年代ニャンザン紙報道;化学部門は農業生産に服務するため,1975年上半期化学肥料6万トンを生産。
DIA-201-1975-07-02-2北ベトナム1975年07月02日1970年代ニャンザン紙報道;軽工業部門の今年上半期の生産状況は昨年同期と比べ,生産量18.5%増,労働能率13.8%増,負債返済額28.9%増。
DIA-201-1975-07-02-3北ベトナム1975年07月02日1970年代ドン首相は越中両国人民親善団結のため,北京公園付属動物園に珍象1頭を贈与。
DIA-201-1975-07-03-1北ベトナム1975年07月03日1970年代チン外相はラオスのルアンプラバン王都親善代表と会見。
DIA-201-1975-07-04-1北ベトナム1975年07月04日1970年代ニャンザン紙報道;フランスに居住するベトナム人各界の代表者181名は在フランスのベトナム人団結組織の結成準備会を設立。
DIA-201-1975-07-05-1北ベトナム1975年07月05日1970年代ニャンザン紙社説は国連の婦人年国際会議の開催に当り,「婦人解放は民族解放と緊密に結ばないと,その解放は成功しないだろう」と強調。
DIA-201-1975-07-06-1北ベトナム1975年07月06日1970年代サイゴン海運局所属ソンベ号(Song be)は,4日かかってハイフォン港に到着。
DIA-201-1975-07-07-1北ベトナム1975年07月07日1970年代プーミ・ボンビチット・ラオス副首相兼外相はビエンチャンからハノイに到着,9日北京に向けハノイ発。
DIA-201-1975-07-08-1北ベトナム1975年07月08日1970年代ニャンザン紙報道;今年のハノイ外語大学ではロシア,英,仏,中国語の教師資格に合格した卒業生が219人に達し,そのうち女子大生は123人を占めた。
DIA-201-1975-07-10-1北ベトナム1975年07月10日1970年代ニャンザン紙報道;5日現在,全北部各省の春季食糧購入計画の実現状況は74.1%に達し,また30県,1900農業生産合作社も春季の食糧供給の義務を完遂。
DIA-201-1975-07-10-2北ベトナム1975年07月10日1970年代ニャンザン紙報道;運輸局は,北部在勤南部出身幹部,軍人および一般公務員が南部居住の家族と親戚に再会するため帰郷の便宜を拡大,強化することを決定。
DIA-201-1975-07-11-1北ベトナム1975年07月11日1970年代ニャンザン紙報道;ナムハー省は秋季洪水害を防止するため,自動ポンプ540台を投入して排水し,秋季作物を守る。
DIA-201-1975-07-11-2北ベトナム1975年07月11日1970年代(ベルリン)東ドイツと1975年の補充援助協定に調印。
DIA-201-1975-07-14-1北ベトナム1975年07月14日1970年代ニャンザン紙は国営農場の強力な拡張に対する緊急工作内容を発表,その重点は次のとおり。 ○各国営農場の生産,経営の任務と方向を具体的に確定,各農場企画を完成。 ○各農場内と新経済開拓地区では物資と技術的基礎の建設を促進。 ○各農場内では合理的に労働量を整備,労働管理を強化。 ○第2次5ヵ年計画(1976~80)の国営農場部門全体の精密な計画を作成する,また1976年計画を超過実現するためのあらゆる条件を準備。
DIA-201-1975-07-15-1北ベトナム1975年07月15日1970年代(北京)李先念中国副首相はチン・バン・ビン財政次官代表団と会見,両国の保険問題を協議。
DIA-201-1975-07-16-1北ベトナム1975年07月16日1970年代スクボンサク・ラオス通信情報観光相はハノイを訪問,22日病気治療のため北京に向けハノイを出発。
DIA-201-1975-07-16-2北ベトナム1975年07月16日1970年代日本のアジア太平洋大使会議で「日本は北ベトナムとの関係を早急に正常化すべきだ」という点で全員一致。その理由として次の2点を上げた。 ○北ベトナムの指導のもとで,南北統一が着々進んでいる。 ○北ベトナムのインドシナ全域に対する影響力がかなり強まっていくだろう。
DIA-201-1975-07-17-1北ベトナム1975年07月17日1970年代ニャンザン紙報道;石炭生産の復旧・発展状況は次の通り。
DIA-201-1975-07-18-1北ベトナム1975年07月18日1970年代ニャンザン紙報道;ハイフン省の養豚業は集団と個人の二つの方式で発展。現在同省は豚50万頭を育成。
DIA-201-1975-07-18-2北ベトナム1975年07月18日1970年代ニャンザン紙報道;電力部門の復旧・発展状況は次の通り。
DIA-201-1975-07-18-3北ベトナム1975年07月18日1970年代バンク・オブ・アメリカ副頭取でアジア駐在代表のルイス・ソーボル氏は北ベトナムの銀行,金融,貿易関係責任者と接触するため,今月10日から16日まで1週間にわたって,ハノイを訪問した後,香港で声明を発表,その中で「北ベトナムは工業化や独自の資源開発さらに人口増加を賄うために,多くの物資の輸入を必要としており,経済,産業の基礎が軍事的なものから非軍事面に移るにつれて,あらゆる西側諸国との通商拡大を目指すようにすることは確実だ」と述べた。
DIA-201-1975-07-19-1北ベトナム1975年07月19日1970年代ニャンザン紙報道;国立銀行は今年上半期経済復旧と発展に服務するため,長期・短期の資金を放出,長期貸付は農業合作社,小工業・手工業合作社に4500万ドンを貸し,短期貸付は南部同胞に服務する必要品生産企業に1974年末と比べ,2億4000万ドン増を貸した。
DIA-201-1975-07-19-2北ベトナム1975年07月19日1970年代ニャンザン紙報道;機械関係企業の復旧・発展状況は次の通り。
DIA-201-1975-07-20-1北ベトナム1975年07月20日1970年代クァンドイ・ニャンザン紙は「今月末に予定されているタイ湾での米タイ海軍合同演習はタイ人民自身を含め東南アジアの全人民に対する重大な挑発行為である」との論説を載せた。
DIA-201-1975-07-20-2北ベトナム1975年07月20日1970年代労働総同盟は創立29周年記念式典を開催。
DIA-201-1975-07-20-3北ベトナム1975年07月20日1970年代ニャンザン紙報道;ラオス愛国戦線の水利局関係代表団がハノイを訪問。
DIA-201-1975-07-21-1北ベトナム1975年07月21日1970年代ニャンザン紙報道;化学生産部門の復旧・発展状況は次の通り。
DIA-201-1975-07-22-1北ベトナム1975年07月22日1970年代ニャンザン紙報道;建設部門の復旧・発展状は次の通り。
DIA-201-1975-07-23-1北ベトナム1975年07月23日1970年代ニャンザン紙報道;消費財生産企業の復旧・発展状況は次の通り。
DIA-201-1975-07-23-2北ベトナム1975年07月23日1970年代グエン・バン・リュ大使は,国連駐在オブザーバーとして赴任のためニューヨークへ出発。
DIA-201-1975-07-23-3北ベトナム1975年07月23日1970年代ホアン・ミン・ザム文化相は北京滞在中,中国の千会栄文化相と会談。
DIA-201-1975-07-23-4北ベトナム1975年07月23日1970年代ドー・バン・ジ技師は運輸交通省代表団の団長として,ラオスを訪問,2週間滞在。ベトナムの援助によるナムグン川のつり橋建設の可能性の調査を開始。
DIA-201-1975-07-24-1北ベトナム1975年07月24日1970年代ニャンザン紙報道;国営工業部門の復旧・発展状況は次の通り。
DIA-201-1975-07-24-2北ベトナム1975年07月24日1970年代ニャンザン紙報道;ハイフン省は15~19日全北部で初めての省レベルでの農民集団代表大会を開催,ホアン・アィン副首相は同大会に出席,大会の決議は1980年までの目標として食糧生産100万トン,豚肉3万8000トン・魚類1万トン,ジュート3万トン,ハチミツ80トンを達成するよう努力。
DIA-201-1975-07-25-1北ベトナム1975年07月25日1970年代ニャンザン紙報道;20日現在,全北部の83県と3734農業生産合作社は春季食糧生産供給義務を完遂。
DIA-201-1975-07-25-2北ベトナム1975年07月25日1970年代ニャンザン紙報道;小工業,手工業の復旧・発展状況は次の通り。
DIA-201-1975-07-26-1北ベトナム1975年07月26日1970年代ハノイ市当局は市内のキューバ政府の援助による近代ホテルの完成を発表。
DIA-201-1975-07-28-1北ベトナム1975年07月28日1970年代ニャンザン紙報道;鉄道の復旧・発展状況は次の通り。
DIA-201-1975-07-29-1北ベトナム1975年07月29日1970年代ニャンザン紙報道;自動車による運搬の状況は次の通り。
DIA-201-1975-07-31-1北ベトナム1975年07月31日1970年代ニャンザン紙報道;国内商業と対外貿易の発展状況は次の通り。
DIA-201-1975-08-01-1北ベトナム1975年08月01日1970年代ニャンザン紙報道;ザップ副首相兼国防相は中国人民解放軍の建軍48周年記念日(8.1)に祝電を送る。
DIA-201-1975-08-01-2北ベトナム1975年08月01日1970年代ニャンザン紙は全北部の1955年から1973年までの科学者,技術者および工業労働者数の増加指数を次のように発表。
DIA-201-1975-08-02-1北ベトナム1975年08月02日1970年代ニャンザン紙報道;ソ連の建設専門代表団はベトナム建設協力のため,ハノイに到着。
DIA-201-1975-08-02-2北ベトナム1975年08月02日1970年代ニャンザン紙は全北部米作面積は1939年を基準として1974年に1.23倍に増加したと発表。
DIA-201-1975-08-03-1北ベトナム1975年08月03日1970年代政府高官筋は「最近ソ連はカムラン湾旧米軍海軍基地の使用を希望する」との西側報道について「同基地はベトナムの兄弟国と友好諸国に使用権を与えるが,ソ連だけに独占使用権を与えることはない」と同報道を否定。
DIA-201-1975-08-03-2北ベトナム1975年08月03日1970年代ベトナム通信報道;レ・ジュアン党中央委第1書記は党と政府代表として,カンボジア訪問のため,プノンペンに到着。
DIA-201-1975-08-04-1北ベトナム1975年08月04日1970年代ニャンザン紙報道;グエン・チ・タプ婦人連合会名誉会長(党中央委員),ハ・チ・クエ同会長(党中央委員)ら代表団はサイゴンを訪問。
DIA-201-1975-08-04-2北ベトナム1975年08月04日1970年代ニャンザン紙は全北部の米以外の食糧増産計画による生産面積は1939年を基準にして1955~60年に1.60倍,1973~74年に2.30倍に達すと発表。
DIA-201-1975-08-05-1北ベトナム1975年08月05日1970年代古河電工会社はベトナム機械輸入公司から総額約5億円にのぼる絶縁ケーブルを受注したと発表。
DIA-201-1975-08-05-2北ベトナム1975年08月05日1970年代労働党中央委員会は8月革命(8月19日)と建国30周年(9月2日)記念について,重要声明を発表。同声明の重点は次のとおり。 ○南北ベトナムの再統一は全国民の焦眉の願いである。 ○ベトナムは単一の国家であり,ベトナム国民は単一の民族である。独立と統一は不可分の関係にある。 ○北部の社会主義の輝しい業績,はかりしれない力,不滅性を認識しよう。 ○平和独立,民主の力強い統一国家ベトナムを建設するため,革命の成果を発展させることに貢献するよう呼びかける。
DIA-201-1975-08-05-3北ベトナム1975年08月05日1970年代ニャンザン紙は工業用作物栽培面積が1955~57年を基準として1961~65年2.04倍,1973~74年1.69倍に達すと発表。
DIA-201-1975-08-06-1北ベトナム1975年08月06日1970年代ニャンザン紙は,全北部の農業合作社の発展状況について次のように報道。 ○農民労働者総戸数に対する農業合作社社員戸数の割合 1958年 4.8% 1965年 90.1% 1974年 95.2% ○合作社社員総戸数に占める高級合作社社員戸数の割合 1958年 1.1% 1965年 72.1% 1974年 97.3% ○高級下級各合作社社員戸数
DIA-201-1975-08-06-2北ベトナム1975年08月06日1970年代英国大使はグエン・ルオン・バン副大統領に信任状を提出。
DIA-201-1975-08-07-1北ベトナム1975年08月07日1970年代グエン・コ・タク外務次官はマンヒラ・フィリピン政府特使と三つの原則による国交樹立,大使交換の合意コミュニケに調印。
DIA-201-1975-08-08-1北ベトナム1975年08月08日1970年代ニャンザン紙は水利部門の専門家養成と灌漑建設状況を次のように報道。 ○水利技術者(大学卒とそれ以上) 仏植民地時代 全国12人 ジュネーブ協定以後(1955~1974) 3300人 ○大灌漑用水建設 1945年11ヵ所 1974年56ヵ所 ○耕作地灌漑面積 1955年 1.0培 1974年 1.8倍
DIA-201-1975-08-11-1北ベトナム1975年08月11日1970年代米国は国連安保理で両ベトナムの加盟申請に拒否権を行使。
DIA-201-1975-08-11-2北ベトナム1975年08月11日1970年代ニャンザン紙報道;全北部で1960年から今日までに全農村道路の28万3000キロメートル,橋の5万3565本を建設。
DIA-201-1975-08-11-3北ベトナム1975年08月11日1970年代ニャンザン紙報道;米作生産増加実績は次のとおり。 年間(2毛作)生産1ヘクタール当り稲米5トン目標について
DIA-201-1975-08-12-1北ベトナム1975年08月12日1970年代ニャンザン紙報道;北部畜産業の発展状況は次のとおり。(指数) ○水牛と牛: 1938年 1.0 1960年 1.71 1974年 1.77 ○養豚の数(2ヵ月以上豚): 1938年 1.0 1960年 1.69 1974年 2.83 ○養鶏と鴨: 1958年 1.0 1960年 1.05 1974年 1.76
DIA-201-1975-08-12-2北ベトナム1975年08月12日1970年代ニャンザン紙報道;レ・タイン・ギ副首相を団長とする経済代表団は中ソ訪問のため,ハノイを出発,同日北京に到着。
DIA-201-1975-08-13-1北ベトナム1975年08月13日1970年代ニャンザン紙報道;国営農業部門の建設(中央農業による農場建設)と発展状況は次のとおり。(指数) 農場内労働者数: 1960年 1.0 1965年 1.32 1974年 1.18 農場のトラクター保有台数: 1960年 1.0 1965年 3.85 1974年 4.13
DIA-201-1975-08-13-2北ベトナム1975年08月13日1970年代ギ副首相は李先念中国副首相と会談。
DIA-201-1975-08-14-1北ベトナム1975年08月14日1970年代ニャンザン紙報道;全北部の1955年以後今日までの林業開発と発展状況は次のとおり。(指数) 国営林業:植林状況 1955年1.0 1960年19.4 1965年90.9 1974年543 合作社と個人の植林:1955年1.0 1974年2439.1 木材開発:1955年1.0 1974年2.2
DIA-201-1975-08-15-1北ベトナム1975年08月15日1970年代ニャンザン紙報道;第2次世界大戦後独立ベトナムの教育問題の発展は次のとおり。
DIA-201-1975-08-16-1北ベトナム1975年08月16日1970年代周恩来中国首相はレ・タイン・ギ副首相代表団と会見。
DIA-201-1975-08-16-2北ベトナム1975年08月16日1970年代スイスと郵便協定に調印。
DIA-201-1975-08-17-1北ベトナム1975年08月17日1970年代ギ副首相は中国経済関係者と1976年の中国・ベトナム長期経済協力の強化を討議した後,ソ連訪問へ出発。18日,モスクワに到着。
DIA-201-1975-08-18-1北ベトナム1975年08月18日1970年代ニャンザン紙報道;全北部の医療関係の発展状況は次のとおり。
DIA-201-1975-08-19-1北ベトナム1975年08月19日1970年代ニャンザン紙報道;8月7日現在,83ヵ国と外交関係を樹立,あるいは相互承認した。
DIA-201-1975-08-20-1北ベトナム1975年08月20日1970年代国会,政府の「ベトナム石油・天然ガス開発総局」設立提案を承認。
DIA-201-1975-08-21-1北ベトナム1975年08月21日1970年代政府は南部へ行く幹部,公務員,軍人,海外へ行くベトナム人および外国人に対する通貨交換場所,日時などを次のように発表。 ○場所:党幹部,国家公務員の南部へ派遣される人々,外国客員,海外へ行くベトナム人などは,対外貿易省内通貨交換事務所で交換。空海路乗客はハノイ市ホァンキエム湖畔の銀行支店で交換。海路の乗客はハイフォン市の銀行で交換。海陸路の乗客はビン市の為替局で交換。また陸路の乗客はビンリン地区為替局で交換。 ○日時:ハノイとハイフォン両市は8月20日。ビンとビンリン地区は8月22日から実施する。しかしクァンチとッアチェン両省へ行く客を除く。
DIA-201-1975-08-21-2北ベトナム1975年08月21日1970年代ギ副首相はソ連訪問中,ベトナム・ソ連経済,科学および技術協力合同委員会の第2回会合に出席。
DIA-201-1975-08-23-1北ベトナム1975年08月23日1970年代ニャンザン紙報道;統計総局の資料によると,15日現在,北部全土の秋季米作の稲植付は計画の99.8%に達し,昨年同期より10万ヘクタール増。
DIA-201-1975-08-23-2北ベトナム1975年08月23日1970年代グエン・コ・タク外務次官はビン革命政府外相とともに非同盟会議に出席。24日両団長は「ベトナム統一は事実上達成された。統一の公式発表は手続き上の問題にすぎぬ」と強調。
DIA-201-1975-08-25-1北ベトナム1975年08月25日1970年代ジェトロの発表によると,ベトナムの対ソ貿易は年々増加,1974年には輸入1億9200万ルーブル(2億0520万ドル)で34.6%増,輸出4300万ルーブル(5700万ドル)で19.6%増。
DIA-201-1975-08-25-2北ベトナム1975年08月25日1970年代ギ副首相ら経済代表団はソ連訪問中,コスイギン首相と会談。
DIA-201-1975-08-26-1北ベトナム1975年08月26日1970年代ニャンザン紙報道;物資省は石油貯蔵と送油管の33施設工事を完成。また石油関係倉庫タンク,スタンドなど給油系統の建設完了と発表。
DIA-201-1975-08-26-2北ベトナム1975年08月26日1970年代(リマ)非同盟諸国外相会議はベトナム民主共和国の加盟申請を全会一致で承認。
DIA-201-1975-08-28-1北ベトナム1975年08月28日1970年代ソ連党政府代表団(団長ソロメンセプ党中央委政治局候補)は建国30周年記念式典に出席するためハノイに到着。
DIA-201-1975-08-28-2北ベトナム1975年08月28日1970年代日本共産党は9月2日の建国30周年記念式典に出席するため,同党の野坂議長代表団を派遣すると発表。
DIA-201-1975-08-29-1北ベトナム1975年08月29日1970年代ラオス代表団(団長スファヌボン殿下)はハノイに到着。
DIA-201-1975-08-29-2北ベトナム1975年08月29日1970年代パレスチナ代表,コンゴ,ケニア,メキシコ,タンザニア,ウガンダ,スリランカなど各代表団はハノイに到着。
DIA-201-1975-08-30-1北ベトナム1975年08月30日1970年代ホー・チ・ミン廟の落成式開催。
DIA-201-1975-08-30-2北ベトナム1975年08月30日1970年代カンボジア代表団(団長シアヌーク殿下,キュー・サムファン副首相)はハノイに到着。
DIA-201-1975-08-30-3北ベトナム1975年08月30日1970年代海外居住ベトナム人(英国,米国,西欧および日本に住むベトナム人)代表団はハノイに到着。
DIA-201-1975-08-31-1北ベトナム1975年08月31日1970年代中国党政府代表団(団長陳錫聯政治局員・副首相)はハノイに到着。
DIA-201-1975-09-02-1北ベトナム1975年09月02日1970年代ベトナム民主共和国創立30周年記念式典開催。
DIA-201-1975-09-04-1北ベトナム1975年09月04日1970年代レ・ジュアン党第1書記は日本共産党代表団(団長,野坂議長)と会談。
DIA-201-1975-09-06-1北ベトナム1975年09月06日1970年代両ベトナム新聞・作家協会はハノイで合同会議。
DIA-201-1975-09-09-1北ベトナム1975年09月09日1970年代祖国戦線中央委員会は同戦線創立20周年記念式典を開催,南部の解放戦線,民族民主平和連盟両代表団も同式典に参加。
DIA-201-1975-09-09-2北ベトナム1975年09月09日1970年代パリ国際経済科学会事務局長はベトナムへ,同国経済科学会の加盟が総会(8月27日)で承認されたと通告。
DIA-201-1975-09-10-1北ベトナム1975年09月10日1970年代ベトナム通信は最近米国と英国の新聞,雑誌が現在,外国の武器弾薬商人たちがハノイに入り,北ベトナム当局と米国製の武器購入の交渉をしていると報道したことに対し,全面的に否定。
DIA-201-1975-09-12-1北ベトナム1975年09月12日1970年代ニャンザン紙報道;鉄道総局はタンホアとビンの間の鉄橋の復旧工事を完成。
DIA-201-1975-09-13-1北ベトナム1975年09月13日1970年代ズオン・バク・リエン交通運輸相はハイフオン港でソ連から船舶(複数)援助の引渡式典に出席,サプリン・ソ連大使は同席で,ソ連はベトナムとの友好航路を拡張し,ベトナムに対する航海路部門を全面的に援助すると述べた。
DIA-201-1975-09-14-1北ベトナム1975年09月14日1970年代ニャンザン紙報道;レ・ドク・ト党中央委政治局員は米国代表団と会見。
DIA-201-1975-09-15-1北ベトナム1975年09月15日1970年代ニャンザン紙報道;今新学期(9月15日)には,全北部の新入生の各級学生生徒総数が666万人に達す。
DIA-201-1975-09-15-2北ベトナム1975年09月15日1970年代タク外務次官はデンマーク大使と経済協力協定書に署名。
DIA-201-1975-09-17-1北ベトナム1975年09月17日1970年代ニャンザン紙報道;ハバク―ハイフォン―タイビンの3省を結ぶ大鉄橋の復旧工事を完成。
DIA-201-1975-09-19-1北ベトナム1975年09月19日1970年代グエン・ツオン駐カンボジア大使は大使館員全員とともにプノンペンに到着。
DIA-201-1975-09-19-2北ベトナム1975年09月19日1970年代アガカーン国連戦争難民問題担当事務局長はハノイに到着。
DIA-201-1975-09-19-3北ベトナム1975年09月19日1970年代国連第30回総会。53ヵ国の共同提案になるアルジェリア代表からの安保理事会への両ベトナム加盟問題を再検討するよう要請した決議案の投票結果は,賛成123票,白票9,反対票なし。
DIA-201-1975-09-20-1北ベトナム1975年09月20日1970年代ドン首相はアジア,アフリカおよび中南米の石油問題コンサルタントである米国経済学者マイケル・タンザ氏と会見。
DIA-201-1975-09-22-1北ベトナム1975年09月22日1970年代レ・ジュアン党第1書記は党と政府の代表として代表団とともに中国親善訪問のため,北京に到着。
DIA-201-1975-09-22-2北ベトナム1975年09月22日1970年代チン外相は国連戦争難民問題事務局長アガカーン氏と会談。
DIA-201-1975-09-22-3北ベトナム1975年09月22日1970年代政府は1975~76年の新学期(9.15)から,幼稚園の園児と小学校生徒全体に対し学費全額を免除すると発表。
DIA-201-1975-09-23-1北ベトナム1975年09月23日1970年代ニャンザン紙報道;国立銀行は南部へ派遣出張した後,北部に帰る幹部と公務員および技術者に「旧サイゴン通貨を持って帰る人々は通貨を交換しなければならない,交換の期限と場所は,ハノイ市では9月23,24,25日まで,ハイフォン,ビン,ビンリンでは同月の同日に行なわれる。それらの期限以後,その通貨は無価値になる」と通告。
DIA-201-1975-09-23-2北ベトナム1975年09月23日1970年代西ドイツと大使級で外交関係を樹立。
DIA-201-1975-09-24-1北ベトナム1975年09月24日1970年代ニャンザン紙は「タイ政府は両国の国交交渉がいき詰まっている原因はベトナム側がタイに対し敵視態度をとっているからだと述べたが,実際はタイ政府が米国に対する従属政策を継続しているためである」と非難。
DIA-201-1975-09-24-2北ベトナム1975年09月24日1970年代(北京)毛沢東主席はレ・ジュアン第1書記ら代表団全員と会見。
DIA-201-1975-09-24-3北ベトナム1975年09月24日1970年代(北京)ギ副首相はボンビチット・ラオス副首相兼外相と会談,また同日カンボジアのイエン・サリ副首相とも会談。
DIA-201-1975-09-25-1北ベトナム1975年09月25日1970年代(北京)中国政府代表と,無利子借款援助協定,1976年物資供給議定書に調印。
DIA-201-1975-09-26-1北ベトナム1975年09月26日1970年代ニャンザン紙報道;多数の石油貯蔵庫とタンクを建設,送油管数百キロメートルを敷設。
DIA-201-1975-09-26-2北ベトナム1975年09月26日1970年代国連安保理事会は,同総会の両ベトナム加盟問題再審要請決議について審議,投票の結果,賛成票14ヵ国に達したが米国が再び招否権を行使したため否決された。
DIA-201-1975-09-26-3北ベトナム1975年09月26日1970年代(ベルリン)東ドイツ政府代表と1976~80年のテレビ協力協定に調印。
DIA-201-1975-09-27-1北ベトナム1975年09月27日1970年代ディン・ニヨ・リエム外相補佐官は国連戦争難民委事務局長と,国連の1975~76年度ベトナム戦争難民・援助協定書に調印。
DIA-201-1975-09-28-1北ベトナム1975年09月28日1970年代レ・ジュアン党第1書記代表団は中国訪問後,ハノイに帰着。
DIA-201-1975-09-29-1北ベトナム1975年09月29日1970年代ニャンザン紙報道;工業生産の今年第3四半期計画を完遂。
DIA-201-1975-09-29-2北ベトナム1975年09月29日1970年代レ・タィン・ギ副首相はモスクワに到着。
DIA-201-1975-09-29-3北ベトナム1975年09月29日1970年代祖国戦線,越中友好協会,越中文化連絡委員会の3団体は合同で中国の国慶節26周年記念の祝賀集会を開催。
DIA-201-1975-09-30-1北ベトナム1975年09月30日1970年代タイ全国医師会(団長は同会長ウドムポサクリットサナ博士)代表団は親善訪問のため,ハノイに到着。
DIA-201-1975-10-01-1北ベトナム1975年10月01日1970年代ニャンザン紙報道;電力部門の生産実績は第3四半期生産計画より5.4%増,第2四半期の計画と比べ16%増,また農業生産に対する第3四半期の服務計画より34.6%超過。9ヵ月だけでも年間計画の75%に達す。 昨年の9ヵ月生産成績と比べると25.8%増。
DIA-201-1975-10-01-2北ベトナム1975年10月01日1970年代ニャンザン紙報道;ゲアン省農業局は農業合作社を支援するため,農業技術幹部1500人を養成。
DIA-201-1975-10-01-3北ベトナム1975年10月01日1970年代ニャンザン紙は中国の国慶節に当り「新中国は富国・強兵・繁栄の道へ進行する」との題をもつ社説をのせた。
DIA-201-1975-10-01-4北ベトナム1975年10月01日1970年代党と政府首脳部は連名で,中国国慶節26周年記念日に当り同国の党と政府首脳にあて祝電を送る。
DIA-201-1975-10-01-5北ベトナム1975年10月01日1970年代ニャンザン紙報道;パリ協定調印後,工業復旧計画の中で最優先された工事はハバク省の中国全面援助になる肥料工場である。1973年3月以降中国から技術者,労働者がハノイに到着,復旧だけでなく,拡大と近代建設計画を作成・起工し2年間かかって今年3月に完成。最近生産を開始した。
DIA-201-1975-10-01-6北ベトナム1975年10月01日1970年代外務省は,国連総会で各国代表の多数がベトナム加盟を全面的に支持したのは,ベトナム人民の政治的大勝利であり,米国は孤立へ追い込まれたにすぎないと発表。
DIA-201-1975-10-02-1北ベトナム1975年10月02日1970年代ユーゴ政府代表団(団長ジェマン・デエデッチ首相)はハノイを公式訪問。
DIA-201-1975-10-02-2北ベトナム1975年10月02日1970年代ニャンザン紙報道;地質研究調査部門は20年間の間に成長をとげ,現在豊富かつ強力な専門・技術幹部を持っており,全国の地質地図を作成,全国の20万分の1の地図,鉱山と鉱物有望地域の50万分の1の地図を完成。現在の分析では,金属,石炭,燐灰石,天然ガス,石油を発見。
DIA-201-1975-10-02-3北ベトナム1975年10月02日1970年代グエン・ツオン駐カンボジア全権大使はペン・ヌート首相とキニー・サムファン副首相と会談。
DIA-201-1975-10-02-4北ベトナム1975年10月02日1970年代ドン首相はユーゴ政府代表団歓迎レセプションでのあいさつで「社会主義兄弟諸国との全面的協力関係の強化と同時に非同盟諸国,第3世界,その他の諸国との互恵,平等,内政不干渉などの原則に基づく関係の拡大が必要である」と述べた。
DIA-201-1975-10-02-5北ベトナム1975年10月02日1970年代ニャンザン紙報道;軽工業部門は今年の第3四半期生産計画を完遂,そのうち32品目は計画の103~146.4%に達す。
DIA-201-1975-10-02-6北ベトナム1975年10月02日1970年代統計総局は9月25日現在全北部の秋季米作稲植え付け面積が計画を0.9%越えると発表。
DIA-201-1975-10-02-7北ベトナム1975年10月02日1970年代レ・ジュアン第1書記ら代表団はハンガリー公式訪問のため,ブダペストに到着,8日コミュニケに調印。 8日次の訪問国ブルガリアのソフィアに到着。15日,コミュニケに調印。15日,東ドイツの東ベルリンに到着。19日,コミュニケに調印。19日,チェコ訪問のため,プラハに到着,27日,コミュニケに調印,27日モスクワに到着。
DIA-201-1975-10-04-1北ベトナム1975年10月04日1970年代労働総同盟代表団(団長ホアン・コク・ベト同議長)世界労働連盟第26回総会に出席するため,パリに向ってハノイを出発。
DIA-201-1975-10-04-2北ベトナム1975年10月04日1970年代ルアンダ共和国と大使級外交関係樹立。
DIA-201-1975-10-04-3北ベトナム1975年10月04日1970年代ニャンザン紙報道;政府は新学期(9月1日)から大学卒と中等専門校卒の実習制度を発表。大卒は24ヵ月,中専卒は18ヵ月職場実習に従事する。
DIA-201-1975-10-05-1北ベトナム1975年10月05日1970年代ボンビチット・ラオス副首相兼外相は北京から帰国の途中ハノイに到着。
DIA-201-1975-10-06-1北ベトナム1975年10月06日1970年代ハンガリーと文化・科学協力協定に調印。
DIA-201-1975-10-06-2北ベトナム1975年10月06日1970年代ニャンザン紙報道;政府は研究生,大学,高中専門校卒業生の配置規則の内容を発表。その重点は次のとおり。 ○国内各学校,また海外留学から帰国した学生は国家規律を犯さないならば,政府から適当な職場に配置される。 ○国家計画の要求を実現する基礎として,農場,工場,販売店,病院,研究所,農業,小工業,手工業など諸合作社諸単位に配置し,配置先は山岳,辺境,海島などどこでも行かなければならない。
DIA-201-1975-10-07-1北ベトナム1975年10月07日1970年代ユーゴ政府代表団とコミュニケに調印,同コミュニケは双方とも非同盟諸国が独立と自由を守り,天然資源の主人公となる権利をかちとり,また民族主権を尊重,平等互恵の基礎のうえで,新たな国際的経済秩序をつくるための正義の事業で輝しい成果をあげるものと確信すると一致した。
DIA-201-1975-10-07-2北ベトナム1975年10月07日1970年代(ブダペスト)レ・タイン・ギ副首相はフサルスバン・ハンガリー副首相と1976~80年の両国経済,科学および技術協力長期協定に調印。
DIA-201-1975-10-10-1北ベトナム1975年10月10日1970年代ニャンザン紙報道;完全な平和が回復した後,官僚主義的運営の誤りと労働者の無気力のため,国家の1975年計画の生産計画は多くの難問に直面している。全人民に対し生産目標を達成するため,一層の努力を払うよう呼びかける。
DIA-201-1975-10-10-2北ベトナム1975年10月10日1970年代ウィリアム・ボリソハレン・ニュージーランド駐ベトナム大使はグエン・ルオン・バン副大統領に信任状を提出。
DIA-201-1975-10-10-3北ベトナム1975年10月10日1970年代(ソフィア)ブルガリア政府代表と1976~80年の長期建設援助プロジェクト・協力計画協定に調印。また同期間の貿易アンバランスの改善のため,借款援助協定にも調印。
DIA-201-1975-10-10-4北ベトナム1975年10月10日1970年代チュオン・チン国会常務委議長ら代表団はラオス独立30周年記念式典に参加するため,ビエンサイに到着。
DIA-201-1975-10-11-1北ベトナム1975年10月11日1970年代日本政府代表団(団長菅沼駐ラオス大使)と1975年度分の日本のベトナム無償援助協定文書に調印。
DIA-201-1975-10-11-2北ベトナム1975年10月11日1970年代コートジボワールと外交樹立を決定。
DIA-201-1975-10-12-1北ベトナム1975年10月12日1970年代今川幸雄駐北ベトナム臨時代理大使はホアン・バン・チェン外務次官に信任状を提出。
DIA-201-1975-10-13-1北ベトナム1975年10月13日1970年代スウェーデン国会ベトナム援助調査団(団長アンナレウン・イライオサン議員)はハノイに到着。
DIA-201-1975-10-14-1北ベトナム1975年10月14日1970年代イエン・サリ・カンボジア外交担当副首相はラオス独立30周年記念式典に出席した後,帰国の途中ハノイに到着。
DIA-201-1975-10-15-1北ベトナム1975年10月15日1970年代外務省スポークスマンはベトナム人難民1600人の送還について声明を発表,内容は次のとおり。 10月4日に革命政府は,米国がベトナム人を強制的に移住し,現在陰謀的に1600人を無理に船に乗せて帰国させるのは無責任な行為であると声明を発表し,その行為をただちに停止するよう要求した。全世界の進歩的分子はその声明を支持。ベトナム国家の主権を侵犯し,移民を利用することを中止するよう要求。
DIA-201-1975-10-17-1北ベトナム1975年10月17日1970年代チン外相は日本政府代表団(団長菅沼駐ラオス日本大使)と会談。
DIA-201-1975-10-17-2北ベトナム1975年10月17日1970年代(東ベルリン)ベトナムと東ドイツの経済,科学および技術協力委員会第7回総会開催。
DIA-201-1975-10-18-1北ベトナム1975年10月18日1970年代ホンガイ炭鉱地区で,日本総評の支援カンパ金で日本ベトナム労働者階級友好文化館工事の起工式。
DIA-201-1975-10-19-1北ベトナム1975年10月19日1970年代(ベルリン)東ドイツと1976~80年の両国経済関係長期計画発展協定に調印。また長期借款援助協定にも調印。
DIA-201-1975-10-19-2北ベトナム1975年10月19日1970年代グエン・バン・フェン教育相は東ドイツで病気治療中死亡。
DIA-201-1975-10-19-3北ベトナム1975年10月19日1970年代西ドイツ居留ベトナム学生と一般移民はベトナムの愛国・団結協会を設立。
DIA-201-1975-10-20-1北ベトナム1975年10月20日1970年代婦人代表団(団長レ・チ・スエン連合会副会長)はベルリンで開催される国連婦人年大会に出席。
DIA-201-1975-10-22-1北ベトナム1975年10月22日1970年代米国の戦争犯罪調査委員会は,フォード米政権はツォンチン号に乗せられたベトナム難民1600人に対するあらゆる結果について全面的に責任を負わなければならないと声明。
DIA-201-1975-10-23-1北ベトナム1975年10月23日1970年代ニャンザン紙報道;9月1日現在16省(平原7省,中間と山岳5省,北部の南4省)は養豚業5.1%増。
DIA-201-1975-10-24-1北ベトナム1975年10月24日1970年代ニャンザン紙報道;ハチン省は石灰13万トンを生産,農業生産地区へ運び,石炭1万トンを農業合作社へ支給。
DIA-201-1975-10-24-2北ベトナム1975年10月24日1970年代ニャンザン紙報道;ハチン省の農民60万人の代表350人は同省の農民代表大会に出席。
DIA-201-1975-10-24-3北ベトナム1975年10月24日1970年代(プラハ)レ・タィン・ギ副首相はチェコ政府代表と,1976~80年の長期経済協力強化・拡大協定に調印,長期借款援助協定にも調印。
DIA-201-1975-10-25-1北ベトナム1975年10月25日1970年代(北京)リ・バン対外貿易次官は中国政府貿易責任者と1976年の物資交換・支払い協定に調印。
DIA-201-1975-10-27-1北ベトナム1975年10月27日1970年代レ・ジュアン第一書記を団長とする党・政府代表団,モスクワ訪問。28日,ブレジネフ党第一書記と会談。30日共同声明調印。
DIA-201-1975-10-27-2北ベトナム1975年10月27日1970年代クラレ,旭化成工業,ユニチカの3社は北ベトナムへレーヨン糸700トンを輸出。
DIA-201-1975-10-28-1北ベトナム1975年10月28日1970年代ニャンザン紙報道;ランソン省は林業服務のため,新設道路100キロメートルを開通。
DIA-201-1975-10-28-2北ベトナム1975年10月28日1970年代ニャンザン紙報道;クアンニン省は9ヵ月かかって炭鉱地区全体へ電力を供給する送電線敷設工事を完成。
DIA-201-1975-10-29-1北ベトナム1975年10月29日1970年代ニャンザン紙報道;グエン・バン・チ北部法律家協会代表,ゴ・バー・タン女史南部法律家代表は世界民主法律家協会の大会に参加。
DIA-201-1975-10-31-1北ベトナム1975年10月31日1970年代ニャンザン紙報道;農業中央委員会は南部農業生産増加の支援のため,農地化,土壌,測量,栽培,畜産など農業関係専門技術幹部250人を派遣,それらの幹部はタイグエン高原地区,南部の西区,中部の中間区,南部の東区およびメコンデルタ地帯へ配置される。
DIA-201-1975-11-02-1北ベトナム1975年11月02日1970年代ニャンザン紙報道;統計総局の資料によると,10月25日までに,秋季早苗の収穫が終った省数は25省に達す。今季の生産実績は1ヘクタール当り,平均2.5トンに達した。
DIA-201-1975-11-04-1北ベトナム1975年11月04日1970年代(ブダペスト)レ・タィン・ギ副首相はハンガリー政府代表と,1976~80年の両国長期協力計画書に署名。
DIA-201-1975-11-04-2北ベトナム1975年11月04日1970年代ニャンザン紙報道;政府は南ベトナムの完全解放以後の国家統一プログラムの一つとして,1976年中にハノイ―サイゴン間の統一鉄道の本線・支線を復旧,新設する建設計画を発表。その重点は次のとおり。 ・ハノイ―ビン市間の鉄道はパリ協定後工事開始,今年初め復旧。(全長320キロ) ・ビン市―サイゴン市間の鉄道全長1681キロメートル(そのうち支線271キロメートルを含む)の復旧。 ・同沿線の駅の建物202ヵ所の建設(そのうち,新築150駅を含む)。トンネル20ヵ所(長さ9258メートル),中・大橋160本の建設。ビン―クアンチ間,ダナン―ビンディン省ボンソン市間は完全に新設しなければならない。 ・統一鉄道の建設委員会が設立され,ファン・チョン・トェ副首相が委員長に就任し,交通,運輸,国防,電力と石炭,機械と金属,建設各省などから技師,技術者,管理幹部および熟練工など8万人を編成した統一鉄道の建設部隊を設立。その外,鉄道の通過する沿線各省人民と労働者は全面的に参加の義務を持つ。
DIA-201-1975-11-05-1北ベトナム1975年11月05日1970年代ニャンザン紙報道;第一農業大学は技師課程の卒業生232人のため,卒業式典を開催,卒業生のうち,経済管理63人,畜産業58人,栽培耕作111人。また,同大学は,農業技師課程の9210人を養成。全農業部門の中で指導幹部として,活躍中。
DIA-201-1975-11-06-1北ベトナム1975年11月06日1970年代ソンセン・カンボジア王国民族団結政府副首相兼国防担当はグエン・ツォン・ベトナム全権大使と会談。
DIA-201-1975-11-07-1北ベトナム1975年11月07日1970年代ククリット・タイ首相は“サイゴンの完全解放の時にタイに持ち出された財産の返還交渉を始める前に,まず,国交を樹立しよう”と北ベトナムに呼びかけた。
DIA-201-1975-11-08-1北ベトナム1975年11月08日1970年代タイの社会主義党と社会主義戦線の所属国会議員16人(団長カイセン・スクサイ社会主義党副党長)は親善訪問のため,ハノイに到着。
DIA-201-1975-11-08-2北ベトナム1975年11月08日1970年代レ・ジュアン第一書記を団長とする代表団はポーランドを公式訪問するため,ワルシャワに到着。12日コミュニケに調印。長期借款協定,貿易および支払い協定の調印式に出席。13日ルーマニアを公式訪問のため,ブカレストに到着。17日コミュニケに調印。22日ハノイに帰着。
DIA-201-1975-11-10-1北ベトナム1975年11月10日1970年代ニャンザン紙報道;国会常務委員会は特別会議を開催し,祖国の統一問題について,南部の解放戦線,革命政府などの代表との政治会議に出席する国会代表団(団長チュオン・チン議長)の名簿を承認。
DIA-201-1975-11-12-1北ベトナム1975年11月12日1970年代米国宗教合同代表団(クェーカー教,新教メノ派)は,親善訪問のため,ハノイに到着。
DIA-201-1975-11-12-2北ベトナム1975年11月12日1970年代アンゴラ人民共和国(M.P.L.A.系)の承認を発表。
DIA-201-1975-11-13-1北ベトナム1975年11月13日1970年代ニャンザン紙はククリット・タイ首相の国交交渉の提案を拒否する論評を掲載。
DIA-201-1975-11-13-2北ベトナム1975年11月13日1970年代ニャンザン紙報道;南部の完全解放直後から現在まで,南部へ石油数十万トン,化学肥料数万トン,食糧数十万トン,綿製品とその他の消費財数万トン(3億5000万米ドル相当)の緊急救援物資を送った。
DIA-201-1975-11-14-1北ベトナム1975年11月14日1970年代キ米国務長官は米下院特別委員会(インドシナ戦争中の行方不明米兵調査委)の席で,中国訪問中,中国首脳を通じて,ベトナムとの国交樹立の可能性を探る考えであると表明。
DIA-201-1975-11-14-2北ベトナム1975年11月14日1970年代レ・タィン・ギ副首相はルーマニアに滞在中。ルーマニア,ベトナム両国の経済,科学および技術協力の合同委員会第3回総会に出席。
DIA-201-1975-11-17-1北ベトナム1975年11月17日1970年代レ・タィン・ギ副首相はルーマニア政府代表パータン副首相と,1976~80年の長期借款援助協定,物資交換,支払い協定に調印。
DIA-201-1975-11-18-1北ベトナム1975年11月18日1970年代ドン首相は訪越中のタイ議員団を通じて,ククリット首相へメッセージを送り,その中で両国の国交正常化について旧サイゴン政権の軍用航空機と船舶の問題が解決されれば,何の支障もないだろうと強調。
DIA-201-1975-11-21-1北ベトナム1975年11月21日1970年代ソ連最高会議のシチコフ連邦会議々長とルーペン民族会議々長は連名で,チュオン・チン,ファム・フン北南政治協議両代表団長にあて,祝賀メッセージを送る。
DIA-201-1975-11-21-2北ベトナム1975年11月21日1970年代ポーランド政府と1975年の無償援助協定に調印。
DIA-201-1975-11-22-1北ベトナム1975年11月22日1970年代中国体育代表団(団長張徳竜湖南省体育体操委員会主任)はハノイに到着。
DIA-201-1975-11-22-2北ベトナム1975年11月22日1970年代政府は国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)の会議に参加する用意を表明。
DIA-201-1975-11-22-3北ベトナム1975年11月22日1970年代チャチャイ・タイ外相は,タイとラオス国境紛争について“この紛争は両国間だけなら解決できるが,第3者北ベトナムの介入で解決困難になっている”と北ベトナムを非難。
DIA-201-1975-11-22-4北ベトナム1975年11月22日1970年代(ブダペスト)グエン・バン・ダオ対外貿易次官は,ハンガリー政府のイエノ対外貿易次官と,1976~80年の長期借款援助協定,物資交換・支払いなどの諸協定に調印。
DIA-201-1975-11-23-1北ベトナム1975年11月23日1970年代ニャンザン紙報道;全北部の秋季米作の収穫は現在までに作付面積の80%に達し,平均1ヘクタール当り3トンに達す。
DIA-201-1975-11-24-1北ベトナム1975年11月24日1970年代ニャンザン紙報道;南部の養鶏業の発展を援助するため,種子用の玉子8万個を送る。
DIA-201-1975-11-24-2北ベトナム1975年11月24日1970年代キ米国務長官はデトロイト経済クラブで米外交政策について講演を行ない,その中で“インドシナ地域の諸政府との関係は過去によって規定されるものではない。今後,同地域との関係正常化に向かってまず旅行,貿易などの分野で,双方の利益になる現実的取り決めを検討する用意がある”と述べた。
DIA-201-1975-11-24-3北ベトナム1975年11月24日1970年代外務省スポークスマンはベトナムがラオスに介入しているとのタイ外相の発言に反論。
DIA-201-1975-11-25-1北ベトナム1975年11月25日1970年代フランス政府代表団(団長ジョフロワ・ド・クルセル外務次官)はベトナム再統一後の両国の外交,経済関係について公式会談のため,ハノイに到着。
DIA-201-1975-11-25-2北ベトナム1975年11月25日1970年代パリ銀行当局はソ連の北欧商業銀行(本部パリ)を幹部銀行とする,ベトナムに対するシンジケート・ローンは当初計画の7000万マルクから1億マルクに拡大され,このローンは南北ベトナムの復旧資金に充てられる。同ローン資本金にはフランス,西ドイツ,日本,オーストリア,アラブ諸国の各銀行も出資すると発表。
DIA-201-1975-11-25-3北ベトナム1975年11月25日1970年代チュオン・チン議長代表団はサイゴンからハノイに帰着。
DIA-201-1975-11-26-1北ベトナム1975年11月26日1970年代ドン首相はフランス政府代表団と会見。
DIA-201-1975-11-28-1北ベトナム1975年11月28日1970年代ニャンザン紙報道;国際赤十字社代表団は南北ベトナム両政府代表とベトナムに対する人道援助の継続問題について協議するため,ハノイに来訪。
DIA-201-1975-11-29-1北ベトナム1975年11月29日1970年代ニャンザン紙報道;シアヌーク殿下は北京のベトナム大使と会見し,ベトナム再統一政治協議の成功に歓迎を表明,イエン・サリ副首相もプノンペンのベトナム政府代表と会い,歓迎の意と全面的支持を表明。また27日ハノイ駐在シェンアン大使はベトナム外務省を訪問し,同国政府の祝辞を手渡した。
DIA-201-1975-11-29-2北ベトナム1975年11月29日1970年代スリナム共和国の承認の電報を送る。
DIA-201-1975-12-01-1北ベトナム1975年12月01日1970年代米国宗教者合同代表団はハノイを訪問の後,帰国の途中バンコクに到着し,記者団に,滞在中ドン首相と両国の関係正常化について,意見交換を行なったと述べた。
DIA-201-1975-12-01-2北ベトナム1975年12月01日1970年代ニャンザン紙報道;現在までに全北部が秋季米作の収穫を完了した。また春季農耕も34万ヘクタールを準備した。
DIA-201-1975-12-02-1北ベトナム1975年12月02日1970年代ニャンザン紙報道;教育省は南部完全解放後現在まで,教育指導のため南部へ教育幹部と教師団2570人を派遣した。
DIA-201-1975-12-03-1北ベトナム1975年12月03日1970年代ニャンザン紙はフランスとベトナムとの両代表団の会談内容を掲載した。その内容の重点は次のとおり。 フランス代表団団長はフランス大統領のドン首相訪仏招待状を提示。両代表は両国の大使館と領事関係の外交活動と組織の問題,ベトナム在住仏移民,フランス在住ベトナム移民の生活規約と条件,また両国の将来の経済と文化活動の協力問題を討議した。
DIA-201-1975-12-03-2北ベトナム1975年12月03日1970年代ニャンザン紙報道;ホンガイ石炭公司は11月の生産計画より2.4%を越え,10月の生産と比べ,石炭10万トンを増産したと発表した。
DIA-201-1975-12-04-1北ベトナム1975年12月04日1970年代マンスフィールド米上院民主党議員は講演会で“東南アジアの安定と米兵行方不明の問題を解決するため,南北ベトナム政府を承認すべきだ。われわれはすでにベトナム,ラオス,カンボジア各政府と正常な外交関係を樹立する方向に動いている”と述べた。
DIA-201-1975-12-04-2北ベトナム1975年12月04日1970年代キ米国務長官は北京での記者会見で,中国側がインドシナで行方不明の米兵7人の死亡について詳細な情報をフォード大統領に提供したと述べた。
DIA-201-1975-12-06-1北ベトナム1975年12月06日1970年代米下院議員団4人(団長モンゴメリ議員)はパリで,戦時中の米兵行方不明者についてベトナム政府代表と正式に会談を行なった。
DIA-201-1975-12-08-1北ベトナム1975年12月08日1970年代米国宗教間委員会(カトリック,プロテスタント,ユダヤ教などの幹部会から構成)はワシントンで声明を発表,その内容は次のとおり。 ○インドシナ向け民間救援物資の禁輸令を解除する。 ○南北ベトナムの国連加盟に対する米国の拒否権を撤回する。 ○南北ベトナムとの外交関係樹立のため,即時に交渉を開始する。 ○政府間での人道および再建援助の交渉を行なう,宗教と民間団体による救援活動を促進する。
DIA-201-1975-12-10-1北ベトナム1975年12月10日1970年代米下院外交委員会貿易分科委は軍事物資を除く,南北ベトナムへの禁輸解除を求める法案を投票で可決。
DIA-201-1975-12-13-1北ベトナム1975年12月13日1970年代ニャンザン紙は,日本が現在米国新太平洋ドクトリンの主柱になっていると非難。
DIA-201-1975-12-15-1北ベトナム1975年12月15日1970年代労働党・政府代表団(団長,ザップ副首相兼国防相),キューバ共産党大会に参加のためハバナ到着。
DIA-201-1975-12-18-1北ベトナム1975年12月18日1970年代ラオス政府はハノイの各大学へ留学生100人の派遣計画を実施,第一陣48人がハノイに到着と発表。
DIA-201-1975-12-18-2北ベトナム1975年12月18日1970年代ニャンザン紙報道;電力部門の1975年の復旧・発展の成果は次のとおり(1960年=100) ○政府投資185 ○従業員総数205 ○電力生産量210
DIA-201-1975-12-19-1北ベトナム1975年12月19日1970年代ヤンマー・ディーゼルはベトナムから受注した農漁用機具の合弁組立工場のため来年1,2月にベトナムに向け船積,出港すると発表。
DIA-201-1975-12-19-2北ベトナム1975年12月19日1970年代ニャンザン紙報道;化学部門の1975年計画の実現成果は次のとおり。(1961~65年=100) ○政府投資261(但し74~75年) ○従業員総数131 ○生産品:①化学肥料298 殺虫剤104 ○各種車両用タイヤ148
DIA-201-1975-12-20-1北ベトナム1975年12月20日1970年代ニャンザン紙報道;現在道路建設技術幹部と労働者は中国の援助と中国人技術者の指導のもとに,ハノイ市北西約10キロメートルのホンハー川に最大の橋を建設している。同大橋は2階建で鉄道と自動車用,全長3814メートル。
DIA-201-1975-12-20-2北ベトナム1975年12月20日1970年代モンゴメリ米下院議員団は戦時行方不明米兵に関する情報の調査のためハノイに到着。
DIA-201-1975-12-20-3北ベトナム1975年12月20日1970年代外務省スポークスマンは,インドネシア政府が軍隊を派遣し,東チモール民主共和国の首都とその都市に侵入し占領したと激しく非難する声明を発表。
DIA-201-1975-12-20-4北ベトナム1975年12月20日1970年代ニャンザン紙報道;石炭部門の1975年の生産成果は次のとおり。(1965年=100) ○政府投資152(但し74~75年) ○従業員総数123 精選石炭量142(74年は114)
DIA-201-1975-12-21-1北ベトナム1975年12月21日1970年代政府の責任者は,米国下院議員団(団長モンゴメリ民主党議員)にベトナム領内で死亡した米軍パイロット3人の遺骨を引き渡した。
DIA-201-1975-12-22-1北ベトナム1975年12月22日1970年代ドン首相は米国下院モンゴメリ議員団との会見の席で“ベトナムと米国との関係正常化が進展するか否か,その実現が早いか遅いかは米国側にかかっている。米兵の行方不明の情報について,継続的に調査し,具体的な情報の収集を約束する。また米政府はパリ協定21条を実行しなければならない”と述べた。
DIA-201-1975-12-22-2北ベトナム1975年12月22日1970年代ニャンザン紙報道;軽工業の1975年の消費品生産の成果は次のとおり。(1965年=100) ○綿製品生地165 ○衣料品220 ○イ草蓙132 ○陶器150 ○洗濯用石けん134 ○歯みがき420 ○タバコ155 ○茶281 ○塩146
DIA-201-1975-12-24-1北ベトナム1975年12月24日1970年代米下院議員団はハノイの訪問から帰国後,記者会見で,ベトナム政府とくにドン首相は米国との関係正常化および米国の援助提供を望んでおり,特に南ベトナム沖の海底油田開発へ援助と協力を強く希望していると述べ,またモンゴメリ団長はフォード大統領からベトナム政府にあてた両国関係改善の用意があるとのメッセージを同首相に手渡したと明らかにした。
DIA-201-1975-12-24-2北ベトナム1975年12月24日1970年代ニャンザン紙報道;食糧生産部門の1975年計画の実現,成果は次のとおり。(1965年=100) ○全生産量103.7(但し74~75年)○米生産:能率112 生産量105 ○ポテト:面積301.2 生産量352.1 ○各種野菜:面積127.0 生産量148.0 ○政府購入食糧総量101.4(但し74年)
DIA-201-1975-12-25-1北ベトナム1975年12月25日1970年代ニャンザン紙報道;1975年の工業用作物生産実績は次のとおり。(1965年=100) ◎ジュート112 ◎イ草102 ◎落花生110 ◎茶252 ◎胡麻318
DIA-201-1975-12-26-1北ベトナム1975年12月26日1970年代ギ副首相,76年度経済計画の重点を発表―ギ副首相は国会で南北ベトナムの経済統一への目標を実現する第2次国家5ヵ年計画の初年度にあたる来年の経済活動の重点を次のように発表した。 ○全国の各分野における経済再編と専門化へ,南部を参加させる。 ○漁業,食品工業とその他軽工業に役立つ重工業の生産増大。 ○輸出用品の質的,量的増大を急速に進める。一方,国内の主要消費物資の生産に努力する。 ○総工業生産伸び率を1975年と比べ20%増を目標とする。 ○ウォンビー,ニンビンなどの火力発電所拡充の他,ホンハー川沿いに水力発電所群を建設する。 ○①石炭生産1975年と比べ13%増。②建設資材同21.4%増,③総農業生産品同15%増(米生産同13%増)。④資本の建設への投資同30%増を目指す。
DIA-201-1975-12-26-2北ベトナム1975年12月26日1970年代ベトナムからの救援物資運送隊は空と陸路から続々ラオスのビエンチャン市に到着。
DIA-201-1975-12-27-1北ベトナム1975年12月27日1970年代国会第5期第2回総会は南北の再統一に関する政治協議の成果を報告,共同文書を承認。
DIA-201-1975-12-27-2北ベトナム1975年12月27日1970年代国会総会は政府の国家行政機構の改編案を承認した。その改編内容は次のとおり。 改編による新省名:カオラン省(Cao lang)(旧カオバン,ランソン両省の併合),ハーツェン省(Ha tuyen)(旧ツエンクァン,ハーザン両省併合),ハソンビン省(Ha son binh)(旧ホアビン,ハタイ両省併合),ハーナムニン省(Ha nam ninh)(旧ナムハー,ニンビン両省併合),ゲチン省(nghe tinh)(旧ゲアン,ハチン両省併合),オアンリエンソン省(Hoang lien Son)(旧イエンバイ,ラオカイ両省およびギァロー省の一部の併合),ソンラ省(Son la)(旧ギァロー省のバクイェン,フーイェン両郡の併合)。
DIA-201-1975-12-27-3北ベトナム1975年12月27日1970年代ニャンザン紙報道;畜産部門の1975年の生産計画の実現・成果は次のとおり。 ◎畜産関係試験所294所(但し1974年)以下1965年=100として ◎水牛と牛頭数101 ◎豚頭数137 ◎鶏と鴨羽数114 ◎国家への食肉供給量157
DIA-201-1975-12-29-1北ベトナム1975年12月29日1970年代ニャンザン紙報道;水利部門の1975年の復旧・発展の成果は次のとおり。(1965年=100) ◎政府の投資額136.2 ◎堤防とダム建設に使用土地量1190万m3(但し1970~74年) ◎灌漑と排水できる面積:1)灌漑面積(1971年=100)119 2)排水面積(1971年=100)108
DIA-201-1975-12-29-2北ベトナム1975年12月29日1970年代ニャンザン紙報道;ホァン・チェン水利省次官は南部完全解放後現在までに,南部の農業生産の発展に服務するため,水利専門幹部数百人を派遣し,それらの幹部は5班に分かれて,メコン・デルタ地帯,ドンナイ川両岸,タイグエン高原地帯,中部の中間沿海諸省およびクアンチとツアチェン地区の開発調査を行い,中部と南部の水利工事の設計機関を設立し,その外ビチチエン(クアンビン,クアンチ,ツアチエン省)地区と旧第5区および南部の西の水利施設工事建設の4公司,南部の運河と水路を深く掘る公司を設立したと発表した。
DIA-201-1975-12-30-1北ベトナム1975年12月30日1970年代祖国戦線中央委員会。
DIA-201-1975-12-30-2北ベトナム1975年12月30日1970年代ニャンザン紙報道;林業部門の1975年の生産実績は次のとおり。(1965年=100) ◎植林面積432◎樹木補修面積154