DIA-201-1969-01-03-1 | 南ベトナム | 1969年01月03日 | 1960年代 | 仏系グラール病院のベトナム人雇用者,賃上げを要求してスト。 |
DIA-201-1969-01-06-1 | 南ベトナム | 1969年01月06日 | 1960年代 | タオ平和連合議長,平和内閣の樹立を呼びかける。 |
DIA-201-1969-01-14-1 | 南ベトナム | 1969年01月14日 | 1960年代 | アメリカより米10万トン援助。 |
DIA-201-1969-01-16-1 | 南ベトナム | 1969年01月16日 | 1960年代 | 南ベトナム政府,パリ会談出席を発表。 |
DIA-201-1969-01-25-1 | 南ベトナム | 1969年01月25日 | 1960年代 | 第1回拡大パリ会談開催。 |
DIA-201-1969-01-27-1 | 南ベトナム | 1969年01月27日 | 1960年代 | アメリカ軍,ダクト基地撤収。 |
DIA-201-1969-01-30-1 | 南ベトナム | 1969年01月30日 | 1960年代 | 民間防衛隊の組織化。 |
DIA-201-1969-01-30-2 | 南ベトナム | 1969年01月30日 | 1960年代 | バタンガン半島掃討作戦。 |
DIA-201-1969-02-01-1 | 南ベトナム | 1969年02月01日 | 1960年代 | 加速平定計画運動(APC)終る。 |
DIA-201-1969-02-01-2 | 南ベトナム | 1969年02月01日 | 1960年代 | 大統領顧問グエン・バン・ヒエン少将テロで重傷。 |
DIA-201-1969-02-01-3 | 南ベトナム | 1969年02月01日 | 1960年代 | アメリカ軍,哨戒艇25隻を南ベトナム軍に供与。 |
DIA-201-1969-02-01-4 | 南ベトナム | 1969年02月01日 | 1960年代 | 国民党,連立政府を恐れず。 |
DIA-201-1969-02-01-5 | 南ベトナム | 1969年02月01日 | 1960年代 | 食糧輸入協定締結。 |
DIA-201-1969-02-01-6 | 南ベトナム | 1969年02月01日 | 1960年代 | 平和支持者の弾圧を決意。 |
DIA-201-1969-02-01-7 | 南ベトナム | 1969年02月01日 | 1960年代 | 爆撃機60機供与。 |
DIA-201-1969-02-15-1 | 南ベトナム | 1969年02月15日 | 1960年代 | 解放戦線がテト停戦,米軍,サイゴン軍も24時間停戦。 |
DIA-201-1969-02-17-1 | 南ベトナム | 1969年02月17日 | 1960年代 | アシャウ渓谷で激戦。 |
DIA-201-1969-02-23-1 | 南ベトナム | 1969年02月23日 | 1960年代 | チエン・ミン師逮捕。 |
DIA-201-1969-02-23-2 | 南ベトナム | 1969年02月23日 | 1960年代 | テト明け攻勢。 |
DIA-201-1969-02-27-1 | 南ベトナム | 1969年02月27日 | 1960年代 | 南ベトナム解放民族戦線の重要代表団,ハノイを訪問。解放放送の伝えるところによると,南ベトナム解放民族戦線中央委員会幹部会はベトナム民主共和国政府とベトナム祖国戦線の招きにより,Phung van Cung 中央委員会幹部会副議長,兼南ベトナム平和委員会議長兼南ベトナム解放赤十字機構議長を団長とする18人の代表団を,近いうちに北ベトナムに派遣すると発表した。同代表団の構成は次のとおり。 解放戦線中央委員兼愛国仏教徒議長 Thich thien Hao 師 解放戦線中央委員カオダイ教高僧 Nguyen van Ngoi 師 同戦線中央委員南部愛国カトリック教代表 Ho hue Ba (牧師) 南部山岳少数民族自治運動副議長 Mi doan 夫人 (南部解放婦人同盟副議長) 南部解放婦人同盟中央委員兼サイゴン・ジャデン・チョロン地区常任委員 Nguyen thi Lao 解放軍婦人英雄トアティエン省バコ族代表 Kan lik 解放軍英雄ツダウモト省代表 Dang van Dau 解放軍英雄クアンナム省代表 Huynh thuc Ba 中部模範戦士兼婦人同盟執行委員 Truong thi Chuyen ユエ市中央市場蜂起指導委員会代表 Nguyen thi Huong サイゴン・チョロン・ジャデン地区決勝戦士 Phan van Cung (VNA) |
DIA-201-1969-02-28-1 | 南ベトナム | 1969年02月28日 | 1960年代 | 予算公布。 |
DIA-201-1969-02-28-2 | 南ベトナム | 1969年02月28日 | 1960年代 | 輸入課税引上げ(147頁参照)。 |
DIA-201-1969-03-02-1 | 南ベトナム | 1969年03月02日 | 1960年代 | 町村長選挙開始,3500の町村で2日から毎日曜日の投票で,3月23日まで続けられる。 |
DIA-201-1969-03-04-1 | 南ベトナム | 1969年03月04日 | 1960年代 | キューバのラウル・ハルデス・ビボ大使,解放戦線議長へ信任状を呈出。 |
DIA-201-1969-03-05-1 | 南ベトナム | 1969年03月05日 | 1960年代 | フォン首相をそ撃。 |
DIA-201-1969-03-07-1 | 南ベトナム | 1969年03月07日 | 1960年代 | レアード米国防長官サイゴン訪問。 |
DIA-201-1969-03-12-1 | 南ベトナム | 1969年03月12日 | 1960年代 | 内閣改造。平定計画省,対議会連絡省,戦後経済計画省の三つが新設された。 |
DIA-201-1969-03-12-2 | 南ベトナム | 1969年03月12日 | 1960年代 | 教育青年相の後任にレ・ミン・リエンが就任。 |
DIA-201-1969-03-14-1 | 南ベトナム | 1969年03月14日 | 1960年代 | フルブライト議員,「ベトナム政策に失望している」とニクソン政権を批判。 |
DIA-201-1969-03-16-1 | 南ベトナム | 1969年03月16日 | 1960年代 | チエン・ミン師に15年の重労働刑。 |
DIA-201-1969-03-19-1 | 南ベトナム | 1969年03月19日 | 1960年代 | レアド国防長官,南ベトナム軍の増強計画に1億5600万ドルの追加支出を要請。 |
DIA-201-1969-03-20-1 | 南ベトナム | 1969年03月20日 | 1960年代 | レアード国防長官,マクナマラ・ラインの構築を中止したと言明。 |
DIA-201-1969-03-23-1 | 南ベトナム | 1969年03月23日 | 1960年代 | 米軍第2次反攻,ユエ・ダナン浸透路をたたく。 |
DIA-201-1969-03-25-1 | 南ベトナム | 1969年03月25日 | 1960年代 | チュー大統領,解放戦線と秘密会談を提案。 |
DIA-201-1969-03-25-2 | 南ベトナム | 1969年03月25日 | 1960年代 | ニクソン大統領,和平交渉は秘密交渉で行なうべきであると言明。 |
DIA-201-1969-03-26-1 | 南ベトナム | 1969年03月26日 | 1960年代 | 下院ハト派議員16人,ベトナム早期終結を要求。 |
DIA-201-1969-03-27-1 | 南ベトナム | 1969年03月27日 | 1960年代 | 解放戦線中央委員会声明,サイゴン政権提唱の「個別会談」を拒否。 |
DIA-201-1969-04-01-1 | 南ベトナム | 1969年04月01日 | 1960年代 | 地方行政機構改革。 |
DIA-201-1969-04-20-1 | 南ベトナム | 1969年04月20日 | 1960年代 | 反共の野党進歩民族主義運動(PNM)が発足,書記長にグエン・ゴク・フィ博士。 |
DIA-201-1969-04-21-1 | 南ベトナム | 1969年04月21日 | 1960年代 | 平和連合声明,創立1周年に際して,「平和内閣」の樹立を主張。 |
DIA-201-1969-05-01-1 | 南ベトナム | 1969年05月01日 | 1960年代 | サイゴンの労働組合,平和要求宣言を採択。 |
DIA-201-1969-05-08-1 | 南ベトナム | 1969年05月08日 | 1960年代 | 解放戦線10項目提案。 |
DIA-201-1969-05-14-1 | 南ベトナム | 1969年05月14日 | 1960年代 | アメリカ8項目提案。 |
DIA-201-1969-05-15-1 | 南ベトナム | 1969年05月15日 | 1960年代 | ベトナム戦後復興計画に関する米=南ベトナム合同報告書(リリエンソール報告書)がニクソン大統領に提出された。 |
DIA-201-1969-05-16-1 | 南ベトナム | 1969年05月16日 | 1960年代 | ロジャーズ米国務長官,チュー大統領と会見。 |
DIA-201-1969-05-20-1 | 南ベトナム | 1969年05月20日 | 1960年代 | ケネディ上院議員,アシャウ作戦は無意味と軍部を批判。 |
DIA-201-1969-05-20-2 | 南ベトナム | 1969年05月20日 | 1960年代 | チュー大統領,米軍の一方的撤退認めないと強調。 |
DIA-201-1969-05-22-1 | 南ベトナム | 1969年05月22日 | 1960年代 | ベトナム参戦国会議。 |
DIA-201-1969-05-25-1 | 南ベトナム | 1969年05月25日 | 1960年代 | 新与党「民族社会民主戦線」発足。 |
DIA-201-1969-05-27-1 | 南ベトナム | 1969年05月27日 | 1960年代 | チュー大統領韓国訪問,パク大統領と会談。 |
DIA-201-1969-05-31-1 | 南ベトナム | 1969年05月31日 | 1960年代 | チュー大統領台湾訪問,蒋介石総統と会談。 |
DIA-201-1969-06-04-1 | 南ベトナム | 1969年06月04日 | 1960年代 | “和解政権”の設立をめざす知識人グループ(指導者チャン・ゴク・リエン),サイゴンで準備委員会結成。 |
DIA-201-1969-06-06-1 | 南ベトナム | 1969年06月06日 | 1960年代 | 上院,連合政府認めないと発言。 |
DIA-201-1969-06-08-1 | 南ベトナム | 1969年06月08日 | 1960年代 | ミッドウエー会談,2万5000人の撤兵を発表。 |
DIA-201-1969-06-10-1 | 南ベトナム | 1969年06月10日 | 1960年代 | 南ベトナム共和臨時革命政府樹立。 |
DIA-201-1969-06-10-2 | 南ベトナム | 1969年06月10日 | 1960年代 | 世界党会議,ベトナム・アピールを採択。 |
DIA-201-1969-06-11-1 | 南ベトナム | 1969年06月11日 | 1960年代 | 臨時革命政府,12項目の行動計画を発表。 |
DIA-201-1969-06-13-1 | 南ベトナム | 1969年06月13日 | 1960年代 | 上院,新聞綱領法案可決。 |
DIA-201-1969-06-13-2 | 南ベトナム | 1969年06月13日 | 1960年代 | 輸入平衡税引上げ。 |
DIA-201-1969-06-16-1 | 南ベトナム | 1969年06月16日 | 1960年代 | 下院,経済危機で政府信任投票を要求。 |
DIA-201-1969-06-18-1 | 南ベトナム | 1969年06月18日 | 1960年代 | 和解運動指導者に出頭命令。 |
DIA-201-1969-06-18-2 | 南ベトナム | 1969年06月18日 | 1960年代 | 下院でミッドウエー会談批判。 |
DIA-201-1969-06-19-1 | 南ベトナム | 1969年06月19日 | 1960年代 | ニクソン大統領,記者会見で撤退は年内10万を越そうと言明。 |
DIA-201-1969-06-22-1 | 南ベトナム | 1969年06月22日 | 1960年代 | フルブライト議員,チュー政府と手を切れと主張。 |
DIA-201-1969-06-30-1 | 南ベトナム | 1969年06月30日 | 1960年代 | ファット首相,カンボジア訪問。 |
DIA-201-1969-06-30-2 | 南ベトナム | 1969年06月30日 | 1960年代 | ベンヘト陥落の危機去る。 |
DIA-201-1969-07-01-1 | 南ベトナム | 1969年07月01日 | 1960年代 | アグニュー米副大統領は中西部知事会議で演説し「一方的撤退はありえず,南ベトナム国民が外部からの圧力によらず,自決できる状態を確保できるまで,アメリカは南ベトナムにとどまるだろう」と述べた。 |
DIA-201-1969-07-01-2 | 南ベトナム | 1969年07月01日 | 1960年代 | サイゴン市内で政府軍の若い兵士が平和を訴えて焼身自殺した。 |
DIA-201-1969-07-02-1 | 南ベトナム | 1969年07月02日 | 1960年代 | 下院のジャン・チェン(民進)派93人の議員はフォン内閣不信任書簡を大統領に提出。 |
DIA-201-1969-07-02-2 | 南ベトナム | 1969年07月02日 | 1960年代 | マクガバン上院議員は上院で,今後パリ会談を進展させるためには,①米軍全部の撤退開始,②チュー・キ政権支援の中止,の二つを公約することが不可欠であるという勧告を発表した。 |
DIA-201-1969-07-04-1 | 南ベトナム | 1969年07月04日 | 1960年代 | カンボジア政府,解放戦線の捕虜30人を釈放。 |
DIA-201-1969-07-06-1 | 南ベトナム | 1969年07月06日 | 1960年代 | 解放戦線,44ヵ所を砲撃。 |
DIA-201-1969-07-08-1 | 南ベトナム | 1969年07月08日 | 1960年代 | 米軍撤退の第一陣814人出発。 |
DIA-201-1969-07-09-1 | 南ベトナム | 1969年07月09日 | 1960年代 | ユーゴ外相,臨時革命政府の非同盟会議へ参加の可能性を示唆。 |
DIA-201-1969-07-11-1 | 南ベトナム | 1969年07月11日 | 1960年代 | チュー大統領,自由選挙について次の6原則を提案。 (1)解放戦線を含むすべての政党,団体は,もし暴力を否定し,選挙結果の尊重を誓約するなら選挙に参加できる。 (2)選挙の公正を保証するため,解放戦線を含む全政党,団体が参加した「選挙委員会」を設ける,この委員会は選挙運動の公平さを保証,各政党団体は同委員会を通じ投票,開票を監視することができる。 (3)選挙がすべての関係者に対し公正に行なわれるよう,選挙監視の国際機関を設ける。 (4)選挙を行なう形式と時間表を,相手側と討論する用意がある。 (5)選挙ののち,報復または差別を行なわない。 (6)南ベトナム政府は,選挙の結果がいかなるものにせよ,それに従うことを宣言する。相手側も同じ宣言するよう強く要求される。 |
DIA-201-1969-07-12-1 | 南ベトナム | 1969年07月12日 | 1960年代 | 解放放送,チュー提案を「新しい陰謀」と論評。 |
DIA-201-1969-07-13-1 | 南ベトナム | 1969年07月13日 | 1960年代 | チャン・ゴク・リエン氏,自由選挙による解決はチュー政権では不可能であるとして,チュー提案を批判。 |
DIA-201-1969-07-13-2 | 南ベトナム | 1969年07月13日 | 1960年代 | チャン・バン・ドン上院議員,現在のサイゴン政権のもとでは,どのような平和提案をしても無駄であるとして新政府樹立を提唱。 |
DIA-201-1969-07-13-3 | 南ベトナム | 1969年07月13日 | 1960年代 | カトリック派,チュー提案の自由選挙は憲法違反と批判。 |
DIA-201-1969-07-15-1 | 南ベトナム | 1969年07月15日 | 1960年代 | キ副大統領,パリ会談不要と言明。 |
DIA-201-1969-07-15-2 | 南ベトナム | 1969年07月15日 | 1960年代 | 北ベトナム代表団特別声明,チュー提案を正式に拒否。 |
DIA-201-1969-07-17-1 | 南ベトナム | 1969年07月17日 | 1960年代 | 上院,チュー提案批判決議。 ①チュー提案は,これまでの国会両院の決議,宣言ばかりでなく,同大統領の声明にも反する,②解放戦線は民族主義を偽装した共産主義組織である。 |
DIA-201-1969-07-17-2 | 南ベトナム | 1969年07月17日 | 1960年代 | 学生の軍事訓練拒否で警察隊サイゴン大学封鎖。 |
DIA-201-1969-07-18-1 | 南ベトナム | 1969年07月18日 | 1960年代 | 南ベトナム政府,北ベトナム当局に対し,国際監視下の総選挙を通じ南北統一を提案。 |
DIA-201-1969-07-19-1 | 南ベトナム | 1969年07月19日 | 1960年代 | 臨時革命政府はジュネーブ協定調印15周年にあたって声明を発表,その中で「ニクソン政府はベトナム南部から米軍2万5000名を引き揚げると宣言したが,それは人をあざむくための手口にすぎない」,「ベトナム南部人民は平和をこのうえなく熱愛しているが,この平和は独立と自由を基礎としたものでなければならない」と述べている。 |
DIA-201-1969-07-20-1 | 南ベトナム | 1969年07月20日 | 1960年代 | 南ベトナム訪問中のホイラー米統合参謀本部議長「現在の戦闘小康状態は共産側の和平のきざしとは思わない」と言明。 |
DIA-201-1969-07-23-1 | 南ベトナム | 1969年07月23日 | 1960年代 | 下院議員団53人は,政府に「これ以上譲歩しないよう」勧告する声明を発表。 |
DIA-201-1969-07-26-1 | 南ベトナム | 1969年07月26日 | 1960年代 | クアンナム省ケソン渓谷で激戦続く。 |
DIA-201-1969-07-26-2 | 南ベトナム | 1969年07月26日 | 1960年代 | 選挙提案の拒否続けば,残る道は戦闘だけとチュー大統領言明。 |
DIA-201-1969-07-30-1 | 南ベトナム | 1969年07月30日 | 1960年代 | ニクソン大統領,サイゴン訪問。 |
DIA-201-1969-07-31-1 | 南ベトナム | 1969年07月31日 | 1960年代 | 乗用車とオートバイの輸入を一時停止。 |
DIA-201-1969-08-02-1 | 南ベトナム | 1969年08月02日 | 1960年代 | 政府スポークスマンは「チュー大統領の前政治顧問フェン・バン・チョン氏を含むサイゴン政府要人や政府軍指導者が共産側スパイとして逮捕され,告発された」と発表。 |
DIA-201-1969-08-04-1 | 南ベトナム | 1969年08月04日 | 1960年代 | 魚のかん詰め,粉ミルク,ミシン,モーターパラフィン・ワックスの4品目の輸入停止。 |
DIA-201-1969-08-07-1 | 南ベトナム | 1969年08月07日 | 1960年代 | 解放戦線カムラン基地攻撃。 |
DIA-201-1969-08-07-2 | 南ベトナム | 1969年08月07日 | 1960年代 | 臨時革命政府代表団スポークスマンは「同政府が,パリはじめ南ベトナムその他の場所で,他の政治団体との間に臨時連合政権の結成につき交渉を開始した」と言明した。 |
DIA-201-1969-08-08-1 | 南ベトナム | 1969年08月08日 | 1960年代 | 民族社会民主戦線,フォン首相の更迭を要求。 |
DIA-201-1969-08-12-1 | 南ベトナム | 1969年08月12日 | 1960年代 | 解放戦線,91ヵ所を一せいに砲撃。 |
DIA-201-1969-08-12-2 | 南ベトナム | 1969年08月12日 | 1960年代 | 解放戦線中央委幹部会,アメリカ軍完全撤退,かいらい政権崩壊をかちとるまで攻撃を増大すると声明。 |
DIA-201-1969-08-13-1 | 南ベトナム | 1969年08月13日 | 1960年代 | 内閣改造について,チュー大統領とフォン首相合意。 |
DIA-201-1969-08-16-1 | 南ベトナム | 1969年08月16日 | 1960年代 | ティン・ジン・タオ議長を団長とする民族民主平和連合代表団北ベトナム訪問。 |
DIA-201-1969-08-18-1 | 南ベトナム | 1969年08月18日 | 1960年代 | 42省に人民革命委員会成立。 |
DIA-201-1969-08-19-1 | 南ベトナム | 1969年08月19日 | 1960年代 | ダナン西方で激戦,米軍に大損害。 |
DIA-201-1969-08-23-1 | 南ベトナム | 1969年08月23日 | 1960年代 | チュー大統領,キエム氏を首相に指名。 |
DIA-201-1969-08-28-1 | 南ベトナム | 1969年08月28日 | 1960年代 | アメリカ軍,一次撤兵の完了発表。 |
DIA-201-1969-08-30-1 | 南ベトナム | 1969年08月30日 | 1960年代 | 米砲兵部隊は巡洋艦の支援を受けて,ジョリンの北東約10キロの非武装地帯内の北側陣地を砲撃した。 |
DIA-201-1969-09-01-1 | 南ベトナム | 1969年09月01日 | 1960年代 | キエム内閣発足,フォン首相は大統領顧問へ。 首相兼内相 Tran Thien Khiem 中将 副首相兼文相 Nguyen Luu Vien 博士 国務相 Mai Tho Truyen 国務相 Vu Quoc Thuc 教授 国務相 Nguyen Tien Hy 博士 国務省 Phan Quang Dan 博士 外相 Tran Van Lam 国防相 Nguyen Van Vy 法相 Le Van Thu 経済相 Pham Kim Ngoc 蔵相 Nguyen Bich Hue 農村建設相 Tran Thanh Phong 少将 情報相 Ngo Khac Tinh 帰順相 Ho Van Cham 博士 土地改革・農漁業発展相 Cao Van Than 土木相 Duong Kich Nhuong 運輸通信相 Tran Van Vien 厚生相 Tran Minh Tung博士 社会相 Tran Nguon Phien 労相 Dam Sy Hien 在郷軍人相 Pham Van Dong 少数民族相 Paul Nur 首相府長官 Nguyen Van Vang 国会連絡長官 Cao Van Tuong |
DIA-201-1969-09-01-2 | 南ベトナム | 1969年09月01日 | 1960年代 | 米軍,メコン・デルタのドンタム基地を,ベトナム政府軍に正式に引渡し。 |
DIA-201-1969-09-03-1 | 南ベトナム | 1969年09月03日 | 1960年代 | 解放戦線,ホー大統領の死去に伴い,9月8日から3日間の停戦を決定。 |
DIA-201-1969-09-05-1 | 南ベトナム | 1969年09月05日 | 1960年代 | 解放戦線中央委員会,民族民主平和勢力連合中央委員会,臨時革命政府,政府諮問評議会は,ホー主席の逝去にあたってアピールを発表,その中で「われわれ南部軍民はホー主席がわれわれと永遠の別れをつげるまえわれわれに提起した任務をだんこ遂行し,心を一つにし,革命的英雄主義を発揚し,犠牲をおそれず,困難にめげず,抗戦を堅持し大いに促進し,決戦決勝し,アメリカ軍がのこらず,きれいに撤退し,かいらい軍とかいらい政権が完全につぶれるまでたたかいつづけて,南部を解放し,北部を防衛し,さらに祖国を平和的に統一する決意である」と誓っている。 |
DIA-201-1969-09-06-1 | 南ベトナム | 1969年09月06日 | 1960年代 | 解放戦線,ダナンの米軍基地を砲撃。 |
DIA-201-1969-09-07-1 | 南ベトナム | 1969年09月07日 | 1960年代 | 南ベトナム政府,故ホー大統領の服喪停戦を拒否。 |
DIA-201-1969-09-08-1 | 南ベトナム | 1969年09月08日 | 1960年代 | 政府軍兵士,米軍事顧問2人を射殺。 |
DIA-201-1969-09-08-2 | 南ベトナム | 1969年09月08日 | 1960年代 | "米と南政府""暗黙停戦""を発表。" |
DIA-201-1969-09-11-1 | 南ベトナム | 1969年09月11日 | 1960年代 | 解放戦線,軍事攻勢を展開。 |
DIA-201-1969-09-11-2 | 南ベトナム | 1969年09月11日 | 1960年代 | サイゴン市内に米の販売所73カ所を設置,100キロあたりの公定価格3等米3200ピアストル,2等米3600ピアストル,特等米4175ピアストル。 |
DIA-201-1969-09-12-1 | 南ベトナム | 1969年09月12日 | 1960年代 | B52の南爆を36時間停止。 |
DIA-201-1969-09-12-2 | 南ベトナム | 1969年09月12日 | 1960年代 | 米政府,軍事首脳,ベトナムに関する最高戦略会議。 |
DIA-201-1969-09-13-1 | 南ベトナム | 1969年09月13日 | 1960年代 | ベトナムの米海軍兵力,70年6月までに3万削減(現有兵力3万5000)。 |
DIA-201-1969-09-15-1 | 南ベトナム | 1969年09月15日 | 1960年代 | グエン・カオ・キ副大統領は「アメリカは11月末までに南ベトナムから兵力4万0500人を撤退させる予定である」と発表した。 キ副大統領は「1970年末までに15万ないし20万人の米兵が撤退し,南ベトナム政府軍がこれに肩代わりすることになろう」と述べた。また「サイゴンの現政権を転覆するような試みや連合政府案には反対であり,アメリカがわれわれを裏切らぬことを信じている。いかなる連合政府がつくられても,クーデターで10日以内に打倒されるだろう」と語った。 |
DIA-201-1969-09-16-1 | 南ベトナム | 1969年09月16日 | 1960年代 | ニクソン米大統領は「12月15日までに米軍3万5000人を撤退させる」という第2次ベトナム撤兵計画を発表した。 |
DIA-201-1969-09-18-1 | 南ベトナム | 1969年09月18日 | 1960年代 | サイゴンの米陸軍当局は,米陸軍特殊部隊の元司令官ロバート・ルオー大佐ら6人の隊員を,殺人および殺人陰謀容疑で軍法会議にかけると発表した。 |
DIA-201-1969-09-19-1 | 南ベトナム | 1969年09月19日 | 1960年代 | ベトナムでの米機損失は5877機。 9月16日までの内訳は,航空2844機,ヘリコプター3033機。 |
DIA-201-1969-09-20-1 | 南ベトナム | 1969年09月20日 | 1960年代 | 臨時革命政府はニクソン演説について声明を発表し,「米軍のこまぎれ撤退のペテンをベトナム人民にのませようとするアメリカ政府の不当な要求は,アメリカがあいかわらず頑固な“対等”の立場をとりつづけ侵略の終結に条件をつけていることを,いっそうはっきりと物語るものである。米大統領はベトナム南部人民の自決権を尊重しているかのように見せかけているが,実際にはアメリカの手先であるかいらい政府を温存して,ベトナム南部人民の自決権に反対し,ベトナム南部人民を売国奴集団の支配に投降させ,その支配を受けいれさせようとしているのである」とアメリカを非難した。 |
DIA-201-1969-09-20-2 | 南ベトナム | 1969年09月20日 | 1960年代 | ベトナム参戦国外相会議。 |
DIA-201-1969-09-22-1 | 南ベトナム | 1969年09月22日 | 1960年代 | 米海兵隊員のベトナム在勤期間がこれまでの13ヵ月から12ヵ月へ短縮された。現在ベトナムには海兵隊員7万2000人が駐留している。 |
DIA-201-1969-09-23-1 | 南ベトナム | 1969年09月23日 | 1960年代 | 米ヘリの誤射で23人死傷。 |
DIA-201-1969-09-25-1 | 南ベトナム | 1969年09月25日 | 1960年代 | レアード国防長官はナショナル・プレス・クラプで演説し,米軍撤兵のための条件のうちベトナム化の促進は,南ベトナム軍の強化による米軍肩代わりだけをさすのでなく,南ベトナムが政治,経済にわたって体質を強化し,戦争を自力で遂行できるようになることをさすものである,と述べた。 |
DIA-201-1969-09-26-1 | 南ベトナム | 1969年09月26日 | 1960年代 | ビン外相,パリ帰任。 |
DIA-201-1969-10-01-1 | 南ベトナム | 1969年10月01日 | 1960年代 | ト解放戦線議長,周総理と会談。 |
DIA-201-1969-10-04-1 | 南ベトナム | 1969年10月04日 | 1960年代 | ホイラー米統合参謀本部議長,南ベトナム訪問。 |
DIA-201-1969-10-04-2 | 南ベトナム | 1969年10月04日 | 1960年代 | フルブライト米上院外交委員長は「ニクソン大統領が,ベトナム戦争の泥沼から抜け出す道を見いだすのを助ける」ため,きたる27日から5日間,上院外交委でベトナム戦争の終結を促進するための公聴会を開くと発表した。 |
DIA-201-1969-10-04-3 | 南ベトナム | 1969年10月04日 | 1960年代 | 解放戦線33ヵ所を砲撃。 |
DIA-201-1969-10-05-1 | 南ベトナム | 1969年10月05日 | 1960年代 | 解放戦線72ヵ所を砲撃。 |
DIA-201-1969-10-06-1 | 南ベトナム | 1969年10月06日 | 1960年代 | チュー大統領は上下両院会議で演説,サイゴン政府側はベトナム解決のため停戦問題を含むすべての問題を話し合う用意があるとの態度を明らかにした。 |
DIA-201-1969-10-09-1 | 南ベトナム | 1969年10月09日 | 1960年代 | ジョージ・マクガバン上院議員ら米上下両院議員29人は,議会に,「連合軍の安全を保証するために必要な期間だけを置いて,ベトナムから全米軍を撤退させるべきだ」との決議案を提出した。 |
DIA-201-1969-10-09-2 | 南ベトナム | 1969年10月09日 | 1960年代 | 米軍司令部は,米軍の第2次撤兵の一部として,5戦術飛行中隊(航空機約100機)と空軍要員2541人が12月15日までに撤兵すると発表した。 |
DIA-201-1969-10-10-1 | 南ベトナム | 1969年10月10日 | 1960年代 | 首都軍管区当局は,サイゴン5区のベトナム人外出禁止時間を,午前1時から同5時半までに緩和すると発表した。米軍関係者は午後10時より朝6時まで。 |
DIA-201-1969-10-10-2 | 南ベトナム | 1969年10月10日 | 1960年代 | 米海軍は,河川しょう戒艇80隻を政府軍に引き渡した。これで68年6月以来,舟艇計229隻が引き渡されたことになる。 |
DIA-201-1969-10-10-3 | 南ベトナム | 1969年10月10日 | 1960年代 | パリに帰任したスアン・トイ代表は,パリ会談の行詰まりを打開するための必要条件として,次の2点を指摘した。 (1)アメリカおよびその連合軍の,敏速かつ全面的な撤退。 (2)自由で民主的な総選挙を組織するため,臨時連合政府の樹立。 |
DIA-201-1969-10-11-1 | 南ベトナム | 1969年10月11日 | 1960年代 | 米の反戦デモ激化。 |
DIA-201-1969-10-11-2 | 南ベトナム | 1969年10月11日 | 1960年代 | 米戦闘部隊,サイゴン地区から撤退,約50個大隊の政府軍がサイゴンの防衛に当たることになった。 |
DIA-201-1969-10-12-1 | 南ベトナム | 1969年10月12日 | 1960年代 | ニクソン大統領,南爆10%削減を指示。 |
DIA-201-1969-10-12-2 | 南ベトナム | 1969年10月12日 | 1960年代 | 米軍司令部は,ニャチャン空軍基地を先週末政府軍に引き渡したことを発表,これにより1000人の米軍が支援軍として残留。 |
DIA-201-1969-10-15-1 | 南ベトナム | 1969年10月15日 | 1960年代 | ベトナム前線の米軍部隊の一部,反戦運動に参加して喪章でパトロール。 |
DIA-201-1969-10-15-2 | 南ベトナム | 1969年10月15日 | 1960年代 | サイゴン在住の米人20人が,米大使館前でデモ。 |
DIA-201-1969-10-15-3 | 南ベトナム | 1969年10月15日 | 1960年代 | モートン米共和党議員ら15人の議員は,即時北爆再開などのベトナム戦争を拡大する措置を,ニクソン大統領に要請した。 |
DIA-201-1969-10-15-4 | 南ベトナム | 1969年10月15日 | 1960年代 | ケネディ議員は「アメリカは1年以内に全地上部隊,72年末までに残りの全部隊を撤退させる堅い決意を声明すべきである」と反戦デー支持の演説をした。 |
DIA-201-1969-10-15-5 | 南ベトナム | 1969年10月15日 | 1960年代 | 国慶節に参加するため中国を訪問中のグエン・フー・ト解放戦線議長は周恩来総理と会談し,コミュニケを発表した。その中で解放戦線と臨時革命政府は「ベトナム南部の問題を解決するための基礎は,解放戦線と革命政府の10項目の全面的解決案である。ベトナム南部人民は完全な勝利をおさめるまで軍事・政治・外交の三つの戦線での闘争を大いに強化することを堅持するであろう」と述べ,中国側は「ベトナム南部人民が解放戦線と革命政府の指導のもとに,ホー主席の決戦決勝の旗じるしを高くかかげて,持久戦争を堅持すれば,かならず抗米救国戦争の完全な勝利をかちとることができると確信する」と述べている。 |
DIA-201-1969-10-16-1 | 南ベトナム | 1969年10月16日 | 1960年代 | レアード米国防長官は,戦闘終了後も常駐兵力を残すことを考慮していると言明。 |
DIA-201-1969-10-23-1 | 南ベトナム | 1969年10月23日 | 1960年代 | 下院特別会議は,ベトナムの平和解決にあたり,南ベトナムが大きな発言権をもつべきであるという内容の動議を可決した。 |
DIA-201-1969-10-24-1 | 南ベトナム | 1969年10月24日 | 1960年代 | 経済,大蔵両省,ガソリン消費税の新設と輸入品に対する奢侈税を100%から600%引き上げることを発表,このためガソリン1リットルは10から22ピアストルへ,石油1リットルは7.5から12ピアストルへ値上げされた。車の運賃も値上げ。 |
DIA-201-1969-10-26-1 | 南ベトナム | 1969年10月26日 | 1960年代 | チャフィー米海軍長官は「われわれはベトナム化計画の最終段階に着手しているため,全部の海軍戦闘部隊を,明年6月までに撤退することができるかもしれない」と語った。 |
DIA-201-1969-10-27-1 | 南ベトナム | 1969年10月27日 | 1960年代 | フーロイ駐留の米化学部隊解体。 |
DIA-201-1969-10-29-1 | 南ベトナム | 1969年10月29日 | 1960年代 | 米軍は,政府軍の近代化計画に当てる全装備の85%をすでに供与しており,残り15%の引渡しもほぼ6ヵ月以内に完了する予定。 |
DIA-201-1969-10-29-2 | 南ベトナム | 1969年10月29日 | 1960年代 | 政府,解放戦線捕虜88人を釈放。 |
DIA-201-1969-10-30-1 | 南ベトナム | 1969年10月30日 | 1960年代 | 増税発表で物価騰貴,ホンダのオートバイは3万3000ピアストルから7万2000ピアストルへ,綿製品は1メートル75ピアストルから103ピアストルへ値上がりした。 |
DIA-201-1969-10-30-2 | 南ベトナム | 1969年10月30日 | 1960年代 | 日本の北原駐南ベトナム大使,ベトナムに対する援助は休戦をまたずに始めるべきであると語る。 |
DIA-201-1969-10-30-3 | 南ベトナム | 1969年10月30日 | 1960年代 | チエン・ミン師出獄。 |
DIA-201-1969-10-30-4 | 南ベトナム | 1969年10月30日 | 1960年代 | ミン将軍,復帰を示唆。 |
DIA-201-1969-10-31-1 | 南ベトナム | 1969年10月31日 | 1960年代 | チュー大統領,革命記念日にあたり演説し,増税および耐乏政策を認めねば大統領辞任も考慮している。また来年度の歳出は2300億ピアストル,うち1200億が国防費で,赤字は800億から900億ピアストルに達するであろうと述べた。 |
DIA-201-1969-11-02-1 | 南ベトナム | 1969年11月02日 | 1960年代 | ゴ・ジン・ジェム大統領の追悼式に数千人が参加。 |
DIA-201-1969-11-02-2 | 南ベトナム | 1969年11月02日 | 1960年代 | 解放戦線軍,ブプラン陣地を猛攻。 |
DIA-201-1969-11-03-1 | 南ベトナム | 1969年11月03日 | 1960年代 | グエン・フー・ト議長を団長とする南ベトナム革命政府代表団訪ソ。 |
DIA-201-1969-11-03-2 | 南ベトナム | 1969年11月03日 | 1960年代 | ニクソン演説,アメリカの方針が「ベトナム化に伴う計画的撤退であり」,「南ベトナムは強力になりつつあり,米軍の戦闘責任を肩代わりできるようになっている」ことを明らかにした。 |
DIA-201-1969-11-05-1 | 南ベトナム | 1969年11月05日 | 1960年代 | 下院は無所属議員提案の「政府の増税措置を白紙撤回する」との決議案を賛成63票で可決した。 |
DIA-201-1969-11-05-2 | 南ベトナム | 1969年11月05日 | 1960年代 | 米下院の民主党ハト派議員10名,ベトナム駐留米軍の全面撤退決議案を提出。 |
DIA-201-1969-11-06-1 | 南ベトナム | 1969年11月06日 | 1960年代 | 解放戦線,ニャチャン飛行場,タイニン米軍基地,ニャベ石油施設,ブドップ特殊部隊基地を砲撃。 |
DIA-201-1969-11-07-1 | 南ベトナム | 1969年11月07日 | 1960年代 | 臨時革命政府は3日のニクソン演説について声明を発表し,「ニクソン大統領の戦争政策は,ベトナムに正しい平和的解決策をもたらすうえでの唯一の障害であり,ベトナム問題に関するパリ会談のこげつきの原因でもある」と非難した。 |
DIA-201-1969-11-07-2 | 南ベトナム | 1969年11月07日 | 1960年代 | 解放戦線ゲリラ小隊,サイゴンの警察詰め所襲撃。 |
DIA-201-1969-11-08-1 | 南ベトナム | 1969年11月08日 | 1960年代 | 解放戦線37ヵ所を砲撃。 |
DIA-201-1969-11-08-2 | 南ベトナム | 1969年11月08日 | 1960年代 | パリの解放戦線筋,ミン政権できれば交渉すると示唆。 |
DIA-201-1969-11-09-1 | 南ベトナム | 1969年11月09日 | 1960年代 | ブプラン特殊部隊陣地付近で激戦続く。 |
DIA-201-1969-11-09-2 | 南ベトナム | 1969年11月09日 | 1960年代 | サイゴンの大学教授,政治家,学生,増税について討論会を開催,増税案を否決するよう上院に要請した。また増税案を国民投票にかけることを要請した。 |
DIA-201-1969-11-10-1 | 南ベトナム | 1969年11月10日 | 1960年代 | 解放戦線工兵隊,バンメトート基地に侵入。 |
DIA-201-1969-11-10-2 | 南ベトナム | 1969年11月10日 | 1960年代 | 南ベトナム臨時革命政府,6月6日を革命政府樹立記念日と決定。 |
DIA-201-1969-11-13-1 | 南ベトナム | 1969年11月13日 | 1960年代 | アメリカで第2次ベトナム反戦デー始まる。 |
DIA-201-1969-11-13-2 | 南ベトナム | 1969年11月13日 | 1960年代 | ミン将軍,国民の支持を失っているチュー政権は,住民投票または人民会議開催などの方法で国民に信を問うべきであると声明。 |
DIA-201-1969-11-13-3 | 南ベトナム | 1969年11月13日 | 1960年代 | クメール派仏教徒僧職約300人,徴兵に抗議して大統領府前にすわり込み。 |
DIA-201-1969-11-14-1 | 南ベトナム | 1969年11月14日 | 1960年代 | 消費税奢侈税の一部(12品目)の税率を引き下げ。 |
DIA-201-1969-11-15-1 | 南ベトナム | 1969年11月15日 | 1960年代 | チャン・ゴク・リエン氏①和解政府の樹立,②外国軍隊の撤退を要求。 |
DIA-201-1969-11-15-2 | 南ベトナム | 1969年11月15日 | 1960年代 | 米の反戦デー,25万人が最終デモに参加。 |
DIA-201-1969-11-16-1 | 南ベトナム | 1969年11月16日 | 1960年代 | パッカード米国防次官,サイゴンを訪問。 |
DIA-201-1969-11-16-2 | 南ベトナム | 1969年11月16日 | 1960年代 | 解放戦線,アンケの米基地に突入,ヘリコプター20機を爆破。 |
DIA-201-1969-11-16-3 | 南ベトナム | 1969年11月16日 | 1960年代 | 米紙,ソンミの虐殺事件を報道。 |
DIA-201-1969-11-20-1 | 南ベトナム | 1969年11月20日 | 1960年代 | チュー大統領,チャン・ク・ウォン閣外相(経済担当)の辞任を了承。 |
DIA-201-1969-11-20-2 | 南ベトナム | 1969年11月20日 | 1960年代 | ロッジ米代表辞任。 |
DIA-201-1969-11-21-1 | 南ベトナム | 1969年11月21日 | 1960年代 | 米陸軍当局,ソンミ事件でカーレイ中尉を起訴。 |
DIA-201-1969-11-22-1 | 南ベトナム | 1969年11月22日 | 1960年代 | 国防省,米軍によるソンミ村民大量虐殺事件を否定。 |
DIA-201-1969-11-22-2 | 南ベトナム | 1969年11月22日 | 1960年代 | スアンロック付近で米軍ロケットが政府軍に命中し33人が死傷。 |
DIA-201-1969-11-23-1 | 南ベトナム | 1969年11月23日 | 1960年代 | 政府軍,デルタ北部で死傷100人をこえる大損害。 |
DIA-201-1969-11-24-1 | 南ベトナム | 1969年11月24日 | 1960年代 | 革命政府,ソンミ事件は,米侵略者とその従僕による無数の血なまぐさい犯罪の一つにすぎず,被虐殺者は他に4000人もあると声明。 |
DIA-201-1969-11-25-1 | 南ベトナム | 1969年11月25日 | 1960年代 | ブプラン,ドクラプの政府軍支援のため,米軍戦闘部隊が出動。 |
DIA-201-1969-11-26-1 | 南ベトナム | 1969年11月26日 | 1960年代 | 解放戦線軍部隊,米第7騎兵師団の兵たん基地を奇襲,弾薬庫を爆破した。 |
DIA-201-1969-11-26-2 | 南ベトナム | 1969年11月26日 | 1960年代 | ロッジ代表は,北ベトナムとの秘密会談でなら,南ベトナムの連合政府問題を話し合う用意ありと言明。 |
DIA-201-1969-11-26-3 | 南ベトナム | 1969年11月26日 | 1960年代 | 国家警察副長官にチュー大統領実弟チャン・チェン・タン大佐を任命。 |
DIA-201-1969-11-27-1 | 南ベトナム | 1969年11月27日 | 1960年代 | 上院にソンミ事件調査委員会設置。 |
DIA-201-1969-11-27-2 | 南ベトナム | 1969年11月27日 | 1960年代 | プレークの米陸軍病院で約100人の米兵,看護婦が,ベトナム戦に抗議して断食を決行。 |
DIA-201-1969-11-27-3 | 南ベトナム | 1969年11月27日 | 1960年代 | スウェーデンヘの亡命を認められた米軍脱走兵325人に達す。 |
DIA-201-1969-11-29-1 | 南ベトナム | 1969年11月29日 | 1960年代 | 軍事法廷は元大統領顧問フェン・バン・チョン他3人に終身刑,残り39人に禁固3ヵ月から強制労働20年を判決。 |
DIA-201-1969-11-29-2 | 南ベトナム | 1969年11月29日 | 1960年代 | 米海軍,政府軍にミト基地を引き渡す。 |
DIA-201-1969-11-29-3 | 南ベトナム | 1969年11月29日 | 1960年代 | ブプラン陣地救援のためB52猛爆。 |
DIA-201-1969-11-30-1 | 南ベトナム | 1969年11月30日 | 1960年代 | 革命政府,モーリタニアと外交関係を樹立。 |
DIA-201-1969-11-30-2 | 南ベトナム | 1969年11月30日 | 1960年代 | グエン・チ・ビン革命政府外相,アルバニア首脳と会談。 |
DIA-201-1969-11-30-3 | 南ベトナム | 1969年11月30日 | 1960年代 | 革命政府,イラクと外交関係樹立 |
DIA-201-1969-11-30-4 | 南ベトナム | 1969年11月30日 | 1960年代 | ブプラン陣地付近でヘリ4機撃墜。 |
DIA-201-1969-11-30-5 | 南ベトナム | 1969年11月30日 | 1960年代 | 与党連合の一つカトリック大団結の力(グェン・ジア・ヒェン議長) ミン将軍らの中立主義に反対を声明。 |
DIA-201-1969-12-01-1 | 南ベトナム | 1969年12月01日 | 1960年代 | アンクアン派の全国仏教信徒大会は4日間の討議を終り,「いかなる外部からの暴力的な勢力にもくみせず独自の立場で国民を戦争とあらゆる紛争から解放することに努力を集中する」との決議案を発表。 |
DIA-201-1969-12-01-2 | 南ベトナム | 1969年12月01日 | 1960年代 | 米下院歳出分科委員会の議事録によれば,ウェストモーランド陸軍参謀長は10月8日の秘密聴聞会で,「北ベトナムは疲れはてつつある」,「アメリカは敵の力を過少評価し,南ベトナムの能力を過大評価していた。戦闘はなお長期間続き,米軍のベトナム駐留は今後数年間必要とされるだろう」と証言した。 |
DIA-201-1969-12-01-3 | 南ベトナム | 1969年12月01日 | 1960年代 | 解放戦線代表団,北朝鮮訪問。 |
DIA-201-1969-12-02-1 | 南ベトナム | 1969年12月02日 | 1960年代 | 米下院本会議は,①公正な和平を求めて交渉を続けている大統領の努力を支持する。①南ベトナム人民は国際監視下の自由選挙を通して自らの政府を選ぶことができるという原則を承認する。③北ベトナムにこの選挙結果を承認するよう求めた大統領の呼びかけを支持する旨の決議案を可決した。 |
DIA-201-1969-12-03-1 | 南ベトナム | 1969年12月03日 | 1960年代 | 解放戦線,58ヵ所を一斉砲撃。 |
DIA-201-1969-12-04-1 | 南ベトナム | 1969年12月04日 | 1960年代 | ソ連・東欧首脳会議,「ベトナム侵略を中止せよ」と題する声明を発表。 |
DIA-201-1969-12-04-2 | 南ベトナム | 1969年12月04日 | 1960年代 | チャン・バン・ドン上院議員は「南ベトナム駐留韓国軍が1年前,クワンガイ省で,ソンミ事件以上のひどい虐殺をやった」と言明した。 |
DIA-201-1969-12-05-1 | 南ベトナム | 1969年12月05日 | 1960年代 | ベトナム視察から帰国したパッカード米国防次官は「アメリカは予測出来る将来に,確実に兵力を15万人以下に削減できるだろう」と言明。 |
DIA-201-1969-12-06-1 | 南ベトナム | 1969年12月06日 | 1960年代 | 国営ベトナム航空労働組合(従業員300人)は,政府のストライキ禁止令を無視して,50%の賃上げ要求スト。 |
DIA-201-1969-12-06-2 | 南ベトナム | 1969年12月06日 | 1960年代 | バス運転手組合(600人),“不当解雇”抗議スト。 |
DIA-201-1969-12-06-3 | 南ベトナム | 1969年12月06日 | 1960年代 | ダクト北西で作戦視察のヘリが撃墜され,政府軍のコンツム・プレイク地区司令官ら11人が戦死。 |
DIA-201-1969-12-06-4 | 南ベトナム | 1969年12月06日 | 1960年代 | 政府ソンミ事件に関する一切の報道を禁止するとベトナム各紙に通告。 |
DIA-201-1969-12-07-1 | 南ベトナム | 1969年12月07日 | 1960年代 | 解放戦線,さん下部隊に,撤兵終了までフィリピン部隊への攻撃を停止するよう指令。 |
DIA-201-1969-12-07-2 | 南ベトナム | 1969年12月07日 | 1960年代 | 解放戦線,ダラト市の国家警察野戦警官訓練所を攻撃,38人を死傷させた。 |
DIA-201-1969-12-08-1 | 南ベトナム | 1969年12月08日 | 1960年代 | 革命政府代表団スポークスマンは「アメリカが米軍および衛星国軍を,6ヵ月間で全面撤兵させると宣言するならば,①その撤兵の日程について当事者間で話し合い,②革命政府は撤兵時の米軍将兵の安全を保証する」と発表。 |
DIA-201-1969-12-08-2 | 南ベトナム | 1969年12月08日 | 1960年代 | 解放戦線,サイゴンにロケット砲撃。 |
DIA-201-1969-12-09-1 | 南ベトナム | 1969年12月09日 | 1960年代 | 米上院外交委員会の議事録によれば,ロジャーズ国務長官は11月18日の秘密聴聞会で,米政府が北ベトナムに「南ベトナムの自由選挙が現サイゴン政権ではなく,国際監視機関により実施される」ことをはっきり通告したと語った。「アメリカは必ずしも現サイゴン政権下での総選挙に固執してはいない。北ベトナムもこのアメリカの考えを通告されている」と発言した。 |
DIA-201-1969-12-09-2 | 南ベトナム | 1969年12月09日 | 1960年代 | チュー大統領はブンタウの村落職員研修終了式で演説し,①中道主義および中立主義者の多くは,植民地主義者および共産党から金を受け取り,いわゆる“自己生存”などの議論を展開しているが,そのねらいは自らの利益に奉仕するものであって,国家に奉仕するものでない。②“容共”3議員に対し,議会がなんらかの態度を打ち出さないならば,国民および軍隊が議会に対し,はっきりした態度をとることになろうと述べた。 |
DIA-201-1969-12-10-1 | 南ベトナム | 1969年12月10日 | 1960年代 | チャン・バン・ドン上院軍事委員長は第1回現地調査の結果,ソンミ虐殺は実際にあったことが確認されたと言明。 |
DIA-201-1969-12-11-1 | 南ベトナム | 1969年12月11日 | 1960年代 | ゴコン省解放戦線委員会,政府軍捕虜23人を釈放。 |
DIA-201-1969-12-12-1 | 南ベトナム | 1969年12月12日 | 1960年代 | モース米上院議員が明らかにしたところによると,マクナマラ元国防長官は1966年当時,上院外交委で中国がベトナム戦争に介入したら,米軍30万が中国へ侵入するよう待機命令が出ていたと証言した。 |
DIA-201-1969-12-12-2 | 南ベトナム | 1969年12月12日 | 1960年代 | チュー大統領,ダラトの士官学校卒業式で,南ベトナムでの連合政権,中立の提唱者を“憶病者,敗北主義者”と非難。 |
DIA-201-1969-12-12-3 | 南ベトナム | 1969年12月12日 | 1960年代 | 米空輸騎兵師団は解放戦線軍とサイゴン北方で激戦。 |
DIA-201-1969-12-13-1 | 南ベトナム | 1969年12月13日 | 1960年代 | 仏教学生100人,サイゴンで反戦集会。 |
DIA-201-1969-12-14-1 | 南ベトナム | 1969年12月14日 | 1960年代 | クメール系仏教徒,サイゴンで警官と衝突。 |
DIA-201-1969-12-14-2 | 南ベトナム | 1969年12月14日 | 1960年代 | 第2次撤兵完了。 |
DIA-201-1969-12-14-3 | 南ベトナム | 1969年12月14日 | 1960年代 | レアード米国防長官はテレビ会見で,ベトナム化は順調に進んでいるとしてつぎのように語った。 ベトナム化計画は交渉による解決が得られるか否かにかかわらず,アメリカのベトナム介入を終わらせることを意図したもので,それには二つの段階がある。第1段階は南ベトナム軍による米戦闘部隊の任務肩代わりであり,第2段階は現在米軍だけで担当している兵たん支援を南ベトナム軍が引き受けることである。アメリカはこのために必要な諸装備を供給するつもりである。第2段階の計画はすでに着手されているが,これを完了するには第1段階の計画よりも長い時間を必要としよう。 計画に従って南ベトナムの米軍は「ゼロの水準まで」削減されよう。依然として5万人が駐留している韓国,欧州諸国のようにはならないだろう。 第2次撤兵を終える目標日前目の14日現在の南ベトナム駐留米軍の公式兵力は,48万4000人で,さる6日の54万7500人を大きく下回っている。 |
DIA-201-1969-12-14-4 | 南ベトナム | 1969年12月14日 | 1960年代 | カリフォルニア州のオーシャンサイドで米海兵隊員反戦デモを迫害。 |
DIA-201-1969-12-15-1 | 南ベトナム | 1969年12月15日 | 1960年代 | ニクソン大統領はベトナム問題に関する演説で,来年4月15日迄さらに米軍を5万人を減らすと発表した。 |
DIA-201-1969-12-16-1 | 南ベトナム | 1969年12月16日 | 1960年代 | サイゴンの新聞チン・ルアン紙社の社屋爆破。 |
DIA-201-1969-12-16-2 | 南ベトナム | 1969年12月16日 | 1960年代 | ファン・クァン・ダン無任所相はキャンベラで演説し,「アメリカは最初から南ベトナムの建設と中立化のためにもっと大きな努力を払うべきだった」,「米軍の弾丸は,解放戦線ではなくたんぼの中に撃ち込まれている」と述べた。 |
DIA-201-1969-12-17-1 | 南ベトナム | 1969年12月17日 | 1960年代 | チュン・ブー・キェム官房長官を団長とする解放戦線,臨時革命政府代表団,ラオス愛国戦線解放区を友好訪問。 |
DIA-201-1969-12-17-2 | 南ベトナム | 1969年12月17日 | 1960年代 | 政府軍からの脱走兵の率は9月1000人に9人,10月1000人に10人であった。 |
DIA-201-1969-12-17-3 | 南ベトナム | 1969年12月17日 | 1960年代 | 米国防省当局者は「今秋現在の南ベトナム内の共産兵力は,少なくとも24万とみられる」と述べた。 |
DIA-201-1969-12-19-1 | 南ベトナム | 1969年12月19日 | 1960年代 | 解放戦線サイゴン郊外のタンソニュット空港を砲撃。 |
DIA-201-1969-12-19-2 | 南ベトナム | 1969年12月19日 | 1960年代 | 解放放送「解放戦線と政府軍第7,第21,第25各師団の部隊との間に,戦闘を停止する取決めができている」と報道。 |
DIA-201-1969-12-19-3 | 南ベトナム | 1969年12月19日 | 1960年代 | 中国の毛主席,林副主席,周首相は解放戦線結成9周年にあたり,グェン・フー・ト議長に祝電を送ったがその中で南ベトナム人民は「持久戦争を堅持し,独立自主,自力更生を堅持し,持久によって勝利をかちとっていけば,かならず,アメリカ帝国主義とその共犯者の陰謀術策を粉砕し,前進途上のさまざまな困難を克服して,抗米救国戦争の全面的な勝利をかちとることができるものと,わたしたちは信じています」と述べている。 |
DIA-201-1969-12-19-4 | 南ベトナム | 1969年12月19日 | 1960年代 | 解放戦線中央委員会,戦線創立9周年(12月20日)記念白に当ってのアピールを発表,その中で「勝利は近づいており,記念日を祝って断固,前進,ほう起しよう」と訴えている。 |
DIA-201-1969-12-20-1 | 南ベトナム | 1969年12月20日 | 1960年代 | 解放戦線結成9周年式典,解放区某地で代表1000人を集めておこなわる。ト議長,チン・ジン・タオ民族民主平和連合中央委議長,チャン・ナム・チュン国防相,チャン・ブー・キェム官房長官,ルー・フー・フォク情報文化相欠席。 |
DIA-201-1969-12-20-2 | 南ベトナム | 1969年12月20日 | 1960年代 | 今年の米軍死者,20日現在で9279人で,昨年の14万592人に比べ約35%減。 |
DIA-201-1969-12-21-1 | 南ベトナム | 1969年12月21日 | 1960年代 | サイゴンで5000人の反共デモ,一部は国会に乱入。 |
DIA-201-1969-12-21-2 | 南ベトナム | 1969年12月21日 | 1960年代 | 上院国防委員会,1970年度の国防費からその8分の1に当たる140億ピアストル(1億1600万ドル)を削減するよう勧告した。正規軍20万人増員案にも反対した。 |
DIA-201-1969-12-24-1 | 南ベトナム | 1969年12月24日 | 1960年代 | 解放戦線,3日間のクリスマス停戦入り,政府軍,米軍は24時間の停戦。 |
DIA-201-1969-12-27-1 | 南ベトナム | 1969年12月27日 | 1960年代 | ブプランの包囲終る。この戦闘で政府軍死傷1561人(死亡785,負傷776),米軍死傷111人(うち死亡24),解放戦線側の死者1519人。 |
DIA-201-1969-12-29-1 | 南ベトナム | 1969年12月29日 | 1960年代 | サイラス・イートン氏,ハノイ訪問後の記者会見で「ニクソン大統領が2ヵ月間に10万人を撤兵し,1年半以内に全米軍を引き揚げることに同意すれば,ベトナム戦争を終わらせることができよう」と語った。 |
DIA-201-1969-12-30-1 | 南ベトナム | 1969年12月30日 | 1960年代 | 解放戦線2日午前1時まで,正月停戦,政府軍・米軍は31日から24時間の停戦。 |