ID 国名 日付 年代 内容
DIA-201-1970-01-01-1南ベトナム1970年01月01日1970年代アグニュー米副大統領,サイゴン訪問。
DIA-201-1970-01-02-1南ベトナム1970年01月02日1970年代正月停戦終る。
DIA-201-1970-01-02-2南ベトナム1970年01月02日1970年代解放放送は,1970年の基本政策を次のとおり発表した。 ・敵の行政機構をさらに強力に攻撃する。 ・ゲリラ戦を重視する。 ・帰順工作の強化。 ・解放区を拡大する。 ・都市内の政治勢力を育成する。 ・臨時革命政府を強化する。
DIA-201-1970-01-03-1南ベトナム1970年01月03日1970年代サイゴンの米軍テレビ放送を担当中のアナウンサー「真実報道の自由与えよ」と軍司令部を批判。
DIA-201-1970-01-04-1南ベトナム1970年01月04日1970年代正月明け戦闘激化-解放戦線部隊は3日夜から4日朝にかけ各地の同盟軍基地と都市約20カ所に少なくとも245発のロケット砲,迫撃砲,銃弾を撃ち込み,うち2カ所で地上攻撃を行なった。
DIA-201-1970-01-05-1南ベトナム1970年01月05日1970年代上院調査委員会,ソンミ事件は事実であると報告。
DIA-201-1970-01-05-2南ベトナム1970年01月05日1970年代1月1日現在の駐留米軍兵力は47万4400人で内訳はつぎのとおり。 陸軍33万0300人 海軍3万0200人 海兵隊5万5100人 空軍5万8400人 沿岸警備隊400人(第7艦隊の2万9000人は含まず)。
DIA-201-1970-01-06-1南ベトナム1970年01月06日1970年代解放戦線が37カ所を砲撃し,ダナン近くの米軍基地,プレイク市には地上攻撃を行なった。
DIA-201-1970-01-06-2南ベトナム1970年01月06日1970年代国家警察当局は昨年のテロによる民間人死者を6210人と発表した。このほか負傷者1万5475人,捕虜となった者6295人である。
DIA-201-1970-01-07-1南ベトナム1970年01月07日1970年代解放戦線軍は米軍基地・施設に対し43件の砲撃を加えた。北部地区では地上攻撃も行なった。
DIA-201-1970-01-07-2南ベトナム1970年01月07日1970年代サイゴン労組スト-昨年7月の政府によるサイゴンバス会社の解散と従業員600人の大量解雇および,その後の救済措置を不満として,サイゴン,ジァディン,ショロンの労働組合連合は午前7時から24時間のストに入った。実際に参加したのは約2万人と推定されている。
DIA-201-1970-01-07-3南ベトナム1970年01月07日1970年代ソンミ事件の米軍調査団,南ベトナムでの調査を完了。
DIA-201-1970-01-08-1南ベトナム1970年01月08日1970年代解放戦線代表団(団長グエン・バン・チェン中央委員)インドを訪問し,ガンジー首相と会見。
DIA-201-1970-01-08-2南ベトナム1970年01月08日1970年代米陸軍,検閲を批判したテレビ・アナウンサー,ロバート・ローレンス3等特技軍曹を正式に告発。
DIA-201-1970-01-08-3南ベトナム1970年01月08日1970年代チュー大統領はテレビ演説で,「南ベトナム政府は南ベトナム国民の97%を支配下においている。共産側はすでに弱体化しており,70年中に新たな全面攻勢をかけてくることはあるまい」と述べた。
DIA-201-1970-01-08-4南ベトナム1970年01月08日1970年代上院特別委員会は,昨年12月の国会乱入デモ事件の責任はサイゴン市当局とチュー政府にあるとの報告書を採択。
DIA-201-1970-01-09-1南ベトナム1970年01月09日1970年代チュー大統領は,記者会見でアメリカ軍戦闘部隊が70年中に引きあげることは不可能であるとして早期撤兵に反対するとともに,「中立主義あるいは連合政権を主張する素朴な民族主義者たちは,共産主義者か親共産主義者である」と非難した。
DIA-201-1970-01-09-2南ベトナム1970年01月09日1970年代ベトナム戦争での米軍用機の損害は,ヘリコプターを含む6304機(163億ドル)で,内訳はヘリコプター3321機,有翼機2983機。
DIA-201-1970-01-10-1南ベトナム1970年01月10日1970年代ニューヨーク・タイムズ紙,韓国軍がベトナムで数百人の民間人を虐殺したことがあると報道。
DIA-201-1970-01-10-2南ベトナム1970年01月10日1970年代解放戦線,18カ所を砲撃,米軍83人が死傷。
DIA-201-1970-01-11-1南ベトナム1970年01月11日1970年代日本政府,南ベトナム向け経済開発借款(910万ドル)取決めを5年延長することに合意。
DIA-201-1970-01-11-2南ベトナム1970年01月11日1970年代第3次撤退計画の内訳-陸軍2万9500人,海兵隊1万2900人,空軍5600人,海軍2000人。
DIA-201-1970-01-12-1南ベトナム1970年01月12日1970年代サイゴン北方約64キロの地点で解放戦線の傍受センター発見。
DIA-201-1970-01-12-2南ベトナム1970年01月12日1970年代訪仏中のマッカーシー米上院議員はグエン・チ・ビン革命政府外相と会談。
DIA-201-1970-01-14-1南ベトナム1970年01月14日1970年代下院は,1970年度国家予算総額1778億4718万7000ピアストルを原案のまま承認した。
DIA-201-1970-01-14-2南ベトナム1970年01月14日1970年代仏教徒が平和集会-統一仏教会のアンタワン寺派は約1500人を集めて平和祈願集会を開いた。なお対立している国寺派の最高指導者の一人チック・チェン・ツオン師がこの集会に参加し,国寺派は事実上分裂した。
DIA-201-1970-01-14-3南ベトナム1970年01月14日1970年代B52戦略爆撃機,カンボジア国境の共産軍集結地,陣地,砲陣地を9波にわたり爆撃,1500トンの爆弾を投下した。
DIA-201-1970-01-15-1南ベトナム1970年01月15日1970年代アンタワン寺派主催の仏教徒学生による平和セミナー,警官介入で解散。
DIA-201-1970-01-15-2南ベトナム1970年01月15日1970年代臨時革命政府パリ代表,ソンミ事件の犠牲者は97家族242人と発表。
DIA-201-1970-01-16-1南ベトナム1970年01月16日1970年代チャン・バン・ドン将軍は,16人の上院議員とともに野党「人民ブロック」を結成。
DIA-201-1970-01-17-1南ベトナム1970年01月17日1970年代2師団長,4省長の更迭。
DIA-201-1970-01-17-2南ベトナム1970年01月17日1970年代タンザニア,臨時革命政府を承認。
DIA-201-1970-01-17-3南ベトナム1970年01月17日1970年代解放放送,都市のゲリラ活動を強化せよと呼びかけ。
DIA-201-1970-01-18-1南ベトナム1970年01月18日1970年代中部のクイニョン=アンケ間で韓国軍輸送隊は待伏せ攻撃をかけられ,死傷5人,トラック5台が破壊された。
DIA-201-1970-01-19-1南ベトナム1970年01月19日1970年代陸軍士官学校で解放戦線の地雷が爆発して死亡18人,負傷35人。
DIA-201-1970-01-19-2南ベトナム1970年01月19日1970年代3司令官更迭。
DIA-201-1970-01-19-3南ベトナム1970年01月19日1970年代米軍法会議,捕虜殺害容疑のロバート・プーロー海兵隊大尉を無罪に。
DIA-201-1970-01-20-1南ベトナム1970年01月20日1970年代米国際開発局,輸入資金として5000万ドルを供与。
DIA-201-1970-01-20-2南ベトナム1970年01月20日1970年代サイゴンのダイナム劇場爆破。
DIA-201-1970-01-20-3南ベトナム1970年01月20日1970年代グエン・フー・コ元南ベトナム副首相兼国防相は3年間の亡命を終え帰国。
DIA-201-1970-01-20-4南ベトナム1970年01月20日1970年代米軍,ベトナムでレーザー爆弾を実戦に使用中。
DIA-201-1970-01-21-1南ベトナム1970年01月21日1970年代解放戦線側55カ所を砲撃。
DIA-201-1970-01-22-1南ベトナム1970年01月22日1970年代サイゴン西南145キロのチュオンチエン省にある政府軍海兵第2旅団の陣地が解放戦線1個大隊の攻撃を受け,かなりの被害を受けた。
DIA-201-1970-01-22-2南ベトナム1970年01月22日1970年代人民革命党機関紙チエン・フォン紙,「経済,財政戦線を前進させよう」と題する論文を発表。
DIA-201-1970-01-23-1南ベトナム1970年01月23日1970年代反戦作曲家ミン・ドゥク・タン氏に5年の禁固重労働刑の判決。
DIA-201-1970-01-24-1南ベトナム1970年01月24日1970年代民社党最高顧問西尾末広氏,政治経済情勢視察のため南ベトナム訪問。
DIA-201-1970-01-25-1南ベトナム1970年01月25日1970年代ゴ・カク・チン情報相はバクリュー省の農村開発要員集会で演説し「もし共産側が1ないし2の閣僚ポストを要求するならば,それを認める用意があるが,村から中央政府に至るまでの行政組織や軍隊組織の連立化を要求する場合には,受け入れるわけにはいかない」と言明した。
DIA-201-1970-01-25-2南ベトナム1970年01月25日1970年代革命政府第2回閣僚会議開催。
DIA-201-1970-01-26-1南ベトナム1970年01月26日1970年代B52,60機,アシャワ渓谷付近の北ベトナム軍,解放戦線軍基地を爆撃し,約2000トンの爆弾を投下。
DIA-201-1970-01-26-2南ベトナム1970年01月26日1970年代解放戦線,サイゴンから11キロの地点で米輸送隊を襲撃。
DIA-201-1970-01-28-1南ベトナム1970年01月28日1970年代労働省,最低賃金を35~40%引上げることを決定。
DIA-201-1970-01-29-1南ベトナム1970年01月29日1970年代B52カンボジア国境沿いの解放戦線軍陣地を爆撃,約1000トンの爆弾を投下。
DIA-201-1970-01-30-1南ベトナム1970年01月30日1970年代サイゴンの中心地にある映画館レックスでプラスチック爆弾が爆発,数人が負傷。
DIA-201-1970-01-30-2南ベトナム1970年01月30日1970年代キニヨン,ダナンおよびバゴイの3地域の卸売米価は普通米100キロ袋付き3650ピアストル,特選米100キロ袋付き3800ピアストルと決定。
DIA-201-1970-02-01-1南ベトナム1970年02月01日1970年代政府はテトに政治犯243人を釈放。
DIA-201-1970-02-01-2南ベトナム1970年02月01日1970年代解放戦線,48カ所を砲撃,うち10余カ所で地上攻撃。
DIA-201-1970-02-03-1南ベトナム1970年02月03日1970年代解放戦線,30カ所を砲撃,サイゴン近辺でも地上攻撃。
DIA-201-1970-02-04-1南ベトナム1970年02月04日1970年代米軍の武装ヘリコプターの誤射で政府軍39人が死傷。
DIA-201-1970-02-05-1南ベトナム1970年02月05日1970年代解放戦線,4日間のテト停戦。政府軍は24時間。
DIA-201-1970-02-05-2南ベトナム1970年02月05日1970年代ダナン近くの米海兵隊司令部の下士官兵クラブで手投げ弾が爆発し,63人が死傷。
DIA-201-1970-02-07-1南ベトナム1970年02月07日1970年代B52,カンボジア国境とビントイ省を爆撃。
DIA-201-1970-02-08-1南ベトナム1970年02月08日1970年代解放戦線,サイゴンのプレスセンターを爆破。
DIA-201-1970-02-09-1南ベトナム1970年02月09日1970年代1月1日現在,政府軍が所有するM16ライフル銃は70万丁(昨年32万丁)に達した。
DIA-201-1970-02-09-2南ベトナム1970年02月09日1970年代米民主党政策委員会は,ベトナム政策について,①すべての米軍を18カ月以内にベトナムから撤退させる,②現在空席のパリ会談首席代表を直ちに任命する,③サイゴン政権をもっと広範な勢力を代表したものに改造することをニクソン大統領に要求した。
DIA-201-1970-02-09-3南ベトナム1970年02月09日1970年代政府,共産主義者と関係があったとみられるチャン・ゴク・チャウ,ホアン・バン・ツ両下院議員を訴追。
DIA-201-1970-02-10-1南ベトナム1970年02月10日1970年代レアード国防長官とホイーラー統合参謀本部議長,サイゴン到着。
DIA-201-1970-02-10-2南ベトナム1970年02月10日1970年代解放放送によると,西部解放区の農民は69-70年度に米の作付面積を前年度に比して10万ヘクタール拡大した。カント,カマウ,ソクチャン各省の農民は1回のとり入れで4~5トンの籾を収穫した。
DIA-201-1970-02-11-1南ベトナム1970年02月11日1970年代ドウニャナム紙によると,南ベトナムの金保有量は17トンで,スイスに12トン,国内に5トンである。
DIA-201-1970-02-12-1南ベトナム1970年02月12日1970年代解放戦線,ユエを砲撃。
DIA-201-1970-02-13-1南ベトナム1970年02月13日1970年代レアード国防長官,ベトナム訪問終る-出発に当たっての記者会見で,「ベトナム化計画は軍事的見地からみて,一部では計画どおり前進しているし,一部では計画より進んでいる…… 現実的な評価としては軍事および経済面で前途には難関が横たわっている事実を認めなければならない。ベトナム化計画を成功裡に完成する過程には,一部のきびしい試練や失望は免れないだろう…… もし北ベトナムが北爆停止と拡大パリ会談に導いた68年11月1日の了解に違反すれば,その結果の“防御的反応”がどのようなものであるか彼らは心しておくべきだ。防御的反応の政策は米軍の安全に第一の重点をおいている」と語った。
DIA-201-1970-02-14-1南ベトナム1970年02月14日1970年代カンボジア国境で激戦-米軍スポークスマンによれば,米軍はタイニン省のカンボジア国境で北ベトナム正規軍と約3時間にわたる激戦を行ない,戦死7人,負傷27人の損害を受けた。
DIA-201-1970-02-14-2南ベトナム1970年02月14日1970年代南ベトナム人民解放武装勢力統一9周年-中国の林彪国防部長,臨時革命政府のチャン・ナム・チュン国防相へ祝電。
DIA-201-1970-02-16-1南ベトナム1970年02月16日1970年代ダナンに米領事館開設。
DIA-201-1970-02-17-1南ベトナム1970年02月17日1970年代臨時革命政府は2月15日を人民解放武装勢力成立記念日,6月6日を臨時革命政府樹立の記念日とすることを決定した。
DIA-201-1970-02-18-1南ベトナム1970年02月18日1970年代ビエンホア米軍基地で政府軍の誤射により23人死傷。
DIA-201-1970-02-18-2南ベトナム1970年02月18日1970年代南ベトナム・日本経済協力開発委員会設置。
DIA-201-1970-02-19-1南ベトナム1970年02月19日1970年代マッカーシー米上院議員は,上院外交委員会で「私は共産側と話合ったのち,彼らは米軍撤退前に,サイゴンに連合政府を樹立するため努力しようとしていると感じた」と証言した。
DIA-201-1970-02-19-2南ベトナム1970年02月19日1970年代B52,メコン・デルタ地域を爆撃。
DIA-201-1970-02-19-3南ベトナム1970年02月19日1970年代解放放送,北部クアンナム省で,米・韓国軍が1969年11月から12月にかけて2000人の民間人を虐殺したと報道。
DIA-201-1970-02-19-4南ベトナム1970年02月19日1970年代グエン・チ・ハン南部解放婦人連合会中央委員を団長とする婦人代表団,レーニン生誕百周年記念集会に出席のためソ連訪問。
DIA-201-1970-02-19-5南ベトナム1970年02月19日1970年代米軍当局,ダナン南方43キロの村で婦女子16人を虐殺した疑いで5人の米海兵隊員を告発。
DIA-201-1970-02-20-1南ベトナム1970年02月20日1970年代タバコ・ビール・新聞用紙の増税。
DIA-201-1970-02-20-2南ベトナム1970年02月20日1970年代与党国家社会民主戦線所属の民族社会民主革命連盟(党首グエン・バン・フォン)分裂。
DIA-201-1970-02-20-3南ベトナム1970年02月20日1970年代解放戦線のゲリラ2個中隊は,クアンチン省沿岸部の米偵察車および装甲輸送車隊を攻撃し,米側に死者14人,負傷者29人の損害を与えた。
DIA-201-1970-02-22-1南ベトナム1970年02月22日1970年代フィン・タン・ムン臨時革命政府顧問評議会委員,2月3日に死亡。22日,ハノイでカオダイ教徒同盟による追悼式。
DIA-201-1970-02-25-1南ベトナム1970年02月25日1970年代米軍,ライケ基地を政府軍に委譲。
DIA-201-1970-02-26-1南ベトナム1970年02月26日1970年代解放戦線,29カ所を砲撃。
DIA-201-1970-02-26-2南ベトナム1970年02月26日1970年代チャン・ゴク・チャウ下院議員,議会内で逮捕。
DIA-201-1970-02-27-1南ベトナム1970年02月27日1970年代警察部隊,ショロンの中国人街で,解放戦線部隊と銃撃戦。
DIA-201-1970-02-27-2南ベトナム1970年02月27日1970年代経済省は,共産主義国に寄港した外国船舶は,南ベトナムの港に入港させないことを決定。
DIA-201-1970-02-27-3南ベトナム1970年02月27日1970年代解放戦線,35カ所を砲撃。この攻撃で米側は航空機3機に損害を受け,米兵16人と政府軍兵士5人が死亡,米兵29人と政府軍兵29人が負傷。
DIA-201-1970-02-28-1南ベトナム1970年02月28日1970年代解放戦線,サイゴンのフーラム地区で政府軍と交戦,市内2カ所でテロ攻撃。
DIA-201-1970-02-28-2南ベトナム1970年02月28日1970年代上下両院合同会議,地方選挙法案を否決。
DIA-201-1970-03-02-1南ベトナム1970年03月02日1970年代サイゴンの新聞25紙(発行部数総計約60万)新聞用紙値上げに反対してストに突入。
DIA-201-1970-03-02-2南ベトナム1970年03月02日1970年代チャン・ゴク・チャウ下院議員の再審始まる。
DIA-201-1970-03-03-1南ベトナム1970年03月03日1970年代華字紙11紙もストに参加。
DIA-201-1970-03-05-1南ベトナム1970年03月05日1970年代経済省は日本からの援助資金(100万ドル)による日本製農機具の輸入を承認。
DIA-201-1970-03-05-2南ベトナム1970年03月05日1970年代再審でチャウ議員に重労働10年の判決。
DIA-201-1970-03-05-3南ベトナム1970年03月05日1970年代サイゴンの新聞発行者,従業員代表から成る「行動委員会」(議長トン・タト・ジン上院議員)は政府が新聞用紙値上げ条令の全面撤回に応じない場合は,第2波の抗議行動に入り,サイゴンの全紙が団結して政府のあらゆる公的活動,記者会見,公式行事,政府発表などすべての取材をボイコットするとの決議を採択した。
DIA-201-1970-03-06-1南ベトナム1970年03月06日1970年代キッシンジャー米大統領顧問はフランス国営テレビとのインタビューで「ニクソン大統領はその第1期の任期を終了する前に,ベトナム和平を達成するだろう」,「ニクソン政権の政策には,ベトナム化と交渉という2つの道がある。われわれは交渉のほうを進めたい。なぜならそれはより早く,より信頼できる方法であり,はっきりと終了の日を決めることが出来るやり方だからである」と語った。
DIA-201-1970-03-07-1南ベトナム1970年03月07日1970年代日本の援助協定調印。
DIA-201-1970-03-07-2南ベトナム1970年03月07日1970年代ホアビン紙によると南ベトナム共産党中央本部は,サイゴンのチュー政権を打倒し,南ベトナム全土を解放する戦略をきめた「第13号決議」を採択した。
DIA-201-1970-03-07-3南ベトナム1970年03月07日1970年代サイゴンの新聞行動委員会,政府の妥協案を拒否し,取材拒否に突入。
DIA-201-1970-03-07-4南ベトナム1970年03月07日1970年代上院の「チャン・ゴク・チャウ事件特別調査委員会」はチャウ議員の待遇を非難。
DIA-201-1970-03-09-1南ベトナム1970年03月09日1970年代カントの米文化センターで爆発。
DIA-201-1970-03-09-2南ベトナム1970年03月09日1970年代政府,新聞用紙値上げを撤回-チン情報相,コク経済相は行動委代表と会見し要旨次のような政府提案を行なった。①現在サイゴン各紙が消費する年間8000~1万トンの新聞用紙の値上げは行なわない,②今後新たに発行される新聞に対しても同様の措置をとる,③学生に対する負担を軽くするため,教科書その他の書籍出版に必要な用紙には課税しない。 行動委員会はこれを受諾して,10日のストを中止した。
DIA-201-1970-03-10-1南ベトナム1970年03月10日1970年代授業料反対の学生スト-サイゴンの国立「カオタン工業学校」の学生約2000人は午前9時半からの授業出席を全員ボイコットし,約200人のグループに分かれて市中心部のマーケット付近で24時間のすわり込みストにはいった。国立の学校は授業料を免除されていたが,今年から新規に徴収することが決まったのに抗議したものである。
DIA-201-1970-03-11-1南ベトナム1970年03月11日1970年代ズン・バン・ミン将軍は,チン・サン紙上で,①あらゆる宗教団体は平和のために団結すべきである,②指導者たちは権力の独占をやめ,平和再建のため宗教団体指導者と連携すべきだ,と呼びかけた。
DIA-201-1970-03-14-1南ベトナム1970年03月14日1970年代サイゴンの第3区区役所内でプラスチック爆弾が爆発し,死亡1人,重軽傷5人。
DIA-201-1970-03-16-1南ベトナム1970年03月16日1970年代ダナン空軍基地で米大型偵察機が墜落し,乗員22人が死亡,地上勤務の11人が負傷した。
DIA-201-1970-03-16-2南ベトナム1970年03月16日1970年代サイゴン警察は「首都解放学生グループ」という解放戦線の学生組織を摘発,学生39人を逮捕したと発表した。発表によれば,このグループの目的はサイゴン学生連合の運営を握り,政府の社会・経済政策に対する学生の反対闘争を盛上げ,チュー政権打倒のために人民を結集することにあったとされている。
DIA-201-1970-03-16-3南ベトナム1970年03月16日1970年代内務省は,3月から5月までに村評議会委員1118人と部落長および副長4462人を選出すると発表。
DIA-201-1970-03-17-1南ベトナム1970年03月17日1970年代米陸軍省は,ソンミ事件で,ウエストポイント陸軍士官学校校長のサミエル・コスター少将をはじめ事件当時に現地師団の幹部だった将官,将校合計14人が職務怠慢,偽証容疑で告発された旨発表した。
DIA-201-1970-03-18-1南ベトナム1970年03月18日1970年代共同アピール-解放放送は,19日の全国反米救国闘争記念日にあたり,「すべての南ベトナム人民と軍隊はサイゴン政権を打倒し,権力を人民の手に取り返すために,戦い抜こう」と題する解放戦線中央委員会・民族民主平和連盟・臨時革命政府の3者共同アピールを発表した。
DIA-201-1970-03-21-1南ベトナム1970年03月21日1970年代政府軍第44特別野戦区(チャウドク省とキエンフォン省)のボー・フー・ハン司令官は,カンボジア領内の共産軍と戦うカンボジア軍を支援するため,政府軍が支援砲撃を行なったことを確認した。
DIA-201-1970-03-21-2南ベトナム1970年03月21日1970年代サイゴン警察,解放戦線スパイ14人を逮捕。
DIA-201-1970-03-22-1南ベトナム1970年03月22日1970年代サイゴン北西方11キロにある仏教寺院で開催中の宗教集会に手投げ弾が投げ込まれ,14人が死亡,20人が負傷した。
DIA-201-1970-03-23-1南ベトナム1970年03月23日1970年代サイゴン大学医学,薬学両学部の学生約4000人はフィン・タン・ナムサイゴン学生連合議長代理ら多数の学生の逮捕に抗議して,3日間のストに入った。
DIA-201-1970-03-24-1南ベトナム1970年03月24日1970年代サイゴン大学の教育・理学・史学3学部の学生約7000人もストに参加した。
DIA-201-1970-03-24-2南ベトナム1970年03月24日1970年代日本の文部省は,ベトナム人留学生4人に対して本年4月から奨学金の給付を認めない措置をとった。
DIA-201-1970-03-26-1南ベトナム1970年03月26日1970年代臨時革命政府は,シアヌーク殿下が23日に明らかにした救国闘争を全面的に支持する声明を発表。
DIA-201-1970-03-26-2南ベトナム1970年03月26日1970年代新土地改革法公布-骨子は制度としての小作をいっさい認めず,中部地方では1ha,南部では3haまで,耕作者が農地を持てるよう,地主から買上げた土地を無償で配分するもの。
DIA-201-1970-03-27-1南ベトナム1970年03月27日1970年代カンボジア領で交戦-サイゴンの軍事筋によると,政府軍の装甲部隊およびレインジャー部隊はカンボジア領内3.2キロの地点に進入,空軍,砲撃の支援のもとに解放戦線部隊と交戦した。
DIA-201-1970-03-27-2南ベトナム1970年03月27日1970年代サイゴン大学全学スト。
DIA-201-1970-03-28-1南ベトナム1970年03月28日1970年代ジーグラー米大統領報道官は南ベトナムの米軍司令官は,カンボジアおよびラオス領内から北ベトナム,南ベトナム解放戦線が米軍に砲撃を加えてきた場合に限り,自衛のため砲爆撃で応酬するほか,必要ならば米地上軍を両国内に進攻させることが出来ると語った。
DIA-201-1970-03-29-1南ベトナム1970年03月29日1970年代解放戦線は,タイニン市北西のカンボジア国境から6キロの地点にある米第1空輸機甲師団第1旅団の火砲陣地に砲撃,地上攻撃を行ない,米軍の発表によると死者74人を出した。米軍の死傷43人。
DIA-201-1970-03-31-1南ベトナム1970年03月31日1970年代学生15人が下院正面で断食スト。
DIA-201-1970-04-01-1南ベトナム1970年04月01日1970年代解放戦線,49カ所の米軍・政府軍陣地を砲撃。
DIA-201-1970-04-02-1南ベトナム1970年04月02日1970年代解放戦線,米・政府軍陣地77カ所を砲撃。
DIA-201-1970-04-02-2南ベトナム1970年04月02日1970年代革命政府外務省スポークスマンは,「カンボジア領内にベトナム人が侵入した,とのカンボジア当局の宣伝は,明らかな中傷である」と言明。
DIA-201-1970-04-02-3南ベトナム1970年04月02日1970年代シューマン・フランス外相は,外人記者との昼食会で「インドシナ問題の解決は54年と62年のジュネーブ協定に基づき,そのすべての関係国による交渉によってインドシナに“平和・中立地域”の設定を保証することにある」と述べ,この関係国の中には中国の参加が不可欠であることを強調した。
DIA-201-1970-04-02-4南ベトナム1970年04月02日1970年代米東部のマサチューセッツ州で,同州出身の兵士たちはベトナム戦争での戦闘任務につくのを拒否することが出来るという“反戦法”が成立した。
DIA-201-1970-04-03-1南ベトナム1970年04月03日1970年代マクロスキー米国務省スポークスマンは,「仏提案の真意を具体的に確かめるため,米仏両政府はさらに内々の会談を行なうことに同意した。会談はすでに2日から,リュセ駐米仏大使とグリーン米国務次官補の間で始まっている」と言明した。
DIA-201-1970-04-03-2南ベトナム1970年04月03日1970年代解放戦線,メコン・デルタ北部およびカンボジア国境付近の政府軍,米軍陣地60カ所を砲撃。
DIA-201-1970-04-03-3南ベトナム1970年04月03日1970年代解放戦線,北東部沿岸のタムキから約17キロの政府軍陣地2カ所を奪取。
DIA-201-1970-04-04-1南ベトナム1970年04月04日1970年代スターズ・アンド・ストライプス紙のサイゴン支局長は,部下に米軍の新聞検閲を批判した記事を書くことを許したとの理由で解任された。
DIA-201-1970-04-04-2南ベトナム1970年04月04日1970年代ワシントンで1万5000人のベトナム戦争賛成デモ。
DIA-201-1970-04-05-1南ベトナム1970年04月05日1970年代米軍ヘリコプターが中部プレイク市近くで政府軍部隊をロケット機関銃で誤爆し,政府軍10人が死亡,30人が負傷した。
DIA-201-1970-04-06-1南ベトナム1970年04月06日1970年代解放戦線はラオスとの国境にある米軍特殊部隊基地を包囲し,さらに緊急補給物資を投下しようとした米軍輸送機3機を撃墜。
DIA-201-1970-04-07-1南ベトナム1970年04月07日1970年代日本の東京出入国管理事務所は在日ベトナム人留学生にパスポートなしで在留延長を認め,在留許可証を発行した。
DIA-201-1970-04-07-2南ベトナム1970年04月07日1970年代傷い軍人協会は住居の無料提供,恩給の引上げ,就職のあっ旋などを要求して反政府デモを行ない,警官隊と衝突した。
DIA-201-1970-04-10-1南ベトナム1970年04月10日1970年代非武装地帯の南16キロの米軍特殊部隊基地マイロクは,北ベトナム軍部隊の攻撃を受け,米軍6人,山岳部族兵21人が死亡した。
DIA-201-1970-04-12-1南ベトナム1970年04月12日1970年代解放戦線,全土にわたって42カ所を砲撃,中部高原のラオス国境にあるダクペク特殊部隊基地に対しては地上攻撃。
DIA-201-1970-04-13-1南ベトナム1970年04月13日1970年代解放戦線のロケット弾サイゴン中心部の劇場に命中し,41人が死傷。
DIA-201-1970-04-13-2南ベトナム1970年04月13日1970年代解放戦線,プレーク北方8キロの政府軍レインジャー部隊の家族キャンプを奇襲,83人が死傷した。
DIA-201-1970-04-13-3南ベトナム1970年04月13日1970年代第3次撤退計画完了の結果在ベトナム米軍兵力は41万9200人となった。
DIA-201-1970-04-14-1南ベトナム1970年04月14日1970年代日本の経団連調査団,合弁開発銀行設立のためサイゴン訪問。
DIA-201-1970-04-15-1南ベトナム1970年04月15日1970年代ニューヨークの反戦デモに2万人が参加。
DIA-201-1970-04-15-2南ベトナム1970年04月15日1970年代米政府当局者によれば,アメリカは南ベトナム政府に対して,カンボジア国境の共産軍と戦うため政府軍部隊がこれ以上出撃するのを見合わせるよう警告した。
DIA-201-1970-04-16-1南ベトナム1970年04月16日1970年代解放戦線,大統領官邸をロケット砲撃。
DIA-201-1970-04-16-2南ベトナム1970年04月16日1970年代ソ連のマリク大使は,国連本部で「フランスのインドシナ関係諸国会議開催案にソ連は強い関心を抱いている」,「これはインドシナ半島の緊張を緩和するだろう」と述べた。
DIA-201-1970-04-17-1南ベトナム1970年04月17日1970年代ショロン地区でカンボジアでのベトナム人虐殺に抗議して数百人がデモ。
DIA-201-1970-04-18-1南ベトナム1970年04月18日1970年代政府軍機甲部隊,「オウムのクチバシ」地区で越境攻撃。
DIA-201-1970-04-19-1南ベトナム1970年04月19日1970年代仏教徒アンクワン派学生200人,カンボジアでのベトナム人虐殺に抗議デモ。
DIA-201-1970-04-20-1南ベトナム1970年04月20日1970年代民族民主平和勢力連合結成2周年アピール-サイゴン政権の打倒と平和内閣の樹立のため,連盟はすべての愛国的,民主的人士と共同行動をとると声明。
DIA-201-1970-04-20-2南ベトナム1970年04月20日1970年代ニクソン大統領演説-来春までに15万人の撤退,政治解決に関する原則を発表。
DIA-201-1970-04-20-3南ベトナム1970年04月20日1970年代革命政府のビン外相,フランスが提案したジュネーブ会議案を拒否。
DIA-201-1970-04-20-4南ベトナム1970年04月20日1970年代政府軍1万,カンボジア領を攻撃。
DIA-201-1970-04-22-1南ベトナム1970年04月22日1970年代政府軍5000,メコンデルタ西部のホング・ツエンビンの2カ所から越境攻撃。
DIA-201-1970-04-23-1南ベトナム1970年04月23日1970年代カンボジア在住ベトナム人問題の処理のための「閣僚委員会」設置。
DIA-201-1970-04-24-1南ベトナム1970年04月24日1970年代サイゴンの大学生約300人,旧カンボジア大使館を占拠。
DIA-201-1970-04-24-2南ベトナム1970年04月24日1970年代プラウダのワシリエフ評論員は,米の15万撤兵について,「アメリカの支配階級は破産した東南アジアでの帝国主義的侵略政策にいぜんとしてしがみついている」と論評した。
DIA-201-1970-04-25-1南ベトナム1970年04月25日1970年代インドシナ首脳会議(参考資料参照)。
DIA-201-1970-04-25-2南ベトナム1970年04月25日1970年代カンボジア在留ベトナム人問題の実情を調査する現地調査団(団長チャン・グォン・ヒュー社会福祉相),プノンペン到着。
DIA-201-1970-04-26-1南ベトナム1970年04月26日1970年代解放戦線特攻隊,サイゴン北方約50キロの米砲兵陣地を爆破し,16人が死傷。
DIA-201-1970-04-29-1南ベトナム1970年04月29日1970年代解放戦線,負傷者引渡しのため,ダクセアン周辺での停戦を提案。
DIA-201-1970-04-29-2南ベトナム1970年04月29日1970年代最高裁は学生逮捕者を審理する軍事法廷を憲法違反であると判決。
DIA-201-1970-05-02-1南ベトナム1970年05月02日1970年代第4軍管区司令官グエン・ベト・タン将軍のヘリコプター墜落。
DIA-201-1970-05-03-1南ベトナム1970年05月03日1970年代アンクワン寺派の僧と信徒300人,政府系のベトナム国寺を占拠。
DIA-201-1970-05-04-1南ベトナム1970年05月04日1970年代革命政府,ヘルシンキに情報センターを開設。
DIA-201-1970-05-05-1南ベトナム1970年05月05日1970年代ウ・タント国連事務総長は,インドシナ情勢について特別声明を発表し,「南ベトナムの古い戦争とカンボジアの新しい戦争」の終結のため,関係諸国による国際会議を早急に開く必要があると強調した。
DIA-201-1970-05-05-2南ベトナム1970年05月05日1970年代アンクワン寺派仏教徒と国寺派仏教徒約700人がショロン地区で衝突,死者6人,負傷者50人以上を出した。
DIA-201-1970-05-05-3南ベトナム1970年05月05日1970年代故ホ・チ・ミン大統領の誕生日を記念するデモに備えて,サイゴン市内の全大学・高校は政府により閉鎖された。
DIA-201-1970-05-05-4南ベトナム1970年05月05日1970年代サイゴン・ジアディン地区の夜間外出禁止時間,午後11時から午前5時半まで延長。従来は午前1時から午前5時半。
DIA-201-1970-05-05-5南ベトナム1970年05月05日1970年代パリ会談の北ベトナム,革命政府代表団は,「ニクソン政権の北爆とインドシナ全域への戦争拡大に対して怒りと非難を表明するため」6日の会談出席を拒否。
DIA-201-1970-05-05-6南ベトナム1970年05月05日1970年代解放戦線,ダナンの西北180キロにあるヘンダーソン米砲兵基地を砲撃し,米兵29人が死亡,31人が負傷した。
DIA-201-1970-05-05-7南ベトナム1970年05月05日1970年代革命政府,カンボジア王国民族団結政府を承認。
DIA-201-1970-05-05-8南ベトナム1970年05月05日1970年代最高裁,昨年10月の耐乏税は憲法違反であると判決。
DIA-201-1970-05-07-1南ベトナム1970年05月07日1970年代解放戦線,プレークの米軍基地を6日に続いて連続砲撃し将校クラブ,レクリェーション施設を破壊。
DIA-201-1970-05-08-1南ベトナム1970年05月08日1970年代解放戦線,ダナンを砲撃,死傷25人。
DIA-201-1970-05-08-2南ベトナム1970年05月08日1970年代チュー大統領は,記者会見で,①私はベトコン基地を撃破するため政府軍のカンボジア進攻を命令した,これは同盟軍とベトナム人民の生命を救うため必要な措置だからである,②われわれはカンボジアに無期限にとどまる考えはないが,撤退の期限を定めてはいない。そして再進攻が必要となった時はいつでもカンボジア政府に合意を求める考えであると語った。
DIA-201-1970-05-09-1南ベトナム1970年05月09日1970年代学生約100人,教育省を占拠し,全員逮捕。
DIA-201-1970-05-09-2南ベトナム1970年05月09日1970年代ホワイトハウス高官筋は,「北ベトナム軍が非武装地帯を越えて大量に南ベトナムに侵入してきた場合,米国は断固として対抗措置をとるが,いかなる場合でも核兵器を使うようなことはない」と言明した。
DIA-201-1970-05-10-1南ベトナム1970年05月10日1970年代パリでフランス左翼と労働組合員20万人が,ベトナム戦争と米軍のカンボジア侵入に抗議してデモ。
DIA-201-1970-05-10-2南ベトナム1970年05月10日1970年代解放戦線は故ホ・チ・ミン大統領生誕80周年およびベトナム独立同盟(ベトミン)創立29周年記念日に当たる8月19日を前に,「5月を堂々たる勝利の月とするため,全戦線で攻撃を強化せよ」との呼びかけを発表した。
DIA-201-1970-05-11-1南ベトナム1970年05月11日1970年代解放戦線,中部高原コンツム省のダクペク特殊部隊へ地上攻撃,政府側は21人が負傷した。
DIA-201-1970-05-11-2南ベトナム1970年05月11日1970年代解放戦線,ダラトの警察訓練センターをロケット砲撃し,23人が死亡,15人が負傷した。
DIA-201-1970-05-12-1南ベトナム1970年05月12日1970年代解放戦線,大統領官邸を砲撃。
DIA-201-1970-05-12-2南ベトナム1970年05月12日1970年代解放戦線中央委員会と革命政府は,ホー大統領の第80回の誕生日を記念する特別コミュニケを発表。
DIA-201-1970-05-13-1南ベトナム1970年05月13日1970年代駐ベトナム米陸軍工兵隊司令官ジョン・A・B・ジラード少将は,同乗のヘリコプターが,プレーク南西16キロの上空で解放戦線の対空砲火で撃墜されて死亡。
DIA-201-1970-05-14-1南ベトナム1970年05月14日1970年代政府軍スポークスマン,政府軍はシアヌーク元首追放の2日後にカンボジア領へ進攻作戦を開始していたと発表。
DIA-201-1970-05-15-1南ベトナム1970年05月15日1970年代ベトナム派遣米海軍司令官にジェローム・キング中将。前任のエルモ・ズムワルト中将は海軍作戦部長に就任。
DIA-201-1970-05-16-1南ベトナム1970年05月16日1970年代解放放送は,ジャカルタのアジア会議について「これはアメリカのカンボジアにおける侵略行為を覆い隠し,アジア人を使って,アジア人と戦わせるというニクソン・ドクトリンを実現し,さらにロン・ノル反動政権を正当化しようとするものであり,この会議で採択されるいかなる決議も無効である」と非難した。
DIA-201-1970-05-16-2南ベトナム1970年05月16日1970年代クリフォード前米国防長官。ライフ誌上でカンボジア進攻を批判。
DIA-201-1970-05-17-1南ベトナム1970年05月17日1970年代マンスフィールド上院議員,米軍の進攻は失敗と語る。
DIA-201-1970-05-18-1南ベトナム1970年05月18日1970年代ラム外相は,ジャカルタで,政府軍地上部隊がラオス領内のホー・ルートを攻撃していることを明らかにした。
DIA-201-1970-05-19-1南ベトナム1970年05月19日1970年代解放戦線,61カ所を砲撃。
DIA-201-1970-05-20-1南ベトナム1970年05月20日1970年代毛沢東声明(中国の部参照)。
DIA-201-1970-05-20-2南ベトナム1970年05月20日1970年代ド・カオ・チ第3軍管区司令官は,カンボジア進攻作戦は政府軍に関する限り,チュー大統領の指示があるまで継続すると語った。
DIA-201-1970-05-21-1南ベトナム1970年05月21日1970年代政府はカンボジア在住ベトナム市民の引揚げを一時中止。
DIA-201-1970-05-21-2南ベトナム1970年05月21日1970年代キ副大統領は「共産帝国主義者と戦うためベトナム・カンボジア・ラオス・タイを通る軍事回廊を作るべきである」,「米軍がカンボジアから撤退すれば,政府軍もそれにならうにちがいないと考えるのは間違いである」と演説した。
DIA-201-1970-05-21-3南ベトナム1970年05月21日1970年代チュー大統領,国会に対して「経済,財政に関する非常権限法案」を提出-この法案は今後5カ月間にかぎり一定の経済政策の立案を法律によらず政令で実施出来るよう議会が政府に権限を委任するものである。委任される権限のおもなものは,①証券市場の新設,②税制の改正,③投資法の制定,④工業地域の設定,⑤退役軍人の救済などである。
DIA-201-1970-05-22-1南ベトナム1970年05月22日1970年代首都サイゴン,ジアディン地区の夜間外出禁止時間短縮,小中学校と高校は授業再開。
DIA-201-1970-05-22-2南ベトナム1970年05月22日1970年代経済省は,昨年10月23日に実施された耐乏税に代わる「新軍事平衡税」を発表した。これは耐乏税が8月5日最高裁で違憲と判決され21日効力を失ったことにたいする臨時対策で期間は5カ月となっている。
DIA-201-1970-05-22-3南ベトナム1970年05月22日1970年代レアード米国防長官は,テレビ会見で,米軍がきたる6月末までにカンボジア領内から引き揚げたあと,南ベトナム政府軍がカンボジアに残るかどうかは拘束すべきでないと言明した。
DIA-201-1970-05-24-1南ベトナム1970年05月24日1970年代グエン・フー・ト解放戦線議長とフィン・タン・ファト革命政府首相電報で毛声明のベトナム南部人民に対する支持と援助に謝意を表明。
DIA-201-1970-05-25-1南ベトナム1970年05月25日1970年代ハリマン元パリ会談米首席代表は,米下院外交委員会で,ニクソン大統領のベトナム化政策は戦争を長びかすだけである。平和のためにはインドシナにいる米軍全部の撤退のための決まった時刻表を作るべきだと証言した。
DIA-201-1970-05-26-1南ベトナム1970年05月26日1970年代米国防省筋は,「レアード国防長官が南ベトナムからの第4次米軍撤退は,少なくとも7月までは開始しない方針を決めている」と語った。
DIA-201-1970-05-27-1南ベトナム1970年05月27日1970年代解放戦線奇襲部隊,サイゴン市内で警官隊と交戦,警官3人が負傷。
DIA-201-1970-05-27-2南ベトナム1970年05月27日1970年代政府軍1万,カンボジアのタケオ付近で新作戦を開始。
DIA-201-1970-05-28-1南ベトナム1970年05月28日1970年代ニューヨーク・タイムズ紙によると,米特殊部隊は南ベトナム南部のメコン・デルタ地帯のカンボジア系住民のなかから,カンボジア領内での作戦のための要員を集めている。
DIA-201-1970-05-28-2南ベトナム1970年05月28日1970年代カンボジア=南ベトナム共同コミュニケ-このなかで,①63年以来断絶していた国交を回復すること,②ベトナム軍は任務完了までカンボジアに残留すること,③カンボジアは北ベトナム・臨時革命政府との断交を宣言することなどが発表された。
DIA-201-1970-05-29-1南ベトナム1970年05月29日1970年代サイゴンで学生数千人が反政府デモ。
DIA-201-1970-05-30-1南ベトナム1970年05月30日1970年代カンボジアとの間に,経済協力と難民問題について相互協定。
DIA-201-1970-05-30-2南ベトナム1970年05月30日1970年代解放戦線,ダラト市に進入,交戦中。
DIA-201-1970-05-31-1南ベトナム1970年05月31日1970年代急進派の仏教徒,僧侶2000人がベトナム戦争の拡大に抗議して全国でハンスト。
DIA-201-1970-05-31-2南ベトナム1970年05月31日1970年代政府軍,ダラト市を奪回。
DIA-201-1970-05-31-3南ベトナム1970年05月31日1970年代ニクソン大統領,インドシナ情勢について軍首脳と協議。エイブラムズ在ベトナム米援助軍司令官も参加。
DIA-201-1970-06-01-1南ベトナム1970年06月01日1970年代サイゴン大学で登校拒否の学生,警官と衝突。
DIA-201-1970-06-02-1南ベトナム1970年06月02日1970年代米国のワシントン基地の将校約25人は,“憂える将校たちの運動”と呼ぶ反戦グループを組織した。
DIA-201-1970-06-02-2南ベトナム1970年06月02日1970年代ベトナムで最初のテレビ組立て工場(月間組立て5000台)が,日本の松下電気工業の技術協力によって完成。
DIA-201-1970-06-03-1南ベトナム1970年06月03日1970年代解放戦線および北ベトナム軍は,クアンチ省の政府軍基地を攻撃,政府軍は死者36人,負傷者54人を出した。
DIA-201-1970-06-03-2南ベトナム1970年06月03日1970年代ニクソン大統領の演説(参考資料参照)。
DIA-201-1970-06-04-1南ベトナム1970年06月04日1970年代キ副大統領を団長とするベトナム政府高級軍事使節団,プノンペン訪問。
DIA-201-1970-06-04-2南ベトナム1970年06月04日1970年代解放戦線,71カ所を砲撃。
DIA-201-1970-06-04-3南ベトナム1970年06月04日1970年代ロジャーズ米国務長官,サイゴン到着。「政治的解決の諸方策についてチュー大統領と会談する」予定と語る。
DIA-201-1970-06-05-1南ベトナム1970年06月05日1970年代革命政府樹立1周年-解放通信は「革命権力の光栄ある1年」と題する社説で,これまで42の省と都市,150の県と省都,1500以上の村に人民革命権力を樹立し,また同政府は47カ国と関係を樹立したと発表した。
DIA-201-1970-06-06-1南ベトナム1970年06月06日1970年代南ベトナム救国戦線(議長チャン・バン・ドン上院議員)が正式に政党として承認された。
DIA-201-1970-06-06-2南ベトナム1970年06月06日1970年代革命政府1周年祝賀会。
DIA-201-1970-06-08-1南ベトナム1970年06月08日1970年代革命政府のビン外相,帰国の途中チェコを訪問。
DIA-201-1970-06-10-1南ベトナム1970年06月10日1970年代ニューヨーク・タイムズ紙によれば米政府がベトナムでの経済・社会面の援助計画の責任を国務省機関から国防総省に移すような対外援助計画の修正を計画していると報道した。
DIA-201-1970-06-11-1南ベトナム1970年06月11日1970年代解放戦線,クアンナム省のホイアン南西10キロの政府軍基地を攻撃,ほか43カ所を砲撃。
DIA-201-1970-06-11-2南ベトナム1970年06月11日1970年代アンクワン寺派のチェン・ラト師は,政府の政策に抗議するとともにベトナム和平を訴えて焼身自殺した。
DIA-201-1970-06-11-3南ベトナム1970年06月11日1970年代総額を1770億から1900億ピアストルへ増額した1970年度予算修正案,国会に提出。
DIA-201-1970-06-12-1南ベトナム1970年06月12日1970年代政府軍の統計によると5月3日から6月6日までの5週間に,政府軍の戦死者3326人,負傷者8500人,米軍の戦死者811人,負傷者4970人であった。共産側に与えた損失は死者1万7952人となっている。
DIA-201-1970-06-13-1南ベトナム1970年06月13日1970年代サイゴンの学生約300人,逮捕学生の釈放を要求して抗議集会。
DIA-201-1970-06-15-1南ベトナム1970年06月15日1970年代サイゴンの学生約600人,政府の学生弾圧に抗議して警官隊と衝突。
DIA-201-1970-06-15-2南ベトナム1970年06月15日1970年代約6000人の港湾労務者,約4000人のタクシー運転手,米軍関係労務者280人の解雇に抗議して24時間のスト。
DIA-201-1970-06-17-1南ベトナム1970年06月17日1970年代ビン革命政府外相,帰国の途中周恩来中国首相と会見。
DIA-201-1970-06-19-1南ベトナム1970年06月19日1970年代タイのタノム首相はサイゴンを訪問し,エイブラムズ米援助軍司令官,カオ・バン・ビ統合参謀本部議長と会談。
DIA-201-1970-06-20-1南ベトナム1970年06月20日1970年代米ヘリコプター,シャム湾に出漁中の漁船を誤射し,漁船15~20隻が沈没あるいは損害を受け約100人の犠牲者がでたもよう。
DIA-201-1970-06-20-2南ベトナム1970年06月20日1970年代経済・財政に関する非常権限法案をめぐって下院で大乱闘。
DIA-201-1970-06-21-1南ベトナム1970年06月21日1970年代7月1日から軍制改革,4軍管区を6軍管区へ。 △解放戦線,ダナン中心部砲撃,住民14人が死傷。
DIA-201-1970-06-23-1南ベトナム1970年06月23日1970年代米海軍は,273隻の戦闘用舟艇をベトナム海軍に引渡した。
DIA-201-1970-06-23-2南ベトナム1970年06月23日1970年代下院本会議は大統領緊急提案の「経済,財政に関する非常権限法案」を賛成67,反対25で強行可決。
DIA-201-1970-06-24-1南ベトナム1970年06月24日1970年代米上院,トンキン湾決議の廃棄を可決。
DIA-201-1970-06-25-1南ベトナム1970年06月25日1970年代サイゴン・ショロン地区の労働組合連合,朝6時から無期限ストに突入。124組合,約4万人の労働者が参加した。
DIA-201-1970-06-27-1南ベトナム1970年06月27日1970年代チュー大統領,政府軍は米軍のカンボジア撤退後も残留すると言明。
DIA-201-1970-06-28-1南ベトナム1970年06月28日1970年代6市44省で議員選挙が行なわれたが,政府発表によれば有権者600万のうち435万が投票,投票率は72%であった。解放戦線はクアンチ,クアンガイ,キエンホア,ビエンホアの4省で妨害した。
DIA-201-1970-06-28-2南ベトナム1970年06月28日1970年代政府軍と解放戦線,カンボジアのプレイベン=コンポンチャム間で衝突。
DIA-201-1970-06-28-3南ベトナム1970年06月28日1970年代米下院政府活動委員会は,ドルの浪費を防ぐため南ベトナムに平価切下げを求めた報告書を発表。
DIA-201-1970-06-30-1南ベトナム1970年06月30日1970年代解雇者300人を再雇用することでサイゴンの労働組合,ゼネストを解く。
DIA-201-1970-07-01-1南ベトナム1970年07月01日1970年代ベトナム和平会談の米首席代表にブルース氏任命。
DIA-201-1970-07-01-2南ベトナム1970年07月01日1970年代軍事筋によるとカンボジア軍兵士1万人をベトナムで軍事訓練する計画を開始。
DIA-201-1970-07-02-1南ベトナム1970年07月02日1970年代解放戦線は,ユエ北部の米101空てい師団の前線基地を攻撃,米軍側は8人の死者,4人の負傷者を出した。
DIA-201-1970-07-02-2南ベトナム1970年07月02日1970年代マニラの東南アジア条約機構閣僚理事会にオブザーバーとして出席したラム外相は,「侵略者を撃退する唯一の方法は同盟諸国がすばやい軍事的反撃を加えることだ」と演説した。
DIA-201-1970-07-02-3南ベトナム1970年07月02日1970年代ポンピドー仏大統領は定例記者会見で「米国がインドシナから撤退するという決意を進んで実行する日まで,この地域に平和の訪れる見通しはない」,「フランスが提案した関係者会議の精神はいぜん生きている。その会議には中国が当然参加しなくてはならない」と語った。
DIA-201-1970-07-02-4南ベトナム1970年07月02日1970年代タンザニア政府,革命政府を承認。
DIA-201-1970-07-02-5南ベトナム1970年07月02日1970年代革命政府,コペンハーゲンに情報部を開設。
DIA-201-1970-07-03-1南ベトナム1970年07月03日1970年代軍制改革で地方兵,民兵各20万は正規軍に編入。
DIA-201-1970-07-04-1南ベトナム1970年07月04日1970年代米,新規援助を約束-内訳は①肉,魚貝類などのかん詰め食糧4万7300トン(兵士1人当たり月43キロ)を今後1年間に供与する,②今後5年間にわたり軍人用住宅10万戸(1億ドル)を建設,供与する。
DIA-201-1970-07-04-2南ベトナム1970年07月04日1970年代ロジャーズ=チュー会談,連立政権について物別かれ。
DIA-201-1970-07-05-1南ベトナム1970年07月05日1970年代サイゴンでベトナム参戦国会議。参加者はロジャーズ米国務長官,マッキュアン・オーストラリア外相,ホリオーク・ニュージーランド外相,崔圭夏韓国外相,タナット・タイ外相,ラム外相。
DIA-201-1970-07-05-2南ベトナム1970年07月05日1970年代カオ・ハオ・ホン将軍は,ベトナム参戦国会議の席上「平定,開発計画の伸びは過去6カ月間に若干低下した」と報告。
DIA-201-1970-07-07-1南ベトナム1970年07月07日1970年代米第1空輸師団長戦死。
DIA-201-1970-07-08-1南ベトナム1970年07月08日1970年代米,平和のための食糧計画に基づき,2450万ドル相当の農産物を供与。
DIA-201-1970-07-09-1南ベトナム1970年07月09日1970年代米上下両院議員約100人は反戦会議を開催し,「明確なベトナム撤兵の時間表を公表することが,撤退を成功させる最善の方法である」と主張した。
DIA-201-1970-07-10-1南ベトナム1970年07月10日1970年代チュー大統領,全軍首脳会議を招集。出席者は4軍管区司令官,全師団長,海兵隊,空軍,海軍各司令官,国警長官,44省のうち43省の知事。
DIA-201-1970-07-11-1南ベトナム1970年07月11日1970年代サイゴン大学で,米,オーストラリア,オランダ,ニュージーランドの代表もまじえて数千人の学生が,ベトナムの平和と米軍の撤退を要求する集会を開催し,警官と衝突。
DIA-201-1970-07-12-1南ベトナム1970年07月12日1970年代アンクワン寺派のチェン・ミン師,①停戦と国際監視下の自由選挙,②人民集会,③民意尊重の3項目からなる和平構想を発表。
DIA-201-1970-07-13-1南ベトナム1970年07月13日1970年代米下院の政府活動委員会,コンソン島政治犯収容所の虐待についての調査を開始。
DIA-201-1970-07-14-1南ベトナム1970年07月14日1970年代米下院軍事委員会の調査小委員会,ソンミ報告を発表。
DIA-201-1970-07-15-1南ベトナム1970年07月15日1970年代ロジャーズ米国務長官は,記者会見で「カンボジア作戦の成功により,共産側がやがてインドシナの和平解決について真剣に交渉に応じる可能性が増したと思う」,「ハノイに対する中国の影響力は当面,短い期間はふえるかもしれないが,これは長続きするものではないと考える」と言明した。
DIA-201-1970-07-17-1南ベトナム1970年07月17日1970年代チュー大統領,カンボジアのネアクルンを訪問。チェン・ヘン国家元首,ロン・ノル首相と会談。
DIA-201-1970-07-18-1南ベトナム1970年07月18日1970年代臨時革命政府のビン外相,インドを訪問。
DIA-201-1970-07-18-2南ベトナム1970年07月18日1970年代約1万の政府軍および米軍は,ダナン南方50~80キロの山岳地帯で大作戦。
DIA-201-1970-07-18-3南ベトナム1970年07月18日1970年代傷い軍人,過去数カ月間に建設した自分たちの家屋に対する合法的所有権を要求。
DIA-201-1970-07-19-1南ベトナム1970年07月19日1970年代フォンジン省長兼カントー市長グエン・バン・クオン大佐は,解放戦線により射殺された。
DIA-201-1970-07-19-2南ベトナム1970年07月19日1970年代解放放送,ジュネーブ協定16周年を記念し,「米侵略者との戦争を耐え抜き,戦いの決意を新たに,勝利への確信を深めよう」と題する論評を発表。
DIA-201-1970-07-19-3南ベトナム1970年07月19日1970年代チュー大統領は,CBSテレビとの会見で「1971年末には,南ベトナム軍は地上戦闘の全責任を持ちうるが,5万人以上の米軍による戦闘支援が必要だろう」と語った。
DIA-201-1970-07-20-1南ベトナム1970年07月20日1970年代ニクソン大統領は記者会見で「南ベトナムに解放戦線との連合政権の樹立を押しつけない」,「ラオス領内のホー・ルートをはばむ目的で米地上部隊を使用することはない」と言明した。
DIA-201-1970-07-20-2南ベトナム1970年07月20日1970年代解放戦線,サイゴン,ビンロン,クアンチなど16カ所を砲撃。
DIA-201-1970-07-21-1南ベトナム1970年07月21日1970年代リ・クイ・チュン下院議員を中心として平和回復委員会準備会誕生。
DIA-201-1970-07-21-2南ベトナム1970年07月21日1970年代キエム首相,“トラのおり”廃止令に署名。
DIA-201-1970-07-22-1南ベトナム1970年07月22日1970年代ビン外相,「将来南ベトナムに広範な連合政府を作る場合,現在の南ベトナム政府関係者を加えてもよいが,グエン・バン・チュー大統領,グエン・カオ・キ副大統領はベトナムの平和,独立,中立に反対しており,連合政府には参加させない」と語った。
DIA-201-1970-07-23-1南ベトナム1970年07月23日1970年代米軍リップコード基地を放棄。
DIA-201-1970-07-23-2南ベトナム1970年07月23日1970年代米軍・ユエ市西方約40キロの砲兵陣地を放棄。
DIA-201-1970-07-23-3南ベトナム1970年07月23日1970年代解放戦線20カ所を砲撃。
DIA-201-1970-07-26-1南ベトナム1970年07月26日1970年代米国紙によると,政府軍兵士の脱走率が過去3カ月間に急激に高まり,昨年より5割も多くなった。昨年の月平均脱走者数は約8000人であったが,今年5月には1万2000人。
DIA-201-1970-07-27-1南ベトナム1970年07月27日1970年代約100人の学生,インド領事館にデモ。
DIA-201-1970-07-28-1南ベトナム1970年07月28日1970年代B52,60機,ラオス東部と南ベトナム北部国境地域を爆撃,6000発以上の弾を投下。
DIA-201-1970-07-31-1南ベトナム1970年07月31日1970年代サイゴン学生連盟,「停戦要望書」を南ベトナム,解放戦線,北ベトナム政府の3者に送付。
DIA-201-1970-07-31-2南ベトナム1970年07月31日1970年代チュー大統領はテレビ放送で「停戦を含むあらゆる問題で北ベトナム側との交渉に入る用意がある」と言明。
DIA-201-1970-07-31-3南ベトナム1970年07月31日1970年代サイゴンの米軍宿舎爆発,米兵2人負傷。
DIA-201-1970-07-31-4南ベトナム1970年07月31日1970年代サイゴン駐在の日本人,旅券不携行の理由で拘束。
DIA-201-1970-08-02-1南ベトナム1970年08月02日1970年代グエン・ゴク・ロアン少将,国防省特別顧問に復帰。
DIA-201-1970-08-02-2南ベトナム1970年08月02日1970年代約500人の婦人がアンクアン寺で「婦人の生活権を求める委員会」を結成。
DIA-201-1970-08-03-1南ベトナム1970年08月03日1970年代ラム外相は革命政府のビン外相のインド訪問に関連して,「これはインドがベトナム問題について中立を放棄したことを意味し,国際監視委員会議長としてのインド代表はもはや必要でない」と言明した。
DIA-201-1970-08-03-2南ベトナム1970年08月03日1970年代トウック国務相,ゴク経済相,フエ財政相は,国会で「外資導入のためにはピアストルの切下げが必要である。もし切下げが遅れるならば,米国の援助は最大限に供与されないだろう」と強調した。
DIA-201-1970-08-04-1南ベトナム1970年08月04日1970年代コンソン島から護送中の囚人300人船上で反乱。
DIA-201-1970-08-04-2南ベトナム1970年08月04日1970年代キエム首相,韓国訪問。
DIA-201-1970-08-04-3南ベトナム1970年08月04日1970年代セイロン政府,革命政府を承認。
DIA-201-1970-08-05-1南ベトナム1970年08月05日1970年代ダナン地区司令官グエン・バン・チェン将軍の飛行機墜落。
DIA-201-1970-08-05-2南ベトナム1970年08月05日1970年代政府軍の第1,第2歩兵師団と海兵旅団の数千人の部隊は,非武装地帯からダナン南西に至るラオス国境沿いにいくつかの作戦を展開している。
DIA-201-1970-08-07-1南ベトナム1970年08月07日1970年代経済省は農業機械の生産を始めるための条件として,①新会社の資本金は2億ピアストル以上,②国産化率を初年度40%,第5年度までに100%とすることをあげ,さらに新会社の設立計画を本年8月30日までに,資本金の25%の預託金をそえて政府に提出するよう通告した。
DIA-201-1970-08-07-2南ベトナム1970年08月07日1970年代三洋電機,ベトナムに家庭電器の現地工場を建設することを決定。
DIA-201-1970-08-07-3南ベトナム1970年08月07日1970年代佐藤首相,キエム首相に経済援助促進を確約。
DIA-201-1970-08-08-1南ベトナム1970年08月08日1970年代日本政府,サイゴン地区発電所建設に450万ドルの借款を供与する方針。
DIA-201-1970-08-08-2南ベトナム1970年08月08日1970年代政党公認令発布。 10日 △サイゴンの新聞8紙没収処分。
DIA-201-1970-08-08-3南ベトナム1970年08月08日1970年代解放戦線,25カ所を砲撃,米軍陣地2カ所に地上攻撃。
DIA-201-1970-08-12-1南ベトナム1970年08月12日1970年代サイゴンの新聞によると,空軍副司令官ボー・スアン・ラン准将,機甲部隊司令官ルオン・ブイ・ソン大佐ら野戦将校がクーデター容疑で取調べ中。
DIA-201-1970-08-14-1南ベトナム1970年08月14日1970年代サイゴンで傷病兵デモ。 △米陸軍省,ソンミ事件の裁判を無期限に延期すると発表。
DIA-201-1970-08-15-1南ベトナム1970年08月15日1970年代革命政府フアト首相,全土で攻勢を強めるようアピール発表。
DIA-201-1970-08-16-1南ベトナム1970年08月16日1970年代ダナンの軍事法廷は,ケサン虐殺のグリーンに懲役5年の判決。
DIA-201-1970-08-17-1南ベトナム1970年08月17日1970年代サイゴンで食堂が爆破され,機動隊員ら17人が負傷。
DIA-201-1970-08-17-2南ベトナム1970年08月17日1970年代北部戦線緊迫化。
DIA-201-1970-08-20-1南ベトナム1970年08月20日1970年代軍管区司令官の異動,国防省査察総監ル・ラン中将(第2軍管区司令官),第2軍管区司令官ゴ・ズ少将(第4軍管区司令官),第4軍管区司令官ゴ・クアン・チユオン少将(第1歩兵師団長),第1歩兵師団長ファン・バン・フ准将(特殊部隊司令官)。
DIA-201-1970-08-20-2南ベトナム1970年08月20日1970年代豪州のフレーザー国防相は,南ベトナム駐留の歩兵大隊とその支援部隊を11月上旬に撤退させると発表した。
DIA-201-1970-08-22-1南ベトナム1970年08月22日1970年代サイゴン大学薬学部の学生は政府が薬学部学生を最前線の補助衛生兵にすると決めたことに抗議して授業拒否を決定。
DIA-201-1970-08-25-1南ベトナム1970年08月25日1970年代革命政府,8月革命(8月19日)と独立記念日(9月2日)25周年を記念するため,解放区で大集会を開催。
DIA-201-1970-08-26-1南ベトナム1970年08月26日1970年代チン・ディン・タオ民族平和連盟議長ハンガリー訪問。
DIA-201-1970-08-26-2南ベトナム1970年08月26日1970年代米上院,ベトナム戦争での枯葉剤使用を禁じた修正案を62対22で否決。
DIA-201-1970-08-26-3南ベトナム1970年08月26日1970年代クアンチ省のタムキ南西50キロの砲兵基地で米陸軍のヘリが対空砲火で撃墜され,32人が死亡,行方不明となった。
DIA-201-1970-08-27-1南ベトナム1970年08月27日1970年代アグニュー米副大統領訪問。
DIA-201-1970-08-28-1南ベトナム1970年08月28日1970年代解放戦線軍サイゴン南西約77キロのメコン・デルタで政府軍を攻撃。
DIA-201-1970-08-30-1南ベトナム1970年08月30日1970年代上院選挙。
DIA-201-1970-08-30-2南ベトナム1970年08月30日1970年代サイゴン,ユエ,ダラト各大学の学生約500人,強制軍事訓練とカンボジア援助に反対してデモ,逮捕者約100人。
DIA-201-1970-08-30-3南ベトナム1970年08月30日1970年代解放戦線,全土で62カ所を砲撃。
DIA-201-1970-08-31-1南ベトナム1970年08月31日1970年代解放戦線,全土で77カ所を地上攻撃,40カ所を砲撃。
DIA-201-1970-09-01-1南ベトナム1970年09月01日1970年代サイゴンの米軍司令部は,ベトナム派遣米軍の休養地として10月1日以降東京を使用しないと発表。
DIA-201-1970-09-01-2南ベトナム1970年09月01日1970年代日本郵船,大阪商船三井船舶,川崎汽船の3社はベトナム戦の縮小で採算の悪化した日本―サイゴン航路で,今月から共同運航を開始。
DIA-201-1970-09-01-3南ベトナム1970年09月01日1970年代解放戦線,ダナンの米軍基地を砲撃,輸送機1機と軍用トラック6台を破壊。
DIA-201-1970-09-01-4南ベトナム1970年09月01日1970年代米上院本会議,ベトナム戦争への介入を今後18カ月間で終らせるというマクガバン・ハットフィールド修正案を否決。
DIA-201-1970-09-01-5南ベトナム1970年09月01日1970年代上院選挙でフィン・バン・カオ上院議員,ブ・バン・マウ教授,グエン・バン・フエン上院議長が率いる3組30人が当選。選挙結果,1位フィン・バン・カオ現議員117万4659票,2位ブ・バン・マウ教授116万1220票,3位グエン・バン・フエン上院議長91万2000票,最終投票率は65.35%。
DIA-201-1970-09-01-6南ベトナム1970年09月01日1970年代ビントイ省のハムタンで反米デモ。
DIA-201-1970-09-01-7南ベトナム1970年09月01日1970年代米上院14議員,自由選挙など5項目をパリ会談に提案するようニクソン大統領に書簡。
DIA-201-1970-09-02-1南ベトナム1970年09月02日1970年代米軍司令部は,沿岸パトロールの任務を全面的に南ベトナム海軍に引きつぐとともに,1個中隊のヘリコプターを南ベトナム空軍に引渡すと発表した。
DIA-201-1970-09-03-1南ベトナム1970年09月03日1970年代タイ陸軍,南ベトナムから1万2000人の兵力の撤退を決定。
DIA-201-1970-09-03-2南ベトナム1970年09月03日1970年代待遇改善要求の傷病兵,警官隊と衝突。
DIA-201-1970-09-03-3南ベトナム1970年09月03日1970年代9月3日現在の南ベトナム駐留の米兵力は39万9500人,内訳は陸軍29万4700人,海軍2万2200人,海兵隊3万4900人,空軍4万7600人,沿岸警備隊100人である。このほか同盟軍6万9500人,第7艦隊2万2000人がいる。
DIA-201-1970-09-04-1南ベトナム1970年09月04日1970年代解放戦線,全土で31カ所を砲撃,ビンヂン省では民間防衛隊訓練センターを地上攻撃し,死者14,負傷者26の損害を与えた。
DIA-201-1970-09-04-2南ベトナム1970年09月04日1970年代アンクワン寺派,71年の大統領選にミン将軍を立てることを決定。
DIA-201-1970-09-04-3南ベトナム1970年09月04日1970年代革命政府外務次官レ・クワン・チャン特使,第3回非同盟国家首悩会議にオブザーバーとして出席。
DIA-201-1970-09-05-1南ベトナム1970年09月05日1970年代チン・ディン・タオ議長のひきいるベトナム南部民族民主平和勢力連盟代表団,中国を訪問。
DIA-201-1970-09-06-1南ベトナム1970年09月06日1970年代フオクトイ省ハムタン県の仏教徒による反米委員会は,①同県に駐とんする米軍は即時撤退,②県長など役人は犠牲者を葬儀し,遺族に賠償する,③米指揮官は遺族に謝罪賠償すべしと決議。
DIA-201-1970-09-07-1南ベトナム1970年09月07日1970年代サイゴンの新聞によると,第1師団長のファン・バン・フー准将は,「第1師団はラオス領内の進攻作戦に従事したが,近い将来これを上回る進攻作戦を行なう」と述べた。
DIA-201-1970-09-07-2南ベトナム1970年09月07日1970年代セメントの国際入札で三菱商事4万トン,三井物産5万トンの受注が決定。落札価格はトン当たり約16ドル前後で,全量CIF価格で144万ドル。韓国,台湾がそれぞれ5万トンずつ,フィリピン1万トンの受注が決定したもよう。
DIA-201-1970-09-08-1南ベトナム1970年09月08日1970年代ホ・バンミン下院副議長は,経済省の米価値上げについて「在庫が不足していないのに,なぜ100キロ当たり3950ピアストルから4200ピアストルに値上げしたのか,その値上げで米商人に1億2500万ピアストルを儲けさせるのではないか」と非難。
DIA-201-1970-09-08-2南ベトナム1970年09月08日1970年代解放戦線,ダナン南方の政府軍地区司令部を地上攻撃。政府軍34人が死亡,42人が負傷。
DIA-201-1970-09-12-1南ベトナム1970年09月12日1970年代中央銀行,14日から国内商業手形再割引率を年6%から18%へ引上げることを通告。
DIA-201-1970-09-13-1南ベトナム1970年09月13日1970年代宝石商,平民質屋および映画館の経営者団体は,財政省に営業不振のため,閉店を要請。
DIA-201-1970-09-14-1南ベトナム1970年09月14日1970年代デルタの地主1000人以上は会議を開催し,次のような決議を採択した。①あらゆる土地改革に反対する,②国会,裁判所,政府に法令の廃棄を要求する,③ベトナム化のため新政策を立案する,④農業事務所,農家団体連合を設立する,⑤国有地の開墾と分配,⑥デルタの奥地開発のため,移民を実施,また交通と農業用水路を建設する。
DIA-201-1970-09-15-1南ベトナム1970年09月15日1970年代政府軍,クアンチ市の南西24キロにある砲撃援護基地「バーネット」を閉鎖。
DIA-201-1970-09-15-2南ベトナム1970年09月15日1970年代サイゴン南西約270キロのアンスエン省で米軍ヘリ10機が解放軍によって撃墜された
DIA-201-1970-09-17-1南ベトナム1970年09月17日1970年代革命政府8項目を提案(参考資料参照)。
DIA-201-1970-09-18-1南ベトナム1970年09月18日1970年代通産省は46年度からベトナムとマラッカ両海域で石油採鉱の基礎調査を実施する予定。
DIA-201-1970-09-18-2南ベトナム1970年09月18日1970年代上院,非常権限法を拒否-ピアストルの平価引下げを認めず,その代り為替レートの一部を変動させる修正案を可決。
DIA-201-1970-09-19-1南ベトナム1970年09月19日1970年代ビン外相,8項目提案は南側内部と協議ずみと表明。
DIA-201-1970-09-22-1南ベトナム1970年09月22日1970年代第9師団撤退完了。
DIA-201-1970-09-23-1南ベトナム1970年09月23日1970年代サイゴンの新聞,韓国軍がクアンチ省のビンズオン村で100人をこす村民を虐殺と報道。
DIA-201-1970-09-26-1南ベトナム1970年09月26日1970年代日本政府,10月6日から10日間南ベトナムへ経済協力調査団(団長安倍前国連大使)を派遣することを決定。
DIA-201-1970-09-26-2南ベトナム1970年09月26日1970年代ゴ・コン・ドク下院議員,下院での記者会見で解放戦線もチュー政権も含まない「臨時中立政府」の樹立を提唱。
DIA-201-1970-09-27-1南ベトナム1970年09月27日1970年代チュー政権を支持する統一戦線成立-チュー大統領は政府の政策を支持する7党派による統一戦線を樹立した。参加政党は①大越革命党,②ベトナム自由民主勢力,③大団結勢力,④ベトナム仏教民主社会勢力,⑤民社革命党,⑥興国党,⑦統一国民党。
DIA-201-1970-09-30-1南ベトナム1970年09月30日1970年代学生の逮捕に抗議してサイゴン大学教授17人がハンスト。
DIA-201-1970-10-01-1南ベトナム1970年10月01日1970年代解放戦線中央委員会,革命政府,中国の国慶節に祝電。
DIA-201-1970-10-01-2南ベトナム1970年10月01日1970年代1971年度予算案提出,歳出2350億ピアストル,歳入1990億ピアストル。
DIA-201-1970-10-03-1南ベトナム1970年10月03日1970年代軍人と公務員の給与と手当,17~18%引上げ。
DIA-201-1970-10-03-2南ベトナム1970年10月03日1970年代解放戦線デルタで省都,郡都を砲撃。
DIA-201-1970-10-03-3南ベトナム1970年10月03日1970年代解放戦線,カムラン基地を砲撃。
DIA-201-1970-10-03-4南ベトナム1970年10月03日1970年代ゴク経済相は「日本の援助は不十分であり,増額してもらいたい」と語る。
DIA-201-1970-10-03-5南ベトナム1970年10月03日1970年代「限定為替市場設置法」公布,現行の1米ドル当たり118ピアストルの実効為替相場のほか新たに275ピアストルの新相場を設定,5日から実施。
DIA-201-1970-10-04-1南ベトナム1970年10月04日1970年代解放戦線,アンケ・クイニヨンの米軍基地を砲撃。
DIA-201-1970-10-04-2南ベトナム1970年10月04日1970年代米首脳,アイルランドでインドシナ情勢を検討。
DIA-201-1970-10-05-1南ベトナム1970年10月05日1970年代米,7億5000万ドルの援助を約束。
DIA-201-1970-10-06-1南ベトナム1970年10月06日1970年代日本政府の「南ベトナム経済協力調査団」到着。
DIA-201-1970-10-07-1南ベトナム1970年10月07日1970年代ニクソン大統領和平5項目を提案(参考資料参照)。
DIA-201-1970-10-08-1南ベトナム1970年10月08日1970年代南政府,ニクソン提案に同意すると声明。
DIA-201-1970-10-08-2南ベトナム1970年10月08日1970年代政府軍ラオス国境のオライリー基地を放棄。
DIA-201-1970-10-08-3南ベトナム1970年10月08日1970年代解放放送,ニクソン提案は平和回復にも,パリ会談の進展にも寄与しないと論評。
DIA-201-1970-10-08-4南ベトナム1970年10月08日1970年代米下院,ベトナム戦費を150億ドルに制限しようとする修正案を多数で否決。
DIA-201-1970-10-10-1南ベトナム1970年10月10日1970年代インドネシア,ニクソン提案で調停工作。
DIA-201-1970-10-10-2南ベトナム1970年10月10日1970年代解放戦線,ユエ西方のコクバイ地区から政府軍を一掃。
DIA-201-1970-10-11-1南ベトナム1970年10月11日1970年代北京放送,ニクソン提案を“侵略隠すペテン”と論評。
DIA-201-1970-10-12-1南ベトナム1970年10月12日1970年代“平和のための人民戦線”成立-議長Dang van Ky。
DIA-201-1970-10-12-2南ベトナム1970年10月12日1970年代米軍,第3次撤兵計画(10月15日まで5万人)を完了。
DIA-201-1970-10-13-1南ベトナム1970年10月13日1970年代米軍の誤射で政府軍31人が死傷。
DIA-201-1970-10-16-1南ベトナム1970年10月16日1970年代政府軍の脱走率倍増。
DIA-201-1970-10-16-2南ベトナム1970年10月16日1970年代徴税率低下,輸入業者の50%が脱税。
DIA-201-1970-10-16-3南ベトナム1970年10月16日1970年代チユー大統領は「政府はアメリカの和平提案を全面的に支持するが,北側との連合政権は絶対に受け入れられない」と演説。
DIA-201-1970-10-16-4南ベトナム1970年10月16日1970年代ヘルムズ米CIA長官サイゴン訪問。
DIA-201-1970-10-17-1南ベトナム1970年10月17日1970年代日本,ダニム・ダム修復に3億円を贈与。
DIA-201-1970-10-17-2南ベトナム1970年10月17日1970年代解放戦線,7カ所を砲撃。
DIA-201-1970-10-18-1南ベトナム1970年10月18日1970年代学生連盟はニクソン提案について「米軍撤退について回答を避け,ベトナム駐留を合法化するものである」との統一見解を発表。
DIA-201-1970-10-18-2南ベトナム1970年10月18日1970年代コンソン島刑務所の政治犯300人が暴動。
DIA-201-1970-10-20-1南ベトナム1970年10月20日1970年代チエン・ミン師,京都の宗教者会議で和平6項目を提案。
DIA-201-1970-10-23-1南ベトナム1970年10月23日1970年代ブンタウで首脳会議,軍管区司令官,全国44の省長,市長,市議会,省議会議長を招集。
DIA-201-1970-10-24-1南ベトナム1970年10月24日1970年代米,南ベトナムへ1億5000万ドルの援助を日本に要請。
DIA-201-1970-10-29-1南ベトナム1970年10月29日1970年代ブラック・パンサー軍事担当責任者ベトナムに義勇軍派遣を申し出る。
DIA-201-1970-10-30-1南ベトナム1970年10月30日1970年代最高裁チャン・ゴク・チャウ議員の2審判決を破棄。
DIA-201-1970-10-31-1南ベトナム1970年10月31日1970年代チュー大統領は上下両院合同会議で,「いかなる形の共産側との連立政権も受け入れない。今や政府は人口の99.1%を支配しているが,来年2月末までに平定計画の進展によって,全人口の100%を政府支配下に置くことができよう。カンボジア軍の訓練と武器供与は続ける」と演説。
DIA-201-1970-11-01-1南ベトナム1970年11月01日1970年代解放戦線,カマウのオンドック川河口にある政府軍水上基地を奇襲し,17隻の艦艇を沈めた。
DIA-201-1970-11-01-2南ベトナム1970年11月01日1970年代米援助軍副司令官にフレッド・C・ウェイアンド中将就任。
DIA-201-1970-11-01-3南ベトナム1970年11月01日1970年代ミン将軍,大統領選に出馬を示唆。
DIA-201-1970-11-02-1南ベトナム1970年11月02日1970年代トーメン(東棉),製瓶プラントを成約。
DIA-201-1970-11-02-2南ベトナム1970年11月02日1970年代革命政府のビン外相,ミン将軍らと接触の可能性を示唆。
DIA-201-1970-11-02-3南ベトナム1970年11月02日1970年代解放戦線,サイゴンを砲撃,25人死傷。
DIA-201-1970-11-06-1南ベトナム1970年11月06日1970年代政府軍数千人,カンボジアに進攻。
DIA-201-1970-11-07-1南ベトナム1970年11月07日1970年代解放戦線,キエンホア省の鉄橋爆破。
DIA-201-1970-11-07-2南ベトナム1970年11月07日1970年代革命政府,北部諸省を襲った台風と洪水で被災者30万以上,死者および行方不明数万人と発表。
DIA-201-1970-11-08-1南ベトナム1970年11月08日1970年代解放戦線15カ所を砲撃。
DIA-201-1970-11-09-1南ベトナム1970年11月09日1970年代政府軍サイゴン北方の防衛を米軍から引きつぐ。
DIA-201-1970-11-09-2南ベトナム1970年11月09日1970年代米最高裁,マサチューセッツ州によるベトナム戦争違憲の提訴を却下。
DIA-201-1970-11-12-1南ベトナム1970年11月12日1970年代サイゴンの米軍施設USOで爆発。
DIA-201-1970-11-14-1南ベトナム1970年11月14日1970年代解放戦線,ユエ,ダナン地域で攻勢。
DIA-201-1970-11-14-2南ベトナム1970年11月14日1970年代マリファナ特別調査の委員長のマツフ海軍中将は「南ベトナム駐留米軍の約50%がマリファナ経験者とみられる。これを防止するには米軍撤退以外にない」と発表。
DIA-201-1970-11-15-1南ベトナム1970年11月15日1970年代野党系新聞3紙接収。
DIA-201-1970-11-15-2南ベトナム1970年11月15日1970年代ビエンホア省タンヒエプ収容所で女囚500人が待遇改善を要求してハンスト。
DIA-201-1970-11-17-1南ベトナム1970年11月17日1970年代解放戦線,ビエンホア空軍基地を砲撃。
DIA-201-1970-11-18-1南ベトナム1970年11月18日1970年代キ副大統領は「ベトナム駐留米軍は71年末までに完全撤兵してよい」と発言。
DIA-201-1970-11-19-1南ベトナム1970年11月19日1970年代ニューヨーク・タイムスによるとCIAはニクソン大統領に「解放戦線のスパイはサイゴン政府の中枢部まで浸透している」との報告書を提出。
DIA-201-1970-11-19-2南ベトナム1970年11月19日1970年代ダナン南方でヘリ墜落,米海兵隊員15死亡。
DIA-201-1970-11-20-1南ベトナム1970年11月20日1970年代ソンミ事件のミッチェル軍曹無罪。
DIA-201-1970-11-23-1南ベトナム1970年11月23日1970年代アンクアン寺派のチエン・ホワ師は北爆について「今後の行動は,アメリカが戦争長期化に屈した証拠であり,また,さきの和平提案が全くいつわりの声明であったことを示した」と非難。
DIA-201-1970-11-24-1南ベトナム1970年11月24日1970年代解放放送,韓国軍の虐殺を非難。
DIA-201-1970-11-24-2南ベトナム1970年11月24日1970年代キ副大統領,ニクソン米大統領を訪問。
DIA-201-1970-11-24-3南ベトナム1970年11月24日1970年代学生連盟,北爆と捕虜収容所襲撃に抗議。
DIA-201-1970-11-25-1南ベトナム1970年11月25日1970年代サイゴン市営展示館爆破。
DIA-201-1970-11-26-1南ベトナム1970年11月26日1970年代解放戦線,サイゴン周辺の政府軍守備陣地3カ所を攻撃。
DIA-201-1970-11-26-2南ベトナム1970年11月26日1970年代先週の南ベトナムにおける米軍の戦死者65人,負傷者335人。
DIA-201-1970-11-26-3南ベトナム1970年11月26日1970年代平和のための人民戦線,北爆を激しく非難。
DIA-201-1970-11-26-4南ベトナム1970年11月26日1970年代カトリック和平委員会成立。
DIA-201-1970-11-27-1南ベトナム1970年11月27日1970年代乗員79人を乗せた米軍輸送機C123型機行方不明。
DIA-201-1970-11-27-2南ベトナム1970年11月27日1970年代サイゴン・ジアジン地区の政府軍兵士全員に夜間禁足令。
DIA-201-1970-11-29-1南ベトナム1970年11月29日1970年代解放戦線23カ所を砲撃。
DIA-201-1970-11-29-2南ベトナム1970年11月29日1970年代キ副大統領,大統領選に不出馬を示唆。
DIA-201-1970-11-29-3南ベトナム1970年11月29日1970年代解放戦線,フオクトイ省の政府軍陣地を攻撃,政府軍民兵5人と民間人1人が死亡,民兵6人が行方不明,10人が負傷。
DIA-201-1970-11-30-1南ベトナム1970年11月30日1970年代革命政府,クリスマスと新年にそれぞれ3日間,テトには4日間の休戦を実施すると発表。
DIA-201-1970-11-30-2南ベトナム1970年11月30日1970年代39人乗り米軍輸送機行方不明。
DIA-201-1970-11-30-3南ベトナム1970年11月30日1970年代チ・クアン師,即時停戦を呼びかけ。
DIA-201-1970-12-01-1南ベトナム1970年12月01日1970年代間組,ダニム発電所修復工事に関する正式契約に調印。
DIA-201-1970-12-01-2南ベトナム1970年12月01日1970年代政府軍7500,ウーミンの森へ進攻。
DIA-201-1970-12-02-1南ベトナム1970年12月02日1970年代解放戦線,31カ所を砲撃。
DIA-201-1970-12-03-1南ベトナム1970年12月03日1970年代解放戦線,中部高原で戦闘。
DIA-201-1970-12-04-1南ベトナム1970年12月04日1970年代ファト革命政府首相らの逮捕説流る。
DIA-201-1970-12-04-2南ベトナム1970年12月04日1970年代最高裁長官にチュー派のチャン・バン・リン氏当選。
DIA-201-1970-12-05-1南ベトナム1970年12月05日1970年代解放戦線,ツウドック地区で政府軍5人を処刑。
DIA-201-1970-12-06-1南ベトナム1970年12月06日1970年代ビンロン省で「平和のための人民戦線」委員会結成。
DIA-201-1970-12-07-1南ベトナム1970年12月07日1970年代米下院,賛成347,反対15票で捕虜救出作戦を支持。
DIA-201-1970-12-07-2南ベトナム1970年12月07日1970年代クイニヨンで米兵の生徒射殺に抗議して反米デモ。
DIA-201-1970-12-09-1南ベトナム1970年12月09日1970年代サイゴンでアジア議員連盟総会開会。
DIA-201-1970-12-09-2南ベトナム1970年12月09日1970年代クイニヨンに外出禁止令。
DIA-201-1970-12-10-1南ベトナム1970年12月10日1970年代サイゴンで学生約600人,警官隊と衝突。
DIA-201-1970-12-10-2南ベトナム1970年12月10日1970年代パリ会談の米代表,捕虜釈放のため連日会談を提案。
DIA-201-1970-12-10-3南ベトナム1970年12月10日1970年代ニクソン大統領,「南ベトナム内で北側が兵力を増強,撤退を続ける米軍を危険にさらすなら北爆も辞さない」と強い決意を表明。
DIA-201-1970-12-11-1南ベトナム1970年12月11日1970年代サイゴンの学生800人は米兵による少年殺害事件に抗議してデモ。
DIA-201-1970-12-11-2南ベトナム1970年12月11日1970年代レアード国防長官は①北側との了解事項が破棄されれば北爆を再開する,②捕虜問題が解決しないかぎり,米軍の全面引揚げはないとの見解を表明。
DIA-201-1970-12-11-3南ベトナム1970年12月11日1970年代革命政府代表団,「ニクソン大統領はいまや自分の好きなとき,北爆ができるようにあらゆる口実を懸命になってでっち上げようとしている」と言明。
DIA-201-1970-12-12-1南ベトナム1970年12月12日1970年代アジア議員連盟の岸元首相,日本の援助強化を約束。
DIA-201-1970-12-12-2南ベトナム1970年12月12日1970年代サイゴンの学生連続して反米デモ。
DIA-201-1970-12-13-1南ベトナム1970年12月13日1970年代カオダイ教派,平和のための人民戦線に参加を決定。
DIA-201-1970-12-14-1南ベトナム1970年12月14日1970年代解放戦線中央委員会と革命政府,北ベトナムの党と政府のアピールを支持する声明を発表。
DIA-201-1970-12-14-2南ベトナム1970年12月14日1970年代サイゴン地区の米兵に外出制限令。
DIA-201-1970-12-14-3南ベトナム1970年12月14日1970年代米軍,サイゴン地区防衛のため,ヘリ旅団を編成。
DIA-201-1970-12-14-4南ベトナム1970年12月14日1970年代サイゴン学生連盟,実力行動を決議。
DIA-201-1970-12-14-5南ベトナム1970年12月14日1970年代解放戦線,「米の冒険を粉砕せよ」と全軍にアピール。
DIA-201-1970-12-15-1南ベトナム1970年12月15日1970年代サイゴンの米軍宿舎レキドン・ホテル爆破。
DIA-201-1970-12-15-2南ベトナム1970年12月15日1970年代政府軍3000人コンポンチャムに空輸。
DIA-201-1970-12-15-3南ベトナム1970年12月15日1970年代「新投資法案」下院へ提出。
DIA-201-1970-12-16-1南ベトナム1970年12月16日1970年代アンクワン寺派,停戦実現へ12項目のアピールを発表。
DIA-201-1970-12-16-2南ベトナム1970年12月16日1970年代ビ国防相,ニャチャンの陸軍病院の汚職を認める。
DIA-201-1970-12-17-1南ベトナム1970年12月17日1970年代上院調査団,カンボジア駐留軍の略奪行為は事実と報告。
DIA-201-1970-12-17-2南ベトナム1970年12月17日1970年代サイゴン大学理学部,無期限のストを宣言。
DIA-201-1970-12-19-1南ベトナム1970年12月19日1970年代解放戦線,サイゴンを砲撃。
DIA-201-1970-12-19-2南ベトナム1970年12月19日1970年代サイゴンで住民100人,米兵を襲う。
DIA-201-1970-12-19-3南ベトナム1970年12月19日1970年代▲解放戦線10周年集会,ト議長,「すべての面で戦力を増強し,抗米救国戦争をさらに辛抱強く推し進め,平定計画とベトナム化の陰謀を打ち破ろう」と呼びかけ。
DIA-201-1970-12-19-4南ベトナム1970年12月19日1970年代日本社会党の成田委員長,解放戦線結成10周年に祝電。
DIA-201-1970-12-21-1南ベトナム1970年12月21日1970年代解放戦線,国道1号線上で米軍輸送隊を待伏せ攻撃。
DIA-201-1970-12-23-1南ベトナム1970年12月23日1970年代下院,大統領選挙法案を原則的に承認。
DIA-201-1970-12-24-1南ベトナム1970年12月24日1970年代土地改革に不満の地主,小作人にテロ。
DIA-201-1970-12-24-2南ベトナム1970年12月24日1970年代Xマス停戦。
DIA-201-1970-12-24-3南ベトナム1970年12月24日1970年代ユエの米軍誤射で18人死傷。
DIA-201-1970-12-24-4南ベトナム1970年12月24日1970年代国警と憲兵,反米闘争の学生261人を検挙。
DIA-201-1970-12-25-1南ベトナム1970年12月25日1970年代解放戦線と革命政府,毛沢東中国共産党主席の誕生日に祝電。
DIA-201-1970-12-25-2南ベトナム1970年12月25日1970年代学生,逮捕者の釈放を要求。
DIA-201-1970-12-26-1南ベトナム1970年12月26日1970年代ベトナムの米軍,来春までに枯葉剤の使用停止。
DIA-201-1970-12-26-2南ベトナム1970年12月26日1970年代10月8日から12月26日までにB52延べ2500機出撃,ホー・ルートに16万6000トンの爆弾を投下。
DIA-201-1970-12-27-1南ベトナム1970年12月27日1970年代解放戦線,カマウ半島の海軍基地を砲撃。
DIA-201-1970-12-28-1南ベトナム1970年12月28日1970年代学生約50人,弾圧に抗議して下院前にすわり込み。
DIA-201-1970-12-28-2南ベトナム1970年12月28日1970年代大統領選挙法案,下院で可決。
DIA-201-1970-12-29-1南ベトナム1970年12月29日1970年代サイゴンの学生100人,米陸軍のバスに放火。
DIA-201-1970-12-30-1南ベトナム1970年12月30日1970年代米海軍,艦船計650隻を引き渡してベトナム化を完了。
DIA-201-1970-12-31-1南ベトナム1970年12月31日1970年代正月停戦。
DIA-201-1971-01-03-1南ベトナム1971年01月03日1970年代アンカン寺派主催の和平祈願集会。
DIA-201-1971-01-03-2南ベトナム1971年01月03日1970年代サイゴンで米軍トラック1台が学生に焼打される。
DIA-201-1971-01-04-1南ベトナム1971年01月04日1970年代ドクラプ,ベンヘト基地,政府軍に引渡される。これで米特殊部隊の役割終了。
DIA-201-1971-01-06-1南ベトナム1971年01月06日1970年代サイゴンのミンマン学生寮で弾圧に抗議して学生ハンスト。
DIA-201-1971-01-06-2南ベトナム1971年01月06日1970年代ダラト市議会,フィン・バン・チュム議員,ビンツアン省議会ファン・チュエン議員逮捕さる。
DIA-201-1971-01-07-1南ベトナム1971年01月07日1970年代キニヨンの米政府軍弾薬庫爆破さる。
DIA-201-1971-01-08-1南ベトナム1971年01月08日1970年代レアード米国防長官サイゴン訪問,11日まで滞在。
DIA-201-1971-01-11-1南ベトナム1971年01月11日1970年代下院,投資法承認。
DIA-201-1971-01-11-2南ベトナム1971年01月11日1970年代昨年12月20日北京で行なわれた解放戦線成立10周年祝賀会に出席した解放戦線代表団(団長ダン・チヤン・チ中央委幹部会貝)は商事から帰国の途に。
DIA-201-1971-01-12-1南ベトナム1971年01月12日1970年代ニクソン米大統領,トンキン湾決議取消し法案に署名。
DIA-201-1971-01-12-2南ベトナム1971年01月12日1970年代国警局長にTran thanh Phong少将就任。
DIA-201-1971-01-12-3南ベトナム1971年01月12日1970年代日本輸出入銀行,南ベトナムへの16億2000万円(450万ドル)の円借款供与契約に調印,(70年12月に取決めた両国政府交換公文にもとづくもの,サイゴン市チョクアン発電所増設に使われる)。
DIA-201-1971-01-13-1南ベトナム1971年01月13日1970年代フエ蔵相は71年度,徴税額を710億ピアストル増額せねばならぬと言明。
DIA-201-1971-01-14-1南ベトナム1971年01月14日1970年代サイゴン紙の報道によれば,政府の税調査の行過ぎで商業者の80%が営業許可書を返還。
DIA-201-1971-01-14-2南ベトナム1971年01月14日1970年代経済省は農民協会に国産米をできるだけ買入れ,外米輸入を制限すると約束。
DIA-201-1971-01-14-3南ベトナム1971年01月14日1970年代パリ会談で南ベトナムのラム代表は,北ベトナム捕虜40人の釈放を発表。
DIA-201-1971-01-17-1南ベトナム1971年01月17日1970年代政府軍6,000人,タイニン省北部およびカンボジア領ミモト一帯で作戦開始。
DIA-201-1971-01-20-1南ベトナム1971年01月20日1970年代ベトナム平和勢力連絡委員会の代表150人からなる平和巡礼がサイゴンで集会開催。チャン・ゴク・リェン,ゴ・バ・タン,ダン・バン・キ氏ら参加。
DIA-201-1971-01-20-2南ベトナム1971年01月20日1970年代レアード米国防長官,記者会見で,「ベトナム化計画は続行。5月1日以前に南ベトナムの米軍は28万4000人にまで削減。4月申にニクソン大統領が新しい敵兵計画発表。米軍撤退促進のためラオス,カンボジアで空軍力を行使する。撤兵期間中に残留米軍の安全を守るため,エーブラムズ司令官の権限を制約することはしない」と言明。
DIA-201-1971-01-20-3南ベトナム1971年01月20日1970年代ロンノル・カンボジア首相,サイゴン訪問。
DIA-201-1971-01-20-4南ベトナム1971年01月20日1970年代革命政府外務省は声明を発表し,レアード米国防長官のサイゴン訪問に伴うアメリカの戦争強化を非難。
DIA-201-1971-01-22-1南ベトナム1971年01月22日1970年代南ベトナム,カンボジア両政府,国境線,旅行,輸送,郵電,メコン河航行の5協定に調印。
DIA-201-1971-01-24-1南ベトナム1971年01月24日1970年代解放戦線軍司令部,26日から29日まで4日間のテト休戦を指令。
DIA-201-1971-01-24-2南ベトナム1971年01月24日1970年代北ベトナム傷病捕虜37人が北へ引渡される。
DIA-201-1971-01-25-1南ベトナム1971年01月25日1970年代政府軍最高司令部,全軍に禁足令。
DIA-201-1971-01-26-1南ベトナム1971年01月26日1970年代政府軍,米軍,24時間のテト休戦。
DIA-201-1971-01-26-2南ベトナム1971年01月26日1970年代ラム外相,北ベトナム捕虜813人を釈放の用意ありと提案。
DIA-201-1971-01-26-3南ベトナム1971年01月26日1970年代チュー大統領,カンボジア前線視察。
DIA-201-1971-01-29-1南ベトナム1971年01月29日1970年代ロジャーズ米国務長官,記者会見で「米国は在南ベトナム米軍を守るために必要な最大限まで,ラオス,カンボジアで空軍力を行使する用意がある。ラオス南部における北側の活発な活動に対する新しい措置について大統領は決定を迫られよう。インドシナからの米軍撤兵は継続して行なう」と言明。
DIA-201-1971-01-30-1南ベトナム1971年01月30日1970年代第7艦隊の空母3隻がトンキン湾上に集結。
DIA-201-1971-01-30-2南ベトナム1971年01月30日1970年代B52を含む400機の米軍機が南部ラオスのベトナム国境に接する地帯を猛爆。
DIA-201-1971-01-30-3南ベトナム1971年01月30日1970年代米軍9,000人,政府軍2万人,北部でデューイ,キャニオン2号作戦を開始。米軍,ケサンに基地再建。
DIA-201-1971-01-31-1南ベトナム1971年01月31日1970年代全国農民生活保護委員会は政府の農民に対する弾圧に抗議する文書を送り,新農地法に反対し,農民の資産保有権を尊重するよう要求した。
DIA-201-1971-02-01-1南ベトナム1971年02月01日1970年代米軍,ランベイに砲撃支援基地を設置。
DIA-201-1971-02-01-2南ベトナム1971年02月01日1970年代解放戦線,ダナン米空軍基地を砲撃。
DIA-201-1971-02-02-1南ベトナム1971年02月02日1970年代革命政府外務省,「米国はサイゴンとバンコクの雇軍を南部ラオスに送り,ベトナムとラオスの国境沿いに数万のサイゴンかいらい軍を集結させ,航空母艦3隻を含む第7艦隊を繰出しベトナム民主共和国領海へのりこんでいる」とアメリカを非難する声明を発表。
DIA-201-1971-02-03-1南ベトナム1971年02月03日1970年代政府軍,ケサンに空輸さる。
DIA-201-1971-02-04-1南ベトナム1971年02月04日1970年代サイゴンの米軍司令部,ラオス作戦に関する6日間の報道管制を解除。
DIA-201-1971-02-05-1南ベトナム1971年02月05日1970年代革命政府,「アメリカとサイゴンかいらい軍がラオス南部地区を侵略し,インドシナ各戦場で戦争を強化・拡大している」,「2月4日のラオス愛国戦線中央委声明を支持する」との声明を発表。
DIA-201-1971-02-07-1南ベトナム1971年02月07日1970年代バンカー米大使,帰米。15日サイゴンに帰任。
DIA-201-1971-02-08-1南ベトナム1971年02月08日1970年代チュー大統領,政府軍に対しラオス進攻を命令(ラムソン719作戦)。
DIA-201-1971-02-08-2南ベトナム1971年02月08日1970年代政府軍,国境を越え,ラオス領へ。
DIA-201-1971-02-08-3南ベトナム1971年02月08日1970年代米国務省,ラオス作戦について声明「この作戦は南ベトナムが北側の侵略を阻止する自衛権行使として行なわれたもので,戦争の拡大を意図するものではない。作戦地域は北緯16度と17度線の間のラオス領内に限られる」
DIA-201-1971-02-08-4南ベトナム1971年02月08日1970年代中国外交部,ラオス作戦について声明。
DIA-201-1971-02-10-1南ベトナム1971年02月10日1970年代革命政府は声明を発表し次のように述べた。「米軍とサイゴン軍が公然とラオスに侵入したことによってインドシナの情勢は危険なものとなり,東南アジアと世界の平和はいまや重大な脅威にさらされている」,「ベトナム南部人民と革命政府は,ラオス愛国戦線の2月8日の声明を全面的に支持する」,「南ベトナムの各都市の同胞はチュー・キ・キエム政権が軍隊を即時ラオスとカンボジアから撤退させることを断固要求し,米国が米軍と米国の従属国の軍隊をベトナム南部,ラオス,カンボジアから残らず無条件で撤退させて,インドシナ各国人民自身に自己の運命を決定させることを断固要求しなければならない」
DIA-201-1971-02-12-1南ベトナム1971年02月12日1970年代中国政府,ラオス作戦について声明。
DIA-201-1971-02-13-1南ベトナム1971年02月13日1970年代革命政府,革命政府国防省,人民解放武装勢力司令部は解放区で,ベトナム南部人民解放武装勢力統一デー10周年祝賀集会を催した。ファト首相,グエン・チ・ディン副司令官が演説。
DIA-201-1971-02-13-2南ベトナム1971年02月13日1970年代検察院土地占有調査委は,国有地が軍将校,高級公務員により遵法に占有される事件が数千件あることを明らかにした。
DIA-201-1971-02-15-1南ベトナム1971年02月15日1970年代チュー大統領ブンタウ基地で演説,「1.共産主義者と連合しない。2.ベトコンに領土を割譲しない。3.中立化に反対。4.ベトコンの南ベトナム領内での活動を禁止する」と言明。
DIA-201-1971-02-15-2南ベトナム1971年02月15日1970年代ビン革命政府外相,シューマン仏外相と会見。
DIA-201-1971-02-17-1南ベトナム1971年02月17日1970年代ニクソン米大統領,記者会見,「ラオス作戦は中国への脅威ではない,中国側もこれを脅威と考えてはならない」と言明。
DIA-201-1971-02-18-1南ベトナム1971年02月18日1970年代コンツム省とラオス・カンボジァ3国国境地帯で政府軍新作戦。
DIA-201-1971-02-19-1南ベトナム1971年02月19日1970年代解放通信発表:解放軍はケサン西北26キロ500高地の政府軍第39レインジャー大隊をせん滅。
DIA-201-1971-02-23-1南ベトナム1971年02月23日1970年代レアード米国防長官記者会見,「今後10日間の間にラオス,カンボジアで北側の激しい反撃があるだろう」
DIA-201-1971-02-23-2南ベトナム1971年02月23日1970年代ド・カオ・チ政府軍第Ⅲ軍区司令官(カンボジア作戦司令官)は乗機が撃墜されたため死亡。
DIA-201-1971-02-23-3南ベトナム1971年02月23日1970年代ケサン戦場解放軍指揮部はコミュニケを発表し,「2月8日から19日にかけケサンの戦場で米軍とサイゴン軍1,500人をせん滅し,敵機47機を撃墜破し,軍用車50台あまりを撃破した」と述べた。
DIA-201-1971-02-24-1南ベトナム1971年02月24日1970年代チュー大統領はプレイクで演説し,「北進は時間の問題である」と語る。
DIA-201-1971-02-24-2南ベトナム1971年02月24日1970年代革命政府外相は両ベトナムの石油開発に関してサイゴン政権が取決める契約はすべて無効であると声明。
DIA-201-1971-02-25-1南ベトナム1971年02月25日1970年代共産軍国境から24キロの地点にある高地(政府軍空挺部隊陣地)を占領。
DIA-201-1971-02-25-2南ベトナム1971年02月25日1970年代パリ会談でブルース米代表は,「共産側は北ベトナム軍が南ベトナム,カンボジア,ラオスにいることはもはや否定していない。これら3国にいるすべての外国軍隊の撤退を実現するための具体的な時間表を話合おう」と提案。
DIA-201-1971-02-25-3南ベトナム1971年02月25日1970年代カンボジアに進入した南ベトナム政府軍,国道1号線で大攻勢をかける。
DIA-201-1971-03-02-1南ベトナム1971年03月02日1970年代解放戦線,非武装地帯付近の政府軍砲兵陣地に,1,000発の砲撃。
DIA-201-1971-03-03-1南ベトナム1971年03月03日1970年代解放戦線,コンツム省での政府軍捕虜釈放のための停戦(4日)を提案。
DIA-201-1971-03-04-1南ベトナム1971年03月04日1970年代ニクソン米大統領記者会見,「南ベトナム軍の北ベトナム進攻に米機が支援する計画はない。ベトナムからの米軍撤兵は少なくとも現在のペースで続ける」
DIA-201-1971-03-07-1南ベトナム1971年03月07日1970年代グエン・フー・ト解放戦線議長とフィン・タン・ファト革命政府首相は,中国党・政府代表団のハノイ友好訪問について団長の周恩来首相に祝電をよせ,「中国党・政府代表団の北部ベトナム訪問は,中国人民のベトナム南北人民,ラオス人民,カンボジア人民に対する最も力強い,最も断固とした支持である」と述べた。
DIA-201-1971-03-08-1南ベトナム1971年03月08日1970年代経済省,米,砂糖,ミルクなど必需品の値上げを発表。
DIA-201-1971-03-10-1南ベトナム1971年03月10日1970年代バンコクでキエム首相,タイ政府とタイ軍撤退問題を協議。
DIA-201-1971-03-25-1南ベトナム1971年03月25日1970年代帝政府軍,米軍のラオス作戦終る。-サイゴン,ワシントンは共産側1万3000人以上を殺したと発表。パテト・ラオは敵兵1万5400人(うちアメリカ人200人)を殺し,捕虜1,000人と主張,政府公式発表では,南軍,死亡1,146,負傷4,235,行方不明245,AP電によれば南軍の死亡3,800,負傷5,200,行方不明775,投入兵力の45%が戦闘不能に陥った。
DIA-201-1971-03-25-2南ベトナム1971年03月25日1970年代人民解放武装勢力指揮部はラオス人民解放軍最高指揮部に電報を送り,ラオス南部での勝利を祝賀。
DIA-201-1971-03-25-3南ベトナム1971年03月25日1970年代北ベトナム,革命政府代表,パリ会談ボイコット。
DIA-201-1971-03-26-1南ベトナム1971年03月26日1970年代約43万の米・南ベトナム連合軍がケサンからカンチまで17度線に沿って集結中,北軍7個師団も集結中。
DIA-201-1971-03-26-2南ベトナム1971年03月26日1970年代解放戦線代表団,北京に到着,団長グエン・バン・ヒュー中央委幹部会貝,団員レ・クアン・チャン中央委員らは周恩来中国共産党中央政治局常務委員,邱金作中央政治局委員と会見。27日モスクワに向け出発。
DIA-201-1971-03-28-1南ベトナム1971年03月28日1970年代解放戦線,カンチン省,Mary Ann砲撃基地を攻撃。米軍死者33人,負傷者76人の損害。
DIA-201-1971-03-29-1南ベトナム1971年03月29日1970年代解放戦線,Duc Duc町を攻撃。
DIA-201-1971-03-29-2南ベトナム1971年03月29日1970年代中国の毛・林・周3首脳は,南ベトナムグエン・フー・ト解放戦線議長,フィン・タン・ファト首相,ラオスのスファヌボン愛国戦線議長,カンボジアのシアヌーク統一戦線議長,ペン・ヌート団結政府首相,北ベトナムのトン・ドク・タン大統領,レ・ジュアン労働党第1書記,チュオン・チン国会議長,ファム・バン・ドン首相に電報を送り,「インドシナ3国人民のこのたびの勝利は重大な戦略的意義をもっている」とたたえた。
DIA-201-1971-03-31-1南ベトナム1971年03月31日1970年代解放戦線,中部高原で第6号砲撃基地を攻撃。
DIA-201-1971-04-07-1南ベトナム1971年04月07日1970年代解放戦線中央委と革命政府はケサン戦場の幹部,戦士および人民に勝利を祝う電報を送った。
DIA-201-1971-04-08-1南ベトナム1971年04月08日1970年代中部高原の第6号砲撃基地で解放戦線と政府軍が激戦。
DIA-201-1971-04-12-1南ベトナム1971年04月12日1970年代南ベトナム駐留米軍30万人を割る。
DIA-201-1971-04-13-1南ベトナム1971年04月13日1970年代政府軍6,000人,中部高原の第6号砲撃基地の奪回作戦。
DIA-201-1971-04-13-2南ベトナム1971年04月13日1970年代レアード米国防長官記者会見,「ベトナム化の第1段階は予定通り今年夏に完了する。その後も米軍の安全確保のため必要な戦争は行なう。米地上戦開部隊の撤退後も,空海軍力は引続き東南アで抑止力としての役割を果す」と言明。
DIA-201-1971-04-15-1南ベトナム1971年04月15日1970年代米軍,北部5省を除いた軍管区における司令部を地方援助司令部に格下げ。
DIA-201-1971-04-16-1南ベトナム1971年04月16日1970年代政府軍1万,北部アシャウ渓谷で作戦。
DIA-201-1971-04-16-2南ベトナム1971年04月16日1970年代ニクソン米大統領記者会見で,「米軍(虜の釈放,南ベトナムの自衛力増強の2つが実現しない間は,空軍力を含めて米軍が残留する。米軍捕虜を釈放しなければ引続き空軍力を使う。10月半ばには12月以降の撤兵計画を発表する」と言明。
DIA-201-1971-04-18-1南ベトナム1971年04月18日1970年代キ副大統領,「ベトナム化が南を自衛できるまで強くすることを意味するなら15~20年はかかる。戦争を終らせるには政治解決しかない」と言明。
DIA-201-1971-04-20-1南ベトナム1971年04月20日1970年代米上院外交委でベトナム問題公聴会。
DIA-201-1971-04-23-1南ベトナム1971年04月23日1970年代ワシントンでベトナム帰還兵の反戦集会。
DIA-201-1971-04-23-2南ベトナム1971年04月23日1970年代ロジャーズ米国務長官記者会見で,「米中関係改善が進めば,北ベトナムを話合い解決に向けさせる効果をもつだろう。ニクソン大統領は撤兵計画の腹案を持っているが,それを示さないだけだ。南ベトナムの選挙に乾しては厳正中立の立場をとるよう現地に指示している」と言明。
DIA-201-1971-04-23-3南ベトナム1971年04月23日1970年代ワシントンでベトナム参戦国会議,「各国戦闘部隊は引揚げても南ベトナム兵の訓練その他で必要な兵力は残す」との共同声明を発表。
DIA-201-1971-04-26-1南ベトナム1971年04月26日1970年代解放戦線,クィニヨンの政府軍火薬集積所を爆破。
DIA-201-1971-04-26-2南ベトナム1971年04月26日1970年代解放戦線軍司令部,反戦米兵への攻撃停止を命令。
DIA-201-1971-04-29-1南ベトナム1971年04月29日1970年代ニクソン米大統領記者会見で,「デモ参加者が言うような性急な撤兵をすると太平洋地域全体に危険が生まれる」,「全面撤兵が達成されるには米軍捕虜が釈放され,南ベトナムの自衛力増強が完了することが必要である」と言明。
DIA-201-1971-05-02-1南ベトナム1971年05月02日1970年代ユエに平和のための人民戦線成立。
DIA-201-1971-05-10-1南ベトナム1971年05月10日1970年代チャビン市に平和のための人民戦線成立。
DIA-201-1971-05-12-1南ベトナム1971年05月12日1970年代第2軍区副司令官グエン・パン・ホ大佐解任さる。
DIA-201-1971-05-16-1南ベトナム1971年05月16日1970年代キ副大統領,「大統領選に立候補する」と言明。
DIA-201-1971-05-17-1南ベトナム1971年05月17日1970年代密輸防止のため,タンソンニャト空港の税関吏ら130人更迭。
DIA-201-1971-05-17-2南ベトナム1971年05月17日1970年代革命政府の駐ルーマニア全権大使ラム・バン・ルー氏,チャウシェスク議長に信任状提出。
DIA-201-1971-05-18-1南ベトナム1971年05月18日1970年代ビン革命政府外相,ユーゴ訪問。
DIA-201-1971-05-18-2南ベトナム1971年05月18日1970年代ファト革命政府首相,「チュー政権の打倒」を呼びかける演説。
DIA-201-1971-05-18-3南ベトナム1971年05月18日1970年代米下院のマクロスキー議員ら47議員は米軍捕虜釈放を条件にして12月24日までにインドシナから全米軍を撤退させることを公表するようニクソン大統領に呼びかける決議案を提出。
DIA-201-1971-05-20-1南ベトナム1971年05月20日1970年代チュー大統領,ジョン・アーウィン国務次官,マーシャル・グリーン国務次官補,ウィリアム・サリバン前ラオス大使と会見。
DIA-201-1971-05-21-1南ベトナム1971年05月21日1970年代リーサー米陸軍長官辞表提出。7月1日フレールケ新長官就任。
DIA-201-1971-05-21-2南ベトナム1971年05月21日1970年代解放戦線,非武装地帯南の米軍砲兵基地チャーリー2など24カ所を砲撃。
DIA-201-1971-05-23-1南ベトナム1971年05月23日1970年代解放戦線,カムランの米軍補給基地を襲撃。ガソリン400キロリットルを炎上。
DIA-201-1971-05-27-1南ベトナム1971年05月27日1970年代革命政府,解放区で経済財政会議を開催。
DIA-201-1971-05-29-1南ベトナム1971年05月29日1970年代政府軍6,000人が3週間前から中部高原の共産側秘密基地に新作戦を続行中と発表。
DIA-201-1971-05-30-1南ベトナム1971年05月30日1970年代解放戦線,ダナンなど30カ所にロケット砲攻撃。
DIA-201-1971-05-31-1南ベトナム1971年05月31日1970年代南ベトナム政府軍,カンボジア領スヌールから撤退,装甲車,ジープなど80台放棄,死傷240人。
DIA-201-1971-05-31-2南ベトナム1971年05月31日1970年代ゴ・コン・ドゥク議員逮捕さる。
DIA-201-1971-06-01-1南ベトナム1971年06月01日1970年代チュー大統領演説,「1.中立化反対,2.共産側との連立反対,3.領土分割反対,4.共産党の活動反対」
DIA-201-1971-06-01-2南ベトナム1971年06月01日1970年代ニクソン米大統領記者会見で,「われわれは南ベトナムを共産主義者に引渡すようなやり方で戦争を終結させてはならない」と言明。
DIA-201-1971-06-03-1南ベトナム1971年06月03日1970年代バンカー米大使,キ副大統領と会談。
DIA-201-1971-06-03-2南ベトナム1971年06月03日1970年代下院,大統領選拳法案を可決。
DIA-201-1971-06-04-1南ベトナム1971年06月04日1970年代米上院に本年末までの南ベトナム駐留米軍の全面撤退を求めるマクガバン=ハットフィールド決議案上程。
DIA-201-1971-06-04-2南ベトナム1971年06月04日1970年代米上院,徴兵法の2年延期に反対する2つの修正案を否決。
DIA-201-1971-06-05-1南ベトナム1971年06月05日1970年代解放戦線,中部高原第5砲撃基地を包囲。
DIA-201-1971-06-05-2南ベトナム1971年06月05日1970年代革命政府樹立2周年記念集会でファト首相演説。
DIA-201-1971-06-07-1南ベトナム1971年06月07日1970年代米海兵隊の戦闘任務終了。
DIA-201-1971-06-07-2南ベトナム1971年06月07日1970年代ピアストル切下げ-政府は輸出入取引に関する実効為替相場を一部切下げ,1ドル=400ピアストルの相場を新設し,これまで275ピアストルの相場が適用された品目のうち,二,三,四輪車,生鮮果実,野菜,テレビ,ラジオ(但しサンヨー,ナショナル,ソニーを除く)を除く全品目に適用する。輸出取引については従来の1ドル=275ピアストルの相場に75ピアストルの補助金を加えて1ドル=350ピアストルとする。
DIA-201-1971-06-08-1南ベトナム1971年06月08日1970年代クリフォード前米国防長官は,「年内に米軍全面撤退を公表すれば30日以内に米軍(虜は釈放されよう」と演説。
DIA-201-1971-06-09-1南ベトナム1971年06月09日1970年代グエン・バン・ヒュー第5師団司令官(スヌール作戦責任者)解任さる。
DIA-201-1971-06-10-1南ベトナム1971年06月10日1970年代政府,カマウ沖の大陸棚40万平方キロメートルの油田開発を認可。
DIA-201-1971-06-11-1南ベトナム1971年06月11日1970年代ウェストモーランド米陸軍参謀総長,「現在米国の軍部の中に動揺がある。陸軍は危機的な激動期に直面している」と演説。
DIA-201-1971-06-12-1南ベトナム1971年06月12日1970年代内閣改造,5閣僚更迭-ゴ・カク・チン情報相にかわりチュオン・ブ・ディエン前情報省テレビ・ラジオ局長,グエン・ル・ビエン教育相(兼任)にかわりゴ・カク・チン前情報相,グエン・ビク・フエ蔵相にかわりハ・スアン・チュン前大蔵次官,ポル・ヌル少数民族相にかわりチュオン・ナイ・ルト氏,ブ・コク・ツク計画開発相にかわりレ・トアン・アン氏が就任。
DIA-201-1971-06-13-1南ベトナム1971年06月13日1970年代バンカー駐南ベトナム米大使,一時帰国。
DIA-201-1971-06-13-2南ベトナム1971年06月13日1970年代ニューヨーク・タイムズ,米国防省秘密文書の連載開始。
DIA-201-1971-06-13-3南ベトナム1971年06月13日1970年代米B52,非武装地帯南を猛爆。
DIA-201-1971-06-15-1南ベトナム1971年06月15日1970年代ロジャーズ米国務長官,記者会見で,「バンカー大使,10月の大統領選に中立を保つよう米軍,および米出先機関に指示」,「戦争終結後も米は南ベトナムに無期限の経済軍事援助を与える」と言明。
DIA-201-1971-06-18-1南ベトナム1971年06月18日1970年代解放放送,来る8月の議会選挙,10月の大統領選挙に参加呼びかけ。
DIA-201-1971-06-19-1南ベトナム1971年06月19日1970年代サイゴンで政府軍が国軍記会日祝賀パレード。
DIA-201-1971-06-19-2南ベトナム1971年06月19日1970年代日本政府はカント火力発電所建設のため800万ドルの円借款を南ベトナム政府に供与する方針を固めた。その他ファンラン地区の灌漑排水工事に900万ドル,サイゴン市の電話,水道施設に600万ドルの円借款を供与することを検討中。
DIA-201-1971-06-22-1南ベトナム1971年06月22日1970年代米上院,9月以内にインドシナからの米軍全面撤退を呼びかけるマンスフィールド提案採択,28日米下院これを否決。
DIA-201-1971-06-23-1南ベトナム1971年06月23日1970年代大統領選挙法公布。
DIA-201-1971-06-24-1南ベトナム1971年06月24日1970年代グエン・バン・ヒュー氏を団長とする解放戦線代表団,訪中。
DIA-201-1971-06-24-2南ベトナム1971年06月24日1970年代政府軍,非武装地帯南のフラー基地を放棄。
DIA-201-1971-06-25-1南ベトナム1971年06月25日1970年代バンカー米大使,サイゴンに帰任。
DIA-201-1971-06-26-1南ベトナム1971年06月26日1970年代サイゴンの米軍港労働者スト(7月15日まで)。
DIA-201-1971-06-28-1南ベトナム1971年06月28日1970年代解放戦線,クイニョンの政府軍弾薬集積所を破壊。
DIA-201-1971-06-30-1南ベトナム1971年06月30日1970年代韓国国防相発表,韓国軍1個師団が71年12月-72年6月に撤退。
DIA-201-1971-06-30-2南ベトナム1971年06月30日1970年代米機8機,非武装地帯北半分を爆撃。
DIA-201-1971-07-01-1南ベトナム1971年07月01日1970年代第118国パリ会談でビン臨時革命政府代表7項目提案(参考資料参照)。
DIA-201-1971-07-02-1南ベトナム1971年07月02日1970年代レアード米国防長官言明,「本年末までに兵員を帰国させるだけなら物理的に大きな障害はない,しかしそのような性急な撤兵発表は何十億ドルもの軍事施設を放棄することになろう」
DIA-201-1971-07-02-2南ベトナム1971年07月02日1970年代米B52,連日非武装地帯南フラー基地周辺を爆撃。
DIA-201-1971-07-03-1南ベトナム1971年07月03日1970年代キッシンジャー米大統領補佐官,サイゴン到着,同氏はバンカー大使,ゴッドレー駐ラオス大使,エイブラムズ司令官らと協議。
DIA-201-1971-07-03-2南ベトナム1971年07月03日1970年代キ副大統領,「臨時革命政府が要求した米軍撤退期日設定について南ベトナム政府としては異論はない」と声明。
DIA-201-1971-07-04-1南ベトナム1971年07月04日1970年代キッシンジャー補佐官,バンカー大使,チュー大統領と会談。キッシンジャー補佐官,ジェイコブソン平定計画担当官,スワンク駐カンボジア大使と会談。
DIA-201-1971-07-04-2南ベトナム1971年07月04日1970年代人民日報社説,中国政府・人民は南ベトナム臨時革命政府の7項目提案を支持する。
DIA-201-1971-07-05-1南ベトナム1971年07月05日1970年代キ副大統領はキッシンジャー補佐官との会談の後,大統領選に立候補すると発表。副大統領候補にチュオン・ビン・レ氏を指名。キ補佐官はミン将軍とも会談。
DIA-201-1971-07-06-1南ベトナム1971年07月06日1970年代レ・ドク・ト顧問はパリでニューヨーク・タイムズ記者との会見で,「捕虜釈放=米軍撤退の問題を政治解決の問題と切離して話合える」と言明。
DIA-201-1971-07-06-2南ベトナム1971年07月06日1970年代ニクソン米大統領演説,「向う5年或は10年間にわたって米国は西欧,日本,ソ連,中国の4大勢力と指導権をわけあうことになるだろう,力と武器による勢力争いは影をひそめ,経済競争がとってかわるだろう」,「われわれがインドシナから抜け出すために何をやっているかも忘れないでほしい。われわれは交渉のチャンネルを積極的に探求している。また交渉の進展いかんにかかわりなくベトナム化計画を推進している。ベトナム戦争を終らせるには2つの条件がある。一つは米人捕虜の釈放であり,もう一つは東南アジアおよび太平洋に永続的な平和を確立することである」
DIA-201-1971-07-06-3南ベトナム1971年07月06日1970年代ビン臨時革命政府代表,UPI記者に言明,「必要なら米代表と秘密会談を行なう用意がある。米軍完全撤退の期限は公表されることが望ましい。しかし将来開かれる討論のときまで期限の確定を保留することを拒否しない。ニクソン政権が南ベトナムからの完全撤退を表明することはニクソン政権とアメリカ自身の利益にかなっている。民族和合政府にはサイゴンの政府と臨時革命政府その他の勢力が含まれる。臨時革命政府側が民族和合政.権内で少数派の地位を占めることも受け入れる」
DIA-201-1971-07-08-1南ベトナム1971年07月08日1970年代政府軍3,000人がカンボジア領おうむの口ばし地区で作戦。
DIA-201-1971-07-08-2南ベトナム1971年07月08日1970年代第120回拡大パリ会談。ブルース米代表,制限会談を提案。
DIA-201-1971-07-09-1南ベトナム1971年07月09日1970年代米軍は非武装地帯沿いの全基地から撤退し政府軍に肩代り。
DIA-201-1971-07-10-1南ベトナム1971年07月10日1970年代レアード米国防長官,日本にインドシナへの経済援助を要請。
DIA-201-1971-07-15-1南ベトナム1971年07月15日1970年代パリ会談でビン代表言明,「米国が7項目提案を受諾しないのは,チュー政権を温存しておきたいためだ」
DIA-201-1971-07-15-2南ベトナム1971年07月15日1970年代ブルース米代表言明,「撤兵期日決定は交渉の結果として出るもの,捕虜釈放にはラオス,カンボジアでの捕虜も含まれるが,停戦を他の問題と切離して扱う用意があるか」
DIA-201-1971-07-16-1南ベトナム1971年07月16日1970年代ビン臨時革命政府外相言明,「中国が臨時革命政府の頭越しにベトナム問題でニクソン米大統領と取決めを達成することはないだろう。中国政府はわれわれの7項目提案を公式に支持している」
DIA-201-1971-07-18-1南ベトナム1971年07月18日1970年代キ副大統領言明,「ニクソン訪中で,インドシナ戦争の平和解決は近づいた」
DIA-201-1971-07-18-2南ベトナム1971年07月18日1970年代サイゴンで不正選挙反対委員会(委員長チャン・ゴク・リエン弁護士)結成。
DIA-201-1971-07-19-1南ベトナム1971年07月19日1970年代チュー大統領言明,「ニクソン訪中はベトナム情勢に影響しない。軍事的勝利の路線は不変」
DIA-201-1971-07-19-2南ベトナム1971年07月19日1970年代南ベトナム外務省声明,「全面停戦のための話合いを呼びかける」
DIA-201-1971-07-19-3南ベトナム1971年07月19日1970年代3週間の小康状態を破って非武装地帯で解放戦線の砲撃活発化。
DIA-201-1971-07-19-4南ベトナム1971年07月19日1970年代解放放送,「いかなる道を走り続けようとニクソンは敗北からのがれることはできない」と論評。
DIA-201-1971-07-20-1南ベトナム1971年07月20日1970年代B52,20機が6波にわたり非武装地帯南方を爆撃。
DIA-201-1971-07-21-1南ベトナム1971年07月21日1970年代政府軍1万人がカンボジア東部クレクに越境作戦。
DIA-201-1971-07-22-1南ベトナム1971年07月22日1970年代チュー大統領が,「4つのノー」政策に支持が得られなければ出馬しないと言明。
DIA-201-1971-07-22-2南ベトナム1971年07月22日1970年代タイニン省,ビンロン省などで解放戦線攻勢。
DIA-201-1971-07-23-1南ベトナム1971年07月23日1970年代仏教徒学生同盟声明,「アメリカに対し,解放戦線の7項目提案にすみやかに回答し,米軍を71年中に無条件に撤退させる期限を定めること,現政権支持をやめ,南ベトナム人民自身に政治制度を決定させることを要求する」
DIA-201-1971-07-23-2南ベトナム1971年07月23日1970年代デルタで解放戦線の軍事活動活発化。
DIA-201-1971-07-23-3南ベトナム1971年07月23日1970年代解放戦線,タイニン郊外の政府軍司令部を襲撃。
DIA-201-1971-07-24-1南ベトナム1971年07月24日1970年代臨時革命政府外務省声明,「ニクソン政権は南ベトナムその他インドシナ諸国における行動を強化しながら,南ベトナム国民に,米国にとって好ましい解決策を押しつけるため背信的な外交活動を進めている」
DIA-201-1971-07-24-2南ベトナム1971年07月24日1970年代チュー大統領,選挙出馬を正式表明,副大統領候補にチャン・バン・フォン氏およびチャン・チエン・キエム氏を指名。
DIA-201-1971-07-26-1南ベトナム1971年07月26日1970年代ミン将軍,大統領選出馬を正式発表。副大統領候補に下院第1副議長ホー・バン・ミン氏を指名。
DIA-201-1971-07-27-1南ベトナム1971年07月27日1970年代政府軍,カンボジア領スヌールで作戦。
DIA-201-1971-07-28-1南ベトナム1971年07月28日1970年代ニクソン米大統領,パリ会談ブルース代表の辞表受理,後任にポーター駐韓大使を任命。
DIA-201-1971-07-29-1南ベトナム1971年07月29日1970年代大統領選立候補受付開始。チュー候補,ミン候補届出。
DIA-201-1971-07-29-2南ベトナム1971年07月29日1970年代タイニンの政府軍前進基地から米中隊が撤退。
DIA-201-1971-07-29-3南ベトナム1971年07月29日1970年代サイゴン港,銀行等の26の労働組合がスト突入,7月から実施された所得税の廃止を政府が拒否したため。
DIA-201-1971-07-30-1南ベトナム1971年07月30日1970年代ハバナに来訪中のチリ外相は,南ベトナム臨時革命政府代表に,サンチャゴに同政府の情報センターを設置することを許可する旨を通告した。
DIA-201-1971-07-31-1南ベトナム1971年07月31日1970年代ビン臨時革命政府外相言明,「1.ニクソン訪中でベトナム解決はできない。2.米軍全面撤退には基地解体も含まれる。3.米軍存在下の選挙は無意味」
DIA-201-1971-07-31-2南ベトナム1971年07月31日1970年代解放戦線ダナン南方40キロで米軍アメリカル師団の部隊を攻撃。
DIA-201-1971-08-02-1南ベトナム1971年08月02日1970年代ユエで学生が米兵の運転する車にひき逃げされ,学生,市民が抗議デモ。
DIA-201-1971-08-03-1南ベトナム1971年08月03日1970年代中国の人民日報が新ジュネーブ会議構想を否定。
DIA-201-1971-08-04-1南ベトナム1971年08月04日1970年代キ候補立候補届出。
DIA-201-1971-08-04-2南ベトナム1971年08月04日1970年代レアード米国防長官発表,南ベトナムの米軍の地上戦闘任務終了。
DIA-201-1971-08-05-1南ベトナム1971年08月05日1970年代最高裁,キ候補の立候補を承認せず。
DIA-201-1971-08-05-2南ベトナム1971年08月05日1970年代スウェーデン紙米国がSAS航空に米国捕虜送還のためチャーター機を依頼したと報道。
DIA-201-1971-08-08-1南ベトナム1971年08月08日1970年代キエム首相,政党公認法に署名。
DIA-201-1971-08-08-2南ベトナム1971年08月08日1970年代バンカー米大使帰米。
DIA-201-1971-08-09-1南ベトナム1971年08月09日1970年代チュー大統領はサイゴン上空での軍用機飛行を禁じた。
DIA-201-1971-08-10-1南ベトナム1971年08月10日1970年代解放戦線サイゴン南西70キロ,カイライ付近の政府軍拠点を攻撃。
DIA-201-1971-08-12-1南ベトナム1971年08月12日1970年代解放戦線,非武装地帯南部の政府軍陣地を攻撃。
DIA-201-1971-08-16-1南ベトナム1971年08月16日1970年代B52,北爆停止以来はじめて非武装地帯南半分を爆撃。
DIA-201-1971-08-18-1南ベトナム1971年08月18日1970年代マクマーン豪首相,年内に豪軍の大部分を南ベトナムから撤退させると発表。
DIA-201-1971-08-18-2南ベトナム1971年08月18日1970年代下院選挙候補者ゴ・バン・タン女史,サイゴン警察に逮捕さる。
DIA-201-1971-08-19-1南ベトナム1971年08月19日1970年代バンカー米大使,サイゴンに帰任,チュー大統領,ミン将軍と会談。
DIA-201-1971-08-19-2南ベトナム1971年08月19日1970年代政府軍,非武装地帯南部のサージ砲撃基地から撤退。
DIA-201-1971-08-20-1南ベトナム1971年08月20日1970年代ミン将軍,大統領出馬辞退を発表。
DIA-201-1971-08-21-1南ベトナム1971年08月21日1970年代最高裁,キ候補の大統領選出馬資格を復活。
DIA-201-1971-08-23-1南ベトナム1971年08月23日1970年代キ候補は大統領選出馬辞退を表明し,正副大統領の辞任,3カ月後に選挙をやり直すこと,その間上院議長が大統領を代行することを提案。
DIA-201-1971-08-23-2南ベトナム1971年08月23日1970年代キエム首相辞任,同首相はチュー大統領の第2副大統領候補になっているため。首相代理はグエン・ルー・ビエン。
DIA-201-1971-08-23-3南ベトナム1971年08月23日1970年代チュー大統領は政府軍特別会議で予定通り選挙を行なうとの決意を表明。
DIA-201-1971-08-23-4南ベトナム1971年08月23日1970年代バンカー米大使,チュー大統領と会談。
DIA-201-1971-08-24-1南ベトナム1971年08月24日1970年代サイゴンの米軍,反米騒動に備えるため,警戒体制に。
DIA-201-1971-08-24-2南ベトナム1971年08月24日1970年代ポーター米パリ会談新首席代表,ニクソン大統領と会談。
DIA-201-1971-08-25-1南ベトナム1971年08月25日1970年代カムラン米軍基地で弾薬庫大爆発。
DIA-201-1971-08-25-2南ベトナム1971年08月25日1970年代解放戦線,全国42カ所で一斉攻撃。
DIA-201-1971-08-26-1南ベトナム1971年08月26日1970年代サイゴンの学生協議会,チュー大統領の辞任,バンカー米大使の帰国を要求。
DIA-201-1971-08-28-1南ベトナム1971年08月28日1970年代政府軍に夜間外出禁止令。
DIA-201-1971-08-28-2南ベトナム1971年08月28日1970年代キ副大統領の顧問ダン・ドク・コイ氏訪米。
DIA-201-1971-08-29-1南ベトナム1971年08月29日1970年代解放戦線,全国59カ所で一斉攻撃。
DIA-201-1971-08-29-2南ベトナム1971年08月29日1970年代下院議員選挙。
DIA-201-1971-08-30-1南ベトナム1971年08月30日1970年代ポーター米新パリ会談首席代表,パリ着任。
DIA-201-1971-08-30-2南ベトナム1971年08月30日1970年代バンカー米大使,チュー大統領と会談。
DIA-201-1971-09-01-1南ベトナム1971年09月01日1970年代ミン将軍,バンカー米大使を非難。
DIA-201-1971-09-02-1南ベトナム1971年09月02日1970年代チュー大統領は大統領選を信任投票にすると演説。
DIA-201-1971-09-02-2南ベトナム1971年09月02日1970年代キ副大統領言明,3項目要求。1.貧富の差や不正を解消するための社会革命。2.緊縮政策による経済改革。3.軍の改革。
DIA-201-1971-09-06-1南ベトナム1971年09月06日1970年代政府軍,非武装地帯南でラムソン810作戦開始,1万3500人が参加。
DIA-201-1971-09-06-2南ベトナム1971年09月06日1970年代ビン臨時革命政府外相,ポーランド訪問。
DIA-201-1971-09-09-1南ベトナム1971年09月09日1970年代第128回拡大パリ会談,ポーター米代表初出席,制限会談を再提案。臨時革命政府代表,米との秘密会談を提案。
DIA-201-1971-09-10-1南ベトナム1971年09月10日1970年代キ副大統領は国民へのメッセージを発表し,チュー大統領の辞任と,自分がそのあとを継いで選挙を組織することを要求。
DIA-201-1971-09-11-1南ベトナム1971年09月11日1970年代チュー大統領発表,「得票が投票総数の50%を越えれば再選されたものと考える,50%を下まわれば辞任する」
DIA-201-1971-09-12-1南ベトナム1971年09月12日1970年代学生,米大使館を襲撃。
DIA-201-1971-09-13-1南ベトナム1971年09月13日1970年代フィン・タン・マム前サイゴン学生連合委員長を先頭とする学生がサイゴン大学で軍事教練反対のハンスト。
DIA-201-1971-09-13-2南ベトナム1971年09月13日1970年代下院反政府系議員の集り「社会ブロック」は,選挙反対の討論集会を開催。
DIA-201-1971-09-13-3南ベトナム1971年09月13日1970年代マクガバン米民主党上院議員,サイゴン着。
DIA-201-1971-09-14-1南ベトナム1971年09月14日1970年代ユエで米兵によるベトナム少年ひき殺しに抗議して学生がデモ。
DIA-201-1971-09-14-2南ベトナム1971年09月14日1970年代西部の地主1,000人以上は会議を開き,政府の新農地法に反対する決議を行なった。
DIA-201-1971-09-15-1南ベトナム1971年09月15日1970年代チュー大統領言明,米援助が打切られれば辞任。
DIA-201-1971-09-16-1南ベトナム1971年09月16日1970年代チェンホア化導院長,大統領選ボイコットを訴え。カトリック協会のチャン・タン・カム司教,カオダイ教のホ・タン・コア師,ホアハオ教のチュオン・カン・ホアン師,統一仏教会代表ミン・トゥック師らで結成する全国宗教会談もチュー大統領の単独選挙を攻撃。
DIA-201-1971-09-16-2南ベトナム1971年09月16日1970年代ビン臨時革命政府外相,北京着,17日周恩来首相と会見,18日シアヌーク殿下と会談,22日帰国の途に。
DIA-201-1971-09-16-3南ベトナム1971年09月16日1970年代解放戦線がウミンの森で作戦中の政府軍に反撃,政府軍死者47人。
DIA-201-1971-09-16-4南ベトナム1971年09月16日1970年代第129回パリ会談で北ベトナム代表は米軍捕虜釈放前にチュー政権支持停止と米軍撤退を同時に発表せねばならぬと言明。
DIA-201-1971-09-18-1南ベトナム1971年09月18日1970年代サイゴンで議員,学生らが反政府デモ。
DIA-201-1971-09-19-1南ベトナム1971年09月19日1970年代ショロンで学生と警官が衝突。
DIA-201-1971-09-20-1南ベトナム1971年09月20日1970年代チュー大統領,ラジオ演説,「再選を望むのは平和を達成するため,平和達成の暁には辞任する,4つのノー政策はその目的達成のための唯一の現実的な政策である。軍事的勝利による和平は3年で達成されよう」
DIA-201-1971-09-20-2南ベトナム1971年09月20日1970年代ミン将軍ら退役将軍団がチュー・キ正副大統領が辞任し,新しく選挙を組織すること,これを大統領が認めないなら国民会議を召集することを提案。
DIA-201-1971-09-20-3南ベトナム1971年09月20日1970年代米機延べ200機が北ベトナム南部を爆撃。
DIA-201-1971-09-22-1南ベトナム1971年09月22日1970年代上院は新たに大統領選挙を組織すべきであるとの宣言を採択,定員60人の内出席者は31人,賛成は28人。
DIA-201-1971-09-22-2南ベトナム1971年09月22日1970年代傷病兵連合声明,チュー大統領は辞任して権力を上院に委譲したのち,新しい選挙を実施せよ。
DIA-201-1971-09-23-1南ベトナム1971年09月23日1970年代チュー大統領,バンカー米大使と会談。
DIA-201-1971-09-23-2南ベトナム1971年09月23日1970年代政府軍全将兵に外出禁止令-各種軍機関に働く非戦闘部隊の将兵25%に都市部への街頭警備出動を命令。全米軍に外出禁止令。
DIA-201-1971-09-23-3南ベトナム1971年09月23日1970年代ヘイグ米大統領補佐官サイゴン訪問。
DIA-201-1971-09-23-4南ベトナム1971年09月23日1970年代21日の北爆に抗議して北ベトナムと南ベトナム臨時革命政府の代表,パリ会談に欠席。
DIA-201-1971-09-25-1南ベトナム1971年09月25日1970年代平和のための人民戦線,生活権擁護婦人運動,サイゴン学生連合,傷病兵連合,大団結の力(カトリック)など22団体は連絡事務所を設置。
DIA-201-1971-09-25-2南ベトナム1971年09月25日1970年代解放戦線タイニン省北部,カンボジア領クレク周辺で攻勢。
DIA-201-1971-09-28-1南ベトナム1971年09月28日1970年代アンカン寺で,「民主主義と平和のための人民闘争委」発足。
DIA-201-1971-09-29-1南ベトナム1971年09月29日1970年代解放放送は南ベトナム国民に対するグエン・フー・ト議長の書簡を発表し次のように述べた。(1)チューの支配を維持しようとする不正選挙に断固として反対せよ,(2)都市住民は米国とチューに反対する行動を統一して戦線を拡大しなければならない。
DIA-201-1971-09-29-2南ベトナム1971年09月29日1970年代チュー大統領,全土の警官に反政府デモ規制のための発砲を許可。
DIA-201-1971-09-30-1南ベトナム1971年09月30日1970年代サイゴンで開催中のECAFEメコン委員会で南ベトナム,ラオス,カンボジア,タイ4カ国は,メコン川流域の,「パイオニア農業プロジェクト」協定に調印。
DIA-201-1971-09-30-2南ベトナム1971年09月30日1970年代米上院,米軍捕虜釈放を条件に半年内のインドシナからの米軍撤退を求めたマンスフィールド提案を可決,10月19日米下院はこれをタナ上げした。
DIA-201-1971-10-01-1南ベトナム1971年10月01日1970年代キ副大統領が出席して大統領選挙非難集会。
DIA-201-1971-10-01-2南ベトナム1971年10月01日1970年代米上下両院議員131人は,「南ベトナムの単独選挙は,南ベトナム人の自決のために果たしてきた米国の努力と犠牲を侮辱するもの」との声明発表。
DIA-201-1971-10-02-1南ベトナム1971年10月02日1970年代解放戦線,カント西方48キロの政府軍陣地を攻撃,政府軍死者18人,負傷者64人の損害。
DIA-201-1971-10-02-2南ベトナム1971年10月02日1970年代外務省と日本大使は,ダニム・ダム修復工事の第2期分向けに対する日本の援助6億8790万円(200万ドル)に関する文書交換。
DIA-201-1971-10-03-1南ベトナム1971年10月03日1970年代大統領選挙-投票率87.9%。チュー大統領は投票総数の94.3%,597万1114票を獲得して再選さる。
DIA-201-1971-10-03-2南ベトナム1971年10月03日1970年代カンボジア領クレク付近で作戦中の政府軍を米機が誤爆,死者11人,負傷者12人。
DIA-201-1971-10-04-1南ベトナム1971年10月04日1970年代クレク北東4キロで政府軍が解放戦線と激戦政府軍死者10人,負傷者21人。
DIA-201-1971-10-04-2南ベトナム1971年10月04日1970年代アメリカル師団,11月末までに撤退と発表。
DIA-201-1971-10-05-1南ベトナム1971年10月05日1970年代ホノルルでマッケーン米太平洋軍司令官,性急な撤兵に警告。
DIA-201-1971-10-05-2南ベトナム1971年10月05日1970年代米上院,「米軍兵力を保護する場合を除きインドシナにおける爆撃を中止する」との提案を否決。
DIA-201-1971-10-08-1南ベトナム1971年10月08日1970年代臨時革命政府,米軍捕虜1名をロクニン地区で釈放。
DIA-201-1971-10-09-1南ベトナム1971年10月09日1970年代カンボジア国境に近い米軍砲撃基地ペースで米軍部隊が出撃命令を拒否。
DIA-201-1971-10-11-1南ベトナム1971年10月11日1970年代米軍,北ベトナム兵捕虜1名をカンボジア国境で釈放。
DIA-201-1971-10-12-1南ベトナム1971年10月12日1970年代日本政府の無償援助で建設されるサイゴン・チョーライ病院の新病棟起工式。
DIA-201-1971-10-15-1南ベトナム1971年10月15日1970年代リーガン・米カリフォルニア州知事はニクソン大統領の特使としてサイゴンを訪問。
DIA-201-1971-10-15-2南ベトナム1971年10月15日1970年代臨時革命政府,政府軍捕虜4名をフーエン省で釈放。
DIA-201-1971-10-16-1南ベトナム1971年10月16日1970年代レウェイアンド駐留米軍副司令官,平定計画副司令官に任命さる。
DIA-201-1971-10-18-1南ベトナム1971年10月18日1970年代72年度予算(2950億ピアストル)下院に提出さる。
DIA-201-1971-10-18-2南ベトナム1971年10月18日1970年代サイゴン西北95キロのカンボジア国境付近で米機が政府軍陣地を誤爆,死者18人,重傷者7人。
DIA-201-1971-10-18-3南ベトナム1971年10月18日1970年代カンボジア国境付近の米軍砲兵基地ペース南西で激戦,政府軍死者7人,負傷者20人,共産側死者28人。
DIA-201-1971-10-19-1南ベトナム1971年10月19日1970年代グエン・バン・ヒュー中央幹部会員を団長とする解放戦線代表団はアルバニア勤労党大会に参加の途中,北京に立寄る。
DIA-201-1971-10-22-1南ベトナム1971年10月22日1970年代最高裁大統領選の結果についての異議申立て申請を却下。
DIA-201-1971-10-28-1南ベトナム1971年10月28日1970年代南ベトナム政府発表,31日に解放戦線の捕虜618人を釈放。
DIA-201-1971-10-30-1南ベトナム1971年10月30日1970年代キ副大統領は任期切れにあたり,現役軍人に復帰すると演説。
DIA-201-1971-10-31-1南ベトナム1971年10月31日1970年代チュー大統領就任式,就任演説の中でチュー大統領は北ベトナムに対し「即時停戦し,話合いを始め平和協定を調印すべきこと,統一が実現するまでの間,南北ベトナムの交流を考えよう」と提案。また「南ベトナムが自力で戦い続けるためには軍事,経済援助だけが必要である。同盟国軍のベトナム駐留は近く終る。今後われわれはすべての責任を引受け自力で戦い続けなければならない」と言明。式典にはコナリー米財務長官,日本の松野頼三特使,金鐘泌韓国総理,厳家国府首相ら出席。
DIA-201-1971-10-31-2南ベトナム1971年10月31日1970年代米第23歩兵師団(アメリカル師団)撤退発表。同師団が保持していたチュライ基地は2週閥以内に政府軍に引き渡される。在南ベトナム米軍は20万人を割った。
DIA-201-1971-11-01-1南ベトナム1971年11月01日1970年代中国紅十字会はベトナム南部解放赤十字社に風水害の見舞電報を送り,500万元(7億5000万円相当)の物資を贈ることを決めた。
DIA-201-1971-11-01-2南ベトナム1971年11月01日1970年代コナリー米財務長官はチュー大統領と会談し,先週米上院に否決された援助法案の復活に全力を注ぐことを約束した。
DIA-201-1971-11-03-1南ベトナム1971年11月03日1970年代レアード米国防長官,サイゴン訪問-6日の帰国を前に記者会見して「自立のための経済力をつけることが最大の問題」と言明。
DIA-201-1971-11-04-1南ベトナム1971年11月04日1970年代首相司会のもとに全省経済責任者が,援助停止の場合の対策を協議。
DIA-201-1971-11-06-1南ベトナム1971年11月06日1970年代韓国政府はクアンナム省駐留の韓国軍1万人を今年12月から来年はじめにかけ撤収すると発表。12月9日第1陣1,200人が出発。
DIA-201-1971-11-07-1南ベトナム1971年11月07日1970年代オーストラリア軍の戦闘役割終了。
DIA-201-1971-11-07-2南ベトナム1971年11月07日1970年代マクナマラ世銀総裁は佐藤首相を訪ね,インドシナに対する政府ベースの援助増大を要請。
DIA-201-1971-11-10-1南ベトナム1971年11月10日1970年代グエン・バン・ボン国民進歩運動委員長兼国立行政学院長は,乗用車が爆破され死亡。
DIA-201-1971-11-11-1南ベトナム1971年11月11日1970年代ビンディン省沿岸で米軍ヘリが政府軍を誤射,政府軍兵士8人が死亡,21人が負傷。
DIA-201-1971-11-12-1南ベトナム1971年11月12日1970年代ニクソン米大統領,第6次米軍撤兵計画を発表-ニクソン米大統領は記者会見でベトナムからの第6次米軍撤退計画を発表し,12月と1月の間に4万5000人を引揚げるとの方針を明らかにした。2月以降の撤兵計画は,「今後実りある交渉を進めるための最大限のテコを保持する」ために示さなかった。
DIA-201-1971-11-13-1南ベトナム1971年11月13日1970年代ムーラー米統幕議長はベトナム,カンボジアの視察を終えホノルルで「将来南ベトナムに米軍のどのような部隊を存続させるかは北ベトナムの出方次第である」と言明。
DIA-201-1971-11-15-1南ベトナム1971年11月15日1970年代ピアストル平価切下げ-ゴク経済相はピアストル平価を16日から次のように切下げると発表。①政府送金は1ドル=118p,②米国援助および機械,食料等の必需品輸入は1ドル=275p,③その他の物資輸入および米国以外の国からの援助は1ドル=400p,④輸出および南ベトナムからの海外送金は1ドル=410p。
DIA-201-1971-11-15-2南ベトナム1971年11月15日1970年代チュー大統領は上下両院合同会議で施政方針演説を行ない,新経済政策の大綱を発表。まず当面の措置として,①奢侈税等輸入抑制のためとられていた措置を撤廃し,貿易の自由化をはかる。②ピアストルの変動相場への移行とヤミレートの解消をはかる,③軍人,公務員のベースアップと減税を実施するための関係法案を議会に提出する。また今後の方向として,農業振興,経済自立,輸入抑制と輸出増大,産業育成と雇用の拡大を柱とし,①米をはじめ農産物の生産,輸出を来年は倍増する。②海外からの民間投資を促進するため現在下院で審議中の新投資法改正案を成立させる。
DIA-201-1971-11-15-3南ベトナム1971年11月15日1970年代政府は国会に公務員,軍隊の手当(70年10月に決ったもの)年末ボーナスなどにあてる375億ピアストルの補正予算案を提出。
DIA-201-1971-11-16-1南ベトナム1971年11月16日1970年代米第7空軍発表,フーカット空軍基地の米空軍撤退開始,来月初めに政府軍に肩代り。
DIA-201-1971-11-17-1南ベトナム1971年11月17日1970年代レアード米国防長官は記者会見で「南ベトナム軍によるラオス進攻作戦があった場合,米空軍を使用する。南ベトナム駐留米軍を守るため北ベトナム,ラオス,カンボジア,南ベトナムで米空軍を使用する」と言明。
DIA-201-1971-11-18-1南ベトナム1971年11月18日1970年代チュー大統領は軍管区司令官を招集してカンボジア支援作戦を協議。
DIA-201-1971-11-19-1南ベトナム1971年11月19日1970年代政府はインフレ抑制のための物価統制措置を発表,物価を不当に高騰させる投機的商人に対し死刑を含む65年立法を適用する。政府スポークスマンによれば15日の新経済条令発表以来消費者物価の上昇が著しく,先日1,000ピアストルだったシャツが11月は2,000ピアストルにはねあがった。
DIA-201-1971-11-19-2南ベトナム1971年11月19日1970年代プレーク西方40kmの政府軍レンジャー・キャンプ,解放軍に砲撃さる,政府軍死者14人,負傷者8人。
DIA-201-1971-11-20-1南ベトナム1971年11月20日1970年代米軍司令部はフバイ駐留の米第101空てい師団の1個旅団が近く撤退と発表。
DIA-201-1971-11-22-1南ベトナム1971年11月22日1970年代政府軍,カンボジア領内7号線,おうむの口ばし地区,メコン河で新作戦開始(第6次トアンタン作戦)第1陣5,000人がカンボジア国道7号線を北上,降下部隊は25日チュプゴム園東端に砲撃基地を築き,歩兵部隊が待機中。
DIA-201-1971-11-24-1南ベトナム1971年11月24日1970年代トアンタン作戦第2陣数千人が,カンボジア領おうむの口ばし地区を国道1号線に沿って進撃。
DIA-201-1971-11-27-1南ベトナム1971年11月27日1970年代国境地帯のプレークからコンツムに至る一帯で政府軍7,000人が作戦開始,米空軍が支援。
DIA-201-1971-11-27-2南ベトナム1971年11月27日1970年代ビエンホアに建設される戦争孤児の職業訓練センターに日本が2億2000万円を無償供与。
DIA-201-1971-11-29-1南ベトナム1971年11月29日1970年代カオ・ヴァン・ヴィエン統幕議長療養のため1カ月間台北へ,代理は統幕副議長Ng van La中将。
DIA-201-1971-11-29-2南ベトナム1971年11月29日1970年代国立銀行を発表,1,000ピアストル紙幣を発行。
DIA-201-1971-11-29-3南ベトナム1971年11月29日1970年代中国語紙タンコンの編集長,Ouach Phat氏,ショロンで暗殺さる。
DIA-201-1971-12-01-1南ベトナム1971年12月01日1970年代デルタのウーミン森で昨年12月から行なわれていた政府軍の作戦が26日終了,1日行なわれた終了式でチュー大統領は「共産主義者に寸土たりとも与えぬ,大国のおしつける解決は受け入れぬ,ウーミン作戦は新たに再開される」と演説。1年間の作戦で政府軍は490人,負傷者1,302人の損害を受け,共産側に死者4,903人の損害を与えた。
DIA-201-1971-12-02-1南ベトナム1971年12月02日1970年代政府軍地方軍がタイニン省フクオン町南西で解放勢力と激戦。
DIA-201-1971-12-02-2南ベトナム1971年12月02日1970年代Tran van Minh中将(元空軍司令官)は,チュニジアおよびチャド大使に任命さる。
DIA-201-1971-12-03-1南ベトナム1971年12月03日1970年代下院議長にグエン・バ・カン,第1副議長にジン・スアン・ミン,第2副議長にグエン・チ・ハイの各氏が選出さる。
DIA-201-1971-12-07-1南ベトナム1971年12月07日1970年代米国防総省発表によれば,11月末B52はラオスのホー・ルート上空でソ連製ミグ21による空対空ミサイル攻撃をうけた。12月1日,米国防総省はラオス上空へのミグ出撃増強について報告書を出し,関係米軍に警告。
DIA-201-1971-12-08-1南ベトナム1971年12月08日1970年代8~10日,カンボジア領クレク地方24キロのダンベ村で政府軍降下部隊と解放勢力が激戦政府軍死者10人,負傷者100人。10日政府軍はダンベ作戦を終了。
DIA-201-1971-12-10-1南ベトナム1971年12月10日1970年代第7艦隊空母エンタプライズ,ベトナム沖を離れる。
DIA-201-1971-12-12-1南ベトナム1971年12月12日1970年代クイニョン港を守る米軍陣地131高地,解放戦線に攻撃さる,米兵死者1人,負傷者9人。
DIA-201-1971-12-14-1南ベトナム1971年12月14日1970年代政府軍6,000人,カンボジア軍4,000人はチュプゴム園の解放勢力を捕捉するための作戦を開始,17日終了。
DIA-201-1971-12-14-2南ベトナム1971年12月14日1970年代タノム・タイ国政評議会議長,サイゴン訪問。
DIA-201-1971-12-14-3南ベトナム1971年12月14日1970年代ハノイ放送発表,このほど解放戦線代表団(団長グエン・バン・ゴイ中央委幹部会員)と平和連盟代表団(団長ラム・バン・テト中央委副議長)が祖国戦線第3回大会に出席するためハノイに到着。
DIA-201-1971-12-15-1南ベトナム1971年12月15日1970年代サイゴンで参戦6力国会議開催,各国駐南ベトナム大使が出席,マッケーン米太平洋統合軍司令官も出席。
DIA-201-1971-12-16-1南ベトナム1971年12月16日1970年代パリ会談延期,9日の会談で米側が延期を申入れたもの。
DIA-201-1971-12-18-1南ベトナム1971年12月18日1970年代解放区内で解放戦線創立11周年記念集会が行なわれ,グエン・フー・ト議長は「やがて極めて決定的な戦闘の数々が起るだろう」と演説。
DIA-201-1971-12-18-2南ベトナム1971年12月18日1970年代18,19日,米機ファントム機がラオス上空でミグ機などに撃墜さる。
DIA-201-1971-12-20-1南ベトナム1971年12月20日1970年代解放戦線,サイゴン市内にロケット弾2発を撃ち込む。
DIA-201-1971-12-22-1南ベトナム1971年12月22日1970年代政府,689人の政治犯を釈放,23日さらに515人の政治犯に恩赦を与えると発表。
DIA-201-1971-12-23-1南ベトナム1971年12月23日1970年代パリ会談延期。
DIA-201-1971-12-26-1南ベトナム1971年12月26日1970年代26日から30日にかけ延べ1,000機を動員して北ベトナム20度線以南を爆撃。
DIA-201-1971-12-27-1南ベトナム1971年12月27日1970年代レアード米国防長官は記者会見で,1.北側が最近サイゴンを含む南ベトナムの都市に攻撃を加えた。2.非武装地帯を侵犯した。3.パリ会談で進展が見られない。4.米偵察機への攻撃が行なわれた。5.この月には1カ月当りとしては前例のない数の米機への攻撃が行なわれた,など5つの了解事項違反をあげて今回の北爆を正当化した。また,この北爆が現地米軍司令部の要請に基づくもので,ニクソン政権が進めてきた防禦的反撃政策を逸脱するものではないと述べた。
DIA-201-1971-12-30-1南ベトナム1971年12月30日1970年代パリ会談延期。
DIA-201-1971-12-30-2南ベトナム1971年12月30日1970年代東部カンボジアで行なわれた政府軍の作戦が終了し,歩兵部隊の一部がクレク付近に残り,主力の空てい部隊等は撤退。
DIA-201-1972-01-01-1南ベトナム1972年01月01日1970年代政府軍,「トアンタン72A」作戦をカンボジア東部のクレタ・スオン地区と南ベトナムのタイニン・ビンロン両省で開始。従来のカンボジア領内の聖域つぶしから後退して,解放勢力の南への浸透防止と国境警備を主眼としたもの。この作戦には第III軍区所属の歩兵師団3個を中心に1万5000人が参加。 政府軍情報によれば,北軍2個連隊3,500人がコンツム省と,サイゴン北方国道13号に浸透中。
DIA-201-1972-01-01-2南ベトナム1972年01月01日1970年代政府軍と同盟軍は1日午後6時まで24時間の新年休戦。解放戦線は3日午前1時まで3日間の新年休戦。
DIA-201-1972-01-02-1南ベトナム1972年01月02日1970年代ニクソン大統領は年頭のテレビ会見で「選挙の時に米軍が残っているかどうかは米軍捕虜の問題1つにかかっている」と言明。
DIA-201-1972-01-03-1南ベトナム1972年01月03日1970年代解放戦線,ダナン米空軍基地にロケット4発を撃ち込む,米機3機破壊。
DIA-201-1972-01-03-2南ベトナム1972年01月03日1970年代ロンカン省メース米軍基地北西15キロをパトロール中の米第11機甲師団第3旅団の部隊は,解放戦線の待ち伏せを受けて激戦,死傷者15人を出した。増援に向かったヘリ4機が撃墜された。
DIA-201-1972-01-06-1南ベトナム1972年01月06日1970年代政府軍統合参謀本部はすでに,レンジャー部隊,ヘリ2航空団,機甲化騎兵2連隊など精鋭を含む1万5000人の特別機動部隊の編成を承認,カンボジア作戦を担当する。政府軍はここ2週間以内にカンボジア内の常駐兵力を引揚げ,ネアクルンなどに設けている恒久基地をカンボジア軍に移管する。
DIA-201-1972-01-06-2南ベトナム1972年01月06日1970年代米B52,非武装地帯南に300トンの爆弾を投下。
DIA-201-1972-01-06-3南ベトナム1972年01月06日1970年代パリ会談,4週間ぶりに再開。
DIA-201-1972-01-07-1南ベトナム1972年01月07日1970年代解放戦線,サイゴン北方40キロのビエンホア省に駐留している米第1騎兵師団の部隊に対し迫撃砲20発を撃ち込む。米兵負傷18人。
DIA-201-1972-01-07-2南ベトナム1972年01月07日1970年代米B52,1波30機が非武装地帯南に1,000トンの爆弾を投下。米B52,プレーク南西70キロを2波で爆撃。
DIA-201-1972-01-07-3南ベトナム1972年01月07日1970年代政府軍歩兵,レンジャー,降下,機甲化騎兵部隊など1万5000人,カンボジアのクレタ,スオン両町から南ベトナムのタイニン,ビンロン両省にかけての一帯で新作戦開始。同地区には3~4,000人の解放勢力がいるとみられている。
DIA-201-1972-01-08-1南ベトナム1972年01月08日1970年代南ベトナム政府は,インド政府が7日北ベトナムと大使級外交関係樹立に踏み切ったのに対し非難声明を発表するとともに,ICCのサイゴンにおけるインド代表に任命されたL.N.ライ氏らの入国を拒否した。
DIA-201-1972-01-08-2南ベトナム1972年01月08日1970年代政府軍3,000人,3国国境地帯南方,ダクコ西方一帯でカンボジアへの越境作戦開始。
DIA-201-1972-01-09-1南ベトナム1972年01月09日1970年代ゴ・ズー第I軍区司令官はプレークで『チンチュオン』紙と会見し「政府軍第23師団とレンジャー部隊が1カ月以上にわたって3国国境付近のラオス領内で秘密作戦を実施,このほどその第1段階を終了した」と語った。
DIA-201-1972-01-10-1南ベトナム1972年01月10日1970年代米B52は2波でアシャウ溪谷を爆撃。
DIA-201-1972-01-11-1南ベトナム1972年01月11日1970年代政府軍,カンボジア領クレク,チュイドン,アルファ陣地から引揚げ。
DIA-201-1972-01-12-1南ベトナム1972年01月12日1970年代米国防総省当局は,ホールートを南下する補給活動が,B52の連続的爆撃にも拘らず,かなりの高水準に達しており,この補給活動が約6週間以内に来る雨期を控えて強化されようと語った。
DIA-201-1972-01-12-2南ベトナム1972年01月12日1970年代ビエンホア空軍基地で米軍弾薬庫が爆発。
DIA-201-1972-01-13-1南ベトナム1972年01月13日1970年代ニクソン大統領,第7次撤兵計画発表─ニクソン大統領はベトナム駐留米軍兵力を3カ月間に7万人減らして5月1日までに6万9000人とすると発表。1カ月当りの撤兵数は2万3300人。
DIA-201-1972-01-13-2南ベトナム1972年01月13日1970年代レアード国防長官は記者会見を行ない,米軍は南ベトナムに11師団を保持しているが戦闘責任を完全に南ベトナムに委譲したこと,現在米軍はベトナム化の第2段階として空軍と兵たんの責任を委譲しつつあること,ベトナム化計画がスタートしたとき250機だったベトナム空軍機は現在1,000機を越え,ほとんどすべての戦闘支援出撃は南ベトナム空軍によって行なわれていることを明らかにした。
DIA-201-1972-01-14-1南ベトナム1972年01月14日1970年代汚職を摘発している政府は,バクリュー省のホアン・ダク・ニン省長ら2人(いずれも陸軍大佐)と第2歩兵師団のグエン・バン・トアン将軍を更迭した。
DIA-201-1972-01-17-1南ベトナム1972年01月17日1970年代ゴ・ズー第II軍区司令官,同区の全軍に対し20日から厳戒体制に入るよう指示。
DIA-201-1972-01-17-2南ベトナム1972年01月17日1970年代7~20日,米B52,中部高原,3国国境地帯を爆撃。政府軍は第II軍区本部を守る第22師団主力をラオス国境に,またカンボジアから撤退した空てい部隊など2万5000人を待機させている。
DIA-201-1972-01-18-1南ベトナム1972年01月18日1970年代韓国の劉国防相は「南ベトナムから駐留韓国陸軍2個師団を73年末まで残留させるよう要請された」と言明。
DIA-201-1972-01-18-2南ベトナム1972年01月18日1970年代政府軍歩兵20個大隊,機甲部隊など1万5000人,サイゴン北西,70キロ,ミシェラン・ゴム園一帯で新作戦開始,この地域は従来,米第1騎兵師団が防衛に当っていた。
DIA-201-1972-01-21-1南ベトナム1972年01月21日1970年代チュー大統領,上下両院会議に総額3205億ピアストルの72年度予算案を提出,これは先に上院が可決した予算案より185億ピアストル増額されている。増額分の内100億ピアストルは国防省むけ,国防予算は1830億ピアストルとなる。
DIA-201-1972-01-23-1南ベトナム1972年01月23日1970年代米軍発表,中部高原に対する爆撃を停止。
DIA-201-1972-01-24-1南ベトナム1972年01月24日1970年代パリ会談のラム南ベトナム政府代表,一時帰国。
DIA-201-1972-01-25-1南ベトナム1972年01月25日1970年代ニクソン大統領,8項目の新和平提案発表─同時に米国が北ベトナムとの間に過去2年半にわたって行なってきた秘密会談の内容を暴露(8項目提案は資料参照)。
DIA-201-1972-01-25-2南ベトナム1972年01月25日1970年代臨時革命政府は解放放送を通じて全国民に総決起を呼びかける6項目の行動指針を発表。
DIA-201-1972-01-26-1南ベトナム1972年01月26日1970年代パリ会談の臨時革命政府代表団はニクソン米大統領の8項目提案を非難する声明を発表。
DIA-201-1972-01-27-1南ベトナム1972年01月27日1970年代第142回パリ会談,ポーター米代表は「協定は原則的解決と,細目についての最終協定との2つにし,原則協定調印と同時に撤兵,捕虜釈放を開始し,最終協定が調印されるまでは撤兵も捕虜釈放も完了しない」と発言。一方スアン・トイ北ベトナム代表は「撤兵の時期が不明である。チュー大統領が1カ月前にやめるのでは事実上チュー政権の選挙と同様である」と言明。
DIA-201-1972-01-28-1南ベトナム1972年01月28日1970年代サイゴン北西10キロのクアンチュンの政府軍訓練所近くで政府軍レンジャーが解放勢力と戦闘・解放勢力死者23人。
DIA-201-1972-01-28-2南ベトナム1972年01月28日1970年代臨時革命政府は,諮問協議会の参加を得て1月下旬,6日間にわたり拡大閣僚会議を開いた。
DIA-201-1972-01-29-1南ベトナム1972年01月29日1970年代解放勢力は非武装地帯南でこの乾期に入って初めて攻勢に出,ドンハ北北東,北西の海兵隊,機甲部隊の前進陣地に迫撃砲,ロケットを集中した。米軍筋によると北軍数千が非武装地帯と南ラオスから移動を開始している。北部は今乾期に入りかけている。
DIA-201-1972-01-30-1南ベトナム1972年01月30日1970年代レアード国防長官はテレビ会見で南ベトナムへの軍事援助停止問題に関連して北ベトナムへの軍事援助の80~90%がソ連からのものであると指摘し「南ベトナム,北ベトナム双方への援助の制限を交渉の過程で討議すべきだ」と語った。
DIA-201-1972-01-30-2南ベトナム1972年01月30日1970年代臨時革命政府は先頃開かれた拡大会議で採択された全面攻勢を呼びかけるコミュニケを発表。
DIA-201-1972-01-31-1南ベトナム1972年01月31日1970年代南ベトナム訪問中のウエストモランド米陸軍参謀総長はサイゴンの米軍司令部で記者会見し,「乾期攻勢はいくつかの局面が連続して起こるだろうが,ひとつの攻勢は数日ないし長くても1週間以下しか持続しまい」と述べた。
DIA-201-1972-02-01-1南ベトナム1972年02月01日1970年代米軍,政府軍空軍はタイニン市西方25キロで解放勢力400人を発見し攻撃。
DIA-201-1972-02-02-1南ベトナム1972年02月02日1970年代政府軍機動部隊2,000人が装甲車30台の支援を受けてカンボジア領内への越境作戦を開始。
DIA-201-1972-02-03-1南ベトナム1972年02月03日1970年代臨時革命政府,2項目提案─第143回パリ会談でグエン・バン・チェン臨時革命政府代表は声明を発表し,①米軍全面撤兵の期限の明示,②チュー政権の即時辞任の2項目を要求した。 ロジャース国務長官は記者会見で「南の選挙にあたる暫定政府の構成やチュー大統領退陣の期日を選挙実施のどれほど前にするかについては弾力的な態度をとって望む」と述べた。
DIA-201-1972-02-03-2南ベトナム1972年02月03日1970年代ニクソン大統領,バンカー大使と会談。
DIA-201-1972-02-04-1南ベトナム1972年02月04日1970年代サイゴンの政府軍および警察は厳重な警戒体制に入った。解放戦線のテト攻勢に備えて,サイゴン市内警備強化のため警官隊が増強されている。
DIA-201-1972-02-04-2南ベトナム1972年02月04日1970年代ラム外相はチュー大統領の即時辞任を求めた解放戦線の提案を拒否すると言明。
DIA-201-1972-02-04-3南ベトナム1972年02月04日1970年代中国政府,3日の臨時革命政府2項目提案を支持する声明を発表。
DIA-201-1972-02-05-1南ベトナム1972年02月05日1970年代上下両院合同会議,72年度予算案承認。
DIA-201-1972-02-05-2南ベトナム1972年02月05日1970年代北ベトナム政府,3日の臨時革命政府の2項目提案を支持する声明を発表。
DIA-201-1972-02-06-1南ベトナム1972年02月06日1970年代パリ会談北ベトナム首席代表スアントイ氏は米国のCBSテレビ番組で次のように語った。「秘密会談の再開は臨時革命政府の2項目提案に米国が答えるかどうかにかかっている。全面撤退期日明示と捕虜釈放案は71年に出された。このとき我々はニクソン大統領が急速に解決を図るよう真に希望していた。すなわち米軍を撤退させ,チューを10月選挙を通じて代えることであった。ニクソン大統領はこれを拒否した。チュー大統領は依然残っており,米国のベトナム化政策を続けている。2項目提案をしたのはこのためである。71年と72年とでは条件が違う」。
DIA-201-1972-02-09-1南ベトナム1972年02月09日1970年代解放戦線,ビンディン省のフーミ,フーカット,タムクアンをはじめ全土で43件の攻勢に出る。
DIA-201-1972-02-09-2南ベトナム1972年02月09日1970年代米空母コンステレーションは帰休先の香港からベトナム帰航を命ぜられる。現在トンキン湾にいるコーラルシー,ハンコックと合わせて海軍戦闘機は250機になる。そのほか米本土からB52,ファントムがグァム島に動員されている。
DIA-201-1972-02-10-1南ベトナム1972年02月10日1970年代解放戦線,ホイアン東南東13キロの政府軍陣地に82ミリ砲52発を撃ち込んだ後,奇襲攻撃をかける。政府軍死傷23人,解放戦線死者40人。
DIA-201-1972-02-10-2南ベトナム1972年02月10日1970年代米B52,ダナン西南42キロを6波で爆撃し,540トンの爆弾を投下。
DIA-201-1972-02-10-3南ベトナム1972年02月10日1970年代チュー大統領言明「ロジャーズ米国務長官の(3日の)発言について駐米大使にその真意を調査するよう訓令している。もしもロジャーズ長官の語った通りだとすれば,南ベトナムの主権に対する侵害である」。
DIA-201-1972-02-11-1南ベトナム1972年02月11日1970年代レアード国防長官,記者会見で言明「空軍のベトナム化は9割進んだ。第2段階は予定より早く進んでおり,これが終了すれば,米援助軍を完全に撤収する第3段階に入る。しかし南ベトナム空軍が完ぺきな防衛機能を発揮できるようになるまでは米海軍はベトナム海域にとどまる」。
DIA-201-1972-02-11-2南ベトナム1972年02月11日1970年代サイゴン訪問中の劉韓国国防相は,チュー大統領と会談し,韓国軍の撤退問題を協議。
DIA-201-1972-02-11-3南ベトナム1972年02月11日1970年代ソ連政府はニクソン米大統領の8項目提案を非難し,臨時革命政府の7項目と2項目の提案を支持する声明を発表。
DIA-201-1972-02-11-4南ベトナム1972年02月11日1970年代パリ郊外ベルサイユで「インドシナ人民の平和と独立のための世界集会」開会。
DIA-201-1972-02-11-5南ベトナム1972年02月11日1970年代解放戦線,クイニヨン北50キロフーミの政府軍陣地を攻撃,解放戦線死者100人,政府軍死者13人。
DIA-201-1972-02-12-1南ベトナム1972年02月12日1970年代米B52,コンツム省,トアチエン省ラオス国境などに12波,戦闘爆撃機はクアンチ,コンツム,プレークなどに172波の爆撃。
DIA-201-1972-02-13-1南ベトナム1972年02月13日1970年代米B52,19波で3国国境地帯を爆撃。戦闘爆撃機も162回の出撃。
DIA-201-1972-02-14-1南ベトナム1972年02月14日1970年代バンカー米大使,帰任,チュー大統領と会談。
DIA-201-1972-02-14-2南ベトナム1972年02月14日1970年代米B52,クアンチ省のラオス国境一帯に10波,プレイク北西,コンツム西部の国境地帯に17波の爆撃。戦闘爆撃機もコンツム省を中心に176回の爆撃。
DIA-201-1972-02-14-3南ベトナム1972年02月14日1970年代米,政府軍,解放戦線,テト休戦入り。
DIA-201-1972-02-14-4南ベトナム1972年02月14日1970年代米本土からグァム島にB52急派。
DIA-201-1972-02-15-1南ベトナム1972年02月15日1970年代サイゴンの米軍司令部,4,500人の米兵撤退を発表。
DIA-201-1972-02-15-2南ベトナム1972年02月15日1970年代臨時革命政府外務省は声明を発表し,ソマリア政府が大使級外交関係を樹立することに同意したと述べた。
DIA-201-1972-02-15-3南ベトナム1972年02月15日1970年代パリ会談の米,南ベトナム代表団はベルサイユで開かれたベトナム人民支持世界大会に抗議して17日開催予定の第145回パリ会談をボイコットすると発表。
DIA-201-1972-02-17-1南ベトナム1972年02月17日1970年代ニクソン大統領,訪中のためワシントンを出発,21日北京到着。
DIA-201-1972-02-18-1南ベトナム1972年02月18日1970年代テト休戦明け,米B52は10波,戦闘爆撃機は,139波で北部の国境地帯を爆撃。
DIA-201-1972-02-19-1南ベトナム1972年02月19日1970年代19~20日,メコンデルタで解放戦線による4件の攻撃があり,政府軍は死者57人,負傷36人の損害を出した。
DIA-201-1972-02-21-1南ベトナム1972年02月21日1970年代解放戦線,コンツム市にロケット砲6発,ビエンホア米空軍基地にロケット6発を撃ち込む。20日朝から21日正午までの解放戦線による砲撃は27カ所,43件にのぼった。
DIA-201-1972-02-21-2南ベトナム1972年02月21日1970年代バンカー大使,チュー大統領と会談。
DIA-201-1972-02-24-1南ベトナム1972年02月24日1970年代第145回パリ会談で北と南ベトナム臨時革命政府代表は冒頭「北爆強化に抗議して第145回会談を中止する。次回は2日とする」旨の声明を読上げ,退場した。米B52は18日から23日まで続けて北ベトナムのビンリン地区を爆撃している。
DIA-201-1972-02-24-2南ベトナム1972年02月24日1970年代南ベトナム政府軍4,000人,デルタのチャウドク省からカンボジア領に入った一帯で作戦開始。
DIA-201-1972-02-25-1南ベトナム1972年02月25日1970年代解放戦線,デルタのウーミン森近くの政府軍前進陣地を攻撃,政府軍死者5人,負傷者10人,解放戦線死者11人。
DIA-201-1972-02-25-2南ベトナム1972年02月25日1970年代チュー大統領は『ニューヨークタイムス』のザルツバーガー記者との会見で,南ベトナムは東南アジアを中立化するための全東南アジア首脳会談の開催を歓迎すると述べた。同大統領の提案では,首脳会談はサイゴンで開き,北ベトナムの参加も歓迎されるとしている。
DIA-201-1972-02-25-3南ベトナム1972年02月25日1970年代政府,米国からサイゴンに着いたグエン・チャン・チ氏の入国を,ビザが不備との理由で拒否。
DIA-201-1972-02-25-4南ベトナム1972年02月25日1970年代パリ会談の米国代表団は,北ベトナム,南ベトナム臨時革命政府が提案していた3月5日の会談は受入れられないと通告。
DIA-201-1972-02-26-1南ベトナム1972年02月26日1970年代政府軍4,000人,チャウドク省防衛のため,カンボジア領に越境作戦。
DIA-201-1972-03-01-1南ベトナム1972年03月01日1970年代サイゴンの米軍司令部は4,940人の米軍撤兵を発表。1回当りの規模としては2番目。これで米軍兵力は12万4100人,内米軍地上戦闘部隊は9大隊を残すだけとなった。69年の最高時には112大隊が駐留していた。
DIA-201-1972-03-01-2南ベトナム1972年03月01日1970年代米B52,ダナン南方に2波,アシャウ渓谷に4波,西部高原に4波の爆撃。
DIA-201-1972-03-02-1南ベトナム1972年03月02日1970年代政府軍1万人が3国国境地帯で作戦開始。ケサン,アシャウ,アルオイ一帯の北軍は1万5000人~2万人といわれている。
DIA-201-1972-03-03-1南ベトナム1972年03月03日1970年代チュー大統領は駐日大使など10人の新しい大使の名簿を上院に提出,新駐日大使に予定されているのはド・バン・リ氏で,同氏はジエム政権崩壊後一時駐米大使を勤め,その後引退していた。
DIA-201-1972-03-03-2南ベトナム1972年03月03日1970年代米空軍はこのほどカムラン湾空軍基地からの撤収を開始し,同基地のアルミ敷き滑走路の撤去や病院の閉鎖を行なっている。
DIA-201-1972-03-04-1南ベトナム1972年03月04日1970年代米機,南ベトナム北部に13波の爆撃,これは6日連続で10波以上の爆撃になる。
DIA-201-1972-03-05-1南ベトナム1972年03月05日1970年代ニクソン大統領の特使,マーシャル・グリーン国務次官補サイゴン着,6日チュー大統領に米中会談について説明。
DIA-201-1972-03-07-1南ベトナム1972年03月07日1970年代政府軍,カンボジア領おうむの口ばし地区と釣針地区に越境作戦を開始,先遣部隊のレンジャー3,700人が越境,進攻部隊は今後2万人にのぼる見込み。
DIA-201-1972-03-07-2南ベトナム1972年03月07日1970年代米,南ベトナム政府両代表団,パリ会談延期を通告。
DIA-201-1972-03-08-1南ベトナム1972年03月08日1970年代政府発表,4日付で『ティン・サン』紙(発行部数3万部)を発行停止,没収処分に。理由はゴ・コン・ドク編集長が3カ月前から不法出国したとみられるため。
DIA-201-1972-03-09-1南ベトナム1972年03月09日1970年代空母キティホークがベトナム水域に到着し,戦列に参加。これでベトナム作戦に配置されている空母は計4隻に。
DIA-201-1972-03-09-2南ベトナム1972年03月09日1970年代衣笠統幕議長,サイゴン訪問,エイブラムズ米援助軍司令官,ビエン統幕議長と会談。
DIA-201-1972-03-10-1南ベトナム1972年03月10日1970年代政府軍5,000人がカンボジア領スベイリエンの1号線北側に越境作戦,戦車150台,砲100門が参加,司令官はグエン・バン・ミン将軍,さらに政府軍2万人がタイニン省国境地帯に集結中。
DIA-201-1972-03-10-2南ベトナム1972年03月10日1970年代ファン・ディン・ツ第2軍区司令官解任。
DIA-201-1972-03-13-1南ベトナム1972年03月13日1970年代ユエ南西30キロで政府軍歩兵大隊は,大隊規模の解放軍と戦闘し,68人を戦死させた。また3国国境地帯に派遣された政府軍空てい部隊は,コンツム省の国境にある砲火支援基地付近のジャングルで中隊規模の解放軍と戦闘。 解放勢力は非武装地帯南の政府軍歩兵部隊基地アルアァ3に46発の迫撃砲弾を撃ち込んだ。
DIA-201-1972-03-14-1南ベトナム1972年03月14日1970年代米国防総省発表,同省の国家安全保障局長ノエ・ル・ゲーラー海軍中将がマケーン太平洋統合軍司令官の後任に就任。
DIA-201-1972-03-15-1南ベトナム1972年03月15日1970年代15,16両日,解放戦線は政府軍に対し41回の攻撃をかけた。これは過去5カ月の間で最も激しいもの。
DIA-201-1972-03-15-2南ベトナム1972年03月15日1970年代米軍司令部は5,700人の撤退予定を発表。これで米地上戦闘兵力は7大隊に縮少される。13日現在の米軍兵力は11万4500人。
DIA-201-1972-03-16-1南ベトナム1972年03月16日1970年代5週間ぶりにパリ会談再開,米代表は捕虜問題について発言,トイ北ベトナム代表は欠席,ビン臨時革命政府代表はまだ帰任していない。
DIA-201-1972-03-17-1南ベトナム1972年03月17日1970年代米B52,30機以上が南ベトナムの北部・中部を爆撃,750トンの爆弾を投下。
DIA-201-1972-03-18-1南ベトナム1972年03月18日1970年代17日からアシャウ溪谷の解放軍が,ユエを防衛する政府軍の前線基地を攻撃。18日には,ユエ南西30キロの政府軍陣地に迫撃砲弾300発が撃ち込まれ,戦闘が続いた。2日間で政府軍死者7人,負傷者75人,解放軍死者230人。
DIA-201-1972-03-20-1南ベトナム1972年03月20日1970年代グエン・チ・ビン代表,ハノイを離れ,北京,モスクワ経由でパリに向かう。
DIA-201-1972-03-22-1南ベトナム1972年03月22日1970年代国防省で20億ピアストルの公金横領事件が明るみに出され,グエン・バン・ビ国防相が辞表を提出したほか,国防省高官5人が解任された。横領された公金は兵士の給料から積み立てられている共済基金。フオン副大統領を長とする委員会が事件の調査に当る。
DIA-201-1972-03-22-2南ベトナム1972年03月22日1970年代ミト市南方15キロのチュクジアンの民兵司令部,警察署などが解放戦線に攻撃され,市街戦となり,政府側に死者19人,負傷者28人が出た。またタイニン市西方2キロの政府軍陣地にロケット弾30発が撃ち込まれ,政府軍7人が死亡,7人が負傷,30万リットルのガソリンが炎上した。
DIA-201-1972-03-23-1南ベトナム1972年03月23日1970年代第147回パリ会談,ポーター米代表は「捕虜問題について真剣な討議をするというサインが北側から示されるまで会談を開く意志はない」と言明。
DIA-201-1972-03-24-1南ベトナム1972年03月24日1970年代ニクソン大統領発表,パリ会談の中断を指示。
DIA-201-1972-03-24-2南ベトナム1972年03月24日1970年代米B52,10波で3国国境地帯のケサン高原とアシャウ溪谷を爆撃。
DIA-201-1972-03-24-3南ベトナム1972年03月24日1970年代グエン・チ・ビン臨時革命政府代表,北京,モスクワ経由でパリに帰任。
DIA-201-1972-03-30-1南ベトナム1972年03月30日1970年代解放勢力,北部で攻勢開始─30日午後から31日夕にかけ,解放軍は非武装地帯南の町ジオリン,ドンハをはじめ,政府軍のチャーリー1,2およびマイロクなどの基地に4,000発の砲弾を撃ち込んだ。政府軍死者35人,負傷者100人。 政府軍は600発のロケット弾,曲射砲弾を撃ち込まれたマイロク基地を30日午後放棄,チャーリー2陣地には30日夜から明け方までに1,000発の砲弾が撃ち込まれ,フラー基地,ジオリン西方では激戦があった。また中部高原のコンツム西方5号砲撃支援基地にも300発の砲弾が浴びせられた。
DIA-201-1972-03-30-2南ベトナム1972年03月30日1970年代ポーター・パリ会談米代表,帰米。
DIA-201-1972-03-31-1南ベトナム1972年03月31日1970年代ビン外相,シューマン仏外相と会談。シューマン外相はフランス政府がパリ会談再開に努力する用意のあることを表明した。
DIA-201-1972-03-31-2南ベトナム1972年03月31日1970年代解放勢力は,カムロ北6キロのアルファ4基地に1,200発の122ミリロケット砲,ジオリン南5キロのチャーリー1基地に900発のロケット砲,カムロ北5キロのチャーリー2基地に800発のロケット砲を撃ち込み,政府軍はこれらの基地を放棄。政府軍は解放勢力の猛攻をうけて,非武装地帯沿いのケジオ基地,フラー基地,バホ東方の陣地を放棄。夕方,ジオリン付近で激戦,解放勢力死者170人,政府軍死傷者31人。ジオリン一帯の住民300人は南方へ避難。
DIA-201-1972-04-01-1南ベトナム1972年04月01日1970年代31日から1日にかけ解放勢力の攻撃件数は53件(内,砲撃33件)にのぼった。非武装地帯直下の4つの前進基地には3,000発のロケット弾が撃ち込まれた。ドンハ市にも120発のロケット弾が撃ち込まれ,住民1万人はほとんど避難した。 1日までに政府軍は海兵1個師団を増援,切札の空挺旅団も待機命令を受けている。
DIA-201-1972-04-01-2南ベトナム1972年04月01日1970年代米B52,非武装地帯南を爆撃,政府軍は非武装地帯沿いの15の拠点のうち10カ所からすでに撤退し,孤立した砲兵陣地2つと,ドンハ,クアンチ両市の基地を確保している。政府軍は非武装地帯南の防衛線を放棄し,約16キロ南へ退ったクアベト川沿いに新たな防衛線を設定しようとしている。解放勢力は3個師団と機械化部隊3個連隊の計5万人といわれる。
DIA-201-1972-04-01-3南ベトナム1972年04月01日1970年代ウェイアンド米軍副司令官,ダナンに急行。現在非武装地帯周辺の米軍は後方支援の砲兵1個大隊を残すだけ。軍事筋によれば,米軍事顧問と大砲の弾着監視員である残留米軍人3~40人をクアンチ省からユエに引揚げる。
DIA-201-1972-04-01-4南ベトナム1972年04月01日1970年代サイゴンの米司令部,米戦闘部隊2,140人の引揚げを発表。
DIA-201-1972-04-02-1南ベトナム1972年04月02日1970年代ドンハ近くで解放勢力の戦車と政府軍戦車部隊が砲撃戦。 解放勢力はこの日も政府軍に対し,2,000発のロケット弾を撃ち込む。 2日夜明け,解放勢力はサイゴン北西120キロ,国道22号上の砲撃基地ペース(ベトナム名ラクロン)に600発のロケット砲撃を加えた後,地上攻撃をかけて奪取。 午後,解放勢力は,政府軍の手に残っていた2つの前線基地キャンプ・キャロルとマイロクを占領。政府軍は非武装地帯南16キロのドンハと更に南へ12.8キロのクアンチ市に撤収。クアンチ市の2万2000人の市民の多くは50キロ南のユエに避難しており,ジオリン,カムロ,ドンハなどから5万人の避難民がクアンチ市に流入している。
DIA-201-1972-04-02-2南ベトナム1972年04月02日1970年代チュー大統領はグエン・バン・ビ国防相から出された休暇願いを受理,キエム首相が国防相を兼務。
DIA-201-1972-04-03-1南ベトナム1972年04月03日1970年代米第7艦隊旗艦オクラホマシチー,空母コンステレーション,駆逐艦1隻が横須賀を出港。米軍司令部は,日本沖の空母コンステレーションおよびマニラのキテイホークに対し,トンキン湾に急行するよう指令。
DIA-201-1972-04-03-2南ベトナム1972年04月03日1970年代チュー大統領,国家安全保障会議を招集,その後,ダナン,ユエに飛ぶ。 トン・タト・ジン上院軍事委員長言明「政府軍は非武装地帯における圧力を和らげるため,北ベトナムのドンホイに侵攻する計画を立てている。これには米軍も承認を与えた」。
DIA-201-1972-04-03-3南ベトナム1972年04月03日1970年代政府軍,1個師団(1,2万人)相当の海兵,レンジャー機甲部隊をクアンチに派遣。 政府軍8,000人,タイニン市から出撃。 夕方,クアンチ市南西10キロの政府軍海兵隊基地に150発の130ミリ砲が撃ち込まれる。 朝,3国国境地帯にある政府軍砲撃基地に対し,解放勢力2個中隊が攻撃をかけ戦闘,解放勢力の死者350人,政府軍の死者20人,負傷者54人。
DIA-201-1972-04-03-4南ベトナム1972年04月03日1970年代サイゴン米軍当局発表「米軍は米兵,米民間人の生命を守るため米空軍,砲撃力を使う用意がある」。
DIA-201-1972-04-03-5南ベトナム1972年04月03日1970年代3日から連日,ニクソン大統領は国家安全保障会議のためのワシントン特別行動部会を招集した。ワシントンは「選択の可能性を未定のまま開いておく」との態度をとっている。マクロスキー国務省スポークスマンは,解放勢力の装備がソ連の軍事装備によるものであることを指摘し,戦車,SAM対空ミサイルなどのソ連製兵器が非武装地帯を越えて進撃してきた事実に注意を喚起した。
DIA-201-1972-04-03-6南ベトナム1972年04月03日1970年代サイゴンで発行されている21の日刊紙の内,ベトナム語紙14と英字紙2が発行差止めに。
DIA-201-1972-04-04-1南ベトナム1972年04月04日1970年代20機のB52がクアンチ市南方20キロ付近に500トンの爆弾投下。ユエ市には2万人の避難民,ダナン市にも3,000人の避難民が流入している。
DIA-201-1972-04-04-2南ベトナム1972年04月04日1970年代非武装地帯南に対する解放勢力の攻勢は一段落した。政府軍はクアンチ市北方13キロのドンハ市南部ドンハ川の南岸に防御ラインをしいた。ドンハ川の河口のクアベトに海兵隊3,000人が上陸した。ラム司令官はダナンで記者会見し次のように語った。「北側はクアンチ市を陥落することはできない。3~4日にかけ政府軍と米軍は総力をクアンチ市に配備した。今度の北側の攻勢のねらいはクアンチ省とトアチエン省を占領することだったが,政府軍はクアンチ市でこれを阻止した。これまでに北側の戦車50台を破壊した。北側の死者は2,000人,負傷3,000人,政府軍は死者200人,負傷者1,000人だろう」。
DIA-201-1972-04-04-3南ベトナム1972年04月04日1970年代解放戦線,ユエ市西32キロのアン砲兵陣地を占拠,ユエ南西25キロのバストーニュ砲兵陣地救援に派遣された政府軍1,200人を包囲。5日激戦。 解放戦線5,000人,サイゴン北方100キロのビンロン省都アンロク市(民兵隊が守備)を攻撃,約50キロ南のライケに駐留している政府軍第5歩兵師団から1個連隊が救援に向かう。アンロク周辺には精鋭のレンジャー部隊3個連隊が配置されていたが,4日同部隊は北部にふりむけられたばかり。
DIA-201-1972-04-04-4南ベトナム1972年04月04日1970年代チャフィー米海軍長官辞任。
DIA-201-1972-04-04-5南ベトナム1972年04月04日1970年代パリ会談の北ベトナム,臨時革命政府代表団は声明を発表し,米,南ベトナム側に中断中のパリ会談を6日に再開するよう要求した。
DIA-201-1972-04-04-6南ベトナム1972年04月04日1970年代マンスフィールド米上院院内総務言明「北の攻勢に大規模な北爆でこたえることは,米軍機がまた撃墜され,米軍捕虜の数がさらにふえることを意味する。最善の解決策は米軍の完全撤退,パリ会談の再開および拡大にある。」
DIA-201-1972-04-04-7南ベトナム1972年04月04日1970年代ニクソン大統領は,B52をアメリカからインドシナに増派するよう命令。これにより東南アに派遣されるB52は合計100機以上となる。
DIA-201-1972-04-04-8南ベトナム1972年04月04日1970年代チュー大統領はラジオ,テレビを通じて次のように演説「北ベトナムは29日以来,ドンハを侵攻するために5師団,5万4000人の兵力を送り込み,3国国境でもコンツムを攻撃するために新たに1個師団を増派した。北ベトナムの目標はクアンチ,トアチエン両省を占領し,臨時革命政府の支配地域とするためである。現在は南ベトナムの生存にとって決定的な局面であり,この戦闘が南ベトナムの運命を決めるだろう」。
DIA-201-1972-04-05-1南ベトナム1972年04月05日1970年代解放戦線のクアンチ・トアチエン戦線司令部はアピールを発表し,非武装地帯南側での1週間にわたる戦闘で,政府軍1,000人以上を捕虜にし,14基地を制圧または放棄させたと述べ,政府軍兵士の投降を求めた。
DIA-201-1972-04-05-2南ベトナム1972年04月05日1970年代4~5日,米B52は6波で,戦闘爆撃機は217回,クアンチ省を爆撃。 5日までに政府軍は第3師団,海兵,レンジャーなど計2万人がクアンチ省を増援。第3師団の兵力は解放勢力の第1波攻撃で半減している。
DIA-201-1972-04-05-3南ベトナム1972年04月05日1970年代政府軍,クアンチ市北東20キロのクアベト川河口の海軍基地と同市南西10キロのアン火砲支援陣地を放棄。
DIA-201-1972-04-05-4南ベトナム1972年04月05日1970年代解放勢力,ユエ南西20キロの政府軍火砲支援陣地バストーニュを攻撃。政府軍損害50人,解放勢力死者179人。
DIA-201-1972-04-05-5南ベトナム1972年04月05日1970年代米第1空輸機動師団所属の2個中隊がサイゴン近くから北部に急派された。
DIA-201-1972-04-05-6南ベトナム1972年04月05日1970年代サイゴン北120キロ,ロクニン付近で戦闘。政府軍死者9人。
DIA-201-1972-04-06-1南ベトナム1972年04月06日1970年代国道13号を進む解放軍1個大隊はサイゴンから60キロの地点に迫った。5日越境した別の2個連隊を支援。
DIA-201-1972-04-06-2南ベトナム1972年04月06日1970年代解放放送はロクニンを制圧したと発表。
DIA-201-1972-04-06-3南ベトナム1972年04月06日1970年代米軍,限定的北爆を再開したと発表。
DIA-201-1972-04-07-1南ベトナム1972年04月07日1970年代ロクニンの政府軍陥落─政府軍はアンロクから第5師団を急派したが,解放戦線に進撃をはばまれた。解放戦線は更にアンロクに向かっている。アンロクは政府軍2個連隊が防衛に当っている。 ロクニン北東24キロにある郡庁所在地ドドクが陥落し,政府軍数百人は10日ヘリで撤退した。
DIA-201-1972-04-07-2南ベトナム1972年04月07日1970年代解放戦線,デルタのビンビン省,バスエン省,ビンロン省,チュオンチエン省,アンスエン省などで攻勢をかける。8日未明ミトも砲撃さる。政府軍はデルタから1個師団を非武装地帯南部に投入している。8日カント市にあるカイラン橋を爆破してサイゴンへ通じる交通がしゃ断された。
DIA-201-1972-04-07-3南ベトナム1972年04月07日1970年代レアード米国防長官は記者会見で次のように述べた。「われわれの自制に対しては侵略が行なわれた。敵はわれわれに対しあえて同盟国を見捨てることをいどんできたが,われわれは決してそうしない。」「5月1日までに6万9000人に減らす撤兵計画は果たし,或いはそれ以上の撤兵を行なう。」
DIA-201-1972-04-07-4南ベトナム1972年04月07日1970年代米民主党のケネディ上院議員は上院本会議で次のように演説した。「チュー大統領の政治的生命を守ることに数千人のベトナム人の生命を犠牲にする価値があるかどうかが現在最大の問題だ。その価値はないと私は考えている。」
DIA-201-1972-04-08-1南ベトナム1972年04月08日1970年代政府軍第3歩兵師団の部隊,クアベト海軍基地を奪回。
DIA-201-1972-04-08-2南ベトナム1972年04月08日1970年代解放戦線,サイゴン西北88キロのヌイバデン米軍無線中継基地に180発の迫撃砲弾を撃ち込む。
DIA-201-1972-04-08-3南ベトナム1972年04月08日1970年代米軍は戦闘爆撃機3個中隊50機以上を南ベトナムに移駐させた。また南爆用のデキシーステーションが数年ぶりに復活,巡洋艦2隻を増派した。爆撃機のうち2個中隊36機は岩国からダナンに増派されたもの。また,岩国の米海兵隊250人も7日,ダナンに上陸。
DIA-201-1972-04-08-4南ベトナム1972年04月08日1970年代チュー大統領は国家安全保障会議を召集。
DIA-201-1972-04-08-5南ベトナム1972年04月08日1970年代(ワシントン)ジーダラー米大統領報道官は記者会見で次のように語った。「米国が供給する支援は空軍,火力の分野だけに限られるものではない。但し核兵器の使用が追加的な支援活動に含まれていることはない。」「米国は交渉に十分な意欲をもっており,ニクソン大統領は来週,ポーター米代表と協議する。」
DIA-201-1972-04-09-1南ベトナム1972年04月09日1970年代クアンチ市北2キロで激戦,解放勢力死者1,000人,政府軍は増強された海兵,レンジャー,第3師団などが参加し,死者9人,負傷者20人。
DIA-201-1972-04-09-2南ベトナム1972年04月09日1970年代ユエ西南20キロでも激戦,解放勢力死者40人,政府軍死者40人。
DIA-201-1972-04-09-3南ベトナム1972年04月09日1970年代解放戦線2個大隊2,000人,アンロクを攻撃,その他カムラン米軍基地も奇襲。
DIA-201-1972-04-09-4南ベトナム1972年04月09日1970年代米砲兵部隊など4部隊290人が撤兵計画からはずされた。
DIA-201-1972-04-10-1南ベトナム1972年04月10日1970年代アンロク防衛のため政府軍はデルタから第21師団をライケとアンロクの中間にあるチョンタンに増強,チョンタンには解放戦線3個師団がいる。政府軍は第5第21師団とビエンホアからきた第18師団の1個連隊が駐留,7日の攻撃でロクニンから撤退した第5師団の2個連隊はロクニンの南5キロに防衛線をひいた。
DIA-201-1972-04-10-2南ベトナム1972年04月10日1970年代レアード米国防長官は残留米軍を守るため,今週末までにベトナム地域に対して米軍の海,空軍力の増強が行なわれることを明らかにし,「これは米軍の撤退計画を予定通り進めようとしている決意の反映である」と語った。
DIA-201-1972-04-10-3南ベトナム1972年04月10日1970年代(パリ)ビン臨時革命政府外相は米国民にメッセージをよせ,米国民に対し南北ベトナムにおける爆撃の即時中止を要求するよう呼びかけるとともに,ニクソン大統領がベトナムで核兵器を使用すると脅かしていると非難し,更に種々の政治的傾向をもつ南ベトナム人民が選挙を通じて和解政府を樹立するのを認めるべきだと述べた。
DIA-201-1972-04-11-1南ベトナム1972年04月11日1970年代解放戦線最高司令部は将兵に対し,全戦線にわたって攻撃に出ることを命令し,「敵のベトナム化および平定計画を粉砕するため人民戦争を拡大せよ」と述べた。
DIA-201-1972-04-11-2南ベトナム1972年04月11日1970年代午前6時までの24時間に,米,政府軍機は490波の出撃,B52も南領内に19波の攻撃。政府軍増援隊1万人はアンロクを救うため,国道13号を北進,アンロクから20キロの地点に到達。アンロク市内は政府軍8,000人が確保している。
DIA-201-1972-04-11-3南ベトナム1972年04月11日1970年代ダナン駐留の米第196軽歩兵旅団の一部,ユエ南部のフバイ空軍基地に移駐。
DIA-201-1972-04-11-4南ベトナム1972年04月11日1970年代米空母サラトガは米フロリダ州のメイポート基地を出航し,ベトナムへ向かった(艦載機50機)。
DIA-201-1972-04-11-5南ベトナム1972年04月11日1970年代(ワシントン)ムーラー米統幕議長は下院軍事委聴聞会で証言し,「戦況が悪化した場合は,ハイフォンを含めた北爆の拡大などいくつかの手段が考えられるが,米地上軍の再投入は全く考慮外である」と述べた。
DIA-201-1972-04-12-1南ベトナム1972年04月12日1970年代ハノイ放送発表,ジオリン,カムロを解放。
DIA-201-1972-04-12-2南ベトナム1972年04月12日1970年代解放戦線,コンツム北西25キロの政府軍空てい部隊の前進基地を攻撃。
DIA-201-1972-04-12-3南ベトナム1972年04月12日1970年代政府軍増援隊,解放勢力のアンロク包囲線を突破して同市守備隊と合流。
DIA-201-1972-04-12-4南ベトナム1972年04月12日1970年代ビエンホア米軍基地に82ミリ迫撃砲弾14発が撃ち込まれる。
DIA-201-1972-04-12-5南ベトナム1972年04月12日1970年代米B52,19波出撃,戦闘爆撃機297波の出撃。
DIA-201-1972-04-12-6南ベトナム1972年04月12日1970年代(パリ)北ベトナム,臨時革命政府,正式に米,南ベトナム側に13日にパリ会談を再開するよう通告。 フランス政府は声明を発表し,各当時者にパリ会談がすみやかに再開されるよう要望。
DIA-201-1972-04-13-1南ベトナム1972年04月13日1970年代解放戦線,ダナン米軍基地に18発のロケット弾を撃ち込む。
DIA-201-1972-04-13-2南ベトナム1972年04月13日1970年代解放戦線,アンロクを総攻撃。
DIA-201-1972-04-13-3南ベトナム1972年04月13日1970年代米海軍巡洋艦ニューポート・ニューズ,駆逐艦マリニックス,ミサイルフリゲート艦ビドル,ノーフォーク港を出港,ベトナムに向かう。
DIA-201-1972-04-14-1南ベトナム1972年04月14日1970年代政府軍発表,アンロクから解放軍を撃退。
DIA-201-1972-04-14-2南ベトナム1972年04月14日1970年代解放戦線は,午前6時までの24時間に全土で107件の攻勢,中小都市への小規模攻撃が目立っている。夜,タンソニャト空軍基地を攻撃。
DIA-201-1972-04-15-1南ベトナム1972年04月15日1970年代解放戦線,包囲中のユエ南西16キロの戦略拠点バストーニュに200発の砲撃。
DIA-201-1972-04-15-2南ベトナム1972年04月15日1970年代解放放送は「解放軍が午後1時アンロクを占拠し,アンロク南30キロのチョンタンへの攻撃に移っている」と報道。政府軍は空でい部隊をアンロクに増援,解放戦線はまたサイゴン北西10キロのクアントラン政府軍訓練施設を砲撃。
DIA-201-1972-04-15-3南ベトナム1972年04月15日1970年代解放放送は卜議長の人民に対するアピールを放送し,政府軍兵士,官吏,家族などに対し,解放戦線の側に立つよう呼びかけた。
DIA-201-1972-04-16-1南ベトナム1972年04月16日1970年代解放戦線,クイニヨン北90キロの政府軍基地を攻撃,政府軍死傷者41人,解放戦線死者86人。
DIA-201-1972-04-16-2南ベトナム1972年04月16日1970年代解放戦線と臨時革命政府はアピールを発表し,「いかなる爆撃,艦砲射撃も,ニクソン大統領のベトナム化政策の破局を救うことは出来ない」と述べた。米機は16日ハノイ,ハイフォン一帯を爆撃している。
DIA-201-1972-04-16-3南ベトナム1972年04月16日1970年代(北京)周恩来首相はチャン・ビン中国駐在臨時革命政府臨時代理大使と会見した際,次のように述べた。「戦争エスカレーションはかつても失敗したし,今度もまた失敗するだろう」,「中国の支援は一貫してやむことなく継続されるだろう。」
DIA-201-1972-04-16-4南ベトナム1972年04月16日1970年代ソ連タス通信は声明を発表し,米国の北爆拡大を非難するとともに,交渉こそがインドシナ問題解決への唯一の道であると述べた。
DIA-201-1972-04-18-1南ベトナム1972年04月18日1970年代ヘーグ准将,チュー大統領と会見,同将は16日サイゴン到着,北部戦線を視察しラム司令官と協議した。
DIA-201-1972-04-18-2南ベトナム1972年04月18日1970年代米軍筋によると,ニクソン大統領は暫定的に北緯20度線以北の北爆一時停止と北ベトナム南部回廊地帯の北爆減少をすでに命令したといわれる。レアード国防長官はこの日上院外交委に出席し,「北が侵略を続ける限り,北のすべての地域が攻撃の対象となる。ハイフォン港封鎖の可能性も除外されない」と言明。
DIA-201-1972-04-19-1南ベトナム1972年04月19日1970年代19日午前6時までの24時間に,解放戦線は全土で103件の攻撃。未明,サイゴン北方37キロのベンカトを攻撃,ベンカトの北3キロにあるライケの補給基地にも迫撃砲弾19発を撃ち込む。政府軍によれば,アンロクを攻撃した解放軍戦車隊は,サイゴン北56キロを南下中といわれる。またビンディン省北部ボンソン西寄りの郡都ホアイアン北3.2キロのオレンジ基地(国道1号から4キロ)は15日から解放戦線の攻撃を受けていたが,19日朝政府軍はホアイアンを放棄した。同基地はこれまで政府軍第27師団の1大隊が守備していたが,同師団が中部高原の増援にまわされたため,地方軍が代わって守っていた。プレークとビンディンを結ぶ国道はすでに寸断されている。 また解放戦線はアンロクに対する攻撃を再開し,市内に1,600発のロケット弾を撃ち込んだ。
DIA-201-1972-04-20-1南ベトナム1972年04月20日1970年代19~20日,全土での戦闘は102件を数えた。解放勢力の攻勢はコンツム周辺とその東側の海岸地帯で強まっている。その他解放戦線はアンロク南東4キロにある政府軍陣地を攻撃,同陣地を守っていた空てい部隊1個大隊の100人以上を死傷させた。
DIA-201-1972-04-21-1南ベトナム1972年04月21日1970年代政府軍空てい部隊,コンツム市北西28キロの砲撃基地デルタを放棄,南方500メートルの別の陣地に撤退。
DIA-201-1972-04-21-2南ベトナム1972年04月21日1970年代解放戦線,アンロクの政府軍に1,000発の砲弾を浴びせる。またサイゴン北西65キロ,ビンズオン省ダウチエンへも攻勢を強める。
DIA-201-1972-04-21-3南ベトナム1972年04月21日1970年代デルタのアンスエン省トイビン町近郊の政府軍基地が40発の砲撃をうける。またチュオンチエン省キエンロンの町役場も砲撃さる。
DIA-201-1972-04-22-1南ベトナム1972年04月22日1970年代ニューヨークをはじめとする全米10都市でベトナム戦拡大に抗議するデモ。
DIA-201-1972-04-23-1南ベトナム1972年04月23日1970年代解放軍地上部隊がアンロクに突入,政府軍は解放勢力のサイゴン締めつけに対し,ユエ近郊から数千のレンジャー部隊,中部3国国境地帯から一部の降下部隊を引揚げ,サイゴン周辺に増強している。 23日正午までの24時間に米B52は24波,米戦闘爆撃機は同日午前6時までの24時間に430回の支援爆撃を行なった。
DIA-201-1972-04-24-1南ベトナム1972年04月24日1970年代中部高原タンカン基地の政府軍第22歩兵師団本部はプレークの第2軍管区本部との連絡を断った。タンカンに対しては解放軍戦車隊が攻撃をかけている。
DIA-201-1972-04-25-1南ベトナム1972年04月25日1970年代ダクト市陥落,政府軍はコンツムから15キロの新防衛線まで後退。 解放放送はコンツム総攻撃を命令した。政府軍は1個師団がコンツム防衛に当っているほか,バンメトートの第22師団をコンツム一帯に投入し始めている。
DIA-201-1972-04-25-2南ベトナム1972年04月25日1970年代米ホワイトハウスは「キッシンジャー補佐官が4月20日から24日の間モスクワにいてブレジネフ書記長,グロムイコ外相と懇談した」と発表した。 またこの発表の直後,「米国がパリ会談を今週再開する用意がある」と発表。
DIA-201-1972-04-26-1南ベトナム1972年04月26日1970年代ニクソン大統領,第8次撤兵発表─ニクソン米大統領は全国向けテレビ放送で演説し「①南ベトナムからの撤兵続行,②再開パリ会談では北による侵略停止および米軍捕虜釈放を話し合う,③北が南への攻勢をやめない限り北爆を続行する」との方針を明らかにした。第8次撤兵については5月1日以降2カ月間に2万の米軍を引揚げると発表した。在ベトナム米軍は5月1日現在で6万9000人になる予定で新方針によれば7月1日までに4万9000人になる。
DIA-201-1972-04-26-2南ベトナム1972年04月26日1970年代パリ会談の北ベトナム代表団は声明を発表し,「27日の公式会談に出席する,同時に我々は米国側のいう“北ベトナムの侵略”“パリ会談開催に関する1968年の了解事項違反”などの主張は断固退ける」と述べた。
DIA-201-1972-04-26-3南ベトナム1972年04月26日1970年代南ベトナム政府外務省は朝声明を発表し,「米国政府と合意のうえ,4月27日にパリ会談を再開したいとの共産側の提案を受入れることにした」と述べた。
DIA-201-1972-04-27-1南ベトナム1972年04月27日1970年代第148回パリ会談再開,ポーター米代表は26日のニクソン発表を読み上げ「北ベトナム軍の南からの撤退を提案する。あなた方が現在の攻勢と捕虜問題などの実質交渉を拒否するなら会談を開いても効果はない」と述べた。 臨時革命政府のビン代表は3月末にパリに帰任して以来はじめてのパリ会談出席で,昨年9月から登場したポーター代表とは初の顔合せだった。
DIA-201-1972-04-28-1南ベトナム1972年04月28日1970年代解放軍,ドンハ南10キロ,クアンチ市を猛攻,クアンチに残っている住民はユエに向けて避難をはじめた。 解放軍の猛攻で政府軍はユエ南西20キロのバストーニュ基地を放棄。
DIA-201-1972-04-29-1南ベトナム1972年04月29日1970年代ビンディン省郡都ホアイニヨン(ボンソンの北)が解放軍3個大隊の攻撃をうけて陥落。ホアイニヨンはホアイアンの北東10キロにある。
DIA-201-1972-04-30-1南ベトナム1972年04月30日1970年代米第7艦隊空母ミッドウェーが北ベトナム沖のヤンキーステーションに到着。これで米空母は5隻になった。
DIA-201-1972-04-30-2南ベトナム1972年04月30日1970年代クアンチ南方10キロの政府軍陣地陥落。 クアンチ市は1,500発,同市南2キロのラバン村に2,000発の130ミリ砲が撃ち込まれる。 クアンチ市は完全に包囲されている。クアンチ市は政府軍第3歩兵師団,海兵,レンジャー各部隊(計1万人)が守備している。
DIA-201-1972-04-30-3南ベトナム1972年04月30日1970年代1日午前6時までの24時間に米B52は25波,戦闘爆撃機は720回の南爆,またデルタのチュオンチェン省を初めて爆撃,南爆はクアンチ市周辺が最も激しく237波にのぼった。
DIA-201-1972-04-30-4南ベトナム1972年04月30日1970年代レ・ドク・ト顧問は27日ハノイから北京に到着,29日北京を発ち,モスクワ経由で30日パリ入り。
DIA-201-1972-05-01-1南ベトナム1972年05月01日1970年代政府軍第3師団はクアンチ北4キロのアイツ基地を放棄し,クアンチ市内へ退却した後,クアンチ市をも放棄,クアンチの住民はユエに避難している。ユエには15万の避難民があふれている。
DIA-201-1972-05-01-2南ベトナム1972年05月01日1970年代ビンディン省郡都タムクアンが陥落。
DIA-201-1972-05-02-1南ベトナム1972年05月02日1970年代コンツム市北側に残っていた政府軍唯一の基地リマが陥落。
DIA-201-1972-05-02-2南ベトナム1972年05月02日1970年代チュー大統領,バンカー米大使,エイブラムズ米軍司令官と会談。
DIA-201-1972-05-02-3南ベトナム1972年05月02日1970年代6日付の『フランス・スワール』紙は,キッシンジャー米大統領補佐官が2日,パリで北ベトナム代表団のレ・ドク・ト顧問と秘密折衝し,チュー政権の交代までは米側が譲ったが,革命政府の提案する和解政府樹立には応じなかった。
DIA-201-1972-05-03-1南ベトナム1972年05月03日1970年代解放放送は政府職員に対し,「全面打倒のときがきた」と警告。
DIA-201-1972-05-03-2南ベトナム1972年05月03日1970年代チュー大統領は,後方の秩序を保つため,騒ぎを引起こす者をその場で射殺する権限を民間と軍の当局者に与えると発表。
DIA-201-1972-05-03-3南ベトナム1972年05月03日1970年代チュー大統領はクアンチ陥落にともなう懲罰人事を発表,第1軍管区司令官ホアン・スアン・ラム中将を解任し,後任に第4軍管区司令官ゴ・クアン・チュオンをすえ,クアンチ防衛の責任を負っていたホ・バン・ジアイ第3師団長を解任。
DIA-201-1972-05-03-4南ベトナム1972年05月03日1970年代レアード米国防長官は,シリト国防次官補を長とし5人の将官によって構成される特別視察団を編成しサイゴンに向かうよう命じた。同視察団は,政府軍がどの程度兵器の更新を必要としているかをさぐる。
DIA-201-1972-05-04-1南ベトナム1972年05月04日1970年代解放放送は,クアンチ市に臨時革命人民委員会が成立したと発表。
DIA-201-1972-05-04-2南ベトナム1972年05月04日1970年代パリ会談米代表はパリ会談を再び無期限中断すると発表。 米国防総省は東南ア地域へさらに軍用機を増派すると発表。
DIA-201-1972-05-05-1南ベトナム1972年05月05日1970年代チュー大統領,Barry Shillito米国防次官補(補給担当)と会見,エイブラムズ司令官,バンカー大使も同席。
DIA-201-1972-05-05-2南ベトナム1972年05月05日1970年代解放戦線,フォクトイ省ドクタンに82ミリ迫撃砲を撃ち込んだのち,2個大隊の規模で民兵の警戒所を襲撃,政府軍に死傷34の損害,またロンアン省ベンルク南方3キロのロンディン橋,破壊さる。
DIA-201-1972-05-05-3南ベトナム1972年05月05日1970年代米国防省のフリードハイム報道官は南ベトナムからの撤退米軍を守るため,同地の米戦闘部隊を増加させることもあり得ると述べた。
DIA-201-1972-05-07-1南ベトナム1972年05月07日1970年代解放戦線,コンツム市の政府軍3防衛基地を攻撃。ゴ・ズー司令官によれば,コンツムには民間人がまだ5分の1(5,000人)残っている。
DIA-201-1972-05-08-1南ベトナム1972年05月08日1970年代ニクソン大統領,北ベトナム全港湾の機雷封鎖を発表(資料参照)。 米国は国連安保理に対し,次のように通告「サイゴン時間9日午前9時から北ベトナムの港湾への入口に機雷を敷設する。これらの機雷はサイゴン時間の11日午後6時から作動する」。 機雷が敷設されたのはハイフォン,ホンゲイ,カンフア,ビン,クアンケ,ドンホイ,タンホアの7港である。
DIA-201-1972-05-08-2南ベトナム1972年05月08日1970年代レ・ドク・ト顧問,シューマン仏外相と会談。
DIA-201-1972-05-09-1南ベトナム1972年05月09日1970年代解放戦線,コンツム西方24キロにある政府軍レンジャー部隊のレカン基地を攻略,解放戦線,コンツム西北60キロのベンヘト基地に突撃。11日,政府軍がこれを撃退。
DIA-201-1972-05-09-2南ベトナム1972年05月09日1970年代チュー大統領はラジオ,テレビで国民に呼びかけ,「わが国は危険状態にある」と述べ,議会に対し「最大限の支援を要請する」と述べた。
DIA-201-1972-05-09-3南ベトナム1972年05月09日1970年代パリ会談の北ベトナム,南ベトナム臨時革命政府両代表団は,ニクソン米大統領の軍事エスカレーションに抗議する声明を発表。
DIA-201-1972-05-09-4南ベトナム1972年05月09日1970年代キッシンジャー米大統領補佐官は,記者会見で前日ニクソン大統領が発表したベトナム強硬措置の背景説明を行なった。
DIA-201-1972-05-10-1南ベトナム1972年05月10日1970年代チュー大統領,非常事態宣言─チュー大統領はラジオ,テレビを通じ,南ベトナム全域に非常事態を宣言するとともに,11日から全土に戒厳令をしくと発表。11日発表された戒厳令措置の内容は,①全土にわたり外出禁止時間を午後10時から午前5時までとすること,②防衛のために必要とされれば各軍司令官は食料,燃料,車両,牛馬,運転手などあらゆる物資専門家を徴発できる,③徴兵年齢をこれまでの18~38歳から17~41歳とする,④徴兵から除外される条件を制限する,⑤全大学を閉鎖し,学生に軍への参加を求める,⑥全銀行を政府管理下におく。
DIA-201-1972-05-10-2南ベトナム1972年05月10日1970年代第2軍管区司令官ゴ・ズー少将は解任され,機甲部隊司令官のグエン・バン・トアン少将が後任に就任。
DIA-201-1972-05-10-3南ベトナム1972年05月10日1970年代上院,チュー大統領提出の大使人事のうち6人を承認,3人を拒否,ド・バン・リ元駐米大使の駐日大使任命,ドアン・バ・カン駐日代理大使の駐ニュージーランド大使転出承認。
DIA-201-1972-05-10-4南ベトナム1972年05月10日1970年代クイニヨンに着いた避難民の話によると,解放戦線はビンディン省で,サイゴン政府の官吏を処刑したあと,人口20万人の同地域を支配する地方行政機構を設立した。
DIA-201-1972-05-10-5南ベトナム1972年05月10日1970年代(パリ)ビン臨時革命政府代表は,『ニューヨークタイムズ』のシーモア・ハーシュ記者とのインタビューで「ニクソン米大統領の北ベトナム封鎖演説の中で行なわれた和平提案は,1月25日の8項目提案よりもさらに高圧的だ」として拒否する意向を表明した。
DIA-201-1972-05-10-6南ベトナム1972年05月10日1970年代パリ会談のスアン・トイ北ベトナム首席代表が帰国。
DIA-201-1972-05-11-1南ベトナム1972年05月11日1970年代解放戦線,アンロクに対する地上攻撃を再開。またユエ北西25キロの郡庁所在地ホンジンの政府軍陣地を攻撃,米B52はアンロクに22波で爆撃を加え,2,000トンの高性能爆弾を投下,またサイゴン西40キロの地点で政府軍と解放勢力1個大隊が戦闘。
DIA-201-1972-05-11-2南ベトナム1972年05月11日1970年代ソ連政府,米国の北ベトナム港湾封鎖について声明を発表,中国政府も声明を発表,コスイギン首相,帰国途中のスアン・トイ代表と会談。
DIA-201-1972-05-11-3南ベトナム1972年05月11日1970年代ヒース英首相は,駐中国大使に直ちに中国政府当局と接触するよう訓令を発したことを明らかにした。
DIA-201-1972-05-12-1南ベトナム1972年05月12日1970年代ユエ西方10キロのバーミンガム基地近くで激戦,また解放戦線はサイゴンから42キロのチャンバンの一部を占拠したが,政府軍に撃退された。
DIA-201-1972-05-13-1南ベトナム1972年05月13日1970年代政府軍海兵隊2個大隊1,000人が,米第7艦隊空母から米海兵隊のヘリでカンチ市南西10キロの郡都ハイラン南へ空輸された。空輸には米海兵隊100人も参加。これと同時にハイランの南10キロのミチヤンから別の1個大隊の政府軍海兵隊500人が渡河作戦を開始,空輸された海兵隊は8時間にわたる戦闘の後ミチャン川まで撤退,この作戦で政府軍58人が死傷,解放勢力の死者は248人。
DIA-201-1972-05-13-2南ベトナム1972年05月13日1970年代ベトナム沿岸沖で作戦中の米第7艦隊に6隻目の空母「オキナワ」が加わった。
DIA-201-1972-05-14-1南ベトナム1972年05月14日1970年代下院,チュー大統領に非常大権(外国との条約の締結,宣戦布告,和平交渉の決定を除く法律について議会を通さずに公布できる)を6カ月の期限付きで与える法案を賛成82,反対69,棄権1,欠席17で可決。
DIA-201-1972-05-14-2南ベトナム1972年05月14日1970年代解放戦線,コンツム市から2キロの政府軍陣地に戦車で迫る,解放軍死者173人,米軍は初めて対戦車誘導ミサイル“TOW”を積載したヘリを投入。
DIA-201-1972-05-15-1南ベトナム1972年05月15日1970年代国防省は兵役義務(17~43歳)がありながら戦闘義務を免除されていた39~43歳までの男子ならびに17歳の青年に対し,6月1日から7月15日までの間に3段階にわけて,徴兵事務所に出頭するよう命令した。
DIA-201-1972-05-16-1南ベトナム1972年05月16日1970年代B52の援護のもとに政府軍2個師団はアンロクで反撃作戦を開始。
DIA-201-1972-05-16-2南ベトナム1972年05月16日1970年代パリ会談の北ベトナム,臨時革命政府両代表団は,パリ会談を18日に再開するよう提案するとともに,機雷封鎖,北爆の即時停止を要求した。米代表団はこれを拒否した。ポーター米代表はワシントンに帰国した。
DIA-201-1972-05-17-1南ベトナム1972年05月17日1970年代コンツム空軍基地にロケット40発が撃ち込まれる。プレーク基地で弾薬庫が爆発,解放軍はプレークとキニヨンを結ぶ国道19号の橋を砲撃し,同国道は不通になった。
DIA-201-1972-05-17-2南ベトナム1972年05月17日1970年代アグニュー副大統領はバンコックからサイゴン入りし,チュー大統領と会談。
DIA-201-1972-05-17-3南ベトナム1972年05月17日1970年代8大学がチュー大統領の命令で閉鎖され,学生5万人の大部分が民兵を志願。
DIA-201-1972-05-18-1南ベトナム1972年05月18日1970年代政府軍2個大隊はユエ西方の砲撃基地,ヘレン基地とロング基地を奪回した。
DIA-201-1972-05-22-1南ベトナム1972年05月22日1970年代ユエ北方で解放軍と政府軍海兵隊が激戦。
DIA-201-1972-05-22-2南ベトナム1972年05月22日1970年代ニクソン大統領,モスクワ着。
DIA-201-1972-05-23-1南ベトナム1972年05月23日1970年代解放戦線,サイゴン南東80キロ,フォクトイ省の郡都ダトドを制圧。
DIA-201-1972-05-23-2南ベトナム1972年05月23日1970年代北ベトナムと南ベトナム臨時革命政府のパリ会談代表団は,パリ会談を25日に再開するよう米,南ベトナム側に要求,これに対し米国務省スポークスマンはこの要求を拒否すると言明。
DIA-201-1972-05-24-1南ベトナム1972年05月24日1970年代チュー大統領は「非常権限法案」の審議を米ソ首脳会談が終了する29日以降にするよう求めた。同法案は議会の権限のうち戦争宣言,条約批准の2つを除くすべての権限を大統領に与えよというもので,すでに下院を通過し,上院で審議中。
DIA-201-1972-05-24-2南ベトナム1972年05月24日1970年代政府軍海兵隊2,000人,米軍支援のもとにヘリ,上陸用舟艇でクアンチ市北東のクアベト南方地域に上陸作戦を開始したが,7時間で終了し,後方基地に撤収。政府軍はダナン市南方40キロ,ケソン溪谷にあるアンスアン,ゴダ両前線基地を放棄。
DIA-201-1972-05-24-3南ベトナム1972年05月24日1970年代米国防総省ジェームズ次官補は,ベトナム戦用のB52戦略爆撃機を更に増派すると発表。米軍は現在グアムとタイに計140機のB52を集結させている。
DIA-201-1972-05-25-1南ベトナム1972年05月25日1970年代解放軍2個大隊200人は,コンツム市に突入。
DIA-201-1972-05-26-1南ベトナム1972年05月26日1970年代アンロク救援に向かった政府軍は依然同市南方3キロでクギづけになっている。26日負傷兵救出に向かった輸送車23台は待ち伏せ攻撃を受け,半数が破壊され,救援部隊は死傷者200人を出した。
DIA-201-1972-05-28-1南ベトナム1972年05月28日1970年代政府軍,コンツム市内の戦闘で,学校などを奪回,解放軍死者168人,政府軍死傷者92人。
DIA-201-1972-05-30-1南ベトナム1972年05月30日1970年代パリ会談の臨時革命政府代表団は,6月1日パリ会談を再開するよう米,南ベトナムに要求。米国は11,18,25日の会談をボイコットしている。臨時革命政府スポークスマンは31日,米国がこの要求を拒絶したと発表。
DIA-201-1972-06-01-1南ベトナム1972年06月01日1970年代政府軍降下部隊1,000人,騎兵一個連隊,数百人の海兵隊はユエ北西の解放軍拠点で新作戦。
DIA-201-1972-06-02-1南ベトナム1972年06月02日1970年代米B52,30機,クアンチ市の西,南,南東地域に爆弾900トンを投下。
DIA-201-1972-06-02-2南ベトナム1972年06月02日1970年代上院はチュー大統領の要求する「非常権限法案」を審議し,27:21で否決。
DIA-201-1972-06-06-1南ベトナム1972年06月06日1970年代政府軍は12日ぶりにコンツム市を制圧していた解放勢力を撃退。
DIA-201-1972-06-07-1南ベトナム1972年06月07日1970年代パリ会談の臨時革命政府代表団は6日,パリ会談を8日に開くよう求めたが,米代表団スポークスマンは7日これを拒否した。
DIA-201-1972-06-08-1南ベトナム1972年06月08日1970年代解放戦線,ビンディン省フォンダンを制圧。
DIA-201-1972-06-10-1南ベトナム1972年06月10日1970年代下院,チュー大統領に非常権限を与える法案の差戻し審議を行なったが,賛成は80票で成立に必要な議員総数の3分の2(106票)を確保できず,同法案は廃案となった。
DIA-201-1972-06-11-1南ベトナム1972年06月11日1970年代11~12日にかけての解放勢力の攻勢は98件を記録。攻勢のほとんどはタイニン省,ハウギア省,メコンデルタ一帯。
DIA-201-1972-06-12-1南ベトナム1972年06月12日1970年代解放勢力,キエンツォン省郡庁ツエンビンを攻撃。
DIA-201-1972-06-12-2南ベトナム1972年06月12日1970年代パリ会談のポーター米首席代表,パリに帰任。
DIA-201-1972-06-14-1南ベトナム1972年06月14日1970年代1週間にわたりモーリタニアを訪問していたビン代表はパリに帰任。
DIA-201-1972-06-16-1南ベトナム1972年06月16日1970年代南ベトナム政府軍第7師団司令官Ng.Khoa Nan少将はスベイリエン州Kg.Roでヘリで作戦指揮中墜落死。 最後の実戦部隊である米第196歩兵旅団3個大隊のうち1個大隊がダナン基地から撤収開始。
DIA-201-1972-06-18-1南ベトナム1972年06月18日1970年代レ・ドク・ト顧問,北京で周首相と会談,午後ハノイ帰国。
DIA-201-1972-06-19-1南ベトナム1972年06月19日1970年代チュー大統領は国軍記念日に当り,「北ベトナム軍に奪われた南ベトナム領土奪回のために今日から3カ月間の新しい軍事作戦を指令する」と発表。
DIA-201-1972-06-19-2南ベトナム1972年06月19日1970年代政府軍はプレークとコンツムを結ぶ国道14号を再び開通させ,コンツムは2カ月におよぶ孤立状態から解放された。
DIA-201-1972-06-19-3南ベトナム1972年06月19日1970年代キッシンジャー米大統領補佐官,北京着,23日帰国。
DIA-201-1972-06-20-1南ベトナム1972年06月20日1970年代クッシュマン米海兵隊司令官は,ダナンの米海兵隊飛行中隊が20日からタイの新米軍基地ナムフォンから作戦行動を始めたことを明らかにした。
DIA-201-1972-06-20-2南ベトナム1972年06月20日1970年代エイブラムズ米援助軍司令官は7月1日に引退するはずのウェストモーランド将軍の後任として陸軍参謀総長に任命された。
DIA-201-1972-06-22-1南ベトナム1972年06月22日1970年代解放戦線,ユエの政府軍防衛線ミチヤン南西方を戦車で攻撃。23日もミチヤンの政府軍に130ミリ砲130発を撃ち込む。24日にはユエ南西20キロのキング基地を迫撃砲攻撃,ミチヤン一帯を戦車で攻撃。一方22~23日にかけ,米軍はB52・100機,戦闘爆撃機137機を動員し,南ベトナム北部を爆撃し,3,000トンの爆弾を投下,24日にはB52・115機を動員してユエ周辺その他に3,000トンの爆弾を投下。
DIA-201-1972-06-24-1南ベトナム1972年06月24日1970年代(ワシントン)ロジャーズ米国務長官は記者会見で「はっきりした証拠はないが,北ベトナムはその攻勢の結果に失望しているものと思う」「外交界から得た種々の兆候から見て,我々は相手側が交渉解決に関心を持っているとの若干の希望をいだいている」と述べた。
DIA-201-1972-06-24-2南ベトナム1972年06月24日1970年代(ワシントン)キッシンジャー米大統領補佐官(23日中国訪問から帰国)は記者会見で「米国の基本的立場は,戦争の解決は北ベトナムと米国との直接交渉によらねばならない」「今回の訪中の主目的は2日の上海コミュニケに盛られた米中国関係の改善を話し合うことにあった」と述べた。
DIA-201-1972-06-26-1南ベトナム1972年06月26日1970年代解放戦線はユエ北西フォンディェン地域の政府軍陣地に1,300発の砲撃を加え,北方のミチヤンに地上攻撃を加えた。
DIA-201-1972-06-26-2南ベトナム1972年06月26日1970年代サイゴンの米援助軍司令部はタンソンニャト空軍基地にある第7空軍司令部の一部任務を吸収,今後インドシナの爆撃計画は援助軍司令部で調整することになった。また同基地内の第7艦隊分遣隊も米援助軍司令部内に移動し,艦隊調整部に昇格した。
DIA-201-1972-06-26-3南ベトナム1972年06月26日1970年代ダナンの米戦闘爆撃機7個中隊,タイに移駐。これで南ベトナム駐留の空軍兵力はビエンホア基地にいるF4・2個中隊,A37軽爆撃機1個中隊だけ。
DIA-201-1972-06-27-1南ベトナム1972年06月27日1970年代33の南ベトナムの平和主義者団体は,解放勢力の攻勢が開始されて以来10週間で政府が1,500人をプーロコンドル島の犯罪人収容所に追放したと政府を非難する書簡を報道機関に配布。この書簡はまた政府がユエ,サイゴンの両都市で100人の学生を逮捕したと言っている。
DIA-201-1972-06-27-2南ベトナム1972年06月27日1970年代ニクソン米大統領の特使コナリー氏はサイゴンに到着,チュー大統領にニクソン大統領の親書を手渡し,同大統領の訪中・ソの結果について説明。
DIA-201-1972-06-27-3南ベトナム1972年06月27日1970年代(ワシントン)米民主党政策綱領委は,7月10日からの全国党大会に提出する綱領草案を作成,ベトナム戦争について「10月1日までにインドシナ地域の米軍全員を撤退すべきである」と述べた。
DIA-201-1972-06-28-1南ベトナム1972年06月28日1970年代チュー大統領,非常大権法を公布─上院は27日フエン上院議長らが帰宅した後ファン・ヌー・フイエン第2副議長が議長となって,非常大権法案を27:0で可決,28日チュー大統領が署名,公布。
DIA-201-1972-06-28-2南ベトナム1972年06月28日1970年代政府軍空てい,海兵両師団の1万人はクアンチ奪回を目ざしてユエ北西30キロ,ミチヤンの防衛線から北進を開始。
DIA-201-1972-06-28-3南ベトナム1972年06月28日1970年代米,第9次撤兵発表─(ワシントン)ジーダラー米大統領報道官は,南ベトナム駐留の米軍を7月1日現在4万9000人の線から1万人減らし,9月初めまでに3万9000人にすることを発表。
DIA-201-1972-06-28-4南ベトナム1972年06月28日1970年代ニクソン米大統領は陸軍参謀総長に指名されたエイブラムズ陸軍大将の後任の米南ベトナム援助軍司令官にウエイアンド副司令官を昇格させると発表,またボート空軍大将を第7空軍司令官兼任のまま副司令官として指名し,29日から第7空軍司令部を援助軍司令部に統合する。
DIA-201-1972-06-29-1南ベトナム1972年06月29日1970年代政府軍海兵隊2個大隊1,000人はクアンチ市東,北東に降下作戦。
DIA-201-1972-06-29-2南ベトナム1972年06月29日1970年代27日の上院本会議の際,行方不明になったボ・バン・チュエン第一副議長,チャン・ズイ・ドン議員は記者会見で「これは反政府系議員の審議参加を妨害しようとしたチュー政権の陰謀である」と攻撃。
DIA-201-1972-06-29-3南ベトナム1972年06月29日1970年代ニクソン米大統領は記者会見を行ない,次のように述べた。「パリ会談を9月13日に再開する。交渉が進展すれば私の任期の来年1月20日よりはるか以前に戦争を終結させることができる。会談再開については,いずれの側も何の条件もつけなかった。相手側の望むものを我々が持っている時に限り,我々は相手側から何かを手に入れることができる。爆撃,封鎖などで圧力をかけ続けることが捕虜釈放への刺激を与える唯一の方策である。」「ベトナムにおける米政府の目的は,①共産主義者が支配する政府を北ベトナムが南ベトナムに押しつけるのを阻止すること,②南ベトナムに残留する米兵を保護すること,③北に抑留されている米兵の釈放を実現すること。」
DIA-201-1972-06-30-1南ベトナム1972年06月30日1970年代チュー大統領,ユエ視察,ゴ・バン・チュオン第1軍管区司令官,ファン・バン・フ第1師団司令官,レ・グエン・カーン第1軍管区作戦担当副司令官らと協議。
DIA-201-1972-06-30-2南ベトナム1972年06月30日1970年代パリ会談の北ベトナム,南ベトナム臨時革命政府代表団声明発表,臨時革命政府声明は次のように述べている。「われわれは7項目提案と,特に2項目明確化提案に示された正しく理にかなった臨時革命政府の立場を再度確認する。これこそ米を不正義で人民の支持を受けていない道義に反する侵略戦争から,名誉ある出口を可能にする正しい現実的な基礎である。米政府はパリ会談にこの和平提案に対する真剣な態度と前向きの回答を持って復帰しなければならない。」
DIA-201-1972-07-02-1南ベトナム1972年07月02日1970年代解放戦線,ユエ市にロケット,迫撃砲30発を撃ち込む。
DIA-201-1972-07-04-1南ベトナム1972年07月04日1970年代クアンチ市南方5キロにヘリで空輸された政府軍空てい2個大隊は同市中心部から2キロ南のマイリン地区に進出。
DIA-201-1972-07-06-1南ベトナム1972年07月06日1970年代スアントイ北ベトナム代表はパリに向けハノイを出発。6日北京に到着,9日モスクワ到着,10日パリに帰任。
DIA-201-1972-07-07-1南ベトナム1972年07月07日1970年代政府軍空てい部隊2個大隊1,500人は,クアンチ市中心部に突入をこころみたが失敗,政府軍はクアンチ奪回作戦に最精鋭の空てい,海兵,民兵など2万人を投入している。8日明らかにされたところによると空てい部隊3個中隊がクアンチ南の郊外で解放勢力軍に包囲された。
DIA-201-1972-07-07-2南ベトナム1972年07月07日1970年代チュー大統領,アンロクを訪問して「アンロクは完全に確保され,クアンチも奪回した,北ベトナム軍の攻撃は完全かつ決定的な失敗であることが証明された」と語った。
DIA-201-1972-07-08-1南ベトナム1972年07月08日1970年代チュー大統領は先に戒厳令に基づいて実施を始めた兵役義務年齢の拡大を撤回した。
DIA-201-1972-07-08-2南ベトナム1972年07月08日1970年代(サンクレメンテ)キッシンジャー補佐官は記者会見で次のように語った。「北ベトナムがベトナム戦争終結のために真剣に交渉する用意を整えていると信じるにたる理由がある」「行詰まり打開のため過去数週間にわたって活発な外交活動が続けられた。真剣な交渉と双方の立場の体系的な検討をするため機はすでに熟している。」「米国側としては,①政治,軍事問題の全面解決か,②軍事問題だけを片づけ,政治問題の解決はベトナム人同士にまかせるかどちらでもよい。」
DIA-201-1972-07-09-1南ベトナム1972年07月09日1970年代チュー大統領は非常大権法に基づき,徴兵令の修正と,3本立てだったピアストルの交換レートを1ドル=425ピアストルに一本化する措置をとった。
DIA-201-1972-07-09-2南ベトナム1972年07月09日1970年代第3軍区米軍事顧問団副司令官のリチャード・トールマン准将,アンロク付近で戦死。
DIA-201-1972-07-10-1南ベトナム1972年07月10日1970年代クアンチ市内に攻め込んでいた政府軍は解放勢力側の砲撃を受けたため,同市郊外のマイリンに1個大隊の空てい部隊を残して撤退。
DIA-201-1972-07-12-1南ベトナム1972年07月12日1970年代解放戦線は13日午前10時までの24時間に全土で109件の攻勢,これは6月13日以来の規模。
DIA-201-1972-07-12-2南ベトナム1972年07月12日1970年代解放放送は,先に設立が発表された「クアンチ市人民革命委」のメンバーを公表,議長はレ・サン氏。
DIA-201-1972-07-12-3南ベトナム1972年07月12日1970年代解放戦線,アンロクの戦闘で捕虜になった政府軍兵士700人を釈放。
DIA-201-1972-07-12-4南ベトナム1972年07月12日1970年代(サンクレメンテ)ニクソン米大統領,ドブルイニン駐米ソ連大使と会見。
DIA-201-1972-07-13-1南ベトナム1972年07月13日1970年代第150回パリ会談,5月4日に中断して以来2カ月ぶり,ポーター米代表は冒頭演説で5月8日のニクソン演説は交渉解決の基礎になる提案だと主張,ビン代表は「ニクソンのいう停戦はチュー政権と米軍介入を続けることをねらったものにすぎない」と述べ,革命政府の7項目提案による連合政府樹立こそ解決の唯一の道だと繰返した。
DIA-201-1972-07-14-1南ベトナム1972年07月14日1970年代(マイアミビーチ)マクガバン米民主党大統領候補は指名受諾演説を行ない,「大統領就任の日に爆撃をやめ,90日以内に米軍をインドシナから撤退させる」と述べた。
DIA-201-1972-07-15-1南ベトナム1972年07月15日1970年代チュー大統領は戒厳令下の措置として住所変更の自由の制限,争議,デモ,有害文書の保持の禁止など,16項目にわたり「基本的人権」を大幅に制約する布令を公布。
DIA-201-1972-07-15-2南ベトナム1972年07月15日1970年代レ・ドク・ト顧問,パリに帰任。
DIA-201-1972-07-19-1南ベトナム1972年07月19日1970年代(パリ)キッシンジャー米大統領補佐官,レ・ドク・ト顧問,スアン・トイ代表と会談。
DIA-201-1972-07-21-1南ベトナム1972年07月21日1970年代政府軍1万人はビンディン省ボンソンで失地回復作戦,解放勢力は4月29日ここを占拠,南西部のホアイアン,北部のタムクアンと共にビンディン省北部一帯を占拠している。21日ボンソン奪回,24日タムクアンを奪回。
DIA-201-1972-07-21-2南ベトナム1972年07月21日1970年代ビン代表はキューバ革命記念祝典に出席するためモスクワ経由ハバナに向かった。31日,パリに帰任。
DIA-201-1972-07-22-1南ベトナム1972年07月22日1970年代政府軍,米海兵隊ヘリでクアンチ市北北東10キロの地点に空輸さる。
DIA-201-1972-07-25-1南ベトナム1972年07月25日1970年代政府軍は空てい部隊でクアンチ市の中心部にある城跡に入ったと発表,その後も戦闘は続き,政府軍は27日激戦の後,これを放棄して撤退。
DIA-201-1972-07-25-2南ベトナム1972年07月25日1970年代政府軍レンジャー,第7師団,地方軍など3万2000人,おうむの口ばし地区で掃討作戦開始。
DIA-201-1972-07-26-1南ベトナム1972年07月26日1970年代ユエ西南19キロの政府軍のバストーニュ基地は解放戦線の手に。
DIA-201-1972-07-27-1南ベトナム1972年07月27日1970年代ニクソン米大統領,記者会見で次のように言明「解決が宙に浮いている唯一の問題は南ベトナムに共産政府を認めよという敵の要求であり,南ベトナム国民の流血を伴うこのような政権を認めることは不道義のきわみである」。
DIA-201-1972-08-01-1南ベトナム1972年08月01日1970年代チュー大統領はサイゴンの防衛大学で次のように演説,「北ベトナム,解放戦線は米国の大統領選挙前に新たな攻勢を見せるだろう」「停戦はインドシナ全域にわたること,国際監視と保障が行なわれることの3つの条件が満たされるべきだ」。
DIA-201-1972-08-01-2南ベトナム1972年08月01日1970年代解放勢力,クアンチ市南西1キロ,北北西3キロの政府軍海兵隊を攻撃。
DIA-201-1972-08-01-3南ベトナム1972年08月01日1970年代キッシンジャー米大統領補佐官,パリでレ・ドク・ト顧問,スアン・トイ代表と秘密会談。
DIA-201-1972-08-02-1南ベトナム1972年08月02日1970年代米上院本会議は,米軍捕虜の釈放を唯一の条件にインドシナから向こう4カ月以内に米軍を全面撤退させるとの決議を国防調達法案の修正の形で可決。
DIA-201-1972-08-03-1南ベトナム1972年08月03日1970年代解放戦線,ダナン米空軍基地に122ミリロケット砲38発を撃ち込む。米兵1人死亡,20人負傷。
DIA-201-1972-08-04-1南ベトナム1972年08月04日1970年代大統領府は非常大権法に基づく布令第6号として報道・出版に関する大統領布告を発表。これによると,日刊紙,雑誌の経営者は,①新聞綱領に違反した場合の保障金として国庫に最高2000万ピアストルを納める,②編集幹部はじめ記者など一般従業員全員の身元を当局に届け出る,③紙上で特定の人物を中傷し,それが軍法廷で新聞綱領違反として追及された場合,はっきりした証拠を明らかにしなければならない。しかし正副大統領,友好国の大使に対する中傷については証拠義務を認めない(サイゴンの日刊紙の数は現在35紙)。
DIA-201-1972-08-05-1南ベトナム1972年08月05日1970年代チュー大統領は民間防衛隊設立4周年に当り次のように演説。「共産側は軍事勝利,部分停戦,人民の総蜂起という3つの目的に失敗した。しかし敵は人民の中にかくれており,民間防衛隊はこれを発見し,ベトコンの下部構造を破壊せねばならぬ,幹部だけでなく,共産側への協力者を摘発せねばならぬ。」(民間防衛隊の数は300万人,内,半数が武装)。
DIA-201-1972-08-06-1南ベトナム1972年08月06日1970年代チュー大統領,ビ国防相解任命令書に署名,国防相はキエム首相が兼任。
DIA-201-1972-08-06-2南ベトナム1972年08月06日1970年代解放勢力,クアンチ市から1キロの政府軍陣地を12時間以上にわたって砲撃(700発)。
DIA-201-1972-08-08-1南ベトナム1972年08月08日1970年代解放戦線はプレーク市西方で攻勢開始,9日プレーク西方28キロの政府軍前進陣地が陥落。プレーク西方22キロ,タンアン地区のタンジアオ地区を制圧,同地域を守っていた政府軍はプレーク市へ引揚げ。解放戦線はまた,サイゴン東方27キロ国道15号沿いのロンタン付近の政府軍民兵を攻撃,政府軍兵士100人が死傷。
DIA-201-1972-08-10-1南ベトナム1972年08月10日1970年代米下院,米軍捕虜釈放と米軍撤退のための部分的停戦を条件として10月1日までに全米軍をインドシナから撤退させるとの決議案を228対178で否決。
DIA-201-1972-08-10-2南ベトナム1972年08月10日1970年代(ジョージタウン)非同盟諸国外相会議,南ベトナム臨時革命政府の同会議への参加を承認。
DIA-201-1972-08-11-1南ベトナム1972年08月11日1970年代チュー大統領,北爆停止に反対と発言。
DIA-201-1972-08-11-2南ベトナム1972年08月11日1970年代解放戦線,サイゴン北方50キロのライケ基地を急襲,同基地には政府軍第5師団,第18師団の前進司令部があり,アンロク作戦の後方基地になっている。
DIA-201-1972-08-11-3南ベトナム1972年08月11日1970年代米軍司令部は,ダナンの最後の地上戦闘部隊第21師団第3大隊の撤退を発表,これで南ベトナムに駐留している米軍は,軍事顧問団,補給兵たん部隊など支援部隊を残すだけとなった。
DIA-201-1972-08-12-1南ベトナム1972年08月12日1970年代米B52,正午までの24時間に北ベトナムに対して13波,南ベトナム領内に対して30波の出撃。
DIA-201-1972-08-13-1南ベトナム1972年08月13日1970年代解放戦線,サイゴン北東30キロ米軍ロンビン基地に侵入,弾薬庫を爆破。
DIA-201-1972-08-14-1南ベトナム1972年08月14日1970年代政府軍は歩兵,レンジャー部隊計3,000人を投入してライケ基地の防衛作戦を開始。
DIA-201-1972-08-14-2南ベトナム1972年08月14日1970年代(パリ)キッシンジャー米大統領補佐官,レ・ドク・ト氏と会談。
DIA-201-1972-08-16-1南ベトナム1972年08月16日1970年代解放戦線,クアンチ市周辺の政府軍に1,800発の砲撃を加える。
DIA-201-1972-08-16-2南ベトナム1972年08月16日1970年代キッシンジャー米大統領補佐官,サイゴン到着,バンカー大使と協議。17日午前,バンカー大使,ウェイアンド司令官,ボート米第7空軍司令官と協議,午後チュー大統領と会談。会談には南ベトナム側からグエン・フ・ドク大統領外交問題顧問,ホアン・ドク・ニヤ大統領新聞秘書が出席。米側はバンカー大使とウインストン・ロード補佐官が出席,18日もチュー大統領とキッシンジャー氏会談。
DIA-201-1972-08-16-3南ベトナム1972年08月16日1970年代パリから帰国の途中モスクワに立寄ったレ・ドク・ト顧問は,キリレンコ政治局員,カツシエフ書記と会談,18日北京で周恩来首相,張春橋中央政治局員と会見。
DIA-201-1972-08-17-1南ベトナム1972年08月17日1970年代解放戦線,サイゴン南西45キロ,国道4号線の要所ベンチャンの政府軍前衛基地を攻撃。
DIA-201-1972-08-19-1南ベトナム1972年08月19日1970年代24時間に解放戦線は全土で91件の攻撃,この回数は7月26日以来の最高,政府軍は解放戦線の攻勢の前に,ダナン南方40キロ,ケソンならびにローズ基地を放棄,この戦闘で政府軍(第2師団)は戦死22,負傷130の損害。19~20日,解放戦線は,クアンチに対し2,000発の砲撃を加える。解放戦線は更にダナン南45キロ,ケソンを占拠。
DIA-201-1972-08-19-2南ベトナム1972年08月19日1970年代解放戦線,国道13号,国道1号・国道4号を切断。
DIA-201-1972-08-19-3南ベトナム1972年08月19日1970年代コンツム省知事Nguyen van Thin大佐,解任さる。
DIA-201-1972-08-21-1南ベトナム1972年08月21日1970年代南ベトナム新聞協会は,政府に対し新聞法の完全撤回を求める決議を採択。
DIA-201-1972-08-22-1南ベトナム1972年08月22日1970年代国銀,ピアストルの対米ドル・レートを1ドル=430ピアストルから1ドル=435ピアストルに切下げ,同時に米援助物資に適用される特別レートも1ドル=295ピアストルから1ドル=300ピアストルに切下げ。
DIA-201-1972-08-22-2南ベトナム1972年08月22日1970年代外務省は,23日に北ベトナム傷病捕虜600人を釈放すると発表。
DIA-201-1972-08-23-1南ベトナム1972年08月23日1970年代解放戦線,ダナン市に17発のロケット,迫撃砲を撃ち込む。
DIA-201-1972-08-23-2南ベトナム1972年08月23日1970年代ニクソン米大統領は,共和党大会での大統領候補指名受諾演説で次のように語った。「われわれが絶対にやらないことが3つある。①米軍捕虜を見捨てない,②敵側と妥協して1700万人の南ベトナム国民に共産政権を押しつけない,③米国の名誉を傷つけることはしない。」
DIA-201-1972-08-24-1南ベトナム1972年08月24日1970年代チュー大統領はフアン・ホア・ヒエプ第2歩兵師団長を更迭,チャン・バン・ニャト・ビンロン省長を後任に任命。更迭の理由は先週ケソンの地方司令部を放棄したため。
DIA-201-1972-08-24-2南ベトナム1972年08月24日1970年代政府軍レンジャー部隊,ダナン南40キロ,ケソンを奪回。
DIA-201-1972-08-26-1南ベトナム1972年08月26日1970年代解放戦線,クアンチ市周辺に1,700発の砲撃を加える,同市周辺の戦闘で解放戦線は127人が死亡,政府軍死傷者は34人。
DIA-201-1972-08-26-2南ベトナム1972年08月26日1970年代チュー大統領は公職者の収賄一掃をねらった“収賄処罰法”を非常大権に基づいて布告。
DIA-201-1972-08-26-3南ベトナム1972年08月26日1970年代南ベトナム新聞協会は29日付で同協会を解散することを決めた。反政府系紙を中心とした13紙は,22,23日ストに突入。
DIA-201-1972-08-29-1南ベトナム1972年08月29日1970年代ニクソン大統領,第10次撤兵発表─ニクソン大統領は「南ベトナム駐留米軍を9月1日以降さらに1万2000人減らし,12月1日までに2万7000人にする」と発表。
DIA-201-1972-08-31-1南ベトナム1972年08月31日1970年代解放戦線,ビエンホア基地とその周辺部に50発の107ミリ砲を撃ち込む。
DIA-201-1972-09-01-1南ベトナム1972年09月01日1970年代解放戦線,ビンディン省の郡都タムクアンの軍本部に600発の砲撃を加える。政府軍死者24人,負傷者23人,タムクアンは1カ月前に政府軍が奪回したばかり。
DIA-201-1972-09-03-1南ベトナム1972年09月03日1970年代チュー大統領は,新聞発行者に対し,2000万ピアストルの預託金の支払期限を3日から15日まで延期。
DIA-201-1972-09-04-1南ベトナム1972年09月04日1970年代解放戦線,3日からプレーク市西35キロのレミン基地を攻撃,4日,政府軍は同基地を放棄。
DIA-201-1972-09-04-2南ベトナム1972年09月04日1970年代バンカー米大使,ホノルルから帰任(ホノルルでニクソン大統領と会談),6,7日チュー大統領と会談。
DIA-201-1972-09-05-1南ベトナム1972年09月05日1970年代解放戦線,プレーク南西20キロの政府軍基地バウカンを攻撃,またコンツム市北西9キロの政府軍砲兵支援基地に250発の砲撃を加えた後,突撃,政府軍死傷者39人,解放戦線死者19人。
DIA-201-1972-09-07-1南ベトナム1972年09月07日1970年代解放戦線,ダナン南65キロのティエンフォクを戦車で攻撃,政府軍の守備兵(正規軍,地方軍各1個大隊)は同町を放棄。解放戦線はまた,サイゴン南西80キロ,カイベ北東6キロにある政府軍第9師団前進司令部を攻撃,政府軍死者22人,負傷者76人。
DIA-201-1972-09-07-2南ベトナム1972年09月07日1970年代韓国政府は,南ベトナム駐留韓国軍(3万8000人)を12月から来年6月にかけて完全に撤収する方針を明らかにした。
DIA-201-1972-09-09-1南ベトナム1972年09月09日1970年代チュー大統領,バンカー米大使と3回目の会談,13日更に4回目の会談。
DIA-201-1972-09-10-1南ベトナム1972年09月10日1970年代政府軍海兵隊,クアンチ城に集中攻撃を再開。ビエンホア空軍基地では,爆発事件が起き,70機の軍用機が飛行不能になった。
DIA-201-1972-09-10-2南ベトナム1972年09月10日1970年代キッシンジャー米大統領補佐官,ミュンヘンから空路モスクワ入り。
DIA-201-1972-09-11-1南ベトナム1972年09月11日1970年代レ・ドク・ト顧問・パリに帰任。
DIA-201-1972-09-11-2南ベトナム1972年09月11日1970年代臨時革命政府新提案─ハノイ放送は「ベトナム戦争を終らせ,平和を打ちたてるための重要声明」と題する臨時革命政府声明を発表(資料参照)。
DIA-201-1972-09-11-3南ベトナム1972年09月11日1970年代臨時革命政府の新提案について,サイゴンの米大使館は「新味見られず」との声明を発表,一方ジーダラー米大統領報道官は「新声明を検討中」と言明。
DIA-201-1972-09-12-1南ベトナム1972年09月12日1970年代外務省,臨時革命政府の新声明について「共産側の提案した民族和解政府は,南ベトナム支配の野望をかくすための連合政府樹立の別の形態にすぎない」として拒否。
DIA-201-1972-09-19-1南ベトナム1972年09月19日1970年代解放戦線,クアンガイ省郡都バトを陥落さす,またバトの北東25キロの郡都ミドウクでも激戦。
DIA-201-1972-09-20-1南ベトナム1972年09月20日1970年代クアンチの前線を視察中のチュー大統領はAFP記者に次のように語った。「共産側は米人捕虜の釈放と引きかえに部分的停戦を実現しようと求めている。これには北爆や北ベトナム港湾封鎖の停止も含んでいるだろう。私は米国がこれに同意するとは考えたくない。」「われわれは2つまたは3つの構成要素からなるあらゆる形の連立に反対する。」
DIA-201-1972-09-22-1南ベトナム1972年09月22日1970年代解放戦線,クアンガイ省南部の郡都ドクホ周辺にある政府軍陣地数カ所を攻撃。
DIA-201-1972-09-23-1南ベトナム1972年09月23日1970年代解放戦線,クアンチン省郡都チエンフォック周辺の政府軍陣地を戦車,130ミリ砲で攻撃,その他クアンガイ省の郡都ダクフォの政府軍陣地に300発,その南西の郡都バト周辺の政府軍レンジャー部隊基地に800発の砲撃を加える。
DIA-201-1972-09-25-1南ベトナム1972年09月25日1970年代チュー大統領はブイ・バン・ヌー国警副長官とブイ・カク・ズン検事長を汚職容疑で解任,警察に身柄を拘置。
DIA-201-1972-09-25-2南ベトナム1972年09月25日1970年代(ワシントン)対外援助支出権限法案を審議中の米上院本会議は,チュー大統領が合法的な反対派を弾圧していることを非難した修正案を可決。
DIA-201-1972-09-26-1南ベトナム1972年09月26日1970年代(パリ)キッシンジャー米大統領補佐官とレ・ドク・ト北ベトナム特別顧問が秘密会談(18回目。前回は15日),27日も会談続行。
DIA-201-1972-09-27-1南ベトナム1972年09月27日1970年代(ロサンゼルス)ニクソン米大統領は共和党の選挙夕食会で演説し「同盟国を裏切ることなくベトナム戦争を終らせる」「南ベトナムは間もなく米国の支援なしに,完全に自国を防衛できるようになろう」と述べた。
DIA-201-1972-09-29-1南ベトナム1972年09月29日1970年代チュー大統領はサイゴンの医科大学で演説し「停戦は新たな戦争につながるようなものであってはならず,共産側に利用されないような方式が検討されねばならぬ。停戦は国際監視下のインドシナ全域の一括停戦でなければならぬ」と述べた。
DIA-201-1972-09-30-1南ベトナム1972年09月30日1970年代姫鵬飛中国外相は,ビン臨時革命政府外相に書簡を送り,9月11日の臨時革命政府提案を支持する旨表明した。ビン外相は15日の書簡で,姫外相に同提案を送付している。
DIA-201-1972-10-01-1南ベトナム1972年10月01日1970年代ニクソン米大統領の特使ヘイグ少将,サイゴン着。2日,バンカー米大使と共にチュー大統領と会談。同少将は滞在を1日延期して4日にチュー大統領と2度目の会談。
DIA-201-1972-10-02-1南ベトナム1972年10月02日1970年代チュー大統領は72年度第2期上下両院開会式にあてたメッセージの中で次のように述べた。「東南アジアの永続的平和を共同で保障するため,南北ベトナムを含む同地域10カ国の会議をサイゴンで開くよう提案する」(参加国は南北ベトナム,カンボジア,ラオス,タイ,マレーシア,シンガポール,インドネシア,フィリピン,台湾)。
DIA-201-1972-10-02-2南ベトナム1972年10月02日1970年代解放勢力は,2日午前6時までの24時間に全土で100件の攻撃をかけた。
DIA-201-1972-10-02-3南ベトナム1972年10月02日1970年代南ベトナムに駐留している米空軍最後の戦闘部隊は先週末,最後の出撃を終えた。
DIA-201-1972-10-03-1南ベトナム1972年10月03日1970年代サイゴン東25キロ,サイゴン川東岸で政府軍と解放勢力が戦闘,政府軍死者1人,負傷6人。
DIA-201-1972-10-03-2南ベトナム1972年10月03日1970年代(ハノイ放送)ビン臨時革命政府外相はこのほど,第87回国連総会のトレプチンスキー議長と非同盟諸国ブロックの調整者ムデンダ・ザンビア外相にメッセージを送り,ニクソン米政権の戦争エスカレーションについて国際世論に知らせるため影響力を行使するよう要請した。
DIA-201-1972-10-04-1南ベトナム1972年10月04日1970年代サイゴンの全学生は,解放勢力による首都攻撃に備えるため,7日に学校へ集まるよう命令を受けた。
DIA-201-1972-10-04-2南ベトナム1972年10月04日1970年代国営放送は「平和回復と内政問題の解決へ」と題する解説の中で,解放戦線を「向う側」と呼んだチュー大統領の2日の議会あてのメッセージを引用「同大統領は彼らを同じ家族の一員とみなし,同胞愛と国民的和解の精神で真剣に政府と話し合うよう呼びかけている」と述べた。
DIA-201-1972-10-05-1南ベトナム1972年10月05日1970年代チュー大統領,軍首脳部と協議。
DIA-201-1972-10-05-2南ベトナム1972年10月05日1970年代米B52・20機は正午までの24時間にサイゴン北45キロ,ライケ周辺,ミト周辺などを爆撃。
DIA-201-1972-10-05-3南ベトナム1972年10月05日1970年代(ワシントン)ニクソン米大統領は記者会見で次のように述べた。「米国にとり正当な解決策とは,武力による南ベトナムへの共産政権押付け阻止と,米軍捕虜釈放とを念頭においたものである」「第1に米大統領選がいかなる形にせよ交渉に影響を及ぼすことはない。第2に和平交渉は,プライベートなチャンネルを通じてきわめて包括的に行なわれている」「交渉はきわめて微妙な段階にある」。
DIA-201-1972-10-06-1南ベトナム1972年10月06日1970年代政府軍発表:サイゴン北40キロ,ビンズオン省ベンカット周辺で激戦,国道13号の交通が途絶,6日朝までの解放勢力の攻撃件数は100件を記録,内砲撃が76件,一方米B52も正午までの24時間にサイゴン北方56キロ北西40キロにかけて10波の爆撃。政府軍はまた,1カ月ぶりにダナン南のクアンチン省ティエンフォクを奪回。
DIA-201-1972-10-06-2南ベトナム1972年10月06日1970年代上院議長選挙でグエン・バン・フエン前議長当選,対立候補チャン・チュオン・ズン元国防相を2回目の投票で30対25で破る。下院議長にはグエン・バ・カン現議長が当選。
DIA-201-1972-10-07-1南ベトナム1972年10月07日1970年代解放戦線,ミト市周辺のヘリポートと政府軍連隊司令部を攻撃,政府軍側に30人の死傷を与えた。解放戦線は7~8日サイゴン北20~25キロ,ビンズオン省フクオン近く国道13号沿いの6つの村を攻撃,政府軍増援隊と戦闘,13号線切断6~7日にかけて解放戦線は105件の攻撃。
DIA-201-1972-10-08-1南ベトナム1972年10月08日1970年代チュー大統領はクメールの秋祭に当りカンボジア系ベトナム人にメッセージを送り,臨時革命政府の連合政府構想について「軍事的敗北をごまかし私を追出そうとする共産側の計略だ。南ベトナム軍は最後の勝利まで戦う」と述べた。
DIA-201-1972-10-08-2南ベトナム1972年10月08日1970年代サイゴン北14キロ,ライチュー付近で戦闘。
DIA-201-1972-10-08-3南ベトナム1972年10月08日1970年代キッシンジャー,レ・ドク・ト会談─ホワイトハウスは,キッシンジャー補佐官がヘイグ少将をともなってパリへ飛び,レ・ドク・ト顧問と会議中と発表(第19回)。
DIA-201-1972-10-09-1南ベトナム1972年10月09日1970年代グエン・チャン・チ,グエン・タイ(前パリ会談南ベトナム政府代表団),ゴ・コン・ドク,ファム・テ・チュク氏はパリで共同声明を発表し次の4項目を要求。①解放戦線,北ベトナム,米国の3者は,サイゴン政権にも解放戦線にも属さない民衆の声をパリ会談に反映させること,②チュー政権は反政府のかどで投獄されている人々を釈放すること,③米国はチュー政権支援を停止すること,④チュー政権は権力を放棄すること。
DIA-201-1972-10-09-2南ベトナム1972年10月09日1970年代政府軍,ヘリ輸送によりサイゴン北20キロで作戦,8,000人の解放勢力掃討のため。
DIA-201-1972-10-09-3南ベトナム1972年10月09日1970年代パリでキッシンジャー,レ・ドク・ト会談続行。
DIA-201-1972-10-09-4南ベトナム1972年10月09日1970年代青木特使(外務政務次官),プノンペン到着。
DIA-201-1972-10-09-5南ベトナム1972年10月09日1970年代米上院は先にホワイトハウスが決定したヘイグ氏の陸軍少将から大将への2階級特進と陸軍参謀次長への昇任を承認。
DIA-201-1972-10-10-1南ベトナム1972年10月10日1970年代青木特使,サイゴン到着。
DIA-201-1972-10-10-2南ベトナム1972年10月10日1970年代バンカー大使,チュー大統領と会談。
DIA-201-1972-10-10-3南ベトナム1972年10月10日1970年代パリでキッシンジャー,レ・ドク・ト会談。3日目キッシンジャー補佐官はシューマン仏外相とも会談。
DIA-201-1972-10-11-1南ベトナム1972年10月11日1970年代パリでキッシンジャー,レ・ドク・ト会談,4日目,2度目の延長。
DIA-201-1972-10-12-1南ベトナム1972年10月12日1970年代解放軍・3国国境地帯のベンヘト基地に1,000発の砲撃,政府軍は同基地を放棄。
DIA-201-1972-10-12-2南ベトナム1972年10月12日1970年代キッシンジャー補佐官,3度目のパリ滞在延長の後,帰米。
DIA-201-1972-10-13-1南ベトナム1972年10月13日1970年代レ・ドク・ト顧問,パリを離れ帰国へ。
DIA-201-1972-10-14-1南ベトナム1972年10月14日1970年代チュー大統領,国家最高会議を召集。
DIA-201-1972-10-14-2南ベトナム1972年10月14日1970年代南ベトナム政府,パリ会談代表ファン・ダン・ラムとチャン・キム・フォン駐米大使を帰国さす。ラム代表は15日帰国。
DIA-201-1972-10-15-1南ベトナム1972年10月15日1970年代ロジャーズ長官,「ニクソン大統領は南ベトナムを共産主義者が乗取らないことを確かめようとしている」と言明。
DIA-201-1972-10-16-1南ベトナム1972年10月16日1970年代チュー大統領,国家安保会議招集。
DIA-201-1972-10-16-2南ベトナム1972年10月16日1970年代ニクソン大統領,捕虜兵士家族大会での演説で,名誉ある平和達成のための条件として,①南ベトナム国民に共産政府を押し付けることには同意しない,②米軍捕虜,行方不明者を見捨てない,③同盟国を裏切らない,の3つをあげた。
DIA-201-1972-10-17-1南ベトナム1972年10月17日1970年代解放戦線,ミト周辺を攻撃。
DIA-201-1972-10-17-2南ベトナム1972年10月17日1970年代パリでキッシンジャー,スアン・トイ会談,サリバン米国務次官補代理も出席。
DIA-201-1972-10-18-1南ベトナム1972年10月18日1970年代エイブラムス米陸軍参謀総長,サイゴン着。
DIA-201-1972-10-18-2南ベトナム1972年10月18日1970年代キッシンジャー補佐官,サイゴン着。ハビブ駐韓大使,サイゴン着。
DIA-201-1972-10-19-1南ベトナム1972年10月19日1970年代キッシンジャー・チュー会談,出席者は米側からバンカー大使,エイブラムス陸軍参謀総長,サリバン国務次官補,南ベトナム側からフォン副大統領,キエム首相,ラム外相,ドク補佐官,ニヤ秘書官,ラム・パリ会談代表。
DIA-201-1972-10-19-2南ベトナム1972年10月19日1970年代南ベトナム情報省声明「チュー大統領は米代表のサイゴン到着以来,南ベトナムの上・下院,最高裁と接触を続け,三派連合政権提案やその他民主的手続きによって南ベトナム国民の承認を受けていないいかなる政治解決にも応じないというかたい立場を再確認した」。
DIA-201-1972-10-20-1南ベトナム1972年10月20日1970年代サイゴンでキッシンジャー・チュー会談,第3回。
DIA-201-1972-10-21-1南ベトナム1972年10月21日1970年代政府はサイゴンの各家庭に,三派連合政府反対の標識を配布し始めた。
DIA-201-1972-10-21-2南ベトナム1972年10月21日1970年代解放軍突撃隊1個中隊,サイゴン北方25キロ国道13号線上のブンカウ村に進入,政府軍と交戦。
DIA-201-1972-10-21-3南ベトナム1972年10月21日1970年代北京の外交筋によると,北京駐在の北ベトナム外交官は,北ベトナム政府がすでにパリ会談の米代表に対し2,3日中に合意が得られなければ在ベトナム米軍は不愉快な軍事的驚きに直面するだろうと警告した。
DIA-201-1972-10-22-1南ベトナム1972年10月22日1970年代キッシンジャー補佐官,チュー大統領と会談の後プノンペン訪問,夕方サイゴンへ戻り,再度チュー大統領と会談(5度目)。
DIA-201-1972-10-22-2南ベトナム1972年10月22日1970年代ニクソン大統領はラジオ演説で「われわれは長く困難だったベトナムへの軍事介入の終りに近づいている」と述べた。
DIA-201-1972-10-22-3南ベトナム1972年10月22日1970年代タイ国政評議会のタノム議長は「米国と北ベトナムとチュー政権との間にある種の合意が達成された。ベトナム停戦が非常に近い将来実現しよう」と語った。
DIA-201-1972-10-23-1南ベトナム1972年10月23日1970年代キッシンジャー・チュー会談(6度目)。キッシンジャー補佐官帰国。
DIA-201-1972-10-23-2南ベトナム1972年10月23日1970年代チュー大統領,4軍区司令官および44の省長と協議。
DIA-201-1972-10-23-3南ベトナム1972年10月23日1970年代米大使館は声明を発表し「われわれは進展をみた。米国と南ベトナムとの会談はなお続行される」と述べた。
DIA-201-1972-10-23-4南ベトナム1972年10月23日1970年代チュー大統領は停戦時のための緊急計画立案を命じた。その内容は共産主義者の活動や陰謀を阻止粉砕することにある。
DIA-201-1972-10-23-5南ベトナム1972年10月23日1970年代政府は声明を発表し,共産主義者の活動,およびその協力者に対する刑罰が極めて重いことについて国民の注意を喚起。
DIA-201-1972-10-24-1南ベトナム1972年10月24日1970年代チュー大統領,停戦は近いが三派連合政府は認めぬと演説。
DIA-201-1972-10-25-1南ベトナム1972年10月25日1970年代解放勢力,ダナン空軍基地に数十発のロケット砲を撃ち込む。同基地内のナパーム弾集積所と燃料タンクが炎上。
DIA-201-1972-10-25-2南ベトナム1972年10月25日1970年代パリ会談の臨時革命政府代表団スポークスマンは記者会見で,国際監視委にフランスが参加することには反対しないが,日本の参加は拒否することになろうと語った。
DIA-201-1972-10-26-1南ベトナム1972年10月26日1970年代26日朝までの24時間に解放勢力の攻撃件数は113件。第3軍区で38件,第4軍区で46件。
DIA-201-1972-10-26-2南ベトナム1972年10月26日1970年代北ベトナム政府,和平協定案を公表。(資料参照)
DIA-201-1972-10-26-3南ベトナム1972年10月26日1970年代キッシンジャー補佐官,「協定作成上のあいまいさをはっきりさせるためにもう1回の会談が必要」と言明。
DIA-201-1972-10-27-1南ベトナム1972年10月27日1970年代夜解放戦線はサイゴン周辺の部落12カ所を一斉攻撃。
DIA-201-1972-10-28-1南ベトナム1972年10月28日1970年代臨時革命政府は声明を発表し「同政府はパリ秘密会談で北ベトナムと米国との間で合意された和平協定のすべての条項を厳密に尊重し実行する」と述べた。また31日に停戦協定が調印される場合,停戦を順守するよう下部に命令した。
DIA-201-1972-10-28-2南ベトナム1972年10月28日1970年代解放戦線は29日未明までの時間の間に全土で138件の攻勢をかけた。サイゴンから25キロのビンディン省都フークオンで国道13号を切断,ハウギア省クチ南東5キロでは国道1号を切断,サイゴンから20キロの部落17を制圧,フォクトイ省とタイニン省でも7つの村落を制圧,政府軍はこの内5つを奪回。
DIA-201-1972-10-28-3南ベトナム1972年10月28日1970年代グエン・フ・ドク外務担当大統領補佐官,チャン・キム・フォン駐米大使,ファン・ダン・ラム駐仏代表の3人は,アジア・太平洋地域11カ国に停戦問題に関する政府の立場を伝える特使として出発,ラム特使は30日訪日。
DIA-201-1972-10-29-1南ベトナム1972年10月29日1970年代為替評議会,ピアストルの対米ドル・レートを1ドル=445ピアストルに切下げ。
DIA-201-1972-10-30-1南ベトナム1972年10月30日1970年代中国政府声明,10月26日の北ベトナム政府声明を支持。
DIA-201-1972-10-31-1南ベトナム1972年10月31日1970年代アンカン寺は全国の代表を集めて開いた情勢検討会で採決した宣言を発表,宣言は当事者が相互譲歩によって早期停戦を行なうこと,同寺はサイゴン政府,臨時革命政府のどちらにも立たないことを明らかにしている。
DIA-201-1972-11-01-1南ベトナム1972年11月01日1970年代チュー大統領はラジオ演説で「公平な平和と保障された停戦」を実現するため基本原則として「北側」に次の点を要求した。 ①北ベトナムは南ベトナムから全兵力を撤収する。 ②侵略と浸透を禁じた54年ジュネーブ協定を守る。 ③南ベトナムに見せかけの連立政権を樹立するとの提案を捨てる。 ④解放戦線とサイゴン政権に政治解決をまかせる。
DIA-201-1972-11-01-2南ベトナム1972年11月01日1970年代(サンジェゴ)アグニュー副大統領言明「南ベトナムに共産政権ができても米国はこれを妨害するつもりはない」。
DIA-201-1972-11-02-1南ベトナム1972年11月02日1970年代解放戦線,2日朝までの24時間に142件の攻勢。2日~3日にかけアンロク北東5キロ地点で解放勢力1個大隊と政府軍第18師団が戦闘。政府軍死者4人,負傷者28人。
DIA-201-1972-11-03-1南ベトナム1972年11月03日1970年代解放戦線,ドクコの政府軍レンジャー部隊基地を10時間以上の戦闘のうえ奪取。
DIA-201-1972-11-05-1南ベトナム1972年11月05日1970年代サイゴンでカトリック教徒らがチュー大統領支持デモ,2万5000人が参加。
DIA-201-1972-11-07-1南ベトナム1972年11月07日1970年代米大統領選,ニクソン氏再選さる。
DIA-201-1972-11-08-1南ベトナム1972年11月08日1970年代11月初めから本格化していた停戦に備えての米から南ベトナムへの武器緊急輸送は8日完了した模様,引渡された航空機は戦闘機,C130輸送機,ヘリなど500機にのぼる。
DIA-201-1972-11-10-1南ベトナム1972年11月10日1970年代ヘイグ補佐官代理,サイゴン到着。チュー大統領と会談,バンカー大使も出席。
DIA-201-1972-11-10-2南ベトナム1972年11月10日1970年代(パリ)スアン・トイ代表はAFP記者との会見で,レ・ドク・ト顧問がパリに戻るだろうと述べ,更に捕虜釈放問題について,米国の見解を入れ捕虜を2つのカテゴリーに分け,外国人捕虜は2カ月以内に釈放,南ベトナム民間人については南ベトナムの2つの当事者間で取決めた条件に基づいて3カ月以内に釈放されると述べた。また3派から成る全国評議会が「管理機構administrative Structureであるというキッシンジャー補佐官の説明は正しく,その任務は臨時革命政府とサイゴン政府に協定の条項を実施させること,選挙の諸規則をつくり選挙を施行することである,過渡期の間は臨時革命政府とサイゴン政府の2つの政権が存続すると述べた。
DIA-201-1972-11-10-3南ベトナム1972年11月10日1970年代インドネシアのマリク外相は,インドネシア政府が,カナダ,ハンガリー,ポーランドと共に停戦国際監視委に参加することに同意していることを明らかにした。
DIA-201-1972-11-11-1南ベトナム1972年11月11日1970年代チュー大統領,国家安全保障会議招集。
DIA-201-1972-11-11-2南ベトナム1972年11月11日1970年代チュー大統領,ヘイグ特使と2日目の会談。チュー大統領はヘイグ特使に親書を託した。
DIA-201-1972-11-11-3南ベトナム1972年11月11日1970年代解放戦線,中部海岸のボンソンに300発,北部クアンチに1,000発,サイゴン南東150キロのチュオンチェン省都ビタンに数発の砲撃。
DIA-201-1972-11-12-1南ベトナム1972年11月12日1970年代ヘイグ特使サイゴン出発,プノンペン経由で韓国訪問。
DIA-201-1972-11-12-2南ベトナム1972年11月12日1970年代解放戦線,2回にわたりビエンホア基地を砲撃,弾薬庫1カ所爆破さる。
DIA-201-1972-11-13-1南ベトナム1972年11月13日1970年代ラム外相,「協定による現状停戦は監視が不可能である,北ベトナム軍は同盟国軍と同時に帰国せねばならぬ,評議会の機能は選挙の組織に限定さるべきだ」と言明。
DIA-201-1972-11-14-1南ベトナム1972年11月14日1970年代ラム外相,「南ベトナムにいる北ベトナム軍が部分的に撤退し,残りの兵力は特定地域に集結したのち漸次撤退するという方式には賛成する」と言明。
DIA-201-1972-11-14-2南ベトナム1972年11月14日1970年代ニヤ報道担当秘書官,パリへ向かう,フォン駐米大使とラム駐仏代表団長も任地へ。
DIA-201-1972-11-15-1南ベトナム1972年11月15日1970年代チュー大統領,バンカー大使と会談。『チンソン』紙は次回のパリ秘密会談に南ベトナムも参加することになろうと報じた。 パリ会談の臨時革命政府代表団スポークスマン,南ベトナム政府のパリ秘密会談参加を拒否。
DIA-201-1972-11-15-2南ベトナム1972年11月15日1970年代米国務省は停戦監視委にカナダ,インドネシア,ハンガリー,ポーランドが参加を受諾と発表。
DIA-201-1972-11-18-1南ベトナム1972年11月18日1970年代解放戦線,クアンチ市北8キロに展開した政府軍に2,800発の砲撃。
DIA-201-1972-11-19-1南ベトナム1972年11月19日1970年代キッシンジャー補佐官パリ到着。
DIA-201-1972-11-20-1南ベトナム1972年11月20日1970年代パリ秘密会談再開─米側からキッシンジャー補佐官,ヘイグ副補佐官,サリバン国務副次官補ら,北ベトナム側からレ・ドク・ト顧問,スアン・トイ代表,グエン・コ・タク外務次官ら出席。31日2日目の秘密会談の後,キッシンジャー補佐官はブリュッセルに向かい,22日スハルト大統領と会談。22日3日目の秘密会談。24日4日目の秘密会談。キ補佐官は23日の会談後,この日パリ入りしたグエン・フー・ドク南ベトナム大統領顧問と会談。24日5日目の秘密会談。25日6日目の秘密会談。
DIA-201-1972-11-22-1南ベトナム1972年11月22日1970年代カオダイ教幹部グエン・バン・タン将軍暗殺さる。
DIA-201-1972-11-25-1南ベトナム1972年11月25日1970年代パリの北ベトナム代表団,米大統領報道官発表,パリ秘密会談12月4日まで中断。
DIA-201-1972-11-25-2南ベトナム1972年11月25日1970年代25日付の『ル・モンド』紙は,10日北ベトナム兵士による解放戦線に対する反乱事件があったと報じた。
DIA-201-1972-11-26-1南ベトナム1972年11月26日1970年代政府軍海兵隊,クアンチ市北10キロの解放勢力が占拠している地域に進撃。解放勢力はクアンチ市周辺の海兵隊陣地に1,370発の砲撃,またサイゴン北西34キロの政府軍大隊陣地を砲撃。27日午前6時までの24時間に解放勢力はクアンチ北部の政府軍海兵隊陣地と降下部隊陣地に3,400発の砲撃。 クアベト河口に向かった政府軍海兵隊1個大隊700人は,途中で解放軍の反撃にあい,27日未明までに戦車3台を失い,戦死15人,負傷68人の損害をうけた。
DIA-201-1972-11-27-1南ベトナム1972年11月27日1970年代サイゴン放送は北ベトナムに対し米国を通さずに直接南ベトナムと和平交渉をするよう呼びかけた。
DIA-201-1972-11-29-1南ベトナム1972年11月29日1970年代(ワシントン)ニクソン大統領,グエン・フー・ドク外交顧問と会談。
DIA-201-1972-12-01-1南ベトナム1972年12月01日1970年代(ワシントン)キッシンジャー補佐官,グエン・フー・ドク外交顧問と4度目の会談。
DIA-201-1972-12-01-2南ベトナム1972年12月01日1970年代中部海岸で政府軍輸送機墜落,平定化計画最高責任者チャン・バン・フォン少将死亡。
DIA-201-1972-12-01-3南ベトナム1972年12月01日1970年代解放勢力,クアンチ市周辺の政府軍陣地に650発の砲撃。
DIA-201-1972-12-02-1南ベトナム1972年12月02日1970年代コンツム南西15キロの政府軍レンジャー部隊陣地が解放勢力の猛攻で陥落。
DIA-201-1972-12-03-1南ベトナム1972年12月03日1970年代キッシンジャー補佐官,パリ到着,ヘイグ副補佐官,サリバン国務次官補代理同行。4日レ・ドク・ト顧問との会談再開,5日休会,6日続開。
DIA-201-1972-12-04-1南ベトナム1972年12月04日1970年代グエン・フー・ドク補佐官,帰国。
DIA-201-1972-12-05-1南ベトナム1972年12月05日1970年代フランス領事館に手投げ弾が投げこまれる。
DIA-201-1972-12-05-2南ベトナム1972年12月05日1970年代第4軍管区住民決起の日と銘うったサイゴン政府支持デモがデルタ各地で行なわれた。参加者の大半は小,中学生,高校生。
DIA-201-1972-12-06-1南ベトナム1972年12月06日1970年代タンソンニャト空港,53発の122ミリ・ロケット砲による砲撃を受ける。死者9人,負傷者54人。
DIA-201-1972-12-07-1南ベトナム1972年12月07日1970年代第169回パリ会談。
DIA-201-1972-12-07-2南ベトナム1972年12月07日1970年代パリでキッシンジャー,レ・ドク・ト秘密会談。
DIA-201-1972-12-08-1南ベトナム1972年12月08日1970年代キッシンジャー,レ・ドク・ト秘密会談。キ補佐官はこの会談の前ポンピドー大統領と会談。9日も秘密会談続開,10日は専門家レベルの会談のみ,ヘイグ補佐官は10日一時帰米,11日キッシンジャー,レ・ドク・ト会談再開。
DIA-201-1972-12-10-1南ベトナム1972年12月10日1970年代大平外相は,11日から3日間開かれる東南アジア開発閣僚会議出席のためサイゴン到着。
DIA-201-1972-12-11-1南ベトナム1972年12月11日1970年代バーナード豪副首相,3週間以内に豪軍を南から引き揚げると言明。18日撤退完了。 ニュージーランド首相もクリスマスまでに陸軍訓練隊を引き揚げると言明。
DIA-201-1972-12-12-1南ベトナム1972年12月12日1970年代チュー大統領は上下両院合同会談で演説し,「クリスマス前から1月にかけ暫定停戦,捕虜釈放,南ベトナム政府と解放戦線の話し合い,非武装地帯確立,北ベトナム軍の完全撤退,サイゴン政府,解放戦線のいずれを支持するかについての国民投票を行ない,その結果にもとづき新大統領を選出,新大統領が解放戦線を含む国家評議会にはかって新政権を樹立」との提案を行なった。
DIA-201-1972-12-12-2南ベトナム1972年12月12日1970年代パリで米・北ベトナム専門家会談,米側からサリバン国務次官補代理,ポーター代表,北側からグエン・コ・タク外務次官,スアン・トイ代表が出席。 このあとキッシンジャー補佐官,レ・ドク・ト顧問を加えて会談。 13日もキッシンジャー,レ・ドク・ト会談。13日の会談の後,キッシンジャー補佐官帰国。ト顧問も15日帰,15日以降,ポーター,トイ両代表による専門家レベル心会談続開。
DIA-201-1972-12-14-1南ベトナム1972年12月14日1970年代サイゴン東方10キロのビエンホア省タントイハ弾薬庫爆発。
DIA-201-1972-12-15-1南ベトナム1972年12月15日1970年代ジアディン省の米国石油会社の貯蔵所に82ミリ砲13発が撃ち込まれ,ドラムカン30本分の石油類が破壊さる。
DIA-201-1972-12-16-1南ベトナム1972年12月16日1970年代米B52,プレーク市西方を12波の爆撃。政府軍,プレーク西方ドクコ近くで解放勢力と戦闘。
DIA-201-1972-12-16-2南ベトナム1972年12月16日1970年代臨時革命政府声明「非武装地帯復活は,南北分断を固定化しようとする米国の陰謀にもとづくもの。協定が調印されればこれを完全に尊重,実施し,サイゴン政権と協議に入る」。
DIA-201-1972-12-16-3南ベトナム1972年12月16日1970年代(ワシントン)キッシンジャー補佐官,秘密交渉の経過公表。
DIA-201-1972-12-16-4南ベトナム1972年12月16日1970年代クアンチ南西13キロのアンヌ基地近くで,政府軍と解放軍が戦闘。
DIA-201-1972-12-18-1南ベトナム1972年12月18日1970年代レアード国防長官発表,北爆制限(20度以北)を17日解除。
DIA-201-1972-12-18-2南ベトナム1972年12月18日1970年代(ワシントン)ジーグラー報道官は,ニクソン大統領が全面北爆再開を命令したと発表し「敵の新しい兵力増強に対処し,共産側の攻勢がおきるのを防ぐため」「米国は和平交渉が新しい共産攻勢をかくすために使われるのを許さない」と述べた。
DIA-201-1972-12-18-3南ベトナム1972年12月18日1970年代パリでの米・北ベトナム技術会談の後,トイ代表は,技術会談が無期延期されると発表したが,20日サリバン,スアン・トイによる会談が開かれた。しかし30日の会議でトイ代表は北爆強化を非難しただけで,議題の討議を拒否した。
DIA-201-1972-12-19-1南ベトナム1972年12月19日1970年代ヘイグ副補佐官,サイゴン訪問,チュー大統領と会談の後,プノンペン訪問,20日ビエンチャン訪問,21日帰米,22日ニクソン大統領に報告。
DIA-201-1972-12-20-1南ベトナム1972年12月20日1970年代ビン代表,帰国のためモスクワへ向けパリを出発。27日北京訪問。
DIA-201-1972-12-21-1南ベトナム1972年12月21日1970年代171回パリ会談開催,北ベトナム,臨時革命政府両代表は,北爆を非難し,米側がチュー支持をやめて10月協定に直ちに調印するよう要求して退場。
DIA-201-1972-12-21-2南ベトナム1972年12月21日1970年代解放戦線はクリスマスと新年に24時間の停戦を行なうと発表。23日南ベトナム政府もクリスマス24時間停戦を発表。
DIA-201-1972-12-24-1南ベトナム1972年12月24日1970年代(バチカン)ローマ法王はクリスマス停戦を正式休戦に延長するよう訴えた。
DIA-201-1972-12-27-1南ベトナム1972年12月27日1970年代オーストラリアのバーナード国防相は,同国政府が対南ベトナム軍事援助を全面的に打ち切ることを決定したと発表。
DIA-201-1972-12-28-1南ベトナム1972年12月28日1970年代バンカー大使,ウエイアンド司令官,チュー大統領と会談。
DIA-201-1972-12-29-1南ベトナム1972年12月29日1970年代(北京)ビン臨時革命政府外相,毛主席と会見。
DIA-201-1972-12-30-1南ベトナム1972年12月30日1970年代ホワイトハウスは,ニクソン大統領が20度線以北の北爆停止を命令,さらにキッシンジャー補佐官による北側とのパリ秘密交渉が1月8日再開されると発表。
DIA-201-1973-01-01-1南ベトナム1973年01月01日1970年代ビン臨時革命政府外相の訪中に関する共同声明発表。
DIA-201-1973-01-02-1南ベトナム1973年01月02日1970年代(パリ)サリバン国務次官補代理,グエン・コ・タク外務次官による専門家会談再開。
DIA-201-1973-01-02-2南ベトナム1973年01月02日1970年代ピアストル平価,1ドル=455ピアストルから,465ピアストルに切下げ,12月30日にさかのぼって実施。
DIA-201-1973-01-03-1南ベトナム1973年01月03日1970年代カント近くの国道4号の橋が爆破される。
DIA-201-1973-01-04-1南ベトナム1973年01月04日1970年代午前6時までの24時間に,解放戦線側の攻撃件数は116件を記録,3分の2はデルタに集中。
DIA-201-1973-01-04-2南ベトナム1973年01月04日1970年代チュー大統領が任命したチャン・バン・ド(元外相),ブイ・ジェム(元駐米大使)両特使,サイゴンを出発,ワシントンへ。5日,キッシンジャー補佐官と会見。
DIA-201-1973-01-04-3南ベトナム1973年01月04日1970年代第172回パリ会談。
DIA-201-1973-01-05-1南ベトナム1973年01月05日1970年代経済省,赤,青色の繊維輸入禁止。解放戦線旗に使われるのを防ぐため。
DIA-201-1973-01-08-1南ベトナム1973年01月08日1970年代(パリ)キッシンジャー,レ・ドク・ト会談再開。13日まで。
DIA-201-1973-01-08-2南ベトナム1973年01月08日1970年代8~10日,臨時革命政府閣議。
DIA-201-1973-01-08-3南ベトナム1973年01月08日1970年代(解放通信)ダナン空軍基地の米軍部隊が反戦行動を起こして政府軍に発砲。 米機,ダナン基地を誤爆,300万リットルの燃料炎上,11機損傷。
DIA-201-1973-01-09-1南ベトナム1973年01月09日1970年代サイゴン北東20キロのロンビン基地,砲撃さる 460キロリットルのガソリン・タンク炎上。
DIA-201-1973-01-12-1南ベトナム1973年01月12日1970年代政府軍1万人,サイゴン北西60キロの森林地帯で索敵作戦。
DIA-201-1973-01-13-1南ベトナム1973年01月13日1970年代キ補佐官,帰米。
DIA-201-1973-01-16-1南ベトナム1973年01月16日1970年代ヘイグ米大統領特使,サイゴン着。プノンペン,ビエンチャン,バンコック訪問の後,20日,再度サイゴン訪問。21日帰国。
DIA-201-1973-01-18-1南ベトナム1973年01月18日1970年代第174回パリ会談。
DIA-201-1973-01-18-2南ベトナム1973年01月18日1970年代ホワイトハウス,23日パリ秘密交渉を再関すると発表。
DIA-201-1973-01-19-1南ベトナム1973年01月19日1970年代解放軍,サイゴン北北東55キロのビンズオン省チタム東方8キロの政府軍陣地を攻撃,政府軍は2個大隊1,000人を増派,政府軍の死傷・行方不明200人。解放軍死者320人。
DIA-201-1973-01-19-2南ベトナム1973年01月19日1970年代チュー大統領特命の軍事代表団(団長ビン・ロク少将)一行5人,パリに向け出発。
DIA-201-1973-01-20-1南ベトナム1973年01月20日1970年代解放軍,サイゴン北方60キロのビンズオン省チタム,サイゴン北西90キロのタイニン市チャンロン陸軍キャンプを砲撃,軍の燃料庫を炎上さす。政府軍1万人が1週間前からチタム北東のゴム園森林地帯で作戦中。同地には解放軍4個連隊6,000人がいるという。
DIA-201-1973-01-21-1南ベトナム1973年01月21日1970年代政府軍はサイゴン北北西80キロのタイニン省内で,解放側の輸送車を爆撃,21台を破壊,30合を損傷。
DIA-201-1973-01-21-2南ベトナム1973年01月21日1970年代解放放送は,19日サイゴン北方ビンズオン省ダウチェン方面の戦闘で捕虜となった政府軍兵士400人のうち,130人を22日ダウチェン南9キロで釈放すると発表。釈放されるのは政府軍第5師団第8,第9大隊の兵士130人。
DIA-201-1973-01-21-3南ベトナム1973年01月21日1970年代ラム外相,パリに向け出発。22日パリ着。
DIA-201-1973-01-21-4南ベトナム1973年01月21日1970年代ビン外相パリ帰任。
DIA-201-1973-01-23-1南ベトナム1973年01月23日1970年代(ワシントン)ニクソン大統領演説「23日キ補佐官とト顧間がパリで和平協定に仮調印した」「正式調印は27日,停戦発効はGMT28日午前0時,この日から60日以内にインドシナから米戦闘兵が撤兵する」
DIA-201-1973-01-23-2南ベトナム1973年01月23日1970年代(パリ)キ・ト会談。会談後半補佐官帰国。
DIA-201-1973-01-23-3南ベトナム1973年01月23日1970年代化導院長チェン・ホア師死亡。
DIA-201-1973-01-24-1南ベトナム1973年01月24日1970年代(ワシントン)ホワイトハウス,ベトナム和平協定と議定書を発表。キ補佐官,協定に対する米国の立場を説明。
DIA-201-1973-01-24-2南ベトナム1973年01月24日1970年代チュー大統領は和平協定仮調印を発表し,次のように述べた「停戦実施後南ベトナム政府は解放戦線側と会談を行なうことになろう」「南ベトナムには1つの政府,1つの軍隊しか存在しない。私は南ベトナム臨時革命政府なるものの存在を認めない」
DIA-201-1973-01-24-3南ベトナム1973年01月24日1970年代(パリ)ラム外相言明「昨年10月の暫定協定より前進しており,非武装地帯の確立や三派評議会の性格などで北側の主張は通らなかった,しかし北軍の存在については,彼らのいつわりの主張をのまされた」
DIA-201-1973-01-24-4南ベトナム1973年01月24日1970年代韓国,3月末までに派遣軍を撤退させることを決定。
DIA-201-1973-01-25-1南ベトナム1973年01月25日1970年代25日午前6時までの24時間に,解放勢力側の攻撃件数は112件を記録,特に戦闘が激しかったのはクアンチ市付近。
DIA-201-1973-01-25-2南ベトナム1973年01月25日1970年代(パリ)ビン外相言明「臨時革命政府とサイゴンとの間の政治的協議はできるだけ早く,来週にでも開始すべきである。今後解決すべき問題は,民主的自由の保障,政治犯の釈放,和解一致評議会設置,選挙の4つである。臨時革命政府は南ベトナム人民の正統な代表である」
DIA-201-1973-01-26-1南ベトナム1973年01月26日1970年代解放軍,サイゴン北東24キロのビェンホア基地に22発の砲撃,米兵1人死亡。解放勢力はブレーク空軍基地も砲撃。
DIA-201-1973-01-26-2南ベトナム1973年01月26日1970年代チュー大統領の報道官ホアン・ドク・ニャが最高責任者となって政治戦争最高指導委員会が発足。従来の情報省と心理作戦本部の一部が統合され,各省,郡,村までの末端組織が同時に設置され,省,郡,村のチームが責任者となる。
DIA-201-1973-01-26-3南ベトナム1973年01月26日1970年代政府・4者ならびに2者合同軍事委の政府首席代表にゴ・ズー中将を任命。米代表団長にはギルバート・H・ウッドワード在ベトナム米軍司令部参謀長が任命される。
DIA-201-1973-01-26-4南ベトナム1973年01月26日1970年代ピアストル平価,1ドル=465ピアストルから,1ドル=475ピアストルに切下げ。
DIA-201-1973-01-27-1南ベトナム1973年01月27日1970年代(パリ)ベトナム和平協定調印式(参考資料参照)。
DIA-201-1973-01-27-2南ベトナム1973年01月27日1970年代解放軍,サイゴン北西80キロのタイニン市を一時制圧,サイゴン南西74キロのカイライも制圧。
DIA-201-1973-01-28-1南ベトナム1973年01月28日1970年代米軍(2万3000人)撤退開始。
DIA-201-1973-01-28-2南ベトナム1973年01月28日1970年代政府軍海兵隊,クアベト基地を停戦発効直前奪回。ドンハ町は依然,解放勢力側の支配下にある。
DIA-201-1973-01-28-3南ベトナム1973年01月28日1970年代28日午前8時の停戦発効までの24時間に解放勢力は,タンソンニャト空港を含む158件の砲撃など,合計334件の砲撃を加えた。
DIA-201-1973-01-28-4南ベトナム1973年01月28日1970年代解放戦線と臨時革命政府は,停戦を厳粛に実施するよう解放軍兵士に共同アピール発表。
DIA-201-1973-01-28-5南ベトナム1973年01月28日1970年代4者合同軍事委の北ベトナム軍事代表19人と臨時革命政府代表1人がパリからハノイ経由で国際管理監視委専用機によりサイゴン入り。 続いて政府軍機によりパリからバンコク経由で,臨時革命政府9人,北代表3人がサイゴン入り。臨時革命政府代表は通関・入国手続を拒否。
DIA-201-1973-01-28-6南ベトナム1973年01月28日1970年代国際管理監視委のインドネシア代表団,ハンガリー,ポーランド代表がサイゴン入り。
DIA-201-1973-01-29-1南ベトナム1973年01月29日1970年代臨時革命政府外務省声明「協定発効後の28日午前9時,サイゴン政権は海兵隊にクアベト河口南方で侵食作戦を命令,軍事委代表団に入国手続を強制して会議への出席を妨害」
DIA-201-1973-01-29-2南ベトナム1973年01月29日1970年代政府軍司令部は,解放勢力側が28日正午から29日午前6時までの間に373件の停戦侵犯を行なぅたと非難。
DIA-201-1973-01-29-3南ベトナム1973年01月29日1970年代4者合同軍事委,タンソンニャトで初会合。政府軍からファン・ホア・ヒェプ准将,北からハ・バン・ロイ,臨時革命政府からダン・バン・ツのいずれも次席代表が出席。 臨時革命政府代表の一部は依然,機内に残留。
DIA-201-1973-01-29-4南ベトナム1973年01月29日1970年代国際管理監視委初会合。
DIA-201-1973-01-30-1南ベトナム1973年01月30日1970年代外務省発表,機内の臨時革命政府代表団に対して,入国手続を省略したまま飛行機から降りることを許可。
DIA-201-1973-01-30-2南ベトナム1973年01月30日1970年代アグニュー副大統領,サイゴン訪問。
DIA-201-1973-01-30-3南ベトナム1973年01月30日1970年代(ワシントン)ラム外相,ニクソン大統領と会談。
DIA-201-1973-01-31-1南ベトナム1973年01月31日1970年代国際管理監視委は4者合同軍事委との会合で,同軍事委に対し,①協定の尊重と停戦違反行為の停止,②国際監視への軍事委の協力の2点を要請した。
DIA-201-1973-02-01-1南ベトナム1973年02月01日1970年代クアベトの第4海兵大隊は数千発の猛砲撃を受けて100人以上の犠牲者を出し,先週末に引継いだ旧米海軍基地から撤退。
DIA-201-1973-02-01-2南ベトナム1973年02月01日1970年代4者合同軍事委の臨時革命政府首席代表チャン・バン・チャ中将以下28人が,ロクニンから米軍ヘリによりサイゴン入り。
DIA-201-1973-02-02-1南ベトナム1973年02月02日1970年代4者合同軍事委,タンソンニャトで初の正式会談。臨時革命政府のチャン・バン・チャ中将,南ベトナム政府のゴ・ズー中将,米ギルバート・ウッドワード少将,北ベトナムのクアン・ホア少将の各首席代表が出席。
DIA-201-1973-02-03-1南ベトナム1973年02月03日1970年代チュー大統領言明「6日までに解放戦線代表と会談するよう,ラム前パリ会談首席代表に指示」
DIA-201-1973-02-03-2南ベトナム1973年02月03日1970年代国際管理監視委,7つの地域監視チームを5日派遣することを決定。
DIA-201-1973-02-03-3南ベトナム1973年02月03日1970年代4者合同軍事委の捕虜問題小委が初会合。
DIA-201-1973-02-03-4南ベトナム1973年02月03日1970年代米国務省発表,米軍撤退後,ジョン・マレー少将を米大使館武官に任命,現在はウェイアンド司令官が兼任。
DIA-201-1973-02-04-1南ベトナム1973年02月04日1970年代4者会同軍事委と国際管理監視委の各首席代表による初の正式合同会議が,サイゴン市内の国際監視委カナダ代表部公邸で開催。
DIA-201-1973-02-05-1南ベトナム1973年02月05日1970年代(パリ)臨時革命政府と南ベトナム政府の第1回予備協議。臨時革命政府からディン・バ・チ次席代表,南ベトナム政府からグエン・フォン・チェプ次席代表代理が出席。6日第2回会議。8日の南ベトナム政府発表によれば,両者は,協議の場所をサイゴンとすること,両者の代表を高いレベルで選ばれる全権委員とすることで合意。
DIA-201-1973-02-05-2南ベトナム1973年02月05日1970年代国際監視チーム,ユエ,ダナン,ブレーク,ファンチェト,ビエンホア,ミト,カントの7カ所に派遣さる。それぞれ地域活動本部を開設。
DIA-201-1973-02-06-1南ベトナム1973年02月06日1970年代外務省発表,今月26日開かれる国際会議の場所をパリとすることに同意。米国と北ベトナムもこれを発表。
DIA-201-1973-02-06-2南ベトナム1973年02月06日1970年代4者合同軍事委,ユエ,ダナン,ブレーク,ファンチェト,ビエンホア,ミト,カントの7カ所に地域本部を開設。ユエからクアンチに向かった監視チームはクアンチ市の手前10キロで解放勢力側の砲撃に阻止された。
DIA-201-1973-02-07-1南ベトナム1973年02月07日1970年代政府は停戦以来3,000人の解放戦線捕虜をすでに釈放。
DIA-201-1973-02-08-1南ベトナム1973年02月08日1970年代タンソンニャト空軍基地で,北ベトナム,臨時革命政府代表から取材しようとした記者団23人が,政府軍憲兵隊に一時逮捕さる。
DIA-201-1973-02-08-2南ベトナム1973年02月08日1970年代18日のハノイ放送によると,1月28日から2月8日の間に,政府軍第21師団の兵士1,000人以上が脱走して故郷に帰った。
DIA-201-1973-02-09-1南ベトナム1973年02月09日1970年代バンメトートで4者合同軍事委の監視チームが南ベトナム人の一団に投石さる。ユエでも同委の北ベトナム代表団本部に対する住民のデモ行為。
DIA-201-1973-02-10-1南ベトナム1973年02月10日1970年代最後の米戦闘機部隊である第11戦闘航空団がダナンで解団式。
DIA-201-1973-02-10-2南ベトナム1973年02月10日1970年代キ補佐官,ビエンチャンからハノイ入り。
DIA-201-1973-02-11-1南ベトナム1973年02月11日1970年代ブレークの住民数干人が,同市の4者合同軍事委の建物に投石。
DIA-201-1973-02-11-2南ベトナム1973年02月11日1970年代4者合同軍事委の北ベトナム首席代表レ・クアン・ホア少将は,ブレークとバンメトートで起きた北団員に対する投石事件について,南ベトナム政府および米国を非難し,軍事委の活動を一時停止すると言明。
DIA-201-1973-02-11-3南ベトナム1973年02月11日1970年代4者合同軍事委の南ベトナム政府首席代表ゴ・ズー中将が解任され,新たに前空挺師団司令官ド・クオック・ドン中将が任命さる。
DIA-201-1973-02-12-1南ベトナム1973年02月12日1970年代ハノイで米軍捕虜の第一陣116人が釈放され,フィリビンのクラーク空軍基地に到着。臨時革命政府からも米軍捕虜27人がロクニンで釈放され,南政府軍捕虜81人もロクニンからビエンホアに向かった。政府側に抑留されていた共産側捕虜の釈放も半日以上もたったあげく,予定の1割250人が釈放予定地のクアンチ,ロクニンに送られた。 13日もロクニンでの釈放が続けられ,政府軍側は375人,解放勢力側は491人の捕虜を釈放。しかし,クアンチ,ブレークでの釈放はまだ実現していない。
DIA-201-1973-02-12-2南ベトナム1973年02月12日1970年代(パリ)臨時革命政府スポークスマンは記者会見で米・サイゴンの協定違反を非難した。①サイゴン軍による停戦違反,②サイゴン政府のテロ・弾圧政策,③サイゴン政府は政治犯釈放を遅らせ,政治解決を妨げている,④サイゴン政府は4者合同軍事委の臨時革命政府・北ベトナム代表団の活動を妨げている,⑤米国は協定に違反して,軍事基地の解体を拒否し,サイゴン軍にそのまま移管しようとしている。
DIA-201-1973-02-12-3南ベトナム1973年02月12日1970年代(東京)バオダイ帝は東京で記者会見し,帰国して第3勢力を指導したいと言明。
DIA-201-1973-02-15-1南ベトナム1973年02月15日1970年代外務省は抑留民間人の釈放,戦争資材の取替えの2つの問題で,革命政府側がパリ協定に違反していると非難する声明を発表。同声明によると,政府側に抑留されている民間人は5,081人,共産側に抑留されている民間人は4万8622人。戦争資材の取替えについては,南ベトナム内へこれら資材を搬入する地点6カ所を明示しなければならないのに,革命政府側がそれを怠っているというもの。
DIA-201-1973-02-15-2南ベトナム1973年02月15日1970年代臨時革命政府次席代表は,14日夜,タンソンニャトの宿舎に催涙ガスがまかれたことについて,サイゴン当局に抗議。
DIA-201-1973-02-16-1南ベトナム1973年02月16日1970年代4者合同軍事委,両当事者に対して戦闘行為を即時に停止し,「停戦と合同軍事委に関する付属議定書」の第4条にもとづき,各現地部隊指揮官はできるだけ早く話し合いを始めるよう指示することを決定。
DIA-201-1973-02-16-2南ベトナム1973年02月16日1970年代ビエンホアの4者合同軍事委地域監視所に,北からのカトリック系難民数千人がデモ。
DIA-201-1973-02-16-3南ベトナム1973年02月16日1970年代アンロク付近で米軍ヘリが撃墜さる。
DIA-201-1973-02-16-4南ベトナム1973年02月16日1970年代(パリ)南ベトナム政府と臨時革命政府の第5回予備協議。
DIA-201-1973-02-16-5南ベトナム1973年02月16日1970年代政府は12日以来合計3,114人の共産側捕虜を釈放したと発表。
DIA-201-1973-02-17-1南ベトナム1973年02月17日1970年代チュー大統領は,上下両院議員,政党指導者,宗教・職能団体代表,地方議会幹部など3百数十人を招いて「平和擁護と自決権実現のための人民戦線」を結成するとの構想を発表。ミン派とキ派はこの集会に招かれず。
DIA-201-1973-02-17-2南ベトナム1973年02月17日1970年代4者合同軍事委,両当事者最高司令部に即時戦闘停止の緊急アピール。
DIA-201-1973-02-18-1南ベトナム1973年02月18日1970年代日本の法眼外務事務次官,サイゴン着。
DIA-201-1973-02-19-1南ベトナム1973年02月19日1970年代国際管理監視委のゴーバン仮議長は「21日から14地点に監視チーム派遣」と発表。
DIA-201-1973-02-19-2南ベトナム1973年02月19日1970年代4者合同軍事委は武器交換の場所について協議し,臨時革命政府の提案したクアンチ省ジオリン,ブレーク省ダクコ,タイニン省サマットの3カ所を了承した。これで和平協定第7条にもとづく交換場所6カ所が確定。
DIA-201-1973-02-19-3南ベトナム1973年02月19日1970年代政府,織物製品の輸入を一時全面的に停止。
DIA-201-1973-02-20-1南ベトナム1973年02月20日1970年代(パリ)南ベトナム政府と臨時革命政府両代表による第6回予備協議。
DIA-201-1973-02-22-1南ベトナム1973年02月22日1970年代チュー大統領は全国の省,市会議員,村長,上下両院議員,宗教,政党指導者ら3,000人を招き,今後の政治闘争に対する方針を説明,「短期に政治解決を達成せねばならぬ」,「平和闘争と民族自決権実施のための人民戦線が23日発会し,この戦線が民族和解一致全国評議会のメンバーを推薦する」と発表。
DIA-201-1973-02-23-1南ベトナム1973年02月23日1970年代(パリ)ラム・ビン両外相会談,3月上旬両政府の本格協議をパリで開くことで合意。
DIA-201-1973-02-23-2南ベトナム1973年02月23日1970年代「平和擁護・自決権確立人民戦線」結成さる。
DIA-201-1973-02-25-1南ベトナム1973年02月25日1970年代ユエ,ダナンでの反共集会に参加した群集が,両地の4者合同軍事委の北ベトナム代表団宿舎に乱入。
DIA-201-1973-02-25-2南ベトナム1973年02月25日1970年代統一仏教会会長チン・キエト師死去。
DIA-201-1973-02-26-1南ベトナム1973年02月26日1970年代(パリ)ベトナム和平保障国際会議開幕-参加メンバーは米,北ベトナム,南ベトナム,臨時革命政府の4当事者,54年ジュネーブ会議出席の中国,ソ連,英,仏,国際管理監視委のカナダ,ポーランド,ハンガリー,インドネシア,その他ワルトハイム国連事務総長の計13代表。
DIA-201-1973-02-26-2南ベトナム1973年02月26日1970年代ドン・バン・ミン将軍はチュー大統領とパリ国際会議参加各国代表に公開状を発表し,「平和勢力としての第3勢力の存在を認めること」「政治犯の即時釈放」を要求。
DIA-201-1973-02-27-1南ベトナム1973年02月27日1970年代4者合同軍事委の北ベトナム代表団,米捕虜釈放中止と言明。米軍捕虜釈放の条件として①停戦の厳密な実施,②軍人および民間人捕虜の同時返還,③4者合同軍事委の活動条件改善の保障,を指摘。
DIA-201-1973-02-27-2南ベトナム1973年02月27日1970年代ホワイトハウス,北の米捕虜釈放中止を非難する声明発表。
DIA-201-1973-02-27-3南ベトナム1973年02月27日1970年代国際管理監視委は初代事務総長にインドネシアのエフェンディ・スル氏を選出。
DIA-201-1973-02-28-1南ベトナム1973年02月28日1970年代米軍,撤兵を一時中止,残留米軍は1万2000人。
DIA-201-1973-02-28-2南ベトナム1973年02月28日1970年代(パリ)北ベトナム代表団言明「米捕虜釈放停止は,臨時革命政府・北ベトナムの合同軍事委メンバーに対して南ベトナム側の挑発・暴行が統発したため」「国際会議は,参加代表の努力によって米・北双方の残る対立点は少なくなっている」
DIA-201-1973-02-28-3南ベトナム1973年02月28日1970年代(パリ)米,北ベトナム,南ベトナム,臨時革命政府の4外相,捕虜問題解決の緊急会談。
DIA-201-1973-02-28-4南ベトナム1973年02月28日1970年代(パリ)米,北ベトナム外相会談で,北ベトナムは米国に対し①北ベトナムは米軍捕虜を60日以内に釈放するという和平協定の約束を完全に実行する,②第2次釈放の細目については,4者合同軍事委で直ちに協議を開始すると通告。しかしニクソン大統領はロジャーズ長官に対し,北側が釈放捕虜のリスト,時期を明確にするまでパリ国際会議ボイコットを続行するよう指示した。
DIA-201-1973-03-01-1南ベトナム1973年03月01日1970年代4者合同軍事委,ハノイで108人,南で34人の第2次米人捕虜釈放が数日内に行なわれることを決定。
DIA-201-1973-03-01-2南ベトナム1973年03月01日1970年代北ベトナム,ダナン・ユエから4者合同軍事委代表を引揚げ。
DIA-201-1973-03-01-3南ベトナム1973年03月01日1970年代ダナン,ニャチャン,ビエンホア,カントに米総領事館新設,その下に平定計画担当の省チーム設置。
DIA-201-1973-03-02-1南ベトナム1973年03月02日1970年代(パリ)ベトナム和平保障国際会議,参加国代表が「パリ決議」に調印(参考資料参照)。
DIA-201-1973-03-02-2南ベトナム1973年03月02日1970年代(解放通信)米・サイゴン政府当局は,北ベトナム・臨時革命政府代表団宿舎の修復,暴行事件に関係した暴力団の処罰などを約束。
DIA-201-1973-03-02-3南ベトナム1973年03月02日1970年代南ベトナム政府,このほどコンソン島刑務所から政治犯124人を釈放。政治犯の大部分は1月16日ビエンホアに運ばれ,数日後釈放された。
DIA-201-1973-03-03-1南ベトナム1973年03月03日1970年代(VNA通信)過去数日間サイゴン政府は数千人の囚人をシャム湾公海上に運び大量虐殺。
DIA-201-1973-03-04-1南ベトナム1973年03月04日1970年代米軍撤退作業,4日ぶりに再開。
DIA-201-1973-03-05-1南ベトナム1973年03月05日1970年代4者合同軍事委,北ベトナム,臨時革命政府代表団,南がさきに第2次捕虜釈放分として発表した1万人を3,000人に,さらに2,000人に減らしたことに抗議して退席。
DIA-201-1973-03-06-1南ベトナム1973年03月06日1970年代政府発表「共産主義犯罪者は共産側へ引渡す」 同政府は抑留中の解放戦線分子や中立主義者を政治犯とは呼ばず,一般犯罪者と同列に取扱ってきた。
DIA-201-1973-03-07-1南ベトナム1973年03月07日1970年代4者合同軍事委,捕虜釈放再開で合意,政府側は6,300人の第2次釈放案(第1次は7,000人)を提示,臨時革命政府も1,200人の釈放に応じた。8日から実施。
DIA-201-1973-03-08-1南ベトナム1973年03月08日1970年代(パリ)臨時革命政府・南ベトナム政府間の準備協議。19日から本格協議。
DIA-201-1973-03-11-1南ベトナム1973年03月11日1970年代サイゴンの米軍司令部は「北ベトナムがケサンの地対空ミサイルを撤去したことが8日確認された」と発表。
DIA-201-1973-03-12-1南ベトナム1973年03月12日1970年代サイゴンの米軍発表,北ベトナム・臨時革命政府が14・15の両日に予定されている米軍捕虜を釈放し,その次の最終釈放予定者の名簿を用意するまでは米軍撤退を中止。
DIA-201-1973-03-12-2南ベトナム1973年03月12日1970年代(ワシントン)米国防総省報道官言明「3万の北ベトナム軍,250合の戦車,地対空ミサイルなどが,ホールートと非武装地帯をぬけて南下」
DIA-201-1973-03-13-1南ベトナム1973年03月13日1970年代(パリ)臨時革命政府スポークスマン声明発表,「本格協議ではヒュー代表によってサイゴン政権の和平協定侵犯問題が取上げられるだろう。革命政府と北ベトナムは協定通り米軍と同盟との捕虜を釈放しているのに,サイゴン政権は今日まで1人の政治犯も釈放していない」
DIA-201-1973-03-14-1南ベトナム1973年03月14日1970年代南ベトナム当事者間の第3次捕虜釈放第1日,サイゴン側はクアンチ市のタフハン川で解放勢力捕虜600人を釈放。
DIA-201-1973-03-14-2南ベトナム1973年03月14日1970年代サイゴンの米軍司令部は14日,北ベトナムが108人の米捕虜を釈放したのに対応して,南ベトナムからの米軍撤退を再開。
DIA-201-1973-03-14-3南ベトナム1973年03月14日1970年代韓国軍撤退事実上完了,残務整理に残った100人も27日頃引揚げの予定。
DIA-201-1973-03-15-1南ベトナム1973年03月15日1970年代(ワシントン)ニクソン大統領言明「米国は南ベトナムに流入しつつある兵器・装備の量に関心をいだいている」「北ベトナムは過去4年間の私の行動に照らしてこの懸念の表明を軽く見過ごすべきではない」
DIA-201-1973-03-16-1南ベトナム1973年03月16日1970年代政治協議出席のため南ベトナム政府のグエン・ルー・ビエン副首相一行がパリ到着。
DIA-201-1973-03-16-2南ベトナム1973年03月16日1970年代政治協議の臨時革命政府代表グエン・バン・ヒュー国務相,パリ到着。
DIA-201-1973-03-16-3南ベトナム1973年03月16日1970年代ビン外相はパリ会談首席代表の任務を終えパリを発った。
DIA-201-1973-03-19-1南ベトナム1973年03月19日1970年代(パリ)南ベトナム政府と臨時革命政府協議開始。
DIA-201-1973-03-21-1南ベトナム1973年03月21日1970年代政府軍2,000人(連隊規模),11日以来解放勢力に包囲されているサイゴン北方35キロのビンズオン省ラチバプの民兵陣地に対し救出作戦開始。同陣地北方数キロのトンレチャン陣地も解放勢力の支配下にある。
DIA-201-1973-03-21-2南ベトナム1973年03月21日1970年代バンカー米大使とウッドワード米4者合同軍事委首席代表は,キエム首相に,4者合同軍事委の期間(協定発効後60日)を45日間延長するよう提案。
DIA-201-1973-03-22-1南ベトナム1973年03月22日1970年代4者合同軍事委のチャ臨時革命政府首席代表,米捕虜の釈放を一時中断と発表。米側がラオスを含むインドシナ全域の米人捕虜の名簿を要求し,その第一陣が現実に釈放されるまで米軍撤退を中止すると通告してきたため。 米国は北ベトナムと臨時革命政府に対し,残りの米人捕虜全員の釈放準備が整い,その第一陣が釈教されるまで米軍を撤退させない方針を通告。
DIA-201-1973-03-22-2南ベトナム1973年03月22日1970年代政府軍,4者合同軍事委の存続提案を拒否と発表。
DIA-201-1973-03-22-3南ベトナム1973年03月22日1970年代(パリ)ヒュー代表ビエン代表の第2回政治協議。
DIA-201-1973-03-23-1南ベトナム1973年03月23日1970年代4者合同軍事委,米代表は北ベトナムによる南ベトナム内の対空ミサイル基地再建を確認する証拠を握ったと言明。
DIA-201-1973-03-23-2南ベトナム1973年03月23日1970年代ハンガリーとポーランドの代表団。デルタのチトンとサイゴン北方のベンカトに駐留している停戦監視団から,安全が脅かされているという理由で,団員を引揚げ。
DIA-201-1973-03-24-1南ベトナム1973年03月24日1970年代4者合同軍事委で臨時革命政府側は,①米軍・同盟軍の撤退は26日に始め28日に完了させる,②4者合同軍事委の米代表団の撤退も29日午前8時から始めるべきである,③米大使館付き海兵隊,護衛兵159人は撤退すべきであるとの3条件を出した。
DIA-201-1973-03-24-2南ベトナム1973年03月24日1970年代4者合同軍事委のレ・クアン・ホア北ベトナム代表団首席代表は,北ベトナムは28日の期限切れまでに最後の米人捕虜を釈放すると発表。
DIA-201-1973-03-25-1南ベトナム1973年03月25日1970年代(ワシントン)ニクソン大統領,インドシナ全域の米軍捕虜がすべて釈放されるまで米軍がベトナムに駐留するよう命令。駐留米軍は現在6,200人。
DIA-201-1973-03-26-1南ベトナム1973年03月26日1970年代4者合同軍事委の北ベトナム代表は「ラオスの米人捕虜釈放はパテトラオの権限であり,われわれは関与しない。米軍撤退の延期は重大な協定違反だ」と声明発表。
DIA-201-1973-03-26-2南ベトナム1973年03月26日1970年代チュー大統領,国会に大赦法案を提出,それによれば,55年10月26日以来の受刑者は,親共活動容疑者を除いて恩赦をうける。
DIA-201-1973-03-26-3南ベトナム1973年03月26日1970年代チュオン・ディン・ズ氏,チイホア刑務所から5年ぶりに釈放さる。
DIA-201-1973-03-26-4南ベトナム1973年03月26日1970年代(パリ)臨時革命政府代表と南ベトナム政府代表の第3回政治協議。
DIA-201-1973-03-28-1南ベトナム1973年03月28日1970年代4者合同軍事委,最後の首席代表会議。北ベトナム,臨時革命政府代表団は同委の任務完了を宣言。
DIA-201-1973-03-28-2南ベトナム1973年03月28日1970年代民主党全国大会,チュー大統領を議長に,キエム首相,グエン・バン・カン下院議長らを中央執行委員に,チャン・ミン・ツン保健相を書記長に選出。
DIA-201-1973-03-28-3南ベトナム1973年03月28日1970年代政治活動に関する大統領会発効,群小17政党はサイゴン政権による承認を取り消された。
DIA-201-1973-03-29-1南ベトナム1973年03月29日1970年代ベトナム駐留米軍の最終部隊2,500人が出国,米援助軍司令部(MACV)解散。
DIA-201-1973-03-29-2南ベトナム1973年03月29日1970年代(ワシントン)ニクソン大統領,「12年ぶりにベトナムがら1人残らず米軍兵士が姿を消す」「北ベトナム指導者は協定無視が引起す結果について疑念をもってはならない」と演説。
DIA-201-1973-03-29-3南ベトナム1973年03月29日1970年代2者合同軍事委発足,臨時革命政府首席代表チャン・バン・チャ中将,南ベトナム政府首席代表ファム・コク・トアン中将前ツードク歩兵士官学校長)。
DIA-201-1973-03-30-1南ベトナム1973年03月30日1970年代(ワシントン)ニクソン大統領は,バンカー駐南ベトナム大使の辞任を受理し,後任に前駐イタリア大使のグラハム・A・マーチン氏を指名。
DIA-201-1973-03-30-2南ベトナム1973年03月30日1970年代解放軍,トンレチャンに1,300発以上の砲撃。
DIA-201-1973-03-30-3南ベトナム1973年03月30日1970年代(パリ)第4回政治協議。会議に先立ちヒュー代表は「南ベトナムには民間人に変装した1万から2万の米軍事顧間団がいる。彼らの存在は政治協議の進展を妨げている。」「基本的問題が解決されぬ限りサイゴン政府との政治問題解決の具体的日程の話し合いに入っても意味がない」と言明。
DIA-201-1973-03-30-4南ベトナム1973年03月30日1970年代農村開発相にNg.van Ngai上院議員任命さる。
DIA-201-1973-03-30-5南ベトナム1973年03月30日1970年代土地改革および農・漁・畜産開発省,農業開発省に改称。
DIA-201-1973-03-31-1南ベトナム1973年03月31日1970年代チュー大統領,米へ出発。
DIA-201-1973-03-31-2南ベトナム1973年03月31日1970年代臨時革命政府のチャン・バン・チャ代表は,4者合同軍事委終了にあたって声明を発表し,「米国の支援をうけたサイゴン政府の停戦違反に対して,われわれは善意の忍耐を示して命たが,われわれの自己抑制にも限度がある。われわれは解放区に対するすべての軍事攻撃に反撃する権利を保有する」と言明。
DIA-201-1973-04-01-1南ベトナム1973年04月01日1970年代解放軍,トンレチャン基地のサイゴン軍を攻撃。
DIA-201-1973-04-02-1南ベトナム1973年04月02日1970年代(サンクレメンテ)ニクソン・チュー会談-3日も続行,共同声明発表。
DIA-201-1973-04-02-2南ベトナム1973年04月02日1970年代政府発表,解放勢力がトンレチャン基地に対する攻撃を中止するまで2者合同軍事委をボイコット。
DIA-201-1973-04-02-3南ベトナム1973年04月02日1970年代(ニューヨーク)臨時革命政府は国連駐在オブザーバーとしてグェン・バン・チェン氏を任命し,ワルトハイム国連事務総長に通告したが,米国連大使は同総長に対しこれに反対の意を伝えた。
DIA-201-1973-04-05-1南ベトナム1973年04月05日1970年代(ワシントン)チュー大統領はナショナル・プレスクラブで演脱し「南ベトナムは米軍に対し南ベトナムを守るために再び来てほしいと頼むことは今後絶対にしない。共産側が総力をあげて攻勢をかけてきても自力で防衛できる」と言明。
DIA-201-1973-04-05-2南ベトナム1973年04月05日1970年代国際管理監視委カナダ,インドネシア両代表団のホング地区監視要員が,解放勢力の砲撃を受け同地区から撤退。
DIA-201-1973-04-07-1南ベトナム1973年04月07日1970年代国際管理監視委ヘリ,クアンチ省北西ラオバオ上空で撃墜さる。同委要員4人,米国人乗員3人,解放戦線将校2人が死亡。
DIA-201-1973-04-07-2南ベトナム1973年04月07日1970年代ヘイグ大将(陸軍参謀次長),バンコックに向けワシントンを出発,インドシナ情勢の全般的評価を行なうため。10日,サイゴン訪問。
DIA-201-1973-04-09-1南ベトナム1973年04月09日1970年代カント南西56キロで,2者合同軍事委ヘリが銃撃され,不時着。
DIA-201-1973-04-09-2南ベトナム1973年04月09日1970年代解放軍,コンツム市北7キロのエオジオで政府軍捕虜23人を前触れなしに釈放。
DIA-201-1973-04-12-1南ベトナム1973年04月12日1970年代(パリ)第6回政治協議。
DIA-201-1973-04-13-1南ベトナム1973年04月13日1970年代南ベトナム政府,フランスとの対外関係再開c大使交換を発表―両国関係は64年断絶,双方に総領事館がおかれていた。
DIA-201-1973-04-13-2南ベトナム1973年04月13日1970年代解放勢力,全土で攻勢171件。ユエ市周辺の政府軍歩兵部隊,ボンソン近くの政府軍特殊部隊など攻撃さる。政府軍死者43人,負傷者145人。
DIA-201-1973-04-14-1南ベトナム1973年04月14日1970年代チュー大統領は米,伊,韓国,台湾などの訪問を終え帰国。
DIA-201-1973-04-14-2南ベトナム1973年04月14日1970年代2者合同軍事委捕虜問題小委の臨時革命政府軍事代表グエン・ゴク・ブン女史は記者会見で,捕虜や政治犯への虐待が続いていると発表。
DIA-201-1973-04-17-1南ベトナム1973年04月17日1970年代Mai Tho Truyen文化相,病死。
DIA-201-1973-04-20-1南ベトナム1973年04月20日1970年代2者合同軍事委,臨時革命政府,民間人抑留者637人のリストを掲示,26日から釈放することを提案。
DIA-201-1973-04-21-1南ベトナム1973年04月21日1970年代政府,Tin Nghia銀行閉鎖。
DIA-201-1973-04-24-1南ベトナム1973年04月24日1970年代2者合同軍事委,南ベトナム政府代表団,民間人捕虜750人(共産主義犯罪人)の釈放を提案。
DIA-201-1973-04-25-1南ベトナム1973年04月25日1970年代ラム外相発表,総選挙(8月26日)計画を臨時革命政府側に提案。
DIA-201-1973-04-27-1南ベトナム1973年04月27日1970年代ピアストル平価,1ドル=485ピアストルに切下げ。
DIA-201-1973-04-28-1南ベトナム1973年04月28日1970年代両政府間の民間人捕虜釈放がロクニンで始まる。
DIA-201-1973-04-28-2南ベトナム1973年04月28日1970年代チャン・バン・チャ中将,クアンチ省解放区で同省解放軍および革命委員会幹部と会談。パリ協定の順守と支配地区に対する敵の攻撃に反撃することを確認。5月1日クアンチ解放1周年記念式典出席。
DIA-201-1973-05-02-1南ベトナム1973年05月02日1970年代Pham Hoang Ho教授,ベトナムの魚,えびはもはや毒物を含まぬと言明。
DIA-201-1973-05-03-1南ベトナム1973年05月03日1970年代バンカー大使,ハノイが軍事圧力を強めるなら北ベトナム向け再建資金は削られると警告。
DIA-201-1973-05-03-2南ベトナム1973年05月03日1970年代国道4号カイライ南西6キロで激戦,解放勢力死59,政府軍死26,傷50。
DIA-201-1973-05-05-1南ベトナム1973年05月05日1970年代政府筋言明,数日前から政府軍がブレーク省ドクコ局辺に集結。
DIA-201-1973-05-06-1南ベトナム1973年05月06日1970年代クアンチ省とゴコン省で,政府側支配下での村議会選挙。
DIA-201-1973-05-11-1南ベトナム1973年05月11日1970年代バンカー大使,ベトナムを離れる。
DIA-201-1973-05-11-2南ベトナム1973年05月11日1970年代2者合同軍事委の臨時革命政府代表,①双方の軍隊に対する停戦命令,②双方の軍隊の停戦直前の位置への撤退,③停戦モデル地区設置など5項目の提案。
DIA-201-1973-05-12-1南ベトナム1973年05月12日1970年代臨時革命政府,2者合同軍事委代表団長に副団長のホアン・アン・トアン少将を昇格さす。
DIA-201-1973-05-12-2南ベトナム1973年05月12日1970年代2者合同軍事委の臨時革命政府代表団スポークスマン言明。「4月以来米国のB52や戦闘爆撃機は解放区を偵察・爆撃している」
DIA-201-1973-05-15-1南ベトナム1973年05月15日1970年代ダナン南64キロ省都Tam Kyの映画館で爆発事件,市民・民兵18人死亡。
DIA-201-1973-05-16-1南ベトナム1973年05月16日1970年代内務省令,26政党解散-民主党,自由党,社会民主連盟のみ認可。政党法によれば,44省6都市以上と各省各都市の4分の1以上の村・区で支部を持つこと,各地方支部は地域の有権者数の5%以上のメンバーをもつこと,各党は下院議席の20%以上を占めねばならぬ。
DIA-201-1973-05-17-1南ベトナム1973年05月17日1970年代(パリ)キ・ト会談開幕,23日まで6回会談。
DIA-201-1973-05-19-1南ベトナム1973年05月19日1970年代ピアストル平価,1ドル=500ピアストルに切下げ。
DIA-201-1973-05-20-1南ベトナム1973年05月20日1970年代チュー大統領,経済再建8カ年計画(1973~80年)とこれにともなう行政改革の方針を発表。
DIA-201-1973-05-22-1南ベトナム1973年05月22日1970年代2者合同軍事委で,政府側7項目の停戦提案。
DIA-201-1973-05-23-1南ベトナム1973年05月23日1970年代サリバン米国務次官補,パリからサイゴンに到着。
DIA-201-1973-05-28-1南ベトナム1973年05月28日1970年代(東京)二階堂官房長官,臨時革命政府のハー・タイン・ラム駐チリ大使,ホン・ハー教授,北ベトナムのグエン・チャン化学総局長,ブイ・ヴァン・タイン通訳の4人の入国を了承。臨時革命政府側の2人は北ベトナムの旅券を使用する。
DIA-201-1973-05-29-1南ベトナム1973年05月29日1970年代(ワシントン)キ補佐官発表,ベトナム和平協定の順守について北ベトナムとの間に新しい了解が成立。
DIA-201-1973-05-29-2南ベトナム1973年05月29日1970年代政府,日本政府が入国許可を決めた臨時革命政府要人2人が政府代表の待遇を受けるならば,日本に対し経済的報復措置をとる旨警告。
DIA-201-1973-05-30-1南ベトナム1973年05月30日1970年代カント火力発電所建設定礎式。
DIA-201-1973-05-31-1南ベトナム1973年05月31日1970年代首相管轄下に観光庁設置。
DIA-201-1973-05-31-2南ベトナム1973年05月31日1970年代国際管理監視委,「北ベトナム正規軍の南浸透はパリ協定違反」とのカナダとインドネシアの報告をめぐって意見対立,本会議の開催を無期延期。
DIA-201-1973-06-01-1南ベトナム1973年06月01日1970年代サイゴン北東20キロのロンビン弾薬集積場で爆発。
DIA-201-1973-06-03-1南ベトナム1973年06月03日1970年代政府軍ヘリ,サイゴン北西90キロのタイニンの北でソ連製熱線追跡ミサイルに撃墜さる。
DIA-201-1973-06-03-2南ベトナム1973年06月03日1970年代サイゴン南西80キロ国道4号Cai Lay,Cai Beで戦闘。
DIA-201-1973-06-03-3南ベトナム1973年06月03日1970年代王若傑臨時革命政府駐在中国大使,ト議長に信任状提出。
DIA-201-1973-06-04-1南ベトナム1973年06月04日1970年代ソ連当局発表,ビルマ駐在大使アレクセイ・エリザベチン氏が臨時革命政府駐在大使兼任。
DIA-201-1973-06-05-1南ベトナム1973年06月05日1970年代クアンチ省解放区で臨時革命政府成立4周年祝賀集会―各界の人民代表7,000人が出席。北ベトナム国会議員団も参加。主催はクアンチ省人民革命委。グエン・フー・ト議長があいさつ。
DIA-201-1973-06-06-1南ベトナム1973年06月06日1970年代6日~7日,臨時革命政府,ファト首相の司会で会議開催,ファト首相が政治報告,チャン・バン・チャ中将が軍事報告。
DIA-201-1973-06-06-2南ベトナム1973年06月06日1970年代ビン外相,解放区での記者会見で言明「3日と4日に8カ国の大使が信任状提出」「米国政府とサイゴン政権の違反行為には断固たる態度をとる」
DIA-201-1973-06-06-3南ベトナム1973年06月06日1970年代(パリ)キ・ト会談。10日キ補佐官,一時帰米,12日再びパリへ。
DIA-201-1973-06-13-1南ベトナム1973年06月13日1970年代(パリ)キ・ト会談,14項目に合意。キ補佐官,ト政治局員,ビエン副首相,ヒュー国務相の4者,共同声明に調印(参考資料参照)。
DIA-201-1973-06-15-1南ベトナム1973年06月15日1970年代Jean Marie Merillon仏大使,サイゴン到着。7月3日信任状提出。
DIA-201-1973-06-16-1南ベトナム1973年06月16日1970年代ゴク経済相,ワシントンに向けサイゴンを出発 新開発計画への米国の支援を要請。
DIA-201-1973-06-17-1南ベトナム1973年06月17日1970年代2者合同軍事委で,政府は,臨時革命政府側が要求しているロクニンとサイゴン間の定期補給便を再関することで同意。
DIA-201-1973-06-18-1南ベトナム1973年06月18日1970年代国会,チュー大統領が修正した上院選挙法案を可決,11日公布。
DIA-201-1973-06-23-1南ベトナム1973年06月23日1970年代2者軍事委の軍事問題小委,停戦違反調査のための手続きおよび移動チーム結成について合意。
DIA-201-1973-06-28-1南ベトナム1973年06月28日1970年代コンツム市周辺で戦闘激化。解放勢力,政府軍レンジャー部隊基地を攻撃。政府側は23日,コンツム市西のツン・ニア村を20日までに明渡すよう最後通告していた。
DIA-201-1973-06-30-1南ベトナム1973年06月30日1970年代北ベトナム軍の浸透問題で1カ月間中断していた国際管理監視委が再開。
DIA-201-1973-06-30-2南ベトナム1973年06月30日1970年代仏政府のインドシナ特派大使Missoffe氏,サイゴン着。
DIA-201-1973-07-02-1南ベトナム1973年07月02日1970年代外務省声明「政府側刑務所の収容人員は3万5000人でしかない。一方共産側は1954年来,6万8621人の民間人を捕えたが,現在までに637人しか釈放するといっていない。」
DIA-201-1973-07-03-1南ベトナム1973年07月03日1970年代2者合同軍事委臨時革命政府要員8人,ユエ・ダナンに再配置。同委員は2月末ユエなどでおきたデモのため地方本部から引揚げていた。
DIA-201-1973-07-06-1南ベトナム1973年07月06日1970年代セネガル共和国,臨時革命政府と大使級国交樹立を発表。
DIA-201-1973-07-11-1南ベトナム1973年07月11日1970年代ラム外相が上院選出馬のため辞任したのにともない,外相代行にグエン・フー・ドク外交担当大統領顧問を任命。
DIA-201-1973-07-18-1南ベトナム1973年07月18日1970年代(パリ)第17回政治協議。
DIA-201-1973-07-19-1南ベトナム1973年07月19日1970年代国際管理監視委カナダ首席代表,帰国。
DIA-201-1973-07-19-2南ベトナム1973年07月19日1970年代(北京)中国・臨時革命政府,73年度無償緊急追加経済供与協定調印。
DIA-201-1973-07-20-1南ベトナム1973年07月20日1970年代Graham A.Martin新米大使,チュー大統領に信任状提出。
DIA-201-1973-07-20-2南ベトナム1973年07月20日1970年代政府,南北両ベトナムの分離国連加盟を提案。現在国連には南ベトナム政府だけがオブザーバーとして参加している。
DIA-201-1973-07-23-1南ベトナム1973年07月23日1970年代政府,2カ月半ぶりに民間人捕虜釈放再開。
DIA-201-1973-07-24-1南ベトナム1973年07月24日1970年代解放区駐在モンゴル大使と臨時革命政府の間で緊急無償経済援助協定詞印。同時にモンゴルから物資2,400トンがクアンチに到着。
DIA-201-1973-07-31-1南ベトナム1973年07月31日1970年代外務省,カナダと大使級外交関係樹立を決定との共同コミュニケ発表。
DIA-201-1973-07-31-2南ベトナム1973年07月31日1970年代国際管理監視委カナダ代表団,ベトナムを去る。
DIA-201-1973-08-01-1南ベトナム1973年08月01日1970年代シンガポール政府発表,南北両ベトナムと国交樹立。これまで南ベトナムはシンガポールに総領事館をおき,北ベトナムは通商代表部をおいていた。シンガポールはサイゴンにもハノイにも代表部をおいていなかった。
DIA-201-1973-08-01-2南ベトナム1973年08月01日1970年代(モスクワ)ソ連・臨時革命政府,73年度無償経済援助協定調印。ソ連は開発復興・機械設備,食品,医薬品,消費用工業製品その他国民生活安定に必要な品を供与。
DIA-201-1973-08-09-1南ベトナム1973年08月09日1970年代中部海岸の漁村サフィンから16キロで戦闘。解放側は国道1号を守備中の政府軍を攻撃。解放側死56,政府軍側死8,傷16。
DIA-201-1973-08-14-1南ベトナム1973年08月14日1970年代(ワシントン)ザヘディ駐米イラン大使発表,国防管理監視委へのイラン参加本決まり。
DIA-201-1973-08-15-1南ベトナム1973年08月15日1970年代政府,セネガルと断交。
DIA-201-1973-08-17-1南ベトナム1973年08月17日1970年代(ワシントン)シュレジンジャー米国防長官言明「北がインドシナで大攻勢を始めれば,爆撃再開を議会に要請,ただし地上軍介入はあり得ない」
DIA-201-1973-08-21-1南ベトナム1973年08月21日1970年代ブレーク局辺で激戦。政府軍死17,解放軍死89。
DIA-201-1973-08-21-2南ベトナム1973年08月21日1970年代経済省,米卸売価格決定。
DIA-201-1973-08-21-3南ベトナム1973年08月21日1970年代Mobil Esso, Sunningdale of Canadaの3社に大陸棚開発権を付与する協定に調印。
DIA-201-1973-08-22-1南ベトナム1973年08月22日1970年代政府,チリ新政権承認。
DIA-201-1973-08-23-1南ベトナム1973年08月23日1970年代チュー大統領出席のもとに,カントで米問題に関する会議。
DIA-201-1973-08-26-1南ベトナム1973年08月26日1970年代上院選挙,半数改選。
DIA-201-1973-08-28-1南ベトナム1973年08月28日1970年代Pecten vietnamに大陸棚開発権を付与する協定に調印。
DIA-201-1973-08-29-1南ベトナム1973年08月29日1970年代John McLaughlin米大統領副補佐官,サイゴン訪問。
DIA-201-1973-08-31-1南ベトナム1973年08月31日1970年代グエン・フー・ト議長,第4回非同盟諸国会議出席のため解放区を離れる。9月3日アルジエ到着。
DIA-201-1973-09-01-1南ベトナム1973年09月01日1970年代中国貨物船,援助物資を輸送してクアベト・ドンハ港に初入港。
DIA-201-1973-09-03-1南ベトナム1973年09月03日1970年代第III軍区軍事法廷,Ng.Thua Nghiep石油化学労連議長とDang Tarn Si銀行労連議長に有罪判決。
DIA-201-1973-09-05-1南ベトナム1973年09月05日1970年代国営のViet Nam Meat Industry設立。
DIA-201-1973-09-06-1南ベトナム1973年09月06日1970年代ピアストル平価切下げ,1ドル=500ピアストルから510ピアストルに。
DIA-201-1973-09-07-1南ベトナム1973年09月07日1970年代(アルジェ)グエン・フー・ト議長,非同盟諸国会議で演説。8日からアルジェリアを公式訪問,14日セネガル,17日ユーゴ,21日アラブ連合,25日タンザニア,29日ウガンダを公式訪問。
DIA-201-1973-09-07-2南ベトナム1973年09月07日1970年代チュー大統領,Cao Van Vien統幕議長ら軍首脳と復員計画ならびに経済情勢について協議。
DIA-201-1973-09-14-1南ベトナム1973年09月14日1970年代Ng.Van Tam(もとバオダイ政府の首相,76歳)サイゴン着。
DIA-201-1973-09-15-1南ベトナム1973年09月15日1970年代(解放通信)カストロ首相,解放区訪問。
DIA-201-1973-09-20-1南ベトナム1973年09月20日1970年代政府発表,ゴ・バン・タン女史ら4人を釈放。
DIA-201-1973-09-22-1南ベトナム1973年09月22日1970年代ブレーク市近くのレミン政府軍基地が解放勢力に制圧さる。
DIA-201-1973-09-24-1南ベトナム1973年09月24日1970年代イラン大使アサド・カーン・サブリ着任。
DIA-201-1973-09-27-1南ベトナム1973年09月27日1970年代計画開発相と仏銀行グループの間でハチエン・セメント工場拡張計画融資に関する協定調印。工費は1億7500万フラン,12年払い,年利4%。
DIA-201-1973-09-27-2南ベトナム1973年09月27日1970年代臨時革命政府,在チリ大使館を一時閉鎖。
DIA-201-1973-09-29-1南ベトナム1973年09月29日1970年代29~30日,解放軍,タイニン省の政府軍第25師団陣地を砲撃,政府軍死9,傷・行方不明100。
DIA-201-1973-10-01-1南ベトナム1973年10月01日1970年代臨時革命政府外務省,米・サイゴンの協定違反による情勢緊迫についての覚え書を国際会議参加国の一部と国際管理監視委メンバー国およびワルトハイム国連事務総長に送る。
DIA-201-1973-10-02-1南ベトナム1973年10月02日1970年代サイゴン軍事法廷,Vu Van Giai元第3師団司令官に5年の強制労働を判決。
DIA-201-1973-10-02-2南ベトナム1973年10月02日1970年代ピアストル平価,1ドル=520ピアストルに切下げ。
DIA-201-1973-10-02-3南ベトナム1973年10月02日1970年代日本から南ベトナム政府に対し難民向け住宅資材・農具購入(74.3.31までに)に5億円を贈与する協定に調印。
DIA-201-1973-10-04-1南ベトナム1973年10月04日1970年代グエン・フー・ト議長,解放区への帰途ハノイ到着。祖国戦線第4回拡大大会に出席。
DIA-201-1973-10-10-1南ベトナム1973年10月10日1970年代(パリ)政府代表団,政治協議の2週間延期を声明。
DIA-201-1973-10-16-1南ベトナム1973年10月16日1970年代(パリ)インドシナ援助国際会議開催-協議グループ(国際借款団)の結成に至らず。同会議には米・英・仏・西独・日本・スカンジナビア諸国など13カ国と国連代表が参加。
DIA-201-1973-10-16-2南ベトナム1973年10月16日1970年代ピアストル,1ドル=525ピアストルに切下げ。
DIA-201-1973-10-18-1南ベトナム1973年10月18日1970年代上院議長にチャン・バン・ラム前外相選出さる。
DIA-201-1973-10-22-1南ベトナム1973年10月22日1970年代22日のNhan Dan報道によれば,チン・ディン・タオ副議長がモスクワに向け出発。
DIA-201-1973-10-23-1南ベトナム1973年10月23日1970年代内閣改造-計画開発省は首相府直轄の庁とな り,Ngoc前経済相が担当,経済省は商工省となりNg Due Cuongが就任,郵電省が公共事業省に合併して通信・公共事業省となる。土地・農業開発省が農業省となって農相にTon That Trinh,同次官にTran Quang Minh任命。
DIA-201-1973-10-23-2南ベトナム1973年10月23日1970年代ブレーク市南西20キロで政府軍歩兵1個大隊が解放軍の攻撃をうけて撤退,政府軍死30,傷12,行方不明65。
DIA-201-1973-10-25-1南ベトナム1973年10月25日1970年代解放勢力,サイゴン南西60キロ国道4号沿いのサムジァン周辺の政府軍歩兵基地を攻撃,政府軍死32,解放勢力死40。
DIA-201-1973-10-26-1南ベトナム1973年10月26日1970年代第III軍区司令官Ng.Van Minh中将辞任,後任に2者合同軍事委首席代表Pham Quoc Thuan中将任命。2者合同軍事委首席代表にPhan Hoa Hiep次席代表が昇格。
DIA-201-1973-11-01-1南ベトナム1973年11月01日1970年代チュー大統領,独立記念式典で演説「共産側の大攻勢は近く必ずある。彼らは中,ソの援助で大量の兵器を持っている。自力で戦えなくなったら再度米軍の介入を要請する」
DIA-201-1973-11-03-1南ベトナム1973年11月03日1970年代第8回台湾・南ベトナム経済協力会談終了。
DIA-201-1973-11-04-1南ベトナム1973年11月04日1970年代サイゴン北西180キロ,カンボジア国境近くのBu Prang, Bu Pong南基地,消息を断つ。5日,政府軍3,000人が増援に。
DIA-201-1973-11-06-1南ベトナム1973年11月06日1970年代解放勢力,ビエンホア空軍基地をロケット攻撃。
DIA-201-1973-11-06-2南ベトナム1973年11月06日1970年代(解放放送)2者合同軍事委臨時革命政府代表,5項目の停戦提案。
DIA-201-1973-11-07-1南ベトナム1973年11月07日1970年代政府軍機,50波でビンロン省ロクニンとフォクロン省Bo Ducを爆撃。9日,臨時革命政府抗議声明。
DIA-201-1973-11-07-2南ベトナム1973年11月07日1970年代(ワシントン)米議会,戦争権限法を可決。議会の同意なしに大統領が最大限60日間の軍事作戦を行なえる。
DIA-201-1973-11-09-1南ベトナム1973年11月09日1970年代新外相にVuong Van Bac駐英大使,新保健相にTran Minh Tung(8月上院出馬で辞任)任命さる。
DIA-201-1973-11-09-2南ベトナム1973年11月09日1970年代2者合同軍事委政府側代表発表,サイゴン=ロクニン間の連絡ヘリを中断。
DIA-201-1973-11-09-3南ベトナム1973年11月09日1970年代(ワシントン)米農務省発表,平和のための食料計画で2960万ドルの農産物援助。6月30日までに小麦,木綿などを販売。
DIA-201-1973-11-13-1南ベトナム1973年11月13日1970年代(パリ)ヒュー臨時革命政府代表,ジョベール仏外相と会見。
DIA-201-1973-11-14-1南ベトナム1973年11月14日1970年代ピアストル平価切下げ,1ドル=525ピアストルから535ピアストルに。
DIA-201-1973-11-15-1南ベトナム1973年11月15日1970年代解放勢力,ブレーク南西22キロの政府軍レンジャー部隊・歩兵部隊陣地を攻撃,政府軍死8,傷11。
DIA-201-1973-11-16-1南ベトナム1973年11月16日1970年代Georges Marchais仏共産党書記長,カンチ省解放区訪問。
DIA-201-1973-11-18-1南ベトナム1973年11月18日1970年代臨時革命政府代表団(団長ト議長),北京到着,周首相と会談,19日毛主席と会見,21日天津訪問,22日広州訪問,コソマク王妃を訪問,23日広州を離れる。24日共同声明発表。23日ハノイ到着。訪中中に無償経済援助協定調印。
DIA-201-1973-11-20-1南ベトナム1973年11月20日1970年代サイゴン南西70キロのCai Lay南などで戦闘 政府軍死17,傷14,解放勢力死75。
DIA-201-1973-11-20-2南ベトナム1973年11月20日1970年代政府,ガソリン値上げ発表。
DIA-201-1973-11-22-1南ベトナム1973年11月22日1970年代中部高原,デルタの6省知事,2師団長交代。タイニン省知事にTran Van Ty大佐,ハウギア省知事にTon That Soan大佐,バンメトウト省知事にNg.Trong Luat大佐(第2軍区作戦副司令官),クァンドク省知事にNg.Huu Thien中佐,フオンディン省知事にHuynh Ngoc Diep大佐(サデク省知事),サデク省知事にTran Van Tro中佐,第9師団司令官にHuynh Van Lac准将(第IV軍区参謀長),第23師団(クァンドク守備)司令官にLe Trung Tuong大佐,第IV軍区副司令官にTran Ba Di中将(第9師団司令官)
DIA-201-1973-11-23-1南ベトナム1973年11月23日1970年代政府軍機,サイゴン北西110キロの解放戦線側飛行場を爆撃。
DIA-201-1973-11-23-2南ベトナム1973年11月23日1970年代政府,ぜいたく品200品目に輸入課徴金実施。
DIA-201-1973-11-27-1南ベトナム1973年11月27日1970年代下院,280億ピアストルの73年度補正予算案可決。
DIA-201-1973-11-27-2南ベトナム1973年11月27日1970年代中国紅十字会,ベトナム南部解放赤十字社に水害被災地人民に500万元の物資を贈ることを決定。
DIA-201-1973-11-28-1南ベトナム1973年11月28日1970年代ユエ南20キロの政府軍基地,砲撃さる。
DIA-201-1973-11-28-2南ベトナム1973年11月28日1970年代軍人事移動,Le Ng.Khang少将(作戦参謀副総長)は軍監察総官兼任,Lu Lan少将はツドク士官学校長に,Ng.Huu Hanh准将(第II軍区副司令官)は第I軍区監察主任に,Ng.Thanh Hoang准将(第IV軍区副司令官)は第II軍区監察主任に,Ho Trung Han准将(もと空挺師団副司令官)は第III軍区監察主任に,Tran Quoc Lich大将(第5師団司令官)は第IV軍区監察主任に任命さる。
DIA-201-1973-11-30-1南ベトナム1973年11月30日1970年代政府軍,サイゴン北東30キロのビンズオン省Lai Khe北,Phu Giao西で掃討作戦開始。
DIA-201-1973-11-30-2南ベトナム1973年11月30日1970年代下院,74年度予算案を可決,上院に送付。原案を690億ピアストル削減し総額は5612億ピアストル。
DIA-201-1973-11-30-3南ベトナム1973年11月30日1970年代IMF,IBRD代表団,チュー大統領と会見。
DIA-201-1973-11-30-4南ベトナム1973年11月30日1970年代(ワシントン)シュレジンジャー米国防長官,記者会見で言明「戦争権限法にもとづきニクソン大統領は,北軍の新攻勢に対し議会の事前の承認なしに,爆撃再開を指令できる」
DIA-201-1973-12-03-1南ベトナム1973年12月03日1970年代サイゴン南東15キロのNha Be貯油所(シエル石油会社)が砲撃さる。
DIA-201-1973-12-03-2南ベトナム1973年12月03日1970年代クオン通産相,民間石油消費規制措置発表。
DIA-201-1973-12-04-1南ベトナム1973年12月04日1970年代クアンドク省キエンドク(サイゴン北150キロ)の政府軍,解放軍の攻撃をうけ撤退。7日抵抗をうけずに奪回。同町はブプランなど11月に解放側の手におちた基地奪還の作戦本部。
DIA-201-1973-12-06-1南ベトナム1973年12月06日1970年代政府軍2個大隊,ディンツオン省国道4号周辺サムジアン西3牛口で解放勢力大隊と戦闘。政府軍は12月初から同地域で大作戦を展開中。
DIA-201-1973-12-06-2南ベトナム1973年12月06日1970年代ピアストル平価切下げ,1ドル=535ピアストルから550ピアストルに。
DIA-201-1973-12-06-3南ベトナム1973年12月06日1970年代(パリ)フランスと経済援助(1億フラン)協定調印。
DIA-201-1973-12-07-1南ベトナム1973年12月07日1970年代(ワシントン)バク外相,キッシンジャー米国務長官と会談。バク外相は記者会見で,パリ協定調印以後北は10万の軍隊(米側推定2万)と戦車600台,大砲600台を南へ送り込んだと言明。
DIA-201-1973-12-09-1南ベトナム1973年12月09日1970年代政府軍,解放軍の反撃にあいキエンドクを撤退。
DIA-201-1973-12-09-2南ベトナム1973年12月09日1970年代解放軍,サイゴン北西400キロのチャンバン町付近の地方軍陣地を攻撃,守備隊200人のうち73人が行方不明に。
DIA-201-1973-12-14-1南ベトナム1973年12月14日1970年代解放戦線,サイゴン北西60キロのタイニン省郡都キエンハン北西の政府軍陣地を攻撃,政府軍死19,傷48。
DIA-201-1973-12-15-1南ベトナム1973年12月15日1970年代バンコクから飛来した合同死傷者チーム(合同軍事チームの協力機関)ヘリ1機が,解放戦線の砲火を浴びて破壊さる。
DIA-201-1973-12-16-1南ベトナム1973年12月16日1970年代ディンツオン省国道4号沿いのカイベ,カイライ周辺の政府軍第7,第9師団の前哨基地が解放戦線に攻撃さる。
DIA-201-1973-12-18-1南ベトナム1973年12月18日1970年代臨時革命政府代表団(団長ト議長),ソ連公式訪問,24日共同声明発表。
DIA-201-1973-12-20-1南ベトナム1973年12月20日1970年代(パリ)キ・ト会談。
DIA-201-1973-12-20-2南ベトナム1973年12月20日1970年代野党議員,労組指導者,アンカン派,カトリック左派など104人,和平協定の完全実施を呼びかける共同声明。
DIA-201-1973-12-20-3南ベトナム1973年12月20日1970年代(マニラ)アジア開銀,南ベトナム向け830万ドルの融資協定調印。620万ドルがサイゴン通信施設,213万ドルがゴコン省農場に。
DIA-201-1973-12-21-1南ベトナム1973年12月21日1970年代弾薬輸送中の政府軍ヘリ,サイゴン南西80キロのキエンツオン省ツエンニョンで爆発。
DIA-201-1973-12-22-1南ベトナム1973年12月22日1970年代最近解放区で解放戦線成立13周年祝賀集会,ファト書記長が演説。
DIA-201-1973-12-25-1南ベトナム1973年12月25日1970年代解放戦線,サイゴン南西176キロのVi Thanh近くの政府軍陣地を攻撃,政府軍1個大隊500人のうち死18,傷81,行方不明42。
DIA-201-1973-12-27-1南ベトナム1973年12月27日1970年代政府側,2者合同軍事委代表,7月から中断している捕虜と民間人拘留者釈放をテト前に再関するよう提案。
DIA-201-1973-12-29-1南ベトナム1973年12月29日1970年代チュー大統頷,ブンタウで演説「共産側は南ベトナムを征服しようとする政策を変えておらず,彼らと交渉してもなんにもならない。このような状況のもとでは,彼らとともに総選挙を行なうことは考えられない」
DIA-201-1974-01-03-1南ベトナム1974年01月03日1970年代豪から100万ドルの電話線贈与。
DIA-201-1974-01-04-1南ベトナム1974年01月04日1970年代チュー大統領演説「政府軍は支配地域だけでなく,北ベトナム軍の駐留地域にも報復攻撃をかけるだろう。74年の軍・民の課題は次の4つ,①全領土における最大限の治安 ②経済開発 ③行政改革の完遂 ④健全な社会の建設」
DIA-201-1974-01-04-2南ベトナム1974年01月04日1970年代ピアストル平価,1ドル=550ピアストルから560ピアストルに切り下げ。
DIA-201-1974-01-05-1南ベトナム1974年01月05日1970年代サイゴン北70キロ,国道13号上のChon Thanhで政府軍前進基地,迫撃砲攻撃を受ける。政府軍死5,傷20,不明61。
DIA-201-1974-01-07-1南ベトナム1974年01月07日1970年代バック外相,訪日。11日,40日にわたる世界旅行を終え帰国。
DIA-201-1974-01-09-1南ベトナム1974年01月09日1970年代中国ベトナム友好協会代表団(団長 安平生中共中央委員),クァンチ省解放区を訪問,11日まで滞在。
DIA-201-1974-01-11-1南ベトナム1974年01月11日1970年代(北京)中国外交部スポークスマン声明,サイゴン政権の南沙群島領有を非難。
DIA-201-1974-01-12-1南ベトナム1974年01月12日1970年代豪からのダナンおよびブンタウ水道計画に対する1510万ドル援助協定調印。
DIA-201-1974-01-12-2南ベトナム1974年01月12日1970年代解放戦線・革命政府代表団(団長 ト議長),ラオス解放区訪問,15日ス殿下と共同声明調印。17日ハノイへ。
DIA-201-1974-01-14-1南ベトナム1974年01月14日1970年代政府軍,プレーク西45キロのレミン基地奪回,同基地は昨年9月以来解放戦線が占拠。16日,1万6000人を投入。
DIA-201-1974-01-14-2南ベトナム1974年01月14日1970年代ピアストル平価の特別レート廃止。1ドル=560ピアストルに一本化。但し米国援助輸入に対しては1ドルにつき85ピアストル補助。
DIA-201-1974-01-15-1南ベトナム1974年01月15日1970年代上下両院の与党議員140人,憲法改正草案で合意。上下両院議員7人の連名で,議会事務局に草案提出。
DIA-201-1974-01-16-1南ベトナム1974年01月16日1970年代グエン・ルー・ビエン代表,パリ帰任。
DIA-201-1974-01-17-1南ベトナム1974年01月17日1970年代海軍部隊,西沙群島のロバート島に上陸。中国漁民はすでに退去。
DIA-201-1974-01-17-2南ベトナム1974年01月17日1970年代(マニラ)リー・シンガポール首相とマルコス・比大統領共同声明「未解決のインドシナ情勢の難局が,全アジアの平和に脅威となっている」。両者は石油危機対策を検討。
DIA-201-1974-01-18-1南ベトナム1974年01月18日1970年代(パリ)政治協議。ビエン代表,7月20日の総選挙を提案。ディン・バー・チ代表,停戦と民主的自由の確立を主張。
DIA-201-1974-01-18-2南ベトナム1974年01月18日1970年代台湾外交当局声明「南沙群島,西沙群島は台湾の固有の領土」
DIA-201-1974-01-18-3南ベトナム1974年01月18日1970年代コンツム市北方12キロで戦闘。解放勢力側は同地の政府軍陣地に1000発の砲撃。解放勢力死87,政府軍死31,傷42。
DIA-201-1974-01-19-1南ベトナム1974年01月19日1970年代上下両院合同会議,憲法改正草案(民主党提案)を可決。出席議員207人のうち3分の2を越える153人が賛成。
DIA-201-1974-01-19-2南ベトナム1974年01月19日1970年代西沙群島のダンカン島付近で南ベトナム,中国両海軍が衝突。
DIA-201-1974-01-20-1南ベトナム1974年01月20日1970年代中国外交部声明,サイゴン側の西沙群島占領に抗議。
DIA-201-1974-01-22-1南ベトナム1974年01月22日1970年代(ニューヨーク)国連安保理のファシオ議長はグエン・フ・チ南ベトナム代表に対し,西沙群島領有権問題を安保理で取り上げることを無理押ししないよう勧告。
DIA-201-1974-01-23-1南ベトナム1974年01月23日1970年代サイゴンの革命政府軍事代表スポークスマン言明「領土の境界線問題は友好的な話し合いで解決すべきだ」
DIA-201-1974-01-24-1南ベトナム1974年01月24日1970年代N.Y.タイムス;米政府,中国に対して西沙事件での不明米人の情報と政府軍捕虜釈放を申し入れ。不明米人は米大使館勤務の南ベトナム海軍との連絡将校。
DIA-201-1974-01-24-2南ベトナム1974年01月24日1970年代革命政府,パリ協定認印1週年に当り声明。
DIA-201-1974-01-26-1南ベトナム1974年01月26日1970年代サイゴン警察,26日夜予定のゴ・バ・タン女史の記者会見の内外記者による取材を禁止。
DIA-201-1974-01-26-2南ベトナム1974年01月26日1970年代バク外相,パリ協定調印1週年記者会見,関係正常化のための南北外相会談を提案。
DIA-201-1974-01-26-3南ベトナム1974年01月26日1970年代石油製品値上げ。
DIA-201-1974-01-28-1南ベトナム1974年01月28日1970年代サイゴン南西168キロで政府軍,待ち伏せ攻撃をうけ死13,解放勢力死10。
DIA-201-1974-01-29-1南ベトナム1974年01月29日1970年代サイゴン北西50キロ,60キロで戦闘,解放勢力死72,政府軍死10,傷25。
DIA-201-1974-01-30-1南ベトナム1974年01月30日1970年代政府軍南沙群島ナムエト島に歩兵1個中隊を派遣。
DIA-201-1974-01-31-1南ベトナム1974年01月31日1970年代韓国援助の病院(チョロン)引渡し式。285万ドル,250床。
DIA-201-1974-01-31-2南ベトナム1974年01月31日1970年代解放勢力,チャウドク省チトン付近で政府軍1個大隊の守備する基地を攻撃。
DIA-201-1974-01-31-3南ベトナム1974年01月31日1970年代西沙事件で中国側の捕虜となった政府軍兵の負傷兵5人と米人1人が釈放さる。
DIA-201-1974-02-01-1南ベトナム1974年02月01日1970年代JMC,8日からの捕虜交換再開に合意。捕虜交換は昨年7月末中断。
DIA-201-1974-02-03-1南ベトナム1974年02月03日1970年代第3勢力代表者がサイゴン郊外で秘密会合,反政府系各団体の大同団結を実現し,パリ協定順守のための新たな平和運動を展開することで合意。
DIA-201-1974-02-04-1南ベトナム1974年02月04日1970年代Tran Van Chon海軍司令官,両院国防委で言明「西沙群島は現在,中国軍に占領されているが,機会を見て奪い返す」
DIA-201-1974-02-04-2南ベトナム1974年02月04日1970年代中国外務省スポークスマン声明,2月1日サイゴン当局が軍艦を出動させて南沙群島に属する南子島などの島々を占領したことを非難。
DIA-201-1974-02-04-3南ベトナム1974年02月04日1970年代ピアストル平価,1ドル=575ピアストルに切下げ。
DIA-201-1974-02-04-4南ベトナム1974年02月04日1970年代フランス国会代表団(団長F. Icart財政経済計画委員長),来訪。
DIA-201-1974-02-05-1南ベトナム1974年02月05日1970年代ロムロ・フィリピン外相名で南沙問題に関し南ベトナム,台湾に対して抗議書。
DIA-201-1974-02-05-2南ベトナム1974年02月05日1970年代革命政府閣議,74年の任務決定。
DIA-201-1974-02-06-1南ベトナム1974年02月06日1970年代JMC,8日から捕虜交換再開を発表。政府はロクニンで3506人の民間捕虜と33人の軍人捕虜を,革命政府は224人の民間捕虜と410人の軍人捕虜を釈放。
DIA-201-1974-02-06-2南ベトナム1974年02月06日1970年代Le Trung Hien軍スポークスマン,Tran Ngoc Chau,Huynh Van Trong,Ng. Long,Huynh Tan Mam,Thieu Sonら5人の政治犯について,「政府側にとどまりたい者は,必要な手続きをしなければならぬ」と言明。
DIA-201-1974-02-08-1南ベトナム1974年02月08日1970年代大統領官邸筋;米国,7500万ドル経済援助供与。
DIA-201-1974-02-08-2南ベトナム1974年02月08日1970年代プレーク省レミン基地近くで戦闘,政府軍死17,解放勢力死81。
DIA-201-1974-02-09-1南ベトナム1974年02月09日1970年代サイゴン電話網拡充に関する日本からの20億円借款協定調印。
DIA-201-1974-02-11-1南ベトナム1974年02月11日1970年代政府,民間人捕虜200人をロクニンに移送。
DIA-201-1974-02-11-2南ベトナム1974年02月11日1970年代フィリピン軍部隊,このほど南沙群島2島に上陸。
DIA-201-1974-02-12-1南ベトナム1974年02月12日1970年代革命政府,政府軍捕虜100人を釈放。政府,革命政府側の民間人捕虜176人を釈放。
DIA-201-1974-02-12-2南ベトナム1974年02月12日1970年代解放勢力,コンツム市北西18キロの地方軍を攻撃。
DIA-201-1974-02-12-3南ベトナム1974年02月12日1970年代台湾外交当局,フィリピン政府に覚書,南沙群島の領有権を改めて主張。
DIA-201-1974-02-13-1南ベトナム1974年02月13日1970年代政府,200人の民間人捕虜を釈放,うち12人は政府側に残留。これで今回の釈放者数は720人に。
DIA-201-1974-02-13-2南ベトナム1974年02月13日1970年代台湾の艦艇4隻が南沙群島近くの海域に出動。
DIA-201-1974-02-13-3南ベトナム1974年02月13日1970年代日本と9000万円を限度とする無償資金援助に関する書簡交換。これはビエンホアの孤児職業訓練センターで使用する各種機材の購入にあてられる。
DIA-201-1974-02-14-1南ベトナム1974年02月14日1970年代政府声明,西沙・南沙群島はベトナム共和国の不可分の領土。
DIA-201-1974-02-14-2南ベトナム1974年02月14日1970年代革命政府声明,2月20日予定の戦争難民保護に関するジュネーブ外交会議に出席する権利あり。
DIA-201-1974-02-14-3南ベトナム1974年02月14日1970年代デンマークと4000万クローネ(660万ドル)復興援助協定調印。無利子,10年据置き,25年償還。
DIA-201-1974-02-15-1南ベトナム1974年02月15日1970年代サイゴン市内のとばく組織と関係した疑いで,ファン・バン・ドン復員軍人相更迭。
DIA-201-1974-02-15-2南ベトナム1974年02月15日1970年代電気・水道料金値上げ。
DIA-201-1974-02-15-3南ベトナム1974年02月15日1970年代米政府供与の対潜水艦攻撃用の護衛艦4隻がグアム島からサイゴンに向かう。
DIA-201-1974-02-16-1南ベトナム1974年02月16日1970年代サイゴン南西80キロのアシの平原の南端で,パトロール中の政府軍1000人が解放勢力と戦闘。政府軍は爆撃機と砲兵隊を投入,解放勢力死91。
DIA-201-1974-02-16-2南ベトナム1974年02月16日1970年代外務省スポークスマン発表,南沙群島問題でフィリピン提案の関係国協議に同意。
DIA-201-1974-02-17-1南ベトナム1974年02月17日1970年代政府軍1個小隊,南沙群島の1島に上陸占領。 これで同群島の5島占領。
DIA-201-1974-02-17-2南ベトナム1974年02月17日1970年代中国政府,西沙群島で捕虜となった南ベトナム兵43人を釈放。
DIA-201-1974-02-18-1南ベトナム1974年02月18日1970年代新内閣発足-ニヤ情報相は次の通り新内閣陣容を発表。 Tran Thien Khiem:首相兼国防相 Ng. Luu Vien:副首相 Phan Quang Dan:副首相兼社会福祉・土地開墾村落建設相 Tran Van Don 中将:副首相兼国家開発計画監査担当(新) Vuong Van Bac:外相 Duong Duc Thuy:法相(新) Le Cong Chat:内相 Ngo Khac Tinh:議会・教育・文化相 Chau Kim Nhan:蔵相 Ng. Duc Cuong:通産相 Ton That Trinh:農相 Duong Kich Nhuong:公共事業・通信相 Hoang Duc Nha:情報・帰順相 Huynh Van Huong:保健相(新) Dam Sy Hien:労働相 Ho Van Cham:在郷軍人相 Nay Luett:人種発展相 Ng. Tien Hung:計画委員長(新) Buu Vien:首相府長官
DIA-201-1974-02-19-1南ベトナム1974年02月19日1970年代政府,民間人捕虜112人をロクニンで釈放。これで政府が釈放した捕虜数は1240人に。革命政府がこれまでに釈放した数は197人。
DIA-201-1974-02-19-2南ベトナム1974年02月19日1970年代通産省,肥料の不正取引規制策を打出す。
DIA-201-1974-02-19-3南ベトナム1974年02月19日1970年代国銀,Nam Hai 銀行破産の噂を否定。同銀行は最近従業員50人を解雇。
DIA-201-1974-02-20-1南ベトナム1974年02月20日1970年代政府,海底油田33鉱区の探査,開発権の公募開始。
DIA-201-1974-02-20-2南ベトナム1974年02月20日1970年代バック外相発表,サウジアラビアと外交関係樹立。
DIA-201-1974-02-20-3南ベトナム1974年02月20日1970年代外交,政治,国家計画担当大統領補佐官廃止。
DIA-201-1974-02-20-4南ベトナム1974年02月20日1970年代農業省,IRRIと技術援助協定調印。
DIA-201-1974-02-23-1南ベトナム1974年02月23日1970年代15人の将軍,解任さる。
DIA-201-1974-02-25-1南ベトナム1974年02月25日1970年代チュー大統領,文官・軍の最高指導者招集,全閣僚と44省代表が出席。経済の現状と腐敗に対する闘いについて検討。
DIA-201-1974-02-25-2南ベトナム1974年02月25日1970年代解放勢力,サイゴン南西230キロのウミン森の端のTan Phuの歩兵基地を攻撃,政府軍死傷・行方不明60。
DIA-201-1974-02-25-3南ベトナム1974年02月25日1970年代外国投資誘致のためのPR会議開催,ビジネス・インターナショナルと政府の共催,非公開。参加したのはアームコ・スチール,キャタピラ・トラクタ,IBM,デュポン,日本電気,三菱電機,三菱商事など。
DIA-201-1974-02-26-1南ベトナム1974年02月26日1970年代政府,112人の民間人捕虜をロクニンで釈放。
DIA-201-1974-02-26-2南ベトナム1974年02月26日1970年代解放勢力,デルタの政府軍2基地を制圧,政府軍死傷,行方不明144。政府軍数百人増援。
DIA-201-1974-02-28-1南ベトナム1974年02月28日1970年代政府軍,サイゴン北方で作戦開始。サイゴン北東40キロで戦闘。
DIA-201-1974-02-28-2南ベトナム1974年02月28日1970年代(ジュネーブ)世界人権会議(108ヵ国参加)。革命政府招請決議案,否決さる。38:37。
DIA-201-1974-03-01-1南ベトナム1974年03月01日1970年代外務省コミュニケ,1日からチリと国交樹立。
DIA-201-1974-03-01-2南ベトナム1974年03月01日1970年代Bui Diem,無任所大使に任命さる。
DIA-201-1974-03-04-1南ベトナム1974年03月04日1970年代ピアストル平価切下げ,1ドル=575ピアストルから590ピアストルに。
DIA-201-1974-03-06-1南ベトナム1974年03月06日1970年代第5次捕虜交換,全日程を終了。これで両者が公表した捕虜(政府3万1831人,革命政府6065人)は一部を除き全員釈放。
DIA-201-1974-03-06-2南ベトナム1974年03月06日1970年代ラッシュ米国務次官,サイゴン到着。
DIA-201-1974-03-09-1南ベトナム1974年03月09日1970年代ミン将軍,政府・革命政府に政治犯を直ちに無条件で釈放し,本人が希望する場所に行かせるよう訴える声明発表。
DIA-201-1974-03-09-2南ベトナム1974年03月09日1970年代サイゴン南西70キロのカイライの小学校,砲撃さる。死32,傷34。11日,JMC政府代表これに抗議,外務省も声明発表。
DIA-201-1974-03-09-3南ベトナム1974年03月09日1970年代政府軍,南沙群島第2次作戦開始。政府軍は同群島11島のうち5島を占領している。
DIA-201-1974-03-11-1南ベトナム1974年03月11日1970年代政治犯釈放委(アンクアン寺派系)発表,チホア刑務所で政治犯300人がハンスト。
DIA-201-1974-03-12-1南ベトナム1974年03月12日1970年代JMC,政府代表,学校砲撃に抗議してボイコット。
DIA-201-1974-03-12-2南ベトナム1974年03月12日1970年代解放勢力,サイゴン北方48キロのライケの政府軍基地とサイゴン北方122キロの省都フォクビンに対し,85ミリりゅうだん砲で砲撃。
DIA-201-1974-03-17-1南ベトナム1974年03月17日1970年代16~17日,解放勢力,コンツム北方1.6ないし16キロの政府軍陣地6ヵ所に700発の砲撃と地上攻撃。 解放側死348,政府軍死72,傷111。
DIA-201-1974-03-18-1南ベトナム1974年03月18日1970年代(ワシントン)クレメンツ国防次官議会で言明「議会が急いで追加援助を認めなければ,南ベトナム政府軍は4月半ばには燃料不足のため作戦を減らさねばならぬ」。同次官は南への軍事援助を11.26億ドルから16億ドルに増額するよう要請。
DIA-201-1974-03-19-1南ベトナム1974年03月19日1970年代ビンビン省カウケ南東5キロのフォンフ村役場,攻撃さる。地方軍・民兵死22。
DIA-201-1974-03-22-1南ベトナム1974年03月22日1970年代上院,14人の新大使任命を承認。駐日大使にNg. Trieu Dan,駐米大使にTran Kim Phuong。
DIA-201-1974-03-22-2南ベトナム1974年03月22日1970年代革命政府,6項目提案。
DIA-201-1974-03-24-1南ベトナム1974年03月24日1970年代Tran Van Don将軍,ニューヨークからパリ着。
DIA-201-1974-03-24-2南ベトナム1974年03月24日1970年代ピアストル平価,1ドル=605ピアストルに切下げ。
DIA-201-1974-03-27-1南ベトナム1974年03月27日1970年代解放勢力500人,サイゴン西北50キロのハウギア省Duc Hueの北西13キロの政府軍レンジャー部隊基地を砲撃・地上攻撃。解放勢力死34,政府軍死14,傷10。
DIA-201-1974-03-27-2南ベトナム1974年03月27日1970年代政府,ICCSに今年度(3月末まで)予算への出資分残り247万ドルを支払い。これで政府の支払額合計は654万ドル。
DIA-201-1974-03-28-1南ベトナム1974年03月28日1970年代(パリ)ドン副首相,メスメル首相と会見。
DIA-201-1974-03-29-1南ベトナム1974年03月29日1970年代(パリ)政治協議,Ng. Xuan Phong政府代表,予備協定草案を提出,①民主的自由の保障・和解一致の実現・総選挙の組織・ベトナム人武装勢力の問題の4作業委員会を設置し,30日以内に解決 ②停戦問題はJMC,ICCS,上院作業委で解決 ③総選挙は7月20日または他の合意した日に実施 ④和解一致評議会は最終協定調印後直ちに結成し,30日以内に選挙手続きを定める。
DIA-201-1974-03-29-2南ベトナム1974年03月29日1970年代第2次石油採掘権入札締切り。33鉱区の入札に応募したのは米,カナダ,英,西独,オランダ,豪,仏,日本の8ヵ国18社。政府は第2次入札で各種税金など1億ドルの収入を見込んでいる。
DIA-201-1974-03-29-3南ベトナム1974年03月29日1970年代(ストックホルム)29~31日,パリ協定実施のための国際会議。
DIA-201-1974-03-30-1南ベトナム1974年03月30日1970年代日本からの5000万ドル援助に関する交換公文調印。難民復帰計画に対する2000万ドルの無償援助と経済安定化のための3000万ドルの商品援助(円借款)から成る。
DIA-201-1974-03-31-1南ベトナム1974年03月31日1970年代解放勢力,サイゴン北西40~50キロのハウギア省内の政府軍陣地を砲撃。
DIA-201-1974-03-31-2南ベトナム1974年03月31日1970年代ソ連,タス通信を通じて革命政府の6項目提案支持。
DIA-201-1974-04-01-1南ベトナム1974年04月01日1970年代Ng. Van Hieu代表,2ヵ月半ぶりにパリに帰任。
DIA-201-1974-04-01-2南ベトナム1974年04月01日1970年代Duong Quynh Hoa革命政府医療・社会福祉・傷病兵相,スウェーデン訪問。
DIA-201-1974-04-02-1南ベトナム1974年04月02日1970年代(横浜)第2回アジア卓球選手権大会開幕,革命政府側選手団参加。
DIA-201-1974-04-03-1南ベトナム1974年04月03日1970年代政府,9紙を没収。
DIA-201-1974-04-03-2南ベトナム1974年04月03日1970年代3~4日,革命政府成立5周年にあたり閣議。
DIA-201-1974-04-05-1南ベトナム1974年04月05日1970年代解放勢力1個連隊(2600人),アンロク南のChi Linh政府軍砲撃支援基地を奪取,(サイゴン北88キロ,民兵200人が守備)。
DIA-201-1974-04-06-1南ベトナム1974年04月06日1970年代サイゴン東64キロで戦闘,2日間で解放側死70。
DIA-201-1974-04-09-1南ベトナム1974年04月09日1970年代JMC政府代表Phan Hoa Hiep准将,革命政府側に対しトンレチャン基地の13ヵ月にわたる包囲を解き,食糧・医薬品の捕給を可能にするよう要請。 同代表はまたDuc Hueレンジャー基地,Chi Linh砲撃支援基地(サイゴン北88キロ)に対する包囲も解くよう要求。 政府スポークスマンは8日ミシュラン・ゴム園で90人の民間人を誘拐したことを非難。ゴム工場は9日,これに抗議して生産停止。
DIA-201-1974-04-09-2南ベトナム1974年04月09日1970年代南沙群島の海軍,Son Ca島で国籍不明の船を撃退。
DIA-201-1974-04-11-1南ベトナム1974年04月11日1970年代政府軍2000人,カンボジアに通じる国道1号で作戦。
DIA-201-1974-04-12-1南ベトナム1974年04月12日1970年代解放勢力3~4000人,サイゴン北西90キロのトンレチャン基地を占拠(73年2月以来包囲下にあった)。政府軍守備兵は259人。政府軍機,同基地,ロクニンなどを爆撃。
DIA-201-1974-04-12-2南ベトナム1974年04月12日1970年代政府,13日予定の革命政府側の週間記者会見を不許可。政府軍司令部スポークスマン言明「共産側が停戦協定違反を続けるなら,毎週の記者会見とサイゴン・ロクニン間連絡飛行を停止」
DIA-201-1974-04-12-3南ベトナム1974年04月12日1970年代(パリ)2者政治協議。政府代表,退場。
DIA-201-1974-04-13-1南ベトナム1974年04月13日1970年代チュー大統領,クメール正月祝賀式で言明「第3勢力を名のる者は共産側の手先」
DIA-201-1974-04-13-2南ベトナム1974年04月13日1970年代ラム上院議長,独紙との会見で言明「我々はトンレチャン基地を奪回する」「いわゆる第3勢力なるものほ存在しない。あるのは侵略勢力と反侵略勢力だけ。協定12条は3つの部分からなる評議会結成を規定している」
DIA-201-1974-04-13-3南ベトナム1974年04月13日1970年代革命政府外務省,情勢の深刻化に関する声明。
DIA-201-1974-04-14-1南ベトナム1974年04月14日1970年代米民主党関係者6人,サイゴン着。シンガポール経由でイスラエルに流れていると噂されている武器密輸の調査が目的。
DIA-201-1974-04-15-1南ベトナム1974年04月15日1970年代解放勢力,ビンロン省都アンロクを15発砲撃。
DIA-201-1974-04-15-2南ベトナム1974年04月15日1970年代政府軍機,連続3日のロクニン爆撃。
DIA-201-1974-04-15-3南ベトナム1974年04月15日1970年代解放勢力2~3000人,プレークとプレーメの間の政府軍レンジャー大隊(400人)の711基地を砲撃・地上攻撃。解放側死182,政府軍死21,傷58,不明6。解放勢力はプレーク西10キロの政府軍歩兵連隊司令部も60発砲撃。政府軍死12。 デルタでは解放勢力はサイゴン南西200キロのバクリェー省の地方軍・歩兵哨所3ヵ所(Phuoc Long地区,チュオンチェン省Cuong Thien,Kien Long 地区)を襲撃,解放側死58,政府軍死2,傷2。
DIA-201-1974-04-16-1南ベトナム1974年04月16日1970年代バック外相は共産側のトンレチャン基地攻略を非難し,共産側が真剣に話し合う意思を表明するまでパリ政治協議を拒否すると言明。米国務省も北のトンレチャン攻撃をパリ協定違反と非難。サイゴンではJMC革命政府代表が,政府側のパリ協議拒否に抗議して退場。 Nha情報相言明「共産側は近く72年春のような首都を脅かす攻撃をかけるかもしれない」
DIA-201-1974-04-16-2南ベトナム1974年04月16日1970年代JMC政府代表,トンレチャン問題について7項目の覚書を発表。
DIA-201-1974-04-16-3南ベトナム1974年04月16日1970年代解放勢力,プレーメ北14キロの711基地(政府軍レンジャー1個中隊)を1000発砲撃,政府軍と戦闘,解放側死324(1/3は空爆による)政府軍死61,傷98。
DIA-201-1974-04-17-1南ベトナム1974年04月17日1970年代(パリ)政治協議の政府代表代理言明「トンレチャン基地の返還を共産側に要求。同基地占領は大攻勢の前触れ」
DIA-201-1974-04-17-2南ベトナム1974年04月17日1970年代上院肥料問題調査委設置。
DIA-201-1974-04-17-3南ベトナム1974年04月17日1970年代ビンディン省ホアイニョン南方のBong Son河にかかる国道1号上のBong Son橋,爆破さる。
DIA-201-1974-04-18-1南ベトナム1974年04月18日1970年代チュー大統領,今後予定の動員解除取り止めを参謀本部に伝える。
DIA-201-1974-04-18-2南ベトナム1974年04月18日1970年代外務省,パリ宣言署名各国にトンレチャン基地返還と協定順守を共産側に要求する外交覚書を送付。
DIA-201-1974-04-18-3南ベトナム1974年04月18日1970年代政府軍機甲,歩兵各1個連隊5000人,プレーメ奪回作戦。目標はプレーメ防衛陣地の一角をなす711高地の奪回。
DIA-201-1974-04-18-4南ベトナム1974年04月18日1970年代解放勢力,サイゴン東90キロのスァンロク南方10数キロの政府軍基地を砲撃・地上攻撃。
DIA-201-1974-04-18-5南ベトナム1974年04月18日1970年代平和連盟中央委拡大会議。
DIA-201-1974-04-19-1南ベトナム1974年04月19日1970年代チュー大統領による国家安全保障会議。
DIA-201-1974-04-19-2南ベトナム1974年04月19日1970年代JMC政府代表,戦死者運び出しのため711基地での停戦を提案。革命政府側,これを拒否。
DIA-201-1974-04-19-3南ベトナム1974年04月19日1970年代解放勢力,サイゴン北西60キロの孤立した政府軍基地Duc Hue(ハウギア省)に122ミリ砲25発を撃ち込む。
DIA-201-1974-04-20-1南ベトナム1974年04月20日1970年代解放勢力,包囲中のDuc Hue町近くの政府軍歩兵陣地2ヵ所に300発の砲撃,政府軍傷39,不明20。 解放勢力,サイゴン東60キロ Xuan Loc近くの政府軍陣地に100発の砲撃。 解放勢力,ダナン南48キロ国道1号上の舟橋を炎上さす。
DIA-201-1974-04-21-1南ベトナム1974年04月21日1970年代政府軍偵察隊,プレーメ北711基地を奪回。
DIA-201-1974-04-22-1南ベトナム1974年04月22日1970年代ニャ情報相言明「解放側は北部のドンハからサイゴン西方カンボジア国境よりに至る大補給網を完成」
DIA-201-1974-04-23-1南ベトナム1974年04月23日1970年代JMC政府代表,4項目提案,①共産側は南ベトナムでの武力行使停止 ②共産側は1.28停戦以降占領した地域から部隊を引揚げるべし。特にCua Viet,Bach Ma,Le Minh,Chi Linh,Tong Le Chan,Duc Hue,Pleime,Bu Prang等の基地を返還すべし ③共産側は南へ人員・武器を送ることをやめ,ICCSにクァンチ省Lao Bao,プレーク省Duc Co,タイニン省Xa Matでのチェックを認めさせるべし。共産側は1対1の武器更新所6地点を申告すべし ④北は停戦後移動させた13万人の部隊・タンク600台・600門の砲を南から引揚げるべし。 Hiep代表は,以上4点はパリ政治協議再開の前提条件ではないと言明。 革命政府Tuan代表は,週2回のサイゴン・ロクニン連絡飛行,毎週の記者会見,北ベトナム・革命政府代表団と外部との電話復旧を要求。
DIA-201-1974-04-23-2南ベトナム1974年04月23日1970年代米国務省発表,マーチン大使,協議のため帰国。
DIA-201-1974-04-23-3南ベトナム1974年04月23日1970年代サイゴン北西40キロのチャンバン周辺で戦闘。解放側死101。
DIA-201-1974-04-23-4南ベトナム1974年04月23日1970年代政府軍筋言明,東独船がタンク等軍事物資を積んでDMZ北西に停泊。
DIA-201-1974-04-24-1南ベトナム1974年04月24日1970年代ビエン統幕議長,健康診断のため訪米へ。代行にレ・グエン・カーン准将。
DIA-201-1974-04-24-2南ベトナム1974年04月24日1970年代解放勢力,クァンチ海兵隊基地を迫撃砲攻撃,80発。
DIA-201-1974-04-24-3南ベトナム1974年04月24日1970年代ピアストル平価,1ドル=605ピアストルから620ピアストルに切り下げ。
DIA-201-1974-04-26-1南ベトナム1974年04月26日1970年代解放勢力,サイゴン北15キロのビンズオン省Lai Thieuの政府軍第5師団訓凍センターを迫撃砲攻撃。政府軍死17,傷118。
DIA-201-1974-04-27-1南ベトナム1974年04月27日1970年代政府,JMC革命政府代表の記者会見を中止。
DIA-201-1974-04-28-1南ベトナム1974年04月28日1970年代解放勢力,おうむのくちばし地区からタンクを出動させてTuyen Binh町北東7キロのLong Khotを攻撃。
DIA-201-1974-04-29-1南ベトナム1974年04月29日1970年代政府軍第25師団の戦車連隊3000人,キエンツォン省Tuyen Binh(サイゴン西93キロ)からカンボジア領おうむの口ばし地域南の解放勢力を攻撃。解放勢力死75(うち22は空撃による)。
DIA-201-1974-04-29-2南ベトナム1974年04月29日1970年代Saigon Hyatt Hotel建設用地借地契約調印。
DIA-201-1974-04-30-1南ベトナム1974年04月30日1970年代サイゴンのベトナム・ラジオ放送局建設定礎式。建設費6億ピアストル,期間2ヵ年。新放送局は,68年テト攻勢で破壊された局にかわるもの。
DIA-201-1974-05-01-1南ベトナム1974年05月01日1970年代ミトでメーデー集会,1000人の労働者参加。
DIA-201-1974-05-01-2南ベトナム1974年05月01日1970年代政府軍スポークスマン言明,4月30日以来ハウギア省Duc Hueレンジャー基地救出作戦を行っているが,一度もカンボジアへ越境したことはない。
DIA-201-1974-05-01-3南ベトナム1974年05月01日1970年代Duong Quynh Hoa革命政府厚生相,オランダ訪問。6日,ベルギー訪問。24日,イタリー訪問。26日,ハンガリー訪問。6月6日,フランス訪問。
DIA-201-1974-05-02-1南ベトナム1974年05月02日1970年代Duc Hue戦終る。解放勢力撤退。
DIA-201-1974-05-03-1南ベトナム1974年05月03日1970年代政府軍当局発表,解放勢力主力がおうむの口ばし地区に集結。
DIA-201-1974-05-03-2南ベトナム1974年05月03日1970年代海軍,シアム湾でタイ漁民13人を逮捕。
DIA-201-1974-05-03-3南ベトナム1974年05月03日1970年代(北京)婦人解放連合会代表団(団長グエン・チ・ディン女史),北京訪問。
DIA-201-1974-05-04-1南ベトナム1974年05月04日1970年代解放勢力,クァンチン省Tam Ky南13キロの地方軍陣地を砲撃,占領。
DIA-201-1974-05-04-2南ベトナム1974年05月04日1970年代革命政府外務省声明,Air Americaが政府軍事活動に参加。
DIA-201-1974-05-06-1南ベトナム1974年05月06日1970年代(ワシントン)米上院,2.66億ドルの追加軍事援助を拒否。
DIA-201-1974-05-07-1南ベトナム1974年05月07日1970年代JMC,政府代表Hiep准将,4日の共産側のヴィンロン省Song Phu小学校砲撃を非難,革命政府代表Tuan少将退場。Tuan代表は毎週の記者会見と隔週のサイゴン・ロクニン飛行再開とタンソンニャト代表部の電話復旧を要求。
DIA-201-1974-05-07-2南ベトナム1974年05月07日1970年代(5日)政府スポークスマン,Song Phu小学校砲撃事件のICCS調査へのポーランド,ハンガリー代表不参加に抗議。
DIA-201-1974-05-07-3南ベトナム1974年05月07日1970年代国連開発計画調印,72-75年の4ヵ年で1000万ドル。
DIA-201-1974-05-08-1南ベトナム1974年05月08日1970年代政府軍,サイゴン北540キロTam Ky近く,およびサイゴン西83キロMoc Hoa近くで反攻作戦。7日,Moc Hoa北および西で戦闘,解放勢力死150,政府軍死3,傷40。
DIA-201-1974-05-08-2南ベトナム1974年05月08日1970年代政府軍,プレーク南西32キロLe Ngoc基地を奪回。 同基地は2月陥落。
DIA-201-1974-05-08-3南ベトナム1974年05月08日1970年代(ジャカルタ)ASEAN外相会議2日日,インドシナ情勢をとりあげ。ラオス,カンボジアはオブザーバー参加。
DIA-201-1974-05-09-1南ベトナム1974年05月09日1970年代第3軍事法廷,真ちゅうスクラップの香港への密輸でダナンの会社に有罪判決。
DIA-201-1974-05-09-2南ベトナム1974年05月09日1970年代(東京)海外経済協力基金と商品援助資金82億5000万円貸付け合意書に調印。年利2.75%,10年の据置きを含む30年。
DIA-201-1974-05-10-1南ベトナム1974年05月10日1970年代外務省,パリ国際会議参加国に,解放勢力側の停戦違反について覚書。
DIA-201-1974-05-10-2南ベトナム1974年05月10日1970年代JMC,革命政府代表,特権禁止の解除まであらゆる会議に出席しないと宣言。
DIA-201-1974-05-13-1南ベトナム1974年05月13日1970年代(パリ)臨時革命政府代表団発表,2者政治協議に無期限不参加。
DIA-201-1974-05-13-2南ベトナム1974年05月13日1970年代政府軍レンジャー,コンツム北14キロの第5陣地を奪回(数週間前,解放勢力に奪われた)。
DIA-201-1974-05-13-3南ベトナム1974年05月13日1970年代キエム首相,各省知事に対し,肥料を公定価格で農民に供給するための緊急措置を命令。業者の指定,在庫の申告など。
DIA-201-1974-05-13-4南ベトナム1974年05月13日1970年代(東京)日本硫安工業協会発表,来日中のナン蔵相,尿素20万トンの輸出を日本に申し入れ。
DIA-201-1974-05-15-1南ベトナム1974年05月15日1970年代革命政府外務省声明,サイゴン側の代表団特権侵害に抗議。
DIA-201-1974-05-16-1南ベトナム1974年05月16日1970年代バック外相,記者会見で北ベトナム外相ないし高官との会談を提案。
DIA-201-1974-05-16-2南ベトナム1974年05月16日1970年代コンツム北85キロのDak Pek政府軍レンジャー大隊(369人)基地陥落。住民4000人。
DIA-201-1974-05-16-3南ベトナム1974年05月16日1970年代外務省発表,ウルグァイ共和国と大使級国交樹立で合意。承認国はこれで91。
DIA-201-1974-05-17-1南ベトナム1974年05月17日1970年代解放勢力,サイゴン北40キロのビンズオン省Ben Cat南西1.5キロのAn Dien政府軍地方軍陣地を攻撃,占領。
DIA-201-1974-05-17-2南ベトナム1974年05月17日1970年代グエン・バン・ヒュー代表,パリを離れる。22日英国訪問。
DIA-201-1974-05-17-3南ベトナム1974年05月17日1970年代ベトナム共和国,コスタリカと大使級外交関係樹立。
DIA-201-1974-05-18-1南ベトナム1974年05月18日1970年代ベトナム語新聞,50ピアストルから60ピアストルに値上げ。
DIA-201-1974-05-20-1南ベトナム1974年05月20日1970年代19~20日未明にかけ,ビンズオン省Phu Giao町,砲撃さる。
DIA-201-1974-05-20-2南ベトナム1974年05月20日1970年代Nha Be貯油所で爆破事件。
DIA-201-1974-05-20-3南ベトナム1974年05月20日1970年代メコン沖大陸棚開発権第2次入札。全10鉱区を6グループが入札。
DIA-201-1974-05-21-1南ベトナム1974年05月21日1970年代20日夜~21日朝,解放勢力,Ben Cat町を砲撃,100発。
DIA-201-1974-05-21-2南ベトナム1974年05月21日1970年代下院,領海12海里に関する法案可決。
DIA-201-1974-05-22-1南ベトナム1974年05月22日1970年代(ワシントン)米上院,75年度対南ベトナム軍事援助増額を否決,前年度と同じ上限を決める。
DIA-201-1974-05-22-2南ベトナム1974年05月22日1970年代革命政府外務省声明,パリに常駐代表部を開設,22日から業務開始。
DIA-201-1974-05-22-3南ベトナム1974年05月22日1970年代解放婦人連合会代表団,ポーランド訪問,25日ソ連訪問。
DIA-201-1974-05-23-1南ベトナム1974年05月23日1970年代(東京)グエン・チュー・ダン新駐日大使,着任。
DIA-201-1974-05-24-1南ベトナム1974年05月24日1970年代解放勢力,ウーミン森のはずれキエンフォン近くの政府軍民兵基地を攻撃,政府側死20,傷29。
DIA-201-1974-05-25-1南ベトナム1974年05月25日1970年代解放勢力,カント北西10キロTra Not空港に侵入,ヘリ7機を破損。
DIA-201-1974-05-26-1南ベトナム1974年05月26日1970年代政府軍レンジャー部隊,サイゴン北45キロのベンカト周辺で作戦,1個師団と戦車100台を投入。An Dien村に突入。
DIA-201-1974-05-27-1南ベトナム1974年05月27日1970年代チュー大統領政治特別顧問グエン・バン・ガンスパイ容疑で解任さる。28日,政府スポークスマン,この報道を否定。
DIA-201-1974-05-28-1南ベトナム1974年05月28日1970年代ハノイ市人民代表(団長Tran Duy Hung市長),クァンチ解放区訪問。
DIA-201-1974-05-29-1南ベトナム1974年05月29日1970年代国道4号Ba Ton橋完成式。旧橋は68年の攻勢で破壊。
DIA-201-1974-05-29-2南ベトナム1974年05月29日1970年代閣議,第2次石油入札結果を了承。31日正式発表。
DIA-201-1974-05-30-1南ベトナム1974年05月30日1970年代北ベトナム,革命政府,4者合同軍事チーム会議を,両代表団に対する11項目の外交特権が回復されるまでボイコットすると表明,退席。同チームは米軍の行方不明者の捜索や戦死者の遺骨引取り問題を話し合ってきた。
DIA-201-1974-05-30-2南ベトナム1974年05月30日1970年代バンメトト北西40キロのTieu-a-Tar基地陥落。山岳民族地方軍133人が守備,住民1000人は15日前に立ち退き。同基地は72年末以来陸路を断たれていた。
DIA-201-1974-05-30-3南ベトナム1974年05月30日1970年代Camau-Daingai水路完成。450トンの船が航行可能。
DIA-201-1974-05-31-1南ベトナム1974年05月31日1970年代チュー大統領,軍首脳会議。武器の倹約について。
DIA-201-1974-05-31-2南ベトナム1974年05月31日1970年代ビン革命政府外相,北京に立ち寄り,2日発。
DIA-201-1974-06-03-1南ベトナム1974年06月03日1970年代ビエンホア空軍基地,砲撃(42発)さる。弾薬集積所に命中,500発のナパーム弾が爆発。タンヒェプ政治犯収容所にも命中,政治犯など死18。 サイゴン市東5キロ,サイゴン川で韓国貨物船,爆破さる。
DIA-201-1974-06-03-2南ベトナム1974年06月03日1970年代第3軍区軍事法廷,砂糖退蔵容疑の9人に死刑判決。
DIA-201-1974-06-03-3南ベトナム1974年06月03日1970年代投資開発庁(IDA)および石油・鉱物庁(PMA)設置令。
DIA-201-1974-06-03-4南ベトナム1974年06月03日1970年代(パリ)革命政府代表部声明「タンヒェプ刑務所砲撃は政府軍」
DIA-201-1974-06-03-5南ベトナム1974年06月03日1970年代(モスクワ)Ng. Thi Dinh夫人にレーニン平和賞授与。受賞は68年4月。
DIA-201-1974-06-04-1南ベトナム1974年06月04日1970年代政府軍,サイゴン北40キロのAn Dieng村を奪回。6月1日からはじまった作戦で政府軍死30,傷105。解放軍2個大隊(400人)をせん滅,但し半分は空爆で。
DIA-201-1974-06-04-2南ベトナム1974年06月04日1970年代革命政府外務省発表,5月20日ギニアビサウと大使館外交関係樹立(昨年9月28日合意)。
DIA-201-1974-06-05-1南ベトナム1974年06月05日1970年代Tran Ngoc Chau元下院議員,釈放さる。
DIA-201-1974-06-05-2南ベトナム1974年06月05日1970年代解放放送;ト議長,革命政府樹立5周年記念式典でタンソンニャト基地内の革命政府代表団特権が回復されれば,交渉の席に復帰と言明。
DIA-201-1974-06-06-1南ベトナム1974年06月06日1970年代解放勢力2個連隊(5000人),700発の砲撃の後タンクを出動させて,ラオス国境のDakpekレンジャー大隊基地を占領。
DIA-201-1974-06-06-2南ベトナム1974年06月06日1970年代5~6日,解放勢力,戦車T54を出動させてAn Dieng村を攻撃。解放側死145,政府側死27,傷63。
DIA-201-1974-06-07-1南ベトナム1974年06月07日1970年代JMC政府首席代表ヒェプ将軍,①革命政府代表団と外部との電話連絡 ②毎週土曜日の記者会見 ③週2回のサイゴン―ロクニン間ヘリ飛行の3点の特権復活を発表。
DIA-201-1974-06-07-2南ベトナム1974年06月07日1970年代マーチン米大使,チュー大統領と会談。
DIA-201-1974-06-08-1南ベトナム1974年06月08日1970年代革命政府代表発表,JMC,JMTに復帰。
DIA-201-1974-06-10-1南ベトナム1974年06月10日1970年代キエンジャン省Kien Thanhでクメール系僧侶,徴兵反対でデモ。
DIA-201-1974-06-10-2南ベトナム1974年06月10日1970年代(モガジシオ)ビン外相,マダガスカル外相と外交関係樹立協定調印。14日,モーリシャス首相と外交樹立共同声明。
DIA-201-1974-06-11-1南ベトナム1974年06月11日1970年代JMC,1ヵ月ぶりに会合,政府側ヒェプ,革命政府側トアン代表出席。ヒェプ代表は停戦問題討議を主張。トアン代表は革命政府代表特権問題討議を主張,政府側もこれを了承。またトアン代表は4者合同軍事委チームへの復帰を通告。
DIA-201-1974-06-11-2南ベトナム1974年06月11日1970年代解放勢力,サイゴン北東80キロのスァンロク市付近の政府軍レンジャー基地を占領。
DIA-201-1974-06-11-3南ベトナム1974年06月11日1970年代未明,タイニン省の郡都ヒューチェン北の地方軍基地4ヵ所,砲撃さる。地方軍はヒューチェン北11キロの基地から撤退。
DIA-201-1974-06-12-1南ベトナム1974年06月12日1970年代73年6月13日共同声明1週年にあたり,外務省声明,共産側の侵入を非難。
DIA-201-1974-06-13-1南ベトナム1974年06月13日1970年代サイゴン―ロクニン間飛行2ヵ月ぶりに再開。 タンソンニャトで4者合同軍事チーム再開。米代表は1000人以上の行方不明者最新リストと1200人の未発見死者リストを提出,北側は外交特権に関する文書による合意を要求。
DIA-201-1974-06-13-2南ベトナム1974年06月13日1970年代9万リットルの石油を積んだタンカー,サイゴン北30キロのドンナイ川で爆破さる。
DIA-201-1974-06-13-3南ベトナム1974年06月13日1970年代ドン副首相,議会連絡も兼務。
DIA-201-1974-06-16-1南ベトナム1974年06月16日1970年代政府,香港から118人の中国系ベトナム人を送還させる。
DIA-201-1974-06-16-2南ベトナム1974年06月16日1970年代クァンチ省Dong Tri東南1キロで米無人偵察機が撃墜さる。
DIA-201-1974-06-17-1南ベトナム1974年06月17日1970年代17~18日,カント市で100人の僧侶が6月10日のKien Thanh事件(警官との衝突で4人死)に関連してデモ。
DIA-201-1974-06-17-2南ベトナム1974年06月17日1970年代政府軍,国道1号打開作戦。同国道は11日以来,サイゴンから64キロのXuan Loc付近で不通になっていた。18日開通。
DIA-201-1974-06-18-1南ベトナム1974年06月18日1970年代JMCならびに4者合同軍事チームの北ベトナム,革命政府代表,退席。米・チュー政権の会談妨害と戦争強化に抗議した。
DIA-201-1974-06-18-2南ベトナム1974年06月18日1970年代サイゴンで301人の司祭,汚職・社会悪に抗議する宣言発表。
DIA-201-1974-06-18-3南ベトナム1974年06月18日1970年代米大使館,北側のJMC退席に抗議して声明発表。
DIA-201-1974-06-19-1南ベトナム1974年06月19日1970年代(パリ)革命政府代表団,サイゴン米大使館の非難に反論して,米国の軍事援助強化と内政干渉に抗議。
DIA-201-1974-06-19-2南ベトナム1974年06月19日1970年代政府軍,クアベト沖で北ベトナム船を撃沈。
DIA-201-1974-06-22-1南ベトナム1974年06月22日1970年代解放勢力,サイゴン北40キロの第82基地奪回作戦中の政府軍を1000発砲撃。
DIA-201-1974-06-23-1南ベトナム1974年06月23日1970年代北側発表,JMCとJMT出席を中断。
DIA-201-1974-06-23-2南ベトナム1974年06月23日1970年代日本とマレーシアの漁船,だ捕さる。24日釈放。
DIA-201-1974-06-24-1南ベトナム1974年06月24日1970年代ユエ北西15キロの燃料庫で爆発,23日ユエ南東11キロの弾薬庫で爆発。
DIA-201-1974-06-26-1南ベトナム1974年06月26日1970年代解放勢力,ビエンホアLong Thanh町北7キロのYen The訓練センターに40発の砲撃。
DIA-201-1974-06-27-1南ベトナム1974年06月27日1970年代4グループ,第2次石油開発契約に認印。 (OMCOは未調印)
DIA-201-1974-07-01-1南ベトナム1974年07月01日1970年代政府,肥料供給,公務員給与引上げ,ぜいたく品輸入規制などの措置を発表。
DIA-201-1974-07-03-1南ベトナム1974年07月03日1970年代国銀,輸出決済に円,マルク,シンガポール・ドルなど14ヵ国の通貨の使用を認める。
DIA-201-1974-07-03-2南ベトナム1974年07月03日1970年代Montgomery米民主党下院議員,行方不明米兵捜索問題で革命政府代表Vo Tho Son大佐と会見。
DIA-201-1974-07-04-1南ベトナム1974年07月04日1970年代軍事法廷,Long An密輸事件(74年1月31日発覚)で,59被告に死刑(1人)を含む判決。
DIA-201-1974-07-04-2南ベトナム1974年07月04日1970年代駐オーストリア全権代表を,大使館に格上げする法令。駐トーゴ大使館設置令。6月4日には駐サウジアラビア大使館設置令。
DIA-201-1974-07-04-3南ベトナム1974年07月04日1970年代先月だ捕されたタイ漁船6隻,釈放さる。
DIA-201-1974-07-04-4南ベトナム1974年07月04日1970年代日本から南ベトナムに対する5億4000万円のチョーライ病院用機材の贈与に関する書簡交換。チョーライ病院は全面改築工事実施中。
DIA-201-1974-07-05-1南ベトナム1974年07月05日1970年代サイゴンを13キロの省都Phu Cuong市,砲撃さる。同市にはBen Cat作戦前進司令部がある。
DIA-201-1974-07-05-2南ベトナム1974年07月05日1970年代ピアストル平価,1ドル=630ピアストルに切下げ。
DIA-201-1974-07-05-3南ベトナム1974年07月05日1970年代UNDPとクァンチ省灌漑計画援助協定調印。
DIA-201-1974-07-07-1南ベトナム1974年07月07日1970年代解放軍,タイニン省上空で政府軍F5機を撃墜,パイロットを捕虜に。
DIA-201-1974-07-07-2南ベトナム1974年07月07日1970年代政府軍,Ben Cat南西地区を60波で爆撃。
DIA-201-1974-07-08-1南ベトナム1974年07月08日1970年代米国からF5E4機,供与。
DIA-201-1974-07-09-1南ベトナム1974年07月09日1970年代解放婦人連合会代表団(団長ディン会長),ハンガリー訪問。18日キューバ訪問。8月3日帰途北京着,9月18日ハノイから解放区へ。
DIA-201-1974-07-09-2南ベトナム1974年07月09日1970年代ビン革命政府外相,アルジェ到着,16日,ギニア21日,東独訪問。
DIA-201-1974-07-11-1南ベトナム1974年07月11日1970年代政府軍,サイゴン東80キロで2日前に切断された国道1号を再開。
DIA-201-1974-07-11-2南ベトナム1974年07月11日1970年代傷夷軍人,ICCS前で焼身自殺。
DIA-201-1974-07-14-1南ベトナム1974年07月14日1970年代市・省議会選挙,解放勢力の攻勢276件。政府軍死70(うち25がメコン・デルタ),傷236,市民死23,傷13。
DIA-201-1974-07-14-2南ベトナム1974年07月14日1970年代Nam Viet銀行(頭取Pham San),不正融資で閉鎖処分。
DIA-201-1974-07-17-1南ベトナム1974年07月17日1970年代解放勢力,カント南東8キロのThanh An村を攻撃。政府側守備隊全滅,死19,傷16。
DIA-201-1974-07-17-2南ベトナム1974年07月17日1970年代ICCS,3ヵ月ぶりに会合。
DIA-201-1974-07-18-1南ベトナム1974年07月18日1970年代解放勢力,ダナン市南方40キロの政府軍レンジャー部隊(400人)基地Da Trachを砲撃。19日間基地陥落。同地はAn Hoa工業地域に近い。
DIA-201-1974-07-18-2南ベトナム1974年07月18日1970年代行方不明者問題青年会,サイゴン訪問。
DIA-201-1974-07-19-1南ベトナム1974年07月19日1970年代解放勢力,ダナン空軍基地を25発砲撃。
DIA-201-1974-07-19-2南ベトナム1974年07月19日1970年代ピアストル平価,1ドル=640ピアストルに切下げ。
DIA-201-1974-07-21-1南ベトナム1974年07月21日1970年代数千人の急進カトリック,ビエンホア近くで,14日の地方選挙のトリックに抗議デモ,省知事の辞任を要求。
DIA-201-1974-07-25-1南ベトナム1974年07月25日1970年代解放勢力,ダナン市南西30キロの郡都ズクズク周辺数キロの政府軍陣地を砲撃,5000発。政府軍機も150トンの爆撃投下。
DIA-201-1974-07-26-1南ベトナム1974年07月26日1970年代キエム首相,下院で情勢報告。
DIA-201-1974-07-27-1南ベトナム1974年07月27日1970年代ダナン北西13キロの国道1号線のNam ○橋,爆破さる。
DIA-201-1974-07-29-1南ベトナム1974年07月29日1970年代解放勢力,ダナン南南西40キロの郡都Thuong Duc(人口1.5万人)を砲撃(1500発)の後地上攻撃。Duy Xuyen,Duc Duc,Dai Locのクァンナム省3郡都も攻撃。ダナン空港とその周辺も砲撃70発。
DIA-201-1974-07-29-2南ベトナム1974年07月29日1970年代豪政府,世銀・アジア開銀のインドシナ復興計画に不参加を決定。
DIA-201-1974-08-01-1南ベトナム1974年08月01日1970年代解放勢力,ダナン南西45~48キロの2ヵ村(民兵守備)と2基地を占領。政府軍,2日一部を残して奪回。
DIA-201-1974-08-01-2南ベトナム1974年08月01日1970年代革命政府外務省,米国のチュー政権への援助強化を非難する声明。
DIA-201-1974-08-01-3南ベトナム1974年08月01日1970年代JMC政府代表,ICCSに対し,解放勢力のThuong Duc,Duc Duc攻撃について抗議書。
DIA-201-1974-08-01-4南ベトナム1974年08月01日1970年代解放放送,革命政府,第3次国連海洋法会談に関連して,サイゴン政府の主張を非難。
DIA-201-1974-08-06-1南ベトナム1974年08月06日1970年代外務省声明「共産側が中部の郡都を占領しても,パリ協定を破棄することはない」3日,最高司令部スポークスマンは,Thuong Duc,Duc Duc,Mongbukの3郡都のうち1つでも陥落すれば,パリ協定の破棄とみなすと言明していた。
DIA-201-1974-08-07-1南ベトナム1974年08月07日1970年代ダナン南西44キロの郡都Thuong Duc(人口1.4万人)陥落。政府軍レンジャー1個大隊と地方軍が守備。
DIA-201-1974-08-08-1南ベトナム1974年08月08日1970年代政府軍,クァンチ,トアチェン両省から空てい部隊1個旅団をクァンナム省に投入することを決定。これまで第1,第3師団からの部隊で対処。
DIA-201-1974-08-08-2南ベトナム1974年08月08日1970年代サイゴンの24の私設通信社,閉鎖処分に。
DIA-201-1974-08-08-3南ベトナム1974年08月08日1970年代チュー大統領,国家安保会議招集(ニクソン辞任に伴い)。三軍に厳戒態勢指示。
DIA-201-1974-08-08-4南ベトナム1974年08月08日1970年代キエム首相,Lehman米代理大使(マーチン米大使は帰米中)と会見。首相府コミュニケ「米新政権は軍事・経済支援続行」
DIA-201-1974-08-10-1南ベトナム1974年08月10日1970年代ビエンホア空軍基地,122ミリ・ロケット砲撃16発を受ける。F-5A機4機も損傷。
DIA-201-1974-08-11-1南ベトナム1974年08月11日1970年代南ベトナムAA人民連帯代表団(団長チャン・ホアイ・ナム),モスクワ訪問。
DIA-201-1974-08-12-1南ベトナム1974年08月12日1970年代ダニム送電計画第1段階(ダニム―ファンラン間)完成。
DIA-201-1974-08-15-1南ベトナム1974年08月15日1970年代サイゴン北方30キロのビンズオン省フークオン近くで戦闘,解放勢力死100,政府軍死30数人。
DIA-201-1974-08-15-2南ベトナム1974年08月15日1970年代傷夷軍人,国会前で焼身自殺。
DIA-201-1974-08-16-1南ベトナム1974年08月16日1970年代解放戦線代表団(団長チェン・ハオ師),友好訪問のため北京到着。
DIA-201-1974-08-16-2南ベトナム1974年08月16日1970年代スウェーデン政府代表団(団長レオナ・クラクケンベ外務次官),解放区訪問。18日まで。
DIA-201-1974-08-17-1南ベトナム1974年08月17日1970年代サイゴン北方ハウギア省クチのJMC事務所,爆破さる。革命政府は同委を目下ボイコット。
DIA-201-1974-08-17-2南ベトナム1974年08月17日1970年代解放勢力,サイゴン北方30キロのベンカトを戦車で攻撃。
DIA-201-1974-08-17-3南ベトナム1974年08月17日1970年代Pecten Vietnam社,コンソン島南南東250キロで石油試掘開始。
DIA-201-1974-08-18-1南ベトナム1974年08月18日1970年代政府軍支配下にあったダナン南方140キロのクァンガイ省郡都Minh Long(人口3500人)が陥落。
DIA-201-1974-08-18-2南ベトナム1974年08月18日1970年代キエム首相,サイゴン・ジアディン発展支援計画令に署名。資金10億ピアストル(米援助見返り資金),失業者吸収が目的。
DIA-201-1974-08-19-1南ベトナム1974年08月19日1970年代コンツム北東60キロのMang Buk政府軍基地(政府軍1個大隊守備),陥落。
DIA-201-1974-08-19-2南ベトナム1974年08月19日1970年代日本援助のチョーライ病院(国立総合病院)引渡し式。
DIA-201-1974-08-20-1南ベトナム1974年08月20日1970年代政府軍100人,タイニン市南西11キロ(サイゴン北西70キロ)のPhuoc Tan陣地を放棄。またタイニン市東南カウコイ基地も放棄。
DIA-201-1974-08-21-1南ベトナム1974年08月21日1970年代クァンチ市,迫撃砲6発を撃ち込まれる。
DIA-201-1974-08-21-2南ベトナム1974年08月21日1970年代(ストックホルム)スウェーデン,革命政府広報事務所の総代表部昇格を承認。
DIA-201-1974-08-22-1南ベトナム1974年08月22日1970年代通産省,輸入禁止10品目追加。
DIA-201-1974-08-23-1南ベトナム1974年08月23日1970年代ピアストル平価,1ドル=655ピアストルに切下げ。
DIA-201-1974-08-26-1南ベトナム1974年08月26日1970年代解放戦線,革命政府代表団(団長ト議長,副団長タオ平和連盟議長),北朝鮮訪問,30日共同声明。9月5日ダッカ立寄り。同日東独訪問,9日共同声明。11日チェコ訪問,13日,1975年度無償経済援助協定調印,15日共同声明調印。16日アルバニア訪問,19日1975年度無償経済援助協定調印,20日共同声明調印。20日ブルガリア訪問,24日1975年度無償経済援助協定調印,共同声明調印。30日モンゴル訪問,10月3日1975-76年度無償経済援助協定調印,共同声明調印。4日モスクワ立寄り。7日シリア訪問,10日共同声明調印。10日イラク訪問,14日共同声明調印。17日ベルリン,タシケント,ダッカ経由ハノイ到着。
DIA-201-1974-08-26-2南ベトナム1974年08月26日1970年代政府,ICCSに対し解放勢力側のThuong Duc,Minh Long,Mang Buk占領を非難する覚書手交。
DIA-201-1974-08-27-1南ベトナム1974年08月27日1970年代バック外相,上院外交委で証言「完全に独立な外交政策を追求していく」
DIA-201-1974-08-28-1南ベトナム1974年08月28日1970年代クォン通産相,ペクテン・ベトナム石油会社がローズ・No.8で有望な油田の存在を確認と発表。
DIA-201-1974-08-29-1南ベトナム1974年08月29日1970年代プレーク南35キロのPleime付近で戦闘。政府軍死15,傷50,解放側死105。Pleimeは1ヵ月来包囲されている。
DIA-201-1974-08-29-2南ベトナム1974年08月29日1970年代解放勢力,ユエ南方を攻撃。
DIA-201-1974-08-29-3南ベトナム1974年08月29日1970年代(パリ)パリ会談革命政府代表団スポークスマン言明大陸棚石油開発に関するチュー政府と石油会社ならびに関係国のすべての契約はすべて無効である」
DIA-201-1974-08-29-4南ベトナム1974年08月29日1970年代政府,カンボジア政府に,Poulo Waiでの石油採掘に抗議。
DIA-201-1974-08-31-1南ベトナム1974年08月31日1970年代JMC政府代表団,革命政府代表団に対し,ダナン南西の戦闘で民間人を捕虜にしていることに抗議。
DIA-201-1974-09-01-1南ベトナム1974年09月01日1970年代国道1号,サイゴン東96キロで切断さる。
DIA-201-1974-09-01-2南ベトナム1974年09月01日1970年代ホアビン紙,1日付から自主休刊。
DIA-201-1974-09-02-1南ベトナム1974年09月02日1970年代Alhaji Alieu Badaraガンビア外相,サイゴン訪問。
DIA-201-1974-09-03-1南ベトナム1974年09月03日1970年代ペンクラブ(Thanh Lang会長),ブリュッセルの第11回国際作家会議にあて,言論の自由回復のために国際的支援を要請。
DIA-201-1974-09-05-1南ベトナム1974年09月05日1970年代西独からの借款協定調印。4000万マルク(1500万ドル相当),年利2%,10年据置き,30年返済。
DIA-201-1974-09-06-1南ベトナム1974年09月06日1970年代革命政府外務省,ICCSならびにパリ会議参加国に米とチュー政権の行動を非難する覚書。
DIA-201-1974-09-07-1南ベトナム1974年09月07日1970年代ペンクラブ代表,ニャ情報相と会見。
DIA-201-1974-09-07-2南ベトナム1974年09月07日1970年代ジャーナリスト同盟(グエン・キエン・ジァン会長),ブリュッセルの国際ジャーナリスト連盟に,言論の自由回復闘争に支援を求める電報。
DIA-201-1974-09-07-3南ベトナム1974年09月07日1970年代JMC革命政府代表団次席代表ボー・ドン・ジァン大佐,会見でサイゴン政府の油田開発に警告。
DIA-201-1974-09-08-1南ベトナム1974年09月08日1970年代ユエでカトリックを中心に3000人が汚職反対,新聞の自由を要求してデモ。
DIA-201-1974-09-08-2南ベトナム1974年09月08日1970年代Dang Van Quang大統領軍事顧問,ジャカルタへ。9日Bui Diem特使もジャカルタへ。ICCS問題,大陸棚問題を協議。
DIA-201-1974-09-09-1南ベトナム1974年09月09日1970年代先週末,ユエ南東の政府軍歩兵大隊陣地が占領さる。
DIA-201-1974-09-09-2南ベトナム1974年09月09日1970年代グエン・バン・ビン下院議員ら,「反汚職救国平和国民運動(PMAC)」の名で,大統領に対する告発第1条を発表。
DIA-201-1974-09-10-1南ベトナム1974年09月10日1970年代チュー大統領,Le Van Tu,Tran Quoc Lich両将軍を,兵員数のごまかしの疑いで解雇。
DIA-201-1974-09-10-2南ベトナム1974年09月10日1970年代ミン将軍,和解運動を国民に呼びかけ。
DIA-201-1974-09-11-1南ベトナム1974年09月11日1970年代ユエ南東19キロのPhu Locで国道1号上の橋爆破さる。
DIA-201-1974-09-12-1南ベトナム1974年09月12日1970年代下院会議室で,「新聞の自由を守る闘争委」主催の会合。ゴ・バ・タン女史ら出席。
DIA-201-1974-09-12-2南ベトナム1974年09月12日1970年代計画省,4.65億ドルの開発計画発表,外国援助を要請。
DIA-201-1974-09-12-3南ベトナム1974年09月12日1970年代外務省発表,ホンジュラスと大使級外交関係樹立。
DIA-201-1974-09-13-1南ベトナム1974年09月13日1970年代イエメン,革命政府承認を発表(42番目)。
DIA-201-1974-09-13-2南ベトナム1974年09月13日1970年代カントで仏教徒集会。
DIA-201-1974-09-14-1南ベトナム1974年09月14日1970年代午前6時までの24時間に,トアチェン省の12の政府軍基地・陣地が砲撃さる。ユエ南24キロのLa Son政府軍陣地,攻撃さる。
DIA-201-1974-09-14-2南ベトナム1974年09月14日1970年代外務省声明,共産側の停戦違反に抗議。
DIA-201-1974-09-14-3南ベトナム1974年09月14日1970年代アンクアン寺で民族和解勢力発足式。
DIA-201-1974-09-15-1南ベトナム1974年09月15日1970年代「新聞の検閲・没収に抵抗する委員会」(委員長,ダイザントク紙のボー・ロン・チュー社長)発足。
DIA-201-1974-09-15-2南ベトナム1974年09月15日1970年代ユエでデモ。
DIA-201-1974-09-16-1南ベトナム1974年09月16日1970年代ユエ市長Ton That Khien大佐,更迭さる。 デモ鎮圧に催涙ガスその他強圧手段を使用したため。
DIA-201-1974-09-17-1南ベトナム1974年09月17日1970年代ドンハ市周辺上空で米軍無人偵察機1機撃墜さる。
DIA-201-1974-09-17-2南ベトナム1974年09月17日1970年代トアチェン省,ビンディン省,フエン省,ビエンホア省,フォクロン省,ビンロン省,カンガイ省,サデク省,キエンジァン省の知事,更迭さる。
DIA-201-1974-09-18-1南ベトナム1974年09月18日1970年代この20ヵ月ICCSが契約しているAir AmericaとPacific Architects and Engineersは,ICCSに対し経費支払いを要請。南とアメリカは2450万ドルの予算を認めているが,革命政府と北はこれを認めていない。
DIA-201-1974-09-19-1南ベトナム1974年09月19日1970年代Hoang Ouynh神父,タン神父の大統領批判を支持せず。
DIA-201-1974-09-19-2南ベトナム1974年09月19日1970年代情報省がソンタン紙の発行停止と没収を決定したのに対し,同紙は刷りあがった新聞を焼却。
DIA-201-1974-09-19-3南ベトナム1974年09月19日1970年代ダナン市で失業者200人,生活権を要求してハンガー・スト。
DIA-201-1974-09-19-4南ベトナム1974年09月19日1970年代バック外相,バンコク訪問。
DIA-201-1974-09-19-5南ベトナム1974年09月19日1970年代米国婦人代表団,クァンチ省解放区訪問。
DIA-201-1974-09-20-1南ベトナム1974年09月20日1970年代カンガイ市南西50キロのGia Vucレンジャー陣地(400人守備),陥落。
DIA-201-1974-09-20-2南ベトナム1974年09月20日1970年代情報省,「告発第1号」を掲載した6紙を発行停止,没収処分に。これに対し新聞側は焼却で抵抗。
DIA-201-1974-09-21-1南ベトナム1974年09月21日1970年代ダナン南西別キロのDa Locで政府軍降下大隊攻撃さる,死14,傷60。
DIA-201-1974-09-21-2南ベトナム1974年09月21日1970年代政府軍海兵隊,ユエ西方で停戦後最大の戦闘,死10傷31,解放勢力死261。
DIA-201-1974-09-21-3南ベトナム1974年09月21日1970年代日本法務省,革命政府グエン・バン・タン氏の入国許可。
DIA-201-1974-09-22-1南ベトナム1974年09月22日1970年代サイゴンのクアンフォン寺で「飢餓救済国民戦線」結成大会,議長にアンクァン寺のティエン・ファップ師,副議長にカトリックのファン・カク・ツー神父,カオダイ系の反政府紙発行者ホン・ソン・ドン氏,ホアハオ教の下院議員ブー・コン・ミン氏の3人を選出。
DIA-201-1974-09-23-1南ベトナム1974年09月23日1970年代政府,74~75年ICCS予算負担分の半分に当たる282万ドルを支払い(同予算は2459万ドル)。25日,米国も408万ドル追加支払い。
DIA-201-1974-09-25-1南ベトナム1974年09月25日1970年代政府,ディエンチン紙を没収。
DIA-201-1974-09-26-1南ベトナム1974年09月26日1970年代政治犯代表団(団長グエン・ロン弁護士),パリ到着。
DIA-201-1974-09-26-2南ベトナム1974年09月26日1970年代ピアストル平価1ドル=670ピアストルに切下げ。
DIA-201-1974-09-27-1南ベトナム1974年09月27日1970年代解放勢力,ユエのフーバイ空港とその周辺に173発の砲撃。
DIA-201-1974-09-27-2南ベトナム1974年09月27日1970年代チンルアン,チアサン,チャンデン,ドンフォンの4紙,発禁・没収処分に,化導院の平和アピールの紹介が対象に。
DIA-201-1974-09-27-3南ベトナム1974年09月27日1970年代化導院声明,政府に対し解放勢力側との交渉再開要求,またチュー中将の退陣を要求。
DIA-201-1974-09-27-4南ベトナム1974年09月27日1970年代グラナダ共和国と大使級外交関係樹立。
DIA-201-1974-09-27-5南ベトナム1974年09月27日1970年代解放戦線舞踊代表団,ハノイで公演。
DIA-201-1974-09-29-1南ベトナム1974年09月29日1970年代PMCAサイゴン市場前で集会。
DIA-201-1974-09-30-1南ベトナム1974年09月30日1970年代マーチン米大使,2ヵ月ぶりに帰任。
DIA-201-1974-10-01-1南ベトナム1974年10月01日1970年代クレメンツ米国防次官,サイゴン訪問。
DIA-201-1974-10-01-2南ベトナム1974年10月01日1970年代民族和解勢力,パリ協定調印国に公開状。
DIA-201-1974-10-02-1南ベトナム1974年10月02日1970年代コンツム市と海岸を結ぶ省道上の郡都Chuong Nghia付近の2陣地,陥落。
DIA-201-1974-10-02-2南ベトナム1974年10月02日1970年代バック外相,ハイチ共和国外相と国連本部で会談,大使級外交関係樹立で合意。
DIA-201-1974-10-03-1南ベトナム1974年10月03日1970年代レ・クイ・チュン下院議員,グエン・リュー教授ら15人,チュー大統領の辞任を要求するコミュニケ。
DIA-201-1974-10-03-2南ベトナム1974年10月03日1970年代Ng Minh Dang議員,ニャ情報相が報道機関対策に権力を乱用し,また国銀総裁から海外情報スタッフのため3000万ピアストルを得ていると非難。
DIA-201-1974-10-03-3南ベトナム1974年10月03日1970年代サイゴン法曹協会決議,政府に対し民主主義に反する法律の撤廃を要求。
DIA-201-1974-10-04-1南ベトナム1974年10月04日1970年代政府軍,ビンズオン省Ben Cat南西5キロの82陣地を奪回。同陣地はAn Dien村,Rach Bap陣地と共に5月16日陥落,An Dien村は6月4日奪回,Rach Bapはまだ占領されている。
DIA-201-1974-10-04-2南ベトナム1974年10月04日1970年代内務省声明,72年戒厳令は有効であり,違反者は処罰される。
DIA-201-1974-10-04-3南ベトナム1974年10月04日1970年代カントで84人のカトリック神父が反汚職運動を支援する声明。
DIA-201-1974-10-04-4南ベトナム1974年10月04日1970年代マウ民族和解勢力議長,チュー中将の辞職を要求する声明。
DIA-201-1974-10-04-5南ベトナム1974年10月04日1970年代革命政府外務省,サイゴン政府に捕虜釈放を要求する声明発表。
DIA-201-1974-10-06-1南ベトナム1974年10月06日1970年代共和党,チュー大統領,フォン副大統領の辞任を要求する声明。
DIA-201-1974-10-06-2南ベトナム1974年10月06日1970年代PMACサイゴン北10キロのジアディン省ソムマイ部落のタイビン教会,同省チホア地区のロイフン教会でそれぞれ1500人,2000人を集め,チエー政権批判集会。
DIA-201-1974-10-08-1南ベトナム1974年10月08日1970年代革命政府,現情勢について声明発表。
DIA-201-1974-10-08-2南ベトナム1974年10月08日1970年代ドン副首相,74/75年度援助要請のためニューヨークからパリ到着。
DIA-201-1974-10-10-1南ベトナム1974年10月10日1970年代新聞関係者200人,サイゴンで新聞法廃棄を要求してデモ行進。
DIA-201-1974-10-10-2南ベトナム1974年10月10日1970年代傷夷軍人協会,3項目決議。
DIA-201-1974-10-12-1南ベトナム1974年10月12日1970年代言論弾圧に抗議して,ザンチューなど,政府系3紙と仏語紙・中国語紙を除くサイゴンの新聞に社が一斉休刊。
DIA-201-1974-10-12-2南ベトナム1974年10月12日1970年代化導院,大統領あて書簡発表,政府のデモ取締まり撤廃を要求。
DIA-201-1974-10-13-1南ベトナム1974年10月13日1970年代PMACジアディン省ホクモンのタンミ教会で1200人を集めてチュー大統領弾劾集会。サイゴン市内では仏教徒を中心とする政治犯釈放委集会。
DIA-201-1974-10-14-1南ベトナム1974年10月14日1970年代下院議長選挙,Ng Ba Can議長再選。第1回投票では79:77で再選されず,延期の後再開された投票では82人の議員が退場,74:0でCan議長再選。
DIA-201-1974-10-14-2南ベトナム1974年10月14日1970年代Dan Quyen(民権)グループの国会議員22人,新聞法,汚職,インフレに抗議してデモ。
DIA-201-1974-10-15-1南ベトナム1974年10月15日1970年代政府代表Hiep准将言明「共産側は3万人の兵士と7万人の政府側民間人を捕虜にし,南下道路建設に使っている」
DIA-201-1974-10-15-2南ベトナム1974年10月15日1970年代サイゴン郊外計画基金(40億ピアストル),最近の閣議で承認さる。5万人の労働者に職を提供する。
DIA-201-1974-10-15-3南ベトナム1974年10月15日1970年代平和連盟,サイゴン市民にアピール。
DIA-201-1974-10-17-1南ベトナム1974年10月17日1970年代Tran Van Lam上院議長,38:2で再選さる。 反対派10人退場。
DIA-201-1974-10-17-2南ベトナム1974年10月17日1970年代クァンガイ市で民族和解勢力がデモ,700人。
DIA-201-1974-10-17-3南ベトナム1974年10月17日1970年代(パリ)インドシナ援助国際会議。
DIA-201-1974-10-18-1南ベトナム1974年10月18日1970年代グエン・バン・ミン大司教,世界司教会議参加のためサイゴンを出発,ローマへ。ローマで北ベトナムのチン・バン・カン司教と会談の予定。
DIA-201-1974-10-20-1南ベトナム1974年10月20日1970年代サイゴンの新聞発行者協会,26紙に対し,21日から政府活動に関する記事を掲載しないこと,毎日情報省が行う記者会見のボイコットを指示。
DIA-201-1974-10-20-2南ベトナム1974年10月20日1970年代PMACカント市で大統領の汚職容疑を追及する集会,1万人。
DIA-201-1974-10-20-3南ベトナム1974年10月20日1970年代サイゴン市内で,学生,カトリック教徒,仏教徒など1000人が平和を要求してデモ,チュー大統領の肖像画や警察のジープを路上で燃やした。
DIA-201-1974-10-20-4南ベトナム1974年10月20日1970年代下院議会前で,ゴ・バ・タン女史を先頭に100人の孤児と数十人の尼僧がデモ。
DIA-201-1974-10-21-1南ベトナム1974年10月21日1970年代サイゴン北東20キロのドンナイ河にかかるHoa An橋,爆破さる。
DIA-201-1974-10-21-2南ベトナム1974年10月21日1970年代一部の政府系紙を除くサイゴンの新聞,政府軍の記者会見への出席を21日から拒否。新聞発行者協会は政府が新聞規制法を廃棄ないし改善するまで,このボイコットを続けるとの決議をしている。
DIA-201-1974-10-22-1南ベトナム1974年10月22日1970年代新聞行動連絡協議会発足。情報相解任を要求。
DIA-201-1974-10-24-1南ベトナム1974年10月24日1970年代ニャ情報帰順相,ニャン蔵相,クォン通産相,チン農相の辞表,受理さる。
DIA-201-1974-10-25-1南ベトナム1974年10月25日1970年代国防省発表,大佐20人を含む政府軍佐官クラス377人を不正・腐敗行為により解任。
DIA-201-1974-10-26-1南ベトナム1974年10月26日1970年代国道4号,サイゴン南西140キロの橋,爆破さる。この2週間で16個目。
DIA-201-1974-10-26-2南ベトナム1974年10月26日1970年代ダイザントク紙,27日以降の自主休刊を決定。
DIA-201-1974-10-27-1南ベトナム1974年10月27日1970年代アンクァン寺で仏教徒学生集会。
DIA-201-1974-10-27-2南ベトナム1974年10月27日1970年代ダナンで「言論の自由を要求する闘争委」が主催して,31日予定の新聞裁判に抗議するデモ。
DIA-201-1974-10-28-1南ベトナム1974年10月28日1970年代(ニューヨーク)シェル石油,南ベトナム沖で有望油田発見と発表。
DIA-201-1974-10-30-1南ベトナム1974年10月30日1970年代第Ⅱ,Ⅲ,Ⅳ軍区司令官と海軍司令官代理を更迭。
DIA-201-1974-10-30-2南ベトナム1974年10月30日1970年代バック外相,ツイ法相,フォン保健相ら6閣僚,辞意。
DIA-201-1974-10-30-3南ベトナム1974年10月30日1970年代PMACジァディン省の教会でチュー政権の汚職と言論弾圧に抗議する集会,4000人。
DIA-201-1974-10-31-1南ベトナム1974年10月31日1970年代サイゴンでPMAC(議長タン神父)ら反政府勢力,警官隊と衝突。タンサチャウ教会にたてこもるカトリック教徒1200人,野戦警察・憲兵・警官の実力行使の前に抵抗を中止。国家警察,ベトナム・ジャーナリスト協会を急襲,記者ら40人を逮捕。
DIA-201-1974-10-31-2南ベトナム1974年10月31日1970年代カトリック勢力声明,チュー大統領の辞任を要求。
DIA-201-1974-11-01-1南ベトナム1974年11月01日1970年代チュー大統領,革命記念日演説「共産主義者,にせ平和主義者は国民の間に浸透し,政府の転覆を試みている」
DIA-201-1974-11-01-2南ベトナム1974年11月01日1970年代ミン将軍声明,「国民に根ざした指導者と政治勢力,軍隊が生まれなければならない」
DIA-201-1974-11-01-3南ベトナム1974年11月01日1970年代アンクァン寺青年部長代理ジァク・ズク師声明「カトリック急進派とチュー大統領辞任要求運動で共闘」同派の青年僧70人が夜,たいまつデモ。
DIA-201-1974-11-02-1南ベトナム1974年11月02日1970年代サイゴン東ビンツイ省Chinh Tan教会でデモ隊に警官隊が発砲。死者1人。
DIA-201-1974-11-03-1南ベトナム1974年11月03日1970年代民族和解勢力,アンクァン寺でチュー政権批判集会。
DIA-201-1974-11-04-1南ベトナム1974年11月04日1970年代ダイザントク,ディエンチン紙,没収さる(ダイザントクは1日再刊していた)。
DIA-201-1974-11-05-1南ベトナム1974年11月05日1970年代石油委とペクテン・ベトナム社の共同声明「第2号試掘委で有力な天然ガス資源を発見」
DIA-201-1974-11-06-1南ベトナム1974年11月06日1970年代首都圏特別軍区司令官コミュニケ,72年戒厳令にもとづき印刷物配布統制。内務省も公共秩序を乱すデモ・集会の禁止を指示。
DIA-201-1974-11-06-2南ベトナム1974年11月06日1970年代野党系議員20人は,下院国防委で,10月31日の野戦警察のデモ隊に対する暴行に抗議,実力で国防次官らの出席を阻止,下院付属の建物の前でチュー打倒の横幕を掲げ集会。
DIA-201-1974-11-07-1南ベトナム1974年11月07日1970年代チュー大統領,印刷物の配布規制と,公共の秩序・治安に有害と判断される集会・デモの禁止などの措置を発表。
DIA-201-1974-11-07-2南ベトナム1974年11月07日1970年代バック外相,革命政府にパリ政治協議再開を要請。
DIA-201-1974-11-11-1南ベトナム1974年11月11日1970年代「パリ協定の完全順守を要求する人民組織」,チュー大統領の辞任とチュー大統領に対する米国の援助停止を要求。
DIA-201-1974-11-12-1南ベトナム1974年11月12日1970年代チュー大統領,情報省で演説,街頭デモに警告。
DIA-201-1974-11-12-2南ベトナム1974年11月12日1970年代マウ上院議員ら上・下両院議員45人,チュー大統領に辞任を要求する請願書。
DIA-201-1974-11-13-1南ベトナム1974年11月13日1970年代ダニム・ダム送水管,爆破さる。
DIA-201-1974-11-14-1南ベトナム1974年11月14日1970年代下院,新聞法改正案可決。
DIA-201-1974-11-15-1南ベトナム1974年11月15日1970年代新聞発行者協会,新聞法改正を不満として,加盟全紙に16日から2日間の休刊を指令。
DIA-201-1974-11-16-1南ベトナム1974年11月16日1970年代下院,政党法改正案を可決。全議員157人中91人出席,賛成67票,反対24票。
DIA-201-1974-11-17-1南ベトナム1974年11月17日1970年代PMACサイゴン北西近郊の教会で集会。タン神父,流血を避けるため非暴力で闘いを進めると言明。
DIA-201-1974-11-20-1南ベトナム1974年11月20日1970年代政府軍,サイゴン北36キロのRach Bap陣地を奪回。
DIA-201-1974-11-22-1南ベトナム1974年11月22日1970年代チュー大統領,アジア反共連盟会議開会式で,北ベトナムを含む東南ア10ヵ国会議を提案。また北ベトナム・革命政府にパリ政治協議復帰を呼びかけ。
DIA-201-1974-11-23-1南ベトナム1974年11月23日1970年代5000人のカトリック,ビエンホアTan Mai教会で集会,タン神父演説「汚職は南ベトナムを共産化に導く,軍・民衆は政府に信頼を失っている」
DIA-201-1974-11-23-2南ベトナム1974年11月23日1970年代国税局,滞納45人と9社を公表。
DIA-201-1974-11-25-1南ベトナム1974年11月25日1970年代ペン・クラブ主催の言論闘争支援集会,警察の封鎖で流会。
DIA-201-1974-11-25-2南ベトナム1974年11月25日1970年代PMAC副議長,書簡で28日の街頭デモ許可を政府に要請。
DIA-201-1974-11-25-3南ベトナム1974年11月25日1970年代下院,74年度補正予算可決。
DIA-201-1974-11-26-1南ベトナム1974年11月26日1970年代キエム首相,PMACの28日のデモ許可申請を拒否。
DIA-201-1974-11-27-1南ベトナム1974年11月27日1970年代キエム首相,PMAC副議長に書簡,一切の街頭デモ禁止。
DIA-201-1974-11-27-2南ベトナム1974年11月27日1970年代Dai Dan Toc,Dien Tin,Song Than3紙の新聞裁判,来年2月20日まで延期。
DIA-201-1974-11-27-3南ベトナム1974年11月27日1970年代下院,75年度予算可決。上院へ送付。
DIA-201-1974-11-28-1南ベトナム1974年11月28日1970年代内閣改造-通産省を二分し,工業省と農業省を合わせ農工省とした。副首相兼農工相にNg Van Hao博士,情報帰順相にホ・バン・チャム在郷軍人相,蔵相にレ・クワン・チュオン氏,通商相にグエン・バン・ディエプ氏。
DIA-201-1974-11-28-2南ベトナム1974年11月28日1970年代外務省スポークスマン言明,スウェーデンと一時的に外交停止。
DIA-201-1974-11-28-3南ベトナム1974年11月28日1970年代PMACのカトリック教徒,サイゴン西4キロのTan Chi Linh教会からデモに出ようとして野戦警察軍と衝突。
DIA-201-1974-11-28-4南ベトナム1974年11月28日1970年代新聞法に抗議するジャーナリスト会議メンバー,チャン・バン・チュエン下院議員,キュー・モン・ツ下院議員ら,裁判所付近でデモ行進。
DIA-201-1974-11-29-1南ベトナム1974年11月29日1970年代ダナン空軍基地弾薬庫で爆発。
DIA-201-1974-11-29-2南ベトナム1974年11月29日1970年代解放勢力,プレーク南西30キロを攻撃,30日中部高原補給用のCu Hanh飛行場を砲撃,1日Thanh An(第2軍区司令部南西20キロ)を攻撃。
DIA-201-1974-11-30-1南ベトナム1974年11月30日1970年代革命政府のJMC代表ボ・ドン・ジァン大佐,記者会見で言明「デルタでのサイゴン側軍隊のコメ収奪作戦に対して適切な懲罰を加えるよう指示した」
DIA-201-1974-12-04-1南ベトナム1974年12月04日1970年代バスエン省Tieu Can郡西北西5キロで地方軍トラック部隊,襲撃さる,死15,傷45。
DIA-201-1974-12-05-1南ベトナム1974年12月05日1970年代サイゴン南西11キロの郡都ビンチャン近くの民兵詰所が攻撃さる。
DIA-201-1974-12-05-2南ベトナム1974年12月05日1970年代「言論の自由を守る闘争委」記者会見,「言論の自由を求める闘争はすでに3ヵ月続いているが,その間政府の新聞に対する政策は全く変っていない」。先に下院を通過した新聞法改正案に同グループは反対の意を表明。
DIA-201-1974-12-06-1南ベトナム1974年12月06日1970年代チュオンチェン省Hong Long郡都,陥落。政府軍空挺部隊が奪回,政府軍死19,傷37。
DIA-201-1974-12-06-2南ベトナム1974年12月06日1970年代サイゴン北西19キロ,ジアディン省のQuang Trung軍事訓練センターにロケット砲8発。
DIA-201-1974-12-07-1南ベトナム1974年12月07日1970年代解放勢力,タイニン北東24キロのSuoi Da陣地に向かう省道上を攻撃,数日間続く。
DIA-201-1974-12-07-2南ベトナム1974年12月07日1970年代日本人2人,サイゴン東160キロのラムドン省バオロクからサイゴンに向かう途中,行方不明に。
DIA-201-1974-12-09-1南ベトナム1974年12月09日1970年代(パリ)Ng Xuan Phong政治協議の政府代表団長代理,革命政府に交渉再開を要請。
DIA-201-1974-12-09-2南ベトナム1974年12月09日1970年代フランスと総額1億3000万フランの援助協定調印。
DIA-201-1974-12-10-1南ベトナム1974年12月10日1970年代サイゴン北東64キロのLong Giao陣地,陥落。
DIA-201-1974-12-10-2南ベトナム1974年12月10日1970年代ピアストル平価,1ドル=685ピアストルに切下げ。
DIA-201-1974-12-10-3南ベトナム1974年12月10日1970年代革命政府,ソ連と75年度経済援助協定調印。
DIA-201-1974-12-11-1南ベトナム1974年12月11日1970年代Joseph Potolot中央アフリカ共和国外相,サイゴン訪問。
DIA-201-1974-12-12-1南ベトナム1974年12月12日1970年代政府軍大型ヘリがキエンツォン省で政府軍増援部隊を輸送中,省都モクホア南方15キロで撃墜さる。
DIA-201-1974-12-13-1南ベトナム1974年12月13日1970年代13,14日,解放戦線中央幹部会拡大会議-当面の任務について①政治・軍事・外交の闘争促進 ②チュー打倒,パリ協定を守る政権の樹立 ③解放区建設の3点を決定。
DIA-201-1974-12-14-1南ベトナム1974年12月14日1970年代フォクロン省郡都Duc Phong(守備兵1000人)陥落。同町は72年夏季攻勢以後,サイゴンへの陸路を断たれていた。15日,Chung Tan Cangサイゴン特別区司令官,警戒令発令。Duc Dhong南西30キロのBu Na民兵基地も陥落。
DIA-201-1974-12-14-2南ベトナム1974年12月14日1970年代コンツム省知事にPhan Dinh Hung大佐。
DIA-201-1974-12-14-3南ベトナム1974年12月14日1970年代JMC革命政府代表ボー・ドン・ジアン大佐言明,「10~12日,米空母エンタープライズがダナン沖に停泊」
DIA-201-1974-12-16-1南ベトナム1974年12月16日1970年代解放勢力,サイゴン北西32キロのクチを砲撃,130発。
DIA-201-1974-12-16-2南ベトナム1974年12月16日1970年代岸元首相,サイゴン訪問。
DIA-201-1974-12-17-1南ベトナム1974年12月17日1970年代サイゴン南190キロのチュオンチェン省郡都Hung Long町,陥落。同町はウーミン森に近い。
DIA-201-1974-12-17-2南ベトナム1974年12月17日1970年代ダナンで政府の米貯蔵所,爆破さる。1000トンの米が灰に。
DIA-201-1974-12-17-3南ベトナム1974年12月17日1970年代第6回韓国・南ベトナム経済協力会議終了,来年度600万ドル援助を約束した共同声明発表。
DIA-201-1974-12-17-4南ベトナム1974年12月17日1970年代バック外相,象牙海岸訪問。
DIA-201-1974-12-20-1南ベトナム1974年12月20日1970年代米大使館スポークスマン言明,共産側は87人の行方不明米兵に関する情報を押えている。
DIA-201-1974-12-22-1南ベトナム1974年12月22日1970年代サイゴン北110キロのフォクロン省郡都Bo Duc(民兵守備),占領さる。
DIA-201-1974-12-23-1南ベトナム1974年12月23日1970年代アジア開銀,700万ドル貸付を承認,工業開発銀行に与えられる。
DIA-201-1974-12-25-1南ベトナム1974年12月25日1970年代サイゴン北東112キロのビントイ省の郡都Tanh Linh,24日から3000発の砲撃と地上攻撃を受け陥落。
DIA-201-1974-12-25-2南ベトナム1974年12月25日1970年代解放戦線・革命政府代表団,カンボジア訪問。29日まで。団長ファト首相,副団長チュン国防相,団員ビン外相。
DIA-201-1974-12-26-1南ベトナム1974年12月26日1970年代サイゴン北80キロのフォクロン省の郡都Don Luan,陥落。これで過去1週間に政府軍が放棄した郡都は5つに。
DIA-201-1974-12-26-2南ベトナム1974年12月26日1970年代ビエンホア空軍基地にロケット砲弾20発。
DIA-201-1974-12-26-3南ベトナム1974年12月26日1970年代Chinh Luan,Dien Tin,Dong Phuong,Tia Sang4紙の元首侮辱罪裁判,来年2月20日まで延期。同紙はチュー大統領とフォン副大統領がビントアン省長の汚職行為をかくまったとの反政府系議員の声明を掲載したため起訴されていた。
DIA-201-1974-12-28-1南ベトナム1974年12月28日1970年代統一仏教会全国大会,化導院副院長にHuyen Quang師,Tri Tinh師,Phap Tri師,事務局長にQuang Do師を選出。
DIA-201-1975-01-02-2南ベトナム1975年01月02日1970年代S.サー・モンド,W.Lスコット米上院(軍事委)議員,サイゴン訪問。アジア各国訪問の一環。
DIA-201-1975-01-03-2南ベトナム1975年01月03日1970年代ゴ・カク・チン文相言明,共産側は政府のフォクロン停戦提案を拒否。
DIA-201-1975-01-06-1南ベトナム1975年01月06日1970年代サイゴン市西南端フーラムの政府軍レーダー基地に12発のロケット砲撃。
DIA-201-1975-01-06-2南ベトナム1975年01月06日1970年代トイホアで米大使館政務担当官,爆死。
DIA-201-1975-01-07-2南ベトナム1975年01月07日1970年代革命政府外務省声明「南の情勢悪化は米国およびチュー政権の戦争政策の責任」
DIA-201-1975-01-07-3南ベトナム1975年01月07日1970年代サイゴン北方136キロのフォクロン省省都Phuoc Binh,陥落。
DIA-201-1975-01-08-2南ベトナム1975年01月08日1970年代外務省,記者会見で解放側の停戦違反訴え。
DIA-201-1975-01-08-3南ベトナム1975年01月08日1970年代ビエンホア北西6キロのバキエン橋,ビンロン省郡都ブンリエン南西7キロのヒューフン橋,爆破さる。
DIA-201-1975-01-08-4南ベトナム1975年01月08日1970年代米空母エンタプライズ等6隻,フィリピンからインド洋へ。
DIA-201-1975-01-09-4南ベトナム1975年01月09日1970年代「反汚職運動」意見書「フオクロン省陥落は,汚職をはびこらせ軍の士気を低下させたチュー大統領の責任」
DIA-201-1975-01-09-5南ベトナム1975年01月09日1970年代日本から5億円のトラクター,ポンプ,農具,プレハブ住宅等難民定着計画への贈与式。
DIA-201-1975-01-10-3南ベトナム1975年01月10日1970年代チュー大統領,テレビ・ラジオ演説「共産側のフォクロン省占領は,北ベトナムが交渉を放棄し,南ベトナム政府打倒を公言して,今や大攻勢に出てきたことの証拠」「政府軍に対し,直ちに同省を奪回するよう命令」
DIA-201-1975-01-10-4南ベトナム1975年01月10日1970年代2万人の公務員等,共産側のフォクビン占領に抗議してデモ。
DIA-201-1975-01-11-3南ベトナム1975年01月11日1970年代David Jones米空軍参謀長,サイゴン訪問。チュー大統領,ビエン参謀総長と会談。
DIA-201-1975-01-11-4南ベトナム1975年01月11日1970年代米政府,パリ宣言調印国に覚書。
DIA-201-1975-01-13-1南ベトナム1975年01月13日1970年代政府軍機,58波でコンツム北西の解放勢力輸送部隊を爆撃。
DIA-201-1975-01-13-2南ベトナム1975年01月13日1970年代革命政府外務省通告,1月9日からガボン共和国と大使級外交関係樹立で合意。サイゴン側は14日から断交。
DIA-201-1975-01-13-3南ベトナム1975年01月13日1970年代バク外相,象牙海岸,ガンビア,シエラレオネ,モロッコ訪問を終え帰国。
DIA-201-1975-01-19-1南ベトナム1975年01月19日1970年代サイゴン市長,平和のための革命人民戦線(反チュー各宗派で結成)結成集会を禁止。
DIA-201-1975-01-21-2南ベトナム1975年01月21日1970年代南ベトナム政府軍機,カンボジア国境を越え,メコン河沿いの解放勢力を爆撃。プノンペンへの輸送船団出発を助けるため。南ベトナム軍機のカ領爆撃は1970年以来初めて。
DIA-201-1975-01-21-3南ベトナム1975年01月21日1970年代統参本部,退役予定兵の退役を延期。
DIA-201-1975-01-21-4南ベトナム1975年01月21日1970年代ピアストル平価,1ドル=700ピアストルに切下げ。
DIA-201-1975-01-22-1南ベトナム1975年01月22日1970年代解放通信発表,インドに革命政府代表部設置で双方合意。
DIA-201-1975-01-23-1南ベトナム1975年01月23日1970年代政府軍,タイニン近郊バーデン山奪回作戦。
DIA-201-1975-01-24-1南ベトナム1975年01月24日1970年代米大使館内で10人の米国人が「米国は南への軍事援助をやめよ」と抗議。飢餓救済運動メンバーも付き添い。
DIA-201-1975-01-24-2南ベトナム1975年01月24日1970年代革命政府外務省,米国とサイゴン政権のパリ協定違反に関する白書発表。
DIA-201-1975-01-24-3南ベトナム1975年01月24日1970年代革命政府外務省発表,17日から赤道ギニアと大使級外交関係樹立。
DIA-201-1975-01-26-1南ベトナム1975年01月26日1970年代アンクアン寺で平和祈とう集会,ミン将軍,チ・クアン師ら出席。「チュー大統領辞任要求決議」採択。
DIA-201-1975-01-26-2南ベトナム1975年01月26日1970年代(パリ)第3勢力会合。米の軍事介入停止,チュー辞任,革命政府と協力できる政府樹立を要求。
DIA-201-1975-01-28-4南ベトナム1975年01月28日1970年代国会議員ら12人,米国議会に対し「チュー政権への援助増額を拒否するよう」訴える嘆願書を送る。
DIA-201-1975-01-28-5南ベトナム1975年01月28日1970年代(ワシントン)フォード大統領,議会に特別教書。南ベトナムへの3億ドル,カンボジアへの2.22億ドルの追加軍事援助要請。
DIA-201-1975-01-30-1南ベトナム1975年01月30日1970年代政府,ホアハオ教私兵団の解散を命令。
DIA-201-1975-01-31-1南ベトナム1975年01月31日1970年代キエンツオン,ビンロン両省で政府軍とホアハオ教私兵団が衝突。
DIA-201-1975-02-01-2南ベトナム1975年02月01日1970年代「反汚職運動」,タンチリン教会で集会,「告発書第2号」発表。
DIA-201-1975-02-02-1南ベトナム1975年02月02日1970年代「告発書第2号」を掲載した9紙,没収。
DIA-201-1975-02-03-2南ベトナム1975年02月03日1970年代国警,2日夜から3日朝にかけ,共産主義者であるとして新聞編集者,記者ら19人を逮捕。またソンタン,ディエンチン,ブットテップ,ドンフォン,チアサンの5紙を発行停止処分に。
DIA-201-1975-02-03-3南ベトナム1975年02月03日1970年代(ワシントン)フォード大統領,米議会指導者に,軍事援助追加についての調査団を派遣するよう提案。
DIA-201-1975-02-04-1南ベトナム1975年02月04日1970年代フォンディン省フンヒエプ北西2キロの国道4号上の橋,爆破さる。
DIA-201-1975-02-04-2南ベトナム1975年02月04日1970年代政府,逮捕中の新聞記者ら19人の内,10人を釈放。
DIA-201-1975-02-05-1南ベトナム1975年02月05日1970年代ズ・クォク・ドン第Ⅲ軍区司令官更迭,後任にグエン・バン・トアン前第Ⅱ軍区司令官。フオクロン省陥落が理由。
DIA-201-1975-02-05-2南ベトナム1975年02月05日1970年代ミン将軍,テトを前に恒例のパーティーで言明「専制政治が引っ込み,国民に自由と民主主義を認め,全国和解一致に必要な政治構造が打ち出されなければ,すべてが崩壊し,和解も達成し得ない」。チ・クアン師,タン神父ら出席。
DIA-201-1975-02-05-3南ベトナム1975年02月05日1970年代新聞発行者協会,先に発表した無期限休刊戦術を撤回,「抗議休刊は6日発行分だけとする」と発表。
DIA-201-1975-02-05-4南ベトナム1975年02月05日1970年代(ジュネーブ)国際人道法会議,革命政府招請決議案の採択には3分の2の賛成が必要であることを決定。
DIA-201-1975-02-06-2南ベトナム1975年02月06日1970年代(ニューヨーク)シュレジンジャー国防長官言明「北ベトナムが武力による全ベトナム制圧を放棄するまで,我々は同盟国への物資供与を続ける用意が必要だ」
DIA-201-1975-02-07-2南ベトナム1975年02月07日1970年代Le Monde;ビン革命政府外相,仏政府あて書簡で,パリ会議宣言調印国として米・サイゴン政権に対しパリ協定実施を要求するための努力を希望。
DIA-201-1975-02-07-3南ベトナム1975年02月07日1970年代(ビエンチャン)ドン副首相,3日間の訪日を終え帰国する途中,当地で言明「すべての組織は第1に戦いをやめて,平和解決のために交渉すべし」「政府軍は米国からの追加軍事援助がなくても解放勢力の大攻勢に立ち向かうことができる」
DIA-201-1975-02-07-4南ベトナム1975年02月07日1970年代豪労働党大会,革命政府の情報部開設を承認。
DIA-201-1975-02-08-3南ベトナム1975年02月08日1970年代チャン・バン・ツエン,グエン・バン・ビンら民族社会ブロックと国家ブロックの反政府系下院議員48人,言論弾圧に抗議し,チュー大統領が個人の権力を強化するため汚職分子を使っていることを非難して集会,抗議の血書を公表。
DIA-201-1975-02-08-4南ベトナム1975年02月08日1970年代ホアハオ教本部声明,「信教の自由を踏みにじった」としてチュー政権の弾圧政策に反対するよう国民に呼びかけ。
DIA-201-1975-02-09-3南ベトナム1975年02月09日1970年代人民解放武装勢力統一デー14周年祝賀集会。
DIA-201-1975-02-10-1南ベトナム1975年02月10日1970年代チュー大統領,ラジオ・テレビ演説(テト前夜のメッセージ)で国民の任務として①前線への支援②後方の安定③生産増強の3点を強調。
DIA-201-1975-02-10-2南ベトナム1975年02月10日1970年代マウ議員ら40人,新聞5紙閉鎖命令や記者の逮捕に抗議して下院前でハンストに。
DIA-201-1975-02-11-1南ベトナム1975年02月11日1970年代モービル石油と海洋石油が提携してサイゴン南東160キロの南シナ海で試掘,石油と天然ガスの存在を確認。
DIA-201-1975-02-13-1南ベトナム1975年02月13日1970年代オランダにベトナム共和国大使館開設。大使はフアン・ダン・ラム駐英大使が兼任。
DIA-201-1975-02-14-1南ベトナム1975年02月14日1970年代政府宣言,西沙・中沙両群島の領有権を主張。
DIA-201-1975-02-14-2南ベトナム1975年02月14日1970年代ゲイラー米太平洋艦隊司令官,サイゴン訪問。15日チュー大統領と会談。
DIA-201-1975-02-17-1南ベトナム1975年02月17日1970年代内務省,6紙への公訴撤回。「記者を装った多くの共産主義者を摘発したので,新聞裁判は不必要」との理由。(米調査団への配慮)
DIA-201-1975-02-20-1南ベトナム1975年02月20日1970年代サイゴン地裁,先に政府が決定した新聞違反容疑の6新聞に対する公訴撤回を認める。これで4ヵ月ぶりに新聞裁判終了。
DIA-201-1975-02-20-2南ベトナム1975年02月20日1970年代18人の逮捕された新聞人の釈放と5紙の復刊を要求する抗議団,サイゴン地裁へ向かおうとして警官と衝突。
DIA-201-1975-02-21-2南ベトナム1975年02月21日1970年代カイライ郡Nhi Ouy小学校,砲撃さる。
DIA-201-1975-02-22-1南ベトナム1975年02月22日1970年代米議会調査団第一陣2人,米国を出発。
DIA-201-1975-02-24-2南ベトナム1975年02月24日1970年代ハオ副首相,IMF代表団,AID代表と会談。1976年度援助について協議。
DIA-201-1975-02-26-2南ベトナム1975年02月26日1970年代ビンビン省で尼僧やカンボジア系の住民ら1000人以上が,政府の寺院不当調査に抗議してデモ,警官隊と衝突,尼僧1人死亡。国営通信によれば,このデモに先立って省当局が逃亡兵,徴兵忌避者多数を逮捕したが,その際の衝突で警官2人が住民に殺された。
DIA-201-1975-02-27-1南ベトナム1975年02月27日1970年代米議会代表団第2陣6人,サイゴン着。同調査団,チュー大統領と会談。
DIA-201-1975-02-27-2南ベトナム1975年02月27日1970年代ラム上院議長,パリ訪問。
DIA-201-1975-02-27-3南ベトナム1975年02月27日1970年代(ハノイ)ノルウェー政府国際発展機関代表団と革命政府代表部と2000万クローネの無償経済援助協定調印,農業機械・消費財・医療品を供与。
DIA-201-1975-02-28-2南ベトナム1975年02月28日1970年代米議会調査団,ミン将軍,ゴ・バ・タン女史,マウ議員らと会談。またダナン,キエンホア省などへ戦況視察に。またチャム族を代表するトン・アイ・リエン上院議員,ホアハオ教のチャン・ズイ・ドン上院議員とも会談。
DIA-201-1975-02-28-3南ベトナム1975年02月28日1970年代反政府勢力,米議員調査団に決議書手交,民族和解勢力,反汚職運動,新聞発行責任者協会,法律家協会など18団体の長が署名。マウ議長は議員団に「米国民に訴える」と題した公開状手交。
DIA-201-1975-02-28-4南ベトナム1975年02月28日1970年代ビン革命政府外相,アジア・アフリカ訪問のため,北京到着。
DIA-201-1975-03-02-2南ベトナム1975年03月02日1970年代米議員団,タンソンニャトで4者合同軍事チームの北ベトナム・革命政府代表と意見交換。北側は交渉途絶の責任は米側にあると主張。
DIA-201-1975-03-07-1南ベトナム1975年03月07日1970年代政府軍司令部発表,解放側が第2軍区で新たな攻勢に。
DIA-201-1975-03-08-1南ベトナム1975年03月08日1970年代フボン省郡都ツアンマン(Thuan Man民兵200人守備),陥落。
DIA-201-1975-03-08-2南ベトナム1975年03月08日1970年代為替レート切下げ,1ドル=725ピアストルに。
DIA-201-1975-03-08-3南ベトナム1975年03月08日1970年代アフガニスタン外務省発表,革命政府を承認。
DIA-201-1975-03-10-1南ベトナム1975年03月10日1970年代解放勢力,ダルラク省省都バンメトートを攻撃―飛行場,弾薬庫,市内の一角を占拠。11日政府軍第23師団は司令部を脱出。
DIA-201-1975-03-10-2南ベトナム1975年03月10日1970年代解放勢力,クアンチン省のTien Phuoc町南の郡都Hau Ducを占拠。これは協定後陥落した13番目の郡都。
DIA-201-1975-03-10-3南ベトナム1975年03月10日1970年代外務省特別声明「共産側のバンメトート攻撃は,停戦協定の新たな重大違反」
DIA-201-1975-03-10-4南ベトナム1975年03月10日1970年代化導院院長チ・ッ師,米・中・ソ3国政府に軍事援助停止を求める公開状を送る。
DIA-201-1975-03-10-5南ベトナム1975年03月10日1970年代(アフガニスタン)ビン革命政府外相,同国と外交関係樹立。
DIA-201-1975-03-11-3南ベトナム1975年03月11日1970年代解放勢力,サイゴン北西60キロのビンズオン省郡都Tri Tamを攻撃,12日制圧。協定調印以来16番目の郡都陥落。最もサイゴンに近い。
DIA-201-1975-03-11-4南ベトナム1975年03月11日1970年代解放勢力,クアンドク省郡都ドクラップを占領。同市周辺のダクサク,ヌイルア,ダクソンの3基地制圧。
DIA-201-1975-03-11-5南ベトナム1975年03月11日1970年代革命政府,米国とサイゴン政権の戦争強化策を非難する声明。
DIA-201-1975-03-12-3南ベトナム1975年03月12日1970年代政府軍,ヘリ空輸でバンメトート市に増援歩兵部隊投入,反撃。13日,レンジャー部隊1個連隊も増援。
DIA-201-1975-03-12-4南ベトナム1975年03月12日1970年代閣議,総動員令改正を決定。徴兵対象者を拡大。
DIA-201-1975-03-13-2南ベトナム1975年03月13日1970年代バンメトート北東40キロの郡都ブオンホ陥落。
DIA-201-1975-03-13-3南ベトナム1975年03月13日1970年代(ワシントン)ウェストモーランド将軍,フォード大統領との会見の後,B52による共産側補給路爆撃とハイフォン機雷封鎖を主張。
DIA-201-1975-03-14-1南ベトナム1975年03月14日1970年代タイニン南,サイゴン北西60キロのBen Cau陣地,Bien Gioi陣地陥落。タイニン周辺では3日前のTri Tamに次ぐ。
DIA-201-1975-03-14-2南ベトナム1975年03月14日1970年代AFP通信ポール・レアンドリ記者,国警本部近くで警官に射殺さる。
DIA-201-1975-03-15-2南ベトナム1975年03月15日1970年代プレークにある第2軍管区司令部の一部がニャチャンに移動,新たな戦術作戦司令部を設定。プレーク市東4キロの中部高原最大のチュハン空軍基地からは大半の空軍機が海岸に移動。
DIA-201-1975-03-16-1南ベトナム1975年03月16日1970年代仏大使,AFP記者射殺事件について,南ベトナム外務省・大統領府に抗議。
DIA-201-1975-03-17-3南ベトナム1975年03月17日1970年代ロンカン省スアンロク北北東30キロ国道20号上の郡都ディンクアン(サイゴン北東80キロ)陥落。今回の攻勢で陥落した8番目の郡都。
DIA-201-1975-03-18-1南ベトナム1975年03月18日1970年代政府,プレーク・コンツム・ダルラク3省からの全面撤退を決定。
DIA-201-1975-03-18-2南ベトナム1975年03月18日1970年代アンクアン寺で仏教徒,動員令改正に反対して集会。
DIA-201-1975-03-18-3南ベトナム1975年03月18日1970年代バンメトートでダルラク省人民革命委とバンメトート市軍事行政委が発足。
DIA-201-1975-03-19-2南ベトナム1975年03月19日1970年代解放勢力,クアンチ市を攻撃,制圧。同市防衛の海兵隊はユエに撤退。政府軍はクアンチ省を放棄し,トアチエン省境のミチャンまで後退。(クァンチは72年5月陥落し,4ヵ月後に奪回。)
DIA-201-1975-03-19-3南ベトナム1975年03月19日1970年代ユエにロケット砲撃。政府当局,ユエ住民に対し避難命令。
DIA-201-1975-03-19-4南ベトナム1975年03月19日1970年代政府軍,ビンロン省都アンロクから撤収,同省は解放側の手に。
DIA-201-1975-03-19-5南ベトナム1975年03月19日1970年代(マニラ)ファン・クアン・ダン副首相,マルコス大統領と会見,停戦実現への協力要請。
DIA-201-1975-03-19-6南ベトナム1975年03月19日1970年代サイゴン・ジアディン・ショロンの首都圏地域に特別警備令。
DIA-201-1975-03-20-1南ベトナム1975年03月20日1970年代チュー大統領,ラジオ演説でプレーク・コンツム両省放棄を確認,国土防衛のため軍に対する国民の支持と協力を要望。トアチエン省放棄の報道は否定。
DIA-201-1975-03-20-2南ベトナム1975年03月20日1970年代政府軍第1師団,ユエの放棄を開始。数万の難民がダナンに向け脱出中。
DIA-201-1975-03-20-3南ベトナム1975年03月20日1970年代ビントイ省郡都ホアイドク陥落。解放勢力,ビエンホア空軍基地に122ミリ・ロケット18発。
DIA-201-1975-03-20-4南ベトナム1975年03月20日1970年代政府軍機,撤収後のプレーク省省都および近郊の飛行場を爆撃。
DIA-201-1975-03-20-5南ベトナム1975年03月20日1970年代国道1号線をタイニンに向かったトラック輸送部隊,クチ北西3キロで待ち伏せ攻撃を受け,17台爆破さる。
DIA-201-1975-03-20-6南ベトナム1975年03月20日1970年代サイゴンの外出禁止令,夜の10時から翌朝5時までに。これまでは午前0時から午前5時まで。
DIA-201-1975-03-20-7南ベトナム1975年03月20日1970年代サイゴン市長,市民の自衛組織再建を命令。
DIA-201-1975-03-20-8南ベトナム1975年03月20日1970年代リ・クイ・チュン下院議員声明,チュー大統領の辞任呼びかけ。同議員はミン将軍の自宅で声明発表。
DIA-201-1975-03-21-3南ベトナム1975年03月21日1970年代解放側,サイゴン北西20キロにあるハウギア省郡都クチ近くの国道1号線沿いを砲撃。タイニンとの陸上輸送ストップ。
DIA-201-1975-03-21-4南ベトナム1975年03月21日1970年代クアンドク省郡都チェンドク陥落。
DIA-201-1975-03-21-5南ベトナム1975年03月21日1970年代革命政府声明,「米国は一切の軍事介入と一切の内部干渉を完全に停止し,民間人を装った軍事要員をすべて引き揚げなげればならない。チュー政権を打倒し,サイゴンに平和・独立・民主・民族和解・パリ協定の厳格な履行を希望する政権を成立させる。革命政府はこのような政権といつでも話し合う用意がある。」
DIA-201-1975-03-22-2南ベトナム1975年03月22日1970年代サイゴン北東180キロのクアンドク省省都ジアギア陥落。同省は解放側の手に。
DIA-201-1975-03-22-3南ベトナム1975年03月22日1970年代報道管制強化に関する政府通達。①安全・防衛・経済に関する記事は発行前に検閲,②見通し記事の掲載禁止,③軍事上の戦術戦略に関する記事は政府の公式発表以外の掲載禁止。
DIA-201-1975-03-22-4南ベトナム1975年03月22日1970年代プレーク省人民革命委発足。
DIA-201-1975-03-24-2南ベトナム1975年03月24日1970年代クアンガイ省省都クアンガイ陥落。政府軍はチュライへ。
DIA-201-1975-03-24-3南ベトナム1975年03月24日1970年代クアンチン省省都タムキ陥落。
DIA-201-1975-03-24-4南ベトナム1975年03月24日1970年代サイゴン北方60キロのタイニン省キエムハン町陥落。
DIA-201-1975-03-24-5南ベトナム1975年03月24日1970年代首都圏特別軍区司令官チャン・タン・カン海軍中将解任,後任にグェン・バン・ミン中将。
DIA-201-1975-03-25-2南ベトナム1975年03月25日1970年代ユエ陥落。政府軍,舟艇でユエ撤退開始。
DIA-201-1975-03-25-3南ベトナム1975年03月25日1970年代チュー大統領,キエム首相に内閣改造を命じる。
DIA-201-1975-03-25-4南ベトナム1975年03月25日1970年代サイゴンのカオタン工業高校で,生徒1000人がチュー政権の徴兵強化,総動員令に反対して学内にろう城。
DIA-201-1975-03-25-5南ベトナム1975年03月25日1970年代革命政府,7項目アピール。
DIA-201-1975-03-25-6南ベトナム1975年03月25日1970年代(ワシントン)フォード大統領,ウエイアンド陸軍参謀総長急派を発表。帰国中のマーチン大使も同行。
DIA-201-1975-03-26-2南ベトナム1975年03月26日1970年代解放放送;ユエ残留政府軍と激戦,政府軍2個大隊が投降。
DIA-201-1975-03-27-1南ベトナム1975年03月27日1970年代未明ならびに夜サイゴン市内に122ミリ・ロケット砲弾が撃ち込まれる。
DIA-201-1975-03-27-2南ベトナム1975年03月27日1970年代ダナンの第1軍区司令部,軍・政府関係者の家族に避難命令。ダナンの人口50万人,流入難民35万人。
DIA-201-1975-03-27-3南ベトナム1975年03月27日1970年代未明,反政府勢力20人逮捕。政府転覆計画が進められたとの理由で。
DIA-201-1975-03-27-4南ベトナム1975年03月27日1970年代内相,ダイザントク紙に閉鎖命令。
DIA-201-1975-03-27-5南ベトナム1975年03月27日1970年代チャン・ゴク・リエン弁護士,レ・キ・チュオン下院議員ら25人,平和宣言発表。
DIA-201-1975-03-27-6南ベトナム1975年03月27日1970年代タン神父,キ氏ら,救国行動委員会結成を発表。議長はタン神父。
DIA-201-1975-03-27-7南ベトナム1975年03月27日1970年代政府,国民生活規制策発表。金曜日のレストラン閉鎖,土曜日の肉類販売禁止,公務員の高級レストランへの出入り禁止など。
DIA-201-1975-03-28-1南ベトナム1975年03月28日1970年代クアンナム省都ホイアンの政府軍,連絡途絶。
DIA-201-1975-03-28-2南ベトナム1975年03月28日1970年代ダナンの政府軍第1軍区司令部,ダナンを放棄,ダナンは29日サイゴンと連絡途絶。
DIA-201-1975-03-28-3南ベトナム1975年03月28日1970年代ダナンの米総領事館閉鎖。
DIA-201-1975-03-28-4南ベトナム1975年03月28日1970年代サイゴン北東150キロのラムドン省省都バオロク陥落。
DIA-201-1975-03-28-5南ベトナム1975年03月28日1970年代サイゴン北70キロのChon Thanh(ビンロン省)で激戦。同地はサイゴン防衛の第5師団司令部のあるライケから30キロの地点。
DIA-201-1975-03-28-6南ベトナム1975年03月28日1970年代マーチン大使,ウェイアンド参謀総長,サイゴン入り。チュー大統領と協議。
DIA-201-1975-03-29-1南ベトナム1975年03月29日1970年代米大使館コミュニケ;米国,軍事物資と医薬品の緊急空輸開始。ウェイアンド将軍とマーチン大使はチュー大統領に,南ベトナム支持を確約したフォード大統領からのメッセージ手交。
DIA-201-1975-03-29-2南ベトナム1975年03月29日1970年代革命政府アピール。
DIA-201-1975-03-29-3南ベトナム1975年03月29日1970年代サイゴン市当局,燃料節約のため自家用車の夜8時以降の運転禁止。18歳未満の者のバイク・スクーター使用禁止。
DIA-201-1975-03-29-4南ベトナム1975年03月29日1970年代(ワシントン)フォード大統領発表,ダナンの難民救出のため米海軍水陸両用船舶4隻出動を指示。
DIA-201-1975-03-30-1南ベトナム1975年03月30日1970年代解放側,ダナン占領。
DIA-201-1975-03-31-2南ベトナム1975年03月31日1970年代ビンディン省省都クイニョン陥落。
DIA-201-1975-03-31-3南ベトナム1975年03月31日1970年代サイゴン北西70キロのチョンタン砲撃。
DIA-201-1975-03-31-4南ベトナム1975年03月31日1970年代グエン・カオ・キ将軍,チュー大統領辞任要求。
DIA-201-1975-03-31-5南ベトナム1975年03月31日1970年代アンクアン寺派系青年・学生ら500人,チュー政権の徴兵強化と総動員法改正に反対する集会。
DIA-201-1975-04-01-2南ベトナム1975年04月01日1970年代フーエン省省都ツイホア陥落。カンホア省省都ニャチャン(第2軍管区司令部)陥落。
DIA-201-1975-04-01-3南ベトナム1975年04月01日1970年代解放勢力,サイゴン北西56キロの国道1号上の郡都チャンバンを攻撃。
DIA-201-1975-04-01-4南ベトナム1975年04月01日1970年代マウ上院議員,記者会見でチュー大統領の辞任を要求,「もしチュー大統領があと2週間その座にとどまれば,大変な事態になろう」と言明。
DIA-201-1975-04-01-5南ベトナム1975年04月01日1970年代新解放地域に関する臨時革命政府の10項目の政策,新解放地域の幹部・職員に対する革命政府の10項目の行動規範発表。
DIA-201-1975-04-02-1南ベトナム1975年04月02日1970年代ニントアン省省都ファンラン,ビントアン省省都ファンチエト陥落。カムラン陥落。ニャチャンからファンランに逃れた第2軍管区司令部は海上に撤収。
DIA-201-1975-04-02-10南ベトナム1975年04月02日1970年代ホイットラム豪首相,ベトナムにおける難民救済のため100万豪ドル(約4億円)を国連の難民救済機関UNHCRを通じ寄付すると発表。
DIA-201-1975-04-02-2南ベトナム1975年04月02日1970年代ウエイアンド参謀総長とマーチン大使,チュー大統領らサイゴン政府・軍首脳と会談。会談後,ビエン参謀総長は全軍に「われわれに残された道は戦闘の継続以外にない」と命令。
DIA-201-1975-04-02-3南ベトナム1975年04月02日1970年代(ワシントン)シュレジンジャー米国防長官言明「政府軍がサイゴンおよびメコン・デルタを死守出来るか否かの試練は今月末までにやって来る」「(空軍力行使の)可能性は否定できない」
DIA-201-1975-04-02-4南ベトナム1975年04月02日1970年代(パームスプリングズ)ネッセン米大統領報道官言明「大統領は爆撃に反対の意向である」
DIA-201-1975-04-02-5南ベトナム1975年04月02日1970年代キエム首相,辞表提出。直ぐに撤回。
DIA-201-1975-04-02-6南ベトナム1975年04月02日1970年代上院,戦争終結と新指導体制確立のため政府が緊急政策を採用するよう要請する決議採択。
DIA-201-1975-04-02-7南ベトナム1975年04月02日1970年代ミン将軍は,2日付の仏フィガロ紙のインタビュー記事の中で,チュー大統領の引退と共産側との交渉を呼びかけ。
DIA-201-1975-04-02-8南ベトナム1975年04月02日1970年代(パリ)ジン・バ・チ革命政府代表,記者会見「米国にパリ協定を順守させるためにも当面戦闘以外の道はない」「サイゴンに新政権が出来れば直ちに交渉に入る」
DIA-201-1975-04-02-9南ベトナム1975年04月02日1970年代ラオス大使館,3日限りで閉鎖。
DIA-201-1975-04-03-1南ベトナム1975年04月03日1970年代政府軍,ファンランに復帰,解放勢力の攻撃を撃退。
DIA-201-1975-04-03-2南ベトナム1975年04月03日1970年代(ワシントン)フォード米大統領言明「インドシナ軍事介入を制限している法に従う」
DIA-201-1975-04-03-3南ベトナム1975年04月03日1970年代米海軍輸送司令部チャーター船5隻,3万9000人の難民を収容してカムラン湾から南方へ。4日には米海軍輸送船5隻がファンラン市から難民の引揚げ開始。
DIA-201-1975-04-03-4南ベトナム1975年04月03日1970年代スアンロクで戦闘始まる。
DIA-201-1975-04-03-5南ベトナム1975年04月03日1970年代ウェイアンド米陸軍参謀総長,チュー大統領と会談。4日サイゴン発。
DIA-201-1975-04-03-6南ベトナム1975年04月03日1970年代サイゴン特別軍管区司令官,デモ禁止等の布告。
DIA-201-1975-04-03-7南ベトナム1975年04月03日1970年代チャン・フー・タン神父らカトリック500人,タンサチャウ教会でチュー大統領退陣を要求して集会・デモ行進。
DIA-201-1975-04-03-8南ベトナム1975年04月03日1970年代サイゴンのグエン・バン・ビン大司教声明,「チュー大統領は2日の新指導体制を求める両院決議を受け入れ退陣すべきだ」
DIA-201-1975-04-04-3南ベトナム1975年04月04日1970年代解放勢力,サイゴン北70キロのチョンタン制圧。同地はサイゴン北方最前線陣地でこの2週間激戦。
DIA-201-1975-04-04-4南ベトナム1975年04月04日1970年代カント市に今年はじめてロケット砲撃。
DIA-201-1975-04-04-5南ベトナム1975年04月04日1970年代内務省発表,クーデター容疑で軍人を含む多数の反政府分子を逮捕。
DIA-201-1975-04-04-6南ベトナム1975年04月04日1970年代戦災孤児輸送の米機サイゴン北で墜落。
DIA-201-1975-04-04-7南ベトナム1975年04月04日1970年代革命政府パリ代表部声明「非人道的な強制疎開作戦を直ちに中止すべし」
DIA-201-1975-04-04-8南ベトナム1975年04月04日1970年代チュー大統領演説「キエム首相の辞表を受理し,グエン・バ・カン下院議長に組閣を要請する。共産主義者との取引や秘密協定は一切ない。兵力を再結集し残った地域を守り抜く」
DIA-201-1975-04-05-1南ベトナム1975年04月05日1970年代人民革命委サイゴン・ジアディン地区委アピール「住民各層は力を合わせて生活権を守り,チュー政権を打倒しょう」
DIA-201-1975-04-05-2南ベトナム1975年04月05日1970年代下院民族社会ブロック(チャン・バン・チュエン党首)声明「チュー大統領は国を去るべし」
DIA-201-1975-04-05-3南ベトナム1975年04月05日1970年代上院6議員,手紙でフォード大統領に,空爆・ハノイ上陸作戦を含む強力な手段をとるよう訴え。
DIA-201-1975-04-05-4南ベトナム1975年04月05日1970年代(パームスプリングス)フォード大統領,キ長官,ウェイアンド参謀総長と協議。
DIA-201-1975-04-06-3南ベトナム1975年04月06日1970年代政府軍,ニャチャンを奪還。
DIA-201-1975-04-06-4南ベトナム1975年04月06日1970年代救国行動委(議長チャン・フー・タン神父)声明「チュー大統領辞任を実現するため全力を結集」
DIA-201-1975-04-07-3南ベトナム1975年04月07日1970年代サイゴン北方70キロのビンロン省郡都チョンタン陥落。解放勢力,サイゴン南方8キロのジアディン省郡都ニャベを砲撃。
DIA-201-1975-04-08-2南ベトナム1975年04月08日1970年代空軍機,大統領官邸を爆撃。
DIA-201-1975-04-08-3南ベトナム1975年04月08日1970年代第3軍管区副司令官グエン・バン・ヒュー准将,ビエンホアの司令部で爆死。
DIA-201-1975-04-09-10南ベトナム1975年04月09日1970年代(ワシントン)フォード大統領,国家安全保障会議招集。
DIA-201-1975-04-09-4南ベトナム1975年04月09日1970年代解放勢力,サイゴン北東60キロのロンカン省省都スアンロクに2000発の砲撃を加え,市内に突入。
DIA-201-1975-04-09-5南ベトナム1975年04月09日1970年代解放勢力,サイゴン南西30キロのロンアン省省都タンアン周辺を攻撃,国道4号線一時切断,10日再開。
DIA-201-1975-04-09-6南ベトナム1975年04月09日1970年代革命政府,最近南部と中部南区の区省クラスの革命政権幹部会議開催,ファト首相が主宰。
DIA-201-1975-04-09-7南ベトナム1975年04月09日1970年代タム・チャウ師声明,チュー大統領辞任を要求。
DIA-201-1975-04-09-8南ベトナム1975年04月09日1970年代カトリック系の自由党の指導者グエン・バン・フエン氏,両当事者に即時停戦と政治交渉再開を訴えて声明。
DIA-201-1975-04-09-9南ベトナム1975年04月09日1970年代(パリ)南ベトナム第3勢力海外委代表グエン・ロン氏,記者会見でチュー大統領の即時退陣を要求。同委は5日結成。
DIA-201-1975-04-10-2南ベトナム1975年04月10日1970年代解放勢力,前日に続きスアンロクに1000発の砲撃の後,戦車を先頭に市内突入。政府軍歩兵第18師団が応戦。政府軍,降下部隊を投入。
DIA-201-1975-04-10-3南ベトナム1975年04月10日1970年代(ワシントン)フォード大統領,上下両院合同会議で外交演説,南ベトナムに対する緊急軍事援助として7億2200万ドル,経済・人道援助として2億5000万ドル要請。
DIA-201-1975-04-11-1南ベトナム1975年04月11日1970年代(ワシントン)米国務省スポークスマン言明,米政府は北ベトナムに対して,軍事攻撃をやめるよう通告。
DIA-201-1975-04-11-2南ベトナム1975年04月11日1970年代孤児255人を乗せた米軍機2機,タンソンニャト空港を出発。
DIA-201-1975-04-11-3南ベトナム1975年04月11日1970年代人見大使,サイゴン着任。
DIA-201-1975-04-14-1南ベトナム1975年04月14日1970年代政府軍,北部からの敗残兵で再編した第22歩兵師団をロンアン省に急派。
DIA-201-1975-04-14-2南ベトナム1975年04月14日1970年代タイニン,105ミリ砲弾30発を撃ち込まれる。
DIA-201-1975-04-14-3南ベトナム1975年04月14日1970年代ディシツォン省郡都カイライ,前日に続き82ミリ迫撃砲49発撃ち込まれる。
DIA-201-1975-04-14-4南ベトナム1975年04月14日1970年代グエン・バ・カン新内閣発足。
DIA-201-1975-04-15-2南ベトナム1975年04月15日1970年代未明,ビエンホア弾薬庫炎上。
DIA-201-1975-04-15-3南ベトナム1975年04月15日1970年代夜,スアンロク,1000発の砲撃を受ける。
DIA-201-1975-04-16-1南ベトナム1975年04月16日1970年代解放勢力,省都ファンラン制圧。省都陥落は18番目。
DIA-201-1975-04-16-2南ベトナム1975年04月16日1970年代バク外相,訪米。
DIA-201-1975-04-16-3南ベトナム1975年04月16日1970年代解放放送,革命政府,新解放区の解放軍に対する10項目の規律を報道。
DIA-201-1975-04-16-4南ベトナム1975年04月16日1970年代日本大使館,在留日本人に即時退去勧告。
DIA-201-1975-04-17-2南ベトナム1975年04月17日1970年代ミン将軍,外国テレビとの会見で「まだ我々はパリ協定のワク組のなかで解放側と交渉による政治解決を図る力を持っている。チュー政権は即時辞任すべし」と言明。
DIA-201-1975-04-18-1南ベトナム1975年04月18日1970年代ビントアン省省都ファンチェト陥落。政府軍は海路撤退。
DIA-201-1975-04-18-2南ベトナム1975年04月18日1970年代夜,解放勢力,サイゴン南西20~30キロ(ロンアン省)の政府軍拠点8ヵ所を占拠。
DIA-201-1975-04-18-3南ベトナム1975年04月18日1970年代国連スポークスマン言明,北ベトナムが国連救援機のハノイ空港乗り入れ,革命政府が救援船のダナン入港を許可。
DIA-201-1975-04-19-2南ベトナム1975年04月19日1970年代ビエンホア空軍基地周辺に21発砲撃。
DIA-201-1975-04-20-2南ベトナム1975年04月20日1970年代ビントイ省省都ハムタン陥落。
DIA-201-1975-04-20-3南ベトナム1975年04月20日1970年代ト議長,ユエ市訪問。
DIA-201-1975-04-21-3南ベトナム1975年04月21日1970年代チュー大統領辞任,フオン新大統領就任。
DIA-201-1975-04-21-4南ベトナム1975年04月21日1970年代サイゴン東方120キロのビンツイ省省都ハムタン陥落。
DIA-201-1975-04-21-5南ベトナム1975年04月21日1970年代20日夕方からロンカン省都スアンロクに猛砲撃。21日未明,同市守備の政府軍第18師団連絡断つ。
DIA-201-1975-04-21-6南ベトナム1975年04月21日1970年代政府軍,スアンロクから退却する際,窒息爆弾使用。
DIA-201-1975-04-21-7南ベトナム1975年04月21日1970年代21日から22日朝にかけビエンホア空軍基地に砲撃30発。
DIA-201-1975-04-21-8南ベトナム1975年04月21日1970年代サイゴン首都圏の外出禁止令,午後8時から翌朝7時までに。
DIA-201-1975-04-22-1南ベトナム1975年04月22日1970年代ブンタウ特別市,フオクツイ省陥落。
DIA-201-1975-04-22-2南ベトナム1975年04月22日1970年代朝,サイゴン南20キロの国道4号上ロンアン省郡都ベンルク陥落。
DIA-201-1975-04-22-3南ベトナム1975年04月22日1970年代ビエンホア空軍基地閉鎖。
DIA-201-1975-04-23-3南ベトナム1975年04月23日1970年代外務省,停戦呼びかけに関する覚書をパリ国隣会議参加国に送付。
DIA-201-1975-04-23-4南ベトナム1975年04月23日1970年代フオン大統領,メリロン仏大使と会談。
DIA-201-1975-04-23-5南ベトナム1975年04月23日1970年代「ジエンチン」「ドンフォン」「ソンタン」「ブンテプ」「ティアサン」の5紙の発行責任者,発行停止命令の撤回と19人の不当逮捕記者の即時釈放を要求する声明発表。
DIA-201-1975-04-24-3南ベトナム1975年04月24日1970年代フオン大統領,ミン将軍に組閣を要請。ミン将軍はフオン大統領に辞任要請。
DIA-201-1975-04-24-4南ベトナム1975年04月24日1970年代フオン大統領はこのほどサイゴン市長にカク・フィン・ハ大佐を任命。
DIA-201-1975-04-24-5南ベトナム1975年04月24日1970年代革命政府スポークスマン声明,アメリカの介入停止とチュー協力者を含まぬ政権の樹立を要求。
DIA-201-1975-04-24-6南ベトナム1975年04月24日1970年代ダナン港,船舶の受け入れを再開。
DIA-201-1975-04-24-7南ベトナム1975年04月24日1970年代日本大使館,在留邦人約170人全員に最終退去勧告。
DIA-201-1975-04-24-8南ベトナム1975年04月24日1970年代英大使館一時閉鎖。
DIA-201-1975-04-25-1南ベトナム1975年04月25日1970年代(パリ)仏政府は,革命政府に常駐代表をおくことを決め,初代代表にミシェル・ユリエ氏を任命。
DIA-201-1975-04-25-2南ベトナム1975年04月25日1970年代北ベトナム・革命政府,WHO加盟申請。
DIA-201-1975-04-26-3南ベトナム1975年04月26日1970年代フオン大統領,議会に対し,ミン将軍に全権を委譲すべきかどうかを決めるよう提案。
DIA-201-1975-04-26-4南ベトナム1975年04月26日1970年代上下両院合同会談,フオン大統領に対し,自らに代わる人物を選任する権限を与える決議を採択。
DIA-201-1975-04-26-5南ベトナム1975年04月26日1970年代フオン大統領,内務省に対し,政治犯釈放に必要な措置をとるよう指示。
DIA-201-1975-04-26-6南ベトナム1975年04月26日1970年代チュー前大統領とキエム前首相,台北着。
DIA-201-1975-04-26-7南ベトナム1975年04月26日1970年代国警治安本部,記者4人を釈放。
DIA-201-1975-04-26-8南ベトナム1975年04月26日1970年代革命政府,2項目声明。
DIA-201-1975-04-26-9南ベトナム1975年04月26日1970年代ホー・チ・ミン作戦開始。
DIA-201-1975-04-27-2南ベトナム1975年04月27日1970年代上下両院合同議会,フオン大統領の提案に基づき,同大統領の辞任とミン将軍の大統領就任を承認。
DIA-201-1975-04-28-2南ベトナム1975年04月28日1970年代ミン大統領就任―ミン大統領はグエン・バン・フエン自由党党首を副大統領に,ブ・バン・マウ議員を首相に任命。ミン大統領は就任演説で即時停戦を提案。
DIA-201-1975-04-28-3南ベトナム1975年04月28日1970年代カオ・バン・ビエン総参謀長辞任,フオン大統領は後任にドン・バン・フエン中将を代理として任命。
DIA-201-1975-04-28-4南ベトナム1975年04月28日1970年代解放勢力,サイゴン中心部から2キロのニューポート橋を攻撃。サイゴン市内砲撃さる。夕,戦闘機数機が市中心部を銃爆撃。
DIA-201-1975-04-29-3南ベトナム1975年04月29日1970年代(ワシントン)米大統領,残留米人のベトナムからの撤収を命令。
DIA-201-1975-04-29-4南ベトナム1975年04月29日1970年代午後8時,タンソンニャト空軍基地制圧さる。
DIA-201-1975-04-29-5南ベトナム1975年04月29日1970年代夜,解放放送,解放戦線サイゴン・ジアディン地区人民革命委のアピールを伝える。「ミン,フエン,マウは交渉を呼びかける一方で,領土防衛を呼びかけている。彼らがアメリカ新植民地主義を維持するため戦争をひきのばそうとしていることは明白」。
DIA-201-1975-04-30-1南ベトナム1975年04月30日1970年代午前10時15分,ミン大統領,政府軍兵士に戦闘停止を命令。11時30分,大統領官邸に解放旗が掲げられる。
DIA-201-1975-04-30-2南ベトナム1975年04月30日1970年代人民解放軍司令部,解放軍の幹部と戦士に対し,かいらい機構の解体,秩序の維持,人民の生活の正常化への援助等を命令。また旧政権の全将兵・職員に帰順・登録を命令。
DIA-201-1975-04-30-3南ベトナム1975年04月30日1970年代人民解放軍布告第1号,秩序・治安維持を呼びかけ。
DIA-201-1975-04-30-4南ベトナム1975年04月30日1970年代革命政府外務省声明「南ベトナムにおける全財産および従来サイゴン政権に属していた土地家屋,動産,通貨,金,輸送手段を含め最近海外へ移動されたものは,今より南ベトナム人民の財産であり,革命政府の管理下におかれる。」
DIA-201-1975-04-30-5南ベトナム1975年04月30日1970年代(ワシントン)米財務省発表;南ベトナム政府とベトナム人の全在米資産を凍結。
DIA-201-1975-05-01-3南ベトナム1975年05月01日1970年代解放通信発表,メコンデルタの全省解放。
DIA-201-1975-05-01-4南ベトナム1975年05月01日1970年代サイゴン軍事管理委,秩序と安全の維持に関する布告第1号,武器と爆発物の収集についての布告第2号,米帝とサイゴン政権の官公庁,銀行などの復旧と管理についての布告第3号を発表。
DIA-201-1975-05-01-5南ベトナム1975年05月01日1970年代サイゴン・ジアディン解放労働組合連合,旧労働総同盟を接収。
DIA-201-1975-05-01-6南ベトナム1975年05月01日1970年代革命政府外務省スポークスマン声明,米艦船の撤収と内政干渉中止を要求。
DIA-201-1975-05-01-7南ベトナム1975年05月01日1970年代(ワシントン)米下院本会議,撤収作業に大統領が米軍を使う権限と,撤収費用ならびに人道援助として3億2700万ドルを求めた法案を否決。
DIA-201-1975-05-01-8南ベトナム1975年05月01日1970年代革命政府外務省声明「旧サイゴン政権の在外代表部はその代表資格を失った。これら代表部の外交要員と雇員は,全財産・書類を保護する義務をもつ」
DIA-201-1975-05-02-2南ベトナム1975年05月02日1970年代中国語の「解放日報」発刊。
DIA-201-1975-05-02-3南ベトナム1975年05月02日1970年代フーコク島,完全解放。
DIA-201-1975-05-02-4南ベトナム1975年05月02日1970年代中国貨物船「紅旗155号」ダナン入港。これは中国貨物船のベトナム南部港湾への初入港。
DIA-201-1975-05-03-10南ベトナム1975年05月03日1970年代オランダ王国政府は革命政府の承認を発表。
DIA-201-1975-05-03-11南ベトナム1975年05月03日1970年代ニジェール共和国外務省は革命政府の承認を発表。
DIA-201-1975-05-03-4南ベトナム1975年05月03日1970年代サイゴン,ジアディン地区軍事管理委員会が設立される。顔ぶれは次のとおり。 議長 Tran van Tra上将, 副議長 Vo van Kiet, Mai Chi’ Tho.Hoang Cam少将(サイゴン,ジヤディン地区防衛司令官),Tran van Danh少将,Cao van Chiem. 委員 Bui thanh Khiet大佐,Nguyen van thu医師,Vuong ky Hiep革命政府経済省次官,Vo thanh Danh, Phan minh Tan.
DIA-201-1975-05-03-5南ベトナム1975年05月03日1970年代革命政府,旧サイゴン政府軍将兵雇員は7日までに登録するよう指示。
DIA-201-1975-05-03-6南ベトナム1975年05月03日1970年代解放通信報道;キューバ船,ダナン入港。
DIA-201-1975-05-03-7南ベトナム1975年05月03日1970年代革命政府外務省はタイ,フィリピン・マレーシアおよびシンガポール各国政府へ覚書を送り,4月30日以降南ベトナム人民の財産を奪取し,各国の空海港に入った船舶と航空機を返還するよう要求。
DIA-201-1975-05-03-8南ベトナム1975年05月03日1970年代4300人のベトナム難民を乗せた船が南シナ海で沈没,デンマーク船に救助され,4日香港へ。
DIA-201-1975-05-03-9南ベトナム1975年05月03日1970年代シアヌーク殿下の母堂コソマック皇太后の葬儀に参加するため,革命政府代表団(団長グエン・バン・キエト解放戦線中央委副議長)が北京に到着。
DIA-201-1975-05-04-1南ベトナム1975年05月04日1970年代「解放サイゴン」紙発刊。
DIA-201-1975-05-04-2南ベトナム1975年05月04日1970年代解放放送;革命政府外務省はこのほど,ワルトハイム国連事務総長に対し,国連代表権の承認を要請。
DIA-201-1975-05-04-3南ベトナム1975年05月04日1970年代米・小麦粉など4000トンの食糧を積んだソ連貨物船,ダナン港に入港。ソ連船のダナン入港は,同港解放以来はじめて。
DIA-201-1975-05-05-2南ベトナム1975年05月05日1970年代サイゴン軍管委,旧政権の残存物一掃を市民に布告。
DIA-201-1975-05-05-3南ベトナム1975年05月05日1970年代サイゴン軍事管理委はサイゴン―ビエンホア間の鉄道開通を発表。
DIA-201-1975-05-05-4南ベトナム1975年05月05日1970年代革命政府経済財政省は外国郵便物,税関と空海港に出入する外国船舶に対する暫定法を発表。
DIA-201-1975-05-05-5南ベトナム1975年05月05日1970年代ファム・バン・バ駐仏革命政府常駐代表部首席は,仏外務省儀典局長の案内で,旧サイゴン政府大使館を接収。
DIA-201-1975-05-05-6南ベトナム1975年05月05日1970年代(ニューヨーク)国連経済社会理事会,メキシコ市で6月19日から開幕する国際婦人年会議に革命政府を招待する決議を採択。
DIA-201-1975-05-06-2南ベトナム1975年05月06日1970年代革命政府,旧政府軍兵士の投降期限を7日から5月31日まで延期。
DIA-201-1975-05-06-3南ベトナム1975年05月06日1970年代コンソン島政治囚549人を乗せた人民解放海軍第1船はヴンタオ港に入港。
DIA-201-1975-05-06-4南ベトナム1975年05月06日1970年代ペン・クラブ解散,作家・芸術家解放同盟結成。
DIA-201-1975-05-06-5南ベトナム1975年05月06日1970年代オーストラリア外務省は革命政府の承認を発表。
DIA-201-1975-05-06-6南ベトナム1975年05月06日1970年代ネパール王国外務省は革命政府の承認を発表。
DIA-201-1975-05-06-7南ベトナム1975年05月06日1970年代ハノイ放送;「タイのウタパオ基地にあった南ベトナムの軍用機(約125機)を持ち去った米国の行為は略奪であり,これを見逃したことにタイ政府は責任を負うべし」
DIA-201-1975-05-07-3南ベトナム1975年05月07日1970年代サイゴン軍事管理委発足式典でチャン・バン・チャ議長演説「清潔な仕事を通じ正直な収入を得る外国人に対しては,その生命と財産を保護,尊重する」
DIA-201-1975-05-07-4南ベトナム1975年05月07日1970年代日本政府,ハノイの革命政府外務省あて同政府の承認通告。
DIA-201-1975-05-08-1南ベトナム1975年05月08日1970年代サイゴン・ジアディン軍事管理委員会議長,チャン・バン・チャ上将は解放後初めて,内外記者団と会見。「将来の選挙によって正式の革命政府となろう」「ベトナムは一つであり,ベトナム統一は適切な条件の下に実現するだろう」
DIA-201-1975-05-08-2南ベトナム1975年05月08日1970年代サイゴン軍事管理委は旧政府軍将校の出頭登録者の第1陣のリストを発表。 将軍級は10人:Vu van Giai準将(41歳)元歩兵第3師団司令官。Le van Tu準将(45歳)元歩兵第25師団司令官。Tran quoc Lich準将(40歳)元歩兵第5師団司令官兼第4軍区監査長。Le trung Truc準将(49歳)元4者軍事委員会のサイゴン側副団長。Do ke Giai少将・元特殊部隊司令官,Pham duy Tet準将・元第2軍区の特別部隊司令官。Ly ba Hy準将・元サイゴン特別区副司令官。Le trung Tuong元歩兵第32師団司令官。Ho trung Hau準将・元落下傘師団副司令官・歩兵第21師団司令官。また解放直前まで第3軍区監査長。Le van Kim在郷中将。
DIA-201-1975-05-08-3南ベトナム1975年05月08日1970年代佐級:現在まで大佐124人,中佐400人,少佐1000人,革命政府外務省は米国のベトナム難民移送について次のような声明を発表。 「米国政府はベトナム難民移送の問題を作り出し,彼らの発表したような人道のためではなく,革命政府の政策を中傷し,同時に将来それらの難民をベトナム人民の革命事業の破壊陰謀に使用しようとしている。」「米国は帰国を望む者を早急かつ安全に送還するための手段を提供すべし」
DIA-201-1975-05-08-4南ベトナム1975年05月08日1970年代(ニューヨーク)国連スポークスマン発表,革命政府が国連に対し緊急援助を要請。
DIA-201-1975-05-08-5南ベトナム1975年05月08日1970年代日本大使館の渡辺参事官,サイゴン・ジアディン地区軍事管理委に,革命政府承認の口上書を手交。同委外務委の幹部タン代表と会見。
DIA-201-1975-05-09-2南ベトナム1975年05月09日1970年代サイゴン軍事管理委発表,「同市人民の生活の混乱をさけ,国家の財産を守るため,前政権の通貨類を交換・売買に継続して使用することを認める。また前政権の通貨(ピアストル)以外のすべての通貨の使用を禁止し,金銀,貴金属(ダイヤ,宝石など),手形,小切手および有価証券の売買も禁止する」
DIA-201-1975-05-09-3南ベトナム1975年05月09日1970年代人民解放軍はこのほど,南ベトナム領空を通過するすべての航空機に対して革命政府の許可を予め取得するよう要求。
DIA-201-1975-05-09-4南ベトナム1975年05月09日1970年代サイゴン軍事管理委は旧政府軍将軍登録出頭者リストの第2陣を発表。 Vu ngoc Hoan少将・軍医総監査長 Pham thanh Ha準将・軍医局総局長 Le van Nghiem中将・元ダラット士官学校学長(1964年に定年) Doan van Quang少将・元クアンチュン軍事訓練センター所長 Nguyen chau A(蒋介石政権の少将,ベトナム国籍を取得)心理作戦センター訓練指揮官 Pham dinh Thu別名Lam Son準将 1969年から特殊部隊総司令官,特に北ベトナムへスパイ活動のため潜入した部隊指揮官 Nguyen thanh Sang準将・元第22師団司令官 Nguyen xuan Trang少将・元副参謀長 Nguyen van Vy中将・元国防相兼参謀長 Lam van Phat少将 Nguyen huu Co中将・元国防相 Van thanh Cao少将・1972年から解放直前まで政治作戦総局副局長 Le minh Dao準将・第18師団司令官スアンロク戦線の指揮官
DIA-201-1975-05-09-5南ベトナム1975年05月09日1970年代フィンランド外務省は革命政府の承認を発表。
DIA-201-1975-05-10-2南ベトナム1975年05月10日1970年代革命政府は5月15,16,17日の3日間を勝利を祝う日として休日にする旨布告。
DIA-201-1975-05-10-3南ベトナム1975年05月10日1970年代サイゴン,ジアディン地区の青年学生に,自衛組織・福祉活動・革命的文化活動への参加を呼びかけるアピール。
DIA-201-1975-05-12-2南ベトナム1975年05月12日1970年代革命政府のWHO加盟が,ジュネーブ大会で承認される。
DIA-201-1975-05-12-3南ベトナム1975年05月12日1970年代ニュージーランド政府,革命政府の承認を発表。
DIA-201-1975-05-13-3南ベトナム1975年05月13日1970年代北ベトナムの党,政府,国会および団体代表団,南部の完全解放祝賀式典に参加するため,タンソンニャット空港に到着。代表団は次のとおり, Ton duc Thang大統領(南部ロンスエン出身,党中央委員) Le duc Tho党中央委政治局員 Le thanh Nghi党政治局員・副首相 Van tien Dung大将・党政治局員・人民軍総参謀長。 Hoang quoc Viet党中央委員・北ベトナム労働総同盟議長 Chu van Tan上将・党中央委員・ベトバク自治区党書記(少数民族出身) Nghiem xuan yem北の民主党書記長・国会議員 Nguyen Xien北の社会党書記長・国会議員 Thich the Long師(北の仏教協会代表) Pham quang Phuoc牧師(北のカトリック教徒代表) Vu thi Chin医師・ベトナム婦人連盟副議長 Nguyen van Deホーチ・ミン労働青年団中央委員会書記
DIA-201-1975-05-13-4南ベトナム1975年05月13日1970年代北の党政府国会および団体代表団を出迎える南部側の代表団は次のとおり。 Pham Hung労働党中央委政治局・南部の労働党支部書記・南部解放軍政治局主任(ビンロン省出身) Nguyen huu Tho解放戦線中央委議長 Huynh tan Phat革命政府首相 Trinh dinh Thao平和連盟議長。 Nguyen xuan Linh南部労働党支部副書記 Nguyen van Kiet革命政府副首相・教育・青年相 Tran nam Trung革命政府国防相 Nguyen thi Binh〃外相 Tran van Tra上将,サイゴン・ジアディン地区軍事管理委議長(労働党中央委員)
DIA-201-1975-05-13-5南ベトナム1975年05月13日1970年代北ベトナムの遠洋船(1万トン級),サイゴン港に入港。
DIA-201-1975-05-13-6南ベトナム1975年05月13日1970年代(ロンドン)英外務省,革命政府承認を発表。
DIA-201-1975-05-13-7南ベトナム1975年05月13日1970年代イタリア政府,革命政府の承認を発表。
DIA-201-1975-05-13-8南ベトナム1975年05月13日1970年代革命政府代表団(ボ・ハイ・ヘイン代理大使),ニューデリー到着。大使館開設のため。
DIA-201-1975-05-14-3南ベトナム1975年05月14日1970年代経済財政省,5月17日からサイゴン港の活動を再開し,外国船の出入港を認めると発表。
DIA-201-1975-05-14-4南ベトナム1975年05月14日1970年代革命政府仏政府と両国外交関係の大使級昇格に同意すると発表。
DIA-201-1975-05-14-5南ベトナム1975年05月14日1970年代(ジュネーブ)革命政府代表,WHO総会に出席。
DIA-201-1975-05-14-6南ベトナム1975年05月14日1970年代ベルギー政府,革命政府の承認を発表。
DIA-201-1975-05-15-4南ベトナム1975年05月15日1970年代解放線線と革命政府,南部完全解放祝賀式典を開催。
DIA-201-1975-05-15-5南ベトナム1975年05月15日1970年代カナダ政府,革命政府の承認を発表。
DIA-201-1975-05-15-6南ベトナム1975年05月15日1970年代革命政府外務省,4月30日からインド政府と外交関係樹立・大使交換に同意と発表。
DIA-201-1975-05-16-1南ベトナム1975年05月16日1970年代革命政府代表団(団長グエン・ミン・フォン大使),ハノイ,ビエンチャン経由バンコク到着。
DIA-201-1975-05-16-2南ベトナム1975年05月16日1970年代グエン・フー・ト議長,フイン・タン・ファット首相,各国大使,外交団と会見。
DIA-201-1975-05-17-3南ベトナム1975年05月17日1970年代ホアン・コク・ベト労働総同盟議長代表団はサイゴンに滞在中,サイゴン労働解放連合会,ツードク発電所,チーホア鉄道機関車工場を訪問。
DIA-201-1975-05-17-4南ベトナム1975年05月17日1970年代コンソン島から政治囚400人を乗せた人民解放軍海軍船,サイゴンのバクダン港に入港,現在までにコンソン島から解放された政治囚のうち,陸地に帰った者1300人に達す。
DIA-201-1975-05-18-1南ベトナム1975年05月18日1970年代ツアチエン・ユエ地区人民革命委員会,ユエとダナン間鉄道路線の開通を発表。
DIA-201-1975-05-18-2南ベトナム1975年05月18日1970年代ヨルダン王国政府,革命政府の承認を発表。
DIA-201-1975-05-19-2南ベトナム1975年05月19日1970年代ドンナイ川上流のビエンホア省入口の大橋が修複される。
DIA-201-1975-05-19-3南ベトナム1975年05月19日1970年代解放通信は革命政府外務省の南ベトナムとタイとの交渉内容を発表。 ○革命政府代表団はタイ王国政府外務省の援助と協力によりバンコク駐在旧サイゴン政権の大使館と他の付属機関および全財産を接収した。 ○旧サイゴン政権所有の内外財産のすべては同人民と革命政府に所有権がある,タイ領内の南ベトナム軍と民間用機と船舶の返還を要求し接収する権限は革命政府にある。タイ政府は米国を米国の奪取した南ベトナム軍民用機と船舶を南ベトナム人民と革命政府に返還するよう要求する義務を持つが同政府はその義務を実現するのに消極的態度をとったので南とタイとの両国関係正常化を促進するに当り障害になった。 ○革命政府側はタイ王国政府の革命政府承認を歓迎し,同政府の南ベトナム再建への援助の約束に感謝する。革命政府は平和五原則共存を基礎に東南アジア諸国との関係正常化の促進を優先する,東南アジアを平和地域として建設するため,米軍隊とその基地を全面的に撤収することが第1条件であると強調する。
DIA-201-1975-05-20-3南ベトナム1975年05月20日1970年代南ベトナム中部南の各省(ビンツウン,ニンツウン,ツウンドク,ラムドンおよびダラット市)革命委は各級学校を再開すると発表。
DIA-201-1975-05-21-2南ベトナム1975年05月21日1970年代サイゴン軍事管理委,このほど前政権下で活動していた全政党を非合法化。
DIA-201-1975-05-21-3南ベトナム1975年05月21日1970年代キューバ政府,革命政府に精糖2000トンを贈与する旨発表。
DIA-201-1975-05-21-4南ベトナム1975年05月21日1970年代ビルマ政府,革命政府と大使級外交関係樹立を発表。
DIA-201-1975-05-22-2南ベトナム1975年05月22日1970年代サイゴン軍事管理委文化小委布告,チュー政権下で発行された図書等販売禁止。
DIA-201-1975-05-22-3南ベトナム1975年05月22日1970年代北ベトナムの貨物船ホンハー号(1万トン級),南同胞へ支援物資を満載してサイゴン港に入港。
DIA-201-1975-05-22-4南ベトナム1975年05月22日1970年代革命政府のパリ代表団,パリの2者政治協議代表部を解散し帰国。
DIA-201-1975-05-25-1南ベトナム1975年05月25日1970年代ゴ・バー・タイン女史サイゴン婦人生活権擁護会々長は同会を解散し,同会の全会員と役員を南ベトナム婦人解放連合会に団体加盟させると決定。
DIA-201-1975-05-25-2南ベトナム1975年05月25日1970年代サイゴン―ハノイ間の電報が再開。
DIA-201-1975-05-26-2南ベトナム1975年05月26日1970年代ビエンチャンに向かう出国航空機第2便,サイゴン出発。
DIA-201-1975-05-26-3南ベトナム1975年05月26日1970年代サイゴン放送;サイゴン軍管委はこのほど公務員・民間企業従業員の暫定給料基準を発表。公務員,教師等は月額1万~2万3000ピアストル。
DIA-201-1975-05-26-4南ベトナム1975年05月26日1970年代メキシコ政府外務省,革命政府と外交関係・大使交換協定に調印。
DIA-201-1975-05-26-5南ベトナム1975年05月26日1970年代革命政府外務省,旧サイゴン博物館保蔵の民族芸術文化の貴重な遺産が盗まれ,現在グアム島に入ったそれらの貴重な物はベトナム民族の遺産であり,米政府はそれら宝物を返還する義務を持つと発表。
DIA-201-1975-05-28-2南ベトナム1975年05月28日1970年代ジアディン地区の4大企業(ビナコ自転車組立工場,ビンロイ皮革工場,サキメン毛布製造工場)は営業生産を再開。
DIA-201-1975-05-28-3南ベトナム1975年05月28日1970年代南ベトナムの刑務所制度改善運動,解散を決定。
DIA-201-1975-05-29-2南ベトナム1975年05月29日1970年代サイゴン・ジアディン地区諸労働団体は12実行委員会と24準備委員会を成立さす。
DIA-201-1975-05-29-3南ベトナム1975年05月29日1970年代解放通信報道,5月25~29日まで旧サイゴンの各政党の党首らは軍事管理委員会に登録のため,同委の事務所に出頭した。 Nguyen dinh Xuong民主党実行委第2副書記(前チュー大統領の政党) Pham van Hat大佐・民主党顧問 Truong dinh Nam, Ung duc Mau工農党中央委員(チャン・ゴク・ブウ前労働総同盟議長の所属政党) Nguyen dinh Luong統一ベトナム国民党書記長 Dang ngoc Con人位勤労党中央委員 Hoang co Binhベトナム興国党書記長 Nguyen dinh Huy新大越党創立者・急進国家運動実行委副書記 Do nhu Than新大越党組織総本部監査委員 Dinh Son人民革命党書記長 Qua’ch hue Lai急進党議長団委員 Tran quang Ngoc自由党副書記 Nguyen trung Binh民主社会連盟書記長 Tran Thi Cong別名Thanh Nguyet復越党委員 Vu hong Khanhベトナム国民党指導者 Tran trung Dung民主党議長団委員 Nguyen van Huyen航自由党中央委議長 Trinh quang Quy’工農党副議長
DIA-201-1975-05-30-3南ベトナム1975年05月30日1970年代革命政府,ビルマと外交関係・大使交換に同意。
DIA-201-1975-05-31-3南ベトナム1975年05月31日1970年代国連難民高等弁務官事務所と国連児童救済基金と国際赤十字社の3組織の代表団がサイゴン訪問。6月4日まで滞在,臨時革命政府赤十字社執行委と会見。
DIA-201-1975-06-01-2南ベトナム1975年06月01日1970年代ダナンで軍事管理委から人民革命委へ権力委譲。
DIA-201-1975-06-02-2南ベトナム1975年06月02日1970年代サイゴン・ジアディン地区の幼稚園,小・中学校で夏季補修コース開始。
DIA-201-1975-06-02-3南ベトナム1975年06月02日1970年代解放通信報道;サイゴン・ジアディン地区革命委員会は貧苦の家族と個人30万人に米を配給。
DIA-201-1975-06-02-4南ベトナム1975年06月02日1970年代サイゴン・ジアディン軍事管理委は中部中央地区からサイゴンに強制移住させられた3800人を帰郷させた。同地区への帰郷は2回目。
DIA-201-1975-06-02-5南ベトナム1975年06月02日1970年代解放通信報道;スープレムトライダー号は国際赤十字社のダナン市人民への救援物資3000トンを満載し,ダナン港に入港。
DIA-201-1975-06-02-6南ベトナム1975年06月02日1970年代レ・ゴク・アイン革命政府赤十字社代表はハノイでスイス赤十字社の南ベトナムへの医療関係物資の救援を受ける。
DIA-201-1975-06-03-2南ベトナム1975年06月03日1970年代解放放送;ダナンで軍事行政委が権限を革命人民グループに移譲。
DIA-201-1975-06-03-3南ベトナム1975年06月03日1970年代ビン外相,モスクワ立寄り,グロムイコ外相と会談。
DIA-201-1975-06-04-2南ベトナム1975年06月04日1970年代革命政府は同政府創立6周年記念日に当り,ファット首相主催で拡大閣僚会議を開き,同政府の過去の政策実現の成果を検討し,解放後の当面する諸問題についての対策を討議した。
DIA-201-1975-06-04-3南ベトナム1975年06月04日1970年代解放通信報道;ヴンタオ地区人民革命委員会は貧苦家族たちに米60トンを供給し,中部からの難民8万人に米を供給し帰郷準備を援助した。
DIA-201-1975-06-04-4南ベトナム1975年06月04日1970年代ビン外相,アルジェリア公式友好訪問。
DIA-201-1975-06-05-1南ベトナム1975年06月05日1970年代解放通信報道;5月31日にアンロクのゴム農園工場内で,フォクトイ,ロンカン両省の11ゴム農園労働者5000人はゴム農園を開発,生産再開式典を開催。
DIA-201-1975-06-05-2南ベトナム1975年06月05日1970年代紅河号(北ベトナム所属遠洋船)はサイゴンからの帰途,カムランで難民を乗せてダナン港に入港。
DIA-201-1975-06-05-3南ベトナム1975年06月05日1970年代Merillonフランス大使とLemaitre教師出国。Merillon大使は73年7月3日信任状提出。
DIA-201-1975-06-05-4南ベトナム1975年06月05日1970年代サイゴン解放放送によると,ハチエンのセメント工場に従事する労働者1000人が集会,セメント生産労働組織の準備会を決定。
DIA-201-1975-06-06-2南ベトナム1975年06月06日1970年代臨時革命政府創立6周年記念式典。アルジェリァ,ブルンジ,ギニア,モーリタニア,モンゴル,ウガンダ,ポーランド,セネガル,シリア,タンザニア,ユーゴの11ヵ国代表とPLO代表が出席。
DIA-201-1975-06-06-3南ベトナム1975年06月06日1970年代ダナン市革命委員会は国際赤十字社から同市人民を救援する目的で第2次の米・薬品を含む1040トンの物資を受けとると発表。
DIA-201-1975-06-06-4南ベトナム1975年06月06日1970年代解放通信報道,解放後1ヵ月(4月末から5月末まで)で革命政府承認国数は30ヵ国ふえた。そのうち,ヨーロッパの西北区14ヵ国,アジアとラテン・アメリカ地域16ヵ国である。5月末現在,革命政府の承認国総数は75ヵ国に達す。
DIA-201-1975-06-07-2南ベトナム1975年06月07日1970年代サイゴン市の西北20キロの地点,省内道路15号線上のサン(Sang)鉄橋を再建した,同橋は長さ42.7メートル,幅4.5メートル。
DIA-201-1975-06-09-2南ベトナム1975年06月09日1970年代ハノイ放送,サイゴン各級革命政権は強制移住させられた1万8700人に旅費,食料を与えて5月末までにもと住んでいた地区へ帰郷さす。
DIA-201-1975-06-09-3南ベトナム1975年06月09日1970年代ハノイ放送,ビエンホア省解放労働組合連盟結成。結成式には同省の28の工場,企業,ゴム園代表者1000名が参加。
DIA-201-1975-06-11-3南ベトナム1975年06月11日1970年代解放通信報道;サイゴン・ジアディン地区内紡織企業の80が生産再開。シコビナ紡織工場(従業員1300人),ビンホイ綿糸工場(従業員3000人),リエニフォン紡織工場(働く者700人),ビシファサ紡織工場(従業員800人)など。
DIA-201-1975-06-12-2南ベトナム1975年06月12日1970年代北部貨物船リンダ号は南部同胞支援物資を満載してカムラン港に入港。
DIA-201-1975-06-12-3南ベトナム1975年06月12日1970年代サイゴン市の医科,歯科,薬科3大学が再開。
DIA-201-1975-06-13-1南ベトナム1975年06月13日1970年代臨時革命政府,インドシナ時間の採用を決定,13日から実施。南ベトナム人民の生活と南北両地区とインドシナ全域との交流の便宜を与えるため。
DIA-201-1975-06-13-2南ベトナム1975年06月13日1970年代アルジェリア訪問中のグエン・チ・ビン外相は同国政府代表と経済援助・協力協定に調印。
DIA-201-1975-06-14-1南ベトナム1975年06月14日1970年代村岡日中文化交流協会常務理事は北京駐在革命政府大使館を訪問,南ベトナム人民へ159万6420円を贈与。
DIA-201-1975-06-14-2南ベトナム1975年06月14日1970年代解放通信報道;サイゴン市のチヨウアー紡織工場の従業員300人は現在まで1日1交代で(8時間)生産を続行,ナイロン5000メートルを生産した。今後は増産のため1日3交代制で生産する計画を作成。
DIA-201-1975-06-14-3南ベトナム1975年06月14日1970年代解放通信報道;クアンダ省(クアンナム,ダナン)の銀行当局は省内農民の農業生産再建に400万ドンを貨付,とくに1300台のポンプの修理に使用。またダナン市の魚醤製造漁民の旧業復活資金800万ドルを放出。
DIA-201-1975-06-15-1南ベトナム1975年06月15日1970年代サイゴン軍管委,グエン・バン・ビン大司教と会談。
DIA-201-1975-06-15-2南ベトナム1975年06月15日1970年代解放通信報道,国際婦人年の世界大会出席のためマーチ・チヨウ解放戦線中央委員・婦人解放連合会実行員代表団はメキシコへ出発。
DIA-201-1975-06-15-3南ベトナム1975年06月15日1970年代ビン外相はリビア訪問中,カダフィ大統領と会談。
DIA-201-1975-06-16-1南ベトナム1975年06月16日1970年代チャン・ズオン国立銀行総裁声明,国立銀行が業務再開。
DIA-201-1975-06-17-1南ベトナム1975年06月17日1970年代ビエンホア省の農業漁業関係機械工場,活動を再開。
DIA-201-1975-06-18-3南ベトナム1975年06月18日1970年代解放通信報道,南ベトナムにおける,製糖工場四つ(クアンガイ,ファンラン,ビンズオン,ヒエプホア)と砂糖精製工場二つ(カンホイ,ビエンホア)の技術者,労働者は解放後,同各工場の管理運営委員会を設立し,そのうちクアンガイとファンラン両工場の活動が再開された。
DIA-201-1975-06-20-2南ベトナム1975年06月20日1970年代オランダと大使館外交関係樹立。
DIA-201-1975-06-21-2南ベトナム1975年06月21日1970年代革命政府,カトリック代表と会談。グエン・バン・ビエン大司教はじめ司教・司祭250人が出席。信教の自由を保障。
DIA-201-1975-06-22-1南ベトナム1975年06月22日1970年代革命政府,私立の小・中学校再開を決める。
DIA-201-1975-06-22-2南ベトナム1975年06月22日1970年代解放通信報道;サイゴン・ジアディン地区で384企業の生産を再開。
DIA-201-1975-06-22-3南ベトナム1975年06月22日1970年代ニャンザン紙報道;モンゴル政府,革命政府へ1975年の援助協定の補充援助を決定。
DIA-201-1975-06-22-4南ベトナム1975年06月22日1970年代革命政府,マルデイブ共和国政府と大使級外交関係樹立を発表。
DIA-201-1975-06-23-2南ベトナム1975年06月23日1970年代革命政府外務省コミュニケ,イギリス・アイルランドと6月23日から大使級外交関係樹立,スリランカともこのほど大使級外交関係樹立で合意。
DIA-201-1975-06-24-2南ベトナム1975年06月24日1970年代ビン外相,イラク友好訪問。2日共同コミュニケを発表。30日経済協力協定調印。イラクは燃料を無償供与。
DIA-201-1975-06-24-3南ベトナム1975年06月24日1970年代ニャンザン級報道;ビエンホア省工業団地内で16日現在21工場の生産が再開される。
DIA-201-1975-06-25-1南ベトナム1975年06月25日1970年代ニャンザン級報道;ビエンホアのコギド製紙合司の3工場の一つ(年産7500トン)は生産を再開。
DIA-201-1975-06-25-2南ベトナム1975年06月25日1970年代ニャンザン紙報道;フオクロン(ジアディン・ツードク地区)養豚センター現在豚2965頭を保管,6月初めまで,サイゴン・ジアディン地区に豚肉10トンを供給した。
DIA-201-1975-06-26-3南ベトナム1975年06月26日1970年代革命政府外務省コミュニケ,スイスと大使級国交樹立。
DIA-201-1975-06-26-4南ベトナム1975年06月26日1970年代アルジェリア民主団体は南ベトナム人民に救援物資を送り,その物資がタンソンニャット空港で引渡された。
DIA-201-1975-06-27-1南ベトナム1975年06月27日1970年代革命政府外務省コミュニケ,6月25日からカナダと大使級外交関係樹立を決定。
DIA-201-1975-06-29-4南ベトナム1975年06月29日1970年代解放通信報道;サイゴン地区のドンアー紡織工場(工員総数700人)が生産を再開。解放前より生産増加,現在1日当り綿製品3150メートルを生産。
DIA-201-1975-06-29-5南ベトナム1975年06月29日1970年代解放通信報道;ラムドン省内のドンナイとコクタイの両製茶工場は生産再開。
DIA-201-1975-06-30-2南ベトナム1975年06月30日1970年代デンマーク王国と大使級外交関係樹立。
DIA-201-1975-07-01-3南ベトナム1975年07月01日1970年代ニャンザン紙報道;ベトナム石けん会社は,現在国内原料を使って風呂用と洗濯用石けん等1日700トンを生産。
DIA-201-1975-07-01-4南ベトナム1975年07月01日1970年代ニャンザン紙報道;ミシュラン車両タイヤ製造工場は現在1日当り自転車とモーター付シクロのタイヤ700組を製造。
DIA-201-1975-07-01-5南ベトナム1975年07月01日1970年代ベトナム通信報道;ルイシア自転車組立と製造会社(旧政権のイタリアと合弁会社)は現在,平常通り生産を再開,1日当り80台を組立て,あるいは製造。
DIA-201-1975-07-01-6南ベトナム1975年07月01日1970年代パキスタンと大使級外交関係樹立。
DIA-201-1975-07-02-4南ベトナム1975年07月02日1970年代ニャンザン紙報道;サイゴン・ジアディン地区教育局は文化面で革命成果を発揮するため,次の二つの方式を実施する。 ○人民各階層,とくに労働者階層の文旨の一掃。 ○文化程度を高めるため補充する(第1,2,3級および大学まで) 同地区内の現在の文盲者数は推定で50万人,1976年末まで同文盲者の25万人を教育する計画を実施,文盲者の対象年齢は男性16~45歳,女性15~40歳,但しそれらの年齢以外の参加志願者も認あられる。
DIA-201-1975-07-02-5南ベトナム1975年07月02日1970年代解放放送;革命当局,3万5000人のホアハオ教徒に再教育講座。
DIA-201-1975-07-03-2南ベトナム1975年07月03日1970年代ニャンザン紙報道;南部のビンフォク,タイニン,ツジョウモットの3地区のゴム生産労働者団体は着々,ゴム・プランテーションを復旧し,ジョウチェンのプランテーションは5万4000本,ベンクイ・プランテーションは2万7000本,ミンタィン・プランテーションは4万500本を復旧し培養。
DIA-201-1975-07-03-3南ベトナム1975年07月03日1970年代スウェーデン王国と大使級外交関係樹立。
DIA-201-1975-07-04-2南ベトナム1975年07月04日1970年代解放通信報道;クアンチ省財政・金融機関はドンハー市と4県の農業復旧・発展の資金として同地区農民団体に71万4600ピアストルを貸付け。新開発地区に移住した家族に数万ピアストル,6ヵ月分の米を支給。
DIA-201-1975-07-04-3南ベトナム1975年07月04日1970年代解放通信報道;ダニム水力発電所は同所から,カムライン市までの送電線工事を完成,同市全域の市民と企業に電力を供給。
DIA-201-1975-07-04-4南ベトナム1975年07月04日1970年代フィンランド共和国と大使級外交関係樹立。
DIA-201-1975-07-04-5南ベトナム1975年07月04日1970年代国連所属の経済発展・計画化問題研究アフリカ研究院の招きで,マダガスカルの首都で(4~14日)開催された“農業と工業の関係に関するアジア,アフリカ”会議に南ベトナム代表出席。
DIA-201-1975-07-05-2南ベトナム1975年07月05日1970年代解放通信報道;カント水道局は市民に,現在までに6万立方メートルを供給し,解放前より2万立方メートル増,また同市労働者地区へ配水を実施。チャーノック火力発電所(カント発電所)は3万3000kWを使用南ベトナム・デルタ西の5省に電力を供給。
DIA-201-1975-07-05-3南ベトナム1975年07月05日1970年代解放通信報道;国立銀行の信用政策は,経済復旧と発展の任務,人民の日常生活の安定に服務,独立,自主および繁栄の経済を早急に建設することに貢献する。また貸付政策は,農業生産回復,必要な消費品,輸出用品の生産工業などに優先権を与える。解放前の預金,倹約預金については商業銀行に責任があり,預金者に支払わなければならない,とくに労働者は徐々に預金を引出すことができる。
DIA-201-1975-07-06-2南ベトナム1975年07月06日1970年代サイゴン・ジアディン地区解放民族戦線委員会は,同地区のカトリック教の各教派指導者と会談。同集会に出席した牧師200人と,27教派代表僧侶男女は“ベトナムのカトリック教徒と現在の民族革命事業”について討論した。
DIA-201-1975-07-06-3南ベトナム1975年07月06日1970年代解放通信報道;サイゴン・ジアディン軍事管理委員会の農業資材・技術総局は南部各農村に肥料2万9100トンを配分,価格は1俵当り(重量50kg)8000~9000ピアストル,解放前より3000~5000ピアストル安くなった。
DIA-201-1975-07-07-2南ベトナム1975年07月07日1970年代ニャンザン紙報道;南ベトナムの完全解放後現在までの工業生産再開状況は次のとおり。 ○チョクアン火力発電所(サイゴン市で最大の発電所)(出力6万kW)が活動を再開しサイゴン市の市民と各企業に電力を供給。 ○ハチエン・セメント工場の生産が復活(生産能力,1ヵ月当り2万5000トン),いままで使っていた重油の代わりに国内産石炭を使用。 ○現在全紡織企業の80%が復旧・生産を再開した。 ○食品加工業は食用の豚肉と牛肉の市内供給量を確保。 甘味飲料品(BGI)の生産部門も生産を再開。 ○ベトナム製糖公司(クアンガイ,ファンラン,ビンズゥン,ヒェプホア製糖工場)および二つの精製工場(カンホイ,ビエンホア)などが復活し生産を再開。 ○牛乳加工公司は復旧した後,現在1日に20万以上のミルク罐詰と1時間当り牛乳9400リットルを生産。 ○ゴム園復旧状況は現在,アンロク,バリア,ロンカンは労働者5000人が再就職し,生産再開。 ○電池工場(ビド電池工場)は平常に戻り解放前に解雇された600人の労働者が再雇用された。 ○サイゴン各港の活動は,完全に平常化され港湾労働者8000人が再就職した。 ○鉄道復旧状況はサイゴン―ニャチャン間(513キロメートル)の鉄道復旧が着々進行し,9・
DIA-201-1975-07-09-1南ベトナム1975年07月09日1970年代ベルギー王国と大使級外交関係樹立。
DIA-201-1975-07-10-3南ベトナム1975年07月10日1970年代南北を結ぶ鉄道開通,ハノイ発の1番列車がダナンへ向け出発。
DIA-201-1975-07-10-4南ベトナム1975年07月10日1970年代ガイアナ共和国と外交関係樹立に同意。
DIA-201-1975-07-10-5南ベトナム1975年07月10日1970年代イタリア共和国と大使級外交関係樹立。
DIA-201-1975-07-11-3南ベトナム1975年07月11日1970年代ビエンホア鉄道局はビエンホア―ロシカン間(48キロメートル)の線路の復旧工事を完成と発表。
DIA-201-1975-07-12-1南ベトナム1975年07月12日1970年代ルクセンブルクと大使級外交関係樹立。
DIA-201-1975-07-13-1南ベトナム1975年07月13日1970年代ニャンザン紙報道;解放通信はデルタ地区内で旧サイゴン政権と積極的に協力したルウン・チョン・ツウン氏(ホアハオ教一派の代表)を逮捕。
DIA-201-1975-07-14-2南ベトナム1975年07月14日1970年代サイゴン軍管委,7日以内に武器を提出するようコミュニケ。また集会許可制に関するコミュニケ。
DIA-201-1975-07-15-2南ベトナム1975年07月15日1970年代ファト首相は国連事務総長に電報を送り,革命政府の国連加盟を申請。
DIA-201-1975-07-15-3南ベトナム1975年07月15日1970年代オーストリア共和国と大使級外交関係樹立。
DIA-201-1975-07-19-3南ベトナム1975年07月19日1970年代革命政府,国連に常駐オブザーバーの派遣を通告。
DIA-201-1975-07-19-4南ベトナム1975年07月19日1970年代解放通信発表;ノルウェー王国と大使級外交関係樹立を決定。
DIA-201-1975-07-20-4南ベトナム1975年07月20日1970年代ニャンザン紙報道;ジアライ省は新しい道路170キロメートルを建設。国道9号を復旧,また14号と19号上の橋10本を復旧。
DIA-201-1975-07-21-2南ベトナム1975年07月21日1970年代解放通信報道;南部各都市の数十万人は,農村あるいは平原と高原地帯の新経済区建設運動に熱心に参加。
DIA-201-1975-07-21-3南ベトナム1975年07月21日1970年代パキスタンとこのほど大使級外交関係樹立。
DIA-201-1975-07-23-5南ベトナム1975年07月23日1970年代ザイフオン紙発刊。
DIA-201-1975-07-24-3南ベトナム1975年07月24日1970年代解放通信報道;ジョウチエンのゴム・プランテーション労働者団体は現在までにゴム樹63万4750本を培養。
DIA-201-1975-07-25-3南ベトナム1975年07月25日1970年代革命政府はタイ外務省にあて覚書を送る。同覚書の内容は次のとおり。 革命政府とタイ政府の代表はバンコクで,5月16~19日まで,ベトナムからタイへ逃避した飛行機,船舶および他の財産などを返還する問題を討議した。タイ外務次官から船舶飛行機のリストを受けたが検討の結果は実際の数量と合わない。ベトナム側が確認した数字によるとタイへ避げた航空機数180機。一方現在タイに保護された数は74機。またベトナム側が確認した船舶数63隻に対し,現在タイに保護された数は30隻しかない。 革命政府はタイ政府にそれらの数字を確認しその資料を明確にするよう要求した。
DIA-201-1975-07-27-1南ベトナム1975年07月27日1970年代サイゴン・ジアディン地区解放民族戦線は27,28日第3回大会を開催,新役員を選出。 同地区戦線新議長Nguyen van Chi教授元抗戦教育所所長・元同地区人民革命委議長 副議長 Nguyen Ho同地区労働党支部代表 〃 Nguyen Ngoc同地区解放労働連合会代表 〃 Ta ba Tong知識分子代表・元ベトナム民主党南部委員会委員 〃 Pham chanh Trucホー・チ・ミン人民革命青年団書記 〃 Bui thi Nga同地区解放婦人連合会代表, 〃 Huynh tan Mam同地区解放学生青年連合会代表 〃 Nguyen van Tang解放軍代表 〃 Thich minh Nguyet師元救国仏教協会々長 〃 Huynh Lien尼師・民族独立民主平和のための闘争戦士 〃 Truong ba Can牧師・カトリック教代表, 〃 Ho ngoc nhuan新聞界代表 〃 Nguyen Tri Do愛国民族資本家(金属企業社長)
DIA-201-1975-07-27-2南ベトナム1975年07月27日1970年代ファム・フン労働党中央委政治局員・南部党委書記・南部全軍政治委主任,バン・チエン・ズン党政治局員人民軍総参謀長(大将),レ・クアン・ホア中将・軍総政治委副主任などは党と軍を代表して南部で各軍医院に療養・治療中の人民傷病兵士を見舞。
DIA-201-1975-07-27-3南ベトナム1975年07月27日1970年代国連への革命政府代表団ジン・バ・チ大使と同代表部職員フィン・フー・ギエプ氏,ニューヨーク着。
DIA-201-1975-07-29-2南ベトナム1975年07月29日1970年代マレーシアと大使級外交関係樹立。
DIA-201-1975-07-29-3南ベトナム1975年07月29日1970年代ダン・クアン・ミン駐ソ大使は日本の原子兵器禁止国際第21回大会に参加のため東京に到着。
DIA-201-1975-07-31-2南ベトナム1975年07月31日1970年代南ベトナム解放民族戦線中央委員会は30日からインドネシア駐在の同戦線代表部を引揚げると発表。
DIA-201-1975-08-01-3南ベトナム1975年08月01日1970年代サイゴン・ジアディン軍事管理委員会発表;ハチエンのセメント工場のツードク地区支部工場は完全に復旧し,同日の生産量は960トンに達す。
DIA-201-1975-08-01-4南ベトナム1975年08月01日1970年代カンホア省鉄道局はニャチャン―ツアホア間鉄道(4年前から営業停止)の開通を発表。
DIA-201-1975-08-02-3南ベトナム1975年08月02日1970年代VNA通信報道;7月水産冷凍の3工場が再開,えびといかの冷凍品の輸出を準備。
DIA-201-1975-08-02-4南ベトナム1975年08月02日1970年代VNA通信報道;カンホア省の製糖業は同省銀行の援助で一つの工場を再開,現在1日砂糖1トンを生産,2週間に20トンを生産。
DIA-201-1975-08-02-5南ベトナム1975年08月02日1970年代解放通信報道,高原のダラット市は各大都市へ野菜を供給するため,増産運動を展開。その計画の中で灌漑用水工事を早急に実行する,革命政府は野菜生産団体に1200万ドンを肥料,農具関係購入のため貸付け。
DIA-201-1975-08-02-6南ベトナム1975年08月02日1970年代ビン外相は革命政府と顧問評議会にアフリカと欧洲一部の歴訪の成果を報告。
DIA-201-1975-08-03-3南ベトナム1975年08月03日1970年代VNA通信報道;サイゴン・ジアディン地区軍事管理委員会は国営による南部海運公司(SOVOSCO)の設立を発表。
DIA-201-1975-08-03-4南ベトナム1975年08月03日1970年代南ベトナムの知識分子と北ベトナム知識分子たちはサイゴンで会合。
DIA-201-1975-08-03-5南ベトナム1975年08月03日1970年代解放通信報道,サイゴン市の第7区内の市民で7月内に農村開発に従事するため登録した者1786人,第11区も140人に達す。
DIA-201-1975-08-04-3南ベトナム1975年08月04日1970年代解放通信報道;メコン・デルタ地区各省は教育責任者を再教育する運動でビンロン省教員390人,ソクチャン省教員250人,ベンチェー省教員1527人の再教育日程を終了し教育現場に戻した。
DIA-201-1975-08-04-4南ベトナム1975年08月04日1970年代解放通信報道;ハチエンのセメント工場のツド支工場は1日だけで960トンを生産。
DIA-201-1975-08-04-5南ベトナム1975年08月04日1970年代解放通信報道,ジアライ省林業局は7月中に木材3000立方メートルを開発。
DIA-201-1975-08-04-6南ベトナム1975年08月04日1970年代サイゴン・ジアディン地区軍事管理委員会は,同地区の小資産階級代表600人の集会を開き,民族資産家の進む方向について討議。全会一致でサイゴン・ジアディン地区の工商連絡委員会(別名商工会議委)を設立し,グエン・チ・ドー(Nguyen tri Do)議長と役員15人を選出。
DIA-201-1975-08-05-4南ベトナム1975年08月05日1970年代サイゴン・ジアディン地区軍事管理委は同地区の警察保安隊の正式設立を発表。
DIA-201-1975-08-06-3南ベトナム1975年08月06日1970年代情報文化省,新聞法公布。
DIA-201-1975-08-06-4南ベトナム1975年08月06日1970年代解放通信報道;ラクジア省農民団体は農作地の荒廃面積22万3000ヘクタールを復興。
DIA-201-1975-08-06-5南ベトナム1975年08月06日1970年代解放通信報道;サイゴン郊外ホクモン県人民革命委員会は県内中小企業を復旧させ,失業者4000人の仕事を解決。
DIA-201-1975-08-06-6南ベトナム1975年08月06日1970年代革命政府は石油と鉱山の採掘と調査を促進・この計画に外国政府と会社が参加するよう交渉,と発表。
DIA-201-1975-08-06-7南ベトナム1975年08月06日1970年代国連安保理,南北ベトナムの加盟申請を議題として採択。賛成14,反対なし,棄権1(米国)。
DIA-201-1975-08-08-2南ベトナム1975年08月08日1970年代ザイフオン紙,新税制発表。
DIA-201-1975-08-08-3南ベトナム1975年08月08日1970年代解放通信報道;7月でバンメトート省電力局は少数民族の村落のすべてに電力を配給。
DIA-201-1975-08-10-1南ベトナム1975年08月10日1970年代ティン・サン紙発刊,発行者はゴ・コン・ドク氏。
DIA-201-1975-08-10-2南ベトナム1975年08月10日1970年代サイゴン・ジアディン地区愛国知識分子協会,成立。同会の役員も選出され,レ・バン・トイ教授が会長に,副会長11人,委員14人および書記局4人が就任。
DIA-201-1975-08-11-4南ベトナム1975年08月11日1970年代国連安保理で,南北ベトナム加盟決議案に米国が拒否権行使。
DIA-201-1975-08-12-3南ベトナム1975年08月12日1970年代解放通信報道;ビン外相はリマで行なわれる非同盟国外相級会議に出席のため,サイゴン空港を出発。
DIA-201-1975-08-14-2南ベトナム1975年08月14日1970年代解放通信報道;アルジェリア運搬船スキッチダ号は南ベトナムへ援助する石油を満載してサイゴン港に入港。
DIA-201-1975-08-14-3南ベトナム1975年08月14日1970年代解放通信報道;日越合弁企業(ナビナコ)のラジオ・テレビ組立工場活動再開。
DIA-201-1975-08-15-2南ベトナム1975年08月15日1970年代解放通信報道;カンホア省電力局は8月19日まで,ダニムダム発電所の電力をカムラン市経由でニャチャン市へ送る電線56キロメートルを工事し,同日,同市に送電を開始する予定。
DIA-201-1975-08-17-2南ベトナム1975年08月17日1970年代解放通信報道;水産総局は漁業部門の発展と強化の目的でチエンタン(Chien Thang)国営漁業企業の設立を決定,現在,同企業は漁船7隻,冷凍倉庫2庫,水産購入中継所を持つ。
DIA-201-1975-08-17-3南ベトナム1975年08月17日1970年代解放通信報道;8月15日までにビエンホア省工業地区内の41企業の生産が回復,これらの企業の内訳は国営22企業,合弁(政府と民間の合弁)15企業,個人経営4企業。
DIA-201-1975-08-18-2南ベトナム1975年08月18日1970年代解放通信報道;サイゴン市第6区の精米7工場活動再開。
DIA-201-1975-08-18-3南ベトナム1975年08月18日1970年代通信文化相の主催で,南ベトナムの道路と町の改名討議委員会の第1回会合が開かれる。
DIA-201-1975-08-18-4南ベトナム1975年08月18日1970年代解放通信報道;アルバニアの南ベトナムへの支援物資を満載したグレンレンシ号がダナン港に入港。
DIA-201-1975-08-18-5南ベトナム1975年08月18日1970年代解放通信報道;ユーゴ政府は革命政府へ3400万ジナ(ユーゴ通貨)を贈与。ノルウェー政府は革命政府へ1975年度に5000万クローネ(肥料,紙原料,ナイロン糸,漁業用具などを含む)を援助。日本の横浜市市長は南ベトナム人民へ3500米ドルを贈与。オランダの平和委員会は,南ベトナム人民へ20万ドルを支援し,ダラト病院拡大計画に230万ドルを援助。イラク婦人協会も,南の婦人連合会に300ドルを送る。フランスのキリスト教は南へ肥料100トンを援助,スウェーデンの児童保護委員会は南ベトナム児童の救援にベトナム母子保護委を通じて米1300トンを送る。
DIA-201-1975-08-20-2南ベトナム1975年08月20日1970年代革命政府代表はオーストラリア大使と両国外交関係樹立に同意のコ・ミュニケに調印。
DIA-201-1975-08-23-3南ベトナム1975年08月23日1970年代革命政府は,今まで北部で学習していた南部出身の生徒・学生800人は教師90人とともに帰郷し,現在学習を継続中と発表。
DIA-201-1975-08-23-4南ベトナム1975年08月23日1970年代ビン外相,リマ到着。
DIA-201-1975-08-26-3南ベトナム1975年08月26日1970年代解放通信報道;カントとチャビン両省では現在までに革命委の呼びかけで,数万人がドイコン組(互助組),バンコン組(労働交換組),ドアンケット組(団結組)に加盟。
DIA-201-1975-08-27-1南ベトナム1975年08月27日1970年代解放通信報道;バクリュー省沿海漁民組合は3日間だけで政府にえび20トンを供給。
DIA-201-1975-08-28-3南ベトナム1975年08月28日1970年代国立銀行総裁は記者会見で,革命政府の決定により外国銀行を含む民間銀行16行の営業停止を発表。
DIA-201-1975-08-28-4南ベトナム1975年08月28日1970年代解放通信報道;ダナンとホイアン両市の市民5000人はノンソン・キラム間の鉄道線路22キロメートルの復旧に参加。
DIA-201-1975-08-28-5南ベトナム1975年08月28日1970年代ラオスと8月12日から正式に外交関係樹立・大使交換に関する共同コミュニケ。
DIA-201-1975-08-28-6南ベトナム1975年08月28日1970年代パナマと外交関係樹立に同意。
DIA-201-1975-08-29-3南ベトナム1975年08月29日1970年代ファム・フン労働党中央委政治局員兼南部党支部書記は南部代表団の団長として,ハノイで,ソ連代表団(団長M.X.ソロメンセプ党中央委政治局候補)と会談。
DIA-201-1975-08-31-2南ベトナム1975年08月31日1970年代ファム・フン労働党中央委政治局員兼南部党支部書記は南部全体代表団の団長として,ハノイでカンボジア王国民族団結政府代表団(団長シアヌーク殿下,キュー・サムファン副首相)と会談。
DIA-201-1975-08-31-3南ベトナム1975年08月31日1970年代ファム・フン労働党中央委政治局員兼南部党支部書記は南部全体代表団長としてラオス代表団(団長,スファヌボン殿下)と会談。
DIA-201-1975-09-01-1南ベトナム1975年09月01日1970年代ファム・フン労働党中央委政治局員兼南部党支部書記は南部代表団の団長として中国代表団(団長陳錫聯党中央委政治局員・副首相)と会談。
DIA-201-1975-09-01-2南ベトナム1975年09月01日1970年代ビン外相はメキシコを公式訪問。
DIA-201-1975-09-02-2南ベトナム1975年09月02日1970年代サイゴンで民主共和国創立30周年記念祝賀集会,ト議長演説。
DIA-201-1975-09-04-2南ベトナム1975年09月04日1970年代ト議長とチャー軍事管理委議長は南部訪問の12ヵ国と国際団体の代表団と会見。
DIA-201-1975-09-05-1南ベトナム1975年09月05日1970年代(ハノイ)ドン首相,ファト首相・チュン国防相と会見。
DIA-201-1975-09-06-2南ベトナム1975年09月06日1970年代ニャンザン紙報道;道路と橋の建設部門はサイゴン―ビエンホア間の陸路大橋を再建,長さ2470メートル,幅20メートル。
DIA-201-1975-09-06-3南ベトナム1975年09月06日1970年代ニャンザン紙報道;ビンツゥン省内交通建設局はソンマオ―ムウンマン間100キロメートルの鉄道線路を再建。
DIA-201-1975-09-06-4南ベトナム1975年09月06日1970年代海外居住ベトナム移民代表団はハノイで国慶節30周年記念に参加した後,サイゴン,ジアディン地区訪問のためタンソンニャット空港に到着。
DIA-201-1975-09-08-1南ベトナム1975年09月08日1970年代スウェーデン,メキシコ,デンマークの3国とパレスチナの4特権大使はグエン・フー・ト議長に信任状を提出。
DIA-201-1975-09-08-2南ベトナム1975年09月08日1970年代ベトナム通信報道;ビン外相はベネズエラを公式訪問。
DIA-201-1975-09-09-3南ベトナム1975年09月09日1970年代ニャンザン紙報道;サイゴン市第3区内で初めて衣服縫製国営企業が設立される。ミシン1000台をもち従業員1500人。民間より価格は10~30%安い,とくに兵士,幹部,労働者,公務員に対して半額。
DIA-201-1975-09-10-2南ベトナム1975年09月10日1970年代革命政府,14項目の経済政策を発表―その内容は次の通り。 1.政府は国営企業の建設を図る。 1.国営企業への資本家の協力を受け入れ。半国営企業では資本家の経営参加の権利と適切な利益が保証される。 1.各種の投機,物資隠匿,密輸を全面的に取締まる。国家経済を破壊し,市場を混乱させ,騒乱や間違った噂を流す者は厳しく罰する。
DIA-201-1975-09-10-3南ベトナム1975年09月10日1970年代サイゴン,ジアディン地区市民各階層は集会を開き,革命政府の14項日経済政策を歓迎し,全面的に支持。
DIA-201-1975-09-11-1南ベトナム1975年09月11日1970年代解放通信報道;ヤミ,投機および物資隠匿,経済と市場価格を混乱させる買弁資本家と悪徳商人の排除運動を展開中。サイゴン・ジアディン地区の各階層8000人は集会を開き,革命政府と軍事管理委に厳しく買弁と悪徳商人を懲罰するよう要求する決議を採択。
DIA-201-1975-09-11-2南ベトナム1975年09月11日1970年代解放通信報道;カント市各階層は集会を行ない,南部西地区全体の市民は革命政府の経済政策14項目を全面的に支持すると決議。
DIA-201-1975-09-11-3南ベトナム1975年09月11日1970年代解放通信報道;ティニン省農民団体が8月までに稲を植えた面積2万2800ヘクタール,その他食糧用作物を栽培した面積5200ヘクタールに達し,省農作面積全体の75%に達す。
DIA-201-1975-09-11-4南ベトナム1975年09月11日1970年代解放通信報道;南部の中・東区域各省の区民各階層50万人は集会を開き,革命政府の経済政策14項目を全面的に支持すると決議。
DIA-201-1975-09-11-5南ベトナム1975年09月11日1970年代ニャンザン紙報道;フーエン省工業技術局は,一部破壊された米軍タンクM113を使って農業用トラクターを製造。
DIA-201-1975-09-11-6南ベトナム1975年09月11日1970年代革命政府,ガソリン,石油,灯油統制令公布。
DIA-201-1975-09-11-7南ベトナム1975年09月11日1970年代ハノイ訪問中の南ベトナム知識人代表団,ベトナム科学院を訪問。
DIA-201-1975-09-12-2南ベトナム1975年09月12日1970年代ニャンザン紙報道;ベトナム民主共和国創立30周年記念日に当り,南の革命政府をはじめ,中央の諸代表団および地方の各省,郡,村に至る生産などの責任者の代表団が編成されハノイへ派遣。北の各地方の生産と治安の責任者と交流,経験を交換。これは祖国統一の準備計画の中の一つである。
DIA-201-1975-09-12-3南ベトナム1975年09月12日1970年代解放通信報道;中部海岸フーエン省リンカイ肥料工場の生産を再開。
DIA-201-1975-09-13-2南ベトナム1975年09月13日1970年代外務省スポークスマンは,米国務省スポークスマンが南ベトナム革命政府は米国と取引きする目的で,南ベトナムに住んでいる米国国民の出国を妨害しているとの言明に対し次のように反論した,「米政府の意図は革命政府の南ベトナムに居住する外国人に対する正しい政策を中傷し,ベトナム人民と米国の人民の親善を離間させるもの,革命政府は南ベトナム領内に住んでいる外国人のすべてに,正しい生活をし,ベトナムの独立,主権また革命政府の法律を厳格に尊重する人々に対しては財産と生命を保障する。」
DIA-201-1975-09-15-3南ベトナム1975年09月15日1970年代解放通信報道;キエンザン国営水産企業は8月27日から9月15日まで冷凍えび14トンを輸出し,9月末までに30トンに達するよう努力。
DIA-201-1975-09-15-4南ベトナム1975年09月15日1970年代解放通信報道;北ベトナムの中央と地方などの各階層と交流した南の労働党支局,革命政府,解放戦線,民族民主連盟,農民,労働者,学生,婦人および少数民族各代表団の正副団長は,自分たちの出身各地方で報告集会を開催。
DIA-201-1975-09-15-5南ベトナム1975年09月15日1970年代解放通信報道多化学部門の幹部,技師,技術者,労働者など400人は集会を開き,革命政府の経済政策14項目を歓迎し,全面的に支持すると決議。
DIA-201-1975-09-16-1南ベトナム1975年09月16日1970年代ニャンザン紙報道;9月初旬からサイゴン・ジアディン地区の近郊各県では農業用送・排水工事を開始この工事が完成すると,同近郊農作地6300ヘクタールが1毛作から2,3毛作に増産できる。
DIA-201-1975-09-17-2南ベトナム1975年09月17日1970年代ニャンザン紙報道;現在までにサイゴン・ジアディン地区内11区と郊外4区の1624小企業が全面的に生産再開。
DIA-201-1975-09-17-3南ベトナム1975年09月17日1970年代ニャンザン紙報道;ビンツゥン省の塩生産業は現在までに塩田200ヘクタールを復興。
DIA-201-1975-09-17-4南ベトナム1975年09月17日1970年代ニャンザン紙報道;ベンチェー省農業局は農業生産を援助するため,農民団体に肥料8万8800袋とガソリン数百万リットルを供給。
DIA-201-1975-09-19-4南ベトナム1975年09月19日1970年代(ニューヨーク)国連総会一般委,南北両ベトナムの国連加盟について再考慮を要請する非同盟グループ(61ヵ国)決議案を賛成123,反対ゼロ,棄権9で可決。
DIA-201-1975-09-20-2南ベトナム1975年09月20日1970年代解放通信報道;水利総局はサイゴン・ジアディン地区の近郊ビンチャイン県アンハー水利建設工事開始。二つの運河と一つのダムを建設。特にアンハー運河は長さ25キロメートル,幅40~50メートル,深さ3.5メートル,洪水の排水施設と塩水浸の防御施設となる。
DIA-201-1975-09-20-3南ベトナム1975年09月20日1970年代解放通信報道;今年の一般学生の卒業生数は6万2000人に達す。
DIA-201-1975-09-22-4南ベトナム1975年09月22日1970年代通貨交換―革命政府は新通貨を発行し,旧通貨との交換を実施した。交換比率は新通貨1ドン=旧通貨500ピアストル。為替レートは1米ドル=1.51ドン。
DIA-201-1975-09-27-2南ベトナム1975年09月27日1970年代グエン・バン・チエン駐ハノイ革命政府代表部首席は革命政府の代表として,国連戦争難民救済事務所代表と南ベトナムの戦争難民救済のための1975~1976年援助協定に調印。
DIA-201-1975-09-29-4南ベトナム1975年09月29日1970年代ニャンザン紙報道;革命政府は,輸入業者の電機関係製品,機械類,金属,化学製品を含む在庫輸入品のすべての買収を決定。
DIA-201-1975-09-29-5南ベトナム1975年09月29日1970年代解放通信報道;南部の国営陸上運送総局は全土への運送系統の拡張を計画第一歩としてバスとトラック200台を投入し運営する。
DIA-201-1975-09-30-2南ベトナム1975年09月30日1970年代国連安保理で米,南ベトナム加盟決議案に拒否権行使。
DIA-201-1975-10-07-3南ベトナム1975年10月07日1970年代グエン・バン・ビン大司教はファト首相あて書簡で75/76年度からサイゴン地区のカトリック系学校を国家に提供する旨伝える。
DIA-201-1975-10-07-4南ベトナム1975年10月07日1970年代李先念中国副首相は革命政府の駐北京ヴー・ゴ・ホ新大使と会談。
DIA-201-1975-10-09-1南ベトナム1975年10月09日1970年代労働党南部支部・解放戦線・革命政府代表団(団長フイン・タン・ファット首相,副団長チャン・ナム・チュン国防相)はラオス独立30周年記念式典に参加するためビエンチャンへ出発。
DIA-201-1975-10-09-2南ベトナム1975年10月09日1970年代スウェーデン政府経済代表団(団長コラクケーベ外務次官)はハノイ経由でサイゴンを訪問。11日,75~76年度経済援助協定に調印。
DIA-201-1975-10-11-3南ベトナム1975年10月11日1970年代コートジボアール共和国と大使級外交関係樹立。
DIA-201-1975-10-13-2南ベトナム1975年10月13日1970年代革命政府,75/76年度の全学生・生徒82万人の学費免除を決定。
DIA-201-1975-10-13-3南ベトナム1975年10月13日1970年代ベトナム通信報道;ホー・チ・ミン人民革命青年団女子代表団(団長チン・ゴク・チョウ同青年団中央委員)は世界女子青年団のモスクワ大会(111ヵ国と20国際団体から400人の代表)に参加。
DIA-201-1975-10-15-2南ベトナム1975年10月15日1970年代通貨専門委員会は各都市,省および県の旧政権貨幣の回収と新貨幣の発行についての成果の総括会議を開催。
DIA-201-1975-10-19-4南ベトナム1975年10月19日1970年代教育省は今新学期の一般小中学生の新入生総数が400万人に達すと発表。
DIA-201-1975-10-21-1南ベトナム1975年10月21日1970年代解放通信報道;国立銀行は経済復旧と発展に服務する新銀行を設立することを決定,名前は「農業発展投資銀行」。
DIA-201-1975-10-25-2南ベトナム1975年10月25日1970年代教育青年省はこのほど,大学入学について兵士,少数民族等は特別に配慮を加える方針を決める。
DIA-201-1975-10-25-3南ベトナム1975年10月25日1970年代革命政府,今回に限り難民1546人を乗せた貨物船チュオンチン号の受入れを決定。11月4日,ハノイ放送は同船が南ベトナムの港に到着したと報道。大半は旧兵士。
DIA-201-1975-10-27-3南ベトナム1975年10月27日1970年代ホーチミン市銀行,北ベトナム・ドンと南ベトナム・ドンの新交換レートを1:0.8に定める。
DIA-201-1975-10-30-1南ベトナム1975年10月30日1970年代ザイフォン紙報道,三井物産が南ベトナムの冷凍小エビ300トンを買い入れ,南ベトナムは日本のブルドーザー100台の購入注文。
DIA-201-1975-10-30-2南ベトナム1975年10月30日1970年代革命政府は外国人14人(そのうち米国人9,カナダ人2,オーストラリア人1およびフィリピン人2)の出国を許可。
DIA-201-1975-11-01-1南ベトナム1975年11月01日1970年代ザンビア駐南ベトナム全権大使S.マシイエ氏はト顧問評議会議長に信任状を提出。
DIA-201-1975-11-04-3南ベトナム1975年11月04日1970年代ニャンザン紙報道;クアンガイ省の今年の農産物の収穫実績は2万3458トンに達す。
DIA-201-1975-11-04-4南ベトナム1975年11月04日1970年代ニャンザン紙報道;ジアディン省とツドク市を結ぶ大橋が復旧。
DIA-201-1975-11-05-2南ベトナム1975年11月05日1970年代解放戦線,民族民主連盟,革命政府および南部愛国人士は5,6日合同会議を開催し,北部の国会代表団との祖国統一協議に出席する代表団の名簿を選出,また南側から会議に提出する諸問題について討議した。 両代表団の名簿は次の通り。 北ベトナム代表団:団長Truong Chinh党政治局員・国会議長,副団長Hoang van Hoan党政治局員・国会副議長,同Tran huu Duc副首相,団員Nghiem Xuan Yem民主党書記長,Nguyen Xien社会党書記長・国会副議長,Van tien Dung党政治局員・人民軍参謀総長(大将),Xuan Thuy党書記局員,Hoang quoc Viet労働総同盟議長,Chu Van Tan国会副議長・国会民族委員会委員長(上将・ヌン族出身),Song Hao人民軍政治総局主任(上将),Tran quang Huy副首相,Pham van Bach人民最高裁判所長官,Le Thanh党中央委農業中央委員会委員長,Nguyen thi Luu国会国家統一委員会委員長,Thich tri Do師・統一仏教協会々長,Vo thanh Trinhカトリック教徒全国愛国者委員会委員,Y Wang政府民族委員会副委員長,Tran duy Hung国会国家統一委員会委員・ハノイ市市長,Nguyen thi minh Nha婦人連合会副議長,Nguyen thi Hang国会対外委員会委員・ホー・チ・ミン労働青年団書記局委員,Le Than
DIA-201-1975-11-05-3南ベトナム1975年11月05日1970年代(北京)革命政府臨時代理大使は駐北京ニュージーランド大使と大使級外交関係樹立についてのコミュニケに調印した。
DIA-201-1975-11-05-4南ベトナム1975年11月05日1970年代(ニューヨーク)国連総会,南北両ベトナムの国連常駐オブザーバーの要請により,両ベトナムの国連加盟問題審議を来年の総会まで延期することを全会一致で可決。
DIA-201-1975-11-06-2南ベトナム1975年11月06日1970年代ザイフォン紙報道;南部の道路建設総局は,南部全面解放後現在までに道路650キロメートルを復旧,陸路中大橋140本を再建したと発表。
DIA-201-1975-11-09-1南ベトナム1975年11月09日1970年代ニャンザン紙報道;南部の林業総局は,三つの国営林業企業を設立,ダラット市近郊の林地3万ヘクタール,サイゴン市周辺の林業用地1万ヘクタールを拡大する計画を作成。
DIA-201-1975-11-09-2南ベトナム1975年11月09日1970年代解放通信報道;全南部婦人団体代表はサイゴン市で大会を開催し,20年間の抗米救国闘争における婦人層の役割と今後の運動方針ならびに任務を討議。
DIA-201-1975-11-13-3南ベトナム1975年11月13日1970年代ベトナム仏教協会のサイゴン市21区および郊外からの代表団の参加で舎利寺で大会を開催し,国家再統一について討議し,これを歓迎。
DIA-201-1975-11-14-3南ベトナム1975年11月14日1970年代アンゴラ人民共和国(M.P.L.A系)を承認。
DIA-201-1975-11-14-4南ベトナム1975年11月14日1970年代ニャンザン紙報道;メキシコ政府は11月初旬,南ベトナムへ緊急援助のため,運搬車,自転車,薬品,組立家屋を含む救援物資1200トンをのせた貨物船マンサニジョA2号を同地へ向って出港させた。
DIA-201-1975-11-15-1南ベトナム1975年11月15日1970年代祖国再統一のための南北両代表団の政治協議開催。
DIA-201-1975-11-15-2南ベトナム1975年11月15日1970年代ルアンダ国と大使級外交関係樹立を決定。
DIA-201-1975-11-16-1南ベトナム1975年11月16日1970年代グエン・バン・ビン大司教主催のもとに,南部カトリック教徒の大集会が開催され,南部12地区の代表1000人が参加し,国家再統一の政治協議を祝う。
DIA-201-1975-11-16-2南ベトナム1975年11月16日1970年代フランス居留ベナムト僑民諸団体は大会を開催,祖国再統一の実現に呼応するため「在仏ベトナム人医学会,ベトナム社会科学会,科学技術学会」の三つの新学会を設立することを決定。
DIA-201-1975-11-16-3南ベトナム1975年11月16日1970年代カンボジア放送は南北ベトナム両代表団のサイゴンで開かれた祖国再統一についての政治協議開催に歓迎の論評を述べた。
DIA-201-1975-11-16-4南ベトナム1975年11月16日1970年代パテト・ラオ放送は南北ベトナム両代表団の祖国再統一協議開催に歓迎の意を表明。
DIA-201-1975-11-17-2南ベトナム1975年11月17日1970年代教育省は全南部大学の再開を発表。
DIA-201-1975-11-21-3南ベトナム1975年11月21日1970年代南北両代表団政治協議は,祖国再統一の日程・手続などの問題について完全に合意した旨のコミュニケに調印し閉会。
DIA-201-1975-11-21-4南ベトナム1975年11月21日1970年代ニャンザン紙報道;党中央委と政府は,南部のクアンチ,ツアチエン,クアンダー(クアンナム,ダナン)の3地区の洪水害を救援するため,航空機で同地区へ薬品28トン,4000万トン相当の農耕の種子,物資および消費品を運んだ。
DIA-201-1975-11-21-5南ベトナム1975年11月21日1970年代ファット首相は記者会見で,旧サイゴン軍の兵士・将校・公務員はだれでも,革命政府の再教育コースをパスすれば,市民権を回復できると述べた。
DIA-201-1975-11-25-4南ベトナム1975年11月25日1970年代南部鉄道総局はサイゴンとハノイを結ぶ南北縦断鉄道のうち,サイゴン―フーミ(ビンディン省内)間の680キロメートルの工事を完成と発表。
DIA-201-1975-11-25-5南ベトナム1975年11月25日1970年代ベトナム人民への緊急救援物資を満載したユーゴ政府所属船舶コリッキベニカ号がサイゴン港に入港。
DIA-201-1975-11-27-1南ベトナム1975年11月27日1970年代イラン王国と大使級外交関係樹立を決定。
DIA-201-1975-11-28-2南ベトナム1975年11月28日1970年代解放放送報道;国境沿岸警備隊と人民はサイゴン市北東約百数十キロメートルの地域で脱出しようと企てている数グループを発見し,逮捕,車両6台,ボート20隻,他金塊6キロ,旧貨幣400万ピアストルを押収。
DIA-201-1975-11-29-3南ベトナム1975年11月29日1970年代キプロスとの大使級外交関係樹立を発表。
DIA-201-1975-11-30-1南ベトナム1975年11月30日1970年代米郵便公社,南ベトナム向けの郵便業務再開を発表。
DIA-201-1975-12-01-3南ベトナム1975年12月01日1970年代ファム・バン・バ駐カンボジア全権大使は赴任のためプノンペンに到着。
DIA-201-1975-12-03-3南ベトナム1975年12月03日1970年代ベトナム客船統一号が乗客600人を乗せて,サイゴン港に入港(11月30日にハイフォン港を離れる)。
DIA-201-1975-12-11-1南ベトナム1975年12月11日1970年代アガ・カーン国連難民問題高等弁務官,サイゴンに到着。
DIA-201-1975-12-12-1南ベトナム1975年12月12日1970年代ビルマ,フィンランド,マリ3ヵ国大使はト議長に信任状を提出。
DIA-201-1975-12-13-2南ベトナム1975年12月13日1970年代WHO機構代表団は(団長H.マーラー事務総長)南ベトナム厚生社会,傷病軍人省の招きでサイゴンに到着。
DIA-201-1975-12-19-3南ベトナム1975年12月19日1970年代解放戦線成立15周年記念式典開催。
DIA-201-1975-12-20-5南ベトナム1975年12月20日1970年代革命政府は来年2月10~17日国勢調査を実施すると決定。
DIA-201-1975-12-20-6南ベトナム1975年12月20日1970年代外務省スポークスマンはインドネシア当局の行動は東チモール愛国勢力をせん滅し同国への併合実現を謀らんとしたものとの非難声明を発表。
DIA-201-1975-12-22-3南ベトナム1975年12月22日1970年代全南部人民代表大会開催,再統一に関する諸文書を承認。
DIA-201-1975-12-23-1南ベトナム1975年12月23日1970年代政府はクリスマスイブの夜の夜間外出禁止令を全面的に解除すると発表。