ID 国名 日付 年代 内容
DIA-208-1984-01-01-1ブルネイ1984年01月01日1980年代完全独立を宣言-本日未明,スルタンは首都のオマール・アリ・サイフディン広場で,(1)ブルネイはイスラムの教えに基づく,主権・民主・独立のマレー・ムスリム王国となる,(2)ブルネイはかつて植民地となったことはなく,対外関係の責任を英国に委ねてきたということである,(3)外国からの干渉のない独立・主権・平等・領土保全を相互に尊重するという原則に立って,他の諸国と友好関係を維持する,等の内容の独立宣言を発表。さらに自ら首相,蔵相,内相を兼ねる内閣人事(「参考資料」参照)を公表し,国民に,国の平和,独立,主権を脅かす者に対する警戒を呼びかけた。
DIA-208-1984-01-01-2ブルネイ1984年01月01日1980年代英連邦に加盟。
DIA-208-1984-01-01-3ブルネイ1984年01月01日1980年代日本,ブルネイを正式承認。
DIA-208-1984-01-01-4ブルネイ1984年01月01日1980年代中国,ブルネイを正式承認-趙紫陽首相は,国王宛ての祝電で承認を伝えた。
DIA-208-1984-01-01-5ブルネイ1984年01月01日1980年代政治犯3名釈放-非常事態諸法により拘留されていた。同法による拘留者は現在30名。
DIA-208-1984-01-01-6ブルネイ1984年01月01日1980年代会社法改正規定,発効-会社役員の少なくとも半数はブルネイ公民もしくは居住者とする,など。
DIA-208-1984-01-07-1ブルネイ1984年01月07日1980年代ASEANに加盟-ジャカルタでの外相会議の席上,ブルネイの加盟を正式に承認,モハメッド・ブルネイ外相が加盟承認宣言に署名。同外相は,ブルネイの役割は,人不足のため限られたものとなるが,最善を尽くす,と述べた。
DIA-208-1984-01-07-2ブルネイ1984年01月07日1980年代OPEC加盟を検討-モハメッド外相がASEAN外相会議終了後に明らかにしたもの。同外相はさらに,ブルネイはOPECを支持する,と語った。
DIA-208-1984-01-13-1ブルネイ1984年01月13日1980年代イスラム諸国会議(OIC)に加盟-モロッコでの外相会議総会でマレーシアが提案,承認された。16日のOIC首脳会議にはスルタンが出席。
DIA-208-1984-02-06-1ブルネイ1984年02月06日1980年代シアヌーク殿下に訪ブ延期を要請へ-バンコクの外交筋は,ブルネイが儀典・治安上の理由から同殿下に独立記念式典出席を見合わせるよう要請しよう,と語った。
DIA-208-1984-02-09-1ブルネイ1984年02月09日1980年代東南アジア教育相会議に加盟へ-スライマン・マレーシア教育相は,ブルネイがこのほど加盟に同意したことを明らかにした。
DIA-208-1984-02-13-1ブルネイ1984年02月13日1980年代立法議会,解散。
DIA-208-1984-02-15-1ブルネイ1984年02月15日1980年代パキスタン出稼ぎ労働者の入国を拒否-同国のJang,The Muslim両紙によれば,最近,2月23日以前にブルネイに入国すれば,職と国籍が得られるとの報道がなされたため,すでに2000名以上がブルネイまで出かけ,入国を拒否されたという。
DIA-208-1984-02-17-1ブルネイ1984年02月17日1980年代駐マレーシア高等弁務官,Hj.Jaya b.Hj.Abdul Latiff,信任状を提出。
DIA-208-1984-02-23-1ブルネイ1984年02月23日1980年代独立記念式典-本日ハサナル・ボルキア競技場で挙行。チャールズ英国皇太子,マレーシア国王,ASEANの2大統領(比,イ),3首相(マ,シ,タイ)を初め,71カ国の元首,首相,閣僚,大使など約4000人が列席,日本からは江崎真澄特使(日・ブ議員連盟会長)が出席した。同日の晩餐会でスルタンは,(1)ASEAN,英連邦,OICの各組織と英国女王に感謝する,(2)繁栄維持のため,より合理的な原油生産と効率的な海外投資運用を希望する,と述べた。公式行事は24日の王国軍パレードで終了,この間ASEAN首脳は個別に非公式会談を行なった。25日からは約1週間にわたり,近隣諸国の文化使節団による公演等が全国各地で開かれた。
DIA-208-1984-02-23-2ブルネイ1984年02月23日1980年代投資庁の活動-Hj.Abdul Rahman Hj.Karim長官は23日付けThe Straits Timesで,(1)在外資産の70%を国債,TB,社債,30%を株で運用しているが,その比率を各60%,40%に変える可能性を検討中,(2)地域開発のため,市中金利より6~8%低い金利の債券40~50億Bドルの発行の可能性を考慮中,等を明らかにした。
DIA-208-1984-02-23-3ブルネイ1984年02月23日1980年代Crown Agents社(英国)の応札を一時禁止-23日付Borneo Bulletin紙によれば,ブルネイ政府の入札委員会は83年10月初めから6カ月にわたり,政府事業に対するCA社の入札を禁止しているもよう。
DIA-208-1984-02-24-1ブルネイ1984年02月24日1980年代安保理事会,ブルネイの国連加盟を承認-全会一致で加盟申請を認める決議を採択し,総会にその承認を勧告した。ブルネイは84年2月初めに加盟を申請。
DIA-208-1984-03-10-1ブルネイ1984年03月10日1980年代Pgrn.Hj.Jaya新駐英高等弁務官,信任状を提出。
DIA-208-1984-03-12-1ブルネイ1984年03月12日1980年代マレーシアのマレー人輸出業者協会,ブルネイで展示会開催。
DIA-208-1984-03-20-1ブルネイ1984年03月20日1980年代スルタン,マレーシアを公式訪問-21日,マ国王主催の晩餐会で,(1)ブルネイのASEANとOICへの加盟に対するマレーシアの支持に感謝し,(2)両国閣僚・政府高官の相互訪問の増加を要請し,(3)ブルネイで働くマレーシアの宗教教師の奉仕と,マ政府の高等教育の機会提供の申出でに感謝する,と述べた。22日帰国。
DIA-208-1984-03-26-1ブルネイ1984年03月26日1980年代東南ア競技大会の主催を辞退-Hamzahマレーシア・オリンピック委員長によれば,このほどブルネイは,来年に予定されていた同競技大会の主催を,運営専門家を欠くため辞退すると通告してきた。
DIA-208-1984-04-03-1ブルネイ1984年04月03日1980年代ブルネイ海軍艦艇3隻,マレ-シアのコタ・キナパルを親善訪問。
DIA-208-1984-04-03-2ブルネイ1984年04月03日1980年代マレーシアの対ブルネイ協力-マレーシア下院でのKadir副外相の答弁によれば,イスラム諸国外相会議や国連総会へのマ代表団にブルネイの外交官をオブザーヴァー参加させる等の外交官研修,軍人,警察官の出向受け入れ,ブルネイ留学生への高等教育の機会提供など。
DIA-208-1984-04-05-1ブルネイ1984年04月05日1980年代スルタン,日本を公式訪問-6日,スルタン,は宮中晩餐会の席上,すでに長期にわたる両国の経済関係が,技術協力からさらに社会・文化面の交流に拡大されるよう希望する,と述べた。7日,中曽根首相と会談,首相は技術・文化協力促進の意向を表明,スルタンは石油,LNGの供給継続を確約した。さらに(1)ASEANへの「21世紀の友情計画」の一環としてブルネイの青年を招待,(2)両国は民主カンボジアを支持,(3)外交当局間で査証免除取極めを検討,などで合意。7日,離日。
DIA-208-1984-04-07-1ブルネイ1984年04月07日1980年代スルタン,韓国を公式訪問-同日,全斗煥大統領主催の歓迎宴でスルタンは,ブルネイ開発への韓国民間部門,ことに建設業界の参加により,両国の親善関係が築かれた,と指摘し,全大統領はブルネイのASEAN加盟に祝意を表明した。8日,スルタンは陳懿鐘首相,全大統領等と会談,全大統領は韓国の安全保障問題などを説明した。9日,スルタンは防衛調達庁と特殊戦部隊を訪問。さらに,両国は人的交流の拡大に同意し,韓国は漁業,資源開発でブルネイに協力の意向を表明した等の点を謳った共同声明を発表,帰国の途についた。
DIA-208-1984-04-09-1ブルネイ1984年04月09日1980年代2言語教育の実施を計画-アジズ教育相兼保健相は,(1)従来のマレー語,英語のいずれかを教育媒体語とする制度を改め,85年から両言語をともに使用する教育制度への転換を開始し,88年に完了する計画である,(2)転換の目的は海外での高等教育を受ける機会を増やすことにある,と発表した。
DIA-208-1984-04-20-1ブルネイ1984年04月20日1980年代マレーシア国王,公式訪ブ-2日間。21日,スルタンは,両国が航空業務と治安に関する協定に調印する予定になっている,と述べた。
DIA-208-1984-04-24-1ブルネイ1984年04月24日1980年代ブルネイ内のマレーシア公民-マレーシアのKadir副外相の上院答弁によれば,在ブ・マレーシア公民は7087名,うち建設業192名,教員100名。
DIA-208-1984-05-03-1ブルネイ1984年05月03日1980年代シンガポール企業の進出-本日付け南洋・星州聯合早報は,消息筋によるとして,ブルネイ独立後に外国企業約700社が設立登録を申請したが,その大部分は建設部門を中心とするシ企業と報道。なおシ貿易開発局は5月に入って,ブルネイに事務所を開設した。
DIA-208-1984-05-15-1ブルネイ1984年05月15日1980年代スルタン,マレーシアのパハン州を訪問-同州王の招待で国際ポロ競技に参加するため。
DIA-208-1984-05-24-1ブルネイ1984年05月24日1980年代ブ・マ警察連絡会議-サラワク州クチンで開催。会議冒頭,マレーシア側はインドネシアのカリマンタン警察の参加を呼びかけた。
DIA-208-1984-06-01-1ブルネイ1984年06月01日1980年代日本大使館開設-大使には12日付けで川村知也外務省経済協力審議官を任命。
DIA-208-1984-06-09-1ブルネイ1984年06月09日1980年代日本の建設業界の進出-84年に入り日本国土開発,飛鳥建設が現地法人を設立。このほど住友建設が,青少年研修・スポーツセンターを5億1300万円で受注。
DIA-208-1984-06-20-1ブルネイ1984年06月20日1980年代トレード・フェア開催-4日間。マレー商工会議所主催で,15カ国,95社が参加。
DIA-208-1984-06-25-1ブルネイ1984年06月25日1980年代ASEAN工業プロジェクトへの参加-外務省スポークスマンは,シンガポールのB型肝炎ワクチン製造プロジェクトに資本参加(他の4国と同じ約800万Bドルの見込み)の意向であることを確認し,他のASEAN工業プロジェクトについては,検討のうえ参加のいかんを決める,と語った。
DIA-208-1984-07-15-1ブルネイ1984年07月15日1980年代スルタン,行政の改善を要請-誕生日祝賀式に際して,清廉,効率的,公正,かつ信頼に足る行政の確立のため努力するよう国民に要請した。なおスルタンは,断食月明けの祭日の直前に10~110%の公務員賃金の引上げを発表している。
DIA-208-1984-07-18-1ブルネイ1984年07月18日1980年代ASEAN商工会議所に加盟-同会議所理事会はブルネイ全国商工会議所の加盟を正式に承認した。
DIA-208-1984-07-21-1ブルネイ1984年07月21日1980年代ブ・シ通貨の分離説-本日付けBorneo Bulletinは,Bank of Americaの報告書を引用し,ブルネイが86年に通貨管理局を設立するに際し,シンガポールとの相互等価交換を廃止し,対Sドルで5~10%の切上げを行なった後,通貨バスケット方式による独自のレートを採用する可能性がある,との説を報道。25日,ブルネイ政府情報局長は,この説はいかなる点でも政府の通貨政策を反映するものではない,と声明。
DIA-208-1984-07-21-2ブルネイ1984年07月21日1980年代シンガポールの上場企業を買収へ-シンガポールのStraits Steamships社は,(1)同社の子会社のBen & Co. の株式2637万株(約40%)を,ブルネイのQAF Holdingsに売却,(2)Ben & Co. は自社新株4715万株と引換えにQAF Holdiings社の全株式を買収,(3)この逆テークォーヴァーの結果,QAFはBen & Co. の65%を支配する,との計画を発表。Ben & Co. はシンガポールとKLの取引場に上場している。
DIA-208-1984-07-22-1ブルネイ1984年07月22日1980年代ムアラで汚職取締局長代理の溺死体発見-同局長代理は元シンガポール汚職取締局長で,3年前にブルネイにきて同局を設立。9月22日ブルネイ検死法廷は(1)死因は自殺もしくは事故,(2)汚職事件で捜査を受けた政府の某高官は,その事件で発言を慎むべきだった,との報告書を提出。
DIA-208-1984-07-26-1ブルネイ1984年07月26日1980年代アラファトPLO議長,ブルネイ訪問-スルタンを表敬訪問。
DIA-208-1984-08-02-1ブルネイ1984年08月02日1980年代ブルネイ・シェル社人事の現地化-最近マレー人が初めて人事・組織担当マネジャーに任命され,近く広報担当マネジャー,2年内にLNGプラント・マネジャーにもマレー人が任命される予定。いずれも30歳台。
DIA-208-1984-08-08-1ブルネイ1984年08月08日1980年代ランパル英連邦事務局長,訪ブ-3日間。スルタン,アジズ教育相兼保健相,ラーマン開発相と会談。
DIA-208-1984-08-09-1ブルネイ1984年08月09日1980年代オーストラリアでの軍事訓練-消息筋によれば,計240名の歩兵を2隊に分け,クィーンズランドのカヌングラ地上戦センターで約3週間訓練するという。
DIA-208-1984-08-09-2ブルネイ1984年08月09日1980年代インドネシアとの民間協力-訪ブ中のインドネシア商工会議所使節団はブルネイ・マレー商工会議所と,(1)ASEANの工業合弁事業,工業補完計画,優遇関税制度の利用の促進,(2)二国間貿易の拡大,(3)技術移転,マンパワー訓練,等での協力に合意した。
DIA-208-1984-08-10-1ブルネイ1984年08月10日1980年代マレーシア国王,非公式訪ブ。
DIA-208-1984-08-24-1ブルネイ1984年08月24日1980年代スルタン,英国留学生に警告-在英ブルネイ学生会主催の宴席で,休暇帰国中の留学生に対し,麻薬とスンニ派に合致しないイスラムの教えが,在外ブルネイ留学生の試験の成績が悪い理由,と指摘した。在英留学生は政府奨学金によるものだけで約600名にのぼる。
DIA-208-1984-08-29-1ブルネイ1984年08月29日1980年代タイ,軍事訓練の供与を提案-訪タイ中のモハメッド外相に対し,シティ外相が提案。このほか農業,医療制度,教育制度の面での協力も申し出た。
DIA-208-1984-08-31-1ブルネイ1984年08月31日1980年代モハメッド外相,シンガポール訪問-3日間。外相としては初めて。李首相を訪問,ラジャラトナム第2副首相,ダナバラン外相等と会談。
DIA-208-1984-09-05-1ブルネイ1984年09月05日1980年代スタンレイ英国軍担当国務相,訪ブ-3日間。スルタンと会談。ブ王国軍に出向している将校を慰労,スリアの英グルカ大隊を訪問。
DIA-208-1984-09-15-1ブルネイ1984年09月15日1980年代湾岸諸国でブルネイ移住申請者が急増-在クウェート・英国大使館スポークスマンによれば,ブルネイの現金給付と高賃金の報道がなされて以来,多数のアラブ人が移住を申請。最近のAl-Seyassah紙によれば,数万のパレスチナ人,レバノン人,イエメン人が移住を申請している,という。
DIA-208-1984-09-15-2ブルネイ1984年09月15日1980年代民間部門の不満-本日付けBorneo Bulletinは,経済計画局の84年年初の調査によれば,主たる不満は,(1)公務員優遇によりブルネイ公民の雇用が困難,(2)国内労働者は経験と奉仕の精神に欠け,転職が頻繁,(3)店舗賃貸料が極端に高い,(4)資金調達が難しい,(5)売掛金回収に時間がかかる,(5)ローン,土地,雇用許可への申請に関する行政処理の遅滞など。
DIA-208-1984-09-21-1ブルネイ1984年09月21日1980年代第39回国連総会,ブルネイ加盟を承認-スルタンは,(1)加盟承認は,わが国の主権と領土保全に対する国際社会の保証を示す,(2)ブルネイは集団安保を信奉,(3)パレスチナ人民の唯一の代表としてPLOを支持し,イ・イ戦争の平和的解決を要請し,アフガニスタンからの外国軍隊の撤退を要求する,(3)ASEANの団結に努力しカンボジア問題に憂慮を表明する,(4)ブルネイは農林漁業,製造業の開発に援助を必要としている,等の内容の総会演説を行なった。スルタンは22日にユニセフに100万米ドル,23日ニューヨーク市に50万米ドルを寄付した。
DIA-208-1984-09-26-1ブルネイ1984年09月26日1980年代スルタン第2夫人,女児(第2子)を出産。
DIA-208-1984-10-03-1ブルネイ1984年10月03日1980年代マニラの一流ホテルをこのほど買収-本日付けMetro Manila Timesは,スルタンがManila Mandarin Hotelを買収,と報道。さらに11月20日付けBusiness Dayによれば,売手はフィリピン開発銀行で,同ホテルの株(62%)を1億1200万ペソでスルタンに売却。
DIA-208-1984-10-06-1ブルネイ1984年10月06日1980年代ブルネイ青年代表団(16名),マレーシア訪問。
DIA-208-1984-10-09-1ブルネイ1984年10月09日1980年代フィリピンとの民間協力-両国の経済界指導者は,このほどブルネイで,直接貿易拡大を目的とする船便増便の取極めに調印。
DIA-208-1984-10-10-1ブルネイ1984年10月10日1980年代米海軍太平洋司令官クロー提督,訪ブ-スルタン,オマール・アリ・サイフディン国防相と会談。米国はブルネイに基地を設ける計画はないと語った。
DIA-208-1984-10-11-1ブルネイ1984年10月11日1980年代入国申請急増問題-外務省はこのほど在外公館を通じて,政府は大規模な労働募集を行ったことはなく,伝統的地域からの供給で国内の必要を満たすことができる。と声明。同時に,ブルネイ労働市場に関する誇張された報道のニュース源調査を開始した。
DIA-208-1984-10-21-1ブルネイ1984年10月21日1980年代Jasra Jackson社,85年に3井試掘へ-米国第12位の石油会社Philips Petroleum社がブルネイ内のJJ社鉱区探査権(30%)と引換えに,試掘費用を負担。JJ社は83年半ばに2井を試掘したが出油はなかった。
DIA-208-1984-10-23-1ブルネイ1984年10月23日1980年代スルタン,インドネシアを公式訪問-24日スハルト大統領と会談。大統領は,ブルネイに対する領土的野心は些かもない,と保証。25日,両国はインド洋平和地域化のための国際会議の即時開催を要請し,今なお植民地支配の下にある人民の,自由のための闘いを支持する等の内容の共同声明を発表。
DIA-208-1984-10-31-1ブルネイ1984年10月31日1980年代石油減産-ブルネイ・シェル社はこのほど,世界の石油需要の著減に応じて,産油量を17万5000b/dから11万b/dに削減する,と発表。
DIA-208-1984-10-31-2ブルネイ1984年10月31日1980年代師範学校,85年から学士課程導入-スルタンは,Sultan Hassanal Bolkiah Institute of Educationが,ウェールズ大学の協力を得て,教育(初等教育)学士号取得のための課程を85年に導入し,他の分野の学士課程も段階的に導入する,と発表した。
DIA-208-1984-11-02-1ブルネイ1984年11月02日1980年代ライオンズ・クラブ等への批判-ブルネイのムフティは政府広報紙Pelita Bruneiに,ライオンズ・クラブ,ロータリー・クラブ,フリーメーソンはイスラムに反する方針をとり,シオニストの運動に資金を提供しているという趣旨の論説を連載,ロータリー・クラブのムスリム幹部2名が脱会した。スルタン父子は同クラブのロイヤル・パトロン。
DIA-208-1984-11-02-2ブルネイ1984年11月02日1980年代QAF,乗用車販売に進出-Cycle & Carriage Ltd.,社と合弁で,Tiga Bintang(B)Sdn.Bhd. を設立,ブルネイにおけるベンツと三菱車の独占販売を行なう計画。TB社の授権資本は1000万Bドル,当初資本300万Bドル。
DIA-208-1984-11-22-1ブルネイ1984年11月22日1980年代3国司法協力にこのほど合意-これによりブルネイ,マレーシア,シンガポールの法廷は,相手国の原告もしくは被告について,外交チャンネルを経ることなしに民事訴訟の手続きを行なうことができる。
DIA-208-1984-11-23-1ブルネイ1984年11月23日1980年代スブロト・インドネシア鉱業相,訪ブ-2日間。24日,今後の両国の協力の可能性について打診し,最近のOPEC会議について説明した,と語った。その後の報道では,12月16日からのOPEC総会オブザーヴァー出席をブルネイに招請した。
DIA-208-1984-11-23-2ブルネイ1984年11月23日1980年代空港ターミナル増築プロジェクト-このほどオーストラリアのLeighton Contractors(Asia)Ltd. が地元のTed Pte.Ltd. と組んで落札。総額4700万Bドルでフィンガー8基を備える待合室を建設,既存のターミナルに連結する。
DIA-208-1984-11-29-1ブルネイ1984年11月29日1980年代スルタン,ギネスブック85年版に登場-スルタンは石油歳入27億ポンド,外貨準備100億ポンドを実質的に自由にしうる,世界最高の金持であり,その新宮殿はヴァチカンよりも部屋数が多く,世界最大のシャンデリアを有する,と記載。政府は,この記載が不正確かつ真実ではないと反論。
DIA-208-1984-12-01-1ブルネイ1984年12月01日1980年代ロイヤル・ブルネイ航空の職員ブルネイ化-設立10周年に際し,今後10年ですべての外国人機関士・パイロットをブルネイ国民に代えていく,と発表。現在全職員500人のうち87%がブルネイ国民。なお,同社は12月下旬に賃金を公務員並みに引上げた。
DIA-208-1984-12-08-1ブルネイ1984年12月08日1980年代麻薬取締りの強化-84年に入り麻薬取締り法規はマレーシア並みに強化されていたが,さらにこのほど,(1)警察は麻薬取締り班を結成,ASEANの他の諸国と協力,(2)警察,税関,入管,教育省,保健省,宗務局等の幹部で構成する委員会を設置,等の措置を講じた。
DIA-208-1984-12-10-1ブルネイ1984年12月10日1980年代スフリ殿下(スルタンの2番目の弟),マレーシアのサラワク州を訪問。
DIA-208-1984-12-15-1ブルネイ1984年12月15日1980年代スルタン,中東3国を公式訪問-オマーンのスルタン(ブルネイ・スルタン以外に主権を有する唯一のスルタン)の招待で同国を3日間にわたり訪問。両スルタンは国際政治情勢,両国関係の強化について会談。さらに17~19日にエジプトを訪問。18日ムバラク大統領主催の晩餐会で,スルタンは,パレスチナ人民の民族自決の権利に基づく中東問題の解決と,カンボジアからのベトナム軍撤退,アフガニスタンからの「外国軍隊」の撤退を要請した。他方,ムバラク大統領はイスラエルとPLOに相互承認を要請,と語った。最後に19~21日にヨルダンを訪問。20日フセイン国王はブルネイ・スルタンに,イランとの良好な関係に依拠してイ・イ戦争終結を働きかけるよう求めた。
DIA-208-1984-12-16-1ブルネイ1984年12月16日1980年代ブルネイ,OPEC総会にオブザーヴァー参加。
DIA-208-1984-12-28-1ブルネイ1984年12月28日1980年代北イエメンと大使級の外交関係樹立。
DIA-208-1984-12-29-1ブルネイ1984年12月29日1980年代ブ・マ間の民間協力-マレーシアのマレー人商工会議所は,訪マ中のブルネイ・ブミプトラ経済連合代表団に対し,対ブ経済協力の機会に関する情報の窓口となることを約束。
DIA-208-1985-01-01-1ブルネイ1985年01月01日1980年代国王の年頭メッセージ―(1)独立は今や歴史の一齣にすぎず,将来の世代のため果たすべき多数の責務が存在する,(2)国の平和を乱し主権を損おうとする分子を警戒すべきである。
DIA-208-1985-01-03-1ブルネイ1985年01月03日1980年代麻薬と不法入国者―Pgrn.Osman警察長官はこのほど,(1)この二つが治安の最大の脅威,(2)不法入国者は警察ではなく国の問題となっている,と述べた。
DIA-208-1985-01-03-2ブルネイ1985年01月03日1980年代アジズ教育・保健相,エジプト訪問―7日RTBは,政府が宗教・医学の分野で留学生派遣を考慮中,と報道。
DIA-208-1985-01-12-1ブルネイ1985年01月12日1980年代British Airways社,直行便廃止へ―12日付けBB紙によれば,BA社は(1)航空機不足のため,3月末でロンドン―BSB直行便を廃止する,(2)シンガポール経由のロンドン―BSB便の共同運航につきロイヤル・ブルネイ航空と現在交渉中。
DIA-208-1985-01-16-1ブルネイ1985年01月16日1980年代国王,ドチェスター・ホテル(英国)買収―London Evening Standard紙が報道,買収価格は8500万英ポンド,同ホテルは6ヵ月前に香港のRegent International Hotels(米国系)が買収したばかり。
DIA-208-1985-01-17-1ブルネイ1985年01月17日1980年代麻薬検査―教育・保健省次官は,(1)国内の小学生から専門学校学生までの全員約2万名について,麻薬の使用いかんを検査する,(2)麻薬利用の判明した者には治療・カウンセリングを勧告する,と発表。
DIA-208-1985-01-20-1ブルネイ1985年01月20日1980年代全国商業会議所,会長に初めてブ公民選出―Timothy Ong(31歳)。Ong新会長は,(1)ブルネイ経済は83年の好況後,調整期に入っている,(2)小型店舗は百貨店,スーパーに圧迫されており,シンガポールの例に倣ってブティク等への専門化が必要かもしれない,と述べた。
DIA-208-1985-01-23-1ブルネイ1985年01月23日1980年代ブ外務省,ベトナムのタイ領侵略を非難―ST紙によれば,先週末,侵略はベトナムの究極的目的がカンボジア問題の軍事的解決にあることを示している,と声明。
DIA-208-1985-01-29-1ブルネイ1985年01月29日1980年代豪軍参謀総長P.Gration中将,訪ブ―豪州は兵器に関する専門的技術を提供する用意があると語った。
DIA-208-1985-02-02-1ブルネイ1985年02月02日1980年代消費者物価上昇率―経済計画局によれば,84年の上昇率は3.0%,85年予測は5%。
DIA-208-1985-02-09-1ブルネイ1985年02月09日1980年代マルコス比大統領,このほど感謝を表明―ブルネイ,マレーシア,インドネシアが北イエメンでのイスラム諸国外相会議の席上,(1)比政府のモロ族抑圧を非難する,(2)モロ民族解放戦線に連絡事務所設置を認める,の2決議案に反対したことへの感謝(BB)。
DIA-208-1985-02-10-1ブルネイ1985年02月10日1980年代教育の指針―アジズ教育・保健相はこのほど公立・ミッション・華文の学校長会議で,(1)二言語教育,マレー・イスラム君主国の概念,知識のイスラム化の3原則を教育の基礎とする,(2)このための指針の草案をすでに作成した,と述べた(ST)。
DIA-208-1985-02-11-1ブルネイ1985年02月11日1980年代食糧自給―BSBでのASEAN動物保護事業とASEAN食糧・農林業委員会との合同会議の席上,Salleh開発省次官は,果物,食用肉,家禽,鶏卵で許容しうる自給率を達成することが急務であり,鶏肉,鶏卵の自給率は50%を超えた,と語った。
DIA-208-1985-02-16-1ブルネイ1985年02月16日1980年代外交団専用地区を設定―(1)政府は,首都のJalan Kebangsaanに40.5㌶をすでに整地,(2)各国大使館1.2㌶大使公邸に0.8㌶等を予定,(3)エーカー当り40万㌦で999年の借地権を提供する方針(BB)。
DIA-208-1985-02-16-2ブルネイ1985年02月16日1980年代パキスタンから技術専門学校教員を募集―84年独立記念式典に出席したジア大統領の提案によるもの。このほど両国の教育省当局者が取決めに調印。人数は未定。
DIA-208-1985-02-23-1ブルネイ1985年02月23日1980年代国王の英国での寄付―BB紙によれば,国王は先週までの滞在中に4福祉団体に各25万英ポンド,軍事関係の2博物館に計60万英ポンドを寄付。
DIA-208-1985-03-01-1ブルネイ1985年03月01日1980年代新ビザ規定実施(1)マレーシアとシンガポール公民は最長30日間の入国,インドネシア,タイ,フィリピン公民は空路による2週間の入国について査証を免除,(2)他のすべての外国人は査証の取得が必要。
DIA-208-1985-03-04-1ブルネイ1985年03月04日1980年代House of Fraser社(英国)買収問題―Al Fayeds Investmentand Trustは6億1500万英ポンドでHF社株を公開買付けすると発表,11日までに51%を取得。この間6日にLonrho社(84年11月にHF社株の30%をAl Fayedsに売却)が,今回の買収資金はブルネイ国王から出ているとして,独占・合併審査委員会への付託を要求,14日テビット英商工相は付託の必要なしと声明。HF社はHarrods,D.H.Evans,Barkers等の百貨店,小売店を所有している(ST,NST)。
DIA-208-1985-03-08-1ブルネイ1985年03月08日1980年代マレーシアへの留学生―在マ・ブルネイ高等弁務官事務所によれば,教育媒体語がマレー語であること等のため,マレーシアの専門学校へのブ留学生数は83年の100人から84年に268人に急増。
DIA-208-1985-03-16-1ブルネイ1985年03月16日1980年代85年予算,このほど裁可―支出総額20億㌦超,うち国軍・警察4.36億㌦,教育2.30億㌦,公共事業1.97億㌦など。また開発支出は7634億㌦(ST)。
DIA-208-1985-03-16-2ブルネイ1985年03月16日1980年代1人当りGNP―世銀発表によれば82年にブルネイは2万2150米㌦,UAEの2万4080米㌦に次ぎ世界第2位。しかし83年暫定値では2万1140米㌦,世界第3位に低下。
DIA-208-1985-03-18-1ブルネイ1985年03月18日1980年代予防拘禁規定,このほど導入―公安を脅かすおそれのある場合,裁判なしに1年間(延長可能)拘留し,かつ釈放後も3年間は警察の監視下に置くことができる。法務省筋によれば,誘拐,危険な武器の使用等の事件に限って適用される。なお現在拘留中の政治犯は約30名(ST,〓合早〓)。
DIA-208-1985-03-22-1ブルネイ1985年03月22日1980年代Island Development Bankの資本再編成―最近の増資に伴い,ブルネイとフィリピンの対等出資からブ側60%(QAF Holdings Bhd.20%,Rashid王女40%),比側Ayala International(Hoidings)20%となり,新に第一勧業銀行20%が参加。
DIA-208-1985-03-24-1ブルネイ1985年03月24日1980年代独立記念競技会,開催―8日間。ASEAN6カ国の選手1000名以上が,11競技に参加。
DIA-208-1985-03-30-1ブルネイ1985年03月30日1980年代マスター・プラン作成―Huszar Brammah and Associates(英国のコンサルタント会社)が受注。今後20年間にわたる総合開発のためのマスター・プランを作成。85年6月作業開始,86年末完成の見込みで,経費は500~1000万㌦(ST)。
DIA-208-1985-03-30-2ブルネイ1985年03月30日1980年代パキスタンと西独,大使館開設―初代パキスタン大使がこのほど信任状提出。西独政府はこのほど代理大使を任命(BB)。
DIA-208-1985-04-05-1ブルネイ1985年04月05日1980年代ニュージーランド,一般特恵からシ,ブ除外へ―ニュージーランド当局者は,(1)ブルネイの1人当りGNPは同国より70%も高くGSP適用の資格がない,(2)実施予定は7月1日,と語っていた。先週訪ブしたムーア海外貿易・観光相に対し,バハリン法相は決定の再検討を要請した(NST,BB)。
DIA-208-1985-04-09-1ブルネイ1985年04月09日1980年代サッチャー英首相,訪ブ―国王と会談。ブ当局者によれば会談内容は極秘であるが,主としてブルネイの5カ国防衛取決め加入問題をめぐるもの,と見られ る(NST)。
DIA-208-1985-05-07-1ブルネイ1985年05月07日1980年代ユソフ前主席大臣,このほど日本より受勲―勲一等旭日章。ブ・日間の友好促進への貢献による。ユソフ前主席大臣は日本留学中,広島で被爆(ST)。
DIA-208-1985-05-11-1ブルネイ1985年05月11日1980年代ドチェスター・ホテル(英国)の労使紛争―ブ国王の持株会社Pageguide Ltd.社は,同ホテル従業員側の要求を容れ,Regent International社との経営契約(15年)の破棄を求めているが,上訴院はこれを棄却。
DIA-208-1985-05-17-1ブルネイ1985年05月17日1980年代首都再開発計画案―丹下健三教授がブ政府の委託により,首都の一部25万平方㍍を再開発,国際会議場,国立図書館,政府庁舎,モスク等を建設する計画案(総工費10億㌦)を作成中。年末に提出の予定。同教授はカンポン・アイエルの下水計画も作成中(ST)。
DIA-208-1985-05-19-1ブルネイ1985年05月19日1980年代石油探査での合弁企業設立案,廃棄―Jasra Jackson Sdn.Bhd.社(米・ブ合弁)とPhillips Petroleum社(米国)の合弁企業設立案に対し,ブ政府は4月30日の期限までに認可を与えなかった(ST)。
DIA-208-1985-05-27-1ブルネイ1985年05月27日1980年代南西アフリカ人民機構,資金援助要請―国連ナミビア問題委員会代表団は訪ブして,モハメッド外相と会談。席上,代表団の一員であるSWAPO幹部は資金援助を要請したが,確答は得られなかった。
DIA-208-1985-06-03-1ブルネイ1985年06月03日1980年代国王,自家用機改装へ―ルフトハンザ社筋によれば,国王は最近入手したBoeing 747SPの改装のため同社に接触。改装費は約1億米㌦の見込み(ST)。
DIA-208-1985-06-07-1ブルネイ1985年06月07日1980年代金融会社,銀行で取付け騒ぎ―United National Finance Bhd.で7~10日に約1000万㌦の預金が引出され,11日ブ大蔵省の指示により営業を停止。さらに28日,Hongkong and Shanghai Bankingでも取付けがあり,同行はシンガポールから1000万㌦以上の現金を空輸,7月1日には平常に復した。ともに契機は6日破産宣告した香港のOverseas Trust Bankとの関係についての噂であった。このうちUNF社は22日,同社会長がOTB事件で逮捕された張承忠であると報道されたが,30日の債権者会議で預金(定期2900万㌦,貯蓄性預金1300万㌦)の割賦返済を含む再建案が了承された。
DIA-208-1985-06-15-1ブルネイ1985年06月15日1980年代このほど世界保健機関(WHO)に加入―5月のジュネーブでの総会にアジズ教育・保健相等を派遣。
DIA-208-1985-06-27-1ブルネイ1985年06月27日1980年代ブルネイ国家民主党(BNDP),建党を発表―シンガポールでのHj.Abdul Latif b.Abdu1 Hamid党首とAbdul Latif b.Chuchu書記長の発表によれば,(1)同党は5月30日にブ内務省により登録された,(2)建党の目的は立憲君主制の下での議会制民主主義の実現,(3)ブ人民党(PRB)とは無関係,(4)中央委員会議長はPgrn.Anak Hassunuddin Al-Haj,同委員25名中23名が実業家,(5)9月の正式発足までに党員数を5000名に拡大することを希望,等。なお66年に結成のブ人民独立党(PBKR)は,過去10年活動がなかったとして,85年初めに登録を抹消された(ST)。7月6日付けBB紙は,内務省がBNDP建党についてコメントを拒否と報道。
DIA-208-1985-06-29-1ブルネイ1985年06月29日1980年代ニュージーランドの一般特恵問題―ASEANの発表によれば,同政府はブ,シ両国へのGSP適用の中止後も,特別の環境と調整の問題を認め,両国からの輸入の一部に関税を免除することに同意(NST)。
DIA-208-1985-07-12-1ブルネイ1985年07月12日1980年代Universiti Brunei Darussalam―教育省筋によれば,(1)年末までに臨時キャンパスで開校の予定,(2)当初2学部(人文学部:歴史・地理,歴史・経済,行政・社会科学の3課程。教育学部:マレー語・文学,数学・物理,数学・化学の3課程)で構成,(3)7月10日までに約1000名が入学願書を受領(ST)。
DIA-208-1985-07-15-1ブルネイ1985年07月15日1980年代QAF社,Island Development Bankを撤退―このほどIDB株24万株を1株19.20㌦で売り,860万ドルの利益を取得。IDBは近々増資を計画していたが,QAF社は1800万㌦の借入を抱え,増資に消極的だったといわれる(ST)。
DIA-208-1985-07-21-1ブルネイ1985年07月21日1980年代ブルネイ・シェル3社,外国人職員削減へ―職員4000人に対し,(1)ブ公民の採用・昇進のため非公民職員を配置転換もしくは解雇する,(2)上級職への登庸はマレー人公民を優先し,最終的にはあらゆるレベルの雇用に国の種族構成を反映させる,等を通達(ST)。
DIA-208-1985-07-29-1ブルネイ1985年07月29日1980年代国王誕生日―祝賀行事に参加した学童,公務員,会社職員約1万名を宮殿に招き,皇太子とともに交歓した。国王は病気のため6月20日の断食月明け祭礼にオープン・ハウスを行なわなかった。
DIA-208-1985-07-30-1ブルネイ1985年07月30日1980年代BNDP,政治的自由拡大を要求―Abdul Latif b.Chuchu書記長はクアラルンプルでの記者会見で,ブ政府に集会と言論の自由を認めるよう要請(ST)。
DIA-208-1985-08-08-1ブルネイ1985年08月08日1980年代QAF社,スーパーマーケット業界に進出―(1)Emporium Holdings(S)社と合弁企業を設立,EHS社のスーパー26店中7店の経営に当る,(2)出資比率はQAF60%,EHS40%,とこのほど発表(NST)。
DIA-208-1985-08-10-1ブルネイ1985年08月10日1980年代総理府石油局の拡充を検討中―組織・経営コンサルタント1社の報告書を検討しており,海外研修中の職員の帰国を待って実施の見込み。石油局の現在の機能は,(1)石油・ガス資源の監督,(2)政府出資の石油会社における国益の保護,(3)炭化水素資源に関わるすべての分野へのブ国民の参加奨励とそのための訓練,(4)代替エネルギー源の研究,(5)国の生産,輸出,世界市場の監視,(6)原油価格について政府に勧告,等(BB)。
DIA-208-1985-08-24-1ブルネイ1985年08月24日1980年代政治犯7名釈放。
DIA-208-1985-08-27-1ブルネイ1985年08月27日1980年代BNDP,党員をマレー人に限定―Abdul Latiff b.Chuchu書記長,Mohamad Hatta b.Zainal Abidin副委員長等がマレーシアのKLでの記者会見で表明。このほか9月29日に首都BSBで全国大会を開催,出席者は約2000名の見込み,等を発表(NST)。
DIA-208-1985-08-29-1ブルネイ1985年08月29日1980年代王宮で火災―午後11時30分頃,屋根の一部から出火。原因,被害に関する発表なし(NST)。
DIA-208-1985-09-01-1ブルネイ1985年09月01日1980年代6カ国に査証の一部免除―本日から,(1)英本国公民は査証なしで最長30日間,(2)フランス,スイス,韓国,日本公民は同じく最長2週間の入国・滞在が認められる(ST)。
DIA-208-1985-09-01-2ブルネイ1985年09月01日1980年代イスラム教育・科学・文化機構に加盟―アジズ教育・保健相がイスラマバードで加盟文書に調印。
DIA-208-1985-09-09-1ブルネイ1985年09月09日1980年代ブルネイ・シンガポール海軍合同演習―シンガポール海峡,南シナ海で6日間。ミサイル砲艦5隻,哨戒艇1隻,戦車上陸用舟艇1隻が参加。
DIA-208-1985-09-16-1ブルネイ1985年09月16日1980年代Universiti Brunei Darussalam―国王はイスラム・ダワワ・センター開所式に際し,ブルネイ・ダルサラーム大学を10月28日に開校,と発表。なお開所式には国王の父親と3人の弟が出席。また教育省筋によれば,約200人が上記大学への入学を認められた。
DIA-208-1985-09-28-1ブルネイ1985年09月28日1980年代総理府,公務員の政治活動禁止を再確認―RTBを通じて,(1)利害の衝突や利己主義の増長を避けるため,56年一般命令により,すべての政府役職員に,政治的文書の流布や反政府的請願の署名を含むあらゆる政治活動への関与を認めない,(2)政治的会合または集会への出席やそこでの発言を認めない,(3)違反者は処罰する,と声明。公務員は就労人口の約40%を占める(ST)。
DIA-208-1985-09-29-1ブルネイ1985年09月29日1980年代BNDP,正式に発足―集会はマレー人教員会館で行なわれたが,出席者は100名に満たなかった(BB)。
DIA-208-1985-10-02-1ブルネイ1985年10月02日1980年代国王,マレーシアを非公式訪問―マハティール首相,ダイム蔵相,マレーシア国王と会談。マハティィール首相は,対マ投資の展望,両国間の経済・金融協力の可能性について説明。
DIA-208-1985-10-12-1ブルネイ1985年10月12日1980年代国軍演習―このほど10日間にわたりトゥトン郡,ベライト郡で実施。第2連隊のほか,海軍と空軍の一部が参加し,国防相が観閲(BB)。
DIA-208-1985-10-22-1ブルネイ1985年10月22日1980年代国王,英連邦首脳会議に出席―席上,戦略的に重要な地域に存在する小国の懸念に対する理解を求める演説を行たった。さらに英連邦技術協力基金に対し,86~88年に年100万英ポンドの寄付を行なうと約束した。
DIA-208-1985-10-23-1ブルネイ1985年10月23日1980年代BNDP,総選挙の早期実施等を要請―Hj.Abdul Latiff Hamid党首はBSBで,(1)独立宣言を守り総選挙を早期実施するよう政府に要請する,(2)公務員の政党活動禁止は遺憾,と述べた。29日,Hj.Abdul Latiff Chuchu書記長はコタキナバルで,(1)先月のBNDP正式発足に際し採択された決議を国王に提出する意向である,(3)決議には総選挙の実施,非常事態法の廃棄,56年一般命令の廃棄,月収500㌦未満の公務員賃金の見直し等が含まれる,と語った(NST)。
DIA-208-1985-10-28-1ブルネイ1985年10月28日1980年代ブルネイ・ダルサラーム大学,開校―学長には国王が就任。開校式でアジズ教育・保健相(副学長)は,ブルネイ人として洗錬された秩序ある慣習と生き方に則り,規律と責任を以って学問を究めることの重要性を強調。初年度の入学生は179名。教官20名は英国のウェールズ大学,マレーシアの理科大学,民族大学から出向(BB)。
DIA-208-1985-11-04-1ブルネイ1985年11月04日1980年代インドネシア,マレーシア言語協議会に加入。
DIA-208-1985-11-07-1ブルネイ1985年11月07日1980年代BNDP分裂―Hatta副党首は,(1)執行委員12名を含む約150名の党員が離党,(2)BNDPに残る指導者は非民主的であり,他の執行委員の見解と異るものを勝手に国外で発表,(3)彼らは党員が200名しかいないのに2000名と発表,等を明らかにした。13日,Hj.Latiff Chuchu書記長はコタキナバルで,(1)執行委員会議長,副党首,福祉部長等が党外の影響力あるものとともに,党の転覆を図った,(2)ブ政府への覚書送付を妨害しようとした,と声明(ST,NST)。
DIA-208-1985-11-07-2ブルネイ1985年11月07日1980年代ブ・豪防衛協力了解覚書に調印―両国の防衛協力の枠組を規定。これに伴い18日にBSBで,第1回定期協議が開催され,豪州側は領海監視システム開発に援助を申入れた。
DIA-208-1985-11-14-1ブルネイ1985年11月14日1980年代政治犯4名を釈放。
DIA-208-1985-11-18-1ブルネイ1985年11月18日1980年代タン・シンガポール教育相,訪ブ―19日帰国して,ブルネイでのシ国軍訓練の見返りに,工業専門学校,大学の開発でブルネイを援助する,と語った。
DIA-208-1985-11-20-1ブルネイ1985年11月20日1980年代QAF社,百貨店に進出―Klasse Department Store Sdn.Bhd.を800万㌦で買収する計画,と発表。Klasse社はブルネイ,香港で百貨店を経営。
DIA-208-1985-11-24-1ブルネイ1985年11月24日1980年代国王,マホメット生誕祝典に不参加と声明―総理府はRTBを通じて,マウルド組織委員会は国王の裁可を得ることなく,祝典の性質を変える決定を行ない発表しているため,国王は25日の集会と行進に参加しない,と声明(ST)。
DIA-208-1985-11-26-1ブルネイ1985年11月26日1980年代BSB―香港路線の共同運航―ロイヤル・ブルネイ航空とキャセイ・パシフィック航空は,12月16日から同路線を週3回に増便して共同運航することに合意。
DIA-208-1985-11-27-1ブルネイ1985年11月27日1980年代合弁企業に関する会議開催―ブ全国商業会議所主催。内外の企業から約100名が出席したが,出席者の間では第5次5カ年計画の内容が公表されなかったことへの不満が表明された(BB)。
DIA-208-1985-12-13-1ブルネイ1985年12月13日1980年代外国人労働者への規制強化―Zainal労働部長によれば,(1)マレーシア,シンガポール以外の国からの労働者のなかには15年間に1度も帰国していないものがいる,(2)54年労働法を厳格に適用し,外国人労働者を2,3年に1回帰国させる,(3)労働許可書交付の年齢制限は55歳(ST)。
DIA-208-1985-12-21-1ブルネイ1985年12月21日1980年代建設機械訓練センター,このほど建設開始―施設と建設機械は三菱商事が寄付し,日本政府が4年間にわたり専門家を派遣する(BB)。
DIA-208-1985-12-23-1ブルネイ1985年12月23日1980年代第5次5カ年計画(1986~90年),発表―(1)第4次計画期間(80~84年)の実質の年平均GDP成長率は△4.4%(目標6%),石油部門△7.6%,非石油政府部門14.4%,同民間部門11.6%,(2)85年は調整年とし,GDP成長率△0.3%,原油生産量16.5万b/dを見込む,(3)第5次計画期間の政府経常支出は累計136億1100万㌦(80~84年は103億1950万㌦),開発支出26億1000万㌦(内訳は商工業10%,運輸・通信20%,社会・福祉29%,公益事業29%,公共建造物・治安10%。なお80~84年15億8970万㌦)。(4)工業開発のため,工業振興機関,開発銀行,全国年金事業,全国研修事業等の設立と政府事業の民営化を検討する,(5)非石油民間部門の成長率を年10%とする,(6)金融センター実現の方向で金融管理庁の設立を図る,(7)実施・監督のため工業開発庁,特別委員会を設け,フォローアップ・システムを作る。
DIA-208-1985-12-28-1ブルネイ1985年12月28日1980年代ASEAN-ニュージーランド対話―高級事務レベル会議をBSBで開催。
DIA-208-1985-12-31-1ブルネイ1985年12月31日1980年代国軍司令官に初のブルネイ人就任―Phn.Dt.Hj.Mohammad准将(42歳)。1960年ブルネイ・マレー連隊入隊。前任者はDt.Friedberger准将。国軍には現在英国人110人が出向,10人が個人契約。
DIA-208-1986-01-01-1ブルネイ1986年01月01日1980年代第5次5ヵ年開発計画はじまる。
DIA-208-1986-01-09-1ブルネイ1986年01月09日1980年代国王の新年祝辞―9日のテレビ。とりわけ麻薬に対する警戒を呼びかけた。なお25日付BB紙によると,(Pehin Dato)Haji Abdul Aziz 教育・保健相はこのほどある会合で,麻薬問題が84年以降驚くべき早さで重大化している,と語った。
DIA-208-1986-01-11-1ブルネイ1986年01月11日1980年代水配給制停止―BB紙11日。公共事業局によると,ムアラ,トゥトン地区で過去30ヵ月間続けられていた配給制が停止された。両地区への現在の供給量は日量2600万ガロン。これはラヨン浄水所の能力が1800万ガロンから2400万ガロンに引上げられたことによる。なお85年4月以降の現料金では最初の1.2万ガロンまで各1000ガロン50セント以後は各1000ガロン2ドルとなっている。
DIA-208-1986-01-23-1ブルネイ1986年01月23日1980年代東南アジア教育相会議,ブルネイで3日間開催―政府はこの会議に107万Bドルの寄付を発表。
DIA-208-1986-01-25-1ブルネイ1986年01月25日1980年代イスラム入信者―宗教局によると,イバン族,ドゥスン族,華人の順で近年入信者が増大しているという。81年189人,82年214人,83年312人,84年294人,85年422人。
DIA-208-1986-02-08-1ブルネイ1986年02月08日1980年代イスラエルの回教寺院破壊に抗議―ブルネイ国連代表(Awang Haji)Omar Haji Semddinは,このほど国連安保理に対し,イスラエルのエルサレム・アルアクサ・回教寺院への行為に抗議すると通告した(BB,2/8)。
DIA-208-1986-02-15-1ブルネイ1986年02月15日1980年代ニュージーランド高等弁務官きまる―外務省ASEAN局長(Awang)Lim Jock Sengの兼任。同人の任地はバンダル・スリ・プガワンとなる(BB,2/15)。
DIA-208-1986-02-15-2ブルネイ1986年02月15日1980年代イギリス軍参謀総長来訪,国王と会見。
DIA-208-1986-02-17-1ブルネイ1986年02月17日1980年代国家民主党副委員長離党―(Awang Haji)Hanafi Mohd.Daudで,後進に譲るためと語った。
DIA-208-1986-02-28-1ブルネイ1986年02月28日1980年代3月から原油に公定価格制導入―28日付AWSJ紙が東京筋から得たもの。毎月末に当該月の平均価格を算定し,また同時に翌月の臨時公定価格を示すもの。これにより2月価格は21.50米ドル,3月臨時価格は16.50米ドルと発表された。
DIA-208-1986-03-08-1ブルネイ1986年03月08日1980年代国民団結党の目標―2月に登録申請を認められたPartai Perpaduan Kebangsaan Brunei(PPKB)の書記長(Awang)HattaHaji Zainal Abidin Putehは最近の記者会見で,次のように発表。(1)政府の政策を支持し,立憲君主制マレー・イスラムの国家理念を堅持する。(2)現国王とその後継者への敬意の念を深める。(3)スンニー派イスラムを奉じ,他の宗教の自由と権利を尊重する。(4)マレー語を国語とする。(5)現党員は21人で,その一部は国家民主党の脱党者からなる。(6)党員拡大キャンペーンはやらない(BB,3/8)。なお2月22日付BB紙によると,同書記長は,党をドゥスン,イバン,華人にも開放する,と語ったという。
DIA-208-1986-03-12-1ブルネイ1986年03月12日1980年代王宮声明,Supreme社買収記事を否定―マレーシアの実業・政治家陳群川による―連の背任横領等の諸事件のからみで,NST紙は最近,ブルネイ国王が関連会社Supreme Corp.の買収にのり出した,と報道していた。
DIA-208-1986-03-21-1ブルネイ1986年03月21日1980年代国家民主党は選挙を要求―シンガポール訪問中のA.Latiff書記長は,非常事態法を批判し,民主主義の促進を要求した。党員は現在2900人,うち2000人はシェル石油に働いている。昨年出された公務員の政治活動禁止令で5000人が党を離れたという(NST,3/22)。
DIA-208-1986-04-05-1ブルネイ1986年04月05日1980年代マレーシア航空,週1便乗入れ開始―KLとブルネイ間。なおブルネイ航空は数年前よりKL便を週2便飛ばせている。
DIA-208-1986-04-05-2ブルネイ1986年04月05日1980年代ヨルダン国王,非公式に来訪(BB,4/5,訪問日は不明)。
DIA-208-1986-04-07-1ブルネイ1986年04月07日1980年代海軍,サバ沖でマレーシア海軍と合同演習(~11日)。
DIA-208-1986-04-08-1ブルネイ1986年04月08日1980年代国軍司令官(Pehin Dato)Haji Mohammad 准将,シンガポール訪問。
DIA-208-1986-04-19-1ブルネイ1986年04月19日1980年代マレーシア諸港との海運便開設で同意―マレーシア訪問中のブルネイ外相と会ったマレーシア外相が発表したもの(BB,4/19)。
DIA-208-1986-04-20-1ブルネイ1986年04月20日1980年代教育相,シンカポール訪問―教授・学生の交換計画について討議しに訪問。
DIA-208-1986-04-23-1ブルネイ1986年04月23日1980年代政治犯5人釈放さる―1962年の反乱に参加して拘留されていたもの1人を含む。いずれも23日に国王への忠誠誓言を行なって釈放されたもの。政治犯釈放はこれで84年1月の独立以来19人となった。
DIA-208-1986-04-28-1ブルネイ1986年04月28日1980年代ブルネイ籍会社,インドネシアと探油契約―28日付AWSJ紙によると,ブ籍会社Jasmine Northen Petroleum Service社がプルタミナと生産分与方式で契約。本年中にさらに3件の契約を予定という。
DIA-208-1986-05-03-1ブルネイ1986年05月03日1980年代ブルネイ,麻薬中継地化の危険―ブルネイ訪問中のオーストラリア警察麻薬取締官の言。地元当局との協力関係をつくるため来訪。
DIA-208-1986-05-03-2ブルネイ1986年05月03日1980年代パキスタン航空と航空券販売代理契約(BB,5/3)。
DIA-208-1986-05-03-3ブルネイ1986年05月03日1980年代ブルキナファソ外相来訪(B8,5/3.訪問日不明)。
DIA-208-1986-05-10-1ブルネイ1986年05月10日1980年代マルディブと航空協定成立(BB,5/10)。
DIA-208-1986-05-10-2ブルネイ1986年05月10日1980年代ネパールとの関係―10日付BB紙は,ブルネイがネパールに対し本年下期より高級原油を国際価格で供給開始と報道。なお両国間で進行中の航空交渉は,6月初旬に調印に達した。
DIA-208-1986-05-17-1ブルネイ1986年05月17日1980年代外務省で外交官研修会(9日間,BB,5/17)。
DIA-208-1986-05-19-1ブルネイ1986年05月19日1980年代ブルネイ航空購入中型機初めて到着―85年6月に購入発表された3機の1番機。ボーイング757-200S型機。148人乗りで,6月初めのホンコン行きを手はじめに,東南アジア路線に使用される。
DIA-208-1986-05-25-1ブルネイ1986年05月25日1980年代ロンドンのデパート買収問題―Observer紙は5月初め,サッチャー首相子息が84年にエジプト人とブルネイに渡りハロッズ百貨店とその親会社の買収資金をブルネイ国王から入手した,と報じた。だが25日のSunday Timesは,同国王秘書(Major)Christopher Hanburryの手紙を掲載し,Observe紙の内容を全面否定した(以上ST,5/28)。
DIA-208-1986-05-26-1ブルネイ1986年05月26日1980年代第1大隊長かわる―新任者は(Pehm Dato)Ishakbin Haji Abdul Hamid中佐。前任者は(Pehin Dato)S hari bin Ahmad。
DIA-208-1986-05-31-1ブルネイ1986年05月31日1980年代断食違反の罰則―本年1月1日から施行のイスラム教評議会・Kadzi法廷法(1984年)によると,罰則の上限は過去に30ドルと50ドルとがあったが,現在では初犯500ドル,再犯750ドル,3犯1000ドル(BB,5/31)。
DIA-208-1986-06-24-1ブルネイ1986年06月24日1980年代アメリカ国務長官,2時間半の立寄り―シンガポールからマニラヘの途次。この間国王と会見。
DIA-208-1986-06-24-2ブルネイ1986年06月24日1980年代ASEAN食糧安保備蓄計画に参加―これにより米3000トンの備蓄を行なう。
DIA-208-1986-06-28-1ブルネイ1986年06月28日1980年代国民団結党の陣容―28日付BB紙によると,委員長(Awang Haji)Jumat Idris,副委員長(Awang Haji)Mohd. Shah Ahmad,および,(Pengiran)Abdul Rahman Pengiran Haji Abbas,書記長(Awang)Hatta Haji Zainal Abidin Puteh。なお同党は29日に第1回党大会を開催と発表した。
DIA-208-1986-07-03-1ブルネイ1986年07月03日1980年代ブルネイ外相訪韓し,韓国外相と会談―ソウルでの大使館開設問題,5ヵ年計画への協力問題等協議。
DIA-208-1986-07-05-1ブルネイ1986年07月05日1980年代新聞報道の自由について―ASEANジャーナリスト交換計画で来訪した30人の記者に対して,教育・保健省高官はこのほど,「西側スタイルの報道の自由は受け容れられない。わが国の国家哲学の範囲内での活動を期待している」と語ったという(BB,7/5)。
DIA-208-1986-07-15-1ブルネイ1986年07月15日1980年代ASEAN事務局長にブルネイ人就任タイのPhan WannametheeからブルネイのRoderick Yong Yin Fattへ。
DIA-208-1986-07-15-2ブルネイ1986年07月15日1980年代国王40歳誕生日―インドネシア軍のムルダニ最高司令官に最高位勲章が与えられた。
DIA-208-1986-07-19-1ブルネイ1986年07月19日1980年代小国間で祝電外交―14日付BB紙によると,このほど,外務省は,ソマリア,ジブチ,セイシェル3国の独立記念日に際し祝電を送った。
DIA-208-1986-07-24-1ブルネイ1986年07月24日1980年代インドネシアと航空協定調印―ブルネイ航空はジャカルタへ週2便を認められた。
DIA-208-1986-07-24-2ブルネイ1986年07月24日1980年代ブルネイ,英連邦競技大会をポイコット―イギリスの対南アフリカ政策に抗議したもの。
DIA-208-1986-07-26-1ブルネイ1986年07月26日1980年代国王生誕記念水上パレード中止―26日付BB紙によると,例年はにぎやかな行事であったが,今年は,おそらくコスト高のためか,参加者が少なく中止された。
DIA-208-1986-07-30-1ブルネイ1986年07月30日1980年代ブルネイ第2回国際貿易展開催(~8月3日)。
DIA-208-1986-08-01-1ブルネイ1986年08月01日1980年代Island Development Bankほぼブルネイ化―1日付ST紙によると,フィリピン系だったIDBは,E・ソーベルが役員を辞任したことから事実上,ブルネイ系銀行となった。ただし同人の20%保有株の帰すうは不明。なお現在も20%の株は日本の第一勧業銀行が所有している。同行の利益(かっこ内は税引後)は85年357.9万Bドル(259.5万Bドル),84年478.7万Bドル(329.9万Bドル)。
DIA-208-1986-08-09-1ブルネイ1986年08月09日1980年代バソグラデシュ大学へ寄付―9日ダッカ発によると,同大のイスラム教育促進のため6万7000米ドルがブルネイ政府より寄付された。
DIA-208-1986-08-13-1ブルネイ1986年08月13日1980年代ブルネイ国連代表,信任状提出。Awang Ahmadbin Pehin Dato Hj.Mohd.Yussof.
DIA-208-1986-08-15-1ブルネイ1986年08月15日1980年代台湾と週2便の空路開設。
DIA-208-1986-08-19-1ブルネイ1986年08月19日1980年代シンガポール首相来訪。3日間の非公式訪問。 随行者は,バーカー法相,リー商工相代理。リー首相は自分の長子の商工相代理が,両国の若手指導者をつなぐ有用なリンクとなろう,と語った。
DIA-208-1986-08-23-1ブルネイ1986年08月23日1980年代海外留学生に麻薬で警告休暇帰国中の留学生への研修コースで教育保健省高官が警告したもの。
DIA-208-1986-08-30-1ブルネイ1986年08月30日1980年代華人のオーストラリア移住が増大―オーストラリア政府が4月に定住移民歓迎措置を発表して以来,ブルネイの同国高等弁務官には問合せが殺到し,7月には520件に達したという。そのほとんどはシエル石油に勤める華人で,ブルネイに定住権は持つが(赤色身分証)国籍は有さないものという(BB,8/30)。
DIA-208-1986-09-06-1ブルネイ1986年09月06日1980年代度量衡のメートル法化は87年から―度量衡局筋によると,87年初より普及キャンペーンを始め,その後に実施する(期日は未定)という(BB,9/6)。
DIA-208-1986-09-06-2ブルネイ1986年09月06日1980年代外交使節人事―6日付BB紙によると,このほど以下の人事異動が行なわれた。(Awang Haji)Jaya Abdul Latif 47歳,駐マレーシア高等弁務官から駐フィリピン大使へ。(Awang)Ahmad bin Pehin Dato Haji Mohammad Yusof42歳,駐フィリピン大使から国連常任代表へ。(Pehin Ustaz Haji)Badaruddin,駐インドネシア大使へ。
DIA-208-1986-09-07-1ブルネイ1986年09月07日1980年代前国王死去―7日夜8時45分死去,発表は8日昼。正式名はHis Royal Highness Maulana Paduka Seri Begawan Sultan General Sir Muda Omar Ali Saifuddien Saadul Khairi Waddien(1914年9月23日生,71歳)。スルタン位は50~67年。84年から現在までは国防相であった。なお8日から40日間の喪が布告された。8日の葬儀に参列した外国高官は,シンガポール・ウィー大統領,リー商工相代理(リー首相の代理),マレーシア・マハティール首相,パハン州王,ジョホール州摂政,インドネシアのムルダニ最高司令官ら。葬儀後到着者にはマレーシア国王,ペルリス州王,ケランタン州王代理らがいる。
DIA-208-1986-09-11-1ブルネイ1986年09月11日1980年代王家,シンガポールのハイヤット・ホテル取得―13日付ST紙によると,Hyatt Regency Hotelの所有者Sealion Hotels Ltdは,同ホテルをBorneo Properties Sdn.Bhdに譲渡することに同意した,と11日発表した。会社登記局によると,Bomeo Propertiesは,9月9日に登録されたばかりの新会社であり,その役員はリー首相夫人の法律事務所Lee&LeeのパートナーAndrew AngとGoh Kian Hweeという。なお銀行筋によると(FEER,9/25),同社の所有者はブルネイ王家という。
DIA-208-1986-09-18-1ブルネイ1986年09月18日1980年代王宮声明,スイス・イスラム大学計画を否定―スイス週刊誌Sonntagsblickは最近号で,「ブルネイ国王の従兄を名のるフィリピン人が,同国王の資金援助を得たとして持ちかけた話で,疑わしい」と報道したが,王宮もこの話との係わりを否定した。
DIA-208-1986-09-20-1ブルネイ1986年09月20日1980年代オーストラリア海軍との初の合同演習―20日付BB紙によると,85年11月に結ばれた防衛協力協定にもとづく第1回の合同演習で,先週行なわれたという。
DIA-208-1986-10-11-1ブルネイ1986年10月11日1980年代国連41回総会て外交態度表明―11日付8B紙によると,Bahrin法務・運輸相は最近の総会で演説し,南アの人種隔離政策,中東問題,アフガン,カンボジア問題などにふれ,また韓国の国連加盟を支持すると表明。
DIA-208-1986-10-16-1ブルネイ1986年10月16日1980年代フィリピン副大統領,ブルネイ立寄り―前国王死去に弔意を表すためと発表された。
DIA-208-1986-10-20-1ブルネイ1986年10月20日1980年代政府内閣改造発表さる―前国王・国防相の死去にともなうもの(「参考資料」参照)。4省が新設され,全13省となった。8人の副相,7人の次官を配す。なお25日付BB処する反面,権力の座がNurul Iman王宮の大理石の玉座にあることを示している,という。
DIA-208-1986-10-29-1ブルネイ1986年10月29日1980年代国王,マレーシアを公式訪問。
DIA-208-1986-10-31-1ブルネイ1986年10月31日1980年代ブルネイ航空,マレーシア航空株5.7%を取得―マレーシア蔵相の国会発表。20万株9000万ポンド(1株主5リンギ)。
DIA-208-1986-11-11-1ブルネイ1986年11月11日1980年代ASEAN警察長官会議(~13日)。
DIA-208-1986-11-15-1ブルネイ1986年11月15日1980年代ブルネイ石油,南アへ?―15日付冊紙によると,イギリス Observer紙は最近の記事で,過去4年間に30隻のタンカーがスリアで原油積載後行方不明になっているとして,南アフリカのダーバン港へ向った可能性を示唆した。だがロンドンのシェル本社はこれを否定したという。またブルネイ・シェル社も,ブルネイ政府の対南ア禁輸措置を厳守している,と発表したという。
DIA-208-1986-11-19-1ブルネイ1986年11月19日1980年代イスラエル大統領訪シで,外務省抗議―ブルネイ外務省は,19日,駐ブルネイ・シンガポール高等弁務官Edward Leeを招き,近隣諸国の感情に配慮すべきだ,と抗議した。
DIA-208-1986-11-20-1ブルネイ1986年11月20日1980年代政府,地場商銀に業務停止命令―政府は20日,National Bankof Brunei,(Nationalは単なる名称,以下NBB)の頭取Khoo Ban Hock 邱萬福とその会計士を逮捕した。また大蔵省は,国王命令によりNBBとその子会社Natioml Finance Sdn-Bhdを管理下おき,追って通知するまで閉鎖する,と発表した。同省の6月以来の調査によると,NBBは84年初めから85年4月までに,同行が集めた資金の90%13億2800万Bドルを頭取の父Khoo Teck Puat邱徳撥系列の会社へ無担当などで貸付けていたという。なお同省は,預金返還についてはブルネイ籍人,同居住者を優先させ,外国金融機関の預金,貸付金は資金回収後とすること,この措置に対する諸機関の法的行動はうけつけない,との態度である。また同省は同日内外の諸機関に対し,NBBとの取引を凍結するよう要請した。(注:NBBはマレーシア人 Khoo Teck Puatが1965年に設立したもの。75年以降Chairmanは長子のBan Hockとなり,Teck Puatの持株は85年6月現在1.42%という。なお,Presidentは国王の実弟Mohammad Bolkiah(第2子)であったが,数年前からは同(第3子)Sufri Bolkiahに代わっていた。同行の85年末の状況は税引後利益で3110万Bドル。支店(ブルネイのみ)12店,総資産20億5000万Bドル,資本準備1億9940万Bドル。
DIA-208-1986-11-21-1ブルネイ1986年11月21日1980年代NBB事件でさらに1人逮捕さる。
DIA-208-1986-11-22-1ブルネイ1986年11月22日1980年代シンガポール金融管理庁もNBB事件調査開始。
DIA-208-1986-11-22-2ブルネイ1986年11月22日1980年代NBB事件被告,8件で起訴さる。
DIA-208-1986-11-23-1ブルネイ1986年11月23日1980年代Khoo Teck Puat,NBB事件で声明―「王家とKhoo一族との亀裂は,NBBを含む諸々の商取引交渉に端を発するものだ。国王からは最近,種々の商提案を受けていた。……すべては誤解であり,友好的に解決しうるものである」。
DIA-208-1986-11-24-1ブルネイ1986年11月24日1980年代NBB関係者,シンガポールで逮捕さる―ブルネイ政府の逮捕状にもとづきシンガポール警察は24日1人,26日1人と逮捕し,いずれもブルネイへ引き渡した・これは84年に締結された条約で,一方の国の召喚状は他方の国が保証するというもの。
DIA-208-1986-11-25-1ブルネイ1986年11月25日1980年代国王,NBBの買収を企図かシンガポールの消息筋によると(ST,11/25),過去2年間に2回その意図を,NBB側に伝えたがいずれも拒否されたという。また29日付AWSJ紙によると,国王はさらにKhoo一族総帥Khoo Teck Puatがシンガポールに所有するホテルHoliday Innを買収した後,Hyatt Regency Hotelを手に入れ,85年にはTeck Puatの拠点たるGoodwood Park Hotelの譲渡をもせまったが,価格で折合わなかった,と報じた。
DIA-208-1986-11-27-1ブルネイ1986年11月27日1980年代NBB完全閉鎖―大蔵省声明。「NBBは永遠に再開しない。ブルネイ市民,居住者の預金は利子を含め完全に返済する。NBBおよびNational Finance社にある個人,法人預金はHong Kong & Shanghai Banking Corpに移管する」。なおNBBにおける市民,居住者の預金は,総残高の10%1億5000万Bドル,口座数3万2188とされる。また他説では,外国機関の預金,貸付等は16億Bドルともいう。
DIA-208-1986-11-27-2ブルネイ1986年11月27日1980年代ASEAN労働相会議,ブルネイで開催。
DIA-208-1986-11-28-1ブルネイ1986年11月28日1980年代NBB債権銀行,シンガポールで対応協議―なおシンガポール諸行のNBBに対する債権は4億Sドル以下(SZ11/30)とも,4億7000万Bドル(ST,12/25)ともいう。
DIA-208-1986-11-29-1ブルネイ1986年11月29日1980年代ハジ巡礼行申請者ふえる―29日付BB紙によると,6日に締め切られた次回の申請者数は前回より400人多い3180人(うち2976人が成人)。実際の渡航は87年7月中旬に始まる。
DIA-208-1986-11-29-2ブルネイ1986年11月29日1980年代国王,総理府諸高官に訓示総理府は,国家行政の中心となる部局であることを認識し,効果的で清潔かつ信頼のある業務を行なうよう要請(BB,11/29)。
DIA-208-1986-11-30-1ブルネイ1986年11月30日1980年代王家のNBBへの係わり―30日付The Sunday Times(シンガポール)によると,国王の実弟(第3子)SufriはNBBの会長Presidentであったが,9月23日で辞任し,11月8日会社登録局へそのむね報告が出されていた後任は,国王の諮問機関たる枢密院委員(Dato)Mohamad Daudであったという。
DIA-208-1986-12-01-1ブルネイ1986年12月01日1980年代宗教省新人事―1日発令実施分。シャリア関係局長(Pehin Dato Ustaz Haji)Abdul Aziz bin Juned,イスラム教育局長(Ustaz Haji)Mohammad Amin bin Pehin Haji Abdul Rahim,ハジ管理局長(Awang Haji)Abu Bakar bin Haji Tengah,イスラム・ダクワ・センター局長(Awang Haji)Ibrahim bin Pehin Dato Haji Ismail。
DIA-208-1986-12-03-1ブルネイ1986年12月03日1980年代政府,天然ガス会社等で株50%取得―Brunei LNG Sdn BhdおよびBrunei Cold Gas Trading Sdn Bhdの2社は73年以来,ブルネイ政府,シェルおよび三菱商事3者がそれぞれ株33.3%を保有してきたが,3日の協定で,ブ政府が50%を取得,他2者はそれぞれ25%をうけもつことになった。日本での報道では,この取引きは,ブ政府が日本への供給を従来どおり行なうことを条件に決められたという。なお同時に従来Shell Tankers(U.K)Ltdが行なってきたガスの日本への運搬は,シェルとブ政府が50:50で新設するBrunei Shell Tankers Sdn Bhdにひきつがれることとなった。このためこれまで使用されてきた7隻のタンカーも新会社に移され,ブルネイ船籍となり,ブルネイ旗を掲げることとなった。
DIA-208-1986-12-03-2ブルネイ1986年12月03日1980年代政府,Khoo傘下8社を告訴―政府管理中のNBBは,Khoo傘下のブルネイ籍5社,ホンコン籍3社を告訴し,それぞれ合計7億1460万Bドル,1億1800万Bドルの返還を求めた。ブルネイ籍5社たるLeo Investment Corp,Consolidated Holdings Ltd,Connaught Holdings Ltd,Orchard Holdings Ltd,Mandarin Enterprises Sdn Bhdの法的番地は,いずれも逮捕された会計士の事務所と同じになっている,という。
DIA-208-1986-12-04-1ブルネイ1986年12月04日1980年代「ブルネイ政府に会社法違反の可能性」―4日付AWSJ紙が,シンガポールの法律家達の意見として報道。なおシンガポールの外銀26行の代表団は3日,ブルネイ大蔵省に面会を申し入れた。これに対して同省は,5日付けで,「問題解決のため応分の努力をする。今後も代表団との連絡を保持する」と回答した(ST,12/11)。
DIA-208-1986-12-06-1ブルネイ1986年12月06日1980年代運輸相,シンガポールを訪問―10日帰国直前Abdul Aziz運輸相は,シンガポールとの間で海底ケーブル敷設を検討する,と発表した。なおChuchu運輸次官ら6人も14日から4日間訪シした。
DIA-208-1986-12-06-2ブルネイ1986年12月06日1980年代ブルネイ資金,ニカラグア反乱軍へ―アメリカの6日付Los Angeles Timesは,シュルツ国務長官が6月にブルネイを訪問した際,同国王に対しニカラグア反乱軍への資金援助1000万ドルを要請した,と報じた。これについて,ブルネイは政府としては沈黙を守っているが,政府高官は9日,この事実を確認した。
DIA-208-1986-12-07-1ブルネイ1986年12月07日1980年代投賞促進局できる―7日付NST紙によると,このほど開発省内に設置された工業局は,内外の投資家と政府諸部局(経済開発庁,経済計画局,都市・農村計画局,公共事業局など)とを調整し,各プロジェクトの許可取得を助力するものという。
DIA-208-1986-12-09-1ブルネイ1986年12月09日1980年代「金融管理局設置はいそがず」―Reute「に対する大蔵省高官の話。「第5次計画にあるような局の設置は資金と専門知識の欠如で遅れよう」と表明。
DIA-208-1986-12-12-1ブルネイ1986年12月12日1980年代NBB事件でさらに15件の告訴―いずれも,3日に告発された8社とその他のKhoo系会社への貸付の保証人となったシンガポール14社およびKhoo Teck Puat個人とに対するもの。
DIA-208-1986-12-14-1ブルネイ1986年12月14日1980年代予備役軍隊設置か―Ibnu副国防相の発表では退役後の生活補助のため,87年末から募集予定という。
DIA-208-1986-12-16-1ブルネイ1986年12月16日1980年代政府,Khoo Teck Puatの所有株を請求―16日付ST紙によると,Khooが保有し現在スイス銀行シ支店にあずけられているイギリスのExco社株(1186万株,約1億Bドル)は,同行がNBBに2080万ポンドの貸付を行なった際の抵当物権であり,本来NBBのものだ,とするもの。なお17日付ST紙によると,同行は,すでに11月末ごろ,この抵当物権を公開市場で3100万伊で売却しており,近々ブルネイ政府に2080万ポンドを支払うだろう,と報じた。
DIA-208-1986-12-17-1ブルネイ1986年12月17日1980年代政府,Khoo Teck Puat系会社の株式取得―シンガポールにある同人系3社Good wood Park Hotel,Hotel MalaysiaおよびCentral Propertiesの証券取引所への報告によると(17日),ブルネイ政府は3社株をそれぞれ15.91%,8.14%,20.71%取得したという。これらの株はブルネイ投資局BIAの名で登録された。
DIA-208-1986-12-17-2ブルネイ1986年12月17日1980年代政府,Khoo系会社をまた告発―シンガポール高裁に1億0600万Bドルの告訴。被告はHotel Holdings。
DIA-208-1986-12-20-1ブルネイ1986年12月20日1980年代自動車輸入市場,欧州勢のびる―円高で日本車価格は50~60%上昇したこと,また1台当り2.6人と飽和状態にあることも原因し,売上げ台数は減少ぎみ。ただ日本車が支配的であることは不変という(BB,12/20)。
DIA-208-1986-12-25-1ブルネイ1986年12月25日1980年代政府,Khoo Teck Puat系会社の蚕食進む―ブルネイ政府当局に近い筋によると,政府はオーストラリア,南太平洋地域の60のホテルを経営・所有するSouthern Pacific Hotel Corp(SPHC,Khooが所有するTenoe Property Ltdの名で登録されていたもの)の発行株99.96%を取得したという(ST,12/25)。(注:ブルネイ投資局高官は87年1月1日付ST紙に投書し,上記記事と17日(ST紙日付けは18日)の記事に関連し,「投資局はKhoo氏や,NBBの株を保有していない」と言明。ST紙もこれは誤情報であった,と報じた。)
DIA-208-1986-12-25-2ブルネイ1986年12月25日1980年代”閣僚名簿(1986年10月20日改造) 首相(Sultan)Hassanal Bolkiah 国防相同兼任 外相(Pgn.)Muda,Mohammad Bolkiah 蔵相(Pgn.)Muda Jefri Bolkiah 内相(P.Dato Awang)Haji Isa (兼首相・国王特別顧問―閣僚ポスト) 法相(Pgn.)Bahrin bin Pgn. Abbas 運輸相(P.Dato)Haji AMul Aziz bin Omar 教育相(P.Dato)Abdul Rahman bin Taib 保健相(Dato)Dr.Haji Jahar 宗教相(P.Dato)Ustaz Haji Mohammad Zain 開発相(Pgn.)Dr.Ismail Pgn。Haji Damit 文化・青年・体育相(P.Dato)Haji Hussein 副国防相(Pgn.Dato)Haji Ibnu(准将) 副蔵相(Dato)Haji Ahmad Wany Skinner 副内相(Dato)Haji Abidin Rashid 副教育相(Dato)Haji Ahmad Jumat 副宗教相(P.Dato)Haji Yahya 副開発相(Dato)Haji Selamat Munap 副文青体相(Dato)Haji Mohammad Ali bin Daud 首相府次官(Awang)Haji Ahmad bin Matnoor 〃(Awang)Haji Abu Bakar bin Apong 特別秘書(P.Dato)Haji Nawawi(前国防次官) 国家評議会事務長(Dato)Judin Asar 国防省次官(Dato)Sidek Yahya 〃(Dato Paduka)Haji Mohammad Alimin 内務省次官(Awang)Haji Omar bin Serudin 大蔵省次官(Dato)Abdul Rahman Karim (注)Pgn.=Pengiranは貴族の称号。P.=Pehinは平民の最高位称号。”
DIA-208-1987-01-01-1ブルネイ1987年01月01日1980年代ボルギア国王,新年祝辞。
DIA-208-1987-01-03-1ブルネイ1987年01月03日1980年代国王,国防相就任後最初の軍幹部への講話―BB紙3日によると,12月末に行なわれた講話で国王は,軍内部の規律,最近の兵士による刑事事件,兵士の麻薬問題などに言及し,「国防省と国軍は,国家の防衛とイスラムの純粋性維持に重要な役割を持つ。武器その他諸物資購入に当たる者は,汚職をせず,任務を誠実に遂行せよ」と語った。
DIA-208-1987-01-03-2ブルネイ1987年01月03日1980年代公衆衛生局,輸入食品に放射能汚染の心配なし,と発表(BB,1/3)。
DIA-208-1987-01-07-1ブルネイ1987年01月07日1980年代麻薬リハビリ技術でマレーシアに援助要請―麻薬撲滅委員会のAwang Haji Abdul Razak Muhammad 会長以下3人の代表団が6日から4日間マレーシアに滞在。
DIA-208-1987-01-07-2ブルネイ1987年01月07日1980年代マレーシア航空株を買増し―マレーシア大蔵省発表。ブルネイ航空は86年10月に2000万株(5.7%)を1株4.50リンギで購入したが,今回の1500万株購入でそのシェアーは10%となり,理事会への出席権を獲得した。今回の購入価格は不明だが,7日の価値は4.02リンギ。
DIA-208-1987-01-07-3ブルネイ1987年01月07日1980年代政府,邱徳撥(Khoo Teck Puat)所有のオーストラリア・ホテル・グループをナショナル銀行所有と登記―同人所有のナショナル銀行(NBB)のレオ投資会社への貸付金3億9500万Bドルの担保として(86年11月20日以降の諸日誌を参照せよ)。この措置でナショナル銀行の同ホテル・グループ発行株の支配は99.96%(2億3330万Bドル相当)となる。
DIA-208-1987-01-07-4ブルネイ1987年01月07日1980年代ニカラグア援助資金問題―Los Angeles Times 7日およびNew York Times 8日の報ずる,アメリカ上院情報特別委員会報告によると,国務省はブルネイ国王に供出されたニカラグア・コントラへの援助資金1000万米ドルの行方を見失った(スイス銀行の誤った口座番号へ振り込まれた)。エイブラムズ国務次官補は,このためブルネイに対し,資金の返還を求めるよう要請したという。
DIA-208-1987-01-10-1ブルネイ1987年01月10日1980年代フランス系会社による石油探査―フランスとの合弁会社Jasra-ELF社(フランス系ELF-Aquitaine 社〔72.5%〕とブルネイ王室系Jasra-Jackson 社〔22.5%〕およびPengiran Dato Haji Abdul Rahman〔5%〕との合弁)が87年早々からブルネイ沖で探査を開始する(BB,1/10)。
DIA-208-1987-01-11-1ブルネイ1987年01月11日1980年代タイのシティ外相来訪。
DIA-208-1987-01-13-1ブルネイ1987年01月13日1980年代タイ航空と相互乗り入れ協定に調印。
DIA-208-1987-01-15-1ブルネイ1987年01月15日1980年代ナショナル銀行管財人,債権銀行団と会談。
DIA-208-1987-01-16-1ブルネイ1987年01月16日1980年代「ブルネイ資金は人道目的に」―コラムニストのJ・アンダーソンによると,ブルネイ国王は,シュルツ長官の個人的要請で中米の人道目的の事業に資金を提供した」と語ったという(UPI)。
DIA-208-1987-01-19-1ブルネイ1987年01月19日1980年代ブルネイ軍,予備軍創設を計画か―マレーシアのAbu Bakar 副国防相の発表。なおブルネイのMohamad Alimin 国防次官が18日からマレーシア軍を訪問中で,マ予備軍の説明を受けた。
DIA-208-1987-01-21-1ブルネイ1987年01月21日1980年代Mohamad Alimin 国防次官,シンガポール訪問。
DIA-208-1987-01-24-1ブルネイ1987年01月24日1980年代工業団地設立1年後の状況―現5カ年計画下で1年前に造成されたトゥトン通りとガドン通りの工業団地への申込みは86年末で締切られ,300社が応募している。開発省工業局長Pengiran Yaakub Pengiran Othman発表(BB,1/24)。
DIA-208-1987-01-24-2ブルネイ1987年01月24日1980年代酒類販売禁止の影響―BB紙24日によると,1日からの禁止令により食堂,レストランでは売り上げが30~50%も低下しているところがあるという。
DIA-208-1987-01-26-1ブルネイ1987年01月26日1980年代ブルネイ,南アフリカへ石油輸出か―オランダの反アパルトヘイト組織Shipping Research Bureau の発表。ブルネイは82年に禁輸を決定したが,実際には79年から86年10月までに13億Bドルを輸出した。取引は,ブルネイ・シェル社から,日本の丸紅,米人M・リッチを経て行なわれた,という(Financial Times,1/26)。
DIA-208-1987-01-31-1ブルネイ1987年01月31日1980年代ASEAN労使関係委員会開催(BB,1/31)。
DIA-208-1987-02-01-1ブルネイ1987年02月01日1980年代国王,モーガングレンフェル社から資産引き上げか―The Times 1日は,国王がギネス社スキャンダルに関連して,83年以降モ社に運用を依託していた26億ポンドの一部かすべての引上げを考慮中と報道。なお同紙によると,国王は,86年末にもJ・カペル社での運用依託資産をベアリング社に移管したという。その理由は前者が,国王のかつて顧問銀行だったウォードレイを支配する香港・上海銀行の所有となったためという。
DIA-208-1987-02-04-1ブルネイ1987年02月04日1980年代政府,「南アフリカへの石油輸出問題」で懸念表明―政府は調査を行なったが,不正は発見できなかったという(1月26日参照)。
DIA-208-1987-02-06-1ブルネイ1987年02月06日1980年代邱徳撥(Khoo Teck Puat)顧問団,ブルネイ蔵相と会談。
DIA-208-1987-02-07-1ブルネイ1987年02月07日1980年代米空母キティーホーク,ブルネイ沖に停泊―ブルネイ国王訪艦(BB,2/7)。
DIA-208-1987-02-07-2ブルネイ1987年02月07日1980年代邱万福(Khoo Ban Hock)の口供書,高裁に提出さる―邱はこのなかで,「自分は75年にナショナル銀行の会長となったが,銀行の運営は父邱徳撥(Khoo Teck Puat)とその会計士たちが支配していた」と証言。
DIA-208-1987-02-08-1ブルネイ1987年02月08日1980年代副外相Dato Haji Zakaria,シンガポール訪問―ASEAN経済協力と首脳会談準備を討議か。
DIA-208-1987-02-10-1ブルネイ1987年02月10日1980年代高裁,Khoo Ban Hock の保釈申請を却下。
DIA-208-1987-02-11-1ブルネイ1987年02月11日1980年代Ibnu 副国防相,シンガポール訪問,3日間―呉副首相の公式招待。
DIA-208-1987-02-11-2ブルネイ1987年02月11日1980年代ザカリア副外相,インドネシア訪問(~14日まで)。
DIA-208-1987-02-12-1ブルネイ1987年02月12日1980年代政府,Khoo Teck Puat の返済案拒否。
DIA-208-1987-02-19-1ブルネイ1987年02月19日1980年代光ファイバーケイブル敷設で覚書調印―シンガポール=ブルネイ間に1990年までに敷設するもので,工費は5000万米ドル。4~5月に入札が行なわれる。
DIA-208-1987-02-19-2ブルネイ1987年02月19日1980年代邱徳撥(Khoo Teck Puat),債権銀行団とニューヨークで事件後初めて会談。25日には,シンガポールでも会談。
DIA-208-1987-02-28-1ブルネイ1987年02月28日1980年代ASEAN共同市場案拒否―ASEAN商工会議所事務局長発表。シンガポール,インドネシアに次ぐもの。
DIA-208-1987-03-01-1ブルネイ1987年03月上旬1980年代モハマド外相,オーストラリア訪問。
DIA-208-1987-03-12-1ブルネイ1987年03月12日1980年代ブルネイ宗教局,キリスト教布教に警戒呼びかく(Bernama通信,3/12)。
DIA-208-1987-03-19-1ブルネイ1987年03月19日1980年代バンクオブアメリカ,5月末で支店閉鎖と発表。
DIA-208-1987-03-20-1ブルネイ1987年03月20日1980年代八百半ストアー,ブルネイに進出。
DIA-208-1987-03-21-1ブルネイ1987年03月21日1980年代第6回ASEAN芸能大会,ブルネイで開催。
DIA-208-1987-03-24-1ブルネイ1987年03月24日1980年代政府高官,シンガポール訪問―団長は,Haji Chuchu 運輸次官。他に警察長官,陸上交通局長など。
DIA-208-1987-03-24-2ブルネイ1987年03月24日1980年代ナショナル銀行事件で1人,保釈となる。
DIA-208-1987-03-30-1ブルネイ1987年03月30日1980年代マハティール・マレーシア首相来訪―同日ブルネイ国王と会談。
DIA-208-1987-03-30-2ブルネイ1987年03月30日1980年代ブルネイ,5カ国防衛条約に加盟の意向か―ヤンガー英国防相の発表。
DIA-208-1987-03-31-1ブルネイ1987年03月31日1980年代政府,ナショナル銀行事件で略式裁判を放棄。
DIA-208-1987-04-01-1ブルネイ1987年04月01日1980年代インドネシア,宗教教育計画でブルネイを援助と発表。
DIA-208-1987-04-03-1ブルネイ1987年04月03日1980年代マレーシア国王来訪,3日間。
DIA-208-1987-04-04-1ブルネイ1987年04月04日1980年代日本へのガス運搬2000回に達す―1972年12月9日の第1船出港以来,2000隻目が4日東京港に入港。
DIA-208-1987-04-04-2ブルネイ1987年04月04日1980年代ST紙,ナショナル銀行の債権者・債権内容リスト発表。
DIA-208-1987-04-05-1ブルネイ1987年04月05日1980年代国王,マレーシアとの境界問題に言及―マレーシア国王晩餐会で,「水陸上境界決定問題は,御し難い問題にならないよう解決すべきだ。マハティ-ル首相との会談でも国境問題が議論の一つであった」と語った(Bernama,通信,4/5日)。なおBB紙11日も「国王は,相互に関心のある問題に共同の包括的解決を見出そう,と語った。これらには水陸境界の決定が含まれる」と報じた。
DIA-208-1987-04-08-1ブルネイ1987年04月08日1980年代アメリカ,新大使を発表―Thomas Ferguson,53歳で,前任者Barrington King.
DIA-208-1987-04-11-1ブルネイ1987年04月中旬1980年代モハマド外相,西ドイツ訪問―コール首相,ゲンシャー外相らと会談。BB紙18日によると,ブルネイは最近,ジーメンス社の電話機・回線の供給契約に調印した。3500万Bドル。
DIA-208-1987-04-12-1ブルネイ1987年04月12日1980年代Selamat 副開発相,シンガポール訪問。6日間。
DIA-208-1987-04-18-1ブルネイ1987年04月18日1980年代Johar Noordin 保健相,シンガポール訪問。
DIA-208-1987-04-19-1ブルネイ1987年04月19日1980年代ブミプトラ経済への協力要請―マレー商工会議所の年次大会で,会長のAwang Haji Abdul Hapidz は「銀行,金融機関はブミプトラ企業へ資金援助をしていない。シェル社もコントラクターの採用でブミプトラに関心を払わない」と厳しく非難した。同所は1964年創立で,現在120のマレー系企業が参加している。
DIA-208-1987-04-20-1ブルネイ1987年04月20日1980年代シンガポール呉副首相来訪。3日間。
DIA-208-1987-04-20-2ブルネイ1987年04月20日1980年代インドネシア商品展開催。28日まで。
DIA-208-1987-05-01-1ブルネイ1987年05月01日1980年代「国王,モーガングレンフェル社株取得か」―同社筋は最近,同社株の4.4%が未特定人物により買い取られたことにつき,それがブルネイ国王である可能性を示唆した(ロイター)(2月1日参照)。
DIA-208-1987-05-14-1ブルネイ1987年05月14日1980年代「国王,赤いダイヤ購入か」―IHT14日によると,ニューヨークで4月に行なわれた競売で1カラット弱の赤いダイヤモンドを88万米ドルで購入した,という。
DIA-208-1987-05-15-1ブルネイ1987年05月15日1980年代国王,大富豪カショギのヨット差押さえ―サウジアラビアの実業家カショギ所有のヨット「Nabila号」を5000万米ドルの債権取りたてのかたに差押さえる(Los Angeles Times,5/15)。
DIA-208-1987-05-21-1ブルネイ1987年05月21日1980年代FEER誌,「マレーシアがリンバン地区をブルネイに売却か」と報道。14日発売の同誌28日号の記事。22日以降マレーシア政府がこれを「事実無根」と重大視。結局FEER誌側が折れ,28日発売の6月4日号に取消し記事を掲載した。FEER28日号は,「マレーシア首相が3月末にブルネイを訪問した際のブルネイ国王との会談でリンバン売却が第1の議題であった」,と報じていた。この事件に関連して,ブルネイ政府は一切コメントしなかった。
DIA-208-1987-05-28-1ブルネイ1987年05月28日1980年代ナショナル銀行事件保釈犯死亡。
DIA-208-1987-06-09-1ブルネイ1987年06月09日1980年代ナショナル銀行事件解決に進展か―ST紙9日によると,ブルネイ政府は邱徳撥(Khoo Teck Puat)に対し南太平洋ホテル会社の株を売却し,事件の解決を促すよう要請していると報道。これまでは邱による売却に反対していたため,進展がなかったとされる。またブルネイ政府が取得した邱系会社株は,Goodwood Park Hotel 15.91%,Hotel Malaysia 8.14%,Central Properties 20.71%となっている。
DIA-208-1987-06-11-1ブルネイ1987年06月11日1980年代国王,ニカラグア援助資金の正式返還要求をスイスの裁判所へ提出。
DIA-208-1987-07-01-1ブルネイ1987年07月01日1980年代ナショナル銀行事件で,さらに1人拘留―同行の前総経理で,副開発相Datuk Selamat Munap の義弟Azlan Robert Teo。
DIA-208-1987-07-01-2ブルネイ1987年07月上旬1980年代マレーシア,インドネシアと科学技術用語共通化で合意(日経,7/9)。
DIA-208-1987-07-05-1ブルネイ1987年07月05日1980年代Khoo Ban Hock の罪状15件に。
DIA-208-1987-07-06-1ブルネイ1987年07月06日1980年代マレーシア軍参謀総長来訪,3日間。
DIA-208-1987-07-15-1ブルネイ1987年07月15日1980年代国王,公務員に月100Bドルの生活手当を支給と発表―division Ⅱ以下の全公務員に7月以降支給。
DIA-208-1987-07-15-2ブルネイ1987年07月15日1980年代国王,予備軍の創設予定を発表―現在国防省が法案を作成中という。
DIA-208-1987-07-15-3ブルネイ1987年07月15日1980年代シンガポール参謀総長に勲章授与。
DIA-208-1987-07-15-4ブルネイ1987年07月15日1980年代国王41歳に。
DIA-208-1987-07-17-1ブルネイ1987年07月17日1980年代国王,宗教過激主義者に警告。
DIA-208-1987-07-18-1ブルネイ1987年07月18日1980年代ブルネイの英連邦5カ国防衛条約加盟に,マレーシア軍参謀総長が支援か。Malay Mail 紙18日。
DIA-208-1987-07-18-2ブルネイ1987年07月18日1980年代国王,メッカ巡礼にのぼる。
DIA-208-1987-07-20-1ブルネイ1987年07月20日1980年代国民団結党,民主党の選挙実施要求を非難。
DIA-208-1987-07-21-1ブルネイ1987年07月21日1980年代外務省高官,イランコントラ資金を利子つきで取りもどしたと発表―同省政治局長Awang Majid Abdul Rahim。
DIA-208-1987-07-21-2ブルネイ1987年07月21日1980年代ナショナル銀行事件でさらに1人を保釈。
DIA-208-1987-07-30-1ブルネイ1987年07月30日1980年代政府,ナショナル銀行事件の示談解決を放棄―政府は,同行の外銀33行に対する負債2億1000万米ドルと,国内預金者への負債7000万米ドルの示談返済を求めていた,という。なおAWSJ紙8月3日によると,邱徳撥(Khoo Teck Puat)は示談により,拘留者の無罪放免を要求したため,交渉が決裂したと報道。
DIA-208-1987-08-11-1ブルネイ1987年08月中旬1980年代フィリピン外相来訪。
DIA-208-1987-08-24-1ブルネイ1987年08月24日1980年代フィリピンと航空協定―来訪中のラウレル外相との調印
DIA-208-1987-09-01-1ブルネイ1987年09月01日1980年代ブルネイ=シシガポール海底ケーブル建設調査で暫定協定に調印。11月19日にインドネシアの海事調査会社への依託が決まった。
DIA-208-1987-09-10-1ブルネイ1987年09月10日1980年代国王,インドネシアを突如訪問―報道機関への事前通告なしに29人の随行者を伴い訪問。スダルモノ・インドネシア官房長官によると,国王は,1億米ドル無利子借款の提供(7年据置25年償還)の意を表明した。またバリ島でのホテル建設・経営,ビンタン島ボーキサイトへの投資,インドセメント社(同国最大のセメント会社で,林紹良系)株20%の購入などの意向を示したという。
DIA-208-1987-09-11-1ブルネイ1987年09月中旬1980年代ASEAN郵便・通信小委員会ブルネイで開催。
DIA-208-1987-09-12-1ブルネイ1987年09月12日1980年代フィリピンとも海底ケーブル敷設調査協定に調印。11月19日にシンガポールの海事調査会社への依託が決まった。
DIA-208-1987-09-16-1ブルネイ1987年09月16日1980年代宗教相,シンガポール母校訪問―Pehin Dr.Haji Md.Zain Haji Seruddin 宗教相は1950~56年に学んだアルジュニド回教学校を訪問。シャリア局長のPehin Haji Abdul Aziz Jmedも随行。
DIA-208-1987-09-20-1ブルネイ1987年09月20日1980年代インドネシアに投資使節団―Thani Abdul Hamid マレー商工会議所会長以下35人で,自動車部品,ラタン,木材などに関心があるという。
DIA-208-1987-09-21-1ブルネイ1987年09月21日1980年代石油埋蔵量―アメリカ大使館21日付けレポート(ST紙,10/6)。
DIA-208-1987-09-21-2ブルネイ1987年09月21日1980年代シンガポールから投資使節団来訪―ブルネイでのシンガポール建設業展示会開催に際して訪問。
DIA-208-1987-09-24-1ブルネイ1987年09月24日1980年代ASEAN農林相会議開催。国王が,開会の辞。
DIA-208-1987-09-24-2ブルネイ1987年09月24日1980年代マレーシア航空,ブルネイ人理事の任命を承認―ブルネイ側は,投資庁(BIA)のPengiran Tengah Datuk Pengiran Metassim を予定(1月7日参照)。
DIA-208-1987-09-24-3ブルネイ1987年09月24日1980年代マレーシア,ブルネイとの防衛装備生産協力の可能性を検討―マレーシア副国防相によると,同国訪問中のブルネイ副国防相Pengiran Datuk Haji Ibnu との会談ででたものという。なおブルネイ側は,英連邦5カ国防衛条約への加盟に関心を示したという(3月30日参照)。
DIA-208-1987-10-03-1ブルネイ1987年10月03日1980年代フィリピン大使交替―BB紙3日によると,前任者Awang Haji Jaya Abdul Latiff は国連代表へ転出,後任者Pengiran Mustapha Pengiran Metasan は47歳。
DIA-208-1987-10-09-1ブルネイ1987年10月09日1980年代国王,ハリウッドの「ピンク・ホテル」購入か―The times 9日によると,国王は2億米ドルでビバリーヒルズ・ホテル(通称ピンクホテル)を,このほど購入したという。
DIA-208-1987-10-11-1ブルネイ1987年10月中旬1980年代「フリーメイソン参加者は背教者」―政府官報掲載の宗教局のファトワ。これによると,フリーメイソンと繋がりを持つとされるロータリー・クラブ,ライオンズ・クラブ,エホバの証者,道徳武装運動,自由同胞会,Bnai Brith 運動,マハリシ運動などの参加者も,背教者と見なされる(BB,10/17)。
DIA-208-1987-10-12-1ブルネイ1987年10月12日1980年代ブルネイ・ナショナル銀行事件,高等裁判所にて公判始まる―判事Barry Mortimer,検事Michael Corkery,首席弁護人Colin Ross-Munro。被告は5人,罪状は17件。17日には,邱徳撥(Khoo Teck Puat)も被告に加えられた。
DIA-208-1987-10-13-1ブルネイ1987年10月13日1980年代マレーシアとの軍事ハードウエアー生産について―マレーシアのリタウディン外相は,来訪中のブルネイ軍司令官Pehin Datuk Haji Mohd.Haji Daud 少将との会談後,「今やブルネイ側が提案するかどうかだ」と語った(9月24日参照)。
DIA-208-1987-10-17-1ブルネイ1987年10月17日1980年代インドネシア宗教相,9月末ごろに来訪―(BB,10/17)。
DIA-208-1987-10-17-2ブルネイ1987年10月17日1980年代政府,邱徳撥(Khoo Teck Puat)に逮捕状だす。2日後,オーストラリアを出国して後行方不明。
DIA-208-1987-10-22-1ブルネイ1987年10月22日1980年代文化,青年,スポーツ相,シンガポール訪問。
DIA-208-1987-10-24-1ブルネイ1987年10月24日1980年代韓国,88年にブルネイでEXPO開催か―(BB,10/24)。
DIA-208-1987-10-31-1ブルネイ1987年10月31日1980年代BB紙31日によると,ホテルでの酒類販売は88年以降客室内以外は禁止となる。
DIA-208-1987-10-31-2ブルネイ1987年10月31日1980年代パン・ボルネオ・ハイウェイの建設状況―BB紙31日によると,サラワク=ブルネイ=サバ間1194kmの高速道路は1989年頃完成しようが,問題はリンバン川,パンダルアン川(いずれもサラワク州リンバン地区内),トゥルサン川(サラワク州)の橋梁建設次第という。このうちパンダルアン橋は,マレーシア,ブルネイ両政府の共同事業として建設される(BB,10/31)。
DIA-208-1987-11-01-1ブルネイ1987年11月01日1980年代ブルネイ初の麻薬リハビリ・センター開所。
DIA-208-1987-11-20-1ブルネイ1987年11月20日1980年代オーストラリア国防相Kim Beazley 来訪。
DIA-208-1987-11-20-2ブルネイ1987年11月20日1980年代ナショナル銀行事件主犯邱万福(Khoo Ban Hock),2件につき有罪をみとむ。
DIA-208-1987-11-25-1ブルネイ1987年11月下旬1980年代フランス副国防相Jacques Boyon 来訪。
DIA-208-1987-11-27-1ブルネイ1987年11月27日1980年代国王,シンガポールで李首相,ホーク・オーストラリア首相らとの夕食会に第二夫人同伴で出席。
DIA-208-1987-11-27-2ブルネイ1987年11月27日1980年代マレー予備連隊に200人参加―新設のRoyal Brunei Malay Reserve Regiment は5年間の現役を経た人々が対象(BB,12/5)。
DIA-208-1987-12-01-1ブルネイ1987年12月01日1980年代国王特別顧問兼内務相Pehin Datuk Haji Isa,シンガポール訪問―夫人(Datin Hajjah Rosnah Abdullah)同伴で4日間。滞在中,李首相以下のシ政府首脳と会談したほか,移民局,汚職取締局などを訪問。なおシ外相との会談では,日本によるASEAN基金問題も討議された。
DIA-208-1987-12-01-2ブルネイ1987年12月上旬1980年代インドネシア最高顧問会議代表団来訪。
DIA-208-1987-12-01-3ブルネイ1987年12月上旬1980年代マレーシア・セランゴール・スルタン来訪。
DIA-208-1987-12-04-1ブルネイ1987年12月04日1980年代国王第2弟が結婚―Pgngiran Muda Haji Sufri Bolkiah(36歳)がマレーシア人歌手Maziun Hamzah(23歳)と結婚した。
DIA-208-1987-12-05-1ブルネイ1987年12月05日1980年代人民党,国連事務総長に抗議の書簡―AFP電5日によると,現在マレーシア亡命中のブルネイ人民党が,11月28日,書記長Yasin Affandy の名で送ったもの。独裁をやめ,選挙の実施を要求。
DIA-208-1987-12-11-1ブルネイ1987年12月11日1980年代国王,ASEAN首脳会議のためマニラ到着。
DIA-208-1988-01-01-1ブルネイ1988年01月01日1980年代国王新年祝辞。麻薬・暴力などの社会的害悪に対する意識を高め社会意識の覚醒・国家安寧の高揚をはかる。経済・開発問題への関心を高める。公務員の業務規律,成果を高める。
DIA-208-1988-01-04-1ブルネイ1988年01月04日1980年代第1大隊指揮官かわる。新任者はHaji Abdul Aziz Abdullah中佐。
DIA-208-1988-01-08-1ブルネイ1988年01月08日1980年代Abidin Rashid副内務相,マレーシア副内務相を訪問。
DIA-208-1988-01-09-1ブルネイ1988年01月09日1980年代9日付BB紙によると,サラワクへの自動車密輸は,道路,フェリー状況の改善により1週当り数千台にのぼるという。マレーシア側では輸入税140%,販売税10%を要するため,通常は中古車をブルネイに乗り入れ,部品を交換して戻ることも多い,という。
DIA-208-1988-01-09-2ブルネイ1988年01月09日1980年代9日付BB紙によると,ブルネイ国民団結党(Parti Perpaduan Kebangsaan Brunei)書記長は,このほど,新年祝辞として国王への支持を訴え,また反対勢力には政治をもて遊ばず政府に協力するよう要請した。
DIA-208-1988-01-11-1ブルネイ1988年01月11日1980年代総理府次官Awang Haji Abu Bakar Haji Apong,欧米的ジャーナリズムを批判。
DIA-208-1988-01-14-1ブルネイ1988年01月14日1980年代バリクパパンとの間に空路開設さる。インドネシアのMerpati Nusantaraが週2便を運航。
DIA-208-1988-01-16-1ブルネイ1988年01月16日1980年代ASEAN=EC合同投資委員会,ブルネイ開催。委員会の共同議長に。ブルネイ人のDatin Hajjah Jusnani Haji Jawieが就任。
DIA-208-1988-01-18-1ブルネイ1988年01月18日1980年代訪英中の国王,留学生等400人と会う。
DIA-208-1988-01-21-1ブルネイ1988年01月21日1980年代国家民主党で内紛。同党議長(dhairman)Arshad Marsal67歳は,党首脳部が国王に対して不敬の罪を犯しているとして脱党。同人は,党首脳部による国王の首相退任,早期選挙,非常事態法の早期撤回などの要求が不敬罪に当たるとしている。
DIA-208-1988-01-23-1ブルネイ1988年01月23日1980年代23日付BB紙によると,ブルネイ湾にも赤潮到来か。マレーシア・クバンサアン大学の海洋学者によると現在サバ近海が赤潮にさらされている。
DIA-208-1988-01-26-1ブルネイ1988年01月26日1980年代ASEAN食料,農業,森林委員会,ブルネイで開催。4日間。
DIA-208-1988-01-27-1ブルネイ1988年01月27日1980年代国家民主党(85年3月設立),登録取り消さる。団体登録法66条によると,登録官の同意を得ずに国外の諸団体と接触した場合,登録官は緊急指令を出して当該団体を禁止することができる。
DIA-208-1988-01-28-1ブルネイ1988年01月28日1980年代オーストラリア軍参謀総長来訪。
DIA-208-1988-02-04-1ブルネイ1988年02月04日1980年代FEER誌2月4日によると,国王はシンガポールのRoyal Holiday Innを87年7月までの1年の間に投資庁(BIA)に売却したという。その証拠に投資庁のA.R.Karim長官は86年10月同ホテルの理事となった。国王はこの代わりに,同ホテルの真向かいにあるHyatt Hotelを購入したというもの(12月14日参照)。
DIA-208-1988-02-04-2ブルネイ1988年02月04日1980年代スイス大使,信任状提出。専任地シンガポール。
DIA-208-1988-02-06-1ブルネイ1988年02月06日1980年代ブルネイ,ECと投資連絡委員会設立か。Abdul Rahman Karim投資庁長官がこのほど発表。『聯合早報』6日。
DIA-208-1988-02-07-1ブルネイ1988年02月07日1980年代法改正。Bahrin法相発表。(1)88年初以来,死罪判決案件については,2名の判事と2名の陪審員を置くこととなった。従来ブルネイ法廷に上級判事を送り込んでいた香港法廷もこの措置に同意。(2)マレーシア司法試験に合格したブルネイ市民もしくは永久居住民の弁護士にブルネイでの営業を認める。
DIA-208-1988-02-08-1ブルネイ1988年02月08日1980年代法曹界の人材欠乏。ロバーツ首席判事発表によると,現在ブルネイ人弁護士は15人で,開業中のものは6人にすぎず将来に不安がある。87年に地方裁が処理した刑事事件は4346件,民事事件は585件,高裁が処理した事件は両方で364件であった。
DIA-208-1988-02-09-1ブルネイ1988年02月09日1980年代サウジアラビアのワカフ相Sheikh Abdul Wahab Abdul Wassieが7人の使節団とともに来訪。3日間。
DIA-208-1988-02-10-1ブルネイ1988年02月10日1980年代海軍司令官,インドネシアYuda Utama勲章をうく。Pehin Orang Kaya Seri Dewa Dato Seri Pahlawan Haji Mohammad Haji Daud准将。
DIA-208-1988-02-13-1ブルネイ1988年02月13日1980年代国家民主党に手入れ。クアラルンプルに滞在する党員Hidup Haji Akmadによると,1月27日の同党解散4日後に党首(president)Abdul Latff Hamidと書記長Abdul Latiff Chuchuが逮捕された。なおブルネイ人民党の元中央執行委員Zaini Ahmadによると,最近帰国した同党員のうち32人も逮捕されたという。
DIA-208-1988-02-15-1ブルネイ1988年02月15日1980年代マレーシア国防相来訪。2日間。
DIA-208-1988-02-15-2ブルネイ1988年02月15日1980年代西ドイツ経済相来訪。国王と地域・ASEAN政治問題,経済協力問題で討議。
DIA-208-1988-02-16-1ブルネイ1988年02月16日1980年代ブルネイ・ナショナル銀行NBB事件で判決下る。邱万福4年4カ月,Azlan Robert Teo20カ月,Andrew Peattie27カ月。なお被告・原告双方から同行の不正融資事件の主因と見なされている万福の父邱徳撥は行方不明であり,5件で告発されたままとなっている。またNBBの債権銀行である32行は2億2400万米㌧(4億5000万B㌦)の返済をいまだ受けていない。
DIA-208-1988-02-22-1ブルネイ1988年02月22日1980年代元ブルネイ人民党4人を釈放と発表。うち1人は逮捕以来25年ぶりの釈放。また他の3人は,75年に密出国,その後特赦を期待して帰国し逮捕されていたもの。
DIA-208-1988-02-23-1ブルネイ1988年02月23日1980年代独立記念日。今年のテーマはBerdisiplin,Cergas,Berbudaya,Negara Bahagia,規律・信頼性,文化,祝福された国家。
DIA-208-1988-02-23-2ブルネイ1988年02月23日1980年代国王,独立記念日メッセージで批判勢力に警告。「政府は政治家たちに種々の建設プロジェクトを依託したが,彼らはこれらの事業に失敗するや政府を批判し始めた。彼らは誤った宣伝を行ない国家の社会的・政治的安定を脅かそうとしている」とするもの。
DIA-208-1988-02-25-1ブルネイ1988年02月25日1980年代マレーシア国防相来訪。4日間。
DIA-208-1988-02-25-2ブルネイ1988年02月25日1980年代Bahrin法相,韓国大統領就任式に出席。
DIA-208-1988-02-26-1ブルネイ1988年02月26日1980年代タイ海軍下士官560人親善訪問で来訪。
DIA-208-1988-03-01-1ブルネイ1988年03月01日1980年代ブルネイ空港,空港税徴収開始。マレーシア,シンガポールへ行く者は5B㌦,その他諸国へ行く者は12B㌦。当局者の説明によると,国際民間航空組織(ICAO)の勧告にもとづく決定という。
DIA-208-1988-03-01-2ブルネイ1988年03月01日1980年代邱徳撥,南太平洋ホテル会社を手放すことに基本合意。NBBの負債償還に充てるものと見られている(2月16日,8月11日参照)。5億4000万豪㌦(7億8800万B㌦)。
DIA-208-1988-03-02-1ブルネイ1988年03月02日1980年代コーラン・コンテスト。
DIA-208-1988-03-05-1ブルネイ1988年03月05日1980年代国王のインドネシア投資。4日付Jakarta Post紙によると,ロンドンの月刊誌Southはこのほど,国王が現在ジャカルタに建設中のHyatt Grand Tower Plaza Indonesia(1億5000万米㌦)の株式50%の購入を交渉中と報道。90年に完工予定の同プロジェクトはBambang Trihatmodjo(スハルト大統領の子息)50%,Wee Heck Chong(Sinar Mas)30%,Santosa20%と所有されている。
DIA-208-1988-03-07-1ブルネイ1988年03月07日1980年代商業代表団,タイを訪問。11日まで。
DIA-208-1988-03-07-2ブルネイ1988年03月07日1980年代マレーシア副国防相来訪。国防省高官6人が随行。
DIA-208-1988-03-14-1ブルネイ1988年03月14日1980年代韓国軍参謀総長来訪。
DIA-208-1988-03-15-1ブルネイ1988年03月15日1980年代日本ブルネイ友好協会,身症児協会へ1万B㌦寄贈。
DIA-208-1988-03-16-1ブルネイ1988年03月16日1980年代ブルネイ国連代表Awang Haji Jaya Abdul Latif,カナダ大使として信任状提出。
DIA-208-1988-03-19-1ブルネイ1988年03月19日1980年代ミリの中華商業会議所,ブルネイ・ミリ間の空路再開を希望。
DIA-208-1988-03-20-1ブルネイ1988年03月20日1980年代西ドイツ国会議員団来訪。2日間。26日参照。
DIA-208-1988-03-21-1ブルネイ1988年03月21日1980年代Mohamed外相,第44回イスラム諸国会議OICに参加。アンマン。
DIA-208-1988-03-23-1ブルネイ1988年03月23日1980年代クアラルンプル高裁で「リンバン」問題の審理始まる。ホンコンのFEEL誌87年5月21日号が,ブルネイ・マレーシア間で領土問題となっているリンバン地域に関してマレーシアのマハティール首相がそのブルネイへの売却を提案した,と報道した問題。マ首相が同誌を訴えていたもの。
DIA-208-1988-03-24-1ブルネイ1988年03月24日1980年代ブルネイ政府,国家民主党の解散と党員の逮捕を初めて確認。これによると同党は,Pacific Democratic Union(太平洋民主同盟)と関係を持っているとされており,これが国内治安法に抵触したものと見られる。なおまた同党の党員数は通常4000人と伝えられているが,団体登録官への報告で86年では255人であるにすぎない,という。
DIA-208-1988-03-24-2ブルネイ1988年03月24日1980年代禁煙運動開始さる。
DIA-208-1988-03-24-3ブルネイ1988年03月24日1980年代イギリス国防担当国務相George Younger来訪。随行員10人。
DIA-208-1988-03-24-4ブルネイ1988年03月24日1980年代フィリピン中華総商会使節団来訪。団長の李永年はバンダルスリブガワン中華商会の林永敏会長とともにIsmail開発相を訪問。この際同相は,最近四つの工業計画申請を許可したと語る。縫製,製粉,ペンキ,ガラス・コップの四つ(『聯合早報』28日)。
DIA-208-1988-03-26-1ブルネイ1988年03月26日1980年代ブルネイ政府,珪砂の輸出を当分考慮せず。ブルネイを訪問した西ドイツ国会議員団が当局者から得た情報(『聯合早報』26日)。
DIA-208-1988-04-01-1ブルネイ1988年04月01日1980年代コモロス共和国のSaid Kafe外相来訪。
DIA-208-1988-04-02-1ブルネイ1988年04月02日1980年代ニュージーランド軍副参謀総長来訪。
DIA-208-1988-04-02-2ブルネイ1988年04月02日1980年代国王,政府諸省庁次官に対して,政策形成への積極参加,行政の円滑・効率化を要望。
DIA-208-1988-04-07-1ブルネイ1988年04月07日1980年代ASEAN経済閣僚による第7回エネルギー会議,ブルネイで開催。
DIA-208-1988-04-07-2ブルネイ1988年04月07日1980年代インドネシアのアラタス外相表敬のため来訪。
DIA-208-1988-04-09-1ブルネイ1988年04月09日1980年代英ハウ外相来訪。10日同相,ブルネイの5カ国防衛協定への参加問題で討議。18日付『聯合早報』は,この際グルカ兵の継続駐留問題で協定に調印と報道。
DIA-208-1988-04-10-1ブルネイ1988年04月10日1980年代宗教相,バングラデシュを訪問。4日間。
DIA-208-1988-04-11-1ブルネイ1988年04月11日1980年代シンガポールのジャヤクマル内務相来訪。3日間の公式訪問。ブルネイ側Isa内務相の招待。
DIA-208-1988-04-11-2ブルネイ1988年04月11日1980年代サラワクのタイブ州首相来訪。2日間。訪問目的は発表なし。国王にも20分間面会。
DIA-208-1988-04-15-1ブルネイ1988年04月15日1980年代関税・内国税局,ASEAN関税行動則順守規約に調印。これによりブルネイはASEAN域内貿易の促進で関税問題につき諸国と責任を別担することとなった。
DIA-208-1988-04-15-2ブルネイ1988年04月15日1980年代ブルネイ最初の縫製工場(Syarikat Brutex Manufacturing Sendirian Berhad),15日に正式開所。ブルネイ,マレーシア,シンガポールの合弁でアメリカ向けTシャツを生産。縫製工70人の大多数はタイ人女性。
DIA-208-1988-04-15-3ブルネイ1988年04月15日1980年代韓国の崔侊洙外相来訪。
DIA-208-1988-04-22-1ブルネイ1988年04月22日1980年代シンガポール航空とブルネイ航空,協定更新。これによると双方は便数,容量,以遠権等で無制限の営業を相互に認め合うこととなった。
DIA-208-1988-04-23-1ブルネイ1988年04月23日1980年代イスマイル開発相,工場設置許可を得た企業に対し,速やかに工場を建設し生産を開始するよう要請。応じない場合は許可の取消しを警告(『聯合早報』23日)。
DIA-208-1988-04-24-1ブルネイ1988年04月24日1980年代ホンコン首席判事(Sir Ti-Liana Yang),ブルネイの控訴院長に任命さる。また香港の他の2法官William James Silke,Jerald Michael Codfreyもブルネイ最高裁委員に任命された。国王による任命式には,王家3兄弟も出席。
DIA-208-1988-04-25-1ブルネイ1988年04月25日1980年代インドネシア・イスラム教師入国問題。ブルネイ政府は3月にスラバヤのイスラム教師Habib Syed Segaffの入国を禁止したが,宗教局シャリア局長は25日,The Straits Times紙に対して「イスラム教徒の利益を考慮して入国を禁止した」と表明。
DIA-208-1988-04-28-1ブルネイ1988年04月28日1980年代無線電信・衛星通信受診機材の乱用を阻止する条例発効。欧米諸国の衛星番組受診がブルネイ文化に及ぼす悪影響を避けるため,という。
DIA-208-1988-04-30-1ブルネイ1988年04月30日1980年代国民団結党党首辞任。Jumat Idris,40歳。86年の結党以来,党員が60人しか集まらなかったため,人民の支持のない党は意味がない,としている。
DIA-208-1988-05-01-1ブルネイ1988年05月01日1980年代武器・軍事設備等購入で特別会社設立さる。軍隊・警察,その他保安関係組織が扱うすべての武器・軍事設備は1日以降ブルネイ技術サービス社Perkhidmataa Teknikal Diraja Brunei Sendirian Berhadが扱う。政府の完全所有会社で,独占法により設立されたもの。
DIA-208-1988-05-02-1ブルネイ1988年05月02日1980年代ブルネイに,ASEAN-EC経営センターの設置決まる。ジュッセルドルフでの発表。
DIA-208-1988-05-07-1ブルネイ1988年05月07日1980年代空軍,戦闘機購入か。イスバ少将の発表では,アメリカ製F-18,F-16,もしくはフランス製ミラージュa2000が対象という(『聯合早報』7日)。
DIA-208-1988-05-14-1ブルネイ1988年05月14日1980年代フィリピン人メイド問題。フィリピン政府が同国人女性の海外での家事労働従事者に関して協定締結を提案している問題につき,内務省次官Dato Paduka Awang Haji Omar Haji Serudiaは,これを不要と言明した(BB紙,14日)。
DIA-208-1988-05-15-1ブルネイ1988年05月15日1980年代駐サウジアラビア大使は最近,リヤド日報との会見で,「ブルネイはOPEC加盟に関心がある」と語った(『聯合早報』15日)。
DIA-208-1988-05-18-1ブルネイ1988年05月18日1980年代ハリラヤで2王宮(Istana Nurul ImanとIstana Nurul Izzah)一般公開。
DIA-208-1988-05-20-1ブルネイ1988年05月20日1980年代インドネシア,看護婦200人派遣で合意。
DIA-208-1988-05-22-1ブルネイ1988年05月22日1980年代「富裕病増加」。最近の世界保健機構会議でブルネイ保健省が提出した報告による。
DIA-208-1988-05-24-1ブルネイ1988年05月24日1980年代インドネシア海軍司令官来訪。4日間。
DIA-208-1988-05-25-1ブルネイ1988年05月25日1980年代邱万福,減刑要求審理始まる。ブルネイ控訴院は26日,これを認め3年に減刑した。
DIA-208-1988-05-28-1ブルネイ1988年05月28日1980年代移民局,このほど不法入国者の取締を強化すると発表。本年1~4月で108人を逮捕,マレーシア人65人,フィリピン人28人。過去の逮捕者数は83年1735人,84年1654人,85年1354人,86年875人,87年734人(BB紙,28日)。
DIA-208-1988-05-31-1ブルネイ1988年05月31日1980年代国王,このほどマレーシア・トレンガヌのイスラム寺院建設に1200万㌦を寄付(『聯合早報』31日)。
DIA-208-1988-05-31-2ブルネイ1988年05月31日1980年代建軍記念日で国王,軍備拡張を語る。
DIA-208-1988-05-31-3ブルネイ1988年05月31日1980年代西ドイツと航空協定締結。ブルネイ航空はフランクフルトへの着陸権を獲得。
DIA-208-1988-06-04-1ブルネイ1988年06月04日1980年代国家団結党書記長,「支持はある」と語る。Mohd Hatta Haji Zaianal Abidin Puteh書記長は,政府が公務員の政治活動を禁止しているため,党員が増やせないが支持は得ている」と語った(BB紙,4日)。
DIA-208-1988-06-05-1ブルネイ1988年06月05日1980年代アラブ首長国連邦と航空協定締結。
DIA-208-1988-06-06-1ブルネイ1988年06月06日1980年代シンガポールの国防・外交委員会団来訪。
DIA-208-1988-06-06-2ブルネイ1988年06月06日1980年代韓国貿易展示会開催。
DIA-208-1988-06-07-1ブルネイ1988年06月07日1980年代タイの副外相来訪。
DIA-208-1988-06-15-1ブルネイ1988年06月15日1980年代東京でのアジア太平洋治安問題高官会議にブルネイからIsaa内務相出席。
DIA-208-1988-06-16-1ブルネイ1988年06月16日1980年代国王,シンガポールのイスラム伝道協会に寄付。10万S㌦。
DIA-208-1988-06-16-2ブルネイ1988年06月16日1980年代サウジアラビア大使,トルコ大使が信任状提出。前者の専任地はマニラ,後者の専任地はクアラルンプル。
DIA-208-1988-06-22-1ブルネイ1988年06月22日1980年代スリランカ外相Shahul Hameed来訪。
DIA-208-1988-06-22-2ブルネイ1988年06月22日1980年代マレーシア商工相来訪。マレーシアへの投資を要請。
DIA-208-1988-07-01-1ブルネイ1988年07月01日1980年代メートル法,民間部門でも実施(BB紙,4月16日)。
DIA-208-1988-07-01-2ブルネイ1988年07月01日1980年代アメリカ,ブルネイ向け関税特恵を1日から適用廃止。
DIA-208-1988-07-04-1ブルネイ1988年07月04日1980年代Mohamed外相,「ベトナム軍のカンボジア撤退は,カンボジア問題の政治解決と結び付けられねばならない」と表明。バンコクでの第21回ASEAN外相会議での演説。
DIA-208-1988-07-11-1ブルネイ1988年07月11日1980年代シンガポール運輸通信・情報相来訪。海底電線敷設問題などを討議。
DIA-208-1988-07-15-1ブルネイ1988年07月15日1980年代内務省,政治犯34人を釈放。うち1人は62年ブルネイ反乱で逮捕され,73年に脱走。87年8月に帰国した際逮捕されたもの。他の33人は,海外留学中の活動をチェックするため逮捕されていたもの。なお現在国内治安法で無裁判拘留されている者は6人という。
DIA-208-1988-07-15-2ブルネイ1988年07月15日1980年代国王,42歳誕生日の祝典で工業化計画の加速実施を語る。なおまた,「過去5年間で投資収益は倍増し,油価低落を償い,開発計画を支えている」と言明。
DIA-208-1988-07-15-3ブルネイ1988年07月15日1980年代マレーシア・ケランタン・スルタンに最高位勲章(Darjah Kerabat Makhota Brunei)授与。
DIA-208-1988-07-26-1ブルネイ1988年07月26日1980年代シェル石油,87年の生産量15万5000バレルと発表。うち国内精油所向けは2000バレル,他は全量輸出。また職員の現地人化率は,労働者210人の60%,高級職員のマレー人化は25%。このほど発表の年報による(『聯合早報』27日)。
DIA-208-1988-07-31-1ブルネイ1988年07月31日1980年代クリスジャヤ百貨店閉店。
DIA-208-1988-07-31-2ブルネイ1988年07月31日1980年代ウガンダ外務国務相来訪。
DIA-208-1988-08-03-1ブルネイ1988年08月03日1980年代民主カンボジアのKPNLF派代表ソンサン来訪。
DIA-208-1988-08-04-1ブルネイ1988年08月04日1980年代駐シンガポール高等弁務官,シ大統領に信任状提出。新任者は,Dato Paduka Haji Mohd Yunos Haji Mohd Hussein元印刷局長。
DIA-208-1988-08-06-1ブルネイ1988年08月06日1980年代カナダ大使,信任状提出。専任地シンガポール。
DIA-208-1988-08-08-1ブルネイ1988年08月08日1980年代ブルネイ航空,ドバイへ週2便航開始。
DIA-208-1988-08-08-2ブルネイ1988年08月08日1980年代セネガル外相来訪。
DIA-208-1988-08-11-1ブルネイ1988年08月11日1980年代邱徳撥,NBBの債権者。預金者への負債2億8000万米㌦(5億7100万B㌦)を返済することでブルネイ政府と合意。NBBに関する金銭関係はこれで解決された。
DIA-208-1988-08-15-1ブルネイ1988年08月15日1980年代マレーシア・ペラ・スルタン来訪。同スルタンに最高位勲章Darjah Kerabat Makhota Bruneiを授与。
DIA-208-1988-08-20-1ブルネイ1988年08月20日1980年代ブ・マ・イ3国エネルギー相,バリ島に会す。11月のOPEC総会へ向けた事前協議。ブ・マは国際石油市場の安定化に向けたインドネシアの努力を支持すると表明。
DIA-208-1988-08-22-1ブルネイ1988年08月22日1980年代教育相,マレーシア訪問。教育,言語,文化,文学などの面で協力を高めることに合意。
DIA-208-1988-08-22-2ブルネイ1988年08月22日1980年代ブルネイ・イギリス合同軍事演習始まる。9月4日まで。6000人参加。
DIA-208-1988-08-29-1ブルネイ1988年08月29日1980年代フィリピン大統領来訪。3日間。到着後直ちに国王と会談。マングラプス・フィリピン外相によると,フィリピン・ミニ・マーシャル計画への参加に国王が応諾したという。相互に交換された勲章はブルネイ側がDarjah Kerabat Yang Amat Di-Hormati,フィリピン側がAncient Order of Sikatunaを渡した。それぞれ高位のひとつだが,最高位ではない。
DIA-208-1988-09-01-1ブルネイ1988年09月01日1980年代東マレーシア人の緊急旅券(emergency pass),1日より無効に。これは偽造された緊急旅券が最近多数発見されたため。(BB紙,20日)。
DIA-208-1988-09-01-2ブルネイ1988年09月01日1980年代アメリカ国連代表Vernom Walters来訪。国王訪問。
DIA-208-1988-09-01-3ブルネイ1988年09月01日1980年代第22回ASEAN常任委員会,ブルネイで開催。
DIA-208-1988-09-14-1ブルネイ1988年09月14日1980年代ブルネイ・シンガポール海軍,南シナ海で合同演習。20日まで。
DIA-208-1988-09-18-1ブルネイ1988年09月18日1980年代マレー人商業会議所第24回総会開催。現在会員は118。
DIA-208-1988-09-20-1ブルネイ1988年09月20日1980年代Abu Bakar総理府次官,第13回ABUニュース・スタディ・グループ会議で,欧米的報道を批判。
DIA-208-1988-09-22-1ブルネイ1988年09月22日1980年代インドネシア・スハルト大統領に最高位勲章。国王弟Jefriが持参したもの(8月15,29日参照)。なおインドネシア側は84年に最高位勲章Mahaputra Adhi Purna Starをすでにブルネイ国王に与えていた。
DIA-208-1988-09-24-1ブルネイ1988年09月24日1980年代国王,バハレーンを訪問(3日間)。同国首長に最高位勲章授与。
DIA-208-1988-09-27-1ブルネイ1988年09月27日1980年代国王,モロッコ訪問。同国国王に最高位勲章授与。
DIA-208-1988-09-28-1ブルネイ1988年09月28日1980年代政府,改正刑法を発表(9月1日改正)。7日付BB紙によると,強盗・強盗未遂に鞭打ち12回が新設されるなど,全般的に刑罰が強化された。従来は最高10年の拘留が科されていたのみ。
DIA-208-1988-09-28-2ブルネイ1988年09月28日1980年代第13回ASEAN科学技術会議,ブルネイで開催。
DIA-208-1988-10-05-1ブルネイ1988年10月05日1980年代国王,モロッコより帰着。
DIA-208-1988-10-10-1ブルネイ1988年10月10日1980年代国家資産の運用。ブルネイ投資庁のDatuk Haji Abdul Rahaman長官は,The Bangkok Post紙との会見で「われわれは投資政策として安易な利潤追及は求めない。われわれは長期的な利益を主眼としている。投資庁は国家資産の35%を扱い,他の65%は8社の外国会社に運用を任せている」と語った。
DIA-208-1988-10-12-1ブルネイ1988年10月12日1980年代オーストラリア新高等弁務官Philip Moulton Knight,信任状提出。
DIA-208-1988-10-21-1ブルネイ1988年10月21日1980年代大蔵省,NBB負債返却計画発表。大蔵省はブルネイ国民銀行NBBの管財人として,「NBBの債権者に返済するに十分な資金を回収した。債権者は10月24日から12月31日までに手続きをとるよう要請する」と発表。
DIA-208-1988-10-23-1ブルネイ1988年10月23日1980年代マホメット生誕日集会開催。首都の主会場には4万6000人が参集。国王は犯罪に対する刑罰強化を説明。
DIA-208-1988-11-01-1ブルネイ1988年11月01日1980年代国王,タイを公式訪問。4日間。なおタイの10月21日付The Bangkok Post紙によると,ブルネイには8000人のタイ人が法の保護下で働いている,という。
DIA-208-1988-11-12-1ブルネイ1988年11月12日1980年代韓国大統領来訪。3日間の公式訪問。
DIA-208-1988-11-16-1ブルネイ1988年11月16日1980年代国王,マレーシア前蔵相との関係を否定。国王がラザレイ前蔵相を自己の財政顧問に任命したとのマレーシア新聞報道に対するもの(BB8紙,19日)
DIA-208-1988-11-17-1ブルネイ1988年11月17日1980年代政府,パレスチナ国家の承認を発表。
DIA-208-1988-11-20-1ブルネイ1988年11月20日1980年代麻薬逮捕者急増で,警察憂慮を表明(20日付『聯合早報』)。BB紙によると,1月以来60人が逮捕された。警察は,コデイン(アヘンより精製)を使用した咳どめ薬を大量に押収しているという。
DIA-208-1988-11-20-2ブルネイ1988年11月20日1980年代商業条例強化さる。営業ライセンスの記載事項順守強化が目的(『聯合早報』20日)。
DIA-208-1988-11-22-1ブルネイ1988年11月22日1980年代シンガポール新外相来訪。黄根成外相,新任の挨拶。
DIA-208-1988-11-22-2ブルネイ1988年11月22日1980年代NBB事件の邱万福,釈放さる。主犯の邱徳撥はいまだ行方不明。ただし徳撥はSouthern Pacific Hotel Corporatioaを9億1260万S㌦で香港の会社に売却しその売り上げの一部でNBB関係の負債4億5000万B㌦を返済し,息子の釈放をえたもの。
DIA-208-1988-11-25-1ブルネイ1988年11月25日1980年代対外イメージの刷新努力。25日付AWSJ紙によると,ブルネイ政府は88年初よりイギリスのShandwick社にイメージ刷新事業を依託。その一部として11月初めに香港のジャーナリストを招待した,という。
DIA-208-1988-11-26-1ブルネイ1988年11月26日1980年代1987年の経済。26日付ST紙(ロイターによる)。輸出20億7000万米㌦,貿易収支12億7000万米㌦の黒字。GDP17億4000万米㌦,うち57%が石油に由来。GDP成長率は,1985年-1.4%,86年2.8%,87年1.1%,88年2.2%。非石油部門のGDP成長率は86年9.3%,87年9.9%。また同電によると,投資庁は記者会見を拒否,だが政府筋によると,投資庁は83年7月の設立時に60億米㌦の管理を任され,87年半ばまでにこれを120%増やしたと発表。現在の5カ年計画は原油価格18米㌦以上を前提に策定されたものという。
DIA-208-1988-11-29-1ブルネイ1988年11月29日1980年代沿岸地域管理セミナー開催。沿岸環境保全が目的で,開発省主催。
DIA-208-1988-11-30-1ブルネイ1988年11月30日1980年代国王,内閣改造を発表。工業・一次資源省を89年1月1日から発足させ経済の多角化を促進することが目的との説明。同省は以前開発省管轄下にあった農林,漁業,工業を掌管する。これに伴う人員配置は,教育相のDato Abdul Rahman Mohamed Taidをこの省にまわし,運輸相のAbdul Aziz Omarを教育相にもどす。副外相Zakaria Sulaimanが運輸相へ昇格し,副文青体相Mohammad Ali Daudが副外相へ転出する。また副開発相Selamat Munapが副文青体相へかわり,副開発相は空席となる。
DIA-208-1988-12-01-1ブルネイ1988年12月01日1980年代世界エイズ・デイ。ブルネイも展示会開催。
DIA-208-1988-12-06-1ブルネイ1988年12月06日1980年代ASEAN港湾局会議(APAA),首都で開催。
DIA-208-1988-12-14-1ブルネイ1988年12月14日1980年代ブルネイ政府,近海への核廃棄物投棄案を拒杏。14日付AWSJ紙によると,この拒否は数カ月前のもの。また外国からの衛星売り込み交渉をも拒否したという。
DIA-208-1988-12-14-2ブルネイ1988年12月14日1980年代国王の資産と国家資産の運用問題。14日付AWSJ紙によると,ブルネイ投資庁当局者は,Fortune誌がかつて「国王は250億米㌦を有し世界一の富豪」と報じたことにつき,「それは国王と国家の資産をたしたまでのもの。投資庁は,国王の資産を管理していない。ロンドンのドーチェスター・ホテル,ハリウッドのビヴァリーヒルズ・ホテルは国王が個人資産で購入したもの」と説明。また投資庁は,「直接株式投資には慎重で,むしろ市場性のある有価証券,通貨,不動産を選好している」と言明
DIA-208-1988-12-14-3ブルネイ1988年12月14日1980年代Lim Jock Seng外務省次官,ベトナム訪問。ハノイを3日間訪問し,ド・ムオイ首相,グエンコタク外相等と会談,2国間問題,地域・国際問題を討議。Nhan Dhan紙も15日に報道。
DIA-208-1988-12-17-1ブルネイ1988年12月17日1980年代保健省,ブルネイのマラリア撲滅を宣言。
DIA-208-1988-12-17-2ブルネイ1988年12月17日1980年代ブルネイ航空年末年初の海外渡航用に大型機導入を発表(BB紙,17日)。
DIA-208-1988-12-24-1ブルネイ1988年12月24日1980年代不法入国者問題。24日付,BB紙によると,不法入国者は88年1~10月に855人となり87年通年の803人を凌駕した。その結果彼らによる犯罪も急増している。彼らの大半はサバ州経由で入国する。不法入国者は通常,建築現場,不法占拠地およびジャングル内で逮捕されている。不法入国者およびその使用者にはともに6000B㌦の罰金。
DIA-208-1988-12-24-2ブルネイ1988年12月24日1980年代外国人労働者の締め出し。24日付BB紙によると,労働局は失業者の増大に対処するため,特別な技術・技能を要しない職種に限り,外国人向けの労働許可証の発行・更新を厳しく審査することになった,という。
DIA-208-1988-12-31-1ブルネイ1988年12月31日1980年代ブルネイ初の食料加工工場が起工式。31日付BB紙報道。ブルネイ,日本,韓国3社の合弁でSyarikat perusahaan Asia Win Sendirian Berhadと呼ばれ,ビスケット,菓子,小麦粉を生産し,その70%と日本へ輸出する。工場建設費390万B㌦。
DIA-208-1989-01-01-1ブルネイ1989年01月01日1980年代国王の新年祝辞。「1988年には政府・民間とも多くの分野で種々の計画を実施した。新年に当たり過去の実績を検討し,将来の改善への指針とすべきである。行政の効率を高め,開発努力を増進するため88年末に内閣改造を行ない,本日から実施する。すなわち工業・一次資源省の創設である。わが国の一次資源製品を多角化し,国家開発計画の目的に即した工業化を達成し,石油・ガスへの依存度を減らし経済を多角化することが私の希望である。これらの目的を達成することができるかどうかは新しい省が調和のとれた計画を推進し,民間部門を含む全ての方面から支援と協力を得ることに依存している(→2/23)。新年に際して私は,この国の市民・人民が政府に対して支持と協力を継続するよう希望する」。
DIA-208-1989-01-07-1ブルネイ1989年01月07日1980年代住宅費急上昇。BB紙7日によると,2年間低水準を維持していた家賃が首都では25~30%,クアラベラトでは50~150%と急上昇しているという。
DIA-208-1989-01-07-2ブルネイ1989年01月07日1980年代高級公務員の人事異動。以下は88年12月発効分であるが,BB紙7日に発表されたもの。Dato Danial bin HaJi Hanafiah人事院局長へ,Dr.Morni bin Othman農業局長へ,Pengiran Haji Alaudin bin Pengiran Paduka Tuan Pengiran Haji Abu Bakar資源物資局長へ,Pengiran Haji Hassan bin Pengiran Haji Damit副農業局長。Dato Mohd.Hassan bin Haji Mohd.Yusoff内務省特務官へ,Dato Haji Mohd Kassim bin Haji Johanクアラベライト郡長,Awang Haii Aliakbar bin Abu Bakarトゥンブロン郡長。
DIA-208-1989-01-11-1ブルネイ1989年01月11日1980年代ブルネイ・シェル,2月に日本との天然ガス長期契約交渉開始か。現在の協定は1993年まで有効。
DIA-208-1989-01-11-2ブルネイ1989年01月11日1980年代ブルネイ・シェルの雇員国籍構成,ブルネイ人は63%(2300人,3年前は50%ちょうど),上級職ではマレーシア人90%(159人,86年1月は84人)。同社によると,88年には退職者が続出し,外国人への依存度が高まった。
DIA-208-1989-01-11-3ブルネイ1989年01月11日1980年代石油価格。ブルネイ・シェル社長発表。世界的な供給過剰で88年第4四半期にバレル当り10米㌦以下となった。ブルネイのSeria Light Export Blendは平均よりやや高く,88年初の17米㌦から11月の12米㌦へ下がった。最近のOPEC合意で価格はもち直したが,依然OPEC公式水準よりバレル当りで3~4米㌦低い。
DIA-208-1989-01-14-1ブルネイ1989年01月14日1980年代新油田発見さる。BB紙14日によると,Jasra Elf Joint Ventureは首都北西90kmの海底Jugra1から油兆を発見。
DIA-208-1989-01-21-1ブルネイ1989年01月21日1980年代カンボジア問題の臨時ASEAN外相会議,ブルネイ首都で開催。
DIA-208-1989-01-21-2ブルネイ1989年01月21日1980年代マレーシアへの密輸出激減。マレーシア・リンギの価値低落による。これまではビール,タバコ,軽飲料,米,鶏肉,缶詰食品などは従来ジャングルを通ってバラム川上流地区へ運ばれそこからサラワクへ流されていた。現在ではブルネイ・ドルが高くなりすぎ取り引きが停止したという(BB,1/21)。
DIA-208-1989-01-26-1ブルネイ1989年01月26日1980年代自動車所有状況。陸上交通局発表では,85年から88年にかけ毎年5000台の新規登録があり,現在は,11万台,うち個人乗用車は9万2000台。運転免許保有者は87年で4万2000人,別に臨時免許1万5000人。当局は87年から試験を厳しくし,同年9400人の受験者中合格者は30%であった(聯合早報,1/26)。
DIA-208-1989-01-28-1ブルネイ1989年01月28日1980年代イスマイル開発相,ブミプトラ経済人を批判。BB紙28日によると,同相はこのほど開かれた10日間のビジネスマン・コース終了式で「88年にブミプトラに委託された約30のプロジェクトが無駄になった。外国人に依存しない専門の経営・技術能力を持つべきだ」と言明。
DIA-208-1989-02-01-1ブルネイ1989年02月01日1980年代警察,装備強化でパトロールカー11台,モーターサイクル30台を配備。
DIA-208-1989-02-01-2ブルネイ1989年02月01日1980年代QAF会長にYusof元首相が返り咲き。同人はマレー人商工会議所の会長でもあった。
DIA-208-1989-02-04-1ブルネイ1989年02月04日1980年代BB紙4日によると,このほどアメリカ太平洋空軍司令官Merrill Mo大将が来訪。
DIA-208-1989-02-11-1ブルネイ1989年02月11日1980年代BB紙11日によると,ブルネイ航空はこのほど荷物処理をコンピュータ化した。
DIA-208-1989-02-14-1ブルネイ1989年02月14日1980年代タイのチャチャイ首相来訪。国王の招待。
DIA-208-1989-02-19-1ブルネイ1989年02月19日1980年代幼児死亡率低下。『聯合早報』19日によると,1978年に1000人につき20人,1987年が同10人へ。
DIA-208-1989-02-21-1ブルネイ1989年02月21日1980年代経済計画局,88年末の人口を24万1000人,87年末より7600人の増加と発表。81~88年間の増加率は3.2%,マレー人16万5700人で68%,華人4万3000人で18%。原住民1万2900人,その他1万9400人。男12万4000人,女11万6000人。ムアラ郡14万7300人,ベライト郡5万6600人,トゥトン郡2万8500人,トゥンブロン郡9000人。
DIA-208-1989-02-22-1ブルネイ1989年02月22日1980年代国王,イギリス人記者にテレビ・インタビューを認める(→5/20)。「私の第一の関心事はブルネイをマレー・イスラム君主国として維持することだ。開放された国家制度を確立するという父王の敷いた道をとる。責任感のある大多数の国民の側に政治に対する真正なる関心が生まれた時,私は選挙と立法府を再導入する。私はすでに積極的な手段をとっている。たとえば,内閣政治や公務の改組だ。人口の65%はマレー人で,かれらには特定の優遇措置をとっている。だが政府はいかなる形の人種差別にも反対である。ただブルネイ市民権に特定の条件をもうけるのは合理的なことだ。1962年の反乱はブルネイを近隣のマレーシア諸州に統合させ別個の国家を造ろうとしたものだ。政治犯の無裁判拘留は,平和と安定への脅威という背景で考えらるべきだ。私の生活スタイルについて外国では大袈裟に報道されている。王宮内には政府官吏も居住しており報道とは違う」(BB,4/15)。
DIA-208-1989-02-23-1ブルネイ1989年02月23日1980年代独立5周年。国王の祝辞。工業化と一次資源の開発および民営化の促進。工業・一次資源省への他省の協力を要請。なお国王はこの演説のなかで,88年12月15日以降200万B㌦まで遣産相続を無税,それ以上を3%課税と発表。
DIA-208-1989-02-23-2ブルネイ1989年02月23日1980年代新紙幣発行さる。1㌦,5㌦,10㌦,50㌦,100㌦の5種。
DIA-208-1989-02-23-3ブルネイ1989年02月23日1980年代シンガポールのTradewinds航空,ブルネイ便開始。
DIA-208-1989-02-23-4ブルネイ1989年02月23日1980年代中国,ブルネイとの国交樹立の希望表明。昭和天皇葬儀で訪日中の中国銭其=外相が,伊東自民党総務会長に表明。
DIA-208-1989-02-25-1ブルネイ1989年02月25日1980年代ブルネイ,麻薬の中継基地化の危機。麻薬取締局は,88年10月に設置されて以来すでに17回の手入れを行ない,500㌘以上のマリファナ,ヘロインを押収している(BB,2/25)。
DIA-208-1989-02-27-1ブルネイ1989年02月27日1980年代ヨルダン国王夫妻来訪。2日間。
DIA-208-1989-03-07-1ブルネイ1989年03月07日1980年代マニラとの間に定期貨物船運行開始さる。S.E.A.Shell Lines1ヵ月に一度サンダカンとタワウを経由して運行。
DIA-208-1989-03-09-1ブルネイ1989年03月09日1980年代国王,サラワク訪問へ。4日間でクチン,ビントゥル,ミリ。国王就任後初めて。
DIA-208-1989-03-11-1ブルネイ1989年03月11日1980年代S・ラシディーの『悪魔の詩』を発禁(BB,3/11)。
DIA-208-1989-03-13-1ブルネイ1989年03月13日1980年代モハメド外相,リヤドの第18回イスラム諸国外相会議出席。
DIA-208-1989-03-14-1ブルネイ1989年03月14日1980年代インドネシアと放送・情報交換で協定調印。
DIA-208-1989-03-15-1ブルネイ1989年03月15日1980年代国王,マレーシア,インドネシアへの新外交使節に信任状授与。Pengiran Hj Abdul Momin(56歳,独立前のMentri Besar,駐マレーシア高等弁務官)とHj Awang Yahya Hj Harris(49歳,駐インドネシア大使)。
DIA-208-1989-03-16-1ブルネイ1989年03月16日1980年代シェル系企業に初めてブルネイ・マレー人任命さる。Brunei Shell Marketing Company Sdn BhdでMat Suny bin Haji Mohd.Hussein。
DIA-208-1989-03-18-1ブルネイ1989年03月18日1980年代森林局,ラタン・プランテーション開発に乗り出す(BB,3/18)。
DIA-208-1989-03-18-2ブルネイ1989年03月18日1980年代総理府次官,穏健なイスラムを要望。BB紙21日によると,Pehin Dato Ustaz Haji Badaruddin総理府次官は,「現在世界中に見られるイスラムの再興を見る時,それぞれの国の特殊性を考慮しなければいけない。ブルネイについて言えば,国王陛下の政府が慣行としてきた現代的教えから逸脱してはならない。Shiites,Mutazilah,Khawarijなどはわが国がとらないところだ。
DIA-208-1989-03-20-1ブルネイ1989年03月20日1980年代シェル主催で地場企業開発セミナー開催。
DIA-208-1989-03-22-1ブルネイ1989年03月22日1980年代外国人労働者数。『聯合早報』22日によると,87年2万2664人,88年3万3000人。
DIA-208-1989-03-25-1ブルネイ1989年03月25日1980年代マレーシア・セランゴール州王来訪。
DIA-208-1989-03-25-2ブルネイ1989年03月25日1980年代ウガンダのムフティ(Sheikh Hussein Rajab Kakooza)来訪。
DIA-208-1989-03-27-1ブルネイ1989年03月27日1980年代Dato Haji Zakaria運輸・通信相,シンガポール訪問。29日,楊林豊通信相,30日,黄根成外相を訪問。
DIA-208-1989-03-30-1ブルネイ1989年03月30日1980年代マレーシア・ガファール副首相来訪。
DIA-208-1989-04-01-1ブルネイ1989年04月01日1980年代ブルネイ国民団結党書記長Awang Haji Mohd.Hatta bin Haji Zainal Abidin(37歳),「個人的理由で」辞任を発表。Borneo Bulletin社へ送った手紙で表明。
DIA-208-1989-04-01-2ブルネイ1989年04月01日1980年代国王,『日本経済新聞』と単独記者会見(『日経』3日)。
DIA-208-1989-04-01-3ブルネイ1989年04月01日1980年代ブルネイの森林問題。このほどFEER誌がブルネイの森林破壊は1981~85年にかけて2.2%の率で進んだと報じたことに関して,政府の森林コンサルタントJ.Marsdenはそれを否定して,84年現在で国土の80%(47万ha)が森林に覆われている,と主張(FEERでは58%,29万7000ha)。しかもうち72%はいまだ手の入らない原生林という。
DIA-208-1989-04-02-1ブルネイ1989年04月02日1980年代ASEAN第22回常任委員会,首都で開催(~4日)。
DIA-208-1989-04-02-2ブルネイ1989年04月02日1980年代国王,トゥンブロンを訪問。
DIA-208-1989-04-08-1ブルネイ1989年04月08日1980年代ジェフリ蔵相,マレーシア国王よりTun位(SMN)を授与さる。イブヌ副国防相はTan Sri位に。
DIA-208-1989-04-11-1ブルネイ1989年04月11日1980年代経済成長。シンガポール開発銀行DBS経済報告(ST,4/11)。87年1.1%,88年2.2%,89年は2~3%の見込みで,今後数年間は2~3%と予測。石油資源は現在の資源保存政策を前提にあと25~30年はもつものと思われる。非石油部門のGDP成長は86年に24%から41%に拡大したが,いまだ経済全体は大きく石油に依存している。86年のGDPは32億8000万B㌦。
DIA-208-1989-04-14-1ブルネイ1989年04月14日1980年代ジョホール・スルタン,Sufri BolkiahにDarjah Mahkota Yang Amat Mulia(SPMJ,Datukの呼称をもつ)位を授与。
DIA-208-1989-04-15-1ブルネイ1989年04月15日1980年代BB紙15日によると,政府は国外におけるブルネイに関する誤った印象を正すため外国メディア用のガイドブックを作成・配布している。
DIA-208-1989-04-15-2ブルネイ1989年04月15日1980年代外務省,近くアフガニスタン・ムジャヒディンを承認か。BB紙22日によるとこのほど来訪したムジャヒディン臨時政府のHekmatyar外相に対してブルネイ外相が伝達したという。
DIA-208-1989-04-18-1ブルネイ1989年04月18日1980年代オーストラリア首相特使,アジア太平洋協力でブルネイ外相と会談。同特使は建設的・生産的会談を行なったと発表。
DIA-208-1989-04-22-1ブルネイ1989年04月22日1980年代ブルネイ・シェル,陸上・海上でこのほど地震調査開始(BB,4/22)。
DIA-208-1989-05-08-1ブルネイ1989年05月08日1980年代Aziz教育相,将来学校課目に「マレー・イスラム君主制度」を取り入れるだろう,と表明(聯合早報,5/8日)。
DIA-208-1989-05-13-1ブルネイ1989年05月13日1980年代香港と新航空協定調印。
DIA-208-1989-05-13-2ブルネイ1989年05月13日1980年代モハマド外相,日本外務省の招待で訪日。
DIA-208-1989-05-20-1ブルネイ1989年05月20日1980年代スルタンに関する著書,売り上げ好調。2月22日にスルタンをインタビューしたイギリス人Chalfontの著書By God’s Will。ブルネイでは発売以来またたく間に500部が売れ,急遽16日に400部が持ちこまれた。また全世界では1万2000部が売れたという(BB,5/20)。
DIA-208-1989-05-22-1ブルネイ1989年05月22日1980年代グルカ兵問題。イギリス国防相は国会で「香港の中国移管に伴いグルカ兵はイギリスに残る1大隊のみとする」と言明。ネパールは兵の提供(香港3大隊,ブルネイ1大隊,イギリス1大隊。合計8000人)でイギリスから年間3000万ポンド(5000万米㌦弱)を得ている。なおブルネイ駐留のグルカ大隊(10th Princess Mary’s Own Goorkha Rifles)スポークスマンは25日,ブルネイについての協定は1993年に失効するが,その延長交渉はまだ始まっていない,と言明。
DIA-208-1989-05-24-1ブルネイ1989年05月24日1980年代インドネシア紙Kompas,ブルネイを特報。
DIA-208-1989-05-24-2ブルネイ1989年05月24日1980年代マレーシアと2国間関係で外相協議(2日間,ハッサン外相は23日来訪)。マレーシア外務省27日の発表によると,陸上・海上境域の確定,2国間交通用の限定パスポート問題,ボルネオ縦断ハイウェイ,空域問題,などを協議。
DIA-208-1989-05-27-1ブルネイ1989年05月27日1980年代教育調査団,このほどシンガポール訪問(BB,5/27)。
DIA-208-1989-05-27-2ブルネイ1989年05月27日1980年代BB紙27日,森林資源問題を特集。日本は間接的に森林破壊に責任があるとしている。
DIA-208-1989-05-30-1ブルネイ1989年05月30日1980年代ブルネイ航空もアバカス電算予約システム加入。
DIA-208-1989-05-31-1ブルネイ1989年05月31日1980年代香港判事と体罰問題。香港のSouth China Morning Post紙31日によると,1964年のイギリス=ブルネイ友好協定以来,ブルネイの高等裁判所,控訴院では香港の判事が巡回方式(1年4回)で務めることになっているが,ブルネイでは88年以降体罰が特定犯罪について判事の裁量を容れずに科すとされたため,香港判事の間にブルネイ行きを拒否する者がでる可能性があるという。なお64年協定は97年の香港の中国移管以降は失効する。
DIA-208-1989-06-01-1ブルネイ1989年06月01日1980年代「マレー世界におけるイスラム文明」セミナー,首都で開催。宗教省およびOICイスラム史・芸術・文化調査センターの主催。5日間。
DIA-208-1989-06-03-1ブルネイ1989年06月03日1980年代水上部落(Kampong Ayer)での賃貸し,新築,改造などは書面許可を要す。BB紙3日によると,このほど副内務相が行なった警告(→12/13)。
DIA-208-1989-06-23-1ブルネイ1989年06月23日1980年代QAF社発表によると,国王弟Mohd.Bolkiah(外相)が17日に同社株を1952万2633株買い増し,合計で全体の19.5%(別報道では21%)に当たる5535万9043株を所有することになった。
DIA-208-1989-06-24-1ブルネイ1989年06月24日1980年代BB紙24日によると国王はこのほど,諸官庁に委託公共事業への支払いを早めるよう要請。コントラクターが期日どおりに事業を完遂できない理由のひとつとして,支払い遅延を挙げたもの。Zakaria公共事業局長によると,この問題に対処するため大蔵省内に特別委員会が設置されたという。
DIA-208-1989-06-27-1ブルネイ1989年06月27日1980年代経済成長。Ismail開発相によると,89年と90年の成長は4~5%程度。87年の石油・ガス収入は27億B㌦,総輸出の99%にのぼる。
DIA-208-1989-06-29-1ブルネイ1989年06月29日1980年代インドネシア政府,週刊誌および与党ゴルカル系新聞に警告。Editor誌5月27日「ブルネイ・スルタン,神話と事実」およびSuara Karya Minggu紙6月4日の「ロンドンの銀行家がインドネシア・ドゥクンを使ってスルタンから盗みを働く」の2記事は,外国元首を軽々しく侮辱した,というもの。
DIA-208-1989-06-30-1ブルネイ1989年06月30日1980年代ソ連,ブルネイとの国交樹立を希望。マニラ訪問中のロガチョフ外務次官が表明。
DIA-208-1989-07-02-1ブルネイ1989年07月02日1980年代ブルネイ政府高官,ソ連の動き(→6/30)を確認。ソ連は84年から関心を示し88年に接触を求めてきているという。なおLim Jock Seng外務次官は4日,88年に駐マレーシア・ソ連大使が来訪し,国交を求めたがこの際は断わった,と語った。
DIA-208-1989-07-03-1ブルネイ1989年07月03日1980年代第22回ASEAN外相会議,バンダル・スリブガワンで始まる。
DIA-208-1989-07-04-1ブルネイ1989年07月04日1980年代ブルネイ国防相,インドネシア訪問。インドネシア国防相によると,ブルネイは同国製航空機CN235 4機の購入に同意したという。
DIA-208-1989-07-05-1ブルネイ1989年07月05日1980年代アメリカ国務長官,ASEAN拡大外相会議に出席のため来訪。
DIA-208-1989-07-06-1ブルネイ1989年07月06日1980年代ASEAN拡大外相会議始まる。
DIA-208-1989-07-06-2ブルネイ1989年07月06日1980年代国王末弟のロンドン私邸が盗難に。蔵相を務めるJefri Bolkiahの私邸。盗難額は400万ポンド(=1260万B㌦)。
DIA-208-1989-07-06-3ブルネイ1989年07月06日1980年代国王。バリ島のホテルを買収。インドネシアのBusiness Data Centerの発表。Garuda Groupが保有していたNusa Dua Hotel,1億2000万米㌦。なお同Centerによると,国王がPT Indocementを買収する可能性はないだろうと言う。
DIA-208-1989-07-15-1ブルネイ1989年07月15日1980年代国王43歳誕生日。国王の招待でインドネシアのムルダニ国防相,マレーシアのリタウディン国防相,サラワクのタイブ州首相,シンガポール呉作棟副首相・国防相らが参列。
DIA-208-1989-07-15-2ブルネイ1989年07月15日1980年代国王,誕生日演説で「油価低下に見合った予算管理を実施」と語る。
DIA-208-1989-07-18-1ブルネイ1989年07月18日1980年代私立学校長のブルネイ人化。『聯合早報』18日によると,このほど教育省は国内の華文学校(8校),キリスト系学校に回状を送付し,今後の人事方針として示した。またこの政策の一環として8月1日以降,華文系最大の中華学校の校長にマレー人のムスタッファが送り込まれた。
DIA-208-1989-07-19-1ブルネイ1989年07月19日1980年代QAF社,フィリピンの合弁企業ペプシ・コーラの株15.07%取得で契約調印(→12/30)。
DIA-208-1989-08-02-1ブルネイ1989年08月02日1980年代国王長子(Prince Al-Muhtadee Billah,15歳)の成人・割礼式(majlis berkhatan)。同長子のタイトルは今後Duli Pengiran Muda(His Royal Highness)となる。このステータスはまだ皇太子を意味しないが事実上現国王の後継者と見なされている。新聞などでの呼称はYang Teramat Mulia Paduka Seri Pengiran Muda Al-Muhtadee Billahとなる。この式には近隣諸国首脳が招待され,相互に首脳会談がもたれた。来訪者はシンガポール李光耀首相,インドネシア・スハルト大統領,フィリピン・アキノ大統領,マレーシア・マハティール首相,ジョホール・スルタン,タイ・チャーチャーイ首相。
DIA-208-1989-08-09-1ブルネイ1989年08月09日1980年代ブルネイ・シェル,油田発見60周年で展示会開催(13日まで)。George Innes社長によると,1990年には29年以来の総生産量が10億バレルに達するという。また少なくともあと1億バレルは生産可能という。
DIA-208-1989-08-12-1ブルネイ1989年08月12日1980年代イスラム巡礼帰国者に脳膜炎の危険性。保健省,帰国者に対して病院への連絡を要請。BB紙19日によると,約4500人がこの呼びかけに応じたという。
DIA-208-1989-08-22-1ブルネイ1989年08月22日1980年代第19回ASEAN森林・農・漁業委員会,ブルネイで開催。
DIA-208-1989-08-29-1ブルネイ1989年08月29日1980年代フィリピンに1億米㌦の借款供与。アキノ側近の上院議員の発表。7年据え置きの18年償還。利子3%で四半期ごとに支払い。
DIA-208-1989-09-02-1ブルネイ1989年09月02日1980年代保健省,このほど国内で初めての真正エイズ患者を確認(BB,9/2)。
DIA-208-1989-09-02-2ブルネイ1989年09月02日1980年代「イスラム青少年間の飲酒増加」。BB紙2日によると,最近金曜日のモスク礼拝時に,一斉に飲酒への警告が発せられた。
DIA-208-1989-09-04-1ブルネイ1989年09月04日1980年代QAF社株第2の保有社,全株を売却。シンガポールのUnited Industrial Corporationの発表によると,同社はQAF社に保有していた5425万株(19.2%)を1170万S㌦(1株0.62S㌦)で売却したと発表。なおQAF社が5日にシンガポール証券取引所へ報告したところでは,香港の従来無名のBeauty Centre Investment Ltd.が同社株の8%を購入したという。
DIA-208-1989-09-09-1ブルネイ1989年09月09日1980年代工業省,企業登録実施中。BB紙9日によると,国内企業の相互認識を高め,産業発展に資することが目的という。
DIA-208-1989-09-11-1ブルネイ1989年09月11日1980年代米軍艦ロバートペリー号,親善訪問で来航。
DIA-208-1989-09-14-1ブルネイ1989年09月14日1980年代ウガンダ副首相ら帰国。3人の代表団が数週間滞在し,ブルネイと二国間関係で協議。
DIA-208-1989-09-15-1ブルネイ1989年09月15日1980年代ブルネイ航空,ネパール航空に対して技術支援供与で,協定に調印。
DIA-208-1989-09-16-1ブルネイ1989年09月16日1980年代外国人労働者の転貸しに警告。BB紙16日によると,このほど開かれた労働局主催のセミナーでの発言。多くの使用者が自らの責任で外国から労働者を雇い入れ,これを国内の他の企業に転貸ししているというもの。これは移民法・労働法の違反。
DIA-208-1989-09-18-1ブルネイ1989年09月18日1980年代イエメン・アラブ共和国,スエーデンの新大使,国王に信任状提出。
DIA-208-1989-09-21-1ブルネイ1989年09月21日1980年代ブルネイ大学で第1回卒業式。167人卒業。国王,名誉文学博士号送らる。
DIA-208-1989-09-27-1ブルネイ1989年09月27日1980年代ベライト前郡長,汚職取締法で法廷へ。だが検察側は9月30日に告訴取り下げ。
DIA-208-1989-09-30-1ブルネイ1989年09月30日1980年代ブルネイ・テクノロジー学院で第1回卒業式。98人卒業。
DIA-208-1989-10-01-1ブルネイ1989年10月初旬1980年代レバノン・ワカフ相来訪。
DIA-208-1989-10-07-1ブルネイ1989年10月07日1980年代日本・青年の船,ムアラを出港。
DIA-208-1989-10-07-2ブルネイ1989年10月07日1980年代エジプト新大使,バングラデシュ新高等弁務官,国王に信任状提出。
DIA-208-1989-10-12-1ブルネイ1989年10月12日1980年代マホメット生誕記念行列。
DIA-208-1989-10-14-1ブルネイ1989年10月14日1980年代BB紙,5000戸の住宅建設計画を特報。最初は政府公務員が優先的に入居。5種の家で,販売価格は5万2000~9万5000B㌦。Lambak Kanan 2000戸 Kampong Pandan(K.Belait)1100戸 Kampong Rimba(Gadong)700戸 Tutong 600戸 Kampong Lataie(Temburong)120戸 Lorong Tengah(Seria)200戸 Sungai Liang 200戸
DIA-208-1989-10-19-1ブルネイ1989年10月19日1980年代クアラルンプルの英連邦首脳会議への事前執行委員会で,ブルネイ国王が,カンボジア問題,南アフリカ問題,中東問題などで見解表明。第二夫人が随行。
DIA-208-1989-10-22-1ブルネイ1989年10月22日1980年代副国防相,イギリスからHawk100型機(2人乗りの戦闘爆撃機)16機およびミサイル装備のパトロール艇3隻の購入を発表。合計8億B㌦。
DIA-208-1989-10-24-1ブルネイ1989年10月24日1980年代フランス海軍軍艦3隻来訪。
DIA-208-1989-10-27-1ブルネイ1989年10月27日1980年代シンガポール空軍,ブルネイ人にプロペラ機操縦訓練。26日までに3人が訓練を終わり,今後はイギリスでジェット機の訓練に入る予定(ST,10/27)。
DIA-208-1989-10-28-1ブルネイ1989年10月28日1980年代イギリス・フィリップ殿下来訪。世界自然保護基金総裁として。
DIA-208-1989-10-28-2ブルネイ1989年10月28日1980年代タイ国会議長来訪。
DIA-208-1989-10-28-3ブルネイ1989年10月28日1980年代首都で「ブルネイの防衛と開発」セミナー開催。
DIA-208-1989-10-30-1ブルネイ1989年10月30日1980年代工業・一次資源相,日本企業に対してバイオテクでの援助を要請。ブルネイをこのほど訪問した日本経済使節団に対して(BB,11/11)。
DIA-208-1989-11-01-1ブルネイ1989年11月01日1980年代ブルネイ航空,クアラルンプル便にボーイング757型機を投入開始。
DIA-208-1989-11-02-1ブルネイ1989年11月02日1980年代イタリア新大使,カナダ新高等弁務官が国王に信任状提出。
DIA-208-1989-11-04-1ブルネイ1989年11月04日1980年代麻薬取締でフォーラム開始。
DIA-208-1989-11-06-1ブルネイ1989年11月06日1980年代アジア太平洋経済協力会議にブルネイも外相,工業・一次資源相が参加。
DIA-208-1989-11-16-1ブルネイ1989年11月16日1980年代国王,マレーシア・セランゴールを訪問。同日夜の歓迎パーティで国王は「経済,社会,宗教開発の面でセランゴールに協力する」と演説。セランゴール・スルタンはブルネイ王妃(Raja Isteri Pengiran Anak Saleha)にDarjah Kerabat Selangor Kelas Ⅰを授与。
DIA-208-1989-11-27-1ブルネイ1989年11月27日1980年代Ismail開発相,インドネシアを訪問し,27日にスハルト大統領と会見。住宅建設計画に関して意見交換。
DIA-208-1989-11-30-1ブルネイ1989年11月30日1980年代第21回ASEAN経済相会議,ブルネイで開催。
DIA-208-1989-12-02-1ブルネイ1989年12月02日1980年代Jasra系探査会社に新鉱区認めらる。BB紙2日によると,政府とJasra International Petroleum Sendirian Berhad(JASPET)との間でこのほどできた協定。JASPETはフランス系のELF Aquataine Offshore Asia B.V.とともに探査を行なう。Block-Bと呼ばれる1572Km2の海底で深さは10~80㍍。今回の協定でブルネイ沿海の大陸棚の40%は同社が受け持つこととなった。残り60%はシェル。なおJASPETが88年末に掘ったJuragan-1号井は石油2000バレル,ガス2000万立方フィートを生産するとされている。
DIA-208-1989-12-06-1ブルネイ1989年12月06日1980年代Isa内務相,一般大衆と高級公務員との意見交換集会で演説し,1962年以来の非常事態法令の必要性を強調。放送・情報局が主催し,全国から約1000人の大衆が参加した。国民の声を直接高級公務員に伝える機会としてはブルネイ最初の試み。
DIA-208-1989-12-11-1ブルネイ1989年12月11日1980年代「1989年ブルネイ国会発展展覧会」首都で開催。
DIA-208-1989-12-13-1ブルネイ1989年12月13日1980年代国王,水上部落を訪問。住宅が密集し,不法入国者の温床となったり,火災の危険があるので政府に協力してほしいと要請。政府は新規の建築を規制したい考え(→6/3)。
DIA-208-1989-12-30-1ブルネイ1989年12月30日1980年代雇用問題。Pengiran Yakub工業局長(工業・一次資源省)の発表によると,工業省は今後5年間に2000の工業事業を推進し4万の雇用を創出する予定。1986年の就業者8万6395人,失業者5291人で,現在は総労働力14万3354人のうち3.5%が失業中という(BB,12/30)。
DIA-208-1989-12-30-2ブルネイ1989年12月30日1980年代ペプシ・コーラ,噂の影響で売り上げ30%下がる。一ブルネイ人がイギリス留学中に入手した資料からペプシ・コーラには豚の血が入っている,と主張して宗教省に訴え出たが(10月末),ムフティが返信のなかで「飲まないように」と忠告したことが,噂として流れたもの。ブルネイでペプシを生産しているのはKingston Beverage and Creamery社。毎月2000カートンを生産。うち90%を国内で販売していた。
DIA-208-1989-12-31-1ブルネイ1989年12月31日1980年代イギリス,グルカ兵募集キャンプを閉鎖。カトマンドゥ東南320kmのゴパ・キャンプで,あとはポカラに1キャンプが残るのみ。