ID 国名 日付 年代 内容
DIA-301-1972-01-01-1バングラデシュ1972年01月01日1970年代外貨交換レート決定―政府は対英ポンド交換レートを18.9677ルピーにすると発表。
DIA-301-1972-01-01-2バングラデシュ1972年01月01日1970年代政府はインドに対する生ジュート,ジュート製品輸出禁止令を全面的に撤廃したと発表。
DIA-301-1972-01-03-1バングラデシュ1972年01月03日1970年代ブット大統領,ラーマン釈放を決定
DIA-301-1972-01-03-2バングラデシュ1972年01月03日1970年代ジュート工場の預金を凍結―ジュート委員会議長はジュート26工場の預金を次の措置が決定されるまで凍結すると発表した。
DIA-301-1972-01-03-3バングラデシュ1972年01月03日1970年代Sheikh Abdul Aziz運輸相は記者会見の席上,動乱,戦争によって鉄橋,橋が合計247個所破壊されたと語った。
DIA-301-1972-01-03-4バングラデシュ1972年01月03日1970年代政府,主要工業を接収―政府は,次の措置が決定されるまで,国内の主な製造工業を接収し,地域別にAからFまでのグループに分けて,それぞれ運営委員会を設置したと発表。
DIA-301-1972-01-03-5バングラデシュ1972年01月03日1970年代国内,国外ともに郵便業務が再開された。
DIA-301-1972-01-04-1バングラデシュ1972年01月04日1970年代バングラデシュ国際航空発足―イスラム大統領代行はバングラデシュ国際航空令(一時的)1972年,を発表し,前パキスタン国際航空公団を解散し,新航空会社の発足を発表した。
DIA-301-1972-01-04-2バングラデシュ1972年01月04日1970年代共産党(BCP)中央委員会決定─バングラデシュ共産党(BCP)はつぎのような中央委員会決定を発表した。(1)出来るだけ早い時期に全県,全区で党支部を開設する。(2)一般大衆,とくに労働者,農民,学生に対し,平和と秩序を回復するよう働きかける行動を開始し,国の経済生活の復興をめざす。
DIA-301-1972-01-05-1バングラデシュ1972年01月05日1970年代T.アーメド首相は国防軍将校達を集め,軍の再建事業などについて演説した。 なお席上バングラデシュ陸軍司令官オスマーニ大佐は,これまで抵抗組織として戦ってきた軍および兵士達はいまや政府軍の機能を果たし,完全に政府に忠誠を誓っていると述べた。
DIA-301-1972-01-05-2バングラデシュ1972年01月05日1970年代ムジブ・デイ集会―ダッカ・パルタンマイダンでバングラデシュ学生連盟主催のムジブ・デイ大集会が開かれ,ムジブル・ラーマン釈放を要求した。
DIA-301-1972-01-05-3バングラデシュ1972年01月05日1970年代インドとの貿易制限―政府は,これまで全面的に禁止されていたインドとの貿易を改定したが,全てが自由になったわけではなく,ある程度の制限を設け続けることには変わりないと発表した。なお,1968年7月に制定された対インド貿易制限法は有効であることも明らかにした。
DIA-301-1972-01-06-1バングラデシュ1972年01月06日1970年代サマード外相デリー着―アブダス・サマード外相は,朝ニューデリーに到着,直ちにガンジー首相およびスワラン・シン外相とそれぞれ別個に会談した。その後バングラデシュ代表団とインド代表団との会談が始められ,問題別に分科会が設定され,①難民送還,②両国の関係,③財政問題などが討議された。またこれとは別にラム国防相とも会談して,国防問題についての意見を交換した。
DIA-301-1972-01-06-2バングラデシュ1972年01月06日1970年代ブット,ラーマンの釈放を発表─ブット大統領は,ラーマンが間もなく釈放され,ダッカに帰還するだろうと述べた。これに伴いバングラデシュ政府はニューデリーで特別機をチャーターした。
DIA-301-1972-01-06-3バングラデシュ1972年01月06日1970年代民兵隊創設の準備―T.アーメド首相は新しく結成された民兵隊中央委員会を招集,これまで抵抗運動を続けてきた組織,兵士,武器などを新しい組織にするための準備を要請した。この民兵隊は,各区ごとに国家再建業務にたずさわるよう組織されるとも述べた。
DIA-301-1972-01-06-4バングラデシュ1972年01月06日1970年代サマード外相はデリーで,ガンジー首相のダッカ訪問を招待し,首相はこれを快諾した。
DIA-301-1972-01-07-1バングラデシュ1972年01月07日1970年代銀行・保険などを国有化―イスラム大統領代行はAL主催の(主催者:ALダッカ県書記長,州議会議員Moizuddin Ahmed)集会で演説し,要旨,つぎのように述べた。 (1)政府は間もなく銀行,保険,外国貿易,基幹産業を国有化し,搾取なき経済体制を確立するであろう。 (2)自動車,冷蔵庫などのぜいたく品は輸入を許可することはできない。一方,肥料,工業用原料などの農業増産に不可欠な商品の輸入は促進されるであろう。 (3)労働者は積極的な生産活動を行なわねばならない。いままでのように生産した分を資本家が搾取するようなことはないであろう。 また政府職員は,国家再建のために精励しなければならない。 なお,この集会にはアーメド首相ほか閣僚のほとんどが出席した。
DIA-301-1972-01-07-2バングラデシュ1972年01月07日1970年代ムジブ軍への指令─ムジブ軍(ムジブ・バーヒニ)は,全てのメンバーに対しつぎのような指令を行なった。(1)ムジブ軍はその組織を維持し,全支部と接触を保つ。(2)事務局の設立,スタンプ,その他証明書の発行は許可されない。これまでに発行もしくは設立されたこれらのものは全て廃棄される。(3)新聞やラジオをつうじての個人的な声明や発表は許されない。(4)ムジブ軍メンバーは個人もしくは集団で独自に武器の運搬や操作は許可されない。(5)メンバーは個人もしくは集団で独自に,逮捕または家宅捜索などを行なってはならない。(6)徴税,調達行為の禁止。(7)ムジブ軍の名において未登録の銃および車輌を保持または使用してはならない。(8)ムジブ軍の全ての政治活動は学生連盟,労働者連盟,アワミ連盟の名の下で行なわれねばならない。ムジブ軍の主要な目的はバングラデシュにMujibbadを広めることである。(9)ムジブ軍の行政分野はアワミ連盟義勇軍とGram Rakhi Bahiniと充分協力しなければならない。(10)国家利益と独立に有害ないかなる情報もアワミ連盟事務所,Gram Rakhi Bahiniセンター,義勇隊センター,ムジブ軍地方担当官に知らされなければならない。(11)メンバーは地方司令官の許可なしで・
DIA-301-1972-01-08-1バングラデシュ1972年01月08日1970年代ラーマン,ロンドンに到着パキスタンから―パキスタン航空の特別機で,ロンドンに到着して空港でバングラデシュ国民に対する第一声を送り「私は生きている,そして元気である」と述べた。
DIA-301-1972-01-08-2バングラデシュ1972年01月08日1970年代サマード外相とインド外相との共同コミュニケが発表され,その中で「インドは要請があれば,いつでも在バングラ駐留軍を撤退する用意がある」と述べた。
DIA-301-1972-01-08-3バングラデシュ1972年01月08日1970年代インド陸軍東部管区司令長官J.S.オーロラ中将は,インド軍はバングラデシュの法と秩序の回復まで今しばらく駐留の必要があると述べた。
DIA-301-1972-01-08-4バングラデシュ1972年01月08日1970年代デリーを訪問中のサマード外相は当地で療養中のバシャニーと会談した。
DIA-301-1972-01-09-1バングラデシュ1972年01月09日1970年代ロンドンに滞在中のラーマンは,8日夜ヒース首相と会談した。
DIA-301-1972-01-10-1バングラデシュ1972年01月10日1970年代ラーマン,ダッカに帰還―ムジブル・ラーマン大統領は午後1時42分,BOAC特別機でダッカ空港に到着。空港には大観衆が詰めかけ,“ジョイ・バングラ”の声に包まれた。なお空港には,イスラム大統領代行,アーメド首相ほか閣僚,AL指導部が出迎えた。
DIA-301-1972-01-10-2バングラデシュ1972年01月10日1970年代ラーマン帰国第一声―ラーマン大統領は空港に到着後直ちにラムナ・レースコースでの観迎大集会に出席して,演説を行なった(資料参照)。
DIA-301-1972-01-11-1バングラデシュ1972年01月11日1970年代暫定憲法令発布―バングラデシュ暫定憲法令(1972年)が大統領令として発布された。これは11日夜バングラデシュ放送をつうじて発表された。これはすでに選挙された国会,州議会がそのまま有効であり,首相が内閣を任命することができる旨などの定めを含んでいる。
DIA-301-1972-01-11-2バングラデシュ1972年01月11日1970年代インド政府2億5000万ルピー援助─インド政府はこのほどバングラデシュに総額2億5000万ルピーの商品援助の供与に同意した。これは,鉄鋼,肥料,石油などの原材料が主で,贈与である。またインド政府は5000万ポンドの借款供与にも同意した。
DIA-301-1972-01-11-3バングラデシュ1972年01月11日1970年代東独政府がバングラデシュを承認。
DIA-301-1972-01-12-1バングラデシュ1972年01月12日1970年代初代正式内閣成立―バングラデシュ独立後正式な初代内閣が成立,ムジブル・ラーマンが首相に就任し,その他11名の閣僚が発表された(担当閣僚一覧は資料参照)。なお大統領にはアブ・サイド・チョードリーが就任した。
DIA-301-1972-01-13-1バングラデシュ1972年01月13日1970年代ポーランドとモンゴルがバングラを承認。
DIA-301-1972-01-13-2バングラデシュ1972年01月13日1970年代政府初閣議―バングラデシュ政府の初の閣僚会議が首相の招集によって開かれた。この閣議では国旗(緑地に日の丸,これまでは日の丸の中に黄金色のバングラデシュ地図が描かれていた)および国歌,行進曲などが制定された。 また全ての農地に対する地代(延滞金,利子を含む)を1972年4月14日まで免除することを決定した。
DIA-301-1972-01-13-3バングラデシュ1972年01月13日1970年代これまでのパキスタン大統領官邸が,首相官邸に定められた。
DIA-301-1972-01-13-4バングラデシュ1972年01月13日1970年代ビルマ,バングラデシュを承認。これが7番目。
DIA-301-1972-01-14-1バングラデシュ1972年01月14日1970年代ラーマン首相,新経済計画を発表。
DIA-301-1972-01-14-2バングラデシュ1972年01月14日1970年代首相付官房長官にRafiqullh Chowdhuryが任命された。
DIA-301-1972-01-15-1バングラデシュ1972年01月15日1970年代11日バングラデシュを承認した東独のウインツアー外相は公式訪問のためダッカに到着,16日に共同声明を発表した。
DIA-301-1972-01-16-1バングラデシュ1972年01月16日1970年代ネパール,バングラデシュを承認。
DIA-301-1972-01-16-2バングラデシュ1972年01月16日1970年代バングラデシュ共産党議長モニ・シンがラーマン首相と会見。
DIA-301-1972-01-16-3バングラデシュ1972年01月16日1970年代全国哀悼デー―解放期間中パ軍の犠牲となった人々を悼む全国哀悼デーが決められ,各地で哀悼集会が開かれた。
DIA-301-1972-01-17-1バングラデシュ1972年01月17日1970年代解放軍に対する武装解除令─ラーマン首相は全解放軍兵士に対し,10日以内に携行武器を当局に引渡すよう命令した。
DIA-301-1972-01-18-1バングラデシュ1972年01月18日1970年代ラーマン首相,恩赦を発表─ラーマン首相は,東パが戒厳令下に置かれていた当時,簡易法廷や特別軍事法廷で有罪を宣告された人々すべてに対する恩赦を発表した。同時にその他の死刑囚についても将来特赦の可能性もある14年の禁固刑に減刑した。
DIA-301-1972-01-18-2バングラデシュ1972年01月18日1970年代日本,50万ドルの米を援助─福田外相は閣議で,バングラデシュにたいし国連をつうじて50万ドル相当の日本米を援助することの了承を得た。
DIA-301-1972-01-19-1バングラデシュ1972年01月19日1970年代3閣僚任命―さらに3閣僚が任命され,これで閣僚は15名となった。新任閣僚はつぎのとおり。 M.R. Siddiqui:貿易,商業相,Shamsul Hoq:地方政府・農村開発,協同組合相,Matiur Rahman:公共事業・住宅相
DIA-301-1972-01-19-2バングラデシュ1972年01月19日1970年代4大学総長任命―政府は全国4大学の総長をつぎのとおり任命した。 ダッカ大学:Dr. Muzaffar Ahmed Chowdhury ラージシャヒ大学:Dr. Sarwar Murshed チッタゴン大学:Dr. Innas Ali マイメンシン農科大学:Dr. Q.M.F. Rahim
DIA-301-1972-01-21-1バングラデシュ1972年01月21日1970年代プラニング・コミッションが発足,議長にイスラム工業相と4人の委員が発表された。
DIA-301-1972-01-23-1バングラデシュ1972年01月23日1970年代バシャニーNAP総裁がインドから10カ月ぶりに帰国,郷里サントシュに落ち着いた。
DIA-301-1972-01-24-1バングラデシュ1972年01月24日1970年代ソ連がバングラデシュを承認。これが16番目。
DIA-301-1972-01-24-2バングラデシュ1972年01月24日1970年代“タイガー”ことカデール・シディッキとその部隊が武装解除に応じ,ラーマン首相に武器を引渡した。“タイガー”はタンガイル地方を中心にパ軍に対しゲリラ戦をつづけ,これまでも武装解除をされていなかった。
DIA-301-1972-01-24-3バングラデシュ1972年01月24日1970年代在バングラ中国総領事館員(4名)とその家族,技術者など39名がビルマ航空機で引揚げた。
DIA-301-1972-01-25-1バングラデシュ1972年01月25日1970年代バシャニーNAP総裁はサントシュで仏紙記者と会談して「ラーマン首相が社会主義建設をめざすかぎり,協力する」と語った。
DIA-301-1972-01-25-2バングラデシュ1972年01月25日1970年代チェコスロバキアが承認。
DIA-301-1972-01-28-1バングラデシュ1972年01月28日1970年代アーメド蔵相は訪問中のデリーで「承認国からの経済援助は歓迎する」と述べさらに,「間もなく新通貨を発行する予定である」と語った。また基幹産業を国有化することも明らかにした。
DIA-301-1972-01-29-1バングラデシュ1972年01月29日1970年代インドとの間に洪水対策で協調することに両国当局との間で原則的に合意した。
DIA-301-1972-01-30-1バングラデシュ1972年01月30日1970年代ビハリー居住地区に外出禁止令─ベンガル人とビハール人の衝突が続いているダッカ郊外モハマッドプールとミルプール地区に無期限外出禁止令が出された。この日,ベンガル人16人が殺され50人が負傷したと伝えられた。
DIA-301-1972-01-30-2バングラデシュ1972年01月30日1970年代ゲリラは再建に協力を―ラーマン首相はダッカ市内2カ所で開かれた旧解放軍の武器引渡し式に出席し,集まった兵士たちに対し,「パキスタン占領軍によって廃墟となった国の建設に精を出し,人々の笑いを回復するよう努めて欲しい」と述べた。なおこの日の引渡し式は,ダッカスタジアムでBNAP(M)派所属,およびバングラデシュ共産党,バングラデシュ学生連合所属の解放軍,Basaboではダッカ市人民軍兵士に対し行なわれたもの。
DIA-301-1972-01-30-3バングラデシュ1972年01月30日1970年代政府,パキスタン人所有家屋を接収―マチウル・ラーマン住宅相は記者会見で「政府はダッカを含む全地域におけるパキスタン人およびその同調者の所有で所有権を放棄した全家屋および財産を接収する」と述べた。
DIA-301-1972-01-31-1バングラデシュ1972年01月31日1970年代世銀総裁,ラーマン首相と会談―5人の代表団とともにニューデリーからの帰途,マクナマラ世銀総裁はダッカに立ち寄り,ラーマン首相と45分間にわたって会談した。
DIA-301-1972-02-01-1バングラデシュ1972年02月01日1970年代全大学が再開された。
DIA-301-1972-02-02-1バングラデシュ1972年02月02日1970年代ベンガル人100人殺さる―ミルプールで起こったビハール人とベンガル人の衝突でベンガル人警察官,兵士など100名が負傷した。
DIA-301-1972-02-04-1バングラデシュ1972年02月04日1970年代英国が承認─英国がバングラデシュを正式に承認した。なお同時に,西独,デンマーク,スウェーデン,ノルウェー,フィンランド,オランダ,オーストリア,アイルランド,イスラエルも承認を発表した。
DIA-301-1972-02-05-1バングラデシュ1972年02月05日1970年代軍隊は必要ない―サマード外相はシレット県スナムガンジーで「わが国はパキスタン軍のように大軍を保持する必要はない。わが国民全てが,最後の血の一滴でもってこの自由を防衛するからである」と述べた。
DIA-301-1972-02-05-2バングラデシュ1972年02月05日1970年代学生組織が共同声明―中央学生行動委員会(DUCSU)の4名の指導者が,共同声明を発表した。要旨つぎのとおり。 ①政府は再建に向かって前向きに対処して欲しい。②資本主義的構造を改め,社会主義的建設を進めよう。③国民生活の全ての面でベンガル語を使用しよう。
DIA-301-1972-02-06-1バングラデシュ1972年02月06日1970年代バングラデシュ国軍総司令官M.A.Gオスマーニ大佐は12月16日にさかのぼって大将に昇格した。
DIA-301-1972-02-06-2バングラデシュ1972年02月06日1970年代NAP(B)政府を支持―NAPバシャニー派執行委員会がサントシュで開かれ,バシャニー総裁は「NAPは現政府を全面的に支持し,社会主義国家の建設のために協力する。NAPはアワミ連盟とも協調して社会主義実現をめざす。」などと述べた。この執行委員会はメンバー37人のうち,17人が出席して独立後最初に開かれた委員会である。なお席上中国について,その役割を批難した。
DIA-301-1972-02-06-3バングラデシュ1972年02月06日1970年代ラーマン首相,カルカッタを訪問―ラーマン首相は,午前10時特別機でカルカッタ空港に到着,空港にはガンジー首相自ら出迎えに現われ,赤いバラを手渡した。ラーマン首相一行にはサマード外相,政治担当書記官トフイイル・アーメドらが含まれている。ラーマン首相はガンジー首相とともにマンモス大衆集会に出席し「インドとバングラデシュの友好関係は世界の何人たりとも壊すことはできない」と述べた。
DIA-301-1972-02-06-4バングラデシュ1972年02月06日1970年代ラーマン・ガンジー会談―ラーマン首相とガンジー首相は2回にわたり,延べ3時間の会談をした。
DIA-301-1972-02-07-1バングラデシュ1972年02月07日1970年代ガンジー首相,1400万ドル援助を約束―ガンジー首相は,訪印中のラーマン首相に総額1470万ドル(1億1000万ルピー)の援助リストを直接手渡した。内容はジープ50台,救急車136台,トラック800台(1台につき粉ミルク200袋積載)などである。なおインドは先に資金,物資援助として,3300万ドル(2億5000万ルピー)の供与を決定しており,こんどの援助はこの内のもの。
DIA-301-1972-02-07-2バングラデシュ1972年02月07日1970年代ダッカ=チッタゴン航空路再開―バングラデシュ航空によるダッカ=チッタゴン航空路線が再開。
DIA-301-1972-02-07-3バングラデシュ1972年02月07日1970年代ムジブ・ガンジー最終会談―カルカッタを訪問しているムジブル・ラーマン首相は,ガンジー首相と最終会談を行なった。この会談ではとくに,経済再建へのインドの協力が討議された。これで両首脳の会談は2日間合計5時間にわたって行なわれた。なお当会談には,サマード外相およびインド外務省政策計画委員会議長D.P.ダルも出席した。
DIA-301-1972-02-10-1バングラデシュ1972年02月10日1970年代日本がバングラを承認。
DIA-301-1972-02-11-1バングラデシュ1972年02月11日1970年代ベルギー,オランダ,ルクセンブルグ,3国がバングラデシュを承認した。
DIA-301-1972-02-12-1バングラデシュ1972年02月12日1970年代首相,インド共産党議長と会談―ダッカを訪問中のインド共産党(CPI)議長S.A. Dangeは首相官邸でラーマン首相と会談した。
DIA-301-1972-02-12-2バングラデシュ1972年02月12日1970年代首相,政府職員に警告─ラーマン首相は午前9時,政府官庁舎の視察を行ない「国家建設の重要時,政府職員の怠慢,無気力は許されない。厳重に警告する」と述べた。この日首相は突然,官庁舎を訪れ,その時,多くの部門で職員が居合わせていなかったために特に語気を強めた。
DIA-301-1972-02-14-1バングラデシュ1972年02月14日1970年代E.ケネディ来訪―E.ケネディ米上院議員はダッカを訪問,首相官邸でラーマン首相と75分間にわたって会談した。なお会談後ケネディは「米国の承認はそう遅くはならないだろう」と述べた。
DIA-301-1972-02-14-2バングラデシュ1972年02月14日1970年代勤務時間延長─閣議で新しい勤務時間が定められた。政府機関および自治体は午前9時30分から午後5時までとし,午後1時30分から2時までを休憩時とする。
DIA-301-1972-02-15-1バングラデシュ1972年02月15日1970年代殉難週間始まる―2月22日の“殉難者の日”(ショヒード・デイ)に向けて,今年から1週間殉難週間が設けられ,学生組織を中心に,各地でいろいろな催しが行なわれた。 なお1日目の15日,ラーマン首相は全国向け特別放送で「今日,われわれは自由を獲得した。しかしもしわれわれが搾取から解放された社会を建設しなければ,独立を真に享受することはできないだろう。そしてこの社会を建設するには,学生,青年,農民,労働者が一丸となって取組まねばならないだろう」と述べた。
DIA-301-1972-02-15-2バングラデシュ1972年02月15日1970年代カナダがバングラデシュを承認。
DIA-301-1972-02-16-1バングラデシュ1972年02月16日1970年代シンガポールがバングラデシュを承認。
DIA-301-1972-02-18-1バングラデシュ1972年02月18日1970年代AL執行委に代わって組織委員会─2日間にわたって行なわれていたAL執行委員会が終了。ラーマン総裁は現在の執行委員会に代わって組織委員会を設置することを決定した。これは党の幹部がほとんど政府に参加したため必要に迫られた措置である。なお詳細は追って発表される。これまでの執行委員会は1970年6月に選挙された委員で構成されており,下部に三つ(憲法,声明,綱紀)の小委員会があった。
DIA-301-1972-02-18-2バングラデシュ1972年02月18日1970年代ビルマ政府との会談開始―外務次官S.A. Karimを団長とする政府使節団はラングーンでビルマ政府と会談,米25万トンの輸入,在ビルマ避難民の帰国問題について討議した。また席上,駐北京大使館付のベンガル人外交官の帰国についてビルマ政府へ協力を依頼した。
DIA-301-1972-02-19-1バングラデシュ1972年02月19日1970年代承認前はパとの会談はない―サマード外相は記者会見で「パキスタン政府がバングラデシュ独立を承認しない限りブット大統領との会談には応じられない。」と語った。
DIA-301-1972-02-20-1バングラデシュ1972年02月20日1970年代インドネシアとマレーシアがバングラデシュ独立を同時に承認した。
DIA-301-1972-02-22-1バングラデシュ1972年02月22日1970年代殉難者の日(ショヒード・デイ)―1952年のベンガル語国語要求運動の際犠牲になった人々を悼むショヒード・デイが全国各地で催された。今回は独立後最初の催しとあって盛大に行なわれ,ダッカではラーマン首相はじめ閣僚がアジンプールの殉難者墓地を訪れた。そしてショヒード・ミナールでの集会でラーマン首相は「困難を乗越えて獲得した独立は意義深いことである。独立を阻害しようとする陰謀には充分警戒しなければならない」と述べた。
DIA-301-1972-02-23-1バングラデシュ1972年02月23日1970年代NAP党首バシャニーはサントシュで声明を発表し,「政府は国の工場および産業をすみやかに再開すべきである」と述べた。この声明の要旨はつぎのとおり。 (1)いま銀行は,労働者の賃金支払い原材料購入用の資金を工場に貸出していない。また新しく政府から任命された工場管理者は銀行との融資取決めをできるほど強力な人物ではない。労働者はそのため食糧もなく働くこともできない。 (2)国の経済は,独立後直ちに再建されなければならない。しかし“技術面”では故障が続出している。政府はこの故障を直ちに治すべきである。 (3)国の産業がまた初歩的段階であるという云いわけを許すわけにはいかない。
DIA-301-1972-02-24-1バングラデシュ1972年02月24日1970年代政府は閣僚の月給を1,000ルピーと決定した。これまでは独立後,1,500ルピーであったが,政府の財政難が解消されるまで引下げることになったもの。
DIA-301-1972-02-25-1バングラデシュ1972年02月25日1970年代政府は独立闘争時に設立された各種の義勇組織を解体すると発表した。これはすでに使命が終わったためで,政府はそれに替わる新しい組織や委員会を設立している。
DIA-301-1972-02-25-2バングラデシュ1972年02月25日1970年代財界が政府に要望―産業界,貿易会などの代表者による経済会議がダッカ商工会議所の主催で2月14日,24日,25日の3日間にわたって開かれた。この会議で財界筋は①労使関係法の確立,②基本商品の貿易国有化,③生産調整のための委員会設立,④投資環境の整備,⑤独占企業の生成防御のための所得制限などの措置を検討するよう政府に要望した。
DIA-301-1972-02-26-1バングラデシュ1972年02月26日1970年代英国借款供与─英国政府はバングラデシュに対して総額483万5000ポンド(9186万5000ルピー)の借款を供与するための調印を終わった。この借款は2本立で,1つは143万5000ポンドで,以前英国からの輸入財への支払いを肩代わりするため,もう1つは総額340万ルピーで東パキスタン時代の借款返済に使われる。
DIA-301-1972-02-27-1バングラデシュ1972年02月27日1970年代農民組合中央委員会─サントシュでバングラデシュ農民組合(Krishak Samity)中央委員会が開かれ,委員長バシャニーは席上,反社会分子への闘争を呼びかけた。 なお中央委員会は中央組織10人委員会と名づけられた。メンバーはRashid Khan Menonなど10人である。
DIA-301-1972-02-28-1バングラデシュ1972年02月28日1970年代暴徒,チッタゴン警察を襲う―数千人の暴徒がチッタゴン市内の2つの警察暑を襲撃し,電話線などを切断した。この事件は最初,200人の武装団がAbidarparaとAgrabadのアワミ連盟党員の自宅を取り囲み,発砲して1人を殺し,数10万ルピーを略奪して逃走したことに対し,かけつけた警官が武装団員と思われる12名を逮捕したことに抗議した群衆が襲ったものといわれている。
DIA-301-1972-02-29-1バングラデシュ1972年02月29日1970年代前東パキスタン・ライフル連隊(EPR)はバングラデシュ・ライフル(BR)と名称を変更した。なおBRは警視総監の管轄下に入る。
DIA-301-1972-02-29-2バングラデシュ1972年02月29日1970年代ラーマン首相ソ連へ出発─ラーマン首相とその一行は,ソ連の特別機で同夜モスクワに向け出発した(予定は4日間)。空港でのメッセージで,首相は「バングラデシュ政府と国民は,解放闘争期間中,終始支持と協力を与えてくれたソ連政府と国民に深く感謝する」と述べた。
DIA-301-1972-03-01-1バングラデシュ1972年03月01日1970年代首相,ソ連首脳と会談―ラーマン首相は現地時間1日,午前11時にモスクワに到着,空港ではコスイギン首相,ポリヤンスキー副首相,グロムイコ外相らの出迎えを受けた。 ラーマン首相はそのままクレムリンに入り,直ちにコスイギン首相と会談した。この会談にはバングラ側からはサマード外相,カリム外務次官,シャムスル・ラーマン駐ソ大使,マチウル・イスラム大蔵次官,キブリア外務省総局長らも出席した。またソ連側からはビバコフ副首相,グロムイコ外相,グレチコ国防相らが出席した。夜,コスイギン首相主催の晩さん会が開かれ,両国首相が歓迎の挨拶を述べた。コスイギン首相は「相互平等の原則に立った実りある協力と友好」を唱え,ラーマン首相は「われわれは平和のために積極的役割を果たしていく」と述べた。
DIA-301-1972-03-01-2バングラデシュ1972年03月01日1970年代パキスタン軍占領中における戦争犯罪を摘発するために,特別警察機関の設置が警視総監によって指令された。この機関長にはNarul Islamが任命された。
DIA-301-1972-03-01-3バングラデシュ1972年03月01日1970年代全村落に警察署─政府は,いま全国4,000村落全部に警察署を設置する計画を検討中である。これは警視総監Khalequeが発表したもので,このための予算措置として,少なくとも4億ルピーが必要であるとされ,また人員も10万人が増加される予定である。なお,現在,全国で441の警察署があり,警察官は2万7000人である。
DIA-301-1972-03-02-1バングラデシュ1972年03月02日1970年代ソ連援助は4580万ドル─ラーマン首相は,コスイギン首相と2回目の会談をした。この会談にはブレジネフ書記長も参加し,ソ連・バングラ共同宣言について検討した。またこの会談でソ連との間で経済援助協定に調印した。この協定によるとソ連は合計33億3000万ルピー(4580万ドル)の経済援助を供与するというもの。このなかには進行中のソ連援助プロジェクトに対する援助協定(計3800万ルーブル)も含まれ同時に調印された。
DIA-301-1972-03-02-2バングラデシュ1972年03月02日1970年代独立後地方からダッカへ職を求めて流入する人口が激増し,ダッカ市カクライルの職業紹介所は連日,長蛇の列がきずかれている。
DIA-301-1972-03-03-1バングラデシュ1972年03月03日1970年代首脳会談終る―ラーマン首相とコスイギン首相は第3回目の会談を終え,クレムリンで,午後12時30分「共同官言*」に調印した。 *「共同宣言」内容は資料参照。 また同日,サマード外相はグロムイコ外相と国際情勢について意見を交換した*。またラーマン首相はこの日,コスイギン首相の案内でレニングラードを訪れた。 *なおこの会談でグロムイコ外相は,在パ,ベンガル人のバングラ帰還にソ連は適切な援助をすると述べたと伝えられる。
DIA-301-1972-03-03-2バングラデシュ1972年03月03日1970年代新通貨発行―バングラデシュ銀行は,3月4日を期して,100タカ,および1タカ新紙幣をダッカ,チッタゴン,クルナ,ボグラの各支店をつうじて発行すると発表した。なお新通貨はタカ(ベンガル語でルピーの呼称に使われているが,もともと通貨を指す一般的な呼称と呼ばれ,各紙幣ともTakaと表示されている)。
DIA-301-1972-03-03-3バングラデシュ1972年03月03日1970年代ブルガリアと貿易協定―シディッキ商業相はブルガリア代表団との間で貿易協定に調印。 これは,往復5400万ルピーでバングラからはジュートおよびジュート製品(1480万ルピー)をはじめ皮革,獣毛,茶など,またブルガリアからは電気製品などの工業製品がそれぞれ輸出される。
DIA-301-1972-03-04-1バングラデシュ1972年03月04日1970年代レニングラードで,ラーマン首相とコスイギン首相は最後の私的会談を行ない国際情勢について意見交換した。なおラーマン首相一行は同日タシュケントに到着した。
DIA-301-1972-03-04-2バングラデシュ1972年03月04日1970年代50ルピー紙幣流通禁止―今日からの新通貨発行に際し,バングラデシュ銀行は旧パキスタンルピーのうち50ルピー紙幣の流通を3月5日から禁止すると発表した。なおこの措置により50ルピー所有者は銀行,郵便局でその他の通貨と交換できることになった。
DIA-301-1972-03-04-3バングラデシュ1972年03月04日1970年代民族アワミ党首バシャニーはムジブル・ラーマン宛に電報(発信地サントシュ)を送り,「政府は平和を破壊する反社会分子を徹底的に取締り,物価の値上がりに対し決定的な措置をとるべきである。」と述べた。
DIA-301-1972-03-05-1バングラデシュ1972年03月05日1970年代タシュケントで1泊したラーマン首相は帰国を前に5日間のソ連訪問についてメッセージを送り,「ソ連・バングラ間の友好関係は,この期をつうじてさらに強固なものとなった。バングラデシュの国民は,自らの解放闘争に寄せたソ連指導者と国民の支持と支援を決して忘れない。」と述べた。なお首相一行は同日帰国の途についた。
DIA-301-1972-03-05-2バングラデシュ1972年03月05日1970年代ラザカール,ミゾ反乱軍と合流―チッタゴン・ヒル県バンダルバン南東60マイルのラム管区Thanchi Bazarでラザカールとミゾ反乱軍の合同隊が警察派出所,商店などを襲撃して警官6名を含む12名が殺された。報告によるとこの反乱軍は総勢500人でほとんどが自動小銃で武装していた。またこの後Ruma警察は占拠された。なお残る8名の警官は部署を放棄してバンダルパンに逃走,6日に到着して真相が判った。
DIA-301-1972-03-07-1バングラデシュ1972年03月07日1970年代旧パ通貨も流通可―バングラデシュ銀行は新通貨発行に伴い旧パキスタン通貨(10ルピー,5ルピー,1ルピー各紙幣)は,当分の間凍結せずに流通すると発表した。
DIA-301-1972-03-07-2バングラデシュ1972年03月07日1970年代国防軍法制定―政府はバングラデシュ国防軍(Jatiya Rakkhi Bahini)法,1972年を制定し,国防軍の創設を正式に決定した。
DIA-301-1972-03-08-1バングラデシュ1972年03月08日1970年代バングラデシュ共産党(Hatyar派)指導者Nasim Aliは,全てのマルクス=レーニン主義者に対し,統一共産党の旗の下で連合すべきであると訴えた。
DIA-301-1972-03-09-1バングラデシュ1972年03月09日1970年代バングラ航空周航―バングラデシュ航空は,2機のフレンドシップ機による国内便を開始した。便はダッカ=チッタゴン,ダッカ=シレット,ダッカ=ジェソール間である。
DIA-301-1972-03-10-1バングラデシュ1972年03月10日1970年代バングラデシュ農民組合は会合を開き,農民の土地保有制限を25ビガー(8.3エーカー)と定め,それ以上の土地は土地なき農民に再配分すべきであると主張した。
DIA-301-1972-03-12-1バングラデシュ1972年03月12日1970年代インド軍全面撤退。
DIA-301-1972-03-13-1バングラデシュ1972年03月13日1970年代早川使節団,ラーマンと会談早川崇自民党代議士を団長とする使節団はラーマン首相と会見,早川代議士は訪日招待を盛り込んだ佐藤首相の親書を手渡した。
DIA-301-1972-03-16-1バングラデシュ1972年03月16日1970年代インドの援助は20億ルピー─チャバン蔵相は上院でバングラデシュ再建のためにインド政府は総額20億ルピーの援助を与え,今年度予算に計上すると述べた。
DIA-301-1972-03-17-1バングラデシュ1972年03月17日1970年代ガンジー来訪―ガンジー首相は3日間の公式訪問のためにダッカに到着。一行にはスワラン・シン外相も含まれている。空港から直接,歓迎集会会場のサラワルデイ広場(旧ラムナ競馬場)で演説した。なおラーマン首相も歓迎演説を行なった。
DIA-301-1972-03-17-2バングラデシュ1972年03月17日1970年代インドは全面援助─ガンジー首相は夜,ラーマン首相主催の晩さん会で「インドはバングラデシュに対して,可能な限りの援助を約束する」と述べた。またこの日はラーマン首相の誕生日にあたっていたため,ガンジー首相はその祝辞を述べ「ラーマン首相はベンガルの友ばかりでなく,全ての抑圧された人類の友である」と評した。
DIA-301-1972-03-17-3バングラデシュ1972年03月17日1970年代バシャニー,ガンジー来訪を歓迎―バシャニーNAP党首は,タンガイルからダッカ訪問中のガンジー首相に電報を送り「わたしがヘルニア病のため出迎えできないことをお許し下さい。神にちかって,両国の友好関係を保持することに努力します。両国が力を合わせて,アジア,アフリカ,ラテン・アメリカにおける社会主義建設を進めていこうではありませんか」と述べた。
DIA-301-1972-03-19-1バングラデシュ1972年03月19日1970年代印・パ友好条約調印―ガンジー首相とラーマン首相は,“インド・バングラデシュ友好,協力,平和条約”に調印した。この条約は向こう25年間有効のもの(内容はインドの項参照)。また,ガンジー首相は正味48時間の訪問を終えて帰国した。帰国に先立ち,“インド・バングラデシュ共同宣言”が発表された。
DIA-301-1972-03-21-1バングラデシュ1972年03月21日1970年代米価は何故上がる―ラージシャヒ市AL委員長Moshinが昨今の米価急騰について理由は①当地区の主要問屋Chapai Nawabganjがこれまでラージシャヒ市場に流していたものを国境を越えて西ベンガルへ運んでいること,②大地主が在庫米を市場に出したがらないこと,③投機的な買占めがあること,などであると述べ,政府に対し米の流通平常化を促した。
DIA-301-1972-03-22-1バングラデシュ1972年03月22日1970年代ソ連・港湾修復に援助―バングラデシュ港湾施設修復援助協定がソ連との間で結ばれ,調印を終わった。これはソ連が破壊された港湾(チッタゴンおよびチャルナ)に対し,資金,計画,作業,調査,技術者派遣を含む援助を行なうとのもので,これに基づき間もなく実質作業が開始されることになった。
DIA-301-1972-03-22-2バングラデシュ1972年03月22日1970年代トリプラとの密輸増加―トリプラとの国境で,独立後密輸が急激に増加している。バイラブ,ブラーマンバリア,カスバ地域などから,米,小麦,魚,干魚,玉子・皮など日に約7万タカが輸出され,トリプラからは衣料・香辛料など日に3万タカ相当の物資が流れ込んでいる。これらの密輸は主にボートで行なわれている。
DIA-301-1972-03-23-1バングラデシュ1972年03月23日1970年代制憲議会令発布―大統領は制憲議会令,1972年を発布した。これは1971年3月26日から発効しているものであると発表された。
DIA-301-1972-03-23-2バングラデシュ1972年03月23日1970年代政府は,インド軍がなお領内にとどまっているとの報道についてつぎのような見解を発表した。「これらの報道は全く根拠のないことである。インド軍は国境を越えたミゾ反乱軍の追跡で作戦をしていることはある。」
DIA-301-1972-03-25-1バングラデシュ1972年03月25日1970年代西パ資本および逃亡者所有の商店,企業体(茶園およびジュート交易業を除く)を管理するための管理委員会が設置されたと商務省が発表,これによると全国委員会をはじめとして,県,市レベル,またダッカ,ナラヤンガンジ,クルナ,チッタゴンには特別小委員会が設けられる。なお全国委員会には政府,労働者代表,バングラ銀行などよりメンバーが任命される。
DIA-301-1972-03-26-1バングラデシュ1972年03月26日1970年代第1回独立記念日―第1回独立記念日式典がラムナ・レースコースで開催され,各種団体,バングラ国軍などのパレード,首相,大統領の記念演説が行なわれた。
DIA-301-1972-03-26-2バングラデシュ1972年03月26日1970年代国有化政策を発表─政府は企業の国有化を発表し,対象企業の原則を明らかにした(資料参照)。
DIA-301-1972-03-27-1バングラデシュ1972年03月27日1970年代国有化企業の公社化―政府はこのほど国有化した企業のうち,ジュート,繊維,精糖産業をそれぞれ一本化した公社を設立することを決定した。これによると①ジュート公社はジュート工場67,②綿貿易公社は綿紡績工場64,③精糖公社は精糖工場15をそれぞれ管轄することになる。この国有化企業の公社化は“バングラデシュ製造企業(国有化)令,1972年”に基づいて行なわれるもので,これまで国有化企業の公社は合計10になった。その他は製鋼公社,紙および紙板公社,化学肥料・薬品公社・鉱業・石油・ガス公社,林産物公社。食料加工公社,造船公社。 なおこの国有化政策について経済界はおおむね歓迎する態度をとった。
DIA-301-1972-03-27-2バングラデシュ1972年03月27日1970年代銀行の国有化―国有化された銀行の財産および負債が,新しく設立された6つの国営銀行に接収された。国有化の対象となった銀行はつぎのとおり。 (1)National Bank of Bangladesh,Bank of Bahawalpur,Premier Bank Limited,―Sonali Bankへ。 (2)Muslim Commercial Bank,Australasia Bank,Standard Bank─Rupali Bankへ。 (3)Habib Bank,Commerce Bank─Agsani Bankへ。 (4)United Bank,Union Bank─Janata Bankへ。 (5)Eastern Mercantile Bank─Pubali Bankへ。 (6)Eastern Banking Corporation─Uttara Bankへ。
DIA-301-1972-03-28-1バングラデシュ1972年03月28日1970年代法務省は,パキスタン軍同調者を裁判するため,全国に73の特別法廷を設置すると発表した。
DIA-301-1972-03-28-2バングラデシュ1972年03月28日1970年代教育省は小学1年生から5年生までの380万人に対し計780万部の無償教科書の配布を開始した。
DIA-301-1972-03-28-3バングラデシュ1972年03月28日1970年代インド・バングラ第1回貿易協定に調印。これには往復2億5000万ルピー,また国境貿易を延長16kmにするなどが取り決められた。
DIA-301-1972-03-29-1バングラデシュ1972年03月29日1970年代首相,チッタゴン訪問―ラーマン首相はチッタゴンを訪問して市民を前に演説し,つぎのように述べた。 (1)政府による国有化政策は何人も妨害することはできない。もし妨害しようとしているものがあれば,これを制止する方法を知っている。 (2)パキスタン軍同調者を処罰することは法秩序を守るための基本である。 (3)国民は一丸となって国家再建に努力しなければならぬ。もし国民が再建の業務を怠れば国は救われないだろう。 このあとラーマン首相は記者会見にのぞみ「わたしは老いてしまうた。長い演説はくたびれる」と述べた。
DIA-301-1972-03-31-1バングラデシュ1972年03月31日1970年代ベラマラに大強盗団―クスティア県Daulatpar郡Rifaitpar村に白昼,400名の武装大強盗団が襲撃,村長宅などに押し入った。急報にかけつけた警官隊と交戦,一時は村を占領した。数名の死傷者が出た。
DIA-301-1972-03-31-2バングラデシュ1972年03月31日1970年代バシャニー,インド資本進出を非難―バシャニーはチッタゴンでNAP(B)の集会で演説,インド商人のマルワリ進出を厳しく非難して要旨つぎのように述べた。 (1)インド政府および国民がバングラ独立を援助したことについては感謝しなければならぬ。しかし,マルワリが再びわが国土と国民を搾取し始めていることに重大な注意を向けなければならない。 ②マルワリはバングラだけでなく西ベンガルでも人民を搾取している。マルワリはすでにわれわれのジュート800万モンドを密輸し,規則的に米,魚,野菜,衣料,靴などを持ち出している。 (3)バングラで米の価格がすでに1モンド80タカになっているのもマルワリの投機買いのせいである。インド政府とバングラ政府の共通の敵マルワリに対し積極的な対策が必要である。
DIA-301-1972-04-02-1バングラデシュ1972年04月02日1970年代首相・ディナージプールへ─ラーマン首相はディナージプールを訪問,当地の集会に出席し,演説を行ない「食糧の密輸を防ぐため各警察所に人民委員会を設けることを提案する」と述べた。
DIA-301-1972-04-02-2バングラデシュ1972年04月02日1970年代バシャニー,ダッカで演説―バシャニーはダッカで独立後最初に開かれたNAP大集会に出席して,要旨つぎのように演説した。なおこの演説は途中から大雨のため8分間で中断された。 (1)いまやアワミ連盟の内部にも閉鎖された工場を勝手に悪用しているものがいる。政府はこうした反社会主義分子に対し徹底的に取締るべきである。 (2)もし政府が人民に充分な食糧を保証しないのなら,政府は自らの人気を失うことになるだろう。独立は人民自らの犠牲によって築かれたものだ。一部の特権階層だけのものではない。 (3)公正な裁判なしで何人も投獄されることは許されない。“ナクサライト”は彼らが組織を設立する前に正当に認められなければならない。“ナクサライト”の烙印を押されている人々を政府が国家叛逆者として除外することを怖れる。 (4)政府は雇傭機会を増大させ,労働者の正当な権利であるストライキを保護すべきである。
DIA-301-1972-04-03-1バングラデシュ1972年04月03日1970年代ジュート産業65%操業―バングラデシュ・ジュート工業会は業界の現状についてのプレス・ノートを発表。このなかで,全国のジュート工場のうち65%がすでに操業を開始し,ほぼ平常に復している。また生産は70~75%の水準を維持しているとしている。さらに労働者の80%が職場に復帰している。
DIA-301-1972-04-04-1バングラデシュ1972年04月04日1970年代首相,悪質業者に警告─ラーマン首相はマイメンシンでの大集会に出席,演説を行なった。ことに悪質商人の不正行為を厳しく非難し,「基本的商品を取扱う商人の悪質行為は許すことはできない。物価上昇を防ぐためにも1週間以内に措置をとり,これら悪質な業者の営業免許を停止する」と述べた。
DIA-301-1972-04-04-2バングラデシュ1972年04月04日1970年代米国が独立を承認―外務省は米政府が独立を承認した旨の通告を受けたと発表。なおこの承認は57番目である。
DIA-301-1972-04-06-1バングラデシュ1972年04月06日1970年代AL党員16名除名―4月7日から始まる第1回AL総会を前に党本部は13名のAL国会議員の除名と13名の出頭要請を発表した。除名者はつぎのとおりであ る。 ①Md. Habibur Rahman(ボグラ)②A.K.M. Mahbubul IIslam(パブナ)③Syed Husain Mansur(パブナ)④Md. Abdul Ghaffar(クルナ)⑤Mohammad Sayeed(クルナ)⑥Abul Kalam Faizul Huq(バリサル)⑦Mosharaf Hossain(バリサル)⑧A.B.M. Nurul Islam(ファリドプール)⑨Amjad Hossain Khan(ファリドプール)⑩Md. Nurul Islam(ダッカ)⑪Zahiruddin(ダッカ)⑫Md. Obaidulloh Majumdar⑬Shmsul Haq(チッタゴン)・Akhtaruzzamen(マイメンシン)・Syed Badruzzaman(S.B. Zaman)(マイメンシン)・Dr. Abuk Hashem(シレット)。
DIA-301-1972-04-07-1バングラデシュ1972年04月07日1970年代AL総会開催―AL総会(会期2日間)がダッカの党本部で開かれた。総会ではラーマン総裁が所信表明演説を行ない,アーメド書記長が基調報告を行なった。なおバングラデシュ会議派総裁Monoranjan Dhar,BNAP総裁Muzaffar Ahmed教授,バングラデシュ共産党のA. Salamが特別ゲストとして出席した。
DIA-301-1972-04-08-1バングラデシュ1972年04月08日1970年代AL総会終了―AL総会2日目(最終日)は決議文を採択して終了した。なおこの日AL総裁ムジブル・ラーマンの留任が次期総会まで持越された。
DIA-301-1972-04-08-2バングラデシュ1972年04月08日1970年代ニクソン大統領がラーマン首相に書簡を送って,両国間の大使交換を望んでいることを明らかにした。この書簡は米ダッカ使節団長Spivackによって手渡されたものである。
DIA-301-1972-04-08-3バングラデシュ1972年04月08日1970年代国軍司令官交代─バングラデシュ国軍司令官M.A.G. Osmany大将は司令官を辞職し国会議員の資格を取り戻した。後任には参謀長官M.A. Rab中佐が任命された。なお同日付で参謀長官を陸海空に分けることを決定した。新任参謀長はつぎのとおり。 陸軍……K.M. Safiullah(臨時)大佐。海軍……Nurl Huq(臨時)大佐。空軍……A.K. Khandoker(臨時)大佐。
DIA-301-1972-04-09-1バングラデシュ1972年04月09日1970年代AL国会議員団会議―10日からの第1回制憲議会を控えて,AL国会議員団会議が開かれ,団長にラーマン総裁,副団長にノズルル・イスラム副総裁が再任された。なお当会議で解放闘争時にパ軍に殺されたAL国会議員10名の名前をつぎのとおり発表した。 Moshiur Rahman,Syed Ataur Ali(ジニソール),Aminuddin,Amjad Hussain(パブナ),Zihrul Huq(ラングプール),F.K. Safdar(ノアカリ),Nazmul Huq Sarkar(ラージシャヒ),Ahmed Rafia(パブナ),M.A. Aziz(チッタゴン),A. Huq(シレット) また同日の閣僚会議で第1回制憲議会の議長にSufi Abdul Hamid(ラングプール),副議長にAbdul Malek Ukil(ノアカリ)を任命した。
DIA-301-1972-04-09-2バングラデシュ1972年04月09日1970年代AL国会議員7名が除名―ラーマンAL総裁はAL所属国会議員7名を反党行為者として党員から除名した。除名処分を受けたものはつぎのとおり。①Dr. Azahar Uddin Ahmed(ボケールガンジー7区)②Md. Abdul Barek(ボケールガンジー4区)③Abdul Hadi Talukder(パトゥアカリ3区)④Golam Ahad Chowdhury(パトゥアカリ2区)⑤Mujibur Rahman Talukder(パトゥアカリ4区)⑥Adeluddin Ahmed(ファリドプール7区)⑦Shamsuddin Ahmed(タンガイル9区)。
DIA-301-1972-04-10-1バングラデシュ1972年04月10日1970年代第1回制憲議会開会―全土が解放されてから116日目にあたるこの日第1回制憲議会(ゴノパリショッド)が午前10時から旧東パ州議会議事堂で開会された。ラーマン首相提案の4原則が承認され,議長などの指命が行なわれて,午後2時50分に終了した。なお議事は全てベンガル語で行なわれた。
DIA-301-1972-04-12-1バングラデシュ1972年04月12日1970年代8名の新任閣僚誕生─新たに任命された8名の閣僚およびポストはつぎのとおり。なおこれで,閣僚は全部で23名となった。 (1)Abdul Malek Ukil(ノアカリ)……保健,家族計画,(2)Molla Jalaluddin Ahmed(ファリドプール)……郵政,電信・電話,(3)Sohrab Hussain(ジェソール)……林業,漁業,畜産,④M.A.G. Osmany(シレット)……船舶,内陸水運,航空,(5)Dr. Mafiz Chowdhury(ボグラ)……電力,天然資源,技術研究,(6)Abdur Rab Serniabat(バリサル)……土地改革,地税,(7)Mizanur Rahman Chowdhury……情報・放送,(8)Abdul Mannan……内務
DIA-301-1972-04-14-1バングラデシュ1972年04月14日1970年代ベンガル暦の元日―ベンガル暦元日にあたるこの日,独立後始めての元日にむけて,ラーマン首相が特別メッセージを発表して,“黄金のベンガル”を再建しようと呼びかけた。
DIA-301-1972-04-15-1バングラデシュ1972年04月15日1970年代予告なしのストライキは不法―政府は,1971年3月25日以前の企業内における労使協定はいまだ効力を持つとの見解を明らかにした。また適切な予告あるいは手続をしないストライキやゲラオは不法であるとの見解を発表した。
DIA-301-1972-04-15-2バングラデシュ1972年04月15日1970年代ソ連サルベージ船到着―ソ連のサルベージ船HB-175を中心としたサルベージ艦隊がチッタゴンに到着し,まもなくチッタゴン港の本格的復旧作業を開始することになった。なお4月2日に,すでにサルベージ・チームが到着して調査はほぼ終了している。
DIA-301-1972-04-17-1バングラデシュ1972年04月17日1970年代AL人事異動―ムジブル・ラーマンAL総裁は組織委員会メンバー44名を発表するとともにALの新人事機構を発表した。これによると総裁はラーマンが留任,書記長にはZillur Rahman(Bhairab出身国会議員),副総裁にKorbau Ali(筆頭),Zahirnl Qaiyum(コミラ出身国会議員),Abdul Rahim(ディナージプール出身国会議員)が指命された。またその他組織担当書記長にAbdur Razzak(国会議員,AL義勇隊長兼任)組織委員会会計担当にAbdul Momenが選ばれた。
DIA-301-1972-04-17-2バングラデシュ1972年04月17日1970年代憲法起草委員会(委員34名,委員長Dr. Kamal Hussain)の第1回会合が開かれた。
DIA-301-1972-04-18-1バングラデシュ1972年04月18日1970年代国境警備隊およびバングラデシュ・ライフルが国境地帯における密輸を取締るためさらに警備を強化した。
DIA-301-1972-04-19-1バングラデシュ1972年04月19日1970年代英連邦に加盟─英連邦事務総長Arnold Smithはバングラデシュが正式に英連邦に加盟したと発表した。32番目。
DIA-301-1972-04-26-1バングラデシュ1972年04月26日1970年代デリーのステーツマン紙記者との会見でラーマン首相は「バングラデシュの同意がないかぎり,印・パは戦争捕虜問題について交渉はできない」との考えを明らかにした。
DIA-301-1972-04-29-1バングラデシュ1972年04月29日1970年代印・バ電源配分で協力―政府とインド政府は水資源および電力の開発利用を調整するために共同電源調整委員会を設置することに合意をみた。これはインド水資源,灌漑相K.L. Raoと資源相ムスターク・アーメドの間で数日間会談が行なわれた結論である。この合意によるとインド側はトリプラ,ミゾラム地区にバングラから電力供給を受け,バングラ側は北部ベンガル地区に西ベンガルから供給を受けるなどの協定が成されている。
DIA-301-1972-05-03-1バングラデシュ1972年05月03日1970年代デリーを訪問中のサマード外相はガンジー首相およびスワラン・シン外相と会談。
DIA-301-1972-05-04-1バングラデシュ1972年05月04日1970年代ラーマン首相は「自由のために耐乏を」と呼びかけた。
DIA-301-1972-05-04-2バングラデシュ1972年05月04日1970年代消費者公社設立―ラーマン首相は,基本的商品の流通を円滑にするため消費者公社を近く設立する予定であることを明らかにした。
DIA-301-1972-05-04-3バングラデシュ1972年05月04日1970年代大蔵省は政府および地方公共団体,公社,自治体,大学など全ての公務員の給与引出し制限の新規則を発表。5月4日から1人1カ月1,000タカまでとした。なお1,000タカを超えて引き出す場合は,1,500タカまで10%,2,000タカまで15%,2,000タカを超えるものは20%がカットされる。
DIA-301-1972-05-06-1バングラデシュ1972年05月06日1970年代駐日パキスタン大使館付の5名の館員が,バングラデシュ大使館への忠誠を発表した。
DIA-301-1972-05-08-1バングラデシュ1972年05月08日1970年代首相,反社会分子との戦いを呼びかけ―ボグラを訪れたラーマン首相は,当地で開かれた大衆集会で要旨つぎのように述べた。 (1)帝国主義の手先が独立を脅やかそうとしている。国民はこれらの動きと徹底的に戦わねばならない。 (2)農村地域で人々を苦しめ,犯罪行為を続ける反社会分子を一掃しなければならない。 (3)反社会分子はいまでも武器を携行している。必要であれば警官は発砲が許される。 なお首相はこの演説の中でブラマプトラ河の橋建設は間もなく行なわれ,そのために日本人調査団がいまダッカに居ることを明らかにした。
DIA-301-1972-05-08-2バングラデシュ1972年05月08日1970年代ソ連大使はイスラム工業相に対して,ソ連船(コースター,1,285トン)を贈与した。この受渡し式はナラヤンガンジーで行なわれた。なおしばらく,当船の航行技術を教えるためソ連技師4名がつけられる。
DIA-301-1972-05-10-1バングラデシュ1972年05月10日1970年代承認するまでパとの会談しない―ラーマン首相はパブナを訪れ,当地で開かれた集会で要旨つぎのように演説した。 (1)ブット大統領は速かにバングラデシュを承認するべきである。承認すれば会談に応ずる用意はある。 (2)ブット大統領はパキスタン在住のベンガル人を無条件で送還すべきである。このほか首相はかさねて反社会分子の行動を非難し,国民の大同団結を呼びかけた。
DIA-301-1972-05-10-2バングラデシュ1972年05月10日1970年代印・バ国境貿易協定に調印―印・バ両国政府は国境貿易協定に調印して,数量制限,品目指定などを取決めた。なお協定第1条によると,この貿易が許される範囲は国境を中心に両国内8km以内の住民が,日営生活の必需品の交換に限るとされている。
DIA-301-1972-05-10-3バングラデシュ1972年05月10日1970年代全党連立内閣を―NAP委員長ムザファル・アーメドは,増大する国家の諸問題に対処するため全政党による連立政府を提唱した。またこの演説のなかで「中国と米国が手を結んだことはわれわれの独立を脅かすことになる。反社会分子の多くにはこれらの陰謀の手が伸びている」と語った。
DIA-301-1972-05-12-1バングラデシュ1972年05月12日1970年代土地税相Abdul Rab Sarpiabadは農地改革についてつぎのようにのべた。 (1)政府が土地保有制限を1農家当り100ビガー(33エーカー)に定めると46万2000エーカーの民有農地が再配分できる。これは社会主義政策の重大な第一歩である。(2)自作農育成によって協同組合化が促進されることになる。25エーカーが土地生産性からすると1つの経済単位になる。(3)保有上限100ビガーは最終的なものではなく,必要があればさらに下げることもできる。1960年センサスによれば完全な農業労働者は120万人,0.5エーカー以下は140万人に達している。
DIA-301-1972-05-13-1バングラデシュ1972年05月13日1970年代米国A.I.D.はバングラデシュに対してトタン板などの救援物資90万ドルを送付すると発表。
DIA-301-1972-05-15-1バングラデシュ1972年05月15日1970年代D.P.ダル,ダッカ訪問―インド外務省政策企画委員会議長D.P.ダルがダッカに到着,首相官邸でラーマン首相と会談。またサマード外相とは個別に1時間会談した。席上ダル氏は6月末の印・パ首脳会談に臨むインドの態度を説明,意見を交換した(18日まで)。
DIA-301-1972-05-15-2バングラデシュ1972年05月15日1970年代国産衣料品の民間取引を禁止─ラーマン首相は国産衣料品の卸,小売その他取引を禁止する布告を発令した。この措置は国産衣料(ことに綿製品)の流通改善,価格安定をはかるためのもので,今後衣料品については「衣料品店協会」を全国に設置して,これをつうじて売ることになる。なお現在,全国に綿繊維工場は44年6000万ヤードを生産しているが,これは国内総需要9億ヤードには,はるかに及ばない。またこの措置と平行して,政府は,国産綿布の工場供給についてはバングラデシュ中小工業公社(BSIC)が直接メーカーに配給カードに基づき配布することにした。
DIA-301-1972-05-15-3バングラデシュ1972年05月15日1970年代駐中国パキスタン大使K.M. Kaiserは周恩来首相と会見,バングラデシュについて意見を交換した。
DIA-301-1972-05-16-1バングラデシュ1972年05月16日1970年代インドと借款協定―インド政府との間で総額2億4100万ルピーの借款協定(3種類)が調印された。 内容要旨はつぎのとおり。 (1)総額6000万ルピー。 2機の中古FokkerF-27機と部品およびサービス。……年利2.5%,20年。 (2)総額1億ルピー。 鉄道修復工事,鉄道部品供与,通信機器,発電設備など……25年。 (3)総額8100万ルピー。 原油5,000トンなど……1973年1月1日より5年間,年利6.25%。
DIA-301-1972-05-17-1バングラデシュ1972年05月17日1970年代政府はこのほど公正価格で商品を売る指定小売店舗を設置することを決定した。これによると全国4,000店を目標(1村1店)に,商品12品目を指定し6月から開業することとしている。なお消費供給公社がすでに設置されているが,指定店舗はこの管轄下に入る。
DIA-301-1972-05-18-1バングラデシュ1972年05月18日1970年代バングラデシュと米国政府は大使交換措置を確立した。
DIA-301-1972-05-20-1バングラデシュ1972年05月20日1970年代ダッカ大学選挙で学生連盟敗北―ダッカ大学中央学生連合(DUCSU)役員選挙が行なわれ,開票の結果,学生連合(BCU)が勝った。1970年に第1回の選挙を行なっていらい学生連盟(BCL)の独占体制が続いていたが,これで一挙にくずれたことになった。組織別当選者数はBCU-8,BCL(Rab-siraj派)-6,BCL(Nure Alam派)-2,BCU(革命派)-2である。 なおこの選挙に候補者を立てた組織はつぎのとおりである。 BCU,BCU(革命的学生連合),BCL(Rab-Siraj派),BCL(Nure Alam派)Bangla Chhatra Union,Samajadi Chhatra Jote,Bangla Chhatra League,Forward Student BLock.
DIA-301-1972-05-20-2バングラデシュ1972年05月20日1970年代共産党(レーニン主義)が設立―バングラデシュ共産党(レーニン主義)が新しく5月17日設立された。これは“バングラデシュ共産主義者革命派調整委員会”と“バングラデシュ共産主義者統合センター”との合同協議会によって新党結成が決定したもの。中央組織委員会書記長にはAmal Senが就任した。なおこの際発表された“宣言”には,①独立の自由の闘争はまだ不完全であること,②労働者階級による革命の遂行と科学的社会主義の確立,③左翼冒険主義,セクト主義,右翼日和見主義,修正主義との闘い,などが指摘されている。また,党路線はインドのナクサライト指導者Charn Majumdarの政治路線をバングラデシュの共産主義活動に反対する反マルキストとしている。またソ連共産党の修正主義には反対しており,中国共産党に対しては,バングラ独立闘争については誤ちを犯したが,世界の人民を支持していることには変わりなく,中国共産党を断固支持するとしている。
DIA-301-1972-05-21-1バングラデシュ1972年05月21日1970年代サマード外相ビルマへ─サーマド外相は5日間の予定でビルマを公式訪問した。外相はカルカッタ経由でラングーンに到着した。
DIA-301-1972-05-21-2バングラデシュ1972年05月21日1970年代DUCSU選挙,BCUが独占―ダッカ大学中央学生連合の選挙は,執行部選挙でざらにBCUの圧倒的勝里利が決定した。執行部選挙では18議席中17議席をBCUが独占した。この選挙結果は, 副総裁:Mujahidul Islam Selim(BCU) 書記長:Mahbub Zaman(BCU) などで,BCL(Rab)はわずかに委員に女学生1名のみ当選。また同日行なわれたラージシャヒ大学でもBCUは全議席を独占した。
DIA-301-1972-05-25-1バングラデシュ1972年05月25日1970年代大統領は計画犯罪法令(特別法廷)を布告した。これは,特に商品の買いだめ,闇取引,密輸などの経済犯に対して施行され,買いだめ犯は最高科料10年とされている。
DIA-301-1972-05-25-2バングラデシュ1972年05月25日1970年代バングラ・ビルマ共同コミュニケ─訪緬中のサマード外相は,ネ・ウィン議長にバングラ訪問招待をラーマン首相に代わって要請,ネ・ウィン議長はこれを承諾した。また同日,バングラ・ビルマ共同コミュニケが発表され,両国の親善友好を強調した。
DIA-301-1972-05-25-3バングラデシュ1972年05月25日1970年代バングラ・タカ下落―パキスタン・ルピーの切下げ以後,バングラ・タカとインド・ルピーの交換比率は,ついに25~28%程度タカが安く取引されており,カルカッタの闇市では1インド・ルピーにつき3ルピーまで下落している(公定比率1:1)。
DIA-301-1972-05-28-1バングラデシュ1972年05月28日1970年代ストライキ・ゲラオを禁止―政府は国有化企業労働者のストライキ,ゲラオを向こう6カ月間禁止する大統領令を布告した。これに違反したものは懲役5年ないしは1万タカの罰金刑に処せられるとしている。この布告は正式には“国有化企業および政府公社(ストライキおよび不当労働行為禁止)令,1972年”というもの。この政令について,同時に工業省はその趣旨,具体的措置などについて説明した声明を発表した。
DIA-301-1972-05-29-1バングラデシュ1972年05月29日1970年代AL指導部極左分子を糾弾―AL副総裁Korban Ali,書記長Zillur Rahman,組織委員会書記長Abdur Razzakの3名は共同声明を発表して,国内の反動分子および極左分子に対する闘いを強化するとの姿勢を明らかにし,国民に協力を呼びかけた。なお同時にAbdur Razzakは反人民的週刊紙としてGanashakti,Haq Katha,Charampatra,Holidayの4紙を政府が直ちに発禁にするよう要望した。
DIA-301-1972-05-30-1バングラデシュ1972年05月30日1970年代生ジュート輸出を国有化―貿易・商業相M.R.シデイッキはナラヤンガンジーで開かれたジュート協会年次総会の席上,生ジュートの輸出業務を国有化すると発表した。この措置は7月1日から実施され,新しくジュート輸出公社が設立される。この公社は全額(1000万タカ)政府出資で,ジュートの輸出業務を行なう。
DIA-301-1972-05-30-2バングラデシュ1972年05月30日1970年代米,8000万ドルの現金―米国政府はバングラ政府に対し,9000万ドルの現金贈与を決定したが,この協定の調印がダッカで行なわれた。この内訳は3500万ドルが原棉,肥料などの商品輸入,残り5500万ドルが国内の発電所,橋,堤防の再建に当てられる。
DIA-301-1972-05-30-3バングラデシュ1972年05月30日1970年代政府,トーハの出頭を命ず―元NAP指導者で地下に潜入しているとされているMd. Toahaに対し,政府は6月9日,午後3時までの出頭を命じた。
DIA-301-1972-05-31-1バングラデシュ1972年05月31日1970年代新任されたDUCSU,RUCSU,DEUCSU,MAUSSUの委員長,書記長など9名の学生指導者が共同声明を発表し,8項目の要求を出した。 <8項目要求> (1)基本的商品の統制,規則的供給。 (2)食糧の緊急輸入,食糧生産増加のための農業部門投資の強化。 (3)略奪,破壊などの社会犯の取締り強化。 (4)不明。 (5)銀行,産業の国有化政策の具体化,土地改革の具体化。 (6)官僚主義の排撃,行政機構の機能化。 (7)教育制度の抜本的改革。 (8)反ソ,反インド宣伝への闘争,帝国主義毛沢東主義者への闘いの強化。
DIA-301-1972-06-02-1バングラデシュ1972年06月02日1970年代クルナで行動中の警察部隊は近郊農村で,反社会分子を摘発,戦車2台を含む,機関銃,ライフルなど多数の武器を発見して,合計53名を逮捕した。
DIA-301-1972-06-02-2バングラデシュ1972年06月02日1970年代サマード外相は4日間の予定でマレーシアを公式訪問した。
DIA-301-1972-06-02-3バングラデシュ1972年06月02日1970年代10タカ,5タカ紙幣発行。
DIA-301-1972-06-02-4バングラデシュ1972年06月02日1970年代学生連合(BCU:Mahbuhullah,Abdullah派)は,「政府は国有化企業におけるストライキ禁止令を解除すべきである」との声明を発表した。
DIA-301-1972-06-03-1バングラデシュ1972年06月03日1970年代パキスタン紙幣流入に警戒―政府当局は密輸業者やその他の反社会分子がインドから持ち込むパキスタンルピーが最近急増しているため,税関,国境警戒所での取締り強化を指示した。
DIA-301-1972-06-07-1バングラデシュ1972年06月07日1970年代首相主催の大集会開かる―ラーヤン首相主催による大集会がスワラルディ広場で開かれ,首相自ら政府の基本姿勢,政策などについて所信を表明し,国民には国家建設のため団結を呼びかけた。なお首相は4原則を説明するとともに要旨次のような演説を行なった。 (1)自給経済確立のために工業生産の増大を急がねばならない。 (2)退蔵者,闇業者,利潤追求者,密輸業者は15日以内に態度を改めるよう警告する。もし改めないなら政府は反社会分子として掃討処置をとる。 (3)対印,対ソ友好関係を非難するものに警告する。友好関係は確固としたものである。わが国の内政に干渉するのは印・ソあるいは米・英ではない。 (4)憲法草案は間もなく制憲議会によって制定される。一部の制憲議会メンバーが度々非難されることは悲しむべきことである。しかしすでに26人のメンバーを追放しており,全てのメンバーは信頼すべき人々である。 (5)ブット大統領は精神的安定を欠いているようである。しかし40万人の在パ,ベンガル人の帰国を拒否することはできない。
DIA-301-1972-06-07-2バングラデシュ1972年06月07日1970年代旧パ紙幣流通禁止―バングラデシュ銀行は,旧パキスタン紙幣のうち現在流通している5および10ルピーの流通を6月8日から全面的に禁止する旨発表した。なお1ルピー紙幣の流通はそのままである。なおタカとの交換措置は,1人1回200タカまで,6月12日までに交換することができる(なおその後6月14日までに延期された)。
DIA-301-1972-06-07-3バングラデシュ1972年06月07日1970年代クルナ出身MCA,Abdul Gafurが何者かによって殺害された。この事件についてラーマン首相は「絶対に許せない悪事である。調査委員会を急ぎ設置して,犯人を徹底的に追求するよう」指令を出した。
DIA-301-1972-06-09-1バングラデシュ1972年06月09日1970年代初代駐日大使任命―外務省は初代駐日大使にバングラデシュ国民会議総裁Monoranjan Dhar氏を任命した。なお同日,同省は機構改革を発表しこれまでの外務次官2ポスト(政治担当,行政担当)を1ポストに統合し,政治担当は主任次官として,また行政担当は事務局長が行なう。主任次官にはK.M. Kaiser(元駐中国大使)が就任し,これまでの政治担当次官Karim,および行政担当次官Kibriaはそれぞれ外国駐在大使に任命されることになった。
DIA-301-1972-06-10-1バングラデシュ1972年06月10日1970年代軍兵士と警官が撃ち合い―クルナへ航行中の船を止めようとしたMollarhat警察の警官隊と船を止めることを拒否した同船乗客のラル・バーヒニ兵との間で撃ち合いが行なわれ,巻き添えで2名の労働者が死亡したなおラル・バーヒニは,ムクチ・バーヒニの解散後Jatiyo Sramik League(労働者連盟)の義勇隊として,ラーマン首相の親衛隊の役割りをしている。隊長は国会議員で労働者連盟書記長Abdul Mannanである。
DIA-301-1972-06-10-2バングラデシュ1972年06月10日1970年代ダッカ市内の凶悪犯罪急激―1月から5月末までの5カ月間におけるダッカ市内での凶悪犯罪件数は6,850件に達し,殺されたものだけでも170名に及んでいる。
DIA-301-1972-06-13-1バングラデシュ1972年06月13日1970年代サマード外相は貿易問題討議のためネパールを訪問した。
DIA-301-1972-06-17-1バングラデシュ1972年06月17日1970年代IMF加盟決定―IMFはバングラ加盟を票決の結果決定した。119加盟国のうち88カ国が賛成,6カ国(コンゴ,ヨルダン,パキスタン,サウジアラビア,南ベトナム,ザンビア)が棄権24カ国が欠席・スーダン1カ国が反対票であった。なお正式加盟は8月18日。
DIA-301-1972-06-22-1バングラデシュ1972年06月22日1970年代反社会分子一斉捜査を指令─マンナン内相は全ての治安機関に対し,反社会分子に対する一斉捜査を指令した。なおこの指令で,必要あれば,何時でも外出禁止令が出せるとしている。またこのため午後4時より,防衛軍,警察隊は捜査に全力を注ぐ態勢をとった。
DIA-301-1972-06-22-2バングラデシュ1972年06月22日1970年代NAP党首バシャニーは,21日逮捕されたHaq Katha編集長E. Bariの即時釈放を要求した。なお,サントシュでの記者会見で,この逮捕は非民主主義的であると述べ,首相および内相あてに抗議電報を打ったことを明らかにした。
DIA-301-1972-06-25-1バングラデシュ1972年06月25日1970年代密輸業者は射殺―マンナン内相はタンガイルで,「国境で密輸業者が発見されれば直ちに発砲することがインド政府との間で了解に達した」と述べた。
DIA-301-1972-06-26-1バングラデシュ1972年06月26日1970年代Haq Kathaの編集長逮捕について,NAP(B)ダッカ支部,バングラデシュ労働者連合(BSF),バングラ労働者連合(BSF),バングラデシュ農民組合(BKS),バングラ学生連合(BCU),革命的学生連合(BCU),民主青年連盟がNAP(B)中央本部で合同会議を開き,“不当逮捕”であるとの態度を決定した。
DIA-301-1972-06-27-1バングラデシュ1972年06月27日1970年代内閣,予算を承認―内閣は大蔵相の提案した1972-73年度予算案を原案どおり承認した(予算内容は6月30日発表された。資料参照)。
DIA-301-1972-06-28-1バングラデシュ1972年06月28日1970年代印・パ首脳会談(4日間予定)がインドのシムラで開かれた(インドおよびパキスタンの項参照)。
DIA-301-1972-06-30-1バングラデシュ1972年06月30日1970年代1972-73年度予算発表タジュウディン・アーメド蔵相は,独立後初の予算を発表した。この予算は「再建と復興への予算」と題し,大幅な再建,開発プロジェクトを組み入れている。予算総額は78億6000万タカで,収入の部は28億5380万タカ,開発予算は50億1000万タカで,なかでも「食糧自給達成」を目標にした農業開発予算には10億3000万タカを計上している(詳細は資料参照)。
DIA-301-1972-07-01-1バングラデシュ1972年07月01日1970年代援助総額は37億5000万タカ─T.アーメド蔵相は記者会見の席上,外国援助について触れ要旨つぎのように述べた。 (1)今年度予算に外国からの援助は総額37億5000万タカ(うち20億タカは贈与)を計上した。 (2)われわれはたとえ飢死しても,ひもつきの援助だけは受取らない。 (3)いま世界中,援助なしで発展する国はない。援助は“必要な友人”なのである
DIA-301-1972-07-02-1バングラデシュ1972年07月02日1970年代印・パ,シムラ会談で合意に達する(パキスタン,およびインドの項参照)。
DIA-301-1972-07-02-2バングラデシュ1972年07月02日1970年代戦犯裁判はバングラで―ラーマン首相はクスティアでの集会で「ブット氏よ!あなたがどんな会談や会議を開くのも勝手だが,戦犯裁判は必ずバングラ領土内で行なうことを忘れるな」と強い口調で印・パ首脳会談を非難した。
DIA-301-1972-07-02-3バングラデシュ1972年07月02日1970年代共産党が集会─バングラデシュ共産党(BCP)は前身の東パキスタン共産党が1954年に設立されてから,最初の大衆集会をパルタン,マイダンで開いた。席上,モニ・シン議長はラーマン首相の提唱した国家4原則を支持すると表明した。
DIA-301-1972-07-03-1バングラデシュ1972年07月03日1970年代コナリー米大統領特使訪問─米国大統領の特使として元財務長官Thon B.コナリーがシンガポール経由でダッカに到着。ラーマン首相と105分間会談した。その後タジュウディン・アーメド蔵相,サマード外相と会談した(7月4日デリーへ)。
DIA-301-1972-07-05-1バングラデシュ1972年07月05日1970年代6カ月間投獄されていた独立闘争の指導者(地区司令官)Jalil少将が釈放された。なお少将は6日にラーマン首相と会見した。
DIA-301-1972-07-07-1バングラデシュ1972年07月07日1970年代第1次5カ年計画は75年に発足―タジゥディン・アーメド蔵・企画相は記者会見で「5カ年計画は現在企画委員会で製作中で73年には発足する予定である」ことを明らかにした。 なお記者会見には企画委員会副議長Dr. Nurul Islamなども出席した。また席上,蔵相は外国援助に言及し,総額37億5000万タカ(72~73年度予算計上分)のうち年次開発計画用には11億2000万タカであること,また援助額のうち72%は贈与分であること,またそのうち,3分の1は米国からのものであることなどを指摘した。 ○食糧の自給達成は75年までに:アーメド蔵相は食糧問題に触れ,「今日食糧問題は最も大きな,深刻な問題である。しかし,IRRI米を3期に普及させ,合計350万エーカーに生産すれば1974-75年までに自給が達成されよう」と述べた。なお米価問題では,今年1月から6月まで31%の値上がりを示しているが今年度内に20%まで抑えると述べた。 ○進行中の計画が先決:今年度のプロジェクト投資は新規計画よりも進行中の計画に対して優先権が与えられる。
DIA-301-1972-07-07-2バングラデシュ1972年07月07日1970年代通貨供給量15%増―流通通貨量は71年12月17日現在と比べ15%増加して5月26日現在41億7710万タカである。
DIA-301-1972-07-11-1バングラデシュ1972年07月11日1970年代大統領は“センサス法,1972年”を布告してセンサス調査の準備を指示した。
DIA-301-1972-07-13-1バングラデシュ1972年07月13日1970年代NAP党首バシャニーは,サントシュを訪れた保健相Abdul Malekに「ムジーブ(ラーマン首相)は国の唯一の望みである。私はラーマンが好きである。彼の眼前に何事も起こらぬことを祈っている」。
DIA-301-1972-07-16-1バングラデシュ1972年07月16日1970年代ガンジー首相からの親書―ガンジー首相のラーマン首相宛の親書が,来訪したインド首相付秘書官P.N. Haksarによって手渡された。 この親書にはシムラ会談での経過とインドの主張などの説明がなされているとされている。
DIA-301-1972-07-17-1バングラデシュ1972年07月17日1970年代サマード外相はソ連機でジャカルタに到着,当地では4日間滞在の予定。
DIA-301-1972-07-20-1バングラデシュ1972年07月20日1970年代大学の“自動的進級”要求―ダッカ大学で学生達による“自動的進級”を要求するゲラオで総長が6時間ほど部屋の中にとじこめられていたが,ラーマン首相自ら学生の説得に出かけたため即座に解除された。 なお解除のあと総長M.A. Chowdhuryは「試験なしで進級しようとする学生の要求は認めがたい。大変悪い傾向である」と述べた。 またこの日開かれたSalimullah Hall学生連合の役員就任式に招かれたタジュウディン・アーメド蔵相も,“自動的進級”の要求を非難し,「社会主義は不正な要求を承認しはしない」と述べた。
DIA-301-1972-07-20-2バングラデシュ1972年07月20日1970年代ソ連,チッタゴンに電機製造工場―ソ連とバングラデシュ機械・造船公社はチッタゴンの電機製造プラントに対する総額9300万タカの機械および建設資材供与に関する協定に調印した。これはソ連・バングラ経済技術協力協定(3月モスクワで調印)に基づくその一部である。またこれは1975年より返済が開始され12年間,利子は2%である。なおこのプラントはすでに北パテンガで整地作業(109エーカー)が進められている。
DIA-301-1972-07-20-3バングラデシュ1972年07月20日1970年代ジャカルタを訪問中のサマード外相は,スハルト大統領と75分間に亘り会談した。席上スハルト大統領はムジブ=ブット会談の促進は断念せざるを得ないと語った。
DIA-301-1972-07-21-1バングラデシュ1972年07月21日1970年代BCL全国大会開く―バングラデシュ学生連盟(BCL)全国大会がダッカで開かれ,ラーマン首相も出席した。席上,首相は国家4原則を説明し「学生諸君は社会主義社会実現のためにさらに血を流す準備をも怠ってはならない」と述べた。この大会はBCL議長Nare Alamによって開会宣言され,閣僚,AL指導層,NAP(M),共産党などからも代表者が出席した。 なお同じ日BCLのRab-Siraj派が3日間にわたる年次総会を開き,前DUCSU副議長A.M. Abdur Rabらが出席,BCLの義勇軍Joy Bangla Bahiniも参加した。なお大会スローガンは「国有化産業の行政官が占める議会をつうじては社会主義は達成し得ない。それらは人民の敵である」「ムジブを除いてはムジブ主義は資本主義を意味する」などであった。
DIA-301-1972-07-23-1バングラデシュ1972年07月23日1970年代BCL両派が衝突,100人負傷―BCL(Makhan Siddiqui派)全国大会がスハラワルディ広場で開かれていたが,その後市内デモ行進に移った。一方同じくBCL(Rad-Siraj派)はパルタンマイダンで年次総会を開いていた。M.S派のデモ隊がこのパルタンマイダン付近にさしかかった際,一部で両派間が衝突,棍棒などでの乱闘となった。この衝突によって約100名が負傷した。なおこの負傷者の中には,AL組織局長,国会議員Abdul Razzaque,前DUCSU副議長Abdul Rab,前DUCSU書記長Abdul Quddus Makhanなど指導者,警官,新聞記者なども含まれている。 なおこの事件について各関係者の反応はつぎのとおりである。 (1)BCL(Rab-Siraj派):前書記長Shahjahn Siraj,新委員長Sharif Nurul Ambia,新書記長A.F.M. Mahbubul Huqらの名前で声明を発表し,BCL(M.S派)のファシスト的攻撃として非難した。そして全ダッカの教育機関に対してストライキを呼びかけた。 (2)BCL(M.S派):中央ショヒッド・ミナールで抗議集会を開き,“学生の名をかたる毛沢東主義暴力集団”としてR.S派に抗議した。さらにこの派についてCIAと中国の陰謀に踊らされて政府転覆を企てる集団だともきめつけた。 (3)AL書記長:AL書記長Zillur Rahmanは.“過
DIA-301-1972-07-24-1バングラデシュ1972年07月24日1970年代学生の衝突について各派で応酬―23日のBCL両派の衝突事件で政治各組織はつぎのような反応を示した。 (1)BCL(R-S派):ダッカ大学構内で集会を開き,政府に対し事件調査委員会を直ちに設けるよう要求,前書記長S. Sirajは「アワミ連盟義勇軍と与党学生派によるファシスト的攻撃は科学的社会主義に基づく搾取なき社会を建設しようとしている人民を混乱に陥れるものである。このような攻撃に対して,全人民は決起しなければならない」と述べた。 (2)AL義勇軍:AL義勇軍隊長Abdul Razzakは「アメリカ帝国主義と中国日和見主義はバングラデシュに対して陰謀を企んでいる」と述べた。またTofail Ahmedは「ある特定のグループは外国人に踊らされてバングラに混乱をもたらしている」と述べた。 (3)BCP:バングラデシュ共産党中央政治局は声明を発表,「両派間の対立抗争は悲しむべきことである。ただ中国およびアメリカの圧力に利用された反動主義者が動き出していることは警戒しなければならない」と述べた。 (4)NAP(M):NAP総裁ムザファル・アーメドと書記長Pankaj Bhattacharyaが共同声明を発表,政治派閥による暴力主義を強く非難するとともに,全人民に対しこのような動きに反対するよう呼びかけた。・
DIA-301-1972-07-26-1バングラデシュ1972年07月26日1970年代ラーマン首相,治療のためロンドンへ─ラーマン首相は7月初め項より悪化していた膀胱結石の治療のためロンドンへ向かった。この日全国向けラジオ放送をつうじて自らロンドンへ行くことを発表し,国民は一致団結して国家建設に励むよう呼びかけた。なお留守中はノズルル・イスラム工業相が首相代行を勤める。
DIA-301-1972-07-29-1バングラデシュ1972年07月29日1970年代イスラム首相代行はラジオ放送をつうじて国民は全努力を傾けて平和を維持するようにと呼びかけた。
DIA-301-1972-07-29-2バングラデシュ1972年07月29日1970年代ダッカでAL抗議集会―ALダッカ市支部主催による大衆集会がバイタル・モカラムで開かれ,バングラデシュの独立を脅かす全ての陰謀に抗議し,ムジブル・ラーマンを信頼し,ムジビズムを逐行することを決議した。
DIA-301-1972-07-30-1バングラデシュ1972年07月30日1970年代左翼連合を強調(バシャニー)―バシャニーはサントシュでの自宅で記者会見に応じ,「ムジブの健康回復を心から願っている」と述べ,左翼連合について「左翼が連合すれば社会主義実現は極めて容易となるであろう」と語った。
DIA-301-1972-08-01-1バングラデシュ1972年08月01日1970年代輸入政策発表―新輸入政策(7月~12月)が商業相から発表された。このなかで①社会主義経済に則した外国貿易の実現,②工業生産,輸出産業の向上に資する外国製品の輸入の増加などの方向が明らかにされた(内容要旨は資料参照)。
DIA-301-1972-08-04-1バングラデシュ1972年08月04日1970年代地祖,地代を免除─政府はさきに保有制限以上の所有地の再配分を決めたが,これにういてアブドル・ロブ土地改革相は,再配分された農民の地租および地代を免除することを明らかにした。また同相は約4,000人の大土地所有者から80万ビガーの土地を収用できるが,これに4万8000エーカーの荒地を加えて土地なき農民に再配分する方向であるとも述べた。さらに再配分対象となる農家の優先順位をつぎのように指定した。 ①如何なる土地も持たぬ農家,②住宅地だけで耕作地を持たぬ農家,③住居地を含み保有地1.5エーカー未満の農家,④沖積地で耕作している農家,⑤戦争中に土地を無くし,独立戦争に加わった農家(但し耕作可能な成人がいること),⑥農業に従事可能な難民農家,⑦その他の農家。
DIA-301-1972-08-04-2バングラデシュ1972年08月04日1970年代ルーマニアとの間でバーター貿易協定が結ばれた。これは3年間で往復3650万タカである。
DIA-301-1972-08-05-1バングラデシュ1972年08月05日1970年代西独援助─西独政府はこのほどバングラに対し総額1500万マルク(3200万タカ)の借款を与えると発表した。この借款は最初,現在進行中の西独供与のプロジェクトにあてられる。条件は利子2%,10年据置き30年の延払い方式といわれる。
DIA-301-1972-08-06-1バングラデシュ1972年08月06日1970年代中国は承認せよ―アーメド蔵相はBCLのMatuail支部の集会で演説し「中国はバングラデシュの現実を認めるべきだ」と述べた。また同日,AL書記長Zillur Rahmanは記者会見で「わが国が何の抵抗もなしに国連に加盟できると期待している」と述べた。
DIA-301-1972-08-08-1バングラデシュ1972年08月08日1970年代政府は国連事務総長宛に正式に加盟申請を行なった。なおこれまでに独立を承認した国は全部で86カ国に達した。
DIA-301-1972-08-09-1バングラデシュ1972年08月09日1970年代ロンドン・クリニックに入院中のラーマン首相をヒューム英外相が訪れ,約30分間会談した。
DIA-301-1972-08-10-1バングラデシュ1972年08月10日1970年代AID援助―USAIDはバングラデシュに対し,小麦,食用油,その他食糧など総額1920万ドルの贈与を行なうと発表した。これで当局の贈与額は計2億9640万ドルになる。
DIA-301-1972-08-11-1バングラデシュ1972年08月11日1970年代国連安保理事会,バングラ加盟討議を開始。
DIA-301-1972-08-12-1バングラデシュ1972年08月12日1970年代マイメンシン選出国会議員Khondakar Abdul Malekは反組織的行動をしたということで,ALの党籍から除名された。なお同日付で同氏は国会議員を辞退した。Malekは民族農民連盟(J.K.L)の総裁である。
DIA-301-1972-08-13-1バングラデシュ1972年08月13日1970年代BSL(R-S派)委員長Sharif Nurul Ambiaと書記長,A.F.M. Mohbubul Huqは,バングラ国連加盟について充分な検討もせず,反対者を出した政府の外交政策を非難した。 また政府は中立外交と称してアメリカ帝国主義者と手を結んでいると指摘し,「世界の世論は遅かれ早かれ,バングラに対する中国の敵視策を変えていくであろう」と述べた。
DIA-301-1972-08-14-1バングラデシュ1972年08月14日1970年代土地保有制限は50ビガーに―AL書記長Zillur Rahmanは,Kishorganjでの集会で現行の土地保有制限100ビガーを50ビガーK引き上げるよう政府に求めると語った。また同席上でTofail Ahmedはバシャニーの反インド宣伝活動を非難して「バシャニーは左翼過激派から右翼回教政党までを統一しようとしている」と指摘した。
DIA-301-1972-08-15-1バングラデシュ1972年08月15日1970年代AL書記長,Zillur Rahmanはナトールでの集会で「アメリカおよび中国の手先に対しては団結して闘おう」と述べた。
DIA-301-1972-08-16-1バングラデシュ1972年08月16日1970年代土地保有制限は100ビガー―政府は農家1戸当りの土地保有制限は100ビガーと正式に決定した(土地保有制限法)。また土地税は保有地25ビガーまでを免除することも決定した(土地取得・小作法)。 (注)1エーカーは約3ビガー。
DIA-301-1972-08-20-1バングラデシュ1972年08月20日1970年代M.R.シディッキ商業相は「政府は衣料価格を固定した。国民は公定価格を上廻って買わないように」と要請した。
DIA-301-1972-08-23-1バングラデシュ1972年08月23日1970年代ルーマニアは2,300台の貨物車輌および部品を供与した。これは960万ドルの借款供与によるもの。
DIA-301-1972-08-25-1バングラデシュ1972年08月25日1970年代中国が拒否権―25日開かれた国連安保理事会で,インド・ソ連共同提案によるバングラデシュ加盟承認決議案に対し中国は拒否権を行使した。
DIA-301-1972-08-25-2バングラデシュ1972年08月25日1970年代日本が米5万トン供与─日本の食糧庁はバングラデシュに対し5万トンの米を供与することを決定し,在日パ大使と調印した。 条件は返済10年据置きの30年延払いで,利子は最初の10年2%,後20年は3%である。
DIA-301-1972-08-25-3バングラデシュ1972年08月25日1970年代アダムジー・ジュート工場で労働組合2派間で衝突し,死者2名,負傷者10名を出した。このため地区行政当局は工場内および周辺域に外出禁止令を布告した。
DIA-301-1972-08-26-1バングラデシュ1972年08月26日1970年代中国非難集会─ダッカ・バイタル・ムカラムで中国のバングラ国連加盟拒否権に対する抗議集会が開かれ,中国の拒否権行使を強く非難するとともに,中国の陰謀に踊らされている親中国分子への警戒を強調した。集会では「中国帝国主義を倒せ」とのシュプレヒコールを叫んだ。なお集会にはAL書記長,AL組織局長,民族労働連盟書記長,BCL委員らも出席した。
DIA-301-1972-08-26-2バングラデシュ1972年08月26日1970年代国連加盟失敗各界の反響 (1)NAP党首ムザファル・アーメド:バングラデシュ解放時にみせた中国の態度とは変わりのないものとはいえ,期待していたが裏切られた感じである。このような反動的態度を1日でも早く改めることを切に望む。 (2)サマード外相:北京とイスラマバードの密月がさらにはっきりしてきた。しかし,わが国の中国との友好関係を樹立しようとする外交政策の基調には変化はない。ただこのような中国の反人民的行為を許すことはできない。 (3)DUCSU:DUCSU執行委員会は中国の態度に抗議して,1日ストライキを宣言して,抗議集会を開いた。 (4)バングラデシュ共産党:中央政治局は中国の陰謀に警戒するようにとの声明を発表した。
DIA-301-1972-08-26-3バングラデシュ1972年08月26日1970年代バシャニーは食糧問題を検討するための全野党食糧問題行動委員会を設立したと発表。 なおこれに参加した組織はBNAP(バシャニー)バングラ民族連盟(BJL),労農組合連合,バングラデシュ共産党(レーニン派),バングラル共産党,BJL(アタウル・ラーマン派)など全部で19団体である。なおこの委員会は9月12日に第1回のプログラムを予定している。
DIA-301-1972-08-27-1バングラデシュ1972年08月27日1970年代ブット,ラーマン電話で会話―ブット大統領はラーマン首相がロンドンに滞在中,電話で意見交換したことがこのほど明らかにされた。なおこの際,ラーマン首相はブット大統領に対し「バングラデシュとしてはパキスタンが独立を承認しないかぎり,如何なる会談にも応じない」と語ったといわれる。
DIA-301-1972-08-27-2バングラデシュ1972年08月27日1970年代イスラム首相代行は,中国の拒否権行為を強く非難し,「中国はまたもわが国人民を裏切った」と述べた。
DIA-301-1972-08-29-1バングラデシュ1972年08月29日1970年代AL書記長,パシャニーを非難―AL書記長Zillur Rahmanは「バシャニーはわが国の独立と解放の破壊を陰謀している」と述べ,さらに「政府を非難することによって反人民的行為をとり続けている」と指摘した。
DIA-301-1972-08-30-1バングラデシュ1972年08月30日1970年代AL組織局長Abdur Razzakは「バシャニーの行動は帝国主義勢力と手を結んだ悪どいやり方で新革命と称した破壊活動である」と酷評した。
DIA-301-1972-08-31-1バングラデシュ1972年08月31日1970年代バシャニー,中国を非難―バシャニーはサントシュで記者会見に応じ,中国の拒否権行使は中国とバングラのいかなる友好関係に対しても裏切ったことになると述べた。
DIA-301-1972-09-01-1バングラデシュ1972年09月01日1970年代インドとの間にビザ協定―9月1日よりインドへ渡る際には必ずパスポートを携行し,ビザを取得しなければならなくなった。なおこれまでは,ほぼ無制限であった。
DIA-301-1972-09-01-2バングラデシュ1972年09月01日1970年代密輸徹底取締り―政府は関係各局に対し,全ての法律を駆使して密輸退蔵,投機買を摘発するよう指示した。これはとくに食糧などの密輸取締りを狙ったもの。 なおチッタゴンでイスラム首相代行は密輸一掃は国民の協力が不可決であると述べた。
DIA-301-1972-09-02-1バングラデシュ1972年09月02日1970年代サマード外相はジュネーブに到着,「アラブ3国(エジプト・イラク,シリア)はバングラの国連加盟を支持している」と述べた。
DIA-301-1972-09-02-2バングラデシュ1972年09月02日1970年代密輸取締りのためラージシャヒ県国境地域に夜間外出禁止令が出された。
DIA-301-1972-09-02-3バングラデシュ1972年09月02日1970年代BCL(R-S)の指導者A.S.M. Abdur Rabは,同派の集会で「反動派は社会主義建設の名の下に政治的自己満足に陥っている」と述べ,またShahjahan Sirajは「ファシスト分子はテロリズムをつうじて人民の声を抹殺しようとしている。政府がこれを黙認するなら,われわれは武器をもって闘うだけである」と語った。
DIA-301-1972-09-03-1バングラデシュ1972年09月03日1970年代バシャニー,全党連立内閣を要求―パルタン・マイダンでの大集会でNAP党首バシャニーは「ムジブル・ラーマン,ALを中核とする全政党による連立内閣の成立を提唱する」との内容の演説を行なった。また「現政府は人民の信頼を失っている。政府は人民をインドに売りとばした」とも述べ,さらに「バングラデシュ,西ベンガル,アッサム,メガラヤ,トリプラのベンガル人はグレート・ベンガルとして統一する運命にある」と述べた。 なお,この集会の後“飢餓行進”と名をつけたデモ行進が行なわれ,首相官廷でバシャニーはイスラム首相代行と会見,要求書を手渡した。なお会見では,バシャニーは物価抑制策を講じるようまた,食糧の公正な配給を要求した。
DIA-301-1972-09-04-1バングラデシュ1972年09月04日1970年代首相付政治担当秘書Tofail Ahmedはファリドプールで「バシャニーは中国の行動に奉仕している。中国が指摘しているがバングラにはインド軍兵士は1兵たりともいない」と述べバシャニーの言動を鋭く非難した。
DIA-301-1972-09-05-1バングラデシュ1972年09月05日1970年代インド軍は存在しない―政府は「バングラデシュ領土内にはインド軍は居ない」という内容の公式声明を発表した。この声明は中国の拒否権行使の理由の1つである「インド軍がいまもバングラデシュに駐留する」との言明に対して正式に否定したものである。
DIA-301-1972-09-05-2バングラデシュ1972年09月05日1970年代マリク外相来訪─マリク・インドネシア外相がダッカに到着,サマード外相らが出迎えた。
DIA-301-1972-09-07-1バングラデシュ1972年09月07日1970年代AL指導者の暗殺続く―このところALの地区指導者の暗殺が相次ぎ3月中だけでも10数件起きている。7日にはALファリドプール郡(パブナ県)委員長が射殺された。 またダッカ市内では連日,地雷の爆発事件が発生している。
DIA-301-1972-09-09-1バングラデシュ1972年09月09日1970年代外貨獲得は11億8000万タカ─解放後7.5カ月で合計11億8000万タカの外貨収入(輸出)があった。内訳はジュートおよびジュート製品輸出が11億5400万で,その他は皮革3730万,冷凍エビ1070万タカなどであった。
DIA-301-1972-09-10-1バングラデシュ1972年09月10日1970年代中国拒否権抗議集会─ダッカ・パルタン・マイダンで中国の拒否権行使に対する抗議集会が開かれ,イスラム首相代行は「22年間もアメリカの拒否権の犠牲になっていた中国が,何故自ら拒否権を使うのだろうか」などと演説した。またこの中でバシャニーを非難し,「インドとバングラの友好関係を裂こうとしている」と指摘した。
DIA-301-1972-09-12-1バングラデシュ1972年09月12日1970年代BSL(R-S派)は“レジスタン週間”を宣言,第1日目の集会で,反社会分子,米帝の手先,汚職一掃を要求するとともに「科学的社会主義建設への階級闘争」を呼びかけた。
DIA-301-1972-09-13-1バングラデシュ1972年09月13日1970年代A.R.セルニアバード土地改革相は「政府は合計138万6000ビガーの私有地を再配分することができる」と述べた。
DIA-301-1972-09-14-1バングラデシュ1972年09月14日1970年代ラーマン首相帰国―ラーマン首相は1カ月半ぶりにダッカに帰国した。なお帰国の途中デリーに立寄り,ガンジー首相と2時間にわたって会談した。なおこの会談には前日デリーに着いたサマード外相も出席した。会談の後,ラーマン首相は記者会見で「パキスタンが承認しないかぎり両国首脳会談はしない」と語った。 ダッカに到着後イスラム首相代行らと会談して,情勢を検討した。
DIA-301-1972-09-15-1バングラデシュ1972年09月15日1970年代Tofail Ahmedはチャンドプールでの集会でパ軍は占領中AL党員計1万7000人を虐殺したと述べた。
DIA-301-1972-09-16-1バングラデシュ1972年09月16日1970年代輸入衣料は配給制―TCB(貿易公社)は輸入商品の流通制度について,商品別に決定したと発表。それによると輸入衣料の場合は,SDOによって指定された村落レベルの業者,衣料品店などにSDOをつうじて卸され,配給カードのある消費者にのみ販売されることになる。その他TCBは直接消費者供給公社へ卸す。なお,この措置に基づいてダッカ県当局は県内の68の衣料販売業者(小売)を指定した。
DIA-301-1972-09-19-1バングラデシュ1972年09月19日1970年代国連代表団指命―国連総会にオブザーバーとして出席する代表団が指命された。団員は5名で団長にはインドネシア大使K.K. Panniが任命された。
DIA-301-1972-09-19-2バングラデシュ1972年09月19日1970年代食糧援助はすでに170万トン─UNROD(在ダッカ国連救援活動本部)代表V.B. Umbrichtは,9月始めまでに諸外国からの食糧援助は計170万トンに達し,11月までにさらに90万トンが到着する見込みであると発表した。したがって当初予定計270万トンの食糧援助はほぼ11月には全部到着する見通しとなった。
DIA-301-1972-09-19-3バングラデシュ1972年09月19日1970年代政府はBIWTA(バングラデシュ内陸水運局)総裁A. Rshidおよび会計局長,次長などを職務違反で更迭した。なお新総裁には臨時に海軍参謀長Nurul Huq大佐が任命された。
DIA-301-1972-09-19-4バングラデシュ1972年09月19日1970年代DIT(ダッカ改良公社)総裁Fazlul Huq,会計係官ら3名が職務違反で更迭された。
DIA-301-1972-09-22-1バングラデシュ1972年09月22日1970年代AL国会議員19名が除名処分─AL書記長Zillur Rahmanは汚職,エコヒイキ,職権濫用などの理由で計19名のAL議員を党籍除名処分にしたと発表,除名者はつぎのとおり ラングプール:Dr. Mohammad Abu Solaiman Mandal ボグラ:Dr. Zahidur Rahman,Taherul Islam Khan ラージシャヒ:Riazuddin Ahmed,Md. Abdus Salam パブナ:K.B.M. Abu Hena クスティア:Zaharul Huq ジェソール:Mosharaf Hossain クルナ:Habibur Rahman Khan ファリドプール:Kazi Hedayat Hossain ダッカ:Abdul Hakim Master,Md. Sajd Ali Mukhtear シレット:Masud Ahmed Chowdhury,Kazi Sirajuddin Ahmed コミラ:Gholam Mohiuddin Ahmed,Md. Hashem ノアカリ:Shakawat Ullah チッタゴン:Mirza Abu Mansoor,Akhtarnzzaman Chowdhury なおこれら19名全員は29日に国会議員の資格もはく奪された。
DIA-301-1972-09-24-1バングラデシュ1972年09月24日1970年代政府は汚職,エコヒイキ,職権濫用に対してこれらからも厳しい態度で臨むと発表,オブザーバー紙の推測によれば,さらに44名の国会議員の除名問題が検討されており,政府・自治体などの高級官吏にも及ぶとされている。なかでも,密貿易,闇行為に関係している人々がその対象とされている。
DIA-301-1972-09-25-1バングラデシュ1972年09月25日1970年代政府はバングラデシュ航空の社長Mashiur Rahman大尉を免職処分にし,臨時社長に,空軍参謀長A.K. Khandker空軍大佐が就任した。
DIA-301-1972-09-27-1バングラデシュ1972年09月27日1970年代政府は国有化企業のトップ・マネージメント委員会を設立。この委員会は労使双方の代表者から成り,賃金,労働条件などの労使問題などの話し合いの場となる。これはZ.A. Chowdhury労相によって発表された。
DIA-301-1972-09-27-2バングラデシュ1972年09月27日1970年代政府はパ軍協力者令に基づき,パキスタン時代の県および中央の平和委員会メンバーおよび村落委員の全員に逮捕令を出した。なお,これらの委員の大半はこれまで協力者として逮捕されている。
DIA-301-1972-09-27-3バングラデシュ1972年09月27日1970年代ダッカWASA総裁Latiqur Rahmanが更迭された。
DIA-301-1972-09-28-1バングラデシュ1972年09月28日1970年代シレット地区では当局の取締強化にもかかわらず大規模な密貿易が行なわれ,多くはギャング団を組織して半ば公然と行なっているといわれ,シレット地区のSunamgaj,Chhatakなどの地域が中心とされている。なおバングラ側からは魚,畜肉,卵,肥料,またベビーフード,替刃などの輸入品,米などで,インド側からは砂糖,食用油,香辛料・衣料品などである。通貨の交換率は,100インドルピーにつき166タカが現在の相場。
DIA-301-1972-09-28-2バングラデシュ1972年09月28日1970年代第1回空軍記念日式典がダッカ空港で行なわれデモンストレーシヨン飛行(ジェット戦闘機5機)を行なった。なおこの記念日は,1971年9月28日に解放軍がアッサムのディマプールで空軍を創設した日にあたる。
DIA-301-1972-09-28-3バングラデシュ1972年09月28日1970年代反インド運動を―NAP党首バシャニーはダッカ・パルタンマイダンで開かれたバングラ革命的学生連合(BBCU)第1回(解放後)年次総会で演説し要旨つぎのように述べた。 (1)国民はインドの影響力から自由になるために,また西ベンガル,アッサム,メガラヤ,トリプラからインドの独裁制を追い出すために起ちあがるべきだ。 (2)バングラ国民の敵は,バングラの現政府,インド拡張主義,ソ連社会帝国主義,米帝国主義そしてジョトダールのような国内反動主義である。 (3)政府は,独立の功労者といばってばかりいて,米価をつり上げ,言論を弾圧している。反政府運動を起こさねばならない。
DIA-301-1972-10-03-1バングラデシュ1972年10月03日1970年代A.マンナン内相は,これまでに275名の警官を含む4万1000人がパ軍協力者として逮捕されていることを明らかにした。
DIA-301-1972-10-03-2バングラデシュ1972年10月03日1970年代トファイル・アーメドは「バシャニーは解放闘争時,インドで安穏な生活を送っていながら,いまになってインドを必要以上に非難している」と語った。
DIA-301-1972-10-05-1バングラデシュ1972年10月05日1970年代密輸取締りに軍が一斉行動―ラーマン首相は密輸の取締り強化のため,陸軍,海軍に対し国境地帯で一斉行動を起こすよう指示した。
DIA-301-1972-10-06-1バングラデシュ1972年10月06日1970年代政府は密輸取締りにあたっている全ての機関を陸軍の指揮下におくことを決定した。
DIA-301-1972-10-07-1バングラデシュ1972年10月07日1970年代警察当局は7月,8月の2カ月間の犯罪摘発件数をまとめた。これによると密輸1,155件,殺人537件,誘拐125件,強盗731件,窃盗551件であった。なお密輸件数のうち410件がラージシャヒ県,373件がチッタゴン県内での件数。
DIA-301-1972-10-07-2バングラデシュ1972年10月07日1970年代元ダッカ高等裁判所長官(東パ時代)S.M.ムルシェッドがラーマン首相と会見。
DIA-301-1972-10-08-1バングラデシュ1972年10月08日1970年代バシャニーはダッカでの集会で,憲法は新しい議会を招集して国民の総意に基づいて制定されなければならないとして,現在の制憲議会にはその権利はなく,真の国民議会を開く必要があると述べた。
DIA-301-1972-10-09-1バングラデシュ1972年10月09日1970年代国境貿易停止―印・バ貿易会談で両国間の国境貿易を一時的に停止することが決定された。
DIA-301-1972-10-09-2バングラデシュ1972年10月09日1970年代英連邦蔵相会議(ロンドン)とIMF総会(ワシントン)に出席したT.アーメド蔵相が帰国,記者会見で世銀はIDA援助として,11の進行中のプロジェクトにたいし,総額1億ドルの借款を供与するだろうと述べた。
DIA-301-1972-10-10-1バングラデシュ1972年10月10日1970年代世界平和会議幹事会はラーマン首相に“ジュリオ・キューリー・メダル”を授与すると発表した。
DIA-301-1972-10-12-1バングラデシュ1972年10月12日1970年代憲法法案発表─憲法制定議会が招集され,第1日目の本会議でカマール・フセイン法相から憲法法案が提出された(法案要旨は資料参照)。なお当議会でラーマン首相は「憲法法案は如何なる修正も可能であり,対案は歓迎する」と述べた。
DIA-301-1972-10-12-2バングラデシュ1972年10月12日1970年代パ軍に破壊されたバングラ最大のHardinge橋がインドの技術援助によって修復が完成,再開された。
DIA-301-1972-10-14-1バングラデシュ1972年10月14日1970年代ラーマン首相は在パ・バングラ人の帰国に協力するようにとの書簡を国連事務総長に送った。
DIA-301-1972-10-14-2バングラデシュ1972年10月14日1970年代この2日間でダッカ市内で武器不法所持などで計78名が逮捕された。
DIA-301-1972-10-15-1バングラデシュ1972年10月15日1970年代政府は汚職官吏の摘発をさらに強化し,対象を警察関係にも拡げ,11人の警察高官を更迭した。
DIA-301-1972-10-16-1バングラデシュ1972年10月16日1970年代AL書記長Zillur Rahmanはダッカで「国内にCIAの手先による反社会・破壊活動が活発になってきている」と述べた。
DIA-301-1972-10-16-2バングラデシュ1972年10月16日1970年代15日からヒンズー教最大の祭であるドゥルガ・プジャが全国各地で催されているが,このところヒンズーとイスラム教徒間の衝突が相ついで,政府関係者は重大な関心を寄せて,警告を発した。AL副総裁Korban Aliは「コミュナリズムは反動分子の破壊活動に利用されるだけだ」と述べた。
DIA-301-1972-10-17-1バングラデシュ1972年10月17日1970年代国連事務総長はバングラデシュはパーマネント・オブザーバーとして参加することになると発表した。
DIA-301-1972-10-18-1バングラデシュ1972年10月18日1970年代外貨準備は8700万ポンド─バングラデシュ銀行の非公式発表によれば,現在外貨準備高は8700万ポンド(25億8800万ドル)で,うち6000万ポンドがIMF特別引出し権である。
DIA-301-1972-10-19-1バングラデシュ1972年10月19日1970年代バングラデシュ労働者連合,バングラデシュ農民組合,バングラデシュ革命的学生連合の指導者はコミュナリズムを非難する共同声明を発表。そのなかでバシャニーの闘争を支持することを明らかにし,NAP(M)の行動を非難した。
DIA-301-1972-10-19-2バングラデシュ1972年10月19日1970年代バングラデシュがUNESCO加盟を認められた。総会の討議で反対投票を投じた国は中国,アルバニア,ヨルダン,パキスタン,サウジアラビアであった。
DIA-301-1972-10-20-1バングラデシュ1972年10月20日1970年代憲法は国民投票で―バシャニーはサントスで「政府が云う“労農王国”を建設するためには労農代表によって憲法は制定されねばならず,憲法法案を国民投票にはかるべきである」と述べた。
DIA-301-1972-10-20-2バングラデシュ1972年10月20日1970年代パキスタン外務省スポークスマンはバングラデシュの国連オブザーバーを認めると発表。
DIA-301-1972-10-20-3バングラデシュ1972年10月20日1970年代ダッカ市内で各種反社会分子一掃作戦の結果,2日間で67人が警察当局に逮捕された。
DIA-301-1972-10-21-1バングラデシュ1972年10月21日1970年代AL書記長Zillur Rahmanは,バシャニーの国民投票による憲法制定の要求を非難し,「憲法は人民の代表である制憲議会で決定され,人民の審査を受けるべく選挙を行なうべきで,この選挙でALが勝てば人民が憲法を承認したことになる」と述べた。
DIA-301-1972-10-22-1バングラデシュ1972年10月22日1970年代政府は,解放直前に西パ企業家がその財産を西パへ送還した事実について調査していたが,このほどその結果を発表した。これによると,西パ企業家が西パへ送還した財産は総額78億5万タカに達したという。
DIA-301-1972-10-24-1バングラデシュ1972年10月24日1970年代議会唯一の野党議員Suranjit Sengupta(NAPムザファル派)は「憲法法案は国家4原則を反映するのに完全に失敗した」として当法案に反対することを国会で表明した。
DIA-301-1972-10-24-2バングラデシュ1972年10月24日1970年代バングラデシュ国民連盟総裁アタウル・ラーマン・カーンがラーマン首相と会談した。
DIA-301-1972-10-25-1バングラデシュ1972年10月25日1970年代憲法起草委員会委員Asaduzzaman Khanは議会で「憲法法案は社会主義移行を全面的に保証したものである」と述べた。これは各種の非難に答えたもの。
DIA-301-1972-10-25-2バングラデシュ1972年10月25日1970年代ラーマン首相はカラチ・ドーン紙記者からの質問状に文書で答え「パキスタンは歴史的好機をとらえるべきである」としてバングラの事実をとにかく承認することが先決であると述べた。なお,同紙記者はラーマン首相と直接会談した。
DIA-301-1972-10-26-1バングラデシュ1972年10月26日1970年代クスティア地区で数日間に700人の密輸業者が逮捕された。
DIA-301-1972-10-27-1バングラデシュ1972年10月27日1970年代ディナジプール地区だけでここ2日間で120名の密輸業者が逮捕された。
DIA-301-1972-10-27-2バングラデシュ1972年10月27日1970年代サマード外相が4日間の公式訪問のためベルグラードに到着。
DIA-301-1972-10-27-3バングラデシュ1972年10月27日1970年代A.マンナン内相は,軍・警挙げての密輸一斉取締りは,現在のところ成功していると述べた。
DIA-301-1972-10-29-1バングラデシュ1972年10月29日1970年代サマード外相はベルグラードでの記者会見で,バングラデシュは中国およびパキスタンとの友好関係樹立を望んでいると述べた。
DIA-301-1972-10-29-2バングラデシュ1972年10月29日1970年代NAPが憲法反対集会NAP(ムザファル派)はダッカで集会を開き,国民に対する衣食住を保障しないかぎり,また労働者の諸権利を認めないかぎり憲法法案を認めるわけにはいかないとの態度を明らかにし,婦人参政権などを要求した。
DIA-301-1972-10-29-3バングラデシュ1972年10月29日1970年代バシャニーはダッカでアタウル・ラーマン・カーンと会談し,野党共闘について話し合った。
DIA-301-1972-10-30-1バングラデシュ1972年10月30日1970年代憲法法案の一般討議が終了。
DIA-301-1972-10-30-2バングラデシュ1972年10月30日1970年代NAP(B)選挙参加を決定─バシャニーはダッカでの記者会見でNAP(B)は次回総選挙に参加し候補者を立てることを明らかにした。 また,NAP(B)は憲法法案が国会を通過することに同意できないと述べた。その理由について「パキスタン支配下で選挙された現制憲議会は憲法を制定する権利はない」と述べた。
DIA-301-1972-10-31-1バングラデシュ1972年10月31日1970年代制憲議会は憲法法案に対する16項目の修正案を採択,承認した。今議会では合計25の修正案が提出された。
DIA-301-1972-10-31-2バングラデシュ1972年10月31日1970年代民族社会党結成─前DUCSU副委員長でBCL(R-S派)の指導者A.M. Abdur Rabは前DUCSU書記長Shahjahan Sirajとともに民族社会党(Jatiyo Samajtantrik Dal)を結成した。 なお同党は7名の執行委員から成り,党統合委員長にAbdur Rabと前解放軍地区司令官Jalil少佐(退役)が就任,委員にはアガルタラ陰謀事件に関係した数名も含まれている。スローガンは「科学的社会主義に基づく労農王国の建設」である。
DIA-301-1972-11-03-1バングラデシュ1972年11月03日1970年代サマード外相のハンガリー訪問を終えるにあたって,バングラデシュ・ハンガリー共同声明が発表された。
DIA-301-1972-11-03-2バングラデシュ1972年11月03日1970年代カナダ高等弁務官は,カナダ国会はバングラデシュに対する復興用として総額7550万ドルの贈与を承認したと発表した。
DIA-301-1972-11-04-1バングラデシュ1972年11月04日1970年代憲法制定さる─解放後325日目の4日,制憲議会は憲法を制定した。なお発布は12月16日の解放記念日の予定である。この日,憲法が議会を通過し,正式に制定された。
DIA-301-1972-11-04-2バングラデシュ1972年11月04日1970年代総選挙は来年3月7日―制憲議会でラーマン首相は,新憲法に基づく国会議員選挙は来年3月7日に行なわれると発表。
DIA-301-1972-11-05-1バングラデシュ1972年11月05日1970年代ワルシャワを訪問中のサマード外相は,ポーランドとの間に共同声明を発表,両国間の貿易協力を強調した。
DIA-301-1972-11-05-2バングラデシュ1972年11月05日1970年代政党指導者憲法制定を歓迎―AL書記長Zillur Rahmanはじめ,NAP書記長Ponkaj Bhattachrjee,トファイル・アーメド,BCL指導者らがそれぞれ憲法制定を歓迎する旨の声明を発表した。
DIA-301-1972-11-07-1バングラデシュ1972年11月07日1970年代サマード外相は4日から7日まで東独を公式訪問し,7日共同声明に調印した。
DIA-301-1972-11-07-2バングラデシュ1972年11月07日1970年代独立後最初のイイド祭(回教ラマザーン明けに行なう)が全国で催された。
DIA-301-1972-11-11-1バングラデシュ1972年11月11日1970年代政府はビルマからパー・ボイルド米2万2000トンを輸入する契約(11月6日)を結んだ。
DIA-301-1972-11-11-2バングラデシュ1972年11月11日1970年代バングラデシュ国民連盟党首アタウル・ラーマン・カーンはダッカの自宅で記者会見し,3月の総選挙に向けて,NAP(バシヤニー),労農社会主義党,バングラ共産党,民族社会党などの野党が連合しなければならない,また内閣は選挙3カ月前に総辞職すべきだなどと述べた。
DIA-301-1972-11-13-1バングラデシュ1972年11月13日1970年代東欧6カ国訪問の帰途,サマード外相はニューデリーに立ち寄り,スワラン・シン外相と会談し,亜大陸情勢について討議した。
DIA-301-1972-11-13-2バングラデシュ1972年11月13日1970年代バシヤニー,野党連合結成へ動く―NAP党首バシヤニーはダッカで同党と連係のある政党指導者と秘密会談を行ない,ファシズム,暗殺,脅迫などに対する行動委員会の結成ならびに次期選挙に向けての野党連合結成について,話しあった。この会議に出席した政党指導者はつぎのとおりである。 バシヤニー(NAP),Amal Sen(レーニン主義共産党),Ferdous Qureshi(バングラデシュ国民連盟),Abdul Mannan Khan(バンダラール共産党),Mukhlesur Rahman(労農社会主義党),Ziauddin Ahmed(オリ・アハード派バングラ国民連盟)
DIA-301-1972-11-13-3バングラデシュ1972年11月13日1970年代陸軍参謀長K.M. Shafiullahはマイメンシン県Dewanganjで,密輸取締りのため2週間,全国境を封鎖すると述べた。
DIA-301-1972-11-14-1バングラデシュ1972年11月14日1970年代東欧6カ国の訪問(18日間)を終えて帰国したサマード外相は,空港での記者会見で東欧諸国との経済協力の必要性を述べた。また来年から発足する第1次開発5カ年計画に,東欧諸国が協力する旨発表した。
DIA-301-1972-11-14-2バングラデシュ1972年11月14日1970年代国軍当局は密輸取締りをしてこの1カ月間に,計2,179人を逮捕した。逮捕者の内訳はベンガル人1,861人,インド人309人,ビルマ人7人,その他外人2人で,押収された通貨は10万7754タカ,インドルピー8,106ルピー,パキスタンルピー1,747ルピーであった。なおこの期間に7名の密輸業者が軍によって射殺された。
DIA-301-1972-11-14-3バングラデシュ1972年11月14日1970年代スウェーデン外相Krister Wickmanが来訪,ラーマン首相,サマード外相らと会談した。
DIA-301-1972-11-18-1バングラデシュ1972年11月18日1970年代来訪中のスウェーデン外相はダッカでの記者会見で「スウェーデン政府はバングラデシュに対して,1973~74年度内に合計1500万米ドルの授助(贈与)を与える」ことを明らかにした。
DIA-301-1972-11-18-2バングラデシュ1972年11月18日1970年代マンナン内相はタンガイルでの集会で,バシヤニーの言動を非難し,「バシヤニーは,けっして人民のためになる建設的なことをしたことはない,常に人民を誤って指導している」と述べた。
DIA-301-1972-11-19-1バングラデシュ1972年11月19日1970年代首相付政治担当秘書官トファイル・アーメドはナトールでの集会で「憲法は社会主義を保障したものである」などと述べ,「バシヤニーはかつて東ベンガルの民族運動が盛んな頃,しきりに“騒ぐな”と叫んでパキスタン政府の肩をもった。また“回教社会主義”の名の下でコミュナリズムを醸成しようとしている」と非難した。
DIA-301-1972-11-20-1バングラデシュ1972年11月20日1970年代パ軍家族送還を決定―外務省は人道的措置として,バングラデシュに在住するパ軍将兵家族約6,000人を近くパキスタンに送還すると発表。なおこの決定にはインド政府も同意した。外務省発表では,この措置に対し「パキスタンも人道的措置をとり,在パベンガル人を送還すべきである」ともしている。
DIA-301-1972-11-20-2バングラデシュ1972年11月20日1970年代マリク元東パ知事に終身刑―ダッカ特別法廷(裁判長:Abdul Hannan Chowdhwry)は元東パ知事(1971年9月~12月)A.M.マリク博士をパキスタン軍協力責任者として審査を続けていたが,終身刑を科する旨の判決をいい渡した。
DIA-301-1972-11-20-3バングラデシュ1972年11月20日1970年代選挙委員会(委員長Justice Mohammad Idris)は有権者名簿を発表した。これによると総有権者数は3511万9809名となっている。
DIA-301-1972-11-21-1バングラデシュ1972年11月21日1970年代パ政府ベンガル人送還決定―ブット・パキスタン大統領は全国放送をつうじて,在パキスタン・ベンガル人家族(婦人・子供)1万人を間もなく送還すると発表した。これはバングラ政府の6,000人のパ軍家族送還決定に応えたものとパ政府スポークスマンは語った。 なおパ政府の提案はデリーのスイス大使館をとおして,さらにICRCをつうじてバングラ政府に伝えられた。
DIA-301-1972-11-21-2バングラデシュ1972年11月21日1970年代カナダ国際開発局副長官J. Gerrinがダッカに到着,カナダ政府はバングラデシュの第1次5カ年計画(1973-74)に対し,3000万ドルの援助(贈与)を与えると述べた。なお,カナダは先に,贈与として6000万ドルを決定しており,これで対バングラ援助供与総額は3番目になった。
DIA-301-1972-11-21-3バングラデシュ1972年11月21日1970年代ムザファル・アーメド(NAP)は記者会見で「政府は選挙前に総辞職すべきである」と述べ,NAP(M)は総選挙には全選挙区(300)に候補者を立てることを明らかにした。
DIA-301-1972-11-22-1バングラデシュ1972年11月22日1970年代サマード外相は英政府の招待で英国を公式訪問するため,ロンドンに到着,23日,ホーム外相と会談。
DIA-301-1972-11-23-1バングラデシュ1972年11月23日1970年代ラム,インド国防相は国会の答弁で現在インドに抑留されているパ軍将兵は計7万4618名であると発表,またパキスタンに抑留されているインド軍は600名であると述べた。
DIA-301-1972-11-24-1バングラデシュ1972年11月24日1970年代世銀融資5000万ドル─来訪中(4日間)の世銀総裁I.P.M.M.カーギルは記者会見で,世銀はバングラデシュに対して,総額5000万ドルの商品融資を与えることをほぼ決定している。まもなく協定の運びとなると述べた。
DIA-301-1972-11-25-1バングラデシュ1972年11月25日1970年代マンナン内相はナガプールでの集会で,これまでの軍による一斉摘発でパ軍協力者4万3000人,密輸現行犯4,500人を逮捕したと発表。
DIA-301-1972-11-25-2バングラデシュ1972年11月25日1970年代米国際開発局(IDA)はバングラデシュ再建用に5000万ドルの借款を与える方向であると伝えられた。
DIA-301-1972-11-26-1バングラデシュ1972年11月26日1970年代印・パ両国政府はパキスタン政府が家族送還に対し誠意をみせないことについて遺憾の意を表明する声明を発表。直ちにパ政府はイスラマバードのスイス大使館とこの問題について接触するよう要請した。
DIA-301-1972-11-26-2バングラデシュ1972年11月26日1970年代バングラデシュ国民連盟総裁アタウル・ラーマン・カーンはダッカでの集会で3月の総選挙には全野党が一致団結してAL体制に挑戦しなければならないなどと述べた。
DIA-301-1972-11-27-1バングラデシュ1972年11月27日1970年代ナラヤンガンジーのジュート倉庫16棟が炎上し,総額700万タカ分のジュートを焼失した。
DIA-301-1972-11-27-2バングラデシュ1972年11月27日1970年代BCL(S.M派)は声明を発表し,アタウル・ラーマン・カーンは米国の手先となって,破壊活動を開始している。ラーマン・カーンは再三にわたり米国大使館のカール等書記官(政治担当)と密談したと非難した。
DIA-301-1972-11-27-3バングラデシュ1972年11月27日1970年代パキスタン政府はインド軍捕虜617名を12月1日に釈放すると発表した。しかし同政府筋は在パ,ベンガル人家族の送還はまだ難しいと述べた。
DIA-301-1972-11-27-4バングラデシュ1972年11月27日1970年代チョードリ大統領はニューデリーを公式訪問した。
DIA-301-1972-11-28-1バングラデシュ1972年11月28日1970年代サマード外相はパリを訪れ,シューマン外相と会談した。
DIA-301-1972-11-28-2バングラデシュ1972年11月28日1970年代マンスール・アリ運輸相は記者会見で,戦争時に破壊された鉄橋のうち296橋が完全に修復し,修復工事が進行中の橋はあと4個所だけとなった。この4個所は,Bhairab,Shambhuganj(マイメンシン),Thankurkona(モハンガンジー)などである。
DIA-301-1972-11-28-3バングラデシュ1972年11月28日1970年代アワミ青年連盟(A.J.L)議長Sheikh Fazlul Huq Moniは「アタウル・ラーマン・カーンとAbul Mansur Ahmedは米国の手先として破壊活動をしている。米国大使館のカール書記官はCIAの手先である」と述べた。
DIA-301-1972-11-29-1バングラデシュ1972年11月29日1970年代チョードリ大統領はギリ・インド大統領とデリーで会談。
DIA-301-1972-11-29-2バングラデシュ1972年11月29日1970年代ソ連との貿易協定(3月末)に基づく第二次貿易議定書が調印された。 この第二次協定では,バングラからはジュート2万トンなどが輸出され,ソ連からは灯油4万トンなどが輸入される。
DIA-301-1972-11-30-1バングラデシュ1972年11月30日1970年代国連総会はバングラ加盟に関する2決議案をそれぞれ可決した。
DIA-301-1972-11-30-2バングラデシュ1972年11月30日1970年代警察当局は4月から10月までの7カ月間の殺人件数は全国で701件と発表。県別ではマイメンシンの91件を筆頭にジェソール71件,ダッカ69件,クルナ67件とつづいている。
DIA-301-1972-12-01-1バングラデシュ1972年12月01日1970年代インドを訪問中のチョードリ大統領はジャイプールでの歓迎集会で「パキスタンがバングラを承認しないかぎり,首脳会談には応じない」と述べた。
DIA-301-1972-12-02-1バングラデシュ1972年12月02日1970年代チョードリ大統領はカルカッタを訪問,歓迎集会に出席した。
DIA-301-1972-12-03-1バングラデシュ1972年12月03日1970年代AL書記長Zillur Rahmanは“戦勝記念日”を成功させようとの声明を発表し,「ムジブバッドを完遂させ,帝国主義勢力と断固闘おう」と述べた。
DIA-301-1972-12-03-2バングラデシュ1972年12月03日1970年代NAP総裁ムザファル・アーメドは「AL政府は法秩序の維持,物価高騰などの国内問題に完全に失敗している」と述べた。
DIA-301-1972-12-04-1バングラデシュ1972年12月04日1970年代ブット大統領は,ラーマン首相はインドの捕虜になっているパキスタン軍将兵の戦犯裁判を行なおうとしているが,もし実行すれば在パ,ベンガル人を裁判にかけると述べた。
DIA-301-1972-12-05-1バングラデシュ1972年12月05日1970年代チョードリ大統領はインドの公式訪問(9日間)を終えて帰国した。
DIA-301-1972-12-06-1バングラデシュ1972年12月06日1970年代ラーマン首相はSavarで開かれた民族防衛軍のパレードに出席し,反社会分子は一掃しなければならな いとの演説を行なった。
DIA-301-1972-12-06-2バングラデシュ1972年12月06日1970年代労働運動指導者逮捕―ダッカ市警察当局は前AL労働担当書記長および労働者連盟(J.S.L)指導者Ruhul Amin Bhuiyanを武器不法所持,盗品隠匿罪などで逮捕した。しかしこの逮捕にたいし,JSL総裁M. Shajahanはこの逮捕は不当であるとして労働者にストライキを呼びかけた。またBCL(R-S派)はこれは政府のファッショ的弾圧であるとしてストライキを呼びかけた。なお当局はテージガオン工業地帯に15時間の外出禁止令を出した。
DIA-301-1972-12-07-1バングラデシュ1972年12月07日1970年代印・パ軍首脳会談終わる。(印・パの項参照)
DIA-301-1972-12-08-1バングラデシュ1972年12月08日1970年代労働者連盟(J.S.L)書記長Abdul Mannanは前労働担当書記長Ruhul Amin Bhuiyanの逮捕について示したJSL内の意見の相違は内部分裂の現われであるとの憶測を強く否定した。
DIA-301-1972-12-09-1バングラデシュ1972年12月09日1970年代NAP全国代表者会議―全国からの代表者および評議員計8,000名を集めてNAP(バシヤニー)全国大会がサントシュで開かれ,バシヤニーは「政権のタライ廻しだけで,社会主義を達成することはできない。制度自体を変えなければならない」などと述べた。なおこの日バシヤニーは前回教徒連盟(会議派)指導者Abul Hashemと会談した。
DIA-301-1972-12-10-1バングラデシュ1972年12月10日1970年代共産党集会─バングラデシュ共産党(CPB)はダッカ・パルタンマイダンで労農大集会を開いた。モニ・シン議長は演説のなかで「社会主義確立,帝国主義との闘いはALだけではできない。わが党はNAP(ムザファル・アーメド)と連携し,ALを支持,協力して目標を達成したい」と述べた。
DIA-301-1972-12-11-1バングラデシュ1972年12月11日1970年代プラニングコミッションのNurul Islamは第1次5カ年計画について「現在,計画は作成中で,2月末までにはほぼ形ができ6月には内容が発表されよう」と述べた。また「社会主義建設は援助に頼っては達成できない。しかし外国援助は自給達成には不可欠である」と語った。
DIA-301-1972-12-12-1バングラデシュ1972年12月12日1970年代ラーマン首相は来訪中のエジプト貿易代表団と会談し,「わが国はアラブの諸問題については常に同情している」と語った。
DIA-301-1972-12-13-1バングラデシュ1972年12月13日1970年代全国会議員は11月4日に制定された憲法原版にそれぞれサインを終了した。
DIA-301-1972-12-13-2バングラデシュ1972年12月13日1970年代印,バ合同河川委員会は両国の共通主要河川についての長期開発計画を作成する旨の合意に達した。
DIA-301-1972-12-14-1バングラデシュ1972年12月14日1970年代エジプトとバーター協定―政府はエジプトとの間に往復1億8000万タカのバーター貿易協定に調印した。エジプトからは主に石油を輸入する。
DIA-301-1972-12-16-1バングラデシュ1972年12月16日1970年代憲法発布―11月4日,制憲議会で承認された憲法が16日午前0時に発効した。
DIA-301-1972-12-16-2バングラデシュ1972年12月16日1970年代戦勝記念日―1971年12月16日,パキスタン軍が無条件降伏して,ちょうど1年目にあたるこの日第1回の戦勝記念日と定められた。ダッカ・スワラワルディ広場では戦勝記念日集会が開かれ,ラーマン首相が演説した。
DIA-301-1972-12-17-1バングラデシュ1972年12月17日1970年代ラーマン内閣はそのまま―憲法発布に伴う新政権発足は,メンバーは全く変わらずにそのまま就任式を終え,3月7日まで存続することが発表された。また大統領もそのままである。
DIA-301-1972-12-18-1バングラデシュ1972年12月18日1970年代最高裁判所での式典でラーマン首相は「法と秩序は如何なる努力をしても確立する」と述べた。
DIA-301-1972-12-18-2バングラデシュ1972年12月18日1970年代全党連立内閣を要求(バシヤニー)―バシヤニーは,ダッカのNAP事務所で記者会見し,NAPは選挙では300全議席に候補者を立てることを明らかにし,選挙の公正を期すために全政党による連立選挙管理内閣を発足すべきだと述べた。
DIA-301-1972-12-19-1バングラデシュ1972年12月19日1970年代JSL分裂―労働者連盟(JSL)は副委員長M.A. Hannanの呼びかけに応じて中央執行委員会を開き,委員長Md. Shahjahan,統合書記長Nurul Amin Bhuiyanの更迭を決定,さらに執行委員10名の除名を決定した。これでJSLは事実上分裂したことになった。
DIA-301-1972-12-20-1バングラデシュ1972年12月20日1970年代警察当局は汚職の摘発を続けているが,このほどアダムジー・ジュート工場の管理者グループ(5名)を逮捕した。このなかには当工場管理責任者M.A. Awalが含まれている。
DIA-301-1972-12-20-2バングラデシュ1972年12月20日1970年代IDAが資金供与して独立以前にはじめられた8つのプロジェクト(計8500万ドル)の再開に関する話合いがつづけられている。すでにIDAは4つのプロジェクト(5900万ドル)について再開している。
DIA-301-1972-12-22-1バングラデシュ1972年12月22日1970年代消費財輸入,自由化―シディキ商相は来年1月-6月の輸入政策では,ぜいたく品を除き一般消費財輸入を自由化すると発表した。
DIA-301-1972-12-23-1バングラデシュ1972年12月23日1970年代人民社会党(JSD),選挙への出馬決める―人民社会党(JSD)は23日全国大会を開き,来る総選挙には300議席すべてに立候補者をたてることを決めた。また105人からなる組織委員会をつくること,55人からなる党執行委をつくることも決めた。その他決議では,アメリカの北爆に抗議,ベトナムの闘う大衆に連帯のメッセージを送ることを決めた。
DIA-301-1972-12-23-2バングラデシュ1972年12月23日1970年代政府,1973年に食糧60万トンを現金買い―食糧相マジュムダールが発表したところによれば,1973年中に不足する食糧250万トンに充当するため,60万トンを現金買いする話合いが行なわれている。なお政府としては1973年中に約100万トンの食糧を現金買いする予定。その他アメリカから20万トン,カナダから10万トンの援助が約束されている。
DIA-301-1972-12-24-1バングラデシュ1972年12月24日1970年代人民社会党(JSD)役員発表─全国大会の結果,以下の役員が決定された。 委員長 M.A. Jalil少将(退役) 副委員長 Bidhan Krishna Sen,M. Hussain R.Amin Bhuiyan,Prof. Abdul Mannan 書記長 A.S.M. Abdur Rab 書記次長 S. Siraj 書記 Kamruzzaman Tuku,A. Ahmed Mahiabuddin JSDは24日パルタンマイダンで10万人を越える大集会を行ない,選挙キャンペーンの幕を切った。
DIA-301-1972-12-26-1バングラデシュ1972年12月26日1970年代政府,米の供出価格決める―政府は農民からの米の任意供出をはかるため,次の価格を決めた。①モミ米1モーンド33タカ,②下級米1モーンド53タカ,③中級米,1モーンド54タカ。
DIA-301-1972-12-27-1バングラデシュ1972年12月27日1970年代ダッカ大学教員組合はアメリカの北爆再開,ベトナム政策に反対して集会デモを行ない,抗議した。
DIA-301-1972-12-27-2バングラデシュ1972年12月27日1970年代共産党も米の北爆抗議集会,デモ。
DIA-301-1972-12-28-1バングラデシュ1972年12月28日1970年代政府,チェコ,ブルガリア等とバーター協定。
DIA-301-1972-12-28-2バングラデシュ1972年12月28日1970年代クルナで労働組合活動家2人,射殺さる―Sramik Leagueの指導者でALの活動家でもある2人がALの会議からの帰路,射殺された。
DIA-301-1972-12-28-3バングラデシュ1972年12月28日1970年代NAP(バシヤニー),反米デモ。
DIA-301-1972-12-29-1バングラデシュ1972年12月29日1970年代野党7政党による行動委員会結成―NAPパシヤニー委員長を議長にし,野党7政党から各2名の代表,及び大衆団体,学生団体から各1名の代表を集めて“行動委員会”をつくることが決められた。この委員会は選挙連合ではなく,民主的環境をつくるために闘うもので,9カ条の要求綱目をもつ。はじめの業務は12月31日に予定されている「農民・労働者統一会議」を成功させることにある,という。なおこの行動委に参加を表明している政党は,NAP(B),BNL(A.ラーマン・カーン),BJL(オリ・アハッド),CPB(レーニスト),BCP(Banglar Communist Party),BSP(Bangladesh Socialist Party),SKSD(Sramik Krishak Samajbadi Dal)。
DIA-301-1972-12-30-1バングラデシュ1972年12月30日1970年代選挙管理委,300選挙区を発表。ラングプール22,ディナジプール10,ボグラ9,ラジシャーヒ17,パブナ12,クスティア7,ジェソール13,クルナ14,パトアカリ7,ボケルガンジ18,タンガイル9,マイメンシン32,ダッカ30,ファリドプール19,シレット21,コミラ26,ノアカリ14,チッタゴン18,ヒルトラクト2。
DIA-301-1972-12-31-1バングラデシュ1972年12月31日1970年代1973年1-6月輸入政策発表─シディキ商相は1973年1-6月輸入政策を発表した。主な内容は以下 の通り。 (1)輸入総額は21億9000万タカ。 (2)国有化部門の役割を高めるため貿易公団TCBの輸入を増やす。 (3)商業用輸入のライセンスを増加する。 (4)工業用輸入の場合,原料・部品需要の100%を認め,機械の修理のためには2万5000タカまで認める。 (5)輸入しうる品目に12品目を追加する。但しぜいたく品(自動車,冷蔵庫,エアコンなど)の輸入は禁止のまま。 (6)供給が非常に不足している主要品(医薬品及び薬品工業のための原材料部品など)についてはrepeat licenceを発行する。
DIA-301-1972-12-31-2バングラデシュ1972年12月31日1970年代労働者,農民統一集会,ダッカで開く―12月29日結成された「野党行動委員会」主催により,労働者・農民統一集会がスハラワルディ広場で行なわれた。バシヤニーNAP委員長は集会で演説,国民に対し,社会主義のための闘争をはじめるよう訴えた。集会は,NAPが1967年に分裂して以来の最大級のもの。
DIA-301-1973-01-01-1バングラデシュ1973年01月01日1970年代学生デモに警官発砲-DUCSUとBCU主催の“ベトナム・デー”(米国の北爆再開に抗議)で,USIS事務所を襲おうとしたデモ隊に警官隊が発砲,2名が射殺され,7名が負傷した。 この警官隊の発砲に抗議各学生組織は直ちにゼネストに入るよう呼びかけた。また政府はプレス・ノートを発表し,遺憾の意を表し,警官59名が負傷したと述べた。
DIA-301-1973-01-01-2バングラデシュ1973年01月01日1970年代輸入額は22億タカ―M.R.シディッキ商業相は新輸入政策(1973年1月~6月)について記者会見し,同期間の輸入総額を21億9000万タカとすると発表,なお輸入用の資金調達の内訳は輸出益8億タカ,バーター貿易3億タカ,外国援助10億9000万タカである。
DIA-301-1973-01-02-1バングラデシュ1973年01月02日1970年代ダッカ,ゼネスト-1日の警官隊発砲に抗議してDUCSUを中心とする学生組織はダッカ全域に対しゼネストを呼びかけ,午後2時まで(9時間)ダッカ全域で全ての交通機関,学校,銀行,企業が活動をストップした。また政府官庁もほとんど出勤者がなく事実上業務を停止した。
DIA-301-1973-01-03-1バングラデシュ1973年01月03日1970年代外国の陰謀に警戒(ラーマン首相)-ラーマン首相はパトアカリ県の副県都Bargunaでの集会に出席,演説して「無秩序とコミュナリズムを醸成しようと企らむ外国の陰謀に警戒しよう」などと述べた。
DIA-301-1973-01-07-1バングラデシュ1973年01月07日1970年代選挙要綱発表-選挙委員会議長Justice M.Idreesはラジオ,テレビをつうじて総選挙要綱を発表,国民の協力を求めた。なお同発表によれば1月14日に有権者の最終リスト作成,2月5日に立候補者届出,2月8日立候補取下げ受付けという順序になる。
DIA-301-1973-01-08-1バングラデシュ1973年01月08日1970年代工業政策発表,資本金250万タカ以上の企業を国有化-イスラム工業相は独立後最初の産業投資政策を発表した。そのなかで,資本金250万タカ以上の企業は国有化される。国有化対象企業には10年間の猶予期間を設けることが明らかにされた(内容は参考資料参照)。
DIA-301-1973-01-09-1バングラデシュ1973年01月09日1970年代石油化学コンビナート建設計画-政府は世銀および外国諸機関とAshuganjに建設予定の石油化学コンビナートに対する援助について交渉を開始した。これは第1次5ヵ年計画期間中に建設される予定で総費用25億タカが見込まれている。
DIA-301-1973-01-09-2バングラデシュ1973年01月09日1970年代財界は国有化に批判的-バングラデシュ商工会議所連盟会長Mashiur Rahman,ダッカ商工会議所会頭M.A.Sattar,チッタゴン商工会議所会頭Idreesはそれぞれ,政府の発表した工業投資政策に対する考え方を発表,資本金250万タカ以上の企業国有化について,三者とも,平価切下げ,国際的インフレなどを考慮して500万タカ以上とすべきことを主張した。
DIA-301-1973-01-10-1バングラデシュ1973年01月10日1970年代AL抗議大集会-ALダッカ支部主催による抗議集会がパルタン・マイダンで開催された。この集会は平和と秩序を乱す政治的陰謀に抗議し,民主主義を徹底しようと呼びかけたもので,N.イスラム工業相,T.アーメド蔵相らが出席した。
DIA-301-1973-01-10-2バングラデシュ1973年01月10日1970年代バシヤニーNAP党首はダッカで記者会見,ALを含めて全ての政党はいたずらな摩擦は避けなければならないと語った。 また7野党から成る行動委員会による抗議デーを1月21日と決めた。
DIA-301-1973-01-11-1バングラデシュ1973年01月11日1970年代AL議会委員会結成-AL組織委員会はラーマン首相を含めて委員会を開き,選挙のための議会委員会(10名)を結成,委員を任命した。メンバーは次のとおり, 議長:ムジブル・ラーマン 書記長:ズィルウル・ラーマン 委員:N.イスラム,T.アーメド,M.アリ,K.ムスターク・アーメド,A.H.M.カマルズザマン,ユスフ・アリ,アブドル・マレク,ゴウル・チャンドラ・バラ, なお,当委員会は1月21日までに300名の国会議員選挙に向けてのAL公認候補を指命する。
DIA-301-1973-01-11-2バングラデシュ1973年01月11日1970年代前AL労働担当書記長Ruhul Amin Bhuiyan がALから除名処分を受けた。
DIA-301-1973-01-13-1バングラデシュ1973年01月13日1970年代パ家族送還を決定-サマード外相は,現在バングラデシュに滞在中のパキスタン人のうち婦女子1万人をパキスタンに送還すると発表,関係国際機関に通達した。また同発表の中で外相はインドとの間で何らの秘密協定はないと述べた。
DIA-301-1973-01-15-1バングラデシュ1973年01月15日1970年代UNDP主催のジュート生産関係国会議が開かれた。1月19日まで,参加国は主にジュート生産国で,バングラデシュ,インド,ネパール,タイで,他に,UNDP,UNIDO,世銀,FAO,UNCTAD,GATT,ITC,ECAFEから代表が参加した。
DIA-301-1973-01-18-1バングラデシュ1973年01月18日1970年代JSD(前会党)のJoint Convener,Serajul IslamはALに入党すると宣言した。
DIA-301-1973-01-18-2バングラデシュ1973年01月18日1970年代バングラデシュ航空(B.B)はオランダFokker社との間で2機のFokkerフレンドシップ購入協定に調印した。 現在B.Bは国内使用にフレンドシップ4機を配置しているが,3月にはオーストラリア政府から贈与により2機が到着する予定で,このたびのFokker社との分が9月に配置され,計8機となる。これによりラングーン,カトマンズ線などが開設される見込みとなった。
DIA-301-1973-01-21-1バングラデシュ1973年01月21日1970年代解放戦士会議-20日から2日間解放戦争に参加した戦士達の会議(ムクチ・ジョッド・ションシャッド)がスハラワルディ広場で開かれた。2日目の21日,ラーマン首相が登場し,「戦士達の職は政府が保障する」と述べた。
DIA-301-1973-01-21-2バングラデシュ1973年01月21日1970年代NAP(ムザファル派)中央委員Mohiuddin AhmedはALに入党。
DIA-301-1973-01-21-3バングラデシュ1973年01月21日1970年代パルタン・マイダンで開かれた7党行動委員会主催の集会で議長バジャニーは「ファシスト的行動に対して反対するための抵抗委員会を結成するよう人民に要請する」と演説した。
DIA-301-1973-01-21-4バングラデシュ1973年01月21日1970年代インドのスワラン・シン外相は「パキスタンがバングラデシュを承認しなくても捕虜問題を解決することができる」と述べた。
DIA-301-1973-01-25-1バングラデシュ1973年01月25日1970年代選挙の各党シンボル決定-選挙委員会は政党のシンボルを次のとおり配分決定した。 AL-カントリー・ボート,JSD-タイマツ,NAP(B)-稲穂,NAP(M)-小屋,バングラール共産党-スペード,バングラデシュ共産党(レーニン)-牛車,バングラデシュ共産党-鍵,バングラデシュ国民連盟-スキ,バングラ国民連盟-牛,労働社会党-傘,バングラデシュ労働連合-馬,バフグラデシュ国民会議-水差し,民族民主党-車輪,BCU- ペン付インクポット,Adarsa社会党-バラ,バングラデシュ労農学同盟-ハシゴ。
DIA-301-1973-01-27-1バングラデシュ1973年01月27日1970年代来訪中のカイロ日刊紙『アル・アハラム』の編集局長M.Hassaneinは記者会見で「エジプト政府は間もなくバングラを承認することとなろう」と述べた。
DIA-301-1973-01-27-2バングラデシュ1973年01月27日1970年代日本政府は食糧援助会議にもとづいてバングラデシュに米1万2500トンを援助することを決定し,ダッカで調印した。
DIA-301-1973-01-28-1バングラデシュ1973年01月28日1970年代バングラ,ソ連国交樹立1周年記念(1月24日)に寄せたコスイギン首相は「ソ連との友好,協力をさらに前進させたい」旨の返書を送った。
DIA-301-1973-01-29-1バングラデシュ1973年01月29日1970年代戦争時パキスタン軍によって敷設されたチッタゴン港の機雷除去は72年3月からソ連サルベージ艦隊が続けていたが,このほど完了した。
DIA-301-1973-01-29-2バングラデシュ1973年01月29日1970年代インド新規借款-インド政府は総額1231万ルピーの借款を与える旨の協定に調印した。この借款は150台の乗用バス(インド製)の購入用に与えられるもので,年利6%,5年据置を含む15年延払い。
DIA-301-1973-01-29-3バングラデシュ1973年01月29日1970年代選挙委発表によれば確定有権者数は3522万2864人である。
DIA-301-1973-01-30-1バングラデシュ1973年01月30日1970年代選挙委員会最終発表-選挙委員会は確定有権者数など次のように発表した。 (1)確定有権者総数は計3522万2864人で1970年選挙より401万1644人増加した。これは有権者資格を21歳から18歳までに引下げたためである。 (2)投票所は全国で1万5878個所設立される。 (3)県別有権者数と選挙区数は次のとおり。
DIA-301-1973-01-30-2バングラデシュ1973年01月30日1970年代駐日大使モノロンジョン・ダール(バングラデシュ国民会議総裁)は選挙でALから立候補することになった。(マイメンシンから立候補して当選,入閣)このため駐日大使を辞任した。
DIA-301-1973-01-31-1バングラデシュ1973年01月31日1970年代全国ゼネスト-民族労働連盟(JSL)主催のゼネスト(午前6時~12時)が全国で行なわれた。これは国内にはびこる汚職などの反社会分子を糾弾するためのもので,政府攻撃を目的としていない。
DIA-301-1973-02-01-1バングラデシュ1973年02月01日1970年代AL,公認候補者を発表-AL議会委員会は,国会選挙への党公認候補を発表した。1区1名の公認候補は計299名となった。なおBakarganj 4区*については追って発表される。最終的には公認候補選挙名簿には2,151名が登録され,そのなかから選んだものである。ラーマン首相はダッカ12区,15区,ファリドプール11区の3選挙区から立候補する。 また現閣僚はMolla Jalaluddin(健康状態を理由に辞退)を除いて全員が公認された。 *翌日Bakarganj 4区についてはラーマン首相が出馬することが決定した。
DIA-301-1973-02-02-1バングラデシュ1973年02月02日1970年代野党結束乱れる-バシャニーNAP総裁を議長とする7党行動委員会は選挙に向けての候補者選定で意見が喰い違い結束が乱れている。これまでに同行動委員会は候補者調整を進めてきたが,25選挙区で調整に失敗,統一候補がたてられないでいる。なお,現在まで候補者250名があげられており,うちNAPが220名である。
DIA-301-1973-02-03-1バングラデシュ1973年02月03日1970年代野党候補者出揃う-国会議員選挙に対する各野党の公認候補が発表された。 (1)7党行動委員会は230,うちNAP(バシャニー)210,国民連盟(アタウル・ラーマン・カーン),同連盟(Oali Ahad派),バングラール共産党,共産党(レーニン)各3,労農社会主義党2でその他の6名は無所属。 (2)NAP(ムザファル派)は計235名で党首ムザファル・アーメドはコミラの2選挙区から立候補。 (3)民族社会党(JSD)は300選挙区全員の立候補を指命した。
DIA-301-1973-02-04-1バングラデシュ1973年02月04日1970年代バイタル・モカラムでBCL(AL派)主催の大集会で開かれアワミ青年連盟代表Shaikh Fazlul HuqMoniに対する暗殺計画は国家の独立を脅かす外国の機関の手先となった反社会分子の許されざる行為として非難した。なお当集会にはBCL,民族労働者連盟,アワミ連盟,アワミ青年連盟,バングラデシュ農民連盟らが参加した。
DIA-301-1973-02-05-1バングラデシュ1973年02月05日1970年代立候補届出締切る-国会議員選挙の立候補届出が締切られたが,ALのラーマン首相は2選挙区で,またTofel・アーメド,Mataharuddin,K.M.Obaidur Rahman,Shorab Hussain(森林資源相)は対立候補がないため自動当選される。またJSDから公認候補に指命されたDr.AzharuddinはALから除名されることになった。なお最も競争率の高い選挙区は8名の立候補者が出ている4選挙区で,ボケールガンジー6区,同16区,ノアカリ1区,チッタゴン7区である。 なお,県別選挙区数と立候補者数は次のとおり。
DIA-301-1973-02-08-1バングラデシュ1973年02月08日1970年代最終立候補者は1,080名-選挙委員会は6日に立候補者の資格審査を終了して,1,201名の立候補者を認定したが,進退を最終的に締切った結果,立候補者は1,080名となった。これによりALは11議席で無競争当選が決定した。したがって残る289議席で争われることになった。なお無競争当選確定者のなかにはラーマン首相,イスラム工業相,Zillur Rahmar AL書記長,A.H.M.カマルズザマン復興相らも含まれている。
DIA-301-1973-02-09-1バングラデシュ1973年02月09日1970年代国連事務総長来訪-K.ハイム国連事務総長が来訪,(2日間)首相官邸でラーマン首相と2時間に亘り会談,インド亜大陸情勢について意見を交換した。なお事務総長はこれより先にイスラマバード,デリーを訪問して首脳と会談している。
DIA-301-1973-02-12-1バングラデシュ1973年02月12日1970年代協同組合で農業生産を高めよ-マイメンシンでの集会でラーマン首相は,食糧自給達成のために農業での社会主義導入が必須であると述べ,農業生産を高めるために農業協同組合を組織することを強調した。
DIA-301-1973-02-12-2バングラデシュ1973年02月12日1970年代東独と往復4000万タカのバーター協定に調印。
DIA-301-1973-02-12-3バングラデシュ1973年02月12日1970年代AL,35名を除名-AL本部は選挙にALの公認もれとなったAL党員で,ALの名を勝手に使用している立候補者35名を除名すると発表した。
DIA-301-1973-02-13-1バングラデシュ1973年02月13日1970年代Netrakona(マイメンシン県)での集会で,ラーマン首相は外国援助に触れ,「ヒモツキ援助は受けない」と述べた。
DIA-301-1973-02-16-1バングラデシュ1973年02月16日1970年代インド商務省はこのほど国内繊維輸出業者に対しバングラデシュへの繊維の輸出を許可した。これまでは公営の機関のみが許可されていた。
DIA-301-1973-02-18-1バングラデシュ1973年02月18日1970年代バングラデシュは正式にアジア開発銀行のメンバーになった。
DIA-301-1973-02-19-1バングラデシュ1973年02月19日1970年代対ドル実質的切上げ-ドルの切下げにともなう通貨調整について政府は対ポンドレート18.9677タカを変えないことを決定した。このため実質的には対ドルレートは切上げになった。
DIA-301-1973-02-19-2バングラデシュ1973年02月19日1970年代NAP(B)選挙スローガンを発表-NAP(B)書記長Kazi Zafar Ahmedは10項目からなる同党の選挙スローガンを発表した。内容は衣,食,住,医療,教育,雇傭の自由などを掲げており,土地改革の実施を強調している。
DIA-301-1973-02-19-3バングラデシュ1973年02月19日1970年代AL党員の暗殺続く-選挙を前にして特に地方の活動家が暗殺されるという事件が連日起こっており,19日にはクルナで2名のAL活動家が殺された。
DIA-301-1973-02-20-1バングラデシュ1973年02月20日1970年代ALのスローガンは“ムジプバード”-AL書記長Zillur Rahmanは選挙スローガンを発表,基本として4原則すなわちムジプノードを挙げた。
DIA-301-1973-02-21-1バングラデシュ1973年02月21日1970年代殉難者の日(ショヒッド・デイ),ダッカを中心に各地で記念集会が開かれた。
DIA-301-1973-02-24-1バングラデシュ1973年02月24日1970年代東京=ダッカ間に短波による電話直通回線が開通。
DIA-301-1973-02-24-2バングラデシュ1973年02月24日1970年代ノアカリ県MunshirhatのAL支部がJSD党員によって襲撃された。
DIA-301-1973-02-26-1バングラデシュ1973年02月26日1970年代オーストラリア政府はバングラに対し,ランドローバ190台を援助供与すると発表。総額75万ドル。
DIA-301-1973-02-27-1バングラデシュ1973年02月27日1970年代アフガニスタン政府特使が来訪,ラーマン首相に親書を手渡した。
DIA-301-1973-03-01-1バングラデシュ1973年03月01日1970年代ラーマン首相,バシャニーを見舞う-ラーマン首相は,ダッカの病院に入院しているバシャニーを見舞って,「私は生きているうち,ずっとあなたの健康を祈っています」と述べ,最高の治療を約束した。
DIA-301-1973-03-02-1バングラデシュ1973年03月02日1970年代新1タカ紙幣発行。
DIA-301-1973-03-02-2バングラデシュ1973年03月02日1970年代バングラデシュはICAO(国際民間航空機構)に正式加盟。
DIA-301-1973-03-03-1バングラデシュ1973年03月03日1970年代政府は農地改革の推進を改善するために,1913年のベンガル法にもとづき設置されていた収税委員会を解組した。また省庁は1973年2月19日より農地行政権限を除外されて政局に直轄になっている。
DIA-301-1973-03-04-1バングラデシュ1973年03月04日1970年代選挙当日は集会禁止-ダッカ県庁は3月7日午前5時から午後6時まで投票所近辺に刑法144条を適用し,集会や武器の携帯を厳禁すると発表。
DIA-301-1973-03-06-1バングラデシュ1973年03月06日1970年代選挙委員会,公正な選挙を呼びかけ-選挙委員会議長Justice Md.Idreesはラジオの特別放送をつうじて,公正にして,平和的な投票ができるよう国民の協力を要請した。
DIA-301-1973-03-07-1バングラデシュ1973年03月07日1970年代国会議員選挙投票日-独立後最初の国会議員選挙の投票が全国一斉に行なわれ,ほとんどトラブル無しで平和裏に終了した
DIA-301-1973-03-07-2バングラデシュ1973年03月07日1970年代AL圧勝一即日開票の結果,アワミ連盟の地すべり的圧勝が判明,288議席中280議席を獲得,したがって291議席を独占,無所属5,NAP(M),JSD,BJLが各1議席という結果に終った。なお選管発表の投票率は55%であった。 -選挙結果については参考資料参照-
DIA-301-1973-03-08-1バングラデシュ1973年03月08日1970年代「ALの勝利は人民の勝利,いまや飢餓からの解放が主要任務である」(ラーマン首相)-ラーマン首相は内外記者団との会見の席上,選挙結果について要旨次のように述べた。 (1)ALの勝利は7500万人民の勝利である。選挙は公平且つ平和的に行なわれた。 (2)野党はそれなりに大きな運動を展開したが,結果的には人民の信頼を得ることができなかった。 (3)これからの主要任務は飢餓からの解放である。
DIA-301-1973-03-09-1バングラデシュ1973年03月09日1970年代ラーマン首相の得票数が今選挙で最高であったことが判明。した。ダッカXII区では投票総数13万6672のうち11万3380票,ダッカXV区では12万2072のうち10万5561票を獲得した。
DIA-301-1973-03-10-1バングラデシュ1973年03月10日1970年代武装解除の最後通告-ラーマン首相は内務省に対して不法武器の提出を促進するよう指示した。なおこれにともない,内務省はプレス・ノートを発表,不法武器携帯者は3月20日までに当局に提出するよう警告した。
DIA-301-1973-03-10-2バングラデシュ1973年03月10日1970年代A.R.Khan野党共闘を呼びかけ-バングラデシュ国民連盟総裁で国会議員のAtaur Rahman Khanは「8名の非アワミ連盟議員は院内で結束して民主主義実現への建設的役割を果たすであろう」と述べた。
DIA-301-1973-03-14-1バングラデシュ1973年03月14日1970年代ジュート輸出落込む-今年度のジュート輸出は平年より大幅に落ち込むことが予想される。最近数年の年平均輸出量は350万ベールであるが,今年はそれから110万ベールも減少することが予想される。
DIA-301-1973-03-14-2バングラデシュ1973年03月14日1970年代婦人議席は15議席-選挙委員会は国会の婦人用議席15の選挙について選挙区割を発表,全国を15区に分けた。
DIA-301-1973-03-16-1バングラデシュ1973年03月16日1970年代第2次ラーマン内閣成立-策2次ラーマン内閣が正式に成立,閣僚は2名減の21名となった。なお前閣僚のうち3名が閣外に出た。前商業相,M.R.Siddiqui前自治,農村開発相Shamsul Huqは外交官就任の予定で,また前郵政相Mollah Jalaluddin Ahmedは病気のため入閣しなかった。これに代わって,前駐日大使のMonoranjan Dharが新たに入閣した(閣僚名簿は参考資料参照)。
DIA-301-1973-03-17-1バングラデシュ1973年03月17日1970年代独立後,国連UNDPがダッカに救済活動の目的で特別に設置したUNROD(国連ダッカ救援本部)の活動は4月1日から終了し,新たに設置されたUNSROB(バングラデシュ国連特別救援本部)がその機能を継続することになった。
DIA-301-1973-03-18-1バングラデシュ1973年03月18日1970年代奮励!生産増加!-ラーマン首相は,スハラワルディ広場で開かれた大集会で演説,国民に一層の労働と生産の増加を呼びかけた。 また選挙については,完全に公正に行なわれたと述べた。
DIA-301-1973-03-18-2バングラデシュ1973年03月18日1970年代政府は3月19日より新たに指示がだされるまでの間,ダッカ,ナラヤンジー,チッタゴン,クルナの配給地域で,食糧の配給量を次のように制限した。 成人1人当り1週間分……米3/4シアー(12chhataks),小麦1/4シアー(2シアー4chhataks)。
DIA-301-1973-03-19-1バングラデシュ1973年03月19日1970年代ポーランド50万ポンドの贈与-来訪中のポーランド経済使節団は,プラニング・コミッションのヌルル・イスラム副議長らバングラ政府団と会談,50万ポンドの贈与を供与することを明らかにした。この贈与は繊維製品,医療器具,薬品などの輸入に使われる。 なおポーランドは海運,水産,林業,電力などの開発に長期的な援助をする用意かおることも明らかにした。これによるとポーランドは3隻の船舶,20台のトラックなどの供与が含まれている。
DIA-301-1973-03-19-2バングラデシュ1973年03月19日1970年代武器捕獲は4万-警察当局発表によれば71年12月以来警察が捕獲した武器は4万に達した。また弾丸は500万個であった。
DIA-301-1973-03-22-1バングラデシュ1973年03月22日1970年代ポーランド500万ポンドの借款-来訪中のポーランド経済使節団は政府との間に,500万ポンドの借款協定を結んだ。
DIA-301-1973-03-22-2バングラデシュ1973年03月22日1970年代輸出減少-1972年7月から今年1月末日までの輸出額は目標17万5000タカに対し,概算15億にしか達せず今年度目標額30億タカ達成は難しくなった。この輸出減少の最大の原因は船舶の不足である。
DIA-301-1973-03-23-1バングラデシュ1973年03月23日1970年代エジプト外相来訪-エジプト外相Dr.Hassan Al-Zayyatが公式訪問,ラーマン首相と会談し,サダト大統領からの親書を手渡した。
DIA-301-1973-03-23-2バングラデシュ1973年03月23日1970年代P.マジュムダール食糧相は最近1週間の急激な米価高騰について「一部の反社会分子が不当に米価を吊り上げているようだ。政府の食糧ストックは充分である」と述べた。
DIA-301-1973-03-24-1バングラデシュ1973年03月24日1970年代来訪中のエジプト外相はK.フセイン外相と会談。
DIA-301-1973-03-25-1バングラデシュ1973年03月25日1970年代ユーゴ首相公式訪問-ユーゴスラビアのDzemal Bijedic首相が公式訪問のためダッカに到着,ラーマン首相らが空港で出迎えた。
DIA-301-1973-03-26-1バングラデシュ1973年03月26日1970年代第2回独立記念日。
DIA-301-1973-03-27-1バングラデシュ1973年03月27日1970年代レバノンがバングラを承認。
DIA-301-1973-03-28-1バングラデシュ1973年03月28日1970年代ラーマン首相は先の選挙で4議席を獲得したが,そのうちDacca XII区を除く3議席を返上,したがって空席となった。選挙規定によれば空席の選挙は返上された日から90日以内に行なわれなければならない。
DIA-301-1973-03-28-2バングラデシュ1973年03月28日1970年代ユーゴ・バングラ共同声明発表。
DIA-301-1973-03-30-1バングラデシュ1973年03月30日1970年代ユーゴ,8400万ドルの借款-ユーゴスラビア政府はバングラデシュ政府に対し,進行中のユーゴ供与によるプロジェクト用に合計8400万ドルの借款を供与することをこのほど決定して,現在,細目を検討中である。 プロジェクトの内容はチャルナ港のふ頭(8カ所)建設(約6000万ドル),チッタゴンの乾ドック(1600万ドル)などである。
DIA-301-1973-03-31-1バングラデシュ1973年03月31日1970年代援助国会議開催-バングラデシュ政府主催によるバングラデシュに対して援助をしている国を招き援助国会議(2日間)が開かれた。これは,7月1日より発足予定の第1次5ヵ年計画に対する援助を要請するために政府が計画の内容を説明,各国の協力を呼びかけるために行なったもので,世銀の開催するコンソーシアムとは異なる。第1日目はT.アーメド蔵相が,バングラデシュの開発戦略などについて説明した。なお参加した国は次のとおり。 オーストラリア,ベルギー,カナダ,デンマーク,フランス,西独,イタリア,日本,オランダ,ニュージーランド,ノルウェー,ルーマニア,スウェーデン,スイス,英国,米国,ユーゴスラヴィア,アジア開銀EEC,IBRD,IMF,UNDP,UNROD。
DIA-301-1973-03-31-2バングラデシュ1973年03月31日1970年代第4回インド=バングラ共同河川委員会が開かれTeesta河の洪水対策などについて協議した。
DIA-301-1973-03-31-3バングラデシュ1973年03月31日1970年代第1次5ヵ年計画の工業投資は88億タカ-S.N.イスラーム工業相は第1次5ヵ年計画の工業投資は88億タカと発表した。
DIA-301-1973-04-01-1バングラデシュ1973年04月01日1970年代援助国会議で,政府は1973-74年度の開発計画について各国の援助をとりつけることに成功した。しかし,実際には旧債務の取扱い問題で,まだ借款がスムースに与えられる環境ではないために,政府の予定したほど大きな期待は持てないで終った。
DIA-301-1973-04-01-2バングラデシュ1973年04月01日1970年代政府は武器隠匿などの反社会分子を摘発するために住民からの情報を得たいとして情報収集センターを設置した。
DIA-301-1973-04-01-3バングラデシュ1973年04月01日1970年代計画委員会は1973-74年度の援助必要量は6億ドルであると推定している。同年度の輸出は35~40億タカ,一方輸入は75~80億タカと推定されている。
DIA-301-1973-04-02-1バングラデシュ1973年04月02日1970年代4月1日付でUNRODはUNROBとして再発足,UNRODのチーフとして活躍していたV.H.Umbrichtが帰国に先立ち記者会見し,「独立後過去15ヵ月でバングラが受けた援助額は13億2000万ドルに達した」「バングラの食糧問題はそれほど深刻にならないだろう,すでに170万トンが到着して,57万2000トンが間もなく到着する。またさらに65万トンが約束をとりつつある」などと述べた。
DIA-301-1973-04-02-2バングラデシュ1973年04月02日1970年代世銀副総裁Cargillがラーマン首相と会見。
DIA-301-1973-04-02-3バングラデシュ1973年04月02日1970年代ソ連政府はラーマン首相用に小型ジェット機を贈ると発表。
DIA-301-1973-04-02-4バングラデシュ1973年04月02日1970年代政府は公務員法退職規定を改定して,定年を55歳として,また奉職期限を25年間と定めた。これは1972年2月23日にさかのぼって適要される。
DIA-301-1973-04-03-1バングラデシュ1973年04月03日1970年代政府は第1次5ヵ年計画でチャルナ港の開発に5.9億ルピーを割当てた。
DIA-301-1973-04-04-1バングラデシュ1973年04月04日1970年代パブナ補選AL勝つ-パブナ第12区選出AL国会議員A.Rab(Boja Mian)の交通事故にもとづく補欠選挙でALのAmjad Hossainが当選した。 開票結果は次のとおり。 Amjad Hossain(AL)………31,885 Iqbal Hossain(JSD)………10,389 Aminal Islam(NAP.M)…2,790
DIA-301-1973-04-04-2バングラデシュ1973年04月04日1970年代税収入激減-今年度政府の税収入は当初の目標を大幅に下回っていることが明らかになった。なかでも関税と販売税は激減しており,関税は年間見積12億8000万タカに対して月末まで1億8820万タカで達成率はわずか14.8%でしかない。なお全体での達成率も37%でしかない。
DIA-301-1973-04-05-1バングラデシュ1973年04月05日1970年代ダッカ大学学長にAbul Fazal,チッタゴン大学学長にMuhammad Enamulをそれぞれ任命した。なお前ダッカ大学学長M.A.Chowdhuryは大学贈与委員会議長に任命された。
DIA-301-1973-04-06-1バングラデシュ1973年04月06日1970年代「旧債務は返済する必要なし」-T.アーメド蔵相は記者会見でパキスタン債務問題に触れ,「バングラ独立には300万の生命の犠牲があった。パキスタンは如何なる金準備をも分け与えてくれなかった。わが国が何故パキスタン時代の負債に責任を負わねばならないのか。パキスタンが承認しようがしまいがそれは別な問題である」と述べ,また「われわれはソ連や中国の社会主義と同じものを考えているわけではない。民主主義と社会主義の調和をめざしている」と述べた。
DIA-301-1973-04-07-1バングラデシュ1973年04月07日1970年代国会開会-改週後初の国会が開かれ,第1日目,議長,副議長を選出した。なお両者とも前制憲議会と同じ,そして全議員が就任宣誓を行なった。
DIA-301-1973-04-08-1バングラデシュ1973年04月08日1970年代大統領再選-新憲法にもとづく大統領選挙(国会議員による投票)の手続きを締切った選挙委員会は対立侯補がないためアブ・サイード・チョードリの大統領再就任を確定した。この大統領任期は1972年12月16日(憲法発布)から5年間である。なおラーマン首相はこれについて「私は大変幸せである」と述べた。
DIA-301-1973-04-09-1バングラデシュ1973年04月09日1970年代農業報賞金制度導入-サマード農相は記者会見で,新技術導入などの農業生産に貢献した農民に報賞金(バンガ・ボンドウ報賞金)を与えるための基金と委員会を設置すると発表。当初の基金の規模は250万タカ程度。
DIA-301-1973-04-10-1バングラデシュ1973年04月10日1970年代米国3000万ドルの贈与-米国政府はバングラ政府に対し計3000万ドルの贈与を与えることに同意した。 これで昨年5月30日以来米国の贈与総額は1億4555万ドルとなった。
DIA-301-1973-04-11-1バングラデシュ1973年04月11日1970年代IDA,2335万ドルの水利借款を供与。このうち1140万ドルは前の借款の返済にあてられる。
DIA-301-1973-04-12-1バングラデシュ1973年04月12日1970年代警察庁は日本から河川パトロール用のスピード・ボート51隻と2隻のモーター・ランチを購入した。
DIA-301-1973-04-13-1バングラデシュ1973年04月13日1970年代日本政府は800万ドルの対バングラ贈与(UN-ROB経由)の一部としてバス220台,トラック150台を渡す贈呈式がダッカで行なわれた。
DIA-301-1973-04-17-1バングラデシュ1973年04月17日1970年代重刑戦犯は195人-デリーを訪問中のK.フセイン外相は記者会見でパ軍捕虜の処遇について,要旨次のように述べた。 (1)バングラ政府は重刑戦犯人を正式に195人と決定した。 (2)にれらの戦犯に対する戦判を5月末までに,バングラで開始する。 (3)このためダッカに特別法廷が設置される。
DIA-301-1973-04-17-2バングラデシュ1973年04月17日1970年代インド,バングラ和平で同意-インドを訪問中のK.フセイン外相はこのほどインド政府との間で「インド・バングラ・パキスタン間の和平の条件として,パ軍捕虜,家族およびベンガル人の相互送還に関し,インドとバングラがこれらの送還が同時に行なわれるようイニシァティブをとる」ことに合意した。
DIA-301-1973-04-19-1バングラデシュ1973年04月19日1970年代マジュムダール食糧相は国会での答弁で,今年度分として米の不足250万トンのうち6月までに185万トンを外国から買付けないしは贈与で調達できると述べた。
DIA-301-1973-04-19-2バングラデシュ1973年04月19日1970年代A.M.ウキル内相は国会で,政府はパ軍協力者に対する裁判をこれまでに計1万1661件(3万人)スタートしたと発表。
DIA-301-1973-04-20-1バングラデシュ1973年04月20日1970年代無賃乗車取締り-ラーマン首相は鉄道乗客の無賃乗車(無札乗車)を取締るようロッキー・バーヒニ(民族防衛軍)に指示した。現在,鉄道乗客のうち30~40%が無賃乗車であるという。
DIA-301-1973-04-21-1バングラデシュ1973年04月21日1970年代食糧輸送に軍隊投入-ラーマン首相は食糧および基本的商品の輸送の安全確保と迅速化のために,担当諸機関を護衛するよう軍に要請した。
DIA-301-1973-04-21-2バングラデシュ1973年04月21日1970年代アンドレ・マルローがダッカに到着,ダッカ大学で演説,独立戦争におけるダッカ大学生の役割を高く評価した。また同日,首相官邸を訪れ,ラーマン首相と懇談した。
DIA-301-1973-04-21-3バングラデシュ1973年04月21日1970年代政府は弁護士Hamidul Haque Chowdhuryら37名の市民権を剥奪すると発表した。このほとんどは現在パキスタンに在住している。
DIA-301-1973-04-23-1バングラデシュ1973年04月23日1970年代バングラ,ECAFEに正式加盟―バングラはECAFEに東京会議の最終日の4月23日,正式加盟が認められた。パキスタン,中国は手続上の理由でバングラの加盟に反対した。
DIA-301-1973-04-25-1バングラデシュ1973年04月25日1970年代ベンガル湾油田の試掘年内に-天然資源相Dr.M.チョードリは「同省地質調査局は解放後全国の地質調査を続けていたが,このほど全地域の5%の調査を完了……年内にはチッタゴン上陸地帯の調査をスタートする。……ペンガル湾油田開発に日本,米国,カナダ,フランスなど40社からの引合いがきており,年内にも政府は同油田地帯の試掘を始める」などと語った。
DIA-301-1973-04-26-1バングラデシュ1973年04月26日1970年代政府はダッカ市内の78企業の免許を取消し,営業停止を勧告した。これは商店およびオフィスを持っていない企業を対象にした。
DIA-301-1973-04-26-2バングラデシュ1973年04月26日1970年代来訪中の韓国貿易使節団は政府との間で,両国貿易,経済協定の仮調印(本調印は来月韓国での予定)を行なった。
DIA-301-1973-04-27-1バングラデシュ1973年04月27日1970年代N.イスラム蔵相は「政府の予備調査の結果,全国に1,277の実在しない不実企業がある」と述べ,「輸出入管理局はすでにこれらの企業に対する原料供給などをストップしている」と語った。
DIA-301-1973-04-27-2バングラデシュ1973年04月27日1970年代チェコが1500万ポンドの借款-チェコとバングラデシュ両政府はチェコが1500万ポンドの借款を与える旨の協定に調印した。この借款協定は72年10月31日に調印(1000万ポンド)した協定を修正したもので,プラストおよび付属装備買付用に使われる。なお前借款(1000万ポンド)はクルナ発電所(100メガワット)建設,変電所2基(50KWT),病院,皮革工場などに使われている。なお利子は年1.5%,10~12年延払い。
DIA-301-1973-04-28-1バングラデシュ1973年04月28日1970年代ソ連,ゴラサールの発電所建設に援助-ソ連は建設中のゴラサール発電所に追加設備と人員を供与する。
DIA-301-1973-04-29-1バングラデシュ1973年04月29日1970年代不正企業の取締強化-ラーマン首相は経済関係閣僚に対して,法にもとづいて不正企業および商人に対する取締りを強化するよう指示した。これによると密輸や不当価格で商売しているものに対してはライセンスや許可を取消したり,新規発行をしないよう措示した。
DIA-301-1973-04-29-2バングラデシュ1973年04月29日1970年代NAP“要求デー”開催-NAP(バシャニー)はダッカで“要求デー”と称する集会を開き,物価騰貴に対する政府の無策を批難,「直ちに効果的な措置をとるよう」要求,またNAP指導者の逮捕者全員の即時釈放も要求した。
DIA-301-1973-05-01-1バングラデシュ1973年05月01日1970年代国連事務総長,食糧援助を要請-ワルトハイム国連事務総長はバングラデシュの食糧危機は深刻であるとして各国に食糧援助を要請した。なお,国連専門家によるバングラの食糧問題のレポートが発表され,内容要旨は次のとおりである。 (1)1人当り1日の平均食糧需要を15オンス(424.5g)とすると1973年内にさらに50万トンの食糧を輸入しなければならない。 (2)パ政府は3月末までに今年分として計120万トンを買付けた。またさらに60万トンの買付けを契約したが国別では,米国20万トン,EC17万5000トン,カナダ16万6000トン,オーストラリア5万4000トン,フランス1万5000トン,日本1万2500トン,オランダ5000トンなどとなっている。 (3)バ政府が受けた外国援助額は13億1800万ドルでおる。そのうち食糧援助は28.70%,残り71.80%は非食糧援助である。
DIA-301-1973-05-03-1バングラデシュ1973年05月03日1970年代政府はさらに53のディラーの営業免許を取消した。
DIA-301-1973-05-03-2バングラデシュ1973年05月03日1970年代ニクソン米大統領は外交教書を発表,インド亜大陸情勢について言及,「バングラデシュ承認はインド亜大陸の安定をもたらす」と指摘している。
DIA-301-1973-05-04-1バングラデシュ1973年05月04日1970年代クルナ商工会議所はラーマン首相に対して消費者供給公社を直ちに解散するようとの要望書を提出した。これによると当公社は物資不足によって本来の目的である物資配分を続行することが難しくなったためという。
DIA-301-1973-05-04-2バングラデシュ1973年05月04日1970年代大量密輸捕獲-警察当局は5月に入ってスンダルバン地域で計11隻の密輸船を摘発した。この船にはほとんどが食糧庁の所有米が積込まれており,ダッカから運び出されたものである。
DIA-301-1973-05-05-1バングラデシュ1973年05月05日1970年代外務省は駐日大使にAbdul Muntaquim Chaudhury(最高裁判事,現国会議員)を任命した。
DIA-301-1973-05-05-2バングラデシュ1973年05月05日1970年代農地再配分スタート―A.Rab.セルニアバート土地改革・行政相は「政府は土地改革法によって収用した53万3000エーカーの農地の無償配分をすでに開始した」と述べた。また収用土地の内訳は46万2000エーカーがKhas land(政府所有地),7万1000エーカーが保有上限制度にもとづき収用された土地である。 土地収用は3月31日で自己申告が終り,4月1日からは政府の調査が行なわれている。
DIA-301-1973-05-07-1バングラデシュ1973年05月07日1970年代AL執行部物価問題で提言-Korban Ali AL副総裁,Zillu Rahman書記長などAL執行部の名において,物価問題対策に関する意見書(20項目)をラーマン首相に提出した。 この意見書には,食糧の強制供出(国境内5~10マイル),魚の輸出禁止などが提言されている。
DIA-301-1973-05-09-1バングラデシュ1973年05月09日1970年代コミラ,ノアカリ大洪水-グムチ川が氾濫して,コミラ県のLaksam,Hajiganj,Burighanj,Kasba地区とノアカリ県のParashuram,Chhagalnaiya地区が冠水,収穫前のボロ稲に大きな被害が出た。
DIA-301-1973-05-09-2バングラデシュ1973年05月09日1970年代政府は輸入ライセンスの発行と信用状の開設手続きを変更するため当分の間,発行と開設を停止すると発表。
DIA-301-1973-05-10-1バングラデシュ1973年05月10日1970年代ラーマン首相特派大使M.R.Siddiquiはワシントンでロジャース国務長官と会談。
DIA-301-1973-05-11-1バングラデシュ1973年05月11日1970年代JSD第1回全国会議-JSD(民族社会党)は第1回全国会議(会期3日間)を開き,代表3万人が集まった。第1日目は総裁M.A.Jalil,書記長A.S.M.Abdur Rabらが演説した。
DIA-301-1973-05-11-2バングラデシュ1973年05月11日1970年代アメリカ,家族計画に150万ドルの援助-AIDはバングラの家族計画に150万ドルの無償援助を供与する。
DIA-301-1973-05-11-3バングラデシュ1973年05月11日1970年代商業・外国貿易相A.H.M.カマルーズザマンは「調査の結果,2万5000の輸入ライセンス保持者のうち少なくとも1万5000が不実ないしは不正取得者である」と述べた。
DIA-301-1973-05-11-4バングラデシュ1973年05月11日1970年代私立学校職員ストライキ-バングラデシュ・カレッジ教員組合(委員長A.F.M.Khalihur Rahman)は私学と国立学校との格差解消のために私立学校の完全国有化を要求して無期限ストライキを決定した(9月10日に解除)。
DIA-301-1973-05-12-1バングラデシュ1973年05月12日1970年代イラン国王は訪問中のブット大統領に対し「バングラデシュは事実であるが,イランはパキスタンが承認しない限り承認はしない」と述べた。
DIA-301-1973-05-12-2バングラデシュ1973年05月12日1970年代JSD全国大会は役員改選を行ない次のように発表した。 総裁:Mohammad Abdul Jalil退役少佐 書記長:A.S.M.Abdur Rab 統合書記長:Messrs Shahjahan Siraj 会計担当:Kamrul Islam Khan 副総裁:Bidhan Krisna Sen,Musharraf Hussain。Ehsan Ali Khan Ruhul Amin Bhuiyan,Mohammad Sultan Raja. ・その他書記長補佐(5名),担当書記(12名)に30名の委員によって全国委員会が組織された。
DIA-301-1973-05-14-1バングラデシュ1973年05月14日1970年代バシャニー,NAP総裁はパルタン・マイダンでの集会で,物価問題に対する政府の態度を鋭く批判し,また「パ軍協力者法は野党の政治活動をチェックするために悪用されている」などと述べた。
DIA-301-1973-05-16-1バングラデシュ1973年05月16日1970年代バシャニー,抗議の断食-バシャニーNAP総裁は3つの要求(①食・衣料の物価騰貴抑制,②弾圧の停止,②生命と財産の保障)貫徹を掲げて無期限のハンガーストライキを午前8時から開始した。
DIA-301-1973-05-16-2バングラデシュ1973年05月16日1970年代スウェーデン政府は新協定にもとづき計1億2540万タカを援助することを決定した。このうちの大半は食糧,食用油,肥料,種子,工業用原料などの商品輸入資金に運用される。
DIA-301-1973-05-16-3バングラデシュ1973年05月16日1970年代協同組合局の調査によると全国の紡績機のうち27万5539台が未登録のものであることが判明した。なお登録台数は1972年12月現在で75万4039台,なおそのうち可動台数は47万8500である。
DIA-301-1973-05-16-4バングラデシュ1973年05月16日1970年代ダッカのNAP木部で断食中のバシャニーをラーマン首相が訪れて中止するよう説得したが依然として続行中である。
DIA-301-1973-05-17-1バングラデシュ1973年05月17日1970年代ラーマン首相は救済,復興相Mizanur Rahman Choudhuryの辞職を勧告して,復興相はこれを受諾した。
DIA-301-1973-05-17-2バングラデシュ1973年05月17日1970年代訪米中の首相特使M.R.シディキはホワイトハウスでニクソン大統領と会見,パ在住ベンガル人問題についてのバングラ政府の立場を説明した。
DIA-301-1973-05-18-1バングラデシュ1973年05月18日1970年代政府筋は断食中のバシャニーの健康を気づかい,バシャニーの要求を受け入れるような方向で検討中である。これはラーマン首相が前日バシャニーと会見して,彼の健康を心配して関係者に善処するよう要請したことによるものとされている。
DIA-301-1973-05-18-2バングラデシュ1973年05月18日1970年代国家公務員給与諮問委員会(会長アブドゥル・ロブ)はラーマン首相に報告書(1,000ページ)を提出した。この報告書は給与ベース,給与の職能別制度の導入などの改正点を答申した。
DIA-301-1973-05-19-1バングラデシュ1973年05月19日1970年代経済会議―国民経済評議会(NEC)と経済関係閣僚が統合会議を開き経済状況などの検討を開始した。
DIA-301-1973-05-19-2バングラデシュ1973年05月19日1970年代断食は続行する(パシャニー)-断食中のバシャニーは国民の飢餓状態が解決されない限り,断食は止めない旨の声明を発表,「国の85%の人々はこの2ヵ月間充分な食糧を口にしていない。この食糧問題が解決しなければやめるわけにはいかないのだ」などと述べた。 なお,担当医師団はバシャニーの健康状態が悪化しているため病院に移ることを勧めた。これにより,5月20日に病院に移ることに同意した。
DIA-301-1973-05-20-1バングラデシュ1973年05月20日1970年代補欠選挙でAL2議席失う-国会議員補欠選挙がダッカXV区,ファリドプールXI区,ラージシャヒXI区,シレットIV区で行なわれ,ダッカ,ファリドプールでALが勝ったもののラージシャヒでは民族社会党(JSD),シレットでは無所属が当選した。なおボケールガンジーではALが無競争当選。これで党派別議席数はAL 306(婦人15議席),無所属5(1名ALに入党),JSD 2,NAP(M) 1,BJL 1となった。
DIA-301-1973-05-21-1バングラデシュ1973年05月21日1970年代NAP(B)はバシャニーの3項目要求を支持するゼネスト(8時間)を呼びかけた。なおJSDはバシャニーの要求を支持して集会を開いた。
DIA-301-1973-05-21-2バングラデシュ1973年05月21日1970年代インド計画相D.P.Dharがダッカに到着,K.フセイン外相,イスラム計画委員会副委員長らが出迎えた。なお22日に,ラーマン首相と会見した。
DIA-301-1973-05-22-1バングラデシュ1973年05月22日1970年代バシャニー断食停止-ダッカ医科大学病院で断食をしていたバシャニーは午後8時,8日目で断食を停止することになった。これは医師の強い説得と,野党7党の指導者がバシャニーの3項目要求貫徹に強力な運動を約束したために一応停止することに同意したものである。
DIA-301-1973-05-22-2バングラデシュ1973年05月22日1970年代AL大集会-ダッカ・バイタルモカラムでAL主催の大集会が開かれ反社会分子の行動を糾弾し,バシャニーの抗議断食を非難した。
DIA-301-1973-05-23-1バングラデシュ1973年05月23日1970年代アジア平和会議ダッカで開催-ソ連,北ベトナム,インド,イランなどの代表を集めてアジア平和会議(会期3目間)がダッカで開かれた。第1日目ラーマン首相は開会演説を行ない,「軍拡競争は直ちに停止しなければならない」などと述べた。
DIA-301-1973-05-25-1バングラデシュ1973年05月25日1970年代インド長期借款供与-バ・印両プラニング・コミッションは21日から長期借款について協議した結果,インド政府は総額5億ルピーの長期借款を供与することに同意した。このうち1億5000万ルピーはサリー,ルンギーなどの綿製品購入に使われる。なお借款条件は利子4~5%,2~3年措置き15年延払い。またインド政府はその他に4000万ルピーの贈与,6000万ルピーの長期借款を付加することに同意した。
DIA-301-1973-05-25-2バングラデシュ1973年05月25日1970年代ダッカ選出国会議員(AL)Abdur Razzak Mukul宅が襲われ,1人が殺された。またノッシンディーでは学生連盟運動員を含む4名が襲われ殺された。
DIA-301-1973-05-29-1バングラデシュ1973年05月29日1970年代オーストラリア政府はバングラデシュ航空にフレンドシップ機2機を寄贈した。
DIA-301-1973-05-29-2バングラデシュ1973年05月29日1970年代エジプト政府はバングラを承認した。
DIA-301-1973-05-29-3バングラデシュ1973年05月29日1970年代カナダ長期借款-カナダ政府は5万トンの小麦購入用として650万ドルの長期借款を供与した。この条件は10年間措置の50年延払いとなっている。なおカナダは今年に入ってすでに小麦21万5000トン(2500万ドル)を供与している。1972年3月以来では累積42万5000トンとなった。
DIA-301-1973-05-29-4バングラデシュ1973年05月29日1970年代USAIDは総額4500万ドルのグラントを贈与する協定に調印した。
DIA-301-1973-05-31-1バングラデシュ1973年05月31日1970年代ファリドプール県のAL選出国会議員Nurul Huqが暴漢に襲われ射殺された。
DIA-301-1973-05-31-2バングラデシュ1973年05月31日1970年代AL組織委員会,反国家分子を糾弾-AL中央組織委員会は定例会議(2日間)を終わり,国民に対し「反国家活動とコミュナル協力と断固闘う」旨のアピールを発表した。
DIA-301-1973-06-02-1バングラデシュ1973年06月02日1970年代T.アーメド蔵相はインドで印刷した紙弊の凍結について次のように説明した。 (1)5月31日までにインドで印刷されたバングラデシュ・タカの凍結(回収)は27億0754万タカに達した。 (2)100タカ,50タカ,10タカ紙弊はほとんど回収した。なお1タカ紙弊はそのまま流通する。 (3)これまでインドで印刷されたタカは総額42億1595万タカである。
DIA-301-1973-06-03-1バングラデシュ1973年06月03日1970年代予算国会始まる―国民議会の予算会期が始まった。冒頭,ラーマン首相は国内で起きている政治的暗殺に強い怒りをもって「厳粛な独立を破壊しようとする動きと断固闘う」と決意表明した。
DIA-301-1973-06-07-1バングラデシュ1973年06月07日1970年代AL大集会―1966年6月7日の大ゼネストを記念して,AL主催の集会が開かれた。1966年6月7日は,学生連盟が中心となって反西パゼネストが行なわれた歴史的な日として,今年始めて公式的に歴史的記念日とされた。66年2月にはラーマンAL総裁が「6項目要求」を発表して,5月に逮捕された。このため6月7日にゼネストで抗議,多数の犠牲者を出した。
DIA-301-1973-06-08-1バングラデシュ1973年06月08日1970年代食糧生産は1200万トン期待-A.サマード農相は国会で「1971年12月16日から72年12月31日までの米の生産量は971万1000トンであった。今年ボロ期における米の生産は2100万トン,小麦9万トン,またアウス期作は304万7000トン,アモン期作は683万1000トンが見込まれる」と語った。なお昨年度実績はボロ期作173万8000トン,小麦11万3000トン,アウス期作227万3000トン,アモン期作558万7000トンであった。 また1973年度には1人当りの食糧消費は1日15.5オンス(年間換算約164キログラム)であった。
DIA-301-1973-06-10-1バングラデシュ1973年06月10日1970年代バシヤニーNAP総裁は記者会見で要旨次のように述べた。 (1)ブット大統領は在パベンガル人の取扱いを決定する権利はない。 (2)私をコミュナリストと非難している連中がいるが,私の政治活動の歴史で一度たりともコミュナリズムを醸成するような言動をした覚えはない。 (3)インドとの密貿易を解消するために両国の最高裁判所判事で構成する共同調査委員会を設置すべきだ。 (4)密貿易を大量に行なっているのはマルワリである。彼らは国内にエージェントを持っている。 (5)インドからの消費財,原材料の輸入は国内生産を減退させることになるから反対である。
DIA-301-1973-06-11-1バングラデシュ1973年06月11日1970年代鉄道予算発表―運輸相M.マンスール・アリは国会で1973-74年度鉄道予算を発表,予算総額は3億3630万タカである。なお旅客運貨を10%値上げ,貨物運賃は据置くことも発表した。 予算内容は次のとおり(単位10万タカ)
DIA-301-1973-06-11-2バングラデシュ1973年06月11日1970年代日本製繊維売出しで騒ぐ-日本製のテトロンズポンなどをダッカ,ナラヤンガンジーの公正価格商店で売出したところ群がった群衆が先を競って騒いだために12人が負傷した。この日売出した日本製品はテトロンパンツなど40ベールである。
DIA-301-1973-06-13-1バングラデシュ1973年06月13日1970年代無所属の国会議員Ali Ashraf (コミラ選出)はALに入党。
DIA-301-1973-06-13-2バングラデシュ1973年06月13日1970年代ソ連政府はMI-8型ヘリコプター4機を政府に寄贈。
DIA-301-1973-06-14-1バングラデシュ1973年06月14日1970年代1973-74年度予算発表-T.アーメド蔵相は国会で1973-74年度開発予算を発表した(内容要旨は参考資料参照)。
DIA-301-1973-06-15-1バングラデシュ1973年06月15日1970年代外国援助は35億タカ-T.アーメド蔵相は記者会見で外国援助について触れ,1973-74年度開発予算総額52億5350万タカのうち35億2000万タカの外国援助を受ける見込みであることを明らかにした。
DIA-301-1973-06-15-2バングラデシュ1973年06月15日1970年代財界予算を歓迎-バングラデシュ商工会議所連盟総裁M.Masihur Rahmanは1973-74年度予算を歓迎すると声明,クルナ,チッタゴン商工会議所会頭も同様の声明を発表した。
DIA-301-1973-06-16-1バングラデシュ1973年06月16日1970年代7月から12月までの半年用として,インドから原油,軽油,航空機燃料など45万1000トン(約6000万タカ)を輸入する旨の協定に調印した。
DIA-301-1973-06-18-1バングラデシュ1973年06月18日1970年代農地接収は7万6712エーカー-土地行政・改革相は国会の答弁で農地接収状況について次のように述べた。 (1)3月31日まで農地100ビガー以上保有の農家のうち5,371家族が申告して,計7万6712エーカーを政府に明渡した。 (2)政府はこれら接収農地を現在直接管理しているが,1.5エーカー未満の農家に優先的に再配分する予定である。
DIA-301-1973-06-19-1バングラデシュ1973年06月19日1970年代パリで開かれた対パ援助国会議(コンソーシアム)で,多数の国が「パキスタンが旧債務を返債する意思を明らかにするまで新規借款を与えない」との態度を示した。
DIA-301-1973-06-20-1バングラデシュ1973年06月20日1970年代食糧輸入は368万トン-P.マジュムダール食糧相は国会の答弁で,1972年1年間と73年5月31日までの食糧輸入(援助分含)は合計368万1316トンに達したと述べた。そのうち73年以降の輸入量は128万2112万トンである。
DIA-301-1973-06-21-1バングラデシュ1973年06月21日1970年代デンマーク政府はバ政府に対し7,000台の電話機などを合む総額550万タカの贈与を決定した。
DIA-301-1973-06-21-2バングラデシュ1973年06月21日1970年代IDA,バングラに2100万ドルの借款を供与-IDAはバングラに2100万ドルの借款を供与すると最近発表した。条件は3/4%のサービス・チャージのみで無利子,残済は10年据置きの50年払い。
DIA-301-1973-06-22-1バングラデシュ1973年06月22日1970年代バングラデシュと東独は航空協定に調印した。
DIA-301-1973-06-23-1バングラデシュ1973年06月23日1970年代政府はブルガリア政府との間で400万ポンドの経済,技術協力協定に調印した。これによるとブルガリア政府は魚の冷凍施設,水産加工工場,製氷工場,フルーツ加工工場などの建設用借款を与えることになった。なお条件は2年据置き12年延払い。年利2.5%。
DIA-301-1973-06-23-2バングラデシュ1973年06月23日1970年代バングラデシュ解放戦士協会会長Abdul Matin Choudhuryは,独立以来約1000人の解放戦士が何者かに暗殺されたと述べた。
DIA-301-1973-06-26-1バングラデシュ1973年06月26日1970年代政府保有食糧は35万トン―P.マジュムダーンル食糧相は国会の答弁で,政府は現在食糧35万0427ト保有している。またさらに10万4962トンがチッタゴン,チャルナ両港で荷揚げ中であると述べた。
DIA-301-1973-06-30-1バングラデシュ1973年06月30日1970年代下半期輸入政策発表-カマルズザマン貿易相は下半期(7月1日~12月末)の輸入政策を発表した。輸入取扱量は公共部門で82%,民間ベースで18%とされた。なお政策の基調は消費財と工業用原料の輸入優先は変わらず,不必要な輸入を禁止する。また同発表で業者の摘発に全力を注ぐと警告を発した。
DIA-301-1973-07-04-1バングラデシュ1973年07月04日1970年代アルジェリアから特使-アルジェリアのブーメディエン大統領特使Mohammed Yazidが来訪,ラーマン首相と会談した。
DIA-301-1973-07-05-1バングラデシュ1973年07月05日1970年代インド・バングラ貿易協定締結-インド・バングラ貿易協定(9月28日から3年間)の調印式がダッカで行なわれた。この協定では,1973-74年度の貿易を(片道)3億0500万タカとしている。また双方の貿易額を完全にバランスするよう計画されており,インド側の輸出は石炭(6000万タカ),タバコ(5200万タカ),セメント(3000万タカ),棉花(7500万タカ),繊維(1000万タカ),大理石など(1000万タカ),映画(100万タカ),本その他(220万タカ),その他自転車,薬品,香辛料,部品などとなっている。 バングラからの輸出産品は生ジュート(2億タカ),生鮮魚,干魚(3500万タカ),新聞用紙(4500万タカ),皮革(1000万タカ),薬品(50万タカ),映画(100万タカ),医薬品(30万タカ),本,雑誌など(100万タカ),その他香辛料,雑貨などとなっている。
DIA-301-1973-07-06-1バングラデシュ1973年07月06日1970年代ガンジー首相特使P.N.Haksarが来訪,K.フセイン外相と2時間に亘って会談,これは印・パ会談に向けての両国の意見交換を行なったもので,“印・パ共同宣言”にもとづいて印・パ会談に臨むことが了解された。
DIA-301-1973-07-06-2バングラデシュ1973年07月06日1970年代テロによる殺人2,035件-A.マレク・ウキル内相は国会の答弁で1972年1月1日から73年4月30日まで全国でテロによる殺人件数は2,035に達し,計4,925人(6月末まで)が殺されたと述べた。
DIA-301-1973-07-06-3バングラデシュ1973年07月06日1970年代約8万人の非公立学校教員が公立学校教員との格差是正などの待遇改善を要求してストライキに突入した。
DIA-301-1973-07-08-1バングラデシュ1973年07月08日1970年代外相,東南ア歴訪-K.フセイン外相は東南アジア5ヵ国(インドネシア,マレーシア,シンガポール,ビルマ,北ベトナム)訪問の途についた。
DIA-301-1973-07-10-1バングラデシュ1973年07月10日1970年代肥料価格値下げ-政府は農業とくに食糧の増産を図るため科学肥料の政府配給価格を大幅に引下げることを決定し,その予算措置として1億2000万タカを臨時支出として計上した。 なお改定価格は次のとおりである。カッコ内は現価格,単位1モンド当り。 (1)尿素:30タカ(40タカ) (2)三重過燐酸石灰:20タカ(30タカ) (3)MP : 15タカ(20タカ)
DIA-301-1973-07-10-2バングラデシュ1973年07月10日1970年代公務員給与規準決定一政府は公務員給与審議会の答申を受けて公務員給与規準を次のように決定したと発 表,これは7月1日から実施される。 (1)国家公務員 等級給与ベース(タカ) I:2,000(固定) II:1,475~1,850 III:1,150~1,570 IV:800~1,070~1,455 V:475~510~685~1,005~1,275 VI:375~400~525~765~975 VII:310~325~400~544~670 VIII:220~228~268~348~420 IX:145~151~205~275 X:130~135~180~240 (2)軍関係については次のとおりである。
DIA-301-1973-07-11-1バングラデシュ1973年07月11日1970年代Patuakhali警察はChardnaniで強盗団と交戦し,1人を射殺,1人を逮捕した。なお強盗団からライフル2丁,ピストル2丁,手りゅう弾36発を押収した。
DIA-301-1973-07-13-1バングラデシュ1973年07月13日1970年代BIWTCは欠損-M.A.G.オスマーニ船船舶相は国会での答弁でBIWTC(バングラデシュ内陸水運公社)の1972年4月~1973年5月末の14ヵ月間の経営状態は総額1680万タカの赤字であったことを明らかにした。
DIA-301-1973-07-14-1バングラデシュ1973年07月14日1970年代国際司法裁判所はパキスタンが提訴していたパ軍捕虜(インドに居る)195名のバングラデシュへの戦死としての引渡しの取止めを棄却した。
DIA-301-1973-07-14-2バングラデシュ1973年07月14日1970年代マレーシアと共同声明-マレーシアを訪問中のK.フセイン外相はラザク首相と2回目の会談を終え,共同声明を発表した。この声明のなかで両国の経済,文化交流をめざす協定を間もなく締結することが折り込まれている。
DIA-301-1973-07-16-1バングラデシュ1973年07月16日1970年代S.ノズルル・イスラム工業相は国会での答弁で,国有化企業の現負債総額は53億7580万タカ(銀行借款13億7560万タカ,その他40億4020万タカ)に達したと述べた。
DIA-301-1973-07-17-1バングラデシュ1973年07月17日1970年代アルジェリア,チュニジア,モーリタニア政府がバングラを承認。なお1週間前にマグレブとモロッコが承認した。
DIA-301-1973-07-18-1バングラデシュ1973年07月18日1970年代ガンジス河分水問題-ガンジス河の分水問題でインド当局と会談したK.M.アーメド水資源相はニュデリーで記者会見して,次のように語った。 (1)両国政府はファラッカダムを機能させる以前に分水問題につき相互の問題が解決するための意をとりつけることになった。 (2)すなわち相互の問題が解決するまでは分水を行なわないことに合意した。 (3)雨期における問題は生じないが,乾期での水の配合をどうするかについては今後合意が成るまで討議が続く。
DIA-301-1973-07-18-2バングラデシュ1973年07月18日1970年代極左分子176名逮捕-ラージシャヒ県の3つの警察署は,BDR・陸軍(防衛軍)との共同で同地区で活動していた極左分子176名(女性14名含む)を逮捕したと発表。また彼等の携行していた中国製ライフル4丁を含む銃23丁を押収した。
DIA-301-1973-07-19-1バングラデシュ1973年07月19日1970年代反社会分子に対する位置斉行動-警察.BDR,国軍は全国各地で武器を携行したテロ団の一掃に乗り出しているが,Naogaonでは28人を逮捕,ライフル銃14丁など多数の武器を押収した。またチッタゴン,パトアカリ地区でも同規模の逮捕,武器の押収をした。
DIA-301-1973-07-20-1バングラデシュ1973年07月20日1970年代K.フセイン外相はハノイに到着,グエン・ドイ・ティン外相の出迎えを受けた。
DIA-301-1973-07-20-2バングラデシュ1973年07月20日1970年代日本との間でビザ協定締結。
DIA-301-1973-07-21-1バングラデシュ1973年07月21日1970年代政府はアフガニスタンのダウド・カーン政府を承認したと発表。
DIA-301-1973-07-22-1バングラデシュ1973年07月22日1970年代K.フセイン外相帰国-東南アジア5ヵ国を訪問したK.フセイン外相が帰国,記者会見で「東南ア諸国歴訪は満足すべき成果を収めた。インド亜大陸におけるわが国の立場を理解してもらうことができた」などと述べた。 なお最後の訪問地ハノイでは北ベトナム外相との間で共同声明を発表した。
DIA-301-1973-07-23-1バングラデシュ1973年07月23日1970年代ダッカ市内の不法行為一斉取締りの第1日目に,不法行為のあるもののうち電気57件,水道42件,電話27件が罰として止められた。またニュー・マーケットの426店舗のうち賃貸料金を滞納している店が閉鎖を命じられた。このうち127店が24日に再開を許可された。なおニュー・マーケットは政府所有で各店舗は権利を購入して賃貸しているもの。
DIA-301-1973-07-24-1バングラデシュ1973年07月24日1970年代印・パ会談始まる。
DIA-301-1973-07-25-1バングラデシュ1973年07月25日1970年代政府は南ベトナム臨時革命政府を承認したと発表。
DIA-301-1973-07-26-1バングラデシュ1973年07月26日1970年代ラーマン首相ユーゴスラビアへ-ラーマン首相は5日間の予定で,ユーゴスラビアを公式訪問するためベルグラードに到着,ジェマル・ビジェディク首相らが出迎えた。なおK。フセイン外相,N.イスラム計画委員会副議長,T.アーメド首相秘書らが同行した。なおラーマン首相はピジェディク首相と非公式会談した。
DIA-301-1973-07-26-2バングラデシュ1973年07月26日1970年代輸出政策発表-A.H.M.カマルズザマン外国貿易相は1973-74年度輸出政策を発表,このなかで,輸出目標額を32億4000万タカと見積り,その85%がジュート及びジュート製品であることを明らかにした。 なお輸出目標は次のとおり。 品目金額(億タカ)
DIA-301-1973-07-28-1バングラデシュ1973年07月28日1970年代ラーマン首相,チトー大統領と会談-ラーマン首相はユーゴのBrioniでチトー大統領と公式会談し,国際情勢などについて意見を交換した。また同夜開かれたチトー大統領主催の晩さん会で同大統領はバングラデシュを全面的に支持すると述べた。
DIA-301-1973-07-31-1バングラデシュ1973年07月31日1970年代カナダ政府はチッタゴンの衛星中継基地建設費として1300万タカの借款を与えることに決定,協定に調印した。
DIA-301-1973-08-01-1バングラデシュ1973年08月01日1970年代ラーマン首相オタワへ-ラーマン首相はオタワで開かれる英連邦会議に出席のため,ロンドンからオタワに到着した。
DIA-301-1973-08-01-2バングラデシュ1973年08月01日1970年代軍・警共同作戦によるラージシャヒ地区の反社会分子一掃で7月12日から25日までに315名が逮捕され,機関銃6丁,ライフル27丁を含む多数の武器,弾薬が押収された。
DIA-301-1973-08-02-1バングラデシュ1973年08月02日1970年代ラーマン首相はオタワで英連邦首脳会議に出席。また同日トロントで記者会見した首相は「パ軍将校の戦犯の裁判を要求しているのは,われわれがけっして復しゅうしようとしているためではない」と語った。
DIA-301-1973-08-02-2バングラデシュ1973年08月02日1970年代米国を訪問中のT.アーメド蔵相はワシントンでロジャーズ国務長官と会談,経済援助を要請した。
DIA-301-1973-08-02-3バングラデシュ1973年08月02日1970年代南ベトナム臨時革命政府は,バングラ政府が同政府を承認したことを受けてバングラ政府を承認した。
DIA-301-1973-08-04-1バングラデシュ1973年08月04日1970年代ビルマとバングラデシュは経済関係促進のために貿易協定に調印した。これはラングーンでビルマ貿易相Maung Lwinとバングラ貿易相カマールズザマンとで行なわれた。
DIA-301-1973-08-04-2バングラデシュ1973年08月04日1970年代短期工業投資政策(1972-73)発表-これによると今年上半期では,投資者からの反応は極めて鈍かったということである(内容要旨は参考資料の項参照)。
DIA-301-1973-08-06-1バングラデシュ1973年08月06日1970年代PL 480号による食糧輸入協定に調印,バングラはアメリカとPL 480号による8万トンの小麦輸入協定に調印した。
DIA-301-1973-08-06-2バングラデシュ1973年08月06日1970年代シレット13区,ファリドプール17区での国会議員補欠選挙でそれぞれALのNawab Ali Sarwar KhanとDr.M.A.Kasemが当選した。
DIA-301-1973-08-07-1バングラデシュ1973年08月07日1970年代インド亜大陸諸国内の特恵関税制―英連邦首脳会議の席上,ラーマン首相はインド亜大陸諸国間での貿易,関税の特恵措置を考えるべきとの意見を述べた。
DIA-301-1973-08-07-2バングラデシュ1973年08月07日1970年代チッタゴン市の一部地域で外出禁止令を布告して軍・警は共同で反社会分子の摘発を行ない,計79名を逮捕した。
DIA-301-1973-08-08-1バングラデシュ1973年08月08日1970年代教育省は教員ストライキについて次のような声明を発表した。「国立学校と私立学校の教員間にある待遇不平等について政府に諮問する委員会を教員組合の代表者も含めて間もなく組織する」この声明によって私立学校の待遇改善を要求してストライキを行なっていた教員組合は軟化の態度を示した。
DIA-301-1973-08-09-1バングラデシュ1973年08月09日1970年代全教育機関を国有化-私立学校教職員のストライキを契機に学校経営についての今後の方針を検討する政府の諮問委員会が発足,74年2月末日まで報告書を提出することになったが,政府としては全教育機関を国有化するという方向を打出しており,今後政府系学校の新設はしない予定である。
DIA-301-1973-08-11-1バングラデシュ1973年08月11日1970年代カナダ,3650万ドルの援助を約束-カナダは1973-74年度分として3000万ドルの贈与と650万ドルのソフト・ローンを供与することを約束とした。
DIA-301-1973-08-11-2バングラデシュ1973年08月11日1970年代ラーマン首相ジュネーブへ―ラーマン首相は10日間のオタワ滞在(英連邦会議)を終え,スイスに到着,ジューネブで開かれた駐ヨーロッパ大使会議(2日間)に出席,「バングラの平和的イメージを唱伝するよう」などと述べた。
DIA-301-1973-08-12-1バングラデシュ1973年08月12日1970年代ラーマン首相は駐ヨーロッパ大使会議で,各大使に貿易の拡大に努めるよう訓令した。
DIA-301-1973-08-14-1バングラデシュ1973年08月14日1970年代インド特使来訪―インド首相特使としてP.N.Haksarが来訪,印・パ会談についてバングラ政府と意見の調整を行なう。
DIA-301-1973-08-15-1バングラデシュ1973年08月15日1970年代ダッカ市内で銃撃戦敬-市内Fuller道路上で6名の盗賊団と警官隊が銃撃戦を行ない,6名とも逮捕された。
DIA-301-1973-08-16-1バングラデシュ1973年08月16日1970年代教員ストライキ停止を勧告-教育省は非政府系教職員のストライキについて声明を発表。このなかで全教職員は8月21日までに職場に復帰するよう呼びかけた。
DIA-301-1973-08-16-2バングラデシュ1973年08月16日1970年代ラーマン首相は治安担当閣僚会議に出席して,法秩序を守るために厳しい措置を取るよう要請した。
DIA-301-1973-08-16-3バングラデシュ1973年08月16日1970年代国有化銀行に海外支店の開設を許可-バングラデシュ・バンクは国有化した銀行に海外支店の開設を許可した。許可された銀行名と開設場所は次のとおり。 Sonali Bank(ニューヨーク),Rupali Bank(シンガポール),Agrani Bank(香港),Janata Bank(バーミンガム),Utara(同),Pubali Bank(同),Janota Bank(ブリュッセル)。
DIA-301-1973-08-17-1バングラデシュ1973年08月17日1970年代反社会分子の逮捕続く-各地で反社会分子摘発が行なわれているが,Bhola島では80名,またラングプール,ノアカリ,ラージシァヒ県などで100名が逮捕された。
DIA-301-1973-08-18-1バングラデシュ1973年08月18日1970年代教職員組合ストライキを続行-カレッジ教員組合書記長は,要求を貫徹するまで全私立学校教員組合のストライキは続けると述べ,政府のスト中止勧告を拒否した。
DIA-301-1973-08-20-1バングラデシュ1973年08月20日1970年代民間部門の第1次5ヵ年計画工業投資は12億1600万タカS.N.イスラム工業相は民間部門の第1次5ヵ年計画工業投資は12億1600万タカになろうと発表した。民間部門が関係する主要工業部門は,食糧,食糧関連,繊維,木材,家具,紙,印刷,出版,鉱物,石油,ガス,機械工業。
DIA-301-1973-08-21-1バングラデシュ1973年08月21日1970年代教職員ストライキ中止-私立学校教職員組合はラーマン首相の強い要請を受けてストライキを中止することに決定,8月24日から職場に復帰することになった。
DIA-301-1973-08-22-1バングラデシュ1973年08月22日1970年代BCL投員改選-BCL第2回全国大会の最終日,新委員長などを選出した。委員長はMonirul Huq Chowdhury,書記長にShafiul Alamが選出された。
DIA-301-1973-08-23-1バングラデシュ1973年08月23日1970年代世銀8000万ドル借款-世銀のIDAはバングラに対し各種プロジェクト用に今会計年度中に総額8000万ドルの借款を供与する予定であることが世銀役員から発表された。
DIA-301-1973-08-28-1バングラデシュ1973年08月28日1970年代印・パ会談,捕虜送還で合意-印・パ会談で締結された協定がイスラマバード,ニューデリー,ダッカで同時発表された。この協定は,在パベンガル人,在インド,パ軍捕虜(195人の戦犯を除く),在バングラ,パキスタン人の相互送還を取り決めたもの。この協定に対し,K.フセイン外相は満足すべきものであると歓迎した。
DIA-301-1973-08-28-2バングラデシュ1973年08月28日1970年代3党合同集会-AL,NAP(ムザファル),共産党3党による合同集会がバイタル・ムカラムで開かれ,反社会分子の一掃に協力して立ち上がろうなどの決議が採択された。
DIA-301-1973-08-29-1バングラデシュ1973年08月29日1970年代バシャニーのストライキ失敗-NAP(バシャニー)の呼びかけによる全国ストライキはほぼ失敗に終り,各地は平常どおりであった。
DIA-301-1973-08-29-2バングラデシュ1973年08月29日1970年代印・パ協定を歓迎-印・パ会談による櫨虜交換協定に対し,ラーマン首相は記者会見で「平和を愛好する人民の勝利である」と表明した。
DIA-301-1973-08-30-1バングラデシュ1973年08月30日1970年代地方の治安悪化-反社会分子としてコミラ,ラングプールなどで100名が逮捕された。また連日,ALの地方指導者が暗殺されており,8月中だけでも20人以上のAL指導部が殺された。
DIA-301-1973-08-31-1バングラデシュ1973年08月31日1970年代オーストラリア政府は鉱物資源調査団を派遺して調査費を援助する旨の協定に調印した。総額は14万5000オーストラリアドル。なおこの鉱物調査はコックスバザールからテクナフまでの海岸,沖合を調査する。
DIA-301-1973-09-01-1バングラデシュ1973年09月01日1970年代警察キャンプが襲われる-マイメンシン県Trishal Dhanikhola警察キャンプが約60名の武装団に襲われ,約1時間交戦,武装団員1名が逮捕された。
DIA-301-1973-09-03-1バングラデシュ1973年09月03日1970年代バングラ,非同盟のメンバーに-アルジェで開かれた非同盟会議の外相会議でバングラデシュの加盟が認められた。
DIA-301-1973-09-03-2バングラデシュ1973年09月03日1970年代DUCSU役員選挙が妨害さる-DUCSU(ダッカ大学中央学生連合)の役員改選のための選挙が行なわれる予定であったが,構内にマスクをした学生団が現われ妨害行動を続けためたに一部学生ホールの選挙を除いて中止された。
DIA-301-1973-09-04-1バングラデシュ1973年09月04日1970年代ダッカ大学騒然―当日過激派学生の妨害行動によってDUCSUの選挙が行なわれなかったことに抗議して,中央学生行動委員会主催の抗議集会が構内で開かれた。なお当委員会で指名された役員候補者については当選確定したと発表。
DIA-301-1973-09-06-1バングラデシュ1973年09月06日1970年代ラーマン首相,非同盟会議に参加-ラーマン首相は第4回非同盟首脳会議に出席のためアルジェに向け出発した。 また当会議の経済委員会の副議長にバングラが選任された。
DIA-301-1973-09-08-1バングラデシュ1973年09月08日1970年代ラーマン首相各国首脳と会談-非同盟会議に出席しているラーマン首相は本会議はもとより,個別に各国首脳と会談,サダト大統領,チトー大続領,アミン大統領,ガダフィ議長らとも会談した。またアルジェリアのブーメディエン大統領とは40分間会談した。
DIA-301-1973-09-10-1バングラデシュ1973年09月10日1970年代「非同盟会議は成功」-帰国したラーマン首相は記者会見で「非同盟会議は大成功であった。わが政府は抑圧諸国の団結を強調した」などと述べた。
DIA-301-1973-09-10-2バングラデシュ1973年09月10日1970年代カレッジ教員組合もストライキ中止-非国立系の教職員ストライキの中止後も続けていたカレッジ教員組合は123日間のストライ牛を15日に終了することを決定した。
DIA-301-1973-09-11-1バングラデシュ1973年09月11日1970年代ダッカ市郊外Baidyerバザールで4人の武装盗賊と警官が激しい銃撃戦をし,4人とも逮捕された。
DIA-301-1973-09-11-2バングラデシュ1973年09月11日1970年代エジプトにジュート輸出-ジュート輸出公社はエジプト政府との間に生ジュート6万4440ベール(120万8442英ポンド)を輸出する契約に調印。なおこの他ことしエジプト人との間には3万2468ベール(63万9994英ポンド)の輸出契約を結んでいる。
DIA-301-1973-09-13-1バングラデシュ1973年09月13日1970年代AL中組委3党同盟を承認-4原則にもとづく3党連合による国家建設を主旨とする3党同盟(AL,NAP(M),共産党)の原則についてAL中央組織委員会が検討した結果,これを正式に承認した。
DIA-301-1973-09-14-1バングラデシュ1973年09月14日1970年代地方自治体選挙は12月-M.ラーマン地方自治相は地方自治体,村落議会,“Paurashavas”(特別市議会)の選挙は12月17日~31日までに行なうことに決定したと述べた。
DIA-301-1973-09-15-1バングラデシュ1973年09月15日1970年代エジプト,シリアが正式に承認。
DIA-301-1973-09-15-2バングラデシュ1973年09月15日1970年代秋期国会開会-秋期国会が開会し,この日8つの修正案と6つの法案が提出された(9月26日まで)。
DIA-301-1973-09-17-1バングラデシュ1973年09月17日1970年代尿素肥料生産順調-S.N.イスラム工業相は国会の答弁で,ゴラサールの肥料工場(日本援助)の生産は8月31日現在,日産612トン(メタリック)で,販売価格はトン当り762タカであると述べた。なお生産価格はトン690タカである。
DIA-301-1973-09-18-1バングラデシュ1973年09月18日1970年代憲法第2次修正案上提-大統領に緊急宣言の権限を付与するなどを盛り込んだ憲法の第2次修正草案が国会に提出されて,審議を開始した。このうち大統領に経済および治安に関する緊急宣言の権限を付与する法律が20日に国会を通過した。なお採決の際6人の野党,無所属議員は退場した。
DIA-301-1973-09-19-1バングラデシュ1973年09月19日1970年代在パ・ベンガル人の第1陣ダッカへ-在パ・ベンガル人の引揚者第1陣168名がアフガニスタン航空でダッカ空港に到着した。
DIA-301-1973-09-19-2バングラデシュ1973年09月19日1970年代労働者のサボタージュで生産減退-ダッカTejgaon工場地帯の多くの工場が労働者の意識的サボタージュで生産が20%も減少している。これは労働組合が独立戦争期間中(9ヵ月間)の給料を支払えと要求して闘争しているもの。
DIA-301-1973-09-21-1バングラデシュ1973年09月21日1970年代英国が借款-英国政府は商品援助として計300万英ポンドの借款を供与したと発表。これは英国としては第4回目のもの。これでバングラ借款総額(1973年)は980万英ポンドになった。なお条件は無利子で7年据置き25年延払いである。
DIA-301-1973-09-22-1バングラデシュ1973年09月22日1970年代ジュート公社法成立―ジュート取引における国営部門の拡大を目的としたジュート公社法が国会を通過し成立した。
DIA-301-1973-09-22-2バングラデシュ1973年09月22日1970年代NAP (B)執行委員会は民主的左翼勢力の連合を実現し,汚職,密輸,インフレ,政治的弾圧と闘う旨の声明を発表した。またこのなかで,先に国会を通過した大統領権限の拡大法は非民主的であると指摘した。
DIA-301-1973-09-24-1バングラデシュ1973年09月24日1970年代治安維持に軍を総動員-政府は反社会分子の摘発と治安維持のために全国150郡の本部に国軍を配置する指令を発表した。 この指令はラーマン首相の強い要望で決定したもので,政府の治安は好転している旨の発表(9月23日)にもかかわらず連日武装団との交戦などの事件が頻発している。
DIA-301-1973-09-24-2バングラデシュ1973年09月24日1970年代スーダン,ニジェールが正式に承認した。
DIA-301-1973-09-24-3バングラデシュ1973年09月24日1970年代警察署襲撃は19件-A.M.ウキル内相は国会で治安状況について答弁,このなかで今年1月から8月末までに全国で警察署2カ所,警察派出所17カ所が武装団によって襲撃されたことを明らかにした。
DIA-301-1973-09-26-1バングラデシュ1973年09月26日1970年代Bhairab橋が再開一解放戦争当時に破壊された鉄橋のうち修復が最後になったBhairab橋の復旧が終了し再開された。
DIA-301-1973-09-29-1バングラデシュ1973年09月29日1970年代銃撃戦で警官8名射殺-ラージンヤヒ県Damnasat警察派出所が午後5時,約50名の極左分子に襲われ,激しい銃撃戦を展開,警官12名のうち8名が射殺され,極左分子7名も死亡した。この事件に関し,A.M.ウキル内相はナクサライトの仕業と述べた。
DIA-301-1973-09-30-1バングラデシュ1973年09月30日1970年代9月以内で在パ・ベンガル人の引揚者は計4,308名となった。
DIA-301-1973-10-02-1バングラデシュ1973年10月02日1970年代ダッカ大学教授が免職-ダッカ大学当局はパ軍に協力した3名の教授(Dr.Syed Sazzad Hussainら)と11名の教職員を免職処分にしたと発表。
DIA-301-1973-10-03-1バングラデシュ1973年10月03日1970年代パキスタンから引揚げてきたKhawaza Wasiu””ddin陸軍中将は大統領に招かれ会談,中将はなお多くのベンガル人が帰国を希望していると報告した。なお同中将は10日付で外務省特務官に任命された。
DIA-301-1973-10-03-2バングラデシュ1973年10月03日1970年代国務相が就任-A.S.チョードリ大統領は14人の国務相を任命した。このうち2名は婦人である。
DIA-301-1973-10-04-1バングラデシュ1973年10月04日1970年代内閣改造-ラーマン首相は国務相の任命に伴い内閣の改造を発表した(内容は参考資料参照)。
DIA-301-1973-10-05-1バングラデシュ1973年10月05日1970年代警察署がまた襲撃さる-ManikganjのSaturia警察署が約60名の武装団に襲われ,3名の警官が負傷,さらに武装団は銀行,食糧倉庫などを略奪して逃走した。この後6日に内相は当地区にBDR,国軍をしばらく駐留させることを決定した。なお当事件に関し,職務を放棄して逃亡した警官22名が10月8日免職処分になった。
DIA-301-1973-10-05-2バングラデシュ1973年10月05日1970年代カナダ政府はバングラ政府と計350万ドルの小麦借款を与える旨の協定に調印した。小麦1万7000トンが今年末までに輸入される。
DIA-301-1973-10-06-1バングラデシュ1973年10月06日1970年代イスラエルの侵略に抗議-ラーマン首相は中東戦争についてイスラエルの侵略に強く抗議する声明を発表した。
DIA-301-1973-10-06-2バングラデシュ1973年10月06日1970年代コミラ県Chandina警察管区のSohailpurで警官隊と武装団が30分間交戦,8名が逮捕された。
DIA-301-1973-10-07-1バングラデシュ1973年10月07日1970年代極左,村を襲う-Chuadanga警察管区内の6カ村を150人の武装(自動小銃など)した極左分子が襲撃,村人9人が射殺された。
DIA-301-1973-10-08-1バングラデシュ1973年10月08日1970年代3党同盟委員会-3党(AL,NAP (M),共産党)同盟委員会は当連合の構造,将来計画,共同宣言などの最終打合せを行なった。
DIA-301-1973-10-08-2バングラデシュ1973年10月08日1970年代カメルーン政府が正式に承認。
DIA-301-1973-10-08-3バングラデシュ1973年10月08日1970年代バシャニーはイスラエルのアラブ侵略に抗議した。
DIA-301-1973-10-09-1バングラデシュ1973年10月09日1970年代アラブに紅茶を送る-ラーマン首相はK.フセイン外相に対し,エジプト,シリア両軍に紅茶10万ポンドを送る手続をするよう指示した。
DIA-301-1973-10-09-2バングラデシュ1973年10月09日1970年代ギニア政府が正式に承認。
DIA-301-1973-10-09-3バングラデシュ1973年10月09日1970年代3党同盟共同宣言―3党同盟委員会は従来計画を含む共同宣言の内容に関する最終討議を行ない,合意を得た。
DIA-301-1973-10-10-1バングラデシュ1973年10月10日1970年代Thenidah警察襲わる-ジェソール県Thenidah管区Harinkundu警察派出所が約50名の武装団(ナクサライト)に襲撃されたが,11名の警官が応戦,これを撃退した。また同県内の2警察派出所から4名の警官が武装団に連れ去られた。
DIA-301-1973-10-11-1バングラデシュ1973年10月11日1970年代日本,船2隻を寄贈一日本政府は沿岸貿易用船舶2隻(900トン)を寄贈した。
DIA-301-1973-10-12-1バングラデシュ1973年10月12日1970年代Chuadanga監獄から14人の服役囚が脱獄した。なお14日に陸軍は脱獄に関係したとして計25名を逮捕した。
DIA-301-1973-10-12-2バングラデシュ1973年10月12日1970年代バシャニー,ストライキを呼びかけ-バシャニーはイスラエルのアラブ侵略に抗議して全国にハルタルを呼びかけたが,ほぼ失敗に終わり,市内は平常どおりであった。この呼びかけに関し,AL書記長Z.ラーマンは11日,「ハルタルは国の経済に障害を及ぼし,イスラエルに対する有効的な抗議行動にはならない」と述べ,ALの参加を拒否した。
DIA-301-1973-10-12-3バングラデシュ1973年10月12日1970年代アラブに医療団を派遣-ラーマン首相はエジプト,シリア両軍に対し,バングラから医療団を派遣する用意があると発表した。これにもとづいて28人のメンバーが19日にシリアに向かった。
DIA-301-1973-10-13-1バングラデシュ1973年10月13日1970年代第1次5ヵ年計画閣議了解-第1次5ヵ年計画の内容が3日間の閣議で検討され,このほど閣議の了解を得た。
DIA-301-1973-10-14-1バングラデシュ1973年10月14日1970年代3党共同宣言は5項目計画-3党による共同宣言が正式に発表された。これによると5項目の計画が盛り込まれており,反社会分子を連合して摘発し,治安の回復に努力するというもの,また外交政策ではインド,ソ連との友好を基調とする。なお3党同盟中央委員会として計19名のメンバーが選任された。内訳はAL11名,NAP(M)5名,共産党3名である。正式な名称はGana Oikya Joteである。
DIA-301-1973-10-16-1バングラデシュ1973年10月16日1970年代アラブに義勇軍を-バングラデシュ解放戦士協会はアラブ諸国に5万人の元解放軍戦士を派遣すると発表した。
DIA-301-1973-10-17-1バングラデシュ1973年10月17日1970年代ラーマン首相日本訪問-ラーマン首相は田中首相の招待により日本を公式訪問(7日間)するため特別機で東京へ向かった。一行にはK.フセイン外相,トファイル・アーメド政治担当首相秘書官,ヌルル・イスラム計画委員会副議長らが含まれている。なおS.N.イスラム工業相が留守中首相代行を努める。18日羽田着。
DIA-301-1973-10-19-1バングラデシュ1973年10月19日1970年代ラーマン・田中会談-ラーマン首相は田中首相と会談,また経団連主催の夕食会で首相は日本の援助を期待すると述べた。またこの日,ラーマン首相は天皇陛下に謁見した。
DIA-301-1973-10-19-2バングラデシュ1973年10月19日1970年代日本,商品援助で90億円一日本政府はバングラに対し90億円の円借款(商品)を与えると発表,10年据置30年延払いの年利1.875%。
DIA-301-1973-10-21-1バングラデシュ1973年10月21日1970年代バリサル県Wazirpur郡内の警察派出所が100名の武装団に襲われ,警官1名が射殺された。
DIA-301-1973-10-23-1バングラデシュ1973年10月23日1970年代ラーマン訪日,公式日程終了-ラーマン首相は大平外相と会談,経済協力について話し合った。またラーマン首相は記者クラブの招待で昼食会に出席,外資を導入することも考えており,歓迎する。しかしその場合バングラ側が51%の出資比率となる。公式日程を終了するに当り,共同声明が24日発表された。
DIA-301-1973-10-24-1バングラデシュ1973年10月24日1970年代ラーマン首相,日本との友好を強調-ラーマン首相は日本から帰国,空港で日本との友好関係はさらに強化されるだろう。公式訪問では大きな成功を収めたなどと述べた。 なお帰国途中,マニラでマルゴス大統領と会談,両国の農業部門における交流,協力などを話し合った。
DIA-301-1973-10-24-2バングラデシュ1973年10月24日1970年代政府はベトナム臨時革命政府と外交関係を樹立した。
DIA-301-1973-10-25-1バングラデシュ1973年10月25日1970年代民兵隊を創設一反社会分子の襲撃や略奪から守るため村落防衛隊を設置する旨の指示が内務相から出された。これは一村落から3~4名の義勇兵を募り当該警察署が組織してそれぞれの村落の自衛をするというもの。
DIA-301-1973-10-25-2バングラデシュ1973年10月25日1970年代イイド恩赦-内務相はイイド・フィタルに際し,恩赦としてダッカ監獄から400名の服役囚を釈放すると発表。 なお10月26日実行されたが計258名であった。
DIA-301-1973-10-26-1バングラデシュ1973年10月26日1970年代ジェソールで大量逮捕-ジェソール県KotchandpurとThenidah警察署管内でBDRと警察によって計705名が逮捕された。 またダッカのダーンマンディーでは警官隊と武装団が銃撃戦をし,18人を逮捕した。
DIA-301-1973-10-30-1バングラデシュ1973年10月30日1970年代バリサルで一斉捜査-バリサル県全域で反社会分子摘発のため軍,警,BDRの合同隊が一斉行動を開始,ほぼ治安を回復した。
DIA-301-1973-10-30-2バングラデシュ1973年10月30日1970年代10月30日までに帰国した在パ・ベンガル人は計2万4944人になった。また在バ・パキスタン人の送還は計9,975人となった。
DIA-301-1973-10-31-1バングラデシュ1973年10月31日1970年代食糧確保に全力ーアモン期作の稲の収穫期を向かえて,政府による食糧の確保を目的とする米の特別購入計画が11月15日からスタートすることになった。これは首相官房から出された指示である。この計画では35万トンを確保する予定である。
DIA-301-1973-11-01-1バングラデシュ1973年11月01日1970年代インド洋を中立地帯に-K.フセイン外相は,米第7艦隊のインド洋進出に関して,「政府はインド洋を平和地帯とすることを提唱する」と述べた。
DIA-301-1973-11-01-2バングラデシュ1973年11月01日1970年代ダッカHatkhola地区で白昼,銀行が襲撃され,1人が射殺され,現金など26万タカが略奪された。
DIA-301-1973-11-01-3バングラデシュ1973年11月01日1970年代私立学校国有化法に基づき10月26日にさかのぼって私立学校教職員が公務員となったことが発表された。
DIA-301-1973-11-01-4バングラデシュ1973年11月01日1970年代政府は虚偽の申告(基本的商品に関する調査)をした1,783人の商人の登録を沫消した。
DIA-301-1973-11-02-1バングラデシュ1973年11月02日1970年代78年度から食輸自給へ-プランニング・コミッションは第1次5ヵ年計画に基づき,食糧自給化計画を発表。これによると1977―78年度の食糧生産は1390万トンに達し,輸入量はゼロとなる見通しを立てた。 以下は生産計画と輸入量見通しである。
DIA-301-1973-11-03-1バングラデシュ1973年11月03日1970年代政府は物資の円滑な供給を実現するため,各副県(サブ・ディビジョン)に物賀詞達委員会を設置し,住民の参加を決定した。
DIA-301-1973-11-04-1バングラデシュ1973年11月04日1970年代クウェート政府はバングラデシュ承認を発表。
DIA-301-1973-11-04-2バングラデシュ1973年11月04日1970年代ノアカリ地区で武器不法所持者488名が逮捕され,大量の武器,弾薬が押収された。
DIA-301-1973-11-05-1バングラデシュ1973年11月05日1970年代イエメン・アラブ共和国政府はバングラデシュを承認。これで承認国は114カ国となった。
DIA-301-1973-11-06-1バングラデシュ1973年11月06日1970年代パから帰還したモシャラフ・フセイン・カーン海軍大佐は海軍参謀長に就任,現参謀長ヌルル・フック大佐はBIWTA総裁に任命された。
DIA-301-1973-11-06-2バングラデシュ1973年11月06日1970年代フランス,2000万フランの贈与-フランスは1973財政年度に2000万フラン(約500万ドル)の無償援助をバングラに与えた。
DIA-301-1973-11-07-1バングラデシュ1973年11月07日1970年代石油価格引上げ-天然資源相Dr.M.チョードリはアラブ産油国の石油供給削減に対処するため,石油製品の国内販売価格を平均30%値上げすると発表,これによるとガソリン(普揮)は1ガロン6.07タカを9.00タカ,白灯油1ガロン2.53タカを3.53タカに引上げる。
DIA-301-1973-11-08-1バングラデシュ1973年11月08日1970年代ブルガリアとバーター協定-政府はブルガリア政府と第3次バーター協定に調印,1974年以内に5500万タカ(往復)のバーターを実施する。
DIA-301-1973-11-09-1バングラデシュ1973年11月09日1970年代バングラはアラブの友好国-アラブ・リーグの代表がニューデリーで語ったことによると,バングラデシュはアラブの友好国扱いを受け,石油供給削減は1-9月実績の5%である。
DIA-301-1973-11-10-1バングラデシュ1973年11月10日1970年代食糧自給への特別計画-ラーマン首相は,農業省,救済,復興省,情報放送省に対し食糧自給確立のための特別措置をつぎのように措示した。 (1)農民教育と農作業向上のための特別放送番組(午後6.05から1時間半)を編成し,農事放送をする。 (2)農業関係者は全員農事放送を聴き,農民に普及する。ラジオ施設の拡充。 (3)政府と農民間の関係を調整するため,政府庁舎にツー・ウェイ方式のコントロール・ルームを設ける。 (4)農業計画実施のためにサブ・ディビジョンごとに作業委員会を設置する。 (5)生産目標を定め,実施する。 (6)農業資材の需要状況の掌握に努める。 などである。
DIA-301-1973-11-11-1バングラデシュ1973年11月11日1970年代ラーマン首相は,第14回バングラデシュ学生連合(BCU)全国大会で演説,反動分子の台頭は断じて許さぬなどと述べた。
DIA-301-1973-11-12-1バングラデシュ1973年11月12日1970年代ダッカ・ミルプール地区で通行中の警察パトロール車が狙撃され,3名の警察官が負傷した。
DIA-301-1973-11-13-1バングラデシュ1973年11月13日1970年代バングラデシュはFAOに正式に加盟した。
DIA-301-1973-11-13-2バングラデシュ1973年11月13日1970年代第14回全国大会を開いたBCUは新役員をつぎのように選出した。 委員長:Nuhul Alam Lenin 副委員長:Nurul Islam,Kazi Rokeya Sultana,Shahidul Alam Badal,Ruhul Amin,Syed Ahmad Baker,Kazi Raisul Huq,Baidul Alam. 書記長:Mahbub Zaman.
DIA-301-1973-11-13-3バングラデシュ1973年11月13日1970年代ノルウェー,2億1500万タカを贈与-ノルウェーは1973-74年度に2億500万ローネ(2億1500万タカ)の無償援助を与える。
DIA-301-1973-11-14-1バングラデシュ1973年11月14日1970年代特別機動隊を編成-政府は国内の反動分子取締りのためBDR(兵員2万人)から1,500人の精鋭を選出して特別機動隊(S.A.F.)を編成して警察に配置することを決定した。
DIA-301-1973-11-15-1バングラデシュ1973年11月15日1970年代UNROBの使命ほぼ終わる-UNROB(国連バングラデシュ救援組織)総裁フランシス・ラコステは「バングラにおける救援活動はこれまでにほぼ目的を達成し,今期アモン作の作柄も良好なので,予定通り12月末にその機能を停止する」と述べた。またこのなかで,これまでの2年間にバングラデシュに与えられた援助額は13億2400万ドルに達し,そのうち8億7000万ドルが2国間協定で成され,3億4600万ドルが国連をつうじた多国間援助で,1億0800万ドルがボランタリー機関からのものであったと発表した。
DIA-301-1973-11-15-2バングラデシュ1973年11月15日1970年代インド,バングラの製鉄所建設を援助-S.ハサン鉄鋼・鉱山副大臣は下院で年産50万トンの海綿鉄プラントをインドの援助で建設すると述べた。
DIA-301-1973-11-16-1バングラデシュ1973年11月16日1970年代警察当局はラージシャヒ県内で15人の武装強盗団を逮捕した。
DIA-301-1973-11-19-1バングラデシュ1973年11月19日1970年代英国会議員団(5名)が来訪,ラーマン首相と会見,議員団は英政府がさらにバングラに対する援助を増やすだろうと述べた。
DIA-301-1973-11-20-1バングラデシュ1973年11月20日1970年代インドと石炭輸入協定-1973年9月27日のインド・バングラLP協定(清算勘定)に基づき,インド産石炭66万トンの輸入協定(1974年9月まで実施)が締結された。
DIA-301-1973-11-21-1バングラデシュ1973年11月21日1970年代バングラデシュ農村開発研究所(BARD)の所長に新任されたDr.A.Muhithは記者会見で「1970ー71年度に開始した統合農村開発計画(IRDP)は現在90郡で設置されているが1976年度まで250郡に拡大する」と語った。このIRDPは各郡単位に協同組合を設け,灌漑を中心とする農業改善計画の推進計画である。
DIA-301-1973-11-21-2バングラデシュ1973年11月21日1970年代バス料金値上げ-ダッカ市内の民間バス業者の組織であるダッカ自動車協会はダッカ市内およびその他地域の民間バス料金を平均87.5%値上げすると発表した。
DIA-301-1973-11-22-1バングラデシュ1973年11月22日1970年代アモン期産米豊作-A.サマード農業相はラジオ放送をつうじて今期アモン米の作柄は,高収量品種(IR-20)の普及と天候良好などの理由できわめて良く,昨年実績を140万トン(扨)上回ると述べた。
DIA-301-1973-11-23-1バングラデシュ1973年11月23日1970年代政府は公務員の定年を現行55歳を57歳とすることを決定。
DIA-301-1973-11-23-2バングラデシュ1973年11月23日1970年代Keraniganji地区Aganagar Kathuria村で警官隊と武装団(政府は盗賊と発表)が交戦,警官1名と武装団員5名が死亡した。
DIA-301-1973-11-24-1バングラデシュ1973年11月24日1970年代Natoreを訪れたラーマン首相は当地で地方当局者と会談,密輸と汚職を厳重に取締るよう指示した。
DIA-301-1973-11-24-2バングラデシュ1973年11月24日1970年代クルナ県マングラ港付近で盗賊が客船を襲撃,200人の乗客から現金など7万タカ相当を略奪した。
DIA-301-1973-11-25-1バングラデシュ1973年11月25日1970年代アジア関銀は総額1725万ドルの借款供与することを発表,バ政府と調印した。このうち1025万ドルは西部地区発電プロジェクトに振向けられ,628万ドルはチッタゴン港用である。
DIA-301-1973-11-26-1バングラデシュ1973年11月26日1970年代Natore地区を視察中のラーマン首相は農村地区を訪れ,当地の人々に対し「農民には価格を保障し,農業を基礎にした経済の確立へ努力する」と述べた。同日ダッカに帰着。
DIA-301-1973-11-27-1バングラデシュ1973年11月27日1970年代第1次5ヵ年計画発表(参考資料)。
DIA-301-1973-11-28-1バングラデシュ1973年11月28日1970年代S.N.イスラム工業相はBCLの年次総会の席上,「国有化措置を妨害する陰謀を許すわけにはいかぬ」などと演説。
DIA-301-1973-11-29-1バングラデシュ1973年11月29日1970年代労使紛争,経営管理のミス,在庫などの調査のため2日間政府から閉鎖を命じられていたアダムジー・ジュート工場が生産を再開した。各地で国有化企業内の諸問題が深刻になっており,こんどのようなケースは今後もありうると発表された。
DIA-301-1973-11-29-2バングラデシュ1973年11月29日1970年代クスティア警察は10月21日から開始した反社会分子一掃で,これまでに270名を逮捕,大量の武器を押収した。
DIA-301-1973-11-30-1バングラデシュ1973年11月30日1970年代大量恩赦を決定-政府は第3回解放記念日に向けて,パ軍協力者法で服役中の刑囚(計3万7000人)のうち3万人の恩赦,釈放を12月15日に行なうと発表。なお,このうち殺人,放火,強姦犯は対象とならない。 この政府決定についてラーマン首相はラジオ放送をつうじて,「恩赦で釈放される人々は国に忠誠を誓って,国家建設に参加するよう」と述べた。
DIA-301-1973-12-02-1バングラデシュ1973年12月02日1970年代生産増大をめざして国有化工業の径営管理の再整備を行なうための国有化工業委員会(S.N.イスラム工業相主管)が設置されることになった。
DIA-301-1973-12-03-1バングラデシュ1973年12月03日1970年代ラーマン首相はナラヤンガンジーのジュート販売公社倉庫を視察し,「国の生命であるジュートを不当に扱うことのないように」と警告した。
DIA-301-1973-12-03-2バングラデシュ1973年12月03日1970年代左翼新党結成-前NAP(B)指導者が中心となってダッカで開かれていた左派民主政党会議(2日間)で新党(全国人民解放連合)を結成することを決定,総裁にHaji Mohammad Danesh,書記長にSerajul Hossain Khan(いずれも前NAP(B)報行委員)が選出された。
DIA-301-1973-12-04-1バングラデシュ1973年12月04日1970年代バングラデシュ国民連盟総裁A.R.カーンは「地方議会の選挙は公正で平等に行なうよう政府に要請する」旨の声明を発表。
DIA-301-1973-12-04-2バングラデシュ1973年12月04日1970年代第2回バングラデシュ共産党全国大会(会期6日間)がダッカで開かれ,ラーマン首相らも招かれた。
DIA-301-1973-12-06-1バングラデシュ1973年12月06日1970年代閣僚2名新任-Mollah Jalaluddin(郵政,電信,電話担当),とShamsul Huq(協同組合,農村開発担当)が新たに入閣,これで閣僚はラーマン首相を含めて14名となった。なお政治担当首相書記官Tofael Ahmedは閣僚扱いである。
DIA-301-1973-12-07-1バングラデシュ1973年12月07日1970年代インド・トリプラ州政府はバングラデシュとの国境を閉鎖すると発表,トリプラ政府当局の発表では,バングラ政府の不法分子一掃作戦で,旧ラザカールや盗賊団がトリプラ州内に逃げ込むケースが増えているためとされている。
DIA-301-1973-12-07-2バングラデシュ1973年12月07日1970年代ハンガリーとの間で第3次バーター協定(1974-75年度,総額6000万タカ)が調印された。
DIA-301-1973-12-08-1バングラデシュ1973年12月08日1970年代ラーマン首相は急拠チッタゴン港を視察,当局に対し,密輸取締りおよび安全の確保のためにチッタゴン港の治安業務を陸軍に移管すること,また外港護衛業務を海軍に移管することを指示した。
DIA-301-1973-12-08-2バングラデシュ1973年12月08日1970年代チャルナ港サルベージ完了-国連援助によるチャルナ港サルベージ事業がこのほど完了した。これまでに沈船15隻を引き上げた。
DIA-301-1973-12-08-3バングラデシュ1973年12月08日1970年代政府土地登録局はこれまでに100ビカー以上の土地所有者から合計7万6000エーカーの土地を収用したと発表。
DIA-301-1973-12-09-1バングラデシュ1973年12月09日1970年代チッタゴン,ノアカリ,パトアカリ地域などがサイクロンで被害を受けこれまでに高潮で13名の死亡が確認された。なお,12日に発表された被害状況では,死者122名,行方不明202,負傷380人であった。
DIA-301-1973-12-10-1バングラデシュ1973年12月10日1970年代Nawabgnj付近で4人の住民が武装盗賊団に襲われ射殺された。
DIA-301-1973-12-11-1バングラデシュ1973年12月11日1970年代不正輸入を厳重処罰-ラーマン首相はライセンスを持たずにあるいは禁輸品を輸入している業者を厳重に処罰するよう関係当局に指令した。
DIA-301-1973-12-12-1バングラデシュ1973年12月12日1970年代ラーマン首相はラジオ放送をつうじて,地方議会選挙では,誠実,聡明,愛国的な候補者を選出するよう国民に呼びかけた。
DIA-301-1973-12-13-1バングラデシュ1973年12月13日1970年代ラーマン首相はサイクロン被害地域をヘリコプターで視察,当局に緊急救済を指示した。
DIA-301-1973-12-14-1バングラデシュ1973年12月14日1970年代国家経済評議会(NEC,議長・ラーマン首相)が開かれ,ジュート産業について討議,生産活動の悪化しているジュート産業に今年度5億タカを投資することを決めた。現在73のジュート工場の大半は種々な理由(①経営管理上の欠陥,②労使紛争,③部品の不足,④慢性的電力不足など)で生産活動が軌道に乗っていないことなどが報告された。
DIA-301-1973-12-14-2バングラデシュ1973年12月14日1970年代運輸・通信を一省に-行政管理再編成委員会(ASRC)は現在別置されている運輸省と逓信省を一省に統合することを諮問した。
DIA-301-1973-12-14-3バングラデシュ1973年12月14日1970年代ノアカリ県Digholi警察キャンプを襲撃した事件で17人が逮捕された。
DIA-301-1973-12-14-4バングラデシュ1973年12月14日1970年代バシャニー半年ぷりに集会-NAP総裁バシャニーは,5月末からサントスに引きこもっていたが,半年ぶりにダッカで開かれた同党集会で演説,政府の不法分子一掃のための弾圧政策は国民の信頼を得られない限りますます国民と政府は遊離していくと指摘した。
DIA-301-1973-12-15-1バングラデシュ1973年12月15日1970年代貧困と飢餓との闘い-16日の解放記念日に向けてラーマン首相は国民に対する特別放送をつうじて「国民は豊かで幸福な国づくりをめざし貧困,飢餓,失業,汚職との闘いに起ち上がらねば’ならない」と呼びかけた。また同じ放送のなかA.S.チョードリ大統領は「平和を確立するための国民の努力」などを呼びかけた。
DIA-301-1973-12-16-1バングラデシュ1973年12月16日1970年代第3回解放記念日(National Day)-第3回解放記念日中央式典がダッカで開かれ,各種の催しが行なわれた。
DIA-301-1973-12-16-2バングラデシュ1973年12月16日1970年代政府は北朝鮮との正式の外交関係が樹立されたと発表した。
DIA-301-1973-12-19-1バングラデシュ1973年12月19日1970年代村落議会選挙始まる-538の村落議会(Union Parishad)の投票が開始され,各投票区とも平穏に投票が行なわれた。なお当日の投票分はクルナ,チッタゴンなどの一部地域で有権者総数にして412万5000人である。なお全国の有権者総数は3338万7972人である。
DIA-301-1973-12-19-2バングラデシュ1973年12月19日1970年代西ドイツ,2.4億タカの借款を供与-西ドイツは今財政年度分として2.4億タカの借款を供与する協定をバングラと結んだ。
DIA-301-1973-12-20-1バングラデシュ1973年12月20日1970年代UNROB総裁F.ラコステは記者会見で,対バングラ外国援助額(1972年初以来)コミット分総額20億ドルのうちすでに60%が実行されている。バングラデシュの食糧輸入は1972年に小麦180万トン,米56万5000トン,1973年に小麦120万トン,米20万トンであったなどと述べた。
DIA-301-1973-12-20-2バングラデシュ1973年12月20日1970年代村落議会選挙の第2日目は541村落で行なわれた。
DIA-301-1973-12-21-1バングラデシュ1973年12月21日1970年代クルナ市議会選挙投票所で妨害グループによる行動で数名が負傷した。
DIA-301-1973-12-22-1バングラデシュ1973年12月22日1970年代民間部門投資について-S.N.イスラム工業相を中心とする関係高官グループは民間投資の活動を活発化させるための諸種の規準をつくるよう関係当局に指示し,財政当局に投資プライオリティー・リストを作成するよう指示した。
DIA-301-1973-12-22-2バングラデシュ1973年12月22日1970年代ソ連の専門家洪水防止予備調査報告書を提出-P.ヤサコフ氏を団長とするソ連の洪水防止の専門家は2ヵ月間にわたる全国調査に基づいて洪水防止とかんがいに関する予備調査報告書を大統領に提出した。
DIA-301-1973-12-24-1バングラデシュ1973年12月24日1970年代A.S.チョードリ大統領辞任A.S.チョードリ大統領は「個人的な理由」で辞意を表明,ラーマン首相もこれを受諾した。なおA.S.チョードリは近いうち特派大使として外国を訪問する予定。なお憲法規定に従って議会議長Mohammadullahが大統領代行となった。
DIA-301-1973-12-24-2バングラデシュ1973年12月24日1970年代ソ連と片道2.1億タカのバーター貿易A.H.M.カマルザマン商相は1974年度のソ連とのバーター貿易協定は片道2.1億タカで,これ以外に3.5億タカの必需品をソ連から買うことを明らかにした。
DIA-301-1973-12-26-1バングラデシュ1973年12月26日1970年代ブルガリア国会議員一行(5名)が来訪。
DIA-301-1973-12-27-1バングラデシュ1973年12月27日1970年代バングラ・インド両国はジュート産業,貿易に関する共通の利益を調整するための共同委員会が設置された。
DIA-301-1973-12-27-2バングラデシュ1973年12月27日1970年代日本の森永粉ミルクにヒ素混入のうわさ-ローカル紙に日本から輸入している森永粉ミルクにヒ素が混入しているとのニュースが出たため,保健・家族計画省は森永粉ミルクを使用しないように勧告し,保健研究所に調査を命じた。
DIA-301-1973-12-28-1バングラデシュ1973年12月28日1970年代新賃全体系を発表-政府は国有化された政府系企業労働者に対する新しい資金体系を発表,最低賃金を155タカ(月間)と決定した。
DIA-301-1973-12-28-2バングラデシュ1973年12月28日1970年代税徴収で混乱-税確定・土地上限法に基づく農地税の免除措置の内容が国民に広く理解されていないために,税務所員と農民間のトラブルが絶えない。このため政府土地記録省は声明を発表,「農地税は25ビガー以下は1973年から免除されたが,土地開発税,救済税,教育税などはこの適要を受けない」などの税徴収規則を示した。
DIA-301-1973-12-29-1バングラデシュ1973年12月29日1970年代インド政府はバングラから生ジュート60万ベールを国際市場価格で購入する旨の協定に調印した。
DIA-301-1973-12-30-1バングラデシュ1973年12月30日1970年代村落議会選挙終了-全国4,351の村落議会選挙が終了した。この選挙で各村落議会で議長1名,副議長1名,議員9名が選ばれ,向こう5年間村落(union)の自治行政に携わる。
DIA-301-1973-12-30-2バングラデシュ1973年12月30日1970年代内務省は2月10日から全国人口センサスを開始すると発表。
DIA-301-1973-12-31-1バングラデシュ1973年12月31日1970年代市議会選挙始まる-68の市議会選挙区で投票が開始され,全選挙区ともほぼ平穏に行なわれた。
DIA-301-1973-12-31-2バングラデシュ1973年12月31日1970年代必需品の関税引下げ-政府は工業生産振興のため,機械部品,原材料の1~6月輸入分から関税を引下げることに決定した。 1971年12月21日からUNRODとしてバングラデシユの救済活動を続けてきたUNROBは12月31日をもってその活動を停止,事務所を閉鎖した。
DIA-301-1974-01-01-1バングラデシュ1974年01月01日1970年代ニュージーランド首相来訪-Norman Erick Kirk ニュージーランド首相が公式訪問。ラーマン首相の夕食会の席上,より一層の経済協力を約束した。これに先立ってラーマン首相と会談,国際情勢などについて意見を交換した。1月4日まで滞在。
DIA-301-1974-01-01-2バングラデシュ1974年01月01日1970年代新輸入政策発表-1974年上半期(1月~6月)の輸入政策がカマルザマン商業・外国貿易相から発表された。 今期輸入政策の骨子はつぎの通り。 (1)政府の輸入総額は32億3480万タカ,内容は原材料(11億5250万タカ),工業用部品(6億1250万タカ)が主。 (2)民間輸入総額は8億1700万タカで,衣料,石炭,セメント,砂糖,薬品,タイヤなどの品目。 (3)食糧輸入は以上の総額に含まれず別ワクで食糧省が輸入する。 (4)基本政策としては生産の促進をもたらすための必要物資輸入を中心とする。
DIA-301-1974-01-02-1バングラデシュ1974年01月02日1970年代インドとジュート貿易に関し合意-シャムスル・ホック・ジュート担当相はインドとの間でジュートの価格安定,市場防衛などに関する話し合いが行なわれたが,このほど両国は共同することで合意が成されたと発表。またインドは近いうちにバングラから生ジュート20万ベールを輸入すると発表した。
DIA-301-1974-01-02-2バングラデシュ1974年01月02日1970年代ジェソール県 Sharsha 郡の警察派出所を30人の武装団が襲撃したが,警察隊が応酬し撃退した。なお同日3地区で銀行が襲われ計約7万タカが略奪された。
DIA-301-1974-01-09-1バングラデシュ1974年01月09日1970年代印・バ会談開始-戦争捕虜,在パ・ベンガル人,在バ非ベンガル人の相互送還に関する印・バ両国公式会談がダッカで始まった(3日間)。この会談には両国から次官級の人々が出席した。
DIA-301-1974-01-10-1バングラデシュ1974年01月10日1970年代ボーラ島選出国会議員 Motaheruddin Ahmed (AL)は,当地の Gazaria 警察区内で暗殺(射殺)された。
DIA-301-1974-01-10-2バングラデシュ1974年01月10日1970年代1973/74のジュート製品輸出は16億ルピーの推計。
DIA-301-1974-01-12-1バングラデシュ1974年01月12日1970年代Manikganj の Atigram 村議会議長 Amjad Hossain(AL)が武装団によって射殺された。
DIA-301-1974-01-12-2バングラデシュ1974年01月12日1970年代イラクが石油を提供-マフィーズ・チョードリ天然資源相は「イラク政府はわが国に対し,今年内に原油100万トンを輸出することを約束した」とのべた。
DIA-301-1974-01-13-1バングラデシュ1974年01月13日1970年代ダッカ市内に集会禁止令-政府は1月14日から2月3日までダッカ市およびナラヤンガンジ市での集会,デモを禁止する旨発令した。これに関して政府は声明を発表し,その理由を今月20日に2つの政党が同じ場所で同じ時間に集会を計画していることがわかったため混乱を事前に避けるためとのべている。
DIA-301-1974-01-13-2バングラデシュ1974年01月13日1970年代汚職を根絶せよ-ラーマン首相はALダッカ支部総会でAL党員に対して「主体性を確立し,汚職を根絶せよ」などと警告した。
DIA-301-1974-01-14-1バングラデシュ1974年01月14日1970年代AL,政治状況を検討-AL国会議員団は総会を開き国内の政治状況について協議。とくにダッカ市内の集会禁止令について討議した。
DIA-301-1974-01-14-2バングラデシュ1974年01月14日1970年代タジュウディン・アーメド蔵相は Netrokona での集会で「解放闘争期間中にインドとの間で如何なる秘密協定も結ばなかった」とのべた。
DIA-301-1974-01-15-1バングラデシュ1974年01月15日1970年代通常国会開く-通常国会が開会し,モハマドゥラー大統領代行が開会演説を行ない,ラーマン首相が所信表明を行なった。このなかでラーマン首相は「政治的暗殺の横行は過去になかったことである。これらのテロ行為で政府は変えられない」などと述べ一致協力してこうした反社会的行為を一掃しようと呼びかけた。
DIA-301-1974-01-16-1バングラデシュ1974年01月16日1970年代国会は「反汚職法(修正)1974年」「特別警察設置法,1974年」などの治安三法を承認採択した。
DIA-301-1974-01-16-2バングラデシュ1974年01月16日1970年代市場襲わる-Netrokona 地区 Bansbibazar の市場が40~45名の武装団に襲撃され,22店から3万9000タカ相当の品物が略奪された。また同じ日 AL Swarupkathi 郡書記長が暗殺された。
DIA-301-1974-01-17-1バングラデシュ1974年01月17日1970年代民族民主解放連盟(書記長 Serajul Hossain Khan)は政党の届出をし,政党としての組織化を計ることになった。
DIA-301-1974-01-18-1バングラデシュ1974年01月18日1970年代AL全国夫会開催ラーマン総裁辞意を表明-2年に1回のAL全国大会が党本部で開かれた(3日間)。ラーマン首相は開会演説を行ない,AL党員に対し犠牲的精神を発揮し,国家建設に邁進するよう要請。またアラブ諸国民の闘いを支持することも強調した。 なお,この演説の中で政府と党は切り離して考えるべきで,党総裁と首相を兼務することは好ましくないという理由で党総裁の辞意を表明した。
DIA-301-1974-01-20-1バングラデシュ1974年01月20日1970年代カマルザマン,AL総裁に-AL全国大会最終日は役員の改選を行なった。この結果,総裁を辞任したラーマン首相に替わって,カマルザマン(Abu Hena Mohammad Kamaruzzaman)商業相が満場一致で選ばれ,書記長 Zillur Rahman は再選された。 また,ムジブバッドを基礎とする社会主義経済の確立と反人民的陰謀を一掃しようと呼びかけたAL総決会議文を採択した。
DIA-301-1974-01-21-1バングラデシュ1974年01月21日1970年代前大統領アブ・サィード・チョウドリは政府特使としてジューネーブに向かった。
DIA-301-1974-01-22-1バングラデシュ1974年01月22日1970年代地区森林監査委員会は,2月5日から軍警の協力で森林内の不法占拠者の追放作戦を開始すると発表。
DIA-301-1974-01-22-2バングラデシュ1974年01月22日1970年代政府はベンガル湾領海における外国漁船とくにトロール船の操業を厳しくチェックすると発表した。最近,タイ漁船が領海内で操業している。
DIA-301-1974-01-22-3バングラデシュ1974年01月22日1970年代セメント工場が原料不足で生産停止-バングラ唯一のセメント工場であるチャタク・セメント工場は原料の石膏不足で,これまで4ヵ月操業を停止している。このためセメント不足が深刻化,1974年1-6月にインド,南・北朝鮮,フィリピン,ソ連などから80万トン輸入する見込。
DIA-301-1974-01-24-1バングラデシュ1974年01月24日1970年代第3代大統領にモハマドゥラ-―チョードリー前大統領の辞任いらい空席になっていた大統領に国会議長モハマドゥラーが選任されたと発表された。これは3代目の大統領である。
DIA-301-1974-01-25-1バングラデシュ1974年01月25日1970年代日本経済使節団来訪-永野重雄氏を団長とする41人の日本政府派遣経済使節団が到着。4日間の訪問日程で,第1次5カ年計画に対する日本の経済協力などを検討する。
DIA-301-1974-01-25-2バングラデシュ1974年01月25日1970年代NEC5プロジェクトを承認-国家経済評議会(NEC)は,ラーマン首相に対し,5つの主要プロジェクトを進行するよう答申した。この5プロジェクトはJoypurhat 石灰採掘,セメント工場,F-27飛行訓練センター,チッタゴン漁業訓練センター,地域電信電話訓練学校などで,費用は計6億2790万タカと見積られている。
DIA-301-1974-01-27-1バングラデシュ1974年01月27日1970年代モハマドゥラー大統領就任-第3代大統領に選ばれたモハマドゥラー前国会議長の就任式が最高裁判所で行なわれた。
DIA-301-1974-01-28-1バングラデシュ1974年01月28日1970年代国会議長にA.M.ウキル-国会はモハマドゥラー前議長の大統領就任に伴い新議長の選挙を行ない,アブドル・マレク・ウキル前内相を選んだ。
DIA-301-1974-01-29-1バングラデシュ1974年01月29日1970年代チトー大統領来訪-チトー・ユーゴ大統領夫妻が公式訪問(5日間),ラーマン首相らが空港に出迎え,首相官邸で第1日目の会談を行なった。
DIA-301-1974-01-30-1バングラデシュ1974年01月30日1970年代チトー大統領,経済協力に同意-来訪中のチトー大統領はラーマン首相と公式会談,席上経済協力について話し合い,ユーゴは洪水防御と農業開発にバングラと合弁事業を行なう用意があると表明した。 またラーマン首相は「社会主義は両国の共通の目標」とのべた。
DIA-301-1974-02-01-1バングラデシュ1974年02月01日1970年代日本・バングラ経済協力委員会が民間団体として発足することになった。これは日本経済使節団(永野ミッション)とバングラ側が今後の両国の経済協力を推進するために合意したものである。
DIA-301-1974-02-01-2バングラデシュ1974年02月01日1970年代Munshiganj と Madaripur 間の河上に武装ギャングが出没し,1日だけで10隻のランチが襲われ,乗客約3000人から計100万タカの現金,物品を略奪した。
DIA-301-1974-02-01-3バングラデシュ1974年02月01日1970年代マンスール・アリ内務相は国会で,1973年内に暗殺で1896名が殺され,391名が負傷したと述べた。なかでも12月の地方選挙期間内だけで候補者が14名,一般人21名が殺された。
DIA-301-1974-02-05-1バングラデシュ1974年02月05日1970年代社会の寄生虫を駆除せよ-ラーマン首相はアワミ青年連盟全国大会初日に演説を行ない,「独立の敵である全ての反社会分子はまた社会の寄生虫である。青年の力でこれを駆除し,平和な国家を建設するよう努力せよ」と訓示した。
DIA-301-1974-02-05-2バングラデシュ1974年02月05日1970年代世界回教会議書記長Hassan eり1-Tohami が来訪,ラーマン首相と回教国首脳会議について話し合った。この席上,ラーマン首相はパキスタンガ承認しないかぎりバングラデシュはラホールでの回教国首脳会議に出席する訳にはいかないとのべた。
DIA-301-1974-02-06-1バングラデシュ1974年02月06日1970年代農業開発などに世銀借款-世銀は農業開発,工業復興などに合計5000万ドルの借款を供与することを決定。
DIA-301-1974-02-07-1バングラデシュ1974年02月07日1970年代政府外務省スポークスマンはラホールでの回教国首脳会議でのパキスタンの行動は,承認をせずに招請するというやり方で,きわめて利己的な方法であると非難した。一方インドネシアが提唱していたバ・パ首脳のジャカルタ会談をバングラ側が正式に拒否したとのべている。
DIA-301-1974-02-08-1バングラデシュ1974年02月08日1970年代JSDゼネスト決行-JSD(民族社会党)は物価安定,最低賃金の引き上げ,完全配給制の実施などを含む10項目を要求して全国ハルタルを呼びかける一方,ダッカでは中央集会を開き,政府を厳しく追求した。 これに対し,AL書記長ジルール・ラーマンは JSD の呼びかけに応ぜず,ほぼ平常どおりの勤務についた労働者に対し感謝の声明を行ない,JSD ハルタルによるテロ,暴動行為を厳しく非難した。
DIA-301-1974-02-08-2バングラデシュ1974年02月08日1970年代世銀 IDA から5000万ドル借款,協定に調印。
DIA-301-1974-02-09-1バングラデシュ1974年02月09日1970年代天然資源相 Dr.Mafiz Choudhury はイラクからの原油10万トン供給決定に伴い石油事情を当面安定し,石油製品の十分な供給に全力を注ぐとのべた。
DIA-301-1974-02-09-2バングラデシュ1974年02月09日1970年代アルジェを訪れたK.フセイン外相はブーメジェン大統領と会談,アラブを支持することには変わりないとのべた。
DIA-301-1974-02-09-3バングラデシュ1974年02月09日1970年代Magura 地区 Salikha,Bhagerpara でこの3日間のうち11人が暗殺された。
DIA-301-1974-02-10-1バングラデシュ1974年02月10日1970年代全国人口センサス開始-独立後初の全国人口センサスが開始した。センサスはパキスタン時の1961年以来のことである。
DIA-301-1974-02-11-1バングラデシュ1974年02月11日1970年代「暴力は問題を解決しない」-BRTC(道路運輸公社)の労相は2月8日のゼネ・ストにおけるJSDの攻撃に抗議して首相官邸で集会を開いた。これに対しラーマン首相は「暴力は如何なる問題をも解決しない。一般労働者の生活を脅やかすものは労働者階級の友ではない」と説明した。またマンスール・アリ通信,内務相はこの日警察高官に対し,反社会分子に対する攻撃の手を緩めるなと訓示した。
DIA-301-1974-02-12-1バングラデシュ1974年02月12日1970年代K.フセイン外相はアルジェリア,リビアの訪問を終え帰国した。リビアではカダフィ大統領と会談,回教国会議について強く参加を求められ,大統領は「パキスタンの承認は平和達成のために大きく貢献しよう」とのべた。
DIA-301-1974-02-12-2バングラデシュ1974年02月12日1970年代政府,郵便労働者ストを3ヵ月禁止(しかし郵便労働者は15日より命令を無視してスト突入)。
DIA-301-1974-02-17-1バングラデシュ1974年02月17日1970年代今年の石油輸入所要資金は15億タカ-チョードリ資源相は1974年の石油輸入は15億タカになり,昨年の4億タカの3.8倍になるとのべた。
DIA-301-1974-02-22-1バングラデシュ1974年02月22日1970年代パ,バングラデシュ承認-これに伴い,バングラデシュもパキスタンを承認した。ラーマン首相は23日,回教国首脳会議出席のためパキスタンを訪問した。
DIA-301-1974-03-05-1バングラデシュ1974年03月05日1970年代ジュート工場の火災続く-ラーマン首相は焼失した Daulatpur のジュート工場を視察。ひんぱんに起るジュート工場の火災の原因と防火を調査する委員会の設置を指令した。なお今回の火災は労働組合内部の対立抗争によって放火されたもので関係者15名が逮捕された。
DIA-301-1974-03-05-2バングラデシュ1974年03月05日1970年代17日間続いた郵便ストライキが労組と当局との協定成立によって解決した。
DIA-301-1974-03-06-1バングラデシュ1974年03月06日1970年代五カ年計画修正へ-政府計画当局は,最近の①エネルギー危機と,②国際商品価格の高騰によって,すでに発足した第1次5カ年計画の資金規模および投資プライオリティーを修正しなければならない状況にあり,現在検討作業が進められていると発表した。
DIA-301-1974-03-08-1バングラデシュ1974年03月08日1970年代外相,インド外相と会談-K.フセイン外相はクウェート,アブダビ訪問の途中,ニューデリーに立ち寄り,スワラン・シン外相とインド亜大陸の平常化問題について討議した。
DIA-301-1974-03-08-2バングラデシュ1974年03月08日1970年代警察当局は政府の指令に基づいてクルナ地区で密輸一斉取締りを行ない30名を逮捕した。またラングプールでは計152名の密輸業者,窃盗団が逮捕された。
DIA-301-1974-03-09-1バングラデシュ1974年03月09日1970年代ジュート工場の経営,管理がようやく落ち着いたことを反映して生産高も上昇してきた。過去8カ月の生産実績は32万5000トンで,1972/73年度実績44万6000トンを上回ることは確実となった。
DIA-301-1974-03-10-1バングラデシュ1974年03月10日1970年代最近結成された民族民主解放連合(JAGMUI)はダッカで中央集会を開き,総裁 Aaji Mohammad Danesh は進歩的民主主義政党は連合する必要があるとのべた。
DIA-301-1974-03-10-2バングラデシュ1974年03月10日1970年代電力開発局の大型発電機38基のうち,12基がこの数カ月故障している。
DIA-301-1974-03-11-1バングラデシュ1974年03月11日1970年代救国には犠牲的精神を-ラーマン首相はコミラの陸軍師団本部を訪れ,兵士を前に「反社会分子から国を守るために軍人は犠牲的精神を発揮し,これを一掃するよう努力せよ」と訓示した。またラーマン首相はコミラに新しく設立された士官学校を開校した。
DIA-301-1974-03-11-2バングラデシュ1974年03月11日1970年代T.アーメド蔵相は「タカの平貨切下げは当分行なう考えはない」と語った。
DIA-301-1974-03-12-1バングラデシュ1974年03月12日1970年代コミラでダッカ・チッタゴン間急行列車が脱線転覆し,乗客10名が死亡し,61名が負傷した。この事故でわずか9日間で4件の列車事故が起ったことになり,その原因の多くは保線のサボタージュであることを当局者も認めた。 なお解放後の列車事故は18件に達した。
DIA-301-1974-03-13-1バングラデシュ1974年03月13日1970年代航空運賃大幅値上げ-バングラデシュ航空は国内全線の運賃を3月16日から改訂すると発表。値上げ幅は100~190%で,ダッカ・チッタゴン間は現行60タカから174タカに値上げされる。また国際線運賃も平均7%の値上げを発表した(3.15)。
DIA-301-1974-03-14-1バングラデシュ1974年03月14日1970年代Mirpur・HarirampurのAL書記長 Abdul Mannan Khan が暗殺(射殺)された。
DIA-301-1974-03-14-2バングラデシュ1974年03月14日1970年代貿易公社はビルマ輸出入公社との間でジュート・バッグ4744ベール(800万タカ)を輸出する契約を交わした。
DIA-301-1974-03-15-1バングラデシュ1974年03月15日1970年代ポーランド外相来訪-S.Olszowski ポーランド外相が来訪し,K・フセイン外相と会談。ポーランド外相は「バングラデシュの国連加盟は早まるだろう」とのべた。両国外相は16日,技術協力協定に調印。
DIA-301-1974-03-16-1バングラデシュ1974年03月16日1970年代国会議員暗殺さる-ダッカ県選出国会議員 Gazi Fazlur Rahman が市内高等学校での会合に出席中射殺された。犯人は不明。
DIA-301-1974-03-16-2バングラデシュ1974年03月16日1970年代石油不足でジュート工場危機-ようやく生産が軌道に乗り始めたジュート工場は最近ジュート加工用油(JBO)が不足して,このままでは操短ないしは停止せざるを得ない状況になってきた。ここ数日間のうちに精油所が18,000トンの精製をしない限り4月中旬頃にはジュート工場に大きく影響してくる。
DIA-301-1974-03-17-1バングラデシュ1974年03月17日1970年代JSD デモで3名殺される-JSD 主催の集会で政府攻撃を旗印に一部がデモを行なったため,警官隊が発砲,3名が死亡,18名が負傷した。この事件について政府内務省は声明を発表し,JSDの破壊行動を厳しく批判した。JSD の委員長 Jalil と同書記長 Rab の両名は逮捕された。
DIA-301-1974-03-18-1バングラデシュ1974年03月18日1970年代AL抗議デモ-JSD の反人民的行為(3.17の JSD デモ)に抗議してALは集会およびデモを行ない,JSD指導部を激しく非難した。なお集会ではAL組織書記長 Abdul Razzak は JSD を「米帝国主義と中国,パキスタンにそそのかされて,平和と秩序を乱す反人民分子」と述べた。またALは3月24日をALレジスタンス・デーと決めた。
DIA-301-1974-03-19-1バングラデシュ1974年03月19日1970年代ラーマン首相病気治療でモスクワヘ-ラーマン首相は最近体調がおもわしくないためモスクワの病院で医療チェックをすることになり,妻子と共に出発した。なおモスクワではコスイギン首相らが空港まで出迎えた。
DIA-301-1974-03-19-2バングラデシュ1974年03月19日1970年代森林監視キャンプ襲わる-クルナ県スンダルバン地区に駐留する森林監視キャンプが武装団に襲撃され,森林保安要員など合計4名が射殺された。
DIA-301-1974-03-19-3バングラデシュ1974年03月19日1970年代AL 抗議集会-JSD の反人民行為を非難するALの抗議集会がダッカをはじめ各地で開かれた。共産党も正式に抗議声明を発表した。ナラヤンガンジでは JSD 支部が放火された。クルナでは JSD 地区指導部7名が逮捕された。
DIA-301-1974-03-20-1バングラデシュ1974年03月20日1970年代農業融資危機-農業開発銀行(BADB)は融資の返済状況悪化のため基金が急減して,危機的状況にある。これは農民に貸付けた資金の返済が円滑に行なわれていないためで,1971/72年度の返済比率72%に対し,今年1月現在では60%の水準がやっとである。 また銀行自体のマネージメントにも改善すべきところがあると指摘されている。
DIA-301-1974-03-24-1バングラデシュ1974年03月24日1970年代レジスタンス・デー集会-AL主催の“レジスタンス・デー”大衆集会がダッカで開かれ反社会分子に対する抗議を行なった。AL総裁カマルザマンは演説のなかで汚職と闘かう入民委員会の設立,社会主義社会実現のための革命的統一を呼びかけた。
DIA-301-1974-03-27-1バングラデシュ1974年03月27日1970年代平貨切下げ否定-K.M.アーメド外国貿易相はバングラ通貨切下げの可能性は全くないとのべ,これはまったく根拠のないうわさであるとのべた。
DIA-301-1974-03-27-2バングラデシュ1974年03月27日1970年代バシャニなど野党7党の党首は政府に対し政治犯の釈放を要求する声明を発表した。
DIA-301-1974-03-29-1バングラデシュ1974年03月29日1970年代第1次5カ年計画初年度のプログラムの実施は45%を割りそう-信頼できる情報によれば,物価の値上り,外貨不足,工業生産の不振等のため,第1次5カ年計画初年度のプログラムの少なくとも55%が実施不可能とみられている。
DIA-301-1974-03-30-1バングラデシュ1974年03月30日1970年代BCL,汚職官吏を追求-BCL(委員長Monirul Haque)は集会を開き汚職や不正な利益追求者などに対し“新しい搾取階級”と称して攻撃「われわれは現在7名の官吏を含む悪徳階級のリストを作成した。もし政府が適切な措置を取らない限り,このリストを発表する」と厳しく追求した。
DIA-301-1974-04-02-1バングラデシュ1974年04月02日1970年代バングラデシュ学生連盟(BCL)指導者,記者会見-与党AL系の学生連盟(BCL)の委員長M.H. Chowdhury と同書記長S.A.Pradhan の両氏は記者会見を行ない,「すべての政党指導者,国会議員は独立前と独立後の資産リストを公表すべきである。現在の政治危機・経済破綻の責任は政府にある。法と秩序が守られていないのは,権力をもった政治家が私利私欲を追求するからである。我々が3月30日の集会で汚職者のリストの一部を発表したのは,個人攻撃のためではなく,現在の不正に満ちた社会を矯正し,ラーマン首相の力を強めるためである」とのべた。
DIA-301-1974-04-05-1バングラデシュ1974年04月05日1970年代ダッカ大学寮で,学生7人射殺さる-ダッカ大学の学生寮で,BCL に属すと見られる学生7人が,50~60人の覆面をした学生につかまり,モーシン寮まで連行され,そこで射殺された。AL系学生組織内部の争いと見られている。
DIA-301-1974-04-05-2バングラデシュ1974年04月05日1970年代印・パ・バングラ3国外相会議,ニューデリーで開始。フセイン外相参加。
DIA-301-1974-04-05-3バングラデシュ1974年04月05日1970年代ダッカ大学殺人事件で BCL の書記長,逮捕。
DIA-301-1974-04-08-1バングラデシュ1974年04月08日1970年代ラーマン首相,コスイギン首相と会談-病気療養中のラーマン首相は,帰国を前にコスイギン首相と会談した。
DIA-301-1974-04-08-2バングラデシュ1974年04月08日1970年代ダッタ大学殺人事件で,2人逮捕-いずれもBCLの活動家。
DIA-301-1974-04-09-1バングラデシュ1974年04月09日1970年代印・パ・バングラ5国外相会議終了-3国外相は協定書に調印した。協定の内容はバングラ側が195人の戦犯について恩赦を与え,パへの帰国を認め,パ側は過去の誤りについて許しを求め,さらに42万人ともいわれるビハール人のパへの送還希望者について考慮することを骨子としている。現在パキスタンが受入れているビハール人は①家族が西パにいること,②前中央政府の下で働いていた人,③1971年以前西パに住んでいたもの,④特殊なケース(主としてネパールに逃げた人々)のはん囲にあり,すでに11万6000人が帰国している。ICRCを通してのビハール人帰国希望者は53万8000人である。
DIA-301-1974-04-10-1バングラデシュ1974年04月10日1970年代ラーマン首相,デリー着-ラーマン首相は10日モスクワを発ち,デリー着,ガンジー首相と1時間話し合った。
DIA-301-1974-04-10-2バングラデシュ1974年04月10日1970年代1973/74当初8カ月の輸出-8カ月で18億7517万タカで,1973/74の目標は32億4000万タカ。残り4カ月で,13億6512万タカの輸出をしなくてはならない。
DIA-301-1974-04-11-1バングラデシュ1974年04月11日1970年代ラーマン首相,帰国。
DIA-301-1974-04-14-1バングラデシュ1974年04月14日1970年代野党6政党,統一戦線を結成-委員長はバシャニNAP委員長で,参加政党はNAPの他,バングラデシュ人民連盟(BDJL),バングラ人民連盟(BJL),パ共産党レーニン派(BCP-Lenist),労働者・農民連合党 (SKSD),人民闘争党(JGU)の6政党。
DIA-301-1974-04-14-2バングラデシュ1974年04月14日1970年代計画委,各省庁に資金不足から開発支出を減少せしめるよう指示した。1973/74年度開発計画は67.5億タカのところ,45億タカ相当に削減される見込。
DIA-301-1974-04-16-1バングラデシュ1974年04月16日1970年代ダッカ商工会議所,流通制度改善を要求-商工会議所は現在の流通制度(TCB,消費者物資供給公社などを通しての流通)では効率悪く,不規則で投機的となり易く,汚職も生じ易いことからその廃止を要求,流通は民間に全面的にまかせるよう要求した。
DIA-301-1974-04-19-1バングラデシュ1974年04月19日1970年代マイメンシンのAL指導者,射殺さる。
DIA-301-1974-04-20-1バングラデシュ1974年04月20日1970年代パ,アメリカとPL480協定調印-バはアメリカから小麦15.3万トン(3200万ドル),食用油2.3万トン(1580万ドル)を輸入する。条件は10年据置,40年返済,利子率3%。
DIA-301-1974-04-20-2バングラデシュ1974年04月20日1970年代IDAの対バングラ援助,2億6695万ドル。
DIA-301-1974-04-24-1バングラデシュ1974年04月24日1970年代ラーマン首相,軍に治安出動を命ず-不法武器所持・密輸・反社会分子の摘発のため,軍に対し,BDR,JRB,警察と協力して作戦を行なうよう命じた。 この作戦では,全体で約10万人が動員されることになろう。これは,しかし,戒厳令ではない。なおこの措置と共にスト,ロックアウト等は3ヵ月禁止。
DIA-301-1974-04-25-1バングラデシュ1974年04月25日1970年代野党統一戦線,第1回集会開く-バシャニ委員長は①政治犯の釈放,②平和と安全の確立,③物価上昇をおさえる,④村への配給制度導入の4項目要求を提出,密輸についてはインドのマルワリ商人がバングラの新興資本階級と結託して行なっているとのべた。
DIA-301-1974-04-26-1バングラデシュ1974年04月26日1970年代ネ・ウィン・ビルマ大統領,訪バ(~29)。
DIA-301-1974-05-01-1バングラデシュ1974年05月01日1970年代フセイン外相,チェコ訪問-経済協力促進のため,フセイン外相はチェコを訪問,2日からフニョウベク外相との会談に入った。チェコはバングラの織物工場,魚加工業,製材工業,沿岸漁業などの発展に協力する。
DIA-301-1974-05-01-2バングラデシュ1974年05月01日1970年代永野訪バ団長,日本政府に提言-1月末訪バした永野ミッション団長は,田中首相に対し,以下の提言を行なった。 ①農業開発に関する協力の推進 ②天然ガスを利用する化学工業への協力検討 ③同国沿岸石油開発協力 ④日本の援助で建設された工場の稼動率向上のための協力 ⑤人口増加抑制のための協力
DIA-301-1974-05-08-1バングラデシュ1974年05月08日1970年代大量の武器・弾薬,押収-ダッカ警察はナラヤンガンジで大量の武器(37mm 対空砲10門,ライフル,マシンガン,臼砲など),弾薬を押収し,これに関連して70人を逮捕したと発表した。
DIA-301-1974-05-11-1バングラデシュ1974年05月11日1970年代チッタゴン沿岸で食糧密輸船と連絡していたラジオ通信機を発見。
DIA-301-1974-05-12-1バングラデシュ1974年05月12日1970年代ラーマン首相,訪印(~16日)-ラーマン首相は5日間の公式訪問のため,特別機でニューデリーに到着した。
DIA-301-1974-05-12-2バングラデシュ1974年05月12日1970年代ラーマン首相,ガンジー首相と第1回公式会談-会談の内容は印パ戦争でインド軍が当時の東パ駐留軍から押収した武器弾薬,貨車などのバングラヘの返還,両国内に点在する飛び地の整理,ガンジス河水の分割(ファラッカ問題),経済協力などについて。
DIA-301-1974-05-16-1バングラデシュ1974年05月16日1970年代印バ共同声明発表-印バ両国首相は数次に亘る会談の後共同声明を発表,ラーマン首相はダッカに帰国した。その他国境画定協定及び長期経済協力協定にも調印した。ファラッカ問題についての解決はつかず,「両国の利害が一致し,困難な問題が友好と協力の精神で取除かれるよう,理解をもって接触することに合意した」という。国境画定協定については,国境160 km に亘って画定し,インドとバングラにある相手方の飛び地(バングラ内のインド飛び地には120,インド内のバングラ飛び地は70)についても相互交換を行なうことで合意がえられたもよう。長期経済協力協定はインドの対バングラデシュ借款供与と貿易協力に関するもので,閣僚級の合同ジュート委員会設立,密貿易取締りの合同委員会の設立,シャトナルのスポンジ鉄工場(年産50万トン),同地に肥料工場(年産尿素50万トン),チャタクにセメント工場(年産35.5万トン)など3つの合弁企業設立などが決められている。その他,インドはバングラデシュに対しクリンカーを供与すること,スポンジ鉄工場については鉄鋼石75万トンを供給し製品の50%をインドに輸入する。 その他,インドはすでに約束した合計4億1000万Rsの経済援助に加え,3億8000
DIA-301-1974-05-17-1バングラデシュ1974年05月17日1970年代フセイン外相,訪ソ(~22日)-フセイン外相は6日間の公式訪問のためモスクワに到着した。同日グロムイコ外相と第1回会談が行なわれ,インド亜大陸の新情勢,バングラの国連加盟,バ・ソ関係の発展強化の問題について話し合われ,双方の立場の一致が確認された。 フセイン外相はこの後,20日にコスイギン首相と会談した。
DIA-301-1974-05-17-2バングラデシュ1974年05月17日1970年代バ軍情報筋は,4月25日以来23日間に,不法分子1100人,火器2500丁,弾薬10万発を押収したと発表。また地方紙(ジャハド)は独立以来28ヵ月に1500人が暗殺(政治的理由)され,行方不明2000人に達する,とのべた。
DIA-301-1974-05-20-1バングラデシュ1974年05月20日1970年代バシャニNAP委員長,ラーマン首相批判-バシャニ委員長は印バ首脳会議で調印された国境画定協定について,これはバングラデシュの法的領土をインド領と認めたものであるとして,ラーマン首相を強く批判した。
DIA-301-1974-05-22-1バングラデシュ1974年05月22日1970年代バ・ソ外相共同コミュニケ発表-訪ソ中のフセイン外相は22日,数次に亘るグロムイコ外相との会談の後,共同コミュニケを発表した。要旨は,72年3月と74年4月に行われたソ連指導者とラーマン首相との会談の成果に満足していること,両国間の政治・経済・通商その他の分野の交流が,両国人民及び平和と国際協力の事業の利益にこたえて,今後も発展するであろうこと,亜大陸の最近の政治的展開が同地域の平和をもたらすこと,などについて完全に意見が一致し,バングラの国連加盟についても,ソ連がこれまで一貫して支持して来たことを改めて表明している。
DIA-301-1974-05-22-2バングラデシュ1974年05月22日1970年代バ・米経済・技術協定に調印-バングラデシュとアメリカは独立後初てめの経済・技術協力協定に調印した。米国はこれまでバングラに対し,4億3300万ドルの援助(食糧,商品援助)を行なっているが,今回の協定により,対バ・プロジェクト援助が活発になるとみられている。
DIA-301-1974-06-07-1バングラデシュ1974年06月07日1970年代前衛学生ブロック(FSB)役員決定。 委員長C.M.ファルーク 書記長A.H.M.アブドル・バテン
DIA-301-1974-06-08-1バングラデシュ1974年06月08日1970年代19974年センサス-独立後初の1974年センサスの暫定結果は次の通り。 総人口 7131万6517人(1961年の40%増) 男 3694万9033人 女 3436万7484人 ダッカ市人口 131万0976人(1961年の26.2%増) 男 70万9620人 女 60万1356人 ナラヤンガンジ市人口 17万6879人 チッタゴン市人口 41万6733人
DIA-301-1974-06-10-1バングラデシュ1974年06月10日1970年代現在の失業者780万人-ムルシェッド家族計画担当副大臣は国会で,現在の労働力入口は2597万入,うち30%の780万人が失業,半失業の状態にある,と発表した。
DIA-301-1974-06-10-2バングラデシュ1974年06月10日1970年代AL指導者,ダッカ近郊で射殺。
DIA-301-1974-06-13-1バングラデシュ1974年06月13日1970年代小麦粉不足-ダッカ近くにある7つの製粉所は原料小麦を入手できず,生産が25%におちているため,小麦粉が不足,パン・ビスケットはマーケットから姿を消した。
DIA-301-1974-06-15-1バングラデシュ1974年06月15日1970年代インドのギリ大統領,訪バ(~19日)。
DIA-301-1974-06-15-2バングラデシュ1974年06月15日1970年代国会議員2人,ALより除名-AL書記長は汚職,党規違反を理由に国会議員2人を党から除名した。
DIA-301-1974-06-15-3バングラデシュ1974年06月15日1970年代ダッカ・ナラヤンガンジで爆発事件-ダッカのニューマーケット,日刊Sangbad紙,週刊 Padakhep,Nirdesh,日刊オブザーバー,プルボデシュ,モーニングニュース,ドイニク・バングラの各社で爆発事件が最近起っており,ナラヤンガンジでも数力所で爆発事件があった。ALの党事務所にもあり,カマルプール(ダッカ)駅近くではサボタージュと見られる脱線事故があり,Titasガス管がミルプールで爆発した。これらはダイナマイトを使っている。
DIA-301-1974-06-19-1バングラデシュ1974年06月19日1970年代1974/75予算案発表(資料参照)。
DIA-301-1974-06-24-1バングラデシュ1974年06月24日1970年代1975/74米の生産-サマード農相は国会で,1973/74の米の生産はAman670万トンAns280万トンBoro240万トン,計1190万トンに達するとのべた。
DIA-301-1974-06-24-2バングラデシュ1974年06月24日1970年代中央銀行,バンクレートを5%から,8%に引上げ。
DIA-301-1974-06-25-1バングラデシュ1974年06月25日1970年代ダッカ・ナラヤンガンジに集会禁止令(無期限)
DIA-301-1974-06-25-2バングラデシュ1974年06月25日1970年代IMF,バングラへスタンドバイクレジット2億9300万タカ-これは石油産出国から資金を借り入れ活用するもの。
DIA-301-1974-06-27-1バングラデシュ1974年06月27日1970年代ブット首相,バングラデシュ訪問-パキスタンのブット首相はPIA特別機で,独立後初めてバングラデシュを訪問した。午後ラーマン首相と90分に亘り非公式会談を行った。夕食会でラーマン首相は「バングラ国民は過去をふりかえるつもりはないし,復しゅうの気持もない。すべての問題を平等な主権国家として話し合って解決したい」とのべた。一方ブット首相はそれに応え「狂った軍事政権により惹起された悲劇のため我々の心はまだ痛み苦しみからぬけ出していない」とのべた。
DIA-301-1974-06-28-1バングラデシュ1974年06月28日1970年代ラーマン・ブット公式会談-第1回公式会談で,両国関係正常化のためフランクに意見交換がなされた。これに先だち,ブット首相はサバールの犠牲者の塔に献花したが,周囲には黒い旗をもった人々がつめかけ,反ブット,反パキスタンデモを行ない,警官と衝突した。
DIA-301-1974-06-29-1バングラデシュ1974年06月29日1970年代ラーマン・ブット第2回公式会談-会談の後共同声明が発表されたが,ラーマン首相が訪パに同意したという点以外に内容はなかった。パ・バングラ正常化のため①債権債務・財産分割の問題,②ビハール人送還の問題,③外交関係樹立などについては,具体的成果はなかったと見られ,モーニング・ニーズは会談を「失敗」したと評論している。
DIA-301-1974-06-29-2バングラデシュ1974年06月29日1970年代外国援助-Thakur情報担当相は,バングラデシュがこれまで受取った外国援助は90億0440万タカに達するとのべた。このうち現金は6億1440万タカ,食糧は34.2億タカ,商品,プロジェクト援助49.7億タカ。
DIA-301-1974-06-30-1バングラデシュ1974年06月30日1970年代野党統一戦線主催ゼネスト-バシャニNAP委員長を代表とする統一戦線は,政府の集会禁止令を破って,30日ゼネストを呼びかけ,集会を開いた。このためマシウル・ラーマンNAP指導者ら11人が逮捕されたが,バシャニNAP委員長は強制的にサントスにつれ帰られ,自宅軟禁になっている。
DIA-301-1974-07-01-1バングラデシュ1974年07月01日1970年代Z.Ahmed労働・社会福祉相,死去。
DIA-301-1974-07-05-1バングラデシュ1974年07月05日1970年代洪水対策費は800億タカ-洪水対策相は記者会見で,バングラの洪水対策に要する費用は800億タカ(10カ年)になろう,とのべた。
DIA-301-1974-07-07-1バングラデシュ1974年07月07日1970年代閣僚9人更迭-閣内相6人,閣外相3人は大統領に辞表提出,受理された。 閣内相 S.A.Aziz(郵政相) Shamsul Huq(ジュート相) M.Jalaluddin(土地行政相) M.Rahman(協同組合相) Gen.Osmany(航空・造船相) M.Chowdhury(資源・原子力相) 閣外相A.Islam(食糧) N.Murshed(社会福祉) S.A.Malek Khan(工業)
DIA-301-1974-07-08-1バングラデシュ1974年07月08日1970年代閣僚の変更-9人の閣僚更迭に伴い,閣僚のポスト修正を行い,新らたに食糧相を任命して,閣僚の人数は14人になった。食糧相がPhani MajumderからAbduI Momen(閣外相だった人)に移り,Phaniが土地行政相に就任したほか大きな移動はない(閣僚リストは資料参照)。
DIA-301-1974-07-10-1バングラデシュ1974年07月10日1970年代肥料公団総裁ら4人,免職-ラーマン首相は肥料公団のMomen総裁,同理事M.Islam,Kazi Ahmed,N.Islamの4人を,汚職などを理由に免職にした。
DIA-301-1974-07-11-1バングラデシュ1974年07月11日1970年代バングラ・ジュート輸出価格,トン当り25ポンド引上げ,141ポンドとする。
DIA-301-1974-07-13-1バングラデシュ1974年07月13日1970年代1974/75茶政策発表-生産目標は6500万ポンド,輸出目標は6000万ポンド(1億8000万タカ)。
DIA-301-1974-07-15-1バングラデシュ1974年07月15日1970年代バングラデシュ経済事情1973/74及び年次開発計画発表-政府は独立以降始めて経済事情1973/74を発表,同時に1974/75年次計画を発表した(資料参照)。
DIA-301-1974-07-15-2バングラデシュ1974年07月15日1970年代NAP(B)分裂-NAP(B)の分派は評議会を開き,55人からなる中央委を選出,NAP(Requisition)を結成した。委員長はM.A.Rahman Sudharami,副委員長はKazi Zafar Ahmed,書記長はRashed K.Menon。
DIA-301-1974-07-16-1バングラデシュ1974年07月16日1970年代新民間投資政策発表-政府は1973年8月の投資政策を改訂し,大幅に自由化した新民間投資政策を発表した。即ち投資上限をこれまでの250万タカから3000万タカに引上げ,外国投資家は合弁先に民間資本を選べることなどが決められている(資料参照)。
DIA-301-1974-07-18-1バングラデシュ1974年07月18日1970年代警察高官6人,免職-汚職等のためでA.R.Khandakerダッカ市Dty.Inspector Gen.of Policeを含む6人。
DIA-301-1974-07-19-1バングラデシュ1974年07月19日1970年代TCB,BSICの官吏16人,免職-いずれも不正行為あるいは無能力のためである。
DIA-301-1974-07-19-2バングラデシュ1974年07月19日1970年代1972年3月~1974年5月までの武器回収は,1万8346丁。
DIA-301-1974-07-20-1バングラデシュ1974年07月20日1970年代1974年7~12月輸入政策発表-要旨は以下の通り。 ①輸入総額は22億タカ。このうち50%は輸出外貨で賄い,残り50%は外国援助に依存する。 ②生活必需消費財の生産に重点をおき,そのための原材料,部品輸入に必要な外貨割当を行なう。特に薬,綿織物,食用油,石けん,鉄鋼,タバコには特別な配慮をする。 ③外貨の特別割当は,精製石油(8万トン)1億タカ,原油(50万トン)3億タカ,原綿(13.5万トン)2億9700万タカ,綿布4400万タカ,綿糸7000万タカ,セメント・クリンカー1億2600万タカ,食用油1億1830万タカ等等。 ④民間輸入は2億5000万タカで,残りはTCB及び関連公社が取扱う。
DIA-301-1974-08-04-1バングラデシュ1974年08月04日1970年代ラーマン首相,洪水被災地視察-7月末からシレット,マイメンシン,ラングプール地方の水位が高まり,これら3地域の洪水状況が悪化,ラーマン首相はこの日シレット上空を飛んで被災状況を視察したもの。首相は軍,BDR,JRBに対し,救援物資の運搬に全力をあげるよう指示。
DIA-301-1974-08-06-1バングラデシュ1974年08月06日1970年代バングラ中央部と北部をつなぐバハドラバードのフェリーが運行中止。マイメンシンでは208人,ラングプールでは52人が水に流され死亡した,という。
DIA-301-1974-08-09-1バングラデシュ1974年08月09日1970年代ダッカ市に救援キャンプ-洪水で家も仕事も失った人々がダッカに流れ込んだため,市内に59の救援キャンプがつくられ,3万5000人がその中で生活をしている。食糧は少なく,衛生状況も悪いため,病気,栄養失調で死ぬ子供が多い。
DIA-301-1974-08-14-1バングラデシュ1974年08月14日1970年代洪水被災状況-Planning Commissionの推計。  被災者 3600万人 冠水地域 2万0234平方マイル Aus.B.Amon 92.9万トン損失 Aman Seedling 10万トン〃 Juteの被災 17.2万エーカー,23.8万ベール 全壊家屋 40万戸 半壊〃 80万戸
DIA-301-1974-08-25-1バングラデシュ1974年08月25日1970年代中国の国連代表,バングラ代表と会見-中国代表Ho Young氏はバングラ代表に対し,「亜大陸の出来事に注目している。帝国主義分子は常にあなたたちを分断しようとしているが,あなたたちはそれにまどわされることなく,相互の話し合いで解決して行くべきである。中国はインド・バングラとの関係正常化を望んでいるし,その日は遠くなく訪れよう」とのべた。
DIA-301-1974-08-30-1バングラデシュ1974年08月30日1970年代中国赤十字,バングラデシュ赤十字にメッセージ-洪水救援のため200万元(小麦5000トン,綿毛布4万枚)を送る。
DIA-301-1974-08-30-2バングラデシュ1974年08月30日1970年代ダッカ市内138カ所にあった難民救援キャンプは,8万8839人が収容されていたが,洪水の水もある程度低下したため,31日で閉鎖されることになった。
DIA-301-1974-08-30-3バングラデシュ1974年08月30日1970年代中国政府は400万ドル相当の救援物資をバングラに送ると発表(うち100万ドルは中国赤十字の分)。
DIA-301-1974-09-03-1バングラデシュ1974年09月03日1970年代南ベトナム臨時革命政府議長,東独への途上,ダッカに立寄る。空港では大統領,AL党総裁,モニ・シン共産党委員長ら多数が迎えた。
DIA-301-1974-09-06-1バングラデシュ1974年09月06日1970年代アーメド蔵相,ワシントンより帰国-チェコ,ブルガリア,USSR,カナダ,アメリカを歴訪して帰国,空港で記者会見,援助見通しについて,IDAから1億5000万ドル,総額39億4000万タカの必要外国資金は調達できよう,とのべた。
DIA-301-1974-09-06-2バングラデシュ1974年09月06日1970年代ソ連はトロール船(10隻)のクルーの滞在を1975年末まで延期すること,ヘリコプターのクルーは1975年6月まで延期すること,を発表した。
DIA-301-1974-09-07-1バングラデシュ1974年09月07日1970年代バ政府,チッタゴンはソ連の海軍基地になるとの噂,否定。
DIA-301-1974-09-07-2バングラデシュ1974年09月07日1970年代IMFの石油基金から144万800ドル借入れ。返済は7カ年,利子率は当初3カ年は6.875%,残り4年目は7%,5年目以降は7.125%。
DIA-301-1974-09-10-1バングラデシュ1974年09月10日1970年代汚職官吏11人,逮捕-消費者物資供給会社の官吏11人は輸入テトロン1万4193ヤード(32万6470タカ)を倉庫から横流ししたことを理由に逮捕された。
DIA-301-1974-09-10-2バングラデシュ1974年09月10日1970年代インド,バングラに特別借款1億ルピー供与。
DIA-301-1974-09-11-1バングラデシュ1974年09月11日1970年代ゴラサール肥料工場のアンモニア・コントロール室爆発,2人死亡,17人負傷。
DIA-301-1974-09-11-2バングラデシュ1974年09月11日1970年代ソ連,1974年の奨学金は250人に与える。現在,ソ連に学んでいるもの,600人という。
DIA-301-1974-09-14-1バングラデシュ1974年09月14日1970年代JSD,集会-委員長代理B.KrishnaSen,書記長代理S.Sirajが演説,現政府をきびしく批判,全政治犯の釈放を要求した。
DIA-301-1974-09-14-2バングラデシュ1974年09月14日1970年代北朝鮮初代大使Yu Song Jin,就任。
DIA-301-1974-09-17-1バングラデシュ1974年09月17日1970年代バングラデシュの国連加盟決る-国連総会はバングラデシュの国連加盟を,無条件・満場一致で承認した。
DIA-301-1974-09-17-2バングラデシュ1974年09月17日1970年代アーメド蔵相,ソ連へ訪問。コスイギン首相と会談。
DIA-301-1974-09-18-1バングラデシュ1974年09月18日1970年代ベンガル湾石油開発-政府はベンガル湾の石油開発のため,Union Oil(米国系),Ashland(米国系),日本石油公団,Rubinu(シンガポール系)Ina-Naftalin(ユーゴ),Atlantic Richfield(米国系),Canadian Superior(カナダ)の7社と契約する予定で,これによりsignature bonusとして3500万ドルの収入を得る。条件は21年間に亘りバングラ側が石油の76%を得,外国企業ディは24%を得る。
DIA-301-1974-09-19-1バングラデシュ1974年09月19日1970年代クルナの共産党事務所に手榴弾投下。極左の人々のやったことと見られている。ダッカでも,ダンマンディ住宅地帯に手榴弾が投げ入れられた。
DIA-301-1974-09-19-2バングラデシュ1974年09月19日1970年代US AID,2500万ドル供与。肥料,農薬などの輸入に使う。
DIA-301-1974-09-23-1バングラデシュ1974年09月23日1970年代ラーマン首相,ニューヨークヘ出発。
DIA-301-1974-09-23-2バングラデシュ1974年09月23日1970年代インドから種子米5万7500トン緊急輸入。
DIA-301-1974-09-24-1バングラデシュ1974年09月24日1970年代商務省,貿易促進政策発表-商務省は輸出促進のため以下の優遇措置をとり,1974/75その輸出目標34億8180万タカを実現する。 ①現金補助金制(FOBの30%)をつづける(89品目について)。 ②冷凍エビ,カエルの足などの輸出を30%増加させる。 ③輸出産業の必要とする原材料部品輸入及びジュート工業の部品などについての外貨配分は,優先的に行う。 ④輸入原材料,梱包用材料について支払った関税の一定割合の払い戻し,輸出品目に対して支払った販売税,消費税の払い戻し制もつづける。 ⑤ジュート,同製品,茶を除く製品輸出によって生じた所得税の一部払い戻し制もつづける。 ⑥輸出促進のための外国旅行は認める。
DIA-301-1974-09-25-1バングラデシュ1974年09月25日1970年代ラーマン首相,国連総会で演説-去る17日国連加入を認められたことから,ラーマン首相一行は急拠ニューヨークに飛び,この日,国連総会で演説,「世界の経済的危機は平和と国際協力と相互理解の中でこそ解決しうるものであり,現在の軍拡競争を制限し,それを人類の発展のための資金にまわすべきである」とのべ,さらに洪水により大きな被害をうけているバングラの救援を強く求めた。
DIA-301-1974-09-27-1バングラデシュ1974年09月27日1970年代カリフォルニアのUnion Oil Co.と石油開発協定一Union Oilは4000平方マイルで石油の探索を行なうが,鉱区権として400万ドル支払う。すでに3社は調印,これが4社目。全体で7社に鉱区が配分されている。
DIA-301-1974-09-27-2バングラデシュ1974年09月27日1970年代バングラデシュの天然ガス埋蔵量は200億立方フィート(アーマド大蔵大臣の発言)。
DIA-301-1974-09-27-3バングラデシュ1974年09月27日1970年代印バ貿易交渉のため,インドのD.P.Chattopadhaya商相が訪バした。
DIA-301-1974-09-27-4バングラデシュ1974年09月27日1970年代バングラの緊急食糧援助必要量は60万トン。うち34.7万トンがプレッジされている。
DIA-301-1974-09-30-1バングラデシュ1974年09月30日1970年代ADB(アジ銀)の対バ援助一ADBプロジェクトとしては,アシユガンジ尿素工場(2500万ドル)鉄道開発(1500万ドル),ジュート種子改良プロジェクト(350万ドル),クシティア発電所(400万ドル),Shilpha Rin Sangstha(1500万ドル)で,計6250万ドルとなる。これまでバングラがADBから得た援助は3350万ドル。
DIA-301-1974-09-30-2バングラデシュ1974年09月30日1970年代ユーゴのIva-Naftalin Co.と石油開発協定。ユーゴは鉱区権として170万ドル支払う。
DIA-301-1974-09-30-3バングラデシュ1974年09月30日1970年代西独,9000万マルク(約5600万ドル)援助-西独はバングラに対し9000万マルク(約3600万ドル)の援助を供与する協定に調印した。この他,小麦8000トン(約6000万タカ),尿素1万トン(約2700万タカ)の贈与を行なう。借款の9000万マルク(約2億7000万タカ)のうち1億9500万タカは商品援助,残りはプロジェクト援助(尿素工場,シルエットのパルプ工場など)。条件は10年据置,50年返済,利子率0.75%。
DIA-301-1974-09-30-4バングラデシュ1974年09月30日1970年代印バ貿易協定(1973/74)を12月末までさらに3ヵ月延長することが決められた。
DIA-301-1974-10-02-1バングラデシュ1974年10月02日1970年代ラーマン首相,フォード大統領と会見-フォード大統領はバングラのために米国援助のワクの許す限りの援助をする,と約束した。
DIA-301-1974-10-03-1バングラデシュ1974年10月03日1970年代ラーマン首相,帰路イラク訪問-バグダットを訪れたラーマン首相は,大統領及び革命評議会副議長などと会見。
DIA-301-1974-10-04-1バングラデシュ1974年10月04日1970年代US AID,バングラに小麦10万トン,米5万トン(総額3460万ドル)を供与(PL480)。条件は10年据置(利子2%),31年返済(利子3%)。これにより,独立以降アメリカがバングラデシュに供与した援助は,約5億ドルになり,うち2億0300万ドルは贈与。
DIA-301-1974-10-04-2バングラデシュ1974年10月04日1970年代AFPによれば,バングラデシュの餓死者数は首都ダッカおよび各地方で,このところうなぎ上りに増えており,この3日間に19入が餓死し,12人が栄養失調で死んだ。
DIA-301-1974-10-06-1バングラデシュ1974年10月06日1970年代政府,全国に3300の給食センタ-―政府は全国に3300カ所の給食センター(gruel kitchenと呼ぶ)をつくり,ここで230万人が1日1食(主として米粥かチャパティ)の給食で生きている。
DIA-301-1974-10-06-2バングラデシュ1974年10月06日1970年代フセイン外相,パキスタン提案の亜大陸非核武装地域設置に賛成。
DIA-301-1974-10-06-3バングラデシュ1974年10月06日1970年代1973/74の輸出-総額は29億7410万タカで,前年度27億1070万タカより10%増となっている。主な輸出国は①アメリカ,6億9610万タカ(23.4%),次いで②EEC,5億9990万タカ(20.2%),③アジア地域3億6000万タカの順。
DIA-301-1974-10-10-1バングラデシュ1974年10月10日1970年代IDA,バングラに5000万ドルの商品援助-これは原材料及び既設備の十分な活用に要する部品等の輸入に使われる。条件は10年据置,50年返済,手数料0.75%。
DIA-301-1974-10-10-2バングラデシュ1974年10月10日1970年代英国,バングラに900万ポンド援助-すべて商品援助で,35%は贈与。65%は無利子借款,7年据置25年返済。
DIA-301-1974-10-13-1バングラデシュ1974年10月13日1970年代アーマド蔵相帰国-9月はじめよりブルガリア,ソ連,加,米,日を歴訪して帰国した蔵相は記者会見,「スローガンと銃」の政治は終らせねばならない,とのべた。
DIA-301-1974-10-15-1バングラデシュ1974年10月15日1970年代ソ連,バングラデシュに2050万ルーブルの借款供与。このうち1000万ルーブルは第3国から穀物その他食品を購入するため。残り1050万ルーブルはセメント,ケロシン,銑鉄,綿花などを輸入する。返済はジュート,皮革,茶などの産品で行う。利子率4%。
DIA-301-1974-10-21-1バングラデシュ1974年10月21日1970年代AFPによれば,バングラでは現在の食糧不足で約10万人が餓死し,このうち北西部ラングプールだけでも5万人が死んだと伝えている。
DIA-301-1974-10-22-1バングラデシュ1974年10月22日1970年代EEC,バングラに追加食糧援助-小麦11.5万トン,粉ミルク9450トン,バター6500トンなど4080万ドル相当で,これまでに行った5340万ドル(小麦27.85万トン,粉ミルク1.2万トン)に追加される。
DIA-301-1974-10-24-1バングラデシュ1974年10月24日1970年代パリでバングラデシュ債権国会議開く(~25日)-各国代表はバングラの経済開発の自助努力,食糧生産の増加,輸出促進方策,国内資源の動員,企業経営能力,行政能力などについて意見を交換した。各国政府及び国際機関の代表26人が参加している。 会議でのプレッジ額は明確ではないが,約2億7500万ドル相当とみられている。
DIA-301-1974-10-25-1バングラデシュ1974年10月25日1970年代タス通信は,ソ連がバングラデシュに貸与した20万トンの小麦の返還を要求しているとの中国の報道を否定,これは反ソ的なデッチ上げである,と報じた。
DIA-301-1974-10-26-1バングラデシュ1974年10月26日1970年代T.アーメッド蔵相辞任-T.Ahmed蔵相はラーマン首相に辞表を提出,承認された。
DIA-301-1974-10-29-1バングラデシュ1974年10月29日1970年代政府,3ヵ月のスト中止令-15の国営ジュート工場,4万人の労働者がストを行っていることに対してとられた措置。
DIA-301-1974-10-30-1バングラデシュ1974年10月30日1970年代キッシンジャー長官,訪バ-インドからダッカ入りをしたキッシンジャー氏はラーマン首相,フセイン外相らと会見した。31日には共同声明を発表,パキスタンに向った。共同声明では,米国がその能力の範囲内でバングラデシュの経済発展に積極的に協力することを表明している。
DIA-301-1974-10-30-2バングラデシュ1974年10月30日1970年代ゴラサール肥料工場の修理のため,UNDPは160万ドルを供与することに合意した。
DIA-301-1974-11-03-1バングラデシュ1974年11月03日1970年代米・ケロシン・布地などの価格下る-ニューマーケットではAman米が1モーンド225~235タカで前週の310~320タカから大幅に下っており,布地もサリーが240~250タカで,前週にくらべ40~50タカ下っている。米価の下落は新米がマーケットに出はじめて来たためと見られる。
DIA-301-1974-11-03-2バングラデシュ1974年11月03日1970年代韓国経済使節団,訪バ。
DIA-301-1974-11-03-3バングラデシュ1974年11月03日1970年代各地で青田買い-洪水被災のため,青田を抵当に入れての前借りが各地で見られるようになった。
DIA-301-1974-11-04-1バングラデシュ1974年11月04日1970年代ガイバンダで,救援物資の小麦を民衆が倉庫から奪い,各自配分するという事件が起った。
DIA-301-1974-11-05-1バングラデシュ1974年11月05日1970年代ラーマン首相,サダト大統領の招きで,エジプト訪問(~10日)。
DIA-301-1974-11-05-2バングラデシュ1974年11月05日1970年代政府,国債5億3630万タカ発行。
DIA-301-1974-11-09-1バングラデシュ1974年11月09日1970年代電力料金,引上げ-政府は12月1日より家庭用電力料金を25%,商業ベースのそれを225%引上げると発表した。
DIA-301-1974-11-10-1バングラデシュ1974年11月10日1970年代バングラデシュ・エジプト共同声明発表。
DIA-301-1974-11-10-2バングラデシュ1974年11月10日1970年代ラーマン首相,クエート訪間(~14日)。
DIA-301-1974-11-12-1バングラデシュ1974年11月12日1970年代インド,バングラに緊急援助1億ルピ-―インド政府は洪水で被害を受けたバングラに緊急援助1億ルピーを供与する協定に調印した。
DIA-301-1974-11-12-2バングラデシュ1974年11月12日1970年代政府,米の買上げ価格決める-モミ米は1モーンド74タカ,下級精米は同118タカ,上級精米は同120タカ。
DIA-301-1974-11-12-3バングラデシュ1974年11月12日1970年代アシュガンジ尿素肥料プロジェクトの総費用は2億4000万ドル(外貨分1億4200万ドル)で,イギリス,西独,スイス,IDA,アジ銀等が援助する。年間生産能力は50万トン。
DIA-301-1974-11-14-1バングラデシュ1974年11月14日1970年代バングラ・クエート共同声明発表。
DIA-301-1974-11-15-1バングラデシュ1974年11月15日1970年代米の供出始まる-米の強制供出が始まった。供出価格の他に,買上げセンターまでの運賃を加算する(5マイルまでは1モーンド当り2タカ,10マイルまでは3タカ,10マイル以上は4タカ)。
DIA-301-1974-11-16-1バングラデシュ1974年11月16日1970年代民族社会党JSD,大衆集会-16項目の要求を発表,11月26日には全国ハルタルを行なう旨明らかにした。要求の主なものは政治犯の釈放,完全配給制の導入,反民主的法律の撤廃,必需品価格引下げ,強制供出制反対など。
DIA-301-1974-11-17-1バングラデシュ1974年11月17日1970年代モニ・シン共産党委員長,政府批判-共産党はダッカで集会を開き,モニ・シン委員長は現在のラーマン政権をブルジョア階級に奉仕するものとして批判,洪水とその後の食糧不足で10万人近い人々が餓死した,とのべた。
DIA-301-1974-11-17-2バングラデシュ1974年11月17日1970年代統一人民党(United People’s Party),新設-NAP(バシャニ派)の一部とNAP(ムザファール派)の反主流及びバ共産党(レーニスト派)の3派により統一人民党が結成された。委員長はA.H.チョードリ,書記長はK.Z.アーメッド,書記はR.K.メノン。
DIA-301-1974-11-18-1バングラデシュ1974年11月18日1970年代バングラデシュ中央銀行総裁,更迭-新任はA.K.N.Ahmed(Sonali銀行の総裁)。
DIA-301-1974-11-20-1バングラデシュ1974年11月20日1970年代密輸取締中の成果-軍,国境警備隊,ロッキー・バヒニなどの合同作戦による密輸取締の成果は,密輸者10人を射殺,3368人(うち39人は外国人)を逮捕,各種武器565,弾薬10,699発,手榴弾233,地雷447,食糧など1億タカ相当(小麦2125モーンド,米527モーンド,小麦粉708モーンド,塩230モーンド),綿糸250万タカ,トラック・ジープ111台,金540トラ,銀4343トラ,バングラ紙幣7万1362タカ,インド紙幣8639ルピー,パキスタン紙幣9万6641ルピー,ビルマ紙幣1万0800チャット,を押収。
DIA-301-1974-11-21-1バングラデシュ1974年11月21日1970年代インド外務省はインド政府がベンガル湾の石油開発に関しバングラ政府に抗議文を渡した,との報道を,全く根拠なしとして否定。
DIA-301-1974-11-21-2バングラデシュ1974年11月21日1970年代政府,ジュートの買上げ価格決める-国境10マイル以内の場合は白上級で1モーンド100タカ,その他地域では105タカ,メスタはいずれも80タカ。
DIA-301-1974-11-26-1バングラデシュ1974年11月26日1970年代東独首相,訪バ(~29日)。
DIA-301-1974-11-28-1バングラデシュ1974年11月28日1970年代東独,1000万ポンドのプロジェクト-援助条件は11年返済(バングラ産品の輸出)で利子率2.5%。
DIA-301-1974-12-01-1バングラデシュ1974年12月01日1970年代アメリカ空軍機,高タンパク・ビスケットを北ベンガルに空輸する(30日間)ため,ダッカに到着。USAID援助によるもので,全部で6000トンのビスケットを空輸する。1600万ドル。
DIA-301-1974-12-02-1バングラデシュ1974年12月02日1970年代ダッカでBCL指導者,射殺。
DIA-301-1974-12-02-2バングラデシュ1974年12月02日1970年代サバールで爆発事件,1人死亡。
DIA-301-1974-12-04-1バングラデシュ1974年12月04日1970年代ファリドプールのAL執行委,射たれて重傷。
DIA-301-1974-12-08-1バングラデシュ1974年12月08日1970年代チャバン・インド外相,訪バ-シン外相に代った新インド外相は就任後初めて訪バ,ラーマン首相と会談した。またフセイン外相とも公式会談を行なった。
DIA-301-1974-12-09-1バングラデシュ1974年12月09日1970年代ADB(アジ銀),1500万ドル援助-進行中の工業プロジェクトの完成に必要な資材輸入に当てられるもので,条件は10年据置,40年返済,手数料1%。
DIA-301-1974-12-10-1バングラデシュ1974年12月10日1970年代インド・バングラ共同声明発表-訪バしていたチャバン・インド外相はフセイン外相と会談後共同声明を発表した。またチャバン外相は帰国を前にダッカで記者会見,話し合いの内容がファラッカ問題,海上の国境画定問題,密輸防止問題を含んでいることを明らかにすると共に,特に密輸防止については合同行動をとる必要があり,その方法について事務レベルでの会議を開くことを明らかにした。また両国の経済関係強化のため,把料,セメント,スポンジ・アイロンのプラント建設の援助を決めていることも明らかにした。
DIA-301-1974-12-10-2バングラデシュ1974年12月10日1970年代アジア決済同盟,結成-バングラ,インド,イラン,ネパール,パキスタン,スリランカで構成され,本部はイランにおき,総裁はスリランカの中央銀行総裁がつく。
DIA-301-1974-12-14-1バングラデシュ1974年12月14日1970年代ダッカ,ナラヤンガンジで爆発事件3件発生。3人負傷。
DIA-301-1974-12-15-1バングラデシュ1974年12月15日1970年代各地で爆発事件-チッタゴンではAir India事務所に手榴弾が投げ込まれた。クルナでは13カ所,カリシプールでは25カ所,ジェソールでは2カ所で爆発事件が起っている。
DIA-301-1974-12-17-1バングラデシュ1974年12月17日1970年代印バ貿易協定,調印-1975年の貿易協定で,1975年からは,これまでのルピー決済を外貨決済に改める。但し1974年中に実施しえなかったインドからの石炭6万5000トンの輸入,バングラからのジュート5万ベールの輸出については,ルピー決済で実施する。これまでの両国の貿易はバングラの入超で,その分5000万ルピーについては政府間借款とし,1977年3月末までに返済する。利子率5%。
DIA-301-1974-12-18-1バングラデシュ1974年12月18日1970年代ラーマン首相,アラブ首長国連盟を公式訪間(~20日)。
DIA-301-1974-12-20-1バングラデシュ1974年12月20日1970年代アラブ首長国連盟,バングラに7000万ドルの借款供与を約束。うち5000万ドルは長期ローンで10年据置,40年返済,利子率2%。残り2000万ドルは短期ローン。また2つのプロジェクトに援助する。1つはJai-purhatのセメント工場,もう1つは肥料工場。
DIA-301-1974-12-20-2バングラデシュ1974年12月20日1970年代ソ連と貿易協定に調印-1975年のもので片道1000万ポンド。ソ連は銑鉄,鋼棒,ケロシン,ひまわり油などを供給,バングラはジュート,同製品,茶,羊皮などを供給。
DIA-301-1974-12-24-1バングラデシュ1974年12月24日1970年代国会議員Ghulam Kibria,射殺-クシティアの国会議員Ghulam Kibriaはお祈りの途中,射殺された。この事件で12人逮捕。同じクシティアで2つのThanaのUnion議会議長2人が射殺されている。
DIA-301-1974-12-28-1バングラデシュ1974年12月28日1970年代大統領,全土に非常事態宣言公布-このため憲法上の基本的人権は時停止され,ストライキ,ロックアウトも禁止される。
DIA-301-1974-12-28-2バングラデシュ1974年12月28日1970年代ブータン国王,訪バ-ブータン国王は公式訪問のためダッカに到着,大統領,ラーマン首相の出迎えをうけた(~30日)。
DIA-301-1975-01-02-1バングラデシュ1975年01月02日1970年代東ベンガル・プロレタリア党委員長殺害―ナクサライトの一派といわれる東ベンガル・プロレタリア党のセラジュール・ハク・シクダル委員長は,1日にチッタゴンで逮捕され,ダッカに護送されたが,2日夜逃亡しようとして警官に殺害された。
DIA-301-1975-01-02-2バングラデシュ1975年01月02日1970年代プラウダ紙,非常事態宣言を支持―バングラデシュの右派及び極左グループは,その経済状況の悪化という条件の中でサボタージュ・反政府活動を行なって来た。彼等は北京に踊らされてバングラ・ソ連の友好関係を破壊しようとし,インドとの関係に不和の種子をまこうとしている。これら反国家勢力の活動の特徴は,混乱と無政府状況を作り出し,ラーマン大統領の実施しようとする進歩的改革の実行を妨げることにある。
DIA-301-1975-01-02-3バングラデシュ1975年01月02日1970年代全国労働者連盟(与党系)委員長アブドル・マンナン(国会議員),汚職・不正行為のため逮捕。
DIA-301-1975-01-03-1バングラデシュ1975年01月03日1970年代非常事態規則(Emergency Powers Rules)1975,発布―反社会分子に対するきびしい処罰を課すことを規定したもので,汚職・不正取引,買占め,脱税,サボタージュなどには死刑を含む重罪とし,出版についても偽りの報道をした著者・編者,出版社,販売店などに10年の刑を含む厳罰を与える。政府が検閲を行なう権限をもつことも規定された。集会・デモも禁止され,スト及びロックアウトも禁止。
DIA-301-1975-01-09-1バングラデシュ1975年01月09日1970年代輸入政策1975年1~6月発展―アーメド商相が発表したもので要旨以下の通り。 (1)輸入総額は30億タカ。このうち7.2億タカ(24%)は輸出収入で充当,残り18.9億タカ(63%)は外国援助,2.1億タカ(7%)はバーター協定,1.8億タカ(6%)はその他収入で充当する。 (2)輸入品は23.4億タカ(78%)が工業用原材料・部品・機械等で,6.6億タカ(22%)は消費財とする。 (3)輸出産業(ジュート製品,綿布,砂糖,紙,肥料,タバコ,冷凍エビ等)に必要な原材料・部品の輸入を優先する。 (4)Wage Earners Schemeを継続する。これにより輸入され得る品目に19品目加え,全部で37品目とする。
DIA-301-1975-01-13-1バングラデシュ1975年01月13日1970年代天然資源省改編―名称も石油鉱物資源省(M.of Petroleum and Minerals)に変更され,その下部機関を強化するため,三つの局に分ける。①石油局,②鉱物資源局,③地理調査局。
DIA-301-1975-01-18-1バングラデシュ1975年01月18日1970年代アワミ連盟国会議員会議開催―バングラ経済・社会状況について検討し,今後の政治体制の方針を決めるための重要な会議を開催した(~21日)。
DIA-301-1975-01-18-2バングラデシュ1975年01月18日1970年代国有化部門生産状況1974年7~12月―国有化部門生産は前年同期にくらべ増産傾向を示している。産業別の増産割合は,綿糸5%,綿布9%,砂糖36%,鋼インゴット23%,圧延35%,自転車38%,ディーゼル・エンジン427%,揚水ポンプ344%,螢光灯ランプ75%,新聞用紙15%,タバコ56%。
DIA-301-1975-01-19-1バングラデシュ1975年01月19日1970年代オーストラリア首相,訪バ―ホイットラム・オーストラリア首相は2日間の公式日程で訪バ,ラーマン首相と両国の経済協力及び東南アジアの平和問題などについて話し合った(~20日)。ホイットラム首相は会議の中で,今年中に30万トンの小麦を借款で供与すること,牧畜開発,製パン,ラジオ放送局の拡充などに資金援助することなどを明らかにした。
DIA-301-1975-01-25-1バングラデシュ1975年01月25日1970年代憲法第4次改定案,国会で承認―モハメドウラー大統領は20日から開かれている国会に憲法第4次改定案を提出した。改定案は出席議員294人全員の賛成をうけて即日承認された。この改定憲法によりバングラデシュの政体は議員内閣制から大統領制に移行され,大統領の権限が大幅に強化された。
DIA-301-1975-01-25-2バングラデシュ1975年01月25日1970年代ラーマン首相,大統領に就任―憲法改定に伴い,モハメドゥラー大統領が辞任してムジブル・ラーマン首相が大統領に就任した。ラーマン大統領は直ちにナズルル・イスラム氏を副大統領に任命した。
DIA-301-1975-01-25-3バングラデシュ1975年01月25日1970年代ラーマン首相,「第2の革命」を主張―ラーマン首相は国会で憲法改定法案の重要性を強調,大統領制移行及びその他の措置はバングラにとっての「第2の革命」に当るものであるとのべた。要旨は以下の通り。 (1)今回の措置はあらゆる種類の汚職・不正をなくし・搾取を廃し,経済発展を為し,民主主義を守るための革命であり,「第2の革命」である。これは国家4原則を実施するに当って必要な措置である。 (2)バングラの現実を認めず,国家4原則を認めないものはバングラデシュで生きる権利がない。独立以来我々は多くの問題に直面して来た。これまで外国から215.3億タカもの資金援助をうけた。しかし問題はまだ山積している。インフレ・物価上昇は人々の生活を圧迫し,去年の洪水で悲惨さは増した。 (3)人々が経済的に困窮し,飢餓に苦しんでいるとき,一部の人々は汚職・不正取引,密輸・暗殺に手を染めて来た。こうした反社会分子は彼らの利益のために国民の利益を盗み取っている。パキスタン軍に協力しながら独立後許された人々も反社会活動をしている。彼らは外国の手先である。 (4)テロリストはバングラに生きる権利がない。独立以来,国会議員4人,アワミ連盟党員数千人が暗殺され,ある国会
DIA-301-1975-01-26-1バングラデシュ1975年01月26日1970年代大統領,閣僚名簿発表―閣内相17人,国務相9人の閣僚名簿を発表した。
DIA-301-1975-01-26-2バングラデシュ1975年01月26日1970年代スンダルバンでナクサライト指導者逮捕―アルタフ・フサイン大尉でEast Bengal Proletarian Party(ML)の指導者。クルナ・バリサル・パトアカリ・スンダルバン地方が活動の中心,2日に逮捕されたEBPPのシクダル委員長と対立して分裂,EBPP(ML)を創設した人。
DIA-301-1975-01-27-1バングラデシュ1975年01月27日1970年代チッタゴン・ヒル・トラクトは三つの県に分割される。それらはランガマティ,ラムガル,バンダルバン。これによりバングラ国内は21県となった。
DIA-301-1975-02-01-1バングラデシュ1975年02月01日1970年代東ベンガル・プロレタリア党員5人逮捕――シクダル党委員長が逮捕・殺害されて以来,同党への弾圧が強化されている。東ベンガル・プロレタリア党は非合法団体。
DIA-301-1975-02-05-1バングラデシュ1975年02月05日1970年代印・パ・ビルマ3国代表,国境問題で会談―3国代表はダッカで国境問題について会談(~7日)。主な内容は密輸取締りで,7日には3国が境界線に標識をたてることに同意が為された。他の内容については不明。インド代表はダラールSurveyor General,ビルマ代表はウ・ハ・アンSurveyor General,バングラ代表はA.バリ外務省局長。
DIA-301-1975-02-06-1バングラデシュ1975年02月06日1970年代1974/75第1・四半期の外貨収入―7億2270万タカで前年同期より27.3%増。輸入は16億3740万タカ(うち5億4430万タカは食糧)で前年同期の46.5%増。
DIA-301-1975-02-10-1バングラデシュ1975年02月10日1970年代印バ会談終る―シン外務次官を団長とする代表団は8日から3日間,バングラの外務次官らと会談し,国境問題,密輸防止,貿易促進,ガンジス河分水,経済援助,極左活動分子の取締まり,外交政策(非同盟中立)などについて話し合った。密輸防止及び極左活動取締りについてはそのための合同委員会をつくることで合意に達した。またベンガル湾の領海線画定については,①領海線の画定は相互の合意に基づく,②両国平等の原則による,③両国の利益を守るとの基本線に合意,これに基づいて再びニューデリーで会談して決定することになった。
DIA-301-1975-02-11-1バングラデシュ1975年02月11日1970年代オスマニ将軍,ホセイン前閣僚,国会議員を辞任(理由は発表されないがラーマン大統領の最近の政策に抗議するため,といわれている)。
DIA-301-1975-02-11-2バングラデシュ1975年02月11日1970年代ガンジス・コバダク灌漑計画―第1段階は完成して700万エーカーが灌漑されている。第2段階は近く完成する予定で,メイン・キャナル64マイル,サブ・キャナル116マイルが掘られた。
DIA-301-1975-02-12-1バングラデシュ1975年02月12日1970年代アシュガンジ肥料工場にUS・AID3000万ドル供与―条件は10年据置40年返還,利子率2~3%。アシュガンジ肥料工場の年間生産能力は尿素肥料52.8万トン,アンモニア30.5万トンで1978年8月には完成させる計画。必要資金は18億7000万タカ(約2億5000万ドル)で外貨分は10億6700万タカ(約1億5000万ドル)。これまで同プロジェクトに資金供与をコミットしている国,全額は以下の通り。US・AID3000万ドル,アジア開発銀行3000万ドル,英国1800万ドル,イラン1240万ドル,西独1200万ドル,スイス650万ドル,計1億0890万ドル。この他IDAからの援助3300万ドルが予定されている。 総計1億4190万ドル。
DIA-301-1975-02-24-1バングラデシュ1975年02月24日1970年代新国民政党結成―ラーマン大統領は単一国民党バングラデシュ農民労働者アワミ連盟(Bangladesh Krishak Sramik Awami League=BAKSAL)を結成し,自ら党総裁に就任した。党役員人事は追って発表されるが,閣僚・閣外相,国会議員はすべて党員たらねばならない。国会議員でBAKSALに加入しないものは議席を失う。
DIA-301-1975-02-24-2バングラデシュ1975年02月24日1970年代世銀・IDAと旧債務返済に関する協定―世銀の旧債務5400万ドルは10年据置30年返済利子率6.15%とし,IDAの旧債務3億7950万ドルは50年返済利子率0.75%とする。
DIA-301-1975-02-24-3バングラデシュ1975年02月24日1970年代ダッカ近郊で国会議員そ撃され,死亡。7人逮捕。
DIA-301-1975-02-28-1バングラデシュ1975年02月28日1970年代アメリカの小麦援助35万トン―PL480タイトルI(10年据置40年返済利子率2~3%)により小麦35万トン(5700万ドル)を供与する協定に調印。1974年10月には小麦20万トン,米20万トン,合計1億2050万ドル相当の食糧援助が行なわれており,総計1億7750万ドルに達した。これら食糧の売却による資金はバングラデシュの農業開発資金に使われる。
DIA-301-1975-02-28-2バングラデシュ1975年02月28日1970年代ダッカ近郊サバールで武器多数発見―軽機関銃4,自動短銃6,ピストル1,無線セット1,手榴弾59,その他弾薬多数。
DIA-301-1975-03-07-1バングラデシュ1975年03月07日1970年代マンスール・アリ首相,BAKSALの集会で演説―アリ首相は「抑圧された者の民主主義」を守り,経済発展をはかるために努力しようと訴え,議会民主主義を批判して「これは国を分裂させ,一部の反社会分子に利益をもたらすだけである」とのべた。集会には旧AL系指導者の他,NAP(M)指導者や共産党モニ・シン委員長,Forhad書記長も出席した。
DIA-301-1975-03-08-1バングラデシュ1975年03月08日1970年代バシャニNAP委員長,ラーマン大統領支持―ラーマン大統領はタンガイルのマウラナ・モハメド・アリ大学(バシャニが1957年設立した大学)を訪問,「第2の革命」の目的は①汚職追放,②農工業生産の向上,③人口抑圧,④国の統一にあると演説した。大学ではバシャニNAP委員長がラーマン大統領を暖かく出迎えた。記者団の質問に答え,バシャニ氏は「第2の革命を全面的に支持する」とのべた。
DIA-301-1975-03-08-2バングラデシュ1975年03月08日1970年代外貨準備額増加,2月7日現在で16億0170万タカ。
DIA-301-1975-03-09-1バングラデシュ1975年03月09日1970年代ジュート加工業不振―カーペット裏地用幅広ジュート生産は,欧米諸国の不況のため低調で,2250台の幅広織機のうち1950台が稼動していない。ジュート輸出も伸びなやみ,1974/75の目標200万ベールのところ,1975年2月までの輸出は65万ベールにすぎない。ジュート製品も同様で,目標50万トンのところ19.2万トンしか輸出されていない。
DIA-301-1975-03-12-1バングラデシュ1975年03月12日1970年代1975年ジュート政策―ジュート相は1975年度ジュート政策を発表した。要旨以下の通り。 (1)ジュート最低価格は決めない。市場価格によって買売される。理由は最低価格を決めると,値が上っても低い価格で買いたたかれるからである。昨年のジュートは1モーンド63タカから最高170タカまで上ったが,それによって仲買人が巨利を得た。 (2)ジュート貿易,国内取引は公共部門が行なうという方針に変化はない。民間企業は限られた範囲内で活動しうる。 (3)ジュート生産目標は700万ベールとする。このうち320万ベールは工場用,280万ベールは輸出用,100万ベールは次年度繰越とする。1974年のジュート生産は目標より150万ベール不足であったが,前年度からの繰越230万ベールがあったため原料不足にはならなかった。 (4)ジュート工業は不況のため不振であった。1974/75年生産目標540万トンを達成することはむずかしい。輸出目標48万トン,19億タカも困難であろう。31ジュート工場が労働者のレイ・オフを行ない,1万5000人が失業した。 (5)頻発するジュート倉庫の火災で,独立以来1億1360万タカのジュートが焼失した。件数は20件,144人逮捕。
DIA-301-1975-03-14-1バングラデシュ1975年03月14日1970年代アフガニスタン大統領,訪バ―ダウド大統領はインド訪問後ダッカに立寄り,ラーマン大統領と会談した(16日)。
DIA-301-1975-03-16-1バングラデシュ1975年03月16日1970年代アフガニスタン・バングラデシュ共同声明―両国大統領は数次に亘る会談の結果共同声明を発表,今後両国は貿易・経済関係の強化,技術協力,亜大陸の問題解決などで共に協力しあうことに合意した。会談は友好的雰囲気のもとに行なわれ,完全な理解と信頼に達した。 両国は15日に文化協力協定を結んでいる。
DIA-301-1975-03-16-2バングラデシュ1975年03月16日1970年代カマル・フセイン氏,外相に就任。宣誓式挙行。
DIA-301-1975-03-16-3バングラデシュ1975年03月16日1970年代ダッカ・インタコンチネンタル・ホテルのバーで爆発事件があり,1人死亡,4人負傷。この他ニューマーケット近くでも爆発事件があり,通行人3人が負傷した。
DIA-301-1975-03-18-1バングラデシュ1975年03月18日1970年代クエート,3000万ドル借款供与か―クエートから経済使節団が訪バ,洪水対策及び灌漑計画プロジェクトに3000万ドル程度の借款を供与する意向を伝えた。
DIA-301-1975-03-18-2バングラデシュ1975年03月18日1970年代大統領,National professor3人を任命。Dr. Kazi Motahar Hossain,prof. Abdur Razzak,prof. S. Zainul Abedin.
DIA-301-1975-03-18-3バングラデシュ1975年03月18日1970年代政府,ESSO Eastern社を接収し,Petro-Banglaに吸収。ESSOは国内の石油消費量140万トンのうち20%を扱っていた。
DIA-301-1975-03-22-1バングラデシュ1975年03月22日1970年代ナクサライト指導者アラウッディン,逮捕―ナクサライトのPurba-Bangla Communist Party(ML)委員長アラウッディン・アーメドがダッカで逮捕された。同氏はA .Matin,Wahidur Rahman,Tipu Biswasと協力して党活動をつづけていたが,これらの人々も1973年に逮捕されている。活動地区は主としてPabna.
DIA-301-1975-03-25-1バングラデシュ1975年03月25日1970年代バングラデシュ経済使節団,訪ソ―計画省次官を団長とする大型経済使節団は10日間に亘り訪ソ。
DIA-301-1975-03-25-2バングラデシュ1975年03月25日1970年代北朝鮮から議員団,訪バ―団長は黄壮燁国会議長で,デリーへの往路立寄ったもの。ラーマン大統領はじめ要人と会談した(~29日)。
DIA-301-1975-03-26-1バングラデシュ1975年03月26日1970年代独立4周年記念日―バングラデシュ独立4周年を祝う式典がダッカで開催され,ラーマン大統領は数十万人を集めた式典で演説,「第2革命」の今後の方針を明らかにした。演説要旨は以下の通り。 (1)第2革命の目的は,汚職追放,農工業生産の向上,人口抑制,国家統一の達成などである。 (2)今後の発展のための計画としては,①各村に今後5ヵ年で強制的に多目的協同組合をつくること,②完全な社会経済的変革のため,ターナ及びディストリクト段階に行政機関をつくること,を実施する。 (3)ターナにはターナ評議会を設け,議長は直接選挙する。現在の19のディストリクトを廃止し,Sub-Divisionをディストリクトとし,各ディストリクトに評議会を設ける。現在の村落評議会は廃止する。 (4)国民単一政党BAKSALは五つのフロントを持つ。 それらは労働者・農民・青年・学生・婦人の各フロント。 (5)裁判のおくれを是正するため,ターナ段階に法廷を設置する。
DIA-301-1975-03-28-1バングラデシュ1975年03月28日1970年代日本・バングラ商品援助協定に調印―総額115億円(約3830万ドル)。この他1300万ドルの贈与も約束された。うち500万ドルは繊維製品の供与,800万ドルはタイ・ビルマから米を購入して送る。
DIA-301-1975-04-02-1バングラデシュ1975年04月02日1970年代ソ連,3500万ルーブル援助―ソ連・バングラ両国は経済技術協力協定に調印(モスクワ),ソ連は1978年までに3500万ルーブルの経済援助を約束した。使途は石油・ガス開発,農業用水開発など。
DIA-301-1975-04-03-1バングラデシュ1975年04月03日1970年代政府,4月18日までに不法所持の武器・銃砲を近くの警察に提出するよう指示。この期間に提出したものは免責とする。
DIA-301-1975-04-05-1バングラデシュ1975年04月05日1970年代バリサルでBAKSAL指導者射殺―殺されたのはセルニアバード治水漑灌相の甥で,バリサルの農業協同組合議長。4人が逮捕された。
DIA-301-1975-04-06-1バングラデシュ1975年04月06日1970年代100タカ紙幣,流通停止―政府は4月7日から100タカ紙幣の流通を停止すると発表した。100タカ紙幣所有者は7日から9日までの3日間に銀行・郵便局,政府会計窓口に供託し,領収書を受取ること。これら供託金の返済方法は追って発表する。銀行・郵便局などは供託金受取業務のみを行ない,他の業務はこの3日間停止する。
DIA-301-1975-04-06-2バングラデシュ1975年04月06日1970年代インドとの国境閉鎖―100タカ紙幣のインドからの流入を防ぐため,空路を除き,陸・海・水路の出入国を7日から9日まで停止した。今回の措置の目的は,ブラック・マネーの発見及びインフレ対策にあると見られている。
DIA-301-1975-04-08-1バングラデシュ1975年04月08日1970年代政府,100タカ紙幣の不正供託に厳罰―100タカ紙幣を他人・架空の名儀で供託したり,他の不正手段を取った者には厳罰で臨む。すでに銀行員17人が,預金額を不正に書きかえて,預金者に利益をはかろうとして解任されている。ダッカ空港では2人が100タカ紙幣13万タカをインドから持ち込んで逮捕されたのを始め,2日間で36万8700タカが空港で押収された。国境でも10人逮捕された。バングラ人が多いが,中にはインド人も逮捕されている。
DIA-301-1975-04-09-1バングラデシュ1975年04月09日1970年代Boro米の強制供出計画―4月21日から始められるもので,買上げ価格はモミ米1モーンド78タカ,精米同118タカ。供出の条件①Boro米のみ作っている農家は12ヵ月の自家飯米を認め,余剰分を供出する。②Amanも作っている農家は7ヵ月の自家飯米を認める。 ③Aman,Ausも作っている農家は3ヵ月の自家飯米を認める,④種子として1エーカー1モーンドの留保を認める。⑤自家飯米・種子用の他に,一期作生産者には40モーンドのモミ米,二期作以上のものには20モーンドのモミ米留保を認める,⑥以上すべての留保分を除いてもなお,200モーンド以下の余剰米のあるときはその50%を,200モーンド以上の余剰米のあるときにはその75%を供出しなければならない,⑦供出米の運送賃は5マイル以内でモーンド当り3タカ,10マイルまでは4タカ,10マイル以上は5タカ支払う,⑧精米が十分乾燥しているときにはdriage bonusとして1モーンド4タカをえる,⑨各ターナに供出委具会(政府官吏やBAKSALで構成)をつくり,供出米への決定に平等を期す,⑩自家飯米の量は家族成員(但し3歳以上)1人につき月,精米で17.5シーア(モミ米26シーア)までとする。
DIA-301-1975-04-18-1バングラデシュ1975年04月18日1970年代印バ両国,ガンジス河水の分水について合意―15日から訪バしていたジャグジバン・ラム灌漑相はセルニアバード治水灌漑相と会談した結果,以下の合意に達した。 (1)期間は1975年4月21日から1975年5月31日までの短期間協定。 (2)この間のファラッカ堰を通しての支流への放水量
DIA-301-1975-04-18-2バングラデシュ1975年04月18日1970年代ジェソールで警察署襲撃―約40人の武装反乱グループが襲ったもので,警官2人が殺され,1人重傷。反乱グループは署からライフル8丁,SLR3丁,SMG1丁,弾1000発を奪って逃亡した。
DIA-301-1975-04-20-1バングラデシュ1975年04月20日1970年代印バ国境会議参加のため,代表5人訪印―団長はF.アーメド内務省次官で,この種の会議は独立以来初めて(~23日)。
DIA-301-1975-04-22-1バングラデシュ1975年04月22日1970年代印バ国境警備強化に合意―印バ両国代表はカルカッタで国境問題について話し合い,今後国境警備を強化し,武器・弾薬の不法な移動を厳しく取締まり,密輸をチェックすることに同意した。また両国代表はSub-Committeeをつくり,国境警備の強化に当ってどのような方法で協力するかを協議することを決めた。さらに,両国代表は極左グループが国境を越えて移動している点についても討議を行ない,法と秩序維持のためこれら極左グループが武器弾薬をもって移動することについてきびしく監視すること,不法入国をチェックすることも決めた。
DIA-301-1975-04-28-1バングラデシュ1975年04月28日1970年代国会議員の2人,BAKSAL加入申請を行なわなかったため議席を失った。1人はラジシャーヒ,1人はコミラ。
DIA-301-1975-04-30-1バングラデシュ1975年04月30日1970年代アリ首相,ベトナム勝利を祝ってメッセージ―「カンボジアに次いでベトナムでも反動勢力は敗北し,人民の不滅性を示すもう一つの歴史的例を示した。我々も南ベトナムの解放人民の喜びに加わろう」。
DIA-301-1975-05-01-1バングラデシュ1975年05月01日1970年代英連邦首脳会議でラーマン大統領演説―現在の世界経済秩序の中では貿易は不安定であり,そのため低開発国の輸出収入は不安定にならざるを得ず,実質資源は先進国に移転することになる。必要なことは原料・資源の輸出収入の安定的増加と,原料・製品価格の関係を,相互に受け入れられうるようなところに安定化することである。
DIA-301-1975-05-01-2バングラデシュ1975年05月01日1970年代ラーマン大統領,南ベトナムの解放を歓迎―この解放はベトナムの平和・進歩・繁栄にとって,新たな章を開いた。さらにこれは,我々の時代の歴史の中でも最も重要な事件であり,ベトナムの英雄的人々に心から敬意を表明する。バングラデシュはすでに臨時革命政府と外交関係を樹立しており,両国政府・人民の友好関係がさらに一層発展することを希望する。
DIA-301-1975-05-04-1バングラデシュ1975年05月04日1970年代BAKSAL,ベトナム人民戦争勝利を祝して集会,臨時革命政府の代理大使Le Van Kiem演説。
DIA-301-1975-05-04-2バングラデシュ1975年05月04日1970年代西独の中国外交官はBSS(バングラ通信)記者と会見し,「我々はバングラデシュとの外交関係樹立を決めた」とのべた。
DIA-301-1975-05-05-1バングラデシュ1975年05月05日1970年代State Bank of India,ダッカ支店開設。
DIA-301-1975-05-06-1バングラデシュ1975年05月06日1970年代ラーマン大統領は英連邦首脳会議でパキスタンにバングラデシュ独立に伴う資産の分割問題について話し合うことを呼びかけ,他の諸国にもパキスタンに圧力をかけるよう要請した。
DIA-301-1975-05-10-1バングラデシュ1975年05月10日1970年代農業開発公社,揚水ポンプ販売に新規則―農業開発会社(BADC)は農民あるいは農民グループに揚水ポンプを販売する場合の規則を発表した。 (1)揚水ポンプ1台の据付け価格は1万~1.5万タカとする。希望者は個人の場合,総額の30%をBADCに前払いし,残金は据付け後3年間に,半年毎の均等払いとする。グループの場合,前払い金は10%,5ヵ年間に半年毎に均等払い。 (2)購入条件は個人の場合5エーカー以上の耕作者,グループの場合10エーカー(口径3インチ)から15エーカー(口径4インチ)以上の耕地を経営するものとする。 (3)すべての支払いがすむまでポンプの所有権はBADCに属し,各シーズンの終りには修理点検のためポンプは近くのBADC支所に保管される。点検サービスは無料で行なうが,必要部品の経費は農民負担とする。
DIA-301-1975-05-12-1バングラデシュ1975年05月12日1970年代100タカ紙幣の供託金返済について―政府は100タカ紙幣の供託金返済の方法を発表した。
DIA-301-1975-05-13-1バングラデシュ1975年05月13日1970年代週刊紙ホリディの編集長エナヤトゥーラー・カーン逮捕。非常事態規則による。
DIA-301-1975-05-16-1バングラデシュ1975年05月16日1970年代通貨の交換レート,58%切下げ―政府は17日からタカの交換レートを現行の1ポンド18.9677タカから30タカへ58%切下げると発表した。これに伴い,輸入ライセンス手数料,交換税は廃止し,外国に住むバングラ人のための本国送金特別レートも廃止した。この平価切下げは輸出促進をねらったもの。バングラデシュの輸出は国際的不況の中で大幅に低落し,ジュート及びその他輸出産業は補助金で命を保っている。しかしこうした補助金支出は開発資金をくい,投資を減少させることになる。政府は投資資金不足を補うため,中央銀行から大幅な資金借入れをしているが,これがインフレに拍車をかける結果となっている。こうした状況を改善するため平価切下げを行ない,輸出促進をはかる必要があった。
DIA-301-1975-05-17-1バングラデシュ1975年05月17日1970年代平価切下げについて―マリク蔵相は記者会見で平価切下げについて発言,「昨年政府はジュート,同製品輸出に5億8000万タカの補助金を出したが,補助金支出はさけねばならない。またこれにより不正な貿易をチェックできると思う。切下げによる輸入品価格の値上がりは,輸入ライセンス手数料・交換税の廃止により,考えられない」とのべた。
DIA-301-1975-05-17-2バングラデシュ1975年05月17日1970年代商工会議所連盟,平価切下げ支持。
DIA-301-1975-05-17-3バングラデシュ1975年05月17日1970年代カルカッタのインド・ジュート工場連合は声明を発表,インド政府が何らかの手段を取らない限り,インドのジュート製品輸出は負けてしまうだろうとのべた。カルカッタの工業界は今回の平価切下げがインドのジュート製品輸出に大きな打撃を与えるとして政府に早急に何らかの対策を講ずるよう要請した。
DIA-301-1975-05-19-1バングラデシュ1975年05月19日1970年代中国広東交易会にバングラ代表出席―ENA(東方通信)によれば,中国政府は広東交易会にバングラ代表4人を招請した。代表団長はM.イドリス(チッタゴン商工会議所総裁・国会議員)で,随員はムーサ(貿易商),L.ラーマン,E.チョードリ(輸出促進局長)。 代表団は広東交易会で中国政府と四つの契約を結んだ(内容未発表)。10日間の中国滞在中,広東のみならずその他の地方も訪問した。
DIA-301-1975-05-21-1バングラデシュ1975年05月21日1970年代ユーゴ経済使節団,訪バ―S.アンドブ連邦執行評議会メンバーを団長とする一行8人は,両国経済協力関係強化のため訪バした(~27日)。22日には両国の合同経済会議を開き,25日には文化交流協定に調印,26日には技術協力協定にも調印,27日には両国共同声明が発表された。
DIA-301-1975-05-30-1バングラデシュ1975年05月30日1970年代消費財の関税引下げ―平切切下げに伴う措置として5月17日から効力をもつ。 食用油40%を25%に,ココナッツ油60%→40%,苛性ソーダ115%→75%,自動車部品120%→100%,機械部品25%→20%,乳製品25%→10%,医薬品15%→10%,タイヤ・チューブ125%→100%。
DIA-301-1975-06-01-1バングラデシュ1975年06月01日1970年代総合農村開発局(IRDP)主催セミナー終了―ラーマン大統領の“強制的農業協同組合”の内容を検討するためIRDP主催のセミナーが開かれ,いくつかの提言をまとめた。その主なものは以下の通り。 (1)土地のない農民,1エーカー以下の貧農も協同組合の中に組み込む。そして協同組合の執行委員会の中に比例代表として入れる。 (2)協同組合全国委員会をつくり,副大統領を委員長とし,関連各省庁大臣・国務相をメンバーとする。 (3)委員長は協同組合全国委員会の幹事長を任命,その他IRDP,Samabaya Unionもメンバーに加える。 (4)全国委員会の下に,次官級の委員会をつくり,IRDP局長を幹事長として,全国委の決定した政策の実行機関とする。委員長は全国委員長(副大統領)が任命する。 メンバーは関連省庁の次官のほかIRDP,各TCCA代表も加える。 (5)婦人のためには別個の協同組合をつくり,そこには家族計画も含める。
DIA-301-1975-06-02-1バングラデシュ1975年06月02日1970年代駐ビルマ大使カイザー氏は駐北朝鮮大使兼務を任命され,平壌で国家副主席に信任状を提出した。平壌ではシアヌーク殿下とも会談。北朝鮮からの帰路,カイザー大使は北京にも立寄り,中国外務省高官と話合った。北京での政府高官との接触は独立以来はじめてのことである。
DIA-301-1975-06-02-2バングラデシュ1975年06月02日1970年代独立以降の政府接収土地は20,817エーカー独立から1975年1月までに,100ビガ(約33エーカー)以上の土地所有者から接収した土地は,20,817エーカーで,5371農家が影響をうけた。このうち,すでに12,561エーカーが土地のない農民に配分された。
DIA-301-1975-06-04-1バングラデシュ1975年06月04日1970年代対バングラデシュ債権国会議,パリで開催。
DIA-301-1975-06-06-1バングラデシュ1975年06月06日1970年代ラーマン大統領,全国政党BAKSALの組織・役員発表―BAKSALの組織は以下の通り。 中央執行委員会―15人で構成し,中央委員の中から党総裁が任命。 中央委員会―115人で構成し,5年毎にメンバーの3分の2を選挙し,3分の1を任命する。 党評議員会―代表者大会。 この他県以下には,それぞれ県委員会,県評議員会,ターナ地区委員会,村落委員会がおかれる。 中央執行委の下には五つのフロントが置かれる。それらは全国農民連盟JKL,全国労働者連盟JSL,全国婦人連盟JML,全国青年連盟JJL,全国学生連盟JCL。 党員資格は18歳以上のバングラ国民で党の目的・規律を守ることを書面で誓約する者は何人も党に入る資格をもつ。入党の認定は党総裁あるいはその任命した代表者が行なう。但し下記のものはその資格がない。 ①外国籍の者。②刑事事件起し,釈放後5年以内の者,③パキスタン軍協力者,④反社会・反国家活動をした者。
DIA-301-1975-06-06-2バングラデシュ1975年06月06日1970年代BAKSAL党役員(中央執行委員会メンバー)発表―中央執行委は15人,大統領が党総裁となり,副大統領が党副総裁に任命された。マンスール・アリ首相は党幹事長,ジルール・ラーマン(元AL書記長),シェイク・モニ(元青年連盟委員長),ラザク(元AL組織部長)の3人は書記に任命された。残り9人はアーメド商相,カマルザマン工業相,ウキール国会議長,ユースフ・アリ労働相,ダール法相,A.アジズ議員,モニウッディン・アーメド議員,ムスタファ議員・赤十字総裁ら。
DIA-301-1975-06-06-3バングラデシュ1975年06月06日1970年代BAKSAL党役員(中央委員会)発表―中央委員会は115人で,議長はラーマン総裁。メンバーは閣僚・国務相,各地の国会議員,旧NAP(M)委員長,旧BJL委員長,旧CPB委員長,各省庁次官,三軍総参謀長,JRB・BDR長官,大学学長,医師,新聞編集長,労働組合委員長など各界代表を集めていろ。
DIA-301-1975-06-06-4バングラデシュ1975年06月06日1970年代BAKSALの5フロント役員任命―JKL幹事にマジュムダール地方自治相,JSL幹事にユースフ・アリ労働相,JML幹事にS.チョードリ女史,JJL幹事にトファイル・アーメド大統領特別顧問,JCL幹事にシェイク・イスラム学生連盟前委員長(大統領の甥)が任命された。
DIA-301-1975-06-06-5バングラデシュ1975年06月06日1970年代債権国会議の対バ援助要請12億ドル―パリで開かれた債権国会議で世銀は会議参加国に12億ドルの援助要請を行なった。このうち80%は食糧・商品援助で新規援助は8億ドル。
DIA-301-1975-06-07-1バングラデシュ1975年06月07日1970年代ラーマン大統領・党総裁,BAKSAL党綱領発表―1966年6月7日ラーマン氏が初めて6項目要求をもとに全国ハルタルをした日を記念する式典が開かれ,ラーマン大統領・党総裁はBAKSAL党の綱領を発表した。
DIA-301-1975-06-13-1バングラデシュ1975年06月13日1970年代1974年7月~1975年4月までの輸出―総額25億4900万タカで前年同期比5%増。但し目標は34億8180万タカ。輸出のうち8億4810万タカは一次産品,17億タカは加工製品。主要輸出品はジュート製品14億6940万タカ(58%),ジュート6億3950万タカ(25%),皮革1億7400万タカ,茶1億6400万タカ。
DIA-301-1975-06-16-1バングラデシュ1975年06月16日1970年代新聞規制法1975,発表―政府は日刊紙4紙(英字紙・ベンガル語紙各2),定期刊行物122の発行を認め,他は発行を停止した。はじめ政府はBangladesh ObserverとDainik Banglaの2紙のみを認めたが,直後にDaily IttefaqとBangladesh Times(社主はラーマン大統領の甥シェイク・モニ)の2紙の発行も認めると修正した。次いでこれら4紙の編集長を任命した。 Bangladesh Observer:Obaidul Huq,Bangladesh Times:Sheikh Moni,Dainik Bangla:E.H. Chowdhury,Ittefaq:N.I. Patwary.
DIA-301-1975-06-16-2バングラデシュ1975年06月16日1970年代JSL(全国労働者連盟)中央委員,マニクガンジで射殺。
DIA-301-1975-06-19-1バングラデシュ1975年06月19日1970年代BAKSAL中央委員会第1回会議開く―中央委員115人のうち109人が出席して開かれたが,ラーマン大統領は「第2革命」の内容について,次のように演説した。 (1)「第2革命」のため行政機構改革が必要であり,9月1日から60の県(District)をつくり,県知事が行政責任者となる。県知事は国会議員,官吏,党指導者その他から有能な人を近く選任する。それら知事候補者は7月15日から訓練をする。60の県知事が就任した後県行政評議会(District Administrative Council)を設置する。同評議会メンバーは労働者・農民・その他の階層の人々の代表によって構成される。Thana行政評議会は1年以内に設置する。 (2)中央行政機構も植民地時代の名残りをなくし,機能的に動くよう改革する。各公社は担当者の直接的統制下に置く。 (3)農業協同組合については,当初は50~70村で組合をつくることから始める。各組合はBAKSALの中央委員会のメンバーの下におかれる。少くとも7人のメンバーが各組合の活動に責任をもつ。この制度は土地所有権を奪うものではない。土地所有者はその土地の広さに応じて生産物の配分をうける。 (4)革命の目的は「搾取のない社会」を建設することにあり,社会主義の建設にある。そのためには・
DIA-301-1975-06-20-1バングラデシュ1975年06月20日1970年代ラーマン大統領は輸入食糧その他必需品をチャルナ・チッタゴンから内陸部に短期間に輸送するため,海軍及び陸軍の協力を求めた。
DIA-301-1975-06-22-1バングラデシュ1975年06月22日1970年代ラーマン大統領,60の新しい行政区・県を発表―60県は9月1日から施行され,これから8月末までに必要な準備をする。これまでのDivision(4),District(21)は廃止される。県には県知事がおかれ,その下に県行政評議会(District Administrative Council)を置く。評議会議長は県知事,幹事長はDistrict Magistrateがなり,メンバーには,すべての同県国会議員,BAKSAL役員,四つのフロントの代表者各1人,BAKSALに任命された各Thana代表1人,警察長官を含む各省のDistrict Officer,村議会議長,ThanaのMagistrate,BDR・JRB・Army代表より構成される。県行政評議会の任務は治安維持,各省活動の調整,開発事業促進,独自の事業計画の実施など。ThanaにはこれまでのCircle Officerを廃止し,Thana Magistrateを置く。1年以内にThana Administrative Councilを設置する。
DIA-301-1975-06-22-2バングラデシュ1975年06月22日1970年代インド国会議員団代表,訪バ。団長はG.S.Dhllon(下院議長)で一行5人(~24日)。
DIA-301-1975-06-23-1バングラデシュ1975年06月23日1970年代1975/76年度予算案,国会提出―マリク蔵相は1975/76年度予算案を国会に提出した。歳入合計は75億5380万タカ(前年度比35%増),歳出合計は59億9190万タカ(同19%増),開発予算支出合計は95億タカ(同81%増)となっている。蔵相は国会で予算演説を行なった(予算内容及び蔵相演説は資料参照)。
DIA-301-1975-06-24-1バングラデシュ1975年06月24日1970年代マリク蔵相,予算内容について記者会見―要旨は次の通り。 (1)GDPは固定価格で1974/75の505.9億タカから1975/76には560億へと上昇し,成長率10%を予想している。 1人当り所得は1974/75の640タカから1975/76には704タカになろう。 (2)外国援助の受取は79.41億タカを予定している。このうち80%はコンソーシアム諸国から,20%は中近東・社会主義諸国からのものである。 (3)1975/76の輸入は15億ドルに達しよう。輸出は5.12億ドルを目標とし,その赤字分は外国援助で埋める。 (4)1974/75の輸入は12億ドル,輸出は3.5億ドルで外国援助受取は8.5億ドルであった。 (5)1975/76の輸入内訳は,食糧4億ドル,食用油9000万ドル,石油・石油製品1億7800万ドル,綿花8100万ドル,綿糸4200万ドル,肥料8600万ドル,セメント3500万ドル,資本財2億5000万ドル,原材料・部品など3億ドルと推計している。 (6)輸出は平価切下げのため伸びる見込。ジュート・ジュート製品の輸出は1975/76で40億タカ(約3億ドル)に達しよう。 (7)外国援助依存度を低下させるため,国内資金調達分を前年度の17%から今年度は27%に引上げた。 (8)物価上昇率は1975/76年度中に10~15%の間に押える。
DIA-301-1975-06-29-1バングラデシュ1975年06月29日1970年代1975/76年度茶政策―生産目標は6500万ポンド,輸出目標は6000万ポンド。輸出促進のためバーター取引にも茶を含め,中近東・アフリカ市場の開拓をはかる。輸出税免除はこれまで通りつづける。
DIA-301-1975-06-30-1バングラデシュ1975年06月30日1970年代1975年7~12月輸出入政策発表―政府は1975年後半の輸出入政策を発表した。 (1)輸入目標は55億タカ。これは1~6月より22%増となる。輸入資金のうち53%(29.1億タカ)は外国援助で充当し,43%(20。8億タカ)は自国外貨,残りはバーター取引となる。 (2)1975/76の輸出目標は52億タカ。前年度より11%増を見込んでいる(1974.7~1975.5までの輸出は旧レートで27億3350万タカ,新レートで43.3億タカ)。 (3)主要工業(ジュート,綿紡績,新聞用紙,紙,石油精製,肥料,鉄鋼,砂糖など)及び輸出指向工業は輸入ライセンスを100%与えられる。 (4)人工合織布の輸入税を200%から125%に引下げる。 (5)Wage Earners Schemeにより53品目輸入でき,通常の商業輸入ライセンスにより40品目輸入できる。 (6)ラジオ4万5000台,TV3000台の組立部品を輸入する。自転車は5000台輸入し,医薬品も7000万タカを上限として輸入される。
DIA-301-1975-07-01-1バングラデシュ1975年07月01日1970年代学生連盟イスラム委員長,インドの非常事態宣言支持―インド野党の活動は反動勢力に支援されたものであり,インドの独立と発展を目指すガンジー首相の進歩的経済政策に反対するものである。
DIA-301-1975-07-05-1バングラデシュ1975年07月05日1970年代ジュート政策1975/76―政府のジュート買上げ価格を最低90タカ(モーンド)とする。
DIA-301-1975-07-11-1バングラデシュ1975年07月11日1970年代経済事情1974/75発表―①GDPの成長率は2%,②米の生産高は1131万8965トンで,前年度の1172万トンより減少した,③ジュート生産は400万ベールで前年度600万ベールを大幅に下廻った,④1974/75の供出米は13万2518トン,輸入米は13万5633トン,輸入小麦は145万3126トンであった,⑤工業生産は引続き向上,1969/70年度比の生産増加率は,綿布41%,綿糸5%,鉄鋼12%,バス・トラック組立130%,自転車107%,ディーゼカ・エンジン組立371%,厚紙8%である,⑥輸入は52億7810万タカ,⑦米価は前半急騰したが後半下落し,消費者物価も落着いている。
DIA-301-1975-07-16-1バングラデシュ1975年07月16日1970年代大統領,61人の新県知事を任命―知事就任は9月1日からで,それまでの間に必要な訓練をする。61人のうち33人は国会議員,13人は官僚,軍人1人,その他14人。中には前ゲリラ隊長タイガー・シディキも含まれる。県は60だが,ダッカ市は特別県として知事をもつ。
DIA-301-1975-07-21-1バングラデシュ1975年07月21日1970年代新県知事オリエンテーション開始―16日に任命された61人の県知事に対するオリエンテーション(27日間)がダッカで開始された。初日は大統領の演説。
DIA-301-1975-07-21-2バングラデシュ1975年07月21日1970年代国務相N.I.マンズール氏解任,汚職のためという。
DIA-301-1975-07-21-3バングラデシュ1975年07月21日1970年代駐米大使M.R.シディキ(MP.元商務相)任命。
DIA-301-1975-07-21-4バングラデシュ1975年07月21日1970年代空軍総参謀長コンドカール少将,ソ連空軍総参謀長の招きで夫人同伴訪ソ。
DIA-301-1975-07-21-5バングラデシュ1975年07月21日1970年代アメリカのバングラ援助は1975年6月末までに8億2400万ドルに達した(コミットメント)。1974/75だけで3億1591万ドルになる。うち2億3930万ドルはPL―480食糧。
DIA-301-1975-07-23-1バングラデシュ1975年07月23日1970年代鉄道担当国務相にS.A.ホセイン任命。
DIA-301-1975-07-31-1バングラデシュ1975年07月31日1970年代北朝鮮楊亨燮(労働党政治委員),5日間の公式訪バ。ラーマン大統領,フセイン外相と会談(8.2),貿易協定を結ぶことに同意した。
DIA-301-1975-08-01-1バングラデシュ1975年08月01日1970年代ラジシャーヒ,コミラで補欠選挙―国会議員補欠選挙で,2人の議員がBAKSAL入党手続きをしなかったため議席を失ったもの。大統領がBAKSALメンバーの中から数人を立候補者として選び,国民はその中から1人を選ぶ。
DIA-301-1975-08-03-1バングラデシュ1975年08月03日1970年代大統領,BAKSAL各県委員会役員を任命―各県委員会は書記長によって統卒され,5人の書記が補佐することになっている。61人の書記長の多くは国会議員及び旧アワミ連盟の地方役員で占められている。ダッカ市党委員会の書記長にはムスタファ赤十字総裁(MP)が任命された。
DIA-301-1975-08-07-1バングラデシュ1975年08月07日1970年代中央銀行総裁ら,訪ソ―中央銀行アーメド総裁を団長とする一行5人は,17日間に亘り,ソ連及びユーゴの銀行制度を視察するため訪ソした。
DIA-301-1975-08-08-1バングラデシュ1975年08月08日1970年代A.S.チョードリ(初代大統領),国務相に就任。移動全権大使をやめて帰国していたもので,閣僚ポストは港湾・造船・内水路交通担当(8.9発令)。
DIA-301-1975-08-13-1バングラデシュ1975年08月13日1970年代バングラの人口は7620万人―センサス委員会は1974年2月の国勢調査の最終結果を発表したが,それによるとバングラの総人口は7620万人(第1次推計では7147万人)。
DIA-301-1975-08-15-1バングラデシュ1975年08月15日1970年代クーデター発生,ムジブル・ラーマン大統領殺害―午前5時15分,バングラデシュ放送は「軍部によるクーデターでムジブル・ラーマン大統領は殺害され,同大統領の独裁政権は打倒された」と報じた。これはダリム陸軍少佐の名で発表され,全土に戒厳令が敷かれ,24時間の外出禁止令が出された。ダリム少佐は「兄弟よ,我々に協力し,平静を保って家に留まるよう」訴え,国名を人民共和国ではなくバングラデシュ回教共和国と発言した。
DIA-301-1975-08-15-2バングラデシュ1975年08月15日1970年代コンドカル・ムスタク・アーメド商相,大統領に就任―アーメド氏は午後,宣誓式を行なって新大統領に就任した。新大統領には三軍の総参謀長,警察長官,BDR長官も忠誠を誓い,ロッキ・バヒニ副隊長も忠誠を誓った。
DIA-301-1975-08-15-3バングラデシュ1975年08月15日1970年代アーメド新大統領,副大統領・閣僚任命―副大統領にはモハマドゥラー元大統領を任命,閣僚10人,国務相6人を任命した。いずれもラーマン政権下での閣僚を務めていた人々。
DIA-301-1975-08-15-4バングラデシュ1975年08月15日1970年代アーメド新大統領,全国放送―15日夜,アーメド新大統領は全国むけ放送を行ない,①ラーマン政権は腐敗近親者びいきの政権であり,一般大衆の苦しみをよそに,少数の人々が富を蓄積した,②我々は回教・非同盟諸国,米中ソなど諸大国との友好関係を維持する。またこれまで友人ではなかった国々との友好樹立に努める,③我々は他国の領土保全と主権を尊重し,内政への干渉を許さない,④前政権の無節操かつ腐敗した諸政策により,経済は破綻した。⑤大衆は変革を要求し,ついに軍部がそれを実現した。
DIA-301-1975-08-15-5バングラデシュ1975年08月15日1970年代クーデターで殺害された主な人々―ラーマン大統領と夫人,3人の息子とその妻2人,叔父夫妻,セルニアバート治水灌漑相(大統領義兄)一家,シェイク・モニBAKSAL書記(大統領甥)一家,シェイク・イスラム学生連盟BCL指導者(甥)など。
DIA-301-1975-08-15-6バングラデシュ1975年08月15日1970年代パキスタン,アーメド政権承認―ブット首相は夜声明を発表「バングラデシュ回教共和国を承認する」とのべ,さらに回教国及び第三世界の諸国にも承認するよう要請,バングラデシュには,米5万トン,服地900万メートル,モスリン450万メートルを贈ると発表した。
DIA-301-1975-08-16-1バングラデシュ1975年08月16日1970年代アーメド大統領,初の閣議開く。
DIA-301-1975-08-16-2バングラデシュ1975年08月16日1970年代新政府はダッカ駐在の各国代表部に国連憲章と国際協定及び義務を尊重するとの覚え書きを送った。
DIA-301-1975-08-16-3バングラデシュ1975年08月16日1970年代バシャニNAP委員長,新大統領支持―政権の交替は歴史的必然であり,汚職・ネポティズム根絶のため為されたと発表。
DIA-301-1975-08-16-4バングラデシュ1975年08月16日1970年代ラーマン前大統領の遺体は故郷トンギパラに空輸され,埋葬された。
DIA-301-1975-08-16-5バングラデシュ1975年08月16日1970年代インド政府スポークスマン発表―「インドはバングラの事件について注意深く検討している。我々は隣国の政治的変化から影響を受けないわけにはいかない」。 なおインド紙はラーマン前大統領を称賛する記事掲載。
DIA-301-1975-08-16-6バングラデシュ1975年08月16日1970年代バングラ空軍はインド軍ヘリコプターが墜落(8.14)した際の遺体8体をカルカッタ空港に移送した。
DIA-301-1975-08-16-7バングラデシュ1975年08月16日1970年代サウジ・アラビア,スーダン,新政権承認。
DIA-301-1975-08-16-8バングラデシュ1975年08月16日1970年代ソビエツカヤ・ロシア,「中国はインド亜大陸ならびにアジアの国々の内政に干渉している」と非難し,バングラのクーデーについては「―つの局面の終りではなく,新たな流動の始まりであり,新政権の前途は多難である」と論評。
DIA-301-1975-08-17-1バングラデシュ1975年08月17日1970年代バングラデシュの国名変更なし―一時は回教共和国に変わったと伝えられたが,スハルト・インドネシア大統領へのメッセージで正式に人民共和国名を使った。
DIA-301-1975-08-17-2バングラデシュ1975年08月17日1970年代アーメド大統領,一連の指示―①すべての工場は18日から生産を開始せよ,②政府官吏・公社職員は綱紀を正して献身的に義務を遂行せよ,③軍人は任地に留まれ,④退役軍人は近くの軍に出頭のこと。
DIA-301-1975-08-17-3バングラデシュ1975年08月17日1970年代マンスール・アリ前首相,アーメド大統領と会見。
DIA-301-1975-08-17-4バングラデシュ1975年08月17日1970年代新華社電は非同盟政策と外国の干渉を廃するとのアーメド大統領声明を論評なしで伝えた。
DIA-301-1975-08-17-5バングラデシュ1975年08月17日1970年代北イエーメン,新政権承認。
DIA-301-1975-08-18-1バングラデシュ1975年08月18日1970年代政情,平静化―外出禁止令はダッカ・ナラヤンガンジ・チッタゴン・クルナに限られ,時間も午後10時から翌朝5時まで。地方で散発的に起っていた戦闘も終息,学校・工場・会社等再開。航空も含め国内交通も正常化。
DIA-301-1975-08-18-2バングラデシュ1975年08月18日1970年代F.アーメド外務次官はダッカの外交団を集め,情勢を説明すると共に各国政府の協力を要請した。
DIA-301-1975-08-18-3バングラデシュ1975年08月18日1970年代西ベンガル州政府スポークスマンは,バングラデシュがインドとの国境を閉鎖しているとのべたが,国境での異常事態は起っていないとのべた。
DIA-301-1975-08-18-4バングラデシュ1975年08月18日1970年代ニューデリーでラーマン追悼集会―ガンジー首相はメッセージを送り,ラーマン氏の死を悼むと共に「バングラデシュの出来事に強い衝撃をうけている」とのべた。同集会でCPIグプタ委員は「ラーマン氏は米帝国主義の支援をうけた反動勢力によって殺された」と発言した。
DIA-301-1975-08-18-5バングラデシュ1975年08月18日1970年代日本,英国,ヨルダン,ビルマ,新政権承認。
DIA-301-1975-08-18-6バングラデシュ1975年08月18日1970年代米国務省スポークスマンはラーマン前大統領の死を悼むとのべた後,新政権との間に外交関係は継続されており,米国援助もつづけられよう,とのべた。
DIA-301-1975-08-19-1バングラデシュ1975年08月19日1970年代駐印・バ大使,インド外相を訪ねて印パ間のあらゆる協定の遵守を保証。
DIA-301-1975-08-19-2バングラデシュ1975年08月19日1970年代駐バ・インド大使サマール・セン,陸路バングラに帰任(8月8日から本国協議で帰国していた)。
DIA-301-1975-08-19-3バングラデシュ1975年08月19日1970年代イラン承認。
DIA-301-1975-08-20-1バングラデシュ1975年08月20日1970年代アーメド大統領,布告第1号発布―①全土に改めて戒厳令布を公布,②必要に応じ戒厳令規定Regulation,命令Orderを出す,③大統領布告,規定,命令は憲法及び最高裁の権限外に置く,④憲法は効力をもちつづける,⑤国家4原則・国会は残る。
DIA-301-1975-08-20-2バングラデシュ1975年08月20日1970年代新政府閣僚名簿発表―大統領及び副大統領を除き10人からなる閣内相と11人からなる閣外相の名簿が発表された。外務相はA.S.チョードリ,大蔵相はA.R.マリク,計画相はユースフ・アリで,閣内相はすべてラーマン政権の閣僚。閣外相のうち5人は新任。
DIA-301-1975-08-20-3バングラデシュ1975年08月20日1970年代大統領補佐官任命―大統領秘書長にM.A.チャーシ(BARD副長官),顧問にシャフィクール・ハク(治水灌漑省次官),経済顧問にザヒルル・ハク(工業開発銀行総裁)。
DIA-301-1975-08-20-4バングラデシュ1975年08月20日1970年代カルカッタから国際線第一便到着。外国人記者団入国。
DIA-301-1975-08-21-1バングラデシュ1975年08月21日1970年代政府,外国人記者団に48時間以内に国外退去するよう命令。今後入国した外国人記者も自由な取材活動を制限する。
DIA-301-1975-08-21-2バングラデシュ1975年08月21日1970年代閣僚会議,国民服・国民帽を決定。
DIA-301-1975-08-21-3バングラデシュ1975年08月21日1970年代アメリカ,新政権をすでに承認していると発表。
DIA-301-1975-08-21-4バングラデシュ1975年08月21日1970年代TCB理事G.A.チョードリ,汚職理由に解任。
DIA-301-1975-08-22-1バングラデシュ1975年08月22日1970年代大統領命令第9号(1972)を再公布―これにより政府官吏を理由を示さずに解任できる。
DIA-301-1975-08-22-2バングラデシュ1975年08月22日1970年代大統領官邸内に「革命評議会」か―西側報道はクーデターを起したのはダリム少佐,ヌール少佐(いずれも除隊),ファルーク少佐(戦車部隊長),ラシド少佐(砲兵隊長)など7人の少佐を中心とした青年将校で,上記4人は三軍参謀長らと共に「革命評議会」を結成したと報じている(未確認)。
DIA-301-1975-08-22-3バングラデシュ1975年08月22日1970年代エナヤトゥラー・カーン(ホリデー編集長),バングラデシュ・タイムズ編集長に任命。
DIA-301-1975-08-22-4バングラデシュ1975年08月22日1970年代Ittefaq,Sangbad両紙,元の所有者に返却。
DIA-301-1975-08-22-5バングラデシュ1975年08月22日1970年代ソ連党機関紙プラウダの論評―「バングラデシュにおける事件によせて」と題する「評論員」論文で,ソ連は初めての公式見解を明らかにした。論文はラーマン前大統領の功績をたたえ,新政権の外交路線の不変と条約・協定尊重の声明を評価した。しかし今後の事件の進展について,「帝国主義・毛沢東主義・反動グループ」の活動に強い懸念を表明した。
DIA-301-1975-08-22-6バングラデシュ1975年08月22日1970年代IMF,バングラへのスタンドバイ・クレジット6250万ドルを承認。
DIA-301-1975-08-23-1バングラデシュ1975年08月23日1970年代戒厳令規定第1号発表―M.L. Regulation(1975)では①特別戒厳令法廷の設置。3人の裁判官の1人は中佐クラス以上の軍人,②簡易戒厳令法廷の設置。 裁判官の1人は少佐以上の軍人,③不法に武器・弾薬所有した場合は死刑又は最高14年の刑,④汚職の場合も死刑・無期・最高14年の刑。
DIA-301-1975-08-23-2バングラデシュ1975年08月23日1970年代マンスール・アリ前首相ら26人逮捕―汚職・反社会活動,権力の乱用,ネポティズムなどを理由に,ラーマン政権の閣僚・国会議員・官僚など26人が逮捕された。主な人はマンスール・アリ前首相,ナズルル・イスラム前副大統領,カマルザマン前工業相,タジュディン・アーメド元蔵相,サマード前農相,コールバン・アリ前情報相。
DIA-301-1975-08-23-3バングラデシュ1975年08月23日1970年代西ベンガル州政府はバングラ国境にそって大量の軍を配置・包囲網をしいた上で国境閉鎖。
DIA-301-1975-08-24-1バングラデシュ1975年08月24日1970年代大統領国防顧問にオスマニ将軍就任。
DIA-301-1975-08-24-2バングラデシュ1975年08月24日1970年代軍首脳人事―陸軍総参謀長にジアウル・ラーマン少将(前副参謀長)。ショヒウッラー総参謀長は外務省に転出。陸軍副参謀長にはH.M.エルシャッド准将(この日少将に昇格)。現在同氏はインドで訓練中。国防軍統合総参謀長(Chiefof Defence Staff)にBDR長官のカリルル・ラーマン少将。BDR長官にはQ.G.ダスティジェール准将(この日少将に昇格・チッタゴン守備隊長)。
DIA-301-1975-08-24-3バングラデシュ1975年08月24日1970年代ソ連政府,新政権承認。
DIA-301-1975-08-27-1バングラデシュ1975年08月27日1970年代インド,新政権承認―インド外務省スポークスマンは「インドはバングラとの正常な関係をつづけるし,承認しつづけているのであって,新たに承認しなおす必要はない」と声明した。
DIA-301-1975-08-27-2バングラデシュ1975年08月27日1970年代ロンドンのバングラ人7人,市民権回復―ラーマン独裁に反対した7人のバングラ人は1月に市民権を剥奪されていたが,新政権により回復された。
DIA-301-1975-08-28-1バングラデシュ1975年08月28日1970年代61県設置案,廃止―政府はラーマン政権の地方行政改革による61県設置案を時期早尚として廃止,すでに任命されている61人の県知事を解任,従来通り19県で行政を行なうことにした。
DIA-301-1975-08-28-2バングラデシュ1975年08月28日1970年代農業省改編―農業省を二つの局に分ける。①農業開発局(Agricultural Development Division),②農業供給・サービス局(Agricultural Input Supply and Services Division)。
DIA-301-1975-08-28-3バングラデシュ1975年08月28日1970年代農業開発公社改名―BADCをBangladeh Agricaltural Inputs(Supply&Services)Corporationとする。
DIA-301-1975-08-29-1バングラデシュ1975年08月29日1970年代最高人事院(Superior Selection Board)設置―政府各省庁の主要ポスト(次官補以上)及び公社公団・国有化企業の主要ポストの任命を行なうためのもので,委員長はCabinet Affairs Division次官。
DIA-301-1975-08-30-1バングラデシュ1975年08月30日1970年代大統領令により政党結成を禁止―政党の結成,政党活動を禁止し,違反者には7年の禁固又は罰金。
DIA-301-1975-08-30-2バングラデシュ1975年08月30日1970年代肥料の取引,自由化。
DIA-301-1975-08-31-1バングラデシュ1975年08月31日1970年代中国,バングラデシュ承認―周首相はアーメド大統領にメッセージ,「両国の伝統的友好関係が今後順調に発展すると信ずる」。
DIA-301-1975-08-31-2バングラデシュ1975年08月31日1970年代ダッカの金価格下る。2ヵ月前の1トラ1250タカから1000タカまで下った。
DIA-301-1975-08-31-3バングラデシュ1975年08月31日1970年代米価下る―バリサルで精米1モーンド100~110タカ。
DIA-301-1975-09-01-1バングラデシュ1975年09月01日1970年代大統領,単一国民政党BAKSALを解散。
DIA-301-1975-09-01-2バングラデシュ1975年09月01日1970年代ムスタファ前赤十字総裁,逮捕。
DIA-301-1975-09-02-1バングラデシュ1975年09月02日1970年代ホリディ(週刊紙)の発禁を解除。
DIA-301-1975-09-02-2バングラデシュ1975年09月02日1970年代ダッカ米価下る―1モーンド90~100タカにまで下っている。1年前は160~260タカ。
DIA-301-1975-09-06-1バングラデシュ1975年09月06日1970年代前アワミ連盟指導者6人,逮捕―Z.ラーマン,A.ラザク(BAKSAL書記),トファイル・アーメド(政治顧問),M.アーメド(ダッカ警察長官),キブリア,ドゥルゥ(警察官)の6人。
DIA-301-1975-09-06-2バングラデシュ1975年09月06日1970年代政府は不法所持・銃弾薬の供出を9月13日までに行なったものは,罪を問わないとの布告を公布した。
DIA-301-1975-09-06-3バングラデシュ1975年09月06日1970年代政府,衣類の流通に関する統制を撤廃―綿工業公社はサリー,ドゥーティー,ルンギー,生地などの価格を10%引下げ,綿糸価格も2.5%引下げると共に,いかなる衣類も自由に市場取引をすることを認めた。
DIA-301-1975-09-08-1バングラデシュ1975年09月08日1970年代各県にコントロール・センター政府は全国19県に県コントロール・センターを設置すると発表した。 センターの構成は県知事,県警察長官,軍あるいはBDR代表1人の計3人で,その任務はダッカ大統領官邸の中にある中央コントロール・センターと連絡をとって行政を行なうと共に,汚職・不法銃所持者摘発,経済計画実施のための調整活動など。
DIA-301-1975-09-09-1バングラデシュ1975年09月09日1970年代国防軍に関する政府の見解―過去3年半,バングラデシュ国防軍は無視され,正当に扱われてこなかった。現政府は国の資金の範囲内で,これまでの扱いを改め,独立戦争を闘った人々として相応しい,名誉ある地位につけることに決定した。また政府は可能な限り国軍に対して利益を供与することに留意する。気まぐれな人事(退役や転任)を廃し,これまでの人事については各軍司令部に設置される委員会によって調査されよう。
DIA-301-1975-09-11-1バングラデシュ1975年09月11日1970年代PL480協定により穀物40万トン―小麦30万トン,米10万トン,大豆油など1.5万トン,総計9070万ドルの協定で,1976年度中に供与される。調印はボースター米大使とアシュラフザマン計画委次官補。条件は10年据置40年返済,利子率は2~3%。
DIA-301-1975-09-12-1バングラデシュ1975年09月12日1970年代経済白書1974/75発表―政府が国民に経済・財政の現状を知らせるために発表したもので,骨子は,現在のバングラ経済が破産状態にあること,それは多く前政権の経済政策の失敗・汚職などに依るところ大きいことを示したもの(詳細は資料参照)。
DIA-301-1975-09-13-1バングラデシュ1975年09月13日1970年代8000タカまでの供託金,払い戻し―政府は100タカ紙幣供託5000タカまでについて,9月29日から払い戻すよう命じた。12月1日からは残り3000タカの払い戻しを行なう。
DIA-301-1975-09-15-1バングラデシュ1975年09月15日1970年代M.アーメド(国会議員),大統領特使として訪ソ―アーメド大統領のメッセージを持って訪ソ,ポドゴルヌィ議長と会見。
DIA-301-1975-09-20-1バングラデシュ1975年09月20日1970年代大統領命令により,補欠選挙は6ヵ月以内には行なわないことになった。
DIA-301-1975-09-20-2バングラデシュ1975年09月20日1970年代民間企業,ジュート輸出可能に―ジュート工業公社が発表したもので,民間企業は自らの商標を作って外国人バイヤーと交渉しうる。
DIA-301-1975-09-24-1バングラデシュ1975年09月24日1970年代食糧自給計画についての全国会議開く。全国から100人以上の参加者を集めており,すでに13の県で始めている食糧自給のための諸方策をもちよって検討する。会議はT.タクール情報担当相が議長を努めた。
DIA-301-1975-09-29-1バングラデシュ1975年09月29日1970年代中央銀行,貿易資金貸付条件を緩和。
DIA-301-1975-09-30-1バングラデシュ1975年09月30日1970年代大統領,国慶節で周首相にメッセージ。
DIA-301-1975-10-01-1バングラデシュ1975年10月01日1970年代不法銃所持により,過去2週間に1562人が逮捕された。
DIA-301-1975-10-03-1バングラデシュ1975年10月03日1970年代大統領,民主化措置発表―①1977年2月28日に総選挙を施行し,議会民主制を回復する。②1976年8月15日から政党活動を自由化,③すべての政治犯は特別なケースを除き,釈放する。これにより約1000人が釈放されよう,その他の受刑者にも特赦を与え,死刑の者は14年の刑に減じ,1年の刑につき3ヵ月の減刑を与える,④出版の自由のため,政府接収の3社を所有者に返却する,⑤外交政策は非同盟中立で,亜大陸の正常化のためにもパキスタンとの関係正常化に努める。
DIA-301-1975-10-03-2バングラデシュ1975年10月03日1970年代パキスタンと外交関係樹立に合意―ニューヨークの国連出席のパ・バ両国外相が会談して合意に達したもの0
DIA-301-1975-10-05-1バングラデシュ1975年10月05日1970年代ロッキ・バヒニ解散―政府はロッキ・バヒニ解散令を発布(9月3日より発効),ロッキ・バヒニのすべての資産は陸軍に移転,バヒニ隊員で希望者は陸軍に吸収すると発表した。
DIA-301-1975-10-06-1バングラデシュ1975年10月06日1970年代中国と外交関係樹立に合意―中国・バングラ両国は共同声明を発表,「1975年10月4日から国交樹立を行ない,近く大使を交換する」ことを決めた。
DIA-301-1975-10-15-1バングラデシュ1975年10月15日1970年代ダッカ市内で大量の武器発見―ライフルやピストル,軽機関銃,手榴弾,ダイナマイトなど大量に発見された。
DIA-301-1975-10-16-1バングラデシュ1975年10月16日1970年代国会召集―大統領は政変以来初めて国会を召集,7時間に亘って国内・国際情勢について討議した。
DIA-301-1975-10-17-1バングラデシュ1975年10月17日1970年代空軍総参謀長にM.G. Tawab空軍少将。前任者のコンドカル少将は退役して外務省に入る。
DIA-301-1975-10-20-1バングラデシュ1975年10月20日1970年代計画委員会メンバー―議長は大統領,副議長はZ.ハク大統領経済顧問,委員は総数4人で,A.K.M.アハサン(計画推進局長),S.M.アル・フセイン(治水灌漑省次官),アブドル・カイール(前商務省次官),G.Mチョードリ(前ソナリ銀行総裁)。
DIA-301-1975-10-21-1バングラデシュ1975年10月21日1970年代19県に簡易戒厳令法廷開設―19県のうちダッカなど5県の裁判長は陸軍少佐で,残り14県の裁判長はMagistrate(1st Class)がなる。
DIA-301-1975-10-24-1バングラデシュ1975年10月24日1970年代全国教育委員会,教育改革に関する報告書を提出した。これに従い,政府は全国教育諮問評議会(108人)及びカリキュラム作成のための全国委員会(35人)をつくると発表した。
DIA-301-1975-10-29-1バングラデシュ1975年10月29日1970年代故ラーマン邸から78万タカ―内務省スポークスマンの発表によれば,8.15事件後の捜索の結果,武器(機関銃8,ライフル10,SMG3,LMG2,弾薬),現金9万4461タカ,外貨(インド・ルピー8999ルピー,ポンド9000タカ),自家用車3台,トーキー1台,外国から の贈物(10万タカ相当)が押収された。この他,ラーマン夫人・子供たち合わせて,22の銀行口座に29万8000タカが預金してあった。
DIA-301-1975-11-02-1バングラデシュ1975年11月02日1970年代米の買上げ政策―Momin食糧相は政府の米買上げ政策を発表,①強制的供出制度廃止②買上げ価格はモミ米でモーンド74タカ,精米(普通米)は118タカ,上質米は120タカとする,③各ターナに各1の政府買上げセンターを開く(全国420),④運賃は5マイルまではトン当り3タカ,5~10マイルは4タカ,10マイル以上は5タカの割で支払う,⑤米の卸業者は1週間以内のストック量を1000モーンド,小売業者は50モーンド認められる,⑥昨年の供出量はAman期12.7万トン,Aus期4.9万トン。
DIA-301-1975-11-02-2バングラデシュ1975年11月02日1970年代計画推進局は計画委員会に吸収。
DIA-301-1975-11-03-1バングラデシュ1975年11月03日1970年代ムシャラフ准将によるクーデター発生―午前2時,大統領官邸を守っていた陸軍歩兵部隊が任務を放棄,他の部隊が官邸を包囲,放送局を占拠した。外部との交渉は全く途絶えた。午前7時頃,空軍の武装ヘリコプターとMIG21型機がダッカを低空飛行,威嚇した。 陸軍総司令官ジアウル・ラーニマンは監禁された。クーデターを指導したのはムシャラフ准将(Chief of Army’s General Staff)で,ダッカ守備隊の3大隊を率いている。大統領官邸に住んでいたアーメド大統領及び8.15クーデターの青年将校グループとムシャラフ派はきびしい対決の中で,オスマニ国防顧問を通して交渉をつづけ,3日夜,①陸軍総参謀長ジアウル・ラーマンの解任とムシャラフ准将の就任,②青年将校グループと家族29人の国外退去,③両軍とも発砲せず,すべての国家権力をムシャラフに移譲することで妥協に達し,午後11時すぎバングラ航空特別機が29人をのせてバンコクに出発,長い緊張の対決は終った。
DIA-301-1975-11-04-1バングラデシュ1975年11月04日1970年代国務相4人辞任,うち2人逮捕―政府は特別声明を発表,4人の国務相が辞表を提出し,大領統がそれを受理したとのべた。N.I.マンズール鉄道担当相,オバイドル・ラーマン港湾・電信・電話担当相及びモアッザム・フセイン土地改革担当相,タヘルッディン・タクール情報担当相で,後者2人は汚職と権力の乱用の容疑で逮捕されている。
DIA-301-1975-11-04-2バングラデシュ1975年11月04日1970年代ダッカ大学でラーマン復権要求集会―学生・政治家など数千人が戒厳令下にダッカ大学に集まり,“Mujib Day”を宣言,故ラーマン大統領の遺影を掲げて,その復権を求める集会を行ない,旧ラーマン邸までデモ行進を行なった。午後はダッカ市内の犠牲者の塔の前で再び集会,デモ行進した。この日のバングラの新聞は故ラーマン大統領について「Bangabandhuボンゴボンドゥ(ベンガル人の友」」の愛称を使っている。
DIA-301-1975-11-04-3バングラデシュ1975年11月04日1970年代ムシャラフ少将,陸軍総司令官に就任―4日深夜(午後12時少し前),ラジオ放送はジァウル・ラーマン中将が陸軍総司令官を辞任し,カリド・ムシャラフ准将が少将に昇格して総司令官の任についたと発表した(11月3日付)。
DIA-301-1975-11-04-4バングラデシュ1975年11月04日1970年代旧政権4指導者,刑務所内で虐殺―4日深夜,大統領は特別声明を発表,最近ダッカ中央刑務所で4人の旧政権閣僚が虐殺されたこと,これを調査するため3人の特別調査委員会(委員長はA.チョードリ最高裁判事)が任命され,「いかなる状況の下で犯罪人のあるものが外国に安全に逃がれたか」についても調査することが明らかにされた。虐殺された人々はナズルル・イスラム前副大統領,マンスール・アリ前首相,カマルザマン前工業相,タジュディン・アーメド元蔵相で,いずれもカルカッタ亡命政権時代の閣僚たち。
DIA-301-1975-11-05-1バングラデシュ1975年11月05日1970年代アーメド大統領辞任―アーメド大統領は5日深夜大統領令を発表,「大統領がその機能を果すことができないときには,後継者を任命し,職務を移譲することができる」ことにし,次いで自らの辞任を伝え,後継者に最高裁判所長官AM.サエム氏を任命した。
DIA-301-1975-11-05-2バングラデシュ1975年11月05日1970年代旧指導者4人の遺体は家族に引渡された。ダッカ中央モスクでは多数の人々が参加して祈りの集会がもたれた。
DIA-301-1975-11-05-3バングラデシュ1975年11月05日1970年代青年将校の1人,バンコクで記者会見―8.15青年将校の1人ファルーク中佐はバンコクで記者会見,11.3クーデターの指導者はラーマン体制下で重要なポストについていて新政権下に降格された人々であるとのべ,クーデターの背景について「隣接するある大国が起したもので,文民支配をきらう陸軍歩兵師団・空軍が行なった」「これからはソ連からの武器援助が来るようになろう」とのべた。29人はパキスタン及び米国への亡命を希望している。
DIA-301-1975-11-05-4バングラデシュ1975年11月05日1970年代革命評議会結成の噂―カルカッタの外交官筋では,アーメド大統領辞任後は革命評議会が実権を握ると見ている。議長はカリルル・ラーマン中将(統合総参謀長)で三軍の総司令官,BDR長官,ジャリル大佐,民間人2人も協力する(未確認)。
DIA-301-1975-11-06-1バングラデシュ1975年11月06日1970年代サエム大統領,就任演説―サエム大統領は宣誓式を行なった後,放送を通じて次のような就任演説をした。①8.15の蜂起には国軍は関与していない,②国民は8.15以来,法と秩序が回復し,社会正義が確立することを期待した。しかし多くの者は失望した。治安は確立されず,あまつさえ数人の著明な政治家が刑務所内で虐殺された,③私は中立的・無党派の暫定政府の元首としての責任を引き継いだ。我々の目的は短期間に自由かつ正当な選挙を通じて民主政府を樹立することであり,この使命を1977年2月までに達成する決意であり,それを念頭において,国会を解散し,全閣僚辞表を受理する,④外交関係では,これまで同様,非同盟政策を追求する。
DIA-301-1975-11-06-2バングラデシュ1975年11月06日1970年代インド政府,初の論評―インド外務省スポークスマンはバングラの4人の指導者の虐殺に「強い驚きと悲しみで受け止めている。バングラ国民がこの悲劇にも拘らず,黄金のバングラの理想を実現することを願う」とのべた。
DIA-301-1975-11-07-1バングラデシュ1975年11月07日1970年代ムシャラフ派クーデター失敗,ジアウル・ラーマン復権―午前1時30分,一部兵士が反乱を起し,ムシャラフ少将と支持者34人を殺害。監禁されていたジアウル・ラーマンを救出した。他の兵士は放送局を接収し,「セポイ・ビップロブ(セポイの革命)」を宣言し,すべての兵士はジアウル・ラーマン戒厳司令官の下にあると声明した。夜明けと共に武装した兵士たちが街にくり出し,軍用トラック・ジープ・バスでデモ行進した。 午前4時30分,ラジオ放送は「セポイ・ビップロブ」の名前で政変を伝えた。放送が終るや,多くの民衆も街に出て,兵士たちのデモに加わり,ジアウル・万歳セポイ革命万歳を叫び,またあるものはアッラーをたたえた。 午前5時,ジァウル・ラーマン中将が放送し,「国民・陸・海・空軍,BDR,警察,Ansar,その他多くの人々の要請により,暫定的に戒厳令総司令官の任についた。 国民は統一し,自らの分野でその義務を果して欲しい」と訴えた。
DIA-301-1975-11-07-2バングラデシュ1975年11月07日1970年代人民革命軍の登場―ムシャラフ派クーデターを失敗させ,ジアウル・ラーマン救出の役を果したのは全国社会党JSDの軍事組織で,これまで地下活動をして来た人民革命軍(指導者はAbu Taher退役大佐)であると伝えられている。
DIA-301-1975-11-07-3バングラデシュ1975年11月07日1970年代サエム大統領,戒厳令総司令官に就任―サエム大統領は7日夜全国放送を行ない,自ら戒厳令総司令官就任を伝えると共に,三軍の総参謀長を戒厳令副司令官にし,全国4地区に4人の地区戒厳令司令官をおくこと,行政は文民からなる諮問委員会を任命して行なうこと,政治犯を釈放することを発表した。
DIA-301-1975-11-07-4バングラデシュ1975年11月07日1970年代アーメド前大統領,全国放送―アーメド前大統領は全国放送でサエム政権を支持し,「バングラの独立と主権を守るための比類なき革命を目の前にして,尊敬と敬意を払う,私は軍の英雄をたたえ,心から感謝する」 とのべた。
DIA-301-1975-11-07-5バングラデシュ1975年11月07日1970年代インド政府,懸念を表明―インド外務省スポークスマンは「バングラの事件は内政問題ではあるが,インドは無関心ではいられない。インド政府はバングラに住むインド人の安全について深い関心を払っている。我々はバングラ当局がインド人の安全に必要な措置をとるものと期待する」とのべた。ガンジー首相も同様,懸念を表明,「我々の地域の安定が脅かされるときには関心を表明しないわけにはいかない」と発言した。
DIA-301-1975-11-07-6バングラデシュ1975年11月07日1970年代逮捕された2国務相,釈放。
DIA-301-1975-11-08-1バングラデシュ1975年11月08日1970年代政治犯5人,釈放―大統領はJSDのジャリル委員長,ラブ書記長を含む5人の政治犯釈放を指示。
DIA-301-1975-11-08-2バングラデシュ1975年11月08日1970年代最高裁判所長官にA.B. Mahmad Hossain氏任命。
DIA-301-1975-11-09-1バングラデシュ1975年11月09日1970年代JSDの集会は軍及び警察によって阻止された。
DIA-301-1975-11-09-2バングラデシュ1975年11月09日1970年代中国新華社は外国通信社の報道を引用して,ムシャラフ派クーデターが鎮圧されたと報じた。
DIA-301-1975-11-11-1バングラデシュ1975年11月11日1970年代ジアウル・ラーマン陸軍総参謀長,全国放送―①私は軍人であり政治家ではない,政治活動には何ら関与しない。私たちは無党派であり政党政府ではない,②利己的な人々は偽名を使い,時には軍や私の名を潜称して国民を欺こうとしている。彼等は国民の間に不安と不満をつくり出そうと陰謀を企てている。③現在の課題は軍の統一,国民の統一であり,そして軍人の福祉と利益を守ることである。バングラ国軍は近代的で有能な軍にしなくてはならない。
DIA-301-1975-11-12-1バングラデシュ1975年11月12日1970年代バシャニNAP委員長,サエム政権支持―バシャニ委員長はすべての国民が政府に協力して独立を守るべきだとの声明を発表した。この中でバシャニ氏は,①国の内外の勢力が我々の自由と主権を犯そうとしている,②我々は相互協力・友好・主権尊重の原則を外交政策の中心として来たが,これを変えさせようと外国勢力が陰謀を企てている。ある勢力は現実にこうした行動に関与している,③こうした勢力は今回のクーデター事件で数千万タカの資金を使っている・
DIA-301-1975-11-13-1バングラデシュ1975年11月13日1970年代チッタゴンで海軍兵士の反乱―このため海軍参謀総長は夜全国むけ放送を行ない,軍人なかんずく海軍兵士に国軍の責任を説き統一を訴えた。
DIA-301-1975-11-14-1バングラデシュ1975年11月14日1970年代イズベスチヤ紙,バングラ政府に懸念―バングラの最近のクーデターは深刻な政治危機をもたらすだろう。サエム大統領が反印・反ソで知られた政治犯を釈放したことは誤りである。バングラデシュ・タイムズの編集長は毛主義の熱心な支持者と考えられている。軍当局は進歩的軍人たちに対する恣意的弾圧を行っている。新政府はラーマン政権の外交政策を継承すべきである。
DIA-301-1975-11-15-1バングラデシュ1975年11月15日1970年代戒厳令規定(Regulation)改定―軍人・警察官に関する規定で,「軍・BDRなどの名を偽り,彼らの義務遂行を妨げ,内部不信,不満をもたらし,反国家活動にかりたてたものについては,死刑を含む厳罰とし財産も没収する。
DIA-301-1975-11-17-1バングラデシュ1975年11月17日1970年代インド政府,インド軍の国境内進撃を否定―インド政府は,西側紙が「インド軍はバングラデシュのゲリラ隊(隊長シディキ)と共にマイメニシンのハルアガートの3軍事拠点を包囲している」との報道を否定した。
DIA-301-1975-11-17-2バングラデシュ1975年11月17日1970年代サウジ・アラビアと外交関係樹立に合意。
DIA-301-1975-11-21-1バングラデシュ1975年11月21日1970年代A.サッタル判事,大統領特別顧問に任命。
DIA-301-1975-11-23-1バングラデシュ1975年11月23日1970年代ジアウル・ラーマン陸軍総参謀長,全国放送―国内政治状況及び今後の方針について発表(資料参照)。
DIA-301-1975-11-25-1バングラデシュ1975年11月25日1970年代JSD指導者等19人,逮捕―政府は反国家活動を行なったとしてJSDのジャリル委員長,ラブ書記長及び人民軍(PRA)のタヘル大佐など19人を逮捕。
DIA-301-1975-11-26-1バングラデシュ1975年11月26日1970年代諮問委員4人を任命―サエム大統領は文民から4人の諮問委員を任命,陸海空三軍の総参謀長と7人でCouncil of Adviserを構成,行政上の分担を決めた。 サエム大統領は国防・外務・法務を兼任,ジアウルは大蔵・内務・情報放送を担当する。4人のうちM.N. Huda氏は計画・工業を担当(閣僚名簿は資料参照)。
DIA-301-1975-11-26-2バングラデシュ1975年11月26日1970年代サーマル・セン・インド大使誘拐未遂事件発生―26日朝,6人の武装した男がセン大使を誘拐しようと企て,警備のものと交戦,4人が射殺,2人は逮捕された。 セン大使は肩に負傷して入院。11月18日にはセン大使公邸の庭で手榴弾2個が発見されている。
DIA-301-1975-11-26-3バングラデシュ1975年11月26日1970年代インド大使誘拐事件で,インドに陳謝―サエム大統領はガンジー首相にメッセージを送り陳謝した。バングラ政府スポークスマンは「これは印バの友好協力関係を破綻させるために,反国家勢力が企てたものだ」とのべている。
DIA-301-1975-11-27-1バングラデシュ1975年11月27日1970年代サエム大統領はガンジー首相にホットラインを通じてセン大使事件を詫びると共に,両国の関係改善に努力すること,高官レベルの代表団(団長はサッタル特別顧問)を送ることを伝えた。
DIA-301-1975-11-27-2バングラデシュ1975年11月27日1970年代インド大使誘拐未遂事件の犯人はJSD―政府は犯人のうち射殺された4人と逮捕した2人の名前を発表。いずれもJSDのメンバーで,彼らはセン大使を誘拐して逮捕されているJSD指導者たちの奪回をはかる計画であったという。躬殺された1人S. Hussinと逮捕されたBelalはいずれもTaher大佐の弟に当る。
DIA-301-1975-12-02-1バングラデシュ1975年12月02日1970年代サエム大統領は各県知事・警察長官をダッカに集めて演説―権力の移転をできるだけ早く実現できる状況をつくるため努力するよう訴え,「あらゆる干渉を廃し,おそれることなくその義務を遂行する努力をして欲しい」とのべた。
DIA-301-1975-12-03-1バングラデシュ1975年12月03日1970年代労働政策発表―労使関係を秩序あるものにし,生産の向上をはかるために,労使紛争の解決方法,労働組合活動のはん囲,組合メンバーの資格などについて規定している。
DIA-301-1975-12-04-1バングラデシュ1975年12月04日1970年代政府接収企業への補償―政府は1972年の国有化法令で接収した企業の株主に対し,補償金を支払うことを決めた。 (1)外国人の場合,暫定的評価額を基準にして1975/76にはその株の20%,1976/77には30%を支払う。1977/78には企業の最終評価を行なって,残金を支払う。 (2)ベンガル人の場合,1976/77に10%,以降は最終評価を行ない,年利5%の国債で支払う。国債のうち33%は1979年7月,33%は1980年7月,残りは1981年7月以降現金化できる。
DIA-301-1975-12-04-2バングラデシュ1975年12月04日1970年代印バ国境会談終了―2日からカルカッタで開かれていた印バ国境会談は「共通する諸問題について話し合い,協力を深め,国境紛争,密輸,犯人逃亡を防ぐことで合意に達した。この会談は誤解を除き相互信頼を深めるために有益であった」との共同声明を発表した。
DIA-301-1975-12-05-1バングラデシュ1975年12月05日1970年代7地区戒厳令司令官を任命―大統領は全国を7地区に分割し,それぞれに地区戒厳令司令官を任命した。ダッカ地区はBDRダスティジェール長官。チッタゴン・クルナ地区は海軍の司令官,その他は陸軍の司令官が任命された。
DIA-301-1975-12-05-2バングラデシュ1975年12月05日1970年代大統領特使,インド訪問―A.サッタル大統領顧問とTabarak Hussain外務次官はセン大使事件以来緊張している印バ関係調整のための訪印(~8日)。
DIA-301-1975-12-07-1バングラデシュ1975年12月07日1970年代民間投資政策,改正―民間投資を促進するため,民間投資政策を改正した。主な内容は以下の通り。 (1)民間投資上限を3000万タカから1億タカに引上げる。 (2)15年間国有化しない。国有化する場合は公正に補償する。 (3)金融機関,特に工業開発銀行は,農業に基礎を置く工業や輸出志向工業に従事する小規模工業を重点的に融資する。 (4)資本市場・株式市場を再開する。
DIA-301-1975-12-08-1バングラデシュ1975年12月08日1970年代印バ共同声明発表―印バ両国代表は暖かい雰囲気の中でそれぞれの国の考え方を十分に,率直に交換した。インド側はバングラとの国境を安定させ,強固な豊かなバングラデシュになることを希望し,両国の友好・協力関係を平等な主権と相互利益の原則の上にうち建てる政策をとりつづけることを確認し,バングラ側は両国の伝統的友好協力関係の維持・強化を約した。
DIA-301-1975-12-08-2バングラデシュ1975年12月08日1970年代流通改革―政府は公共部門の流通機構の現状を検討した結果,輸入品であれ国産品であれ,基本的消費財についての明確な流通政策をたて,民間部門が流通活動の中で重要な役割を果すよう,流通機構を改革することに決めた。
DIA-301-1975-12-10-1バングラデシュ1975年12月10日1970年代パキスタン,駐バングラデシュ初代大使にM. khurshidを任命。
DIA-301-1975-12-11-1バングラデシュ1975年12月11日1970年代バングラ,駐パ初代大使にZahiruddin(最高裁判所弁護士)を任命。
DIA-301-1975-12-15-1バングラデシュ1975年12月15日1970年代フセイン外務次官,訪ソ(~18日)。
DIA-301-1975-12-18-1バングラデシュ1975年12月18日1970年代A.K.M. Ahsan,大統領のPrincipal Secretaryに任命。
DIA-301-1975-12-18-2バングラデシュ1975年12月18日1970年代バ・ソ共同声明発表―両国代表は相互に関心あることについて率直に意見を交換した。話合いは友好的雰囲気の下で行なわれた。両国は平和共存,主権と領土保全の尊重,内政不干渉の原則の下に友好関係を維持・強化することを再確認した。
DIA-301-1975-12-25-1バングラデシュ1975年12月25日1970年代特別武装警察隊5大隊を組織―政府は各隊2500人からなる特別武装警察隊5大隊を設立することを決め,その人選を終り,訓練中と発表。
DIA-301-1975-12-26-1バングラデシュ1975年12月26日1970年代ソ連にトロール船乗組員など12月末で任期終了―ソ連が供与した10隻のトロール船はすでに漁業会社に手渡されたが,訓練のための技術者も今年末に契約切れで帰国する。
DIA-301-1975-12-27-1バングラデシュ1975年12月27日1970年代エジプトと貿易協定―バングラは茶・ジュート,同製品,紙,新聞用紙などを輸出し,エジプトからは綿花,綿糸,銑鉄などを輸出し,総額は610.7万ポンド(片道)。
DIA-301-1975-12-28-1バングラデシュ1975年12月28日1970年代統合総参謀長(Chief of Defence Staff)のポストが廃止され,カリルル・ラーマン少将は解任された。
DIA-301-1975-12-31-1バングラデシュ1975年12月31日1970年代情報省はラーマン時代発禁になっていた日刊紙2紙,週刊紙・定期刊行物17誌の発行を許可。
DIA-301-1975-12-31-2バングラデシュ1975年12月31日1970年代1976年1~6月の輸入政策発表―総額は46億4000万タカで前期より5.3億タカ増。うち21億2000万タカは外国援助による輸入,20億5000万タカは自国輸出収入でまかなう。特徴は主要工業の生産能力をフルに活用するためその原料・部品は100%輸入を許可し,その他工業は50%認めること,民間部門輸入の大幅増加を認めたことなどである。
DIA-301-1976-01-03-1バングラデシュ1976年01月03日1970年代ショニルバール第2回全国セミナー開催―ショニルバール(自力更生)運動は外国依存をなくし,自力更生の精神で農村社会開発を行なうための組織で,全国415の郡にショニルバール・キャンプを作り,農民を農業協同組合に組織して食糧の自給達成,教育の普及・人口抑制活動を行なうことが決められた。またショニルバール運動の全国委員会・執行委員会が設立され,M.ホック氏及びA.チャーシー氏が委員長に選任された。
DIA-301-1976-01-03-2バングラデシュ1976年01月03日1970年代プロジェクト認可基準変更―プロジェクト必要資金が2000万タカ以上のものは国家経済会議執行委員会(NECEC)が認可し,2000万タカ以下のものは計画委員会メンバーが認可することができる(新たな規定)。500万タカ以下は,プロジェクト担当省の判断で認可できる(従来は250万タカ以下)。
DIA-301-1976-01-05-1バングラデシュ1976年01月05日1970年代サエム大統領,人口問題の重要性を訴え―バングラにおいて人口問題は第一の主要問題であり,あらゆる分野の人々を使い総合的に取組まなければならない。
DIA-301-1976-01-05-2バングラデシュ1976年01月05日1970年代農村防衛隊設立―政府は村・ユニオン・郡・地方の各段階に農村防衛隊を設置する旨発表した。それと同時に農村警察官の待遇の改善と強化を決定した。
DIA-301-1976-01-07-1バングラデシュ1976年01月07日1970年代インド国防相,バングラ国境にインド軍集結との情報を否定。
DIA-301-1976-01-08-1バングラデシュ1976年01月08日1970年代戒厳令規則改定―戒厳令を批判し,国民に偏見を抱かせるような言動を為した者は,10年以上の重労働の刑に処する。
DIA-301-1976-01-08-2バングラデシュ1976年01月08日1970年代民家の賃貸料上限1000タカ―戒厳令規則により,1975年12月1日現在の家賃が1000タカ以下の家屋について,その値上げは禁止する。但し政府・公社公団・外国機関・企業に貸された家屋はこの限りではない。違反した者は5年以上の刑に処する。
DIA-301-1976-01-08-3バングラデシュ1976年01月08日1970年代ブラック・マネー対策―政府は民間投資活動を活発化させるため,未申告の資金保有者に対し,1976年6月末までに政府に申告するよう指示した。申告者に対してはその資金の由来を問わず,所得税・富裕税の対象にはしないし,1978年6月末までに新規企業への投資あるいは払い下げ企業購入に利用することを認める(非生産的使用は認めない)。未申告資金はタカ・外資を含む。
DIA-301-1976-01-12-1バングラデシュ1976年01月12日1970年代国有化企業150社払い下げ―政府は民間資本育成を目的として,すでに国有化した730社のうち,中小規模の企業150社の払い下げを決定した。主な業種はなめし皮,食品加工,化粧品,化学,薬品,金属加工,家電などの他に若干の茶園を含む。
DIA-301-1976-01-15-1バングラデシュ1976年01月15日1970年代ジュート輸出,自由化―原料ジュートの輸出は従来ジュート輸出公社だけが行なってきたが,今後は認可された輸出業者にもジュート取引を認める。
DIA-301-1976-01-16-1バングラデシュ1976年01月16日1970年代行政機構改革―行政の簡素化・効率化をはかるため,省の数を現行29から24省に減らし,局(Division)の数を47から39局に減らす。これに伴い次官(Secretary)を39から28人にし,次官補(Additional Secretary)を12から11人とする。
DIA-301-1976-01-16-2バングラデシュ1976年01月16日1970年代公社の改編―類似公社を統合して業務の重複,煩雑を避けるためのもの。
DIA-301-1976-01-16-3バングラデシュ1976年01月16日1970年代英国,3400万ポンド援助協定調印。
DIA-301-1976-01-19-1バングラデシュ1976年01月19日1970年代印バ国境のゲリラ活動―北部国境から3~4マイル内にあるドゥルガプールとカルマカンダ警察署がインド国境を越えて侵入したゲリラの攻撃を受け,カルマカンド警察署長代理とその家族がつれ去られたゲリラ部隊はライフル,LMG,臼砲などで武装し,バングラ国境警備隊と交戦,インド側に逃亡した。
DIA-301-1976-01-19-2バングラデシュ1976年01月19日1970年代駐中国初代大使にM.Momin駐カナダ大使を任命。
DIA-301-1976-01-20-1バングラデシュ1976年01月20日1970年代戒厳令規則により,密輸に対して死刑を含む厳罰を課すことが決められた。
DIA-301-1976-01-21-1バングラデシュ1976年01月21日1970年代IDA,2200万ドル借款供与―カーナフリ灌漑プロジェクト用で総工費3030万ドル。
DIA-301-1976-01-22-1バングラデシュ1976年01月22日1970年代旧政党指導者,大統領特別顧問と会談―旧政党指導者20人はサッタル大統領特別顧問及び戒厳令副司令官3人(3軍の総司令官)と会談,政治情報について意見交換した。
DIA-301-1976-01-22-2バングラデシュ1976年01月22日1970年代住宅建設促進政策―政府は居住面積2000平方フィート以下,総工費20万タカ以下の住宅建設に対して,5年間の免税にすること,公社の住宅資金貸付上限を10万タカから12.5万タカに引上げること,観光地のモーテル・ロッジ建設は5年間の免税にすること,などを決定した。
DIA-301-1976-01-23-1バングラデシュ1976年01月23日1970年代駐バングラ中国代理大使Mou Ping氏と8人の随員がバングラ到着。
DIA-301-1976-01-23-2バングラデシュ1976年01月23日1970年代米価安定―上質米はモーンド140タカ,下級米は同125~130タカで安定している(ダッカ市場)。
DIA-301-1976-01-28-1バングラデシュ1976年01月28日1970年代婦人警官募集。初めての試み。
DIA-301-1976-01-28-2バングラデシュ1976年01月28日1970年代北部国境のゲリラ活動―武装した約100人の反政府ゲリラがJhaudanga守備隊に攻撃をしかけて来たが,バ国境警備隊(BDR)と交戦,死者2名を残してインド側に逃亡した。
DIA-301-1976-01-30-1バングラデシュ1976年01月30日1970年代インド外務省の声明―インド外務省スポークスマンは声明を発表,「インドがバングラの反社会分子に武器・資金を供与し,軍事訓練を与え,インドを聖域として利用させているとの非難は全く根拠がない」とのべた。
DIA-301-1976-02-01-1バングラデシュ1976年02月01日1970年代ダッカ首都警察,新設―ダッカ首都全域のための特別警察で,通常の警察業務のほか,治安関係の業務も行う。
DIA-301-1976-02-04-1バングラデシュ1976年02月04日1970年代配給食糧価格,引上げ―食糧の国際価格上昇・国内供出価格引上げに併い,政府の食糧への補助金支出が巨額にのぼるため,配給価格引上げを決定したもの。 米(1モーンド) 70タカ→90タカ 小麦粉(1モーンド) 55タカ→70タカ 食用油(1シーア) 8タカ→12タカ バター油(1シーア) 16タカ→20タカ
DIA-301-1976-02-05-1バングラデシュ1976年02月05日1970年代ガンジス河水位,異常低下―乾期を迎え,ハーディング橋付近で測定したガンジス河水位が異常に低下,ガンジス・コバダク灌漉計画,船舶の運行などに障害が起り,ベンガル湾から逆流してくる海水のため農地が塩害で被災,工業用水としても塩分を多量に含んでいるため使用できなくなり,クルナ地方では新聞用紙工場など操業停止している。これはインドが上流のファラッカ堰から毎秒4万立方フィートの河水をフーグリ河に流出させているためといわれる。
DIA-301-1976-02-06-1バングラデシュ1976年02月06日1970年代1975年7~12月の輸出入―輸入額は57億8281万タカ,輸出額は23億3430万タカ,34億4851万タカの赤字。
DIA-301-1976-02-10-1バングラデシュ1976年02月10日1970年代地方戒厳令司令官任命―バングラ全域を八つの地区(Zone)に分け,それぞれ各人の戒厳令司令官を任命した。ダッカ地区はダストギールBDR長官。
DIA-301-1976-02-10-2バングラデシュ1976年02月10日1970年代武装警察隊―武装警察隊(Armed Police Battalion)訓練生の宣誓式がダッカで行なわれた。APBの任務は警察を助けて法と秩序を守ることであり,警察長官(Inspector General of Police)の直属でその予備警察力となる。
DIA-301-1976-02-11-1バングラデシュ1976年02月11日1970年代印・バ国境会談,ダッカで開始―インド代表はKumar国境警備隊(BSF)官長,バングラ代表はDastgir国境警備隊(BDR)長官。
DIA-301-1976-02-13-1バングラデシュ1976年02月13日1970年代印・バ国境会談終了,共同声明― (1)両国合同調査委員会をつくり,一連の国境紛争について視察・調査を行ない,15日以内に報告する。 (2)両国警備隊指揮官クラスによる定期協議。 (3)両国に住むガロ族でバングラに居住を希望するものには帰国を認める。 (4)両国はナクサライトなど地下活動をする者に断固たる措置をとることで同意。
DIA-301-1976-02-23-1バングラデシュ1976年02月23日1970年代イランから石油輸入―イランのNational Iranian Oil Co.と40万トンの原油輸入契約(1975/76)。これは商業ベースで前年は30万トン。
DIA-301-1976-02-24-1バングラデシュ1976年02月24日1970年代海軍総参謀長Hussain Kban准将,少将に昇格。
DIA-301-1976-02-26-1バングラデシュ1976年02月26日1970年代バ政府,アンゴラ人民共和国承認。
DIA-301-1976-02-27-1バングラデシュ1976年02月27日1970年代英国,ダッカ市送電システム改善に2720万ポンドの資金贈与。
DIA-301-1976-02-27-2バングラデシュ1976年02月27日1970年代1976/77のジュート最低価格は1モーンド90タカと決定。
DIA-301-1976-03-02-1バングラデシュ1976年03月02日1970年代小麦生産状況―1976年春作小麦生産量は26.5万トンと推計される(前年16.5万トン)。バングラでは300万エーカーの土地が小麦生産可能地であり,小麦の需要200万トンの生産は理論上可能である。
DIA-301-1976-03-04-1バングラデシュ1976年03月04日1970年代ガソリン小売価格値上げ―原油価格10%上昇に伴い小売価格が引上げられた。ダッカでの小売価格はケロシン(1ガロン)9.45タカ,ディーゼル9.05タカ,ガソリン21.08タカ,ハイオクタン22.58タカ。
DIA-301-1976-03-08-1バングラデシュ1976年03月08日1970年代ジュート輸出価格引上げ―チャルナ及びチッタゴンFOB価格で,白ジュート特級(トン当り)183ポンド,A級176ポンド,B級169ポンド,C級159ポンド,D級140ポンド。
DIA-301-1976-03-10-1バングラデシュ1976年03月10日1970年代選挙委員会,選挙区画定作業始める―1977年2月選挙予定のため,選挙管理委員会は全国を300の選挙区に分割する作業に取組むことになった。作業は4月末までに終了する。
DIA-301-1976-03-10-2バングラデシュ1976年03月10日1970年代水利開発局(WDB),外交団をベラマラ地区視察に招請―ガンジス河の水位が異常に低下して農工業生産に被害を与えている現状を視察してもらう目的で為されたもので,とくに被害の大きいガンジス・コバダク灌漑計画地区(ベラマラ)が選ばれた。
DIA-301-1976-03-11-1バングラデシュ1976年03月11日1970年代IMF調査団長ムケルジー氏,記者会見―バングラ経済は非常に改善された。食糧供給も好転,イソフレも収束されている。この原因は財政・金融政策が適切であったこと,平価切下げ,大幅な外国援助,食糧の豊作などによっている。
DIA-301-1976-03-12-1バングラデシュ1976年03月12日1970年代ファラッカ問題について―ファラッカ堰堤かちのインドの一方的取水により多くの被害が出ている。バングラデシュ・タイムスによると,①灌漑用水不足による農業生産への被害,②河川輸送不能,③家畜用飼料不足,④地下水位低下による飲料水不足,⑤クルナ地方の森林資源被害,⑥河川の含塩量増大により工業用水不足から工業生産被害,⑦漁業への被害,とくに淡水魚のヒルサ,エビなどへの被害,⑧これらによる失業者増大などの被害が出ている。
DIA-301-1976-03-16-1バングラデシュ1976年03月16日1970年代日本,食糧援助800万ドル供与―1976年度K-R援助として食糧800万ドルが供与される。他に浅井戸2000本,300万ドルも近く供与される予定。
DIA-301-1976-03-18-1バングラデシュ1976年03月18日1970年代アッバース治水担当大統領特別顧問はファラッカ問題の解決をはかるためインド・ネパール・バングラの3国会議を提唱したがインドが反対していることを明らかにした。
DIA-301-1976-03-20-1バングラデシュ1976年03月20日1970年代中央銀行は外貨及び外国資産(動産・不動産共)を保有している者に対し,4月20日までに中央銀行に申告するよう指示した。
DIA-301-1976-03-22-1バングラデシュ1976年03月22日1970年代カーン海軍少将,インドに話合い呼びかけ―カーン海軍少将(治水・水資源開発・電力担当相)は,記者会見の場でインド政府に対しガンジス河水配分問題を無条件で話し合うよう呼びかけた。カ-ン氏はまた,バングラ政府が1月15日,2月3日,3月16日にインド政府に覚え書きを送り,話し合いの提案をして来たことを明らかにした。インド側はガンジス河水配分については3~5月の渇水期のみについて話し合いをもつ意向を示している。
DIA-301-1976-03-24-1バングラデシュ1976年03月24日1970年代1975年12月以降,国家経済会議が承認したプロジェクトは50―総額64億タカにのぼる(うち外貨は23.3億タカ)。その省別内訳は工業省17(28.5億タカ),農業省9(8.3億タカ),文部省5(2.1億タカ),保健・家族計画省5(5.9億タカ),電力・治水・灌漑省5(6.8億タカ),運輸省4(6.3億タカ),石油資源開発省1(4.5億タカ),その他となっている。
DIA-301-1976-03-25-1バングラデシュ1976年03月25日1970年代ジアウル・ラーマン少将,インドへの逃亡者の帰国訴える―バンクラデシュ独立記念日に当り,ジアウル・ラーマン陸軍総参謀長は全国民にメッセージを発表,1975年8月以降インドに逃亡し,今なお反国家活動をしている人々に対し,自らの誤ちを認め,母国の防衛と建設を望む者は帰国して国家のために尽すよう訴えた。帰国した者に対しては罪を問わず,あらゆる便宜をはかる。
DIA-301-1976-03-27-1バングラデシュ1976年03月27日1970年代銀行預金金利,1%引上げ―中央銀行は貯蓄奨励のため4月1日より銀行預金金利を1%引上げると発表した。1年定期預金利子率は7.5%となる。
DIA-301-1976-03-27-2バングラデシュ1976年03月27日1970年代ソ連・ブルガリアと貿易協定に調印―1976年の貿易協定で,ソ連とは片道850万ポンド,ブルガリアとは同300万ポンド。いずれもバーター取引。
DIA-301-1976-03-27-3バングラデシュ1976年03月27日1970年代民間部門の輸入許可品目増加―自動車,自転車,バイク,三輪車,綿織物,ココナツ油,医薬品,タイヤ・チューブ,綿糸などの輸入の70%を民間部門に割当てる。
DIA-301-1976-03-29-1バングラデシュ1976年03月29日1970年代農業研究所にアメリカ援助650万ドル―ジョイデブプールのBRRI(米作研究所)横に建設予定の農業研究所(BARI)に対し,アメリカが650万ドルを援助する協定に調印。このうち400万ドルは借款,250万ドルは贈与。
DIA-301-1976-03-29-2バングラデシュ1976年03月29日1970年代PL480・タイトルⅠで食糧3600万ドル供与―アメリカはPL480・タイトルⅠで米5万トン,小麦15万トンを含む食糧3600万ドルを供与する協定に調印した。これによりアメリカの対バ援助は1975/76年度で1億6460万ドルになる。
DIA-301-1976-04-01-1バングラデシュ1976年04月01日1970年代金価格下る―物価安定に伴い,タッカ市内の金価格が下落している。1976年2月末の金価格は1トラ1500タカ,1ヵ月後の3月末は1200タカとなった。
DIA-301-1976-04-03-1バングラデシュ1976年04月03日1970年代大蔵省布告―脱税者に厳しい措置を取ることが布告された。また徴税を効率的に行なうため,いくつかの行政改革をすることも布告された。①徴税局の権限の強化(立入検査,書類の強制捜査を実施する権限付与)②Tax Intelligence & Investigationの局を新設,③Directorate of Inspection & Trainingの新設。
DIA-301-1976-04-03-2バングラデシュ1976年04月03日1970年代ネパールと四つの協定―Huda計画相を団長とする一行は3月31日より4月3日までネパールを訪問,両国の協力関係を一層強化するための話し合いが為された。3日発表された共同声明によると,両国は技術協力,貿易,貨物通過,航空サービスに関して四つの協定に調印,電力・水資源開発に関してもその技術協力についての予備的話し合いを行ない,今後専門家の交換その他を通して話し合いをっづけていくことに同意した。 (1)技術協力協定:有効5ヵ年間で技術者訓練・教育,情報の交換,専門家交換等行なう。 (2)貿易協定:3ヵ年間で自動延長可。相互に最恵国待遇を与える。決済はハードカレンシイ。 (3)貨物通過協定:5ヵ年間で自動延長可。船からの陸揚げ,倉庫保管その他業務の便宜をはかる。バングラは6地点(チャルナ,チッタゴン,ディナジプールの2地点,ラングプール,ジェソール)をネパールの外国貿易に使用することを認める。ネパール商船に最恵国待遇を与え,通過貨物への課税はしない。 (4)航空サービス協定:両国の空港(複数)の相互乗り入れを認める。
DIA-301-1976-04-09-1バングラデシュ1976年04月09日1970年代バシャニ老,ファラッカ問題で声明― (1)インドの一方的取水によりバングラ3000万人民が被害を受けている。それは農業・交通・灌漑・漁業・森林・工業・貿易・発電その他の分野に及び,バングラの経済及びエコロジーの破損をもたらしている。 (2)私は中国・米・ソ・インド・すべての回教国・国連の指導者・全世界の人々に訴える。ファラッカ問題はバングラの死活問題であり,その主権・独立を脅かすものである,と。 (3)私はとくに中国政府・人民がインドのファラッカ堰からの一方的取水及び国境侵略について,我々の主権・独立を支持してくれたことに感謝する。 (4)インドは隣国との友野関係を維持しようとせず,一方的に河川水を奪い,バングラの反社会・反国家分子に武装訓練を与え,武器・資金を供与し,彼らの活動の聖域を与えている。しかし,政治的・経済的侵略・圧力によってバングラの自由と主権・独立を愛する人々を支配することはできない。
DIA-301-1976-04-10-1バングラデシュ1976年04月10日1970年代ゴラサール火力発電所第Ⅱ基完成―天然ガス利用のゴラサール火力発電所第Ⅱ基工事が完成した。発電能力110MW。総工費7億2450万タカで,このうち2億0400万タカはソ連の援助による。ソ連から72人の技術者が協力した。
DIA-301-1976-04-18-1バングラデシュ1976年04月18日1970年代バシャニ老,ファラッカへの平和行進を提唱―5月16日に「平和的非暴力行進」をラジシャヒからインド領ファラッカまで行なうというもの。
DIA-301-1976-04-18-2バングラデシュ1976年04月18日1970年代選挙管理委員会,300選挙区画定作業終了―区画は1974年センサスによる人口数を基につくられたもので1区画約23万8263人からなる。
DIA-301-1976-04-19-1バングラデシュ1976年04月19日1970年代国境紛争―インド政府はパトロール中のインド国境警備隊がバ側発砲により1人負傷したとして,バングラ政府に強く抗議した。
DIA-301-1976-04-20-1バングラデシュ1976年04月20日1970年代国境紛争―マイメンシン北部のハルァガート守備隊基地に対し,インド国境警備隊が攻撃をかけ,3時間に亘って交戦,バ側ではBDR3人,村人5人が負傷,警官1人が死亡した(バ政府発表)。
DIA-301-1976-04-20-2バングラデシュ1976年04月20日1970年代政府,インド政府に抗議。
DIA-301-1976-04-24-1バングラデシュ1976年04月24日1970年代ポンドとの交換レート変更―政府はポンド下落に伴い,4月26日よりタカのポンドとの交換レートを従来の1ポンド30タカから28.1タカに引上げると発表した。
DIA-301-1976-04-24-2バングラデシュ1976年04月24日1970年代食糧取引自由化―米・小麦の取引量が30モーンド以下の場合,食糧取引ライセンスを取得する必要がない。
DIA-301-1976-04-25-1バングラデシュ1976年04月25日1970年代米の供出価格―政府は7月からの米の政府買上げ価格を,下級米で1モーンド118タカ,中級米120タ カ(モミ米は74タカ)にすると発表した。この他買上げセンターまでの輸送料として1モーンド当り3~4タカ(距離による)上乗せされる。
DIA-301-1976-04-27-1バングラデシュ1976年04月27日1970年代IRRIの高収量品種試作テストでバングラの新種好成績―IRRIテストでは7ヵ国32品種が作付けされたが,バングラの新種BR-4(IR-5,IR-20と在来種のかけ合せた品種)が1位を占め,B-52-87-1,BR-3(通称Biplob種)が2,3位を占めた。BR-4は1975年BRRIで開発され,最高エーカー当り70~80モーンドの収量をあげられる。
DIA-301-1976-04-27-2バングラデシュ1976年04月27日1970年代譲渡土地回復法発表―1974年4~12月の間に洪水などの被害により土地を手放した者に対して,その土地所有権を回復させる法律で,希望者はその土地の買い戻し費用の6分の1を政府に現金で支払い,残り6分の5を利子と共に5ヵ年均等で返済しなければならない。但し現在の土地保有面積が3エーカー以下の農民についてのみ適用する。
DIA-301-1976-04-28-1バングラデシュ1976年04月28日1970年代ファラッカ堰問題について,印バ河川委員会,ダッカで開く―インド側団長はQ.C.Patel農業省灌漑局Add.Secretary。29~30日,代表団一行はクルナ地区を訪問,ファラッカによる被害状況を視察した。
DIA-301-1976-04-30-1バングラデシュ1976年04月30日1970年代M.G.タワブ空軍総司令官,辞任―タワブ空軍総司令官・戒厳令副司令官はサエム大統領に辞表を提出,受理された。8.15クーデターの指導者であるラシッド大佐などが亡命先のリビアからの一時帰国について,タワブ少将が橋渡しをしたといわれ,それが辞任の原因とみられている。
DIA-301-1976-04-30-2バングラデシュ1976年04月30日1970年代駐バングラ初代中国大使Chuang Yen着任。
DIA-301-1976-04-30-3バングラデシュ1976年04月30日1970年代中国に貿易代表団―広東交易会のためで,団長はM.Rahman BFCPC総裁。随員7入。
DIA-301-1976-04-30-4バングラデシュ1976年04月30日1970年代パ・パ貿易協定調印―ラーマン商務次官を団長とする貿易代表団は28日からパ政府担当者との交渉を重ね,両国が貿易関係を再開することに同意した。事務的問題(銀行手続き,決済方法,船舶運行等)については両国専門家によって取決める。
DIA-301-1976-04-30-5バングラデシュ1976年04月30日1970年代インド大使誘拐事件犯人2人に5年の刑。
DIA-301-1976-05-01-1バングラデシュ1976年05月01日1970年代メーデー集会でジアウル・ラーマン陸軍総司令官演説―タッカではメーデー中央集会が特別にもたれ,ジアウル・ラーマン少将が演説した。 (1)主権・独立・統一を目指して努力しよう。我々は平和と友好を望む。しかし攻撃には断固反撃する。我々は他国の内政に干渉しないし,自国の内政にも干渉されたくない。 (2)国境侵犯は々起っている,我々軍民は国家防衛のためにいつでも闘う用意がある。 (3)ファラッカ問題はバングラ国民3分の1にとってまさに死活問題であり,全世界の人々は我々の正しい主張を支持している。 (4)多くの反社会分子が11月以降外国に逃亡した彼らは過去の誤った行為,犯罪活動のため,人々が恐いのだ。彼らは独立し,政府を作るという。彼らは,今や自分たちが独立バングラ国民に何らの影響を及ぼすこともできないことを知っているのだ。 (5)一部の人々は「革命」の名の下に混乱をもたらそうとしている。これは革命の道ではない。これら極左派に反対しなければならない。
DIA-301-1976-05-01-2バングラデシュ1976年05月01日1970年代空軍総参謀長にMuhammad Khademul Bashar空軍准将任命(5月3日少将に昇格)。
DIA-301-1976-05-02-1バングラデシュ1976年05月02日1970年代ファラッカ問題をめぐる印パ会談終る―インド代表団はガンジス河流域を訪間,ファラッカ堰による影響を視察したが,両国代表会談では結論が出なかった。話し合いはバングラ代表が近く訪印してカルカッタで続けられる。
DIA-301-1976-05-05-1バングラデシュ1976年05月05日1970年代ジュート製品輸出好調―1975年7月~1976年4月までのジュート製品輸出実績は36.1万トン,23億5600万タカで,前年同期31.3万トンを大幅に上回った。輸出目標は26億タカ。
DIA-301-1976-05-06-1バングラデシュ1976年05月06日1970年代ファラッ力問題討議のためバングラ代表団・訪印―団長はアッバース治水担当特別顧問代表団はファラッカ堰及びフーグリ河下流を視察した後会談を継続したが結論を出せず,11日帰国。
DIA-301-1976-05-10-1バングラデシュ1976年05月10日1970年代日バ借款協定―1976/77の日本の対バ援助総額は6040万ドル。このうち商品援助は4300万ドル,プロジェクト援助(5つのon-going project)が1500万ドル,贈与240万ドル。
DIA-301-1976-05-11-1バングラデシュ1976年05月11日1970年代第7回回教国外相会議―トルコ・イスタンブールで開かれる第7回回教国外相会議出席のため,ジアウル.ラーマン陸軍総参謀長出発。会議は13日から開かれ,ジアウル・ラーマン少将はインドとの国境紛争,ガンジス河水配分問題などで回教国諸国の支持を訴えた。ジアウル少将はトルコからの帰路サウジ・アラビア,イランを歴訪して21日帰国。
DIA-301-1976-05-14-1バングラデシュ1976年05月14日1970年代インド政府,ファラッカ行進に抗議―インド外務省は駐印・バングラ大使を招いてバシャニ老の計画しているファラッカ行進に抗議し,その中止を求めたそれと共にデモ隊が国境を越えないよう,あらゆる必要な措置を取ると声明した。西ベンガル国境地区には国境警備隊と正規軍を配置,ファラッカ行進が国境を越えてインド領に入ることを防ぐ措置を取った。
DIA-301-1976-05-14-2バングラデシュ1976年05月14日1970年代カーン海軍総参謀長,インド批判―カーン海軍総参謀長はダッカで記者会見,インド政府がファラッカ行進計画に抗議したことについて批判,「ファラッカ問題は我々の死活問題であり,早急に解決すべきである。インド政府はその解決をはかる努力をしていないだけでなく,平和的なファラッカ行進計画に抗議している。これは内政干渉だ」とのべた。
DIA-301-1976-05-15-1バングラデシュ1976年05月15日1970年代バシャニ老,ファラッカ行進参加者に国境線を越えないよう指示―バシャニ老は声明を発表,「ファラッカ行進は平和的・非暴力行進であり,秩序は守られねばならぬ。国境線を越えることは許されない」とのべた。ファラッカ行進はバングラ側ラジシャヒからインド領ファラッカ堰まで行なうという当初のバシャニ提案は,バ政府の指示により撤回されたわけである。行進参加者は食料・炊事道具・寝具などをもって鉄道・バス・船・徒歩でラジシャヒに結集中で,参加人員は10万人を越えるものと主催者は見ている。
DIA-301-1976-05-16-1バングラデシュ1976年05月16日1970年代ファラッカ行進―インドのファラッカ堰構築に抗議するためバシャニ老の呼びかけたファラッカ平和行進は,バ側ラジシャヒで大衆集会を開いた後,インドとの国境の街カンシャトにむけ出発した。参加者は約10万人と推計されている。行進はカンシャトまでの41マイルを2日間で行なうもので,90歳を越えたバシャニ老も自動車で同行した。
DIA-301-1976-05-16-2バングラデシュ1976年05月16日1970年代バングラデシュ・タイムス社説―エナヤトゥラ・カーン主筆による社説は,ファラッカ行進について次のように論評している。「今やファラッカ問題は人民にとって単に河水の配分の問題ではなく,覇権主義,脅迫,国際正義違反に反対する,我々の国際統一のための闘いになっている。バシャニ老は今回の行進により,小国が大国の攻撃にいかに抵抗するかを示した。」
DIA-301-1976-05-17-1バングラデシュ1976年05月17日1970年代ファラッカ行進終る―国境地点カンシャトに到着したデモ隊は同地で抗議集会を開き,解散した。集会ではバシャニ老が演説,インドが8月16日までにガンジス河水配分についてバングラの正当な要求を認めないならば,インド製品ボイコット運動を展開するし,すべてのアラブ回教諸国に対しても同ボイコット運動に同調するよう呼びかける,とのべた。
DIA-301-1976-05-18-1バングラデシュ1976年05月18日1970年代印バ国境会談―インド国境警備隊長官A.Kumarの招請により,バ国境警備隊長官Dastgirが訪印,会談した。
DIA-301-1976-05-23-1バングラデシュ1976年05月23日1970年代物価安定―消費者物価指数(ダッカ)は総合で1976年2月が372(1969=100),1年前の1975年2月の448を大幅に下回った。食糧品物価指数も1976年2月が362.4で,1年前は520.7。
DIA-301-1976-05-25-1バングラデシュ1976年05月25日1970年代バングラデシュ債権国会議開催―バ債権国会議が25日からパリで開催された。1976/77年度の開発計画資金援助のためで,26日終了。会議の席上プレッジされた金額は約9.5億ドル(1975/76は8億ドル)。内訳は商品援助4億ドル,プロジェクト援助2.5億ドル,食糧援助3億ドル。
DIA-301-1976-05-27-1バングラデシュ1976年05月27日1970年代日本,バングラにホテル建設―タッカに最高級ホテルを建設する計画に対し,日本は2200万ドルの借款供与を決めた。年利4.5%,7年据置25年返済。
DIA-301-1976-05-28-1バングラデシュ1976年05月28日1970年代中国・北朝鮮に友好使節団―政府は中国に初めての友好使節団を送った。団長はM.G.ハフィーズ中バ友好協会長で,中国に15日間滞在し,その後6月16日から7月9日まで北朝鮮を訪問した。
DIA-301-1976-05-31-1バングラデシュ1976年05月31日1970年代バ・パ友好協会設立―会長はP.Muhseenuddinで,A.Sabur(旧回教徒連盟指導者)が顧問。
DIA-301-1976-06-04-1バングラデシュ1976年06月04日1970年代前ダッカ大学総長逮捕―M.チョードリ前総長は汚職・職権乱用により逮捕された。
DIA-301-1976-06-04-2バングラデシュ1976年06月04日1970年代旧アワミ連盟書記長Z.ラーマンに5年の実刑。
DIA-301-1976-06-05-1バングラデシュ1976年06月05日1970年代ポンドの交換レート変更―ポンドとの交換レートが4月26日に次いで再び変更された。新レートは1ポンド26.7タカ(旧レートは28.1タカ)で,7日から適用。ポンドの不安定のための措置で,従来ポンド建てで行なわれていたジュート輸出も7日からドル建てで行なう。
DIA-301-1976-06-08-1バングラデシュ1976年06月08日1970年代新聞記者団,訪中―中国政府の招きによりエナヤトゥラー記者(べ・タイムス社)を団長とする新聞記者団4人が訪中(7月9日帰国)。
DIA-301-1976-06-11-1バングラデシュ1976年06月11日1970年代インドからの投降者ふえる―インドに逃亡し,あるいは強制的に連行された人々の中から,バングラに投降してくる人数がふえている。これは3月25日のジアウル・ラーマン少将の呼びかけに応えたもので,6月に入って投降者数が急増している。このうちの12人が11日記者会見,インドでは国境警備隊BSFにより軍事訓練をされ,武器弾薬を与えられたこと,タイガー・シディキがBSFと共に指導に当っていること,インドのキャンプでは食事と日当20タカが与えられていること,などを明らかにした。
DIA-301-1976-06-12-1バングラデシュ1976年06月12日1970年代1976/77輸出目標は60.3億タカ―60.3億タカのうちジュート(250万ベール)・同製品(46万トン)で46.7億タカ,茶・皮革その他で13.6億タカ。1975/76年度輸出目標は54.3億タカであった。
DIA-301-1976-06-12-2バングラデシュ1976年06月12日1970年代公共部門の主要8産業―Huda計画相は公共部門が独占的に行なう主要8産業として以下の業種を発表した。 ①武器・弾薬,②原子力エネルギー③ジュート加工,④綿加工(除家内小規模工業),⑤砂糖工業,⑥航空機製作,⑦発電機製作,⑧電信・電話に関する事業。
DIA-301-1976-06-14-1バングラデシュ1976年06月14日1970年代戒厳令特別軍事法廷設置法,公布―反国家活動及び政府転覆の陰謀など国防法に違反したケースを主として取扱う法廷の設置で,裁判長は大佐以上の陸軍将官,他の4人の裁判官は海軍中佐・空軍中佐以上から各1,Magistrate First Classから2人。
DIA-301-1976-06-15-1バングラデシュ1976年06月15日1970年代チッタゴン,シレット等洪水被災―主としてチッタゴン,コミラ,シレットなどの洪水により死者74人,被災者数170万人。ジアウル・ラーマン少将は被災地を視察,救済のための処置を発表。
DIA-301-1976-06-16-1バングラデシュ1976年06月16日1970年代北朝鮮と航空協定―バ・北朝鮮代表は,タッカで航空機の相互乗り入れについて覚書きに調印した。
DIA-301-1976-06-18-1バングラデシュ1976年06月18日1970年代印バ会談―インド政府は印バ関係改善のためパルタサラティ外務省政策立案委員長を団長とする大型代表団をバングラデシュに送った。団員はJ.S.メータ外務次官はじめ16人。バングラ側団長はフセイン・カーン海軍総参謀長他12人で,タバラク外務次官,アッバース治水灌漑担当特別顧問も含まれている。会談は19日から22日まで続けられたが,ファラッカ問題及び国境問題とも解決の糸口をつかむことができず,結論を出せなかった。
DIA-301-1976-06-22-1バングラデシュ1976年06月22日1970年代印パ会談,物分れ―インド代表を迎えてタッカで開かれた印バ会談は結論を出せず,物分れに終った。インド側団長パルタサラティは帰国前の記者会見で,「話し合いは非常に有効で両国の相互理解に役立った。ファラッカ問題については今後とも話し合いをつづける。今回の話し合いの中心はファラッカ問題であり,国境問題及び報道機関のあり方についても話した」とのべた。
DIA-301-1976-06-26-1バングラデシュ1976年06月26日1970年代1976/77年度予算発表―ジアウル・ラーマン陸軍総参謀長(大蔵大臣兼任)は1976/77年度予算を発表した(詳細は資料参照)。
DIA-301-1976-06-26-2バングラデシュ1976年06月26日1970年代1976/77年度開発計画発表(資料参照)。
DIA-301-1976-06-27-1バングラデシュ1976年06月27日1970年代1975/76年度経済事情発表(資料参照)。
DIA-301-1976-06-28-1バングラデシュ1976年06月28日1970年代IDA,4100万ドル借款供与―バ・IDAは4100万ドルの借款供与に関する協定に調印した。このうち2500万ドルは商品援助(バ工業銀行の外貨分),1600万ドルは農村総合開発プロジェクトへの資金供与。内容はボグラ・マイメンシン県の中の7つの郡をモデル地区とし,村道の建設,市場設置,排水溝修繕,灌漑設備,養魚池の改良などを通して農村社会開発を行なうもの。
DIA-301-1976-06-29-1バングラデシュ1976年06月29日1970年代中国・北朝鮮に政府視察団―A.K.Mアハサン計画委メンバーを団長とする視察団4人は中国・北朝鮮の農業開発の実情視察に出発した。
DIA-301-1976-06-30-1バングラデシュ1976年06月30日1970年代1976年7~12月輸入政策―輸入許可総額は46.4億タカで,前期(1~6月)より10億タカ増加。このうち20.2億タカは輸出収入でまかない,21.6億タカは外国援助資金,残りはバーターなどで充当する。輸入割当は輸出産業及び主要産業として優先権を与えられている業種についてその需要を十分満すことになろう。その他産業は当初需要の50%を認め,外貨の余分があれば追加される。Wage Eamers Schemeによる輸入リストは追加される。
DIA-301-1976-07-01-1バングラデシュ1976年07月01日1970年代1976/77年度輸出政策―輸出促進局長発表。 (1)輸出目標は56.4億タカとする。ジュートは250万ペール,18.65億カタ,ジュート製品は46万トン,24.7億タカで合計43.35億タカ(76.9%)。残り13.05億タカは他の製品を輸出する。昨年度の改定輸出目標は55.4億タカ。 (2)輸出業者に対するPre-shipment & Packing Loanの利子率を13%から11.5%に引下げ,業者の外国訪問の機会をふやす。 (3)非伝統的製品の輸出を促進するため,その輸出に関する販売税・消費税を免除し,輸出産業の法人所得税の免税率を15~25%から30~50%に引上げる。 (4)輸出促進のため「輸出銀行」の設立,輸出促進局の機構改革などを考慮する。また外国におく貿易代表部の数をふやす。 (5)Export Performance Licenceのリストを17品目追加する。
DIA-301-1976-07-03-1バングラデシュ1976年07月03日1970年代投資公社設立―政府は民間投資促進のため投資公社(Bangladesh Investment Corporation=BIC)の設立を決めた。当初の払込資本は5000万タカ(政府出資51%で残りは銀行・保険会社・民間など)。
DIA-301-1976-07-03-2バングラデシュ1976年07月03日1970年代ネパールから初代大使着任。信任状奉呈。Harka B.Thapa大使。
DIA-301-1976-07-06-1バングラデシュ1976年07月06日1970年代パキスタンより貿易代表団,訪バ―団長はF.ラーマン・カーン商務次官補で,メンバーの26人は主としてカラチの民間企業代表。一行は8日間ダッカ,チッタゴン,クルナ等で政府・民間代表と会談,13日に帰国した。
DIA-301-1976-07-06-2バングラデシュ1976年07月06日1970年代ブラック・マネー4.5億タカ申告―1月8日の政府発表に応えて6月末までに申告されたブラック・マネーは4.5億タカ(3600件)にのぼった。
DIA-301-1976-07-06-3バングラデシュ1976年07月06日1970年代計画委議長,更迭―Z.Huq氏に代って,Shaful Azam(Cabinet Division Secretary)が任命された。また計画委メンバーにA.ファルーク,ダッカ大学商学部長任命(9日)。
DIA-301-1976-07-09-1バングラデシュ1976年07月09日1970年代ハビブ銀行(パキスタン),ダッカに初の支店。
DIA-301-1976-07-10-1バングラデシュ1976年07月10日1970年代M.トーハ,ダッカで記者会見―バングラデシュ共産党(ML)委員長M.トーハ氏はダッカの記者クラブで会見,同党の見解を次のようにのべた(トーハ・グループはムジブル・ラーマン時代には地下活動を行なっており,一般大衆の前に姿を現わして記者会見をしたのは独立以来はじめてのことである)。 (1)外国勢力とその手先がバングラデシュ独立を脅かす活動を強化している。現在最も必要なことは,こうした独立に対する脅威から国を守ることである。 (2)選挙は現段階では時期早尚である。選挙の代りに,暫定的に国民政府(National Government)をつくるべきだ。この政府は軍人,労働者,農民,インテリを含む愛国的人士による国民会議(National Convention)を通してつくられるべきである。 (3)わが党は1970年に武装階級闘争の方針を決めたがそれは誤りであることが証明され,党により破棄された。現在の政府は独立主権の維持を主張しているのであり,わが党として武装闘争をする必要はないと考える。
DIA-301-1976-07-14-1バングラデシュ1976年07月14日1970年代選挙人名簿作成について―選挙管理委員長は選挙人名簿の作成業務を8月9日から始め,12月7日にはファイナル・リストを印刷して発表すること,このためすでに5万人以上のリスト作成者(戸別訪問者),1万5200人の監督官,1006人の登録補佐官,68人の登録官を任命したことを明らかにした。
DIA-301-1976-07-15-1バングラデシュ1976年07月15日1970年代1976~78民間投資政策発表―政府は1976/77,1977/78年度の民間投資政策を発表した。第1次5ヵ年計画初年度の1973年1月に発表された民間投資政策は1974年と1975年12月に改正され,投資上限も当初の200万タカから1億タカに引上げられている。今回の民間投資政策の特徴は,民間投資の重要性を認め,従来の公共部門を中心とした工業化政策から,民間部門により重点を移した工業化政策へと転換を示した点である。この2ヵ年の投資目標は19.1億タカ(このうち外貨は11.25億タカ)。投資内訳はエンジニアリング関係が優先される(詳細は資料参照)。
DIA-301-1976-07-17-1バングラデシュ1976年07月17日1970年代特別軍事法廷,JSD指導者に死刑―逮捕されていたJSD及び人民解放軍(Gono-bahini)指導者たちは,軍司令部で開かれた戒厳令特別軍事法廷(秘密裁判)で死刑・無期を含む判決を受けた。人民解放軍指導者Abu Taher(11月7日のクーデターで重要な役割を果し,ジァウル・ラーマン救出を指導したといわれる)は死刑,JSD委員長M.A.Jalil及びAbu Yusuf Khan(Taherの弟)は終身刊,Ziauddin Ahmed(少佐)は12年と罰金2万タカ(欠席裁判,インドに逃亡中とみられる),JSD書記長A.Rab,Prof Anwar Hossain,H.H.Iroの3人は10年と罰金1万タカ。 判決理由については要旨次のように発表された。 TaherをはじめJSD指導者たちは暴力によって政府を打倒し,軍内部をかく乱していわゆる「人民の軍隊」に変節させようとした。彼等の目的は正規軍を破滅させて政府の転覆をはかり,自ら権力を奪取することにあった。彼等は11月7日の栄光ある革命の成功を自らの功績と主張し,兵士たちに銃をとって将官に反抗するよう呼びかけた。こうしたことはわが国軍の力を弱め,敵国の侵略に道を開くことになるのであり,反国家的活動である。彼等のこのような主張はカデル・シディキ(インドに逃亡中のゲリラ指導者)の支持
DIA-301-1976-07-20-1バングラデシュ1976年07月20日1970年代パキスタンより友好使節団―団長はアカ・シャーヒ外務次官で,これは独立以来初めての政府高官による訪バ。23日に共同声明が発表され,今後の協力関係強化が確認された。
DIA-301-1976-07-27-1バングラデシュ1976年07月27日1970年代大統領,政党指導者と会談―サエム大統領は官邸に旧政党指導者など38人を招いて今後の政治活動のあり方について話し合った。席上大統領は政党活動を8月から認める方針であること,総選挙は予定通り1977年2月末までに行なうことなどを明らかにした。
DIA-301-1976-07-28-1バングラデシュ1976年07月28日1970年代政党規則(Political Party Regulation)公布―政府は政党法1962年,政党禁止法1975年を廃止し,それに代る政党規則を発表した。要旨以下の通り。 (1)7月30日~9月1日まで,政党活動は屋内においてのみ認められる。 (2)各政党は党の綱領,規約,活動方針,組織・下部機関名とその活動分野などを政府に提出すること。政府は提出されてから3週間以内に同規則の必要条件を満しているか否かを検討し,書面をもって認可の可否を通告する。いかなる政党も政府の認可なしにその活動をすることはできない。 (3)外国から支援される政党は認可されないし,国の主権,独立,団結に反する政党は認可されない。 (4)政党規則に違反する政党は解散され,財産も没収される。
DIA-301-1976-07-31-1バングラデシュ1976年07月31日1970年代JSD,ハルタル呼びかけ―JSDはその指導者Taherの死刑判決,その他指導者の重刑に反対してハルタルを呼びかけた。戒厳令下でのハルタルは違法であり,警察を中心にダッカ市内要所は厳重に警戒されたこともあって,ハルタルは実施されず,若干の混乱があったにすぎなかった。ダッカ市内ではJSD活動家15人が逮捕,ナラヤンガンジでは3人が逮捕された。
DIA-301-1976-08-04-1バングラデシュ1976年08月04日1970年代法務省,政党規則について説明―法務省はPress Noteを発表,政党規則の細目説明を行なった。 (1)党綱領・行動計画は国民の社会・経済的発展に寄与するものでなくてはならない。 (2)党綱領の中には,党の目的,組織,党役員選出方法,党資金源,資金徴収方法と領収書発行,党資金使用手続き,党資金運用状況の公開(商業銀行を通すこと),年次会計報告と発表の方法などを含まなければならない。また独立・主権・統一・安全に反するプロパガンダや反国家活動をしないこと,秘密の地下組織・地下活動をしないこと,武装部隊などをもたないこと,を明記しなくてはならない。 (3)9月1日までは屋内での政党活動に限り,この間に政府に提出すべきすべての書類を作成すること。 (4)政党はその下部機関のリストを明示する。学生組織,文化人,農民,青年組織などの名称,組織形態,活動範囲を明確化すること。
DIA-301-1976-08-05-1バングラデシュ1976年08月05日1970年代カーン海軍総参謀長,ファリドプールで演説―ファラッカ間題に関する集会で演説したもので,「問題解決の責任はファラッカにダムを作った側にある。我々は平和的恒久的解決を望んでいる。そのため6月の印バ会談で我々はガンジス河上流に貯水池をつくること,1年間の月別分水量を決めることを提案,7月末までに回答するよう要請した。しかしインドは小さく貧しい国の要請を取上げる必要性を感じないらしい。これまで我々は沈黙して来た。しかしいつまでも無為にすごすわけにはいかないし,不安定な状態をつづけるわけにもいかない」。
DIA-301-1976-08-07-1バングラデシュ1976年08月07日1970年代外国人を含む17人,反国家活動て裁判―オランダ人Peter Custerを含む17人は暴力により国家転覆をはかる陰謀を企てたとして裁判にかけられている。Custerは1973年にバングラデシュ入国以来,JSDの地下組織と結びついて陰謀に加担したという。
DIA-301-1976-08-09-1バングラデシュ1976年08月09日1970年代非同盟諸国会議出席のためジアウル・ラーマン少将出発―ダッカ空港で記者会見ファラッカ問題及び国境問題でインドの態度を強く批判した。
DIA-301-1976-08-09-2バングラデシュ1976年08月09日1970年代選挙人名簿作成業務始まる。
DIA-301-1976-08-10-1バングラデシュ1976年08月10日1970年代全国を11の戒厳令区に分け,それぞれに戒厳令地区司令官を任命した。ダッカ市は1区とし,Dastgir少将(BDR長官)が司令官。ダッカ県全体はM.A.Samad大佐。
DIA-301-1976-08-13-1バングラデシュ1976年08月13日1970年代非同盟諸国外相会議でジアウル・ラーマン少将演説一同外相会議は11日から開かれ,首脳会議で採択する宣言起草,同会議加盟国問題,同会議調整委員会メンバーの問題等について討議が行なわれた。ラーマン代表は宣言の中に「参加国の真の独立を強く支持し,いかなる国からもその独立に加えられる脅威に反対する」ことを明記するよう主張,また加盟国の問題,調整委員会メンバーの問題でも,インドの主張を批判した。
DIA-301-1976-08-14-1バングラデシュ1976年08月14日1970年代マイメンシンで反政府ゲリラ5人殺さる―インドから越境した反政府ゲリラ6人はマイメンシンとタンガイルを結ぶ道路上の橋を爆破しようと試み,バ軍と交戦して5人が殺され,1人が重傷を負った。負傷者の話によると彼らはインドのメガラヤにあるDumuiキャンプで訓練をうけて送り込まれたという。
DIA-301-1976-08-16-1バングラデシュ1976年08月16日1970年代第5回非同盟諸国首脳会議,コロンボで開催―バングラからはサエム大統領が出席,18日に演説した。
DIA-301-1976-08-19-1バングラデシュ1976年08月19日1970年代サエム大統領,ジアウル・ラーマン少将らコロンボ会議より帰国―ジアウル・ラーマン少将は記者会見で「新植民地主義,覇権主義,拡張主義に反対する我々の立場はコロンボ会議で多くの国の支持を集めた。我々はファラッカと国境間題について発言したが,すべての国が我々の立場を理解した」とのべた。
DIA-301-1976-08-19-2バングラデシュ1976年08月19日1970年代シエルプールで反政府ゲリラ3人殺さる―マイメンシンのシエルプールでゲリラ5人が警察隊と交戦,ゲリラ3人が殺され,2人が逮捕された。5人はインド・メガラヤのChandaboiキャンプで訓練をうけた。
DIA-301-1976-08-23-1バングラデシュ1976年08月23日1970年代国家国防委員会設置―政府は国防に関する政策の最高決定機関として新たに国家国防委員会National Committee on Defenceの設置を決めた。委員長は大統領で,委員には3軍の総司令官,防衛,外務,大蔵,内務,商務,工業,運輸の各省大臣11人よりなる。
DIA-301-1976-08-25-1バングラデシュ1976年08月25日1970年代バ政府,ファラッカ問題の国連提訴決める―カーン海軍参謀長は記者会見,ファラッカ問題を国連総会の議題に入れるよう正式に要請したことを明らかにした。
DIA-301-1976-08-25-2バングラデシュ1976年08月25日1970年代茶園29ヵ所の民間払い下げ決定。
DIA-301-1976-08-28-1バングラデシュ1976年08月28日1970年代政党結成の動き―政党規則により党綱領・規約等を政府に提出して認可を求める動きが続けられ,8月末まで各政党が申請書を提出するものとみられている。当初各政党とも他政党と統合して全国的規模をもつ国民政党づくりに努力していたが,それらはいずれも成功せず,8月中旬以降は独自の政党づくりが為されるようになった。そのため申請政党数が増えている。主な政党は以下の通り。 Bangladesh Muslim League, B.Democratic Party, B.Awami League, NAP (Bashani), NAP (Muzaffar),Communist Party of Bangladesh, United Peoples Party, Islamic Democratic League, Krishak Sramik Party, B. Socialist Party, B. Jatiya Dal, B. Labour Party, B. Peoples league, JSD, Jatiga Ganomukti Union, Sramik Krishak Samajbadi Dal, B.Scheduled Caste Fed.
DIA-301-1976-09-01-1バングラデシュ1976年09月01日1970年代空軍総参謀長,飛行機事故死―M.K.Bashar空軍総参謀長はFlying lnstructors’ School開校式後のデモンストレーション飛行で離陸に失敗,ダッカ空港で殉死した。41歳。
DIA-301-1976-09-03-1バングラデシュ1976年09月03日1970年代内水路交通公社(BIWTC),貨物船200隻の払い下げ―政府の払い下げ委員会(Disinvestment Board)が決めたもので,民間企業育成のため。
DIA-301-1976-09-05-1バングラデシュ1976年09月05日1970年代インド,バングラ政府にファラッカ問題の無条件話し合いを提案,バ代表団の訪印を要請した。バングラ政府はカーン海軍総参謀長を団長とする代表団派遣を決定。
DIA-301-1976-09-05-2バングラデシュ1976年09月05日1970年代空軍総参謀長にA.Gaffar Mahmood准将を任命―Bashar前総参謀長の殉職に伴う処置で,戒厳令副司令官および石油省,食糧省,民間航空・観光省担当の大統領顧問にも任命(9.6),少将に昇格(11.9)。
DIA-301-1976-09-07-1バングラデシュ1976年09月07日1970年代マイメンシン国境附近での反政府ゲリラ活動,再び活発化―国境各地でインドから侵入した反政府ゲリラとバングラ国境警備隊(BDR)とが衝突,多数のゲリラが逮捕され,武器弾薬が押収されている。最近はラングプールおよびファリドプール各県でも反政府ゲリラ活動が盛んになって来ている。
DIA-301-1976-09-08-1バングラデシュ1976年09月08日1970年代ファラッカ問題での印バ会談始まる(~16日)―インド政府の呼びかけにより,バンクラ政府はカーン海軍総参謀長を団長とする代表団を送り,デリーで印バ会談が始まった。インド代表はジャグジバン・ラム農相。会談は相方とも譲らず10日には決裂した。カーン代表は10日,帰国後の記者会見で,「交渉にのぞむインド側の態度はファラッカ問題解決の意志をもっていないことを示すものであり,印バ両国間のギャップを拡大するものであった」とのべた。
DIA-301-1976-09-08-2バングラデシュ1976年09月08日1970年代政府,電話器製造工業労働者ストを違法として中止するよう指示した。労働者は賃金・諸手当引上げを要求してストに入っていた。
DIA-301-1976-09-10-1バングラデシュ1976年09月10日1970年代毛主席死去で喪に服すため休日。
DIA-301-1976-09-12-1バングラデシュ1976年09月12日1970年代バシャニ老帰国,空港で記者会見―病気療養のためロンドンに行っていたバシャニ老が帰国,空港での記者会見で次のようにのべた。 (1)わが国でいま総選挙を実施するか否かは国民投票で決めるべきである。 (2)現憲法は廃止し,政府,政党指導者および国の内外の専門家を集めて憲法草案を作り,それを国民投票にかけて憲法を制定すべきである。選挙は新憲法に基づいて実施せよ。 (3)現在最も重要なことは政府と協力して法と秩序を守り,国の独立,主権を守ることである。今政治活動を自由にするならば,法と秩序が混乱するだけであろう。 (4)今後はイマームのためのカレッジを作り全国1200の回教寺院を使って世直しに努力する。
DIA-301-1976-09-12-2バングラデシュ1976年09月12日1970年代反政府ゲリラ投降者の記者会見―1975年11月,インドに逃亡したM.A.Beg(前WAPDAの保安長官)は9月はじめバングラ軍に投降,インドでの状況を記者団に次のように語った。「11月1日ラジシャヒからインドに逃亡した。はじめ近くのBSFキャンプに入り,後カルカッタのSunny Villaに移った。Sunny Villaは前AL系国会議員Chittaranjan Sutarの所有の邸宅で,彼は国会議員になってから数十万ルピーで買ったという。このVillaはバングラから逃亡して来たAL系指導者の活動の中心で,ここにはインド外務省高官,Cabinet DivisionのJoint Secretary,インド軍およびBSF将校などがしばしば集って,バングラ内での破壊活動の計画を練っていた。彼等は送電線破壊,チッタゴン港の船舶沈没,通信網の破壊,主要工場破壊などを目論んでおり,こうした活動によって国民の現政府への信頼を失なわせることを目指していた。私は特別任務を与えられ,空軍機でDehra Dhunの訓練キャンプにつれて行かれた。キャンプには250人のゲリラ要員が訓練されインド陸軍将校の指揮下にあった。バングラ人は1日7ルピー与えられ,破壊活動のためバングラに侵入するものには2000タカを与えられた」。
DIA-301-1976-09-15-1バングラデシュ1976年09月15日1970年代バングラデシュ投資公社設立―政府は民間投資を推進するための投資公社(Investment Corporation of Bangladesh=ICB)の設立を決め,総裁にM.L.Rahman(前ジュート省次官),理事長にA.lslam Khan(前Agrani銀行頭取)を任命した。
DIA-301-1976-09-18-1バングラデシュ1976年09月18日1970年代1976/77年度食糧生産目標―米および小麦で1315.7万トンの生産目標とする。
DIA-301-1976-09-18-2バングラデシュ1976年09月18日1970年代中央銀行年報1975/76発表―中央銀行は1975/76年次報告書を発表,バングラ経済が全般的に好調であると評価している(資料参照)。
DIA-301-1976-09-19-1バングラデシュ1976年09月19日1970年代共産党(ML)M.ト-ハ委員長,選挙延期を主張―トーハ委員長は声明を発表,総選挙を2,3年延期するよう主張した。その理由として国境での侵略,国内での外国機関の反乱活動をあげ,こうした「宣戦布告なき戦争」下での選挙は自殺行為に等しいとのべている。選挙に代るものとして,政府が愛国的人士を集めて民族統一戦線(National Unity Front)を結成することを主張した。
DIA-301-1976-09-20-1バングラデシュ1976年09月20日1970年代化学工業公社,22工場払い下げ―22工場はすべてなめし皮工場で小規模のもの。
DIA-301-1976-09-21-1バングラデシュ1976年09月21日1970年代オランダ人Peter Custerの陰謀事件に判決―戒厳令特別第2法廷はオランダ人Peter CusterとJSD13人の陰謀事件に対し,Custerと6人のJSD首謀者に14年の刑,残り7人にも判決を下した。Custerたちは武力革命によって政府転覆を企てたとされている。Custerは1973年入国以来JSDとその地下組織であるGana Bahini(人民軍)の指導者Abu Taher(死刑執行)と協力,武装蜂起の準備をしていたとの理由で,1975年8月12日に逮捕されていた。
DIA-301-1976-09-23-1バングラデシュ1976年09月23日1970年代国家人口評議会,人口政策を認可―これは1980年までに人口増加率を2%に引下げることを目標とした政策で,そのためには家族計画実施の出生可能夫婦(Eligible Couple)を現在の4.7%から1978年に12%(220万組),1980年には20%(360万組)にするというもの。
DIA-301-1976-09-23-2バングラデシュ1976年09月23日1970年代85工場払い下げ―政府は総資本額20億タカにのぼる85工場の払い下げを決定した。
DIA-301-1976-09-29-1バングラデシュ1976年09月29日1970年代USAID,1700万ドル援助協定―このうち1400万ドルは借款で小規模灌漑事業に利用,300万ドルは贈与で農業に関する調査のために利用される。
DIA-301-1976-10-01-1バングラデシュ1976年10月01日1970年代バ民主連盟委員長コンドカル・ムスタク・アーメド(前大統領),記者会見―バ民主連盟(BDL)の政治的立場を説明,選挙を予定通り実施して議会民主主義を回復する必要性を強調した。
DIA-301-1976-10-03-1バングラデシュ1976年10月03日1970年代バ労働党委員長,選挙延期要求―A.Matin委員長は記者会見し,現在の状況下での選挙は国家安全を危機にさらすものとして反対,2年間延期するよう主張した。
DIA-301-1976-10-06-1バングラデシュ1976年10月06日1970年代印バ,貿易協定の3年延長に合意―9月28日に期限切れの貿易協定を3年延長させるもの。なお1974/75,1975/76の両国貿易実績はそれぞれ5700万ドル,7400万ドル。
DIA-301-1976-10-07-1バングラデシュ1976年10月07日1970年代国連第31回総会で,バ代表演説―カーン海軍総参謀長・国連代表が演説,小国の安全が隣国によって脅威にさらされているとして暗にインドを批判した。
DIA-301-1976-10-07-2バングラデシュ1976年10月07日1970年代ジュートに関する国際会議,ダッカで開催―ESCAP・UNCTAD共催の会議で,ジュート生産国(バングラ,インド,タイ,ビルマ,ネパール)代表が出席,ジュート輸出促進とその生産国利益擁護の方策を検討した(~10日)。
DIA-301-1976-10-08-1バングラデシュ1976年10月08日1970年代パ・バ,通信サービス拡張の協定―航空郵便,船便,航空貨物の取扱いおよび電信電話のサテライト利用等についての協定に調印。
DIA-301-1976-10-10-1バングラデシュ1976年10月10日1970年代パシャニ老,インド製品ボイコット運動を呼びかけ―ファラッカ問題,国境紛争などにおけるインドの侵略意図を紛砕するため,インド製品ボイコット運動を展開するよう訴えた。
DIA-301-1976-10-13-1バングラデシュ1976年10月13日1970年代反政府ゲリラ18人投降―多くはJSDに属する人々でインドのキャンプで訓練を受け,マイメンシン国境から侵入したという。政府発表によると最近こうした投降が目立っている。
DIA-301-1976-10-14-1バングラデシュ1976年10月14日1970年代51政党が政府に認可を求めている。51番目の政党は農労党(Krishak Sramik Party)。
DIA-301-1976-10-21-1バングラデシュ1976年10月21日1970年代砂糖生産目標,11.5万トン―11月からの砂糖工場生産開始に伴い,1976/77の生産目標を11.5万トンに決めたもの。昨年実績は8万6789トン,国内需要は最低9万6000トン。砂糖の生産能力は16.9万トンである。砂糖キビの買上げ価格は工場渡しで1モーンド10.50タカ,他の買上げセンター渡しで10タカ。
DIA-301-1976-10-23-1バングラデシュ1976年10月23日1970年代税制審査委員会設立―政府は税率および徴税制度全般にわたっての改善をはかるため税制審査委員会を設立,委員長にNurul Islam(中央銀行総裁),メンバー8人を任命した。
DIA-301-1976-10-24-1バングラデシュ1976年10月24日1970年代政党法改正―政党結成申請書に関する認可権を戒厳総司令官に与え,裁判所の介入権を排除するよう改正したもの。
DIA-301-1976-10-25-1バングラデシュ1976年10月25日1970年代全国5万8000ヵ村に防衛委員会設置―法と秩序の維持に村の人々を参加させるために作られたもので,残り7000ヵ村にも近く作られる。この村落防衛委員会(Village Defence Committee)は各部落から1人の代表を出して15人のメンバーで構成される。
DIA-301-1976-10-26-1バングラデシュ1976年10月26日1970年代中国ジャーナリスト,訪バ―人民日報の駐パ特派員2人が訪バ,約1ヵ月に亘り各地を訪問する。
DIA-301-1976-10-27-1バングラデシュ1976年10月27日1970年代サウジアラビア,1億5000万ドル借款供与―この他3000万ポンドの短期資金供与(中央銀行への預金の形)および20万トンの尿素肥料供与(無償)も発表された。
DIA-301-1976-10-31-1バングラデシュ1976年10月31日1970年代ジアウル・ラーマン陸軍総参謀長の地方視察―ラーマン総参謀長は10月はじめより国内各地の視察にまわっている。この日はチッタゴン南のCox’s Bazarなど4ヵ所を訪問し,地方の住民,地方政府官吏などと会見した。こうした集会をcross section of peoplesand offcialsと名付け,住民および地方官吏との相互理解に役立たせようという。
DIA-301-1976-11-02-1バングラデシュ1976年11月02日1970年代西独と1億マルク援助協定に調印―5000万マルクは商品援助,5000万マルクはプロジェクト援助。
DIA-301-1976-11-02-2バングラデシュ1976年11月02日1970年代小規模工業への貸付増加―中央銀行は各商業銀行に対し,中小企業への資金貸付を拡大するよう指示した。
DIA-301-1976-11-03-1バングラデシュ1976年11月03日1970年代英ポンドとの交換レート再調整―1ポンド26.70タカから25.45タカに引上げたもの。
DIA-301-1976-11-03-2バングラデシュ1976年11月03日1970年代マクナマラ世銀総裁,訪バ(~6日)―マクナマラ世銀総裁夫妻はバ政府の招きで訪バ。空港での記者会見で「バングラは農業生産の拡大,既存工業の有効な活用,農村での雇用機会拡大,輸出促進,家族計画実施などをしなければならない」とのべた。総裁は世銀援助による農村総合開発プロジェクトを視察,大統領はじめ政府高官と会議,6日インドにむけ出発した。
DIA-301-1976-11-04-1バングラデシュ1976年11月04日1970年代ブット首相,PIAボーイング707 1機をバングラに贈与すると発表。同機は11月6日ダッカに飛来した。
DIA-301-1976-11-04-2バングラデシュ1976年11月04日1970年代バングラの運輸次官,訪パ―独立戦争中カラチに陸揚げされたトルコ製客車28台の引取りとパキクタンから広軌貨車58台購入(約500万ドル)について話し合うため。11月7日には覚え書きに調印した。
DIA-301-1976-11-05-1バングラデシュ1976年11月05日1970年代国際資金投資会社設立―外国での銀行取引を行ない,あるいは外国で銀行に関する事業を行なうバングラ企業への資金供与のために,Intemational Finance & Investment Co.Ltdが設立された。
DIA-301-1976-11-05-2バングラデシュ1976年11月05日1970年代シレットで反政府ゲリラ8人死亡―シレットのIndrapurでゲリラとBDRが衝突,ゲリラ8人が死亡,12人が逮捕された。
DIA-301-1976-11-05-3バングラデシュ1976年11月05日1970年代チッタゴン市内で爆発事件3件―反政府ゲリラがマーケット,スタジアムなどに手榴弾を投げ,1人死亡,12人負傷した。
DIA-301-1976-11-05-4バングラデシュ1976年11月05日1970年代マイメンシン国境地帯でのゲリラ活動,急増―国境地帯では連日のようにゲリラ活動が伝えられている。最近のゲリラの特徴は稲の刈入れ中の農民を襲ったり,刈取った稲を奪って逃亡する事件が増えていること,BDRの駐屯所に攻撃をしかけてくるケースが目立っていることなどで,ゲリラ側の攻勢が目立つ。
DIA-301-1976-11-06-1バングラデシュ1976年11月06日1970年代革命記念日で2500人に特赦―政府は11月7日の革命記念日特赦として受刑者2500人を釈放した。これまで1年間に政府が釈放した受刑者は5300人,政治犯は2650人に達する。
DIA-301-1976-11-09-1バングラデシュ1976年11月09日1970年代アラブ資本による銀行,チッタゴンに支店開設―Bank of Credit and Commerce Intemational(Overseas)でバングラには初めてのアラブ系銀行支店となる。同行は1972年設立,70%がアラブ資金,30%はBank of Amnericaの出資。
DIA-301-1976-11-09-2バングラデシュ1976年11月09日1970年代民間工業投資活発化―過去1年間に民間投資224件(総額7億5740万タカ)の認可を与えた。このうち103件は新規工業投資,残り121件は近代化および拡張のための投資。
DIA-301-1976-11-10-1バングラデシュ1976年11月10日1970年代反国家分子に厳罰―政府は戒厳令規則(22回修正)を発布,暴動,戦争をもたらしあるいは陰謀をはかり,それらのために不法にバングラ国内に侵入したものに対しては死刑を含む厳罰に処することにした。
DIA-301-1976-11-11-1バングラデシュ1976年11月11日1970年代ガンジス河水位下る―ガンジス河水位は乾期を前にしてすでに異常に低下,この状況がつづけば3月中旬にはファラッカ堰より下流のガンジス川はdry upすると心配されている。
DIA-301-1976-11-11-2バングラデシュ1976年11月11日1970年代反政府ゲリラ送電線爆破―チッタコン丘稜地帯のカプタイ発電所からチッタゴンヘの送電線(132kv)が反政府ゲリラに爆破された。
DIA-301-1976-11-11-3バングラデシュ1976年11月11日1970年代英国,1700万ポンドの贈与―このうち1500万ポンドはプロジェクト援助(綿工業の新設および近代化,砂糖工業,ジュート工業など),200万ポンドは運送,保険料などに使われる。これは英国のコンソーシアムでのプレツシ額2840万ポンドの一部で,残りの800万ポンドは商品援助,180万ポンドは小麦2万トンの購入資金,160万ポンドは債務返済に使われる予定。
DIA-301-1976-11-13-1バングラデシュ1976年11月13日1970年代外貨準備高増える―11月5日現在の外貨準備高は44億8650万タカで,7月9日の36億3570万タカにくらべ大幅に増加している。
DIA-301-1976-11-15-1バングラデシュ1976年11月15日1970年代国連特別政治委員会でファラッカ問題討議―バングラ代表カーン海軍総参謀長が報告,「二国間の話合いに反対するものではないが,すでにこの25年間ファラッカ問題で26回の会合をもち,印バ河川合同委員会でも13回の会合をもうて必要なデータの交換は終つているにも拘らず,何ら解決を見出しえず,国連のような第3者の介入なしには前進しえない段階に来ている」とのべ政治委員会に対し,以下のような決議を採択するよう要請した。 (1)ファラッカ問題の早急な解決法を見出すよう当事国に呼びかける。 (2)紛争の早期解決は将来の長期的解決にとって前提条件であることを当事国に認めるよう勧告する。 (3)ガンジス河水の伝統的利用を妨げるような一方的方策はとらないよう勧告する。 (4)国連,諸機関を通し,公正かつ可能な解決のために関係当事国を援助するよう国連事務総長に要請する。 (5)決議のフォローアップを行ない実施状況を次の国連総会で報告するよう総長に要請する。 (6)次の国連32回総会の議題の中に「フアラッカ問題」を入れる。 (なおこの決議案は11月24日修正可決されている)。
DIA-301-1976-11-16-1バングラデシュ1976年11月16日1970年代村落議会選挙は1976年1月―政府は住民の生活と深い関係をもつ村落議会(Union Parishad)の選挙を1977年1月第2週に実施すると発表した。
DIA-301-1976-11-17-1バングラデシュ1976年11月17日1970年代バシャニ老,死去―NAP(B)の委員長バシャニ老は入院加療中心臓発作で死去した。96歳(1880年生)といわれる。政府はバシャニ老の死を国葬にすることにし,18日は喪に服すため休日とした。バシャニ老は英領インド時代から農民運動を指導,反英闘争に参加した。東パ時代はベンガル民族主義運動の指導者として西パ支配に強く抵抗,1971年はじめにはバングラデシュ独立を主張した。
DIA-301-1976-11-17-2バングラデシュ1976年11月17日1970年代法律家29人,選挙の3年延長を要請―ダッカの法律家29人は共同声明を発表,現在の状況下での選挙は国民生活を危機に瀕させるものとして反対,3年間の延長をするよう要請した。
DIA-301-1976-11-21-1バングラデシュ1976年11月21日1970年代サエム大統領,総選挙の無期延期を発表―大統領はラジオ,TV放送を通じ1977年2月末に総選挙を予定通り実施することはフィージブルではないとのべ,選挙の無期延期を発表した。サエム大統領の放送内容要旨は以下の通り。 「過去1年間,政府は生活を安定させ,物価を引下げ,経済発展を促進させた。そしてこれらが成功しつつあるとの判断の下に,選挙によって選ばれた人民の代表に権力を移譲する方向に前進することを決め,総選挙に必要な準備を始めた。選挙区画定,選挙人名簿作成に次いで政党法を制定して政党の結成と政治活動への道を開いた。政府は政治家たちが国の統一を強め,意見の相違をこえて国家のためにつくすことを期待した。しかし残念ながら多くの場合,個人的利益,党利党略が国家の利益に優先した。すでに50以上の政党が政府の認可を求め,21政党が認可されている。政党間の対立は激しく,学生組織にも反映して紛争のもとになっている。国内の法と秩序も最近悪化の傾向を示し,国境を越えてのゲリラ分子の侵入も激化している。死活問題たるファラッカ問題の解決も早急になされねばならない。こうした状況下で,国民の平和と安定を脅かし,経済発展に悪影響を与え,国家統一を妨げ
DIA-301-1976-11-24-1バングラデシュ1976年11月24日1970年代バシャニ追悼集会―バシャニ追悼全国委員会(12政党と40機関代表により構成)の主催によりバシャニ追悼会がダッカで開催された。
DIA-301-1976-11-25-1バングラデシュ1976年11月25日1970年代中国から貿易代表団訪バ(~29日)―中国から初めての貿易代表団が訪バした。団長はHsi Yen-Shen対外貿易部第4局局長。一行3人はバ政府代表と両国の貿易拡大について話し合い,貿易協定の内容,交易品目について原則的に合意した(27日)。また貿易協定の正式調印は1977年1月,北京で行うことも合意された。
DIA-301-1976-11-28-1バングラデシュ1976年11月28日1970年代民族抵抗連帯委員会設立―ハシャニ追悼全国委は民族抵抗連帯委員会(National Resistance and Solidarity Committee)と改名して,今後も運動をつづけることに決定した。委員会は11人からなる小委員会を設置,今後の運動方針を決めることになった。委員会の責任者はAtaur Rahman Khan(BJL),スポークスマンはSerajul Hossain Khan(JAGMU).
DIA-301-1976-11-29-1バングラデシュ1976年11月29日1970年代戒厳令総司令官にジアウル・ラーマン陸軍総参謀長任命―サエム大統領は国家の利益のため,戒厳令総司令官の権限をジァウル・ラーマン陸軍総参謀長に移譲すると発表した。
DIA-301-1976-11-29-2バングラデシュ1976年11月29日1970年代ファラッカ問題をめぐる印バ閣僚会議を12月6日からダッカで開くことが発表された。
DIA-301-1976-11-30-1バングラデシュ1976年11月30日1970年代政党指導者11人逮捕―政府は反国家活動および汚職容職で政党指導者11人を逮捕した。政党別ではBAL(アワミ連盟)指導者6人,BDL(民主連盟)指導者4人,NAP(M)指導者1人で,BDLの中には前大統領のコンドカル・ムスタク・アーメドBDL委員長も含まれる。 BDL:K.M.Ahmed,Shar Moazzam Husain,K.M.Obaidur Rahman,Moinul Hossain(Ittefaq紙編集長). BAL:A.Malek Ukil(前国会議長),Sajeda Chowdhury(書記長代理),A.M.Talukdar,R.Bhuiya,S.Yusuf.M.H.Paltu NAP(M):Matia Chowdhury
DIA-301-1976-12-01-1バングラデシュ1976年12月01日1970年代ジアウル・ラーマン戒厳令総司令官,全国放送―ジアウル・ラーマン陸軍総参謀長は戒厳令総司令官に就任して初の全国放送を行ない,政治,経済,外交に関する情勢を全国民に説明,協力を求めると共に,今後の政府の方針を明らかにした。その中でジアは,①自力更生による国家建設,②農業開発の重要性,とくに農業の多角化,協同組合組織の強化,刈分小作人の法的権利の確立,農業金融の促進など,③工業生産向上のため労使関係の改善,労働者の権利を守り,その生活向上,福祉向上,労働者の経営参加,資本参加促進に努める,④民間投資の促進,⑤ファラッカ問題の解決,などに力を入れることを明らかにした。
DIA-301-1976-12-04-1バングラデシュ1976年12月04日1970年代バ政府,インドに国境問題での話し合いを呼びかけ。
DIA-301-1976-12-06-1バングラデシュ1976年12月06日1970年代ファラッカ問題で印バ閣僚会議,ダッカで開催―国連特別政治委員会の決議に基づき,印バ両国はファラッカ問題についての閣僚会議をダッカで始めた。インド代表はジャグジバン・ラム農業灌漑相を団長とし,パルタサラティ外務省政策立案委員長,J.S.メータ外務次官ら12人。バ代表はM.H.カーン海軍総参謀長・治水・灌漑相を団長とし,アッバース大統領治水担当特別顧問,タラバク外務次官ら12人。
DIA-301-1976-12-06-2バングラデシュ1976年12月06日1970年代民間部門への銀行貸出増加―1975/76年度は84億タカであったが,1976年7~9月の3ヵ月だけで約3億タカに達した。
DIA-301-1976-12-07-1バングラデシュ1976年12月07日1970年代選挙人名簿,発表―有権者総数は3836万3858人で,男2003万4717人,女1832万9141人。
DIA-301-1976-12-08-1バングラデシュ1976年12月08日1970年代ファラッ力会談,中断―6日から6回に亘って閣僚会談がもたれたが結論が出ず,中断された。ダッカで再び会談する予定。ラム・インド代表は記者団に,「会談は中断されたが,できるだけ早い時期にダッカで再開する予定だ。われわれは共通の解決を見出すために話し合ったが,非常に前進した」とのべた。一行は9日帰国した。一方バングラ代表のカーン海軍少将は「印バ間の意見の相違は善隣友好関係維持の原則により最少限にすることができよう。次の会談では何らかの突破口を見出すことができるかもしれない」とのべている。
DIA-301-1976-12-09-1バングラデシュ1976年12月09日1970年代村落議会(Union Parishad)選挙日程―政府は村落議会選挙を1月13日から31日までに行なうと発表した。選挙では議長1人,議員9人を選出する。村落議会構成メンバーは選出された10人のほか,2人の任命婦人よりなる。婦人議員の任命はSub-Divisinal Officer(SDO)が行う。
DIA-301-1976-12-09-2バングラデシュ1976年12月09日1970年代民族抵抗連帯委員会(NRSC)は村落議会選挙を3月に延期するよう主張した。
DIA-301-1976-12-10-1バングラデシュ1976年12月10日1970年代バングラデシュ輸出展開く―コックス・バザールでバングラデシュ輸出展(B.Export Fair 1976)が開かれた(~16日)。
DIA-301-1976-12-11-1バングラデシュ1976年12月11日1970年代外貨準備高増加―1976年11月30日のそれは44億4500万タカで,7月9日の36億3570万タカを22%上回った。
DIA-301-1976-12-13-1バングラデシュ1976年12月13日1970年代バングラ農民の調査―IRDPは16県200ヵ村の農民2万人とのインタビューを行なった結果を発表した。それによると調査農家のうち食糧の自給ができる農家は全体の16%しかなく,このうち6.4%の農家しか食糧を市場に売る余剰をもっていない。農家の35%が1年を通して食糧を購入している。土地のない農業労働者の割合は20~40%(村によって割合が異なる)になっている。村の労働力人口のほとんどが農業に吸収され,農家の5%は職業として乞食をしている。
DIA-301-1976-12-15-1バングラデシュ1976年12月15日1970年代中国から水利専門家チーム,訪バ―団長は)Li Yi-Wei氏(江蘇省水力発電・貯水プロジェクト局長で,一行は8人。バングラ滞在中にとくに小規模灌漑プロジェクトについて調査し,20日帰国した。
DIA-301-1976-12-16-1バングラデシュ1976年12月16日1970年代戦勝記念日―陸・海・空三軍および国境警備隊,警察,村落防衛隊などが記念パレードを行った。政府はこの日を記念して1962人に特赦を与え,釈放した。
DIA-301-1976-12-17-1バングラデシュ1976年12月17日1970年代国家経済評議会執行委,66億9700万タカのプロジェクト認可―最大のプロジェクトは郡保健所(Thana Health Complex)建設で,1982年までに33億8000万タカをかけてTHCを356設置,各ユニオンに1つのHealth Sub-Centerをつくり,人口4000人に1人のFamily Welfare Worker(FWW)を任命することになっている。
DIA-301-1976-12-19-1バングラデシュ1976年12月19日1970年代印バ閣僚会議,12月27日再開と発表。
DIA-301-1976-12-23-1バングラデシュ1976年12月23日1970年代ソ連ニコライ・フィリュ-ビン外務次官,訪バ―バ政府の招きでフィリューヒン外務次官は4日間の公式訪問のためダッカに到着した。
DIA-301-1976-12-23-2バングラデシュ1976年12月23日1970年代バ・ソ友好協会長,訪ソ―Sufia Kamal女史(バ・ソ友好協会長)は1ヵ月の予定で訪ソした。
DIA-301-1976-12-23-3バングラデシュ1976年12月23日1970年代Bell-212ヘリコプター,バ空軍基地に到着。
DIA-301-1976-12-24-1バングラデシュ1976年12月24日1970年代イラン・UAE,100万トンの石油供与を約束―両国は1977年に100万トンの石油を供与することを約束した。このうちイランは40万トンのlight oil,UAE.は60万トンのMurban oilで短期借款による。バングラの原油需要は120万トンで,残り20万トンはサウジと交渉中。
DIA-301-1976-12-24-2バングラデシュ1976年12月24日1970年代チッタゴン大学で学生衝突,1人死亡―政治的対立によりチッタゴン大学で学生同士が衝突,学生1人が刺殺され,1人が重態。大学は無期休校となった。
DIA-301-1976-12-25-1バングラデシュ1976年12月25日1970年代印バ閣僚会談,延期。1月14日からダッカで開かれることになった。インドのラム代表が病気のためと説明されている。
DIA-301-1976-12-25-2バングラデシュ1976年12月25日1970年代バ・ソ会談一フィリュービン外務次官とタバラク外務次官は第2回目の会談を行った。
DIA-301-1976-12-25-3バングラデシュ1976年12月25日1970年代バ・スリランカ,貿易協定に合意―初めての貿易協定で,調印は1月にスリランカ貿易相の訪バのとき調印される予定。
DIA-301-1976-12-26-1バングラデシュ1976年12月26日1970年代ソ連外務次官,帰国―フィリュービン氏は帰国に当って,「会談には満足している。われわれはお互いの見解をより深く理解することができた」とのべた。
DIA-301-1976-12-27-1バングラデシュ1976年12月27日1970年代評議員会メンバーにS.ラーマン任命―政府は評議会メンバー(Member of Council)にSaifur Rahmanを任命,商務を担当させると発表した。Rahman氏はChartered Acountantの資格をもっている。氏の任命で評議会メンバーは14人となる。
DIA-301-1976-12-29-1バングラデシュ1976年12月29日1970年代コンドカル・ムスタク・アーメド前大統領,汚職に関する2っの容疑で取調べ中。
DIA-301-1976-12-29-2バングラデシュ1976年12月29日1970年代バ綿工業公社傘下の3工場長,解任―いずれも汚職・不正行為・非能率のために解任されたもの。
DIA-301-1976-12-30-1バングラデシュ1976年12月30日1970年代バ石油公社の新設は1月1日より―政府は石油輸入,精製,販売を取扱うため,1月1日よりバングラデシュ石油公社(B.Petroleum Corporation=BPC)を設置することにした。これまでこれら業務を担当して来たPetro-Banglaは,石油・天然ガスの採掘に専念する。
DIA-301-1976-12-30-2バングラデシュ1976年12月30日1970年代ジア,1月2日より訪中―中国政府の招きにより,ジアウル・ラーマン戒厳令総司令官は1月2日より3日間,中国を公式訪問することがダッカ・北京で同時に発表された。訪問中に貿易協定および経済協力協定に調印されるものとみられている。
DIA-301-1976-12-30-3バングラデシュ1976年12月30日1970年代印バ国境会談は1月第2週と発表。
DIA-301-1976-12-31-1バングラデシュ1976年12月31日1970年代1977年1~6月の輸入政策発表―総輸入額は51.2億タカで,1976年7~12月の38.6億タカを12.6億タカ上回つている。このうち24億タカは自国の外貨収入でまかない,23.9億タカは外国借款・贈与,残り3.3億タカはバーター取引およびEarner’s Schemeによる輸入でまかなう。輸入の自由化方針は不変。
DIA-301-1976-12-31-2バングラデシュ1976年12月31日1970年代カナダよりポーイング707購入―バングラ航空は3機目のボーイング707をカナダから購入した。
DIA-301-1977-01-02-1バングラデシュ1977年01月02日1970年代ジアウル・ラーマン,訪中―戒厳令総司令官ジアウル・ラーマン少将は中国政府の招きにより4日間の公式訪問のため北京に到着した。空港には華国鋒主席,李先念副首相,黄華外相,王定烈空軍参謀長らが出迎えた。同行者はアジズル・ホク農業顧問(大臣に当る),S.アザム計画委副議長,タラバク外務次官,モティウル商務次官ら。李先念副首相はジア歓迎夕食会でバングラの反帝抵抗闘争とその外交政策を高く評価した。ジア少将はバングラが拡張主義・覇権主義と闘い,自力更生にもとつく経済建設に力を入れているとのべた。
DIA-301-1977-01-03-1バングラデシュ1977年01月03日1970年代バ・中公式会談―経済協力問題及び国際問題について両国首脳による公式会談が2回もたれた。
DIA-301-1977-01-04-1バングラデシュ1977年01月04日1970年代ジア・華国鋒会談―ジア戒厳令総司令官は華国鋒主席と会見した。華主席は過去1年間のバングラの独立・主権を守る闘いを高く評価,今後も中・バ友好関係を強化させたいとのべた。
DIA-301-1977-01-04-2バングラデシュ1977年01月04日1970年代バ・中国,2つの協定に調印―経済技術協力協定および貿易支払い協定で,貿易協定の内容は1977年中に1400万ドル相当の商品をバーター貿易するもの。中国の輸出品は金属,セメント,石炭,綿糸,機械,同部品,銑鉄,軽工業品等。
DIA-301-1977-01-05-1バングラデシュ1977年01月05日1970年代ジア将軍,人民解放軍視察―張才千副総参謀長の案内で中国人民解放軍第3師団を訪ね,兵営と工場を参観,軍事演習を見学した。このあと広州を訪問した。
DIA-301-1977-01-06-1バングラデシュ1977年01月06日1970年代バ・中国共同声明―中国政府・人民は民族独立・国家主権を守るバングラの正義の闘いを断固支持する旨重ねて表明し,バングラは中国の台湾解放・祖国統一の闘いを支持した。ジア少将は華首席と李先念副首相の訪バを招請,両者はこれを喜んで受諾することを明らかにした。訪問の時期は追って協議する。
DIA-301-1977-01-06-2バングラデシュ1977年01月06日1970年代ジア少将,帰国―ダッカ空港で記者会見,バングラは中国から学ぶ点が多いが,何よりも学ぶべきは自力更生の精神である,とのべた。
DIA-301-1977-01-10-1バングラデシュ1977年01月10日1970年代農業信用基金10億タカ―農業諮問委は1977年に各金融機関が農家に貸付ける資金を10億タカまで認めるよう勧告している。ジアウル・ラーマン戒厳令総司令官兼大蔵担当顧問はこの貸付け自標を達成するため,すべての金融機関に対し,とくに小農を中心に農業資金を貸付けること,貸付け手続を簡略化すること,刈分小作人や小農への貸付けを容易にするため「移動銀行チーム」を作ることなどを指示した。
DIA-301-1977-01-10-2バングラデシュ1977年01月10日1970年代旧JSD中央委員逮捕―旧民族社会党JSD中央委員で学生連盟(R.S派)委員長,S.N.アムビアがダッカ市内で逮捕された。同氏は人民革命軍(PRA)の指導者の1人で,地下活動をしていた。
DIA-301-1977-01-11-1バングラデシュ1977年01月11日1970年代食糧事情―独立以来1976年6月までにバングラデシュが輸入した食糧は16.5億ドルになる。輸入量は1972/73の282.4万トン,1973/74は116.7万トン,1974/75は229.3万トン,1975/76は147万トンであった。1973年にバングラがソ連から借りた小麦20万トンの返済は1976/77より始め,初年度は4万トン。1976/77の食糧需要は1311.7万トンと推計され,輸入必要量は150万トンと見ている。
DIA-301-1977-01-11-2バングラデシュ1977年01月11日1970年代OPECの対バングラ借款供与は1977年に1390万ドルの予定。
DIA-301-1977-01-13-1バングラデシュ1977年01月13日1970年代Union Parishad(村議会)選挙―13日から31日までの19日間に亘り,全国4352 Unionの村議会議長及び議員選挙が行なわれる。議長職の競争率は4.8倍,議員競争率は3.1倍。議長候補者の70%は議長経験者で旧政党活動家,議員候補者の60%も経験者で,新人候補者の多くは中産階級の農家出身の若い世代が占めている。有権者は3396万人。なお市議会議員選挙は今回行なわれない。投票は議長1人と議員3人を選挙する形で行なわれる。
DIA-301-1977-01-14-1バングラデシュ1977年01月14日1970年代ファラッカ問題閣僚会談再開―昨年12月8日に中断されていたファラッカ問題に関する印バ閣僚会談は,インドからラム農相を団長とする代表を迎えて,ダッカで再開された。会談は15日に再び中断され,1月21日からデリーで再開されることに同意された。
DIA-301-1977-01-20-1バングラデシュ1977年01月20日1970年代民族抵抗連帯委員会(NRSC)の集会―1969年反アユブ闘争で殺された犠牲者の記念日に当るきょう,NRSCを中心にダッカ市内で集会がもたれた。
DIA-301-1977-01-21-1バングラデシュ1977年01月21日1970年代中国ジャーナリスト代表団,訪バ―樊発源(Fan Fa-Yuan)新華日報編集長を団長とする中国ジャーナリスト代表団一行10人はパキスタンへの親善訪問を終え,ダッカに到着した。代表団はバングラデシュ各地を視察すると共に,工業・農業・経済計画担当顧問と会見(1.26),ジア戒厳司令官とも会見した(1.31)。バ・中友好協会は代表団の歓迎集会を開いた(1.29)。代表団は2月1日帰国。
DIA-301-1977-01-21-2バングラデシュ1977年01月21日1970年代ファラッカ問題閣僚会談,デリーで再開―バ政府代表団長カーン海軍参謀長が訪印して再開されたが23日決裂した。
DIA-301-1977-01-22-1バングラデシュ1977年01月22日1970年代A.サッタル判事,法務・議会問題担当大統領顧問に任命。Abdus Sattar判事はこれまで大統領特別補佐官をしてきた。
DIA-301-1977-01-23-1バングラデシュ1977年01月23日1970年代カーン海軍司令官,インド非難―ファラッカ会談のバ代表カーン海軍司令官は帰国後ダッカで記者会見,「我々はあらゆる努力をした。種々の方法も考え,妥協もした。同意に達する筈であった。ガンジス河水不足が打撃であることは分っている。しかし我々は国家の利益を考えねばならぬ。もし我々が主権国家として生きることを望むならば,それに相応しい解決を見つけねばならない。インドとのこれ以上の話し合いはむずかしいだろう」とのべ,インドを非難した。
DIA-301-1977-01-28-1バングラデシュ1977年01月28日1970年代日本,KR援助で4200万タカの食糧贈与。バ政府はこの食糧資金で農業機械を購入する。
DIA-301-1977-01-28-2バングラデシュ1977年01月28日1970年代高収量品種普及伸び悩み―高収量品種導入は,それに必要なインプットの購入価格が上昇していること,資金不足などのため伸び悩んでいる。しかし統計上は伸長していることになっていて,作付面積の推計・評価の方法に問題がある。
DIA-301-1977-02-01-1バングラデシュ1977年02月01日1970年代2・21記念全国委員会設立―民族抵抗連帯委員会NRSCを中心として,1952年2月21日の言語運動「犠牲者の日」を記念する行事を組織するための委員会。委員長はA.R.カーン(BJL),メンバーは91人で10政党,54組織及び個人が関与している。
DIA-301-1977-02-03-1バングラデシュ1977年02月03日1970年代天然資源・エネルギー政策委員会設置―政府は天然資源・エネルギー資源開発に関する計画立案・政策決定・調整についての責任をもつものとして同委員会を設置,シャフィウル・アザム計画委副議長を委員長に任命した。
DIA-301-1977-02-04-1バングラデシュ1977年02月04日1970年代1976/77年度開発計画実施に全力―ジア戒厳令司令官は大統領顧問,計画委副議長とメンバー,各省次官を集めて会議を開き,1976/77年度開発計画目標達成に全力をあげること,そのため①各省はプロジェクトの実施状況を毎月点検する,②各省は独自のPlanning & Evaluation Cellをもつ,③全般的な実施状況評価のため,Inspection Teamを結成することが決定された。
DIA-301-1977-02-04-2バングラデシュ1977年02月04日1970年代人口問題調査訓練所(NIPORT)の設立発表―人口及び家族計画に関する綜合調査・訓練機関。
DIA-301-1977-02-05-1バングラデシュ1977年02月05日1970年代インドとの貿易不均衡拡大―1975/76の印バ貿易は5億8500万タカの赤字で史上最高。インドからの輸入は6億4500万タカ,輸出は6000万タカ。
DIA-301-1977-02-05-2バングラデシュ1977年02月05日1970年代サウジ・アラビアの経済援助―バングラ承認(1975.8)以来サウジがプレッジした援助総額は31.7億タカ。この中にはソフト・ローン1億5000万ドル,現金グラント3000万ドル,肥料20万トン分を含む。
DIA-301-1977-02-08-1バングラデシュ1977年02月08日1970年代バ・スリランカ貿易協定に調印―スリランカ貿易相を迎えダッカで調印されたもの。内容は①期間は3ヵ年。但し1年単位で自動延長可,②スリランカの輸出品はゴム・ゴム製品,タイヤ・チューブ,ココナツ油など,③バングラの輸出品はジュート・同製品,新聞用紙,紙,干魚,医薬品,ナフサなど。貿易協定のほか,閣僚級の合同委員会の設置,合同商業会議所の設立,バンコク協定の枠内で特別関税割引をすることにも合意した。
DIA-301-1977-02-08-2バングラデシュ1977年02月08日1970年代ルーマニアとバーター協定,片道570万ドル。
DIA-301-1977-02-11-1バングラデシュ1977年02月11日1970年代印バ貿易不均衡是正のための協定調印―インド貿易代表団(団長アレキサンダー外国貿易省次官)を迎え,ダッカで調印されたもので,インドは1977年中にバングラから新聞用紙5000トン,糖密1万5000トン,ナフサ2万トンなど,2億5000万タカを輸入する。
DIA-301-1977-02-11-2バングラデシュ1977年02月11日1970年代中国から青年卓球代表団11人訪バ(~17日)。団長は王文忠氏で13日から友好卓球試合をはじめた。開幕式にはエルシャド陸軍副参謀長も参加。
DIA-301-1977-02-12-1バングラデシュ1977年02月12日1970年代村議会の活動を強化するためのAction Programme― 第1段階:郡役所官吏による議長・メンバーに対するオリエンテーションを行なう。 第2段階:議長・メンバーに対し各郡役所で3日間の訓練をする。訓練の内容は農村開発計画の立案・実施方法と現状,農村におけるその他活動の内容について。 第3段階:議長に村落レベルの委員会を組織させる。委員長はその村の選出議員,委員は村民代表で,村の総合農村開発計画の立案・実施を任務とする。 第4段階:議長に対して県庁において1週間の訓練をする。
DIA-301-1977-02-12-2バングラデシュ1977年02月12日1970年代ファラッカ堰被害,再び―2月に入ってガンジス河水位低下,北西部では水不足で農業生産物への被害が目立っている。また海水の逆流にともなう塩害も出はじあ,火力発電所,新聞用紙工場などでも被害をうけている。
DIA-301-1977-02-19-1バングラデシュ1977年02月19日1970年代綿工業公社,綿糸価格を引上げ―綿100%の10番手綿糸は1ポンド8.28タカ(旧6タカ),16番手綿糸12.42タカ(9.21タカ),80番手綿糸は71.25タカ(39.84タカ)で,40~80%の引上げ。綿・ビスコース混紡の糸は5~15%の引上げとなる。
DIA-301-1977-02-20-1バングラデシュ1977年02月20日1970年代ベトナム外務次官Phan Hien氏は首相特使として一行4人と共に訪バ(~22日)。ジア司令官と会見(21日)。
DIA-301-1977-02-21-1バングラデシュ1977年02月21日1970年代「犠牲者の日」,各地で集会―ダッカでは2・21記念全国委員会主催のセミナーが開かれ,委員会参加政党・組織の代表が参加した。セミナーで行なわれた主張は以下の通り。①独立・主権を守り,敵の活動を封ずるための大衆運動を深めるべく国民の民主的権利を回復すること,②愛国的政治家・活動家にきびしく,BAKSAL系反国家分子には甘い政府のやり方に反対,③政党規則・労働政策その他の弾圧法に反対,④労働者階級のスト権及び団結権を認めよ,⑤愛国的政治犯,逮捕された労働組合活動家の釈放,⑥ファラッカ問題でインドへの効果的対抗策をとること,など。 セミナーではきびしいジア政権批判が出された。こうした左派・中道派政党のジア政権批判はこれまでもなされてきたが,新聞報道はされてこなかったのに対し,今回のセミナーでの発言はかなり詳細に報じられている。2・21記念行事はこれより1週間前から始められているが,その頃よりダッカその他都市部で社会秩序を乱したとして逮捕される人数が急増した。
DIA-301-1977-02-24-1バングラデシュ1977年02月24日1970年代コンドカル前大統領に5年の刑―戒厳令第8特別法廷でコンドカル前大統領に対し,汚職・職権乱用のため5年の刑と10万タカの罰金が申し渡された。コンドカル氏はこの他にも数件起訴されており,今回のはその第1段階。またコンドカル氏と共謀したとされるM.イスラム前都市開発省次官は欠席裁判で3年の刑と10万タカの罰金。但し1ヵ月以内に出頭しないときには財産を没収する。コンドカル元大統領の兄は釈放。
DIA-301-1977-02-24-2バングラデシュ1977年02月24日1970年代Moinul Hussain(Ittefaq紙編集長)釈放。コンドカル氏と同じく1976年11月29日に逮捕されていた。
DIA-301-1977-02-26-1バングラデシュ1977年02月26日1970年代政府,ジュート買上げ価格引上げ―1977/78年度の政府のジュート買上げは,最下級品で生産者価格を1モーンド当り90タカに引上げる。
DIA-301-1977-02-27-1バングラデシュ1977年02月27日1970年代綿工場の払下げ要求―綿工業経営者協会の事務局長S.Ahmed氏は政府に対し,ベンガル人所有であった綿工場の返却と国有化綿工場も非能率・損失をなくすため民間企業に払い下げるよう要求した。
DIA-301-1977-03-01-1バングラデシュ1977年03月01日1970年代バ・アフガニスタン貿易協定調印―年間貿易額は4000万タカ(252万ドル)で,バングラ側輸出はジュート製品,レーヨン糸,茶,新聞用紙,マッチ,砂糖など。アフガンの輸出は原綿,生果実,乾燥果実,など。
DIA-301-1977-03-04-1バングラデシュ1977年03月04日1970年代中国貿易代表団訪バ(~28日)。ジュート製品2万トン(660万ドル),ジュート4000ベール(56.6万ドル),皮革440万ドルを買付ける契約をした。
DIA-301-1977-03-05-1バングラデシュ1977年03月05日1970年代民族人民連盟(NAP-B)指導者,射殺―NAP(B)の指導者Surat Ali Mandalはジェソールで誘拐され,射殺された。
DIA-301-1977-03-05-2バングラデシュ1977年03月05日1970年代輸出信用保証制度の設置決める。
DIA-301-1977-03-07-1バングラデシュ1977年03月07日1970年代ジアウル・ラーマン戒厳令司令官,イラン訪問―イラン政府の招請で4日間の公式訪問のためテヘランに到着した。随員7人(計画省及び商務省顧問,外務次官,外国資金担当者など)。
DIA-301-1977-03-07-2バングラデシュ1977年03月07日1970年代開発計画実施状況調査のためInspection Team 30を設置。3ヵ月以内に報告書を提出する。
DIA-301-1977-03-08-1バングラデシュ1977年03月08日1970年代ジア司令官,イラン国王,ホベイダ首相と個別会談―ホベイダ首相との会談では,①経済・技術協力協定,②文化交流協定の2つに調印がなされ,合同閣僚会談を定期的に開くことにも合意した。
DIA-301-1977-03-08-2バングラデシュ1977年03月08日1970年代世論調査で過半数が総選挙早期実施に反対―National Consultating Houseが行なったサンプルサーベイによる世論調査によれば,総選挙の早期実施について65%が反対,29%が賛成している。但し反対者のうち24%の人は法と秩序が回復し経済が安定すれば2年後に選挙すべきと考えている。国民に最も人気のある人については80%がジアウル将軍をあげ,多くの人は効率が悪くても正直で汚職のない人の方が好ましいと答えている。
DIA-301-1977-03-10-1バングラデシュ1977年03月10日1970年代バ・イラン共同声明発表,ジア帰国―バ・イラン首脳会談の成功についての声明で,帰国したジア将軍は記者会見の席上今回の訪問の結果に満足しているとのべた。
DIA-301-1977-03-10-2バングラデシュ1977年03月10日1970年代マイメンシン国境地帯のゲリラ活動活発化―3月に入って国境地帯での反政府ゲリラ活動が再び活発になって来ており,10日だけでゲリラ10人を殺害した。
DIA-301-1977-03-11-1バングラデシュ1977年03月11日1970年代ファラッカ・国境ゲリラ抗議の日―民族抵抗連帯委の呼びかけにより各地でファラッカ問題,国境ゲリラなどでインドに対する抗議集会がもたれた。演説者の多くは批判の対象を単にインド政府にではなく,ジア政府に対してもむけはじめている。とくに民主的権利の要求,労働者の利益を守る要求などが出されている。
DIA-301-1977-03-14-1バングラデシュ1977年03月14日1970年代駐バ中国代理大使主催夕食会開く―ジア将軍の訪中の成功を祝って夕食会を開いたもので,ジア将軍が出席,中国政府・人民がバングラの独立を守る闘いを支持していることに感謝した。中国代理大使はガンジス河問題でのバングラの立場を断固支持するとのべた。
DIA-301-1977-03-14-2バングラデシュ1977年03月14日1970年代北朝鮮からの石炭3万トン,チッタゴン入港。総量10万トンの石炭を輸入する予定。
DIA-301-1977-03-17-1バングラデシュ1977年03月17日1970年代スリランカ大統領,訪バ―ゴパラワ大統領は6日間の公式訪問のためダッカに到着,サエム大統領,ジァ戒厳令司令官らが出迎えた。
DIA-301-1977-03-21-1バングラデシュ1977年03月21日1970年代チッタゴンで武器大量押収―手榴弾30,ボール弾14箱,プラスチック爆弾120,ライフル銃1が押収され,3人が逮捕された。ダッカでもライフル銃1,ステンガン1,手榴弾4,SLR1が押収された。
DIA-301-1977-03-22-1バングラデシュ1977年03月22日1970年代オスマニ将軍(JJP委員長),インドのジャナタ党勝利を歓迎。
DIA-301-1977-03-25-1バングラデシュ1977年03月25日1970年代バングラデシュ陸軍記念日―新ダッカ空港で陸軍兵士のパレード。ジア陸軍参謀長,エルシャッド副参謀長,ショウカット・アリ第9師団長が演壇でパレードを見守った。
DIA-301-1977-03-25-2バングラデシュ1977年03月25日1970年代大統領顧問にShamsul Huq氏任命―政府はAdvisery CouncilメンバーにShamsul Huq氏を任命した。外務省担当。Huq氏はダッカ大学及びラジシャーヒ大学の学長をしていたこともある。
DIA-301-1977-03-25-3バングラデシュ1977年03月25日1970年代Obaidur Rahman釈放。民主連盟の指導者で昨年11月29日に逮捕されていた。同じくMatiur Rahmanもジュソール刑務所から釈放。
DIA-301-1977-03-27-1バングラデシュ1977年03月27日1970年代NAP(B)全国評議会開催―同党マシウル・ラーマン書記長が基調報告,現政府をきびしく批判したことで注目された。要旨以下の通り。 国家独立・主権に反対する勢力に抵抗するには人民の民主的権利を認め,人民を政治に参加させねばならない。現政府は余りに汚職・反人民的官僚に依存しすぎている。生活必需品の物価は上昇しつつあり,失業者は街にあふれている。人民の不満は日に日に高まっている。バングラ国内の政治勢力は3つ。①パ協力者でバングラの独立に反対したもの,②独立後権力を奪い,殺害・密輸・汚職にふけり,国の主権を脅かしたもの,③これら勢力に反対する愛国的勢力。ジア政権はこれらのどの勢力と手を結ぼうというのか。政治理念もなく,政治組織もない政府は国民を導くことはできない。 なお評議会は役員改選を行ない,マシウル・ラーマン氏を委員長に,S.A.バリ氏を書記長に選出した。任期は2年。
DIA-301-1977-03-29-1バングラデシュ1977年03月29日1970年代バ外相,バジパイー・インド外相に就任を祝う電報。バジパイー外相は31日に記者会見,ガンジス河配水問題でバ政府と接触しており,解決を見出すことができると思うとのべた。
DIA-301-1977-03-30-1バングラデシュ1977年03月30日1970年代80番手以下の綿糸輸入税,撤廃―政府は綿糸価格を安定させ,十分な供給を保証するたあ,80番手以下の綿糸をWESで輸入する場合,関税・販売税を免除すると発表した。
DIA-301-1977-04-01-1バングラデシュ1977年04月01日1970年代インド・デサイ首相のメッセージ―デサイ新首相はサエム大統領,ジア戒厳令司令官に別個のメッセージを送り,善隣外交を呼びかけた。
DIA-301-1977-04-03-1バングラデシュ1977年04月03日1970年代アワミ連盟内紛―アワミ連盟評議員会が開かれたが,党役員選挙問題で対立,暫定的に党組織委を設立して委員長にZohra Tajuddin夫人を選出して終えた。この人事には反対が多く,旧アワミ連盟指導者の多くは欠席した。同夫人は元蔵相で1975年11月4日ダッカ中央刑務所内で虐殺されたインド派の大物,Tajuddin氏の夫人。
DIA-301-1977-04-03-2バングラデシュ1977年04月03日1970年代工業労働者賃金及び生産性委員会,設立―政府は労働者の生計費,企業の生産性その他を考慮した上で労働者賃金・手当を勧告するための委員会を設立,委員長にHuda判事を任命した。
DIA-301-1977-04-05-1バングラデシュ1977年04月05日1970年代ホク外相はデリーで開かれる非同盟諸国調整委員会出席のためインドを訪問した。インド滞在中ホク外相はインドのバジパイー外相及びラム国防相及びデサイ首相と個別会談をもった。総選挙でインドにジャナタ政権が誕生して以来,初めての両国閣僚の接触である。
DIA-301-1977-04-05-2バングラデシュ1977年04月05日1970年代日本の第4次円クレ,覚え書きに調印―商品援助140億円(この中にはホテル建設も含む),プロジェクト援助64億円で,合計204億円(約7300万ドル)。
DIA-301-1977-04-12-1バングラデシュ1977年04月12日1970年代村議会議長会議開く―1月に選挙された村議会議長4352人のうち,ダッカ省内の議長1222人を集めて会議が開かれ,ジア戒厳令司令官が演説,①各村に食糧委員会設立,②文盲追放と家族計画普及,③農村電化と家内工業の育成に力を入れるよう要請した。また現政府は農村開発を基礎とする経済発展を計画しているとのべ,議長を中心として各村がその開発計画を立案し,実施する方法をとる旨明らかにした。
DIA-301-1977-04-12-2バングラデシュ1977年04月12日1970年代バリサルで村議会議員1人,殺害。
DIA-301-1977-04-15-1バングラデシュ1977年04月15日1970年代ファラッカ問題印バ閣僚会談,再開―1月の会議決裂以来のもので,インド新政権誕生以来初の会談。インド代表はラム国防相,随員はJ.メータ外務次官,パテル灌漑省次官ら。バ代表はM.H.カーン海軍司令官。会談はダッカで16日~18日にかけて行なわれたが,18日「ある理解に達した」との共同声明が発表され,閣僚会談は今回で終了することになった。「理解」の内容は発表されず,今後両国の専門家会議で細目を決めることになった。バ代表のカーン海軍司令官は記者会見で,「少くともひとつの段階は完了した」とのべている。
DIA-301-1977-04-16-1バングラデシュ1977年04月16日1970年代茶輸出価格上昇―コーヒー不足による価格急騰で茶の需要が増え,輸出価格も上昇している。1976年2月にはポンド当り3.91タカの茶が,1977年2月には10.54タカにもなり,4月には15~20タカにもなろうという。
DIA-301-1977-04-16-2バングラデシュ1977年04月16日1970年代クシティアで村議会議長,自宅で射殺された。
DIA-301-1977-04-18-1バングラデシュ1977年04月18日1970年代民主連盟,政府批判強める―民主連盟中央執行委員会はその決議の中で,①民政移管実施のため総選挙の日程を直ちに発表すること,②戒厳令撤廃,③自由な政治活動と基本的人権の回復,④憲法改正反対,⑤政治犯の釈放,⑥民間企業育成,⑦物価上昇をおさえることなどを要求した。
DIA-301-1977-04-19-1バングラデシュ1977年04月19日1970年代輸出金融の利子率引下げ―中央銀行は5月1日より商業銀行による輸出金融の利子率を現行12~13%から11~12%に引下げると発表した。但しジュート,ジュート製品,茶などへの利子率は現行通り10.5%。
DIA-301-1977-04-19-2バングラデシュ1977年04月19日1970年代ダッカ商工会議所,企業の払い下げ要求―A.Siddiky総裁は記者会見,ジュート・綿工業で旧所有者がベンガル入のものは返却するよう政府に要求した。
DIA-301-1977-04-21-1バングラデシュ1977年04月21日1970年代サエム大統領辞任,ジア少将大統領就任―サエム大統領は健康上の理由により辞任,ジアウル・ラーマン戒厳令司令官を次期大統領に任命した。新大統領は最高裁長官の下で宣誓,就任した。42歳。1971年バングラデシュ独立以来6代目。これでジア少将は大統領,戒厳令司令官,陸軍参謀長を兼務しすべての最高権限を手中に収めたことになる。行政面では国防省,内務省,大蔵省の三省を担当している。
DIA-301-1977-04-21-2バングラデシュ1977年04月21日1970年代政治犯11人釈放―A.M.Ukil(BAL,1976.11.30逮捕),M.Chowdhury(BAL書記長代理,1976.11.30逮捕),Tofazzal Hussain,Gulzat Ahmed,Abdul Matin,W.Rahman,A.K.Shamsuzzoha,Ferdous Ara Banoo Prof.Lutfar Rahman,A.Rahman Khan,Alokmoy Naha.
DIA-301-1977-04-22-1バングラデシュ1977年04月22日1970年代大統領信任投票は5月30日に,総選挙は1978年12月までに実施―ジアウル・ラーマン新大統領は全国放送を通して演説,法に従って大統領に任命されたがこれを国民に問うため,5月30日に大統領信任国民投票を実施すると発表した。また1976年11月に無期延期されていた国会議員総選挙については,1978年12月までに実施する,市議会議長・議員選挙は今年8月に,県議会議長・議員選挙は今年12月に行なう,とのべた。
DIA-301-1977-04-22-2バングラデシュ1977年04月22日1970年代憲法修正―ジア大統領は旧憲法の国家四原則への国民の批判に応えて,憲法を以下のように修正すると発表した。 ①前文にある国家四原則の項については,「アッラーの神への絶対的信頼と信奉の理念を約束し,民族主義,民主主義,経済・社会正義を意味する社会主義を,国家の基本的原則とする」とかえる。(四原則のひとつである非宗教主義を除いてコラーンの一節を入れ,回教色を強めたこと,社会主義の内容を経済・社会正義と限定したことが修正の重点となる)。 ②前文の前に「慈悲ふかく慈愛あまねきアッラーの御名において」という句を入れる。
DIA-301-1977-04-26-1バングラデシュ1977年04月26日1970年代Maguraで村議会議長,射殺―独立以来議長を務めていたMolla氏。これで2月以来殺された議長は4人となる。
DIA-301-1977-04-27-1バングラデシュ1977年04月27日1970年代ジュート工場経営者協会,工場返却要請―政府に対し「国有化政策に反対するものではないが,所期の目的を達していない現状に鑑み,独立前ベンガル人所有であったジュート工場は旧所有者に返却するよう」要請した。
DIA-301-1977-04-28-1バングラデシュ1977年04月28日1970年代印バ国境会談―印バ両国の国境警備隊長官による国境会談がデリーで開かれ,国境における反政府ゲリラ活動の問題についても話し合われたもよう。会談は30日に終ったが,帰国したバ代表Dastgir BDR長官は「会談の成果に満足している」とのべた。
DIA-301-1977-04-30-1バングラデシュ1977年04月30日1970年代ジア大統領,19項目政策発表―大統領は国民投票にむけて,今後の施政方針・政策を国民に明らかにした。またそれらを19項目政策(19 Point Programme)にまとめ,来るべき選挙でその信を問うことにした。要点は,①国民の参加による自力更生国家建設,②食糧の自給,③農村開発に重点をおいた経済開発,④民間部門の育成⑤人口抑制などである。
DIA-301-1977-05-04-1バングラデシュ1977年05月04日1970年代ジャーナリスト組合連盟,政府批判―ジャーナリスト組合連盟(BFUJ)委員長・書記長は声明を発表,ジャーナリストのための賃金委員会の勧告に対し,賃金水準ならびに諸手当についての要求が満たされていないとして,政府を批判した。
DIA-301-1977-05-06-1バングラデシュ1977年05月06日1970年代大統領,国民投票キャンペーン開始―大統領の信任を得19項目政策を広めるため,この日シレットを訪問したジア大統領は大衆集会で演説,その支持を訴えた。以降ジア大統領は主要都市を訪問,各地で大衆集会を開いている。集会では過去の意見の相違を忘れ,国の独立と主権のため統一して経済建設に努力しようと訴えた。
DIA-301-1977-05-07-1バングラデシュ1977年05月07日1970年代ファラッカ問題専門家会議開く―閣僚会談の後をうけ,バングラ代表を迎えてデリーで開かれたもので,バ代表団長はAbbas治水灌概担当補佐官。インド側団長はJ.メータ外務次官。会談は11日まで続けられたが結論を見出すことができず中断され,6月にダッカで再び開くことに同意された。
DIA-301-1977-05-08-1バングラデシュ1977年05月08日1970年代バ共産党(M.L)内部対立―党委員長M.トーハに対してネオ修正主義者として批判する声が同党青年組織と学生組織内から出て来ている。インドとの関係やジア政権の評価をめぐる意見対立とみられる。
DIA-301-1977-05-08-2バングラデシュ1977年05月08日1970年代外貨の本国送金促進策―政府は海外在住バングラ人がその収入を本国に送金するよう以下の促進策を発表した。 ①政府が認可したプロジェクト実施のために輸入する機械・資材は輸入税を5%割引いて15%の割引とする。 ②バングラ国債へ投資できるよう可能な手配をする。 ③政府機関が開発した住宅地を外貨で取得する場合には土地面積その他で優遇し,民間開発地の場合税法上優遇する。 ④銀行はバングラ人の多く居住する国に支店・営業所を開き,彼らの本国送金を容易にする。
DIA-301-1977-05-10-1バングラデシュ1977年05月10日1970年代民間投資認可額,増加―1976/77の民間投資認可額は約8億タカになるとみられ,前年度の6.5億タカを上回りそうである。1977.3までに認可された件数は373件で投資総額は4億4750万タカ(内2億4320万タカは外貨)。織布31件,医薬品12件,プラスチック製品12件,深海漁業5件,特殊繊維5件,靴4件など。
DIA-301-1977-05-14-1バングラデシュ1977年05月14日1970年代軍将校4人復権。いずれも少佐で1975年8月15日付の復権となる。
DIA-301-1977-05-14-2バングラデシュ1977年05月14日1970年代ホク外相,回教国外相会議出席のためトリポリ着。リビアのカダフィ議長を表敬訪問,ジア大統領特別書簡を手渡した。
DIA-301-1977-05-14-3バングラデシュ1977年05月14日1970年代1976/77のAus米,減産―作付面積は米価下落のため50万エーカー減少,早い雨で49万エーカーが被災,生産量は前年比21.9万トン減少した。
DIA-301-1977-05-16-1バングラデシュ1977年05月16日1970年代サウジ国王,ジア大統領にメッセージ―憲法を改定して回教の原理を憲法前文に含めたことを評価。
DIA-301-1977-05-16-2バングラデシュ1977年05月16日1970年代綿糸輸入税引下げ―60番手未満の綿糸の場合,30%の関税を10%に,それ以上の綿糸の場合,40%を15%に引下げる。但しExport Performance Licenceに依る輸入のみ。
DIA-301-1977-05-17-1バングラデシュ1977年05月17日1970年代ソ連貿易代表団,訪バ―グリシン外国貿易次官を団長とする貿易代表が訪バ,滞在中に1977/78年度の貿易協定に調印した(19日)。それによると貿易額は片道1400万ポンドで前年度より40%増となる。ソ連の輸出品目は機械,ソ連製ヘリコプター,航空機の部品(110万ポンド)ゴラサール発電所設備部品,自動車・トラクター部品,ケロシン4万トン,綿花7000トン等。バングラの輸出品はジュート,ジュート製品,羊皮150万枚,茶1500トン。この他ソ連借款の返済に当てる商品も決められ,今年度はジュート300トン,ジュート袋100万袋とする。一行は20日帰国。
DIA-301-1977-05-19-1バングラデシュ1977年05月19日1970年代ゲリラ分子,死刑―1976年8月にマイメンシン道路の橋を爆破した反政府ゲリラ6人のうち戦闘で生き残ったBiswajit Nandiに対し,死刑の判決が為された。
DIA-301-1977-05-19-2バングラデシュ1977年05月19日1970年代インドからゲリラ分子33人投降。国境地帯のキャンプに収容。
DIA-301-1977-05-20-1バングラデシュ1977年05月20日1970年代世論調査でジア人気抜群―民間調査機関のPopularisaticn of the People’s Programmeが行なった 世論調査によれば,ジア大統領支持率は82%。また国民投票については82%が支持し,12%は意見保留,6%が答えなかった。
DIA-301-1977-05-23-1バングラデシュ1977年05月23日1970年代ユーゴ副首相,訪バ(~25日)。ジア大統領とも会談,両国の経済協力の発展について話し合った。
DIA-301-1977-05-24-1バングラデシュ1977年05月24日1970年代4政党,共同声明で国民投票支持―BJL(A.R.カーン),UPP(チョードリ),KSP(ソレイマン),JGAMU(ダニシュ)の4政党指導者は共同声明を発表,国民投票実施はジア大統領が民主的権利回復のオブリゲーションに自らコミットしたことを示すものであると評価,国民に対して国民投票への参加を呼びかけた。
DIA-301-1977-05-24-2バングラデシュ1977年05月24日1970年代Central Referendum Committee設立―回教指導者を中心に51人からなる委員会がつくられた。目的は30日の国民投票を成功させること。
DIA-301-1977-05-24-3バングラデシュ1977年05月24日1970年代マイメンシン国境地方で反政府ゲリラの投降目立つ。
DIA-301-1977-05-27-1バングラデシュ1977年05月27日1970年代ジア大統領,国民投票への参加呼びかけ―大統領は全国ラジオ・TV放送を行ない,19項目政策の下に国家建設に努力することを誓い,国民の支持を訴えた。そして「私に反対する人もいよう。その人の秘密は守られる。国民投票によって自らの考えを示すことは国民の基本的権利であり国のためである」とのべた。
DIA-301-1977-05-27-2バングラデシュ1977年05月27日1970年代公務員給与・手当委員会,報告書提出―公務員の給与・手当を改定するたあの委員会はその報告書を大統領に提出した。実施は7月1日から。
DIA-301-1977-05-27-3バングラデシュ1977年05月27日1970年代反政府ゲリラ285人投降(政府発表)。
DIA-301-1977-05-28-1バングラデシュ1977年05月28日1970年代ジア大統領,全国遊説終える―国民投票への参加と支持を求めて全国遊説を行なっていたジア大統領はバイラブ・バザール市での演説を最後にその4週間のキャンペーンで70の大衆集会を終了した。この日ジア大統領は「政治指導者たちは過去の対立をなくし統一して国家建設に励もう。農村こそ本当のバングラデシュであり,これまでの伝統的やり方ではなく全て異った新らしいアプローチで農村経済発展を試みる。食糧の50%増産,文盲追放,家内工業の育成人口抑制に力を入れる」とのべた。
DIA-301-1977-05-28-2バングラデシュ1977年05月28日1970年代軍人給与・手当委員会,報告書を提出。
DIA-301-1977-05-30-1バングラデシュ1977年05月30日1970年代大統領信任国民投票―有権者数は3836万3858人,投票所数2万2000ヵ所で一斉に投票が行なわれた。投票者は賛成か反対かいずれかの箱の中に1票を投ずる。投票者の出足は余り良くなかったが,しかし平和裡に行なわれた。この日は投票のため休日とされている。
DIA-301-1977-05-31-1バングラデシュ1977年05月31日1970年代ジアウル・ラーマン大統領,信任―国民投票の結果,大統領は有効投票者の98.88%の支持率で信任された。投票率も非常に高く全国平均で88.5%。最高は,ボグラ県(ジア出身地)で97%,ダッカ市内は70%であった。
DIA-301-1977-05-31-2バングラデシュ1977年05月31日1970年代ジア大統領,非公式記者会見―大統領は外人記者10人を含めた非公式記者会見を行ない,政治活動への制限は徐々になくし,1978年12月までに総選挙を行なう予定は変らないとのべ,現政権が暫定政権であるかどうかについての解答はさけた。
DIA-301-1977-06-01-1バングラデシュ1977年06月01日1970年代10茶園の払い下げ―すでに承認された14の茶園のうち10茶園の払い下げが実施されるもので,入札制。
DIA-301-1977-06-01-2バングラデシュ1977年06月01日1970年代Huda計画省顧問帰国―経済援助及び食糧の緊急援助要請のため英・独・サウジ・アブダビなど訪問していたがこのほど帰国,緊急食糧援助はEECから,回教開発銀行から1000万ドル(船舶購入),サウジから5000万ドル(鉄道開発),アブダビから電化資金を供与される見通しであるとのべた。
DIA-301-1977-06-03-1バングラデシュ1977年06月03日1970年代副大統領にA.サッタル判事就任―大統領は副大統領にA.サッタル判事を任命した。サッタル判事はこれまで法務・議会問題担当顧問で,サエム前大統領を補佐して来た。青年時代にはスフラワルディ氏らと政治活動をした経験をもつ。71歳。
DIA-301-1977-06-03-2バングラデシュ1977年06月03日1970年代ジア大統領,国民に感謝のメッセージ。
DIA-301-1977-06-03-3バングラデシュ1977年06月03日1970年代デサイ首相,ジア大統領に祝電。
DIA-301-1977-06-03-4バングラデシュ1977年06月03日1970年代1977/78年度Aman米政府買上げ価格は,モミで1モーンド80タカとする。昨年は74タカ。この他4タカの運搬賃を支払う。
DIA-301-1977-06-06-1バングラデシュ1977年06月06日1970年代ジア大統領,ロンドンむけ出発―英連邦首脳会議出席のため大統領はロンドンにむけ出発した。同行はシャムスル・ホク外相,S.アザム計画委副議長,タバラク外務次官,駐英バ大使,アラムギール博士(BIDS)ら。
DIA-301-1977-06-06-2バングラデシュ1977年06月06日1970年代バングラ貿易代表団,訪中。団長はチョードリ商務次官。
DIA-301-1977-06-08-1バングラデシュ1977年06月08日1970年代ジア大統領,英連邦首脳会議で演説―低開発司が経済発展をしていく上での5項目提案を行なった。 ①先進国はGNPの0.7%を低開発国援助に供与。 ②外国援助はヒモつきでなくし,現在の負債は返済条件緩和。 ③低開発国に対してすべての未償還負債を帳消し。 ④先進国の輸入障壁をなくす。 ⑤Dept Repayment Liabilitiesは物的資源移動と結びつける。 また英連邦内部経済協力については工業発展のための英連邦基金を設置するよう提案した。
DIA-301-1977-06-08-2バングラデシュ1977年06月08日1970年代ジア大統領,BBCとインタビュー―内政については戒厳令を段階的に緩和し,言論の自由も認められ,徐々に民主化へのプロセスを辿っている。インドとの関係は改善されつつあり,ガンジス河川水配分問題で両国間である種の理解に達することはできよう。経済面では今年の食糧生産が不振のため緊急食糧援助を求めている。
DIA-301-1977-06-09-1バングラデシュ1977年06月09日1970年代デサイ首相,ジア大統領を訪問―デサイ首相は宿舎のホテルにジア大統領を訪ね,約50分に亘って会談した。
DIA-301-1977-06-10-1バングラデシュ1977年06月10日1970年代ジア大統領,デサイ首相を訪問―ジア大統領はデサイ首相を訪ね,2回目の会談を行なった。会談ではファラッカ問題国境問題についても話し合われた。バングラの新聞は国境問題で「インドは逃亡者たちに政治・武装活動をしないという条件でインド内に収容所を設け,自らの意志で残りたいものは残れるようにし,帰国したいものは帰すとの提案をした」と報じている。
DIA-301-1977-06-10-2バングラデシュ1977年06月10日1970年代ジア大統領,記者会見―ロンドンでの記者会見で次のようにのべた。 ①バングラの軍隊は政治的野心をもっていない。軍は国家の防衛と統一のために闘うものである。 ②1978年末の総選挙に出馬する希望はもっていない。また自分の政党をつくる計画もない。政党活動はすでに始められており,戒厳令も緩和されつつある。 ③我々の必要とする経済協力の分野は農村開発,工業発展,人口問題である。 ④インド政府は問題解決に前むきの姿勢で臨んでいる。一部ゲリラ分子はすでに帰順している。印バ友好条約について我々は検討中ではあるが,それが大きな問題とは思わない。
DIA-301-1977-06-11-1バングラデシュ1977年06月11日1970年代バ債権国会議での援助要請額は9.6億ドル―計画委は債権国会議に提出する覚え書きを作成したが,それによると1977/78年度の経済援助要請額は9億6000万ドルとなっている。内訳はプロジェクト援助3.5億ドル,商品援助3.15億ドル,食糧援助2.95億ドル。政府はこの覚え書きの中で1978年からは2ヵ年計画とし,第2次5ヵ年計画は1980年から始めることを明らかにしている。この2ヵ年計画は①食糧増産,②農村での雇用機会増加,③人口抑制,④公共・民間部門工業の強化などを目標としている。
DIA-301-1977-06-14-1バングラデシュ1977年06月14日1970年代ジア大統領,ロンドンより帰国―ダッカ空港で記者会見,我々の問題について多くの国々が理解を示したとのべ,英連邦首脳会議でのバングラの役割について,わが国の提案した2点が受け入れられたことに満足しているとのべた。2提案は,①工業面での協力・発展のためにCommonwealth Fundを設立する,②低開発国に相応しい技術の開発・普及のためのセンターを設立すること。
DIA-301-1977-06-14-2バングラデシュ1977年06月14日1970年代農村開発計画の立案―政府は29郡を選んで同区でインテンシブな農村開発を行なう計画で,そのための援助を債権国会議で要請するものとみられる。総投資額は18.1億タカ,2ヵ年計画で,目標は①所得の公正な分配を促し農村の貧国をなくす,②雇用機会増加により失業率を現在の30%から20%に下げる,③農業生産の一層の拡大,④農業開発のための諸機関の強化(農村金融の拡大,農協組織の強化などを含む),⑤農村インフラストラクチャー整備など。
DIA-301-1977-06-15-1バングラデシュ1977年06月15日1970年代英連邦首脳会議終了。共同コミュニケ発表。
DIA-301-1977-06-15-2バングラデシュ1977年06月15日1970年代1977/78年度輸出目標72.5億タカ―輸出促進局(EPB)は政府に対し1977/78年度輸出目標を72.5億タカと勧告した。これは前年度目標の28.6%増,実績(62.5億タカと推計)の16%増である。目標額のうち49.7億タカはジュート関係,22.82億タカはその他商品輸出を見込んでいる。
DIA-301-1977-06-15-3バングラデシュ1977年06月15日1970年代977/78茶政策―政府は茶の生産目標を7500万ポンドとし,輸出目標を6000万ポンドとする年次計画を承認した。1976/77の生産目標は7398万ポンドであった。
DIA-301-1977-06-17-1バングラデシュ1977年06月17日1970年代デサイ首相は下院でジア大統領との会談について,非常に有益であり今後も善隣友好協力関係を維持していくことに同意した,とのべた。
DIA-301-1977-06-17-2バングラデシュ1977年06月17日1970年代バジパイー外相は上院でバングラからの逃亡者について,1975年にインドに流入した多くの難民はすでに本国に帰っている,インド政府はこれら難民がインドで他国に反対する活動に関与することを許さないとのべた。
DIA-301-1977-06-19-1バングラデシュ1977年06月19日1970年代B.Economic Associationの第3回総会開く―ラジシャヒ大学で第3回総会が開かれ,サッタル副大統領が開会の辞をのべ,フダ博士が議長を務めた。総会にはバングラの大多数の著名な経済学者が出席,①人的資源開発,②農村開発問題,③失業問題,④財政・金融政策,⑤国有化部門の問題と今後の発展などの諸テーマで討論が行なわれたほか,「第3世界諸国間の経済協力」についての特別セミナーや「第2次5ヵ年計画」についてのシンポジウムも開かれた(6月22日閉会)。
DIA-301-1977-06-20-1バングラデシュ1977年06月20日1970年代法・秩序のための諮問委員会設置―政府は法と秩序の維持のためNational Advisory Committeeを設置した。委員長は副大統領,副委員長は内務次官,メンバーは官吏,警察長官,BDR長官,その他有力者。
DIA-301-1977-06-20-2バングラデシュ1977年06月20日1970年代ハンガリーと貿易協定に調印。1977/78の貿易額は片道410万ドル。
DIA-301-1977-06-20-3バングラデシュ1977年06月20日1970年代世銀グループの援助,4500万ドル―世銀グループはバングラの食糧増産プロジェクトを援助するため4500万ドルの支出を認めた。このうち2100万ドルはIDA資金,860万ドルはカナダ政府の資金でIDA資金と共にMuhuri灌漑プロジェクトに支出される。残り1600万ドルもIDA資金で浅井戸1万本による灌漑プロジェクト(北西ベンガル)。いずれも手数料0.75%,無利子,10年据置,50年返済。
DIA-301-1977-06-21-1バングラデシュ1977年06月21日1970年代江業省,外国投資振興法案作成―工業省は外国投資を促進し,投資家の利益を保護するための法案を作成して法務省に渡したと発表した。新法案には現行の優遇措置のほかに新たな措置も加えられるという。1976/77年度に政府が認可した外国投資は9件,4000万タカ。内訳は手工業1,深海漁業3,船修理工業1,果実缶詰工業1,既製服工業2で,米・英・日・韓国・香港・スイスからの投資。この他6件の投資が申請中で,深海漁業,ハカリ製造工業,ミシン製造工業,ポンプ・エンジン製造工業,製薬工業など。
DIA-301-1977-06-22-1バングラデシュ1977年06月22日1970年代教育担当顧問にS.Ali Ahsan任命―Abul Fazal顧問が病気で辞任,Syed Ali Ahsanラジシャヒ大学総長が後任に任命された。1922年生れ。ダッカ大学英文科卒。
DIA-301-1977-06-25-1バングラデシュ1977年06月25日1970年代1977/78年度予算発表―ジア大統領は1977/78年度予算を発表した。歳入合計は117億2690万タカ,歳出合計は90億6310万タカ,余剰は26億6380万タカでこれは年次開発計画資金となる。歳入の中には新しい税制改革による増収1億6080万タカを含む(詳細は資料参照)。
DIA-301-1977-06-25-2バングラデシュ1977年06月25日1970年代1977/78年度開発計画発表―Huda計画相は総額115億0650万タカの年度開発計画を発表した。農業及び関連事業が最優先され,投資総額の29%を充当する。なお外国援助は89.6億タカ(詳細は資料参照)。
DIA-301-1977-06-25-3バングラデシュ1977年06月25日1970年代1977/78年度鉄道予算発表―M.H.Khan海軍司令官は総額5億7600万タカの鉄道予算を発表した。前年度は3億7338万タカ。
DIA-301-1977-06-25-4バングラデシュ1977年06月25日1970年代経済事情1976/77発表―予算資料として例年発表される経済事情1976/77が発表された。それによると1976/77年度のGDP成長率は3%と推計,目標5%には達しなかったとのべ,その主たる原因は農業部門の不振にあると分析している。また昨年度落着いていた物価が食糧価格を中心に上昇傾向を示しはじめ,マネーサプライの増加と相まって,インフレ傾向が顕著になって来ていることに注目している(詳細は資料参照)。
DIA-301-1977-06-26-1バングラデシュ1977年06月26日1970年代ジア大統領,記者会見で予算説明―記者会見にはジアの他M.H.カーン海軍司令官(運輸・港湾担当)M.マームッド空軍司令官(食糧・観光・民間航空担当)も出席した。
DIA-301-1977-06-26-2バングラデシュ1977年06月26日1970年代ダッカ商工会議所総裁,新年度予算を歓迎―シディキ総裁は1977/78年度予算について「現実的な予算であり,とくに所得税軽減は貯蓄・投資に好影響を与えよう。政府が効果的・ダイナミックな私企業を育成しようとしていることは正しい方向だ」とのべた。
DIA-301-1977-06-26-3バングラデシュ1977年06月26日1970年代NAP(B)分裂―NAP(B)はバシャニ委員長が死去して以来内部対立が激化していたが,5月30日の大統領信任国民投票への対応をめぐる意見の相違が因でついに分裂した。26日,同党副委員長Gazi ShahidullahとAbu Naser Khan(バシャニの息子)を中心とする反主流派が党大会を開き,3月27日に開かれた党評議員会は不法であり無効であると宣言,党委員長のマシウル・ラーマンを除名し,書記長バリらを5年の党員権停止とした。党大会は新たに党役員を選挙,委員長にGazi氏を,書記長にAbu Naser氏を任命,故バシャニ夫人を党後見人とした。
DIA-301-1977-06-27-1バングラデシュ1977年06月27日1970年代ダッカ中央刑務所事件で調査委員会設置―政府は6月22日ダッカ中央刑務所内で騒擾が起き,負傷者を出した事件を調査するため最高裁判事を中心に委員会をつくった。すでに警察側の調べは行なわれており,看守14人が拘禁され,20人を規律違反で処罰した。
DIA-301-1977-06-28-1バングラデシュ1977年06月28日1970年代大統領顧問にNnsaffar Ahmad氏任命―担当はジュート省。1937年生,40歳。ダッカ大学経済学部卒,シカゴ大学で学位を取得。現職はダッカ大学のInstitute of Business Administrationの教授。
DIA-301-1977-06-30-1バングラデシュ1977年06月30日1970年代1977年7~12月輸入政策発表―政府は64億タカにのぼる輸入政策を発表した。これは独立以来最高の輸入額であり,1977年前期より9億タカ増。このうち33.6億タカは自国の外貨収入で充当し,22.2億タカは外国贈与・借款,残り8.2億タカはWage Earner’s Scheme及びバーター貿易による。輸入品目は国有化工業に必要な原材料,石油・石炭に優先権を与える。1977年1―6月の輸入実績は63.4は億タカ。
DIA-301-1977-07-01-1バングラデシュ1977年07月01日1970年代1977/78年度輸出政策発表―政府は1977/78年度輸出目標を72.5億タカとすると発表した。内訳はジュート18.5億タカ(250万ベール),ジュート製品31.2億タカ(50万トン),その他22.8億タカ。1976/77年の目標は56.4億タカのところ,実績は約62億タカで28.5%超過達成。今年の目標は昨年実績の17%増。
DIA-301-1977-07-04-1バングラデシュ1977年07月04日1970年代選挙管理委員長にNurul Islam任命―現委員長M.Idris判事の任期満了に伴う後任。
DIA-301-1977-07-06-1バングラデシュ1977年07月06日1970年代バ債権国会議農村開発問題委員会開く―債権国会議参加国メンバーによる特別委員会がパリで開かれ,Huda計画省担当顧問がバングラ農村開発計画を提出した。目的は食糧自給達成,栄養改善,農村雇用機会の増加,家族計画の普及などで,計画内容は①Intensive Area Developmentとして36ターナ(郡)を選択,2ヵ年間で農村社会開発を集中的に行なう,②Rural Works Programmeとして100ターナを選択,5カ年かけて農村土木工事など社会開発に必要なインフラストラクチャーを整備するというもの。これらに要する費用は約34億タカ。すでにアジア開発銀行資金で①のプロジェクトを4ターナで行なっている。
DIA-301-1977-07-08-1バングラデシュ1977年07月08日1970年代バ債権国会議開催―世銀主催により15ヵ国・4国際機関代表の出席のもとに債権国会議がパリで開かれた。バングラ政府は9億6000万ドルの援助(1977/78年度)を要請した。内訳は食糧援助2億9500万ドル,商品援助3億1500万ドル,プロジェクト援助3億5000万ドル。会議に先だち,バ政府は恒例の「覚え書き」を発表したが,この中で,①1978~80年は2ヵ年のアプローチ・プランを立案して実施する,②1980年から第2次5カ年計画を実施する,③1980年から20ヵ年の長期開発計画を立案し,第2次5ヵ年計画を20ヵ年長期計画の枠内に入れる,ことなどを明らかにしている。会議でのプレッジ額は8億5000万ドル,内食糧援助1億3000万ドル,商品援助2億9000万ドル,プロジェクト援助4億3000万ドル。
DIA-301-1977-07-09-1バングラデシュ1977年07月09日1970年代サウジ・アラビアの対バ援助―総額は2億0500万ドルと肥料20万トン。プロジェクト援助は鉄道改良工事5000万ドル,ジャイプルハット石灰石開発3000万ドル,その他7000万ドル,贈与は国立銀行へ現金5500万ドル(3000万ポンド),肥料20万トン。
DIA-301-1977-07-10-1バングラデシュ1977年07月10日1970年代工業省担当顧問,更迭―Hafizuddin工業省担当顧問が辞任,Jamaluddin Ahmedが後任に任命された。現在までバングラ・タバコ会社の財政担当重役。
DIA-301-1977-07-12-1バングラデシュ1977年07月12日1970年代石油・鉱物資源担当顧問にAshfaq Hussain Khan―マームード空軍参謀長の兼務していたポスト。
DIA-301-1977-07-13-1バングラデシュ1977年07月13日1970年代NAP(M)内部対立―同党副委員長ら5人が声明を発表,ムザファール委員長の独裁的党運営を批判。
DIA-301-1977-07-13-2バングラデシュ1977年07月13日1970年代文化代表団,訪中―民族歌舞団を中心とする60人が文化代表団として訪中,北京はじめ各地で公演する。団長はS.H.Chowdhuryバ・中友好協会長(~8.5)。
DIA-301-1977-07-14-1バングラデシュ1977年07月14日1970年代食糧省担当顧問にAbdul Momen Khan任命―大統領はMahmood空軍参謀長が兼務していた食糧省担当顧問に議会局次官A.Momen Khanを任命した。
DIA-301-1977-07-14-2バングラデシュ1977年07月14日1970年代市議会議長・議員の選挙日程はダッカを除き8月13日に決定。
DIA-301-1977-07-16-1バングラデシュ1977年07月16日1970年代物価上昇―バ・タイムスは社説で物価問題を取りあげ,とくに今年度予算発表以降物価上昇が目立つとして政府に物価対策に取組むよう主張した。1976年6月と1977年6月の米価は下級米でモーンド133タカから160タカに上昇,玉ネギは1シーア1.25タカから3.50タカに急騰したという。
DIA-301-1977-07-17-1バングラデシュ1977年07月17日1970年代鳩山外相,訪バ―日本の大臣として初めて鳩山外相がバングラを訪問した(~19日)。18日にもたれた公式会談で日本側は1977/78年度対バ援助174.8億円を約束した。商品援助150億円,プロジェクト援助14億円,食糧援助10.8億円。19日に鳩山外相はジア大統領を訪ね,大統領の日本訪問を招請した。
DIA-301-1977-07-19-1バングラデシュ1977年07月19日1970年代中国から機械貿易代表団,訪バ。
DIA-301-1977-07-19-2バングラデシュ1977年07月19日1970年代公務員に一時金支払い―公務員の新給与表が決まるまでの暫定措置として最高3000タカの一時金支払が決められた。
DIA-301-1977-07-20-1バングラデシュ1977年07月20日1970年代ジア大統領,ビルマ訪問―4日間の公式訪問で,この間2回の首脳会議がもたれた。この他貿易に関する専門家会議も開かれた。大統領は23日帰国,共同コミュニケは24日発表。
DIA-301-1977-07-25-1バングラデシュ1977年07月25日1970年代市議会規則,改正―「ダッカ市議会議長の選挙は住民の直接選挙による」との規則を改正,「議長は選挙された市議会議員が互選する」と改めた。議会は選出される50人の議員,任命婦人議員,官吏代表6人よりなる。ダッカ市議会議長を間接選挙にすることに関して,左派系政党を中心に批判の声が高まっている。
DIA-301-1977-07-26-1バングラデシュ1977年07月26日1970年代ジア大統領,サウジ・アラビア訪問―3日間の公式訪問で,27日には首脳会談がもたれ,約束された1億5000万ドルの借款のうち5000万ドルを鉄道改良事業に支出する協定にも調印された。ジア大統領はメッカ・メジナ・ジェッタなどを訪問して29日帰国,同日共同声明が発表された。
DIA-301-1977-07-28-1バングラデシュ1977年07月28日1970年代ファラッカ問題専門家会議,ダッカで再開―インドよりJ.S.Mehta外務次官を迎えて,専門家会議が再開された。
DIA-301-1977-07-28-2バングラデシュ1977年07月28日1970年代IMF特別融資基金から1580万ドル対バ融資。
DIA-301-1977-07-31-1バングラデシュ1977年07月31日1970年代A.R.カーン,統一政党結成呼びかけ―Ataur Rahman Khan国民連盟委員長は声明を発表,民主・民族勢力による単一政党を結成するよう呼びかけた。「現在この危機的政治情勢の中で我々が今必要なことは,国民の民主的権利の回復であり,これは主権をもつ立法府を選出する早期選挙のためにも必要である。そのためには左右の極端な考えの人々を除き,穏健中道派の育成をしなければならず,民主・民族主義の下に統一政党をつくる必要がある」。
DIA-301-1977-07-31-2バングラデシュ1977年07月31日1970年代政党人14人,脱党―民主連盟などに属する政党人14人が脱党を宣言。今後は政党に属さない民主勢力と協力し,統一して政治運動をすすめる。
DIA-301-1977-07-31-3バングラデシュ1977年07月31日1970年代ダッカ市議会議員選挙を8月28日に実施と発表。他市の議会選挙は8月13日。
DIA-301-1977-08-02-1バングラデシュ1977年08月02日1970年代ビルマから航空代表団,訪バ―両国航空の相互乗入れ,上空通過等に関する航空協定に調印(3日)。ビルマからは今年米5万トン,セメント5000トン輸入。
DIA-301-1977-08-05-1バングラデシュ1977年08月05日1970年代ジュート省担当顧問にShafiul Azam任命―Azam氏は計画委副議長を務めていた。
DIA-301-1977-08-05-2バングラデシュ1977年08月05日1970年代OPECの対バングラ援助は1390万ドル(無利子借款。
DIA-301-1977-08-05-3バングラデシュ1977年08月05日1970年代A.R.カーン,記者会見―民族民主勢力を結集して単一政党をつくるため,JAGMU,UPP,IDL,NAP(G-N),KSPの指導者と話し合っているが,原則的に同意したとのべた。またBSD(ML),BMLの指導者とも交渉中。
DIA-301-1977-08-05-4バングラデシュ1977年08月05日1970年代バ共産党(ML)のToaha委員長,政府批判発言―政治犯の釈放問題で政府がしていることは,旧アワミ連盟系の人々を力づけているだけである。政府は国の独立・主権に反対して銃をむけた反逆者を許す一方で,国のために闘った愛国者を獄から出していない。政府は直ちに政治活動の自由と弾圧法の撤廃をすべきだ。
DIA-301-1977-08-05-5バングラデシュ1977年08月05日1970年代バ人民連盟,早期総選挙主張―A.Razee委員長は政府に対し,①8.31より政治活動を自由化,②1978.2までに総選挙,③選出議員は制憲議会メンバーとなり新憲法を制定して再び総選挙を行う,などを主張。
DIA-301-1977-08-06-1バングラデシュ1977年08月06日1970年代旧AL系国会議員3人,インドより投降。
DIA-301-1977-08-06-2バングラデシュ1977年08月06日1970年代ファラッカ問題専門家会議,結論出せずに終了―インド代表メータ外務次官が本国政府と協議するため一時帰国するなど,会談に期待がもたれたが,今回も結論を出すことができずに終了した。次回は9月,デリーで開く。
DIA-301-1977-08-08-1バングラデシュ1977年08月08日1970年代石炭価格引下げ―商省は10日より石炭価格をトン当り69タカ引下げ,645タカにすると発表。
DIA-301-1977-08-08-2バングラデシュ1977年08月08日1970年代アメリカ,大豆油1万トン援助。総額720万ドル。
DIA-301-1977-08-09-1バングラデシュ1977年08月09日1970年代ムジブ時代の閣僚,Phani Majumder逮捕。
DIA-301-1977-08-12-1バングラデシュ1977年08月12日1970年代学生5団体,統一行動呼びかけ―反動分子が再び活動を強化していることに対抗するためで,左派系政党の学生団体。
DIA-301-1977-08-13-1バングラデシュ1977年08月13日1970年代市議会議長・議員選挙終了―ダッカを除く77市の議長・議員選挙が終了した。立候補者は議長職77に対して421人,議員職867に対して3339人。
DIA-301-1977-08-13-2バングラデシュ1977年08月13日1970年代独立闘争兵士協会,8.15を解放の日として記念―協会委員長は声明を発表,8.15を印ソの抑圧からの「解放の日」として記念行事をすると発表した。声明の中で「旧アワミ連盟系勢力が8.15を喪に服す日として集会・ストを計画していることは許せない。彼等は国を売り,民主主義を破壊し,テロを横行させた。またバングラ独立に反対した勢力も動きはじめている」とのべている。
DIA-301-1977-08-14-1バングラデシュ1977年08月14日1970年代政党指導者8人,共同声明―アワミ連盟が8.15を「喪に服する日」にすると宣言したことに反対したもので,これを新らたな政治的陰謀であるとし,現政府内に彼等の復活を助けているものがあると批判した。声明はA.R.カーンらBJL,JAGMU,NAP(G.N),KSP指導者。この他にもアワミ連盟の8.15行動に反対する声明を発表した政党多数。
DIA-301-1977-08-15-1バングラデシュ1977年08月15日1970年代ダッカ大学で学生衝突―アワミ連盟系学生が8.15を喪に服する日として集会を開いたたあ,反対する学生と衝突,8人負傷。
DIA-301-1977-08-16-1バングラデシュ1977年08月16日1970年代北朝鮮とバーター協定―バ貿易代表団が北朝鮮を訪問して調印したもので,年間380万ポンドの物資を交換する。
DIA-301-1977-08-16-2バングラデシュ1977年08月16日1970年代金価格急騰―金価格が過去1週間にトラ当り50タカ上昇して,1350タカになった。これは独立以来の高値。
DIA-301-1977-08-16-3バングラデシュ1977年08月16日1970年代全国民主主義学生フロント(NDSF)結成―5学生組織が統一戦線を組んだもので,構成はJatiya Chhatra Dal,B.Chhatra Union,B.Chhatra League(Pradhan派),B.Chhatra Andron,Progotisheel ChhatraDal.
DIA-301-1977-08-17-1バングラデシュ1977年08月17日1970年代クシティアの村議会議長ら2人射殺。2人重傷。
DIA-301-1977-08-17-2バングラデシュ1977年08月17日1970年代National Statistical Council設立。議長はM.N.Huda,副議長はRabbain統計局長。
DIA-301-1977-08-17-3バングラデシュ1977年08月17日1970年代National Front for Democracy(NFD)結成―政党を離脱した14人の政治家中心に結成されたもので,代表は前民主党指導者,Moinul Hossain。
DIA-301-1977-08-19-1バングラデシュ1977年08月19日1970年代物価委員会設置―政府は9人からなる物価委員会を設置,委員長にS.Rahman商務省担当顧問を任命した。
DIA-301-1977-08-21-1バングラデシュ1977年08月21日1970年代公務員・公社職員への諸手当,発表―医療手当は月30タカ,住宅手当は大都市の場合,月給1000タカ以下のものは30%(最低月75タカ),1001~2000タカのものは25%(同300タカ),2001タカ以上のものは20%(同500タカ),交通費月10タカ(下級職員のみ),年金引上げなどを含む。
DIA-301-1977-08-21-2バングラデシュ1977年08月21日1970年代Shailkupa郡の村議長,射殺。
DIA-301-1977-08-23-1バングラデシュ1977年08月23日1970年代アワミ連盟Sharafatganj地区副委員長射殺。
DIA-301-1977-08-23-2バングラデシュ1977年08月23日1970年代タイと貿易協定―ラーマン商務担当顧問がタイを訪問して調印したもので,両国初の協定。またこの日タイから航空協定を結ぶための代表団が訪バした(航空協定は26日調印)。
DIA-301-1977-08-23-3バングラデシュ1977年08月23日1970年代中国機械貿易代表団,帰国―38日間バングラ各地を訪ね,バングラ機械工業の実情を視察すると共に,貿易協定の枠内での中国機械輸出品内容を話し合った。
DIA-301-1977-08-25-1バングラデシュ1977年08月25日1970年代2カ年計画立案のため3作業委員会設置―①国民所得,②国内資金,③国際収支と外国資金についての作業委員会で,委員長は計画委メンバー。
DIA-301-1977-08-26-1バングラデシュ1977年08月26日1970年代経済計画立案のための経済学者のパネル設置―政府は2カ年計画,5カ年計画,20カ年長期計画を立案するため,経済学者12人からなるAdvisory Panelを設置,メンバーを任命した。
DIA-301-1977-08-26-2バングラデシュ1977年08月26日1970年代Tabarak外務次官,訪パ(~30日)。この後パキスタンはバングラに住むビハール人2.5万人の引取りを発表した。
DIA-301-1977-08-27-1バングラデシュ1977年08月27日1970年代19項目プロジェクト実施委員会,設置―委員長はサッタル副大統領,メンバーは各省顧問など7人。
DIA-301-1977-08-28-1バングラデシュ1977年08月28日1970年代ダッカ大学で学生衝突,24人負傷―文学部前の記念像撤去を主張する回教系政党の学生と反対派学生が衝突したもの。
DIA-301-1977-08-28-2バングラデシュ1977年08月28日1970年代ダッカ中央郵便局前の「槍投げの像」が持ち去られたことについて,62人のインテリが共同声明,像の再建と政府の態度表明を要求した。声明は「以前から独立戦争記念像の撤去を要求していた連中は,独立闘争時に果した役割によってよく知られた人である。これは回教に名を借りた陰謀である」としている。左派政党・労働組合代表も個別に同趣旨の主張をしている。
DIA-301-1977-08-31-1バングラデシュ1977年08月31日1970年代アメリカと3協定―①尿素肥料5万トン,TSP7.9万トンを含む商品援助2750万ドル,②農村貸出資金のため700万ドル,③農業研究所資金36万ドルの3つ。
DIA-301-1977-08-31-2バングラデシュ1977年08月31日1970年代中央銀行年次報告1976/77発表―中央銀行は1976/77年次報告を発表したが,この中でインフレ圧力が強まったと警告している。
DIA-301-1977-09-01-1バングラデシュ1977年09月01日1970年代外国流出労働者数増加―1977年1~6月平均流出労働者数は1500人にのぼり,この間の外国からの本国送金は7億タカ。
DIA-301-1977-09-02-1バングラデシュ1977年09月02日1970年代民主連盟,A.R.カーン氏らの統一政党結成呼びかけに反対。
DIA-301-1977-09-04-1バングラデシュ1977年09月04日1970年代労働党分裂―1方はM.Matin委員長・H.I.Choudhury書記のグループ,他方はA.Rauf書記長のグループ。
DIA-301-1977-09-04-2バングラデシュ1977年09月04日1970年代回教徒連盟,1978.1総選挙主張―中央委が決めたもので,①総選挙の1978.1実施,②回教徒・ヒンドゥ教徒別の選挙制とする,③憲法第4次改正(1975.1)の撤廃,議会民主制への復帰,④政治活動の自由,⑤物価引下げなどを要求。
DIA-301-1977-09-09-1バングラデシュ1977年09月09日1970年代毛沢東主席逝去1週年記念の集会―左派系政党,労働組合組織学生組織など多数が1週年記念の討論集会やシンポジウムを開いた。
DIA-301-1977-09-09-2バングラデシュ1977年09月09日1970年代ベトナムから貿易代表団,訪バ―4日間の公式訪問で,両国は貿易協定に調印(12日),今後経済協力を深めることに同意した。
DIA-301-1977-09-12-1バングラデシュ1977年09月12日1970年代左派系政党指導者統一行動のプログラム―左派系政党指導者7人は共同声明を発表,「バングラの独立・主権を守り,自力更生の経済体制を確立し,人民民主主義に基づく民主政府を樹立するため,最少限プログラムの下に統一行動をする必要がある」とのべた上で,12項目の最少限プログラムを発表した。主な内容は,①あらゆる搾取・覇権,干渉に反対する人民の抵抗を組織,②不平等条約の破棄,③人民の民主的権利要求,④愛国的政治犯釈放,⑤基本的人権確立,⑥非民主的,抑圧的悪法撤廃,⑦土地改革,⑧非同盟・独立の外交政策の追求,⑨戒厳令の撤廃,憲法破棄,⑩愛国・民主勢力によるNational Government樹立,など。 共同声明では「米・ソ・インドの覇権活動が強化され,それに伴って国内の反動派や旧アワミ連盟勢力の活動が活発になっている。我々の国家利益はファラッカや国境問題解決に際して無視され,人民の自由な政治活動・抵抗運動の権利は圧迫されている。政府の種々の反人民的政策もつづいている」として,現政府をきびしく批判している。 共同声明署名者はM.トーハ共産党(ML)委員長,A.Abbas同党中央委,S.H.Khan(JAGMU),A.Matin(労働党)など。
DIA-301-1977-09-14-1バングラデシュ1977年09月14日1970年代バ共産党(ML)トーハ委員長,訪中。中国政府の招きで病気治療のため。
DIA-301-1977-09-14-2バングラデシュ1977年09月14日1970年代断食明けの祭りで,特赦1210人。うち110人は政治犯。
DIA-301-1977-09-17-1バングラデシュ1977年09月17日1970年代Bashar空軍少将の死でPress Release―国防省は1976.9に同空軍少将が飛行機事故で死亡した事件について,「サボ活動による事故死」との報道を否定。
DIA-301-1977-09-20-1バングラデシュ1977年09月20日1970年代ファラッカ問題専門家会議,デリーで再開―バ代表はアッバース治水・灌漑担当特別顧問。
DIA-301-1977-09-20-2バングラデシュ1977年09月20日1970年代物価委員会開催―商務省担当顧問中心に開かれたもので,最近の物価上昇はマネーサプライ増や供給不足によるものではなく,一部商人の投機的取引にあるとして,これら不正取引商人に断固たる措置をとるよう勧告した。これにより警察が小売店を訪ねて不正取引の摘発をはじめた。
DIA-301-1977-09-21-1バングラデシュ1977年09月21日1970年代PL480協定―アメリカとPL480の第3回改定が調印された。4月の原協定は小麦20万トン,2260万ドル,第1回改定は米7.5万トン追加(2100万ドル),第2回改定は小麦7.5万トン(700万ドル),食用油1万トン(720万ドル)追加,第3回改定は食用油(1万トン追加で,その総額は6綿0万ドル。
DIA-301-1977-09-22-1バングラデシュ1977年09月22日1970年代綿糸価格を20~32%引上げ―政府は輸入綿糸価格と国営綿工場の綿糸価格ギャップを狭め,綿工場の綿花価格高騰によるコスト上昇を補てんするため,政府売出し綿糸価格を20~32%引上げると発表した。32番手綿糸でポンド当り15.98タカが19.98タカ,40番手綿糸は20.31タカが25。39タカになる。
DIA-301-1977-09-22-2バングラデシュ1977年09月22日1970年代IDAの1976/77年度援助額―農業開発関係プロジェクトに4500万ドル,商品援助7500万ドル,計1億2000万ドル。
DIA-301-1977-09-22-3バングラデシュ1977年09月22日1970年代77ジュート工場の生産目標(1977/78)―生産総量は50万トンとし,各織機当りの最低生産量を決め,生産に当っての損粍率を現行8%から6.5%に引下げる。
DIA-301-1977-09-24-1バングラデシュ1977年09月24日1970年代ジア大統領,エジプト訪問(~27日)―3日間の公式訪問で,サダト大統領と会談(25日),共同声明が発表された(26日)。24日のサダト大統領主催夕食会で同大統領はエジプト最高の勲章である「Collar of the Order of the Nile」をジア大統領に自らの手で渡した。これはたいへんな友好のゼスチャーとして注目された。
DIA-301-1977-09-25-1バングラデシュ1977年09月25日1970年代ダッカ市議会議員選挙,終了―50人の議員ポストに372人が立候補,激しい選挙戦であった。
DIA-301-1977-09-26-1バングラデシュ1977年09月26日1970年代ヘリコプター事故,3人死亡―テスト飛行中のヘリコプターが事故で墜落,空軍将兵3人死亡。
DIA-301-1977-09-28-1バングラデシュ1977年09月28日1970年代日航ハイジャック機,ダッカ空港に強制着陸―直ちにA.G.マームード空軍参謀長が空港内コントロール・タワーに詰め,犯人との交渉に当っている。政府は顧問評議会を開いて対策を協議。
DIA-301-1977-09-28-2バングラデシュ1977年09月28日1970年代第6回空軍デー―バ空軍設立6週年記念日のためチッタゴン,ジェソール等でパレード。
DIA-301-1977-09-29-1バングラデシュ1977年09月29日1970年代ファラッカ問題で印バ合意―ファラッカ問題専門家会議は20日からデリーで開かれていたが,短期的解決として毎年1~5月間のガンジス河川水配水量について合意に達した。協定の調印は両国閣僚が行なう。長期的解決については両国の合同河川委員会で検討をつづける。
DIA-301-1977-09-30-1バングラデシュ1977年09月30日1970年代内務省,Press Note―9月30日ある不穏分子がボグラ刑務所に武装して侵入,入獄者を逃亡させた。しかし警察は直ちに行動を起し,逃亡者のいく人かは捕えられ,なお捜査中。
DIA-301-1977-09-30-2バングラデシュ1977年09月30日1970年代福田首相,ジア大統領にハイジャック事件解決に協力を求め,ジア大統領も「人質の安全を守りつつ事件を解決するためベストをつくす」と返事した。
DIA-301-1977-10-02-1バングラデシュ1977年10月02日1970年代クーデター未遂事件―2日未明,ダッカ軍基地内で陸・空軍将兵がクーデターを試みて反乱を起した。一部反乱軍は日航ハイジャック機がいるダッカ空港の管制塔を銃撃戦のあと占拠し,ハイジャック機と交渉に当っていたマームード空軍将校を連行,その他の空軍将兵11入を射殺した。また一部反乱軍はダッカ市内の放送局を一時占拠,「人民軍が放送局を占拠した」「軍隊,学生,労働者,農民による武装革命が進行中である」と放送した。しかし反乱軍は数時間後に政府軍に鎮圧された。この事件で空軍将校11人,陸軍兵士10人,市民17人を含め約100人が死亡したという。ダッカ空軍基地では戦闘爆撃機数機が破壊された(未確認)。
DIA-301-1977-10-02-2バングラデシュ1977年10月02日1970年代ジアウル大統領,特別放送―「軍内部一部兵士がダッカ軍基地および市内各所で反乱を起し平和と秩序を破壊したが鎮圧された。反乱兵士は直ちに軍隊に復帰し規律に服せ。すべての国民が独立・主権のためその義務を遂行しているとき,こうした兵士がある勢力にそそのかされて軍内部の秩序を乱そうとしたことは残念だ。9月30日にもボグラで理由なく混乱を起したこれら兵士により,数名の生命が失なわれた。愛国軍人は貴重な外貨を使って入手した軍装備に注意せよ」
DIA-301-1977-10-02-3バングラデシュ1977年10月02日1970年代日航ハイジャック機,クエートへ向う―バングラ政府・軍は日航機の離陸を指示,同日午後9時すぎクエートに向って出発した。人質102人はダッカで解放,残りの人質は38人と乗員。福田首相はジア大統領に2度目の国際電話で「離陸中止・人質全員解放」について協力を依頼した。
DIA-301-1977-10-02-4バングラデシュ1977年10月02日1970年代夜間外出禁止令は午後10時から午前5時に変更(10月12日まで)。
DIA-301-1977-10-03-1バングラデシュ1977年10月03日1970年代陸軍司令部で軍首脳会談―ジア陸軍参謀長,海・空軍参謀長,軍情報部長,BDR長官,警察長官,陸軍指導部(副参謀長,首都防衛第9師団長など)により緊急会談がもたれ,クーデター未遂事件後の軍内部問題処理について検討された。
DIA-301-1977-10-03-2バングラデシュ1977年10月03日1970年代政党指導者,一斉にクーデター未遂事件非難―BJLのA.R.カーン委員長,左派系政党の7人の指導者,JSDのAwal委員長などがこの事件を反国家・反人民勢力によるものとして非難する声明を出した。
DIA-301-1977-10-04-1バングラデシュ1977年10月04日1970年代ボグラ事件の死者―陸軍発表によると死者は少佐1人,行方不明(殺されたと見られる)1人,負傷3人。
DIA-301-1977-10-04-2バングラデシュ1977年10月04日1970年代政党指導者のクーデター非難声明つづく―回教徒連盟,統一人民党,BJL,NAP(M),CML,NAP(B),KSP,NFD,BLP,BDLなど。
DIA-301-1977-10-08-1バングラデシュ1977年10月08日1970年代軍情報部長更迭―イスラム空軍少将を更迭,M.J.チョードリ陸軍准将を任命した。イスラム少将は退役。クーデター未遂事件で情報収集不備の責任を取らされたものとみられる。
DIA-301-1977-10-08-2バングラデシュ1977年10月08日1970年代輸出促進局(EPB)を独立し,自治権をもった機関に昇格。
DIA-301-1977-10-09-1バングラデシュ1977年10月09日1970年代軍事特別法廷2つ設置―戒厳令規則により,9.30ボグラ事件,10.2ダッカ事件の責任者を裁判にかけるためのもので,いずれも軍人5人で構成。
DIA-301-1977-10-09-2バングラデシュ1977年10月09日1970年代中国に農村開発調査団訪問―IRDPのH.Ahmed所長を団長とする調査団24人は,中国の農村開発戦略を研究するため3週間の予定で訪中。
DIA-301-1977-10-10-1バングラデシュ1977年10月10日1970年代小学生の就学状況―UNICEF調査に依れば,学令児(6~10歳)の41%は小学校に通学していない。1974年のdrop out率は小学2年で56%,3年で18%,4年で10%。農村部の方が高い。
DIA-301-1977-10-11-1バングラデシュ1977年10月11日1970年代ジア大統領,政党指導者60人を召集―4時間に亘って政党指導者と会談,政治情勢について話合った。ジア大統領は,①今後はバングラデシュ民族主義に基礎を置いた政治活動だけを認め,地下政治活動は許さず,外国から資金・指示を得る政党も許さない,②ボグラ・ダッカ反乱事件についてはハイレベルな調査委員会をつくり,国民に事件について真相を明らかにする。③われわれは漸次政治活動の自由化にむかって来たが,流血や暴動の危機の下では自由化はできないし,民主主義も実現できない,④過去数ヵ月,西ベンガル紙はバングラおよび軍について根拠のない挑発的記事を載せてきた。反政府ゲリラ活動を支援してきた。最近の事件がこうしたゲリラ分子が帰国を許された後に起っていることは重要なことである,とのべた。政党指導者たちは国家独立・統一のために大統領を支持すると共に政治活動の自由化と民主的権利の回復を要請し,政治問題の処理は政治的手段によるべきであって軍勢力を政治から引きはなすよう主張した。
DIA-301-1977-10-11-2バングラデシュ1977年10月11日1970年代バ・中友好協会,中国の第28回国慶節祝賀式典。
DIA-301-1977-10-12-1バングラデシュ1977年10月12日1970年代情報・放送担当顧問,更迭―アクバル・カビール情報・放送担当顧問は辞表を提出,大統領これを認めて,Shamsul Huda Choudhuryを新顧問に任命した。チョードリ新顧問は1945年以来放送畠を歩き,昨年は訪中文化使節団長を務めた。
DIA-301-1977-10-14-1バングラデシュ1977年10月14日1970年代ジア大統領,ラジオ・TV放送―ジァ大統領は全国放送を通じて演説,ボグラ・ダッカ反乱事件はバングラを再び衛星国家にしようとの陰謀であるとのべ,民族社会党JSD,共産党モニ・シン派(ソ連系),民主連盟BDLの3政党を反国家活動に関与したとして解散を命じた。大統領の演説要旨は以下の通り。 (1)反乱の目的が,我国の軍隊,なかんずく空軍の戦闘力を失なわせ,独立・主権を脅かすにあることは疑問の余地がない。この攻撃はわれわれが苦労して得た外貨を使い,独立国に相応しい軍隊を組織したまさにそのときに仕掛けられた。 (2)軍を強化し国防を固めるわれわれの努力は,ある勢力にとって望ましくなかった。この勢力とその手先はわれわれが独立・中立外交政策によって世界の国々との間でつくりあげた友好関係を目ざわりだと考えた。彼等は我国を再び衛星国家にしたいのだ。だがわれわれは決して許さない。 (3)テロ,外国からの侵入,陰謀,地下活動,外国からの支援と指示による政治活動をなくするため,われわれはこうした活動に関与した3政党,JSD,共産党,BDLに解散を命ずる。
DIA-301-1977-10-14-2バングラデシュ1977年10月14日1970年代政党法,戒厳令規則を改正。戒厳令司令官に反国家活動を行った政党の解散権を与えるもの。
DIA-301-1977-10-15-1バングラデシュ1977年10月15日1970年代政府,米卸・小売業者ストックを制限―政府は米価上昇が買占め・売惜みなどの投機的取引によっているとして,卸・小売業者がもちうるストック量を制限すると発表した。卸業者は精米・モミ米を問わず500モーンド(約18.7トン)以上保有できず,買入れ日より20日以内に販売すること,小売業者は50モーンドを上限とする。
DIA-301-1977-10-15-2バングラデシュ1977年10月15日1970年代Aman米の政府買上げ価格引上げ―輸送費1モーンド当り4タカを含め,モミ米でモーンド当り84タカ(旧価格78タカ),下級米は132タカ(同122タカ),中級米は134タカ(同124タカ)。
DIA-301-1977-10-16-1バングラデシュ1977年10月16日1970年代集約的冬作生産計画―農業政策評議会は,1977/78年度の冬作生産を増加させるため,Intensive Rabi Crop Production Programmeを決めた。これは全国388ターナで,Boro米,小麦,ポテト,甘薯,豆類,種子油,落花生,冬野菜,スパイス,砂糖キビなどを増産するための特別計画。
DIA-301-1977-10-16-2バングラデシュ1977年10月16日1970年代小麦の生産面積は45万エーカー,生産量は25.2万トンを目標とする。
DIA-301-1977-10-17-1バングラデシュ1977年10月17日1970年代共産党(ソ連派)のモニ・シン委員長,ファルハド書記長の2人は戒厳令違反で逮捕されたと発表。
DIA-301-1977-10-17-2バングラデシュ1977年10月17日1970年代ダッカに近代ホテル建設の定礎式。総工費4億5000万タカで外貨必要額の3億3000万タカは日本政府の借款。
DIA-301-1977-10-18-1バングラデシュ1977年10月18日1970年代軍事裁判―軍情報部発表によれば,ダッカ・ボグラ反乱事件の参加者は空・陸軍メンバーで,すでに460人が裁判にかけられ,37人が死刑執行,20人が無期,63人が無罪の判決を受けた。裁判は続行。
DIA-301-1977-10-18-2バングラデシュ1977年10月18日1970年代21企業の払い下げ決る―Disinvestment Boardが決めたもので,中小規模の軽工業中心。
DIA-301-1977-10-18-3バングラデシュ1977年10月18日1970年代インド外相,バングラ政府に抗議―バジパイー外相は駐印大使を呼び,バングラ政府がボグラ・ダッカ事件でインドの名前を引合いに出していることに不満の意を表明した。
DIA-301-1977-10-20-1バングラデシュ1977年10月20日1970年代1976/77輸出収入―最終推計によれば71.14億タカで,目標56.4億タカを25%超過達成した。内訳はジュート・同製品50.18億タカ,皮革7.56億タカ,魚3.25億タカ,その他11.15億タカ。
DIA-301-1977-10-21-1バングラデシュ1977年10月21日1970年代バ・イラン,労働力移動で共同声明―イラン労働相の訪バにより出されたもので,1977~1980年の間にイランはバングラから技術者2万3800人を受入れる。業種は医者,看護婦,エンジニア,熟練工,運転手,建設技士,家庭労働者,料理人,事務員など。
DIA-301-1977-10-23-1バングラデシュ1977年10月23日1970年代イスラム民主連盟,分裂―同党はパキスタン時代の6政党が合同して結成されたものだが,その中の旧Jamaat党系党員が分裂して評議員会を開き,新らたに委員長・書記長を選出した。主流派は党内のJamaat党系メンバーを除名。
DIA-301-1977-10-25-1バングラデシュ1977年10月25日1970年代県議会選挙は12月―選管は県議会(Zilla Parishad)選挙が12月に実施されるとして,各19県の選出議員数を発表した。ダッカは57人。県議会は選挙メンバー,任命議員,婦人議員の3者で構成される。
DIA-301-1977-10-25-2バングラデシュ1977年10月25日1970年代イラン・UAEより原油100万トン輸入予定―政府は1978年にイランから40万トン,UAEから60万トンの原油を輸入する(総額1億3000万ドル)。その他精製油30万トン輸入。
DIA-301-1977-10-25-3バングラデシュ1977年10月25日1970年代共産党(ML)内紛―共産党(ML)の一部中央委員は拡大中央委を開き,同党の4人の中央委員を修正主義者として除名した。その中には現在中国を訪問しているToaha党書記代行のシャンティ・センも含まれる。新らたにNagen Sarkarを書記に選出,①不平等条約破棄,②ALを含む反国家政党禁止,③現憲法破棄,④政党法を含め弾圧法廃止,⑤自由・公然政治活動の復活と民主的権利回復などを要求する決議を行った。
DIA-301-1977-10-26-1バングラデシュ1977年10月26日1970年代ボグラ事件軍事裁判終了―軍情報部発表によれば,事件関係者101人が裁判にかけられ,このうち55人は死刑,14人は無期,18人が有罪判決を受け,14人が無罪放免された。
DIA-301-1977-10-26-2バングラデシュ1977年10月26日1970年代ボグラ・ダッカ反乱事件の調査委員会任命―調査委員長はAhsanuddin Chowdhury判事,メンバーはA.T.M.Masud判事。
DIA-301-1977-10-27-1バングラデシュ1977年10月27日1970年代11.7を「民族抵抗の日」に―左派系政党指導者7人は共同声明を発表,「1975年11.7のセポイの革命により社会帝国主義・拡張主義とその手先の陰謀が打くだかれたのであり,この日を民族抵抗のシンボルとし,反帝・反社帝・反拡張主義のための国民戦線をつくろう」と呼びかけた。これはアワミ連盟が11.3を1975年にダッカ中央刑務所で4人の政治家が殺害されたことに対する「抗議の日」としたことに対抗したもので,彼らはこのアワミ連盟の11.3運動を非難していた。
DIA-301-1977-10-28-1バングラデシュ1977年10月28日1970年代基礎商品供給調整委員会設立―委員長はHuda計画省顧問,メンバー8人で,基礎商品の需給状況を定期的に推計し,輸入必要量・時期を定あて物資の安定供給を保証することを目的とする。
DIA-301-1977-10-28-2バングラデシュ1977年10月28日1970年代輸入代替調整委員会設立―委員長はHuda計画省顧問,メンバー7人で,輸入品の国産化の方策について検討する。正式名はImport Substitutes Coordination Committee.
DIA-301-1977-10-28-3バングラデシュ1977年10月28日1970年代早川代議士,訪バ―日本政府特使早川代議士はハイジャック事件の謝辞を伝えるため訪バ,ジア大統領とも会見した。ジア大統領は来年3月訪日招請を受諾。
DIA-301-1977-10-30-1バングラデシュ1977年10月30日1970年代ダッカ市長選出―ダッカ市会議員61人がダッカ市長にAbul Hasnat氏を選出した。賛成49人,反対12人。
DIA-301-1977-10-31-1バングラデシュ1977年10月31日1970年代農村開発計画に関するバ債権国会議開く―バングラ政府が農村開発特別計画について債権国会議に協力を要請するためダッカに招請した会議で,債権国会議15ヵ国,11国際機関代表が出席した。内容は①Intensive Area Development(IAD)計画として36ターナを選んで2ヵ年で実施する,②Intensive Rural Works Programme(IRWP)として100ターナを選んで5ヵ年で実施することを骨子とし,総費用34億3880万タカを見込んでいる。
DIA-301-1977-11-03-1バングラデシュ1977年11月03日1970年代認可なしの友好協会,解散―内務省は政府認可を得ていない外国友好協会に解散を命じた。
DIA-301-1977-11-05-1バングラデシュ1977年11月05日1970年代印バ政府,ファラッカ協定に調印―両国専門家会議の同意に基づき,ガンジス河川水の配分に関する協定がダッカで調印された。インド代表はS.S.バルナラ農業灌漑相,バ代表はM.H.カーン海軍参謀長。協定の内容。 (1)1月1日より5月31日まで渇水期とし,1943~73年の間のファラッカ地点流水量平均の75%を現実の流水量と考えて配分水量を決める。最渇水期は4月21~30日とし,その水量を1秒当り5万5000立方フィートを推計して,この間のバングラの配水量は3万4500立方フィート(62.8%),インドは2万500立方フィート(37.2%)とする。現実の流水量がこれを下回ったときには,バングラに対する最低水量2万7600立方フィートを保証する。 (2)両国政府によって任命された合同委員会をつくり,ファラッカおよびハーディング橋地点での流水量を記録,協定の実施を監視する。 (3)協定の期限は3ヵ年とし,満期6ヵ月前に再び検討する。 (4)ガンシス河水川問題の長期解決のため,印バ合同河川委員会が3年以内に解決策を作る。
DIA-301-1977-11-07-1バングラデシュ1977年11月07日1970年代国有化企業払い下げ状況―工業省担当顧問は国有化企業払い下げを今年度中に完了する予定で,すでに84企業は完了,50企業が手続き中,354企業はこれから払い下げる,とのべた。
DIA-301-1977-11-07-2バングラデシュ1977年11月07日1970年代1977年7~9月の工業生産好調―公共部門の工業生産は7~9月に前年同期比9.4%増加した。但し目標達成率は71%。
DIA-301-1977-11-07-3バングラデシュ1977年11月07日1970年代中道・左派政党,11.7記念集会開く―政府もこの日を「民族革命・連帯の日」として祝うことを決めており,ジア大統領は国民にメッセージを送った。またこの日を記念して830人の政治犯を釈放した。
DIA-301-1977-11-08-1バングラデシュ1977年11月08日1970年代ポンドとの交換レート引下げ―現物の買レートは1ポンド27.35タカ,売レートは27.40タカとする。
DIA-301-1977-11-08-2バングラデシュ1977年11月08日1970年代中央銀行,選択的金融引締めを発表―とくに商業・貿易活動に関する銀行貸付制限策で,マネーサプライ縮小を目指したもの。
DIA-301-1977-11-11-1バングラデシュ1977年11月11日1970年代アジア開発銀行,灌漑計画に2400万ドル―メグナ河灌漑プロジエクト(総投資7億0500万タカ)に支出される。
DIA-301-1977-11-15-1バングラデシュ1977年11月15日1970年代Aman米供出,開始―全国534の買上げセンターで購入する。政府目標は50万トン。
DIA-301-1977-11-16-1バングラデシュ1977年11月16日1970年代イスマイル派代表アガ・カーン訪バ―5日間の公式訪問で,国賓待遇をうけ,ジア大統領夫妻がアガ・カーン夫妻を招いて歓迎会を開いた。
DIA-301-1977-11-16-2バングラデシュ1977年11月16日1970年代買占め防止法―政府は食用油,油種子,唐ガラシ,玉ネギの4品目について,卸・小売業者とも一定量以上を一定期間以上保有できないようにする「買占め防止法Anti-hoarding Order」を発表した。
DIA-301-1977-11-17-1バングラデシュ1977年11月17日1970年代バシャニ死去一周年記念―この日ジア大統領が自らサントスにあるバシャニのMazarを訪れ,「バシャニ老は現代バングラの最も偉大な大衆指導者であった」とのべた。この日多くの政党が記念集会,セミナーなどを開いた。左派系政党指導者は「バシャニ記念全国委員会」を組織して集会をもった。
DIA-301-1977-11-17-2バングラデシュ1977年11月17日1970年代戒厳令により買占めなど投機的取引をしたものには5年以下の刑,10回以内のムチ打刑,罰金の刑を課す。
DIA-301-1977-11-19-1バングラデシュ1977年11月19日1970年代政府,ファラッカ協定に基づく合同委員会メンバー3人を任命。委員長はシディキ(印バ合同河川委員)。
DIA-301-1977-11-19-2バングラデシュ1977年11月19日1970年代犠牲祭のため特赦,政治犯800人釈放。
DIA-301-1977-11-20-1バングラデシュ1977年11月20日1970年代県議会議員選挙,延期―政府は12月に予定されていた県議会議員選挙を延期すると発表した。その理由として「県議選挙は総選挙と同じく重要であり,正常な政治活動が回復されない限り行うことができない」としている。
DIA-301-1977-11-22-1バングラデシュ1977年11月22日1970年代M.トーハ共産党(ML)書記,中国より帰国。
DIA-301-1977-11-25-1バングラデシュ1977年11月25日1970年代ドル・タカ交換レートを固定―現物および6ヵ月までの先物について買レートは1ドル15.1104タカ~15.2580タカ,売レートは15.146タカ~15.2944タカ。
DIA-301-1977-11-27-1バングラデシュ1977年11月27日1970年代ネパール外相,訪バ―Krishna Raj Aryalネパール外相は4日間の公式訪問のためダッカ着。
DIA-301-1977-11-28-1バングラデシュ1977年11月28日1970年代旧指導者に財産申告を命令―政府はPublic Leader(Improper Acquisition of Property)Regulation 1977を発表,「1971年12月16日から1975年11月6日までの間に,大統領,副大統領,首相,各省大臣,国務大臣,政務次官,国会正副議長,国会議員,制憲議会議員を務めたことのあるものは,その所有するすべての動産・不動産についての申告をCoordination & Control Cell for National Securityに提出する」「申告をしなかったもの,偽りの申告をしたものについては7年以下の刑と罰金を課し,あらゆる選挙資格を失い,公職につけず,5年以上7年以下に限り国会議員選挙に立候補する資格を失う」「申告書は必要な場合特別につくられる審査委員会(判事と軍人で構城)に送られて検討される」というもの。
DIA-301-1977-12-05-1バングラデシュ1977年12月05日1970年代米・小麦供出価格―Boro米の供出価格を前年度より引上げ,モミ米は1モーンド80タカ(70タカ),精米は128タカ(112タカ),小麦は80タカ(74タカ)とし,輸送費はモーンド当り4タカとする。
DIA-301-1977-12-05-2バングラデシュ1977年12月05日1970年代冬期のFWP計画に10億タカ―Food for Work Projectとして認可したもので,配分小麦は36万トン。
DIA-301-1977-12-06-1バングラデシュ1977年12月06日1970年代民族人民党(ムザファール派)委員長ら4人,ソ連政府の招きで訪ソ。
DIA-301-1977-12-08-1バングラデシュ1977年12月08日1970年代空軍参謀長,交代―マーモード空軍参謀長が退役,後任にサダルッディン空軍代将が任命された。35歳。米空軍で訓練を受け,独立戦争時は第6軍区で闘う。1973年からモスクワ駐在,帰国後は空軍副参謀長。
DIA-301-1977-12-09-1バングラデシュ1977年12月09日1970年代大統領顧問メンバー拡大,8人新任―大統領は閣僚に当る顧問(Adviser)8人を新任,3つの省を改組して8省に分割した。また顧問補佐のポストを新設して2人を任命した。従来港湾・船舶・内水路輸送省を担当して来たM.H.カーン海軍参謀長は顧問をやめて海軍に専念,マームード空軍少将は退役して民間航空・観光省担当顧問となった。人的資源開発・労働・社会福祉担当顧問および保健・家族計画担当顧問の2人は辞任した。新しく顧問に任命された8人のうち4人は陸軍から2人海空軍から各1人,残り4人は1930年代生れの若手。ジャーナリストで最近ジア政権を批判していたエナヤトゥラー・カーン(バ・タイムス編集長)が新設された土地行政・土地改革省顧問に任命されたことは注目される(顧問名簿および担当省リストは資料参照)。
DIA-301-1977-12-12-1バングラデシュ1977年12月12日1970年代ファラッカ協定実施のため,印バ合同委員会第1回会議がダッカで開催された(~15日)。
DIA-301-1977-12-13-1バングラデシュ1977年12月13日1970年代西独と援助協定調印,1億1500万マルク―商品援助額6000万マルク,プロジェクト援助額5500万マルク。
DIA-301-1977-12-14-1バングラデシュ1977年12月14日1970年代バングラデシュ,天然痘撲滅宣言。
DIA-301-1977-12-15-1バングラデシュ1977年12月15日1970年代ジア大統領,政党結成を発表―16日の戦勝記念日に当り,ジア大統領は全国放送でバングラデシュの直面する諸問題と政府の対策を発表したあと,「現在の政治的空白を埋めるための民主的プロセスの一つとして,ベンガル・ナショナリズムを信ずる広範な国民を包合して,Political Frontを結成する決意である」と述べた。Frontの細目は追って発表する。
DIA-301-1977-12-15-2バングラデシュ1977年12月15日1970年代戦勝記念日特赦で政治犯など935人釈放。
DIA-301-1977-12-18-1バングラデシュ1977年12月18日1970年代ジア大統領,ネパール訪問(~19日)―ビレンドラ国王,ビスタ首相と会談。ネパールの歓迎ぶりは大変なもので,政府はジア訪問中の18・19日を公休日とした。19日に共同声明を発表し,政府高官による合同経済委員会を設置することが決められた。
DIA-301-1977-12-19-1バングラデシュ1977年12月19日1970年代ジア大統領,インド訪問(~20日)―レディ大統領,デサイ首相らと会談,20日に共同声明を発表した。声明は印バ両国が主権平等・独立・内政不干渉の原則の下に両国関係を深めるとの決意を再確認し,ファラッカ協定の調印は歴史的に重要な意味をもつことを認めた。
DIA-301-1977-12-22-1バングラデシュ1977年12月22日1970年代ジア大統領,パキスタン訪問(~23日)―エラーヒ大統領,ジァウル・ハク戒厳会司令官と会談,23日に共同声明を発表した。声明では両国が貿易を拡大,経済協力関係を深めることに同意し,政治独立,主権平等,領土統一,内政不干渉の原則の上に亜大陸の国々が関係を発展させて行く必要を認めた。
DIA-301-1977-12-28-1バングラデシュ1977年12月28日1970年代中国から文化使節団,訪バ―Kwang Chow歌舞団の一行(団長Chang Shu)。
DIA-301-1977-12-30-1バングラデシュ1977年12月30日1970年代Mondud Ahmed,郵便・電信電話担当顧問に。
DIA-301-1977-12-30-2バングラデシュ1977年12月30日1970年代配給価格引上げ―米は1モーンド100タカ,小麦は80タカ,大豆油1シーア12.5タカ,マスタード油13タカ,ギー14タカとする。
DIA-301-1977-12-31-1バングラデシュ1977年12月31日1970年代1978年1~6月輸入政策発表―総額65.4億タカ。うち自国外貨収入で充当する分は30億タカで,残りは外国援助,バーター,WESによる。
DIA-301-1978-01-02-1バングラデシュ1978年01月02日1970年代1978年1―6月輸入目標―輸入額65.4億タカで,うち30億タカは自国外貨収入,21.9億タカは外国援助。WESによる輸入は6億タカ。
DIA-301-1978-01-04-1バングラデシュ1978年01月04日1970年代キャラハン英首相,訪バ(~6日)―ジア・キャラハン公式会談開く。キャラハン首相は記者会見で(5日),「英国はバングラの天然ガス開発とその輸出プロジェクト,ガンジス河開発プロジェクトに関心をもっており,とくにガンジス河開発では国際的・多国家間協定によって協同開発する必要があり,英国はこの問題研究のために資金を供与する用意がある」と述べた。
DIA-301-1978-01-06-1バングラデシュ1978年01月06日1970年代ジュート生産目標―1978/79は700万べールのジュート生産を目標として,作付面積200万エーカーのうち100万エーカーはIntensive Jute Cultivation Areaに指定,必要なインプットやクレジット供与を行なう。
DIA-301-1978-01-07-1バングラデシュ1978年01月07日1970年代人口センサス,改訂数字―1974年センサスによる人口数は,第1次集計7147.9万人を修正して,7639.8万人と発表された。これによると1961年から1974年までの年平均人口増加率は2.6%となる。労働力人口(10歳以上)は28.7%,農業に従事するものが全体の77.2%を占めている。都市人口はダッカが168万人,チッタゴンは89万人,クルナが43.7万人,ナラヤンガンジ27.1万人となっている。
DIA-301-1978-01-10-1バングラデシュ1978年01月10日1970年代肥料使用量増加―1977年7―12月のBADCの肥料売上げは33万0918トンで前年同期の23.7万トンに比して42%増加。供給は国内生産12万2350トン,輸入8.4万トン,残りは在庫放出。
DIA-301-1978-01-12-1バングラデシュ1978年01月12日1970年代ネパール国王,訪バ(~15)―2回に亘りジア大統領・ビレンドラ国王の会談がもたれ,インド洋およびネパール平和地帯宣言,貨物通過,水資源開発などの諸問題について協議した。またバ・ネ合同経済委員会設置に関する協定および文化協力協定に調印(14日),共同声明を発表した(15日)。共同声明では「水資源開発はその地域のすべての国々が密接に協力して為されるべきものであり,灌漑,電力開発,河川航行,洪水防禦がすべての関係国によって分担されるべきである」とのべている。
DIA-301-1978-01-12-2バングラデシュ1978年01月12日1970年代西独と3援助協定に調印―①1億1500万マルクの経済協力。うち6000万マルクは商品援助,5500万マルクはプロジェクト援助。②2500万マルクの経済協力で機関車の購入。③小麦5万トンの食糧援助。
DIA-301-1978-01-13-1バングラデシュ1978年01月13日1970年代USAID,食糧援助協定―PL480,タイトルIによる借款で,2100万ドル(小麦10万トン,綿花3.5万べール)。
DIA-301-1978-01-17-1バングラデシュ1978年01月17日1970年代BALのAbdur Razzak,釈放―アワミ連盟の前組織部長Razzakは1975年9月6日に逮捕されていた。
DIA-301-1978-01-20-1バングラデシュ1978年01月20日1970年代中国貿易代表団訪バ(~25日)―鄭拓彬中国対外貿易部副部長を団長とする5人で,第2次貿易協定に調印した(24日)。貿易額はバーター協定によるもので片道2000万ドル(前年1400万ドルの43%増),バーター以外のもの200万ドル。
DIA-301-1978-01-21-1バングラデシュ1978年01月21日1970年代第14回印バ合同河川委員会,開催(~24日)―4回に亘り,インド農業・灌漑相を迎えてダッカで開かれ,ガンジス河水資源開発について協議した。
DIA-301-1978-01-24-1バングラデシュ1978年01月24日1970年代戒厳令指令官,旧公職者の財産申告を指示―1977年12月発表の規則に基づき,旧公職者は1月25日から60日以内に財産申告を行なうよう指示したもの。
DIA-301-1978-01-25-1バングラデシュ1978年01月25日1970年代イギリスと3協定調印―①商品援助1000万ポンド,②船賃・保険料支払200万ポンド,③小麦1.5万トン。
DIA-301-1978-01-25-2バングラデシュ1978年01月25日1970年代計画委員会,2ヵ年計画1978―80の草案完成(詳細は資料参照)。
DIA-301-1978-01-25-3バングラデシュ1978年01月25日1970年代バ・インド,国境会談,ダッカで開催(~27日)。
DIA-301-1978-01-29-1バングラデシュ1978年01月29日1970年代A. R. Khan,議会民主制のための統一呼びかけ―国民連盟のカーン委員長は,ジア政府側が民政移管後の政治形態として大統領制を主張していることに反発,以下の要求を基に議会民主制を守るための諸政党統一を呼びかけた。①政治活動自由化・民主的権利回復,②議会民主制・議会に最高権限認める,③憲法第4次改正の破棄,④選挙日確定,⑤政治犯釈放。
DIA-301-1978-02-01-1バングラデシュ1978年02月01日1970年代モーリシャス首相,訪バ(~4日)―ジア大統領と会談,「インド洋平和地帯宣言」の実現,全面軍縮への一歩として南アジア地域での暫定的軍縮と軍事費の経済建設への利用について話し合った。
DIA-301-1978-02-01-2バングラデシュ1978年02月01日1970年代IDA,2100万ドル借款―ジュート生産性向上のためのプロジェクトに利用される。
DIA-301-1978-02-02-1バングラデシュ1978年02月02日1970年代バ・ネパール,通信社ニュース交換協定―バングラのBSS社とネパールのRSS(Rashtriya Samachar Samity)の間で調印。
DIA-301-1978-02-02-2バングラデシュ1978年02月02日1970年代米価安定―Aman米生産が740万トンの高水準と推計され,米価は安定,下級米で1977年12月にモーンド130タカであった(同8月は135タカ)。通常Aman米が市場に出廻る12月以降,米価の下落が見られるが,今年は価格差が小さい。その理由として,①余剰米生産農家の貯蔵能力増により,米の売り急ぎが少ない,②ジュート価格上昇で農家の現金収入が増え,米の換金化少ない,③政府の農村開発事業により,農家の現金収入が増えた,④政府の米の供出制度により米価が下支えされた,などがあげられている。
DIA-301-1978-02-03-1バングラデシュ1978年02月03日1970年代回教徒連盟BML委員長,右派の結集呼びかけ―A. Sabur BML委員長は①政治活動の自由化,②総選挙日確定,③憲法第4次改正の破棄,④議会民主制の4要求の下に右派勢力が結集するよう呼びかけた。
DIA-301-1978-02-06-1バングラデシュ1978年02月06日1970年代各村にGram Sarkar設立計画―A. Hug農村開発担当顧問は各村にGram Sarkarと呼ばれる村落委員会をつくり,村議会議長・メンバーを中心に農村の全般的開発を行なうことにすると述べた。Gram Sarkarは5人よりなり,農業,教育,保健,家内工業,家族計画をそれぞれ担当する。
DIA-301-1978-02-07-1バングラデシュ1978年02月07日1970年代新政党JAGODAL,認可申請―Bangladesh Jatiyatabadi Gonotantric Dal(B. Nationalist Democratic Party),略称JAGODALが結成され政府に認可を申請した。代表はA.ハスナット・ダッカ市議会議長(2月22日,認可される)。
DIA-301-1978-02-08-1バングラデシュ1978年02月08日1970年代1978年小麦生産,35.1万トン―政府発表によると小麦生産は35.1万トンで,昨年の25.5万トンを27%越えた。作付面積は45万エーカー,昨年は39.7万エーカー。
DIA-301-1978-02-10-1バングラデシュ1978年02月10日1970年代資産問題討議で,代表団訪パ―独立前バングラデシュに支払われ,パキスタンあるいは第3国の銀行に入金されている代金の受取問題討議のため。
DIA-301-1978-02-12-1バングラデシュ1978年02月12日1970年代英連邦アジア地域首脳会議で,ジア大統領訪豪(~17)―往路バンコク空港でクリアンサク首相と会見,シドニーではデサイ首相とも会談した。アジア・大平洋地域英連邦12ヵ国が集った会議でジア大統領が演説(14日),食糧生産での密接な協力,域内の差別的関税障壁の撤廃,域内工業投資面での協力などの必要性を強調した。
DIA-301-1978-02-12-2バングラデシュ1978年02月12日1970年代BSD(ML)トーハ委員長,統一戦線呼びかけ―バングラの独立・主権はいまだ脅威にさらされているのであり,帝国主義,社会帝国主義,インド拡張主義と闘い,買弁官僚資本の支配に反対し,人民の民主政府を樹立のため,愛国的国民戦線を結成するよう呼びかける。
DIA-301-1978-02-15-1バングラデシュ1978年02月15日1970年代中国の小規模灌漑プロジェクト援助概要―ダッカから40マイルにあるRoopganj―Kaliganjの灌漑排水プロジェクトを手初めのパイロット事業として始める予定で,FSは3月中に完成。内容は堤防43,000フィート構築,主要キャナルから末端キャナルまで作成し,年2回の稲作を可能にするもの。
DIA-301-1978-02-15-2バングラデシュ1978年02月15日1970年代砂糖生産目標は16.8万トン。
DIA-301-1978-02-18-1バングラデシュ1978年02月18日1970年代日本,ボーイング機贈与の覚え書き調印―13.5億円のボーイング707機を贈与するもので,昨年10月ハイジャック事件の事後処理の一つ。
DIA-301-1978-02-21-1バングラデシュ1978年02月21日1970年代言語運動犠牲者の日,政党,学生組織などにより各地でさまざまな討議集会,セミナーが開かれた。
DIA-301-1978-02-23-1バングラデシュ1978年02月23日1970年代JAGODAL,組織委メンバー発表―委員長はA.サッタル副大統領,メンバーは15人で,大統領顧問が中心。
DIA-301-1978-02-24-1バングラデシュ1978年02月24日1970年代バ・ソ,第7回バーター貿易協定調印―1978年バーター取引で片道1400万ポンド。バングラの輸出品はジュート・同製品,茶・羊皮・電線・ケーブル線など。ソ連の輸出品は綿花,銑鉄,ケロシン油,機械等。この他バングラは1978年中にソ連の商品援助の返済1040万ポンドをジュート・同製品などで行なう。
DIA-301-1978-02-26-1バングラデシュ1978年02月26日1970年代北朝鮮文化使節団76人,訪バ(~3月12日)―平壌芸術団一行76人が訪バ,各地で公演活動を行なった。
DIA-301-1978-02-27-1バングラデシュ1978年02月27日1970年代JAGODAL党綱領発表―党組織委員長サッタル副大統領は記者会見を行ない,党綱領を発表すると共に党の目的・性格等について説明した。党は主権・独立・社会発展を目指し,拡張主義,覇権主義,侵略に反対する。政治形態としては大統領制を支持し議会は立法権および予算制定権をもち,大統領を補佐するため,首相に率いられる閣僚会議をもつ。
DIA-301-1978-02-27-2バングラデシュ1978年02月27日1970年代中国,バングラに肥料工場建設―日産アンモニア180トン,尿素肥料300トンの小型工場となる予定。
DIA-301-1978-02-28-1バングラデシュ1978年02月28日1970年代中国より友好使節団,訪バ(~3月7日)―王炳南中国人民対外友好協会長を団長とする友好使節団一行8人は友好使節団として初めてバングラを訪問,ジア大統領とも会見した。
DIA-301-1978-03-05-1バングラデシュ1978年03月05日1970年代バ・ネパール共同声明―アッバース電力担当顧問訪ネに際し,以下の共同声明が発表された。「両国はネパールの水資源が発電,灌漑,洪水対策,内水路交通その他の用途に利用できることに注目,ネパール国王が水資源開発を他のアジア国,即ちインド,中国,ブータン,バングラデシュ等と協力したいと発言したことを重視した。そして両国は水資源利用の様々な可能性について話し合い,実現可能な開発プランに協力する意志を表明した」。
DIA-301-1978-03-06-1バングラデシュ1978年03月06日1970年代ジア大統領,アラブ首長国連邦訪問(~8日)―UAE Nahyan大統領と2回に亘って会談,農業,工業,通信の分野で協力を深めることが同意された。両国外相は別個に会談をもち,教育・文化・情報・芸術・科学交流に関する協定に調印した(7日)。
DIA-301-1978-03-06-2バングラデシュ1978年03月06日1970年代アワミ連盟,役員選出―アワミ連盟全国評議会は役員選挙を行ない,委員長にA. M. Ukil(前国会議長),書記長にA. Razzak(前組織部長),副委員長にZ. Tajuddin夫人,M. Rahman,A. Mannanら6人,組織部長にTofail Ahmed(前政治顧問)を選出した。
DIA-301-1978-03-08-1バングラデシュ1978年03月08日1970年代北朝鮮副主席康良煜,訪バ(~12日)―ジア大統領と会談(9日),両国の経済協力関係拡大について話し合った。
DIA-301-1978-03-11-1バングラデシュ1978年03月11日1970年代経済学者パネル,2カ年計画に意見書―外国援助依存率72%を大幅に低下させること,農村開発のフレームワークを確立すること,農村に自治権をもった機関をつくる,輸出加工区設置反対などを盛り込んだもの。
DIA-301-1978-03-17-1バングラデシュ1978年03月17日1970年代アワミ連盟は故ムジブル・ラーマン生誕記念日のきょう記念集会を開いて故人をしのんだ。
DIA-301-1978-03-18-1バングラデシュ1978年03月18日1970年代李先念中国副首相,訪バ(~21日)―李先念副首相は夫人・外相・対外経済関係副部長Cheng Fei氏を含めた一行33人と共に特別機で訪バした。李副首相・ジア大統領は2度に亘る会談を行ない,国際情勢,インド亜大陸情勢および両国経済協力関係について意見の交換を行った。李副首相は歓迎夕食会で演説,バングラの愛国心・自力更生の精神を高く評価した。両国外相およびバ商務担当顧問と中国対外経済関係副部長はそれぞれ個別会談を行った。レセプションに出席した李副首相はジア大統領の指導下でバングラが達成した政治・経済・外交面での成果を高く評価した(20日)。
DIA-301-1978-03-19-1バングラデシュ1978年03月19日1970年代回教開発銀行IDB,2600万ドルの借款供与―フダ計画相はクアラルンプールでのIDB理事会に出席して帰国,IDBが2600万ドルの借款供与を約束したと述べた。このうち700万ドルは新空港プロジェクト,700万ドルは造船プロジェクト,残り1200万ドルは外国貿易資金に利用される。
DIA-301-1978-03-21-1バングラデシュ1978年03月21日1970年代中国,8.5億タカの無利子借款供与―李先念副首相訪バに際し両国政府は2つの協定に調印した。1つは経済・技術協力協定で,この協定により中国は小型肥料工場(日産アンモニア180トン)建設と小規模灌漑・拝水プロジェクトに資金援助を行なう(6.8億タカ)。もう1つの協定は科学技術協力協定。この他1.7億タカの商品援助も約束された。借款の条件は12年据置10年返済で,無利子。返済は現金あるいは現物のいずれでも可。
DIA-301-1978-03-23-1バングラデシュ1978年03月23日1970年代アワミ連盟内部対立―執行委メンバー選任に当りUkil党委員長は27人からなるメンバーリストを発表したのに対し,Razzak書記長は63人からなるメンバーリストを発表,同党内部対立が深刻化していることを示した。
DIA-301-1978-03-23-2バングラデシュ1978年03月23日1970年代サウジ,1000万ドルの食糧援助―資金贈与されるものでこの資金を使って食糧輸入をする。
DIA-301-1978-03-25-1バングラデシュ1978年03月25日1970年代独立記念日。637人が特赦,内336人は政治犯。
DIA-301-1978-03-27-1バングラデシュ1978年03月27日1970年代ネパールより貿易代表団,訪バ(~4月5日)―ネ商工会議所連盟総裁H. P. Giriを団長とする貿易代表団10人が訪バ。バングラ各地の商工会議所を訪問して両国の貿易拡大について話し合った。チッタゴンでGiri団長は「貿易・工業開発の促進のため亜大陸の小国間の地域協力を深めよう」と呼びかけた。クルナを訪れたネパール代表はチャルナ港をネパールの外国貿易港として利用したい意向を表明した。
DIA-301-1978-03-30-1バングラデシュ1978年03月30日1970年代2カ年計画1978―80,草案発表―計画委は2ヵ年計画草案を発表,各界人士に対し討議して政府に意見を出すよう呼びかけた。
DIA-301-1978-03-31-1バングラデシュ1978年03月31日1970年代IDA,食糧倉庫建設に2500万ドル借款供与,貯蔵能力は16.5万トン。
DIA-301-1978-04-02-1バングラデシュ1978年04月02日1970年代第1次5カ年計画の評価―計画委メンバーのファルーク博土は第1次計画の実施状況について「投資実績は実質タームで49.7%,未完成のプロジェクトも多く,GDP成長率は4%(計画では5.5%),1人当り所得の伸びは1.1%(同2.5%)という低水準であった」とのべ,さらに外国援助依存度77%,税収のGDPへの割合8%(目標10%),非開発支出25.5%増(目標10%増)など重要な点でいずれも目標に達せず,失敗であったと述べた。
DIA-301-1978-04-02-2バングラデシュ1978年04月02日1970年代2カ年計画期の外国援助,23億ドル―計画委によれば2カ年計画期1978―80の新規外国援助必要額は,1978/79に11.02億ドル,1979/80に12.18億ドル,合計23.2億ドルに達するという。この間の食糧援助輸入は230万トン,3.48億ドルを予定している。
DIA-301-1978-04-04-1バングラデシュ1978年04月04日1970年代印パ合同河川委開催(~8日)―ダッカで開かれたもので,ファラッカ協定実施状況検討のための小委員会をつくり,7月にデリーで開かれる会議に報告書を提出することにした。
DIA-301-1978-04-05-1バングラデシュ1978年04月05日1970年代ジア大統領,訪日(~9日)―ジア大統領は夫人,外相,外務次官,記者団と共に特別機で訪日した。日本滞在中,福田首相と2回会談をもち,共同声明を発表(8日),両国経済関係のより一層の発展について合意した。
DIA-301-1978-04-09-1バングラデシュ1978年04月09日1970年代アワミ連盟内紛,一応の結着―委員長・書記長の二派に分かれて対立していたが,双方の妥協により分裂は避けられた。
DIA-301-1978-04-10-1バングラデシュ1978年04月10日1970年代ジア大統領訪日の成果―ホク外務担当顧問が記者会見,ジア大統領の訪日の結果,①4000万ドルの特別プロジェクト援助,②商品援助・食糧援助の増加,プロジェクト贈与の供与,③債務返済条件の緩和,④天然ガス資源開発の協力,⑤Gumti-Meghnaの架橋,⑥ベラマラ→バリサルの送電線設置などが約束され,大きな成果をあげたと述べた。
DIA-301-1978-04-12-1バングラデシュ1978年04月12日1970年代UNFPA,5000万ドル援助―1980年からの5ヵ年計画期にUNFPAはバングラの家族計画プロジェクト資金として5000万ドルを供与すると約束した。
DIA-301-1978-04-13-1バングラデシュ1978年04月13日1970年代英国,2000万ポンドのプロジェクト援助―英国は茶工業の復興,食糧倉庫,家畜改善,貨物車調達などのため2000万ポンド(約5.5億タカ)の贈与を行なうべく協定に調印した。これで英国の対バ贈与は今年度3200万ポンドとなる。
DIA-301-1978-04-13-2バングラデシュ1978年04月13日1970年代ビルマ外相Myint Maung准将,訪バ(~16日)。
DIA-301-1978-04-13-3バングラデシュ1978年04月13日1970年代Dr. M. A. Matin,Deputy Adviserに任命。保健・FP担当。
DIA-301-1978-04-18-1バングラデシュ1978年04月18日1970年代大統領選挙規則1978,発表―ジア大統頷は70条よりなる大統領選挙規則を発表した。内容は大統領候補資格(35歳以上,国会議員との兼務認めない),立候補手続き,対立候補のない場合の処理,供托金(立候補届に際し5000タカ),手数料(2000タカ)など。
DIA-301-1978-04-19-1バングラデシュ1978年04月19日1970年代ダッカ大学で学生衝突,休校―AL系学生と対立する学生が衝突,14人が負傷したためダッカ大学は臨時休校となった。
DIA-301-1978-04-19-2バングラデシュ1978年04月19日1970年代マレーシアと文化協定に調印。
DIA-301-1978-04-20-1バングラデシュ1978年04月20日1970年代マレーシア外相,訪バ(~22日)―D. A. Rithauddeenマレーシア外相は3日間の公式訪問のためダッカに到着。
DIA-301-1978-04-21-1バングラデシュ1978年04月21日1970年代大統領選挙は6月3日に実施―ジア大統領は全国放送で6月3日に普通成人直接選挙により大統領選挙を行なうと発表した。ジア大統領演説要旨は次の通り。 ①過去2年半の間,“人民こそすべての権力の源”という原則の下に行政の地方分権,地方自治権拡大,自力更生による開発を通してわが国は発展をとげて来た。そして今,われわれは正しい政治の方向を示すときが来たと信じている。 ②私は国民が一党独裁・司法権侵害・基本的人権無視の憲法第4次改正を支持していないことを知っている。だから私は戒厳令規則を通して憲法の中のこれら非民主的項目を廃止して来た。国家機構は直接選出された大統領,最高の立法権をもつ議会および独立した司法権によって構成されることが必要だ。閣僚会議は大統領を補佐し,首相は特別な責任をもつことになろう。このため憲法についても必要な修正を加えることになろう。 ③大統領制か議会民主制かについて多くの議論がなされて来た。いずれも民主主義の異った形態であり,特定の国の形態が最も良いということではない。われわれはむしろ,この問題をさらに討議し,わが国の国家利益のためにはいずれの形態が最適であるか決めよう。 ④自由・公正な選挙のためには・
DIA-301-1978-04-22-1バングラデシュ1978年04月22日1970年代大統領選挙スケジュール―立候補者は5月2日までに届出る。立候補辞退は7日まで。
DIA-301-1978-04-22-2バングラデシュ1978年04月22日1970年代5月1日より公開政治集会認める―政府は従来室内に限ってきた政治集会を5月1日から公開の場で行なうことを認めると発表した。但し,デモ行進は禁止される。その他の政治活動は4月24日から認められる。
DIA-301-1978-04-23-1バングラデシュ1978年04月23日1970年代バ共産党首モン・シン,釈放―1977年10月に逮捕されたモニ・シン委員長(78歳)は釈放された。
DIA-301-1978-04-24-1バングラデシュ1978年04月24日1970年代JSD非合法,解除―政府は非合法化されていたJSDに対し政党としての活動を認めると発表した。JSDは昨年10月以来非合法化されていた。
DIA-301-1978-04-24-2バングラデシュ1978年04月24日1970年代タバラク外務次官,訪ソ(~29日)―3日間の公式訪問。
DIA-301-1978-04-26-1バングラデシュ1978年04月26日1970年代ビルマから回教系ビルマ人難民―2万人以上のビルマ人が過去数日来,国境を越えて流入して来ている。
DIA-301-1978-04-28-1バングラデシュ1978年04月28日1970年代ビルマ難民流入つづく―政府はビルマ大使を外務省に招いて事情を説明,ビルマ政府に善処を申し入れた。難民救済委は国際赤十字,国連難民高等弁務官事務所,ワルトハイム国連事務総長にアピールを送り,難民に援助の手をさしのべるよう訴えた。
DIA-301-1978-05-01-1バングラデシュ1978年05月01日1970年代JAGODALら6政党,民族主義者戦線結成―JAGODAL(民族民主党),NAP-B(民族人民党バシャニ派),UPP(統一人民党),BML(回教徒連盟),BLP(労働党),SCF(指定カースト連盟)の6政党は大統領選挙のため統一戦線たる民族主義者戦線(Jatiyatabadi Front)を結成,大統領候補にジアウル・ラーマン少将・現大統領を指名した。
DIA-301-1978-05-01-2バングラデシュ1978年05月01日1970年代アワミ連盟ら6政党,民主統一連盟結成―AL(アワミ連盟),NAP-M(民族人民党ムザッファール派)GAL(人民自由連盟),BPL(人民連盟),JJP(全国人民党),BCP(共産党)の6政党は統一戦線による民主統一連盟(Ganotantrik Oikya Jote)を結成,大統領候補にオスマニ将軍・全国人民党委員長を指名した。オスマニ将軍は独立戦争時に軍総参謀長を務め,独立後はアワミ連盟に入党,ムジブ政権下で閣僚を務めた。
DIA-301-1978-05-01-3バングラデシュ1978年05月01日1970年代政治活動制限の撤廃―従来室内でしか認められなかった政党・政治活動がこの日から自由化され,各政党・組織とも活発なメーデー集会を行なった。
DIA-301-1978-05-02-1バングラデシュ1978年05月02日1970年代A. R. Khan,大統領選不参加表明―ジア大統領の有力な対立候補と見られていた国民連盟BJLのA. R. Khan委員長は大統領選不参加を表明,参加するために以下の8条件をあげた。①ジア大統領の陸軍総参謀長辞任,②選挙運動期間を40日から60日にする,③戒厳令撤廃,④政党法破棄,⑤立候補者に平等な表現の機会与える,⑥新聞の自由,⑦政治犯釈放,⑧政党非合法化の廃止。A. R. Khanは14政党と協議して統一候補として出馬予定であったが,このうちアワミ連盟,共産党らがKhan出馬に反対,6政党で民主統一連盟を結成してオスマニ将軍を立候補させたことから出馬とりやめになったものと見られる。
DIA-301-1978-05-02-2バングラデシュ1978年05月02日1970年代大統領選挙の立候補届,11人―ジアウル・ラーマン大統領,オスマニ全国人民党委員長,A.バシャール民族人民解放同盟JAGMU副委員長,A.サマド回教民主連盟IDL書記次長,S.フダ国民連盟BJLフダ派代表,A.ハミド民族人民解放同盟,M.K.アーメド,アジズル・イスラム,M.A.シディキ,A.G.ムルシェド,O.イスラム(いずれも無所属)。このうちO.イスラムは選挙管理委の資格審査で失格,大統領選挙は10人で争われた。
DIA-301-1978-05-02-3バングラデシュ1978年05月02日1970年代オスマニ候補,記者会見―オスマニ候補はジア大統領に対し,以下の7条件を満すよう要求,5月7日までに条件が満されないときは立候補取下げも考慮すると述べた。①ジア大統領の陸軍総参謀長辞任,②同戒厳令総司令官辞任,③戒厳令撤廃,④大統領選挙日を少くとも90日延期,⑤政党法破棄,政党非合法撤廃,政治活動自由化,立候補者に平等な機会供与,⑥出版・表現の自由,⑦政治犯釈放。大統領制については反対を表明,1972年憲法への復帰,ムジブ殺害および中央刑務所での4人のAL指導者殺害の責任者の裁判等を要求すると述べた。
DIA-301-1978-05-04-1バングラデシュ1978年05月04日1970年代JAGMU,選挙綱領発表―①戒厳令の存続は認めるが最少限とする,②政党法破棄,公然政治活動,③憲法第4次改正の破棄,総選挙実施して制憲議会となし,憲法を制定した上で通常議会とする,④今回選出される大統領の任期は2ヵ年,⑤土地所有上限を一家族当り30~50ビガ(10~17エーカー)とし,不在地主の土地は没収して貧農に配分。
DIA-301-1978-05-04-2バングラデシュ1978年05月04日1970年代バ・ソ連,石油・天然ガス開発の技術協力協定に調印。
DIA-301-1978-05-05-1バングラデシュ1978年05月05日1970年代選挙管理委,大統領選挙のためのシンボル発表―22のシンボルを公認したもので,立候補者はこの中から選択する。舟,自転車,牛車,鹿,灯火,稲穂,魚,インキツボとペン,凧,ナイフ,ハシゴ,ランタン,マンゴー,パイナップル,スキ,天秤,クワ,デーツ,傘,車輪。
DIA-301-1978-05-06-1バングラデシュ1978年05月06日1970年代中道派による国民統一戦線結成―BJL(国民連盟),IDL(回教民主連盟),BDL(民主連盟),BJD(国民党),KSP(労働者農民党),CML(回教徒連盟大会派)ら6政党は国民統一戦線(National United Front)を結成した。
DIA-301-1978-05-06-2バングラデシュ1978年05月06日1970年代バ政府,ビルマ政府に抗議―タバラク外務次官は記者会見,バ政府がビルマ政府に対し,ビルマ人のバングラへの追放を直ちに中止するよう強く抗議したとのべた。ビルマ政府のNationality Certificateチェックにより,すでに7万人のビルマ人回教徒がバングラに流入しているという。
DIA-301-1978-05-07-1バングラデシュ1978年05月07日1970年代ジア大統領,記者会見―民族主義者戦線は独立・民主・社会発展のために闘うとのべたあと,①前政権下の反人民的・非民主的法・条項の撤廃,②労働法を改正して労働者の権利認める,③すべての愛国的政治犯釈放,④憲法第4次改正の撤廃と大統領の権限および首相・閣僚の権限の確定,⑤議会主権を確立し,議会は立法,予算制定,大統領弾該あるいは更迭,国際協定承認,憲法の改正,選挙方法の決定など広範な権限をもつ,などの点を実現すると述べた。
DIA-301-1978-05-07-2バングラデシュ1978年05月07日1970年代オスマニ将軍,ダッカで初の大衆集会―民主統一連盟公認オスマニ候補はバイタル・モカラムの大衆集会で演説,議会制民主主義復活のために闘うと述べた。会には主催者の予想を越える多数の人が集った。民主統一連盟の中心であるアワミ連盟委員長,書記長,組織部長らも演説した。演壇には故ムジブル・ラーマン氏の顔が描かれ,演説者もムジブ殺害の責任者追求を叫ぶなど,いまだ衰えていないムジブの人気を利用した集会であった。
DIA-301-1978-05-08-1バングラデシュ1978年05月08日1970年代大統領候補者の選挙シンボル確定―ジア大統領は稲穂(かつてバシャニ民族人民党の使っていたもの),オスマニ将軍は舟(かつてのアワミ連盟のもの)。
DIA-301-1978-05-08-2バングラデシュ1978年05月08日1970年代下級公務員の待遇改善―政府は下級公務員の経済要求に応え,手当の引上げ,格づけ是正,下級公務員用住宅建設の促進などを約束した。下級公務員は要求が認められるまでストを行なうとしている。
DIA-301-1978-05-11-1バングラデシュ1978年05月11日1970年代ジア大統領,AL指導者を批判―ボグラで演説したジア大統領は独立戦争当時のAL指導者を批判,「彼らは国民を放り投げて外国に逃がれ,ホテルで快適な生活を送った。彼らはパキスタン軍と闘う準備も計画も全くなかったのだ。もし彼らが真に国の独立を願っていたのなら,何故逃げ出したのか。何故国に留まって闘わなかったのか。にも拘らず,独立するや彼らはその果実をひとり占めし,国の富を奪い,多くの愛国的人々,独立戦士を殺害し,経済を破綻させた」と述べた。
DIA-301-1978-05-11-2バングラデシュ1978年05月11日1970年代社会党(JSD)書記長,記者会見―シラジ書記長は非合法を解かれて以来初の記者会見を行ない,アワミ連盟およびムジブ時代に結成された単一国民政党であるBAKSALの動きに反対を表明した。
DIA-301-1978-05-12-1バングラデシュ1978年05月12日1970年代民主統一連盟構成党内の対立―6政党で結成された民主統一連盟ではあるが,アワミ連盟の勢力が絶大であり,大統領選挙のための演説集会においても,統一候補オスマニ将軍の影はうすく,与えられる時間も短かい。そのためオスマニ将軍はノアカリの演説集会で演説を拒否するという一幕もあった。
DIA-301-1978-05-12-2バングラデシュ1978年05月12日1970年代政府,ビルマ政府に再び抗議―すでに10万人以上のビルマ人回教徒が追われて難民となっていることに抗議したもの。外務担当顧問はワルトハイム国連事務総長に打電,事態の善処を訴えた。
DIA-301-1978-05-13-1バングラデシュ1978年05月13日1970年代民主統一連盟,選挙綱領発表―議会民主主義の復活,ムジブル政権下の国家4原則の支持,ムジブ殺害責任者の裁判などを中心とした選挙綱領。
DIA-301-1978-05-18-1バングラデシュ1978年05月18日1970年代政府,ジャーナリストの要求認める―チョードリ情報担当顧問はジャーナリスト代表と会談,賃金問題,雇用問題などで彼らの要求を認めた。
DIA-301-1978-05-18-2バングラデシュ1978年05月18日1970年代政府は銀行・金融機関職員の賃上げ要求を承認した。
DIA-301-1978-05-19-1バングラデシュ1978年05月19日1970年代サッタル副大統領,1974年の餓死はALの責任と非難―ダッカ市民集会で演説したサッタル副大統領は1974年の洪水後起った大量餓死はアワミ連盟政府の無為無策による人災であると非難,今回の大統領選挙は,無秩序に対する平和の,外国支配に対する独立の,破滅に対する発展の方向を選択するためのものであると述べた。
DIA-301-1978-05-23-1バングラデシュ1978年05月23日1970年代USAID,1610万ドル食糧援助―1977/78食糧援助でPL480,タイトルIにより,値物油を供給する。すでに今年度分としてAIDは小麦2550万ドル,綿花1000万ドルを供与することになっており,総額5160万ドルになる。
DIA-301-1978-05-24-1バングラデシュ1978年05月24日1970年代NAP-B委員長,ムジブを評価―マシウル・ラーマンNAP-B委員長はシレットでの集会で演説,ジア大統領について「軍内部でも国民の間でも最も人気の高い,力をもった人であり,ジアだけが権力の移転を平和的に行ないうる」と述べたあと故ムジブル・ラーマンについて「ムジブは民主主義の確立を追求していたが,BAKSALがそれを破壊した。ムジブの国家への貢献は歴史に残るだろう」と述べ,従来の同党のムジブ批判を修正した。
DIA-301-1978-05-26-1バングラデシュ1978年05月26日1970年代独立戦士組織,ジア大統領支持―独立戦争時ゲリラ活動をした独立戦士(Freedum Fighser)の組織は大統領選挙でジア大統領を支持することを決めた。
DIA-301-1978-05-26-2バングラデシュ1978年05月26日1970年代オスマニ将軍,選挙戦の不正を非難―ジア大統領は選挙キャンペーンに政府官吏や政府資金を利用している。県知事や郡長などが選挙活動をするのは公務員法違反だ。またジア大統領は選挙用ポスターなどを政府資金を使って印刷し,ヘリコプターも動員され,新聞・マスメディアもジア個人の所有物のように使われている。これらは選挙法に反する。われわれの運動員に対する圧力,嚇しも激しくなっている。
DIA-301-1978-05-26-3バングラデシュ1978年05月26日1970年代各ThanaにDevelopment Committee設置―政府はThana Development Committeeを設置,各Committeeに20万タカの資金を与えることを決めた。Committeeは村議会議長・議員と3~8人の任命メンバー(但しその数は選挙された人数を越えない)からなり,委員長は互選する。
DIA-301-1978-05-27-1バングラデシュ1978年05月27日1970年代国民統一戦線,共同声明―AL・BAKSALが復活するならば民主主義の復活と主権・独立国家としての存在は脅威にさらされよう。AL時代のテロと破壊をわれわれは忘れることはできない。われわれの立場は国会選挙の以前に行なわれる大統領選挙が政治的空白を埋めるものではないとはいえ,この選挙に無関心である筈はなく,その重要性を十分認めている。民主主義回復へのチャンスがあるならばそれを利用すべきであり,AL・BAKSALの復活を許さないよう国民が正しい選択をするよう訴えるものである(注:国民統一戦線はこの声明によりジア大統領への消極的支持を与えたものと見られる)。
DIA-301-1978-05-31-1バングラデシュ1978年05月31日1970年代民族主義者戦線,選挙綱領発表―ジア大統領の19項目要綱を基礎として作成されている。
DIA-301-1978-06-01-1バングラデシュ1978年06月01日1970年代大統領選挙キャンペーン終了―ジア大統領,オスマニ将軍ともに国民にアピールを発表,支持を訴えた。
DIA-301-1978-06-01-2バングラデシュ1978年06月01日1970年代選挙管理委,自由・公正な選挙呼びかけ―アーメド選管委員長は全国放送で「亜大陸の歴史上初めての大統領直接選挙が平穏且つ自由・公正に行なわれるべく協力するよう」国民に呼びかけた。
DIA-301-1978-06-02-1バングラデシュ1978年06月02日1970年代ダッカ高裁,ジア大統領候補無効の訴え却下―全国人民党のラーマンが訴えを出していたもので,主旨はジア大統領が陸軍総参謀長である以上,陸軍法により立候補資格がないというもの。これに対しダッカ高裁は,ジア大統領が既に陸軍総参謀長のポストにないこと,戒厳令総司令官は国防軍総司令官としての,統帥権をもっているのであって,統帥権をもつものが大統領立候補資格を有しないという法律はない,としてこの訴えを却下した。
DIA-301-1978-06-03-1バングラデシュ1978年06月03日1970年代大統領選挙,実施―有権者数3848万6247人(うち男性52%,農村に93%)が全国21,535ヵ所の投票所で投票を行った。立候補者は10人。
DIA-301-1978-06-04-1バングラデシュ1978年06月04日1970年代選挙結果発表―投票率53.6%,ジア大統領の得票は1576万5740票で有効投票の76.7%,オスマニ将軍の得票は444万9276票で同21.7%(開票率97%)。
DIA-301-1978-06-04-2バングラデシュ1978年06月04日1970年代選挙結果についての反響―ジア大統領は「今回の選挙によりわが国は政治的に数年間の前進をとげた。われわれは新しい民主的規律に従って国を発展させる責任を負った」と述べ,オスマニ将軍は「選挙での不正行為,脅迫・圧力にも拘らず大統領選挙で多くの民主主義を愛する人々が私に投票したことに感謝する」と述べた。
DIA-301-1978-06-05-1バングラデシュ1978年06月05日1970年代ジア大統領,記者会見―「今回再選され,強い責任を感じている。われわれの政治は国家統一,民族主義強化,民主主義の復活を目指したものであり「草の根民主主義・政治」を要求する国民に応えねばならない。今年12月には国民議会選挙を行なう予定で,この国民議会は最高の立法権限をもつ。戒厳令は立法機関がない以上立法権限をもつものとしてまだ必要だが,その適用範囲は最少限とする」。
DIA-301-1978-06-05-2バングラデシュ1978年06月05日1970年代バングラデシュ債権国会議,パリで開催(~6日)―1978/79年度開発援助を決める債権国会議がパリで開かれ,援助13ヵ国,5機関代表が出席,12.5億ドルのプレッジがなされた。うち約70%は贈与。
DIA-301-1978-06-06-1バングラデシュ1978年06月06日1970年代政府代表,ビルマ訪問(~10日)―回教系ビルマ人難民間題について話し合うため,タバラク外務次官を団長とする政府代表一行8人がビルマを訪問した。難民数は20万人に達したといわれる。会談の結論はビルマ代表の訪バを待って出すことになった。
DIA-301-1978-06-06-2バングラデシュ1978年06月06日1970年代オスマニ将軍,記者会見―今回の選挙は自由・公正でなかった。しかし新たな選挙を要求するつもりはない。
DIA-301-1978-06-10-1バングラデシュ1978年06月10日1970年代1978/79輸出目標は81.5億タカ―輸出促進評議会(商務顧問が会長)は1978/79輸出目標を計画の72.5億タカから81.5億タカにするよう勧告した。1977/78実績は75億タカ。その主要輸出品目はジュート・同製品で50.8億タカ(67%),その他24.2億タカ(33%)であった。
DIA-301-1978-06-10-2バングラデシュ1978年06月10日1970年代アワミ連盟内紛―大統領選後の政治情勢を検討するため緊急執行委が開催されたが,ラザク書記長らはムジブル・ラーマン政権下の「第2革命」およびBAKSALを支持するよう主張・チョードリ副委員長らはそれに反対して内部対立が高まった。
DIA-301-1978-06-10-3バングラデシュ1978年06月10日1970年代政府は国が独占的に株式を所有している企業を有限会社に転換することを認めた。これにより,公社の下にある企業がcommercial considerationをもつことを期待している。
DIA-301-1978-06-12-1バングラデシュ1978年06月12日1970年代ジア大統領,宣誓武。
DIA-301-1978-06-15-1バングラデシュ1978年06月15日1970年代ブルガリアと第6次貿易協定,調印―片道800万ドルのバーター協定。
DIA-301-1978-06-16-1バングラデシュ1978年06月16日1970年代バ経済人連合特別会議開催(~18日)―2ヵ年計画を討議するための会議で,出席者は主として経済学者・財界人。発言の多くは2ヵ年計画が第1次5ヵ年計画あるいはパキスタン時代の5ヵ年計画と性格上何らの変化もなく,経済の構造的変革を伴わない,従って国民の利益に多く貢献しない計画であり,所得配分の不平等を促進させるものとして批判した。
DIA-301-1978-06-19-1バングラデシュ1978年06月19日1970年代全国人民党JJP,民主統一連合を脱退―オスマニ将軍の率いるJJPは大統領選挙時に結成した民主統一連合からの脱退を決めた。
DIA-301-1978-06-19-2バングラデシュ1978年06月19日1970年代ジュート輸出価格,引上げ―ジュート輸出価格諮問委員会はジュートの輸出価格をトン当り16ポンド引上げると発表した。
DIA-301-1978-06-20-1バングラデシュ1978年06月20日1970年代UNDP,対バ技術援助5100万ドル承認―UNDPは1980年6月までの3年半の期間に5100万ドルの技術援助を供与することに決定した。内訳は21%が農林水産業,17%が運輸・通信,12%が工業。
DIA-301-1978-06-22-1バングラデシュ1978年06月22日1970年代NAP-Mムザファール委員長は病気治療のため訪ソ。
DIA-301-1978-06-24-1バングラデシュ1978年06月24日1970年代1978/79茶生産・輸出目標―茶生産は8285万ポンド,輸出は6500万ポンドを目標とする。1977/78実績は生産が8158万ポンド,輸出が6000万ポンド強。
DIA-301-1978-06-27-1バングラデシュ1978年06月27日1970年代経済事情1977/78発表政府は1977/78年度経済事情を発表した(詳細は資料参照)。
DIA-301-1978-06-29-1バングラデシュ1978年06月29日1970年代顧問評議会制度廃止.閣僚会議設置バングラでは1975年11月以来,大統領は大臣を持たず,各省担当の大統領顧問を任命,顧問評議会が重要政策の決定に当って召集され,大統領にアドバイスする形をとって来た。これは政権が国会選挙・民政移管までの暫定政権であることを印象づけるためでもあった。しかし,ジア大統領は選挙で再選されたことを機会に,顧問制を廃止して,各省大臣・国務大臣を任命,閣僚会議を設置することで長期政権構想固めに乗り出したものと見られる。
DIA-301-1978-06-29-2バングラデシュ1978年06月29日1970年代新閣僚名簿発表―ジア大統領は大臣30人,国務大臣2人,計32人の閣僚名簿を発表した。新大臣には大統領選挙で民族主義戦線を結成した6政党の代表11人,退役軍人4人を含み,あとは顧問から横すべりで大臣に任命されたもの17人が名をつらねている。顧問を解任されたものは10人。注目されるのはNAP-B(民族人民党バシャニ派)マシウル・ラーマン委員長がSenior Ministerとされていることで,これは将来の首相の含みがあるものと見られている。ジア大統領は国防省,大蔵省大臣を兼務,計画相はHuda博土,内務相はラーマン中佐(退役),情報相はH.カーン(経済人)。(閣僚名簿は資料参照)。
DIA-301-1978-06-30-1バングラデシュ1978年06月30日1970年代1978/79予算,発表―ジア大統領兼大蔵大臣は1978/79経常収支・資本収支予算,年次開発計画予算,税制・税率改正案,鉄道予算を発表した。経常収支歳入は137.65億タカ,歳出は105.31億タカ,1978/79年次開発計画公共投資139億タカで,いずれも前年度より大幅増となっている。注目されるのは政府補助金支出を減らすため肥料の小売価格を引上げ,尿素肥料価格をモーンド当り70タカ(旧価格60タカ)TSP価格を同55タカ(旧48タカ),カリを同45タカ(旧40タカ)としていること,鉄道予算では鉄道運賃の引上げが為され,3等車で30%,2等車で40%,1等車,エアコン車は60%の値上げを計画していることである(詳細は資料参照)。
DIA-301-1978-06-30-2バングラデシュ1978年06月30日1970年代1978/79年度輸入政策発表―政府は今期より初めて1年間の輸入政策を立案,発表した。輸入総額は145億タカで前年度よりも23.6億タカ多い。うち62.5億タカは自国外貨で,残りの82.5億タカは外国援助,バーター取引,WESによる。
DIA-301-1978-07-01-1バングラデシュ1978年07月01日1970年代1978/79輸出政策―輸出目標は90億タカで前年度実績75億タカの20%増を見込んでいる。輸出品目の内ジュート・同製品輸出は59億タカ(65.5%),その他は31億タカ(34.5%)となっており,輸出品目多様化への努力が払われている。ジュート関係以外の輸出品目は茶6550万ポンド,6.6億タカ,皮革製品7億タカ,冷凍食品6億タカ,ナフサ7.5万トン,1.9億タカが大きい。Export Performance Licenceは11品目加えて74品目とし,発給率の引上げも行なっている。輸出促進のための税払戻し制は継続する。
DIA-301-1978-07-01-2バングラデシュ1978年07月01日1970年代M.トーハ,政府予算を批判―M.トーハ共産党(ML)委員長は声明を発表,1978/79年度予算で鉄道運賃の引上げ,肥料価格引上げと共に中国を含む他の社会主義国からの雑誌の輸入を認めなくしたことに抗議した。
DIA-301-1978-07-04-1バングラデシュ1978年07月04日1970年代第15回合同河川委のためバ代表訪印(~11日)―Abbas電力・水資源相を団長とする代表団8人が訪印,乾期のガンジス河水資源利用についての長期計画を協議した。
DIA-301-1978-07-04-2バングラデシュ1978年07月04日1970年代JAGODALの県・地区委員代表者会議開催(~6日)。
DIA-301-1978-07-04-3バングラデシュ1978年07月04日1970年代ホク外相,タイ訪問(~6日)―ホク外相はASEAN諸国訪問シリーズ第1弾としてタイを訪問した。10日からはマレーシア,13日からマニラを訪問する。
DIA-301-1978-07-06-1バングラデシュ1978年07月06日1970年代工業相,民間投資上限緩和―ジャマルッディン工業相は民間投資の上限をケースに応じて緩和することに決めたと述べた。現在の上限1億タカでは中規模工業すら不十分になったためという。
DIA-301-1978-07-06-2バングラデシュ1978年07月06日1970年代ビルマ政府代表,訪バ(~9日)―U Tin-Ohn外務次官を団長とする政府代表団11人は,難民問題で話し合うため訪バした。両国代表は①難民問題,②領土・川の境界線画定,③Border Ground Rule確定の三つの小委員会を作成して協議をつづけ,これら三点で両国が合意に達した(9日)。難民の本国送還は8月末から始められる。
DIA-301-1978-07-11-1バングラデシュ1978年07月11日1970年代ビルマ難民,6ヵ月以内に送還―政府はビルマ難民送還について,8月下旬から始め,6ヵ月以内に完成すると述べた。難民の数は20万人と推計されている。
DIA-301-1978-07-13-1バングラデシュ1978年07月13日1970年代外国援助について,計画相の記者会見―フダ計画相は独立以降の外国援助について以下のように述べている。①独立当初,われわれは消費需要のために外国援助を必要としたが現在は生産目的のために必要としている。②援助が生産目的に使われるようになっていることは輸入構造に反映,輸入のうち資本財の割合が1973/74の14%から1977/78には21%となった。1978/79には31%となろう。③対外債務返済率を高めないよう注意しており,援助条件の緩和(贈与・長期・低利・アンタイド)を供与国と交渉している。債務返済率は1977/78は13%,78/79は17%となろう。④援助消化能力も年々強化され,1976/77は5億ドル,77/78は7.4億ドル,78/79は10億ドルとなろう。⑤独立から1978年3月末までのコミットメント総額は61億2300万ドル,ディスバーメントは44億ドルにのぼっている。⑥最大のコミット国は米国(10.5億ドル),次いで日本(5.3億ドル),西独(4.2億ドル),カナダ(3.6億ドル)。国際機関はIDA(9.5億ドル),ADB(2.8億ドル)。
DIA-301-1978-07-16-1バングラデシュ1978年07月16日1970年代統一人民党反主流派,新政党設立―バングラデシュ民主運動(B. Ganatantrik Andolan)と称し,代表はR. K. Menon,組織委メンバーは38人。同党は①戒厳令撤廃・政党法破棄,政治犯釈放,②物価引下げ,③反帝・反侵略,警察の権力乱用なくすの3項目を中心に運動をすすめる。
DIA-301-1978-07-18-1バングラデシュ1978年07月18日1970年代「土地改革委」設置案―ハフィーズ土地行政相は現在の土地所有制に必要な改革を行うため「土地改革委」を近く設置して,デリケートで複雑な土地問題を注意深く検討することにしたいと述べた。また現在の社会制度の下ではラディカルな土地改革手段は可能ではないにしても何らかの手を打たねばならぬ段階にある,と述べている。
DIA-301-1978-07-21-1バングラデシュ1978年07月21日1970年代綿工場公社,綿糸布の工場渡し価格引下げ―衣類の消費者価格を安定させるためのもので,10~12.5%の値下げ。
DIA-301-1978-07-21-2バングラデシュ1978年07月21日1970年代ベトナムと貿易協定に調印―商務次官を団長とするバ貿易代表団がベトナムを訪問(7月18~21日)して調印したもので,片道4000万タカ,期間3年。ベトナムからは石炭,ゴム,銑鉄,非鉄金属などを輸入する。
DIA-301-1978-07-27-1バングラデシュ1978年07月27日1970年代ジア大統領,インドネシア公式訪問(~29日)―スハルト大統領とも会談(28日)した。記者会見(28日)では「バングラデシュは南アジアとASEAN諸国の橋渡しの役割を果しうると思うし,わが国とASEAN諸国の関係を深める意向だ」と述べた。ホク外相のタイ・マレーシア・フィリピン訪問,非同盟諸国外相会議出席,今回のジア大統領のインドネシア訪問では,バングラデシュの国連安保理非常任理事国立候補の支持集めが大きなねらいと見られている。
DIA-301-1978-07-28-1バングラデシュ1978年07月28日1970年代米国,4300万ドル援助―アメリカはバングラの肥料供給プログラム(3ヵ年)に対して総額1.5億ドルの贈与を約束,初年度として4300万ドルを供与するもの。肥料輸入,倉庫建設,肥料梱包改善などに使われる。
DIA-301-1978-07-28-2バングラデシュ1978年07月28日1970年代外国への出稼ぎ労働者―過去2ヵ年で約3万人が外国(主に中近東諸国)へ出稼ぎ労働者として行き,その本国送金は1978年1―5月で7100万タカに達した。1977年1―12月は13.4億タカであった。
DIA-301-1978-07-29-1バングラデシュ1978年07月29日1970年代アメリカと平和部隊受入れに関する協定に調印。
DIA-301-1978-08-01-1バングラデシュ1978年08月01日1970年代バ・ビルマ国境会談終了―1週間に亘る会談で両国代表は国境画定について合意に達した。
DIA-301-1978-08-02-1バングラデシュ1978年08月02日1970年代アメリカ,小麦20万トン供与―新設されたPL480,タイトルIIIによるもので2600万ドル。この援助小麦はバ国内市場で販売され,代金は贈与となって農業・農村開発,保健・人口活動資金に使われる。1978年のPL480,タイトルI~IIIによる小麦供与合計は,これで50万トン,6500万ドルとなる。
DIA-301-1978-08-02-2バングラデシュ1978年08月02日1970年代バ航空国内運賃,大幅引上げ。ダッカ・チッタゴン間は従来の片道130タカから210タカ。
DIA-301-1978-08-03-1バングラデシュ1978年08月03日1970年代M.トーハら,平和部隊入国に反対―政府がアメリカ平和部隊受入れを認めたことに対し,M.トーハ共産党(ML)委員長をはじめ多くの政党指導者,学生・労働団体から反対の声が高まっている。
DIA-301-1978-08-05-1バングラデシュ1978年08月05日1970年代物価上昇傾向―米を除く基本消費財,とくに魚,肉,食用油などの値上がりが顕著になってきている。
DIA-301-1978-08-08-1バングラデシュ1978年08月08日1970年代外人登録制廃止。
DIA-301-1978-08-09-1バングラデシュ1978年08月09日1970年代ジュート工業公社,196の買上げセンター設置―ジュート工業公社(BJMC)はその傘下のジュート工場への原料供給のため,今年は350万ベールのジュートを生産者から直接買上げるため196のセンターを設置した。この他ジュート貿易公社が200,ジュート・マーケッティング公社が100の買上げセンターをもっている。政府のジュート価格は1モーンド100タカ。公社の買上げ価格は市場価格が公定価格より高いときには,市場価格とする。なお今年のジュート生産は560万ベール近いと推計されている。
DIA-301-1978-08-09-2バングラデシュ1978年08月09日1970年代閣議,19項目プログラム達成のための18委員会を設立。
DIA-301-1978-08-10-1バングラデシュ1978年08月10日1970年代北朝鮮新聞代表団,訪バ(~16日)。
DIA-301-1978-08-11-1バングラデシュ1978年08月11日1970年代ダッカ大学学生寮で武器が発見され,学生10人が逮捕された。押収された武器はSMG1丁,リボルバー3丁,パイプガン1丁他。
DIA-301-1978-08-12-1バングラデシュ1978年08月12日1970年代アワミ連盟分裂―BAKSALの考え方を認めるか否かで内部対立していたアワミ連盟は,BAKSALに反対するMizanur Chowdhury派が脱退,ムジブの4原則の下に議会民主制を確立することを目標として別の党組織をつくることを決め,組織委員会を設置したことから,分裂が公然化した。新組織はアワミ連盟ミザヌール派として党支持者を中心に組織づくりをはじめる意向で,中央・県段階の指導者に対しての働きかけを続けるもよう。ミザヌール氏は党分裂の原因として,Ukil党委員長らが単一政党による大統領制を主張したことをあげ,彼らとの再統一の可能性はないと述べている。
DIA-301-1978-08-15-1バングラデシュ1978年08月15日1970年代印バ両国,ネパールの通過貿易について同意―印バ両国代表は10日からネパールがバングラと貿易し,あるいは外国と貿易するに関し,インド領を通過することについての関税その他手続上の問題を協議してきたが,このほど両国間の合意がなされた。それによるとネパールの輸出入をバングラ経由で行なうについて,バングラはBiral,インド側はRadhikaurの鉄道ルートを使うことになる。ネパールはこれでチッタゴン・チャルナ港を通して輸出入を行なうことができるようになり,これまでのカルカッタ港に加えて新らしい貿易ルートを持つことができる。
DIA-301-1978-08-15-2バングラデシュ1978年08月15日1970年代「民主主義を救う日」の集会―A. R. Khanら国民統一戦線指導者6人が呼びかけて“Save the Democray Day”集会が開かれた。Khan民は「わが国民は従属・専制・独裁政治を決して受入れないことを歴史的に証明した。自由・民主主義・正義を愛するが故に1971年独立戦争に立上ったのだ。75年8月15日は独立後消滅しかけていた民主主義・社会正義の原則が復活した日でもある。しかし,今日再び,民主主義がうすれ,次第に死滅しつつある。われわれは政府に対し政治犯釈放,ファルーク・ラシッド少佐らの釈放,戒厳令撤廃,憲法第4次改正の破棄,基本的人権確立,選挙日確定を要求する」と演説した。
DIA-301-1978-08-15-3バングラデシュ1978年08月15日1970年代ムジブ殺害記念日,アワミ連盟2派が別個に追悼集会を開いた。
DIA-301-1978-08-18-1バングラデシュ1978年08月18日1970年代中国貿易代表団訪バ(~24日)。
DIA-301-1978-08-18-2バングラデシュ1978年08月18日1970年代イラク,バングラよりジュート製品7750万タカ輸入の契約に調印。
DIA-301-1978-08-19-1バングラデシュ1978年08月19日1970年代左派系政党の統一戦線「人民民主戦線」結成―バ共産党BSD(ML),民族人民解放同盟JAGMU,民族人民党ナセル派NAP(Naser)の3政党は共同声明を発表,「人民民主戦線(PDF)」を結成すると発表,政府に以下の要求を提出した。①戒厳令撤廃,②民主的権利回復,自由な政治活動,③アメリカ平和部隊入国反対,印バ協定破棄,④政治犯の釈放,⑤ムジブ時代の憲法破棄,反帝・反覇権の闘いをする政党によるNational Government設置,⑥言論・出版の自由,スト権を認め労働組合活動自由化,⑦AL-BAKSAL時代の殺害・汚職・不正行為の責任者の裁判,⑧鉄道運賃・肥料価格引上げ反対。
DIA-301-1978-08-20-1バングラデシュ1978年08月20日1970年代サッタル副大統領,ラジシャヒ洪水被害を視察しあらゆる救済措置をとるよう指示。
DIA-301-1978-08-20-2バングラデシュ1978年08月20日1970年代15の労働組合団体,ジア大統領の19項目支持を表明。
DIA-301-1978-08-21-1バングラデシュ1978年08月21日1970年代カナダ,6000万カナダ・ドルの贈与―1978~81年の3ヵ年に年間2000万,計6000万カナダ・ドル(7.56億タカ)を贈与する協定に調印された。これらは工業用原材料・肥料などの輸入に使われる。この他1978/79は小麦20万トン(4000万ドル),なたね種子1.5万トン(1000万ドル)。
DIA-301-1978-08-22-1バングラデシュ1978年08月22日1970年代チッタゴンに輸出加工区設置―ECNECはチッタゴンのPatenga地区に輸出加工区を設置するプロジェクトを認可した。総工費6億タカ(外貨分2億タカ)。
DIA-301-1978-08-22-2バングラデシュ1978年08月22日1970年代全国物価上昇抵抗委員会,設立―婦人団体を中心に政府の指導の下につくられたもの。断食明けの祭りを前にして物価が急に上昇しているところから設立された。最近,米価は落着いているが繊維製品や履物の価格が70%近くも値上りしている。
DIA-301-1978-08-22-3バングラデシュ1978年08月22日1970年代AL指導者Phani Majumderが釈放された(77年8月7日逮捕)。
DIA-301-1978-08-23-1バングラデシュ1978年08月23日1970年代イギリスと2協定―1つは商品援助協定で2000万ポンド,もう1つはプロジェクト援助協定で2500万ポンド。いずれも1978年分の贈与。すでにイギリスは1978年用としてバングラに3000万ポンドの贈与をプレッジしており,これでイギリスの贈与は総額7500万ポンドとなる。
DIA-301-1978-08-26-1バングラデシュ1978年08月26日1970年代政府,中央銀行下級職員ストの中止を指令―違反者16人を解雇(28日)。
DIA-301-1978-08-26-2バングラデシュ1978年08月26日1970年代イラク協力でカーペット工場建設―総費用2.9億タカ(外貨分8000万タカ)でチッタゴンに作られる予定で,年間110万平方ヤード生産。
DIA-301-1978-08-29-1バングラデシュ1978年08月29日1970年代公共部門工業労働者の最低賃金発表―労働省は公共部門工業労働者(約30万人)の最低賃金を未熟練労働者で現行の月155タカから270タカに74%引上げ,基本給,住宅手当(月給の30%あるいは最低90タカ),医療手当(月30タカ),通勤手当(月10タカ)を含めた最低手取額が400タカになるように改定すると発表した。この他年2回の回教祭に合計基本給の1ヵ月分をボーナスとして支払う。適用は1977年7月1日に遡及するため,1977/78年度分の差額支払いは断食明け祭り前に1人当り500タカ支給し,残金は1年以内は支給する。これによる給与の支出増は5億タカにのぼる。
DIA-301-1978-08-31-1バングラデシュ1978年08月31日1970年代アメリカ,アシュガンジ肥料工場に2500万ドル上積援助―アシュガンジ肥料工場は当初2.5億ドルの総費用で設立することになっていたが,その後の物価上昇等で総費用が4億ドルに修正され,外貨だけで2.34億ドルが必要となった。これまでの各国援助約束額では9150万ドル不足することになり,その不足分としてアメリカが一部負担することになったもの。
DIA-301-1978-09-01-1バングラデシュ1978年09月01日1970年代ジア大統領,新政党結成―ジア大統領は記者会見でBangladesh Jatiyatabadi Dal(B. Nationalist Party)を結成したと発表した。新党の目的はナショナリズムに基づく政治を実施し,国家を統一し,人民の民主主義を達成すると共に経済発展をもたらすことにあり,民族主義,民主政治,統一,生産の増加をもたらす政治を信ずるいかなる人々にも入党の道が開かれるであろうという。新政党はJAGODALなど民族主義戦線を結成した各政党およびその他政党を吸収して作られる。
DIA-301-1978-09-01-2バングラデシュ1978年09月01日1970年代新政党綱領・規約発表―B.チョードリ保健相が発表したもので,党役員は総裁1人,副総裁5人,幹事長1人,各部担当幹事12人。党組織は全国,県からWardに至るまで評議員会および執行委員会をもつ。全国評議員会メンバーは2年毎に改選。
DIA-301-1978-09-07-1バングラデシュ1978年09月07日1970年代人民民主戦線主催で毛沢東死去記念討論集会開く。
DIA-301-1978-09-08-1バングラデシュ1978年09月08日1970年代ジア大統領,北朝鮮訪問(~10日)―ジア大統領は北朝鮮建国30周年記念式典出席を兼ねた公式訪問のため,特別機で北朝鮮首都平壌に到着,金日成主席の出迎えをうけた。記念式典には80ヵ国代表と共に主賓として出席した。また同式典参加のため平壌に滞在している中国の鄧小平副首相とも会談した。ジア・金日成公式会談は8日Kumusan宮殿で約1時間に亘ってもたれ,広範な問題について話し合った。金日成主席はジア大統領に最高の勲章であるState Banner―1st Classを贈呈した。10日帰国したジア大統領はダッカ空港で記者会見,「バングラと北朝鮮の経済協力・貿易関係は一層発展しよう。北朝鮮は近く大型経済使節団を送り,絹・化繊・小規模灌漑・造船などの分野で協力する可能性について協議することになろう。バングラは北朝鮮からセメント30万トンを輸入する」と述べた。
DIA-301-1978-09-09-1バングラデシュ1978年09月09日1970年代民間工業投資計画1978―80発表―工業相は記者会見の席上,1978―80年の民間工業投資計画を発表した。投資総額は46.8億タカ,うち外貨投資は23.26億タカで投資分野としては12の主要グループに分かれた139セクターが画定されている。政府としては1500件の新規投資,年間生産高120億タカ,年間雇用者数65,000人を期待している。新投資政策の目的は,公共部門と共に民間部門がバングラの工業開発に重要な役割を果すようにするためで,その特徴は従来の投資上限1億タカを廃止して認可制にしたこと,バングラ国内の低開発地域の工業開発により重点がおかれ,さまざまな優遇措置をとっていること,従来同様民間工業投資に税法上・財政上・金融上の優遇措置を与えていること,などである(詳細は資料参照)。
DIA-301-1978-09-09-2バングラデシュ1978年09月09日1970年代1976~78の民間投資―投資政策では19.1億タカを目標としていたが,実績は29億0130万タカ,1447件であった。1974―76の2ヵ年間のそれは8億5160万タカで,76―78はその3.4倍に当る。このうち外国民間資本投資は20件,2億0950万タカ。
DIA-301-1978-09-09-3バングラデシュ1978年09月09日1970年代民族人民党NAP-B,ジアの政党に合併―党特別評議員会が開かれ,M.ラーマン委員長提案の「NAP-Bの解散・新政党「民族主義党」への統合」が可決された。しかし,解散・統合に反対するグループは中央執行委員会を設立(11日),Nurul Rahmanを委員長代理,Anwar Zahidを書記長代理として選任,NAP-Bの党を継続する旨決定している。
DIA-301-1978-09-11-1バングラデシュ1978年09月11日1970年代北朝鮮と文化・科学・スポーツ交流協定に調印。
DIA-301-1978-09-11-2バングラデシュ1978年09月11日1970年代3紡績工場,10月に生産開始―政府はバリサル・ディナジプール・ラジシャヒに建設中の3紡績工場が10月から生産を開始することになったと発表した。各工場とも25,000台の紡糸機をもち,年間各471.1万ポンドの綿糸生産能力をもつ。生産された綿糸は10~80番手であるが,需要の多い32~40番手の綿糸生産が中心となる。雇用者数は3工場で3486人。なお綿紡績工業公社の傘下には53工場があり,うち27工場は綿糸のみ生産,26工場は綿糸・布の両方を生産する。
DIA-301-1978-09-11-3バングラデシュ1978年09月11日1970年代統一人民党UPP委員長,ジアの政党に加入―チョードリUPP委員長(地方政府・農村開発相)は記者会見を行ない,ジア大統領の新政党の下に国家統一をはかるべく,民族主義党BNPに入党すると発表した。UPP中央委は党を解散してBNPに統合することに反対する決議をしており,そのため委員長は個人として入党を表明したもの。
DIA-301-1978-09-12-1バングラデシュ1978年09月12日1970年代シンガポール貿易代表団16人,訪バ。
DIA-301-1978-09-12-2バングラデシュ1978年09月12日1970年代印バ国境会談―BDR長官のAtiqur Rahman少将を団長とするバ代表団5人が訪印,インド国境警備隊長官と会談した(定期協議)。
DIA-301-1978-09-13-1バングラデシュ1978年09月13日1970年代労働党BLP分裂―労働党Matin派の中央委24人のうち20人がジア大統領の民族主義党BNPに加入した。Matin委員長はBNP加入に反対しており,BLPがさらに分裂したことになる。すでに分裂したBLP(Rouf派)もBNP加入を決めた(16日)。
DIA-301-1978-09-15-1バングラデシュ1978年09月15日1970年代バングラ,国連安保理非常任理事国立候補―ホク外相が国連総会出席のため出発前ダッカ空港で発表したもので,インドの任期満了に伴う後任の選挙。
DIA-301-1978-09-15-2バングラデシュ1978年09月15日1970年代回教徒連盟BML Aziz派,民族主義党BNPへ統合―党代表者会議はBMLを解散してBNPに入党することを決めた。
DIA-301-1978-09-18-1バングラデシュ1978年09月18日1970年代バ・韓国と合弁企業―ジャマルッディン工業相は4日間の韓国訪問後の記者会見で,韓国とはセメント,既成服,皮革製品,電気部品,重機械,深海漁業,自動車組立および製造などの分野で合弁企業を設立していくことに原則的合意に達したと述べた。
DIA-301-1978-09-18-2バングラデシュ1978年09月18日1970年代民族主義党BNP,76人の組織委員会設置―サッタル副大統領および閣僚,大統領選挙時統一戦線を組んだ6政党指導者,産業界・労働界・ジャーナリスト,法曽界などの指導者など広範な分野から76人の組織委員が選ばれた。この他県・地区・郡・ユニオン・村段階での組織委員会づくりも行なわれている。
DIA-301-1978-09-20-1バングラデシュ1978年09月20日1970年代ジア大統領,シンガポール訪問(~21日)―空港にはシンガポール大統領・首相が出迎えた。リー首相とも会談,共同声明を発表(21日),両国の経済協力関係の発展,合弁事業の促進などで合意したと述べた。帰国したジア大統領は記者会見で「シンガポールの教育制度,警察制度を研究するため2つのチームをバングラから派遣することを考えている」と述べた。
DIA-301-1978-09-23-1バングラデシュ1978年09月23日1970年代統一人民党UPP,分裂―民族主義党BNPへの統合をめぐってチョードリ委員長派とZ.アーメド書記長派とに分裂,チョードリ派は党解散・BNPへの統合を決議,アーメド派はUPPの旗をあくまで守ることを決議した。
DIA-301-1978-09-25-1バングラデシュ1978年09月25日1970年代西独,6000万マルクの商品援助―西独は従来借款で供与していた商品援助を今年度から贈与に切替え,6000万マルクを供与する協定に調印した。
DIA-301-1978-09-25-2バングラデシュ1978年09月25日1970年代ソ連代表団6人訪バ。これはチッタゴンのGeneral Electric Manufacturing Plant完成式に出席するため。
DIA-301-1978-09-26-1バングラデシュ1978年09月26日1970年代ジア大統領,民族主義戦線を解散―チッタゴンの大衆集会で行った演説の中でジア大統領は5月1日に結成した民族主義戦線の解散を宣言した。
DIA-301-1978-09-26-2バングラデシュ1978年09月26日1970年代日本,15億円(1.2億タカ)のプロジェクト援助供与―これは7月に調印された155億円の円クレに次ぐもので,今回の援助は贈与。使途は沿岸漁業開発,心臓研究所,ラジオの教育放送プログラム,農業開発機関の改革事業に使う。
DIA-301-1978-09-29-1バングラデシュ1978年09月29日1970年代選挙人名簿の更新―選挙管理委員はすでに18歳に達して選挙権のあるものは選挙人名簿に登録するよう呼びかけた。
DIA-301-1978-09-29-2バングラデシュ1978年09月29日1970年代サウジ・アラビア,1億5000万ドルの援助―ワシントンでHuda計画相とサウジの大蔵相が調印したもので,1978―80の2ヵ年にサウジが1.5億ドル供与し,うち4000万ドルは肥料,2000万ドルは食糧,3500万ドルは機械部品等の輸入にあて,残り5500万ドルは工業開発銀行への貸付金とする。
DIA-301-1978-10-02-1バングラデシュ1978年10月02日1970年代大統領,トルコ・ルーマニア歴訪(~6日)―ジア大統領はトルコ・ルーマニア歴訪の旅に出発した。途上イランに立寄りパーレビ国王と会見,経済協力・貿易拡大・労働力訓練などの諸問題について話合った。トルコではアタライ大統領代理,エチェビット首相らと公式会談,両国の経済協力関係の強化,合弁企業の設立,文化・科学面での協力を深めることに同意され,共同声明が発表された(4日)。
DIA-301-1978-10-02-2バングラデシュ1978年10月02日1970年代1978/79年度食糧需給―需要は1380万トンで不足分150万トンと備蓄用食糧30万トンの計180万トンを外国から輸入する予定(食糧相発言)。またAman米の供出は11月7日から始めるが,買上げ価格はモミ米で1モーンド84タカ,精米は下級米で132タカ,中級米で134タカ(いずれも運送料4タカを含む)。買上げセンターは全国で587ヵ所。
DIA-301-1978-10-04-1バングラデシュ1978年10月04日1970年代ジア・チャウシェスク会談―ルーマニアを訪問したジア大統領はチャウシェスク大統領と2度に亘って会談,共同宣言および共同声明を発表(6日),両国が今後,石油・ガス開発,化学・石油化学,農業・軽工業などの分野で協力することを明らかにした。
DIA-301-1978-10-05-1バングラデシュ1978年10月05日1970年代農村での預金金利引上げ―農村からの預金を増加させるため,中央銀行は預金金利の引上げを指示した。農村部にある商業銀行支店に預金される個人の当座預金利子率を現在の7.0%から7.75%に引上げ,定期預金(6ヵ月)は8.5%から9%に引上げるというもの。これらは10月1日以降の預金利子で,それ以前に契約された定期預金については,8.25%を9.25%(1年)に。
DIA-301-1978-10-09-1バングラデシュ1978年10月09日1970年代選挙区画定法,1978発表。
DIA-301-1978-10-09-2バングラデシュ1978年10月09日1970年代選挙管理委員会は18歳以上のバングラデシュ国籍を有する者で選挙人名簿に記入されていない人に対し直ちに登録するよう要請する声明を発表した。
DIA-301-1978-10-11-1バングラデシュ1978年10月11日1970年代アーメド文相,辞任―アーメド氏は統一人民党UPP書記長で6月29日入閣したが,ジア大統領が6月3日の大統領選挙のために作られた民族主義戦線を一方的に解放させたことに反対して辞任したもの。
DIA-301-1978-10-11-2バングラデシュ1978年10月11日1970年代Abdul Baten氏,文相に任命―University Grants Commissionのメンバー。
DIA-301-1978-10-15-1バングラデシュ1978年10月15日1970年代ジア大統領,計画委員会議長に就任。
DIA-301-1978-10-15-2バングラデシュ1978年10月15日1970年代フダ計画相,大蔵大臣を兼任―従来大統領の管轄下にあった大蔵省をフダ計画相の兼務としたもので,この機構改革に伴い,計画省にあったExternal Resources Division(外国援助局)は大蔵省に移された。
DIA-301-1978-10-15-3バングラデシュ1978年10月15日1970年代ネパール経済代表団,訪バ―合同経済委員会のためで,団長はタパ蔵相。2つの小委員会設置を決めた。①貿易・通過貿易とその支払い,水資源開発協力,②両国間の技術協力に関する小委員会。合同経済委は覚え書きに調印(17日),①貿易,②水資源開発,③通過貿易,④技術協力,⑤合弁企業と観光開発など5つの分野で協力を深めることに同意した。
DIA-301-1978-10-19-1バングラデシュ1978年10月19日1970年代エナヤトゥラー・カーン石油相,辞任―ジア大統領に宛てた書簡の中で同相は「BNPの設立・組織委選出の方法は民主的・進歩的・愛国的勢力の不満をかきたてている。組織の討議は無視され,まさに宮廷政治が行なわれている。自主・独立の外交政策も色あせ,外国援助依存が過大となっている」と批判している。
DIA-301-1978-10-19-2バングラデシュ1978年10月19日1970年代Akbar Hossain,石油相に任命―1974年に退役(中佐),UPP副委員長。
DIA-301-1978-10-19-3バングラデシュ1978年10月19日1970年代政府は食用油の輸入をWESで認めると発表した。最近これら食用油価格上昇が際立っているため。
DIA-301-1978-10-20-1バングラデシュ1978年10月20日1970年代BNP第1回全国代表者大会開く―民族主義党BNPは結成以来初めての代表者大会を開催,政治の現状を検討し,同党組織を県・地方・郡の段階に拡大する方針を決めた。
DIA-301-1978-10-20-2バングラデシュ1978年10月20日1970年代政府,国有化企業労働者のスト中止指令―国有化企業では労働者が賃上げ,賃金格付け是正,手当増などを要求して不法ストを行なうケースが目立っている。また下級公務員の中にも同様のストが行なわれるようになって来ているため。
DIA-301-1978-10-22-1バングラデシュ1978年10月22日1970年代UPP,役員選挙―UPPのうちBNP統合反対派が全国大会を開き,役員選挙を行った。委員長は Zafar Ahmed(前文相),書記長はA. Mannan Bhuiya.中央執行委27人。
DIA-301-1978-10-25-1バングラデシュ1978年10月25日1970年代Panel of Economist,土地改革実施を勧告―20ヵ年長期計画(1980~2000年)の内容を検討するために召集されたPanel of Economist会議は政府に対し,この20ヵ年間により抜本的な土地改革を行なう必要があるとし,その第1段階として,土地の私的所有を認めながら協同組合を組織して土地の共同耕作を行なう方式を提案している。耕作によって得られた利益配分は,所有土地面積と労働点数に応じて配分するもの。
DIA-301-1978-10-27-1バングラデシュ1978年10月27日1970年代15労働組合,統一行動委員会設立―All Party Workers Employees Action Committeeと呼ばれ,代表にはJatiya Sramik Federation委員長Abul Basharが選出された。BNPとジア大統領に協力。
DIA-301-1978-10-29-1バングラデシュ1978年10月29日1970年代A.R.カーン,「死に至るハンスト」―BJL委員長A.R.カーン(73歳)は民主主義復活のための9項目要求を発表,要求実現のため「死に至るハンスト」に入った。9項目要求は①戒厳令撤廃,②憲法第4次改正の破棄,③政党法撤廃,④全政治犯釈放,⑤政党非合法化撤廃,⑥上級裁判所への上告権の確立,⑦出版・新聞の自由,⑧鉄道運賃引下げ,⑨肥料,消費財価格引下げ。
DIA-301-1978-10-30-1バングラデシュ1978年10月30日1970年代バ・ルーマニア,片道750万ドルのバーター協定に調印。
DIA-301-1978-10-31-1バングラデシュ1978年10月31日1970年代野党16政党,統一委員会設置―国会選挙をめざして統一行動を行なうための最少限綱領を見出す必要から作られたもので,各党代表2人の32人。
DIA-301-1978-11-01-1バングラデシュ1978年11月01日1970年代野党,ハルタル呼びかけ―A.R.カーン氏らの呼びかけによる全国ハルタルは一般の関心を惹かず,政府機関,工場,市場,交通とも正常。
DIA-301-1978-11-03-1バングラデシュ1978年11月03日1970年代A.R.カーン,ハンスト中止―10月29日よりハンスト中のA.R.カーン氏は,サッタル副大統領,閣僚4人の訪問を受けて話合った結果,ハンストを中止。
DIA-301-1978-11-03-2バングラデシュ1978年11月03日1970年代ADB,1億1100万ドル借款供与―プロジェクト援助2730万ドル,アシュガンジ肥料工場借款2070万ドル,パブナ農村開発・灌漑事業3800万ドル,バ工業銀行貸付資金2500万ドル,計1億1100万ドル。
DIA-301-1978-11-03-3バングラデシュ1978年11月03日1970年代BAL(Mizan派)大会(~5日)―アワミ連盟が分裂して結成されたBAL(Mizan派)は全国大会を開き,役員選挙を行った。大会には評議員1600人が出席した。新役員は委員長にMizanur Rahman Chowdhury,書記長にYusuf Ali,副委員長8人,議会局員11人が選出された。大会ではBAL(Malek派)の政策であるBAKSAL支持を批判,BALの理念に反するMalek派に対して今後Awami Leagueの名前を使わないよう要求した。これによりアワミ連盟はBAKSAL支持派と反対派の2つの党に正式に分裂したことになる。
DIA-301-1978-11-06-1バングラデシュ1978年11月06日1970年代チェコと貿易協定(片道672万ドル)
DIA-301-1978-11-06-2バングラデシュ1978年11月06日1970年代第16回印バ合同河川委開催(ダッカ)―インド代表の帰国で7日中断さる。12月8日再開(~10日)。
DIA-301-1978-11-09-1バングラデシュ1978年11月09日1970年代Benita Roy女史,大統領顧問に任命。閣外相。
DIA-301-1978-11-09-2バングラデシュ1978年11月09日1970年代犠牲祭特赦で1321人釈放。
DIA-301-1978-11-10-1バングラデシュ1978年11月10日1970年代ジア大統領,地方遊説―大統領はBNP党の地方組織を固めるため全国各地を遊説しているが,1日タンガィルで,BNPの主要目的は,①バングラ・ナショナリズム高楊,②強固な国家統一,③国民のための民主主義の3つであると演説した。
DIA-301-1978-11-10-2バングラデシュ1978年11月10日1970年代バングラ,国連安保理非常任理事国に当選―79年1月から始まる2ヵ年の任期で,インドの任期満了に伴いアジア地区の代表として,対立候補の日本を破って当選したもの。日本は第1回・第2回投票で,バングラ84に対して日本65,同87対61という結果を見て立候補を取り下げ,第3回投票ではバングラが125票を得て当選。
DIA-301-1978-11-10-3バングラデシュ1978年11月10日1970年代バングラ中央銀行年次報告1977/78―年次報告は1977/78年度経済の目覚ましい発展を評価しながらも,通貨および信用の拡大,赤字財政などによりインフレ圧力が強まっていることに警告を発している。なお1977/78年度の生計費指数(ダッカ)は12.3%の増加率を示し,マネーサプライは22%増となっている点を強調,過剰流動性が物価を押上げたとしている。要旨以下の通り。 ①1977/78の経済成長率は7.8%の高率を示した。農業部門12.7%,工業部門10.4%の高成長率。 ②食糧の価格は安定的で,下級米の年平均価格は前年度比8%,中級米は5%下落した。しかし物価全体をみると主要消費財不足とマネーサプライ増加のため,上昇傾向を示している。 ③マネーサプライは22%増となった(前年度11%)。この理由は民間部門への貸付金増加,補助金支出の増加(特に供出米および,輸入食糧への補助金)による。 ④流動性過剰を抑えるため銀行の貸出制限が為されたが,効果は上っていない。政府の民間への貸付け政策として小規模農民への貸付け奨励,低開発地域への融資増加,住宅融資拡大などが実施されたためである。 ⑤農業信用は大幅に増加した。77/78年度の通常農業信用貸付けは9.088億タカで前
DIA-301-1978-11-14-1バングラデシュ1978年11月14日1970年代中国外国貿易部長,訪バ(~17日)―貿易代表団5人の団長として訪バしたもので,1979年貿易協定の内容検討のため。
DIA-301-1978-11-14-2バングラデシュ1978年11月14日1970年代NAP(M),分裂―ムザファール委員長反対派が分派を作ったもの。代表はAltaf Hossain。
DIA-301-1978-11-17-1バングラデシュ1978年11月17日1970年代政党法,撤廃―政府は批判の多かった政党法を撤廃すると発表した。これにより非合法化されていたバ民主党(BDP),共産党(CPB),民族人民党(NAP-M)の三党は非合法を解かれたと解釈されている。
DIA-301-1978-11-18-1バングラデシュ1978年11月18日1970年代NAP(B)反統合派,全国大会―NAP(B)委員長が党解散,BNPへの加入を決めたことに反対するグループは全国大会を開き,NAP(B)の旗を掲げて「新旧のBAKSAL勢力と闘う」ことを決議,国会選挙への参加を明らかにすると共に,役員選挙を行った。委員長はNurul Rahmnan,書記長はAnwar Zahid,副委員長4人,議会局員9人,中央組織委61人が選出された。
DIA-301-1978-11-18-2バングラデシュ1978年11月18日1970年代エナヤトゥラー・カーン前石油相,NAP(B)に入党。
DIA-301-1978-11-20-1バングラデシュ1978年11月20日1970年代ジア大統領,ユーゴ訪問(~23日)―チトー大統領と2度に亘って会談,共同声明を発表した。
DIA-301-1978-11-21-1バングラデシュ1978年11月21日1970年代日バ,3覚え書き調印―日本の無償協力による贈与で,①タイ・ビルマ米輸入資金550万ドル(8250万タカ),②肥料,深井戸設備輸入資金7億円(5250万タカ),③Billets Steel Bar輸入資金5.5億円(4160万タカ)。
DIA-301-1978-11-25-1バングラデシュ1978年11月25日1970年代西独,6000万マルクの贈与―1978/79年度用プロジェクト援助3000万マルク,商品援助3000万マルクで,この他2850万マルクの技術協力援助も約束された。西独は9月にも6000万マルクの商品援助を約束しており,合計援助額は1億4850万マルク(1.236億タカ)。小麦供与4万トンは別枠で行う。訪バ中の西独経済代表団長Dr. Sanne経済協力次官は西独が今年度以降対バングラ援助を贈与の形で行なうことにしていると述べた。
DIA-301-1978-11-25-2バングラデシュ1978年11月25日1970年代北朝鮮経済代表団,訪バ(~30日)―北朝鮮副首相桂応泰を団長とする経済代表団一行25人が訪バ,閣僚会議を経て貿易協定(28日),経済技術協力協定(29日)に調印した。貿易協定(バーター)は片道450万ポンド,期間1年で,バングラの輸出品目はジュート・同製品,皮革・革製品,紙・新聞用紙,砂糖,石けん,電線など。北朝鮮の輸出品目はセメント,銑鉄,Magnesia Clinkerなど。経済技術協力協定は期間5年間,農業(小規模灌漑,養蚕),工業(鉱業,セメント,肥料,造船,化学繊維),船舶運行などの分野で協力することが定められている。
DIA-301-1978-11-27-1バングラデシュ1978年11月27日1970年代野党15政党,共同声明―選挙参加問題について野党会談がもたれ,15政党が共同声明で参加条件を明示した。①戒厳令撤廃,②憲法第4次改正破棄,③議会民主制確立,④政治犯釈放,⑤新聞の自由。
DIA-301-1978-11-28-1バングラデシュ1978年11月28日1970年代選挙区Final List発表。全国300区。
DIA-301-1978-11-30-1バングラデシュ1978年11月30日1970年代国民議会投票日は1979年1月27日―ジア大統領は全国放送を通じ,①国民議会議員の投票は1月27日に行ない,その後直ちに戒厳令を撤廃する,②議会は最高の議決機関であり,立法・法改正・予算を決め,憲法の改正権,大統領弾効・更迭の権限を持つ,③政治犯釈放については十分考慮する,④新聞の自由は確保される,⑤選挙は政治的安定・社会平等・民主主義確立のための前提条件であり,これまで我々はゆっくりではあったが確実に民主化の方向にすすんで来た,とのべ野党各党に総選挙への参加を呼びかけた。
DIA-301-1978-12-01-1バングラデシュ1978年12月01日1970年代H. M. Ershad少将,陸軍参謀総長に昇格―国防省はH. M. Ersbad少将が陸軍副参謀長から参謀総長に昇格したと発表した。なお陸軍副参謀長のポストは廃止される。ジア将軍は国防軍のCommander-in-Chiefとなる。Ershad少将は1930年生。1950年ダッカ大学卒業後入隊し,独立後パキスタンから帰国した軍人。アメリカ・インドで訓練を受けた。
DIA-301-1978-12-01-2バングラデシュ1978年12月01日1970年代人民戦線,結成―バ無産者党左派および学生・労働組合団体など8組織が人民戦線Gono Frontを結成,帝国主義・社会帝国主義,拡張主義反対,国民の権利と生活を守る闘いを統一して行なうことを決議した。代表はDastider氏で,選挙には参加する。
DIA-301-1978-12-04-1バングラデシュ1978年12月04日1970年代中国と船舶運行に関する協定に調印―協定によれば両国は相互に港湾その他施設利用に関して最恵国待遇を与え,両国間の貿易貨物運搬を折半して行ない,いずれかの国が船舶手当をできないときは相手国船舶を優先的に利用することになる。
DIA-301-1978-12-06-1バングラデシュ1978年12月06日1970年代オーストラリア,620万豪州ドル贈与―バングラの新空港建設(210万ドル),バ航空の経営改善のための施設(410万ドル)に支出される。
DIA-301-1978-12-07-1バングラデシュ1978年12月07日1970年代12政党,選挙ボイコットを発表―9政党は共同声明で,3政党は個別に声明を出し,以下の5条件が満されない限り選挙をボイコットすると発表した。①戒厳令の撤廃・反民主的弾圧法廃棄,②憲法第4次改正破棄し,1972年憲法に基づく議会民主制,③政治犯の釈放と上告権承認,④ジア将軍の退役,⑤表現の自由。9政党はBJL,JJP,JSD,BDL,NAP(Naser),BGA,SKSD,GAL,NFD,3政党はBAL(Malek),BAL(Mizan),UPP。
DIA-301-1978-12-11-1バングラデシュ1978年12月11日1970年代バ・中貿易協定調印―1979年協定で片道2500万ドル。
DIA-301-1978-12-12-1バングラデシュ1978年12月12日1970年代Women’s Affairs Division,Ministry for Womens Affairsに昇格。
DIA-301-1978-12-13-1バングラデシュ1978年12月13日1970年代選挙管理委,55の選挙シンボル発表―選挙参加政党は12月20日までに希望シンボルを申請する。
DIA-301-1978-12-15-1バングラデシュ1978年12月15日1970年代憲法第4次改正の非民主的条項,破棄―政府は2nd Proclamation Order 1978を発表,ムジブ時代に為された憲法第4次改正の非民主的条項を破棄,憲法を改正した。主な改正点は,①閣僚会議は首相・副首相・閣僚からなり,大統領を補佐する,②大統領は議員の中から過半数議員の支持を受ける者を首相に任命する,③大統領は副首相・閣僚を議員あるいは議員として選挙される資格をもつものの中から任命するが,議員以外の閣僚数が全体の1/5を越えない,④大統領は閣僚会議を主催し,あるいは副大統領・首相に主催される,⑤司法官の任免は大統領に属するが,その場合最高裁と協議する,⑥大統領は議会を通過した法の拒否権はない,⑦憲法改正,国家4原則の改正,大統領選挙の方法の改正などは国民投票で決める,⑧国会の婦人用議席は15から30とする。 この発表に対して野党は「議会の最高立法・議決機関としての権限が否定され,大統領制を固定するものであり,憲法第4次改正をさらに悪化させるもの」と反発。
DIA-301-1978-12-15-2バングラデシュ1978年12月15日1970年代空軍参謀長Sadruddin大佐,空軍少将に昇格。
DIA-301-1978-12-15-3バングラデシュ1978年12月15日1970年代ビルマ難民,23,120人がすでに帰国。
DIA-301-1978-12-19-1バングラデシュ1978年12月19日1970年代シャムスル・ホク外相,訪印・パ(~22日)。
DIA-301-1978-12-19-2バングラデシュ1978年12月19日1970年代サウジ・アラビア蔵相,訪バ(~21日)―Abu-Al-Khailサウジ蔵相を団長とする経済代表団が訪バ,Huda計画・蔵相と会談,経済・技術協力協定に調印した。
DIA-301-1978-12-20-1バングラデシュ1978年12月20日1970年代IDA,7500万ドルの借款供与。
DIA-301-1978-12-20-2バングラデシュ1978年12月20日1970年代BML,選挙参加決定―バ回教徒連盟BMLはボイコット戦術を変更して選挙参加。
DIA-301-1978-12-21-1バングラデシュ1978年12月21日1970年代選挙シンボル,21政党が申請―希望シンボル申請しめきりは25日に延長されたが,20日までに21政党が申請している。
DIA-301-1978-12-21-2バングラデシュ1978年12月21日1970年代OPEC,700万ドルの特別基金借款。
DIA-301-1978-12-22-1バングラデシュ1978年12月22日1970年代USAID,肥料流通改善に700万ドル贈与。
DIA-301-1978-12-22-2バングラデシュ1978年12月22日1970年代IDA,1000万ドル借款。プロジェクト実施上の訓練,アドバイザー派遣,F.S,計画立案などに使われる。
DIA-301-1978-12-24-1バングラデシュ1978年12月24日1970年代公正・自由な選挙実施のための政策―①戒厳令は選挙活動に関する事項に適用しない,②政治犯についてはすでに1万人以上釈放して来たが,さらにspecific chargeのないまま拘禁されている者は釈放し,その他はケースに応じて決める,③新聞の自由については,Press & Publication Ordinanceの表現制限条項をなくす方策をとる,④大衆集会,マイクロフォンの使用についての事前許可は不要。但し混乱をさけるため事前に届出,先着順に会場の使用調整を行う。
DIA-301-1978-12-25-1バングラデシュ1978年12月25日1970年代選挙参加の政党指導者への便宜供与―立候補者30人以上の政党指導者(委員長・書記長格)に対して以下の便宜をはかる。①選挙運動のため鉄道を使う場合無料パス1枚(1等),②飛行機を使う場合,無料航空券1枚,③公社IWTCの定期船を使う場合無料券1枚(1等),④自宅に電話1台架設(政府費用),⑤政府のゲストハウスの無料使用,を供与する。
DIA-301-1978-12-25-2バングラデシュ1978年12月25日1970年代ジア大統領,選挙ボイコットの政党連合代表と会談,選挙への参加を要請。
DIA-301-1978-12-25-3バングラデシュ1978年12月25日1970年代NAP(M)とCPB,選挙参加決定―BALと協調してきたこれら2政党はBALの2派が選挙ボイコットの線を貫いている中で,選挙への参加を決定した。その理由として両党は右派反動勢力とコミュナルな勢力,政府の反動的・反人民的政策に抵抗するために選挙に参加すると述べている。選挙ボイコットを明らかにしているのはBALの2派と10政党連合のみとなった。
DIA-301-1978-12-26-1バングラデシュ1978年12月26日1970年代選挙実施日,1979年2月12日に延期―ジア大統領は全国放送を行ない,多くの政党が選挙に参加しうるよう選挙実施日を18日延長して2月12日にすると発表した。さらに戒厳令撤廃の時期については選挙後召集される第1回国民議会開催中に撤廃すること,1974年12月に公布されたEmergency Lawの下で否定されていた基本的人権を回復すること,政治犯の釈放を可能な限り行うことを明らかにした。
DIA-301-1978-12-26-2バングラデシュ1978年12月26日1970年代ベトナム副首相兼外相,訪バ(~28日)。
DIA-301-1978-12-27-1バングラデシュ1978年12月27日1970年代ソ連貿易代表団,訪バ(~28日)―グリシン外国貿易次官を団長とする貿易代表団が訪バ,1979年のバーター取引について協議,第8回バ・ソ貿易協定に調印した(28日)。金額は片道1500万ポンド,バングラはこの他,ソ連への借款返済分として1150万ポンドを商品で支払う。バングラの対ソ輸出品目はジュート・同製品,羊皮,茶,ジュート・カーペットなど。輸入品目は原綿,ケロシン,銑鉄,肥料,鋼,ベアリングなど。
DIA-301-1978-12-29-1バングラデシュ1978年12月29日1970年代バ友好使節団,訪中―中バ友好協会の招きにより友好使節団12人(団長Hafiz土地行政相・バ中友好協会長)が訪中。
DIA-301-1978-12-30-1バングラデシュ1978年12月30日1970年代JJP内紛―全国人民党JJPオスマニ将軍・委員長は組織委メンバー3人を除名した。これら3人はさきにオスマニ委員長の党運営を非民主的・独裁的と批判,委員長ぬきの運営委員会を設置している。
DIA-301-1978-12-31-1バングラデシュ1978年12月31日1970年代National Unity Party設立―NAP(M)の反ムザファール委員長派によって設立されたもので委員長はAltaf Hossain,政党法が撤廃されて以来,新政党が続々と結成されはじめ,全政党数は50を越える。
DIA-301-1979-01-02-1バングラデシュ1979年01月02日1970年代与党のバングラデシュ民族主義者党(BNP),党公認候補者リスト発表-国会議員選挙にむけて全国300議席に対し298人の立候補者をたてる予定。ジアウル・ラーマン大統領・BNP総裁はダッカで開かれた集会で演説,BNPの選挙活動が本格化した。
DIA-301-1979-01-02-2バングラデシュ1979年01月02日1970年代新聞・出版法,改正-Printing Press and Publications Act(1973)の改正で,「県当局は直接・間接に法の施行・法と秩序の維持を脅かし,国の安全を危機に瀕せしめ,外国との友好関係を妨げるような新聞出版物の発行を禁止する権限をもつ」との条項を削除。
DIA-301-1979-01-04-1バングラデシュ1979年01月04日1970年代Jamalpur県設置-マイメンシン県を分割して,Jamalpur Sub-divisionを県に昇格させた。20番目の県。
DIA-301-1979-01-05-1バングラデシュ1979年01月05日1970年代国会議員選挙日,2月18日に延期-2月12日に予定されていた選挙は,選挙ボイコット派野党の一部が政府との話合いにより選挙参加を決めたことに伴い,さらに延長されて2月18日となった。
DIA-301-1979-01-06-1バングラデシュ1979年01月06日1970年代選挙ボイコット派の5政党,選挙参加決定-政府との交渉で合意に達したことから選挙参加を決めたもので,国民同盟(BJL),統一人民党(UPP),社会党(JSD),労農党(SKSD),人民運動(BGA)の5政党。声明によれば,5日の政府との話合いで①閣議は議会に責任をもつ,②国会多数党から首相を出す,③政治犯の釈放,に政府が合意したため選挙参加を決めたという。この他,民主勢力に対し政府が以下の点で妥協したことも選挙参加の理由にあげている。すなわち,①戒厳令を選挙活動には適用しない,②戒厳令は第一回国会会期中に撤廃する,③大衆集会・マイクロフォンの使用自由化(以上12月24日),④憲法の基本的人権条項回復(12月15日),⑤新聞・出版法の改正(1月2日)。
DIA-301-1979-01-08-1バングラデシュ1979年01月08日1970年代アワミ連盟,選挙参加決定-アワミ連盟(BAL)マレク派は選挙ボイコット戦術を変更して選挙に参加すると発表した。これにより主要政党はすべて選挙に参加することになり,ボイコットを貫いたのは前大統領候補オスマニ将軍の人民党ほか3つの小政党のみ。
DIA-301-1979-01-08-2バングラデシュ1979年01月08日1970年代左派系学生組織はベトナムのカンボジア侵略に抗議して,ベトナム大使館,ソ連インフォメーション・センターにデモを行なった。
DIA-301-1979-01-08-3バングラデシュ1979年01月08日1970年代都市に調停裁判所設置-農村議会下にVillage Courtを設置したように,都市にも調停裁判所を市議会の下におく。
DIA-301-1979-01-10-1バングラデシュ1979年01月10日1970年代政治犯372人釈放-この中にはBAL指導者のSamad Azad(元農相),Z. Rahman(元党書記長),BAL系元国会議員も含まれている。彼等の多くはBAL(マレク派)に戻る。
DIA-301-1979-01-10-2バングラデシュ1979年01月10日1970年代バ・ビルマ貿易協定に調印。輸出品はジュート製品,紙・新聞用紙,漁網,医薬品などで,輸入品は米,セメント,原料ゴムなど。
DIA-301-1979-01-10-3バングラデシュ1979年01月10日1970年代ADB,クシティア農村総合開発計画に15億タカ供与。
DIA-301-1979-01-12-1バングラデシュ1979年01月12日1970年代バ・日本と3つの覚え書きに調印-総額813.6万ドルの贈与で,①北西地区への肥料供与520万ドル,②織物230万ドル,③視聴覚機材33.6万ドル。
DIA-301-1979-01-14-1バングラデシュ1979年01月14日1970年代55政党,選挙シンボル使用申請-選挙管理委員会の指示した選挙シンボル(55)に対して55政党・グループがその使用申請を行なった。
DIA-301-1979-01-15-1バングラデシュ1979年01月15日1970年代選挙シンボル決定-選挙管理委は申請に基づき30政党に対する選挙シンボルを決めた。残り25シンボルは小グループや無所属の候補者に割当てられた。
DIA-301-1979-01-15-2バングラデシュ1979年01月15日1970年代タカ交換レート変更-対ポンド交換レート切下げ。買い1ポンド=31.1タカ(旧レート30.5タカ),売り31.15タカ(同30.55)。
DIA-301-1979-01-17-1バングラデシュ1979年01月17日1970年代立候補届出-全国300議席をめぐって2352人が立候補届出,うち219人が立候補辞退,8人が資格なしとされ,結局2125人が争うこととなった。競争率は平均7.1倍。激戦区はダッカ市で6議席に88人が立候補している。与党BNPは298選挙区に候補者をたて,BAL(マレク派)は295人,BAL(ミザン派)は183人,JSDは240人,BML・IDLは選挙連合を組んで265人の候補者をたてている。選挙参加政党数は34で,立候補者30人を越える政党は10。有権者数は3864万人。
DIA-301-1979-01-21-1バングラデシュ1979年01月21日1970年代外相,ネパール訪問(~22日)-シャムスル・ホク外相は近隣諸国訪問の一環として訪ネ,ビレンドラ国王・アリヤル外相らと会談した。
DIA-301-1979-01-23-1バングラデシュ1979年01月23日1970年代外相,ビルマ訪問(~25日)-ホク外相はネパールからビルマを訪問,ネ・ウィン大統領はじめ政府高官と会談した。
DIA-301-1979-01-23-2バングラデシュ1979年01月23日1970年代バ債権国会議開催(~24日)-パリで債権国会議が開催され,フダ博士・蔵相が1979/80年度開発計画内容を説明,資金援助を求めた。会議の席上なされたプレッジ額は13億ドル。
DIA-301-1979-01-29-1バングラデシュ1979年01月29日1970年代フダ蔵相,サウジ・アラビア訪問-サウジはバングラが必要とする石油・同製品の供給を保証した(これはイランの政情不安からイランに代ってサウジの供給を依頼したもの)。
DIA-301-1979-01-30-1バングラデシュ1979年01月30日1970年代日本,特別借款供与-総額124.4億円(9.405億タカ)にのぼる特別ローンで,うち90億円はバ船舶公社により日本から外洋船4隻を購入するために使われる。残り35.4億円はクルナに発電機付船舶供与。
DIA-301-1979-02-01-1バングラデシュ1979年02月01日1970年代与党BNP,選挙綱領発表-ジア大統領の19項目プログラムを中心とした選挙綱領で,①反帝・反植民地・民族主義,②大統領制,③現実的な土地改革と総合的農業改革により食糧生産倍増,④国営工業は基幹工業・重工業・国防産業に限り,その他は民間企業体制として急速な工業化,⑤職業教育の普及などを主張している。
DIA-301-1979-02-01-2バングラデシュ1979年02月01日1970年代JSD,選挙綱領発表-①あらゆる搾取をなくす,②外国援助は国の発展と主権を脅かすため反対,③司法権独立,④国営企業の払い下げ反対,⑤土地行政の改革,⑥不平等条約を破棄し,平和部隊受入れ反対,などを骨子とする。
DIA-301-1979-02-02-1バングラデシュ1979年02月02日1970年代1979/80年度外国援助プレッジは15億ドル-フダ大蔵相は債権国会議出席後帰国して記者会見,1979/80年度援助見通しを明らかにした。①1979/80年度援助プレッジは15億ドル。うち債権国会議では13億ドルがプレッシされ,残り2億ドルはOPEC諸国がプレッジした。②債権国会議諸国援助の内訳は,食糧援助2億ドル,商品援助4.5億ドル,プロジェクト援助6.5億ドル。③債権国会議はバングラの経済開発による利益が土地なし農民や貧農に,より多く与えられる開発戦略をとるよう要請している。政府は地域総合開発の実施により,すべての農民の経済向上,25~30%に及ぶ農村失業・半失業者対策,農村から都市への資本流出・移転を抑えるような金融・財政対策などにより,所得配分の均衡化をはかる考えである。
DIA-301-1979-02-04-1バングラデシュ1979年02月04日1970年代BAL(マレク派),選挙綱領発表-①ムジブ元大統領の主張した「第2革命」支持,②国有化企業の民間払い下げ反対,③すべての弾圧法を撤廃し,言論の自由を守る,④搾取のない社会を建設し,労働者・農民の生活向上,⑤非同盟・自主独立の外交政策,などを骨子とする。
DIA-301-1979-02-08-1バングラデシュ1979年02月08日1970年代バングラTV,選挙特別プログラム-各主要政党指導者がTVを通して政見を発表するもので,今回が初めての試み。
DIA-301-1979-02-08-2バングラデシュ1979年02月08日1970年代バ民主運動(BGA),選挙綱領発表-①議会がRubber-stamp議会となるような陰謀に反対,②土地耕者にその所有権を,③労働者の団結権回復,④物価引下げなどを骨子とする。
DIA-301-1979-02-13-1バングラデシュ1979年02月13日1970年代町村議会メンバー拡大-政府は村議会メンハーに農民代表として2人を任命すると発表した。任命の資格は当該地域に永住し,1 bigha(0.33エーカー)以上の農地を所有して自ら耕作していること。村議会メンバーは住民選挙による議長1人,議員9人,任命の婦人議員2人,計12人で構成されていたが,今回農民代表2人が加わって,計14人となる。町・市議会メンバーには労働者代表を任命する。人数は住民選挙によるメンバーの1/10を越えないものとする。
DIA-301-1979-02-13-2バングラデシュ1979年02月13日1970年代政府,イランのバザルガン政権を承認。
DIA-301-1979-02-13-3バングラデシュ1979年02月13日1970年代韓国と航空協定に調印。
DIA-301-1979-02-15-1バングラデシュ1979年02月15日1970年代ジア大統領,BNP総裁として記者会見-前政権を担当したアワミ連盟下における政治をきびしく批判,彼等は国民に信頼を置かず,国の独立・主権を外国に売り渡したとのべ,さらにその他小政党も自らの利己的利益を追求して国民を統一することに失敗したと批判した。またBNPは国家統一,独立・主権を維持し,強力な国防軍を建設,外国援助を受け入れて経済を発展させる意向であるとのべた。
DIA-301-1979-02-16-1バングラデシュ1979年02月16日1970年代ジア大統領,全国放送で選挙参加を呼びかけ-「国民の審判こそが最終的判断であり,我々はそれを受け入れるものである。わが国はいま,民主主義への転換過程にあり,国民議会選挙はその重要な手段であって,投票への参加は国民の責任である」とのべ,選挙への参加を呼びかけた。
DIA-301-1979-02-18-1バングラデシュ1979年02月18日1970年代第2回国民議会選挙,実施-全国300議席をめぐっての国民議会選挙は平均7倍の激しい競争であったが,投票は平和裡に行なわれた。有権者数は3863万7664人。立候補者は34政党から1703人,無党派422人の計2125人。投票所は21,905カ所(有権者数約2000人に1つ)。選挙のための総費用は2500万タカ。
DIA-301-1979-02-19-1バングラデシュ1979年02月19日1970年代選挙結果(速報による)-与党BNPが205議席で当選,第2党はBAL(マレク派)で40人,次いで回教徒連盟・イスラム民主連盟の連合が19人,JSDが9人。参加した34政党のうち当選者を出したのは12政党のみ。BNPから立候補した現閣僚19人,閣外相2人は全員当選した。激戦区のダッカ市全6区はいずれもBNPが当選,ボグラ・クシティアの2県では全議席17をBNPが独占した。BAL(マレク派)は40人の当選者を出したが,ムジブ時代の閣僚経験者が2人を除いて落選,党委員長のMalek Ukilも落選した。得票数ではBNPに次いでBAL(マレク派)が多く,その差は余り大きくない。BALの支持者が根づよく残っていることを示している。
DIA-301-1979-02-20-1バングラデシュ1979年02月20日1970年代ジア大統領,選挙後初の記者会見-歴史的な国会議員選挙で国民は民族主義,平和と安定,経済発展の政治を支持した。選挙は自由且つ公正に行なわれた。我々は今後,19項目政策の実施に全力をあげる。議会制のもとでは野党の存在は必要であり,野党と建設的討議をしていきたい。BNPは多数にたのんで一方的結着をつけるようなことはしない。当選後政党をかえることは許されない。当選議員は,以前のように都市に集まって自らのフトコロを肥やすようなことをせず,選挙区にあって地域の発展に努力すべきである。
DIA-301-1979-02-22-1バングラデシュ1979年02月22日1970年代BAL(マレク派),選挙の不正を批判-Malek Ukil委員長(落選)は声明を発表,選挙が公正・自由に行なわれず,大規模な不正行為があったとして,選挙結果は認められないとのべた。
DIA-301-1979-02-22-2バングラデシュ1979年02月22日1970年代JSDも不正批判-JSDのシラジ書記長(当選)は記者会見し,選挙における不正行為はかなり広範に行なわれたが,選挙結果は認める,とのべた。
DIA-301-1979-02-22-3バングラデシュ1979年02月22日1970年代政府,ジュートの最低価格を115タカに引上げ-1979/80年度の政府のジュート買上げ価格を,下級品質のもので1モーンド100タカから115タカに引上げる。今年度のジュート生産目標は650万ベールで,作付面積は200万エーカーを期待している。
DIA-301-1979-02-26-1バングラデシュ1979年02月26日1970年代各野党指導者,選挙の不正を非難-いずれの政党も与党が政権を保持している立場を利用して選挙を有利に導き,野党の選挙活動を妨害し,投票所においては不正投票の操作をしたとして政府・BNPを非難する声明を発表している。しかし,選挙のやり直しを要求している野党は一党のみ。
DIA-301-1979-02-27-1バングラデシュ1979年02月27日1970年代ジア大統領,イラク訪問(~3.2)-ジア大統領はホク外相,フダ蔵相を同行してイラク訪問に出発,往路サウジ・アラビアのメッカ・メジナに立寄った。イラクではハッサン大統領と2度会談,イラン情勢,石油供給問題についても話し合った。
DIA-301-1979-02-27-2バングラデシュ1979年02月27日1970年代選挙管理委員会は,選挙に関する訴えを処理するため,Election Tribunalを設置することを明らかにした。
DIA-301-1979-03-03-1バングラデシュ1979年03月03日1970年代1978年7―12月の国営工業生産好調-総生産額は27億2190万タカで前年同期比29.2%の増産,販売総額は輸出を含めて30.91億タカで同23.7%の増加(輸出だけでは25.6%の増加),純利益は1.714億タカで同49.3%の増加であった。
DIA-301-1979-03-03-2バングラデシュ1979年03月03日1970年代IFAD,3000万ドル援助-国際農業開発基金International Fund for Agricultural Development(IFAD)はパブナ県の灌漑,農村総合開発プロジェクトに3000万ドルを援助する。IFADからの援助受入れはこれが始めて。
DIA-301-1979-03-04-1バングラデシュ1979年03月04日1970年代アシュガンジ尿素肥料工場の資金状況-同工場は日産1600トン,年産53万トンの尿素肥料生産能力をもつもので,投資総額は4億ドルに改定された。これまで1億4250万ドルの資金供与が約束されているが,さらに1億1200万ドルの外貨が必要で,このうち4850万ドル(USAID:2300万ドル,ADB:2070万ドル,スイス:500万ドル)は約束されたが,まだ6350万ドル不足。
DIA-301-1979-03-07-1バングラデシュ1979年03月07日1970年代国会選挙の最終公式結果,発表-選挙管理委員会は2月18日行なわれた国会選挙の結果を発表した。投票率は50.94%,当選者の政党内訳は次の通り。
DIA-301-1979-03-12-1バングラデシュ1979年03月12日1970年代Mashiur Rahman,死去-ジア政権主席大臣で首相になるとみられていたMashiur Rahmanが脳血栓のため死去。55歳。氏はバシャニと共にNAPの指導者として反英・反パキスタン闘争を行ない,独立後もムジブ政権に反対して2度逮捕されたことがある。14日に国葬。
DIA-301-1979-03-15-1バングラデシュ1979年03月15日1970年代インドネシア・シンガポールと石油製品緊急輸入交渉-工業相がこれらの国に飛んで交渉,インドネシアはHSD 2万トン,シンガポールはケロシン2.5万トン,ジェット燃料2.5万トンを供与すると約束した。
DIA-301-1979-03-19-1バングラデシュ1979年03月19日1970年代インド・リビア・ソ連から石油製品7万トン緊急輸入-ホセイン石油相はインド・リビア・ソ連を歴訪,インドはHSD 1万トン,リビアはケロシンなど4万トン,ソ連は同2万トンを供与すると約束。
DIA-301-1979-03-19-2バングラデシュ1979年03月19日1970年代ビルマ難民10万人がすでに帰国し,残り10万人が帰国を待っている。
DIA-301-1979-03-20-1バングラデシュ1979年03月20日1970年代ラジシャヒ大学で学生と警官隊が衝突,18人負傷-ラジシャヒ大学では学長の更迭を求めて学生がハンストしていたが,事情聴取に訪れた文相ら2閣僚をゲラオしたことから警官隊が校内に入り,学生と衝突した。学生11人,教師2人,警官5人が負傷,7人が逮捕。
DIA-301-1979-03-20-2バングラデシュ1979年03月20日1970年代ラジシャヒ大学,無期休校-大学当局は無期休校とし,学生に対し校舎,学生寮から直ちに退去するよう命じた。
DIA-301-1979-03-20-3バングラデシュ1979年03月20日1970年代政党・学生団体など,警官による弾圧を非難し,逮捕学生の釈放と学長の辞任を要求する声明を発表。
DIA-301-1979-03-20-4バングラデシュ1979年03月20日1970年代北朝鮮と文化協力協定に調印-バングラデシュ文化代表団65人(団長S.ラーマン文化相)の訪問に際して結ばれたもの。
DIA-301-1979-03-21-1バングラデシュ1979年03月21日1970年代ダッカでも学生・警官の衝突,16人負傷-ラジシャヒ大学の学生運動に呼応してダッカ大学でもスト・抗議デモが行なわれた。デモ隊は側を通りかかったサッタル副大統領の乗用車を包囲し,投石したが,同副大統領は無事であった。デモ隊はさらに近くのバス,トラック等をこわし,放火した。これらの事件で学生など31人を逮捕,学生3人,警官10人,消防士3人が負傷。
DIA-301-1979-03-21-2バングラデシュ1979年03月21日1970年代日本,10.26億円の特別商品援助-1974~78年にバングラが日本に返済した援助資金が贈与となった。
DIA-301-1979-03-22-1バングラデシュ1979年03月22日1970年代ダッカ学生組織,一斉に政府に反発-左派系学生組織9団体はSangrami Chhatra Oikyaを,右派系学生組織5団体はSangrami Chhatra Samajを,それぞれ結成して,ラジシャヒ,ダッカ両大学の学生・警官隊の衝突事件で抗議運動をすすめると発表した。
DIA-301-1979-03-22-2バングラデシュ1979年03月22日1970年代BNPからの反論-BNPは大衆集会・声明の発表を通して,学生団体の政府批判に対抗しはじめた。
DIA-301-1979-03-24-1バングラデシュ1979年03月24日1970年代BNP,国会の婦人用議席の候補者30人のリスト発表。
DIA-301-1979-03-24-2バングラデシュ1979年03月24日1970年代政府,独立記念日のため447人に特赦,うち185人は政治犯。
DIA-301-1979-03-26-1バングラデシュ1979年03月26日1970年代第9回独立記念日。
DIA-301-1979-03-27-1バングラデシュ1979年03月27日1970年代国会婦人議席,BNP候補者30人が無競争当選。
DIA-301-1979-03-29-1バングラデシュ1979年03月29日1970年代無党派議員10人がBNPに入党。これで国会におけるBNP議員数は,婦人議員30人を含めて247人となった。
DIA-301-1979-03-29-2バングラデシュ1979年03月29日1970年代バ・中国,科学技術協力協定に調印-中国からShi Lin対外経済関係副部長を団長とする代表団9人が訪バして調印されたもの。
DIA-301-1979-03-31-1バングラデシュ1979年03月31日1970年代BNP国会議員総会終る-4日間に亘る総会を終え,人事を決めた。国会議長Mirza Golam Hafiz(土地行政相) 同副議長Sultan Ahmed Chowdhury(弁護士) 党代表(首相)Shah Azizur Rahman(文部相) 同副代表(副首相)A.Q.M.B.Chowdhury(保健相) Maudud Ahmed(郵政相) 党スポークスマンAbul Hasnat(ダッカ市長)
DIA-301-1979-03-31-2バングラデシュ1979年03月31日1970年代野党代表・副代表の地位-代表は閣僚,副代表は閣外相と同格とし,同額の報酬と特権を与えられる。
DIA-301-1979-03-31-3バングラデシュ1979年03月31日1970年代無党派議員,さらに1人BNP加入。BNP系国会議員は248人となる。無党派議員は5人。
DIA-301-1979-04-02-1バングラデシュ1979年04月02日1970年代国民議会・召集-総選挙後初の国会が招集され,国会議長にM.G.Hafiz(BNP),副議長にはS.A. Chowdhury(BNP)が無競争当選した。
DIA-301-1979-04-02-2バングラデシュ1979年04月02日1970年代ジア大統領,国会演説-冒頭,過去バングラ民族主義に貢献し故人となった人々を賞讃,とくにバシャニ老,ムジブル・ラーマン元大統領の名をあげた。次いで国会議員に対して,忍耐と尊厳をもって健全な民主主義確立に努力するよう訴えた。経済問題では「可能な限り短期間に食糧生産を倍増する」を第1の課題とし,国内資金を調達して経済の自力更生をはかるよう努力するとのべた。
DIA-301-1979-04-04-1バングラデシュ1979年04月04日1970年代憲法第5次改正法案,国会提出-戒厳令下に出された各種法令(Proclamation, Regulation, Orderなど)の批准・確認とそれに伴う憲法の改正。これに対して野党はきびしい批判を加えた。国会討議は4,5日の両日行なわれただけで裁決,賛成241,反対0,棄権35で可決。6日にジア大統領が承認,発効。
DIA-301-1979-04-06-1バングラデシュ1979年04月06日1970年代戒厳令,撤廃-ジア大統領は午後8時に全国放送を行ない,戒厳令撤廃を発表して次のようにのべた。「民主主義への移行はこれで完了した。国民は過去の意見の相違を忘れ,法と秩序を守り,規律正しく,民主的規則を守るよう統一して努力しよう。私は権力をとって以来戒厳令撤廃のために努力してきた。この間に権力の濫用,行きすぎはなかったと信じている」。
DIA-301-1979-04-06-2バングラデシュ1979年04月06日1970年代野党,戒厳令撤廃を歓迎-BAL(マレク派)委員長は「ジア大統領が約束を守ったことを歓迎する。もし戒厳令特別法廷で下された判決について高裁・最高裁に上告する権利が与えられ,またもしジア大統領がCivilianの国家元首であれば,もっと歓迎する」とのべた。A.R.カーン国民連盟委員長は「歓迎するが憲法第5次改正について再検討すべき」とのべている。一般に戒厳令撤廃は歓迎するが,その他の弾圧法(Special Power Act, Special Power Rule, Printing Press & Publication Actなど)の撤廃政治犯の釈放が為されていないことに不満を表明している。
DIA-301-1979-04-07-1バングラデシュ1979年04月07日1970年代国会,停会-5日間の短期国会であった。予算国会は5月9日に開催。
DIA-301-1979-04-07-2バングラデシュ1979年04月07日1970年代ジア大統領の軍籍について-アジズル・ラーマン首相は国会でジア大統領の軍籍についての批判に応え,次のようにのべた。「ジア大統領は1978年4月29日以来軍の中にいかなるポストも持っていない。戒厳令総司令官として彼はCommander-in-Chief of Defence Forcesであったが,それは何らの報酬もなかった。戒厳令撤廃のいま,ジア大統領は憲法第61条によりSupreme Command of the Defence Serviceでしかなく,完全なCivilianとなっている」。
DIA-301-1979-04-08-1バングラデシュ1979年04月08日1970年代ジア大統領,タイ訪問(~10日)-ジア大統領はASEAN諸国との関係強化のためタイ・マレーシア訪問に出発タイに到着した。9日,クリアンサック首相と会談,同日,バ・タイ文化教育科学協力協定に調印した。10日に共同声明が発表され,その中で閣僚級経済委員会の設置,経済・貿易・農業・船舶・技術の分野での協力がうたわれた。
DIA-301-1979-04-10-1バングラデシュ1979年04月10日1970年代ジア大統領,マレーシア訪問(~12日)-タイ訪問後マレーシアを訪ね,11日,フセイン首相と公式会談し,両国間貿易の拡大,貿易不均衡是正,天然ゴム研究技術センターのバングラでの設立,パーム裁培プランテーション設立,船舶運行などについての協力問題を話し合った。共同声明は12日に発表。
DIA-301-1979-04-16-1バングラデシュ1979年04月16日1970年代内閣改造-総選挙に伴いジア大統領は内閣改造を行った。新閣僚名簿は,大統領,副大統領,首相,副首相2人,閣内相26人,閣外相(State Minister)11人,副大臣(Deputy Minister)2人の合計44人からなる。閣内相は多くは前内閣から横すべりで新任は8人,閣外相・副大臣は1人を除き12人が新人。前内閣名簿から除かれたものは5人だが,1人は国会議長就任のため,1人は大統領補佐官就任のためで,全くフリーとなったのは3人のみ。閣僚26人のうち旧軍人は5人。閣外相の大幅増加と副大臣という新制度が特徴(閣僚名簿は資料参照)。
DIA-301-1979-04-16-2バングラデシュ1979年04月16日1970年代デサイ首相,訪バ(~18日)-デサイ首相は3日間の公式訪問のためダッカに到着した。インド首相の訪バは,1971年の独立直後にインディラ・ガンジー首相が訪問して以来のことである。両国首脳は16・17日に2度公式会談をもち,①1974年調印された国境協定の批准と実行の促進,②水資源利用の協力(ガンジス河,Kushiara khowai河,Teesta河等の有効利用),③貿易不均衡の是正,④セメント,肥料,有機質ガスbiogas,紙太陽熱エネルギーなどの開発に,合弁企業をつくり,あるいは共同開発を行なう,⑤鉄道を含む輸送・テレコミュニケーションの分野での協力,⑥その他の経済協力策について話し合った。18日には共同声明が発表された。
DIA-301-1979-04-16-3バングラデシュ1979年04月16日1970年代ポンドとの交換レート,再改定-中央銀行はポンド交換レートを1月15日以来再び改定,タカの平価切下げを発表した。買レートは1ポンド=31.8252タカ(旧31.1タカ),売レートは1ポンド=32.0813タカ(旧31.15タカ)
DIA-301-1979-04-17-1バングラデシュ1979年04月17日1970年代デサイ首相,記者会見-ダッカで記者会見して,次のようにのべた。「私が政権の座について以来,インドは近隣諸国との友好に努めてきた。バングラとの関係は相互信頼の上にたって大きく改善された。両国の主要な対立点は解決され,ファラッカ問題なども解決の糸口がついている。我々はいまや真に平等なパートナーであるし,今後も相互に協力し,支援しあってその経済発展に尽したいと思う」。「1975年8月以後インドに逃亡して来た人々が帰国するならば嬉しいことだが,追放することはしない」。
DIA-301-1979-04-17-2バングラデシュ1979年04月17日1970年代印バ貿易不均衡-1973~78年の間の印バ貿易収支はバングラが23億3610万タカの赤字となっている。インドからの輸入27.324億タカに対し,輸出は3.963億タカにすぎない。しかも,この不均衡は近年になって改善のきざしはない。輸出入額は以下の通り。1973/74 輸入7.537億タカ 輸出1.452億タカ 1974/75 輸入2.882億タカ 輸出0.992億タカ 1975/76 輸入6.862億タカ 輸出0.599億タカ 1976/77 輸入3.272億タカ 輸出0.719億タカ 1977/78 輸入6.770億タカ 輸出0.201億タカ
DIA-301-1979-04-20-1バングラデシュ1979年04月20日1970年代石油製品の国内価格,23%引上げ-石油公社総裁はOPEC原油価格の急騰により,石油製品の国内価格を平均23%引上げると発表した。ダッカ市内の小売価格は次の通り。ガソリン1ガロン,25.71タカ(旧22.56タカ),ハイオクタン・ガソリン1ガロン,27.74タカ(旧22.74タカ)HSD 1ガロン,11.91タカ(旧9.45タカ,26%引上げ),ケロシン1ガロン,11.46タカ(旧9.28タカ)。この値上げは1976年3月以来のもの。これによりバ農業開発公社が灌漑用ポンプ利用者に供給するディーゼイルオルも23%引上げられ,1ガロン12.3タカ(旧10タカ)となった。
DIA-301-1979-04-20-2バングラデシュ1979年04月20日1970年代国家経済評議会NEC,1979/80年度開発計画発表-総額207億タカで,うち165億タカ(約11億ドル)は外国援助資金依存。依存率79.7%。
DIA-301-1979-04-23-1バングラデシュ1979年04月23日1970年代ジア大統領,オランダ訪問(~25日)-オランダ首相と公式会談,土地改良と造成,天然ガス探索,内水・海洋漁業,農村電化,内水路交通などの分野での協力を話し合った。25日に共同声明発表。
DIA-301-1979-04-25-1バングラデシュ1979年04月25日1970年代ジア大統領,ベルギー訪問(~27日)-オランダからベルギーを訪問,同国首相と公式会談,肥料及び食糧援助,天然ガス・石炭開発への協力について話合った。26日共同声明発表。
DIA-301-1979-04-29-1バングラデシュ1979年04月29日1970年代北部・西北部バングラ,旱魃被害-降雨量殆どなく,Boro, Aus米やジュートの立枯れのため,ひどい所は作付面積の90%が被害を受けている。
DIA-301-1979-05-03-1バングラデシュ1979年05月03日1970年代電報・電話料金,引上げ-電報代は10字まで2.5タカ,1字増えるごとに30パイサ。電話代は,新設料金が4000タカ,通話料は75パイサ(旧50パイサ),月最低料金60タカ(旧40タカ)。長距離通話料金も引上げ。
DIA-301-1979-05-04-1バングラデシュ1979年05月04日1970年代映画館入場料金,33%引上げ-冷房館の特別席が10タカ(旧7.5タカ),上席6タカ,中席4タカ。
DIA-301-1979-05-04-2バングラデシュ1979年05月04日1970年代インドから食糧20万トン輸入-デサイ首相訪バ時に約束されたもの。米15万トン,小麦5万トンを借款で輸入する。米は利子率6%,30カ月間に現物返済,小麦は無利子,8カ月で現物返済。返済できないときには利子率5%とする。
DIA-301-1979-05-05-1バングラデシュ1979年05月05日1970年代旱魃による食糧生産打撃は100万トン-旱魃,病害などでBoro, Aus米生産が打撃をうけ,約100万トンの生産不足となり,1978/79の食糧不足量は220万トンに達する見込。
DIA-301-1979-05-06-1バングラデシュ1979年05月06日1970年代住宅建設費高騰-過去6年間に住宅建設費は5倍となり,とくにこの6カ月間の値上りは異常に高い。煉瓦・セメント・鉄材などの資材値上り,労賃上昇などによる。
DIA-301-1979-05-06-2バングラデシュ1979年05月06日1970年代1197年の石油供給予定-イランより27.5万トン,UAE60万トン,イラク30万トン,サウジ20万トン,計147.5万トン。バングラの年間精製能力は130万トン。
DIA-301-1979-05-09-1バングラデシュ1979年05月09日1970年代4選挙区で補欠選挙-国会選挙後死亡(2人)あるいは辞退(2人)して空席となった議席の補欠選挙で,BNP系が3人,BMLが1人当選した。
DIA-301-1979-05-09-2バングラデシュ1979年05月09日1970年代ループール原子力発電所建設計画-科学技術担当相は北部バングラにループール原子力発電所(125MW)を建設する予定だ,とのべた。完成は1986年で総費用40億タカ。
DIA-301-1979-05-10-1バングラデシュ1979年05月10日1970年代閣外相にAung Shwe Prue Chowdhury任命。食糧省。
DIA-301-1979-05-11-1バングラデシュ1979年05月11日1970年代米,PL-480で小麦40万トン供与-1978年10月~1979年9月の1年間に小麦40万トン,5600万ドルを供与する協定に調印した。
DIA-301-1979-05-12-1バングラデシュ1979年05月12日1970年代印バ合同河川委員会中断-第17回印バ合同河川委員会が8日からデリーで開催され,12日中断された。バ代表団(団長M. Ahmed副首相)は帰国して記者会見,①インドはガンジス河川水利用問題でネパールと協議することを認めた。これにより長い間の障害が取除かれた,②ネパールへのアプローチについて,その方法・条件などを検討する必要から,第17回委員会が中断され,7月に再開することになった。方法・条件の検討は専門家会議を設置して行なう,とのべた。
DIA-301-1979-05-13-1バングラデシュ1979年05月13日1970年代国家経済評議会(NEC),農業開発戦略目標を検討-ジア大統領議長のもとにNECが開かれ,以下の農業開発戦略目標を決めた。①1984年までに食糧生産を倍増する。②そのための灌漑計画をたて,機械化を行なう。③社会正義と土地の有効利用による生産増加のため,土地改革を実施する。④農村電化に努め,1984年までに60%の農村を電化。⑤農業支援産業及び農作物加工工業の設立。⑥経営多角化(漁業,果実,野菜)。⑦今後3カ年間に農機具の部品を国産化する。⑧揚水ポンプ・深井戸ポンプ・小型トラクターなど,小規模農業機械の国産化と修理工場設置。⑨農村電化に要する電線・変圧器なども国産化。⑩工業部門も農業生産拡大に資する部門を優先的に取りあげる。農業開発はPriority No.1であり,人口抑制はProbleme No.1である。
DIA-301-1979-05-13-2バングラデシュ1979年05月13日1970年代JSDの前書記長Abdus Rab,西独へ治療に-脳腫瘍の治療のため。
DIA-301-1979-05-14-1バングラデシュ1979年05月14日1970年代外洋船購入に資金援助-政府は民間企業で外洋船(DWT 7000トン以上)を購入する場合,好条件での資金供与を行なうもので,船舶買入価格の20~30%を貸付け(利子率11.5%),船の耐用年数で分割返済する。なお政府はすでに外洋船の輸入税を免除すると発表している(5月12日)。
DIA-301-1979-05-17-1バングラデシュ1979年05月17日1970年代物価上昇-ダッカの生計費指数(1969/70=100)は1979年4月に475.8となり,前年同月の376.3に比し26.4%の上昇を示した。この間の食糧品価格は24%,衣類価格は32%の上昇となっている。物価高騰はとくに2月頃から目立ち,旱魃もあって5月以降の物価上昇はさらに激しくなるものと見られている。原因としては旱魃による農業生産不振,石油価格引上げに伴う輸入品価格急騰のほか,政府の民間投資促進政策や農業への特別融資資金支出に伴い,マネー・サプライが過去1年間に17.07%も急増していること,海外出稼労働者の本国送金の増加,などがあげられる。
DIA-301-1979-05-17-2バングラデシュ1979年05月17日1970年代民間客船事業主協会は石油価格上昇に伴い,客船・フェリーの運賃を15~25%引上げると発表した。
DIA-301-1979-05-17-3バングラデシュ1979年05月17日1970年代ジュート工場経営者団体は政府に対し,旧ベンガル人所有のジュート工場で政府が接収したものについて,その返却を要請した。
DIA-301-1979-05-18-1バングラデシュ1979年05月18日1970年代配給食糧品価格,引上げ-政府は食糧品の配給価格を引上げ,米は1モーンド120タカ(旧100タカ),小麦は同90タカ(旧80タカ)にすると発表した。最近輸入食糧品価格が上昇しており,国内での政府買上げ価格も毎年引上げられていることから,食糧品価格の逆ざやが大きくなり,その分補助金支払が増えていることから取られる措置。これまで政府の補助金支出は,米が1モーンド平均63.51タカ,小麦が同20.08タカになっている。1977/78年度に食糧配給で支出された補助金は9.8億タカ。
DIA-301-1979-05-19-1バングラデシュ1979年05月19日1970年代アメリカの対バ援助,1億7680万ドル-アメリカが1978年10月~1979年9月までにバングラに供与する援助は合計1億7680万ドル。内訳は食糧援助8560万ドル(小麦50万トン,ソルガム1万トン,植物油1万トン),商品援助5700万ドル(肥料15万トンと倉庫など),プロジェクト援助3420万ドル(農村電化1300万ドル,カーナフリ発電所700万ドルなど)。独立以来の対バ米援助は14億ドルを越える。
DIA-301-1979-05-21-1バングラデシュ1979年05月21日1970年代予算国会,開催(~6月29日)-来年度予算案検討のための国会。
DIA-301-1979-05-22-1バングラデシュ1979年05月22日1970年代ネ・ウィン議長,訪バ(~24日)-ビルマのネ・ウィン議長は3日間の公式訪問のためダッカ着。2度に亘ってジア大統領と首脳会談をもち,23日には「バングラ・ビルマ国境協定」に調印,24日共同声明を発表した。領海線については交渉継続。なおビルマ難民の本国送還は6月末までに完成させる予定で,すでに15.1万人が帰国している,という。バングラはビルマから米10万トンを購入する。
DIA-301-1979-05-26-1バングラデシュ1979年05月26日1970年代国会で食糧問題討議-野党側は政府食糧ストックが配給の3週間分しかないとして国会で食糧問題討議を要求したもの。政府はこれに対し,1978/79年度の食糧不足は130万トンであったが,年度初のストック65万トン,国内供出35万トン,輸入100万トンで十分な供給ができると反論,野党に対し食糧不足をさわぎたてて危機感をあおることはすべきでない,それは投機業者を利するだけだ,と批判した。
DIA-301-1979-05-26-2バングラデシュ1979年05月26日1970年代ファリドプールの補欠選挙でBNP勝利。これで国会議員330人(選出300人,任命30人)のうち与党BNPは250人となった。
DIA-301-1979-05-30-1バングラデシュ1979年05月30日1970年代西独,6000万マルク贈与-工業用原材料,機械,電気機器,農業機械,一般部品,化学製品などの輸入のため6000万マルク(約5億タカ)が贈与された。西独は1978年以降の対バ援助はアンタイドの贈与となっている。
DIA-301-1979-06-01-1バングラデシュ1979年06月01日1970年代タイ米10万トン,輸入-2500万ドルで当初25%払い,残りは年2回3年払い。利子率6.5%。
DIA-301-1979-06-01-2バングラデシュ1979年06月01日1970年代パキスタン米10万トン,輸入。
DIA-301-1979-06-02-1バングラデシュ1979年06月02日1970年代ジア大統領,クエート訪問(~4日)-ジア大統領は外相・工業相を同行して3日間の公式訪問のためクエートに到着した。3日,AmirのAl-Sabahと会談,合同閣僚会議の設置,Joint Investment Groupの組織化,クエートの対バ経済・技術援助,農業協力について話し合った。また5カ年間の貿易・経済協力協定,両国科学・教育・文化交流協定に調印した。4日には共同声明発表。
DIA-301-1979-06-02-2バングラデシュ1979年06月02日1970年代1979/80年度予算案,国会提出-歳入は180.2億タカ,歳出は119.4億タカで一般会計余剰は60.8億タカとし,年次開発計画投資を207億タカとする予算案が国会に提出された(内容は資料参照)。年次開発計画ではGDPの年成長率を7.3%,農業部門は6.9%,工業部門は8.4%の年成長率を見込んでいる。食糧の生産目標は1438万トン(1978/79年度目標は1450万トン)。Huda蔵相は予算案提出に際し国会で演説,1978/79年度経済の実情を説明したあと,1979/80年度予算案の内容と課税措置について説明した。
DIA-301-1979-06-02-3バングラデシュ1979年06月02日1970年代1978/79年度経済事情,発表-大蔵省は1978/79年度経済事情Economic Surveyを発表した(詳細は資料参照)。要旨以下の通り。①GDPの成長率は4%で前年度7.9%の半分。1人当り所得は729タカ(1972/73年価格)で前年度は712タカ。②農業部門の成長率は1.3%,前年度7.4%を大幅に下回った。食糧生産は目標1450万トンのところ1299.9万トン,前年度1310.6万トンを下回った。そのため食糧需給はひっ迫し,不足量は210万トンに達した。③輸入は249.3億タカ,輸出は90億タカ,貿易収支は159.3億タカ(10.6億ドル)の赤字で前年度赤字108.1億タカを大幅に上回った。④1978/79年度の外国援助コミットメントは15.6221億ドルで63%は贈与,37%は借款。食糧援助は2.316億ドル,商品援助は5.578億ドル,プロジェクト援助は7.7276億ドル。⑤生計費指数は1978年3月から1979年3月までに8.72%上昇した。マネーサプライは同期間に20.4%も増加している。
DIA-301-1979-06-05-1バングラデシュ1979年06月05日1970年代ジュート国内価格,堅調-1979/80年度ジュート生産は目標700万バールのところ旱魃で450万ベール程度とみられるため,その国内価格は堅調に推移しており,Jute Associationはその買上げ価格を1ベール50~200タカ引上げた。
DIA-301-1979-06-05-2バングラデシュ1979年06月05日1970年代北西バングラの旱魃,深刻化-作付中のAus, Aman米やジュートは50%が立枯れており,農業労働者は降雨がないため仕事を見つけられず,生活が困窮している。
DIA-301-1979-06-07-1バングラデシュ1979年06月07日1970年代ジュート工業の現状-ジュート相は国会でジュート工業の現状について次のようにのべた。「1972/73~1977/78年度の間,ジュート工業は全体で27億3530万タカの損失を出している。1975/76~1978/79年度の間に政府がジュート工業に支出した補助金は13億7750万タカにのぼる。1977/78年度の損失は9億5340万タカで,うち5億タカは賃金・手当の引上げに伴う支出増加だ」。
DIA-301-1979-06-07-2バングラデシュ1979年06月07日1970年代IDA家族計画事業に5700万ドル借款供与。
DIA-301-1979-06-07-3バングラデシュ1979年06月07日1970年代日本,米15万トンの借款供与。10年据置,20年返済で利子率2~3%。
DIA-301-1979-06-08-1バングラデシュ1979年06月08日1970年代援助約束額は72億8683.3万ドルに-フダ蔵相は国会での質問に答え,1971年12月17日から1979年3月31日までの間に行なわれた援助コミットメント額は72億8683.3万ドル,受取額は51億7499.4万ドルになったとのべた。コミットメント内訳は次の通り。
DIA-301-1979-06-11-1バングラデシュ1979年06月11日1970年代41ジュート工場労働者,スト-経済要求を中心に17項目要求実現のため,全国76ジュート工場のうち41工場の労働者がストに入った。
DIA-301-1979-06-11-2バングラデシュ1979年06月11日1970年代セメント価格,引上げ-全国配布センターで売られるセメント卸売価格は輸入・国産を問わず1袋65タカに引上げる。小売価格は輸送料・業者の手数料(1袋当り2.5タカ)を考えて各県知事が決めるが,最高70タカを越えてはならない。
DIA-301-1979-06-14-1バングラデシュ1979年06月14日1970年代手織工業センサス-バングラ初の手織工業センサスが実施された。それによると全国の手織機は43.7万台,うち59%の26万台が稼動している。労働者数は84.8万人で,1台当り4.3人,工場当り労働者数3.26人,生産は月8685万ヤードで総生産量の約80%。
DIA-301-1979-06-14-2バングラデシュ1979年06月14日1970年代農業機械等の国産化計画-政府は第2次5カ年計画期間中に農業機械(ディーゼル・エンジン,揚水ポンプ,トラクター,パワー・ティラーなど),繊維機械等を国産化する。
DIA-301-1979-06-18-1バングラデシュ1979年06月18日1970年代バ・インド国境会談開く(~20日)。
DIA-301-1979-06-18-2バングラデシュ1979年06月18日1970年代ネパールからネ・バ友好文化協会代表団,訪バ(~24日)。団長はR.P.Sharna同協会長。
DIA-301-1979-06-20-1バングラデシュ1979年06月20日1970年代Islamic Center for Technical & Vocational Training and Researchの理事会,開催-同センターは960万ドルでダッカに設立され,回教圏の人々の職業・技術訓練を行なうもの。
DIA-301-1979-06-22-1バングラデシュ1979年06月22日1970年代BAL,ハルタル呼びかけ-BAL(マレク派)は前日の集会・デモで警官隊と衝突したことに抗議するため,全国ハルタルを呼びかけた。この日,ハルタルに参加しないバス,乗用車など16台がこわされ,22人が逮捕され,26人が負傷した。
DIA-301-1979-06-23-1バングラデシュ1979年06月23日1970年代インドから回教徒難民1万5000人-西ベンガル州Nadia県で起った宗教対立のため,インド人回教徒約1万5000人がバングラ領内に避難した。流入者の数は29日までに4万人に増えた。
DIA-301-1979-06-25-1バングラデシュ1979年06月25日1970年代アメリカ,5000万ドルの贈与-これは肥料プログラムの資金で,アメリカは1978~80年の3カ年に1.5億ドルを供与する。5000万ドルは初年度用で,肥料50万トンの輸入および流通機構改善のために使われる。
DIA-301-1979-06-28-1バングラデシュ1979年06月28日1970年代IDA,5700万ドル借款-クルナ送・配電網整備プロジェクトに2800万ドル,アシュガンジ肥料工場に2900万ドル配分される。
DIA-301-1979-06-28-2バングラデシュ1979年06月28日1970年代ADB,2850万ドル借款-チッタゴン丘稜地域の開発プロジェクト。
DIA-301-1979-06-29-1バングラデシュ1979年06月29日1970年代1979/80年度予算,国会承認。
DIA-301-1979-06-30-1バングラデシュ1979年06月30日1970年代1979/80年度輸入政策発表-①輸入目標は185億タカ(12.3億ドル),必要あれば最大限200億タカ(13.3億ドル)まで認める,②このうち90億タカは自国の外貨収入でまかない,残り95億タカは贈与・借款・バーター・WES(非居住者輸入)による輸入とする,③輸入自由化政策を継続し,国内需要の伸びを満すようにする,④WESによる輸入の32%は工業用原材料,21%は布地,9%は中古衣類,38%はその他消費財とする,⑤1978/79年度輸入実績は目標139.3億タカ(9.3億ドル)を達成した。うち68億タカは自国の外貨収入,45.3億タカは贈与・借款,10億タカはバーター,16億タカはWESによる輸入であった。
DIA-301-1979-06-30-2バングラデシュ1979年06月30日1970年代バ・インド,難民の帰還問題で第1回会議。流入した回教徒難民について,インドは国境に収容キャンプを作り,7月1日より3日間で全員の収容を行なうと約束した。
DIA-301-1979-07-01-1バングラデシュ1979年07月01日1970年代1979/80年度輸出政策発表-①輸出目標を110億タカとする(前年度目標比22.2%増),②ジュート・同製品の輸出は69.1億タカ(62.8%),その他商品輸出は40.9億タカ(37.2%)とする,③現在継続中の輸出促進政策は今年度もつづける,④Export Performance Licence(XPL)は6品目追加して81品目とする,⑤品目別輸出量・金額の目標は,原ジュートが250万ベール,24.2億タカ,ジュート製品が52.5万トン,43.5億タカ,茶が7500万ポンド,7.5億タカ,冷凍食品が9億タカ。
DIA-301-1979-07-02-1バングラデシュ1979年07月02日1970年代米の政府買上げ価格,引上げ-Aman米から適用されるが,精米は1モーンド158タカ(運送料4タカを含む),モミ米は同100タカ。旧価格は132タカ,84タカで,20%の引上げとなる。
DIA-301-1979-07-07-1バングラデシュ1979年07月07日1970年代ジア大統領,バ民族主義者党BNP総裁に当選-BNPは党組織固めのため役員の改選を行なうことになり,はじめに党総裁選出を予定していたが,ジア大統領以外に立候補もなく,無投票で当選が確定した。
DIA-301-1979-07-07-2バングラデシュ1979年07月07日1970年代Aman米増産特別プロジェクト-政府はArman米増産のためIntensive Aman Cultivation project(IACP)地域を拡大すると共に,同地域農民に特別営農資金の貸付けをはじめた。貸付額は次の通り。高収量品種作付け農家:エーカー当り330タカ(上限1020タカ)。在来改良品種作付け農家:エーカー当り245タカ(上限980タカ) 在来種作付け農家:エーカー当り219タカ(上限840タカ) 但し旱魃による被害をうけた農家はエーカー当り50タカを加算して貸付ける。またIACP地域以外の農家に対しては,エーカー当り210タカ(上限850タカ)の貸付けを行なう。
DIA-301-1979-07-08-1バングラデシュ1979年07月08日1970年代港湾労働者ストでチッタゴン・チャルナ港での荷揚げ作業が大幅おくれ。
DIA-301-1979-07-11-1バングラデシュ1979年07月11日1970年代チッタゴン大学,無期休校-9日以来,学生組織間の衝突で負傷者が多数出たためと発表された。
DIA-301-1979-07-13-1バングラデシュ1979年07月13日1970年代ジア大統領,ローマ訪問(~16日)-FAO主催の「農業改革と農村開発」会議に出席するため。FAOはタンザニア,セネガル,コスタ・リカ,バングラデシュなど4カ国首脳に特に出席するよう招請していた。
DIA-301-1979-07-13-2バングラデシュ1979年07月13日1970年代IDA,肥料輸入資金として2500万ドルの借款供与。
DIA-301-1979-07-13-3バングラデシュ1979年07月13日1970年代回教開発銀行IDB,中古船購入資金に600万ドルの借款供与。
DIA-301-1979-07-13-4バングラデシュ1979年07月13日1970年代スパイス価格急騰-ラマダーンのためもあり,過去1カ月間にスパイス価格が2倍近くにもなっている。特に玉ネギ,にんにく,しょうがの上昇が大きい。
DIA-301-1979-07-15-1バングラデシュ1979年07月15日1970年代サイフル商相訪中(~19日)-バ・中国長期貿易協定に関する交渉のためで,年次交渉で決めるバーター取引の枠外に長期協定を結ぶ意向。
DIA-301-1979-07-15-2バングラデシュ1979年07月15日1970年代JSD,集会で反政府運動呼びかけ-民族社会党JSDはダッカで大衆集会を開催,BNPは新BAKSALであり,汚職,不正行為,非民主的・反人民の政治を行っているとして,BNPを激しく攻撃した。
DIA-301-1979-07-21-1バングラデシュ1979年07月21日1970年代サイドプール空港,開港-北西地区2つ目のサイドプール空港が開港し,ジア大統領が式典に参加。
DIA-301-1979-07-22-1バングラデシュ1979年07月22日1970年代BNP,県代表者会議開催(~23日)-ジア大統領・党委員長が演説,県・郡・村Union・部落Wardの各段階で党役員選挙が終ったことを明らかにした。会議にはBNP中央執行委・役員の他,72の県代表及びBNP傘下の大衆組織(青年・学生・婦人・農民・労働者その他)代表が参加した。
DIA-301-1979-07-23-1バングラデシュ1979年07月23日1970年代EECはバングラデシュからの繊維製品輸入関税を廃止することに決めた。輸入割当制限もない。
DIA-301-1979-07-24-1バングラデシュ1979年07月24日1970年代ダッカ大学中央学生連盟の役員選挙,実施-Dacca University Central Student Union(DUCSU)の役員選挙が6年ぶりに行なわれた。6年前には選挙後投票箱が奪われるなどの不祥事があり,選挙が無効になっているため学生の熱狂ぶりはすごく,19のポストをめぐって17の学生組織・グループから355人が立候補している。有権者は17,222人(うち女子学生4600人)。
DIA-301-1979-07-24-2バングラデシュ1979年07月24日1970年代メッカ巡礼の費用-政府の団体で巡礼に行く場合で,船は24,374~16,374タカ,飛行機は22,574タカ。
DIA-301-1979-07-25-1バングラデシュ1979年07月25日1970年代バングラ航空機,ハイジャック事件-ジェソール発ダッカ行のバングラ航空機がハイジャックされ,インドのカルカッタ空港に着陸した。犯人は19歳でイスラムと名乗り,100万ドルの資金と逃亡用飛行機を要求したが,後インド軍に投降して逮捕された。
DIA-301-1979-07-25-2バングラデシュ1979年07月25日1970年代ハイジャック調査委員会,設置-5人からなる委員会を設置,ハイジャック事件の背後関係を調査する。
DIA-301-1979-07-25-3バングラデシュ1979年07月25日1970年代DCSUU選挙で,政府系学生組織完敗-19人の当選者のうち15人はバ学生連盟BCL(Manna派)でJSD系,4人はバ学生連盟BCL(Kader-Chunnu派)でBAL(Malek)系。主導権はJSD系が握り,副委員長は,M.R. Manna,書記長はAkhtaruzzaman(いずれもBCL(Manna派))。政府系学生組織BJCDと左派系学生組織は完敗。しかし投票率は47.23%と低く,とくに女子寮では23%でしかない。(注)委員長は学長が就任する規定のため,副委員長が選挙される委員の最高ポストとなる。
DIA-301-1979-07-26-1バングラデシュ1979年07月26日1970年代ラマダーン開始。断食時間後にたべるイフタール(軽食)用食糧品価格が急激に上昇している。
DIA-301-1979-07-28-1バングラデシュ1979年07月28日1970年代国家経済評議会(NEC),エネルギー問題検討-ジア大統領は席上,今後のエネルギー政策の骨子について発言したが,その主要点は次の通り。①天然ガス開発を最優先し,工業エネルギー源にガス利用を促進する,②太陽熱エネルギー研究所設立,③カプタイ発電所の拡大(発電機2基を据付ける),④石炭開発,原子力エネルギー開発に力を入れる。
DIA-301-1979-07-29-1バングラデシュ1979年07月29日1970年代小規模・家内工業開発促進-ジア大統領は小・家内工業開発のため,全国レベルのマスター・プランと,各県ごとのマスター・プラン作成を指示。
DIA-301-1979-07-29-2バングラデシュ1979年07月29日1970年代綿工業開発促進-ジア大統領は5年以内に綿織物自給を達成すべく,綿花生産を増大し,1人年間12ヤードの綿布を供給しうるよう織物工業の設備を拡大する計画の策定を指示。
DIA-301-1979-07-30-1バングラデシュ1979年07月30日1970年代ジュート買上げ-買上げセンターは全国375カ所とし,うち170カ所はJute Mill Corp.が開いて310万ベールを買上げる。205カ所はJute Marketing Corp.とJute Trading Corp.が開き,90万ベール買上げる。シュートの生産推計は500万ベール,政府はうち400万ベールを買上げる予定。これら買上げ資金として10.2億タカの融資を認める方針で,このうち9.6億タカは民間の取扱業者に,6000万タカは政府部門に融資される。
DIA-301-1979-07-31-1バングラデシュ1979年07月31日1970年代ジア大統領は第22回英連邦主脳会議出席のため,ルサカにむけ出発した(~8月6日)。
DIA-301-1979-08-01-1バングラデシュ1979年08月01日1970年代ジア大統領,英連邦首脳会議で演説-大統領は英連邦機構内にFood Security Systemをつくるよう提案,具体的には①食糧輸入特別融資制度,②緊急食糧ローン(現物返済),③食糧備蓄のための国際協力,④食糧増産の方法と手段についての協力等について検討を求めた。
DIA-301-1979-08-01-2バングラデシュ1979年08月01日1970年代IMF,8500万ドルのSDR承認-1979/80年度開発計画実施に当って,国際収支安定のため使われる。
DIA-301-1979-08-02-1バングラデシュ1979年08月02日1970年代配給店をめぐる汚職摘発,目立って増加-食糧品価格上昇に伴い,配給店をめぐって横流し,不正配給カード発行などの汚職が摘発されるケースが増加。
DIA-301-1979-08-06-1バングラデシュ1979年08月06日1970年代日本・バングラ,3つの覚え書きに調印-2142万ドルの無償協力資金供与で,①KRによるビルマ・タイ米2.4万トン(792万ドル),②食糧倉庫建設で,各1000トンの能力もつ倉庫23,1000万ドル,③心臓病研究所施設機械供与,350万ドル。
DIA-301-1979-08-08-1バングラデシュ1979年08月08日1970年代非居住者輸入制度の手続き変更-非居住者が所得外貨をもって一定品目を輸入することができるWage Earner’s Scheme(WES)の輸入手続きが変更された。従来は直接外国で決済をすませ,商品のみを輸入していたが,今後は所得を一度本国に送金し,それから輸入代金として支払う形をとる。但しこの制限規定は帰国に際しての引越荷物には適用されない。
DIA-301-1979-08-08-2バングラデシュ1979年08月08日1970年代イギリスと二重課税防止条約に調印。
DIA-301-1979-08-09-1バングラデシュ1979年08月09日1970年代西独,69.3億タカの債務免除-1973年以来バングラが西独から供与された借款の累積債務69.3億タカの返済免除について覚え書きが調印された。1978年以降,西独は対バ援助をグラントにしている。独立以来の西独援助合計は約120億タカ。
DIA-301-1979-08-10-1バングラデシュ1979年08月10日1970年代インド,バングラとの国境閉鎖-ビハール系住民はパキスタンに帰国することを求めてきたが,パ政府が認めないため,バングラからインドを経てパキスタンまでlong marchを行なう方針を決めたため,印バ国境にはビハール系住民3万人が結集した。バ政府と交渉の結果3日後に中止。
DIA-301-1979-08-13-1バングラデシュ1979年08月13日1970年代1978/79年度輸出,目標を超過-輸出収入は91.73億タカで目標90億タカを超過達成,前年度実績比24%増であった。ジュート輸出増が大きく,190万ベール,21.6億タカ(前年度比48.6%増)。ジュート製品は41.5億タカ(同11.1%増),皮・同製品は11.6億タカ(同70%増),となっている。輸出好調の理由は政府の輸出振興政策が効を奏したと見ている。
DIA-301-1979-08-14-1バングラデシュ1979年08月14日1970年代ダッカ電力供給局の労働者,スト。
DIA-301-1979-08-15-1バングラデシュ1979年08月15日1970年代8.15記念集会-中道派政党を中心とした8.15 National Celebration Committeeが主催した集会が開かれ,8.15を革命の日とすること,コンドカル元大統領,ファルーク少佐の釈放,ラシッド少佐の帰国を認めることなどを政府に要求,BALやBAKSAL主義者を非難した。
DIA-301-1979-08-15-2バングラデシュ1979年08月15日1970年代共産党(ML)も集会-8.15を「抵抗の日」として記念集会を開き,政府を批判,BALやBAKSALの復興に手をかしていると非難している。
DIA-301-1979-08-15-3バングラデシュ1979年08月15日1970年代BAL等5政党はムジブの死を悼む集会-ムジブは国際反動勢力とその手先によって殺された,としてその死を悼む集会を開いた。この日,殺害後初めてムジブル・ラーマン私邸が開放され,BAL指導者は同私邸に集ってムジブの霊を慰める礼拝を行った。
DIA-301-1979-08-15-4バングラデシュ1979年08月15日1970年代JSD創設メンバー,与党に入党-Prof. Dulal kumarで,BNPにJSD指導者が入党したのははじめて。
DIA-301-1979-08-19-1バングラデシュ1979年08月19日1970年代BNP党役員人事発表-ジア大統領・BNP総裁は党の執行委員会役員人事及び常設委員会メンバーを発表した。幹事長:B. Chowdhury(保健・FP相) 副委員長:A. Sattar(副大統領),S. Azizur Ranman(首相),Md. Ismail, M. Karim, Mrs, Farida(以上議員) 会計:C.T. Ahmed Siddiqui(議員) 組織委員:A. Rahim(ダッカ),Mahtabuddin(チッタゴン)K. Khan Dude(ラジシャヒ),Ahmed Ali(クルナ) 常設委員会メンバー:Sattar副大統領をはじめ11人。執行委員会メンバー:大臣18人,副大臣4人を含む総数112人。
DIA-301-1979-08-22-1バングラデシュ1979年08月22日1970年代断食明け祭り(23日)で651人に特赦。
DIA-301-1979-08-26-1バングラデシュ1979年08月26日1970年代バングラ,核拡散防止条約加入決定-ホク外相は緊急記者会見を行ない,バングラは世界平和とより大きな国家利益のため,核拡散防止条約に調印することを決めた,と発表した。バングラは105番目の調印国となる。理由はバングラが平和目的のための核エネルギー開発を行なうためと見られている。
DIA-301-1979-08-26-2バングラデシュ1979年08月26日1970年代肥料価格引上げ-政府売渡肥料価格を引上げ,次の価格とする。尿素肥料DAPはモーンド当り90タカ,TSP(granalar)は70タカ,同(Powder)は60タカ,MPは55タカ。
DIA-301-1979-08-27-1バングラデシュ1979年08月27日1970年代1978/79年度生計費指数,19.8%上昇-前年度15.2%を上回る上昇で,石油・工業用原材料の輸入価格引上げ,タカの交換レート下落などによる。
DIA-301-1979-08-27-2バングラデシュ1979年08月27日1970年代肥料価格引上げに反対-野党は政府が肥料価格値上げを国会にもかけず一方的に行なったこと,肥料価格上昇は生産の向上を阻害することを理由に,値上げ反対の運動をすすめることにした。
DIA-301-1979-08-29-1バングラデシュ1979年08月29日1970年代政府,10産業の認可手続き廃止-工業相は民間企業育成策の1つとして,10産業設立に際し従来必要とされた設立認可手続きを廃止すると発表した。但し国産原料を使い,その設立に外貨を要する場合でも企業家が外貨を自ら調達することの条件付。当該企業が部品等輸入するための外貨を要するときにはにDirectorate of Industriesに登録しなければならない。10産業は以下の通り。低温倉庫,製氷業,ホテル(1~2つ星),タバコ,映画館,精米所,魚加工業,果実加工業,製材加工業,Coir加工業。
DIA-301-1979-08-29-2バングラデシュ1979年08月29日1970年代全国商工会議所連盟総裁,綿工業の民間移行を要求-シディキ総裁は綿工業をより効率的に運営するために,すべて民間に移行すること,政府部門に残す場合でも,その株式の49%は民間に解放すること,銀行・保険業への民間進出を認めること,を要求した。
DIA-301-1979-08-29-3バングラデシュ1979年08月29日1970年代日本と合弁企業で造船所建設-三井造船とバングラ民間企業High Speed Group of Companiesは合弁でFatullahに造船所を設立する。資本金9400万タカ。年間1000DWT級の船舶10~15隻を建造しうる。
DIA-301-1979-08-30-1バングラデシュ1979年08月30日1970年代電気料金,平均36%の大幅引上げ-燃料価格および賃金・手当引上げのためコストが上り,毎年電力開発局PDBの赤字が大きくなっているためという。家庭用は月40kwまで1kw当り40パイサ(旧29パイサ),小工場は1kw当り60パイサ(40パイサ),大工場は1kw当り50パイサ(31~36パイサ),農業用は1kw当り40パイサ(25パイサ)。
DIA-301-1979-08-30-2バングラデシュ1979年08月30日1970年代OPEC特別基金より850万ドルの借款-タルナ送電網の整備に使われる。無利子で0.75%の手数料。
DIA-301-1979-08-30-3バングラデシュ1979年08月30日1970年代ソ連は1974年に貸付けた小麦の現物返済を1982年まで延期を認めた。未返済分は8万トン。
DIA-301-1979-09-01-1バングラデシュ1979年09月01日1970年代ジア大統領,非同盟諸国首脳会議に出発(~7日)-ジア大統領は3日から開かれる非同盟諸国首脳会議に出席のため,ハバナにむかった。同会議でジア大統領はアジア代表として演説,域内食糧備蓄および食糧増産協力などFood Security Systemを作ることを提案した。またカンボジア問題ではキューバの立場を批判,エジプト問題ではその追放に消極的態度を示し,パキスタン加入には賛成した。
DIA-301-1979-09-04-1バングラデシュ1979年09月04日1970年代チッタゴン県,6つのSub-divisionに-従来の3 Sub-divisionをさらに分割したもので,新らたにKaptai, Ramgarh, Lamaの3つがSub-divisionとなった。
DIA-301-1979-09-04-2バングラデシュ1979年09月04日1970年代海外出稼労働力調査-世銀と労働省の協力で行なわれる調査で,これら海外への出稼労働者の本国送金がバングラの生産部門に与える効果を調査するもの。海外から銀行を通して送金された額は,1978年に16.6億タカ1979年1~4月には6.8億タカ(年間換算20億タカ)。この他にWage Earner’s Schemeで輸入品として入ってくる分もある。現在,出稼労働者数は13.6万人と推計されている。政府は毎年10万人の労働者を海外に送り,年100億タカ(6.7億ドル)の収入をあげる計画を作成中で,そのため技術者,熟練労働者の養成に力を入れている。送金された外貨は大部分タカに交換され,主として住宅・土地取得と消費財に費されていることから,インフレをもたらす原因の1つとなっている。
DIA-301-1979-09-09-1バングラデシュ1979年09月09日1970年代1979/80年度石油輸入-78/79年度は原油135万トン,石油製品45万トン,計180万トン輸入して61.3億タカ(4.1億ドル)支払った。79/80年度は原油150万トン(精製設備能力は150万トン),石油製品20~70万トン輸入の見込。支払金額は前年度比20億タカ増の81億タカ(5.4億ドル)と予想されている。石油製品は原油をバングラが購入し,それをシンガポールのシェル製油工場で精製して輸入する形になっており,シェルには精製料(トン当り176ドル)を支払う。これはクルナに第2の精製工場(年処理能力300万トン)を作るまでの措置で,石油製品を外国から輸入するより安くなる。なおソ連の価格は他にくらべ30~40%高いが,バーターで外貨を必要としないため,若干輸入する。
DIA-301-1979-09-11-1バングラデシュ1979年09月11日1970年代サイフル商相は銀行・保険業の民間移行の噂について否定する声明を発表した。
DIA-301-1979-09-13-1バングラデシュ1979年09月13日1970年代BNPラジシャヒ省代表者会議-与党BNPは全国4省ごとに,各Thana党代表者を一堂に集めて会議を行なうことにし,ラジシャヒ省から始めた。これはBNPが農村の末端まで組織化を終えたことを示すものである。ジア大統領・党総裁は会議で演説,「ナショナリズムにもとづき,平和と経済発展・国民生活向上のために,平和的・民主的革命を為さねばならない」とのべた。「革命」の内容は不明確だが,ジア大統領が初めて「革命」という言葉を使ったものとして注目される。
DIA-301-1979-09-15-1バングラデシュ1979年09月15日1970年代BNP・ダッカ省代表者会議開く(~16日)。
DIA-301-1979-09-15-2バングラデシュ1979年09月15日1970年代1979/80年度肥料供給-BADCは100万トンの肥料を供給する計画で,70万トンは輸入でまかなう。78/79年度は74万トン,77/78年度は72万トンを供給した。
DIA-301-1979-09-18-1バングラデシュ1979年09月18日1970年代BNP・チッタゴン省代表者会議(~19日),ジア大統領・党総裁が演説,「国民に対して経済的向上を与えられない政治は必らず失敗する。BNPは社会・教育・行政・土地所有制・法律の各分野でのダイナミックな革命を為さねばならない。そのためにはBNP党組織が強くなければならぬ」とのべ,野党についてはBAL(2派),JSD,回教徒連盟BML,共産党(モニ・シン派),民族人民党(ムザファール派)などの名をあげて,彼等は混乱をつくり出し,民主主義を否定する行動をしているとして批判した。
DIA-301-1979-09-20-1バングラデシュ1979年09月20日1970年代自国外貨による食糧調達,30億タカ-食糧相は記者会見で,外国援助による食糧輸入と別に,自国外貨30億タカ(2億ドル)で食糧を輸入した,とのべた。
DIA-301-1979-09-20-2バングラデシュ1979年09月20日1970年代イギリス,4700万ポンドの債権の返済免除-独立以前の債務3095万ポンド,独立後1974年までの援助1600万ポンドすべての返済を免除した。1975年以降イギリスの援助はすべて贈与となっている。すでにバングラが債務返済を免除された金額は19億ドル,残存累積債務は25億ドル(主に国際機関中心)。
DIA-301-1979-09-21-1バングラデシュ1979年09月21日1970年代砂糖配給価格,引上げ-1シーア当り6.5タカから9.2タカへ26%引上げた。
DIA-301-1979-09-21-2バングラデシュ1979年09月21日1970年代砂糖キビ買上げ価格,引上げ-工場前渡し価格を1モーンド12.5タカ(旧10.5タカ),買上げセンター渡し価格を12タカ(旧10タカ)に引上げた。
DIA-301-1979-09-21-3バングラデシュ1979年09月21日1970年代砂糖不足-砂糖キビ生産が不振で製糖工場の砂糖生産が低下したためで,輸入はWESの枠内で行う。
DIA-301-1979-09-21-4バングラデシュ1979年09月21日1970年代ジュート生産の現状-生産量は550万ベールと推計され,前年度繰越230万ベールと合わせて780万ベールが供給される。今年度ジュートは旱魃の影響で質が低下,220万ベールは下級品と見られる。低品質ジュートの需要は低調で,政府最低価格の1モーンド115タカを大幅に下回り,それでも買い手がつかない。そのため中央銀行はJute Trading Corp.やJute Marketing Corp.に約4億タカの特別資金を供与して,低品質ジュート買上げ促進をはかり,民間のジュート取引業者にも融資限度を上乗せした資金供与を行った。しかし,低品質ジュート取引は緩慢で,ジュート生産農家は換金できない状況にある。
DIA-301-1979-09-24-1バングラデシュ1979年09月24日1970年代閣僚の資産公表-アジズ首相は記者会見で「政府は公職にあるものがその資産状況を定期的に申告することは義務であり,国民の信頼を得るため,その申告を公表することに決めた」とのべた。申告された資産は日刊紙に3~4人づつ公表される。24日はジア大統領,サッタル副大統領,アジス首相の3人。
DIA-301-1979-09-25-1バングラデシュ1979年09月25日1970年代左派系5政党,統一戦線結成-共産党(ML),NAP(N-Z派),UPP,JAGMU,Gono Frontの5政党は統一戦線としてDemocratic Front(Gonotantrik Front=民主フロント)を結成した。Convenerは5政党が2カ月づつまわりもちで務めるが,初代は共産党(ML)のM. Toaha委員長。Convening Committeeは15人で各政党代表3人よりなる。目的は人民の政治・経済的権利の獲得で,そのために反帝・反植民地主義・愛国勢力と統一行動を行ない,民主的権利回復のために闘う。要求は16項目。Toaha委員長は記者会見で,「現政府は人民の希望と期待に全く応えられなかった。政府は帝国主義・社会帝国主義・拡張主義と対決していない。我々は現政府とBAL・BAKSALのような過去のファシスト勢力の支配に対して断固闘う」とのべている。
DIA-301-1979-09-28-1バングラデシュ1979年09月28日1970年代ダッカ医科大学学生自治会選挙-ダッカ大学と同様,与党系学生組織は全滅し,BAL系,JSD系の学生組織が主導権をとった。
DIA-301-1979-10-01-1バングラデシュ1979年10月01日1970年代消費物資供給公社の活動強化-商相は消費物資供給公社(BCSC)の活動をThana段階にまで拡大,1980年には全国136のBCSCの販売店を200店にするとのべ,これにより消費物資の公正な配給と価格を維持し,商人が不当に利潤をあげないようにすると述べた。
DIA-301-1979-10-03-1バングラデシュ1979年10月03日1970年代農耕用役畜不足の恐れ-北西バングラでは旱魃による米作不振,ジュート価格の下落のため,生活に困った農民が農耕用役畜を売っており,次の耕作に影響が出てくる心配がある。ジュートは低品質もの多く,1モーンド40~75タカで売られている(昨年は130~150タカ)。農耕用牛の価格は売り手が多くて値下り,1頭400~1500タカ(昨年は1000~2500タカ)。土地が小農から富農へ売却されるケースも目立っている。
DIA-301-1979-10-06-1バングラデシュ1979年10月06日1970年代BNP中央執行委員会開催-ジア大統領主催のもとに開かれ,民主平和革命の内容についての検討がなされた。革命の内容には土地改革・行政改革も含まれるが,近い将来において経済・政治面での急進的変革には手をつける予定はなく,漸進的改革の方向を示したと伝えられる。
DIA-301-1979-10-07-1バングラデシュ1979年10月07日1970年代BNP国会議員23人,急進的改革要求-BNP国会議員23人,党中央委5人は共同声明を発表,ジア大統領の呼びかけている平和的革命を実現するために革命評議会を設立し,国家機構,社会秩序の抜本的改革を行なうよう主張した。声明要旨は次の通り。「わが国はいま危機に直面している。にも拘らず食糧配給に不正が頻発し,官僚の汚職,ネポティズム,銀行貸付の身内びいき,盗み,強盗,殺人などが目をおおうばかりにはびこり,社会を破滅させようとしている。これらのことをなくすためには,社会のあらゆる段階での民主主義,汚職放追,土地所有制・教育制・行政機構・生産・分配機構の抜本的改革を必要としている」。
DIA-301-1979-10-08-1バングラデシュ1979年10月08日1970年代ジュート輸出状況-1979年7~9月の3カ月のジュート輸出は32.2万ベール,前年同期比82%の増加である。今年度輸出目標は250万ベール。
DIA-301-1979-10-08-2バングラデシュ1979年10月08日1970年代ダッカの米・砂糖配給量増加-米は1人1週間1.5シーアから2シーアへ,砂糖は3chhatakから6chhatakへ増加。
DIA-301-1979-10-09-1バングラデシュ1979年10月09日1970年代ESCAP主催農業開発委員会,ダッカで開催-開会式でイスラム農相は地域食糧保障制度確立の必要を訴えた。委員会は15日まで続けられた。
DIA-301-1979-10-09-2バングラデシュ1979年10月09日1970年代カナダ,小麦16.5万トン贈与(1979/80年度)。
DIA-301-1979-10-11-1バングラデシュ1979年10月11日1970年代食糧200万トン輸入-食糧相は旱魃による食糧不足を補うため200万トンの輸入手当を行ない,160万トンがすでに輸入されているとのべた。また食糧輸送は最優先され,不足地に送られているとのべた。
DIA-301-1979-10-11-2バングラデシュ1979年10月11日1970年代BML分裂-バングラデシュ回教徒連盟BMLが分裂,反主流派はShamsul Hudaを委員長に,新政党バングラデシュ人民回教徒連盟BPMLを設立した。
DIA-301-1979-10-12-1バングラデシュ1979年10月12日1970年代シレット県で閣僚会議-ジア大統領の指示により,地方の問題への理解を深めるため,閣僚会議を地方都市で開くことになり,その最初の会議がシレット県で開かれた。閣議は空席となっている小学校教師5000人を採用すること,小学校教師の50%を女性にすることなどを決めた。
DIA-301-1979-10-12-2バングラデシュ1979年10月12日1970年代印バ貿易の覚え書き調印-両国貿易拡大のための覚え書きで,インド商務省N.Daval局長とバングラ商務次官補が調印。年次貿易協定はデリーで協議される。
DIA-301-1979-10-14-1バングラデシュ1979年10月14日1970年代餓死の事実はない-サッタル副大統領はBNP集会で演説,ラングプールで食糧不足のため餓死者が出たとの一部新聞報道を事実無根と否定した。
DIA-301-1979-10-15-1バングラデシュ1979年10月15日1970年代ジャーナリスト,出版の自由を要求-ダッカのジャーナリスト同盟(DUJ)は15日を「要求の日」とし,表現・出版の自由,賃金引上げ,経営合理化などを要求して2時間のストを行った。
DIA-301-1979-10-18-1バングラデシュ1979年10月18日1970年代ジア大統領,「民主平和革命」のための12委員会設立を発表-BNP党内に設立されるもので,革命の具体的内容を検討して勧告する。委員会は,①農業改革,②教育改革,③婦人問題,④青年対策,⑤行政改革,⑥文化振興,⑦鉱物資源開発,⑧労働改革,⑨物価安定,⑩汚職追放,⑪家内工業振興,⑫農村開発等について検討する。
DIA-301-1979-10-21-1バングラデシュ1979年10月21日1970年代1979年7~8月の生計費指数,月間3%上昇-統計局発表によるもので,この傾向がつづくとインフレ率は年間36%となる。ダッカ中産階級の生計費指数(1969/70=100)は,1979年6月が522.9,7月が539.3,8月が558.2と上昇している。
DIA-301-1979-10-22-1バングラデシュ1979年10月22日1970年代海軍総参謀長,更迭-M.H.カーン海軍少将の退官に伴い,Mahboob Ali Khan代将が海軍総参謀長代理に任命された(11月4日発令)。
DIA-301-1979-10-23-1バングラデシュ1979年10月23日1970年代汚職件数増加-Bureau of Anti-Corruptionの報告によれば,汚職件数が年々増加傾向にある。Bureauが摘発した汚職は1977年が965件,1978年が1046件,1979年は8月までで911件に達している。
DIA-301-1979-10-29-1バングラデシュ1979年10月29日1970年代ジア大統領,食糧危機は回避したと発表-ダッカBNP集会で演説,旱魃により300万トンの食糧不足となったが,政府の緊急食糧輸入と迅速な輸送によって,食糧危機を回避することができ,必需品の価格も下落傾向にある,と述べた。またBNPが全国68000の村で党組織を確立したとのべ,経済発展と貧しい人々の生活向上のため,BNPの革命を成功させようと訴えた。
DIA-301-1979-10-29-2バングラデシュ1979年10月29日1970年代栄養調査-ダッカ大学栄養食品化学研究所の調査によれば,調査家計の59%が必要カロリーを摂取しておらず,蛋白質も不足している。また5~11歳の子供の78%は栄養不足で,うち12%は重度の栄養失調,62%は中度の栄養失調となっている。
DIA-301-1979-11-05-1バングラデシュ1979年11月05日1970年代ジア大統領,スリランカ訪問(~7日)-ジャヤワルデネ・スリランカ大統領の招請により3日間の公式訪問を行ない,2回の首脳会談をもって,共同声明を発表した(7日),また①経済,技術協力協定(5カ年),②船舶運航協定に調印した。両国関係をさらに発展させるため,定期的外相会議をもつこと,貿易促進の合同委員会を設立することに合意した(7日)。
DIA-301-1979-11-05-2バングラデシュ1979年11月05日1970年代米・小麦の供出目標は50万トン以上と決定。
DIA-301-1979-11-05-3バングラデシュ1979年11月05日1970年代工業相,外国民間投資の条件について発言-ダッカ商工会議所で演説,外国民間投資は,高度な技術,高度な経営手腕,国際市場を必要とする工業分野に限って歓迎するが,簡単な製造プロセスのもので現地企業が生産可能な分野への外国民間投資は認めない,と述べた。
DIA-301-1979-11-05-4バングラデシュ1979年11月05日1970年代ダッカ商工会議所,政府に要望-政府に対して次の点を要求した。①過去の公的債務の帳消し,②国有化企業への補償金支払い,③通貨為替レート変動に伴う問題解決,④電力料金,関税,銀行ローン利子率等の引下げ,⑤新企業設立手続き簡素化,⑥国内産業保護。
DIA-301-1979-11-05-5バングラデシュ1979年11月05日1970年代印バ国境警備隊,交戦-バングラ政府の公式発表によれば,ノアカリ県Muhurir Char国境地区でインドの国境警備隊BSFとBDRとが交戦した。交戦の原因はインド農民がバングラ領20エーカーの土地に侵入して刈取りを行ない,BSFも農民と共に国境内に侵入したため,としている。インド側はこれに反論インド領内でインド農民が作付けた作物を刈取っていたとき,BDRが発砲してきたためBSFも応戦した,としている。
DIA-301-1979-11-06-1バングラデシュ1979年11月06日1970年代エルシャッド陸軍総参謀長,中将に昇格-ジア将軍(少将)より上位につく初めての将軍。
DIA-301-1979-11-06-2バングラデシュ1979年11月06日1970年代日本と3つの覚え書き調印-総額2.85億タカ(38億円)の無償供与で,④食糧生産増加のため浅井戸・揚水ポンプ,肥料など1.725億タカ(23億円),②道路交通公社(BRTC)の中央車両修理工場設立,7500万タカ(10億円),③初・中等教育の学校建物用C.I.Sheet供与,3750万タカ(5億円)の3つ。
DIA-301-1979-11-06-3バングラデシュ1979年11月06日1970年代バ政府,インドに強く抗議-両国国境警備隊の発砲事件に関し,原因はインド農民がその国境警備隊BSFの支援のもとにバングラ領に不法侵入して作物の刈取りを行なっていることにある,として強く抗議した。
DIA-301-1979-11-09-1バングラデシュ1979年11月09日1970年代クルナで閣僚会議-クルナに医科大学・工科大学新設,チャルナに第2の石油精製工場設立,魚・エビ養殖プロジェクト実施を決定。
DIA-301-1979-11-09-2バングラデシュ1979年11月09日1970年代日本と第7次円クレの覚え書き調印-総額165億円(12.4億タカ)で,第6次円クレより10億円多い。内容はアンタイドの商品援助で,工業用原材料,機械,部品等の輸入。利子率1.25%,10年据置30年返済,グラントエレメント80%。
DIA-301-1979-11-11-1バングラデシュ1979年11月11日1970年代米・麦の政府買上げ価格,再引上げ-モミ米は1モーンド110タカ(旧100タカ),精米は170タカ(158タカ),小麦は110タカ(90タカ)(いずれも輸送料5タカを含む)に引上げる。7月2日以来2度目の引上げ。
DIA-301-1979-11-11-2バングラデシュ1979年11月11日1970年代1979/80年度石油輸入量-原油220万トンを輸入する予定で,うち140万トンは国内で精製し,80万トンはシンガポールのシェル精油所で精製してから輸入する。輸入先はサウジアラビアから120万トン,残り100万トンはアブダビ・イラク。
DIA-301-1979-11-11-3バングラデシュ1979年11月11日1970年代行政職の再編-行政職はBangladesh Civil Service(BCS)と呼ばれ,14の職種に分けられる。即ち,一般行政,農業,教育,経済・貿易,工業,財務,外交,保健家族計画,情報,裁判,郵政,Enforcement,Secretariat,鉄道。
DIA-301-1979-11-11-4バングラデシュ1979年11月11日1970年代私立中・小・高校教師スト-全国8900の中学校,2500 Madrasha(私立小学校),551の高校の教師が賃金引上げ要求で2日間のスト。
DIA-301-1979-11-12-1バングラデシュ1979年11月12日1970年代石油製品売渡価格再引上げ-輸入原油価格上昇により,今年4月に引上げられた石油製品価格が再び19%~45%引上げられた。ダッカのガソリン・スタンドでの売渡価格は,ハイ・オクタンでガロン当り39.8タカ,レギュラーで同37.47タカ,ディーゼルで同14.18タカ。
DIA-301-1979-11-12-2バングラデシュ1979年11月12日1970年代中央銀行,金融規制強化を検討-銀行貸付金の増加と過剰流動性によるインフレ圧力を和げるため,1980年より金融規制を強化するべく検討中。これは金融引締ではなく,貸付条件の厳守と過剰流動性を銀行が吸収する方策による。
DIA-301-1979-11-13-1バングラデシュ1979年11月13日1970年代シャムスル・ホク外相,訪中(~22日)。
DIA-301-1979-11-14-1バングラデシュ1979年11月14日1970年代外務省,インド大使に再び抗議-Muhurir河国境地帯での国境警備隊間の発砲事件がつづいていることから,キブリア外務次官がDubeyインド大使を呼んで再び強く抗議した。
DIA-301-1979-11-14-2バングラデシュ1979年11月14日1970年代共産党内部対立-ソ連派共産党CPBはBAL(マレク派)との共闘をめぐって内部対立,書記長Farhad派はBAL(マレク)との共同戦線に批判的で,それに対しAhmed Manik書記派が反対している。
DIA-301-1979-11-18-1バングラデシュ1979年11月18日1970年代ジア大統領,食糧生産倍増計画への協力を呼びかけ-全国放送を通じて行なわれたもので,その要旨は以下の通り。①国会選挙と民政復帰,旱魃による食糧危機の回避などにより,わが国の評価は高まっている。しかし失業,貧困その他多くの問題は残り,われわれは自らの力で解決しなければならない。②今日われわれは,革命の必要性に直面している。革命は国の統一・主権を守りつつ民主的・平和的に行なわれるもので,その目的はできるだけ早く人々の生活を豊かにすることである。そのためには,何よりも先ず農業開発の仕事から始めねばならぬ。われわれの革命の第一歩は,食糧生産を増倍させることにおかれる。③生産倍増のためには全国に灌漑網をめぐらし,年間を通じて土地を利用する必要がある。そのためわれわれは新らしい水路を掘り,埋められた河,浅くなった水路を深くしなければならない。この仕事は自力更生の精神で国民が労働力を奉仕して為されるべきである。河に結びつく主水路はできるだけ旱く,必要なだけ深く,広くなければならぬ。主水路から末端の農地に至るまでの導水路も同時に完成しなければならない,それにより年三毛作としよう。④われわれはこうした事業に必要な資金を十分
DIA-301-1979-11-19-1バングラデシュ1979年11月19日1970年代インドネシア・スハルト大統領,訪バ(~21日)-スハルト大統領夫妻と随員55人が特別機で訪バ,ジア大統領と公式会談後共同コミュニケを発表(21日),教育・文化協力協定,技術協力協定に調印した。
DIA-301-1979-11-19-2バングラデシュ1979年11月19日1970年代ホク外相,北京で華国鋒主席と会見。またこの日,バ・中教育・文化・科学技術・情報・スポーツ交流に関する協定に調印し,バ中長期貿易協定(5年)締結についての覚え書きを交換した。これは1980年に両国代表の交渉によって締結する旨確認したもの。
DIA-301-1979-11-23-1バングラデシュ1979年11月23日1970年代メッカのカーバ神殿占拠事件に抗議して,イスラム系団体,学生組織などが各地で集会・デモを行ない,ダッカではアメリカ大使館にデモ隊が押しかけた。
DIA-301-1979-11-27-1バングラデシュ1979年11月27日1970年代非常事態宣言,撤廃-ジア大統領は1974年12月28日以来の非常事態宣言を撤廃,これに伴って,Emergency Power Act 1975,Emergency Power Rule 1975が撤廃された。これにより国民の基本的権利が完全に回復したことになる。
DIA-301-1979-12-01-1バングラデシュ1979年12月01日1970年代全国用水路建設キャンペーン開始-ジア大統領の呼びかけにより,革命の第一段階として食糧生産倍増を実現するため,全国用水路建設キャンペーンが始められた。全国で110の用水路が新設・改修されることになっている。初日のきょう,ジア大統領はマニクガンジの用水路建設現場を訪れ,自らも参加した。
DIA-301-1979-12-11-1バングラデシュ1979年12月11日1970年代野党,国会の早期開催要求-野党の国会議員メンバーは政府に対して国会の早期開催を行ない,物価・食糧政策について討議するよう要求した。
DIA-301-1979-12-11-2バングラデシュ1979年12月11日1970年代民間バス会社,バス運行を停止-民間バス会社は政府がバス料金値上げを認めないことに抗議して,バス運行を停止した。
DIA-301-1979-12-12-1バングラデシュ1979年12月12日1970年代日本,バングラに米5万トン供与-すでに供与した15万トンに追加されるもので,トン当り298ドル,10年据置30年返済,利子率2~3%。
DIA-301-1979-12-12-2バングラデシュ1979年12月12日1970年代バ・日本航空協定についての話し合いが始められた。その結果,日航・バングラ航空は1980年4月より相互乗り入れをすることに合意された(週1便)。
DIA-301-1979-12-14-1バングラデシュ1979年12月14日1970年代印バ国境会談開く-バングラから内務次官を代表団長とする一行7人が訪印,国境で発砲事件が頻発しているMuhurir Char地域の問題について協議した(~5日)。
DIA-301-1979-12-15-1バングラデシュ1979年12月15日1970年代非常事態宣言に基づく法で逮捕されていたもの81人が釈放された。
DIA-301-1979-12-15-2バングラデシュ1979年12月15日1970年代第7回戦勝記念日で263人が特赦。
DIA-301-1979-12-15-3バングラデシュ1979年12月15日1970年代独立戦争のゲリラ兵士(Freedom Fighter)で独立後犯罪を犯し拘禁中のものなど310人に対し,戦争中の貢献に鑑み,特赦が与えられた。
DIA-301-1979-12-20-1バングラデシュ1979年12月20日1970年代全国県知事会議開く-ジア大統領が召集したもので,各地の用水路事業の進展状況を検討した。
DIA-301-1979-12-20-2バングラデシュ1979年12月20日1970年代イスラム開発銀行IBD,2000万ドル供与-バングラの原油購入費用に使用される資金で無利子借款。
DIA-301-1979-12-22-1バングラデシュ1979年12月22日1970年代アダムジー・ジュート工場スト-労働者は賃上げを含む10項目要求を掲げてストに入った。
DIA-301-1979-12-26-1バングラデシュ1979年12月26日1970年代大統領,国会を1980年1月31日に召集。
DIA-301-1979-12-26-2バングラデシュ1979年12月26日1970年代与党BNPの県委員長・書記長会議開催-ジア大統領・党総裁が演説,「BNP指導者の責任は大きく,指導者の誤った発言・行動は党内外に混乱をもたらす。党内にもう一つの党をつくることは許されない。今後は何人も,党の適切な許可なしに,党を代表して声明を発表したり,インタビューに答えてはならない」とのべ,党内の綱紀粛正を主張した。
DIA-301-1979-12-28-1バングラデシュ1979年12月28日1970年代ダッカ新空港,開港-ダッカ北方11マイルの新クルミトラ空港が予定より早く開港した。新空港の滑走路は10,500フィート,総工費10.5億タカで,イスラム開発銀行,OPEC,フランス政府の資金協力を得ている。新空港は1980年3月から完全操業に入る予定。
DIA-301-1979-12-30-1バングラデシュ1979年12月30日1970年代ビルマ難民の帰国作業完了-内相は記者会見の席上,「12月30日に1293人が帰国したのを最後に,18万7197人のビルマ難民は,帰国開始以来16カ月かかって,すべて帰国し,13の難民キャンプも閉鎖した」と述べた。
DIA-301-1979-12-30-2バングラデシュ1979年12月30日1970年代ブータン,初代大使任命-駐バ大使はDago Tshering氏で,前国連代表部首席代表。
DIA-301-1979-12-31-1バングラデシュ1979年12月31日1970年代外務省スポークスマン,アフガン問題で声明-「バングラ政府はアジアの非同盟国であり,われわれと深い友好関係にあるアフガニスタンの最近の事態に強い関心をもっている。アフガンに外国軍隊が存在し,彼らが国内の政治に直接的に係っていることは,この地域の平和と安定に重大な脅威であり,国連憲章・非同盟の原則に反するものであって,アフガンからすべての外国軍隊が直ちに撤退するよう要求するものである」。