ID 国名 日付 年代 内容
DIA-301-1980-01-02-1バングラデシュ1980年01月02日1980年代中央銀行,1978/79年次報告書発表―農業生産の不振によりGDP成長率は目標55%のところ4%であった。物価上昇が激しく,生計費指数はダッカ中産階層で14.3%上っている。特に米価の値上りが目立ち,下級米で53%も高くなった。マネーサプライ(M_1)は21%増え,銀行の貸付残高は27.4%増えている。全般的に生産活動は停滞,金融,財政面で資金が過剰となり,インフレの危険が出て来た。輸出収入は目標を超過達成して91.7億タカ,外国援助収入も前年度比27%増の10.14億ドルとなって国際収支は若干の黒字。
DIA-301-1980-01-02-2バングラデシュ1980年01月02日1980年代M.アーメド副首相,解任―アーメド副首相・電力治水相は大統領により解任された。記者会見でアーメド氏は「BNP党綱領の非民主的内容を是正し,党の民主化のために今後も一党員として自己の役割を果す。ジア大統領・党総裁の指導の下で党民主化は可能だ」とのべた。解任の理由は発表されていない。
DIA-301-1980-01-02-3バングラデシュ1980年01月02日1980年代政府,長距離バス運賃7~10%引上げ。
DIA-301-1980-01-03-1バングラデシュ1980年01月03日1980年代バ共産党,ソ連のアフガン侵攻を支持―バ共産党CPBは声明を発表,ソ連のアフガン出兵は両国の友好条約に基づき,アフガン政府の要請によってなされたものである,とのべた。
DIA-301-1980-01-03-2バングラデシュ1980年01月03日1980年代野党8政党,合同でソ連抗議デモ―イスラム系野党8政党は合同で集会を開き,その後ソ連のアフガン侵略に反対する抗議デモを行なった。
DIA-301-1980-01-04-1バングラデシュ1980年01月04日1980年代国会野党・無所属議員,24項目要求提出―政府が国会を軽視していることに抗議して,野党・無所属議員は24項目からなる統一要求を提出,政府が受入れなければ国会審議ボイコットもありうると発表した。要求は①国会の権限に関する要求,②政治・経済要求,③議員特権に関する要求の3分野に分かれている。
DIA-301-1980-01-07-1バングラデシュ1980年01月07日1980年代BAL(Malek派),M.R.Siddiqui除名―前駐米大使M.R.Siddiquiは帰国後BALに加入していたが,党規約に反する行動を理由に除名された。他に同調者2人除名。
DIA-301-1980-01-08-1バングラデシュ1980年01月08日1980年代BNP中央執行委,ソ連軍のアフガンからの即時撤退を要求。
DIA-301-1980-01-08-2バングラデシュ1980年01月08日1980年代国家経済評議会NEC,年次開発支出を増額―1979/80年度開発支出計画207億タカを221.3億タカに増額したもの。
DIA-301-1980-01-10-1バングラデシュ1980年01月10日1980年代BAL(Malek),アフガン問題でソ連擁護―アフガン問題で沈黙を守って来たBAL(Malek)のマレク委員長は「我々はあらゆる侵略に反対だが,ソ連軍のアフガン駐留が侵略だという,いかなる理由もみつけられない」とのべ,ソ連擁護の立場を明らかにした。
DIA-301-1980-01-12-1バングラデシュ1980年01月12日1980年代マイメンシン農科大学で内ゲバ,4人死亡―政府系学生組織とBAL系学生組織の内ゲバで双方から4人の死者を出し,6人負傷,13人逮捕。大学は無期休校となり,寮も閉鎖された。市内には集会禁止令。
DIA-301-1980-01-12-2バングラデシュ1980年01月12日1980年代冬期米・麦供出価格発表―モミ米は1モーンド110タカ,精米は170タカ,小麦は110タカ(いずれも輸送費5タカを含む)。
DIA-301-1980-01-13-1バングラデシュ1980年01月13日1980年代国産農機具展示会。展示品は農耕機械・灌漑設備など29品目。ジア大統領,その普及を指示。
DIA-301-1980-01-13-2バングラデシュ1980年01月13日1980年代ダッカ大学でマイメンシン大学事件抗議集会・デモが行なわれた。
DIA-301-1980-01-13-3バングラデシュ1980年01月13日1980年代バ共産党,アフガン型革命を主張―CPBファルハッド書記長はダッカでの集会で「我々はアフガニスタン革命を支持し,わが国でもアフガン型革命を行なう必要がある」とのべた。
DIA-301-1980-01-19-1バングラデシュ1980年01月19日1980年代JSD,大衆行動最少限プログラム発表―すべての進歩的・民主的勢力が統一行動を起すための最少限綱領で25項目よりなる。
DIA-301-1980-01-21-1バングラデシュ1980年01月21日1980年代ジア大統領,訪印(~23日)―ジア大統領はレディ印大統領の招きでUNIDO会議1日前にガンジー政権樹立後初の政府代表として訪印した。ジア・ガンジー両首脳は21・22日に2度会議している。会談は「卒直で温かい雰囲気」の中で行われた(バ政府発表)。ジア大統領は22日,UNIDO-Ⅲの総会でSpecial Guestとして演説した。
DIA-301-1980-01-23-1バングラデシュ1980年01月23日1980年代大統領,冬期国会を2月9日に召集。
DIA-301-1980-01-24-1バングラデシュ1980年01月24日1980年代日本と2つの覚え書きに調印―総額6.38億円(4280万タカ)で,①漁船の機械化のためのエンジン・部品・漁網など6億円,②視聴覚機材など3800万円。
DIA-301-1980-01-26-1バングラデシュ1980年01月26日1980年代日本と商品援助協定―肥料・機械など165億円(11.65億タカ)の商品援助供与(基金ベース)。
DIA-301-1980-01-26-2バングラデシュ1980年01月26日1980年代BNP全国評議会開催(~27日)―ジア大統領・党総裁が演説,民主的革命の目的である食糧生産の倍増,農業改革,教育改革,社会,行政改革のために,党組織を強化しようと呼びかけた。
DIA-301-1980-01-31-1バングラデシュ1980年01月31日1980年代Rajshahi刑務所で受刑者3人死亡―受刑者と警備員とが衝突,発砲で3人死亡,36人負傷。1人の受刑者を他の刑務所に移送することに反対する暴動。
DIA-301-1980-02-02-1バングラデシュ1980年02月02日1980年代Aus米増産計画―政府は1980/81年度Intensive Aus Production Programme(IAPP)を発表した。Aus米作付面積を820万エーカー,うち510万エーカーをIAPP地域として農業資金3億4880万タカ貸付け,肥料43万トンを供与する。生産目標は364万トン,うち258万トンをIAPP地域で生産する。
DIA-301-1980-02-02-2バングラデシュ1980年02月02日1980年代BAL(Malek),22項目要求を発表―1972年憲法への復帰,国会権限の拡大,故ムジブル・ラーマンの第2革命の実施,現政権の退陣などを含み,これら要求を中心に他政党と統一戦線を組んで闘う。
DIA-301-1980-02-03-1バングラデシュ1980年02月03日1980年代1930年の食糧援助90万トン―Mahtab計画相は1月28~30日パリで開かれた食糧問題に関する対バ援助国特別会議に出席して帰国,ダッカ空港で食糧援助90万トンが約束されたとのべた。うち40万トンは米のPL-480,タイトルⅢ,残りはオランダ,西独,加,EEC,WFPなどから供与される。バングラ政府は1979/80年度食糧不足量を220万トンと推計している。
DIA-301-1980-02-04-1バングラデシュ1980年02月04日1980年代10政党が統一行動に合意―野党10政党はRajshahi刑務所事件に抗議し,民主化要求および国会野党の24項目要求を実現するため,冬期国会開会日の2月9日に半日ストを行なうことを決めた。10政党はBAL(Malek),JSD,BAL(Mizan),NAP(M),CPB,BDM,NAP(Haroon),JEP,KSSD,GAL(Tarkanbagish)。
DIA-301-1980-02-04-2バングラデシュ1980年02月04日1980年代Ganatantrik Front(5政党の民主戦線)も10政党統一行動に合せて半日ストを行なうと発表した。
DIA-301-1980-02-04-3バングラデシュ1980年02月04日1980年代Aziz首相,野党に話し合い呼びかけ。
DIA-301-1980-02-09-1バングラデシュ1980年02月09日1980年代冬期国会開会―前回の予算国会から223日ぶりに冬期国会が開会され,ジア大統領が演説した。ジア大統領は民主的平和革命の第1段階として全国灌漑網建設計画を実施してきたことに触れ,第2段階は文盲の追放をとりあげ,これを2月21日より始めるとのべた。第3段階としては人口・家族計画の普及を取り上げる予定。
DIA-301-1980-02-09-2バングラデシュ1980年02月09日1980年代野党呼びかけの半日スト,荒れる―10政党連合,民主戦線,学生・労働者組織が参加した半日ストは各地で警察と衝突,死者2人,35人負傷,30人逮捕。公営バス64台が破損,数台は放火された。
DIA-301-1980-02-09-3バングラデシュ1980年02月09日1980年代Aziz首相,半日スト批判―ストは国会活動を妨げ,民主的プロセスを破壊するためのものであり,テロ活動と暴力をふるうためのものである,として批判。
DIA-301-1980-02-09-4バングラデシュ1980年02月09日1980年代野党・無所属議員,冬期国会ボイコットを決議。総数74人が欠席する。
DIA-301-1980-02-10-1バングラデシュ1980年02月10日1980年代10政党連合,葬式デモ―9日の半日ストで殺された4人(政府発表2人)の葬式デモを行なった。
DIA-301-1980-02-11-1バングラデシュ1980年02月11日1980年代BNP,BAKSAL支持者批判集会―BNPダッカ支部主催で,BAKSAL支持者(故ムジブル・ラーマン提唱の単一国民政党を支持する野党グループでBAL(Malek),NAP(M),CPBなど)批判集会が開かれ,Aziz首相ら閣僚が参加した。
DIA-301-1980-02-11-2バングラデシュ1980年02月11日1980年代民主戦線,沈黙デモ―半日ストへの政府弾圧に抗議するデモ。集会ではToaha戦線委員長が演説,BAKSAL支持者及びNeo-BAKSAL支持者(ジア政府を指す)に対して激しい批判を加えた。
DIA-301-1980-02-11-3バングラデシュ1980年02月11日1980年代印バ合同河川委専門家会議開催(~16日)―インドからK.V.Rao団長ら8人の代表団が訪バ,Teesta河川水の配分問題およびネパールへのアプローチの方法について検討した。しかし結論に達せずに終了した。
DIA-301-1980-02-12-1バングラデシュ1980年02月12日1980年代ゴンザルベス・インド外務次官,訪バ(~14日)―キブリア外務次官と3日間に5回会談,アフガン問題を中心とする南西アジア情勢,印バ両国関係について意見を交換した。両外務次官はともに会談後満足の意を表明(14日),両国関係進展のためにいくつかの決定がなされたことを明らかにした。
DIA-301-1980-02-12-2バングラデシュ1980年02月12日1980年代バ・日,航空協定に調印。
DIA-301-1980-02-19-1バングラデシュ1980年02月19日1980年代20ヵ年長期展望計画の目標―Mahtab計画相は国会討議の中で20ヵ年長期展望計画(1980~2000)の目標を以下のようにのべた。①饉餓と貧困からの解放,②生活維持に十分な賃金と雇用機会供与,③富の平等な配分と機会均等の方策,④自力更生経済体制,⑤地方分権により開発計画に国民の参加,⑥公共・民間部門の均衡のとれた発展。
DIA-301-1980-02-21-1バングラデシュ1980年02月21日1980年代文盲追放全国運動開始―ジア大統領は革命第2段階として,1985年までに文盲をなくす全国運動を,1952年言語運動犠牲者の日のきょうから始めると発表した。各地で奉仕活動による成人学校が開かれ,簡単な読み・書き・計算を教える。
DIA-301-1980-02-21-2バングラデシュ1980年02月21日1980年代政府職員の交通・医療手当引上げ―交通費は月10タカを20タカに,医療手当は月30タカを40タカへ引上げ。
DIA-301-1980-02-21-3バングラデシュ1980年02月21日1980年代野党議員統一行動,分裂―野党議員のうちBML,IDL,Gono Front,無所属議員が国会審議参加を決めたことから,全野党議員統一行動は分裂した。
DIA-301-1980-02-27-1バングラデシュ1980年02月27日1980年代第18回印バ合同河川委,デリーで開催―バングラ代表はAnwarul Haque電力・治水相を団長とする10人,インド代表はG.K.Chowdhnryエネルギー・灌漑相が団長。会議は29日まで行なわれたが,合意に達せず中断。
DIA-301-1980-02-29-1バングラデシュ1980年02月29日1980年代イラク,5200万ドル援助―サッタル副大統領がイラクを訪問して約束されたもので,3000万ドルはプロジェクト援助,2000万ドルは国際収支援助,204.6万ドルは石油購入についての価格支持。
DIA-301-1980-03-01-1バングラデシュ1980年03月01日1980年代新労働法発表―政府は健全な労使関係の樹立と民主的労働組合活動育成のため,スト権・ロックアウト権の承認,団体交渉による賃金の決定,賃金・手当額を勧告する賃金委員会の設立,賃金問題解決のための常設閣僚委員会の設置などを含む新労働法を発表した。
DIA-301-1980-03-01-2バングラデシュ1980年03月01日1980年代中国と5ヵ年の貿易協定に調印―バ・中両国は1980~85年に片道2.5億ドルに及ぶ長期貿易協定に調印した。またこの長期協定の枠内で1980/81年度貿易協定3100万ドルにも調印した。バングラの輸出品はジュート・同製品,タバコ,新聞用紙,加工チーク材,レーヨン,肥料などで,輸入品は石炭,セメント,銑鉄,染料,機械等。バ代表のラーマン商相は,今年度バーター貿易目標は3100万ドルとされているが,それ以外の現金取引,WES輸入を入れると7500万ドル程度になろうとのべている。中国代表団長はWang Rung-sheng―外国貿易部副部長。
DIA-301-1980-03-01-3バングラデシュ1980年03月01日1980年代中バ技術協力協定により,繊維機械供与―中バ両国は,1977年1月調印の協定にもとづき,中国がSatkhiraの綿工場(25,000spindle,260loom)に繊維機械を供与する覚書きに調印した。
DIA-301-1980-03-03-1バングラデシュ1980年03月03日1980年代インド,ファラッカ協定期間延長に反対―インドは1977年調印のファラッカ協定期間の延長をバングラが求めたのに対し,これを拒否した。但し,貯水池をつくることでネパールに接触することについては合意した。
DIA-301-1980-03-04-1バングラデシュ1980年03月04日1980年代ネパール国王夫妻,訪バ(~6日)―ビレンドラ国王夫妻は3日間の友好訪問のためビルマから訪バ,ジア大統領夫妻に迎えられた。ジア・ビレンドラ会談は2回行なわれ,とくにアフガン事件後の南アジア情勢と両国関係について話し合われた。
DIA-301-1980-03-04-2バングラデシュ1980年03月04日1980年代出稼労働者と送金―Bari副首相の発表によると,1976~1980年1月までの海外出稼労働者数は69,635人に達した。1978/79年度の海外からの送金は21.6億タカ。労働者の35%はBureau of Manpower,8%は民間仲介機関を通して海外に行き,残りは独自のルート。
DIA-301-1980-03-06-1バングラデシュ1980年03月06日1980年代外相,マーチン島基地化を否定―野党が政府はマーチン島(St.Martins)を外国基地に供与することを決めたと非難したのに反論したもの。
DIA-301-1980-03-06-2バングラデシュ1980年03月06日1980年代中国運輸副部長He Chong-sheng,訪バ(~15日)―バ中船舶運行協力を深めるためHe団長はじめ5人の代表団が訪バ。チッタゴン,チャルナ港を視察。
DIA-301-1980-03-10-1バングラデシュ1980年03月10日1980年代9ヵ国が9.045億タカの返済を帳消し―Huda蔵相が国会で発表したもので,主要国は西独6.6億タカ,オランダ8403万タカ,加5206万タカ,米4844万タカ。
DIA-301-1980-03-11-1バングラデシュ1980年03月11日1980年代内相,不法所持の銃供出を呼びかけ―3月19日までに政府に供出したものは処罰しないことにした。銃提出期限はその後29日まで延長され,小銃など411,弾薬10,238発などが供出された。
DIA-301-1980-03-14-1バングラデシュ1980年03月14日1980年代Special Power Act(Amendment)1980,国会通過―Arms Act,Explosive Substances Act違反者の裁判を早急に行なうための特別法廷設置を決めたもの。
DIA-301-1980-03-14-2バングラデシュ1980年03月14日1980年代ファリドプール補欠選挙でBAL(Malik)派当選。
DIA-301-1980-03-14-3バングラデシュ1980年03月14日1980年代下級公務員,無期スト突入―15項目の政治・経済要求を掲げてスト突入,政府は彼らの要求の多くは認められないとして強く反発,直ちに職場復帰を命じた。ストは30日に中止されている。
DIA-301-1980-03-15-1バングラデシュ1980年03月15日1980年代第2次5ヵ年計画の民間投資計画急増―J.アーメド工業相は財界の集りで演説,第2次計画では民間部門の役割に一層期待をかけているとのべ,工業部門開発の基本目標は,①食糧生産倍増に必要な農業資材の生産増加,②農作物加工業の発展,③国産原料を使う輸出指向工業の発展,④雇用を増加させ,外貨圧力を減らすため,労働集約的且つ輸入代替産業の発展,⑤生活必需品生産の増加,などにおくとのべた。
DIA-301-1980-03-17-1バングラデシュ1980年03月17日1980年代1979/80年度石油輸入額,急増―Hossain石油相は石油価格上昇により,石油輸入額は70.8億カタへ急増しようとのべた(1978/79年度は21.7億タカ)。
DIA-301-1980-03-17-2バングラデシュ1980年03月17日1980年代首相,スト中の下級公務員に職場復帰を指示。
DIA-301-1980-03-20-1バングラデシュ1980年03月20日1980年代日本,9000万タカ贈与の覚書きに調印―これは日本の対バ経済援助の利子分に当るもの。
DIA-301-1980-03-21-1バングラデシュ1980年03月21日1980年代外国民間投資(促進・保護)法1980,国会通過。
DIA-301-1980-03-23-1バングラデシュ1980年03月23日1980年代インド,ファラッカ協定を批判―インド・チョードリ灌漑相は国会で「1977年のファラッカ協定はJanata政府がインドの利益を無視して結んだもの」と批判した。
DIA-301-1980-03-24-1バングラデシュ1980年03月24日1980年代Khondakarら5政党指導者,釈放―ジア大統領は第10回独立記念日を記念して,政治犯などへの特赦を与え,5人の政党指導者の釈放を命じた。5人はKhondakar Mushtaque Ahmed元大統領・BDL委員長,M.A.Jalil JSD委員長,G.Mustafa BAL(Malek),Abdul Mannan BAL(Mizan),Ziauddin Ahmed JSD。また1975年8月15日のクーデター指導者の1人Faruk大佐(当時は少佐)は3月1日に釈放され,外国へ出たことも発表された。その他特赦で793人が釈放された。
DIA-301-1980-03-25-1バングラデシュ1980年03月25日1980年代第10回独立記念日。
DIA-301-1980-03-31-1バングラデシュ1980年03月31日1980年代JSD全国大会,役員改選して終了―委員長には25日釈放されたばかりのM.A.Jalil(退役少佐)が,書記長にはRabがそれぞれ再選された。これでJSDは1975年11月段階の体制に復帰したことになる。
DIA-301-1980-04-01-1バングラデシュ1980年04月01日1980年代バ共産党書記長ら9人逮捕―CPBは声明を発表,党書記長Farhad,党中央委5人が逮捕されたことに抗議し,直ちに釈放するよう要求した。野党9政党連合の指導者も共同声明で釈放を要求した。ジェソール市でも党支部書記ら3人が逮捕された。
DIA-301-1980-04-03-1バングラデシュ1980年04月03日1980年代バ,インドにベンガル湾の新島の合同調査を提案―Huq外相は国会で,ベンガル湾印バ国境近くに出来た新島2つについてインドに合同調査を提案しているが返事がないとのべた。新島はPurbashaとSouth Talpattiと呼んでおり,Purbasha島にはインドが無断で国旗をたてたと報じられている。
DIA-301-1980-04-04-1バングラデシュ1980年04月04日1980年代予算国会終る―56日間の会期中30法案が提出され,16法案が通過。当初野党・無所属議員全員がボイコットしていたが,途中で6政党,無所属議員が国会審議に加わり,ボイコットを貫いたのはBAL(Malek),JSD,BGA,BEPのみ。
DIA-301-1980-04-04-2バングラデシュ1980年04月04日1980年代下級公務員スト,3週間ぶりに中止。
DIA-301-1980-04-05-1バングラデシュ1980年04月05日1980年代ソ連からハイスピード・ディーゼル4万トン輸入契約に調印。
DIA-301-1980-04-07-1バングラデシュ1980年04月07日1980年代9政党統一行動,内部対立で混乱―野党の政党はダッカで統一集会を開こうとしたが,9政党連合の主要構成党であるBAL(Malek)とJSD支持者が対立,党の旗を破いたり,ムジブの写真を裂いたりしたことから武闘に発展,100人が負傷,うち7人が重態となった。集会は開かれたもののJSD,SKSD,BGAは集会に参加せず,統一行動は失敗に終った。JSDの事務所襲撃。
DIA-301-1980-04-09-1バングラデシュ1980年04月09日1980年代IDA,9900万ドル援助―①商品輸入援助5000万ドル,②揚水ポンプ計画2900万ドル,③第2次チッタゴン給水事業2000万ドルの3協定に調印。
DIA-301-1980-04-10-1バングラデシュ1980年04月10日1980年代BAL(Malek),JSD事務所襲撃を非離―7日のJSD事務所襲撃事件にBAL(Malek)は一切関与していないことを強調,これはファシストの行動であると非難した。
DIA-301-1980-04-10-2バングラデシュ1980年04月10日1980年代バ共産党の県レベル指導者6人逮捕。これで4月初め以来逮捕された党指導者は53人となった。
DIA-301-1980-04-11-1バングラデシュ1980年04月11日1980年代国家経済評議会NEC,クルナに第2の石油製精工場建設を認可。
DIA-301-1980-04-13-1バングラデシュ1980年04月13日1980年代チッタゴン輸出加工区の建設状況―ジャマルッディン工業相によれば,チッタゴンのパチンが輸出加工区の総面積は658エーカー,うち250エーカーは接収が終り,0.5エーカー区画にして,11月から希望者に貸付けられる予定。
DIA-301-1980-04-16-1バングラデシュ1980年04月16日1980年代政府,各村のSwanirvar Gram Sarkar設立を決める―5月1日から実施に移すことになった。
DIA-301-1980-04-17-1バングラデシュ1980年04月17日1980年代マクナマラ世銀総裁,訪バ(~21日)―ジア大統領と会見後Mahtab計画相,Huda蔵相と別個に会談,第2次5ヵ年計画の戦略,目標,優先順位および内外資金調達などについて討議した。バングラ側は年次開発計画への援助資金倍増,商品援助の増加を要請したのに対し,総裁は国内資金調達の状況と増加の方法を考えるよう提言した。
DIA-301-1980-04-17-2バングラデシュ1980年04月17日1980年代JSD,BAL(Malek)に暴力を排する要請―JSDのJalil委員長は集会で演説,BAL(Malek)が民主主義を信ずるならば暴力行為をやめて国民の信頼を得るよう要請した。
DIA-301-1980-04-18-1バングラデシュ1980年04月18日1980年代マクナマラ総裁,ジア大統領と会談―灌漑網建設計画・食糧生産倍増計画などについて討議,Patlikhalキャナル建設を視察した。
DIA-301-1980-04-19-1バングラデシュ1980年04月19日1980年代各村に協同組合銀行設置―地方自治・協組相は1981年12月までに各村に協同組合銀行を設置し,今年末までには各Thanaの中心に協同組合銀行を設置するとのべた。
DIA-301-1980-04-23-1バングラデシュ1980年04月23日1980年代各県に開発コーディネーター任命―政府は国会議員の中から20人を選んで県開発コーディネーターに任命した。待遇は国務大巨と同じとし,県段階における開発事業を促進する。
DIA-301-1980-04-23-2バングラデシュ1980年04月23日1980年代外交特使プールに53人を指名。国会議員の中から53人を選んでおき,外交特使として外国を訪問する人はこの中から送られることになる。
DIA-301-1980-04-24-1バングラデシュ1980年04月24日1980年代バ・ブルガリア,第7次バーター協定調印―片道1100万ドルで前期800万ドル比37.5%増加。
DIA-301-1980-04-24-2バングラデシュ1980年04月24日1980年代閣僚7人解任,1人辞任―ジア大統領は本人からの辞表をうけて7人の閣僚(大臣4人,国務大臣2人,副大臣1人)を解任した。また1人の辞表を受理した。大巨はHuda蔵相,Amina Rahman婦人問題相,A.R.Biswasジュート相,Ahdul Huq土地行政相。
DIA-301-1980-04-25-1バングラデシュ1980年04月25日1980年代内閣改造―7人の閣僚解任に伴い,内閣改造を行ない,各省大臣の担当を変更すると共に,国務相8人,副大巨4人を新規任命した。Huda前蔵相は経済担当大統領顧問に任命された(閣僚名簿は参考資料参照)。
DIA-301-1980-04-26-1バングラデシュ1980年04月26日1980年代第18回印バ合同河川委,再開―2月に開かれた合同河川委は結論が出ず中断され,それがニューデリーで再開された。バ代表はJamaluddin Ahmed副首相。27日再び中断された。
DIA-301-1980-04-26-2バングラデシュ1980年04月26日1980年代早川代議士,訪バ(~30日)―日本政府特使として訪バした早川代議士,日・バ友好協会会長は,ジア大統領,Huq外相らと会見,灌漑事業のために1200万ドルの援助供与を約束した。
DIA-301-1980-04-29-1バングラデシュ1980年04月29日1980年代JSDのRab書記長とSirajul Alam Khan,釈放。Rab氏は現在,治療のため西独に滞在中。
DIA-301-1980-05-01-1バングラデシュ1980年05月01日1980年代政府,配給食糧価格引上げ―米は1モーンド140タカ(前120タカ),小麦は110タカ(90タカ)。
DIA-301-1980-05-01-2バングラデシュ1980年05月01日1980年代下級公務員に月25タカの物価手当加算(配給価格引上げに伴う措置)。
DIA-301-1980-05-03-1バングラデシュ1980年05月03日1980年代199Thanaで文盲追放プログラム―このため25万人の教師がすでに訓練された。
DIA-301-1980-05-05-1バングラデシュ1980年05月05日1980年代ブータン友好使節団,訪バ。団長ツティ・ヨウンテン衛生局長以下3人で10日間滞在。
DIA-301-1980-05-05-2バングラデシュ1980年05月05日1980年代イラン学生50人,ダッカの米大使館前でデモ。
DIA-301-1980-05-07-1バングラデシュ1980年05月07日1980年代ジア大統領,チトー大統領葬儀に出席―ベオグラードに到着したジア大統領はこの日華国鋒主席と会談,8日にはブレジネフ書記長,サッチャー首相,大平首相,モンデール副大統領,金日成主席,ガンジー首相,ジアウル・ハク大統領と会見した。10日帰国。
DIA-301-1980-05-09-1バングラデシュ1980年05月09日1980年代BSL(ML)トーハ委員長,訪中―中国共産党の招きによりトーハ委員長ら12人が訪中,姫副首相らと会見した。
DIA-301-1980-05-10-1バングラデシュ1980年05月10日1980年代BML分裂―党指導権をめぐって対立,5人の役員が除名された。主流派はSabur委員長。反主流派はG.Pradhanを委員長に選出。
DIA-301-1980-05-14-1バングラデシュ1980年05月14日1980年代第2次5ヵ年計画1980~85年,草案発表―計画相は投資総額2559.5億タカの第2次5ヵ年計画草案を発表した。各界の討議に供し,修正を加えて7月1日より実施する(詳細は資料参照)。
DIA-301-1980-05-14-2バングラデシュ1980年05月14日1980年代輸出促進局・JETRO共催,バングラ展を東京で開催。
DIA-301-1980-05-15-1バングラデシュ1980年05月15日1980年代ジア大統領,南アジア首脳会議開催提唱―Huq外相は記者会見でジア大統領がインド,パキスタン,ネパール,スリランカ,ブータン,バングラ6ヵ国による南アジア首脳会議開催を提唱,すでに閣僚5人が5ヵ国を訪問して各国首脳に趣旨説明を行なっている,とのべた。
DIA-301-1980-05-15-2バングラデシュ1980年05月15日1980年代バングラ債権国会議,13億ドルの援助を約束―S.ラーマン蔵相が5月12~13日にパリで開かれた債権国会議から帰国記者会見して発表したもので,このうち7億ドルはプロジェクト,3.5億ドルは商品,2.5億ドルは食糧援助。バングラ政府の援助要請額は29億ドルであった。内訳はプロジェクト援助16億ドル,商品援助8.5億ドル,食糧援助4.56億ドル。
DIA-301-1980-05-16-1バングラデシュ1980年05月16日1980年代インド,バングラ政府に国境保全強化を要請―Satheインド外務次官は駐印バングラ大使を通し,バ政府が西ベンガル,メガラヤ,アッサム,トリプラ,ミゾラム等への不法移民をきびしく取締まるよう要請した。バ外務省スポークスマンは19日,バングラ人がインドに不法移民していることは全くないと反論した。但し国境をきびしく取締ることには協力すると約束。
DIA-301-1980-05-17-1バングラデシュ1980年05月17日1980年代JSDのRab書記長は療養先の西独より帰国。
DIA-301-1980-05-21-1バングラデシュ1980年05月21日1980年代ラングプール刑務所内で暴動,14人負傷。受刑者がハンストするか否かで2派に分かれ,衝突した。
DIA-301-1980-05-22-1バングラデシュ1980年05月22日1980年代予算国会開催―冬期国会をボイコットした野党も参加を表明。
DIA-301-1980-05-23-1バングラデシュ1980年05月23日1980年代BDLの大衆集会に爆破物投入され,7人死亡,100人負傷―ダッカで開かれたBDLの集会は,釈放された同党委員長Khondakar Mushtaque Ahmedが初めて演説するため,多くの支持者が集っていた。爆破物は集会開始直後,Ahmed委員長が演説する直前に2度に亘って投げ込まれ,Ahmed氏は難をのがれたが,取材中の新聞記者1人と支持者6人が死亡,記者9人を含む100人が負傷,うち10人は重態である(死者は9人まで増えた)。集会は再開され,Ahmed氏が演説,現政府をきびしく批判した。事件に対し政府,BNP,野党各党が非難声明を出している。Ahmed氏暗殺をねらったものと見られている。
DIA-301-1980-05-23-2バングラデシュ1980年05月23日1980年代チッタゴン丘陵地帯で反政府ゲリラ活動,強化―M.A.マンズール少将・第24師団長は最近チッタゴン丘陵地帯で反政府ゲリラ活動が強化され,パトロールの警官隊・BDRが襲撃をうける事件がときどき起っている,とのべた。
DIA-301-1980-05-25-1バングラデシュ1980年05月25日1980年代ジア大統領,フィリピン訪問(~27日)―歓迎夕食会でジア大統領は南アジアと東南アジアの協力による平和と安定を訴え,カンボジア・アフガンからの外国軍の撤退を要求した。26日ジア・マルコス会談がもたれ,同日両国間で貿易協定,文化協力協定に調印がなされた。27日には共同声明が発表された。
DIA-301-1980-05-26-1バングラデシュ1980年05月26日1980年代チッタゴンで学生デモが6映画館に火をつけて暴れ,各所で学生と警官が衝突した。
DIA-301-1980-05-28-1バングラデシュ1980年05月28日1980年代NECは紀元2000年の人口を1億人におさえるよう,人口・家族計画活動を強化することを決めた。第2次計画末の1984/85の人口増加率は現在の2.7%から1.78%に引下げる。
DIA-301-1980-05-28-2バングラデシュ1980年05月28日1980年代バングラ航空,東京へ乗り入れ第1便。
DIA-301-1980-05-30-1バングラデシュ1980年05月30日1980年代National Council for Export,設立―輸出促進を目的として,大統領を委員長とし,関係省大巨12人からなるNational Council for Exportが設立された。
DIA-301-1980-05-31-1バングラデシュ1980年05月31日1980年代カルカッタでバングラ航空事務所,襲撃―バ共産党書記長らの釈放を要求するカルカッタ全印学生連盟の学生約50人がバングラ航空事務所を襲撃,事務所に大きな損害を与えた。
DIA-301-1980-06-01-1バングラデシュ1980年06月01日1980年代バ政府,インド政府に抗議―カルカッタのバングラ航空事務所・領事館襲撃事件に関してなされたものでバングラ人の生命・財産保護を要求した。
DIA-301-1980-06-02-1バングラデシュ1980年06月02日1980年代民間投資手続,簡素化―国産原料を使い,機械等の資本財輸入はWES(Wage Earner’s Scheme)資金あるいはNon-repatriable Investmentとして企業自らが調達することを条件として,以下の10産業の設立には政府の認可を必要としない。①養鶏,②エビ・カエル加工,③製塩,④ジュート手工業,⑤砂・クレー加工,⑥飼料,⑦しいたけ栽培・加工,⑧スポーツ用品製造,⑨病・医院,⑩屠殺場副産物加工。
DIA-301-1980-06-07-1バングラデシュ1980年06月07日1980年代1980/81年度予算案,国会提出―サイフル蔵相が提出したもので,80/81年度経済成長率目標を7.6%とし,歳入は前年度予算比27%増,歳出は同18%増に抑えて国内資金調達に努力する姿勢を示した。80/81年度は第2次5ヵ年計画初年度に当たることから,年次開発計画支出は前年度計画比33%の大幅増を見込み,そのうち32%を国内資金で充当,外国援助依存は68%にしている。開発支出内容は農業部門を最優先して総支出額の31%を配分し,その年成長率を7.2%と見込んでいる(詳細は資料参照)。
DIA-301-1980-06-07-2バングラデシュ1980年06月07日1980年代1979/80年度経済事情,発表―大蔵省は79/80年度経済事情Economic Surveyを発表した。要旨以下の通り。 ①GDP成長率は6.1%,目標の7.3%に達しなかった。これは天候不順により農業部門が期待された成果をあげえなかったためで,同部門の成長率は目標6.9%のところ4.2%にとどまった。 ②1人当り所得は前年度比3.2%増加して745タカ(1972/73固定価格)となった。目標は4.8%であった。 ③工業部門は好調で,目標成長率8.4%を越える9.3%をマークした。建設部門,その他サービス部門はほぼ前年度並で,目標を達している。 ④1979/80年度米の生産は,Aus米が前年度比20%の減産,Aman米が横ばい,Boro米が14%増で,計1215万トンと推計され,生産目標を大幅に下回った。しかし小麦生産は120万トンと推計され,前年度の2.5倍にもなっている。 ⑤米の生産不振で緊急食糧輸入を行ない,1979年7月から1980年3月までの9ヵ月間に219.6万トンを輸入,79/80年度全体では291.8万トンに達する見込みである。前年度116.6万トンの2.5倍である。 ⑥工業部門は目標8.4%のところ9.3%に達する見込。前年度は8.7%であった。ジュート製品は6.2%,綿布は9.4%の増産と順調だったが,綿糸は2.6%にとどまった・
DIA-301-1980-06-09-1バングラデシュ1980年06月09日1980年代日本・バングラ,ダッカで第1回経済協力委員会合同会議開催(~10日)。
DIA-301-1980-06-13-1バングラデシュ1980年06月13日1980年代JSD指導者5人,釈放―いずれも1975年11月末に逮捕されたJSD武装組織指導者。
DIA-301-1980-06-14-1バングラデシュ1980年06月14日1980年代1980/81年度茶政策発表―生産目標は8600万ポンド(前年度実績比10%増),輸出目標は7000万ポンド(同20%増),外貨収入目標7億タカ。
DIA-301-1980-06-15-1バングラデシュ1980年06月15日1980年代ジア大統領,訪英(~19日)―エリザベス女王と会見,サッチャー首相と2回首脳会談を行なった。両国は外国投資促進保護協定に調印した(19日)。
DIA-301-1980-06-15-2バングラデシュ1980年06月15日1980年代OPEC,2100万ドル借款供与―バクラバード天然ガス給配プロジェクトへ支出。
DIA-301-1980-06-15-3バングラデシュ1980年06月15日1980年代IDB,2000万ドル借款供与―バ中央銀行へのキャッシュ・ローン。
DIA-301-1980-06-21-1バングラデシュ1980年06月21日1980年代Gram Sarkar法,国会通過―全国にGram Sarkar(村議会)を設置する法で,野党は反対。政府はGram Sarkarの任務として,①食糧自給,②文盲追放,③家族計画普及,④法と秩序の維持を期待している。
DIA-301-1980-06-23-1バングラデシュ1980年06月23日1980年代アジズ首相,クーデター未遂事件の噂否定―国会で,「6月17日にクーデター未遂事件」との噂を否定,軍駐屯地で軍規に違反するよう呼びかけた印刷物が流されたが,軍の反乱もクーデターの動きもない,とのべた。
DIA-301-1980-06-25-1バングラデシュ1980年06月25日1980年代バングラ航空,国内線運賃33%引上げ。
DIA-301-1980-06-30-1バングラデシュ1980年06月30日1980年代1980/81年度輸入政策発表―シディキ商務担当相は80/81年度輸入(食糧を除く商品輸入のみ)目標を260億タカ(前年度185億タカの40%増)とし,輸入制限をさらに緩和する輸入政策を発表した。
DIA-301-1980-06-30-2バングラデシュ1980年06月30日1980年代IDA,3協定に調印―①2500万ドルの肥料輸入,②1100万ドルのマングローブ植林,③4000万ドルの初等教育普及,などで総額7600万ドル。
DIA-301-1980-07-01-1バングラデシュ1980年07月01日1980年代第2次5ヵ年計画(1980~85),着工―GDPの年成長率7.2%,1人当り所得年成長率4.9%を目標とし,総投資額2559.5億タカ(約170億ドル)を見込む非常に意欲的な計画で,食糧の自給態勢確立を目ざしている。特徴は,農業関連部門への投資配分を32.8%と高めていること,民間部門に21%の投資を期待していること,外国援助依存度を54.2%に低下させていること,など(詳細は資料参照)。
DIA-301-1980-07-01-2バングラデシュ1980年07月01日1980年代1980/81年度輸出政策発表―輸出収入目標は150億タカで前年度目標より36.4%高い。ジュートは250万ベール,28.7億タカ,ジュート製品は64.8億タカ,これら2製品で64.3%,残りは皮革製品,冷凍食品,茶などで35.7%。一次産品は35.4%,加工品は64.6%。
DIA-301-1980-07-01-3バングラデシュ1980年07月01日1980年代バ外務省,新興島の領有権主張―ベンガル湾に新しくできた2つの島,PurbashaとSouth Talpattiの領有権はバングラにあるとの声明発表。
DIA-301-1980-07-03-1バングラデシュ1980年07月03日1980年代USAID,5000万ドル援助。肥料流通制度改善資金で,1800万ドルは贈与。
DIA-301-1980-07-05-1バングラデシュ1980年07月05日1980年代BTMC,綿糸売渡価格を平均17.7%引上げ―原綿価格エネルギー費用の引上げでコストアップとなったため,10番手綿糸で1ポンド10.93タカから14.75タカへ34.9%引上げたのをはじめ,平均17.7%引上げた。
DIA-301-1980-07-07-1バングラデシュ1980年07月07日1980年代新聞購読料引上げ―80年6月から新聞用紙が30%引上げられたことに伴い,購読料は8ページ建で1日1タカに引上げ。
DIA-301-1980-07-08-1バングラデシュ1980年07月08日1980年代ジア大統領,大平前首相葬儀で訪日(~10日)―大統領は葬儀出席の傍ら,東京で華国鋒主席,カーター大統領ら外国首脳とも会談した。
DIA-301-1980-07-09-1バングラデシュ1980年07月09日1980年代1980/81年度ジュート政策発表―ジュートの最低価格は決めず(今年のみ),政府買上げ価格のみ定め,最低輸出価格もD級以下のものには適用しない。これは低品質ジュートを国際価格で売却するためで,D級以下の品質には輸出税をFOBの5%に引上げることも決められている。
DIA-301-1980-07-09-2バングラデシュ1980年07月09日1980年代1980/81年度ジュート生産見通しは450~500万ベール,輸出目標は250万ベール。
DIA-301-1980-07-09-3バングラデシュ1980年07月09日1980年代第19回印・バ合同河川委,ダッカ開催。11日に中断された(意見調整不能のため)。
DIA-301-1980-07-14-1バングラデシュ1980年07月14日1980年代断食月始まる。
DIA-301-1980-07-14-2バングラデシュ1980年07月14日1980年代物価急騰―断食月が近いことと新年度財政政策による増税及び公共料金引上げ,国有化企業の製品価格引上げ等のため,物価上昇が目立っている。
DIA-301-1980-07-17-1バングラデシュ1980年07月17日1980年代揚水ポンプの補助金率は28%―農相によれば,揚水ポンプ利用農家の負担は1エーカー当り250タカ,政府の支出は同350タカで,100タカ分,28%が補助金となっている。
DIA-301-1980-07-18-1バングラデシュ1980年07月18日1980年代第2次5ヵ年計画の民間工業投資計画発表―投資総額は265億タカ,うち139億タカは外貨資金とする。総数7500企業への投資がなされ,資金の内74.3%は大・中規模工業投資,25.7%は小・家内工業投資になされる。主要な投資分野は輸出志向・輸入代替工業におき,なかでも農産物加工工業,農業支援工業,輸送機器製造工業が重要視される。民間外国投資は,バングラに存在しない業種でしかも緊急に必要とする工業への投資を奨励する。工業化のおくれている8県を優先開発地域に指定,ここに設立される工業の輸入関税を25%割引きする。
DIA-301-1980-07-20-1バングラデシュ1980年07月20日1980年代各地方開発局の強化―全国4省にDivisional Development Boardが設置されているが,そのメンバーに各Sub-divisionから1人の国会議員を参加させることにした。これにより地域代表としての議員と政府機関の協調が可能になるという。
DIA-301-1980-07-20-2バングラデシュ1980年07月20日1980年代石油製品価格,平均45.3%引上げ―石油公社は原油輸入価格が52.8%上昇したことから,ガソリン,ディーゼルなど製品価格を45.3%引上げると発表した。通常ガソリン価格は1ガロン47.97タカ,ハイ・オクタンは同50.35タカ,ディーゼルは23.18タカ(いずれもダッカ)とする。
DIA-301-1980-07-21-1バングラデシュ1980年07月21日1980年代ジア大統領,訪中(~24日)―華主席と2度に亘り会談,バ・中経済協力協定,同航空協定に調印した。
DIA-301-1980-07-25-1バングラデシュ1980年07月25日1980年代バ外相,インド批判―ラオ外相がインド議会で島の帰属問題についてインド帰属を主張したことに関して,バ外相は記者会見,ベンガル湾の2つの島についてバ政府はインドに合同調査を提案,元首相デサイ氏が同意していたのに,今になって調査を拒否し,インドに帰属すると主張するのは信義に反すると批判。
DIA-301-1980-08-01-1バングラデシュ1980年08月01日1980年代閣議,民間銀行設立を認める決定―民間資本の役割を高めるための措置で,副大統領を委員長とする評議会を設置,検討させることにした。民間銀行設立にはBAL(Malek)派などから強い反対が出ている。
DIA-301-1980-08-02-1バングラデシュ1980年08月02日1980年代国営バス運賃引上げ―ガソリン代値上げに伴い,バス運賃も平均25%引上げられた。市内バスは初め1マイルの料金が20パイセから25パイセになる。
DIA-301-1980-08-04-1バングラデシュ1980年08月04日1980年代機械工業の発展にジア大統領指示―Machine Tools Factory(BMTF),Diesel Plant(BDP)を視察したジア大統領は,機械工業を発展させるため,国産される機械・部品,付属品の輸入禁止,国内工業が必要とする機械・部品,付属品の国産化をはかること,小型5馬力のディーゼル・エンジンを年間1万台以上作り,今後バス・トラックなどのエンジン,船舶用エンジンなどの生産も手がけること,などを指示した。
DIA-301-1980-08-07-1バングラデシュ1980年08月07日1980年代ADB,2810万ドル借款供与―バ農業銀行経由で小農のグループに貸付けられ,浅井戸設置,ワークショップ設立,農民の教育・訓練などに使われる。
DIA-301-1980-08-08-1バングラデシュ1980年08月08日1980年代BAL(Malek),派閥闘争―BAL(Malek)ダッカ支部執行部選挙で表面化した内部抗争で2人の指導者が辞任,脱党した。
DIA-301-1980-08-11-1バングラデシュ1980年08月11日1980年代断食明け祭礼記念で331人に恩赦。
DIA-301-1980-08-16-1バングラデシュ1980年08月16日1980年代インド外相,訪バ(~18日)―ラオ外相は3日間の公式訪問を行ない,ホク外相と3度に亘って会談した。18日共同新聞発表を行ない,①1974年調印された国境協定により未解決の国境線画定の措置をとる,②海上境界線の早期画定,③両国は互いに自国領が相手国にむけられる敵対活動に使われないようにする,④不法な密出入国が起らないよう協力する,⑤Purbasha島領有権問題の早期解決,⑥乾期のガンジス河川水配分問題の解決に努力する,⑦インドはバングラの南アジア諸国首脳会談提案を原則的に歓迎し,必要な準備活動を進める,などの点で合意がなされたことを明らかにした。
DIA-301-1980-08-20-1バングラデシュ1980年08月20日1980年代国家経済評議会NEC,各Thanaに協同組合銀行を設立することを認可。
DIA-301-1980-08-20-2バングラデシュ1980年08月20日1980年代洪水被害―被害は12県に及び,死者47人。軍が出動して救援活動に従事している。
DIA-301-1980-08-20-3バングラデシュ1980年08月20日1980年代野党,天然ガスのインドへの輸出に反対―野党11政党は共同声明を発表,パイプラインを敷いて天然ガスをインドに輸出するとの政府方針を激しく非難。
DIA-301-1980-08-21-1バングラデシュ1980年08月21日1980年代政府,ユニオン議会に米の買上げを指示―各ユニオン議会Uhion Parishadは500モーンドのモミ米を政府指示価格で農民から買上げることが義務づけられた。これはUnionの備蓄米として保管される。政府食糧倉庫が不足して,農民からの供出米保管が困難とみられるためにとられた措置。
DIA-301-1980-08-21-2バングラデシュ1980年08月21日1980年代ビルマ外務次官,訪バ―バ・ビルマ国境問題を討議するため,ティン・オン外務次官が訪バ,国境のGrand Ruleで合意に達した(22日)。
DIA-301-1980-08-22-1バングラデシュ1980年08月22日1980年代国連エルサレム問題特別会議,3人委員会設立。委員はジア大統領,モロッコのハッサン国王,ギニアのセクー・トーレ大統領。
DIA-301-1980-08-23-1バングラデシュ1980年08月23日1980年代BNPのJoint Secretary GeneralにF.A.Qureshi任命―ジア大統領・BNP総裁は党組織活動強化のためQureishi氏を党幹事長補佐に任命した。氏はジャーナリストで,前Jatiya Janata党員。
DIA-301-1980-08-23-2バングラデシュ1980年08月23日1980年代新聞用紙価格,引上げ―リール巻はトン当り8500タカから9966タカへ,シートで10,466タカへ,17%引上げ。これは今年6月に次いで2度目の価格修正。
DIA-301-1980-08-24-1バングラデシュ1980年08月24日1980年代ジア大統領,国連特別会議出席のため訪米(~30日)―新国際経済秩序樹立のための会議で,ジア大統領は26日演説,10項目からなる提案を行なった。
DIA-301-1980-08-27-1バングラデシュ1980年08月27日1980年代ジア大統領,カーター大統領と会談―国連会議に出席したジア大統領はワシントンのホワイトハウスにカーター大統領を訪問,Working Meetingをもった。会談後発表された共同ステートメントは,「両国大統領は主権国への外国の軍事介入やあらゆる形の内政干渉に反対し,アフガン・カンボジアからの外国軍撤退を要求すること,中近東におけるいくつかの問題の包括的・平和的解決の必要性について合意した。カーター大統領はバングラの第2次5ヵ年計画遂行に協力することを保証した」とのべている。
DIA-301-1980-08-27-2バングラデシュ1980年08月27日1980年代1980/81砂糖キビ政策発表―砂糖の生産目標は15.5万トン,そのため砂糖キビ作付面積を約25%増加して19.1万エーカーとする。砂糖キビ買上げ価格は1モーンド(37kg)15タカで,1980年2月15日以降はモーンド当り75パイセ上乗せする。これらは前年度比25%増。
DIA-301-1980-08-29-1バングラデシュ1980年08月29日1980年代ジア大統領,フランス訪問―ジスカール・デスタン大統領と会談,2つの協定に調印した。 ①原子力開発協力協定―フランスはバングラが平和目的で原子力開発を行なうに当り,その技術発展に協力する。バングラはパブナ県Roopurに125MWの原子力発電所を建設する計画で,その資金4億ドルをフランスおよびその他の国に求めている。 ②経済協力協定―1980年の経済援助資金は3750万ドル(前年度2880万ドル)。食糧援助は8000トン及びECを通しての2.5万トン。
DIA-301-1980-08-29-2バングラデシュ1980年08月29日1980年代USAID,農村電化計画に1930万ドル供与―借款1500万ドル,贈与430万ドルよりなる。これでUSAIDが供与した農村電化事業への援助額は6930万ドル。
DIA-301-1980-09-01-1バングラデシュ1980年09月01日1980年代行政職の職種・格付け,変更―国家公務員はすべてBangladesh Civil Service(BCS)とし,職種によって12の職務(Cadre)に分けられ,その間に上級・下級の関係はなく平等とする。職務は,一般行政,農業,教育,経済,貿易,工業,財政,外務,保健・衛生,情報,司法,郵政,警察の12種。BCSは毎年行なう公開の公務員採用試験を通った人の中からPublic Service Commissionが任命する。BCSになって10年の経験をもった者はDeputy Secretaryに昇格しうる資格をもつ。Joint Secretaryは15年,Additional Secretaryは18年,Secretaryは20年の経験を必要とする。上級官吏であるDeputy Secretary以上の任命は,一定の試験をパスした人々(Senior Service Pool)の中から選任される。現在このPoolには625人がいる。
DIA-301-1980-09-03-1バングラデシュ1980年09月03日1980年代ジア大統領,英連邦アジア太平洋地域第2回首脳会談のため訪印(~5日)―到着日にガンジー首相と会談,国際問題,ガンジス河川水配分問題,南アジア首脳会談などについて協議した。4日に首脳会談で演説,農業開発における英連邦諸国間の協力を訴えた。
DIA-301-1980-09-08-1バングラデシュ1980年09月08日1980年代ブータンと2つの協定に調印―貿易協定及び貨物通過協定で,両国にとって初めての協定。ブータンからの輸入は果物と白雲岩,輸出は肥料,紙,干魚,ジュート製品など。通過協定についてはインドの了解をとりつける交渉を始める。
DIA-301-1980-09-11-1バングラデシュ1980年09月11日1980年代クェート元首,訪バ(~13日)―クェートのAmirはパキスタン・インドを経て訪パ,ジア大統領と会談,両国合同閣僚会談の定期的開催を確認,航空協定に調印した。クエートは今後5ヵ年に1億7500万ドルの借款供与を約束した。
DIA-301-1980-09-13-1バングラデシュ1980年09月13日1980年代民間工業投資活発―月平均民間投資額は1974/75年度に3350万タカであったが,78/79年度は2.5億タカになっている。第2次5ヵ年計画の民間工業投資は265億タカで,月平均にすると4.414億タカとなる。
DIA-301-1980-09-14-1バングラデシュ1980年09月14日1980年代インドに天然ガス輸出―石油相は「インドはバングラから天然ガスを輸入したい意向を示しており,我々は原則的にこの提案に同意した」が,最終的決定は議会の討議に任ねるとのべた。また野党がインド提案を検討なしに反対していると批判,我々はインドと経済・技術的協力関係を樹立したい考えであるとのべた。
DIA-301-1980-09-15-1バングラデシュ1980年09月15日1980年代日本と79億円の借款協定に調印―①69億円(4.6億タカ)のプロジェクト援助で,うち38億円はカーナフリ・レーヨン工場の改修,31億円はPDBの送電線工事,②10億円の贈与(1000トンの食糧倉庫12)。
DIA-301-1980-09-17-1バングラデシュ1980年09月17日1980年代海外労働者に開発債発行―蔵相は海外で働くバングラ人のみが購入しうる開発債Development Bondを発行すると発表した。利子率は定期預金よりも高くなろうという。これは出稼労働者の収入を本国に多く送金させること,送金が土地取得や消費目的にではなく,開発資金として使われるようにすることをねらったもの。
DIA-301-1980-09-18-1バングラデシュ1980年09月18日1980年代JSD系学生512人,与党系学生組織に加入―ダッカ大学のJSD系学生指導者など512人は,JSDとBAL(Malek)との協力関係に反対,与党系のBJCD(バ民主学生連盟)に加入した。
DIA-301-1980-09-18-2バングラデシュ1980年09月18日1980年代砂糖価格引上げ―砂糖工場渡し価格を1モーンド306.7タカから454.45タカへ48.2%引上げる。これにより砂糖配給価格は1シーア12タカ,1モーンド480タカとなる。
DIA-301-1980-09-19-1バングラデシュ1980年09月19日1980年代JSD系学生組織,分裂―JSD系のB.Chhatra League(BCL)は,委員長・書記長ら主流派と副委員長ら反主流派とに分裂した。主流派は反主流派指導者を除名すると共に,BCLのダッカ支部及びダッカ大学支部の解散を決議した。一方反主流派は委員長・書記長を除名したと発表している。反主流派にはダッカ大学学生自治会DUCSUの副委員長,書記長がおり,ダッカ市及びダッカ大学のBCL支部も反主流派支持のため,主流派は劣勢とみられる。JSDはもともと学生組織を基盤にして来たことから,この分裂がJSDの弱体につながると見られている。対立点として反主流派はJSDが最近とくにBAL(Malek派)と協調し,本来の社会主義革命の道を踏みはずしたためと主張しているが,これはJSD内部の路線闘争を反映したもので,獄中のJSD左派の理論家Serajul Alam Khamも現JSD執行部を批判。
DIA-301-1980-09-19-2バングラデシュ1980年09月19日1980年代全国16,000ヵ村にGram Sarkar―地方行政相は5月末から9月10日までに16,000ヵ村でGram Sarkar(村議会)の組織化を終えたとのべた。Gram Sarkarは議長1人,メンバー11人からなり,村民に選出される。
DIA-301-1980-09-24-1バングラデシュ1980年09月24日1980年代ジア大統領,イラン・イラク大統領に戦争終結呼びかけ―両国大統領に書簡を送って呼びかけ,他のイスラム諸国首脳にも同様のアピールをイラン・イラクに送るよう要請した。
DIA-301-1980-09-24-2バングラデシュ1980年09月24日1980年代JSD,分裂―JSD系学生組織の分裂の余波でJSDも分裂,党中央委は7人の委員を除名した。
DIA-301-1980-09-24-3バングラデシュ1980年09月24日1980年代ジュート生産国会議開く(~26日)―FAOの後援により,バングラ,インド,ビルマ,ネパール,タイ,ブラジルの6ヵ国が会議を開き,ジュート価格問題等を討議,定期協議と相互協力を確認した。
DIA-301-1980-09-30-1バングラデシュ1980年09月30日1980年代7~8月の洪水被害状況―全国12県,1733ユニオンの,227.2万戸,1280万人が被災し,86.1万エーカーの耕地が冠水して件物に被害をうけ,人命655人が失なわれ,家畜3972頭が死亡。救援資金2億タカ支出。
DIA-301-1980-10-01-1バングラデシュ1980年10月01日1980年代全国灌漑網建設運動,第2段階に入る―今乾期には700件の灌漑Project計画の申請がなされ,専門家及び地方政府とも協議して581件が認可されている。費用の15%はFWPからの食糧支給で充当,85%は勤労奉仕による。700の灌漑Projectが完成すれば,150万エーカーで三毛作が可能となる。
DIA-301-1980-10-01-2バングラデシュ1980年10月01日1980年代第一段階の成果―1979年乾期の第1段階では193のキャナルを改修し,60万エーカーで灌漑が可能となった。政府は揚水ポンプ約3000台を無料で参加農民に供与,これらキャナルで使われている。
DIA-301-1980-10-01-3バングラデシュ1980年10月01日1980年代1980年7~9月の輸出収入―28.6億タカの輸出収入をあげた。前年同期比50.5%増である。1980/81年度輸出目標は150億タカだが,これを175億タカに引上げるよう検討している。
DIA-301-1980-10-02-1バングラデシュ1980年10月02日1980年代ラングプール刑務所で暴動―受刑者645人が刑務所の待遇改善を求めて暴動を起し,所内から刑吏を追い出した。政府は待遇改善を約束,6日には平穏化。
DIA-301-1980-10-03-1バングラデシュ1980年10月03日1980年代閣議3月26日をNational Dayとすることに決定―同目は独立記念日であったが,今後は独立記念日であると同時にNational Dayとなる。
DIA-301-1980-10-03-2バングラデシュ1980年10月03日1980年代野党系学生組織から政府系学生組織への加入が目立って増えている。
DIA-301-1980-10-03-3バングラデシュ1980年10月03日1980年代閣議,COSCORを有限会社にするよう決定―政府機関であったConsumer Supplies Corporation(COSCOR)を有限会社とし,授権資本の一部分を民間の出資に任ねることにした。
DIA-301-1980-10-03-4バングラデシュ1980年10月03日1980年代BAL(Malek)中心に半日スト―1975年11月3日のムシャラフ准将によるクーデター記念日のストで,参加政党は少なく,影響は小さい。しかしBAL(Malek)青年団が各地で車輌類に放火,バス28台がこわされるなどしたため92人が負傷,109人が逮捕された。
DIA-301-1980-10-04-1バングラデシュ1980年10月04日1980年代印バ貿易協定(3年)に調印―インドのMukherjee商相ら5人の貿易代表団が訪バ(3日),3年間の貿易協定に調印した。協定により両国は相互に最恵国待遇を与える,協定の施行促進のための協議を行なう,両国の協議によりさらに3年間延長しうる。
DIA-301-1980-10-05-1バングラデシュ1980年10月05日1980年代ジア大統領,第1回目の遊説旅行―特別列車で移動しながら,各地で駅頭集会を行なうもので,Meet the PeoPle Tourと名づけている。第1回はダッカからタクルガオンまで2日間に5つの県で40回の集会。
DIA-301-1980-10-05-2バングラデシュ1980年10月05日1980年代野党,National Dayに反対―野党は3月26日をNational Dayとしたことに反対,バングラ独立・解放闘争を軽視する政府の姿勢を示すと批判。
DIA-301-1980-10-05-3バングラデシュ1980年10月05日1980年代印バ第20回合同河川委員会,ダッカで開催(~7日)―会談は成果のないまま7日に中断され,6週間以内に再開することが決められた。
DIA-301-1980-10-06-1バングラデシュ1980年10月06日1980年代アメリカと二重課税防止協定に調印。
DIA-301-1980-10-06-2バングラデシュ1980年10月06日1980年代海外からの外貨送金は,1980/81年度40億タカに達する見込。1979/80年度は26.8億タカであった。
DIA-301-1980-10-06-3バングラデシュ1980年10月06日1980年代ジア大統領,セロッコ・ギニアに出発(~10日)―モロッコではハッサンⅡ世国王と会見すると共に,エルサレム問題委員会の会合に出席した。8日ギニアを公式訪問,セクー・トレー大統領と会談して両国合同・経済閣僚委員会を設立,経済,貿易,文化,技術の協力を深めることに合意した。
DIA-301-1980-10-09-1バングラデシュ1980年10月09日1980年代国家経済評議会NEC,政府公社・公団に対してその開発投資の20%を自らの利潤の中から充当するよう指示した。
DIA-301-1980-10-09-2バングラデシュ1980年10月09日1980年代JSD反主流派,新政党結成―New Revolutionary Party of the Proletariatで,前JSD副委員会Abdullah Sarkarが中心となっている。
DIA-301-1980-10-09-3バングラデシュ1980年10月09日1980年代国有化工業の株式公開を検討―蔵相は国有化工業のうち,政府が独占的に運営する業種を除き,他はその株式を一般に公開して,新規工業投資の資金にする方法を検討中であるとのべた。これにより民間資金を政府部門開発投資に充当することができる。
DIA-301-1980-10-10-1バングラデシュ1980年10月10日1980年代一次産品共通ファンドに143万ドル拠出―政府はUNCTAD-Ⅳで決まった一次産品のCommon Fund(4.7億ドル)に143万ドル拠出する。資金はジュート,ジュート製品,茶など18品目のBuffer Stockingのために使われる。
DIA-301-1980-10-11-1バングラデシュ1980年10月11日1980年代ジア大統領は新たにBNPに参加した旧野党指導者を括き,BNP加入を歓迎した。主としてBAL(Malek)と同(Mizan)の人々。
DIA-301-1980-10-12-1バングラデシュ1980年10月12日1980年代ギニアのセクー・トーレ大統領訪バ(~14日)―エルサレム問題解決3人委員会の1人であるギニア大統領が訪バ,ジア大統領と会談,共同声明を発表,両国の大使交換に同意した。
DIA-301-1980-10-12-2バングラデシュ1980年10月12日1980年代アジア太平洋地域開発途上国会議開く(~14日)―アジア太平洋地域のLLDC8ヵ国(アフガニスタン,ブータン,ラオス,モルディブ,ネパール,サモア,トンガ,バングラ)はダッカで会議を開き,LDCとLLDCの差は大きく,LLDCに一層の援助を与えるよう求める決議を行なった。
DIA-301-1980-10-14-1バングラデシュ1980年10月14日1980年代食糧事情―食糧相は現在の食糧備蓄が130万トンに達し,1981年6月末には150万トンになろうとのべた。1979/80年度の食糧不足量は210万トンであったが,輸入は280万トンで,70万トンを備蓄できたこと,1980/81年度当初の食糧不足推計が160万トンでさちに輸入をしたが,生産推計は1450万トンから1480万トンに引上げられ,不定量は130万トン程度になったこと,などのためである。
DIA-301-1980-10-15-1バングラデシュ1980年10月15日1980年代銀行預金利子率,引上げ―蔵相は国民に貯蓄意欲・慣習をつけ,同時に開発資金調達を可能にするため,銀行預金利子率を最高5%引上げると発表した。これに伴い,銀行貸付利子率も2%程度引上げられる。
DIA-301-1980-10-15-2バングラデシュ1980年10月15日1980年代尿素肥料輸出―バ化学工業公社BCICはスリランカに尿素肥料2万トンを輸出する契約を結んだ。パキスタンとは2万トン輸出の交渉中,初めての輸出である。
DIA-301-1980-10-15-3バングラデシュ1980年10月15日1980年代印バ国境会談開始(~17日)―インドのゴンザルベス外務次官が訪バ,1974年国境協定実施を協議。
DIA-301-1980-10-15-4バングラデシュ1980年10月15日1980年代Aman米供出始める―供出目標は34万トン。すでにBoro米,小麦,Aus米などで30万トン供出されている。供出価格はモミ米1モーンド115タカ,精米175タカ(いずれも運送費5タカを含む)。
DIA-301-1980-10-16-1バングラデシュ1980年10月16日1980年代電気料金,平均63.6%の大幅引上げ―石油価格引上げに伴ない,家庭用の電気料金は1kw/hour当り料金を40パイセから50パイセへ引上げ,灌漑用ポンプの電気料金も月250kwまでは1kw50パイセ,それを超えると1タカとなる。
DIA-301-1980-10-16-2バングラデシュ1980年10月16日1980年代西独,1.8億マルクの贈与,協定に調印―西独の経済協力省アジア局長を団長とする経済代表団が訪バして調印したもので,総額約1億ドル。使途は6000万マルクが緊急輸入資金,2000万マルクが肥料・肥料倉庫建設,4000万マルクが石油・ガス開発資金,3000万マルクが技術協力,200万マルクのCash Grant。
DIA-301-1980-10-17-1バングラデシュ1980年10月17日1980年代ジア大統領,第3回目の遊説旅行―シラジガンジからサイドプールまで2日間かけ,29ヵ所で演説した。今回はとくにBAL系の暴力政治を批判した。
DIA-301-1980-10-17-2バングラデシュ1980年10月17日1980年代ダッカ大学中央学生自治会連盟DUCSUの役員選挙―役員21人に対して20の学生組織から353人が立候補するという激戦となった。18日発表された投票結果によれば,副委員長・書記長にはJSD反主流派系のBCL(Manna-Akhtar)からM.R.MannanとAkhteruzzamanが当選した。その他19人の役員のうち13人はBAL(Malek)系のBCL(Kader-Chunnu)が当選,残り6人はJSD反主流派系のBCL(Manna-Akhtar)が当選した。与党BNP系とJSD主流派系の当選はゼロ。但し11の学生寮の自治会役員選挙では,BAL(Malek)系の72人,JSD反主流派系の40人に次いでBNP系のBJCDが21人の当選者を出している。
DIA-301-1980-10-20-1バングラデシュ1980年10月20日1980年代クルナ刑務所で暴動,34人死亡―刑務所内で受刑者が2派に分かれて対立,暴動になったことから警察官が導入され,受刑者34人が死亡した。負傷は150人程度。政府は暴動鎮圧に当った警官は火器を使っていないと弁明(21日)したが,死者の数から信じられていない(その後死者は39人となった)。
DIA-301-1980-10-20-2バングラデシュ1980年10月20日1980年代サウジ,原油120万トン供与を約束―1980年中にOPEC価格で供与される。これは必要量の48%で,他にUAEに80万トン,インドネシアに40万トン,カタールに40万トンの供給を要請している。
DIA-301-1980-10-21-1バングラデシュ1980年10月21日1980年代繊維工業に民間投資を認可―政府はこれまで国営部門が独占して来た繊維工業に,民間投資を認めることにしたと発表した。但し一工場の規模は12,500spindleを最大限とする。現在国営工場は55工場,94.6万spindleで,すべてBTMCの下にある。
DIA-301-1980-10-22-1バングラデシュ1980年10月22日1980年代IDA,1億ドルの借款協定に調印―①3500万ドルは小規模工業開発ローンに使われ,②6500万ドルは工業用原材料,部品等の輸入資金。
DIA-301-1980-10-22-2バングラデシュ1980年10月22日1980年代ネ・ウィン議長,インド訪問後立寄り。ジア大統領と会談した。
DIA-301-1980-10-24-1バングラデシュ1980年10月24日1980年代野党,クルナ刑務所事件で一斉に抗議―BAL(Malek)ら10政党は同事件で示された政府の高圧的姿勢に抗議して,10月28日全国ストを決めた。その他の12政党は共同声明を発表,同28日に半日ストを決めた。
DIA-301-1980-10-24-2バングラデシュ1980年10月24日1980年代パ・バ外務次官会談(~26日)―パキスタン外務次官が訪バ,キブリア外務次官と会談,両国の資産分割問題で合同作業委員会を設立すること,バングラにいる非ベンガル人のパキスタンへの送還などについて討議。
DIA-301-1980-10-25-1バングラデシュ1980年10月25日1980年代タイ副首相P.Adireksarn,訪バ(~28日)―バ・タイ合弁漁業事業問題を討議するために訪バしたが両者の協議の結果,合弁漁業事業は継続されないことになった。
DIA-301-1980-10-26-1バングラデシュ1980年10月26日1980年代ジア大統領,第4回目遊説―ダッカからチッタゴンを旅行,24回演説した。主として灌漑網建設事業への協力を訴えた。
DIA-301-1980-10-28-1バングラデシュ1980年10月28日1980年代野党,半日スト―クルナ刑務所事件に抗議して,殆どすべての野党の支持のもとに半日ストが行なわれた。政府はストの影響はなかったと発表したが,スト参加者はかなりの数にのぼったと見られている。この日の逮捕者は41人。
DIA-301-1980-10-28-2バングラデシュ1980年10月28日1980年代政府,ストによる被害者に補償金―とくに人力車所有者,商店主,車輌所有者でスト中に暴徒により破壊されたものに対して補償するもの。
DIA-301-1980-10-28-3バングラデシュ1980年10月28日1980年代冬期国会,開催。
DIA-301-1980-10-30-1バングラデシュ1980年10月30日1980年代ジア大統領,BALらを批判―BAKSAL支持グループはすでに農村での基盤を失した。そのため彼等は都市部での破壊活動に力を入れている,とのべた。
DIA-301-1980-10-30-3バングラデシュ1980年10月30日1980年代インドネシア,30万トンの原油供給約束。
DIA-301-1980-12-01-1バングラデシュ1980年12月01日1980年代カラーTV放送開始。
DIA-301-1980-12-01-2バングラデシュ1980年12月01日1980年代紛争地域指定法案,国会提出―政府は紛争地域指定法案Disturbed Area Bill 1980を国会に提出した。これは法と秩序が危機にひんした際,特定地域を「紛争地域」と宣言することによって,通常の警察権を越える行動がとれるようにするもの。同法案に対し野党は「基本的人権に反する」として一斉に反発,国会から退場した。
DIA-301-1980-12-02-1バングラデシュ1980年12月02日1980年代発展途上国工業相会議,ダッカで開催(~5日)―UNIDO後援で開かれたこの会議には19ヵ国の工業相が参加,発展途上国間の相互協力による工業発展について協議した。
DIA-301-1980-12-02-2バングラデシュ1980年12月02日1980年代愛知外務政務次官,訪バ(~4日)―バ政府と53.3億円の贈与に関する3つの交換公文に調印した。①29億円(肥料・浅井戸ポンプ輸入),②17億円(日本米輸入),③5億円(送電システム改善)。
DIA-301-1980-12-02-3バングラデシュ1980年12月02日1980年代サウジ・アラビアと航空協定に調印(週3便)。
DIA-301-1980-12-03-1バングラデシュ1980年12月03日1980年代村議会組織状況―全国68,000ヵ村のうち,42,094ヵ村で村議会Gram Sarkarが組織された。
DIA-301-1980-12-03-2バングラデシュ1980年12月03日1980年代出稼労働者数と送金―1975~80年8月までに,94,311人が海外へ出稼労働者として行き,79年1月~80年8月までに57.3億タカ,約3.8億ドルの送金。
DIA-301-1980-12-03-3バングラデシュ1980年12月03日1980年代印バ海上境界線画定の事務局協議(~5日)。
DIA-301-1980-12-06-1バングラデシュ1980年12月06日1980年代農村防衛隊全国大会―ジア大統領が演説,全国で1000万人の農村防衛隊Village Defence Partyが任命されたことを明らかにし,彼らが村の法と秩序維持およびGram Sarkarの下で農村開発事業に参加していることを高く評価した。
DIA-301-1980-12-09-1バングラデシュ1980年12月09日1980年代タカ平価切下げ―1英ポンド34.67タカから38.83タカへ。
DIA-301-1980-12-10-1バングラデシュ1980年12月10日1980年代中央銀行,民間銀行設立ガイドライン発表―①民間銀行設立希望者は1月7日までにApplication for Licenceを中央銀行に提出する,②銀行は公開有限会社とし,授権資本は1億タカ以上,払込資本は5000万タカ以上,Owner’s Fundが預金の7.5%以下にならないこと,③民間銀行を設立する人は商・工・貿易に従事していた人で,銀行頭取は他の銀行の責任ある地位に15年以上の経験をもつ人でなくてはならず,頭取の任命は中央銀行の認可を要する,④銀行設立関係者,株主は当該銀行から彼らの関係する企業に資金を借りられない。
DIA-301-1980-12-12-1バングラデシュ1980年12月12日1980年代婚資禁止令,国会通過。
DIA-301-1980-12-12-2バングラデシュ1980年12月12日1980年代政府,各ユニオン議会に米1000モーンド買上げるよう指示―農民に政府最低買上げ価格(モミ米で1モーンド115タカ)を保証し,生産意欲を高めるため,各ユニオン議会Union Parishad(UP)に対し,モミ米1000モーンド(37kg)を現金で買上げるよう指示した。資金は中央政府が供給する。これらモミ米をUPで貯蔵・保管するための委員会の設立も指示した。
DIA-301-1980-12-12-3バングラデシュ1980年12月12日1980年代IMFより1億1400万SDR(1.5億ドル),借入―これはIMFの国際収支赤字補てん資金の一部で,バングラは80年11月から81年10月までに3.05億SDR(4億ドル)の借入れをすることができる。
DIA-301-1980-12-15-1バングラデシュ1980年12月15日1980年代日本,66億円のプロジェクト援助―バクラバード・ガス田開発プロジェクト資金としてOECFが5ヵ年間で供与する。交換公文に調印(4.8億タカ)。
DIA-301-1980-12-15-2バングラデシュ1980年12月15日1980年代US AID,780万ドルの贈与―農業・農村開発に必要な技術開発資金。
DIA-301-1980-12-17-1バングラデシュ1980年12月17日1980年代Export Processing Zones Authority Bill,国会通過。
DIA-301-1980-12-18-1バングラデシュ1980年12月18日1980年代ジュート生産国会議,ダッカで開催(~20日)―ジュート生産6ヵ国(バングラ,ブラジル,ビルマ,インド,ネパール,タイ)代表およびUNCTAD,UNDP,ESCAP,FAO,ITCの代表が集り,International Jute Organization(IJO=国際ジュート機構)を結成する問題について協議した。
DIA-301-1980-12-18-2バングラデシュ1980年12月18日1980年代ビルマ内務相,訪バ(~25日)―バ・ビルマ国境協定に調印(12・19)。
DIA-301-1980-12-20-1バングラデシュ1980年12月20日1980年代バ外務省スポークスマン,インド外相発言に反論―ラオ外相が19日インド上院で,「Hariabangha河口にできた新らしい島の所有権はインドにあり,このことはバングラに明確に伝えてある」とのべたことに反論,同島はバングラが所有権をもつが,これは両国の話し合いで決めることになっているのであって,インドが一方的に所有権を主張するのは,合意に反するとのべた。
DIA-301-1980-12-20-2バングラデシュ1980年12月20日1980年代シンガポールと二重課税防止協定に調印。
DIA-301-1980-12-22-1バングラデシュ1980年12月22日1980年代BALの旧指導者ら6人,与党BNPに入党―BALの元閣僚Yousuf Ali,Sohrab Hossainら6人がBNPの入党届にサイン,ジア総裁に提出した。BAL旧指導者がBNPに多数入党したのは初めて。
DIA-301-1980-12-26-1バングラデシュ1980年12月26日1980年代国会議員法,国会通過―国会議員の当選後の党籍変更を禁止する法律。
DIA-301-1980-12-26-2バングラデシュ1980年12月26日1980年代UAE外務担当相,訪バ(~28日)―初めてのバ・UAE合同閣僚会議を開催(27日),共同声明および合同閣僚会議運営に関する覚書きに調印(28日)した。
DIA-301-1980-12-29-1バングラデシュ1980年12月29日1980年代ジア大統領,工業生産倍増運動を呼びかけ―現在の稼動率が50~60%であるため,この稼動率を100%に高めて工業生産の倍増をはかろうとの呼びかけ。
DIA-301-1980-12-31-1バングラデシュ1980年12月31日1980年代政府,村議会に米買上げを指示―各村議会Gram Sarkarは農民からモミ米270モーンド(約10トン)を買上げ,それを貯蔵・保管する。資金は政府供与。
DIA-301-1981-01-02-1バングラデシュ1981年01月02日1980年代Wage Earners Development Bond の発行―政府閣議は外貨による賃金所得者(Wage Earner)のため開発債発行を決めた。額面は1000,5000,1万タカの3種で満期5年,利子率16%。出稼労働者の本国送金を生産投資に利用することをねらいとしたもの。
DIA-301-1981-01-02-2バングラデシュ1981年01月02日1980年代タカ送金を認可―外国で働く人が本国送金する場合,従来の外貨送金に加え,外国にある特定銀行の発行するタカ表示の Draft で送金することを認可。
DIA-301-1981-01-03-1バングラデシュ1981年01月03日1980年代バングラ工業博覧会,ダッカで開催。
DIA-301-1981-01-03-2バングラデシュ1981年01月03日1980年代独立戦争参加戦士のリスト作成―政府は独立戦争参加戦士(Freedom Fighter=F.F.)の正しいリスト作成を決定,そのための委員会を設立,委員長にエルシャッド陸軍総参謀長を任命した。1972年以来,すでに200万人がF.F.として認可されており,F.F.と偽っているものも多いとみられているためである。
DIA-301-1981-01-03-3バングラデシュ1981年01月03日1980年代新農民組織結成―4つの農民組織を統合したもので,全国農民連盟(Jatiya Krishak Samity)。
DIA-301-1981-01-04-1バングラデシュ1981年01月04日1980年代野党から1500人,与党BNPに加入―アワミ連盟(BAL),社会党(JSD)などから1500人が与党民族主義者党BNPに加入した。
DIA-301-1981-01-05-1バングラデシュ1981年01月05日1980年代イスラム開発銀行,2000万ドル援助―輸入資金として使用される。
DIA-301-1981-01-07-1バングラデシュ1981年01月07日1980年代Gram Sarkar 代表者全国大会開催―ジア大統領が演説,「Gram Sarkar の任務は食糧増産,人口抑制,文盲追放,法と秩序維持にあり,各村の総合開発計画の立案・実施の責任を持つ。これら任務遂行のため彼らにより強力な権限を付与することを検討している。また米,小麦,ジュートなどの買上げも Gram Sarkar を通して行なうようにする」とのべた。
DIA-301-1981-01-07-2バングラデシュ1981年01月07日1980年代印バ閣僚会議,デリーで開催―ファラッカ協定の改訂・延長に関する第2回印バ閣僚会議がデリーで開かれ,バングラはK.A.Huq 灌漑相を送った。会談は2日間開かれたが進展なく中断された。
DIA-301-1981-01-09-1バングラデシュ1981年01月09日1980年代南アジア7カ国外務次官会議が2月末から3月初にコロンボで開かれる旨発表された。
DIA-301-1981-01-11-1バングラデシュ1981年01月11日1980年代アワミ連盟,内紛―連盟本部でラザク書記長派とトファイル組織部長派が対立,衝突して数人が負傷。
DIA-301-1981-01-13-1バングラデシュ1981年01月13日1980年代ムジブル・ラーマン殺害国際調査委メンバー2人,来バ―イギリス人弁護士2人がBALの招きで訪問したもの。
DIA-301-1981-01-15-1バングラデシュ1981年01月15日1980年代Boro米供出価格―モミ米は1モーンド115タカ,精米は175タカ,小麦は115タカ。
DIA-301-1981-01-16-1バングラデシュ1981年01月16日1980年代ゴンザルベス・インド外務次官,2月の非同盟外相会議について討議のため来バ(~17日)。
DIA-301-1981-01-17-1バングラデシュ1981年01月17日1980年代1984/85年度輸出は500億タカを目標―シディキ商務担当相は記者会見で,「第2次計画最終年度の輸出目標は,現在の150億ドルの3倍強とする」とのべた。
DIA-301-1981-01-18-1バングラデシュ1981年01月18日1980年代オスマニ将軍,エルシャッド陸軍総参謀長を援護―F.F.のリスト作りに関連してエルシャッド陸軍総参謀長への批判が高まっていることから,オスマニ将軍(退役)は同氏を援護,「氏が1971年の独立戦争時パキスタンにいたのは私がそうするよう指示したためであり,戦争中一貫して独立闘争を支持していた」とのべた。またF.F.のリスト作りについては,真のF.F.の利益のために実施する必要があり,この問題を政治的に利用すべきではないとのべた。
DIA-301-1981-01-21-1バングラデシュ1981年01月21日1980年代ジア大統領,婦人の労働力活用を訴え―全国婦人連盟の大会に出席,政府は婦人対策として①政府機関の労働者の10%は婦人を雇用する,②小学校教師欠員は今後婦人教師で充当する,③家内工業,養鶏所などに婦人労働者を雇用する,④警察・村落防衛隊・軍などに婦人を参加させる,などの政策をとっているが,婦人がこうした機会を十分利用していないとのべた。
DIA-301-1981-01-21-2バングラデシュ1981年01月21日1980年代日本,15億円の農業協力資金供与―覚書に調印。 揚水ポンプその他農業資材を日本から輸入する。
DIA-301-1981-01-21-3バングラデシュ1981年01月21日1980年代食糧倉庫23,日本の援助で完成―各1000トンの収容能力をもつ倉庫で,13はクルナ県,5はボグラ県,5はチッタゴン県に建設。
DIA-301-1981-01-21-4バングラデシュ1981年01月21日1980年代商業銀行,農業信用供与業務を認可さる―中央銀行は商業銀行が農業開発銀行BKBと同様,農業への資金貸付け業務ができるよう認可した。
DIA-301-1981-01-23-1バングラデシュ1981年01月23日1980年代デンマーク,新造フェリー2隻を贈与(9000万タカ)。
DIA-301-1981-01-24-1バングラデシュ1981年01月24日1980年代ジア大統領,第3回イスラム諸国首脳会議出席のため,サウジのタイフ着(~29日)。
DIA-301-1981-01-26-1バングラデシュ1981年01月26日1980年代IDA,2500万ドル借款供与。肥料の配布・流通機構の改善・整備のため。
DIA-301-1981-01-28-1バングラデシュ1981年01月28日1980年代ジア大統領,イスラム首脳会議で11項目プログラムを提案―イスラム共同市場の設立,イスラム国LDCのための特別援助計画立案,パレスチナ問題のための包括行動計画立案などを含む。
DIA-301-1981-01-30-1バングラデシュ1981年01月30日1980年代サウジ対バ援助―サイフル蔵相はイスラム首脳会議から帰国後の記者会見で,サウジが総額1.7億ドルの援助を約束したとのべた。①チッタゴン肥料工場へ8500万ドル,②ジョイプルハット石灰石開発へ3000万ドル,③その他3プロジェクトへ5500万ドル。
DIA-301-1981-02-02-1バングラデシュ1981年02月02日1980年代外貨規制緩和―中央銀行は外貨規制を若干緩和し,①バングラ住民は出入国時25ドルまで申告なしに所持できる,②外国人,外国居住バングラ人は出入国時150ドルまで申告なしに所持できる,③現地通貨は100タカまで持込・持出可,と発表した。
DIA-301-1981-02-05-1バングラデシュ1981年02月05日1980年代食糧貯蔵能力,180万トンに―チョードリ食糧担当相は6月末までに食糧倉庫の貯蔵能力180万トンに達するとのべた。
DIA-301-1981-02-05-2バングラデシュ1981年02月05日1980年代1980.7~1981.1の政府買上げ食糧は65.5万トン。
DIA-301-1981-02-06-1バングラデシュ1981年02月06日1980年代シャムスル・ホク外相,非同盟外相会議出席のため訪印(~13日)。
DIA-301-1981-02-06-2バングラデシュ1981年02月06日1980年代ダッカ大学で教師・学生スト―政府が大学学長にAfsaruddin教授(回教徒連盟支持者として知られる)を任命したことに反発,教師・学生ともストに入った。
DIA-301-1981-02-06-3バングラデシュ1981年02月06日1980年代ブリガンガ橋建設のための定礎式。全長3000フィートの4車線で1985年に完成予定。総工費4~4.5億タカ。
DIA-301-1981-02-09-1バングラデシュ1981年02月09日1980年代BNP全国大会開催―全国からBNP党代表者2000人を集めて開かれたもので,ジア大統領・党総裁が演説,とくに土地改革問題に解れて「政府は国民のコンセンサスなしに土地改革を行なうつもりはない」とのべた。大会では3月より党員登録を全国一斉に行ない,党勢拡大に努めることを決めた。
DIA-301-1981-02-11-1バングラデシュ1981年02月11日1980年代第3回英連邦農業・農村開発閣僚会議,ダッカで開催(~13日)―英連邦諸国から20人の代表と世銀,FAO,IFAD,WFP,WFC,ESCAPの代表がオブザーバーとして参加した。開会に当ってジア大統領が演説,食糧・農業開発部門への外国援助は不十分であり,国際緊急食糧備蓄への先進国の協力も低調であるとのべ,食糧不足国の窮状を訴えた。会議は①世界の食糧状況,②農業・農村開発援助・投資,③農業・農村開発に関する域内協力と研究・訓練の相互交流,④漁業開発,⑤食糧増産・農村開発のための英連邦事務局の設立,などのテーマで討議,会議の共同声明を発表した。声明では世界食糧安全保障体制をつくるために努力することを確認し,緊急食糧備蓄の目標を50万トンにすると決議。
DIA-301-1981-02-13-1バングラデシュ1981年02月13日1980年代シリア副首相兼外相,来バ(~14日)。
DIA-301-1981-02-14-1バングラデシュ1981年02月14日1980年代バ・ブルガリア,5年間の長期貿易協定に調印―5年間に片道1.2~1.3億ドルの貿易を行なうもので,その初年度として1981/82年は片道2400万ドルの貿易を行なう(第8次バーター協定)。
DIA-301-1981-02-14-2バングラデシュ1981年02月14日1980年代アジズ首相兼文部相,小学校教師にスト中止呼びかけ―小学校教師は賃金引上げ,身分保障,自主的運営などを要求してスト中だったが,アジズ首相は彼らの要求の大部分は受入れたとして2月18日から授業再開するよう呼びかけたもの。
DIA-301-1981-02-14-3バングラデシュ1981年02月14日1980年代BAL全国大会開催(~16日)。―BAL(Malek派)の全国大会が開催され,党分裂を避けて統一を保つ努力が続けられた。大会でRazzak書記長は基調報告を行ない,「我々はムジブル・ラー」マン元大統領の提唱したBAKSAL(労働者・農民アワミ連盟)の思想とそのプログラム実現のために努力してきたし,今後も努力する」とのべ,外交政策として政府にヘンサムリン政権の承認とアフガン問題への内政干渉をしている中国・パキスタン批判とを要求した。
DIA-301-1981-02-15-1バングラデシュ1981年02月15日1980年代ワルトハイム国連事務総長,来バ(~17日)。
DIA-301-1981-02-15-2バングラデシュ1981年02月15日1980年代初等教育法1981を公布―小学校教節の要求を受入れた法で,①小学校教師は公務員とする,②給与・手当・年金などは政府基金から支払う,③Sub-divisionの教育担当官が同地域にあるすべての小学校の行政・運営に責任をもつ,④各小学校に運営委員会を設置する,などを骨子としている。
DIA-301-1981-02-16-1バングラデシュ1981年02月16日1980年代BAL全国大会,ハシナ・ワジェド女史を党委員長に選出―BAL(Malek派)は党内対立から分裂の危機を迎えていたが,Kamal Hossain 元外相らの努力により対立する2派の妥協が成立,その結果,ムジブル・ラーマン元大統領の長女で,インドに亡命しているハシナ・ワジェド夫人が党委員長に選出された。同夫人は政治活動の経験は全くない。ハシナ女史の帰国は未定だが,それまでは Malek Ukil 現委員長が代行する。なお党書記長は Abdur Razzak 氏が再選された。党機構も改編され,党最高幹部会(Party Presidium)12人,党書記局(Party Secretariat)15人,党執行委員会(Exe-cutive Committee)27人の3組織が置かれ,その選挙も実施された。いずれも対立する2派の勢力が均衡するよう配慮されている。
DIA-301-1981-02-18-1バングラデシュ1981年02月18日1980年代コミラで国会議員補欠選挙,与党圧勝。
DIA-301-1981-02-20-1バングラデシュ1981年02月20日1980年代バ,ソ連と第10次バーター協定に調印―片道1700万ポンドで前年度より30%増。この他ソ連からの借款返済のため440万ポンドを輸出する。
DIA-301-1981-02-24-1バングラデシュ1981年02月24日1980年代ハシナ女史,BAL党委員長就任を受諾―BAL党最高幹部会メンバーが訪印,ハシナ女史と会談して受諾とりつけ。
DIA-301-1981-02-27-1バングラデシュ1981年02月27日1980年代ジア大統領,ジェッダへ出発―イスラム首脳会議によるイラン・イラク戦争調停委メンバーの1人としてイラン,イラクを訪問するため(3月5日帰国)。
DIA-301-1981-02-28-1バングラデシュ1981年02月28日1980年代輸出振興策―Export Performance Licencing(XPL)制を改正し,輸出実績に応じて輸出額の40%あるいは60%の外貨使用ライセンスを供与する(従来は10~40%の4段階であった)。またXPL品目(現行79品目)も拡大して84品目とする。
DIA-301-1981-03-01-1バングラデシュ1981年03月01日1980年代Jamat党,イスラム革命を呼びかけ―Jamat-e-Islam 党委員長Abbas Ali Khan はダッカでの集会で演説,7項目要求を発表するとともに,バングラにおけるイスラム革命を呼びかけた。要求には①国名をイスラム共和国とする,②イスラム経済・教育・文化の導入,③イスラム法に従う婦人の権利確立,④イスラム法・秩序の導入などを含んでいる。
DIA-301-1981-03-03-1バングラデシュ1981年03月03日1980年代BDR軍事パレード―ムスタフィズル・ラーマン内相,Atiqur Rahman BDR 長官の参加を得てパレードが行なわれた。
DIA-301-1981-03-03-2バングラデシュ1981年03月03日1980年代BALハシナ委員長,インドの支援求めると発言―Indian Express 紙との会見でハシナ女史は「バングラ政府との闘いの中で必要が生じたときには,インドは1971年のときと同様,我々を助けてくれると信じている」とのべた。この発言に対してバングラ国内では激しい批判が起っている。
DIA-301-1981-03-05-1バングラデシュ1981年03月05日1980年代第2回全国センサス実施(~8日)。このため3月7日は休日。
DIA-301-1981-03-06-1バングラデシュ1981年03月06日1980年代初等学校教員スト,中止―ストは78日間も続けられたが,政府との合意に達したとして中止。
DIA-301-1981-03-09-1バングラデシュ1981年03月09日1980年代1980年6月クーデタ未遂事件の犯人,軍事法廷で裁判―D.ダリム中佐,ヌールル・ナビ中佐,アジズ・バシャ中佐と民間人2人は1980年6月のクーデタ未遂事件犯人として軍事法廷で裁判にかけられた。
DIA-301-1981-03-10-1バングラデシュ1981年03月10日1980年代計画委,第2次5カ年計画規模再検討―第2次計画が余りに意欲的で資金手当困難が見込まれるため,投資規模2559.5億タカを縮小するよう検討中。
DIA-301-1981-03-11-1バングラデシュ1981年03月11日1980年代地上衛星ステーション建設は仏テレスパス社に発注―バングラ第2の地上衛星ステーションで,インド洋上,インテルサット・サテライトと結び,国際通信・TV放送を中継する。
DIA-301-1981-03-12-1バングラデシュ1981年03月12日1980年代バングラ航空国内運賃,平均25%の引上げ。
DIA-301-1981-03-12-2バングラデシュ1981年03月12日1980年代F.F.政府に資金供与要求―F.F.の組織であるMuktijoddan Kalyan Trust の中央委は,同 Trust の下にある30企業の経営改善のため,運転資金の供与,独立前の負債の帳消し,Trust を大統領あるいは国防省の直接管轄下に置くことなどを要求した。
DIA-301-1981-03-13-1バングラデシュ1981年03月13日1980年代マッチ工場労働者の最低賃金―バ最低賃金局はマッチ工場労働者の最低賃金を,未熟練労働者で本俸286タカ,手当182タカの計468タカ(日給の場合は18タカ)にするよう勧告した。
DIA-301-1981-03-16-1バングラデシュ1981年03月16日1980年代イギリス,650万ポンド援助―発電所建設計画への追加資金で,すでに1770万ポンドの建設資金が低利長期借款として供与ずみ。
DIA-301-1981-03-17-1バングラデシュ1981年03月17日1980年代ジア大統領,セネガル・マリ両国を公式訪問(~23日)―5日間の公式訪問で17日ジェッダ着,18日セネガルの首都ダカール着。20日共同声明を発表後マリの首都パマコ着,ムサ・トラオレ大統領と会談,21日共同声明を発表した。
DIA-301-1981-03-17-2バングラデシュ1981年03月17日1980年代ダッカ大学教師スト,中止。
DIA-301-1981-03-17-3バングラデシュ1981年03月17日1980年代JSD,「反ファシストの日」として集会・デモ。
DIA-301-1981-03-18-1バングラデシュ1981年03月18日1980年代オランダ,4700万ドルの贈与,協定に調印。
DIA-301-1981-03-19-1バングラデシュ1981年03月19日1980年代ECNEC,チッタゴン肥料工場プロジェクトを認可。総投資額は67.3億タカ(外貨分43.7億タカ)。
DIA-301-1981-03-19-2バングラデシュ1981年03月19日1980年代1981/82年度援助要請額は25億ドル―4月開催の債権国会議に提出するもので,1980/81年度は同会議が15億ドル,イスラム諸国3億ドルであった。
DIA-301-1981-03-19-3バングラデシュ1981年03月19日1980年代食糧の政府買上げ量は80万トン。
DIA-301-1981-03-23-1バングラデシュ1981年03月23日1980年代IDA,5000万ドル借款供与―中小規模の工業開発資金として工業開発銀行BSBから貸付けられる。これはIDAによる2回目の中小企業開発資金援助。
DIA-301-1981-03-23-2バングラデシュ1981年03月23日1980年代中央銀行,1980/81年度インフレ率は10%程度と推計。前年度は15%。
DIA-301-1981-03-24-1バングラデシュ1981年03月24日1980年代セクー・トーレ・ギニア大統領来バ(~28日)―ジア大統領と公式会談,26日には第10回独立記念式典に出席,27日に共同声明を発表,28日ジア大統領とともにイラン・イラク戦争調停のためジェッダへ向った。
DIA-301-1981-03-25-1バングラデシュ1981年03月25日1980年代アラファトPLO議長,チャティ・イスラム諸国会議事務局長ら来バ―両氏は26日に第10回独立記念式典に出席,バ政府関係者と会談した。アラファト議長の訪問は初めて。
DIA-301-1981-03-25-2バングラデシュ1981年03月25日1980年代ジア大統領,第10回独立記念日のメッセージ発表。
DIA-301-1981-03-25-3バングラデシュ1981年03月25日1980年代194人に特赦。
DIA-301-1981-03-26-1バングラデシュ1981年03月26日1980年代第10回独立記念日―ダッカで記念式典と軍事パレードが行なわれ,式典にはセクー・トーレ大統領,アラファト議長,チャティ事務局長も出席した。
DIA-301-1981-03-27-1バングラデシュ1981年03月27日1980年代イスラム技術職業訓練センター定礎式―イスラム諸国の資金援助で設立される同センター定礎式が行なわれ,チャティ事務局長が参加した。
DIA-301-1981-03-28-1バングラデシュ1981年03月28日1980年代ジア大統領,ジェッダへ出発(~4月2日)イラン・イラク戦争調停のための2回目の訪問。
DIA-301-1981-03-30-1バングラデシュ1981年03月30日1980年代IDA,1600万ドルの借款供与―技術協力で開発プロジェクトの立案,制度・機構改革の専門家派遣。
DIA-301-1981-03-31-1バングラデシュ1981年03月31日1980年代対バ援助国会議(食糧問題),ダッカで開催―バングラ政府は1984/85年度までの「中期食糧生産計画」を同会議に提出した。計画は84/85年度までに年産2000万トンを生産して食糧自給を達成することを目標とし,860億タカ(57億ドル)の投資を見込んでいる。うち27億ドルは国内で資金調達し,30億ドルを外国援助に期待している。
DIA-301-1981-04-01-1バングラデシュ1981年04月01日1980年代印バ国境問題討議(~3日)―BDR Atiqur Rahman長官(少将)とインド国境警備隊BSF Rama-murti 長官はダッカで会談,密輸および国境紛争の解決について協議。
DIA-301-1981-04-02-1バングラデシュ1981年04月02日1980年代ガンジス河印バ閣僚会議,ダッカで開催(~4日)―バ代表K.A.ホク灌漑相,インド代表ラオ農業灌漑相の閣僚級会議で,4日覚書きを発表,1977年のファラッカ協定が違反なく実行されたことを確認,協定の期限切れに伴う改訂については「政治的解決」に委ねることに合意した。
DIA-301-1981-04-02-2バングラデシュ1981年04月02日1980年代小規模工業・商業用電力料金,引下げ―昨年10月に遡ぼり実施される。
DIA-301-1981-04-02-3バングラデシュ1981年04月02日1980年代チッタゴン輸出加工区に30業種認可―政府は国内原料を使う6業種,輸入原料を使う24業種に設立認可を与えることを決めた,投資は①100%外国資本,②合弁資本,③100%国内資本のいずれでもよく,収入外貨の本国送金は自由。特典は資本財輸入関税免除,生産物の消費税および輸出関税免除。
DIA-301-1981-04-05-1バングラデシュ1981年04月05日1980年代閣僚更迭―マンスール・アリ繊維相,アタウディン・カーン人的資源担当国務相,A.M.シクダル工業担当相,F.フダ保健・家族計画担当相の4人は大統領に辞表を提出,受理された。
DIA-301-1981-04-05-2バングラデシュ1981年04月05日1980年代全国灌漑網建設プロジェクト2年目の実績―全国844プロジェクトが認可され,うち261は完成して43万エーカーを灌漑,残り583は5月末までに完成して112万エーカーを灌漑する予定。初年度は193プロジェクトを完成して55.2万エーカーを灌漑可能とした。
DIA-301-1981-04-06-1バングラデシュ1981年04月06日1980年代内閣小改造―繊維相にユースフ・アリ,公共事業担当国務相にジャマルッディン・シルカール,法律・議会担当相にA.S.タルクダール,人的資源担当相にS.M.ハッサンが任命され,M.A.マティン保健・家族計画相は青年対策相に転出,代りにファズル・カリムが任命された。
DIA-301-1981-04-06-2バングラデシュ1981年04月06日1980年代11企業,払い下げ―国有化企業のうち小規模11企業の払い下げが発表された。公開入札にする。
DIA-301-1981-04-07-1バングラデシュ1981年04月07日1980年代日本,172.5億円の借款供与―商品援助170億円とプロジェクト援助2.5億円の借款で覚書きに調印した。
DIA-301-1981-04-09-1バングラデシュ1981年04月09日1980年代民間銀行設立申請24件(外国銀行4件)。
DIA-301-1981-04-10-1バングラデシュ1981年04月10日1980年代ジュート輸出税引下げ―ジア大統領はジュート輸出促進のためその輸出税を引下げると発表した。
DIA-301-1981-04-10-2バングラデシュ1981年04月10日1980年代配給米・麦価格引上げ―政府は配給米価を1モーンド155.20タカへ,小麦を116タカへ引上げると発表した。政府の配給量は130~190万トン。
DIA-301-1981-04-10-3バングラデシュ1981年04月10日1980年代1981/82年度外国援助要請額は26.3億ドル―サイフル・ラーマン蔵相は債権国会議出席前に記者会見,会議で26.3億ドルの援助要請を行なうとのべた。内訳はプロジェクト援助15億ドル,商品援助9億ドル,食糧援助2.3億ドル。
DIA-301-1981-04-11-1バングラデシュ1981年04月11日1980年代国産化機械・設備の輸入禁止を決定。
DIA-301-1981-04-11-2バングラデシュ1981年04月11日1980年代サウジアラビアのファイサル外相,来バ(~13日)。
DIA-301-1981-04-13-1バングラデシュ1981年04月13日1980年代ジュート生産国会議開催―ジュート生産5カ国(印,バ,ネパール,タイ,ビルマ)はカルカッタで会議を開き,International Jute Organisation(IJO)結成について協議したが結論出ず15日終了した。
DIA-301-1981-04-15-1バングラデシュ1981年04月15日1980年代ジア大統領,ネパール訪問(~17日)―3日間の友好訪問で,ビレンドラ国王,ターパ首相らと会談。
DIA-301-1981-04-15-2バングラデシュ1981年04月15日1980年代バングラ債権国会議,パリで開催。
DIA-301-1981-04-19-1バングラデシュ1981年04月19日1980年代蔵相,債権国会議プレッジは17億ドルと発表―サイフル・ラーマン蔵相はパリから帰国して記者会見,債権国会議の1981/82年度援助プレッジ額は17億ドル(プロジェクト10.3億ドル,商品4.7億ドル,食糧2億ドル)で,前年度13億ドルより増加したとのべた。アラブ産油国,社会主義国の援助を含めると援助総額は23億ドルになると予想されている。
DIA-301-1981-04-21-1バングラデシュ1981年04月21日1980年代南アジア7カ国外務次官会議,コロンボで開催(~23日)―ジア大統領の呼びかけた南アジア地域協力について話し合う初めての7カ国外務次官会議で,その後の外相会議,首脳会議を準備する。出席国はインド,パキスタン,ネパール,ブータン,スリランカ,モルディブ,バングラデシュで,バングラはキブリア外務次官が出席した。会議は地域協力の内容をつめるため5つの研究グループを設立した。①農業,②農村開発,③電信,④気象,⑤保健・家族計画の5テーマで,研究調整国はそれぞれバングラデシュ,スリランカ,パキスタン,インド,ネパール。 会議は共同声明を発表,7カ国が地域協力にむかって歩みはじめたことの歴史的重要性を強調,協力の早期実現にむけて慎重かつ十分な準備のもとに一歩一歩前進すること,決定は全会一致を原則とし,2国間問題の討議はしないことに合意したとしている。
DIA-301-1981-04-22-1バングラデシュ1981年04月22日1980年代第2次計画の投資規模縮小を検討―計画相は国会答弁で「成長率目標,開発目的および戦略は不変のまま第2次計画の投資規模を縮小するよう検討している」とのべた。理由は外国援助が計画目標に達しないため。
DIA-301-1981-04-22-2バングラデシュ1981年04月22日1980年代ジア大統領,モロッコへ出発(~25日)―エルサレム問題討議のため。
DIA-301-1981-04-27-1バングラデシュ1981年04月27日1980年代ジュート輸出国会議,ダッカで開催(~28日)―UNDP,FAOの協力をえて,インド,中国,ネパール・タイ,バングラ等ジュート輸出国会議が開かれた。
DIA-301-1981-05-03-1バングラデシュ1981年05月03日1980年代ジア大統領,シリア訪問(~4日)―アサド大統領と会談,中東問題などについて意見交換。
DIA-301-1981-05-03-2バングラデシュ1981年05月03日1980年代食糧不足量は100万トン―カーン食糧相は1980/81年度すでに90万トンの食糧を買上げ,不足量は100万トン程度とのべた。
DIA-301-1981-05-03-3バングラデシュ1981年05月03日1980年代石油製品価格引上げ―石油輸入価格上昇に伴う措置で,1980年7月21日の値上げ以来のこと。ガソリンは1ガロン50タカ,オクタンは54.23タカ,ケロシンは17.65タカから23.03タカに引上げ,ディーゼルは23.06タカ。平均値上げ率は15.97%(前回は45.29%),ケロシンは27.48%。それでも政府は8.5億タカの損失になる。
DIA-301-1981-05-04-1バングラデシュ1981年05月04日1980年代ジア大統領,西独訪問(~9日)―5日間の公式訪問で,西独大統領,シュミット首相ら政府首脳およびブラント前首相と会談,ハンブルグ,デュッセルドルフを訪問して帰国した。6日には2つの協定に調印した。1つは投資促進・保護に関する協定,もう1つは1000万マルク(7800万タカ)工業クレジット供与に関する協定。
DIA-301-1981-05-07-1バングラデシュ1981年05月07日1980年代労組委員長と新聞記者,射殺―Jatiya Sra mik League(Mizan派)委員長と通信社BSS記者の2人が人力車に乗っているところを何者かに射殺された。
DIA-301-1981-05-08-1バングラデシュ1981年05月08日1980年代10政党,暗殺非難声明発表―2人の暗殺事件について,こうした事件は今や全国的に起っているがこれは政府の責任であると非難した。
DIA-301-1981-05-08-2バングラデシュ1981年05月08日1980年代イラク第1副首相,来バ(~10日)―ヤシン・ラマダーン第1副首相が公式訪問,7つの協定に調印した。①経済・技術協力,②長期貿易協定,③文化・科学協力(2年),④クルナ・セメント工場プロジェクト(875万ドル),⑤ガス・パイプライン(750万ドル),⑥技術者6000人の受入れ,⑦漁業協力。この他3000万ドルのプロジェクト借款を約束。
DIA-301-1981-05-11-1バングラデシュ1981年05月11日1980年代Gram Sarkar に民事司法権付与―チョードリ地方自治相は Union Parishad と同様,Gram Sarkar は担当する村内の紛争を解決するための民事司法権を付与されているとのべた。
DIA-301-1981-05-12-1バングラデシュ1981年05月12日1980年代ジア大統領,イラク・イラン戦争イスラム会議調停国としてイラク,イラン訪問(~14日)。
DIA-301-1981-05-12-2バングラデシュ1981年05月12日1980年代クエート,農村電化プロジェクトに2900万ドル援助。7年据置32年返済,利子率1.5%,手数料0.5%。
DIA-301-1981-05-12-3バングラデシュ1981年05月12日1980年代オランダ,5カ年間で13.65億タカの贈与約束。
DIA-301-1981-05-15-1バングラデシュ1981年05月15日1980年代外国民間投資―工業相は過去2カ年の外国民間投資は53件,12.5億タカになったと発表。大部分は合弁事業投資。外国投資が認可される分野は,①技術移転の必要な分野,②輸出指向工業,③国産原料使用工業,④雇用促進工業。
DIA-301-1981-05-15-2バングラデシュ1981年05月15日1980年代IDA,1800万SDRの借款―農業開発のためで,小農への手押ポンプ供与,農業協同組合員の訓練などに使われる。
DIA-301-1981-05-17-1バングラデシュ1981年05月17日1980年代ハシナ夫人,インドから帰国―BAL(マリク派)の党委員長に選出されたハシナ・ワジェド夫人(ムジブの長女)はインドでの6年間の亡命生活の後,帰国した。
DIA-301-1981-05-19-1バングラデシュ1981年05月19日1980年代South Talpatty 島問題でインド非難高まる―インドが同島に国境警備隊を送り「占領」したことに対し,各政党(BALを除く)がインド非難の声明を出した。
DIA-301-1981-05-19-2バングラデシュ1981年05月19日1980年代バ・ルーマニア合同経済委終る―1980~85年にルーマニアは5億ドルの援助を約束。
DIA-301-1981-05-19-3バングラデシュ1981年05月19日1980年代Jamaat党と自由戦士衝突,4人負傷。
DIA-301-1981-05-20-1バングラデシュ1981年05月20日1980年代ベルギー国王夫妻,来バ(~23日)。
DIA-301-1981-05-22-1バングラデシュ1981年05月22日1980年代ベルギーと2協定に調印―①投資促進・保護協定,②開発協力協定で,ベルギーは5カ年間に3400万ドルの技術協力を行なう。
DIA-301-1981-05-22-2バングラデシュ1981年05月22日1980年代Union Parishad の改選は1982年に行なう。同議会は1982年3月末で任期満了となる。
DIA-301-1981-05-24-1バングラデシュ1981年05月24日1980年代BNP党内粛清―党常任委員会は反党活動あるいは不正行為の理由で銀行職員組合委員長1人,党青年組織指導者6人を党から除名した。その後44人加えられ,計50人除名された。
DIA-301-1981-05-30-1バングラデシュ1981年05月30日1980年代ジア大統領,暗殺―早朝,チッタゴン迎賓館に宿泊中,マンズール少将・チッタゴン師団長によるクーデタにより殺害された。サッタル副大統領は直ちに大統領代行に就任,全土に非常事態宣言を出すと共にすべての国際協定を尊重すると発表,国民には平静と規律を守るよう訴えた。また三軍総司令官,国境警備隊長,警察長官らはサッタル大統領代行に忠誠を誓った。
DIA-301-1981-05-30-2バングラデシュ1981年05月30日1980年代反乱軍,「革命評議会」結成―憲法停止,政府・国会の解散,1972年の印バ友好協定破棄,飲酒・ギャンブル禁止などを布告(チッタゴン放送)。エルシャッド陸軍総参謀長ら6人を軍から追放すると発表。
DIA-301-1981-05-31-1バングラデシュ1981年05月31日1980年代サッタル大統領代行,反乱将兵に投降呼びかけ―6月1日朝6時を期限として投降するよう指示,投降しないものにはきびしい措置をとると警告。
DIA-301-1981-05-31-2バングラデシュ1981年05月31日1980年代エルシャッド陸軍総参謀長,反乱将兵に投降呼びかけ―すでに多くの将兵が投降しており,投降したものは罪を問わないと発表。
DIA-301-1981-05-31-3バングラデシュ1981年05月31日1980年代M.A.カーン海軍総参謀長,チッタゴンの海軍将兵は反乱に参加していないと発表。
DIA-301-1981-06-01-1バングラデシュ1981年06月01日1980年代チッタゴン反乱軍崩壊,マンズール少将殺害―反乱軍指導者マンズール少将はジープで家族と共に逃亡,保安隊に発見されてチッタゴン軍駐屯地に連行されたが,途中武装した群衆に襲撃されて死亡した。同行の中佐2人も死亡,15人逮捕。
DIA-301-1981-06-02-1バングラデシュ1981年06月02日1980年代反乱事件の軍法会議設置―裁判長はAbdur Rahman 少将(第55師団長)。
DIA-301-1981-06-02-2バングラデシュ1981年06月02日1980年代軍調査委員会設置―委員長はM.Hussain 少将。
DIA-301-1981-06-03-1バングラデシュ1981年06月03日1980年代国会再開―予算国会が再開され,アジズ首相は大統領選挙を180日以内に行うと発表。
DIA-301-1981-06-03-2バングラデシュ1981年06月03日1980年代野党,反乱事件を非難―BALはじめすべての野党が声明を発表,暴力による権力の奪取は許されないと非難すると共に,政府に民主主義を維持するよう訴え。
DIA-301-1981-06-05-1バングラデシュ1981年06月05日1980年代鉄道予算,国会提出―鉄道運賃引上げによる収入増を見込む(1等75%,2等40%,3等・貨物20%)。
DIA-301-1981-06-06-1バングラデシュ1981年06月06日1980年代1981/82年度予算案,国会提出―開発支出を前年度改訂より27.3%増加した意欲的なもので,GDP成長率7.2%を目標としている。外国援助依存は64%(詳細は資料参照)。
DIA-301-1981-06-06-2バングラデシュ1981年06月06日1980年代1980/81年度経済事情発表―GDP成長率7.6%,農業8.8%の好成果で,食糧生産は約1500万トン,前年度比165万トン増と推計されている(詳細は資料参照)。
DIA-301-1981-06-06-3バングラデシュ1981年06月06日1980年代反乱事件の民間調査委員会設置―調査委員長はR.Islam最高裁判事。
DIA-301-1981-06-07-1バングラデシュ1981年06月07日1980年代趙紫陽中国首相,来バ(~8日)―趙首相は故ジア大統領墓地に献花,サッタル大統領代行と会談,両国の友好を深めることを誓い合った。
DIA-301-1981-06-08-1バングラデシュ1981年06月08日1980年代サッタル大統領代行,国民に統一訴え―全国放送を通じ,「国家危機に際し今こそ国民が統一し連帯することが必要である」と訴えた。
DIA-301-1981-06-08-2バングラデシュ1981年06月08日1980年代BNP執行委,故ジア大統領の遺志を継いで民主主義を守り,繁栄をもたらすために努力すると決議。
DIA-301-1981-06-08-3バングラデシュ1981年06月08日1980年代エルシャッド陸軍総参謀長,チッタゴン訪問―ジア暗殺・反乱事件の起ったチッタゴン軍駐屯地で演説,全将兵の統一により国家を危機から守るよう訴えた。
DIA-301-1981-06-09-1バングラデシュ1981年06月09日1980年代Shawkat Ali 少将,中将に昇格して退役。外務省に属し待命する。
DIA-301-1981-06-09-2バングラデシュ1981年06月09日1980年代アジズ首相,軍の果たした役割を高く評価。
DIA-301-1981-06-09-3バングラデシュ1981年06月09日1980年代ジャマルッディン副首相・工業相,投資政策は不変と発表。
DIA-301-1981-06-09-4バングラデシュ1981年06月09日1980年代居住者の持込荷物制限,緩和。
DIA-301-1981-06-10-1バングラデシュ1981年06月10日1980年代M.A.Matin 少将,退役。
DIA-301-1981-06-10-2バングラデシュ1981年06月10日1980年代エルシャッド将軍,ボグラ軍駐屯地訪問ジア暗殺犯を厳罰にすると発言。
DIA-301-1981-06-10-3バングラデシュ1981年06月10日1980年代世銀,農業金融プロジェクトに4000万ドル貸与―浅井戸ポンプ設置と修理工場用施設のために農民に貸付けられる。
DIA-301-1981-06-10-4バングラデシュ1981年06月10日1980年代ジア暗殺犯2人に懸賞金―逃亡中の大佐2人を逮捕したものは,1人10万タカの懸賞金を与える。
DIA-301-1981-06-11-1バングラデシュ1981年06月11日1980年代Al-Mamun 少将,退役。
DIA-301-1981-06-12-1バングラデシュ1981年06月12日1980年代Feniでガス田発見―ペトロ・バングラによれば推定埋蔵量は1 trillion 立方フィート,深さ3200m。
DIA-301-1981-06-12-2バングラデシュ1981年06月12日1980年代国会,イスラエルのイラク原子炉爆破非難決議。
DIA-301-1981-06-12-3バングラデシュ1981年06月12日1980年代Md. Waziullah 准将,少将に昇格して退役。
DIA-301-1981-06-14-1バングラデシュ1981年06月14日1980年代オーストラリア首相特使,来バ(~16日)。
DIA-301-1981-06-16-1バングラデシュ1981年06月16日1980年代大統領選挙,9月21日―サッタル大統領代行は全国放送を通じ,次期大統領選挙は9月21日に行うと発表した。立候補届は8月10日。これに対し野党側は事前に何の相談もなかったとして一斉に反発している。
DIA-301-1981-06-16-2バングラデシュ1981年06月16日1980年代物価安定策発表―シディキ商相は生活必需品価格安定のため,緊急輸入,配給量増加,消費物資供給公社の販売量増加などの措置を発表した。とくに砂糖,食用油,塩,ケロシン,肉,魚,ミルク製品等の価格安定をはかる。
DIA-301-1981-06-19-1バングラデシュ1981年06月19日1980年代BAL(Hasina 派),選挙日変更を要求。
DIA-301-1981-06-19-2バングラデシュ1981年06月19日1980年代綿糸工場22,民間企業として設立認可。総 spindle 数は12,500。
DIA-301-1981-06-20-1バングラデシュ1981年06月20日1980年代ヌールル・イスラム農相,BNPに入党―イスラム農相(退役少将)は声明を発表,BNP幹事長,副幹事長,その他党指導者の要請もあり,BNPに正式に入党することを決意したとのべた。
DIA-301-1981-06-20-2バングラデシュ1981年06月20日1980年代イスラム農相,アクバル・ホセイン天然資源相,解任―サッタル大統領代行は20日夜,イスラム農相,ホセイン天然資源相(退役中佐)を解任したと発表。
DIA-301-1981-06-20-3バングラデシュ1981年06月20日1980年代サッタル大統領代行,陸軍総参謀本部を訪問。
DIA-301-1981-06-22-1バングラデシュ1981年06月22日1980年代BNP,大統領候補にサッタル氏を選出―BNP常任委員会は全会一致でサッタル大統領代行,党総裁代理を次期大統領候補に選出した。
DIA-301-1981-06-22-2バングラデシュ1981年06月22日1980年代日本と2つの覚書に調印―日本の無償協力34.4億円(2.6億タカ)の供与で,1つは農業高校(College)設立,もう1つは全国放送センター設立に使われる。
DIA-301-1981-06-23-1バングラデシュ1981年06月23日1980年代ソ連大使館,高度無電設備を不法輸入して押収。バ政府はソ連に厳しく抗議した。
DIA-301-1981-06-26-1バングラデシュ1981年06月26日1980年代米,5050万ドルの食糧援助―PL480タイトルⅢによる協定に調印,小麦20万トン,大豆油2.6万トンを供与する。
DIA-301-1981-06-27-1バングラデシュ1981年06月27日1980年代1981年センサス人口は8994万人,1974~81年の人口増加率は年平均2.36%。
DIA-301-1981-06-30-1バングラデシュ1981年06月30日1980年代1981/82年度輸入政策発表―商業輸入額は295億タカ,WES輸入額60億タカ。
DIA-301-1981-07-01-1バングラデシュ1981年07月01日1980年代憲法第6次改正案,国会提出―アジズ首相はサッタル大統領代行の大統領選挙出馬を可能にするため憲法第6次改正案を国会に提出した。野党は反対のため議場より退席。
DIA-301-1981-07-01-2バングラデシュ1981年07月01日1980年代1981/82輸出政策発表―輸出目標は150億タカ,うちジュート・同製品輸出は91.5億タカ(61%),ナフサ等6.6億タカ,皮革製品12億タカ,冷凍食品9億タカ,茶7.7億タカ,農作物(果実,野菜,タバコ他)11.35億タカ。
DIA-301-1981-07-02-1バングラデシュ1981年07月02日1980年代官史114人,昇格―総理府は114人を昇格,Additional Secretary 12人,Jt.Secretary 24人,De-puty Secretary 78人を任命した。
DIA-301-1981-07-05-1バングラデシュ1981年07月05日1980年代首相,憲法改正で野党の協力要請―野党が国会審議をボイコットしているため。
DIA-301-1981-07-05-2バングラデシュ1981年07月05日1980年代BNP常任委,BNP国会議員に憲法改正を支持するよう要請。
DIA-301-1981-07-07-1バングラデシュ1981年07月07日1980年代ギニア首相,来バ(~9日)―セクー・トーレ大統領の特使 L.Beavogui 首相は外相と共に来バ,故ジア大統領の墓に献花した。Beavogui 首相はサッタル大統領代行,アジズ首相らと会見した。
DIA-301-1981-07-08-1バングラデシュ1981年07月08日1980年代憲法第6次改正案,国会通過―これにより大統領,副大統領,首相はいずれも再選のための立候補が可能となった。
DIA-301-1981-07-10-1バングラデシュ1981年07月10日1980年代チッタゴン反乱事件の軍法会議開催,議長は少将,メンバーは准将以下6人。
DIA-301-1981-07-10-2バングラデシュ1981年07月10日1980年代BAL(H),大統領選挙参加4条件発表―BAL(H)中央執行委が決議したもので,①非常事態宣言の撤廃,②政治犯釈放,③選挙日を11月まで延期,④選挙人名簿改訂の4条件を7月31日までに満すよう要求。
DIA-301-1981-07-12-1バングラデシュ1981年07月12日1980年代JSD,選挙参加5条件を発表―①投票日を11月第3週とする,②選挙人名簿改訂,③非常事態宣言の解除,④憲法第6次改訂破棄,⑤弾圧法破棄。
DIA-301-1981-07-12-2バングラデシュ1981年07月12日1980年代BNP,12人除名―BNP労働戦線8人,青年戦線4人に対し,党規違反を理由に除名。
DIA-301-1981-07-17-1バングラデシュ1981年07月17日1980年代ジア殺害犯について―政府は Press Note を発表,殺害犯はすべて軍人であり軍法会議で裁かれるが,自らの弁護士を軍人の中から選ぶことができるし,民間の弁護士と相談することも可能だとのべた。
DIA-301-1981-07-19-1バングラデシュ1981年07月19日1980年代野党18政党,統一候補たてる―反BNP,反BAL の中道政党18党は National Front を結成,統一候補をたてて大統領選挙に参加することを決めた。条件は①,投票日を11月第3週に延期すること,②非常事態宣言の撤廃,③全政治犯釈放,④弾圧法撤廃,⑤すべての大統領候補者への機会均等,⑥政治的弾圧の中止。
DIA-301-1981-07-20-1バングラデシュ1981年07月20日1980年代Shawkat Ali 退役中将,駐エジプト大使に。
DIA-301-1981-07-20-2バングラデシュ1981年07月20日1980年代日本,272.5億円の借款供与―商品援助175億円(工業原材料・部品,機械,肥料など),プロジェクト援助97億円(チッタゴン尿素肥料工場)。
DIA-301-1981-07-21-1バングラデシュ1981年07月21日1980年代全国灌漑網建設プロジェクトの成果―1980年乾期の第2段階で865本のキャナルが新・改築され,155万エーカーで灌漑しうるようになった。また79本については建設中。1979年乾期の第1段階では193本のキャナルが新・改築され,55.2万エーカーで灌漑している。この結果,210万トンの食糧増産が可能となった。
DIA-301-1981-07-21-2バングラデシュ1981年07月21日1980年代日本から125万タカ相当の農機具,部品供与。
DIA-301-1981-07-21-3バングラデシュ1981年07月21日1980年代中・バ,第5次バーター協定に調印―片道3750万ドル。
DIA-301-1981-07-23-1バングラデシュ1981年07月23日1980年代空軍総参謀長,更迭―Sadruddin 空軍少将・総参謀長は退役し,Sultan Mahmud bin Uttan 空軍大佐が准将に昇格して総参謀長に任命された。
DIA-301-1981-07-23-2バングラデシュ1981年07月23日1980年代ホク外相,インド非難―記者会見で,「インドとはガンジス河川水配分,国境画定,South Talpatty 島領有権,海上境界線の画定などの問題を抱えている。インドはこれまで何度もその態度を一方的に変えており,それが両国のクレディビリティ・ギャップを拡大した」とのべた。
DIA-301-1981-07-24-1バングラデシュ1981年07月24日1980年代Aman 米買上げ価格決定―モミ米は1モーンド115タカ,精米は175タカ(運賃5タカ分含む)。
DIA-301-1981-07-25-1バングラデシュ1981年07月25日1980年代水資源相,ガンジス河上流の水利用に懸念―A.ハク水資源相は記者会見で,インドがUP州のガンジス河上流にあるMadhya Ganga Project で5000~7000cusecs の河川水を使っているため下流への流水量が減少,乾期の水不足を深刻にしていると発言した。
DIA-301-1981-07-27-1バングラデシュ1981年07月27日1980年代大統領選挙日,10月15日に延期―政府は野党の要求により選挙日を延期,立候補届期限は9月7日。
DIA-301-1981-07-28-1バングラデシュ1981年07月28日1980年代オスマニ将軍,立候補表明―市民団体であるCitizens’National Committee の推薦によるもので,条件は選挙日の11月末への延期公約は,①議会制民主主義の確立,②非同盟外交,③自立経済の達成と福祉,④貧しい人々の生活向上。
DIA-301-1981-07-29-1バングラデシュ1981年07月29日1980年代OPEC,2500万ドル借款供与。国際収支援勘。
DIA-301-1981-07-30-1バングラデシュ1981年07月30日1980年代物価急騰―断食明け祭りのため食糧品中心に物価上昇が目立っている。
DIA-301-1981-07-30-2バングラデシュ1981年07月30日1980年代バ共産党書記長 Md. Farhad 釈放。1980年1月に逮捕されていた。
DIA-301-1981-08-04-1バングラデシュ1981年08月04日1980年代ジア暗殺事件白書,発表―政府はジア暗殺事件に関する白書を作成,発表した。それによると主謀者マンズール少将は1977年11月にチッタゴン師団長に左遷されて以来,クーデターによる権力の奪取をねらっていた。そのため慎重に計算した計画をたてた。自分の配下にF.F.(自由戦士=独立戦争参加兵士)を集め,チッタゴン師団の主要なポストを彼らで固め,機会を待った。ジア大統領のチッタゴン滞在が決まって計画は急拠実行されることになった。ジア暗殺後革命委員会を設立,師団本部に全将校を集めて忠誠を誓わせ,他の師団長にも決起をうながすと共に,ダッカの陸軍本部と交渉をはじめた。しかし,他の師団からの反応はなく,クーデター計画は坐折した。軍事裁判所検事は暗殺事件に関与した将兵31人に死刑を求刊した。
DIA-301-1981-08-05-1バングラデシュ1981年08月05日1980年代食糧貯蔵能力,180万トンに―1981年6月末の貯蔵能力は130万トン,これを1982年6月末までに180万トンとする。
DIA-301-1981-08-05-2バングラデシュ1981年08月05日1980年代食糧供出量,100万トン―1980/81年度供出量は100万トンで史上最高。
DIA-301-1981-08-06-1バングラデシュ1981年08月06日1980年代F.F.の3組織,政府批判―3組織代表が記者会見,「容疑者は十分な弁護の機会を与えられていない。軍法会議のメンバーはF.F.に反対している軍人で占められており,公正な裁判は期待できない。裁判は一般裁判所でなされるべきである」とのべ,同時にまた政府に対し故ムジブル・ラーマン大統領殺害者の公開裁判をも要求した。
DIA-301-1981-08-12-1バングラデシュ1981年08月12日1980年代食糧不足量は100万トンと推計(1980/81)。
DIA-301-1981-08-14-1バングラデシュ1981年08月14日1980年代外務省スポークスマン,サウジの中東包括和平8項目提案を歓迎すると発表。
DIA-301-1981-08-17-1バングラデシュ1981年08月17日1980年代オスマニ将軍,選挙キャンペーン始める。
DIA-301-1981-08-19-1バングラデシュ1981年08月19日1980年代化粧品工場労働者の最低賃金勧告―労働日を月26日,1日8時間労働として,未熟練工の最低賃金は月495タカ,準熟練工560タカ,熟練工は703タカとすることが勧告された。
DIA-301-1981-08-19-2バングラデシュ1981年08月19日1980年代日本援助のホテル開業,Hotel Sonargaon で客室337。
DIA-301-1981-08-20-1バングラデシュ1981年08月20日1980年代アメリカと3援助協定に調印―①肥料流通改善事業3000万ドル(肥料輸入も含む),②農村電化プロジェクトに2000万ドル,③Zilla Parishad の道路改修に310万ドル,合計5310万ドル。
DIA-301-1981-08-21-1バングラデシュ1981年08月21日1980年代米国連大使,来バ―カークパトリク米国連大使は3日間の公式訪問を行ない,サッタル大統領代行,アジズ首相らと会見,アメリカの対バ経済援助の継続を約束した。
DIA-301-1981-08-21-2バングラデシュ1981年08月21日1980年代西独とチッタゴン農業開発における技術協力に調印。農民グループを組織し,浅井戸ポンプを購入させ,機械のメインテナンス,修理,部品は無料で供与する。
DIA-301-1981-08-24-1バングラデシュ1981年08月24日1980年代ジュート生産国連合,結成―18日からバンコクで開かれたジュート生産国の会議(ESCAP主催)で原則として結成に同意された,本部はまわり持ちとし,年最低2回は会合をもつ。
DIA-301-1981-08-25-1バングラデシュ1981年08月25日1980年代ASCOBIPS,設立―バングラ,インド,パキスタン,スリランカの船舶協会連合会(Association of Shippers Councils)設立。目的はこれら地域のShi-ppers の利益を守り,促進するべく相互協力すること。
DIA-301-1981-08-25-2バングラデシュ1981年08月25日1980年代F.F.3組織,ジア殺害犯の公開裁判要求―同3組織合同会議の議長 Kazi Nuruzzaman 中佐(退役)は「ジア大統領は根の深い陰謀の犠牲者であり,ジア殺害犯裁判の名の下にF.F.を軍から排除することが画策されている」とのべ,公開裁判にするよう要求した。
DIA-301-1981-08-26-1バングラデシュ1981年08月26日1980年代BAL(H),半日スト呼びかけ―全国各地で衝突事件が発生,1人死亡,15人負傷,政府のバス・トラックなど17台が破損した。
DIA-301-1981-08-28-1バングラデシュ1981年08月28日1980年代1980年代経済開発行動計画発表―政府は9月初からパリで開催される国連主催発展途上国会議に提出する行動計画を立案,発表した。これは第2次,第3次5カ年計画期に当る1980年代10年間の経済開発計画で,投資総額は7130億タカ(約475億ドル)。うち3400億タカ(227億ドル)は国内資金(48%),3700億タカ(248億ドル)は外国援助資金(52%)で充当する。期間別では第2次5カ年計画期が2559億タカ,年平均GDP成長率を7.2%,第3次5カ年計画期が4571億タカ,年成長率を7.5%としている。目的は貧困,失業,文盲,栄養不良,低生活水準から脱却し,Basic Human Needs を十分供給することにおかれる。目標は貧困層の1人当り所得増加,就業機会を入口増加率より高くし,人口増加率を抑え,所得,機会のより平等な配分,自給水準以上への食糧増産,社会・経済インフラ整備と制度的改革,輸出拡大,経済開発スピード向上をねらう。
DIA-301-1981-08-29-1バングラデシュ1981年08月29日1980年代シレット Manu 河プロジェクト(総工費6.324億タカ)は順調に進展,4.8万エーカーを灌漑しうることになった。
DIA-301-1981-09-01-1バングラデシュ1981年09月01日1980年代サウジアラビアから1億ドル借款―食糧・機械部品等の輸入資金及び工業銀行資金に使用される。
DIA-301-1981-09-01-2バングラデシュ1981年09月01日1980年代イギリス,1750万ポンド援助―468万ポンド(1.73億タカ)は贈与,残り1282万ポンド(4.75億タカ)は90メガワット発電所建設借款。
DIA-301-1981-09-01-3バングラデシュ1981年09月01日1980年代オランダ,6000万ギルダーの追加援助―すでに供与された9400万ギルダー(3900万ドル)に追加され,総額6400万ドルの贈与となる。
DIA-301-1981-09-02-1バングラデシュ1981年09月02日1980年代BAL系の学生組織,分裂―バ学生連盟(BCL)の内部対立はBALの努力も空しく修復できず,BCL-Kader 派と BCL-Chunnu 派に分裂した。
DIA-301-1981-09-02-2バングラデシュ1981年09月02日1980年代10政党指導者,チッタゴン反乱事件で軍事法廷で死刑判決を受けた将校12人の処刑中止と公開裁判を要求。10政党はBAL(ハシナ派),JSD,CPBなど。
DIA-301-1981-09-02-3バングラデシュ1981年09月02日1980年代イスラム開発銀行IDB,900万ディナール借款―1200万ドルでインドネシアからセメントを輸入する。
DIA-301-1981-09-03-1バングラデシュ1981年09月03日1980年代野党指導者735人,BNPに加入―バ民主連盟,労働党などの指導者が中心。
DIA-301-1981-09-05-1バングラデシュ1981年09月05日1980年代大統領選挙日,11月15日に再延期―野党の要求を入れて再延期したもの。
DIA-301-1981-09-06-1バングラデシュ1981年09月06日1980年代サッタル大統領代行はユニオン議会選挙を1982年9月に行なうと発表した。
DIA-301-1981-09-06-2バングラデシュ1981年09月06日1980年代野党,反政府運動を手控え。選挙日再延期のため。
DIA-301-1981-09-07-1バングラデシュ1981年09月07日1980年代ポーランドと片道2760万ドルのバーター協定。
DIA-301-1981-09-08-1バングラデシュ1981年09月08日1980年代南アジア7カ国農業協力会議開催(~9日)―4月のコロンボ会議で決められたもので,農業に関する域内協力を推進するための方策を検討した。
DIA-301-1981-09-10-1バングラデシュ1981年09月10日1980年代銀行員スト―政府は国有化銀行員ストを違法として警告したがほぼ全銀行の職員がスト参加。
DIA-301-1981-09-11-1バングラデシュ1981年09月11日1980年代シャムスル・ホク外相,訪印(~13日)―両国間紛争を取除くためのもので,ホク外相は12日にラオ外相と2度に亘り会談し,ガンディー首相,レディ大統領とも会見した。13日印バ共同声明を発表,両国関係の改善のために今後も話し合いを継続することで合意した。
DIA-301-1981-09-12-1バングラデシュ1981年09月12日1980年代中央銀行総裁,金融引締めを発表―バ商工会議所連盟との会議の中で総裁は「現在の金融状況下では銀行貸付けを縮小しマネーサプライを削減することが必要だ」とのべた。そのためキャッシュ・クレジット額を5%引下げ,L/C信用状開設保証金を引上げることにしたという。但し工業用原材料や基礎消費財の輸入についての負担は最少限に抑える。
DIA-301-1981-09-13-1バングラデシュ1981年09月13日1980年代チッタゴン反乱事件犯人12人の処刑に反対して犯人家族など15人がハンスト,これに対して,処刑実施を主張するグループも14日からハンスト。
DIA-301-1981-09-15-1バングラデシュ1981年09月15日1980年代1981/82茶政策―生産目標は9500万ポンド(前年度9000万ポンド),輸出目標は7600万ポンド(約7.7億タカ)。
DIA-301-1981-09-16-1バングラデシュ1981年09月16日1980年代ソ連援助,7350万ドルの2協定に調印―①ゴラサール発電所建設計画で天然ガス利用の火力発電所(210メガワット)建設。7220万ドルで1984年に完成予定。条件は1984年12月から10年間に20回の均等払いで利子率3%。②技術協力130万ドル。
DIA-301-1981-09-17-1バングラデシュ1981年09月17日1980年代米国と原子力平和利用に関する協定に調印―米国はバングラに3メガワットの Triga Mark Ⅱの研究用原子炉を供与する。
DIA-301-1981-09-17-2バングラデシュ1981年09月17日1980年代サイフール蔵相,金融引締めを強調―ダッカ商工会議所主催の会議で蔵相は「我々は経済の安定的成長を望んでいるのであって,今のまま信用拡大が続くなら,さらに厳しい措置を取らねばならなくなろう」とのべた。
DIA-301-1981-09-19-1バングラデシュ1981年09月19日1980年代政府,8銀行組合の登録をキャンセル―労働法に反し違法ストを行ったため。
DIA-301-1981-09-21-1バングラデシュ1981年09月21日1980年代大統領選挙立候補届最終日,83人が立候補―過去最高の立候補者数となった。主な立候補者は与党のBNPがアブダス・サッタル大統領代行,野党はカマル・フセイン(BAL ハシナ派),オスマニ将軍(全国人民党),M.A.ジャリル(民族社会党),A.サブール(バ回教徒連盟),ムザファール・アーメド(全国人民党ムザファール派),M.トーハ(愛国戦線),A.ラヒーム(イスラム民主連盟),A.ラズィー(人民連盟)・ワシウッディン将軍(独立)など。
DIA-301-1981-09-22-1バングラデシュ1981年09月22日1980年代非常事態宣言,撤廃―5月30日に公布されていたもの。
DIA-301-1981-09-22-2バングラデシュ1981年09月22日1980年代最高裁,チッタゴン反乱事件判決上告訴えを却下。
DIA-301-1981-09-22-3バングラデシュ1981年09月22日1980年代アジア開発銀行と4450万ドルの2協定に調印―①発・送電施設改修工事で2650万ドル(10年据置40年返済手数料1%),②北部地方の農業開発計画で1800万ドル(8年据置25年返済利子率1%)。
DIA-301-1981-09-23-1バングラデシュ1981年09月23日1980年代チッタゴン反乱事件犯人12人の死刑執行。内訳は准将1人,大佐2人,中佐2人,少佐4人,大尉2人,中尉1人。
DIA-301-1981-09-23-2バングラデシュ1981年09月23日1980年代ダッカで終日処刑抗議デモ。各地で警察隊と衝突,政府のバス6台炎上。逮捕者79人。
DIA-301-1981-09-23-3バングラデシュ1981年09月23日1980年代クウェートからボーイング707,贈与。
DIA-301-1981-09-25-1バングラデシュ1981年09月25日1980年代ダッカ大学図書館で不審火。
DIA-301-1981-09-25-2バングラデシュ1981年09月25日1980年代英国,1500万ポンド(5.2億タカ)の商品贈与。タイドグラントで農業資材・工業原料・機械等輸入。
DIA-301-1981-09-26-1バングラデシュ1981年09月26日1980年代BAL ハシナ派,大統領選挙を単独で闘うと決定―これで野党が統一候補をたてる試みは失敗した。
DIA-301-1981-10-01-1バングラデシュ1981年10月01日1980年代オーストラリアで開催の英連邦首脳会議で,アジズル・ラーマン首相演説。
DIA-301-1981-10-03-1バングラデシュ1981年10月03日1980年代サッタル大統領代行,農村防衛隊VDPの役割強調―VDPは地方の法と秩序を維持し,経済開発に貢献する役割を担っており,現在全国で1000万人を数える。
DIA-301-1981-10-04-1バングラデシュ1981年10月04日1980年代独立戦争参加兵士F.F.の新組織結成―Ja-tiya Muktijoddha Sangsad で,これまで作られたF.F.の3つの組織がいずれも現政権反対勢力に支配されているため新たに政府系の組織をつくったもの。代表はM.R.Khan氏で121人の全国委員会メンバーも任命された。同組織はエルシャッド陸軍総参謀長を第一顧問とした。
DIA-301-1981-10-05-1バングラデシュ1981年10月05日1980年代BAL ハシナ派の大統領候補カマル・ホセイン元外相は選挙演説の中で同党が故ムジブル・ラーマン大統領提唱の「農民・労働者アワミ連盟(BAKSAL)」構想実現を追求するとのべた。またBAKSAL構想と民主主義とは矛盾しないとのべ,さらにBALはインドあるいは他のいかなる国との関係で国の利益を犠牲にして妥協したことは一度もないとのべた。
DIA-301-1981-10-06-1バングラデシュ1981年10月06日1980年代バングラ外務省スポークスマンは,インドが South Talpatty 島から国境警備隊を引揚げたことについて満足しているとの声明を発表した。
DIA-301-1981-10-11-1バングラデシュ1981年10月11日1980年代JSD ら3政党の統一大統領候補ジャリル氏,選挙活動開始―JSD,労働者党BWP,労働者・農民社会党SKSDの3政党はジャリル JSD委員長を統一大統領候補に選出した。ジャリル氏は選挙活動を開始,各行政段階に人民委員会を設置し,上から下への官僚支配をなくして政治・行政の民主化を実現するとのべた。
DIA-301-1981-10-12-1バングラデシュ1981年10月12日1980年代BAL ハシナ派委員長ハシナ・ワジド夫人は選挙演説の中で「BAKSAL構想に反対する勢力は国民の敵である」とのべ,他政党の反発を招いた。
DIA-301-1981-10-13-1バングラデシュ1981年10月13日1980年代IFAD 2300万ドルの借款供与―ジェソール,ファリドプール2県の農家23万戸に農業信用として貸付けられ,農村開発に寄与するもの。条件は10年据置50年返済,手数料1%。
DIA-301-1981-10-14-1バングラデシュ1981年10月14日1980年代大統領選挙候補者39人に―立候補届83人のうち11人が資格なしと判定されて72人残り,うち33人が立候補を辞退したために39人で争うことになった。女性1人を含む。有権者は3893万人(男2033万9731人,女1859万4759人),投票所は全国2万1862カ所。
DIA-301-1981-10-14-2バングラデシュ1981年10月14日1980年代選挙シンボル決る―選挙管理委員会は使用できる選挙シンボル70種を提示し,各候補者に選択させた。この結果は次の通り。サッタル BNPは稲穂,フセインBAL は舟,ジャリル JSDは松明,トーハ愛国戦線はランプ,オスマニ将軍は梯子,ムザファール NAPは小屋。
DIA-301-1981-10-14-3バングラデシュ1981年10月14日1980年代基本資材,原料輸入信用状開設保証金,引下げ―政府は金融引締め措置との関連で基本資材,原料輸入の場合,その信用状開設保証金 L/C Marginを,通常の輸入のときには現行25%を15%に,WESによる輸入のときには現行40%を30%に引下げると発表した。
DIA-301-1981-10-16-1バングラデシュ1981年10月16日1980年代小麦の政府買上げ価格,1モーンド115タカ。
DIA-301-1981-10-16-2バングラデシュ1981年10月16日1980年代輸入許可書の発給認める―政府は外貨事情が逼迫したため1981/82年度輸入計画295億タカについての輸入許可書の発給を中止してきた。しかし外貨事情好転のためその発給を認めることにした(注:IMFが拡大信用供与措置による資金供与を停止したために外貨不足となり,バングラ政府は,独立後初めて外国商業銀行から約2億ドルの資金借入れをしたといわれる)。
DIA-301-1981-10-16-3バングラデシュ1981年10月16日1980年代民間銀行設立申請で3銀行に認可。
DIA-301-1981-10-17-1バングラデシュ1981年10月17日1980年代サッタル大統領代行,BAL ハシナ派を厳しく批判―北部バングラ各地で選挙演説を行なったサッタル候補はとくにBAL ハシナ派に対して攻撃を集中している。「BALは政権担当時国民の自由を圧殺,報道機関を弾圧,政治的暗殺を行い,投票箱を奪い,汚職・不正にふけった。何より許し難いのは1974年の飢饉に際し外国援助の食糧をインドに密輸出して60万人を餓死させたことである。その彼らが民主主義を主張するのはおかしなことだ」。
DIA-301-1981-10-19-1バングラデシュ1981年10月19日1980年代メキシコ・カンクンで開催の南北サミットにはサッタル大統領代行にかわってラーマン首相が出席。
DIA-301-1981-10-20-1バングラデシュ1981年10月20日1980年代日本と総額29.2億円の2つの覚書きに調印―①日本・ビルマから米の輸入,17億円と運賃3.8億円(1.59億タカ),②N-N地区での灌漑パイロットプロジェクト8.4億円(6400万タカ)。
DIA-301-1981-10-21-1バングラデシュ1981年10月21日1980年代NAP ムザファール候補,バングラをアフガニスタン,アルジェリア,リビア,イエメン型の国にすることが同党の目標と発言。
DIA-301-1981-10-23-1バングラデシュ1981年10月23日1980年代ジャリルJSD候補,BAL ハシナ派とBNPはひとつのコインの表裏であり,いずれも人民の味方ではないと発言。
DIA-301-1981-10-27-1バングラデシュ1981年10月27日1980年代M.トーハ愛国戦線候補者はダッカで演説,BAL ハシナ派,BNPいずれも民主主義を信じておらず国民の困難を解決する意志もないと発言。
DIA-301-1981-10-28-1バングラデシュ1981年10月28日1980年代サッタル大統領代行,平和と安定を選択するよう訴え―故ジア大統領はバングラデシュを絶望と不安定の状況から救い出し,その19項目プログラムを実施して経済を発展させ,平和と安定をもたらした。今回の大統領選挙によって国民がこうした平和と安定を選ぶか,あるいはBAL政府時代の暗黒に戻るか,重要な選択をしよう。
DIA-301-1981-11-02-1バングラデシュ1981年11月02日1980年代6ジュート工場でスト―賃金・手当の増額を要求してのスト。
DIA-301-1981-11-02-2バングラデシュ1981年11月02日1980年代第2回南アジア諸国外務次官会議開催(~4日)―ネパールのカトマンドゥで開かれた外務次官会議は,先のコロンボ会議で設置された5つのスタディ・グループの報告を検討すると共に,南アジア地域協力の制度的枠組,外相会議開催の可能性について協議した。4日共同声明を発表,6~8カ月以内に再度外務次官会議を開くこと,さらに3つのスタディ・グループ(輸送,郵便,科学技術)を設置することを決めた。
DIA-301-1981-11-06-1バングラデシュ1981年11月06日1980年代サッタル大統領代行,BALを激しく非難―大統領選挙演説の中でサッタル氏はBAL フセイン候補に非難を集中,BALこそバングラの民主主義を否定し,経済を混乱させた元凶であるとのべた。与党の対BAL非難がエスカレートする中で,与党BNPとBALの活動家の衝突事件が急増している。
DIA-301-1981-11-08-1バングラデシュ1981年11月08日1980年代食糧備蓄量は140万トン。
DIA-301-1981-11-10-1バングラデシュ1981年11月10日1980年代カプタイ火力発電所第3 Unit 建設完成。出力は50MW。
DIA-301-1981-11-15-1バングラデシュ1981年11月15日1980年代大統領選挙実施―立候補者39人のうち8人が辞退を表明したため31人が激しい選挙戦を展開した。有権者数は3895万1014人,投票所は全国2万1865カ所に置かれた。投票は非常に平和的に実施されたが,チッタゴン及びフェニで若干混乱があった。
DIA-301-1981-11-15-2バングラデシュ1981年11月15日1980年代BALフセイン候補,記者会見―少数民族,宗派の人々は自由に選挙できず,選挙結果も政府が諮意的に発表しており,明らかな不正があったとのべた。
DIA-301-1981-11-15-3バングラデシュ1981年11月15日1980年代選挙管理委員会,選挙に不正はなかったと発表。
DIA-301-1981-11-16-1バングラデシュ1981年11月16日1980年代サッタル氏,地すべり的勝利―選管非公式発表によると,与党BNP候補者サッタル氏が有効投票の65.8%を獲得,地すべり的勝利を収めた。BAL フセイン候補は2位で26.4%,3位は宗教指導者・無所属のフブール候補で1.8%,次いでオスマニ候補1.4%,ジャリル候補1.2%,ムザッファール候補1.0%となっている。
DIA-301-1981-11-16-2バングラデシュ1981年11月16日1980年代サッタル大統領代行,記者会見―国民はBAKSAL構想を否定し,法と秩序,平和,民主主義,繁栄を選択した。
DIA-301-1981-11-16-3バングラデシュ1981年11月16日1980年代野党,一斉に選挙における不正を批判する声明。
DIA-301-1981-11-17-1バングラデシュ1981年11月17日1980年代アジア開発銀行,チッタゴン尿素肥料工場建設に7200万ドル借款供与。
DIA-301-1981-11-18-1バングラデシュ1981年11月18日1980年代サッタル大統領代行,関係省庁に物価安定を最優先させるよう指示。
DIA-301-1981-11-19-1バングラデシュ1981年11月19日1980年代タカの対米ドルレート変更―1ドル18.2タカから19タカに引上げ。
DIA-301-1981-11-19-2バングラデシュ1981年11月19日1980年代オランダ,4億タカ贈与―綿花・肥料輸入。
DIA-301-1981-11-20-1バングラデシュ1981年11月20日1980年代サッタル氏,大統領に就任―全国放送を通じて「平和と民主主義を守り,国の繁栄のため全国民の協力と団結」を呼びかけた。
DIA-301-1981-11-20-2バングラデシュ1981年11月20日1980年代選管,大統領選挙最終結果発表―有効投票数2167万7560,無効投票数33万2524,計2201万0084票で投票率は56.5%。サッタル氏の得票は1420万3958,有効投票の65.5%,フセイン氏は563万6113,同26.0%となっている。
DIA-301-1981-11-23-1バングラデシュ1981年11月23日1980年代副大統領にM.N.フダ博士任命―サッタル大統領は前蔵相・大統領経済顧問のM.N.フダ博士(62)を副大統領に任命した。24日就任。
DIA-301-1981-11-23-2バングラデシュ1981年11月23日1980年代1981/82年度食糧生産,1590万トンと推計―農業省の推計で,内訳はAus米320万トン(実績),Aman米750万トン(第3次推計で,旱魃と病害で目標より70万トン減)。Boro米310万トン(目標で当初目標270万トンを引上げ),小麦210万トン(目標で当初目標190万トンを引上げ)となっている。
DIA-301-1981-11-25-1バングラデシュ1981年11月25日1980年代インドから少数民族帰還―印バ両国の合意の下にインドに流入したチャクマ族など1万8000人をチッタゴン丘陵地帯に帰還させることになり,その第一陣が帰国した。12月5日までに完了する。
DIA-301-1981-11-26-1バングラデシュ1981年11月26日1980年代ゴンサルベス・インド外務次官,来バ―国境問題に関する話し合いのためで,27~28日の2日間両国外務次官会談がもたれた。28日共同新聞発表を行ない,1982年1月に開かれる予定の両国外相会議で最終結論を出すことになった。
DIA-301-1981-11-27-1バングラデシュ1981年11月27日1980年代内閣改造―サッタル大統領は大臣23人,国務相15人,副大臣4人,計42人の閣僚を任命した。うち新人は9人で,旧閣僚10人が閣外に去っている。首相は変らず,副首相は2人のうちS.A.Bariが閣外に去り,ジャマルッディン工業相のみが残った(新閣僚名簿は資料参照)。新閣僚名簿について回教徒連盟書記長は声明を発表,これを歓迎した。
DIA-301-1981-11-28-1バングラデシュ1981年11月28日1980年代エルシャッド陸軍総参謀長,「バングラデシュにおける軍の役割」と題する声明を発表,クーデターの再発を防ぐため軍が政治に関与しうるよう憲法上の保証をすべきであると主張した。
DIA-301-1981-11-28-2バングラデシュ1981年11月28日1980年代カナダと3つの援助協定に調印―総額16.5億タカ(1.057億カナダ・ドル)の贈与で,3年間で供与する。①肥料供給援助(MPを5000万カナダドル),②工業用原材料供給援助(パルプ,銅,アルミなど3000万カナダドル),③チッタゴン肥料工場への協力(2500万カナダドル)。
DIA-301-1981-12-04-1バングラデシュ1981年12月04日1980年代1981/82年次開発支出,10%削減―計画委員会は国内資金不足のため公共部門開発支出を計画の301.5億タカから271.5億タカへ10%削減すると発表した。これに伴い部門別投資も減額された。農業部門は39.7億タカ(計画では41.8億タカ),工業部門36.8億タカ(同39.6億タカ),洪水防禦・灌漑など40億タカ(同45.1億タカ)。
DIA-301-1981-12-05-1バングラデシュ1981年12月05日1980年代物価状況―Aman米の市場流入につれ,例年米価の下落する時期になったが,Aman生産が不作のため米価は殆ど下っていない。
DIA-301-1981-12-05-2バングラデシュ1981年12月05日1980年代輸出目標引下げ―1981/82年度輸出目標は150億タカのところ達成見込がないため,130億タカに引下げられた。ジュート・ジュート製品の輸出目標は80億タカ(当初目標は91.5億タカ)。国際的不況で輸出量が伸び悩んでいるほか,輸出価格が下落しているため。
DIA-301-1981-12-06-1バングラデシュ1981年12月06日1980年代1981/82年度外国援助実行額見込,12.6億ドル―当初計画は14.2億ドルであったが10月に13.2億ドルに下り,今回さらに12.6億ドルに修正された。理由は内貨不足で各プロジェクトの実施が大幅におくれたことからプロジェクト援助実行額が計画の6.5億ドルより大幅に減少して5.6億ドルとなる見込のため。
DIA-301-1981-12-07-1バングラデシュ1981年12月07日1980年代米の政府買上げ価格引上げ―モミ米は1モーンド124タカ(従来115タカ),精米は190タカ(同175タカ)に引上げる。
DIA-301-1981-12-08-1バングラデシュ1981年12月08日1980年代IMF,資金貸付け再開か―政府はIMFが81年7月に停止していた資金貸付けを近く再開するだろうと発表した。金額は7000~7500万ドルの見込で,資金の種類は Compensatory Financing Facilities から。
DIA-301-1981-12-10-1バングラデシュ1981年12月10日1980年代BAL(H)内部対立―執行委員会は大統領選挙敗北の原因をめぐって意見が対立した。ハシナ委員長及びカマル・フセイン氏らは農村における党組織の弱体化が敗北の原因と分析,ラザク書記長派は党指導部がBAKSAL構想を強調しすぎたために支持を集められなかったと分析している。
DIA-301-1981-12-10-2バングラデシュ1981年12月10日1980年代米・小麦の配給価格引上げ,配給量減少―米は1シーア4.38タカ,小麦は同3.1タカに引上げ,配給量は1人1週間に米8 chhatak ,小麦1シーア8 chhatak に減少した。
DIA-301-1981-12-10-3バングラデシュ1981年12月10日1980年代北朝鮮Li Jong Ok 首相,来バ(~12日)―サッタル大統領と会談,11日には合同農業委員会設立協定に調印した。
DIA-301-1981-12-11-1バングラデシュ1981年12月11日1980年代国家経済委員会,設置―サッタル大統領を委員長とし,副大統領,工業相,大蔵相,商務相の5人で構成する委員会で,経済政策を検討する。
DIA-301-1981-12-11-2バングラデシュ1981年12月11日1980年代WFP,540万ドルの食糧援助供与―小麦16万トン,ソルガム1万トン,植物油1300トン,豆類2592トン。
DIA-301-1981-12-12-1バングラデシュ1981年12月12日1980年代アシュガンジ尿素肥料工場,完成―総工費4.32億ドルの肥料工場が完成,生産を開始した。生産能力は年52.8万トンで,IDA,ADB,USAID,EEC,ODM,OPEC,IFAD,西独,イラン等の資金協力を受けた。工場名は「ジア肥料会社」と改名。
DIA-301-1981-12-14-1バングラデシュ1981年12月14日1980年代民間3銀行設立見込―国際融資・投資公社(IFIC),City Bank,Arab Bangladesh Bank の3行で,後者2行は外国との合弁。
DIA-301-1981-12-15-1バングラデシュ1981年12月15日1980年代戦勝記念日の特赦で321人釈放。
DIA-301-1981-12-15-2バングラデシュ1981年12月15日1980年代外務省,イスラエルのゴラン高原併合に反対の声明。
DIA-301-1981-12-17-1バングラデシュ1981年12月17日1980年代IDA,1億ドルの借款供与―農業開発用資材及び工業用原材料輸入に使用される。
DIA-301-1981-12-17-2バングラデシュ1981年12月17日1980年代バングラ国会議員団,訪印(~28日)―ハフィズ国会議長を団長とする一行はレディ大統領,ガンディー首相,ラオ外相らとも会談,両国関係改善で合意した。
DIA-301-1981-12-18-1バングラデシュ1981年12月18日1980年代エルシャッド陸軍総参謀長はF.F.組織の集会で演説,1971年独立戦争に参加した人々を賞讃した。
DIA-301-1981-12-23-1バングラデシュ1981年12月23日1980年代全国小学校教師,ゼネスト―政府に今年3月の合意事項を守ること,給与を物価上昇にスライドして引上げること,を要求したストで,一部教師はハンストに突入した。
DIA-301-1981-12-25-1バングラデシュ1981年12月25日1980年代BNPはBiplobi Zia Parishad と何ら組織的関係はなく,党員で同組織に関係しているものは1週間以内に組織から離脱するよう指示した。
DIA-301-1981-12-26-1バングラデシュ1981年12月26日1980年代サッタル大統領,サウジアラビア訪問(~29日)―大統領就任後初めての外国訪問で,27日リアドでハレド国王と会談,29日共同声明を発表した。同行した外相はファイサル外相と,蔵相はアルカイル蔵相とそれぞれ個別に会談,蔵相会議では合同投資公社の設立が合意された。29日帰国したサッタル大統領は,サウジが1.5億ドルの経済援助(贈与)を約束したとのべた。
DIA-301-1981-12-29-1バングラデシュ1981年12月29日1980年代BNP,党総裁選挙を1月21日に実施―現在サッタル大統領が党総裁代理を務めている。党規約によれば選挙された党総裁が副総裁,書記長など党指導部を任命することになっている。党内には党規約を改正して副総裁,書記長など党役員も選挙制にするよう主張するグループがいる。
DIA-301-1981-12-30-1バングラデシュ1981年12月30日1980年代オーストラリア,1.08億タカの贈与―セメント,鉄鋼などの輸入に使われる。
DIA-301-1981-12-30-2バングラデシュ1981年12月30日1980年代蔵相,物価上昇率を10~13%に抑えると発言。
DIA-301-1981-12-31-1バングラデシュ1981年12月31日1980年代BNP書記長,ジア暗殺調査委報告書の発表を要求―ジア暗殺事件に関する民間調査委はその報告書を政府に提出しており,チョードリ書記長はその公開を政府に要求すると共に,暗殺に関与した民間人の裁判も要求した。
DIA-301-1982-01-01-1バングラデシュ1982年01月01日1980年代オスマニ退役将軍,エルシャド陸軍参謀長の「バングラにおける軍の役割」(81年11月の声明)に反発。軍部の政治干渉を強く戒めた。
DIA-301-1982-01-01-2バングラデシュ1982年01月01日1980年代バングラデシュ安全保障理事会設立。同理事会は現防衛理事会に代わるもの。メンバーは,サッタル大統領を代表として,副大統領,首相,外相,内相,陸海空軍の代表で10名を,カーン大統領顧問が指名。
DIA-301-1982-01-03-1バングラデシュ1982年01月03日1980年代ワシウディン陸軍中将,エルシャドの見解を支持。軍部の政治参加に賛同の声明発表。
DIA-301-1982-01-04-1バングラデシュ1982年01月04日1980年代メートル法採用。重量はキログラム。
DIA-301-1982-01-04-2バングラデシュ1982年01月04日1980年代ソ連,7400万㌦の経済援助。同援助はGhorasal火力発電所設立のためPDBが受け取る。1974年,1976年に続き3回目の資金援助。完成は1987年の予定。最大発電力は55メガワットから530メガワットになる。
DIA-301-1982-01-04-3バングラデシュ1982年01月04日1980年代サッタル大統領,BNP委員長選挙に出馬。推薦者はアジズ首相,アフマド副首相。ジア未亡人の立候補辞退,サッタル支持により対立候補者はゼロの見込み。
DIA-301-1982-01-04-4バングラデシュ1982年01月04日1980年代エルシャド陸軍参謀長,「独立戦争はまだ終わっていない」「独立戦争参加兵士は独立戦争の理想実現まで闘いを続行する」と言明。
DIA-301-1982-01-04-5バングラデシュ1982年01月04日1980年代第34回BCL創立記念式典で,テロ行為突発(ダッカ大学構内,午前11時)。死者なし,7名が負傷。
DIA-301-1982-01-05-1バングラデシュ1982年01月05日1980年代サッタル大統領,故ジア大統領の政治路線継承と民主主義(選挙公約)を保障。
DIA-301-1982-01-05-2バングラデシュ1982年01月05日1980年代JJD,サッタル大統領のBNP委員長選挙出馬を歓迎。ジア未亡人には同大統領が然るべき地位を与えるよう勧告。
DIA-301-1982-01-07-1バングラデシュ1982年01月07日1980年代サッタル大統領,BNP委員長に対立候補なしで当選。
DIA-301-1982-01-07-2バングラデシュ1982年01月07日1980年代ジア未亡人,故ジア大統領の方針実現のためBNP党員に統一を呼びかけ。自身の委員長選挙出馬辞退は,党分裂を回避するためであった,と言明。
DIA-301-1982-01-09-1バングラデシュ1982年01月09日1980年代IDAから洪水対策計画のために2700万㌦の借款。条件は,10年据置,50年返済無利子,手数料0.75%。
DIA-301-1982-01-12-1バングラデシュ1982年01月12日1980年代サウジ(SFD),チッタゴン尿素肥料工場に,8600万US㌦の借款供与。条件は5年据置,20年返済,60%以上のグラント・エレメント。
DIA-301-1982-01-12-2バングラデシュ1982年01月12日1980年代印・バ閣僚会議,ニューデリーで開催。同会議は昨年11月の印・バ外務次官会議を引き継ぐもの。サウスタラパティ島,領海域問題とTin Bigha問題が主に討議され,Tin Bighaを1974年の国境合意に基づきインドがバングラに借地する動きが見られた。
DIA-301-1982-01-15-1バングラデシュ1982年01月15日1980年代ネパール・パント蔵相,サイフール・バングラ蔵相と国賓館で会談。水資源・経済協力推進をめぐる2国間の協力関係を提唱。
DIA-301-1982-01-15-2バングラデシュ1982年01月15日1980年代チッタゴン液化石油ガス工場(LPG)増設決定。これにより生産量は600万㌧から1500万㌧に増加の見込み。経費1億タカのうち6000万タカは仏より援助。
DIA-301-1982-01-15-3バングラデシュ1982年01月15日1980年代サッタル大統領,第6回大統領親衛隊パレードで,軍の愛国心は堅固であると演説。
DIA-301-1982-01-16-1バングラデシュ1982年01月16日1980年代ビルマ政府貿易代表来バ。Khin Kyaw Nye製陶公社総裁他3名とアリICB代表がバングラ代表として会談。2国間貿易の見通しと相互利益のための取引き増大に合意。
DIA-301-1982-01-17-1バングラデシュ1982年01月17日1980年代ネパール・バングラ合同経済会議で相互貿易の拡大に合意。パント・ネ蔵相とラーマン・バ蔵相は主に商取引の技術的援助,遠距離通信,公私両部門におけるジュート,パルプの合弁事業の設置を話し合った。
DIA-301-1982-01-18-1バングラデシュ1982年01月18日1980年代世銀,4億4000万㌦の対バ融資。
DIA-301-1982-01-18-2バングラデシュ1982年01月18日1980年代故ジア大統領誕生日,全国で祝賀。テレビ,ラジオでは同大統領の業績を讃える特別番組。
DIA-301-1982-01-19-1バングラデシュ1982年01月19日1980年代サッタル大統領,故ジア大統領の方針踏襲と計画実現を再確認。国民の団結を呼びかけ。
DIA-301-1982-01-24-1バングラデシュ1982年01月24日1980年代バ・ソ外交関係樹立10周年で,サッタル,ブレジネフ,書簡を交換。グロムイコ外相もハク外相に2国間の友好を望む書簡を送った。
DIA-301-1982-01-25-1バングラデシュ1982年01月25日1980年代JCD,ダッカ大学学生自治会で65ポスト(132のうち)を獲得。各寮の獲得ポストはJJ=17,BSU=17,CL=16など。
DIA-301-1982-01-25-2バングラデシュ1982年01月25日1980年代バ政府,5701の工業プロジェクト(私部門)を認可―1975年から200億タカを投資して計画され,現在3212のプロジェクトは実施中とAhmed工業相,発表。
DIA-301-1982-01-25-3バングラデシュ1982年01月25日1980年代サブール・イスラム教徒同盟会長,急性心不全のため死去。74歳。
DIA-301-1982-01-27-1バングラデシュ1982年01月27日1980年代世銀,農産加工業の原材料輪入のため1億㌦の対バ借款供与に調印。
DIA-301-1982-01-27-2バングラデシュ1982年01月27日1980年代サッタル大統領,輪出額の倍増(1975年比)とジュート以外の製品の輪出増加から輪出多様化を要請。
DIA-301-1982-01-28-1バングラデシュ1982年01月28日1980年代国会議事堂完成。
DIA-301-1982-01-29-1バングラデシュ1982年01月29日1980年代WFP,EEC,4000万㌧の食糧供給。
DIA-301-1982-01-29-2バングラデシュ1982年01月29日1980年代ユーゴ政府,5000万㌦の対バ援助。チッタゴン乾ドック計画と,チッタゴン―ドハザリ間送電のため。
DIA-301-1982-01-29-3バングラデシュ1982年01月29日1980年代ADB,約2億㌦の借款供与。
DIA-301-1982-02-01-1バングラデシュ1982年02月01日1980年代海外融資シンポジウム,ダッカで開催(1日)―主催者はバングラ政府とUNIDO。15カ国から約100名の投資家,国内からは200名が参加した。日程は4日間。政府は,同会に国内の60項目の産業プロジェクトを提示し総額8億㌦のうち4億5000万㌦の海外融資の可否を打診する予定。
DIA-301-1982-02-05-1バングラデシュ1982年02月05日1980年代食糧不足の心配なし―A.M.Khan食糧相は,アウス米生産高が,過剰降雨のため減少したことでは国内に食糧不足をもたらさないと言明。年間の人口に見合う食糧需要は1500万㌧,現在生産見積は1430万㌧,災害を考慮に入れると1290万㌧,備蓄量120万㌧,輪入50万㌧。他50万6000㌧は供給の見込みあり,と述べる。
DIA-301-1982-02-07-1バングラデシュ1982年02月07日1980年代金日成朝鮮民主主義人民共和国主席が公式訪問,滞在は4日間。
DIA-301-1982-02-08-1バングラデシュ1982年02月08日1980年代JoydebpurとSavarに新工業地帯を設置―Ahmed工業相は,Tongi地帯に続いて,工業コンプレックスを導入すると発表,第1弾として,同地帯に輪出用ビスケット工場を設置することを明らかにした。
DIA-301-1982-02-09-1バングラデシュ1982年02月09日1980年代エルシャド陸軍参謀長,BNCCの士官候補生に,貧しさと不正に立ち向かうよう激励する。
DIA-301-1982-02-10-1バングラデシュ1982年02月10日1980年代対ビルマ国境画定―U Tin Ohnビルマ外務副大臣は3日間の訪バ予定を終えて帰国。この間,バングラ代表と国境画定に関し合意に達し,調印を行なった、
DIA-301-1982-02-11-1バングラデシュ1982年02月11日1980年代内閣解散―サッタル大統領は現内閣を,故ジア大統領暗殺以後の官僚内部の汚職と不活発化を撤廃するために解散すると宣言。
DIA-301-1982-02-12-1バングラデシュ1982年02月12日1980年代新内閣決定―サッタル大統領は閣僚10名,閣外相8名を指名した。副大統領はM.N.Huda,閣僚はAzizur Rahman(首相,法務議会問題相,地方政府・農村開発・協同組合相),Shamsul Huq(外務相),Halim Chowdhury(食糧相,農林相),Huda Chowdhury(鉄道・道路・ハイウェイ相,港湾・船舶・内水路運輸相),Fasihuddin Mohtab(大蔵相),M.A.Matin(内務相),Adbul Hamid(保健・家族計画相,労働社会福祉相),Mayeed Islam(エネルギー相,郵便・電信・電話・民間航空・観光相),Yusuf Ali(ジニート・繊維相),Hossain Kahn(文部相,情報・放送・スポーツ・文化相)。
DIA-301-1982-02-14-1バングラデシュ1982年02月14日1980年代ハリム食糧相は,食糧備蓄量は適度であり,食品価格を値上げする正当な根拠はないと食糧局幹部に指示した。
DIA-301-1982-02-18-1バングラデシュ1982年02月18日1980年代ハリム食糧相,米価の安定強化を指示。
DIA-301-1982-02-23-1バングラデシュ1982年02月23日1980年代サッタル大統領,ビルマを公式訪問―大統領は国賓としてビルマを訪問,サンユー大統領らと会談した。2月25日,帰国に先立ち共同コミュニケを発表し,善隣友女子関係を強化することで両国が一致した。
DIA-301-1982-02-25-1バングラデシュ1982年02月25日1980年代ビルマ米とバーター協定―Kazi A.Ali TCB総裁は,ラングーンでビルマ政府とビルマ米10万㌧の輸入契約のための交渉を行なった。バングラ側は見返りとして,ジニート,ジュート製品,化学肥料などをバーター方式で輪出するというもの。しかしこの後S.M.Hasan商業相がビルマを訪問,3月10日付で現金と商品を50%ずつで支払うとの協定に調印した。
DIA-301-1982-02-27-1バングラデシュ1982年02月27日1980年代JS常任委員会,政府内部の腐敗を批判―同委員会は,腐敗の内容に,(1)幽霊労働の存在,(2)過剰職員,(3)不均衡経常収支,(4)年ごとの損益レベルが極端に変動する,(5)不必要な海外出張,(6)公的車輌の乱用,(7)上部層のみに恵まれた恩典・設備,(8)能力不足,をあげている。
DIA-301-1982-03-01-1バングラデシュ1982年03月01日1980年代イスラム開発銀行は化学肥料プラント建設とチッタゴン港改良工事用として総額1億6300万㌦の借款を供与することを決定。
DIA-301-1982-03-02-1バングラデシュ1982年03月02日1980年代アジズ首相,国家安全保障理事会設立を強く支持―同首相は軍事力増強とジア大統領死後のエルシャド陸軍参謀長の果たした役割を高く評価した。
DIA-301-1982-03-05-1バングラデシュ1982年03月05日1980年代イラン―イラク戦争調停のためのイスラム首脳会談にサッタル大統領が出席。
DIA-301-1982-03-05-2バングラデシュ1982年03月05日1980年代サッタル大統領,4閣僚ポストを任命―新たに閣僚に任命されたのは次のとおり。閣僚―Reazddin Ahmed(農業・工業・労働・社会福祉相),Sultan Ahmed Chowdhury(郵便・電信・電話・港湾・船舶・内水路交通相)。閣外相―Syed Mahibul Hasan(商業・労働人材開発局・人材・社会福祉相),Tariqul Islam(鉄道・道路・ハイウェイ・道路運輸相)
DIA-301-1982-03-08-1バングラデシュ1982年03月08日1980年代アメリカはバングラに対し,3年間で総額1億6500万㌦ルの無償援助を供与するとの調印をした。内訳は食糧と農業増産資材である。
DIA-301-1982-03-11-1バングラデシュ1982年03月11日1980年代Rajshahi大学で暴動,学生2名死亡,50名重軽傷―暴動の原因はIslami Chhatra League とChhatra Unionの対立と思われる。
DIA-301-1982-03-12-1バングラデシュ1982年03月12日1980年代海外からの送金,前年比31.3%増加―バングラ出稼ぎ労働者の国別内訳は1位サウジアラビア(24%),2位イラク(23.6%),3位オマーン(13.1%)である(1981年)。実質送金総額は1980年約38億4000万タカ,1981年約55億9000万タカ。
DIA-301-1982-03-13-1バングラデシュ1982年03月13日1980年代Rajshahi五大学の暴動で学生25名を逮捕―逮捕された学生にはChhatra LeagueとUnionの所属者両方が含まれている。なお,死者は3名に増えた。
DIA-301-1982-03-13-2バングラデシュ1982年03月13日1980年代23の米麦倉庫封鎖―頻発する略奪のため20万マウンド(160万ポンド)貯蔵量(全23倉庫計)が少なくとも2万マウンド(16万ポンド)不足していることをハリム食糧相は確認し上記の措置を取った。
DIA-301-1982-03-14-1バングラデシュ1982年03月14日1980年代IDA,2700万㌦の対バ信用借款に調印―目的はバングラの農業増産計画と調査。条件は10年据置50年返済,無利子,手数料年間0.75%。
DIA-301-1982-03-15-1バングラデシュ1982年03月15日1980年代ルーマニア,5億ドルの対バ借款を契約―これは,故ジア大統領が81年2月16日に一般契約したのが公式化されたもの。目的はバングラの工業発展。契約はYusuf Ali工業相のルーマニア訪問中に行なわれた。
DIA-301-1982-03-18-1バングラデシュ1982年03月18日1980年代3前閣僚,職権濫用・収賄で提訴される―汚職摘発局は,前首相Bariと前船舶相Nurul Huq,前民間航空相 Obaidur Rahmanを上記の理由で訴えた。
DIA-301-1982-03-19-1バングラデシュ1982年03月19日1980年代Jamaluddin Ahmed前副首相,汚職で提訴される―不正によって獲得した金額は3550万タカ。他に6人の実業家も提訴された。汚職の内容は,空気調節機の不正売買。
DIA-301-1982-03-19-2バングラデシュ1982年03月19日1980年代海外援助要請額,23億㌦(1982~83年)。
DIA-301-1982-03-22-1バングラデシュ1982年03月22日1980年代チッタゴンで汚職のため22名の食糧省職員逮捕。他に停職者43名,発覚した食糧不足量は200万タカ相当1万3400マウンド。
DIA-301-1982-03-22-2バングラデシュ1982年03月22日1980年代BNP常任委員会再編成―サッタル大統領は現BNP常任委員会を解散し,新たなメンバー15名を任命した。メンバーからはずされたのは,Hassan商業相代行,Huda,Yusufの3名である。
DIA-301-1982-03-24-1バングラデシュ1982年03月24日1980年代軍がクーデター,戒厳令―エルシャド陸軍参謀長によるクーデター。同参謀長は,憲法を停止し,戒厳令を布告し大統領の指名権,国軍総指揮権などの権限獲得を宣言した。このクーデターは高級官僚内に蔓延しつつあった腐敗を撤廃するためと説明された。サッタル大統領は,25日,戒厳令を受け入れる声明を紙面に発表した。26日はバングラデシュの11回目の独立記念日に当たり,同参謀長はバングラの自立を謳った。
DIA-301-1982-03-24-2バングラデシュ1982年03月24日1980年代戒厳令―最高司令長官はエルシャド陸軍総参謀長,憲法の一時停止とJS解散,大統領,副大統領の解任,内閣解散を宣言した。
DIA-301-1982-03-25-1バングラデシュ1982年03月25日1980年代Humayun外相,外交方針に変化なしと表明。
DIA-301-1982-03-26-1バングラデシュ1982年03月26日1980年代前副首相Jamaluddin Ahmed,S.A.Barr,前閣僚Obaidur Rabman指名手配。
DIA-301-1982-03-27-1バングラデシュ1982年03月27日1980年代Ahsanuddin Chowdhury,薪大統領に就任―エルシャド将軍は26日,Ahsanuddin(元最高裁長官)を新大統領に指名した。67歳。最高裁長官を1977年に引退。
DIA-301-1982-03-28-1バングラデシュ1982年03月28日1980年代エルシャド中将,戒厳令により汚職官僚を徹底摘発すると言明。
DIA-301-1982-03-28-2バングラデシュ1982年03月28日1980年代Bari,Saifur,Habib他233名を,汚職・権力濫用・反政府行動の容疑で逮捕。Jamal前副首相他5名の閣外相には3日以内に最寄りの戒厳令司令部へ出頭を要請。
DIA-301-1982-03-29-1バングラデシュ1982年03月29日1980年代Hasnat前労働・都市開発相,汚職の容疑で逮捕。これで逮捕された前閣僚数は6名。
DIA-301-1982-03-31-1バングラデシュ1982年03月31日1980年代主要都市で174名が検挙。内訳は戒厳令による外出禁止令違反90名,強盗2名,武器不法所持・詐欺各1名,あやしい行動11名,他68名。
DIA-301-1982-04-01-1バングラデシュ1982年04月01日1980年代未登録の人力車,交通規則の厳格化により姿を消す。しかし全人力車の70%は未登録であるのが現状。
DIA-301-1982-04-01-2バングラデシュ1982年04月01日1980年代Jamaluddin前副首相ら,汚職・権力濫用・反政府活動の容疑で逮捕。
DIA-301-1982-04-02-1バングラデシュ1982年04月02日1980年代米,3600万US㌦の対バ援助に合意。
DIA-301-1982-04-02-2バングラデシュ1982年04月02日1980年代ダッカ首都警察管内で284名が検挙。チッタゴンでは26名,ジェニダでは97名が逮捕。大半が戒厳令違反による。
DIA-301-1982-04-03-1バングラデシュ1982年04月03日1980年代5戒厳令特別裁判所設置。設置されたのは,ダッカ,ボグラ,チッタゴン,コミラ,ジェソールの5カ所。
DIA-301-1982-04-04-1バングラデシュ1982年04月04日1980年代不法所持武器引渡し令の期限4月3日から10日までに延長。
DIA-301-1982-04-04-2バングラデシュ1982年04月04日1980年代Chhatra Union,戒厳令により解散。
DIA-301-1982-04-04-3バングラデシュ1982年04月04日1980年代4月分の食糧,25万4000㌧を支給。
DIA-301-1982-04-05-1バングラデシュ1982年04月05日1980年代23戒厳令簡易裁判所設置。
DIA-301-1982-04-05-2バングラデシュ1982年04月05日1980年代エルシャド戒厳令最高司令官,BDRに密輪の取締りを指示。
DIA-301-1982-04-06-1バングラデシュ1982年04月06日1980年代エルシャド戒厳令最高司令官,農地開発を最優先すると言明。
DIA-301-1982-04-07-1バングラデシュ1982年04月07日1980年代米価,値下がりの傾向。8ポンド(1マウンド)につき20タカの値下がりを記録。食糧局直轄の公開市場142のうち86カ所でこの傾向が認められた。
DIA-301-1982-04-08-1バングラデシュ1982年04月08日1980年代Jamaluddin前副首相の裁判開始。
DIA-301-1982-04-08-2バングラデシュ1982年04月08日1980年代Mahmood食糧省顧問,食糧貯蔵量は十分であると言明。
DIA-301-1982-04-09-1バングラデシュ1982年04月09日1980年代内閣各省組織,合理化のため再編成。
DIA-301-1982-04-10-1バングラデシュ1982年04月10日1980年代輸入規制―エルシャド戒厳令最高司令官は戒厳令首脳会議で,会計予算案の検討,食糧増産など7項目について審議し,7%の経済成長など五つの目標を設定した。
DIA-301-1982-04-11-1バングラデシュ1982年04月11日1980年代第1次戒厳令改正―戒厳令最高司令官の命により戒厳令改正が可能であることが明示され,同司令官の権限強化が捉進された。
DIA-301-1982-04-12-1バングラデシュ1982年04月12日1980年代Munim,バングラデシュ最高裁判所長官に任命。
DIA-301-1982-04-13-1バングラデシュ1982年04月13日1980年代印バ河川共同協議会,ダッカで開催。インド代表はR.Rangachari,バングラ代表はA.H.Khan。
DIA-301-1982-04-13-2バングラデシュ1982年04月13日1980年代エルシャド司令官,戒厳令の成否は警察の活動如何であると言明。
DIA-301-1982-04-14-1バングラデシュ1982年04月14日1980年代ガンジー・インド首相,バングラの近況は完全にバングラの内政問題であると言明。
DIA-301-1982-04-14-2バングラデシュ1982年04月14日1980年代ジュートに関する対印協議開始(16日まで)。
DIA-301-1982-04-16-1バングラデシュ1982年04月16日1980年代戒厳令諮問委員会,既得財産,財産放棄,生活必需品の価格統制解除,特定職種の海外就職認可などについて協議決定をした。
DIA-301-1982-04-16-2バングラデシュ1982年04月16日1980年代Jamaluddin前副首相,汚職で有罪を宣告される。
DIA-301-1982-04-17-1バングラデシュ1982年04月17日1980年代女性専門技術職(医師,看護婦,教師)の海外での就職を政府許可。児童の海外育英資金援助についても討議した。
DIA-301-1982-04-17-2バングラデシュ1982年04月17日1980年代不動産の取得・要求に関する法令改正。1948年成立の同法令は82年3月17日まで有効。薪法令では補償金支払を合理化した。
DIA-301-1982-04-19-1バングラデシュ1982年04月19日1980年代エルシャド戒厳令最高司令官,地方分権化を宣言。草の根レベルの開発政策を唱導。
DIA-301-1982-04-19-2バングラデシュ1982年04月19日1980年代ジェソールで,44名の食糧商人,免許停止。
DIA-301-1982-04-21-1バングラデシュ1982年04月21日1980年代(パリ):対バングラ援助国会議より17億㌦の援助(このグループにはオーストラリア,ベルギー,カナダ,デンマーク,フィンランド,フランス,西ドイツ,日本,オランダ,ノルウェー,スウェーデン,イギリス,アメリカ,IMF,IFAD,IDB,UNDP,UNCTAD,WFDが参加している)。
DIA-301-1982-04-23-1バングラデシュ1982年04月23日1980年代エルシャド戒厳令最高司令官,財産の不法所持者に政府への財産引渡しを警告。
DIA-301-1982-04-24-1バングラデシュ1982年04月24日1980年代14品目,輸入禁止―禁止されたものはセロハン紙,電球,外国産自転車の部品等。
DIA-301-1982-04-29-1バングラデシュ1982年04月29日1980年代82年度所得税法公布。
DIA-301-1982-04-29-2バングラデシュ1982年04月29日1980年代ジュート生産高,9ヵ月で43万3000㌧に。前年度同期の生産高は42万7000㌧。
DIA-301-1982-05-02-1バングラデシュ1982年05月02日1980年代エルシャド,サウジ訪問。ハリド国王に迎えられる。サウジ訪問が最初の海外公式訪問である。
DIA-301-1982-05-03-1バングラデシュ1982年05月03日1980年代ハリド・サウジ国王,エルシャドの訪バ招待を受諾。
DIA-301-1982-05-03-2バングラデシュ1982年05月03日1980年代ハリド・サウジ国王,全力をあげてバングラを支援することを保証。
DIA-301-1982-05-04-1バングラデシュ1982年05月04日1980年代エルシャド,ハリド・サウジ国王との会談で,2国間の友好関係強化に合意。
DIA-301-1982-05-05-1バングラデシュ1982年05月05日1980年代戒厳令司令部は,海外出稼ぎ斡旋業者から報酬をもらった公務員は,20%のペナルティを加えて60日以内に全額返金するよう指示した。
DIA-301-1982-05-06-1バングラデシュ1982年05月06日1980年代米国,家族計画のために,1550万㌦の対バ援助。
DIA-301-1982-05-07-1バングラデシュ1982年05月07日1980年代S.Mahmud戒厳令副司令官・空軍少将・エネルギー鉱物資源相,女性の職業訓練の必要性を説く。
DIA-301-1982-05-08-1バングラデシュ1982年05月08日1980年代閣僚会議,戒厳令により偽薬品製造者処罰を決定。
DIA-301-1982-05-09-1バングラデシュ1982年05月09日1980年代エルシャド,国民の福祉と国内開発のための軍部の役割を強調。
DIA-301-1982-05-10-1バングラデシュ1982年05月10日1980年代UNICEF,1億㌦の対バ援助,援助の対象となるのは1982~85年の児童福祉計画。
DIA-301-1982-05-11-1バングラデシュ1982年05月11日1980年代英国,3億6000万タカの対バ援助。援助は発電プロジェクト用。
DIA-301-1982-05-12-1バングラデシュ1982年05月12日1980年代米,化学肥料配給用として3600万㌦の資金援助。
DIA-301-1982-05-14-1バングラデシュ1982年05月14日1980年代K.M.A.Islam人的資源担当相,労働力の海外輸出手続簡略化実現を指示。
DIA-301-1982-05-15-1バングラデシュ1982年05月15日1980年代Teesta堰,間もなく完成。エルシャド,Doaniを訪れ同堰の早期完成を促す。
DIA-301-1982-05-15-2バングラデシュ1982年05月15日1980年代エルシャド,現教育制度をイスラム教に則って改正すると提言。ダッカにイスラム教大学の設置を指示。
DIA-301-1982-05-18-1バングラデシュ1982年05月18日1980年代国連環境間題管理委員会(UNEP)で,バングラ政府代表は,国境河川の流動変化で国境が左右されない環境法設置を強く提案(ナイロビ)。バングラ代表はA.M.Rashad Chowdhury。
DIA-301-1982-05-19-1バングラデシュ1982年05月19日1980年代輸入手形,9ヵ月で150億タカ(目標は295億タカ)。輸出手形は90億タカの目標を下回って60億タカ。
DIA-301-1982-05-19-2バングラデシュ1982年05月19日1980年代アフサン大統領,チッタゴンで軍部の役割の重要性と拡大を強調。
DIA-301-1982-05-19-3バングラデシュ1982年05月19日1980年代オランダ,8億8000万タカの対バ援助。うち190万タカは技術援助。
DIA-301-1982-05-21-1バングラデシュ1982年05月21日1980年代輸出収入(1980~81年),7億0800万㌦。前年度のレベルにも到達しなかった。最近の輸出収入は,次のとおり。 1968~69年5億3200万㌦ 1972~73年3億4200万㌦ 1973~74年3億7300万㌦ 1974~75年3億5500万㌦ 1975~76年3億6700万㌦ 1976~77年4億600万㌦ 1978~79年5億9800万㌦ 1979~80年7億6900万㌦
DIA-301-1982-05-21-2バングラデシュ1982年05月21日1980年代エルシャド,警察官に国民の信頼を獲得することを指示。
DIA-301-1982-05-21-3バングラデシュ1982年05月21日1980年代1982-83年度年次開発計画予算(ADP),330億タカと承認。
DIA-301-1982-05-22-1バングラデシュ1982年05月22日1980年代ラオ・インド外相,エルシャドと会談。友好的な雰囲気で会談は行なわれ,ファラッカなどについて円満な問題解決が強調された。
DIA-301-1982-05-23-1バングラデシュ1982年05月23日1980年代印・バ外交正式会談で,ガンジス川,南タラパティ島問題の平和的解決を誓約。インド代表はラオ外相,バングラ代表はドハ情報相。ラオ外相は昨年9月に行なわれた会談との比較を言及することを避け,次回の会談予定はハバナでとドハ情報相が回答した。
DIA-301-1982-05-25-1バングラデシュ1982年05月25日1980年代40万㌧の食糧(米・麦),アメリカ,日本,インド,ビルマから確保。A.G.Mahmood食糧相,食糧危機回避に成功と言明。
DIA-301-1982-05-25-2バングラデシュ1982年05月25日1980年代Jamaluddin前副首相に9年の禁固刑。S.M.Mahbubur Rahmanは死刑を求刑された。
DIA-301-1982-05-27-1バングラデシュ1982年05月27日1980年代エルシャド,工業化後発地域の優先的開発を唱導。
DIA-301-1982-05-29-1バングラデシュ1982年05月29日1980年代ルーマニア・バングラ,バーター議定書に調印。バングラの輸出は30%,輸入67%(工業原料)。
DIA-301-1982-05-30-1バングラデシュ1982年05月30日1980年代ザカート基金設立決定―政府管理のザカート基金は,イスラム教徒の喜捨の義務を遂行することによって,所得税を免ずるもの。
DIA-301-1982-06-01-1バングラデシュ1982年06月01日1980年代(ニューデリー):A.G.Mahmud食糧相,訪印。10万㌧の小麦供給をインドに要請する予定。
DIA-301-1982-06-01-2バングラデシュ1982年06月01日1980年代S.M.Shafiul Azam商工業相,民間部門の役割を強調するとともに投資を奨励すると述べた。
DIA-301-1982-06-03-1バングラデシュ1982年06月03日1980年代エルシャド,食糧経済自立政策を呼びかけ。このなかで農村の電化は開発に不可欠であるなどと述べた。
DIA-301-1982-06-03-2バングラデシュ1982年06月03日1980年代A.G.Mahmud食糧相,ガンジー・インド首相を訪問。2日にはRao Birendraインド農相とも会談した。
DIA-301-1982-06-04-1バングラデシュ1982年06月04日1980年代(ニューデリー):インド,小麦1O万㌧の対バ援 助に合意。調印はRao Birendraインド農業相とA.G.Mahmoodバングラ食糧相の間で行なわれた。
DIA-301-1982-06-05-1バングラデシュ1982年06月05日1980年代刑法・訴訟手続法改正。不注意・無謀運転で被害者に致命傷を負わせたドライバー,14年の禁固刑。重軽傷の場合,最高7年の禁固刑などが新しく盛り込まれた。
DIA-301-1982-06-06-1バングラデシュ1982年06月06日1980年代ADB(アジア開発銀行),約2億1000万ドルの対バ借款を承認。この資金は,公立学校,動力システム修復,チッタゴン尿素化学肥料工場などが主な使途となる予定。
DIA-301-1982-06-08-1バングラデシュ1982年06月08日1980年代237種類の医薬品を製造販売禁止。
DIA-301-1982-06-09-1バングラデシュ1982年06月09日1980年代ザカート基金条例公布。
DIA-301-1982-06-14-1バングラデシュ1982年06月14日1980年代エルシャド,国連軍縮会議に出席するためアメリカに向かったが,最初ロンドンに立寄って,英首脳と会談予定。
DIA-301-1982-06-16-1バングラデシュ1982年06月16日1980年代エルシャド,サッチャー英首相と会談―主として2カ国間の経済協力について話し合われた。
DIA-301-1982-06-17-1バングラデシュ1982年06月17日1980年代エルシャド,国連会議でレーガン米大統領と会談。グロムイコソ連外相とも会談した。
DIA-301-1982-06-17-2バングラデシュ1982年06月17日1980年代オーストラリア,小麦5万㌧の対バ援助調印。
DIA-301-1982-06-17-3バングラデシュ1982年06月17日1980年代エルシャド,第2回国連軍縮委員会で軍縮を呼びかけ。
DIA-301-1982-06-18-1バングラデシュ1982年06月18日1980年代アラブ・バングラ銀行(民間商業銀行),ダッカで開設。
DIA-301-1982-06-19-1バングラデシュ1982年06月19日1980年代バングラ,国際原子力機関の核不拡散条約に調印。
DIA-301-1982-06-19-2バングラデシュ1982年06月19日1980年代エルシャド,南アジアの代表と非公式会談。国連に出席するために訪米中のインド,ブータン,スリランカ,パキスタン,ネパール代表と地域的協力について討議した。
DIA-301-1982-06-21-1バングラデシュ1982年06月21日1980年代新海運法施行。
DIA-301-1982-06-21-2バングラデシュ1982年06月21日1980年代N・ハク前港湾船舶相,汚職罪で財産没収と,7年の禁固刑宣告。
DIA-301-1982-06-23-1バングラデシュ1982年06月23日1980年代O.Khan農業相,食糧生産の目標(1982-83年)を1550万㌧にすると発表。
DIA-301-1982-06-23-2バングラデシュ1982年06月23日1980年代エルシャド,国連出席10日間の日程を終えて帰国。外交活動は実り多きものであったと言明。
DIA-301-1982-06-24-1バングラデシュ1982年06月24日1980年代A.G.Mahmud 食糧相,メキシコで開発途上国の食糧事情改善の必要性を強調。
DIA-301-1982-06-25-1バングラデシュ1982年06月25日1980年代所得税法(82年戒厳令により施行)改正。
DIA-301-1982-06-25-2バングラデシュ1982年06月25日1980年代日本,3億7000万円(3000万タカ)の対バ無償援助。
DIA-301-1982-06-25-3バングラデシュ1982年06月25日1980年代(ニューデリー):O.Khan農業相,ファラッカ問題討議参加のため訪印。
DIA-301-1982-06-26-1バングラデシュ1982年06月26日1980年代印バ,ファラッカ分割覚書に調印―インド代表はKedar Pandey灌漑相,バングラ代表はO.Khan農業相。
DIA-301-1982-06-27-1バングラデシュ1982年06月27日1980年代(ニューデリー):ガンジス川その他の河川分割を巡る印バ会議開始。インド代表Kedar Pandey灌漑相,バングラ代表O.Khan農業相。
DIA-301-1982-06-28-1バングラデシュ1982年06月28日1980年代輸出目標,155億タカ(1982~83)。前年度123億タカより26%増。うちジュート輸出は63%(97億5000万タカ)を占める。
DIA-301-1982-06-29-1バングラデシュ1982年06月29日1980年代印バ河川分割会議終了。O.Khan農業棺帰国後,2カ国会議の見通しは明るいと言明。
DIA-301-1982-06-29-2バングラデシュ1982年06月29日1980年代81万8000㌧の食糧,12月までに調達。A.G.Mabmood食糧相は,これで食糧危機は回避されると発表。
DIA-301-1982-06-29-3バングラデシュ1982年06月29日1980年代1982/83年度予算発表。1982/83年度国家予算および年次開発計画が発表された。これによると,1981/82年度の経済成長率(GDP)は当初目標7.2%に対し,0.1%であった。82/83年度の成長目標を6%と設定。国家予算は歳入263億7800万タカ,歳出203億7600万タカとして,税の改正による増収分を13億タカとした。年次開発計画規模は270億タカなどと計上した。なお81/82年度における外国援助のコミットメントは20億1000万ドルに達した。
DIA-301-1982-06-30-1バングラデシュ1982年06月30日1980年代世銀,1億3200万㌦の対バ援助に調印。目的はAsbuganjの発電所計画(1990年完成見込)。無利子。未支払金額については0.5%,支払済金額については0.75%の年間サービス料。なお同プロジェクトのために,バ政府はすでにOPEC,クウェート基金,ADB,西ドイツからも融資を受けることを決定している。
DIA-301-1982-07-01-1バングラデシュ1982年07月01日1980年代Muhith蔵相,新予算は国内経済の景気回復を目指し,租税負担の95%は富裕層へ,また,生産工程の改善と一般購買力増強のための農村投資増加を計画したと説明。
DIA-301-1982-07-02-1バングラデシュ1982年07月02日1980年代アフサン大統領,ザカート基金をダッカに設立。イスラム教の教えに基づいたザカートにちなんで設立されたこの基金は国民の自発的投資により貧しい人々を救済するもの。
DIA-301-1982-07-03-1バングラデシュ1982年07月03日1980年代GDP寄与率(1981~82),農業部門54.2%,工業部門は8.85%。しかし農業部門の寄与率は1972~73(60.09%)から漸次減少傾向にあり,工業部門は1972~73(7.28%)から増加傾向にある。
DIA-301-1982-07-03-2バングラデシュ1982年07月03日1980年代エルシャド,経済的自立確立のため国民の団結と努力を呼びかけ。外国からの援助は独立国家として矛盾するが,農村開発は最優先である。不正行為,搾取を軍部が取締ることを訓令した。
DIA-301-1982-07-03-3バングラデシュ1982年07月03日1980年代Azam商工業相,貿易自由化のため,輸入手続の簡略化を新政策として発表。
DIA-301-1982-07-05-1バングラデシュ1982年07月05日1980年代エルシャド,アメリカ滞在中(6月)の『ニューズウィーク』紙のインタビューに,「バングラにおける軍事政権は選択の余地なき状況で確立した」「バングラが自立するには外国の援助は不可欠である」「対ビルマ,ネパール,ブータン関係は良好。対印・パ間には未解決の問題がある」「レーガン大統領の政策は保守的であるが,ベルサイユ,カンクンサミット後,よい方向に向かい,米バ関係は良野てある」と答えた。
DIA-301-1982-07-07-1バングラデシュ1982年07月07日1980年代小麦96万2000マウンド(1億1000万タカ相当)横領,戒厳令特別調査部により発覚。横領額は史上最高。公務員を含む40名を逮捕。
DIA-301-1982-07-07-2バングラデシュ1982年07月07日1980年代独立以来,82年6月まての外国援助(実行ベース)は総額89億㌦に達した。うち贈与は52.18%,借款は47.82%の構成。贈与は独立当時(88.22%)に比べ減少傾向にある。
DIA-301-1982-07-09-1バングラデシュ1982年07月09日1980年代外務省,40%の人員削減により(定員163名から101名)2250万タカの人件費節約。
DIA-301-1982-07-10-1バングラデシュ1982年07月10日1980年代道路運輸省と鉄道省とが分離。
DIA-301-1982-07-12-1バングラデシュ1982年07月12日1980年代訪バ中のラナ・ネパール外相,エルシャドと会談。友好的広雰囲気の中で,82年1月に調印されたバングラ・ネパール共同経済委員会決議事項の前進を再検討。
DIA-301-1982-07-13-1バングラデシュ1982年07月13日1980年代エルシャド,農村開発に140億タカ(全予算の40%)を投入し食糧自給へ全力をあげると言明。
DIA-301-1982-07-14-1バングラデシュ1982年07月14日1980年代Swanivar Gram Sarkars廃止。全ての機能はUnion Parishadに委譲される。
DIA-301-1982-07-14-2バングラデシュ1982年07月14日1980年代世銀,未年度の対バ援助増加を保証。今年度融資額はIDA資金の15%を占める3億9000万㌦。ホッパー世銀副総裁はバングラの新予算編成を革新的であると評価し援勘資金を効果的に消化できる国内政策を希望。
DIA-301-1982-07-14-3バングラデシュ1982年07月14日1980年代バングラ・タイ米取引に関する協定調印。これによリバングラはタイから米4万㌧を購入。ビルマからの3万5000㌧と合わせて米7万5000㌧か9月到着。
DIA-301-1982-07-15-1バングラデシュ1982年07月15日1980年代31企業に総額5億タカの政府融資。31企業にはStar Particle Board Mills,Karim Rubber Industrieなどが含まれている。
DIA-301-1982-07-15-2バングラデシュ1982年07月15日1980年代ホッパー世銀副総裁,バングラに石油研究所設立の援助を約束。
DIA-301-1982-07-15-3バングラデシュ1982年07月15日1980年代ドハ外相,パレスチナ問題に関する非同盟調整事務所の緊急会議に出席するためニコシアへ。
DIA-301-1982-07-16-1バングラデシュ1982年07月16日1980年代行政機構改正。Sub-Dlvision廃止。行政機構はDistrict(県)Thana(郡)Union(村)の3段階に整備。現Sub-Division70は51のDistrictに分割され,別に387のThanaの機構改革を図る。新機構完成は1985年の予定。
DIA-301-1982-07-16-2バングラデシュ1982年07月16日1980年代ドハ外相,ニコシアでイスラエルのレバノン侵略を非難,PLO承認を強調。
DIA-301-1982-07-17-1バングラデシュ1982年07月17日1980年代エルシャド,汚職徹廃のためBDRの活躍を奨励。国家再建のためには軍部への協力を要請。
DIA-301-1982-07-18-1バングラデシュ1982年07月18日1980年代カーン行政機構改正委員会委員長,改正とThana改革には36億3000万タカの費用が必要。地方行政の中核はThanaに置くと言明。
DIA-301-1982-07-19-1バングラデシュ1982年07月19日1980年代エルシャド,草の根レベルの民主主義確立を唱導。地方団体の首長選出を国民に促す。
DIA-301-1982-07-20-1バングラデシュ1982年07月20日1980年代Muhith蔵相,新予算は現実に則してインフレ抑制,公私両部門の活性化を図って編成したと言明。
DIA-301-1982-07-20-2バングラデシュ1982年07月20日1980年代朝鮮ジャーナリスト連合理事,朝鮮中央通信副総裁韓宗燮ら3名の北朝鮮ジャーナリスト代表団が来訪。
DIA-301-1982-07-20-3バングラデシュ1982年07月20日1980年代土地改良実行委員9名,エルシャドにより指名。 Khan農業相が委員長。同委員会は11月末日までに報告書を提出する予定。
DIA-301-1982-07-31-1バングラデシュ1982年07月31日1980年代USAID,バングラの国内開発事業援助のため1500万㌦の資金援助に調印。
DIA-301-1982-08-02-1バングラデシュ1982年08月02日1980年代チッタゴン,シレット大洪水。
DIA-301-1982-08-02-2バングラデシュ1982年08月02日1980年代バングラ・パキスタン貿易合同委員会が開かれ,2国間の貿易拡大を決議。Huqパキスタン商業次官とM.Rahmanバングラ商業次官が合意書に調印。
DIA-301-1982-08-03-1バングラデシュ1982年08月03日1980年代来訪中のアルワン・イラク外相はエルシャドおよびアフサン大統領,ドハ外相と会談。2国間の友好と9月初頭開催予定の非同盟国サミット(第7回,バグダッド)への準備に熱意を示した。エルシャドはフセイン大統領に書簡を送った。
DIA-301-1982-08-05-1バングラデシュ1982年08月05日1980年代Mahmud食糧相は,食糧貯蔵量は充分である,また,戒厳令施行以来食糧管理は改善された,などと述べた。
DIA-301-1982-08-07-1バングラデシュ1982年08月07日1980年代第3回南アジア7カ国会議,バングラの提案でイスラマバードにて開催。各国から外務次官が出席。
DIA-301-1982-08-09-1バングラデシュ1982年08月09日1980年代南アジア7カ国会議終了。農業・農村開発,電気通信,気象学,保健,家族計画の5部門における共同作業推進を約して幕を閉じた。
DIA-301-1982-08-09-2バングラデシュ1982年08月09日1980年代1982~83ADP修正予算,総額は270億タカ。成長率6.4%(農業7.1%,工業5.5%,他4.5%)。うち約100億タカは外国援助。年次開発計画総数1128中532のプロジェクトに211億タカ。農村開発には86億タカ。
DIA-301-1982-08-09-3バングラデシュ1982年08月09日1980年代エルシャド,訪バ中のイサク・アハムド・ソマリア大統領特使と会談。
DIA-301-1982-08-11-1バングラデシュ1982年08月11日1980年代中東への出稼ぎ労働者,20万人を超す。主要な出稼ぎ国はサウジ(3万5000人),UAE(3万3000人)。うち専門職者1万5158人,技術職者5万8000入。政府は労働力輸出に関する規定を設置。国内にある国外就職斡旋業者300のうち17がその資格を失った。きちんとした職歴がない者は国外就職はできないと定めた。
DIA-301-1982-08-11-2バングラデシュ1982年08月11日1980年代中・バ第6回バーター議定書(6000万㌦相当)に調印。バングラは中国へ主にジュート,皮革製品,化学肥料,合板を輸出。中国からは石炭,銑鉄,軟鋼,染料,化学機械等を輸入。中国代表は賈石対外経済貿易部次長。
DIA-301-1982-08-13-1バングラデシュ1982年08月13日1980年代Muhith蔵相,サウジおよびアブダビ訪問へ。
DIA-301-1982-08-14-1バングラデシュ1982年08月14日1980年代政府,教育水準の向上を目指してADP教育費10億3000万タカ。合計62のプロジェクトを設定。予算の内訳は初等教育4億4890万タカ,中等教育3億5480万タカ,技術教育1億1480万タカ。教科書支給(ⅠⅡⅢ年),制服支給(ⅠⅡ年),教育施設修復,科学機器導入等である。
DIA-301-1982-08-14-2バングラデシュ1982年08月14日1980年代エルシャド,閣僚会議で刑事犯の措置を迅速に行なうために審判手続きの簡略化を指示。
DIA-301-1982-08-16-1バングラデシュ1982年08月16日1980年代ラドワン・ユーゴ連邦幹部会員と5名の代表団訪バ,エルシャドと会談。18日にネパールヘ向かう予定。ユーゴ政府要人の訪バは,1974年チトー大統領,1979年Fadilj Hodzaに続き3人目。
DIA-301-1982-08-16-2バングラデシュ1982年08月16日1980年代サウジ,5000万㌦の対バ援助。農業開発用。
DIA-301-1982-08-17-1バングラデシュ1982年08月17日1980年代ラドワン・ユーゴ連邦幹部会員と代表団を観迎する祝賀会で,アフサン大統領は,「ユーゴとバングラは非同盟国として共通の意志と目的を持ってイ・イ戦争,ジンバブエ独立等の国際問題に対応している。2国間の友好関係は堅固である」と述べた。
DIA-301-1982-08-18-1バングラデシュ1982年08月18日1980年代バングラ・ユーゴ共同声明。16日から18日までのバングラ滞在を終えたラドワン連邦幹部会員率いる代表団はアフサン大統領,エルシャド,ドハ外相らと非同盟国として相互の結束を強める有意義な会談を終えネパールへ向かった。共同声明の骨子は,世界平和を脅かす,イ・イ戦争,パレスチナ問題,イスラエルのレバノン侵攻や,インド洋平和地帯宣言を早期に行なうこと,アフガン,カンプチアの永久平和達成,核軍縮の呼びかけ,先進―途上国間の力の差を狭める新国際経済秩序確立における非同盟諸国の役割の重要性を確認したなどである。
DIA-301-1982-08-20-1バングラデシュ1982年08月20日1980年代米国政府,7万5000㌧の対バ援助。10月に到着予定。米国からは別に米3万2000㌧の援助を受ける約束が7月に成立して間もなく到着の見込み。
DIA-301-1982-08-21-1バングラデシュ1982年08月21日1980年代小麦横領者21名に有罪判決。1年から最高7年の禁固刑。3000タカから16万5000タカの罰金。横領された小麦は無償救済小麦96万マウンド,1億1544万タカ相当。
DIA-301-1982-08-21-2バングラデシュ1982年08月21日1980年代バングラ独立戦争の歴史編纂を閣僚会議が決定。期限は58年6月まで,すでに35万のドキュメントが集められている。16巻1500ページの予定。
DIA-301-1982-08-26-1バングラデシュ1982年08月26日1980年代IMF,7830万㌦の対バ借款。バングラの輸出がジュート製品,原ジュートの部門で前年度より5%減。逆に輸入が39.5%増だったことに鑑み,国際収支補てんのための緊急融資。
DIA-301-1982-08-27-1バングラデシュ1982年08月27日1980年代ドハ外相,第13回イスラム国家外相会議に出席。エジプト・イスラエル平和条約,キャンプデービット協定の否認,パレスチナ国家承認,イスラエルのレバノン侵攻非難,ソビエトのアフガン占領即時撒退,イ・イ戦争終結などに同一歩調をとることを言明。
DIA-301-1982-08-28-1バングラデシュ1982年08月28日1980年代閣僚会議,「海外移住者に関する規定82年」設置案を承認。バングラ国民の海外就職を管理規制する新しい法律。就職斡旋業者による広告の規制,海外就職希望者登録制など。違反者には罰則が課せられる。
DIA-301-1982-08-31-1バングラデシュ1982年08月31日1980年代印バ河川共同閣僚会議,10月第1週に印バ首脳会議を予定して幕を閉じた。今回はファラッカ問題を中心に討議。基本的相互理解には達したと両閣僚発言。O.Khanバングラ代表,「飛躍的前進はなかったが,満足のいく前進はしている」と述べた。
DIA-301-1982-09-01-1バングラデシュ1982年09月01日1980年代エルシャド,ファリドプールで「新たなバングラデシュの基礎を地方分権によって築く」と言明。Thanaを行政の中心に,最優先は農村開発,家族計画は開発のため必須,宗教教育は国民の倫理確立に重要であると説く。
DIA-301-1982-09-04-1バングラデシュ1982年09月04日1980年代Obaidur Rahman 前民間航空観光相,F-28航空機購入を巡る汚職で14年の懲役と全財産没収。Majidul-Haq元内閣総務に同汚職で懲役5年,30万タカの罰金。Afsar Aliに懲役3年,罰金5万タカ。Aziz Mohammud Bhaiに懲役10年,罰金100万タカの刑宣告(戒厳令特裁No.2)。
DIA-301-1982-09-04-2バングラデシュ1982年09月04日1980年代閣僚会議,教育制度改正案承認。改正案は,初等教育を5年から8年の延長(ClassⅠ~Ⅷ),中等教育を3年から4年に延長(ClassⅨ~ⅩⅡ)。アラビア語,英語をそれぞれClassⅠ,Ⅱから導入することが含まれている。
DIA-301-1982-09-06-1バングラデシュ1982年09月06日1980年代薬剤取締法改正。改正により111の条項のうち41が削除され,その結果71の鎮痛剤・膏薬の生産売買が許可された。有効期間は82年6月12日から18カ月間。
DIA-301-1982-09-07-1バングラデシュ1982年09月07日1980年代エルシャド,BDRに密輸入者を厳しく取締るよう要請。
DIA-301-1982-09-07-2バングラデシュ1982年09月07日1980年代Rajshahi大洪水,死者3名。被災者275万名。1万エーカーのアマン期稲作付耕作地に打撃。
DIA-301-1982-09-08-1バングラデシュ1982年09月08日1980年代Kushtia大洪水,被災者50万人。
DIA-301-1982-09-08-2バングラデシュ1982年09月08日1980年代Majeed Khan教育宗教相,1987年までに識字率を50%にすると宣言。
DIA-301-1982-09-09-1バングラデシュ1982年09月09日1980年代78Thana,行政基礎地域に。58 Sub-division,県に改編することを決定。
DIA-301-1982-09-11-1バングラデシュ1982年09月11日1980年代閣僚会議,農業生産増強のため農業資金貸付け手続の簡略化を決議,他に人口抑制2カ年計画,イスラム教育研究専門学校とイスラム大学の合併を決議。
DIA-301-1982-09-13-1バングラデシュ1982年09月13日1980年代公務員綱紀規制(1982)発令。公務員の勤務は日曜日から木曜日,午前9時から午後5時まで(昼休み1時~1時30分)。週37.5時間勤務。遅刻,無届の早退欠勤は罰せられる。これにより,金曜日と土曜日が公休日となった。
DIA-301-1982-09-21-1バングラデシュ1982年09月21日1980年代エルシャド,国連事務総長にイスラエル非難の書簡を送る。イスラエルの西ベイルート占拠の即時撤退のため国連が尽力することを要請。
DIA-301-1982-09-21-2バングラデシュ1982年09月21日1980年代ダッカのスタディアムで騒動。155人逮捕。54人に有罪の判決(最高懲役5年)。警官12名が負傷。
DIA-301-1982-09-22-1バングラデシュ1982年09月22日1980年代ジュート・織物工場の民間払い下げ決定。51%の株を所有する前所有者は国有化の補償金を政府に支払うことによって買い戻すことができるとした。
DIA-301-1982-09-22-2バングラデシュ1982年09月22日1980年代エルシャド,メッカ巡礼のため訪サウジ。ファハド国王と国際情勢,2カ国間の問題について会談予定。
DIA-301-1982-09-22-3バングラデシュ1982年09月22日1980年代Pourashavaを改組。戒厳令司令官は戒厳令規則第36号を発令して,現行のPourashavaの機能を全面停止し,新たに,Pourashavaの議長および副議長を政府が任命すると発表した。
DIA-301-1982-09-23-1バングラデシュ1982年09月23日1980年代カーン教育相,初等教育をThanaの管轄下に置くと発表。
DIA-301-1982-09-24-1バングラデシュ1982年09月24日1980年代エルシャド,ファハド国王と会談。公式パーティーにはメッカ巡礼にきた,セク・トーレ・ギニア大統領,アブドル・ガユーム・モルジブ大統領も出席。エルシャドは他に,Abdullah Bin Abdul Aziz皇太子第1副首相,Sultan Bin Abdul Aziz第2首相代理と会談。ドハ・バングラ外相も同行した。
DIA-301-1982-09-26-1バングラデシュ1982年09月26日1980年代閣内不正行為取締委員会設置,委員長はMohammud Abdul Halim准将。
DIA-301-1982-09-26-2バングラデシュ1982年09月26日1980年代サウジ訪問中のエルシャド,アラファトPLO議長とメッカで会談,国際政治問題について話し合った。27日エルシャド帰国に際しアラファト議長は訪バをほのめかした。
DIA-301-1982-09-27-1バングラデシュ1982年09月27日1980年代カナダ,6億タカ(3000万カナダ・ドル)の対バ援助。小麦10万㌧購入のための資金。これで独立以来カナダからの援助総額は8億2635万カナダ・ドルとなった。
DIA-301-1982-10-02-1バングラデシュ1982年10月02日1980年代国際ジュート機関(IJO)設立。本部はダッカ。1日にジュネーブで開催されたUNCTADに出席した50カ国によって承認。目的は(1)市場活性化,(2)コスト引き下げ,(3)調査開発努力,である。83年7月1日から機能開始。
DIA-301-1982-10-04-1バングラデシュ1982年10月04日1980年代在留パキスタン人の本国送還開始。今回は176名。在留パキスタン人は4600人と見積もられているが,今月中に全員を本国送還する予定。これはバングラ・パキスタン両政府の交渉により,本人の選択の自由を認めて実施されている。
DIA-301-1982-10-06-1バングラデシュ1982年10月06日1980年代エルシャド,インドを公式訪問。印・バ間の問題,特にファラッカ,南タラパティにおける領有問題を中心に首脳会談を行なう。
DIA-301-1982-10-06-2バングラデシュ1982年10月06日1980年代本日よりダッカは英語表示でDaccaからDhakaに変更。
DIA-301-1982-10-06-3バングラデシュ1982年10月06日1980年代印・バ首脳会談。エルシャドとガンジー首相の間で1時間,その後バングラ側にはドハ外相,O.Khan農業相,インド側にはケダルパンディ灌漑相,Phanab Mukherjee蔵相が加わり話し合いが行なわれた。Teen Bighaの永代借地権の合意成立7日に調印予定。印・バ間の経済貿易関係の拡大は特にバングラ側の輸出拡大によるバランス調整を行ないながら実現することに双方の合意をみた。ガンジー首相は「変わらぬ熱意を持ってバングラと協力していく」と言明した。
DIA-301-1982-10-07-1バングラデシュ1982年10月07日1980年代印・バ共同声明発表。ファラッカ問題は82年11月4日から1977年合意を18ヵ月延長しその期間にガンジス川の流路変動に関する調査を終了させJRCで最終的な決議を諮る。南タラパティ島に関しては関係資料収集と調査期間を経て事務官レベルの討議を早期に行なうことで合意。今回の解決案は近隣国同志の親睦関係樹立の精神で決定されたと両首脳発言。帰国後,エルシャドは,今回の訪印はr両国の経済関係に新時代を切拓く画期的成果をあげた」と語った。
DIA-301-1982-10-10-1バングラデシュ1982年10月10日1980年代エルシャド,フィジー訪問。Suvaで開催される第3回英連邦政府首脳地域会議出席のため。随行者はドハ外相,サマド陸軍少将,アブル・アフサン外務次官補。会期は14日から18日まで。
DIA-301-1982-10-11-1バングラデシュ1982年10月11日1980年代Aminul Islam人的資源相,イスラエルのレバノン侵攻でバングラ国民400人死亡,と報告。
DIA-301-1982-10-12-1バングラデシュ1982年10月12日1980年代マフムド戒厳副司令官,1995年までに全農村電化を実現する政府決定を発表。資金総額210億タカ,うち外貨140億タカ。地方分権へ必須の課題と言明。
DIA-301-1982-10-14-1バングラデシュ1982年10月14日1980年代米国,5億タカ相当の食糧援助供与に調印。小麦10万㌧と1万㌧の大豆油(PL480,タイトルⅢ)。
DIA-301-1982-10-19-1バングラデシュ1982年10月19日1980年代マームード食糧相,民間の食糧海外取引に政府は介入しないと言明。国内消費量のうち政府配給の食糧は12~15%。主に低所得層への分配を受け持っている。市場システムが確立されていないため政府関与を余儀なくしているが何らかの手段で民間に食糧配給確立の責任を持たせる意向。
DIA-301-1982-10-22-1バングラデシュ1982年10月22日1980年代悪意ある扇動家に気をつけるよう,政府呼びかけ。高等裁判所の地方設置に反対する多くの法律家に耳を貸さないように。10月10日裁判所欠勤を戒しめたが,法律家の職務放棄は13日にも摘発された。現在遅延された訴訟件数6万4930件。司法構造の改革に政府は着手。
DIA-301-1982-10-22-2バングラデシュ1982年10月22日1980年代エルシャド,憲法改正の意向表明。新しい憲法作成は否定。一般国民の福祉向上の必要に合わせて幾つかの箇所を改正する,と。UP選挙は来年,昇格されたThanaは11月7日から機能を開始する。
DIA-301-1982-10-24-1バングラデシュ1982年10月24日1980年代サウジ基金事務総長,訪バ。政府関係者と今後の援助について話し合う予定。10日間滞在。
DIA-301-1982-10-24-2バングラデシュ1982年10月24日1980年代行政機関の再編成。新しいバングラ国家建設のため地方分権により民主主義の基盤を確立するとエルシャド,Thana公務員の3日間研修コースで言明。農村基盤の民主主義,貧富の差を狭める,自給自足の生活,社会福祉に貢献できる教育制度を唱えた。
DIA-301-1982-10-25-1バングラデシュ1982年10月25日1980年代最高裁弁護士協力会員,エルシャドに法改正について話し合いを求める。10月10日,13日の同会の決議に基づき,逮捕中の弁護士釈放をエルシャドに要請。26日,釈放された。釈放されたのはMLR14,15,17規定違反で10月17日に逮捕された弁護士13名,彼らは最高裁決議のボイコット撒回を誓った。
DIA-301-1982-10-30-1バングラデシュ1982年10月30日1980年代エルシャド,各戒厳令管区にモデル村1カ村を建設すると宣言。モデル村は近代的な快適さを備えた,電気・下水施設・市場・天然ガス・燃料設備の整った村のことである。
DIA-301-1982-10-31-1バングラデシュ1982年10月31日1980年代政府,戒厳令規則No.9により,許可なく1年以上海外に滞在した164名(582名中)の国家公務員に超過滞在の訴訟提起,他に418名に指定期間内の帰国を命令。
DIA-301-1982-11-03-1バングラデシュ1982年11月03日1980年代第1回国際安全保障軍縮委員会出席のため訪米中カリム外務次官,世界的な軍事力増強の傾向に懸念の意表明。バングラの軍縮への意志は強固であると述べた。
DIA-301-1982-11-04-1バングラデシュ1982年11月04日1980年代エルシャド,バングラ軍事訓練学校(BMA)パレードで,国家独立のために軍の任務遂行を期待する,目家は近代的で有能な軍を必要,と言明。
DIA-301-1982-11-06-1バングラデシュ1982年11月06日1980年代オマーン,バハレーンにバングラ大使館開設を政府決定。相互関係の強化と雇用機会の拡大のため。現主オマーンで働いているバングラ人2万人以上,バハレーン7000人,ヨルダン5000人。
DIA-301-1982-11-07-1バングラデシュ1982年11月07日1980年代地方行政(Thanaレベル)の活動開始。改革されたThana45,(あと55は12月16日から)。エルシャド,「我々は7カ月の間にこれまで政権を握った政府が11年間かけても成し得なかったことを実現した」と言明。UPの選挙は来年8月以降,閣僚数は47から17人に削減。ADPの40%は農業部門へ投資,旧幣な試験本位の教育を排除,人口抑制政策,薬剤輸入取締法発令,土地法改正,IRDP(総合農村開発計画)は83年1月から活動開始,などが盛り込まれた行革の一端。なお,Thana事務所には,保健,家族計画,教育・農業,技術者協力組合,家畜,漁業,社会福祉,農村開発統計,マスコミ,税務,警察,Thana村落防衛隊(Ansar),VDPなどからの派遣公務員がいる。
DIA-301-1982-11-09-1バングラデシュ1982年11月09日1980年代バングラ最高裁弁護士脇会の代表団16名,エルシャドを訪問し,行政司法の地方分散化に歓迎の意を表明。裁判所の改善と裁判を早急に行なうことについて話し合った。
DIA-301-1982-11-09-2バングラデシュ1982年11月09日1980年代マームード食糧相,食糧備蓄は十分であると言明。政府は毎月25万㌧の食糧を市場に放出,と述べた。
DIA-301-1982-11-10-1バングラデシュ1982年11月10日1980年代エルシャド,ネパールを訪問(3日間)。Surya Bahadur Thapa首相と会談。地域相互関係と国際問題について討議。バングラ首脳のネパール訪問は1977年と1981年に続き3回目。一方ネパール首脳の訪バは1978年と1980年に行なわれている。この首脳会談では水資源の管理利用,第3世界同士の協力体制の確立,南アジアへの軍進出を防ぐこと,非同盟国の役割の重要性などが話し合われた。また,印・バ共同河川会議にネパールが出席することが受諾された。
DIA-301-1982-11-13-1バングラデシュ1982年11月13日1980年代ブレジネフ書記長の葬式に,カーン戒厳副司令官とBAL代表ハシナ女史が出席。
DIA-301-1982-11-14-1バングラデシュ1982年11月14日1980年代タイ―バ2国間貿易拡大合意覚書,調印成立。タイ代表はPunnamee Punsri商業相をはじめとする3名。タイ代表団は4日間の日程で訪バ中。本日帰国。この覚書は1977年の合意を見直したもの。
DIA-301-1982-11-16-1バングラデシュ1982年11月16日1980年代バングラ国籍海外出稼者の国内送金,1982年は100億タカを超える見込。1~9月までで73億8000万タカ。昨年度同期間の送金総額は62億1000万タカ。
DIA-301-1982-11-16-2バングラデシュ1982年11月16日1980年代カーン戒厳副司令官,ブレジネフ葬儀出席後,アンドロポフ新書記長とレセプションで会談。
DIA-301-1982-11-16-3バングラデシュ1982年11月16日1980年代西ドイツ,12億6000万タカの対バ開発援助に調印。4億5000万タカは一般商品借款,8億1000万タカはプロジェクト借款(アシュガンジー発電所計画)。
DIA-301-1982-11-17-1バングラデシュ1982年11月17日1980年代印・バ共同経済会議,ニューデリーで開催。バングラ代表はドハ外相。インド代表はラオ外相。実務者会議を監視のため,常任委員会設置を決議。相互貿易の均衡を図るためバングラからインドへ化学肥料,新聞用紙,瀝青を輸出。
DIA-301-1982-11-17-2バングラデシュ1982年11月17日1980年代ドハ外相,ガンジー・インド首相と会談(1時間)。JEC関係事項について討議。
DIA-301-1982-11-20-1バングラデシュ1982年11月20日1980年代エルシャド,食生活に変化を,主食の米をポテトに代替させるよう呼びかけ。3日間のポテト展覧会(シルパカラアカデミー)で主婦を対象に行なう。
DIA-301-1982-11-21-1バングラデシュ1982年11月21日1980年代軍隊の日。1971年11月21日バングラ陸・海・空軍設立を記念する。
DIA-301-1982-11-22-1バングラデシュ1982年11月22日1980年代Thanaの改革,新たに55を指定。機能開始は82年12月15日から(12月5~8日までテスト期間)。82年11月7日に改革されたThana45に続き計100のThanaが改革されたことになる。
DIA-301-1982-11-22-2バングラデシュ1982年11月22日1980年代チッタゴン大学で学生の暴動。卒業試験の変更に反対した学生達は教師9名,医師2名に怪我を負わせ長距離列車運転妨害,教員センターに放火し,副大学長Aziz Khan他30名の大学職員を副学長事務所に18時間監禁。
DIA-301-1982-11-23-1バングラデシュ1982年11月23日1980年代エルシャド,現政府は民主主義確立のために,様々な制度改正を行なっている,と県知事,副知事,郡判事の会議で言明。一部の学生が起こした暴動に対して,破戒的行為であり冷静になることを希望すると述べた。
DIA-301-1982-11-26-1バングラデシュ1982年11月26日1980年代エルシャドブ訪中。6日間の滞在。28日に趙紫陽首相と正式会談。中・バ間にはいかなる問題も存在しないことを相互確認。カンプチア問題,非同盟国の役割、覇権主義などの国際問題について意見の交換をした。28日,約500万㌦の対バ借款に調印。エルシャド29日,鄧小平中国共産党常任委員会議長と会談。故毛主席の記念館も訪問した。趙首相は29日,2国間の友好は深まったと発表,訪バの約束もした。同行者はドハ外相Shafia Khatun婦人問題相を含め6名。
DIA-301-1982-11-30-1バングラデシュ1982年11月30日1980年代エルシャド,四川省で四川省軍事訓練所の野営演習を見学。その急速な進歩を讃えた。
DIA-301-1982-11-30-2バングラデシュ1982年11月30日1980年代エルシャド,カンプチアと外交関係を結ぶことを発表(超首相主催の夕食会で)。
DIA-301-1982-12-01-1バングラデシュ1982年12月01日1980年代南アジア地域協力委員会の実行委員会,ダッカで開催。バングラ,ビルマ,スリランカ,インド,ネパール,ブータン,モルジブ,パキスタンの7カ国が出席。
DIA-301-1982-12-01-2バングラデシュ1982年12月01日1980年代訪バ中の林乎加中国農業相,アフサン大統領を訪問。中・バ共同経済委員会成立に期待をかけると言明。
DIA-301-1982-12-02-1バングラデシュ1982年12月02日1980年代エルシャド,四川省→Gulin→広東を経て北京へ。もしバングラが設置した輸出加工区に資本投下の意志があれは優遇すると言明。
DIA-301-1982-12-04-1バングラデシュ1982年12月04日1980年代エルシャド,訪中を終え帰国。訪中は実り多く満足のいくものだったと記者団に報告。趙首相とは国際問題で多くの意見の一致を見た。特にカンプチアの国連加入,非同盟国首脳会議出席にバングラは積極的であることを示した。総額1250万㌦の対バ借款も調印された。
DIA-301-1982-12-08-1バングラデシュ1982年12月08日1980年代農業大学学長,学生により事務所・自宅から連行される。学生達は身代金を要求した。学長はShere Bangla Nagar農業大学,Abdul Hamid。
DIA-301-1982-12-09-1バングラデシュ1982年12月09日1980年代バングラ,ネパールエ業化のための援助。11月29日から12月3日までカトマンズで開かれたネパールとUNIDO主催の連帯閣僚会議(19カ国,6国際機関参加)でイスラム労働相が提案。主な援助品目はジュート,紙・新聞用紙,医薬品など。
DIA-301-1982-12-09-2バングラデシュ1982年12月09日1980年代バングラデシュ銀行は,1981/82年度のGDP成長率は0・9%(前年度は6.1%)であったと発表。これによると同年度の農業生産伸び率はマイナス0.6%(前年度7・1%),工業部門2.9%(前年度8.8%)であった。このうち,食糧・ジュート・茶の生産はそれぞれ対前年度比△3.42%,△9.74%,△7.6%と減産であった。これは旱魃と大雨,鼠害が原因であった。
DIA-301-1982-12-09-3バングラデシュ1982年12月09日1980年代人口抑制2カ年行動計画開始。増加率を2.6%から1.5%に下げるのが目標。
DIA-301-1982-12-16-1バングラデシュ1982年12月16日1980年代独立記念日。エルシャド,戒厳令布告以来政府の外交・行政・農村開発・輸出入・教育諸政策とその成果を発表。長期的展望を持つ諸政策は民主化の過程として世界でも画期的ステップを踏んでいると言明。なお現在改正中の憲法にはイスラムの宗教精神を盛り込む意を表明。
DIA-301-1982-12-19-1バングラデシュ1982年12月19日1980年代ドハ外相,バハレーンを訪問(18,19日の2日間)。イサ首長,ハマド皇太子,ムバラク外相と各々会談。バングラからの首脳の公式訪問はこれが初めて。エルシャドは首長に書簡を送る。バハレーンのバングラ国籍労働者は約1万人。
DIA-301-1982-12-19-2バングラデシュ1982年12月19日1980年代地方行政規則承認。Thana Parishad規約のアウトライン成立。Parishadは(1)議長1人,(2)代表メンバー,(3)女性のメンバー3人,(4)事務員,(5)Thana中央協同組合の議長によって構成される。(1)(3)の任期は3年。
DIA-301-1982-12-21-1バングラデシュ1982年12月21日1980年代カーン教育相,一つのThanaに女子高1校設置と発表。
DIA-301-1982-12-25-1バングラデシュ1982年12月25日1980年代Evrenトルコ大統領訪バ(23~25日)。23日,アフサン大統領,イスラムの国家結束を呼びかけ。24日,エルシャドと正式会談。カンプチア問題,アフガン問題,イ・イ戦争に関する両国首脳の意見一致。両国相互関係では,バングラはトルコから綿を購入,両国間を連結する空路・海運の改善に力を入れることを決定。「トルコでも国家混乱期を救ったのは軍である。バングラの現政権を支持する」。25日,トルコ・バングラ共同声明発表。
DIA-301-1982-12-25-2バングラデシュ1982年12月25日1980年代第23回印・バ河川共同会議,ニューデリアで開催。日程は3日間。バングラ代表はオバイド・カーン農業相。インド側はKedar Pandey灌漑相。
DIA-301-1982-12-26-1バングラデシュ1982年12月26日1980年代Muhith大蔵・計画相,1982~83の国内食糧生産量は1520万㌧の見込みで人口に見合うには10%不足,と発表。食糧生産増加はエネルギー利用の可否にかかっている,と。
DIA-301-1982-12-27-1バングラデシュ1982年12月27日1980年代バングラ・ソ連バータ議定書(19億5000万タカ相当)調印。バングラからの輸出品目は,タバコ・巻きタバコ,銅線,コーヒー,カミソリ。ソ連からは薪しく灯油が加わる。バングラ代表はカビル商業省次官,ソ連代表はGrishin外国貿易相代理。
DIA-301-1982-12-30-1バングラデシュ1982年12月30日1980年代エルシャド,「選挙公文規則1982」を承認。現行の規則は撒廃。来年実施予定のUnion,ThanaとZilla Parishadなど地方自治体選挙はこの規則が適用される。1976年規定の選挙区確定規則はそのまま適用される。
DIA-301-1983-01-01-1バングラデシュ1983年01月01日1980年代マクファーンンUSAID長官、現バ政府の経済開発政策を評価、今後も援助を継続すると発言。
DIA-301-1983-01-02-1バングラデシュ1983年01月02日1980年代アメリカAIDは1億6200万㌦の対バ援助を約束。
DIA-301-1983-01-04-1バングラデシュ1983年01月04日1980年代エルシャド、Aga Khan Ismailia王子と対談。イスラム世界における同イマムファミリーの役割を評価。同王子は7日までバングラに滞在。
DIA-301-1983-01-04-2バングラデシュ1983年01月04日1980年代エルシャド、マザーテレサと対談。
DIA-301-1983-01-05-1バングラデシュ1983年01月05日1980年代Wuttke国際金融公社副総裁、バ政府の民間部門活性化政策を評価。今後も輸出強化と共に尽力すると言明。
DIA-301-1983-01-05-2バングラデシュ1983年01月05日1980年代Muhith蔵相、貸し出し手続きの簡略化を提唱。
DIA-301-1983-01-09-1バングラデシュ1983年01月09日1980年代政府、ダッカ大学における反政府運動学生に警告を発す。
DIA-301-1983-01-10-1バングラデシュ1983年01月10日1980年代エルシャド、警察に国民の信頼を得るよう要請。
DIA-301-1983-01-10-2バングラデシュ1983年01月10日1980年代教育省、教育組織再編成のために質問票をタナごとの教育事務所をはじめ関係機関に配布。
DIA-301-1983-01-11-1バングラデシュ1983年01月11日1980年代エルシャド、バングラデシュ・キリスト協会の集いで、政府の目的は真の民主主義の実現であると言明。
DIA-301-1983-01-11-2バングラデシュ1983年01月11日1980年代タカ、市場で安定。買値で1㌦=24.48タカ、売値で1㌦=24.52タカ。
DIA-301-1983-01-12-1バングラデシュ1983年01月12日1980年代Bakhrabadガス・システム完成間近。この完成により110億タカ相当の石油輸入削減が可能となる見込み。
DIA-301-1983-01-14-1バングラデシュ1983年01月14日1980年代ドハ外相、マナグアで非同盟諸国閣僚会議に出席。会議の後、同外相はカメルーン、チャド、韓国の外相と会談した。
DIA-301-1983-01-14-2バングラデシュ1983年01月14日1980年代エルシャド、国際イスラム会議(バングラマドラサ教師連盟主催)で、イスラムの精神を第1に憲法に謳うと言明。
DIA-301-1983-01-15-1バングラデシュ1983年01月15日1980年代(ダッカ)印バ河川会談、専門家レベルで開催。印代表はPadhve灌漑相他6名、バングラ代表はShamin Ahsan灌漑省次官他8名。
DIA-301-1983-01-15-2バングラデシュ1983年01月15日1980年代日バ文化交流会で大塚バ大使、日バ友好は一層充実してきていると言明。
DIA-301-1983-01-16-1バングラデシュ1983年01月16日1980年代教育省、科学をクラスⅨの必修にすることを決定・また、音楽教育を小学校に導入することを決定。
DIA-301-1983-01-18-1バングラデシュ1983年01月18日1980年代エルシャド、政府は国民のために、地方分権化、人口抑制などの諸改革を行なうと言明。
DIA-301-1983-01-18-2バングラデシュ1983年01月18日1980年代Mahmud食糧相、国内食糧輸送の自由化を言明。
DIA-301-1983-01-18-3バングラデシュ1983年01月18日1980年代ドハ外相、ピム英外相とロンドンで会談。国際情勢と2国間の経済関係について話し合いが行なわれた。
DIA-301-1983-01-20-1バングラデシュ1983年01月20日1980年代ADB、1億800万㌦の対バ借款に調印。10年据置40年返済、年間サービス料1%。内容は、4500万㌦を南西ガス輸送、3500万㌦をAshuganj発電プロジェクト、2700万㌦をボラ島灌漑プロジェクトに使用される。
DIA-301-1983-01-21-1バングラデシュ1983年01月21日1980年代OIC会議、Darkar(セネガル)で開催。バングラからはSyed Najmuddin情報相が出席。
DIA-301-1983-01-21-2バングラデシュ1983年01月21日1980年代Mahbubur Rahman地方自治相、投資促進策と地方自治化は国内経済に活力を与えていると言明。
DIA-301-1983-01-23-1バングラデシュ1983年01月23日1980年代エルシャド、大学生に新しいバングラデシュ建設のため共同開発参加を呼びかけ。学生の政治運動の意欲はスポーツに向けられるべきと発言。
DIA-301-1983-01-24-1バングラデシュ1983年01月24日1980年代茶の輸出額、7億400万タカ(1982年7~12月)前年度比66%増。
DIA-301-1983-01-24-2バングラデシュ1983年01月24日1980年代エルシャド、学生運動に対し政府は話し合いによる解決を望むと言明。
DIA-301-1983-01-24-3バングラデシュ1983年01月24日1980年代IDA、730万㌦のSDRクレジットの対バ借款、この資金はIBAにより教育設備拡充のため使用される。
DIA-301-1983-01-25-1バングラデシュ1983年01月25日1980年代バングラ、OIC財政委員会の4メンバーに選出される。同委員会の仕事は国際イスラムニュース協会(IINA)の業務遂行など。
DIA-301-1983-01-26-1バングラデシュ1983年01月26日1980年代112タナ、4月までに第2段階に分けて整備を実施。3月24日までに55タナ、4月15日までに57タナ。
DIA-301-1983-01-27-1バングラデシュ1983年01月27日1980年代エルシャド、1県に1カ村のモデル村設置の計画を発表。
DIA-301-1983-01-28-1バングラデシュ1983年01月28日1980年代国内有権者リストの作成開始。
DIA-301-1983-01-28-2バングラデシュ1983年01月28日1980年代有権者登録開始。
DIA-301-1983-01-29-1バングラデシュ1983年01月29日1980年代Muhith蔵相、地方への財政投資は国家経済の二重構造(伝統的経済と近代的経済)を改善し得ると言明。
DIA-301-1983-01-30-1バングラデシュ1983年01月30日1980年代エルシャド、憲法復活を宣言。憲法により国民の基本的人権を保証し、野党の存在を認めて民主主義の実現を図る。憲法に基づく一般選挙を実施し、政党間のいたずらな抗争が無くなることを希望するなどと述べた。
DIA-301-1983-01-31-1バングラデシュ1983年01月31日1980年代エルシャド、訪クウェート。2月2日まで同国に滞在、その後モロッコへ5日間の予定で訪問。
DIA-301-1983-01-31-2バングラデシュ1983年01月31日1980年代海外労働者の送金、117億3230万タカとAminul Islam労働マンパワー相、報告。同相はILO会議で訪日を終え帰国。前年度の送金は62億タカ。バングラ人の新規の労働力受入れはブルネイが積極的であった。
DIA-301-1983-02-01-1バングラデシュ1983年02月01日1980年代エルシャド、Ahmed A1-Sabahクウェート首長と会談。クウェートは対バ援助継続を約束。会談ではイ・イ戦争、パレスチナ問題についても話し合いが行なわれた。
DIA-301-1983-02-02-1バングラデシュ1983年02月02日1980年代クウェート・バングラ共同声明。「イ・イ戦争は他国が干渉せずに2国間の平和的解決を希望する。イスラエルのレバノン侵攻には即時撤退を要求する。」サアード首相との会談後に声明は発表された。
DIA-301-1983-02-02-2バングラデシュ1983年02月02日1980年代エルシャド、モロッコを訪問、5日間の滞在。3日Maati Bouabid首相と会談。4日、Bouabid首相、「イスラム教と非同盟の精神の一致に基づき2国間の友好関係は強化された」と発表。エルシャド、「OICの原則、国連憲章に基づき、独立外交の道を歩む」と言明。 5日、エルシャド、ハッサン国王と会談。
DIA-301-1983-02-02-3バングラデシュ1983年02月02日1980年代カナダ、1億2300万㌦、35万㌧相当の食糧購入のための対バ援助。
DIA-301-1983-02-03-1バングラデシュ1983年02月03日1980年代西ドイツ、2万5000㌧の対バ食糧援助に調印。
DIA-301-1983-02-04-1バングラデシュ1983年02月04日1980年代第24回印バ河川共同会議ダッカで開催。バングラ代表はObaidullah Khan農業相。
DIA-301-1983-02-06-1バングラデシュ1983年02月06日1980年代ダッカ大学構内で2学生グループが衝突。約100名が重軽傷。逮捕者ゼロ。Isrami Chhatra Shibirグループがカリキュラムのイスラム色強化を創立記念の会合で訴えていたところ、反対派の学生が乱入して乱闘。
DIA-301-1983-02-06-2バングラデシュ1983年02月06日1980年代エルシヤド、訪仏。
DIA-301-1983-02-07-1バングラデシュ1983年02月07日1980年代エルシャド、ミッテラン仏大統領と会談。南北問題、非同盟運動、中東情勢などについて話し合いが行なわれた。ミッテラン大統領、1週間以内に政府要人をバングラデシュに派遣すると約束。
DIA-301-1983-02-07-2バングラデシュ1983年02月07日1980年代UNICEF、幼児死亡を防ぐため1億㌦の対バ援助。
DIA-301-1983-02-07-3バングラデシュ1983年02月07日1980年代エルシャド、訪ヨルダン。
DIA-301-1983-02-08-1バングラデシュ1983年02月08日1980年代エルシャド、フセイン・ヨルダン国王と会談。中東問題、イスラムの団結について話し合った。この後帰国、4カ国訪問は成功であったと述べた。
DIA-301-1983-02-08-2バングラデシュ1983年02月08日1980年代第6回ジュート生産協議会(ESCAP後援)ダッカで開催。
DIA-301-1983-02-08-3バングラデシュ1983年02月08日1980年代ドハ外相、訪パキスタン。
DIA-301-1983-02-09-1バングラデシュ1983年02月09日1980年代ドハ外相、S.Q.Khanパキスタン外相と会談。2国間の友好関係強化に合意。
DIA-301-1983-02-10-1バングラデシュ1983年02月10日1980年代ダッカ市は、婦人問題委員会(会員57名)を設置。
DIA-301-1983-02-11-1バングラデシュ1983年02月11日1980年代M・J・Chowdhury内務相、政府は大学構内鎮静のため非常手段を取ることも躊躇しない、と言明。
DIA-301-1983-02-12-1バングラデシュ1983年02月12日1980年代ダッカ医科大学(DMC)で献血所が放火され全焼、犯人は不明。この献血所は“Sandhani”学生自治グループの献血活動のため設置されたもの。
DIA-301-1983-02-13-1バングラデシュ1983年02月13日1980年代M.A.Khan戒厳令副司令官、公務員に対しタナの組織整備に妨げとなる偏見を捨てるよう呼びかけ。
DIA-301-1983-02-13-2バングラデシュ1983年02月13日1980年代政府、教育委員会設置を決議。
DIA-301-1983-02-14-1バングラデシュ1983年02月14日1980年代ドハ外相、ジャカルタを訪問。
DIA-301-1983-02-14-2バングラデシュ1983年02月14日1980年代ダッカ大学で暴動。死者1名、警官50名が重軽傷。ダッカ大学は無期限の閉鎖を命じられた。
DIA-301-1983-02-15-1バングラデシュ1983年02月15日1980年代ダッカ・チッタゴン市内で暴動。2人死亡、逮捕者多数。
DIA-301-1983-02-15-2バングラデシュ1983年02月15日1980年代ドハ外相、スハルト大統領と会談。
DIA-301-1983-02-15-3バングラデシュ1983年02月15日1980年代ダッカ、チッタゴン市内の全ての教育機関を2月27日まで閉鎖すると政府発表。Khan戒厳令副司令官、タンガイルで「現政府はいかなる政治的野心も持っていない」と言明。
DIA-301-1983-02-16-1バングラデシュ1983年02月16日1980年代エルシャド、15日に学生の暴動が発生した合同官庁舎を訪れ遺憾の意を表明。ダッカ市内は正常に戻る。ジャハンギナガール大学とマイメンシン農業大学は無期限の閉鎖処分。
DIA-301-1983-02-17-1バングラデシュ1983年02月17日1980年代政府はダッカ市内における2日間の暴動で拘留した1331人のうち1021名をすでに釈放したと発表。
DIA-301-1983-02-17-2バングラデシュ1983年02月17日1980年代タパ・ネパール首相、訪バ。19日にエルシャドと正式会談。南アジア諸国の団結とネ=バ2国間の友好関係強化を確認。
DIA-301-1983-02-23-1バングラデシュ1983年02月23日1980年代エルシャド、軍部と国民により共同開発が進められているジェソールのモデル村12カ村を視察。国民に軍部への協力を呼びかけた。
DIA-301-1983-02-24-1バングラデシュ1983年02月24日1980年代エルシャド、「政府の開発および改革努力は全て国民の福祉に貢献するものであり、国民の利益を最優先にしている」と言明。
DIA-301-1983-02-27-1バングラデシュ1983年02月27日1980年代拘留された学生31名釈放。14、15日の暴動で留置されたのは53名。
DIA-301-1983-02-28-1バングラデシュ1983年02月28日1980年代ビルマ・バングラ、バーター議定書に調印。バングラは5130万タカ相当の対ビルマ輸出、ビルマは10万㌧の米を対バ輸出することになった。
DIA-301-1983-02-28-2バングラデシュ1983年02月28日1980年代学校・大学再開。11日間の閉鎖を解除された。
DIA-301-1983-03-01-1バングラデシュ1983年03月01日1980年代政府、拘留中の政治家27人の釈放を決定。今年、来年の選挙を前に国内の民主化を推進するためと理由を説明した。このなかにはハシナ女史、トファイル・アーメドらも含まれている。
DIA-301-1983-03-02-1バングラデシュ1983年03月02日1980年代IDB(イスラム開発銀行)、ダッカにイスラム銀行設立のため26万2000㌦の対バ援助。
DIA-301-1983-03-03-1バングラデシュ1983年03月03日1980年代Gayoomモルジブ大統領、来バ。エルシヤド、アフサン大統領らと会談。
DIA-301-1983-03-05-1バングラデシュ1983年03月05日1980年代M.J.Chowdhury内務相、法と秩序の維持をダッカ市自治団体に呼びかけ。
DIA-301-1983-03-06-1バングラデシュ1983年03月06日1980年代エルシャド、非同盟諸国首脳会議に出席するため訪印。
DIA-301-1983-03-06-2バングラデシュ1983年03月06日1980年代バングラ・モルジブ共同声明発表。南アジア7カ国団結、国連憲章、非同盟の原則について確認。
DIA-301-1983-03-07-1バングラデシュ1983年03月07日1980年代エルシャド、7カ国首脳とスピード会談。アヲファトPLO議長、スリランカ大統領、ザンビア大統領、パキスタン大統領、エジプト大統領、ブータン国王、インドネシア外相の7カ国である。
DIA-301-1983-03-08-1バングラデシュ1983年03月08日1980年代エルシャド、非同盟首脳会議で非同盟諸国間の団結を強調。
DIA-301-1983-03-10-1バングラデシュ1983年03月10日1980年代エルシャド、ガンジー印首相と会談。
DIA-301-1983-03-14-1バングラデシュ1983年03月14日1980年代エルシャド、地方政府および協同組合の代表を前に「新しいバングラ建設のため団結を」「現在は、軍部の介入によって国家を救わねばならない時期である」などと述べた。
DIA-301-1983-03-15-1バングラデシュ1983年03月15日1980年代今年12月実施のOIC事務総長選挙で、18カ国がバングラを支持すると外務省スポークスマン発表。対立候補にはパキスタン他がいる。
DIA-301-1983-03-16-1バングラデシュ1983年03月16日1980年代Muhith蔵相、国内投資に弾みがつきはじめたと発表。海外労働者の送金は6億㌦(前年度3.7億㌦)、輸出収入も6.5億㌦で前年度比3%増。輸入は4%減。
DIA-301-1983-03-17-1バングラデシュ1983年03月17日1980年代エルシャド、18ポイントの経済政策を発表。(1)経済開放により政治的独立を達成する、(2)富の平等分配、(3)村中心の開発、(4)工業製品増産により適正な競争と分配を保つ、(5)農業生産増と食糧の自給自足、(6)土地改革、(7)村落銀行を活用して低所得層に資本投入、(8)民間部門投資の拡大、(9)共同家内工業の充実、(10)行政・司法の地方分権化、(11)教育組織の改善、(12)雇用の拡大、(13)女性の国内開発参加と地位向上、(14)医療設備、(15)人口抑制、(16)汚職撲滅運動、(17)政治屋から政治家、(18)国民生活にイスラム的反映を、自国の言語文化を重視。
DIA-301-1983-03-21-1バングラデシュ1983年03月21日1980年代Mahamud食糧相、現政策により国内の食糧状況は安定していると発表。
DIA-301-1983-03-21-2バングラデシュ1983年03月21日1980年代Khan農業相、今年度食糧生産1520万㌧を見込む。近年にない増産は化学肥料の使用と灌漑によってもたらされたと説明。
DIA-301-1983-03-24-1バングラデシュ1983年03月24日1980年代55タナ新たに組織整備完了。これで整備完了したタナは155になった。270億タカのADP予算のうち現在までに140億が農村開発のために使用された。
DIA-301-1983-03-26-1バングラデシュ1983年03月26日1980年代第13回独立記念日。
DIA-301-1983-03-27-1バングラデシュ1983年03月27日1980年代閣僚会議、村落銀行(Gramin Bank)設立を決議。64支店が開かれる。この銀行は農民層に富を分配するためのもの。
DIA-301-1983-03-28-1バングラデシュ1983年03月28日1980年代有権者総数約4700万人(男2500万人、女2200万人)で1976年に比べ22.6%増。
DIA-301-1983-03-28-2バングラデシュ1983年03月28日1980年代南アジア7カ国外相会議、ダッカで開催。
DIA-301-1983-03-30-1バングラデシュ1983年03月30日1980年代フーパー世銀総裁、来バ(3日間の滞在予定)。「バングラ政府の経済政策は賞賛に値する。西側は援助を継続する」と述べる。
DIA-301-1983-03-31-1バングラデシュ1983年03月31日1980年代日本、3億2000万タカの対バ灌漑援助。期間は来年の3月31日まで。同期間に米10万㌧も援助予定。
DIA-301-1983-03-31-2バングラデシュ1983年03月31日1980年代IMF、8840万SDRの対バ借款。近年、ジュートの価格低下と1981~82年の不作によりバングラの国際収支の赤字はGDPの14%に拡大された(1981~82年)ためIMFが本調整を行なった。
DIA-301-1983-04-01-1バングラデシュ1983年04月01日1980年代政党活動開始。昨年3月24日の戒厳令施行以来372日間の活動禁止が解かれた。
DIA-301-1983-04-02-1バングラデシュ1983年04月02日1980年代Khan戒厳副司令官、チッタゴン大学で教師・学生に対しキャンパス内の平静を保つよう要請。
DIA-301-1983-04-02-2バングラデシュ1983年04月02日1980年代BNP新議長、Shamsul Huda Chowdhuryに。
DIA-301-1983-04-05-1バングラデシュ1983年04月05日1980年代Obaidullah Khan土地改革委員会議長(農業相)、新耕された茶畑を土地のない人々に分配すると発表。分配された土地を移譲することはできない。土地改革は耕作者の法的地位を認めて農作物増産と有効な土地利用を目的としている。耕作者は生産コストを支払えば生産物の67.5%を確保できる仕組。
DIA-301-1983-04-06-1バングラデシュ1983年04月06日1980年代エルシャド、海軍の重要性と強化を言明。
DIA-301-1983-04-06-2バングラデシュ1983年04月06日1980年代(リヤド)Sultan戒厳副司令官、ヤマニ・サウジ石油相と会談。
DIA-301-1983-04-09-1バングラデシュ1983年04月09日1980年代バングラデシュ農業銀行、今まで最高の27億1000万タカを貸出し、課税前の純利益は9230万タカで経営の拡大が可能となったと銀行年間報告書は報告している。前年度比50%増。
DIA-301-1983-04-12-1バングラデシュ1983年04月12日1980年代エルシャド、ラールマティア女子大学で女性の国内開発の参加を呼びかけ。
DIA-301-1983-04-12-2バングラデシュ1983年04月12日1980年代129の小学校建設工事(費用総額1850万タカ)完了。Brahmanbariaに34校、Chuadangaに30校、Faridpurに13校、Rangpurに37校、Tangailに15校。別に現存する各校にトイレ設備敷設工事も施行された。
DIA-301-1983-04-13-1バングラデシュ1983年04月13日1980年代ドハ外相、3日間のブータン訪問。
DIA-301-1983-04-13-2バングラデシュ1983年04月13日1980年代バングラ、1987年G-77アジア地域閣僚会議のホスト役に決定。
DIA-301-1983-04-14-1バングラデシュ1983年04月14日1980年代バングラShilpa銀行、バングラShilpa Rin Sangsthaに対する国外からの援助再開。2機関は1982年中頃から経営不振のため国外からの援助を中断されていたが、経営基盤が固まったためKFW(西ドイツ)、IDA、ADBなどの援助団体が資金投入を開始。
DIA-301-1983-04-15-1バングラデシュ1983年04月15日1980年代バングラデシュ・コンソーシアム開く。来年度18億㌦の対バ援助を約束(パリ)。同国は26カ国の政府と国際機関で構成されている。
DIA-301-1983-04-17-1バングラデシュ1983年04月17日1980年代Khan戒厳副司令官、訪中(1週間)。
DIA-301-1983-04-18-1バングラデシュ1983年04月18日1980年代マハティール・マレーシア首相来パ。南アジア諸国の団結を強調。19日、エルシャドと会談。同夜、アフサン大統領を訪問。海上貿易と二重課税の免除についての二つの合意書に双方の外相が調印。20日バ・マレーシア共同声明発表。
DIA-301-1983-04-19-1バングラデシュ1983年04月19日1980年代ADP予算(1982~83年)改正。270億タカから313億タカに増額。修正されたADPは、(1)道路・建屋・住宅の建設拡大(13億タカ)、(2)192のプロジェクトを6月までに実施、(3)FWPの拡充。
DIA-301-1983-04-19-2バングラデシュ1983年04月19日1980年代Muhith蔵相、第39回ESCAP年次総会出席のため訪タイ。
DIA-301-1983-04-21-1バングラデシュ1983年04月21日1980年代政府、グラナダと外交関係樹立を決定。K.M.Sahullah退役陸軍少将を高等弁務官として派遣。
DIA-301-1983-04-22-1バングラデシュ1983年04月22日1980年代ドハ外相、シュルツ国務長官の招待で訪米。しかし、この直後アメリカの要請で訪米を延期。
DIA-301-1983-04-22-2バングラデシュ1983年04月22日1980年代バングラ政府、ドハ外相をOIC事務総長のポストに推薦することを決定。
DIA-301-1983-04-24-1バングラデシュ1983年04月24日1980年代エルシャド、教育機関への政治介入回避を要請。
DIA-301-1983-04-24-2バングラデシュ1983年04月24日1980年代チッタゴン大学再開。
DIA-301-1983-04-26-1バングラデシュ1983年04月26日1980年代茶の生産、今年度9カ月で6400万lbs、前年度は同期間に6100万lbs、外貨獲得高は9億7000万タカ。前年度は6億5000万タカである。
DIA-301-1983-04-29-1バングラデシュ1983年04月29日1980年代輸出収入、前年度比(9カ月)8.5%増。実数は1982年7月~1983年3月の9カ月で5億1000万㌦、前年度は4億7000万㌦。皮以外のジュート、生ジュート、冷凍食品、茶等の輸出収入の増加による。
DIA-301-1983-04-30-1バングラデシュ1983年04月30日1980年代エルシャド、農業改革こそ今、最優先になされるべき、と言明。
DIA-301-1983-05-03-1バングラデシュ1983年05月03日1980年代ラージシャヒ大学、授業再開。
DIA-301-1983-05-03-2バングラデシュ1983年05月03日1980年代台風による大雨で各地に洪水の被害発生。
DIA-301-1983-05-04-1バングラデシュ1983年05月04日1980年代ドハ外相、「バングラはパレスチナ人の正当性を支持する」とクアラルンプールで開催されている「パレスチナ問題に関する国連会議」で発言。
DIA-301-1983-05-06-1バングラデシュ1983年05月06日1980年代Khan情報相、洪水の被災地を訪問。「歴史に残る最悪の洪水。政府は被災者救済に全力を尽す」。
DIA-301-1983-05-09-1バングラデシュ1983年05月09日1980年代印バ河川協同会議(JRC)、ダッカで開催。会期は3日間。
DIA-301-1983-05-10-1バングラデシュ1983年05月10日1980年代ドハ外相、訪韓。11日金相浹国務院総理と会談。3日間の滞在予定。外相の韓国訪問は初めて。
DIA-301-1983-05-11-1バングラデシュ1983年05月11日1980年代UNIDO、8億4900万㌦の対バ援助。目的は40の工業計画実現である。
DIA-301-1983-05-12-1バングラデシュ1983年05月12日1980年代エルシャド、ビルマを公式訪問。サンユー大統領、マウン・マウン・カ首相らと会談。「2国間には如何なる問題も存在しない」ことで合意。
DIA-301-1983-05-12-2バングラデシュ1983年05月12日1980年代バングラ、サンタルシアと国交樹立。
DIA-301-1983-05-12-3バングラデシュ1983年05月12日1980年代イスラム開発銀行ジェッダ支店、2億㌦の国内援助。ガス・パイプライン敷設のため。
DIA-301-1983-05-13-1バングラデシュ1983年05月13日1980年代アバル・ハリ・サウジ財政相、来バ。滞在期間は4日間。Muhith蔵相の招待でサウジ・バングラ経済合同会議出席のため。
DIA-301-1983-05-15-1バングラデシュ1983年05月15日1980年代サウジ・バングラ、2735万㌦の対バ借款協定に調印。この協定は鉄道修復と灌漑用ポンプ購入の二つが目的。
DIA-301-1983-05-17-1バングラデシュ1983年05月17日1980年代Majeed Khan教育相、「大学における学問的意義を尊重せよ。大学閉鎖を余儀なくされることは時間とお金の浪費である」。
DIA-301-1983-05-18-1バングラデシュ1983年05月18日1980年代ダッカ大学再開。約3カ月の閉鎖を解除される。
DIA-301-1983-05-18-2バングラデシュ1983年05月18日1980年代公務員216名の汚職に対する訴訟進行中。彼らは、82-MLO-9(戒厳令9号)により裁かれるが、すでに555名が警告を受け339名が釈放されている。
DIA-301-1983-05-19-1バングラデシュ1983年05月19日1980年代オランダ、7億9800万タカの対バ援助に調印。
DIA-301-1983-05-19-2バングラデシュ1983年05月19日1980年代FWP、目標の98%達成の見込み。1980~81年では82%、昨年は90%の達成率であった。
DIA-301-1983-05-21-1バングラデシュ1983年05月21日1980年代ドハ外相、サウジアラビア訪問(4日間の滞在予定)。22日にサウド外相と会談。
DIA-301-1983-05-24-1バングラデシュ1983年05月24日1980年代Khan戒厳副司令官「地方分権化によって司法と行政の分離がわが国で可能になった」と述べた。
DIA-301-1983-05-27-1バングラデシュ1983年05月27日1980年代バングラ・モルジブ、ビザ協定に調印。相互に90日以内ならばビザ無しで旅行できることになった。
DIA-301-1983-05-29-1バングラデシュ1983年05月29日1980年代ドハ外相、ジャミール・モルジブ外相と会談。
DIA-301-1983-05-30-1バングラデシュ1983年05月30日1980年代ドハ外相、スリランカを訪問。ジャヤワルデネ大統領と会談。
DIA-301-1983-05-31-1バングラデシュ1983年05月31日1980年代(ダッカ)バングラ・ネパール、長期貿易協定に調印。ネパールは豆、香辛料、高級タバコ等の対バ輸出を、バングラは尿素肥料、瀝青、電線等の対ネ輸出を計画。
DIA-301-1983-05-31-2バングラデシュ1983年05月31日1980年代バングラ、スリランカ外相会議で、2国間に共同委員会設置を決定。
DIA-301-1983-06-03-1バングラデシュ1983年06月03日1980年代Mahmud食糧相は、食糧の貯蔵能力を1984年度までに200万㌧にまで強化する予定と言明する。
DIA-301-1983-06-04-1バングラデシュ1983年06月04日1980年代BEPZA(バングラデシュ輸出加工区管理局)を開設。100%外資で経営(海外常駐のバングラ人も含む)。
DIA-301-1983-06-04-2バングラデシュ1983年06月04日1980年代エルシャド戒厳司令官、社会の基礎にイスラム的価値観を確立するよう呼びかけ(Bangladesh Ulema ParishadとBangladesh Qazi Samityの共同会議で)。
DIA-301-1983-06-06-1バングラデシュ1983年06月06日1980年代エルシャド戒厳司令官、大学における教師の重要性を強調。最近の大学構内における学生暴動は何人かの教師が学生を扇動して起こしたものであると言明。教師不適格者リスト作成も辞さない姿勢を示した。
DIA-301-1983-06-07-1バングラデシュ1983年06月07日1980年代エルシャド戒厳司令官、ユーゴスラビアを訪問。 首脳会談と6日から開催されている第6回UNCTAD出席のため。ドハ外相も同行(4日間の滞在予定)。
DIA-301-1983-06-12-1バングラデシュ1983年06月12日1980年代ドハ外相、ルーマニアを訪問。13日にチャウシェスク大統領と会談。
DIA-301-1983-06-12-2バングラデシュ1983年06月12日1980年代エルシャド、ユーゴスラビア訪問は成功した。 UNCTADでは年内に共同基金が設置される見込みであると言明。
DIA-301-1983-06-13-1バングラデシュ1983年06月13日1980年代Khan戒厳副司令官、Sultan情報相、3週間の仏・米、加3カ国訪問を終えて帰国。米国はSavarに原子力研究所開設のため、費用および燃料供給の継続を約束。
DIA-301-1983-06-16-1バングラデシュ1983年06月16日1980年代(アンカラ)ドハ外相、Evrenトルコ大統領と会談。
DIA-301-1983-06-18-1バングラデシュ1983年06月18日1980年代ダッカ大学構内で学生グループ同士が衝突。7名が刺傷され、25名が軽傷を負う。学生グループNatun Balgla Chhatra Samajがラーマンホールに侵入しての衝突。Jatiyatabadi Chhatra DalとChhatra Sangram Parishadがこれを止めに入って衝突が起きたもの。
DIA-301-1983-06-20-1バングラデシュ1983年06月20日1980年代輸出振興局(EPB)、1983~84年の輸出目標を180億1600万タカにすると発表。1982~83年の目標は150億5000万タカであり、それに比べて17.16%増である。1983~84年では非伝統的な輸出品目の価格上昇が予想されている。
DIA-301-1983-06-20-2バングラデシュ1983年06月20日1980年代(ワシントン)ドハ外相、シュルツ米国務長官と会談。同外相は18日から訪米中。会談は「満足のいくものであった」。アフガニスタン、カンプチア問題に対する共通姿勢を確認。
DIA-301-1983-06-26-1バングラデシュ1983年06月26日1980年代IDA、1億㌦(SDR)の対バ借款拡大を承認。農村開発計画援助のため。
DIA-301-1983-06-28-1バングラデシュ1983年06月28日1980年代米国、2654万㌦の対バ援助に調印。この資金は小麦供給のための1710万㌦と家族計画のための944万㌦に分けて使用される。
DIA-301-1983-06-30-1バングラデシュ1983年06月30日1980年代1983/84年度予算発表。
DIA-301-1983-07-01-1バングラデシュ1983年07月01日1980年代ラーマン地方自治相、エルシャドが提言した18の計画のための実行委員会を村落(Union)、市町、郡、県にそれぞれ設置すると発表。
DIA-301-1983-07-02-1バングラデシュ1983年07月02日1980年代51タナ、組織整備完了。
DIA-301-1983-07-04-1バングラデシュ1983年07月04日1980年代ドハ外相、シュルツ米国務長官との会談(6月20日)、ルーマニア、トルコ訪問、UNCTAD-6出席を終えて帰国。
DIA-301-1983-07-06-1バングラデシュ1983年07月06日1980年代イスラム大学設立、トンギーで建設開始。イスラム大学設立は総額4億タカの予算で1980年12月から予定されていた。学生総数2000名(男子1300名、女子400名、修士博士レベルの留学生300名)を収容する。設立目的は、(1)イスラムに関するさまざまな研究の統合、(2)マドラサ教育の改良、(3)イスラムの教義、文化、文明に関する高度な研究、である。
DIA-301-1983-07-07-1バングラデシュ1983年07月07日1980年代ECNEC、20億タカ相当(外国援助13億4000万タカ)のプロジェクトを承認。深井戸建設のため。
DIA-301-1983-07-08-1バングラデシュ1983年07月08日1980年代政府、各タナ議会に3人の女性、1人の独立運動時の戦士を代表として置くよう指示。
DIA-301-1983-07-09-1バングラデシュ1983年07月09日1980年代総選挙、1985年5月に決定。それに先立つ地方自治体選挙をUPが今年の12月27日に、市議会では84年2月11日に、タナでは84年5月24日にそれぞれ行なう。
DIA-301-1983-07-14-1バングラデシュ1983年07月14日1980年代カーンDCMLA北朝鮮を訪問(1週間の滞在予定)。
DIA-301-1983-07-14-2バングラデシュ1983年07月14日1980年代ドハ外相、イランを訪問。ベラヤティ外相と会談。16日にバングラ・イラン共同声明発表。
DIA-301-1983-07-16-1バングラデシュ1983年07月16日1980年代Sonali銀行、1982年12月で4億8000万タカの純益。前年度2億3000万タカで増加率は108%。同銀行の外国為替業務は81年177億6390万タカから82年228億2480万タカで増加率28%。
DIA-301-1983-07-16-2バングラデシュ1983年07月16日1980年代アワミ連盟内部分裂。Abdur Razzakを中心とするグループはHasina Wajed(故ムジブル・ラーマン大統領の娘)率いる主流派から分離。分裂の原因は、81年の党代表選挙の時から潜在し、今回Chhatra LeagueのJalal-Jahangirを承認するか否かで対立が表面化した。
DIA-301-1983-07-18-1バングラデシュ1983年07月18日1980年代第25回印バ河川共同会議、ダッカで開催。印代表はMirdrha灌漑相他12名。バングラ代表はObaidullah Khan農業相他12名。
DIA-301-1983-07-18-2バングラデシュ1983年07月18日1980年代Mohabbat内務相、モテジール警察署開署にあたり、「警察は国民の友達たれ」と励ます。
DIA-301-1983-07-18-3バングラデシュ1983年07月18日1980年代整備完了されたタナをUpazilla(Upa-Zilla)と命名。
DIA-301-1983-07-18-4バングラデシュ1983年07月18日1980年代Bangladesh Freedom Fighter Welfare Trust、チッタゴンにジュース工場を開設。
DIA-301-1983-07-19-1バングラデシュ1983年07月19日1980年代金日成主席、エルシャドの18項目開発計画を評価、カーンDCMLAの今回の訪問は2国間の友好に大きな役割を果たしたと言明。
DIA-301-1983-07-19-2バングラデシュ1983年07月19日1980年代エルシャド、行政組織・改革省を新設。同相にMohabbat Jan Chowdhuryを任命。
DIA-301-1983-07-20-1バングラデシュ1983年07月20日1980年代Mahbubur Rahman地方自治相、米、日本、英国訪問を終えて帰国(12日間)。米は対バ援助に積極的、日本はバングラの現状に同情的であったと報告。
DIA-301-1983-07-21-1バングラデシュ1983年07月21日1980年代インド・バングラ、ティエスタ川の流水分割に関する協定に調印。内容は流水の39%をインドが、36%をバングラが活用することができ、25%を分割しないで保留すること。1985年まで有効。保留水は85年以降に科学的調査研究に基づいて分割される。
DIA-301-1983-07-22-1バングラデシュ1983年07月22日1980年代西ベンガル、ティエスタ川流水分割に関する印バ協定に不満の意を表明。Nani Bhattacharaya西ベンガル州灌漑相は同協定は西ベンガル州の食糧生産を妨げると発言。
DIA-301-1983-07-23-1バングラデシュ1983年07月23日1980年代ベンガル語委員会(Bangla Bhasha Committee)、ベンガル語のあらゆる場での使用を提言。たとえば授業、試験、職業上。
DIA-301-1983-07-25-1バングラデシュ1983年07月25日1980年代エルシャド、モルジブを訪問(滞在予定4日間)。Gayoom大統領と会談。30日バングラ・モルジブ共同声明発表。エルシャドは最初スリランカも訪問する予定であったがスリランカの国内事情が不安定なため延期した。
DIA-301-1983-07-26-1バングラデシュ1983年07月26日1980年代エルシャド、一時停止中の憲法を総選挙前に復活させると宣言。
DIA-301-1983-07-31-1バングラデシュ1983年07月31日1980年代ドハ外相、南アジア外相会議出席のため訪印。
DIA-301-1983-08-01-1バングラデシュ1983年08月01日1980年代47タナ、整備完了。これで国内のUpa-Zillaは310になった。
DIA-301-1983-08-01-2バングラデシュ1983年08月01日1980年代南アジア外相会議、ニューデリーで開催。ドハ外相出席。
DIA-301-1983-08-01-3バングラデシュ1983年08月01日1980年代エルシャド、土地改良は農村の生活を再編すると言明(地主33.3%、小作人33.3%、残りの33.3%は生産に寄与する者へ配分される)。
DIA-301-1983-08-02-1バングラデシュ1983年08月02日1980年代エルシャド、学生の政治活動禁止を呼びかけ。
DIA-301-1983-08-02-2バングラデシュ1983年08月02日1980年代ドハ外相、ガンジー首相を訪問、その後ネパール、ブータンの各外相と個別に会談を行なった。
DIA-301-1983-08-04-1バングラデシュ1983年08月04日1980年代ダッカ大学で暴動。13名の学生を含む18名がけが。Chhatra Sangran Parishad支持派とDUCSU Ziauddin Bablu支持派が衝突。
DIA-301-1983-08-04-2バングラデシュ1983年08月04日1980年代チッタゴンで大洪水。2人死亡。
DIA-301-1983-08-06-1バングラデシュ1983年08月06日1980年代エルシャド、洪水被災者救済のため軍および公共団体は全力を尽すと言明。
DIA-301-1983-08-08-1バングラデシュ1983年08月08日1980年代プレム・タイ首相、来バ(3日間の滞在)。両国間では1960年代初期にプミポン国王とシリキット王妃が来バ、1979年に故ジア大統領がタイを訪問している。9日、エルシャドと会談。
DIA-301-1983-08-10-1バングラデシュ1983年08月10日1980年代Yaqub Khanパキスタン外相、来バ(滞在期間3日間)。12日、2国間のビザ協定に両国調印。本年10月1日より航路および海路の途中下車で72時間以内の滞在にはビザが不要となる。
DIA-301-1983-08-12-1バングラデシュ1983年08月12日1980年代Islami Bank Bangladesh Limited(IBBL)、開設。イスラムのシャリアに基づいて創設された最初の民間銀行である。国内外の35の団体および個人により投資される。
DIA-301-1983-08-13-1バングラデシュ1983年08月13日1980年代印政府、バングラとの国境に鉄条網を設けることを決定。バングラからの移入者をチェックするため3300キロメートル(西ベンガル州およびアッサム沿い)45億ルピーをかけて工事を行なう。
DIA-301-1983-08-14-1バングラデシュ1983年08月14日1980年代常設高等裁判所、Agrabadに開設。先月のBarisalに引き続き、近日中にSylhetにも開設される予定。
DIA-301-1983-08-16-1バングラデシュ1983年08月16日1980年代エルシャド、政府は来るUpa-Zillaの選挙のためにいかなる議長、団体、政党をも推せんしないと言明。
DIA-301-1983-08-18-1バングラデシュ1983年08月18日1980年代Aminul Islam労働・人的資源相、イラクから17日に帰国。生ジュートをイラクへ輸出し、硫黄と化学肥料を輸入することに両国は合意したと発表。
DIA-301-1983-08-19-1バングラデシュ1983年08月19日1980年代印バ経済共同委員会、ダッカで開催。ラオ印外相、来バ。バングラ代表はドハ外相。20日、貿易取引、産業、科学技術、通信輸送に関する四つの実行グループを両国で結成すると決定。ラオ外相、エルシャドを訪問。DCMLAと会談。
DIA-301-1983-08-22-1バングラデシュ1983年08月22日1980年代インドの各紙はエルシャドの「インド政府がバングラとの国境に鉄条網を築くことは世界中にバングラを非難するよう要請したことを意味する」という発言を取り上げた。しかし、印政府はこのことに関する正式な決定を下していないとも報道。
DIA-301-1983-08-22-2バングラデシュ1983年08月22日1980年代閣僚会議、UP条例、83を承認。UPは1人の議長と9人の委員と3人の女性委員により構成されることになった。
DIA-301-1983-08-23-1バングラデシュ1983年08月23日1980年代エルシャド、Babluダッカ大学中央学生連合事務総長率いる学生に「君たちが風紀を守るならば国は君たちに何でもしよう」と述べた。
DIA-301-1983-08-24-1バングラデシュ1983年08月24日1980年代ラオ印外相、「必要ならばバングラとの国境に鉄条網を築く」とニューデリーで言明。
DIA-301-1983-08-25-1バングラデシュ1983年08月25日1980年代Mohabbat内務相、訪中。
DIA-301-1983-08-26-1バングラデシュ1983年08月26日1980年代ドハ外相、ジュネーブを訪問。8月29日に開かれるパレスチナ問題委員会出席のため。
DIA-301-1983-08-26-2バングラデシュ1983年08月26日1980年代アッサム州(印)知事、バングラとの国境沿いの鉄条網建設に即時着工する、と言明。ガンジー首相、Sethi内務相の承認を得たと発表。バングラからの移入者は現在確かに少なくなっていると言いつつ、「1971年以降の移入者は間もなく検束されるだろう」「バングラ側の抗議については、バングラ・印政府間の問題なのでノーコメント」と記者団に答えた(ニューデリー)。インド紙はアッサム州で移民追い出しに反対する暴動が発生、2人死亡、30名が逮捕されたと報道した。
DIA-301-1983-08-27-1バングラデシュ1983年08月27日1980年代エルシャド、18項目計画実現のため国民の協力を呼びかけ。
DIA-301-1983-08-27-2バングラデシュ1983年08月27日1980年代エルシャド、印政府に国境柵建設計画を取り下げるよう要請・「バングラのような平和な物価の安い地域からインドのように暴動の多い国へ移る人間がいるはずはない」と言明。
DIA-301-1983-08-28-1バングラデシュ1983年08月28日1980年代エルシャド、Pabnaで人口抑制を国民に呼びかけ。
DIA-301-1983-08-29-1バングラデシュ1983年08月29日1980年代Mahabbat内務相、趙中国首相と会談。同首相はバングラの経済政策を評価していると言明。
DIA-301-1983-08-30-1バングラデシュ1983年08月30日1980年代エルシャド、国内生産可能なものの輸入を禁止。
DIA-301-1983-08-31-1バングラデシュ1983年08月31日1980年代バングラ、ジュネーブで開催中の国連パレスチナ問題会議で、イスラエルの全面的撤退を要求。ドハ外相が出席。エルシャドはメッセージで同主張を行なう。
DIA-301-1983-09-02-1バングラデシュ1983年09月02日1980年代IMF調査報告書、「バングラは過去数年の困難な状況を克服した」「工業製造部門は停滞、農業生産は回復、実質GDP伸び率は3%」「国際収支の均衡は海外出稼者の送金によるところが大きい」と発表。
DIA-301-1983-09-03-1バングラデシュ1983年09月03日1980年代エルシャド、Far Eastern Economic Review のインタヴューに「もし国民が望むなら、私は軍服を脱いで政治家になる意志がある」「政党の乱立はしかるべき政治機関の確立により見直されるべき」「バングラに軍事政権を恒久化するつもりはない」と答えた。
DIA-301-1983-09-04-1バングラデシュ1983年09月04日1980年代未決の訴訟事件、6万2000件に。閣僚会議は民事訴訟法の改正を決議。5日、1年以内にこれらの民事訴訟事件を処理すること、および以後1訴訟は21日以内に公訴状が提出されなければ無効となることを決定。
DIA-301-1983-09-07-1バングラデシュ1983年09月07日1980年代小学校1、2、3年生の教科書、1984年から無償化。
DIA-301-1983-09-08-1バングラデシュ1983年09月08日1980年代アワミ連盟のRazzak派、Hasina派と分離断絶することを決定。Razzak派はHasinaは故ムジブル大統領の名を籍りて帝国主義に走り党統一を乱していると非難。
DIA-301-1983-09-08-2バングラデシュ1983年09月08日1980年代Rahman地方自治相、今後10年間に358億6000万タカをかけて、農村開発計画を実施すると発表。137億6000万タカを下部組織開発に、125億タカを灌漑に96億タカを生産、雇用に投入する。
DIA-301-1983-09-09-1バングラデシュ1983年09月09日1980年代エルシャド、コーランの教義に基づく秩序回復を呼びかけ。
DIA-301-1983-09-10-1バングラデシュ1983年09月10日1980年代Khan DCMLAバングラ人専門技術者を外国人に優先して雇用することを決定。
DIA-301-1983-09-13-1バングラデシュ1983年09月13日1980年代閣僚会議、「女性に対する残酷な行為に関する条例」公布を決議。女性の誘拐・売買・強姦および婚資支払いは終身刑または14年までの禁固刑、罰金等の厳刑により処罰される。
DIA-301-1983-09-13-2バングラデシュ1983年09月13日1980年代アジア開発銀行、7767万SDR(8200万㌦相当)の対バ借款を承認。返済期間30年、据置10年。年間サービス料1%。燃料輸送などのため。
DIA-301-1983-09-14-1バングラデシュ1983年09月14日1980年代50タナ整備完了。組織整備が完了されたタナは計360になった。
DIA-301-1983-09-14-2バングラデシュ1983年09月14日1980年代地方自治条例(UP条例)公布。
DIA-301-1983-09-15-1バングラデシュ1983年09月15日1980年代Velayatiイラン外相、来バ。エルシャドを訪問。17日、ドハ外相と会談。国際情勢、地域、相互協力について話し合いが行なわれた。
DIA-301-1983-09-20-1バングラデシュ1983年09月20日1980年代(ワシントン)IDA、1億㌦の対バ借款、返済期間50年、据置10年、年間サービス料若干。農村開発のため。
DIA-301-1983-09-21-1バングラデシュ1983年09月21日1980年代Faridpur等27タナで大洪水、17名死亡。640万タカ相当の稲・麦に影響。
DIA-301-1983-09-22-1バングラデシュ1983年09月22日1980年代(ダッカ)エルシャド、「政府は民主主義復活のため尽力している」と言明。
DIA-301-1983-09-23-1バングラデシュ1983年09月23日1980年代ドハ外相、訪米。第38回国連総会出席のため。
DIA-301-1983-09-24-1バングラデシュ1983年09月24日1980年代David Waddington英内務相、来バ(4日間の滞在)。移民に関することで話し合いを行なうため。今年6月までに英移住希望のバングラ人は1万1591名にのぼり印・パに比べ高い数字である。
DIA-301-1983-09-25-1バングラデシュ1983年09月25日1980年代大洪水各地で被害。9県、62upa-zillaに被害が出ている。政府は現在260万タカと1万5000マウンドの食糧援助を実施。
DIA-301-1983-09-25-2バングラデシュ1983年09月25日1980年代洪水の被害増大。死者70名。Faridpur、Rangpur Mymensinghにも被害地域が拡大。
DIA-301-1983-09-26-1バングラデシュ1983年09月26日1980年代Islam労働・マンパワー相、15~30歳の青年層育成計画を発表。予算は4000万タカ。主として若年層の失業対策である。
DIA-301-1983-09-27-1バングラデシュ1983年09月27日1980年代ドハ外相、レーガン大統領、シュルツ国務長官と会談。
DIA-301-1983-09-29-1バングラデシュ1983年09月29日1980年代エルシャド、大統領および議会選挙は憲法停止のままで行なうと宣告。憲法復活のための活動は継続するとも言明。
DIA-301-1983-10-01-1バングラデシュ1983年10月01日1980年代韓国セマウル運動理事長Kyung Hwan Chunを団長とする代表団が来訪、エルシャドと会談。農村開発についての意見交換を行なう。
DIA-301-1983-10-02-1バングラデシュ1983年10月02日1980年代サウジ、洪水被災者救済のため3000万㌦の対バ援助。
DIA-301-1983-10-03-1バングラデシュ1983年10月03日1980年代エルシャド、丘陵地帯を「特別経済区域」として開発するための特別5カ年計画を発表。同計画は農工業をはじめ教育設備の拡大を盛り込み、予算はすでに全体の5カ年計画のなかに確保されている。
DIA-301-1983-10-04-1バングラデシュ1983年10月04日1980年代(ニューヨーク)訪米中のドハ外相、Illueca国連総会理事と会談。同外相は、Ali Akbarイラン外相、Fernandoペルー外相とも個別に会談した。
DIA-301-1983-10-04-2バングラデシュ1983年10月04日1980年代Shawkat Ali退役陸軍大佐は、Hasina WajedはAL分裂の原因をつくっていると非難。Razzak派とHasina派の分裂以降、Hasinaの指導力は失われていると述べた。
DIA-301-1983-10-05-1バングラデシュ1983年10月05日1980年代第3次5カ年計画(1985~90年)発表。総予算2850億タカ(第2次5カ年計画1980~85年の65%増)、国内貯蓄率をGDPの4.3%(1979~80年)から10.3%に、GDP成長率目標を6.8%(5.4%、1980~85年)、人口増加率を2.2%(2.4%)に設定。予算総額のうち外国援助を35%(41.2%、1980~85年、81.2%、1978~80年)に抑え、1人当り所得を747タカ(1979~80年)から1078タカ(1989~90年)に増加させる(いずれも1972-73年度固定価格)等が盛り込まれている。
DIA-301-1983-10-06-1バングラデシュ1983年10月06日1980年代エルシャド、民主主義発展を阻む人々に対する抵抗を国民に呼びかけ。
DIA-301-1983-10-06-2バングラデシュ1983年10月06日1980年代(ニューヨーク)訪米中のドハ外相、ファイサル・サウジ外相と会談。
DIA-301-1983-10-07-1バングラデシュ1983年10月07日1980年代Mahbubur Rahman地方自治相、一時停止中の現行憲法はALとBNPによってそれぞれの政権担当時に改正されたもので議会本位制から大統領本位制へ改変したのはBNP政権時代にであると述べ、このことはすでに国民の総意となっているとの見解を発表した。
DIA-301-1983-10-07-2バングラデシュ1983年10月07日1980年代ドハ外相、第3世界の結束強化のため、Group-77に、20カ条プランを提案。同提案には、G-77カ国間で開発に関する共通の印刷物を発行すること等、経済協力開発に関するプランが盛り込まれている。
DIA-301-1983-10-08-1バングラデシュ1983年10月08日1980年代Nurul Islam選挙管理委員長、UP選挙期間を、1983年12月27日から1984年1月10日までにする、と発表。全Paurashavaの選挙も同時進行。立候補届は11月15~20日まで。
DIA-301-1983-10-08-2バングラデシュ1983年10月08日1980年代(ニューヨーク)ドハ外相、Perez国連事務総長と会談。
DIA-301-1983-10-11-1バングラデシュ1983年10月11日1980年代エルシャド、ラングーンにおける韓国要人爆死に、弔意表明。
DIA-301-1983-10-11-2バングラデシュ1983年10月11日1980年代エルシャド、女性に対する残虐行為に死刑または終身刑、14年以上の禁固刑をもって処罰する条例公布。
DIA-301-1983-10-11-3バングラデシュ1983年10月11日1980年代AL(Hasina)分解。5人の党中心人物の除名により事実上分解することとなった。除名されたのは、Mahiuddin Ahmed幹部、Abdul Momin Talukder幹部、Abdur Razzak書記長、Syed Ahmed書記、Yusuf文化担当書記。Mohiuddinは党分解の責任はHasinaにある、と非難。
DIA-301-1983-10-12-1バングラデシュ1983年10月12日1980年代エルシャド、「18項目計画は開発計画であって政治的なものではない」と言明。
DIA-301-1983-10-12-2バングラデシュ1983年10月12日1980年代ラジュシャヒ大学前総長Moslem Huda、戒厳令規則No.9違反により解任。
DIA-301-1983-10-14-1バングラデシュ1983年10月14日1980年代エルシャド、「幾つかの反政府集団が国内を混乱に陥れようとしている。国民と政府は力を合わせて平和維持に努めるべきである」と言明。
DIA-301-1983-10-14-2バングラデシュ1983年10月14日1980年代ドハ外相、米国から帰国。
DIA-301-1983-10-14-3バングラデシュ1983年10月14日1980年代Muhith蔵相、アブ・ダビ訪問。
DIA-301-1983-10-14-4バングラデシュ1983年10月14日1980年代前AL Razzak派、BKSAL(Bangladesh Krishak Sramik Awami League)路線採用を決定。
DIA-301-1983-10-15-1バングラデシュ1983年10月15日1980年代Hashim情報相、食糧増産により輸入を大幅削減する、と言明。
DIA-301-1983-10-19-1バングラデシュ1983年10月19日1980年代エルシャド、教育行政にコンピューター・システム導入を宣言。
DIA-301-1983-10-22-1バングラデシュ1983年10月22日1980年代印バ河川共同会議(次官級会議、20日開催)、両者の歩み寄りなきまま終る。印代表はPadhey灌漑相、バングラ代表はShamin Ahsan灌漑省次官補。
DIA-301-1983-10-23-1バングラデシュ1983年10月23日1980年代エルシャド訪米。エルシャドはレーガン大統領の招待を受けて、22日アメリカに到着。25日にレーガン大統領と会談、Hopper世銀総裁とも会談。レーガン大統領は対バ援助の継続を約束し、この日6500万㌦相当の食料援助供与に関する協定に調印。26日には『ワシントンポスト』紙のインタビューに答え「大統領選挙は84年中頃に予定している」、「アメリカとの友好関係は不滅であるが軍事援助や武器購入の事実はない」などと語った。なお27日にはヒューストンを訪問。
DIA-301-1983-10-24-1バングラデシュ1983年10月24日1980年代AL(Razzak)は特別総会を開き、125名から成る組織委員会を結成、議長にMohiuddin Ahmed、書記長にAbdul Razzak(BKSAL)を選出。メンバーにはAbdul Momin Talukdar、Shaukat Ali退役大佐らが含まれている。なおこの日AL(Hasina)のHaslna総裁は、「わが父ムジブル・ラーマンの遺志を踏みにじろうとする政治家とは対話できない」として、Razzak派の動きを非難した。
DIA-301-1983-11-01-1バングラデシュ1983年11月01日1980年代全国ゼネスト。15政党連合と7政党同盟が各々呼びかけの全国ゼネストが実施され、主要都市は午前6時から6時間ほぼマヒ状態となった。このゼネストは、戒厳令解除、政治活動の解禁、議会選挙の実施、基本的権利の復活、政治犯の釈放等5項目を要求してのもの。
DIA-301-1983-11-02-1バングラデシュ1983年11月02日1980年代Khan DCMLA、公共の利益を害する政治活動には厳しい措置を取る、と言明。
DIA-301-1983-11-02-2バングラデシュ1983年11月02日1980年代エルシャド、香港訪問。
DIA-301-1983-11-03-1バングラデシュ1983年11月03日1980年代(ダッカ)中・バ経済合同委員会設置に両国調印。訪バ中のLu Xuejian対外経済貿易副部長とバ当局との間で行なわれたもの。
DIA-301-1983-11-04-1バングラデシュ1983年11月04日1980年代エルシャド、アメリカ公式訪問を終え、帰国。
DIA-301-1983-11-04-2バングラデシュ1983年11月04日1980年代エルシャド、「現政府は平和な民主主義を犯すいかなる行為も許さない。現政府に不満のある政治家は1984年半ばの大統領選に出馬し国民の審判を問え」と発表。
DIA-301-1983-11-07-1バングラデシュ1983年11月07日1980年代37タナ、組織整備完了。これで全てのタナが、Upazilaになり、397タナ全ての組織整備は終了した。
DIA-301-1983-11-08-1バングラデシュ1983年11月08日1980年代全タナの組織整備完了に、エルシャド、「バングラは新しい向上の時期に入った」と言明。
DIA-301-1983-11-09-1バングラデシュ1983年11月09日1980年代エルシャド、「国内の食糧備蓄量は充分である。価格は現状を維持する。生産活動を妨げるストライキ等の行動は慎むべきである」などと述べた。
DIA-301-1983-11-10-1バングラデシュ1983年11月10日1980年代エルシャド、「選挙スケジュール変更はない」と宣言。これは、議員選挙を大統領選より先に行なうことを主張するBNPリーダーBegum Khaleda Ziaをはじめとする政治家向けに発表されたもの。
DIA-301-1983-11-11-1バングラデシュ1983年11月11日1980年代日本、26億7000万タカの対バ借款。16億タカ、10億7000万タカの2度に分けて支払われる。年間1.25%の利子率、返済期間30年、支払猶予期間10年。
DIA-301-1983-11-12-1バングラデシュ1983年11月12日1980年代エルシャド、政治家たちに話合いによる民主主義化を要請。戒厳令から民主主義政治への移行期に各政党間の抗争を鎮静させるため11月16日を「民主主義の日」と定めることを発表。
DIA-301-1983-11-14-1バングラデシュ1983年11月14日1980年代エリザベス女王夫妻、来バ(4日間)。女王の来バは1961年(東パキスタン時代)以来2度目。
DIA-301-1983-11-14-2バングラデシュ1983年11月14日1980年代エルシャド、大統領選挙を1984年5月24日、議員選挙を1984年11月25日に実施する、と発表。
DIA-301-1983-11-16-1バングラデシュ1983年11月16日1980年代7政党同盟、選挙日程に反対意志表明。議員選挙を大統領選より先に行なうこと、および5項目の要求を政府が受け入れることを要請、Azizur Rahman BNP副委員長は11月16日「民主主義の日」は「民主主義消滅の日」だと厳しく非難。AL(H)(R)をはじめ15政党連合も同様に反対意志表明。11月18日から24日まで各政党は選挙日程反対のための会合およびストライキを予定している。
DIA-301-1983-11-17-1バングラデシュ1983年11月17日1980年代エリザベス女王夫妻、ニューデリーへ。
DIA-301-1983-11-17-2バングラデシュ1983年11月17日1980年代エルシャド、国民に政治家たちの選挙反対運動に煽動されないように呼びかけ。
DIA-301-1983-11-18-1バングラデシュ1983年11月18日1980年代Kaundaザンビア大統領、来バ。アフサン大統領の招待。滞在期間は4日間、ザンビア大統領は独立以降のバングラの発展を高く評価すると発言。
DIA-301-1983-11-18-2バングラデシュ1983年11月18日1980年代ADB8200万㌦の対バ借款。無利子。
DIA-301-1983-11-19-1バングラデシュ1983年11月19日1980年代トルドー加大統領、来バ、公式訪問。滞在期間4日間。20日、「バングラは独立以降確実に進歩している」と評価。エルシャドを訪問。21日、トルドー、エルシャドと会談。加、8728万㌦の対バ借款。工業製品を加から輸入するためおよび農村開発用。
DIA-301-1983-11-20-1バングラデシュ1983年11月20日1980年代新党結成の動き。BNP総裁Shamsul Huda Chowdhuryと民主主義同盟(DL)および統一人民党の指導者らが、エルシャドを含めて新党を結成する予定であると発表。21日には、この新党はエルシャドの提唱した18項目を基本政策として“Janadal”党(人民党)と命名することを発表。
DIA-301-1983-11-22-1バングラデシュ1983年11月22日1980年代(ニューデリー)エルシャド、訪印。第23回英連邦首脳会議出席のため。夫人、ドハ外相も同行。
DIA-301-1983-11-24-1バングラデシュ1983年11月24日1980年代エルシャド、ガンジー首相を訪問。
DIA-301-1983-11-24-2バングラデシュ1983年11月24日1980年代Mahbub地方自治相、大統領選を議員選挙に先行させるのは違憲ではない、と元国会議長Mirza Golamに対し反論。憲法123条を巡る論争。
DIA-301-1983-11-25-1バングラデシュ1983年11月25日1980年代(ニューデリー)エルシャド、Nujoma SWAPO総裁と会談。ドハ外相も同席。ドハ外相はラオ印外相とも会談した。
DIA-301-1983-11-26-1バングラデシュ1983年11月26日1980年代エルシヤド、帰国。
DIA-301-1983-11-26-2バングラデシュ1983年11月26日1980年代エルシャド、「いつでも政治家たちと話し合う準備が整っている」「来月のOIC外相会議では、国のイメージをけがすようなことはしないで欲しい」「私の党が当選しなかったら、当選した党に政権を渡す気持だ」。
DIA-301-1983-11-27-1バングラデシュ1983年11月27日1980年代Janadal、結成。委員長の有力候補はアフサン大統領。Huda BNP委員長、Mizan AL委員長、ALi Amjad PGP(Pragatishil、Ganatan Party)委員長が出席。
DIA-301-1983-11-27-2バングラデシュ1983年11月27日1980年代アフサン大統領、Janadal委員長に決定。党員209名。
DIA-301-1983-11-28-1バングラデシュ1983年11月28日1980年代戒厳令強化。ダッカで暴動。4人死亡。抗議者10名、警官223名、兵士60名が負傷。野党のストライキによるもの。エルシャドは直ちに遺憾の意を表明する声明を発表。ダッカ大学は無期限閉鎖。
DIA-301-1983-11-30-1バングラデシュ1983年11月30日1980年代チッタゴンでも暴動。
DIA-301-1983-11-30-2バングラデシュ1983年11月30日1980年代エルシャド、「軍は国内を鎮圧するためにいかなる犠牲も惜しまない」と述べる。
DIA-301-1983-12-01-1バングラデシュ1983年12月01日1980年代特別閣僚会議召集。野党統一によるストライキおよび暴動に関して一般民衆は現政府の方針に満足している、と報告。
DIA-301-1983-12-01-2バングラデシュ1983年12月01日1980年代カルカッタ駐在のバングラ高等弁務官事務所近くでインドの学生、反バングラのスローガンを掲げて暴動を起こす。AISF(All India Students Federation)、エルシャドの肖像を焼く。
DIA-301-1983-12-03-1バングラデシュ1983年12月03日1980年代エルシャド、「警察は国内の平和のため多大な犠牲をはらって尽力している」。
DIA-301-1983-12-04-1バングラデシュ1983年12月04日1980年代第14回OIC会議ダッカで開催。2日間は事務レベル、6日から5日間は外相レベルの会議となる。参加国は41イスラム教国。
DIA-301-1983-12-04-2バングラデシュ1983年12月04日1980年代ダッカ市内の学校再開。大学は12日に再開される予定。
DIA-301-1983-12-05-1バングラデシュ1983年12月05日1980年代エルシャド、Upazilaの選挙はUP選挙の後予定どおり行なう、と言明。
DIA-301-1983-12-06-1バングラデシュ1983年12月06日1980年代ドハ外相、第14回イスラム国外相会議の議長に選出される。エルシャド、イスラム国間の結束強化を呼びかけ。
DIA-301-1983-12-07-1バングラデシュ1983年12月07日1980年代OIC外相会議の焦点はイ・イ戦争調停およびナムビア独立とPLOに関する問題となる。8日、アフガニスタン問題について討議された。イスラム国間貿易の拡大も呼びかけられた。10日、イスラム国首脳会議は、1984年1月16日から1月18日まで、カサブランカで開催されることに決定。同月2日から14日までラバトでイスラム国外相会議を開催することなどを決定。
DIA-301-1983-12-10-1バングラデシュ1983年12月10日1980年代「ダッカ人権宣言」、ICFMで承認。ISESCO(イスラム教育科学文化協会)、活動開始。
DIA-301-1983-12-11-1バングラデシュ1983年12月11日1980年代11月末から保護拘留されていたBegum Khaleda ZiaとSheikh Hasina Wajedが釈放された。
DIA-301-1983-12-11-2バングラデシュ1983年12月11日1980年代エルシャド、大統領に就任。戒厳令司令官エルシャド中将は自ら大統領に就任した。アフサヌディン大統領は辞任。内閣を一担解散、しかし再組閣までの間現閣僚ポストの異動は行なわない。これらは、「1983年第Ⅲ号布告」を発令することによって決定され、大統領は憲法の復活、閣瞭指名など大幅な権限集中が決められている。なお、エルシャドはラジオ、テレビ放送を通じて「民主主義復活のため、政治家達とは十分に話し合う用意があり、そのために大統領に就任したのだ」などと述べた。
DIA-301-1983-12-12-1バングラデシュ1983年12月12日1980年代バングラデシュ銀行年次経済報告発表。これによるとGDP成長率3.72%、農業部門4.73%(前年度-0.62%)、工業部門4.41%(前年度2.89%)。食糧生産量は1530万㌧(同1436万㌧)で0.6%増。生ジュート生産は16%、茶生産は12.58%増。外貨準備高は85億6000万タカ(同61億6000万タカ)。輸出収入は161億6200万タカで前年度比28.72%増。輸入は288億7000万タカ。
DIA-301-1983-12-14-1バングラデシュ1983年12月14日1980年代政府、11月22日、28日の事件で逮捕された者を釈放する、と発表。
DIA-301-1983-12-16-1バングラデシュ1983年12月16日1980年代バングラデシュ解放記念日。
DIA-301-1983-12-17-1バングラデシュ1983年12月17日1980年代エルシャド、イスラム精神の強化を唱える。
DIA-301-1983-12-19-1バングラデシュ1983年12月19日1980年代閣僚会議、農業労働者最低賃金条例1983を承認。最低日給は、3.5シアー(約7ポンド)の米もしくはそれに相当する賃金。
DIA-301-1983-12-20-1バングラデシュ1983年12月20日1980年代エルシャド、軍事力は国内の結束を高め独立を確保し開発のために役立つと述べる。
DIA-301-1983-12-21-1バングラデシュ1983年12月21日1980年代Dhaka-Bahadurabad急行列車、脱線事故。16名死亡、200名が負傷、うち60名は重傷。
DIA-301-1983-12-22-1バングラデシュ1983年12月22日1980年代選挙管理委員会、選挙前48時間の集会、会合を禁止。具体的に27日から始まるUP選挙で、25日0時から27日0時までが集会禁止となる。
DIA-301-1983-12-23-1バングラデシュ1983年12月23日1980年代Shanti Bahiniと名乗るメンバー、エルシャドに降服。このメンバーは10月3日からチッタゴンの丘陵地帯に武力装備して抵抗を続けていた。
DIA-301-1983-12-25-1バングラデシュ1983年12月25日1980年代エルシャド、旧ダッカ市貧民街を訪問。3000万タカを同街開発のために補助金を供与すると発表。
DIA-301-1983-12-27-1バングラデシュ1983年12月27日1980年代957UPで選挙開始。国内UP総数は3443。これらの選挙が1984年1月10日までに実施される。
DIA-301-1983-12-27-2バングラデシュ1983年12月27日1980年代サウジ開発基金(SFD)は、灌漑設備のため2500万㌦の対バ借款、返済期間20年。支払猶予5年、サービス料1%。
DIA-301-1983-12-28-1バングラデシュ1983年12月28日1980年代Shafiul Azam商工業相、国内外の需要を満たすジュート生産の増大、そのための援助拡大を要請。
DIA-301-1983-12-28-2バングラデシュ1983年12月28日1980年代エルシャド、国軍士官学校卒業式に出席し、卒業生に、たゆまぬ努力と訓練の継続を呼びかけ、軍の重要性を説く。
DIA-301-1983-12-30-1バングラデシュ1983年12月30日1980年代UP選挙、1712UPで完了。Madaripurでは対立候補間で銃撃事件があった。Rangpurでは女性のUP委員長が誕生した。
DIA-301-1984-01-01-1バングラデシュ1984年01月01日1980年代ソ連の駐バ大使帰国-ダッカとチッタゴンのソ連文化センターも封鎖された。
DIA-301-1984-01-02-1バングラデシュ1984年01月02日1980年代エルシャド大統領,7日に野党指導者と,民政移管,大統領公選,国会選挙等で会談予定と発表。
DIA-301-1984-01-03-1バングラデシュ1984年01月03日1980年代スリランカと協力関係拡大で共同声明。
DIA-301-1984-01-03-2バングラデシュ1984年01月03日1980年代夜間外出禁止令解除。
DIA-301-1984-01-06-1バングラデシュ1984年01月06日1980年代ドハ外相,モロッコへ出発-第4回イスラムサミットの外相準備会議に出席するため。
DIA-301-1984-01-07-1バングラデシュ1984年01月07日1980年代エルシャド,40野党と会談-招待した75野党のうち40野党が対話に出席。政府は屋内における政治活動を解禁。参加した政党のなかには元大統領Khondaker M. Ahmed率いるNational United Frontも。7政党同盟,15政党連合は欠席。
DIA-301-1984-01-08-1バングラデシュ1984年01月08日1980年代A. M. A. Muhith大蔵・計画相辞任。
DIA-301-1984-01-09-1バングラデシュ1984年01月09日1980年代ダッカで国際ジュート機構(IJO)の第1回会議。
DIA-301-1984-01-10-1バングラデシュ1984年01月10日1980年代Union議会選挙終了-議長4400席に対して2万1477人,議員3万9000議席に対して17万1165人の立候補。全国1万8170選挙会場のうち300ヵ所で選挙延期。
DIA-301-1984-01-10-2バングラデシュ1984年01月10日1980年代エルシャド,Jatiya Janata Partyと対話。
DIA-301-1984-01-10-3バングラデシュ1984年01月10日1980年代Awami League(Hasina)総裁ハシナ(Sheikh Hasina Wazed),政治活動の全面解禁,政治犯の釈放が行なわれなければALは対話には臨まない,と語った。
DIA-301-1984-01-10-4バングラデシュ1984年01月10日1980年代国際ジュート協議会(IJC=IJO最高機関)副議長にバングラのShamsul Haque Chistyが選出さる。
DIA-301-1984-01-12-1バングラデシュ1984年01月12日1980年代地方自治相Mahbubur Rahman,エルシャドの特使としてケニヤ,ウガンダ,カタール歴訪に出発。
DIA-301-1984-01-12-2バングラデシュ1984年01月12日1980年代ルワンダ共和国と大使レベルの外交関係開始。
DIA-301-1984-01-12-3バングラデシュ1984年01月12日1980年代ソ連政府,バングラに対し14日予定のバーター協定調印のための代表団派遣中止を要請。
DIA-301-1984-01-12-4バングラデシュ1984年01月12日1980年代政府は個人,国営部門,民間部門(銀行を含む)に対して特別国債の発行を決定。
DIA-301-1984-01-14-1バングラデシュ1984年01月14日1980年代エルシャド,モロッコへ出発-第4回イスラムサミットに出席するため。
DIA-301-1984-01-15-1バングラデシュ1984年01月15日1980年代エルシャド,モロッコでギニアのトーレ大統領,セネガルのジウフ大統領と会見。
DIA-301-1984-01-16-1バングラデシュ1984年01月16日1980年代エルシャド,PLOアラファト議長,パキスタン,ジアウル・ハク大統領と個別に会見。
DIA-301-1984-01-18-1バングラデシュ1984年01月18日1980年代エルシャド,イスラムサミットでイスラム諸国の政治的,経済的安定を推進するための11項目を提案。エジプトのイスラム諸国会議機構(OIC)の再加盟を支持。またパレスチナ支持を再表明。
DIA-301-1984-01-18-2バングラデシュ1984年01月18日1980年代西独,バングラに対し1億2000万ドイツマルク(約10億8000万タカ)のグラントを承認。5000万マルクは商品援助,7000万マルクはプロジェクト援助。
DIA-301-1984-01-21-1バングラデシュ1984年01月21日1980年代エルシャド,15政党連合と7政党同盟を対話に参加させることについては楽観的。ウポジラ選挙は国会選挙とは無関係であるなどと述べた。
DIA-301-1984-01-22-1バングラデシュ1984年01月22日1980年代戒厳令副司令官(DCMLA)兼エネルギー鉱物資源相Sultan Mahmud空軍少将,中国公式訪問へ出発。
DIA-301-1984-01-23-1バングラデシュ1984年01月23日1980年代対話再開。エルシャド,NAP(Nuru),BNP(Dudu-Nilu)と会談。
DIA-301-1984-01-23-2バングラデシュ1984年01月23日1980年代New Nation紙23日によれば,Chittagong Hill Tracts県で先週初め,インド国境守備隊(BSF)がバングラ陸軍と衝突。BSF側の死傷者は39人。
DIA-301-1984-01-24-1バングラデシュ1984年01月24日1980年代The Bangladesh Observer社,民間に返還。
DIA-301-1984-01-24-2バングラデシュ1984年01月24日1980年代PTIの報道によれば,インドは3月からバングラ国境にフェンスを建設する。
DIA-301-1984-01-24-3バングラデシュ1984年01月24日1980年代Shanti Bahiniのメンバー19人投降-政府の特赦に応じたもの。Shalhil少佐らLarma派の支持者。
DIA-301-1984-01-25-1バングラデシュ1984年01月25日1980年代エルシャド,Jamat-e-Ulema-e-Islam,Islamic Democratic Leagueと対話。イスラム国教化の要求に対して,国会で決定すべきだと応える。
DIA-301-1984-01-26-1バングラデシュ1984年01月26日1980年代選挙管理委員会,ウポジラ議長立候補の資格,手続き等の要綱を発表。
DIA-301-1984-01-26-2バングラデシュ1984年01月26日1980年代中国は,バングラの独立,主権を守る努力を全面的に支持と言明。
DIA-301-1984-01-27-1バングラデシュ1984年01月27日1980年代エルシャド,現政府はジアウル・ラーマンの残した哲学を実践している,と語った。
DIA-301-1984-01-27-2バングラデシュ1984年01月27日1980年代15政党,7政党,別個にウポジラ選挙実施阻止,5項目要求実現で,ほぼ同様の綱領を行なうと発表。
DIA-301-1984-01-27-3バングラデシュ1984年01月27日1980年代83年度(12月まで)の出稼ぎ送金は157億タカ,前年度比40億タカ増。Aminul Islam労働マンパワー相が発表。
DIA-301-1984-01-28-1バングラデシュ1984年01月28日1980年代Jatiya League(総裁:Ataur Rahman Khan)を中心に11政党から成るJatiya Jote結成さる。
DIA-301-1984-01-28-2バングラデシュ1984年01月28日1980年代エルシヤド,Jatiya Samajtantrick Dal(JSD)総裁M. A. Jalil退役少佐と対話。全民族戦線から成る民族政府の結成を要求される。
DIA-301-1984-01-29-1バングラデシュ1984年01月29日1980年代エルシャド,Janadalと対話。
DIA-301-1984-01-30-1バングラデシュ1984年01月30日1980年代政府は2月1日から新たに45のタナをウポジラに再編すると発表。
DIA-301-1984-01-30-2バングラデシュ1984年01月30日1980年代政府,ソ連機の乗入れを拒否。
DIA-301-1984-01-30-3バングラデシュ1984年01月30日1980年代ドハ外相,ロンドンでHowe英外相と会談。
DIA-301-1984-01-30-4バングラデシュ1984年01月30日1980年代バングラ,ブルガリアとのバーター貿易協定に調印。
DIA-301-1984-01-31-1バングラデシュ1984年01月31日1980年代エルシャド,Jatiya Joteと対話。議会選挙と大統領選挙の11月同時実施を要求される。
DIA-301-1984-01-31-2バングラデシュ1984年01月31日1980年代ルーマニアの貿易・国際経済協力担当次官訪バ。
DIA-301-1984-02-04-1バングラデシュ1984年02月04日1980年代ブータンWangchuk国王来訪-5日にエルシャド大統領と国際問題,2国間関係等で会談,なお5日には貿易議定書,技術・経済協定が調印された。
DIA-301-1984-02-05-1バングラデシュ1984年02月05日1980年代Jatiya Oikya Front。政府と対話-政治活動の解禁,国家レベルの選挙の日程発表を要求。
DIA-301-1984-02-07-1バングラデシュ1984年02月07日1980年代対話終了-52政党,299人が参加。
DIA-301-1984-02-08-1バングラデシュ1984年02月08日1980年代最高裁判所,政府に1975年クーデターの主犯ファルーク退役少佐の身柄引き渡しを命令-同大佐は先月シンガポールから帰国した際に政府に逮捕され,その後,行方不明となっていた(Khaleej Times紙)。
DIA-301-1984-02-09-1バングラデシュ1984年02月09日1980年代アッサムとの国境地帯(Karimganj)でインドが国境フェンスの建設を開始。
DIA-301-1984-02-09-2バングラデシュ1984年02月09日1980年代中国,ダッカの糠油精製工場建設に援助を約束-中国は設備,専門家,資金(170万ドルを)提供。施工は今月中に開始予定。
DIA-301-1984-02-11-1バングラデシュ1984年02月11日1980年代77のポラショバ議会選挙-立候補者は,議長のポスト77席に対して405人,議員837ポストに対して3355人。37カ所でいざこざがあり,投票を中止。
DIA-301-1984-02-12-1バングラデシュ1984年02月12日1980年代ポラショバ議会選挙の非公式結果では大半を新人が占めた。Narayanganjではライバルグループの衝突で1名死亡,負傷者60人。
DIA-301-1984-02-12-2バングラデシュ1984年02月12日1980年代戒厳令副司令官兼通信相Khan海軍少将,故ソ連書記長の葬儀に出席するためモスクワへ出発。
DIA-301-1984-02-12-3バングラデシュ1984年02月12日1980年代公務員人事省のベンガル語推進班,オフィス,法廷でのベンガル語の使用を決定。
DIA-301-1984-02-13-1バングラデシュ1984年02月13日1980年代バングラの銀行ミッション(団長:Sonali銀行専務取締役L. R. Sarkar)サウジを訪問-銀行分野における協力関係の強化と,バングラ人による出稼ぎ送金のシステムを吟味するため(Arab News紙)。
DIA-301-1984-02-14-1バングラデシュ1984年02月14日1980年代ニューデリーで合同河川委員会(JRC)再開。バングラ側は農業相Obaidullah Khanが出席。
DIA-301-1984-02-14-2バングラデシュ1984年02月14日1980年代コロンビアと外交関係樹立。
DIA-301-1984-02-14-3バングラデシュ1984年02月14日1980年代米国のJames M. Lee中将,バングラを親善訪問。
DIA-301-1984-02-15-1バングラデシュ1984年02月15日1980年代訪ソ中の通信相M. A. Khan,ソ連のカチャノフ鉄道運輸相と会見。プロジェクト援助を約束。
DIA-301-1984-02-16-1バングラデシュ1984年02月16日1980年代オスマニ将軍(退役)死亡-バングラ解放軍総司令官,Jatiya Janata Party総裁,静養中のロンドンの病院で死亡。66歳。死因は肝炎。
DIA-301-1984-02-16-2バングラデシュ1984年02月16日1980年代JRC,3月に延期-両国はそれぞれの提案についてコメントした後,JRC第26回会議を3月29日まで延期すると発表。検討の時間を必要とするため。
DIA-301-1984-02-16-3バングラデシュ1984年02月16日1980年代18項目計画実施評議会の中央執行委員会,メンバーを拡大。
DIA-301-1984-02-16-4バングラデシュ1984年02月16日1980年代BNP拡大中央執行委,5項目要求とウポジラ選挙反対の姿勢を確認。また総裁の職をサッタルからハレダ(Begum Khaleda Zia)に委譲することを確認。
DIA-301-1984-02-19-1バングラデシュ1984年02月19日1980年代Shanti Bahini内部の派閥抗争で最低3人死亡。すべてLarma派。
DIA-301-1984-02-19-2バングラデシュ1984年02月19日1980年代大蔵省,国民貯蓄理事会(DNS)の二つの貯蓄計画の利率の引き上げを承認。インフレ抑制,個人貯蓄の増加,投資による収益の増加を目的とする。
DIA-301-1984-02-19-3バングラデシュ1984年02月19日1980年代新政党,Hindu League誕生-代表:Anukul Chandra Dev退役少佐。
DIA-301-1984-02-21-1バングラデシュ1984年02月21日1980年代Shaheed Day(1952年言語運動犠牲者の日),式典の最中に政府系の学生組織Natun Bangla Chhatra Samajと反政府系のChhatra Sangram Parishadが衝突。Janadal副総裁ミザヌール(Mizanur Rahman Chowd-hury)をはじめ負傷者50名以上。15政党,7政党は3月1日の全国ゼネストを呼びかけた。
DIA-301-1984-02-21-2バングラデシュ1984年02月21日1980年代戒厳令副司令官兼エネルギー相Sultan Mahmud空軍少将,ブルネイへ出発。独立祝賀式典に出席。
DIA-301-1984-02-24-1バングラデシュ1984年02月24日1980年代ウボジラ議長選挙立候補受付-460ウポジラのうち8カ所で立候補なし。チッタゴン,シレット等で選挙実施反対派が警官と衝突。逮捕事件に発展。
DIA-301-1984-02-24-2バングラデシュ1984年02月24日1980年代印バ国境沿いのChandannagar村(トリプラ州)をバングラに委譲-インド外交担当国務大臣A. A. Rahimは上院で,1974年5月のインド・バングラデシュ陸上国境協定に従って同村はバングラに委譲することになると発表。委譲の時期については不明。
DIA-301-1984-02-24-3バングラデシュ1984年02月24日1980年代IDA,開発クレジット協定に調印-1984~87年の4年間に2380万SDRの融資を決定。
DIA-301-1984-02-25-1バングラデシュ1984年02月25日1980年代選管発表。454のウポジラ議長候補者は2285人。
DIA-301-1984-02-26-1バングラデシュ1984年02月26日1980年代Karim外務次官,SARC(南アジア地域協力機構)外務次官級会議に出席のためニューデリーへ出発。
DIA-301-1984-02-26-2バングラデシュ1984年02月26日1980年代インドネシア軍総司令官ムルダニ将軍来訪。
DIA-301-1984-02-26-3バングラデシュ1984年02月26日1980年代政府はチッタゴン丘陵の反政府武装グループに対する特赦期間を4月26日まで延長。
DIA-301-1984-02-28-1バングラデシュ1984年02月28日1980年代訪バ中の米国務省の近東・南アジア担当副補佐Howard B. Schafferは記者会見で,米国はSt. Matin島(バングラ)をはじめとする南アジア地域には軍事基地を建設する計画はないと語った。
DIA-301-1984-02-29-1バングラデシュ1984年02月29日1980年代エルシャド,大統領・国会選挙は5月27日と発表-また3月26日の独立記念日から政治活動を全面的に解禁,ウポジラ議会選挙は予定どおり行なうと述べた。
DIA-301-1984-02-29-2バングラデシュ1984年02月29日1980年代多数の野党リーダーを逮捕-なかにはBAKSAL書記長Abdur Razzak,BNPの副総裁筆頭Shah Azi-zur Rahmanらも含まれている。
DIA-301-1984-02-29-3バングラデシュ1984年02月29日1980年代日本,バングラに5.6億タカの無償供与を決定-債務救済に1.75億タカ,灌漑計画用の浅管井の日本からの輸入に3.3億タカ,洪水対策に5500万タカを供与する。
DIA-301-1984-03-01-1バングラデシュ1984年03月01日1980年代全国ゼネスト-15政党,7政党,Central Student Action Committeeの呼びかけによるもの。主要都市はほぼマヒ状態。警官隊とデモ隊の衝突で少なくとも2人死亡。500人負傷。ハレダとハシナは前夜から1日午後2時まで自宅軟禁。
DIA-301-1984-03-02-1バングラデシュ1984年03月02日1980年代マイメイシン農業大学副学長ら大量辞職-1日のゼネストでの大学構内における警官,軍部の「残虐行為」に抗議したもの(The Statesman紙)。
DIA-301-1984-03-04-1バングラデシュ1984年03月04日1980年代Central Student Action Committee,1日のゼネストでの学生死傷事件で抗議集会。
DIA-301-1984-03-04-2バングラデシュ1984年03月04日1980年代BNPのリーダーの1人,Rafiqul Islam逮捕さる。
DIA-301-1984-03-05-1バングラデシュ1984年03月05日1980年代15政党,7政党,ゼネスト中の死者に対する初の合同追悼集会を開催。
DIA-301-1984-03-06-1バングラデシュ1984年03月06日1980年代イギリスの海外開発相Timothy Raison,来バ。二国間援助の交渉が目的。
DIA-301-1984-03-07-1バングラデシュ1984年03月07日1980年代Janadal幹部5人を閣僚に登用-Shamsul Huda Chowdhury(副総裁),Shamsul Haq,M. A. Matin,M. A. Huqは大臣就任,Shafiqul Ghani Swapanは閣外相に。
DIA-301-1984-03-10-1バングラデシュ1984年03月10日1980年代県知事(Deputy Commissioner)のコンファレンス開催-エルシャドは席上で開発計画の遂行と民政移管への協力を要請。
DIA-301-1984-03-10-2バングラデシュ1984年03月10日1980年代イギリス,二つの援助協定に調印。総額11.4億タカ(3000万ポンド),うち5.7億は商品援助,残りはプロジェクト援助。
DIA-301-1984-03-11-1バングラデシュ1984年03月11日1980年代訪バ中のインド貿易派遣団,ダッカ商工会議所と民間部門における協力拡大の可能性について会談。
DIA-301-1984-03-12-1バングラデシュ1984年03月12日1980年代エルシャド,各地方自治体に30万タカのグラントを供与すると発表。
DIA-301-1984-03-12-2バングラデシュ1984年03月12日1980年代ドハ外相,UAE,エジプト,イラク歴訪に出発。
DIA-301-1984-03-13-1バングラデシュ1984年03月13日1980年代15政党,7政党,24日のゼネスト実施を発表。
DIA-301-1984-03-14-1バングラデシュ1984年03月14日1980年代Bangladesh Teachers Association首脳,加盟教員に対してウポジラ選挙ボイコットを要請。
DIA-301-1984-03-15-1バングラデシュ1984年03月15日1980年代BNPのShah Azizur Rahman,ALのAbdul Mannanが釈放される。
DIA-301-1984-03-15-2バングラデシュ1984年03月15日1980年代ウポジラ議会選挙の投票用紙を各ウポジラに配布。
DIA-301-1984-03-15-3バングラデシュ1984年03月15日1980年代イギリス,農村開発に668万ポンドの援助協定に調印。
DIA-301-1984-03-15-4バングラデシュ1984年03月15日1980年代政府は全ての大学生連合の代表から成るNational Student Councilを結成することを決定。
DIA-301-1984-03-15-5バングラデシュ1984年03月15日1980年代Netrokona SadarウポジラのJanadal候補者,キャンペーン中に襲撃,暗殺された。
DIA-301-1984-03-17-1バングラデシュ1984年03月17日1980年代選管,ウポジラ選挙を24日から5日間にわたって実施すると変更。
DIA-301-1984-03-17-2バングラデシュ1984年03月17日1980年代ドハ外相,エジプト公式訪問を終えて共同声明を発表。その中ではアラブの全占領地からのイスラエルの撤退とパレスチナ人の権利回復による中東の危機の解決を強調。
DIA-301-1984-03-18-1バングラデシュ1984年03月18日1980年代ウポジラ議会選挙,無期延期-政府はウポジラ選挙は大統領,国会選挙の後に実施するというプレス・ノートを発表。野党は対決が避けられたと評価。
DIA-301-1984-03-19-1バングラデシュ1984年03月19日1980年代今会計年度8カ月の輸出額,136億780万タカ。前年同期比32.96%増。
DIA-301-1984-03-19-2バングラデシュ1984年03月19日1980年代政府はチッタゴン尿素肥料公社の請負業者として東洋エンジニアリングを承認。
DIA-301-1984-03-19-3バングラデシュ1984年03月19日1980年代バングラデシュ中央銀行,指定銀行に対し準備率を現行の25%から27%に引き上げるよう申し入れ。
DIA-301-1984-03-21-1バングラデシュ1984年03月21日1980年代15政党,7政党,24日のゼネストは中止。しかし“Black Day”は行なうと発表。
DIA-301-1984-03-21-2バングラデシュ1984年03月21日1980年代バングラデシュ農村開発公社,来年の3月までに18万台の揚水ポンプを協同組合に配布する計画を策定。
DIA-301-1984-03-23-1バングラデシュ1984年03月23日1980年代政府は18項目計画実施評議会とJanadalをあらゆるレベルで合併すると決定。
DIA-301-1984-03-23-2バングラデシュ1984年03月23日1980年代26日の独立記念日を祝して拘禁犯215人を釈放。
DIA-301-1984-03-23-3バングラデシュ1984年03月23日1980年代N. A. Chisti陸軍少将,更迭(外務省へ)。戒厳令総司令官官房室の幕僚を務め,選挙の日程決定に重要な役割を担った人(The Times of India紙)。
DIA-301-1984-03-24-1バングラデシュ1984年03月24日1980年代エルシャド,3月28日に野党指導者を対話に招待-大統領,国会選挙の日程を協議するため,15政党,7政党,Jamaat-e-Islami等の首脳48人が対象。
DIA-301-1984-03-25-1バングラデシュ1984年03月25日1980年代エルシャド,ラジオで演説-民政移管には平和が必要,政党が対話に臨むことを願う,と語った。
DIA-301-1984-03-25-2バングラデシュ1984年03月25日1980年代3月1日のゼネストで逮捕された政治犯を全員釈放すると発表。
DIA-301-1984-03-25-3バングラデシュ1984年03月25日1980年代閣僚評議会,民間に一般保険業務を許可。
DIA-301-1984-03-26-1バングラデシュ1984年03月26日1980年代第14回独立記念日。
DIA-301-1984-03-26-2バングラデシュ1984年03月26日1980年代政治活動を全面的に解禁。
DIA-301-1984-03-26-3バングラデシュ1984年03月26日1980年代ここ2週間で米価が平均モーンド(37.3kg)当り40タカ上昇。
DIA-301-1984-03-28-1バングラデシュ1984年03月28日1980年代サウジ・ファハド王の特使,Mohammad A. Al-Melhim,エルシャドを表敬訪問。
DIA-301-1984-03-28-2バングラデシュ1984年03月28日1980年代15政党,対話の延期を申し入れ-対話は4月3日以降,政府は対話にふさわしい環境作りをせよと要求。
DIA-301-1984-03-29-1バングラデシュ1984年03月29日1980年代エルシャド,Ataur Rahman Khan(Jatiya League総裁)を首相に任命。
DIA-301-1984-03-29-2バングラデシュ1984年03月29日1980年代Jamaat-e-Islami,大統領との対話を決定。
DIA-301-1984-03-30-1バングラデシュ1984年03月30日1980年代JRC,ダッカで再開。
DIA-301-1984-03-31-1バングラデシュ1984年03月31日1980年代JRC,ガンジス河川問題に関して合意を見ず-各々の提案を双方が互いに譲らず,また次回の会議の日程を決めることもできないまま物別れに終わった。
DIA-301-1984-04-01-1バングラデシュ1984年04月01日1980年代IDA,農業研究に2340万SDRの借款。返済期間50年。金利は据置期間が0.5%,残りが0.75%。
DIA-301-1984-04-02-1バングラデシュ1984年04月02日1980年代イスラム開発銀行,4000万ドルの借款供与。原油の輸入に充てられる。
DIA-301-1984-04-03-1バングラデシュ1984年04月03日1980年代外務省,インドの国境フェンス付設に抗議(Ku-rigram県の部分でこのほど開始されたもの)。
DIA-301-1984-04-04-1バングラデシュ1984年04月04日1980年代外貨持ち込み規制を緩和-バングラ居住者が帰国する際は申告せずに750ドル(以前は25ドル),外国人および在外バングラ人が入国する際には1000ドル,(同150ドル)まで持ち込み可能になった。
DIA-301-1984-04-04-2バングラデシュ1984年04月04日1980年代インドP. C. Sethi内相,国会でアッサム州と西ベンガル州の国境測量を行ない,フェンスを建設すると発表。バングラ人の不法流入を防ぐため。
DIA-301-1984-04-05-1バングラデシュ1984年04月05日1980年代1984/85年度外国援助要請額は23億ドル-9日,パリでの債権国会議でバングラは23億ドルの援助要請を行なう予定。内訳はプロジェクト援助12.7億ドル,商品援助6.7億ドル,食糧援助3.1億ドル。
DIA-301-1984-04-07-1バングラデシュ1984年04月07日1980年代Siddiqui内相,7政党,15政党のリーダーと会見。政治犯の釈放について交渉。
DIA-301-1984-04-07-2バングラデシュ1984年04月07日1980年代A. G. Mahmood食糧相,国内の食糧備蓄は充分であり,政府は市場価格安定にのり出す用意があると発表。
DIA-301-1984-04-07-3バングラデシュ1984年04月07日1980年代今年度7カ月で茶,皮革の輸出量がそれぞれ前年度同期比で7%,18%減少。先進国の需要減少と,ソ連とのバーター貿易が中止されているため。
DIA-301-1984-04-08-1バングラデシュ1984年04月08日1980年代米国の縫製会社,輸出加工区での工場建設に同意。米国企業としては最初の100%外資進出。
DIA-301-1984-04-09-1バングラデシュ1984年04月09日1980年代7政党,政府との対話に臨む-7政党は52項目要求実施に関する33項目提案を提出。
DIA-301-1984-04-09-2バングラデシュ1984年04月09日1980年代政府はインドへの不法流入は根拠がない,と否定。
DIA-301-1984-04-10-1バングラデシュ1984年04月10日1980年代Jamaat,政府と対話-戒厳令の撤廃,停止中の憲法の復活および中立政権下での選挙実施を要求。
DIA-301-1984-04-10-2バングラデシュ1984年04月10日1980年代15政党,対話に臨む決意を表明-AL総裁ハシナは危機を避けるため対話に臨む,しかし5項目要求については妥協せず,と述べた。
DIA-301-1984-04-11-1バングラデシュ1984年04月11日1980年代84/85年度債権国会議プレッジは17.2億ドル-名目上は前年度比6%増,しかし実質的には変わらず。
DIA-301-1984-04-11-2バングラデシュ1984年04月11日1980年代15政党,エルシャドと対話-戒厳令の撤廃,選挙の早期実現等については結論はでず。
DIA-301-1984-04-11-3バングラデシュ1984年04月11日1980年代労働組合活動の規制解除-エルシャド,Bangla-desh Swadhin Trade Unionとの話し合いで,労資関係規制法(1982)の廃止を決定。
DIA-301-1984-04-13-1バングラデシュ1984年04月13日1980年代政府とJamaatの代表計6名から成る合同委員会発足。Jamaatの要求を検討するため。
DIA-301-1984-04-15-1バングラデシュ1984年04月15日1980年代西独Schilling郵政相,来訪。
DIA-301-1984-04-16-1バングラデシュ1984年04月16日1980年代84/85年度のFood for Work Programmeの予算,21.4億タカ。
DIA-301-1984-04-18-1バングラデシュ1984年04月18日1980年代世銀予測,83/84年度のGDP成長率は4.3%。
DIA-301-1984-04-19-1バングラデシュ1984年04月19日1980年代エルシャド,憲法の部分的復活令を公布-停止中の憲法のうち選挙に関する部分を復活。大統領・国会選挙は戒厳令総司令官が定めた日に同時実施。19日のobserver紙発表では,大統領は3月3日にこの件を承認し,3月7日付官報で公表した形をとっている。
DIA-301-1984-04-20-1バングラデシュ1984年04月20日1980年代インド国境守備隊(BSF)とバングラデシュ国境警備隊(BDR),武力衝突-Kurigram県のインド国境地帯でフェンス建設が争点。BDR兵士1名死亡。
DIA-301-1984-04-20-2バングラデシュ1984年04月20日1980年代7政党,エルシャドと対話-エルシャドは大統領選挙と国会選挙の日程が同時に設定されるならば,国会選挙を先に実施することに同意した。
DIA-301-1984-04-20-3バングラデシュ1984年04月20日1980年代チェコスロバキアとバングラ,バーター協定に調印。
DIA-301-1984-04-20-4バングラデシュ1984年04月20日1980年代15政党,政府と対話-国会選挙を先に実施するために大統領・国会選挙の日程を同時に発表するという政府の提案を拒否。
DIA-301-1984-04-21-1バングラデシュ1984年04月21日1980年代外務省,インド政府に抗議-ダッカ駐在インド高等弁務官を召喚し,BSFの発砲でBDRの兵士1名が死亡したことについて抗議申し入れ。
DIA-301-1984-04-21-2バングラデシュ1984年04月21日1980年代15政党,政府と対話-合同委員会を設立し,戒厳令の撤廃と議会の地位について協議することに同意。
DIA-301-1984-04-21-3バングラデシュ1984年04月21日1980年代National Economic Council,総額358.5億タカの修正年次開発計画を承認。うち165億タカはプロジェクト援助。
DIA-301-1984-04-22-1バングラデシュ1984年04月22日1980年代インドのR. M. Mirdha灌漑相,バングラが要求する現在のガンジス川の水分配システムの延長は問題の解決にはならないと表明。
DIA-301-1984-04-23-1バングラデシュ1984年04月23日1980年代Al-Quds委員会の決定で,コスタリカと断交。
DIA-301-1984-04-23-2バングラデシュ1984年04月23日1980年代4月1日付で首相官房室を設置-議会の召集,延期,解散に関する業務を行なう。同日付で法務・議会問題省は法務・司法省と改称。
DIA-301-1984-04-24-1バングラデシュ1984年04月24日1980年代政府は印バ国境24カ所に監視塔の建設を決定。
DIA-301-1984-04-25-1バングラデシュ1984年04月25日1980年代外務省,再びインドに抗議文書を提出。
DIA-301-1984-04-25-2バングラデシュ1984年04月25日1980年代Jamaat系の学生組織,抗議デモの最中にダッカのインド情報サービス図書館に投石。
DIA-301-1984-04-25-3バングラデシュ1984年04月25日1980年代FAO,16万ドルの援助に調印-農産物の流通・価格政策の改善プロジェクトを実施。
DIA-301-1984-04-26-1バングラデシュ1984年04月26日1980年代インドP. C. Sethi内相,国会でフェンス建設計画は放棄しないと表明。
DIA-301-1984-04-26-2バングラデシュ1984年04月26日1980年代FAO,30万ドル相当の技術援助に調印-作物の早期警報システムの設置。
DIA-301-1984-04-28-1バングラデシュ1984年04月28日1980年代公務員労働組合共闘会議(Sramik Karmachari Oikya Parishad)の呼びかけによる完全24時間ストライキが各地で実施された。ILO会議に基づく労働組合運動の解禁,最低賃金の引き上げ等を要求。
DIA-301-1984-04-28-2バングラデシュ1984年04月28日1980年代ドハ外相,オマーン外務担当国務相Al-Alawiと共同コミュニケ発表。すべてのアラブの土地からのイスラエル軍の撤退を要請。
DIA-301-1984-04-29-1バングラデシュ1984年04月29日1980年代エルシャド,選挙は停止中の憲法に基づいて実施すると表明。また国境のフェンスの不承認を表明。
DIA-301-1984-04-30-1バングラデシュ1984年04月30日1980年代Siddiqui内務相,インドのフェンス建設は明らかに国境ガイドラインに違反,政府は再三インド政府に建設中止を要請していると表明。
DIA-301-1984-04-30-2バングラデシュ1984年04月30日1980年代15政党,政府と対話-戒厳令の撤廃について同意をみず,15政党,行動を開始すると表明。
DIA-301-1984-04-30-3バングラデシュ1984年04月30日1980年代ダッカの農業関連工業団地設立のため,中国がUNIDOに167.9万ドル出資。
DIA-301-1984-05-01-1バングラデシュ1984年05月01日1980年代英,1582万ポンドのエクストラ・グラント供与を決定。ダッカの電力供給改善のため。
DIA-301-1984-05-02-1バングラデシュ1984年05月02日1980年代Democratic Leagueの集会で爆発事故-死者2名,負傷者約20名。DL集会としては1980年に続いて二度目。総裁Khondakar M. Ahmedはインドとソ連のスパイの仕業と言明。DLは,5日抗議のゼネストを呼びかけたが失敗,40人が逮捕された。
DIA-301-1984-05-03-1バングラデシュ1984年05月03日1980年代IDA,4020万SDRの借款-農業の生産性向上計画のため,10年据置50年返済。
DIA-301-1984-05-03-2バングラデシュ1984年05月03日1980年代諸政党との対話終了。
DIA-301-1984-05-03-3バングラデシュ1984年05月03日1980年代インドR. D. Sinha内務担当国務大臣,国会でフェンス建設は続行する,と表明。
DIA-301-1984-05-05-1バングラデシュ1984年05月05日1980年代PLOアラファト議長,中国訪問の途中ダッカでエルシャドと会談。PLO支持を感謝すると語った。
DIA-301-1984-05-06-1バングラデシュ1984年05月06日1980年代アッサム州Dhubri国境のフェンス建設中止,Saikiaアッサム州首相は,5日に,フェンス建設に州政府は関知しないと述べた。
DIA-301-1984-05-07-1バングラデシュ1984年05月07日1980年代BDRとBSFの代表,国境問題について討議-BDR,Muktadir陸軍少将とBSF長官Birbal Nathが出席。国境150ヤード内の建造物を調査する合同専門家委員会の設置に合意。
DIA-301-1984-05-07-2バングラデシュ1984年05月07日1980年代UAEのザイード大統領再来バ。
DIA-301-1984-05-09-1バングラデシュ1984年05月09日1980年代アラファトPLO礒長来バ。
DIA-301-1984-05-09-2バングラデシュ1984年05月09日1980年代IDA,1.35億SDRの借款供与。必需品の輸入。手数料のみで10年据置き,50年返済。
DIA-301-1984-05-09-3バングラデシュ1984年05月09日1980年代インドRao外相,フェンス建設続行を表明。
DIA-301-1984-05-09-4バングラデシュ1984年05月09日1980年代ティスタ河水配分問題の次官級会談終了-バングラ灌漑・水資源担当官S. S. Ahsanとインド灌漑省次官M. G. Adhyeが出席。水量測定地点3カ所の選定で会談。
DIA-301-1984-05-10-1バングラデシュ1984年05月10日1980年代エルシャド,アラファト,ザイード三者会談-終了後アラファト議長は,会談ではイスラム共同体の直面する問題について論じて実りがあった,と語った。
DIA-301-1984-05-10-2バングラデシュ1984年05月10日1980年代ビルマU Chit Hlaing外相来バ。
DIA-301-1984-05-10-3バングラデシュ1984年05月10日1980年代15政党,7政党共闘に合意-民主主義復活まで団結,国会選挙のみを先に実施することで合意。
DIA-301-1984-05-10-4バングラデシュ1984年05月10日1980年代BNP,ハレダ,BNP総裁に満場一致で選出さる。
DIA-301-1984-05-11-1バングラデシュ1984年05月11日1980年代UAEと一般貿易協定に調印。
DIA-301-1984-05-11-2バングラデシュ1984年05月11日1980年代ドハ外相,ビルマ外相と海上国境について会談。
DIA-301-1984-05-12-1バングラデシュ1984年05月12日1980年代国会選挙は12月に延期-エルシャドは,ウポジラ選挙は国会選挙の後に実施,戒厳令は国会開会時に撤廃すると発表。
DIA-301-1984-05-12-2バングラデシュ1984年05月12日1980年代UAE・バングラ共同コミュニケ発表-両国間の関係の強化,発展を謳った。ザイード大統領帰国。
DIA-301-1984-05-13-1バングラデシュ1984年05月13日1980年代ドハ外相,インド外相がフェンス建設を続行すると述べたことに対して「驚きと失望」を表明。バングラからの移民はないと断言。
DIA-301-1984-05-16-1バングラデシュ1984年05月16日1980年代強硬派のAbdul Mannaf陸軍少将更迭さる-チッタゴン港湾司令部長官を解任。代わりに穏健派のNuruddin Khan陸軍少将を起用(Arad News紙)。
DIA-301-1984-05-16-2バングラデシュ1984年05月16日1980年代政府は6月から公務員の物価手当を30%,住宅手当を5%引き上げ,また1カ月分の祝祭手当の支給を発表。
DIA-301-1984-05-20-1バングラデシュ1984年05月20日1980年代15政党,7政党,選挙日程の即時発表を要求。
DIA-301-1984-05-20-2バングラデシュ1984年05月20日1980年代Bakhrabadのガスパイプライン,チッタゴンに開通。
DIA-301-1984-05-21-1バングラデシュ1984年05月21日1980年代公務員労組共闘会議(SKOP),予定の48時間ストの中止を発表-政府が最低賃金70%引上げ,1カ月の祝祭手当,退職金の増額等の要求を承認したため。
DIA-301-1984-05-22-1バングラデシュ1984年05月22日1980年代現職の大臣3人がJanadal入党-Bakr(法務),Aminul Islam(労働・マンパワー),Shafia Khatun(社会福祉・婦人問題)。
DIA-301-1984-05-25-1バングラデシュ1984年05月25日1980年代シレット県の洪水悪化。エルシャドは被災地域を視察。
DIA-301-1984-05-26-1バングラデシュ1984年05月26日1980年代「食糧備蓄は十分」-Mahmood食糧相は,食糧備蓄は現在は60万トンだが今会計年度末には100万トンに達すると語った。
DIA-301-1984-05-27-1バングラデシュ1984年05月27日1980年代イラクと電話ケーブル輸出で覚書交換。
DIA-301-1984-05-28-1バングラデシュ1984年05月28日1980年代ニューデリーのバングラ大使館襲撃さる-1976年の「既得財産法」に反対するHindu Manchのデモによるもの。警官の発砲で通行人1人死亡,負傷者多数。
DIA-301-1984-05-28-2バングラデシュ1984年05月28日1980年代日本,Narayanganjの病院建設のため16億円のグラントを承認。
DIA-301-1984-05-29-1バングラデシュ1984年05月29日1980年代大使館襲撃事件について政府はインドに抗議。
DIA-301-1984-05-30-1バングラデシュ1984年05月30日1980年代エルシャド,BDRの将校に対して国家の主権擁護を強く要請。
DIA-301-1984-05-30-2バングラデシュ1984年05月30日1980年代Jamaat,政府の外交姿勢を弱腰と非難。
DIA-301-1984-05-30-3バングラデシュ1984年05月30日1980年代Janadal,ダッカのインド大使館の前で抗議集会。
DIA-301-1984-06-01-1バングラデシュ1984年06月01日1980年代内閣大改造-前メンバーに加えてReazuddin Ahmed Bhola Miah(港湾相),Shah Moazzem Hossain(労働相),Abu Naser Khan Bhashani(故NAP-B委員長バシャニの息子,食糧担当国務相)が入閣。エルシャドは外務,大蔵,国防相を兼務。24人の閣僚中14人がJanadal党員。
DIA-301-1984-06-01-2バングラデシュ1984年06月01日1980年代Shanti Bahini,地元住民を襲撃,死者80人-チッタゴン丘陵BarkarウポジラのBhusansara地区への移住民の追放が目的。負傷者800名に上る。
DIA-301-1984-06-03-1バングラデシュ1984年06月03日1980年代閣僚会議,ジャムナ川の多目的橋の架設決定-東西を結ぶ天然ガスのパイプライン,電力コネクターを併設する。建設費210億タカは年次開発計画外の国家的重要プロジェクトとして予算を計上。
DIA-301-1984-06-03-2バングラデシュ1984年06月03日1980年代ドハ灌漑相(前外相),東独公式訪問に出発。
DIA-301-1984-06-03-3バングラデシュ1984年06月03日1980年代M. A. Sattar,大統領顧問に任命。
DIA-301-1984-06-04-1バングラデシュ1984年06月04日1980年代米国,1040万ドルの贈与供与に調印-うち570万ドルは農村電化第2プロジェクト,470万ドルは農業リサーチ第2プロジェクトの追加資金。
DIA-301-1984-06-04-2バングラデシュ1984年06月04日1980年代Jatiya League(総裁Ataur Rahman Khan)解散,Janadalに吸収合併。
DIA-301-1984-06-05-1バングラデシュ1984年06月05日1980年代パナマと外交樹立。
DIA-301-1984-06-08-1バングラデシュ1984年06月08日1980年代Shah Moazzem労相,第70回ILO会議出席のためジュネーブへ出発。
DIA-301-1984-06-08-2バングラデシュ1984年06月08日1980年代東独と文化および放送に関する協力協定調印。
DIA-301-1984-06-09-1バングラデシュ1984年06月09日1980年代Kaiser駐中国大使,呉学謙外相を訪問。また7日には高建中駐バ中国大使がA. R. Yusuf大統領特別補佐官を訪問。
DIA-301-1984-06-09-2バングラデシュ1984年06月09日1980年代Abahani対Rahmatganjのサッカー試合が暴動へ発展,負傷者100人。
DIA-301-1984-06-09-3バングラデシュ1984年06月09日1980年代ハシナ,軍人に対するスピーチを政党にも認めるよう要求(Times of India紙)。
DIA-301-1984-06-10-1バングラデシュ1984年06月10日1980年代BSFとBDR,今月中に国境の補充部隊を撤廃させることで合意。
DIA-301-1984-06-10-2バングラデシュ1984年06月10日1980年代チッタゴン丘陵開発局,5カ年特別開発計画綱領を完成-総額26億3130万タカ。今年7月から開始。
DIA-301-1984-06-10-3バングラデシュ1984年06月10日1980年代日刊紙Dainik Desh発刊禁止-ビルマ反乱軍がバングラの支持を受けているという6月9日付の同紙の報道に対して,政府は「反国家的」であるとして発禁処分を実施。昨年11月にも同様な処分を受けた。
DIA-301-1984-06-12-1バングラデシュ1984年06月12日1980年代タイと42.5万トンの米購入契約締結。
DIA-301-1984-06-13-1バングラデシュ1984年06月13日1980年代米国の新バングラ大使にHoward B. Schafferが就任-元国務省近東・南アジア担当副補佐官。
DIA-301-1984-06-14-1バングラデシュ1984年06月14日1980年代輸出加工地区局,工業省から大統領府の管轄に移行。
DIA-301-1984-06-14-2バングラデシュ1984年06月14日1980年代ADB,1.2億ドルの借款を承認-総額2.41億ドルの電力システムプロジェクトの資金の一部。10年据置きで返済期間40年。年率1%の手数料。
DIA-301-1984-06-15-1バングラデシュ1984年06月15日1980年代Jatiya League緊急集会,総裁Ataur Rahman Khan,書記長Abdul Kalamを満場一致で除名-総裁代行にGiasuddin Ahmed,書記長代行にBazlur Rahman Milanを選出。
DIA-301-1984-06-17-1バングラデシュ1984年06月17日1980年代84/85年度年次開発計画(ADP)は389.6億タカ-National Economic Councilは83/84年度修正予算8.7%増の389.6億タカを承認。うち204.9億は自国通貨,184.699億はプロジェクト援助で賄う。ウパジラ開発には42.3億タカ(プロジェクト援助除く)を割り当て。
DIA-301-1984-06-17-2バングラデシュ1984年06月17日1980年代日本,21.58億円の贈与を承認-ビルマからの米の購入輸送費に使われる。
DIA-301-1984-06-17-3バングラデシュ1984年06月17日1980年代Muslim League総裁B. A. Siddiqui,政府はユニオン議会や地方自治体の議長,議員に圧力をかけてJanadalに入党させていると非難。
DIA-301-1984-06-18-1バングラデシュ1984年06月18日1980年代ジャムナ川架橋計画推進委員会結成。
DIA-301-1984-06-18-2バングラデシュ1984年06月18日1980年代UNDP,洪水の被災地域に50万ドル相当の救援物資を送る計画を承認。
DIA-301-1984-06-19-1バングラデシュ1984年06月19日1980年代アラブ連盟Klibi事務総長来バ。
DIA-301-1984-06-20-1バングラデシュ1984年06月20日1980年代世銀の派遣団,通信省高官とのジャムナ川架橋計画の資金援助に関する予備会談で,バングラの援助吸収能力の低さを批判。
DIA-301-1984-06-21-1バングラデシュ1984年06月21日1980年代ダッカ=マワ間の道路開通。
DIA-301-1984-06-21-2バングラデシュ1984年06月21日1980年代「母乳代替物(市場化規制)法」を公布,母乳奨励。
DIA-301-1984-06-22-1バングラデシュ1984年06月22日1980年代エルシャド,外相兼任。またM. A. Khan農相が灌漑相を兼任。軍首脳部との外交問題に関する意見の対立から灌漑相に更迭されたドハ前外相は辞意を表明していた。
DIA-301-1984-06-23-1バングラデシュ1984年06月23日1980年代Zakir K. Chowdhury,Upendra Lal Chakma,大統領顧問に就任-Zakirは独立戦争参戦兵士(FF)問題,Upendra少数民族問題を担当。
DIA-301-1984-06-23-2バングラデシュ1984年06月23日1980年代23の政党がIslamic Front結成。
DIA-301-1984-06-25-1バングラデシュ1984年06月25日1980年代閣僚評議会,救援復興対策委員会結成。
DIA-301-1984-06-27-1バングラデシュ1984年06月27日1980年代1984/85年度予算発表。
DIA-301-1984-06-29-1バングラデシュ1984年06月29日1980年代Syeduzzaman財務顧問,記者会見で新予算は一般の人々には影響はないと語り,バングラの経済問題についての国民のコンセンサスを呼びかけた。またMajeed Khan計画相も,貧困線下の80%の人は購買力がないので新導入税の影響を受けないなどと語った。
DIA-301-1984-06-29-2バングラデシュ1984年06月29日1980年代「エルサレムの日」にイスラム教徒が米国大使館前でデモ。
DIA-301-1984-06-30-1バングラデシュ1984年06月30日1980年代米の政府買上げ価格引上げ-次期アマン米のうち精米はモーンド当り248タカ(運送料5タカを含む),籾米は同165タカ。旧価格は各々225タカ,144タカ。
DIA-301-1984-07-03-1バングラデシュ1984年07月03日1980年代84/85年度輸出入政策発表-輸出は223億8000万タカ,輸入は435億1000万タカを目標。民間企業に自由市場経済を創出させるインセンティヴを与える。
DIA-301-1984-07-03-2バングラデシュ1984年07月03日1980年代84/85年度茶の輸出目標18.2億タカ-前年度実績比で0.31%増。
DIA-301-1984-07-03-3バングラデシュ1984年07月03日1980年代エルシャド,洪水の被災地域を見舞い,地域の農民は農業ローンの利子を免除すると発表。
DIA-301-1984-07-03-4バングラデシュ1984年07月03日1980年代中央調整委員会,洪水被災地域に442万㌔の農業復興計画の即時実施を決定(5日に1100万タカに修正)。
DIA-301-1984-07-04-1バングラデシュ1984年07月04日1980年代エルシャド,全国向けラジオ・テレビ放送で,洪水の状況に一致団結して立ち向うことを呼びかけた。
DIA-301-1984-07-04-2バングラデシュ1984年07月04日1980年代失業率は33%-Syeduzzaman財務顧問は,現在の農業成長率では雇用機会を創出できないと語り,中小工業をおこす必要性のあることを強調した。
DIA-301-1984-07-06-1バングラデシュ1984年07月06日1980年代タイのBhichai副首相来訪(~9日)。
DIA-301-1984-07-07-1バングラデシュ1984年07月07日1980年代Obaidullah Khan通信相,モルディブへ出発-第2回SARC外相会議に出席。
DIA-301-1984-07-07-2バングラデシュ1984年07月07日1980年代バングラデシュ農業銀行,84/85年度のローン貸付け目標90億タカ-返済額は61.4億タカを見込む。83/84年度の実施額は59.1億タカで目標の66%にとどまった。
DIA-301-1984-07-08-1バングラデシュ1984年07月08日1980年代BSF発砲,バングラ人2人が死亡-シレットの印バ国境でバングラ領に侵入したBSF兵士が地元農民を射殺し,1人が負傷した。
DIA-301-1984-07-08-2バングラデシュ1984年07月08日1980年代集中的移植アマン作付計画,冬期作物奨励計画からなる農業復興プログラムを開始。
DIA-301-1984-07-09-1バングラデシュ1984年07月09日1980年代Dainik Desh社の経営陣,全雇用者に対して一時解雇を通告。
DIA-301-1984-07-09-2バングラデシュ1984年07月09日1980年代バングラ通商団訪ソ-第13次バーター協定締結が目的。
DIA-301-1984-07-10-1バングラデシュ1984年07月10日1980年代Korban Ali(元ALの閣僚),Yusuf Ali(元BNP閣僚),入閣-:Korbanはジュート・繊維相,Yusufは新しく設置された救援・復興省を担当。Aminul Islamジュート相は灌漑省を受け持つ。
DIA-301-1984-07-10-2バングラデシュ1984年07月10日1980年代第1回SARCサミットは来年ダッカで開催-第2回SARC外相会議で決定された。
DIA-301-1984-07-11-1バングラデシュ1984年07月11日1980年代15政党,23日から29日まで「抵抗週間」,8月3日に「要求の日」を実施すると発表。
DIA-301-1984-07-12-1バングラデシュ1984年07月12日1980年代国会選挙は12月8日に実施-A. K. M. Nurul Islam選挙管理委員長が発表。
DIA-301-1984-07-12-2バングラデシュ1984年07月12日1980年代新聞社,通信社が無期限スト突入-政府の賃上げ裁定案の実施を要求。ジャーナリスト1200人,印刷工4000人が参加。
DIA-301-1984-07-13-1バングラデシュ1984年07月13日1980年代インド,国境フェンス計画は放棄せず-Sai-kiaアッサム州首相はVenkataraman国防相と会談後,フェンスの建立設置についての話合いがバングラ当局と進行中であると語った。国防相は,「非合法流民はインドには耐えられない重荷である」と述べた(Statesman紙)。
DIA-301-1984-07-17-1バングラデシュ1984年07月17日1980年代エルシャド,サウジ訪問-イスラム調停委員会(IPC)に出席(~20日)。
DIA-301-1984-07-17-2バングラデシュ1984年07月17日1980年代中国空軍参謀長張廷発来訪(~24日)。
DIA-301-1984-07-17-3バングラデシュ1984年07月17日1980年代Uttara銀行民有化-Syeda Feroza Begun,総裁就任。
DIA-301-1984-07-18-1バングラデシュ1984年07月18日1980年代軍高官11名,軍の役職を解任-元大統領付き参謀将校N. A. Chisti少将,元第9師団長Shamsuz Zaman少将(現クウェート大使)らが含まれている(Statesman紙)。
DIA-301-1984-07-19-1バングラデシュ1984年07月19日1980年代西ベンガル・バングラ国境でのBSFと密輸業者の衝突が頻発-直接原因は6月に以前の4大隊に加えて6大隊を配備したことから(Statesman紙)。
DIA-301-1984-07-22-1バングラデシュ1984年07月22日1980年代エルシャド,Janadalの大衆集会で演説。
DIA-301-1984-07-25-1バングラデシュ1984年07月25日1980年代エルシャド,戒厳令法廷を8月1日から廃止すると表明(Statesman紙)。
DIA-301-1984-07-26-1バングラデシュ1984年07月26日1980年代15政党,7政党,抵抗週間開始-選挙管理内閣による12月8日選挙の実施を要求(Statesman紙)。
DIA-301-1984-07-27-1バングラデシュ1984年07月27日1980年代印バ通商協定更新-二国間貿易の拡大で合意。印はバングラの天然ガス購入に興味を示した。また印はバングラに6億ルピーの借款を供与してバングラの輸入拡大を期待。
DIA-301-1984-07-27-2バングラデシュ1984年07月27日1980年代野党の集会に関するラジオ・テレビの報道を許可(Statesman紙)。
DIA-301-1984-07-27-3バングラデシュ1984年07月27日1980年代民間による米,小麦の輸入を許可-ただし品物の到着後15日以内に船積書類を引き取らねばならないなど条件が厳しい。
DIA-301-1984-07-29-1バングラデシュ1984年07月29日1980年代BNPのリーダー,Janadal入党,閣僚就任-BNPの主要リーダーであり15政党との連携の中心人物であったAbudul Halim Chowdhury大佐(退役)。
DIA-301-1984-07-31-1バングラデシュ1984年07月31日1980年代ヒンドゥー教徒保護政策-ヒンドゥー教福利厚生局主催の第1回全国ヒンドゥー教徒会議で,エルシャドは敵性財産法で没収した財産は真の所有者に返還,国外巡礼を望むものには十分な外貨を供与,現在他の目的で利用されている火葬場は返還,サンスクリット大学の設立,ジョゴンナート大学の寮を増設するなど保護政策を発表(Times of India紙)。
DIA-301-1984-08-04-1バングラデシュ1984年08月04日1980年代イランAl-Eslam外務次官来訪(~6日)。
DIA-301-1984-08-04-2バングラデシュ1984年08月04日1980年代エルシャド,故ムジブル・ラーマンの墓参り。
DIA-301-1984-08-05-1バングラデシュ1984年08月05日1980年代ビマン航空国内便墜落-チッタゴン発ダッカ行きビマン国内便フォッカー27型機は,午後3時半ダッカ空港に着陸する際に近くの湿地帯に墜落。乗客は英国人,日本人各1名を含めて49人全員死亡。悪天候が原因とみられる。副機長はバングラで最初の女性パイロット。
DIA-301-1984-08-06-1バングラデシュ1984年08月06日1980年代DCMLA,農業相M. A. Khan海軍少将死去-墜落した航空機の救助活動中倒れた。死因は心臓発作。
DIA-301-1984-08-06-2バングラデシュ1984年08月06日1980年代海軍参謀長代行にSultan Ahmad准将を任命。
DIA-301-1984-08-06-3バングラデシュ1984年08月06日1980年代インドネシア・ガフル青年・スポーツ担当国務相来バ(~8日)。
DIA-301-1984-08-06-4バングラデシュ1984年08月06日1980年代ADB,電力,鉄道プロジェクトに1億6600万ドルの借款を承認。
DIA-301-1984-08-07-1バングラデシュ1984年08月07日1980年代新聞スト,26日ぶりに解除-政府の裁定案に広告率の増加,広告政策の合理化などの妥協案を盛りこんで,経営者,政府,中央行動委員会の三者会談で決着。
DIA-301-1984-08-08-1バングラデシュ1984年08月08日1980年代BSF兵士に無期懲役-Kushtia地方判事,83年12月バングラに侵入し逮捕されたBSF兵士に対し,殺人目的の不法越境罪で,無期懲役を判決。
DIA-301-1984-08-09-1バングラデシュ1984年08月09日1980年代15政党,Jamaat,Janadalの「民主主義の日」の計画を同日予定のストを妨害するためであると非難。
DIA-301-1984-08-09-2バングラデシュ1984年08月09日1980年代5月6日の洪水被害状況-農業省の報告によれば400ウパジラが被災。穀物の被害総額は66億タカに上る。
DIA-301-1984-08-10-1バングラデシュ1984年08月10日1980年代Abdul H. Chowdhury(無任所)農業相就任。
DIA-301-1984-08-10-2バングラデシュ1984年08月10日1980年代Sultan Mahmud工業相,ウィーンから帰国-英連邦工業相会議,UNIDO,グループ77会議に出席。
DIA-301-1984-08-11-1バングラデシュ1984年08月11日1980年代19のイスラム政党がIslamic Jukta Front結成-イスラム共和国の樹立,停止中の憲法に基づく議会の設立を主張。
DIA-301-1984-08-11-2バングラデシュ1984年08月11日1980年代チッタゴンに初めての中央製茶工場-小規模茶栽培業者の助成が目的。同様の工場をSrimangalにも予定。
DIA-301-1984-08-11-3バングラデシュ1984年08月11日1980年代(ポートモレスビー)A. R. Khan首相,英連邦地域首脳会議で協力拡大を要請。
DIA-301-1984-08-12-1バングラデシュ1984年08月12日1980年代外務省スポークスマン,バングラがトリプラ民族義勇軍を支援しているという,インド通信の報道を否定。
DIA-301-1984-08-12-2バングラデシュ1984年08月12日1980年代7政党,洪水救援物資,寄付金の使途に関する白書を要求-Janadalの組織化に流用されている疑い。
DIA-301-1984-08-12-3バングラデシュ1984年08月12日1980年代A. R. Khan首相帰国。
DIA-301-1984-08-15-1バングラデシュ1984年08月15日1980年代Sultan Ahmad准将,海軍参謀長に就任。
DIA-301-1984-08-15-2バングラデシュ1984年08月15日1980年代サウジ,大統領救援基金に448万ポンドを寄附。
DIA-301-1984-08-16-1バングラデシュ1984年08月16日1980年代アウス米の政府買上げ価格-精米は1モーンド当り248タカ,籾米は同165タカ(運送費5タカを含む)。旧価格はそれぞれ225タカ,144タカ。買上げ目標最低1.5万トン。
DIA-301-1984-08-16-2バングラデシュ1984年08月16日1980年代FAO,バングラ政府の要請に応えて,1070万ドル(5万6420トンの小麦)の緊急食糧援助を承認。
DIA-301-1984-08-16-3バングラデシュ1984年08月16日1980年代バングラ空軍のヘリコプター,タイTak県に不時着-シンガポールでオーバーホールを行なうためビルマ上空を飛行中,ビルマ軍とカレン反乱軍の銃撃戦の流れ弾に当たった(Times of India紙)。
DIA-301-1984-08-17-1バングラデシュ1984年08月17日1980年代M. A. Huq土地改革相,ルーマニアへ出発。
DIA-301-1984-08-18-1バングラデシュ1984年08月18日1980年代リベリアと断交-リベリアがイスラエルと国交樹立したため。
DIA-301-1984-08-18-2バングラデシュ1984年08月18日1980年代Central Students’ Action Committee,テレビ局前でデモ-政府とJanadalに偏向した報道を批判。
DIA-301-1984-08-20-1バングラデシュ1984年08月20日1980年代バングラデシュ赤十字代表団,ソ連から帰国。ソ連赤十字はバングラの洪水救援対策支持約束。
DIA-301-1984-08-21-1バングラデシュ1984年08月21日1980年代公務員の服装規制-政府は綱紀粛正をはかるため政府,半官半民,地方自治体の職員に対して「装飾的」な服やくだけた服装はしないよう指令(Times of Indea紙)。
DIA-301-1984-08-22-1バングラデシュ1984年08月22日1980年代Shafiul Azamエネルギー相,駐米大使に。現外交顧間Humayun R. Chowdhuryの後任。
DIA-301-1984-08-23-1バングラデシュ1984年08月23日1980年代米国,グラントベースで9000トンの米を供与。
DIA-301-1984-08-23-2バングラデシュ1984年08月23日1980年代英国,プロジェクト贈与協定(3月10日調印)を修正-贈与額を1500万ポンドから3000万ポンドに増額。農村開発,ダッカ電力供給,アシュガンジ火力発電所のガスタービン設置計画等に充てられる。
DIA-301-1984-08-23-3バングラデシュ1984年08月23日1980年代女性訪中団(団長:Shafia Khatun社会福祉相),全人代常務委員会の黄華副委員長と会談。
DIA-301-1984-08-24-1バングラデシュ1984年08月24日1980年代Janadal,「民主主義の日」を28日に変更。
DIA-301-1984-08-27-1バングラデシュ1984年08月27日1980年代半日ゼネスト-15政党,7政党の呼びかけで全国で6時間ゼネスト実施。警察の介入,発砲により負傷者約200名,また逮捕者は500人以上。Jamaatを含めた3主流野党連合は同一のプログラム実施を発表。9月15日が要求承諾のデッドライン。承諾されない場合は9月27日から大衆運動を開始する。
DIA-301-1984-08-28-1バングラデシュ1984年08月28日1980年代Janadal,「民主主義の日」実施。
DIA-301-1984-08-30-1バングラデシュ1984年08月30日1980年代米国,家族計画奨励のためにさらに1360万ドルの贈与を承認。
DIA-301-1984-09-01-1バングラデシュ1984年09月01日1980年代カーナフリ製紙工場減産-Shanti Bahiniの活動でチッタゴン丘陵からの原料供給が不足したために,昨年の生産量は30%減少。
DIA-301-1984-09-01-2バングラデシュ1984年09月01日1980年代Sonali銀行,84/85年度中に全国666の図書館に無利子ローン貸付を行なうと発表。
DIA-301-1984-09-02-1バングラデシュ1984年09月02日1980年代Muslim League(Siddiqui),15政党,7政党に共闘申し入れ。
DIA-301-1984-09-02-2バングラデシュ1984年09月02日1980年代1981年人口センサスの結果発表-人口は8990万人。1974~80年の人口増加率は2.32%(1961~74年は2.48%)。主な特徴としては(1)0~4歳児が全人口に占める割合は17.2%。(2)性別の比率は106.4(女性1000人に対して男性1064人)。(3)都市人口は15.2%(1320万人)。(4)15歳以下は全人口の46.7%(1974年よりも1.3%減少)。(5)経済活動人口に占める農業の割合は61.3%(1961年には86%)。(6)15~19歳の未婚女子の割合は1961年の8.3%から31.3%に増加。同様な傾向が10~14歳および20~24歳の女子の間にも見られる。(7)宗教分布は1974年センサスとあまり変わらず,イスラム教徒86.6%,ヒンドゥー12.1%,仏教0.6%,キリスト教0.3%。
DIA-301-1984-09-03-1バングラデシュ1984年09月03日1980年代バングラ,1986年の国連総会の議長に立候補-外交顧問Humayun R. Chowdhuryの発表によれば,国連安保理事会のメンバーにも立候補の予定。
DIA-301-1984-09-04-1バングラデシュ1984年09月04日1980年代北京で第1回中バ合同経済委員会開催-バングラはSyeduzzaman財務顧問,中国は陳慕華対外経済貿易部長が出席。二国間協力の強化拡大を確認。また中国は洪水救助として5000トンの米供与を決定。
DIA-301-1984-09-04-2バングラデシュ1984年09月04日1980年代エルシャド,反社会分子の取締強化を指令。
DIA-301-1984-09-05-1バングラデシュ1984年09月05日1980年代Janadal党組織再編成-党綱領草案に従って最高評議会,中央執行委員会が組織された。
DIA-301-1984-09-05-2バングラデシュ1984年09月05日1980年代1~6月の出稼ぎ送金は70億3240万タカ-Shah M. Hossain労相が語ったところでは同期間の出稼ぎ人数は2万8972人。渡航先の内訳はサウジが9377人で第1位,次いでオマーン,クウェート,UAE,イラクの順。
DIA-301-1984-09-09-1バングラデシュ1984年09月09日1980年代Mahbubur Rahman地方自治相,ネパールを公式訪問(~11日)。
DIA-301-1984-09-10-1バングラデシュ1984年09月10日1980年代Planning Commission,第3次5カ年計画を検討-主要目標は食糧自給達成,新工業政策の遂行,人口抑制,技術開発,インフラ設備,地方分権・地方政府の機構強化。
DIA-301-1984-09-10-2バングラデシュ1984年09月10日1980年代武器密輸船掌捕事件-15政党は,バングラ人2人に傭船された武器密輸船がイタリア海軍情報部に掌捕さされた事件(1984年3月17日)に関する政府の釈明要求。8・15クーデターの主犯とされたファルーク少佐,ラシッド少佐の名が確認されている。
DIA-301-1984-09-12-1バングラデシュ1984年09月12日1980年代武器密輸船掌捕事件に関する公式見解-拿捕された「バイキング号」はパナマ船籍で南アメリカの国へ向うところであった。7人の外国人が逮捕されたがバングラ人はいない。
DIA-301-1984-09-15-1バングラデシュ1984年09月15日1980年代エルシャド,選挙実施前に戒厳令の撤廃はないことを宣言。
DIA-301-1984-09-15-2バングラデシュ1984年09月15日1980年代エルシャド,イラク公式訪問に出発。
DIA-301-1984-09-16-1バングラデシュ1984年09月16日1980年代エルシャド,イラク・フセイン大統領と公式会談。
DIA-301-1984-09-16-2バングラデシュ1984年09月16日1980年代Progressive Democratic Force Party総裁Shahriyar退役少佐逮捕さる-同少佐は8・15クーデターの主犯の一人と目されているため,武器密輸船掌捕事件との関連逮捕かどうかは不明(Daily Report)。
DIA-301-1984-09-17-1バングラデシュ1984年09月17日1980年代土地改革法,施行細則を公布-土地所有上限を60ビガ(1ビガ=3分の1エーカー)に定める。刈分小作契約は5年間有効。収穫は地主と小作が各3分の1,残りの3分の1は生産費用の割合に従って分割。小作は15ビガ以内。1984年4月14日から発効。
DIA-301-1984-09-17-2バングラデシュ1984年09月17日1980年代印パ次官級会談,内陸水運および通商に関する議定書の期限をさらに2年間延長することで合意。
DIA-301-1984-09-18-1バングラデシュ1984年09月18日1980年代エルシャド,まもなく戒厳令の漸次撤廃を発表すると述べた。
DIA-301-1984-09-18-2バングラデシュ1984年09月18日1980年代インドネシア,15万トンの米供与を合意。
DIA-301-1984-09-19-1バングラデシュ1984年09月19日1980年代チッタゴンKalurghat工業地区へのガス供給システム完成。
DIA-301-1984-09-20-1バングラデシュ1984年09月20日1980年代ビマン国営航空のパイロット,技師が賃上げ要求のストライキ-国内線,国際線ともに運行せず。
DIA-301-1984-09-20-2バングラデシュ1984年09月20日1980年代1984年1~6月に来バした観光客は5万3864人-前年同期よりも32%増。1~5月の観光による外貨収入は2億7986万タカで前年同期より128%増。
DIA-301-1984-09-25-1バングラデシュ1984年09月25日1980年代エルシャド,Bangladesh Observer紙のインタビューで,政党との会談を考慮中であると語った。
DIA-301-1984-09-25-2バングラデシュ1984年09月25日1980年代中国とバングラ,ブリガンガ川の「友好の橋」建設に関する作業協定に調印。
DIA-301-1984-09-26-1バングラデシュ1984年09月26日1980年代15政党と7政党の連絡会議,12月8日の国会選挙ボイコットを満場一致で決定。
DIA-301-1984-09-27-1バングラデシュ1984年09月27日1980年代全国ゼネスト-15政党,7政党,Jamaatの呼びかけ。デモの最中にALリーダーの1人Moizuddin AhmedがJanadalの支持者に殺された。
DIA-301-1984-09-28-1バングラデシュ1984年09月28日1980年代国連総会へのバングラ,パキスタン代表会談-バングラは外交顧問Humayun R. Chowdhury,パキスタンはYaqub Khan外相。両国が立候補しているOIC事務総長のポストをめぐる話し合い。
DIA-301-1984-10-01-1バングラデシュ1984年10月01日1980年代Mahbubur Rahman,地方自治相,Janadal書記長を解任-前月27日の混乱の責任を問われる。書記長および無任所大臣としてミザヌールが就任。
DIA-301-1984-10-01-2バングラデシュ1984年10月01日1980年代Mosharraf Hussain Khan退役海軍少将,Jatiya Janata Party入党-ジア時代DCMLA,洪水管理相。
DIA-301-1984-10-01-3バングラデシュ1984年10月01日1980年代FAO,バングラと東アフリカ諸国に対して2730万ドルの食糧援助供与を決定。
DIA-301-1984-10-01-4バングラデシュ1984年10月01日1980年代第2回国際ジュート協議会会議,ダッカで開催。
DIA-301-1984-10-02-1バングラデシュ1984年10月02日1980年代前通信相Obaidullah Khan,米国大使就任。
DIA-301-1984-10-03-1バングラデシュ1984年10月03日1980年代選管発表,12月8日の国会選挙立候補受付日は11月1日。
DIA-301-1984-10-03-2バングラデシュ1984年10月03日1980年代米国7500万ドルの農業商品援助協定調印。
DIA-301-1984-10-03-3バングラデシュ1984年10月03日1980年代ベンガル語週刊紙2紙発禁処分-「偏った報道」が理由。発禁処分を受けた出版物は計4紙。
DIA-301-1984-10-03-4バングラデシュ1984年10月03日1980年代選管,資格審査員64人と補佐476人を任命-県長官が資格審査員,ウポジラ行政官(UNO)460人および県選挙管理委員,タナ選挙管理委員が補佐を務める。
DIA-301-1984-10-04-1バングラデシュ1984年10月04日1980年代BNP,AL,Jamaat声明発表-人民の要求を無視しているとして選挙日程に反対の意を表明。
DIA-301-1984-10-04-2バングラデシュ1984年10月04日1980年代国際ジュート協議会閉会-国際ジュート機構の財政・行政規則および手続について草案作成。
DIA-301-1984-10-04-3バングラデシュ1984年10月04日1980年代エルシャド,APのインタビューで野党がボイコットをやめない限り選挙は実施せず戒厳令は長びくと表明。
DIA-301-1984-10-07-1バングラデシュ1984年10月07日1980年代海軍参謀長Sultan Ahmad准将,少将に昇進。
DIA-301-1984-10-07-2バングラデシュ1984年10月07日1980年代ビマンのストライキ中止(9月20日~)-エルシャドの説得に応じて。
DIA-301-1984-10-08-1バングラデシュ1984年10月08日1980年代Kurigram県で飢饉,37万人に影響-政府は次の収穫時まで洪水救援復興対策の続行を発表。
DIA-301-1984-10-09-1バングラデシュ1984年10月09日1980年代Sultan Ahmad海軍参謀長,DCMLAに就任。
DIA-301-1984-10-09-2バングラデシュ1984年10月09日1980年代エルシャド,戒厳令地区司令官ほか軍高官と会談。
DIA-301-1984-10-10-1バングラデシュ1984年10月10日1980年代灌漑省のMaster Plan Organization,国家の水資源計画策定には上流におけるインドの取水行為を無視できないとの見解発表。
DIA-301-1984-10-10-2バングラデシュ1984年10月10日1980年代西独,グラントベースで小麦2万トン供与を承認。
DIA-301-1984-10-11-1バングラデシュ1984年10月11日1980年代戒厳令の段階的廃止を発表-エルシャド,Janadalの集会で野党の選挙参加を条件に立候補受付日から戒厳令を漸次廃止すると発表。
DIA-301-1984-10-11-2バングラデシュ1984年10月11日1980年代Sultan Mahmud空軍参謀長,インドネシアから帰国。インドネシア空軍参謀長の招待(7日間)。
DIA-301-1984-10-11-3バングラデシュ1984年10月11日1980年代イスラム諸国の保険専門会議ダッカで開催。Islamic Reinsurance Corporationの設立を決定。
DIA-301-1984-10-12-1バングラデシュ1984年10月12日1980年代15政党,戒厳令およびJanadal政府のもとでの選挙には参加を拒否すると発表。
DIA-301-1984-10-14-1バングラデシュ1984年10月14日1980年代15政党,7政党,Jamaat集会開催-12月8日にゼネスト,9日から同一プログラムの実施を発表。政府は14日の新聞報道を禁止。
DIA-301-1984-10-16-1バングラデシュ1984年10月16日1980年代印バ,通商拡大に関する覚書に調印-新工業分野開拓のためのフィージビリティ調査の実施。テレックス,直通ダイアルの敷設等を決定。83/84年度のバングラの対印貿易赤字は7600万タカ。
DIA-301-1984-10-16-2バングラデシュ1984年10月16日1980年代バングラジャーナリスト組合連合,Dainik Desh発禁措置に抗議して政府関係報道のボイコットを発表。
DIA-301-1984-10-17-1バングラデシュ1984年10月17日1980年代Janadal,23日から全国で抵抗週間実施を決定。
DIA-301-1984-10-17-2バングラデシュ1984年10月17日1980年代輸入砂糖に50%の関税と10%の販売税を課税。
DIA-301-1984-10-18-1バングラデシュ1984年10月18日1980年代カプタイ水力発電所の拡張工事開始-総工事費2.5億タカのうち外貨分1.5億タカは日本の海外経済協力基金が出資。
DIA-301-1984-10-18-2バングラデシュ1984年10月18日1980年代電力開発公団と韓国のラッキーエンジニアリング,アシュガンジとゴラサールの両発電所を結ぶ二重回路送電線の建設協定に調印。1986年完成予定。
DIA-301-1984-10-19-1バングラデシュ1984年10月19日1980年代ジュートの輸出上限140万ペール-国内需要分を確保するため,これ以上の輸出登録を禁止。
DIA-301-1984-10-19-2バングラデシュ1984年10月19日1980年代Abahani対Mohammedanのサッカー試合で観衆衝突-警官の介入により約300人の負傷者。
DIA-301-1984-10-20-1バングラデシュ1984年10月20日1980年代新政党Jatiya Mukti Andolan結成-総裁は元JSD総裁M. A. Jalil退役少佐。戒厳令撤廃,民族革命政府の樹立を要求。
DIA-301-1984-10-21-1バングラデシュ1984年10月21日1980年代Combined Action Committee結成-五つのイスラム政党,五つの青年組織で構成。イスラム共和国化,ウラマーより成る革命政府の樹立等を要求。
DIA-301-1984-10-23-1バングラデシュ1984年10月23日1980年代英国アン王女来訪-児童救援基金の会長。
DIA-301-1984-10-24-1バングラデシュ1984年10月24日1980年代Janadal,全選挙区から出馬する用意完了-S. M. Hussain労働相(最高評議会のメンバー)が語った。
DIA-301-1984-10-25-1バングラデシュ1984年10月25日1980年代ユニオン議長全国会議-政府は以下の決定を発表。(1)ウポジラ選挙実施まではウポジラ議長はユニオン議長の中から任命。(2)ユニオン議長の任期を3年から5年に延長。(3)財務権限を3万から10万タカに引き上げ。
DIA-301-1984-10-25-2バングラデシュ1984年10月25日1980年代DCMLA. Sultan Ahmad海軍少将,通信相就任。
DIA-301-1984-10-25-3バングラデシュ1984年10月25日1980年代AL,BNP,BAKSALそれぞれユニオン議長と会談-Janadalと手を切るよう呼びかけ。
DIA-301-1984-10-25-4バングラデシュ1984年10月25日1980年代バングラデシュ工業銀行法ならびに工業信用金庫法改正-ローン返済不能企業の没収を許可。
DIA-301-1984-10-27-1バングラデシュ1984年10月27日1980年代国会選挙延期。
DIA-301-1984-10-27-2バングラデシュ1984年10月27日1980年代Dainik Desh,一時解雇措置を解除。
DIA-301-1984-10-27-3バングラデシュ1984年10月27日1980年代西独の議員団来バ。
DIA-301-1984-10-28-1バングラデシュ1984年10月28日1980年代ノルウェーBrusletten開発協力相来訪。
DIA-301-1984-10-29-1バングラデシュ1984年10月29日1980年代ノルウェー,バングラ援助協定締結-85~88年に毎年6600万タカを贈与として供与。73年の援助開始以来ノルウェーの援助はすべてグラント。
DIA-301-1984-10-29-2バングラデシュ1984年10月29日1980年代政府は野党からの提案を歓迎すると表明。
DIA-301-1984-10-30-1バングラデシュ1984年10月30日1980年代Sultan Ahmad通信相,アルジェリアへ出発。
DIA-301-1984-10-30-2バングラデシュ1984年10月30日1980年代15政党,政府との対話の可能性を否定。
DIA-301-1984-11-03-1バングラデシュ1984年11月03日1980年代エルシャド,ガンディー首相の葬儀に参列-ブータンWangchuk国王,カウンダ・ザンビア大統領,チャンド・ネパール首相らと会談。
DIA-301-1984-11-04-1バングラデシュ1984年11月04日1980年代訪バ中の日本ジュート輸入業者代表団,ジュートの高騰に憂慮を表明,日本市場におけるジュートの将来への影響大きいと述べた。
DIA-301-1984-11-04-2バングラデシュ1984年11月04日1980年代Shamsul Haq情報相,パキスタンを公式訪問。
DIA-301-1984-11-05-1バングラデシュ1984年11月05日1980年代ADB,バングラに3700万ドルの借款承認-10年据置き返済期間40年。年に1%の手数料。
DIA-301-1984-11-05-2バングラデシュ1984年11月05日1980年代バングラ原子力委員会と国際原子力機関(IAEA),1500万タカ相当の放射線同位元素生成装置供与協定に調印-西独がIAEAを通して設備を提供。
DIA-301-1984-11-05-3バングラデシュ1984年11月05日1980年代84/85年度砂糖きび政策-工場買付け価格を現行のモーンド当り17タカから19.5タカに値上げ。6日より輸入砂糖には75%の消費税,10%売上税を課税。
DIA-301-1984-11-06-1バングラデシュ1984年11月06日1980年代北朝鮮とバングラ,貿易の拡大と多様化に関する覚書に調印-来訪中の北朝鮮外国貿易相・崔正根とMatin商業相が調印。
DIA-301-1984-11-07-1バングラデシュ1984年11月07日1980年代東洋エンジニアリングと三井物産,チッタゴン尿素肥料公社の肥料プラントを受注。総額650億円。
DIA-301-1984-11-09-1バングラデシュ1984年11月09日1980年代Dhakeswari綿工場の元所有者,バ政府を起訴-1965年9月に敵性人財産として没収したインドベースの同工場を昨年バ政府が3億6500万タカで売却。元の持主がバ政府を相手に提訴。
DIA-301-1984-11-10-1バングラデシュ1984年11月10日1980年代Matin商業相,イラク,トルコ公式訪問へ出発。
DIA-301-1984-11-10-2バングラデシュ1984年11月10日1980年代ここ2,3日間に2000人以上のシク教徒が入国したとの報道。
DIA-301-1984-11-11-1バングラデシュ1984年11月11日1980年代Seduzzaman財務顧間,サウジへ出発-第4回サウジ・バングラ合同経済委員会に出席。
DIA-301-1984-11-11-2バングラデシュ1984年11月11日1980年代外務省,シク教徒流入の報道を否定。
DIA-301-1984-11-11-3バングラデシュ1984年11月11日1980年代英国,二つのグラント協定に調印-大ダッカ地区電力供給第2プロジェクトとアシュガンジ発電所に2基めのガスターピン発電機設置。総額2528万ポンド。
DIA-301-1984-11-13-1バングラデシュ1984年11月13日1980年代中国科学院のメンバー5人が来訪(~18日)。
DIA-301-1984-11-14-1バングラデシュ1984年11月14日1980年代A. G. Mahmood食糧相,飢饉の状況は克服したと発表。
DIA-301-1984-11-14-2バングラデシュ1984年11月14日1980年代西独,84/85年度のグラント協定に調印-1億5530万マルク(約14億タカ)。うち6440万マルクはプロジェクト援助。
DIA-301-1984-11-14-3バングラデシュ1984年11月14日1980年代サウジ,2億200万リヤル(6200万ドル)の借款承認-うち900万ドルは石油・ガスの試掘に充てる。
DIA-301-1984-11-15-1バングラデシュ1984年11月15日1980年代ビマン,パリへ運航開始。週に一便。
DIA-301-1984-11-16-1バングラデシュ1984年11月16日1980年代ネパールSharada王女来訪(~21日)。
DIA-301-1984-11-19-1バングラデシュ1984年11月19日1980年代日本,60億6500万円の特別円借款を決定。
DIA-301-1984-11-20-1バングラデシュ1984年11月20日1980年代イラク・バングラ,1万1000人のバングラ熟練労働者の雇用に関する議定書に調印-給与は40%がイラク通貨,20%が外貨,残りの40%は年利5%で5年後に外貨で支払う。
DIA-301-1984-11-22-1バングラデシュ1984年11月22日1980年代JRC,ティスタ河川会議。
DIA-301-1984-11-23-1バングラデシュ1984年11月23日1980年代ブラジル軍幹部4人が来バ(~27日)。
DIA-301-1984-11-23-2バングラデシュ1984年11月23日1980年代10月に,不妊手術を受けたのは9万人-Shamsul Haque保健相の発表。今後毎月10万人を期待。
DIA-301-1984-11-24-1バングラデシュ1984年11月24日1980年代ポラショバ議長,議員の任期を3年から5年に延長-財務権限も間もなく5万から50万タカに増額。
DIA-301-1984-11-25-1バングラデシュ1984年11月25日1980年代エルシャド,陸軍参謀長の任期を12月1日よりさらに1年間延長。
DIA-301-1984-11-25-2バングラデシュ1984年11月25日1980年代砂糖きびの価格,85/86年度からモーンド当り2タカ値上げ-閣僚評議会の決定。現行は同19.5タカ。
DIA-301-1984-11-25-3バングラデシュ1984年11月25日1980年代Janadal最高評議会拡大-現在の10人から13人に。中央執行委も101人から175人に膨張。
DIA-301-1984-11-27-1バングラデシュ1984年11月27日1980年代イスラム開銀,ティスタ堰建設計画資金の一部として1000万ドルのローン供与を承認。また学校建設に充てて140万ドルの無償援助協定に調印。
DIA-301-1984-11-29-1バングラデシュ1984年11月29日1980年代ソ連の新バ大使V. G. Beliaev,信任状奉呈。
DIA-301-1984-11-30-1バングラデシュ1984年11月30日1980年代国有地250万エーカー中70万エーカーを土地なしに分配-M. A. Huq土地改革相が発表。
DIA-301-1984-12-01-1バングラデシュ1984年12月01日1980年代電力料金値上げ-1ユニット当り5パイサ。これによって年に1.2億タカの歳入増を見込む。
DIA-301-1984-12-04-1バングラデシュ1984年12月04日1980年代15政党,7政党,7日までに5項目要求の受諾を要求。
DIA-301-1984-12-05-1バングラデシュ1984年12月05日1980年代6月までに食糧備蓄120万トン達成,食糧相発表。
DIA-301-1984-12-05-2バングラデシュ1984年12月05日1980年代モルディブとの協力拡大を討議-外務次官会議で訪バ中のZaki外務次官とHumayun外交顧問が会談。
DIA-301-1984-12-07-1バングラデシュ1984年12月07日1980年代Jatiya Oikya Front結成-Democratic League総裁Khondaker M. Ahmedを中心に12政党が集結。イスラムに基づいたポスト1975年の政治の回復を目指す。
DIA-301-1984-12-08-1バングラデシュ1984年12月08日1980年代全国で24時間ゼネスト-15政党,7政党,Jamaatの呼びかけ。戒厳令撤廃,中立の選挙管理内閣による選挙実施を要求。
DIA-301-1984-12-08-2バングラデシュ1984年12月08日1980年代政府のプレス・ノート-混乱を生み,正常な生活を妨げる試みは寛容できない。
DIA-301-1984-12-09-1バングラデシュ1984年12月09日1980年代非協力運動開始-15政党,7政党,Jamaat,市場税,地方自治体税の不払い等の運動展開を要請。
DIA-301-1984-12-09-2バングラデシュ1984年12月09日1980年代IRRI,ボロの買上げ価格-もみ,モーンド当り165タカ,米は同248タカ(各5タカの運送料含む)。
DIA-301-1984-12-10-1バングラデシュ1984年12月10日1980年代Narayanganj県Kamtaガス田第1井戸完成-推計埋蔵量は0.1兆立方フイート。大ダッカ地域のガス供給を補充。オランダの援助。
DIA-301-1984-12-10-2バングラデシュ1984年12月10日1980年代IDB,2000万ドルの借款供与。原油の輸入のため。
DIA-301-1984-12-10-3バングラデシュ1984年12月10日1980年代ADB,第2次天然ガス開発計画に対して約1億500万SDRの融資を承認。
DIA-301-1984-12-10-4バングラデシュ1984年12月10日1980年代レーガン,バングラへの援助続行を約束-新米大使Obaidullah Khanの信任状奉呈の席上で。
DIA-301-1984-12-12-1バングラデシュ1984年12月12日1980年代National Economic Council,交通,通信部門における開発計画の進行状況を検討。
DIA-301-1984-12-13-1バングラデシュ1984年12月13日1980年代A. K. N. Ahmed,日本大使に任命。元中銀総裁。
DIA-301-1984-12-13-2バングラデシュ1984年12月13日1980年代輸入塩に10%の関税と1%の販売税を課す。
DIA-301-1984-12-13-3バングラデシュ1984年12月13日1980年代14日の「勝利の日」に拘禁犯242人の釈放を発表。
DIA-301-1984-12-14-1バングラデシュ1984年12月14日1980年代Humayun R. Chowdhury外交顧問,サウジへ出発-18日からサナア(北イエメン)で開催される第15回イスラム外相会議に出席。
DIA-301-1984-12-15-1バングラデシュ1984年12月15日1980年代エルシャド発表,国会選挙は来年4月中句までに実施-選挙実施のコンセンサスを得るために以下の5点を実行。(1)選管による日程発表以前に内閣から政党員を排除。(2)基本的権利の復活および最高裁判所の司法権の部分的復活。(3)県戒厳令司令官ならびに準地区戒厳令司令官の廃止。地区戒厳令司令官は1月31日までに廃止。(4)特別戒厳令下級裁判所は12月31日,特別戒厳令上級裁判所は1月31日に廃止。(5)国会召集後に戒厳令を撤廃。
DIA-301-1984-12-15-2バングラデシュ1984年12月15日1980年代JRC会議,ニューデリーで開催-何ら進展を見ず。次回はインドの総選挙,新内閣成立後に開催で合意。
DIA-301-1984-12-17-1バングラデシュ1984年12月17日1980年代15政党,5項目運動の続行を表明-エルシャドが選管の再編,彼自身の政治的役割について言及せず,また,基本的権利および司法権の復活の内容が不明瞭なことを指摘。
DIA-301-1984-12-17-2バングラデシュ1984年12月17日1980年代中国・バングラ貿易拡大で合意-16日来訪した中国対外経済貿易部副部長王品清とバングラ商業次官S. Hasan Ahmadが会談。
DIA-301-1984-12-18-1バングラデシュ1984年12月18日1980年代AL,自由公正な選挙のため7条件を提出-(1)戒厳令の即時撤廃,(2)Janadal内閣の解散,(3)大統領はいかなる政党との関係,支持を断つ,(4)大統領は選挙において自らの中立性を固持,(5)大統領選挙の日程は国会の同意を得た後,(6)選管の再編成,(7)最高裁判所の司法権,基本的権利の復活について明確な説明提示。
DIA-301-1984-12-18-2バングラデシュ1984年12月18日1980年代BNP書記長Badruddoza,エルシャドの演説を「こけおどし」と評価。
DIA-301-1984-12-19-1バングラデシュ1984年12月19日1980年代新たに3人入閣-地方自治相Mahmudul Hasan陸軍少将(ダッカ地方自治体行政官),Anisul Islam Mahmud(元国会議員)およびT. I. M. Fazle Rabbi Chowdhury(マイメイシン農業大学教授)は無任所大臣。
DIA-301-1984-12-20-1バングラデシュ1984年12月20日1980年代戒厳令布告,22,23両日の全ゆる政治活動を禁止-同日予定の野党のゼネスト阻止が目的。
DIA-301-1984-12-20-2バングラデシュ1984年12月20日1980年代イスラム外相会議出席中のHumayun外交顧問,OIC加盟国に対し,バングラ在留のパキスタン人が帰国するのに財政援助を要請。年に8000万タカを超す。
DIA-301-1984-12-20-3バングラデシュ1984年12月20日1980年代BNP,選挙実施の7条件を発表-(1)大統領の政治的中立性,(2)政党あるいは18項目計画推進評議会に直接間接に関与したものは内閣から除く,(3)戒厳令撤廃後は全ゆる国家活動は国会の定める法律に従う,(4)国会開会以前に大統領選挙の日程は定めない,(5)国会選挙の結果は投票後10日以内に公表,(6)基本的権利,司法権の復活。(7)戒厳令布告で逮捕された政党リーダー,大臣,国会議員に対する刑の取消し。
DIA-301-1984-12-20-4バングラデシュ1984年12月20日1980年代米国,11.9万トンの小麦供与を承認。
DIA-301-1984-12-20-5バングラデシュ1984年12月20日1980年代英国・バングラ9910万タカ(280万ポンド)の贈与協定調印。
DIA-301-1984-12-20-6バングラデシュ1984年12月20日1980年代国際農業開発基金(IFAD),農村銀行のプロジェクトに2300万ドルのローンを決定。
DIA-301-1984-12-21-1バングラデシュ1984年12月21日1980年代中国・バングラ,長期の貿易協定およびバーター議定書に調印-5年間で毎年片道2億から2.5億ドル相当の輸出を実施。
DIA-301-1984-12-21-2バングラデシュ1984年12月21日1980年代OICの事務総長はパキスタン候補に決定-バングラの候補者ドハ(元外相)は辞退。
DIA-301-1984-12-21-3バングラデシュ1984年12月21日1980年代軍隊が街中を巡回-主要政党リーダーは逮捕を免れるため避難(Khaleej Times紙)。
DIA-301-1984-12-22-1バングラデシュ1984年12月22日1980年代SKOPの呼びかけで48時間ゼネスト実施-ラージャヒで2人死亡。
DIA-301-1984-12-23-1バングラデシュ1984年12月23日1980年代ゼネストによる逮捕者は217人。
DIA-301-1984-12-23-2バングラデシュ1984年12月23日1980年代養殖エビ開発政策-閣僚評議会,海岸ベルト地帯の開発計画予定地内のエビに適した地域を民間投資家にリースすることを決定。期間は10年で地代はエーカー当り1500タカ。地代は2年ごとに更新。上限は1人当り33エーカー。
DIA-301-1984-12-23-3バングラデシュ1984年12月23日1980年代来年1月よりUNOと配下のスタッフが各ウポジラの代表代理をつとめる。
DIA-301-1984-12-24-1バングラデシュ1984年12月24日1980年代中央銀行,今会計年度に民間ジュート貿易商,工場主に融資した前貸金の返済を繰り延べ。総額12億タカ。
DIA-301-1984-12-31-1バングラデシュ1984年12月31日1980年代県戒厳令司令官(DMLA)および準地区戒厳令司令官(SZMLA)廃止-特別戒厳令下級裁判所も廃止。
DIA-301-1984-12-31-2バングラデシュ1984年12月31日1980年代外務省スポークスマン,APP(パキスタンの通信社)の在留パキスタン人の問題はバングラの問題であるとの報道を批判。
DIA-301-1985-01-01-1バングラデシュ1985年01月01日1980年代政府,大統領選挙日程で発表―同日程は国会開会後に発表,選挙結果は投票後10日以内に公表,全政党を公平に扱う,選挙の日程発表後は内閣から党員を外す,基本的権利と司法権を復活,戒厳令は政治の空白期間を避けるのに必要な条項を除いて撤廃。
DIA-301-1985-01-01-2バングラデシュ1985年01月01日1980年代ミザヌールJanadal書記長,野党が選挙をボイコットする場合,Janadalは国民投票を望む,と表明。
DIA-301-1985-01-01-3バングラデシュ1985年01月01日1980年代Kushtia県DaulatpurウポジラでBDR(バングラデシュ国境警備隊)とBSF(インド国境守備隊)が武力衝突。政府筋によればバングラ側に死者なし。
DIA-301-1985-01-02-1バングラデシュ1985年01月02日1980年代15政党連合,非協力運動をウポジラまで拡大することを決定。
DIA-301-1985-01-02-2バングラデシュ1985年01月02日1980年代中銀,国内取引と輸入のための銀行貸出金利を11%引上げ。
DIA-301-1985-01-04-1バングラデシュ1985年01月04日1980年代15政党とBNP,大統領の中立性明確化を要求。
DIA-301-1985-01-04-2バングラデシュ1985年01月04日1980年代エルシャド,選挙管理内閣結成の可能性を否定。
DIA-301-1985-01-04-3バングラデシュ1985年01月04日1980年代サッタル元大統領,心臓発作で入院。
DIA-301-1985-01-04-4バングラデシュ1985年01月04日1980年代バングラ在留ビハール人のパキスタン帰還を要求して,カラチで5000人がデモ。
DIA-301-1985-01-05-1バングラデシュ1985年01月05日1980年代15政党,7政党,国会選挙のボイコットを決定。
DIA-301-1985-01-05-2バングラデシュ1985年01月05日1980年代パキスタンのジア大統領,バングラ在留ビハール人25万人の受け入れを検討中と表明。
DIA-301-1985-01-05-3バングラデシュ1985年01月05日1980年代ダッカでビハール人5000人がデモ。
DIA-301-1985-01-06-1バングラデシュ1985年01月06日1980年代ハシナAL総裁,現政権を合法化する国民投票実施の動きを阻止する,と表明。
DIA-301-1985-01-07-1バングラデシュ1985年01月07日1980年代Mahmud食糧相,6月末までに290万㌧の食糧を輸入,84年7月から今までに165万㌧を輸入したと発表。政府の食糧備蓄は現在86.9万㌧。
DIA-301-1985-01-07-2バングラデシュ1985年01月07日1980年代政府,UNO(ウポジラ行政官)の権限拡大の可能性を否定。
DIA-301-1985-01-07-3バングラデシュ1985年01月07日1980年代ガンディー・インド首相,印バ国境のフェンス建設計画支持の立場を表明。『タイム・ライフ』誌のインタビューで。
DIA-301-1985-01-07-4バングラデシュ1985年01月07日1980年代英国,4800万タカの無償援助協定に調印。家畜開発プロジェクト用。
DIA-301-1985-01-08-1バングラデシュ1985年01月08日1980年代Timothy Renton英国会議員来訪。移民手続の改善について討議。81年センサスでは在英バングラ人は6万5000人。
DIA-301-1985-01-09-1バングラデシュ1985年01月09日1980年代SARC専門委員会,11月にインドで南アジア文化祭,ダッカでスポーツ祭の同時開催を承認。
DIA-301-1985-01-09-2バングラデシュ1985年01月09日1980年代ハシナAL総裁,戒厳令下では選挙に参加せずと表明。
DIA-301-1985-01-10-1バングラデシュ1985年01月10日1980年代BNPの派閥争い,Faridpurで100人負傷。
DIA-301-1985-01-10-2バングラデシュ1985年01月10日1980年代米海軍のTuscalossa号チッタゴンに入港(~13日)。
DIA-301-1985-01-10-3バングラデシュ1985年01月10日1980年代最高裁弁護士協会の呼びかけで,弁護士は全ての法廷をボイコット。軍政に抗議。
DIA-301-1985-01-10-4バングラデシュ1985年01月10日1980年代ADB,1億380万㌦の借款供与協定に調印。第2次天然ガス開発プロジェクト用。
DIA-301-1985-01-12-1バングラデシュ1985年01月12日1980年代ブータンと貿易・経済関係促進に関する覚書きに調印。
DIA-301-1985-01-12-2バングラデシュ1985年01月12日1980年代日本,総額4億タカの援助供与交換公文に調印。
DIA-301-1985-01-13-1バングラデシュ1985年01月13日1980年代Kushtia県Bheramara駅近郊で列車火災。漏電が原因。最低29人が死亡,負傷者100人。
DIA-301-1985-01-13-2バングラデシュ1985年01月13日1980年代ハシナAL総裁,米海軍の寄港に関して,政府の親帝国主義的政策の表れであると批判。
DIA-301-1985-01-15-1バングラデシュ1985年01月15日1980年代選管,国会選挙は4月6日と発表―2月24日に立候補受付,3月24日が立候補取消しの期限。
DIA-301-1985-01-15-2バングラデシュ1985年01月15日1980年代内閣解散。
DIA-301-1985-01-15-3バングラデシュ1985年01月15日1980年代政府,1月16日に戒厳令特別法廷廃止と発表。同31日に地区戒厳令司令官事務所廃止,国会開会とともに戒厳令の撤廃,選挙結果は投票後10日以内に公表。選挙後1ヵ月以内に国会を召集。
DIA-301-1985-01-16-1バングラデシュ1985年01月16日1980年代新内閣成立。Sultan Ahmad海軍少将(通信・港湾・灌概),Sultan Mahmud空軍少将(工業・商業・ジュート・繊維),Abdul Mannan Siddiqui少将(内務),Shamsul Haque少将(保健),M.A.Munim少将(農業),Mohmudul Hasan少将(地方自治・農村開発・公共事業),M.J.Chowdhury少将(食糧)の7人。顧問にHumayun R.Chowdhury(外務),Md.Syeduzzaman(大蔵),Zakir K.Chowdhury(青年・スポーツ)。
DIA-301-1985-01-17-1バングラデシュ1985年01月17日1980年代Muslim League(Siddiqui派),選挙参加を決定,戒厳令緩和の要求が達成されたため。
DIA-301-1985-01-17-2バングラデシュ1985年01月17日1980年代ダッカで民間バス・ストライキ。発端は政府系ならに非政府系の労働組合の対立。
DIA-301-1985-01-18-1バングラデシュ1985年01月18日1980年代Lohaniネパール蔵相来訪(~23日)。
DIA-301-1985-01-18-2バングラデシュ1985年01月18日1980年代Pressler米上院議員来訪(~19日)。
DIA-301-1985-01-19-1バングラデシュ1985年01月19日1980年代新たに4人が入閣―A.Majeed Khan(計画),A.R.Yusuf(情報,法務・司法,民間航空・観光),Anisul Islam Mahmud(労働・マンパワー),T.I.M.Fazle Rabbi Chowdhury(土地行政・土地改革)。
DIA-301-1985-01-20-1バングラデシュ1985年01月20日1980年代15政党,県・ウポジラ行政庁でゲラオ(暴力団交)を開始。国会選挙中の行政の中立性を要求。
DIA-301-1985-01-20-2バングラデシュ1985年01月20日1980年代弁護士無期限ストに突入。政府の司法への介入抗議。
DIA-301-1985-01-21-1バングラデシュ1985年01月21日1980年代Zahirモルディブ外務次官来訪。
DIA-301-1985-01-22-1バングラデシュ1985年01月22日1980年代第5回バングラ・ネパール合同経済委員会終了。
DIA-301-1985-01-22-2バングラデシュ1985年01月22日1980年代Muslim League(T.Ali派),選挙参加を表明。
DIA-301-1985-01-22-3バングラデシュ1985年01月22日1980年代給与委員会,公務員給与引上げに関する答申を提出。
DIA-301-1985-01-22-4バングラデシュ1985年01月22日1980年代Lobaniネバール蔵相,バングラと共同でガンジス川の開発を行なうというネパールの立場は不変と表明。
DIA-301-1985-01-24-1バングラデシュ1985年01月24日1980年代ベルギーと海事協定草案に調印。
DIA-301-1985-01-27-1バングラデシュ1985年01月27日1980年代エルシャド,近々バングラ初の原子力発電所の建設を開始すると発表。
DIA-301-1985-01-28-1バングラデシュ1985年01月28日1980年代中銀の1983/84年度年次経済報告書発表さる。
DIA-301-1985-01-28-2バングラデシュ1985年01月28日1980年代Shanti Bahiniに対する恩赦を4月25日まで延長。
DIA-301-1985-01-28-3バングラデシュ1985年01月28日1980年代交通スト,12日ぶりに解決。
DIA-301-1985-01-29-1バングラデシュ1985年01月29日1980年代英貿易通商ミッション来訪。
DIA-301-1985-01-30-1バングラデシュ1985年01月30日1980年代Janadal,15人から成る議会局を設置。
DIA-301-1985-01-30-2バングラデシュ1985年01月30日1980年代イスラム開銀(IDB)理事会,ダッカで開催。
DIA-301-1985-02-01-1バングラデシュ1985年02月01日1980年代15政党,行政の中立を選挙参加の条件と表明。
DIA-301-1985-02-02-1バングラデシュ1985年02月02日1980年代第9回IDB年次総会,ダッカで開催。
DIA-301-1985-02-02-2バングラデシュ1985年02月02日1980年代ダッカ大学構内で対立する学生組織が衝突。
DIA-301-1985-02-03-1バングラデシュ1985年02月03日1980年代ALとBNP,各々7日,10日に拡大執行委を開催し選挙参加か否かを決定すると発表。
DIA-301-1985-02-03-2バングラデシュ1985年02月03日1980年代エルシャド,Pirzada・OIC事務総長と会談。
DIA-301-1985-02-03-3バングラデシュ1985年02月03日1980年代モルディブと航空協定に調印。
DIA-301-1985-02-03-4バングラデシュ1985年02月03日1980年代CSAC(学生行動中央委員会)の呼びかけで全教育施設,医師,エンジニア,農業専門家ら3万人が全国でストライキ。
DIA-301-1985-02-05-1バングラデシュ1985年02月05日1980年代弁護士スト中止。1月20日以来。15政党,7政党,Jamaatの要請に応えて。
DIA-301-1985-02-05-2バングラデシュ1985年02月05日1980年代ADB,家畜計画援助のため3900万㌦の借款供与を承認.10年据置き返済期間40年,手数料年1%。
DIA-301-1985-02-07-1バングラデシュ1985年02月07日1980年代AL,選挙管理内閣の下でなければ選挙に参加せずと表明。
DIA-301-1985-02-07-2バングラデシュ1985年02月07日1980年代ウポジラ議会の政府職員,無期限ストに突入―約5万2000人の医師,エンジニア,農業専門家などが参加。給料引上げ,権限強化を政府に要求。8日に合意を見て解除。
DIA-301-1985-02-08-1バングラデシュ1985年02月08日1980年代ノルウェー,1630万㌦の無償援助供与を発表。鉄道電信網の整備。3年間で実施。
DIA-301-1985-02-09-1バングラデシュ1985年02月09日1980年代バングラ・モルディブ第2回外務次官会議。マレで開催。
DIA-301-1985-02-10-1バングラデシュ1985年02月10日1980年代AL,選挙の不参加を決定。
DIA-301-1985-02-10-2バングラデシュ1985年02月10日1980年代米国と二つの贈与協定に調印。第2次農村電化計画と農業研究計画。総額1630万㌦。
DIA-301-1985-02-10-3バングラデシュ1985年02月10日1980年代カナダ,1.5億タカの食糧援助了解覚書きに調印。
DIA-301-1985-02-10-4バングラデシュ1985年02月10日1980年代政府は天然ガスの第2次大規模開発計画の実施を発表。1989/90年度までに供給量を倍増。
DIA-301-1985-02-10-5バングラデシュ1985年02月10日1980年代Jatiya Sramik League,ALに吸収合併さる。
DIA-301-1985-02-10-6バングラデシュ1985年02月10日1980年代原子力委員会発表,3MWの研究用原子炉を450万㌦で米国から購入。3月までに設置。
DIA-301-1985-02-11-1バングラデシュ1985年02月11日1980年代BNP,選挙不参加を決定。
DIA-301-1985-02-11-2バングラデシュ1985年02月11日1980年代エルシャド,18項目計画を生存のための「マグナ・カルタ」と呼ぶと発言。
DIA-301-1985-02-11-3バングラデシュ1985年02月11日1980年代中国報道関係代表団来訪。馬慶雄放送テレビ部副部長以下6人(~16日)。
DIA-301-1985-02-12-1バングラデシュ1985年02月12日1980年代15政党・7政党連絡会議。
DIA-301-1985-02-12-2バングラデシュ1985年02月12日1980年代国会議員立候補者の運動費の上限を10万タカに設定。
DIA-301-1985-02-13-1バングラデシュ1985年02月13日1980年代ダッカ大学構内でCSACグループと,親政府グループが衝突し,CSACのリーダーの一人が死亡。ラングプール,ラージシャヒ,オールドダッカでも学生の紛争発生。
DIA-301-1985-02-13-2バングラデシュ1985年02月13日1980年代エルシャド,選挙での中立を誓約。
DIA-301-1985-02-14-1バングラデシュ1985年02月14日1980年代7政党は24日の「抵抗の日」,15政党は20日の大衆集会の開催を発表。
DIA-301-1985-02-14-2バングラデシュ1985年02月14日1980年代選管,24日の立候補受付の法的手続の要領を発表。
DIA-301-1985-02-15-1バングラデシュ1985年02月15日1980年代Jatiya Janata党M.H.Khan総裁,全野党による円卓会議を提案。
DIA-301-1985-02-15-2バングラデシュ1985年02月15日1980年代コロンボで初のバングラ・スリランカ合同委員会会議,経済協力拡大に合意。
DIA-301-1985-02-15-3バングラデシュ1985年02月15日1980年代CSACの呼びかけで,ダッカで6時間のゼネスト。しかし16日のBangladesh Observer紙はゼネストは部分的であったと評した。
DIA-301-1985-02-16-1バングラデシュ1985年02月16日1980年代日本,給水計画援助に7億6300万円の贈与供与の交換公文に調印。
DIA-301-1985-02-17-1バングラデシュ1985年02月17日1980年代エルシャド,A.K.M.Nurul Islam選管委員長を法務・司法相に任命。選管の後任には最高裁A.T.M.Masud判事が就任。
DIA-301-1985-02-17-2バングラデシュ1985年02月17日1980年代選管,26日に選挙参加政党のシンボルを決定と発表。
DIA-301-1985-02-18-1バングラデシュ1985年02月18日1980年代「労使関係法」(1969年)と「雇用法」(1965年)の改正を発表。
DIA-301-1985-02-20-1バングラデシュ1985年02月20日1980年代エルシャド,テレビ,ラジオで全政党に選挙参加を要請。
DIA-301-1985-02-21-1バングラデシュ1985年02月21日1980年代全国で言語運動犠牲者追悼日の式典開催。
DIA-301-1985-02-22-1バングラデシュ1985年02月22日1980年代選管,24日の立候補受付の延期を発表。選挙の日程(4月6日)は変更なし。
DIA-301-1985-02-23-1バングラデシュ1985年02月23日1980年代エルシャド,軍高官と政治情勢について討議。
DIA-301-1985-02-24-1バングラデシュ1985年02月24日1980年代Schooオランダ開発協力相が来訪。
DIA-301-1985-02-26-1バングラデシュ1985年02月26日1980年代日本,270億円の借款供与を承認。
DIA-301-1985-02-27-1バングラデシュ1985年02月27日1980年代弁護士のRabia Bhuiyan夫人,社会福祉・女性問題相に就任。
DIA-301-1985-02-28-1バングラデシュ1985年02月28日1980年代日本,8億3200万円の贈与協定に調印。ウポジラ保健所改善のための医療機材購入。
DIA-301-1985-02-28-2バングラデシュ1985年02月28日1980年代ジュートに関する諮問委員会,ジュートの生産目標を600万ペイルに設定。
DIA-301-1985-02-28-3バングラデシュ1985年02月28日1980年代ダッカでバングラデシュ工業会議所結成さる。
DIA-301-1985-03-01-1バングラデシュ1985年03月01日1980年代国民投票,3月21日と発表さる―全国選挙までエルシャド政権の存続に関する信任を問う。同時に政治活動・組合活動の禁止,管区・小管区・県戒厳司令官のポスト,戒厳令法廷の復活を発表。
DIA-301-1985-03-01-2バングラデシュ1985年03月01日1980年代全国6大学の無期限閉校を発表。
DIA-301-1985-03-01-3バングラデシュ1985年03月01日1980年代全国に夜間外出禁止令。夜12時から朝5時まで。
DIA-301-1985-03-01-4バングラデシュ1985年03月01日1980年代Ibrahimモルディブ大統領府担当国務相来訪。
DIA-301-1985-03-02-1バングラデシュ1985年03月02日1980年代選管,1月15日公表の国会選挙の日程破棄発表。
DIA-301-1985-03-03-1バングラデシュ1985年03月03日1980年代ハレダ,ハシナら自宅軟禁さる。
DIA-301-1985-03-03-2バングラデシュ1985年03月03日1980年代都市を除いて夜間外出禁止令を解除。
DIA-301-1985-03-03-3バングラデシュ1985年03月03日1980年代Wangchukブータン通商・工業・森林相来訪。
DIA-301-1985-03-04-1バングラデシュ1985年03月04日1980年代県長官を国民投票の資格審査役に任命。県長官がウポジラ行政官の中から資格審査役補佐を任命する。
DIA-301-1985-03-06-1バングラデシュ1985年03月06日1980年代3月1日以降の政党・学生リーダーの逮捕者,156人に上る。
DIA-301-1985-03-07-1バングラデシュ1985年03月07日1980年代エルシャド,民政移管への努力の継続を表明。
DIA-301-1985-03-07-2バングラデシュ1985年03月07日1980年代ジュート輸出規制(1984年10月19日~)を解除。
DIA-301-1985-03-10-1バングラデシュ1985年03月10日1980年代サウジアラビアのムハンマド王子来訪。
DIA-301-1985-03-10-2バングラデシュ1985年03月10日1980年代ティスタ川に関する印バ次官会談ダッカで開会。
DIA-301-1985-03-11-1バングラデシュ1985年03月11日1980年代バングラ,中国と文化協定に調印。
DIA-301-1985-03-11-2バングラデシュ1985年03月11日1980年代国民投票支持のポスター,リーフレットの配布許可。
DIA-301-1985-03-11-3バングラデシュ1985年03月11日1980年代第2回ジャムナ川架橋計画推進委員会―計画実施担当局の設置に関する法案を承認。
DIA-301-1985-03-12-1バングラデシュ1985年03月12日1980年代Sultan Ahmad戒厳令副司令官訪ソ―チェルネンコ書記長の葬儀に参列(~18日)。
DIA-301-1985-03-12-2バングラデシュ1985年03月12日1980年代ティスタ川次官会談終了―報告書の最終的な詰め。今後合同河川委員会(JRC)がそれを検討。
DIA-301-1985-03-13-1バングラデシュ1985年03月13日1980年代Kaiser駐中国大使,心臓発作のため北京で死去。
DIA-301-1985-03-13-2バングラデシュ1985年03月13日1980年代輸出振興局,サウジへの食糧輸出規制を解除。
DIA-301-1985-03-14-1バングラデシュ1985年03月14日1980年代Sinhaインド内務担当国務相,国会で「まだフェンス建設再開の日程を決定していない」と発言。
DIA-301-1985-03-14-2バングラデシュ1985年03月14日1980年代オランダ,開発協力に関する了解覚書に調印。85年に約6.6億タカの援助供与。
DIA-301-1985-03-14-3バングラデシュ1985年03月14日1980年代日本,13.1億円の無償供与に関する交換公文に調印。米の購入に充当する。
DIA-301-1985-03-15-1バングラデシュ1985年03月15日1980年代バングラ・キラーファト運動のHafezi Huzur自宅軟禁。
DIA-301-1985-03-16-1バングラデシュ1985年03月16日1980年代Rahman救援復興相,84年の洪水救援復興に政府は19億タカを現金,物資で支給したと発表。
DIA-301-1985-03-16-2バングラデシュ1985年03月16日1980年代コミラまでガスパイプライン開通。
DIA-301-1985-03-17-1バングラデシュ1985年03月17日1980年代「1985年労使関係(改正)法」と「1985年雇用(改正)法」公布。3月13日より発効。
DIA-301-1985-03-17-2バングラデシュ1985年03月17日1980年代大統領官邸近くで爆弾3発が爆発。同じ頃チッタゴンでも爆発事件発生。
DIA-301-1985-03-19-1バングラデシュ1985年03月19日1980年代Majeed Khan計画相,中国から帰国。第3次5カ年計画への経済協力について討議。
DIA-301-1985-03-19-2バングラデシュ1985年03月19日1980年代15政党,7政党,国民投票ボイコットを呼びかけ。
DIA-301-1985-03-19-3バングラデシュ1985年03月19日1980年代Pabna県で旱魃。
DIA-301-1985-03-19-4バングラデシュ1985年03月19日1980年代貿易公団発表―ビルマのMyanma輸出入公団と貿易協定調印。バングラはガニーバッグ522万㌦を輸出。
DIA-301-1985-03-19-5バングラデシュ1985年03月19日1980年代FAO,2万3500㌧の小麦(456万㌦)供与を発表。
DIA-301-1985-03-21-1バングラデシュ1985年03月21日1980年代国民投票実施―全国2万2984カ所に投票所。有権者数は4970万人。22日付Bangladesh Observer紙は,ダッカでは出足は鈍かったが,次第に増加したと報道。
DIA-301-1985-03-22-1バングラデシュ1985年03月22日1980年代国民投票の結果―総投票数は3456万3442票で投票率は72.14%。現政権に対する支持票は3253万9264票(94.14%),不支持は190万1217票(5.5%),無効は12万2961票(0.36%)。
DIA-301-1985-03-23-1バングラデシュ1985年03月23日1980年代プリガンガ川でフェリー沈没,250人死亡―ダッカから6マイルのPagla近くで。北西風が原因。
DIA-301-1985-03-24-1バングラデシュ1985年03月24日1980年代新たに2閣僚任命―Zakir K.Chowdhury(青年・スポーツ国務相),Anwar Hossain(エネルギー・鉱物資源相)。
DIA-301-1985-03-24-2バングラデシュ1985年03月24日1980年代独立記念日に際して拘禁者132人を釈放。
DIA-301-1985-03-25-1バングラデシュ1985年03月25日1980年代エルシャド,野党が参加に同意し次第,全国選挙を実施すると演説。
DIA-301-1985-03-26-1バングラデシュ1985年03月26日1980年代独立記念日。
DIA-301-1985-03-26-2バングラデシュ1985年03月26日1980年代駐バ大使に田中義具前シドニー総領事就任。
DIA-301-1985-03-26-3バングラデシュ1985年03月26日1980年代IFAD(国際農業開発基金),農業金融のための2360万㌦の借款供与を承認。
DIA-301-1985-03-26-4バングラデシュ1985年03月26日1980年代フェニまでガスパイプライン開通。
DIA-301-1985-03-27-1バングラデシュ1985年03月27日1980年代第3回IJC(国際ジュート評議会)会議。
DIA-301-1985-03-27-2バングラデシュ1985年03月27日1980年代T.C.Schaffer米国通商担当官,バングラの縫製品輸出の急増について,まもなく輸入割当制に関する交渉を持つと発言。バングラ通商団訪米。
DIA-301-1985-03-28-1バングラデシュ1985年03月28日1980年代Chavanインド内相,上院でBhandari外務次官のバングラ訪問を発表。
DIA-301-1985-03-28-2バングラデシュ1985年03月28日1980年代Pabna県で,北西風の影響で46人死亡。1000人負傷。
DIA-301-1985-03-28-3バングラデシュ1985年03月28日1980年代東独とバーター貿易協定に調印。往復2000万㌦。
DIA-301-1985-03-30-1バングラデシュ1985年03月30日1980年代公務員人事省次官Shamsul Haque Chisty,IJC議長に選出さる。
DIA-301-1985-03-31-1バングラデシュ1985年03月31日1980年代エルシャド,サウジ公式訪問に出発(~4月3日)。
DIA-301-1985-04-01-1バングラデシュ1985年04月01日1980年代電力開発公社,ソ連のM.S.Techno-Prom-Exportと8200万㌦の信用供与協定に調印。ゴラサール発電所の210MW第5次ユニットの据付け,専門家訓練,運転開始まで含む。
DIA-301-1985-04-02-1バングラデシュ1985年04月02日1980年代エルシャド,サウジ・ファハド王と会見。
DIA-301-1985-04-02-2バングラデシュ1985年04月02日1980年代初めてじゃがいも1万㌧の輸出受注。シンガポールから。民間ベースで実施。
DIA-301-1985-04-03-1バングラデシュ1985年04月03日1980年代エルシャド帰国。サウジ開発基金からジャムナ架橋計画への支援を取り付けたと発表。
DIA-301-1985-04-03-2バングラデシュ1985年04月03日1980年代エルシャド,国民投票以前の譲歩は全て無効と表明。
DIA-301-1985-04-03-3バングラデシュ1985年04月03日1980年代イランと航空協定について協議開始。
DIA-301-1985-04-03-4バングラデシュ1985年04月03日1980年代日本と,債務救済のための23.7億円の援助供与交換公文に調印。
DIA-301-1985-04-06-1バングラデシュ1985年04月06日1980年代フマユン外交顧問,ビルマ公式訪問に出発。
DIA-301-1985-04-06-2バングラデシュ1985年04月06日1980年代3月27日付の戒厳令司令官令,最高裁長官の任期を従来の3年から62歳定年制へ変更。
DIA-301-1985-04-07-1バングラデシュ1985年04月07日1980年代NICAR(行政改革実行委員会),ウポジラ議長,女性議員,政府任命議員の任期を3年から5年に延長すると発表。
DIA-301-1985-04-07-2バングラデシュ1985年04月07日1980年代夜間外出禁止令,夜12時半から朝4時半に緩和。
DIA-301-1985-04-07-3バングラデシュ1985年04月07日1980年代外国投資室,投資計画4件を認可―総額1億5530万タカ(外貨は7070万タカ)。外資は中国,インド,オランダ,シンガポール。
DIA-301-1985-04-08-1バングラデシュ1985年04月08日1980年代政府発表,1983年10月3日以来3月末現在で約1400人のシャンティ・バヒニ兵士が投降。
DIA-301-1985-04-09-1バングラデシュ1985年04月09日1980年代選管発表,ウポジラ議長選挙を5月16日・20日に実施。立候補受付は4月23日。
DIA-301-1985-04-09-2バングラデシュ1985年04月09日1980年代エルシャド,大統領・国会選挙はウポジラ選挙後に行なうと表明。
DIA-301-1985-04-10-1バングラデシュ1985年04月10日1980年代Chavanインド内相,国会でBDRが村人に武装訓練を施しているとの報道を否定。フェンス建設は続行,フェンス以外の手段も考慮中と表明。
DIA-301-1985-04-10-2バングラデシュ1985年04月10日1980年代リヤドにサウジ・バングラ合同工業投資会社設立。
DIA-301-1985-04-11-1バングラデシュ1985年04月11日1980年代選管,ウポジラ議長の立候補資格の詳細を発表。
DIA-301-1985-04-11-2バングラデシュ1985年04月11日1980年代M.J.Chowdhury食糧相,今会計年度終了時の食糧備蓄は100万㌧,また今年度の食糧輸入は290万㌧(現金およびグラントベースで60億タカ)と発表。
DIA-301-1985-04-15-1バングラデシュ1985年04月15日1980年代Bhandariインド外務次官来訪―Faruq A.Chowdhuryバングラ外務次官と会談。フェンス建設計画棚上げの可能性ありと表明。
DIA-301-1985-04-15-2バングラデシュ1985年04月15日1980年代フィンランド議員団,エルシャドを表敬訪問。
DIA-301-1985-04-15-3バングラデシュ1985年04月15日1980年代IMF,5495万SDRの借款供与―84/85年度の食糧輸入による国際収支の赤字を補填。
DIA-301-1985-04-16-1バングラデシュ1985年04月16日1980年代JRC閣僚会議,インド国会終了後に実施―Bhandariインド外務次官が記者会見で発表。
DIA-301-1985-04-16-2バングラデシュ1985年04月16日1980年代Bhandari,エルシャドと会見。
DIA-301-1985-04-16-3バングラデシュ1985年04月16日1980年代日本,1億9100万円(1910億タカ)の贈与協定に調印。
DIA-301-1985-04-17-1バングラデシュ1985年04月17日1980年代フマユン外交顧問訪印。ナミビア問題に関する非同盟臨時閣僚会議に出席。
DIA-301-1985-04-17-2バングラデシュ1985年04月17日1980年代Abbas Ali Khan,Jamaat総裁代行逮捕さる。
DIA-301-1985-04-20-1バングラデシュ1985年04月20日1980年代フマユン外交顧問,ガンディー首相と会談。
DIA-301-1985-04-21-1バングラデシュ1985年04月21日1980年代Schaffer駐バ米国大使,レーガン大統領の私信をエルシャドに手渡す。レーガンはエルシャドの民政移管推進を賞賛。
DIA-301-1985-04-22-1バングラデシュ1985年04月22日1980年代アラファトPLO議長来訪(~23日)。
DIA-301-1985-04-23-1バングラデシュ1985年04月23日1980年代ウポジラ議長立侯補受付。429ウポジラで2967人が立候補。
DIA-301-1985-04-23-2バングラデシュ1985年04月23日1980年代BDR・BSF国境会談。
DIA-301-1985-04-24-1バングラデシュ1985年04月24日1980年代有効立候補者数は3090人―立候補届出は合計3142人,うち52が無効と判断される。
DIA-301-1985-04-24-2バングラデシュ1985年04月24日1980年代元BNP内閣の鉄道相Abdul Alim,ボグラ県Sadarウポジラから立候補。
DIA-301-1985-04-24-3バングラデシュ1985年04月24日1980年代フマユン外交顧問,帰国報告―ガンジス問題の解決について「慎重な楽観的見通し」を表明。タルパティ島の帰属については合同調査を実施。ガンディー首相は12月に来バを予定と発表。
DIA-301-1985-04-24-4バングラデシュ1985年04月24日1980年代ソ連通商団来訪。
DIA-301-1985-04-25-1バングラデシュ1985年04月25日1980年代印バ国境会談終了―BDRとBSFは1974年の国境ガイドラインに従って協力することで合意。
DIA-301-1985-04-25-2バングラデシュ1985年04月25日1980年代初の民間保険会社,National Life Insurance Co.Ltd.開業。
DIA-301-1985-04-25-3バングラデシュ1985年04月25日1980年代バングラ・ブルガリア文化交流計画取決めに調印。
DIA-301-1985-04-27-1バングラデシュ1985年04月27日1980年代エルシャド,ウポジラ選挙は国会選挙の代替ではないと表明。
DIA-301-1985-04-27-2バングラデシュ1985年04月27日1980年代英字週刊紙Holidayの編集長Enayetullah Khan,新中国大使に任命さる。
DIA-301-1985-04-28-1バングラデシュ1985年04月28日1980年代政府発表,ウポジラ議長候補者にウポジラ内で,ポスター,リーフレットの印刷,配布を許可。
DIA-301-1985-04-28-2バングラデシュ1985年04月28日1980年代バングラ,ソ連と第14次バーター貿易議定書に調印―往復6000万ポンド。前年比400万ポンド増。
DIA-301-1985-04-28-3バングラデシュ1985年04月28日1980年代バンドン会議に出席したAnwar Hossainエネルギー相,スハルト大統領を表敬訪問。
DIA-301-1985-04-28-4バングラデシュ1985年04月28日1980年代ルサカ国連総会議長来訪。
DIA-301-1985-04-30-1バングラデシュ1985年04月30日1980年代選管非公式発表,456ウポジラの候補者3074人中723人が立候補を取消し。
DIA-301-1985-04-30-2バングラデシュ1985年04月30日1980年代政府,選挙のための街頭行動を禁止。
DIA-301-1985-04-30-3バングラデシュ1985年04月30日1980年代ルサカ国連総会議長,エルシャドと会談。
DIA-301-1985-05-01-1バングラデシュ1985年05月01日1980年代メーデーで爆発事件,警官3人が負傷。
DIA-301-1985-05-02-1バングラデシュ1985年05月02日1980年代NEC(国家経済評議会),84/85年度のADP(年次開発計画)修正予算349億8420万タカを承認。
DIA-301-1985-05-03-1バングラデシュ1985年05月03日1980年代Syeduzzaman大蔵顧問,援助国会議出席のためパリへ出発。85/86年度の援助要請額は19.2億㌦。
DIA-301-1985-05-03-2バングラデシュ1985年05月03日1980年代IDA,三つの援助供与協定に調印。初等教育(7800万㌦),ガス開発(1.1億㌦),洪水復興計画(3000万㌦)。
DIA-301-1985-05-07-1バングラデシュ1985年05月07日1980年代マザーテレサ来訪。医学協会等の招待。
DIA-301-1985-05-07-2バングラデシュ1985年05月07日1980年代ウポジラ選挙立候補届出の最終結果。458議席に対し2372人。カグラチャリ,コミラの2ウポジラは無選挙当選が確定。
DIA-301-1985-05-08-1バングラデシュ1985年05月08日1980年代マザーテレサ,エルシャドを表敬訪問。
DIA-301-1985-05-08-2バングラデシュ1985年05月08日1980年代F.A.Chowdhury外務次官,ティンプーへ出発。SARC外務次官会議に出席。
DIA-301-1985-05-09-1バングラデシュ1985年05月09日1980年代NICAR,ウポジラ議長に対して3週間の研修を2グループに分けて実施すると決定。
DIA-301-1985-05-09-2バングラデシュ1985年05月09日1980年代アラファトPLO議長,訪中の途次ダッカへ寄る。
DIA-301-1985-05-09-3バングラデシュ1985年05月09日1980年代IDA,5010万SDRの借款供与を承認―治水事業。10年据置きで返済期間50年。
DIA-301-1985-05-10-1バングラデシュ1985年05月10日1980年代85/86年度債権国会議プレッジは16.8億㌦―前年度よりも4000㌦減。政府は他のソースから2億㌦の上乗せを期待。
DIA-301-1985-05-11-1バングラデシュ1985年05月11日1980年代フマユン外交顧問,SARC外相会議出席のためティンプーへ出発(~17日)。
DIA-301-1985-05-11-2バングラデシュ1985年05月11日1980年代Syeduzzaman大蔵顧問,85/86年度末の外貨準備高は3億㌦強に減少の見込みと表明。
DIA-301-1985-05-12-1バングラデシュ1985年05月12日1980年代Syeduzzaman大蔵顧問帰国。85/86年度にバングラが受ける援助総額は19億㌦強と発表。
DIA-301-1985-05-13-1バングラデシュ1985年05月13日1980年代15政党,7政党,Jamaat呼びかけのゼネストは不成功におわる。
DIA-301-1985-05-13-2バングラデシュ1985年05月13日1980年代アラファトPLO議長,訪中の帰途来訪。
DIA-301-1985-05-13-3バングラデシュ1985年05月13日1980年代14日から16日まで,選挙の実施されるウポジラでの集会,デモを全面的に禁止。
DIA-301-1985-05-13-4バングラデシュ1985年05月13日1980年代Rajshahi県国境近くで,反ウポジラ選挙のパンフレット所持のインド人逮捕さる。
DIA-301-1985-05-14-1バングラデシュ1985年05月14日1980年代SARC外相会議,SARCサミットの12月7日ダッカ開催を決定。
DIA-301-1985-05-15-1バングラデシュ1985年05月15日1980年代全商品の上限価格の設定および定価表示を義務化。違反者は最高2年の禁鋼刑または罰金,あるいは両方。
DIA-301-1985-05-15-2バングラデシュ1985年05月15日1980年代為替レート変動吸収計画(EFAS)改正。
DIA-301-1985-05-16-1バングラデシュ1985年05月16日1980年代ウポジラ議長選挙,第一段階終了―251ウポジラで実施,各地で流血事件発生。
DIA-301-1985-05-17-1バングラデシュ1985年05月17日1980年代208ウポジラの選挙結果発表。
DIA-301-1985-05-18-1バングラデシュ1985年05月18日1980年代バングラが人口密度世界一―18日発表の米人口調査機関の報告では,バングラの人口は約1億150万人,平方キロ当りの人口密度は約702人で世界最高。
DIA-301-1985-05-20-1バングラデシュ1985年05月20日1980年代ウポジラ選挙,第二段―207ウポジラで実施。各地で再び流血事件発生。16日に延期されていた111投票所での選挙も同日実施された。
DIA-301-1985-05-20-2バングラデシュ1985年05月20日1980年代ベンガル語日刊紙Dainik Desh,発禁処分を解除さる。84年6月10日以来。
DIA-301-1985-05-21-1バングラデシュ1985年05月21日1980年代207ウポジラ選挙中168ウポジラの非公式結果発表さる。
DIA-301-1985-05-22-1バングラデシュ1985年05月22日1980年代政令,ラマダン中は夜間外出禁止令を解除。
DIA-301-1985-05-22-2バングラデシュ1985年05月22日1980年代外務省,エルシャド5月29日に訪中と発表。
DIA-301-1985-05-23-1バングラデシュ1985年05月23日1980年代16,20両日の選挙で死者12人,負傷者500人以上。非公式筋では逮捕者も1000人以上。
DIA-301-1985-05-23-2バングラデシュ1985年05月23日1980年代エルシャド,近々戒厳令を緩和し,政治活動を復活させると表明。
DIA-301-1985-05-23-3バングラデシュ1985年05月23日1980年代Makマレーシア労相来訪―バングラの農業労働者に対してマレーシアでの雇用を提供と発表。
DIA-301-1985-05-24-1バングラデシュ1985年05月24日1980年代選管,460ウポジラの選挙結果を官報で公表。
DIA-301-1985-05-24-2バングラデシュ1985年05月24日1980年代サイクロン到来―24日夜9時半頃,時速50マイルの台風がCoxs Bazarの海岸を襲撃。それに伴う高潮のためにガンジス河口の島々が甚大な被害をうけた。赤十字は死者を4万人と推計したが,政府および大方の見方では1万5000人。最大被災地域は,ウリチョール,サソドウィップ島,ハティア島,ボラ島。
DIA-301-1985-05-25-1バングラデシュ1985年05月25日1980年代ハシナAL総裁,ハレダBNP総裁,自宅軟禁解除。
DIA-301-1985-05-25-2バングラデシュ1985年05月25日1980年代ウポジラ議長,各県長官から辞令を受ける。
DIA-301-1985-05-26-1バングラデシュ1985年05月26日1980年代ハレダBNP総裁,党員と非公式に会見。
DIA-301-1985-05-26-2バングラデシュ1985年05月26日1980年代戒厳令指令,全大学,学生寮の学生組織解散を命令。
DIA-301-1985-05-26-3バングラデシュ1985年05月26日1980年代バングラ人労働者のマレーシア派遣でマレーシアと議事録に調印。
DIA-301-1985-05-26-4バングラデシュ1985年05月26日1980年代エルシャド,サンドウィップ島を見舞う。
DIA-301-1985-05-27-1バングラデシュ1985年05月27日1980年代エルシャド,当選したウポジラ議長に対し,「開発の先兵」たれと激励。
DIA-301-1985-05-27-2バングラデシュ1985年05月27日1980年代エルシャド,訪中(5月29日から)を延期。台風の被害の深刻さを考慮したため。
DIA-301-1985-05-28-1バングラデシュ1985年05月28日1980年代台風による死者のため,全国で追悼の日実施。
DIA-301-1985-05-29-1バングラデシュ1985年05月29日1980年代ハレダBNP総裁交通事故。コミラ近郊で,台風被災地区を見舞った帰途で。軽傷ですむ。
DIA-301-1985-05-30-1バングラデシュ1985年05月30日1980年代エルシャド,ウリチョールで一夜を過ごす。
DIA-301-1985-05-31-1バングラデシュ1985年05月31日1980年代インド・西ベンガル州,毎秒4万立方フィート(cusec)の水量を要求―同州のBhattacharya灌漑相が表明。ガンジス水配分協定が更新される場合,同量を最低必要量として主張。84年5月に失効した前協定では全体で5.5万cusec,うちバングラ3.5万cusec,インド2万cusec。
DIA-301-1985-06-01-1バングラデシュ1985年06月01日1980年代ウリチョールをユニオンに昇格。
DIA-301-1985-06-01-2バングラデシュ1985年06月01日1980年代Sbankaranandインド灌漑相来訪―ガンジス問題に関してインド側に新提案はなし,と表明。
DIA-301-1985-06-02-1バングラデシュ1985年06月02日1980年代ガンディー・インド首相ジャヤワルダナ・スリランカ首相来訪―エルシャドとともに台風の被災地域を見舞う。バングラ側はSARCの精神の表われと高く評価。
DIA-301-1985-06-02-2バングラデシュ1985年06月02日1980年代ダッカで第28回JRC会議開会。
DIA-301-1985-06-04-1バングラデシュ1985年06月04日1980年代第28回JRC会議終了―結論は出ず。双方の都合に合わせて話し合いの再開を約束。
DIA-301-1985-06-04-2バングラデシュ1985年06月04日1980年代ADB,大蔵顧問宛ての書簡で,工業銀行(BSB),工業信用金庫(BSRS)のローン回収能力の改善がなければ,今後同機関への開発資金融資は行なわないと表明。
DIA-301-1985-06-05-1バングラデシュ1985年06月05日1980年代パキスタンのジア大統領来バ―ウリチョールを訪問。バングラ在留ビハール人のパキスタン帰還について「人道的立場で事をすすめている」と語った。
DIA-301-1985-06-05-2バングラデシュ1985年06月05日1980年代救援復興相発表。二つの特別救援計画―(1)特別食糧供給計画。3ヵ月間に13.4万モーンドの小麦の配給,(2)試験的救援計画。5.5万㌧の食糧配給によって100万人の雇用機会の創出。
DIA-301-1985-06-06-1バングラデシュ1985年06月06日1980年代ブータンのSonam王女,国王の名代として来訪。
DIA-301-1985-06-07-1バングラデシュ1985年06月07日1980年代日本,バングラと270億円の借款供与に関する交換公文に調印―うち160.7億円は商品援助(実施期間2年),109.3億円はプロジェクト援助(5年),10年据置きで30年の返済。年利1.25%。
DIA-301-1985-06-10-1バングラデシュ1985年06月10日1980年代フマユン外交顧問,ニューヨークへ出発。ナミビア問題に関する国連安保理特別会議に出席。
DIA-301-1985-06-10-2バングラデシュ1985年06月10日1980年代独立以来,チッタゴン沿岸部に16万エーカーの新しい土地が土砂の堆積で誕生。県庁が報告。
DIA-301-1985-06-10-3バングラデシュ1985年06月10日1980年代Jatiya Oikya Front,ファラッカ問題に関する全国会議の開催を提唱。
DIA-301-1985-06-12-1バングラデシュ1985年06月12日1980年代政府,7月1日に全大学を再開すると発表。ダッカの医科大学は6月26日。
DIA-301-1985-06-12-2バングラデシュ1985年06月12日1980年代エルシャド,7月4日の訪中を発表。
DIA-301-1985-06-12-3バングラデシュ1985年06月12日1980年代チッタゴンで水の浄化シリンダーが運搬中に落下し,塩素ガスが漏れ,5人死亡,100人が重軽傷。
DIA-301-1985-06-13-1バングラデシュ1985年06月13日1980年代世銀,85/86年度,86/87年度のバングラの国際収支悪化の見通しを発表。
DIA-301-1985-06-13-2バングラデシュ1985年06月13日1980年代ショナリ銀行で強盗事件。ダッカのボンゴボンドゥ通りの支店で50万タカが盗まれる。
DIA-301-1985-06-14-1バングラデシュ1985年06月14日1980年代エルシャド,韓国,日本歴訪へ出発―出発前の記者会見でイード(断食明け祭)の後に政治活動の規制緩和,対話再開,政治犯の釈放を行なうと約束。また内閣拡大,与党戦線結成の可能性を示唆。
DIA-301-1985-06-14-2バングラデシュ1985年06月14日1980年代エルシャド,全斗煥大統領と会見。韓国はバングラからの輸入拡大。労働者の受入れを約束。
DIA-301-1985-06-15-1バングラデシュ1985年06月15日1980年代エルシャド,ソウル入り。
DIA-301-1985-06-15-2バングラデシュ1985年06月15日1980年代イードに際して202人を釈放。政治犯も含む。
DIA-301-1985-06-16-1バングラデシュ1985年06月16日1980年代ハレダBNP総裁,ハシナAL総裁,政府との対話再開の提案を拒否。
DIA-301-1985-06-16-2バングラデシュ1985年06月16日1980年代チッタゴン輸出加工区建設の第一段階終了。
DIA-301-1985-06-18-1バングラデシュ1985年06月18日1980年代エルシャド,韓国財界の合同会議で演説。両国は合同経済委員会の設置に合意。
DIA-301-1985-06-18-2バングラデシュ1985年06月18日1980年代米国,150万㌦の追加贈与協定に調印。農村,エネルギー開発のため。
DIA-301-1985-06-18-3バングラデシュ1985年06月18日1980年代韓国,バングラにオートバイ組立工場設立に合意。
DIA-301-1985-06-19-1バングラデシュ1985年06月19日1980年代エルシャド来日。
DIA-301-1985-06-19-2バングラデシュ1985年06月19日1980年代日バ,五つの無償援助協定に調印。総額37億円。
DIA-301-1985-06-20-1バングラデシュ1985年06月20日1980年代エルシャド,中曽根首相と会見―日本は275億円の借款供与を約束。大ダッカ電話網整備計画,チッタゴン製鉄所の修復計画など。
DIA-301-1985-06-20-2バングラデシュ1985年06月20日1980年代エルシャド,記者会見で,国会選挙あるいは大統領選挙を今年末か来年初めに実施する意向を表明。
DIA-301-1985-06-22-1バングラデシュ1985年06月22日1980年代エルシャド=中曽根共同コミュニケ発表―貿易振興,直接投資,技術移転等,経済関係の拡大を謳う。
DIA-301-1985-06-22-2バングラデシュ1985年06月22日1980年代エルシャド,筑波の科学博を訪問,同日離日。
DIA-301-1985-06-23-1バングラデシュ1985年06月23日1980年代エルシャド帰着―帰国後の記者会見でいかなる代償を払っても政治的安定の維持に努めると語った。エルシャドを長とする「工業振興官房室」設置を発表。
DIA-301-1985-06-23-2バングラデシュ1985年06月23日1980年代エア・インディア墜落事故でバングラ人も3人死亡。
DIA-301-1985-06-24-1バングラデシュ1985年06月24日1980年代Sultan Mahmud空軍参謀長の任期を85年7月23日から1年間延長。
DIA-301-1985-06-24-2バングラデシュ1985年06月24日1980年代縫製品製造・輸出業者協会(BGMEA)の代表,訪米。輸入割当制の実施をめぐる交渉のため。
DIA-301-1985-06-25-1バングラデシュ1985年06月25日1980年代イラン大統領の特使Besharati外務次官来訪.
DIA-301-1985-06-26-1バングラデシュ1985年06月26日1980年代ダッカ大学,学生寮の再開延期を発表。
DIA-301-1985-06-27-1バングラデシュ1985年06月27日1980年代エルシャド,陸軍参謀長の任期を85年12月1日よりさらに1年間延長。
DIA-301-1985-06-27-2バングラデシュ1985年06月27日1980年代SARCサミットに向けて国家調整委員会結成。
DIA-301-1985-06-28-1バングラデシュ1985年06月28日1980年代工業開発評議会設置。定期的に工業化の状況を検討し,工業開発の指針を策定。メンバー29人。
DIA-301-1985-06-29-1バングラデシュ1985年06月29日1980年代第3次5ヵ年計画の開始を3ヵ月延期―計画委員会情報筋によれば,延期の理由は国際経済の状況が不確定で援助の見通しが立たないため。
DIA-301-1985-06-30-1バングラデシュ1985年06月30日1980年代1985/86年度予算発表(「主要統計」参照)。
DIA-301-1985-06-30-2バングラデシュ1985年06月30日1980年代カナダ,85/86年度から向こう3年間に約70万㌧の小麦を無償供与することを発表。
DIA-301-1985-07-01-1バングラデシュ1985年07月01日1980年代85/86年度輸出入政策発表―輸出目標は265億5000万タカ,輸入目標は462億タカ。
DIA-301-1985-07-01-2バングラデシュ1985年07月01日1980年代茶輸出政策発表。輸出目標は3200万キログラム。
DIA-301-1985-07-02-1バングラデシュ1985年07月02日1980年代公務員の新給与体系の導入を発表―実施は6月1日に遡及。
DIA-301-1985-07-02-2バングラデシュ1985年07月02日1980年代A.I.MaLmud労相,150万人の民間企業労働者の賃金は労使間の交渉で決定。そのため組合活動の早期再開をはかると約束。未熟練労働者の最低賃金を月に560タカに設定。
DIA-301-1985-07-03-1バングラデシュ1985年07月03日1980年代内閣拡大―新たに11人入閣(大臣7人,国務相3人,副大臣1人)。うち5人は前内閣(1月15日解散)の閣僚,またフマユン外交顧問は外相に昇格。新閣僚のうちSunil Gupta国務相はジアウル・ラーマン内閣時にも国務相。副大臣Shahidul IslamはJanadalの青年戦線のリーダー,残りの3人は,いずれも7政党のリーダー(BNP,UPP,Gonotantrik Party)。
DIA-301-1985-07-03-2バングラデシュ1985年07月03日1980年代エルシャド,与党戦線結成の可能性を示唆。
DIA-301-1985-07-03-3バングラデシュ1985年07月03日1980年代インド国立防衛大の使節団来訪。
DIA-301-1985-07-04-1バングラデシュ1985年07月04日1980年代エルシャド訪中。随員46人の大使節団。
DIA-301-1985-07-05-1バングラデシュ1985年07月05日1980年代エルシャド,趙紫陽首相と会談―中国は技術移転,輸入代替部門に合弁設立,農業の生産性向上に援助を約束。午後胡耀邦党総書記と会談。
DIA-301-1985-07-06-1バングラデシュ1985年07月06日1980年代エルシャド,鄧小平顧問委主任と会談―中国は第3次5ヵ年計画に対して3500万㌦の援助供与を約束。
DIA-301-1985-07-06-2バングラデシュ1985年07月06日1980年代中バ,経済・技術協力に関する協定ならびに交換文書に調印。
DIA-301-1985-07-07-1バングラデシュ1985年07月07日1980年代Bhuiyan社会福祉相,国連婦人会議出席のためナイロビへ出発。
DIA-301-1985-07-07-2バングラデシュ1985年07月07日1980年代トルコのオザル首相,訪中の帰途来訪―Sultan Ahmad戒厳令副司令官と会談。肥料,セメント部門での合弁設立の可能性について協議。
DIA-301-1985-07-08-1バングラデシュ1985年07月08日1980年代エルシャド,深市主催の晩さん会に出席。
DIA-301-1985-07-08-2バングラデシュ1985年07月08日1980年代政府,7月1日付けで肥料の値上げを発表―ユリア180タカ/モーンド(旧価格174.2タカ),TSD170タカ(同164.8タカ),MP134タカ(同129.47タカ)。
DIA-301-1985-07-09-1バングラデシュ1985年07月09日1980年代バングラ,ブルネイに外交部設置。
DIA-301-1985-07-10-1バングラデシュ1985年07月10日1980年代エルシャド,中国から帰国。
DIA-301-1985-07-10-2バングラデシュ1985年07月10日1980年代85/86年度の肥料の配給目標は150万㌧―農業開発公社が発表。前年実績比19%増。
DIA-301-1985-07-11-1バングラデシュ1985年07月11日1980年代エルシャド,記者会見で,政治よりも洪水の救援対策と国民経済の再建が急務であると表明。
DIA-301-1985-07-11-2バングラデシュ1985年07月11日1980年代6月13日のショナリ銀行強盗事件の犯人8人中7人を逮捕。
DIA-301-1985-07-12-1バングラデシュ1985年07月12日1980年代アルジェリアのBenjedid大統領の特使来訪。
DIA-301-1985-07-12-2バングラデシュ1985年07月12日1980年代フマユン外相サウジへ出発。
DIA-301-1985-07-14-1バングラデシュ1985年07月14日1980年代フマユン外相ファハド・サウジ国王と会見。
DIA-301-1985-07-14-2バングラデシュ1985年07月14日1980年代人口抑制評議会,人口成長率を現在の2.4%から,1990年に1.8%まで引き下げる計画を採択。
DIA-301-1985-07-15-1バングラデシュ1985年07月15日1980年代K.Z.Ahmed商業相,縫製品輸出の多様化を呼びかけ。
DIA-301-1985-07-16-1バングラデシュ1985年07月16日1980年代ショナリ銀行で600万㌦の横領事件が表面化。
DIA-301-1985-07-17-1バングラデシュ1985年07月17日1980年代BSBと日本輸出入銀行,工業化促進のための資金協力拡大におおむね合意。
DIA-301-1985-07-18-1バングラデシュ1985年07月18日1980年代定期預金金利に対して所得税を賦課する決定を取消し―諸銀行でのとりつけ騒ぎを憂慮した措置。
DIA-301-1985-07-19-1バングラデシュ1985年07月19日1980年代新たに3人入閣―Salahuddin Qader Chowdhury(MLリーダー,元国会議員),Ziauddin Ahmed Bablu(Janadal学生リーダー),B.A.Siddiqui(ML総裁)。
DIA-301-1985-07-20-1バングラデシュ1985年07月20日1980年代大学シンジケート発表,ダッカ大学,ラージシャヒ大学,チッタゴン大学,バングラ農業大学は7月23日に再開。
DIA-301-1985-07-21-1バングラデシュ1985年07月21日1980年代輸出振興局発表,輸入割当制に該当する縫製品の輸出は当局の輸出認証が必要。
DIA-301-1985-07-22-1バングラデシュ1985年07月22日1980年代85/86年度ジュート政策発表―豊作による値崩れを防ぐため,緩衝在庫の設置を決定。
DIA-301-1985-07-23-1バングラデシュ1985年07月23日1980年代ダッカ大学を初めとする4大学再開。
DIA-301-1985-07-23-2バングラデシュ1985年07月23日1980年代ダッカ大学で学生デモ。政治活動の自由化,拘禁政治犯の釈放,大学の自治を要求。
DIA-301-1985-07-23-3バングラデシュ1985年07月23日1980年代インドネシア海軍の軍艦,チッタゴン港に入港。4日間の親善訪問。
DIA-301-1985-07-24-1バングラデシュ1985年07月24日1980年代電力開発公社,料金の支払い滞納で,3万台の電話の電気を差し止め。
DIA-301-1985-07-24-2バングラデシュ1985年07月24日1980年代チッタゴン大学学生寮で武器弾薬発見さる。
DIA-301-1985-07-25-1バングラデシュ1985年07月25日1980年代日バ,ダッカならびにナラヤンガンジ港の開発に関する企業家調査の実施協定調印。
DIA-301-1985-07-29-1バングラデシュ1985年07月29日1980年代石油公団,潤滑油部門から民間セクターの締め出しを決定。
DIA-301-1985-07-31-1バングラデシュ1985年07月31日1980年代ガンディー・インド首相の特使,Shiv Shankar来訪。
DIA-301-1985-08-01-1バングラデシュ1985年08月01日1980年代Chavanインド内相,国境フェンス建設を再表明。しかしバングラの感情も考慮する,と語る。
DIA-301-1985-08-02-1バングラデシュ1985年08月02日1980年代新たに大臣4人,副大臣2人を任命。大臣:Mizanur Rahman Chowdhury(郵便・電信),Shamsul Huda Chowdhury(教育),Shah Moazzem Hossain(情報),Sultan Ahmed Chowdhury(計画)。副大臣:Mesbahuddin Ahmed Bablu(工業),Moinuddin Bhuiyan(農業)。
DIA-301-1985-08-03-1バングラデシュ1985年08月03日1980年代シレット・オスマニ空港を「オスマニ空港・シレット」と改称。
DIA-301-1985-08-05-1バングラデシュ1985年08月05日1980年代BNPリーダーで元副大臣Moudud Ahmed,通信相に任命さる。
DIA-301-1985-08-06-1バングラデシュ1985年08月06日1980年代ボリサルに20MWの火力発電所完成。総費用2億6400万タカ。
DIA-301-1985-08-08-1バングラデシュ1985年08月08日1980年代ハッサン・モロッコ国王の特使来バ。
DIA-301-1985-08-08-2バングラデシュ1985年08月08日1980年代パブナ県で洪水,5000エーカーが冠水。
DIA-301-1985-08-09-1バングラデシュ1985年08月09日1980年代Chavanインド内相,フェンスに並行して道路を建設するため,フェンスは国境から少し離して建設すると表明。
DIA-301-1985-08-10-1バングラデシュ1985年08月10日1980年代ダッカ商工会議所,輸入機材に対する関税の引き下げを要求。
DIA-301-1985-08-10-2バングラデシュ1985年08月10日1980年代BNPのリーダーK.M.Obaidur Rahman,ALのリーダー,Tofael Ahmed釈放さる。
DIA-301-1985-08-12-1バングラデシュ1985年08月12日1980年代A.R.Yusuf大統領特別補佐官,民間航空・観光相辞任。理由は「個人的理由から」とのみ発表さる。
DIA-301-1985-08-13-1バングラデシュ1985年08月13日1980年代各県にモデルウポジラを指定することを決定。
DIA-301-1985-08-16-1バングラデシュ1985年08月16日1980年代与党戦線Jatiya Front(JF)結成。Janadal,BNP(アジズ派),United People’s Party(UPP),Muslim League(Siddiqui派),Gonotantrik Party(GP),の5党が参加。各党2名ずつと無党派の2名を加えた計12人から成る運営委員会を設置。
DIA-301-1985-08-16-2バングラデシュ1985年08月16日1980年代外務省,大使クラスで大幅な人事異動。
DIA-301-1985-08-17-1バングラデシュ1985年08月17日1980年代外務省,アッサム合意に関し,「合意」の内容について正式にはまだ聞いていないが,アッサムにはバングラ人はいない,との見解を発表。
DIA-301-1985-08-18-1バングラデシュ1985年08月18日1980年代M.A.Huq・Janadal副総裁(元土地改革相),JanadalのJF参加に反対し党を脱退。
DIA-301-1985-08-19-1バングラデシュ1985年08月19日1980年代バングラ・マレーシア合同経済委員会(~20日)。
DIA-301-1985-08-20-1バングラデシュ1985年08月20日1980年代エルシャド,密輸取締りの特別班設置を指令。
DIA-301-1985-08-20-2バングラデシュ1985年08月20日1980年代チャンドプールにガスパイプライン開通。
DIA-301-1985-08-20-3バングラデシュ1985年08月20日1980年代縫製工場主会議,工場の生産能力に応じて輸出割当を配分するよう政府に要求。
DIA-301-1985-08-21-1バングラデシュ1985年08月21日1980年代エルシャド,巡礼のためサウジへ出発。
DIA-301-1985-08-22-1バングラデシュ1985年08月22日1980年代バングラ・ソ連外務省代表会談終了。ソ連代表はバルコフ南アジア課課長。
DIA-301-1985-08-22-2バングラデシュ1985年08月22日1980年代Shankanarandインド灌漑相,上院で近くバングラとガンジス問題の話し合いを行なうと表明。
DIA-301-1985-08-22-3バングラデシュ1985年08月22日1980年代Sinhaインド内務担当国務相,下院でバングラからの不法移民の正確な人数は不明と発言。
DIA-301-1985-08-22-4バングラデシュ1985年08月22日1980年代政府,犠牲祭に際して117人に恩赦を与えると発表。
DIA-301-1985-08-24-1バングラデシュ1985年08月24日1980年代Mahmud工業相BSCIC(中小家内工業公社)の工業団地を現在の20ヵ所から,第3次5ヵ年計画期間中にさらに15ヵ所増設すると発表。
DIA-301-1985-08-27-1バングラデシュ1985年08月27日1980年代犠牲祭。
DIA-301-1985-08-30-1バングラデシュ1985年08月30日1980年代エルシャド,サウジより帰国。
DIA-301-1985-08-30-2バングラデシュ1985年08月30日1980年代外務省発表。フマユン外相,米国ヴァージニア州ウイリアム・メアリー大学より「マハトマ・ガンディー平和賞」を受ける。
DIA-301-1985-08-30-3バングラデシュ1985年08月30日1980年代Raja Rammohan Roy図書館再開。独立戦争で損傷を受け,以来閉鎖されていた。
DIA-301-1985-08-31-1バングラデシュ1985年08月31日1980年代米国,1万8000㌧の小麦供与協定に調印。
DIA-301-1985-08-31-2バングラデシュ1985年08月31日1980年代7月1日から8月末の間にBADC(農業開発公社)は肥料の第1次配給ポイント(PDP)15カ所を閉鎖。
DIA-301-1985-09-01-1バングラデシュ1985年09月01日1980年代エルシャド,各省次官を集め行政の公平を力説。
DIA-301-1985-09-01-2バングラデシュ1985年09月01日1980年代ジャムナ橋建設資金積立てのため,全ての自動車からフェリー利用税の徴収を決定。Serajganj―Bhuapur,Aricha―Nagar Bari―Daulatdia間。大型車・自家用車は5タカ。二輪車は2タカ。4日から実施。
DIA-301-1985-09-01-3バングラデシュ1985年09月01日1980年代Shamsul H.Chowdhury教育相イスラム教育科学文化機構の総会出席のためイスラマバードヘ出発。
DIA-301-1985-09-03-1バングラデシュ1985年09月03日1980年代縫製品輸出割当の修正ガイドライン発表さる。
DIA-301-1985-09-03-2バングラデシュ1985年09月03日1980年代ダッカのスタジアムマーケット,チッタゴンのニューマーケットの密輸品摘発。1.5億タカ相当が発見さる。
DIA-301-1985-09-04-1バングラデシュ1985年09月04日1980年代エルシャド,屋内の政治活動解禁については9月15日以降に発表すると表明。
DIA-301-1985-09-04-2バングラデシュ1985年09月04日1980年代来バ中のインドエンジニアリング工業連合(AIEI)代表,ダッカで支部開設と貿易フェアの開催をバングラ政府に申し入れ。
DIA-301-1985-09-05-1バングラデシュ1985年09月05日1980年代スタジアムマーケットの電気商店店主連合,3日の密輸品摘発措置に抗議。
DIA-301-1985-09-05-2バングラデシュ1985年09月05日1980年代バングラ人乗組員を積んだまま逃亡したタイのトロール船7隻について,外務省はタイ政府に憂慮を伝えたと発表。
DIA-301-1985-09-05-3バングラデシュ1985年09月05日1980年代エルシャド,シレットに大学を設置すると発表。
DIA-301-1985-09-05-4バングラデシュ1985年09月05日1980年代ダッカ,チッタゴンの店主代表,税関が没収した品物を返還するまで閉店することを合同会議で決定。
DIA-301-1985-09-06-1バングラデシュ1985年09月06日1980年代ダッカ大学Surja Senホールで学生組織の衝突事件。3人が負傷。
DIA-301-1985-09-06-2バングラデシュ1985年09月06日1980年代チッタゴンの密輸品捜査終了。4日間で2.1億タカ。
DIA-301-1985-09-07-1バングラデシュ1985年09月07日1980年代ジャムナ川架橋計画推進委員会,国内資金調達のため,鉄道,自動車免許証への課税その他あらゆる手段を検討すると発表。
DIA-301-1985-09-07-2バングラデシュ1985年09月07日1980年代Guptaエネルギー担当国務相,国内の天然ガス埋蔵量は12.45兆立方フィートと発表。
DIA-301-1985-09-08-1バングラデシュ1985年09月08日1980年代M.Shamsul Haqueダッカ大学副学長,10日間以内に大学内の武装分子を掃討するよう政府に要請。
DIA-301-1985-09-08-2バングラデシュ1985年09月08日1980年代外務省,タイ政府がバングラ人乗組員140人の消息を確認,タイ政府に対して即時本国送還を要請中,と発表。
DIA-301-1985-09-08-3バングラデシュ1985年09月08日1980年代各県に治安委員会(Law and Order Committee)を設置。県知事が委員長兼務。状況を把握し対策を勧告。
DIA-301-1985-09-09-1バングラデシュ1985年09月09日1980年代Saikiaインド・アッサム州首相,1971年以降の不法入国者を全員バングラに送還すると表明。
DIA-301-1985-09-09-2バングラデシュ1985年09月09日1980年代これまでに合計54隻のタイトロール船が逃亡。バングラ人乗組員350人中100人が行方不明。
DIA-301-1985-09-10-1バングラデシュ1985年09月10日1980年代フマユン外相,インドによる不法移民送還の動きに警戒体制をしくよう関係機関に要請。印バ間の問題は国連総会では言及せず二国間の協議で解決すると表明。
DIA-301-1985-09-10-2バングラデシュ1985年09月10日1980年代政府,バングラ領海における内外の漁業従事者に対し,バ法律遵守を呼びかけ。
DIA-301-1985-09-11-1バングラデシュ1985年09月11日1980年代エルシャド,イスラム調停委員会出席のためサウジへ出発。
DIA-301-1985-09-11-2バングラデシュ1985年09月11日1980年代ダッカ大学で再び学生グループの衝突事件。
DIA-301-1985-09-12-1バングラデシュ1985年09月12日1980年代エルシャド,ジェッダでパキスタンのジア大統領,マレーシアのマハティール首相と会見。
DIA-301-1985-09-13-1バングラデシュ1985年09月13日1980年代警察,ダッカ大学の三つの学生寮を一斉捜索。武器弾薬を摘発。89人を逮捕。
DIA-301-1985-09-13-2バングラデシュ1985年09月13日1980年代インド外務省,ガンジス問題に関するインドの立場は不変,と表明。
DIA-301-1985-09-14-1バングラデシュ1985年09月14日1980年代エルシャド,ジェッダでトルコのFoglu外相と会見。
DIA-301-1985-09-15-1バングラデシュ1985年09月15日1980年代エルシャド,記者会見でアッサムにはバングラ人はいない。アッサム問題はインドの国内問題,と発言。
DIA-301-1985-09-15-2バングラデシュ1985年09月15日1980年代印バ政府,相互の国のプックフェア開催に合意。
DIA-301-1985-09-15-3バングラデシュ1985年09月15日1980年代Shamsul Haqueダッカ大学副学長,武装分子の一掃で大学に平和が戻ると発言。
DIA-301-1985-09-16-1バングラデシュ1985年09月16日1980年代親政府学生戦線Jatiya Chhatra Front結成。
DIA-301-1985-09-16-2バングラデシュ1985年09月16日1980年代エルシャド,ザイードUAE大統領と会談,夜帰国。
DIA-301-1985-09-17-1バングラデシュ1985年09月17日1980年代エルシャド,10月1日より屋内の政治活動を認めると発表。選挙の日程はSARCサミット後に公表,ガンジス問題はサミット以前に解決すると表明。
DIA-301-1985-09-17-2バングラデシュ1985年09月17日1980年代IMFのミッション来訪。
DIA-301-1985-09-18-1バングラデシュ1985年09月18日1980年代ネパールのブレンドラ国王,訪印の途次来バ。
DIA-301-1985-09-19-1バングラデシュ1985年09月19日1980年代Faruq A.Chowdhury外務次官,大統領の特使としてSARCサミットへ招聘のためブータンへ出発。
DIA-301-1985-09-19-2バングラデシュ1985年09月19日1980年代初代ブルネイ大使任命さる。
DIA-301-1985-09-19-3バングラデシュ1985年09月19日1980年代ラングプール県Sonarhat国境で,インドBSFによる約200家族のバングラ強制送還の動き。
DIA-301-1985-09-19-4バングラデシュ1985年09月19日1980年代ジュートの最低支持価格をモーンド当り200タカに設定。また100万ペイルの緩衝在庫の設置を決定。
DIA-301-1985-09-20-1バングラデシュ1985年09月20日1980年代諸野党,ジュートの支持価格200タカは,生産コストを下回ると批判。
DIA-301-1985-09-21-1バングラデシュ1985年09月21日1980年代ブータンのWangchuk国王,サミット出席を承諾。
DIA-301-1985-09-22-1バングラデシュ1985年09月22日1980年代インド・西ベンガル州左翼戦線のMukherjee議長,アッサムにはバングラ人はいないと発言。
DIA-301-1985-09-22-2バングラデシュ1985年09月22日1980年代Faruq外務次官,ニューデリーでインドのBhandari外務次官と会談。
DIA-301-1985-09-22-3バングラデシュ1985年09月22日1980年代Democratic League第9回党創立記念日にKhondaker M.Ahmed総裁とOli Abad副総裁の対立が表面化。
DIA-301-1985-09-23-1バングラデシュ1985年09月23日1980年代ガンディー・インド首相サミット出席を表明。
DIA-301-1985-09-23-2バングラデシュ1985年09月23日1980年代ハシナAL総裁,ジュート価格の引上げ(500タカ)とジュート工場の国有化を要求。
DIA-301-1985-09-24-1バングラデシュ1985年09月24日1980年代電力料金を18%値上げ。9月1日より実施。値上げの理由は,開発支出の急増と平価切り下げによってタカの必要増となったためと発表。
DIA-301-1985-09-24-2バングラデシュ1985年09月24日1980年代Faruq外務次官,パキスタンのジア大統領を訪問。
DIA-301-1985-09-24-3バングラデシュ1985年09月24日1980年代Chavanインド内相,ビハールにはバングラからの不法移民はいないと発言。
DIA-301-1985-09-27-1バングラデシュ1985年09月27日1980年代Faruq外務次官,スリランカのジャヤワルダナ大統領にサミット出席を要請。
DIA-301-1985-09-28-1バングラデシュ1985年09月28日1980年代Syeduzzaman大蔵顧問,計画委員会副委員長の格付けから大臣の格付けに昇格。
DIA-301-1985-09-28-2バングラデシュ1985年09月28日1980年代Gayoomモルディブ大統領,サミット出席を承諾。
DIA-301-1985-09-28-3バングラデシュ1985年09月28日1980年代砂糖の卸売価格,独立以来最高値を記録。モーンド当り950タカ。政府は在庫は充分と表明。
DIA-301-1985-09-30-1バングラデシュ1985年09月30日1980年代エルシャド,サミットのため都市美化計画承認。
DIA-301-1985-09-30-2バングラデシュ1985年09月30日1980年代ダッカ商工会議所,電力料金値上げの見直しを要請。
DIA-301-1985-10-01-1バングラデシュ1985年10月01日1980年代屋内の政治活動解禁さる。
DIA-301-1985-10-01-2バングラデシュ1985年10月01日1980年代ダッカ警察庁,10月1日の逮捕者は84人と発表。
DIA-301-1985-10-01-3バングラデシュ1985年10月01日1980年代7月末までの7ヵ月間に届け出のあった女性に対する犯罪件数は702件。
DIA-301-1985-10-01-4バングラデシュ1985年10月01日1980年代エルシャド,5日間のトルコ公式訪問に出発。
DIA-301-1985-10-02-1バングラデシュ1985年10月02日1980年代エルシャド,トルコのEvren大統領との会談で経済,商業分野における協力拡大に合意。
DIA-301-1985-10-02-2バングラデシュ1985年10月02日1980年代Abmed通信相,司法の独立を守るため近く停止中の憲法の関連条項を復活すると発表。
DIA-301-1985-10-03-1バングラデシュ1985年10月03日1980年代エルシャド,記者会見でセメント,化学製品,ガラス,農業およびガス関連分野において,トルコとの合弁設立について確認したと発表。
DIA-301-1985-10-03-2バングラデシュ1985年10月03日1980年代Faruq外務次官帰国。全首脳がSARCサミット出席に応じたと発表。
DIA-301-1985-10-03-3バングラデシュ1985年10月03日1980年代政府は砂糖の配給量を週に200㌘から倍増すると発表。
DIA-301-1985-10-04-1バングラデシュ1985年10月04日1980年代カナダとの縫製品輸出規制交渉開始。
DIA-301-1985-10-04-2バングラデシュ1985年10月04日1980年代BNPのハレダ総裁,5項目要求運動続行を表明。
DIA-301-1985-10-05-1バングラデシュ1985年10月05日1980年代サッタル元大統領,心臓発作のため入院先の病院で死去。享年79歳。
DIA-301-1985-10-06-1バングラデシュ1985年10月06日1980年代エルシャド,トルコより帰国。
DIA-301-1985-10-07-1バングラデシュ1985年10月07日1980年代エルシャド,選挙の日程はSARCサミット後に発表,もはや選挙の延期はないと表明。どちらの選挙を先に実施するかは未定。
DIA-301-1985-10-08-1バングラデシュ1985年10月08日1980年代米国のホワイトヘッド国務次官補来訪(~10日)。
DIA-301-1985-10-09-1バングラデシュ1985年10月09日1980年代閣僚会議,小麦,アモン米,籾米の買上げ価格を決定。アモン籾米はモーンド当り170タカ(現行165タカ),精米255タカ(同248タカ),小麦170タカ(同162タカ)。
DIA-301-1985-10-09-2バングラデシュ1985年10月09日1980年代Mahmud工業相,これまでに474企業を民間に払下げたと発表。売却価格は総額17億470万タカ。うち6.8億タカが返済済み。第3次5ヵ年計画では工業部門に610億リカ,うち民間部門に350億タカを割当てる。
DIA-301-1985-10-10-1バングラデシュ1985年10月10日1980年代BNP(アジズ派)総裁Shah Azizur Rahman,選挙を12月までに実施しなければJFを脱退すると表明。
DIA-301-1985-10-10-2バングラデシュ1985年10月10日1980年代インドの新駐バ大使Indrajit Singh Chandha,信任状奉呈。
DIA-301-1985-10-12-1バングラデシュ1985年10月12日1980年代エルシャド,バハマへ向けて出発。第8回英連邦首脳会議に出席するため。
DIA-301-1985-10-12-2バングラデシュ1985年10月12日1980年代パキスタンの通商団来訪。
DIA-301-1985-10-13-1バングラデシュ1985年10月13日1980年代アイルランドのケフェ外務担当国務相来訪。
DIA-301-1985-10-14-1バングラデシュ1985年10月14日1980年代ハレダBNP総裁,サミット前の政治活動の全面的解禁を要求。15政党も5項目に基づく選挙要求運動の推進,Jamaatは野党の団結をそれぞれ呼びかけ。
DIA-301-1985-10-15-1バングラデシュ1985年10月15日1980年代サイクロンのためダッカ大学ジョゴンナート・ホールのテレビ室の天井が崩壊。学生約40人が死亡。負傷者150人。全国で3日間服喪。
DIA-301-1985-10-15-2バングラデシュ1985年10月15日1980年代ウリチョール周辺の島々が高潮に襲われる。
DIA-301-1985-10-17-1バングラデシュ1985年10月17日1980年代Samyabadi Dalの二派(Torha派とNagen Sarkar派)が合併。
DIA-301-1985-10-18-1バングラデシュ1985年10月18日1980年代Bangladesh Workers’ Party(Menon)とMajdoor Party of Bangladeshが合併。新党の名称はWorkers’ Party of Bangladesh。
DIA-301-1985-10-18-2バングラデシュ1985年10月18日1980年代Muslim League(Siddiqui),JFとはパートナーであるのみ,他のどの政党とも合併せずと表明。
DIA-301-1985-10-18-3バングラデシュ1985年10月18日1980年代エルシャド,バハマのナッソーでガンディー首相と会談し,ガンジス問題について1年以内に首脳会談で決着をつけることに合意。
DIA-301-1985-10-18-4バングラデシュ1985年10月18日1980年代インドのTelegraph紙。パンジャブ州アムリトサルの刑務所に約400人のバングラ人が印パ国境の不法越境で投獄されていると報道。
DIA-301-1985-10-18-5バングラデシュ1985年10月18日1980年代エルシャド,ニューヨークの国連総会で演説。
DIA-301-1985-10-19-1バングラデシュ1985年10月19日1980年代エルシャド,デクエヤル国連総長と会見。
DIA-301-1985-10-19-2バングラデシュ1985年10月19日1980年代Jamaat,政府の農業政策を批判。投入財への補助金増加を要求。
DIA-301-1985-10-19-3バングラデシュ1985年10月19日1980年代省合同会議,砂糖の供給,備蓄状況を検討。配給制度については現行どおり行なうことを承認。
DIA-301-1985-10-20-1バングラデシュ1985年10月20日1980年代Revolutionary Communist LeagueとSamyabadi Dalが合併,Communist Leagueを結成。
DIA-301-1985-10-20-2バングラデシュ1985年10月20日1980年代Hossain T.Imam道路次官以下5人の代表団が訪中。中バ友好の橋建設について協議。
DIA-301-1985-10-21-1バングラデシュ1985年10月21日1980年代エルシャド,ジョゴンナート・ホールの惨事のため日程を繰り上げて帰国。
DIA-301-1985-10-21-2バングラデシュ1985年10月21日1980年代Ahmad M.Ali・IDB総裁来訪。二つの援助協定に調印。総額3100万㌦。うち2100万㌦は原油の購入,1000万㌦はクリグラム県の治水灌漑工事の外貨分に充当。
DIA-301-1985-10-21-3バングラデシュ1985年10月21日1980年代平壌で,北朝鮮とバーター貿易議定書に調印。片道1000万㌦。
DIA-301-1985-10-22-1バングラデシュ1985年10月22日1980年代閣僚会議,ジョゴンナート・ホールの犠牲者の遺族に対して各10万タカを補償することを決定。
DIA-301-1985-10-23-1バングラデシュ1985年10月23日1980年代バングラ初のユースホステル開館。
DIA-301-1985-10-23-2バングラデシュ1985年10月23日1980年代出稼ぎ者増加。今年9月までに出稼ぎ者は5万7000人。1984年は通年で5万6000人。
DIA-301-1985-10-24-1バングラデシュ1985年10月24日1980年代S.M.Hossain情報相,JFは必要があれば単一政党に改組されうると表明。
DIA-301-1985-10-25-1バングラデシュ1985年10月25日1980年代米国通商団来訪。縫製品輸入割当について討議。
DIA-301-1985-10-27-1バングラデシュ1985年10月27日1980年代フマユン外相,ニューヨークより帰国。
DIA-301-1985-10-27-2バングラデシュ1985年10月27日1980年代訪中しているImam道路次官,北京にバングラ文化センターを設立すると発表。
DIA-301-1985-10-28-1バングラデシュ1985年10月28日1980年代ショナリ銀行を除く国営商業銀行の株式公開。Janata,Agrani,Rupali銀行の株式を各49%まで民間に公開すると発表。6月までに25%を株式市場で公開。
DIA-301-1985-10-29-1バングラデシュ1985年10月29日1980年代米国との縫製品貿易交渉,結論出ぬまま終了。
DIA-301-1985-10-29-2バングラデシュ1985年10月29日1980年代初の国産トロール船の進水式。
DIA-301-1985-10-31-1バングラデシュ1985年10月31日1980年代田中義具駐バ日本大使,輸出加工区を視察。日本は縫製業への援助を検討中であると語った。
DIA-301-1985-10-31-2バングラデシュ1985年10月31日1980年代インドのChavan内相,フェンス建設に5000万ルピーを割当て,モンスーン後工事再開と表明。
DIA-301-1985-11-01-1バングラデシュ1985年11月01日1980年代Bangladesh Observer紙のインタビューでBNP(アジズ派)のAziz総裁,今後JF運営委員会の会議には出席せず,と語る。
DIA-301-1985-11-01-2バングラデシュ1985年11月01日1980年代パキスタン通商団来訪。
DIA-301-1985-11-01-3バングラデシュ1985年11月01日1980年代Mahmud工業相,砂糖きび生産者に4億タカのローンほかインセンティブ供与を発表。
DIA-301-1985-11-01-4バングラデシュ1985年11月01日1980年代ADB,バングラに対して4050万㌦の借款供与を承認。電力プロジェクトに充当。
DIA-301-1985-11-01-5バングラデシュ1985年11月01日1980年代Badruddoza BNP書記長,心臓検査のため訪英。ALのハシナ総裁も息子に会うため訪印。
DIA-301-1985-11-02-1バングラデシュ1985年11月02日1980年代第5回バングラ・パキスタン貿易合同委員会。
DIA-301-1985-11-03-1バングラデシュ1985年11月03日1980年代内閣拡大。大臣にA.K.M.Mayeedul Islam(BNP-アジズ派),書記長にMustafa Zamal Haider(UPP),Anwar Zahid(GP書記長)。
DIA-301-1985-11-03-2バングラデシュ1985年11月03日1980年代バングラ最大のアダムジー・ジュート工場で賃上げ要求ストライキ。従業員3万5000人が参加(~9日)。
DIA-301-1985-11-04-1バングラデシュ1985年11月04日1980年代エルシャド,マレーシア公式訪問(~8日)。
DIA-301-1985-11-04-2バングラデシュ1985年11月04日1980年代Dainik Desh編集長Sanaullah Nuri以下4人のジャーナリスト代表団,新華社の招待で訪中。
DIA-301-1985-11-05-1バングラデシュ1985年11月05日1980年代エルシャド,マハティール首相と会談。
DIA-301-1985-11-05-2バングラデシュ1985年11月05日1980年代パキスタンと特別貿易協定(STA)に関する合意文書に調印。
DIA-301-1985-11-06-1バングラデシュ1985年11月06日1980年代コミラ県知事以下の代表団,インド・トリプラ州政府との合同国境委員会会議に出席。
DIA-301-1985-11-08-1バングラデシュ1985年11月08日1980年代バングラ・マレーシア共同コミュニケ発表。
DIA-301-1985-11-09-1バングラデシュ1985年11月09日1980年代英議会の人種・移民問題に関する小委員会の使節団来バ(~12日)。
DIA-301-1985-11-09-2バングラデシュ1985年11月09日1980年代Munim農業相,第2次5カ年計画期間の食糧生産増加率は年平均3.6%と発表。
DIA-301-1985-11-10-1バングラデシュ1985年11月10日1980年代エルシャド,記者会見でSARCサミット以前に政治活動を全面解禁することはない,マレーシアへの人材輸出の展望は明るいと表明。
DIA-301-1985-11-11-1バングラデシュ1985年11月11日1980年代15政党,7政党,Jamaat,6時間プログラムを実施。ダッカ市内ではほとんどの商店が閉鎖。交通機関ストップ。逮捕者は600人に上る。Ziauddin Bablu教育担当副大臣の車が投石にあう。Syeduzzaman大蔵顧問の車も襲撃されたが,顧問は車の中にいなかったため無事。
DIA-301-1985-11-11-2バングラデシュ1985年11月11日1980年代イランの文化使節団来訪。団長Zadeh副大臣。
DIA-301-1985-11-12-1バングラデシュ1985年11月12日1980年代外務省,バングラがTNV(トリプラ民族義勇団)の活動を支援しているというトリプラ州首相発言に関して,事実の裏付けがないと反論。
DIA-301-1985-11-12-2バングラデシュ1985年11月12日1980年代日本と2億タカの食糧贈与協定に調印。
DIA-301-1985-11-13-1バングラデシュ1985年11月13日1980年代医師,エンジニア,農業専門家,公務員人事の改正,ウポジラ行政の煩雑性解消ほか9項目を要求。
DIA-301-1985-11-13-2バングラデシュ1985年11月13日1980年代ダッカで国際ジュート評議会(IJC)第4回会議。
DIA-301-1985-11-14-1バングラデシュ1985年11月14日1980年代IDA,1億700万㌦の借款供与を沢定。7900万㌦は農村電化計画,2800万㌦は森林資源開発。
DIA-301-1985-11-15-1バングラデシュ1985年11月15日1980年代IJC,市場開拓,販売促進の4プロジェクトの実施を決定。計画総額320万㌦。
DIA-301-1985-11-15-2バングラデシュ1985年11月15日1980年代ウポジラへのガス供給網建設プロジェクト着工。
DIA-301-1985-11-17-1バングラデシュ1985年11月17日1980年代エルシャド,JFの単一政党化を否定。
DIA-301-1985-11-17-2バングラデシュ1985年11月17日1980年代韓国,70万㌦の技術援助に関する了解覚書に調印。UNDPが出費している第3次治水計画を補填。
DIA-301-1985-11-18-1バングラデシュ1985年11月18日1980年代フマユン外相,ビルマ親善訪問に出発。
DIA-301-1985-11-20-1バングラデシュ1985年11月20日1980年代韓国とKushiara,Shambuganj両橋架設の企業家調査実施に関する了解覚書に調印。
DIA-301-1985-11-21-1バングラデシュ1985年11月21日1980年代フマユン外相,ビルマとの海上国境画定に関する話し合いは,来年2月か3月にダッカで開催と発表。
DIA-301-1985-11-22-1バングラデシュ1985年11月22日1980年代印バ灌漑相,ガンジス問題に関する了解覚書に調印。1年以内に合同専門家委員会が長期的な資源の共同利用について調査,6ヵ月後に閣僚会談,合同調査終了後に首脳会談で長期計画を決定。また今後3年間の暫定的な配水取決めに合意,調印。
DIA-301-1985-11-24-1バングラデシュ1985年11月24日1980年代ADB,民間部門に対し政府の保証なしに商業条件に近い借款を供与する方針を発表。
DIA-301-1985-11-25-1バングラデシュ1985年11月25日1980年代エルシャド,テレビ・ラジオで演説。サミット以前にはいかなる要求にも耳を貸すことはできない,サミット後に対話によって解決すると表明。
DIA-301-1985-11-25-2バングラデシュ1985年11月25日1980年代15政党・7政党の連絡委員会,運動の強化を決定。
DIA-301-1985-11-25-3バングラデシュ1985年11月25日1980年代初の民間投資会社National Credit Limited開業。授権資本3億タカ。
DIA-301-1985-11-27-1バングラデシュ1985年11月27日1980年代ユーゴスラピアと今後5年間の通信分野における協力協定に調印。
DIA-301-1985-11-27-2バングラデシュ1985年11月27日1980年代新聞,出版関係労働者の賃金に関する賃金委員会設置。6ヵ月以内に答申。
DIA-301-1985-11-28-1バングラデシュ1985年11月28日1980年代15政党,7政党,Jamaat,別個に「民主主義の日」の集会開催。
DIA-301-1985-11-29-1バングラデシュ1985年11月29日1980年代ノルウェーと今後4年間の援助協定に調印。毎年6.7億タカをグラントとして供与。
DIA-301-1985-11-30-1バングラデシュ1985年11月30日1980年代SARC文化フェスティバル開幕。7日間。
DIA-301-1985-11-30-2バングラデシュ1985年11月30日1980年代Rangamati県庁発表,去年6月のBhusansaraで起こったベンガル人大量虐殺事件後インドに逃れた少数民族が近く帰国。インドのLunglai県知事との協議で決定。
DIA-301-1985-11-30-3バングラデシュ1985年11月30日1980年代Times of India紙によれば,ガンディー首相の安全を保証するため,バングラ政府はシク教徒の入国を禁止。また在バのシク教徒の動きも厳しくチェック。
DIA-301-1985-12-01-1バングラデシュ1985年12月01日1980年代エルシャド,チッタゴン・ユリア肥料工場の定礎式で演説。肥料の需要は第3次5ヵ年計画終了時には約200万㌧に達する。さらに三つの肥料工場建設を予定していると表明。
DIA-301-1985-12-02-1バングラデシュ1985年12月02日1980年代公務員労働組合共闘会議(SKOP),24時間ストライキ。拘禁中リーダーの釈放,労働組合の権利の復活,国営,民間全ての産業の労働者最低賃金の発表,国営企業の民有化阻止等を要求。
DIA-301-1985-12-02-2バングラデシュ1985年12月02日1980年代M.J.Chowdhury食糧相,第3次5ヵ年計画終了時には食糧備蓄を1985年6月末現在の100万㌧から,150万㌧まで増加させると表明。
DIA-301-1985-12-02-3バングラデシュ1985年12月02日1980年代国家経済評議会(NEC),第3次5ヵ年計画草案を承認。総投資額は3860億タカ(「参考資料」参照)。
DIA-301-1985-12-02-4バングラデシュ1985年12月02日1980年代JSD(Shahjahan-Rab),中国とビルマのSARC参加を提案。
DIA-301-1985-12-02-5バングラデシュ1985年12月02日1980年代英国と5000万ポンド(21億タカ)の無償援助協定に調印。
DIA-301-1985-12-04-1バングラデシュ1985年12月04日1980年代SARC外務次官会議。SARC憲章および,宣言草案を承認。アフガニスタン,カンボジア等の政治的な問題は盛り込まないことを決定。
DIA-301-1985-12-04-2バングラデシュ1985年12月04日1980年代IMF,バングラに対して1.8億ドルのスタンドバイ・クレジット供与を承認。
DIA-301-1985-12-05-1バングラデシュ1985年12月05日1980年代ADB,道路開発に5800万ドルの借款供与を承認。
DIA-301-1985-12-07-1バングラデシュ1985年12月07日1980年代SARCサミット開幕。南アジア地域協力連合(SAARC)結成される。
DIA-301-1985-12-07-2バングラデシュ1985年12月07日1980年代憲法95条(Supreme Judicial Council)復活。
DIA-301-1985-12-08-1バングラデシュ1985年12月08日1980年代SARCサミット閉幕。SAARC憲章とダッカ宣言を採択(「参考資料」参照)。
DIA-301-1985-12-09-1バングラデシュ1985年12月09日1980年代Abmed商相以下8人の通商団が訪中。
DIA-301-1985-12-10-1バングラデシュ1985年12月10日1980年代ガンディー首相,ガンジス問題に関してバングラ,ネパールと合同で協議する意志を表明。
DIA-301-1985-12-10-2バングラデシュ1985年12月10日1980年代米国とPL-480タイトルⅢ協定に調印。7000万㌦相当の食糧,農業援助供与。
DIA-301-1985-12-10-3バングラデシュ1985年12月10日1980年代ダッカ大学地区で爆発事件,犯人不明。
DIA-301-1985-12-10-4バングラデシュ1985年12月10日1980年代BNP(アジズ派),政治活動の即時解禁を要求。
DIA-301-1985-12-13-1バングラデシュ1985年12月13日1980年代北京で中バ第9次バーター貿易議定書に調印。往復で8700万㌦。バングラにとって最大規模。中国は初めてジュートカーペットの輸入に同意。
DIA-301-1985-12-15-1バングラデシュ1985年12月15日1980年代エルシャド,テレビで1986年1月1日より政治活動を全面的に解禁すると発表。
DIA-301-1985-12-16-1バングラデシュ1985年12月16日1980年代15政党,中立政権による選挙実施を要求。
DIA-301-1985-12-16-2バングラデシュ1985年12月16日1980年代Jamaat,1月1日に「汚職反対の日」実施。県,ウポジラレベルで集会,デモを行なうと発表。
DIA-301-1985-12-17-1バングラデシュ1985年12月17日1980年代サウジのSultan国防相来訪(~20日)。
DIA-301-1985-12-19-1バングラデシュ1985年12月19日1980年代韓国の申秉鉉副総理来訪。
DIA-301-1985-12-19-2バングラデシュ1985年12月19日1980年代Bhagatインド外相,上院でバングラはシク教徒の入国禁止の報道を否定したと発表。
DIA-301-1985-12-19-3バングラデシュ1985年12月19日1980年代クルナ地区の大学建設地確定委員会の設置を発表。
DIA-301-1985-12-20-1バングラデシュ1985年12月20日1980年代IDA,1億700万㌦の借款供与協定に調印。
DIA-301-1985-12-20-2バングラデシュ1985年12月20日1980年代水資源開発公団(BWDB),第2次5カ年計画で完成したプロジェクトは,86件中59件のみ,と発表。
DIA-301-1985-12-22-1バングラデシュ1985年12月22日1980年代医師,エンジニア,農業専門家約3万5000人が無期限ストに突入。9項目要求実現のため。
DIA-301-1985-12-22-2バングラデシュ1985年12月22日1980年代サンドウィップ―ノアカリ間のクロスダム建設の企業家調査終了。オランダの援助。
DIA-301-1985-12-22-3バングラデシュ1985年12月22日1980年代申秉鉉・韓国副総理,近くバングラと韓国は合同経済委員会を設置すると表明。
DIA-301-1985-12-23-1バングラデシュ1985年12月23日1980年代弁護士協会調整委員会のShamsul Huq会長,民主主義の復活,憲法復活,司法権に関係した戒厳令政令の撤廃ほか6項目要求実現のため,1月より直接行動を開始すると発表。
DIA-301-1985-12-23-2バングラデシュ1985年12月23日1980年代Cox’s Bazar近海で密輸船を拿捕。バングラ史上最高の1億タカ相当の密輸品を押収。国際的な密輸組織がからんでいると見られる。
DIA-301-1985-12-24-1バングラデシュ1985年12月24日1980年代呉学謙・中国外相が来訪。
DIA-301-1985-12-24-2バングラデシュ1985年12月24日1980年代B.A.Siddiqui大統領顧問,Muslim League(Siddiqui)総裁,国連駐在大使に任命さる。
DIA-301-1985-12-25-1バングラデシュ1985年12月25日1980年代フマユン外相,呉学謙外相と会談。来年の訪中を承諾。
DIA-301-1985-12-26-1バングラデシュ1985年12月26日1980年代ブータンのPem Pem Wangchuk Gurung王女来訪。
DIA-301-1985-12-26-2バングラデシュ1985年12月26日1980年代呉外相離バ。定期的に外相会談を持つことを約束。
DIA-301-1985-12-26-3バングラデシュ1985年12月26日1980年代中国海軍船,チッタゴン港に寄港(~30日)。
DIA-301-1985-12-26-4バングラデシュ1985年12月26日1980年代民間バス,ストライキ。
DIA-301-1985-12-28-1バングラデシュ1985年12月28日1980年代Shamsul Huq保健相第3次5ヵ年計画期間中に歯科大学を設立すると発表。
DIA-301-1985-12-29-1バングラデシュ1985年12月29日1980年代医師,看護婦のストにより,各地の病院が混乱。これまでに25人の死者がでた。
DIA-301-1985-12-30-1バングラデシュ1985年12月30日1980年代ストライキ中の専門家に対し,政府は直ちにストを解除しなければ法的な制裁措置をとると通告。
DIA-301-1985-12-30-2バングラデシュ1985年12月30日1980年代ダッカ大学Mohsinホールを警察が捜索,7人逮捕。
DIA-301-1985-12-30-3バングラデシュ1985年12月30日1980年代ダッカ医科大学病院でさらに患者7人が死亡。
DIA-301-1985-12-31-1バングラデシュ1985年12月31日1980年代Ahmed商相,輸出入政策の提言を行なう政財界合同委員会の設置を発表。
DIA-301-1986-01-01-1バングラデシュ1986年01月01日1980年代民族党(Jatiya Party,JP)結成。民族戦線(85年8月結成)を解散し単政党に改組。書記長にM.A.Matin公共事業相が就任。基本目標は,(1)独立と主権の擁護,(2)イスラムの価値確立と同時に他宗教も尊重,(3)バングラデシ(バングラデシュ人)・ナショナリズム,(4)民主主義,(5)経済的解放を導く社会進歩。
DIA-301-1986-01-01-2バングラデシュ1986年01月01日1980年代政党活動を全面的に解禁。
DIA-301-1986-01-02-1バングラデシュ1986年01月02日1980年代前首相のAtaur R.Khan,現政権に方向性,信頼が欠如していると表明。
DIA-301-1986-01-03-1バングラデシュ1986年01月03日1980年代F.A.Chowdhury外務次官,南アフリカで試合に出場あるいはコーチに携わった選手は,今後バングラ国内の試合出場を禁ずると発表。
DIA-301-1986-01-05-1バングラデシュ1986年01月05日1980年代15政党連合,7政党連合,イスラム協会(Jamaate-Islami),6時間のゼネスト実施。
DIA-301-1986-01-05-2バングラデシュ1986年01月05日1980年代ウポジラ議長会議開催。
DIA-301-1986-01-06-1バングラデシュ1986年01月06日1980年代人民党(Janadal)の指導者3人,人民党解散に反対する声明を発表。
DIA-301-1986-01-06-2バングラデシュ1986年01月06日1980年代バ・タイ合同委員会,第1回会議ダッカで開催。
DIA-301-1986-01-07-1バングラデシュ1986年01月07日1980年代Timothy Eggar英外務・英連邦次官補来訪。移民手続が協議の中心議題。
DIA-301-1986-01-07-2バングラデシュ1986年01月07日1980年代冷凍倉庫協会,政府に対し債務負担を軽減するため3年間の支払猶予を要請。
DIA-301-1986-01-08-1バングラデシュ1986年01月08日1980年代M.ShamsulHaqダッカ大学副学長(学長は大統領が兼任),大学の秩序混乱の責任を取って辞表を提出。対立する学生組織の暴力闘争が続くなか6日,モホシン・ホールが学生に占拠されるという事件があった。
DIA-301-1986-01-08-2バングラデシュ1986年01月08日1980年代バ・タイ,貿易拡大に関する覚書に調印。
DIA-301-1986-01-08-3バングラデシュ1986年01月08日1980年代民族社会党(JSD)Mirza-Shahjahan派,全国大会を開催。
DIA-301-1986-01-09-1バングラデシュ1986年01月09日1980年代(ニューデリー)Shankaranandインド灌漑相,国家水資源開発局の年次会議で,水資源開発にはバングラ,ネパールの協力不可欠,と語る。
DIA-301-1986-01-09-2バングラデシュ1986年01月09日1980年代バングラデシュ民族主義者党(BNP)アジズ派,JPへの参加を拒否。
DIA-301-1986-01-09-3バングラデシュ1986年01月09日1980年代最低賃金委員会,マッチ工場労働者の最低賃金に関する答申提出。
DIA-301-1986-01-10-1バングラデシュ1986年01月10日1980年代アワミ連盟(AL)のハシナ・ワゼド総裁,中立政権による国民議会選挙の即時実施を要求。
DIA-301-1986-01-10-2バングラデシュ1986年01月10日1980年代Eggar英外務次官補,4月から不法入国をチェックするため,入国証明発行の際に血液検査を行なうと発表。バ政府は,前もって協議していなかったと抗議。
DIA-301-1986-01-10-3バングラデシュ1986年01月10日1980年代ダッカ大学理事会,大学を閉鎖しないことを決定。
DIA-301-1986-01-11-1バングラデシュ1986年01月11日1980年代Shamsul Huq保健相によれば,過去3年間に薬品に占める国産品のシェアは35%から55%に上昇。
DIA-301-1986-01-12-1バングラデシュ1986年01月12日1980年代Shamsul Haqダッカ大学副学長の辞表受理さる。Abdul Mannan教授が副学長代行に選ばれる。
DIA-301-1986-01-12-2バングラデシュ1986年01月12日1980年代フマユーン外相,スリランカ訪問。13日,Hamadスリランカ外相と経済関係拡大に関し協議。
DIA-301-1986-01-12-3バングラデシュ1986年01月12日1980年代85/86年度の輸出目標をジュート製品106億タカ,原ジュート42億タカに設定。
DIA-301-1986-01-14-1バングラデシュ1986年01月14日1980年代ムスリム・リーグ(ML)のT.Ali派とSiddiky派合併を決定。
DIA-301-1986-01-15-1バングラデシュ1986年01月15日1980年代BNP党人事異動。Badrudozza Chowdhuryに代わって元内相A.S.M.Mustafizur Rahmanを書記長に任命。15人の常任委員会および全国委員会を設置。
DIA-301-1986-01-15-2バングラデシュ1986年01月15日1980年代フマユーン外相,モルディブを公式訪問。
DIA-301-1986-01-15-3バングラデシュ1986年01月15日1980年代中国の秦仲達・化学工業部長以下10人の使節来訪。
DIA-301-1986-01-16-1バングラデシュ1986年01月16日1980年代(ニューデリー)印バ河川問題専門家合同委員会(JCE)会議。バ代表はMohammad Ali 灌漑次官,印代表はRamaswamy Iyer水資源次官。
DIA-301-1986-01-17-1バングラデシュ1986年01月17日1980年代中バ第2回合同委員会会議は合併企業協力,海上・航空輸送協定等について討議の後,19日経済関係拡大に関する覚書に調印。
DIA-301-1986-01-18-1バングラデシュ1986年01月18日1980年代JCE,共通河川の配水に関し10ヵ月間合同調査を行なうことで合意。
DIA-301-1986-01-20-1バングラデシュ1986年01月20日1980年代マレーシアのRafidah Aziz国営企業相来訪。
DIA-301-1986-01-20-2バングラデシュ1986年01月20日1980年代ゴラサールにバングラ4番目の肥料工場であるPolash Urea Fertilizer Factory完成。中国の援助。
DIA-301-1986-01-21-1バングラデシュ1986年01月21日1980年代フマユーン外相,アッサムからの不法入国者はすべて追放すると表明。独立戦争でインドに逃れたものは戦後全員帰国した,と述べる。
DIA-301-1986-01-23-1バングラデシュ1986年01月23日1980年代JP,7人から成る議会局を設置。
DIA-301-1986-01-23-2バングラデシュ1986年01月23日1980年代バ・カナダ,開発協力協定ならびに第2次ガス開発計画への融資に関する了解覚書に調印。
DIA-301-1986-01-23-3バングラデシュ1986年01月23日1980年代エルシャド大統領,第3次5ヵ年計画期間に郵便局を500ヵ所増設すると約束。うち80%は農村に設置。
DIA-301-1986-01-25-1バングラデシュ1986年01月25日1980年代政府発表,1月1日付で労働組合活動を解禁。
DIA-301-1986-01-25-2バングラデシュ1986年01月25日1980年代JPの学生組織としてJatiyo Chhatra Samaj(民族学生協会)結成。
DIA-301-1986-01-25-3バングラデシュ1986年01月25日1980年代マレーシアのRafidah国営企業相,記者会見で,(1)合併設立には詳細な企業家調査が必要,(2)バングラからの農業労働者雇用は,現在マレーシア人の失業問題が急務であり,実現困難と語る。
DIA-301-1986-01-26-1バングラデシュ1986年01月26日1980年代スリランカのThomdaman地方政府相来訪。
DIA-301-1986-01-26-2バングラデシュ1986年01月26日1980年代アジア開銀(ADB)と大蔵省対外資金局との年次諮問会議で,ADB側は九つの借款を提案。
DIA-301-1986-01-26-3バングラデシュ1986年01月26日1980年代BNPアジス派,15政党,7政党,Jamaat支持表明。
DIA-301-1986-01-27-1バングラデシュ1986年01月27日1980年代Matin公共事業相,全国選挙は100日以内に実施すると表明。
DIA-301-1986-01-27-2バングラデシュ1986年01月27日1980年代15政党・7政党連絡委員会,合同の行動計画を発表。
DIA-301-1986-01-28-1バングラデシュ1986年01月28日1980年代NAP(Muzaffar派),NAP(Harun派),Ekota Party,正式に合併。
DIA-301-1986-01-29-1バングラデシュ1986年01月29日1980年代M.Ahmed通信相,4月に選挙実施と表明。
DIA-301-1986-02-01-1バングラデシュ1986年02月01日1980年代パプナで12時間の夜間外出禁止令。学生とバス乗務員の衝突をきっかけに暴力事件が続発。
DIA-301-1986-02-01-2バングラデシュ1986年02月01日1980年代ダッカ大学構内で再び対立する学生二派が衝突。
DIA-301-1986-02-01-3バングラデシュ1986年02月01日1980年代綿花の85/86年度最低支持価格をモーンド当り600タカに設定。生産奨励のため昨年水準を維持。
DIA-301-1986-02-02-1バングラデシュ1986年02月02日1980年代EECコミッショナー,C.Cheysson来訪。
DIA-301-1986-02-03-1バングラデシュ1986年02月03日1980年代全国で6時間のゼネスト。中立政権による選挙を要求する15政党,7政党,Jamaatの呼びかけ。
DIA-301-1986-02-04-1バングラデシュ1986年02月04日1980年代ダッカ大学構内で爆弾爆発事件。
DIA-301-1986-02-04-2バングラデシュ1986年02月04日1980年代(イスラマバード)SAARCエネルギー会議。
DIA-301-1986-02-04-3バングラデシュ1986年02月04日1980年代エルシャド,第3次5ヵ年計画期間に保健施設をユニオンレベルへ拡大すると表明。
DIA-301-1986-02-05-1バングラデシュ1986年02月05日1980年代A.Mannanダッカ大学副学長代行,学生に団結して「テロリスト」に打ち勝つよう呼びかけ。
DIA-301-1986-02-05-2バングラデシュ1986年02月05日1980年代Cheysson・EECコミッショナー,ダッカ商工会議所主催の会議で演説,英・仏へのシャツ輸出を除けばEC市場への繊維製品輸出に問題はないと言明。また現行水準の食糧援助継続を約束。
DIA-301-1986-02-06-1バングラデシュ1986年02月06日1980年代国有銀行職員約3万人が,銀行民営化に反対しストライキ実施。
DIA-301-1986-02-06-2バングラデシュ1986年02月06日1980年代6日付Bangladesh Obsrver紙によれば,1月中に計213人のバングラデシュ人がインドから強制送還さる。
DIA-301-1986-02-08-1バングラデシュ1986年02月08日1980年代JPのMatin書記長(公共事業相),選挙は3ヵ月以内に実施と発表。
DIA-301-1986-02-09-1バングラデシュ1986年02月09日1980年代AL,声明発表。必需品価格の上昇を憂慮,現政権の民営化政策に反対の意を表明。
DIA-301-1986-02-10-1バングラデシュ1986年02月10日1980年代西独のウェイツァケル大統領来訪(~14日)。
DIA-301-1986-02-10-2バングラデシュ1986年02月10日1980年代BGMEA(縫製品製造・輸出業者協会)のIslam会長代行,縫製工場の労働条件悪化に憂慮を表明。
DIA-301-1986-02-10-3バングラデシュ1986年02月10日1980年代ダッカ大学理事会緊急会議,大学当局に対し教員,学生から成る平和委員会設置を指示。
DIA-301-1986-02-11-1バングラデシュ1986年02月11日1980年代15政党,7政党およびJamaatと並んで14日に予定していた大集会の開催を24日に延期。
DIA-301-1986-02-12-1バングラデシュ1986年02月12日1980年代西独と7.5億タカの借款供与協定に調印。アシュガンジ火力発電所の第2次拡張工事,アシュガンジ=コミラ間の送電線敷設工事に充当。
DIA-301-1986-02-12-2バングラデシュ1986年02月12日1980年代84/85年度中銀年次経済報告発表さる。同年度のGDP成長率は目標の6%に対し3.8%にとどまった。
DIA-301-1986-02-13-1バングラデシュ1986年02月13日1980年代エルシャド,JPの集会で演説。今年上半期に民選による政府樹立を約束。
DIA-301-1986-02-13-2バングラデシュ1986年02月13日1980年代ダッカでバングラ・ビルマ海洋境界線画定に関する技術レベル会議開催。4月に会議続行で合意。
DIA-301-1986-02-13-3バングラデシュ1986年02月13日1980年代スリランカのRajakruna食料副大臣来訪。
DIA-301-1986-02-14-1バングラデシュ1986年02月14日1980年代7政党,Jamaat各々集会開催。2月28日まに中立政権樹立を要求。
DIA-301-1986-02-15-1バングラデシュ1986年02月15日1980年代政府,Manik Mia Avenueにおける集会,デモ開催を禁止。
DIA-301-1986-02-15-2バングラデシュ1986年02月15日1980年代IDAと3億5600万ドルの借款供与協定に調印。電力開発,人口・家族計画エビ養殖等を対象。
DIA-301-1986-02-16-1バングラデシュ1986年02月16日1980年代ダッカでバングラ・エジプト第5回合同委員会議開催さる。バ代表はMustafa商業次官。
DIA-301-1986-02-16-2バングラデシュ1986年02月16日1980年代内閣改造。穏健派のA.M.Siddiqui内相を解任。後任には地方自治相・ダッカ市自治体行政官のMahmudul Hasan少将が任命さる。Hasan少将はエルシャドの近としてよく知られている。
DIA-301-1986-02-17-1バングラデシュ1986年02月17日1980年代オランダと,86年の継続および新規プロジェトへの融資として11億タカの贈与の覚書に調印。
DIA-301-1986-02-18-1バングラデシュ1986年02月18日1980年代エルシャド,Jatiyo Matshajbi Samity(National Fisherman’s Association)代表と会見。水産資開発支援を約束。
DIA-301-1986-02-20-1バングラデシュ1986年02月20日1980年代BNPのハレダ総裁,民主主義復活と戒厳令解除を目指す全政党行動委員会結成を呼びかけ。
DIA-301-1986-02-20-2バングラデシュ1986年02月20日1980年代エジプトと貿易拡大に関する覚書に調印。
DIA-301-1986-02-20-3バングラデシュ1986年02月20日1980年代スリランカと貿易拡大に関する協定に調印。
DIA-301-1986-02-20-4バングラデシュ1986年02月20日1980年代訪バ中のT.C.Schaffer元米国務省国際貿易局長,バングラ商工会議所連盟の会議で,バングラは米国にとって第15位の繊維製品輸入国である,と語る。
DIA-301-1986-02-21-1バングラデシュ1986年02月21日1980年代言語運動犠牲者の日。
DIA-301-1986-02-24-1バングラデシュ1986年02月24日1980年代15政党,単独で集会開催。ALのハシナ総裁は現政権のもとではいかなる選挙にも参加せず,と語る。
DIA-301-1986-02-24-2バングラデシュ1986年02月24日1980年代日バ,債務救済および食糧倉庫建設のための無償援助(約5億2800万タカ,)供与の交換公文に調印。
DIA-301-1986-02-27-1バングラデシュ1986年02月27日1980年代ガンジス河川配水問題に関する第2回印バ合同専門家委(~28日)。水資源データを交換。今後技術専門家がデータの詳細な分析をすることで合意。
DIA-301-1986-03-01-1バングラデシュ1986年03月01日1980年代ADBのKoehling駐バ代表,12月現在でADBの援助約束額の利用率は29%と懸念を表明。
DIA-301-1986-03-01-2バングラデシュ1986年03月01日1980年代私立学校教職員給料のための補助金を60%増加。
DIA-301-1986-03-02-1バングラデシュ1986年03月02日1980年代国民議会選挙は4月末とエルシャドが発表。日程は選管により4月26日と設定された。
DIA-301-1986-03-02-2バングラデシュ1986年03月02日1980年代AL,BNP,Jamaat等の主要野党,エルシャドの発表に対し不満を表明,抗議デモを実施。
DIA-301-1986-03-02-3バングラデシュ1986年03月02日1980年代M.Ahmed通信相,今月中に英国とオランダのコンサルタント会社のジャムナ多目的橋建設のための企業化調査を開始すると発表。88年6月に着工予定。
DIA-301-1986-03-03-1バングラデシュ1986年03月03日1980年代エルシャドは野党に対し,政権交替の唯一の民主的手段は選挙であることをフィリピンから学べと発言。
DIA-301-1986-03-03-2バングラデシュ1986年03月03日1980年代選管,資格審査64人(県知事),同補助役470人(ウポジラ行政官ほか)を任命。
DIA-301-1986-03-04-1バングラデシュ1986年03月04日1980年代15政党,7政党,Jamaat,3月8日に6時間のゼネスト実施を発表。選挙実施の条件に抗議。
DIA-301-1986-03-04-2バングラデシュ1986年03月04日1980年代世銀のDavid Hopper副総裁来訪。
DIA-301-1986-03-05-1バングラデシュ1986年03月05日1980年代世銀のHopper副総裁,S.Mahmud工業相,S.A.Chowdhury計画相と別個に会見。会談中,計画相は,第3次5ヵ年計画期間の年平均GDP成長率5.4%の達成について楽観的見通しを表明。
DIA-301-1986-03-05-2バングラデシュ1986年03月05日1980年代15政党,戒厳令を先に解除すれば選挙に参加と表明。
DIA-301-1986-03-06-1バングラデシュ1986年03月06日1980年代Hopper副総裁エルシャドと会見。BSB(工業銀行)・BSRS(工業信用金庫)のローン回収状況,ジャムナ橋の企業化調査について討議。
DIA-301-1986-03-07-1バングラデシュ1986年03月07日1980年代ALハシナ総裁,国民投票,ウポジラ議長選挙のような「茶番的選挙」に対し一致団結して抵抗するよう呼びかけ。
DIA-301-1986-03-07-2バングラデシュ1986年03月07日1980年代同日付インドの『ステーツマン』紙は,エルシャドはもし野党が4月選挙をボイコットするならば,無政党選挙実施を考慮していると報道。
DIA-301-1986-03-08-1バングラデシュ1986年03月08日1980年代中国の李先念主席来訪(~11日)。
DIA-301-1986-03-08-2バングラデシュ1986年03月08日1980年代15政党,7政党,Jamnaatの呼びかけで6時間のゼネスト実施さる。ALのハシナ総裁は戒厳令下の選挙拒否を再表明。また7政党も5項目要求の実現なければ選挙に参加せずと表明。
DIA-301-1986-03-08-3バングラデシュ1986年03月08日1980年代立候補者の供託金を1万タカから5000タカに引下げ。
DIA-301-1986-03-08-4バングラデシュ1986年03月08日1980年代国際ジュート機構(IJO),第5回プロジェクト委員会会議,ダッカで開催。
DIA-301-1986-03-09-1バングラデシュ1986年03月09日1980年代エルシャド,李先念主席と会談,中国側は5億タカの無利子借款をオファー。
DIA-301-1986-03-09-2バングラデシュ1986年03月09日1980年代最高幹部会のメンバーの1人であるAbdul Halim Chowdhury退役大佐(元BNP),5項目要求支援を表明してJPを脱退。
DIA-301-1986-03-10-1バングラデシュ1986年03月10日1980年代中バ,5億タカの無利子借款供与協定締結。また服6万着をバングラの子供に贈与する交換公文も調印。
DIA-301-1986-03-10-2バングラデシュ1986年03月10日1980年代ポーランドのMajewski外務副大臣来バ。
DIA-301-1986-03-12-1バングラデシュ1986年03月12日1980年代観光振興の目的で,23ヵ国に対し15日間の滞在に限ってビザ取得を免除。
DIA-301-1986-03-12-2バングラデシュ1986年03月12日1980年代Ispahaniグループの創設者Mirza A.Ispahani,心臓発作のため死去。享年88歳。
DIA-301-1986-03-12-3バングラデシュ1986年03月12日1980年代ハシナ,ハレタ両総裁初の個別会談,秘密裡に実施。
DIA-301-1986-03-12-4バングラデシュ1986年03月12日1980年代15政党,肥料の補助金削減見直しを政府に要求。
DIA-301-1986-03-13-1バングラデシュ1986年03月13日1980年代15政党,7政党の連絡委員会で,共闘戦線結成について討議。この提案は12日の15政党の会議で共産党(CPB)から出されたもの。
DIA-301-1986-03-15-1バングラデシュ1986年03月15日1980年代人民代表令(Representation of People’s Order,1972年)を改正。同時に五つ以上の選挙区から立候補することを禁止。以前は制限がなかった。
DIA-301-1986-03-15-2バングラデシュ1986年03月15日1980年代A.R.Shamsud Doha元外相,BNPに参加。
DIA-301-1986-03-15-3バングラデシュ1986年03月15日1980年代フマユーン外相,ダッカのインド,パキスタン両大使館に対して,二国内の刑務所に収容されているバングラ人の人数確認を要請した,と発表。
DIA-301-1986-03-16-1バングラデシュ1986年03月16日1980年代第3次5ヵ年計画の最終計画書公刊さる。
DIA-301-1986-03-16-2バングラデシュ1986年03月16日1980年代日バ,3000万円の文化贈与交換公文に調印。ダッカ大学の運動施設の購入に充当。
DIA-301-1986-03-17-1バングラデシュ1986年03月17日1980年代15政党,7政党初の合同会議。5項目要求実現に向けて共闘することを決定。
DIA-301-1986-03-18-1バングラデシュ1986年03月18日1980年代ALハシナ総裁とBNPリーダーの1人Md.Abdul Barek,それぞれ人民代表令改正の合法性についてダッカ高裁に提訴。
DIA-301-1986-03-18-2バングラデシュ1986年03月18日1980年代JP,279人の党公認候補者リストを発表。
DIA-301-1986-03-20-1バングラデシュ1986年03月20日1980年代ダッカ高裁,AL,BNPの訴えを却下。その根拠は,憲法は戒厳令布告に準じ,戒厳令総司令官は布告により憲法修正を認められるというもの。
DIA-301-1986-03-20-2バングラデシュ1986年03月20日1980年代15政党,7政党,合同大デモンストレーション。しかしハレダ,ハシナ両総裁はデモには不参加。
DIA-301-1986-03-20-3バングラデシュ1986年03月20日1980年代選管,国会議員立候補受付日を3月22日の1日のみから,22~25日の4日間に延長。
DIA-301-1986-03-21-1バングラデシュ1986年03月21日1980年代エルシャド,最後通を発表。選挙参加を促すため,選挙の延期,立候補予定の閣僚の解任,行政の中立性の保障を妥協案とし,これに応じない場合には翌22日より政党活動を一切禁止すると発表。
DIA-301-1986-03-21-2バングラデシュ1986年03月21日1980年代Jamaat,選挙参加を表明。
DIA-301-1986-03-22-1バングラデシュ1986年03月22日1980年代15政党,選挙参加を決定。
DIA-301-1986-03-22-2バングラデシュ1986年03月22日1980年代BNPハレダ,記者に対し政府が基本的権利の回復,拘禁中の政党リーダー,党員の釈放を行なえば,選挙参加を考慮すると語る。
DIA-301-1986-03-22-3バングラデシュ1986年03月22日1980年代選管発表,国会選挙を4月26日から5月7日に延期。立候補受付は22日から4月6日までとされる。
DIA-301-1986-03-22-4バングラデシュ1986年03月22日1980年代全国で12時間のゼネスト実施さる。
DIA-301-1986-03-22-5バングラデシュ1986年03月22日1980年代BNP声明発表,ALを初めとする幾つかの政党が自由公正な選挙の保証を得ぬまま選挙参加を決めたことを大衆への裏切り行為と批判。
DIA-301-1986-03-22-6バングラデシュ1986年03月22日1980年代15政党連合加盟の5政党(JSD〔Shahjahan-Inu〕,BWP,BSD2派,SKSD),選挙参加の決定に対し異議。
DIA-301-1986-03-22-7バングラデシュ1986年03月22日1980年代地方レベルの戒厳令司令官のポストを廃止。戒厳令法廷も廃止。係争中の裁判は刑事裁判所に移行。
DIA-301-1986-03-23-1バングラデシュ1986年03月23日1980年代BNP拡大会議。
DIA-301-1986-03-23-2バングラデシュ1986年03月23日1980年代AL中央委,ハシナ総裁に最終的判断を委ねることを決定。会議後15政党は団結して選挙に参加すると発表。
DIA-301-1986-03-23-3バングラデシュ1986年03月23日1980年代閣僚評議会,1986年小麦買上げ政策を承認。買上げ価格はモーンド当り運送料も含め180タカ。
DIA-301-1986-03-24-1バングラデシュ1986年03月24日1980年代選挙出馬を表明した閣僚27人の辞表を受理。現役軍人閣僚等9人を残して内閣改造。
DIA-301-1986-03-24-2バングラデシュ1986年03月24日1980年代15政党連合のうち選挙参加に反対する4党(BNP,SKSD,BSD2派)が連合を脱退。賛成派は8党。
DIA-301-1986-03-25-1バングラデシュ1986年03月25日1980年代BNPハレダ,15政党が参加を取消しさえすれば,両連合の団結維持は可能であると述べる。
DIA-301-1986-03-26-1バングラデシュ1986年03月26日1980年代独立記念日。
DIA-301-1986-03-30-1バングラデシュ1986年03月30日1980年代ダッカ大学構内でAL系と,BNP・JSD系の学生組織が対立。学生1名が死亡。
DIA-301-1986-03-31-1バングラデシュ1986年03月31日1980年代日本と275億円の商品・プロジェクト借款の交換公文に調印。昨年6月のエルシャド訪日の際に決まったもの。年利1.25%,返済は10年の据置期間を含め30年。
DIA-301-1986-03-31-2バングラデシュ1986年03月31日1980年代エルシャド,JPの中央執行委に出席し演説。
DIA-301-1986-03-31-3バングラデシュ1986年03月31日1980年代ソ連と第15次バーター議定書に調印。往復25億タカ。バングラの輸出品目に初めて縫製品(2000万タカ)。
DIA-301-1986-04-01-1バングラデシュ1986年04月01日1980年代最高裁弁護士協会,ダッカ弁護士協会の弁護士267人が,7政党の見解支持を表明。
DIA-301-1986-04-02-1バングラデシュ1986年04月02日1980年代エルシャド,軍高官に対し自由・公正な選挙実施のため監視態勢の強化を要請。
DIA-301-1986-04-02-2バングラデシュ1986年04月02日1980年代JSD(Shahjahan-Inu派),選挙参加をめぐって二党に分裂。Inu書記長派は不参加の立場を支持。
DIA-301-1986-04-03-1バングラデシュ1986年04月03日1980年代Jatiya Janata Party(総裁はM.H.Khan退役海軍少将),選挙不参加を発表。
DIA-301-1986-04-04-1バングラデシュ1986年04月04日1980年代入国手続書類の不備のためサウジの刑務所に入っていたバングラ人140人が帰国。
DIA-301-1986-04-04-2バングラデシュ1986年04月04日1980年代BNP(アシズ派),選挙不参加を決定。
DIA-301-1986-04-04-3バングラデシュ1986年04月04日1980年代Jatiya Oikya Front,3日の最高幹部会会議で,全員一致で選挙不参加を決定したと発表。
DIA-301-1986-04-06-1バングラデシュ1986年04月06日1980年代国会議員選挙立候補受付締切。当日中に確認された265議席に対し1977人の立候補があった。
DIA-301-1986-04-07-1バングラデシュ1986年04月07日1980年代カナダと新たな縫製品輸出割当量を決定。年に82万5000ピースを輸出。
DIA-301-1986-04-08-1バングラデシュ1986年04月08日1980年代夜8時半から約10時間にわたって全国で停電。原因はアシュガンジ=ゴラサール・セクションの配電ラインが落雷で故障したため。
DIA-301-1986-04-08-2バングラデシュ1986年04月08日1980年代エルシャド,ストップオーバーで立ち寄ったユーゴスラビアのVlajkovic大統領と会見。
DIA-301-1986-04-08-3バングラデシュ1986年04月08日1980年代選管筋によれば,有効候補者数は2158人。全部で2182人の立候補を受理し,うち24人が無効と判定された。
DIA-301-1986-04-09-1バングラデシュ1986年04月09日1980年代(ニューデリー)8日から開催された印バ国境会談終了。バングラはインドに対し不法移民非難を抑えるよう要請。ただし残留パキスタン・ビハール人がパキスタンへ向かう途中,印バ国境を越えていることを認め,その場合にはバングラが不法越境者を引き取る。
DIA-301-1986-04-09-2バングラデシュ1986年04月09日1980年代Syeduzzaman大蔵顧問,14日からの援助国会議での86/87年度援助要請額は18億6700万ドルと発表。
DIA-301-1986-04-10-1バングラデシュ1986年04月10日1980年代選管,選挙シンボルを割りふり。
DIA-301-1986-04-10-2バングラデシュ1986年04月10日1980年代日バ,14.4億円の無償援助供与交換公文に調印。食糧援助および,婦人のための農業研修センター建設。
DIA-301-1986-04-10-3バングラデシュ1986年04月10日1980年代Tongiにイスラム大学完成。83年7月に着工。
DIA-301-1986-04-10-4バングラデシュ1986年04月10日1980年代選挙監視の目的で設置された民間人によるPeople’s Commission for Free Election(委員長,K.M.Sobhan元判事),すべての人に対し自由・公正な選挙遂行への協力呼びかけ。
DIA-301-1986-04-11-1バングラデシュ1986年04月11日1980年代BAKSAL,選挙に候補者を出さないことを決定。ALほか8連合内政党らとの議席配分調整がつかなかったため。
DIA-301-1986-04-12-1バングラデシュ1986年04月12日1980年代15政党連合を脱退した5政党,7政党連合との話し合いで,原則として同一の行動計画実施で合意。
DIA-301-1986-04-12-2バングラデシュ1986年04月12日1980年代外務省は,9日にインド国境守備隊(BSF)によってバングラ国境警備隊(BDR)兵士2名が射殺されたことについての抗議文書をインド大使に提出したと発表。
DIA-301-1986-04-13-1バングラデシュ1986年04月13日1980年代BNP,今度の選挙は“Sonar Bangla”(黄金のベンガル)と“Natun Bangla”(新バングラ)唱道者の同盟関係を見ることになる,それは国家を75年以前の状況に引き戻すと演説。
DIA-301-1986-04-13-2バングラデシュ1986年04月13日1980年代選管発表,立候補者は計1527人。631人が取消。
DIA-301-1986-04-13-3バングラデシュ1986年04月13日1980年代ダッカでガンジス配水問題に関するJCE開催。
DIA-301-1986-04-16-1バングラデシュ1986年04月16日1980年代援助国会議,86/87年度のプレッジは18.5億ドルに決定。前年度比10%増。
DIA-301-1986-04-18-1バングラデシュ1986年04月18日1980年代AL,10人から成る選挙実行委員会結成。
DIA-301-1986-04-18-2バングラデシュ1986年04月18日1980年代クルナのAL支部事務所に爆弾2個投げ込まれる。
DIA-301-1986-04-18-3バングラデシュ1986年04月18日1980年代帰国したSyeduzzaman大蔵顧問,援助国はバングラの開発努力を賞賛したと表明。
DIA-301-1986-04-19-1バングラデシュ1986年04月19日1980年代ストライキ中の私立学校教員50人,官庁の前で座り込み。公務員給与体系に基づいた給与引上げ,および拘禁中の教員の釈放を要求。20日に中止さる。
DIA-301-1986-04-20-1バングラデシュ1986年04月20日1980年代MunshiganjでBohanuddin(Bhola県)行きのランチが沈没。死者171人以上。
DIA-301-1986-04-22-1バングラデシュ1986年04月22日1980年代ALハシナ総裁,デモやゼネストはもはや戒厳令政権を打倒することはできないとして選挙参加を主張。
DIA-301-1986-04-22-2バングラデシュ1986年04月22日1980年代サウジと航空協定調印。定期的に週に3便運航。
DIA-301-1986-04-23-1バングラデシュ1986年04月23日1980年代バ・中国,「友好の橋」建設契約調印。
DIA-301-1986-04-27-1バングラデシュ1986年04月27日1980年代最終的な候補者数は1527人。
DIA-301-1986-04-29-1バングラデシュ1986年04月29日1980年代F.A.Chowdhury外務次官,駐印大使に任命さる。後任は駐英大使Fakhruddin Ahmed。
DIA-301-1986-04-30-1バングラデシュ1986年04月30日1980年代BNP副総裁MirzaG。Hafiz,UPPのShamsulAre且n総裁ら野党リーダー逮捕さる。
DIA-301-1986-04-30-2バングラデシュ1986年04月30日1980年代電力公社による恣意的な電力料金に抗議して,中小企業8000社が操業停止。
DIA-301-1986-05-02-1バングラデシュ1986年05月02日1980年代ダッカ・ナラヤンガンジ等でJPとAL支持者が衝突。70人以上の負傷者がでる。
DIA-301-1986-05-02-2バングラデシュ1986年05月02日1980年代BNPのMustafizur Rahman書記長,逮捕さる。
DIA-301-1986-05-03-1バングラデシュ1986年05月03日1980年代戒厳令規則,反選挙的活動を禁止。同日予定されていたBNPの集会は開催できず。
DIA-301-1986-05-04-1バングラデシュ1986年05月04日1980年代BNPハレダ総裁,記者会見で4月30日以来4日間Savar近くの家に監禁されていたと語る。政府はこれをハレダの一人芝居であるとして否定。
DIA-301-1986-05-04-2バングラデシュ1986年05月04日1980年代A.T.M.Masud Chowdhury選管委員長,テレビ,ラジオで人々に選挙への参加を呼びかける。
DIA-301-1986-05-04-3バングラデシュ1986年05月04日1980年代Syeduzzaman大蔵顧問,ADBの第19回理事会より帰国し,バングラはアジア開発基金より14億ドルの融資を受ける予定と発表。
DIA-301-1986-05-05-1バングラデシュ1986年05月05日1980年代内務省は,People’s Commission For Free Electionの招待で英国人3名が来訪するとの報道に対し,原則として外国人が個人的に来訪することに反対せずと発表。
DIA-301-1986-05-05-2バングラデシュ1986年05月05日1980年代国家経済評議会(NEC),85/86年度の年次開発計画(ADP)修正予算409億5540万タカを承認。
DIA-301-1986-05-05-3バングラデシュ1986年05月05日1980年代バ・トルコの中銀,貿易取引決済に関する協定締結。
DIA-301-1986-05-06-1バングラデシュ1986年05月06日1980年代エルシャド,テレビ,ラジオで選挙における行政の中立性を約束。
DIA-301-1986-05-07-1バングラデシュ1986年05月07日1980年代国会議員選挙実施さる。各地で暴力事件が発生し,死者20人,負傷者500人以上。173ヵ所で投票中止。
DIA-301-1986-05-07-2バングラデシュ1986年05月07日1980年代ALハシナ,政府は票の略奪を行なっていると非難。
DIA-301-1986-05-08-1バングラデシュ1986年05月08日1980年代JPの優勢が伝えられる。選管は同日夜,116選挙区の開票を中止。
DIA-301-1986-05-08-2バングラデシュ1986年05月08日1980年代ALハシナ,50選挙区の選挙やり直しを要求。
DIA-301-1986-05-08-3バングラデシュ1986年05月08日1980年代英国人監視団,記者会見で選挙において明らかに不正が行なわれたと表明。
DIA-301-1986-05-08-4バングラデシュ1986年05月08日1980年代BNP,ハレダ総裁の自宅軟禁解除を要求。
DIA-301-1986-05-09-1バングラデシュ1986年05月09日1980年代Chowdhury選管委員長,記者会見で開票中止は各地の投票所におけるトラブル発生のため,と弁明。
DIA-301-1986-05-09-2バングラデシュ1986年05月09日1980年代JPのMatin書記長,記者会見でALのテロ行為を非難。それがなければJPは250議席を獲得したと言明。
DIA-301-1986-05-09-3バングラデシュ1986年05月09日1980年代8政党(元15政党連合のうちAL等の選挙参加政党),不正選挙,テロに抗議し,14日ゼネスト実施を発表。
DIA-301-1986-05-09-4バングラデシュ1986年05月09日1980年代BNP,選挙の無効化,再選挙を要求。
DIA-301-1986-05-10-1バングラデシュ1986年05月10日1980年代224議席の非公式結果発表さる。
DIA-301-1986-05-10-2バングラデシュ1986年05月10日1980年代JPを含め全政党が部分的,全体的再選挙を要求。
DIA-301-1986-05-10-3バングラデシュ1986年05月10日1980年代BNPハレダ,自宅軟禁を解かれる。
DIA-301-1986-05-11-1バングラデシュ1986年05月11日1980年代合計264議席の開票結果発表さる。JP132,AL70議席を獲得。
DIA-301-1986-05-11-2バングラデシュ1986年05月11日1980年代選管,19日までに39選挙区で再選挙実施と発表。
DIA-301-1986-05-11-3バングラデシュ1986年05月11日1980年代AL,国会開会のための4条件を提示。(1)投票期間中のテロ,票の略奪行為について司法による調査実施,(2)選挙中の殺人を公判にかける,(3)テロによって有権者の投票が妨害された選挙区での選挙やり直し,(4)投票中のトラブル除去のための対策を講ずる。
DIA-301-1986-05-12-1バングラデシュ1986年05月12日1980年代日バ,台風被災地区救援のため,8億円の無償援助交換公文に調印。
DIA-301-1986-05-12-2バングラデシュ1986年05月12日1980年代雨期の雨量不足でカプタイ湖水位,史上最低。
DIA-301-1986-05-12-3バングラデシュ1986年05月12日1980年代閣僚評議会,ボロ籾,米の買上げ価格引上げを決定。籾モーンド当り170→175タカ,米255→265タカ。また天然ガス液化プロジェクトの株式公開会社化を決定。
DIA-301-1986-05-14-1バングラデシュ1986年05月14日1980年代8政党の呼びかけで6時間ゼネスト実施さる。
DIA-301-1986-05-15-1バングラデシュ1986年05月15日1980年代週刊誌3誌,選挙に関する報道で発禁処分。
DIA-301-1986-05-16-1バングラデシュ1986年05月16日1980年代印バ貿易交渉会議で二国間協定の3年間延長を承認するドキュメントに調印。
DIA-301-1986-05-16-2バングラデシュ1986年05月16日1980年代欧州議会のRichard Balfe議員来訪(~23日)。
DIA-301-1986-05-16-3バングラデシュ1986年05月16日1980年代印ウダイプル県でBDR・BSF国境会談。バングラ側はインドによるShanti Bahini支援停止を要求。印側はトリプラ州の部族民6000人の受入れを要求。
DIA-301-1986-05-18-1バングラデシュ1986年05月18日1980年代計286議席の結果公表さる。JP148,AL73。
DIA-301-1986-05-19-1バングラデシュ1986年05月19日1980年代JP過半数を越え,151議席に達する。
DIA-301-1986-05-20-1バングラデシュ1986年05月20日1980年代299議席の結果公表さる。JP152,AL75。
DIA-301-1986-05-21-1バングラデシュ1986年05月21日1980年代エルシャド,軍の地区司令官クラスと会談。
DIA-301-1986-05-24-1バングラデシュ1986年05月24日1980年代外務省発表。ローマ法王ヨハネ・パウロ2世,11月19日に来訪。
DIA-301-1986-05-24-2バングラデシュ1986年05月24日1980年代チッタゴン丘陵地区の反社会的勢力に対し,25日から1ヵ月間の恩赦期間を設ける。
DIA-301-1986-05-25-1バングラデシュ1986年05月25日1980年代暫定内閣成立。新たに17大臣,5国務相,3副大臣を任命,1人を除いては全員JPから出馬し当選。
DIA-301-1986-05-25-2バングラデシュ1986年05月25日1980年代メグナ川,Barisalで1000人を乗せたランチが沈没。これまでに130人の遺体を収容。
DIA-301-1986-05-27-1バングラデシュ1986年05月27日1980年代計画委員会,86/87年度ADP予算を476.4億タカに決定。前年比16%増,GDP成長率目標は5.2%。
DIA-301-1986-05-29-1バングラデシュ1986年05月29日1980年代全300議席の非公式結果発表(「参考資料」参照)。
DIA-301-1986-05-30-1バングラデシュ1986年05月30日1980年代AL,国会参加の前提条件として,戒厳令の即時解除,エルシャドの辞任等七つの条件を提示。
DIA-301-1986-06-02-1バングラデシュ1986年06月02日1980年代8政党,選挙参加によって政治的勝利を得たと評価。不正が行なわれた選挙区での再選挙,戒厳令の即刻解除を要求。
DIA-301-1986-06-03-1バングラデシュ1986年06月03日1980年代エルシャド,ブータン公式訪問。11月のSAARC議長の任期終了前に全加盟国訪問を予定(~6日)。
DIA-301-1986-06-04-1バングラデシュ1986年06月04日1980年代エルシャド,プータンのワンチュク国王とSAARCの活動と成果に関し討議。文化協定,航空サービス協定に調印。
DIA-301-1986-06-04-2バングラデシュ1986年06月04日1980年代ダッカでEECとの合同委員会開催。5日,共同声明発表さる。貿易振興,工業用エネルギー,科学分野における協力強化で合意。
DIA-301-1986-06-04-3バングラデシュ1986年06月04日1980年代UNDP,バングラに対し1億2900万ドルの技術援助供与を承認。86年から5年間。
DIA-301-1986-06-04-4バングラデシュ1986年06月04日1980年代Communist LeagueリーダーTipu Biswas釈放さる。前年11月11日のゼネストで逮捕されていた。
DIA-301-1986-06-05-1バングラデシュ1986年06月05日1980年代ダッカでUNCTAD,グループ77の第6回会議開催のための閣僚準備会議開催。
DIA-301-1986-06-06-1バングラデシュ1986年06月06日1980年代バングラ・ブータン共同声明発表。
DIA-301-1986-06-06-2バングラデシュ1986年06月06日1980年代BNPハレダ,ラマダン後に運動を再開と発表。
DIA-301-1986-06-07-1バングラデシュ1986年06月07日1980年代地方政府(ウポジラ議会・ウポジラ行政改革)令改正。国会議員に選ばれた議長は辞職する。
DIA-301-1986-06-07-2バングラデシュ1986年06月07日1980年代7政党・5政党連絡会議。選挙の無効化,エルシヤドの辞任,5項目要求にもとづく自由・公正な選挙の実施のための運動続行を決定。
DIA-301-1986-06-10-1バングラデシュ1986年06月10日1980年代断食明け祭。
DIA-301-1986-06-11-1バングラデシュ1986年06月11日1980年代米国連常任代表Vernon Walters来訪(~13日)。
DIA-301-1986-06-11-2バングラデシュ1986年06月11日1980年代配給制度検討委(委員長A。Hossainエネルギー相),報告書を大統領に提出。
DIA-301-1986-06-12-1バングラデシュ1986年06月12日1980年代5月7日の国会議員選挙公式結果発表さる。
DIA-301-1986-06-12-2バングラデシュ1986年06月12日1980年代ダッカでテロリズムに関する第1回SAARC調査班会議(~14日)。テロ防止のため法律,行政分野における7カ国の協力を答申。
DIA-301-1986-06-14-1バングラデシュ1986年06月14日1980年代エルシャド,当選した国会議員を祝福。
DIA-301-1986-06-14-2バングラデシュ1986年06月14日1980年代高官会議,チッタゴン・尿素肥料工場建設の進捗状況を検討。
DIA-301-1986-06-15-1バングラデシュ1986年06月15日1980年代政府,エビ養殖のノウハウ,技術習得のための研修センター設置を検討中と発表。世銀の後援。
DIA-301-1986-06-16-1バングラデシュ1986年06月16日1980年代ALハシナ,党員,指導部に対して選挙による勝利を確立させるよう指示。5項目要求実現まで反対運動は続けると表明。
DIA-301-1986-06-16-2バングラデシュ1986年06月16日1980年代選管,2選挙区以上で当選した候補によって空席になった選挙区の補欠選挙を90日以内に実施,と発表。
DIA-301-1986-06-17-1バングラデシュ1986年06月17日1980年代エルシャド,7月10日に国会召集と発表。Shamsul Huda Chowdhury宗教相を国会議長代行に任命。また憲法(部分的復活)令を公布。
DIA-301-1986-06-17-2バングラデシュ1986年06月17日1980年代全国6カ所の高裁を巡回裁判所に変更。
DIA-301-1986-06-17-3バングラデシュ1986年06月17日1980年代韓国の李源京外相来訪(~19日)。同日ダッカで第1回バングラ・韓国合同委員会会議開催。経済協力強化と貿易不均衡是正で合意。近くソウルにバ大使館設置を決定。18日,投資促進・保護協定に調印。
DIA-301-1986-06-18-1バングラデシュ1986年06月18日1980年代ALハシナ,戒厳令解除の日程発表を要求。
DIA-301-1986-06-18-2バングラデシュ1986年06月18日1980年代New Nation紙によれば,24日からのエルシャド訪印は延期さる。理由は双方の都合のため。
DIA-301-1986-06-19-1バングラデシュ1986年06月19日1980年代JP広報室,現在までに無所属議員27人がJPに入党したと発表。
DIA-301-1986-06-19-2バングラデシュ1986年06月19日1980年代FBCCI(商工会議所連盟)ミッション,タイ,日本,韓国,香港歴訪に出発。
DIA-301-1986-06-21-1バングラデシュ1986年06月21日1980年代セネガルのジウフ大統領来訪(~22日)。
DIA-301-1986-06-22-1バングラデシュ1986年06月22日1980年代SPARRSO(宇宙・遠隔探知研究機構),85年にNASAの援助で開始された農業気象・環境モニタープロジェクトの成功でNASAの団体業績賞を受賞。ランドサットからのデータで洪水,川の浸食,治水管理の情報を提供するもの。
DIA-301-1986-06-24-1バングラデシュ1986年06月24日1980年代Daily News紙によれば,8政党は7月10日の国会参加を決定。
DIA-301-1986-06-25-1バングラデシュ1986年06月25日1980年代ダッカ市自治体,86/87年度予算7億817万タカを承認。85/86年度修正予算は6億2063万タカ。
DIA-301-1986-06-25-2バングラデシュ1986年06月25日1980年代BJMA(ジュート工場協会),今年度民間ジュート工場のロスは国営工場よりも少なかったと表明。
DIA-301-1986-06-26-1バングラデシュ1986年06月26日1980年代日本と38億円の贈与供与交換公文に調印。農業投入財の購入に充当。
DIA-301-1986-06-27-1バングラデシュ1986年06月27日1980年代86/87年度予算発表(「主要統計」参照)。
DIA-301-1986-06-29-1バングラデシュ1986年06月29日1980年代86/87年度輸出入政策。商品輸入は553.4億タカ。輸出目標は315億タカ。うち茶の輸出目標は,3000万kg,12.6億タカ。
DIA-301-1986-07-01-1バングラデシュ1986年07月01日1980年代エルシャド,ネパール公式訪問(~3日)。
DIA-301-1986-07-01-2バングラデシュ1986年07月01日1980年代Abdul Mannan(現ダッカ大学副学長代行),正式に新副学長に選ばれ,大統領から任命を受ける。
DIA-301-1986-07-02-1バングラデシュ1986年07月02日1980年代エルシャド,ネパール・ビレンドラ国王と会見。
DIA-301-1986-07-02-2バングラデシュ1986年07月02日1980年代ダッカでガンジス配水に関する合同専門委開催。
DIA-301-1986-07-03-1バングラデシュ1986年07月03日1980年代ALハシナ,戒厳令解除の日程が確定されなければ,10日の国会には出席しないと表明。
DIA-301-1986-07-03-2バングラデシュ1986年07月03日1980年代8政党ほか野党国会議員94人が誓約を完了。
DIA-301-1986-07-03-3バングラデシュ1986年07月03日1980年代政府7月1日より郵便料金を50パイサ引上げると発表。タカの切下げによって国際郵便のコストが上昇したため。
DIA-301-1986-07-03-4バングラデシュ1986年07月03日1980年代ラングーンで海域境界線画定会議開催。
DIA-301-1986-07-04-1バングラデシュ1986年07月04日1980年代BNP(Shah)を中心に新政党戦線,Jatiyatabadi Front結成。民族主義党,イスラム系8政党が加盟,Shah Azizur Rahmanが戦線議長に就任。7政党,5政党に賛同し,国会選挙のやり直しを要求。
DIA-301-1986-07-04-2バングラデシュ1986年07月04日1980年代JCE会議終了。配水に関し前進があったと発表。
DIA-301-1986-07-04-3バングラデシュ1986年07月04日1980年代中国の李夢華国家体育運動委主任以下使節団来訪。
DIA-301-1986-07-05-1バングラデシュ1986年07月05日1980年代ALハシナ総裁,婦人議員選挙を「秘密投票」と非難。
DIA-301-1986-07-06-1バングラデシュ1986年07月06日1980年代ADB,バングラの総合的綿花開発計画への融資を承認したと発表。綿花の自給率は現在10%程度。
DIA-301-1986-07-07-1バングラデシュ1986年07月07日1980年代婦人議員30名,無選挙で当選。
DIA-301-1986-07-07-2バングラデシュ1986年07月07日1980年代ヘレンケラー国際ボランティア機構の行なった調査によれば,6歳以下の児童100万人がビタミンA不足からくる眼球乾燥症にかかっている。
DIA-301-1986-07-08-1バングラデシュ1986年07月08日1980年代エルシャド,バングラの元首として初めてDahgram,Angorpota飛び地を訪問。インドに対しティン・ビガ回廊を返還するという約束の実行を要請。
DIA-301-1986-07-08-2バングラデシュ1986年07月08日1980年代86年新工業政策発表さる。工業化における民間の役割を重視し,公共部門は7部門(軍需,発電・配電,電信電話,空輸・貨物以外の鉄道,原子力,印刷・鋳造,植樹・保安林の機械化伐採)のみに限定。
DIA-301-1986-07-08-3バングラデシュ1986年07月08日1980年代Jamaat,戒厳令解除まで国会には参加せず,と発表。
DIA-301-1986-07-08-4バングラデシュ1986年07月08日1980年代ノルウェーと村落銀行拡張のための無償援助供与協定に調印。2億3270万タカ。
DIA-301-1986-07-09-1バングラデシュ1986年07月09日1980年代内閣改造。閣内大臣26人。国務相6人,副大臣3人の計35人から成る。新首相にMizanur Rahman Cho-wdhury郵政相,3人の副首相にMoudud Ahmed(工業),M.A.Matin(通信),Kazi Zafar Anmed(商業)。海,空軍参謀長を含め現役軍人閣僚は全て解任された。新たに入閣したものは4人。31人が現職国会議員。
DIA-301-1986-07-10-1バングラデシュ1986年07月10日1980年代第3次国民議会召集。ShamsulH.Chowdhury現議長代行が満場一致で新議長に決定。野党側の参加はJSP(Rab派)の4人のみで8政党,Jamaat系議員107人は不参加,議事堂の外でALのA.M.Ukilを議長にシャドー・パーラメントを開催。またBNPを初めとする7政党,5政党は“Black Day”を実施。
DIA-301-1986-07-14-1バングラデシュ1986年07月14日1980年代エルシャド,インド公式訪問。(~16日)。
DIA-301-1986-07-14-2バングラデシュ1986年07月14日1980年代選管8月26日に国会議員補欠選挙実施と発表。
DIA-301-1986-07-15-1バングラデシュ1986年07月15日1980年代ムスリム連盟議員4人,初めて国会出席。しかし討議開始後13分して退場。
DIA-301-1986-07-16-1バングラデシュ1986年07月16日1980年代エルシャド,印バ両国は全懸案事項に対する解決の様式を見出したと表明。同日帰国。
DIA-301-1986-07-16-2バングラデシュ1986年07月16日1980年代(ブリュッセル)EECと締結された新繊維協定で,EECはバングラに対する縫製品輸入割当を撤廃。
DIA-301-1986-07-16-3バングラデシュ1986年07月16日1980年代ALハシナ,戒厳令解除まで国会に参加せずと表明。
DIA-301-1986-07-16-4バングラデシュ1986年07月16日1980年代イスラム開銀,原油輸入のため1500万ドルの借款供与。
DIA-301-1986-07-18-1バングラデシュ1986年07月18日1980年代ミザヌール首相,野党に国会参加を呼びかけ。
DIA-301-1986-07-19-1バングラデシュ1986年07月19日1980年代政府,英連邦競技会不参加を発表。南アフリカ制裁に反対する英政府に抗議して。
DIA-301-1986-07-19-2バングラデシュ1986年07月19日1980年代初めての印バ工業合同委員会会議。22日,セメント,薬品等多くの分野での協力推進に関する覚書調印。
DIA-301-1986-07-22-1バングラデシュ1986年07月22日1980年代エルシャド,モルディブ,スリランカ,パキスタン歴訪に出発(~28日)。同日マレ(モルディブ)に到着し,ガユーム同国大統領と会談。
DIA-301-1986-07-22-2バングラデシュ1986年07月22日1980年代国会閉会さる。ミザヌール首相は,野党からの要請があれば再召集すると述べた。
DIA-301-1986-07-23-1バングラデシュ1986年07月23日1980年代(ニューデリー)インドのアルン・ネルー内務担当国務相,印バ国境に道路建設を決定したと発表。
DIA-301-1986-07-23-2バングラデシュ1986年07月23日1980年代BGMEA,原材料輸入の規制撤廃,商業省内に特別担当室設置等,7項目の要求書を政府に提出。
DIA-301-1986-07-24-1バングラデシュ1986年07月24日1980年代エルシャド,スリランカ入リ。同国のジャヤワルダナ大統領とSAARC問題,二国間問題を協議。
DIA-301-1986-07-24-2バングラデシュ1986年07月24日1980年代国税局,8月1日より飛行機搭乗税の徴収を発表。
DIA-301-1986-07-26-1バングラデシュ1986年07月26日1980年代エルシャド,パキスタン訪問。
DIA-301-1986-07-27-1バングラデシュ1986年07月27日1980年代パキスタンと三つの協定に調印。特別貿易取決めに関する協定(片道4000万ドル),公文書保管庁建設のための外交的飛び地内の土地交換に関する了解覚書,文化協定に基づいたプログラム。
DIA-301-1986-07-28-1バングラデシュ1986年07月28日1980年代エルシャド帰国。
DIA-301-1986-07-30-1バングラデシュ1986年07月30日1980年代6月15日付大統領令で大統領護衛部隊(Presi-dential Security Force)創設。大統領ほかVIPの護衛のため,逮捕状なしに誰でも逮捕する権限を持つ。
DIA-301-1986-07-30-2バングラデシュ1986年07月30日1980年代シブ・シャンヵル・インド外相来訪。印政府の援助でウリチョール(85年5月の台風の被災地域)に建設された家屋,避難所の引渡しのため。
DIA-301-1986-07-31-1バングラデシュ1986年07月31日1980年代USAID,肥料流通改善第2プロジェクトに対し,1500万ドルの追加贈与供与協定調印。累計2900万ドル。
DIA-301-1986-08-01-1バングラデシュ1986年08月01日1980年代全国の民間バス,ミニバス,トラック所有者,運賃引上げを要求してスト開始。3日,9月より運賃値上げで政府と合意が成立し解除。
DIA-301-1986-08-03-1バングラデシュ1986年08月03日1980年代S.Ahmed戒厳令副司令官を長とした密輸取締機関を設置。
DIA-301-1986-08-04-1バングラデシュ1986年08月04日1980年代(ニューデリー)ガンジス配水に関する第4回JCE会議開催。両国は1週間前に各々ネパール政府に対し協力要請状を送った。
DIA-301-1986-08-04-2バングラデシュ1986年08月04日1980年代ダッカ大学構内で爆発があり6人以上が負傷。
DIA-301-1986-08-05-1バングラデシュ1986年08月05日1980年代Biplobi Communist League,7政党連合脱退を発表。5項目要求はブルジョアの利益を象徴と非難。
DIA-301-1986-08-06-1バングラデシュ1986年08月06日1980年代(ニューデリー)JCE,共同声明発表。今月末にJCEの活動状況検討のため閣僚級会談開催。ガンジス川の増量についてはネパールにすでに交渉中だが,他の選択肢も検討することで合意。
DIA-301-1986-08-06-2バングラデシュ1986年08月06日1980年代インドのB・シン内相,国会で印バ国境の道路建設完了ののちフェンス建設問題に取り組むと表明。
DIA-301-1986-08-09-1バングラデシュ1986年08月09日1980年代ブータンのツェリン外相来訪。国営航空Druk Airが近くダッカへの定期便運航を開始と発表。
DIA-301-1986-08-09-2バングラデシュ1986年08月09日1980年代SAARC事務局,第2回サミットの計画案作成。
DIA-301-1986-08-11-1バングラデシュ1986年08月11日1980年代SAARC外務次官常任委員会。
DIA-301-1986-08-12-1バングラデシュ1986年08月12日1980年代8政党,9月1日に半日ゼネスト実施と発表。
DIA-301-1986-08-12-2バングラデシュ1986年08月12日1980年代ダッカでSAARC閣僚評議会(外相レベル)開催(~13日)。13日の共同コミュニケでは,より具体的,行動志向型のプロジェクトの必要性を強調。二つの地域プロジェクト(バングラに地域的農業情報センター,インドに気象研究センター設置)を承認。第2回サミットを11月にインド・バンガロール(カルナータカ州)で開催することを決定。
DIA-301-1986-08-15-1バングラデシュ1986年08月15日1980年代アダムジー・ジュート工場で祭日ボーナス要求をきっかけに暴動発生。2人が死亡,200人以上が負傷,逮捕者は約300人に上った。
DIA-301-1986-08-16-1バングラデシュ1986年08月16日1980年代犠牲祭。
DIA-301-1986-08-18-1バングラデシュ1986年08月18日1980年代SAARCエネルギー開発専門家会議。
DIA-301-1986-08-21-1バングラデシュ1986年08月21日1980年代BNP総裁選,無投票で現ハレダ総裁再任さる。
DIA-301-1986-08-21-2バングラデシュ1986年08月21日1980年代日本,IJO(国際ジュート機構)に対し9万353ドルを贈与。日本は第3位のジュート輸入国。
DIA-301-1986-08-23-1バングラデシュ1986年08月23日1980年代ジュート政策発表以前に政府が買上げ開始。政府は,価格引上げをねらうためと弁明。
DIA-301-1986-08-24-1バングラデシュ1986年08月24日1980年代Fazley Rabbi国会議員,ミザヌール首相の政治問題次官(副大臣のランク)に任命さる。
DIA-301-1986-08-24-2バングラデシュ1986年08月24日1980年代ナイジェリアのRansome-Kuti保健相来訪。
DIA-301-1986-08-25-1バングラデシュ1986年08月25日1980年代シレットに大学設立,政令の形で発表さる。
DIA-301-1986-08-25-2バングラデシュ1986年08月25日1980年代ソ連のOV.Bostorine特命大使来訪。
DIA-301-1986-08-25-3バングラデシュ1986年08月25日1980年代ALハシナ,Gopalganjの2選挙区の投票所に軍隊が配備されていることに憤りを表明。
DIA-301-1986-08-26-1バングラデシュ1986年08月26日1980年代8選挙区で国会議員補欠選挙実施。候補者は18人,殆どがJP対ALの一騎打ち。親・反政府系有権者の衝突で200人が負傷,AL党員50人が逮捕された。同日夜ALハシナ総裁は,政府はあらゆる行政機構を用いて票の強奪を行なっており,この選挙結果を承認しない,と表明。
DIA-301-1986-08-26-2バングラデシュ1986年08月26日1980年代(北京)中バ,文化協力協定にもとづく86~88年度の実施計画に調印。
DIA-301-1986-08-27-1バングラデシュ1986年08月27日1980年代補欠選挙の非公式結果発表。全8議席をJPが獲得。これでJP210,AL76議席,無所属4となった。
DIA-301-1986-08-27-2バングラデシュ1986年08月27日1980年代印パJRC(合同河川委員会)ダッカで開催。両国の灌漑相が出席,これまでのJCEによる活動進展状況を検討。またネパールから協力することに前向きの反応があったと伝えられた。
DIA-301-1986-08-28-1バングラデシュ1986年08月28日1980年代西独と,5000万マルクの無償援助供与協定に調印。世銀と協賛で第3次人口・家族プロジェクトに対して。
DIA-301-1986-08-28-2バングラデシュ1986年08月28日1980年代9月1日より予定の民間バス等の運賃値上げを延期,諸野党の抗議を考慮して。
DIA-301-1986-08-28-3バングラデシュ1986年08月28日1980年代エルシャド,M.Atiqur Rahman少将(戒厳令総司令官付幕僚長・軍務局長)を陸軍参謀長・戒厳令副司令官として任命。
DIA-301-1986-08-29-1バングラデシュ1986年08月29日1980年代ミザヌール首相,非同盟諸国会議出席のため,ハラレ(ジンバプエ)へ出発。
DIA-301-1986-08-31-1バングラデシュ1986年08月31日1980年代エルシャド,陸軍参謀長を退役。戒厳令総司令官の職務は継続。
DIA-301-1986-08-31-2バングラデシュ1986年08月31日1980年代31日付の英日曜紙The Observer,エルシャドの汚職,女性関係,ロウシャン夫人の近親優遇等について一面トップで報ずる。
DIA-301-1986-09-01-1バングラデシュ1986年09月01日1980年代選管,大統領選挙を10月15日に実施と発表。
DIA-301-1986-09-01-2バングラデシュ1986年09月01日1980年代エルシャド,JP正式入党を発表。
DIA-301-1986-09-01-3バングラデシュ1986年09月01日1980年代8政党の呼びかけで半日ゼネスト。
DIA-301-1986-09-01-4バングラデシュ1986年09月01日1980年代86/87年度ジュート政策発表さる。支持価格(85/86年度モーンド当り200タカ)を設けず,市場価格で収穫量全てを買上げる。今年度の生産は500万ペイル,緩衝在庫は290万ペイルに達する見込み。
DIA-301-1986-09-01-5バングラデシュ1986年09月01日1980年代(カトマンズ)バングラ・ネパール合同経済委。
DIA-301-1986-09-02-1バングラデシュ1986年09月02日1980年代エルシャド,JP統裁に就任。政党に活発に参加することで,新しい人生が始まった,と述べる。
DIA-301-1986-09-02-2バングラデシュ1986年09月02日1980年代Worker’s Pathy,大統領選挙不参加を表明。
DIA-301-1986-09-02-3バングラデシュ1986年09月02日1980年代(ハラレ),ミザヌール首相,モルディブのガユーム大統領ら各国首脳と会談。ミザヌールは第8回非同盟諸国会議の副議長に選出さる。
DIA-301-1986-09-03-1バングラデシュ1986年09月03日1980年代JSD(Siraj派),大統領選挙不参加を発表。
DIA-301-1986-09-03-2バングラデシュ1986年09月03日1980年代(カトマンズ)Syeduzzaman大蔵顧問,ネパールのシュレスタ首相ら閣僚と会談。
DIA-301-1986-09-03-3バングラデシュ1986年09月03日1980年代New Nation紙によれば,9月初め米国はバングラに対する婦人・女児・幼児用化繊ジャケットの輸入割当量を現在の7万2000ダースから,14万5000ダースへ倍増。新協定は86年8月1日から89年1月31日まで有効。
DIA-301-1986-09-04-1バングラデシュ1986年09月04日1980年代Moudud Ahmed副首相,政府は国営企業を持株会社に変更することを決定したと表明。
DIA-301-1986-09-07-1バングラデシュ1986年09月07日1980年代AL,中央執行委員会会議で大統領選挙不参加を決定。Jamaatも同様の決定を行なう。
DIA-301-1986-09-07-2バングラデシュ1986年09月07日1980年代BNP,大統領選挙ボイコットを発表。
DIA-301-1986-09-08-1バングラデシュ1986年09月08日1980年代8政党,満場一致で大統領選挙不参加を決定。
DIA-301-1986-09-08-2バングラデシュ1986年09月08日1980年代Khelafat Andolon(キラーファト運動),大統領選挙参加を発表。
DIA-301-1986-09-08-3バングラデシュ1986年09月08日1980年代Rangpur県Mithapukurウポジラのジュート生産農民が,ジュート買上げセンター増設,最低価格500タカ設定を要求してデモ。
DIA-301-1986-09-09-1バングラデシュ1986年09月09日1980年代現存の150ヵ所のジュート買上げセンターに加えて,新たに114ヵ所を増設。
DIA-301-1986-09-09-2バングラデシュ1986年09月09日1980年代フマユーン外相,第41回国連総会議長を務めるためニューヨーク入り。
DIA-301-1986-09-09-3バングラデシュ1986年09月09日1980年代NICAR(全国行政改革実行委員会),86/87年度ADPにおける県・ウポジラインフラ開発のセクター別予算を決定。
DIA-301-1986-09-10-1バングラデシュ1986年09月10日1980年代選管,大統領選挙立候補要綱を発表。
DIA-301-1986-09-11-1バングラデシュ1986年09月11日1980年代BNPハレダ,エルシャドに対し即時辞職,選挙管理内閣への政権委譲を要求。
DIA-301-1986-09-12-1バングラデシュ1986年09月12日1980年代ルカス英貿易次官補来訪(~16日)。
DIA-301-1986-09-12-2バングラデシュ1986年09月12日1980年代弁護士協会調整評議会,国民に大統領選挙ボイコットを呼びかける声明発表。
DIA-301-1986-09-13-1バングラデシュ1986年09月13日1980年代元空軍参謀長Abdul Kalim Khondaker退役空軍少将を大統領選挙反対運動対策顧問に任命。
DIA-301-1986-09-13-2バングラデシュ1986年09月13日1980年代Mahmudul Hasan(現内相)の後任に,国会議員のAbdul Malek退役大佐をダッカ自治体行政官に任命。
DIA-301-1986-09-13-3バングラデシュ1986年09月13日1980年代UPI・共同の報道によれば,バ政府は10月15日の大統領選挙を延期すると発表。理由は当初の予定日がダッカ大学の校舎倒壊で学生39人が死亡した事故の一周忌と重なるためとしている。
DIA-301-1986-09-14-1バングラデシュ1986年09月14日1980年代Savar(ダッカの西32km)の3メガワット核研究炉が臨界点到達に成功。
DIA-301-1986-09-14-2バングラデシュ1986年09月14日1980年代西独と相互投資促進のための協定に調印。
DIA-301-1986-09-16-1バングラデシュ1986年09月16日1980年代国産綿糸の販売を増やし,繊維公団傘下企業の在庫,ロスを減らすための綿糸流通政策発表さる。
DIA-301-1986-09-17-1バングラデシュ1986年09月17日1980年代エルシャドを含め16人が大統領選挙に立候補。中にはムジプル・ラーマン暗殺の首謀者の一人ファルーク・ラーマン退役中佐を含む。
DIA-301-1986-09-17-2バングラデシュ1986年09月17日1980年代JSD(Rab派),エルシャド支持を表明。
DIA-301-1986-09-17-3バングラデシュ1986年09月17日1980年代ブータンのDruk Airとバングラのビマン航空,商業航空協定に調印。10月末よりDruk Airがティンプー=ダッカ間を運航。
DIA-301-1986-09-19-1バングラデシュ1986年09月19日1980年代ALハシナを含め野党系国会議員95人が,国会ならびに憲法による統治を無視した大統領選挙は承認せずとの声明を発表。
DIA-301-1986-09-19-2バングラデシュ1986年09月19日1980年代ダッカ警視庁,交通の妨げになるとしてダッカ・メトロポリタン内の交差点,道路脇での集会ほかあらゆる催しものの開催を禁止。
DIA-301-1986-09-21-1バングラデシュ1986年09月21日1980年代全新聞社,通信社,ストライキ開始。40の主要新聞が休刊。「バングラデシュ・オブザーバー社」の労使紛争の解決,報道の自由,任命書の発行および経営者による妨害の中止を要求。
DIA-301-1986-09-21-2バングラデシュ1986年09月21日1980年代エルシャド,大統領選挙は予定どおり実施と表明。
DIA-301-1986-09-21-3バングラデシュ1986年09月21日1980年代閣僚評議会,大統領選挙候補者に対しラジオ,テレビを通じての充分な宣伝のほか,電話,ジープ等の便宜供与を決定。
DIA-301-1986-09-22-1バングラデシュ1986年09月22日1980年代4人が立候補を取下げ,候補者は12人と確定。
DIA-301-1986-09-26-1バングラデシュ1986年09月26日1980年代パキスタンのNoorani外務担当国務相来バ。
DIA-301-1986-09-27-1バングラデシュ1986年09月27日1980年代ALの集会でハシナ総裁が演説中爆弾爆発。負傷者は14人。AL指導部は無事。
DIA-301-1986-09-27-2バングラデシュ1986年09月27日1980年代Shanti Bahini,チッタゴン丘陵でベンガル人居住者を襲い28人を殺害,他40人が負傷。
DIA-301-1986-10-03-1バングラデシュ1986年10月03日1980年代ファルーク・ラーマン退役中佐,記者会見で大統領に選ばれたら,反逆罪・治安妨害等の容疑で故ムジブル・ラーマンの死後裁判を行なうと表明。
DIA-301-1986-10-03-2バングラデシュ1986年10月03日1980年代(ニューヨーク)Syeduzzaman大蔵顧問,米国のAllen Wallis経済担当国務次官と会見し,米国の援助継続を要請。
DIA-301-1986-10-03-3バングラデシュ1986年10月03日1980年代(ニューデリー)第6回JCE会議。2日間。
DIA-301-1986-10-04-1バングラデシュ1986年10月04日1980年代JSD(Rab派)。同党のプログラムは,エルシャドのプログラムと多くの共通点を持つとし,エルシャド支持を表明。また200人の専門家グループを含めた500人から成る議会を要求。
DIA-301-1986-10-04-2バングラデシュ1986年10月04日1980年代6000人が参加した新聞・通信社のスト解除。経営者側との合意が成立したため。67日間休刊していたBangladesh Observer紙も再刊(6日より)。
DIA-301-1986-10-04-3バングラデシュ1986年10月04日1980年代M.Ahmed教育相,1990年までに全登録私立小学校を国有化すると表明。
DIA-301-1986-10-05-1バングラデシュ1986年10月05日1980年代大統領選挙に反対する報道・出版活動,集会・デモの開催を禁止。
DIA-301-1986-10-05-2バングラデシュ1986年10月05日1980年代Anwar Zahid情報相,各国大使,公使,国際機関代表を集め,選挙は予定どおり実施と発表。
DIA-301-1986-10-06-1バングラデシュ1986年10月06日1980年代Bangladesh Observer紙によれば84年9月に解任された元Janadal(現JP)書記長Mahbubur Rahman,大統領顧問に任命さる。
DIA-301-1986-10-06-2バングラデシュ1986年10月06日1980年代パングラ・チェコ・文化交流計画に調印。科学分野における出版物等の交換。
DIA-301-1986-10-07-1バングラデシュ1986年10月07日1980年代JPの農民組織Jatiya Krishak Partyの集会で,エルシャドは2月末日までに農業ローンを全額返済すれば1万タカまで利子返済を免除と発表。
DIA-301-1986-10-07-2バングラデシュ1986年10月07日1980年代在バ英国大使館発表。10月15日よりバングラ国民は英国入国の際にビザが必要となる。
DIA-301-1986-10-08-1バングラデシュ1986年10月08日1980年代ALハシナ,ダッカとラージシャヒで予定していた集会の開催が警察によって妨害されたと表明。
DIA-301-1986-10-08-2バングラデシュ1986年10月08日1980年代(カトマンズ)3日間続いたSAARC交通・運輸に関する専門委員会終了。地域協力9項目の一つ。
DIA-301-1986-10-09-1バングラデシュ1986年10月09日1980年代10月初めの洪水を契機に上昇した米価を抑えるため,エルシャドは備蓄米10万トンの放出を指示。洪水による死者は,これまでに34人。
DIA-301-1986-10-10-1バングラデシュ1986年10月10日1980年代戒厳令規則に違反して反選挙的集会を開催したとして,Bogra警察署の署長がALハシナ総裁を起訴。
DIA-301-1986-10-10-2バングラデシュ1986年10月10日1980年代8政党,大統領選挙日に夜明けから日暮れまでのゼネスト実施を呼びかけ。
DIA-301-1986-10-10-3バングラデシュ1986年10月10日1980年代選管プレスリリース,選挙は予定どおり実施。
DIA-301-1986-10-10-4バングラデシュ1986年10月10日1980年代BNPハレダ総裁,マイメンシンで集会演説を妨害されたと表明。ALハシナ総裁もジェソールで妨害されたと述べる。
DIA-301-1986-10-11-1バングラデシュ1986年10月11日1980年代BNP(アジズ派),集会開催許可発行を拒否さる。
DIA-301-1986-10-11-2バングラデシュ1986年10月11日1980年代13日夜から15日夜まで48時間,会議集会開催を禁止。
DIA-301-1986-10-12-1バングラデシュ1986年10月12日1980年代ダッカ大学学生寮で爆発。1人死亡。
DIA-301-1986-10-13-1バングラデシュ1986年10月13日1980年代選挙キャンペーンの最終日,エルシャドはJP集会で演説。選挙後に国会召集,その後戒厳令を解除と表明。
DIA-301-1986-10-13-2バングラデシュ1986年10月13日1980年代ダッカ大学を中心に爆発事件続く。車に爆弾を投げられ最高裁判事2人ほか20人以上が重傷を負う。ALハシナ,BNPハレダ両総裁は警察に外出を妨害される。
DIA-301-1986-10-13-3バングラデシュ1986年10月13日1980年代バングラ・スウェーデン,86~91年の開発協力の条件,手続に関する第3次一般協定に調印。
DIA-301-1986-10-14-1バングラデシュ1986年10月14日1980年代夜中に治安部隊がダッカ大学学生寮を捜索。武器を摘発し,152人を逮捕。
DIA-301-1986-10-14-2バングラデシュ1986年10月14日1980年代政府は,ハレダ,ハシナ拘留事実を否定。
DIA-301-1986-10-14-3バングラデシュ1986年10月14日1980年代バングラ・カナダ,二つの了解覚書に調印。人口抑制ならびに肥料供給プログラム。
DIA-301-1986-10-15-1バングラデシュ1986年10月15日1980年代大統領選挙実施さる。政府は「選挙は全国で平和裡に行なわれた」と発表。ダッカの116人を含め全国で 200人以上が逮捕され,負傷者も100人以上になった。
DIA-301-1986-10-15-2バングラデシュ1986年10月15日1980年代ALハシナ,選挙を「完全なごまかし」と評価。またダッカ市内の自宅に爆弾が投げられたと非難。選挙後の国会に参加するか否かは状況次第と表明。
DIA-301-1986-10-15-3バングラデシュ1986年10月15日1980年代BNPハレダ・国会・大統領選挙の無効化を要求。
DIA-301-1986-10-16-1バングラデシュ1986年10月16日1980年代大統領選挙非公式結果発表。エルシャドの圧倒的勝利。2位はキラーファト運動のハフェージ・フズル,3位ファルーク・ラーマン退役中佐。Oliul Islam Chowdhury(13万4211票)。Maulana Khairul Islam Jeslsory(35万391票)。Mohammad Afsaruddin退役少佐(11万1542票)。Mohammad Ansar Ali(11万6923票)。Maulana Hafezji Huzur(147万8930票)。 Khaliur Rahman Majumdar(12万3417票)。Abdus Samad(11万4116票)。Zahir Khan(41万8711票)。Syed Farooq Rahman退役中佐(117万3723票)。Monirul Huda Chowdhury(8万8502票)。Moazzem Hossain Chowdhury退役空軍少佐(15万6328票)。Hossain Mohammad Ershad(2171万7774票)。
DIA-301-1986-10-16-2バングラデシュ1986年10月16日1980年代エルシャド,11月15日までに戒厳令解除の意向表明。
DIA-301-1986-10-16-3バングラデシュ1986年10月16日1980年代外務省,バングラを訪問する英国人に対しビザ取得を義務付け。
DIA-301-1986-10-16-4バングラデシュ1986年10月16日1980年代ノルウエーと577.5万タカ,の贈与協定に調印。BIDS(開発研究所)に委託し財政,農業,保健等に関する調査を行なう費用に充当する。
DIA-301-1986-10-17-1バングラデシュ1986年10月17日1980年代6~7月に実施されたHSC(高校卒業資格試験)の結果公表さる。合格率は56.42%。
DIA-301-1986-10-18-1バングラデシュ1986年10月18日1980年代農村開発に関するSAARC専門委,ダッカで開催,2日間。87年の活動日程について討議。
DIA-301-1986-10-19-1バングラデシュ1986年10月19日1980年代全国の医科大学8校が1ヵ月間の休校を発表。2年間のインターン制度の復活等6項目を要求しスト中の医科大生に連帯。
DIA-301-1986-10-20-1バングラデシュ1986年10月20日1980年代選管,正式にエルシャドの大統領当選を発表。
DIA-301-1986-10-20-2バングラデシュ1986年10月20日1980年代ダッカ大学,46日ぶりに部分的に授業を再開。
DIA-301-1986-10-22-1バングラデシュ1986年10月22日1980年代Matin副首相,毎年8万人が結核で死亡していると表明。
DIA-301-1986-10-23-1バングラデシュ1986年10月23日1980年代エルシャド,大統領に就任。
DIA-301-1986-10-24-1バングラデシュ1986年10月24日1980年代新内閣発表。ミザヌール首相以下顔ぶれ,役職に変化なし。
DIA-301-1986-10-25-1バングラデシュ1986年10月25日1980年代エルシャド,11月10日に国会召集と発表。
DIA-301-1986-10-25-2バングラデシュ1986年10月25日1980年代8政党,国会出席に関して討議。
DIA-301-1986-10-25-3バングラデシュ1986年10月25日1980年代Jamaat・A.A.Khan総裁代行,党員に国会ボイコットを呼びかけ。
DIA-301-1986-10-25-4バングラデシュ1986年10月25日1980年代スウェーデンと無償援助供与交換公文に調印。村落銀行プロジェクトに対し2.5億タカ。
DIA-301-1986-10-26-1バングラデシュ1986年10月26日1980年代韓国の貿易ミッション来訪。
DIA-301-1986-10-29-1バングラデシュ1986年10月29日1980年代(カトマンズ)ガンジス川の増水に関する印・ネパール・バングラ3国会議開始。
DIA-301-1986-10-30-1バングラデシュ1986年10月30日1980年代日本と,ダッカ=チッタゴン間にメグナ橋建設のための79億5700万円無償援助交換公文に調印。
DIA-301-1986-10-31-1バングラデシュ1986年10月31日1980年代トルコのオザル首相来訪。
DIA-301-1986-11-01-1バングラデシュ1986年11月01日1980年代選管,ウポジラ議長補欠選挙を12月8日に実施と発表。国会議員に就任等の理由で空席になったウポジラで実施。立候補受付は11月13日。
DIA-301-1986-11-01-2バングラデシュ1986年11月01日1980年代トルコのオザル首相,トルコから消費財,資本財の購入用に6000万ドルの借款供与をオファー。
DIA-301-1986-11-01-3バングラデシュ1986年11月01日1980年代カーター前米国大統領来訪。Global2000の代表として(~2日)。
DIA-301-1986-11-02-1バングラデシュ1986年11月02日1980年代バングラ,トルコ両国中銀,二国間取引決済のための特別会計の上限を1000万ドルから3000万ドルへ引き上げることで合意,了解覚書に調印。
DIA-301-1986-11-03-1バングラデシュ1986年11月03日1980年代ALハシナ総裁,戒厳令下にある限り,国会ボイコットは続くと表明。国会議員に対し,第7次憲法改正の国会通過阻止を呼びかけ。
DIA-301-1986-11-03-2バングラデシュ1986年11月03日1980年代JSD(Siraj派),次期国会出席表明。
DIA-301-1986-11-04-1バングラデシュ1986年11月04日1980年代政府高官会議,全国64県に県議会設置を決定。
DIA-301-1986-11-04-2バングラデシュ1986年11月04日1980年代エルシャド,軍高官による大統領選挙勝利祝賀会に出席して軍は国家安定の象徴であると述べ,効率性,技術向上に努力するよう要請。
DIA-301-1986-11-04-3バングラデシュ1986年11月04日1980年代公式発表によれば,国境警備隊,海軍に加え,警察にも密輸取締の権限を付与。
DIA-301-1986-11-05-1バングラデシュ1986年11月05日1980年代BNP,Jamaat,5政党等,9政党が11月10日のゼネスト実施を呼びかけ。
DIA-301-1986-11-05-2バングラデシュ1986年11月05日1980年代バングラ・タイ,二国間貿易に関する覚書調印。1989年までに年額1億ドルの達成を目指す。
DIA-301-1986-11-08-1バングラデシュ1986年11月08日1980年代100人の弁護士,知識人が第7次憲法改正に反対する声明を発表。
DIA-301-1986-11-09-1バングラデシュ1986年11月09日1980年代AL等8政党連合,戒厳令解除まで国会に参加しないことを決定。民主主義ならびに独立戦争の理想復活を目指し,街頭,国会両方で運動継続を決議。
DIA-301-1986-11-10-1バングラデシュ1986年11月10日1980年代戒厳令解除。55ヵ月18日ぶり。1982年3月24日以降に公布された全法律を合法化する第7次憲法改正法案が賛成223,反対0で可決された。エルシャド大統領は憲法(最終復活)令に調印。賛成票の内訳はJP208,JSD(Rab派)4,JSD(Siraj派)3,BASKAL2,ML4,無所属2.ALの議員の1人,A.A.Mandalは出席したが,途中で退場し投票せず。
DIA-301-1986-11-10-2バングラデシュ1986年11月10日1980年代BNP等7政党,5政党,Jamaatら諸政党の呼びかけで,夜明けから日暮れまでのゼネスト実施さる。ダッカ市では死者1名,負傷者50名以上を出した。
DIA-301-1986-11-10-3バングラデシュ1986年11月10日1980年代ALのハシナ総裁,第7次憲法改正を国史における“black chapter”とコメント。
DIA-301-1986-11-11-1バングラデシュ1986年11月11日1980年代BNPハレダ総裁,国会は民選によるものではなく,第7次改正も国民に認められるはずがないと表明。
DIA-301-1986-11-11-2バングラデシュ1986年11月11日1980年代BAKSAL緊急会議,第7次改正に賛成票を投じた2人の国会議員の党籍を剥脱。
DIA-301-1986-11-12-1バングラデシュ1986年11月12日1980年代エルシャド,JPの祝賀会で演説。法と秩序の維持により強固な態度で臨むと述べ,国会に対し,学生の政治運動を禁ずる法的措置をとるよう要請。
DIA-301-1986-11-12-2バングラデシュ1986年11月12日1980年代エジプト,アズハルのグランドイマーム,Gad-al Haq来バ。
DIA-301-1986-11-13-1バングラデシュ1986年11月13日1980年代閣僚会議,今後バイタル・ムカラム前広場での大衆集会開催禁止を決定。ナショナル・モスクの神聖性擁護と,交通妨害を除去するためとしている。
DIA-301-1986-11-13-2バングラデシュ1986年11月13日1980年代12月8日のウポジラ議長補欠選挙に対し,176人が立候補届けを提出。
DIA-301-1986-11-13-3バングラデシュ1986年11月13日1980年代独立前までのJamaat指導者Golam Azam(独立後国籍を剥脱された),党支部で演説。バングラでイスラム革命を起こすことも可能と述べる。
DIA-301-1986-11-13-4バングラデシュ1986年11月13日1980年代ADB,チッタゴン・尿素肥料プロジェクトの追加借款として2600万ドルを承認。
DIA-301-1986-11-13-5バングラデシュ1986年11月13日1980年代ニューデリーでガンジス問題に関する閣僚会談。
DIA-301-1986-11-14-1バングラデシュ1986年11月14日1980年代中国から対外経済貿易部副部長,呂学儉を団長とするミッション来訪。
DIA-301-1986-11-15-1バングラデシュ1986年11月15日1980年代エルシャド,第2回南アジア諸国首脳会議出席のため訪印。
DIA-301-1986-11-16-1バングラデシュ1986年11月16日1980年代(インド,バンガロール)第2回南アジア諸国首脳会議。2日間。エルシャドはインド・ガンディー首相,ネバールのビレンドラ国王と水利問題,ティン・ビガ問題についても討議。バングラのAbdul Ahsan代表,初代SAARC事務総長に任命さる。
DIA-301-1986-11-17-1バングラデシュ1986年11月17日1980年代中国と第10次バーター議定書に調印。片道4400万ドル(約13億タカ)。バングラは中国へジュート製品,皮革製品,茶等を輸出,中国からは銑鉄,染料,化学薬品,軽工業品等を輸入。
DIA-301-1986-11-18-1バングラデシュ1986年11月18日1980年代中国の援助によるブリガンガ川の「中バ友好の橋」着工式。総工費10.8億タカ。
DIA-301-1986-11-19-1バングラデシュ1986年11月19日1980年代ローマ法王,ヨハネ・パウロ2世来訪。2日間の公式訪問。法王の来バは初めて。ダッカのエルシャドスタジアムで行なわれたミサには全国のカトリック教徒5000人が出席。法王はムスリムとの対話を強調。
DIA-301-1986-11-20-1バングラデシュ1986年11月20日1980年代BJC(ジュート公社)のジュート買上げ目標を,70万ベイルから155万ベイルに引上げ。政府は7億1750万タカの追加予算を認可。
DIA-301-1986-11-21-1バングラデシュ1986年11月21日1980年代ファルーク・ラーマン退役中佐,国会解散要求。
DIA-301-1986-11-22-1バングラデシュ1986年11月22日1980年代省庁合同会議,新規の人力車運行許可証の発行停止,今後許可証のない人力車は運行禁止,登録ナンバーはナンバープレートに表示,新規の人力車製造停止,ダッカ市を3区に分け車体を色分けする,等を決定。交通週間始まり,取締を強化。
DIA-301-1986-11-23-1バングラデシュ1986年11月23日1980年代大統領官房内閣局次官M.Mahbubuzzaman,大統領顧問に任命さる。国務大臣のランク。
DIA-301-1986-11-23-2バングラデシュ1986年11月23日1980年代合同庁舎への入場規制を強化。ガイドラインを提示。
DIA-301-1986-11-24-1バングラデシュ1986年11月24日1980年代東独のKeller文化担当副大臣来訪。
DIA-301-1986-11-24-2バングラデシュ1986年11月24日1980年代皮革業者協会,5%の輸出税の廃止等,7項目の要求を11月30日までに承認するよう要求。承認されなければ,12月1日より皮革輸出を停止すると警告。
DIA-301-1986-11-25-1バングラデシュ1986年11月25日1980年代カナダ国際開発事業団(CIDA)のCarlson総裁来訪(~29日)。
DIA-301-1986-11-25-2バングラデシュ1986年11月25日1980年代UNDPと対バ援助の基本条件を定めた協定に調印。
DIA-301-1986-11-27-1バングラデシュ1986年11月27日1980年代ビルマのサンユー大統領来訪(~30日)。
DIA-301-1986-11-28-1バングラデシュ1986年11月28日1980年代カナダと約29億7000万タカの無償援助供与了解覚書調印。農村電化および鉄道開発に充当。
DIA-301-1986-11-29-1バングラデシュ1986年11月29日1980年代バ・ビルマ閣僚会談で,ビルマから米1万トンを輸入・バングラからはジュート製品,新聞用紙を輸出することを決定。
DIA-301-1986-11-29-2バングラデシュ1986年11月29日1980年代ジュート輸出価格引上げ。
DIA-301-1986-11-30-1バングラデシュ1986年11月30日1980年代内閣改造。副大統領にNurul Islam司法相を任命・新たに大臣15人が入閣,6人が更迭された(「参考資料」参照)。
DIA-301-1986-11-30-2バングラデシュ1986年11月30日1980年代合同庁舎を保護区域に指定。
DIA-301-1986-12-01-1バングラデシュ1986年12月01日1980年代印パ合同経済委,第3回常任委会議。3日,貿易不均衡是正に合意し覚書調印。バングラのジャムダニサリー,ジュートカーペットの関税優遇措置が承認さる。
DIA-301-1986-12-01-2バングラデシュ1986年12月01日1980年代英国訪問より帰国したMatin内務担当副首相,英政府は,バングラ人入国者に対するDNAテスト実施の考えを捨てた,と報告。
DIA-301-1986-12-01-3バングラデシュ1986年12月01日1980年代外国製タバコの輸入禁止。
DIA-301-1986-12-02-1バングラデシュ1986年12月02日1980年代イラクのIzzat Ibrahim副議長来訪(~5日)。
DIA-301-1986-12-03-1バングラデシュ1986年12月03日1980年代政府発表。所属する学生が公共のバス,他の車両に放火あるいは破壊活動を行なった教育機関に対して,補助金の交付を停止する。
DIA-301-1986-12-03-2バングラデシュ1986年12月03日1980年代11月30日の内閣改造で更迭されたMahmudul Hasan元内務相,JP書記長に任命さる。前任者のM.A.Matinは最高幹部会メンバーに就任。
DIA-301-1986-12-03-3バングラデシュ1986年12月03日1980年代ダッカで英連邦諸国高官会議。
DIA-301-1986-12-04-1バングラデシュ1986年12月04日1980年代(カルカッタ)ALハシナ総裁,デリーへ向かう途中,カルカッタ空港で記者に対し,次期国会に出席する意向を表明。
DIA-301-1986-12-06-1バングラデシュ1986年12月06日1980年代政府発表によれば,Rangpur町議会を180日間解散し,同議会の業務体制を調査。
DIA-301-1986-12-07-1バングラデシュ1986年12月07日1980年代印パ軍代表団会談。Shanti Bahini,TNV(トリプラ民族義勇軍)の活動について討議。両国は反乱防止のため協力強化に合意。
DIA-301-1986-12-08-1バングラデシュ1986年12月08日1980年代31ウポジラで議長補欠選挙。
DIA-301-1986-12-08-2バングラデシュ1986年12月08日1980年代エルシャド,関連当局に対し,密輸取締り強化を指示。また繊維省に対し糸・布の充分な供給確保を要請。
DIA-301-1986-12-08-3バングラデシュ1986年12月08日1980年代日本,バングラ,20億円の無償援助供与交換公文に調印。米国からの小麦の購入,輸送コストを賄う。
DIA-301-1986-12-10-1バングラデシュ1986年12月10日1980年代選管,19のウポジラ議長選挙の結果を発表。
DIA-301-1986-12-11-1バングラデシュ1986年12月11日1980年代エルシャド,サウジ公式訪問に出発。
DIA-301-1986-12-11-2バングラデシュ1986年12月11日1980年代BNPハレダ総裁,民主主義・民族主義諸勢力に対Lこれまでの相違点をなくし,一致団結して運動推進を呼びかけ。
DIA-301-1986-12-11-3バングラデシュ1986年12月11日1980年代「新工業投資計画1985~1900年」発表さる。投資認可手続を簡略化。
DIA-301-1986-12-11-4バングラデシュ1986年12月11日1980年代ノルウェーと87年の年次贈与として8.1億タカの贈与供与了解覚書に調印。
DIA-301-1986-12-11-5バングラデシュ1986年12月11日1980年代ADB,クルナ県の下水,治水灌漑システムの修復に対し,1690万ドルの借款および技術援助を承認。
DIA-301-1986-12-12-1バングラデシュ1986年12月12日1980年代ムスリム連盟執行委,党決定に反し第7次憲法改正を支持した4人の国会議員に対する制裁実施を決定。
DIA-301-1986-12-14-1バングラデシュ1986年12月14日1980年代選管,8日に中止された11ウポジラでの再選挙を12月22日に行なうよう指示。
DIA-301-1986-12-14-2バングラデシュ1986年12月14日1980年代エルシャド,サウジより帰国。
DIA-301-1986-12-17-1バングラデシュ1986年12月17日1980年代カグラチャリ県Hazasara村で,武装グループが村人10人を殺害。
DIA-301-1986-12-17-2バングラデシュ1986年12月17日1980年代ダッカ刑務所に拘留されている300人以上が,恩赦要求でハンスト開始。
DIA-301-1986-12-18-1バングラデシュ1986年12月18日1980年代12月25日から29日まで予定されていたフマユーン外相の訪ソ予定延期さる。理由は,今期国連総会(同相が議長)の会期延長のためとされる。
DIA-301-1986-12-21-1バングラデシュ1986年12月21日1980年代閣僚会議決定。今後,農業ローン返済滞納者のウポジラ議会,地方自治体,ユニオン議会の議長,議員への任命,選出を禁止,また現職の滞納者に対しても制裁措置を講ずる,これらの法改正の検討に着手,暫定措置として2月28日までに,議長,議員から滞納なしの宣 誓供述書をとる等が決められた。
DIA-301-1986-12-21-2バングラデシュ1986年12月21日1980年代ダッカ市,時的に人力車運行許可証の発行を停止。既得権益を享受している層の反対で発行が妨害された。
DIA-301-1986-12-21-3バングラデシュ1986年12月21日1980年代残留パキスタン人総合帰還委員会,在バビハール人難民に対し,アフガニスタン,カンボジア難民と同等な地位を与えるよう要求。
DIA-301-1986-12-22-1バングラデシュ1986年12月22日1980年代ダッカ大学のAbdul Maman副学長,大学の内政に対する官僚の介入を強く非難。
DIA-301-1986-12-22-2バングラデシュ1986年12月22日1980年代マレーシア国産車Proton Saga,バングラ市場に上陸。その祝賀会で,ミザヌール首相はバングラ企業家に国産車製造を奨励。
DIA-301-1986-12-22-3バングラデシュ1986年12月22日1980年代郵便の選別,中継,配達の迅速化をはかるため郵便番号制度を導入。
DIA-301-1986-12-23-1バングラデシュ1986年12月23日1980年代ダッカ市行政官,Abdul Malek退役中佐,近くダッカ市の区長,議員選挙日程を発表と表明。
DIA-301-1986-12-24-1バングラデシュ1986年12月24日1980年代エルシャド,軍隊は統治者にとっての装飾品(ornaments)であると評す。また行政と軍は各々孤立したものではなく互いに補完的である,と述べる。
DIA-301-1986-12-24-2バングラデシュ1986年12月24日1980年代選管,11ウポジラの議長選挙結果発表。
DIA-301-1986-12-24-3バングラデシュ1986年12月24日1980年代(ワシントン)フマユーン外相,米ブッシュ副大統領と会見。同副大統領は来年バングラ訪問の意向を表明。
DIA-301-1986-12-24-4バングラデシュ1986年12月24日1980年代シレット県Haripurガス田の第7井戸で石油発掘さる。初日の生産量は600バイル。推定埋蔵量は約4000万バイル。
DIA-301-1986-12-25-1バングラデシュ1986年12月25日1980年代エルシャド,鼻の隔膜手術をうける。政府スポークスマンによれば経過は良好。31日に退院。
DIA-301-1986-12-25-2バングラデシュ1986年12月25日1980年代Jamaat党員会議,全政党に団結呼びかけ。現政権打倒の1点に集中して運動することを提唱。
DIA-301-1986-12-26-1バングラデシュ1986年12月26日1980年代Blix国際原子力機関総裁来訪。
DIA-301-1986-12-27-1バングラデシュ1986年12月27日1980年代カタールのAl-Ansari労働・社会問題担当国務相来訪。
DIA-301-1986-12-28-1バングラデシュ1986年12月28日1980年代ダッカでSAARC女性問題に関するワークショップ開催。
DIA-301-1987-01-01-1バングラデシュ1987年01月01日1980年代BAL評議員会,開催―BALは1983年来初めて評議員会を開催した。3日役員選挙が行なわれ,ハシナ委員長が再選された。書記長代行にはサジェダ・チョウドリ女史が選出された。この他Presidium Member 12人も選出されている。同評議員会は,12項目から成る要求を決議,閉会した。(1)国営企業の民間払い下げ政策の中止,(2)銀行,ジュート工業,ジュート輸出の国有化,(3)中小工業の育成,(4)外国援助依存をなくし,自立経済を建設する,(5)物価引き下げ,(6)ガス,石油,石炭などの開発,など。
DIA-301-1987-01-01-2バングラデシュ1987年01月01日1980年代バス料金,引き上げ―政府はバス料金を最高50%引き上げると発表した。
DIA-301-1987-01-03-1バングラデシュ1987年01月03日1980年代1986/87年度の食料不足は170万トン―政府発表によると,86/87年度の食料不足は85/86年度の230万トンに比べ60万トン減の170万トンの見込み。輸入は194.1万トンを予定している。全て海外の食料援助(大部分は贈与による)。年度末までに備蓄食料を150万トンにする予定。
DIA-301-1987-01-03-2バングラデシュ1987年01月03日1980年代BAL,分裂―党評議員会の反委員長派は役員選挙を巡って委員長と対立,ついに分裂した。彼らは別個に会合を開き,51人からなる組織委員会を設立,代表にIqbal Hossain を選出した。
DIA-301-1987-01-05-1バングラデシュ1987年01月05日1980年代ブータン外相,訪バ―小国の安全保障に関する国際会議に出席するため。
DIA-301-1987-01-05-2バングラデシュ1987年01月05日1980年代メトロポリタン商工会議所年次総会,開催―Habibullah Khan 総裁が挨拶,工業化促進のため,政府の一層の奨励策の必要性を強調した。総会に出席したアーメド副首相は工業化には民間部門の協力が必要で,政府は工業部門への干渉を減らし,相互信頼をうち建てるよう努力すると述べた。
DIA-301-1987-01-05-3バングラデシュ1987年01月05日1980年代SAARCの米に関する専門家会議,ダッカで開催。
DIA-301-1987-01-05-4バングラデシュ1987年01月05日1980年代1986年7~11月の輸出入―輸出は108.9億タカで,前年同期比3.1%増,輸入は,98.6億タカで前年同期比25%減となった。輸出の伸び悩みは,ジュートおよび同製品の国際価格の低迷によるもの。
DIA-301-1987-01-06-1バングラデシュ1987年01月06日1980年代小国の安全保障に関する国際会議,開催。
DIA-301-1987-01-06-2バングラデシュ1987年01月06日1980年代工業部門のシエア,低下―BIDSによれば,GDPに占める工業部門のシェアは1981/82年度から85/86年度にかけてむしろ低下し,10.7%から5.5%になった。工業設備稼動率の改善も見られず,鉄綱40%,ジュート48.8%,綿紡績66%,セメント66.7%,肥料70.8%。
DIA-301-1987-01-07-1バングラデシュ1987年01月07日1980年代インド外相,訪バ―ティワリ・インド外相は国境紛争解決と水資源開発協力について協議するためバングラを訪問,チョウドリ外相と会談した。7日,エルシャド大統領とも会談,8日帰国した。
DIA-301-1987-01-07-2バングラデシュ1987年01月07日1980年代ダッカ弁護士協会メンバー,最高裁法廷をボイコット―政府の第7次憲法改訂に反対して。
DIA-301-1987-01-08-1バングラデシュ1987年01月08日1980年代大統領,冬期国会を1月24日から召集すると発表。任期は約1カ月。
DIA-301-1987-01-08-2バングラデシュ1987年01月08日1980年代シャンテイ・バヒニ,変電所を爆破。
DIA-301-1987-01-08-3バングラデシュ1987年01月08日1980年代Election Commissioner にスルタン・ホセイン・カーン任命される。
DIA-301-1987-01-11-1バングラデシュ1987年01月11日1980年代実験用原子炉,完成―米国製Triga Mark Ⅱ型実験炉で,主に医療用,ラジオ・アイソトープ,農・工業用,核研究のために使用される。総費用は1.8億タカで,設置場所はダッカ近郊のサバール。
DIA-301-1987-01-12-1バングラデシュ1987年01月12日1980年代副大統領,弁護士などを非難―最高裁の弁護士などは,反政府運動に名をかりて,最高裁の権威を犯している,と。
DIA-301-1987-01-13-1バングラデシュ1987年01月13日1980年代エルシャド大統領,インドネシア訪問(~7日)―14,15日の2度にわたってスハルト大統領と会談,経済,技術協力促進のため,合同委員会を設置すること。両国の貿易不均衡を是正することで合意した。またASEANとSAARCの協力についても討議した。
DIA-301-1987-01-13-2バングラデシュ1987年01月13日1980年代ジャムナ橋建設援助国会議,ダッカで開催―世銀の主催によるもので,アメリカ,イギリス,フランス,ドイツなど13カ国が参加,ADB,EEC,UNDPも出席した。現在の予定では,総工費4億ドル,1992/93年度に完成予定。
DIA-301-1987-01-18-1バングラデシュ1987年01月18日1980年代ソ連とバーター協定に調印―往復4700万ポンドで,主な輸入品は綿花,ディーゼル・オイル,機械類と部品など。
DIA-301-1987-01-19-1バングラデシュ1987年01月19日1980年代投資フォーラム開催―工業省,UNDP,UNIDO共催によるフォーラムで,外国投資家200人,バングラデシュ投資家450人が参加した。会議は22日まで開かれ,合弁案件についても協議した。
DIA-301-1987-01-21-1バングラデシュ1987年01月21日1980年代ゴラサール火力発電所第3号基,稼動―これでゴラサールの発電総能力は320万MWになる。さらに4号,5号基が完成する1990年には750MWになる。ソ連の資金協力による。
DIA-301-1987-01-22-1バングラデシュ1987年01月22日1980年代与党国民党(Jatiya Party)の役員選挙―党執行委員会メンバーは委員長がエルシャド大統領,書記長M・ハッサン(退役少将),副委員長に11人が選出された。
DIA-301-1987-01-22-2バングラデシュ1987年01月22日1980年代アワミ連盟(BAL)党大会で役員選挙―ハシナ委員長が発表したもので,役員5人,中央執行委員27人が選出。
DIA-301-1987-01-22-3バングラデシュ1987年01月22日1980年代バ・米繊維交渉,協定に調印―米国は綿・合繊シャツの輸入割当てを撤廃する,合繊婦人ブラウスは50万ダースとする(15%増),などバングラ側に有利な内容となった。
DIA-301-1987-01-24-1バングラデシュ1987年01月24日1980年代国会召集―エルシャド大統領は開会演説を行ない,民主的体制を確立するに当たっての軍の役割を高く評価するとともに,ベンガル・ナショナリズムの高揚のため,外国との通信を除き,ベンガル語を使用するように強調した。野党議員は大統領演説をボイコットした。
DIA-301-1987-01-25-1バングラデシュ1987年01月25日1980年代エルシャド大統領,クウェート訪問―OIC首脳会議出席のためで,28日同会議で演説,29日帰国した。
DIA-301-1987-01-29-1バングラデシュ1987年01月29日1980年代西ベンガル州ジョティ・バース州首相,訪バ―非公式訪問だが,同氏は生まれ故郷のナラヤンガンジを離れた1946年以来初めての訪バになる。31日,エルシャド大統領と会談。
DIA-301-1987-01-29-2バングラデシュ1987年01月29日1980年代北朝鮮とバーター協定に調印―片道2500万ドル。
DIA-301-1987-02-01-1バングラデシュ1987年02月01日1980年代86年12月末の債務累積額は約64億ドル,1970.7億タカ―サイドザマン蔵相が国会で発表したもので,86/87年度は利子支払いだけで25億タカ(85/86年度22億タカ。),輸出収入の8.1%(同7.7%)であった。なお独立以来86年6月末までの外国援助総額は140億ドルである。86/87年度インフレ率は11.2%。
DIA-301-1987-02-02-1バングラデシュ1987年02月02日1980年代政府,週刊誌Amar Bangla を発禁処分。
DIA-301-1987-02-02-2バングラデシュ1987年02月02日1980年代公共・民間投資とも不振―蔵相は記者会見で85/86年度投資額は公共・民間部門とも低調で,それぞれ前年度比-15%,-8%となったと述べた。
DIA-301-1987-02-02-3バングラデシュ1987年02月02日1980年代海外で働く労働者数は,独立以来86年12月までに延べ48万593人,海外からの送金額は総額887.1億タカ。
DIA-301-1987-02-03-1バングラデシュ1987年02月03日1980年代河川水の配分について―バングラデシュはインドに対し54河川の水量の半分,ブラーマプトラ河の水量の75%をバングラに配分するよう要求している。また北部ティスタ河については,インドが上流のGajaldoba に堰を構築したことによりラングプール県の灌漑計画が実現不能になる危険があるとして,インドに対し渇水期の水量を十分保証するよう要求している。
DIA-301-1987-02-03-2バングラデシュ1987年02月03日1980年代ジュート工業の民間払い下げ―これまでに35工場が民間に払い下げられた。
DIA-301-1987-02-03-3バングラデシュ1987年02月03日1980年代カナダ援助,協定に調印―訪バ中のカナダ外相は,6500万カナダドル(24.5億タカ)の商品援助と,1019万カナダドル(2.2億タカ)のプロジェクト援助に関する覚え書きに調印した。
DIA-301-1987-02-04-1バングラデシュ1987年02月04日1980年代ダッカ大学で11人の学生指導者が逮捕され,それに抗議する集会・デモ―デモ参加の一部学生は副学長に暴行を加えたため警官が導入された。
DIA-301-1987-02-04-2バングラデシュ1987年02月04日1980年代文相,私立小学校約1000校について,1990年までに国有化する予定と発表。
DIA-301-1987-02-05-1バングラデシュ1987年02月05日1980年代政府部門の工業,銀行の民営化を否定―大統領は政府部門の工業,銀行の民間払い下げの噂を否定,経済発展のためには政府部門と民間部門とがお互いに補完し合っていく必要があると述べ,政府部門については,その経営の効率化に必要な手だてをとると述べた。
DIA-301-1987-02-05-2バングラデシュ1987年02月05日1980年代魚の供給不足―漁業・家畜相によれば,1日の魚需要は3300トン,供給は2100トンで,1200トン不足している。
DIA-301-1987-02-05-3バングラデシュ1987年02月05日1980年代縫製業は商務省の管轄下に―大統領は縫製業の発展のため,その管轄を工業省から商務省に変更した。
DIA-301-1987-02-06-1バングラデシュ1987年02月06日1980年代チッタゴンにもう一つの肥料工場設立計画―カーナフリ尿素肥料工場で,政府は同事業の内容検討のための委員会を設立した。原料はバクラバッドの天然ガス,生産能力は日産1500~1725トン。
DIA-301-1987-02-07-1バングラデシュ1987年02月07日1980年代マザー・テレサ,訪バ,エルシャド大統領と会見。
DIA-301-1987-02-07-2バングラデシュ1987年02月07日1980年代タンガイルでバス料金引き上げを巡って乗客と警察とが衝突,50人負傷。
DIA-301-1987-02-09-1バングラデシュ1987年02月09日1980年代ダッカでバス料金値上げ反対デモ荒れる―中央学生行動委員会(CSAC)など学生組織は政府のバス料金値上げに反対して,ダッカ各地で集会・デモを行ない,警察隊と衝突した。国会でも討議されたが,政府は「バス料金引き上げは過去5年間行なっておらず,専門家委員会の勧告に基づいて決定されたものである」として,野党の値上げ撤回要求を拒否した。
DIA-301-1987-02-09-2バングラデシュ1987年02月09日1980年代4ウポジラ議長,解任―地方政府相によれば,これまで全国460人のウポジラ議長の不正,権力乱用に対する苦情が84件政府に寄せられ,調査の結果4件において不正が見つかり,4人の議長が解任された。
DIA-301-1987-02-10-1バングラデシュ1987年02月10日1980年代野党連合,ハルタル呼びかけ―7政党,5政党連合は2月16日,政府の辞任と国会解散を要求して全国ハルタルを呼びかけた。
DIA-301-1987-02-10-2バングラデシュ1987年02月10日1980年代ムスリム連盟(BML),内紛―BML議長Kazi Kader 派と書記長M.A.Matin 派とで対立。13日に妥協成立。
DIA-301-1987-02-10-3バングラデシュ1987年02月10日1980年代土地改革・土地行政相によれば1986年の土地なし農家戸数は840万戸で,これは農家総数の47.8%に当たり,1972年の780万戸に比べ60万戸増加した。
DIA-301-1987-02-11-1バングラデシュ1987年02月11日1980年代国会議員歳費引き上げ法案,上程―基本給は月額1500タカから3000タカへ,選挙区手当1500タカを新設,その他手当500タカ,会期中の日当は75タカから150タカに引き上げる。施行は86年7月から。
DIA-301-1987-02-11-2バングラデシュ1987年02月11日1980年代ダッカで学生と警官隊の衝突。バス料金値上げ反対で。
DIA-301-1987-02-11-3バングラデシュ1987年02月11日1980年代1982~86年の5年間の犯罪―内務相によれば,殺人事件9977件,強盗4494件,窃盗4万1156件,密輸2万696件が過去5年間に発生した。全国の警察所数は519,刑務所の定員は1万9239人,実際の収容数は2万5277人。
DIA-301-1987-02-11-4バングラデシュ1987年02月11日1980年代IMF,2.82億ドルの借款供与を承認―うち1.12億ドルはただちに供与される。
DIA-301-1987-02-12-1バングラデシュ1987年02月12日1980年代政府,内水路客船の調査を指示―内水路客船の事故が多発しているための措置で,とくに船のエンジンを浅井戸ポンプ用のエンジンで代用しているケースがあり,これが事故の原因となっている。
DIA-301-1987-02-14-1バングラデシュ1987年02月14日1980年代チャクマ過激派,ベンガル人入植村を襲撃―自動小銃などで武装したチャクマ過激派がチッタゴンのベンガル人入植村を襲撃,女性と子供を含む11人を殺害,25人を負傷させ,農家40戸を焼き払い,学校,マドラッサ,モスク各一に放火した。
DIA-301-1987-02-14-2バングラデシュ1987年02月14日1980年代ダッカで学生と警察が衝突,10人負傷―CSACのデモ隊と警察が衝突,10人負傷,7人逮捕,車両3台に放火。
DIA-301-1987-02-15-1バングラデシュ1987年02月15日1980年代大統領らの報酬引き上げ法案,国会提出―大統領は1万タカ(旧2500タカ),副大統領は8500タカ(旧2200タカ),国会議長および首相は8000タカ,副首相7000タカ,大臣6000タカ,国務相5000タカ,副大臣4000タカ,野党指導者6000タカ,副指導者5000タカとする。
DIA-301-1987-02-15-2バングラデシュ1987年02月15日1980年代1985/86年度の外国援助受け入れ額,162.5億タカ―蔵相は国会で85/86年度に対バ援助国会議からの援助受け入れ額が5.434億ドル,162.5億タカに達したと述べた。
DIA-301-1987-02-16-1バングラデシュ1987年02月16日1980年代6時間の全国ハルタル―各野党政党連合共催によるハルタルが全国で実施された。要求は,(1)議会の解散,(2)現政府の辞任,(3)国営工業,銀行,保険の民間払い下げ反対など。ハルタルはダッカなど一部を除き平穏に行なわれた。各政党連合は個別に集会,デモを実施。
DIA-301-1987-02-16-2バングラデシュ1987年02月16日1980年代失業者数は620万人―労働相は,1985年の調査によれば当時の失業者数は620万人,うち33万人は教育を受けた人たちであり,また工業労働者数は184.4万人,うち101.4万人は熟練労働者,36.9万人は半熟練労働者,46.1万人は未熟練労働者であったと述べた。
DIA-301-1987-02-17-1バングラデシュ1987年02月17日1980年代大統領,激しい野党批判―大統領はジャマルプールで開かれた大衆集会で演説,ハルタルによって政府を倒そうとの野党の要求を激しく非難,選挙以外の方法で国民の支持を得ようとしても実現しないと述べた。
DIA-301-1987-02-17-2バングラデシュ1987年02月17日1980年代国営ジュート工業,62.1億タカの損失―ジュート相は国会で,85年7月から12月までの国営ジュート工業の損失は,62.1億タカに達すると述べた。なお国営ジュ-ト工業の労働者数は,独立当時の17.7万人から14.3万人に減少している。
DIA-301-1987-02-17-3バングラデシュ1987年02月17日1980年代日本から8億タカの贈与―二つの覚え書きに調印,(1)債務救済に6.76億タカ,(2)気象レーダー更新に1.28億タカ。
DIA-301-1987-02-19-1バングラデシュ1987年02月19日1980年代85/86年度の魚輸出は2万トン,32.6億タカ。
DIA-301-1987-02-19-2バングラデシュ1987年02月19日1980年代ジュート製糸部門,不振―ジュート糸の生産は86年7~12月で1.78万トン,前年同期の3.28万トンを大幅に下回った。輸出も同期に5.2億タカから3.4億タカに下がっている。輸出価格がトン当り687ドルから625ドルに下がったことも響いたと見られる。生産不振の理由は,赤字つづきで運転資金不足のため。
DIA-301-1987-02-19-3バングラデシュ1987年02月19日1980年代ジュート生産者価格,低迷―86/87年度の生産者価格はトン当り117ドル,85/86年度の186ドルに達せず,84/85年度の556ドルを大幅に下回っている。
DIA-301-1987-02-23-1バングラデシュ1987年02月23日1980年代チャクマ過激派,ベンガル人の村を襲撃―襲われたのはランガマティで,死者8人,負傷者5人。過激派は襲撃後インド領に逃げた。
DIA-301-1987-02-23-2バングラデシュ1987年02月23日1980年代定期刊行物18件,発禁―情報相は週刊誌など18件を発禁処分にしたと発表した。発禁となったのは,週刊誌8誌(Amar Desh,Jai Jai Din,Amader Katha,Sangbadik,Ekota,Ittehad,Jayjatra,Chitarath),月刊誌10誌。
DIA-301-1987-02-24-1バングラデシュ1987年02月24日1980年代チャルナ港,モングラ港に改名。
DIA-301-1987-02-24-2バングラデシュ1987年02月24日1980年代85/86年度のウポジラ行政費は24億タカ,ウポジラ選挙に要した費用は2960万タカ。
DIA-301-1987-02-24-3バングラデシュ1987年02月24日1980年代経済不振,つづく―工業生産,貿易部門の不振は86年9月頃から始まったが,その後も改善の兆候は見られない。農民の現金収入の減少による需要減退のためで,たとえば肥料販売量は86年7~12月で,前年同期比5.33%減少した。石鹸,電池,医薬品などの販売額も,それぞれ32%,21%,25%の減となっている。工業生産額も伸び悩み,綿布は4.1%,鉄インゴットは14.7%,ビレットは29.3%の減産となっている。ジュート生産は3.9%の増産であったが,ジュート製品輸出は単位価格が11.5%低下したためもあって,27%も減少した。輸出全体では86年7~12月に4億3520万ドル,前年同期の4億5463万ドルに比べ,4.3%の減少であった。輸入もこの間に22%減少した。
DIA-301-1987-02-24-4バングラデシュ1987年02月24日1980年代農業の電力消費は3%―エネルギー相によれば,電化されている農村は9542カ村にすぎず,農業部門の電力消費は全体の3%にすぎない。
DIA-301-1987-02-25-1バングラデシュ1987年02月25日1980年代各県に工業団地を造成―大統領はジョイデヴプールの工業団地開所式で,民間主導の工業化を進めるため,各県に小規模・家内工業公社(BSCIC)による工業団地を造成すると発表した。
DIA-301-1987-02-25-2バングラデシュ1987年02月25日1980年代農業担当相によれば,1975年以来今日まで肥料価格は334%引き上げられたが,その使用量は減少せず,この間350%増加した。肥料の需要量は132.5万トンで,現在肥料は補助金なしの価格で販売されている。
DIA-301-1987-02-25-3バングラデシュ1987年02月25日1980年代土地開発税―2エーカー以下の農地所有者は1デシメル当り3パエサ,2~5エーカーの農家は初めの2エーカーについて6タカ,その後は1デシメル当り15パエサ,5~10エーカーの場合は,初めの5エーカーに51タカ,その後は1デシメル当り36パエサ,10~15エーカーの場合,初めの10エーカーについて231タカ,その後は1デシメル当り60パエサ,15~25エーカーの場合,初めの15エーカーについて531タカ,その後は1デシメル当り95パエサ,25エーカー以上の場合,初めの25エーカーについて1481タカ,その後は1デシメル当り1.45タカ。
DIA-301-1987-03-01-1バングラデシュ1987年03月01日1980年代法曹界のスト,中止―最高裁弁護士協会委員長兼バングラデシュ弁護士協会評議会代表は,政府が最高裁判所内に高等裁判所局の設置を認めたことから,そのストを中止すると発表した。これにより,82年の戒厳令布告後設立された地方の6高等裁判所は廃止される。
DIA-301-1987-03-01-2バングラデシュ1987年03月01日1980年代国会,ダッカ首都法令(修正)案を可決―任命される女性議員数を10人から12人に引き上げる。
DIA-301-1987-03-01-3バングラデシュ1987年03月01日1980年代新聞料金,値上げ―8ページだての新聞料金を2ドルに引き上げる。理由は政府賃金委員会の勧告による賃金引き上げ,その他のコストの上昇。
DIA-301-1987-03-02-1バングラデシュ1987年03月02日1980年代大統領,国有地80万エーカーの配分を発表―「土地改革会議」に出席した大統領は土地なし農民に対し,1農家当り2エーカー(6ピガ)の国有地を1エーカー当り1タカのサラミ(権利金)で配分すると発表した。土地の登記は夫婦の共同名義とすることも可。ただし,供与された国有地の転売は認めない。農家はこのほかに3000タカの畜牛購入資金を供与される。
DIA-301-1987-03-02-2バングラデシュ1987年03月02日1980年代1987/88年度ジュート政策,発表―生産目標は450万ペイル,輸出はジュート230万ペイル,ジュート製品55万トン。ジュートの繰り越し量は340万ペイル,国内消費量は380万トンで,次年度への繰り越しは180万トンとなる。作付け面積は135エーカー,種子2.5万モーンドは配布済み。政府は買い上げセンターをとおして市場価格で最大限の買い付けを行なう。その他,BJMCが120万ペイル,BJMAが70万ペイル,BJSAが20万ペイル,BJAが90万ペイル,民間が150万ペイルのジュートの買い付けを行なう。ジュート製品の生産目標は60万トン(BJMCの工場で33万トン,BJMAで27万トン),ジュート製品輸出目標は120億タカ。
DIA-301-1987-03-03-1バングラデシュ1987年03月03日1980年代バングラデシュ工業銀行(BSB)改正法案,国会提出―BSBの資本金の49%を一般投資家に開放するための法案。
DIA-301-1987-03-03-2バングラデシュ1987年03月03日1980年代ジャムナ多目的橋の建設場所はシラジガンジに決定。橋の全長は,6.2km,総工費は180億タカ(外貨分130億タカ),1989年に着工予定。
DIA-301-1987-03-05-1バングラデシュ1987年03月05日1980年代学生と警察の衝突,23人負傷―中央学生行動委員会(=CSAC,アワミ連盟系学生組織)によるデモがダッカ中心部でそれを規制する警察隊と衝突,負傷者23人。
DIA-301-1987-03-05-2バングラデシュ1987年03月05日1980年代BSBローン未返済の経営者,逮捕―逮捕されたのはBangladesh Tyres Ltd.の経営者で,未返済額は1250方タカ。
DIA-301-1987-03-06-1バングラデシュ1987年03月06日1980年代与党JPと野党BNPが衝突,50人負傷―ダッカ近郊のアダムジーナガルでBNPの集会にJP支持者が乱入,50人が負傷。
DIA-301-1987-03-07-1バングラデシュ1987年03月07日1980年代大統領,ベンガル語法案に署名―2月26日に国会を通過した法案で,外国との交信を除きベンガル語の使用を義務づけたもの。
DIA-301-1987-03-07-2バングラデシュ1987年03月07日1980年代全国一斉にSSCの試験始まる。初日,54人が不正で退去させられた。
DIA-301-1987-03-08-1バングラデシュ1987年03月08日1980年代国会,バス料金,交通渋滞,トラック事故に関する特別委員会設立を承認。委員長は首相,メンバーは与・野党代表の14人。
DIA-301-1987-03-08-2バングラデシュ1987年03月08日1980年代ダッカ大学医学部で爆破事件―医学部学生食堂建設工事入札に絡む事件と見られる。
DIA-301-1987-03-08-3バングラデシュ1987年03月08日1980年代仏外務担当相,訪バ―D.Bariani 外相で,この後,10日エルシャド大統領と会見した。
DIA-301-1987-03-09-1バングラデシュ1987年03月09日1980年代ダッカ大学寮で爆破事件―BNPの学生組織であるJCDの書記長が死亡,13人が負傷した(うち2人は10日死亡)。JCDは与党系学生組織JCSを非難。
DIA-301-1987-03-09-2バングラデシュ1987年03月09日1980年代政府,インドの領海侵犯を非難―外務省の声明によれば,インド海軍軍艦が領海内に侵入,バ海軍が直ちに立ち去るよう要求するとともに,インド政府に抗議文を送付した。
DIA-301-1987-03-10-1バングラデシュ1987年03月10日1980年代全国ハルタル―CSACの呼びかけによるもので,JCD書記長殺害事件に抗議,現政府の辞任,バス値上げ反対,銀行・保険の民営化反対を主張。
DIA-301-1987-03-10-2バングラデシュ1987年03月10日1980年代BAL委員長ハシナ夫人,訪米。
DIA-301-1987-03-10-3バングラデシュ1987年03月10日1980年代内相,BNPを非難―マーチン内相は国会で演説,学生寮爆弾事件が政府系学生組織によるものとのBNPの批判に反論。警察の調査ではその証拠はなく,むしろ反政府系学生組織によるものであると述べた。
DIA-301-1987-03-11-1バングラデシュ1987年03月11日1980年代ダッカ大学構内で学生と警官が衝突,60人が負傷,35人逮捕。大学当局は同構内への警察立入りの許可は与えていないと主張。
DIA-301-1987-03-12-1バングラデシュ1987年03月12日1980年代ルーマニア大統領,訪バ―チャウシェスク大統領は夫人とともに3日間の公式訪問のため訪バした。13日に首脳会談,その後四つの協力協定に調印した。それらは,(1)経済,科学・技術協力,(2)船舶,(3)二重課税防止,(4)投資保護,等に関する協定。
DIA-301-1987-03-13-1バングラデシュ1987年03月13日1980年代G-77の第6回アジア地域閣僚会議,ダッカで開催―エルシャド大統領が開会演説を行ない,南-南協力の重要性を協調した。参加国は33カ国で,会議は3日間。最終日の15日,「ダッカ宣言」を採択,開発と発展にむけて経済環境を改善するため,相互に協力することを確認した。
DIA-301-1987-03-15-1バングラデシュ1987年03月15日1980年代JSD中央執行委,国会の任期満了以前の選挙を主張。
DIA-301-1987-03-15-2バングラデシュ1987年03月15日1980年代BAKSAL(Sardar-Zafar 派),JPに参加―BAKSAL特別評議会は同党の解散とJPへの参加を決定。BAKSALの委員長は食糧担当国務相。
DIA-301-1987-03-16-1バングラデシュ1987年03月16日1980年代ウキル野党国会代表(BAL),議員内閣制を主張―1972年憲法の第3次改正憲法への復帰を求めたもので,ここでは大統領制ではなく,議員内閣制をとっている。
DIA-301-1987-03-16-2バングラデシュ1987年03月16日1980年代世銀副総裁,訪バ―ホッパー副総裁はダッカでエルシャド大統領と会見,バングラデシュの民営化政策を高く評価。
DIA-301-1987-03-17-1バングラデシュ1987年03月17日1980年代BNP新書記長にObaidur Rahmn が就任―Mustafafizur Rahman 書記長が健康上の理由で辞任したため。ただし党常任委員には留まる。また第一書記次長にはAkbar Hossain(退役中佐)が任命された。なお一時党を離れ,JPに参加して首相にもなったShar Azizur Rahman が復党するとの情報もある。
DIA-301-1987-03-18-1バングラデシュ1987年03月18日1980年代BALハシナ委員長はワシントンでの討論集会でバングラデシュの現状を批判,「国民は独裁政権の下で惨めな生活を強いられている」と述べ,バングラデシュでは「軍人の,軍人による,将軍のための政治」がなされていると批判した。
DIA-301-1987-03-19-1バングラデシュ1987年03月19日1980年代NAPの2派,統合―NAPのムザファール派とホセイン派で,新NAPの委員長はムザファール,書記長にはホセインが就任。
DIA-301-1987-03-19-2バングラデシュ1987年03月19日1980年代蔵相によれば,各国営銀行は,1982年以来現在まで5.4億タカの銀行利子支払いを免除している。理由は返済未納金の支払い促進,災害農家の救済,経営不振の企業の活性化。
DIA-301-1987-03-20-1バングラデシュ1987年03月20日1980年代大統領はダッカで開催のNational Islamic Conference で演説,バングラ社会のイスラム化政策を今後も続けると述べた。
DIA-301-1987-03-20-2バングラデシュ1987年03月20日1980年代ウポジラ開発の問題―ウポジラ制度が導入されて4年目,さまざまな問題が出てきた。Kalaroa Upazila の場合,(1)開発事業の70%がインフラ関係に支出され,生産投資は少ない,(2)事業の実施はずさんで,計画どおりになされていない。経験のある専門家もなく,計画そのものも明確な方針のもとに策定されていないためである,(3)ウポジラ議長と同メンバーの協力関係ができておらず,議会の開催ができない,(4)議長は10万タカ以内の事業を,議会の承認なしに実施できることになっているため,議会メンバーにはからずに事業を決める傾向があり,それが両者の関係を悪化させる,といった問題が起きている。
DIA-301-1987-03-24-1バングラデシュ1987年03月24日1980年代エルシャド政権,6年目に―独立後の最長政権。大統領はJPの集会で演説,これまで5年間の成果を強調,今後5年間,エルシャド政権は民主主義の確立,経済の飛躍的発展,民族主義に基づく国の統一,さまざまな改革の実施に向けて,一層の努力を傾けると述べた。
DIA-301-1987-03-24-2バングラデシュ1987年03月24日1980年代政府,政治犯178人に特赦。
DIA-301-1987-03-24-3バングラデシュ1987年03月24日1980年代野党各派,抗議集会―いずれも現政権の辞任と野党勢力の統一運動を主張。
DIA-301-1987-03-25-1バングラデシュ1987年03月25日1980年代冬期国会,終了。
DIA-301-1987-03-25-2バングラデシュ1987年03月25日1980年代印・バ関係について―チョウドリ外相は国会で最近の印・バ関係について,次のように報告した。「チャクマ難民の帰国問題については,わが国の受け入れ態勢は整っており,インド側の対応次第で解決が早まろう。ディンビガ回廊の帰属問題も近く実現すると期待している。ベンガル湾南タイパッティ島の領有問題は交渉中である。ファラッカの水配分問題では,その解決にネパールの参加を求めるわが国の主張が認められ,交渉が近く持たれよう。アワミ連盟政府はガンジス川水利利用権をインドに売りわたしたが,現政府はそれを取りもどした。
DIA-301-1987-03-27-1バングラデシュ1987年03月27日1980年代チャクマ・ゲリラ,橋を爆破―チャクマ過激派のシャンティ・バヒニはチッタゴン丘陵地帯の橋を爆破した。
DIA-301-1987-03-27-2バングラデシュ1987年03月27日1980年代外国投資申請,伸びず―1月の海外投資家フォーラムで80件の覚え書きが調印されたが,その後実際に投資の申請をした企業はまだ5件に留まっている。
DIA-301-1987-03-27-3バングラデシュ1987年03月27日1980年代印・バ,ダイヤル直通化。
DIA-301-1987-04-01-1バングラデシュ1987年04月01日1980年代最高裁弁護士協会役員選挙―会長にはShamsul Huq,幹事長にはA.B.Majumder が再選された。Huq 会長は司法権の独立のために戦うと述べ,最高裁長官のMunim 判事の任命は憲法違反であり,認めないと述べた。
DIA-301-1987-04-01-2バングラデシュ1987年04月01日1980年代計画委員会(PC)の再編―世銀は今年のレポートで計画委員会の再編・強化の必要性を強調している。PCは近年その役割が縮小されており,人材も集まっていない。たとえば,PCメンバー5人のうちエコノミストは1人,5人の局長のなかにはエコノミストは1人もいない。このため世銀は「強力で,かつ十分な人材を持った計画委員会」にするよう求めている。
DIA-301-1987-04-01-3バングラデシュ1987年04月01日1980年代米価,上昇―政府が手持ち米を放出して落ち着いていた米価が,再び上昇傾向を示している。下級米の1モーンド当り価格は440タカ,先週より20タカの上昇である。
DIA-301-1987-04-02-1バングラデシュ1987年04月02日1980年代チャクマ難民帰国問題で,インドに会談申し入れ―外務省が発表したもので,両国内務相の会談をもち,チャクマ難民の帰国促進とチャクマ人過激派対策について協議するよう提案したもの。
DIA-301-1987-04-02-2バングラデシュ1987年04月02日1980年代政府,民間払い下げの3工業を再接収―払い下げ価格とその他手数料などの支払いがなされなかったためで,それらは,Hamidia Jute Mill,Integrated Timber Industrial Unit,Kohinoor Rubber Industries。
DIA-301-1987-04-04-1バングラデシュ1987年04月04日1980年代チッタゴン大学で学生同士が衝突,学生指導者1人死亡。Jatiya Chhatra Samajの内部対立。
DIA-301-1987-04-04-2バングラデシュ1987年04月04日1980年代BDR・インドBSF長官会議,開催―チャクマ難民の帰国に関する協議で,BDR側は2万6000人の難民の帰国に必要な準備は整っていることを協調した。
DIA-301-1987-04-04-3バングラデシュ1987年04月04日1980年代パキスタン経済・大蔵相,訪バ―第2回合同経済委員会に出席のため。政府代表とは別に,ダウッド氏などパキスタン財界人8人も同行している。
DIA-301-1987-04-05-1バングラデシュ1987年04月05日1980年代ダッカで学生と警官とが衝突,100人負傷,50人逮捕。バラカ映画館に学生が無料入場したため。
DIA-301-1987-04-05-2バングラデシュ1987年04月05日1980年代バ・パ合同経済委員会,開催―1979年設立以来2回目の会議で,貿易の拡大,二重課税防止,合弁企業の設立などについて協議した。6日,二重課税防止条約に調印,7日,会議終了後の記者会見でパ経済・大蔵相は1億ドルの商品援助,10万トンの食糧援助の供与を発表。
DIA-301-1987-04-05-3バングラデシュ1987年04月05日1980年代粉ミルク6万5000袋,放射能汚染のため,チッタゴン港で破棄された。
DIA-301-1987-04-07-1バングラデシュ1987年04月07日1980年代大統領,建設中のチッタゴン尿素肥料工場視察。
DIA-301-1987-04-07-2バングラデシュ1987年04月07日1980年代アジア開発銀行(ADB),5170万ドルの借款供与。
DIA-301-1987-04-07-3バングラデシュ1987年04月07日1980年代国際ジュート機構,7次会議ダッカで開催(~9日)。
DIA-301-1987-04-07-4バングラデシュ1987年04月07日1980年代CIRDAP閣僚会議,17カ国代表を集めてダッカで開催。
DIA-301-1987-04-09-1バングラデシュ1987年04月09日1980年代食糧省,食糧視察官のスト禁止―食糧品価格が上昇している時,それをチェックする視察官がストをすることは国民の利益に反するとして。
DIA-301-1987-04-09-2バングラデシュ1987年04月09日1980年代豆,玉ネギなど,緊急輸入―政府はラマダンを前にして値上がりの目立つ豆類,玉ネギ,にんにく,生姜などの緊急輸入を決めた。
DIA-301-1987-04-09-3バングラデシュ1987年04月09日1980年代BNP,野党議員に国会議員の辞任を呼びかけ―BNP書記長は,ダッカの集会で,エルシャド大統領の辞任,国会解散,中立政府の下での新たな総選挙などが国民の要求であり,これに向けてすべての野党が統一行動を起こすべきで,そのためには野党議員は直ちに辞任すべきであると呼びかけた。
DIA-301-1987-04-10-1バングラデシュ1987年04月10日1980年代BALハシナ委員長,帰国―1カ月にわたって米・英を訪問したもので,空港での記者会見で訪問は有益であったと述べた。
DIA-301-1987-04-11-1バングラデシュ1987年04月11日1980年代ボロ作,好調―農業担当相によれば,ボロ作は好天にも恵まれ好調で,生産目標の419.4万トン(前年度は385.2万トン)を達成すると見られる。ボロの作付け面積は目標426.5万エーカーのところ437.2万エーカーに達しており,前年度の393.1万エーカーを大幅に超えている。
DIA-301-1987-04-11-2バングラデシュ1987年04月11日1980年代ダッカ―チッタゴン間にコンテナ・サービス開始。
DIA-301-1987-04-12-1バングラデシュ1987年04月12日1980年代商務省内に物価監視委員会,メンバー任命―全国の主要物価の動向を監視し,価格安定のための方策を提言するための委員会で,商務相が議長。
DIA-301-1987-04-12-2バングラデシュ1987年04月12日1980年代小麦買い上げ価格,引き上げ―1モーンド当り190タカから200タカに引き上げ,買い上げ量も増やす。
DIA-301-1987-04-12-3バングラデシュ1987年04月12日1980年代小規模・家内工業のための特殊銀行設立を検討―工業相が小規模・家内企業家協会の会合で発表したもので,同相は「少ない資本,少さいリスク,多数の雇用」が政府の工業化政策の基本原則であると述べている。
DIA-301-1987-04-12-4バングラデシュ1987年04月12日1980年代UNDP,ジャムナ多目的橋建設調査に679万ドルの技術協力資金供与。
DIA-301-1987-04-13-1バングラデシュ1987年04月13日1980年代商務省,汚染紛ミルクについて声明―ポーランドから輸入された12万袋の粉ミルクのうち,502袋が不足しており,さらに664袋が盗難にあった。残りについての放射能検査の結果,8万3040袋が放射能に汚染されていることが判明,政府はこれら汚染ミルクの販売を禁止している。盗難にあったもののうち245袋は警察が押収,4人を逮捕,残り419袋のゆくえを捜査中である。
DIA-301-1987-04-13-2バングラデシュ1987年04月13日1980年代サウジアラビアと二重課税防止条約締結に合意。
DIA-301-1987-04-13-3バングラデシュ1987年04月13日1980年代米国との縫製品輸入枠について交渉開始。
DIA-301-1987-04-16-1バングラデシュ1987年04月16日1980年代大統領,メグナ橋建設定礎式に出席―ダッカ―チッタゴン幹線道路上の橋で,日本の資金協力を受ける。大統領は定礎式で演説,メグナ橋は道路開発の一里塚であると述べ,全国460ウポジラのうち407が国道によって繋がっているが,さらにすべてのウポジラが国道で結び着くようにすると述べた。
DIA-301-1987-04-16-2バングラデシュ1987年04月16日1980年代1987/88年度外国援助,19億ドルを要請―大蔵省は,債権国会議に提案する援助要請額を,GDP成長率が5.1%として19億ドルと設定した。この内訳は,プロジェクト援助11.4億ドル,商品援助5.8億ドル,食糧援助1.8億ドルとなっている。前年度のプレッジは18.5億ドル,現実のコミット額は17.5億ドルである。
DIA-301-1987-04-18-1バングラデシュ1987年04月18日1980年代国家経済評議会NEC,1986/87年度改訂年次開発計画を承認―改訂計画の総投資額は451.2億タカで,当初予算の476.4億タカに比べ25億タカ減となった。このうち357.8億タカ(総額の79%)は外国援助の付いたプロジェクト408に配分された。1986/87年度GDPの成長率推計は4.4%。
DIA-301-1987-04-19-1バングラデシュ1987年04月19日1980年代北西部で旱魃被害―過去2カ月降雨が全くないため,地下およびガンジス川の水位が下がり,灌漑用水にも不足したため,アウス米生産に被害がでた模様。
DIA-301-1987-04-21-1バングラデシュ1987年04月21日1980年代米の買い上げ目標決定―政府はボロ米,イリ米の買い上げ目標を10万トンに設定した。買い上げ価格は籾の場合1モーンド200タカ,精米の場合同308タカ。
DIA-301-1987-04-22-1バングラデシュ1987年04月22日1980年代対バ援助国会議,19.5億ドルを約束―パリで開かれた第14回援助国会議は1987/88年度開発援助として19.5億ドルを約束した。これは前年のプレッジ額18.5億ドルを上回る。
DIA-301-1987-04-23-1バングラデシュ1987年04月23日1980年代大統領,政府の5項目政策目標を発表―チャンドプールで演説した大統領は,今後5カ年の政府の政策目標として,次の5項目を発表した。(1)貧困の廃絶,(2)人口増加率引き下げ,(3)通信,エネルギ-の発展,(4)工業化促進,(5)医療,教育の改善。
DIA-301-1987-04-23-2バングラデシュ1987年04月23日1980年代日本と無償協力協定―総額4.9億タカで,(1)消防用資機材と救急車,(2)食料増産援助,(3)屋根用鉄板,(4)送電塔用鉄ポールなどを供与する。
DIA-301-1987-04-24-1バングラデシュ1987年04月24日1980年代食料品価格上昇―ラマダンが近づくにつれ,食料品を中心に物価の上昇が目立ってきた。特に鮮魚類,スパイス,豆類の値上がりが目立つ。
DIA-301-1987-04-25-1バングラデシュ1987年04月25日1980年代サイドザマン蔵相はパリの援助国会議出席から帰国,87/88年度の援助供与額は20億ドルを超えるだろうと述べた。このうち商品援助は5.6億ドル,食糧援助は2.25億ドル,事業援助は11.25億ドルとなっている。蔵相によれば,援助国はバングラの開発計画実施状況の遅れ,特に社会開発分野での遅れに危惧を抱いており,なかでも家族計画と教育の分野での努力を要求している。また,国内資金調達への努力についても強く求めている。
DIA-301-1987-04-25-2バングラデシュ1987年04月25日1980年代インド外務次官,訪バ―K・S・P・メノン外務次官は3日間の予定で訪バ,空港でチャクマ難民問題に触れ,インドには4.8万人のチャクマ難民がいると述べた。これに対しバ外務次官はその数は2.7万人であると反論した。両国外務次官は27日までに3回の会談を持ち,両国関係の発展について協議した。しかし懸案のチャクマ族問題については,インドにいる難民の数,バングラへの帰還の方法などについて意見の一致をみるに至らなかった。また国境の確定,領海線問題についても,今後の話し合いに残された。
DIA-301-1987-04-28-1バングラデシュ1987年04月28日1980年代学生組織の役員選挙,混乱―学生組織の役員選挙は,4月28日までに終わらせることになっているが,各大学,医科大学,大学寮などでの役員選挙は,政党間の対立,党内派閥対立などのため,実施できないか,あるいは投票箱が奪われたりして,混乱している。
DIA-301-1987-05-02-1バングラデシュ1987年05月02日1980年代政府,ダッカにも輸出加工区設立を決定。
DIA-301-1987-05-05-1バングラデシュ1987年05月05日1980年代大統領,民営化法案に署名―これは1972年の国有化法の修正に当たるもので,その主要点は,(1)国営企業の株式の49%は民間に販売し,51%は企業の属する公社に引き渡す,(2)一般公開の49%については34%を一般に公開販売し,残りの15%は企業の職員,労働者に優先的に販売する,(3)企業の役員数は9人,うち4人は政府以外の株主から選出されるが,企業の被雇用者は株式の12%を購入することを条件に,役員にその代表1人を送ることができる,などの点である。
DIA-301-1987-05-05-2バングラデシュ1987年05月05日1980年代原子力エネルギー委員会,放射能委員会を設立―輸入食料品の残存放射能の許容範囲を検討するため。現在の許容量は最大限300b/qだが,これでは高すぎるため修正が必要になったもの。
DIA-301-1987-05-06-1バングラデシュ1987年05月06日1980年代ジュート輸出価格,引き上げ―ジュート相を中心とする価格諮間委員会が決定したもので,D級以上はトン当り10ドル,それ以下は同5ドル引き上げる。
DIA-301-1987-05-07-1バングラデシュ1987年05月07日1980年代チャクマ難民の帰国問題―アーメド外務次官はインドの難民キャンプからのチャクマ族の帰国は順調に進んでいると述べた。ただし,難民の数については,インドが4万9000人としているのに対し,2万7000人と主張している。
DIA-301-1987-05-07-2バングラデシュ1987年05月07日1980年代1986年7月から87年3月までの海外送金は5億6924万ドル,85/86年度の4億500万ドルより増加。
DIA-301-1987-05-09-1バングラデシュ1987年05月09日1980年代1985/86年度中央銀行年次報告発表。
DIA-301-1987-05-10-1バングラデシュ1987年05月10日1980年代ダッカ株式市場,ブームに。
DIA-301-1987-05-13-1バングラデシュ1987年05月13日1980年代第29回印・バ合同河川委員会,終了―デリーで開かれたもので,懸案のTeesta 河川水配分については暫定協定を87年12月まで延期すると決定。
DIA-301-1987-05-14-1バングラデシュ1987年05月14日1980年代1986年7月~87年3月の輸出,増加―総額232億4320万タカ(7億6710万ドル)で,前年同期比21.5%増(ドル表示では18.5%増)となった。主として非伝統的産品(縫製品,皮革,冷凍食品など)輸出の増加による。86/87年度の輸出目標297億タカ(9.8億ドル)は達成する見込み。
DIA-301-1987-05-17-1バングラデシュ1987年05月17日1980年代IMF,IBRD合同調査団,訪バ。構造調整借款の使用状況について調査するためで,バングラは86/87年度から3カ年に1.35億SDRの構造調整借款を供与されることになっている。初年度は6700万SDRをIMFから引き出せる。
DIA-301-1987-05-18-1バングラデシュ1987年05月18日1980年代国家経済評議会(NEC),1987/88年度開発計画(ADP)を承認―(1)投資総額は,504.6億タカ,前年度実績比11.8%増,(2)投資の内貨分は227.6億タカ,外貨分は277.0億タカ,(3)ADP策定の原則は,貧困の追放,工業化の加速,運輸・通信・電力整備,医療,教育の充実を図ることにおかれた,(4)87/88年度GDP成長率は5.1%を目標とし,プロジェクト数は828とする。部門別成長率目標は,農業3.7%,工業8.7%,電力・ガス13.5%,運輸6.1%,その他4.1%。
DIA-301-1987-05-19-1バングラデシュ1987年05月19日1980年代1987/88年度輸出目標は341億タカ(約11億ドル)。
DIA-301-1987-05-20-1バングラデシュ1987年05月20日1980年代米新大使にキャリア外交官のWillard Ames de Pree 任命。
DIA-301-1987-05-21-1バングラデシュ1987年05月21日1980年代情報相,県評議会法案について説明―県評議会は国会とウポジラ議会とを結ぶものであり,その構成は次の4カテゴリーからなる。(1)当該県選出国会議員とウポジラおよび市・町議会の議長,(2)任命議員,(3)県知事などの政府代表,(4)軍人から任命されたもの。このうち(1)(2)だけが議決権を持ち,(2)の人数は(1)を超えない。軍はバングラにとって民主,希望,覚醒を象徴するものであり,軍を国家建設と開発活動に参加せしめることは,わが国の社会・経済の発展と政治の安定にとって不可欠である。
DIA-301-1987-05-22-1バングラデシュ1987年05月22日1980年代ロガチョフ・ソ連外務次官,訪バ(~25日)―この数年でもっとも高レベルな政府高官の訪バ。
DIA-301-1987-05-26-1バングラデシュ1987年05月26日1980年代工業銀行(BSB),中国と2協定―一つは中国機械輸出入公司,もう一つは中国機械・設備公司との輸入信用協定で,前者は繊維工場,後者は皮革,ソーダ灰,トラクター,食品加工などの工場設立に要する機械,設備を中国から輸入するために使われる。
DIA-301-1987-06-01-1バングラデシュ1987年06月01日1980年代与党国民党JP,インドでのムスリム殺害で抗議―インドでのコミュナル事件で多数のムスリムが殺されたことで,インド政府に抗議した。エルシャド大統領は国民に対し,国内でのコミュナルな言動をしないよう訴えた。
DIA-301-1987-06-01-2バングラデシュ1987年06月01日1980年代日本,対バ商品援助の覚え書きに調印。金額は158.3億円,セメント,鉄鋼,機械部品の調達に使われる。
DIA-301-1987-06-01-3バングラデシュ1987年06月01日1980年代中国副首相喬石,訪バ(~5日)―2日にエルシャド大統領と会談,3日チョウドリ首相とも会談,両国協力関係の拡大について協議した。
DIA-301-1987-06-02-1バングラデシュ1987年06月02日1980年代インド国境警備隊,チッタゴン丘陵地でバングラ人11人を殺害―チョウドリ外相はこの件につきインド大使を経由してインドに強く抗議。
DIA-301-1987-06-02-2バングラデシュ1987年06月02日1980年代内務相,声明発表―国内でコミュナルな対立を扇るものには断固とした措置をとる,と。これはBALのハシナ委員長がインドで「バングラにもコミュナルな問題がある」と発言したことに対するものと見られる。
DIA-301-1987-06-04-1バングラデシュ1987年06月04日1980年代外務省スポークスマンは記者会見で,インドのスリランカ領空侵犯事件について「ある国が他国の領域を犯すことは正当化できない」と述べ,インドに自重を求めた。
DIA-301-1987-06-05-1バングラデシュ1987年06月05日1980年代高等裁判所,7カ月も活動停止。弁護士協会が最高裁長官辞任を求め裁判ボイコットを続けているため。
DIA-301-1987-06-06-1バングラデシュ1987年06月06日1980年代外務省,スリランカの領空侵犯でインドを批判する声明発表。
DIA-301-1987-06-06-2バングラデシュ1987年06月06日1980年代エルシャド大統領は人口問題解決に努力したことで国連人口活動基金の賞を受けることになり,ニューヨークに出発。途上ジェッダに立ち寄り,7日ファハド国王と会談した。10日に受賞,11日はUNDPで演説,ローマ経由15日帰国。
DIA-301-1987-06-10-1バングラデシュ1987年06月10日1980年代イランから原油20万トン輸入する協定に調印。輸入代金はジュート,同製品輸出で充当する。
DIA-301-1987-06-10-2バングラデシュ1987年06月10日1980年代世銀,1.9億ドルの工業化借款を供与―これは商品借款に代わるものとして供与されるが,IMFの構造調整借款と同様の条件が付与されている。すなわち,国営企業の製品・サービス価格引き上げ,自主経営権の付与,国内資金の調達努力,など。
DIA-301-1987-06-11-1バングラデシュ1987年06月11日1980年代予算国会,開催。
DIA-301-1987-06-15-1バングラデシュ1987年06月15日1980年代1986年末の人口推計,1億172万人。
DIA-301-1987-06-15-2バングラデシュ1987年06月15日1980年代土地改革相は国会で土地なし農家数が増加傾向にあり,1986年にはそれは840万戸,農家総数の48%に達したと述べた。
DIA-301-1987-06-15-3バングラデシュ1987年06月15日1980年代政府,小規模・家内工業専門の銀行設立を決定。授権資本は,1億タカ,払い込み資本は8000万タカで,うち50%を民間機関の出資でまかない,25%は国営銀行・保険会社の出資,25%は一般公開で募る。
DIA-301-1987-06-17-1バングラデシュ1987年06月17日1980年代食糧需給状況―食糧担当相は国会で1986/87年度の食糧需要は1700万トン,消費可能な生産量は1495万トン(生産量1660万トンから10%を除いたもの),不足量は210万トンであったと述べた。輸入は164万トン。
DIA-301-1987-06-17-2バングラデシュ1987年06月17日1980年代IDA,第4次洪水制禦,暗渠建設事業に2000万ドルを供与する協定に調印。
DIA-301-1987-06-17-3バングラデシュ1987年06月17日1980年代ダッカ証券市場,活性化―86/87年度の11カ月に株の出来高,取り引き件数ともに5~8倍となった。これは株式市場への信頼の回復,新投資家層の参入,非居住者の投資拡大,などによるものと見られる。
DIA-301-1987-06-18-1バングラデシュ1987年06月18日1980年代1986/87年度経済白書,発表(「参考資料」参照)。
DIA-301-1987-06-18-2バングラデシュ1987年06月18日1980年代1987/88年度予算案,国会に上程―蔵相は新年度予算案を閣議承認後国会に上程した。土地開発税,病院費用,授業料などの引き上げを含むかなり大幅な税改革を提案しているため,野党はこれに反発,国会審議をボイコット(予算案の概要,蔵相演説内容は「参考資料」参照)。
DIA-301-1987-06-21-1バングラデシュ1987年06月21日1980年代野党,6時間ハルタル―新年度予算案に反対。同時に本国会上程が予想される県評議会法案を拒否するため,8政党連合,7政党連合,5政党連合,6政党連合,それにイスラム協会の各野党連合は共同歩調をとってハルタル,それぞれ独自の集会,デモを行なった。
DIA-301-1987-06-21-2バングラデシュ1987年06月21日1980年代財界は評価―新予算案について,財界は「現実的予算」「投資促進をうながすもの」として,おおむね歓迎の対応を示している。一方,労働者側には不満が残ったものと言える。
DIA-301-1987-06-23-1バングラデシュ1987年06月23日1980年代IDAと1.9億ドルの借款協定調印―工業部門の構造調整借款で,国営工業の改善,工業金融制度の整備,関税,輸入制度の合理化,輸出制度の近代化,などをコンディショナリティーとしている。
DIA-301-1987-06-25-1バングラデシュ1987年06月25日1980年代チッタゴン丘陵地帯の印・バ国境で小競合い。バ国境警備隊(BDR)の7人がインド国境警備隊(BSF)によって殺害された。このためバングラ政府は26日,インド政府に強く抗議した。
DIA-301-1987-06-26-1バングラデシュ1987年06月26日1980年代ダッカ大学で学生同士の衝突,10人負傷。BNP系学生組織と政府系JSD学生組織との対立で,大学当局は初め大学の無期閉鎖を指示,その後この指示を撤回。
DIA-301-1987-06-27-1バングラデシュ1987年06月27日1980年代マイメンシン農科大学,無期閉鎖。このところ増税反対,授業料引き上げ反対を巡る学生組織間の対立が目立ってきたため。
DIA-301-1987-06-28-1バングラデシュ1987年06月28日1980年代エルシャド大統領,税改革の修正を指示―野党,学生組織を中心に,新予算案に対する反対が強まっているため,課税率の引き下げなどを指示したもの(「参考資料」参照)。
DIA-301-1987-06-28-2バングラデシュ1987年06月28日1980年代1987/88年度輸入政策,発表―商務相が発表したもので,輸入総額は564.1億タカ(約18.05億ドル)に設定,できるだけ輸入禁止品目リストを少なくし,生産の増加,消費財の価格安定をもたらすように配慮したという。
DIA-301-1987-06-28-3バングラデシュ1987年06月28日1980年代1987/88年度輸出政策,発表―輸出目標は344億タカ(約11億ドル,前年度比9%増),とくに非伝統的産品の輸出に努力するとしている。なお輸出のうち,一次産品の比率は29%に抑えている。
DIA-301-1987-07-01-1バングラデシュ1987年07月01日1980年代空軍司令官にMumtazuddin Ahmed 少将任命。
DIA-301-1987-07-02-1バングラデシュ1987年07月02日1980年代エルシャド大統領,訪中(~7日)―3日,李先念首席,趙紫陽首相と会談,4日には鄧小平とも会談,中・バ関係,インド亜大陸の情勢,国際問題等について意見の交換をした。5日には南京を訪ね,灌漑事業を視察,7日帰国した。
DIA-301-1987-07-04-1バングラデシュ1987年07月04日1980年代1987年世銀報告書によれば,バングラデシュの1人当りGDPはエチオピアに次いで低い。
DIA-301-1987-07-04-2バングラデシュ1987年07月04日1980年代農業開発公社(BADC)は民活促進のため農業資財の流通を民間に委ねることになり,2400人にのぼる職員の再雇用が問題になっている。野党はこの件で政府批判。
DIA-301-1987-07-07-1バングラデシュ1987年07月07日1980年代1986/87年度貿易収支は310.2億タカの赤字。食料,資本財輸入が増加したため。
DIA-301-1987-07-10-1バングラデシュ1987年07月10日1980年代PLOアラファト議長,訪バ(~11日)。
DIA-301-1987-07-12-1バングラデシュ1987年07月12日1980年代政府,県評議会法を含む7法案を強行採決―政府はかねてより地方政治の軍事化として批判の強かった県評議会法など7法案を国会に上程,審議の時間を与えないまま一挙に強行採決した。BALなど野党勢力は抗議のため退場,今後一切の審議の拒否を決定した。
DIA-301-1987-07-12-2バングラデシュ1987年07月12日1980年代野党,抗議集会―野党は各地で抗議集会,県評議会法,新年度予算に反対,また強行採決という非民主的手段に対しても抗議。BALのハシナ委員長は声明を発表,県評議会法について「これは行政の軍事化であり,すべてが軍のリモートコントロ-ルで決められることになる」と批判した。
DIA-301-1987-07-13-1バングラデシュ1987年07月13日1980年代国会,1987/88年度予算案を可決して閉会―予算国会の任期中に19法案が可決されたが,うち12法案は野党が反対のため退場した状況のなかで可決された。
DIA-301-1987-07-13-2バングラデシュ1987年07月13日1980年代野党,8時間ハルタル―8政党連合,7政党連合,5政党連合,イスラム協会の呼びかけによるもので,全国規模で組織された。
DIA-301-1987-07-15-1バングラデシュ1987年07月15日1980年代ダッカ大学で学生同士が衝突,学生等2人死亡―BNP系の学生組織と,与党支持の学生組織の対立で,学生等2人が死亡,多数の負傷者を出した。
DIA-301-1987-07-15-2バングラデシュ1987年07月15日1980年代ダッカ大学,無期休校。
DIA-301-1987-07-15-3バングラデシュ1987年07月15日1980年代エルシャド大統領,北イエーメンを公式訪問。2度にわたる首脳会談で閣僚級の合同経済委員会設置などに合意した。18日,帰路カラチに立ち寄り,パキスタンのジア大統領と会談。
DIA-301-1987-07-18-1バングラデシュ1987年07月18日1980年代3政党連合,22日からの54時間ハルタル実行に合意。
DIA-301-1987-07-20-1バングラデシュ1987年07月20日1980年代エルシャド,ハルタル反対を呼びかけ―国の経済発展を遅らせ,貧しい人々の生活を脅かす,として。また首相はハルタルへの不参加を訴え。
DIA-301-1987-07-20-2バングラデシュ1987年07月20日1980年代1987/88年度の米,もみの供出価格,据え置き―IRRI米,BORO米(もみ)は1モーンド200タカ,その他の米(精米)は1モーンド308タカに据え置く。
DIA-301-1987-07-21-1バングラデシュ1987年07月21日1980年代野党指導者6人,予防拘禁法で逮捕―54時間ハルタルに向けてダッカの緊張は高まっているためにとられた措置。
DIA-301-1987-07-22-1バングラデシュ1987年07月22日1980年代野党,54時間ハルタルに突入―ダッカでは各地でデモ隊と警察とが衝突,102人が逮捕された。市内の商店は紛争を恐れて店を閉じ,道路から車両類が姿を消し,官庁の出勤者も少なかった。ハルタル2日目の23日,首都警察と国境警備隊(BDR)が高姿勢に転じ,各地でデモ隊と衝突,取材中の記者1人を含めて死者7人,負傷者300人を出し,政府のバス31台が破壊,炎上した。ハルタルは24日昼まで続けられた。
DIA-301-1987-07-22-2バングラデシュ1987年07月22日1980年代内務省,声明―政府は法と秩序に反する行為を許さない。野党のハルタルは失敗した。国民の支持がないからである。
DIA-301-1987-07-24-1バングラデシュ1987年07月24日1980年代野党,一斉に反発―BALのハシナ委員長は現政権をファシストと非難,抗議運動を高めるとの決意を表明,BNPのハレダ委員長は野党勢力の統一行動の強化によるエルシャド政権打倒を呼びかけた。
DIA-301-1987-07-25-1バングラデシュ1987年07月25日1980年代エルシャド大統領,軍首脳部と会談―軍司令部首脳,各地軍管区総司令官を集めたもので,政治情況の検討と大統領に対する軍の支持確認のためと見られる。
DIA-301-1987-07-27-1バングラデシュ1987年07月27日1980年代大統領は,与党国民党JPの書記長にMoazzam Hossain 地方自治・農村開発・協同組合相を任命。
DIA-301-1987-07-27-2バングラデシュ1987年07月27日1980年代各地に洪水被害が拡大。
DIA-301-1987-07-30-1バングラデシュ1987年07月30日1980年代BALの8政党連合は大統領官邸にデモ,周辺で座り込みをして,政府に抗議した。
DIA-301-1987-08-01-1バングラデシュ1987年08月01日1980年代大統領,県評議会法案を国会に差し戻し―7月12日に国会で強行採決され,大統領の署名を待って発効することになっていたが,野党の反発が強いため大統領は国会差しもどしを決意した。
DIA-301-1987-08-01-2バングラデシュ1987年08月01日1980年代野党,ハルタル中止を決定―全国的な洪水被害のため,三つの政党連合が代表者会議で決めたもので,イスラム協会も同調。これにより野党の反政府運動は一次停戦状況になった。
DIA-301-1987-08-01-3バングラデシュ1987年08月01日1980年代政府,洪水救援活動に軍の協力を要請―洪水被災県は県洪水対策本部を設立,軍の協力を得て救援物資の速やかな移送と配布,復旧活動を行なう。
DIA-301-1987-08-03-1バングラデシュ1987年08月03日1980年代新政党,自由党(Freedom Party)設立―1975年8月15日の反BALクーデター主謀者が中心となってつくられた政党で,委員長はFaruque Rahman,同代行はA.Rashid,副委員長はB.Huda など。設立に当たって記者会見した党指導部はBALのハシナ委員長を「国民の敵」と決めつけ,BNPを支持すると述べている。
DIA-301-1987-08-09-1バングラデシュ1987年08月09日1980年代大統領は与党集会で野党を激しく非難,彼らには主義主張がなく,愛国心もモラルもない,ただ権力のために国の混乱を求めているだけだと述べた。
DIA-301-1987-08-10-1バングラデシュ1987年08月10日1980年代内閣改造―閣僚5人,国務相1人,副大臣3人を解任,新たに3人の副大臣を任命した(「参考資料」 参照)。
DIA-301-1987-08-10-2バングラデシュ1987年08月10日1980年代8月1日から平均15%の電力料金引き上げ―電力庁が発表したもので,新予算のなかでは触れておらず,反発を招いた。
DIA-301-1987-08-12-1バングラデシュ1987年08月12日1980年代ハレダBNP委員長,政府の洪水被災者救援活動を批判,政府は洪水による餓死者はないと発表しているが,北西部地方では餓死者が出ている,と述べた。
DIA-301-1987-08-13-1バングラデシュ1987年08月13日1980年代倉成外相,訪バ(~15日)―外相はスリランカから訪バ,エルシャド大統領,チョウドリ外相ら政府首脳と会談。両国関係,とくに日本の対バ経済援助について協議した。日本外相の訪バは鳩山外相以来2度目。14日,洪水救援に食糧10万トン贈与と発表。外国の救援としては日本が初めての約束となった。また三つの覚え書きに調印した。(1)教育開発用視聴覚機材,(2)メグナ橋建設の第2次資金,(3)ナラヤンガンジ上下水道の改良工事で,総額約7.1億タカの無償資金供与。
DIA-301-1987-08-13-2バングラデシュ1987年08月13日1980年代米価,上昇―洪水による生産低下が予想され,品薄感から売惜しみが出ているため。
DIA-301-1987-08-13-3バングラデシュ1987年08月13日1980年代週刊Banglar Bani 誌,特別権限法で発禁。
DIA-301-1987-08-16-1バングラデシュ1987年08月16日1980年代野党代表者会議で,統一行動として10月7日にダッカ包囲運動を展開すると決定。BNPハレダ委員長は野党議員の辞任を要求,一方BALハシナ委員長はこれに反対,野党の足並みは揃っていないが,現政権の辞任要求で統一行動をすることに合意したもの。
DIA-301-1987-08-16-2バングラデシュ1987年08月16日1980年代ジュート生産目標,下方修正―これまでの450万ペイルから400万ペイルに引き下げた。ジュ-トの国際価格が低迷しており,その生産者価格の伸びが期待できないため,農家は作付け面積をへらしていることが理由。しかし繰越し在庫が390万ペイルあり,国内加工,輸出が不足することはない見込み。
DIA-301-1987-08-17-1バングラデシュ1987年08月17日1980年代インドのガンジー首相の特使としてナラシマ・ラオ人的資源相,訪バ―チャクマ難民帰国問題を協議するためと説明された。エルシャド大統領とも会見。
DIA-301-1987-08-19-1バングラデシュ1987年08月19日1980年代大統領,国営ラジオ,テレビで演説―国民に洪水被害からの復旧活動への協力を求め,同時に学生運動が政治化していることを批判,与党系の学生組織,Jatiya Chattra Samaj を解散すると発表した。
DIA-301-1987-08-19-2バングラデシュ1987年08月19日1980年代洪水被災,広範に―洪水対策本部長S・R・チョウドリ少将は洪水被災状況について記者会見,全国62県のうち47県で被害が出ており,これまでに死者251人,家畜の流失1万9930頭が出たと述べた。
DIA-301-1987-08-20-1バングラデシュ1987年08月20日1980年代政府,特別営農資金供与―移植アモン生産農家に対する洪水救援のための営農資金。
DIA-301-1987-08-22-1バングラデシュ1987年08月22日1980年代政府,先進国に緊急援助を要請するための特使派遣を決定。なお食糧備蓄は約100万トンあり,当面,食糧不足は起こらないとみられる。
DIA-301-1987-08-23-1バングラデシュ1987年08月23日1980年代ジュート省,ジュートの輸出価格を引き上げ。トン当たり5ドル(上質物)から30ドル(下級物)。
DIA-301-1987-08-23-2バングラデシュ1987年08月23日1980年代USAID,500万ドルの食糧援助を追加―PL480,タイトル-Ⅲの改訂によるもので,これにより米3万トンを輸入する。
DIA-301-1987-08-26-1バングラデシュ1987年08月26日1980年代8政党連合,政府非難―洪水救援活動が不充分,汚職の横行,米,塩,砂糖,豆類を民間輸入業者にOGLで輸入を許可したことは,これらの価格上昇になる,などの点をあげて非難。
DIA-301-1987-08-29-1バングラデシュ1987年08月29日1980年代エルシャド大統領,全野党党首との会談呼びかけ―40年ぶりの大洪水に対処し,救援活動を強化するための方策を協議するため。これに対し,主要野党はすべて拒否している。
DIA-301-1987-08-31-1バングラデシュ1987年08月31日1980年代政府,民間輸入業者に米5万トンの輸入を認可―従来TCBが独占的に輸入している米を,民間にも開放するためで,すでに14万トンについては民間業者に認可済みである。
DIA-301-1987-08-31-2バングラデシュ1987年08月31日1980年代USAIDと四つの贈与協定に調印―総額18.37億タカで,家族計画,農業研究,農村電化,開発行政に支出。
DIA-301-1987-09-01-1バングラデシュ1987年09月01日1980年代米国,洪水救済で米9万トン,1500万ドルを贈与。
DIA-301-1987-09-02-1バングラデシュ1987年09月02日1980年代洪水被害状況―被災地は全国62県のうち50県,460ウポジラのうち347に及び,死者603人,家畜被害2万5091頭,被災人口2454万人,流出家屋92万戸,作物の損失244万エーカーに達した。
DIA-301-1987-09-02-2バングラデシュ1987年09月02日1980年代国連事務次長,訪バ―3日エルシャド大統領と会見して洪水被害状況,復旧計画について協議した。国連機関は救援のため600万ドルの援助を約束している。
DIA-301-1987-09-04-1バングラデシュ1987年09月04日1980年代米20万トンを緊急輸入―食糧相が近くタイを訪問して購入する。ほかにパキスタン,インド,豪州,カナダ,米国,欧州などにも代表を送る予定。
DIA-301-1987-09-06-1バングラデシュ1987年09月06日1980年代政府,洪水復興に関する与・野党協議を延期―理由は発表されていないが,野党が政府の呼びかけを拒否したためと見られる。
DIA-301-1987-09-06-2バングラデシュ1987年09月06日1980年代与党系のJSD(Rab派),政府に非常事態宣言を出すよう要求。真意は不明だが,政府の世論操作と見られる。
DIA-301-1987-09-06-3バングラデシュ1987年09月06日1980年代ダッカ大学の調査委員会は7月にダッカ大学で起きた学生同士の衝突で死者が出たことについて,学生18人を犯行に関与したとして告発。これを受けて,9月19日大学シンジケートはこのうち17学生に退学,停学,警告などの処分を決定した。
DIA-301-1987-09-08-1バングラデシュ1987年09月08日1980年代中央銀行,農業ローンの返済を猶予―洪水救援のためで,6~9カ月遅らせる。
DIA-301-1987-09-10-1バングラデシュ1987年09月10日1980年代ダッカ大学副学長は学生,その親権者,政府,政党に対し,大学からテロをなくすことに協力を訴え。
DIA-301-1987-09-13-1バングラデシュ1987年09月13日1980年代英国のNGO,工業プロジェクトに協力―英国NGOであるCommonwelth Development Corp(CDC)は今後バングラの民間工業に対する協力を実施していく方針で,形態としては民間工業の株式投資の形を取る。
DIA-301-1987-09-14-1バングラデシュ1987年09月14日1980年代民間商工業代表者会議,電力料金引き上げ撤廃を要求。同時に料金体系の改善と発電設備の効率的運用によるコストの引き下げを勧告した。
DIA-301-1987-09-14-2バングラデシュ1987年09月14日1980年代洪水被害の推計―サイドザマン蔵相は洪水被害額について,総額10億ドルに達すると述べた。うち食料の損失は約300万トンと見られ,被害額は6.75億ドル,インフラの被害額が3.25億ドルとなっている。食糧不足を賄うため,すでに240万トンは食糧援助で約束され,75万トンは政府,民間による輸入手当がすんでいる。それでも今後の輸入必要量は180万トン程度。
DIA-301-1987-09-16-1バングラデシュ1987年09月16日1980年代世銀,対バ救援を訴え―とくに食糧援助の必要性を強調。9~12月の端境期を乗り越えるためには25万トンの緊急援助が必要としている。
DIA-301-1987-09-18-1バングラデシュ1987年09月18日1980年代USAID,政府の経済運営を評価―USAIDは米議会報告書のなかでバ政府の経済運営を評価,とくに経済の自由化を含む経済改革,民活政策の成果を評価している。
DIA-301-1987-09-20-1バングラデシュ1987年09月20日1980年代蔵相,洪水被災者救援資金調達のための増税措置を発表。課税期間は87年10月から88年6月までの時限的なもので,これにより11.5億タカの増収を期待している―(1)所得税に6%の追徴金を課す。(2)預金,定期預金,郵便貯金利子に4%,配当金,株の売買益にも4%の課税をする,電話,テレックス料金に4%の追徴金,ホテルなどの消費税に5%の追徴金を課す。(3)基本給2000タカ以上の公務員,軍人は基本給の2.5%を削減,全大臣は基本給の10%を削減。
DIA-301-1987-09-20-2バングラデシュ1987年09月20日1980年代米国と縫製品輸出割り当てに関する協定に調印。今後2年間に適用されるもので,米国は六つのカテゴリーについてその輸入枠をほぼ2倍にしている。
DIA-301-1987-09-21-1バングラデシュ1987年09月21日1980年代1986/87年度輸出―総額322.6億タカ(10.61億ドル)で前年度比33%増,目標の10億ドルも超えた。なかでも非伝統的産品の輸出が192億タカと,初めて伝統的産品の輸出を超えたことが注目される。
DIA-301-1987-09-22-1バングラデシュ1987年09月22日1980年代ダッカ大学,再開―7月来閉鎖されていたダッカ大学で,22日からは学生寮が,27日からは授業が再開。
DIA-301-1987-09-22-2バングラデシュ1987年09月22日1980年代政府,野菜,淡水魚の輸出を禁止。価格抑制のため。
DIA-301-1987-09-26-1バングラデシュ1987年09月26日1980年代野党,政府の洪水復旧費追徴金に反対。『バングラデシュ・オブザーバー』紙は追徴金についての社説で,(1)こうした増税が国会の討議なしに政府が一方的に決めて国民に押しつけることへの不満,(2)すべての預金利子への4%の追徴金がもたらす小額預金者への打撃と資金の海外流出の恐れの2点をあげて反対している。
DIA-301-1987-09-27-1バングラデシュ1987年09月27日1980年代ジュート取引,低調―ジュートの買上げシーズンが始まっているが,その取引は低調で,洪水のため現金収入が必要な生産農家は困窮している。ジュートの買い上げは,ジュート工場,ジュート公社(BJC)などの政府機関と,民間の仲介業者によって行なわれるが,政府機関は資金不足に加え,前年からの繰り越しジュート(下級もの)をかかえ倉庫に余裕がなく,また下級ジュートは販路がないので,生産者からのジュート買い上げを控えているためと見られる。
DIA-301-1987-10-03-1バングラデシュ1987年10月03日1980年代新聞用紙価格引上げ―政府は生産コスト上昇を理由にクルナ製紙工場の新聞用紙販売価格をトン当り1万1000タカから1万3750タカへ25%引上げた。それでもまだ生産コスト1万7550㌔より低いという。
DIA-301-1987-10-04-1バングラデシュ1987年10月04日1980年代エネルギー相はハリプール油田開発について,Scimiter 石油会社との生産分与で行なうことに決定したわけではない,と発言。野党は国内資本による油田開発を主張している。
DIA-301-1987-10-05-1バングラデシュ1987年10月05日1980年代デ・プレ新駐バ米大使,大統領に信任状奉呈。
DIA-301-1987-10-05-2バングラデシュ1987年10月05日1980年代洪水被害状況―全国62県のうち50,460ウポジラのうち347が被災,家屋247.8万戸,耕地502.9万エーカーが被害を受けた。外国からの洪水救援物資は総額9000万ドルに達した。主として食糧供与だが,ほかにイラクと伊からヘリコプター9機が別枠で供与。
DIA-301-1987-10-08-1バングラデシュ1987年10月08日1980年代防衛大学設立―学長は大統領,副学長は3軍最高司令官,理事は国防省,外務省の次官数名。英名はDefence Services Command and Staff College。
DIA-301-1987-10-09-1バングラデシュ1987年10月09日1980年代ジュート生産実績は350万ペイルの見込。
DIA-301-1987-10-10-1バングラデシュ1987年10月10日1980年代農業緊急復旧計画発表―内容は3ピガ(約10エーカー)以下の小農への種子・肥料の無料供与,農業信用の拡大,灌漑設備ローンの拡充,揚水ポンプ3000台の貸与などで,総額3.2億タカ。これにより120万トンの食糧憎産を目指す。
DIA-301-1987-10-11-1バングラデシュ1987年10月11日1980年代エルシャド大統領,英連邦首脳会議出席のためカナダにむけ出発(~20日)。
DIA-301-1987-10-12-1バングラデシュ1987年10月12日1980年代ジャムナ橋建設基金,10億タカに―85年11月以降各種追徴金として課された基金で,外国からの借款とこの基金および政府開発資金とで建設する。すでにIDA,ADB,イスラム銀行,サウジ,クウェート,米国,カナダ等が協力を約束。総工費は6億ドルの見込で,全長6.2km,幅12メートル,鉄道,ガス,電気,電話などにも利用する多目的橋となる。
DIA-301-1987-10-16-1バングラデシュ1987年10月16日1980年代親政府系政党連合,結成さる―JSD(Rab派)を中心とする親政府系23政党が結成したもので,同連合は建設的野党としての役割を果たすと発表している。
DIA-301-1987-10-19-1バングラデシュ1987年10月19日1980年代公務員組合連合,48時間ストに突入―公務員,国営企業労働者,公社職員などの組合連合SKOPは給与引き上げとともに,現政権の退陣を要求して48時間ストに突入した。SKOPと反政府野党はストには200万人が参加,成功したと評価している。
DIA-301-1987-10-21-1バングラデシュ1987年10月21日1980年代反政府野党連合連絡委員会開催―8政党,7政党,5政党連合で作っている連絡委員会が開催され,11月10日に予定されているダッカ包囲運動について討議した。各政党連合は8月以来の洪水で中断されていた統一行動を再開することで合意,当面の運動を「エルシャド政権打倒」の一点にしぼり,11月10日には全勢力を結集してダッカ包囲運動を展開することにしている。
DIA-301-1987-10-24-1バングラデシュ1987年10月24日1980年代内務省,声明発表―国民生活を混乱させるような非合法活動にたいして政府は断固とした措置をとるだろう。ゲラオ(つるしあげ)あるいはそれに類似した活動を組織し,参加したものは法的措置の対象となる。
DIA-301-1987-10-25-1バングラデシュ1987年10月25日1980年代BALハシナ委員長は記者会見で「政府の圧力に屈せず,現政権打倒まで闘う」と決意表明。
DIA-301-1987-10-25-2バングラデシュ1987年10月25日1980年代BNPハレダ・ジア委員長は各野党に統一行動を呼びかけ,国会解散というBNPの主張を取り下げ,「現政権の打倒」を唯一の主張として共闘する,と述べた。
DIA-301-1987-10-26-1バングラデシュ1987年10月26日1980年代政府,高姿勢に転ず―政府は野党の統一行動の芽をつむため,これまでの静観から高姿勢に転じ,国会議員3人を含む野党指導者300人以上を一斉に逮捕した。Special Power Act による予防拘禁(1カ月)で,逮捕されなかった指導者は家宅捜査を受けている。逮捕された国会議員はいずれもBAL党員。
DIA-301-1987-10-27-1バングラデシュ1987年10月27日1980年代一斉逮捕つづく―地方都市の野党指導者逮捕がつづいている。各地でこれら逮捕に抗議する集会,デモが開かれ,政情は一気に流動化の方向へ。
DIA-301-1987-10-27-2バングラデシュ1987年10月27日1980年代BNPハレダ・ジア委員長,BALハシナ委員長に党首会談呼びかけ―両者とも会談には原則合意。
DIA-301-1987-10-27-3バングラデシュ1987年10月27日1980年代反政府系の三つの政党連合,統一行動計画で合意。
DIA-301-1987-10-28-1バングラデシュ1987年10月28日1980年代BAL,BNP党首会談―BALハシナ委員長とBNPハレダ委員長はダッカで公式会談。両委員長の公式会談は初めてのもので,「われわれの目的は民主主義を回復し,独立闘争の精神を再構築することにある。すべての民主的勢力は統一して運動をすすめ現政府を辞任に追い込もう」との共同声明を発表した。
DIA-301-1987-10-28-2バングラデシュ1987年10月28日1980年代デ・プレ米大使,ハシナBAL委員長を訪問。
DIA-301-1987-10-29-1バングラデシュ1987年10月29日1980年代エルシャド大統領,野党党首会談を無視―BAL,BNP党首会談について「両党は建設的政党とはいえず,その党首会談は「0+0=0」以外の何ものでもない」とコメント。
DIA-301-1987-10-29-2バングラデシュ1987年10月29日1980年代反政府野党各党は党首会談を歓迎する声明を発表。イスラム協会Jamaat は「時代がこうした党首会談を求めていたのだ」と論評。
DIA-301-1987-10-30-1バングラデシュ1987年10月30日1980年代8政党,7政党,5政党連合連絡委員会,共同行動に合意―11月1日には県庁所在地を,11月10日にはダッカを包囲する統一行動に合意した。会議後共同声明を発表,「政府のいかなる圧力にも屈せず,現政権打倒まで闘う。すでに指導者,活動家が1000人以上も逮捕されているがわれわれはひるまない」との決意を表明した。
DIA-301-1987-11-01-1バングラデシュ1987年11月01日1980年代県庁包囲デモ―野党統一行動として全国規模で行なわれ,各地で治安警察と衝突した。
DIA-301-1987-11-01-2バングラデシュ1987年11月01日1980年代米大使,BNPハレダ委員長を訪問。
DIA-301-1987-11-02-1バングラデシュ1987年11月02日1980年代SAARC第3回首脳会議出席のため,エルシャド大統領はネパールを訪問。3日にはガンディー・インド首相と個別に会談した。
DIA-301-1987-11-08-1バングラデシュ1987年11月08日1980年代ダッカ首都警察,刑訴法144条に基づき5人以上の集会を1週間禁止すると発表。
DIA-301-1987-11-09-1バングラデシュ1987年11月09日1980年代野党,禁止令を無視して集会―首都警察は野党活動家200人を逮捕。
DIA-301-1987-11-09-2バングラデシュ1987年11月09日1980年代ハレダBNP委員長,ハシナBAL委員長の第2回会談開く。統一運動の進め方を協議。
DIA-301-1987-11-10-1バングラデシュ1987年11月10日1980年代ダッカ包囲運動―エルシャド政権の辞任を要求する野党統一行動として行なわれたもので,野党側発表では10万人が参加。デモ隊は各所で警察と衝突,少なくとも死者4人を出し,負傷者は百人を超えた。野党事務所が家宅捜査され,数百人が逮捕された。
DIA-301-1987-11-10-2バングラデシュ1987年11月10日1980年代野党,11,12日の連続ゼネストを発表。
DIA-301-1987-11-10-3バングラデシュ1987年11月10日1980年代マーチン内相はダッカ包囲運動への参加者は少なく,野党運動は失敗に終わったと声明。
DIA-301-1987-11-11-1バングラデシュ1987年11月11日1980年代野党の2日連続ハルタル初日,大荒れ―政府はこの日ハシナBAL委員長を故ムジブル・ラーマン邸に軟禁,ハレダBNP委員長をホテルから連行して自宅に軟禁した。またBNP書記長,同ダッカ支部長など主要指導者を逮捕した。これに抗議する野党活動家は各地で警察と衝突,100人以上が負傷,200人以上が逮捕された。政府のバス,ジープが放火され,米大使館付属のホールにも放火された。
DIA-301-1987-11-11-2バングラデシュ1987年11月11日1980年代エルシャド大統領はファリドプールで演説,国民はハルタルを拒否し,正常化を望んでいる,として野党との対決姿勢を表明した。
DIA-301-1987-11-12-1バングラデシュ1987年11月12日1980年代連続ハルタル2日目―ダッカ市内各所で野党デモ隊と警察とが衡突,警官1人を含む3人が死亡した。ランプラでは爆発物で警官1人死亡,10人が負傷した。
DIA-301-1987-11-12-2バングラデシュ1987年11月12日1980年代内務省,声明発表―政府はこれまで野党の不法行為に警告してきたが,野党はこれを無視,破壊活動をくりかえし,国民の財産をこわし,法の維持に当たっている警察にも攻撃をしかけてきた。政府はこうした状況が続くことを許すわけにはいかない。そのため法の維持に当たる警察,BDRに対し,破壊活動を行なう者を見つけ次第発砲するよう命じた。
DIA-301-1987-11-13-1バングラデシュ1987年11月13日1980年代知識人20人,共同声明―政府は国民の主張に耳を傾けるべきだ。弾圧によっては何も解決しない。逮捕者を釈放し,自由かつ公正な選挙を行なうべきである。
DIA-301-1987-11-14-1バングラデシュ1987年11月14日1980年代再び8時間ハルタル―朝6時から午後2時までのハルタルで,これは17日まで4日連続して行なわれた。治安維持に当たる警察,BDRがデモ隊にたいして高姿勢に転じたことから,負傷者数も急増した。
DIA-301-1987-11-14-2バングラデシュ1987年11月14日1980年代法曹界指導者16人,発砲を指示した政府の決定の撤回を要求する共同声明発表。
DIA-301-1987-11-14-3バングラデシュ1987年11月14日1980年代物価急騰―ハルタル続きで物資の流通が阻害され,ダッカでは米価を始め食糧品価格が急騰した。
DIA-301-1987-11-17-1バングラデシュ1987年11月17日1980年代野党連合連絡委員会は県やウポジラ段階でも野党の連絡委員会を設立するよう支持者に訴えた。
DIA-301-1987-11-18-1バングラデシュ1987年11月18日1980年代エルシャド大統領は東ベンガル連隊司令部で演説,軍こそわが国の独立,統一のシンボルであると述べ,軍の役割を高く評価した。
DIA-301-1987-11-19-1バングラデシュ1987年11月19日1980年代婦人団体,婦人だけの集会・デモを行ない,野党指導者の釈放を要求した。
DIA-301-1987-11-20-1バングラデシュ1987年11月20日1980年代ニュースキャスター,アナウンサーなど,ラジオやテレビの出演をボイコット―政府がマスメディアを一方的に利用し,野党活動の報道を規制するよう圧力をかけていることに抗議するため。
DIA-301-1987-11-20-2バングラデシュ1987年11月20日1980年代俳優ら50人が共同声明,民主勢力の釈放を要求。
DIA-301-1987-11-20-3バングラデシュ1987年11月20日1980年代与党JPの幹事長Shah Moazzam Hossain,副首相に昇格。同氏は幹事長のほか地方自治相も兼務。
DIA-301-1987-11-21-1バングラデシュ1987年11月21日1980年代48時間ハルタル―野党は,21,22日両日にわたる48時間ハルタルに突入。さらに23~24日には各8時間ハルタルに入り,29日以降72時間ハルタルを行なうことを決定した。全国各地で警察と衝突,負傷者は2日間で100人を超えた。逮捕者多数。
DIA-301-1987-11-23-1バングラデシュ1987年11月23日1980年代エルシャド大統領は「選挙による以外に政権の交替はありえない」と述べ,野党の辞任要求にたいして国会解散,総選挙で応じる可能性を示唆した。
DIA-301-1987-11-23-2バングラデシュ1987年11月23日1980年代元最高裁判事ら5人,共同声明―現政権の辞任と公正・自由な選挙による民主主義の回復は国民のコンセンサスであり,現憲法の枠内でそれを実現させるよう政府に要請する。
DIA-301-1987-11-23-3バングラデシュ1987年11月23日1980年代2日連続8時間ハルタル,初日。
DIA-301-1987-11-23-4バングラデシュ1987年11月23日1980年代BBCダッカ支局記者Ataus Samad,逮捕―3カ月の予防拘禁。BBCは政府に対し「同記者は公正・正確な報道をしているだけだ」として抗議した。
DIA-301-1987-11-24-1バングラデシュ1987年11月24日1980年代8時間スト2日目。
DIA-301-1987-11-24-2バングラデシュ1987年11月24日1980年代BBC記者逮捕に抗議してジャーナリストの集会―政府に対し同記者の釈放を要求するとともに,報道規制や介入に強く抗議した。
DIA-301-1987-11-24-3バングラデシュ1987年11月24日1980年代イスラム協会,野党系国会議員に辞任呼びかけ。
DIA-301-1987-11-24-4バングラデシュ1987年11月24日1980年代元最高裁判事など知識人535人が共同声明を発表―エルシャド政権の辞任と中立政府のもとでの新たな選挙を要求した。
DIA-301-1987-11-24-5バングラデシュ1987年11月24日1980年代IMF,8500万SDR(1.16億ドル)供与を認可―87/88年度構造調整借款(Structural Adjustment Facility=SAF)として供与されるもので,第1回トランシェは12月初め。
DIA-301-1987-11-24-6バングラデシュ1987年11月24日1980年代87年7~9月の輸出収入―輸出収入は2.76億ドルで前年同期比26%増となった。特に非伝統的産品輸出,なかんずく縫製品輸出が大きく伸びた。
DIA-301-1987-11-25-1バングラデシュ1987年11月25日1980年代ダッカ首都警察,市内での集会・デモを禁止―11月26日から30日間,朝6時から午後2時30分まで集会・デモが禁止された。
DIA-301-1987-11-27-1バングラデシュ1987年11月27日1980年代非常事態宣言,公布―エルシャド大統領は憲法141条1項に基づき非常事態宣言を公布,同時に非常権限令(Emergency Powers Ordinance)を公布した。これにより反政府活動は一切禁止され,政治集会・デモ,ストやロックアウトも2カ月間の禁止となる。報道の自由は大幅に制限され,政府批判や警察・BDR・軍など法と称序を維持するための機関に対する批判,反政府活動の報道あるいは非常事態そのものに対する批判も禁止。
DIA-301-1987-11-27-2バングラデシュ1987年11月27日1980年代ダッカ,チッタゴン,ナラヤンガンジ,クルナ,ラジシャヒに午前零時から29日早朝6時までの外出禁止令。
DIA-301-1987-11-27-3バングラデシュ1987年11月27日1980年代ダッカ大学,工科大学とも無期休校。学生寮も閉鎖される。その他教育機関は12月4日まで休校。
DIA-301-1987-11-28-1バングラデシュ1987年11月28日1980年代エルシャド大統領,全国放送―大統領はラジオ,テレビの全国放送を通じて演説,「政府は民主主義と政治的安定を保つため話し合いによって現在の危機的状況を解決する用意がある。しかし非民主的,不法な圧力には決して屈しない」と述べた。そして野党に対し,(1)個別に,あるいは合同で会談をもち解決策を話し合う,(2)国会選挙のやり直し等を提案した。
DIA-301-1987-11-28-2バングラデシュ1987年11月28日1980年代陸・海・空軍司令官,エルシャド大統領と会談。法と秩序維持の方策を検討。
DIA-301-1987-11-30-1バングラデシュ1987年11月30日1980年代マーチン内相,記者会見―ダッカを初め主要都市は正常に戻りつつある。政府は野党との対話による解決を求めており,そのため主要政党指導者3人を釈放した。10月25日以降の逮捕者は4832人,うち2465人は非常事態宣言公布後に逮捕されたものである。犠牲者数は6人,うち2人は爆発物による。
DIA-301-1987-12-01-1バングラデシュ1987年12月01日1980年代BNP書記長ら5人,釈放。
DIA-301-1987-12-01-2バングラデシュ1987年12月01日1980年代情報相は記者会見で「米大使がエルシャド大統領と会見,75年のムジブ殺害事件審議委設立を求めた,とのBBC放送は全く根拠がない」とBBCを非難。
DIA-301-1987-12-03-1バングラデシュ1987年12月03日1980年代イスラム協会,国会議員10人の辞任決定。
DIA-301-1987-12-03-2バングラデシュ1987年12月03日1980年代チッタゴン肥料工場,予定より3カ月早く完成。エルシャド大統領が開所式に出席。
DIA-301-1987-12-06-1バングラデシュ1987年12月06日1980年代エルシャド大統領,国民議会を解散―憲法の規定により,90日以内に国会選挙が必要。
DIA-301-1987-12-08-1バングラデシュ1987年12月08日1980年代BBC記者,釈放。
DIA-301-1987-12-09-1バングラデシュ1987年12月09日1980年代繊維相,自動車に爆弾を投げつけられ負傷。
DIA-301-1987-12-10-1バングラデシュ1987年12月10日1980年代BALハシナ,BNPハレダ両委員長,自宅軟禁を解かれる―両委員長は個別に記者会見。ともに政府との対話を拒否,選挙への参加を否定,現政権が辞任するまで野党統一行動を続けると発言。
DIA-301-1987-12-11-1バングラデシュ1987年12月11日1980年代BBC事務所を閉鎖。政府のたび重なる抗議にもかかわらず,BBC放送が中傷的コメントをしたため。
DIA-301-1987-12-11-2バングラデシュ1987年12月11日1980年代屋内での政治活動を12月12日から許可。
DIA-301-1987-12-16-1バングラデシュ1987年12月16日1980年代戦勝記念日。エルシャド大統領,閲兵式出席。
DIA-301-1987-12-19-1バングラデシュ1987年12月19日1980年代野党は19日までにウポジラ議長・メンバーの辞任を要求していたが,辞任した議長はいない。
DIA-301-1987-12-19-2バングラデシュ1987年12月19日1980年代野党連絡委,大統領との対話,現政権下での選挙のいずれをも拒否,あくまで現政権の辞任を要求。
DIA-301-1987-12-21-1バングラデシュ1987年12月21日1980年代野党連絡委,米大使館声明を批判―ダッカの米大使館が声明を発表,「与野党が話し合い,民主的な解決策を見つけるよう望む」としたことについて,「これは米政府の内政干渉である」と非難。
DIA-301-1987-12-22-1バングラデシュ1987年12月22日1980年代12時間ハルタル。ダッカでは各所で爆破事件があり,野党と警察隊との衝突で8人負傷,20人逮捕。
DIA-301-1987-12-23-1バングラデシュ1987年12月23日1980年代12時間ハルタル,2日目。
DIA-301-1987-12-23-2バングラデシュ1987年12月23日1980年代閣僚の分担,一部変更―情報相にAnwar Zahid がカンバック(「参考資料」参照)。
DIA-301-1987-12-24-1バングラデシュ1987年12月24日1980年代BML(Kazi 派),8項目要求―自由・公正な選挙のための条件として8項目を要求,これらが充たされるならば選挙に参加する方針。主要点は国会・大統領選挙を同時に行ない,エルシャド大統領は立候補を辞退すること,選挙監視委員会の設立など。
DIA-301-1987-12-26-1バングラデシュ1987年12月26日1980年代選挙管理委,ユニオン議会選挙を2月10~17日の間に実施すると発表―立候補締め切りは1月10日。
DIA-301-1987-12-26-2バングラデシュ1987年12月26日1980年代サイドザマン蔵相,辞任―後任はM.A.Munim 商務相。商務相の後任は未定。
DIA-301-1987-12-29-1バングラデシュ1987年12月29日1980年代エルシャド大統領はBAL,BNPなど主要政党が選挙に参加しなくても,バングラには100以上の政党があり,国会選挙には影響しないだろう,と述べ強気の姿勢を示した。
DIA-301-1988-01-01-1バングラデシュ1988年01月01日1980年代選挙管理委,国民議会選挙(1987年12月6日解散)を2月28日に実施と発表―立候補締め切りは1月20日。憲法で解散後90日以内に選挙実施を義務づけられている。非常事態下のため,公的政治活動は禁止。
DIA-301-1988-01-01-2バングラデシュ1988年01月01日1980年代AL(アワミ連盟)のハシナ総裁とBNP(民族主義者党)のハレダ総裁会談―1987年10月28日,11月9日に続いて3回目。現政権打倒のため一致団結を誓う。
DIA-301-1988-01-01-3バングラデシュ1988年01月01日1980年代BNP,イスラム協会(Jamaat-e-Islami)ら選挙ボイコットを表明。
DIA-301-1988-01-02-1バングラデシュ1988年01月02日1980年代エルシャド大統領,71政党指導者の集まりで,BNP,ALらが不参加でも選挙は予定どおり実施と語る。
DIA-301-1988-01-02-2バングラデシュ1988年01月02日1980年代JSD(民族社会主義党)ラブ派を代表とする上記71政党は,COP(=Combined Opposition Party野党連合党)を結成。選挙参加を発表。
DIA-301-1988-01-02-3バングラデシュ1988年01月02日1980年代縫製品輸出急増―87/88年度は120億タカに達する見込み。85/86,86/87年度実績は,各44億タカ,79億タカ。
DIA-301-1988-01-03-1バングラデシュ1988年01月03日1980年代8政党,7政党,5政党連合連絡委員会―1月5日から13日間の統一プログラムの実施を決定。
DIA-301-1988-01-04-1バングラデシュ1988年01月04日1980年代エルシャド,エジプト公式訪問に出発。
DIA-301-1988-01-04-2バングラデシュ1988年01月04日1980年代港湾・船舶・内水路交通省を船舶省と改称。
DIA-301-1988-01-05-1バングラデシュ1988年01月05日1980年代(カイロ)エルシャド大統領はムバラク・エジプト大統領と会談。貿易,経済交流の多様化で合意。
DIA-301-1988-01-07-1バングラデシュ1988年01月07日1980年代(バクダッド)エルシャド大統領,イラクのフセイン大統領と会談。
DIA-301-1988-01-08-1バングラデシュ1988年01月08日1980年代政党連合連絡委,選挙ボイコットを呼びかける声明を発表。
DIA-301-1988-01-09-1バングラデシュ1988年01月09日1980年代エルシャド大統領帰着。
DIA-301-1988-01-09-2バングラデシュ1988年01月09日1980年代JP(国民党)の公認候補300人の枠に1200人が応募。
DIA-301-1988-01-12-1バングラデシュ1988年01月12日1980年代大統領は,独立戦争参戦兵士の会で,選挙こそが憲法並びに民主主義を支える唯一の手段である,もし幾つかの政党が参加しなくても選挙は実施すると演説。
DIA-301-1988-01-14-1バングラデシュ1988年01月14日1980年代選管,全国のユニオン議会選挙を2月10日に一斉実施すると発表。
DIA-301-1988-01-14-2バングラデシュ1988年01月14日1980年代メトロポリタン商工会議所の調査によれば,1987年11,12月の政治的混乱による経済的損失は,GDPの約1.7%に相当する85億タカに上った。洪水の被害と合わせるとGDPの4.86%が失われたことになる。特に縫製品,冷凍食品,ジュート加工,タバコ,皮革セクターで深刻。
DIA-301-1988-01-16-1バングラデシュ1988年01月16日1980年代ダッカ大学,50日ぶりに授業を再開。
DIA-301-1988-01-17-1バングラデシュ1988年01月17日1980年代7万人の弁護士を代表するバングラデシュ弁護士協会評議会の「囚人釈放の日」に因んだ会議にハシナAL総裁が出席,BNPのハレダ総裁は欠席したが声明文にて,「独裁政権」打倒のため団結して運動を強化することを呼び掛ける。
DIA-301-1988-01-18-1バングラデシュ1988年01月18日1980年代選管,国会選挙を3月3日に延期すると発表。立候補締め切り日も1月23日に延期。政党を含むすべての関係者に,公正かつ円滑な選挙遂行の協力を求める。
DIA-301-1988-01-18-2バングラデシュ1988年01月18日1980年代政党連合連絡委,選挙不参加の方針を再表明。
DIA-301-1988-01-18-3バングラデシュ1988年01月18日1980年代JP,293議席に対する公認候補者のリストを発表。現JP閣僚のうちマハブブザマン農業相(今回不出馬)をのぞいて全員がノミネートされた。女性は4人で,全員が前国会議員。
DIA-301-1988-01-19-1バングラデシュ1988年01月19日1980年代COP,300人候補者リストを発表。
DIA-301-1988-01-19-2バングラデシュ1988年01月19日1980年代大学教員ら154人の有識者が反政府運動への連帯を表明する声明を発表。
DIA-301-1988-01-20-1バングラデシュ1988年01月20日1980年代立候補受付初日に合わせて,野党側は夜明けから日没までのゼネストを実施。New Nation紙によればこの日ダッカ市内で立候補を届け出たのは3人だった。
DIA-301-1988-01-21-1バングラデシュ1988年01月21日1980年代サラウッディン・Q・チョウドリ保健相とアンワル・ザヒド情報相が主要野党不参加のまま選挙を強行することに反対して閣僚を辞任。
DIA-301-1988-01-21-2バングラデシュ1988年01月21日1980年代(カトマンドゥ)17日から開かれていたバ・ネパール合同貿易会議で,両国は二国間貿易の拡大と多角化に合意。
DIA-301-1988-01-22-1バングラデシュ1988年01月22日1980年代JP公認候補の最終リストを発表。上記2閣僚らを含め5人が除外された。
DIA-301-1988-01-22-2バングラデシュ1988年01月22日1980年代野党集会で支持者と警察が衝突。50人以上の負傷者を出した。
DIA-301-1988-01-23-1バングラデシュ1988年01月23日1980年代選管,立候補の締め切りを2日間延長して1月25日にすると発表。
DIA-301-1988-01-24-1バングラデシュ1988年01月24日1980年代チッタゴンで開催されたALの大衆集会で,警察の発砲により7人が死亡(AL側の発表では11人),約300人の負傷者が出た。BNPのハレダ総裁は,集会,デモの開催は基本的な民主主義の権利であるとして警察を非難。
DIA-301-1988-01-24-2バングラデシュ1988年01月24日1980年代チョウドリ前保健相,ザヒド前情報相並びにマンズル・モルシェド元国会議員,党規律違反を理由にJPから除名さる。
DIA-301-1988-01-24-3バングラデシュ1988年01月24日1980年代アニスル・イスラム・マームード灌漑相が情報相を兼任。
DIA-301-1988-01-25-1バングラデシュ1988年01月25日1980年代チッタゴンでの24日の事件による死者の数はさらに増え11人(ALの主張は15人)になった。事件に抗議して8時間のゼネスト実施さる。興奮した群衆がチッタゴン市役所,選管事務所等を襲撃。他の地方でも抗議行動が繰り広げられた。
DIA-301-1988-01-25-2バングラデシュ1988年01月25日1980年代政府はあらたに以下3項目の政令を発布。(1)屋内外での国会,地方自治体選挙に反対する集会の開催並びにかような集会への人々の参加の禁止。(2)反選挙的な集会,デモにおける演説,スローガンの掲示,行列の禁止,(3)選挙を妨害する行動の禁止。
DIA-301-1988-01-25-3バングラデシュ1988年01月25日1980年代選管,ダッカ,チッタゴン,クルナ,ラージシャヒ地方議会選挙を3月3日に行うと発表。
DIA-301-1988-01-25-4バングラデシュ1988年01月25日1980年代大統領,IFAD(国際農業開発墓金)の会議出席のためローマへ。
DIA-301-1988-01-26-1バングラデシュ1988年01月26日1980年代立候補者合計1168人中,資格審査により1144人が有効と判断さる。
DIA-301-1988-01-26-2バングラデシュ1988年01月26日1980年代(ローマ)エルシャド大統領は記者会見で,選挙に参加するか否かは各政党が決めること,選挙や憲法は,特定政党の決定を待ってというわけにはいかないと語る。
DIA-301-1988-01-28-1バングラデシュ1988年01月28日1980年代大統領ローマから帰着。
DIA-301-1988-01-28-2バングラデシュ1988年01月28日1980年代コモロ連邦のカフェ外相が来訪。
DIA-301-1988-01-28-3バングラデシュ1988年01月28日1980年代カナダと二国間繊維協定調印。5番目の輸出割り当て対象品目であるスポーツウエアの割当量を年165万着と設定。前年比6%の増加。カナダへの輸出は全体の10%を占める。
DIA-301-1988-01-29-1バングラデシュ1988年01月29日1980年代来バ中のピーター・ガルブレイス米下院外交委員会顧問,ALハシナ,BNPハレダ総裁と個別に会見。
DIA-301-1988-01-30-1バングラデシュ1988年01月30日1980年代24日のチッタゴン事件の死者に対する野党合同追悼集会。BNPのハレダ総裁は出席したが,ALのハシナ総裁は欠席。理由は発表されなかった。
DIA-301-1988-01-31-1バングラデシュ1988年01月31日1980年代エルシャド大統領は,遊説先のボグラで選挙は予定どおり実施する,と述べる。
DIA-301-1988-02-01-1バングラデシュ1988年02月01日1980年代ジャムナ橋の定礎式行なわれる―タンガルイ県カリハティ・ウポジラのゴハリアバリにて。現在フィージビリティ・スタディーが進められており,89年半ばに着工予定。総工費は約6億㌦が見込まれている。
DIA-301-1988-02-01-2バングラデシュ1988年02月01日1980年代ハナシAL総裁,記者に語る。―1月30日の合同集会欠席の理由は,安っぽい人気は欲しない,自己の生命の危険を感じた,もし出席したらチッタゴン事件のような惨事が繰り返されるとの警告があったため,と述べる。
DIA-301-1988-02-04-1バングラデシュ1988年02月04日1980年代元国会議員Harun-ur-Rashid Mollah,党の規律違反でJP除名処分。
DIA-301-1988-02-06-1バングラデシュ1988年02月06日1980年代夜間,シレット地方で地震―医科大学病院ほかいくつかの建物に被害が出る。住民の中にパニック状態が発生し,100人以上の負傷者が出た。
DIA-301-1988-02-06-2バングラデシュ1988年02月06日1980年代ダッカ,チッタゴン,ラージシャヒ,クルナ地方議会選挙の立候補締め切る。
DIA-301-1988-02-06-3バングラデシュ1988年02月06日1980年代野党の呼びかけによるゼネスト実施さる―現政権の辞任と非政党・選挙管理内閣設置を要求。
DIA-301-1988-02-07-1バングラデシュ1988年02月07日1980年代国会選挙300議席中16議席が無選挙当選と発表。
DIA-301-1988-02-10-1バングラデシュ1988年02月10日1980年代ユニオン(村)議会選挙実施さる―各地で対立候補の支持者らが衝突,70人以上の死者を出した。2万1000カ所の投票所のうち2500カ所で投票が中止された。シャー・モアゼム・ホセイン副首相(JP書記長)は,国民の熱狂は,エルシャド大統領の政策の勝利,選挙ボイコット派政党の完敗を示すものであると語る。
DIA-301-1988-02-11-1バングラデシュ1988年02月11日1980年代ユニオン選挙を巡る死者数は100人を超す模様。内務省の公式推計では80人。
DIA-301-1988-02-11-2バングラデシュ1988年02月11日1980年代初の女性ユニオン議長が,ジェソール県で誕生。
DIA-301-1988-02-13-1バングラデシュ1988年02月13日1980年代M・A・マティン副首相(内務担当),保健・家族計画相を兼任。
DIA-301-1988-02-13-2バングラデシュ1988年02月13日1980年代野党によるゼネスト実施さる。
DIA-301-1988-02-14-1バングラデシュ1988年02月14日1980年代ユニオン選挙で延期された選挙区での再投票は3月16日に実施と発表。
DIA-301-1988-02-14-2バングラデシュ1988年02月14日1980年代野党ゼネスト。昨年の11月10日以来23回目。
DIA-301-1988-02-15-1バングラデシュ1988年02月15日1980年代大統領,国会選挙の公正を保証するために治安部隊および軍隊を動員すると述べる。野党は強く反発。
DIA-301-1988-02-16-1バングラデシュ1988年02月16日1980年代BNP,ALの指導者数人が逮捕さる。
DIA-301-1988-02-17-1バングラデシュ1988年02月17日1980年代BNPのハレダ総裁,AL,のハシナ総裁に対し,連帯を強化し2月21日の言語運動犠牲者の日に,同じ壇上に並び立つことを呼びかける。
DIA-301-1988-02-17-2バングラデシュ1988年02月17日1980年代AL最高幹部会議のメンバーAbdul Mannan逮捕さる(3月14日釈放)。
DIA-301-1988-02-17-3バングラデシュ1988年02月17日1980年代全国土地改革評議会,初会議―大統領を長とする同評議会は,84年土地改革法に基づき土地改革を推進,並びに国有地の払い下げ,刈分小作人の権利の保護などの措置を並行して進めることを決定。これまでに国有地3万5000エーカーが2万3000の土地なし世帯に配分された。
DIA-301-1988-02-19-1バングラデシュ1988年02月19日1980年代AL,BNPの提案を拒否―ALのAmir Hosain Amu書記長代行は,政権打倒ということばかりでなく,政治構造,国家の基本原理等に関して見解の一致がなければ,意味ある団結とはいえないと語る。また,国民に対し1972年憲法に,基づいた団結を呼びかける。
DIA-301-1988-02-20-1バングラデシュ1988年02月20日1980年代カジ・ザファール・アーメド元副首相,再度副首相として入閣―大統領の政治顧問を担当。
DIA-301-1988-02-22-1バングラデシュ1988年02月22日1980年代政党連合連絡委,8政党連合,7政党連合並びに5政党連合は,すべてのプログラムを合同実施するとの決議を採択。
DIA-301-1988-02-24-1バングラデシュ1988年02月24日1980年代大統領は陸海空参謀長,陸軍地区司令官等を集め,公正な国会選挙遂行に協力要請。
DIA-301-1988-02-24-2バングラデシュ1988年02月24日1980年代大統領,教師連盟連合会(FBTA,事務総長はモウラナM・A・マンナン宗教相)のメンバーとの会見で,選挙が金,権力,暴力によって左右されることがないよう選挙の手続きを改正する必要があると語る。
DIA-301-1988-02-26-1バングラデシュ1988年02月26日1980年代AL,BNPの両総裁は,合同で声明発表―人民による支配を確立するため,団結して運動を推進することを呼びかける。
DIA-301-1988-02-28-1バングラデシュ1988年02月28日1980年代8・7・5政党連合が主催する選挙強行に対する「抵抗の日」集会で,100人以上の負傷者発生。野党側は,警察の発砲で3人殺されたと主張。
DIA-301-1988-02-28-2バングラデシュ1988年02月28日1980年代選挙は予定どおり実施―フォリドプール県アトロシで開催されたイスラム教徒の集会で,大統領が表明。
DIA-301-1988-02-29-1バングラデシュ1988年02月29日1980年代野党による選挙ボイコット運動。各地で暴力事件,車両の放火等が続発。政府は各ウポジラに軍隊を動員,また教育機関の閉鎖を指示。
DIA-301-1988-02-29-2バングラデシュ1988年02月29日1980年代インド陰謀説―29日付け主要新聞紙上に,パキスタンのラーワルピンディー発行の日刊The Nation紙,からの引用で,インドはバングラデシュに政治的混乱状況を作り出し,それを理由に軍隊の出動を計画しているとの報道がなされた。同日,インド大使館は,くだらない報道にバングラデシュのいくつかの新聞が第1面を割いたのに驚いている,インド政府および国民は,バングラデシュの人々に対して善意以外の何ものも抱いていない,とのコメントを発表。
DIA-301-1988-03-01-1バングラデシュ1988年03月01日1980年代政府は選挙に備えて軍隊および警察,警備隊約4万人を配備。今日から48時間,集会・デモは禁止。
DIA-301-1988-03-02-1バングラデシュ1988年03月02日1980年代野党,全国で36時間のゼネスト開始―各地で爆弾テロ続発。
DIA-301-1988-03-03-1バングラデシュ1988年03月03日1980年代国会選挙実施さる―主要野党のボイコットのなか行なわれた選挙の投票率はきわめて低い模様。反政府活動家による投票妨害,警官の発砲事件等が各地で発生し,ダッカのみで13人の死者を出した。そのため多数の投票所で投票が中止された。AL,BNP等野党勢力は選挙は無効と主張している。同4日地方議会議員の選挙も実施。
DIA-301-1988-03-05-1バングラデシュ1988年03月05日1980年代与党優勢―これまでに公表されたところでは,JPが199議席,COPが13議席,JSD,FP(自由党)各1議席,無所属12議席と,JPが圧倒的にリード。
DIA-301-1988-03-05-2バングラデシュ1988年03月05日1980年代主要新聞スト―政府が選挙に関する「客観的報道を規制した」ことに抗議して。
DIA-301-1988-03-05-3バングラデシュ1988年03月05日1980年代日本での不法就労者急増―日本の法務省が公表した「62年の出入国管理法違反事件の概況」によれば,1985年には1人だったのが87年には438人が不法就労(観光ビザで入国して働いたり,在留期間がすぎても働いていること)で摘発された。
DIA-301-1988-03-07-1バングラデシュ1988年03月07日1980年代9選挙区の再選挙は3月12日,選管発表。
DIA-301-1988-03-07-2バングラデシュ1988年03月07日1980年代フマユーン外相,米国公式訪問に出発。
DIA-301-1988-03-08-1バングラデシュ1988年03月08日1980年代タンザニアのニエレレ大統領来訪。
DIA-301-1988-03-08-2バングラデシュ1988年03月08日1980年代同日付け『日経産業新聞』によれば,「大ダッカ県通信網整備・拡充計画」プロジェクトを住友商事,日本電気,住友電気工業が受注。総額約57億円。官庁,大使館その他重要施設が集中するダッカの北側半分をデジタル通信網でつなぐ。1990年2月完成予定。
DIA-301-1988-03-09-1バングラデシュ1988年03月09日1980年代(ワシントン)外相,楓ホワイトヘッド米国務次官と会見。
DIA-301-1988-03-10-1バングラデシュ1988年03月10日1980年代エルシャド大統領,8項目の政策目標発表―(1)可及的速やかにあらゆる部門で自力更生(self-relia-nce)を達成する。(2)教育を受けた失業者全員に雇用機会を提供する。(3)輸出を増やす。(4)不要なプロジェクトを削除する。(5)効的,誠実かつ効果的な行政を確立する。(6)汚職追放キャンペーンを展開する。(7)生産的かつ国民の福祉を目指す政治を行なう。(8)人口抑制プログラムをさらに強化する。
DIA-301-1988-03-11-1バングラデシュ1988年03月11日1980年代(ワシントン)外相,国会選挙の投票率は高かった,政府は常に野党と話し合う用意があると語る―ナショナル・プレス・クラブでのゲスト・スピーカーとして演説。同相はシュルツ国務長官とも会見。
DIA-301-1988-03-12-1バングラデシュ1988年03月12日1980年代9選挙区の再投票実施さる。―これまでに確定した294議席の結果は次のとおり。JP243,COP18,FP2,JSD(Siraj派)2,無所属25。
DIA-301-1988-03-12-2バングラデシュ1988年03月12日1980年代ALのハシナ総裁,Wold Peace Councilの会議出席のためチェコスロバキアへ。
DIA-301-1988-03-13-1バングラデシュ1988年03月13日1980年代大統領,イスラム国教化法案を次期国会に上程すると述べる―人口の90%の人々の人生は,誕生から死に至るまでイスラムによって導かれている,国民の大多数の宗教を国教として受け入れない理由はないと語る。Pirojpur県Sausinaにおけるイスラム教徒の大集会で。
DIA-301-1988-03-14-1バングラデシュ1988年03月14日1980年代8政党連合,BNP,Jamaatらエルシャド大統領のイスラム国教化発言に強く反発。
DIA-301-1988-03-14-2バングラデシュ1988年03月14日1980年代Abdul Mannan,Begum Sajeda ChowdhuryらALの幹部釈放さる。
DIA-301-1988-03-15-1バングラデシュ1988年03月15日1980年代BNPの幹部2人訪米。BadruddozaとBarrister Nazmul Huda。
DIA-301-1988-03-18-1バングラデシュ1988年03月18日1980年代(バンコク)バ・タイ合同委員会終了(16日~)。貿易不均衡の改善,投資促進,民間航空,文化交流等の分野における協力強化で合意。
DIA-301-1988-03-19-1バングラデシュ1988年03月19日1980年代299議席の結果確定―JP251,COP18,JSD3,FP2,無所属25。残りの1議席は,3月3日選挙の1週間前に候補の1人が死亡したため4月7日に延期された。
DIA-301-1988-03-21-1バングラデシュ1988年03月21日1980年代政府は,現政権発足6周年に当たる3月24日を「開発(development)の日」として祝うと発表。
DIA-301-1988-03-21-2バングラデシュ1988年03月21日1980年代IJC(国際ジュート評議会,国際ジュート機構IJOの政策決定機関)第9次会議終了―三つのプロジェクトを承認。(1)包装用素材としての化学繊維に対するジュートの優位性を消費者に知らせる。(2)ジュート生産・供給の迅速な計測法の改善。(3)生産,製造過程における種々の調査研究。しかし来年1月9日に失効する現行協定に替る新ジュート協定に関する話し合いは合意に達せず。現在IJOのメンバーは,生産国5カ国および消費国26カ国。
DIA-301-1988-03-22-1バングラデシュ1988年03月22日1980年代AL,政権打倒まで運動続行を決定―中央執行委会議で確認。
DIA-301-1988-03-24-1バングラデシュ1988年03月24日1980年代野党,「暗黒の日」プログラムを実施―エルシャド政権発足6周年に当たるこの日を「暗黒の日」(Black Day)と呼びそれぞれ集会を開催。政党連合連絡委は,大統領に対し4月8日までに辞任することを要求。
DIA-301-1988-03-24-2バングラデシュ1988年03月24日1980年代24日付けのNew Nation紙によれば,政府は4月20日以降査証の効力失効後も国内に不法滞在している外国人に対する取締りを強化すると決定した。
DIA-301-1988-03-25-1バングラデシュ1988年03月25日1980年代世界銀行のKaraosmanoglu副総裁来訪。
DIA-301-1988-03-27-1バングラデシュ1988年03月27日1980年代内閣改造―ミザヌール・ラーマン・チョウドリ首相,マハブブザマン農業相,マティウル・ラーマン通信相,ミルザ・ルフル・アミン社会福祉相ら更迭。新首相にモードゥド・アーメド副首相が昇格。3人の副首相に,M・A・マティン(内務担当),シャー・モアゼム・ホセイン(地方行政担当),カジ・ザファール・アーメド(大統領顧問)が就任。ほか19人の閣内大臣および9人の国務大臣から構成。
DIA-301-1988-03-27-2バングラデシュ1988年03月27日1980年代国会選挙改革委員会設置―Babrul Hyder Chowdhury最高裁判事1人より成る。選挙の手続きをより現実に即し,民主的な形に改革するための提言を6月30日までに提出。
DIA-301-1988-03-28-1バングラデシュ1988年03月28日1980年代大統領,タイ公式訪問。
DIA-301-1988-03-28-2バングラデシュ1988年03月28日1980年代世銀,ジャムナ橋への資金融資を約束―来訪中のKaraosmanoglu副総裁とAnwar Hossain通信相の話し合いで(New Nation紙)。同副総裁は翌29日に,建設予定地を視察。
DIA-301-1988-03-29-1バングラデシュ1988年03月29日1980年代全国食糧政策発表さる―第1目標は,1990年までに自給(2000万㌧)および150万㌧の備蓄達成。
DIA-301-1988-03-30-1バングラデシュ1988年03月30日1980年代(バンコク)大統領,タイのプレム首相と会談。
DIA-301-1988-03-30-2バングラデシュ1988年03月30日1980年代AL,国会選挙改革委員会の設置に反対―現在の政治危機の原因は選挙制度でなく,政府にあるとして。
DIA-301-1988-03-31-1バングラデシュ1988年03月31日1980年代大統領,タイより帰着。
DIA-301-1988-04-01-1バングラデシュ1988年04月01日1980年代JP議会党(JPPP)初会議。
DIA-301-1988-04-03-1バングラデシュ1988年04月03日1980年代大統領,次期国会でイスラム国教化法案上程の意志を再表明。必要ならば信任投票で世論を問うと語る。
DIA-301-1988-04-03-2バングラデシュ1988年04月03日1980年代BNP常任委員会緊急会議。
DIA-301-1988-04-04-1バングラデシュ1988年04月04日1980年代政党連合連絡委,イスラム国教化を批判―「パキスタン・スタイル」で宗教を政治的目的のために利用するとして政府を非難。
DIA-301-1988-04-04-2バングラデシュ1988年04月04日1980年代政府はイラン,イラクにある在外公館の婦人,子供の帰国を指示した。また両国駐在大使に,両国内のバングラデシュ人の安全にあらゆる手を尽くすよう求める。イラクには約2万人,イランには約1万人が働いている。
DIA-301-1988-04-04-3バングラデシュ1988年04月04日1980年代72時間の医師ストライキ―全インターンの雇用確保,給料の改訂等を要求。
DIA-301-1988-04-05-1バングラデシュ1988年04月05日1980年代エルシャド,国会の院内幹事長にM.A.Sattar(ナラヤンガンジ区選出),幹事にSyed Mohammad Kaiser,T.M.Giasuddin Ahmed,Md.Tajul Islam Chowdhury,Syed Deedar Bakhtを任命。
DIA-301-1988-04-06-1バングラデシュ1988年04月06日1980年代国会召集日にゼネスト実施―政党連合連絡委が発表。別個にJamaatも同様のプログラムを行なうことを発表した。
DIA-301-1988-04-06-2バングラデシュ1988年04月06日1980年代1988/89年度外国援助要請額は21.4億㌦―同年度のGDP成長率を6.1%と見込む。前年度の援助約束額は19億410万㌦,実際のコミット額は21億9960万㌦だった。
DIA-301-1988-04-07-1バングラデシュ1988年04月07日1980年代国会議員補欠選挙でCOP候補が当選―3月3日の総選挙直前に候補者の一人が死亡したため延期されていたジェソール3区。これで政党勢力地図は,JP251議席,COP19議席,JSD(Siraj派)3議席,FP2議席,無所属25議席となった。結果は10日に公表。
DIA-301-1988-04-07-2バングラデシュ1988年04月07日1980年代計画委員会,修正87/88年度開発計画(ADP)465.1億タカを承認―当初予算504.6億タカを7.8%下回る。洪水救援のための支出が増え,ADP規模が縮小したため。
DIA-301-1988-04-07-3バングラデシュ1988年04月07日1980年代イスラム国教化は宗教的マイノリテイを不利にすることはない―インドのある政党が問題視したことを踏まえて,Nazrul Islam外務次官がコメント。
DIA-301-1988-04-07-4バングラデシュ1988年04月07日1980年代SAARC歴史会議,ダッカで開催。3日間。
DIA-301-1988-04-08-1バングラデシュ1988年04月08日1980年代BNPのBadruddoza副総裁,アメリカ,イギリス訪問を終えて帰国―ALのKamal Hossainとともに,アメリカ各地で記者会見を開く。3月3日総選挙に関して,フマユーン外相の誤った報告を正してきたと語る。
DIA-301-1988-04-09-1バングラデシュ1988年04月09日1980年代4月25日に国会召集―政府発表。
DIA-301-1988-04-09-2バングラデシュ1988年04月09日1980年代ユニオン議会補欠選挙(~16日)―2月10日選挙で投票が中断された約5500カ所の投票所で。
DIA-301-1988-04-10-1バングラデシュ1988年04月10日1980年代BNPのハレダ総裁,シラジガンジでの党集会の演説のなかで,現政権の下で汚職が横行していると非難。また利潤を挙げている重工業の民間払い下げの方針には反対の姿勢を示す。
DIA-301-1988-04-10-2バングラデシュ1988年04月10日1980年代ブルネイのSerudin宗教相を団長とする宗教使節団来訪。
DIA-301-1988-04-11-1バングラデシュ1988年04月11日1980年代パ印国境会談。両国国境警備隊司令官が,ラージシャヒで会談(~12日)。
DIA-301-1988-04-11-2バングラデシュ1988年04月11日1980年代EPA(輸出振興局)の広報誌によれば,アメリカへの縫製品輸出割当の95%を達成。
DIA-301-1988-04-11-3バングラデシュ1988年04月11日1980年代民間貨物船による貿易取扱い量が,BSC(船舶公団)を上回る(New Nation紙)。
DIA-301-1988-04-12-1バングラデシュ1988年04月12日1980年代非常事態宣言解除―昨年11月27日公布。
DIA-301-1988-04-12-2バングラデシュ1988年04月12日1980年代7・8・5政党連合,Jamaatら,それぞれ国会召集日にゼネストを実施すると発表。
DIA-301-1988-04-13-1バングラデシュ1988年04月13日1980年代ジャハンギナガル大学,閉鎖―学生寮食堂職員のスト(常勤雇用を求める)をきっかけに,食堂再開を求める学生の抗議行動が拡がったため大学当局が決定。
DIA-301-1988-04-14-1バングラデシュ1988年04月14日1980年代(ワシントン)米国下院外交委員会アジア太平洋問題小委員会(委員長:スティーブン・ソラーズ下院議員)公聴会―バングラデシュへの援助決定に際し,米国大統領は同国における民主的制度の発展状況に留意せねばならないとする外国援助修正法案(ソラーズ法案)に関連して事情聴取を行なうために開かれた。A.M.A.Muhith(エルシャド政権下で最初の蔵相),Prof.Zillur Rahman Khan,Prof.Craig Baxterが民間の証人として出席。19日付けNew Nation紙によれば,現政権に関する評価は,是非の二つに分れ,政府,野党双方にとって満足のいくものではなかった。19日,AL幹部のKamal Hossainは,公聴会に関する国内の報道は歪められているとのコメントを発表。
DIA-301-1988-04-14-2バングラデシュ1988年04月14日1980年代(パリ)対バ援助国会議,88/89年度に21億㌦を約束―前年度のプレッジ19.5億㌦を上回る。
DIA-301-1988-04-15-1バングラデシュ1988年04月15日1980年代ハレダBNP総裁,ラマダーン後に,より広範な運動を展開すると述べる。
DIA-301-1988-04-16-1バングラデシュ1988年04月16日1980年代大統領,東ベンガル連隊の国旗掲揚式に出席,国防と開発とは全く別個のものではないと語る。
DIA-301-1988-04-17-1バングラデシュ1988年04月17日1980年代ハシナAL総裁,ラマダーン中も,反民衆的行為に対しては,全面的な運動を展開すると述べる。
DIA-301-1988-04-17-2バングラデシュ1988年04月17日1980年代FBCCI(バングラデシュ商工会議所連盟)代表は,首相との会見の席上で,工業化達成に,とって政治的安定が不可欠であることを強調。
DIA-301-1988-04-18-1バングラデシュ1988年04月18日1980年代(イスラマバード)Anisul Islam Mahmud教育相,パキスタンのジア大統領,ジュネージョ首相と会見。教育分野での交流促進に合意。
DIA-301-1988-04-18-2バングラデシュ1988年04月18日1980年代8政党連合会議,Jamaat並びにその学生組織Islami Chhatra Shibirを独立戦争に反対する行動を取ったと非難し,団結して彼らと闘うことを呼びかける。
DIA-301-1988-04-19-1バングラデシュ1988年04月19日1980年代Willard A.de Pree駐バ米国大使,バングラデシュの政治展開に圧力をかける道具として援助を用いるという提案を拒否して,内政不干渉の立場を示す。―ダッカ・ロータリークラブの会合で。
DIA-301-1988-04-20-1バングラデシュ1988年04月20日1980年代Bangladesh Samyabadi Dal・ML(バングラデシュ共産党・マルクス=レーニン主義)の二派,合併。
DIA-301-1988-04-20-2バングラデシュ1988年04月20日1980年代インドは国境のフェンス建設を続行―インドのモニ内務国務相が下院で発言。
DIA-301-1988-04-21-1バングラデシュ1988年04月21日1980年代県議会法案,次期国会に上程―軍の代表に関する条項を除く。首相発表。
DIA-301-1988-04-21-2バングラデシュ1988年04月21日1980年代外務省,インド国営放送がチッタゴン丘陵地帯の少数民族の「苦悩」を強調した番組を放映(4月17日)したことに抗議。
DIA-301-1988-04-23-1バングラデシュ1988年04月23日1980年代自由党,イスラム共和国化を要求。
DIA-301-1988-04-24-1バングラデシュ1988年04月24日1980年代全国のジャーナリスト,Banglar Bani,BBCその他の発禁・活動禁止処分が解除されないかぎり,国会の報道をボイコットすると警告。
DIA-301-1988-04-25-1バングラデシュ1988年04月25日1980年代国会召集―大統領は独立,民主主義,経済的解放というより大きな目的のため,政治的な争いを捨てるよう演説。
DIA-301-1988-04-25-2バングラデシュ1988年04月25日1980年代8・7・5政党連合,Jamaatらの呼びかけでゼネスト実施。国内の報道によれば,ゼネストは「部分的」で概ね平和裡に行なわれた。
DIA-301-1988-04-26-1バングラデシュ1988年04月26日1980年代大統領,ビルマ公式訪問。28日両国は共同コミュニケを発表。人事交流促進を謳う。近くビルマの工業ミッションが来バすることも決まった。28日に帰国。
DIA-301-1988-04-29-1バングラデシュ1988年04月29日1980年代シャンティ・バヒニの襲撃に備えて,チッタゴン丘陵地帯の警備体制を強化。
DIA-301-1988-05-03-1バングラデシュ1988年05月03日1980年代政府,BBCの活動禁止処分を撤回―1987年12月11日以来。2日にわたりMahbubur Rahman情報相と,BBCのEastern Service代表が話し合った結果。
DIA-301-1988-05-03-2バングラデシュ1988年05月03日1980年代BNPのハレダ総裁,チッタゴン丘陵地帯の少数民族問題に関して,スリランカ合意のような協定を結ばないよう警告。
DIA-301-1988-05-03-3バングラデシュ1988年05月03日1980年代全国土地改革評議会,第2回会議。
DIA-301-1988-05-03-4バングラデシュ1988年05月03日1980年代国会,救援復興課徴金法案1988年を可決。野党は国民への負担となると非難。
DIA-301-1988-05-04-1バングラデシュ1988年05月04日1980年代バ印国境協定の見直し―フマユーン外相は,国会でFP(自由党)議員の質問に答えて,1974年国境協定(インドは批准していない)について,国際協定を破棄することは難しいが,順序を踏まえて見直すつもりであると語る。
DIA-301-1988-05-05-1バングラデシュ1988年05月05日1980年代国会,閣僚の自由裁量資金倍増法案を可決―大臣の場合,10万タカから20万タカに引き上げられた。
DIA-301-1988-05-05-2バングラデシュ1988年05月05日1980年代野党は,シャンティ・バヒニの活動にインドが関与していると非難。外相は,答弁で外国関与の事実は認めたが国名は挙げず。
DIA-301-1988-05-07-1バングラデシュ1988年05月07日1980年代現国会は5年の任期を全うできる―JP議会党会議で大統領語る。
DIA-301-1988-05-09-1バングラデシュ1988年05月09日1980年代地方政府(県評議会)法案上程さる―同日,地方政府(ユニオン議会)修正法案,首相(給与・権限)修正法案が可決された。
DIA-301-1988-05-11-1バングラデシュ1988年05月11日1980年代憲法第8次改正法案国会に上程―改正は2カ所にわたる。第1は,第2条(領土)と第3条(国語)の間に第2条Aとして,イスラムを国教(state religion)とするという条項を挿入する。もう一点は最高裁判所は首都に置くと定めた第100条を改正し,コミラ,チッタゴン,バリサル,ジェソール,ラングプール,シレットの6カ所に地方分所を設置する。大統領がJP議会党会議で述べたところによれば,イスラム国教化は,原理主義の脅威に対抗するため。この措置にたいして,BNPのハレダ総裁は,人口の大多数がイスラム教徒であるのだから,この法改正は不必要との反対声明を発表。またALの支持者らが,法案に反対してバスに放火。
DIA-301-1988-05-12-1バングラデシュ1988年05月12日1980年代非ムスリムへの保証―大統領は,ゴパルガンジ県での集会で,イスラムを国教としたが,他宗教の活動も保証されていると語る。
DIA-301-1988-05-12-2バングラデシュ1988年05月12日1980年代Jamaat,権力に執着して,イスラムを利用していると政府を批判。8政党連合はイスラム化はバングラデシュをコミュナル国家にするものであるとの声明発表。
DIA-301-1988-05-12-3バングラデシュ1988年05月12日1980年代法曹界は,司法の分権化の名のもとに,司法の独立を損なうとして,第8次改正法案撤回を要求。
DIA-301-1988-05-18-1バングラデシュ1988年05月18日1980年代断食明け祭。
DIA-301-1988-05-20-1バングラデシュ1988年05月20日1980年代フマユーン外相,ポーランドを訪問。
DIA-301-1988-05-21-1バングラデシュ1988年05月21日1980年代大統領,合同庁舎をぬきうち視察。出勤率は約30%と低かった。
DIA-301-1988-05-22-1バングラデシュ1988年05月22日1980年代ハシナ総裁,AL拡大運営会議で演説。暗にBNPを非難―1972年憲法四原則の復活,ムジブ暗殺犯人の裁判が今後の野党連合の条件であると語る。また,ALは軍の支援は受けなかった,大衆の支持から力を得ていると,暗にBNPの在り方を非難する発言があった。
DIA-301-1988-05-23-1バングラデシュ1988年05月23日1980年代AL拡大運営委員会荒れる―今後の運動方針,野党共闘をめぐり激しく意見が対立,一時休会となった。
DIA-301-1988-05-23-2バングラデシュ1988年05月23日1980年代ダッカでバ・ルーマニア合同経済委会議(~25日)。
DIA-301-1988-05-24-1バングラデシュ1988年05月24日1980年代AL,BNP・Jamaatと訣別―拡大運営委の結論は,1975年以前の議会民主制を掲げ,AL,のもとに新たな親独立戦争勢力の結集を呼びかけるというもの。
DIA-301-1988-05-24-2バングラデシュ1988年05月24日1980年代BNPのBadruddoza Chowdhury副総裁は,必要ならば,ALを除いて,ハレダ総裁の指導体制のもと新たな運動を開始すると語る。
DIA-301-1988-05-24-3バングラデシュ1988年05月24日1980年代外相,チェコスロバキアを訪問。
DIA-301-1988-05-25-1バングラデシュ1988年05月25日1980年代新設(5月24日)の文化省担当国務相にNur Mohammad Khan国会議員を任命。
DIA-301-1988-05-25-2バングラデシュ1988年05月25日1980年代憲法第8次改正は,県評議会法案可決後に審議―首相発言。
DIA-301-1988-05-26-1バングラデシュ1988年05月26日1980年代Jamaatの元会長Prof. Golam Azamの処遇(1978年以来,国籍を失ったままバングラデシュに居住している)をめぐり国会紛糾。
DIA-301-1988-05-26-2バングラデシュ1988年05月26日1980年代ハレダBNP総裁,現政権打倒という1項目要求のもとに運動拡大を呼びかける。暗にALを指して,民主化運動の団結にひびを入れようとしていると非難。
DIA-301-1988-05-29-1バングラデシュ1988年05月29日1980年代国会補欠選挙―Brahmanbaria4区およびLaxmipur4区。結果は6月4日に発表。JPとCOPが獲得。
DIA-301-1988-05-29-2バングラデシュ1988年05月29日1980年代5政党連合と8政党連合リーダー会議。
DIA-301-1988-05-30-1バングラデシュ1988年05月30日1980年代国会,県評議会法案を審議―COPは,任命議員に軍の代表を含めるよう要求。
DIA-301-1988-05-30-2バングラデシュ1988年05月30日1980年代5政党連合と7政党連合リーダー会議。
DIA-301-1988-05-30-3バングラデシュ1988年05月30日1980年代Golam Azam,報道陣に語る―国籍を授与されないことについて政府を非難。独立戦争時の立場に関する質問については,即答を避け,「インドが自国の利益のために,パキスタンを分割した。しかし一旦分離したからには,それはわれわれの土地であり,われわれの責任は団結してそれを建設することである」,また独立戦争におけるJamaatの役割について,「人々がわれわれの役割を好まないならば,前回の国会選挙でわれわれを見捨てていただろう」と述べた。
DIA-301-1988-05-31-1バングラデシュ1988年05月31日1980年代地方政府(県評議会)法,国会通過―全国64県に,ウポジラ議長,自治体議長,政府の任命議員,官僚(県知事を含む)からなる県評議会を設置する。その機能は,資源の動員と地域の開発。Hossain地方政府担当副首相は,「軍は,国家に対し特別な,神聖な義務を有している。政府は彼らを地方行政体に関わらせることで,紛争に巻き込むべきでないと考えた。政党からの圧力に屈したわけではない」と語った。
DIA-301-1988-05-31-2バングラデシュ1988年05月31日1980年代国会,憲法第8次改正についての審議開始。
DIA-301-1988-06-01-1バングラデシュ1988年06月01日1980年代国会,憲法第8次改正について審議―与党側は,イスラムを国教化することは,党の綱領にもあげており,憲法を完全にすることであると述べる。一方野党は原理主義の台頭を招き,他の宗教を阻害すると反論。
DIA-301-1988-06-04-1バングラデシュ1988年06月04日1980年代大統領,JP全国執行委で,イスラムは他宗教の権利も守る宗教であり,バングラデシュにはコミュナリズムは存在しないと語る。
DIA-301-1988-06-04-2バングラデシュ1988年06月04日1980年代選挙制度改革委員会解散さる―Badrul Haider Chowdhury最高裁判事の一人委員会であったが,政府は同判事が3月3日の総選挙に関して,政府が中立性を保たなかったとの発言を行なったことを理由に委員会を解散した。
DIA-301-1988-06-04-3バングラデシュ1988年06月04日1980年代4日付New Nation紙上に,キリスト教聖職者5人がイスラム国教化法案に再考を求めるアピールを発表。
DIA-301-1988-06-05-1バングラデシュ1988年06月05日1980年代BNP特別拡大評議会開催―ハレダ総裁は,各政党は,それぞれに理想や計画があるが,国家のより大きな必要性のためには,個の利益よりも国家の利益が重要である,と語った。またALを名指しはしなかったが,現段階で運動に前提条件をつけることは,国民に対する裏切りであると批判。
DIA-301-1988-06-06-1バングラデシュ1988年06月06日1980年代大統領,村議会(Palli Parishad)設置を発表―村を単位とする非政治的な開発組織。元グラム・ショルカルのメンバー集会で発表。ホセイン副首相は,グラム・ショルカルのメンバーが政府に加わったことで,BNP政治の最後の支柱が崩壊したと述べた。
DIA-301-1988-06-06-2バングラデシュ1988年06月06日1980年代BNP特別拡大評議会終了―今後の運動に関する決定をハレダ総裁に一任。BNPの指導による新しい運動を求める声が強かった。同総裁は,他政党のために時間を無駄にしていなければ,昨年11月10日ダッカ包囲の精神を押し進めて,政府を打倒することに成功していたと述べた。
DIA-301-1988-06-07-1バングラデシュ1988年06月07日1980年代国会,憲法第8次改正を可決―賛成254,反対0という結果だった。野党リーダーA・ラブを始めとする野党議員多数が,反対して退場。アーメド首相は,イスラム国教化はイスラム原理主義の台頭に抗することになると語った。
DIA-301-1988-06-07-2バングラデシュ1988年06月07日1980年代現在国内で活動している外国のNGOは89団体―社会福祉相が国会で述べた。これらの団体を通じて1982/83年度から85/86年度にかけて2億8120万㌦が福祉サービスのために投入された。
DIA-301-1988-06-08-1バングラデシュ1988年06月08日1980年代大統領,フォリドプール県アトロシのPeer Shahibを訪問―首相も同行。そこで,イスラム国教化は国民に明確なアイデンティティをもたらすことになる,またこの考えは,Peer Shahibから示唆を受けたと演説。
DIA-301-1988-06-08-2バングラデシュ1988年06月08日1980年代各地でイスラム国教化反対デモ―ダッカのみでも車12台が破壊され,15人以上の負傷者がでた。
DIA-301-1988-06-08-3バングラデシュ1988年06月08日1980年代8・7・5政党連合,別個に6月12日に憲法第8次改正抗議のゼネスト実施を呼びかけ。
DIA-301-1988-06-08-4バングラデシュ1988年06月08日1980年代Jamaatのアミール総裁代行は,イスラム国教化は政府が自己の利益のために行なったことであり国民のためではない,コーランとスンナーに基づく統治が確立されなければ人々の要求は達成されないとの見解を示した。
DIA-301-1988-06-08-5バングラデシュ1988年06月08日1980年代最高裁弁護土協会,憲法第8次改正に抗議して法廷をボイコット。
DIA-301-1988-06-09-1バングラデシュ1988年06月09日1980年代ALのハシナ総裁は,憲法第8次改正は独立戦争の精神を破壊し,バングラデシュを再びパキスタンと統合させるものであると語る。8政党連合の集会で。
DIA-301-1988-06-10-1バングラデシュ1988年06月10日1980年代大統領,ラルバーグ・シャビ・モスクの金曜礼拝で演説―コーランとスンナーに矛盾する法律が制定されることはないと述べた。
DIA-301-1988-06-10-2バングラデシュ1988年06月10日1980年代ムスリム連盟カデル派,憲法第8次改正を歓迎。
DIA-301-1988-06-10-3バングラデシュ1988年06月10日1980年代フマユーン外相,国連軍縮特別会議出席のためニューヨークへ出発。
DIA-301-1988-06-12-1バングラデシュ1988年06月12日1980年代8・7・5政党連合による8時間のゼネスト―国会は通常どおり開かれた。
DIA-301-1988-06-12-2バングラデシュ1988年06月12日1980年代インドの見解―ガンディー首相は,バングラデシュのイスラム国教化について,それは同国の国内問題であるとの立場を示した。
DIA-301-1988-06-12-3バングラデシュ1988年06月12日1980年代ダッカ証券市場(DSE),優良企業を表彰―出来高,配当,株価,株主数等に基づいて選ばれた。Bata Shoe Company,Bangladesh Oxygen,Singer Bangladeshほか。
DIA-301-1988-06-14-1バングラデシュ1988年06月14日1980年代Al-Haj Moulana M.A.Mannan宗教相解任―Mufti Maulana Md.Wakkasが宗教担当国務相に任命された。
DIA-301-1988-06-16-1バングラデシュ1988年06月16日1980年代1988/89年度予算案国会に上程―51億7100万タカという史上最大規模の増税を盛り込んでいる。経常支出は前年度修正予算よりさらに52億タカ増の520億タカ。ブラックマネーの吸い上げ策は引続き実施。ムニム蔵相は,予算発表後の記者会見で,新予算のねらいは,価格安定の枠組みのなかで投資および生産活動を活性化することであり,新規増税は一般大衆には害を与えないと述べる。野党は反民衆的予算と反発。
DIA-301-1988-06-19-1バングラデシュ1988年06月19日1980年代8次改正反対の市民集会―知識人を中心とする「独裁・コミュナリズム抵抗委員会」(6月2日結成。委員長は,Kamluddin Hossain元最高裁判事)が主催。キリスト教,仏教,ヒンドゥー教の宗教指導者も出席。
DIA-301-1988-06-19-2バングラデシュ1988年06月19日1980年代6月22日から予定されていた外相訪中は,同相の病気のため延期。
DIA-301-1988-06-20-1バングラデシュ1988年06月20日1980年代Begum Hasna Moudud国会議員(現首相夫人),ダッカ大学評議会出席の途上を襲われ拘禁さる。1時間後警官によって救出された。この事件を契機に大学の大幅な自治を認めた1973年大統領令見直し議論が高まる。
DIA-301-1988-06-21-1バングラデシュ1988年06月21日1980年代ハレダBNP総裁,党の全国常任委員会と中央執行委員会の解散を抜き打ち的に発表―説明によれば,党組織の活性化のために新しいリーダーシップが必要とされているため。Obaidur Rahman書記長は前もって知らされていなかったと記者に語る。
DIA-301-1988-06-26-1バングラデシュ1988年06月26日1980年代シレット地方で洪水発生。
DIA-301-1988-06-29-1バングラデシュ1988年06月29日1980年代国会,新年度予算案を可決。
DIA-301-1988-06-29-2バングラデシュ1988年06月29日1980年代23人のジャーナリストがWeekly Robbar,Banglar Baniその他の発禁処分撤回を求めて36時間のハンスト開始。
DIA-301-1988-06-29-3バングラデシュ1988年06月29日1980年代ウポジラ議長の汚職―ホセイン地方自治担当副首相が国会で述べたところによれば,これまでにウポジラ議長5人が解任され,8人が汚職容疑で謹慎処分を受けている。さらに11人に対し取調べを実施中。
DIA-301-1988-06-30-1バングラデシュ1988年06月30日1980年代1988/89年度輸出入政策発表―輸出目標は449.5億タカ,14.05億㌦(前年度実績は381.2億タカ,12.2億㌦),輸入目標は727.8億タカ,22.7億㌦(前年度推計は470億タカ,15億㌦で,目標の564.1億タカ,18億㌦を下回った)。輸出拡大のため,輸出品の多様化,新規市場開拓のための措置を講ずる。また輸入取引はさらに自由化を進めると同時に,関税政策により,地場産業を保護する。
DIA-301-1988-06-30-2バングラデシュ1988年06月30日1980年代8政党連合,「7項目計画」を発表―(1)独立戦争の精神の復活,(2)ムジブル・ラーマン並びに,4人の国家指導者の殺人犯の裁判,(3)クーデター,殺しの政治の傾向を根絶,(4)タヘル大佐の殺人犯の裁判,(5)1972年憲法に基づく第4次憲法改正以前の議会政治の復活,(6)憲法第5,6,7,8次改正の破棄,(7)司法の自由,行政の民主化,人々の側にたった分権化。
DIA-301-1988-07-03-1バングラデシュ1988年07月03日1980年代BNPの新全国常任委員会,中央執行委員会メンバー発表,オバイドゥル・ラーマン書記長更迭―後任,にBarrister Abdus Salan Talukdar。
DIA-301-1988-07-03-2バングラデシュ1988年07月03日1980年代映画関係者によるデモ―俳優,制作者らが映画のチケットにたいする消費税撤発を求めてデモを行なった。警官隊と衝突し,25人以上の負傷者がでた。
DIA-301-1988-07-03-3バングラデシュ1988年07月03日1980年代マドラサ教育に関する諮問委員会設置。委員長はAnisul Islam Mahmud教育相。
DIA-301-1988-07-03-4バングラデシュ1988年07月03日1980年代ALのハシナ総裁,北部バングラデシュ遊説。
DIA-301-1988-07-04-1バングラデシュ1988年07月04日1980年代大統領,ケニヤ,ザンビア訪問へ出発。
DIA-301-1988-07-05-1バングラデシュ1988年07月05日1980年代教育相,学問環境回復をはかるため,政府は1973年大学条例の改正を検討中と語る。また英語を第2公用語に指定することも考えていると述べた。
DIA-301-1988-07-05-2バングラデシュ1988年07月05日1980年代(ルサカ)エルシャド大統領,ザンビアのカウンダ大統領と会談。貿易増による経済協力拡大を確認。6日,両国は貿易議定書に調印。
DIA-301-1988-07-06-1バングラデシュ1988年07月06日1980年代大統領,ケニヤを訪問。
DIA-301-1988-07-07-1バングラデシュ1988年07月07日1980年代国会,婦人に対する残虐行為(抑圧的刑罰)(修正)法案を可決―人身売買については死刑の極刑が規定された。
DIA-301-1988-07-07-2バングラデシュ1988年07月07日1980年代(ナイロビ)大統領,モイ・ケニヤ大統領と会見。両国外相よりなる合同委員会の設置を決定。9日両国は共同コミュニケを発表。農業,教育,観光,科学技術等の分野での協力拡大をうたう。
DIA-301-1988-07-07-3バングラデシュ1988年07月07日1980年代北部を中心に広がる洪水状況悪化―政府は軍に救授活動の支援要請。
DIA-301-1988-07-09-1バングラデシュ1988年07月09日1980年代大統領帰着。
DIA-301-1988-07-10-1バングラデシュ1988年07月10日1980年代(インド・アガルタラ)F.A.Chowdhury駐印バングラデシュ大使,トリプラ州首相S.R.Majumderと会見―チャクマ問題に関してバングラデシュ側は前向きの努力を行なっていると伝える。
DIA-301-1988-07-11-1バングラデシュ1988年07月11日1980年代国会閉会。
DIA-301-1988-07-12-1バングラデシュ1988年07月12日1980年代洪水の被害を受けた12県の死者は100人以上。公式では28人が確認されたのみ。
DIA-301-1988-07-13-1バングラデシュ1988年07月13日1980年代Nazrul Islam外務次官は,7月11,12日にトリプラのチャクマ難民キャンプを訪れた駐印大使の報告によれば,難民は帰国を希望しており,近い将来全員が帰国できることになろうと語った。
DIA-301-1988-07-14-1バングラデシュ1988年07月14日1980年代キプロスのアイアコブ外相来訪。
DIA-301-1988-07-15-1バングラデシュ1988年07月15日1980年代BNP内紛―オバイドゥル・ラーマン前書記長らは党の中央,県レベルリーダーを召集。会議では,ラーマン書記長,ジャマルッディン・アーメド副総裁解任の無効を主張。ハレダ総裁に対し早急に評議会を召集し,7月3日発表の常任委,執行委を解散するよう求める。また党綱領の民主化を要求。
DIA-301-1988-07-15-2バングラデシュ1988年07月15日1980年代SAARC(南アジア地域協力連合)事務局,バングラデシュがテロリズム抑止地域協定を既に批准と発表。
DIA-301-1988-07-16-1バングラデシュ1988年07月16日1980年代BNPのタルクダール新書記長,ラーマン前書記長らによる会議は,党綱領と規律に反すると述べる。
DIA-301-1988-07-17-1バングラデシュ1988年07月17日1980年代BNPオバイドゥル・ラーマン,評議会開催を強く主張。7月31日まで総裁の回答を待つと語る。
DIA-301-1988-07-17-2バングラデシュ1988年07月17日1980年代洪水状況改善へ―今回の洪水で17県,122ウポジラが被害を受けた。公式死者数は56人。
DIA-301-1988-07-18-1バングラデシュ1988年07月18日1980年代BNP常任委会議,オバイドゥル・ラーマン,ジャマルッディン・アーメドらは欠席。
DIA-301-1988-07-19-1バングラデシュ1988年07月19日1980年代(北京)バ・中両国は,今後1年間のバーター貿易議定書に調印―片道3000万㌦。バングラデシュからはジュート関連製品,皮,茶を輸出。
DIA-301-1988-07-20-1バングラデシュ1988年07月20日1980年代大統領,メッカ巡礼に出発。
DIA-301-1988-07-20-2バングラデシュ1988年07月20日1980年代Sultan Ahmed海軍参謀長の任期を8月15日より1年間延長。
DIA-301-1988-07-20-3バングラデシュ1988年07月20日1980年代8政党連合,Jamaat,FP(自由党)への対決の姿勢を打ち出す決議を採択。
DIA-301-1988-07-21-1バングラデシュ1988年07月21日1980年代BNPハレダ総裁,オバイドゥル・ラーマンら6人の党幹部に対し24時間以内に党規律に反した行動の釈明を行なうよう通告。
DIA-301-1988-07-21-2バングラデシュ1988年07月21日1980年代パキスタンのハック蔵相来訪。
DIA-301-1988-07-21-3バングラデシュ1988年07月21日1980年代第2回バ・イラク合同経済委会議終了。2日間。
DIA-301-1988-07-22-1バングラデシュ1988年07月22日1980年代BNPナバイドゥル・ラーマン,7月15日の会議はハレダも知っていたとして,自分に対する非難を取り下げるよう主張。
DIA-301-1988-07-22-2バングラデシュ1988年07月22日1980年代パキスタンのハック蔵相は,A.K.Khandker計画相との話し合いで,5000万㌦のソフトローンを申し出た。
DIA-301-1988-07-23-1バングラデシュ1988年07月23日1980年代BNPタルクダール書記長,ハレダ総裁が7月15日の会議に合意した事実はないと表明。
DIA-301-1988-07-25-1バングラデシュ1988年07月25日1980年代イスラム犠牲祭。
DIA-301-1988-07-27-1バングラデシュ1988年07月27日1980年代BNP中央執行委会議―委員184人中130人が出席。全員一致でオバイドゥル・ラーマン以下6人の党幹部の除名を決定。この決定に対し同氏は,非民主的決定である,自分は党の規約に反することは行なっていない,とコメント。
DIA-301-1988-07-28-1バングラデシュ1988年07月28日1980年代エルシャド大統領,巡礼を終えて帰国。
DIA-301-1988-07-29-1バングラデシュ1988年07月29日1980年代大統領,アトロシのPee Shahibを訪問。
DIA-301-1988-07-30-1バングラデシュ1988年07月30日1980年代除名処分を受けたBNP反主流派,8月5日に党執行委員会を召集と発表―オバイドゥル・ラーマンは,記者会見で,我々が党創設者ジアウル・ラーマンの流れを受け継ぐ真のBNPであると語った。
DIA-301-1988-07-31-1バングラデシュ1988年07月31日1980年代ハレダBNP総裁,党の活性化を呼びかけ―7月27日執行委の決議の内容が公表さる。そこでは6人の除名について明らかにするとともに,青写真で固められたゲーム的選挙は受け入れずとの姿勢を再度示す。
DIA-301-1988-08-01-1バングラデシュ1988年08月01日1980年代警察委員会設置―内務省議会委員会が決定。警察の人材,設備向上のため。
DIA-301-1988-08-01-2バングラデシュ1988年08月01日1980年代BNPオバイドゥル・ラーマン,党の常任委,中執委解散をハレダ総裁に示唆したのは政府の手先であると語る。他方BNP主流派は,8月3日に中執委を召集,その後中央幹部が地元に飛び,党組織強化をはかることを決定。
DIA-301-1988-08-01-3バングラデシュ1988年08月01日1980年代ダッカ県庁主催の「開拓計画」開始―政府の土地改革キャンペーンの一環。公有地,棄却資産の回復,未納土地開発税の徴収,土地開発税の再評価がねらい。Nizamuddin Ahmed県知事によれば,民間からの土地開発税徴収は目標の97%に達しているのに対し,政府機関ならびに半官半民機関からは約13%にすぎない。
DIA-301-1988-08-02-1バングラデシュ1988年08月02日1980年代AL中央運営委,パキスタンからの援助オファーについて,われわれがほしいのは援助ではなく,かつてのパキスタンにおける正当な取り分であるとコメント。
DIA-301-1988-08-03-1バングラデシュ1988年08月03日1980年代バ・中民間航空直行便に関する了解覚書調印。来年,ビマン航空が北京あるいは上海へ飛ぶ見込み。
DIA-301-1988-08-03-2バングラデシュ1988年08月03日1980年代チャクマ問題,外務省見解―2日,インドのトリプラ州首相が,難民はバングラデシュに戻っていない,シャンティ・バヒニが帰国を阻んでいるというバ政府の主張は根拠がないと述べたことに対し,バ外務省は,この問題はインド政府との間で扱っている問題でありトリプラ州首相の発言にコメントするしないの問題ではない,しかし難民全員を受け入れるという立場に変わりはないとの声明発表。
DIA-301-1988-08-04-1バングラデシュ1988年08月04日1980年代BNP常任委会議,ダッカ市支部組織改革を承認。
DIA-301-1988-08-05-1バングラデシュ1988年08月05日1980年代BNP反主流派,9月30日に党評議会召集を要求。
DIA-301-1988-08-06-1バングラデシュ1988年08月06日1980年代内閣改造,新蔵相にカナダ・トロント大学教授Dr.Wahidul Huq―ムニム前蔵相は,保健・家族計画相に,ホセイン地方自治担当副首相は,労働・マンパワー担当に変わった。新規入閣は蔵相のみでその他は担当省の入れ替えが行なわれた。
DIA-301-1988-08-06-2バングラデシュ1988年08月06日1980年代政府,ジュートの買い上げ開始―市場価格で40万ペイルを買い上げる予定。政府筋によれば,国際価格の変動が激しいため,最低価格の設定は困難と判断。
DIA-301-1988-08-06-3バングラデシュ1988年08月06日1980年代ジュート工業崩壌の危機―過去5年間の損失は,総額78億1680万タカ。なんらかの輸出インセンティブが緊急に必要と,BJMA(バングラデシュ・ジュート工業協会)が政府に訴え。
DIA-301-1988-08-07-1バングラデシュ1988年08月07日1980年代61人の県議会議長任命さる。
DIA-301-1988-08-07-2バングラデシュ1988年08月07日1980年代BNP,12月に評議会召集―タルクダール書記長の発表。
DIA-301-1988-08-07-3バングラデシュ1988年08月07日1980年代(カトマンドゥ)SAARCプログラム委員会(上級官僚レベル)開催。8日に終了。また9,10日には常任委員会(外務次官レベル)開催。
DIA-301-1988-08-11-1バングラデシュ1988年08月11日1980年代(カトマンドゥ)SAARC閣僚評議会(外相レベル)開催,12日終了。会議に出席したフマユーン外相は,12日,インドのラオ外相と二国間問題について協議。
DIA-301-1988-08-11-2バングラデシュ1988年08月11日1980年代イスラム教育委員会(Prof.Syed Ali Ahsan委員長)イスラム教育のあり方についての提言を大統領に提出。
DIA-301-1988-08-15-1バングラデシュ1988年08月15日1980年代在バ・カナダ大使館は人員縮小のため,査証発行セクションを廃止―今後は政府関係者,緊急の場合をのぞきインド・ニューデリーのカナダ高等弁務館で入手する。バ政府はこの措置を非友好的と抗議。
DIA-301-1988-08-15-2バングラデシュ1988年08月15日1980年代1990年7月より原皮輸出禁止―アーメド首相が発表。前年度に42.8億タカの原皮を輸出したが,最終製品として輸出すれば100億タカから150億タカが見込めると語る。
DIA-301-1988-08-16-1バングラデシュ1988年08月16日1980年代イラン・イラク停戦国連監視団に参加する軍人15人が出発。
DIA-301-1988-08-18-1バングラデシュ1988年08月18日1980年代パキスタン・ジア大統領の死(8月17日)を悼み,バングラデシュは3日間の服喪を決定。
DIA-301-1988-08-19-1バングラデシュ1988年08月19日1980年代救援復興省,特定プロジェクトを廃止して,ウポジラ人口規模に基づく救援資金割当制を導入と発表。
DIA-301-1988-08-20-1バングラデシュ1988年08月20日1980年代(イスラマバード)エルシャド大統領,パキスタン・ジア大統領の葬儀に参列。またBNPのハレダ総裁は故ジア大統領をSAARCおよびイスラム共同体における重要な人物と評価,その死を悼む声明を発表。
DIA-301-1988-08-20-2バングラデシュ1988年08月20日1980年代フマユーン外相,訪中。
DIA-301-1988-08-21-1バングラデシュ1988年08月21日1980年代インド,ネパールで大地震。バングラデシュでは揺れは小さかったが,ショック等で50人余りが負傷。
DIA-301-1988-08-21-2バングラデシュ1988年08月21日1980年代チャンドプール県ハイムチョール・ウポジラの住民3000人が,メグナ川の護岸工事,土壌侵食防止の措置を求めてダッカのJatiyo Press Club前でハンスト。
DIA-301-1988-08-22-1バングラデシュ1988年08月22日1980年代ダッカ近郊のサバールに輸出加工区建設―BEPZA(輸出加工区庁)理事会で決定。チッタゴン加工区では39プロジェクトを認可した。うち10が外国資本,17が合弁,残りが地場資本であった。現在18工場が操業中。
DIA-301-1988-08-23-1バングラデシュ1988年08月23日1980年代投資局(Board of Investment)設置発表―工場設立,輸入手続き等の手続きを簡略化するため,従来錯綜していた諸機関を統合。工場設立認可は,ガス,電気その他のインフラを付与したパッケージ認可制。合弁設立に当たっては,外資のシェアが49%以下,資本金総額が1億タカを超えない場合には前もって許可をえる必要がなくなった。
DIA-301-1988-08-24-1バングラデシュ1988年08月24日1980年代Shah Azizur Rahman(BNP政権下で首相,1985年にBNPアジズ派を結成,現JPの母体であるJatiya Frontに加盟したが,86年から再び反政府運動に組する),BNP主流派に復帰。
DIA-301-1988-08-28-1バングラデシュ1988年08月28日1980年代洪水状況―ダッカと北部地方をつなぐ道路通行不可能。大統領は閣僚に対し各選挙区視察を指示。国土の3分の1が冠水した模様。
DIA-301-1988-08-31-1バングラデシュ1988年08月31日1980年代大統領,援助国へ救援アピール―今回の洪水を史上最悪と評し,洪水による損失を埋めるためには約200万㌧の食糧が必要で,被害総額は10億㌦以上になろうと訴えた。
DIA-301-1988-09-01-1バングラデシュ1988年09月01日1980年代Shah Azizur Rahman死去―BNB政権下で首相をつとめた。享年63歳。
DIA-301-1988-09-01-2バングラデシュ1988年09月01日1980年代洪水の被害34県に及ぶ―死者(病死も含む)246人に(New Nation紙)。
DIA-301-1988-09-02-1バングラデシュ1988年09月02日1980年代ジア国際空港閉鎖―滑走路が冠水して使用不可能となった。ダッカの状況悪化。
DIA-301-1988-09-02-2バングラデシュ1988年09月02日1980年代物価急騰―政府は食料価格安定のための措置を講じ,米価は1㎏当り9.7タカを確保すると発表。
DIA-301-1988-09-02-3バングラデシュ1988年09月02日1980年代インドはヘリコプター4機を救援活動支援に派遣。
DIA-301-1988-09-04-1バングラデシュ1988年09月04日1980年代伝染性の下痢広まる―ムニム保健相発言によれば,罹患者は8万3000人以上。飲料水汚染が原因。洪水は50県に及んでいる。
DIA-301-1988-09-04-2バングラデシュ1988年09月04日1980年代新駐ソ大使にA.K.M.Nazrul Islam元外務次官。
DIA-301-1988-09-08-1バングラデシュ1988年09月08日1980年代ダッカとチッタゴンを結ぶ道路が洪水で切断されたため,クルナ,ラージシャヒ地方は消費財不足。
DIA-301-1988-09-09-1バングラデシュ1988年09月09日1980年代ジア国際空港再開―国際便が部分的に運行を開始した。復興には,約1億タカを要する模様。
DIA-301-1988-09-10-1バングラデシュ1988年09月10日1980年代現在の食料備蓄は十分―大統領表明。
DIA-301-1988-09-11-1バングラデシュ1988年09月11日1980年代大統領,洪水問題解決のため,中国,インド,ネパール,ブータン,バングラデシュの5カ国の導門家合同会議開催を提唱。
DIA-301-1988-09-11-2バングラデシュ1988年09月11日1980年代閣僚評議会,洪水状況を検討―食糧の損失は250万㌧から270万㌧と推計。
DIA-301-1988-09-12-1バングラデシュ1988年09月12日1980年代フランスのミッテラン大統領夫人来バ。
DIA-301-1988-09-12-2バングラデシュ1988年09月12日1980年代米国のジェイ・モリスUSAF副長官が特別救援使節として来バ。
DIA-301-1988-09-13-1バングラデシュ1988年09月13日1980年代洪水状況改善へ。
DIA-301-1988-09-13-2バングラデシュ1988年09月13日1980年代モハメド・エサフイ国連事務局次長来バ。
DIA-301-1988-09-15-1バングラデシュ1988年09月15日1980年代大統領,洪水復興のための3項目プログラム発表―(1)被災者が正常の生活に戻るためのリハビリテーション,(2)インフラの復興,(3)洪水問題に対する恒久的解決の実現。特に農業の復興と家屋の修復に力を入れる。
DIA-301-1988-09-15-2バングラデシュ1988年09月15日1980年代洪水は外的要因によるもの―ヌルル・イスラム副大統領発言。
DIA-301-1988-09-15-3バングラデシュ1988年09月15日1980年代NGOによる洪水復興プロジェクトは約50億タカから60億タカ―ADAB(バングラデシュにおける開発団体の協議体)が発表。通常は年間で15億タカ。
DIA-301-1988-09-16-1バングラデシュ1988年09月16日1980年代ALハシナ総裁,洪水ファラッカダム起因説を否定―洪水は多量の降雨,雪解け,森林伐採等種々の原因に起因していると述べ,ファラッカダムにその根源があるとする見方を批判。
DIA-301-1988-09-18-1バングラデシュ1988年09月18日1980年代コンドカル計画相は,在バ外国ミッション,国際機関の代表を集め,より柔軟な援助パッケージ供与を求める。
DIA-301-1988-09-19-1バングラデシュ1988年09月19日1980年代大統領,インド内の飛び地ダバグラムを視察。ティン・ビガの返還を再度要求。
DIA-301-1988-09-20-1バングラデシュ1988年09月20日1980年代米下院議員Tony P.Hall来バ。
DIA-301-1988-09-21-1バングラデシュ1988年09月21日1980年代中央銀行,移植アモン作付のためのローン供与実施期限を延長。また6月から12月の間に返済期限がくる全農業ローンの返済期限を延期。
DIA-301-1988-09-23-1バングラデシュ1988年09月23日1980年代大統領,現ポラショバ(市)議会を10月1日に解散し,その後120日以内に選挙を実施と発表。前回の選挙は1984年2月に行なわれた。
DIA-301-1988-09-25-1バングラデシュ1988年09月25日1980年代政府は,タイからメイズ種子50万㎏の輸入を決定―農業復興計画を通じて配布。
DIA-301-1988-09-27-1バングラデシュ1988年09月27日1980年代マンナン前宗教教相,汚職容疑で訴えられる―反汚職委員会は,同氏ほか3人がFood For Workプログラム(失対事業)用の小麦200万タカ相当分の取扱に関して不正を行なったと指摘。また同日政府は,マンナンが所有する日刊紙Inquilabの発行を禁止。この発禁処分に抗議して全部の全国紙がストライキ。
DIA-301-1988-09-27-2バングラデシュ1988年09月27日1980年代予定されていた大統領の訪印,29日に延期。ガンディー首相が訪問先のブータンから戻れなかったため。
DIA-301-1988-09-28-1バングラデシュ1988年09月28日1980年代Jamaatシラジガンジ支部の事務局長殺害さる。
DIA-301-1988-09-28-2バングラデシュ1988年09月28日1980年代Ziauddin Ahmed大蔵国務相,Inquilab紙を名誉毀損で訴え。編集・出版,印刷業者に対して1000万タカの賠償金支払いを請求。
DIA-301-1988-09-28-3バングラデシュ1988年09月28日1980年代閣僚会議,National Disaster Provention Council(国家災害防止評議会)の設置を決定―大統領を長として,全国規模の災害対策活動を調整する。閣僚,野党リーダー,軍,教員,ジャーナリスト,農業組合等各界の代表をメンバーとする。またウポジラ,ユニオン,ウォードレベルに救援復興調整委員会を設置する。
DIA-301-1988-09-29-1バングラデシュ1988年09月29日1980年代大統領,訪印―ガンディー首相との話し合いで,両国灌漑省次官を長とする合同タスクフォースを設置,ガンジス,ブラーマプトラ川の洪水対策を調査することで合意。6カ月以内に報告書を提出。
DIA-301-1988-09-30-1バングラデシュ1988年09月30日1980年代政府見解―All India Radioが,バ印首脳会談について,バングラデシュ側は1978年の連結運河提案を合意のベースとすることに同意したと報道したことに関して,政府は連結運河案は完全に拒絶しており,報道は誤りであると表明。
DIA-301-1988-09-30-2バングラデシュ1988年09月30日1980年代ALハシナ総裁,Jamaatの動きに警戒を呼びかけ。
DIA-301-1988-10-01-1バングラデシュ1988年10月01日1980年代10月16日に国会召集,大統領発表。
DIA-301-1988-10-02-1バングラデシュ1988年10月02日1980年代大統領,ネパール訪問―ビレンドラ国王と会談。水資源の有効利用並びに地域の洪水対策に関する合同調査団設置で合意。6カ月以内に報告書提出。両国は,洪水,旱魃等自然災害の解決策は,全関係国を含んだ地域協力を必要とすることを確認しあった。
DIA-301-1988-10-03-1バングラデシュ1988年10月03日1980年代大統領は,ジュートの生産者価格を保証するため,ジュート省と大蔵省が共同で買い上げを行なうよう指示。
DIA-301-1988-10-04-1バングラデシュ1988年10月04日1980年代シレット地方で多量の降雨。シレット県では24時間に279㎜の雨量を計測。過去10年間で最高。
DIA-301-1988-10-04-2バングラデシュ1988年10月04日1980年代PLOのアラファト議長が中国からの帰途ダッカに立ち寄る。エルシャド大統領と会談。
DIA-301-1988-10-05-1バングラデシュ1988年10月05日1980年代BNPのハレダ総裁,インドとの二国間協定は現政権の反国民的,降伏主義的性格を示したと述べる。
DIA-301-1988-10-06-1バングラデシュ1988年10月06日1980年代ネパールのビレンドラ国王,現SAARC議長として来訪。
DIA-301-1988-10-06-2バングラデシュ1988年10月06日1980年代1988年6月末現在の中長期対外債務残高は86億8300万㌦―計画省海外資金部のEnam Ahmed Chowdhury担当次官が発表。トロントサミット以降の主要債権国によるLDCの対外債務救済の動きで,バングラデシュもかなりの恩恵を受ける。
DIA-301-1988-10-08-1バングラデシュ1988年10月08日1980年代国家災害防止評議会の設置細則発表。
DIA-301-1988-10-08-2バングラデシュ1988年10月08日1980年代同日付け日本経済新聞に,よれば,日本の外務省は従来の要請主義の援助方針を改め,相手国に開発案件を提案する積極的援助を導入。その初めてのケースとしてバングラデシュが取り上げられる見通し。中心は洪水事業。
DIA-301-1988-10-08-3バングラデシュ1988年10月08日1980年代ダッカでSAARC専門家会議,2日間。
DIA-301-1988-10-09-1バングラデシュ1988年10月09日1980年代Anisul Islam Mahmud教青相,灌漑相を兼任。
DIA-301-1988-10-10-1バングラデシュ1988年10月10日1980年代フマユーン外相,国連総会第43回会議で演説―洪水の再発を阻止するため国際的協力を求める。また環境サミット開催を提唱。
DIA-301-1988-10-11-1バングラデシュ1988年10月11日1980年代(ジェッダ)Mahbubur Rahman情報相,新イスラム情報秩序の樹立を提唱―OIC(イスラム諸国会議機構)情報相会議で。イスラム諸国間の情報の自由化,メディアの近代化を同時平行的に進めるというもの。
DIA-301-1988-10-12-1バングラデシュ1988年10月12日1980年代大統領,ブータン訪問―ワンチュック国王と会見。両国は,治水に関する協力可能分野を究明するための合同調査団設置を決定。
DIA-301-1988-10-12-2バングラデシュ1988年10月12日1980年代ダッカ商工会議所,アブダビ商工会議所との間で合同商工会議所設立の了解覚書を交換―二国間貿易の拡大,合弁設立促進,両国実業界のコミュニケーション促進を目指す。
DIA-301-1988-10-12-3バングラデシュ1988年10月12日1980年代第43回国連総会は,バングラデシュの洪水問題を議題として取り上げることを決定。
DIA-301-1988-10-13-1バングラデシュ1988年10月13日1980年代AL,国家災害防止評議会への参加を拒否。
DIA-301-1988-10-14-1バングラデシュ1988年10月14日1980年代首相,国会諮問委員会の記者会見で,任期途中の改選はないと語る。
DIA-301-1988-10-14-2バングラデシュ1988年10月14日1980年代IMFのマイケル・カムデサス理事長が来訪。
DIA-301-1988-10-16-1バングラデシュ1988年10月16日1980年代洪水問題特別国会開会―エルシャド大統領は開会の演説のなかで,バングラデシュの洪水はヒマラヤ山脈の森林伐採,ファラッカを含めた上流のダム建設によって引き起こされた人災であり,その意味においてガンジス,ブラーマプトラの連結運河開さくというインドの提案はいかなる状況においても承諾できない,バングラデシュ,インド,ネパール,ブータン,中国5カ国の指導者に政治的了解が成立し,行動計画が準備され,必要資金があってはじめて地域的アプローチが可能と述べる。大統領はまた,短期,中期,長期の3段階からなる洪水対策計画を発表。
DIA-301-1988-10-16-2バングラデシュ1988年10月16日1980年代国会2法案を可決―ウポジラ議長の解任について定めた地方政府(ウポジラ議会並びにウポジラ行政改組)(修正)法とユニオン議会の管理をウポジラ議会から県知事に移管した地方政府(ユニオン議会)(修正)法。
DIA-301-1988-10-17-1バングラデシュ1988年10月17日1980年代国会,ポラショパ(修正)法を可決―現在全国に86存在するポラショパの任期を5年から3年に短縮。来年1月に改選,地方自治相発表。
DIA-301-1988-10-18-1バングラデシュ1988年10月18日1980年代国連,バングラデシュに対する援助を加盟国,国連機関に要請する決議を採択。
DIA-301-1988-10-19-1バングラデシュ1988年10月19日1980年代特別国会閉会―首相を委員長とする国会洪水問題対策委員会設置さる。解決策を政府に諮問。
DIA-301-1988-10-19-2バングラデシュ1988年10月19日1980年代Pirojpur,Barguna,Patuakhali等沿岸地域をサイクロン襲撃。
DIA-301-1988-10-21-1バングラデシュ1988年10月21日1980年代予定されていたパ印合同調査団初会議,インドの申し入れで延期さる。
DIA-301-1988-10-23-1バングラデシュ1988年10月23日1980年代自由党,国家災害防止評議会への参加を拒否。
DIA-301-1988-10-23-2バングラデシュ1988年10月23日1980年代近く負債裁定委員会(Rin Shalishi Board)設置―閣僚会議で決定。農民の負債負担の軽減が目的。
DIA-301-1988-10-24-1バングラデシュ1988年10月24日1980年代大統領,中,小,零細農民が土地を売らず抵当にいれて融資を受けることができる措置を承認。家屋を除いて保有面積5ピガ(1ピガは約3分の1エーカー)までの農民を対象。農民の土地無し化を防ぐため。融資金額は,ビガ当り2000タカで,5000タカを上限とする。
DIA-301-1988-10-24-2バングラデシュ1988年10月24日1980年代イスラム国教化は第1段階―これに関連して,種々の措置を漸次実施すると大統領は語った。
DIA-301-1988-10-27-1バングラデシュ1988年10月27日1980年代(ブリュッセル)EEC主催のバングラデシュ投資フォーラム開催さる。2日間。アーメド首相が出席。首相は,政府がこれまでに558公企業を民営化したことを挙げ,投資環境好転を力説。
DIA-301-1988-10-27-2バングラデシュ1988年10月27日1980年代同日付け『日経産業新聞』によれば,日本の東洋エンジニアリングはBCIC(バングラデシュ化学産業公社)からゴラサール尿素肥料工場の改修プロジェクトを受注。受注金額は約90億円。建設資金はOECF(海外経済協力基金)の円借款などを充てる。
DIA-301-1988-11-01-1バングラデシュ1988年11月01日1980年代エルシャド大統領,訪中―歓迎晩餐会で中国の楊尚昆国家主席は,バングラデシュの洪水防止提案を全面的に支持するとスピーチ。
DIA-301-1988-11-01-2バングラデシュ1988年11月01日1980年代(ロンドン)10月30日から開催されていたEEC主催のバングラデシュへの投資促進会議終了。
DIA-301-1988-11-02-1バングラデシュ1988年11月02日1980年代バ・中,洪水防止,水利の分野における協力可能性を探る専門家による合同調査団設置に合意―エルシャド大統領と李鵬首相との会談後,共同コミュニケが発表された。李首相は,中国は楊子江,黄河の治水の経験を分かち合うことができる,可能な限りの支援を惜しまないと語った。また両国は,バイバックベースでバングラデシュに中国出資による尿素肥料工場建設案に合意。今後専門家による検討を進める。同日大統領帰国。
DIA-301-1988-11-02-2バングラデシュ1988年11月02日1980年代ハレダBNP総裁,昨年のダッカ包囲の日を記念する11月10日集会の場で,新たな運動方針を発表と語る。
DIA-301-1988-11-03-1バングラデシュ1988年11月03日1980年代モルディブで発生したクーデターについて,政府はガユーム政権への連帯を表明―首相が明らかにしたところによれば,2日夜エルシャド大統領は,ガンディー印首相へ電話でモルディブの状況について問い合わせ,バングラデシュが全面的援助を提供する用意があることを伝えた。
DIA-301-1988-11-03-2バングラデシュ1988年11月03日1980年代政府は低揚水ポンプと浅管井のエンジン,耕転機の輸入関税を免除。
DIA-301-1988-11-04-1バングラデシュ1988年11月04日1980年代同日付けNew Nation紙によれば,ロンドン在住インド人サルマン・ラシディー著作の「悪魔の詩」,バングラデシュで発禁処分を受ける。
DIA-301-1988-11-07-1バングラデシュ1988年11月07日1980年代BNPハレダ,チッタゴン遊説―1975年11月7日の「セポイの革命」クーデターの歴史的意義を信じないものとは,民主化運動で団結せずと語る。
DIA-301-1988-11-08-1バングラデシュ1988年11月08日1980年代大統領,カグラチャリ県を視察。翌9日にはランガマティ県を訪問。チッタゴン丘陵の平和到来を約束。
DIA-301-1988-11-10-1バングラデシュ1988年11月10日1980年代8・7・5政党連合,Jamaat,それぞれ別個に集会―各自が発表した今後の運動計画は,7政党連合とJamaatが11月28日に半日ゼネスト,8・5政党連合が12月10日に「反独裁・反原理主義の日」実施と二つに分かれた。BNPとALはそれぞれ団結はないと言明。
DIA-301-1988-11-12-1バングラデシュ1988年11月12日1980年代Jamaatラングプール県支部長,武装集団により殺害さる。14日に同党は抗議ゼネストを呼掛け。
DIA-301-1988-11-12-2バングラデシュ1988年11月12日1980年代著名な水利専門家A.B.Abbas記者会見で,洪水制御に関する枠組みを語る―要点は,主要河川にダムを建設するということ。地域的アプローチを強調し,インドとの二国間協定を正しい解決策ではないと批判。
DIA-301-1988-11-13-1バングラデシュ1988年11月13日1980年代大統領,国連特別総会出席のためアメリカ訪問へ出発―途上メッカに立ち寄る。
DIA-301-1988-11-14-1バングラデシュ1988年11月14日1980年代閣僚会議,法と秩序回復のため治安部隊の活性化を決定。
DIA-301-1988-11-14-2バングラデシュ1988年11月14日1980年代ダッカでSAARCテレコミュニケーション専門委員会会議開催。
DIA-301-1988-11-15-1バングラデシュ1988年11月15日1980年代所得格差広がる―1985/86年度家計調査によれば,前回81/82年度に比べて人口のトップ10%が全所得に占める割合は29.5%から31.5%へ上昇した。一方農村部の栄養状態は改善されているが,都市では悪化している。
DIA-301-1988-11-16-1バングラデシュ1988年11月16日1980年代(ニューヨーク)大統領,国連のバングラデシュ支援に関する特別会議で演説―洪水の状況を説明し,国家的,地域的な解決の努力を実りあるものとするには,持続的な国際支援が必要と,加盟国に協力を求めた。会議の席上ですでに約束されたものと合わせて49加盟国,国際機関より5億㌦の援助が約束された。
DIA-301-1988-11-16-2バングラデシュ1988年11月16日1980年代(東京)バングラデシュに対する270億円の円借款調印―内訳はジャムナ肥料工場建設に138億円,マッダパラ鉱山開発事業に4億4100万円,商品借款が133億円。10年据置きで,20年間の延べ払い。年利1.5%。
DIA-301-1988-11-18-1バングラデシュ1988年11月18日1980年代(ワシントン)エルシャド大統領,レーガン米大統領と会談―米国は,バングラデシュの洪水復興計画遂行に全面的支援を約束。
DIA-301-1988-11-18-2バングラデシュ1988年11月18日1980年代洪水間題に関するバ印合同調査団会議初会合,ダッカで―次官レベル。会議は20日終了し,長期的協力分野を確認。1989年3月に報告書を両国政府に提出。河水の配分についてSyed Shamin Ahsan灌漑次官は進展があったと述べたが,詳細については明らかにされず。
DIA-301-1988-11-21-1バングラデシュ1988年11月21日1980年代(パリ)エルシャド大統領,ミッテラン仏大統領と会見―20日訪米の帰途フランスを訪問。仏大統領は,洪水問題の解決に支援を約束,Attali大統領特別顧問を専門家とともにバングラデシュへ派遣すると語った。
DIA-301-1988-11-22-1バングラデシュ1988年11月22日1980年代大統領,帰国―空港での出迎えの観衆を前に外遊の目的は洪水の恒久的解決策を見つけるため世界的な支持と協力をとりつけることであったが,実りが多かったと語った。
DIA-301-1988-11-25-1バングラデシュ1988年11月25日1980年代中等教育の試験制度変更―生徒の能力を的確に判断し,横行している不正行為を規制するため1989年より実施と教育相が発表。
DIA-301-1988-11-26-1バングラデシュ1988年11月26日1980年代日本政府,バングラデシュ,パキスタンに対するビザ免除の取り決めを一時停止することを決定―不法就労の激増に対処するため。
DIA-301-1988-11-28-1バングラデシュ1988年11月28日1980年代ダッカで6時間ゼネスト―7政党連合,Jamaatの呼掛け。非政党中立政権による自由公正な選挙実施を要求。8・5政党連合は,ゼネストの呼掛けに応えず。
DIA-301-1988-11-29-1バングラデシュ1988年11月29日1980年代ベンガル湾にサイクロン到来,死者1500人以上。
DIA-301-1988-12-02-1バングラデシュ1988年12月02日1980年代イギリスのグレンアーサー外務・英連邦担当国務相来バ。洪水問題解決への英国の支援を約束。
DIA-301-1988-12-04-1バングラデシュ1988年12月04日1980年代8政党連合と5政党連合合同会議―2政党連合の顔合せは,1986年の国会選挙参加をめぐってかつての15政党連合が上記の二連合に分裂して以来初めて。
DIA-301-1988-12-04-2バングラデシュ1988年12月04日1980年代米国のマーフィー中近東問題担当国務次官補来バ。
DIA-301-1988-12-05-1バングラデシュ1988年12月05日1980年代中銀の1987/88年度年次報告書発表さる―洪水と政情不安により同年度のGDP成長率は,前年度の4.4%から3%に下降。粗投資の対GDP比率も15%から14.59%に低下した。
DIA-301-1988-12-07-1バングラデシュ1988年12月07日1980年代ダッカで開かれていたパ・中国合同委員会終了。
DIA-301-1988-12-07-2バングラデシュ1988年12月07日1980年代ポラショバ選挙を1989年1月第1週に実施―閣僚会議決定。
DIA-301-1988-12-10-1バングラデシュ1988年12月10日1980年代内閣改造。新外相にアニスル・イスラム・マハムド教育相―Mufti Maulana Md Wakkas並びにAbdul Khair Chowdhury2人の国務相が更迭された。新たに国務相としてO.T.M. GiasuddiaとTajul Islam Chowdhuryが入閣。Iqbal Hossain Chowdhury国務相が閣内大臣に昇格。フマユーン外相の辞任については政府は同人の健康上の理由によるものとしているが,同人が外交特権を利用して禁制品を密輸したとの新聞報道が原因とする見方もでている。
DIA-301-1988-12-10-2バングラデシュ1988年12月10日1980年代8・5政党連合,別個に「反独裁・反原理主義の日」集会開催。
DIA-301-1988-12-11-1バングラデシュ1988年12月11日1980年代政府は1988/89年度のGDP成長率目標を6%から2%に下方修正した。New Nation紙。
DIA-301-1988-12-12-1バングラデシュ1988年12月12日1980年代選管発表・ポラシュバ議長および議員選挙を来年1月28日に実施―1973,77,84年についで4回目。
DIA-301-1988-12-13-1バングラデシュ1988年12月13日1980年代分離独立前の統一ベンガル議会の副議長でパキスタン時代に土地収入相をつとめたT・アリ死去。
DIA-301-1988-12-15-1バングラデシュ1988年12月15日1980年代ガンビアのジャワラ大統領来訪。17日両国は共同コミュニケを発表。協力関係強化を確認。
DIA-301-1988-12-15-2バングラデシュ1988年12月15日1980年代14,15日と政府はシャンティ・バヒニと話し合いを持ったが物別れに終わった。
DIA-301-1988-12-15-3バングラデシュ1988年12月15日1980年代(ニューデリー)バ・印洪水問題合同調査団第2回会議―17日終了。バングラデシュ側は,ファラッカの水配分に関する正式な提案を行なった。
DIA-301-1988-12-18-1バングラデシュ1988年12月18日1980年代政府はSSC(中等教育資格試験)の必修科目にイスラム教育(Diniat)を導入すると発表。
DIA-301-1988-12-18-2バングラデシュ1988年12月18日1980年代第1回バ・中国洪水専門家会議ダッカで会合―22日,洪水制御,排水,河川資源利用の分野で合同調査を行なうことで合意。了解覚書に調印。
DIA-301-1988-12-21-1バングラデシュ1988年12月21日1980年代大統領,投資局(Board of Investment)設置法案を承認。来年1月から機能。
DIA-301-1988-12-21-2バングラデシュ1988年12月21日1980年代BNBオバイドゥル派,全国評議会会議―22日オバイドゥル・ラーマンを委員長に選出。ハレダ他6人を党除名処分とすることを決定。新委員長は,広範囲にわたる強力な政治勢力結成に向けて努力すると表明。
DIA-301-1988-12-21-3バングラデシュ1988年12月21日1980年代トライブ会議議長でチッタゴン丘陵の有力指導者であったShantimony Dewan狙撃さる。23日死去。
DIA-301-1988-12-24-1バングラデシュ1988年12月24日1980年代SAARC食糧安全保障備蓄委員会の代表にバングラデシュが選出さる。
DIA-301-1988-12-25-1バングラデシュ1988年12月25日1980年代BNPオバイドゥル派委員長オバイドゥル・ラーマン,もし中立性が保証されるならば,選挙に参加すると表明。また現在の大統領制について,一人に権力が集中し過ぎると批判。
DIA-301-1988-12-27-1バングラデシュ1988年12月27日1980年代(イスラマバード)SAARC閣僚評議会(外相レベル)会議。
DIA-301-1988-12-28-1バングラデシュ1988年12月28日1980年代ブータンのプラダン貿易商業副大臣来バ。
DIA-301-1988-12-29-1バングラデシュ1988年12月29日1980年代(イスラマバード)第4回SAARC首脳会議開催。31日終了してイスラマバード宣言を採択。
DIA-301-1988-12-29-2バングラデシュ1988年12月29日1980年代中銀,2タカ紙幣を新たに発行。
DIA-301-1988-12-30-1バングラデシュ1988年12月30日1980年代(イスラマバード)エルシャド大統領,パキスタンのイスハーク・ハーン大統領,ガンディー印首相らと会見。翌31日には,ブット・パ首相,ビレンドラ・ネパール国王と会見。31日に帰国。
DIA-301-1989-01-01-1バングラデシュ1989年01月01日1980年代Jatiya Rin Salishi Board設立―エルシヤド大統領が全国放送で発表したもので,小・貧農,刈り分け小作人の権利を守るため,彼らの負債を軽減し,不当な利子支払い,低価格での土地売却を防ぐことが目的。
DIA-301-1989-01-02-1バングラデシュ1989年01月02日1980年代閣議,学校教育Ⅰ~ⅩⅡ級の英語教育を義務化。
DIA-301-1989-01-02-2バングラデシュ1989年01月02日1980年代韓国,第2ブリガンガ橋建設調査に34万㌦援助。
DIA-301-1989-01-03-1バングラデシュ1989年01月03日1980年代第7回バングラ・ネパール合同経済委員会,ダッカで開催(~5日)。両国合弁企業の設立で合意した。合弁の分野としてネパールの石灰石を利用したセメント・クリンカー,医薬品などが検討された。
DIA-301-1989-01-03-2バングラデシュ1989年01月03日1980年代ブータン貿易・工業省次官,訪バ―ブータンからの貿易代表団を率いての訪問で,首相,外相らと会談。
DIA-301-1989-01-04-1バングラデシュ1989年01月04日1980年代パキスタン軍代表団(4人),バングラデシュ陸軍総参謀長と会談。パ軍代表団の訪バは独立後初めて。
DIA-301-1989-01-05-1バングラデシュ1989年01月05日1980年代パキスタンRabitat Trust Fund事務総長が訪バ,バングラデシュにいるビハーリー25万人のパキスタン移住が近く始まるだろうと述べた。
DIA-301-1989-01-06-1バングラデシュ1989年01月06日1980年代アーメド副首相兼情報相はエルシヤド大統領特使として4日北朝鮮を訪問,6日金日成主席と会談した。この後中国を訪問,9日に李鵬首相と会談している。
DIA-301-1989-01-07-1バングラデシュ1989年01月07日1980年代長距離輸送労働者,スト―Bangladesh Sarak Paribahan Samityが呼びかけたもので,賃金・手当の引き上げなどを要求。
DIA-301-1989-01-09-1バングラデシュ1989年01月09日1980年代独立運動の英雄であったZiauddin Ahmad少将,与党国民党(JP)に加入。
DIA-301-1989-01-10-1バングラデシュ1989年01月10日1980年代チッタゴンでハルタル,1人死亡―ハルタルはイスラム協会(Jammat-i-Islam=JI)の精神的指導者,Moulana Saideeの演説に反対して野党が呼びかけたもので,市内で反対派とJI支持者が衝突,学生1人が死亡,15人が負傷した。アワミ連盟(BAL),独立戦争参加兵士組合がJIを激しく批判する声明を発表。
DIA-301-1989-01-11-1バングラデシュ1989年01月11日1980年代ソラーズ米下院外交委員会・アジア太平洋小委員会委員長,訪バ―インド,パキスタン歴訪の一環として訪バしたもので,同日BALのハシナ委員長をはじめ党指導者と会談した。12日にはエルシャド大統領,ハレダ民族主義者党(BNP)委員長らと会談,バングラデシュの政治状況,とくに民主化の実態,経済状況などについて話し合った。ソラーズ委員長は88年3月の国会選挙について十分民主的に行なわれたとは言えないとし,すべての政党が参加し,自由で公正な選挙を実施する方法を見出すことが必要だと述べた。13日,デリーへ。
DIA-301-1989-01-12-1バングラデシュ1989年01月12日1980年代輸送労働者ストでダッカの物価急騰。
DIA-301-1989-01-12-2バングラデシュ1989年01月12日1980年代政府,日本への旅行者にビザを取得するよう勧告―両国のビザ免除協定が停止され,1月15日からビザなしの入国が認められなくなるが,一部にビザなしの入国を斡旋するといってだますケースが出ているため。
DIA-301-1989-01-12-3バングラデシュ1989年01月12日1980年代J.B.Ranaネパール軍総参謀長が訪バ,エルシャド大統領と会談。
DIA-301-1989-01-13-1バングラデシュ1989年01月13日1980年代輸送労働者スト,中止―労働者と運輸相との話し合いがまとまり,政府もストで逮捕していた組合指導者の釈放に応じたため。
DIA-301-1989-01-14-1バングラデシュ1989年01月14日1980年代大統領,三軍指導者と会談―88年洪水救援,復興活動などに果たした軍の役割を高く評価した。将校の格付けと昇格に関する問題についても討議した。会談には三軍総参謀長のほか,Principal Staff OfficerのM.A.Latif少将,国防次官S.H.Chisty等が出席した。
DIA-301-1989-01-15-1バングラデシュ1989年01月15日1980年代トンギーで列車が正面衝突,死者100人,負傷者1000人―いずれかの運転手の信号ミスによる事故で,バングラデシュ独立以来最大の事故となった。
DIA-301-1989-01-18-1バングラデシュ1989年01月18日1980年代BNP,ハレダ・ジア夫人を党委員長に再選。対立候補がないため無競争当選となった。
DIA-301-1989-01-20-1バングラデシュ1989年01月20日1980年代UNICEFは88年の洪水後,下痢その他の伝染性疾患,栄養不良などのため,5歳未満の子供約1万人がすでに死亡,あるいは死亡する危険があると警告した。
DIA-301-1989-01-20-2バングラデシュ1989年01月20日1980年代エルシャド大統領,ブッシュ米大統領就任で祝電。
DIA-301-1989-01-21-1バングラデシュ1989年01月21日1980年代Bank of Small Industries and Commerce(BASIC),業務開始―小規模企業者に対する中期・長期資金の貸し付けを行なう銀行で,授権資本金1億タカ,払い込み資本8000万タカ,うち30%は政府が出資し,残りはBank of Credit and Commerce(BCC)が出資する。貸し付けの50%以上は小規模・家内工業になされなければならない。
DIA-301-1989-01-21-2バングラデシュ1989年01月21日1980年代第3回インド・バングラ洪水防御タスクフォース会議,ダッカで開催(~24日)。
DIA-301-1989-01-24-1バングラデシュ1989年01月24日1980年代全国半日スト―7政党連合(BNP系)が呼びかけたもので,1988年1月にチッタゴンでのデモで殺害された7人の死をいたみ,政府に民主主義の回復と自由,公正な選挙の実施を要求したもの。ストにはほとんどの野党が参加し,別個に抗議集会を開催した。
DIA-301-1989-01-24-2バングラデシュ1989年01月24日1980年代中央学生行動委員会(CSAC),分裂―これによりダッカ大学学生連合役員選挙に向けてCSACが統一候補を出すことに失敗したことになる。1派はChatra League(Sultan),同(Mostaq),Chatra Unionからなり,他の1派はChatra League(Aziz),Jatiya Chatra Leagueからなる。
DIA-301-1989-01-24-3バングラデシュ1989年01月24日1980年代貧困層の拡大―1985/86年度家計調査によれば,貧困線以下の人口数は農村に4420万人,都市に700万人となっている(Bangladesh Observer社説,1月25日)。
DIA-301-1989-01-25-1バングラデシュ1989年01月25日1980年代マイメンシンのShambhuganjに架橋,定礎式。旧ブラフマプトラ河への架橋で,全長455㍍,7億タカの建設資金を要し,中国からの資金援助を受ける。
DIA-301-1989-01-26-1バングラデシュ1989年01月26日1980年代ビハーリ463人,2月11日からパキスタンへ移送。UNHCRの協力による。
DIA-301-1989-01-28-1バングラデシュ1989年01月28日1980年代市議会議員選挙―全国86市議会のうち80市議会の選挙が行なわれた。有権者数は209万7519人。立候補は政党ベースではないが,それぞれ政党に属していることが多く,支持者同士の衝突で3人が死亡した。
DIA-301-1989-01-28-2バングラデシュ1989年01月28日1980年代電信電話局(T&T Board),持株会社に転換か―郵政担当国務相が述べたもので,電信電話網の整備に要する資金調達が目的。政府が株の51%を保持,49%は民間に放出。
DIA-301-1989-01-28-3バングラデシュ1989年01月28日1980年代市議会議員選挙実施状況―80議会のうち69議会については終了したが,11議会についてはそのなかの33投票所が混乱したため再選挙となった。
DIA-301-1989-01-30-1バングラデシュ1989年01月30日1980年代ダッカ・ジャーナリスト同盟役員選挙―委員長Shahjahan,書記長Akram Hossainが再選された。
DIA-301-1989-01-31-1バングラデシュ1989年01月31日1980年代選挙管理委員会,55の選挙法廷判事を任命―市議会議員選挙に関し,野党から不正が行なわれたとの批判が強いため。
DIA-301-1989-01-31-2バングラデシュ1989年01月31日1980年代B.Kouchnerフランス人権問題担当相,訪バ―記者会見でフランスがUNDPとの共同でバングラデシュの洪水対策調査に2500万フラン,洪水復興に2000万フランを供与したことを明らかにした。
DIA-301-1989-02-01-1バングラデシュ1989年02月01日1980年代冬期国会召集―エルシャド大統領は開会演説を行ない,すべての政党,グループに憲法に基づく政治への協力を訴えた。また洪水問題に関し,88年10月16日の洪水問題特別国会で提唱した「11項目短期行動計画」「15項目中・長期行動計画」の実施状況を説明,短期計画に盛られた堤防の構築,河川の凌渫などは今年雨期到来前にも完成するとの見通しを発表した。
DIA-301-1989-02-01-2バングラデシュ1989年02月01日1980年代高裁は政府が最高裁判事を現職のまま法務次官に任命したことに関し,これを憲法違反との判決を下した。
DIA-301-1989-02-03-1バングラデシュ1989年02月03日1980年代ダッカ電力供給庁,新設―政府はアジア開発銀行の協力を得て,電力開発庁(PDB)のダッカ電力供給部門をPDBから切り離し,独立した機関にすることを決定した。
DIA-301-1989-02-03-2バングラデシュ1989年02月03日1980年代チッタゴン近郊での列車事故の責任を問われ,バングラデシュ鉄道東部地域経営責任者などが大幅更迭さる。
DIA-301-1989-02-04-1バングラデシュ1989年02月04日1980年代Syed Deedar Bakht議会与党指導者,情報担当国務相に任命。
DIA-301-1989-02-04-2バングラデシュ1989年02月04日1980年代ソラーズ米下院外交委員会アジア太平洋小委員会委員長はBBCとのインタビューで,バングラデシュへの開発援助と国内の民主主義確立とを結びつけた「外国援助法案」を今年も議会に提出するとのべた。昨年は同様の法案が下院を通過したが上院は通過しなかった。
DIA-301-1989-02-05-1バングラデシュ1989年02月05日1980年代バングラデシュ・ムスリム連盟の7派,統合―セラジュッディンBML調整委員会委員長が発表。
DIA-301-1989-02-06-1バングラデシュ1989年02月06日1980年代ダッカの力車,段階的に削減―地方自治担当相は現在のダッカの力車(登録したものだけで8万8159台)を段階的に削減し,協同組合方式による自動三輪車にかえていく方針であると述べた。
DIA-301-1989-02-08-1バングラデシュ1989年02月08日1980年代ダッカ大学,バングラデシュ工科大学の学生連合選挙,7年ぶりに実施―前回の選挙は1982年に実施されたが,同年3月24日の軍事クーデターで解散されており,今回7年ぶりに選挙が実施されたものである。ダッカ大学学生連合(DUCSU)は20のポストをめぐって180人が立候補しているが,主要な勢力はアワミ連盟系の中央学生行動委員会(CSAC)とBNP系のJatiyatabadi Chhatra Dal(JCD)で,両者の対決となった。有権者は2万6000人。工科大学学生連合会(EUCSU)は七つのポストに33人が立候補している。有権者は3232人。
DIA-301-1989-02-08-2バングラデシュ1989年02月08日1980年代煉瓦燃料(制限)法案,国会を通過―煉瓦の燃料として木材の使用を禁止。
DIA-301-1989-02-09-1バングラデシュ1989年02月09日1980年代DUCSU選挙でCSACが勝利―CSACはDUCSUおよび学生寮13のうちの七つの寮で勝利した。JCDは三つの寮で勝利しただけであった。
DIA-301-1989-02-09-2バングラデシュ1989年02月09日1980年代ダッカ大学内で選挙結果をめぐって学生が衝突,女子学生1人が死亡,50人負傷。
DIA-301-1989-02-11-1バングラデシュ1989年02月11日1980年代エルシャド大統領はBBCのインタビューで自由かつ公正な選挙のため,海外から50人の選挙監視人を招くこと,選挙管理委員会に野党の代表を加えること,を認める用意があると述べた。これにより,国会選挙が現在の任期満了よりずっと早めて実施されるのではないかとの観測が出ている。
DIA-301-1989-02-12-1バングラデシュ1989年02月12日1980年代学生2派が別々のスト―CSACは9日の女子学生死亡事件に抗議し,JCDは学生連合役員選挙の不正に抗議して,それぞれストを実施した。
DIA-301-1989-02-13-1バングラデシュ1989年02月13日1980年代労働相によれば,独立後16年間に海外に働きにでかけた労働者数は延べ62万2692人,彼らの送金総額は1362.3億タカであった。1988年だけで6万8121人が海外で雇用された。
DIA-301-1989-02-14-1バングラデシュ1989年02月14日1980年代エルシャド大統領,訪英―サッチャー首相の招請で5日間の公式訪問。同行者はエルシャド夫人,外相,マティン副首相など。
DIA-301-1989-02-15-1バングラデシュ1989年02月15日1980年代チッタゴン丘陵地帯の3県評議会設置法案,国会上程―Rangamati,Khagrachari,Bandarbanの3県に評議会を設置する特別法案で,同地帯の少数民族問題解決が目的。2月28日,国会で可決。
DIA-301-1989-02-16-1バングラデシュ1989年02月16日1980年代エルシャド大統領,選挙に関し野党との協議を呼びかけ―大統領はロンドンで開かれたイギリス・バングラデシュ国会議員団,英連邦議員連盟の集まりで演説,自由で公正な選挙実現のため野党に話し合いに応じるよう訴えた。
DIA-301-1989-02-16-2バングラデシュ1989年02月16日1980年代5政党連合,野党統一を訴え―左派系5政党連合は選挙に関し野党と協議したいとの大統領提案について「エルシャド大統領の辞任と中立政権の樹立」が認められなければ受け入れない,との方針を固め,野党に対しては,とくにBALとBNPとの対立が民主化闘争を困難にしているとして,その共闘体制の確立を訴えた。
DIA-301-1989-02-16-3バングラデシュ1989年02月16日1980年代チッタゴン丘陵地帯(CHT)の和平に関する共同声明発表―54人の少数民族代表と10人のベンガル民族代表とが会合,CHTの三つの県の評議会設立にむけて9項目の和平合意に調印した。少数民族代表にはRaja Debasish Royチャクマ族長,Mong Shi Prue Choudhuryブーモン族長,U.Lal Chakma前大統領顧問,A.S.P.Choudhury前国務大臣ら主要族長,指導者が出席,ベンガル民族側はAbdus Salam少将・チッタゴン地区司令官,S. Ahmed准将・カプタイ地区司令官,県知事,各ウポジラ議長らが出席した。
DIA-301-1989-02-16-4バングラデシュ1989年02月16日1980年代エルシャド・サッチャー会談。洪水予防のための総合的援助の必要性について協議。
DIA-301-1989-02-18-1バングラデシュ1989年02月18日1980年代中国から治水専門家10人が洪水対策協議のため訪バ。団長は王守強国家洪水対策本部長。
DIA-301-1989-02-19-1バングラデシュ1989年02月19日1980年代1989年ハッジ政策発表―政府が送り出すハッジは1万人の予定で,人口比例で各県にハッジ参加の枠を与える。希望者は6万1520タカを負担する。
DIA-301-1989-02-21-1バングラデシュ1989年02月21日1980年代犠牲者の日,各地で言語運動犠牲者慰霊の集会。
DIA-301-1989-02-23-1バングラデシュ1989年02月23日1980年代昭和天皇の大喪の礼出席のため,エルシャド大統領訪日(~27日)。
DIA-301-1989-02-24-1バングラデシュ1989年02月24日1980年代森林資源の問題―最近の森林資源調査によれば,森林240万haのうち90万haが不法占拠されており,7.3万haは養魚,農業,住宅などに不法利用されている。人口急増による住宅地確保,燃料用木材需要増加のためで,この状況が続けばいずれ深刻な環境問題に直面すると懸念されている。
DIA-301-1989-02-25-1バングラデシュ1989年02月25日1980年代世銀調査団,プロジェクト援助の未使用を批判―約束されたが未使用の援助額は約46億㌦にのぼっている。主要原因は政府の内貨不足にある。
DIA-301-1989-02-26-1バングラデシュ1989年02月26日1980年代ダッカ市内バス,運行中止―市当局が事前の連絡なく突然バスルートの変更を強行したことに抗議。
DIA-301-1989-02-26-2バングラデシュ1989年02月26日1980年代アジア開発銀行(ADB),植林事業に4346万㌦の援助―全国64県のうち61県をカバーし,1万6000haに植林するとともに,道路,鉄道,堤防など1万7750kmにも木を植える。
DIA-301-1989-02-26-3バングラデシュ1989年02月26日1980年代日本と11.8億タカの債務救済覚え書きに調印。
DIA-301-1989-02-27-1バングラデシュ1989年02月27日1980年代人力車夫のスト―ダッカのバス運転手ストに対する支持のため。
DIA-301-1989-02-27-2バングラデシュ1989年02月27日1980年代トンギー市議会選挙で警察と市民が衝突,50人負傷。
DIA-301-1989-02-27-3バングラデシュ1989年02月27日1980年代民間投資の現状―1988/89年度民間工業投資は前年度より低下傾向にある。1988年の洪水とそれによる国民の購買力低下,外国投資に認められていた外貨交換率変動吸収制度(Exchange Rate Fluctuation Absorption Scheme)の廃止などが原因と見られている。
DIA-301-1989-02-27-4バングラデシュ1989年02月27日1980年代農村に食糧配給制度導入―政府は初めて4月から農村に食糧配給制度を導入する。各ユニオンで配給カードを持つ者1000人につき一店,1500人には二店の配給店が選任される。配給価格は米1kgが6.57タカ,小麦1kgが4.28タカ。
DIA-301-1989-02-27-5バングラデシュ1989年02月27日1980年代ジャハンギールナガル大学学生連合会役員選挙,実施―中央学生連合会役員16に対して129人が立候補,6学生寮の自治会役員78に対しては316人が立候補した。選挙結果はBAL系の学生行動委員会(SAC)が圧勝した。
DIA-301-1989-03-01-1バングラデシュ1989年03月01日1980年代ジュート輸出,1ベイル当リ15~20%の損失―1988/89年度ジュート生産は400万ベイル,繰り越しは250万ベイル。輸出量は目標220万ベイルのところ120万ベイルと見られる。輸出価格は低く,1ベイル当り15~20%の損失をしている。
DIA-301-1989-03-01-2バングラデシュ1989年03月01日1980年代1990年度米国援助は1億3390万㌦。うち5500万㌦は開発援助,7890万㌦はPL-480の食糧援助。
DIA-301-1989-03-03-1バングラデシュ1989年03月03日1980年代国連総長,訪バ(~6日)―デクエヤル国連事務総長は4日間の公式訪問のためダッカに到着し,4日,エルシャド大統領,マハムード外相らと会談。
DIA-301-1989-03-03-2バングラデシュ1989年03月03日1980年代Parbattya Chattagram Jana Sanghati Samity(JSS)は少数民族和平問題で政府と話し合うことを拒否した。
DIA-301-1989-03-03-3バングラデシュ1989年03月03日1980年代米議会アジア太平洋小委員会はバングラデシュとビルマの状況について国務省のヒアリングを行なった。ソラーズ委員長はVOAとの記者会見で米国が対バングラデシュ援助計画を続けるかどうかはバングラデシュ政府が国民に受け入れられる自由かつ公正な選挙実施にどのような処置をしたかによって決められる,と述べた。
DIA-301-1989-03-04-1バングラデシュ1989年03月04日1980年代洪水に関する国際セミナー開催―Bangladesh Research Bureau主催のセミナーで,エルシャド大統領が開会演説を行ない,国際河川の効率的利用と水の制御のためには関係する諸国の協力による総合的アプローチが何よりも重要であり,そこではゼロ・サム的発想をすべきではないと述べた。
DIA-301-1989-03-05-1バングラデシュ1989年03月05日1980年代環境問題の国際セミナー開催―Coastal Area Resources Development and Management Association(CARDMA)が主催したもので,エルシャド大統領が演説,バングラデシュは1990年を環境年,90~99年を環境の10年とし,グリーンハウス効果とその沿岸地域外への影響について調査するとともに,その他の環境破壊も含め,国際協力によって問題解決に当たる必要性を強調,先進国の協力を求めた。
DIA-301-1989-03-07-1バングラデシュ1989年03月07日1980年代政府,1989年を「ジュート年』と宣言。
DIA-301-1989-03-07-2バングラデシュ1989年03月07日1980年代ミルプールのBSCICエレクトロニクス団地定礎式―エルシャド大統領が演説,国の発展と雇用機会の増加をめざして農業発展と同時に工業化を進める必要性を強調,そのためには政治的安定が前提となると述べた。
DIA-301-1989-03-08-1バングラデシュ1989年03月08日1980年代国際ジュート機構,ダッカで開催(~15日)―第11回国際ジュート機構(IJO)評議会が開催され,エルシャド大統領が演説,ジュートの生産,加工などに従事する労働者は全世界で1億人にもなり,ジュートの利用を多角化するための研究開発により公害のない包装材料としてジュートを蘇らせるよう訴えた。
DIA-301-1989-03-08-2バングラデシュ1989年03月08日1980年代BNP全国評議員大会,開催(~9日)―ハレダ委員長が開会演説を行ない,過去の対立を水に流し,すべての民主勢力が団結して複数政党制,司法権の独立など民主化のために戦うよう訴えた。1850人の評議員のうち1400人が出席した。9日には全国執行委員会の人数を231人とすること,委員長への顧問会議を設立することなどを決定した。顧問はB.Choudhury,Oil Ahmed,Dr.Yusuf,D.Hossain,Mirza Golam Hafiz,Matin Choudhury,A.Al-Noman,Rafiqur Islam Miaなど10人。
DIA-301-1989-03-09-1バングラデシュ1989年03月09日1980年代クルナ大学定礎式―クルナから5kmのGollamariに設立される。
DIA-301-1989-03-10-1バングラデシュ1989年03月10日1980年代PLOアラファト議長,訪バ(~11日)―ダッカにパレスチナ大使館を建設するための定礎式出席が目的で,エルシャド大統領はじめ政府高官とも会談した。
DIA-301-1989-03-13-1バングラデシュ1989年03月13日1980年代閣議はチッタゴン丘陵地帯の県評議会議員選挙を6月末までに実施すると決定。
DIA-301-1989-03-14-1バングラデシュ1989年03月14日1980年代世銀副総裁,訪バ(~19日)―A.Karaosamanoplu副総裁はジャムナ橋建設援助を含め,世銀援助について協議するため訪バ,15日以降エルシャド大統領,大蔵相,計画相など経済閣僚と会談した。
DIA-301-1989-03-15-1バングラデシュ1989年03月15日1980年代ブリガンガ中国・バングラデシュ友好橋,開通―大統領が出席して開通式が行なわれた。全長847㍍,総工費10.882億タカ,うち中国援助は5.882億タカ。
DIA-301-1989-03-15-2バングラデシュ1989年03月15日1980年代電話料金,引き上げ―デジタルシステムの導入に伴い,電話据え付け料,通話料金ともに引き上げられた。据え付け料は1万タカ,通話料は1回1.7タカ。
DIA-301-1989-03-16-1バングラデシュ1989年03月16日1980年代ジャムナ多目的橋建設問題―世銀はジャムナ多目的橋第3次FSを政府に提出,これを基に援助供与国会議をダッカで開くことになった。橋の全長は3マイル,道路とメーター幅鉄道の2階建で,ほかに送電線,ガスパイプラインも併設する。総工費は200億タカ(関税その他税は免除)。
DIA-301-1989-03-18-1バングラデシュ1989年03月18日1980年代大統領,軍組織問題について軍首脳と会談。Atiqur Rahman中将・陸軍総参謀長(Chief of Army Staff)が議長を務め,Abdul Waheed少将・軍統合参謀長(Chief of General Staff of the Army),M. Abdul Latif少将,軍最高司令官首席補佐官(Principal Staff Officer to the Supreme Commander)らが出席した。
DIA-301-1989-03-19-1バングラデシュ1989年03月19日1980年代世銀副総裁,国内資金調達の必要性を強調―記者会見で述べたもので,インフレなき経済復興という短期経済調整の必要から,外国援助による事業の遅れを取りもどすため,国内資金の調達に一層努力すること,経常支出を削減することの必要性を強調した。
DIA-301-1989-03-19-2バングラデシュ1989年03月19日1980年代外務次官にA.K.H.Morshed―現次官のM.MohsinがOIC事務次長に選出されたため。
DIA-301-1989-03-22-1バングラデシュ1989年03月22日1980年代エルシャド大統領,訪仏(~24日)―ミッテラン大統領の招請で訪仏したもので,パリ・オルリー空港にはミッテラン夫妻が出迎えた。23日首脳会談が持たれ,ミッテラン大統領はバングラデシュ洪水対策への全面的支援を約束した。
DIA-301-1989-03-22-2バングラデシュ1989年03月22日1980年代バングラデシュ共産党(CPB),BALを批判―BALなど8政党による政党連合の一つであるCPBはBALが政治的決定を押し付けていると批判した。CBP内部でBALから離れ,他の政党と共闘するよう要求が高まっている。
DIA-301-1989-03-24-1バングラデシュ1989年03月24日1980年代JPはエルシャド政権誕生7周年を記念する集会を開いた。政府はこの日を「開発の日」と名づけている。一方野党は24日を「民主主義の終焉の日」として抗議集会を開いた。BALと8政党連合は民主主義の回復のために現政府の辞任を要求,BNPと7政党連合は現政権のもとでの選挙参加を拒否した。
DIA-301-1989-03-25-1バングラデシュ1989年03月25日1980年代第18回独立記念日。
DIA-301-1989-03-27-1バングラデシュ1989年03月27日1980年代チッタゴンで学生が衝突,1人死亡,10人負傷。BAL系とJI系学生が衝突したもの。
DIA-301-1989-03-27-2バングラデシュ1989年03月27日1980年代バングラデシュ・ソ連,第18次パーター貿易協定に調印。輸出額は2100万ポンド,輸入額は1900万ポンドで,差額は借款返済分。このほかゴラサール火力発電所(総発電能力は950mW)建設借款返済のため1081万ポンドの輸出協定にも調印した。なおバングラデシュはソ連に対し1973~88年の間に1億ポンドの貿易赤字を出している。
DIA-301-1989-03-28-1バングラデシュ1989年03月28日1980年代援助国会議への援助要請額は35億㌦―援助国会議は4月18,19日にパリで開催されるが,その際バングラデシュ政府は1989/90年度援助として洪水対策・復興特別援助に15億㌦,通常の援助に20億㌦,計35億㌦を要請する。
DIA-301-1989-04-02-1バングラデシュ1989年04月02日1980年代ハシナBAL委員長,BNPを激しく非難―委員長はフェニでの演説のなかで故ジアウル・ラーマン大統領をムジブ殺害の責任者と非難するとともに,与党JPとBNPの間にはイデオロギー上の意見の相違はないと述べ,これまでになく激しくBNPを非難した。
DIA-301-1989-04-02-2バングラデシュ1989年04月02日1980年代物価上昇―ラマダーンを控え,物価上昇が目立っている。特に米,小麦粉,馬鈴薯,玉ネギ,魚,肉類,卵の価格上昇が大きく,先週比23.6%も上昇した。
DIA-301-1989-04-03-1バングラデシュ1989年04月03日1980年代新たに公務員給与委員会設立―大統領は公務員の要求と財政状況を勘安しながら賃金引き上げを図るため,新たに給与委員会を設立すると発表した。委員会は1年以内に報告書を提出する。また3,4級の下級職員に対し,7月から暫定的に10%の物価手当,1年の昇級短縮,年金の引き上げ(本俸の70%を80%に),勤勉手当,洗濯手当,残業時の食事手当などを引き上げる。
DIA-301-1989-04-05-1バングラデシュ1989年04月05日1980年代河川と地下水の水位が低下,ダッカでは給水量を減らしているため,市民の生活は深刻な打撃を受けている。雨期前の降水量が例年より少ないためで,農作物への被害も出てきた。
DIA-301-1989-04-06-1バングラデシュ1989年04月06日1980年代BNP書記長はフェニでのBNP党員殺害の責任がBALにあるとしてBALを強く非難。
DIA-301-1989-04-07-1バングラデシュ1989年04月07日1980年代バングラデシュ,ネパールにディーゼル油,ケロシン各1000㌧,砂糖4000㌧を供与すると発表。インドが対ネ石油輸出をストップしたため。
DIA-301-1989-04-09-1バングラデシュ1989年04月09日1980年代電話料金,4月1日から引き上げ―N.W.D.自動交換の場合は新設料金が1万タカ,一回の料金は1.70タカ,N.W.D.以外のケースでは7500タカ,1.5タカ。I.S.D.ディジタルの場合は新設料金が3万タカ。このほか銀行に7万5000タカの保証金を積み立てる。緊急に電話が必要な時,住宅用は5万タカ,事務所は10万タカ出せば48時間以内に電話を取付ける。
DIA-301-1989-04-09-2バングラデシュ1989年04月09日1980年代アフガニスタン・ムジャヒッディンのヘクマチャル,訪バ。エルシャド大統領,外相らと会見。
DIA-301-1989-04-10-1バングラデシュ1989年04月10日1980年代BNP委員長,政府にアフガニスタン・ムジャヒッディン暫定政権の承認を要求。
DIA-301-1989-04-11-1バングラデシュ1989年04月11日1980年代閣議,食糧供給状況を検討―現在政府は7ヵ月分の食糧ストックをもっており,不足の心配はないが,食糧の価格が上昇傾向にあるため,米50万㌧を市場に放出すると発表。
DIA-301-1989-04-11-2バングラデシュ1989年04月11日1980年代旱魃―過去数週間降雨がなく,高温が続いている。クルナなど南西部や北西部では,地下水位も低下して井戸灌漑もできなくなっており,旱魃の被害が出ている。特にアウス米,ジュート,豆類の被害が大きい。
DIA-301-1989-04-13-1バングラデシュ1989年04月13日1980年代2000年の人口,1億4000万人に―都市化に関するジャハンギールナガル大学教授の調査報告では,現在の人口増加率が続けばバングラデシュの2000年の人口は1億4000万人,2025年には現在の2倍の2億1930万人に達し,ダッカ市の人口は2000年には1100万人となる。
DIA-301-1989-04-17-1バングラデシュ1989年04月17日1980年代ダッカのネパール留学生,反インド・デモ―インドの対ネ経済封鎖に抗議して集会とデモを行ない,インド大使館に抗議文を手交した。またハレダBNP委員長は声明を発表,インド・ネパール間紛争についてネパールへの同情を表明,その平和的解決を訴えた。
DIA-301-1989-04-18-1バングラデシュ1989年04月18日1980年代ラジシャヒでBAL系とJI系の学生同士が衝突,一人死亡,50人が負傷。大学当局は5月21日まで学校の閉鎖を発表した。
DIA-301-1989-04-19-1バングラデシュ1989年04月19日1980年代バングラデシュ援助国会議,22億㌦の援助をプレッジ―4月18,19日にパリで開かれた援助国会議は過去最高の22億㌦を約束した。これはジャムナ多目的橋や洪水対策のための資金援助とは別枠。
DIA-301-1989-04-19-2バングラデシュ1989年04月19日1980年代第4回大ダッカ洪水防御事業調整委員会,開催―事業の進捗状況を検討した。また同委員会は委員長に洪水防御に必要な土地収用の権限を付与した。
DIA-301-1989-04-20-1バングラデシュ1989年04月20日1980年代BADC,3万7063台の灌漑設備を設置予定―深井戸ポンプ3648台,浅井度ポンプ1万6000台,揚水ポンプ1万7415台を1988/89年度中に設置するもので,すでに2万7868台は設置済み。
DIA-301-1989-04-22-1バングラデシュ1989年04月22日1980年代シャンティ・バヒニに投降を呼びかけ―エルシャド大統領はチッタゴン丘陵地域(CET)の反政府ゲリラであるシャンティ・バヒニに対し,5月20日までに投降するものは過去の罪は問わないと発表した。武器をもって投降する者には年間1人21kgの食糧,5エーカーまでの土地を供与する。
DIA-301-1989-04-23-1バングラデシュ1989年04月23日1980年代選挙管理委員長はCHTの3県議会選挙を6月25日に行なうと発表した。
DIA-301-1989-04-24-1バングラデシュ1989年04月24日1980年代公務員労働組合(SKOP),全日スト―月1400タカの最低賃金,60%の物価手当など5項目の要求を掲げて。
DIA-301-1989-04-25-1バングラデシュ1989年04月25日1980年代計画相,記者会見―バングラデシュ援助国会議でのプレッジについて説明,22億㌦の約束は援助国がバングラデシュ政府の経済開発と対外資金運営に信頼を持っているためである,と述べた。ただし,援助国が国営企業,金融機関の現状には不満を持っているとも述べた。援助約束額の内訳は,プロジェクト援助が12億8855万㌦と1億3500万㌦,商品援助が5億9825万㌦,食料援助が1億8000万㌦,その他1200万㌦。また,同席した大蔵次官はこれら援助の実行率を高めるため,国内資金調達が急務となっていると述べ,新年度予算での増税の可能性を示唆。
DIA-301-1989-04-25-2バングラデシュ1989年04月25日1980年代シラジJSD(シラジ派)委員長はBALもBNPも今や有効な反体制運動をしていおらず,両党は実際上次の選挙に参加するための準備活動に専念していると述べた。
DIA-301-1989-04-27-1バングラデシュ1989年04月27日1980年代マニクガンジに大型竜巻発生死者1000人を超える。エルシャド大統領が視察,軍を導入しての救援活動を指揮した。
DIA-301-1989-04-27-2バングラデシュ1989年04月27日1980年代IDAと2億㌦の援助協定に調印―このうち1億7500万㌦はエネルギー・セクターの構造調整借款で,残り2500万㌦は輸出多角化のため,非伝統的輸出品製造業者が必要な物資輸入の運転資金借款となる。
DIA-301-1989-04-28-1バングラデシュ1989年04月28日1980年代アダムジー・ジュート工場でSKOPグループとCBAグループの労働者同士が衝突,負傷者200人,重傷50人。
DIA-301-1989-04-29-1バングラデシュ1989年04月29日1980年代モングラ港湾労働者,無期限スト―賃金倍増,諸手当増加など44項目要求の実現を目指して。
DIA-301-1989-05-03-1バングラデシュ1989年05月03日1980年代汚職摘発局(BAC)は前JP監査委員長でPacific Industries Ltd(A.K.Khanグループ)のMDであるM.M.Khanを汚職で告発。同氏は87年12月,エルシャド大統領と対立して離党している。
DIA-301-1989-05-04-1バングラデシュ1989年05月04日1980年代知識人55人,野党統一を呼びかけ―政治家,法律家,大学教授など知識人55人は共同声明を発表,現政府を倒すため「原理主義者から進歩勢力まで」すべての野党の統一を呼びかけた。これに対し中央学生行動委員会(CSAC)は原理主義派のJI系学生組織との共闘を拒否すると発表した。
DIA-301-1989-05-05-1バングラデシュ1989年05月05日1980年代BALは知識人の野党共闘呼びかけに対し,反対はしないが消極的な対応を示している。
DIA-301-1989-05-06-1バングラデシュ1989年05月06日1980年代ハシナBAL委員長,訪米―7日米国務省中近東・南アジア担当次官補と,8日には同省人権担当次官補と会談した。VOAによれば,両次官補はバングラデシュが他の南アジア諸国のような民主主義体制を作り上げることが重要であるとの考えを述べ,しかしこの目的達成にどう取り組むかはバングラデシュの国民とその指導者が決めることだと述べた。
DIA-301-1989-05-11-1バングラデシュ1989年05月11日1980年代40年ぶりの旱魃―過去3ヵ月の雨量は例年16~20インチのところ5インチでしかなく,特に北西部では厳しい旱魃に直面している。全国での旱魃による農業生産への被害は10%に達すると見られる。ボロ米の作付け面積は目標560万エーカーに対し620万エーカーとなったが,灌漑用の地表水不足と地下水位低下で十分な水がなく生産の低下が懸念されている。
DIA-301-1989-05-11-2バングラデシュ1989年05月11日1980年代ハシナBAL委員長,米国でソラーズ議員と会談。
DIA-301-1989-05-12-1バングラデシュ1989年05月12日1980年代National Volunteer Corps(NVC)の組織化―政府は国家,県,ウポジラの各レベルにNVCを組織することを決め,それぞれの構成を発表した。NVC全国委員会の総裁は大統領,議長は救援復興相,メンバーは閣僚5人,MP5人,次官5人,3軍最高司令官,BDR司令官,警察長官,Ansarおよび村落防衛隊長官,消防隊長官,全国災害予防評議会から5人,NGOから5人の計32人で構成される。県NVCは同県出身のMP,ウポジラ議長などで構成,ウポジラNVCは議長,郡行政長官,住民代表など51人で組織する。目的は災害予防と救済,復興活動の強化。
DIA-301-1989-05-13-1バングラデシュ1989年05月13日1980年代雨期の降雨始まる。しかしこれまでの旱魃でジュートの作付面積がまだ70万エーカーと例年の半分しかなく,このままでは生産量も300万~350万ペイル程度になる。またアウス米の生産は230万㌧程度になる見込み。夏野菜,ライチ,マンゴー,ジャックフルーツなど果実の生産も打撃を受けた。
DIA-301-1989-05-13-2バングラデシュ1989年05月13日1980年代ラブJSD委員長はBBCとのインタビューで,軍を含め職能別代表が議会に議席を持つよう憲法を改正すべきだと述べ,エルシャド大統領は議会に軍代表を参加させることについて国民投票をするだろうと述べた。
DIA-301-1989-05-14-1バングラデシュ1989年05月14日1980年代炭田開発―ディナジプールのバラプクリアに推定2億5000万㌧の埋蔵量を持つ石炭鉱脈が発見されており,2020年には枯渇が懸念されている天然ガスにかわるエネルギー資源として開発が検討されている。
DIA-301-1989-05-14-2バングラデシュ1989年05月14日1980年代BCIC,セメント価格を5%引上げ。これは今年3月に次ぐ引上げとなる。チャタック・セメントは1袋133.5タカを141.5タカに,チッタゴン・クリンカーは同121カタを130タカにする。セメント需要は年間100万~120万㌧,国内生産は30万㌧,残りは輸入されており,現在セメントの市場価格は1袋160~170タカ。この決定に建設業者は不満を示している。すでにBSECは建設用鉄棒の価格を引き上げ,また煉瓦の価格も騰がったため,建設資材コストが過去4ヵ月で40%も騰がったという。
DIA-301-1989-05-15-1バングラデシュ1989年05月15日1980年代エルシャド大統領,大蔵省に金融セクター改革タスクフォース設立を指示。
DIA-301-1989-05-16-1バングラデシュ1989年05月16日1980年代インドと洪水対策で原則合意―PTIによれば,デリーで開かれた水資源相による印・バ洪水対策合同タスフォース会議の結果,洪水予測と警報システムの確立,共通河川の堤防建設などで原則的に合意した。政策の具体化のため,タスフォースの任期を9月末まで延長する。
DIA-301-1989-05-16-2バングラデシュ1989年05月16日1980年代8政党連合内部対立―BALを中心とする8政党連合内部で政治路線の違いから対立が目立っており,意見調整のため政党代表の会議が開かれた。対立の原因はBALの非協調的対応,選挙参加問題,反政府運動の進め方などである。
DIA-301-1989-05-16-3バングラデシュ1989年05月16日1980年代ADB,1989年の対バングラデシュ援助を4.5億㌦に決める。前年は2.6億㌦。
DIA-301-1989-05-17-1バングラデシュ1989年05月17日1980年代バ外務省は中ソ首脳会談について,これは両国のみならず,アジア地域の平和と安定,世界平和と発展にも貢献するとの声明を発表した。
DIA-301-1989-05-17-2バングラデシュ1989年05月17日1980年代ダッカに環境と災害問題国際研究所(IIES&DM)を建設する定礎式挙行。
DIA-301-1989-05-20-1バングラデシュ1989年05月20日1980年代政府,CRTシャンティ・バヒニに対する投降期限を6月25日まで延長。
DIA-301-1989-05-21-1バングラデシュ1989年05月21日1980年代CHTの3県評議会選挙に255人が立候補。各県とも議長1人,議員30人が定数。
DIA-301-1989-05-22-1バングラデシュ1989年05月22日1980年代予算国会,開催。
DIA-301-1989-05-22-2バングラデシュ1989年05月22日1980年代IIES&DM,当面の研究プロジェクトを発表―(1)洪水につながる森林破壊と土壌流出,(2)洪水,台風予測,(3)地球温暖化現象のデータ収集,(4)洪水が保健,栄養,人口問題に与える影響,など。
DIA-301-1989-05-23-1バングラデシュ1989年05月23日1980年代エルシャド大統領,高級官僚を集めて演説―高級官僚は給与,手当,その他の利益を合わせると月6万~7万タカの収入を得ているとして,国民に奉仕すべくその効率を高めるよう訴えた。
DIA-301-1989-05-23-2バングラデシュ1989年05月23日1980年代バングラデシュの中国留学生,中国大使館前で民主化弾圧反対デモ。
DIA-301-1989-05-24-1バングラデシュ1989年05月24日1980年代国会でSwadhin Bangabhumi運動(バングラデシュの南西6県をヒンドゥ国として独立させる運動)を討議。野党が提出した議題で,与党は同運動がバングラデシュの主権と独立を脅かすとして警戒しているが,今のところ国内での活動はないと見ている。
DIA-301-1989-05-30-1バングラデシュ1989年05月30日1980年代タイ副首相,訪バ―両国合同経済委員会の準備を兼ねての訪問で,エルシャド大統領とも会談した。
DIA-301-1989-06-01-1バングラデシュ1989年06月01日1980年代ビルマと二つの覚書に調印―バングラデシュ商業次官がビルマを訪問,貿易,工業開発協力など長期開発協力に関する覚書と国境貿易に関する覚書に調印,片道2000万㌦のバーター貿易にも合意がなされた。
DIA-301-1989-06-02-1バングラデシュ1989年06月02日1980年代砂糖価格,急騰―配給の砂糖供給が不足,市場価格が急騰している。配給価格は1kg24タカ,市場では31タカになった。
DIA-301-1989-06-03-1バングラデシュ1989年06月03日1980年代1989/90年度年次開発計画,NECで承認―総支出額は580億3000万タカで,うち255億タカは内貨分,残り525億タカは外貨分(プロジェクト援助)となる。プロジェクト数は903,うち新規事業は61(詳細は参考資料参照)。
DIA-301-1989-06-03-2バングラデシュ1989年06月03日1980年代シャンティ・バヒニ,活動を強化―CHTでの県議会選挙妨害が目的と見られる。
DIA-301-1989-06-05-1バングラデシュ1989年06月05日1980年代JSD活動家7人,殺害―JSD(ラブ派)活動家12人が集会から帰宅途中,Sarbahara Partyのメンバー60人に襲われ,7人が捕えられ,4人が刺殺,3人は射殺された。
DIA-301-1989-06-05-2バングラデシュ1989年06月05日1980年代CHTランガマティで雑誌編集長が雑誌社内でシャンティ・バヒニに殺害された。
DIA-301-1989-06-08-1バングラデシュ1989年06月08日1980年代主要野党指導者会議の試み―野党共闘を実現するためNagarik Committeは主要野党連合代表会議を呼びかけ,会議の日程,場所を設定した招請状を送った。ただしイスラム教会JIなど原理主義グループは除く。
DIA-301-1989-06-08-2バングラデシュ1989年06月08日1980年代BAL系学生組織であるバングラデシュ学生連盟(BCL)は全国大会を開催,委員長にHabibur Rahman,書記長にA.K.Ukilを選出した。しかし,BALのAmir Hossain Amu書記次長とTofayel組織部長との対立が学生組織にも反映,Tofayel派はSagir AnwarとS.J.Badshaを委員長,書記長とする,別の執行委員会を設立した。
DIA-301-1989-06-08-3バングラデシュ1989年06月08日1980年代シャンティ・バヒニ,チッタゴンでウポジラ議長襲撃未遂。
DIA-301-1989-06-09-1バングラデシュ1989年06月09日1980年代野党指導者会議,開催―Nagorik Committeeの呼びかけた野党指導者会議はBALの8政党連合,左派の5政党連合が出席して開催された。しかしBNPは欠席,全野党共闘実現の難しさを明らかにした。Nagorik Committeeは政党ではなく,民主化実現のための市民フォーラムで,メンバーは250人,13人の執行委員を持つ。
DIA-301-1989-06-12-1バングラデシュ1989年06月12日1980年代シャンティ・バヒニは5人のジャーナリストを暗殺リストにのせており,5日に殺害された雑誌編集者もその一人であった。
DIA-301-1989-06-13-1バングラデシュ1989年06月13日1980年代Palli Parishad法案,国会で可決。
DIA-301-1989-06-13-2バングラデシュ1989年06月13日1980年代USISは2万人の米特別OP-1ビザのうちバングラデシュ人は4974人と発表した。
DIA-301-1989-06-14-1バングラデシュ1989年06月14日1980年代エルシャド大統領は教育機関,特に大学の治安悪化を懸念,これら教育機関を学問の場にするため強い態度で臨むと述べた。
DIA-301-1989-06-14-2バングラデシュ1989年06月14日1980年代アダムジー・ジュート工場の損失―独立来アダムジー工場は43億タカの損失を出しており,これは国有化ジュート工業全体の損失の約半分である。
DIA-301-1989-06-15-1バングラデシュ1989年06月15日1980年代1989/90年度予算案,国会に上程―ワヒドゥル・ハック蔵相は国会で1989/90年度の予算説明を行なった。経常収支の余剰分が減少,それを新規課税で補うとしている(詳細は「参考資料」参照)。
DIA-301-1989-06-15-2バングラデシュ1989年06月15日1980年代1988/89年度経済白書,発表―これによれば,経済成長率は2%以下に落ち込み,国際収支が大幅に悪化した。
DIA-301-1989-06-15-3バングラデシュ1989年06月15日1980年代野党は予算案に反発―BAL,BNP,5政党連合,JIなどはそれぞれ独自の集会とデモを行ない,予算案を「反人民的」として非難した。
DIA-301-1989-06-16-1バングラデシュ1989年06月16日1980年代ハック蔵相,記者会見―予算政策の基本目的は,生産を高め,雇用を拡大,社会的平等を達成することにあり,換言すれば成長と社会的公正という二つの目標を達成することにあると述べた。新規課税については,これが国民にとって払えない重荷ではないし,国の発展のためには国民が税を払わねばならないと述べた。
DIA-301-1989-06-16-2バングラデシュ1989年06月16日1980年代財界の反応―財界は新予算案を内資調達のためには必要で現実的としながら,しかし,公共料金の引き上げなどに懸念を表明した。
DIA-301-1989-06-19-1バングラデシュ1989年06月19日1980年代1988/89年度貿易赤字拡大―政府公式発表によれば,輸入は32億㌦,輸出は12.75億㌦で,17.55億㌦の赤字となり,前年度15.46億㌦よりも拡大した。海外送金は約8億㌦,債務返済は5.78億㌦(短期債務1.8442億㌦,中長期債務3.94億㌦)であった。輸出に対する債務返済率は45.5%,外貨収入全体に対するそれは23.1%となった。
DIA-301-1989-06-21-1バングラデシュ1989年06月21日1980年代予算反対運動で野党共闘に失敗―BALは予算反対のストを6月28日に設定,5政党連合に共闘を呼びかけたが5政党連合はこれを拒否した。一方BNPと7政党連合は5政党連合に共闘を持ちかけたがこれも進んでいない。野党間の対立,各党や学生運動内部の対立が反政府運動の力を弱めている。
DIA-301-1989-06-21-2バングラデシュ1989年06月21日1980年代チャクマ難民3000人が死亡―BBCによれば,インドのトリプラにあるチャクマ難民キャンプで過去3年間に3000人がマラリヤや下痢などの病気のため死亡した。現在,キャンプには1万4000人の難民が収容されているが,居住状況が悪く栄養・衛生状況も劣悪だという。
DIA-301-1989-06-21-3バングラデシュ1989年06月21日1980年代国内航空運賃,40%引き上げ―ダッカ-チッタゴンは片道790タカとなる。
DIA-301-1989-06-24-1バングラデシュ1989年06月24日1980年代BAL中央執行委員会,反政府運動の強化を決議―各県支部委員長,書記長など140人を集めて開かれた執行委員会は今後の反政府運動の強化を決議すると共に,BNPに対してはBNPがイデオロギー的にJPやJIと変らないとして共闘しない方針を固めた。
DIA-301-1989-06-25-1バングラデシュ1989年06月25日1980年代CHTの3県で県評議会選挙,実施―有権者数は約34万人,13の少数民族を含む。少数民族から議長と議員の3分の2が選出される。26日の発表では投票率は全体で60.6%,ランガマティ県では71.5%に達した。
DIA-301-1989-06-25-2バングラデシュ1989年06月25日1980年代チッタゴンの港湾労働者6000人,無期限スト―登録5労働組合すべてが参加したストで,港湾当局が1987/88年度にボーナス支払を約束しながら実行していないことに抗議したもの。ストの対象から食糧の荷揚げは除かれたが,その他の荷物はすべてストップ,沖待ちも含め,20隻の貨物船が影響を受けた。
DIA-301-1989-06-28-1バングラデシュ1989年06月28日1980年代公務員制度改革―政府はジア政権時代に作られたSenior Services Pool制の廃止を決定した。公務員試験を経て採用されたもの(BCS)には平等に昇級の機会を与えるべきであるとの考えから出たもので,副首相を委員長とする内閣小委員会が勧告した。
DIA-301-1989-06-28-2バングラデシュ1989年06月28日1980年代BALの呼びかけで全国半日スト―反人民的予算案に抗議し,専制政治に反対するためのストで,人力車の数も少なくなり交通機関はほぼストップ。BALと8政党連合はダッカ市で大規模な集会とデモを行なった。
DIA-301-1989-06-29-1バングラデシュ1989年06月29日1980年代1989/90,1990/91年度輸出政策,発表―商務相は今年度から単年度輸出政策に代わって2年度にわたる輸出政策を策定して発表した。基本戦略は輸出業者へのインセンティブ強化,玩具,エレクトロニクスなど非伝統的製品の輸出拡大,特に国産原料を使う輸出産業の育成などが中心。輸出目標は1989/90年度が466億タカ(14億5600万㌦)で,次年度は,さらに15%増を目指す。
DIA-301-1989-06-29-2バングラデシュ1989年06月29日1980年代1988/89年度輸出入―輸出は405億タカ(12.75億㌦),前年度比ドル・ベースで4%増。プロジェクト援助を除く輸入は705.156億タカであった。縫製品の輸出は4.65億㌦,1989/90年度には5.31億㌦が目標。
DIA-301-1989-06-29-3バングラデシュ1989年06月29日1980年代商務相,1989/90,1990/91年度輸入政策を発表―工業化の促進と必需消費財の供給確保を基本戦略にしたもので,国内産業を保護しつつ一層の輸入自由化を図っている。輸入額(プロジュクト援助を除く)目標は初年度のみで,総額836億タカ(26.125億㌦),このうち414.582億タカは民間部門,また商業輸入は231.3億タカ。
DIA-301-1989-06-29-4バングラデシュ1989年06月29日1980年代UNDPによれば,現在の地球温暖化が続くと今世紀末には海水位が1㍍上昇し,バングラデシュの土地の6分の1が水没,人口の4分の1が住む所を失い,モルディブ,セイシェルは国がなくなるという。
DIA-301-1989-06-30-1バングラデシュ1989年06月30日1980年代アラファト議長,訪バ(~31日)。
DIA-301-1989-07-01-1バングラデシュ1989年07月01日1980年代民主党(Bangladesh Democratic Party=BDP),設立―委員長はジヤマルッディン・アーメド元副首相。書記長はアブル・ハスナット元ダッカ市長。101人からなる常任委員会,15人からなる幹部会を設立。
DIA-301-1989-07-01-2バングラデシュ1989年07月01日1980年代チッタゴン丘陵地区の県評議会選挙結果―ランガマティ,バンダルバン,カグラチャリ3県評議会選挙結果が発表された。各県評議会メンバーは民族別代表となっている。ランガマティ県では,チャクマ族10人,マルマ(Marma)族4人,トンゴインガ(Tonghoinga)族2人,トリプラ族1人,ルシャイ(Lushai)族1人,パンクー(Pangkhu)族1人,ケヤン(Kheyang)族1人,ベンガル族10人。各評議会議長はDty. Ministerのステータスを与えられる。ランガマティ議長:G.Dewan,バンダルバン議長:Sa Chin,カグラチャリ議長:S.Kumar。
DIA-301-1989-07-01-3バングラデシュ1989年07月01日1980年代河川問題研究所(River Research Institute),設立(ファリドプール)―洪水防御と旱魃対策について調査研究する。
DIA-301-1989-07-01-4バングラデシュ1989年07月01日1980年代IDA,1億280万SDR(1億3360万㌦)の借款供与を承認―3ヵ年の洪水復興プロジェクトで,道路,橋,灌漑・排水路,学校,内水路交通,通信などの復興資金。
DIA-301-1989-07-01-5バングラデシュ1989年07月01日1980年代縫製労働者,最低賃金を要求―現在700工場を超える縫製工場に60万人(うち30万人は女性)が働いているが,賃金がほぼ月250タカ程度で,かつ雇用も安定的でないため。
DIA-301-1989-07-04-1バングラデシュ1989年07月04日1980年代公務員労働組合(SKOP),24時間スト―最低賃金を1400タカとする,物価手当60%支払い,民営化反対など5項目を掲げて決行した。国鉄は運行したが,内水路交通,バス,人力車はストップ,商店も店を閉めた。工業地帯の工場はほぼ閉められ,政府役所の出勤率も低かった。
DIA-301-1989-07-04-2バングラデシュ1989年07月04日1980年代フランス,100億㌦の洪水対策プロジェクトを作成―フランスが現地専門家の協力をえて作成した洪水対策プロジェクトは,基本的には20ヵ年計画,必要経費は100億㌦に達する。実施は五つのphaseに分けられ,初めは緊急phaseに当たるもので既存の治水設備の改修,拡充,主要都市の護岸工事が中心。
DIA-301-1989-07-06-1バングラデシュ1989年07月06日1980年代憲法第9次改正案,国会提出―アーメド首相は,(1)大統領は2期10年を超えないこと,(2)副大統領は直接選挙で選出すること,の2項目を含んだ憲法第9次改正案を国会に提出した。大統領,副大統領の選挙は同時に行なう。副大統領が死亡・辞職をしたときには,大統領が副大統領を任命するが,議会の承認を得なければならない。同改正案が通れば,エルシャド大統領(現在の任期は1991年10月5日まで)は次期大統領選挙に出馬してもう一期(96年10月5日まで)大統領の職務を担うことがでぎることになる。同改正案については,エルシャド大統領が6日朝JI議員団を集めて説明,その後直ちに首相提案という形で国会に提出するという形をとっており,JI指導者の多くも寝耳に水とおどろいている。
DIA-301-1989-07-06-2バングラデシュ1989年07月06日1980年代1989/90年度予算,国会通過。
DIA-301-1989-07-07-1バングラデシュ1989年07月07日1980年代野党,憲法第9次改正案を非難―BNPは「憲法改正は現政府の延命をねらったもの。もともと不法に権力をもっている現政府に憲法を改正する権利はない」と非難。BALは「憲法改正は国民のためでも民主主義のためでもない。エルシャド政権の辞任と自由・公正な選挙の実施が国民の要求だ」と非難。
DIA-301-1989-07-07-2バングラデシュ1989年07月07日1980年代バングラデシュ外相,訪印(~8日)―ナラシマ・ラオ外相と会談,SAARC閣僚会議の早期実現にむけて努力することで合意した。
DIA-301-1989-07-09-1バングラデシュ1989年07月09日1980年代ジャムナ橋問題―国会の北西部バングラ出身議員47人(うち閣僚6人)は声明を発表,北西部の人々のみならず国全体の経済発展のためにもジャムナ橋は必要であり,これに反対の経済学者・インテリに抗議した。
DIA-301-1989-07-10-1バングラデシュ1989年07月10日1980年代国会,憲法第9次改正案を満場一致で可決―投票総数は272,全員賛成。ただし一部野党は投票に参加せず。
DIA-301-1989-07-10-2バングラデシュ1989年07月10日1980年代エルシャド大統領,パリへ出発(~16日)―フランス革命200年祭に出席のため。パリではミッテラン大統領主催の低開発国サミットに出席,その後インドのガンジー首相,パキスタンのベーナジール首相らと個別に会談した。
DIA-301-1989-07-18-1バングラデシュ1989年07月18日1980年代環境省を新設―政府は農林水産省を改組・農水省と環境森林省に分けることを決めた。
DIA-301-1989-07-22-1バングラデシュ1989年07月22日1980年代ADB,ジャムナ多目的橋への資金協力を支持―藤岡ADB総裁が訪バ,記者会見で「ジャムナ多目的橋は重要なプロジェクトであり,経済的にも効果が大きいと思う」とのべた。
DIA-301-1989-07-24-1バングラデシュ1989年07月24日1980年代弁護士,法廷ボイコット―Court Act,1989に反対したもので,最高裁弁護士協会,ダッカ弁護士協会,ダッカ首都弁護士協会の共闘。また市内をデモ行進,「法による統治」を訴えた。憲法学者でBAL指導者でもあるカマル・フセインは集会で演説,現政権は以前のパキスタン政治家の道を歩んでいると批判した。
DIA-301-1989-07-24-2バングラデシュ1989年07月24日1980年代中央銀行労働者,デモ―医療設備の再開,住宅ローンの利子率引き下げ(10.75%から以前のように4%に),中銀スタッフへの別個の賃金表の適用を求めて。
DIA-301-1989-07-24-3バングラデシュ1989年07月24日1980年代輸送労働者,デモ-B.Sarak Paribahan Samity(退空軍少将Aminul Islam委員長)が呼びかけたもので,政府とSamityとの同意事項の即時実施と自動車部品に新たに課された税,手数料,消費税の撤廃を求めて。
DIA-301-1989-07-24-4バングラデシュ1989年07月24日1980年代PL480タイトルⅢAgricultural Commodities Agreement,改定―米が3500万㌦の食糧(小麦1800万㌦,米1000万㌦,綿花700万㌦)を供与する。これによりバングラデシュは米国から総額8000万㌦の食糧供給を受ける。
DIA-301-1989-07-24-5バングラデシュ1989年07月24日1980年代皮革輸出促進評議会設立―1988/89年度の皮革輸出目標42.9億タカを実現するため。
DIA-301-1989-07-25-1バングラデシュ1989年07月25日1980年代洪水予報・警報局,近く設立―水資源開発局(BWDB)は近く洪水予報・警報局をダッカに設立,ラングプール,モールヴィ・バザール,チッタゴンにサブセンターを設立すると発表した。
DIA-301-1989-07-25-2バングラデシュ1989年07月25日1980年代ダッカ大学当局,学生に学生証保持を義務付け。学生証を持たない者は大学,寮への入校を禁止する。大学は7月28日に再開される予定。
DIA-301-1989-07-26-1バングラデシュ1989年07月26日1980年代ダッカ大学学生組織22団体の代表,副学長と会談―大学構内の治安確保について協議した。
DIA-301-1989-07-26-2バングラデシュ1989年07月26日1980年代外務省,省内へのジャーナリストの立入りを禁止。
DIA-301-1989-07-26-3バングラデシュ1989年07月26日1980年代シャンティ・バヒニ,チッタゴンでテロ,6人死亡,8人負傷。
DIA-301-1989-07-28-1バングラデシュ1989年07月28日1980年代チャクマ難民324人(65家族)CHTに帰国。
DIA-301-1989-07-28-2バングラデシュ1989年07月28日1980年代B.Workers Federation傘下の労組50,BDPに加入。
DIA-301-1989-07-28-3バングラデシュ1989年07月28日1980年代Sarboharaメンバー451人を逮捕(89年6月から追放運動を始めた)。
DIA-301-1989-07-29-1バングラデシュ1989年07月29日1980年代内務省,ダッカの治安状況を検討―内相M.Hasan(退・少将)が議長。警察長官A.R.Khandoker,ダッカ首都警察長官Nasrullah Khan,内務省次官らが出席して,ダッカ首都圏の治安確保について討議した。
DIA-301-1989-07-30-1バングラデシュ1989年07月30日1980年代バングラ・パキスタン合同経済委員会開催―経済問題および貿易に関する二つの委員会設立合意。パキスタン代表(11人)はバングラデシュとの貿易の拡大,合弁企業の設立,パが供与した5000万㌦の借款の利用促進を呼びかけた。
DIA-301-1989-07-30-2バングラデシュ1989年07月30日1980年代チッタゴンで森林開発公団職員1人がシャンティ・ビヒニに誘拐され,50万タカの身代金を要求されている。
DIA-301-1989-07-30-3バングラデシュ1989年07月30日1980年代日本と三つの贈与に関する覚書きに調印―総額11.414億タカで,内訳は,(1)K.R.食糧援助2.934億タカ(タイから米,米国から小麦を輸入),(2)メグナ橋建設プロジェクトに4.37億タカ,(3)ダッカWASA(上下水道局)のプロジェクト。
DIA-301-1989-07-30-4バングラデシュ1989年07月30日1980年代ダッカ輸出加工区の開設は1991年央―すでにサバールに141エーカーの土地は確保しており,ここに84の工場を建設する計画で,うち40はハイテク・エレクトロニクス,電気製品工業を予定。15は皮革加工業,10は特種繊維工業,20はハイテク機械工業。5は宝飾加工。この他クルナに第3の輸出加工区設立が決められた。
DIA-301-1989-08-01-1バングラデシュ1989年08月01日1980年代鉄道料金引き上げ―エアコン車,1等車の運賃は15%,2等車は5%引き上げられ,貨物運賃は20%引き上げられる。鉄道予算の赤字が1982年の5億タカから17.5億タカに増加したため。運賃引き上げは国会でも討議されておらず,野党から強い批判を受けている。
DIA-301-1989-08-01-2バングラデシュ1989年08月01日1980年代裁判官の給与引き上げ―89年7月1日にさかのぼって施行されるもので,Chief Justiceの給与は月7000タカから8500タカに,高裁裁判官の給与は月6500タカから7750タカに,ほかに諸手当も3000タカから6000タカに引き上げられる。
DIA-301-1989-08-02-1バングラデシュ1989年08月02日1980年代バ外相,ブータン訪問―SAARC外相会議開催について協議するため。
DIA-301-1989-08-02-2バングラデシュ1989年08月02日1980年代日本,バングラから5160万タカの縫製品輸入―JETRO主催の見本市での商談。
DIA-301-1989-08-05-1バングラデシュ1989年08月05日1980年代公社等労働者,勤務時間の変更に反対―ダッカの政府機関・公社など50事業所の労働者2万人は,勤務時間が午前7:30~午後2:00から午前10:00~午後5:00,と変更されたことに反対,従来どおりの勤務時間で働いている。反対理由は,低所得労働者は生活の糧を得るため午後2時以降他の仕事をもっているため。
DIA-301-1989-08-06-1バングラデシュ1989年08月06日1980年代環境森林省の組織―従来農林水産省の下にあったDept.of Environment and Pollution ControlはDept. of Environmentに改名,新省の傘下に入る。またForest Dept.およびForest Ind.Dev.Corporation(FIDC)も新省下に。
DIA-301-1989-08-07-1バングラデシュ1989年08月07日1980年代ダッカ大学教師連合(DUTA),スト呼びかけ―当局が不法に経営学部長にA.Mannan Chowdhury教授を任命したことに反発,任命の取り消しとMainul Islam教授の学部長任命を要求して,ストを呼びかけた。同時にこうした任命を行なった副学長Abdul Mannanに対して辞任を要求した。
DIA-301-1989-08-07-2バングラデシュ1989年08月07日1980年代チッタゴン・ジャーナリスト同盟(CUJ),でも―物価手当50%引き上げ,住宅借上げ40%引き上げなどを要求。
DIA-301-1989-08-08-1バングラデシュ1989年08月08日1980年代イスラム諸国会議(OIC),食糧銀行設立を討議―46メンバーのなかから参加国をつのり,各国が消費量の1%をOIC食糧銀行リザーブとして保管,必要に応じて食糧不足国に貸し付ける制度で,不足国は食糧事情が改善したところで,借りた食糧を返済する。これにはイスラム開発銀行(IDB)も参加を約束している。
DIA-301-1989-08-09-1バングラデシュ1989年08月09日1980年代海軍総参謀長Sultan Ahmed中将,8月15日に退役年齢に達するが,任期を1年延期。
DIA-301-1989-08-11-1バングラデシュ1989年08月11日1980年代BAL党首の自宅襲撃―8月10日深夜,BALハシナ委員長が自宅で組織委員会を開催中,武装した数人が自動三輪車で乗りつけ,家に向かって銃を発砲,手りゅう弾を投げ込んだ。負傷者なし。警備の警官の発砲で犯人は逃亡した。8月11日には各地でBALの抗議集会,デモがもたれ,市内で車22台がこわされ,あるいは焼きうちされた。BALはこの事件に関し,自由党を非難している。
DIA-301-1989-08-11-2バングラデシュ1989年08月11日1980年代自由党,BAL党首襲撃事件への関与を否定―ファルーク委員長はBALの非難を事実無根と否定,「BALは国内にトラブルを起こそうとしており,そのための自作自演だ」と述べた。
DIA-301-1989-08-12-1バングラデシュ1989年08月12日1980年代副大統領にアーメド首相を任命―大統領は第9次憲法改定に基づき,副大統領にマウドゥド・アーメド首相を任命,新首相に副首相の一人ガジ・ザファール・アーメドを任命した。これまでの副大統領ヌールル・イスラム判事は解任(国連代表部に転任との噂ある)。新副大統領は工業相を,新首相は情報相を兼任。ガジ・ザファール新首相任命により,同氏よリシニアのアブドル・マティン,シャー・モアッザム・ホセイン両副首相の処遇が問題となる。マティン氏は国会議長就任要請を断わった。大統領はもう一段の内閣改造を考えていると言われ,元首相のミザヌール・チョードリを政治顧問(副大統領のランク)に任命する模様。
DIA-301-1989-08-12-2バングラデシュ1989年08月12日1980年代ハシナBAL委員長,テロと陰謀の政治と闘うよう党員に訴え。
DIA-301-1989-08-12-3バングラデシュ1989年08月12日1980年代ファルーク自由党委員長,ハシナ邸襲撃事件を「仕組まれたゲーム」と非難。「警察もAL活動家もハシナ邸を警護しており,彼らと犯人とで8~10分銃撃戦をしているのに負傷者が一人もいない,というのはありえないことだ」と述べた。
DIA-301-1989-08-14-1バングラデシュ1989年08月14日1980年代エルシャド大統領,イラク訪問(~16日)―直ちにサダム・フセイン大統領と会談。15日にはバスラなど視察。
DIA-301-1989-08-14-2バングラデシュ1989年08月14日1980年代公務員・公社職員などの給与委員会,設置―委員長はK.Mahmud(元次官),メンバーは元大使,軍人など。1年以内に給与に関する勧告を提出する。
DIA-301-1989-08-14-3バングラデシュ1989年08月14日1980年代M・A・マーチン副首相,辞任―マーチンの辞任は大統領が首相にガジ・ザファールを任命したことに抗議したものと見られる。
DIA-301-1989-08-18-1バングラデシュ1989年08月18日1980年代労働者の待遇改善パッケージ―エルシャド大統領は労働者の要求に応え,物価手当10%増,ボーナスを1ヵ月から2ヵ月分に増加,1年間の昇級短縮などを含む待遇改善のパッケージを発表した。
DIA-301-1989-08-18-2バングラデシュ1989年08月18日1980年代イスラム原理主義者グループ,統一について協議―イスラム協会(JI)など原理主義者7グループは統一組織を作ることについての協議を始めた。
DIA-301-1989-08-19-1バングラデシュ1989年08月19日1980年代運輸労働者,無期限スト―運輸労働者組合は賃金・手当の増額,労働条件の改善など11項目要求を掲げ,無期限ストに突入した。このため,ダッカ市内の交通手段としては人力車だけとなった。
DIA-301-1989-08-20-1バングラデシュ1989年08月20日1980年代閣議,銀行貸付金未返済者のための特別法廷設置を決定。
DIA-301-1989-08-23-1バングラデシュ1989年08月23日1980年代エルシャド大統領はCHTの反政府ゲリラ,シャンティ・バヒニに対し再び投降を呼びかけ,9月30日までに銃をもって投降した場合,これまでの罪は一切問わないと発表した。
DIA-301-1989-08-24-1バングラデシュ1989年08月24日1980年代1988/89年度のジュート輸出目標は230万ペイル,ジュート製品輸出目標は55万㌧。88年7月から89年1月までの輸出は67万ペイル,23.1万㌧で不調。
DIA-301-1989-08-26-1バングラデシュ1989年08月26日1980年代内閣改造―副大統領は工業相に加えて法務相も兼務,保健・家族計画相にDr.Azizur Rahmanを任命。
DIA-301-1989-08-26-2バングラデシュ1989年08月26日1980年代国営企業の資機材調達規則改定―国営企業の機械,部品など調達を可能なかぎり国産品にするよう規則が改定された。これは外貨節約とともに,これらを生産する小規模工業の育成を狙ったもので,BSCICが仲介して国営企業と小規模工業とが下請け契約を締結する。
DIA-301-1989-08-26-3バングラデシュ1989年08月26日1980年代電話料金,引き下げ―1通話料金は7月から2.5タカに引き上げられたが,これを9月から1.7タカに引き下げる。国内のテレックス料金も1分15タカに引き下げ。
DIA-301-1989-08-27-1バングラデシュ1989年08月27日1980年代ダッカ市職員12万人,無期限スト―賃上げ,労働条件改善,年金制度導入,2万5000人の臨時職員の正職員化など12項目の要求を主張して。
DIA-301-1989-08-27-2バングラデシュ1989年08月27日1980年代ジュート価格,下落―農家庭先価格は1モーンド100~150タカ,昨年の275タカの半分に下がっている。ジュート取引業者が資金不足で買上げを控えているため。
DIA-301-1989-09-01-1バングラデシュ1989年09月01日1980年代ダッカ大学で爆発事件―BNP系とBAL系学生組織との衝突で。
DIA-301-1989-09-01-2バングラデシュ1989年09月01日1980年代民族アワミ党(NAP),分裂―ムザッファール委員長派とアルタフ・ホセイン派に。NAPは過去3回分裂,1987年4月に再統一したが,委員長が再統一の条件であった集団指導制を認めず,再び袂を分かったもの。
DIA-301-1989-09-02-1バングラデシュ1989年09月02日1980年代最高裁,第8次憲法改正に違憲判決―第8次憲法改正はイスラムの国教化とダッカだけにしかない高裁をチッタゴンなど6ヵ所に分割することを決めたものであったが,最高裁はこのうち高裁の分割について違憲との判決を下した。野党はほぼこの判決を歓迎,与党は「これで司法権の独立が証明された」とコメント。
DIA-301-1989-09-02-2バングラデシュ1989年09月02日1980年代BNP,設立11周年記念集会―ハレダ委員長が演説,BNPが国民と国家の利益のために闘かってきたことを強調,名指しは避けながらもBALが他の国(インド)のために活動していると批判した。
DIA-301-1989-09-03-1バングラデシュ1989年09月03日1980年代エルシャド大統領,非同盟諸国首脳会議出席のためベオグラードを訪問(~8日)。
DIA-301-1989-09-03-2バングラデシュ1989年09月03日1980年代BALと8政党連合による6時間スト―ハシナBAL委員長宅襲撃事件に抗議して。
DIA-301-1989-09-04-1バングラデシュ1989年09月04日1980年代国家洪水対策委員会,初会合―首相を議長とした27人のメンバーからなる委員会はその初会合を開き,これまでの洪水防御活動を検討した。
DIA-301-1989-09-05-1バングラデシュ1989年09月05日1980年代バングラデシュ共産党(CPB),内部対立―左派のアハサン・カーンが路線対立から離党,分裂の危機を迎えている。対立点は8政党連合におけるCPBの役割,ソ連の新政策の評価,反政府運動の進めかた,BNPとの共闘などを巡るもので,カーンはCPBの強硬路線を代表する。
DIA-301-1989-09-06-1バングラデシュ1989年09月06日1980年代ダッカ大学シンジケート,学内の治安悪化で緊急会議。BAL系とBNP系の学生組職に,JI系学生組織も加わって三つ巴の対立抗争を繰り広げているため。
DIA-301-1989-09-06-2バングラデシュ1989年09月06日1980年代第4次5ヵ年計画の成長率目標は6%―第3次計画は投資が目標より30%少なく,成長率も目標5.2%のところ3%程度のため,計画委員会は第4次計画の成長率目標を6%に設定するもようである。計画相によれば,第4次計画では農村の労働機会創出,食糧自給の達成,民間投資の促進に重点を置ぎ,ウポジラを成長センターにするような計画を作る。
DIA-301-1989-09-08-1バングラデシュ1989年09月08日1980年代エルシャド大統領は非同盟諸国首脳会議から帰国,同会議がバングラデシュの洪水問題解決に協力を約束したと述べた。
DIA-301-1989-09-08-2バングラデシュ1989年09月08日1980年代選挙人名簿改正―選挙管理委員長は全国放送で選挙人名簿改正に当たって国民の協力を訴えた。改正は1972年以来4度目で,90年2月15日までに完成する。名簿に登録しうる条件は,89年1月1日現在18歳以上のバングラデシュ市民であり,登録する地域に居住している,あるいは法的に居住していると見られる者。選挙人名簿は10月16日までにドラフトが作られて供覧,同月31日までに修正を受けつける。
DIA-301-1989-09-09-1バングラデシュ1989年09月09日1980年代バングラデシュ・インド貿易交渉,ダッカで開始―インド商務担当相が訪バ,サッタル商務相と会談した。バングラデシュはインドとの貿易赤字縮小のため,TCBとインド政府のSTC,民間業者との間で貿易協定(STA)を結ぶこと,両国商工会議所の定期協議,展示会開催などを提案した。10日,現行貿易協定を89年10月4日から3年間延長することで合意した。
DIA-301-1989-09-13-1バングラデシュ1989年09月13日1980年代メグナ紡績工場の経営者が数日前解雇した工場労働者に殺害さる。
DIA-301-1989-09-13-2バングラデシュ1989年09月13日1980年代ベラヤチ・イラン外相,訪バ(~15日)―革命後イランからの初めての外相訪問で,バ外相が昨年12月に訪問した答礼。一行12人は14日マームド外相らと会談,バングラデシユ・イラン合同閣僚会議の設立に合意した。同日エルシャド大統領とも会談した。
DIA-301-1989-09-13-3バングラデシュ1989年09月13日1980年代農民運動指導者Alauddin Ahmedと前MPのA.Bari SarkarがBNPに入党した。
DIA-301-1989-09-15-1バングラデシュ1989年09月15日1980年代JP,学生組織の再興を検討―JPは学生間の対立を避けるため,1987年に一方的にJP系学生組織,Jatiya Chhatra Samajiを解散したが,その後も事態の改善はなく,教育機関の安定のためには与党系学生組織が必要と判断したもよう。
DIA-301-1989-09-15-2バングラデシュ1989年09月15日1980年代政府は公務員が外国援助によるNGOに参加することを禁止。公務員の妻も外国大使館や外国機関に勤務することを禁止される。国際機関は事前に許可をとる。公務員はまた,自らの名前で貿易やその他の事業をしたり,雇用されてはならない。
DIA-301-1989-09-17-1バングラデシュ1989年09月17日1980年代半日スト―BNP系のSangrami Chhatra Joteが呼びかけたもので,政治犯の釈放,現政権の退陣など11項目を要求。各地でJote支持者と警察が衝突。
DIA-301-1989-09-17-2バングラデシュ1989年09月17日1980年代グラミーン銀行,完全民営化―政府は1983年のGrameen Bank Ordinanceを改正,民間銀行として運営することに決めた。現在資本の75%は資金の借り入れ者が,25%は政府がもっている。
DIA-301-1989-09-18-1バングラデシュ1989年09月18日1980年代ダッカ大学構内で撃ち合い―BNP系学生組織JCDが分裂し,対立する2派の間で撃ち合いが行なわれたもの。大学当局はBNPに対し「テロリストを直ちに大学から引き上げるように」要求した。JCDの内紛を解決するためBNPはJCDの執行委員会を解散したばかり。
DIA-301-1989-09-18-2バングラデシュ1989年09月18日1980年代BALと8政党連合,新行動計画を策定―独裁政治反対運動を強化し,大衆運動を高揚させるため。ただし新計画ではハルタルを除いている。度重なるハルタルは効果的ではないとの判断から。
DIA-301-1989-09-18-3バングラデシュ1989年09月18日1980年代エルシャド夫人,訪中―5日間の公式訪問。
DIA-301-1989-09-20-1バングラデシュ1989年09月20日1980年代ダッカ大学の6学生僚,家宅捜索―早朝,警察は6学生寮を急襲,家宅捜索をして武器,弾薬多数を押収,JCD系学生を中心に74人を逮捕した。うち40人は釈放され,34人は拘禁された。
DIA-301-1989-09-20-2バングラデシュ1989年09月20日1980年代ネパール貿易代表団,訪バ―バングラデシュ民間資本に合併企業設立を呼びかけた。
DIA-301-1989-09-20-3バングラデシュ1989年09月20日1980年代エネルギー相はバングラデシュの天然ガス確認埋蔵量が14.14trillion cft.あり,現在の使用量4.7億cft./日から見て,今後80年,枯渇の心配はないと述べた。
DIA-301-1989-09-21-1バングラデシュ1989年09月21日1980年代ダッカ大学事件で緊急閣議―アーメド首相が主催,すべての教育機関から武器・弾薬を一掃することを検討し,構内に派出所を設置するよう決定,大学の自治権を守るため,大学当局の協力を要請した。一方,主要野党は今回の学生寮家宅捜索をやむをえない措置としながらも,政府が学生の政治的役割について国民の不信を高め,反政府運動をやり難くするために学生組織の対立をあおり,武器持ち込みを黙認したのではないかと警戒している。
DIA-301-1989-09-21-2バングラデシュ1989年09月21日1980年代Food for Works Programme(FWP)の監督機関設立―政府は各県にFWP監督機関を設立,県出身MP県議会議長,県知事などがFWPの立案,実施,評価を行なうことを決めた。また全国レベルはFWP調整委員会を作ること,労賃を15%引き上げることも決定した。1988年はFWPに小麦170万㌧が支出されている。
DIA-301-1989-09-24-1バングラデシュ1989年09月24日1980年代エルシャド大統領は軍指導部と陸軍組織改革について協議。
DIA-301-1989-09-24-2バングラデシュ1989年09月24日1980年代国家人口抑制評議会,設立―エルシャド大統領が議長に就任した。
DIA-301-1989-09-27-1バングラデシュ1989年09月27日1980年代公務員組合,半日スト。
DIA-301-1989-09-27-2バングラデシュ1989年09月27日1980年代縫製品対米輸出交渉,結論持ち越し―バングラデシュはダッカでの交渉で米国に対し輸入割り当ての引き上げ,特定品目への輸入規制解除を要求したが米国は割り当ての35.5%増しか認めず,結論を次回米国での会談に持ち越した。縫製工場は7万3230人が働き,うち90%は女性。
DIA-301-1989-09-29-1バングラデシュ1989年09月29日1980年代アーメド首相は5日間のネパール訪問を終えて帰国,両国関係の強化に満足の意を表した。また両国が貿易協定に調印したことも明らかにした。
DIA-301-1989-09-30-1バングラデシュ1989年09月30日1980年代ウポジラ議長3人,解任―いずれも汚職容疑で告訴されたため。
DIA-301-1989-10-01-1バングラデシュ1989年10月01日1980年代パキスタンのベーナジール・ブット首相訪バ。
DIA-301-1989-10-01-2バングラデシュ1989年10月01日1980年代第9次憲法改正法案,大統領の承認を経て本日より有効―大統領並びに副大統領の就任期間を2期(1期は5年)に限定,また副大統領の選出を直接選挙とする。現副大統領Moudud Ahmedの任期は,大統領の任期満了に当たる1991年10月まで。
DIA-301-1989-10-01-3バングラデシュ1989年10月01日1980年代有権者リスト草案公表さる。
DIA-301-1989-10-02-1バングラデシュ1989年10月02日1980年代大統領,ブット首相と公式会談―文化交流に関する議定書調印。
DIA-301-1989-10-02-2バングラデシュ1989年10月02日1980年代福田元日本首相訪バ。
DIA-301-1989-10-03-1バングラデシュ1989年10月03日1980年代ブット首相離バ―相互利益のために二国間協力の拡大をうたった共同声明を発表。またバングラデシュ独立以来の懸案事項である資産,負債の分割問題については解決方法を見いだすための会議開催で合意。
DIA-301-1989-10-03-2バングラデシュ1989年10月03日1980年代Col.(退役)Abdul Malekダッカ自治体行政官(国会議員),繊維相に就任。
DIA-301-1989-10-03-3バングラデシュ1989年10月03日1980年代バダルプラに英国企業との合弁で民間によるセメント工場建設の見込み―総工費5億タカ,日産1000㌧を見込む。生産開始は1991年上半期を予定。
DIA-301-1989-10-04-1バングラデシュ1989年10月04日1980年代福田元首相,『バングラデシュ・オブザーバー』紙のインタビューで,バングラデシュにおける投資環境が引きつづき改善されれば,日本からの投資は増すだろうと語った。また,東京銀行が日本の銀行としては初めてダッカに駐在員事務所を開設すると述べた。
DIA-301-1989-10-04-2バングラデシュ1989年10月04日1980年代Mahbubur Rahmanジュート相,バングラデシュとインドは国際市場におけるジュート製品のマーケティングに関して共同戦線をとることで合意したと語る。
DIA-301-1989-10-06-1バングラデシュ1989年10月06日1980年代警察がダッカ大学の学生寮を家宅捜査―61人を逮捕。大量の武器を押収。
DIA-301-1989-10-06-2バングラデシュ1989年10月06日1980年代過去4年間に,家賃は年平均48%上昇―バングラデシュ消費者連合(CAB)の調査によれば,最も家賃の値上がりが激しいのはスラムで168%。
DIA-301-1989-10-06-3バングラデシュ1989年10月06日1980年代日本の企業3社の出資による100%外資の釣具,ゴルフ用品製造工場,チッタゴン輸出加工区に建設の見込み。
DIA-301-1989-10-07-1バングラデシュ1989年10月07日1980年代大統領は大学副学長月例会議の席上,1972年大学条例の見直しを指示。
DIA-301-1989-10-07-2バングラデシュ1989年10月07日1980年代SAARC新事務総長にインドのK.K.Bhargava元モーリシャス大使が就任―現職のバングラデシュのAbdul Ahsanの任期は10月15日で終了。
DIA-301-1989-10-07-3バングラデシュ1989年10月07日1980年代ウポジラ・レベルの電話民営化―Bangladesh Rural Telecom Authority Private Ltd.,電報電話局との契約締結。ウポジラの電話システムに関する事業全てを請負う。
DIA-301-1989-10-08-1バングラデシュ1989年10月08日1980年代人力車,8時間のストライキ―ダッカ・メトロポリタン人力車引き・所有者連合協議会が全ての道路を人力車に対して開放することなどを要求して実施。
DIA-301-1989-10-09-1バングラデシュ1989年10月09日1980年代大統領フィリピンを公式訪問―歓迎晩餐会の席上で大統領は二国間並びにSAARC・ASEAN関係強化を求める。
DIA-301-1989-10-09-2バングラデシュ1989年10月09日1980年代ジャムナ橋のフィージビリティ調査報告書,経済活性化に対する貢献を強調。
DIA-301-1989-10-10-1バングラデシュ1989年10月10日1980年代バ・比,貿易,経済,技術協力,海運,文化交流の分野における協力に関する4協定を締結。さらに合同経済委員会の設置に合意。
DIA-301-1989-10-10-2バングラデシュ1989年10月10日1980年代米国のJohn H.Kelly国務次官補(近東・アジア担当)が訪バ。
DIA-301-1989-10-11-1バングラデシュ1989年10月11日1980年代Kelly米国務次官補,野党リーダーと会見―BNPのハレダ・ジア総裁,BALのカマル・フセインらと個別に会見し米国は民主的制度を望んでいると伝える。
DIA-301-1989-10-11-2バングラデシュ1989年10月11日1980年代第8次憲法改正に関する最高裁判決文公開さる。
DIA-301-1989-10-11-3バングラデシュ1989年10月11日1980年代インド政府は,バングラデシュからのジュート輸入を解禁。
DIA-301-1989-10-12-1バングラデシュ1989年10月12日1980年代バ・比共同声明―対外債務の増大,一次産品市況の低迷等発展途上国の抱える問題に対する総合的,世界的なアプローチを求める。大統領帰国。
DIA-301-1989-10-13-1バングラデシュ1989年10月13日1980年代ダッカ・ミルプール地区のスラムが放火され,子供6人を含む8人が焼死。約1500人が住む小屋250軒が焼失。
DIA-301-1989-10-15-1バングラデシュ1989年10月15日1980年代ムガベジ・ンバブエ大統領訪バ。
DIA-301-1989-10-17-1バングラデシュ1989年10月17日1980年代労働者・被雇用者連合協議会の呼びかけによる48時間ストライキ開始。
DIA-301-1989-10-17-2バングラデシュ1989年10月17日1980年代大統領,英連邦首脳会議出席のためマレーシア訪問。
DIA-301-1989-10-18-1バングラデシュ1989年10月18日1980年代BCIC,BADCに対する尿素肥料供給割当を削減―未納代金13億4000万タカが支払われていないため。
DIA-301-1989-10-19-1バングラデシュ1989年10月19日1980年代オードリー・ヘップバーン,UNICEFの特命大使として訪バ。
DIA-301-1989-10-22-1バングラデシュ1989年10月22日1980年代バ・中国,ブラーマプトラ川の洪水防御についての技術的調査に関する契約締結。
DIA-301-1989-10-27-1バングラデシュ1989年10月27日1980年代第5回バ・中合同経済委員会会議開始(北京)。
DIA-301-1989-10-30-1バングラデシュ1989年10月30日1980年代中等教育終了検定試験(HSC)の結果公表さる―受験者31万5889人の内合格率は24.84%の7万8452人。
DIA-301-1989-11-02-1バングラデシュ1989年11月02日1980年代一部野党,統一行動を協議―BNP中心の7政党連合,左派の5政党連合,共産主義連盟,Oikya Prokriaの代表が会談,民主勢力による統一行動の可能性について協議した。会談はBangladesh Samajitantrik Dal(BSD)の事務所で開かれた。
DIA-301-1989-11-04-1バングラデシュ1989年11月04日1980年代人権委員会,自由・公正な選挙の13条件―バングラデシュ人権委員会(Bangladesh Society for the Enforcement Human Rights=BSEHR)のフダ会長は現政府の下での自由,公正な選挙実施は可能であるとして,そのための13項目の条件を発表した。フダ会長はBNPの顧間であることから,こうした提案は注目されている。13項目とは,不法に所持している武器の回収,主要野党の参加,十分な警戒体制,投票所の監視官任命,投票時身分証明書の提示義務化,選挙委員会の改組・中立化,候補者代理人の前で開票,選挙最終結果の発表など。
DIA-301-1989-11-04-2バングラデシュ1989年11月04日1980年代新フリゲート艦,配備―ミサイル搭載の最新フリゲート鑑BNS Osman号で,45km以内の目標物を攻撃できる。中国援助。
DIA-301-1989-11-05-1バングラデシュ1989年11月05日1980年代全国スト―BNPの7政党連合,5政党連合,ムスリム連盟(マティン派),同(ユースフ派),民主連盟などが別々に呼びかけたもので,現政府の辞任と公正な選挙を求めて。ダッカだけで114人が逮捕,50人が負傷。
DIA-301-1989-11-06-1バングラデシュ1989年11月06日1980年代ガンジス河水位低下―ガンジス河の流水量は1万4000cusecで去年同期3万3000cusecの半分以下となっている。このため土中の塩分は南西部21県で40%も高くなり,1200万エーカーが耕作不能となった。
DIA-301-1989-11-08-1バングラデシュ1989年11月08日1980年代新聞業界労働者のための賃金委員会設立―議長は高等裁判所前判事で,委員の12人は社主,記者,その他雇用者の代表からなる。
DIA-301-1989-11-10-1バングラデシュ1989年11月10日1980年代「ダッカ包囲の日」記念日。野党統一行動とれず。
DIA-301-1989-11-12-1バングラデシュ1989年11月12日1980年代BAL青年組織結成17年記念集会で15発の爆発物が投げ込まれ,3人が負傷した。
DIA-301-1989-11-13-1バングラデシュ1989年11月13日1980年代ジャムナ肥料工場完礎式―エルシャド大統領が出席,ジャムナ工場は工業化の促進のための一歩となろうと述べた。工場の完成は1991年12月の予定で,生産能力は尿素肥料一日1700㌧。総工費114億6530万タカ,うち内貨分は25億8000万タカ。外貨分は日本援助。
DIA-301-1989-11-14-1バングラデシュ1989年11月14日1980年代大統領,労使関係改正法1989年を公布。
DIA-301-1989-11-14-2バングラデシュ1989年11月14日1980年代内閣改造―Syeda Razia Faizを婦人問題相に,Al-Haj Md.Mansoor Ali Sarkarを教育担当国務相に起用した。これまで婦人問題・社会福祉相であったR.Huq Chowdhuryは社会福祉相だけを担当し,教育担当相のNitai Roy Chowdhuryは法律担当国務相に横すべり。
DIA-301-1989-11-14-3バングラデシュ1989年11月14日1980年代International Jute Council(IJOの執行機関)の第12回会議がダッカで開催された。会議には5輸出国,67輸入国,国際機関代表が参加した。
DIA-301-1989-11-17-1バングラデシュ1989年11月17日1980年代中国の李鵬首相,訪バ(~19日)―南アジア3ヵ国歴訪の一環としてパキスタンから来訪,ネパールを訪問して帰国する。中国首相の訪問は独立以来初めてのことで,空港にはエルシャド大統領夫妻が出迎えた。17日夜,大統領主催の歓迎晩餐会が開催され,18日にはブリガンガ川のクルーズをしながら公式会談を行ない,その後4協定に調印。(1)公式訪問時のビザを免除,(2)中国元5000万元(1400万㌦)のソフトローン(5ヵ年間で供与,20年返済),(3)バングラデシュから尿素肥料12万㌧を,現金ベースで輸出,(4)1990年から5年間の新貿易協定。二国間関係では両国の軍事協力問題,航空機の相互乗り入れ問題等についても話し合われた。
DIA-301-1989-11-17-2バングラデシュ1989年11月17日1980年代バングラデシュと中国政府は北京でチッタゴンに火力発電所建設協力協定に調印。発電能力は21万kW。
DIA-301-1989-11-20-1バングラデシュ1989年11月20日1980年代与党JP,ダッカでゼネスト反対の50万人集会とデモ―エルシャド大統領・JP総裁が演説,野党勢力が「ハルタルの政治」を繰り返しているため,彼等は国民から孤立してしまった,と述べた。
DIA-301-1989-11-22-1バングラデシュ1989年11月22日1980年代イスラム諸国商工会議所事務局会議,開催―バ商工会護所連盟(FBCIC)が主催したもの。
DIA-301-1989-11-22-2バングラデシュ1989年11月22日1980年代NAP(ムザッファール派)委員長は大衆集会で,ハルタルをあまり頻繁に使わないよう他の野党に呼びかけた。
DIA-301-1989-11-23-1バングラデシュ1989年11月23日1980年代バングラデシュ・ネパール合同洪水防御研究チームはダッカでの会議を終え,6項目からなる提案をまとめた。内容は洪水予測,水管理の調査・訓練の継続,ネパール内のダム建設などを含む。
DIA-301-1989-11-25-1バングラデシュ1989年11月25日1980年代ハシナBAL委員長はチッタゴンの集会で演説,ハルタルは国民が政府に不信と抗議を表わす唯一の方法だと述べ,ハルタルに批判的な考えを否定した。
DIA-301-1989-11-26-1バングラデシュ1989年11月26日1980年代アダムジー・ジュート工場でJSD系労動組合とJatiya Sramik Dal系の労働者が衝突,60人負傷。
DIA-301-1989-11-28-1バングラデシュ1989年11月28日1980年代BNPの7政党連合,5政党連合,6政党連合,JAGPAは官庁街で座り込みデモを行ない,警官隊と衝突,49人が逮捕,100人が負傷。これに抗議してBNPらは29日に12時間ハルタルを呼び掛け,12月31日までに中立政府による国民議会選挙の実施を要求した。
DIA-301-1989-11-29-1バングラデシュ1989年11月29日1980年代全国12時間ハルタル―BNPの7政党連合,5政党連合,JI,自由党が別々に計画。ダッカでは警官隊との衝突で200人以上が負傷,110人が逮捕された。
DIA-301-1989-11-30-1バングラデシュ1989年11月30日1980年代BAL集会に爆発物が投げ込まれ,一人が死亡,11人が負傷した。またダッカ以外の都市でも爆弾事件があり,全国で110人が負傷した。
DIA-301-1989-12-03-1バングラデシュ1989年12月03日1980年代ジャムナ橋建設問題―1990年1月に世銀が援助国代表を集めて決定する予定。世銀は鉄道を併設することに反対しているが,政府は橋に鉄道を加えることによる費用の増加はそれがない場合(5.4億㌦)に対し1.07億㌦程度で,経済効果は鉄道がある場合の方が非常に大きくなると主張している。
DIA-301-1989-12-05-1バングラデシュ1989年12月05日1980年代政府は1990年1月1日から石油製品価格を48%引き下げ―ガソリン価格は1㍑12.88タカから7.5タカに引き下げられ,オクタンは同13.55タカから7.89タカになる。ディーゼル価格は不変。これによりディーゼルの需要が減ると期待されている。
DIA-301-1989-12-07-1バングラデシュ1989年12月07日1980年代紙幣印刷所,開所式―ガジプールにバングラデシュ初の紙幣,証券印刷所が設立され,大統領を迎えて開所式が行なわれた。総工費は13.2億タカ。ただちに10タカ紙幣の印刷をはじめた。
DIA-301-1989-12-07-2バングラデシュ1989年12月07日1980年代玩具製造で合弁企業―縫製品に次いでバングラデシュの委託加工業を発展させるため,玩具の合弁企業が検討されている。特に香港企業の関心が強く,すでに香港玩具評議会代表の訪バが決まっている。
DIA-301-1989-12-09-1バングラデシュ1989年12月09日1980年代大統領,1月1日から新聞用紙の価格をトン当り1万4000タカに引き下げるよう指示した。
DIA-301-1989-12-09-2バングラデシュ1989年12月09日1980年代BNP7政党連合,6政党連合,5政党連合,JAGPA,GKS(Ganatanatantrik Kami Shibir)は反汚職闘争の一環としてバングラデシュ航空事務所前で座り込み。
DIA-301-1989-12-11-1バングラデシュ1989年12月11日1980年代ロンドンでバングラデシュ洪水防御会議開催(~12日)―世銀主催の会議で,26国際機関,援助国代表が集まった。バングラデシュからはコンドカル計画相初め8人の代表と3人の専門家が出席した。国際機関はWB,ADB,EEC.IMF,OECD,IFC,IFAD,IDB,SFDなど。すでに世銀は仏,日本,米国,UNDPの調査報告をもとに,5億㌦の5ヵ年(1990~94年)行動計画を作成しており,バングラデシュ政府はこれをもとに,少なくとも洪水防御と排水に関する問題の研究,調査,パイロット・プロジェクト費用1.5億㌦について各機関・国からの援助の約束を取りつけたい意向である。
DIA-301-1989-12-11-2バングラデシュ1989年12月11日1980年代選挙管理委員会,ウポジラ議長選挙を1990年3月13日からと発表―全国460ウポジラ議長選挙が1990年3月13~24日までに行なわれる。前回は85年5月に実施され,その任期は90年5月に終了する。選挙は非政党ベースとなっているが,与党はもちろん,主要野党も今回の選挙には自党の候補者をたてるものと見られている。
DIA-301-1989-12-12-1バングラデシュ1989年12月12日1980年代内務省,Daily Millatを発禁―Special Power Actによる措置で,その12月1日の内容が偏見にみちた記事のためという。同紙は自由党の機関紙。
DIA-301-1989-12-12-2バングラデシュ1989年12月12日1980年代世銀は90年1月に予定されていたジャムナ橋援助国会議の延期を通告した。
DIA-301-1989-12-13-1バングラデシュ1989年12月13日1980年代ダッカ高裁,内務次官にDaily Millat発禁についての釈明を要求。ジャーナリスト協会はこの発禁処分に抗議してスト,13日の新聞は発行されず。
DIA-301-1989-12-18-1バングラデシュ1989年12月18日1980年代エビの輸出額,25%減―エビの国際価格が下落する一方,国内の生産コストが高く輸出競争力がなくなったため。バングラデシュのエビ輸出量は,89年7~10月で前年度同期比21%減,金額で25%減となっている。
DIA-301-1989-12-20-1バングラデシュ1989年12月20日1980年代退役軍人・準軍人福祉協会のメンバー1200人が正式にJPに加入。
DIA-301-1989-12-20-2バングラデシュ1989年12月20日1980年代ダッカ大学シンジケート選挙で,現副学長反対派(ホワイト・パネル)が6人のうち5人を当選させた。副学長派はだれも当選せず,また21日に行なわれた教員組合の役員選挙でも,反対派が圧勝した。
DIA-301-1989-12-20-3バングラデシュ1989年12月20日1980年代野党統一行動―BNPの7政党連合,5政党連合などは汚職追放のため,政府省庁への座り込み闘争を続けてきたが,この日は食糧省,文部省,農業省,工業省などを対象にデモをかけた。
DIA-301-1989-12-22-1バングラデシュ1989年12月22日1980年代クルナで行なわれたBAL集会で爆破事件,4人負傷―ハシナBAL委員長が出席した大集会に爆発物が投げ込まれ,4人が負傷した。クルナでは21日夜から市内各地で爆破事件が起こっており,総数19人が負傷。
DIA-301-1989-12-24-1バングラデシュ1989年12月24日1980年代内閣改造―3大臣と1国務相を解任。解任は,A.K.M.Mayeedul Islam(環境・森林相〉,M.A.Malek(退,大佐)(繊維相),I.H.Chowdhury(退,少佐)(食糧相),N.Md.Khan(工業担当相)。
DIA-301-1989-12-25-1バングラデシュ1989年12月25日1980年代Zakar党,ファリドプールで初の活動家会議開催―Pir of Atrashi(Hazrat Moulana Shah Sufi)が89年10月11日に設立したZakar党の初会合で,党最高会議(=SCC=3人で構成)メンバーのPirzada Mustafa Ameer Faisalが司会。SCCの議長はPirで,もう一人のメンバーはPirzada Mahfuzul Huq。会議には全国から900人の活動家が集まった。うち464人はウポジラ活動家,30人は県活動家,4人は省活動家。会議では世俗主義に反対し,バングラデシュ・イスラム共和国建設を要求。
DIA-301-1989-12-26-1バングラデシュ1989年12月26日1980年代BAL,Zakar党を批判―同党が世俗主義に反対したため。
DIA-301-1989-12-27-1バングラデシュ1989年12月27日1980年代BNPの7政党連合,6政党連合,5政党連合などは汚職追放運動の一環としてこの日ダッカ市役所をゲラオ,警官隊・BDRと衝突,50人が負傷した。
DIA-301-1989-12-27-2バングラデシュ1989年12月27日1980年代JSDはダッカで集会を開き,憲法の抜本的改定と,改定案に対する国民投票を要求した。改定憲法の内容は,軍を含む職業集団の代表が国会議員になるよう制度を改めること,議員数を500人とすること,など。