DIA-301-1990-01-01-1 | バングラデシュ | 1990年01月01日 | 1990年代 | エルシャド大統領は,国際識字年の開始に当たり,初等教育を義務教育とすると発表した。また1990年を他のSAARC諸国と同様「女児の年」として,8年生までの女児の教育を無償とすると宣言した。 |
DIA-301-1990-01-01-2 | バングラデシュ | 1990年01月01日 | 1990年代 | バングラデシュ消費者協会(CAB)の調査によると,89年の消費者物価指数は前年比12.9%上昇した。 |
DIA-301-1990-01-01-3 | バングラデシュ | 1990年01月01日 | 1990年代 | チッタゴン大学で学生グループが抗争,3人死亡,4人が重傷を負った。 |
DIA-301-1990-01-02-1 | バングラデシュ | 1990年01月02日 | 1990年代 | 年8000haの森林が破壊―「環境年」の開始に当たり開かれた森林研究所主催のシンポジウムで,同研究所長は「統計上バングラデシュの森林は220万ha(国土面積の16%)となっているが,実際には60万~90万haしかなく,年平均8000haの森林が破壊されている」と述べた。 |
DIA-301-1990-01-04-1 | バングラデシュ | 1990年01月04日 | 1990年代 | 冬期国会開催―冬期国会は主要野党が「不法国会」に抗議するデモを繰り広げる中で開催され,エルシャド大統領が開会演説を行なった。そのなかで大統領は(1)村落議会を全国6万8000の村に設置する,(2)政府医療機関で働く医者が個人の診療所を開くことを禁止する,(3)新保健政策にしたがい,県,ウポジラに保健専門官を置くことを明らかにした。 |
DIA-301-1990-01-04-2 | バングラデシュ | 1990年01月04日 | 1990年代 | 7政党連合,5政党連合,6政党連合と他の五つの政党は現政権の辞任と中立政府による選挙を要求して統一集会を行ない,国会に向けデモ。 |
DIA-301-1990-01-07-1 | バングラデシュ | 1990年01月07日 | 1990年代 | ダッカにある三つの大学で対立する二つのグループが暴力抗争,少くとも30人が負傷した。当局は三つの大学を閉鎖した。 |
DIA-301-1990-01-07-2 | バングラデシュ | 1990年01月07日 | 1990年代 | BOI(投資庁)は設立以来これまで総額59億180万タカ,56件の合弁プロジェクトの投資を認可した。 |
DIA-301-1990-01-07-3 | バングラデシュ | 1990年01月07日 | 1990年代 | バングラデシュと中国はダッカで第12次バーター貿易協定に調印。片道3100万ドル。1988/89年度バングラデシュの対中輸出総額は3600万ドル,輸入総額は1億600万ドル。 |
DIA-301-1990-01-07-4 | バングラデシュ | 1990年01月07日 | 1990年代 | A・I・マハムド外相はバーレン,クウェート歴訪に出発(~12日)。外相はバングラデシュ人の雇用見通しを含む両国間の問題について会談。 |
DIA-301-1990-01-09-1 | バングラデシュ | 1990年01月09日 | 1990年代 | 借款裁判所法,国会通過―銀行や開発金融機関の貨し付け金返済を確実にするため,各県に借款裁判所(Financial Loan Court)を設置するもの。 |
DIA-301-1990-01-09-2 | バングラデシュ | 1990年01月09日 | 1990年代 | ザファール・イマーム森林・環境相は議会で,新工場は環境を保護するための公害防止策を採用しなければならないと語った。エルシャド大統領は89年12月に90年を「環境年」,90年代を「環境の10年」と宣言している。 |
DIA-301-1990-01-10-1 | バングラデシュ | 1990年01月10日 | 1990年代 | ハシナ・ワゼド・アワミ連盟(BAL)委員長はダッカで開かれた党主催の大集会で,独立支持派を結集して汚職と独裁に抗議する新たな全国運動を開始すると発表。推定3万人が参加,武装警官が警備に当たった。 |
DIA-301-1990-01-10-2 | バングラデシュ | 1990年01月10日 | 1990年代 | 統計局の推計によると,90年1月1日現在の総人口は1億930万人(男5630万人,女5300万人)である。81年は8990万人であった。 |
DIA-301-1990-01-11-1 | バングラデシュ | 1990年01月11日 | 1990年代 | シャンティ・バヒニ指揮官1人がラングプール治安部隊に投降。BSS通信によれば,過去10年間に987人がシャンティ・バヒニのテロの犠牲となった。このうち837人はベンガル人,150人は少数民族だった。この間523人がシャンティ・バヒニに誘拐された。 |
DIA-301-1990-01-14-1 | バングラデシュ | 1990年01月14日 | 1990年代 | シャハブッディン・アハマド,最高裁長官に就任。61歳。 |
DIA-301-1990-01-14-2 | バングラデシュ | 1990年01月14日 | 1990年代 | 汚職摘発局(ACB)は前観光公社総裁シャハブッディン(退,大佐)を含む6人を汚職で告発。 |
DIA-301-1990-01-15-1 | バングラデシュ | 1990年01月15日 | 1990年代 | 法律改革委員会設置―副大統領(兼法相)は時代に合わなくなっている法律の改廃などを検討する委員会の設置を発表した。委員は3人。 |
DIA-301-1990-01-15-2 | バングラデシュ | 1990年01月15日 | 1990年代 | BIDSは第3世界の構造調整策に関するセミナーを開催したが,国内外のエコノミストはIMFや世銀などの勧告する「補助金の廃止」には批判的であった。 |
DIA-301-1990-01-15-3 | バングラデシュ | 1990年01月15日 | 1990年代 | BNPハレダ委員長は現政府打倒だけを共通の要求として全野党が新たに統一闘争を始めるよう呼びかけ。 |
DIA-301-1990-01-18-1 | バングラデシュ | 1990年01月18日 | 1990年代 | 抜本的な治水対策の費用は2138.5億タカ―ムスタファ灌漑相は国会で治水対策を検討してきた七つの専門家会議が報告書を提出したと述べた。内容は抜本的な治水事業には15~20年が必要で,費用も2138.5億タカと現物支給用小麦48万8110トンかかるという。 |
DIA-301-1990-01-20-1 | バングラデシュ | 1990年01月20日 | 1990年代 | 住居調査委員会設立―政府は閣僚や高級官僚がグルシャンなどに所有する住居を調査する委員会を設置した。委員長はムミン農相(退,少将)で,委員は大蔵担当相とラティフ少将(大統領府首席)。 |
DIA-301-1990-01-22-1 | バングラデシュ | 1990年01月22日 | 1990年代 | バングラデシュの洪水問題に関する世銀主催の会議が22日から3日間ダッカで開かれた。13の援助国と17の国際機関代表が出席。 |
DIA-301-1990-01-23-1 | バングラデシュ | 1990年01月23日 | 1990年代 | ジャムナ橋計画―ホセイン運輸相は国会で「ジャムナ橋は道路とメーター・ゲイジの鉄道との2階建として建設し,1994/95年度には完成する」と述べた。資金は外貨4億ドル,内貨97億タカ(約2.7億ドル)で,このうち20億タカは課徴金としてすでに徴収しており,30億タカは今後4年間の課徴金で集め,残り47億タカは年次開発計画から支出する(ただし世銀は2階建の橋建設に反対している)。 |
DIA-301-1990-01-25-1 | バングラデシュ | 1990年01月25日 | 1990年代 | 議会は89年9月の最高裁判決(全国に六つの高裁を設立する憲法改正を違憲とした)に関する2日間の討議を終え,国会立法権に対する干渉排除の法的措置を検討するため,23人からなる委員会を設立した。 |
DIA-301-1990-01-25-2 | バングラデシュ | 1990年01月25日 | 1990年代 | 法曹会,23人委員会に関し,最高裁の尊厳を無視し,その権限に干渉する動きと批判。 |
DIA-301-1990-01-27-1 | バングラデシュ | 1990年01月27日 | 1990年代 | エルシャド大統領,訪米に出発―途上サウジアラビアに立ち寄り,メッカでウムラを行った。30日から2月3日まで5日間米国を訪問,帰途フランスに立寄りミッテラン仏大統領と会見,2月6日帰国した。米国では上下両院議長および外交委員会のメンバー,ベーカー国務長官,世銀総裁らと会見した。 |
DIA-301-1990-01-29-1 | バングラデシュ | 1990年01月29日 | 1990年代 | アハメド首相は議会で,過去2年間に学内暴力で約200人の学生が死亡したことを明らかにし,構内での「テロリズム」をなくすため国民の協力を要請した。 |
DIA-301-1990-01-30-1 | バングラデシュ | 1990年01月30日 | 1990年代 | エルシャド大統領はG77総会で演説,最貧国に対する先進国の経済援助を今後5年間に現在の倍にするよう要請した。 |
DIA-301-1990-01-30-2 | バングラデシュ | 1990年01月30日 | 1990年代 | チッタゴン丘陵地域(CHT)でシャンティ・バヒニがベンガル人の村を襲撃,12人死亡,50戸以上の住宅が焼失。29日にゲリラ指導者一人が射殺されたことに報復。 |
DIA-301-1990-01-30-3 | バングラデシュ | 1990年01月30日 | 1990年代 | 政府は新聞労働者に対し25%の物価手当を支給すると発表。ただし月1000タカを限度とする。 |
DIA-301-1990-01-30-4 | バングラデシュ | 1990年01月30日 | 1990年代 | 軍訓練コース終了式―14回陸軍訓練生,8回空軍訓練生,10回海軍訓練生の終了式が行なわれた。訓練生は67人,うち20人は海外から(中国,印,ネバール,パキスタン,サウジアラビア,スリランカ,タイ,マレーシア,ケニア,ザンビア,米)。 |
DIA-301-1990-01-31-1 | バングラデシュ | 1990年01月31日 | 1990年代 | エルシャド大統領,ベーカー国務長官と公式会談―米国側は対バングラデシュ援助を約束。 |
DIA-301-1990-01-31-2 | バングラデシュ | 1990年01月31日 | 1990年代 | イスラム大学,クシティア県シャンティダンガの新キャンパスで授業再開。学生は新キャンパスへの移転に反対している。 |
DIA-301-1990-02-01-1 | バングラデシュ | 1990年02月01日 | 1990年代 | エルシャド大統領はワシントンでブッシュ米大統領,ベーカー国務長官らと私的に会談した。 |
DIA-301-1990-02-01-2 | バングラデシュ | 1990年02月01日 | 1990年代 | マハムド外相は議会で,政府は印・パ間の緊張が高まっているカシミール情勢に関心を持っており,平和的解決を希望すると述べた。 |
DIA-301-1990-02-02-1 | バングラデシュ | 1990年02月02日 | 1990年代 | BNPオバウドゥル派の指導者6人,ハレダBNPに再入党。 |
DIA-301-1990-02-02-2 | バングラデシュ | 1990年02月02日 | 1990年代 | 日本商工会議所から投資調査団13人が訪バ,中小規模の合弁企業設立の可能性を調査。チッタゴンの輸出加工区にはすでに日本企業が7件の投資をしており,さらに2件(T. M. IとSigma Intered Mnfg)が決まっている。T. M. I.はファン・モーターを,Sigmaは自動車部品,建設機械部品,ガスバーナーなどを生産する。 |
DIA-301-1990-02-02-3 | バングラデシュ | 1990年02月02日 | 1990年代 | ADB,公開大学設立資金に25万ドルを供与。 |
DIA-301-1990-02-05-1 | バングラデシュ | 1990年02月05日 | 1990年代 | イスラム大学の移転に抗議する半日ゼネストがダッカで行なわれた。7日にも抗議デモが行なわれ,学生,市民と警官の衝突で約50人負傷。30人逮捕。 |
DIA-301-1990-02-06-1 | バングラデシュ | 1990年02月06日 | 1990年代 | エルシャド大統領,訪仏。ミッテラン仏大統領と会談―洪水問題を討議,治水行動計画の実施状況を説明。 |
DIA-301-1990-02-06-2 | バングラデシュ | 1990年02月06日 | 1990年代 | シャンティ・バヒニ指導者4人,治安部隊と交戦して射殺された。 |
DIA-301-1990-02-06-3 | バングラデシュ | 1990年02月06日 | 1990年代 | デリーで開催された印バ合同経済委員会,終了。両国貿易の不均衡是正で合意。インドの対バ輸出は33億1826万タカ,輸入は2億9036万タカ(1988/89年度)。 |
DIA-301-1990-02-07-1 | バングラデシュ | 1990年02月07日 | 1990年代 | 計画相によれば,独立以来バングラデシュは34カ国から111億8400万ドルの援助を受取っている。 |
DIA-301-1990-02-08-1 | バングラデシュ | 1990年02月08日 | 1990年代 | チッタゴン大学中央学生連合(CUCSU)と六つの学生寮の役員選挙が行なわれ,80%の学生が投票に参加。選挙結果はBAL系とBNP系学生組織が共闘した全学連APSAが圧勝した。対抗するJI系学生組織は一つの寮の役員を独占したに留まった。 |
DIA-301-1990-02-08-2 | バングラデシュ | 1990年02月08日 | 1990年代 | 日本,21億9500万タカの商品援助の交換公文に調印。 |
DIA-301-1990-02-10-1 | バングラデシュ | 1990年02月10日 | 1990年代 | 中国友好代表団(団長・黄世明中国人民対外友好協会副会長)は6日間の公式訪問のためダッカに到着,13日アハメド首相と会談した。 |
DIA-301-1990-02-10-2 | バングラデシュ | 1990年02月10日 | 1990年代 | 後発発展途上国(LLDC)の第1回閣僚会議が10~12日ダッカで開催された。30カ国が参加,20カ国が閣僚級。同会議はダッカ宣言を採択した。社会・経済開発に対する適正で時宣を得た持続的国際援助の要請,貧困追放計画を優先するためにLLDCの債務650億ドルを救済することなどを要請。また,90年代活動計画を採択,工業国に対してLLDCへの政府開発援助(ODA)を倍にするよう要請した。ダッカ宣言は9月にパリで開かれるLLDC第2回首脳会議に向けたもの。 |
DIA-301-1990-02-14-1 | バングラデシュ | 1990年02月14日 | 1990年代 | 主要野党はこの日を「反独裁の日」とし,それぞれ抗議集会,デモを行なった。 |
DIA-301-1990-02-16-1 | バングラデシュ | 1990年02月16日 | 1990年代 | インドのグジュラル外相訪バ(~18日)。V・P・シン新政権になって初めての外相公式訪問。17日に両国外相会談が持たれ,ガンジス川の配分,トリプラ州からのチャクマ難民の帰還,ティン・ビガ(Tin Bigha)回廊のバングラデシュへの返還,南タルパティ(South Talpatty)島の所有権の決定,両国間貿易不均衡問題が話合われた。18日には大統領,首相とも会談した。 |
DIA-301-1990-02-16-2 | バングラデシュ | 1990年02月16日 | 1990年代 | 米・バングラデシュ縫製品輸出枠交渉で,米国はバングラデシュからの縫製品輪入を当初6カ月は大幅に増加させ,その後3年間は年率6%で増やすことに同意した。 |
DIA-301-1990-02-17-1 | バングラデシュ | 1990年02月17日 | 1990年代 | 全国453のウポジラ(UZ)でウポジラ議長選挙の立候補届出が行なわれた。選挙は3月13~24日,非政党基盤で行なわれる。選挙管理委員会の発表によると,全国で3083人の立候補届がなされた。第1回ウポジラ議長選挙は85年5月16~20日で,今回は2回目。有権者は6180万6980人(男3280万7589人,女2899万9391人)。85年の4771万7402人より1458万9508人増加した(31%増)。主要野党は公式には選挙に不参加の態度をとっているが,党員の立候補には反対していない。 |
DIA-301-1990-02-17-2 | バングラデシュ | 1990年02月17日 | 1990年代 | 大統領は選挙管理委員長にホセイン・カーン最高裁判事を任命。選管は政府金融機関への債務返済不履行の人はUZ議長に立候補する資格を失うと発表。 |
DIA-301-1990-02-20-1 | バングラデシュ | 1990年02月20日 | 1990年代 | サイド・モハマド・カイサル農業担当国務相はバングラデシュは1989/90年度にこれまで最高の1950万トン(前年度比38%増)の穀物生産を達成したと述べた。 |
DIA-301-1990-02-21-1 | バングラデシュ | 1990年02月21日 | 1990年代 | 言語運動記念日でBALとBNP支持者が手製銃,棒などで乱闘,少くとも50人が負傷した。BNPは22日,BALがハレダ・ジアBNP委員長を暗殺しようとしたと非難。 |
DIA-301-1990-02-22-1 | バングラデシュ | 1990年02月22日 | 1990年代 | ミッテラン大統領訪バ(~24日)―ダニエル夫人,閣僚7人を含む23人の代表団と共にイスラマバードからダッカに到着した。23日にエルシャド・ミッミラン両大統領の首脳会談が行なわれ,仏が世銀主催の5カ年バングラデシュ洪水制御活動計画(89年12月ロンドンの会議で承認)に1億4600万フラン(2500万ドル)援助する(先の約束額より1000万フラン増額,計画全体の1/6を占める)協定に調印した。また,バングラデシュの12のプロジェクトへの仏の援助が約束された。広軌車両調達,石油・ガス探査,給水,家畜飼育,ラジオ・バングラデシュの機械近代化,チッタゴンのデジタル電話システムなど。なお,外務省筋によると,両国大統領間の会談で核エネルギーにおける両国間協力の問題が討議された。 |
DIA-301-1990-02-25-1 | バングラデシュ | 1990年02月25日 | 1990年代 | ダッカ大学でBALとBNP学生グループが銃撃戦,2人死亡,少くとも10人が負傷した。1989年には構内暴動で約30人の学生が死亡,200人以上が負傷している。この事件でダッカ大学は無期休校となった。事件後BALとBNPの関係が険悪となり,野党共闘が困難となった。 |
DIA-301-1990-02-26-1 | バングラデシュ | 1990年02月26日 | 1990年代 | ウポジラ議長選挙にBALは981人,BNPは328人,JIは260人がそれぞれ立候補している。 |
DIA-301-1990-02-27-1 | バングラデシュ | 1990年02月27日 | 1990年代 | 野党は27日を「独裁と汚職に反対する日」と決め,全国で集会・デモ。7政党連合,5政党連合が参加。 |
DIA-301-1990-02-27-2 | バングラデシュ | 1990年02月27日 | 1990年代 | 輸入規制策―中銀は輸入を規制するため,L/C開設時にL/C額の100%の預金を義務づけた。 |
DIA-301-1990-02-27-3 | バングラデシュ | 1990年02月27日 | 1990年代 | 中国の秦基偉国務委員兼国防相は,6日間のバングラデシュ友好訪問のためダッカに到着した(~3月4日)。3月2日にはエルシャド大統領と会見。 |
DIA-301-1990-02-28-1 | バングラデシュ | 1990年02月28日 | 1990年代 | BALはダッカ大学で25日起こった銃撃戦でBCL(Bangladesh Chatra League)の指導者一人が死亡した事件に抗議するため,11時間のゼネストを行なった。 |
DIA-301-1990-03-01-1 | バングラデシュ | 1990年03月01日 | 1990年代 | チッタゴンで実施された国会補欠選挙で与党JP候補が当選。ただし投票所は閑散。 |
DIA-301-1990-03-01-2 | バングラデシュ | 1990年03月01日 | 1990年代 | ADB調査団,訪バ―マティヴィエール団長はADBがバングラデシュの農業,インフラ,工業開発への支援を増額すると発言。 |
DIA-301-1990-03-02-1 | バングラデシュ | 1990年03月02日 | 1990年代 | 学生組織,統一の試み―BAL系とBNP系の学生組織の対立による学内紛争をなくすため,以前あったような22学生組織の統一の試みが始められた。 |
DIA-301-1990-03-03-1 | バングラデシュ | 1990年03月03日 | 1990年代 | 医師,7日間のスト―医師会の呼びかけで,1万8000人の医師が民間の病・医院の診療をストップ。 |
DIA-301-1990-03-03-2 | バングラデシュ | 1990年03月03日 | 1990年代 | 訪バ中のフェデリコUNESCO理事長はエルシャド大統領と会談,バングラデシュの沿岸地域に与える地球の温暖化の影響に関する研究の支援を申し出た。 |
DIA-301-1990-03-04-1 | バングラデシュ | 1990年03月04日 | 1990年代 | エルシャド大統領は世銀主催の「すべての人に教育を」に関する会議出席のため訪タイ(~5日)。 |
DIA-301-1990-03-05-1 | バングラデシュ | 1990年03月05日 | 1990年代 | タカ,対ドルレートで4.99%切下げ―新公定レートは1ドル=33.88タカ(旧32.27タカ),WES(自由市場)レートは34.54タカ(旧32.90タカ)となる。IMFは15%の切下げを勧告し,大蔵省は90年6月末までには15%の切下げをすると見られる。理由は外貨保有額が急減しているうえ,89年後半だけで613.2億タカ(年間輸入の73%)のL/Cが開設されているため。 |
DIA-301-1990-03-05-2 | バングラデシュ | 1990年03月05日 | 1990年代 | ワヒドゥール・ホク大蔵相,不正行為を批判―保有外貨減少の一つの理由は「オーバーインボイス」によって貴重な外貨が海外に流出しているためだと述べた。また政府金融機関から資金を借りて返済しないものが多いことを批判,遠くない将来,国民がこれを問題にする日がくると述べた。 |
DIA-301-1990-03-06-1 | バングラデシュ | 1990年03月06日 | 1990年代 | 90年2月末の外貨保有高は5億ドル―89年後半に消費財,建設資機材の輸入が急増したため。 |
DIA-301-1990-03-06-2 | バングラデシュ | 1990年03月06日 | 1990年代 | ヤクーブ・カーン・パキスタン外相,ブータンからダッカに到着(3日間)。SAARCサミット開催について会談するため。7日エルシャド大統領と会見。カシミール問題について,インドのイスラム教徒迫害を非難,平和な交渉を通じての問題解決を望むと表明した。 |
DIA-301-1990-03-08-1 | バングラデシュ | 1990年03月08日 | 1990年代 | ホク大蔵相,国内資金調達の重要性を強調―租税局(NBR)での顧問委員会で大蔵相が演説,国内資金の調達ができず,金融機関の規律が守られていないことが援助供与国の失望をかっており,大きい輸出入ギャップ,税支払いを嫌う人々,資金の有効利用の欠如,資金の海外逃避などが国内資金不足の原因であると述べた。 |
DIA-301-1990-03-08-2 | バングラデシュ | 1990年03月08日 | 1990年代 | コナブル世銀総裁,訪バ―記者会見で「経済的非効率,不充分な金融計画,対外債務,軍事支出が第3世界の主要な発展阻害要因である」と述べた。 |
DIA-301-1990-03-08-3 | バングラデシュ | 1990年03月08日 | 1990年代 | 日本は「ダッカ治水排水施設整備計画」に6600万円を限度に無償資金を供与。交換公文に調印。 |
DIA-301-1990-03-10-1 | バングラデシュ | 1990年03月10日 | 1990年代 | 外貨不足,深刻化―輸入の急増とともに,IMFとのE(Enhanced) SAF協定2.5億ドルの締結が政策条件の不一致で遅れ,また世銀のエネルギー部門,工業部門SALによる資金各1.6億ドル,1.75億ドルが,その政策条件を満たしていないために供与されていないことから,外貨不足が深刻化している。問題は輸入の急速な伸びにもかかわらず関税収入も歳入も伸びず,経常支出は予算を大幅に超えて増え,経常収支が90億タカの大幅赤字になっていること,タカの平貨切り下げを見込んで,オーバーインボイスなどによる資金逃避のために輸入の急増が起こっていることである。 |
DIA-301-1990-03-11-1 | バングラデシュ | 1990年03月11日 | 1990年代 | 大統領は政府職員の雇用に関し婦人の雇用を促進しその比率を全体の20%まで引上げるよう指示した。 |
DIA-301-1990-03-12-1 | バングラデシュ | 1990年03月12日 | 1990年代 | 日本がバングラデシュに対し,48億3948万9000円の無償の資金協力をする書簡がダッカで交換された。同協力は88年3月31日までの対バングラデシュ円借款のうち,89年上半期に返済期限が来た元本および利息に相当する額を供与する債務救済措置である。 |
DIA-301-1990-03-13-1 | バングラデシュ | 1990年03月13日 | 1990年代 | コナブル世銀総裁は帰国前に記者会見,バングラ経済について以下の点を懸念していると述べた。すなわち,外貨準備額の減少,国際収支の悪化,経常支出の拡大,開発投資額の削減,政府部門の不効率,補助金支出の増加,徴税制度の非効率。 |
DIA-301-1990-03-14-1 | バングラデシュ | 1990年03月14日 | 1990年代 | 郡評議会議長(Upazila Parishad Chairman)選挙―選挙は3月14~25日(12日間),全国460のうち,426ウポジラで実施される。14日には59のUZで選挙。 |
DIA-301-1990-03-15-1 | バングラデシュ | 1990年03月15日 | 1990年代 | 選管は40人のUZ議長の無競争当選を発表。 |
DIA-301-1990-03-16-1 | バングラデシュ | 1990年03月16日 | 1990年代 | ホク大蔵相,辞表提出―後任にはM・A・ムニム農業相が就任。外貨保有高が5億ドルを切り,財政収支は75億タカの黒字予算が実際は大幅赤字の見込みで,1989/90年度ADP投資を削減した責任を問われた。 |
DIA-301-1990-03-17-1 | バングラデシュ | 1990年03月17日 | 1990年代 | UZ議長選挙は散発的な衝突と暴力のなかで実施され,チッタゴンでは16,17の両日で40人が負傷した。 |
DIA-301-1990-03-19-1 | バングラデシュ | 1990年03月19日 | 1990年代 | CHTでBDRとシャンティ・バヒニが銃撃戦,ゲリラ指導者1人が死亡,2人が逮捕された。 |
DIA-301-1990-03-20-1 | バングラデシュ | 1990年03月20日 | 1990年代 | UZ議長選挙で2人死亡,40人負傷。 |
DIA-301-1990-03-20-2 | バングラデシュ | 1990年03月20日 | 1990年代 | エルシャド大統領はイタリアを公式訪問(~21日)。大統領夫人,マハムド外相ら13人の代表団が随伴。大統領は,伊のコシガ大統領,アンドレオッチ首相と公式に会談した。会談後,両国は二重課税防止,投資の保証と協力,技術協力に関する三つの協定に調印した。 |
DIA-301-1990-03-22-1 | バングラデシュ | 1990年03月22日 | 1990年代 | コンドカル計画相,辞任―23日,アブドル・ムニム大蔵相が計画相も兼任すると発表された。 |
DIA-301-1990-03-23-1 | バングラデシュ | 1990年03月23日 | 1990年代 | UZ議長選挙で21~23日に死者8人,60人の負傷。 |
DIA-301-1990-03-23-2 | バングラデシュ | 1990年03月23日 | 1990年代 | IDA,バングラデシュ水資源開発局(BWDB)のプロジェクトに対する5390万ドルの借款協定に調印。 |
DIA-301-1990-03-23-3 | バングラデシュ | 1990年03月23日 | 1990年代 | ダッカ大学副学長にMoniruzzaman Mia(地理学部)。 |
DIA-301-1990-03-24-1 | バングラデシュ | 1990年03月24日 | 1990年代 | エルシャド大統領は記者団に,ホク大蔵相は適切に任務を果たせなかったため辞任を求めたと語る。 |
DIA-301-1990-03-25-1 | バングラデシュ | 1990年03月25日 | 1990年代 | 383UZ議長選挙結果―今回選挙の386UZのうち未報告の3UZを除く383UZの選挙結果は次の通りである。JP159,AL106,JI23,BNP20,無所属40,JSD(Rab)8,Baksa15,NAP3,CPB3,以下各2;JSD(Inu),統一共産連合,Muktijoddah Sangsad,Zaker Party,以下各1;JSD(Siraj),自由党,民主連合,民主党,BNP(Obaid),JAGPA,ムスリム連合,Sechasebak Party。 |
DIA-301-1990-03-25-2 | バングラデシュ | 1990年03月25日 | 1990年代 | BNPタルクダール書記長は記者会見,今回のUZ議長選挙にBNPは参加していないことを強調した。 |
DIA-301-1990-03-27-1 | バングラデシュ | 1990年03月27日 | 1990年代 | 選挙中の死者は16人―ハッサン内相は今回のUZ議長選挙中に政党間の対立で16人が死亡したと発表。 |
DIA-301-1990-03-28-1 | バングラデシュ | 1990年03月28日 | 1990年代 | 主要野党連合は82年のエルシャド・クーデターのこの日を“Black Day”として各所で集会・デモ。 |
DIA-301-1990-03-28-2 | バングラデシュ | 1990年03月28日 | 1990年代 | 内務省によれば,80年1月~90年3月8日の10年間に,CHTで「シャンティ・バヒニ」が計1006人を殺害した。死者のうち,少なくとも847人はベンガル人で159人は少数民族。90年1月~3月では16人がシャンティ・バヒニに殺害された(ベンガル人10,少数民族6)。またゲリラは10年間に530人(ベンガル人379,少数民族151)を誘拐した。 |
DIA-301-1990-03-28-3 | バングラデシュ | 1990年03月28日 | 1990年代 | ジャハンギールナガル大学中央学生連盟(JUCSU)選挙実施―選挙結果はJUCSUおよび学生寮役員のうち5ポストを除くすべてをBNP系学生組織が獲得した。 |
DIA-301-1990-03-29-1 | バングラデシュ | 1990年03月29日 | 1990年代 | ラマダン月に入る。 |
DIA-301-1990-03-31-1 | バングラデシュ | 1990年03月31日 | 1990年代 | BNP系学生組織Jatiyatabadi Chhatra Dal(JCD)中央執行委員会が解散し,32人の暫定中執を設立した。90日以内に大会を開いて正式の代表を選出する。 |
DIA-301-1990-04-01-1 | バングラデシュ | 1990年04月01日 | 1990年代 | チャクマ難民,帰国―CHTのカグラチャリ県評議会議長は訪問した記老に対し,1986年以来インドに逃げた難民は2万9000人,このうち1万8862人が帰国,彼らは1家族当たり5エーカーの土地と週21kgの米の配給を受けていると述べた。 |
DIA-301-1990-04-03-1 | バングラデシュ | 1990年04月03日 | 1990年代 | 中国の江沢民総書記はザファル・イマームJP書記(環境・森林相)ら同党代表団と会見した。 |
DIA-301-1990-04-03-2 | バングラデシュ | 1990年04月03日 | 1990年代 | BNP系学生組織JCDの指導者Sanaul Huq Niru,高裁の無罪判決で2年半ぶりに釈放。 |
DIA-301-1990-04-05-1 | バングラデシュ | 1990年04月05日 | 1990年代 | エルシャド大統領はモハマド・ナズルラ総長に代わって,最高裁判事ラフィクル・ホク(Rafiqul Haque,55歳)を新検事総長に任命。 |
DIA-301-1990-04-05-2 | バングラデシュ | 1990年04月05日 | 1990年代 | 政府,5事務所を解散。行政改革の一環として。 |
DIA-301-1990-04-05-3 | バングラデシュ | 1990年04月05日 | 1990年代 | 1989/90年度のGDP成長率は5.8%と推計―主として米の増産によるもので,穀物生産は1950万トンと史上最高。農業部門の成長率は13%。肥料使用量は140万トン。 |
DIA-301-1990-04-06-1 | バングラデシュ | 1990年04月06日 | 1990年代 | イスラム協会(JI)はインド側カシミールの反政府イスラム過激派支援を宣言。 |
DIA-301-1990-04-06-2 | バングラデシュ | 1990年04月06日 | 1990年代 | ダッカ大学,40日ぶりに再開。 |
DIA-301-1990-04-07-1 | バングラデシュ | 1990年04月07日 | 1990年代 | 政府,チッタゴンに全量輸出の肥料工場設立決定。総工費は4億2000万ドル。日本・伊3社の借款団とバングラ政府の間で契約調印。同プラントは年間アンモニア16万5000トン,尿素57万トンを生産,年間1億2000万ドルの輸出収入の見込みで,約600人の労働者を雇用する。 |
DIA-301-1990-04-07-2 | バングラデシュ | 1990年04月07日 | 1990年代 | ダッカ首都警察機動隊を設置―各490人からなる8機動隊を設置するもので,設立パレードを実施。 |
DIA-301-1990-04-09-1 | バングラデシュ | 1990年04月09日 | 1990年代 | 政府は日刊紙『メイラット』,週刊誌『アシェ・ディン・ジャイ』,『ロッパル』の計3紙誌の発禁を解除。 |
DIA-301-1990-04-09-2 | バングラデシュ | 1990年04月09日 | 1990年代 | ダッカ市長を議長とし,40万人と推計されるスラム住民のため,スラム地域・住民復興委員会を設立。 |
DIA-301-1990-04-09-3 | バングラデシュ | 1990年04月09日 | 1990年代 | カマイヤー・ソ連共産党中央委候補兼白ロシア共産党中央委第2書記とユルロフ・ソ連共産党中央委国際部課長の2人のソ連共産党代表団がバングラデシュ共産党中央委員会の招きでダッカに到着した。アーメド・マニク・バングラデシュ共産党書記長らが空港出迎え。 |
DIA-301-1990-04-10-1 | バングラデシュ | 1990年04月10日 | 1990年代 | エルシャド大統領はアパレル・繊維エキスポ(BATEXPO)の開会式に出席,縫製業および高品質布生産に対する政府の支援を約束,輸出指向繊維工業設立を推進すると談。 |
DIA-301-1990-04-12-1 | バングラデシュ | 1990年04月12日 | 1990年代 | 財政赤字,拡大―政府によれば89/90年度の財政赤字は85億タカに達する見込みで,大統領は公務員に対し経常支出削減のため不急の海外出張自粛を命令。 |
DIA-301-1990-04-12-2 | バングラデシュ | 1990年04月12日 | 1990年代 | 5政党連合と他の4政党が左派民主戦線を設立。 |
DIA-301-1990-04-12-3 | バングラデシュ | 1990年04月12日 | 1990年代 | BNPのジア委員長はBALとJPとの間になんの相違もないとBALを批判し,BALを除く反政府運動を示唆。 |
DIA-301-1990-04-12-4 | バングラデシュ | 1990年04月12日 | 1990年代 | 紛争で延期された34UZ議長の選挙,終了。 |
DIA-301-1990-04-12-5 | バングラデシュ | 1990年04月12日 | 1990年代 | アラム大蔵次官は世銀,日本がエネルギー部門構造調整借款1億7500万ドルを供与したことから,4月10日現在の外貨準備高は4億5500万ドルになると述べた。 |
DIA-301-1990-04-12-6 | バングラデシュ | 1990年04月12日 | 1990年代 | ダッカ―東京,ダッカ―名古屋便の運行が11月から週1便ずつ開始される。いずれもバンコク経由。両国間の航空路は81年から約1年間週1便が運行されていたが赤字のため途絶しており,運行再開は9年ぶり。 |
DIA-301-1990-04-13-1 | バングラデシュ | 1990年04月13日 | 1990年代 | 「経済危機」に関するセミナー―参加者の一人は,「財政赤字,インフレ,低い外貨準備が危機の症状であり,それらには政治が関わっている」と述べ,実態として「過去9カ月に開かれたL/Cの53%は輸入品目の記入がない」ことを挙げた。資本逃避を示す。 |
DIA-301-1990-04-14-1 | バングラデシュ | 1990年04月14日 | 1990年代 | ムニム大蔵相ら代表団はバングラ援助国会議出席のためパリに向け出発。バングラは90/91年度経済援助として25億ドルの供与を要請している。 |
DIA-301-1990-04-16-1 | バングラデシュ | 1990年04月16日 | 1990年代 | 約10%の食糧不足―食糧生産目標は2060万トンであったが実績は110万トン少なく,需要量推計に214万トン不足している。 |
DIA-301-1990-04-16-2 | バングラデシュ | 1990年04月16日 | 1990年代 | パキスタンと4450万ドルの借款協定に調印。同協定に基づいてバングラデシュ船舶公社はカラチ造船工業社(KSEW)から今後2年半以内にコンテナ船第1船目を,その6カ月後に2船目を受け取る。 |
DIA-301-1990-04-17-1 | バングラデシュ | 1990年04月17日 | 1990年代 | 過去2日間にCHTでシャンティ・バヒニにより22人が殺害された。陸軍は壊滅作戦を開始。 |
DIA-301-1990-04-19-1 | バングラデシュ | 1990年04月19日 | 1990年代 | 世銀主催のバングラデシュ援助国会議,パリで開催(~20日)。同会議では90/91年度の対バ援助として18億ドルがプレッジされた(前年度は25億ドル)。バングラは同会議でプロジェクト援助14億ドル,商品援助8億5000万ドル,食糧援助2億5000万ドル,計25億ドルを要請したが,商品援助は4億5000万ドルに,食糧援助は1億5000万ドルにカットされた。 |
DIA-301-1990-04-23-1 | バングラデシュ | 1990年04月23日 | 1990年代 | ムニム大蔵相は記者会見で,援助国会議では11月にダッカで世銀主催の中間評価会議を開くこと,第4次5カ年計画の最終決定前に援助国と協議すること,プロジェクトの優先順位を決めること,などで合意したと述べた。 |
DIA-301-1990-04-25-1 | バングラデシュ | 1990年04月25日 | 1990年代 | 植林計画―森林・環境相は6月1日から7日までを植林週間とし,全国で670万本の苗木を植林すると述べた。植林事業には2億7300万タカが配分されている。 |
DIA-301-1990-04-26-1 | バングラデシュ | 1990年04月26日 | 1990年代 | Eid-ul-Fitr始まる(~28日)。 |
DIA-301-1990-04-29-1 | バングラデシュ | 1990年04月29日 | 1990年代 | チッタゴンでザカートとサリーをもらいにAbul Biri工場に人々が押しかけて将棋倒しとなり,女性と子供14人を含む36人の乞食が死亡した。 |
DIA-301-1990-04-30-1 | バングラデシュ | 1990年04月30日 | 1990年代 | ホセイン労相は海外出稼ぎバングラデシュ労働者のために福祉基金を設置し,保護措置をとると語った。同相によると,約74万4000人が海外で働いており(うち61%はサウジ,オマーン,UAEである),毎年8億ドルを祖国に送金している。同基金は4万6000ドル。日本にいるバングラ人からは89年1年間で6000万ドルの送金があった。日本は最近2500人の不法滞在バングラ労働者を追放。 |
DIA-301-1990-04-30-2 | バングラデシュ | 1990年04月30日 | 1990年代 | 中銀,タカの新交換レートを発表―公定では買いが1ドル34.18タカ,売りが34.26タカ(スポット)~34.42タカ(6カ月先もの)。交換レート改定は3月5日(中間レート33.88タカ)以来2度目。 |
DIA-301-1990-05-01-1 | バングラデシュ | 1990年05月01日 | 1990年代 | 海部首相,訪バ―海部首相は印・バ・パ・スリランカの南西アジア4カ国およびインドネシア歴訪(4月28日~5月6日)の一環として,ニューデリーからダッカに到着,エルシャド大統領と会談した。同日,日本の贈与で建設されたメグナ橋完工式に出席,サバール独立記念碑に献花。大統領主催の晩餐会に出席,2日ダッカ発イスラマバードに向かった。首脳会談では国際的な紛争が平和的に解決されるべきだとの認識で一致,特にインド,パキスタン両国間で緊張が高まっているカシミール問題の解決に期待を表明した。大統領は「日本は政治的にも経済的にも世界のなかで大きな役割を果たしてほしい。先進国首脳会議でも我々の立場を良く考えてほしい」と要請した。エルシャド大統領は日本に政府開発援助(ODA)の拡充を強く要望,首相は89年度分の円借款274億円とエネルギー部門の構造調整借款38.8億円の計312.8億円を供与することなどを伝えた。同時に,文化協力では南西アジア最大規模の仏教僧院,パハルプール遺跡の保存修復のために30万ドル拠出する方針を示した。二国間問題では,大統領がジャムナ橋の建設,洪水対策,民間投資保護協定の締結,バングラデシュの貿易赤字の解消などへの支援を求めた。首相 |
DIA-301-1990-05-02-1 | バングラデシュ | 1990年05月02日 | 1990年代 | 内閣改造―エルシャド大統領は6人の閣僚を解任,9人(大臣4人,国務相5人)を任命した。閣僚ポストも変更,アハメド首相は情報相を辞め教育相を兼任,モウドド副大統領は工業相は留任するが,司法相は辞任する。 |
DIA-301-1990-05-05-1 | バングラデシュ | 1990年05月05日 | 1990年代 | インド最高裁は1982年の両国同意に基づき,バングラの飛び地であるティン・ビガとバングラがインド領を通って交流することを認める判決を出した。 |
DIA-301-1990-05-05-2 | バングラデシュ | 1990年05月05日 | 1990年代 | モテジール商業中心地では昼間の力車運行禁止。 |
DIA-301-1990-05-05-3 | バングラデシュ | 1990年05月05日 | 1990年代 | エルシャド大統領はBAL時代の政治を激しく非難,次の選挙ではJPに投票するよう訴えた。BAL反論。 |
DIA-301-1990-05-07-1 | バングラデシュ | 1990年05月07日 | 1990年代 | パ陸軍大学視察団,エルシャド大統領と会談。 |
DIA-301-1990-05-08-1 | バングラデシュ | 1990年05月08日 | 1990年代 | BNP,反政府運動強化プランを検討―BNPは汚職,法と秩序の乱れ,経済危機に対して国民の批判が高まり,援助国からも強い批判を受けている現在,エルシャド政権を打倒するための行動計画の検討を始めた。 |
DIA-301-1990-05-08-2 | バングラデシュ | 1990年05月08日 | 1990年代 | 偽のパスポートと航空券を基にT/Cを購入,海外でドルに現金化する形で資本流出が目立っている。 |
DIA-301-1990-05-09-1 | バングラデシュ | 1990年05月09日 | 1990年代 | チャクマ難民の帰国を促すため,14人からなるバ政府代表がトリプラ州を訪問,難民にCHTの現状を説明。難民キャンプでは食糧配給をめぐって難民と政府職員とが衝突,国境警備隊の発砲で難民3人が死亡する事件があった。 |
DIA-301-1990-05-10-1 | バングラデシュ | 1990年05月10日 | 1990年代 | 2国務相,顧問に変更―憲法58条は議員でない者を閣僚に任命する場合,その人数は閣僚の5分の1以下(現状では8人以下)と決めているのだが,5月2日の内閣改造でその数10人になり,憲法違反となったため。 |
DIA-301-1990-05-10-2 | バングラデシュ | 1990年05月10日 | 1990年代 | JP議長団の6人が解任―エルシャド大統領(兼JP総裁)は6人を解任,3人を新たに任命した(エルシャド側近の地方自治相も含む)。議長団は22人。 |
DIA-301-1990-05-11-1 | バングラデシュ | 1990年05月11日 | 1990年代 | 貧困撲滅基金,設置―ムニム大蔵・計画相は記者会見で昨今の経済危機を回避すべく世銀の勧告に従っていくつかの措置をとったと述べた。その一つが農村雇用機会創出のための貧困撲滅基金(5億タカ)の設置で,ほかにはタカの切り下げ,8年生までの無償女子教育,初等教育の義務化,国内資金の調達努力,など。 |
DIA-301-1990-05-13-1 | バングラデシュ | 1990年05月13日 | 1990年代 | 汚職摘発局(BAC)は5人の企業家についての汚職内容と3人の企業家についての不明瞭な資産内容を特別裁判所に提訴した。 |
DIA-301-1990-05-13-2 | バングラデシュ | 1990年05月13日 | 1990年代 | インド艦船3隻,親善のためチッタゴン港入港。 |
DIA-301-1990-05-14-1 | バングラデシュ | 1990年05月14日 | 1990年代 | 中小企業公社(BSCIC)主催の中国・バングラ企業家フォーラムが12~14日ダッカで開かれ,合弁プロジェクトについて五つの合意と13の覚え書きが交わされた。セメント,アンプ,ディーゼル・エンジン,製紙など。 |
DIA-301-1990-05-15-1 | バングラデシュ | 1990年05月15日 | 1990年代 | ジャムナ多目的橋建設に関する援助国会議,ワシントンで開催―世銀主催の会議で,日本,UK,ADB,IDA,UNDP代表が出席(~17日)した。橋幅は18.5メートル,いずれは鉄道が通る2階建にできるように設計するもので,外貨必要額は4億5800万ドル(2.5億ドルは橋本体,1.26億ドルは流域制御,8100万ドルは接近道路,技術料など),日本,ABD,IDAなどが各1億5000万ドル拠出する見込み。 |
DIA-301-1990-05-15-2 | バングラデシュ | 1990年05月15日 | 1990年代 | JP中央執行委員会の新役員,発表―エルシャド大統領(兼JP総裁)は新役員名簿を発表した。 |
DIA-301-1990-05-15-3 | バングラデシュ | 1990年05月15日 | 1990年代 | CIDAはバングラ農村開発計画に4480万ドル(5270万カナダドル)を供与する協定にダッカで調印。 |
DIA-301-1990-05-20-1 | バングラデシュ | 1990年05月20日 | 1990年代 | エルシャド大統領は事実上の大統領選挙キャンペーンを開始しており,この日「次期選挙で当選すれば5年以内に文盲を50%に下げる」と述べた。 |
DIA-301-1990-05-20-2 | バングラデシュ | 1990年05月20日 | 1990年代 | 政府は国営ジュート工場への補助金供与を中止。 |
DIA-301-1990-05-20-3 | バングラデシュ | 1990年05月20日 | 1990年代 | マハムド外相訪印(~22日)合同経済委員会出席のためで,21日グジュラル・インド外相と貿易不均衡ガンジス川の水配分,チャクマ難民の帰国など二国間問題で会談した。22日,シン首相とも会談。 |
DIA-301-1990-05-22-1 | バングラデシュ | 1990年05月22日 | 1990年代 | ベグ・パキスタン陸軍総参謀長,訪バ(~28日)。同総参謀長はエルシャド大統領とカシミール問題について討議,バングラ3軍の長と会見,国防施設を視察。 |
DIA-301-1990-05-22-2 | バングラデシュ | 1990年05月22日 | 1990年代 | 新たに学生フォーラムが設立―代表のホセイン・ラジュは学生フォーラムがいかなる政党とも関係せず,大学に秩序を回復するために結成した組織であると述べた。しかしラジュは以前JP系学生組織の指導者であったことから,JPの支持を受けているものと見られる。 |
DIA-301-1990-05-22-3 | バングラデシュ | 1990年05月22日 | 1990年代 | バングラ初のエイズ保菌者,発見。 |
DIA-301-1990-05-26-1 | バングラデシュ | 1990年05月26日 | 1990年代 | ダッカ大学学生連合(DUCSU)役員選挙で2500人が立候補―DUCSUおよび14の学生寮の役員選挙で,185の役員ポストをめぐって主要政党の学生組織がすべて立候補をし,その総数は2500人に達した。 |
DIA-301-1990-05-27-1 | バングラデシュ | 1990年05月27日 | 1990年代 | 収穫後損失は240万トン―モンドル農業研究所長によれば,収穫後の穀物損失は生産量の11~13.5%,約240万トンに達する。 |
DIA-301-1990-05-29-1 | バングラデシュ | 1990年05月29日 | 1990年代 | 大統領選挙は91年4~10月に―エルシャド大統領はチッタゴンでの集会で演説,次の大統領選挙は91年4月14から10月14日までの間に行なわれるとし,選挙での投票を訴えた。主要野党は86年の大統領選,88年の国会選挙をボイコットしており,エルシャド大統領の辞任,選挙管理内閣の下での選挙を主張している。 |
DIA-301-1990-06-01-1 | バングラデシュ | 1990年06月01日 | 1990年代 | 深まる経済危機―「憲法と経済」に関するセミナーがダッカで開かれ,出席した著名な経済学者全てが政府の経済運営について,危機の原因は投資を犠牲にして非生産的な行政に資金を投入した政策,大規模な汚職のために不必要な規模の事業を行ない,商品輸入をしてきたことなどにあると批判した。 |
DIA-301-1990-06-02-1 | バングラデシュ | 1990年06月02日 | 1990年代 | ウラマー300人がエルシャド大統領と会談,次期大統領選挙での支持を表明した。 |
DIA-301-1990-06-03-1 | バングラデシュ | 1990年06月03日 | 1990年代 | 予算国会開会。国会の周囲は厳重な警戒。 |
DIA-301-1990-06-03-2 | バングラデシュ | 1990年06月03日 | 1990年代 | 電力料金未払いは32億タカ―電力開発庁(BPDB)によれば,90年3月末で料金未払いは32億タカ,このうち6億タカは政府関係という。BPDBは2万8837kmの送電線を管理している。このほか農村電化庁(REB)が3万4080kmの送電線を管理,現在まで460郡庁のうち442郡庁が電化され,6万8000村のうち3938村が電化された。 |
DIA-301-1990-06-03-3 | バングラデシュ | 1990年06月03日 | 1990年代 | 物価,過去2カ月に15~20%上昇―サンプル調査によれば,下級米,食用油,魚,豆類などの価格が上昇,庶民の生活に打撃を与えている。 |
DIA-301-1990-06-04-1 | バングラデシュ | 1990年06月04日 | 1990年代 | 国立銀行などへの債務未返済者はウポジラ議長に立候補できないとする法案が国会を通過。 |
DIA-301-1990-06-05-1 | バングラデシュ | 1990年06月05日 | 1990年代 | 政府高官筋は大統領選挙は91年5月と述べた。 |
DIA-301-1990-06-06-1 | バングラデシュ | 1990年06月06日 | 1990年代 | ダッカ大学の学生連合選挙―DUCSUと14学生寮(うち3は女子寮)の役員を選ぶ選挙は厳重な警戒の中で実施され,衝突もなく,2万8690人の学生の約63%が投票に参加した。選挙には30派閥から2500人が188の役員ポストに立候補する激戦となった。選挙結果は7日に発表されたが,BNP系JCD(Jatiyatabadi Chattra Dal)がBAL系BCL(Bangladesh Chattra League)に対して地滑り的勝利を収めた。JCDはDUCSUのすべてと14のうち8の寮役員すべてを獲得した。 |
DIA-301-1990-06-08-1 | バングラデシュ | 1990年06月08日 | 1990年代 | 公務員,90年7月から所得税支払い義務―政府は従来免税となっていた公務員,公社・国営企業職員の所得税を90年7月から徴収すると発表した。公務員は約60万人,公社・国営企業職員は70万人。給与総額は年300億タカで,歳入の約半分である。 |
DIA-301-1990-06-08-2 | バングラデシュ | 1990年06月08日 | 1990年代 | IDAはバングラデシュの金融部門構造調整借款として1億7500万ドルを供与すると発表した。3期に分けて供与,1期目は7月に7500万ドル,2期目は12月の予定。 |
DIA-301-1990-06-09-1 | バングラデシュ | 1990年06月09日 | 1990年代 | 外貨準備,4億ドルを割る―外貨準備は4月始めの4億5000万ドルから現在4億ドル以下まで減少した。世銀がエネルギー部門構造調整借款第2期分,1億7500万ドルの供与を延期しているため。 |
DIA-301-1990-06-10-1 | バングラデシュ | 1990年06月10日 | 1990年代 | 憲法第10次改正案,国会に提出―女性に30議席のリザーブを認める条項が時限法で1987年に期限が切れており,これを更に10年延長させる。12日国会通過。 |
DIA-301-1990-06-10-2 | バングラデシュ | 1990年06月10日 | 1990年代 | ジャムナ川西岸の土壌流出,深刻に―過去1カ月にジャナム西岸の二つの郡で800エーカーの土地が流出し,1000軒の農家が家を失い,シラジガンジ市も危険という。 |
DIA-301-1990-06-10-3 | バングラデシュ | 1990年06月10日 | 1990年代 | ナズルル・イスラム教授によると,バングラの総人口1億1000万人の43%がダッカ,チッタゴン,クルナ,ラジシャヒの4県に集中し,その4分の1はダッカに住んでいる。都市人口は今世紀末には3700万人,2010年には5700万人に達するという。 |
DIA-301-1990-06-12-1 | バングラデシュ | 1990年06月12日 | 1990年代 | 中銀,7月1日から利子率を改定―国内貯蓄を促進し,貸し付けを抑える目的で,当座預金では銀行が8.5~12%の枠内で,毎日利子率を変更できる。貸し付け金に対する政府補助金は各0.1%削減される。 |
DIA-301-1990-06-12-2 | バングラデシュ | 1990年06月12日 | 1990年代 | 国会議員114人が政府の開発した住宅地を取得。 |
DIA-301-1990-06-14-1 | バングラデシュ | 1990年06月14日 | 1990年代 | 1990/91年度予算案,国会へ提出(詳細は「参考資料」参照)。 |
DIA-301-1990-06-14-2 | バングラデシュ | 1990年06月14日 | 1990年代 | 野党,新年度予算案を「反人民的」と批判。 |
DIA-301-1990-06-14-3 | バングラデシュ | 1990年06月14日 | 1990年代 | 米,PL-480・タイトルⅢで4800万ドルの食糧供与の協定に調印。小麦4000万ドル,植物油500万ドル,綿花300万ドルで,これで今年度の米国食糧援助は6000万ドルになる。 |
DIA-301-1990-06-15-1 | バングラデシュ | 1990年06月15日 | 1990年代 | ムニム大蔵相は記者会見で,予算は農村の貧困解消が第1で,今回の課税で都市住民の85%が影響を受けると述べた。 |
DIA-301-1990-06-17-1 | バングラデシュ | 1990年06月17日 | 1990年代 | 半日ハルタル―BALと8政党連合が現政権の辞任と中立政府による国会選挙を要求して組織。 |
DIA-301-1990-06-17-2 | バングラデシュ | 1990年06月17日 | 1990年代 | 税関係の法律家協会は,汚職や脱税による国家の損失は年100億タカになると推計,税制改革で担税者数を現在の50万人から100万人にすることが可能と表明。 |
DIA-301-1990-06-18-1 | バングラデシュ | 1990年06月18日 | 1990年代 | 預金に対する消費税に批判―預金1件について100タカの消費税が提案されており,これではだれも預金しなくなる,と批判されている。 |
DIA-301-1990-06-19-1 | バングラデシュ | 1990年06月19日 | 1990年代 | 第3次計画期の経常支出は,目標3%に対し実質年7%で増加した。理由は公務員の賃金・手当の引き上げ,国内・海外債務返済の増加,国防・治安支出の増加,救援・復興支出,食糧補助金の増加など。 |
DIA-301-1990-06-20-1 | バングラデシュ | 1990年06月20日 | 1990年代 | ハッサン内相は議会で,26の出版物が発禁処分になっていることを明らかにした。 |
DIA-301-1990-06-20-2 | バングラデシュ | 1990年06月20日 | 1990年代 | 全国で約1万6000人の医者が,新保健政策が政府医の個人診療を制限することに抗議して7時間のスト。 |
DIA-301-1990-06-20-3 | バングラデシュ | 1990年06月20日 | 1990年代 | コタディア・インド水資源担当国務相はガンジス川の配水に関する会談のため来訪。21日から2日間ダッカで開催された第31回合同河川委員会に出席。バングラ側はムスタファ灌漑相。 |
DIA-301-1990-06-26-1 | バングラデシュ | 1990年06月26日 | 1990年代 | 消費税,一部撤回―大蔵相は大統領と野党代表との会談をうけ,ガス料金,食用油,洗濯石,ケロシン,セメソト,C・I・シートへの消費税増加を撤回。 |
DIA-301-1990-06-28-1 | バングラデシュ | 1990年06月28日 | 1990年代 | エルシャド大統領は,楊尚昆・中国国家主席の招きにより,特別機で北京に到着した(~7月2日)。 |
DIA-301-1990-06-28-2 | バングラデシュ | 1990年06月28日 | 1990年代 | 全国ハルタル―重税の予算に反対し,現政権の辞任と中立政府のもとでの国会選挙を要求して,主要野党が個別に呼びかけたもの。今回のハルタルには現国会に議員を送っていない野党のほとんどすべてが参加しており,反政府運動の新たな展開となった。 |
DIA-301-1990-06-29-1 | バングラデシュ | 1990年06月29日 | 1990年代 | 李鵬首相とエルシャド大統領,公式会談―経済,貿易などの協力を発展させる具体案を話し合った。 |
DIA-301-1990-06-30-1 | バングラデシュ | 1990年06月30日 | 1990年代 | エルシャド大統領,江沢民総書記と会見。また科学技術協力協定,中国外交部とバングラデシュ外務省定期協議議定書,両国政府のマハナンダ橋の建設に関する議定書に調印した。大統領は鄧小平氏とも会見。 |
DIA-301-1990-06-30-2 | バングラデシュ | 1990年06月30日 | 1990年代 | 1990/91年度輸出入目標―ホク商務相は90/91年度の輸出目標は606.9億タカ,商業輸入目標は900億タカに設定したと発表した。 |
DIA-301-1990-07-01-1 | バングラデシュ | 1990年07月01日 | 1990年代 | 商相は1989/90年度の輪入増加がミスマネージメントによるものであったことを認めた。とくにレンタル豆,玉葱,果実,ビデオ・カセット部品などの輸入が急増している。 |
DIA-301-1990-07-02-1 | バングラデシュ | 1990年07月02日 | 1990年代 | 犠牲祭はじまる(~4日)。 |
DIA-301-1990-07-06-1 | バングラデシュ | 1990年07月06日 | 1990年代 | 沈覚人・対外経済貿易次官ら中国貿易代表団4人が訪バ(~8日),一行は両国貿易関係および共通に関心ある問題に関して協議し,エルシャド大統領とも会見。大統領は中国のGATT加入を支持した。 |
DIA-301-1990-07-11-1 | バングラデシュ | 1990年07月11日 | 1990年代 | 増税でラジオ,テレビセット価格が40%強も上昇。 |
DIA-301-1990-07-12-1 | バングラデシュ | 1990年07月12日 | 1990年代 | エルシャド大統領は政権の交替は選挙によるしかないとして,自由かつ公正な選挙を行なうため,野党に話し合いを呼びかけた。主要野党は13日,この呼びかけを拒否,現政権の辞任,中立政府のもとでの国会選挙,その後に大統領選挙をするよう主張した。 |
DIA-301-1990-07-15-1 | バングラデシュ | 1990年07月15日 | 1990年代 | 新政党設立―国民戦士党(Jatiya Mukti Party)で,議院内閣制による民主政治体制の確立を目指す。代表はMirza Sultan Raja.。 |
DIA-301-1990-07-15-2 | バングラデシュ | 1990年07月15日 | 1990年代 | 対外債務は102億ドル―大蔵相は議会で90年3月の対外債務合計は3482億タカ(102億ドル),前年度は1億3160万ドルを利子として支払ったが,これは輸出16億7200ドルの約7.9%に当たると述べた。 |
DIA-301-1990-07-17-1 | バングラデシュ | 1990年07月17日 | 1990年代 | 政府,少数民族問題省の新設を決定。 |
DIA-301-1990-07-18-1 | バングラデシュ | 1990年07月18日 | 1990年代 | 政府は新産業政策(86年発表)以降に発表された修正政策を含む包括的新産業政策を6月に発表予定。 |
DIA-301-1990-07-19-1 | バングラデシュ | 1990年07月19日 | 1990年代 | 工業銀行(BSB)不正問題調査委員会設置―BSBは経営改善のため延滞利子を免除して滞納者の返済を促進しているが,免除された一部滞納者がBSBから新たに資金を借り入れていたり,また本来中小企業の資本財輸入のため資金1000万ドルの半分が大規模綿工場の機械輸入のために貸し付けられたり,といった不正が指摘され,政府は関税委員長を中心とする調査委員会を設置した。これは工業信用公社(BSRS)でも起こっている。 |
DIA-301-1990-07-20-1 | バングラデシュ | 1990年07月20日 | 1990年代 | 野党,全国で統一デモ―BALの8政党連合,BNPの7政党連合,左派5政党連合,JI,その他少数政党が参加し,エルシャド退陣,総選挙実施を要求する反政府デモを全国で展開した。各政党連合・政党が同じ日に個別集会を開く形での統一行動である。 |
DIA-301-1990-07-20-2 | バングラデシュ | 1990年07月20日 | 1990年代 | ラジシャーヒ大学学生連合の選挙実施。2万2350人の学生のうち62%が平穏に投票した。結果は中立派の7学生組織連合が過半数を占め,BNP系はRUCSUの副委員長を獲得した。BAL系は惨敗した。 |
DIA-301-1990-07-20-3 | バングラデシュ | 1990年07月20日 | 1990年代 | 小幅内閣改造―コルバン・アリ港湾・船舶相の死去にともないチョウドリ救済・復興相が港湾・船舶相となり,カデル灌漑担当国務相が救済・復興相に昇格。 |
DIA-301-1990-07-21-1 | バングラデシュ | 1990年07月21日 | 1990年代 | ダッカ空港での金密輸事件にセカンダール(退役少佐)空港支配人とアブ・タヘル(退役軍人)警備員が関与していたとして逮捕された。金3000トラ,,2400万タカの密輸事件。22日には民間航空局(CAA)総裁秘書も逮捕。 |
DIA-301-1990-07-22-1 | バングラデシュ | 1990年07月22日 | 1990年代 | コルバン・アリ港湾・船舶相死去。 |
DIA-301-1990-07-22-2 | バングラデシュ | 1990年07月22日 | 1990年代 | 南西バングラデシュで洪水被害―パドマ川の水位は危機ラインを41センチメートル上回っており,一部で洪水と土壌流出被害が出ている。インドがファラッカ堰を突然開いたため,という。 |
DIA-301-1990-07-22-3 | バングラデシュ | 1990年07月22日 | 1990年代 | 環境週間,始まる。 |
DIA-301-1990-07-23-1 | バングラデシュ | 1990年07月23日 | 1990年代 | ヌールッディン陸軍少将ら軍代表団訪印。 |
DIA-301-1990-07-24-1 | バングラデシュ | 1990年07月24日 | 1990年代 | エルシャド大統領はアハメド副大統領兼工業相に新設した特別問題(福祉)省兼務を命じた。 |
DIA-301-1990-07-25-1 | バングラデシュ | 1990年07月25日 | 1990年代 | 大統領,ラジオ・テレビで国家保健政策を発表。保健サービス制度を改革,ウポジラ,県,全国を八つに分けた地域の各段階に保健機関(Health Authority)を置くという3段階保健機構を整備するもの。 |
DIA-301-1990-07-25-2 | バングラデシュ | 1990年07月25日 | 1990年代 | バングラデシュは米国と電力部門への496.8万ドルの借款に関する協定に調印。 |
DIA-301-1990-07-28-1 | バングラデシュ | 1990年07月28日 | 1990年代 | エルシャド大統領は91年5月に予定されている大統領選挙候補者としてJPに指名を要請。 |
DIA-301-1990-07-28-2 | バングラデシュ | 1990年07月28日 | 1990年代 | バングラデシュ医師グループ(1万2000人)は政府の新保健政策を拒否して72時間の全国ストに突入。 |
DIA-301-1990-07-28-3 | バングラデシュ | 1990年07月28日 | 1990年代 | シラジガンジ周辺の洪水,土壌流出が拡大,18人が死亡,40万人が家を失った。 |
DIA-301-1990-07-31-1 | バングラデシュ | 1990年07月31日 | 1990年代 | 国会は外国人投資家の市民権取得法案を可決。これは50万ドル以上を投資した外国人に市民権(Citizenship)を与え,7万5000ドル以上を持参する者に永住権を認める法案。ハッサン内相は同法の狙いは主として中国の接収前に香港を去る人々をバングラデシュに招致することであると語った。 |
DIA-301-1990-07-31-2 | バングラデシュ | 1990年07月31日 | 1990年代 | 政府はスト中の医師に職場復帰を命令,違反者は解雇と発表した。バングラデシュ医師連合(Bangladesh Medical Association,BMA)のモヒウディン書記長はこのストは8月15日まで続けると語った。ストには3500人の会員を持つ失業医師連合も支持を表明した。 |
DIA-301-1990-08-01-1 | バングラデシュ | 1990年08月01日 | 1990年代 | 1990/91年度予算案国会承認。予算議会終了。 |
DIA-301-1990-08-01-2 | バングラデシュ | 1990年08月01日 | 1990年代 | 首相は全ての野党に対し,政府との話し合いに応じ,選挙に参加するよう訴えた。 |
DIA-301-1990-08-01-3 | バングラデシュ | 1990年08月01日 | 1990年代 | 医師のストでこれまで患者80人が死亡した。 |
DIA-301-1990-08-03-1 | バングラデシュ | 1990年08月03日 | 1990年代 | イラクのクウェート侵攻で外務省声明―外務省は事件に重大な関心をもっており,両国が粉争を話し合いで解決するよう望むとの声明を発表した。 |
DIA-301-1990-08-03-2 | バングラデシュ | 1990年08月03日 | 1990年代 | BNP,JIはイラクの撤退を求める声明発表。 |
DIA-301-1990-08-03-3 | バングラデシュ | 1990年08月03日 | 1990年代 | バングラは貿易拡大のため,日本,香港,韓国の3カ国に投資局を開設すると発表。同局は駐在国の大使館内に置かれる。 |
DIA-301-1990-08-04-1 | バングラデシュ | 1990年08月04日 | 1990年代 | 内閣改造―アハメド副大統領が計画相に就任,副大統領が兼務していた工業相には前漁業畜産相のアブドス・サッタル氏を任命した。チョウドリ大蔵担当国務相は漁業畜産担当に移る。ムニム氏は蔵相のみ。 |
DIA-301-1990-08-04-2 | バングラデシュ | 1990年08月04日 | 1990年代 | BAL,イラクの侵略を非難。 |
DIA-301-1990-08-05-1 | バングラデシュ | 1990年08月05日 | 1990年代 | エルシャド大統領はバングラ最大の堰(ティスタ川)着工式に出席した。総工費150億タカ(4億2850万ドル)で,完成は1995年。米・麦150万トンの増産可能。 |
DIA-301-1990-08-05-2 | バングラデシュ | 1990年08月05日 | 1990年代 | 外務省スポークスマンは国連安保理,アラブ連盟,OICなどのイラクの即時撤退要求を支持すると発表。 |
DIA-301-1990-08-07-1 | バングラデシュ | 1990年08月07日 | 1990年代 | クウェートのバングラ人61人がイラクに連れていかれ17人が行方不明となっているため,イラク政府に解放を要求した,と外務省。 |
DIA-301-1990-08-08-1 | バングラデシュ | 1990年08月08日 | 1990年代 | タカ,対ドル・レート2.1%切り下げ―3月以来4回目の切り下げで,交換レートは公定で1ドル35.64タカ(3月は32.31タカ),WESで36.33タカ(同32.95タカ)。 |
DIA-301-1990-08-09-1 | バングラデシュ | 1990年08月09日 | 1990年代 | NAP(バシャニ派)はサントシュで支持者の会議を開いて党を復活させた。同党はアレマ・バシャニ夫人(Alelma Bhashani)を議長に,サデクル・ラフマンを書記長に,執行委51人で再組織された。 |
DIA-301-1990-08-09-2 | バングラデシュ | 1990年08月09日 | 1990年代 | イラクのクウェート侵攻でバングラ人約350人がクウェートを脱出,サウジとクウェートの間の非武装地帯に集結。クウェートには6万~7万のバングラ人がいる。 |
DIA-301-1990-08-11-1 | バングラデシュ | 1990年08月11日 | 1990年代 | アハサン外務次官はサウジ,イラクの駐バングラ大使を呼び,クウェート,イラクにいるバングラ労働者らの安全について協議。なお同次官は,インド,パ,スリランカなどとも緊急時のこれら諸国の在中東労働者の帰国について接触をとっていると語った。 |
DIA-301-1990-08-12-1 | バングラデシュ | 1990年08月12日 | 1990年代 | イラクのクウェート侵攻以来,政府は待機するよう呼びかけているが,少なくとも1581人のバングラデシュ人がクウェートを脱出し,サウジに逃れた。イラク政府は,クウェートの防衛施設で働いていたバングラ人400人をイラクに拘留したが,近く釈放すると保証。 |
DIA-301-1990-08-12-2 | バングラデシュ | 1990年08月12日 | 1990年代 | 政府は国連安保理の制裁決議を支持。 |
DIA-301-1990-08-13-1 | バングラデシュ | 1990年08月13日 | 1990年代 | IMFはバングラデシュに対し,ESAFとして3億2500万ドルの供与を承認した。 |
DIA-301-1990-08-13-2 | バングラデシュ | 1990年08月13日 | 1990年代 | バングラデシュ援助国会議は11月5~6日,ダッカで中間評価のための会議を開く予定。 |
DIA-301-1990-08-14-1 | バングラデシュ | 1990年08月14日 | 1990年代 | 閣議,金曜日を「オイルホリデー」とするよう決定―湾岸粉争の与える影響について検討,石油不足の可能性もあるとしてとられる措置。 |
DIA-301-1990-08-14-2 | バングラデシュ | 1990年08月14日 | 1990年代 | 労働相は海外労働者リクルート協会代表と会談,労働者の一時帰国問題を話し合った。政府は避難の方策を検討している。 |
DIA-301-1990-08-15-1 | バングラデシュ | 1990年08月15日 | 1990年代 | アミル・アハメド・ムスタファ海軍准将は海軍総参謀長に就任,同時に少将に昇進。前任者のSultan海軍中の退任による昇格。 |
DIA-301-1990-08-15-2 | バングラデシュ | 1990年08月15日 | 1990年代 | 政府,サウジに派兵を決定―ファハド・サウジ国王の特使が訪バ,要請したもの。現在湾岸には約50万人のバングラ人労働者がいる。イラクに4万人。 |
DIA-301-1990-08-16-1 | バングラデシュ | 1990年08月16日 | 1990年代 | M・A・Waheel少将ら2人の軍代表,サウジ訪問―同国にバングラ軍を派遣するについて詳細を定めるため。なおアル・オマル駐バングラ・イラク大使は,政府にバングラ人の安全を保証している。 |
DIA-301-1990-08-16-2 | バングラデシュ | 1990年08月16日 | 1990年代 | 左派系野党はサウジへの米軍駐留に強く反発,これは中東をベトナム化するとして非難。 |
DIA-301-1990-08-18-1 | バングラデシュ | 1990年08月18日 | 1990年代 | DUCSUのアマヌラ・アマン副議長は現政権の汚職を非難,エルシャド退陣を要求して運動を展開すると発表した。8月25日に抗議デー,9月16日には反エルシャド運動の今後の戦略を決める学生大会を開催する。 |
DIA-301-1990-08-18-2 | バングラデシュ | 1990年08月18日 | 1990年代 | 野党,政府のサウジへの軍隊派遣を批判―イラクの侵攻は許せないが,サウジに米軍が駐留することにも反対で,ましてそこにバングラ兵を派遣することは外交の中立性を脅かすとして反対している。 |
DIA-301-1990-08-19-1 | バングラデシュ | 1990年08月19日 | 1990年代 | 政府は国営航空ビマン社に対し,ヨルダン,サウジに避難しているバングラ人の帰国を22日から始めるために全力をあげるよう指示。 |
DIA-301-1990-08-20-1 | バングラデシュ | 1990年08月20日 | 1990年代 | ジュート価格,今年は堅調―昨年よりモーンド当り100タカ近く高くなると見られており,上質ジュートは,モーンド320~475タカ。 |
DIA-301-1990-08-21-1 | バングラデシュ | 1990年08月21日 | 1990年代 | コルバン・アリ船舶相の死去で空席となった国会議席の補選にむけて,元閣僚でダッカ市長アブドル・ハスナト弁護士が立候補するためにJPに入党した。ハスナトはジア暗殺後,元副首相ジャマルディン・アハメド,元閣僚アブドル・カセムその他とBNPを離脱。その後BDP(バングラデシュ民主党)を結成していた。 |
DIA-301-1990-08-22-1 | バングラデシュ | 1990年08月22日 | 1990年代 | エルシャド大統領はアミリ・クウェート石油相,ジャベル同国特使と会見,クウェート支持を確約。 |
DIA-301-1990-08-23-1 | バングラデシュ | 1990年08月23日 | 1990年代 | サウジから難民帰国。第1陣712人。 |
DIA-301-1990-08-25-1 | バングラデシュ | 1990年08月25日 | 1990年代 | 湾岸危機特別国会開催―イラクのクウェートからの撤退を要求,政府がサウジに軍を派兵する決定を支持した。 |
DIA-301-1990-08-25-2 | バングラデシュ | 1990年08月25日 | 1990年代 | DUCSUの抗議デーで学生デモ隊と警察が衝突,学生2人逮捕,5人負傷。 |
DIA-301-1990-08-27-1 | バングラデシュ | 1990年08月27日 | 1990年代 | 政府は国連事務総長に書簡を送り,湾岸紛争で難民となったバングラデシュ人の帰国を支援するよう訴えた。 |
DIA-301-1990-08-28-1 | バングラデシュ | 1990年08月28日 | 1990年代 | マハムド外相は中東3カ国歴訪のため出発。湾岸危機とクウェートでのバングラデシュ人問題に対処するため,UAE,ヨルダン,サウジの3カ国を歴訪する。 |
DIA-301-1990-08-29-1 | バングラデシュ | 1990年08月29日 | 1990年代 | バングラデシュ,国連決議にそって,イラクへの紅茶輸出を停止。 |
DIA-301-1990-08-30-1 | バングラデシュ | 1990年08月30日 | 1990年代 | BAL主催抗議の日―BAL党首はダッカの5万人集会で91年の大統領選ボイコットを発表した。 |
DIA-301-1990-08-31-1 | バングラデシュ | 1990年08月31日 | 1990年代 | 新陸軍総参謀長にヌールッディン・カーン少将(53歳)が中将に昇格して就任。現総参謀長ラフマン中将の退官に伴う人事。 |
DIA-301-1990-08-31-2 | バングラデシュ | 1990年08月31日 | 1990年代 | 国防省は少なくとも4000人の将兵が9月3日,サウジ防衛のため同国に向かうと述べた。 |
DIA-301-1990-09-01-1 | バングラデシュ | 1990年09月01日 | 1990年代 | エルシャド大統領はW. B. Milam新米大使の信任状提出に際し,湾岸紛争に対するブッシュ大統領の貢献を賞賛した。 |
DIA-301-1990-09-01-2 | バングラデシュ | 1990年09月01日 | 1990年代 | もう一つのバシャニNAP,設立―委員長はAbdul Huq,書記長はAlam Khan Mukuで,41人からなる中央執行委員会が設置された。 |
DIA-301-1990-09-02-1 | バングラデシュ | 1990年09月02日 | 1990年代 | エルシャド大統領は3日から始まる第2回LLDC国連会議に特別ゲストとして出席するためパリに到着。 |
DIA-301-1990-09-03-1 | バングラデシュ | 1990年09月03日 | 1990年代 | 全国ハルタル―BALの8政党連合,5政党連合の呼びかけにより,政府がサウジ派遣のバングラデシュ軍を多国籍軍に合流させると決定したことに抗議するハルタル。デモ隊が警察と衝突,警察は26人のデモ隊を逮捕した。軍派遣にはBNPも反対している。 |
DIA-301-1990-09-03-2 | バングラデシュ | 1990年09月03日 | 1990年代 | 人権擁護連絡評議会(CCHRB)は次の選挙には独自の選挙監視委員会を組職すると発表した。CCHRBは先のウポジラ議長選挙でも900人のNGO監視団を組織して選挙の監視に当たった。 |
DIA-301-1990-09-03-3 | バングラデシュ | 1990年09月03日 | 1990年代 | 湾岸からの難民輸送―UNDROなどに依頼して帰国者の輸送に当たっている。現在3万8000人が帰国を待っている(ヨルダン1万9000,イラク1万,トルコ5400,サウジ4000,イラン400)。これまで3157人が帰国した。 |
DIA-301-1990-09-04-1 | バングラデシュ | 1990年09月04日 | 1990年代 | バングラ国防省の発表によると,約400人のバングラ陸軍第1陣が,サウジ防衛のための多国籍軍に参加するためダッカを出発。 |
DIA-301-1990-09-04-2 | バングラデシュ | 1990年09月04日 | 1990年代 | ECNEC,全国洪水防御行動計画(NFAP)の14プロジェクトを承認。総費用は15億5110万タカ。 |
DIA-301-1990-09-04-3 | バングラデシュ | 1990年09月04日 | 1990年代 | 日本政府は肥料工場建設計画などに総額312億4100万円を限度とする円借款と6億2600万円の無償資金協力の供与について,バ政府と交換公文に署名。 |
DIA-301-1990-09-07-1 | バングラデシュ | 1990年09月07日 | 1990年代 | ダッカ近郊のイスラム寺院で爆発事件発生。爆弾製造中の労働組合指導者2人死亡。他に8人負傷。 |
DIA-301-1990-09-07-2 | バングラデシュ | 1990年09月07日 | 1990年代 | 政府は経常支出を一律10%削減し,その資金を直ちに大蔵省に返済するよう各省,公社に求めた。 |
DIA-301-1990-09-08-1 | バングラデシュ | 1990年09月08日 | 1990年代 | マハムド外相は湾岸危機討議のため訪パ。 |
DIA-301-1990-09-09-1 | バングラデシュ | 1990年09月09日 | 1990年代 | エルシャド大統領はロイ・チョウドリ青年・スポーツ担当国務相を閣内相に昇格。 |
DIA-301-1990-09-09-2 | バングラデシュ | 1990年09月09日 | 1990年代 | 米,パン,グル,紅茶,飲水など30トンがヨルダンの難民キャンプにいるバングラ人に送られた。9日現在中東からの帰国者は1万0479人。現在まで帰還者輸送にはビマン16便を含む36フライトが運航した。 |
DIA-301-1990-09-09-3 | バングラデシュ | 1990年09月09日 | 1990年代 | 政府は180ウポジラにガソリン,ディーゼル,ケロシンの公定価格店を開くと発表した。残りにも順次開く。 |
DIA-301-1990-09-10-1 | バングラデシュ | 1990年09月10日 | 1990年代 | 湾岸危機の損失は年5億ドル―ムニム大蔵相は湾岸危機のため,(1)バングラ出稼ぎ労働者7万5000人によるクウェートからの1億ドルの送金停止,(2)石油価格上昇で2億5000万ドルの余分の出費,(3)多大な輸出損失などで年5億ドルの打撃となる,と財界代表に語った。 |
DIA-301-1990-09-10-2 | バングラデシュ | 1990年09月10日 | 1990年代 | 省エネのため午後8時以降は商店を閉めるよう指示が出ており,違反者は罰金が課される。 |
DIA-301-1990-09-10-3 | バングラデシュ | 1990年09月10日 | 1990年代 | 保健政策草案策定のための委員会設立―先に大統領が発表した保健政策に医師からの反対が強いため,新たに政策を練ることになった。医師はこれにも反発。 |
DIA-301-1990-09-11-1 | バングラデシュ | 1990年09月11日 | 1990年代 | バングラ外務省スポークスマン,駐クウェートのバングラ大使館閉鎖を決定。だがこの措置はイラクによるクウェート併合を認知したものではない。 |
DIA-301-1990-09-11-2 | バングラデシュ | 1990年09月11日 | 1990年代 | トルコ,バングラ難民の本国送還に協力。トルコにいる難民5000人の空輸のため25便を運航する。 |
DIA-301-1990-09-11-3 | バングラデシュ | 1990年09月11日 | 1990年代 | エルシャド大統領はJP内部に派閥があり,アハメド首相に対する批判が強いとの報道を否定した。 |
DIA-301-1990-09-11-4 | バングラデシュ | 1990年09月11日 | 1990年代 | 湾岸危機の損失―商務省によれば,難民の帰国に5100万ドル,帰国者の復興に1億ドル必要という。また帰国者が引き出せなかった預金,給与未払い額は1億ドルになると推計している。中東諸国への輸出は1988/89年度で1億1648万ドル,輸出全体の7.7%であり,イラクへのそれは0.8%であった。 |
DIA-301-1990-09-11-5 | バングラデシュ | 1990年09月11日 | 1990年代 | 輸入品価格,急騰―とくに離乳食,紛ミルクの価格上昇が目立つ。 |
DIA-301-1990-09-11-6 | バングラデシュ | 1990年09月11日 | 1990年代 | 政府が新聞用紙の価格を引き上げたことに抗議して,ジャーナリストがスト。 |
DIA-301-1990-09-12-1 | バングラデシュ | 1990年09月12日 | 1990年代 | エルシャド大統領はトルコ訪問に出発。マハムド外相随行。トルコにいるバングラ難民を視察,13日にはサウジを訪問してファハド国王と会見,14日メッカでウムラをした後15日ダッカに帰国。 |
DIA-301-1990-09-16-1 | バングラデシュ | 1990年09月16日 | 1990年代 | IOM(国連国際移民機構),UNDRO(国連災害救助調整官事務所)はバングラ難民空輸のためヨルダン,トルコ,ソ連などの飛行機50便を手配,23日から運行を開始。駐バングラ米大使館は米国がU・S・C・C―141軍用機によるバングラ難民空輸を21日から開始すると語った。 |
DIA-301-1990-09-17-1 | バングラデシュ | 1990年09月17日 | 1990年代 | ダッカ大学の学生派閥間で衝突。DUCSU役員2人が銃で撃たれて重傷,ほか1人が大学内の別の場所で刺されて重傷。BNP系学生組織JCD内のAviグループとEliasグループの内ゲバとみられる。 |
DIA-301-1990-09-18-1 | バングラデシュ | 1990年09月18日 | 1990年代 | 全国規模の交通スト始まる。 |
DIA-301-1990-09-18-2 | バングラデシュ | 1990年09月18日 | 1990年代 | 政府はSpecial Powers Actの廃止を決定―副大統領が明らかにしたもので,法務省はそのための手続きを急いでいるという。 |
DIA-301-1990-09-19-1 | バングラデシュ | 1990年09月19日 | 1990年代 | 湾岸危機の損害は6億ドル―石油輸入代金の増加2億5000万ドル,出稼ぎ労働者による送金喪失1億6000万ドル,難民本国送還費用3600万ドル,貿易・輸出における損失1億2000万ドルなどである。 |
DIA-301-1990-09-19-2 | バングラデシュ | 1990年09月19日 | 1990年代 | 8政党連合,7政党連合,5政党連合は連絡会議を開き,官庁前での座り込みデモを9月30日から10月10日に変更した。 |
DIA-301-1990-09-22-1 | バングラデシュ | 1990年09月22日 | 1990年代 | エルシャド大統領はUAE訪問に出発。マハムド外相随行。湾岸危機討議のため。23日帰国。 |
DIA-301-1990-09-22-2 | バングラデシュ | 1990年09月22日 | 1990年代 | 外貨準備は5億7000万ドル。 |
DIA-301-1990-09-22-3 | バングラデシュ | 1990年09月22日 | 1990年代 | バングラ難民はこれまでに150便で4万2668人帰国,さらに133便が予定されている。石油製品の公定価格店はすでに452UZで開設された。 |
DIA-301-1990-09-24-1 | バングラデシュ | 1990年09月24日 | 1990年代 | 副大統領は湾岸危機で直接・間接のバングラデシュの損失は14億ドルと述べた。 |
DIA-301-1990-09-25-1 | バングラデシュ | 1990年09月25日 | 1990年代 | 警察はダッカ大学寮を急襲,JCD学生運動家3人を逮捕,ショットガン1挺,弾薬などを押収した。 |
DIA-301-1990-09-25-2 | バングラデシュ | 1990年09月25日 | 1990年代 | エルシャド大統領は世界子供サミット出席のため夫人とマハムド外相らを随伴してニューヨークに向け出発。26日にはブッシュ大統領と会見,湾岸危機に関連したバングラの経済問題討議。27日,国連総会で演説。 |
DIA-301-1990-09-25-3 | バングラデシュ | 1990年09月25日 | 1990年代 | ムニム蔵相は世銀・IMF年次総会出席のため訪米,USAID長官と会見,湾岸危機による被害に鑑み,8億5000万ドルの対米債務の帳消しを要請した。 |
DIA-301-1990-09-28-1 | バングラデシュ | 1990年09月28日 | 1990年代 | 治安筋によるとCHTにおける16年間の民族抗争で少なくとも1338人の民間人,兵士,反徒が殺された。死者の内204人は反徒,310人は兵士および陸軍将兵,残り824人は少数民族の民間人。 |
DIA-301-1990-09-30-1 | バングラデシュ | 1990年09月30日 | 1990年代 | 外務省によれば,バングラ出稼ぎ労働者のうち1万5000人が戦争の脅威にもかかわらずクウェート残留を選択,5万3000人以上がクウェートから帰国。 |
DIA-301-1990-10-01-1 | バングラデシュ | 1990年10月01日 | 1990年代 | DUCSU主催の特別集会でエルシャド大統領退陣要求。集会にはアワミ連盟学生組織および共産党各派は出席しなかった。 |
DIA-301-1990-10-01-2 | バングラデシュ | 1990年10月01日 | 1990年代 | 輸出振興局によれば湾岸危機によってバングラの8月の輸出高は7月の1億6250万ドルから1億2913万ドルに21%下落した。 |
DIA-301-1990-10-04-1 | バングラデシュ | 1990年10月04日 | 1990年代 | アミル・フセインBALスポークスマンはエルシャド政府辞任に圧力をかけるため,BAL,BNP,その他政党共催のデモを10日首都ダッカで行なうと発表した。 |
DIA-301-1990-10-04-2 | バングラデシュ | 1990年10月04日 | 1990年代 | 政府は石油製品価格を50%値上げ。湾岸危機で原油価格が急騰したため。 |
DIA-301-1990-10-10-1 | バングラデシュ | 1990年10月10日 | 1990年代 | 「ダッカ座り込みデモ」―野党の統一行動として「ダッカ座り込みデモ」が実施され,推定3万人がダッカ中心地の官庁街で座り込みとデモを行ない,エルシャド大統領の退陣,民主化などを叫んだ。このため警察隊が発砲,少なくとも6人が死亡,約500人が負傷した。負傷者の中にはBNPのハレダ・ジア委員長も含まれている。野党は警察隊の発砲に抗議し,11日から3日間のストを呼びかけた。BALと8政党連合,BNPと7政党連合,左派5政党連合,右派6政党連合,JIが参加したもので,統一行動はそれぞれの政党,政党連合が同じ日に集会,デモを行なうという形が取られた。 |
DIA-301-1990-10-10-2 | バングラデシュ | 1990年10月10日 | 1990年代 | 湾岸諸国のバングラ難民引揚げ終了。総数6万741人。 |
DIA-301-1990-10-10-3 | バングラデシュ | 1990年10月10日 | 1990年代 | バングラを訪れているA・ボーグ・アメリカ国務省近東問題担当次官補はアサハン外務次官を訪問,「バングラは湾岸危機の影響を厳しく受け,最も援助を必要とする5カ国に入る」と述べた。他の4カ国はエジプト,ヨルダン,トルコ,パキスタン。 |
DIA-301-1990-10-11-1 | バングラデシュ | 1990年10月11日 | 1990年代 | 10日の警察の発砲に抗議して半日スト。 |
DIA-301-1990-10-12-1 | バングラデシュ | 1990年10月12日 | 1990年代 | シャヒッド・ミナールで野党集会とデモ。 |
DIA-301-1990-10-13-1 | バングラデシュ | 1990年10月13日 | 1990年代 | 学生,統一スト―DUCSUと22学生組織が統一してストとデモ。警察隊と衝突,少なくとも2人死亡,100人が負傷した。政府は14日からダッカ大学を含むダッカ市内の全教育機関の無期限閉鎖を命令した。 |
DIA-301-1990-10-13-2 | バングラデシュ | 1990年10月13日 | 1990年代 | 学生統一戦線結成―DUCSUと22学生組織は「全党学生統一組織(All Party Student Unity=APSU)」を結成してエルシャド政権打倒の民主化運動をたたかうと記者会見で発表した。これまで学生組織はBAL系,BNP系,JI系,左派系など多くの派に分かれ,それらが対立してきており,学生統一戦線が結成されたのは独立後初めて。 |
DIA-301-1990-10-15-1 | バングラデシュ | 1990年10月15日 | 1990年代 | ダッカ,サバール,クルナなどバングラ各地で行なわれた反政府デモで少なくとも学生90人,警官10人が負傷した。チッタゴン大学,ジャハンギールナガル大学も閉鎖された。BAL,BNPを含む野党各政党連合は16日にも半日ストを行なうよう呼びかけた。 |
DIA-301-1990-10-16-1 | バングラデシュ | 1990年10月16日 | 1990年代 | 全国一斉半日スト―反政府デモ隊は警官と衝突,少なくとも100人が負傷した。ラジシャヒ大学,マイメンシン農科大学も閉鎖された。 |
DIA-301-1990-10-16-2 | バングラデシュ | 1990年10月16日 | 1990年代 | エルシャド大統領退陣まで闘かう―野党の各政党連合はエルシャ政権打倒まで統一行動を続けると発表。 |
DIA-301-1990-10-16-3 | バングラデシュ | 1990年10月16日 | 1990年代 | エルシャド大統領,ベルギーを訪問。 |
DIA-301-1990-10-19-1 | バングラデシュ | 1990年10月19日 | 1990年代 | 知識人92人,声明発表―大学教授,弁護士,会計士,医者など著名な知識人92人が声明を発表,独裁政治を終わらせるため,独立戦争の精神に基づき,全国民が統一して民主化運動を推進するよう呼びかけた。 |
DIA-301-1990-10-21-1 | バングラデシュ | 1990年10月21日 | 1990年代 | エルシャド大統領は憲法に従い,大統領選挙は91年,国民議会選挙は93年に行なうと述べた後,最近の反政府運動の背後に外国の手がある,と非難した。 |
DIA-301-1990-10-21-2 | バングラデシュ | 1990年10月21日 | 1990年代 | 内閣改造―空席になっていた閣僚ポストを任命した。(1)Sheikh Shahidul Islam―ジュート相,(2)Sarder Amjad Hossain―農業相,(3)Mostafa Jamal Haider―漁業・畜産相,(4)Abul Hasnat―公共事業相,(5)Monzur Quader―救済・復興担当国務相,(6)Mohammad Nurunnabi Chand―食糧担当国務相,(7)Syed Mohammad Kaizer―農業担当国務相,(8)Michael Sushil Kumar Adhikari―NGO担当顧問,(9)Mohammad Monsur Ali Sarkar―初等教育担当顧問。 |
DIA-301-1990-10-23-1 | バングラデシュ | 1990年10月23日 | 1990年代 | 全国でゲラオ―野党は全国の県,ウポジラ事務所のゲラオ(集団交渉)を行ない,エルシャド大統領の退陣を要求した。各地で大規模なデモ隊と警官隊,政府支持者とが衝突,約300人が負傷した。 |
DIA-301-1990-10-27-1 | バングラデシュ | 1990年10月27日 | 1990年代 | 全国の道路・鉄道封鎖デモ―野党統一運動の一環として行なわれ,国中の日常生活が麻痺した。運動にはほとんどすべての野党が参加した。政府は衝突を避けるため朝6時から12時間,国鉄,国営バス,フェリーの運行を中止したため,デモは平穏であった。物不足を懸念して人々は買い出しに走り,それでなくても高くなっていた物価上昇に拍車をかけた。 |
DIA-301-1990-10-29-1 | バングラデシュ | 1990年10月29日 | 1990年代 | 国家経済委員会(National Economic Council)は総支出6890億3000万タカ(190億5000万ドル)の第4次5カ年計画を承認した(詳細は「参考資料」参照)。 |
DIA-301-1990-10-30-1 | バングラデシュ | 1990年10月30日 | 1990年代 | 垂水ADB総裁は3日間のバングラ訪問終了。ADB基金によるティスタ堰(ダム)プロジェクトを訪問した。 |
DIA-301-1990-10-31-1 | バングラデシュ | 1990年10月31日 | 1990年代 | ヒンドゥー寺院,襲撃―警察によると,ダッカではイスラム教徒が少なくとも六つのヒンドゥー寺院とヒンドゥー教徒の家や店など100軒以上に放火した。ヒンドゥー寺院襲撃はチッタゴンでもあり,このため政府はダッカとチッタゴンに夜間外出禁止令を出した。この襲撃はインドのアヨーディアでヒンドゥー教徒がムスリム寺院を破壊しようとしたことに反発したと説明された。 |
DIA-301-1990-10-31-2 | バングラデシュ | 1990年10月31日 | 1990年代 | 各野党は政治的に重要な時でもあり,コミュナルな紛争を起こさないよう,国民に自制を訴えた。 |
DIA-301-1990-11-01-1 | バングラデシュ | 1990年11月01日 | 1990年代 | 宗教暴動でダッカ全域に外出禁止令―旧市街を中心に暴動が激しくなり,政府はダッカ全域に無期限外出禁止令を出すとともに,BDRと軍を出動させた。外出禁止令はチッタゴンにも出された。 |
DIA-301-1990-11-01-2 | バングラデシュ | 1990年11月01日 | 1990年代 | JP書記長は宗教暴動が沈静化するまで政党活動を中止するよう,野党に呼びかけ。 |
DIA-301-1990-11-02-1 | バングラデシュ | 1990年11月02日 | 1990年代 | ダッカに刑訴法144条発動―政府は昼間の外出禁止令を解除,代わりに刑訴法144条(4人以上の集会禁止)を発動した。暴動はつづき,ダッカで300人が逮捕され,チッタゴンでも150人が逮捕された。 |
DIA-301-1990-11-02-2 | バングラデシュ | 1990年11月02日 | 1990年代 | 野党,政府非難―野党各派は国民に平静を訴えるとともに,政府が今回の宗教暴動を利用して野党の民主化運動に水をかけようとしていると非難。 |
DIA-301-1990-11-04-1 | バングラデシュ | 1990年11月04日 | 1990年代 | 全党学生統一組織APSU,刑訴法144条を無視して集会とデモ。警察との衝突で25人負傷。 |
DIA-301-1990-11-04-2 | バングラデシュ | 1990年11月04日 | 1990年代 | エルシャド大統領,野党に話し合い呼びかけ―野党はすでに学生の暴発を統制できなくなっていると批判し,これは危険なことであり,与野党が話し合って政治問題を解決するよう呼びかけた。野党は拒否。 |
DIA-301-1990-11-06-1 | バングラデシュ | 1990年11月06日 | 1990年代 | 援助国会議,ダッカで開催(~7日)―世銀は今年4月のパリ会議以降とられたバングラデシュ政府の努力を評価,湾岸危機の経済的打撃を軽減するため各国に援助の増額を要請した。 |
DIA-301-1990-11-06-2 | バングラデシュ | 1990年11月06日 | 1990年代 | 野党,援助国に援助中止を訴え―野党は会議が開かれたホテル前で集会,エルシャド政権に対する援助の中止を訴えた。 |
DIA-301-1990-11-08-1 | バングラデシュ | 1990年11月08日 | 1990年代 | APSUのデモ,警察隊と衝突―APSUは刑訴法144条を無視して連日デモ,この日は大統領事務所に押し掛けようとして警察隊と衝突,50人が負傷した。警察隊は銃を水平に構えてデモの鎮圧に当たった。 |
DIA-301-1990-11-10-1 | バングラデシュ | 1990年11月10日 | 1990年代 | APSUの呼びかけによる全日スト―学生活動家100人逮捕。この他政党の活動家21人も逮捕。 |
DIA-301-1990-11-10-2 | バングラデシュ | 1990年11月10日 | 1990年代 | ダッカ大学で自主講座―政府の大学閉鎖に反対して,教師と学生が組織したもので,初めての試み。 |
DIA-301-1990-11-12-1 | バングラデシュ | 1990年11月12日 | 1990年代 | ダッカ大学当局は14日から大学再開を決定。 |
DIA-301-1990-11-12-2 | バングラデシュ | 1990年11月12日 | 1990年代 | BALハシナ委員長,宗教暴動で政府を非難―党集会で演説,政府はインド・アヨーディア事件を利用して国内の宗教対立を煽り,それを理由に野党の民主化運動を弾圧しようとしたと非難した。 |
DIA-301-1990-11-14-1 | バングラデシュ | 1990年11月14日 | 1990年代 | APSUによる全国ゲラオの日―各大学,カレッジでは副学長や学長室をゲラオした。 |
DIA-301-1990-11-14-2 | バングラデシュ | 1990年11月14日 | 1990年代 | JP主催の集会・デモ―ダッカでJP主催の集会・デモが行なわれ,野党の反政府運動を混乱をもたらすものとして激しく非難,JPのもとに統一するよう国民に訴えた。 |
DIA-301-1990-11-14-3 | バングラデシュ | 1990年11月14日 | 1990年代 | アダムジー・ジュート工場で野党系と政府系の労働老が衝突,5人死亡,100人負傷。この事件を契機に野党系労働組合は新たな統一戦線を組織,反政府・民主化闘争を闘うと決定した。 |
DIA-301-1990-11-17-1 | バングラデシュ | 1990年11月17日 | 1990年代 | APSUとJPの支持者衝突―今回の運動では初めてのことで,JP支持者がAPSUの集会に襲撃をかけた。 |
DIA-301-1990-11-19-1 | バングラデシュ | 1990年11月19日 | 1990年代 | 野党,暫定政権構想発表―主要8,7,5政党連合の連絡委員会は4項目からなる暫定政権構想を発表した。構想ではまずエルシャド政権の下ではいかなる選挙にも参加せず,選挙実施にも反対することを確認し,(1)エルシャド大統領は国会と閣僚会議とを解散し,中立の,非政党人で,かつ野党が受け入れられる人を副大統領に任命する,(2)エルシャド大統領が辞任し,権力を副大統領に移行,副大統領は大統領代行となり,暫定政府を樹立する。暫定政府のメンバーは次の選挙には立候補しない,(3)暫定・選挙管理政府は3カ月以内に主権を持った国民議会のための選挙を,自由・公正に実施する,(4)暫定政府は日常的業務のみを行ない,選挙管理委員会を改変してその活動内容と責任を規定,選挙に対する国民の信頼を回復する,というもの。 |
DIA-301-1990-11-19-2 | バングラデシュ | 1990年11月19日 | 1990年代 | JP,「反アナーキー集会」―エルシャド大統領(党総裁)が演説,今回の反政府運動がバングラのサウジへの派兵後に起こっていることに注目している,と述べ,こうした反政府運動は外国勢力の陰謀によるものだ,として暗にインドを非難した。 |
DIA-301-1990-11-20-1 | バングラデシュ | 1990年11月20日 | 1990年代 | 野党の24時間ハルタル―全国で野党支持者とJP支持者,警察隊とがこれまでになく激しく衝突して約250人が負傷した。 |
DIA-301-1990-11-20-2 | バングラデシュ | 1990年11月20日 | 1990年代 | BNPハレダ・ジア委員長宅が退役軍人に襲撃され,子息が負傷。BNPは党委員長を亡き者にしようとする政府の陰謀として非難。 |
DIA-301-1990-11-23-1 | バングラデシュ | 1990年11月23日 | 1990年代 | アハメド副大統領はJPの集会で演説,「野党の大衆蜂起による政権の交替は真昼の夢」であり,バングラの社会,政治状況からして,あり得ないと述べた。 |
DIA-301-1990-11-24-1 | バングラデシュ | 1990年11月24日 | 1990年代 | BNP系学生組織JCD,内部対立―ダッカ大学JCDの内部対立が再び表面化,BNPは4人の指導者をJCDから追放した。 |
DIA-301-1990-11-25-1 | バングラデシュ | 1990年11月25日 | 1990年代 | エルシャド大統領はダッカの陸軍総司令部で3軍の総参謀長,各地区駐屯の総司令官など軍指導部をあつめ,最近の政治情勢を検討した。 |
DIA-301-1990-11-25-2 | バングラデシュ | 1990年11月25日 | 1990年代 | 法曹界の75人,声明―弁護士など法曹界の75人が共同声明,エルシャド政権の退陣,暫定政権の樹立,91年5月の国会,大統領同時選挙の実施を要求した。 |
DIA-301-1990-11-26-1 | バングラデシュ | 1990年11月26日 | 1990年代 | ダッカ大学で学生同士の衝突,1人死亡,20人負傷―JCD内部対立によるものだが,背後に政府の攪乱工作があると見られている。 |
DIA-301-1990-11-27-1 | バングラデシュ | 1990年11月27日 | 1990年代 | 非常事態宣言,公布―エルシャド大統領は野党の反政府運動を抑えるため,27日夜,非常事態宣言を公布した。同時に新聞の検閲を行なうと発表,これに抗議して主要各紙は29日からの新聞発行を停止した。 |
DIA-301-1990-11-27-2 | バングラデシュ | 1990年11月27日 | 1990年代 | ヌールッディン陸軍総参謀長,サウジアラビア訪問(~30日)。 |
DIA-301-1990-12-01-1 | バングラデシュ | 1990年12月01日 | 1990年代 | 野党,APSUの呼びかけで全国ハルタル―非常事態宣言を無視して全国ハルタルが行なわれ,各地で警官隊,BDRとデモ隊とが衝突,負傷者多数を出した。 |
DIA-301-1990-12-03-1 | バングラデシュ | 1990年12月03日 | 1990年代 | エルシャド大統領,全国放送で妥協案を発表―野党の要求を一部受け入れ,以下の妥協案を発表した。(1)1991年5~6月に国会選挙と大統領選挙を同時に実施する,(2)中立的な副大統領を任命,選挙管理内閣を作る,(3)自らは総選挙立候補届け出の15日前に辞任する。 |
DIA-301-1990-12-03-2 | バングラデシュ | 1990年12月03日 | 1990年代 | 野党,大統領案受け入れを拒否。 |
DIA-301-1990-12-04-1 | バングラデシュ | 1990年12月04日 | 1990年代 | 全国ハルタル―野党はエルシャド大統領の即時辞任を求めてハルタル。3日大統領が妥協案を出さざるを得なかったことで反政府運動は一層勢いがつき,この日のハルタルと集会,デモは最大級の規模になったと伝えられる。 |
DIA-301-1990-12-04-2 | バングラデシュ | 1990年12月04日 | 1990年代 | エルシャド大統領,即時辞任を発表―4日夜,エルシャド大統領は全国テレビ,ラジオ放送を通して即時辞任を発表,野党に対し選挙管理内閣を率いる副大統領の推薦を求めた。放送後多くの人々がダッカの街に繰り出し,エルシャド辞任を喜びあったと報じられる。 |
DIA-301-1990-12-05-1 | バングラデシュ | 1990年12月05日 | 1990年代 | 野党,副大統領にシャハブッディン・アハメド最高裁長官を推薦することで一致。アハメド最高裁長官は大統領選挙実施後再び最高裁長官に戻ることを条件にこれを受け入れた。 |
DIA-301-1990-12-05-2 | バングラデシュ | 1990年12月05日 | 1990年代 | エルシャド大統領は12月8日に国会を招集すると発表。副大統領の任命について国会で承認を得るため。 |
DIA-301-1990-12-05-3 | バングラデシュ | 1990年12月05日 | 1990年代 | ダッカで10万人の勝利集会―野党各政党連合が個別に勝利集会を開き,10万人が参加した。一部デモ隊はJP党本部,大臣私邸を襲撃,JP支持者と衝突して5人が死亡した。 |
DIA-301-1990-12-05-4 | バングラデシュ | 1990年12月05日 | 1990年代 | 5万人がダッカ空港を占拠―エルシャド大統領とその家族,閣僚などが国外に逃亡できないようにするためで,空港内に入り,滑走路に座り込みデモをした。エルシャド大統領は家族とともに国外脱出をはかるため軍にヘリコプターを提供するよう求めたが,軍はこれを拒否したとも伝えられる。 |
DIA-301-1990-12-05-5 | バングラデシュ | 1990年12月05日 | 1990年代 | 11月27日以来,民主化運動の過程で全国で60人が死亡,1000人が負傷した。 |
DIA-301-1990-12-06-1 | バングラデシュ | 1990年12月06日 | 1990年代 | エルシャド大統領,国会解散―8日に国会を招集していたが,主要閣僚が身を隠し,与党議員の大部分も野党の報復を恐れて出席しない状況となったため,国会と閣僚会議を解散した。 |
DIA-301-1990-12-06-2 | バングラデシュ | 1990年12月06日 | 1990年代 | アハメド最高裁長官,大統領代行に就任―エルシャド大統領は非常事態宣言を解除,国会を解散,アハメド最高裁長官を副大統領に任命した後,正式に辞任した。これで1982年3月以来続いたエルシャド政権は正式に崩壊した。エルシャド辞任に伴いアハメド副大統領が大統領代行に就任した。 |
DIA-301-1990-12-06-3 | バングラデシュ | 1990年12月06日 | 1990年代 | ハレダBNP委員長,APSU指導者らはエルシャドとその閣僚を汚職,職権乱用で裁判にかけるよう要求した。 |
DIA-301-1990-12-07-1 | バングラデシュ | 1990年12月07日 | 1990年代 | アハメド大統領代行,全国放送―選挙管理の暫定中立政権の樹立を発表,国民に協力を訴えた。選挙は90日以内に実施するとし,自由・公正な選挙を行なうため,以下のことを公約した。(1)平和と規律の回復,(2)適切な選挙システムを作り,選管の再編,選挙法の改正を行なう,(3)顧問評議会を作り,そのメンバーは非政党人,中立で,次の選挙にも,その後1年以内の補欠選挙にも参加しない。 |
DIA-301-1990-12-07-2 | バングラデシュ | 1990年12月07日 | 1990年代 | 3野党連合,前政権要人の逮捕要求―エルシャド前大統領と夫人,汚職の前閣僚の逮捕,かれらの銀行口座の凍結,海外資産の差し押さえ,汚職調査と裁判,不法武器・弾薬の回収などを暫定政府に要求した。 |
DIA-301-1990-12-08-1 | バングラデシュ | 1990年12月08日 | 1990年代 | 大統領代行,6人の顧問を任命―閣僚会議に代わって顧問評議会を置くことにし,この日6人の顧問を任命した(顧問評議会メンバー,担当省名は「参考資料」参照)。 |
DIA-301-1990-12-08-2 | バングラデシュ | 1990年12月08日 | 1990年代 | 3軍総司令官,アハメド大統領代行と会談―大統領代行は軍の治安回復への協力に感謝の意を表明。 |
DIA-301-1990-12-08-3 | バングラデシュ | 1990年12月08日 | 1990年代 | 政府は国民の反対が強かった保健政策,教育機関(法秩序の維持)命令1990を取り消した。 |
DIA-301-1990-12-08-4 | バングラデシュ | 1990年12月08日 | 1990年代 | 大統領代行は初めて政府高官を集めて演説,経常支出を20%削減するよう要請するとともに,暫定政府の基盤は官僚機構しかないことを強調,協力を求めた。 |
DIA-301-1990-12-09-1 | バングラデシュ | 1990年12月09日 | 1990年代 | 政府はムシャラフ・ホセイン工業次官など,エルシャド前大統領に近かった官僚の更迭を始めた。11日までに8人の省次官,次官補を更迭,外交官で縁故任命の者(モヒウッディン前国連大使―エルシャド前大統領の義弟など)は召喚した。 |
DIA-301-1990-12-09-2 | バングラデシュ | 1990年12月09日 | 1990年代 | すべての県評議会議長,解任―議長は当該県出身国会議員が務めていたため。 |
DIA-301-1990-12-09-3 | バングラデシュ | 1990年12月09日 | 1990年代 | ダッカ,チッタゴン,クルナ,ラジシャヒの各市長,解任。 |
DIA-301-1990-12-09-4 | バングラデシュ | 1990年12月09日 | 1990年代 | エルシャド前大統領はBBCとのテレビ会見で,国民に謝罪するようなことは何もしていないと述べ,今後についてはまず国会議員に立候補,当選すれば大統領選挙にも立候補すると発言した。 |
DIA-301-1990-12-10-1 | バングラデシュ | 1990年12月10日 | 1990年代 | 国営銀行・保除会社,公社などの経営者評議会を解散。新メンバーは追って任命する。 |
DIA-301-1990-12-11-1 | バングラデシュ | 1990年12月11日 | 1990年代 | 大統領代行,エルシャド前大統領など16人の前閣僚の拘禁を指示。 |
DIA-301-1990-12-11-2 | バングラデシュ | 1990年12月11日 | 1990年代 | 大統領代行,軍首脳部に協力を訴え―軍総司令部で演説,現在必要なことは選挙を平和裡に行なうため,法と秩序を回復することであると述べ,軍が選挙において中立を守り,自由・公正な選挙が実施できるよう協力を訴えた。 |
DIA-301-1990-12-11-3 | バングラデシュ | 1990年12月11日 | 1990年代 | ハッサン前内相(退役少将),自宅軟禁。 |
DIA-301-1990-12-12-1 | バングラデシュ | 1990年12月12日 | 1990年代 | エルシャド前大統領,保護拘禁に―エルシャド前大統領と夫人は軍駐屯地の自宅で逮捕され,グルシャンの政府管理の家に収容された。政府は野党各派がエルシャド前大統領とその夫人などを汚職,殺人,不正蓄財などで裁判にかけるよう要求しており,不測の事態が起こらないよう保護拘禁したと発表している。収容された家はかつての英国大使公邸。 |
DIA-301-1990-12-13-1 | バングラデシュ | 1990年12月13日 | 1990年代 | モアッザム・ホセイン前副首相,逮捕―JPの書記長でもあったホセイン氏は隠れ家に潜んでいたところを逮捕された。 |
DIA-301-1990-12-13-2 | バングラデシュ | 1990年12月13日 | 1990年代 | 大統領代行はさらに前閣僚5人の拘禁を指示。 |
DIA-301-1990-12-15-1 | バングラデシュ | 1990年12月15日 | 1990年代 | 公務員の物価手当引き上げ―政府は12月1日から公務員の物価手当を基本給の10%引き上げると発表した。ただしこれは暫定的な措置。 |
DIA-301-1990-12-15-2 | バングラデシュ | 1990年12月15日 | 1990年代 | 選挙管理委員会メンバー,任命―大統領代行は選挙管理委員会にホセイン・カーン判事,委員に2人の判事を任命した。しかしホセイン・カーン判事は90年2月,エルシャド前大統領が選管委員長に任命した人であったため野党が反発,12月24日辞任した。 |
DIA-301-1990-12-15-3 | バングラデシュ | 1990年12月15日 | 1990年代 | 国民議会選挙は3月2日と発表。 |
DIA-301-1990-12-15-4 | バングラデシュ | 1990年12月15日 | 1990年代 | エルシャド前大統領の財産を公的財産と私物に分けるための委員会(8人)を設置。 |
DIA-301-1990-12-17-1 | バングラデシュ | 1990年12月17日 | 1990年代 | 汚職・職権乱用調査委員会を設置―大統領代行は前政権時代の大統領,閣僚,官僚,政府機関高級職員などの汚職,職権乱用を調査するため,3人からなる委員会を設置した。委員長はアンサルッディン最高裁判事。委員はマンナン歳入局長,ホク首都警察長官。 |
DIA-301-1990-12-17-2 | バングラデシュ | 1990年12月17日 | 1990年代 | タイガー・シデイキ,16年ぶりに帰国―カデル・シディキはBALの活動家であったが,1975年8月のクーデター後はインドに「亡命」。独立戦争当時からタイガーと名乗っていた。 |
DIA-301-1990-12-19-1 | バングラデシュ | 1990年12月19日 | 1990年代 | 国会選挙,2月27日に変更。 |
DIA-301-1990-12-20-1 | バングラデシュ | 1990年12月20日 | 1990年代 | マウドゥド・アハメド前副大統領,自宅軟禁。 |
DIA-301-1990-12-21-1 | バングラデシュ | 1990年12月21日 | 1990年代 | 政府,刑訴法の改正―収賄の罰則を強化し,最大終身刑までとするもので,収賄の範囲も拡大。 |
DIA-301-1990-12-21-2 | バングラデシュ | 1990年12月21日 | 1990年代 | 前工業省次官とその夫人,逮捕。エルシャド前大統領の汚職に関与したとして。 |
DIA-301-1990-12-22-1 | バングラデシュ | 1990年12月22日 | 1990年代 | チッタゴン大学で学生グループの衝突,大学は無期閉鎖―JI系学生とその他学生組織が衝突したもので,2人死亡,100人負傷。 |
DIA-301-1990-12-24-1 | バングラデシュ | 1990年12月24日 | 1990年代 | 選挙管理委員長,更迭―12月15日に任命された委員長がエルシャド前大統領の任命人事であったことから野党が反発したためで,新委員長にはアブドゥル・ロウフ最高裁判事が任命された。他の2人のメンバーのうち一人も辞任。 |
DIA-301-1990-12-24-2 | バングラデシュ | 1990年12月24日 | 1990年代 | 政府次官級の人事交替。人心一新のためという。 |
DIA-301-1990-12-24-3 | バングラデシュ | 1990年12月24日 | 1990年代 | 汚職摘発局(ACB),ザファール・イマーム前法相(退役中佐)に対し2件の汚職容疑で起訴。26日はマンナン前閣僚,27日はマレク(退役少佐)も汚職容疑で起訴。 |
DIA-301-1990-12-27-1 | バングラデシュ | 1990年12月27日 | 1990年代 | 3政党連合は選挙戦でお互いに相手政党連合の選挙妨害をしないと約束。 |
DIA-301-1990-12-29-1 | バングラデシュ | 1990年12月29日 | 1990年代 | ダッカ中央刑務所で暴動―前政権によって逮捕された政治犯を直ちに釈放するよう主張して受刑者が暴動を起こし,警官隊と衝突,3人死亡,100人負傷。この間に22人が脱獄した。 |
DIA-301-1990-12-31-1 | バングラデシュ | 1990年12月31日 | 1990年代 | チッタゴン中央刑務所でも暴動―政治犯が釈放を求めて暴動を起こしたもので,2人死亡,25人負傷。脱獄者はいないという。 |
DIA-301-1990-12-31-2 | バングラデシュ | 1990年12月31日 | 1990年代 | JP執行委員会,エルシャド前大統領の拘禁により,ミザヌール・ラーマン・チョウードリを委員長代行に選任。書記長代行はシャージャハーン。 |
DIA-301-1990-12-31-3 | バングラデシュ | 1990年12月31日 | 1990年代 | 国会選挙で使用しうる選挙シンボル,73が発表された。各党は自党の選挙シンボルを決めて選管に届け出る。複数の党が同じシンボルを申請した場合は抽選。 |
DIA-301-1991-01-01-1 | バングラデシュ | 1991年01月01日 | 1990年代 | ジェソール刑務所でも暴動-チッタゴンに続きジェソール刑務所でもエルシャド時代に戒厳令違反で受刑中の囚人が即時釈放を求めて暴動,死者2人。 |
DIA-301-1991-01-01-2 | バングラデシュ | 1991年01月01日 | 1990年代 | 国民党(JP),国会選挙参加を決定。 |
DIA-301-1991-01-03-1 | バングラデシュ | 1991年01月03日 | 1990年代 | 全党学生連合(APSU),JPの政治活動禁止要求。 |
DIA-301-1991-01-04-1 | バングラデシュ | 1991年01月04日 | 1990年代 | 民族社会党(JSD-Inu派)はBALと民族主義党(BNP)党首に,民主主義を制度的に確立するため,国会選挙には民主勢力が統一候補をたてて参加し,3年間は挙国一致内閣を作るよう呼びかけた。 |
DIA-301-1991-01-05-1 | バングラデシュ | 1991年01月05日 | 1990年代 | 8政党連合,5政党連合は選挙協定を結ぶことで合意した。 |
DIA-301-1991-01-07-1 | バングラデシュ | 1991年01月07日 | 1990年代 | カレダBNP委員長はダッカでの演説のなかで,BNPが政権をとれば,グラム・ショルカール(村議会)を復活させると述べた。 |
DIA-301-1991-01-07-2 | バングラデシュ | 1991年01月07日 | 1990年代 | 汚職摘発局はエルシャド前大統領を権力乱用と公金不正利用で告発。またダッカ首都Magistrateは前閣僚のM.M.Mannanなど4人に出頭命令。 |
DIA-301-1991-01-07-3 | バングラデシュ | 1991年01月07日 | 1990年代 | 選挙管理委員会,候補者1人当りの選挙費用上限を30万タカに設定。 |
DIA-301-1991-01-07-4 | バングラデシュ | 1991年01月07日 | 1990年代 | APSUの指導者6人が選挙に出馬。所属する政党はBNPが3人,BAL2人,共産党1人。 |
DIA-301-1991-01-10-1 | バングラデシュ | 1991年01月10日 | 1990年代 | 政府はイラクの大使館閉鎖を決定。 |
DIA-301-1991-01-10-2 | バングラデシュ | 1991年01月10日 | 1990年代 | 内務省は2000人の政治犯を釈放すると発表。 |
DIA-301-1991-01-10-3 | バングラデシュ | 1991年01月10日 | 1990年代 | JP,党ダッカ県副委員長を除名。選挙でBNPの党公認を受けたため。 |
DIA-301-1991-01-11-1 | バングラデシュ | 1991年01月11日 | 1990年代 | 前Cabinet Secretary,M.K.Anwar,BNPに入党-コミラから国会議員に立候補するためで,BNPに入る前にはBALに党公認を求めて拒否されている。 |
DIA-301-1991-01-14-1 | バングラデシュ | 1991年01月14日 | 1990年代 | ラングプールの選挙管理事務局はエルシャド前大統領や前閣僚を含む56人の立候補届けを,書類および手続きの不備を理由に受付拒否。 |
DIA-301-1991-01-14-2 | バングラデシュ | 1991年01月14日 | 1990年代 | カレダ・ジアBNP委員長は現行有権者リストを批判-リストには脱落,記入洩れ,間違いが多く,これでは選挙の公正を期すことができないと述べた。 |
DIA-301-1991-01-15-1 | バングラデシュ | 1991年01月15日 | 1990年代 | シャハブッディン大統領代行,全国放送-ラジオ・テレビを通して,最近の政党間の衝突に懸念を表明するとともに,選挙時の法と秩序維持のため,警察,村落警察,BDRのほか軍を出動させると発表した。またエルシャド前大統領については,法のもとに裁かれるだろうと述べた。前大統領は汚職摘発局からは公金不正使用で,またMagistrateからは武器8点の不法所持と1910万タカ所有で告訴されている。 |
DIA-301-1991-01-16-1 | バングラデシュ | 1991年01月16日 | 1990年代 | 選挙管理委員会,選挙シンボル90点を配分-選挙法で選挙には140のシンボルを使えることになっているが,このうち90は政党,政党連合あるいは統一戦線に配分,残り50は無所属の立候補者に配分する。 |
DIA-301-1991-01-17-1 | バングラデシュ | 1991年01月17日 | 1990年代 | 米軍,イラクを攻撃。アハメド外務担当顧問は深い遺憾の意を表明,関係諸国にクウェートに関する国連決議に従い,直ちに戦争を止めるよう呼びかけた。 |
DIA-301-1991-01-17-2 | バングラデシュ | 1991年01月17日 | 1990年代 | ダッカ市で湾岸戦争反対デモ-APSU主催のデモで,米軍の即時撤退を求めた。ダッカ市民はガソリンの買溜に走り,ガソリンタンクが空になった。 |
DIA-301-1991-01-17-3 | バングラデシュ | 1991年01月17日 | 1990年代 | カディル・シディキ,逮捕-内務省は1978年,身柄不在のまま有罪判決を受けていたカディル・シディキを逮捕したと発表した。シディキは75年8月のクーデター後インドに亡命,90年12月に帰国していた。 |
DIA-301-1991-01-17-4 | バングラデシュ | 1991年01月17日 | 1990年代 | 選挙管理委員会は先にラングプール事務局が無効としていたエルシャド前大統領の立候補届けを有効と判定。 |
DIA-301-1991-01-18-1 | バングラデシュ | 1991年01月18日 | 1990年代 | 計画委員会,29のタスクフォースを設置-バングラデシュの経済開発を促進するため,2月末までにテーマごとの問題点を指摘,その解決策を提示するもので,約200人の専門家が参加する。 |
DIA-301-1991-01-20-1 | バングラデシュ | 1991年01月20日 | 1990年代 | ラングプール県知事,更迭-選挙管理事務官を務める県知事がエルシャド前大統領の立候補届け受理を拒否したためと見られている。 |
DIA-301-1991-01-24-1 | バングラデシュ | 1991年01月24日 | 1990年代 | 前首相など11人に出頭命令-司法当局はザファール・アハメド前首相らエルシャド政権閣僚12人に,7日以内にダッカ中央刑務所当局まで出頭するよう命じた。かれらは90年12月にSpecial Power Actで120日の身柄拘留の決定を受けていたが身を隠しているため。 |
DIA-301-1991-01-24-2 | バングラデシュ | 1991年01月24日 | 1990年代 | 選挙管理委員会,選挙要項案を発表-選挙を公平・自由・平穏に実施するため,11項目の要項(Code of Conduct)案を各政党に提示した。要項案のなかで全政党調整委員会の設置を提案している点が注目される。 |
DIA-301-1991-01-24-3 | バングラデシュ | 1991年01月24日 | 1990年代 | BNP,党選挙調整委員会を設置-委員長はタルクダール書記長,メンバーはCol.(退)Oli Ahmedら7人。党広報委員会も設置した。委員長はLt.Gen(退)Mustafizur Rahman,メンバーはMaj(退)Sayed Sikander,Brig(退)Hannan Shahら7人。 |
DIA-301-1991-01-26-1 | バングラデシュ | 1991年01月26日 | 1990年代 | サウジアラビアのリヤドで3人のバングラデシュ人がミサイルのため負傷。 |
DIA-301-1991-01-26-2 | バングラデシュ | 1991年01月26日 | 1990年代 | 前閣僚2人,逮捕-出頭命令の出されていた11人のうちの2人。 |
DIA-301-1991-01-26-3 | バングラデシュ | 1991年01月26日 | 1990年代 | バングラデシュ航空のATP航空機購入不正事件で前大統領,前民間航空相,同国務相,政府高官2人が告発された。かれらはブリティッシュ・アエロスペース社のATP航空機3機を高く購入してリベートを取り,国庫に2200万タカの損失を与えた疑い。 |
DIA-301-1991-01-28-1 | バングラデシュ | 1991年01月28日 | 1990年代 | BNP,選挙綱領を発表-カレダ・ジアBNP委員長は記者会見で党の選挙綱領を発表した。綱領は1980年に故ジアウル・ラーマン大統領が提唱した19項目プログラムに基づき,国民のベーシック・ニーズを満たす政策の実現を目指すとしている。エルシャド前大統領については,選挙前にも裁判を開始するよう要求した。 |
DIA-301-1991-01-30-1 | バングラデシュ | 1991年01月30日 | 1990年代 | 政府はUP議長に政治的中立を守るよう指示。 |
DIA-301-1991-01-31-1 | バングラデシュ | 1991年01月31日 | 1990年代 | 5政党連合,選挙綱領を発表。 |
DIA-301-1991-02-02-1 | バングラデシュ | 1991年02月02日 | 1990年代 | 前閣僚の資産没収-警察は出頭命令を無視している前閣僚の資産没収を始めた。 |
DIA-301-1991-02-06-1 | バングラデシュ | 1991年02月06日 | 1990年代 | BAL,選挙綱領を発表-ハシナBAL委員長が記者会見,1972年憲法への復帰,民間部門の重視と規制緩和などを含む選挙綱領を発表した。 |
DIA-301-1991-02-06-2 | バングラデシュ | 1991年02月06日 | 1990年代 | エルシャド前大統領の資金係と言われたNaziur Rahman前閣僚のボーラ島の資産没収。 |
DIA-301-1991-02-06-3 | バングラデシュ | 1991年02月06日 | 1990年代 | BOIの調査によれば,1985年から90年までに設立を認可され,あるいは登録した企業7531件のうち,4422件がどこにも存在していなかったという。 |
DIA-301-1991-02-07-1 | バングラデシュ | 1991年02月07日 | 1990年代 | APSU,米大使を批判-APSUは米大使が大統領代行に会い,エルシャド前大統領の処遇について発言したとして,米国の内政干渉と批判した。数名の米議員も大統領代行に書簡を送り同様な要請をしている。 |
DIA-301-1991-02-08-1 | バングラデシュ | 1991年02月08日 | 1990年代 | ハシナBAL委員長は北西部で演説,BALが政権を取ればジャムナ橋建設,洪水対策,シラジガンジ市街地保護プロジェクトを優先的に実施すると述べた。 |
DIA-301-1991-02-10-1 | バングラデシュ | 1991年02月10日 | 1990年代 | 立候補者数確定-定員298議席の主要政党立候補者はBNP 298,BAL 262,BALを除く8政党連合36,JP 270,Zaker党249,JI 220,ML 82,JSD(Rab)160,JSD(Inu)63で,他に無所属424人,合計2774人。 |
DIA-301-1991-02-15-1 | バングラデシュ | 1991年02月15日 | 1990年代 | イラクがクウェートから撤退する用意があると発表したことに関し,バ外務省は歓迎の意を表した。 |
DIA-301-1991-02-18-1 | バングラデシュ | 1991年02月18日 | 1990年代 | ハシナBAL委員長はバリサルで演説,国民はエルシャド=ジア型の汚職政権を求めていないと述べた。選挙が近づくにつれ,政党間の攻撃も露骨になってきた。 |
DIA-301-1991-02-18-2 | バングラデシュ | 1991年02月18日 | 1990年代 | BIDSの選挙候補者調査-BIDSが30県庁所在地と61ウポジラで調査したところによれば,立候補者の88%は大学卒以上,69%が高い収入を得ており,大多数が都市に住んでいる。 |
DIA-301-1991-02-19-1 | バングラデシュ | 1991年02月19日 | 1990年代 | NGO研究機関の立候補者調査-民主フォーラムとマーケット・リサーチ・コンサルタントの調査では,立候補者の63%が議院内閣制を支持,65%がイスラムの国教化に反対,92%が軍による支配に反対している。またBAL,CPB,5政党連合はベンガリ・ナショナリズムを,BNPとJPはバングラデシュ・ナショナリズムを,JIはバングラデシュ・ムスリム・ナショナリズムを主張。 |
DIA-301-1991-02-20-1 | バングラデシュ | 1991年02月20日 | 1990年代 | 日本から9人の選挙監視団が到着。SAARCのNGO団体30人も到着。 |
DIA-301-1991-02-21-1 | バングラデシュ | 1991年02月21日 | 1990年代 | ダッカのイラク大使館によれば,イラクでバングラデシュ人6人が爆撃の犠牲者となった。 |
DIA-301-1991-02-23-1 | バングラデシュ | 1991年02月23日 | 1990年代 | 選管,選挙準備完了-有権者登録数6228万9556人,投票所は全国2万4142カ所。298議席(2議席は立候補者死去で延期)をめぐって,76政党から2350人,無所属424人。過去の立候補者数は73年が1089,79年が2125,86年が1527,88年が978人で,今回は最高。このうち女性は37人,少数派から95人,退役軍人が36人。 |
DIA-301-1991-02-25-1 | バングラデシュ | 1991年02月25日 | 1990年代 | BAL,BNP委員長,ラジオ・テレビで選挙演説。また両委員長はそれぞれダッカで最後の演説をし,国民に支持を訴えた。 |
DIA-301-1991-02-25-2 | バングラデシュ | 1991年02月25日 | 1990年代 | ヌールッディン・カーン陸軍総参謀長は自由・公正な選挙実現のため国軍にその任務を全うするよう命じた。 |
DIA-301-1991-02-26-1 | バングラデシュ | 1991年02月26日 | 1990年代 | シャハブッディン大統領代行,全国放送-ラジオ・テレビを通して国民に自由かつ公正な選挙への脇力を訴えた。 |
DIA-301-1991-02-27-1 | バングラデシュ | 1991年02月27日 | 1990年代 | 第5回国民議会選挙,実施-軍,BDR,警察などの警備のもとで,これまでで最も平穏かつ自由,公正に選挙が行なわれた。ただしコミラ4区,チッタゴンの12投票センターでは政党間の衝突で選挙が中止され,再選挙を行なう。 |
DIA-301-1991-02-27-2 | バングラデシュ | 1991年02月27日 | 1990年代 | SAARC選挙監視団は選挙について「SAARC諸国にとって貴重な経験であった」として高く評価した。またバングラデシュ法律家監視チームも選挙は一部で暴力事件があったがほぼ平穏に行なわれたと評価した。英連邦監視団は「今回の選挙は国民の勝利だ」と述べた。 |
DIA-301-1991-02-28-1 | バングラデシュ | 1991年02月28日 | 1990年代 | BNP,勝利-非公式集計によれば,結果が伝えられた291選挙区のうちBNPは140選挙区で勝利,BALは84議席に留まった。BNPのカレダ・ジア委員長は5選挙区から立候補,すべてで当選した。一方,BALのハシナ委員長は3選挙区から立候補したが,ゴパルガンジで当選しただけ。 |
DIA-301-1991-02-28-2 | バングラデシュ | 1991年02月28日 | 1990年代 | ハシナBAL委員長は記者会見でこうした結果がでることを国民は期待していないと述べた。また選挙についてはいくつかの投票所で不正投票があったと述べた。 |
DIA-301-1991-03-01-1 | バングラデシュ | 1991年03月01日 | 1990年代 | 海外からの各選挙監視団は今回の選挙についてほぼ及第点を付けている。SAARC4カ国のNGO監視団,日本の議員団,英国議員団など。 |
DIA-301-1991-03-01-2 | バングラデシュ | 1991年03月01日 | 1990年代 | カレダ・ジアBNP委員長,記者会見-必要なら連立政権をつくると述べたが,大統領制か議院内閣制かの問題についての明確な態度表明は避けた。 |
DIA-301-1991-03-01-3 | バングラデシュ | 1991年03月01日 | 1990年代 | JP委員長代行M.R.Chowdhuryは選挙で当選したエルシャド前大統領,元副大統領Moudud Ahmed,元内相M.Hasan,JP書記長Shah Moazzem Hossainの釈放を要求した。 |
DIA-301-1991-03-02-1 | バングラデシュ | 1991年03月02日 | 1990年代 | 大統領代行,議会招集は4月5日と発表。 |
DIA-301-1991-03-02-2 | バングラデシュ | 1991年03月02日 | 1990年代 | ハシナBAL委員長,辞意表明-選挙での敗北の責任をとって。一方,ハシナ委員長は選挙で不正があったとして選管を非難している。 |
DIA-301-1991-03-02-3 | バングラデシュ | 1991年03月02日 | 1990年代 | 米国,中国大使,カレダ・ジアBNP委員長を訪問。 |
DIA-301-1991-03-02-4 | バングラデシュ | 1991年03月02日 | 1990年代 | 前チッタゴン市長でJP書記,逮捕-エルシャド前大統領の釈放を要求してハンストしていたため。 |
DIA-301-1991-03-03-1 | バングラデシュ | 1991年03月03日 | 1990年代 | BAL中央執行委員会,ハシナ委員長に辞意撤回を要請。5日,ハシナ委員長は辞意撤回。 |
DIA-301-1991-03-04-1 | バングラデシュ | 1991年03月04日 | 1990年代 | BAL,BNP政権樹立に反対-BAL代表は大統領代行と会談。国民議員選挙がまだ完了していないこと,BNPは国会の過半数の支持を得ていないこと,BNP政権ができれば大統領代行の中立性が失われることを理由に,現状でのBNP閣僚任命に反対した。 |
DIA-301-1991-03-04-2 | バングラデシュ | 1991年03月04日 | 1990年代 | 米,3億㌦の債務取消し。 |
DIA-301-1991-03-05-1 | バングラデシュ | 1991年03月05日 | 1990年代 | 当選した各政党代表,大統領代行と会談-大統領代行はBNP指導者に国会招集前に閣僚会議の任命をすると述べた。人民党,労働者党,BAKSAL,NAP(M)の4政党代表は,もしBNPが議院内閣制に移行させるならばBNPを支持すると述べた。 |
DIA-301-1991-03-06-1 | バングラデシュ | 1991年03月06日 | 1990年代 | ハシナBAL委員長はジャマルプールでの集会で2月27日の選挙は自由であったが,しかし全く公正に行なわれたというわけにはいかないと述べた。 |
DIA-301-1991-03-06-2 | バングラデシュ | 1991年03月06日 | 1990年代 | カレダBNP委員長,ダッカで勝利集会。 |
DIA-301-1991-03-07-1 | バングラデシュ | 1991年03月07日 | 1990年代 | 選挙の公式結果発表-選管は選挙実施された298議席のうち294議席の選挙結果を発表した。残り4議席は21投票所での再選挙(3月9日)後確定する。2議席は3月14日と28日に選挙が延期された。BNPは138,BALは85,JPが35,JIが18,CPB,BAKSALは各5,無所属3,NAP-M,JSD-S,IOJ,WP,GPが各1。 |
DIA-301-1991-03-09-1 | バングラデシュ | 1991年03月09日 | 1990年代 | 再選挙の結果,3議席はBALが,1議席はNDPが獲得した。 |
DIA-301-1991-03-10-1 | バングラデシュ | 1991年03月10日 | 1990年代 | 計画担当顧問,29タスク・フォースの報告書を大統領代行に提出。 |
DIA-301-1991-03-11-1 | バングラデシュ | 1991年03月11日 | 1990年代 | Jamaat-i-Islamは大統領代行に書簡を送り,新政府の組閣に当たりBNPを支持すると伝えた。 |
DIA-301-1991-03-11-2 | バングラデシュ | 1991年03月11日 | 1990年代 | サウジアラビア大使はM・R・チョウドリJP委員長代行を訪問,湾岸戦争におけるエルシャド政権の役割を高く評価した。 |
DIA-301-1991-03-14-1 | バングラデシュ | 1991年03月14日 | 1990年代 | 大統領代行,15日の顧問評議会解散を発表。 |
DIA-301-1991-03-14-2 | バングラデシュ | 1991年03月14日 | 1990年代 | 候補者死亡で延期されていた1選挙区で選挙が実施され,BNPが当選。 |
DIA-301-1991-03-17-1 | バングラデシュ | 1991年03月17日 | 1990年代 | 前BAL国会議員Asadul Huq Khasfu,JPに入党。 |
DIA-301-1991-03-17-2 | バングラデシュ | 1991年03月17日 | 1990年代 | ラマダーン,始まる。 |
DIA-301-1991-03-18-1 | バングラデシュ | 1991年03月18日 | 1990年代 | APSU,武器不法所持で告訴されたエルシャドの裁判を急ぐよう要求。 |
DIA-301-1991-03-18-2 | バングラデシュ | 1991年03月18日 | 1990年代 | 大統領代行,BNPを除く主要政党指導者と会見-席上代行は政治形態は関係政党が協議して決めるよう要請し,それまでは現行憲法に従うと述べた。 |
DIA-301-1991-03-18-3 | バングラデシュ | 1991年03月18日 | 1990年代 | 必需品価格,18%上昇-消費者協会(BCA)は,ラマダンにはいって必需品の価格が上昇,前年ラマダン期比18%増になったと発表した。 |
DIA-301-1991-03-19-1 | バングラデシュ | 1991年03月19日 | 1990年代 | カレダ・ジアBNP委員長,首相に任命さる-シャハブッディン大統領代行はカレダ・ジアBNP委員長を首相に任命するとともに,BNPの作成した名簿に従い,閣内相10人,国務相21人を任命した。 |
DIA-301-1991-03-20-1 | バングラデシュ | 1991年03月20日 | 1990年代 | カレダ・ジア内閣,発足-カレダ・ジアを首相とする32人の閣僚が大統領代行に宣誓,カレダ内閣が正式に発足した。宣誓式に主要野党は欠席した。 |
DIA-301-1991-03-20-2 | バングラデシュ | 1991年03月20日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,記者会見-選挙綱領の実現に向けて,エルシャド時代に破綻した経済と行政の再建に努力すると述べた。 |
DIA-301-1991-03-20-3 | バングラデシュ | 1991年03月20日 | 1990年代 | BAL,カレダ・ジア内閣成立を批判-BAL執行委員会は声明を発表,大統領代行がジア内閣を任命したことについて,代行は国民の意向を無視してその中立性を失ったと批判。また大統領代行がジア内閣を任命したことについては,こうした任命はジア内閣が大統領代行だけに責任を持つことであり,去年11月の野党合意に反するものだと強く批判,合意では議会は主権を持つとされており,それは議院内閣制を意味すると述べた。 |
DIA-301-1991-03-21-1 | バングラデシュ | 1991年03月21日 | 1990年代 | カレダ・ジア内閣初閣議-大統領代行が主催,経済状況について討議した。 |
DIA-301-1991-03-23-1 | バングラデシュ | 1991年03月23日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相は各省次官など政府高官を集め,行政機構からあらゆる汚職を追放しようと訴えた。また首相は自分の給与を教育部門に献金すると述べた。 |
DIA-301-1991-03-24-1 | バングラデシュ | 1991年03月24日 | 1990年代 | サウジアラビアおよびクウェート政府は湾岸戦争以前に同国で働いていたバングラデシュ人に再入国ビザを発行すると伝えた。 |
DIA-301-1991-03-27-1 | バングラデシュ | 1991年03月27日 | 1990年代 | コミラ刑務所で暴動,逃亡を企てた受刑者8人が死亡,25人負傷。 |
DIA-301-1991-03-28-1 | バングラデシュ | 1991年03月28日 | 1990年代 | 候補者死亡で延期されたクシティアで選挙,BNP勝利。 |
DIA-301-1991-03-28-2 | バングラデシュ | 1991年03月28日 | 1990年代 | ダッカ医科大学,無期休校-学生の派閥闘争で多数の負傷者を出したため。 |
DIA-301-1991-03-30-1 | バングラデシュ | 1991年03月30日 | 1990年代 | 婦人リザーブ30議席の選挙実施-国会議員による間接選挙で,BNP 28議席,JI 2議席を獲得した。 |
DIA-301-1991-03-30-2 | バングラデシュ | 1991年03月30日 | 1990年代 | 選挙の最終結果-婦人議席の選挙で330人の国会選挙がすべて終了したことになる。複数議席から当選した人は一つを除いて他は辞退しており,この辞退により生じた空席は補欠選挙される。現在の議員数はBNP 164,AL 87,JP 31,JI 20,その他18で,10議席は補欠選挙。 |
DIA-301-1991-03-31-1 | バングラデシュ | 1991年03月31日 | 1990年代 | ドュベイ・インド外務次官,訪バ-カレダ・ジア首相と会談,シェカール首相の親書を手渡した。ジア首相は両国は新たな友好の時代を迎え,インドとの懸案問題は話し合いによって解決したいと述べた。その後インド外務次官はBALのハシナ委員長を表敬訪問した。 |
DIA-301-1991-03-31-2 | バングラデシュ | 1991年03月31日 | 1990年代 | チッタゴンのカーン・グループ総師A.K.Khan死去。バングラデシュ企業家のパイオニア。 |
DIA-301-1991-03-31-3 | バングラデシュ | 1991年03月31日 | 1990年代 | エルシャド前政権の汚職,権力乱用を調査するために設置された委員会(委員長A.Ahmad判事)は報告書第1部を大統領代行に提出した。疑惑とされた53件のうち43件でその疑惑が証明されたといわれる。 |
DIA-301-1991-04-01-1 | バングラデシュ | 1991年04月01日 | 1990年代 | コラミで龍巻,8人死亡,200人負傷,2万人が被災。 |
DIA-301-1991-04-02-1 | バングラデシュ | 1991年04月02日 | 1990年代 | 大統領代行,BAL代表と会見-BALはBNP政権樹立に反対したが,大統領代行は政府の形態をどうするかは国会の場で討議すべきことで,現状では現行憲法に基づいて内閣を樹立させるしかないと述べた。 |
DIA-301-1991-04-03-1 | バングラデシュ | 1991年04月03日 | 1990年代 | JP国会議員28人,宣誓-JPはエルシャド釈放を宣誓の条件としていたが,宣誓をしないと議席を失うことからこの日宣誓を行なった。エルシャド前大統領は他の拘留中のJP議員とともに警官に守られて出席した。残り3人のJP議員(前首相,通信相,農相)は地下にもぐり,宣誓式には姿を見せていない。 |
DIA-301-1991-04-03-2 | バングラデシュ | 1991年04月03日 | 1990年代 | BAL,憲法改正草案を準備-BALは議院内閣制に復帰するための憲法改正草案を作成中。 |
DIA-301-1991-04-04-1 | バングラデシュ | 1991年04月04日 | 1990年代 | エルシャド前大統領は他の拘禁中のJP議員と同様,国会議員としての議会出席を許可されなかった。 |
DIA-301-1991-04-05-1 | バングラデシュ | 1991年04月05日 | 1990年代 | 第5次国民議会,招集シャルブッディン大統領代行は第5次国会を召集,国会は議長にA.R.Biswasを,副議長にSheikh Razak Aliを選出した。国会議長の選挙に当たってJP議員はエルシャド前大統領の出席を拒否されたことに抗議して退場した。国会で大統領代行が開会演説,民主主義の新たな時代を迎えた今,各政党は協力して民主主義を守っていくよう訴えた。 |
DIA-301-1991-04-05-2 | バングラデシュ | 1991年04月05日 | 1990年代 | BAL,弁護士Serajul Haqを党議長団から解任,暫定的に党員資格を凍結した。 |
DIA-301-1991-04-05-3 | バングラデシュ | 1991年04月05日 | 1990年代 | 大卒失業者数,増加-公務員委員会の報告によれば,1990年に上級職欠員1人当りの求職者は151人(84年は21人)にも達し,これは大卒後も就職していないものが急増していることを示している。 |
DIA-301-1991-04-06-1 | バングラデシュ | 1991年04月06日 | 1990年代 | パキスタン特使,訪バ(~9日)-首相特使としてビジュラニ鉄道相が訪バ,カレダ・ジア首相など政府高官と会談。またハシナBAL委員長とも会談。 |
DIA-301-1991-04-11-1 | バングラデシュ | 1991年04月11日 | 1990年代 | 第6回バングラデシュ・中国合同経済会議,開催-中国から王文東対外経済関係貿易部副部長が訪バ,ERDチョウドゥリ次官と会談,経済・技術協力を一層拡大することで合意した。 |
DIA-301-1991-04-11-2 | バングラデシュ | 1991年04月11日 | 1990年代 | メトロポリタン商工会議所はIMFの勧告する「柔軟な為替レートの採用と輸入規制緩和」政策は輸出促進や国際収支改善にとって有効ではないと批判した。 |
DIA-301-1991-04-19-1 | バングラデシュ | 1991年04月19日 | 1990年代 | エルシャド前大統領はグルシャンの前英国大使公邸から中央刑務所に移された。 |
DIA-301-1991-04-20-1 | バングラデシュ | 1991年04月20日 | 1990年代 | UNIKOMに7人の将校を派遣-政府は国連イラク・クウェート監視団(UNIKOM)に7人の将校を派遣すると発表した。 |
DIA-301-1991-04-20-2 | バングラデシュ | 1991年04月20日 | 1990年代 | タルクダールBNP書記長は声明を発表。19日にインド国境警備隊がクシティア国境で発砲,BDR1人と市民3人が死亡したことについてインド政府に抗議した。 |
DIA-301-1991-04-21-1 | バングラデシュ | 1991年04月21日 | 1990年代 | JP委員長代行,逮捕-ミザヌール・チョウドリJP委員長代理はその夫人と2人の子息と共に汚職容疑で逮捕され,ジェソールに送られた。子息たちはPionner Pharmaceuticals Ltd.の役員を務めている。 |
DIA-301-1991-04-22-1 | バングラデシュ | 1991年04月22日 | 1990年代 | ダッカ市人口は700万人-地方行政相が議会で述べたもので,このうち170万人がスラムに住んでいる。農村の失業者増加とエロージョンが都市スラムの増加をもたらす一つの原因という。 |
DIA-301-1991-04-23-1 | バングラデシュ | 1991年04月23日 | 1990年代 | インド・バングラデシュ両国代表はガンジス河水配水に関する2日間の次官級会議を始めた。バングラデシュはN.A.Malik灌漑省次官が,インドはチャタル水資源省次官が出席。 |
DIA-301-1991-04-24-1 | バングラデシュ | 1991年04月24日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相は国会で刑務所暴動事件について説明,Special Power Act 1974の撤廃について検討中であることを明らかにし,これまで前政権時代に不法に拘禁されていた受刑者5539人を釈放したと述べた。 |
DIA-301-1991-04-24-2 | バングラデシュ | 1991年04月24日 | 1990年代 | BAL,憲法改正案を国会に提出-現在の大統領制から議院内閣制に変更すること目的とした憲法改正案。 |
DIA-301-1991-04-27-1 | バングラデシュ | 1991年04月27日 | 1990年代 | 銀行不正貸し出し-大蔵担当相は国会での質問に答え,1982年から90年までに国営銀行が不正に貸し出した金額は4億2000万タカ,このうち1億2784万タカは回収されたと述べた。 |
DIA-301-1991-04-28-1 | バングラデシュ | 1991年04月28日 | 1990年代 | 失業青年は1380万人-食料担当相は国会で,現在失業中の青年は約1380万人と推計されると述べた。 |
DIA-301-1991-04-29-1 | バングラデシュ | 1991年04月29日 | 1990年代 | 最大級のサイクロン,沿岸地域を襲う-コックス・バザル,ボーラ島などは時速120㌔の暴風に襲われ,また高潮の被害も受けて,惨状を呈している。 |
DIA-301-1991-04-29-2 | バングラデシュ | 1991年04月29日 | 1990年代 | サイクロン救済のため国会は3日間休会。 |
DIA-301-1991-04-30-1 | バングラデシュ | 1991年04月30日 | 1990年代 | サィクロンと高潮の被害,広がる-被害はチッタゴン港や近くの輸出加工区および沿岸部一帯に及び,通信が跡絶えて死者数は集計できない状況。 |
DIA-301-1991-04-30-2 | バングラデシュ | 1991年04月30日 | 1990年代 | 緊急救援委員会設置-政府は首相を委員長とする緊急救援委員会を設置した。 |
DIA-301-1991-04-30-3 | バングラデシュ | 1991年04月30日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,被災者救済・復興援助を全世界に訴え。 |
DIA-301-1991-05-02-1 | バングラデシュ | 1991年05月02日 | 1990年代 | サイクロン被災,拡大-救援復興担当相によれば,死者数は10万人を超える見込み。チッタゴン港では海軍の船舶2隻を含む船舶6隻,タグボートなど多数が沈没,航路が使えなくなっており,輸出加工区は堤防の決壊で海水が入り,機械や製品にも被害が出た。軍の救援活動が展開されているが,輸送手段がないため救援物資が屈いていない。 |
DIA-301-1991-05-03-1 | バングラデシュ | 1991年05月03日 | 1990年代 | インド政府,軍輸送ヘリ3機と70万㌦相当の救援物資を供与と発表。 |
DIA-301-1991-05-04-1 | バングラデシュ | 1991年05月04日 | 1990年代 | ヌールッディン陸軍総参謀長が中国訪問から帰国,軍の救援活動が活発化。 |
DIA-301-1991-05-04-2 | バングラデシュ | 1991年05月04日 | 1990年代 | 国連災害救援事務所(UNDRO),バングラデシュでは65万人が水とすぐ食べられる食料を求めており,緊急に280万㌦が必要と訴え。 |
DIA-301-1991-05-05-1 | バングラデシュ | 1991年05月05日 | 1990年代 | シャリーフ・パキスタン首相,訪バ(~6日)-輸送用ヘリ2機と救援物資とともに。ジア首相と会談。被災地を空から視察した。 |
DIA-301-1991-05-06-1 | バングラデシュ | 1991年05月06日 | 1990年代 | チッタゴンの空軍機と軍艦損傷を調査する委員会設置-大統領代行兼軍総司令官はサイクロン時にチッタゴン空軍基地の空軍機と港の軍艦2隻が損傷したことについて調査委員会を設置した。委員長はヌールル・ホク少将,委員は海軍,空軍および陸軍の各准将3人。 |
DIA-301-1991-05-06-2 | バングラデシュ | 1991年05月06日 | 1990年代 | 大蔵省経済関係局は「外国援助調整室」を設置した。 |
DIA-301-1991-05-07-1 | バングラデシュ | 1991年05月07日 | 1990年代 | ダッカ近郊トンギを龍巻が襲い,死者40人,負傷者250人を出した。 |
DIA-301-1991-05-07-2 | バングラデシュ | 1991年05月07日 | 1990年代 | ハシナBAL委員長はチッタゴンで記者会見,サイクロン被災者救援活動の遅れは政府の行政能力が低いためと強く非難。 |
DIA-301-1991-05-07-3 | バングラデシュ | 1991年05月07日 | 1990年代 | サイクロン救済・復興に504億タカ-情報省次官はサイクロンの被災者救済,復興に要する資金は総計504億タカになろうと述べた。 |
DIA-301-1991-05-08-1 | バングラデシュ | 1991年05月08日 | 1990年代 | シレットで洪水被害-激しい降雨に見舞われ,上流からの流入量も増え,16ウポジラが被害。 |
DIA-301-1991-05-08-2 | バングラデシュ | 1991年05月08日 | 1990年代 | 野党議員7人,政府の救援活動の遅れを非難。 |
DIA-301-1991-05-10-1 | バングラデシュ | 1991年05月10日 | 1990年代 | チッタゴン港,ほぼ正常化-航路内の沈没船の除去を終え,船舶の航行は可能となった。ただし倒れたクレーンの修復には外国の援助が必要でまだできていない。チッタゴンと他地域を結ぶ鉄道は回復した。 |
DIA-301-1991-05-11-1 | バングラデシュ | 1991年05月11日 | 1990年代 | 物価急謄-生活必需品の価格が急騰している。米価は1モーンド当り20~40タカも値上がりし,塩の価格は2倍となった。野菜類,海魚の供給はほとんどストップし,価格は3倍となった。 |
DIA-301-1991-05-11-2 | バングラデシュ | 1991年05月11日 | 1990年代 | サイクロンの死者数は13万8868人-情報省次官発表。救援活動には16機のヘリコプターが使われており,近く2機が英国から,2機がタイから供与される。これまで28カ国5機関から2億1786万㌦の援助約束を受けた。 |
DIA-301-1991-05-12-1 | バングラデシュ | 1991年05月12日 | 1990年代 | シェーカル・インド首相,訪バ-シャハプッディン大統領代行,ジア首相など政府高官と会談。サイクロン被害救済支援と両国の友好関係強化を提唱した。 |
DIA-301-1991-05-12-2 | バングラデシュ | 1991年05月12日 | 1990年代 | 米陸軍代表29人,訪バ(~15日)-今後の救援活動を調査するため,米政府はヘリコプター,上陸用船舶,復興部隊などを含むタスク・フォースの派遣を決めており,これら部隊は湾岸からの帰路,5月15日バングラデシュに立ち寄り,2週間の救援活動を行なう。 |
DIA-301-1991-05-13-1 | バングラデシュ | 1991年05月13日 | 1990年代 | シレットの洪水被害,拡大-死者は36人に達し,260万人が被害を受けた。 |
DIA-301-1991-05-14-1 | バングラデシュ | 1991年05月14日 | 1990年代 | 湾岸派遣のバングラデシュ将兵第1陣400人,帰国-カレダ・ジア首相は空港での歓迎式典で演説,われわれはわが軍を誇りに思うと述べた。同時にサイクロン救援活動に貢献している軍を高く評価した。 |
DIA-301-1991-05-15-1 | バングラデシュ | 1991年05月15日 | 1990年代 | 国会,6月11日予定の補欠選挙を延期。 |
DIA-301-1991-05-15-2 | バングラデシュ | 1991年05月15日 | 1990年代 | ダッカ大学構内で対立する学生組織が衝突,双方発砲で4人が負傷。BNP系のJCDとBAL系のBCLの対立。 |
DIA-301-1991-05-15-3 | バングラデシュ | 1991年05月15日 | 1990年代 | 中央銀行は被災農民に低利貸し付けを行なうと発表。 |
DIA-301-1991-05-15-4 | バングラデシュ | 1991年05月15日 | 1990年代 | 各省救援活動監視委員会設置-政府は各省庁代表からなる同委員会設置を発表。Cabinet Secrtaryが議長。委員会は毎日会合して救援活動の進展状況を検討する。 |
DIA-301-1991-05-15-5 | バングラデシュ | 1991年05月15日 | 1990年代 | 米タスク・フォース第1陣,チッタゴン着。 |
DIA-301-1991-05-16-1 | バングラデシュ | 1991年05月16日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,米タスク・フォース批判に反論-首相は「今必要なことはサイクロンで生き残った人々に一刻も早く救援の手を差し伸べることであり,米タスク・フォースはその機動力をもって救援活動を展開できる。今は批判したりその批判に応えたりしている時ではない」とのべ,タスク・フォースを受け入れたことへの野党の批判に反論した。 |
DIA-301-1991-05-16-2 | バングラデシュ | 1991年05月16日 | 1990年代 | Kazi Zafar前首相,ダッカで逮捕。 |
DIA-301-1991-05-17-1 | バングラデシュ | 1991年05月17日 | 1990年代 | 米国務省はタスク・フォースの派遣が短期間でかつ救援活動に限られることを再度明確にした。これはインドや国内に米軍の長期滞在につながるとの批判があるためである。タスク・フォースは総数7600人,ヘリ26機,上陸用船舶10隻,トラック,ジープを備えている。 |
DIA-301-1991-05-17-2 | バングラデシュ | 1991年05月17日 | 1990年代 | ダッカ,クルナ,ラジシャーヒ市長,任命-大統領代行はそれぞれの市長にMirza Abbas(MP),Tayebur Rahman,M.Rahman Minuを任命した。 |
DIA-301-1991-05-21-1 | バングラデシュ | 1991年05月21日 | 1990年代 | ラジーブ・ガンディー・インド元首相暗殺で大統領代行はインド大統領に,ジア首相はシェーカル・インド首相に弔電。 |
DIA-301-1991-05-21-2 | バングラデシュ | 1991年05月21日 | 1990年代 | 米副大統領夫人,訪バ-大統領代行,ジア首相らと会談。 |
DIA-301-1991-05-24-1 | バングラデシュ | 1991年05月24日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,ガンディー元首相の葬儀に出席。その後ソニア夫人を訪ねて慰問。葬儀にはハシナBAL委員長も参加した。 |
DIA-301-1991-05-24-2 | バングラデシュ | 1991年05月24日 | 1990年代 | 銀行借入れ未返済者からの取り立てを厳しく-大蔵相は国営銀行,開発銀行から資金を借り,意図的に返済しない者については厳しく取り立てると述べた。 |
DIA-301-1991-05-25-1 | バングラデシュ | 1991年05月25日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,サウジアラビア訪問(~28日)-まずジェッダに到着,マッカでウラムをした後,OICのアル・ガビド事務総長と会談した。26日にはリヤドに到着,27日,ファルド国王と会談した。 |
DIA-301-1991-05-25-2 | バングラデシュ | 1991年05月25日 | 1990年代 | 輸出加工区当局はサイクロン被災企業に対し最高500万タカの資金貸し付けを行なうと発表した。輸出加工区周辺の堤防改築工事はすでに始められ,ガス・電気,給水,通信の修復もほぼ終わっている。 |
DIA-301-1991-05-26-1 | バングラデシュ | 1991年05月26日 | 1990年代 | 銀行への未返済金は600億タカ-中央銀行総裁は記者会見,貸し付け残額2200億タカのうち600億タカが未返済金であると述べた。 |
DIA-301-1991-05-28-1 | バングラデシュ | 1991年05月28日 | 1990年代 | -カレダ・ジア首相,クウェート訪問-国王および皇太子と会談,湾岸戦争で帰国したバングラデシュ人の再入国について保証を取り付けた。その後UAEを訪問してスルタンと会談,29日帰国した。 |
DIA-301-1991-05-29-1 | バングラデシュ | 1991年05月29日 | 1990年代 | 米タスク・フォース主力,帰国-空母Tarawaと6隻の米海軍は当初の救援計画を完了,帰国の途についた。一部はヘリ5機,C-130輸送機2機とともに6月15日まで残り,救援活動を続ける。 |
DIA-301-1991-05-29-2 | バングラデシュ | 1991年05月29日 | 1990年代 | バングラデシュ援助国会議,パリで開催(~30日)-バングラデシュ政府の24億㌦要請に対し23億㌦がプレッジされた。これは前年の18億㌦より5億㌦多い。会議には16カ国,9国際機関が参加した。内訳はプロジェクト援助が13.66億㌦,商品援助が5.43億㌦,食料援助が2.08億㌦,NGOに1.08億㌦,その他0.75億㌦。 |
DIA-301-1991-06-02-1 | バングラデシュ | 1991年06月02日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相は「教育週間」の開始に当たり,教育の普及がBNP政権の重要政策の柱と述べた。 |
DIA-301-1991-06-02-2 | バングラデシュ | 1991年06月02日 | 1990年代 | 工業部門調査-工業省がメトロポリタン商工会議所に依頼して行なった工業部門の全国調査によれば,工業部門のGDP比率は統計局数字の10%ではなく,16%(うち14%は民間部門)に達する。 |
DIA-301-1991-06-03-1 | バングラデシュ | 1991年06月03日 | 1990年代 | ダッカ大学で再びBNP系とBAL系学生組織衝突。チッタゴン大学も同様で,両大学とも無政府状態。 |
DIA-301-1991-06-04-1 | バングラデシュ | 1991年06月04日 | 1990年代 | サイクロン救援援助3億2985万㌦が41カ国,11国際機関からコミットされた。このうち政府間援助は3億5518万㌦,残り2846万㌦はNGO,922万㌦は赤十字。 |
DIA-301-1991-06-04-2 | バングラデシュ | 1991年06月04日 | 1990年代 | 空軍総司令官,退役-Mumtazuddin Ahmed空軍総司令官は4月付で退役,後任にはAltaf Hussain Choudhury准将が任命された(17日に少将に昇格)。 |
DIA-301-1991-06-04-3 | バングラデシュ | 1991年06月04日 | 1990年代 | 海軍総司令官,退役-Amir Ahmed Mustafa海軍総司令官は4日付で退役,後任にはMd.Muhaiminul Islam准将が任命された(17日に少将に昇格)。いずれもサイクロンで空軍機2機,海軍船舶数隻が破損したことの責任を取らされたと見られる。 |
DIA-301-1991-06-05-1 | バングラデシュ | 1991年06月05日 | 1990年代 | 企業界,工業委員会の設置を提案-商工会議所連盟,ダッカおよびチッタゴン商工会議所は共同声明を発表,政府に対し銀行貸し付け金の焦げ付きの原因を明確にし,解決の方法を勧告する「工業委員会」を設立するよう提案した。 |
DIA-301-1991-06-07-1 | バングラデシュ | 1991年06月07日 | 1990年代 | ウポジラ議長協会,ウポジラ制度解散に反対-同議長協会議長Feroz Kabirは記者会見,ウポジラ制度は権力の地方分散の一環として作られたものであり,BNP政権が同制度を解散させることに反対と述べた。 |
DIA-301-1991-06-08-1 | バングラデシュ | 1991年06月08日 | 1990年代 | 国家経済会議(NEC),1991/92年度年次開発計画を承認-年成長率は5.75%として,支出総額は750億タカ,前年度予算比23%増(詳細は「参考資料」参照)。 |
DIA-301-1991-06-08-2 | バングラデシュ | 1991年06月08日 | 1990年代 | サウジアラビアから政府ミッション,訪バ-大統領代行およびジア首相はじめ政府高官と会談,災害復興と経済開発計画への協力を約束した。 |
DIA-301-1991-06-09-1 | バングラデシュ | 1991年06月09日 | 1990年代 | BNP執行委員会,開催-政府の形態をどうするかの問題,および7月中にBNPの党組織をユニオン,ウポジラ,県の各段階で再組織する問題等を討議した。 |
DIA-301-1991-06-10-1 | バングラデシュ | 1991年06月10日 | 1990年代 | BNP議員会議,議院内閣制への移行を決定-BNP議員会議は大統領制から議院内閣制に移行することを決定,予算国会に憲法改正案の提出を決めた。 |
DIA-301-1991-06-12-1 | バングラデシュ | 1991年06月12日 | 1990年代 | 1991/92年度予算案,国会に提出-サイフル・ラーマン蔵相は国会に91/92年度予算案を提出した(詳細は「参考資料」参照)。 |
DIA-301-1991-06-12-2 | バングラデシュ | 1991年06月12日 | 1990年代 | 1990/91年度GDP成長率は3.6%-90/91年度経済白書によれば,当初予測の4.2%から3.6%に下方修正。サイクロンによる被害が大きかったため。一方,生計費指数は90年7月から9カ月間に9.42%上昇した。 |
DIA-301-1991-06-12-3 | バングラデシュ | 1991年06月12日 | 1990年代 | エルシャド前大統領,10年の実刑-特別法廷のHabibullah裁判官は武器の不法所持を理由にエルシャド前大統領に10年間の実刑判決を言い渡した。 |
DIA-301-1991-06-16-1 | バングラデシュ | 1991年06月16日 | 1990年代 | Jagannath CollegeでBNP系とBAL系学生組織が衝突,双方が発砲して学生2人が死亡,54人が負傷した。BAL委員長はBNPを激しく非難,政府は双方の組織に自重とキャンパスからの全ての武器追放を訴えた。 |
DIA-301-1991-06-18-1 | バングラデシュ | 1991年06月18日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,訪中(~20日)-19日李鵬首相と会談,共に万里の長城を訪問。李首相は6000万元(4億タカ)の無利子借款(プロジェクト援助と商品援助各50%)の供与を表明。他に小型トラクター200台も無償供与。20日には片道3100万㌦の第13回バーター,協定に調印。 |
DIA-301-1991-06-18-2 | バングラデシュ | 1991年06月18日 | 1990年代 | 電力開発庁(PDB)の職員スト-PDB職員はPDBの分割と農村電化庁への権限委譲に反対,給与引き上げ,勤務時間の変更などを求めて16日から今日までスト。 |
DIA-301-1991-06-20-1 | バングラデシュ | 1991年06月20日 | 1990年代 | ゴラサール肥料工場のアンモニア・プラントでガス爆発,8人死亡,30人負傷。ガス爆発は日本の東洋エンジニアリング社がアンモニア・プラントの改修工事後,そのテスト中に起こった。 |
DIA-301-1991-06-20-2 | バングラデシュ | 1991年06月20日 | 1990年代 | ダッカ大学で再び学生の衝突,1人死亡。今回はBAL系とJSD(Inu)系学生組織の衝突。 |
DIA-301-1991-06-22-1 | バングラデシュ | 1991年06月22日 | 1990年代 | IDAと2億4700万㌦の借款2協定に調印-一つは人口・保健プロジェクトでIDAが1.8億㌦供与。日本なども資金協力し,その額は2億2500万㌦。もう一つはLPG輸送・配達事業でIDAが6700万㌦供与。 |
DIA-301-1991-06-24-1 | バングラデシュ | 1991年06月24日 | 1990年代 | 犠牲祭。 |
DIA-301-1991-06-29-1 | バングラデシュ | 1991年06月29日 | 1990年代 | チッタゴン丘陵地域でシャンティ・バヒニが村民3人を射殺して逃亡。30日にはさらに10人を殺害。 |
DIA-301-1991-06-30-1 | バングラデシュ | 1991年06月30日 | 1990年代 | 国会,1991/92年度予算案をいくつかの修正をした後承認-野党議員はその修正提案が全て受け入れられなかったとして議場から退場,表決には不参加。 |
DIA-301-1991-06-30-2 | バングラデシュ | 1991年06月30日 | 1990年代 | 1991/92,92/93年度輸入政策,発表-ケラマット・アリ商務相は2年度の輸入政策を発表した(援助による輸入を除く)。91/92年度の輸入目標は950億タカ,26.39億㌦に設定された。これは前年度目標より50億タカ多い。前年度実績は752.3億タカと推計される。輸入目標のうち645億タカは民間部門,302億タカは政府部門,残りは特別輸入枠となる。全体の55%は工業目的,27%は商業,18%は石油の輸入に配分される。特徴は工業の促進に重点が置かれている点で,機械など資本財輸入に付けられていた100万タカの上限規定は撤廃される。 |
DIA-301-1991-07-01-1 | バングラデシュ | 1991年07月01日 | 1990年代 | カレダ首相,全国放送で議院内閣制への移行発表-ラジオ・テレビを通してBNP政府が議院内閣制への移行を含む憲法改正案を国会に提出すると発表した。 |
DIA-301-1991-07-01-2 | バングラデシュ | 1991年07月01日 | 1990年代 | 大蔵相,VAT法案を国会に提出-VATは輸入品に課される販売税,国内生産品やサービスに課される消費税に代わる間接税で,国内資金調達の柱となる。 |
DIA-301-1991-07-01-3 | バングラデシュ | 1991年07月01日 | 1990年代 | 米国と6960万㌦のPL-480Ⅲ協定に調印-米国から小麦39.2万㌧を購入する。 |
DIA-301-1991-07-02-1 | バングラデシュ | 1991年07月02日 | 1990年代 | カレダ首相,憲法第12次改正案を国会に提出-大統領制から議院内閣制への変更改正案で,首相は全ての政党に民主主義確立のための政府案の支持を訴えた。 |
DIA-301-1991-07-02-2 | バングラデシュ | 1991年07月02日 | 1990年代 | 憲法第11次改正案,国会に提出-これはシャハプッディン大統領代行がその就任前のポストである最高裁長官に復帰することを認めるための改正。 |
DIA-301-1991-07-03-1 | バングラデシュ | 1991年07月03日 | 1990年代 | ダッカ大学Jagannath Collegeで再び学生の銃撃戦,100人負傷。 |
DIA-301-1991-07-03-2 | バングラデシュ | 1991年07月03日 | 1990年代 | ダッカ商工会議所,VAT導入を遅らせるよう要求。 |
DIA-301-1991-07-05-1 | バングラデシュ | 1991年07月05日 | 1990年代 | バングラデシュ・中国,ブラフマプトラ河流域洪水制御について協議開始。 |
DIA-301-1991-07-06-1 | バングラデシュ | 1991年07月06日 | 1990年代 | 中央銀行,BCCI各支店の営業を停止-Bank Credit and Commerce International(BCCI)はダッカ,チッタゴン,クルナに支店をもっているが,そのアブダビ本店が破産したため支店の営業を停止したもの。 |
DIA-301-1991-07-06-2 | バングラデシュ | 1991年07月06日 | 1990年代 | ジャハンギールナガル大学中央学生連盟(JUCSU)と6学生寮自治会役員の改選,平穏に終了。BNP系学生組織のJCDがJUCSUの全てで当選し,全体で94のポストのうち86ポストを獲得した。 |
DIA-301-1991-07-07-1 | バングラデシュ | 1991年07月07日 | 1990年代 | バ・中国,洪水対策の合同調査で合意。 |
DIA-301-1991-07-08-1 | バングラデシュ | 1991年07月08日 | 1990年代 | ラーマン外相,ソ連訪問(~13日)-1974年以来初めての外相の訪ソとなる。 |
DIA-301-1991-07-09-1 | バングラデシュ | 1991年07月09日 | 1990年代 | VAT法案,国会通過-主要野党は抗議のため退場。VATは7月1日に遡って施行される。サイフル蔵相は国会での修正提案に従い,13品目をVATの対象から外し,6品目は他の課税対象とすると発表。VATから除外された対象は年間の資本財投資額が30万タカ以下の製造業,年間取り引き額が50万タカ以下の企業,小規模レストラン,製本業者,教科書会社,小規模菓子店など。 |
DIA-301-1991-07-09-2 | バングラデシュ | 1991年07月09日 | 1990年代 | 15人からなる憲法問題特別委員会,設置-国会が全会一致で決めたもので,ここで政府提案の憲法改正案,野党案など七つの憲法改正案を検討する。 |
DIA-301-1991-07-10-1 | バングラデシュ | 1991年07月10日 | 1990年代 | 生活必需品の価格,VAT導入で上昇-米穀商によれば米の価格は1モーンド当り60~80タカも上昇,マスタード油は1シーア48タカから60タカに上昇した。 |
DIA-301-1991-07-12-1 | バングラデシュ | 1991年07月12日 | 1990年代 | 大学の平和を守る全党会議,開催。 |
DIA-301-1991-07-13-1 | バングラデシュ | 1991年07月13日 | 1990年代 | サイクロン被害総額は17億㌦-サイフル大蔵相は政府と国連合同タスク・フォースがサイクロン被害総額を17億㌦と推計していることを明らかにした。 |
DIA-301-1991-07-13-2 | バングラデシュ | 1991年07月13日 | 1990年代 | SKOP,5項目要求を発表-(1)政府・民間工場労働者の最低賃金を月1400タカとする,(2)賃金委員会の報告書公表,(3)閉鎖されている工場の再開,(4)無原則な民営化中止,(5)解雇された労働者の再雇用。 |
DIA-301-1991-07-14-1 | バングラデシュ | 1991年07月14日 | 1990年代 | サウジアラビアと1億600万㌦の復興資金贈与に関する合意書に調印。 |
DIA-301-1991-07-16-1 | バングラデシュ | 1991年07月16日 | 1990年代 | B・チョウドリ教育相,国民投票法案を国会に提出。議会が承認した法案に大統領が署名するか否かを問う国民投票の実施。野党は反対。 |
DIA-301-1991-07-17-1 | バングラデシュ | 1991年07月17日 | 1990年代 | ジュネーブで国連主催のサイクロン復興に関する会議開催,その被災額を24億㌦と推計。当面の救援活動に,これまでのものも含め5億3000万㌦がプレッジ。 |
DIA-301-1991-07-19-1 | バングラデシュ | 1991年07月19日 | 1990年代 | モルディブのガユーム大統領,訪バ(~20日)-シャハプッディン大統領代行,ジア首相ら政府高官と会談。 |
DIA-301-1991-07-21-1 | バングラデシュ | 1991年07月21日 | 1990年代 | バリサルで大規模土壌流出。この雨期に500家族が家を流され農地600エーカーを失った。 |
DIA-301-1991-07-21-2 | バングラデシュ | 1991年07月21日 | 1990年代 | ラーマン外相は議会での質問に応え,セント・マーチン島を米軍に貸すとの報道を否定した。 |
DIA-301-1991-07-24-1 | バングラデシュ | 1991年07月24日 | 1990年代 | バングラデシュ工科大学学生自治会(EUCSU)選挙でBNP系学生組織が副委員長と書記長に当選。 |
DIA-301-1991-07-26-1 | バングラデシュ | 1991年07月26日 | 1990年代 | ラジシャーヒ大学,無期休校-学生の衝突が3日間続き,大学シンジケートは緊急会議で無期休校を決めた。学生寮も閉鎖。 |
DIA-301-1991-07-26-2 | バングラデシュ | 1991年07月26日 | 1990年代 | シラジガンジの土壌流出深刻化-雨期になってさらに深刻化,1000家族が土地も家も失った。 |
DIA-301-1991-07-26-3 | バングラデシュ | 1991年07月26日 | 1990年代 | ゴラサール肥料工場の爆発による被害は25億タカ-事故調査委員会の報告によるもので,事故の責任は東洋エンジニアリングにあるとしている。 |
DIA-301-1991-07-28-1 | バングラデシュ | 1991年07月28日 | 1990年代 | 第11次,12次憲法改正案,国会に上程-Golam Haflz法相が提出した。すでに15人からなる全党憲法改正特別委員会の討議を終え,JPを除く政党が合意。 |
DIA-301-1991-07-28-2 | バングラデシュ | 1991年07月28日 | 1990年代 | 1991/92,92/93年度輸出計画,発表-商務相が発表した。91/92年度の輸出目標は774.4億タカ(21.51億㌦),前年度比28%増,92/93年度の輸出目標は1000億タカ(26.89億㌦),前年度比29%増としている。 |
DIA-301-1991-07-28-3 | バングラデシュ | 1991年07月28日 | 1990年代 | 茶輸出政策発表-目標は1991/92年度が3000万㌔,18.1億タカ,92/93年度のそれは24%増とする。 |
DIA-301-1991-07-28-4 | バングラデシュ | 1991年07月28日 | 1990年代 | パキスタン軍事代表団,訪バ。 |
DIA-301-1991-07-29-1 | バングラデシュ | 1991年07月29日 | 1990年代 | 1991年3月11日の人口,1億799万人-91年人口センサスの暫定数字による。このうち男は5557万9003人,女は5241万3137人。家計総数は1974万7506,平均家族数は5.21人。 |
DIA-301-1991-07-29-2 | バングラデシュ | 1991年07月29日 | 1990年代 | 新工業政策,発表-S.Islam Khan工業相は工業化促進のため新工業政策を発表(「参考資料」参照)。 |
DIA-301-1991-07-30-1 | バングラデシュ | 1991年07月30日 | 1990年代 | ダッカ大学,無期休校-学生間の衝突で銃撃戦がつづき,副学長の事務所が襲撃され,授業ができない状況にあるため。 |
DIA-301-1991-07-30-2 | バングラデシュ | 1991年07月30日 | 1990年代 | ダッカ医科大学の学生自治会選挙でBNP系学生組織JCDとBCL(N-S)派合同チームが勝利。 |
DIA-301-1991-08-01-1 | バングラデシュ | 1991年08月01日 | 1990年代 | サイフル・ラーマン大蔵相はメトロポリタン商工会議所で演説,すべての政府持株の民間払い下げを行なうと述べた。また政府金融機関の非効率,不正を批判,こうしたことが経済を悪化させていると述べた。 |
DIA-301-1991-08-02-1 | バングラデシュ | 1991年08月02日 | 1990年代 | ハシナBAL委員長,憲法改正案に反対。 |
DIA-301-1991-08-02-2 | バングラデシュ | 1991年08月02日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,大統領代行と緊急会談-憲法改正に関するハシナ発言で大統領代行の協力を求めた。 |
DIA-301-1991-08-03-1 | バングラデシュ | 1991年08月03日 | 1990年代 | 大統領代行,ハシナBAL委員長を招いて会談-大統領代行は全ての党が協力して憲法改正を承認し,議院内閣制を実現するよう呼びかけた。 |
DIA-301-1991-08-05-1 | バングラデシュ | 1991年08月05日 | 1990年代 | BAL中央執行委員会,終了-1975年8月のクーデターでムジブル・ラーマンとその家族などを殺害した犯人の裁判を要求,裁判を放棄した免責法1975の撤廃を決議。 |
DIA-301-1991-08-06-1 | バングラデシュ | 1991年08月06日 | 1990年代 | 憲法第11,12次改正案,国会通過-306人が出席,全員が賛成した。JPはこれまでの反対の態度を改め,賛成に回った。 |
DIA-301-1991-08-07-1 | バングラデシュ | 1991年08月07日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,議会民主主義確立で国民の協力を訴え-全国ラジオ・テレビ放送で首相は議院内閣制への移行を決めた憲法改正案が国会を通過したことを国民に報告,新たな議会民主主義の確立に向けて国民と各政党の協力を訴えた。また汚職と不正を社会から追放し,過去の過まちや意見の相違を忘れ,繁栄したバングラデシュを作ろうと呼びかけた。 |
DIA-301-1991-08-07-2 | バングラデシュ | 1991年08月07日 | 1990年代 | 国会,国民投票法を承認。 |
DIA-301-1991-08-07-3 | バングラデシュ | 1991年08月07日 | 1990年代 | 欠員となっている11議員の補欠選挙は9月11日。 |
DIA-301-1991-08-08-1 | バングラデシュ | 1991年08月08日 | 1990年代 | 免責法1975の撤廃,憲法改正特別委員会で討議-BNPは免責法1975の撤廃に反対していたが,憲法改正案の国会承認を実現するうえでBALの主張を受け入れ,同法案を特別委員会で討議することで妥協した。 |
DIA-301-1991-08-09-1 | バングラデシュ | 1991年08月09日 | 1990年代 | BCCI預金者に無利子貸し付け-蔵相はBCCIの閉鎖により困難に直面している預金者に,オグロニ銀行から5万タカを限度として無利子の貸し付けを行なうと発表した。 |
DIA-301-1991-08-11-1 | バングラデシュ | 1991年08月11日 | 1990年代 | 大学内暴力に関して,国会討議-ジャハンギールナガル大学を除く全ての大学が学生による学内暴力で授業ができない状況になっているため。 |
DIA-301-1991-08-12-1 | バングラデシュ | 1991年08月12日 | 1990年代 | 第12次憲法改正案についての国民投票は9月15日。 |
DIA-301-1991-08-14-1 | バングラデシュ | 1991年08月14日 | 1990年代 | 大統領選挙法1991年,国会承認-議院内閣制に伴い大統領選挙も従来の直接選挙から国会議員による公開間接選挙に修正された。 |
DIA-301-1991-08-14-2 | バングラデシュ | 1991年08月14日 | 1990年代 | 予算国会,閉会。 |
DIA-301-1991-08-14-3 | バングラデシュ | 1991年08月14日 | 1990年代 | BAKSAL,BALと統合を決定。 |
DIA-301-1991-08-15-1 | バングラデシュ | 1991年08月15日 | 1990年代 | 米フェアファックス社,政府の依頼でエルシャド前大統領の汚職調査-同社MDのP.Sternは電話インタビューで「前大統領は不正手段で外貨を取得,それをBCCIを通して外国に送っていた」と述べた。 |
DIA-301-1991-08-15-2 | バングラデシュ | 1991年08月15日 | 1990年代 | BAL,ムジブ暗殺記念日で集会とデモ。暗殺者の裁判と処罰を要求。 |
DIA-301-1991-08-15-3 | バングラデシュ | 1991年08月15日 | 1990年代 | 自由党,この日を第16回革命記念日として集会-反ムジブのクーデターは国家を敵の手から救ったと評価。BALを批判,われわれの処罰を要求するのなら,なぜ同時にムジブ時代に数千人の国民を政治的理由で殺害したものの処罰を要求しないのか,と反論した。 |
DIA-301-1991-08-17-1 | バングラデシュ | 1991年08月17日 | 1990年代 | ダッカ大学学生,大学再開を要求。 |
DIA-301-1991-08-18-1 | バングラデシュ | 1991年08月18日 | 1990年代 | マイメンシン市旧ブラフマプトラ川のバ・中友好橋,完成-中国代表が訪バ,ジア首相とともに開通式に出席。 |
DIA-301-1991-08-18-2 | バングラデシュ | 1991年08月18日 | 1990年代 | BALのカデル・シディキ釈放。 |
DIA-301-1991-08-18-3 | バングラデシュ | 1991年08月18日 | 1990年代 | JP副委員長のSerajul Hossain,離党。 |
DIA-301-1991-08-20-1 | バングラデシュ | 1991年08月20日 | 1990年代 | 公務員の新給与表,発表-92年7月から適用。最低基本給は月900タカ,諸手当を加えると1605タカに。現行給与は1110タカ。公務員組合はこれを拒否。適用が来年,最低基本給が1200タカになっていない,の理由で。 |
DIA-301-1991-08-20-2 | バングラデシュ | 1991年08月20日 | 1990年代 | 官庁の勤務時間,変更-8月24日より,中央官庁,政府機関の勤務時間は土曜から木曜まで朝8時から休み時間なしに午後2時30分まで。県庁以下の役所の勤務時間は土曜から水曜までで朝10時から午後5時まで。 |
DIA-301-1991-08-24-1 | バングラデシュ | 1991年08月24日 | 1990年代 | 内水路交通機関,スト-内水路交通は船などの所有者がガソリン価格引き下げなどを要求してストをしているためほぼ完全にストップしている。 |
DIA-301-1991-08-28-1 | バングラデシュ | 1991年08月28日 | 1990年代 | ラーマン外相,訪印-ラオ首相,ソランキ外相らと会談。二つの協定の調印。一つは3000万ルピーのインド借款供与協定,もう一つは二重課税防止協定。 |
DIA-301-1991-08-29-1 | バングラデシュ | 1991年08月29日 | 1990年代 | 日本と三つの贈与覚え書きに調印-(1)メグナーグムティ橋建設(82億円),(2)N-N灌漑事業(9.8億円),(3)ダッカ市排水事業(11.6億円)。 |
DIA-301-1991-09-01-1 | バングラデシュ | 1991年09月01日 | 1990年代 | 第2回バングラデシュ・スリランカ合同経済委員会開催(~3日)。 |
DIA-301-1991-09-01-2 | バングラデシュ | 1991年09月01日 | 1990年代 | 日・バ経済フォーラム-日本から経済調査団が訪バ,日・バ協会主催で経済フォーラムが開催された。ジア首相が演説,BNP政権は市場経済と民間投資の促進を経済政策の基本としており,日本からの経済協力と日本の民間投資を期待していると述べた。 |
DIA-301-1991-09-02-1 | バングラデシュ | 1991年09月02日 | 1990年代 | メグナーグムティ橋建設定礎式-ジア首相が定礎式に出席した。総工費25億タカで日本の無償資金協力。 |
DIA-301-1991-09-07-1 | バングラデシュ | 1991年09月07日 | 1990年代 | バングラデシュ,バルト3国の独立を承認。 |
DIA-301-1991-09-08-1 | バングラデシュ | 1991年09月08日 | 1990年代 | 物価上昇-市場調査によれば,必需品の価格が上昇している。米価はモーンド当り40タカから50タカに上昇,これはアモン米が市場に出まわる11月末まで続きそうだという。ココナツ油はキロ当り15タカから20タカに上昇,野菜の価格も洪水で急上昇中。 |
DIA-301-1991-09-09-1 | バングラデシュ | 1991年09月09日 | 1990年代 | 11議席の補欠選挙に10政党から49人立候補-11議席のうち10議席は複数議席当選者が辞退したための補欠選挙,1議席はBAL議員の死亡に伴う補欠選挙。 |
DIA-301-1991-09-11-1 | バングラデシュ | 1991年09月11日 | 1990年代 | 補欠選挙-投票はほぼ平穏に実施され,投票率は47.37%,2月選挙の55.45%を下回った。BNPは5議席獲得,JPはラングプールの4議席獲得,BALは2議席を獲得したに留まった(政党別議員数は「参考資料」)。 |
DIA-301-1991-09-11-2 | バングラデシュ | 1991年09月11日 | 1990年代 | ハシナBAL委員長,命を狙われたとして政府非難-投票場に行く途上,BNP支持者に自動小銃で発砲されたと記者会見で発表,BNP政府を強く非難。 |
DIA-301-1991-09-11-3 | バングラデシュ | 1991年09月11日 | 1990年代 | BNP書記長,補欠選挙での混乱でBALを非難。 |
DIA-301-1991-09-12-1 | バングラデシュ | 1991年09月12日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,全国ラジオ・テレビ放送を通して憲法改正に関する国民投票で国民の支持を訴えた。 |
DIA-301-1991-09-14-1 | バングラデシュ | 1991年09月14日 | 1990年代 | BAL,半日ハルタル-BALはハシナ委員長暗殺未遂事件と選挙での政府の不正に抗議して全国で半日ハルタルを行なった。エルシャド政権が倒れて以来ハルタルは初めて。 |
DIA-301-1991-09-14-2 | バングラデシュ | 1991年09月14日 | 1990年代 | チッタゴンではBNP系学生組織とBAL系学生組織とが市内各所で衝突,13人負傷。 |
DIA-301-1991-09-14-3 | バングラデシュ | 1991年09月14日 | 1990年代 | 全国20県に洪水被害広がる。すでに16人が死亡し,73ウポジラの172万人が被災した。 |
DIA-301-1991-09-15-1 | バングラデシュ | 1991年09月15日 | 1990年代 | 憲法改正に関する国民投票,実施-投票率は35.19%,このうち賛成は有効投票の84.38%,反対は15.62%であった(9月18日,選挙管理委員会の公式数字)。 |
DIA-301-1991-09-17-1 | バングラデシュ | 1991年09月17日 | 1990年代 | ダッカ大学,48日ぶりに再開。 |
DIA-301-1991-09-17-2 | バングラデシュ | 1991年09月17日 | 1990年代 | カレダ首相,学生に学内テロの追放を呼びかけ-ダッカ大学教官組織および学生組織代表と会談したジア首相は,政府が学生の失業問題解決などに一層努力すると表明,学生に対しては反エルシャド闘争での役割を高く評価するとともに,その精神に基づき,意見の相違を乗り越え学内テロと暴力の追放に立ち上がるよう訴えた。 |
DIA-301-1991-09-17-3 | バングラデシュ | 1991年09月17日 | 1990年代 | SAARC経済協力委員会,ネパールで初会合-加盟各国に非関税障壁をなくし,お互いに最恵国待遇を供与しあうよう勧告した。 |
DIA-301-1991-09-19-1 | バングラデシュ | 1991年09月19日 | 1990年代 | 内閣改造-憲法改正で議院内閣制となったことから第1次カレダ・ジア内閣は解散,あらたに第2次カレダ・ジア内閣が成立,大統領代行のもとで宣誓を行なった(名簿は「参考資料」参照)。 |
DIA-301-1991-09-19-2 | バングラデシュ | 1991年09月19日 | 1990年代 | 大統領選挙は10月8日と発表。 |
DIA-301-1991-09-23-1 | バングラデシュ | 1991年09月23日 | 1990年代 | 3軍総司令官,ジナ首相と会談。 |
DIA-301-1991-09-25-1 | バングラデシュ | 1991年09月25日 | 1990年代 | 大統領選挙に3人立候補-BNPは国会議長のA.R.Biswas,BALは前首席判事のBadrul Haider Chowdhuryをたて,もう一人,Al-Amin紙の,M.Mokbul Hossain(BAL党員)が立候補した(後に辞退)。 |
DIA-301-1991-09-26-1 | バングラデシュ | 1991年09月26日 | 1990年代 | 大統領代行,3軍総参謀長と会談-大統領代行はその任務終了に当たり陸軍総司令部で3軍総参謀長と会談,民主化運動から憲法改正国民投票にいたる政治の激動のなかで軍が果たした役割を高く評価,これまでの協力に感謝するとともに,民主主義を定着するため今後も政府に協力していくよう訴えた。 |
DIA-301-1991-09-26-2 | バングラデシュ | 1991年09月26日 | 1990年代 | 大統領代行,高級官僚を集めて演説-大統領代行は各省次官,次官補を大統領官邸に集め離任の挨拶をするとともに,政府の形態がどうであれ,その成功は効率釣な行政機構に依存していると述べた。 |
DIA-301-1991-09-26-3 | バングラデシュ | 1991年09月26日 | 1990年代 | 民主学生連合(DSA),結成-左派系8学生組織が結成したもので,かれらはBNP,BALはともにエルシャド政権崩壊後の政治的過程で国民の期待を裏切ったと批判,DSAは学内暴力,テロを追放し,学生の要求を実現するために活動すると述べた。 |
DIA-301-1991-10-01-1 | バングラデシュ | 1991年10月01日 | 1990年代 | 野党議員,大統領選挙改正法1991を憲法違反として提訴-BALなど主要野党の議員7人は9月28日にBNP単独で国会を通過させた大統領選挙改正法は憲法違反であるとして高裁に提訴した。 |
DIA-301-1991-10-01-2 | バングラデシュ | 1991年10月01日 | 1990年代 | ダッカ市内でBAL系学生組織のデモと警察が衝突,学生20人が負傷。 |
DIA-301-1991-10-01-3 | バングラデシュ | 1991年10月01日 | 1990年代 | IMF,4億6900万㌦の資金供与を承認-IMFはESAF2年目のプログラムとして,4億6900万㌦(オリジナルプランでは3億4600万㌦)の資金供与を承認した。今年度分は1億9500万㌦で,このうち1.1億㌦は今年中に,残りは1992年前半に供与される。IMFは新政権の経済運営を評価しながらも,政府公社の効率化,国内資金調逢に一層の努力を要請した。 |
DIA-301-1991-10-03-1 | バングラデシュ | 1991年10月03日 | 1990年代 | 政府,大統領選挙改正法を撤廃-法務省が声朋を発表,成立したばかりの同改正法を撤廃すると発表。野党がこの法律に反対,国民のなかに混乱が生じているためとしている。大統領選挙を前に,政府の失点に。 |
DIA-301-1991-10-07-1 | バングラデシュ | 1991年10月07日 | 1990年代 | BAL,大統領に非政党人のチョウドリ候補を支持するよう,BNP議員に呼びかけ。 |
DIA-301-1991-10-07-2 | バングラデシュ | 1991年10月07日 | 1990年代 | 5政党連合,Jammat党,JPは大統領選挙への不参加表明。候補は事前の話し合いでの国民のコンセンサスを得て決めるべきだったとしてBALとBNPを非難。 |
DIA-301-1991-10-08-1 | バングラデシュ | 1991年10月08日 | 1990年代 | 大統領選挙,実施-国会議員330人のうち264人が選挙に参加(66人が不参加),BNPのビスワス候補が172票をとって当選した。対立候補のチョウドリ元最高裁長官は92票であった。 |
DIA-301-1991-10-09-1 | バングラデシュ | 1991年10月09日 | 1990年代 | ビスワス,第11代大統領に就任-宣誓後就任式にはBAL,JPのいずれも不参加。 |
DIA-301-1991-10-10-1 | バングラデシュ | 1991年10月10日 | 1990年代 | シャハブッディン前大統領代行,最高裁長官に復帰。 |
DIA-301-1991-10-10-2 | バングラデシュ | 1991年10月10日 | 1990年代 | DUCSU事務所が荒らされ,ダッカ大学構内で対立する学生組織が銃で交戦。 |
DIA-301-1991-10-12-1 | バングラデシュ | 1991年10月12日 | 1990年代 | 冬期国会,開催-ビスワス国会議長が大統領選挙出馬で辞任したことに伴う国会議長選挙が行なわれた。議長には前副議長のラジャク・アリ(BNP)が全会一致で選出された。13日,副議長にフマユーン・カーン・パンニ(BNP)が選出された。 |
DIA-301-1991-10-14-1 | バングラデシュ | 1991年10月14日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,英連邦首脳会議出席-16日からジンバプエの首都ハラレで開かれる英連邦首脳会議出席のため出発,途中サウジアラビアに立ち寄った。15日,ハラレに到着,16日には同首脳会議で演説した。首脳会議中にインド首相,パキスタン首相などとも会談し,19日にはロンドンでバングラデシュ出身者と会談,彼らに対バ工業投資を訴え,20日帰国した。 |
DIA-301-1991-10-14-2 | バングラデシュ | 1991年10月14日 | 1990年代 | 法務・司法および議会問題担当国務相にMd.Aminul Huqが任命される。また同省副大臣であったZahidul Huqは船舶省に配転。 |
DIA-301-1991-10-14-3 | バングラデシュ | 1991年10月14日 | 1990年代 | 青年の失業者は800万人-青年スポーツ担当相が国会で質問に答えて述べたもの。 |
DIA-301-1991-10-15-1 | バングラデシュ | 1991年10月15日 | 1990年代 | 国会,学内暴力問題を討議する委員会設置-与党8人,野党7人の15人で構成,法相が委員長となる。 |
DIA-301-1991-10-17-1 | バングラデシュ | 1991年10月17日 | 1990年代 | 政府発表によれば,過去9年間に1100人がシャンティ・バヒニに殺害された。このうち850人はベンガル人,250人は少数民族。 |
DIA-301-1991-10-19-1 | バングラデシュ | 1991年10月19日 | 1990年代 | BAL系学生組織BCL(A-A)指導者,逮捕-この逮捕に怒った学生はダッカ大学,工科大学とその近くで暴力を振るい,自動車9台に放火,数台を破壊した。 |
DIA-301-1991-10-21-1 | バングラデシュ | 1991年10月21日 | 1990年代 | EC経済代表団12人,訪バ-蔵相と会談,経済政策について意見を交換した。 |
DIA-301-1991-10-22-1 | バングラデシュ | 1991年10月22日 | 1990年代 | 政府,シャンティ・バヒニに投降呼びかけ-5回目の投降呼びかけで,1カ月間に投降すれば過去の罪は不問。 |
DIA-301-1991-10-27-1 | バングラデシュ | 1991年10月27日 | 1990年代 | ダッカ大学地域に外出禁止令-学生間の対立で銃撃戦,BNP系学生組織JCDの指導者2人が殺害され,23人が重軽傷を負った。JCD指導者は事件がBCL(A-A)によって起こされたとして非難した。死者は30日までに4人になった。BCLは事件へのかかわりを否定,事件はJCDの内部対立によるとしている。 |
DIA-301-1991-10-28-1 | バングラデシュ | 1991年10月28日 | 1990年代 | 国営ジュート・綿工場労働者,鉄道線路上で座り込みスト。 |
DIA-301-1991-10-29-1 | バングラデシュ | 1991年10月29日 | 1990年代 | 米国務省次官補・南アジア担当のSchaffer女史,訪バ(~11月1日)。30,31日には大統領,ジア首相,蔵相,外相らと会談。また八シナBAL委員長をも訪問した。 |
DIA-301-1991-10-30-1 | バングラデシュ | 1991年10月30日 | 1990年代 | ハシナBAL委員長は国会の討議で,大学内のテロについて政府の無策を非難,もし本気でテロをなくすつもりならば,2時間で可能になろうと述べた。また事件がJCDによって起こされたという報道について,意図的に事実をねじ曲げていると非難した。 |
DIA-301-1991-10-31-1 | バングラデシュ | 1991年10月31日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相は木曜日夕方を「国民と会う日」とし,予約なし,先着順でできるだけ多くの人と会うことにしている。この日は110人と会談した。 |
DIA-301-1991-10-31-2 | バングラデシュ | 1991年10月31日 | 1990年代 | ハシナBAL委員長はBCL(A-A)のダッカ大学構内での活動中止を発表した。野党はBNPに対しても同様な措置をとるよう要求。 |
DIA-301-1991-11-01-1 | バングラデシュ | 1991年11月01日 | 1990年代 | ダッカ大学教員組合,2日からスト-政府が大学内暴力追放になんの手も打たないことへの抗議。 |
DIA-301-1991-11-03-1 | バングラデシュ | 1991年11月03日 | 1990年代 | サイクロン問題タスク・フォース,報告書を首相に提出-Engineers Institutionsが実施した調査報告書で,沿岸堤防,橋,道路,サイクロン・シェルターなどについて調査した。 |
DIA-301-1991-11-03-2 | バングラデシュ | 1991年11月03日 | 1990年代 | ミャンマー・ムスリム(Rohingya)の流入問題-国会はこの問題で討議,外相は近くミャンマーを訪問。 |
DIA-301-1991-11-04-1 | バングラデシュ | 1991年11月04日 | 1990年代 | ハシナBAL委員長はムジブル・ラーマン殺害犯および4人のBAL指導者を獄中で殺害した犯人を裁判にかけるよう要求した。国会ではBAL議員が1975年11月の獄中殺害事件を調べた3人委員会の報告書の公開を求めている。 |
DIA-301-1991-11-06-1 | バングラデシュ | 1991年11月06日 | 1990年代 | SAARC首脳会議,延期。 |
DIA-301-1991-11-06-2 | バングラデシュ | 1991年11月06日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,コロンボ到着-SAARC首脳会談が延期となり,2日間のスリランカ公式訪問に切替えての訪問。他にパキスタンのシャリーフ首相,モルディブのガユーム大統領も訪問,個別に会談した。 |
DIA-301-1991-11-07-1 | バングラデシュ | 1991年11月07日 | 1990年代 | 民族革命・連帯の日,各地でBNP中心の記念行事。 |
DIA-301-1991-11-08-1 | バングラデシュ | 1991年11月08日 | 1990年代 | JCDとBCL(A-A)代表が会談,学内平和維持で合意。 |
DIA-301-1991-11-10-1 | バングラデシュ | 1991年11月10日 | 1990年代 | 民営化各省連絡委員会,設置-政府は国営工場,工業・商業・金融関係の政府持ち株などの民営化を促進するため,各省連絡委員会を設置した。幹事は大蔵省次官が務める。 |
DIA-301-1991-11-15-1 | バングラデシュ | 1991年11月15日 | 1990年代 | 郵政労働者1万6000人,BNPに集団入党。 |
DIA-301-1991-11-15-2 | バングラデシュ | 1991年11月15日 | 1990年代 | 選挙管理委員会は任期の切れるユニオン議会の選挙を1992年1月14日に行なうと発表した。 |
DIA-301-1991-11-16-1 | バングラデシュ | 1991年11月16日 | 1990年代 | バングラデシュ大学教官協会連合(FBUTA),大学から暴力の追放を求めて集会とデモ。集会では各政党にテロリストを匿まわず,党からの除名を要求した。 |
DIA-301-1991-11-18-1 | バングラデシュ | 1991年11月18日 | 1990年代 | 法相はウポジラに置かれたAssistant Judge Courtを県に移しつつあると発表。 |
DIA-301-1991-11-18-2 | バングラデシュ | 1991年11月18日 | 1990年代 | Rohingya連帯機構,国連に問題解決を要請-アラカン地方にあるRohingya連帯機構は声明を発表,国連に問題解決を要請した。またUNHCRに対してはRohingyaを難民と認定するよう要請,バングラデシュ政府には彼らが安全に帰国できるようになるまで滞在を認めるよう要請した。 |
DIA-301-1991-11-20-1 | バングラデシュ | 1991年11月20日 | 1990年代 | 29タスク・フォース報告書,首相に提出-暫定政権時代バングラデシュの学者,研究者だけで作られた29のタスク・フォース報告書が改めて提出された。 |
DIA-301-1991-11-21-1 | バングラデシュ | 1991年11月21日 | 1990年代 | 「国軍の日」,3軍総参謀長がジア首相と会談。 |
DIA-301-1991-11-21-2 | バングラデシュ | 1991年11月21日 | 1990年代 | ウポジラ議長組合は5年間の任期終了までその廃止を延長するよう政府に要請した。 |
DIA-301-1991-11-21-3 | バングラデシュ | 1991年11月21日 | 1990年代 | ハシナBAL委員長,ウポジラ制度廃止問題で政府批判-国民が選挙した代表を一方的に廃止し,そのポストに自分たちが選んだ人を任命するというやり方は非民主的であり,独裁体制の態度であるとして批判した。 |
DIA-301-1991-11-21-4 | バングラデシュ | 1991年11月21日 | 1990年代 | 縫製工業労働者デモ,警官隊と衝突,50人負傷。縫製業者脇会は政府と各政党に労働問題解決に協力を求め,このままでは縫製業が衰退し,50万人の縫製労働者は職を失い,300億タカの輸出収入もなくなる,と述べた。 |
DIA-301-1991-11-21-5 | バングラデシュ | 1991年11月21日 | 1990年代 | ラーマン外相,ミャンマー訪問(~23日)-ミャンマー・ムスリムの越境問題を討議するため。 |
DIA-301-1991-11-22-1 | バングラデシュ | 1991年11月22日 | 1990年代 | BNP政府,用水路掘削・改修プログラムを再開-このプログラムは1979年故ジアウル・ラーマン大統領が呼びかけて始められ,エルシャド時代に中止されたもので,人海戦術で農業用水路の掘削・改修を行ない,これにより乾期農業生産を高める狙いをもっている。 |
DIA-301-1991-11-23-1 | バングラデシュ | 1991年11月23日 | 1990年代 | 政府,ウポジラ制度を廃止-政府は1982年に導入されたウポジラ制度を廃止した。またウポジラ制に代わる地方行政制度を検討するため13人からなる委員会(委員長はナズズル・フダ情報相)を設置した。 |
DIA-301-1991-11-23-2 | バングラデシュ | 1991年11月23日 | 1990年代 | ハシナBAL委員長はダッカの各国大使館や国際援助機関に書簡を送り,最近の政治情勢を説明するなかでBNP政権の非民主的対応を非難した。 |
DIA-301-1991-11-24-1 | バングラデシュ | 1991年11月24日 | 1990年代 | ハシナBAL委員長の書簡を批判-BNPはハシナ委員長の書簡を国の独立と主権に反対する行為と批判,他の野党勢力も国内問題に外国の干渉を求めるものであり,独立と主権に対する陰謀だと批判している。 |
DIA-301-1991-11-27-1 | バングラデシュ | 1991年11月27日 | 1990年代 | East Bengal Regiment(EBR)司令官にヌールッディン陸軍総参謀長が就任。チッタゴンで行なわれた就任式にジア首相が出席した。EBRはかつてジアル・ラーマンが所属し,独立戦争にも参加した部隊。式典には陸軍チッタゴン地区司令官M.Hasan少将も出席。 |
DIA-301-1991-11-29-1 | バングラデシュ | 1991年11月29日 | 1990年代 | SAARC首脳会議,12月21日コロンボで開催決定。 |
DIA-301-1991-11-30-1 | バングラデシュ | 1991年11月30日 | 1990年代 | 経済開発促進委員会,開催-カレダ首相の指示で組織された委員会で,首相が議長となり,計画委員会メンバー(農業担当)が幹事を務める。他のメンバーは計画相,漁業・畜産・森林相,土地担当相,経済関係各省次官など。初会合では開発計画の進展状況を検討,首相の要請でとくに漁業,畜産,森林の開発促進を討議。 |
DIA-301-1991-11-30-2 | バングラデシュ | 1991年11月30日 | 1990年代 | 中央銀行,金融緩和-商業銀行は中央銀行に預金総額の8%を現金で預金することになっているが,中銀はこの比率を7%に引き下げ。すでに中銀はバンクレートと貸し出し金利の引き下げを実行している。 |
DIA-301-1991-12-01-1 | バングラデシュ | 1991年12月01日 | 1990年代 | BCIC傘下の国営企業労働者代表は政府のこれら国営企業の民営化決定に抗議する声明を発表した。 |
DIA-301-1991-12-03-1 | バングラデシュ | 1991年12月03日 | 1990年代 | ジャムナ橋の経済効果-世銀はジャムナ橋(道路と送電線)への援助について近く決定するが,バングラデシュの専門家の調査によれば,同プロジェクトの経済効果(Econmic Rate of Return=ERR)は19~24%になり,フェリーシステムの改善によるよりも効果が大きい。 |
DIA-301-1991-12-05-1 | バングラデシュ | 1991年12月05日 | 1990年代 | ダッカ大学寮で再びBNP系とBAL系学生組織の銃撃戦。このほかBNP系のJCD内部対立で学生一人が負傷した。チッタゴンではJCDの内部対立が深刻化,両派のデモ隊が衝突して7人が負傷した。 |
DIA-301-1991-12-06-1 | バングラデシュ | 1991年12月06日 | 1990年代 | 独裁政権打倒1周年記念-BNPは大規模な集会を開き,この日を民主化実現の日とした。集会ではカレダ首相が演説,反民主・独裁支持勢力が混乱を起こして民主主義を破壊しようとしており,かれらのターゲットは大学にある,と述べた。 |
DIA-301-1991-12-06-2 | バングラデシュ | 1991年12月06日 | 1990年代 | BALと5政党連合の集会で200人負傷-BALと5政党連合はBNP集会と同じ時刻に独裁政権打倒1周年記念集会を開催したが,参加者と警官隊とが衝突,催涙弾200発が投下され,200人が負傷した。 |
DIA-301-1991-12-08-1 | バングラデシュ | 1991年12月08日 | 1990年代 | BAL,8時間ハルタル-6日の警官の暴行に抗議するため。 |
DIA-301-1991-12-08-2 | バングラデシュ | 1991年12月08日 | 1990年代 | カレダ首相,OIC首脳会議出席のため出発-首脳会議はセネガルの首都ダカールで9日から開かれるが,カレダ首相は途上クウェートに立ち寄り,皇太子,首相などと会談した。OIC首脳会談では9日にカレダ首相が演説した。カレダ首相はOIC首脳会議で演説した初めての女性である。首相は首脳会議中トルコ,ギニア大統領やその他イスラム諸国首脳とも会談した。12日帰国。 |
DIA-301-1991-12-09-1 | バングラデシュ | 1991年12月09日 | 1990年代 | BAL系学生組織BCL(A-A)の指導者,逮捕-逮捕に抗議するBCL学生が大学構内で発砲,また近くに駐車していた車両を破壊した。 |
DIA-301-1991-12-11-1 | バングラデシュ | 1991年12月11日 | 1990年代 | 国営工場の民営化には時間が必要-ラーマン蔵相は記者会見で国営工場の民営化問題に触れ,国営のジュートや綿紡績工場を直ちに民営化するつもりはなく,民営化には関係者のコンセンサスを求めると述べた。 |
DIA-301-1991-12-15-1 | バングラデシュ | 1991年12月15日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,全国放送-16日の戦勝記念日を前にラジオ,テレビで。独立戦争の目的は民主的社会システムを作ることにあった,と述べ,国民は心を一つに貧しい人々の生活向上に努力しようと訴えた。 |
DIA-301-1991-12-15-2 | バングラデシュ | 1991年12月15日 | 1990年代 | ハシナBAL委員長は戦勝記念日に当たり国民にメッセージを送り,そのなかでBNP政府が反独立戦争勢力と手を組んでいると非難した。 |
DIA-301-1991-12-16-1 | バングラデシュ | 1991年12月16日 | 1990年代 | 戦勝記念日。 |
DIA-301-1991-12-17-1 | バングラデシュ | 1991年12月17日 | 1990年代 | シレットでもJCDとBCLが衝突,1人死亡。4カレッジ,無期休校。 |
DIA-301-1991-12-17-2 | バングラデシュ | 1991年12月17日 | 1990年代 | ダッカ商工会議所総裁は例会で政府,各政党,労働組合に対し,労働争議の急増が経済活動の大きな障害となっていると警告。 |
DIA-301-1991-12-20-1 | バングラデシュ | 1991年12月20日 | 1990年代 | SAARC首脳会議出席のため,カレダ首相コロンボ着-延期されていた第6回SAARC首脳会議は21日始まった。会議は21日だけという異例のものであったが,この日カレダ・ジア首相が演説,またインドのラオ首相など各国政府首脳とも個別に会談した。 |
DIA-301-1991-12-21-1 | バングラデシュ | 1991年12月21日 | 1990年代 | ミャンマー国境警備隊,BDRに発砲-バンダルバン県のビルマ国境でミャンマー国境警備隊が突然バングラデシュ領内の難民キャンプに侵入,防ごうとしたBDRに発砲,BDR1人が死亡,7人が負傷した。 |
DIA-301-1991-12-22-1 | バングラデシュ | 1991年12月22日 | 1990年代 | 外務省,ミャンマー大使を呼んで国境での発砲に抗議,ミャンマー政府に対し,直ちに国境地域への軍の増強を止め,国境問題の話し合いに応じるよう要求。 |
DIA-301-1991-12-26-1 | バングラデシュ | 1991年12月26日 | 1990年代 | 世銀,ジャムナ橋プロジェクトへの資金供与を決定-世銀はアジア開発銀行と日本政府と共に資金協力する。 |
DIA-301-1991-12-27-1 | バングラデシュ | 1991年12月27日 | 1990年代 | 異常気象の雨による冬期作物(ポテト,マスタードなど)への被害が懸念されている。 |
DIA-301-1991-12-27-2 | バングラデシュ | 1991年12月27日 | 1990年代 | ミャンマー,国境への軍の増強続く-バングラデシュ政府の中止要請を無視して国境への軍増強が続いており,国境警備隊間の話し合い提案にも返答がない。 |
DIA-301-1991-12-28-1 | バングラデシュ | 1991年12月28日 | 1990年代 | 政府はロシア共和国と他の10の旧ソ連共和国を承認。 |
DIA-301-1991-12-28-2 | バングラデシュ | 1991年12月28日 | 1990年代 | ミャンマー・ムスリム(Rohingya)の流入続く-ミャンマーが国境に軍を増強させていることから,難民として流入するRohingyaの人数が増え,176マイルの国境線を越えて毎日100人から150人が流入している。 |
DIA-301-1991-12-30-1 | バングラデシュ | 1991年12月30日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,BNP総裁に再選-BNP総裁選挙委員会はジア首相が無競争でBNP総裁に再選されたと発表した。 |
DIA-301-1992-01-04-1 | バングラデシュ | 1992年01月04日 | 1990年代 | 冬期国会開会。ゴラム・アザム問題,ウポジラ議会廃止令,免責法等をめぐって紛糾。 |
DIA-301-1992-01-07-1 | バングラデシュ | 1992年01月07日 | 1990年代 | バングラデシュ・ミャンマー国境会談。12月30日に続いて2回目。8日まで続く。ミャンマーは国境の平穏を守るためバングラデシュヘ協力すると述べた。国境のミャンマー軍は3㌔ほど前線を後退させた模様。 |
DIA-301-1992-01-16-1 | バングラデシュ | 1992年01月16日 | 1990年代 | タイのVajiralongkorn皇太子来訪。 |
DIA-301-1992-01-17-1 | バングラデシュ | 1992年01月17日 | 1990年代 | 前ファースト・レディ,ロウシャン・エルシャド保釈される。現在,汚職・権力の濫用容疑で起訴されている。 |
DIA-301-1992-01-22-1 | バングラデシュ | 1992年01月22日 | 1990年代 | 第5回ユニオン議会選挙開始。議長3899議席に対して立候補者1万7444人,議員3万4801議席に10万6964人が出馬。2月6日まで続く。すでに46議席,290議員が無選挙当選。前回の選挙は1988年2月10日。当時暴力事件多発し,約5000人が死亡,負傷者1万人といわれた。 |
DIA-301-1992-01-22-2 | バングラデシュ | 1992年01月22日 | 1990年代 | 国会にウポジラ廃止法案上程される。JP抗議して退場。26日可決される。 |
DIA-301-1992-01-29-1 | バングラデシュ | 1992年01月29日 | 1990年代 | 外務省発表,ミャンマーは外相級会談開催を希望している。第3次国境会談(28日)で明らかになった。 |
DIA-301-1992-02-02-1 | バングラデシュ | 1992年02月02日 | 1990年代 | バングラデシュ・インド事務次官級水利会議。協定成立せず。 |
DIA-301-1992-02-03-1 | バングラデシュ | 1992年02月03日 | 1990年代 | エルシャド,非合法に富を蓄積したとの罪で禁固3年の刑。 |
DIA-301-1992-02-06-1 | バングラデシュ | 1992年02月06日 | 1990年代 | ユニオン議会選挙終了。少なくとも死者15人,負傷者2000人が出た。148ユニオンの投票所で投票が延期された。 |
DIA-301-1992-02-17-1 | バングラデシュ | 1992年02月17日 | 1990年代 | テロリズム防止法案国会に上程される。 |
DIA-301-1992-02-18-1 | バングラデシュ | 1992年02月18日 | 1990年代 | 冬期国会閉会。議長はテロリズム防止法草案を法務・司法,国会問題に関する国会常任員会の検討に委ねた。70日以内に答申を出す。 |
DIA-301-1992-03-06-1 | バングラデシュ | 1992年03月06日 | 1990年代 | 国連のガリ事務総長,ミャンマーに対し,ロヒンガの大量出国を止めるよう求める声明を出す。 |
DIA-301-1992-03-09-1 | バングラデシュ | 1992年03月09日 | 1990年代 | UNHCRの救援活動開始。 |
DIA-301-1992-03-15-1 | バングラデシュ | 1992年03月15日 | 1990年代 | ジア首相,就任後初の米国公式訪問に出発。 |
DIA-301-1992-03-16-1 | バングラデシュ | 1992年03月16日 | 1990年代 | 首相訪米の途上ロンドンヘ立ち寄る。 |
DIA-301-1992-03-18-1 | バングラデシュ | 1992年03月18日 | 1990年代 | ジア首相,ワシントンに到着。 |
DIA-301-1992-03-18-2 | バングラデシュ | 1992年03月18日 | 1990年代 | (ワシントン)首相,米上院外交委員会で演説。またCheney国防長官ほか国務省の高官らとも会見。 |
DIA-301-1992-03-18-3 | バングラデシュ | 1992年03月18日 | 1990年代 | 撲滅委員会リーダー,内相と会う。内相は人民法廷をやめるよう要請。しかし委員会側は25日までに政府が何らかの措置をとらなければ計画どおり実施と述べた。 |
DIA-301-1992-03-19-1 | バングラデシュ | 1992年03月19日 | 1990年代 | (ワシントン)首相,ブッシュ大統領と会見。ブッシュ大統領はバングラデシュにおける民主主義の強化と経済発展の推進に協力を約束。ロヒンガ難民への支援を表明。 |
DIA-301-1992-03-20-1 | バングラデシュ | 1992年03月20日 | 1990年代 | 首相,ガリ国連事務総長と会見。ロヒンガ問題への支援を取りつける。 |
DIA-301-1992-03-23-1 | バングラデシュ | 1992年03月23日 | 1990年代 | 首相帰国。 |
DIA-301-1992-03-23-2 | バングラデシュ | 1992年03月23日 | 1990年代 | 政府,ゴラム・アザムに対して,なぜ国外追放されないか,また外国人でありながらJI代表に就任して憲法に低触したことについての理由開示命令を出した。またジャハナラ・イマームら撲滅委員会のリーダーにたいしても,人民法廷を主宰し,司法を無視してなぜ法的措置がとられないかということについての理由開示命令を出した。 |
DIA-301-1992-03-24-1 | バングラデシュ | 1992年03月24日 | 1990年代 | ゴラム・アザム逮捕される。罪状は外国人法にもとづき,バングラデシュ国民でないのにもかかわらず,JI代表に就任したこと。アザムの出した返答(バングラデシュ国民であると主張している)は「受け入れられない」。撲滅委員会はアザムの逮捕にかかわらず,予定どおり人民法廷を開催することを決めた。 |
DIA-301-1992-03-26-1 | バングラデシュ | 1992年03月26日 | 1990年代 | 独立記念日。 |
DIA-301-1992-03-26-2 | バングラデシュ | 1992年03月26日 | 1990年代 | ゴラム・アザムに対する人民法廷開かれる。独立戦争時におけるパキスタンヘの協力,虐殺,放火,強姦等12の罪で死刑判決を下す。15万人ほどの傍聴者。 |
DIA-301-1992-03-28-1 | バングラデシュ | 1992年03月28日 | 1990年代 | 人民法廷の主宰者,判事,証人24人に対し逮捕状出される。31日保釈される。 |
DIA-301-1992-03-30-1 | バングラデシュ | 1992年03月30日 | 1990年代 | 国連事務次官Jan Eliasson,ロヒンガ難民問題視察のため来訪。 |
DIA-301-1992-04-12-1 | バングラデシュ | 1992年04月12日 | 1990年代 | 夏期国会開会。 |
DIA-301-1992-04-13-1 | バングラデシュ | 1992年04月13日 | 1990年代 | 内閣,国家環境政策ならびに行動計画を承認。 |
DIA-301-1992-04-13-2 | バングラデシュ | 1992年04月13日 | 1990年代 | 内閣,92/93年度の援助要請額を21.5億㌦とすることを承認。 |
DIA-301-1992-04-17-1 | バングラデシュ | 1992年04月17日 | 1990年代 | パキスタンの陸軍参謀長Asif Nawaz来訪。 |
DIA-301-1992-04-19-1 | バングラデシュ | 1992年04月19日 | 1990年代 | 国会,ゴラム・アザム問題に関する与党提案を採択。国民でないゴラム・アザムに対して合憲的な措置およびその速やかな実施を表明。野党は国会をボイコットしていた。 |
DIA-301-1992-04-22-1 | バングラデシュ | 1992年04月22日 | 1990年代 | (パリ)援助国会議21億㌦をプレッジ。プロジェクト援助14億~15億㌦,商品援助4.5億~5億㌦,食糧援助2億ドル。 |
DIA-301-1992-04-22-2 | バングラデシュ | 1992年04月22日 | 1990年代 | (ニューデリー)バングラデシュ・インド共通河川の水配分に関する閣僚会談終了(2日間)。 |
DIA-301-1992-04-23-1 | バングラデシュ | 1992年04月23日 | 1990年代 | ミャンマーのOhn Gyaw外相来バ。 |
DIA-301-1992-04-24-1 | バングラデシュ | 1992年04月24日 | 1990年代 | バングラデシュ・ミャンマー公式会議。作業委員会を結成し,難民帰国の詳細を詰めることを決定。公式スポークスマンの発表によれば,話し合いは友好的な雰囲気のうちに行なわれた。ある消息筋によればこの問題に関してミャンマーは立場を軟化させている。 |
DIA-301-1992-04-25-1 | バングラデシュ | 1992年04月25日 | 1990年代 | バングラデシュ・ミャンマー作業委員会(外務次官級)会議,進展なし。バングラデシュ側はUNHCRの関与を望むが,ミャンマー側は反対。 |
DIA-301-1992-04-28-1 | バングラデシュ | 1992年04月28日 | 1990年代 | バングラデシュ・ミャンマー,ロヒンガ難民の帰還に関する共同声明に調印。帰還の方式についての覚え書きも調印された。帰国は遅くても5月15日から。可能ならば6ヵ月以内に完了。声明ではバングラデシュ側はUNHCRの全面的な関与を認め,ミャンマーは適宜UNHCRのサービスを依頼することで合意。難民はミャンマーの住民であることを証明しなければならないが,受け入れ人数に上限はない。 |
DIA-301-1992-05-06-1 | バングラデシュ | 1992年05月06日 | 1990年代 | William B Milam駐バングラデシュ米国大使,ロヒンガ問題に対するバングラデシュの対応を賞賛。二国間での取り組みがうまくいかないときには,問題を国際化すべしと示唆。 |
DIA-301-1992-05-07-1 | バングラデシュ | 1992年05月07日 | 1990年代 | バングラデシュ・ミャンマー協定。難民帰還は5月21日以降,ただし象徴的に先の取り決めの5月15日に始める。1日おきに5000人ずつ帰還することも定められた。 |
DIA-301-1992-05-10-1 | バングラデシュ | 1992年05月10日 | 1990年代 | ロヒンガ難民,送還に対する抗議デモ。帰国後の迫害を憂慮。また少なくとも300人が帰国を忌避してキャンプから逃亡。いまなお新規流入続く。 |
DIA-301-1992-05-11-1 | バングラデシュ | 1992年05月11日 | 1990年代 | 首相の訪印(5月26日から28日)正式に発表される。議題のトップはガンジス川問題。 |
DIA-301-1992-05-13-1 | バングラデシュ | 1992年05月13日 | 1990年代 | UNHCRスポークスマンによれば,UNHCRは難民帰還の監視は行なわない。難民キャンプでの緊急援助のみ。 |
DIA-301-1992-05-14-1 | バングラデシュ | 1992年05月14日 | 1990年代 | 帰還に抗議する難民らがキャンプ事務所を破壊,警備隊が発砲し難民1人が射殺される。15日に始まることになっていた帰国は17日まで延期。 |
DIA-301-1992-05-17-1 | バングラデシュ | 1992年05月17日 | 1990年代 | バングラデシュ・ミャンマー,ロヒンガ問題に関する第2回事務協議。ミャンマー側は18日から難民を受け入れる用意があると伝えてきたが,バングラデシュ側で準備にもう少し時間が必要。難民は,UNHCRが送還に関与しない限り帰国に応じないとの態度示す。ミャンマーはUNHCRの件については沈黙。 |
DIA-301-1992-05-26-1 | バングラデシュ | 1992年05月26日 | 1990年代 | ジア首相訪印。ラオ・インド首相との初の公式会談では水利問題,チャクマ問題(インドは断固として送還を希望),貿易問題が取り上げられた。 |
DIA-301-1992-05-27-1 | バングラデシュ | 1992年05月27日 | 1990年代 | ジア=ラオ首相最終会談で,水利問題に関する閣僚級会談を3ヵ月以内に開くことで同意。二つの協定に調印。公館建設のための土地の交換,および1993年から95年にかけての文化,学術交流計画。 |
DIA-301-1992-05-28-1 | バングラデシュ | 1992年05月28日 | 1990年代 | バングラデシュ・インド共同コミュニケ発表。河川問題に関する早期閣僚会議の開催をうたう。ジア首相帰国。カルカッタでのストップオーバーで西ベンガル州首相Jyoti Basuと会見。ティン・ビガ問題について討議。 |
DIA-301-1992-06-04-1 | バングラデシュ | 1992年06月04日 | 1990年代 | テクナフでバングラデシュ・ミャンマー第5次会議。難民送還の新たな日程を組むことに合意をみず。4月28日合意以後5万人以上が新たに流入。 |
DIA-301-1992-06-04-2 | バングラデシュ | 1992年06月04日 | 1990年代 | 政府は,ロヒンガが難民キャンプにおけるNGOの活動を規制することを決定。 |
DIA-301-1992-06-08-1 | バングラデシュ | 1992年06月08日 | 1990年代 | 第6次バングラデシュ・ミャンマー会議,ミャンマーのMaungdawで開催さる。両国はロヒンガの帰国を促すため「信頼醸成措置」をとることを決定。ミャンマー当局は,彼らに対し宗教,文化的人権を尊重し,教育,公務員への就職等全てのファシリティを制限付きでなく提供することを約束。 |
DIA-301-1992-06-08-2 | バングラデシュ | 1992年06月08日 | 1990年代 | インド・西ベンガル州議会,ティン・ビガ合意の実施を支持する動議を可決。会議派,レフト・フロントの合同動議。Socialist Unity Centre of India(SUCI)から反対動議が出されたがそれは136対2で否決された。 |
DIA-301-1992-06-14-1 | バングラデシュ | 1992年06月14日 | 1990年代 | 外相,地球サミットで演説。 |
DIA-301-1992-06-14-2 | バングラデシュ | 1992年06月14日 | 1990年代 | バングラデシュ・インド政府,ティン・ビガ回廊地区の合同査察開始。 |
DIA-301-1992-06-16-1 | バングラデシュ | 1992年06月16日 | 1990年代 | 首相,ラングプール(エルシャドの地盤)遊説。地域ベースの政治は行なわないと約束。 |
DIA-301-1992-06-18-1 | バングラデシュ | 1992年06月18日 | 1990年代 | 予算国会開会。 |
DIA-301-1992-06-18-2 | バングラデシュ | 1992年06月18日 | 1990年代 | 与党1992/93年度予算案を提出。JIを除く全野党がセッションをボイコット。 |
DIA-301-1992-06-26-1 | バングラデシュ | 1992年06月26日 | 1990年代 | ティン・ビガ回廊,バングラデシュへ恒久的貸与される。これに反対するデモ隊に対しインド警察が発砲。死者2人。 |
DIA-301-1992-06-30-1 | バングラデシュ | 1992年06月30日 | 1990年代 | 国会をボイコットしていたJPを除く野党,与党との合意成立,翌日から国会に参席すると発表。この話し合いにはJPは含まれていたい。合意の内容は,憲法および国内の現行法規に基づくゴラム・アザムの審理,さらに人民法廷主宰者に対する起訴の取消についても政府はおおむね合意。 |
DIA-301-1992-06-30-2 | バングラデシュ | 1992年06月30日 | 1990年代 | 新予算案,国会で可決される。 |
DIA-301-1992-06-30-3 | バングラデシュ | 1992年06月30日 | 1990年代 | 「ウポジラ」の名称を「タナ」に戻すことを決定。 |
DIA-301-1992-07-14-1 | バングラデシュ | 1992年07月14日 | 1990年代 | ミャンマー政府は16日に予定されていた第7次バングラデシュ・ミャンマー会議延期を申し入れ。Naikhangchhariキャンプで帰還に関する意見の対立で難民同士が対立。50人以上の負傷者がでた。 |
DIA-301-1992-07-15-1 | バングラデシュ | 1992年07月15日 | 1990年代 | 特別治安部隊(Special Security Force)法可決される。ALは退場。JI,JPは反対。同法案は大統領治安部隊法1986年を修正したもの。首相をはじめとするVIPを護衛するための特別な部隊。 |
DIA-301-1992-07-20-1 | バングラデシュ | 1992年07月20日 | 1990年代 | 内相,ロヒンガ問題をいますぐ国際舞台に訴える計画はないと国会で発表。現在の状況はそのような措置に訴える段階ではないと判断。 |
DIA-301-1992-07-21-1 | バングラデシュ | 1992年07月21日 | 1990年代 | 第7回SAARCサミット,12月12日にダッカで開催と政府発表。 |
DIA-301-1992-07-23-1 | バングラデシュ | 1992年07月23日 | 1990年代 | 第7次バングラデシュ・ミャンマー会議。バングラデシュ代表は,帰還のための環境改善が進んでいると発言。ミャンマー側は,新たな軍備増強の噂を否定。 |
DIA-301-1992-07-27-1 | バングラデシュ | 1992年07月27日 | 1990年代 | 外相,フランス公式訪問に出発。 |
DIA-301-1992-07-30-1 | バングラデシュ | 1992年07月30日 | 1990年代 | 最高裁,ウポジラ廃止法案の違憲訴訟を却下。 |
DIA-301-1992-07-30-2 | バングラデシュ | 1992年07月30日 | 1990年代 | 法務担当国務相,かつてのウポジラにおかれている裁判所は漸次県庁に移すとのべる。 |
DIA-301-1992-07-30-3 | バングラデシュ | 1992年07月30日 | 1990年代 | 外相,スペイン訪問。 |
DIA-301-1992-08-03-1 | バングラデシュ | 1992年08月03日 | 1990年代 | JI以外の諸野党(AL,CPB,JP,Workers Party,NAP,JSD-Siraj,Ganatantri Partyの7党),政府に対し治安の乱れ等を理由に不信任動議を提出することを決定。 |
DIA-301-1992-08-03-2 | バングラデシュ | 1992年08月03日 | 1990年代 | エルシャドに荷担した陸軍小将1人(当時軍情報局長官),他4人の将校,退役を強制さる。 |
DIA-301-1992-08-04-1 | バングラデシュ | 1992年08月04日 | 1990年代 | コックス・バザール―テクナフ間のハイウェイで地元住民(主宰はロヒンガ難民送還行動委員会)が道路封鎖。ロヒンガの早期帰還を求める。救援物資を搬入する国連,NGOの車を封鎖。 |
DIA-301-1992-08-05-1 | バングラデシュ | 1992年08月05日 | 1990年代 | 野党10党のうち7党が政府に対する不信任動議提出(同一のものを別個に提出した)。 |
DIA-301-1992-08-08-1 | バングラデシュ | 1992年08月08日 | 1990年代 | 首相。バハレーン訪問。Shaikh Khalifa Bin Salman Al-Khalifa首相と会見。二国間関係強化のための閣僚級合同委員会設置に合意。経済協力ならびに文化交流協定締結。この協定に従ってバハレーンはパングラデシュに最恵待遇国の地位を与える。バングラデシュの国家元首によるバハレーン訪問は初めて。 |
DIA-301-1992-08-09-1 | バングラデシュ | 1992年08月09日 | 1990年代 | バハレーン訪問の最後に共同コミュニケ発表。バハレーンはダッカに大使館開設を決定。 |
DIA-301-1992-08-09-2 | バングラデシュ | 1992年08月09日 | 1990年代 | 首相,パキスタン訪問。SAARC加盟国の中ではスリランカ,インドにつぐ三番目の訪問国。 |
DIA-301-1992-08-10-1 | バングラデシュ | 1992年08月10日 | 1990年代 | 首相パキスタンのシャリーフ首相と会談。パは残留パキスタン人(ビハーリー)の受け入れのため,パンジャブ各地に4万2000人収容のフラット建設開始に合意。ただしその時期についての言及なし。帰還が完了するまでの費用は2億5000万㌦とみられる。資産と負債の分割問題についてもパ側は迅速に検討することを約束。二国間貿易・商業・投資の活発化のためパ首相は近く閣僚レベル会合を持ち具体的な措置を検討することを提案。 |
DIA-301-1992-08-10-2 | バングラデシュ | 1992年08月10日 | 1990年代 | チッタゴン丘陵の少数民族による武装闘争の主力組識Parbattiya Cbattagram Jana Sanghati Samity(PCJSS)11月10目までの一方的休戦を宣言。8月1日にリーフレットを配布していた。それによれば,同組織は政治的解決を模索するという政府の決定を歓迎しこの措置に踏み切ったと述べている。 |
DIA-301-1992-08-11-1 | バングラデシュ | 1992年08月11日 | 1990年代 | ダッカとイスラマバードで同時に共同声明発表される。それによれば,パは23万8000人の残留パキスタン人のうち第1陣3000家族の受け入れを12月までに始めることに同意。資産と負債の分割問題についてはなんら具体的な進展なし。ジア首相帰国。 |
DIA-301-1992-08-11-2 | バングラデシュ | 1992年08月11日 | 1990年代 | ゴラム・アザム国籍訴訟。高裁判事2人のうちの1人,国籍を剥奪した政令に対する原告側の訴えを却下。 |
DIA-301-1992-08-12-1 | バングラデシュ | 1992年08月12日 | 1990年代 | 不信任動議168対122で否決される。NDP,IOJ,無所属2人は欠席,JIは棄権。 |
DIA-301-1992-08-12-2 | バングラデシュ | 1992年08月12日 | 1990年代 | ゴラム・アザム裁判,もう一人の判事は原告側の訴えを支持。首席判事の裁定に委ねられることになった。 |
DIA-301-1992-08-13-1 | バングラデシュ | 1992年08月13日 | 1990年代 | 予算国会閉会。 |
DIA-301-1992-08-17-1 | バングラデシュ | 1992年08月17日 | 1990年代 | Workers Party書記長Rashed Khan Menon撃たれ重傷を負う。 |
DIA-301-1992-08-21-1 | バングラデシュ | 1992年08月21日 | 1990年代 | インド外務次官J.N.Dixit来訪。 |
DIA-301-1992-08-22-1 | バングラデシュ | 1992年08月22日 | 1990年代 | 第8次バングラデシュ・ミャンマー会議。 |
DIA-301-1992-08-25-1 | バングラデシュ | 1992年08月25日 | 1990年代 | ランガマティでBNP集会。首相演説。チッタゴン丘陵の反政府軍に話し合いを呼びかけ。 |
DIA-301-1992-08-25-2 | バングラデシュ | 1992年08月25日 | 1990年代 | マレーシアと経済技術協力協定に調印,合同委員会を設置。訪問中(23日~)のDatukAbdullah Bin Haji Ahamd Badawiマレーシア外相とバングラデシュ外相が調印。毎年交互に合同委員会を開催する。 |
DIA-301-1992-08-25-3 | バングラデシュ | 1992年08月25日 | 1990年代 | インド灌漑相Vidya Charan Shukla来訪。 |
DIA-301-1992-08-26-1 | バングラデシュ | 1992年08月26日 | 1990年代 | バングラデシュ・インド水利会議開会(1972年以来83回目)。インドは初めて過去の一方的取水がバングラデシュに負担を与えたことを認めた。次の乾期前に配分率を決定することでは両国の見解は一致,しかし水量を増やす方法について,インドは連結運河提案。バングラデシュはネパールを交えた可能性を主張。また合同委員会の構成についてもインドは技官のなかで高い地位を,バングラデシュ側は灌漑次官級を主張している。 |
DIA-301-1992-08-27-1 | バングラデシュ | 1992年08月27日 | 1990年代 | バングラデシュ・インド,水利問題解決のため合同専門委員会設置で合意。9月15日から活動開始。 |
DIA-301-1992-08-31-1 | バングラデシュ | 1992年08月31日 | 1990年代 | 首相,非同盟諸国首脳会議(NAM)出席のためジャカルタヘ。外相,森林・環境担当国務相等が随伴。 |
DIA-301-1992-09-01-1 | バングラデシュ | 1992年09月01日 | 1990年代 | (ジャカルタ)首相,NAM会議で演説。 |
DIA-301-1992-09-05-1 | バングラデシュ | 1992年09月05日 | 1990年代 | 首相帰国。 |
DIA-301-1992-09-06-1 | バングラデシュ | 1992年09月06日 | 1990年代 | BNP,JCDの中央委員会解散を決定。ダッカ大学当局は,部外者,テロリスト分子に対し寮立ち退きの最後通牒をだす。 |
DIA-301-1992-09-08-1 | バングラデシュ | 1992年09月08日 | 1990年代 | パキスタンのカラチでSAARC野党リーダー会議開かれる。バングラデシュ,パキスタン,インド,ネパール,スリランカ代表が出席。バングラデシュからはALハシナ総裁が参加。 |
DIA-301-1992-09-11-1 | バングラデシュ | 1992年09月11日 | 1990年代 | インド,132人をパングラデシュに強制送還。 |
DIA-301-1992-09-12-1 | バングラデシュ | 1992年09月12日 | 1990年代 | 特別権限法に基づきゴラム・アザムの拘留期間120日延長される。 |
DIA-301-1992-09-16-1 | バングラデシュ | 1992年09月16日 | 1990年代 | テロ活動抑止法発令さる。特殊なタイプの犯罪(強請,交通機関の運行封鎖,乗用車他公共,私有財の意図的な破壊行為,金銭ハイジャック,いじめ,婦人・児童誘拐など)の公判の迅速化を目指す。5年から20年の禁固刑あるいは死刑。各県に一つ以上の裁判所を設置。野党はこの法律に強く反発。 |
DIA-301-1992-09-17-1 | バングラデシュ | 1992年09月17日 | 1990年代 | シャンティ・バヒニ,政府との話し合いを9月28日に申し入れ。 |
DIA-301-1992-09-22-1 | バングラデシュ | 1992年09月22日 | 1990年代 | ロヒンガ11家族,49人が本国に送還される。 |
DIA-301-1992-09-25-1 | バングラデシュ | 1992年09月25日 | 1990年代 | 本国送還に抗議するロヒンガと警官隊が衝突,少なくとも難民3人が死亡。地元住民も警察側にたって乱闘に加わっていた模様。 |
DIA-301-1992-09-28-1 | バングラデシュ | 1992年09月28日 | 1990年代 | シャンティ・パヒニのメンバー4人と政府の連絡委員会の準備会合開かれる。シャンティ・バヒニ側は,10月の第2週に通信相を長とする議会委員会と話し合うことに同意。 |
DIA-301-1992-09-28-2 | バングラデシュ | 1992年09月28日 | 1990年代 | インドのS・V・チャバン内相バングラデシュからの流民を防ぐため国境にフェンスを建設ならびに国境の警備を増強すると述べる。 |
DIA-301-1992-09-30-1 | バングラデシュ | 1992年09月30日 | 1990年代 | バングラデシュ・ミャンマー第9次会議。両国とも自発的帰国を継続することでは同意。 |
DIA-301-1992-10-04-1 | バングラデシュ | 1992年10月04日 | 1990年代 | SAARC議長としてスリランカのプレマダーサ大統領来バ。 |
DIA-301-1992-10-07-1 | バングラデシュ | 1992年10月07日 | 1990年代 | 産業政策1991年を修正。電信電話,エネルギーセクターを規制リストからはずし民間の参入を許可。 |
DIA-301-1992-10-11-1 | バングラデシュ | 1992年10月11日 | 1990年代 | 秋期国会開会。 |
DIA-301-1992-10-12-1 | バングラデシュ | 1992年10月12日 | 1990年代 | 国会議員補欠選挙(Rajbari1区)でALのQuazi Keramat AliがBNPのM.A.Khalequeをやぶって当選。7月31日にALのAdvocate Abdul Wazed Cho-wdhuryが死亡し空席になっていた。 |
DIA-301-1992-10-13-1 | バングラデシュ | 1992年10月13日 | 1990年代 | 首相,イタリア公式訪問に出発。 |
DIA-301-1992-10-15-1 | バングラデシュ | 1992年10月15日 | 1990年代 | Mymensingh3区の国会補欠選挙で,ALは議席を維持。事故死した前議員Nazrul Islamの未亡人Roushan Ara Begumが当選。 |
DIA-301-1992-10-15-2 | バングラデシュ | 1992年10月15日 | 1990年代 | 首相,バチカンを訪問,ローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世と会見。 |
DIA-301-1992-10-18-1 | バングラデシュ | 1992年10月18日 | 1990年代 | 首相帰国。 |
DIA-301-1992-10-21-1 | バングラデシュ | 1992年10月21日 | 1990年代 | インドの強制送還を非難する決議採択される。 |
DIA-301-1992-10-24-1 | バングラデシュ | 1992年10月24日 | 1990年代 | バングラデシュ・ミャンマー第10次会議。 |
DIA-301-1992-10-27-1 | バングラデシュ | 1992年10月27日 | 1990年代 | 反テロリズム法案,国会に上程される。 |
DIA-301-1992-10-29-1 | バングラデシュ | 1992年10月29日 | 1990年代 | ダッカのアフマディア派モスク襲撃される。 |
DIA-301-1992-11-01-1 | バングラデシュ | 1992年11月01日 | 1990年代 | 反テロリズム法案,大幅な修正を加えて国会で可決される。2年間の時限立法。特別法廷で有罪とされたものは高裁に控訴できる。特別法廷の判事は政府が任命するという案をやめ,最高裁長官の任命とする。 |
DIA-301-1992-11-05-1 | バングラデシュ | 1992年11月05日 | 1990年代 | 政府,PCJSS話し合い。PCJSS側は,12月末まで休戦続行で合意。PCJSS総裁が政府との話し合いに出席したのはこれがはじめて。 |
DIA-301-1992-11-06-1 | バングラデシュ | 1992年11月06日 | 1990年代 | 秋期国会閉会。 |
DIA-301-1992-11-15-1 | バングラデシュ | 1992年11月15日 | 1990年代 | 世界銀行のPreston総裁来バ。学生組織,ボランティア団体を中心に抗議デモ。 |
DIA-301-1992-11-20-1 | バングラデシュ | 1992年11月20日 | 1990年代 | (ニューデリー)2日間にわたる水の配分に関するバングラデシュ・インド専門家合同会議終了。次官レベル。なんら合意には到らず。対話続行を確認。 |
DIA-301-1992-11-22-1 | バングラデシュ | 1992年11月22日 | 1990年代 | SAARCサミット,3日間の予定を2日間に変更。 |
DIA-301-1992-12-02-1 | バングラデシュ | 1992年12月02日 | 1990年代 | Bhola4区補欠選挙でALは議席を維持。AL候補のZafrullah Chowdhuryが当選。次点はBNP候補のAbdus Shahid Maltia。 |
DIA-301-1992-12-06-1 | バングラデシュ | 1992年12月06日 | 1990年代 | (インド・アヨーディア)ヒンドゥー教徒によりバーブリ・モスク破壊される。バングラデシュ政府スポークスマンは,深い憂慮とショックを表明。バングラデシュ国民にたいし,イスラムの忍耐の精神で抑制するよう呼びかけた。数力所で抗議デモ等があった。ダッカのダケシュワリ寺院やインド大使館周辺の警備強化される。 |
DIA-301-1992-12-07-1 | バングラデシュ | 1992年12月07日 | 1990年代 | 全国各地にバーブリ・モスク破壊に対する抗議行動広がる。 |
DIA-301-1992-12-07-2 | バングラデシュ | 1992年12月07日 | 1990年代 | SAARC常任委員会(外務次官レベル)開かれる。 |
DIA-301-1992-12-08-1 | バングラデシュ | 1992年12月08日 | 1990年代 | SAARCサミット延期決定。 9日インドのBhatia外務国務相,Kanjuパキスタン外務国務相,スリランカのHerat外務相,ネパールのRam Hari Joshy観光相来バ。 |
DIA-301-1992-12-10-1 | バングラデシュ | 1992年12月10日 | 1990年代 | SAARC閣僚会議,サミットの日程を1月13,14日と決定。 |
DIA-301-1992-12-11-1 | バングラデシュ | 1992年12月11日 | 1990年代 | スリランカのプレマダーサ大統領来バ。 |
DIA-301-1992-12-12-1 | バングラデシュ | 1992年12月12日 | 1990年代 | パキスタンのシャリーフ首相来バ。 |
DIA-301-1992-12-12-2 | バングラデシュ | 1992年12月12日 | 1990年代 | スリランカのプレマダーサ大統領,パキスタン・シャリーフ首相,ジア首相三者会談。 |
DIA-301-1992-12-23-1 | バングラデシュ | 1992年12月23日 | 1990年代 | UNHCRの緒方貞子代表,バングラデシュに対してロヒンガ難民の強制送還の停止を求める声明発表。 |
DIA-301-1992-12-24-1 | バングラデシュ | 1992年12月24日 | 1990年代 | 米国国務省がロヒンガ問題に関してバングラデシュ政府を非難する声明発表。 |
DIA-301-1992-12-26-1 | バングラデシュ | 1992年12月26日 | 1990年代 | バングラ政府反論強制送還は行なっていない。 |
DIA-301-1992-12-26-2 | バングラデシュ | 1992年12月26日 | 1990年代 | 政府=PCJSS第2回会議。3月31日まで休戦延長。 |
DIA-301-1993-01-01-1 | バングラデシュ | 1993年01月01日 | 1990年代 | ボリシャル州開設。 |
DIA-301-1993-01-02-1 | バングラデシュ | 1993年01月02日 | 1990年代 | 92年12月6日に破壊されたモスクの再建を求める人々が,ダッカからアヨーディアヘの「長征」を開始。 |
DIA-301-1993-01-02-2 | バングラデシュ | 1993年01月02日 | 1990年代 | チッタゴンで群衆と海軍兵士が衝突,10人死亡,約200人負傷。 |
DIA-301-1993-01-04-1 | バングラデシュ | 1993年01月04日 | 1990年代 | 長征の国境突破を治安部隊が阻止,5人死亡,約100人負傷。 |
DIA-301-1993-01-10-1 | バングラデシュ | 1993年01月10日 | 1990年代 | SAARC首脳会議再び延期。ラオ・インド首相が出席できないため。 |
DIA-301-1993-01-18-1 | バングラデシュ | 1993年01月18日 | 1990年代 | 賃金・生産性委員会が首相に答申。国営企業労働者の最低賃金を1000タカにするよう勧告。 |
DIA-301-1993-01-20-1 | バングラデシュ | 1993年01月20日 | 1990年代 | アヨーディア事件を非難する国会決議。モスク破壊に関与した人々を非難し,モスクの早期再建を要求。 |
DIA-301-1993-01-20-2 | バングラデシュ | 1993年01月20日 | 1990年代 | モスタフィズル・ラフマン外相,訪米。ロヒンギャ難民問題について国連・アメリカと交渉。 |
DIA-301-1993-01-21-1 | バングラデシュ | 1993年01月21日 | 1990年代 | ボスニア国連防護軍に陸軍軍人4人,空軍軍人6人派遣。 |
DIA-301-1993-01-22-1 | バングラデシュ | 1993年01月22日 | 1990年代 | ESCAP事務局長ラフユディン・アーメド来訪。 |
DIA-301-1993-01-23-1 | バングラデシュ | 1993年01月23日 | 1990年代 | インド,バングラデシュのアヨーディア事件非難国会決議は,内政干渉であるとして抗議。 |
DIA-301-1993-01-24-1 | バングラデシュ | 1993年01月24日 | 1990年代 | ミシェル・アンセンヌ国際労働機構理事長来訪。 |
DIA-301-1993-01-29-1 | バングラデシュ | 1993年01月29日 | 1990年代 | 国連難民高等弁務官事務所,バングラデシュ側でロヒンギャ難民に関する活動を再開。 |
DIA-301-1993-01-30-1 | バングラデシュ | 1993年01月30日 | 1990年代 | 89の地方都市で,市評議会議長・評議員選挙。投票所の混乱で1人死亡,約100人負傷。 |
DIA-301-1993-01-31-1 | バングラデシュ | 1993年01月31日 | 1990年代 | 国連モザンビーク活動に陸軍軍人27人派遣。 |
DIA-301-1993-02-03-1 | バングラデシュ | 1993年02月03日 | 1990年代 | ダッカ11区(ミルプール)で国会議員補欠選挙。民族主義党候補が当選。 |
DIA-301-1993-02-05-1 | バングラデシュ | 1993年02月05日 | 1990年代 | ウィリアム・ライリー国際金融公社副総裁来訪。 |
DIA-301-1993-02-06-1 | バングラデシュ | 1993年02月06日 | 1990年代 | サイフル・ラフマン蔵相,訪米。世銀・IMFと会談。 |
DIA-301-1993-02-12-1 | バングラデシュ | 1993年02月12日 | 1990年代 | マハティール・マレーシア首相来訪。 |
DIA-301-1993-02-15-1 | バングラデシュ | 1993年02月15日 | 1990年代 | ジュート産業労働者の48時間交通封鎖と治安部隊が衝突,3人死亡,約200人負傷。 |
DIA-301-1993-02-15-2 | バングラデシュ | 1993年02月15日 | 1990年代 | 選挙委員会が,ダッカ11区補選の票を再集計。民族主義党が不正を行なった,とアワミ連盟が抗議したため。民族主義党候補当選が再確定。 |
DIA-301-1993-03-14-1 | バングラデシュ | 1993年03月14日 | 1990年代 | ウポジラ制度の最終的廃止,正式決定。 |
DIA-301-1993-03-17-1 | バングラデシュ | 1993年03月17日 | 1990年代 | 垂水アジア開発銀行総裁来訪。 |
DIA-301-1993-03-19-1 | バングラデシュ | 1993年03月19日 | 1990年代 | ミャンマーから武装集団が越境しテクナフ近くの村を襲撃,1人死亡,5人負傷。 |
DIA-301-1993-03-27-1 | バングラデシュ | 1993年03月27日 | 1990年代 | UNTACのバングラデシュ要員1人死亡。 |
DIA-301-1993-03-28-1 | バングラデシュ | 1993年03月28日 | 1990年代 | 撲滅委員会のデモ隊と治安部隊が衝突,約60人負傷。 |
DIA-301-1993-03-30-1 | バングラデシュ | 1993年03月30日 | 1990年代 | インドとのガンジス河水利権分配に関する専門家委員会。 |
DIA-301-1993-04-03-1 | バングラデシュ | 1993年04月03日 | 1990年代 | インド洋漁業委員会第8回会議。 |
DIA-301-1993-04-04-1 | バングラデシュ | 1993年04月04日 | 1990年代 | 池田菊男・日本バングラデシュ合同商業経済協力委員会委員長来訪。 |
DIA-301-1993-04-08-1 | バングラデシュ | 1993年04月08日 | 1990年代 | SAARC閣僚会議(~9日)。 |
DIA-301-1993-04-10-1 | バングラデシュ | 1993年04月10日 | 1990年代 | 第7回SAARC首脳会議(~11日)。南アジア特恵貿易協定に合意し,ダッカ共同宣言を採択。 |
DIA-301-1993-04-14-1 | バングラデシュ | 1993年04月14日 | 1990年代 | バングラデシュ暦1400年元日。 |
DIA-301-1993-04-16-1 | バングラデシュ | 1993年04月16日 | 1990年代 | ジャミルディン・シルカル文相,トルコ訪問。UNESCO人口・開発・教育会議に出席。 |
DIA-301-1993-04-22-1 | バングラデシュ | 1993年04月22日 | 1990年代 | ゴラム・アザム,バングラデシュ市民権獲得。 |
DIA-301-1993-04-22-2 | バングラデシュ | 1993年04月22日 | 1990年代 | ベルギー・ボードゥイン基金の国際開発賞を,グラーミン銀行のムハンマド・ユヌスが受賞。 |
DIA-301-1993-04-24-1 | バングラデシュ | 1993年04月24日 | 1990年代 | サイフル・ラフマン蔵相,フランス訪問。バングラデシュ援助国会議に出席。 |
DIA-301-1993-04-25-1 | バングラデシュ | 1993年04月25日 | 1990年代 | アザム市民権承認判決に抗議するデモ隊と治安部隊が衝突,約300人負傷。 |
DIA-301-1993-04-26-1 | バングラデシュ | 1993年04月26日 | 1990年代 | モスタフィズル・ラフマン外相,パキスタン訪問。第21回イスラム諸国外相会議に出席。 |
DIA-301-1993-04-27-1 | バングラデシュ | 1993年04月27日 | 1990年代 | 種田誠参議院議員来訪。 |
DIA-301-1993-05-04-1 | バングラデシュ | 1993年05月04日 | 1990年代 | シャンティバヒニの攻撃,兵士1人死亡。 |
DIA-301-1993-05-08-1 | バングラデシュ | 1993年05月08日 | 1990年代 | モスタフィズル・ラフマン外相,インドネシア訪問。非同盟諸国閣僚会議に出席。 |
DIA-301-1993-05-11-1 | バングラデシュ | 1993年05月11日 | 1990年代 | 新100タカ札発行。 |
DIA-301-1993-05-12-1 | バングラデシュ | 1993年05月12日 | 1990年代 | 緒方貞子国連難民高等弁務官来訪。ロヒンギャ難民問題に関する合意文書に調印。 |
DIA-301-1993-05-12-2 | バングラデシュ | 1993年05月12日 | 1990年代 | 国営企業労働者組合72時間ゼネストの2日目,チッタゴンで労働者と治安部隊が衝突,約200人負傷。 |
DIA-301-1993-05-22-1 | バングラデシュ | 1993年05月22日 | 1990年代 | シャンティバヒニと和平会談。5月末で期限切れとなる休戦協定を,8月末まで延長。 |
DIA-301-1993-05-23-1 | バングラデシュ | 1993年05月23日 | 1990年代 | アブドゥル・ラフマン・ビスワス大統領,サウジアラビア訪問。メッカ巡礼のため。 |
DIA-301-1993-05-30-1 | バングラデシュ | 1993年05月30日 | 1990年代 | 新1タカ札発行。 |
DIA-301-1993-06-04-1 | バングラデシュ | 1993年06月04日 | 1990年代 | シャンティバヒニの攻撃,兵士1人死亡。 |
DIA-301-1993-06-08-1 | バングラデシュ | 1993年06月08日 | 1990年代 | エルシャド前大統領夫妻にそれぞれ禁固7年の判決。 |
DIA-301-1993-06-14-1 | バングラデシュ | 1993年06月14日 | 1990年代 | ナズムル・フダ情報相,朝鮮訪問。第4回非同盟諸国情報相会議に出席。 |
DIA-301-1993-06-20-1 | バングラデシュ | 1993年06月20日 | 1990年代 | ダッカ輸出加工区操業開始。 |
DIA-301-1993-06-20-2 | バングラデシュ | 1993年06月20日 | 1990年代 | 1992/93年度補正予算(223億6933万9000タカ)成立。 |
DIA-301-1993-06-23-1 | バングラデシュ | 1993年06月23日 | 1990年代 | 日本からの96億3000万円の贈与協定に調印。 |
DIA-301-1993-06-25-1 | バングラデシュ | 1993年06月25日 | 1990年代 | 第2次国連ソマリア活動へ陸軍将校25人派遣。 |
DIA-301-1993-06-28-1 | バングラデシュ | 1993年06月28日 | 1990年代 | 新5タカ札発行。 |
DIA-301-1993-06-30-1 | バングラデシュ | 1993年06月30日 | 1990年代 | アル・ノマン環境相,日本訪問。 |
DIA-301-1993-06-30-2 | バングラデシュ | 1993年06月30日 | 1990年代 | 1993/94年度予算成立。 |
DIA-301-1993-07-07-1 | バングラデシュ | 1993年07月07日 | 1990年代 | ユーゴスラビア国連平和使節団に警察官5人派遣。 |
DIA-301-1993-07-10-1 | バングラデシュ | 1993年07月10日 | 1990年代 | モスタフィズル・ラフマン外相,パキスタン訪問。イスラム諸国会議の特別会合に出席。 |
DIA-301-1993-07-10-2 | バングラデシュ | 1993年07月10日 | 1990年代 | マイケル・マーソン世界保健機構理事来訪。 |
DIA-301-1993-07-14-1 | バングラデシュ | 1993年07月14日 | 1990年代 | 政府,反政府勢力のシャンティバヒニと和平会談。12月31日までに投降した者には恩赦が与えられる。 |
DIA-301-1993-07-15-1 | バングラデシュ | 1993年07月15日 | 1990年代 | ゴラム・アザム釈放。 |
DIA-301-1993-07-24-1 | バングラデシュ | 1993年07月24日 | 1990年代 | 新10タカ札発行。 |
DIA-301-1993-08-02-1 | バングラデシュ | 1993年08月02日 | 1990年代 | 日本とサイクロン・シェルター建設計画援助(4億9500万円)に合意。 |
DIA-301-1993-08-03-1 | バングラデシュ | 1993年08月03日 | 1990年代 | 第2次国連ソマリア活動へ歩兵1個大隊派遣。 |
DIA-301-1993-08-05-1 | バングラデシュ | 1993年08月05日 | 1990年代 | 政府,アメリカの洪水被災地に10万ドルと紅茶などを送ることを決定。 |
DIA-301-1993-08-10-1 | バングラデシュ | 1993年08月10日 | 1990年代 | クリシュナ神生誕を祝うヒンドゥー教徒の集会に爆弾テロ。約100人負傷。 |
DIA-301-1993-08-14-1 | バングラデシュ | 1993年08月14日 | 1990年代 | 科学技術省開設。 |
DIA-301-1993-08-15-1 | バングラデシュ | 1993年08月15日 | 1990年代 | ムジブル・ラフマン追悼行事に参加した群衆と治安部隊が衝突,約100人負傷。 |
DIA-301-1993-08-19-1 | バングラデシュ | 1993年08月19日 | 1990年代 | ユーゴスラビア国連平和維持軍へ警察官15人派遣。 |
DIA-301-1993-08-29-1 | バングラデシュ | 1993年08月29日 | 1990年代 | カマル・ホサイン元外務大臣が新党人民フォーラムを結成。 |
DIA-301-1993-08-29-2 | バングラデシュ | 1993年08月29日 | 1990年代 | バングラデシュ・ジュート公社解散。 |
DIA-301-1993-09-01-1 | バングラデシュ | 1993年09月01日 | 1990年代 | 円借款231億1600万円に合意。 |
DIA-301-1993-09-01-2 | バングラデシュ | 1993年09月01日 | 1990年代 | サイフル・ラフマン蔵相,トルコ訪問。イスラム諸国会議商業経済協力機構第9回会議に出席。 |
DIA-301-1993-09-12-1 | バングラデシュ | 1993年09月12日 | 1990年代 | 佃近雄海外経済協力基金副総裁来訪。 |
DIA-301-1993-09-17-1 | バングラデシュ | 1993年09月17日 | 1990年代 | マンナン科学技術相,パキスタン訪問。イスラム諸国会議技術協力委員会に出席。 |
DIA-301-1993-09-18-1 | バングラデシュ | 1993年09月18日 | 1990年代 | モスタフィズル・ラフマン外相,訪米。国連総会に出席。 |
DIA-301-1993-09-19-1 | バングラデシュ | 1993年09月19日 | 1990年代 | サイフル・ラフマン蔵相,バハマ訪問。英連邦蔵相会議に出席。 |
DIA-301-1993-09-23-1 | バングラデシュ | 1993年09月23日 | 1990年代 | 作家タスリマ・ナスリンの首に懸賞金5万タカ。「タスリマ・ナスリンの著作がイスラム教徒の宗教感情をいたく傷つけたため」イスラム原理主義団体が発表。 |
DIA-301-1993-09-23-2 | バングラデシュ | 1993年09月23日 | 1990年代 | サイフル・ラフマン蔵相,訪米。世界銀行・国際通貨基金合同年次総会に出席。 |
DIA-301-1993-09-27-1 | バングラデシュ | 1993年09月27日 | 1990年代 | サトキラ県にインド国境警備軍が侵入,村民1人を射殺。 |
DIA-301-1993-09-29-1 | バングラデシュ | 1993年09月29日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,訪米。国連総会に出席(10月2日総会演説)。 |
DIA-301-1993-09-30-1 | バングラデシュ | 1993年09月30日 | 1990年代 | サイフル・ラフマン蔵相,IMF運営局議長に。 |
DIA-301-1993-09-30-2 | バングラデシュ | 1993年09月30日 | 1990年代 | 首相,1990年国連こどもサミット3周年記念円卓会議議長に。 |
DIA-301-1993-10-03-1 | バングラデシュ | 1993年10月03日 | 1990年代 | イスラム原理主義団体が政府に対してタスリマ・ナスリンを7日までに逮捕するよう要求。 |
DIA-301-1993-10-05-1 | バングラデシュ | 1993年10月05日 | 1990年代 | 首相,イギリスを訪問。 |
DIA-301-1993-10-07-1 | バングラデシュ | 1993年10月07日 | 1990年代 | ダッカ警視庁,タスリマ・ナスリン保護命令。 |
DIA-301-1993-10-10-1 | バングラデシュ | 1993年10月10日 | 1990年代 | バングラデシュ日本学生協会発足。 |
DIA-301-1993-10-11-1 | バングラデシュ | 1993年10月11日 | 1990年代 | インド政府,カレダ・ジア首相の国連総会演説に抗議。「国際会議の場でファラッカ・ダム問題に言及することは,92年5月の両国首相の合意に反する」 |
DIA-301-1993-10-19-1 | バングラデシュ | 1993年10月19日 | 1990年代 | 首相,キプロスを訪問。英連邦首脳会議に出席。 |
DIA-301-1993-10-19-2 | バングラデシュ | 1993年10月19日 | 1990年代 | バングラデシュ銀行,タカの交換性実施を宣言。経常取引に関わる為替取引には,今後バングラデシュ銀行の事前許可を必要としない。 |
DIA-301-1993-10-20-1 | バングラデシュ | 1993年10月20日 | 1990年代 | 日本の外科医チーム来訪。 |
DIA-301-1993-10-22-1 | バングラデシュ | 1993年10月22日 | 1990年代 | 国連リベリア監視団にオブザーバー10人派遣。 |
DIA-301-1993-10-23-1 | バングラデシュ | 1993年10月23日 | 1990年代 | ジャミルッディン・シルカル文相,フランス訪問。UNESCO総会に出席。 |
DIA-301-1993-10-24-1 | バングラデシュ | 1993年10月24日 | 1990年代 | 政府,国営企業労働者の最低賃金を950タカに引き上げ(91年7月1日にさかのぼって施行)。 |
DIA-301-1993-10-29-1 | バングラデシュ | 1993年10月29日 | 1990年代 | サイフル・ラフマン蔵相,ガンビア訪問。国連工業開発理事会に出席。 |
DIA-301-1993-10-31-1 | バングラデシュ | 1993年10月31日 | 1990年代 | マジッド・ウル・ハク農業・灌漑・水資源開発・食糧相,イタリア訪問。国連食糧農業機関総会に出席。 |
DIA-301-1993-11-01-1 | バングラデシュ | 1993年11月01日 | 1990年代 | アジア保健相会議。アジア太平洋緊急事務所をダッカに設置することに合意。 |
DIA-301-1993-11-05-1 | バングラデシュ | 1993年11月05日 | 1990年代 | ミャンマー政府,ロヒンギャ難民問題についてUNHCRの活動を認める。 |
DIA-301-1993-11-14-1 | バングラデシュ | 1993年11月14日 | 1990年代 | サイフル・ラフマン蔵相,訪日。 |
DIA-301-1993-11-17-1 | バングラデシュ | 1993年11月17日 | 1990年代 | ランガマティで少数民族のデモ隊と治安部隊が衝突,15人死亡,約100人負傷。 |
DIA-301-1993-11-21-1 | バングラデシュ | 1993年11月21日 | 1990年代 | チッタゴン3丘陵県の行政権限を強化する合意成立。 |
DIA-301-1993-11-22-1 | バングラデシュ | 1993年11月22日 | 1990年代 | 首相,ネパールを訪問。 |
DIA-301-1993-11-24-1 | バングラデシュ | 1993年11月24日 | 1990年代 | 政府,シャンティバヒニと和平会談。休戦協定を94年1月末まで延長。 |
DIA-301-1993-11-27-1 | バングラデシュ | 1993年11月27日 | 1990年代 | フェニ県ムフリルチャルでバングラデシュ・インド国境警備軍が交戦,2人負傷。 |
DIA-301-1993-11-30-1 | バングラデシュ | 1993年11月30日 | 1990年代 | SAARC外務次官会議。 |
DIA-301-1993-12-01-1 | バングラデシュ | 1993年12月01日 | 1990年代 | シャンティバヒニ兵士2人が投降。7月14日の恩赦発表以来,はじめての投降者。 |
DIA-301-1993-12-04-1 | バングラデシュ | 1993年12月04日 | 1990年代 | SAARC外相会議。 |
DIA-301-1993-12-07-1 | バングラデシュ | 1993年12月07日 | 1990年代 | ミャンマー国境警備軍に拿捕された漁師68人釈放。 |
DIA-301-1993-12-20-1 | バングラデシュ | 1993年12月20日 | 1990年代 | 第6回南アジア連合ゲーム開催。SAARC加盟国の選手・役員総勢1200人が参加。 |
DIA-301-1993-12-22-1 | バングラデシュ | 1993年12月22日 | 1990年代 | バングラデシュ・インド合同経済委員会。 |
DIA-301-1993-12-22-2 | バングラデシュ | 1993年12月22日 | 1990年代 | シレットで,インド国境警備軍がバングラデシュ人3人を連行。15時間後に釈放。 |
DIA-301-1994-01-06-1 | バングラデシュ | 1994年01月06日 | 1990年代 | エルシャド元大統領をODA汚職で告発。救援ボート調達の際,入札額が金商又一より2倍も高い丸紅に落札させた疑い。 |
DIA-301-1994-01-26-1 | バングラデシュ | 1994年01月26日 | 1990年代 | 商業銀行の外国為替先物取引き認可。 |
DIA-301-1994-01-30-1 | バングラデシュ | 1994年01月30日 | 1990年代 | 4大都市自治体選挙。ダッカとチッタゴン市長選でアワミ連盟候補が当選。投票所の混乱で2人死亡。 |
DIA-301-1994-01-31-1 | バングラデシュ | 1994年01月31日 | 1990年代 | ラルバグ事件。ダッカ市評議員選挙で,落選した民族主義党候補の支持者が当選したアワミ連盟候補の支持者を襲撃,6人死亡。 |
DIA-301-1994-02-05-1 | バングラデシュ | 1994年02月05日 | 1990年代 | 第13期国会召集(~3月7日)。 |
DIA-301-1994-02-15-1 | バングラデシュ | 1994年02月15日 | 1990年代 | チャクマ難民帰還第1陣。22日までに379世帯1841人がインド・トリプーラ州からバングラデシュ・カグラチョリ県に帰国。 |
DIA-301-1994-02-24-1 | バングラデシュ | 1994年02月24日 | 1990年代 | 野党,選挙管理政権要求。アワミ連盟,国民党,イスラム協会が別々に法案提出。 |
DIA-301-1994-02-24-2 | バングラデシュ | 1994年02月24日 | 1990年代 | 中国外相銭其=来訪(~27日)。26日,経済協力協定に調印。 |
DIA-301-1994-03-01-1 | バングラデシュ | 1994年03月01日 | 1990年代 | 野党,議会から退場(以後二度と議場に戻らず)。 |
DIA-301-1994-03-10-1 | バングラデシュ | 1994年03月10日 | 1990年代 | 4大都市市長就任。 |
DIA-301-1994-03-20-1 | バングラデシュ | 1994年03月20日 | 1990年代 | モグラ2区国会議員補欠選挙。民族主義党候補が当選。 |
DIA-301-1994-03-28-1 | バングラデシュ | 1994年03月28日 | 1990年代 | 首相カレダ・ジア来日(~4月1日)。 |
DIA-301-1994-03-29-1 | バングラデシュ | 1994年03月29日 | 1990年代 | 首脳会談。31日,共同宣言発表。 |
DIA-301-1994-04-07-1 | バングラデシュ | 1994年04月07日 | 1990年代 | アワミ連盟,合同庁舎包囲。2人死亡。モグラ2区補選の「不正」への抗議。 |
DIA-301-1994-04-19-1 | バングラデシュ | 1994年04月19日 | 1990年代 | バングラデシュ援助国会議(~20日)。94/95年度援助額を21億㌦に決定。 |
DIA-301-1994-04-30-1 | バングラデシュ | 1994年04月30日 | 1990年代 | はじめての野党首脳会談。選挙管理政権の要求で一致団結を確認。 |
DIA-301-1994-05-02-1 | バングラデシュ | 1994年05月02日 | 1990年代 | コックスバザールにサイクロン上陸,165人死亡。 |
DIA-301-1994-05-03-1 | バングラデシュ | 1994年05月03日 | 1990年代 | 第14期国会召集(~12日)。 |
DIA-301-1994-05-08-1 | バングラデシュ | 1994年05月08日 | 1990年代 | アワミ連盟党首シェイク・ハシナ来日(~13日)。「アジア太平洋地域の民主主義と社会経済発展に関するセミナー」に出席。 |
DIA-301-1994-06-04-1 | バングラデシュ | 1994年06月04日 | 1990年代 | タスリマ・ナスリンに刑法295A条(宗教冒)違反で逮捕状。 |
DIA-301-1994-06-06-1 | バングラデシュ | 1994年06月06日 | 1990年代 | 第15期(予算)国会召集(~7月11日)。 |
DIA-301-1994-06-11-1 | バングラデシュ | 1994年06月11日 | 1990年代 | 経団連調査団来訪(~14日)。 |
DIA-301-1994-06-22-1 | バングラデシュ | 1994年06月22日 | 1990年代 | ゴラム・アザム,市民権確定。5月4日~6月5日の12回の公判をへて,最高裁上訴部がアザムの市民権を最終的に承認。 |
DIA-301-1994-06-26-1 | バングラデシュ | 1994年06月26日 | 1990年代 | 「撲滅委員会」委員長ジャハナラ・イマーム死去。 |
DIA-301-1994-06-27-1 | バングラデシュ | 1994年06月27日 | 1990年代 | 野党,選挙管理政権のための統一綱領発表。 |
DIA-301-1994-06-28-1 | バングラデシュ | 1994年06月28日 | 1990年代 | 最高裁判所高等部,野党の国会ボイコットに対し理由開示命令。 |
DIA-301-1994-06-29-1 | バングラデシュ | 1994年06月29日 | 1990年代 | 94/95年度予算案可決。 |
DIA-301-1994-06-30-1 | バングラデシュ | 1994年06月30日 | 1990年代 | 野党ゼネスト。1人死亡。アワミ連盟とイスラム協会の集会参加者が各地で衝突。 |
DIA-301-1994-07-06-1 | バングラデシュ | 1994年07月06日 | 1990年代 | ロヒンギャ難民帰還再開。5月2日のサイクロンで中止されていた。 |
DIA-301-1994-07-07-1 | バングラデシュ | 1994年07月07日 | 1990年代 | ボグラ4区国会議員補欠選挙。野党はボイコット。民族主義党候補が当選。 |
DIA-301-1994-07-10-1 | バングラデシュ | 1994年07月10日 | 1990年代 | SAARC蔵相会議(~11日)。 |
DIA-301-1994-07-21-1 | バングラデシュ | 1994年07月21日 | 1990年代 | チャクマ難民帰還第2陣。8月5日までに648世帯3348人がバングラデシュ入り。 |
DIA-301-1994-07-26-1 | バングラデシュ | 1994年07月26日 | 1990年代 | チッタゴンでイスラム協会と全党学生同盟が衝突,6人死亡。 |
DIA-301-1994-07-27-1 | バングラデシュ | 1994年07月27日 | 1990年代 | SAARC常設委員会(~29日)。 |
DIA-301-1994-07-30-1 | バングラデシュ | 1994年07月30日 | 1990年代 | SAARC閣僚評議会(~31日)。 |
DIA-301-1994-08-03-1 | バングラデシュ | 1994年08月03日 | 1990年代 | タスリマ・ナスリン,裁判所に出頭。1万タカで保釈。9日スウェーデンへ。 |
DIA-301-1994-08-13-1 | バングラデシュ | 1994年08月13日 | 1990年代 | 国連イラク・クウェート監視団のバングラデシュ人兵士1人死亡。 |
DIA-301-1994-08-18-1 | バングラデシュ | 1994年08月18日 | 1990年代 | タスリマ・ナスリン,クルト・ツホルスキー賞授賞式に出席。賞金2万㌦獲得。 |
DIA-301-1994-08-30-1 | バングラデシュ | 1994年08月30日 | 1990年代 | 第16期国会召集(~9月14日)。 |
DIA-301-1994-09-02-1 | バングラデシュ | 1994年09月02日 | 1990年代 | 韓国首相李栄徳来訪(~4日)。 |
DIA-301-1994-09-05-1 | バングラデシュ | 1994年09月05日 | 1990年代 | カイロ国連人口会議。厚生相カマル・イブネ・ユシュフが家族計画について報告。 |
DIA-301-1994-09-10-1 | バングラデシュ | 1994年09月10日 | 1990年代 | ダッカ包囲。野党支持者1万人がダッカ市内外をむすぶ主要交通路を封鎖,治安部隊と衝突して200人負傷。 |
DIA-301-1994-09-15-1 | バングラデシュ | 1994年09月15日 | 1990年代 | 英連邦事務局長エメカ・アニアオク来訪(~19日)。 |
DIA-301-1994-09-21-1 | バングラデシュ | 1994年09月21日 | 1990年代 | 首相カレダ・ジア,ブータン訪問。22日に共同声明発表。 |
DIA-301-1994-09-26-1 | バングラデシュ | 1994年09月26日 | 1990年代 | アニアオクの仲介で,与野党が会談に合意。 |
DIA-301-1994-09-28-1 | バングラデシュ | 1994年09月28日 | 1990年代 | ペスト伝染阻止のためインドとの国境封鎖。29日,インドからの食料品輸入禁止。 |
DIA-301-1994-10-04-1 | バングラデシュ | 1994年10月04日 | 1990年代 | ハイチ多国籍軍に1150人派遣。 |
DIA-301-1994-10-05-1 | バングラデシュ | 1994年10月05日 | 1990年代 | オーストラリアのニニアン・スティーブンスを与野党会談仲介人に指名。 |
DIA-301-1994-10-06-1 | バングラデシュ | 1994年10月06日 | 1990年代 | 外相モスタフィズル・ラフマン,国連総会で演説。ガンジス河水利権問題を指摘。 |
DIA-301-1994-10-07-1 | バングラデシュ | 1994年10月07日 | 1990年代 | ミャンマー,インドのペスト禍を理由にロヒンギャ難民受け入れ停止(21日再開)。 |
DIA-301-1994-10-08-1 | バングラデシュ | 1994年10月08日 | 1990年代 | インド,バングラデシュ外相が国連演説でガンジス河問題に触れたことに抗議。 |
DIA-301-1994-10-10-1 | バングラデシュ | 1994年10月10日 | 1990年代 | 英連邦の与野党会談仲介団到着。 |
DIA-301-1994-10-11-1 | バングラデシュ | 1994年10月11日 | 1990年代 | 首相カレダ・ジア,マレーシア訪問。12日に首脳会談。合意文書に調印。 |
DIA-301-1994-10-13-1 | バングラデシュ | 1994年10月13日 | 1990年代 | 仲介人ニニアン到着。 |
DIA-301-1994-10-15-1 | バングラデシュ | 1994年10月15日 | 1990年代 | ダッカ市自治体評議員女子留保議席選挙。18議席をアワミ連盟が独占。 |
DIA-301-1994-10-20-1 | バングラデシュ | 1994年10月20日 | 1990年代 | 第1回与野党会談。22~24日も会談。 |
DIA-301-1994-10-25-1 | バングラデシュ | 1994年10月25日 | 1990年代 | 第5回与野党会談。与野党はそれぞれ交渉決裂を宣言。 |
DIA-301-1994-10-27-1 | バングラデシュ | 1994年10月27日 | 1990年代 | 与野党会談再開。ニニアンが滞在する迎賓館で,民族主義党とアワミ連盟が会談。 |
DIA-301-1994-10-28-1 | バングラデシュ | 1994年10月28日 | 1990年代 | 政府,インド国営放送に抗議。アッサム地方のゲリラ組織がバングラデシュ領内で軍事訓練を受けたという報道は「事実無根」。 |
DIA-301-1994-10-29-1 | バングラデシュ | 1994年10月29日 | 1990年代 | 与党から新提案。総選挙直前にカレダ・ジアを首班とする挙国一致内閣をつくる。 |
DIA-301-1994-10-29-2 | バングラデシュ | 1994年10月29日 | 1990年代 | 日本・バングラデシュ議員協会来訪(~11月2日)。11月1日,メグナ・グムティ橋開通式典に出席。 |
DIA-301-1994-10-30-1 | バングラデシュ | 1994年10月30日 | 1990年代 | 野党,与党新提案を拒否。 |
DIA-301-1994-10-30-2 | バングラデシュ | 1994年10月30日 | 1990年代 | ジェソール3区補欠選挙。民族主義党候補が無競争当選。 |
DIA-301-1994-11-01-1 | バングラデシュ | 1994年11月01日 | 1990年代 | 野党大衆集会。野党国会議員の一斉辞職戦術を発表。 |
DIA-301-1994-11-04-1 | バングラデシュ | 1994年11月04日 | 1990年代 | 情報相フダ,選挙管理政権問題で党議から逸脱する発言。5日,情報相を罷免。 |
DIA-301-1994-11-04-2 | バングラデシュ | 1994年11月04日 | 1990年代 | インドからの食料品輸入解禁。 |
DIA-301-1994-11-12-1 | バングラデシュ | 1994年11月12日 | 1990年代 | 第17期国会召集(~12月8日)。 |
DIA-301-1994-11-20-1 | バングラデシュ | 1994年11月20日 | 1990年代 | ニニアン,与野党に最終提案。現国会議員の任期満了45日前に,カレダ・ジア首班の挙国一致内閣をつくる。 |
DIA-301-1994-11-23-1 | バングラデシュ | 1994年11月23日 | 1990年代 | 首相カレダ・ジア,モルジブ訪問(~24日)。24日,共同声明発表。 |
DIA-301-1994-11-25-1 | バングラデシュ | 1994年11月25日 | 1990年代 | JICA・OECF代表団来訪(~29日)。経済協力に関する年次会議に出席。 |
DIA-301-1994-12-01-1 | バングラデシュ | 1994年12月01日 | 1990年代 | 下士官が待遇改善を求めて反乱。5000人の下士官がダッカ,チッタゴンなどで士官学校を占拠,将校5人と家族37人を拘束。 |
DIA-301-1994-12-03-1 | バングラデシュ | 1994年12月03日 | 1990年代 | ボスニア・ヘルツェゴビナ国連防護軍のバングラデシュ人兵士,ビハチで1人死亡。13日,さらに1人死亡。 |
DIA-301-1994-12-04-1 | バングラデシュ | 1994年12月04日 | 1990年代 | 下士官反乱鎮圧。未明に国境警備軍が突入,2人死亡,20人負傷。5000人を逮捕。 |
DIA-301-1994-12-11-1 | バングラデシュ | 1994年12月11日 | 1990年代 | 最高裁判所高等部,野党国会議員の国会ボイコットを「憲法違反」と判決。 |
DIA-301-1994-12-12-1 | バングラデシュ | 1994年12月12日 | 1990年代 | 首相カレダ・ジア,モロッコ訪問。第7回イスラム諸国会議機構首脳会議に出席。 |
DIA-301-1994-12-28-1 | バングラデシュ | 1994年12月28日 | 1990年代 | 野党議員147人,一斉に辞表を提出。 |
DIA-301-1995-01-09-1 | バングラデシュ | 1995年01月09日 | 1990年代 | 94年6月に宗教冒罪に問われたタスリマ・ナスリン,訴訟の破棄を申請。申請は却下されたが,95年中は実質的審理に入らず。 |
DIA-301-1995-01-18-1 | バングラデシュ | 1995年01月18日 | 1990年代 | 最高裁高等部,野党議員一斉辞職について,理由開示命令を出す。野党党首に対しては党議拘束による一斉辞職の違法性が,国会議長に対しては野党議員提出の辞表を留保したことの違法性が問われた。 |
DIA-301-1995-01-22-1 | バングラデシュ | 1995年01月22日 | 1990年代 | シレット,ボリシャル,チャンドプル,シブゴンジで地方都市選挙実施。 |
DIA-301-1995-01-22-2 | バングラデシュ | 1995年01月22日 | 1990年代 | ジュート・綿花産業労働者,72時間ホルタル(ゼネスト)開始。期間中2人死亡。 |
DIA-301-1995-01-23-1 | バングラデシュ | 1995年01月23日 | 1990年代 | 国会第18会期召集(~2月23日)。 |
DIA-301-1995-01-25-1 | バングラデシュ | 1995年01月25日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,スリランカ訪問(~26日)。 |
DIA-301-1995-01-25-2 | バングラデシュ | 1995年01月25日 | 1990年代 | 4選挙区で国会議員補欠選挙実施。投票所の混乱で1人死亡。 |
DIA-301-1995-01-30-1 | バングラデシュ | 1995年01月30日 | 1990年代 | 91年総選挙の際,中立選挙管理政権の大統領代行を務めたシャハブッデイン首席裁判官.定年退官。 |
DIA-301-1995-02-01-1 | バングラデシュ | 1995年02月01日 | 1990年代 | 選挙委員会,300選挙区割り案発表。3月6日まで不服申し立て受け付け。 |
DIA-301-1995-02-01-2 | バングラデシュ | 1995年02月01日 | 1990年代 | オリ・アフメド運輸相,インド訪問(~3日)。チャクマ族難民問題について会談。 |
DIA-301-1995-02-07-1 | バングラデシュ | 1995年02月07日 | 1990年代 | チッタゴン3丘陵県の自治体選挙が97年1月まで延期さる。 |
DIA-301-1995-02-12-1 | バングラデシュ | 1995年02月12日 | 1990年代 | ジュート産業労働者,4日間ゼネスト開始。期間中2人死亡。 |
DIA-301-1995-02-22-1 | バングラデシュ | 1995年02月22日 | 1990年代 | 野党議員一斉辞職の違法性を問う裁判,原告に訴えの利益がないとして訴状却下。 |
DIA-301-1995-02-23-1 | バングラデシュ | 1995年02月23日 | 1990年代 | 国会議長の辞表留保の違法性を問う裁判,原告に訴えの利益がないとして訴状却下。国会議長,野党議員の辞表147通のうち,144通は違法で受理できないと発表。 |
DIA-301-1995-03-01-1 | バングラデシュ | 1995年03月01日 | 1990年代 | 81年5月のクーデタ首謀者モンジュルを殺害した容疑者,エムダド元少佐逮捕。28日に公判開始。 |
DIA-301-1995-03-01-2 | バングラデシュ | 1995年03月01日 | 1990年代 | ソマリアPKO参加のバングラデシュ部隊903人が,同国より撤退。 |
DIA-301-1995-03-06-1 | バングラデシュ | 1995年03月06日 | 1990年代 | チャクマ族指導者バイギャ・チャンドラ・チャクマ死去。 |
DIA-301-1995-03-09-1 | バングラデシュ | 1995年03月09日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,デンマーク(~13日),イギリス(~19日)訪問。 |
DIA-301-1995-03-12-1 | バングラデシュ | 1995年03月12日 | 1990年代 | 野党3党(アワミ連盟,国民党,イスラーム協会)は民族主義党カレダ・ジア政権の即時退陣と,選挙管理政権下での総選挙を求めて2日間ホルタル開始。期間中1人死亡。 |
DIA-301-1995-03-18-1 | バングラデシュ | 1995年03月18日 | 1990年代 | 国会懲罰委員会,肥料問題について調査開始。3月に入り肥料高騰に抗議する農民の示威行動が激化。各地で警官隊と衝突し死者続出。 |
DIA-301-1995-03-23-1 | バングラデシュ | 1995年03月23日 | 1990年代 | 台湾と経済交流事務所設置で合意。 |
DIA-301-1995-03-28-1 | バングラデシュ | 1995年03月28日 | 1990年代 | スリランカ大統領来訪(~30日)。 |
DIA-301-1995-03-28-2 | バングラデシュ | 1995年03月28日 | 1990年代 | 野党3党,ダッカを包囲(周囲の交通を封鎖)。 |
DIA-301-1995-04-02-1 | バングラデシュ | 1995年04月02日 | 1990年代 | ヒラリー・クリントン米大統領夫人来訪(~4日)。 |
DIA-301-1995-04-04-1 | バングラデシュ | 1995年04月04日 | 1990年代 | ザヒルッディン・カーン工業相,肥料問題の責任をとり辞任。 |
DIA-301-1995-04-07-1 | バングラデシュ | 1995年04月07日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,ネパール訪問(~8日)。 |
DIA-301-1995-04-08-1 | バングラデシュ | 1995年04月08日 | 1990年代 | ダッカで第5回南アジア地域協力連合(SAARC)経済協力委員会開催(~9日)。 |
DIA-301-1995-04-10-1 | バングラデシュ | 1995年04月10日 | 1990年代 | トンギ地方都市選挙。有権者登録証を公布して実施。 |
DIA-301-1995-04-11-1 | バングラデシュ | 1995年04月11日 | 1990年代 | 政府,肥料問題調査特別委員会設置。 |
DIA-301-1995-04-12-1 | バングラデシュ | 1995年04月12日 | 1990年代 | クウェート首相来訪(~15日)。 |
DIA-301-1995-04-19-1 | バングラデシュ | 1995年04月19日 | 1990年代 | サイフル・ラフマン蔵相,パリ訪問(~28日)。バングラデシュ援助国会議に出席。 |
DIA-301-1995-04-24-1 | バングラデシュ | 1995年04月24日 | 1990年代 | 国会第19会期召集(~27日)。 |
DIA-301-1995-04-27-1 | バングラデシュ | 1995年04月27日 | 1990年代 | 選挙委員会委員長にA・K・M・サデックが就任。 |
DIA-301-1995-05-02-1 | バングラデシュ | 1995年05月02日 | 1990年代 | ニューデリーでSAARC首脳会議(~4日)。4日に共同宣言採択。インドとのガンジス河水利権問題については,5~7日,6月24~25日にも協議。 |
DIA-301-1995-05-17-1 | バングラデシュ | 1995年05月17日 | 1990年代 | バングラデシュ縫製品産業・輸出業協会(BGMEA),アメリカ大使の仲介で子どもの雇用問題についてUNICEFやNGOと会談。BGMEAはNGOの介入を拒否し合意不成立。 |
DIA-301-1995-05-21-1 | バングラデシュ | 1995年05月21日 | 1990年代 | アメリカのNGO,Child Labor Coalition,バングラデシュ縫製品不買運動開始。 |
DIA-301-1995-05-25-1 | バングラデシュ | 1995年05月25日 | 1990年代 | 選挙委員会,有権者登録作業開始。 |
DIA-301-1995-05-28-1 | バングラデシュ | 1995年05月28日 | 1990年代 | UNICEF,子どもの労働による製品の調達を中止。 |
DIA-301-1995-05-29-1 | バングラデシュ | 1995年05月29日 | 1990年代 | 最高裁高等部,選挙委員会に対し,95年1月1日時点で18歳以上の者に有権者資格を限ったことについて理由開示命令を出す。 |
DIA-301-1995-05-31-1 | バングラデシュ | 1995年05月31日 | 1990年代 | BGMEA,子どもの雇用問題について,アメリカ政府,UNICEF,ILOとの交渉再開。 |
DIA-301-1995-06-11-1 | バングラデシュ | 1995年06月11日 | 1990年代 | モンジュル殺害容疑でエルシャド元大統領再逮捕。 |
DIA-301-1995-06-13-1 | バングラデシュ | 1995年06月13日 | 1990年代 | 最高裁高等部,95年1月2日以降に18歳になった者にも選挙権を認めるよう選挙委員会に命令。 |
DIA-301-1995-06-15-1 | バングラデシュ | 1995年06月15日 | 1990年代 | 国会第20会期召集(~7月11日)。 |
DIA-301-1995-06-18-1 | バングラデシュ | 1995年06月18日 | 1990年代 | 北部で大洪水。65人死亡。 |
DIA-301-1995-06-19-1 | バングラデシュ | 1995年06月19日 | 1990年代 | 野党議員147人の国会ボイコット,連続90日に達す。 |
DIA-301-1995-06-25-1 | バングラデシュ | 1995年06月25日 | 1990年代 | 国会,94/95年度補正予算案可決。 |
DIA-301-1995-06-29-1 | バングラデシュ | 1995年06月29日 | 1990年代 | 国会,95/96年度予算案可決。 |
DIA-301-1995-07-02-1 | バングラデシュ | 1995年07月02日 | 1990年代 | チッタゴン輸出加工区でスト。本来,輸出加工区内での組合活動は違法。 |
DIA-301-1995-07-03-1 | バングラデシュ | 1995年07月03日 | 1990年代 | 最高裁,野党議員の国会ボイコットについて判断。94年9月に高等部がボイコットを違憲と判断したことに対して野党が上告し,上訴部は94年11月高等部判決の執行停止を命令。そのため民族主義党が同命令の取消を求めていたが,この日却下される。 |
DIA-301-1995-07-04-1 | バングラデシュ | 1995年07月04日 | 1990年代 | 大統領,連続90日以上になった野党議員の国会ボイコットについて,憲法106条に基づき最高裁上訴部の憲法判断を仰ぐ。 |
DIA-301-1995-07-04-2 | バングラデシュ | 1995年07月04日 | 1990年代 | BGMEA,ILO,UNICEFが子どもの労働について段階的廃止,教育支援などで合意。 |
DIA-301-1995-07-05-1 | バングラデシュ | 1995年07月05日 | 1990年代 | 選挙委員会,暫定選挙人名簿発表。この後不服申し立て受け付け,最終版発表の予定であったが,96年以降に延期。 |
DIA-301-1995-07-05-2 | バングラデシュ | 1995年07月05日 | 1990年代 | ロウシャン・エルシャド,初めて国民党の大衆集会で演説。混乱で1人死亡。 |
DIA-301-1995-07-06-1 | バングラデシュ | 1995年07月06日 | 1990年代 | 特別法廷,88年,日本のODAにより救命ボートを調達した際,丸紅に便宜を図った疑いで,エルシャドに禁固3年の判決。 |
DIA-301-1995-07-07-1 | バングラデシュ | 1995年07月07日 | 1990年代 | 武装集団,労働党活動家7人を射殺。労働党は東ベンガル共産党を非難。 |
DIA-301-1995-07-13-1 | バングラデシュ | 1995年07月13日 | 1990年代 | 北部で再び洪水深刻化。42人死亡。 |
DIA-301-1995-07-13-2 | バングラデシュ | 1995年07月13日 | 1990年代 | 司法長官アミヌル・フク死去。 |
DIA-301-1995-07-16-1 | バングラデシュ | 1995年07月16日 | 1990年代 | 最高裁,野党議員の国会ボイコットについて公聴会開始(~24日)。 |
DIA-301-1995-07-16-2 | バングラデシュ | 1995年07月16日 | 1990年代 | エルシャド,ダッカからチッタゴンに護送され,モンジェル殺害事件公判に出廷。 |
DIA-301-1995-07-19-1 | バングラデシュ | 1995年07月19日 | 1990年代 | モスタフィズル・ラフマン外相,ロンドン(~21日),ジュネーブ(~23日)訪問。ボスニア情勢に関する会議に出席。 |
DIA-301-1995-07-24-1 | バングラデシュ | 1995年07月24日 | 1990年代 | 民間の選挙監視団体,「公正選挙監視同盟(FEMA)」発足。 |
DIA-301-1995-07-26-1 | バングラデシュ | 1995年07月26日 | 1990年代 | バングラデシュ国境警備軍兵士2人,インド領内で射殺さる。 |
DIA-301-1995-07-27-1 | バングラデシュ | 1995年07月27日 | 1990年代 | 最高裁,野党議員の国会ボイコットについて大統領に答申。ボイコット議員の資格については国会議長に判断を一任。 |
DIA-301-1995-07-28-1 | バングラデシュ | 1995年07月28日 | 1990年代 | 国連ボスニア防護軍のバングラデシュ人兵士100人,ビハチ近郊で孤立。アメリカ上院議員ハンク・ブラウンが国連に特別措置を求め,8月2日に危機状況を脱出。 |
DIA-301-1995-07-29-1 | バングラデシュ | 1995年07月29日 | 1990年代 | ダッカで女性問題をテーマとしたSAARC閣僚会議開催(~30日)。 |
DIA-301-1995-07-31-1 | バングラデシュ | 1995年07月31日 | 1990年代 | 官報,国会ボイコットの野党議員87人について6月20日付で資格の抹消を告示。 |
DIA-301-1995-08-01-1 | バングラデシュ | 1995年08月01日 | 1990年代 | 国会事務局,ボイコット期間中に出席簿に署名した野党国会議員55人に,実際の出席如何を確認する書簡送付。 |
DIA-301-1995-08-01-2 | バングラデシュ | 1995年08月01日 | 1990年代 | シレット地方の4県,管区に昇格。 |
DIA-301-1995-08-04-1 | バングラデシュ | 1995年08月04日 | 1990年代 | 民族主義党とアワミ連盟の支持者衝突。1人死亡。 |
DIA-301-1995-08-06-1 | バングラデシュ | 1995年08月06日 | 1990年代 | 官報,国会ボイコット中に出席簿に署名した野党議員55人についても,6月20日付の資格抹消を告示。 |
DIA-301-1995-08-06-2 | バングラデシュ | 1995年08月06日 | 1990年代 | 選挙委員会,次期総選挙実施要項案発表。20日まで各政党から意見聴取。 |
DIA-301-1995-08-06-3 | バングラデシュ | 1995年08月06日 | 1990年代 | 女性のためのNGO約300団体,ダッカで初めての全国大会開催(~8日)。 |
DIA-301-1995-08-09-1 | バングラデシュ | 1995年08月09日 | 1990年代 | 選挙委員会,国会議員142議席の補欠選挙を6月20日から90日以内(9月17日)に行なうのは,北部の洪水のため不可能,9月18日より90日以内に行なうと発表。 |
DIA-301-1995-08-12-1 | バングラデシュ | 1995年08月12日 | 1990年代 | インド国境警備軍,バングラデシュ人2人を射殺。 |
DIA-301-1995-08-15-1 | バングラデシュ | 1995年08月15日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,ボスニア情勢に関するイスラーム諸国会議(OIC)緊急会談を提案。 |
DIA-301-1995-08-16-1 | バングラデシュ | 1995年08月16日 | 1990年代 | モスタフィズル・ラフマン外相,訪日(~21日)。 |
DIA-301-1995-08-16-2 | バングラデシュ | 1995年08月16日 | 1990年代 | モンジュル殺害事件公判,ダッカ地裁に移管して審理開始。エルシャドら出廷。 |
DIA-301-1995-08-19-1 | バングラデシュ | 1995年08月19日 | 1990年代 | 選挙委員会,有権者登録済証明書の公布開始。 |
DIA-301-1995-08-22-1 | バングラデシュ | 1995年08月22日 | 1990年代 | マレーシア政府,今後はバングラデシュ労働者の受け入れを政府斡旋のみに限定。 |
DIA-301-1995-08-24-1 | バングラデシュ | 1995年08月24日 | 1990年代 | ディナジュプルで,警官3人が少女を暴行し殺害。 |
DIA-301-1995-08-25-1 | バングラデシュ | 1995年08月25日 | 1990年代 | マリ大統領来訪(~28日)。 |
DIA-301-1995-08-27-1 | バングラデシュ | 1995年08月27日 | 1990年代 | ディナジュプルの少女暴行殺害事件に抗議するデモ行進に警官が発砲。8人死亡。 |
DIA-301-1995-09-01-1 | バングラデシュ | 1995年09月01日 | 1990年代 | 北京の世界女性会議でグラミン銀行のムハンマド・ユヌス総裁が演説。 |
DIA-301-1995-09-02-1 | バングラデシュ | 1995年09月02日 | 1990年代 | 野党3党,32時間ホルタル開始。期間中1人死亡。 |
DIA-301-1995-09-03-1 | バングラデシュ | 1995年09月03日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,中国訪問(~6日)。4日に世界女性会議で演説。 |
DIA-301-1995-09-06-1 | バングラデシュ | 1995年09月06日 | 1990年代 | 国会第21会期召集(~26日)。 |
DIA-301-1995-09-12-1 | バングラデシュ | 1995年09月12日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,ディナジュプル事件の徹底究明を約束し,犠牲者の家族に10万タカを贈与。多数の女性団体が,女性の尊厳を傷つける事件が多すぎるとして,内務相の引責辞任を要求。 |
DIA-301-1995-09-12-2 | バングラデシュ | 1995年09月12日 | 1990年代 | サイフル・ラフマン蔵相マレーシア訪問。(~14日)。ボスニア情勢に関するOIC緊急外相会議に出席。イスラーム教徒勢力への武器・資金支援を決定。 |
DIA-301-1995-09-16-1 | バングラデシュ | 1995年09月16日 | 1990年代 | 野党3党,72時間ホルタル開始。 |
DIA-301-1995-09-24-1 | バングラデシュ | 1995年09月24日 | 1990年代 | ミャンマー移民・人口相来訪(~27日)。ロヒンガ難民問題について会談。 |
DIA-301-1995-09-27-1 | バングラデシュ | 1995年09月27日 | 1990年代 | 95年女性・子ども抑圧特別対策法に基づく特別法廷判事任命。 |
DIA-301-1995-10-01-1 | バングラデシュ | 1995年10月01日 | 1990年代 | 北部で3度目の大洪水。10人死亡。 |
DIA-301-1995-10-07-1 | バングラデシュ | 1995年10月07日 | 1990年代 | 野党3党,32時間ホルタル開始。 |
DIA-301-1995-10-10-1 | バングラデシュ | 1995年10月10日 | 1990年代 | イラン大統領来訪(~13日)。 |
DIA-301-1995-10-10-2 | バングラデシュ | 1995年10月10日 | 1990年代 | チッタゴン証券取引所開設。 |
DIA-301-1995-10-16-1 | バングラデシュ | 1995年10月16日 | 1990年代 | 野党3党,96時間ホルタル開始。 |
DIA-301-1995-10-21-1 | バングラデシュ | 1995年10月21日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,ニューヨーク訪問(~26日)。23日に国連総会で演説しガンジス河水利権問題に言及。 |
DIA-301-1995-10-25-1 | バングラデシュ | 1995年10月25日 | 1990年代 | インド政府,カレダ・ジア首相が国連演説でガンジス河水利権問題に言及したことに抗議。 |
DIA-301-1995-10-27-1 | バングラデシュ | 1995年10月27日 | 1990年代 | FEMA,次期総選挙で民間選挙監視団の活動を認めるよう政府に要請する宣言採択。 |
DIA-301-1995-10-28-1 | バングラデシュ | 1995年10月28日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,アワミ連盟のシェク・ハシナに書簡送付。与野党間の対立を解消し,国政選挙の実施方法について合意を形成するための直接対話を求めた。 |
DIA-301-1995-10-30-1 | バングラデシュ | 1995年10月30日 | 1990年代 | チッタゴン市長,政府に村し港湾都市開発に関する28カ条を要求。これらが満たされない場合,96年1月1日以降,チッタゴンで徴収された固定資産税の国庫への納付を停止すると宣言。 |
DIA-301-1995-10-31-1 | バングラデシュ | 1995年10月31日 | 1990年代 | シェク・ハシナ,カレダ・ジア首相に返書送付。対話の前提条件として,選挙管理政権案をカレダ・ジア首相が受け入れることを求めた。 |
DIA-301-1995-11-01-1 | バングラデシュ | 1995年11月01日 | 1990年代 | 選挙委員会,次期総選挙実施要項発表。 |
DIA-301-1995-11-02-1 | バングラデシュ | 1995年11月02日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,シェク・ハシナへ2度目の書簡。 |
DIA-301-1995-11-02-2 | バングラデシュ | 1995年11月02日 | 1990年代 | イギリス大使,8月21日からストライキが続くイギリスとの合弁製薬企業について,政府に労使交渉の仲介を要請。 |
DIA-301-1995-11-04-1 | バングラデシュ | 1995年11月04日 | 1990年代 | シェク・ハシナ,2度目の返書。 |
DIA-301-1995-11-04-2 | バングラデシュ | 1995年11月04日 | 1990年代 | ダッカ刑務所内のエルシャドの黄疸の症状悪化。 |
DIA-301-1995-11-08-1 | バングラデシュ | 1995年11月08日 | 1990年代 | パキスタン政府,非合法移民の国外追放宣言。 |
DIA-301-1995-11-11-1 | バングラデシュ | 1995年11月11日 | 1990年代 | 野党3党,6日間連続ホルタル開始。 |
DIA-301-1995-11-11-2 | バングラデシュ | 1995年11月11日 | 1990年代 | カラチ発航空機で,国籍不明者145人がダッカに到着。 |
DIA-301-1995-11-12-1 | バングラデシュ | 1995年11月12日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,シェク・ハシナに3度目の書簡。 |
DIA-301-1995-11-12-2 | バングラデシュ | 1995年11月12日 | 1990年代 | 労働省,イギリスとの合弁製薬企業の労使争議を労働裁判所に委託し,スト解除指令。 |
DIA-301-1995-11-13-1 | バングラデシュ | 1995年11月13日 | 1990年代 | カラチからさらに国籍不明者125人が到着。 |
DIA-301-1995-11-14-1 | バングラデシュ | 1995年11月14日 | 1990年代 | 政府,ダッカ・カラチ間航行の航空会社に対し,国籍不明者を乗せないよう警告。 |
DIA-301-1995-11-15-1 | バングラデシュ | 1995年11月15日 | 1990年代 | 国会第22会期召集(~18日)。 |
DIA-301-1995-11-16-1 | バングラデシュ | 1995年11月16日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,チャクマ難民受け入れ状況視察。 |
DIA-301-1995-11-19-1 | バングラデシュ | 1995年11月19日 | 1990年代 | 最高裁高等部,エルシャドに対し適切な医療措置をとるよう政府に命令。 |
DIA-301-1995-11-22-1 | バングラデシュ | 1995年11月22日 | 1990年代 | 選挙委員会,国会議員145議席の補欠選挙告示。投票日12月15日。アワミ連盟,国民党,イスラーム協会はボイコット宣言。 |
DIA-301-1995-11-24-1 | バングラデシュ | 1995年11月24日 | 1990年代 | 第5回国会解散。 |
DIA-301-1995-11-26-1 | バングラデシュ | 1995年11月26日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,シェク・ハシナと電話会談。 |
DIA-301-1995-11-27-1 | バングラデシュ | 1995年11月27日 | 1990年代 | サバール郡のイマーム(イスラーム教の指導者),ファトワ(教令)によって女性を不当に虐待したとして,村から追放される。 |
DIA-301-1995-11-29-1 | バングラデシュ | 1995年11月29日 | 1990年代 | エルシャドの病状悪化のため,モンジュル殺害事件公判を96年1月まで延期。 |
DIA-301-1995-12-01-1 | バングラデシュ | 1995年12月01日 | 1990年代 | 世界銀行,バングラデシュ政府の歳出監視を再開。 |
DIA-301-1995-12-03-1 | バングラデシュ | 1995年12月03日 | 1990年代 | 選挙委員会,第6回総選挙公示。投票日96年1月18日。 |
DIA-301-1995-12-08-1 | バングラデシュ | 1995年12月08日 | 1990年代 | 南アジア特恵貿易協定発効。 |
DIA-301-1995-12-09-1 | バングラデシュ | 1995年12月09日 | 1990年代 | 野党3党,72時間ホルタル開始。チッタゴン他数カ所で選挙委員会事務所が放火され,選挙人名簿が焼失。 |
DIA-301-1995-12-10-1 | バングラデシュ | 1995年12月10日 | 1990年代 | 内務省,違法銃器所持者に対し,20日までに自首すれば訴追しないと発表。 |
DIA-301-1995-12-15-1 | バングラデシュ | 1995年12月15日 | 1990年代 | 選挙委員会,総選挙投票日を1月18日から2月7日に繰り下げと発表。 |
DIA-301-1995-12-19-1 | バングラデシュ | 1995年12月19日 | 1990年代 | ニューデリーのSAARC外相会議で,バングラデシュがインドに対し二国間問題調停委員会の設置を提案するが,インドは拒否。 |
DIA-301-1995-12-19-2 | バングラデシュ | 1995年12月19日 | 1990年代 | バングラデシュ商工会議所連合,圧力団体「バングラデシュ繁栄運動」を結成。 |
DIA-301-1995-12-21-1 | バングラデシュ | 1995年12月21日 | 1990年代 | 内務省,違法銃器摘発作戦開始。 |
DIA-301-1995-12-21-2 | バングラデシュ | 1995年12月21日 | 1990年代 | 選挙委員会,選挙査問委員会設置。 |
DIA-301-1995-12-24-1 | バングラデシュ | 1995年12月24日 | 1990年代 | 選挙委員会,債務延滞者名簿を提出するよう銀行に命令。 |
DIA-301-1996-01-01-1 | バングラデシュ | 1996年01月01日 | 1990年代 | D・メリル米国大使の仲介で与野党幹部が会談。 |
DIA-301-1996-01-02-1 | バングラデシュ | 1996年01月02日 | 1990年代 | 選挙管理委員会,国会選挙日程の再変更を発表。 |
DIA-301-1996-01-08-1 | バングラデシュ | 1996年01月08日 | 1990年代 | 主要野党,カレダ・ジア首相の退陣を要求し48時間ホルタル(ゼネスト)を開始。 |
DIA-301-1996-01-08-2 | バングラデシュ | 1996年01月08日 | 1990年代 | 選挙管理委員会,再び投票日を延期。 |
DIA-301-1996-01-08-3 | バングラデシュ | 1996年01月08日 | 1990年代 | タカの対ドル・レート,25ボイサ(1ボイサ=0.01タカ)切り下げ(1ドル=40.90タカ)。 |
DIA-301-1996-01-16-1 | バングラデシュ | 1996年01月16日 | 1990年代 | 西側6ヵ国の駐バングラデシュ大使団が仲介に乗り出し,カレダ・ジア首相,シェイク・ハシナ・アワミ連盟(AL)党首とそれぞれ会談。 |
DIA-301-1996-01-17-1 | バングラデシュ | 1996年01月17日 | 1990年代 | 選挙立候補者の届け出締切。それに合わせ,主要野党は全日ホルタルを実施。 |
DIA-301-1996-01-22-1 | バングラデシュ | 1996年01月22日 | 1990年代 | ホセイニ・イラン副石油相,来訪(~24日)。 |
DIA-301-1996-01-31-1 | バングラデシュ | 1996年01月31日 | 1990年代 | ダッカ大学構内でアワミ連盟系学生組織バングラデシュ学生連盟(BCL)の活動家と警官隊が衝突,100人以上がけが。 |
DIA-301-1996-01-31-2 | バングラデシュ | 1996年01月31日 | 1990年代 | マレーシアで不法滞在バングラデシュ人187人が拘留される。 |
DIA-301-1996-02-01-1 | バングラデシュ | 1996年02月01日 | 1990年代 | バングラデシュ銀行,公定歩合を0.5%引き上げ,6.5%に。 |
DIA-301-1996-02-06-1 | バングラデシュ | 1996年02月06日 | 1990年代 | バングラデシュ民族主義党(BNP),36項目の選挙公約発表。 |
DIA-301-1996-02-13-1 | バングラデシュ | 1996年02月13日 | 1990年代 | 全日ホルタル実施。 |
DIA-301-1996-02-14-1 | バングラデシュ | 1996年02月14日 | 1990年代 | 野党による48時間ホルタル始まる。 |
DIA-301-1996-02-15-1 | バングラデシュ | 1996年02月15日 | 1990年代 | 野党のボイコットと暴力事件が頻発するなか,全国で投票が行なわれる。2431箇所の投票所で投票が延期される。 |
DIA-301-1996-02-16-1 | バングラデシュ | 1996年02月16日 | 1990年代 | BNPが国会選挙で126議席を獲得。不正投票の疑いで35議席の選挙結果が留保され,84選挙区で再投票が行なわれることに。 |
DIA-301-1996-02-17-1 | バングラデシュ | 1996年02月17日 | 1990年代 | シュプランガー・ドイツ経済協力・開発相,来訪(~19日)。 |
DIA-301-1996-02-18-1 | バングラデシュ | 1996年02月18日 | 1990年代 | シェイク・ハシナAL党首,援助国に対し今回の選挙を承認しないよう要請。 |
DIA-301-1996-02-19-1 | バングラデシュ | 1996年02月19日 | 1990年代 | ブラーモンバリア3区で再投票実施。 |
DIA-301-1996-02-24-1 | バングラデシュ | 1996年02月24日 | 1990年代 | 3日間の非協力運動(ゼネスト)開始。 |
DIA-301-1996-02-24-2 | バングラデシュ | 1996年02月24日 | 1990年代 | AL幹部のマティア・チョードリが逮捕され,30日間の拘束下に置かれる。 |
DIA-301-1996-02-25-1 | バングラデシュ | 1996年02月25日 | 1990年代 | 国民党幹部のB・M・アーメド,A・H・モンジュ,AL幹部のM・ナシム,特別権限法により逮捕される。 |
DIA-301-1996-02-26-1 | バングラデシュ | 1996年02月26日 | 1990年代 | ビル・リチャードソン米国民主党下院議員,カレダ・ジア,シェイク・ハシナ両党首と会談。 |
DIA-301-1996-02-27-1 | バングラデシュ | 1996年02月27日 | 1990年代 | AL幹部トファエル・アーメド,イスラム協会幹部A・K・モッラー,逮捕される。 |
DIA-301-1996-02-28-1 | バングラデシュ | 1996年02月28日 | 1990年代 | モヒウッディン・チョードリ・チッタゴン市長が逮捕されたことに端を発する暴動鎮圧のため,チッタゴンで軍が出動。 |
DIA-301-1996-03-03-1 | バングラデシュ | 1996年03月03日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,テレビ・ラジオを通じて国民に声明を発表。憲法改正の後中立選挙管理内閣を樹立すると表明。 |
DIA-301-1996-03-04-1 | バングラデシュ | 1996年03月04日 | 1990年代 | コミラなど3選挙区で再投票実施。 |
DIA-301-1996-03-05-1 | バングラデシュ | 1996年03月05日 | 1990年代 | コンドカル・アハメド元大統領死去。 |
DIA-301-1996-03-05-2 | バングラデシュ | 1996年03月05日 | 1990年代 | ゴパルゴンジなどで再投票実施。 |
DIA-301-1996-03-06-1 | バングラデシュ | 1996年03月06日 | 1990年代 | ラングプール,シラジガンジで再投票が行なわれる。 |
DIA-301-1996-03-08-1 | バングラデシュ | 1996年03月08日 | 1990年代 | カレダ・ジア首相,ビシャス大統領に野党との会談を設定するよう要請。 |
DIA-301-1996-03-09-1 | バングラデシュ | 1996年03月09日 | 1990年代 | 主要野党,無期限ゼネストを開始。 |
DIA-301-1996-03-10-1 | バングラデシュ | 1996年03月10日 | 1990年代 | ビシャス大統領,野党党首と会談。 |
DIA-301-1996-03-16-1 | バングラデシュ | 1996年03月16日 | 1990年代 | ゼネストによって麻痺したチッタゴン港の港湾活動を回復させるため,海軍が派遣される。 |
DIA-301-1996-03-19-1 | バングラデシュ | 1996年03月19日 | 1990年代 | 第6国会開会。 |
DIA-301-1996-03-20-1 | バングラデシュ | 1996年03月20日 | 1990年代 | 法秩序維持のためダッカ,チッタゴンに軍が出動。 |
DIA-301-1996-03-21-1 | バングラデシュ | 1996年03月21日 | 1990年代 | 中立選挙管理内閣の成立を規定した憲法改正案が国会に提出される。 |
DIA-301-1996-03-24-1 | バングラデシュ | 1996年03月24日 | 1990年代 | 政府職員,庁舎前で座りこみを開始。 |
DIA-301-1996-03-26-1 | バングラデシュ | 1996年03月26日 | 1990年代 | 国会,中立選挙内閣法案を可決。国民投票による憲法改正を行なわずに選挙管理内閣を樹立することに。 |
DIA-301-1996-03-27-1 | バングラデシュ | 1996年03月27日 | 1990年代 | 高級官僚,ビシャス大統領に選挙管理内閣の早期成立を要求。35人の事務次官はこの日から出勤拒否。 |
DIA-301-1996-03-30-1 | バングラデシュ | 1996年03月30日 | 1990年代 | 国会解散。ビシャス大統領,ハビブル・ラフマン前最高裁長官を顧問評議会議長に任命。主要野党もゼネストを終結。 |
DIA-301-1996-04-01-1 | バングラデシュ | 1996年04月01日 | 1990年代 | ハビブル・ラフマン評議会議長,各党党首と会談。野党は選挙管理委員会委員長の辞任を要求。 |
DIA-301-1996-04-03-1 | バングラデシュ | 1996年04月03日 | 1990年代 | 中立選挙管理内閣発足。 |
DIA-301-1996-04-06-1 | バングラデシュ | 1996年04月06日 | 1990年代 | A・K・M・サデック選挙管理委員会委員長解任される。 |
DIA-301-1996-04-08-1 | バングラデシュ | 1996年04月08日 | 1990年代 | ビシャス大統領,新選挙管理委員会委員長にアブ・ヘナを任命。 |
DIA-301-1996-04-08-2 | バングラデシュ | 1996年04月08日 | 1990年代 | タカの対ドル・レート,50ポイサ切り下げ(1ドル=41.40タカ)。 |
DIA-301-1996-04-18-1 | バングラデシュ | 1996年04月18日 | 1990年代 | タカの対ドル・レート再切り下げ(1ドル=41.65タカ)。 |
DIA-301-1996-05-13-1 | バングラデシュ | 1996年05月13日 | 1990年代 | 2955人が立候補を届け出。 |
DIA-301-1996-05-13-2 | バングラデシュ | 1996年05月13日 | 1990年代 | タンガイル県で竜巻が発生,被害は死者600人,負傷者3万2000人以上。 |
DIA-301-1996-05-16-1 | バングラデシュ | 1996年05月16日 | 1990年代 | 95/96年度補正予算成立。 |
DIA-301-1996-05-19-1 | バングラデシュ | 1996年05月19日 | 1990年代 | ロヒンガ難民の帰還問題に関する二国間会議がミャンマーの首都ヤンゴンで9カ月ぶりに開催される。 |
DIA-301-1996-05-19-2 | バングラデシュ | 1996年05月19日 | 1990年代 | ビシャス大統領,モルシェド・カーン少将とミロン・ラーマン准将を解任。 |
DIA-301-1996-05-20-1 | バングラデシュ | 1996年05月20日 | 1990年代 | ビシャス大統領,ムハマド・ナシム陸軍参謀長(中将)を反乱予備,命令不服従罪で解任。ナシム参謀長派によるクーデターを警戒し,大統領府,国営テレビ・ラジオ局などに軍が展開。 |
DIA-301-1996-05-21-1 | バングラデシュ | 1996年05月21日 | 1990年代 | ナシム参謀長を含む8人の軍将校が自宅軟禁下に置かれる。 |
DIA-301-1996-05-22-1 | バングラデシュ | 1996年05月22日 | 1990年代 | ラフマン少将,陸軍新参謀長に就任。 |
DIA-301-1996-06-03-1 | バングラデシュ | 1996年06月03日 | 1990年代 | ラフマン陸軍参謀長,中将に昇格。 |
DIA-301-1996-06-12-1 | バングラデシュ | 1996年06月12日 | 1990年代 | 国会選挙投票日。 |
DIA-301-1996-06-15-1 | バングラデシュ | 1996年06月15日 | 1990年代 | 5月20日のクーデター未遂事件に関連し,ナシム中将を含む軍将校11人が懲戒免職に。 |
DIA-301-1996-06-19-1 | バングラデシュ | 1996年06月19日 | 1990年代 | 27選挙区で再投票実施。 |
DIA-301-1996-06-20-1 | バングラデシュ | 1996年06月20日 | 1990年代 | アワミ連盟,これまでに147議席を獲得し第1党となる。 |
DIA-301-1996-06-20-2 | バングラデシュ | 1996年06月20日 | 1990年代 | 中立選挙管理内閣,96/97年度暫定予算案を承認。 |
DIA-301-1996-06-20-3 | バングラデシュ | 1996年06月20日 | 1990年代 | アラファトPLO議長来訪。ビシャス大統領と会談。 |
DIA-301-1996-06-22-1 | バングラデシュ | 1996年06月22日 | 1990年代 | BNP,国会に出席することを決定。 |
DIA-301-1996-06-22-2 | バングラデシュ | 1996年06月22日 | 1990年代 | コミラ3区で再投票行なわれる。国民党議員当選。これで300議席全てが確定。 |
DIA-301-1996-06-23-1 | バングラデシュ | 1996年06月23日 | 1990年代 | シェイク・ハシナAL党首,国会で首相に選ばれ,21年ぶり3度目のアワミ連盟政権成立。 |
DIA-301-1996-06-26-1 | バングラデシュ | 1996年06月26日 | 1990年代 | 駐サウジァラビァ米軍基地での爆破事件で,118人のバングラデシュ人がけが。 |
DIA-301-1996-07-01-1 | バングラデシュ | 1996年07月01日 | 1990年代 | シェイク・ハシナ首相,BNPに「国民合意」内閣に加わるよう呼びかけ。 |
DIA-301-1996-07-05-1 | バングラデシュ | 1996年07月05日 | 1990年代 | 女性留保議席30が確定。 |
DIA-301-1996-07-05-2 | バングラデシュ | 1996年07月05日 | 1990年代 | ハイダル・インド外務次官,来訪(~7日)。ガンジス河水利権問題について会談。 |
DIA-301-1996-07-09-1 | バングラデシュ | 1996年07月09日 | 1990年代 | シェイク・ハシナ首相,サウジアラビア訪問(~12日)。 |
DIA-301-1996-07-14-1 | バングラデシュ | 1996年07月14日 | 1990年代 | 第7国会開会。BNP議員,議事の進行方法に反発し議場から退場。 |
DIA-301-1996-07-15-1 | バングラデシュ | 1996年07月15日 | 1990年代 | ダッカ中央刑務所から13人が脱走。 |
DIA-301-1996-07-16-1 | バングラデシュ | 1996年07月16日 | 1990年代 | タカの対ドル・レート15ポイサ再切り下げ(1ドル=41.80タカ)。 |
DIA-301-1996-07-22-1 | バングラデシュ | 1996年07月22日 | 1990年代 | シャハブディン・アハメド前大統領代行,次期大統領に選ばれる。 |
DIA-301-1996-07-23-1 | バングラデシュ | 1996年07月23日 | 1990年代 | ロヒンガ難民101人が帰還。 |
DIA-301-1996-07-31-1 | バングラデシュ | 1996年07月31日 | 1990年代 | タカの対ドル・レート,25ポイサ切り下げ(1ドル=42.05タカ)。 |
DIA-301-1996-08-03-1 | バングラデシュ | 1996年08月03日 | 1990年代 | 95/96年度補正予算案可決。 |
DIA-301-1996-08-06-1 | バングラデシュ | 1996年08月06日 | 1990年代 | ファルーク・ショバン外務次官,インド訪問(~8日)。 |
DIA-301-1996-08-07-1 | バングラデシュ | 1996年08月07日 | 1990年代 | フーズィエ・スリランカ保健・ハイウェー・社会福祉大臣,来訪(~8日)。 |
DIA-301-1996-08-13-1 | バングラデシュ | 1996年08月13日 | 1990年代 | 3人の元陸軍将校,ムジブル・ラフマン元大統領暗殺の容疑で逮捕される。 |
DIA-301-1996-08-17-1 | バングラデシュ | 1996年08月17日 | 1990年代 | パキスタン外務次官,来訪。残留パキスタン人問題などを話し合う(~19日)。 |
DIA-301-1996-08-18-1 | バングラデシュ | 1996年08月18日 | 1990年代 | アザド外相,クウェート(~20日),イラン(21~25日)訪問。 |
DIA-301-1996-08-25-1 | バングラデシュ | 1996年08月25日 | 1990年代 | 中国人民解放軍副参謀長,来訪。 |
DIA-301-1996-08-28-1 | バングラデシュ | 1996年08月28日 | 1990年代 | ダッカ市評議会議員補欠選挙。 |
DIA-301-1996-08-29-1 | バングラデシュ | 1996年08月29日 | 1990年代 | 3人のバングラデシュ人,ミャンマー国境警備軍に殺害される。 |
DIA-301-1996-09-01-1 | バングラデシュ | 1996年09月01日 | 1990年代 | 96/97年度予算案,国会で可決。 |
DIA-301-1996-09-02-1 | バングラデシュ | 1996年09月02日 | 1990年代 | 私営輸出加工区法が成立。 |
DIA-301-1996-09-03-1 | バングラデシュ | 1996年09月03日 | 1990年代 | アザド外相,ミャンマー訪問。 |
DIA-301-1996-09-05-1 | バングラデシュ | 1996年09月05日 | 1990年代 | 補欠選挙実施される。AL8議席,BNP3議席,国民党2議席を獲得。 |
DIA-301-1996-09-06-1 | バングラデシュ | 1996年09月06日 | 1990年代 | グジュラル・インド外相,来訪(~9日)。ガンジス河水利権問題についてシェイク・ハシナ首相と会談。 |
DIA-301-1996-09-11-1 | バングラデシュ | 1996年09月11日 | 1990年代 | シェイク・ハシナ首相,中国を公式訪問(~17日)。13日,江沢民国家主席と会談。 |
DIA-301-1996-09-11-2 | バングラデシュ | 1996年09月11日 | 1990年代 | パリ援助国会議,バングラデシュに19億ドルの援助供与を決定。 |
DIA-301-1996-09-17-1 | バングラデシュ | 1996年09月17日 | 1990年代 | アザド外相,西ベンガル州を訪問。ジョティ・バス州首相とガンジス河水利権問題について会談。 |
DIA-301-1996-09-21-1 | バングラデシュ | 1996年09月21日 | 1990年代 | トファエル・アーメド商業・工業相,ベトナム訪問(~25日)。24日にはベトナム政府と最恵国待遇付与に合意。 |
DIA-301-1996-09-21-2 | バングラデシュ | 1996年09月21日 | 1990年代 | アザド外相,第51回国連総会出席のためニューヨークへ向けて出発。 |
DIA-301-1996-09-22-1 | バングラデシュ | 1996年09月22日 | 1990年代 | キブリア蔵相,英連邦蔵相会議(24~26日)出席のためバミューダへ出発。 |
DIA-301-1996-09-23-1 | バングラデシュ | 1996年09月23日 | 1990年代 | タカの対ドル・レート,15ポイサ切り下げ(1ドル=42.35タカ)。 |
DIA-301-1996-09-24-1 | バングラデシュ | 1996年09月24日 | 1990年代 | ハッサン・チョードリ国務大臣(外交担当),マレーシア,シンガポールを訪問。 |
DIA-301-1996-09-27-1 | バングラデシュ | 1996年09月27日 | 1990年代 | ガンジス河水利権問題を話し合う第1回専門家合同委員会,ニューデリーで開催(~28日)。 |
DIA-301-1996-09-30-1 | バングラデシュ | 1996年09月30日 | 1990年代 | バングラデシュ輸出加工区庁(BEPZA),ダッカ輸出加工区拡張のために4億タカ計上することを決定。 |
DIA-301-1996-10-01-1 | バングラデシュ | 1996年10月01日 | 1990年代 | シェイク・ハシナ首相,国営バングラデシュ・テレビに生出演し,国民に演説。視聴者からの電話質問に直接答える。 |
DIA-301-1996-10-01-2 | バングラデシュ | 1996年10月01日 | 1990年代 | 電力料金10%値上げ。 |
DIA-301-1996-10-03-1 | バングラデシュ | 1996年10月03日 | 1990年代 | 第7回バングラデシュ服飾・繊維業博覧会,ダッカで開催(~5日)。 |
DIA-301-1996-10-10-1 | バングラデシュ | 1996年10月10日 | 1990年代 | カレダ・ジア前首相の息子T・ラーマンを含む7名が収賄の容疑で告発される。 |
DIA-301-1996-10-10-2 | バングラデシュ | 1996年10月10日 | 1990年代 | トファエル・アーメド商業・工業相の甥,銃で撃たれ死亡。 |
DIA-301-1996-10-15-1 | バングラデシュ | 1996年10月15日 | 1990年代 | ハビゴンジ2区で補欠選挙。AL候補者が当選。BNPは立候補者擁立せず。 |
DIA-301-1996-10-15-2 | バングラデシュ | 1996年10月15日 | 1990年代 | ギブソン・ランパー米国務次官補代理(南アジア担当)来訪。 |
DIA-301-1996-10-17-1 | バングラデシュ | 1996年10月17日 | 1990年代 | トファエル・アーメド商業・工業相,中国を訪問。 |
DIA-301-1996-10-21-1 | バングラデシュ | 1996年10月21日 | 1990年代 | シェイク・ハシナ首相,国連総会出席のため米国へ出発。 |
DIA-301-1996-10-24-1 | バングラデシュ | 1996年10月24日 | 1990年代 | シェイク・ハシナ首相,国連総会で演説,12項目の行動計画を表明。 |
DIA-301-1996-10-26-1 | バングラデシュ | 1996年10月26日 | 1990年代 | 英国陸軍参謀長(少将),来訪。 |
DIA-301-1996-10-26-2 | バングラデシュ | 1996年10月26日 | 1990年代 | 政府,国連安全保障理事会次期非常任理事国に立候補することを表明。 |
DIA-301-1996-10-26-3 | バングラデシュ | 1996年10月26日 | 1990年代 | トファエル・アーメド商業・工業相,ミャンマー訪問(~31日)。 |
DIA-301-1996-10-29-1 | バングラデシュ | 1996年10月29日 | 1990年代 | ニューデリーでガンジス河水利権問題についての水資源相会談,始まる(~31日)。 |
DIA-301-1996-10-30-1 | バングラデシュ | 1996年10月30日 | 1990年代 | バングラデシュ銀行,公定歩合を0.5%引き上げ,7.0%に。 |
DIA-301-1996-10-31-1 | バングラデシュ | 1996年10月31日 | 1990年代 | 95年にバングラデシュ縫製品産業・輸出業協会(BGMEA),UNICEF,ILOの間で結ばれた縫製品産業での子供雇用全廃協定の期限。BGMEAは目標達成を宣言。 |
DIA-301-1996-11-01-1 | バングラデシュ | 1996年11月01日 | 1990年代 | 国会第2会期召集。 |
DIA-301-1996-11-04-1 | バングラデシュ | 1996年11月04日 | 1990年代 | インド国会議員団,インド在住のバングラデシュ難民であるチャクマ難民代表と会談。 |
DIA-301-1996-11-08-1 | バングラデシュ | 1996年11月08日 | 1990年代 | ラフマン陸軍参謀長,中国を訪問。 |
DIA-301-1996-11-09-1 | バングラデシュ | 1996年11月09日 | 1990年代 | バングラデシュ・日本合同貿易経済協力委員会の第8回会合開催。 |
DIA-301-1996-11-10-1 | バングラデシュ | 1996年11月10日 | 1990年代 | ガンジス河水利権問題について,外相会談,ニューデリーで開催(~14日)。 |
DIA-301-1996-11-10-2 | バングラデシュ | 1996年11月10日 | 1990年代 | BNP,10項目の要求を国会議長に提出し,審議拒否。 |
DIA-301-1996-11-11-1 | バングラデシュ | 1996年11月11日 | 1990年代 | バングラデシュ・中国合同経済委員会第9回会合,北京で開催。 |
DIA-301-1996-11-11-2 | バングラデシュ | 1996年11月11日 | 1990年代 | グラミン電話合弁会社を含む3社が移動電話事業の免許を取得。 |
DIA-301-1996-11-12-1 | バングラデシュ | 1996年11月12日 | 1990年代 | 国会,免責(廃止)法可決。 |
DIA-301-1996-11-12-2 | バングラデシュ | 1996年11月12日 | 1990年代 | ハッサン・チョードリ国務大臣(外交担当),カイロでの中東・北アフリカ経済会議(MENA)に出席。 |
DIA-301-1996-11-13-1 | バングラデシュ | 1996年11月13日 | 1990年代 | シェイク・ハシナ首相,世界食糧サミットに出席のためローマに出発。 |
DIA-301-1996-11-14-1 | バングラデシュ | 1996年11月14日 | 1990年代 | トファエル・アーメド商業・工業相,ジュネーブでのWTO途上国閣僚会議に出席。その後英国を訪問(~18日)。 |
DIA-301-1996-11-15-1 | バングラデシュ | 1996年11月15日 | 1990年代 | ボンマイ・インド人的資源開発相,来訪。 |
DIA-301-1996-11-19-1 | バングラデシュ | 1996年11月19日 | 1990年代 | サウジアラビアの首都リヤドでバングラデシュ貿易見本市開催。 |
DIA-301-1996-11-20-1 | バングラデシュ | 1996年11月20日 | 1990年代 | ダッカ証券取引所の株価が暴落し,場外証券売買業者が暴徒化。 |
DIA-301-1996-11-20-2 | バングラデシュ | 1996年11月20日 | 1990年代 | ラザク水資源相,アイルランド訪問。 |
DIA-301-1996-11-21-1 | バングラデシュ | 1996年11月21日 | 1990年代 | コルシェッド・アラム・バングラデシュ銀行総裁が解任され,新総裁にL・R・ショルカルが就任。 |
DIA-301-1996-11-22-1 | バングラデシュ | 1996年11月22日 | 1990年代 | ソフィア・スペイン王妃,来訪(~27日)。 |
DIA-301-1996-11-23-1 | バングラデシュ | 1996年11月23日 | 1990年代 | ハッサン国務大臣,シンガポール(23~24日),韓国(25~28日)を訪問。 |
DIA-301-1996-11-25-1 | バングラデシュ | 1996年11月25日 | 1990年代 | アブ・ヘナ選挙管理委員会委員長,英連邦選挙監視団の一員としてガーナへ向かう。 |
DIA-301-1996-11-27-1 | バングラデシュ | 1996年11月27日 | 1990年代 | カレダ・ジアBNP党首,手術のためサウジアラビアに出発。 |
DIA-301-1996-11-27-2 | バングラデシュ | 1996年11月27日 | 1990年代 | ジョティ・バス西ベンガル州首相,ガンジス河水利権問題話し合いのため来訪(~30日)。 |
DIA-301-1996-11-30-1 | バングラデシュ | 1996年11月30日 | 1990年代 | モスタフィズル・ラフマン前外相死去。 |
DIA-301-1996-12-09-1 | バングラデシュ | 1996年12月09日 | 1990年代 | モハマド・ナシム郵政相,トルコ訪問。 |
DIA-301-1996-12-13-1 | バングラデシュ | 1996年12月13日 | 1990年代 | シェイク・ハシナ首相,インドを訪問し(10日),ガンジス河水配分協定に調印。 |
DIA-301-1996-12-15-1 | バングラデシュ | 1996年12月15日 | 1990年代 | BNP,インドとの水利権条約は不平等で,不完全であると批判。 |
DIA-301-1996-12-16-1 | バングラデシュ | 1996年12月16日 | 1990年代 | ジェソール刑務所で囚人による暴動発生。19日にはボリシャル,タンガイルの刑務所にも拡大。 |
DIA-301-1996-12-19-1 | バングラデシュ | 1996年12月19日 | 1990年代 | 南アジア地域協力連合(SAARC)外相会議,ニューデリーで開催(~20日)。 |
DIA-301-1996-12-20-1 | バングラデシュ | 1996年12月20日 | 1990年代 | ダッカ,タンガイル両刑務所での暴動鎮圧される。 |
DIA-301-1996-12-22-1 | バングラデシュ | 1996年12月22日 | 1990年代 | カレダ・ジア前首相とA・M・チョウドリ前内務相,汚職容疑で告発される。 |
DIA-301-1996-12-24-1 | バングラデシュ | 1996年12月24日 | 1990年代 | ガンジス河水配分協定に基づくインド・バングラデシュ合同監視委員会の初会合が開かれる。 |
DIA-301-1997-01-01-1 | バングラデシュ | 1997年01月01日 | 1990年代 | ガンジス河水配分協定,発効。 |
DIA-301-1997-01-06-1 | バングラデシュ | 1997年01月06日 | 1990年代 | ゴウダ・インド首相,来訪。 |
DIA-301-1997-01-08-1 | バングラデシュ | 1997年01月08日 | 1990年代 | エルシャド元大統領,最高裁上訴部から保釈を認められる。 |
DIA-301-1997-01-10-1 | バングラデシュ | 1997年01月10日 | 1990年代 | メージャー英首相,来訪。 |
DIA-301-1997-01-14-1 | バングラデシュ | 1997年01月14日 | 1990年代 | アワミ連盟(AL)とバングラデシュ民族主義党(BNP),国会審議再開で合意。 |
DIA-301-1997-01-14-2 | バングラデシュ | 1997年01月14日 | 1990年代 | 内閣改造。 |
DIA-301-1997-01-19-1 | バングラデシュ | 1997年01月19日 | 1990年代 | 阮崇武・中国海南省長,来訪。 |
DIA-301-1997-01-23-1 | バングラデシュ | 1997年01月23日 | 1990年代 | ラフェル米国務次官補代理,来訪。 |
DIA-301-1997-01-25-1 | バングラデシュ | 1997年01月25日 | 1990年代 | 政府とチッタゴン丘陵人民連帯連合協会(PCJSS)の間で,和平交渉始まる。 |
DIA-301-1997-01-26-1 | バングラデシュ | 1997年01月26日 | 1990年代 | トファエル・アーメド商工相,ベルギー訪問。 |
DIA-301-1997-02-02-1 | バングラデシュ | 1997年02月02日 | 1990年代 | ハシナ首相,ワシントンで開催の世界マイクロクレジット・サミットに出席。 |
DIA-301-1997-02-15-1 | バングラデシュ | 1997年02月15日 | 1990年代 | ハシナ首相,ニューデリーでゴウダ・インド首相と会談。 |
DIA-301-1997-02-16-1 | バングラデシュ | 1997年02月16日 | 1990年代 | 国会第3会期,召集。 |
DIA-301-1997-02-17-1 | バングラデシュ | 1997年02月17日 | 1990年代 | マンツール・エラヒ元顧問評議会委員,民営化庁の新長官に任命される。 |
DIA-301-1997-02-18-1 | バングラデシュ | 1997年02月18日 | 1990年代 | タクルガオン1区補欠選挙,実施。ALのチャンドラ・センが当選。BNPとイスラーム協会は選挙に不参加。 |
DIA-301-1997-02-18-2 | バングラデシュ | 1997年02月18日 | 1990年代 | アフサルッディン・カーン公共事業相,スラム住民強制排除の責任をとって辞任。 |
DIA-301-1997-02-22-1 | バングラデシュ | 1997年02月22日 | 1990年代 | ダッカ国際貿易博’97,開催。 |
DIA-301-1997-02-26-1 | バングラデシュ | 1997年02月26日 | 1990年代 | チャールズ英皇太子,来訪。 |
DIA-301-1997-03-01-1 | バングラデシュ | 1997年03月01日 | 1990年代 | 電気料金,5%の値上げ。 |
DIA-301-1997-03-03-1 | バングラデシュ | 1997年03月03日 | 1990年代 | アザド外相,パキスタンを訪問。 |
DIA-301-1997-03-03-2 | バングラデシュ | 1997年03月03日 | 1990年代 | BNP,1カ月にわたる反政府デモ開始。 |
DIA-301-1997-03-04-1 | バングラデシュ | 1997年03月04日 | 1990年代 | 国会,破産法を可決。 |
DIA-301-1997-03-05-1 | バングラデシュ | 1997年03月05日 | 1990年代 | ラモス・フィリピン大統領,来訪。 |
DIA-301-1997-03-09-1 | バングラデシュ | 1997年03月09日 | 1990年代 | キエト・ベトナム首相,来訪。 |
DIA-301-1997-03-09-2 | バングラデシュ | 1997年03月09日 | 1990年代 | 政府,PCJSSとチャクマ族難民の帰還に関して20項目の合意に達する。 |
DIA-301-1997-03-10-1 | バングラデシュ | 1997年03月10日 | 1990年代 | インド・バングラデシュ合同経済委員会,ニュデリーで始まる。 |
DIA-301-1997-03-10-2 | バングラデシュ | 1997年03月10日 | 1990年代 | 国会,銀行法改正案を可決。 |
DIA-301-1997-03-14-1 | バングラデシュ | 1997年03月14日 | 1990年代 | M・A・マンナン労働・人的資源担当国務相,サウジアラビア訪問。 |
DIA-301-1997-03-15-1 | バングラデシュ | 1997年03月15日 | 1990年代 | コンテナ積載作業の機械化に反発したチッタゴン港湾労働者,ストライキに突入。 |
DIA-301-1997-03-18-1 | バングラデシュ | 1997年03月18日 | 1990年代 | インド・バングラデシュ友好協力条約,失効。 |
DIA-301-1997-03-18-2 | バングラデシュ | 1997年03月18日 | 1990年代 | タカの対ドル・レート,45ポイサ(1タカ=100ポイサ)切り下げ(1ドル=43.1タカ)。 |
DIA-301-1997-03-20-1 | バングラデシュ | 1997年03月20日 | 1990年代 | ベラヤティ・イラン外相,来訪。 |
DIA-301-1997-03-20-2 | バングラデシュ | 1997年03月20日 | 1990年代 | 4人のBNP幹部,1974年特別権限法により拘束される。 |
DIA-301-1997-03-22-1 | バングラデシュ | 1997年03月22日 | 1990年代 | ハシナ首相,イスラーム諸国会議機構(OIC)出席のためパキスタン訪問。 |
DIA-301-1997-03-25-1 | バングラデシュ | 1997年03月25日 | 1990年代 | デミレル・トルコ大統領,アラファトPLO議長,マンデラ南ア大統領がバングラデシュ独立記念式典出席のため来訪。 |
DIA-301-1997-03-26-1 | バングラデシュ | 1997年03月26日 | 1990年代 | バングラデシュ初の移動電話事業体グラミン・テレコム,発足。 |
DIA-301-1997-03-28-1 | バングラデシュ | 1997年03月28日 | 1990年代 | トリプラ州からのチャクマ族難民の帰還が始まる。 |
DIA-301-1997-03-29-1 | バングラデシュ | 1997年03月29日 | 1990年代 | 羅幹・中国国務院秘書長,来訪。 |
DIA-301-1997-04-01-1 | バングラデシュ | 1997年04月01日 | 1990年代 | アザド外相,韓国訪問。 |
DIA-301-1997-04-02-1 | バングラデシュ | 1997年04月02日 | 1990年代 | 証券取引委員会,上場企業および証券会社の42人を株価操作の容疑で起訴。 |
DIA-301-1997-04-05-1 | バングラデシュ | 1997年04月05日 | 1990年代 | バングラデシュ国境警備隊,ロヒンガ難民の流入を防ぐため警戒態勢に入る。 |
DIA-301-1997-04-06-1 | バングラデシュ | 1997年04月06日 | 1990年代 | ムジブル・ラフマン殺人事件公判の審理始まる。 |
DIA-301-1997-04-06-2 | バングラデシュ | 1997年04月06日 | 1990年代 | アザド外相,非同盟諸国閣僚会議出席のため,インド訪問。グジュラル外相と会談。 |
DIA-301-1997-04-09-1 | バングラデシュ | 1997年04月09日 | 1990年代 | ヴェルナール・ホイヤー・ドイツ外務担当国務相,来訪。 |
DIA-301-1997-04-12-1 | バングラデシュ | 1997年04月12日 | 1990年代 | 汚職摘発局,カビル・ホセン前土地問題国務相を含む3人を収賄容疑で起訴。 |
DIA-301-1997-04-13-1 | バングラデシュ | 1997年04月13日 | 1990年代 | ジャヤクマール・シンガポール外相,来訪。 |
DIA-301-1997-04-23-1 | バングラデシュ | 1997年04月23日 | 1990年代 | カジ・ザフルラー・リライアンスグループ社長,新民営化庁長官に任命される。 |
DIA-301-1997-04-25-1 | バングラデシュ | 1997年04月25日 | 1990年代 | 国会,化学兵器禁止条約を批准。 |
DIA-301-1997-04-26-1 | バングラデシュ | 1997年04月26日 | 1990年代 | バングラデシュ縫製品産業・輸出業協会(BGMEA),ステフェン・ソラーズ元米国下院議員とロビースト契約を結ぶ。 |
DIA-301-1997-04-26-2 | バングラデシュ | 1997年04月26日 | 1990年代 | M・A・マンナン労働・人的資源担当国務相,クウェート訪問。 |
DIA-301-1997-04-29-1 | バングラデシュ | 1997年04月29日 | 1990年代 | ムハマド・ラフマン陸軍参謀総長,インド訪問。 |
DIA-301-1997-05-04-1 | バングラデシュ | 1997年05月04日 | 1990年代 | 米国平和部隊,バングラデシュで33年ぶりに活動を再開することを決定。 |
DIA-301-1997-05-05-1 | バングラデシュ | 1997年05月05日 | 1990年代 | 株価操作疑惑の責任を取り,ダッカ証券取引所副所長を含む4人の評議員が辞任。 |
DIA-301-1997-05-10-1 | バングラデシュ | 1997年05月10日 | 1990年代 | 国会第4会期,召集。 |
DIA-301-1997-05-10-2 | バングラデシュ | 1997年05月10日 | 1990年代 | アザド外相,モルジブで開催のSAARC閣僚会議に出席。 |
DIA-301-1997-05-11-1 | バングラデシュ | 1997年05月11日 | 1990年代 | キブリア蔵相,アジア開発銀行第30回年次総会に出席するため日本訪問。 |
DIA-301-1997-05-11-2 | バングラデシュ | 1997年05月11日 | 1990年代 | ダッカ証券取引所評議会,イムティヤズ・ホセン所長を不信任動議で解任。新所長にホク・ホウラダーを選出。 |
DIA-301-1997-05-12-1 | バングラデシュ | 1997年05月12日 | 1990年代 | ハシナ首相,モルジブの首都マレで開催の第9回南アジア地域協力連合(SAARC)首脳会議に出席。 |
DIA-301-1997-05-17-1 | バングラデシュ | 1997年05月17日 | 1990年代 | 汚職摘発局,ミア元住宅・公共事業相らBNP関係者8人を横領容疑で起訴。 |
DIA-301-1997-05-19-1 | バングラデシュ | 1997年05月19日 | 1990年代 | バングラデシュ銀行,公定歩合を0.5%引き上げ,7.5%に。 |
DIA-301-1997-05-19-2 | バングラデシュ | 1997年05月19日 | 1990年代 | サイクロンが南東部の沿岸地帯に上陸,100人以上が死亡,2万人以上が負傷。ハシナ首相は,スペイン訪問予定を延期。 |
DIA-301-1997-05-24-1 | バングラデシュ | 1997年05月24日 | 1990年代 | フジモリ・ペルー大統領,来訪。南アメリカ諸国首脳の訪問は初めて。 |
DIA-301-1997-05-25-1 | バングラデシュ | 1997年05月25日 | 1990年代 | 最高裁高等部,特別権限法で拘束されたBNP幹部5人の即時釈放を当局に指示。 |
DIA-301-1997-05-29-1 | バングラデシュ | 1997年05月29日 | 1990年代 | 政府,金曜日と土曜日の2日を休日とする決定を発表。 |
DIA-301-1997-05-29-2 | バングラデシュ | 1997年05月29日 | 1990年代 | サウジアラビアから801人のバングラデシュ人出稼ぎ労働者が送還される。 |
DIA-301-1997-05-30-1 | バングラデシュ | 1997年05月30日 | 1990年代 | ムハマド・ナシム郵政相,中国訪問。 |
DIA-301-1997-06-01-1 | バングラデシュ | 1997年06月01日 | 1990年代 | 中央行政官庁職員,勤務時間の変更に反発し,合同庁舎内でデモ。 |
DIA-301-1997-06-04-1 | バングラデシュ | 1997年06月04日 | 1990年代 | エルシャド国民党(JP)党首,カジ・ジャファルら幹部3人を除名処分に。 |
DIA-301-1997-06-05-1 | バングラデシュ | 1997年06月05日 | 1990年代 | ダッカ上下水道局,水道料金を5%値上げ。 |
DIA-301-1997-06-06-1 | バングラデシュ | 1997年06月06日 | 1990年代 | 「バングラデシュ・インド・スリランカ・タイ経済協力」(BISTEC)が発足。 |
DIA-301-1997-06-10-1 | バングラデシュ | 1997年06月10日 | 1990年代 | 国会第5会期,召集。 |
DIA-301-1997-06-12-1 | バングラデシュ | 1997年06月12日 | 1990年代 | クリントン米大統領,ジョン・ボルツマンを駐バングラデシュ大使に任命。 |
DIA-301-1997-06-13-1 | バングラデシュ | 1997年06月13日 | 1990年代 | アザド外相,サウジアラビア訪問。 |
DIA-301-1997-06-15-1 | バングラデシュ | 1997年06月15日 | 1990年代 | イスラーム圏発展途上8カ国会議(D8)発足。ハシナ首相,首脳会議に出席。 |
DIA-301-1997-06-15-2 | バングラデシュ | 1997年06月15日 | 1990年代 | モウルビバザールにある米国オクシデンタル社のガス田掘削現場で爆発。 |
DIA-301-1997-06-19-1 | バングラデシュ | 1997年06月19日 | 1990年代 | アラムギル計画担当国務相,第5次5カ年計画の草案をハシナ首相に提出。 |
DIA-301-1997-06-22-1 | バングラデシュ | 1997年06月22日 | 1990年代 | 国会,96/97年度補正予算案を可決。 |
DIA-301-1997-06-29-1 | バングラデシュ | 1997年06月29日 | 1990年代 | 国会,金融法を可決。 |
DIA-301-1997-06-30-1 | バングラデシュ | 1997年06月30日 | 1990年代 | マニクゴンジュ3区補欠選挙,実施。BNPのアブドル・ワハブ・カーンが当選。 |
DIA-301-1997-06-30-2 | バングラデシュ | 1997年06月30日 | 1990年代 | 汚職摘発局,アリ元食糧相を含む6人を横領の容疑で起訴。 |
DIA-301-1997-06-30-3 | バングラデシュ | 1997年06月30日 | 1990年代 | 国会,97/98年度予算案を可決。 |
DIA-301-1997-06-30-4 | バングラデシュ | 1997年06月30日 | 1990年代 | JPから除名処分を受けたカジ・ジャファルとモアザム・ホセンが新党を設立。 |
DIA-301-1997-07-01-1 | バングラデシュ | 1997年07月01日 | 1990年代 | ハシナ首相,日本訪問。2日に橋本龍太郎首相と会談。 |
DIA-301-1997-07-03-1 | バングラデシュ | 1997年07月03日 | 1990年代 | ハルヌル・ラシド証券取引委員会委員長,突然の辞任。アブ・サイードが新委員長に就任(13日)。 |
DIA-301-1997-07-04-1 | バングラデシュ | 1997年07月04日 | 1990年代 | チッタゴン丘陵地帯自治体評議会の任期が切れる。カグラチャリ県では暫定自治体評議会を設置。 |
DIA-301-1997-07-07-1 | バングラデシュ | 1997年07月07日 | 1990年代 | バングラデシュ・フィリピン合同経済委員会,マニラで開催。 |
DIA-301-1997-07-08-1 | バングラデシュ | 1997年07月08日 | 1990年代 | サエム元大統領,死去。 |
DIA-301-1997-07-12-1 | バングラデシュ | 1997年07月12日 | 1990年代 | ハシナ首相,ドイツ訪問。 |
DIA-301-1997-07-13-1 | バングラデシュ | 1997年07月13日 | 1990年代 | M・A・マンナン労働・人的資源担当国務相,サイパン訪問。 |
DIA-301-1997-07-14-1 | バングラデシュ | 1997年07月14日 | 1990年代 | モンスーンによる洪水で全土で約50万人が被災,83人が死亡。 |
DIA-301-1997-07-15-1 | バングラデシュ | 1997年07月15日 | 1990年代 | イランと投資保護協定締結。 |
DIA-301-1997-07-16-1 | バングラデシュ | 1997年07月16日 | 1990年代 | EU,48工場にEUへの冷凍食品輸出仮許可を与える。 |
DIA-301-1997-07-17-1 | バングラデシュ | 1997年07月17日 | 1990年代 | バングラデシュ・エネルギー研究所の原子炉,冷却システムの放射能漏れ事故が発生し,運転を中止。 |
DIA-301-1997-07-19-1 | バングラデシュ | 1997年07月19日 | 1990年代 | 第32回インド・バングラデシュ合同河川委員会,7年ぶりにダッカで開催。 |
DIA-301-1997-07-20-1 | バングラデシュ | 1997年07月20日 | 1990年代 | タカの対ドル・レート,45ポイサ切り下げ(1ドル=44タカ)。 |
DIA-301-1997-07-21-1 | バングラデシュ | 1997年07月21日 | 1990年代 | トファエル・アーメド商工相,タイ訪問。 |
DIA-301-1997-07-21-2 | バングラデシュ | 1997年07月21日 | 1990年代 | ロヒンガ難民,ミャンマーへの帰国を拒否し,難民キャンプ内でデモ。 |
DIA-301-1997-07-28-1 | バングラデシュ | 1997年07月28日 | 1990年代 | M・A・マンナン労働・人的資源担当国務相,マレーシア訪問。 |
DIA-301-1997-07-29-1 | バングラデシュ | 1997年07月29日 | 1990年代 | EU,バングラデシュからのエビの輸入を全面禁止。 |
DIA-301-1997-07-30-1 | バングラデシュ | 1997年07月30日 | 1990年代 | 労働組合全国連合組織,政府との賃上げ交渉が決裂,全国24時間ストに突入。 |
DIA-301-1997-08-05-1 | バングラデシュ | 1997年08月05日 | 1990年代 | シャンカル・チョウドリ・インド陸軍参謀総長,来訪。 |
DIA-301-1997-08-06-1 | バングラデシュ | 1997年08月06日 | 1990年代 | バンダルボン県とランガマティ県の暫定自治政府評議会,設置される。 |
DIA-301-1997-08-06-2 | バングラデシュ | 1997年08月06日 | 1990年代 | EU,バングラデシュからの冷凍食品輸入禁止措置の1カ月延長を決定。 |
DIA-301-1997-08-10-1 | バングラデシュ | 1997年08月10日 | 1990年代 | シェド・ホセン地方自治・農村開発・協同組合担当国務相,辞任。 |
DIA-301-1997-08-11-1 | バングラデシュ | 1997年08月11日 | 1990年代 | マレーシアとバングラデシュの合弁移動電話会社AKTELサービス,営業開始。 |
DIA-301-1997-08-17-1 | バングラデシュ | 1997年08月17日 | 1990年代 | タカの対ドル・レート,45ポイサ切り下げ(1ドル=44.45タカ)。 |
DIA-301-1997-08-18-1 | バングラデシュ | 1997年08月18日 | 1990年代 | 政府,石油価格を値上げ。 |
DIA-301-1997-08-19-1 | バングラデシュ | 1997年08月19日 | 1990年代 | バングラデシュの環インド洋地域協力連合(IOR-ARC)への加盟が認められる。 |
DIA-301-1997-08-21-1 | バングラデシュ | 1997年08月21日 | 1990年代 | 投資庁内に韓国デスク設置される。 |
DIA-301-1997-08-23-1 | バングラデシュ | 1997年08月23日 | 1990年代 | 佐藤光夫アジア開発銀行総裁,来訪。 |
DIA-301-1997-08-30-1 | バングラデシュ | 1997年08月30日 | 1990年代 | 国会第6会期,召集。 |
DIA-301-1997-08-31-1 | バングラデシュ | 1997年08月31日 | 1990年代 | シュクラ・ネパール商業相,来訪。 |
DIA-301-1997-09-01-1 | バングラデシュ | 1997年09月01日 | 1990年代 | ネパール・バングラデシュ通過権協定,発効。 |
DIA-301-1997-09-01-2 | バングラデシュ | 1997年09月01日 | 1990年代 | 電力料金,1キロワット当り5ポイサ値上げ。 |
DIA-301-1997-09-03-1 | バングラデシュ | 1997年09月03日 | 1990年代 | ハシナ首相,インドネシア,フィリピン訪問。 |
DIA-301-1997-09-04-1 | バングラデシュ | 1997年09月04日 | 1990年代 | 国会,グラム評議会法案とユニオン評議会法改正案を可決。 |
DIA-301-1997-09-10-1 | バングラデシュ | 1997年09月10日 | 1990年代 | カール・インデルファース米国務次官補(南アジア担当),来訪。 |
DIA-301-1997-09-10-2 | バングラデシュ | 1997年09月10日 | 1990年代 | アザド外相,英国訪問。 |
DIA-301-1997-09-12-1 | バングラデシュ | 1997年09月12日 | 1990年代 | トファエル・アーメド商工相,ルーマニア,ベルギー訪問。 |
DIA-301-1997-09-14-1 | バングラデシュ | 1997年09月14日 | 1990年代 | クウェート,バングラデシュからの冷凍食品輸入を禁止。 |
DIA-301-1997-09-15-1 | バングラデシュ | 1997年09月15日 | 1990年代 | クレア・ショート英国際開発相,来訪。 |
DIA-301-1997-09-16-1 | バングラデシュ | 1997年09月16日 | 1990年代 | モスタフィズル・ラフマン,新外務事務次官に就任。 |
DIA-301-1997-09-18-1 | バングラデシュ | 1997年09月18日 | 1990年代 | 全国の政府系病院の看護婦が全日ストライキに突入。 |
DIA-301-1997-09-19-1 | バングラデシュ | 1997年09月19日 | 1990年代 | キブリア蔵相,香港訪問。 |
DIA-301-1997-09-27-1 | バングラデシュ | 1997年09月27日 | 1990年代 | サイクロンが南部沿岸地方に上陸,50人以上が死亡。 |
DIA-301-1997-09-27-2 | バングラデシュ | 1997年09月27日 | 1990年代 | モハンマド・カタック・パキスタン空軍参謀総長,来訪。 |
DIA-301-1997-09-28-1 | バングラデシュ | 1997年09月28日 | 1990年代 | アザド外相,第52回国連総会出席のため,ニューヨークに出発。 |
DIA-301-1997-10-06-1 | バングラデシュ | 1997年10月06日 | 1990年代 | 内閣,大幅な賃上げを内容とした人事院勧告を了承。 |
DIA-301-1997-10-07-1 | バングラデシュ | 1997年10月07日 | 1990年代 | 中央行政官庁職員,人事院勧告の変更を求めて合同官舎内でデモ。 |
DIA-301-1997-10-09-1 | バングラデシュ | 1997年10月09日 | 1990年代 | ビーマン・大韓航空合同貨物運送,営業開始。 |
DIA-301-1997-10-13-1 | バングラデシュ | 1997年10月13日 | 1990年代 | ウォルフェンソン世銀総裁,来訪。 |
DIA-301-1997-10-13-2 | バングラデシュ | 1997年10月13日 | 1990年代 | トンギで竜巻が発生,25人が死亡。 |
DIA-301-1997-10-14-1 | バングラデシュ | 1997年10月14日 | 1990年代 | シェド・ホセン,新国防省事務次官に就任。 |
DIA-301-1997-10-15-1 | バングラデシュ | 1997年10月15日 | 1990年代 | 電力開発公社,米国のスミス社,クルナ電力会社の2社と発電事業契約に調印。 |
DIA-301-1997-10-21-1 | バングラデシュ | 1997年10月21日 | 1990年代 | 呉邦国中国副首相,来訪。 |
DIA-301-1997-10-23-1 | バングラデシュ | 1997年10月23日 | 1990年代 | ハシナ首相,エディンバラで開催された英連邦首脳会議出席のため英国訪問。 |
DIA-301-1997-10-23-2 | バングラデシュ | 1997年10月23日 | 1990年代 | タカの対ドル・レート,40ポイサ切り下げ(1ドル=44.85タカ)。 |
DIA-301-1997-10-23-3 | バングラデシュ | 1997年10月23日 | 1990年代 | サウジアラビアから出稼ぎ労働者2500人が強制退去処分を受け,帰国。 |
DIA-301-1997-10-30-1 | バングラデシュ | 1997年10月30日 | 1990年代 | 民族社会党ラブ派とイヌ派が合同。 |
DIA-301-1997-11-01-1 | バングラデシュ | 1997年11月01日 | 1990年代 | 国会第7会期,召集。 |
DIA-301-1997-11-03-1 | バングラデシュ | 1997年11月03日 | 1990年代 | チャクマ・ラジャ・ロイ(チャクマ王),チッタゴン丘陵地帯を訪問し,チャクマ族とベンガル人の平和共存を訴える。 |
DIA-301-1997-11-04-1 | バングラデシュ | 1997年11月04日 | 1990年代 | バングラデシュ援助国会議,ダッカで開催。19億ドルの援助供与を決定。 |
DIA-301-1997-11-04-2 | バングラデシュ | 1997年11月04日 | 1990年代 | BNPと6政党,援助国会議開催にあわせて半日ホルタル実施。 |
DIA-301-1997-11-09-1 | バングラデシュ | 1997年11月09日 | 1990年代 | ラザック水資源相,中国訪問。 |
DIA-301-1997-11-10-1 | バングラデシュ | 1997年11月10日 | 1990年代 | ダッカ,チッタゴンなどのジュート・繊維・綿工場労働者,ストライキを実施。 |
DIA-301-1997-11-12-1 | バングラデシュ | 1997年11月12日 | 1990年代 | 証券取引委員会法改正案が成立。 |
DIA-301-1997-11-16-1 | バングラデシュ | 1997年11月16日 | 1990年代 | 14の国会常任委員会が設置される。 |
DIA-301-1997-11-18-1 | バングラデシュ | 1997年11月18日 | 1990年代 | オルブライト米国務長官の来訪計画,イラク情勢の緊迫化のため取り止め。 |
DIA-301-1997-11-20-1 | バングラデシュ | 1997年11月20日 | 1990年代 | バングラデシュ,インド,パキスタンの3カ国ビジネス・サミット,パキスタンでの政治危機のため1998年1月まで延期。 |
DIA-301-1997-11-21-1 | バングラデシュ | 1997年11月21日 | 1990年代 | チッタゴン地方でマグニチュード6規模の地震があり,22人が死亡。 |
DIA-301-1997-11-23-1 | バングラデシュ | 1997年11月23日 | 1990年代 | タカの対ドル・レート,45ポイサ切り下げ(1ドル=45.30タカ)。同時に公定歩合が0.5%引き上げられ,8%に。 |
DIA-301-1997-11-24-1 | バングラデシュ | 1997年11月24日 | 1990年代 | 政府,国営ロイヤル繊維工場をバングラデシュ人実業家に売却。 |
DIA-301-1997-11-26-1 | バングラデシュ | 1997年11月26日 | 1990年代 | 前外務事務次官のファルーク・ショバン,投資庁長官に任命される。 |
DIA-301-1997-11-27-1 | バングラデシュ | 1997年11月27日 | 1990年代 | アザド外相,SAARC閣僚会議参加のためモルジブに出発。 |
DIA-301-1997-12-01-1 | バングラデシュ | 1997年12月01日 | 1990年代 | ユニオン評議会選挙が始まる。 |
DIA-301-1997-12-02-1 | バングラデシュ | 1997年12月02日 | 1990年代 | 政府,PCJSSと和平協定締結。 |
DIA-301-1997-12-04-1 | バングラデシュ | 1997年12月04日 | 1990年代 | アザド外相,イスラーム諸国会議機構(OIC)閣僚会議に出席のため,イラン訪問。 |
DIA-301-1997-12-05-1 | バングラデシュ | 1997年12月05日 | 1990年代 | チッタゴン丘陵地帯のベンガル人入植者,和平協定締結に反対しデモを実施。 |
DIA-301-1997-12-08-1 | バングラデシュ | 1997年12月08日 | 1990年代 | ハシナ首相,イスラーム諸国会議機構(OIC)サミットに出席のため,イラン訪問。 |
DIA-301-1997-12-11-1 | バングラデシュ | 1997年12月11日 | 1990年代 | ムジブル・ラフマンの肖像を印刷した新10タカ札が発行される。 |
DIA-301-1997-12-19-1 | バングラデシュ | 1997年12月19日 | 1990年代 | サイパンと出稼ぎ労働者受け入れについての了解覚書に基本合意。 |
DIA-301-1997-12-20-1 | バングラデシュ | 1997年12月20日 | 1990年代 | メルカート・オランダ社会福祉・雇用相,来訪(~26日)。 |
DIA-301-1997-12-22-1 | バングラデシュ | 1997年12月22日 | 1990年代 | アザド外相,ネパール訪問。 |
DIA-301-1997-12-24-1 | バングラデシュ | 1997年12月24日 | 1990年代 | ムスタフィズル・ラフマン少将,陸軍参謀総長に就任。 |
DIA-301-1997-12-24-2 | バングラデシュ | 1997年12月24日 | 1990年代 | ラキブル・ラフマン,ダッカ証券取引所新所長に選任される。 |
DIA-301-1997-12-31-1 | バングラデシュ | 1997年12月31日 | 1990年代 | 内閣改造。 |
DIA-301-1998-01-01-1 | バングラデシュ | 1998年01月01日 | 1990年代 | チッタゴン丘陵県(CHT)難民の第6次帰還開始。2月27日に帰還完了。 |
DIA-301-1998-01-02-1 | バングラデシュ | 1998年01月02日 | 1990年代 | チェティア・アッサム統一解放戦線(ULFA)事務局長が97年12月21日にダッカ市内で逮捕されていた,とBBCが報道。 |
DIA-301-1998-01-05-1 | バングラデシュ | 1998年01月05日 | 1990年代 | シェク・ハシナ首相,バングラデシュ文官職(BCS)組合代表と会談。この頃からBCS異職種間の抗争激化。 |
DIA-301-1998-01-06-1 | バングラデシュ | 1998年01月06日 | 1990年代 | 異常寒波による凍死者100人突破。ハシナ首相,貧困層への衣類贈与を呼びかけ。 |
DIA-301-1998-01-08-1 | バングラデシュ | 1998年01月08日 | 1990年代 | プロディ・イタリア首相来訪。イタリア首相の公式来訪は史上初。 |
DIA-301-1998-01-14-1 | バングラデシュ | 1998年01月14日 | 1990年代 | 国会第8会期招集。5月13日まで。史上最長会期に。 |
DIA-301-1998-01-14-2 | バングラデシュ | 1998年01月14日 | 1990年代 | グジュラル・インド首相来訪。 |
DIA-301-1998-01-15-1 | バングラデシュ | 1998年01月15日 | 1990年代 | シャリーフ・パキスタン首相来訪。 |
DIA-301-1998-01-15-2 | バングラデシュ | 1998年01月15日 | 1990年代 | バングラデシュ・インド・パキスタン・ビジネスサミット開催。 |
DIA-301-1998-01-19-1 | バングラデシュ | 1998年01月19日 | 1990年代 | バングラデシュ中央銀行内で労組内派閥抗争。22日,同労組の活動禁止令。 |
DIA-301-1998-01-20-1 | バングラデシュ | 1998年01月20日 | 1990年代 | 労働者事務員組合連合(SKOP)と政府,最低賃金などで合意。25日,経営者団体が合意破棄を政府に要求し,労使紛争激化。 |
DIA-301-1998-01-22-1 | バングラデシュ | 1998年01月22日 | 1990年代 | シャリーフ・パキスタン首相,「71年のパキスタン分裂の悲劇の責任者を厳罰に処する」と表明。 |
DIA-301-1998-01-25-1 | バングラデシュ | 1998年01月25日 | 1990年代 | 民族主義党(BNP)がホルツマン・アメリカ大使に「アワミ連盟(AL)専制の犠牲者名簿」を渡したと報道され,与野党で論議に。 |
DIA-301-1998-02-02-1 | バングラデシュ | 1998年02月02日 | 1990年代 | タカの対ドル・レート85ポイサ切り下げ。売買中値1ドル=46.3タカ。 |
DIA-301-1998-02-03-1 | バングラデシュ | 1998年02月03日 | 1990年代 | アメリカ大使館,97年国務省人権報告について記者会見し,バングラデシュ政府による人権抑圧の実態を指摘。 |
DIA-301-1998-02-04-1 | バングラデシュ | 1998年02月04日 | 1990年代 | 外務省,ホルツマン・アメリカ大使を呼び,記者会見について抗議。 |
DIA-301-1998-02-04-2 | バングラデシュ | 1998年02月04日 | 1990年代 | パキスタン政府,71年戦争についてのバングラデシュへの謝罪の可能性を否定。 |
DIA-301-1998-02-09-1 | バングラデシュ | 1998年02月09日 | 1990年代 | ショポンBNP国会議員,副工業相に就任。BNPより除名され議員資格に疑義発生。 |
DIA-301-1998-02-10-1 | バングラデシュ | 1998年02月10日 | 1990年代 | シャンティバヒニ武装解除開始。カグラチョリでハシナ首相やラルマ・チッタゴン丘陵人民連帯連合協会(PCJSS)会長らが出席し記念式典。16,22日にも武装解除実施。 |
DIA-301-1998-02-10-2 | バングラデシュ | 1998年02月10日 | 1990年代 | BNP,チッタゴンで全日ホルタル。 |
DIA-301-1998-02-17-1 | バングラデシュ | 1998年02月17日 | 1990年代 | アラウッディンBNP国会議員,水資源担当国務相に就任。ショポン同様問題に。 |
DIA-301-1998-02-21-1 | バングラデシュ | 1998年02月21日 | 1990年代 | 言語運動記念碑にカレダBNP党首が献花中,式典を妨害する大騒動が発生。 |
DIA-301-1998-02-27-1 | バングラデシュ | 1998年02月27日 | 1990年代 | CHT難民のインドからの帰還完了。 |
DIA-301-1998-02-27-2 | バングラデシュ | 1998年02月27日 | 1990年代 | ロシッド・チョウドゥリ国会議長の仲介でALとBNPの協議開始。3月2日合意成立。 |
DIA-301-1998-03-01-1 | バングラデシュ | 1998年03月01日 | 1990年代 | 特別権限法によるエルシャド元大統領拘禁の違憲性が,最高裁上訴部で確定。 |
DIA-301-1998-03-04-1 | バングラデシュ | 1998年03月04日 | 1990年代 | 不良債権問題審議中の国会で,1000万タカ以上の債務不履行者2117人の名簿公表。 |
DIA-301-1998-03-05-1 | バングラデシュ | 1998年03月05日 | 1990年代 | シャンティバヒニの武装解除完了。 |
DIA-301-1998-03-08-1 | バングラデシュ | 1998年03月08日 | 1990年代 | BNP議員,97年8月からのボイコットをやめて国会に出席。 |
DIA-301-1998-03-10-1 | バングラデシュ | 1998年03月10日 | 1990年代 | ダッカ市首席治安判事裁判所内での少女暴行事件が全国に衝撃を与え,治安の悪化について論議に。 |
DIA-301-1998-03-14-1 | バングラデシュ | 1998年03月14日 | 1990年代 | アザド外相,カタール訪問。イスラーム諸国会議機構(OIC)外相会議に出席。 |
DIA-301-1998-03-14-2 | バングラデシュ | 1998年03月14日 | 1990年代 | 商工会議所連合,債務不履行者の実名公表に抗議。財界と政府の対立激化。 |
DIA-301-1998-03-24-1 | バングラデシュ | 1998年03月24日 | 1990年代 | トファエル・アフメド工業・商業相,国会でコルノフリ肥料会社(KAFCO)がバングラデシュの国益を損ねていると発言。 |
DIA-301-1998-03-29-1 | バングラデシュ | 1998年03月29日 | 1990年代 | ヌルッディン・エネルギー相,電力供給事情悪化の責任を取らされ解任さる。 |
DIA-301-1998-04-02-1 | バングラデシュ | 1998年04月02日 | 1990年代 | 75年8月15日クーデタ関与者免責令を廃止した法律の合憲性が確定。 |
DIA-301-1998-04-12-1 | バングラデシュ | 1998年04月12日 | 1990年代 | CHT和平関連法案,国会に上程さる。 |
DIA-301-1998-04-15-1 | バングラデシュ | 1998年04月15日 | 1990年代 | BNP,全国で半日ホルタル。3人死亡。国会内でもBNP議員が大暴れ。 |
DIA-301-1998-04-18-1 | バングラデシュ | 1998年04月18日 | 1990年代 | PCJSSと政府,CHT和平関連法案について協議。 |
DIA-301-1998-04-19-1 | バングラデシュ | 1998年04月19日 | 1990年代 | キブリア財務相,タイ訪問。ESCAP蔵相会議に出席。 |
DIA-301-1998-04-21-1 | バングラデシュ | 1998年04月21日 | 1990年代 | アザド外相,インド訪問。ヴァジュペイー新首相と会談。 |
DIA-301-1998-04-23-1 | バングラデシュ | 1998年04月23日 | 1990年代 | トファエル工業・商業相,パキスタン訪問。南アジア地域協力連合(SAARC)商業相会議に出席。 |
DIA-301-1998-04-23-2 | バングラデシュ | 1998年04月23日 | 1990年代 | 第5次五カ年計画発表。年7%の経済成長を目標とする。 |
DIA-301-1998-04-24-1 | バングラデシュ | 1998年04月24日 | 1990年代 | 初の破産裁判所開設。 |
DIA-301-1998-04-25-1 | バングラデシュ | 1998年04月25日 | 1990年代 | SAARC情報相会議,ダッカで開催。 |
DIA-301-1998-04-27-1 | バングラデシュ | 1998年04月27日 | 1990年代 | キブリア財務相,スイス訪問。アジア開銀理事会に出席。 |
DIA-301-1998-04-27-2 | バングラデシュ | 1998年04月27日 | 1990年代 | アダムジ・ジュート紡績所で労組のAL派と国民党(JP)派が抗争,2人死亡。 |
DIA-301-1998-04-29-1 | バングラデシュ | 1998年04月29日 | 1990年代 | ガユーム・モルジブ大統領来訪。 |
DIA-301-1998-05-03-1 | バングラデシュ | 1998年05月03日 | 1990年代 | ランガマティ丘陵県地方政府評議会改正法案,可決成立。4日にカグラチョリ,5日にバンドルボンについて同様の法が成立。 |
DIA-301-1998-05-06-1 | バングラデシュ | 1998年05月06日 | 1990年代 | チッタゴン丘陵地域評議会法成立。 |
DIA-301-1998-05-06-2 | バングラデシュ | 1998年05月06日 | 1990年代 | BNP,全国で半日ホルタル。 |
DIA-301-1998-05-07-1 | バングラデシュ | 1998年05月07日 | 1990年代 | 対人地雷全面禁止条約に署名。 |
DIA-301-1998-05-12-1 | バングラデシュ | 1998年05月12日 | 1990年代 | 国会常任委員会,省に対応するよう再編成さる。 |
DIA-301-1998-05-13-1 | バングラデシュ | 1998年05月13日 | 1990年代 | アザド外相,南アジア地域の核軍拡を中止するよう呼びかけ。 |
DIA-301-1998-05-16-1 | バングラデシュ | 1998年05月16日 | 1990年代 | アフメド工業・商業相,スイス訪問。世界貿易機構閣僚会議に出席。 |
DIA-301-1998-05-17-1 | バングラデシュ | 1998年05月17日 | 1990年代 | アザド外相,コロンビア訪問。非同盟諸国外相会議に出席。 |
DIA-301-1998-05-18-1 | バングラデシュ | 1998年05月18日 | 1990年代 | オクシデンタル社,97年6月15日のガス爆発事故でバングラデシュ国鉄に与えた損害1億7500万タカを賠償。 |
DIA-301-1998-05-19-1 | バングラデシュ | 1998年05月19日 | 1990年代 | ヴァジュペイー・インド首相,核実験についての書簡をハシナ首相に送付。 |
DIA-301-1998-05-21-1 | バングラデシュ | 1998年05月21日 | 1990年代 | シャリーフ・パキスタン首相,核実験についての書簡をハシナ首相に送付。 |
DIA-301-1998-05-31-1 | バングラデシュ | 1998年05月31日 | 1990年代 | 老齢給付金制度(月額100タカ)開始。 |
DIA-301-1998-06-01-1 | バングラデシュ | 1998年06月01日 | 1990年代 | ハシナ首相,核兵器問題についての書簡をインド・パキスタン両首相に送付。 |
DIA-301-1998-06-09-1 | バングラデシュ | 1998年06月09日 | 1990年代 | BNP,ダッカからチッタゴンへ「長征」実施。10日にはカグラチョリへ。 |
DIA-301-1998-06-10-1 | バングラデシュ | 1998年06月10日 | 1990年代 | 国会第9会期招集。 |
DIA-301-1998-06-12-1 | バングラデシュ | 1998年06月12日 | 1990年代 | サング・ガス田操業開始。 |
DIA-301-1998-06-16-1 | バングラデシュ | 1998年06月16日 | 1990年代 | ハシナ首相,インドを訪問しヴァジュペイー首相と核兵器問題について会談。 |
DIA-301-1998-06-18-1 | バングラデシュ | 1998年06月18日 | 1990年代 | BNP,全国で全日ホルタル。 |
DIA-301-1998-06-23-1 | バングラデシュ | 1998年06月23日 | 1990年代 | ジョムナ橋開通。 |
DIA-301-1998-06-24-1 | バングラデシュ | 1998年06月24日 | 1990年代 | ハシナ首相,パキスタンを訪問しシャリーフ首相と核兵器問題について会談。 |
DIA-301-1998-06-28-1 | バングラデシュ | 1998年06月28日 | 1990年代 | カレダBNP党首,首相在任時の権力濫用で起訴され裁判所に出頭。直ちに保釈。 |
DIA-301-1998-06-29-1 | バングラデシュ | 1998年06月29日 | 1990年代 | トファエル工業・商業相が国会で「エルシャドはKAFCOで不当な利益を得た」と発言し,JP議員退場。 |
DIA-301-1998-07-05-1 | バングラデシュ | 1998年07月05日 | 1990年代 | タカの対ドル・レート80ポイサ切り下げ。売買中値1ドル=47.1タカ。 |
DIA-301-1998-07-09-1 | バングラデシュ | 1998年07月09日 | 1990年代 | タイと犯罪人引き渡し条約締結。 |
DIA-301-1998-07-15-1 | バングラデシュ | 1998年07月15日 | 1990年代 | CHT省設置。 |
DIA-301-1998-07-16-1 | バングラデシュ | 1998年07月16日 | 1990年代 | BNP,ダッカ市で半日ホルタル。 |
DIA-301-1998-07-20-1 | バングラデシュ | 1998年07月20日 | 1990年代 | ボリシャル5区補選でBNP候補当選。 |
DIA-301-1998-07-21-1 | バングラデシュ | 1998年07月21日 | 1990年代 | カルパランジャン,CHT相に就任。 |
DIA-301-1998-07-22-1 | バングラデシュ | 1998年07月22日 | 1990年代 | BNP常任委,辞職願いをカレダ党首に預けるよう所属国会議員に指示。 |
DIA-301-1998-07-23-1 | バングラデシュ | 1998年07月23日 | 1990年代 | 警察官が留置場内で大学生を撲殺。警察官による犯罪の頻発が議論に。 |
DIA-301-1998-07-26-1 | バングラデシュ | 1998年07月26日 | 1990年代 | 政府,米軍地位協定締結拒否を表明。 |
DIA-301-1998-07-27-1 | バングラデシュ | 1998年07月27日 | 1990年代 | グラミン銀行,アメリカのバイオテクノロジー企業モンサント社と合弁でハイブリッド品種を販売する計画を白紙撤回。 |
DIA-301-1998-07-27-2 | バングラデシュ | 1998年07月27日 | 1990年代 | シャトキラ県の低湿地でエビ養殖をしようとしたアワミ連盟幹部が住民を強制排除しようとして,住民4人死亡。 |
DIA-301-1998-07-28-1 | バングラデシュ | 1998年07月28日 | 1990年代 | ハシナ首相,スリランカ訪問。SAARC首脳会議に出席。 |
DIA-301-1998-07-28-2 | バングラデシュ | 1998年07月28日 | 1990年代 | カスル法相,モロッコ訪問。OIC閣僚会議に出席。 |
DIA-301-1998-07-29-1 | バングラデシュ | 1998年07月29日 | 1990年代 | 米軍の人道的救援活動についての合意覚え書きに署名。 |
DIA-301-1998-07-30-1 | バングラデシュ | 1998年07月30日 | 1990年代 | BNP,ダッカ市で半日ホルタル。 |
DIA-301-1998-08-02-1 | バングラデシュ | 1998年08月02日 | 1990年代 | マンナン労働・人的資源相,財界からの労組活動制限要求を拒否。 |
DIA-301-1998-08-06-1 | バングラデシュ | 1998年08月06日 | 1990年代 | アフメド工業・商業相,タイ訪問。バングラデシュ・インド・ミャンマー・スリランカ・タイ経済協力機構(BIMSTEC)経済閣僚会議に出席。 |
DIA-301-1998-08-10-1 | バングラデシュ | 1998年08月10日 | 1990年代 | チッタゴン港荷役労働者スト。外資による第2埠頭建設計画めぐり紛争激化。 |
DIA-301-1998-08-17-1 | バングラデシュ | 1998年08月17日 | 1990年代 | この頃からインド国境警備軍による「押し込み」作戦頻発。 |
DIA-301-1998-08-20-1 | バングラデシュ | 1998年08月20日 | 1990年代 | この頃から,構内で女子学生暴行事件があったとの告発をめぐって,ジャハンギルノゴル大学の政治団体の抗争が激化。 |
DIA-301-1998-08-24-1 | バングラデシュ | 1998年08月24日 | 1990年代 | ムジブル・ロフマン殺害事件公判検察側最終弁論,75年8月15日クーデタの首謀者はジアウル・ロフマンであったと指摘。 |
DIA-301-1998-08-25-1 | バングラデシュ | 1998年08月25日 | 1990年代 | 外務省,ムケルジ・インド大使を呼び,「押し込み」作戦に抗議。 |
DIA-301-1998-08-27-1 | バングラデシュ | 1998年08月27日 | 1990年代 | アザド外相,南アフリカ訪問。第12回非同盟諸国首脳会議に出席。 |
DIA-301-1998-08-30-1 | バングラデシュ | 1998年08月30日 | 1990年代 | ハシナ首相,サウジアラビア訪問。 |
DIA-301-1998-08-30-2 | バングラデシュ | 1998年08月30日 | 1990年代 | カレダBNP党首,首相在職時の公金横領で起訴され裁判所に出頭。直ちに保釈。 |
DIA-301-1998-09-02-1 | バングラデシュ | 1998年09月02日 | 1990年代 | ナトレ県でALとBNPの抗争が激化し,4日まで無政府状態に。 |
DIA-301-1998-09-03-1 | バングラデシュ | 1998年09月03日 | 1990年代 | チェティアULFA事務局長,バングラデシュへの政治亡命許可を要請。 |
DIA-301-1998-09-04-1 | バングラデシュ | 1998年09月04日 | 1990年代 | 外資によるチッタゴン港第2埠頭建設問題で,労働組合と政府が合意。 |
DIA-301-1998-09-06-1 | バングラデシュ | 1998年09月06日 | 1990年代 | 政府,暫定チッタゴン丘陵地域評議会評議員名簿発表。PCJSSは参加拒否。 |
DIA-301-1998-09-07-1 | バングラデシュ | 1998年09月07日 | 1990年代 | 国会第10会期招集。 |
DIA-301-1998-09-08-1 | バングラデシュ | 1998年09月08日 | 1990年代 | バングラデシュ,非同盟諸国会議の次期議長国に選出さる。 |
DIA-301-1998-09-14-1 | バングラデシュ | 1998年09月14日 | 1990年代 | 女流作家トスリマ・ナスリン帰国。 |
DIA-301-1998-09-18-1 | バングラデシュ | 1998年09月18日 | 1990年代 | アザド外相,アメリカ訪問。第53回国連総会に出席。 |
DIA-301-1998-09-18-2 | バングラデシュ | 1998年09月18日 | 1990年代 | 政府,元首席裁判官で96年選挙管理政権首席顧問も務めたハビブル・ロフマンをオンブズマンに指名。 |
DIA-301-1998-09-22-1 | バングラデシュ | 1998年09月22日 | 1990年代 | 雇用創出(起業支援)銀行,営業開始。若い起業家に事業資金を5万タカまで融資。 |
DIA-301-1998-09-24-1 | バングラデシュ | 1998年09月24日 | 1990年代 | ナスリンに改めて逮捕状出る。 |
DIA-301-1998-09-28-1 | バングラデシュ | 1998年09月28日 | 1990年代 | 75年11月3日クーデタ時のダッカ刑務所内でのAL政治家殺害事件で,BNP国会議員ら逮捕さる。10月15日,起訴。 |
DIA-301-1998-09-28-2 | バングラデシュ | 1998年09月28日 | 1990年代 | ムジブル・ロフマン殺害事件公判で,弁護士がCIAの事件への関与を指摘。30日,ホルツマン・アメリカ大使が関与を否定。 |
DIA-301-1998-09-28-3 | バングラデシュ | 1998年09月28日 | 1990年代 | アダムジ・ジュート紡績所で労組のAL派とJP派が銃撃戦。1人死亡。 |
DIA-301-1998-10-04-1 | バングラデシュ | 1998年10月04日 | 1990年代 | ナスリンの処刑を求めるイスラーム過激派デモ隊と警官隊が衝突。12人逮捕。 |
DIA-301-1998-10-07-1 | バングラデシュ | 1998年10月07日 | 1990年代 | ハシナ首相,ナスリンと彼女を不当に脅迫するイスラーム過激派の双方を批判。 |
DIA-301-1998-10-08-1 | バングラデシュ | 1998年10月08日 | 1990年代 | ハシナ首相,すべての政治的暗殺に関する訴追を公約。 |
DIA-301-1998-10-09-1 | バングラデシュ | 1998年10月09日 | 1990年代 | ナスリンの母,娘にかわって「謝罪」。 |
DIA-301-1998-10-11-1 | バングラデシュ | 1998年10月11日 | 1990年代 | BNP系団体がCHTで2日間交通封鎖。 |
DIA-301-1998-10-15-1 | バングラデシュ | 1998年10月15日 | 1990年代 | BNP,チッタゴン市で半日ホルタル。 |
DIA-301-1998-10-16-1 | バングラデシュ | 1998年10月16日 | 1990年代 | カレダ,無競争でBNP党首に再選。 |
DIA-301-1998-10-18-1 | バングラデシュ | 1998年10月18日 | 1990年代 | BNP,ダッカ市で全日ホルタル。 |
DIA-301-1998-10-18-2 | バングラデシュ | 1998年10月18日 | 1990年代 | タカの対ドル・レート1.4ポイサ切り下げ。売買中値1ドル=48.5タカ。 |
DIA-301-1998-10-21-1 | バングラデシュ | 1998年10月21日 | 1990年代 | ロヒンガ難民キャンプで,ミャンマー帰還への賛否をめぐる騒乱。100人負傷。 |
DIA-301-1998-10-21-2 | バングラデシュ | 1998年10月21日 | 1990年代 | チッタゴンに韓国企業の専用輸出加工区開業。初の民間開発経済特区。 |
DIA-301-1998-10-22-1 | バングラデシュ | 1998年10月22日 | 1990年代 | BNP,全国で半日ホルタル。1人死亡。 |
DIA-301-1998-10-23-1 | バングラデシュ | 1998年10月23日 | 1990年代 | アフザル首席裁判官,スリランカ訪問。SAARC法律会議に出席。 |
DIA-301-1998-10-24-1 | バングラデシュ | 1998年10月24日 | 1990年代 | マニクゴンジュで,イスラーム教令による私刑がもとで新婚男女が自殺。その後,NGOとイスラーム過激派の衝突に発展。 |
DIA-301-1998-10-24-2 | バングラデシュ | 1998年10月24日 | 1990年代 | バンドルボン県でムル族とミャンマー人ゲリラが銃撃戦。市民3人死亡。 |
DIA-301-1998-10-25-1 | バングラデシュ | 1998年10月25日 | 1990年代 | チェティアULFA事務局長に懲役6年9カ月の実刑が確定。 |
DIA-301-1998-10-26-1 | バングラデシュ | 1998年10月26日 | 1990年代 | インド・バングラデシュ国境警備軍会談。国境線画定について合意。 |
DIA-301-1998-11-05-1 | バングラデシュ | 1998年11月05日 | 1990年代 | 国会第11会期招集。 |
DIA-301-1998-11-05-2 | バングラデシュ | 1998年11月05日 | 1990年代 | 75年11月7日クーデタ時の国営テレビ局内での職員殺害事件で,容疑者5人逮捕さる。 |
DIA-301-1998-11-06-1 | バングラデシュ | 1998年11月06日 | 1990年代 | アザド外相,日本訪問。10日に小渕首相と会談。 |
DIA-301-1998-11-07-1 | バングラデシュ | 1998年11月07日 | 1990年代 | BNP革命記念行事で騒乱。1人死亡。 |
DIA-301-1998-11-08-1 | バングラデシュ | 1998年11月08日 | 1990年代 | ムジブル・ロフマン殺害事件で15人に死刑判決。死刑判決を受けたフダ退役少佐,タイより送還さる。 |
DIA-301-1998-11-09-1 | バングラデシュ | 1998年11月09日 | 1990年代 | BNP,全国で60時間ホルタル(ハシナ政権下で最長時間)。期間中4人死亡。 |
DIA-301-1998-11-11-1 | バングラデシュ | 1998年11月11日 | 1990年代 | アザド外相,ミャンマー訪問。国境線画定協定成立。 |
DIA-301-1998-11-15-1 | バングラデシュ | 1998年11月15日 | 1990年代 | ハシナ首相,ホルタル戦術放棄宣言。 |
DIA-301-1998-11-22-1 | バングラデシュ | 1998年11月22日 | 1990年代 | PCJSSの要求に応じる形でランガマティ丘陵県地方政府評議会再改正法成立。 |
DIA-301-1998-11-22-2 | バングラデシュ | 1998年11月22日 | 1990年代 | ナスリン,裁判所に出頭。直ちに保釈。 |
DIA-301-1998-11-25-1 | バングラデシュ | 1998年11月25日 | 1990年代 | ウポジラ評議会復活法成立。 |
DIA-301-1998-11-25-2 | バングラデシュ | 1998年11月25日 | 1990年代 | ロヒンギャ難民のミャンマー帰還再開。 |
DIA-301-1998-11-26-1 | バングラデシュ | 1998年11月26日 | 1990年代 | 96年11月16日にダッカ証券取引所の株価が史上最高値3648を記録した直後大暴落した事件で,株価操縦容疑者の公判開始。 |
DIA-301-1998-12-01-1 | バングラデシュ | 1998年12月01日 | 1990年代 | ガス料金15%値上げ。 |
DIA-301-1998-12-02-1 | バングラデシュ | 1998年12月02日 | 1990年代 | CHT和平1周年記念式典で,ラルマPCJSS会長,武力闘争の再開も辞さずと発言。 |
DIA-301-1998-12-03-1 | バングラデシュ | 1998年12月03日 | 1990年代 | 最高裁上訴部,イスラーム法学を根拠に,離婚後に元夫が元妻を扶養する義務なしと判断。 |
DIA-301-1998-12-06-1 | バングラデシュ | 1998年12月06日 | 1990年代 | アブ・ヘナ選挙委員会委員長,パブナ2区に立ち入らないようAL政権閣僚に要請。 |
DIA-301-1998-12-07-1 | バングラデシュ | 1998年12月07日 | 1990年代 | ヘナ委員長,BNPの要求に応じ,パブナ県長官のパブナ2区補選管理官兼務を解く。 |
DIA-301-1998-12-07-2 | バングラデシュ | 1998年12月07日 | 1990年代 | ブラフマンバリアでのNGOの集会をイスラーム過激派が襲撃。150人負傷。 |
DIA-301-1998-12-09-1 | バングラデシュ | 1998年12月09日 | 1990年代 | インド,6年ぶりの貿易協議で,バングラデシュ産品の輸入数量規制撤廃に合意。 |
DIA-301-1998-12-09-2 | バングラデシュ | 1998年12月09日 | 1990年代 | ダッカ市内に六つの警察署管轄区新設。 |
DIA-301-1998-12-10-1 | バングラデシュ | 1998年12月10日 | 1990年代 | パブナ2区補選投票,AL候補当選。 |
DIA-301-1998-12-13-1 | バングラデシュ | 1998年12月13日 | 1990年代 | BNP,全国で全日ホルタル。 |
DIA-301-1998-12-14-1 | バングラデシュ | 1998年12月14日 | 1990年代 | JPを中心とする8党連合結成。 |
DIA-301-1998-12-15-1 | バングラデシュ | 1998年12月15日 | 1990年代 | エルシャドJP党首,AL支持を撤回し,BNPとの共闘を表明。 |
DIA-301-1998-12-19-1 | バングラデシュ | 1998年12月19日 | 1990年代 | BIMSTEC閣僚会議,ダッカで開催。 |
DIA-301-1998-12-20-1 | バングラデシュ | 1998年12月20日 | 1990年代 | ダッカ株価指数,58カ月来の安値更新,522.59ポイントに。 |
DIA-301-1998-12-23-1 | バングラデシュ | 1998年12月23日 | 1990年代 | 国連総会,ハシナ首相の提案に応え,2005年を国連マイクロクレジット年と決定。 |
DIA-301-1998-12-23-2 | バングラデシュ | 1998年12月23日 | 1990年代 | ヌルッディン無任所相,科学技術相就任。 |
DIA-301-1998-12-24-1 | バングラデシュ | 1998年12月24日 | 1990年代 | カレクBNP幹部の党籍変更をめぐりALとBNPの対立激化。 |
DIA-301-1998-12-25-1 | バングラデシュ | 1998年12月25日 | 1990年代 | チッタゴン港荷役労働者への能率報奨金問題で労使紛争が激化。 |
DIA-301-1998-12-28-1 | バングラデシュ | 1998年12月28日 | 1990年代 | JP,派閥分裂解消。 |
DIA-301-1998-12-30-1 | バングラデシュ | 1998年12月30日 | 1990年代 | モンジュ運輸相,JPより追放さる。 |
DIA-301-1999-01-06-1 | バングラデシュ | 1999年01月06日 | 1990年代 | 民族主義党(BNP),国民党(JP),イスラーム協会,イスラーム統一戦線からなる野党の大連合が成立。 |
DIA-301-1999-01-11-1 | バングラデシュ | 1999年01月11日 | 1990年代 | 女流作家トスリマ・ナスリンの母死去。ナスリンは,母の容態が悪化したため1998年9月14日に帰国していた。 |
DIA-301-1999-01-12-1 | バングラデシュ | 1999年01月12日 | 1990年代 | 1975年11月3日クーデタ時にダッカ刑務所内でアワミ連盟(AL)政治家4人が殺害された事件の公判開始。被告8人中2人はBNP現職国会議員。 |
DIA-301-1999-01-18-1 | バングラデシュ | 1999年01月18日 | 1990年代 | 著名な詩人シャムスル・ロフマン暗殺未遂事件。イスラーム過激派の国際テロ組織の犯行とされ,全国で過激派の摘発強化へ。 |
DIA-301-1999-01-20-1 | バングラデシュ | 1999年01月20日 | 1990年代 | サマド・アザド外相,中国訪問(~26日)。2001年にダッカで開催される第13回非同盟諸国首脳会議のための国際会議場建設資金2400万ドルの借款協定締結。 |
DIA-301-1999-01-24-1 | バングラデシュ | 1999年01月24日 | 1990年代 | ナスリン,スウェーデンに向け出国。 |
DIA-301-1999-01-25-1 | バングラデシュ | 1999年01月25日 | 1990年代 | 第7国会第12会期招集(~4月17日)。野党大連合はボイコットを決めるが,モンジュ運輸相らJP議員11人が出席。 |
DIA-301-1999-01-26-1 | バングラデシュ | 1999年01月26日 | 1990年代 | 野党大連合,6時から全国で18時間ホルタル。2人死亡。 |
DIA-301-1999-01-27-1 | バングラデシュ | 1999年01月27日 | 1990年代 | シェク・ハシナ首相,コルカタ訪問(~29日)。 |
DIA-301-1999-02-01-1 | バングラデシュ | 1999年02月01日 | 1990年代 | ハシナ首相,1月29日の記者会見での発言が法廷侮辱罪にあたるとして告訴される。最高裁は3月4日に訴訟破棄。 |
DIA-301-1999-02-06-1 | バングラデシュ | 1999年02月06日 | 1990年代 | ァメリカ政府エネルギー局代表団来訪(~12日)。バングラデシュの天然ガス・電力部門開発について三つの協力協定締結。 |
DIA-301-1999-02-09-1 | バングラデシュ | 1999年02月09日 | 1990年代 | 野党大連合,0時から全国で60時間ホルタル。6人死亡。 |
DIA-301-1999-02-15-1 | バングラデシュ | 1999年02月15日 | 1990年代 | 高裁,野党大連合が行うホルタルと,ALが行うホルタル反対の示威行動の双方について違法性を問う審理を独自の判断で開始。 |
DIA-301-1999-02-16-1 | バングラデシュ | 1999年02月16日 | 1990年代 | 東ベンガル共産党活動家が全国社会党の集会に無差別銃撃。5人死亡。 |
DIA-301-1999-02-16-2 | バングラデシュ | 1999年02月16日 | 1990年代 | ハシナ首相,ヨルダン訪問(~17日)。 |
DIA-301-1999-02-17-1 | バングラデシュ | 1999年02月17日 | 1990年代 | 政府,ショントゥ・ラルマ・チッタゴン丘陵人民連帯協会(PCJSS)会長に国務相待遇を与えると発表。 |
DIA-301-1999-02-23-1 | バングラデシュ | 1999年02月23日 | 1990年代 | 全国136カ所の一般市で評議会議長・議員選挙(~25日)。野党大連合は6時から全国で66時間ホルタル。3人死亡。 |
DIA-301-1999-02-24-1 | バングラデシュ | 1999年02月24日 | 1990年代 | チェンガルチャール一般市評議会議長(市長)に女性が当選。女性市長は史上初。 |
DIA-301-1999-03-01-1 | バングラデシュ | 1999年03月01日 | 1990年代 | D8(バングラデシュ・インドネシア・イラン・マレーシア・ナイジェリア・パキスタン・トルコ協力機構)第2回首脳会議,ダッカで開催(~2日)。 |
DIA-301-1999-03-07-1 | バングラデシュ | 1999年03月07日 | 1990年代 | ジョソール県の文化集会で爆弾テロ。10人死亡。後にBNP活動家の犯行とされる。 |
DIA-301-1999-03-11-1 | バングラデシュ | 1999年03月11日 | 1990年代 | ロフィクル・イスラム内務相,治安維持の責任をとり辞任。後任にモハンマド・ナシム。 |
DIA-301-1999-03-14-1 | バングラデシュ | 1999年03月14日 | 1990年代 | ハシナ首相,バーレーン訪問。 |
DIA-301-1999-03-15-1 | バングラデシュ | 1999年03月15日 | 1990年代 | 特別市選挙を任期満了後180日以内に行うことを規定する法律成立。 |
DIA-301-1999-03-15-2 | バングラデシュ | 1999年03月15日 | 1990年代 | スナムゴンジュ県のAL国会議員私邸で爆弾密造中に誤爆。2人死亡。 |
DIA-301-1999-04-07-1 | バングラデシュ | 1999年04月07日 | 1990年代 | 政府,コソボ紛争でユーゴを非難する声明発表。また,コソボ難民救援のため5万ドルを国連難民高等弁務官事務所に贈与。 |
DIA-301-1999-04-09-1 | バングラデシュ | 1999年04月09日 | 1990年代 | アラファト・パレスチナ解放機構議長来訪。ハシナ首相はパレスチナ独立宣言全面支持を表明。 |
DIA-301-1999-04-12-1 | バングラデシュ | 1999年04月12日 | 1990年代 | 李鵬・中国全人代常務委員長来訪(~13日)。 |
DIA-301-1999-04-13-1 | バングラデシュ | 1999年04月13日 | 1990年代 | 国営アダムジー・ジュート紡績所で労組のAL派とJP派が衝突(~17日)。3人死亡。 |
DIA-301-1999-04-16-1 | バングラデシュ | 1999年04月16日 | 1990年代 | メヘルプール県で東ベンガル共産党の内紛。5人が射殺される。 |
DIA-301-1999-04-18-1 | バングラデシュ | 1999年04月18日 | 1990年代 | 野党大連合,全国で全日(6~18時)ホルタル。前夜の爆弾テロで3人死亡。 |
DIA-301-1999-04-18-2 | バングラデシュ | 1999年04月18日 | 1990年代 | 世界銀行主催のバングラデシュ開発フォーラム,パリで開催。今年から援助約束額の明示がなくなる。 |
DIA-301-1999-04-22-1 | バングラデシュ | 1999年04月22日 | 1990年代 | カグラチョリで,和平協定反対派先住民と警官隊が衝突。2人死亡。 |
DIA-301-1999-04-22-2 | バングラデシュ | 1999年04月22日 | 1990年代 | 内務省,テロリスト摘発強化運動開始。7月30日までに自首した者に特赦を約束。 |
DIA-301-1999-04-23-1 | バングラデシュ | 1999年04月23日 | 1990年代 | JP内部のアワミ連盟支持派,公式にJPミザン・モンジュ派を結成。党首にミザヌル・ロフマン・チョウドゥリ(元首相)。 |
DIA-301-1999-04-26-1 | バングラデシュ | 1999年04月26日 | 1990年代 | チュアダンガ県で東ベンガル共産党の内紛。7人死亡。 |
DIA-301-1999-05-02-1 | バングラデシュ | 1999年05月02日 | 1990年代 | BNP国会議員の死去(2月13日)にともなうメヘルプール1区補欠選挙。AL候補が当選。野党大連合はボイコット。 |
DIA-301-1999-05-06-1 | バングラデシュ | 1999年05月06日 | 1990年代 | 多くの市民団体が共同で「オスマニ公園の1万1000本の樹木を守る運動」開始。 |
DIA-301-1999-05-11-1 | バングラデシュ | 1999年05月11日 | 1990年代 | 野党大連合,全国で半日(6~14時)ホルタル。 |
DIA-301-1999-05-12-1 | バングラデシュ | 1999年05月12日 | 1990年代 | ラルマPCJSS会長,丘陵地域評議会暫定議長就任を正式に受諾。 |
DIA-301-1999-05-13-1 | バングラデシュ | 1999年05月13日 | 1990年代 | 高裁,ホルタルは違法と判断。 |
DIA-301-1999-05-14-1 | バングラデシュ | 1999年05月14日 | 1990年代 | ハシナ首相,オランダ訪問(~16日)。 |
DIA-301-1999-05-15-1 | バングラデシュ | 1999年05月15日 | 1990年代 | BNPの車輌パレードがジョムナ橋を通過する問題について,ALとBNP間で妥協成立。 |
DIA-301-1999-05-16-1 | バングラデシュ | 1999年05月16日 | 1990年代 | 野党大連合,全国各地で車輌パレード(~18日)。 |
DIA-301-1999-05-17-1 | バングラデシュ | 1999年05月17日 | 1990年代 | ヌルッディン・カマル電力開発局局長,電力供給不安の責任を取らされ辞任。 |
DIA-301-1999-06-06-1 | バングラデシュ | 1999年06月06日 | 1990年代 | 国会第13会期招集(~7月8日)。 |
DIA-301-1999-06-13-1 | バングラデシュ | 1999年06月13日 | 1990年代 | 野党大連合,全国で全日ホルタル。 |
DIA-301-1999-06-18-1 | バングラデシュ | 1999年06月18日 | 1990年代 | バス西ベンガル州首相来訪。19日にヴァジュペイー・インド首相来訪(~20日)。ダッカ・コルカタ直行バス運行開始記念式典に出席。実際の業務開始は7月5日。 |
DIA-301-1999-06-23-1 | バングラデシュ | 1999年06月23日 | 1990年代 | AL創立50周年式典挙行。 |
DIA-301-1999-06-28-1 | バングラデシュ | 1999年06月28日 | 1990年代 | ロシアからミグ29型機8機を1億1500万ドルで購入する協定締結。 |
DIA-301-1999-07-01-1 | バングラデシュ | 1999年07月01日 | 1990年代 | ナラヤンゴンジュの売春街で売春婦が殺害される事件発生。 |
DIA-301-1999-07-05-1 | バングラデシュ | 1999年07月05日 | 1990年代 | 特別市選挙実施を90日間,ウポジラ選挙実施を150日間延期する法律成立。 |
DIA-301-1999-07-05-2 | バングラデシュ | 1999年07月05日 | 1990年代 | ハシナ首相,イギリス訪問(~15日)。8日にブレア首相と会談。 |
DIA-301-1999-07-07-1 | バングラデシュ | 1999年07月07日 | 1990年代 | ダッカ市の爆弾テロで機動隊員1人死亡。他の機動隊員が暴徒化し車輌数台破壊。 |
DIA-301-1999-07-08-1 | バングラデシュ | 1999年07月08日 | 1990年代 | 野党大連合,全国で全日ホルタル。1人死亡。 |
DIA-301-1999-07-13-1 | バングラデシュ | 1999年07月13日 | 1990年代 | 首都圏開発公団によってダッカ市に造成された高級住宅地の割り当て抽選結果公示。AL関係者による独占が表面化し,ハシナ首相は15日に結果の破棄を指示。 |
DIA-301-1999-07-17-1 | バングラデシュ | 1999年07月17日 | 1990年代 | アウン・ウィン・ミャンマー外務相来訪(~19日)。ロヒンギャ難民問題について会談するが成果なし。 |
DIA-301-1999-07-18-1 | バングラデシュ | 1999年07月18日 | 1990年代 | バングラデシュ中央銀行,タカ切り下げ。売買中値は1ドル48.50タカから49.50タカに。 |
DIA-301-1999-07-21-1 | バングラデシュ | 1999年07月21日 | 1990年代 | アザド外務相,「バングラデシュは中華人民共和国のひとつの中国政策を支持」との声明発表。 |
DIA-301-1999-07-24-1 | バングラデシュ | 1999年07月24日 | 1990年代 | 警官隊がナラヤンゴンジュの売春婦267人を浮浪者収容施設に強制連行。 |
DIA-301-1999-07-25-1 | バングラデシュ | 1999年07月25日 | 1990年代 | ハシナ首相,モロッコ訪問(~27日)。 |
DIA-301-1999-07-25-2 | バングラデシュ | 1999年07月25日 | 1990年代 | 野党大連合,全国各地で車輌パレード実施(~27日)。 |
DIA-301-1999-07-28-1 | バングラデシュ | 1999年07月28日 | 1990年代 | 閣議,インドへの貨物輸送便宜供与について協議を開始することを了承。 |
DIA-301-1999-07-29-1 | バングラデシュ | 1999年07月29日 | 1990年代 | 最高裁,AL政権の閣僚に就任したBNP国会議員2人の資格について,選挙委員会に判断を一任。 |
DIA-301-1999-07-31-1 | バングラデシュ | 1999年07月31日 | 1990年代 | 政府,売春婦の「社会復帰支援策」の失敗を認め,強制収容所からの解放を開始。 |
DIA-301-1999-08-02-1 | バングラデシュ | 1999年08月02日 | 1990年代 | 野党大連合,6時から全国で30時間ホルタル。 |
DIA-301-1999-08-07-1 | バングラデシュ | 1999年08月07日 | 1990年代 | ダッカ市でスラム住民と警察のトラブル発生。住民が暴徒化し,警官1人が死亡。 |
DIA-301-1999-08-08-1 | バングラデシュ | 1999年08月08日 | 1990年代 | ダッカ市各所のスラムで警察が強制排除を開始。 |
DIA-301-1999-08-11-1 | バングラデシュ | 1999年08月11日 | 1990年代 | 人権擁護団体,スラム強制排除の中止を求めて提訴。高裁,23日までスラム強制排除を行わないよう仮処分命令。 |
DIA-301-1999-08-18-1 | バングラデシュ | 1999年08月18日 | 1990年代 | 野党大連合,全国の県庁所在地でデモ。各地で爆弾テロなどが発生し1人死亡。 |
DIA-301-1999-08-19-1 | バングラデシュ | 1999年08月19日 | 1990年代 | 1975年11月7日クーデタ時に国営テレビ局で職員4人が殺害された事件で,9人が起訴される。 |
DIA-301-1999-08-22-1 | バングラデシュ | 1999年08月22日 | 1990年代 | 野党大連合,全国で全日ホルタル。 |
DIA-301-1999-08-23-1 | バングラデシュ | 1999年08月23日 | 1990年代 | ダッカ高裁政府によるスラム強制排除は合法と判断。 |
DIA-301-1999-08-29-1 | バングラデシュ | 1999年08月29日 | 1990年代 | 国会第14会期招集(~9月9日)。野党大連合はこれ以降の国会審議と選挙をすべてボイコット。 |
DIA-301-1999-08-29-2 | バングラデシュ | 1999年08月29日 | 1990年代 | カデール・シッディキAL国会議員,議員辞職願提出。ALからも脱退。 |
DIA-301-1999-08-29-3 | バングラデシュ | 1999年08月29日 | 1990年代 | 公定歩合,8%から7%に引き下げ。 |
DIA-301-1999-09-01-1 | バングラデシュ | 1999年09月01日 | 1990年代 | 平和と協力のためのアジア国会議員会議,ダッカで開催(~4日)。 |
DIA-301-1999-09-12-1 | バングラデシュ | 1999年09月12日 | 1990年代 | 野党大連合,中央政府合同庁舎を包囲し座り込み。警官隊との衝突で100人負傷。 |
DIA-301-1999-09-13-1 | バングラデシュ | 1999年09月13日 | 1990年代 | 野党大連合,6時から全国で60時間ホルタル。 |
DIA-301-1999-09-13-2 | バングラデシュ | 1999年09月13日 | 1990年代 | ハシナ首相,アメリカ訪問(~22日)。 |
DIA-301-1999-09-18-1 | バングラデシュ | 1999年09月18日 | 1990年代 | 国連加盟25周年記念式典挙行。 |
DIA-301-1999-09-21-1 | バングラデシュ | 1999年09月21日 | 1990年代 | ハシナ首相,国連総会で演説。 |
DIA-301-1999-09-22-1 | バングラデシュ | 1999年09月22日 | 1990年代 | ハシナ首相,クリントン・アメリカ大統領と会談。その後フランス訪問(~26日)。 |
DIA-301-1999-09-23-1 | バングラデシュ | 1999年09月23日 | 1990年代 | ハシナ首相,シラク・フランス大統領と会談。24日にはUNESCO本部でウフェ・ボワニ平和賞授与式に出席。 |
DIA-301-1999-09-25-1 | バングラデシュ | 1999年09月25日 | 1990年代 | ブラフマンバリア県で,イスラーム過激派がNGO活動の全面禁止を求めてデモ。警官隊と衝突して12人負傷。 |
DIA-301-1999-09-27-1 | バングラデシュ | 1999年09月27日 | 1990年代 | カマル・ホセン人民フォーラム党首,ロシアからのミグ29購入が憲法違反であると提訴。 |
DIA-301-1999-09-30-1 | バングラデシュ | 1999年09月30日 | 1990年代 | 野党大連合,選挙委員会事務所の包囲座り込みを計画したが警官隊に阻止される。 |
DIA-301-1999-10-03-1 | バングラデシュ | 1999年10月03日 | 1990年代 | 野党大連合,全国で全日ホルタル。1人死亡。 |
DIA-301-1999-10-07-1 | バングラデシュ | 1999年10月07日 | 1990年代 | クルナ市のアフマディア派モスクで爆弾爆発,6人死亡。ダッカ市でも2カ所で爆弾が発見される。 |
DIA-301-1999-10-10-1 | バングラデシュ | 1999年10月10日 | 1990年代 | 政府,ガソリンの30%値上げ案を発表するが,国民が猛反発し,18日に撤回。 |
DIA-301-1999-10-11-1 | バングラデシュ | 1999年10月11日 | 1990年代 | 選挙委員会,AL政権に入閣しBNPから追放された2人の国会議員資格の剥奪を決定。 |
DIA-301-1999-10-14-1 | バングラデシュ | 1999年10月14日 | 1990年代 | バングラデシュ,2000~2001年の国連安保理非常任理事国に選出される。 |
DIA-301-1999-10-17-1 | バングラデシュ | 1999年10月17日 | 1990年代 | カグラチョリで先住民と軍隊が衝突。3人死亡。 |
DIA-301-1999-10-18-1 | バングラデシュ | 1999年10月18日 | 1990年代 | ハシナ首相,オーストラリア訪問(~23日)。20日にハワード・オーストラリア首相と会談。経済社会開発協力協定締結。 |
DIA-301-1999-10-21-1 | バングラデシュ | 1999年10月21日 | 1990年代 | 野党大連合,全国で全日ホルタル。 |
DIA-301-1999-10-25-1 | バングラデシュ | 1999年10月25日 | 1990年代 | インドとの国境警備軍会議,ダッカで開催(~28日)。1974年国境協定履行で合意。 |
DIA-301-1999-10-27-1 | バングラデシュ | 1999年10月27日 | 1990年代 | モシャラフ・ホセンAL国会議員の死去(8月19日)にともなうフォリドプル4区補欠選挙。AL候補(モシャラフの妻)が当選。 |
DIA-301-1999-10-30-1 | バングラデシュ | 1999年10月30日 | 1990年代 | PCJSS,カグラチョリで党大会開催。正式に地域政党に組織改編。 |
DIA-301-1999-10-31-1 | バングラデシュ | 1999年10月31日 | 1990年代 | シャハブッディン大統領,トルコ訪問(~11月3日)。デマイエル・トルコ大統領と会談。二重課税防止協定締結。 |
DIA-301-1999-11-01-1 | バングラデシュ | 1999年11月01日 | 1990年代 | 国会第15会期招集(~9日)。 |
DIA-301-1999-11-01-2 | バングラデシュ | 1999年11月01日 | 1990年代 | 野党大連合,全国で全日ホルタル。 |
DIA-301-1999-11-04-1 | バングラデシュ | 1999年11月04日 | 1990年代 | 高裁,チッタゴン,クルナ,ラジュシャヒ特別市選挙準備を停止するよう仮処分命令。6日,チッタゴンのみ選挙実施許可。 |
DIA-301-1999-11-07-1 | バングラデシュ | 1999年11月07日 | 1990年代 | 野党大連合,全国で3日連続全日ホルタル。2人死亡。8日にはBNP国会議員が警官に撃たれ重傷。 |
DIA-301-1999-11-07-2 | バングラデシュ | 1999年11月07日 | 1990年代 | アザド外務相,非同盟諸国首脳会議用の国際会議場建設用地を,オスマニ緑地公園からシェレバングラノゴルに変更すると発表。 |
DIA-301-1999-11-09-1 | バングラデシュ | 1999年11月09日 | 1990年代 | バングラデシュ・インド・ミャンマー・スリランカ・タイ経済協力機構(BIMSTEC)代表会議,ダッカで開催(~10日)。 |
DIA-301-1999-11-11-1 | バングラデシュ | 1999年11月11日 | 1990年代 | ハシナ首相,南アフリカ訪問(~16日)。コモンウェルス首脳会議に出席。 |
DIA-301-1999-11-15-1 | バングラデシュ | 1999年11月15日 | 1990年代 | カデールのAL脱退・国会議員辞職(8月29日)にともなうタンガイル8区補欠選挙。カデールは無所属で再出馬したが,非公式集計ではAL候補が当選。ただしAL陣営に大がかりな不正工作疑惑があり選挙委員会が調査へ。 |
DIA-301-1999-11-15-2 | バングラデシュ | 1999年11月15日 | 1990年代 | コソボ国連平和維持軍のバングラデシュ人兵士1人,飛行機事故で殉職。バングラデシュ人の国連PKO要員殉職は史上13人目。 |
DIA-301-1999-11-16-1 | バングラデシュ | 1999年11月16日 | 1990年代 | ハシナ首相,サウジアラビア訪問(~19日)。 |
DIA-301-1999-11-16-2 | バングラデシュ | 1999年11月16日 | 1990年代 | 野党大連合,全国で全日ホルタル。 |
DIA-301-1999-11-18-1 | バングラデシュ | 1999年11月18日 | 1990年代 | UNESCO,2月21日(ベンガル語国語化運動犠牲者追悼日)を「世界母語の日」に指定。 |
DIA-301-1999-11-25-1 | バングラデシュ | 1999年11月25日 | 1990年代 | 野党大連合,全国で全日ホルタル。2人死亡。 |
DIA-301-1999-11-27-1 | バングラデシュ | 1999年11月27日 | 1990年代 | エルシャドJP党首の妻で国会議員のロウシャン・エルシャド,野党のホルタル戦術を批判する発言。翌日党員資格停止処分。 |
DIA-301-1999-11-30-1 | バングラデシュ | 1999年11月30日 | 1990年代 | 野党大連合,史上初の党首会談。AL政権崩壊後の選挙協力・政策調整について定めた共同声明発表。 |
DIA-301-1999-11-30-2 | バングラデシュ | 1999年11月30日 | 1990年代 | 中央銀行,タカ切り下げ。売買中値は1ドル49.50タカから51タカに。 |
DIA-301-1999-12-05-1 | バングラデシュ | 1999年12月05日 | 1990年代 | 野党大連合,全国で2日連続全日ホルタル。 |
DIA-301-1999-12-08-1 | バングラデシュ | 1999年12月08日 | 1990年代 | シャムスル・ホクAL国会議員の死去(9月25日)にともなうキショレゴンジュ1区補欠選挙。AL候補が当選。 |
DIA-301-1999-12-08-2 | バングラデシュ | 1999年12月08日 | 1990年代 | 選挙委員会によるアラウッディンの国会議員資格剥奪(10月11日)にともなうラジュシャヒ5区補欠選挙。アラウッディンがAL候補として再出馬し再選。 |
DIA-301-1999-12-08-3 | バングラデシュ | 1999年12月08日 | 1990年代 | 同じく,ショポンの国会議員資格剥奪にともなうシラジュゴンジュ7区補欠選挙。ショポンがAL候補として再出馬するが落選。 |
DIA-301-1999-12-13-1 | バングラデシュ | 1999年12月13日 | 1990年代 | 野党大連合,全国で半日ホルタル。1人死亡。 |
DIA-301-1999-12-18-1 | バングラデシュ | 1999年12月18日 | 1990年代 | 2000年1月3日投票予定のチッタゴン特別市市長選で,現職市長(AL)の無競争再選が確定。 |
DIA-301-1999-12-20-1 | バングラデシュ | 1999年12月20日 | 1990年代 | フマユン・ロシッド国会議長,2000年元旦に招集される国会への参加を要請する書簡をBNPに送付。BNPは26日,元旦国会をボイコットする旨知らせる返書を送付。 |
DIA-301-1999-12-24-1 | バングラデシュ | 1999年12月24日 | 1990年代 | カデール,新党「農民労働者人民連盟」を結成。式典にAL系学生団体が武装して乱入。50人負傷。 |
DIA-301-1999-12-26-1 | バングラデシュ | 1999年12月26日 | 1990年代 | ハシナ首相,カレダBNP党首に直接電話するも,カレダ不在。 |
DIA-301-1999-12-26-2 | バングラデシュ | 1999年12月26日 | 1990年代 | ウォーカー・イギリス大使が,「援助国は被援助国の内政に干渉しうる」と発言したと報道され,外務省は抗議声明発表。ウォーカーは報道を否定。 |
DIA-301-1999-12-28-1 | バングラデシュ | 1999年12月28日 | 1990年代 | ハシナ首相,9人の閣僚を任命。 |