DIA-305-1980-01-01-1 | スリランカ | 1980年01月01日 | 1980年代 | JR大統領,ユネスコのジェタバナ仏跡復旧援助起工式主宰。○ビク教育法施行。○自主避妊者に奨励金支給。 |
DIA-305-1980-01-03-1 | スリランカ | 1980年01月03日 | 1980年代 | 政府,ソ連のアフガン撤兵要求。 |
DIA-305-1980-01-04-1 | スリランカ | 1980年01月04日 | 1980年代 | ノルウェイ代表団Arvid Hohausen 1981-83年6億ルピー援助をデメル蔵相に表明。 |
DIA-305-1980-01-08-1 | スリランカ | 1980年01月08日 | 1980年代 | JR,自由党に反論,インドとの友好持続を強調。○自由党,TULF,インド・ガンジーに祝電。 |
DIA-305-1980-01-09-1 | スリランカ | 1980年01月09日 | 1980年代 | 計画実施省ウエラスリや次官,失業青年の50ルピー手当の6月打切り言明。○保健省,在外医師に帰国呼びかけ。○フォートで休暇縮小反対の労組ピケ。○バンク・オブ・アメリカ支店開設。 |
DIA-305-1980-01-10-1 | スリランカ | 1980年01月10日 | 1980年代 | JR,プレマダサ首相,ガンジー首相に祝電。 |
DIA-305-1980-01-11-1 | スリランカ | 1980年01月11日 | 1980年代 | 警察,ピケ行為で自由党系の政府書記労組GCSU幹部拘留(14日釈放)。 |
DIA-305-1980-01-12-1 | スリランカ | 1980年01月12日 | 1980年代 | JR,従業員評議会を設置でストは不要と語る。 |
DIA-305-1980-01-14-1 | スリランカ | 1980年01月14日 | 1980年代 | 自由党書記長,ソ連のアフガン撤兵要求。○JR,新執務時間は政府部門のみ適用と弁明。○政府医師協会GMOAは医師の国内での資格試験に反対。 |
DIA-305-1980-01-15-1 | スリランカ | 1980年01月15日 | 1980年代 | 保健省,就業義務違反で医師20名告訴。 |
DIA-305-1980-01-17-1 | スリランカ | 1980年01月17日 | 1980年代 | 政府,借家人に持家所有権移転儀式(野党代表も出席)。○中銀職員,賃上げ要求スト。 |
DIA-305-1980-01-18-1 | スリランカ | 1980年01月18日 | 1980年代 | 中国と5億ルピー借款協定。○JR,教科書無料贈呈式出席。 |
DIA-305-1980-01-21-1 | スリランカ | 1980年01月21日 | 1980年代 | 小麦粉1ポンド1.5ルピー,パン1.35ルピー,砂糖4.5ルピー,国産玄米1.78ルピー,輸入玄米1.9ルピーに値上げ。○米国大使にDonald Toussaint新任。○コロンボ・スレーブ島で宗派暴動,3名死亡。 |
DIA-305-1980-01-22-1 | スリランカ | 1980年01月22日 | 1980年代 | スレーブ島事件で,暴徒警察襲撃。 |
DIA-305-1980-01-23-1 | スリランカ | 1980年01月23日 | 1980年代 | 電力供給失敗で,電力公社K.K.Y.H.ペレラ総裁辞任。 |
DIA-305-1980-01-25-1 | スリランカ | 1980年01月25日 | 1980年代 | JR,世界イスラム・セミナー開会式出席。○ベルギー,援助国会議に参加。○ガソリン,ケロセンなど値上げ。 |
DIA-305-1980-01-28-1 | スリランカ | 1980年01月28日 | 1980年代 | 上訴裁,カラワナ選出A.B.H.ピラピチヤ議員(電通副大臣)の失格宣告。○デメル蔵相,石油値上りと経済環境悪化を警告。○バブニヤ県開発に世銀2.5億ルピー援助。 |
DIA-305-1980-01-29-1 | スリランカ | 1980年01月29日 | 1980年代 | JR,休暇問題で労組合同行動委JTUACと会見。○石油公社,サウジ,イラン,イラクと石油220万トン輸入契約。 |
DIA-305-1980-01-30-1 | スリランカ | 1980年01月30日 | 1980年代 | インド・ガンジー首相,JRに謝電。○銀行員20%賃上げ契約。 |
DIA-305-1980-02-01-1 | スリランカ | 1980年02月01日 | 1980年代 | ベルギーM.Eysken開発協力相,5000万ルピー贈与,コロンボ事務所開設を言明。○IMF信託基金ローン1.7億ルピー割当。 |
DIA-305-1980-02-04-1 | スリランカ | 1980年02月04日 | 1980年代 | 独立記念日祝賀式マタラで開く。 |
DIA-305-1980-02-05-1 | スリランカ | 1980年02月05日 | 1980年代 | 働らく婦人協会,持参金廃止要求。○中国ミニ水力発電援助使節団ロウ・ファン・ヤンら来島。 |
DIA-305-1980-02-06-1 | スリランカ | 1980年02月06日 | 1980年代 | 鮮魚輸出禁止(漁民抗議,3日解除)。 |
DIA-305-1980-02-07-1 | スリランカ | 1980年02月07日 | 1980年代 | アフガン問題でインド外務次官E.Gonsalves来島(10日帰国)。WHOのMahlerとアジア地域保健憲章調印。 |
DIA-305-1980-02-08-1 | スリランカ | 1980年02月08日 | 1980年代 | 米国アジア財団の活動再開を認可。○ウレア肥料計画検討委任命。 |
DIA-305-1980-02-10-1 | スリランカ | 1980年02月10日 | 1980年代 | 公益委員会街灯べらしを勧告。 |
DIA-305-1980-02-11-1 | スリランカ | 1980年02月11日 | 1980年代 | GMOA所属の350人医者欠勤で診療混乱(13日欠勤中止)。 |
DIA-305-1980-02-13-1 | スリランカ | 1980年02月13日 | 1980年代 | ノルウェイK.Frydenlund外相来島。 |
DIA-305-1980-02-14-1 | スリランカ | 1980年02月14日 | 1980年代 | 内閣大改造。JR,高等教育相,国家プランテーション公社相も兼任(15日大学騒動厳罰を表明)。 |
DIA-305-1980-02-16-1 | スリランカ | 1980年02月16日 | 1980年代 | 電力料値上げ。 |
DIA-305-1980-02-17-1 | スリランカ | 1980年02月17日 | 1980年代 | 日本投資調査団来島。 |
DIA-305-1980-02-18-1 | スリランカ | 1980年02月18日 | 1980年代 | JRの弟W・ジャヤワルダナ国連大使,イラン問題調査委員となり,ニューヨークへ出発。○上訴裁判委,自由党のアナマドワ選出S.Wadigamangawaの議員失格宣告。 |
DIA-305-1980-02-19-1 | スリランカ | 1980年02月19日 | 1980年代 | 人民解放戦線JVPのU.ガマナヤケ,平等党LSSPの自由党接近を批判。 |
DIA-305-1980-02-20-1 | スリランカ | 1980年02月20日 | 1980年代 | 世界食糧計画WFP低コスト住宅12.7百万ルピー援助。 |
DIA-305-1980-02-21-1 | スリランカ | 1980年02月21日 | 1980年代 | JR,バス公社の従業員評議会設立で労働者激励。○酒,タバコとクラブ認可料を引上げ。○JR,医師の義務服務年限5年の再引上げ言明。 |
DIA-305-1980-02-23-1 | スリランカ | 1980年02月23日 | 1980年代 | ネパールのビレンドラ国王夫妻来島(24日JRと会見,27日共同声明でカンボジア,アフガンの外国軍隊撤兵要望し,帰国)。 |
DIA-305-1980-02-27-1 | スリランカ | 1980年02月27日 | 1980年代 | マハベリ計画ビクトリア・ダム工事入札(英国2会社受注)。 |
DIA-305-1980-02-28-1 | スリランカ | 1980年02月28日 | 1980年代 | 大統領地方分権委,報告を提出。 |
DIA-305-1980-02-29-1 | スリランカ | 1980年02月29日 | 1980年代 | 韓・ス協会理事Ahn Hyun Chul,文化交流強化申入れ。○3月1日からのバス,鉄道,電話料値上げ決定。 |
DIA-305-1980-03-01-1 | スリランカ | 1980年03月01日 | 1980年代 | 降雨不足2ヵ月で茶100万キロ減産。 |
DIA-305-1980-03-03-1 | スリランカ | 1980年03月03日 | 1980年代 | JR,脅迫なしでのGMOAとの会見約束。 |
DIA-305-1980-03-04-1 | スリランカ | 1980年03月04日 | 1980年代 | 自由貿易区委員会GCEC,米国電子工業の投資勧誘。 |
DIA-305-1980-03-05-1 | スリランカ | 1980年03月05日 | 1980年代 | 人民銀行,バンク・オブ・セイロン授権資本を10億ルピーに引上げ。○女子労働者交代制でILOと交渉。○長距離列車ストで混乱。 |
DIA-305-1980-03-06-1 | スリランカ | 1980年03月06日 | 1980年代 | ハミード外相,ジンバブエのムガベ勝利を歓迎。○反イラン・ポスター取締り。 |
DIA-305-1980-03-07-1 | スリランカ | 1980年03月07日 | 1980年代 | 全クリーム牛乳価格統制廃止。○デメル蔵相,スエーデンで首相と会見。 |
DIA-305-1980-03-08-1 | スリランカ | 1980年03月08日 | 1980年代 | 地方分権大統領委の報告発表。○モスコーでソ・ス友好協会20周年大会,コロンボ県大臣マリマラチチ出席。 |
DIA-305-1980-03-10-1 | スリランカ | 1980年03月10日 | 1980年代 | スイス,乳業等に1550万ルピー援助。○イラクから原油輸入信用160万ディナール。 |
DIA-305-1980-03-12-1 | スリランカ | 1980年03月12日 | 1980年代 | デメル蔵相,イラクでT.Razoki蔵相と会見。 |
DIA-305-1980-03-13-1 | スリランカ | 1980年03月13日 | 1980年代 | GMOA,JRと会見,協力約束。○JR,2大農園労組代表と会見。 |
DIA-305-1980-03-14-1 | スリランカ | 1980年03月14日 | 1980年代 | 国内郵便料値上げ。○American Express支店開設。 |
DIA-305-1980-03-15-1 | スリランカ | 1980年03月15日 | 1980年代 | 自由党アナマドワ補欠選挙候補者にS.ワディガマンガワ指名(17日UNPはアンカ・ワディガマンガワ指名)。 |
DIA-305-1980-03-18-1 | スリランカ | 1980年03月18日 | 1980年代 | 米国と1800万ドル援助協定。○日本贈与3億5080万円。○木炭輸出禁止。 |
DIA-305-1980-03-19-1 | スリランカ | 1980年03月19日 | 1980年代 | 第2世銀バス公社に5300万ドル借款。○公務員勤務時間変更(8.30~16.15時)と年休45日存続決定(4月10日実施)。 |
DIA-305-1980-03-20-1 | スリランカ | 1980年03月20日 | 1980年代 | ウイジェトンガ電力相,緊急措置決定。 |
DIA-305-1980-03-21-1 | スリランカ | 1980年03月21日 | 1980年代 | 自由党,TULF,マレユー工業相の不正調査委員会設置動議提出。 |
DIA-305-1980-03-23-1 | スリランカ | 1980年03月23日 | 1980年代 | JR,ビクトリア・ダム起工式,主宰。 |
DIA-305-1980-03-24-1 | スリランカ | 1980年03月24日 | 1980年代 | 世銀,牧草地開発900万ドル援助。 |
DIA-305-1980-03-25-1 | スリランカ | 1980年03月25日 | 1980年代 | 国連大使B.J.フェルナンド解任(26日,後任にG.V.P.サマラシンハ)。 |
DIA-305-1980-03-27-1 | スリランカ | 1980年03月27日 | 1980年代 | 韓国朴東鎮外相,西独R.Opfergeld経済協力相来島。○カナダと7600万カナダドル借款。 |
DIA-305-1980-03-28-1 | スリランカ | 1980年03月28日 | 1980年代 | 韓国と投資保護協定。 |
DIA-305-1980-03-29-1 | スリランカ | 1980年03月29日 | 1980年代 | 国家保険公社業務開始。 |
DIA-305-1980-03-30-1 | スリランカ | 1980年03月30日 | 1980年代 | 全セイロン仏教会議ACBC仏教研究所設置要求 |
DIA-305-1980-03-31-1 | スリランカ | 1980年03月31日 | 1980年代 | 第2世銀,酪農開発2.5億ルピー援助。○4月8日より6~8時,12~14時の節電実施。○ACBC,飲酒と牛の屠殺禁止を要望。 |
DIA-305-1980-04-01-1 | スリランカ | 1980年04月01日 | 1980年代 | 駐日大使B.P.Tilakaratne辞任,後任に,Susantha de Alwis内定。 |
DIA-305-1980-04-02-1 | スリランカ | 1980年04月02日 | 1980年代 | 農園労働者に1日50セント手当支給決定。○基礎研究所設置決定。 |
DIA-305-1980-04-04-1 | スリランカ | 1980年04月04日 | 1980年代 | 民間医学校設立計画認可を決定。 |
DIA-305-1980-04-07-1 | スリランカ | 1980年04月07日 | 1980年代 | 元最高裁判事Jaya Pathirana民主戦線を組織。○Bank of Oman支店開設。○アナマドワ補欠選挙5月7日施行公示。 |
DIA-305-1980-04-08-1 | スリランカ | 1980年04月08日 | 1980年代 | プ首相,18日のジンバブエ独立式典出席に出発。 |
DIA-305-1980-04-09-1 | スリランカ | 1980年04月09日 | 1980年代 | フランスR.Monory経済相,民間経済代表団と来島(10日経済協力,投資保護,二重課税回避の3協定調印)。○議会特権法改正(議事録削除言説の外部公開禁止)。 |
DIA-305-1980-04-10-1 | スリランカ | 1980年04月10日 | 1980年代 | パキスタンと二重課税回避協定。 |
DIA-305-1980-04-11-1 | スリランカ | 1980年04月11日 | 1980年代 | 最高裁,アビサウェラ選出M.O.プレマラトネ議員当選無効の請求を却下。 |
DIA-305-1980-04-13-1 | スリランカ | 1980年04月13日 | 1980年代 | シンハラ新年祭。 |
DIA-305-1980-04-14-1 | スリランカ | 1980年04月14日 | 1980年代 | チェコ外相B.Chnoupek来島。 |
DIA-305-1980-04-15-1 | スリランカ | 1980年04月15日 | 1980年代 | TULFのM・シバレタムパラム死刑廃止動議提出。 |
DIA-305-1980-04-16-1 | スリランカ | 1980年04月16日 | 1980年代 | Habib Bank(チューリヒ)支店開設。 |
DIA-305-1980-04-17-1 | スリランカ | 1980年04月17日 | 1980年代 | 政府オリンピック参加を国内委に委すと決定。○国家貯蓄銀行員順法スト。 |
DIA-305-1980-04-18-1 | スリランカ | 1980年04月18日 | 1980年代 | 大統領特別委でシリマボ自由党総裁全訴因を否認。○港湾料を重量基準に改正。 |
DIA-305-1980-04-19-1 | スリランカ | 1980年04月19日 | 1980年代 | バチカロア県大臣M.カナガラトナム死去。 |
DIA-305-1980-04-21-1 | スリランカ | 1980年04月21日 | 1980年代 | 中銀,公定歩内12%に引上げ,国家貯蓄銀行も預金金利引上げ。○第2世銀5600万ドル借款。 |
DIA-305-1980-04-23-1 | スリランカ | 1980年04月23日 | 1980年代 | プレマダサ首相帰国。○政府,天然資源エネルギー,環境庁設立を決定。○バンドン会議記念集会で,JR,非同盟主義堅持強調。 |
DIA-305-1980-04-24-1 | スリランカ | 1980年04月24日 | 1980年代 | レーニン生誕110年記念式でJR,暴力革命以外は偉大と賞賛。○チャーター業者の安売り航空券問題化。 |
DIA-305-1980-04-25-1 | スリランカ | 1980年04月25日 | 1980年代 | ポーランドと二重課税回避協定調印。 |
DIA-305-1980-04-26-1 | スリランカ | 1980年04月26日 | 1980年代 | 外国大使館の警備を強化。○小茶農振興計画を決定。 |
DIA-305-1980-04-27-1 | スリランカ | 1980年04月27日 | 1980年代 | モルジブでクーデター計画発覚。 |
DIA-305-1980-04-28-1 | スリランカ | 1980年04月28日 | 1980年代 | バンク・オブ・セイロン,人民銀行預金金利引上げ。○タミル青年組織,TULFと分派活動決定。○所得支持計画の6月廃止決定。 |
DIA-305-1980-04-29-1 | スリランカ | 1980年04月29日 | 1980年代 | ラリト貿易相,米国との衣料割当て交渉より帰国。○JVP政治局役員決定,書記長Daya Wanniaratchi就任。 |
DIA-305-1980-04-30-1 | スリランカ | 1980年04月30日 | 1980年代 | JR,メーデー・メッセージ発表。 |
DIA-305-1980-05-01-1 | スリランカ | 1980年05月01日 | 1980年代 | 自由党,LSSP合同メーデー集会。LSSPのシルバは反UNPのため悪魔とも組むと演説。 |
DIA-305-1980-05-02-1 | スリランカ | 1980年05月02日 | 1980年代 | OPEC農村電化600万ドル借款。○非居住者封鎖勘定の送金,20万ルピーまで事前許可不要。 |
DIA-305-1980-05-03-1 | スリランカ | 1980年05月03日 | 1980年代 | TULFは過激派S.Kangedran,K.Mahasenを除名。 |
DIA-305-1980-05-05-1 | スリランカ | 1980年05月05日 | 1980年代 | チトー葬儀にハミード外相派遣決定。 |
DIA-305-1980-05-06-1 | スリランカ | 1980年05月06日 | 1980年代 | 国家貯蓄銀行順法闘争続く(9日終る)。 |
DIA-305-1980-05-07-1 | スリランカ | 1980年05月07日 | 1980年代 | アナマドワ補欠選挙,UNPのA,ワディガマンガワ当選,自由党破れる。○大統領特別委シリマボの弁論開始,シリマボは拒否陳述の後に退廷。 |
DIA-305-1980-05-08-1 | スリランカ | 1980年05月08日 | 1980年代 | プ首相,議会でチトー哀悼演説。 |
DIA-305-1980-05-09-1 | スリランカ | 1980年05月09日 | 1980年代 | シンガポールと投資保証協定。 |
DIA-305-1980-05-10-1 | スリランカ | 1980年05月10日 | 1980年代 | コロンボ・ドック,フランス艦船修理契約。 |
DIA-305-1980-05-12-1 | スリランカ | 1980年05月12日 | 1980年代 | モルジブ外相F.Jameel来島。○米国海外民間投資会社OPICのA.N.Beadlestone投資調査団来島(17日帰国)。○国家抵当・投資銀行,住宅建築費75%ローン発表。 |
DIA-305-1980-05-14-1 | スリランカ | 1980年05月14日 | 1980年代 | バンク・オブ・セイロンのロンドン支店,イングランド銀行の公認指定銀行となる。○電気料金改定。○香港のOverseas Trust Bank支店開設。 |
DIA-305-1980-05-15-1 | スリランカ | 1980年05月15日 | 1980年代 | 日本越智大使とボランティーア技術協力協定。○ラーマン・バングラ大統領,JRに南アジア6ヵ国首脳会議提案。 |
DIA-305-1980-05-16-1 | スリランカ | 1980年05月16日 | 1980年代 | タバコ3銘柄値上げ。○JR,援助国会議参加主要国首脳に援助継続を要請。 |
DIA-305-1980-05-17-1 | スリランカ | 1980年05月17日 | 1980年代 | JR,ゴールのOlcott来島100年記念祭出席。○コロンボ病院下級職員スト,ヌワラエリア病院医師休暇戦術(21日中止)。○西独投資調査団来島。 |
DIA-305-1980-05-19-1 | スリランカ | 1980年05月19日 | 1980年代 | 砂糖配給中止,1ポンド6ルピーで自由販売。○第2世銀,電気通信3000万ドル援助。 |
DIA-305-1980-05-20-1 | スリランカ | 1980年05月20日 | 1980年代 | 運輸公社省新設,モハメード運輸相が兼任。○大統領特別委,シリマボヘの論告終了。 |
DIA-305-1980-05-21-1 | スリランカ | 1980年05月21日 | 1980年代 | 節電時間6~8時,12~14時に変更(25日再変更)。○ポトビル補選指名でTULFは上訴裁に提訴し,選管委のTULF指名令状の発行を求む。○JR,政府転覆の労組を許さずと言明。○中銀,金利6%の自由譲渡の持参人払い債券発行。 |
DIA-305-1980-05-22-1 | スリランカ | 1980年05月22日 | 1980年代 | 故ナセルの子女,アジア・アリカ人民連帯委のバンドン会議25年記念集会出席で来島。 |
DIA-305-1980-05-23-1 | スリランカ | 1980年05月23日 | 1980年代 | 労働省,在中東スリランカ人の保護を国際警察に要請。 |
DIA-305-1980-05-26-1 | スリランカ | 1980年05月26日 | 1980年代 | JR,英語教育重視を指示。 |
DIA-305-1980-05-27-1 | スリランカ | 1980年05月27日 | 1980年代 | ハミード外相,電力危機で,インド・米・英・独・日・ソ連に発電機の緊急援助要請。○大統領特別委,全論告終る。 |
DIA-305-1980-05-28-1 | スリランカ | 1980年05月28日 | 1980年代 | イラン外相主催の米国干渉批判大会に元自主党マームド文相,全セイロン回教連盟のC.M.カリール等出席決定。○JTUACのB.タンポー,6月5日の反UNP大会はクーデター企図でないとJRに書翰。 |
DIA-305-1980-05-30-1 | スリランカ | 1980年05月30日 | 1980年代 | 国連の国際的市民の政治・経済・社会・文化権利条約調印。 |
DIA-305-1980-06-03-1 | スリランカ | 1980年06月03日 | 1980年代 | 節電1日3時間に短縮。 |
DIA-305-1980-06-04-1 | スリランカ | 1980年06月04日 | 1980年代 | 政府,5日の野党系労組委JTUACの示威スト当日の政府部門従業員の賜暇不許可。 |
DIA-305-1980-06-05-1 | スリランカ | 1980年06月05日 | 1980年代 | JTUAC中食ピケ・スト決行。与党系労組JSS対抗デモ。○ユーゴJ.Vrhovec外相来島。 |
DIA-305-1980-06-06-1 | スリランカ | 1980年06月06日 | 1980年代 | 税制改正法通過。 |
DIA-305-1980-06-07-1 | スリランカ | 1980年06月07日 | 1980年代 | オランダ議会代表団H.L.K.Aarts来島。○JR,ガマニ・コレアを公開大学学長に任命(19日開校)。 |
DIA-305-1980-06-10-1 | スリランカ | 1980年06月10日 | 1980年代 | プ首相,ジンバブエに人材援助言明。 |
DIA-305-1980-06-12-1 | スリランカ | 1980年06月12日 | 1980年代 | JR,大平首相死去に弔電。○TULF,スタンティラン紙編集長K.Mahesanを追放。 |
DIA-305-1980-06-13-1 | スリランカ | 1980年06月13日 | 1980年代 | 日本,テレビ・印刷に23億円贈与。 |
DIA-305-1980-06-16-1 | スリランカ | 1980年06月16日 | 1980年代 | 節電5時間。○UNPはポトビル議席指名権でTULFに反論。 |
DIA-305-1980-06-17-1 | スリランカ | 1980年06月17日 | 1980年代 | 電力悪化で,自由党M.セナナヤケ副総裁は政府政策批判。○モルジブと貿易協定。○市民権利運動CRM新聞法改正反対表明。 |
DIA-305-1980-06-18-1 | スリランカ | 1980年06月18日 | 1980年代 | 郵政・電信局の分離を決定。○タイから人工降雨専門家M.Rajathapitiを招聘。 |
DIA-305-1980-06-19-1 | スリランカ | 1980年06月19日 | 1980年代 | 石油製品値上げ。○TULFアミルタリンガム―党独裁批判。 |
DIA-305-1980-06-20-1 | スリランカ | 1980年06月20日 | 1980年代 | デメル蔵相,インフレと開発費で警告。○オリンピック参加決定。 |
DIA-305-1980-06-21-1 | スリランカ | 1980年06月21日 | 1980年代 | 衣料輸出業者協会,割当制でJRに陳情。○英国,水道に8800万ルピー援助。 |
DIA-305-1980-06-23-1 | スリランカ | 1980年06月23日 | 1980年代 | インドのサンジャイ死去で,JR哀悼を表明。 |
DIA-305-1980-06-24-1 | スリランカ | 1980年06月24日 | 1980年代 | 野党反UNP合同集会計画。 |
DIA-305-1980-06-25-1 | スリランカ | 1980年06月25日 | 1980年代 | スイス・ネスの酪農計画を承認。○7月1日よりマタラ,ハンバントタ,モネラガラ,アムパライ,4県にメートル法実施(合計7県)。 |
DIA-305-1980-06-26-1 | スリランカ | 1980年06月26日 | 1980年代 | 米国マハベリ事業に1000万ドル援助協定。 |
DIA-305-1980-06-27-1 | スリランカ | 1980年06月27日 | 1980年代 | 政府,人工降雨研究チーム設置決定。3日間節電中止。 |
DIA-305-1980-06-28-1 | スリランカ | 1980年06月28日 | 1980年代 | ラリト貿易相,灯油配給改善指示。 |
DIA-305-1980-06-30-1 | スリランカ | 1980年06月30日 | 1980年代 | ウイジェトンガ・エネルギー相,太陽熱の研究を言明。 |
DIA-305-1980-07-01-1 | スリランカ | 1980年07月01日 | 1980年代 | パリ援助国会議,デンマークも参加,84億ルピー約束。○日・ス経済協力委,東京会議開く。 |
DIA-305-1980-07-02-1 | スリランカ | 1980年07月02日 | 1980年代 | 米国7社と石油探査協定。 |
DIA-305-1980-07-04-1 | スリランカ | 1980年07月04日 | 1980年代 | 公用語学習に6ヵ月有給休暇認む。○ビクトリア・ダム工事の機械到着。 |
DIA-305-1980-07-07-1 | スリランカ | 1980年07月07日 | 1980年代 | 日本,コロンボ港改修に5.7億ルピー援助。○米国と繊維品輸入割当協定。 |
DIA-305-1980-07-08-1 | スリランカ | 1980年07月08日 | 1980年代 | ハミード外相,9日の大平首相葬儀参列で来日。○TULF,ラジャドライ議員を正式除名。 |
DIA-305-1980-07-09-1 | スリランカ | 1980年07月09日 | 1980年代 | 国連の男女平等条約批准。○第2世銀,小保有ゴム振興に1600万ドル援助。○選挙法改正最終報告を提出。 |
DIA-305-1980-07-10-1 | スリランカ | 1980年07月10日 | 1980年代 | 大蔵省証券発行限度を60億ルピーに引上げ。○フェルナンド外相代理,インドのヘンサムリン政権承認に対し,スリランカは国連決議守ると言明。 |
DIA-305-1980-07-11-1 | スリランカ | 1980年07月11日 | 1980年代 | 運輸省,鉄道従業員の休暇申請取消し。 |
DIA-305-1980-07-13-1 | スリランカ | 1980年07月13日 | 1980年代 | 給与問題不満の大学職員の辞表提出。 |
DIA-305-1980-07-14-1 | スリランカ | 1980年07月14日 | 1980年代 | 政府,合同労組行動委JTUACの18日ゼネスト計画に警告。○列車運行80%。 |
DIA-305-1980-07-15-1 | スリランカ | 1980年07月15日 | 1980年代 | 政府,看護婦病休ストに軍のボランティーア動員準備。ラニル教育相,スト参加教員の解雇言明。セイロン経営者連盟は民間のスト参加は労働協約違反と言明。 |
DIA-305-1980-07-16-1 | スリランカ | 1980年07月16日 | 1980年代 | 政府非常事態宣言,基本サービスのスト禁止。○ルーマニアと航空協定。 |
DIA-305-1980-07-17-1 | スリランカ | 1980年07月17日 | 1980年代 | シリマボ自由党総裁,ニューデリーで非常事態宣言を非難。 |
DIA-305-1980-07-18-1 | スリランカ | 1980年07月18日 | 1980年代 | JR,スト参加者の厳罰表明。コロンボ市長,スト参加者解雇言明。○新聞検閲実施。 |
DIA-305-1980-07-19-1 | スリランカ | 1980年07月19日 | 1980年代 | 政府スト参加解雇者の補充募集開始。 |
DIA-305-1980-07-21-1 | スリランカ | 1980年07月21日 | 1980年代 | JR,政府部門のスト禁止立法を表明。○JR,国連総会へパレスチナ人の権利支持表明のメッセージ送付。 |
DIA-305-1980-07-22-1 | スリランカ | 1980年07月22日 | 1980年代 | 共産党ケネマン,LSSPの自由党提携を批判。○タバマ公社,教員組合スト中止。 |
DIA-305-1980-07-24-1 | スリランカ | 1980年07月24日 | 1980年代 | 議会でプ首相,反人民的スト禁止は当然,スト参加者4万,うち民間7000人と語る。 |
DIA-305-1980-07-25-1 | スリランカ | 1980年07月25日 | 1980年代 | 議会,120対16で非常事態言書追認。 |
DIA-305-1980-07-26-1 | スリランカ | 1980年07月26日 | 1980年代 | エア・ランカ,チェース銀行より5000万ドル借入れ。 |
DIA-305-1980-07-28-1 | スリランカ | 1980年07月28日 | 1980年代 | スリランカ統一労組連合,医療関係スト参加者の解雇救済を要請。 |
DIA-305-1980-07-29-1 | スリランカ | 1980年07月29日 | 1980年代 | 節電解除。○石油公社,米国シティサービス社と共同石油探査協定。 |
DIA-305-1980-08-01-1 | スリランカ | 1980年08月01日 | 1980年代 | 新紙幣100,20,10ルピー発行。○JR,コロンボ港コンテナー・ターミナル開業式出席。 |
DIA-305-1980-08-02-1 | スリランカ | 1980年08月02日 | 1980年代 | JTUAC,スト問題でJRに会見申入れ。○JR,職場放棄者の復職拒否言明。 |
DIA-305-1980-08-04-1 | スリランカ | 1980年08月04日 | 1980年代 | JR,スト不参加14労組引見。 |
DIA-305-1980-08-05-1 | スリランカ | 1980年08月05日 | 1980年代 | バンク・オブ・セイロン,西独,インド,ドバイに支店開設。○自由党,TULF,新聞検閲を攻撃。 |
DIA-305-1980-08-06-1 | スリランカ | 1980年08月06日 | 1980年代 | 閣議,郵便業務の民間委託勧告を受入れ。○雇用銀行の登録年齢を40歳に引上げ(18日実施)。 |
DIA-305-1980-08-07-1 | スリランカ | 1980年08月07日 | 1980年代 | 1980-1981年大学入学基準決定。 |
DIA-305-1980-08-08-1 | スリランカ | 1980年08月08日 | 1980年代 | 野党系労組の抗議行動暴力化,M.ウイジェラトネ議員ら負傷,新LSSPのV.ナナヤカラ等労組幹部拘留。○地方開発評議会法案,議会提出。 |
DIA-305-1980-08-11-1 | スリランカ | 1980年08月11日 | 1980年代 | コロンボ市厳戒体制。○上訴裁,TULFのポトビル選出議席指名権要求を却下。 |
DIA-305-1980-08-12-1 | スリランカ | 1980年08月12日 | 1980年代 | 保健省,児童ワクチン注射は実施と言明。○西独のドイチェ・ベルレとトリンコマリ放送仲継所設立協定。○イラクの無利子借款8800万ルピー協定。 |
DIA-305-1980-08-14-1 | スリランカ | 1980年08月14日 | 1980年代 | 非常事態宣言解除。○日本,3500万ルピー相当の印刷機贈与。 |
DIA-305-1980-08-15-1 | スリランカ | 1980年08月15日 | 1980年代 | 民主労働会議DWC,イスラエルのイエルサレム遷都を非難。○アジア開銀,民間工業,観光業に164百万ルピー援助。 |
DIA-305-1980-08-16-1 | スリランカ | 1980年08月16日 | 1980年代 | TULF,地方開発評議会支持決定。○在イラン大使館事務停止。○JR,8日暴動は自由党の陰謀と非難。 |
DIA-305-1980-08-18-1 | スリランカ | 1980年08月18日 | 1980年代 | 外資諮問委FIAC,外資の過半所有も承認方針を内定。○インド,バングラは南アジア・フォーラム提唱。○ユネスコM’bow事務総長,25日の文化三角地帯の仏跡復興事業起工式で来島。○コロンボ中央商店街,自動車通行禁止反対デモ。 |
DIA-305-1980-08-19-1 | スリランカ | 1980年08月19日 | 1980年代 | 自由党,地方開発評議会法反対決定。 |
DIA-305-1980-08-20-1 | スリランカ | 1980年08月20日 | 1980年代 | ビク(在家僧侶)はJRに地方開発評議会法支持表明,マハ・サンガは反対の書面を提出。 |
DIA-305-1980-08-21-1 | スリランカ | 1980年08月21日 | 1980年代 | 日本,6億円の粉乳寄贈。○地方開発評議会法150対0で可決(自由党退席)。○JR,日本寄贈のペラデニヤ病院開所式主宰。 |
DIA-305-1980-08-22-1 | スリランカ | 1980年08月22日 | 1980年代 | デメル蔵相,援助国会議の成果報告。○ハミード外相,77ヵ国会議で,団結を強調。 |
DIA-305-1980-08-23-1 | スリランカ | 1980年08月23日 | 1980年代 | 商工会議所の宝石初オークション実施。 |
DIA-305-1980-08-28-1 | スリランカ | 1980年08月28日 | 1980年代 | ジャフナ地区コレラ。○JVPのR.ウイジェウェラ,JTUACのゼネスト批判。 |
DIA-305-1980-08-29-1 | スリランカ | 1980年08月29日 | 1980年代 | 第17回アジア太平洋放送同盟開幕。 |
DIA-305-1980-08-30-1 | スリランカ | 1980年08月30日 | 1980年代 | JR,プランターの奮起を要望。○ユーゴ行政兼司法相Luka Banovic来島(原子力平和利用協力討議)。 |
DIA-305-1980-09-01-1 | スリランカ | 1980年09月01日 | 1980年代 | オランダ鉄鋼業INSTOのH.de Groot来島。 |
DIA-305-1980-09-02-1 | スリランカ | 1980年09月02日 | 1980年代 | JR,ニューデリーの英連邦地域首脳会議へ出発(8日会議はアフガン・カンボジアへの外部介入反対声明。JR,はインド洋英連邦軍事情報モニター機関設置を提案。同日帰国)。○世銀,道路に500万ルピー借款。 |
DIA-305-1980-09-03-1 | スリランカ | 1980年09月03日 | 1980年代 | Bank of America支店開設。 |
DIA-305-1980-09-06-1 | スリランカ | 1980年09月06日 | 1980年代 | ハミード外相,インド人引揚問題でインド・ラオ外相と協議。○EC,ミルク1000トン寄贈。 |
DIA-305-1980-09-10-1 | スリランカ | 1980年09月10日 | 1980年代 | LSSPの中執委Vajira Pepita,共産党入党。 |
DIA-305-1980-09-13-1 | スリランカ | 1980年09月13日 | 1980年代 | ルフナ綜合大学設置計画決定。 |
DIA-305-1980-09-15-1 | スリランカ | 1980年09月15日 | 1980年代 | コロンボ入港米国艦隊水兵,ソ連大使館に乱暴(17日警官は大使館保護)。 |
DIA-305-1980-09-16-1 | スリランカ | 1980年09月16日 | 1980年代 | JR,7月スト参加者復職条件検討を指示。○中国の砲艦2隻贈与受入れ。 |
DIA-305-1980-09-18-1 | スリランカ | 1980年09月18日 | 1980年代 | コッテ新議事党建設,地盤沈下のデマ。○セイロン経営者連盟S.クマラサミ会長,基本サービスのスト禁止要望。○避妊者に10月から500ルピー支給決定。 |
DIA-305-1980-09-19-1 | スリランカ | 1980年09月19日 | 1980年代 | マワネラ選出UNP議員C.R.Berigamanra死去。○大学入試答案用紙盗難,各地に出回る。○公社従業員の所得税徴収の復活決定。 |
DIA-305-1980-09-21-1 | スリランカ | 1980年09月21日 | 1980年代 | ザンビアのカウンダ大統領,途中下着で来島。 ○ロンドンの平和パゴダで除幕式にハミード外相出席。 |
DIA-305-1980-09-22-1 | スリランカ | 1980年09月22日 | 1980年代 | ラリト貿易相,ソ連へ出発。○JR,コッテ新議事堂定礎式を司会。 |
DIA-305-1980-09-24-1 | スリランカ | 1980年09月24日 | 1980年代 | 大統領特別委,シリマボ元首相,F.D.バンダラナイケ元蔵相の有罪と公民権剥奪を勧告。 |
DIA-305-1980-09-25-1 | スリランカ | 1980年09月25日 | 1980年代 | 大統領選挙法,議会選挙法,大統領(特別規定)法,国民投票法の4法案提出。○環境庁設立の環境法議会通過。○プ首相,国連総会へ出発。 |
DIA-305-1980-09-27-1 | スリランカ | 1980年09月27日 | 1980年代 | JR,各省予算節約要望。○中国から自由貿易区視察団江沢民一行来島(10月1日帰国)。 |
DIA-305-1980-09-29-1 | スリランカ | 1980年09月29日 | 1980年代 | プ首相,国連総会でシンハラ語で演説,国際秩序確立,平和と貧困への救済を要望。 |
DIA-305-1980-10-01-1 | スリランカ | 1980年10月01日 | 1980年代 | 閣議,海運公社のロイズ銀行の1330万ドル借入れ承認。 |
DIA-305-1980-10-02-1 | スリランカ | 1980年10月02日 | 1980年代 | 元首相J.コテラワラ死去,83歳。○アヌラ,シリマボ追放問題でインド・ガンジー首相と会談。○JR,大統領特別委の任期を1年延長し,現政権の施政も調査させると言明。○LSSP,大統領特別委報告を批判。 |
DIA-305-1980-10-04-1 | スリランカ | 1980年10月04日 | 1980年代 | グリンドレイ銀行コロンボ店火事。 |
DIA-305-1980-10-06-1 | スリランカ | 1980年10月06日 | 1980年代 | ジャヤスリや保健相,医師,看護婦の賃上げ言明。 |
DIA-305-1980-10-07-1 | スリランカ | 1980年10月07日 | 1980年代 | 中国と西アフリカ共同海運サービス開始。 |
DIA-305-1980-10-08-1 | スリランカ | 1980年10月08日 | 1980年代 | 閣議,天然資源庁の設置決定。○アジア開銀,茶振興に1280万ドル借款。○国連総会帰途,プレマダサ首相訪日,鈴木総理らと会見。○最高裁,カラウナ選出,ピラピチや議員の選挙失格反対の訴えを支持。 |
DIA-305-1980-10-09-1 | スリランカ | 1980年10月09日 | 1980年代 | 最高裁,コロンボ市腐敗事件でのF.D.バンダラナイケの上訴を却下。○シリマボ,F.D.バンダラナイケは,最高裁の大統領特別委に事件移送命令書発給を上訴裁へ提訴(10日に発給)。○警察は,キャンディでの自由党の大統領特別委決定反対集会を禁止。 |
DIA-305-1980-10-10-1 | スリランカ | 1980年10月10日 | 1980年代 | 警察,16日のコロンボ市の行進,自動車交通禁止。○コロンボ・ジャフナ間国内航空開始。 |
DIA-305-1980-10-11-1 | スリランカ | 1980年10月11日 | 1980年代 | イラク大統領特使J.M.Khalif来島。 |
DIA-305-1980-10-12-1 | スリランカ | 1980年10月12日 | 1980年代 | 自由党副総裁M.セナナヤケは国会議長に16日公民権剥奪動議延期要請。○UNP集会でJRは民主主義への脅威は根絶と演説。 |
DIA-305-1980-10-13-1 | スリランカ | 1980年10月13日 | 1980年代 | 死刑の最低年齢を18歳に引上げ検討。○F.D.バンダラナイケ,国会議長に16日の動議討論延期要請。○警察,14~17日の外出自粛呼びかけ,コロンボ・ハイドパークの集会を強制解散。ポロンナルワで自由党R.デシャナヤケを拘留。○JR,英語の多用要請。○オーストラリア軍艦4隻来訪。 |
DIA-305-1980-10-14-1 | スリランカ | 1980年10月14日 | 1980年代 | 自由党員の大統領・首相の暗殺の風聞,政府非常事態宣言を考慮(15日中止)。○フィリピンと航空協定。○最高裁,大統領特別委に31日迄に事件移送命令への回答要求(31日大統領特別委は最高裁に権限なしと反論)。○アジア開銀,マハベリ計画に1000万ドル借款。 |
DIA-305-1980-10-16-1 | スリランカ | 1980年10月16日 | 1980年代 | 議会はシリマボの議会追放,公民権7年剥奪,F.D.バンダラナイケの公民権7年剥奪を可決。院内暴行のA.ダサナヤケ自由党議員の登院1週間停止。○鉄道サボ,全国厳戒。 |
DIA-305-1980-10-21-1 | スリランカ | 1980年10月21日 | 1980年代 | JR,政府閣僚,国内各地での遊説開始。シリマボの悪政を攻撃。 |
DIA-305-1980-10-24-1 | スリランカ | 1980年10月24日 | 1980年代 | European Asia Bank支店開設。○スイス,製薬プラント2400万ルピー贈与。 |
DIA-305-1980-10-27-1 | スリランカ | 1980年10月27日 | 1980年代 | インド前外相バジパイ,ガンジー首相のシリマボ追放事件発言を内政干渉と非難。 |
DIA-305-1980-10-28-1 | スリランカ | 1980年10月28日 | 1980年代 | モトローラ,自由貿易区進出決定。 |
DIA-305-1980-10-29-1 | スリランカ | 1980年10月29日 | 1980年代 | 閣議,マハベリ・ランデニガラ計画の1年延期とブレンド用の茶輸入を決定。 |
DIA-305-1980-10-30-1 | スリランカ | 1980年10月30日 | 1980年代 | 欧州輸入小麦粉キロ82セント値下げ。○EC,マハベリ計画に2150万ドル援助。○石油公社,石油配給計画を検討。 |
DIA-305-1980-11-01-1 | スリランカ | 1980年11月01日 | 1980年代 | 公安調査庁,大統領,首相の暗殺計画で7人の起訴内定。 |
DIA-305-1980-11-03-1 | スリランカ | 1980年11月03日 | 1980年代 | ミルク品値上げ。○インド・ジャナタ党執行委,スリランカ問題でのガンジー発言を非難。 |
DIA-305-1980-11-04-1 | スリランカ | 1980年11月04日 | 1980年代 | エア・ランカ,ガルフ・エアと提携。○デメル蔵相,明年度から公社公団への補助打切り言明。○8日よりバス・鉄道値上げ。 |
DIA-305-1980-11-05-1 | スリランカ | 1980年11月05日 | 1980年代 | デメル蔵相1981年予算演説。 |
DIA-305-1980-11-06-1 | スリランカ | 1980年11月06日 | 1980年代 | シリマボ自由党総裁,キャンディの宗教会合でバンダラナイケのイメージは不滅と演説。○沿岸航運開始。○中国と文化交流協定。 |
DIA-305-1980-11-08-1 | スリランカ | 1980年11月08日 | 1980年代 | フランスと原子力平和利用技術協力協定。○TULF地方開発評議会法反対のM.カナゲンドランを除名。 |
DIA-305-1980-11-10-1 | スリランカ | 1980年11月10日 | 1980年代 | トンダマン農村工業開発相訪印(14日ガンジー首相と会見)。○パスパ法務長官,最高裁は大統領特別委に事件移送命令権限なしと言明。○警察,集会,ピケ禁止を通達。 |
DIA-305-1980-11-11-1 | スリランカ | 1980年11月11日 | 1980年代 | 日本,20億円の経済開発援助。○UNP,10月31日の自由党中東問題声明は非同盟逸脱と非難。 |
DIA-305-1980-11-12-1 | スリランカ | 1980年11月12日 | 1980年代 | デメル蔵相,明年1月支給予定の公務員月70ルピー手当の11月繰上げ言明。○電力付加金は月200単位以下消費者に免除決定。 |
DIA-305-1980-11-13-1 | スリランカ | 1980年11月13日 | 1980年代 | 第2世銀,送電に1950万ドル借款。○ラリト貿易相,スリランカの茶ブレンド事業へのロンドンの反対を非難。 |
DIA-305-1980-11-14-1 | スリランカ | 1980年11月14日 | 1980年代 | 日本鉄道技術協力団来島。 |
DIA-305-1980-11-16-1 | スリランカ | 1980年11月16日 | 1980年代 | 韓国大統領特使,崔洙沫無任所相来島(17日JRと会見)。 |
DIA-305-1980-11-17-1 | スリランカ | 1980年11月17日 | 1980年代 | モハメード運輸相,学生へのバス・鉄道割引率引上げ言明。○海運公社,ロイズ銀行等から1330万ドル借款を調印。 |
DIA-305-1980-11-19-1 | スリランカ | 1980年11月19日 | 1980年代 | 予算案122対18で第2読会通過。 |
DIA-305-1980-11-20-1 | スリランカ | 1980年11月20日 | 1980年代 | ○UNP,空位のマワネラ議席にチャンドラ・ラナトンガ,ポトビル議席にR.パドマナタン夫人指名(25日就任宣誓)。 |
DIA-305-1980-11-22-1 | スリランカ | 1980年11月22日 | 1980年代 | ベトナム特使Dink Nho Liem来島(24日JRに首相メッセージ手交)。○共産党カラワナ補選にS.ムテトガマの立候補決定。 |
DIA-305-1980-11-25-1 | スリランカ | 1980年11月25日 | 1980年代 | プ首相,7月スト参加者の復職指針を発表。 |
DIA-305-1980-11-26-1 | スリランカ | 1980年11月26日 | 1980年代 | ハミード外相,外国基地なしと言明。 |
DIA-305-1980-11-29-1 | スリランカ | 1980年11月29日 | 1980年代 | 日本投資調査団来島。 |
DIA-305-1980-11-30-1 | スリランカ | 1980年11月30日 | 1980年代 | JR,トリンコマリのプリマ精粉開工式,中国贈与2砲艦就航式に出席。 |
DIA-305-1980-12-01-1 | スリランカ | 1980年12月01日 | 1980年代 | シンガポール副首相Goh Chok Teng来島(2日JRと会談)。○経営者連盟,民間従業員への70ルピー手当支給を要望。 |
DIA-305-1980-12-02-1 | スリランカ | 1980年12月02日 | 1980年代 | サウジ,電力に2000万ドル借款。 |
DIA-305-1980-12-04-1 | スリランカ | 1980年12月04日 | 1980年代 | UNP,カラワナ補選候補者にU.ウイジェワルダナ指名。 |
DIA-305-1980-12-05-1 | スリランカ | 1980年12月05日 | 1980年代 | ハミード外相,東欧3ヵ国訪問へ出発。○サウジ,マハベリに9億ルピー援助。 |
DIA-305-1980-12-08-1 | スリランカ | 1980年12月08日 | 1980年代 | 最高裁,スト参加者解雇の違憲提訴を却下。○フィリピンと貿易協定。 |
DIA-305-1980-12-09-1 | スリランカ | 1980年12月09日 | 1980年代 | 国会議長,カラワナ選出ピラピチヤ議員の有資格を決定。UNPは補選立候補中止。 |
DIA-305-1980-12-10-1 | スリランカ | 1980年12月10日 | 1980年代 | 選管委,カラワナ補選7人立候補届出,1月12日投票を発表。 |
DIA-305-1980-12-11-1 | スリランカ | 1980年12月11日 | 1980年代 | フィンランド,3ヵ年285百万ルピー援助。○JR,カラワナ議席は補選実施後に議会の決定をまつと言明。 |
DIA-305-1980-12-12-1 | スリランカ | 1980年12月12日 | 1980年代 | 石油公社,米国3企業と探査協定。 |
DIA-305-1980-12-15-1 | スリランカ | 1980年12月15日 | 1980年代 | 議会,M.D.M.ジャヤワルダナ議員への暴言で,鉄鋼公P.A.デ・シルバを処罰。○アジア開銀,乾燥地農業に1500万ドル援助。 |
DIA-305-1980-12-16-1 | スリランカ | 1980年12月16日 | 1980年代 | 自由党,シリマボのアタナガラ議席後任にL.ジャヤコディ指名(17日就任宣誓)。 |
DIA-305-1980-12-17-1 | スリランカ | 1980年12月17日 | 1980年代 | プ首相,カラワナ補選当選者も議員に認める立法導入を言明。 |
DIA-305-1980-12-18-1 | スリランカ | 1980年12月18日 | 1980年代 | コロンボ市長,1月からコロンボ市に入る車両への通行料徴収言明。 |
DIA-305-1980-12-19-1 | スリランカ | 1980年12月19日 | 1980年代 | 中国代表賈石と1981年ゴム2万トン,米8万トン貿易協定調印。○最高裁,アタナヤケ議員の名誉毀損で共産党アッタ紙編集長シリワルダナに罰金。 |
DIA-305-1980-12-20-1 | スリランカ | 1980年12月20日 | 1980年代 | UNP第26回党大会。 |
DIA-305-1980-12-23-1 | スリランカ | 1980年12月23日 | 1980年代 | 野党の議長不信任案否決(野党欠席)。 |
DIA-305-1980-12-26-1 | スリランカ | 1980年12月26日 | 1980年代 | 最高裁,カラワナ選出議員を認める第3次憲法改正案で,法務長官,市民権利運動CRMの意見聴取。 |
DIA-305-1980-12-28-1 | スリランカ | 1980年12月28日 | 1980年代 | サウジのヤマニ石油相来島,JRと会見。 |
DIA-305-1980-12-29-1 | スリランカ | 1980年12月29日 | 1980年代 | JR,セイロン連合新聞公社ANCL株の従業員持株化を言明。 |
DIA-305-1980-12-30-1 | スリランカ | 1980年12月30日 | 1980年代 | 石油公社,石油割当3ヵ月せずと語る。 |
DIA-305-1981-01-01-1 | スリランカ | 1981年01月01日 | 1980年代 | IMF,1214万SDRを割当て。○消費者保護法適用に23品目追加。○国家抵当投資銀行,資金利引上げ。○グリンドレイ銀行・開業100年。 |
DIA-305-1981-01-04-1 | スリランカ | 1981年01月04日 | 1980年代 | JR大統領,カラワナ議席補欠選挙法改正案の国民投票付託を言明。 |
DIA-305-1981-01-05-1 | スリランカ | 1981年01月05日 | 1980年代 | クルネガラで列車事故,12人死亡。○インド輸出信用1億インド・ルピー(2.3億スリランカ・ルピー)協定。 |
DIA-305-1981-01-06-1 | スリランカ | 1981年01月06日 | 1980年代 | 憲法第3次改正案134対7で可決。自由党議員退場,TULF反対,最高裁命令で国民投票付託決定。 |
DIA-305-1981-01-07-1 | スリランカ | 1981年01月07日 | 1980年代 | サウジアラビア大蔵大臣M.アルスガイル来島(8日電力。水道の1億6650万リアル〔8.9億ルピー〕借赦協定)。○議会で自由党M.セナナヤケ・電力不足を追及。 |
DIA-305-1981-01-08-1 | スリランカ | 1981年01月08日 | 1980年代 | 国民投票手続法案作成。○マンナル地方コレラ汚染指定,患者128人。○クウェート・サウジに外交公館設置決定。 |
DIA-305-1981-01-11-1 | スリランカ | 1981年01月11日 | 1980年代 | 中国対外友好協会副会長侯桐ら(17日帰国) |
DIA-305-1981-01-12-1 | スリランカ | 1981年01月12日 | 1980年代 | カラワナ地区補欠選挙,共産党元議員S・ムッテトガマ当選。○バンク・オブ・セイロン,年金計画発表。 |
DIA-305-1981-01-13-1 | スリランカ | 1981年01月13日 | 1980年代 | ハミード外相,非同盟外相会議のため訪印。インド外相コンサルブとアフガン,カンポジア問題討議。 |
DIA-305-1981-01-14-1 | スリランカ | 1981年01月14日 | 1980年代 | 閣議,森林保護強化決定。○国際コーヒー条約調印を決定。○南アジア中央銀行会議SEACEN開催,シハタOPEC事務局来島参加。 |
DIA-305-1981-01-15-1 | スリランカ | 1981年01月15日 | 1980年代 | 最高裁,シリマボ,F.D.バンダラナイケの大統領特別委決定異議申立てを棄却。○カラワナ選出UNPピラピチャ議員辞任(17日JRは憲法改正,国民投票付託の問題をなくした愛国行為と賞賛)。○セメント公社,インド・スエズ銀行からユーロ・ローン2500万ドル。○タバコ値上げ。 |
DIA-305-1981-01-18-1 | スリランカ | 1981年01月18日 | 1980年代 | 石油品,輸入米値上げ。○JR,共産国家に自由なしと発言。 |
DIA-305-1981-01-20-1 | スリランカ | 1981年01月20日 | 1980年代 | デメル蔵相.西欧へ援助要請に出発。○コロンボで軍人・警官衝突。○オランダABN銀行支店開設。 |
DIA-305-1981-01-21-1 | スリランカ | 1981年01月21日 | 1980年代 | 基礎研究所設置法成立。○プタラムのVOAの仲継施設設置協定交渉。 |
DIA-305-1981-01-22-1 | スリランカ | 1981年01月22日 | 1980年代 | アジア開銀と1500万ドル,ECと1540万EUA援助協定。 |
DIA-305-1981-01-25-1 | スリランカ | 1981年01月25日 | 1980年代 | JR,閣内不統一許さずと発言。 |
DIA-305-1981-01-29-1 | スリランカ | 1981年01月29日 | 1980年代 | シンガポールのリ・クワンユ首相来島。○フランスから発電機5000万フラン借款。 |
DIA-305-1981-01-30-1 | スリランカ | 1981年01月30日 | 1980年代 | 前大統領ゴパラワ死去,83歳。○日本と印刷工場援助協定。 |
DIA-305-1981-02-01-1 | スリランカ | 1981年02月01日 | 1980年代 | 第2世銀,3350万ドル(6億ルピー)援助協定。 |
DIA-305-1981-02-02-1 | スリランカ | 1981年02月02日 | 1980年代 | 砂糖値上げ,○エア・ランカ,クウェートと航空協定。 |
DIA-305-1981-02-03-1 | スリランカ | 1981年02月03日 | 1980年代 | コロンボ・アヌラダプラ電話直通。 |
DIA-305-1981-02-04-1 | スリランカ | 1981年02月04日 | 1980年代 | JR,国家記念日メッセージ,勤労,自由擁護を強調。513囚人を特赦。○人民農園開発公社―農園16日スト終る。○国際農業開発基金IFAD,1650万ドル(2.6億ルピー)援助協定。 |
DIA-305-1981-02-05-1 | スリランカ | 1981年02月05日 | 1980年代 | オーマンと航空協定。○UNP運営委員会,JRを指導者,H.アベワルダナ書記長等の役員選出。 |
DIA-305-1981-02-06-1 | スリランカ | 1981年02月06日 | 1980年代 | 日本映画週間始まる。 |
DIA-305-1981-02-08-1 | スリランカ | 1981年02月08日 | 1980年代 | インド農業関係相R.V.スワミンタナ来島,トンダマン農村工業相らと会談。 |
DIA-305-1981-02-09-1 | スリランカ | 1981年02月09日 | 1980年代 | ペルシャ湾岸に2使節団派遣決定。○デメル蔵相,ルーマニア訪問。 |
DIA-305-1981-02-10-1 | スリランカ | 1981年02月10日 | 1980年代 | ハミード外相,非同盟諸国の団結を強調。○コロンボ市節水開始。 |
DIA-305-1981-02-13-1 | スリランカ | 1981年02月13日 | 1980年代 | デメル蔵相,西独ラムスドルフ経済相と会談。○資金不足で避妊手当てを500ルピーから200ルピーに引下げ決定。○大学生,学資貸付金の無公化を要求。 |
DIA-305-1981-02-15-1 | スリランカ | 1981年02月15日 | 1980年代 | ルーマニアのG.ドルゲン外務副大臣来島(16日JRと会見)。○判事給与引上げ。 |
DIA-305-1981-02-16-1 | スリランカ | 1981年02月16日 | 1980年代 | バス公社機構を9地域局に改編。○20日から全国3~4時間の節電決定。 |
DIA-305-1981-02-17-1 | スリランカ | 1981年02月17日 | 1980年代 | ルーマニァと貿易・経済協力協定。 |
DIA-305-1981-02-18-1 | スリランカ | 1981年02月18日 | 1980年代 | 石油公社,代金未納の政府公団・公社への石油品供給中止を言明。○西独,マハベリ開発ランデニガラ・プロジェクトの援助承諾。 |
DIA-305-1981-02-19-1 | スリランカ | 1981年02月19日 | 1980年代 | アヌラダプラ仏教寺院の一時管理法通過。 |
DIA-305-1981-02-20-1 | スリランカ | 1981年02月20日 | 1980年代 | 共産党デシルパ書記長,ソ連党大会出席で訪ソ。○グランド・セントラル社の収用地返還請求を却下。 |
DIA-305-1981-02-22-1 | スリランカ | 1981年02月22日 | 1980年代 | バス料金一部値下げ。○内務省41のレスト・ハウス民営移管を決定。 |
DIA-305-1981-02-24-1 | スリランカ | 1981年02月24日 | 1980年代 | 運輸(バス)公社CTB,加俸勧奨退職を決定。○コロンボ大学学生授業ボイコット,ペラデニヤ大学,暴行学生8名を停学処分。 |
DIA-305-1981-02-25-1 | スリランカ | 1981年02月25日 | 1980年代 | 閣議,薬価引下げ決定。○8月にマンナル沖合で最初の油井リグ設置を承認。 |
DIA-305-1981-02-26-1 | スリランカ | 1981年02月26日 | 1980年代 | 日本丸来島。○バス公社,無料パス廃止を内定。 |
DIA-305-1981-02-27-1 | スリランカ | 1981年02月27日 | 1980年代 | デメル蔵相,各省に浪費排除要求。○国民健康保険計画承認。○インド・スリランカ沿岸警備,税関,合同会議開く。 |
DIA-305-1981-03-02-1 | スリランカ | 1981年03月02日 | 1980年代 | 日本皇太子ご夫妻,公式訪問(3日国立博物館,ジャヤワルダナプラ視察,日本丸訪問)。 |
DIA-305-1981-03-03-1 | スリランカ | 1981年03月03日 | 1980年代 | 閣議,地方開発評議会DDC選挙法案を承認(5日議会で131対7で可決)。 |
DIA-305-1981-03-04-1 | スリランカ | 1981年03月04日 | 1980年代 | JR大統領,キャンディで皇太子ご夫妻を招宴。 |
DIA-305-1981-03-05-1 | スリランカ | 1981年03月05日 | 1980年代 | 皇太子殿下,ペラデニヤ大学病院に2.5万ルピー寄付。○モルジブ政府,医師貸与を要請。 |
DIA-305-1981-03-06-1 | スリランカ | 1981年03月06日 | 1980年代 | 皇太子ご夫妻帰国。○議会内に故D.S.セナナヤケ,S.W.R.D.バンダラナイケ肖像画掲揚除幕式。○ジャヤスリヤ保健相,看護婦の順法スト中止を要求。 |
DIA-305-1981-03-07-1 | スリランカ | 1981年03月07日 | 1980年代 | 選挙区画委員会,各県特別議席の割当てを発表。○ジャフナ・キャンパスを23日まで閉鎖。 |
DIA-305-1981-03-09-1 | スリランカ | 1981年03月09日 | 1980年代 | パン・小麦粉値上げ。 |
DIA-305-1981-03-11-1 | スリランカ | 1981年03月11日 | 1980年代 | 政府,資本支出予算を削減。○アフロ・アジア連帯委A.アジズ事務局長,レーガンのPLO非難に反諭。○ポーランドと航空協定。○エア・ランカ,7400万ドルのユーロ・ローン決定. |
DIA-305-1981-03-12-1 | スリランカ | 1981年03月12日 | 1980年代 | ナイロン6工場操業。○電力危機深化。 |
DIA-305-1981-03-15-1 | スリランカ | 1981年03月15日 | 1980年代 | JR,日本援助のインソギニミチア・ダム起工式。 |
DIA-305-1981-03-17-1 | スリランカ | 1981年03月17日 | 1980年代 | 国勢調査実施。○2砲艦モルジブ訪問。○パンク・オブ・ドバイ支開所。○北部テロ発生。 |
DIA-305-1981-03-18-1 | スリランカ | 1981年03月18日 | 1980年代 | 日本第3回債務救済2800ルピー贈与。 |
DIA-305-1981-03-19-1 | スリランカ | 1981年03月19日 | 1980年代 | 民間医科大学設置進出(9月開校)。 |
DIA-305-1981-03-20-1 | スリランカ | 1981年03月20日 | 1980年代 | 自由党中執行委,運営委合同会合,シリマボ総裁の留任で紛糾。○アジア決済同盟会合。○民間業者にもRSSゴムの輸出を承認。 |
DIA-305-1981-03-21-1 | スリランカ | 1981年03月21日 | 1980年代 | TULF,ジャフナで運営委開催。 |
DIA-305-1981-03-23-1 | スリランカ | 1981年03月23日 | 1980年代 | インド南部鉄道インド海運公社・スリランカ国鉄共同サービス協定成立。 |
DIA-305-1981-03-24-1 | スリランカ | 1981年03月24日 | 1980年代 | UNPはDDCC選挙でタミル人多数移住の東部,北部の立候補決定。○自由貿易区に節電。 |
DIA-305-1981-03-25-1 | スリランカ | 1981年03月25日 | 1980年代 | JR,医学協会大会で英語の必須課目化を強調。○ジャフナ県で人民銀行強盗,2名死亡。○東独とテレビ協力協定。 |
DIA-305-1981-03-27-1 | スリランカ | 1981年03月27日 | 1980年代 | 民間オムニ・バス運輸省新設。モハメド運輸相兼任。 |
DIA-305-1981-03-28-1 | スリランカ | 1981年03月28日 | 1980年代 | インドネシア航空機のバイジャッカー,コロンボ寄港申入れ(インドネシア大使は承認)。○デンマークは投資調査団28人来島。 |
DIA-305-1981-03-30-1 | スリランカ | 1981年03月30日 | 1980年代 | 自由党政治局,DDC選挙で全野党は統一シソンボル・マークで戦うよう提案。○タイ外相シディ・サベシラ来島。 |
DIA-305-1981-03-31-1 | スリランカ | 1981年03月31日 | 1980年代 | コパイ選出TULF議員S.カティラベルピライ死去。 |
DIA-305-1981-04-01-1 | スリランカ | 1981年04月01日 | 1980年代 | 干ばつ被害15万世帯援助決定。○ラリト商相,ILOの女子夜間労働批判に反論。 |
DIA-305-1981-04-06-1 | スリランカ | 1981年04月06日 | 1980年代 | 寺院土地管理を文化省仏教局に移管。○第2世銀,電気通信事業に4.7億ルピー借款。 |
DIA-305-1981-04-07-1 | スリランカ | 1981年04月07日 | 1980年代 | 野党5党DDC選挙共闘会議,意見不一致。○議会,前政権閣僚の非常事態権限乱用調査委を設置。 |
DIA-305-1981-04-08-1 | スリランカ | 1981年04月08日 | 1980年代 | マレーシアと投資保護協定。○公社・公団労働者賃上げ承認。 |
DIA-305-1981-04-09-1 | スリランカ | 1981年04月09日 | 1980年代 | アルウィス国務相セックス観光防止言明。 |
DIA-305-1981-04-10-1 | スリランカ | 1981年04月10日 | 1980年代 | 自由党執行委,DDC選挙立侯補を決定。シリマボ総裁反対。○JR,国有農園経営の外国委託を示唆(14日これを否定)。○フルレ文化相,仏教使節団長として訪中,楊静仁副首相と会見。 |
DIA-305-1981-04-11-1 | スリランカ | 1981年04月11日 | 1980年代 | 平等社会党LSSP,共産党はDDC選挙ボイコット内定(24日正式に声明)。 |
DIA-305-1981-04-12-1 | スリランカ | 1981年04月12日 | 1980年代 | JR,エネルギー大臣を兼任(ウイジェトンガ前大臣は郵政・電信相専任)。 |
DIA-305-1981-04-14-1 | スリランカ | 1981年04月14日 | 1980年代 | 政府・電力公社の総点検を決定。○無許可飲食店の強制閉鎖。○幼児授乳の補助廃止。 |
DIA-305-1981-04-15-1 | スリランカ | 1981年04月15日 | 1980年代 | 非同盟漁業会議(ハバナ)帰途のペレラ漁集相非公式訪日。○自由党DDC選挙立候補選出委を設置。 |
DIA-305-1981-04-16-1 | スリランカ | 1981年04月16日 | 1980年代 | サウジのファイサル来島(17日JRにハリド軍王メッセージ手交)。○ソ連宇宙飛行士V・リヤコフ来島。 |
DIA-305-1981-04-18-1 | スリランカ | 1981年04月18日 | 1980年代 | デメル蔵相,IMFに1.9億ドルの拡大融資の解除を要請。ハミード外相アルジェの非同盟外相会議でナミビア独立で南西アフリカ人民組織支持表明。 |
DIA-305-1981-04-19-1 | スリランカ | 1981年04月19日 | 1980年代 | プレマダサ首相,自由党S・D・バンダラナイケ議員にUNP加入を勧誘。 |
DIA-305-1981-04-20-1 | スリランカ | 1981年04月20日 | 1980年代 | DDC選挙立候補受けつけ。 |
DIA-305-1981-04-21-1 | スリランカ | 1981年04月21日 | 1980年代 | インド,パキスタン,パングラ,ネパール,ブータン,モルジブ参加の南アジア地域協力機構設置促進会議開く。 |
DIA-305-1981-04-22-1 | スリランカ | 1981年04月22日 | 1980年代 | フルレ文化相,世界宗教者会議で訪日。 |
DIA-305-1981-04-23-1 | スリランカ | 1981年04月23日 | 1980年代 | 権力乱用調査委,コベカドワ元農相の調査決定。○ソ連外務副大臣N.P.フィリュービン来島。 |
DIA-305-1981-04-24-1 | スリランカ | 1981年04月24日 | 1980年代 | プ首相,ASEAN諸国訪問に出発。○自由党政治局侯補者選出難でDDC選挙不出馬(26日党声明)。 |
DIA-305-1981-04-27-1 | スリランカ | 1981年04月27日 | 1980年代 | DDC選挙立候補届出締切り,UNP7県で無競争当選。 |
DIA-305-1981-04-28-1 | スリランカ | 1981年04月28日 | 1980年代 | プ首相,マニラでASEAN加盟表明。 |
DIA-305-1981-04-29-1 | スリランカ | 1981年04月29日 | 1980年代 | 米国はマハベリ等に28億ルピー援助約束。 |
DIA-305-1981-05-01-1 | スリランカ | 1981年05月01日 | 1980年代 | メーデー,UNP集会でJRはDDC選投票を要請。○自由党・LSSP,MEP共同集会。○タミル青年戦線指導者M・S・サナティラジャを逮捕。 |
DIA-305-1981-05-02-1 | スリランカ | 1981年05月02日 | 1980年代 | アジア開銀ホノルル総会でデメル蔵相援助要望 |
DIA-305-1981-05-03-1 | スリランカ | 1981年05月03日 | 1980年代 | スーパー・ガソリン値上げ。〇オランダ援助3.5億ルピー協定。 |
DIA-305-1981-05-04-1 | スリランカ | 1981年05月04日 | 1980年代 | プ首相,インドネジア訪問(5日共同声明)。 |
DIA-305-1981-05-05-1 | スリランカ | 1981年05月05日 | 1980年代 | 議会で野党,ASEAN加入と非同盟の関係追究。 |
DIA-305-1981-05-05-2 | スリランカ | 1981年05月05日 | 1980年代 | マシュー工業相,国内工業保護関税措置を言明。 |
DIA-305-1981-05-07-1 | スリランカ | 1981年05月07日 | 1980年代 | プ首相,ASEANのカンボジア政策支持表明・ |
DIA-305-1981-05-07-2 | スリランカ | 1981年05月07日 | 1980年代 | JR,国有農園の会社化経営を発言。 |
DIA-305-1981-05-12-1 | スリランカ | 1981年05月12日 | 1980年代 | プ首相,タイ訪問,文化協定調印。○中銀・市銀の信用供与枠を3月末水準に制限を指示。 |
DIA-305-1981-05-13-1 | スリランカ | 1981年05月13日 | 1980年代 | 電力不足にガス・タービン3基発注決定。○第2世銀,村落灌漑計画に5.5億ルピー援助。○自由党,DDC選出馬の元郵政相クマラスリヤ,前議員L.ウイジェシンハの党員資格停止(15日クマラスリヤ脱党)。○ペラデニヤ大学生,ケラニヤ大学学生に同情スト。 |
DIA-305-1981-05-15-1 | スリランカ | 1981年05月15日 | 1980年代 | ペレラ漁業相,日本でタミル人分離主義者活動ありとJRに報告。 |
DIA-305-1981-05-19-1 | スリランカ | 1981年05月19日 | 1980年代 | 主要部門への融資は一部緩和。 |
DIA-305-1981-05-20-1 | スリランカ | 1981年05月20日 | 1980年代 | プ首相,議会でASEAN,諸国歴訪報告演説。○閣議,ハミード外相のASEAN加盟申請手続き着手を承認。○第2世銀はマハベリ事業に7330万SDR援助。 |
DIA-305-1981-05-21-1 | スリランカ | 1981年05月21日 | 1980年代 | セイロン開発信用金庫,資本金3億ルピー引上げ決定。 |
DIA-305-1981-05-22-1 | スリランカ | 1981年05月22日 | 1980年代 | 土曜休日,週5日労働を検討。 |
DIA-305-1981-05-25-1 | スリランカ | 1981年05月25日 | 1980年代 | アフロ・アジア法律協議会開く。○JR,DDC選への投票を要請。○ジャフナのUNP支部長A・ティヤガラジャー狙撃され死亡。○マハベリ開発庁N.マシュー次長訪中,銭正英水利部長と会議。 |
DIA-305-1981-05-26-1 | スリランカ | 1981年05月26日 | 1980年代 | 電力不足悪化。○プ首相,自由党のDDC選挙でのTULF支援を批判。○バブニヤ県大臣G.D.マヒンダソマ議員,タミル青年に狙撃さる。TULFアミルタリンガム書記長は暴力手段を非難。○無国籍民引揚げの1967年インド・セイロン協定改正法案公示。バス公社退職者4000人。 |
DIA-305-1981-05-28-1 | スリランカ | 1981年05月28日 | 1980年代 | 8時間節電実施(公社16工場も一時操業中止)。○プ首相,A.ティヤガラジャー葬儀参列。○JR,電力危機は自由党前政権の先見性欠如のためと批判。 |
DIA-305-1981-05-29-1 | スリランカ | 1981年05月29日 | 1980年代 | スリランカ,ASEAN常設委員会委員長ロムロ・フィリピン外相に加盟申請書提出。JR,ASEAN各国首脳に親書。○公正取引委員会法案起草。 |
DIA-305-1981-05-30-1 | スリランカ | 1981年05月30日 | 1980年代 | JR,タミル過激派分子の分離国家運動は許さないと言明。 |
DIA-305-1981-05-31-1 | スリランカ | 1981年05月31日 | 1980年代 | 宗教界,降雨祈願式。 |
DIA-305-1981-06-01-1 | スリランカ | 1981年06月01日 | 1980年代 | 国防省,ジャフナを制圧。JR,冷静を要望。○籾米保証買入価格を1ブシェル52.5ルピーに引上げ。 |
DIA-305-1981-06-02-1 | スリランカ | 1981年06月02日 | 1980年代 | ○ジャフナに非常事態宣言.○Union Bank of the Middle East 支店開設。○中銀,要求払預金の準備率を2%増の14%に,定期預金1%増の6%に19日引上声明 |
DIA-305-1981-06-03-1 | スリランカ | 1981年06月03日 | 1980年代 | 米国とマハベリ計画援助4380万ドル2協定。○アジア開銀,ルヌガムベヘラを計画援助3億ルピー協定。○閣議,民間航空局と空港公団統合を決定。 |
DIA-305-1981-06-04-1 | スリランカ | 1981年06月04日 | 1980年代 | DDC選挙実施,UNP大勝。○政府,TULFアミルタリンガムの拘禁解除。○全国に非常事態宣言。 |
DIA-305-1981-06-05-1 | スリランカ | 1981年06月05日 | 1980年代 | ジャフナ騒然,投票開票不能。 |
DIA-305-1981-06-08-1 | スリランカ | 1981年06月08日 | 1980年代 | 電力危機,停電8時間。○TULF4議員,議会ボイコットを言明。 |
DIA-305-1981-06-09-1 | スリランカ | 1981年06月09日 | 1980年代 | 議会,北部問題討論,アミルタリンガム,軍警の暴行を非難。○JR,ジャフナの開票指示。○非常事態解除。 |
DIA-305-1981-06-10-1 | スリランカ | 1981年06月10日 | 1980年代 | 政府,ジャフナ事件調査委設置。○TULF,政府のジャフナ事件5項目要求,実行まで議会ボイコットを決定。 |
DIA-305-1981-06-11-1 | スリランカ | 1981年06月11日 | 1980年代 | プ首相,4500村落に2種自治機関設置法案提出を言明。 |
DIA-305-1981-06-12-1 | スリランカ | 1981年06月12日 | 1980年代 | JR,議員の責任自覚を要請,自由党のタミル分離国家連動煽動を非難。 |
DIA-305-1981-06-13-1 | スリランカ | 1981年06月13日 | 1980年代 | 停電4時間に短縮。○自由党,DDC選挙で声明。 |
DIA-305-1981-06-15-1 | スリランカ | 1981年06月15日 | 1980年代 | 停電解除。○IMF拡大融資割当3750万SDR,補償融資2530万SDR援助を通告。 |
DIA-305-1981-06-16-1 | スリランカ | 1981年06月16日 | 1980年代 | ジャフナ県開票結果。TULF全勝。○ベトナム・ボート難民の上陸拒否。 |
DIA-305-1981-06-18-1 | スリランカ | 1981年06月18日 | 1980年代 | ラリト商相,スリランカ籍外国船受入れ言明。 ○UNP,自由党のASEAN加盟申請批判に反論。 |
DIA-305-1981-06-19-1 | スリランカ | 1981年06月19日 | 1980年代 | イラン大使館へのデモでJVP党員を逮捕。 |
DIA-305-1981-06-20-1 | スリランカ | 1981年06月20日 | 1980年代 | TULFアミルタリンガム,ニューヨークでジャフナ事件を訴う○ペラデニヤ大学工学部学生試験を拒否 |
DIA-305-1981-06-22-1 | スリランカ | 1981年06月22日 | 1980年代 | ジャフナで警備特別機関設置。○モハメド運輸相,東京のイスラム世界研究会議出席。 |
DIA-305-1981-06-24-1 | スリランカ | 1981年06月24日 | 1980年代 | 大統領特別委,前政権のコベカドワ元農相を喚問。○デメル蔵相,東京の世銀援助国会議へ出発。 |
DIA-305-1981-06-25-1 | スリランカ | 1981年06月25日 | 1980年代 | 政府スポークスマン,アミルタリンガムのジャフナを直接援助への対世銀工作は失敗と発表。 |
DIA-305-1981-06-27-1 | スリランカ | 1981年06月27日 | 1980年代 | 政府医師協会GMOA,政府の保健白書を批判。 ○ペレラ陸軍司令官訪中(7月1日帰国)。 |
DIA-305-1981-06-28-1 | スリランカ | 1981年06月28日 | 1980年代 | 自由党全国執行委開会,党規約改正で対立。 |
DIA-305-1981-06-30-1 | スリランカ | 1981年06月30日 | 1980年代 | 黄華外相来島。○東京スリランカ援助会議開会(7月1目終る)。 |
DIA-305-1981-07-01-1 | スリランカ | 1981年07月01日 | 1980年代 | 黄華外相,JR,ハミード外相と会談,アフガン,カンボジア問題の政策一致。○UNPはアミルタリンガム不信任案,野党は政府不信任案提出。 |
DIA-305-1981-07-02-1 | スリランカ | 1981年07月02日 | 1980年代 | E.L.セナナヤケ農相,農業自由貿易区を提案。 |
DIA-305-1981-07-03-1 | スリランカ | 1981年07月03日 | 1980年代 | デメル蔵相,田中通産相と会見,日本の輸入増を要請((4日鈴木首相とも会談)。○看護婦組合順法スト。 |
DIA-305-1981-07-04-1 | スリランカ | 1981年07月04日 | 1980年代 | 西独外務担当国務相ハム・ブリュッヘル夫人来島。○中銀,アメリカン・エクスプレスのCD発行を承認。○デメル蔵相,韓国訪問。○TULF青年戦線,ジャフナ事件調査委ボイコット要求。 |
DIA-305-1981-07-06-1 | スリランカ | 1981年07月06日 | 1980年代 | 無国籍インド人のシリマボ・シャストリ協定延長案,議会提出.○JVP,自由党のTULF接近を批判。 |
DIA-305-1981-07-07-1 | スリランカ | 1981年07月07日 | 1980年代 | DDC改正法案(村評議会設置)121対5で可決。○世銀,大工4.5万人訓練計画援助。○キャンディで学校バス事故,11人死亡。○モスコー世界共産党機関紙編集者会議,共産党ケネマン副委員長出席。 |
DIA-305-1981-07-08-1 | スリランカ | 1981年07月08日 | 1980年代 | ジャフナ事件調査委任命。○アジア開銀,国家開発銀行に1000万ドル借款。○短期国庫証券TB限度130億ルピー引上げ。 |
DIA-305-1981-07-09-1 | スリランカ | 1981年07月09日 | 1980年代 | ゴールでサチアグラハ200人暴行,警官催涙弾使用。○ソ連曲芸団Sun紙の漫画に抗議。 |
DIA-305-1981-07-10-1 | スリランカ | 1981年07月10日 | 1980年代 | TULFアミルタリンガム帰国,世銀副総裁との話合い事件を釈明。○基礎研究所設置法案提出。 |
DIA-305-1981-07-13-1 | スリランカ | 1981年07月13日 | 1980年代 | R.タンガラジャ,DDCジャフナ選挙の無効を上訴。○最初のオンブズマンにS.ウイジェシンハ議会事務総長任命。○看護婦組合病休戦術で病院混乱。 |
DIA-305-1981-07-15-1 | スリランカ | 1981年07月15日 | 1980年代 | マハベリ開発省マシュー副大臣,中国人熟練労働者導入問題で,中国大使館と交渉。 |
DIA-305-1981-07-16-1 | スリランカ | 1981年07月16日 | 1980年代 | ロンドンでスリランカ展開く,英国女王来臨。 |
DIA-305-1981-07-18-1 | スリランカ | 1981年07月18日 | 1980年代 | ロンドンでタミル人分離国家デモ。 |
DIA-305-1981-07-22-1 | スリランカ | 1981年07月22日 | 1980年代 | 看護婦職場復帰。○モルジブと航空協定。 |
DIA-305-1981-07-23-1 | スリランカ | 1981年07月23日 | 1980年代 | プ首相,東独訪問。○議会,アミルタリンガム不信任案討論,野党退場(24日与党のみで可決〉。○デメル蔵相,東京援助国会議を報告,厳しさを強調。 |
DIA-305-1981-07-25-1 | スリランカ | 1981年07月25日 | 1980年代 | 看護婦給与切下げに抗議。○プ首相,ユーゴ訪問。○JR,英国皇太子婚礼参加で渡英。○軍人給与の9月引上げを承認。 |
DIA-305-1981-07-28-1 | スリランカ | 1981年07月28日 | 1980年代 | 西ベルリン当局,東独より流入のタミル人難民強制送還決定(29日西独記者と同行帰国,ハミード外相記者を非難)。○ジャフナ地方,タミル人過激派テロで警官20人死傷,TULFは暴力を非難。 |
DIA-305-1981-07-31-1 | スリランカ | 1981年07月31日 | 1980年代 | プ首相,東独はタミル人難民を奨励せずと言明。 ○自由党マイトリパラ・セナナヤケ,シリマボ派集会に抗議書翰送る。 |
DIA-305-1981-08-02-1 | スリランカ | 1981年08月02日 | 1980年代 | 自由党シリマボ派,全国支部長会議でヤイトリ総裁代行,アヌラ等13名の党活動停止決議。 |
DIA-305-1981-08-03-1 | スリランカ | 1981年08月03日 | 1980年代 | 自由党マイトリ派,シリマボに緊急中央委開会を要求(6日シリマボは拒否)。○アムパライで人種紛争。 |
DIA-305-1981-08-04-1 | スリランカ | 1981年08月04日 | 1980年代 | プ首相,タミル人の西独亡命は宣伝と反論。○看護婦700人病休スト再開。 |
DIA-305-1981-08-05-1 | スリランカ | 1981年08月05日 | 1980年代 | 国会議長はTULF提出の政府不信任決議案を議事規則違反として却下,TULF議員は退場。 |
DIA-305-1981-08-07-1 | スリランカ | 1981年08月07日 | 1980年代 | 出産休暇6週間法案可決。○UNP議員N.フェルナンド,議長にTULFアミルタリンガムの処罰要求。 |
DIA-305-1981-08-11-1 | スリランカ | 1981年08月11日 | 1980年代 | ネゴンボ,ペリヤゴダに人種暴動,35人逮捕。 |
DIA-305-1981-08-12-1 | スリランカ | 1981年08月12日 | 1980年代 | JR,陸軍に出動命令。○軍人・警官の賃上げ予定。○ガムパハのシリマボ派集会で爆弾破裂。 |
DIA-305-1981-08-13-1 | スリランカ | 1981年08月13日 | 1980年代 | コロンボ郊外夜間外出禁止。 |
DIA-305-1981-08-14-1 | スリランカ | 1981年08月14日 | 1980年代 | ラトナプラで人種暴動,JRは無法を非難。 |
DIA-305-1981-08-15-1 | スリランカ | 1981年08月15日 | 1980年代 | 全島非常事態宣言。○キャンディのアメリカ・センター開所,JR出席。 |
DIA-305-1981-08-16-1 | スリランカ | 1981年08月16日 | 1980年代 | アルウィス国務相,暴動は外国の工作と発言。 |
DIA-305-1981-08-17-1 | スリランカ | 1981年08月17日 | 1980年代 | 中銀,公定歩合を12%から14%に引上げ。 |
DIA-305-1981-08-18-1 | スリランカ | 1981年08月18日 | 1980年代 | 西独ラムスドルフ経済相来島(22日離島)。○ラトナプラ暴動で200人を逮捕。 |
DIA-305-1981-08-19-1 | スリランカ | 1981年08月19日 | 1980年代 | 国防省,両派紛争の自由党本部ビルを接収。○マイトリ派,アヌラを書記長代行に任命,シリマボ派は無効を声明し,マイトリら13名の党員資格剥奪。 |
DIA-305-1981-08-20-1 | スリランカ | 1981年08月20日 | 1980年代 | ウイクラマシンハ青年問題相,教育改革案発表。 |
DIA-305-1981-08-21-1 | スリランカ | 1981年08月21日 | 1980年代 | 新聞検閲開始。○議会でプ首相,自由党,共産党議員ら分離国家に反対を表明。○ロンドン・スリランカ高等弁務官事務所にタミル人ら放火。 |
DIA-305-1981-08-22-1 | スリランカ | 1981年08月22日 | 1980年代 | サウジアラビアに初代大使M.R.タシム任命。 |
DIA-305-1981-08-23-1 | スリランカ | 1981年08月23日 | 1980年代 | カタラガムでインド人巡礼者43人殺さる。 |
DIA-305-1981-08-25-1 | スリランカ | 1981年08月25日 | 1980年代 | JR,テロ行動に極刑と言明,与党一部議員の人種煽動を批判。○自由党マイトリ派,シリマボ派の党員資格剥奪を無効と上訴裁に提訴。 |
DIA-305-1981-08-26-1 | スリランカ | 1981年08月26日 | 1980年代 | 米国カークパトリック国連大使来島(28日米国は経済開発を援助,トリンコマリに米軍休養施設求めずと言明)。○ソ連派共産党委員長S.A・ウイクラマシンハ,モスクワで死去,80歳(9月3日遺体帰国,6日葬儀)。 |
DIA-305-1981-08-30-1 | スリランカ | 1981年08月30日 | 1980年代 | 自由党の両派,各自に集会し,地区選挙代表者を任命。○TULF政府との協議を要望。 |
DIA-305-1981-08-31-1 | スリランカ | 1981年08月31日 | 1980年代 | JR,プ首相,ネゴンボ等暴動被災地視察。○政府,TULF代表と会談,人種緊張解消を合意。○シリマボ,自由党本部の返還を上訴裁に提訴。 |
DIA-305-1981-09-02-1 | スリランカ | 1981年09月02日 | 1980年代 | 閣議,TULFの市民防衛班設置提案を承認。○コロンボ地裁V.ウイクラマスリヤ判事,自由党両派に話合い解決を勧告。○英国での反政府宣伝への対抗決定。 |
DIA-305-1981-09-03-1 | スリランカ | 1981年09月03日 | 1980年代 | 日本とコッテ病院建設82億円贈与協定。○暴動被災地視察を怠った地域開発副大臣プンチニラメを解任 |
DIA-305-1981-09-04-1 | スリランカ | 1981年09月04日 | 1980年代 | JR,UNP執行委員会で与党議員の人種言動の自戒要求。 |
DIA-305-1981-09-05-1 | スリランカ | 1981年09月05日 | 1980年代 | JR,サウジアラビア訪問(7日ハリド国王と会談。 |
DIA-305-1981-09-08-1 | スリランカ | 1981年09月08日 | 1980年代 | 共同声明,ソ連,イスラエルの侵略を非難。10日帰国),8日北部治安強化,6派出所閉鎖.○UNP議員N.フェルナンド,政府のタミル人政策を批判。 |
DIA-305-1981-09-09-1 | スリランカ | 1981年09月09日 | 1980年代 | スエーデン,ルーマニアと投資保証協定。 |
DIA-305-1981-09-10-1 | スリランカ | 1981年09月10日 | 1980年代 | アミルタリンガム,政府との話合いは進捗と語る。 |
DIA-305-1981-09-10-2 | スリランカ | 1981年09月10日 | 1980年代 | ジャフナ事件補償委員会設置。 |
DIA-305-1981-09-14-1 | スリランカ | 1981年09月14日 | 1980年代 | 外人への土地売却規制法案起草。 |
DIA-305-1981-09-15-1 | スリランカ | 1981年09月15日 | 1980年代 | ナイロン6プロジェクト一時停止。 |
DIA-305-1981-09-16-1 | スリランカ | 1981年09月16日 | 1980年代 | UNP運営委,反タミル言動のN.フェルナンド議員除名,プンチニラメ議員の査問を決定。○米保証価格を1ブシェル57.5ルピーに引上げ。○西独援助6500万ルピー。 |
DIA-305-1981-09-17-1 | スリランカ | 1981年09月17日 | 1980年代 | コッテUNP新本部定礎式。○基礎研究所発足。 |
DIA-305-1981-09-18-1 | スリランカ | 1981年09月18日 | 1980年代 | 中部に豪雨,道路寸断。 |
DIA-305-1981-09-19-1 | スリランカ | 1981年09月19日 | 1980年代 | パン(450gm)2.7ルピーと40セント値上げ。 |
DIA-305-1981-09-22-1 | スリランカ | 1981年09月22日 | 1980年代 | 日本・スリランカ経済合同委開会(スリランカ側,日本の輸入増要求)。コロンボ地裁,マイトリ派の対シリマボの党員資格剥奪の仮排除申請を却下(24日マイトリ派,上訴裁に控訴)。 |
DIA-305-1981-09-23-1 | スリランカ | 1981年09月23日 | 1980年代 | 閣議,海外スリランカ人に投票権を承認。○JR,コッテ新議事堂建設視察。○開発行政研究所設立法案承認。 |
DIA-305-1981-09-24-1 | スリランカ | 1981年09月24日 | 1980年代 | UNPの3議員,7月のアミルタリンガムへの暴言を撤回。○ハミード外相,ナミビア問題で南アフリカを批判。○非常事態延長を可決。 |
DIA-305-1981-09-25-1 | スリランカ | 1981年09月25日 | 1980年代 | 日本と135億円援助協定。○外国テレビ局の取材監視を決定。 |
DIA-305-1981-09-27-1 | スリランカ | 1981年09月27日 | 1980年代 | 自由党マイトリ派,役員選出。指導者をシリマボとし,マイトリ総裁,アヌラ総裁代行。○プ首相,英連邦首相会議で,メルボルン着。 |
DIA-305-1981-09-28-1 | スリランカ | 1981年09月28日 | 1980年代 | 自由党シリマボ派も役員任命,指導者・総裁シリマボ,総裁代行T.B.イランガラトネ。 |
DIA-305-1981-09-29-1 | スリランカ | 1981年09月29日 | 1980年代 | 自由党マイトリ派シリマボ派の役員選出は非合法と選管委に通告。○シリマボ派,党規委員会を設け,マイトリ派の制裁に着手。 |
DIA-305-1981-10-01-1 | スリランカ | 1981年10月01日 | 1980年代 | IMF,世銀総会でデメル蔵相,米国の援助削減に反論。○政府,自由党本部収用で裁判所に反証提出。 |
DIA-305-1981-10-02-1 | スリランカ | 1981年10月02日 | 1980年代 | メルボルン英連邦首相会議,プ首相演説。 |
DIA-305-1981-10-05-1 | スリランカ | 1981年10月05日 | 1980年代 | TULFと政府との協議,TULFはDDCの自主課税権要求。○パキスタンと二重課税防止条約。 |
DIA-305-1981-10-07-1 | スリランカ | 1981年10月07日 | 1980年代 | 米国会社のトリンコマリ石油貯蔵所建設案承認(8日議会で野党,米軍基地化と追究)。 |
DIA-305-1981-10-09-1 | スリランカ | 1981年10月09日 | 1980年代 | 商業会議所,会員の倫理コードを決定。 |
DIA-305-1981-10-11-1 | スリランカ | 1981年10月11日 | 1980年代 | JR,ビクトリア・ダム現場視察。 |
DIA-305-1981-10-12-1 | スリランカ | 1981年10月12日 | 1980年代 | JR,古代農耕儀式Vap Magul実演,世銀ホッパー副総裁も列席。○ポンド資本会社所有農園国有化補償支払いを完済。○プ首相,シンガポール着,リ・クワンユ首相と会談。○マレーシアGuthrie会社と油やし事業を協定。 |
DIA-305-1981-10-13-1 | スリランカ | 1981年10月13日 | 1980年代 | JR,UNP会合で1983年総選挙への対応を演説。 |
DIA-305-1981-10-14-1 | スリランカ | 1981年10月14日 | 1980年代 | プ首相帰国。○ジャフナで軍人3名殺さる。○北中部州での軍・警共同パトロール開始(英国エリザベス女王来島事前警備)。○自由党シリマボ派,普選50周年祝典ボイコット決定(15日マィトリ派もボイコット声明)。○デメル蔵相,不況を招かぬ緊縮財政を編成と言明。 |
DIA-305-1981-10-16-1 | スリランカ | 1981年10月16日 | 1980年代 | 上訴裁,自由党両派紛争提訴事件をコロンボ地裁に差し戻し判決。 |
DIA-305-1981-10-17-1 | スリランカ | 1981年10月17日 | 1980年代 | プ首相,スリランカは10年後に先進国になると演説。 |
DIA-305-1981-10-18-1 | スリランカ | 1981年10月18日 | 1980年代 | ジャフナ正常化。 |
DIA-305-1981-10-19-1 | スリランカ | 1981年10月19日 | 1980年代 | UNIDO/UNDP主催スリランカ投資促進会議開く。JR祝辞,デメル蔵相,政策と成果を演説(23日閉会).○UNPスポークスマンシリマボ公民権剥奪はマイトリ派の要請によると発言。○アミルタリンガム,ニューデリーでインド外相ラオと会談。 |
DIA-305-1981-10-21-1 | スリランカ | 1981年10月21日 | 1980年代 | エリザベス女王来訪。○会社法改正法案提出。○議会で自由党S.D.バンダラナイケ等,女王来島下の非常事態延長,陸軍司令官交代の閥族人事を批判。 |
DIA-305-1981-10-22-1 | スリランカ | 1981年10月22日 | 1980年代 | エリザベス女王臨席で普選50周年記念式典,野党欠席。 |
DIA-305-1981-10-23-1 | スリランカ | 1981年10月23日 | 1980年代 | エリザベス女王,キャンディ訪問。○ジャフナ県で銀行強盗。 |
DIA-305-1981-10-24-1 | スリランカ | 1981年10月24日 | 1980年代 | ガミニ・マハベリ開発相,エリザベス女王にビクトリア・ダム事業進行状況を説明(女王は25日帰国)。 |
DIA-305-1981-10-25-1 | スリランカ | 1981年10月25日 | 1980年代 | アミルタリンガム,マドラスでタミル人への迫害はなお存在と言明。 |
DIA-305-1981-10-27-1 | スリランカ | 1981年10月27日 | 1980年代 | アミルタリンガム帰国,JR,陸軍司令官と会談,TULFはテロ行為は容認しないと声明。 |
DIA-305-1981-10-30-1 | スリランカ | 1981年10月30日 | 1980年代 | 人民銀行支店を警備○バーレンと共同事業協定。 |
DIA-305-1981-11-01-1 | スリランカ | 1981年11月01日 | 1980年代 | アヌラ,シリマボ公民権剥奪はUNPの陰謀と語る(2日UNP筋は自由党員の要請と反論)。 |
DIA-305-1981-11-02-1 | スリランカ | 1981年11月02日 | 1980年代 | 政府・TULF,人種問題の会談。 |
DIA-305-1981-11-03-1 | スリランカ | 1981年11月03日 | 1980年代 | JR,与党議員総会でTULFはタミル人テロ分子と無関係と言明。○TULF議会復帰を決定。 |
DIA-305-1981-11-04-1 | スリランカ | 1981年11月04日 | 1980年代 | 日本贈与のコッテ病院起工式。○V・テネクーン公務員給与委,勧告を提出。○取引高税法案通過。 |
DIA-305-1981-11-05-1 | スリランカ | 1981年11月05日 | 1980年代 | ラトナプラ地方に水害。○ノルウェイ,1982年援助1億7500万ルピー合意。○サウジアラビア経済開発基金モハメド・アルスガイル一行来島。 |
DIA-305-1981-11-09-1 | スリランカ | 1981年11月09日 | 1980年代 | コロンボ,ゴール等西海岸に水害,道路電話不通 |
DIA-305-1981-11-10-1 | スリランカ | 1981年11月10日 | 1980年代 | 日本千葉大使,アルウィス国防相にテレビ・センター引渡し式。○輸入業者,増税恐れてかけ込み販売。 |
DIA-305-1981-11-12-1 | スリランカ | 1981年11月12日 | 1980年代 | デメル蔵相,議会で年予算演説。 |
DIA-305-1981-11-13-1 | スリランカ | 1981年11月13日 | 1980年代 | 野党,予算案は貧民への重課と批判。 |
DIA-305-1981-11-14-1 | スリランカ | 1981年11月14日 | 1980年代 | セイロン使用主連盟EFCとセイロン商業組合CMUの賃上げ労働協約妥結(20日調印)○UNPの新党規約案起草,総裁候補の指名方式決定。○OPEC,マハベリ計画に1100万ドル援助同意。 |
DIA-305-1981-11-16-1 | スリランカ | 1981年11月16日 | 1980年代 | JR,与党議員総会で予算手直しを承認。○陸運局,自動車の免許・登録・移転の手数料引上げ。 |
DIA-305-1981-11-17-1 | スリランカ | 1981年11月17日 | 1980年代 | 議会でUNPの3分の2の多数決で非常事態の4カ月延長を決定。○ラリト商相,中国との貿易協定交渉で訪中。 |
DIA-305-1981-11-18-1 | スリランカ | 1981年11月18日 | 1980年代 | 閣議,食糧スタンプ再検討決定。○石油公社,マンナル沖の石油試掘中止,ポーク海峡の試掘を米国業者と協定。○UNP M.D.H.ジャヤワルダナ議員・予算批判 |
DIA-305-1981-11-19-1 | スリランカ | 1981年11月19日 | 1980年代 | 中国とゴム・石油貿易協定妥結(20日調印)。 |
DIA-305-1981-11-20-1 | スリランカ | 1981年11月20日 | 1980年代 | デメル蔵相,議会でウパリGCEC長官の不法経済活動を攻撃(23日ウパリのグランド・セントラル農園補償文書提出を約束,24日提出)。 |
DIA-305-1981-11-21-1 | スリランカ | 1981年11月21日 | 1980年代 | プレマダサ首相,野党の批判は不当,開発事業の無駄はDDCを通じて抑制と語る。○JR,閣僚の海外旅行制限を示唆。 |
DIA-305-1981-11-23-1 | スリランカ | 1981年11月23日 | 1980年代 | インド漁船の領海侵犯,漁網切断事件で,政府,インドと交渉を決定。○V.ペレラ議会関係相,ウパリ系2新聞紙の議会特権侵害を非難(24日議長,2紙の議会報道停止を命令)。 |
DIA-305-1981-11-24-1 | スリランカ | 1981年11月24日 | 1980年代 | 予算案115対21で第2読会通過。○プ首相,予算案で辞任考慮の報道で釈明。○TB発行180億ルピーに引上げ。 |
DIA-305-1981-11-26-1 | スリランカ | 1981年11月26日 | 1980年代 | JR,民間にも賃上げを要請。 |
DIA-305-1981-11-29-1 | スリランカ | 1981年11月29日 | 1980年代 | ジャフナ水害。○タミル独立運動テロ分子調査。 |
DIA-305-1981-11-30-1 | スリランカ | 1981年11月30日 | 1980年代 | プ首相,明年にもASEAN加盟可能と発言。 |
DIA-305-1981-12-01-1 | スリランカ | 1981年12月01日 | 1980年代 | TULFアミルタリンズム,閣僚の議会欠席を批判。 |
DIA-305-1981-12-02-1 | スリランカ | 1981年12月02日 | 1980年代 | JR,閣僚の海外旅行規制と発言。○シリマボ,自由党マイトリ派に復帰呼びかけ(4日マイトリ,平和と団結に努力と回答)。○カルナラトネ社会事業相,ランカ児童の海外売却防止立法と発言。 |
DIA-305-1981-12-03-1 | スリランカ | 1981年12月03日 | 1980年代 | ジャフナ地方洪水,死者7人,家屋流失2.2万。○オランダAMRO銀行支店開店。 |
DIA-305-1981-12-04-1 | スリランカ | 1981年12月04日 | 1980年代 | ラリト商相帰国,トリンコマリの非軍事基地化をインド了解,対ソ貨物輸送50-50協定合意と説明。 |
DIA-305-1981-12-05-1 | スリランカ | 1981年12月05日 | 1980年代 | 中国司法部副部長謝邦治一行,司法制度視察に来島。○フィンランド代表団と1982-84年援助協定妥結。 |
DIA-305-1981-12-06-1 | スリランカ | 1981年12月06日 | 1980年代 | インドと1964年無国籍者協定行詰り打開交渉。 |
DIA-305-1981-12-08-1 | スリランカ | 1981年12月08日 | 1980年代 | シリマボ派,マイトリ派の党規違反調査委任命○UNP党規委員会,M.D.H.ジャヤワルダナ・プンチニラメ2議員の違反免責決定。○国防省管理下の自由党本部建物をマイトリ派に返還,シリマボ派は治安裁に提訴。 |
DIA-305-1981-12-11-1 | スリランカ | 1981年12月11日 | 1980年代 | TULF,ロンドンの独立宣言派タミル調整委TCCとの無関係を声明。○議会特別委,UNP除名のN.フェルナンド議員に関する報告書提出。 |
DIA-305-1981-12-12-1 | スリランカ | 1981年12月12日 | 1980年代 | UNP,第27回党大会,JR,1983,84年選挙は期日通り実施と演説(13日新党規約採用)。 |
DIA-305-1981-12-14-1 | スリランカ | 1981年12月14日 | 1980年代 | 政府,南ア航空乗入れ拒否。 |
DIA-305-1981-12-15-1 | スリランカ | 1981年12月15日 | 1980年代 | UNP,N.フェルナンド議員の議席剥奪決定。○政府,非常事態1カ月延長決定。 |
DIA-305-1981-12-16-1 | スリランカ | 1981年12月16日 | 1980年代 | 空軍・警察,南部の大麻栽培作戦開始。○マイトリ,上訴裁に治安裁の自由党本部建物裁判差止め命令を要請(17日差止め命令)。○シリマボ派中執委,マイトリ派17名の除名決定(17日通告)。 |
DIA-305-1981-12-18-1 | スリランカ | 1981年12月18日 | 1980年代 | プレマダサ首相,手術で渡米。 |
DIA-305-1981-12-22-1 | スリランカ | 1981年12月22日 | 1980年代 | 予算案116対20で成立。○マイトリ派,LSSPと反UNP統一戦線を協議。 |
DIA-305-1981-12-23-1 | スリランカ | 1981年12月23日 | 1980年代 | 閣議,女子深夜労働禁止ILO条約の再批准中止を決定。○港湾労務者スト(26日復業)。 |
DIA-305-1981-12-24-1 | スリランカ | 1981年12月24日 | 1980年代 | マイトリ派,モスコー派共産党と会談,トリンコマリ石油施設の米国会社貸与,マハベリ土地のマレーシア企業への貸与1教育改革白書への反対を共同声明。 |
DIA-305-1981-12-28-1 | スリランカ | 1981年12月28日 | 1980年代 | シリマボ派,自由党員90%を確保と声明。 |
DIA-305-1981-12-30-1 | スリランカ | 1981年12月30日 | 1980年代 | インド・スリランカのポーク海峡経由密輸取締り共同会議。○マハベリ開発工事にインド人技師30人援助協定。○シリマボ派書記長,議会事務総長にマイトリ派4議員の党追放,自由党員議席失権を通告。○電力不足深刻,電力公社節電警告。 |
DIA-305-1981-12-31-1 | スリランカ | 1981年12月31日 | 1980年代 | JR,カストロ大統領再選に祝電。 |
DIA-305-1982-01-01-1 | スリランカ | 1982年01月01日 | 1980年代 | 南アジァ10カ国環境脇力会議開く。▲1981年焼失のジャフナ図書館に,米国大使より図書寄贈。 |
DIA-305-1982-01-03-1 | スリランカ | 1982年01月03日 | 1980年代 | 自由党SLFPのシリマボ派,マイトリ派,議会に自派の正統性を申立て。▲セイロン・ムーア脇会,タミル教員組合,教育改革白書反対声明。▲電力公社,電力危機と50%値上げを発表。▲ウパリGCEC長官辞任。 |
DIA-305-1982-01-05-1 | スリランカ | 1982年01月05日 | 1980年代 | ロンドン・タミル人2派に分裂。 |
DIA-305-1982-01-06-1 | スリランカ | 1982年01月06日 | 1980年代 | 閣議,電力節約指示決定。▲デ・メル蔵相,ウパリの不正非難。▲JVP,婦人同盟を結成。 |
DIA-305-1982-01-07-1 | スリランカ | 1982年01月07日 | 1980年代 | 政府,教育改革白書の訂正を検討。▲政府,大学,私立学校の新設禁止言明。▲タバコの放送宣伝中止。 |
DIA-305-1982-01-08-1 | スリランカ | 1982年01月08日 | 1980年代 | 書籍への取引高税免除。▲オランダのファン・ダイク開発協力相来島。 |
DIA-305-1982-01-09-1 | スリランカ | 1982年01月09日 | 1980年代 | 中東への出稼ぎ女子(現在1万)の出国規制。 |
DIA-305-1982-01-11-1 | スリランカ | 1982年01月11日 | 1980年代 | カンタベリー大僧正ルンシル来島。 |
DIA-305-1982-01-12-1 | スリランカ | 1982年01月12日 | 1980年代 | ウィジェマンナ委員会,宗教の必修課目を勧告。 |
DIA-305-1982-01-13-1 | スリランカ | 1982年01月13日 | 1980年代 | J・R・ジャヤワルダナ大統領,プレマダサ首相は重病と言明。▲大統領,無料教育の推持,各大臣に予算支出限度厳守を命令。 |
DIA-305-1982-01-14-1 | スリランカ | 1982年01月14日 | 1980年代 | 北部タミル分離国家派の一方的独立宣言不発。 |
DIA-305-1982-01-15-1 | スリランカ | 1982年01月15日 | 1980年代 | 英国D・R・ハード外国・連邦相来島。▲JVP,政党認定を申請。▲仏教界代表,大統領にタミル政党,タミル語,インド人引揚げへの処置要求。 |
DIA-305-1982-01-16-1 | スリランカ | 1982年01月16日 | 1980年代 | LSSP年次大会,反UNP統一戦線を決議。 |
DIA-305-1982-01-17-1 | スリランカ | 1982年01月17日 | 1980年代 | 石油公社,中国とゴム・石油(ワックス)売買を協定と発表。▲TULFに造反議員。 |
DIA-305-1982-01-19-1 | スリランカ | 1982年01月19日 | 1980年代 | 英国のハード外国・連邦相,タミル問題解決への政府努力支持を表明して帰国。 |
DIA-305-1982-01-20-1 | スリランカ | 1982年01月20日 | 1980年代 | 学生,反教育改革白書デモ。ラニル教育相,左翼の扇動と非難。▲タイ,バングラとの文化協定承認。 |
DIA-305-1982-01-21-1 | スリランカ | 1982年01月21日 | 1980年代 | 議会周辺で学生デモ,警官と衝突。TULF,教育改革白書の再検討要求(26日,政府は改正言明)。 |
DIA-305-1982-01-22-1 | スリランカ | 1982年01月22日 | 1980年代 | マルカル議長,マイトリ派自由党議員の資格審査の特別委任命。▲8大学学生,授業をボイコット。 |
DIA-305-1982-01-23-1 | スリランカ | 1982年01月23日 | 1980年代 | 前UNP議員N・フェルナンド,ランカ国民戦線の政党確認を申請。▲プレマダサ首相,帰国途次日本に立寄り。 |
DIA-305-1982-01-25-1 | スリランカ | 1982年01月25日 | 1980年代 | 英国,スリランカの文化財返還要請を拒否。 |
DIA-305-1982-01-26-1 | スリランカ | 1982年01月26日 | 1980年代 | UNP運営委,ウパリは非UNP党員と発表。 |
DIA-305-1982-01-27-1 | スリランカ | 1982年01月27日 | 1980年代 | 閣議,中国との貿易協定承認。 |
DIA-305-1982-01-29-1 | スリランカ | 1982年01月29日 | 1980年代 | 旱ばつで14県被害。▲大統領,反抗学生の放校言明。 |
DIA-305-1982-02-01-1 | スリランカ | 1982年02月01日 | 1980年代 | 大統領,インドとの無国籍問題解決強調。 |
DIA-305-1982-02-02-1 | スリランカ | 1982年02月02日 | 1980年代 | インドのレッディ大統領来島。大国のインド洋介入の危険を指摘(7日帰国)。 |
DIA-305-1982-02-03-1 | スリランカ | 1982年02月03日 | 1980年代 | 大統領,4日の独立記念日メッセージ発表。▲日本と23億円援助協定。事インドと2重課税協定。 |
DIA-305-1982-02-06-1 | スリランカ | 1982年02月06日 | 1980年代 | シリマボ公民権回復要求大衆運動開始。▲インドとテレビ番組交換に合意。 |
DIA-305-1982-02-07-1 | スリランカ | 1982年02月07日 | 1980年代 | モルジブのガユーム大統領来訪。 |
DIA-305-1982-02-08-1 | スリランカ | 1982年02月08日 | 1980年代 | J・リード米大使信任状提出。▲議会の自由党議員資格問題特別委開く。TULF不参加。 |
DIA-305-1982-02-09-1 | スリランカ | 1982年02月09日 | 1980年代 | プレマダサ首相の病状発表。▲大統領,与党議員にJVPとの対決を要請。▲趙鵬飛北京副市長来島。 |
DIA-305-1982-02-10-1 | スリランカ | 1982年02月10日 | 1980年代 | ニューデリーで産茶国価格安定会議開く。▲18政党,選管委に政党確認を申請。 |
DIA-305-1982-02-11-1 | スリランカ | 1982年02月11日 | 1980年代 | モハメード運輸相の文化使節団,中国へ出発。 |
DIA-305-1982-02-12-1 | スリランカ | 1982年02月12日 | 1980年代 | 国有茶農園経営改善にランカ農園開発会社設置案。 |
DIA-305-1982-02-15-1 | スリランカ | 1982年02月15日 | 1980年代 | 文化財持出し禁止立法準備。▲韓国盧永信外相来島。コロンボは南北鮮統一会談の場所に最適と語る。 |
DIA-305-1982-02-16-1 | スリランカ | 1982年02月16日 | 1980年代 | モラトワ市,吹田市姉妹都市(6月予定)。 |
DIA-305-1982-02-17-1 | スリランカ | 1982年02月17日 | 1980年代 | シリマボ,次期政権獲得まで引退せずと言明。 |
DIA-305-1982-02-17-2 | スリランカ | 1982年02月17日 | 1980年代 | インドへテレビのテスト放送。▲ドタントワ湖のヘルミターゲ島を保護地区に宣言。 |
DIA-305-1982-02-18-1 | スリランカ | 1982年02月18日 | 1980年代 | ハミード外相,モルジブ訪問(18日アジア・フォーラム結成提案,21日航空サービス協定締結)。▲ソ連のT・B・クゼンコ海運相来島(19日貨物輸送折半協定締結) |
DIA-305-1982-02-19-1 | スリランカ | 1982年02月19日 | 1980年代 | 米国は軍事報告書からトリンコマリ軍事基地の字句を削除。▲中国歌舞団来訪。 |
DIA-305-1982-02-20-1 | スリランカ | 1982年02月20日 | 1980年代 | セネビラトネ労相,中東での10万人雇用開拓代表団派遣準備を言明。 |
DIA-305-1982-02-21-1 | スリランカ | 1982年02月21日 | 1980年代 | プレマダサ首相帰国。 |
DIA-305-1982-02-22-1 | スリランカ | 1982年02月22日 | 1980年代 | 石油公社,米国会社とのトリンコマリ石油基地貸与協定延期発表。▲シリマボ,訪印(3月3日ガンジー首相と会見)。 |
DIA-305-1982-02-23-1 | スリランカ | 1982年02月23日 | 1980年代 | UNPは TULF との会談で,県開発議会DDC財政拡大を提案(24日TULFの自警団設置案に同意)。 |
DIA-305-1982-02-24-1 | スリランカ | 1982年02月24日 | 1980年代 | 閣議,腐敗・汚職・浪費の通報公務員に褒賞決定。 |
DIA-305-1982-02-25-1 | スリランカ | 1982年02月25日 | 1980年代 | TULFラジャドライ議員追放・失格問題で議会特別委開く。 |
DIA-305-1982-02-27-1 | スリランカ | 1982年02月27日 | 1980年代 | 自由党マイトリ派,LSSP,共産党の反UNP大会。 |
DIA-305-1982-03-02-1 | スリランカ | 1982年03月02日 | 1980年代 | 野生動物保護運動でフィリップ殿下来島。 |
DIA-305-1982-03-03-1 | スリランカ | 1982年03月03日 | 1980年代 | 閣議,ソ連との新文化協定承認。 |
DIA-305-1982-03-04-1 | スリランカ | 1982年03月04日 | 1980年代 | 国際交流基金,コロンボ大学に図書寄贈。 |
DIA-305-1982-03-06-1 | スリランカ | 1982年03月06日 | 1980年代 | TULFのアミルタリンガム書記長訪英。タミル調整委TCCのバイクンタバサンと会談。▲旱ばつ被災3万7000人に救援措置開始。 |
DIA-305-1982-03-08-1 | スリランカ | 1982年03月08日 | 1980年代 | アヌラ,反UNPのための大同団結を提案。▲インドの抗議でカチャチャティブ島祭礼中止。▲1981年のジャフナ事件で図書館・市民への3600万ルピー補償を勧告。▲コロンボ青年仏教会長ペレラ,シンハラ人75%採用の政党を支持と言明。 |
DIA-305-1982-03-09-1 | スリランカ | 1982年03月09日 | 1980年代 | タミル5人委員,大学入学者25%のタミル人留保を,大統領・首相に要請。 |
DIA-305-1982-03-10-1 | スリランカ | 1982年03月10日 | 1980年代 | 新国会議事堂開院式,4月29日に決定。▲マレーシア,95人のスリランカ労働者の入国拒否・送還。 |
DIA-305-1982-03-11-1 | スリランカ | 1982年03月11日 | 1980年代 | (タミル人)テロ防止改正法127対13で通過。▲国会議員に無料ガソリン50ガロン特配。 |
DIA-305-1982-03-12-1 | スリランカ | 1982年03月12日 | 1980年代 | セイロン労働者会議CWC年次大会,トンダマン議長,無国籍労働者問題の解決要望。 |
DIA-305-1982-03-13-1 | スリランカ | 1982年03月13日 | 1980年代 | 食糧スタンプ42%増発決定。 |
DIA-305-1982-03-14-1 | スリランカ | 1982年03月14日 | 1980年代 | 非同盟首脳会議出席要請にイラクのA・フセイン使節団来訪。▲キャンディで人民民主開発党結成。 |
DIA-305-1982-03-15-1 | スリランカ | 1982年03月15日 | 1980年代 | シンガポール航空のエア・ランカ援助終了。▲警察庁長官にR・S・ラジャシンハ就任。居住ゲスト制廃止を要請。 |
DIA-305-1982-03-17-1 | スリランカ | 1982年03月17日 | 1980年代 | 閣議,コッテをスリ・ジャヤワルダナプラと改名決定。▲ビクトリア・ダム工事労働者2500人スト。 |
DIA-305-1982-03-18-1 | スリランカ | 1982年03月18日 | 1980年代 | 『シンハラ語辞典』第25巻完成。 |
DIA-305-1982-03-19-1 | スリランカ | 1982年03月19日 | 1980年代 | 大統領,シリマボの公民権回復大赦を否定。 |
DIA-305-1982-03-20-1 | スリランカ | 1982年03月20日 | 1980年代 | シリマボ,マイトリパラ,アヌラ,各自に自由党の再統一を声明。 |
DIA-305-1982-03-21-1 | スリランカ | 1982年03月21日 | 1980年代 | ラリト商相旱ばつのため中国と15万㌧,パキスタンと3万㌧の米輸入を交渉と言明。 |
DIA-305-1982-03-23-1 | スリランカ | 1982年03月23日 | 1980年代 | 大統領,映画産業実情調査を命令。 |
DIA-305-1982-03-24-1 | スリランカ | 1982年03月24日 | 1980年代 | ベルギー,フィンランド,ルーマニア,米国との2重課税協定を承認。▲ギャンブル・クラブの広告を禁止。 |
DIA-305-1982-03-25-1 | スリランカ | 1982年03月25日 | 1980年代 | ハンガリーのF・プージャ外相来島。 |
DIA-305-1982-03-27-1 | スリランカ | 1982年03月27日 | 1980年代 | デ・メル蔵相,南アフリカの投資不許可を指示。 |
DIA-305-1982-03-28-1 | スリランカ | 1982年03月28日 | 1980年代 | 政府医師協会GMOA週5日労働宣言。 |
DIA-305-1982-03-30-1 | スリランカ | 1982年03月30日 | 1980年代 | 政府,PLO承認を検討。 |
DIA-305-1982-03-31-1 | スリランカ | 1982年03月31日 | 1980年代 | キリスト教・回教徒代表者会議,友好を合意。▲閣議,公務員行動コードを承認。▲マイトリ派自由党中央委,シリマボ派との統一を賛成10,反対7で決定。 |
DIA-305-1982-04-01-1 | スリランカ | 1982年04月01日 | 1980年代 | 政府,新SSP派大会に出席の英国労働党左派テッド・グラント議員の国外退去要請(4日帰国)。▲英語映画輸入を制限。 |
DIA-305-1982-04-02-1 | スリランカ | 1982年04月02日 | 1980年代 | マイトリ派,自由党本部建物閉鎖。 |
DIA-305-1982-04-03-1 | スリランカ | 1982年04月03日 | 1980年代 | アヌラ,マイトリ派中央委での再統一決定に対するマイトリの態度を批判。▲LSSP中央委,A・ムナシンハのシリマボ派自由党との提携動議を否決。 |
DIA-305-1982-04-05-1 | スリランカ | 1982年04月05日 | 1980年代 | 外務省,フォークランド紛争を遺憾と声明。▲石油公社,トリンコマリ石油基地租借の再入札募集。 |
DIA-305-1982-04-06-1 | スリランカ | 1982年04月06日 | 1980年代 | モハメド運輸相,世界回教会議のイ・イ紛争仲裁団に参加・出発(14日イラク・フセイン大統領と会見)。▲電力公社,6月からの値上げ発表。 |
DIA-305-1982-04-07-1 | スリランカ | 1982年04月07日 | 1980年代 | マイトリパラは自由党シリマボ派復帰賛成のアヌラ等10名の中央委の役職停止。 |
DIA-305-1982-04-08-1 | スリランカ | 1982年04月08日 | 1980年代 | 第4回日・ス経済合同委,京都で開催。 |
DIA-305-1982-04-09-1 | スリランカ | 1982年04月09日 | 1980年代 | 英国にビクトリア・ダム資金追加援助要請。 |
DIA-305-1982-04-10-1 | スリランカ | 1982年04月10日 | 1980年代 | 大統領,JVP は独裁志向と批判。 |
DIA-305-1982-04-12-1 | スリランカ | 1982年04月12日 | 1980年代 | タミル会議派TCのK・ポンナムバラム,新議事堂開院式欠席を声明。 |
DIA-305-1982-04-13-1 | スリランカ | 1982年04月13日 | 1980年代 | LSSP,シリマボ派自由党,北京派共産党,ランカ民主主義戦線とのメーデー共同集会決定。 |
DIA-305-1982-04-17-1 | スリランカ | 1982年04月17日 | 1980年代 | LSSPシルバ派,A・ムナシンハを除名・追放。 |
DIA-305-1982-04-17-2 | スリランカ | 1982年04月17日 | 1980年代 | UNP議員A・ダニエル,貴金属品密輸で辞任。 |
DIA-305-1982-04-21-1 | スリランカ | 1982年04月21日 | 1980年代 | 閣議,ASEAN諸国との貿易脇定促進を決定。 |
DIA-305-1982-04-22-1 | スリランカ | 1982年04月22日 | 1980年代 | 外国船18隻のスリランカ船籍登録を承認。▲コロンボのパーリ語・仏教大学開校式。 |
DIA-305-1982-04-23-1 | スリランカ | 1982年04月23日 | 1980年代 | シリマボ派自由党,アヌラ等10名のうち,8名の復帰承認(25日マイトリ派はアヌラ等を除名)。▲フィンランド代表団,6億ルピー援助約束。 |
DIA-305-1982-04-24-1 | スリランカ | 1982年04月24日 | 1980年代 | 政府,TULFと協定の自警団5月発足を無期延期。▲ウラン鉱探査にIAEA専門家来訪。 |
DIA-305-1982-04-26-1 | スリランカ | 1982年04月26日 | 1980年代 | UNP運営委,汚職政治家の処分を大統領に一任。▲回教徒協議委,大統領に比例代表制選挙の得票12.5%以下政党切捨ては少数民族に不利と陳情。▲空港公団事業を7月から空港・航空サービス会社に委譲決定。 |
DIA-305-1982-04-27-1 | スリランカ | 1982年04月27日 | 1980年代 | ハミード外相訪ソ。▲大統領,不正入札で休職中のランジャン農業開発次官の復職を命令。 |
DIA-305-1982-04-28-1 | スリランカ | 1982年04月28日 | 1980年代 | UNP不正入札調査委,E・L・セナナヤケ農相を訊問。 |
DIA-305-1982-04-29-1 | スリランカ | 1982年04月29日 | 1980年代 | スリ・ジャヤワルダナプラ新議事堂開院式,シリマボ派議員,マイトリパラの自由党代表演説に抗議して退場。モスコー派共産党議員は新議事堂は浪費と非難。 |
DIA-305-1982-04-30-1 | スリランカ | 1982年04月30日 | 1980年代 | スウェーデンと投資保護協定。▲大統領,メーデー祝辞。▲北京派共産党はJVPを批判。 |
DIA-305-1982-05-01-1 | スリランカ | 1982年05月01日 | 1980年代 | 自由党シリマボ派,LSSP両派,北京派共産党,MEPメーデー共同集会。モスコー派共産党は別会合。 |
DIA-305-1982-05-03-1 | スリランカ | 1982年05月03日 | 1980年代 | モスコーでグロムイコ,ハミード非同盟尊重の共同声明。▲大蔵省,公社・公団に利益の10%国庫納付命令。 |
DIA-305-1982-05-04-1 | スリランカ | 1982年05月04日 | 1980年代 | セナナヤケ農相は保健相に,ジャヤスリヤ保健相を農相にの内閣改造。▲新選管委員長にR・K・C・デ・シルバ任命。 |
DIA-305-1982-05-05-1 | スリランカ | 1982年05月05日 | 1980年代 | UNP農業開発省不正入札調査委,腐敗なく規則違反のみと結論。▲砂糖最高価格キロ当リ12.4ルピー。 |
DIA-305-1982-05-06-1 | スリランカ | 1982年05月06日 | 1980年代 | 大統領,旅券発給促進のため地方事務所での処理を指示。▲西独,1982年度援助3750万マルク約束。 |
DIA-305-1982-05-12-1 | スリランカ | 1982年05月12日 | 1980年代 | セナナヤケ保健相辞任。後任にコロンボ病院相R・アタパットウ。▲ロンドンでユーロ債5000万㌦交渉。 |
DIA-305-1982-05-12-2 | スリランカ | 1982年05月12日 | 1980年代 | ジャフナ大学生,幹部逮捕に抗議3日間スト(14日バチカロア大学生同情スト)。▲政府,所得付加税法決定。 |
DIA-305-1982-05-14-1 | スリランカ | 1982年05月14日 | 1980年代 | スイス警察,スリランカ幼児の移入禁止。▲セイロン農園職員組合1万5000人1日スト。 |
DIA-305-1982-05-15-1 | スリランカ | 1982年05月15日 | 1980年代 | カルナラトネ社会相,幼児移出禁止立法言明。 |
DIA-305-1982-05-16-1 | スリランカ | 1982年05月16日 | 1980年代 | 在ス・イタリア大使館,スリランカ人5000人のイタリアへの求職ビザ申請ありと発表。 |
DIA-305-1982-05-17-1 | スリランカ | 1982年05月17日 | 1980年代 | ランジャン前農業開発次官,土地改革委員会委長に就任。▲軍隊,北部のゲリラ訓練基地を急襲。 |
DIA-305-1982-05-18-1 | スリランカ | 1982年05月18日 | 1980年代 | シンガポール,不法入国ランカ女子を送還。 |
DIA-305-1982-05-19-1 | スリランカ | 1982年05月19日 | 1980年代 | 閣議,大臣権限の一部をDDC会議への委譲決定。▲コロンボ・ドックでのソ連タンカー修理完了。 |
DIA-305-1982-05-20-1 | スリランカ | 1982年05月20日 | 1980年代 | 消費者信用法提出。▲インドのタミル・ナド州で「解放虎」の幹部プラバカラン,クマランを逮捕。 |
DIA-305-1982-05-21-1 | スリランカ | 1982年05月21日 | 1980年代 | モラトワ大学生,防衛大学生の入学反対スト。▲LSSPシルバ政治・法曹生活50周年祝典。 |
DIA-305-1982-05-23-1 | スリランカ | 1982年05月23日 | 1980年代 | ラリト商相,訪韓。投資を要請(31日帰国)。 |
DIA-305-1982-05-24-1 | スリランカ | 1982年05月24日 | 1980年代 | A・ダニエル前議員,密輸で罰金230万ルピー。 |
DIA-305-1982-05-25-1 | スリランカ | 1982年05月25日 | 1980年代 | 警察庁長官,マドラスで逮捕のタミル人テロ犯人引渡し要請に渡印。▲大統領,シリマボへの大赦否定。 |
DIA-305-1982-05-26-1 | スリランカ | 1982年05月26日 | 1980年代 | 大統領,シリマボの選挙運動は自由党全候補者の失格を招くと警告。人種問題扇動,米補助発言を非離。▲ジャフナ大学生,TULFのアミルタリンガム書記長警備員のピストル強奪。 |
DIA-305-1982-05-27-1 | スリランカ | 1982年05月27日 | 1980年代 | ジャフナ・タミル人過激派,インドのタミル人幹部逮捕に抗議し,警官2人射殺。▲ジャフナ大学生,学生逮捕に抗議スト。 |
DIA-305-1982-05-29-1 | スリランカ | 1982年05月29日 | 1980年代 | ネガヘラス議員等の婦人代表団,訪中。 |
DIA-305-1982-05-30-1 | スリランカ | 1982年05月30日 | 1980年代 | 大統領,クリーン政府の断行言明。 |
DIA-305-1982-05-31-1 | スリランカ | 1982年05月31日 | 1980年代 | モスコー派共産党,反UNP勢力の統一を声明。 |
DIA-305-1982-06-01-1 | スリランカ | 1982年06月01日 | 1980年代 | ジャフナ事件1周年,TULF,タミル・エラム解放戦線TELF幹部,ハンスト抗議。▲大統領,大学新設中止言明。 |
DIA-305-1982-06-02-1 | スリランカ | 1982年06月02日 | 1980年代 | 閣議,人種対立扇動文書の公安法取締り決定。▲マドラスでタミル・ナド各政党,ランカ・タミル人指導者の送還に反対集会(3日インドのトーマス高等弁務官,在印裁判を言明。4日NSSPも政府の送還要請に反対)。 |
DIA-305-1982-06-03-1 | スリランカ | 1982年06月03日 | 1980年代 | 南西海岸暴風雨。▲ルーマニアと投資保護協定。 |
DIA-305-1982-06-04-1 | スリランカ | 1982年06月04日 | 1980年代 | サバラガムワ州6000世帯水害被災。▲アブダビでランカ人妊婦を苔刑(7日婦人・人権の団体抗議)。 |
DIA-305-1982-06-05-1 | スリランカ | 1982年06月05日 | 1980年代 | 世界仏教徒会議,イ・イ戦争,フォークランド戦争中止要請。▲天然資源・エネルギー・科学庁設置。 |
DIA-305-1982-06-07-1 | スリランカ | 1982年06月07日 | 1980年代 | カルタラ,ゴール等に大雨,3万人避難。▲TCのK・ポンナムバラム,大統領立候補声明。 |
DIA-305-1982-06-08-1 | スリランカ | 1982年06月08日 | 1980年代 | ユーロ債1億㌦調印。▲ス・韓友好議員発足。 |
DIA-305-1982-06-09-1 | スリランカ | 1982年06月09日 | 1980年代 | 大統領洪水被災地救済命令。▲不動産不正取引で印紙税改正を決定。▲ジャフナ行き郵便列車に爆弾。 |
DIA-305-1982-06-10-1 | スリランカ | 1982年06月10日 | 1980年代 | 外務省,イスラエルのレバノン侵略を非難。 |
DIA-305-1982-06-11-1 | スリランカ | 1982年06月11日 | 1980年代 | 前UNP議員N・フェルナンド,自由党シリマボ派入党申請(7月17日承認)。▲郵便小包爆弾事件。 |
DIA-305-1982-06-13-1 | スリランカ | 1982年06月13日 | 1980年代 | サウジ国王逝去に弔電。 |
DIA-305-1982-06-14-1 | スリランカ | 1982年06月14日 | 1980年代 | ASEAN,スリランカ加盟申請却下。▲JVP,3言語の公用語化を約束。 |
DIA-305-1982-06-16-1 | スリランカ | 1982年06月16日 | 1980年代 | 大統領と首相,洪水被災地視察。 |
DIA-305-1982-06-17-1 | スリランカ | 1982年06月17日 | 1980年代 | 大統領,イラク代表団の非同盟首脳会議招待を受諾。▲インド,逮捕タミル人テロ分子6人を起訴。 |
DIA-305-1982-06-18-1 | スリランカ | 1982年06月18日 | 1980年代 | カナダと投資保護協定。▲セネビラトネ労相,女子深夜労働禁止のILO条約に非調印占明。 |
DIA-305-1982-06-19-1 | スリランカ | 1982年06月19日 | 1980年代 | ビクトリア・ダム水没地住民2000人退去。 |
DIA-305-1982-06-21-1 | スリランカ | 1982年06月21日 | 1980年代 | 大統領,国連アジア人権セミナーで人権保護演説。▲大統領,コンピューター化強調。 |
DIA-305-1982-06-22-1 | スリランカ | 1982年06月22日 | 1980年代 | 閣議,第4次電気通信計画承認。▲サウジ国王ファハド訪スを受諾。 |
DIA-305-1982-06-27-1 | スリランカ | 1982年06月27日 | 1980年代 | 大統領,自由党の非民主性指摘。▲UNPダハナヤケ議員,比例代表制の補欠選挙廃止を非難。 |
DIA-305-1982-06-28-1 | スリランカ | 1982年06月28日 | 1980年代 | サルボダヤ運動のアリヤラトネにベルギー国際ポードワン賞授与。▲世銀電力借款,4270万㌦。 |
DIA-305-1982-06-29-1 | スリランカ | 1982年06月29日 | 1980年代 | ベイルートからランカ人12人帰国。▲米国での世界タミル・エラム会議にTULFアミルタリンガム出発。 |
DIA-305-1982-06-30-1 | スリランカ | 1982年06月30日 | 1980年代 | ランカ人セパラ・エカナヤケ,タイでハイジャック。▲選管委,JVP,NSSP,DWCの政党確認。▲日本,35億円病院援助。▲米国,1760万㌦農産物借款。 |
DIA-305-1982-07-01-1 | スリランカ | 1982年07月01日 | 1980年代 | 新会社法施行。▲ハイジャック機コロンボ着(2日イタリア政府,犯人引渡し要求)。 |
DIA-305-1982-07-03-1 | スリランカ | 1982年07月03日 | 1980年代 | ハミード外相,米政府に世界タミル・エラム会議開催について申入れ。米政府エラム反対と回答。 |
DIA-305-1982-07-07-1 | スリランカ | 1982年07月07日 | 1980年代 | 閣議,憲法第3次改正案を決定。大統領,野党4派に説明。▲ハイジャック防止法案作成。▲日本と投資保護協定。▲議会特別委,自由党マイトリ派議員追放のシリマボ派要求を却下。 |
DIA-305-1982-07-08-1 | スリランカ | 1982年07月08日 | 1980年代 | 東京でスリランカ援助国会議(9日まで)。 |
DIA-305-1982-07-09-1 | スリランカ | 1982年07月09日 | 1980年代 | デ・メル蔵相,援助国会議は6億6700万㌦約束と語る。▲所得税付加税実施。 |
DIA-305-1982-07-13-1 | スリランカ | 1982年07月13日 | 1980年代 | 米国大使,マハベリ5国立公園に5年1億㌦援助を言明。▲最高裁ハイジャック法案合憲と回答。 |
DIA-305-1982-07-14-1 | スリランカ | 1982年07月14日 | 1980年代 | ソ連と大学学位相互承認を交渉(医療審議会はルムンバ大卒17名の資格承認拒否)。▲在レバノン・ランカ人家族,政府に保護要求で座込み。▲クウェート,マハベリ計画に8億8000万ルピー援助。▲村会議金庫設置承認。 |
DIA-305-1982-07-15-1 | スリランカ | 1982年07月15日 | 1980年代 | 大蔵省,海運公社に対アルゼンチン造船借款取消し要求。 |
DIA-305-1982-07-16-1 | スリランカ | 1982年07月16日 | 1980年代 | 米国西部軍司令官フォレスター中将来島。▲スウェーデン5カ年37億ルピー援助約束。▲ランカ・ソ連友好25周年記念祭。▲国際的画家マンジュスリ死去。 |
DIA-305-1982-07-17-1 | スリランカ | 1982年07月17日 | 1980年代 | シリマボ派自由党全島委会議,大統領選不出馬討議。▲婦人局,第1,第2子出産休暇3カ月を勧告。 |
DIA-305-1982-07-18-1 | スリランカ | 1982年07月18日 | 1980年代 | 非同盟レバノン和平使節団参加決定。 |
DIA-305-1982-07-21-1 | スリランカ | 1982年07月21日 | 1980年代 | ハイジャック防止法,議会通過。▲外国雇用局設置決定。▲大統領,今年中に大統領選と発言。 |
DIA-305-1982-07-22-1 | スリランカ | 1982年07月22日 | 1980年代 | 憲法第3次改正案公示。▲ソ連援助の鉄鋼公社溶解・連続鋳物工場開工。 |
DIA-305-1982-07-23-1 | スリランカ | 1982年07月23日 | 1980年代 | LSSPは大統領選候補にコルビン・シルバ党首を決定。▲デ・メル蔵相,ソ連国家対外経済委員長スカチコフと会談。▲ス・韓経済協力委ランカ委発足。 |
DIA-305-1982-07-24-1 | スリランカ | 1982年07月24日 | 1980年代 | ウィジェラトネ法相,名誉毀損法案説明。発行紙の停刊,1日10万ルピー罰金案に各新聞一斉反対。 |
DIA-305-1982-07-25-1 | スリランカ | 1982年07月25日 | 1980年代 | 豪州でのランカ茶の悪質宣伝を調査。 |
DIA-305-1982-07-27-1 | スリランカ | 1982年07月27日 | 1980年代 | ベイルートのランカ人226名の安全確認。 |
DIA-305-1982-07-28-1 | スリランカ | 1982年07月28日 | 1980年代 | 閣議,政府所有企業の公社化法案作成決定。 |
DIA-305-1982-07-29-1 | スリランカ | 1982年07月29日 | 1980年代 | ゴールでシンハラ人,ムーア人の地主,借地人紛争,夜間外出禁止。▲モスコー派共産党ケネマン,名誉毀損案を反民主主義と攻撃。 |
DIA-305-1982-07-30-1 | スリランカ | 1982年07月30日 | 1980年代 | ゴール事件で非常事態宣言。▲イランのアミニ特使,非同盟首脳バグダッド会議反対要請で来島。 |
DIA-305-1982-08-01-1 | スリランカ | 1982年08月01日 | 1980年代 | ゴール正常化(外出禁止令は4日解除)。 |
DIA-305-1982-08-02-1 | スリランカ | 1982年08月02日 | 1980年代 | ハミード外相,イラン特使にバグダッド会議出席は親イラクでないと説明。▲CWCはジャヤワルダナ大統領再選支持。▲TELF,憲法改正反対声明。 |
DIA-305-1982-08-03-1 | スリランカ | 1982年08月03日 | 1980年代 | 憲法第3次改正法議会提出。▲政府,シンハラ・ムスリム平和委を設置。 |
DIA-305-1982-08-04-1 | スリランカ | 1982年08月04日 | 1980年代 | 在レバノン・ランカ人1万3000人中6500人行方不明。 |
DIA-305-1982-08-05-1 | スリランカ | 1982年08月05日 | 1980年代 | 議会,非常事態宣言を承認(29日終了)。▲TULFアミルタリンガム,全政党人種問題会議を提案。▲キューバのP・トルラス外務副大臣,非同盟会議問題で来島。▲ラリト商相訪韓。金首相に投資要請。▲公開大学5年2億ルピー支出決定。 |
DIA-305-1982-08-06-1 | スリランカ | 1982年08月06日 | 1980年代 | TCのポンナムバラム,タミル統一大統領候補擁立問題でTULF,TELF,タミル自治党代表と会談。 |
DIA-305-1982-08-08-1 | スリランカ | 1982年08月08日 | 1980年代 | イラクのヤシン大統領特使,大統領に親書手交。 |
DIA-305-1982-08-09-1 | スリランカ | 1982年08月09日 | 1980年代 | 市民権運動CRM,憲法改正の違憲を最高裁に申立て(24日却下)。 |
DIA-305-1982-08-10-1 | スリランカ | 1982年08月10日 | 1980年代 | モスコー派共産党,反UNP統一大統領候補の4条件発表(議会権限,人権の回復,大統領権限制限新憲法)。 |
DIA-305-1982-08-11-1 | スリランカ | 1982年08月11日 | 1980年代 | ゴール事件調査委任命。▲民間労働者退職年金法を承認。▲シンハラ福祉信託基金発足。▲CRM,シリマボ派自由党の1972年憲法復帰政策に反対声明。 |
DIA-305-1982-08-12-1 | スリランカ | 1982年08月12日 | 1980年代 | ウィジェラトネ法相,訪中。▲ナデサン勅選弁護士,憲法改正案の国民投票付託を主張。 |
DIA-305-1982-08-14-1 | スリランカ | 1982年08月14日 | 1980年代 | シリマボ派,タミル人の北部地域自治権保証を約束。▲TULF,テロ防止法廃止を主張。 |
DIA-305-1982-08-15-1 | スリランカ | 1982年08月15日 | 1980年代 | コロンボ高裁,1979年の警官殺害でタミル人S・Y・クッティマニに死刑判決(27日上訴)。▲イラン特使イサラム来島。 |
DIA-305-1982-08-24-1 | スリランカ | 1982年08月24日 | 1980年代 | 選挙人名簿閲覧開始。 |
DIA-305-1982-08-25-1 | スリランカ | 1982年08月25日 | 1980年代 | 自由党シリマボ派,LSSPアニル派,MEP,民主主義戦線PJPと4党共同選挙綱領発表。 |
DIA-305-1982-08-26-1 | スリランカ | 1982年08月26日 | 1980年代 | 憲法改正案138対1で通過。共産党反対,自由党両派棄権,TULF欠席。 |
DIA-305-1982-08-27-1 | スリランカ | 1982年08月27日 | 1980年代 | IMF,4200万㌦融資。 |
DIA-305-1982-08-28-1 | スリランカ | 1982年08月28日 | 1980年代 | TULF のシバシタムパラム総裁,大統領選はシンハラ人のみの選挙とし不出馬声明。▲UNP,大統領選のジャヤワルダナ大勝を宣言。 |
DIA-305-1982-08-30-1 | スリランカ | 1982年08月30日 | 1980年代 | 大統領選立候補届出締切りを9月17日(大統領誕生日),投票日を10月20日(故D・セナナヤケUNP元総裁誕生日),郵便投票申請締切り日を9月9日と布告。野党統一候補未決定。 |
DIA-305-1982-09-01-1 | スリランカ | 1982年09月01日 | 1980年代 | 仏のニルワラ・ガンガ援助7億ルピー承認。 |
DIA-305-1982-09-02-1 | スリランカ | 1982年09月02日 | 1980年代 | ロンドン市長リーバー来訪。▲高等課程終了資格試験問題盗難(9日再試験)。▲自由党シリマボ派政治局員10名,H・コッベカドワの立候補支持。▲選管委員長,アニル派工LSSPの政党確認申請を却下。 |
DIA-305-1982-09-03-1 | スリランカ | 1982年09月03日 | 1980年代 | 自由党シリマボ派コッベカドワ大統領候補公認を宣言。ラトナシリ書記長,各野党の支援要請。▲TCのポンナムバラム,立候補供託金納付(5日,CWCは反対声明)。 |
DIA-305-1982-09-04-1 | スリランカ | 1982年09月04日 | 1980年代 | 大統領,選挙運動第一声。▲シリマボ,候補者の正式決定は7日と語る。 |
DIA-305-1982-09-05-1 | スリランカ | 1982年09月05日 | 1980年代 | 無所属のM・テネクーン元自由党議員,立候補。 |
DIA-305-1982-09-06-1 | スリランカ | 1982年09月06日 | 1980年代 | 自由党シリマボ派,中央委員会開催。 |
DIA-305-1982-09-07-1 | スリランカ | 1982年09月07日 | 1980年代 | シリマボ,マィトリの両派,選管委に正統自由党の確認を要請。▲JVPのロハンナ党首,無所属N・H・ケールティラトネ(現社会事業相の兄弟),立候補供託金納付。▲ランカ人23名,イスラエル軍捕虜となる。 |
DIA-305-1982-09-08-1 | スリランカ | 1982年09月08日 | 1980年代 | 仏教学校2校の大学昇格を承認。▲南アジア4カ国海運条約の検討開始。 |
DIA-305-1982-09-09-1 | スリランカ | 1982年09月09日 | 1980年代 | 選管委,自由党シリマボ派を確認政党に指定。マイトリは立候補中止言明。▲CWC,ジャヤワルダナ支持を決定。▲政府,戦争・空手映画の輸入防止を指示。 |
DIA-305-1982-09-10-1 | スリランカ | 1982年09月10日 | 1980年代 | 自由党本部ビル,シリマボ派に返還。シリマボ,コッベカドワ支持言明。▲NSSPのV・ナナヤカラ委員長立候補。▲テロ防止法で拘留のタミル青年ハンスト。 |
DIA-305-1982-09-13-1 | スリランカ | 1982年09月13日 | 1980年代 | ラリト商相,大蔵省の海運公社批判に反論。 |
DIA-305-1982-09-15-1 | スリランカ | 1982年09月15日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ,立候補供託金納付。▲選管委,無所属立候補者3名の届出を却下。確認6政党の立候補者を承認。▲マレー連盟,ジャヤワルダナ支持を決定。▲モスコー派共産党,コッベカドワ支持を決定。 |
DIA-305-1982-09-19-1 | スリランカ | 1982年09月19日 | 1980年代 | TULF大会,選挙ボイコット,TCポンナムバラムの不支持を決定。▲コッベカドワ候補,1980年スト被解雇者の復職を約束。 |
DIA-305-1982-09-21-1 | スリランカ | 1982年09月21日 | 1980年代 | 中国の鄭拓彬貿易次官と5カ年貿易協定締結。 |
DIA-305-1982-09-22-1 | スリランカ | 1982年09月22日 | 1980年代 | 外務省,ベイルート大量殺人でイスラエル非難。 |
DIA-305-1982-09-25-1 | スリランカ | 1982年09月25日 | 1980年代 | NSSPのナナヤカラ6項目の選挙綱領発表。 |
DIA-305-1982-09-25-2 | スリランカ | 1982年09月25日 | 1980年代 | 自由党マイトリ派のウィジェシリ議員,UNP加盟表明(27日ラクシマン・デシルバ,28日S・D・R.・ジャヤラトネ元漁業相も表明)。 |
DIA-305-1982-09-27-1 | スリランカ | 1982年09月27日 | 1980年代 | シリマボ,マイトリ等復帰は未決定と語る。 |
DIA-305-1982-09-29-1 | スリランカ | 1982年09月29日 | 1980年代 | 証券取引所発足。 |
DIA-305-1982-09-30-1 | スリランカ | 1982年09月30日 | 1980年代 | LSSPのシルバ,コッベカドワの立候補は総裁が公民権喪失のシリマボの政党のため法的問題ありと発言(10月3日自由党ラトナシリ書記長は反論)。 |
DIA-305-1982-10-03-1 | スリランカ | 1982年10月03日 | 1980年代 | 大統領,TULF 議員に入閣呼びかけ。▲自由党シリマボ派ラトナシリ書記長,ルピー切上げ主張。 |
DIA-305-1982-10-04-1 | スリランカ | 1982年10月04日 | 1980年代 | コロンボ高裁,タミル人Y・クッティマニを第3の殺人容疑で起訴。▲TULF,選挙ボイコット運動。 |
DIA-305-1982-10-05-1 | スリランカ | 1982年10月05日 | 1980年代 | LSSP系労組の政府書記組合GCSU,LSSPシルバ支持、NSSPナナヤカラ支持で内紛・分裂。 |
DIA-305-1982-10-06-1 | スリランカ | 1982年10月06日 | 1980年代 | アヌラ,初のコッベカドワの応援演説。▲ガミニ・クリケット協会会長,ランカチームの南ア遠征禁止。 |
DIA-305-1982-10-07-1 | スリランカ | 1982年10月07日 | 1980年代 | 人民解放党P・グナセケラ,JVP支持表明。▲仏教団体評議会,6候補者に仏教国教化など25項目要求。 |
DIA-305-1982-10-09-1 | スリランカ | 1982年10月09日 | 1980年代 | モスコー派共産党のケネマン委員長,LSSPシルバに立候補辞退を要請。 |
DIA-305-1982-10-10-1 | スリランカ | 1982年10月10日 | 1980年代 | 大統領,コッベカドワの立候補資格問題に言及。▲ス・日友好協会新会長にアイボア・パテルナット。 |
DIA-305-1982-10-11-1 | スリランカ | 1982年10月11日 | 1980年代 | アヌラ,共産党機関紙『アッタ』の批判に反論。共産主義政策をとらずと言明。▲住宅建築に減税。 |
DIA-305-1982-10-12-1 | スリランカ | 1982年10月12日 | 1980年代 | 猥褻出版物法改正。罰則強化。▲映画監督L・スター・J・ピーリスの作品,日本上映決定。 |
DIA-305-1982-10-13-1 | スリランカ | 1982年10月13日 | 1980年代 | ウパリ・ウィジェワルダナ,ジャヤワルダナ支持声明。▲食管局,米不足流言を否定。▲TULF アミルタリンガム書記長,バッドスレコダイ区選出議員の空席に入獄中のクッティマニを後任に指定(14日選管委通告,15日バケール国会議長は法的に疑問と発言)。 |
DIA-305-1982-10-15-1 | スリランカ | 1982年10月15日 | 1980年代 | 外務省,対米軍事援助要請説を否認。 |
DIA-305-1982-10-17-1 | スリランカ | 1982年10月17日 | 1980年代 | 選挙運動終了,大統領は圧勝確信を,コッベカドワは左翼政党の支持感謝を声明。▲ランカ・クリケット選手14名極秘に南アへ出発(22日選手の25年プレイ禁止を命令)。 |
DIA-305-1982-10-20-1 | スリランカ | 1982年10月20日 | 1980年代 | 大統領選投票,非常事態を宣言。 |
DIA-305-1982-10-21-1 | スリランカ | 1982年10月21日 | 1980年代 | 大統領選にJ・R・ジャヤワルダナ大勝。 |
DIA-305-1982-10-25-1 | スリランカ | 1982年10月25日 | 1980年代 | 自由党選挙声明発表。反UNP共同戦線の団結を訴え。LSSPシルバ発言は利敵と批判。▲自由党,共産党は選挙後各地の暴行事件取締りを警察庁に要求。 |
DIA-305-1982-10-26-1 | スリランカ | 1982年10月26日 | 1980年代 | インド首相,大統領に祝電,両国親善を強調。 |
DIA-305-1982-10-27-1 | スリランカ | 1982年10月27日 | 1980年代 | 閣議,現任議員任期を1983年8月3日からさらに6年延期の憲法第4次改正案の国民投票付託決定。▲パン,小麦粉を値下仇▲選管委クッティマニの議員承認を議会に通告(30日議長は法務長官に諮問)。 |
DIA-305-1982-10-28-1 | スリランカ | 1982年10月28日 | 1980年代 | UNP議員総会,国民投票を支持,日付無記入辞表を大統領に提出。▲大統領,自由党のクーデター計画ナクサライト分子の党支配を非難。▲F・D・バンダラナイケ元法相,第4次憲法改正は違憲と最高裁に提訴。 |
DIA-305-1982-10-29-1 | スリランカ | 1982年10月29日 | 1980年代 | シリマボ派,CRM(30日TULF),国民投票反対声明。▲選挙中の偽造米通帳でコッベカドワを訊問。 |
DIA-305-1982-11-01-1 | スリランカ | 1982年11月01日 | 1980年代 | 自由党シリマボ派中央委,マィトリ等の復帰承認。左派委員はアヌラの反左派言動を非難。▲1983年1~3月暫定予算122億ルピー提出(2日可決)。 |
DIA-305-1982-11-02-1 | スリランカ | 1982年11月02日 | 1980年代 | 大統領,クーデター計画はシリマボ,アヌラ監禁も図ると発言。▲非常規則で共産党『アッタ』社を閉鎖。▲蔵券発行限度230億ルピーに引上げ。 |
DIA-305-1982-11-03-1 | スリランカ | 1982年11月03日 | 1980年代 | 日本の援助6040万㌦を承認。▲輸入米価値下げ。 |
DIA-305-1982-11-04-1 | スリランカ | 1982年11月04日 | 1980年代 | 議会,憲法改正案国民投票付託を142対4で可決(マイトリ派マイトリ,イシャク賛成,TULF退席)。 |
DIA-305-1982-11-04-2 | スリランカ | 1982年11月04日 | 1980年代 | TULF議員,1983年任期満了日辞任を決定(12日辞表をアミル書記長に手交)。▲ソウルで韓・ス経済合同委開く。 |
DIA-305-1982-11-05-1 | スリランカ | 1982年11月05日 | 1980年代 | D・アティゴール固有医学相辞任。▲国連フォークランド決議で英国を支持。▲シリマボ、クーデター計画を否認。▲ベイルートでランカ人22名釈放。 |
DIA-305-1982-11-06-1 | スリランカ | 1982年11月06日 | 1980年代 | インド,タミル人犯人プラバカラン等送還決定。 |
DIA-305-1982-11-07-1 | スリランカ | 1982年11月07日 | 1980年代 | 自由党S・D・バンダラナイケ,大統領の挙党・国民政府案支持発言。 |
DIA-305-1982-11-10-1 | スリランカ | 1982年11月10日 | 1980年代 | 非常事態延長を決定(26日議会可決)。▲マイトリ派幹部B・ラジャパクセ,UNP加入。▲コッベカドワ,大統領選違反でUNP幹事長を告訴。 |
DIA-305-1982-11-12-1 | スリランカ | 1982年11月12日 | 1980年代 | シリマボ派ラトナシリ書記長を逮捕(24日釈放)。 |
DIA-305-1982-11-14-1 | スリランカ | 1982年11月14日 | 1980年代 | 国民投票12月22日施行を布告。▲北部でタミル分離国家運動容疑でカトリック司教3人逮捕。 |
DIA-305-1982-11-15-1 | スリランカ | 1982年11月15日 | 1980年代 | ブレジネフの葬儀にハミード外相列席。 |
DIA-305-1982-11-16-1 | スリランカ | 1982年11月16日 | 1980年代 | パプア・ニューギニアと外交関係。▲東京で外債30億円発行協定調印。 |
DIA-305-1982-11-17-1 | スリランカ | 1982年11月17日 | 1980年代 | 大統領・行政権強大化司法権低下批判の最高裁サマラクーン判事の書翰に反論。 |
DIA-305-1982-11-19-1 | スリランカ | 1982年11月19日 | 1980年代 | 西独のユルゲン・ワルンケ経済脇力相来島(21日ランデニガラ・ダム起工式出席)。▲自由党シリマボ派V・クマラナトンガを拘禁。 |
DIA-305-1982-11-22-1 | スリランカ | 1982年11月22日 | 1980年代 | 大統領,自由党の自己改造まで政権は維持と言明。 |
DIA-305-1982-11-23-1 | スリランカ | 1982年11月23日 | 1980年代 | 陸軍司令官,逮捕した司教とテロ分子との関係確認と発表。▲9野党,反国民投票共同集会。 |
DIA-305-1982-11-24-1 | スリランカ | 1982年11月24日 | 1980年代 | アルウィス国務相,クッティマニの議員資格否 認。 |
DIA-305-1982-11-26-1 | スリランカ | 1982年11月26日 | 1980年代 | 国防省,クーデター計画報告書を議会に提出。 |
DIA-305-1982-11-28-1 | スリランカ | 1982年11月28日 | 1980年代 | 外務省,タミル・テロ事件で米大使館員K・M・スコットの出国を要請(12月4日,カラチへ退去)。 |
DIA-305-1982-11-29-1 | スリランカ | 1982年11月29日 | 1980年代 | 暗殺計画容疑で,シリマボ派書記長等11名起訴。 |
DIA-305-1982-11-30-1 | スリランカ | 1982年11月30日 | 1980年代 | ジャフナでカトリック司祭釈放要求で,TULF議員等5000人ハンスト。 |
DIA-305-1982-12-01-1 | スリランカ | 1982年12月01日 | 1980年代 | 閣議,海洋法条約批准決定。 |
DIA-305-1982-12-02-1 | スリランカ | 1982年12月02日 | 1980年代 | 自由党ムスタファ元司法副大臣等のUNP支持表明続出。 |
DIA-305-1982-12-04-1 | スリランカ | 1982年12月04日 | 1980年代 | アヌラ,UNP 加入を否定。 |
DIA-305-1982-12-05-1 | スリランカ | 1982年12月05日 | 1980年代 | 大統領,自由党は自己改造せねば消滅と語る。▲TULF,テロ防止法廃止要求。▲ペラデニヤ大学学生組合選挙でJVP系,UNP系乱闘,キャンパス閉鎖。 |
DIA-305-1982-12-06-1 | スリランカ | 1982年12月06日 | 1980年代 | 最高裁,F・D・バンダラナイケの違憲提訴却下。 |
DIA-305-1982-12-07-1 | スリランカ | 1982年12月07日 | 1980年代 | カトリック司教会議代表,大統領と会見。テロと無関係と説明。▲シリマボ,自由党のナクサライト分子支配,クーデター計画説を否認。 |
DIA-305-1982-12-08-1 | スリランカ | 1982年12月08日 | 1980年代 | 米国務省,スコット問題解決と発表。 |
DIA-305-1982-12-09-1 | スリランカ | 1982年12月09日 | 1980年代 | 大統領,ハミード外相,海洋法条約調印で,30万平方マイルの経済海床獲得と言明。▲自由党マイトリ派,国民投票賛成決定(13日UNP演説会に出席)。 |
DIA-305-1982-12-10-1 | スリランカ | 1982年12月10日 | 1980年代 | ポロンナルワ,マタレ地方大豪雨で地すべり。 |
DIA-305-1982-12-10-2 | スリランカ | 1982年12月10日 | 1980年代 | 共産党ケネマン,国民投票はヒトラー的手口と批判。 |
DIA-305-1982-12-13-1 | スリランカ | 1982年12月13日 | 1980年代 | 自由党フォンセカ元漁業副大臣,UNP加入。 |
DIA-305-1982-12-14-1 | スリランカ | 1982年12月14日 | 1980年代 | コロンボ港湾労働者6000人,賃上げ要求スト(15日基本サービス法適用。解雇を警告,16日復業)。 |
DIA-305-1982-12-15-1 | スリランカ | 1982年12月15日 | 1980年代 | 閣議・非常事態の19日終結を決定。▲S・ナデサン勅選弁護士,『アッタ』紙社閉鎖は報道の自由制限と最高裁に抗議。 |
DIA-305-1982-12-16-1 | スリランカ | 1982年12月16日 | 1980年代 | 日本と10億円援助協定。▲11月29日逮捕のシリマボ派自由党ラトナシリ書記長等10名保釈。 |
DIA-305-1982-12-18-1 | スリランカ | 1982年12月18日 | 1980年代 | TULFアミル書記長,国民投票反対投票はタミル分離国家要求の証拠と演説。 |
DIA-305-1982-12-19-1 | スリランカ | 1982年12月19日 | 1980年代 | 選挙運動終了。▲大統領,国民投票は総選挙より民主的と演説。 |
DIA-305-1982-12-20-1 | スリランカ | 1982年12月20日 | 1980年代 | 大統領,首相と洪水被災地区視察。 |
DIA-305-1982-12-21-1 | スリランカ | 1982年12月21日 | 1980年代 | シリマボ,選挙運動中の脅迫・妨害非難の書翰を大統領に送付。▲TULFのシバシタムパラム総裁,UNP の多数権力乱用を批判。 |
DIA-305-1982-12-22-1 | スリランカ | 1982年12月22日 | 1980年代 | 国民投票実施,即日開票では賛否せり合い。 |
DIA-305-1982-12-23-1 | スリランカ | 1982年12月23日 | 1980年代 | 国民投票賛成は有効票の54.6%。▲中国婦人代表団陸対外友好脇会理事来島。 |
DIA-305-1982-12-24-1 | スリランカ | 1982年12月24日 | 1980年代 | 議会,非常事態延長を136対6で可決。プレマダサ首相・V・クマラナトンガは殺し屋,LSSPと連絡と非難。▲S・D・バンダラナイケ議員,国民投票で大統領に敬意と国民政府で発言。▲刑事特別訴証法改正法通過。 |
DIA-305-1982-12-27-1 | スリランカ | 1982年12月27日 | 1980年代 | フルレ文化相,文化財返還で英国と交渉と発言。 |
DIA-305-1982-12-29-1 | スリランカ | 1982年12月29日 | 1980年代 | アルウィス国務相,1983年予算は3月,84年予算は11月提出と発表。▲TULFヨゲスワラン議員を軍警当局訊問。▲大学にコンピューター学科設置検討。 |
DIA-305-1983-01-02-1 | スリランカ | 1983年01月02日 | 1980年代 | ハミード外相、ニカラガ非同盟外相会議へ出発。 |
DIA-305-1983-01-03-1 | スリランカ | 1983年01月03日 | 1980年代 | フルレ文化相、オランダと文化財返還交渉言明。 |
DIA-305-1983-01-03-2 | スリランカ | 1983年01月03日 | 1980年代 | デメル蔵相、英国蔵相にビクトリアダム事業への追加援助2500万ポンド要請。 |
DIA-305-1983-01-04-1 | スリランカ | 1983年01月04日 | 1980年代 | 大統領、国民統一全政党委の設置提案(6日TULFのアミル書記長、これを評価。 |
DIA-305-1983-01-04-2 | スリランカ | 1983年01月04日 | 1980年代 | 労働者退職金法案を提出。 |
DIA-305-1983-01-06-1 | スリランカ | 1983年01月06日 | 1980年代 | 砂糖価格キロ12.5ルピーに統制。 |
DIA-305-1983-01-06-2 | スリランカ | 1983年01月06日 | 1980年代 | S・D・バンダラナイケ自由党議員、国民政府案支持、党内左派を批判。 |
DIA-305-1983-01-07-1 | スリランカ | 1983年01月07日 | 1980年代 | マイトリ派自由党マイトリ議員、自派の正統性確認を要請。 |
DIA-305-1983-01-07-2 | スリランカ | 1983年01月07日 | 1980年代 | TULFガネシャリンガム議員、射殺さる。 |
DIA-305-1983-01-08-1 | スリランカ | 1983年01月08日 | 1980年代 | 自由党シリマボ総裁、国民政府参加拒否。 |
DIA-305-1983-01-10-1 | スリランカ | 1983年01月10日 | 1980年代 | 最高裁、自由党コッベカドワの大統領選異議訴訟を却下。 |
DIA-305-1983-01-11-1 | スリランカ | 1983年01月11日 | 1980年代 | スイスと租税条約調印。 |
DIA-305-1983-01-12-1 | スリランカ | 1983年01月12日 | 1980年代 | 2月4日独立記念日の屠殺・酒販売禁止。 |
DIA-305-1983-01-12-2 | スリランカ | 1983年01月12日 | 1980年代 | MEP、8月前の総選挙要求。 |
DIA-305-1983-01-12-3 | スリランカ | 1983年01月12日 | 1980年代 | 与党UNP、前自由党員P・B・カルガレ等の入党発表。 |
DIA-305-1983-01-13-1 | スリランカ | 1983年01月13日 | 1980年代 | メンディス繊維工業相、繊維品輸入禁止を発言(19日、閣議は必要に応じ輸入と発表)。 |
DIA-305-1983-01-13-2 | スリランカ | 1983年01月13日 | 1980年代 | 大統領、自由党左派クマラナトンガ拘禁命令(19日釈放)。 |
DIA-305-1983-01-13-3 | スリランカ | 1983年01月13日 | 1980年代 | シンハラ語辞典事業に大統領基金から20万ルピー交付。 |
DIA-305-1983-01-14-1 | スリランカ | 1983年01月14日 | 1980年代 | ユーゴ、ビザなしランカ人14名を拘留・送還。 |
DIA-305-1983-01-14-2 | スリランカ | 1983年01月14日 | 1980年代 | マイトリ、大統領に1980年スト解雇者の復職を要請。 |
DIA-305-1983-01-15-1 | スリランカ | 1983年01月15日 | 1980年代 | 自由党オルグ36名を選挙違反で起訴。 |
DIA-305-1983-01-15-2 | スリランカ | 1983年01月15日 | 1980年代 | 協同組合、家庭用砂糖カード発行、食管局砂糖退蔵に警告。 |
DIA-305-1983-01-17-1 | スリランカ | 1983年01月17日 | 1980年代 | マシュー工業相、国民政府は不要と発言。 |
DIA-305-1983-01-18-1 | スリランカ | 1983年01月18日 | 1980年代 | 米国モトローラ社、自由貿易区進出中止を通告。 |
DIA-305-1983-01-19-1 | スリランカ | 1983年01月19日 | 1980年代 | 2ルピー紙幣のコイン切換え決定。 |
DIA-305-1983-01-19-2 | スリランカ | 1983年01月19日 | 1980年代 | 北部テロ事件に関連し3神父・牧師をテロ防止法で起訴を決定。 |
DIA-305-1983-01-21-1 | スリランカ | 1983年01月21日 | 1980年代 | 上訴裁判所、TULFのクッティマニの国会議員資格申請を却下(24日、クッティマニ、辞表を提出)。 |
DIA-305-1983-01-22-1 | スリランカ | 1983年01月22日 | 1980年代 | 中国文化使節団周魏峙文化部副部長ら来島(30日、中国と文化経験知識交流を協定)。 |
DIA-305-1983-01-22-2 | スリランカ | 1983年01月22日 | 1980年代 | シンハラ語聖書を刊行。 |
DIA-305-1983-01-22-3 | スリランカ | 1983年01月22日 | 1980年代 | タミル会議TCのポンナムバラム、全野党議員辞任を要請。 |
DIA-305-1983-01-24-1 | スリランカ | 1983年01月24日 | 1980年代 | ECのE・ボルピ、EC・スリランカ合同委で来訪。 |
DIA-305-1983-01-26-1 | スリランカ | 1983年01月26日 | 1980年代 | 中国との新貿易5年協定承認。 |
DIA-305-1983-01-26-2 | スリランカ | 1983年01月26日 | 1980年代 | 大統領、補選実施表明。 |
DIA-305-1983-01-26-3 | スリランカ | 1983年01月26日 | 1980年代 | マレーシアと2重課税防止協定。 |
DIA-305-1983-01-26-4 | スリランカ | 1983年01月26日 | 1980年代 | 南アジア共同環境計画会議開く。 |
DIA-305-1983-01-26-5 | スリランカ | 1983年01月26日 | 1980年代 | サウジのゴサイビ工業・電力相来島。 |
DIA-305-1983-02-02-1 | スリランカ | 1983年02月02日 | 1980年代 | UNP議員O・S・ペレラ、病気辞任。 |
DIA-305-1983-02-03-1 | スリランカ | 1983年02月03日 | 1980年代 | ガマニ・コレア、UNCTAD事務局長に再任。 |
DIA-305-1983-02-03-2 | スリランカ | 1983年02月03日 | 1980年代 | 最高裁、自由党クマラナトンガの選挙訴訟を却下。 |
DIA-305-1983-02-04-1 | スリランカ | 1983年02月04日 | 1980年代 | 独立記念日、大統領再任宣誓式。 |
DIA-305-1983-02-05-1 | スリランカ | 1983年02月05日 | 1980年代 | 18歳以下少年虐待処罰の新児童憲章起草。 |
DIA-305-1983-02-05-2 | スリランカ | 1983年02月05日 | 1980年代 | LSSP、反政府共同行動を決定。 |
DIA-305-1983-02-07-1 | スリランカ | 1983年02月07日 | 1980年代 | ベルギーと2重課税防止協定。 |
DIA-305-1983-02-07-2 | スリランカ | 1983年02月07日 | 1980年代 | 大統領、ジャヤワルダナプラ大学副学長を解任。 |
DIA-305-1983-02-09-1 | スリランカ | 1983年02月09日 | 1980年代 | 国会開会、大統領、献身・義務による公正社会樹立と演説。 |
DIA-305-1983-02-09-2 | スリランカ | 1983年02月09日 | 1980年代 | デメル蔵相、ディブヌワラ区議員、蔵相を辞任(10日他区議員に指名され、蔵相に再任)。 |
DIA-305-1983-02-09-3 | スリランカ | 1983年02月09日 | 1980年代 | クマラナトンガ、アヌラの国民政府支持を非難。 |
DIA-305-1983-02-09-4 | スリランカ | 1983年02月09日 | 1980年代 | マーティン英連邦外務次官、マハベリ・ダム事業の進行状況を賞讃。 |
DIA-305-1983-02-10-1 | スリランカ | 1983年02月10日 | 1980年代 | UNP書記長、17議員の辞任を議会に通告、シリマボはごまかしと批評。 |
DIA-305-1983-02-11-1 | スリランカ | 1983年02月11日 | 1980年代 | 中銀ラサプトラム総裁、1㌦23.05ルピーが安定目標と発言。 |
DIA-305-1983-02-11-2 | スリランカ | 1983年02月11日 | 1980年代 | TULF、UNPに敗北全区の補選要求。 |
DIA-305-1983-02-12-1 | スリランカ | 1983年02月12日 | 1980年代 | LSSPアニル派、自由党加入を決定。 |
DIA-305-1983-02-12-2 | スリランカ | 1983年02月12日 | 1980年代 | 自由党アヌラ、イランガラトネ等左派を非難。 |
DIA-305-1983-02-13-1 | スリランカ | 1983年02月13日 | 1980年代 | プ首相、補選は1946年選挙法でと発言。 |
DIA-305-1983-02-13-2 | スリランカ | 1983年02月13日 | 1980年代 | 大統領の甥で財界有力者ウパリ・ウィジェワルダナ塔乗機、マレーシア出発後失踪。 |
DIA-305-1983-02-13-3 | スリランカ | 1983年02月13日 | 1980年代 | 電力公社、官民工業に節電要請。 |
DIA-305-1983-02-14-1 | スリランカ | 1983年02月14日 | 1980年代 | 英連邦法相会議開く。 |
DIA-305-1983-02-15-1 | スリランカ | 1983年02月15日 | 1980年代 | ハミード外相、ウパリ捜査援助を米大使に要請。 |
DIA-305-1983-02-16-1 | スリランカ | 1983年02月16日 | 1980年代 | 閣議、憲法第5次改正案、英語古典のシンハラ語翻訳を決定。 |
DIA-305-1983-02-16-2 | スリランカ | 1983年02月16日 | 1980年代 | 大統領特別委、UNPジャラルディーン議員を権力乱用で有罪と判決(23日最高裁は同議員の上訴を却下、25日辞任)。 |
DIA-305-1983-02-16-3 | スリランカ | 1983年02月16日 | 1980年代 | 日本JICA有田総裁来島。 |
DIA-305-1983-02-18-1 | スリランカ | 1983年02月18日 | 1980年代 | インドと海洋資源開発会議開く。 |
DIA-305-1983-02-21-1 | スリランカ | 1983年02月21日 | 1980年代 | 最高裁、憲法改正案の合憲を回答。 |
DIA-305-1983-02-21-2 | スリランカ | 1983年02月21日 | 1980年代 | JVP、全野党選挙協定を提案。 |
DIA-305-1983-02-21-3 | スリランカ | 1983年02月21日 | 1980年代 | LSSP、総選挙を要求。 |
DIA-305-1983-02-22-1 | スリランカ | 1983年02月22日 | 1980年代 | 保健副大臣S・ラナシンハ夫人、コロンボ病院・家族保健相に就任。 |
DIA-305-1983-02-23-1 | スリランカ | 1983年02月23日 | 1980年代 | スウェーデンと租税条約。 |
DIA-305-1983-02-23-2 | スリランカ | 1983年02月23日 | 1980年代 | 日本石川外務政務次官来島(25日、3億円援助協定)。 |
DIA-305-1983-02-23-3 | スリランカ | 1983年02月23日 | 1980年代 | 閣議、中国援助のネラムベ・オヤ水力発電事業を承認。 |
DIA-305-1983-02-24-1 | スリランカ | 1983年02月24日 | 1980年代 | 憲法第5次改正法、1220対0で可決(TULF欠席)。 |
DIA-305-1983-02-24-2 | スリランカ | 1983年02月24日 | 1980年代 | 6大学学生は防衛大学生の入学反対抗議。 |
DIA-305-1983-02-26-1 | スリランカ | 1983年02月26日 | 1980年代 | UNP第28回大会、大統領はデメル蔵相を弁護。 |
DIA-305-1983-02-27-1 | スリランカ | 1983年02月27日 | 1980年代 | TULF、バドコダイ区議員にティルチェルバム指名。 |
DIA-305-1983-02-28-1 | スリランカ | 1983年02月28日 | 1980年代 | コロンボ高裁、クッティマニ等6名に終身刑判決 |
DIA-305-1983-03-01-1 | スリランカ | 1983年03月01日 | 1980年代 | 自由党、補選ボイコット呼びかけ。 |
DIA-305-1983-03-01-2 | スリランカ | 1983年03月01日 | 1980年代 | 米保証価格1ブシェル5ルピー引上げ62.5ルピーへ。 |
DIA-305-1983-03-02-1 | スリランカ | 1983年03月02日 | 1980年代 | ユーゴ裁判所、旅券不正でランカ人を裁判。 |
DIA-305-1983-03-03-1 | スリランカ | 1983年03月03日 | 1980年代 | 石油品価格を40%値上げ。 |
DIA-305-1983-03-03-2 | スリランカ | 1983年03月03日 | 1980年代 | 大統領、インドの非同盟会議へ出発。 |
DIA-305-1983-03-03-3 | スリランカ | 1983年03月03日 | 1980年代 | 中国銀行金徳琴行長来島。 |
DIA-305-1983-03-04-1 | スリランカ | 1983年03月04日 | 1980年代 | ラサプトラム中銀総裁、100ルピー偽札で声明。 |
DIA-305-1983-03-04-2 | スリランカ | 1983年03月04日 | 1980年代 | テロ分子、4兵士を襲撃。 |
DIA-305-1983-03-04-3 | スリランカ | 1983年03月04日 | 1980年代 | 日本、4億余円贈与。 |
DIA-305-1983-03-06-1 | スリランカ | 1983年03月06日 | 1980年代 | ホッパー世銀総裁来島。 |
DIA-305-1983-03-07-1 | スリランカ | 1983年03月07日 | 1980年代 | 大統領、非同盟会議で世界経済新秩序、新マーシャル援助要望。 |
DIA-305-1983-03-07-2 | スリランカ | 1983年03月07日 | 1980年代 | 大学管理委、スト学生退学決定。 |
DIA-305-1983-03-08-1 | スリランカ | 1983年03月08日 | 1980年代 | デメル蔵相、83年予算演説、公務員100ルピー賃上げ。 |
DIA-305-1983-03-09-1 | スリランカ | 1983年03月09日 | 1980年代 | 大統領、PLOアラファト議長と会見。 |
DIA-305-1983-03-09-2 | スリランカ | 1983年03月09日 | 1980年代 | 自由党S・D・バンダラナイケ議員除籍(11日同議員マイトリ派所属声明)。 |
DIA-305-1983-03-09-3 | スリランカ | 1983年03月09日 | 1980年代 | 米軍のインド洋駐留反対デモ隊、米大使館に抗議。 |
DIA-305-1983-03-12-1 | スリランカ | 1983年03月12日 | 1980年代 | 大統領、補欠選挙5月実施声明。 |
DIA-305-1983-03-14-1 | スリランカ | 1983年03月14日 | 1980年代 | スイス政府、200ランカ人の強制送還を言明。 |
DIA-305-1983-03-15-1 | スリランカ | 1983年03月15日 | 1980年代 | JVP、国民投票無効をコロンボ地裁に提訴。 |
DIA-305-1983-03-15-2 | スリランカ | 1983年03月15日 | 1980年代 | 大学管理委、未復学学生への学資ローン打切り声明。 |
DIA-305-1983-03-16-1 | スリランカ | 1983年03月16日 | 1980年代 | 大統領、ガンジー首相に先進国首脳会議前に非同盟代表の米欧派遣を提案。 |
DIA-305-1983-03-17-1 | スリランカ | 1983年03月17日 | 1980年代 | S・ラナシンハ・コロンボ病院相、保健相を兼任。 |
DIA-305-1983-03-17-2 | スリランカ | 1983年03月17日 | 1980年代 | 中国全人代常任副委員長阿旺晋美ら来島。 |
DIA-305-1983-03-18-1 | スリランカ | 1983年03月18日 | 1980年代 | 予算案117対13で第2読会通過。 |
DIA-305-1983-03-19-1 | スリランカ | 1983年03月19日 | 1980年代 | 韓国、ス・韓経済協力委代表15名来島(21日開会) |
DIA-305-1983-03-21-1 | スリランカ | 1983年03月21日 | 1980年代 | 大統領、途上国沿岸・港湾会議でトリンコマリ港開発と発言。 |
DIA-305-1983-03-21-2 | スリランカ | 1983年03月21日 | 1980年代 | コロンボ大学生復学。 |
DIA-305-1983-03-22-1 | スリランカ | 1983年03月22日 | 1980年代 | UNP、パナドラ議席の後任にM・クーレイを指名。 |
DIA-305-1983-03-22-2 | スリランカ | 1983年03月22日 | 1980年代 | カルパゲ高等教育省次官、大学生ストに警告。 |
DIA-305-1983-03-23-1 | スリランカ | 1983年03月23日 | 1980年代 | 中銀・対市銀貸出金利1%引下げ13%。 |
DIA-305-1983-03-23-2 | スリランカ | 1983年03月23日 | 1980年代 | 大統領、「キリストの生涯」のシンハラ語映画化中止命令。 |
DIA-305-1983-03-24-1 | スリランカ | 1983年03月24日 | 1980年代 | ス・韓経済協力委閉会。 |
DIA-305-1983-03-24-2 | スリランカ | 1983年03月24日 | 1980年代 | 空港公団事業を航空・空港会社が引継ぎ。 |
DIA-305-1983-03-24-3 | スリランカ | 1983年03月24日 | 1980年代 | コロンボ大学生、授業拒否。 |
DIA-305-1983-03-25-1 | スリランカ | 1983年03月25日 | 1980年代 | マシュー工業相、国内工業保護策を言明。 |
DIA-305-1983-03-25-2 | スリランカ | 1983年03月25日 | 1980年代 | 駐米大使E・コレア、米国人のテロ事件容疑のジャフナ神父の釈放要請に反論。 |
DIA-305-1983-03-26-1 | スリランカ | 1983年03月26日 | 1980年代 | プレマダサ首相、韓国・米・欧訪問に出発(29日、ソウル着)。 |
DIA-305-1983-03-27-1 | スリランカ | 1983年03月27日 | 1980年代 | トリンコマリでテロ分子25名逮捕。 |
DIA-305-1983-03-30-1 | スリランカ | 1983年03月30日 | 1980年代 | アヌラダプラ等4県へ旱ばつ緊急救済援助。 |
DIA-305-1983-03-30-2 | スリランカ | 1983年03月30日 | 1980年代 | ハミード外相、議会でVOAの放送許可変えずと答弁。 |
DIA-305-1983-03-31-1 | スリランカ | 1983年03月31日 | 1980年代 | 地方議会候補者名簿受付け。 |
DIA-305-1983-03-31-2 | スリランカ | 1983年03月31日 | 1980年代 | 大統領、補選候補者名簿受付日4月22日を告示。 |
DIA-305-1983-04-01-1 | スリランカ | 1983年04月01日 | 1980年代 | 米国と追加援助1730万㌦協定。 |
DIA-305-1983-04-01-2 | スリランカ | 1983年04月01日 | 1980年代 | 野党、補選候補者調整で会合。 |
DIA-305-1983-04-01-3 | スリランカ | 1983年04月01日 | 1980年代 | プ首相、韓国から米国へ出発。 |
DIA-305-1983-04-02-1 | スリランカ | 1983年04月02日 | 1980年代 | ジャフナ行政事務所に爆弾。 |
DIA-305-1983-04-02-2 | スリランカ | 1983年04月02日 | 1980年代 | UNP運営委に前自由党幹部P・B・カルガレ等4人任命。 |
DIA-305-1983-04-03-1 | スリランカ | 1983年04月03日 | 1980年代 | 自由党、議会事務局にS・D・バンダラナイケ除名通告。 |
DIA-305-1983-04-03-2 | スリランカ | 1983年04月03日 | 1980年代 | K・ポンナムバラム、武力で分離国家樹立を言明。 |
DIA-305-1983-04-04-1 | スリランカ | 1983年04月04日 | 1980年代 | プ首相、ロサンゼルスの会議で投資・援助要請。 |
DIA-305-1983-04-04-2 | スリランカ | 1983年04月04日 | 1980年代 | 固有医学相にW・J・M・ロクバンデラ就任。 |
DIA-305-1983-04-05-1 | スリランカ | 1983年04月05日 | 1980年代 | 予算案121対17で第3読会通過。 |
DIA-305-1983-04-05-2 | スリランカ | 1983年04月05日 | 1980年代 | ジャフナでタミル・エラム解放戦線TELFデモ、警官と衝突。 |
DIA-305-1983-04-05-3 | スリランカ | 1983年04月05日 | 1980年代 | 退職金法施行。 |
DIA-305-1983-04-07-1 | スリランカ | 1983年04月07日 | 1980年代 | ジャフナ高裁に爆弾。 |
DIA-305-1983-04-07-2 | スリランカ | 1983年04月07日 | 1980年代 | 大統領、国有地不法占拠調査指示。 |
DIA-305-1983-04-07-3 | スリランカ | 1983年04月07日 | 1980年代 | 国家開銀定期預金金利引下げ(11日、国家貯蓄銀行追随)。 |
DIA-305-1983-04-07-4 | スリランカ | 1983年04月07日 | 1980年代 | ワナタラム住民と空軍兵士衝突。 |
DIA-305-1983-04-08-1 | スリランカ | 1983年04月08日 | 1980年代 | 選管委、JVP、NSSP、DWCを旧選挙法下の政党と確認。 |
DIA-305-1983-04-08-2 | スリランカ | 1983年04月08日 | 1980年代 | インド旅行に査証必要となる。 |
DIA-305-1983-04-09-1 | スリランカ | 1983年04月09日 | 1980年代 | 大統領、マハベリ事業批判に反論。 |
DIA-305-1983-04-09-2 | スリランカ | 1983年04月09日 | 1980年代 | 野党の候補者調整難航。 |
DIA-305-1983-04-09-3 | スリランカ | 1983年04月09日 | 1980年代 | 日本仏教伝道財団、大統領に仏教伝道功労賞5万ルピー贈呈。 |
DIA-305-1983-04-11-1 | スリランカ | 1983年04月11日 | 1980年代 | LSSP元書記長L・グナワルダナ73歳で死去。 |
DIA-305-1983-04-12-1 | スリランカ | 1983年04月12日 | 1980年代 | プ首相、ブッシュ米副大統領と会談(14日レーガン大統領表敬訪問、15日ロンドン着)。 |
DIA-305-1983-04-16-1 | スリランカ | 1983年04月16日 | 1980年代 | LSSP、野党候補者調整会議脱退。 |
DIA-305-1983-04-18-1 | スリランカ | 1983年04月18日 | 1980年代 | プ首相、サッチャー英首相と会談。 |
DIA-305-1983-04-18-2 | スリランカ | 1983年04月18日 | 1980年代 | 自由党、CP、MEP、NSSPの立候補者協定成立。 |
DIA-305-1983-04-19-1 | スリランカ | 1983年04月19日 | 1980年代 | UNP補選候補者発表。 |
DIA-305-1983-04-19-2 | スリランカ | 1983年04月19日 | 1980年代 | 選管委、補選・地方議会選(一部20日)の投票日5月18日と公示。 |
DIA-305-1983-04-20-1 | スリランカ | 1983年04月20日 | 1980年代 | プ首相パリ着。 |
DIA-305-1983-04-20-2 | スリランカ | 1983年04月20日 | 1980年代 | 地方議会立候補届出締切り。 |
DIA-305-1983-04-20-3 | スリランカ | 1983年04月20日 | 1980年代 | デメル蔵相、ECハフェルカンプ委員長と会談。 |
DIA-305-1983-04-20-4 | スリランカ | 1983年04月20日 | 1980年代 | 西独と1億マルク援助協定。 |
DIA-305-1983-04-20-5 | スリランカ | 1983年04月20日 | 1980年代 | マレーシアと文化協定。 |
DIA-305-1983-04-21-1 | スリランカ | 1983年04月21日 | 1980年代 | マハティール・マレーシア首相来島(26日共同声明発表)。 |
DIA-305-1983-04-22-1 | スリランカ | 1983年04月22日 | 1980年代 | 補選立候補届出締切り。 |
DIA-305-1983-04-22-2 | スリランカ | 1983年04月22日 | 1980年代 | プ首相、モーロア仏首相と会談(23日フィンランド訪問)。 |
DIA-305-1983-04-26-1 | スリランカ | 1983年04月26日 | 1980年代 | インド・ラオ外相来島。 |
DIA-305-1983-04-26-2 | スリランカ | 1983年04月26日 | 1980年代 | ベルギー援助1.5億ルピー協定。 |
DIA-305-1983-04-26-3 | スリランカ | 1983年04月26日 | 1980年代 | ザンビア航空乗入れ発表。 |
DIA-305-1983-04-28-1 | スリランカ | 1983年04月28日 | 1980年代 | 大統領、ラオ外相と無国籍者、テロ分子問題で会談。 |
DIA-305-1983-04-28-2 | スリランカ | 1983年04月28日 | 1980年代 | 自由党マイトリ派、補選でシリマボ派応援決定。 |
DIA-305-1983-04-29-1 | スリランカ | 1983年04月29日 | 1980年代 | 北部2準市議会選UNP2候補と護衛、テロ分子に殺さる。 |
DIA-305-1983-04-29-2 | スリランカ | 1983年04月29日 | 1980年代 | 大統領、メーデー・メッセージ「血と汗で国を救おう」と訴える。 |
DIA-305-1983-04-30-1 | スリランカ | 1983年04月30日 | 1980年代 | TULF、テロに反対を声明。UNPは2準市議会の立候補を中止。 |
DIA-305-1983-05-01-1 | スリランカ | 1983年05月01日 | 1980年代 | 各党別メーデー集会。 |
DIA-305-1983-05-01-2 | スリランカ | 1983年05月01日 | 1980年代 | 大統領、テロ根絶言明。 |
DIA-305-1983-05-02-1 | スリランカ | 1983年05月02日 | 1980年代 | プ首相帰国。 |
DIA-305-1983-05-02-2 | スリランカ | 1983年05月02日 | 1980年代 | 北部に強力警備隊を配置。 |
DIA-305-1983-05-03-1 | スリランカ | 1983年05月03日 | 1980年代 | 大統領、閣僚に緊縮命令。 |
DIA-305-1983-05-03-2 | スリランカ | 1983年05月03日 | 1980年代 | 民間バス値上げ。 |
DIA-305-1983-05-04-1 | スリランカ | 1983年05月04日 | 1980年代 | 肥料価格値上げ。 |
DIA-305-1983-05-04-2 | スリランカ | 1983年05月04日 | 1980年代 | 旱ばつで溜め池7000乾燥。 |
DIA-305-1983-05-06-1 | スリランカ | 1983年05月06日 | 1980年代 | 大統領、北部の地方議会選の一部延期決定。 |
DIA-305-1983-05-08-1 | スリランカ | 1983年05月08日 | 1980年代 | ジャフナでTULFアミル書記長の乗用車、武装団に奪わる。 |
DIA-305-1983-05-08-2 | スリランカ | 1983年05月08日 | 1980年代 | 大統領、野党の暴力行動計画に警告。 |
DIA-305-1983-05-09-1 | スリランカ | 1983年05月09日 | 1980年代 | ジャフナで4爆弾発見。 |
DIA-305-1983-05-09-2 | スリランカ | 1983年05月09日 | 1980年代 | ラリト商相、市銀の輸出信用の高金利を攻撃。 |
DIA-305-1983-05-09-3 | スリランカ | 1983年05月09日 | 1980年代 | アタナヤケ高等教育副大臣、日本・中国の学位承認を示唆。 |
DIA-305-1983-05-10-1 | スリランカ | 1983年05月10日 | 1980年代 | 自由党イランガラトネ副総裁、選管委に選挙の公正を要望。 |
DIA-305-1983-05-10-2 | スリランカ | 1983年05月10日 | 1980年代 | LSSPシルバ総裁、自由党を批判。 |
DIA-305-1983-05-11-1 | スリランカ | 1983年05月11日 | 1980年代 | タミル会議派TC、地方議会選不出馬声明。 |
DIA-305-1983-05-12-1 | スリランカ | 1983年05月12日 | 1980年代 | 1983~87年公共投資5年計画を発表。 |
DIA-305-1983-05-12-2 | スリランカ | 1983年05月12日 | 1980年代 | ペラデニヤ大学でシンハラ人、タミル人学生紛争、警官導入。 |
DIA-305-1983-05-13-1 | スリランカ | 1983年05月13日 | 1980年代 | 大統領、テロ根絶を重ねて言明。 |
DIA-305-1983-05-13-2 | スリランカ | 1983年05月13日 | 1980年代 | TULF地方議会選候補者11名、タミル・テロ分子の脅迫で立候補辞退 |
DIA-305-1983-05-14-1 | スリランカ | 1983年05月14日 | 1980年代 | ペラデニヤ大のタミル人学生、ジャフナで抗議集会(16日大学当局は復学を要請)。 |
DIA-305-1983-05-15-1 | スリランカ | 1983年05月15日 | 1980年代 | NSSP書記長カルナラトネ、自由党TULFをブルジョア政党と攻撃。 |
DIA-305-1983-05-16-1 | スリランカ | 1983年05月16日 | 1980年代 | 大統領、NSSPをテロ政党と非難。 |
DIA-305-1983-05-16-2 | スリランカ | 1983年05月16日 | 1980年代 | タミル・テロ分子、選挙ボイコット活動。 |
DIA-305-1983-05-18-1 | スリランカ | 1983年05月18日 | 1980年代 | 18区補選、46地方議会選投票、午後非常事態宣言 |
DIA-305-1983-05-19-1 | スリランカ | 1983年05月19日 | 1980年代 | 補選、地方議会選でUNP大勝。 |
DIA-305-1983-05-19-2 | スリランカ | 1983年05月19日 | 1980年代 | ランカ・プワト通信社、韓国ヨンハプ通信社とニュース交換協定。 |
DIA-305-1983-05-20-1 | スリランカ | 1983年05月20日 | 1980年代 | 北部4地方議会選投票。 |
DIA-305-1983-05-20-2 | スリランカ | 1983年05月20日 | 1980年代 | 自由党左派候補者クマラナトンガ、補選での警官妨害を告訴。 |
DIA-305-1983-05-20-3 | スリランカ | 1983年05月20日 | 1980年代 | TULFジャフナの軍隊駐留はテロを誘発として撤退要求。 |
DIA-305-1983-05-20-4 | スリランカ | 1983年05月20日 | 1980年代 | オランダと3.1億ルピー援助協定。 |
DIA-305-1983-05-20-5 | スリランカ | 1983年05月20日 | 1980年代 | ペラデニヤ大学当局、被害タミル学生の救済と安全を保証(30日タミル人学生復学)。 |
DIA-305-1983-05-23-1 | スリランカ | 1983年05月23日 | 1980年代 | 中国と漁業合弁事業協定。 |
DIA-305-1983-05-23-2 | スリランカ | 1983年05月23日 | 1980年代 | トリンコマリで宝石原石密輸のタイ漁船を抑留。 |
DIA-305-1983-05-24-1 | スリランカ | 1983年05月24日 | 1980年代 | コロンボ港コンテナー・ターミナル着工。 |
DIA-305-1983-05-24-2 | スリランカ | 1983年05月24日 | 1980年代 | 政府北部テロの2段階対策決定。 |
DIA-305-1983-05-25-1 | スリランカ | 1983年05月25日 | 1980年代 | 議会、非常事態宣言を承認。 |
DIA-305-1983-05-25-2 | スリランカ | 1983年05月25日 | 1980年代 | 18新議員宣誓。 |
DIA-305-1983-05-27-1 | スリランカ | 1983年05月27日 | 1980年代 | プ首相、全政党にテロ対策協力を要請。 |
DIA-305-1983-05-28-1 | スリランカ | 1983年05月28日 | 1980年代 | バングラデシュ外相ドーハ来島。 |
DIA-305-1983-05-28-2 | スリランカ | 1983年05月28日 | 1980年代 | 銀行員労組、89%賃上げ要求。 |
DIA-305-1983-05-29-1 | スリランカ | 1983年05月29日 | 1980年代 | バンダラ記念国際会議場10周年記念に中国城郷建設・環境保護部長李錫銘来島。 |
DIA-305-1983-05-30-1 | スリランカ | 1983年05月30日 | 1980年代 | ハイジャック犯人セパラの裁判開始。 |
DIA-305-1983-05-31-1 | スリランカ | 1983年05月31日 | 1980年代 | UNP古参議員M・D・H・ジャヤワルデナ病気辞任。 |
DIA-305-1983-06-01-1 | スリランカ | 1983年06月01日 | 1980年代 | エネルギー節約基金設置決定。 |
DIA-305-1983-06-01-2 | スリランカ | 1983年06月01日 | 1980年代 | 自由党政治局、補選での立候補者変更問題で左右両派論争。 |
DIA-305-1983-06-02-1 | スリランカ | 1983年06月02日 | 1980年代 | UNP運営委、テロ根絶、反党党員調査を決定。 |
DIA-305-1983-06-03-1 | スリランカ | 1983年06月03日 | 1980年代 | 公安法規則起草。 |
DIA-305-1983-06-03-2 | スリランカ | 1983年06月03日 | 1980年代 | アヌラ、シリマボ総裁に党規違反党員処罰を要請。 |
DIA-305-1983-06-04-1 | スリランカ | 1983年06月04日 | 1980年代 | シリマボ、共産党を批判、過激派に反対と言明。 |
DIA-305-1983-06-05-1 | スリランカ | 1983年06月05日 | 1980年代 | 行政でのタミル語使用諮問委を任命。 |
DIA-305-1983-06-06-1 | スリランカ | 1983年06月06日 | 1980年代 | S・B・ヘーラト食糧・協組相、ロンドン病死(58歳)。 |
DIA-305-1983-06-06-2 | スリランカ | 1983年06月06日 | 1980年代 | 大統領、法と秩序の順守要望。 |
DIA-305-1983-06-06-3 | スリランカ | 1983年06月06日 | 1980年代 | TULFアミル書記長暗殺計画発覚。 |
DIA-305-1983-06-07-1 | スリランカ | 1983年06月07日 | 1980年代 | アヌラダプラのライフル連隊兵40人脱走で軍事裁判決定。 |
DIA-305-1983-06-07-2 | スリランカ | 1983年06月07日 | 1980年代 | パナドラ夜間外出禁止、各地で100名逮捕。 |
DIA-305-1983-06-07-3 | スリランカ | 1983年06月07日 | 1980年代 | ジャヤスリヤ農業相、食糧協組相を兼任。 |
DIA-305-1983-06-07-4 | スリランカ | 1983年06月07日 | 1980年代 | 共産党系労組CFTU、ILO代表労組は幹部が閣僚で欠格と非難。 |
DIA-305-1983-06-07-5 | スリランカ | 1983年06月07日 | 1980年代 | ココナット品の輸出禁止。 |
DIA-305-1983-06-08-1 | スリランカ | 1983年06月08日 | 1980年代 | 資産申告法を地方自治体、政党・労組を新聞の幹部にも拡大適用。 |
DIA-305-1983-06-08-2 | スリランカ | 1983年06月08日 | 1980年代 | マハベリB地区カナダ借款協定。 |
DIA-305-1983-06-08-3 | スリランカ | 1983年06月08日 | 1980年代 | トリンコマリ外出禁止令。 |
DIA-305-1983-06-08-4 | スリランカ | 1983年06月08日 | 1980年代 | TCのポ総裁宅に爆弾。 |
DIA-305-1983-06-10-1 | スリランカ | 1983年06月10日 | 1980年代 | 大統領、軍の規律を強調。 |
DIA-305-1983-06-11-1 | スリランカ | 1983年06月11日 | 1980年代 | 大統領、イタリア、エジプト訪問に出発。 |
DIA-305-1983-06-11-2 | スリランカ | 1983年06月11日 | 1980年代 | 最高裁3判事宅をデモ隊襲撃(13日各党、暴徒を非難)。 |
DIA-305-1983-06-13-1 | スリランカ | 1983年06月13日 | 1980年代 | ライフル連隊事件で97兵士解任、司令官更迭。 |
DIA-305-1983-06-15-1 | スリランカ | 1983年06月15日 | 1980年代 | 大統領、ローマ法皇、16日ペルチニ大統領と会談 |
DIA-305-1983-06-16-1 | スリランカ | 1983年06月16日 | 1980年代 | パリ援助国会議開く(17日デメル蔵相、5.3億㌦援助約束さると発表)。 |
DIA-305-1983-06-17-1 | スリランカ | 1983年06月17日 | 1980年代 | 非常事態1カ月延長。 |
DIA-305-1983-06-17-2 | スリランカ | 1983年06月17日 | 1980年代 | 再選のアタパットウ前保健相、保健相に再任、兼任したラナシンハ・コロンボ病院相を改組の婦人問題・教育病院相に任命。 |
DIA-305-1983-06-17-3 | スリランカ | 1983年06月17日 | 1980年代 | ハイジャック犯、高裁に控訴(29日、終身刑判決)。 |
DIA-305-1983-06-17-4 | スリランカ | 1983年06月17日 | 1980年代 | ブルガリアと文化・科学協定。 |
DIA-305-1983-06-17-5 | スリランカ | 1983年06月17日 | 1980年代 | 自動車関税引上げ。 |
DIA-305-1983-06-18-1 | スリランカ | 1983年06月18日 | 1980年代 | 大統領カイロ着(19日ムバラク大統領と会談)。 |
DIA-305-1983-06-18-2 | スリランカ | 1983年06月18日 | 1980年代 | 法曹協会、最高裁判事宅デモ事件調査委設置を要求。 |
DIA-305-1983-06-19-1 | スリランカ | 1983年06月19日 | 1980年代 | 韓国セマウル運動代表団来島(23日農村復興運動大会に出席)。 |
DIA-305-1983-06-20-1 | スリランカ | 1983年06月20日 | 1980年代 | 世銀・バブニヤ・マンナル総合開発計画援助承認 |
DIA-305-1983-06-22-1 | スリランカ | 1983年06月22日 | 1980年代 | 電力公社、7月からの電力制限を通告。 |
DIA-305-1983-06-23-1 | スリランカ | 1983年06月23日 | 1980年代 | 北部ポイント・ペドロ準市議会に爆弾(30日、同市議会TULF3議員辞任)。 |
DIA-305-1983-06-23-2 | スリランカ | 1983年06月23日 | 1980年代 | エア・ランカ、台湾乗入れ交渉。 |
DIA-305-1983-06-25-1 | スリランカ | 1983年06月25日 | 1980年代 | 大統領、バハレーンへ出発。 |
DIA-305-1983-06-25-2 | スリランカ | 1983年06月25日 | 1980年代 | 『マンチェスター・ガーディアン』紙記者に退去命令。 |
DIA-305-1983-06-27-1 | スリランカ | 1983年06月27日 | 1980年代 | 大統領帰国。 |
DIA-305-1983-06-27-2 | スリランカ | 1983年06月27日 | 1980年代 | 自由党統一交渉決裂。 |
DIA-305-1983-06-28-1 | スリランカ | 1983年06月28日 | 1980年代 | トリンコマリ銃撃戦、14名死亡。 |
DIA-305-1983-06-29-1 | スリランカ | 1983年06月29日 | 1980年代 | アジア開発センター条約批准。 |
DIA-305-1983-07-01-1 | スリランカ | 1983年07月01日 | 1980年代 | カナダ援助マドルオヤ流水式。 |
DIA-305-1983-07-01-2 | スリランカ | 1983年07月01日 | 1980年代 | ジャフナ行特急襲撃さる。 |
DIA-305-1983-07-01-3 | スリランカ | 1983年07月01日 | 1980年代 | カドウェラ区議員にペレラGCEC長官指名。 |
DIA-305-1983-07-01-4 | スリランカ | 1983年07月01日 | 1980年代 | 自由党イランガラトネ副総裁、右派支配不満で辞任。 |
DIA-305-1983-07-02-1 | スリランカ | 1983年07月02日 | 1980年代 | ジャフナでタミ・エラム解放戦線TELF幹部ダルマリンガム逮捕。2新聞を閉鎖(3日、TULFは釈放要請)。 |
DIA-305-1983-07-04-1 | スリランカ | 1983年07月04日 | 1980年代 | 中銀、ルピー切下げ」1㌦22.42ルピー。 |
DIA-305-1983-07-05-1 | スリランカ | 1983年07月05日 | 1980年代 | テロ分子、ジャフナ郵便局襲撃。 |
DIA-305-1983-07-05-2 | スリランカ | 1983年07月05日 | 1980年代 | 自由党左派クマラナトンガ副書記長辞任。 |
DIA-305-1983-07-06-1 | スリランカ | 1983年07月06日 | 1980年代 | 政府、アムネスティ・インタナショナルの人権侵害指摘を否認。 |
DIA-305-1983-07-06-2 | スリランカ | 1983年07月06日 | 1980年代 | 自由党中央委、左派4役員の辞任承認。 |
DIA-305-1983-07-07-1 | スリランカ | 1983年07月07日 | 1980年代 | 米マサチューセッツ州議会、タミル分離国家支持を決議(国務省は反対)。 |
DIA-305-1983-07-07-2 | スリランカ | 1983年07月07日 | 1980年代 | 安全保障会議設置を立法化。 |
DIA-305-1983-07-09-1 | スリランカ | 1983年07月09日 | 1980年代 | TULF年次大会、アミル書記長再任。 |
DIA-305-1983-07-11-1 | スリランカ | 1983年07月11日 | 1980年代 | ペラデニヤ大学無期限閉鎖、学生ハンスト。 |
DIA-305-1983-07-13-1 | スリランカ | 1983年07月13日 | 1980年代 | 大統領、タミル問題対策の全政党会議召集言明。 |
DIA-305-1983-07-13-2 | スリランカ | 1983年07月13日 | 1980年代 | サウジ・タラル王子(ユニセフ特使)来島。 |
DIA-305-1983-07-14-1 | スリランカ | 1983年07月14日 | 1980年代 | 大統領、エネルギー節約要請。 |
DIA-305-1983-07-14-2 | スリランカ | 1983年07月14日 | 1980年代 | シリマボ、イランガラトネの批判に反論。 |
DIA-305-1983-07-15-1 | スリランカ | 1983年07月15日 | 1980年代 | ペラデニヤ大学生、科学部長を人質にし8項目要求(17日警官進入して排除)。 |
DIA-305-1983-07-16-1 | スリランカ | 1983年07月16日 | 1980年代 | 大統領、TULFに全政党会議出席要請。 |
DIA-305-1983-07-16-2 | スリランカ | 1983年07月16日 | 1980年代 | タミルナド州首相、大統領にタミル問題で抗議。 |
DIA-305-1983-07-17-1 | スリランカ | 1983年07月17日 | 1980年代 | 共産党、MEP、19日自由党、会政党会議拒否。 |
DIA-305-1983-07-18-1 | スリランカ | 1983年07月18日 | 1980年代 | 石油品値上げ。 |
DIA-305-1983-07-18-2 | スリランカ | 1983年07月18日 | 1980年代 | 非常事態再延長。 |
DIA-305-1983-07-20-1 | スリランカ | 1983年07月20日 | 1980年代 | 全政党会議開催、UNP、CWCのみ出席。 |
DIA-305-1983-07-20-2 | スリランカ | 1983年07月20日 | 1980年代 | インド各紙ジャフナ事件でスリランカ非難。ガンジー首相、駐印大使に懸念表明(21日政府筋は内政干渉と反論)。 |
DIA-305-1983-07-21-1 | スリランカ | 1983年07月21日 | 1980年代 | CWCトンダマン、全政党会議にタミル人無国籍問題の早急解決要望。 |
DIA-305-1983-07-23-1 | スリランカ | 1983年07月23日 | 1980年代 | 北部でタミル人テロ分子、13兵士を殺害。 |
DIA-305-1983-07-23-2 | スリランカ | 1983年07月23日 | 1980年代 | ガンジー首相、対ス友好を表明。 |
DIA-305-1983-07-23-3 | スリランカ | 1983年07月23日 | 1980年代 | TULFマンナルで会合。 |
DIA-305-1983-07-24-1 | スリランカ | 1983年07月24日 | 1980年代 | TULF16議員、アミル書記長に辞表を手交。 |
DIA-305-1983-07-25-1 | スリランカ | 1983年07月25日 | 1980年代 | コロンボ市監獄に暴徒300人侵入、タミル囚人35名虐殺、全市に放火・掠奪の暴動。 |
DIA-305-1983-07-25-2 | スリランカ | 1983年07月25日 | 1980年代 | 政府、学校閉鎖、外出禁止令、暴徒射殺命令。 |
DIA-305-1983-07-25-3 | スリランカ | 1983年07月25日 | 1980年代 | ス・日経済協力委開く。 |
DIA-305-1983-07-26-1 | スリランカ | 1983年07月26日 | 1980年代 | 全国外出禁止令。 |
DIA-305-1983-07-26-2 | スリランカ | 1983年07月26日 | 1980年代 | 仏教大僧正、平静化要望。 |
DIA-305-1983-07-27-1 | スリランカ | 1983年07月27日 | 1980年代 | 全国学校閉鎖。 |
DIA-305-1983-07-27-2 | スリランカ | 1983年07月27日 | 1980年代 | 全政党会議延期。 |
DIA-305-1983-07-27-3 | スリランカ | 1983年07月27日 | 1980年代 | 閣議、民兵召集決定。 |
DIA-305-1983-07-27-4 | スリランカ | 1983年07月27日 | 1980年代 | ジャフナ行避難民に配船を指令。 |
DIA-305-1983-07-30-1 | スリランカ | 1983年07月30日 | 1980年代 | 政府、共産党、JVP、NSSPの3政党の政治活動禁止命令。 |
DIA-305-1983-07-30-2 | スリランカ | 1983年07月30日 | 1980年代 | アルウィス国務相、暴動は陰謀と言明。 |
DIA-305-1983-07-30-3 | スリランカ | 1983年07月30日 | 1980年代 | 12地区に調整司令官を任命。 |
DIA-305-1983-07-30-4 | スリランカ | 1983年07月30日 | 1980年代 | 日本、病院援助15億円協定。 |
DIA-305-1983-07-31-1 | スリランカ | 1983年07月31日 | 1980年代 | ガンジー首相、対ス不干渉言明。 |
DIA-305-1983-07-31-2 | スリランカ | 1983年07月31日 | 1980年代 | 3禁止政党の印刷所を強制閉鎖。 |
DIA-305-1983-08-01-1 | スリランカ | 1983年08月01日 | 1980年代 | ハミード外相、南アジア外相会議で訪印。 |
DIA-305-1983-08-02-1 | スリランカ | 1983年08月02日 | 1980年代 | 3禁止政党関係者31名に拘禁状。 |
DIA-305-1983-08-02-2 | スリランカ | 1983年08月02日 | 1980年代 | 米国UPIスラビン記者に退去命令。 |
DIA-305-1983-08-05-1 | スリランカ | 1983年08月05日 | 1980年代 | 憲法第6次改正法150対0で可決(TULIF欠席)。 |
DIA-305-1983-08-05-2 | スリランカ | 1983年08月05日 | 1980年代 | 大統領、日本記者団に改正はシンハラ人慰撫のため止むをえずと語る。 |
DIA-305-1983-08-05-3 | スリランカ | 1983年08月05日 | 1980年代 | 大統領、ガンジー首相に軍事援助要請説を否定。 |
DIA-305-1983-08-05-4 | スリランカ | 1983年08月05日 | 1980年代 | 詩人ジャヤコディ神父にマグサイサイ賞。 |
DIA-305-1983-08-06-1 | スリランカ | 1983年08月06日 | 1980年代 | 大統領、弟H・W・ジャヤワルダナの派印決定(9日訪印、ガンジー首相と会談)。 |
DIA-305-1983-08-07-1 | スリランカ | 1983年08月07日 | 1980年代 | 不動産・産業復興庁REPIA設置、8日長官にA・ペレラ元海軍大将任命。 |
DIA-305-1983-08-09-1 | スリランカ | 1983年08月09日 | 1980年代 | 大統領、タミルナドからの侵入は撃退と言明。 |
DIA-305-1983-08-09-2 | スリランカ | 1983年08月09日 | 1980年代 | 議会でTULF以外の各議員、分離国家否認を宣誓。 |
DIA-305-1983-08-09-3 | スリランカ | 1983年08月09日 | 1980年代 | 国有地侵害回収法を可決(22日CWCは停止を申入れ)。 |
DIA-305-1983-08-09-4 | スリランカ | 1983年08月09日 | 1980年代 | TULF、国連事務総長に平和軍派遣要請。 |
DIA-305-1983-08-11-1 | スリランカ | 1983年08月11日 | 1980年代 | GCEC長官にT・サマラセケラ副長官昇格。 |
DIA-305-1983-08-12-1 | スリランカ | 1983年08月12日 | 1980年代 | ガンジー首相、下院でスリランカの統一支持を言明。 |
DIA-305-1983-08-12-2 | スリランカ | 1983年08月12日 | 1980年代 | タミルナド州野党、反ス抗議行進。 |
DIA-305-1983-08-13-1 | スリランカ | 1983年08月13日 | 1980年代 | TULFアミル書記長、訪印(14日首相と会談)。 |
DIA-305-1983-08-16-1 | スリランカ | 1983年08月16日 | 1980年代 | 自由党中央委、分離国家反対と政府対策を批判。 |
DIA-305-1983-08-17-1 | スリランカ | 1983年08月17日 | 1980年代 | 非常事態延長を決定。 |
DIA-305-1983-08-17-2 | スリランカ | 1983年08月17日 | 1980年代 | インド、特使派遣を通告 |
DIA-305-1983-08-18-1 | スリランカ | 1983年08月18日 | 1980年代 | 被災公務員に給与3カ月分前貸し。 |
DIA-305-1983-08-18-2 | スリランカ | 1983年08月18日 | 1980年代 | バス値上げ。 |
DIA-305-1983-08-19-1 | スリランカ | 1983年08月19日 | 1980年代 | 政府、アジア各国にH・W・ジャヤワルダナ特使派遣を決定(20日韓国、26日日本中曽根首相と会見)。 |
DIA-305-1983-08-20-1 | スリランカ | 1983年08月20日 | 1980年代 | 大統領、英国公式訪問を中止。 |
DIA-305-1983-08-21-1 | スリランカ | 1983年08月21日 | 1980年代 | デメル蔵相、工業被害軽微と発言。 |
DIA-305-1983-08-21-2 | スリランカ | 1983年08月21日 | 1980年代 | DWCは国の分離反対声明。 |
DIA-305-1983-08-21-3 | スリランカ | 1983年08月21日 | 1980年代 | インド・ラオ外相、在印タミル人亡命政府なしと発言。 |
DIA-305-1983-08-22-1 | スリランカ | 1983年08月22日 | 1980年代 | インド行き旅券申請者行列。 |
DIA-305-1983-08-22-2 | スリランカ | 1983年08月22日 | 1980年代 | 政府、国連国際司法委のタミル問題発表に反論。 |
DIA-305-1983-08-22-3 | スリランカ | 1983年08月22日 | 1980年代 | ジャフナ外出禁止。 |
DIA-305-1983-08-24-1 | スリランカ | 1983年08月24日 | 1980年代 | 政府、外国軍事援助要請説を再否認。 |
DIA-305-1983-08-24-2 | スリランカ | 1983年08月24日 | 1980年代 | インド・ラオ外相、対ス外国平和維持軍派遣論に反対声明。 |
DIA-305-1983-08-25-1 | スリランカ | 1983年08月25日 | 1980年代 | TULFアミル書記長、訪ス・インド特使パルティサラティと会談。 |
DIA-305-1983-08-25-2 | スリランカ | 1983年08月25日 | 1980年代 | 公務員に9月7日までの分離国家否認宣誓を命令。 |
DIA-305-1983-08-25-3 | スリランカ | 1983年08月25日 | 1980年代 | マイトリ議員、タミル問題会議への自由党シリマボ招待を政府に提案。 |
DIA-305-1983-08-26-1 | スリランカ | 1983年08月26日 | 1980年代 | キリノチチ県分離、高裁委員任命の憲法第7次改正公示。 |
DIA-305-1983-08-26-2 | スリランカ | 1983年08月26日 | 1980年代 | アミル書記長帰国。 |
DIA-305-1983-08-26-3 | スリランカ | 1983年08月26日 | 1980年代 | インド特使、大統領と会談(27日アミル書記長、5閣僚と会談)。 |
DIA-305-1983-08-29-1 | スリランカ | 1983年08月29日 | 1980年代 | 政府学校再開。 |
DIA-305-1983-08-29-2 | スリランカ | 1983年08月29日 | 1980年代 | インド特使・大統領会談。 |
DIA-305-1983-08-30-1 | スリランカ | 1983年08月30日 | 1980年代 | マルカル国会議長辞任(31日無任所相に就任、議長後任に9月6日E・L・セナナヤケ元農業相就任)。 |
DIA-305-1983-09-01-1 | スリランカ | 1983年09月01日 | 1980年代 | インド特使帰国。 |
DIA-305-1983-09-01-2 | スリランカ | 1983年09月01日 | 1980年代 | 鉄道運賃値上げ。 |
DIA-305-1983-09-02-1 | スリランカ | 1983年09月02日 | 1980年代 | インド特使、ガンジー首相に報告。 |
DIA-305-1983-09-02-2 | スリランカ | 1983年09月02日 | 1980年代 | 分離活動処罰の公安規則施行。 |
DIA-305-1983-09-02-3 | スリランカ | 1983年09月02日 | 1980年代 | ジャフナ監獄13名脱走。 |
DIA-305-1983-09-03-1 | スリランカ | 1983年09月03日 | 1980年代 | TULFアミル書記長訪印(5日首相訪問、会談)。 |
DIA-305-1983-09-04-1 | スリランカ | 1983年09月04日 | 1980年代 | TULF運営委、分離国家否認宣誓拒否、議員不辞任決定。 |
DIA-305-1983-09-04-2 | スリランカ | 1983年09月04日 | 1980年代 | 自由党全島運営委、シリマボ復権要求決議 |
DIA-305-1983-09-05-1 | スリランカ | 1983年09月05日 | 1980年代 | 自由党機関紙封鎖解除。 |
DIA-305-1983-09-05-2 | スリランカ | 1983年09月05日 | 1980年代 | 国連人権小委、7月暴動報告を要求。 |
DIA-305-1983-09-05-3 | スリランカ | 1983年09月05日 | 1980年代 | スリランカ特使、マレーシア到着。 |
DIA-305-1983-09-06-1 | スリランカ | 1983年09月06日 | 1980年代 | 共産党、暴動事件声明。 |
DIA-305-1983-09-07-1 | スリランカ | 1983年09月07日 | 1980年代 | TULFアミル書記長訪英発表。 |
DIA-305-1983-09-07-2 | スリランカ | 1983年09月07日 | 1980年代 | 被災欠勤公務員の9月15日迄の帰任命令。 |
DIA-305-1983-09-07-3 | スリランカ | 1983年09月07日 | 1980年代 | パチカロアで宣誓反対集会、バス放火。 |
DIA-305-1983-09-07-4 | スリランカ | 1983年09月07日 | 1980年代 | 議会で大統領暗殺計画で報告。 |
DIA-305-1983-09-08-1 | スリランカ | 1983年09月08日 | 1980年代 | 議会事務総長、TULFサンバンタンの3カ月不登院欠格を選管委に通告。 |
DIA-305-1983-09-08-2 | スリランカ | 1983年09月08日 | 1980年代 | サルボダヤ運動、国民融和提唱。 |
DIA-305-1983-09-09-1 | スリランカ | 1983年09月09日 | 1980年代 | 最高裁・上訴裁判事が分離否認宣誓を相互で行なった件の違法が問題化し法廷休廷。 |
DIA-305-1983-09-09-2 | スリランカ | 1983年09月09日 | 1980年代 | 北部・東部のTULF県開発会議DDC議長、宣誓拒否し辞任。 |
DIA-305-1983-09-09-3 | スリランカ | 1983年09月09日 | 1980年代 | 最大統領、アミル書記長に分離国家は問題にせずと回答。 |
DIA-305-1983-09-11-1 | スリランカ | 1983年09月11日 | 1980年代 | フルレ文化相、文化三角地域復興援助で訪韓。 |
DIA-305-1983-09-11-2 | スリランカ | 1983年09月11日 | 1980年代 | スリランカ特使、マニラ着(12日マルコスと会談)。 |
DIA-305-1983-09-13-1 | スリランカ | 1983年09月13日 | 1980年代 | 大統領、インド特使再訪の延期要請。 |
DIA-305-1983-09-13-2 | スリランカ | 1983年09月13日 | 1980年代 | CWC訪印団、タミルナド州首相と無国籍タミル人問題討議。 |
DIA-305-1983-09-14-1 | スリランカ | 1983年09月14日 | 1980年代 | 最高裁・上訴裁判事任命、大統領に一任(15日再任)。 |
DIA-305-1983-09-14-2 | スリランカ | 1983年09月14日 | 1980年代 | アミル書記長、ロンドンで分離国家主張。 |
DIA-305-1983-09-14-3 | スリランカ | 1983年09月14日 | 1980年代 | 大統領、各大臣、分離反対宣誓。 |
DIA-305-1983-09-15-1 | スリランカ | 1983年09月15日 | 1980年代 | スリランカ特使訪中。趙首相、統一国家支持。 |
DIA-305-1983-09-15-2 | スリランカ | 1983年09月15日 | 1980年代 | 外出禁止令解除(17日、新聞検閲終わる)。 |
DIA-305-1983-09-17-1 | スリランカ | 1983年09月17日 | 1980年代 | アミル書記長、ニューヨーク着(23日国連事務総長へ覚書)。 |
DIA-305-1983-09-17-2 | スリランカ | 1983年09月17日 | 1980年代 | 政府、TULF対抗し対外宣伝開始。 |
DIA-305-1983-09-18-1 | スリランカ | 1983年09月18日 | 1980年代 | 自由党前副総裁コッベカドワ死去、67歳。 |
DIA-305-1983-09-19-1 | スリランカ | 1983年09月19日 | 1980年代 | 自由党ら野党4派、3左翼政党の禁止解除要求。 |
DIA-305-1983-09-19-2 | スリランカ | 1983年09月19日 | 1980年代 | タミルナド州野党DMK党首カルナニディ、対ス派兵主張 |
DIA-305-1983-09-21-1 | スリランカ | 1983年09月21日 | 1980年代 | 住宅なき被災公務員の8~9月公休化承認。 |
DIA-305-1983-09-22-1 | スリランカ | 1983年09月22日 | 1980年代 | 憲法第7次改正法、121対0で可決。 |
DIA-305-1983-09-23-1 | スリランカ | 1983年09月23日 | 1980年代 | バチカロア監獄から271名脱走。 |
DIA-305-1983-09-25-1 | スリランカ | 1983年09月25日 | 1980年代 | スリランカ特使、バンコク着、タイ首相と会談。 |
DIA-305-1983-09-25-2 | スリランカ | 1983年09月25日 | 1980年代 | 米、砂糖小売り価格引上げ。 |
DIA-305-1983-09-27-1 | スリランカ | 1983年09月27日 | 1980年代 | スリランカ特使、ビルマ訪問。 |
DIA-305-1983-09-27-2 | スリランカ | 1983年09月27日 | 1980年代 | ハミード外相国連演説、反ランカ宣伝に反論。 |
DIA-305-1983-09-29-1 | スリランカ | 1983年09月29日 | 1980年代 | 大統領、JVP、NSSPの7月暴動関与は明白と言明。 |
DIA-305-1983-09-30-1 | スリランカ | 1983年09月30日 | 1980年代 | ワインバーガー米国防長官来訪、大統領と会見。 |
DIA-305-1983-09-30-2 | スリランカ | 1983年09月30日 | 1980年代 | 世銀、1億㌦借款。 |
DIA-305-1983-10-02-1 | スリランカ | 1983年10月02日 | 1980年代 | 自由党全島執行委、左派反対を斥け、総裁権限強化へ党規約改正。 |
DIA-305-1983-10-02-2 | スリランカ | 1983年10月02日 | 1980年代 | 中国援助ギンガンガ事業完了。 |
DIA-305-1983-10-03-1 | スリランカ | 1983年10月03日 | 1980年代 | REPIA被災建物・設備復旧の包括助成策発表。 |
DIA-305-1983-10-03-2 | スリランカ | 1983年10月03日 | 1980年代 | 公務員生計費手当て引上げ。 |
DIA-305-1983-10-03-3 | スリランカ | 1983年10月03日 | 1980年代 | コロンボ寄港北鮮船東建号を監視(7日出港を命令)。 |
DIA-305-1983-10-05-1 | スリランカ | 1983年10月05日 | 1980年代 | バブニヤ区TULF議員不登院3カ月で失格。 |
DIA-305-1983-10-06-1 | スリランカ | 1983年10月06日 | 1980年代 | ラリト商相、輸出振興5カ年計画発表。 |
DIA-305-1983-10-07-1 | スリランカ | 1983年10月07日 | 1980年代 | 国連事務総長、ハミード外相に単一国家支持表明。 |
DIA-305-1983-10-07-2 | スリランカ | 1983年10月07日 | 1980年代 | 世銀、アミル書記長の会談申入れ拒否。 |
DIA-305-1983-10-07-3 | スリランカ | 1983年10月07日 | 1980年代 | 英国、ビクトリア・ダム事業に1000万ポンド追加援助同意。 |
DIA-305-1983-10-09-1 | スリランカ | 1983年10月09日 | 1980年代 | アミル書記長、憲法改正はタミル人の政治的追放と非難。 |
DIA-305-1983-10-09-2 | スリランカ | 1983年10月09日 | 1980年代 | インド・駐ス大使を召喚。 |
DIA-305-1983-10-11-1 | スリランカ | 1983年10月11日 | 1980年代 | TULF議員、マドラスへ避難。 |
DIA-305-1983-10-12-1 | スリランカ | 1983年10月12日 | 1980年代 | 地方自治体選挙法、同議会法改正決定(候補者議員に宣誓を要求)。▲タミルナド州で反スデモ。 |
DIA-305-1983-10-13-1 | スリランカ | 1983年10月13日 | 1980年代 | 仏教パーリ語大学開放。 |
DIA-305-1983-10-13-2 | スリランカ | 1983年10月13日 | 1980年代 | 一大学生、アミル書記長子息の手紙を放送、TULFとテロ派の結合を指摘。 |
DIA-305-1983-10-13-3 | スリランカ | 1983年10月13日 | 1980年代 | 訪印のCWCトンダマン、TULF総裁、タミルナド州首相と会談。 |
DIA-305-1983-10-13-4 | スリランカ | 1983年10月13日 | 1980年代 | タミルナド野党DMK党首、国連事務総長に平和軍の派ス要請1500万人署名提出。 |
DIA-305-1983-10-13-5 | スリランカ | 1983年10月13日 | 1980年代 | 自由党クマラナトンガ等左派3名の党籍停止。 |
DIA-305-1983-10-14-1 | スリランカ | 1983年10月14日 | 1980年代 | 全政党会議にMEP、共産党招請(15日共産党の禁止を解除、16日野党は議題明確化を要求)。 |
DIA-305-1983-10-16-1 | スリランカ | 1983年10月16日 | 1980年代 | アミル書記長、ニューデリー着、子息の手紙を否認。 |
DIA-305-1983-10-16-2 | スリランカ | 1983年10月16日 | 1980年代 | 自由党シリマボ総裁ユーゴへ治療出発。 |
DIA-305-1983-10-17-1 | スリランカ | 1983年10月17日 | 1980年代 | 大統領、閣僚に全政党会議議題説明。 |
DIA-305-1983-10-17-2 | スリランカ | 1983年10月17日 | 1980年代 | 非常事態1カ月延長。 |
DIA-305-1983-10-17-3 | スリランカ | 1983年10月17日 | 1980年代 | バチカロア行政事務所をテロ派襲撃。 |
DIA-305-1983-10-19-1 | スリランカ | 1983年10月19日 | 1980年代 | 全政党会議、MEP以外の野党欠席。 |
DIA-305-1983-10-20-1 | スリランカ | 1983年10月20日 | 1980年代 | 最高裁、最高裁上訴裁判事の宣誓は合法と審決。 |
DIA-305-1983-10-20-2 | スリランカ | 1983年10月20日 | 1980年代 | プ首相、TULFとの交渉は分離要求放棄が前提と言明。 |
DIA-305-1983-10-20-3 | スリランカ | 1983年10月20日 | 1980年代 | 自由党、TULF議員失格から野党指導者を自党に要求。 |
DIA-305-1983-10-22-1 | スリランカ | 1983年10月22日 | 1980年代 | 外務省、外交官の国内行事参加は要許可と通告。 |
DIA-305-1983-10-23-1 | スリランカ | 1983年10月23日 | 1980年代 | トンダマン帰国、大統領に在印会談結果を報告。 |
DIA-305-1983-10-24-1 | スリランカ | 1983年10月24日 | 1980年代 | 議会事務総長、選管委にTULF11議員失格を通告。 |
DIA-305-1983-10-24-2 | スリランカ | 1983年10月24日 | 1980年代 | アミル書記長、トリンコ補選延期を大統領に要請 |
DIA-305-1983-10-25-1 | スリランカ | 1983年10月25日 | 1980年代 | TULF、東南ア各国へ支援要請特使派遣を決定。 |
DIA-305-1983-10-26-1 | スリランカ | 1983年10月26日 | 1980年代 | ミネリア区UNP議員辞任。 |
DIA-305-1983-10-27-1 | スリランカ | 1983年10月27日 | 1980年代 | 政府、インド特使再訪受入れ。 |
DIA-305-1983-10-28-1 | スリランカ | 1983年10月28日 | 1980年代 | LSSP 米国のグレナダ侵攻非難。 |
DIA-305-1983-10-28-2 | スリランカ | 1983年10月28日 | 1980年代 | タミルナド州議会、スリランカにタミル問題円卓会議開催を要請。 |
DIA-305-1983-10-31-1 | スリランカ | 1983年10月31日 | 1980年代 | TULF、失格14議員への給与手当て打切り。 |
DIA-305-1983-10-31-2 | スリランカ | 1983年10月31日 | 1980年代 | 選管委、大統領に3区の補選必要を通知。 |
DIA-305-1983-10-31-3 | スリランカ | 1983年10月31日 | 1980年代 | ガミニ土地相、国有地不法占拠者追放と言明。 |
DIA-305-1983-11-01-1 | スリランカ | 1983年11月01日 | 1980年代 | 中銀、民間信用引締め指令。 |
DIA-305-1983-11-01-2 | スリランカ | 1983年11月01日 | 1980年代 | 2時間節電。 |
DIA-305-1983-11-02-1 | スリランカ | 1983年11月02日 | 1980年代 | 不法占拠者対策の国家再定住局、テロ対策7人委任命。 |
DIA-305-1983-11-02-2 | スリランカ | 1983年11月02日 | 1980年代 | 大統領、入植の人種別比例策を言明。 |
DIA-305-1983-11-03-1 | スリランカ | 1983年11月03日 | 1980年代 | スリランカ、国連でグレナダ侵攻を批判。 |
DIA-305-1983-11-03-2 | スリランカ | 1983年11月03日 | 1980年代 | サウジアラビア、マハベリ計画20億ルピー援助内諾。 |
DIA-305-1983-11-04-1 | スリランカ | 1983年11月04日 | 1980年代 | 自由党、全政党会議欠席で釈明。 |
DIA-305-1983-11-04-2 | スリランカ | 1983年11月04日 | 1980年代 | タミル解放戦線TELFのK・ダルマリンガムを釈放。 |
DIA-305-1983-11-06-1 | スリランカ | 1983年11月06日 | 1980年代 | インド特使再訪(7~8日大統領と会談)。 |
DIA-305-1983-11-06-2 | スリランカ | 1983年11月06日 | 1980年代 | 中国外務次官宮達非来島。 |
DIA-305-1983-11-06-3 | スリランカ | 1983年11月06日 | 1980年代 | 中小工業団体、信用緩和陳情。 |
DIA-305-1983-11-07-1 | スリランカ | 1983年11月07日 | 1980年代 | 米国特使ウォルタース将軍来島(8日大統領にスリランカの統一支持表明)。 |
DIA-305-1983-11-08-1 | スリランカ | 1983年11月08日 | 1980年代 | 1984年予算案提出。 |
DIA-305-1983-11-08-2 | スリランカ | 1983年11月08日 | 1980年代 | アヌラ、野党指導者に指名さる。史上最年少。 |
DIA-305-1983-11-09-1 | スリランカ | 1983年11月09日 | 1980年代 | 警官に特別昇給。 |
DIA-305-1983-11-09-2 | スリランカ | 1983年11月09日 | 1980年代 | 全国公務員組合、賃上げ要求 |
DIA-305-1983-11-10-1 | スリランカ | 1983年11月10日 | 1980年代 | 大統領・インド特使共同声明、特使帰国。 |
DIA-305-1983-11-10-2 | スリランカ | 1983年11月10日 | 1980年代 | 海運公社、ユーゴと貨物折半輸送協定。 |
DIA-305-1983-11-11-1 | スリランカ | 1983年11月11日 | 1980年代 | TULF 総裁、大統領声明に具体策なしと批評。 |
DIA-305-1983-11-13-1 | スリランカ | 1983年11月13日 | 1980年代 | 大統領、エジプト文化相M・ラグワンと会見。 |
DIA-305-1983-11-14-1 | スリランカ | 1983年11月14日 | 1980年代 | 英連邦会議ラムプハル事務局長来島、15日キプロス・トルコ人独立反対を要請、16日ハミー・ド外相反対言明。 |
DIA-305-1983-11-15-1 | スリランカ | 1983年11月15日 | 1980年代 | 被災公務員に給料2カ年分前貸し検討。 |
DIA-305-1983-11-16-1 | スリランカ | 1983年11月16日 | 1980年代 | デメル蔵相、予算演説。復興税賦課、1985年までの新規事業中止など言明。 |
DIA-305-1983-11-17-1 | スリランカ | 1983年11月17日 | 1980年代 | 大統領、インド首相アミル書記長とは協定を結ばず、解決案は国民投票に付託と言明。▲タミル・エラム解放戦線K・マルサン書記長を釈放。 |
DIA-305-1983-11-18-1 | スリランカ | 1983年11月18日 | 1980年代 | 中銀、市銀の預金準備率2%引上げ。 |
DIA-305-1983-11-20-1 | スリランカ | 1983年11月20日 | 1980年代 | 大統領・ビヤガマ投資促進区起工式で故ウパリの功績を賞賛。 |
DIA-305-1983-11-20-2 | スリランカ | 1983年11月20日 | 1980年代 | 全セ回教徒教育会議、大学入試回教徒8%の割当てを要求。 |
DIA-305-1983-11-22-1 | スリランカ | 1983年11月22日 | 1980年代 | 大統領・ガンジー首相会談。 |
DIA-305-1983-11-23-1 | スリランカ | 1983年11月23日 | 1980年代 | ニューデリーでタミルナド州DMK17議員、反ス・デモで逮捕。 |
DIA-305-1983-11-23-2 | スリランカ | 1983年11月23日 | 1980年代 | 閣議、女子有給産休3カ月案承認。 |
DIA-305-1983-11-24-1 | スリランカ | 1983年11月24日 | 1980年代 | 英連邦首脳会議で大統領、非暴力主義を強調。 |
DIA-305-1983-11-25-1 | スリランカ | 1983年11月25日 | 1980年代 | 予算案、132対10で第2読会通過。 |
DIA-305-1983-11-27-1 | スリランカ | 1983年11月27日 | 1980年代 | 7月事件で拘留8600人のうち3000人釈放。 |
DIA-305-1983-11-28-1 | スリランカ | 1983年11月28日 | 1980年代 | トンダマン、タミルナド州ラマチャンドラン首相にTULFの説得を要請。 |
DIA-305-1983-11-29-1 | スリランカ | 1983年11月29日 | 1980年代 | ランカ農園労組LJEWU、復興税に反対声明。 |
DIA-305-1983-11-30-1 | スリランカ | 1983年11月30日 | 1980年代 | 大統領、ガンジー首相会談。 |
DIA-305-1983-11-30-2 | スリランカ | 1983年11月30日 | 1980年代 | 閣議、ココナット価格安定策討議。 |
DIA-305-1983-11-30-3 | スリランカ | 1983年11月30日 | 1980年代 | 中銀、信用引締め指令を撤回。 |
DIA-305-1983-12-01-1 | スリランカ | 1983年12月01日 | 1980年代 | 大統領帰国、TULF態度に変化と語る。 |
DIA-305-1983-12-01-2 | スリランカ | 1983年12月01日 | 1980年代 | 選管委、大統領に北部11区議席空位の補選を通知。 |
DIA-305-1983-12-02-1 | スリランカ | 1983年12月02日 | 1980年代 | 大統領、自由党アヌラに在印タミル問題交渉を説明(3日TC、共産党、4日LSSP代表にも説明)。 |
DIA-305-1983-12-03-1 | スリランカ | 1983年12月03日 | 1980年代 | ラニル教育相、被災教師の早急復学要請。 |
DIA-305-1983-12-03-2 | スリランカ | 1983年12月03日 | 1980年代 | 回教評議会マームド元文相、北部・東部一体化反対を言明。 |
DIA-305-1983-12-05-1 | スリランカ | 1983年12月05日 | 1980年代 | サルボダヤ運動のアリヤラトネ和平大行進開始(6日大統領、全政党会議終了まで延期要請)。 |
DIA-305-1983-12-07-1 | スリランカ | 1983年12月07日 | 1980年代 | 大統領に上級弁護士をおくを顧問をおくに改める憲法第8次改正法案決定(27日公示)。 |
DIA-305-1983-12-07-2 | スリランカ | 1983年12月07日 | 1980年代 | アルウィス国務相、全政党会議への宗教代表招待を発言。 |
DIA-305-1983-12-08-1 | スリランカ | 1983年12月08日 | 1980年代 | 仏教各派代表5大僧正、地域会議への無制限権限賦与に反対声明。 |
DIA-305-1983-12-08-2 | スリランカ | 1983年12月08日 | 1980年代 | バチカロア大学試験問題盗まる。 |
DIA-305-1983-12-09-1 | スリランカ | 1983年12月09日 | 1980年代 | 駐米大使、アムネスティ・インタナショナルに反論。 |
DIA-305-1983-12-10-1 | スリランカ | 1983年12月10日 | 1980年代 | UNP第29年次大会で、大統領、TULFは全タミル人を代表せずと発言。 |
DIA-305-1983-12-10-2 | スリランカ | 1983年12月10日 | 1980年代 | アミル書記長、仏教界の地域自治反対論を批判(14日マシュー工業相はこれを再批判) |
DIA-305-1983-12-10-3 | スリランカ | 1983年12月10日 | 1980年代 | 米国VOA延長協定。 |
DIA-305-1983-12-12-1 | スリランカ | 1983年12月12日 | 1980年代 | 中銀、市銀に預金準備率16%維持を指示。 |
DIA-305-1983-12-15-1 | スリランカ | 1983年12月15日 | 1980年代 | 大統領、9政党に21日の全政党会議予備会合へ招待状送る。 |
DIA-305-1983-12-15-2 | スリランカ | 1983年12月15日 | 1980年代 | スウェーデン、コトマレ事業に追加援助15.3億ルピー。 |
DIA-305-1983-12-15-3 | スリランカ | 1983年12月15日 | 1980年代 | ジャフナ大学生、復学命令反対。 |
DIA-305-1983-12-16-1 | スリランカ | 1983年12月16日 | 1980年代 | 大統領、仏教3派長老と会談。タミル問題解決案は国民投票に問うと発言。 |
DIA-305-1983-12-17-1 | スリランカ | 1983年12月17日 | 1980年代 | シリマボ、ユーゴより帰る。 |
DIA-305-1983-12-17-2 | スリランカ | 1983年12月17日 | 1980年代 | 大統領、輸出拡大報賞会で、IMF世銀の援助に感謝を表明。 |
DIA-305-1983-12-18-1 | スリランカ | 1983年12月18日 | 1980年代 | メンディス繊維工業相、繊維品は国内自給と言明。 |
DIA-305-1983-12-18-2 | スリランカ | 1983年12月18日 | 1980年代 | 米国、マハベリ追加援助2500万㌦同意。 |
DIA-305-1983-12-18-3 | スリランカ | 1983年12月18日 | 1980年代 | 中国との合弁漁業会社発足。 |
DIA-305-1983-12-19-1 | スリランカ | 1983年12月19日 | 1980年代 | 非常事態延長決定。 |
DIA-305-1983-12-19-2 | スリランカ | 1983年12月19日 | 1980年代 | 中ス友好の法顕村開く。 |
DIA-305-1983-12-21-1 | スリランカ | 1983年12月21日 | 1980年代 | 全政党会議予備会合、8党、TULF招待に一致。 |
DIA-305-1983-12-21-2 | スリランカ | 1983年12月21日 | 1980年代 | 被災公務員に給与2年前貸決定。 |
DIA-305-1983-12-21-3 | スリランカ | 1983年12月21日 | 1980年代 | コンピューター情報技術センター設置法案きまる。 |
DIA-305-1983-12-22-1 | スリランカ | 1983年12月22日 | 1980年代 | 北部・中部に豪雨、1万人被災。 |
DIA-305-1983-12-23-1 | スリランカ | 1983年12月23日 | 1980年代 | 北部11区補選届出締切り日1月19日と告示(28日中止を命令)。 |
DIA-305-1983-12-23-2 | スリランカ | 1983年12月23日 | 1980年代 | 観光局、5星ホテル代上限2.5万ルピーと指示。 |
DIA-305-1983-12-23-3 | スリランカ | 1983年12月23日 | 1980年代 | 予算案130対9で第3読会通過。非常事態129対0で延長可決。 |
DIA-305-1983-12-23-4 | スリランカ | 1983年12月23日 | 1980年代 | 節電中止。 |
DIA-305-1983-12-27-1 | スリランカ | 1983年12月27日 | 1980年代 | バングラ訪問のデメル蔵相、ムヒト蔵相と経済協力合意。 |
DIA-305-1983-12-27-2 | スリランカ | 1983年12月27日 | 1980年代 | IMF調査団、政府に3条件要望。 |
DIA-305-1983-12-29-1 | スリランカ | 1983年12月29日 | 1980年代 | 大統領、全政党会議にTULF招待、14項目提案。 |
DIA-305-1983-12-30-1 | スリランカ | 1983年12月30日 | 1980年代 | 生ココナット輸出禁止解除。 |
DIA-305-1983-12-30-2 | スリランカ | 1983年12月30日 | 1980年代 | ミネリア区補選届出締切り1月19日公示。 |
DIA-305-1984-01-01-1 | スリランカ | 1984年01月01日 | 1980年代 | 大蔵省が国会議員と閣僚の給与引上げを勧告。 |
DIA-305-1984-01-02-1 | スリランカ | 1984年01月02日 | 1980年代 | TULFの代表3名がニュー・デリーで,ガンディー首相,ラーオ外相と円卓会議案について会談。 |
DIA-305-1984-01-02-2 | スリランカ | 1984年01月02日 | 1980年代 | ペラデニヤ大学が6カ月振りに学内の閉鎖を解除。 |
DIA-305-1984-01-03-1 | スリランカ | 1984年01月03日 | 1980年代 | インド首相の特使G・パルタサラティが来島。 |
DIA-305-1984-01-03-2 | スリランカ | 1984年01月03日 | 1980年代 | 公的投資を削減する必要から,1984年予算の再編成を行なうよう,世界銀行がスリランカ政府に勧告する。 |
DIA-305-1984-01-04-1 | スリランカ | 1984年01月04日 | 1980年代 | インド=スリランカ間のフェリー定期便再開。 |
DIA-305-1984-01-04-2 | スリランカ | 1984年01月04日 | 1980年代 | ノルウェー政府は,昨年の民族暴動により住居を失った人々の復興事業に3600万ルピーを供与すると発表。 |
DIA-305-1984-01-05-1 | スリランカ | 1984年01月05日 | 1980年代 | 共産党と平等社会党,全党円卓会議出席決定。 |
DIA-305-1984-01-05-2 | スリランカ | 1984年01月05日 | 1980年代 | TULFの幹部がバンダーラナーヤカ前首相と会談。 |
DIA-305-1984-01-06-1 | スリランカ | 1984年01月06日 | 1980年代 | 現在失業中の1980年7月のストライキ参加者達の再雇用問題を検討する,と大統領が野党代表に確約。 |
DIA-305-1984-01-06-2 | スリランカ | 1984年01月06日 | 1980年代 | イランガラトナ自由党前副委員長が脱退届を出す。 |
DIA-305-1984-01-07-1 | スリランカ | 1984年01月07日 | 1980年代 | セナヴィラトナ労働相が,本年より労働法規のすべての諸規定を厳格に実施すると発表する。 |
DIA-305-1984-01-07-2 | スリランカ | 1984年01月07日 | 1980年代 | 1000名を超える仏教僧が民族問題についての大統領の提案を検討するため,ラトマラーナの集会に参加。 |
DIA-305-1984-01-08-1 | スリランカ | 1984年01月08日 | 1980年代 | 1983年の紅茶の最大の輸出市場は,中東諸国。 |
DIA-305-1984-01-08-2 | スリランカ | 1984年01月08日 | 1980年代 | マイケル・モリスを団長とする英国会議員団が来島。 |
DIA-305-1984-01-08-3 | スリランカ | 1984年01月08日 | 1980年代 | TULF政治局会議は,全党円卓会議に出席を決定。 |
DIA-305-1984-01-08-4 | スリランカ | 1984年01月08日 | 1980年代 | イスラム教徒の6組織代表が大統領に会い,全党円卓会議に参加を認められるよう,強く要請する。 |
DIA-305-1984-01-09-1 | スリランカ | 1984年01月09日 | 1980年代 | 最大野党の自由党,全党円卓会議出席拒否決定。 |
DIA-305-1984-01-09-2 | スリランカ | 1984年01月09日 | 1980年代 | パンディタラトナ・マハヴェリ開発公社総裁が,ヴィクトリア貯水池の建設現場を視察し工事の遅れを指摘。 |
DIA-305-1984-01-10-1 | スリランカ | 1984年01月10日 | 1980年代 | オーストラリア政府が5500トンの小麦を贈与。 |
DIA-305-1984-01-10-2 | スリランカ | 1984年01月10日 | 1980年代 | パルタサラティ・インド首相特使が大統領と会談。 |
DIA-305-1984-01-10-3 | スリランカ | 1984年01月10日 | 1980年代 | 全党円卓会議はバンダーラナーヤカ記念国際会議場で開会され,全出席者が一致して自由党の参加を要請。 |
DIA-305-1984-01-10-4 | スリランカ | 1984年01月10日 | 1980年代 | 人民統一戦線(MEP)は全党会議に出席を決定。 |
DIA-305-1984-01-11-1 | スリランカ | 1984年01月11日 | 1980年代 | キリスト教およびヒンドゥ教組織も,仏教組織とともに,全党円卓会議に参加することに決定する。 |
DIA-305-1984-01-11-2 | スリランカ | 1984年01月11日 | 1980年代 | 自由党中央委員会が全党会議への参加を決定する。 |
DIA-305-1984-01-11-3 | スリランカ | 1984年01月11日 | 1980年代 | 昨年7月の事件に関連して,66名のペラデニヤ大学生が停学処分を受ける。 |
DIA-305-1984-01-12-1 | スリランカ | 1984年01月12日 | 1980年代 | TULFのアミルタリンガム委員長が,大学行政委員会のカルパゲ委員長に会い,タミル人大学生の配属問題について話合う。 |
DIA-305-1984-01-12-2 | スリランカ | 1984年01月12日 | 1980年代 | キロ当り106ルピー(BOP fannings)という記録的な紅茶価格が,コロンボ市場で実現したと公表。 |
DIA-305-1984-01-13-1 | スリランカ | 1984年01月13日 | 1980年代 | バッティカロアの人民銀行支店で,3000万ルピーの宝石と25万ルピーの現金が,7人の強盗に奪われる。 |
DIA-305-1984-01-13-2 | スリランカ | 1984年01月13日 | 1980年代 | 電力不足のため停電が1日3時間に延長される。 |
DIA-305-1984-01-13-3 | スリランカ | 1984年01月13日 | 1980年代 | ジャフナ大学の学生自治会はタミル人学生がジャフナに転属されるまで,ハンストを続けると決定する。 |
DIA-305-1984-01-14-1 | スリランカ | 1984年01月14日 | 1980年代 | 豊作のため,本年は米穀輸入なしと農業省発表。 |
DIA-305-1984-01-14-2 | スリランカ | 1984年01月14日 | 1980年代 | 4名のタミル人が不法残留によりベルリンから送還。 |
DIA-305-1984-01-15-1 | スリランカ | 1984年01月15日 | 1980年代 | 復興税の納入が少ない,と公表。 |
DIA-305-1984-01-16-1 | スリランカ | 1984年01月16日 | 1980年代 | 大雨のため,灌漑局は工事中のインギニミティヤ貯水池の余水吐けを取り除き,排水することに決定。 |
DIA-305-1984-01-16-2 | スリランカ | 1984年01月16日 | 1980年代 | ジャフナ大学が無期限に閉鎖され,学生に退去命令。9学生のハンストも中止される。 |
DIA-305-1984-01-17-1 | スリランカ | 1984年01月17日 | 1980年代 | 人民統一戦線は,全党円卓会議から退席を決定。 |
DIA-305-1984-01-17-2 | スリランカ | 1984年01月17日 | 1980年代 | 社会福祉局が東北部の洪水被災者に55万ルピー配分。 |
DIA-305-1984-01-18-1 | スリランカ | 1984年01月18日 | 1980年代 | 昨夏の暴動以来数百名のスリランカ人がカナダ政府の移民事業によって渡航した。 |
DIA-305-1984-01-18-2 | スリランカ | 1984年01月18日 | 1980年代 | サウジアラビアへ渡航するため,偽造旅券を所持したとの嫌疑で54名の女性をカトナーヤカ空港で逮捕。 |
DIA-305-1984-01-19-1 | スリランカ | 1984年01月19日 | 1980年代 | 10万世帯の農民が本年中にスワルナブーミ入植地を与えられる,と土地開発省が発表。 |
DIA-305-1984-01-20-1 | スリランカ | 1984年01月20日 | 1980年代 | 自由党(SLFP)から新しく結党された人民党(SLMP)への移籍が増えている,と新党幹部発表。 |
DIA-305-1984-01-20-2 | スリランカ | 1984年01月20日 | 1980年代 | 全党会議で三つの主要問題(地方分権,テロリストの掃蕩と各民族の改善要求)を討議中,と大統領が発表。 |
DIA-305-1984-01-21-1 | スリランカ | 1984年01月21日 | 1980年代 | 世界銀行の調査団が,紅茶価格の上昇にもかかわらず,経済成長率の低落傾向に懸念を表明した。 |
DIA-305-1984-01-21-2 | スリランカ | 1984年01月21日 | 1980年代 | 電力庁は7万5000戸以上の料金滞納者へ送電を停止。 |
DIA-305-1984-01-22-1 | スリランカ | 1984年01月22日 | 1980年代 | スリランカ人民党が公式に発足。イランガラトナ委員長およびクマラトゥンガ書記長等の役員選出さる。 |
DIA-305-1984-01-23-1 | スリランカ | 1984年01月23日 | 1980年代 | 石油公団は原油の輸入を削減し,石油製品の輸入を多くすると発表。再輸出のムダを省くためである。 |
DIA-305-1984-01-23-2 | スリランカ | 1984年01月23日 | 1980年代 | パンの公定価格を1斤2.80ルピーから3.05ルピーへ。 |
DIA-305-1984-01-23-3 | スリランカ | 1984年01月23日 | 1980年代 | ルヌガンヴィハーラ貯水池事業の建設費が,政府機関の非能率により,6億ルピーから20億ルピーに上昇。 |
DIA-305-1984-01-24-1 | スリランカ | 1984年01月24日 | 1980年代 | 自由党のヴィクラマナーヤカ書記長が辞表提出。しかし,辞表は撤回されたと前首相が発表(25日)。 |
DIA-305-1984-01-26-1 | スリランカ | 1984年01月26日 | 1980年代 | 輸入商品の約15%が,脱税のため不当価格表示, |
DIA-305-1984-01-27-1 | スリランカ | 1984年01月27日 | 1980年代 | 南部の大学から排除されたタミル人学生は,原大学への復帰またはジャフナ大学等への転籍を選べる。 |
DIA-305-1984-01-28-1 | スリランカ | 1984年01月28日 | 1980年代 | デ・メル蔵相は各省に建設事業の抑制を要請。 |
DIA-305-1984-01-29-1 | スリランカ | 1984年01月29日 | 1980年代 | 昨夏の暴動で失職した約1万名の工場労働者に,工場再建後の優先的再雇用を労働省が保証する。 |
DIA-305-1984-01-30-1 | スリランカ | 1984年01月30日 | 1980年代 | スリランカで最初のパーム・オイル精油所完工。 |
DIA-305-1984-01-31-1 | スリランカ | 1984年01月31日 | 1980年代 | 自由党中央委員会が現政府の不信任を提案する。 |
DIA-305-1984-02-01-1 | スリランカ | 1984年02月01日 | 1980年代 | TULFのアミルタリンガム書記長が,ニューデリーでインド首相のパルタサラティ特使と会談する。 |
DIA-305-1984-02-02-1 | スリランカ | 1984年02月02日 | 1980年代 | トンダマン農村工業開発相が,マドラスで記者会見し,全党円卓会議での公正な解決への希望を表明。 |
DIA-305-1984-02-03-1 | スリランカ | 1984年02月03日 | 1980年代 | バランゴダで赤痢のため20名の患者が死亡。 |
DIA-305-1984-02-04-1 | スリランカ | 1984年02月04日 | 1980年代 | カルタラの独立記念式典で大統領が民族融和を強調し,「無国籍」タミル人問題の解決を示唆する。 |
DIA-305-1984-02-05-1 | スリランカ | 1984年02月05日 | 1980年代 | 東部地方の洪水で,約9万人の住民が家を失う。 |
DIA-305-1984-02-05-2 | スリランカ | 1984年02月05日 | 1980年代 | サウジアラビアで4000人以上のスリランカ人が労働災害や疾病のため苦境にいる,と外務省に連絡入る。 |
DIA-305-1984-02-06-1 | スリランカ | 1984年02月06日 | 1980年代 | 洪水による貯水池の決壊で,家を失った者が過去3日間に,北中央州,東部州等を中心に20万人になる。 |
DIA-305-1984-02-06-2 | スリランカ | 1984年02月06日 | 1980年代 | 自由党は全党円卓会議をボイコットすることに決定し,会議のアベシンハ事務局長に通知した。 |
DIA-305-1984-02-07-1 | スリランカ | 1984年02月07日 | 1980年代 | 動力・エネルギー省は,停電の中止を決定した。 |
DIA-305-1984-02-08-1 | スリランカ | 1984年02月08日 | 1980年代 | 米政府は7380万ドルのスリランカへの経済援助額を承認するよう,議会に要請を行なった。リード米大使は洪水被災者への緊急援助62.5万ルピーを贈与した。 |
DIA-305-1984-02-08-2 | スリランカ | 1984年02月08日 | 1980年代 | ランカ民族農園労働組合(LJEWU)とセイロン労働会議(CWC)とは,農園の私企業化に反対を表明。 |
DIA-305-1984-02-09-1 | スリランカ | 1984年02月09日 | 1980年代 | 分裂していたマイトリパーラ・セーナナーヤカ派は,無条件で自由党に再復帰することを決定した。 |
DIA-305-1984-02-09-2 | スリランカ | 1984年02月09日 | 1980年代 | チャトワール・インド大使が自由党の幹部と会談。 |
DIA-305-1984-02-10-1 | スリランカ | 1984年02月10日 | 1980年代 | 西ヨーロッパからの観光客(主にドイツとフランス)は,前年度より23.9%も減少した。 |
DIA-305-1984-02-11-1 | スリランカ | 1984年02月11日 | 1980年代 | 数百万ルピーの医薬品が,有効期間切れのために,宝石採掘場の穴に廃棄される,と厚生省が発表した。 |
DIA-305-1984-02-11-2 | スリランカ | 1984年02月11日 | 1980年代 | すべての教員は,民族暴動以前の勤務校に復帰することを求められた(個人的に被害を受けた者を除く)。 |
DIA-305-1984-02-12-1 | スリランカ | 1984年02月12日 | 1980年代 | インドとスリランカが紅茶の輸出政策を協議。 |
DIA-305-1984-02-12-2 | スリランカ | 1984年02月12日 | 1980年代 | 議会の委員会が公企業の非能率経営を厳しく批判。 |
DIA-305-1984-02-12-3 | スリランカ | 1984年02月12日 | 1980年代 | ローマ法王が洪水の被災者に2万ドルを寄付する。 |
DIA-305-1984-02-12-4 | スリランカ | 1984年02月12日 | 1980年代 | クウェートの刑務所に300名のスリランカ女性在監。 |
DIA-305-1984-02-13-1 | スリランカ | 1984年02月13日 | 1980年代 | インドの民間航空の定期便(Indian Airlines)をジャフナ空港に就航させる提案をスリランカ側が拒否。 |
DIA-305-1984-02-13-2 | スリランカ | 1984年02月13日 | 1980年代 | 全党会議事務局長がバンダーラナーヤカ前首相を訪ね,民族問題の解決のため,自由党の復帰を強く要請。 |
DIA-305-1984-02-14-1 | スリランカ | 1984年02月14日 | 1980年代 | 工業科学省は国庫より5億1330万ルピーの借入れをして,公企業経営の業績を上げていないと蔵相指摘。 |
DIA-305-1984-02-14-2 | スリランカ | 1984年02月14日 | 1980年代 | 軍服を着用した25名の強盗が,ジャフナ近郊の人民銀行チャンカニ支店に押入り,約500万ルピーを奪う。 |
DIA-305-1984-02-14-3 | スリランカ | 1984年02月14日 | 1980年代 | 政府は教育病院の運営費9000万ルピーの要求に対して,4000万ルピーのみを支出することに決定した。 |
DIA-305-1984-02-15-1 | スリランカ | 1984年02月15日 | 1980年代 | ジャフナ地域にある人民銀行の6支店が閉鎖。 |
DIA-305-1984-02-15-2 | スリランカ | 1984年02月15日 | 1980年代 | 政府は野党の院内総務に閣僚と同じ待遇を与えることに決定(35歳のアヌラ・バンダーラナーヤカ議員)。 |
DIA-305-1984-02-15-3 | スリランカ | 1984年02月15日 | 1980年代 | 約半数のタミル人学生が,南部の諸大学からジャフナおよびバッティカロア大学への転籍を申請した。 |
DIA-305-1984-02-16-1 | スリランカ | 1984年02月16日 | 1980年代 | 1500万ブッシェル以上の稲が,今回の大洪水によって被害を受けた(アンパーレ,ポロンナルワ県等)。 |
DIA-305-1984-02-16-2 | スリランカ | 1984年02月16日 | 1980年代 | ヴィクトリアとコトマレ発電所の完成にともない,70億ルピーの建設費を負担できるよう,電力庁は電力料金体系の改訂を行なう計画である。 |
DIA-305-1984-02-17-1 | スリランカ | 1984年02月17日 | 1980年代 | 世界銀行は本年中に1800万ドルの借款をスリランカ中央運輸公社(CTB)に供与すると発表した。 |
DIA-305-1984-02-17-2 | スリランカ | 1984年02月17日 | 1980年代 | 第二世銀の借款による中小企業への融資は,悪用されるケースが多く,50%以上の返済が滞っていると判明。 |
DIA-305-1984-02-18-1 | スリランカ | 1984年02月18日 | 1980年代 | TULFは民族問題に関する全党円卓会議への政府提案を待望している,とアミルタリンガム談話発表。 |
DIA-305-1984-02-18-2 | スリランカ | 1984年02月18日 | 1980年代 | デ・メル蔵相は,外国企業の脱税に懸念を表明した。 |
DIA-305-1984-02-18-3 | スリランカ | 1984年02月18日 | 1980年代 | 20台のベンツ乗用車が無税で閣僚用に輸入される。 |
DIA-305-1984-02-19-1 | スリランカ | 1984年02月19日 | 1980年代 | スリランカの外貨準備は,紅茶価格の上昇にもかかわらず,減少しつづけ6月末までの輸入分しかない。 |
DIA-305-1984-02-20-1 | スリランカ | 1984年02月20日 | 1980年代 | 米国とスリランカの間に軍事条約は存在しない,とニューデリーの米大使館がステートメントを発表。 |
DIA-305-1984-02-20-2 | スリランカ | 1984年02月20日 | 1980年代 | 人民銀行は強盗に襲われやすい12の支店を閉鎖する。 |
DIA-305-1984-02-21-1 | スリランカ | 1984年02月21日 | 1980年代 | 過去数日間にコロンボ北部で,2000の偽造旅券の保持者が摘発され,警察に回収された。 |
DIA-305-1984-02-21-2 | スリランカ | 1984年02月21日 | 1980年代 | スリランカ文化三角地帯の改修事業に10億ルピーの資金が必要とD・L・B・フルラ文化相が国際会議で発表した。 |
DIA-305-1984-02-22-1 | スリランカ | 1984年02月22日 | 1980年代 | スリランカ日本民間航空協定の調印を閣議承認。 |
DIA-305-1984-02-22-2 | スリランカ | 1984年02月22日 | 1980年代 | 14日ぶりに再開された全党円卓会議は,21日と22日との2日間審議した後,選出母体での討議の時間を与えるため,向う3週間の休会を決定した。 |
DIA-305-1984-02-23-1 | スリランカ | 1984年02月23日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,北部のタミル民族の主張と南部のシンハラ民族の主張との間に,うずめることの困難な深い溝がある,と議会で表明した。 |
DIA-305-1984-02-23-2 | スリランカ | 1984年02月23日 | 1980年代 | 補欠選挙を1年間延期することができる選挙法の修正案が,激論をたたかわした後,議会で可決された。 |
DIA-305-1984-02-24-1 | スリランカ | 1984年02月24日 | 1980年代 | ガンディー首相の発意で始められたスリランカ向け救済基金900万ルピーが,インドから贈与される。 |
DIA-305-1984-02-25-1 | スリランカ | 1984年02月25日 | 1980年代 | 昨年7~11月に204名のスリランカ人が英国で入国を拒否され,即日送還された事実を英下院で公表。 |
DIA-305-1984-02-25-2 | スリランカ | 1984年02月25日 | 1980年代 | 各省庁は10%の歳出の削減を求められた(1984年度)。 |
DIA-305-1984-02-26-1 | スリランカ | 1984年02月26日 | 1980年代 | 北部州で警察と軍隊とを批難するポスターや匿名電話によるキャンペーンがはじめられた。 |
DIA-305-1984-02-27-1 | スリランカ | 1984年02月27日 | 1980年代 | 北部および東部州のセイロン銀行の16支店閉鎖。 |
DIA-305-1984-02-28-1 | スリランカ | 1984年02月28日 | 1980年代 | デメル蔵相はマハヴェリ水系開発計画への公的投資を,資本予算全体の10%未満に制限すべしと主張。 |
DIA-305-1984-02-29-1 | スリランカ | 1984年02月29日 | 1980年代 | 所得税の10%付加税が本年4月より課せられる。 |
DIA-305-1984-03-01-1 | スリランカ | 1984年03月01日 | 1980年代 | 約2000万ブッシェルの籾が,2月初旬の洪水被害のためマハ期の収穫減少になった,と農相言明。 |
DIA-305-1984-03-02-1 | スリランカ | 1984年03月02日 | 1980年代 | 31名のスリランカ人が偽造旅券の所持をカトナヤカ空港で発見され,逮捕された。 |
DIA-305-1984-03-03-1 | スリランカ | 1984年03月03日 | 1980年代 | 本年度の財政赤字の35億ルピーを削減するため,各省庁は支出を少なくする方策を検討しつつある。 |
DIA-305-1984-03-03-2 | スリランカ | 1984年03月03日 | 1980年代 | 政府は海外旅行を2年に1度より多くならないよう,渡航制限を強化し,旅行業者や商業銀行に指示した。 |
DIA-305-1984-03-04-1 | スリランカ | 1984年03月04日 | 1980年代 | スリランカではあらゆる種類の麻薬が流通し,その常用者は2万人に達するとWHOは推定している。 |
DIA-305-1984-03-04-2 | スリランカ | 1984年03月04日 | 1980年代 | 政府は国有林や公営農場から半径3マイル以上の距離に材木店の開設を許可しない方針を採ることにした。 |
DIA-305-1984-03-05-1 | スリランカ | 1984年03月05日 | 1980年代 | カトナヤカ国際空港拡張事業が1990年に完成すると,570トンまでの旅客機が発着できる南アジアにおける唯一の大空港となることが見込まれている。 |
DIA-305-1984-03-05-2 | スリランカ | 1984年03月05日 | 1980年代 | コロンボ地域の住民は,来週から初めて水道料金の支払いを求められることになった。 |
DIA-305-1984-03-06-1 | スリランカ | 1984年03月06日 | 1980年代 | 水産省は1984~88年の第2期5カ年計画を立案。 |
DIA-305-1984-03-07-1 | スリランカ | 1984年03月07日 | 1980年代 | 8億4130万ルピーのカトナヤカ国際空港拡張事業予算が閣議で承認され,実施されることになった。 |
DIA-305-1984-03-08-1 | スリランカ | 1984年03月08日 | 1980年代 | 早朝にインギニミティヤ貯水池が決壊し,プタラム県内の約1万世帯が住居や田畑に被害を受けた。 |
DIA-305-1984-03-09-1 | スリランカ | 1984年03月09日 | 1980年代 | 中央銀行は外国銀行による融資が,特定企業に集中するのを総貸出し額の15%以内に抑えるよう求める。 |
DIA-305-1984-03-09-2 | スリランカ | 1984年03月09日 | 1980年代 | トリンコマリー港の貯油施設の入札を近く行なうとA・C・S・ハミード外相が議会において発表した。 |
DIA-305-1984-03-09-3 | スリランカ | 1984年03月09日 | 1980年代 | A・ダサナヤカ自由党議員は,無国籍タミル人にスリランカ市民権を与えるか否か,国民投票の実施を主張。 |
DIA-305-1984-03-10-1 | スリランカ | 1984年03月10日 | 1980年代 | 「タミル・イーラム軍」のT・マヘスワーラン司令官に次ぐ地位のK・タトピラナーダンが逮捕される。 |
DIA-305-1984-03-10-2 | スリランカ | 1984年03月10日 | 1980年代 | 42免税店のコンプレックスが税関吏に摘発される。 |
DIA-305-1984-03-11-1 | スリランカ | 1984年03月11日 | 1980年代 | スウェーデン訪問中のデメル蔵相の折衝により,1984年7月からの2年間に17.4億ルピーの援助を受ける。 |
DIA-305-1984-03-11-2 | スリランカ | 1984年03月11日 | 1980年代 | アミルタリンガムTULF書記長は,アンパーレ県とバッティカロア県の回教徒指導者との会談に満足表明。 |
DIA-305-1984-03-12-1 | スリランカ | 1984年03月12日 | 1980年代 | 紅茶輸出額は,価格水準が変らなければ,150億ルピーという史上最高を記録する見込みと関係者予測。 |
DIA-305-1984-03-12-2 | スリランカ | 1984年03月12日 | 1980年代 | 社会サービス省は日本から1200トンの缶詰を受取る。 |
DIA-305-1984-03-13-1 | スリランカ | 1984年03月13日 | 1980年代 | 全党円卓会議再開。アスギリヤ派のP・チャングナンダ管長は,バンダーラナーヤカ前首相と会談後,県開発会議(DDC)以上の分権化は不適当と言明した。 |
DIA-305-1984-03-14-1 | スリランカ | 1984年03月14日 | 1980年代 | すべての公企業は利益の50%を国庫に納入する。 |
DIA-305-1984-03-14-2 | スリランカ | 1984年03月14日 | 1980年代 | 政府は1985年の新規事業へのガイドラインを決定。 |
DIA-305-1984-03-15-1 | スリランカ | 1984年03月15日 | 1980年代 | ジュネーブの国連人権委員会で,「スリランカ情勢についてこれ以上の考慮の要なし」との決定を得た,とJ・ダナパーラ大使が外務省に電話で報告を行なった。 |
DIA-305-1984-03-15-2 | スリランカ | 1984年03月15日 | 1980年代 | 円卓会議の委員会は9.3万人の無国籍タミル人にスリランカ市民権を与えることで,全員が一致した。 |
DIA-305-1984-03-16-1 | スリランカ | 1984年03月16日 | 1980年代 | 8kgのヘロイン(市価2500万ルピー)がコロンボ港に停泊中の貨物船内で,税関により摘発された。 |
DIA-305-1984-03-17-1 | スリランカ | 1984年03月17日 | 1980年代 | 約2000台のバスが許可書なしに運行されているので,国庫に約300万ルピーの減収になると運輸省発表。 |
DIA-305-1984-03-18-1 | スリランカ | 1984年03月18日 | 1980年代 | 平等社会党,共産党,人民統一戦線および人民党の4党派合同メーデーを行なうことに決定と新聞発表。 |
DIA-305-1984-03-18-2 | スリランカ | 1984年03月18日 | 1980年代 | 統一国民党執行委員会は2名の同党議員に汚職の疑いにより,辞任を求めることに決定した。 |
DIA-305-1984-03-18-3 | スリランカ | 1984年03月18日 | 1980年代 | 数名のインド下院議員が,VOA放送の強力な中継所をスリランカに設立することに懸念を表明した。 |
DIA-305-1984-03-19-1 | スリランカ | 1984年03月19日 | 1980年代 | 西アジアのスリランカ労働者は20万人に達し,昨年の送金額は60億ルピーで,第2の外貨獲得源である。 |
DIA-305-1984-03-19-2 | スリランカ | 1984年03月19日 | 1980年代 | 洪水によって破壊された水利施設の復旧に,480億ルピーの資金が必要であると政府が発表した。 |
DIA-305-1984-03-20-1 | スリランカ | 1984年03月20日 | 1980年代 | アミルタリンガムTULF書記長は,仏教僧最高会議との会談で,タミル・ナードゥ州がスリランカ内政に干渉するという説は根拠がないと否定した。 |
DIA-305-1984-03-20-2 | スリランカ | 1984年03月20日 | 1980年代 | 全党会議は5月9日まで休会することに決定した。 |
DIA-305-1984-03-21-1 | スリランカ | 1984年03月21日 | 1980年代 | TULFは適当な代案が提供されれば,独立要求を撤回すると,アミルタリンガム書記長が言明した。 |
DIA-305-1984-03-21-2 | スリランカ | 1984年03月21日 | 1980年代 | ハミード外相がタミル・ナードゥ州におけるテロリスト訓練所問題をインド政府と話合うよう閣議で提案。 |
DIA-305-1984-03-22-1 | スリランカ | 1984年03月22日 | 1980年代 | プレマダーサ首相は政府がインドにおけるテロリストの訓練に関する情報を入手した,と議会で言明。 |
DIA-305-1984-03-23-1 | スリランカ | 1984年03月23日 | 1980年代 | インド政府はスリランカ人テロリストの存在やその訓練所の存在を全面的に否定した。 |
DIA-305-1984-03-23-2 | スリランカ | 1984年03月23日 | 1980年代 | 石油公団はカナダ政府の援助で沿岸の試掘を始める。 |
DIA-305-1984-03-23-3 | スリランカ | 1984年03月23日 | 1980年代 | アトゥラトムダリ国家治安相が就任し,国内の秩序維持に責任をもつ(国家治安省が新設された)。 |
DIA-305-1984-03-23-4 | スリランカ | 1984年03月23日 | 1980年代 | 電力の使用制限が本日よりすべて解除された。 |
DIA-305-1984-03-24-1 | スリランカ | 1984年03月24日 | 1980年代 | 西ヨーロッパ諸国で亡命を求めているタミル人は1万2000名と政府発表(約6000名が西ドイツ)。 |
DIA-305-1984-03-24-2 | スリランカ | 1984年03月24日 | 1980年代 | 独立運動軍事組織の幹部5名を北部で逮捕と公表。 |
DIA-305-1984-03-25-1 | スリランカ | 1984年03月25日 | 1980年代 | 中央銀行は四つの国内商業銀行に,資本金と準備金の30%以上が特定の融資先に集中しないよう要請。 |
DIA-305-1984-03-25-2 | スリランカ | 1984年03月25日 | 1980年代 | 外国の侵略にそなえて,第三国と軍事同盟を締結するよう,仏教徒連合会がジャヤワルダナ大統領に請願。 |
DIA-305-1984-03-26-1 | スリランカ | 1984年03月26日 | 1980年代 | 現政府の不信任動議を自由党議員が提案。 |
DIA-305-1984-03-27-1 | スリランカ | 1984年03月27日 | 1980年代 | 北部に駐留する警察官に500ルピーの手当支給。 |
DIA-305-1984-03-28-1 | スリランカ | 1984年03月28日 | 1980年代 | 30万ルピーの密輸用ビデオ・カセットを押収。 |
DIA-305-1984-03-29-1 | スリランカ | 1984年03月29日 | 1980年代 | テロリスト訓練の調査を首相がインドに求める。 |
DIA-305-1984-03-30-1 | スリランカ | 1984年03月30日 | 1980年代 | L・ポーパゲ人民解放戦線書記長が辞任。 |
DIA-305-1984-04-01-1 | スリランカ | 1984年04月01日 | 1980年代 | 太平洋地区旅行業者会議(PATA)がコロンボで始まり,スリランカ観光業のために大統領あいさつ。 |
DIA-305-1984-04-02-1 | スリランカ | 1984年04月02日 | 1980年代 | 60万のプランテーション労働者がスト権を行使。 |
DIA-305-1984-04-02-2 | スリランカ | 1984年04月02日 | 1980年代 | 12万5000人の男女が1983年中に避妊手術を受けた。 |
DIA-305-1984-04-02-3 | スリランカ | 1984年04月02日 | 1980年代 | 政府は公務員の生計費手当を102ルピー引上げる。 |
DIA-305-1984-04-03-1 | スリランカ | 1984年04月03日 | 1980年代 | N・サマラコーン最高裁判所長官の政府批判発言調査特別委員会が議会に設置されることになった。 |
DIA-305-1984-04-04-1 | スリランカ | 1984年04月04日 | 1980年代 | 昨年7月の暴動によって被害を受けた約3万人のための復興案が閣議で承認され,実施に移される。 |
DIA-305-1984-04-06-1 | スリランカ | 1984年04月06日 | 1980年代 | ジャフナ刑務所が攻撃され,数名の囚人が脱走。 |
DIA-305-1984-04-07-1 | スリランカ | 1984年04月07日 | 1980年代 | ガンディ首相はジャヤワルダナ大統領に親書を送り,スリランカの国家的統合の支持を明らかにした。 |
DIA-305-1984-04-07-2 | スリランカ | 1984年04月07日 | 1980年代 | スリランカ海軍は領海内で8隻のインド漁船をだ捕し,うち4隻をインド大使の仲介で送還したと発表。 |
DIA-305-1984-04-08-1 | スリランカ | 1984年04月08日 | 1980年代 | スリランカ・ソ連文化科学交換協定を調印する。 |
DIA-305-1984-04-09-1 | スリランカ | 1984年04月09日 | 1980年代 | サウジ・アラビアは港湾労働者としてスリランカ人を多く雇用することに同意した(第1陣2000名)。 |
DIA-305-1984-04-09-2 | スリランカ | 1984年04月09日 | 1980年代 | ジャフナを巡回中の25名の陸軍兵士が,テロリストの攻撃を受け,うち8名の兵士が負傷した,と政府発表。 |
DIA-305-1984-04-10-1 | スリランカ | 1984年04月10日 | 1980年代 | 正午12時から11日朝6時まで北部州で外出禁止。 |
DIA-305-1984-04-10-2 | スリランカ | 1984年04月10日 | 1980年代 | 武装強盗がセイロン銀行のジャフナ・スタンレー道路支店から120万ルピーの現金を奪い逃走する。 |
DIA-305-1984-04-10-3 | スリランカ | 1984年04月10日 | 1980年代 | 9日間つづいたプランテーション労働者のストライキは,政府の日額2ルピー賃上げ発表をうけて終結した。 |
DIA-305-1984-04-11-1 | スリランカ | 1984年04月11日 | 1980年代 | スリランカ海軍は島の北部水域に一定の監視ゾーンを設定し,インドからの軍事的支援を断とうとする。 |
DIA-305-1984-04-11-2 | スリランカ | 1984年04月11日 | 1980年代 | ストライキの中止により,コロンボ競売市場で紅茶価格が急上昇し,これまでの最高を記録した。 |
DIA-305-1984-04-11-3 | スリランカ | 1984年04月11日 | 1980年代 | ナーガ仏教寺院を攻撃した35名のテロリストが殺され,今週の死者は計57名となった,と国家治安省発表。 |
DIA-305-1984-04-12-1 | スリランカ | 1984年04月12日 | 1980年代 | 前日設定した監視ゾーンを守るため,スリランカ海軍はトロール漁船に火器を与え,監視活動を強化。 |
DIA-305-1984-04-12-2 | スリランカ | 1984年04月12日 | 1980年代 | トリンコマリー石油貯蔵施設の開発は,政治的反対のため,過去6年間進展せず,とマティユ工業相が言明。 |
DIA-305-1984-04-13-1 | スリランカ | 1984年04月13日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領はインド政府がスリランカのタミル人政党への支持を止めるよう求めた。 |
DIA-305-1984-04-13-2 | スリランカ | 1984年04月13日 | 1980年代 | アトゥラトムダリ国家治安相は,ニューデリーでガンディ首相等のインド政府首脳と会談した。 |
DIA-305-1984-04-15-1 | スリランカ | 1984年04月15日 | 1980年代 | ガンディー首相は「スリランカに対するインドの善意を強調し,主権と領土の統合性を尊重する」とスリランカのアトゥラトムダリ国家治安相に述べた。 |
DIA-305-1984-04-15-2 | スリランカ | 1984年04月15日 | 1980年代 | ジャフナとキリノッチ県では,15馬力以上の船舶用エンジンの所有が禁止され,警察に接収されると布告。 |
DIA-305-1984-04-16-1 | スリランカ | 1984年04月16日 | 1980年代 | 人民銀行のフェルナンド会長は,最新号の雑誌Economic Reviewの論文に対する調査を指示した。 |
DIA-305-1984-04-16-2 | スリランカ | 1984年04月16日 | 1980年代 | インドのヴェンカトラーマン国防相はタミル・ナードゥ州の政治家がインド軍のスリランカ派遣を主張していることに反論した,とマドラスのHindu紙が報道。 |
DIA-305-1984-04-17-1 | スリランカ | 1984年04月17日 | 1980年代 | 1300名のスリランカ・タミル人がスイスに政治的亡命を求めて在留し,国内で論議を呼んでいる。 |
DIA-305-1984-04-18-1 | スリランカ | 1984年04月18日 | 1980年代 | 労働災害が1977年以降増加しつつある。 |
DIA-305-1984-04-18-2 | スリランカ | 1984年04月18日 | 1980年代 | 大学入試の共通試験受験者15万人中2万人が,答案の再審査を求めた(GCE上級試験)。 |
DIA-305-1984-04-19-1 | スリランカ | 1984年04月19日 | 1980年代 | アトゥラトムダリ国家治安相はインドと友好条約を結ぶことを提案した,と議会に報告を行なった。 |
DIA-305-1984-04-20-1 | スリランカ | 1984年04月20日 | 1980年代 | TULFは国連人権委員会(ジュネーブ)に文書で,スリランカの民族的殺人を中止させるよう求めた。 |
DIA-305-1984-04-21-1 | スリランカ | 1984年04月21日 | 1980年代 | 2000名を超える自警団の志願者が登録された。 |
DIA-305-1984-04-21-2 | スリランカ | 1984年04月21日 | 1980年代 | 非合法のイーラム国放送が監視ゾーンの外に停泊中の船で南インドに中継されていることが判明した。 |
DIA-305-1984-04-21-3 | スリランカ | 1984年04月21日 | 1980年代 | タミル・ナードゥ州政府のラーマチャンドラン首相が中央政府のガンディー首相にジャヤワルダナ大統領と局面打開の直接交渉を行なうよう強く要望とHindu紙。 |
DIA-305-1984-04-22-1 | スリランカ | 1984年04月22日 | 1980年代 | 一団の武装青年がジャフナ高等裁判所に押入り,10丁の小銃を奪って逃走した(20日夜の事件),と報道。 |
DIA-305-1984-04-22-2 | スリランカ | 1984年04月22日 | 1980年代 | マドラスのスリランカ・タミル人の諸集団は,武装独立闘争以外に代案なしと考えている(FEER誌)。 |
DIA-305-1984-04-23-1 | スリランカ | 1984年04月23日 | 1980年代 | 法務省は陪審制度を今後も維持すると決定した。 |
DIA-305-1984-04-24-1 | スリランカ | 1984年04月24日 | 1980年代 | 過去数日続いた降雨のため,各地の貯水池の決壊がはじまり,再び大洪水の心配が強くなった。プタラム,チラウ,ラトナプラ県等で1万2000戸が流失した。 |
DIA-305-1984-04-24-2 | スリランカ | 1984年04月24日 | 1980年代 | スリジャヤワルダナ市の電力は6月から私企業供給。 |
DIA-305-1984-04-24-3 | スリランカ | 1984年04月24日 | 1980年代 | 国防省は監視用の艦艇を12隻輸入することに決定。 |
DIA-305-1984-04-25-1 | スリランカ | 1984年04月25日 | 1980年代 | 大統領の給与を月額1万5000ルピーへ引上げ決定。 |
DIA-305-1984-04-25-2 | スリランカ | 1984年04月25日 | 1980年代 | 監視水域で海軍の命令に従わなかった舟の乗組員と思われる11名の青年の死体が北部海岸に漂着した。 |
DIA-305-1984-04-26-1 | スリランカ | 1984年04月26日 | 1980年代 | 西部沿海地帯で多数の豚が高熱のため病死した。 |
DIA-305-1984-04-26-2 | スリランカ | 1984年04月26日 | 1980年代 | エアランカはオーストラリアから中古のボーイング747旅客機を約2300万ドルで購入した,と英誌報道。 |
DIA-305-1984-04-27-1 | スリランカ | 1984年04月27日 | 1980年代 | 商業銀行は融資額の10%以上を農村開発のプロジェクトに対して貸出すべきである,と中央銀行が要望。 |
DIA-305-1984-04-28-1 | スリランカ | 1984年04月28日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,犯罪の激増を憂慮し,あらゆる可能な抑制策をとるよう関係機関に指示した。 |
DIA-305-1984-04-28-2 | スリランカ | 1984年04月28日 | 1980年代 | 民衆の告発により,約400名の警官の不法行為が調査され,懲戒措置がとられることになっている。 |
DIA-305-1984-04-28-3 | スリランカ | 1984年04月28日 | 1980年代 | 輸出促進区の最大縫製工場で1300人が70日のスト。 |
DIA-305-1984-04-29-1 | スリランカ | 1984年04月29日 | 1980年代 | 警察は北部州におけるメーデー集会を禁止する。 |
DIA-305-1984-04-30-1 | スリランカ | 1984年04月30日 | 1980年代 | 武装独立闘争の指導者R・ジャヤチャンドランをバッティカロアの銃撃戦で射殺したことを警察が確認。 |
DIA-305-1984-04-30-2 | スリランカ | 1984年04月30日 | 1980年代 | 南インド空軍司令部をトリヴァンドラムに設立予定。 |
DIA-305-1984-05-01-1 | スリランカ | 1984年05月01日 | 1980年代 | バンダーラナーヤカ前首相はメーデー集会で,1年以内に総選挙を実施すべきであると主張した。 |
DIA-305-1984-05-02-1 | スリランカ | 1984年05月02日 | 1980年代 | 18歳以上の女性労働者の深夜勤務を可能にするための法案が近日中に議会に上程される,と政府筋言明。 |
DIA-305-1984-05-03-1 | スリランカ | 1984年05月03日 | 1980年代 | セイロン銀行はシンガポール事務所を撤去する。 |
DIA-305-1984-05-04-1 | スリランカ | 1984年05月04日 | 1980年代 | 中央銀行はインフレーションを現在の14%から8~9%の水準に抑制する方策をとる,と総裁が表明。 |
DIA-305-1984-05-05-1 | スリランカ | 1984年05月05日 | 1980年代 | タミル・ナードゥ州の政党代表がガンディ首相に会い,スリランカ・タミル人の窮状を救うよう要請。 |
DIA-305-1984-05-07-1 | スリランカ | 1984年05月07日 | 1980年代 | スリランカはジャフナ地区から軍隊を撤退させ,少数民族問題の平和的政治解決に向かうべきである,とインド下院でナラシンハ・ラーオ外相が言明した。 |
DIA-305-1984-05-08-1 | スリランカ | 1984年05月08日 | 1980年代 | 官公庁の無料郵便サービスは,1985年から中止。 |
DIA-305-1984-05-09-1 | スリランカ | 1984年05月09日 | 1980年代 | ジャフナの夜間外出禁止令が本日より解かれる。 |
DIA-305-1984-05-09-2 | スリランカ | 1984年05月09日 | 1980年代 | 再開された円卓会議でタミル人政党の代表は,委員会活動に参加しないことを通告した。 |
DIA-305-1984-05-10-1 | スリランカ | 1984年05月10日 | 1980年代 | 政府は5年間に2020億ルピーの公的資本投下を行なう計画であると発表(1984~88年の投資計画案)。 |
DIA-305-1984-05-11-1 | スリランカ | 1984年05月11日 | 1980年代 | 北部テロリストがアメリカ人技師のアレン夫妻を誘拐し,5000万ルピー相当の金と政治犯の釈放を要求。 |
DIA-305-1984-05-11-2 | スリランカ | 1984年05月11日 | 1980年代 | インド政府はスリランカ海軍によるポーク海峡の閉鎖が1974年のインド・スリランカ海運条約違反,と通告。 |
DIA-305-1984-05-13-1 | スリランカ | 1984年05月13日 | 1980年代 | 全党円卓会議は大統領の判断で一時中断された。 |
DIA-305-1984-05-14-1 | スリランカ | 1984年05月14日 | 1980年代 | イーラム人民革命解放戦線(EPRLF)がアレン夫妻の誘拐を認め,釈放を検討中とマドラスで発表。 |
DIA-305-1984-05-15-1 | スリランカ | 1984年05月15日 | 1980年代 | アレン夫妻はジャフナで無事に解放された。 |
DIA-305-1984-05-15-2 | スリランカ | 1984年05月15日 | 1980年代 | 1971年にソ連が供与したミグ17戦闘機6機が修理不能のため,使用しないことにしたとスリランカ空軍発表。 |
DIA-305-1984-05-16-1 | スリランカ | 1984年05月16日 | 1980年代 | 中央銀行が過剰流動性を少なくする引締策発表。 |
DIA-305-1984-05-18-1 | スリランカ | 1984年05月18日 | 1980年代 | 再開された円卓会議にタミル人代表は全員欠席。 |
DIA-305-1984-05-18-2 | スリランカ | 1984年05月18日 | 1980年代 | 非常事態宣言下の行政は本日で2年目に入った。 |
DIA-305-1984-05-19-1 | スリランカ | 1984年05月19日 | 1980年代 | 500隻以上の漁船が融資を返済できず,人民銀行とセイロン銀行とに差し押えられた(バッティカロア)。 |
DIA-305-1984-05-19-2 | スリランカ | 1984年05月19日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は中華人民共和国と大韓民国を歴訪するため,カトナヤカ国際空港から出発した。 |
DIA-305-1984-05-20-1 | スリランカ | 1984年05月20日 | 1980年代 | ジ大統領が北京に到着,李先念国家主席と会談。両国とも外国の内政干渉を認めないことに同意した。 |
DIA-305-1984-05-21-1 | スリランカ | 1984年05月21日 | 1980年代 | 趙紫陽首相と経済協力問題について会談した。 |
DIA-305-1984-05-22-1 | スリランカ | 1984年05月22日 | 1980年代 | 鄧小平党中央顧問委主任と経済自由化を話合う。 |
DIA-305-1984-05-24-1 | スリランカ | 1984年05月24日 | 1980年代 | ハミード外相は議会で,アメリカ大使館にイスラエル利益代表部の開設を承認すると説明した。野党は,従来の外交政策に反するとしてきびしく批判した。 |
DIA-305-1984-05-26-1 | スリランカ | 1984年05月26日 | 1980年代 | 非公式訪日中のジ大統領が中曽根首相と会談。 |
DIA-305-1984-05-27-1 | スリランカ | 1984年05月27日 | 1980年代 | ジ大統領が韓国を公式訪問し全大統領と会談。 |
DIA-305-1984-06-01-1 | スリランカ | 1984年06月01日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領外遊中にプレマダーサ首相が行なったインド政府非難の発言は,まったく根拠がないとインド外務省スポークスマンが声明を発表した。 |
DIA-305-1984-06-04-1 | スリランカ | 1984年06月04日 | 1980年代 | インドのチャトワル大使がジャヤワルダナ大統領を訪ね,ガンディー首相からの親書を手渡した。 |
DIA-305-1984-06-05-1 | スリランカ | 1984年06月05日 | 1980年代 | イスラエルの外交官D・マットナイが,イスラエル利益代表部に赴任した。この事務所は米大使館外部に設けられ,米国人は関係しないと記者会見で言明した。 |
DIA-305-1984-06-06-1 | スリランカ | 1984年06月06日 | 1980年代 | 北部の町ムライティヴ近郊で3名の警察官がジープで走行中に,道路に仕かけた爆薬で殺された。 |
DIA-305-1984-06-07-1 | スリランカ | 1984年06月07日 | 1980年代 | 政府は非常事態宣言のもとでは,検死を経なくとも死体を処理できるように法案を準備したが,野党の反対が強いので廃案にすることに決定した。 |
DIA-305-1984-06-09-1 | スリランカ | 1984年06月09日 | 1980年代 | プレマダーサ首相は,1日のインド外務省スポークスマンの声明に対して反論する声明を発表した。 |
DIA-305-1984-06-10-1 | スリランカ | 1984年06月10日 | 1980年代 | バッティカロア刑務所に拘置されていたタミル人政治犯N・ニッティヤナンダン夫人が「救出」され脱走。 |
DIA-305-1984-06-10-2 | スリランカ | 1984年06月10日 | 1980年代 | 回教徒住民の強い反対にもかかわらず,イスラエルの専門家による対ゲリラ活動の援助を得ると大統領言明。 |
DIA-305-1984-06-13-1 | スリランカ | 1984年06月13日 | 1980年代 | コロンボからスリジャヤワルダナ新首都へ移転する省庁は,6カ月前に行政省へ予告が必要と閣議決定。 |
DIA-305-1984-06-14-1 | スリランカ | 1984年06月14日 | 1980年代 | 昨年9月10日以来,フィリピンのミンダナオ島で反乱軍に誘拐されていたスリランカのスミス技師帰還。 |
DIA-305-1984-06-15-1 | スリランカ | 1984年06月15日 | 1980年代 | イスラエルの情報機関モサッド要員がスリランカの公安部隊を訓練している,とハミード外相が語った。 |
DIA-305-1984-06-18-1 | スリランカ | 1984年06月18日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領が米国を訪問,レーガン大統領と国際テロリズム対策や経済問題について会談。 |
DIA-305-1984-06-20-1 | スリランカ | 1984年06月20日 | 1980年代 | サッチャー首相がガンディー首相あて親書で,英国は傭兵隊をスリランカに派遣しないと確約した。英特別航空部隊(SAS)の退職者のみがスリランカで活動。 |
DIA-305-1984-06-21-1 | スリランカ | 1984年06月21日 | 1980年代 | 日本政府は本年度分の借款として153.7億円をスリランカに供与すると世銀主催の援助国会議で表明。 |
DIA-305-1984-06-22-1 | スリランカ | 1984年06月22日 | 1980年代 | スリランカ外務省は英労働党議員にビザを拒否。 |
DIA-305-1984-06-23-1 | スリランカ | 1984年06月23日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領が英国を非公式訪問。 |
DIA-305-1984-06-26-1 | スリランカ | 1984年06月26日 | 1980年代 | ジ大統領は英国人記者との会見で,スリランカのテロリストを支援したタミル・ナードゥ州政府を非難。 |
DIA-305-1984-06-28-1 | スリランカ | 1984年06月28日 | 1980年代 | ジ大統領はサッチャー首相に会い,タミル人の分離独立運動のために英国で資金や武器が調達されないよう,適切な措置をとるよう申入れた。 |
DIA-305-1984-06-28-2 | スリランカ | 1984年06月28日 | 1980年代 | コロンボで最大のランカ・オベロイ・ホテルで時限爆弾が午後1時に爆発し,女性従業員が1名死亡した。 |
DIA-305-1984-06-29-1 | スリランカ | 1984年06月29日 | 1980年代 | ジャフナで日本人仏教僧が武装青年に襲われ,武術で撃退した,と国家省のリヤナゲ次官が発表した。 |
DIA-305-1984-06-30-1 | スリランカ | 1984年06月30日 | 1980年代 | ガンディー首相と話合うためジ大統領が訪印。 |
DIA-305-1984-07-01-1 | スリランカ | 1984年07月01日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領とガンディー首相とが少数民族問題について会談(アトゥラトムダリ治安相同席)。 |
DIA-305-1984-07-02-1 | スリランカ | 1984年07月02日 | 1980年代 | 両国首脳会談で民族間題は内政問題と共通認識。 |
DIA-305-1984-07-02-2 | スリランカ | 1984年07月02日 | 1980年代 | プレマダーサ首相がアヌラーダプラで,SLFPとTULFを除く主要野党の指導者達と懇談会を行なった。 |
DIA-305-1984-07-05-1 | スリランカ | 1984年07月05日 | 1980年代 | スリジャヤワルダナプラ病院は,財政上の困難のため段階的に開業するよう,教育病院相が提案した。 |
DIA-305-1984-07-05-2 | スリランカ | 1984年07月05日 | 1980年代 | スリランカ海軍を増強するため,3隻の艦艇購入に必要な1億6822万ルピーの補正予算案が全議員賛成で成立。 |
DIA-305-1984-07-06-1 | スリランカ | 1984年07月06日 | 1980年代 | 6月12日に始められた外国人記者への全面的な検閲が解除された。しかし,国内紙の検閲は続行する。 |
DIA-305-1984-07-07-1 | スリランカ | 1984年07月07日 | 1980年代 | J・ダヤス工業省次官は,1億6800万ルピーの商品在庫をかかえているのに,2000万ルピーの銀行融資を得られない公社を事例に,公企業の生産向上を求めた。 |
DIA-305-1984-07-10-1 | スリランカ | 1984年07月10日 | 1980年代 | バッティカロア刑務所から「救出」されたN・ニティヤナンダン夫人がマドラスの記者会見に現われた。 |
DIA-305-1984-07-12-1 | スリランカ | 1984年07月12日 | 1980年代 | 政府はモルディブ共和国に50万ドルの経済援助を行なうことを決め,世銀主催の同国援助会議に参加。 |
DIA-305-1984-07-13-1 | スリランカ | 1984年07月13日 | 1980年代 | 野党の院内総務アヌラ・バンダーラナーヤカ議員はTULFがシンハラ仏教徒の国を傷つけたと主張。 |
DIA-305-1984-07-14-1 | スリランカ | 1984年07月14日 | 1980年代 | 全党円卓会議は委員会審議を続け,全体会議を7月23日に再開する予定とD・アベシンハ事務局長発表。 |
DIA-305-1984-07-16-1 | スリランカ | 1984年07月16日 | 1980年代 | アトゥラトムダリ国家治安相は北部タミル人住民の30%を占めるハリジャン(下層民)が,イーラム国独立運動に反対し,4名が処刑されたと述べた。 |
DIA-305-1984-07-18-1 | スリランカ | 1984年07月18日 | 1980年代 | 政府は世界仏教徒会議への財政援助を閣議決定。 |
DIA-305-1984-07-19-1 | スリランカ | 1984年07月19日 | 1980年代 | 先月のオベロイ・ホテル爆弾事件の容疑者逮捕。 |
DIA-305-1984-07-20-1 | スリランカ | 1984年07月20日 | 1980年代 | TULFのアミルタリンガム書記長は円卓会議再開を延期するよう申入れ,あわせてタミル人解放運動の内部にハリジャン差別がまったくないと強調した。 |
DIA-305-1984-07-21-1 | スリランカ | 1984年07月21日 | 1980年代 | 国民服務法を制定し,医師を含む技術者や熟練工に2年間は国内で働くよう強制する制度を政府が検討。 |
DIA-305-1984-07-22-1 | スリランカ | 1984年07月22日 | 1980年代 | TULFは本日から1週間,昨年の民族暴動の死者のために服喪するようタミル人住民によびかけた。 |
DIA-305-1984-07-23-1 | スリランカ | 1984年07月23日 | 1980年代 | 14団体が出席した円卓会議で大統領は,県代表議員と政府任命議員で構成される第二議院の創設を提案。 |
DIA-305-1984-07-25-1 | スリランカ | 1984年07月25日 | 1980年代 | ドイツ連邦共和国が1200万マルクの借款を供与する。0.57%の年利で50年間の返済期間という好条件。 |
DIA-305-1984-07-25-2 | スリランカ | 1984年07月25日 | 1980年代 | TULFの呼びかけで,ジャフナ市でゼネスト決行。 |
DIA-305-1984-07-26-1 | スリランカ | 1984年07月26日 | 1980年代 | スリジャヤワルダナプラ病院の患者から1日20ルピーの医療費を徴収することを政府が決定した。 |
DIA-305-1984-07-28-1 | スリランカ | 1984年07月28日 | 1980年代 | 自由党は大統領の二院制提案を検討すると発表。 |
DIA-305-1984-07-30-1 | スリランカ | 1984年07月30日 | 1980年代 | M・モリス英国議員がスリランカのタミル人問題にインドが介入していることを非難する声明を発表。 |
DIA-305-1984-08-01-1 | スリランカ | 1984年08月01日 | 1980年代 | コロンボのピタコトゥワ商店街で27店類焼火災。 |
DIA-305-1984-08-01-2 | スリランカ | 1984年08月01日 | 1980年代 | センサス統計局の調査では,労働力の44.7%が農業に従事。製造業とその関連産業の従事者は26.2%だった。 |
DIA-305-1984-08-04-1 | スリランカ | 1984年08月04日 | 1980年代 | マティユ工業相は閣議で公企業の損失を弁護し,パリの援助国会議による批判に反論し産業保護を主張。 |
DIA-305-1984-08-04-2 | スリランカ | 1984年08月04日 | 1980年代 | マドラス空港待合室が爆破され,約30名が死亡。うち半数以上がスリランカ人の旅客とみられる。 |
DIA-305-1984-08-05-1 | スリランカ | 1984年08月05日 | 1980年代 | マドラス空港爆破の犠牲者の家族に10万ルピーの弔慰金支払いをジャヤワルダナ大統領が指示した。 |
DIA-305-1984-08-05-2 | スリランカ | 1984年08月05日 | 1980年代 | ガンディー首相とラーマチャンドラン州政府首相は共に爆破事件を非難し再発防止の措置をとると発表した。 |
DIA-305-1984-08-05-3 | スリランカ | 1984年08月05日 | 1980年代 | スリランカ政府は真相究明の共同調査を大統領からガンディ首相に申入れた。インド政府は独自調査を主張。 |
DIA-305-1984-08-06-1 | スリランカ | 1984年08月06日 | 1980年代 | スリランカ海軍がジャフナ北部の町ヴェルヴェティトゥライを砲撃し,約110名が死亡とインド紙報道。 |
DIA-305-1984-08-06-2 | スリランカ | 1984年08月06日 | 1980年代 | スリランカ当局はこの件へのコメント拒否-英紙。 |
DIA-305-1984-08-08-1 | スリランカ | 1984年08月08日 | 1980年代 | ヴァブニア県警本部長が事務所にて爆死した。 |
DIA-305-1984-08-08-2 | スリランカ | 1984年08月08日 | 1980年代 | ガンディー首相は上院で,インドがスリランカの事態への介入可能性を否定したが,タミル人への同情表明。 |
DIA-305-1984-08-11-1 | スリランカ | 1984年08月11日 | 1980年代 | アトゥラトムダリ国家治安相は,北部のテロリストを根絶するが,軍事作戦にイスラエルのモサッドは参加していないと言明した。同相は敵は約400名と推定。 |
DIA-305-1984-08-11-2 | スリランカ | 1984年08月11日 | 1980年代 | ジャフナ半島の銀行支店はすべて無期限に休業する。 |
DIA-305-1984-08-11-3 | スリランカ | 1984年08月11日 | 1980年代 | チュンナカン警察署爆破。テロリスト側が19名爆死。 |
DIA-305-1984-08-11-4 | スリランカ | 1984年08月11日 | 1980年代 | マンナール市近くの路上の地雷により兵士6名爆死。 |
DIA-305-1984-08-13-1 | スリランカ | 1984年08月13日 | 1980年代 | 陸軍兵士の射撃と放火によりマンナール市が炎上して,約3000名が家を失う,とインド各紙が報道。 |
DIA-305-1984-08-15-1 | スリランカ | 1984年08月15日 | 1980年代 | 政府はマンナール市の123商店に各5万ルピーの補償金を支払うことに閣議で決定した,と英紙報道。 |
DIA-305-1984-08-16-1 | スリランカ | 1984年08月16日 | 1980年代 | 円卓会議再開。TULFが欠席し,20分で閉会。 |
DIA-305-1984-08-16-2 | スリランカ | 1984年08月16日 | 1980年代 | 共産党は円卓会議のボイコットを決定し政府に通告。 |
DIA-305-1984-08-17-1 | スリランカ | 1984年08月17日 | 1980年代 | 全インド港湾労働組合が,スリランカ船を拒否。 |
DIA-305-1984-08-21-1 | スリランカ | 1984年08月21日 | 1980年代 | 円卓会議で大統領が二院制案を詳細に説明した。 |
DIA-305-1984-08-23-1 | スリランカ | 1984年08月23日 | 1980年代 | コルピティヤの免税店(42店)が当分の間休業。 |
DIA-305-1984-08-23-2 | スリランカ | 1984年08月23日 | 1980年代 | D・リヤナゲ国家省次官のイスラエル訪問は,政府の関知しない私的旅行である,と政府スポークスマン発表。 |
DIA-305-1984-08-24-1 | スリランカ | 1984年08月24日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領がIndian Expressのインタビューで,州評議会を創設する分権化を考慮と発言。 |
DIA-305-1984-08-27-1 | スリランカ | 1984年08月27日 | 1980年代 | シンガポール航空とエアランカとの交渉が決裂。 |
DIA-305-1984-08-28-1 | スリランカ | 1984年08月28日 | 1980年代 | 3900名の警察官の欠員補充が困難と警察庁発表。 |
DIA-305-1984-08-29-1 | スリランカ | 1984年08月29日 | 1980年代 | 円卓会議で分権化の水準をめぐる論議が焦点。 |
DIA-305-1984-08-30-1 | スリランカ | 1984年08月30日 | 1980年代 | ディヤワダ・ニラーメ(仏歯寺管理者)の大統領任命に,シャム派の教団組織が反対であると発表した。 |
DIA-305-1984-08-31-1 | スリランカ | 1984年08月31日 | 1980年代 | サッチャー首相,スリランカ訪問の中止を発表。 |
DIA-305-1984-09-01-1 | スリランカ | 1984年09月01日 | 1980年代 | インドのマザー・テレサがスリランカに来島。 |
DIA-305-1984-09-01-2 | スリランカ | 1984年09月01日 | 1980年代 | 100年の歴史をもつウェラワッタ紡織工場(政府経営に移管)が閉鎖して,コロンボ市内に移転すると決定。 |
DIA-305-1984-09-02-1 | スリランカ | 1984年09月02日 | 1980年代 | 北部のポイント・ピードロで4名の警官が爆死した後,複数の商店が焼かれ,数名が殺されたと国家治安相発表。数千名の避難民が近在のヒンドゥ寺院に移動。 |
DIA-305-1984-09-03-1 | スリランカ | 1984年09月03日 | 1980年代 | SLMP,LSSP,MEPおよび共産党の4党が公正な補欠選挙のため,非常事態宣言の解除を要請。 |
DIA-305-1984-09-04-1 | スリランカ | 1984年09月04日 | 1980年代 | 私的にイスラエルを訪問したD・リヤナゲ国家省次官が大統領に辞表を提出し,受理された。 |
DIA-305-1984-09-05-1 | スリランカ | 1984年09月05日 | 1980年代 | 8月上旬に北部で逮捕された540名の容疑者中まだ釈放されていない者は9名のみ,と国防省筋言明。 |
DIA-305-1984-09-06-1 | スリランカ | 1984年09月06日 | 1980年代 | 211名のスリランカ人,麻薬運搬で逮捕(83年)。 |
DIA-305-1984-09-06-2 | スリランカ | 1984年09月06日 | 1980年代 | マリア・テレサが記者団に,真実を伝えよと訴える。 |
DIA-305-1984-09-06-3 | スリランカ | 1984年09月06日 | 1980年代 | インド港湾労組のスリランカ船ボイコット中止さる。 |
DIA-305-1984-09-07-1 | スリランカ | 1984年09月07日 | 1980年代 | タンザニアへの食糧援助の第一便として,400トンの米穀が集荷され,船送される準備が終った。 |
DIA-305-1984-09-08-1 | スリランカ | 1984年09月08日 | 1980年代 | テロリスト組織の援助容疑で2名の宣教師逮捕。 |
DIA-305-1984-09-08-2 | スリランカ | 1984年09月08日 | 1980年代 | 1985年予算の外国援助部分は約150億ルピーになる。 |
DIA-305-1984-09-11-1 | スリランカ | 1984年09月11日 | 1980年代 | 米国務省はスリランカへのM-16ライフル銃の輸出は,不法な暴力に対抗するため当然と判断した。 |
DIA-305-1984-09-11-2 | スリランカ | 1984年09月11日 | 1980年代 | ジャフナ行バスの乗客中,タミル人15名射殺さる。 |
DIA-305-1984-09-12-1 | スリランカ | 1984年09月12日 | 1980年代 | 日本政府は食糧援助とルフナ大学の設備に計3億2200万ルピー相当の無償援助を行なう,と発表。 |
DIA-305-1984-09-12-2 | スリランカ | 1984年09月12日 | 1980年代 | ディヤワダナ・ニラーメの大統領任命案が撤回さる。 |
DIA-305-1984-09-14-1 | スリランカ | 1984年09月14日 | 1980年代 | 仏教僧団連合会が大統領の二院制案の拒否決定。 |
DIA-305-1984-09-16-1 | スリランカ | 1984年09月16日 | 1980年代 | イラン沖でスリランカ油送船が爆撃を受けた。 |
DIA-305-1984-09-17-1 | スリランカ | 1984年09月17日 | 1980年代 | 石油公団がシンガポールよりディーゼル油の緊急輸入を行ない,油送船被爆による石油不足に対応する。 |
DIA-305-1984-09-17-2 | スリランカ | 1984年09月17日 | 1980年代 | 軍や警察に逮捕され,拘留中の青少年の母親たち(ジャフナのタミル人)が大統領に早期釈放を請願した。 |
DIA-305-1984-09-19-1 | スリランカ | 1984年09月19日 | 1980年代 | 再開された免税店は10月1日から自国民に開放。 |
DIA-305-1984-09-20-1 | スリランカ | 1984年09月20日 | 1980年代 | 免税商品を横流した22名のインド人が,タライマンナールのフェリーで出国前に逮捕さる。 |
DIA-305-1984-09-20-2 | スリランカ | 1984年09月20日 | 1980年代 | スリランカの治安部隊がカッチャティブ島でモサッドに訓練されているとタミルナードゥ州首相が主張した。 |
DIA-305-1984-09-21-1 | スリランカ | 1984年09月21日 | 1980年代 | 政府は円卓会議欠席中の党派と協議すると発表。 |
DIA-305-1984-09-22-1 | スリランカ | 1984年09月22日 | 1980年代 | 自由党選出のヴィジェスリ議員が辞職し,10月にクンダサーレの補欠選挙に与党から立候補すると言明。 |
DIA-305-1984-09-24-1 | スリランカ | 1984年09月24日 | 1980年代 | 15万トンの小麦をPL480の協定により輸入。 |
DIA-305-1984-09-24-2 | スリランカ | 1984年09月24日 | 1980年代 | スリランカ人2万6000人がフランスに密入国と公表。 |
DIA-305-1984-09-27-1 | スリランカ | 1984年09月27日 | 1980年代 | 北部と東部を除いて,新聞の検閲が解除された。 |
DIA-305-1984-09-28-1 | スリランカ | 1984年09月28日 | 1980年代 | イスラエルの治安訓練専門家の帰国を政府発表。 |
DIA-305-1984-09-29-1 | スリランカ | 1984年09月29日 | 1980年代 | 500名のスリランカ女性がボンベイで求職中。 |
DIA-305-1984-10-01-1 | スリランカ | 1984年10月01日 | 1980年代 | 政府はIMFに対して,1985年度予算の赤字は国内総生産の10%以下に抑えることを確約した。 |
DIA-305-1984-10-01-2 | スリランカ | 1984年10月01日 | 1980年代 | イランのムサヴィ首相は,スリランカとイスラエルの公的関係の再開を,きわめて残念な事態であると言明。 |
DIA-305-1984-10-02-1 | スリランカ | 1984年10月02日 | 1980年代 | 本年前半の紅茶輸出額は,前年の総額を超えた。 |
DIA-305-1984-10-03-1 | スリランカ | 1984年10月03日 | 1980年代 | 昨年ヨーロッパで麻薬関連犯として逮捕されたアジア人の75%はスリランカ人であった,と政府が発表。 |
DIA-305-1984-10-03-2 | スリランカ | 1984年10月03日 | 1980年代 | 政府はインド通信(PTI)特派員の帰国を求めた。 |
DIA-305-1984-10-06-1 | スリランカ | 1984年10月06日 | 1980年代 | 乳製品公社と漁業公社の民営化政策を政府決定。 |
DIA-305-1984-10-06-2 | スリランカ | 1984年10月06日 | 1980年代 | 政府はアエロフロート航空(ソ連)とバルカン航空(ブルガリア)のコロンボ駐在員に国外退去を求めた。 |
DIA-305-1984-10-08-1 | スリランカ | 1984年10月08日 | 1980年代 | コロンボの石油貯蔵施設の爆破計画を未然に防止することができた,と国家治安省が発表した。 |
DIA-305-1984-10-08-2 | スリランカ | 1984年10月08日 | 1980年代 | スリランカ船員1万8000人を外国船が雇用の見込み。 |
DIA-305-1984-10-09-1 | スリランカ | 1984年10月09日 | 1980年代 | インドから輸入の2万3000トンの砂糖に塩が混入。 |
DIA-305-1984-10-10-1 | スリランカ | 1984年10月10日 | 1980年代 | 1961年以来禁止されていた民営保険業を解禁。 |
DIA-305-1984-10-11-1 | スリランカ | 1984年10月11日 | 1980年代 | 海軍はインドの底びきトローラー漁船と約80名の漁民をスリランカ領海で検挙し,拘留したと発表。 |
DIA-305-1984-10-12-1 | スリランカ | 1984年10月12日 | 1980年代 | 昨年5月からの検閲令が民族問題を除いて解除。 |
DIA-305-1984-10-13-1 | スリランカ | 1984年10月13日 | 1980年代 | 大学生数を4万名から5年間で8万名に倍増。 |
DIA-305-1984-10-13-2 | スリランカ | 1984年10月13日 | 1980年代 | 9000人の高校卒業生を来年1月から教員として採用。 |
DIA-305-1984-10-14-1 | スリランカ | 1984年10月14日 | 1980年代 | 国家治安省は監視水域での夜間漁労を禁止した。 |
DIA-305-1984-10-15-1 | スリランカ | 1984年10月15日 | 1980年代 | マドゥル・オヤ貯水池から最初の取水を行なう。 |
DIA-305-1984-10-16-1 | スリランカ | 1984年10月16日 | 1980年代 | 世界の最高速艇2隻が監視水域に投入された。 |
DIA-305-1984-10-17-1 | スリランカ | 1984年10月17日 | 1980年代 | シンガポール政府が民間航空協定の更新を断念し,コロンボへの発着陸をとりやめる決定を通告した。 |
DIA-305-1984-10-17-2 | スリランカ | 1984年10月17日 | 1980年代 | 免税店,ピルの火災により休業。消火作業に来た6名の消防署員を窃盗容疑のため逮捕し,警察が調査を継続。 |
DIA-305-1984-10-18-1 | スリランカ | 1984年10月18日 | 1980年代 | 人民銀行の開店時間を8時から4時までに変更。 |
DIA-305-1984-10-19-1 | スリランカ | 1984年10月19日 | 1980年代 | 77名のインド人漁民が釈放されたと政府発表。 |
DIA-305-1984-10-21-1 | スリランカ | 1984年10月21日 | 1980年代 | 出入国管理局はプランテーション労働者の不法残留をきびしく調査し,本国送還の手続きを開始した。 |
DIA-305-1984-10-22-1 | スリランカ | 1984年10月22日 | 1980年代 | コロンボ市内の数カ所で爆破事件。計3名が死亡し,11名が負傷した。犯人についての情報提供者に20万ルピーの賞金を払うと警察庁長官が公告し,厳戒体制。 |
DIA-305-1984-10-24-1 | スリランカ | 1984年10月24日 | 1980年代 | モルディブ政府がスリランカ保険公社の独占事業に不満を表明し,バングラデシュの保険会社を招く。 |
DIA-305-1984-10-26-1 | スリランカ | 1984年10月26日 | 1980年代 | 前日のミネリヤおよびクンダサーレの補欠選挙で与党の統一国民党が勝利し2議席を確保した。 |
DIA-305-1984-10-28-1 | スリランカ | 1984年10月28日 | 1980年代 | 日本山妙法寺横塚信行師がジャフナで殺される。 |
DIA-305-1984-10-29-1 | スリランカ | 1984年10月29日 | 1980年代 | 政府批判発言で問題になったサマラコーン最高裁長官が退任し,S・シャルワナンダ判事が就任した。 |
DIA-305-1984-10-30-1 | スリランカ | 1984年10月30日 | 1980年代 | スイス赤十字社とスリランカ赤十字社とが,亡命希望のタミル人約1500名を送還する協定に調印した。 |
DIA-305-1984-11-01-1 | スリランカ | 1984年11月01日 | 1980年代 | ガンディー首相の死に弔意を表し主要商店休業。 |
DIA-305-1984-11-01-2 | スリランカ | 1984年11月01日 | 1980年代 | 銀行業が基本サービスに指定され,ストライキ禁止。 |
DIA-305-1984-11-01-3 | スリランカ | 1984年11月01日 | 1980年代 | クンダサーレの補欠選挙で当選したヴィジェシリ議員のローヒニ夫人がハーリスパットワの議員に任命さる。 |
DIA-305-1984-11-03-1 | スリランカ | 1984年11月03日 | 1980年代 | ガンディー首相の葬儀にジャヤワルダナ大統領が出席。プランテーション労働者が弔意表明し全日休業。 |
DIA-305-1984-11-04-1 | スリランカ | 1984年11月04日 | 1980年代 | 政府は医療も基本サービスに指定し,スト禁止。 |
DIA-305-1984-11-04-2 | スリランカ | 1984年11月04日 | 1980年代 | タミル・イーラム地下放送局が再開された。 |
DIA-305-1984-11-04-3 | スリランカ | 1984年11月04日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,インドで各国首脳と会談し,スリランカの民族問題についての理解と共感を得た。 |
DIA-305-1984-11-05-1 | スリランカ | 1984年11月05日 | 1980年代 | コロンボ高等裁判所のT・バンダーラナーヤカ判事は,政府機関における汚職が激増したと述べた。 |
DIA-305-1984-11-06-1 | スリランカ | 1984年11月06日 | 1980年代 | セイロン銀行と人民銀行とは,返済率が悪すぎるので大学生への奨学ローンを停止することに決定した。 |
DIA-305-1984-11-06-2 | スリランカ | 1984年11月06日 | 1980年代 | 3000名の警察官欠員の補充を促進する措置を検討中。 |
DIA-305-1984-11-06-3 | スリランカ | 1984年11月06日 | 1980年代 | 監視水域の設定により海産物の魚獲が減少した。 |
DIA-305-1984-11-08-1 | スリランカ | 1984年11月08日 | 1980年代 | 円卓会議の最終会合は12月17日に延期された。 |
DIA-305-1984-11-08-2 | スリランカ | 1984年11月08日 | 1980年代 | 政党活動を禁止された人民解放戦線の非合法会議をハンバントータ県で摘発。20名の出席者を逮捕,2名負傷。 |
DIA-305-1984-11-09-1 | スリランカ | 1984年11月09日 | 1980年代 | 陸軍のパトロール隊とテロリストとが交戦し,5名が死亡,34名が負傷した,と陸軍が発表した。 |
DIA-305-1984-11-10-1 | スリランカ | 1984年11月10日 | 1980年代 | スリランカ最高峰のピドゥルタラーガラにあるテレビ放送塔にしかけた爆発物を軍が発見し取除いた。その際25名のテロリストと遭遇,兵士1名死亡,3名負傷。 |
DIA-305-1984-11-14-1 | スリランカ | 1984年11月14日 | 1980年代 | ロンニー・デメル蔵相が議会に1985年度予算を提案した。予算総額599億ルピー(本年度より62億ルピー増),赤字231億ルピー(本年度より66億ルピー増)。 |
DIA-305-1984-11-15-1 | スリランカ | 1984年11月15日 | 1980年代 | 野党諸党派が低所得層を無視した予算だと批判。 |
DIA-305-1984-11-16-1 | スリランカ | 1984年11月16日 | 1980年代 | 政府のメディア委員長ヴィーラスリヤ計画実施省次官が,イーラム国独立運動に34党派があり,インドの組織とシンラハ人の人民解放戦線の支持を得たと談話。 |
DIA-305-1984-11-19-1 | スリランカ | 1984年11月19日 | 1980年代 | アーリヤペルマ北部軍司令官と兵士4名が爆死。 |
DIA-305-1984-11-20-1 | スリランカ | 1984年11月20日 | 1980年代 | チャワカッチェリ警察署が攻撃され,署長を含む約30名の警察官が死亡。タミル・イーラム解放組織(TELO)による250名のテロリストの攻撃と政府発表。 |
DIA-305-1984-11-23-1 | スリランカ | 1984年11月23日 | 1980年代 | 午前0時から24日午前6時まで,スリランカ全島の外出禁止令が布告され,政府が治安の回復をはかる。 |
DIA-305-1984-11-27-1 | スリランカ | 1984年11月27日 | 1980年代 | 外出禁止令以降約800名を検挙したと警察発表。 |
DIA-305-1984-11-27-2 | スリランカ | 1984年11月27日 | 1980年代 | A・バンダーラナーヤカ議員(野党の院内総務)は,テロリスト訓練所の存在を否定したインド政府を非難。 |
DIA-305-1984-11-29-1 | スリランカ | 1984年11月29日 | 1980年代 | 国家治安省はマンナールからムライティブの海岸線(海と陸の各100m以内)を立入禁止地帯に指定。 |
DIA-305-1984-11-30-1 | スリランカ | 1984年11月30日 | 1980年代 | 北中部州のナワ・ジーワナ農場で35名,ダラー農場で7名の市民がテロリストに殺害されたと政府発表。 |
DIA-305-1984-12-01-1 | スリランカ | 1984年12月01日 | 1980年代 | インド外務省スポークスマンは,タミル人の武装集団がタミル・ナードゥ州の港湾からスリランカ北部に出撃した,という主張は全く根拠がないと否定した。 |
DIA-305-1984-12-01-2 | スリランカ | 1984年12月01日 | 1980年代 | マンナール県の漁村で11名の漁民が殺され13名負傷。 |
DIA-305-1984-12-02-1 | スリランカ | 1984年12月02日 | 1980年代 | 治安部隊の掃蕩作戦で,テロリスト68名が死亡,35名が負傷,42名が逮捕,とヴァヴニアの作戦本部発表。 |
DIA-305-1984-12-02-2 | スリランカ | 1984年12月02日 | 1980年代 | 北部諸県で24時間の外出禁止令。その後も自動車や自転車の使用禁止,徒歩外出も昼間のみに制限,と布告。 |
DIA-305-1984-12-03-1 | スリランカ | 1984年12月03日 | 1980年代 | ヴァヴニアの収容所から脱出を図ったテロリスト容疑者20名を射殺。過去2週間の死者は277名と公表。 |
DIA-305-1984-12-04-1 | スリランカ | 1984年12月04日 | 1980年代 | マンナー県で陸軍のジープが爆破され,1名死亡,6名負傷。その直後バス乗客のタミル人約30名射殺。 |
DIA-305-1984-12-04-2 | スリランカ | 1984年12月04日 | 1980年代 | 9名のシンハラ人列車乗客を人質にとり身代金要求。 |
DIA-305-1984-12-06-1 | スリランカ | 1984年12月06日 | 1980年代 | コロンボの夜間外出禁止令で,兵士に不審人物の射殺を指示。民族対立はじまって以来の強権を発動。 |
DIA-305-1984-12-06-2 | スリランカ | 1984年12月06日 | 1980年代 | 16名のシンハラ人と回教徒乗客がマンナールで焼殺。 |
DIA-305-1984-12-07-1 | スリランカ | 1984年12月07日 | 1980年代 | 非常事の住民組織を結成することを閣議で決定。 |
DIA-305-1984-12-08-1 | スリランカ | 1984年12月08日 | 1980年代 | 北部3州に42時間の外出禁止を布告,200名逮捕。 |
DIA-305-1984-12-10-1 | スリランカ | 1984年12月10日 | 1980年代 | V・ウォルターズ米大統領特使,ジ大統領と会談。 |
DIA-305-1984-12-10-2 | スリランカ | 1984年12月10日 | 1980年代 | 午後5時から61時間の外出禁止を北部3州に布告。 |
DIA-305-1984-12-11-1 | スリランカ | 1984年12月11日 | 1980年代 | インド新首相ラジーブ・ガンディーがスリランカ情勢についてはじめて声明を発表。インド漁民がスリランカ海軍に攻撃されていると主張,市民の殺害を憂慮。 |
DIA-305-1984-12-12-1 | スリランカ | 1984年12月12日 | 1980年代 | ハミード外相がインド首相声明に反論を発表。 |
DIA-305-1984-12-14-1 | スリランカ | 1984年12月14日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は円卓会議で,州評議会の設立と州首相制を含む,地方分権の提案を行なった。 |
DIA-305-1984-12-16-1 | スリランカ | 1984年12月16日 | 1980年代 | インド海軍が漁民保護のためスリランカとの領海近くまで出動するよう指令を受けた。 |
DIA-305-1984-12-17-1 | スリランカ | 1984年12月17日 | 1980年代 | TULFは大統領案が真の分権制でないと反論。 |
DIA-305-1984-12-17-2 | スリランカ | 1984年12月17日 | 1980年代 | SLMPは提案内容の検討委員会を党内に発足した。 |
DIA-305-1984-12-17-3 | スリランカ | 1984年12月17日 | 1980年代 | R・ヴィクラマシンハ教育相,新設の人的動員相兼任。 |
DIA-305-1984-12-20-1 | スリランカ | 1984年12月20日 | 1980年代 | プレマダーサ首相が新設の非常事態行政相兼任。 |
DIA-305-1984-12-21-1 | スリランカ | 1984年12月21日 | 1980年代 | 全党円卓会議で大統領が分権化の手続を説明。 |
DIA-305-1984-12-21-2 | スリランカ | 1984年12月21日 | 1980年代 | 民族問題についての検閲解除を国家治安相発表。 |
DIA-305-1984-12-23-1 | スリランカ | 1984年12月23日 | 1980年代 | 大統領提案に対して,仏教僧組織,最大野党の自由党,タミル統一解放戦線がともに反対を決定した。 |
DIA-305-1984-12-23-2 | スリランカ | 1984年12月23日 | 1980年代 | マティユ工業相も大統領案に反対意見を公然と表明。 |
DIA-305-1984-12-25-1 | スリランカ | 1984年12月25日 | 1980年代 | マティユ工業相解任,D・フェルナンドが就任。 |
DIA-305-1984-12-26-1 | スリランカ | 1984年12月26日 | 1980年代 | 全党会議の参加諸団体が反対したので大統領の地方分権提案を撤回し民族問題の政治解決を追求と公表。 |
DIA-305-1984-12-27-1 | スリランカ | 1984年12月27日 | 1980年代 | タミル人独立運動グループが2警察官を人質にとり,16万6000ポンドの金を身代金として要求した。 |
DIA-305-1984-12-31-1 | スリランカ | 1984年12月31日 | 1980年代 | バンダーラナーヤカ前首相が民族問題を解決するため,TULFも参加できる総選挙を要求し声明発表。 |
DIA-305-1985-01-01-1 | スリランカ | 1985年01月01日 | 1980年代 | バンダーラナーヤカ前首相が声明を発表し,マハーサンガ(仏教僧団)の指導のもとに全国民が団結し,その総意を政治に反映できるよう総選挙の実施を要求。 |
DIA-305-1985-01-02-1 | スリランカ | 1985年01月02日 | 1980年代 | ロンドン・タイムズ紙が,ジャフナにおける軍の行為を批判する海軍退役将校の談話を実名入りで報道。 |
DIA-305-1985-01-02-2 | スリランカ | 1985年01月02日 | 1980年代 | 土地利用のあり方や農地の配分方式等に関する第3次土地委員会(7名で構成)の任命を閣議決定。 |
DIA-305-1985-01-02-3 | スリランカ | 1985年01月02日 | 1980年代 | タミル人の分離主義者が,中央山地のヌワラエリヤ地方に「マライ・ナードゥ国」を樹立しようと企てているとスリランカ警察が発表(Times of India紙)。 |
DIA-305-1985-01-03-1 | スリランカ | 1985年01月03日 | 1980年代 | 駐印スリランカ大使がガンディ首相と会談。 |
DIA-305-1985-01-04-1 | スリランカ | 1985年01月04日 | 1980年代 | コロンボのインド大使がニューデリーへ帰り,スリランカ情勢について政府に報告する。 |
DIA-305-1985-01-06-1 | スリランカ | 1985年01月06日 | 1980年代 | カトリック神父を含む9名のタミル人が,マンナール市近郊で軍に射殺される(Times of India紙)。 |
DIA-305-1985-01-08-1 | スリランカ | 1985年01月08日 | 1980年代 | 2隻のインド漁船がスリランカ海軍の攻撃を受け,2名の漁民が領海内で射殺されたとインド外務省がスリランカの代理大使に抗議。同代理大使は,この抗議に対し,事実無根であるとの反論声明を発表(9日)。 |
DIA-305-1985-01-08-2 | スリランカ | 1985年01月08日 | 1980年代 | 日本の経済協力に関する覚書交換。15億ルピーの借款と4億ルピーの無償援助で,6プロジェクトを実施。10億ルピーの大コロンボ圏電話網整備計画が最大案件。 |
DIA-305-1985-01-09-1 | スリランカ | 1985年01月09日 | 1980年代 | 5.4億ルピーのカトナヤカ空港拡張工事を鹿島建設・伊藤忠グループに発注する,と閣議決定。 |
DIA-305-1985-01-10-1 | スリランカ | 1985年01月10日 | 1980年代 | LTTEの兵器庫を攻撃し,14名を射殺し,44名を捕虜にし,北部における作戦成功と国家治安相発表。 |
DIA-305-1985-01-12-1 | スリランカ | 1985年01月12日 | 1980年代 | 前夜,公海で拿捕されたスリランカ海軍の監視艇と7名の乗組員の即時返還をインド政府に要求する。インド政府は領海内への侵入に対する措置と反論する。 |
DIA-305-1985-01-13-1 | スリランカ | 1985年01月13日 | 1980年代 | ハミード外相がインドの代理大使に再度要求。 |
DIA-305-1985-01-16-1 | スリランカ | 1985年01月16日 | 1980年代 | アメリカ大使とスリランカ放送公社会長が,チラウ近郊にVOA放送中継所を設置する協定に調印。 |
DIA-305-1985-01-18-1 | スリランカ | 1985年01月18日 | 1980年代 | 大統領はラーガマ私立医科大学の理事会に参席し,他分野にも私立大学の設立を認める意向を表明。 |
DIA-305-1985-01-18-2 | スリランカ | 1985年01月18日 | 1980年代 | アメリカ政府は,五つの開発プロジェクトに2940万㌦の経済援助を与える覚書に調印。うち,1000万㌦が無償協力であり,他は長期借款となっている。 |
DIA-305-1985-01-19-1 | スリランカ | 1985年01月19日 | 1980年代 | キリノッチからコロンボへ向かう急行列車が,マンクラム駅近くで爆破され,27名の兵士,11名の市民および6名の身元不詳乗客が死亡した。 |
DIA-305-1985-01-24-1 | スリランカ | 1985年01月24日 | 1980年代 | ガンディ首相は下院で,多くのスリランカ・タミル難民が安全に帰還できる条件が必要と述べる。 |
DIA-305-1985-01-25-1 | スリランカ | 1985年01月25日 | 1980年代 | シンガポール航空とエア・ランカとの両国間の運航を再開するための会談を,シンガポールで始めた。 |
DIA-305-1985-01-25-2 | スリランカ | 1985年01月25日 | 1980年代 | スリランカ海軍の監視艇乗組員7名が,マドゥライにて釈放された。監視艇も返還される予定である。 |
DIA-305-1985-01-26-1 | スリランカ | 1985年01月26日 | 1980年代 | 3名の警官がジープで走行中に,東部州のカラワンチクディで地雷に触れ,全員爆死した。 |
DIA-305-1985-01-27-1 | スリランカ | 1985年01月27日 | 1980年代 | スリランカに抑留されていた17名の動力漁船の船長が,漁船とともにインドヘ帰還した。これはスリランカ海軍監視艇返還の交換条件として行なわれた。 |
DIA-305-1985-01-30-1 | スリランカ | 1985年01月30日 | 1980年代 | 大学入学許可比率を閣議決定。30%を全国一律の成績順,65%を各行政県より人口比率で,5%を五つの後進県に割り当てる。後進県からの入学者を多くするため。 |
DIA-305-1985-01-31-1 | スリランカ | 1985年01月31日 | 1980年代 | ゲリラの東部州の拠点が陸軍に探索され,8名が射殺され,25名が逮捕され,武器が押収された。 |
DIA-305-1985-02-01-1 | スリランカ | 1985年02月01日 | 1980年代 | インドの国家機密が漏れたスキャンダルによって,スリランカの分離独立運動に対するインド政府の関与が明らかになった,とロンドン・オブザーバー紙報道。 |
DIA-305-1985-02-01-2 | スリランカ | 1985年02月01日 | 1980年代 | 分離独立問題に関する報道の規制を2月から強化する,とアルヴィス国務相が発表した。 |
DIA-305-1985-02-03-1 | スリランカ | 1985年02月03日 | 1980年代 | セイロン労働者会議CWCは,政府がタミル人の代表と交渉を再開し,民族問題を政治的に解決するよう要求した。与党の一員としてインド政府の協力も要請。 |
DIA-305-1985-02-03-2 | スリランカ | 1985年02月03日 | 1980年代 | 米政府は1億㌦の軍事援助要請を断わったが,英政府は監視艇(10隻1300万ポンドや武器輸出に借款を供与している(インドのStatesman紙報道)。 |
DIA-305-1985-02-04-1 | スリランカ | 1985年02月04日 | 1980年代 | 独立記念式典において,ジャヤワルダナ大統領は,テロリストの脅威を絶滅すると言明した。 |
DIA-305-1985-02-05-1 | スリランカ | 1985年02月05日 | 1980年代 | 北部州ではゲリラの支配が進展し,軍隊は駐屯地の間を移動できるにすぎない,とWashington Post分析。 |
DIA-305-1985-02-05-2 | スリランカ | 1985年02月05日 | 1980年代 | 東部州の海軍と警察による共同作戦で,7名のゲリラ(LTTE)を殺し,武器・弾薬を押収した。 |
DIA-305-1985-02-07-1 | スリランカ | 1985年02月07日 | 1980年代 | TULF書記長アミルタリンガムは,タミル人地区にシンハラ武装農民を入植させる計画が継続されるならば,闘争を強化する方針をとらざるを得ないと警告。 |
DIA-305-1985-02-09-1 | スリランカ | 1985年02月09日 | 1980年代 | アトラトムダリ国家治安相は,ニューデリーでガンディ首相カーン外相等と会談した後,スリランカ北部州での外出禁止令を緩和する,と言明した。 |
DIA-305-1985-02-09-2 | スリランカ | 1985年02月09日 | 1980年代 | ヨルダンからスリランカへ武器輸送中のザイール国籍の貨物機(DC8型)が,トリヴァンドラム空港に着陸。 |
DIA-305-1985-02-11-1 | スリランカ | 1985年02月11日 | 1980年代 | 検閲下の報道で隠されている陸軍の残虐行為をロンドン・タイムズ紙が具体的に記述し,掲載した。 |
DIA-305-1985-02-11-2 | スリランカ | 1985年02月11日 | 1980年代 | 3人の英国人ジャーナリストがコロンボで勾留された。近く国外退去を命ぜられる見込み(Times紙). |
DIA-305-1985-02-15-1 | スリランカ | 1985年02月15日 | 1980年代 | 58名のテロリストをムライティヴ県のジャングルの隠れ家で殺し,多くの武器を押収したと政府発表。 |
DIA-305-1985-02-15-2 | スリランカ | 1985年02月15日 | 1980年代 | デリーから帰任したアトラトムダリ国家治安相が,ガンディ首相との話合いはきわめて建設的と言明。 |
DIA-305-1985-02-17-1 | スリランカ | 1985年02月17日 | 1980年代 | トリヴァンソドラム空港に強制着陸させられていたザイール国籍貨物機は,無事にスリランカに飛来し,インド・スリランカ関係の改善に寄与すると政府筋発表。 |
DIA-305-1985-02-17-2 | スリランカ | 1985年02月17日 | 1980年代 | 西ドイツで1984年中に政治的亡命を申請したタミル人は,8000名に達し,2位のポーランドの約2倍である。 |
DIA-305-1985-02-19-1 | スリランカ | 1985年02月19日 | 1980年代 | スリランカからインドへの難民が急増し,政府筋では4万人,「イーラム」筋では20万人と推定(W.Post)。 |
DIA-305-1985-02-20-1 | スリランカ | 1985年02月20日 | 1980年代 | 13.4億円の無償協力で建設されるアクレッサ教育大学の入札に関する調査のため,教育次官の訪日決定。 |
DIA-305-1985-02-22-1 | スリランカ | 1985年02月22日 | 1980年代 | ランカ・ウォールタイル社が,淡陶・日綿との合弁事業だった頃は業績が振わなかったが,日本の企業が撤退した後にシンガポール,米,英へ輸出が伸び,1984年には1920万ルピーの利益を見込むまで回復した。 |
DIA-305-1985-02-24-1 | スリランカ | 1985年02月24日 | 1980年代 | 陸海空の三軍と警察との合同作戦本部を,コロンボのC・マティユ前工業相が使っていた事務所に新設。 |
DIA-305-1985-02-25-1 | スリランカ | 1985年02月25日 | 1980年代 | テロリストに誘拐されていたマライティヴ県知事が,射殺死体でイラナマドゥ池の近くで発見される。 |
DIA-305-1985-02-26-1 | スリランカ | 1985年02月26日 | 1980年代 | 日本政府は債務救済のため,1969~79年の借款の返済分2億6649万円を無償協力とすることに決定。 |
DIA-305-1985-02-27-1 | スリランカ | 1985年02月27日 | 1980年代 | 日本の無償協力で整備されるラブガマとカルトゥウエワ浄水場計画の入札業務が駐日大使に委任さる。 |
DIA-305-1985-02-28-1 | スリランカ | 1985年02月28日 | 1980年代 | 我々は政府のパートナーであって,統一国民党のイエスマンではない,とトンダマンCWC委員長言明。 |
DIA-305-1985-03-01-1 | スリランカ | 1985年03月01日 | 1980年代 | キリノッチ警察署に対するゲリラ攻撃で,少なくとも50名の死者が出る(Times of India紙)。 |
DIA-305-1985-03-02-1 | スリランカ | 1985年03月02日 | 1980年代 | 2月5日以来タミル・ナードゥ州への難民は,2684家族で約1万2000名に達したとインド政府筋発表。 |
DIA-305-1985-03-02-2 | スリランカ | 1985年03月02日 | 1980年代 | 駐印スリランカ大使館は,上記インド通信社の報道を,きわめて誇張された数字であると否定した。 |
DIA-305-1985-03-06-1 | スリランカ | 1985年03月06日 | 1980年代 | C・マティユ前工業相に対する党員権停止処分を,統一国民党執行委員会が決定。同氏は出席を拒否。 |
DIA-305-1985-03-07-1 | スリランカ | 1985年03月07日 | 1980年代 | ペラデニヤ大学は一時的に閉鎖され,全学生が学外へ退去するよう命じられた。 |
DIA-305-1985-03-07-2 | スリランカ | 1985年03月07日 | 1980年代 | スリランカは米国の既製服輸入市場で第11位になったが,ダンピング輸出と認定され,2.79%の課徴金を支払うと,輸出が困難になると繊維工業省次官が表明。 |
DIA-305-1985-03-10-1 | スリランカ | 1985年03月10日 | 1980年代 | タライマンナールとラーメシュワーラム間のフェリー便が昨秋来運行停止のまま,再開の見通しがない。 |
DIA-305-1985-03-15-1 | スリランカ | 1985年03月15日 | 1980年代 | コロンボとテュテイコリン間の客船を,セイロン商船公社が運行する計画を閣議で承認した。 |
DIA-305-1985-03-16-1 | スリランカ | 1985年03月16日 | 1980年代 | トリンコマリーで8名の女性テロリストを逮捕した,と政府筋があかす。 |
DIA-305-1985-03-17-1 | スリランカ | 1985年03月17日 | 1980年代 | アジア開発銀行は,セイロン電力庁の電気料金徴収率の低い事態に懸念を表明。6.3ヵ月分の滞納があり,自治体と政府機関が最大の滞納者である。 |
DIA-305-1985-03-17-2 | スリランカ | 1985年03月17日 | 1980年代 | アトラトムダリ国家治安相は,インド指導部のスリランカ情勢に対する態度が良い方向に変った,と指摘。 |
DIA-305-1985-03-20-1 | スリランカ | 1985年03月20日 | 1980年代 | 銀行の労働粗合は,40%の賃上げを要求して,順法闘争を始めた。デメル蔵相はこの要求を拒否した。 |
DIA-305-1985-03-20-2 | スリランカ | 1985年03月20日 | 1980年代 | イタリア警察は,麻薬取引を行なっている約100名のスリランカ人に,逮捕状にもとづき手配した。 |
DIA-305-1985-03-22-1 | スリランカ | 1985年03月22日 | 1980年代 | インドのカーン外相は,2月に入ってからのスリランカ・タミル難民が1万1225名に達したと上院に報告。 |
DIA-305-1985-03-27-1 | スリランカ | 1985年03月27日 | 1980年代 | スリランカ訪問中のバンダリ外務次官(インド)は,最終日の本日,民族問題解決の第一歩として,政治上の対話を可能にするため「あらゆる種類の武力行使を停止する」ことで,両国が一致したと声明を発表。 |
DIA-305-1985-03-27-2 | スリランカ | 1985年03月27日 | 1980年代 | スリランカは10万㌧の米を中国から1700万㌦で輸入することにした。3ヵ月前の5万㌧につづく契約である。民族対立激化で籾の集荷が困難になったため。 |
DIA-305-1985-03-29-1 | スリランカ | 1985年03月29日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領はパキスタン訪問に出発。 |
DIA-305-1985-03-30-1 | スリランカ | 1985年03月30日 | 1980年代 | 同大統領は,スリランカの統一と主権を守る闘いにパキスタン政府が協力してくれたことに感謝を表明。 |
DIA-305-1985-03-31-1 | スリランカ | 1985年03月31日 | 1980年代 | 英国政府は,明日からスリランカをはじめ,コモンウエルス諸国からの医師の移住を許可したいと発表。 |
DIA-305-1985-03-31-2 | スリランカ | 1985年03月31日 | 1980年代 | インド政府は,空軍と海軍によるポーク海狭の監視を強化した,とナラシンハ・ラオ国防相が発表。 |
DIA-305-1985-04-03-1 | スリランカ | 1985年04月03日 | 1980年代 | 1983年7月以降,8.5万人のタミル難民を受け入れ,タミル・ナードゥ州政府に6億700万ルピーの救済費を交付した,とシンハ内務相がインド議会に報告した。 |
DIA-305-1985-04-04-1 | スリランカ | 1985年04月04日 | 1980年代 | スリランカの債務返済は,1987年にピークに達し,2億560万ルピーになろう,と世界銀行が推計して公表。 |
DIA-305-1985-04-04-2 | スリランカ | 1985年04月04日 | 1980年代 | パキスタンのジア大統領は,ジャヤワルダナ大統領との共同声明において,スリランカの領土的統合の維持を支持することを明らかにした。ジャヤワルダナ大統領帰国。 |
DIA-305-1985-04-05-1 | スリランカ | 1985年04月05日 | 1980年代 | 麻薬取引の容疑で30名のスリランカ・タミル人がクウェートから強制送還され,空港で逮捕された。 |
DIA-305-1985-04-07-1 | スリランカ | 1985年04月07日 | 1980年代 | シンガポール放送のテレビ番組で,プレマダーサ首相は,もしインドがスリランカ北部の民族問題解決を望むのなら,タミル人のゲリラ活動に対する保護を中止すべきである,と主張した。 |
DIA-305-1985-04-07-2 | スリランカ | 1985年04月07日 | 1980年代 | 東部州で8名の警官がジープで走行中に地雷で死亡。 |
DIA-305-1985-04-08-1 | スリランカ | 1985年04月08日 | 1980年代 | ロンドンの紅茶競売価格が過去11ヵ月で最底を記録するまで下落し,スリランカ経済への影響が大きい。 |
DIA-305-1985-04-10-1 | スリランカ | 1985年04月10日 | 1980年代 | 法華倶楽部が政府出資のホテル会社と合弁事業で,アヌラーダプラに50室のホテル建設に着工した。 |
DIA-305-1985-04-10-2 | スリランカ | 1985年04月10日 | 1980年代 | 日産自動車が合弁で乗用車の組立工場の建設を検討中,とスリランカの代理店が発表した。 |
DIA-305-1985-04-11-1 | スリランカ | 1985年04月11日 | 1980年代 | 国際石油市場での市況低迷のため,スリランカ沖での試掘は中止された,と石油公社総裁が談話発表。 |
DIA-305-1985-04-12-1 | スリランカ | 1985年04月12日 | 1980年代 | ヴィクトリア・ダムの完工式にサッチャー首相が参席し,英国はテロリストへの不法な武器供給を行なわない,と述べた。ジャヤワルダナ大統領はテロリストの活動を許しているインドの政策に疑問を投げかけた。 |
DIA-305-1985-04-12-2 | スリランカ | 1985年04月12日 | 1980年代 | ジャフナの警察本部が攻撃され,4名の警官と20名のゲリラが死亡。過去6週間で最大の戦闘となった。 |
DIA-305-1985-04-13-1 | スリランカ | 1985年04月13日 | 1980年代 | 東部州でムスリムとタミル人との暴動が発生し双方で28名の死者を出し,600戸の家屋が焼失した。 |
DIA-305-1985-04-15-1 | スリランカ | 1985年04月15日 | 1980年代 | 中曽根首相は科学万博の賓客として来日中のプレマダーサ首相と会談し,道路改善計画に4億3200万円の無償協力を約束した。プ首相は22日に天皇とも会見。 |
DIA-305-1985-04-18-1 | スリランカ | 1985年04月18日 | 1980年代 | マヒヤンガナ選挙区の補選で統一国民党が圧勝。 |
DIA-305-1985-04-19-1 | スリランカ | 1985年04月19日 | 1980年代 | 日本の三つの寺院が文化三角地帯基金へ寄附。 |
DIA-305-1985-04-20-1 | スリランカ | 1985年04月20日 | 1980年代 | TULFのニーラン・ティルチェルヴァム前議員がサッチャー英首相と会談し,同党の方針を説明した。 |
DIA-305-1985-04-22-1 | スリランカ | 1985年04月22日 | 1980年代 | LTTEのゲリラが20名の兵士をマライティヴ県のプトゥクディルップにて殺した,とマドラスで発表。政府は24名のタミル人捕虜と4名の兵士の死亡を発表。 |
DIA-305-1985-04-25-1 | スリランカ | 1985年04月25日 | 1980年代 | 海外経済協力基金による二つの借款の受入れを閣議決定。(1)電話網整備計画,(2)コロンボ港整備。 |
DIA-305-1985-04-26-1 | スリランカ | 1985年04月26日 | 1980年代 | 年間2000名が殺虫剤で死亡し,2万6000名が医療を受けている,とコロンボ大学医学部が調査結果を報告。 |
DIA-305-1985-04-28-1 | スリランカ | 1985年04月28日 | 1980年代 | 新しく警察庁長官に就任したヴィーラシンハ氏は,1万名の警官を増員する計画である,と発表した。 |
DIA-305-1985-04-28-2 | スリランカ | 1985年04月28日 | 1980年代 | テロリスト集団が,ニカウェラティヤ警察署を襲撃し,警官を1名殺したあとで,人民銀行の現金を奪った。 |
DIA-305-1985-04-29-1 | スリランカ | 1985年04月29日 | 1980年代 | 貿易収支がスリランカ側に黒字となっているソ連,エジプトおよびイラクとの個別的な通商協定を結ぶ貿易省案が閣議で承認された。 |
DIA-305-1985-04-29-2 | スリランカ | 1985年04月29日 | 1980年代 | 国家プランテーション公社の資本金を12億ルピーに増額し,農園経営の改善をはかる決定が行なわれた。 |
DIA-305-1985-05-01-1 | スリランカ | 1985年05月01日 | 1980年代 | デメル蔵相がアジア開発銀行理事会の議長に選出された。スリランカからは最初の議長である。 |
DIA-305-1985-05-03-1 | スリランカ | 1985年05月03日 | 1980年代 | インド外相は,スリランカ政府が軍隊に規律を守らせ,憲法の第6次改正条項を撤回するよう要請した。 |
DIA-305-1985-05-03-2 | スリランカ | 1985年05月03日 | 1980年代 | スリランカの経済成長は,民族問題の激化にもかかわらず順調で,1985年は5%に達した,と統計局長談話。 |
DIA-305-1985-05-04-1 | スリランカ | 1985年05月04日 | 1980年代 | 分離主義者のゲリラがトリンコマリーの海軍基地を攻撃し,少なくとも28名の死者を残した。海軍側の死者は3名。450名のゲリラが攻撃に参加という説もロイター電で流れる。UPI電では市民を含む58名の死者。 |
DIA-305-1985-05-07-1 | スリランカ | 1985年05月07日 | 1980年代 | フランスの多国籍企業が300名のスリランカ労働者をソ連邦での石油化学工場建設に雇用する。 |
DIA-305-1985-05-07-2 | スリランカ | 1985年05月07日 | 1980年代 | 南インドのタンジャウール県で,スリランカ・タミル人を支援するデモが行なわれ4400名が逮捕された。 |
DIA-305-1985-05-10-1 | スリランカ | 1985年05月10日 | 1980年代 | インド通信社のコロンボ特派員が40万ルピーの保釈金で勾留を解かれた。しかし,出国は許されない。英首相にジャヤワルダナ大統領が軍隊の派遣を求めた,という報道をし,非常事態規制法に違反した容疑である。 |
DIA-305-1985-05-10-2 | スリランカ | 1985年05月10日 | 1980年代 | ハミード外相は,インドのカーン外相発言(3日)に抗議して,南アジア地域協力会議(SARC)のティンプー準備会議をボイコットする,と議会で声明した。 |
DIA-305-1985-05-12-1 | スリランカ | 1985年05月12日 | 1980年代 | インドとパキスタンの首相が,ジャヤワルダナ大統領に電話し,ティンプー会議への代表派遣を要請したので,政府はボイコットを撤回し2名の代表を送った。 |
DIA-305-1985-05-12-2 | スリランカ | 1985年05月12日 | 1980年代 | タミル人ゲリラによって陸軍少佐を殺された報復にジャフナ住民70名を治安部隊が殺害した,と政府筋話す。 |
DIA-305-1985-05-14-1 | スリランカ | 1985年05月14日 | 1980年代 | 古都アヌラーダプラ市のバス・スタンドで,ゲリラ集団が自動小銃などを乱射し,少くとも145名を殺害した。この事件の報復として北部デルフト島のフェリーが15日に攻撃され,28名のタミル人乗客が殺された。 |
DIA-305-1985-05-16-1 | スリランカ | 1985年05月16日 | 1980年代 | 警察は東部州の洞穴にひそんでいた18名のタミル人ゲリラを殺した,と公表(Times紙)。 |
DIA-305-1985-05-18-1 | スリランカ | 1985年05月18日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,軍隊の規律維持を訴えると同時に,軍事予算を増額すると述べた。国家治安相は,タミル人テロリストに対抗するため市民を武装させ,民警組織を新設する案を検討している,と言明した。 |
DIA-305-1985-05-19-1 | スリランカ | 1985年05月19日 | 1980年代 | ゲリラに対抗するためパキスタンと中国から武器を購入する予定である,と政府筋が入手源を述べた。 |
DIA-305-1985-05-22-1 | スリランカ | 1985年05月22日 | 1980年代 | オーストラリアのヘイデン外相はタミル移民が分離独立運動に資金援助しているか調査すると述べ,他方スリランカ大使館がオーストラリアのスリランカ人に過激派対策の資金援助を要請していることも,批判した。 |
DIA-305-1985-05-22-2 | スリランカ | 1985年05月22日 | 1980年代 | ヴァヴニヤ市の南部地方の住民約2万名(タミル人)は,治安上の必要から2週間以内の退去を命じられた。 |
DIA-305-1985-05-25-1 | スリランカ | 1985年05月25日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領がニューデリーを訪問し,ガンディ首相と民族問題について話合うと噂される。 |
DIA-305-1985-05-27-1 | スリランカ | 1985年05月27日 | 1980年代 | ガンディ首相の特命を受けて,新たに着任したデクシット大使がジャヤワルダナ大統領と懇談した。 |
DIA-305-1985-05-29-1 | スリランカ | 1985年05月29日 | 1980年代 | インドのバンダリ外務次官が来島し,ジャヤワルダナ大統領と打合せる。「イーラム国」独立運動のゲリラ活動が,一時的に停止されたらしく,自転車一台盗まれることもなくなった,と国防省筋が話る。 |
DIA-305-1985-06-01-1 | スリランカ | 1985年06月01日 | 1980年代 | ニューデリーを訪問したジャヤワルダナ大統領はラジープ・ガンディ首相とともに,バングラデシュに飛び台風の被災地を視察した。 |
DIA-305-1985-06-03-1 | スリランカ | 1985年06月03日 | 1980年代 | ガンディ首相と計8時間に及ぶ話合いの後ジャヤワルダナ大統領が帰国。この首脳会談が平和の達成に有益なものであった,と述べるとともに,もしタミル人ゲリラが武器を捨てるなら訴追しない,と言明した。 |
DIA-305-1985-06-04-1 | スリランカ | 1985年06月04日 | 1980年代 | 両国首脳会談のコミュニヶが発表さる。あらゆる形態での武力行使を停止し,政治的な解決をはかり,北部州と東部州が正常な状態に復帰することにより,難民がインドから帰還しやすくする,という趣旨である。 |
DIA-305-1985-06-06-1 | スリランカ | 1985年06月06日 | 1980年代 | インドの反テロリスト法をモデルに,法案を作成し,もしインドでも同様の措置がとられるなら,隣国に対するテロリズムを取締る条項を盛り込み,議会に上程すると,アルヴィス国務省が閣議後に説明した。 |
DIA-305-1985-06-08-1 | スリランカ | 1985年06月08日 | 1980年代 | インド政府は400万㌦相当の武器を南インドのスリランカ・タミル支援グループから押収した,とガンディ首相が『ル・モンド』の記者に話した。 |
DIA-305-1985-06-10-1 | スリランカ | 1985年06月10日 | 1980年代 | スリランカの民族問題の解決にインドの果たすべき役割が,ガンディ首相とレーガン大統領との会談の重要な議題となる(Christian Science Monitor紙)。 |
DIA-305-1985-06-12-1 | スリランカ | 1985年06月12日 | 1980年代 | 日本から輸入するイワシ等の缶詰を安価にするよう,関税率を引下げることに閣議決定。 |
DIA-305-1985-06-12-2 | スリランカ | 1985年06月12日 | 1980年代 | 漁船の動力化のために貸出された200万ルピーを返済不要にする,という水産省案を閣議承認。 |
DIA-305-1985-06-12-3 | スリランカ | 1985年06月12日 | 1980年代 | 政治的解決のための停戦を行なうことにLTTEが反対しているようだ,と国家治安相が情勢を分析した。 |
DIA-305-1985-06-14-1 | スリランカ | 1985年06月14日 | 1980年代 | 大統領の実弟であるH・W・ジャヤワルダナ弁護士が,インド・スリランカ首脳会談にもとづき法的な細目を折衝するため,他の法律家とともにインドへ向かう。 |
DIA-305-1985-06-14-2 | スリランカ | 1985年06月14日 | 1980年代 | セイロン電力庁への料金滞納は10ヵ月分になり,その大半が公的機関である,と同庁幹部が発表した。 |
DIA-305-1985-06-14-3 | スリランカ | 1985年06月14日 | 1980年代 | 1月以来運行を停止していたジャフナ~コロンボ間の急行列車「ヤル・デーヴィ」号が,本日より運行再開。 |
DIA-305-1985-06-15-1 | スリランカ | 1985年06月15日 | 1980年代 | 北部州と東部州から追い出されたシンハラ市民は,民族問題の政治解決が実施される前に元の居住地に帰れるようにする,と大統領が野党の院内総務に返信。 |
DIA-305-1985-06-16-1 | スリランカ | 1985年06月16日 | 1980年代 | 香港のOverseas Trust Bankの支払不能と香港政庁による接収の結果,コロンボ支店の預金者保護について香港銀行委員会G.Leung氏が中央銀行総裁と会談。 |
DIA-305-1985-06-18-1 | スリランカ | 1985年06月18日 | 1980年代 | 五つのタミル人ゲリラ組織と政府とが,政治的解決の前提として,戦闘行為の停止に合意した,とアトラトムダリ国家治安相が発表した。しかし,AP電によると,マドラスのTELO代表はこの発表を否定した。 |
DIA-305-1985-06-19-1 | スリランカ | 1985年06月19日 | 1980年代 | LTTEも国家治安相の発表を一方的と非難する声明を発表。ニューデリーではジャヤワルダナ特使とガンディ首相とが和平会談の進め方について話し合った。 |
DIA-305-1985-06-20-1 | スリランカ | 1985年06月20日 | 1980年代 | 東部州のPottuvilで2人のイタリア人観光客が政府軍に射撃され負傷した,とイタリア大使館発表。 |
DIA-305-1985-06-20-2 | スリランカ | 1985年06月20日 | 1980年代 | 約2500名のスリランカからの出稼ぎ労動者を,サウジアラビアが今月中に帰国させる,と決定した。 |
DIA-305-1985-06-22-1 | スリランカ | 1985年06月22日 | 1980年代 | TULFの幹部が野党の指導者と会談する。 |
DIA-305-1985-06-24-1 | スリランカ | 1985年06月24日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は年内に民族問題が解決できるとの見通しを話した。タミル人ゲリラ組織はインド政府に停戦に応じるよう説得されつつある。 |
DIA-305-1985-06-26-1 | スリランカ | 1985年06月26日 | 1980年代 | 前政権のF・D・バンダーラナーヤカ蔵相が54歳で死去。公民権を奪われたままであった。 |
DIA-305-1985-06-29-1 | スリランカ | 1985年06月29日 | 1980年代 | ENLFは和平会談をボイコットすると発表。 |
DIA-305-1985-06-30-1 | スリランカ | 1985年06月30日 | 1980年代 | 過去1週間に18名のタミル人が警察への通報者として処刑された,と政府筋が話す。 |
DIA-305-1985-07-01-1 | スリランカ | 1985年07月01日 | 1980年代 | ティンプー和平会談のスリランカ政府代表は,H・W・ジャヤワルダナ弁護士(大統領の実弟)に決定。 |
DIA-305-1985-07-04-1 | スリランカ | 1985年07月04日 | 1980年代 | 中国がオークションでの紅茶買付けを始めたので,価格低落が終わるとみられている。 |
DIA-305-1985-07-08-1 | スリランカ | 1985年07月08日 | 1980年代 | スリランカ政府と「イーラム国」独立運動との和平交渉がティンプーで始まる。ENLFも参加した。 |
DIA-305-1985-07-11-1 | スリランカ | 1985年07月11日 | 1980年代 | テロリズム防止法により逮捕されている1197名のうち643名が釈放された。また北部州における夜間外出禁止令が数ヵ月ぶりに解除された。 |
DIA-305-1985-07-11-2 | スリランカ | 1985年07月11日 | 1980年代 | ENLFのスポークスマンは,ジャヤワルダナ大統領が彼らをスリランカ・タミル人の真の代表と認めてくれて幸せである,と述べた。ENLFはタミル地域の完全自治を認める連邦国家制に必要な憲法改正を要求した。 |
DIA-305-1985-07-11-3 | スリランカ | 1985年07月11日 | 1980年代 | 看護婦の賃金を年額1万500~2万4600ルピーの幅で四つのグレードに分けるよう改訂することに閣議決定。 |
DIA-305-1985-07-12-1 | スリランカ | 1985年07月12日 | 1980年代 | 大統領を暗殺するEROSの陰謀が,11日警察により未然に防止された,とアルヴィス国務相が公表。 |
DIA-305-1985-07-13-1 | スリランカ | 1985年07月13日 | 1980年代 | ティンプー会談の第一段階が終了し,8月12日に再開されることになった。8月の会談で,永続的な政治解決をめざした諸提案が検討される予定である。 |
DIA-305-1985-07-14-1 | スリランカ | 1985年07月14日 | 1980年代 | 昨年のテレビ輸入台数は,前年の3分の1以下に減少し,4万6033台だった,と貿易統計が発表された。 |
DIA-305-1985-07-15-1 | スリランカ | 1985年07月15日 | 1980年代 | ガンディ首相はマドラスの政治集会で,スリランカ・タミル人の基本的人権を犠牲にするような妥協はインドにとって受入れられない,インド政府の意図は,対立する当事者を交渉による和平に導くことだ,と説明。 |
DIA-305-1985-07-16-1 | スリランカ | 1985年07月16日 | 1980年代 | シンガポール航空とエア・ランカは1年に及ぶ対立を解消し,シンガポール~コロンボ間の空路を再開することに合意し,覚書を交換した。 |
DIA-305-1985-07-17-1 | スリランカ | 1985年07月17日 | 1980年代 | スリランカ・タミル人の自治権は,インド憲法によって22州に保証される権利を越えるものではない,とラジーブ・ガンディ首相が限定した(ロイター電)。 |
DIA-305-1985-07-18-1 | スリランカ | 1985年07月18日 | 1980年代 | EROSによって組織されたティンプー会談に抗議するデモが,マンナール市で行なわれ約150名参加。 |
DIA-305-1985-07-21-1 | スリランカ | 1985年07月21日 | 1980年代 | 和平会談による地方分権に関して国民投票を実施しない,とジャヤワルダナ大統領がGentleman誌に回答。 |
DIA-305-1985-07-22-1 | スリランカ | 1985年07月22日 | 1980年代 | インドのFrontline誌が4段階に分けた停戦から和平交渉への諸条件を公表する。 |
DIA-305-1985-07-25-1 | スリランカ | 1985年07月25日 | 1980年代 | 5名の代表からなるイスラム教徒の交渉団が,8月12日までにマドラスを訪問し,「イーラム国」独立運動の幹部と分権化体制のあり方について話し合う予定。 |
DIA-305-1985-07-26-1 | スリランカ | 1985年07月26日 | 1980年代 | 停戦により観光客の来島が増加すると蔵相期待。 |
DIA-305-1985-07-28-1 | スリランカ | 1985年07月28日 | 1980年代 | 電力,水道などの基本的サービスがきわめて不満足な状態であり,市民の抗議が増加した,Sun紙報道。 |
DIA-305-1985-07-28-2 | スリランカ | 1985年07月28日 | 1980年代 | デメル蔵相はインフレーションが現状では年末までに8%に上昇する心配があると警告を発した。 |
DIA-305-1985-07-29-1 | スリランカ | 1985年07月29日 | 1980年代 | インド大使がジャヤワルダナ大統領と会見した後,ニューデリーに帰国した。 |
DIA-305-1985-07-29-2 | スリランカ | 1985年07月29日 | 1980年代 | スリランカの大学生の約70%は,月収1000ルピー以下の低所得層世帯に属している,との調査結果発表さる。 |
DIA-305-1985-07-30-1 | スリランカ | 1985年07月30日 | 1980年代 | TULFとゲリラ組織が会合し,和平条件をまとめ,第2次ティンプー会談の準備をする。 |
DIA-305-1985-08-01-1 | スリランカ | 1985年08月01日 | 1980年代 | 米国際開発庁は,スリランカの3事業計画に計500万㌦の無償協力を行なう覚書に調印した。 |
DIA-305-1985-08-02-1 | スリランカ | 1985年08月02日 | 1980年代 | 日本のインスタント・ティ輸入関税が10%から8%に引下げられるので,スリランカの輸出が増える可能性がある,コロンボの日本大使館発表。 |
DIA-305-1985-08-06-1 | スリランカ | 1985年08月06日 | 1980年代 | 北部の公営セメント工場の操業が中断されているので,日本の合弁企業である東京セメント会社は,操業1年目で1700万ルピーの純益を上げた。 |
DIA-305-1985-08-07-1 | スリランカ | 1985年08月07日 | 1980年代 | 老人ホームへの入所希望者が多く,少なくとも5年以上は待たないと順番が廻ってこないと報道される。 |
DIA-305-1985-08-07-2 | スリランカ | 1985年08月07日 | 1980年代 | コトマレーダムの水門を予告なしに開き,コトマレー川の水位上昇により5名が溺死。2名の技師を逮捕。 |
DIA-305-1985-08-09-1 | スリランカ | 1985年08月09日 | 1980年代 | ジャフナ県警本部長が数週間空席のままである。任命された警察幹部がすべて病気等の理由で断っている。 |
DIA-305-1985-08-10-1 | スリランカ | 1985年08月10日 | 1980年代 | コロンボに高度な施設の私立病院が完成した。 |
DIA-305-1985-08-10-2 | スリランカ | 1985年08月10日 | 1980年代 | 野党のSLMPはインド外務次官に和平会議を支持すると伝える。LSSPとCPの立場も同様である。 |
DIA-305-1985-08-10-3 | スリランカ | 1985年08月10日 | 1980年代 | 退職した前労働次官のN・サティエンドラ弁護士がTELOを代表してティンプー和平会談に出席する。 |
DIA-305-1985-08-10-4 | スリランカ | 1985年08月10日 | 1980年代 | ヴァヴニヤ近郊で警察のジープが地雷で爆破され,5名の警官が死亡,9名のゲリラが射殺された。停戦開始後の最大の武力衝突である。 |
DIA-305-1985-08-12-1 | スリランカ | 1985年08月12日 | 1980年代 | 再開された和平会談でスリランカ政府代表は,「イーラム国」側の四つの原則中三つまで拒否した。 |
DIA-305-1985-08-15-1 | スリランカ | 1985年08月15日 | 1980年代 | マダワッチャからヴァヴニヤにかけて,再び政府軍とゲリラ軍との衝突が拡大し,約100名が死亡,200名が負傷した模様である(ロイター電)。 |
DIA-305-1985-08-17-1 | スリランカ | 1985年08月17日 | 1980年代 | マンナール発の列車が500名の乗客に5時間にわたって,ゲリラに乗取られた,トリンコマリー県で37名のシンハラ漁民が虐殺された,と国務省が発表。 |
DIA-305-1985-08-18-1 | スリランカ | 1985年08月18日 | 1980年代 | ティンプー和平会談は,中断されたままである,とインド政府のスポークスマンが発表。 |
DIA-305-1985-08-18-2 | スリランカ | 1985年08月18日 | 1980年代 | 吉嶺汽缶工業株式会社の竹平祐二技師(27歳)が,ジープで2名のマレーシア人と走行中,ポットヴィル警察署前で警官に射殺される。マレーシア人も負傷する。 |
DIA-305-1985-08-19-1 | スリランカ | 1985年08月19日 | 1980年代 | ニューデリーに戻ったバンダリ外務次官は,交通事故に遭遇し負傷したが,治療後交渉打開のため,ティンプーに飛び,和平会談の両当事者を説得中である。 |
DIA-305-1985-08-22-1 | スリランカ | 1985年08月22日 | 1980年代 | 東部州での武力衡突により,シンハラ人とタミル人の難民が各1万人ずつキャンプに収容されている。 |
DIA-305-1985-08-22-2 | スリランカ | 1985年08月22日 | 1980年代 | ティンプーおにける和平会議は,無期限に休会となった,とインド政府スポークスマンが公表した。 |
DIA-305-1985-08-23-1 | スリランカ | 1985年08月23日 | 1980年代 | インド政府は3名の「イーラム国」運動の幹部に国外退去令を出した。うちN・サティエンドラ弁護士は退去令以前に出国していた。 |
DIA-305-1985-08-24-1 | スリランカ | 1985年08月24日 | 1980年代 | コトマレダム完工式で大統領が独立運動を批判。 |
DIA-305-1985-08-25-1 | スリランカ | 1985年08月25日 | 1980年代 | チャンドラハッサン弁護士とバーラシンハム博土は,それぞれニューヨークとロンドンへ退去させられた。この国外退去令に抗議する集会やデモがタミル・ナードゥ州の各地で行なわれた。 |
DIA-305-1985-08-25-2 | スリランカ | 1985年08月25日 | 1980年代 | スリランカ政府代表は,ニューデリーに滞在し,バンダリ外務次官との間で分権化の妥協案を作成する。 |
DIA-305-1985-08-26-1 | スリランカ | 1985年08月26日 | 1980年代 | チャンドラハッサン弁護士はニューヨークでの入国を拒否し,インドへの再送還を要求している。 |
DIA-305-1985-08-28-1 | スリランカ | 1985年08月28日 | 1980年代 | 同弁護士はエア・インディアにてボンベイ着。首相あてに民族問題の解決に協力するという文書を出して,再入国を許可される。 |
DIA-305-1985-08-31-1 | スリランカ | 1985年08月31日 | 1980年代 | スリランカ政府の妥協案をまとめたジャヤワルダナ代表は,ガンディ首相に会見してコロンボへ帰国。 |
DIA-305-1985-08-31-2 | スリランカ | 1985年08月31日 | 1980年代 | ジャフナ大学生が,長期にわたった勾留されているタミル青年の釈放を求めるハンストを行なった。 |
DIA-305-1985-09-02-1 | スリランカ | 1985年09月02日 | 1980年代 | ヴァヴニヤ近くで,30戸のタミル人住居が武装集団に焼かれた。2名の住民が負傷した(AFP電)。 |
DIA-305-1985-09-03-1 | スリランカ | 1985年09月03日 | 1980年代 | 2名のTULFの元議員がジャフナで射殺された。政府はLTTEの行為とする新聞発表を行なう。 |
DIA-305-1985-09-04-1 | スリランカ | 1985年09月04日 | 1980年代 | トリンコマリーで武力衝突が激化し,午後2時から朝6時までの外出禁止が命じられた。 |
DIA-305-1985-09-07-1 | スリランカ | 1985年09月07日 | 1980年代 | トンダマンCWC委員長は,タミル人組織に会議を再開するよう呼びかけた。 |
DIA-305-1985-09-10-1 | スリランカ | 1985年09月10日 | 1980年代 | TULFはインド政府とスリランカ代表とでまとめた分権化案を検討することにした。 |
DIA-305-1985-09-12-1 | スリランカ | 1985年09月12日 | 1980年代 | ムルキリガラ選挙区での補選は,前回と異なり,わずか1329票差で与党候補が,自由党候補に辛勝した。 |
DIA-305-1985-09-12-2 | スリランカ | 1985年09月12日 | 1980年代 | インドとのクリケット戦にはじめて勝ったので,翌13日はスリランカの祝日と宣言され,公休日となった。 |
DIA-305-1985-09-16-1 | スリランカ | 1985年09月16日 | 1980年代 | 全島の103難民キャンプに収容された人々は計5万2000人に達し,そのうち3万人がシンハラ人である,と復興省が発表した。 |
DIA-305-1985-09-18-1 | スリランカ | 1985年09月18日 | 1980年代 | 停戦期間の3ヵ月に800名のタミル人が殺された,という独立派の主張に対して,アトラトムダリ国家治安相が虚偽であると反論した。 |
DIA-305-1985-09-19-1 | スリランカ | 1985年09月19日 | 1980年代 | スリランカ政府は停戦期間を無期限に延長することに決定した,と国家治安相が発表した。 |
DIA-305-1985-09-19-2 | スリランカ | 1985年09月19日 | 1980年代 | 「イーラム国」運動派の6組織がニューデリーに集合し,和平方針を協議した。インド外務省とも協議のうえ,多様な階層の市民から構成される停戦監視委員会を設置し,武力対決を少なくすることに合意した。 |
DIA-305-1985-09-20-1 | スリランカ | 1985年09月20日 | 1980年代 | ハミード外相は国連総会に出席し,スリランカ政府の立場を広く訴えるため,ニューヨークに向かった。 |
DIA-305-1985-09-20-2 | スリランカ | 1985年09月20日 | 1980年代 | アトラトムダリ国家治安相は,停戦期間中の衝突による死者は計201名,うち陸軍兵士が13名,海軍兵士が7名,警察官が13名そして民間人が168名であった,と議会に報告した。 |
DIA-305-1985-09-22-1 | スリランカ | 1985年09月22日 | 1980年代 | 5大仏教宗派の大僧正が,CWCの提案による民族問題の解決案に反対の意思を表明した。 |
DIA-305-1985-09-23-1 | スリランカ | 1985年09月23日 | 1980年代 | 人民銀行に預けた貴金属類を,コロンボではなくジャフナで返して欲しい,というデモが北部で行なわれた。 |
DIA-305-1985-09-26-1 | スリランカ | 1985年09月26日 | 1980年代 | インドのバンダリ外務次官が10時間だけ,スリランカを訪問し,政府とゲリラとの武力衝突を避ける方法について協議し,ただちにマドラスに向かった。 |
DIA-305-1985-09-28-1 | スリランカ | 1985年09月28日 | 1980年代 | 停戦監視委員会の構成メンバーに関して,政府とゲリラ側とが一致せず発足が遅れている。 |
DIA-305-1985-09-30-1 | スリランカ | 1985年09月30日 | 1980年代 | 約250名のゲリラ隊がキリノッチ警察署を攻撃したが,三軍の協力を得て撃退した,と警察が発表。 |
DIA-305-1985-10-01-1 | スリランカ | 1985年10月01日 | 1980年代 | ヴァヴニヤ県のすべての学校,商店,官公庁は閉鎖された。ポットヴィル警察署を225名のゲリラ隊が攻撃したが死者を1人出して撤退した,と警察発表。トリンコマリーで59名のゲリラを政府軍が捕虜にした。 |
DIA-305-1985-10-04-1 | スリランカ | 1985年10月04日 | 1980年代 | バッティカロアのセイロン銀行支店で27.5万ルピーがテロリストに強奪された。東部州では,燃料不足が深刻になりつつある。 |
DIA-305-1985-10-06-1 | スリランカ | 1985年10月06日 | 1980年代 | SARC諸国の著名人をスリランカでの停戦監視委員会に含めるという提案に対して,アトラトムダリ国家治安相が反論し,受入れないことにした。 |
DIA-305-1985-10-08-1 | スリランカ | 1985年10月08日 | 1980年代 | 8月24日にインドから国外退去を命ぜられたバラシンハム博士が,再びインドへの入国を許可された。 |
DIA-305-1985-10-09-1 | スリランカ | 1985年10月09日 | 1980年代 | ガンディ首相は,インド国防大学で演説し,スリランカ民族問題の解決に楽観的な見通しを述べた。 |
DIA-305-1985-10-10-1 | スリランカ | 1985年10月10日 | 1980年代 | スリランカ政府とゲリラ組織側とが,停戦監視委員会の権限や公開性等について合意した。 |
DIA-305-1985-10-10-2 | スリランカ | 1985年10月10日 | 1980年代 | スリランカで最初の腎臓移植が行たわれ,成功した。 |
DIA-305-1985-10-12-1 | スリランカ | 1985年10月12日 | 1980年代 | タミル・ナードゥ州でスリランカのタミル青年が爆弾を製造中に誤まって自爆した(AFP電)。 |
DIA-305-1985-10-12-2 | スリランカ | 1985年10月12日 | 1980年代 | 現在13万2000人の難民が復興省による救援物資を受給。 |
DIA-305-1985-10-13-1 | スリランカ | 1985年10月13日 | 1980年代 | スリランカの路上を走る自動車の85%は日本製で,1980~85年に登録された自動車2万8500台のうち2万4264台が日本車で,メーカーは三菱,日産,トヨタ,ダイハツの順である。第2位の英国車は1708台にすぎない。 |
DIA-305-1985-10-15-1 | スリランカ | 1985年10月15日 | 1980年代 | トリンコマリーとヴァヴニヤで2人の警官が,ゲリラに誘拐され,行方不明になっている。 |
DIA-305-1985-10-16-1 | スリランカ | 1985年10月16日 | 1980年代 | オーストラリア議会のホワード院内総務が,スリランカを南アフリカになぞらえたことに対して,在住スリランカ人から多くの抗議電報が送られた。 |
DIA-305-1985-10-17-1 | スリランカ | 1985年10月17日 | 1980年代 | 11名のメンバーからなる停戦監視委員会が発足し活動を始めた。アトラトムダリ国家治安相は,委員会が独立した活動を行ない,事実を明らかにしたうえで公衆に知らせるよう希望した。事務局長には,F・D・アベシンハが就任した。 |
DIA-305-1985-10-18-1 | スリランカ | 1985年10月18日 | 1980年代 | バッティカロア県のカッラディで珍しく地震が報告された。しかし,気象台には記録されていない。 |
DIA-305-1985-10-18-2 | スリランカ | 1985年10月18日 | 1980年代 | プレマダーサ首相の一行は,国連総会出席途上にロンドンの日本山妙法寺のピース・パゴダを参拝した。 |
DIA-305-1985-10-18-3 | スリランカ | 1985年10月18日 | 1980年代 | コモンウェルス首脳会議が開催されているバハマでジャヤワルダナ大統領は,ガンディ首相と会い,停戦の実施状態と監視委員会の活動について意見を交換した。 |
DIA-305-1985-10-20-1 | スリランカ | 1985年10月20日 | 1980年代 | カストロ首相の招きで,ジャヤワルダナ大統領は,2日間キューバを訪問した。 |
DIA-305-1985-10-22-1 | スリランカ | 1985年10月22日 | 1980年代 | ゲリラ活動の指導者であるV・プラバカーランがインドの公営テレビ放送のインタビュー番組に出演したことに対して,スリランカ大使館は抗議の意を表明した。 |
DIA-305-1985-10-22-2 | スリランカ | 1985年10月22日 | 1980年代 | 国連総会でプレマダーサ首相がシンハラ語で演説。 |
DIA-305-1985-10-24-1 | スリランカ | 1985年10月24日 | 1980年代 | 3名の兵士がチェッディクラムで地雷のため爆死した。監視委員会発足後の最初の大きな事件である。 |
DIA-305-1985-10-25-1 | スリランカ | 1985年10月25日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領はBBC放送のインタビュー番組で,1年あればテロリストを敗北させると語る。 |
DIA-305-1985-10-25-2 | スリランカ | 1985年10月25日 | 1980年代 | 同大統領はパリでイスラエル首相と国交問題で会談。 |
DIA-305-1985-10-26-1 | スリランカ | 1985年10月26日 | 1980年代 | 米国は公法480号による食糧援助をスリランカに,2600万㌦行なう覚書に調印した。 |
DIA-305-1985-10-27-1 | スリランカ | 1985年10月27日 | 1980年代 | 治安部隊は4名のテロリストを射殺した。 |
DIA-305-1985-10-27-2 | スリランカ | 1985年10月27日 | 1980年代 | トリンコマリー市を監視委員会が訪ね調査した。 |
DIA-305-1985-10-28-1 | スリランカ | 1985年10月28日 | 1980年代 | LTTEはマドラスで,政府軍との停戦を一方的にとりやめることもありうる,という声明を出した。 |
DIA-305-1985-10-29-1 | スリランカ | 1985年10月29日 | 1980年代 | ガンディ首相はニューヨークで,スリランカ国家の統合を尊重する,と話した。 |
DIA-305-1985-10-31-1 | スリランカ | 1985年10月31日 | 1980年代 | スリランカ海軍がインド漁船を攻撃した,というインド紙の報道は正しくない,と国家治安相が否定。 |
DIA-305-1985-11-01-1 | スリランカ | 1985年11月01日 | 1980年代 | 地雷のため,トリンコマリーとポロンナルワとで7名の海軍兵士が死亡した。 |
DIA-305-1985-11-02-1 | スリランカ | 1985年11月02日 | 1980年代 | 敵対行為の停止委員会が発足してからすでに27件の違反事例が報告されている。その大半は軍から報告。 |
DIA-305-1985-11-03-1 | スリランカ | 1985年11月03日 | 1980年代 | マンナール市の北部で,政府軍とゲリラ軍との交戦があり,ゲリラ側のみ10名戦死と国家治安省が報告。 |
DIA-305-1985-11-04-1 | スリランカ | 1985年11月04日 | 1980年代 | インド大使がジャヤワルダナ大統領を訪問し,マドラスで行なわれている独立派と州政府との話合の進展状況について報告を行なった。 |
DIA-305-1985-11-06-1 | スリランカ | 1985年11月06日 | 1980年代 | ニューデリーでスリランカ・タミルの6組織とバンダリ外務次官が,分権化の制度について話し合った。 |
DIA-305-1985-11-06-2 | スリランカ | 1985年11月06日 | 1980年代 | 開発次官会議は,損失の大きい7公営企業を民営化するか,閉鎖してしまうように勧告した。 |
DIA-305-1985-11-08-1 | スリランカ | 1985年11月08日 | 1980年代 | 4日から7日までジャフナを訪問した停戦監視委員会は,ポイン・ピードロやヴェルヴェッティトゥライ等を訪ねることができなかった理由を公表した。 |
DIA-305-1985-11-08-2 | スリランカ | 1985年11月08日 | 1980年代 | インド政府はタミル・ナードゥ州の政治家P・ネドゥマラン氏のスリランカ不法入国について,何ら関知しない,という声明を出した。 |
DIA-305-1985-11-12-1 | スリランカ | 1985年11月12日 | 1980年代 | トリンコマリー地域で三ヵ所のゲリラ・キャンプが治安部隊に発見された。 |
DIA-305-1985-11-13-1 | スリランカ | 1985年11月13日 | 1980年代 | デメル蔵相は第9回目の予算案を発表し,その演説において,独立運動との軍事対決は非常に高価につくので平和的解決が不可欠であると強調した。 |
DIA-305-1985-11-13-2 | スリランカ | 1985年11月13日 | 1980年代 | バッティカロアの空軍基地近くで,地雷のため5人の警官が負傷し,うち2名は重体である。 |
DIA-305-1985-11-15-1 | スリランカ | 1985年11月15日 | 1980年代 | ガンディ首相はマドラスで,ENLFが政治的解決のために,もっと積極的な態度をとるようにと強調。 |
DIA-305-1985-11-17-1 | スリランカ | 1985年11月17日 | 1980年代 | ENLFのスポークスマンは,コロンボ政府との政治的解決を望むが,直接交渉ではなく,インド政府の仲介によってのみ交渉をつづけたいと述べた。 |
DIA-305-1985-11-18-1 | スリランカ | 1985年11月18日 | 1980年代 | バッティカロアで警察の通報者として処刑された市民の死体を収容に出かけた警官隊のジープが地雷で爆破され,4名の警官が死亡,2名が負傷した。その後の射撃戦で7名のゲリラ兵が射殺された。 |
DIA-305-1985-11-18-2 | スリランカ | 1985年11月18日 | 1980年代 | アトラトムダリ国家治安相はマスカットでガンディ首相にゲリラ側が停戦を守っていない事実を報告した。 |
DIA-305-1985-11-20-1 | スリランカ | 1985年11月20日 | 1980年代 | ガンディ首相はインド下院で,「ボールはboys(ゲリラ)のコートにある」と述べた。 |
DIA-305-1985-11-22-1 | スリランカ | 1985年11月22日 | 1980年代 | トンダマンCWC委員長は,9.3万人の「無国籍タミル人」に早くスリランカ国籍を与える手続きを開始するように要請した。 |
DIA-305-1985-11-22-2 | スリランカ | 1985年11月22日 | 1980年代 | 幹線道路改修事業にアジア開発銀行が,2200万㌦の借款を供与した。この資金は主として中央北部のドライ・ゾーンの道路改修に充当される計画である。 |
DIA-305-1985-11-23-1 | スリランカ | 1985年11月23日 | 1980年代 | 軍事的な解決は可能だが,犠牲者が多いので好ましくない,と大統領が記者会見で述べる。 |
DIA-305-1985-11-23-2 | スリランカ | 1985年11月23日 | 1980年代 | ヴァヴニヤ地域のタミル人が約1000名,テロリストに反対するデモ行進を行なった。 |
DIA-305-1985-11-24-1 | スリランカ | 1985年11月24日 | 1980年代 | 警察はテロリストと結びついている戦闘的なシンハラ人活動家を30名逮捕した,と発表。 |
DIA-305-1985-11-26-1 | スリランカ | 1985年11月26日 | 1980年代 | EPRLFはヴァヴニヤ地域でLTTEによる活動家の殺害に抗議して,ハルタルを行なった。 |
DIA-305-1985-11-27-1 | スリランカ | 1985年11月27日 | 1980年代 | 治安部隊がオマンタイの「タミル・イーラム陸軍」のキャンプを襲った時,ゲリラの装備の中にタミル・ナードゥ州警官の帽子が含まれていた,と治安省発書。 |
DIA-305-1985-11-28-1 | スリランカ | 1985年11月28日 | 1980年代 | 政府は森林委員会を設立し,森林に関する行政の調整をはかることにし,その法案を準備する。 |
DIA-305-1985-11-28-2 | スリランカ | 1985年11月28日 | 1980年代 | 合板,肥料製造,農具などの三公営企業への融資をデメル蔵相が拒否し,公企業の将来について閣議で検討。 |
DIA-305-1985-11-29-1 | スリランカ | 1985年11月29日 | 1980年代 | スリランカと中国との貿易不均衡を是正するための通商会議がコロンボで開かれ,デメル蔵相が中国にココナツ,ゴム,宝石などの輸入を拡大するよう要請。 |
DIA-305-1985-11-30-1 | スリランカ | 1985年11月30日 | 1980年代 | イスラム教徒組織の代表が大統領と会談し,民族問題の解決に際し,イスラム教徒の意思尊重を求めた。 |
DIA-305-1985-12-01-1 | スリランカ | 1985年12月01日 | 1980年代 | 武力衝突が続くため,多くのシンハラ住民がバッティカロアからの脱出を試みている。 |
DIA-305-1985-12-04-1 | スリランカ | 1985年12月04日 | 1980年代 | 公営企業の民営化をすすめる法案を閣議で検討。 |
DIA-305-1985-12-05-1 | スリランカ | 1985年12月05日 | 1980年代 | TULFはスリランカ政府の自治権拡大案に代る提案を,インドのバンダリ外務次官に提出した。 |
DIA-305-1985-12-05-2 | スリランカ | 1985年12月05日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領はSARC会議のためダッカへ出発した。 |
DIA-305-1985-12-06-1 | スリランカ | 1985年12月06日 | 1980年代 | 昭和コンクリートの合弁企業が614万ルピーの利益を計上し,20%の配当を行なう,と発表した。 |
DIA-305-1985-12-06-2 | スリランカ | 1985年12月06日 | 1980年代 | マラティオン殺虫剤の倉庫が壊れ,アンゴダ地区の被災者20名がコロンボ病院に運ばれ,入院した。 |
DIA-305-1985-12-06-3 | スリランカ | 1985年12月06日 | 1980年代 | W・ヴィーラスーリヤ国防次官が,アムネスティ・インターナショナルの報告が誤りであると批判した。 |
DIA-305-1985-12-06-4 | スリランカ | 1985年12月06日 | 1980年代 | ブーザ陸軍収容所に勾留されていた78名のタミル人が釈放された。 |
DIA-305-1985-12-07-1 | スリランカ | 1985年12月07日 | 1980年代 | ガンディ首相はジャヤワルダナ大統領とダッカで会談し,民族問題の政治的な解決のために,治安部隊とゲリラとの武力対決を避けるよう示唆した。ジャヤワルダナ大統領は,テロリズムを南アジアらか絶滅させるための方策を強調した。 |
DIA-305-1985-12-09-1 | スリランカ | 1985年12月09日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,モルディブ共和国のガユーム大統領と同じ便に塔乗して,コロンボに帰着した。 |
DIA-305-1985-12-10-1 | スリランカ | 1985年12月10日 | 1980年代 | パキスタンのジア大統領はダッカの帰途,スリランカを公式訪問した。 |
DIA-305-1985-12-10-2 | スリランカ | 1985年12月10日 | 1980年代 | 東部州と北部州とを統合して「タミル人のホームランド」とみなし,タミル自治州の新設を求めるTULFの提案をジャヤワルダナ大統領は拒否した。事態をこのまま放置できないので,来年は重大な年になると述べた。 |
DIA-305-1985-12-11-1 | スリランカ | 1985年12月11日 | 1980年代 | ジア大統領はアヌラーダプラ市を訪問し,5月に150名以上が虐殺された地点を視察した。 |
DIA-305-1985-12-12-1 | スリランカ | 1985年12月12日 | 1980年代 | 工業省の新庁舎をスリジャヤワルダナプラに建設するフェルナンド工業相の案が閣議で承認された。 |
DIA-305-1985-12-12-2 | スリランカ | 1985年12月12日 | 1980年代 | 開発金融のためにアジア開発銀行より5.5億ルピーの借款を受けることが決定。40年間で返済の条件である。 |
DIA-305-1985-12-12-3 | スリランカ | 1985年12月12日 | 1980年代 | 自転車で爆弾を運んでいた2人のタミル人が自爆死。 |
DIA-305-1985-12-12-4 | スリランカ | 1985年12月12日 | 1980年代 | スリランカから送られた7000の角膜で,パキスタンの盲人が救われるとジア大統領が感謝し100万ルピー寄附。 |
DIA-305-1985-12-14-1 | スリランカ | 1985年12月14日 | 1980年代 | 3人のPLOTメソバーが,LTTEに殺された事件に抗議して,ジャフナで前者がストライキを実行。 |
DIA-305-1985-12-15-1 | スリランカ | 1985年12月15日 | 1980年代 | ジア大統領はSAARCの将来を展望し,南アジア人民10億の協力の意義を説いて,帰国の途についた。 |
DIA-305-1985-12-16-1 | スリランカ | 1985年12月16日 | 1980年代 | 鉄道運賃値上げは,1等30%,2等15%のみで3等については据置くことに決定した。 |
DIA-305-1985-12-16-2 | スリランカ | 1985年12月16日 | 1980年代 | テレビ放送で飲酒と喫煙の場面は,放映しないことに閣議で決め,ルーパワヒニ・テレビに指示した。 |
DIA-305-1985-12-16-3 | スリランカ | 1985年12月16日 | 1980年代 | 1990年までに1.6万の手動ポンプの井戸建設を決定。 |
DIA-305-1985-12-17-1 | スリランカ | 1985年12月17日 | 1980年代 | オランダ政府はスリランカに3.5億ルピーの開発援助を行なうことに決定した。 |
DIA-305-1985-12-18-1 | スリランカ | 1985年12月18日 | 1980年代 | マレーシア大使館はジャフナの攻撃にマレーシアのパイロットが雇われているというEPRLFの主張を否定した。 |
DIA-305-1985-12-19-1 | スリランカ | 1985年12月19日 | 1980年代 | 停戦監視委員会は,治安部隊の規律問題についてジャフナ県の調査報告を提出した。 |
DIA-305-1985-12-21-1 | スリランカ | 1985年12月21日 | 1980年代 | 8名のゲリラがジャフナで政府軍に射殺された。 |
DIA-305-1985-12-21-2 | スリランカ | 1985年12月21日 | 1980年代 | 統一国民党大会に1万名の代表が出席した。 |
DIA-305-1985-12-21-3 | スリランカ | 1985年12月21日 | 1980年代 | 日本大使が,2.5億ルピーの製薬工場(ラトマラーナ)と1.4億ルピーの青年奉仕センターとを無償協力で建設する覚書に調印した。 |
DIA-305-1985-12-24-1 | スリランカ | 1985年12月24日 | 1980年代 | マドラスのLTTEのスポークスマン宅に爆弾が仕かけられた事件について,スリランカ政府は全く関与していない,とアトラトムダリ国家治安相が否定した。 |
DIA-305-1985-12-24-2 | スリランカ | 1985年12月24日 | 1980年代 | アンパーレで5名のゲリラが治安部隊に殺された。 |
DIA-305-1985-12-25-1 | スリランカ | 1985年12月25日 | 1980年代 | バッティカロア市で軍と県庁とのジープに放火。 |
DIA-305-1985-12-25-2 | スリランカ | 1985年12月25日 | 1980年代 | 中央銀行は,隠匿されているブラック・マネーを国民経済に活用するため,無記名で無税の公債を発行する。 |
DIA-305-1985-12-28-1 | スリランカ | 1985年12月28日 | 1980年代 | 7名のスリランカ・タミル人がマドラスで爆弾事件(24日)に関連して検挙された。 |
DIA-305-1985-12-29-1 | スリランカ | 1985年12月29日 | 1980年代 | マンナール県で政府軍とゲリラ軍とが衝突し,1名の兵士が死亡し4名が負傷。ゲリラ側も死者が出た模様。空軍はヘリコプターで掃蕩戦を助けている。 |
DIA-305-1985-12-30-1 | スリランカ | 1985年12月30日 | 1980年代 | 7名のゲリラが殺され,149名の容疑者がトリンコマリー県で検挙された。 |
DIA-305-1985-12-30-2 | スリランカ | 1985年12月30日 | 1980年代 | アトラトムダリ国家治安相は,ゲリラ活動を行なっている者のなかから,訴追されなければ武器を捨て政府に協力する,という声がよせられたことを発表。 |
DIA-305-1985-12-30-3 | スリランカ | 1985年12月30日 | 1980年代 | 大統領は東部州と北部州をひとつの自治単位にする案を,あらためて強く否定した。 |
DIA-305-1985-12-31-1 | スリランカ | 1985年12月31日 | 1980年代 | 東京―コロンボ間の直行便を運行していた英国航空が,観光客減少のため同便を廃止することに決めた。ソウル―コロンボ間の直行便を運行していた大韓航空も同便を廃止する。なお,シンガポール航空はシンガポール―コロンボ便を再開。 |
DIA-305-1986-01-01-1 | スリランカ | 1986年01月01日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,前政権のバンダーラナーヤカ前首相および3名の前閣僚の公民権を回復する,という恩赦を発表した。この4名の政治家は,1980年10月16日より7年間,権力濫用の罪で公民権停止処分に服していた。 |
DIA-305-1986-01-02-1 | スリランカ | 1986年01月02日 | 1980年代 | パンダーラナーヤカ前首相は,早期に総選挙を行なうよう要求するとともに,政府がインド首相にタミル人分離主義者を武装解除させるよう求めるべきであると主張した。 |
DIA-305-1986-01-02-2 | スリランカ | 1986年01月02日 | 1980年代 | 労働省調査によると,縫製工場における女性の深夜労働が増加している。 |
DIA-305-1986-01-05-1 | スリランカ | 1986年01月05日 | 1980年代 | シンガポールにあるコロンボ・プランの研修施設(Staff College)をコロンボに移転する大統領提案を閣議で決定した。 |
DIA-305-1986-01-05-2 | スリランカ | 1986年01月05日 | 1980年代 | イーラム人民革命解放戦線(EPRLF)の幹部スレッシュを射殺した,と国家治安省スポークスマンが発表した。 |
DIA-305-1986-01-07-1 | スリランカ | 1986年01月07日 | 1980年代 | トンダマン農村工業相がニューデリーでガンディー首相と会談,40万にも及ぶインド系無国籍労働者の処遇改善に協力するよう要請した。 |
DIA-305-1986-01-07-2 | スリランカ | 1986年01月07日 | 1980年代 | シヴァタンビおよびシヴァパーラン委員が,停戦監視委員会に辞表を提出した(2人ともジャフナ出身のスリランカ・タミル人)。 |
DIA-305-1986-01-08-1 | スリランカ | 1986年01月08日 | 1980年代 | モルディヴ政府との間で,経済技術協力条約を締結し,両国間に合同委員会を設立することを閣議決定。 |
DIA-305-1986-01-08-2 | スリランカ | 1986年01月08日 | 1980年代 | 林エンジニアリング社が,小出力(40kW)の水力タービンをスリランカにはじめて輸出した。発展途上国向けに開発された小規模水力発電の事例である。 |
DIA-305-1986-01-11-1 | スリランカ | 1986年01月11日 | 1980年代 | タミル・イーラム雨軍(TEA)が茶に青酸化合物を混入するという話がひろがり,米国の茶評議会と連邦薬品局とは,輸入紅茶の検査を行なうよう勧告した。オーストラリアの輸入業者ブッシェル商会は,当分スリランカ紅茶の輸入を停止すると発表した。 |
DIA-305-1986-01-12-1 | スリランカ | 1986年01月12日 | 1980年代 | プランテーション産業省は輸出用紅茶に毒物が混入されないよう,万全の検査体制をとっている,と声明を発表した。 |
DIA-305-1986-01-12-2 | スリランカ | 1986年01月12日 | 1980年代 | 記録的な豪雨により,ヌワラエリヤ県だけで8500名の家屋が流出した。死者は50名を超える。 |
DIA-305-1986-01-12-3 | スリランカ | 1986年01月12日 | 1980年代 | 通貨法の改正により,セイロン中央銀行はスリランカ中央銀行と改称することになった。 |
DIA-305-1986-01-16-1 | スリランカ | 1986年01月16日 | 1980年代 | スリランカ・インド両国政府間で,無国籍のインド系タミル人問題について合意に達した。スリランカ政府は,既存の協定による人数より9万4000名多く,無国籍タミル人に市民権を与えることになった。 |
DIA-305-1986-01-16-2 | スリランカ | 1986年01月16日 | 1980年代 | 西ドイツ政府が,電力開発のマスター・プランを作成するため6100万ルピーの無償協力を行なう案を閣議で承認した。 |
DIA-305-1986-01-16-3 | スリランカ | 1986年01月16日 | 1980年代 | フランス政府による第II期ニルワナ水系開発計画が承認された(4500万フランを30年償還,利率3%の借款,4500万フランを商業ペースの輸出金融で,計9000万フラン)。 |
DIA-305-1986-01-17-1 | スリランカ | 1986年01月17日 | 1980年代 | 日本政府が,基礎科学研究所に7000万ルピーの研究施設を供与してくれる,と同研究所長が発表。 |
DIA-305-1986-01-18-1 | スリランカ | 1986年01月18日 | 1980年代 | スリランカ訪問中のチョードリ・バングラデシュ外相は,コロンボで記者会見し,内政不干渉,主権の尊重,領土の不可侵などの原則を強調した。 |
DIA-305-1986-01-20-1 | スリランカ | 1986年01月20日 | 1980年代 | イーラム革命的学生組織(EROS)のスポークスマンが,ニューデリーのロイター支局に電話で,ペネロペ・ウィリスという女性ジャーナリストを,北部州ムライティヴ市で拘束した,と通告した。同時に「スリランカ政府は,この地域を支配していないので,われわれの許可なしに,この地域に入ることを認めない」とつけ加えた。 |
DIA-305-1986-01-21-1 | スリランカ | 1986年01月21日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,Hindu紙のラーム記者との会見で,「もしインドがスリランカを助けてくれるなら,テロリズムに関連した問題は3ヵ月以内に解決する」と述べた。 |
DIA-305-1986-01-23-1 | スリランカ | 1986年01月23日 | 1980年代 | インド系タミル人にスリランカ国籍を与えるための法案が閣議で決定され,近く議会に上程される。 |
DIA-305-1986-01-23-2 | スリランカ | 1986年01月23日 | 1980年代 | 5000万ルピーの政府出資を,コロンポ・コマーシャル社(茶工場設備の製造メーカー)に行なうことを閣議で決定。 |
DIA-305-1986-01-25-1 | スリランカ | 1986年01月25日 | 1980年代 | UNDPは,カルガンガ水系総合開発プロジェクトのフィージビリティ調査に資金を提供することを決めた。 |
DIA-305-1986-01-26-1 | スリランカ | 1986年01月26日 | 1980年代 | コロンボの英国大使館は,EROSに拘留されている女性ジャーナリストの安全に懸念を表明した。 |
DIA-305-1986-01-28-1 | スリランカ | 1986年01月28日 | 1980年代 | コロンボ競売市場での紅茶価格が,キロ当り平均29.04ルピーまで低落した(84年の1月には75.30ルピー,85年1月には60.87ルピーであった)。 |
DIA-305-1986-01-28-2 | スリランカ | 1986年01月28日 | 1980年代 | 政府は紅茶地帯での民族暴動を抑制するため,15時間の外出禁止令を布告した。 |
DIA-305-1986-01-28-3 | スリランカ | 1986年01月28日 | 1980年代 | ダヤス工業省次官は,三菱自動車の市場占拠率が,84年の28%から昨年47%まで増加したと発表。ホンダとニッサンの代理店は,この数字は正しくなく,自社の市場占拠率はもっと高いと反論した。 |
DIA-305-1986-01-28-4 | スリランカ | 1986年01月28日 | 1980年代 | 最高裁は1983年5月のアクミーマナ選挙区で行なわれた補欠選挙を無効とし,自由党(SLFP)のR・パティラーナ議員の議席を欠員であると宣言した。 |
DIA-305-1986-01-31-1 | スリランカ | 1986年01月31日 | 1980年代 | 市民権法案,130対9で可決される。マティユ前工業相は反対,自由党と人民統一戦線(MEP)は退場,ムテットゥウェガマ共産党議員は賛成した。 |
DIA-305-1986-02-01-1 | スリランカ | 1986年02月01日 | 1980年代 | 政府医師組合(GMOA)は,医師のストライキを違法とする基本サービス法適用の宣言を受けて,1月29日に始めたストライキを中止した。 |
DIA-305-1986-02-02-1 | スリランカ | 1986年02月02日 | 1980年代 | 北部州のキリノッチ地区で,政府軍とタミル人ゲリラとの交戦がつづき,1日から夜間外出禁止令が出された。ゲリラ側死者は29名であると政府発表。 |
DIA-305-1986-02-02-2 | スリランカ | 1986年02月02日 | 1980年代 | マドラスでイーラム独立運動の指導者と話し合っていたバンダーリ・インド外務次官は,予定していたスリランカ訪問を延期した.両当事者の譲歩による妥協が困難なためであろうといわれている。 |
DIA-305-1986-02-03-1 | スリランカ | 1986年02月03日 | 1980年代 | キリノッチ地区の3日間の戦闘で,双方で100名以上の死者を出したもよう。外出禁止令も長時間に。 |
DIA-305-1986-02-04-1 | スリランカ | 1986年02月04日 | 1980年代 | 独立記念日の演説で,ジャヤワルダナ大統領は年内にスリランカのテロリストを根絶すると宣言した。 |
DIA-305-1986-02-05-1 | スリランカ | 1986年02月05日 | 1980年代 | 医師に月額1000ルピーの手当てを支給することで政府医師組合と妥結する,と大統領が閣議に報告。 |
DIA-305-1986-02-06-1 | スリランカ | 1986年02月06日 | 1980年代 | 藤沢薬品工業は,日本政府の無償協力で建設される医薬品製剤工場(26億円でデヒワラに立地)に技術協 力すると発表した.建物の設計は日建設計が行ない,87年6月に完工予定。 |
DIA-305-1986-02-07-1 | スリランカ | 1986年02月07日 | 1980年代 | アトラトムダリ国家治安相は,政府とタミル人団体との話合い再開に必要なイニシアティプはニューデリーから来るべきだと語った。インド政府だけがすべての当事者の声を聴ける立場にいるからである,という。 |
DIA-305-1986-02-09-1 | スリランカ | 1986年02月09日 | 1980年代 | モルディヴ訪問から帰国したガンディー首相は,スリランカが民族問題の政治的解決のために,もっと確固たる方針をとるべきである,と記者会見で述べた。 |
DIA-305-1986-02-10-1 | スリランカ | 1986年02月10日 | 1980年代 | 野党の院内総務であるアヌラ・バンダーラナーヤカ議員は,最近の山地での暴動に責任のあるトンダマン農村工業開発相を逮捕すべきである,と政府に求めた。 |
DIA-305-1986-02-13-1 | スリランカ | 1986年02月13日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,公安法にもとづいて「治安地帯」の布告を行なった。北部のポイント・ピードロから東部のトリンコマリーに至る265kmの海岸地帯を指定,許可なくこの地帯に出入りすることを禁止。 |
DIA-305-1986-02-14-1 | スリランカ | 1986年02月14日 | 1980年代 | ニューヨークに置かれていたスリランカ観光局事務所は,観先客の来島がほとんどなくなったので閉鎖された。 |
DIA-305-1986-02-14-2 | スリランカ | 1986年02月14日 | 1980年代 | アメリカ系のメロン銀行は,コロンボ支店を閉鎖し,業務をシンガポール支店に移すことにした。 |
DIA-305-1986-02-15-1 | スリランカ | 1986年02月15日 | 1980年代 | タミル統一解放戦線(TULF)は,スリランカ政府が新設の「治安地帯」の指定を撤廃するよう,強く求めた。 |
DIA-305-1986-02-15-2 | スリランカ | 1986年02月15日 | 1980年代 | 3名の年金生活者がジャフナでゲリラと誤認され,陸軍に射殺された。 |
DIA-305-1986-02-16-1 | スリランカ | 1986年02月16日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は1989年まで総選挙を行なわないと言明した。 |
DIA-305-1986-02-16-2 | スリランカ | 1986年02月16日 | 1980年代 | 北部のヤカッチで政府軍とゲリラが衝突し,軍人2名とゲリラ側10名の死者を出した。 |
DIA-305-1986-02-17-1 | スリランカ | 1986年02月17日 | 1980年代 | 雇用代理店に3万ルピーを支払って,マレーシアに就職に来た100名を超えるスリランカ人が,紹介された就職先が存在せず,路頭に迷っている。 |
DIA-305-1986-02-17-2 | スリランカ | 1986年02月17日 | 1980年代 | タイのチェンマイからキャンディの仏歯寺に寄進される,大きな牙を持つ象が米軍機で空輸された。 |
DIA-305-1986-02-18-1 | スリランカ | 1986年02月18日 | 1980年代 | イギリスの女性ジャーナリストのウィリス記者が,1ヵ月ぶりにEROSの拘留から解放されて,コロンボに戻った。 |
DIA-305-1986-02-18-2 | スリランカ | 1986年02月18日 | 1980年代 | スリランヵ政府はTULFの民族問題解決案を,連邦制にほかならないとして拒絶した。 |
DIA-305-1986-02-19-1 | スリランカ | 1986年02月19日 | 1980年代 | トリンコマリー郊外で仕掛けられた地雷のためバスが爆破され,32名の市民と4名の軍人が死亡し,20名が負傷した。 |
DIA-305-1986-02-19-2 | スリランカ | 1986年02月19日 | 1980年代 | アメリカの女性ジャーナリスト,J・ウチンスキー記者が,タミル・イーラム解放組織(TELO)と行動を共にし,不法に出入国を行なった,という理由で国外退去を命ぜられた。 |
DIA-305-1986-02-20-1 | スリランカ | 1986年02月20日 | 1980年代 | イギリスの女性記者が拘留されていたEROSのキャンプを政府軍が攻撃し,13名のテロリストを殺したと国家治安相が議会に報告した。 |
DIA-305-1986-02-21-1 | スリランカ | 1986年02月21日 | 1980年代 | アソパーラ県のラフガラ地区で40名のテロリストを殺したが,在地の反政府活動の首謀者であるP・L・ジャシーランは逃亡した,と治安関係筋が語る。 |
DIA-305-1986-02-21-2 | スリランカ | 1986年02月21日 | 1980年代 | 平等社会党(LSSP),共産党(CP)および人民党(SLMP)が,民族問題の政治的解決を求める共同声明発表。 |
DIA-305-1986-02-22-1 | スリランカ | 1986年02月22日 | 1980年代 | タミル・イーラム解放の虎(LTTE)はマドラスで,ラフガラ地区の死者40名は活動家ではなく,耕作に従事していた農民だったと発表した。 |
DIA-305-1986-02-24-1 | スリランカ | 1986年02月24日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,ラフガラ事件の真相を明らかにするため,陸海空軍の司令官によって構成される委員会を任命し,調査を指示した。 |
DIA-305-1986-02-24-2 | スリランカ | 1986年02月24日 | 1980年代 | 歯科医にも1000ルビーの中間手当てを支給するよう要求して,政府歯科医組合がストライキを行ない,看護婦組合が支援した。 |
DIA-305-1986-02-25-1 | スリランカ | 1986年02月25日 | 1980年代 | インド大使が大統領を訪問し,最近の武力衝突事件について,インド政府の憂慮を伝えた。 |
DIA-305-1986-02-26-1 | スリランカ | 1986年02月26日 | 1980年代 | 国際人権委員会のJ・ハート委員長が1週間のスリランカ滞在を終え,ジュネーブに帰任したあと,すべての援助供与国にスリランカ援助を停止するよう求めた。閣議でこの問題を討議した後,アルヴィス国務相は国際人権委員会の決定に驚かないが傷ついたと述べた。 |
DIA-305-1986-02-26-2 | スリランカ | 1986年02月26日 | 1980年代 | 7200名の警察官を増員する決定がなされた(定員の30%)。 |
DIA-305-1986-02-27-1 | スリランカ | 1986年02月27日 | 1980年代 | 歯科医にも1000ルピーの手当支給を決定する。 |
DIA-305-1986-02-27-2 | スリランカ | 1986年02月27日 | 1980年代 | インド政府に新しい解決案をスリランカ政府が提示し,若干前進した,とガンディー首相が議会で言明する。 |
DIA-305-1986-02-27-3 | スリランカ | 1986年02月27日 | 1980年代 | 日本政府は,国家青年奉仕センター本部の建設援助を約束。 |
DIA-305-1986-02-27-4 | スリランカ | 1986年02月27日 | 1980年代 | 日本政府は英国と共同で,サマナラウェワ水力発電所建設を援助することで合意した(総工費約700億円)。 |
DIA-305-1986-03-01-1 | スリランカ | 1986年03月01日 | 1980年代 | 世界銀行は,マンナール県とヴァヴニヤ県における総合農村開発が民族対立のため実施不可能になったと,スリランカ政府に通告した。 |
DIA-305-1986-03-01-2 | スリランカ | 1986年03月01日 | 1980年代 | 駐印ティラカラトナ大使が,インド外相の議会発言(治安部隊の残虐行為と問題解決のため1ヵ月の期限設定)に反論する外交覚書をインド政府に手交し,両国関係の悪化が表面化した。 |
DIA-305-1986-03-03-1 | スリランカ | 1986年03月03日 | 1980年代 | A・シンガライや神父のテロリスト援助容疑を否定し,コロンボ高等裁判所は無罪判決を言渡した。 |
DIA-305-1986-03-04-1 | スリランカ | 1986年03月04日 | 1980年代 | 元首相のW・ダハナーヤカ議員が,ヘーラト食糧・協同組合相の死去により,協同組合相に任命された。食糧相はG・ジャヤスーリヤ農業相の兼任となった。 |
DIA-305-1986-03-05-1 | スリランカ | 1986年03月05日 | 1980年代 | インド外務省は議会で,12万4828名の難民がスリランカから流入したこと(1983年7月以降)を報告し,その費用分担をスリランカに求めると発表した。 |
DIA-305-1986-03-06-1 | スリランカ | 1986年03月06日 | 1980年代 | 医師の賃金改定が行なわれ,年俸1万3800ルピーの初任給から2万7000ルピーの最高給が,閣議に提案された。 |
DIA-305-1986-03-06-2 | スリランカ | 1986年03月06日 | 1980年代 | インド政府の返書がスリランカ大使に手渡されたが,内容は発表されなかった。 |
DIA-305-1986-03-08-1 | スリランカ | 1986年03月08日 | 1980年代 | 3月末に予定されていたアジアカップ・クリケット大会(コロンボ)に,インドチームの派遣が取り消された。 |
DIA-305-1986-03-09-1 | スリランカ | 1986年03月09日 | 1980年代 | インド大使がガンディー首相の親書をもって,ジャヤワルダナ大統領を訪問。大統領はインド外務次官への招待は今も有効と述べ,関係改善の意向を表明。 |
DIA-305-1986-03-10-1 | スリランカ | 1986年03月10日 | 1980年代 | 空港で押収された偽造紙幣750万ルピーは,すべて日本で印刷されたものと判明する。 |
DIA-305-1986-03-10-2 | スリランカ | 1986年03月10日 | 1980年代 | 1985年1月から86年2月までに,3000名のスリランカ・タミル人(うち女性200名,子供100名)が政府軍に殺された,とマドゥライのタミル情報センターが発表。 |
DIA-305-1986-03-11-1 | スリランカ | 1986年03月11日 | 1980年代 | 中国の李先念国家主席は,ジャヤワルダナ大統領の招宴でスリランカ国家の統合を支持すると発言した。 |
DIA-305-1986-03-11-2 | スリランカ | 1986年03月11日 | 1980年代 | ジャフナ病院で行なわれたTELO内部抗争の銃撃戦で7名が死亡した。 |
DIA-305-1986-03-11-3 | スリランカ | 1986年03月11日 | 1980年代 | 日本政府は1月の集中豪雨で大きな被害を受けたスリランカに,8万5000ドルの緊急援助を行なう,と閣議決定した。 |
DIA-305-1986-03-12-1 | スリランカ | 1986年03月12日 | 1980年代 | アトラトムダリ国家治安相とN・ティルチェルヴァム元議員(TULF)との間で,政治解決への秘密交渉が進行中,とPTIのロンドン電が報道する。 |
DIA-305-1986-03-13-1 | スリランカ | 1986年03月13日 | 1980年代 | タミル・ナード州のM・カルナーニディ前州首相は,中央政府がスリランカに強硬手段を取るよう要望。 |
DIA-305-1986-03-13-2 | スリランカ | 1986年03月13日 | 1980年代 | 政府軍はジャフナ半島での空襲を7日間停止する,とアトラトムダリ国家治安相が公表した。 |
DIA-305-1986-03-13-3 | スリランカ | 1986年03月13日 | 1980年代 | 中国政府は,4億2500万ルピーにのぼる無利子の借款をスリランカに供与することに合意した(償還期間は10年)。 |
DIA-305-1986-03-14-1 | スリランカ | 1986年03月14日 | 1980年代 | 李先念中国国家主席夫妻が離国。 |
DIA-305-1986-03-16-1 | スリランカ | 1986年03月16日 | 1980年代 | タミル・ナード州政府の与党(AIDMK)と共産党(CPM)とは,スリランカに対する経済制裁を中央政府に要求する決議 |
DIA-305-1986-03-16-2 | スリランカ | 1986年03月16日 | 1980年代 | 84年8月のマドラス空港爆破事件で死亡した23名のスリランカ人乗客に対する遺族補償を早く行なうよう,インド政府への2回目の覚書が出された。 |
DIA-305-1986-03-17-1 | スリランカ | 1986年03月17日 | 1980年代 | 6700人の看護婦労組が賃上げを要求してストライキを行なうと,各病院に通告した。 |
DIA-305-1986-03-18-1 | スリランカ | 1986年03月18日 | 1980年代 | 政府は看護婦に対する休暇の承認を取消した。 |
DIA-305-1986-03-19-1 | スリランカ | 1986年03月19日 | 1980年代 | 3名の最高裁判事を,公務員と国会議員の汚職を調査する特別委員会に,大統領が任命した。 |
DIA-305-1986-03-20-1 | スリランカ | 1986年03月20日 | 1980年代 | 政府医師組合は看護婦の要求を支持して,争議行為に訴えると発表した。 |
DIA-305-1986-03-23-1 | スリランカ | 1986年03月23日 | 1980年代 | 経済開発に用いられるはずの資金から,75億ルピーが防衛費にふりかえられた,とデ・メル蔵相が言明。 |
DIA-305-1986-03-24-1 | スリランカ | 1986年03月24日 | 1980年代 | インドのバーガット外相がスリランカ政府に,無実の市民殺害を止めなければならないと伝えたと,インド放送が報道した。 |
DIA-305-1986-03-24-2 | スリランカ | 1986年03月24日 | 1980年代 | 山地におけるシンハラ,タミルおよびムスリム住民の和解をめざす「平和登山」が,仏足跡山で行なわれ,数千名が参加した。 |
DIA-305-1986-03-25-1 | スリランカ | 1986年03月25日 | 1980年代 | インドのガンディー首相は,もしスリランカ政府が具体的な解決案を準備するなら,バンダーリ外務次官をコロンボに派遣する,とマドラスの記者会見で述べた。 |
DIA-305-1986-03-25-2 | スリランカ | 1986年03月25日 | 1980年代 | 北部州への急行列車「ヤル・デーヴィ」がゲリラの攻撃を受けた。ヴァヴニヤから18マイルの地点で乗客がすべて降ろされ,12輌の客車に火がつけられ,機関車が爆破された(約1億ルピーの被害)。 |
DIA-305-1986-03-25-3 | スリランカ | 1986年03月25日 | 1980年代 | 富士電気化学が3億円のマンガン乾電池製造プラントをスリランカに輸出する契約を結ぶ。 |
DIA-305-1986-03-25-4 | スリランカ | 1986年03月25日 | 1980年代 | バッティカロアの近郊で,ムスリム団体に18名のタミル人が誘拐され,うち9名が殺された。 |
DIA-305-1986-03-26-1 | スリランカ | 1986年03月26日 | 1980年代 | インド国籍を申請したプランテーション労働者は帰国できるまで(フェリー便の再開まで),臨時労働者として雇用されることを政府が決定した。 |
DIA-305-1986-03-27-1 | スリランカ | 1986年03月27日 | 1980年代 | 北部州への鉄道が運行停止されることに決定。 |
DIA-305-1986-03-27-2 | スリランカ | 1986年03月27日 | 1980年代 | アタパットゥ厚生相は,スト中の看護婦の賃上げには,7900万ルピーの財源を要するが,省内では調達不可能と言明し,違法ストを続ける看護婦に宿舎から排除を示唆。 |
DIA-305-1986-03-28-1 | スリランカ | 1986年03月28日 | 1980年代 | すべての公職につくものが,資産と負債とを公開するよう法改正を行なう,とプレマダーサ首相が表明。 |
DIA-305-1986-03-30-1 | スリランカ | 1986年03月30日 | 1980年代 | バッティカロア市民委員会は,過去2ヵ月に行方不明になった50名のリストを公表し,政府に訴えた。 |
DIA-305-1986-03-31-1 | スリランカ | 1986年03月31日 | 1980年代 | インドのバンダーリ外務次官が退任し,ヴェンカテスワラン新次官がスリランカ民族問題を引きつぐことになった。 |
DIA-305-1986-03-31-2 | スリランカ | 1986年03月31日 | 1980年代 | ペラデニヤ大学理学部の6学科長が,給与水準に不満を表明して辞任した。 |
DIA-305-1986-04-01-1 | スリランカ | 1986年04月01日 | 1980年代 | 北部と東部から農産物を運べないので,米,タマネギ,トウガラシや魚類を輸入しなければならなくな。つた,とデ・メル蔵相が語る。 |
DIA-305-1986-04-02-1 | スリランカ | 1986年04月02日 | 1980年代 | 政府は対テロリスト作戦を抑制しているが,反政府側の軍事行動はこれに応じて抑制する様子がないので,和平にむけての特使をニューデリーに送る考えはない,とアトラトムダリ国家治安相が言明した。 |
DIA-305-1986-04-03-1 | スリランカ | 1986年04月03日 | 1980年代 | ガルオヤ,パラクラマ,ギリタレ,カウドッラおよびミネリヤの貯水池に,農民の水利組織を作るとの,G・ディサナーヤカ土地相の案を関議で承認した。 |
DIA-305-1986-04-04-1 | スリランカ | 1986年04月04日 | 1980年代 | 40%の看護婦がストライキから離脱し,病院に復帰した,と教育病院省が発表。マルワッタとアスギリヤのマハナーヤカ(最高指導者)僧正が,このストライキの解決に協力したいと表明した。 |
DIA-305-1986-04-04-2 | スリランカ | 1986年04月04日 | 1980年代 | 観光客の来島が1982年の40.7万名から85年の25.7万名に減少した,とサマラナーヤカ観光局長が公表した。 |
DIA-305-1986-04-05-1 | スリランカ | 1986年04月05日 | 1980年代 | ジャフナとバッティカロアでゲリラ戦が戦われ双方に各10名前後の死者を出した模様。スリランカ政府とゲリラ組織側とが,それぞれに有利な戦果をコロンボとマドラスとで発表した。 |
DIA-305-1986-04-05-2 | スリランカ | 1986年04月05日 | 1980年代 | タミル地域の代表を閣僚に含める解決案を,スリランカ政府部内で検討中,とインド紙(Times of India)が報道する。 |
DIA-305-1986-04-05-3 | スリランカ | 1986年04月05日 | 1980年代 | スイスのP・アルベール外相は,タミル人の亡命希望者を個別的に審査した上で,迫害の恐れがある者をスリランカに強制送還することはない,とインド外相に確約した。 |
DIA-305-1986-04-07-1 | スリランカ | 1986年04月07日 | 1980年代 | ハットン銀行ジャフナ支店に独立運動派がおしかけ,口座開設者名簿を要求したので,同支店は無期限に閉鎖する,と本店で決定が発表された。 |
DIA-305-1986-04-09-1 | スリランカ | 1986年04月09日 | 1980年代 | スリランカにおけるパキスタン人の活動を承知し,関心を払っている,とインド外相が議会で答弁。 |
DIA-305-1986-04-09-2 | スリランカ | 1986年04月09日 | 1980年代 | 遺伝資源の保存施設をスリランカに作る計画について日本政府が援助を検討している。 |
DIA-305-1986-04-10-1 | スリランカ | 1986年04月10日 | 1980年代 | 英米などの西側諸国にスリランカ海軍の軽巡洋艦購入のため援助要請を行なっている。スリランカの防衛費は87億ルピーで,総予算の13%に達する,とTimes of India紙のロンドン特派員が伝える。 |
DIA-305-1986-04-12-1 | スリランカ | 1986年04月12日 | 1980年代 | スリランカ訪問中の池本宇治市長は,ヌワラエリヤ市との友好都市盟約を締結した。 |
DIA-305-1986-04-13-1 | スリランカ | 1986年04月13日 | 1980年代 | インドを訪問するハミード外相が新しい民族問題解決案をまとめ,アトラトムダリ国家治安相と協議。 |
DIA-305-1986-04-17-1 | スリランカ | 1986年04月17日 | 1980年代 | アクミーマナ補欠選挙で,前回に引きつづき自由党のR・パティラーナ候補が,与党のD・G・A・シルバ候補を破る。 |
DIA-305-1986-04-17-2 | スリランカ | 1986年04月17日 | 1980年代 | ハミード外相がインドのガンディー首相と会談し,新提案の説明をする。 |
DIA-305-1986-04-18-1 | スリランカ | 1986年04月18日 | 1980年代 | 看護婦労組は厚生省との交渉で妥結し職場に復帰した。スト中の労働活動禁止命令も解除される。 |
DIA-305-1986-04-20-1 | スリランカ | 1986年04月20日 | 1980年代 | 早朝にカンターレ貯水池が決壊し,少なくとも30名の死者を出し,1.8万人の家屋が流失した。 |
DIA-305-1986-04-20-2 | スリランカ | 1986年04月20日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,オーストラリア放送局のインタビューで,「インドよりパキスタンの方が良い友人である」と述べた。 |
DIA-305-1986-04-21-1 | スリランカ | 1986年04月21日 | 1980年代 | トンダマンナールのヒンドゥ寺院で戦闘があり,イーラム側15名,政府軍側6名の死者を出した。 |
DIA-305-1986-04-22-1 | スリランカ | 1986年04月22日 | 1980年代 | 紅茶の東京・元卸相場はスリランカ産紅茶の安値落ち込みで,2年半ぶりにキロ当り1000円を割った。 |
DIA-305-1986-04-23-1 | スリランカ | 1986年04月23日 | 1980年代 | 日本政府と12億2700万円の無償協力の覚書を交換した(農村病院施設改善,砂糖試験場施設改善,印刷用機械等)。 |
DIA-305-1986-04-23-2 | スリランカ | 1986年04月23日 | 1980年代 | イーラム革命的共産主義者党(ERCP)が,カンターレ貯水池の決壊をひきおこした,とインドで発表した。しかし,人為的な破壊活動の結果ではない,というのがスリランカの技術者の意見である。 |
DIA-305-1986-04-23-3 | スリランカ | 1986年04月23日 | 1980年代 | アヌラーダプラの石油公団貯油所で爆発があり,9名が死亡し,建物に大損傷を与えた。爆弾は,ガソリン輸送車にしかけられていた(約3500万ルピーの被害)。EROSがこの爆破活動を行なった,とインド報道機関に発表した。 |
DIA-305-1986-04-25-1 | スリランカ | 1986年04月25日 | 1980年代 | 国際赤十字社は,カンターレ貯水池の死者は125名,避難民は7800名と発表し,救援を呼びかけた。 |
DIA-305-1986-04-25-2 | スリランカ | 1986年04月25日 | 1980年代 | ハミード外相は米国のリビア攻撃は内政干渉である,と議会で米国を攻撃した。 |
DIA-305-1986-04-26-1 | スリランカ | 1986年04月26日 | 1980年代 | アトラトムダリ国家治安相は,もし今回の政府提案をイーラム側が受け入れなければ,政治的解決とは別の解決が必要と,軍事作戦の強化を議会に示唆した。 |
DIA-305-1986-04-27-1 | スリランカ | 1986年04月27日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,警察長官にカンターレ貯水池決壊の原因となる爆発物があったかどうか,調査するよう指示した。 |
DIA-305-1986-04-28-1 | スリランカ | 1986年04月28日 | 1980年代 | スリランカの民族問題を担当するインドのP・チダンバラム国務相は,『アイランド』紙とのインタビューで,インド政府の善意を強調した。 |
DIA-305-1986-04-28-2 | スリランカ | 1986年04月28日 | 1980年代 | 中央銀行年報は85年の成長率を5%と発表した。貿易赤字は,前年の99億ルピーから140億ルピーに増加。 |
DIA-305-1986-04-28-3 | スリランカ | 1986年04月28日 | 1980年代 | オランダ在住のタミル難民が,5ヵ所の収容所で居住条件の悪さに不満を持ち,施設を破壊したため,数十名が逮捕され,別の施設に収容された。現在1200名のタミル人難民が,その将来について政府の決定を待っている。 |
DIA-305-1986-04-29-1 | スリランカ | 1986年04月29日 | 1980年代 | インド代表団が来島し,スリランカ政府関係者と民族問題について会談。 |
DIA-305-1986-04-30-1 | スリランカ | 1986年04月30日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,インド代表団のチダンバラム団長と3時間半にわたって会談し,インドにおけるスリランカ・タミル人組織の基地を閉鎖するよう求めた。 |
DIA-305-1986-05-01-1 | スリランカ | 1986年05月01日 | 1980年代 | 3日間にわたって続いていたジャフナでの分派闘争で,タミル・イーラム解放の虎(LTTE)がタミル・イーラム解放組織(TELO)に対して勝利をおさめた。PTI通信は,この戦闘で100名の死者を出したと伝え,ロイター通信は300名の死者,マドラスの解放組織では120~150名の死者と推定している。 |
DIA-305-1986-05-02-1 | スリランカ | 1986年05月02日 | 1980年代 | 西独の援助によるランタンベ開発計画(2億3000万マルク)が閣議で承認された。 |
DIA-305-1986-05-03-1 | スリランカ | 1986年05月03日 | 1980年代 | エア・ランカのモルディヴ便がコロンボ空港で爆破され,2名の日本人を含む15名が死亡し,41名が負傷した(新婚旅行の日本人4組が乗客,うち4名は無事)。 |
DIA-305-1986-05-04-1 | スリランカ | 1986年05月04日 | 1980年代 | エア・ランカ機の爆破はLTTEが行なったといわれるが,マドラスのLTTEスポークスマンは否認。 |
DIA-305-1986-05-05-1 | スリランカ | 1986年05月05日 | 1980年代 | インド・スリランカ会談の進行中に航空機爆破が行なわれた事実は,テロリストが話合いによる解決を望んでいない証拠と,アトラトムダリ国家治安相言明。 |
DIA-305-1986-05-05-2 | スリランカ | 1986年05月05日 | 1980年代 | マータレ地区の集団赤痢で17名が死亡。 |
DIA-305-1986-05-06-1 | スリランカ | 1986年05月06日 | 1980年代 | TELOの指導者S・サバラトナムがジャフナでLTTEに処刑された(『アイランド』紙)。 |
DIA-305-1986-05-07-1 | スリランカ | 1986年05月07日 | 1980年代 | コロンボの中央電報局で爆破事件が発生し,12名の死者と114名の負傷者を出した。アトラトムダリ国家治安相は,この爆破はEROSによって実行されたと語った。 |
DIA-305-1986-05-09-1 | スリランカ | 1986年05月09日 | 1980年代 | プレマダーサ首相はロンドンでサッチャー英首相と,テロリスト対策について話し合った。1億3685万ルピーの防衛支出の追加が閣議で承認された。 |
DIA-305-1986-05-10-1 | スリランカ | 1986年05月10日 | 1980年代 | エア・ランカ爆破の容疑で税関職員を含む5名のタミル人が検挙された。 |
DIA-305-1986-05-11-1 | スリランカ | 1986年05月11日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,キプロスの分断をくりかえさないため,西側諸国に武器援助を求めた。 |
DIA-305-1986-05-11-2 | スリランカ | 1986年05月11日 | 1980年代 | トリンコマリー地方裁判所長代行が,自動車で走行中に射殺された。 |
DIA-305-1986-05-15-1 | スリランカ | 1986年05月15日 | 1980年代 | テロリストによって殺された者への遺族補償を7.5万ルピーとし,その需給条件の緩和を閣議決定。 |
DIA-305-1986-05-15-2 | スリランカ | 1986年05月15日 | 1980年代 | 営農資金の融資を返済していない農民にも,再度融資を受けることができるようにするリスケジュール計画を人民銀行が作成し,閣議に提出した。 |
DIA-305-1986-05-15-3 | スリランカ | 1986年05月15日 | 1980年代 | 漁村女性の生活改善に,アジア太平洋総合農村開発センター(CIRDAP)からの資金6500ドル相当分の支出を閣議で承認。 |
DIA-305-1986-05-16-1 | スリランカ | 1986年05月16日 | 1980年代 | 6月1日から公務員の給与体系を改訂して,200ルピーから1500ルピーの幅でベースアップを実施する。 |
DIA-305-1986-05-16-2 | スリランカ | 1986年05月16日 | 1980年代 | 内閣改造によって新しく任命されたインドのシャンカル外相は,スリランカの民族問題は政治的に解決されるべきである,と強調した。 |
DIA-305-1986-05-16-3 | スリランカ | 1986年05月16日 | 1980年代 | アメリカはカンターレ貯水池の被災者に750トンの粉ミルクを寄贈した。 |
DIA-305-1986-05-17-1 | スリランカ | 1986年05月17日 | 1980年代 | タミル・イーラム解放の虎(LTTE)は,連合組織であるイーラム民族解放戦線(ENLF)の活動に過去3ヵ月間参加せず,実質的に脱退している。 |
DIA-305-1986-05-17-2 | スリランカ | 1986年05月17日 | 1980年代 | スリランカ政府は,重要な公的機関に働くタミル人を強制的に1ヵ月間休ませることにした。 |
DIA-305-1986-05-18-1 | スリランカ | 1986年05月18日 | 1980年代 | 共産党のS・ムテットワガマ議員が交通事故死。 |
DIA-305-1986-05-18-2 | スリランカ | 1986年05月18日 | 1980年代 | スリランカ産イルメナイト鉱石の輸出が3月以降停止されているので,日本の酸化チタンメーカーはマレーシアなどの他の産地からの輸入に切り替える検討を始めた。 |
DIA-305-1986-05-19-1 | スリランカ | 1986年05月19日 | 1980年代 | パンダーラナーヤカ前首相が中国訪問に出発。 |
DIA-305-1986-05-19-2 | スリランカ | 1986年05月19日 | 1980年代 | 政府軍はジャフナ半島の支配を回復するため,ゲリラ軍と戦い,空襲による援護を行なっている。LTTEは過去3日間に50名の政府軍兵士を殺した,と発表した。 |
DIA-305-1986-05-20-1 | スリランカ | 1986年05月20日 | 1980年代 | ゲリラ側の抵抗が激しいので,政府軍のジャフナ平定作戦は,一時的に停止された。 |
DIA-305-1986-05-21-1 | スリランカ | 1986年05月21日 | 1980年代 | 三井鉱山の合弁企業である東京セメントのトリンコマリー工場が爆破された。従業員に被害はなかった。 |
DIA-305-1986-05-21-2 | スリランカ | 1986年05月21日 | 1980年代 | コロンボの中心地区で陸軍兵士と地域住民とが衝突し,住民側6名,兵士1名の死者を出した。 |
DIA-305-1986-05-22-1 | スリランカ | 1986年05月22日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,最近のジャフナ平定作戦についてインド政府の誤解をとくため大使と会談。 |
DIA-305-1986-05-22-2 | スリランカ | 1986年05月22日 | 1980年代 | マハヴェリ開発計画で入植地の割当てを受ける農家の所得上限を月額750ルピーから1500ルピーに引き上げた。 |
DIA-305-1986-05-23-1 | スリランカ | 1986年05月23日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領が故ムテットワガマ共産党議員の選挙区に行き,葬儀に参列した。 |
DIA-305-1986-05-23-2 | スリランカ | 1986年05月23日 | 1980年代 | ディクシト・インド大使はジャヤワルダナ大統領を訪ね,スリランカ政府が軍事作戦を続行するなら,インドは調停役をやめると通告した。 |
DIA-305-1986-05-23-3 | スリランカ | 1986年05月23日 | 1980年代 | トリンコマリー県のシンハラ農村2ヵ所がゲリラ軍に攻撃され,20名の村民が殺された。 |
DIA-305-1986-05-24-1 | スリランカ | 1986年05月24日 | 1980年代 | コロンボのロイヤル・カレッジに爆弾を仕掛けた,という連絡があり,臨時休校になった。 |
DIA-305-1986-05-25-1 | スリランカ | 1986年05月25日 | 1980年代 | ゲリラ軍による農民殺害の現場へジャーナリストを運んだヘリコプターは,アメリカ人によって運転されていた。トリンコマリー県内では,3名のアメリカ人がスリランカ空軍に雇用されている。 |
DIA-305-1986-05-26-1 | スリランカ | 1986年05月26日 | 1980年代 | 1984年7月の就航以来,週2便あったエア・ランカの東京―コロンボ便は,乗客が55%から20%まで減少したので,週1便に変更する。 |
DIA-305-1986-05-28-1 | スリランカ | 1986年05月28日 | 1980年代 | 食糧切符は月収700万ルピー以下の世帯にのみ支給されることになり,受給人口は690万名から550万名に減少すると見込まれている。 |
DIA-305-1986-05-30-1 | スリランカ | 1986年05月30日 | 1980年代 | コロンボの大企業倉庫に爆弾が仕掛けられ,10名の労働者が爆死。 |
DIA-305-1986-05-30-2 | スリランカ | 1986年05月30日 | 1980年代 | トリンコマリーで地雷のため,21名の兵士と5名の市民が爆死した。 |
DIA-305-1986-05-31-1 | スリランカ | 1986年05月31日 | 1980年代 | バッティカロア行の列車が爆破され12名が爆死。 |
DIA-305-1986-06-01-1 | スリランカ | 1986年06月01日 | 1980年代 | ジャフナ半島で再び銃撃戦と地雷攻撃が始まり,双方に数名の死者を出した。 |
DIA-305-1986-06-01-2 | スリランカ | 1986年06月01日 | 1980年代 | インドのシャンカル外相は,スリランカへのインドの軍事的介入を全面的に否定。 |
DIA-305-1986-06-02-1 | スリランカ | 1986年06月02日 | 1980年代 | 5月末の倉庫爆破事件の容疑で,コロンボ在住のタミル人青年12名が警察に逮捕され取調べを受けた。 |
DIA-305-1986-06-03-1 | スリランカ | 1986年06月03日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,民族問題解決のための全政党会議を開催する,という人民党案に賛意を表明。 |
DIA-305-1986-06-03-2 | スリランカ | 1986年06月03日 | 1980年代 | コロンボの各地で爆弾の流言があり,学校や企業の一時休業が行なわれた。病院や裁判所でも混乱がみられた。 |
DIA-305-1986-06-04-1 | スリランカ | 1986年06月04日 | 1980年代 | 鉄橋が爆破され,ジャフナへの幹線道路が切断。キリノッチでも激戦がつづき,全日の外出禁止令布告。 |
DIA-305-1986-06-05-1 | スリランカ | 1986年06月05日 | 1980年代 | 非常事態宣言を議会の過半数で承認できるよう,政府は第10次憲法改正を立案(現在は3分の2で可決)。 |
DIA-305-1986-06-05-2 | スリランカ | 1986年06月05日 | 1980年代 | 地雷を避けるため陸軍の行動が,歩行に改められた。 |
DIA-305-1986-06-05-3 | スリランカ | 1986年06月05日 | 1980年代 | トリンコマリー県アンダンクラマ村で16名のシンハラ農民が射殺され,遺体が警察に収容された。 |
DIA-305-1986-06-05-4 | スリランカ | 1986年06月05日 | 1980年代 | 米国はスリランカへの経済援助を半減する,と蔵相が言明。 |
DIA-305-1986-06-06-1 | スリランカ | 1986年06月06日 | 1980年代 | 日本政府はカンターレ貯水池の被災者に10万ドルの緊急援助を行なう,と閣議で決定した。 |
DIA-305-1986-06-07-1 | スリランカ | 1986年06月07日 | 1980年代 | 過去3日間にコロンボで350名のタミル人が,テロリスト活動の容疑で逮捕された。 |
DIA-305-1986-06-08-1 | スリランカ | 1986年06月08日 | 1980年代 | キリノッチの戦闘激化で約1000名の住民が難民となった。50名が空襲のため死亡。 |
DIA-305-1986-06-08-2 | スリランカ | 1986年06月08日 | 1980年代 | コロンボのウェリカデ刑務所で,1900名のタミル囚人がハンスト決行中。 |
DIA-305-1986-06-08-3 | スリランカ | 1986年06月08日 | 1980年代 | トリンコマリー県でバス3台のタミル人乗客を政府軍が自警団に引渡し,密林で射殺した,とBBCが放送。 |
DIA-305-1986-06-09-1 | スリランカ | 1986年06月09日 | 1980年代 | 外貨事情の悪化により,スリランカ政府はIMFに2.4億ドルの融資を申し入れた,と大蔵省筋があかす。 |
DIA-305-1986-06-09-2 | スリランカ | 1986年06月09日 | 1980年代 | 共産党は空席となったカラワナ選挙区選出議員に,D・E・W・グナセーケラ党国際部長を任命した。 |
DIA-305-1986-06-10-1 | スリランカ | 1986年06月10日 | 1980年代 | キリノッチの外出禁止令が解除された。 |
DIA-305-1986-06-10-2 | スリランカ | 1986年06月10日 | 1980年代 | ガンディー首相の親書をもつてインド大使が大統領に会見。 |
DIA-305-1986-06-11-1 | スリランカ | 1986年06月11日 | 1980年代 | トリンコマリー市内で2台のバスが相ついで爆破され,22名の乗客が死亡し,70名が負傷した。 |
DIA-305-1986-06-12-1 | スリランカ | 1986年06月12日 | 1980年代 | コロンボの映画館が爆破され,観客1名が死亡し,約30名が負傷した。 |
DIA-305-1986-06-12-2 | スリランカ | 1986年06月12日 | 1980年代 | マドラスのEPRLFは,ヴェルヴェトゥライでスリランカ空軍がナパーム弾を使用したと発表。 |
DIA-305-1986-06-12-3 | スリランカ | 1986年06月12日 | 1980年代 | ジャフナ半島での漁業禁止令が布告さる。 |
DIA-305-1986-06-13-1 | スリランカ | 1986年06月13日 | 1980年代 | マンナール県で3台のバンに分乗したタミル人26名が,テロリストの疑いで政府軍のヘリコプターから射殺された。 |
DIA-305-1986-06-13-2 | スリランカ | 1986年06月13日 | 1980年代 | トリンコマリーの南30キロの小村で19名のタミル人と2名のムスリムが兵士に射殺された。 |
DIA-305-1986-06-13-3 | スリランカ | 1986年06月13日 | 1980年代 | 大統領が6月25日に開催する全政党会議への招請状を発送。 |
DIA-305-1986-06-14-1 | スリランカ | 1986年06月14日 | 1980年代 | キリノッチとトリンコマリーでゲリラ戦が再開され,外出禁止令が両地区に布告された。 |
DIA-305-1986-06-16-1 | スリランカ | 1986年06月16日 | 1980年代 | 農業省はシャンバランドゥワに大規模な製糖工場を建設する計画を発表した。 |
DIA-305-1986-06-16-2 | スリランカ | 1986年06月16日 | 1980年代 | オーストラリア政府はカンターレ貯水池被災者に5万ドルの緊急援助を行なう。 |
DIA-305-1986-06-17-1 | スリランカ | 1986年06月17日 | 1980年代 | スリランカはキューバと経済協力協定を締結。 |
DIA-305-1986-06-17-2 | スリランカ | 1986年06月17日 | 1980年代 | スリランカ大使がニューデリーに帰任し,新提案をインドの関係者に説明(ガンディー首相とは18日に会談)。この提案では,州自治に分権化される分野を拡大した。 |
DIA-305-1986-06-18-1 | スリランカ | 1986年06月18日 | 1980年代 | 人民党の内部対立が表面化し,V・W・クララトナ副委員長の辞任表明書簡が公表され,これに対しインド大使が反論を発表して釈明。 |
DIA-305-1986-06-18-2 | スリランカ | 1986年06月18日 | 1980年代 | 920万ルピーの紙幣偽造事件で,日本に派遣されていた捜査員が帰国し真相究明。 |
DIA-305-1986-06-19-1 | スリランカ | 1986年06月19日 | 1980年代 | パリのスリランカ援助国会議が開催され,民族問題についての批判が行なわれた。 |
DIA-305-1986-06-20-1 | スリランカ | 1986年06月20日 | 1980年代 | 西側の援助総額は予想以上に多く,7億USドルが約束された,とデ・メル蔵相が発表。昨年の4.8億ドルよりも45.8%増で,日本の1.56億ドルが最高額である。 |
DIA-305-1986-06-20-2 | スリランカ | 1986年06月20日 | 1980年代 | A・アジズ民主労働会議委員長は,自由党に全党会議に参加すべきであると呼びかけた。また,人民党クマラトゥンガ書記長の南インド訪問に賛意を表明した。 |
DIA-305-1986-06-21-1 | スリランカ | 1986年06月21日 | 1980年代 | 人民党書記長はマドラスで,タミル・ナード州政府の関係者およびイーラム独立運動の諸党派との話合いを始めた。 |
DIA-305-1986-06-21-2 | スリランカ | 1986年06月21日 | 1980年代 | アトラトムダリ国家治安相が米国へ出発。 |
DIA-305-1986-06-21-3 | スリランカ | 1986年06月21日 | 1980年代 | 自由党は25日の全政党会議に参加せず,その前に大統領と会談する,との声明を発表した。 |
DIA-305-1986-06-22-1 | スリランカ | 1986年06月22日 | 1980年代 | タミル統一解放戦線(TULF)は,2日間にわたる政治局会議(マドラスで開催)の後,25日の全政党会議に欠席することを決定し,大統領に通告した。タミル民族への弾圧強化が参加を不可能にした,と主張。 |
DIA-305-1986-06-22-2 | スリランカ | 1986年06月22日 | 1980年代 | 人民統一戦線(MEP)も不参加を決めて通知した。 |
DIA-305-1986-06-23-1 | スリランカ | 1986年06月23日 | 1980年代 | T・B・イランガラトナ人民党委員長が,クマラトゥンガ書記長の独断専行に反対して辞任を発表する。 |
DIA-305-1986-06-24-1 | スリランカ | 1986年06月24日 | 1980年代 | インドのシャンカル外相は英国のハウ外相を訪ね,イギリスの警備会社がスリランカで果たしている役割について憂慮を伝えた。英国政府はこの会社(KMS)の活動に全く関与していない,と答えた。 |
DIA-305-1986-06-24-2 | スリランカ | 1986年06月24日 | 1980年代 | 月末に予定されていた大統領のソ連訪問は,ゴルバチョフ書記長の都合により延期された。 |
DIA-305-1986-06-25-1 | スリランカ | 1986年06月25日 | 1980年代 | 全政党会議で,州議会の設立,州首相とその閣僚の選出,行政の分権化などを含む政府案が提示された。 |
DIA-305-1986-06-25-2 | スリランカ | 1986年06月25日 | 1980年代 | 自由党のバンダーラナーヤカ前首相は,個別に大統領と会い,提案書を受領した。 |
DIA-305-1986-06-25-3 | スリランカ | 1986年06月25日 | 1980年代 | 会議の直前に北部と東部で三つの地雷が爆発し,計16名が死亡し57名が負傷。 |
DIA-305-1986-06-28-1 | スリランカ | 1986年06月28日 | 1980年代 | 韓国大使館の運転手に,テロリストを援助した理由で国外退去令を執行し,空港でKCIAに引渡した。 |
DIA-305-1986-06-28-2 | スリランカ | 1986年06月28日 | 1980年代 | アジア開発銀行がワラワェ開発に11万500ドルを融資。 |
DIA-305-1986-07-01-1 | スリランカ | 1986年07月01日 | 1980年代 | 世界銀行はキャーガッラ県の総合農村開発計画に4090万ルピーの融資を行なう。金利は8.23%である。 |
DIA-305-1986-07-02-1 | スリランカ | 1986年07月02日 | 1980年代 | フランス政府が,灌漑事業に7000万フランの融資。 |
DIA-305-1986-07-02-2 | スリランカ | 1986年07月02日 | 1980年代 | 米国が,水利管理に1170万ドルの借款と690万ドル贈与。 |
DIA-305-1986-07-02-3 | スリランカ | 1986年07月02日 | 1980年代 | ADBが漁業開発計画に3億2500万ルピーの借款を供与。 |
DIA-305-1986-07-03-1 | スリランカ | 1986年07月03日 | 1980年代 | 米大使は全政党会議の提案が交渉の基礎と談。 |
DIA-305-1986-07-04-1 | スリランカ | 1986年07月04日 | 1980年代 | USAIDはサルボーダヤ運動に1750万ルピーの増与を行ない,ボランティアの養成を援助する。 |
DIA-305-1986-07-05-1 | スリランカ | 1986年07月05日 | 1980年代 | コロソボ地方裁判所で,日本から押収した偽造紙幣などの証拠物件が採用され鑑定をうけることに決定。 |
DIA-305-1986-07-05-2 | スリランカ | 1986年07月05日 | 1980年代 | 新平等社会党(NSSP)のV・ナーナヤッカラ委員長は,基本政策の違いを越えて政府の分権化支持を表明。 |
DIA-305-1986-07-05-3 | スリランカ | 1986年07月05日 | 1980年代 | エア・ランカは日本の代理店に要求していた損害賠償を認められ,3700万ルピーの支払いを受けることになった。 |
DIA-305-1986-07-06-1 | スリランカ | 1986年07月06日 | 1980年代 | 大統領は個々の政党との個別的話合い開始,民族問題解決への協力を求める。 |
DIA-305-1986-07-06-2 | スリランカ | 1986年07月06日 | 1980年代 | 中央銀行のラサプトラ総裁が再任された(任期は6年間)。 |
DIA-305-1986-07-06-3 | スリランカ | 1986年07月06日 | 1980年代 | ヴィクトリア・ダムの水力発電は,完成後1年で12億万ルピー相当の電力を供給した。これは総費用80億ルピーの7分の1に相当する,とマハヴェリ開発相が発表した。 |
DIA-305-1986-07-08-1 | スリランカ | 1986年07月08日 | 1980年代 | トリソコマリーでゲリラ戦により15名死亡。外出禁止令が布告される。武力衝突の比重が東部州へ移動。 |
DIA-305-1986-07-10-1 | スリランカ | 1986年07月10日 | 1980年代 | サウジアラビアとの航空協定を閣議承認。 |
DIA-305-1986-07-11-1 | スリランカ | 1986年07月11日 | 1980年代 | A・アミルタリンガム書記長を団長とするTULF代表団がマドラスから帰島し,インド大使と会談。 |
DIA-305-1986-07-12-1 | スリランカ | 1986年07月12日 | 1980年代 | 開発関係省次官会議が,公務員の所得上限5200ルピーを私的部門の給与水準まで引上げるよう勧告した。 |
DIA-305-1986-07-13-1 | スリランカ | 1986年07月13日 | 1980年代 | TULF代表団と大統領との会談に反対して,イーラム独立運動のLTTE,PLOTE,EROSおよびTELOの各党派がジャフナでデモ行進を行なう。 |
DIA-305-1986-07-15-1 | スリランカ | 1986年07月15日 | 1980年代 | 日本政府は,総額170億円の借款を供与する交換公文を締結した。145億円がサマナラウェワ水力発電所建設に,25億円が商品借款に充当される(金利3.25%)。 |
DIA-305-1986-07-15-2 | スリランカ | 1986年07月15日 | 1980年代 | 全政党会議が再開される。SLFPとMEPがボイコット。タミル会議派以外の参加政党は州議会制を受入れる。 |
DIA-305-1986-07-15-3 | スリランカ | 1986年07月15日 | 1980年代 | TULFは大統領との個別会談をつづける。 |
DIA-305-1986-07-16-1 | スリランカ | 1986年07月16日 | 1980年代 | 過去3日間に92名のタミル人が政府軍に殺された,とUNI通信が報道。アダンバン村では250名の村民が行方不明になっている。 |
DIA-305-1986-07-16-2 | スリランカ | 1986年07月16日 | 1980年代 | ジャフナ市では半島に出入りする車輌は,陸軍の許可証を必要とする,という布告に反対して,商店の休業を含むハルタルが決行された。 |
DIA-305-1986-07-16-3 | スリランカ | 1986年07月16日 | 1980年代 | 自由党のバンダーラナーヤカ前首相は新提案がCWCにのみ有利であると反対し,選挙の実施を求めた。 |
DIA-305-1986-07-18-1 | スリランカ | 1986年07月18日 | 1980年代 | 23名の政府軍兵士を含む45名が東部州と北部州の軍事衝突により死亡した。 |
DIA-305-1986-07-18-2 | スリランカ | 1986年07月18日 | 1980年代 | 1982年に提出された与党議員の辞表が,党本部から各議員に返送された。 |
DIA-305-1986-07-18-3 | スリランカ | 1986年07月18日 | 1980年代 | ジャフナ農民は南部の市場を失い,年に10億ルピーの損失。 |
DIA-305-1986-07-19-1 | スリランカ | 1986年07月19日 | 1980年代 | ポロンナルワ県のニケ村でシンハラ農民13名が20名のタミル人テロリストに殺害された,と政府が発表。 |
DIA-305-1986-07-22-1 | スリランカ | 1986年07月22日 | 1980年代 | ヴァヴニヤ県の公営バスが爆破され,31名の乗客が死亡し,22名が負傷した。 |
DIA-305-1986-07-22-2 | スリランカ | 1986年07月22日 | 1980年代 | TULFと大統領との話合い終了。双方は合意できなかったが,和解への前進がみられたという積極的な評価をしている。 |
DIA-305-1986-07-22-3 | スリランカ | 1986年07月22日 | 1980年代 | TULF代表団と自由党のバソダーラナーヤカ前首相とが90分にわたって意見を交換した。 |
DIA-305-1986-07-23-1 | スリランカ | 1986年07月23日 | 1980年代 | 自警団員がテロリストに殺された場合の遺族補償金を10万ルピー,負傷の程度による補償額も決定。 |
DIA-305-1986-07-23-2 | スリランカ | 1986年07月23日 | 1980年代 | ピドゥルタラーガラ(スリランカ最高峰)へロープウェーを敷設する日本企業の提案を閣議で原則的に承認した。 |
DIA-305-1986-07-23-3 | スリランカ | 1986年07月23日 | 1980年代 | オーストラリア政府との間で二重課税防止条約を締結することを閣議承認。 |
DIA-305-1986-07-24-1 | スリランカ | 1986年07月24日 | 1980年代 | パングラデシュのエルシャド大統領が来島し,ジャヤワルダナ大統領と南アジア地域の協力関係(とくにSAARCの活動)について協議した。 |
DIA-305-1986-07-24-2 | スリランカ | 1986年07月24日 | 1980年代 | ヴァヴニヤへの列車運行は当分の間停止され,アヌラーダプラまで。 |
DIA-305-1986-07-24-3 | スリランカ | 1986年07月24日 | 1980年代 | 人民党のクマラトゥンガ書記長に,マドラスのイーラム独立運動諸党派との接触を続けるよう大統領が要請。 |
DIA-305-1986-07-25-1 | スリランカ | 1986年07月25日 | 1980年代 | PLOTEの指導者であったU・マヘシュワーラソが,党内で活動停止処分を受けている,とランカプワトが報道する。 |
DIA-305-1986-07-25-2 | スリランカ | 1986年07月25日 | 1980年代 | 1000名の婦人警官採用試験に,全島から1万5000名の応募者がコロンボに集まった。 |
DIA-305-1986-07-25-3 | スリランカ | 1986年07月25日 | 1980年代 | エア・ランカは爆破で失ったトライスター機のリース利用を検討している(4社からの申し出を受けている)。 |
DIA-305-1986-07-26-1 | スリランカ | 1986年07月26日 | 1980年代 | バングラデシュと二重課税防止条約を締結した。 |
DIA-305-1986-07-26-2 | スリランカ | 1986年07月26日 | 1980年代 | エルシャド大統領はジャヤワルダナ大統領とテロリスト対策を協議した後,カトナーヤカ空港より帰国。 |
DIA-305-1986-07-27-1 | スリランカ | 1986年07月27日 | 1980年代 | USAIDはペラデニヤ大学農学部の大学院に水管理研究費として11万2351ドルを贈与する。 |
DIA-305-1986-07-27-2 | スリランカ | 1986年07月27日 | 1980年代 | エア・ランカの赤字経営が,政府の財政負担になっているので,経営改善のため大統領による調査委員会が任命された。 |
DIA-305-1986-07-28-1 | スリランカ | 1986年07月28日 | 1980年代 | ボストン訪問中のプレマダーサ首相に,イーラム・タミル協会のティライアンパラム会長が面会し,州議会制の政府提案に賛意を表明した。 |
DIA-305-1986-07-29-1 | スリランカ | 1986年07月29日 | 1980年代 | スリランカ政府情報筋は,シンハラ市民への攻撃をめぐって,LTTEとENLFが対立した,と報告。 |
DIA-305-1986-07-30-1 | スリランカ | 1986年07月30日 | 1980年代 | 人事院のシンハラ語タイピスト試験に合格した224名のうち,124名が1年後の今日も失業中である。 |
DIA-305-1986-07-30-2 | スリランカ | 1986年07月30日 | 1980年代 | 250万ルピーの世界銀行融資で5年間(1981~86年)に5000エーカーの植林を森林局が達成した。 |
DIA-305-1986-08-01-1 | スリランカ | 1986年08月01日 | 1980年代 | 統計局発表の食糧バランス・シートによると,1986年の1人1日当り摂取カロリーは2517㌍であり,他のLDCの平均水準より高い。 |
DIA-305-1986-08-01-2 | スリランカ | 1986年08月01日 | 1980年代 | 中央銀行のエコノミストは,貨幣流通量が増勢にあるため,今年はインフレーション激化の恐れがあるとみている。 |
DIA-305-1986-08-01-3 | スリランカ | 1986年08月01日 | 1980年代 | プレマダーサ首相が,ボストンのMITで居住問題について講演。 |
DIA-305-1986-08-02-1 | スリランカ | 1986年08月02日 | 1980年代 | ダヤス工業次官は,公的部門の製造業の生産が向上し,3億ルピーの利潤を上げた(10公社)と発表。 |
DIA-305-1986-08-03-1 | スリランカ | 1986年08月03日 | 1980年代 | ニア・ランカ調査委員会発足(委員長はノリタケの合弁企業ランカ・ポルセリン社のV・R・ペレーラ会長)。 |
DIA-305-1986-08-03-2 | スリランカ | 1986年08月03日 | 1980年代 | ポルガハワニラ選出のS・R・ジャヤコディ議員(統一国民党)に,恐喝の有罪判決がコロンボ地裁で確定。 |
DIA-305-1986-08-04-1 | スリランカ | 1986年08月04日 | 1980年代 | 世界銀行の調査団が財政制度や会計制度の欠陥を指摘する報告書を提出し,改善方法を勧告した。 |
DIA-305-1986-08-05-1 | スリランカ | 1986年08月05日 | 1980年代 | 訪日中のプレマダーサ首相に阿含宗が,住宅建設プロジェクトに300万円を寄付した(京都にて)。 |
DIA-305-1986-08-06-1 | スリランカ | 1986年08月06日 | 1980年代 | プレマダーサ首相が中曽根首相を非公式訪問。 |
DIA-305-1986-08-06-2 | スリランカ | 1986年08月06日 | 1980年代 | PLOTEのU・マヘシワーランは,党内分派のイシワーランやラージャンたちへの反論を報道機関に送付した。 |
DIA-305-1986-08-07-1 | スリランカ | 1986年08月07日 | 1980年代 | 農業計画の向上にUSAIDの贈与(470万ドル)と借款(190万ドル)の受入れを閣議で承認した。 |
DIA-305-1986-08-07-2 | スリランカ | 1986年08月07日 | 1980年代 | 高等教育省のカルパゲ次官を中心とするグループのまとめた専門職の海外流出報告書が大蔵省に提出された。それによると,大学教員253名,政府医師289名,中央ニンジニヤリング・コンサルタンシィ公社263名,セイロン電力庁207名などが,その主要な出自である。 |
DIA-305-1986-08-07-3 | スリランカ | 1986年08月07日 | 1980年代 | 1982年にアリタリヤ機をハイジャックしたセーパラ・ニーカナーヤカに対する控訴審の判決は,懲役5年に減刑された。 |
DIA-305-1986-08-09-1 | スリランカ | 1986年08月09日 | 1980年代 | 人民党のクマラトゥンガ宅で手榴弾みつかる。 |
DIA-305-1986-08-10-1 | スリランカ | 1986年08月10日 | 1980年代 | 北部州にLTTEの武器工場があり,インドから運ぶ必要が少なくなっている。 |
DIA-305-1986-08-10-2 | スリランカ | 1986年08月10日 | 1980年代 | 東海岸のカルムナイでタミル人とムスリムの対立が暴動に転化(3名死亡)。 |
DIA-305-1986-08-11-1 | スリランカ | 1986年08月11日 | 1980年代 | カナダのニューファウンドランド島沖で,スリランカ・タミル人の難民152名が救助される。 |
DIA-305-1986-08-12-1 | スリランカ | 1986年08月12日 | 1980年代 | デ・メル蔵相が公的部門の浪費と放慢経営を指摘する(特にセメント公社と窯業公社)。 |
DIA-305-1986-08-13-1 | スリランカ | 1986年08月13日 | 1980年代 | 行方不明になったり,捕虜になった兵士や警官の家族に,賃金を支払い続けることを閣議で決定した。 |
DIA-305-1986-08-14-1 | スリランカ | 1986年08月14日 | 1980年代 | 農業開発公社のR・ヴジェラトナ会長は,タマネギとトウガラシの輸入禁止を政府に対して要望した。 |
DIA-305-1986-08-15-1 | スリランカ | 1986年08月15日 | 1980年代 | カナダに漂着したタミル難民152名は,西ドイツのハンブルグから出国したことが判明する。 |
DIA-305-1986-08-16-1 | スリランカ | 1986年08月16日 | 1980年代 | パンダーラナーヤカ前首相は,かつての統一戦線に加わっていたLSSP,CPなどの左翼政党が大統領案を支持していることを批判し,国の統一を守ると主張。 |
DIA-305-1986-08-18-1 | スリランカ | 1986年08月18日 | 1980年代 | イーラム独立運動の5党派がニューデリーでインド外相と会談し,大統領案について意見を交換する。 |
DIA-305-1986-08-18-2 | スリランカ | 1986年08月18日 | 1980年代 | ヤーラ国立公園のタルガスマンカデー宿舎が爆破されたが,イーラム運動とは関係なく,不法な経済的利権をめぐる争いの結果とみられ,調査が行なわれている。 |
DIA-305-1986-08-19-1 | スリランカ | 1986年08月19日 | 1980年代 | ニューデリーから戻ったTULF代表団とアトラトムダリ国家治安相との会談がはじまる。 |
DIA-305-1986-08-19-2 | スリランカ | 1986年08月19日 | 1980年代 | アスギリヤとマルワッタのマハナーヤカが中国に招かれる。 |
DIA-305-1986-08-20-1 | スリランカ | 1986年08月20日 | 1980年代 | インド外相はイーラム運動の武装組織に,TULFとスリランカ政府との話合いが続行している間,武力行動を抑制するよう伝えた。 |
DIA-305-1986-08-22-1 | スリランカ | 1986年08月22日 | 1980年代 | 内戦にまきこまれた者に対する補償のあり方については,防衛,人事行政および国家治安省の3次官の協議で決める案を閣議で承認した。 |
DIA-305-1986-08-22-2 | スリランカ | 1986年08月22日 | 1980年代 | キリンディ・オヤ灌漑・入植事業の継続が閣議で認められ,アジア開発銀行に資金要請をする。 |
DIA-305-1986-08-22-3 | スリランカ | 1986年08月22日 | 1980年代 | 失業中の青年で社会事業のディプロマ・コースを学ぼうとする学生に,月額400ルピーの奨学金を支給する(家計の所得700ルピー以下の者)。 |
DIA-305-1986-08-23-1 | スリランカ | 1986年08月23日 | 1980年代 | ガンパハ県の総合農村開発調査団が現地調査。 |
DIA-305-1986-08-23-2 | スリランカ | 1986年08月23日 | 1980年代 | 日本の合弁事業で輸出用みかげ石を生産する工場建設が大コロンボ経済委員会に認可された。700万ルピーの投資で3年後には2500トンのみかげ石を日本に輸出し,50名の従業員で5600万ルピー相当の外貨を獲得する予定。 |
DIA-305-1986-08-23-3 | スリランカ | 1986年08月23日 | 1980年代 | TULFは各州に高等裁判所を置くよう要求した。 |
DIA-305-1986-08-24-1 | スリランカ | 1986年08月24日 | 1980年代 | イーラム独立を進めるタミル人の武装組織が,TULFに対抗して自分たちの政党を考慮中(インド各紙)。 |
DIA-305-1986-08-26-1 | スリランカ | 1986年08月26日 | 1980年代 | TULFとジャヤワルダナ大統領との会議が続けられる一方,東部州と北部州での武力衡突も続いている(規模は縮小)。 |
DIA-305-1986-08-27-1 | スリランカ | 1986年08月27日 | 1980年代 | バンダーラナーヤカ前首相が大統領とのテレビ討論を要求したが,アルヴィス国務相が代役を申し出る。 |
DIA-305-1986-08-27-2 | スリランカ | 1986年08月27日 | 1980年代 | 東部のムスリム団体の指導者(国会議員を含む)が集まり,和平案を検討した結果,ムスリムの自治州を要求することに決め,大統領に要望書を送る。 |
DIA-305-1986-08-28-1 | スリランカ | 1986年08月28日 | 1980年代 | 海運公社が50箇のコンテナーをポーランドから輸入し・相当する額の紅茶を輸出するカウンター貿易案を閣議承認。 |
DIA-305-1986-08-28-2 | スリランカ | 1986年08月28日 | 1980年代 | 野象コントロールの本部をマドゥル・オヤ自然公園に置き,被害を防ぐとともに保護も行なう。 |
DIA-305-1986-08-29-1 | スリランカ | 1986年08月29日 | 1980年代 | プレマダーサ首相が非同盟国首脳会議へ出発。 |
DIA-305-1986-08-29-2 | スリランカ | 1986年08月29日 | 1980年代 | TULFとスリランカ政府の第二次協議は,妥結に達することなく終った。今後も協議することに合意した。 |
DIA-305-1986-08-30-1 | スリランカ | 1986年08月30日 | 1980年代 | TULFはマドラスに向かい,他党派と話合う。 |
DIA-305-1986-09-01-1 | スリランカ | 1986年09月01日 | 1980年代 | コロンボ消費者生計費指数は611で,1年前の547.5より11.6%上昇し,インフレの騰勢が強まっていることを示している。 |
DIA-305-1986-09-01-2 | スリランカ | 1986年09月01日 | 1980年代 | EPRLFは,パンフレットを配布し,9月から北部州と東部州の郵便物には,タミル・イーラム切手を使用するよう呼びかけている。 |
DIA-305-1986-09-02-1 | スリランカ | 1986年09月02日 | 1980年代 | TULF代表団は,スリランカ政府との合意点が,法と秩序,司法制度および財政上の分権化であり,対立点は入植事業,北部と東部との単一州議会,漁港管理などである,とマドラスでUNI社に語った。 |
DIA-305-1986-09-02-2 | スリランカ | 1986年09月02日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は英語の雄弁家であるが,シンハラ語はあまり得意でなく,バンダーラナーヤカ前首相とのテレビ論争を避けようとしている,とアイランド紙論評。 |
DIA-305-1986-09-03-1 | スリランカ | 1986年09月03日 | 1980年代 | マンナールで鉄橋がLTTEによって爆破さる。 |
DIA-305-1986-09-03-2 | スリランカ | 1986年09月03日 | 1980年代 | まだ公用語を習得していない軍人が90名いる。状況が深刻なので,習得期限をさらに1年延長すると閣議決定。 |
DIA-305-1986-09-03-3 | スリランカ | 1986年09月03日 | 1980年代 | 銀行法案が原則的に閣議で承認されて議会に上程。 |
DIA-305-1986-09-03-4 | スリランカ | 1986年09月03日 | 1980年代 | マハラガマの国立青年センター建設を大成建設受注。 |
DIA-305-1986-09-04-1 | スリランカ | 1986年09月04日 | 1980年代 | スリランカの駐カナダ大使が,陸軍時代にタミル人を拷問にかけたと非難される。 |
DIA-305-1986-09-04-2 | スリランカ | 1986年09月04日 | 1980年代 | 500万ルピーを超える発注は,大統領の任命する審査会を経る制度を採用。 |
DIA-305-1986-09-05-1 | スリランカ | 1986年09月05日 | 1980年代 | 赤痢がチラウに蔓延し学校閉鎖になる。 |
DIA-305-1986-09-05-2 | スリランカ | 1986年09月05日 | 1980年代 | 人民党の政治集会で爆弾事件が続いているが,死者はない。 |
DIA-305-1986-09-06-1 | スリランカ | 1986年09月06日 | 1980年代 | ガンディー首相はハラレで記者会見し,プレマダーサ首相が親書を公開したのに対抗して・ジャヤワルダナ大統領の交渉態度を批判した。TULFとの第2次協議では,強硬派の参加により第1次協議で合意した項目まで撤回された,と交渉の裏話を曝露した。 |
DIA-305-1986-09-07-1 | スリランカ | 1986年09月07日 | 1980年代 | 1983年8月まで西独駐在のスリランカ大使だったR・ナーガナーダンが,イーラム独立運動に合流してニューデリーのイーラム代表団長をつとめている。 |
DIA-305-1986-09-08-1 | スリランカ | 1986年09月08日 | 1980年代 | 世界銀行はスリランカの公務員が過剰雇用になっているので,5年間で36.7万名を29.7万名まで削減すべきであると勧告した(人件費の節約は5億ルピー)。 |
DIA-305-1986-09-10-1 | スリランカ | 1986年09月10日 | 1980年代 | 石油公団は本部をスリジャヤワルダナプラに移すため,3階建のビルを建設する。 |
DIA-305-1986-09-10-2 | スリランカ | 1986年09月10日 | 1980年代 | 国家治安省内にメディア・センターが設立され,治安情報を集中管理する。 |
DIA-305-1986-09-11-1 | スリランカ | 1986年09月11日 | 1980年代 | キューバ政府はカンターレ貯水池の被災者に,150トンの砂糖と50トンの粉ミルクを寄贈した。 |
DIA-305-1986-09-11-2 | スリランカ | 1986年09月11日 | 1980年代 | 北部と東部の公務員に月額500ルピーの危険手当支給を決定。モルディヴとの間に無査証協定を結び,内国人待遇化。 |
DIA-305-1986-09-11-3 | スリランカ | 1986年09月11日 | 1980年代 | アムネスティ・インターナショナルの報告が発表され,スリランカで272名が行方不明になったと強調。 |
DIA-305-1986-09-13-1 | スリランカ | 1986年09月13日 | 1980年代 | フリー・トレード・ゾーンの製造業の最低賃金を引上げる決定がなされた(月額5000円程度の賃金水準)。 |
DIA-305-1986-09-13-2 | スリランカ | 1986年09月13日 | 1980年代 | 大統領の80歳誕生記念で学童に1.5万着の服地を支給。 |
DIA-305-1986-09-15-1 | スリランカ | 1986年09月15日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,TULFとの間に90%の合意が成立した,と述べる。 |
DIA-305-1986-09-15-2 | スリランカ | 1986年09月15日 | 1980年代 | もし拘留中のタミル人5500名を釈放しなければ,スリランカ大統領を処刑するとイーラム革命的共産主義者党がマドラスで発表。 |
DIA-305-1986-09-16-1 | スリランカ | 1986年09月16日 | 1980年代 | バッティカロアで政府軍とイーラム武装勢力との対決がつづいている。 |
DIA-305-1986-09-17-1 | スリランカ | 1986年09月17日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領の誕生日を記念して,人民解放戦線(JVP)のL・ボーパーゲをはじめ500名が恩赦を受けた。 |
DIA-305-1986-09-18-1 | スリランカ | 1986年09月18日 | 1980年代 | バッティカロアで自動車が爆破され10名の兵士と5名の市民が死亡した。そのあと治安部隊が47名を射殺した。150名の青年が検挙された。 |
DIA-305-1986-09-19-1 | スリランカ | 1986年09月19日 | 1980年代 | バッティカロア市民委員会は,警察が無差別に市民を射殺し,商店に放火をした,と述べた。 |
DIA-305-1986-09-20-1 | スリランカ | 1986年09月20日 | 1980年代 | LTTEが1000ルピーと500ルピーのニセ札を準備しているので,政府はその対策にフランスの専門家の援助を要請している。 |
DIA-305-1986-09-20-2 | スリランカ | 1986年09月20日 | 1980年代 | バッティカロアでは17時間の外出禁止令が布告された。1万5000エーカーの水田は収穫期に入っているが,戦闘がつづいているので,農作業に出る者が少ない,と市民委員会では平和回復を切望。 |
DIA-305-1986-09-22-1 | スリランカ | 1986年09月22日 | 1980年代 | 政府軍はゲリラ掃射作戦で16名のイーラム独立運動派を射殺した。バッティカロアの商店は休業中。 |
DIA-305-1986-09-23-1 | スリランカ | 1986年09月23日 | 1980年代 | 州議会制反対のデモを国家治安省が禁止決定。 |
DIA-305-1986-09-24-1 | スリランカ | 1986年09月24日 | 1980年代 | 漁業省はフランス・アクアカルチャー社にエビ養殖池の設立を「ターン・キー」方式で発注する。このプロジェクトに要する資金はアジア開発銀行が融資する。 |
DIA-305-1986-09-25-1 | スリランカ | 1986年09月25日 | 1980年代 | 8名の専門家で構成する委員会が,電信電話事業の私企業化を検討し,外国資本の導入を調査している。 |
DIA-305-1986-09-25-2 | スリランカ | 1986年09月25日 | 1980年代 | イーラム運動の切手を用いた手紙を,コロンボに集めて焼却処分にしている。 |
DIA-305-1986-09-25-3 | スリランカ | 1986年09月25日 | 1980年代 | ユーゴスラビアは,50戸の住宅建設を援助する。 |
DIA-305-1986-09-25-4 | スリランカ | 1986年09月25日 | 1980年代 | ガリガムワの人民銀行強奪事件(9月23日で,警察署の幹部が義務を履行しなかったという理由で停職処分になった。 |
DIA-305-1986-09-26-1 | スリランカ | 1986年09月26日 | 1980年代 | ジャフナ半島の7ヵ所で建設されていた燃料庫を,政府軍が破壊して,イーラム側の戦力低下をはかる。 |
DIA-305-1986-09-26-2 | スリランカ | 1986年09月26日 | 1980年代 | サルポーダや運動の北部での指導者であるK・ガディラマライ支部長が射殺された(EROSが実行)。 |
DIA-305-1986-09-26-3 | スリランカ | 1986年09月26日 | 1980年代 | トリンコマリーでドイツ人のラジオ技師が射殺された(LTTEが実行)。 |
DIA-305-1986-09-26-4 | スリランカ | 1986年09月26日 | 1980年代 | 米下院外交委員会で,J・リレー国務次官補は「スリランカが攻撃されても,米軍は介入しない」と答えた。 |
DIA-305-1986-09-28-1 | スリランカ | 1986年09月28日 | 1980年代 | アジア開発銀行は肥料購入用のソフト・ローン2900万ドルを供与する(22.3万トン分)。 |
DIA-305-1986-09-30-1 | スリランカ | 1986年09月30日 | 1980年代 | 日本・スリランカ文化友好協会の本部事務所が日本大使館近くに設置され,大統領を迎えて開設式。 |
DIA-305-1986-10-01-1 | スリランカ | 1986年10月01日 | 1980年代 | 電力庁は第2世銀(IDA)の借款14.56億ルピーと英国政府の贈与3.7億ルピーとを資金にして,送電システムと電圧安定化の改善事業を行なう。 |
DIA-305-1986-10-01-2 | スリランカ | 1986年10月01日 | 1980年代 | 貿易省では互恵貿易(reciprocal trade)のガイドラインを作成する。 |
DIA-305-1986-10-01-3 | スリランカ | 1986年10月01日 | 1980年代 | 千葉市に子象を贈り,そのお礼にもらう2.2万ドルを日本・スリランカ友好関係に活用する,と閣議決定。 |
DIA-305-1986-10-02-1 | スリランカ | 1986年10月02日 | 1980年代 | イーラム独立運動内部の分派闘争や連合関係が再編されつつあり,最強のLTTEはTEA,EROSと連合し,EPRLFとPLOTEとが連合し,TELOは組織の再建に努めているのが最新の情勢とHindu紙。 |
DIA-305-1986-10-03-1 | スリランカ | 1986年10月03日 | 1980年代 | モラワエワで地雷が爆発し,郡長,郵便局長など4名が死亡。 |
DIA-305-1986-10-03-2 | スリランカ | 1986年10月03日 | 1980年代 | サルボーダヤ運動のカディラマライ支部長を射殺したEROSのメンバーが自殺する。 |
DIA-305-1986-10-04-1 | スリランカ | 1986年10月04日 | 1980年代 | 政府はアムネスティ・インターナショナルの報告書に反発し,個々のケースについてどちらが正しいか,法廷で黒白をつけるよう呼びかけた。 |
DIA-305-1986-10-05-1 | スリランカ | 1986年10月05日 | 1980年代 | トリンコマリー県のサンバルティヴ地区で10名のゲリラ活動家が殺され,8名が逮捕された。 |
DIA-305-1986-10-05-2 | スリランカ | 1986年10月05日 | 1980年代 | イーラム人民情報センターは,マドラス警察の処遇に抗議して活動を1ヵ月停止すると発表。EPICとEPRLFは麻薬の取引きを資金源にしていると疑われたのに反発。 |
DIA-305-1986-10-06-1 | スリランカ | 1986年10月06日 | 1980年代 | スリランカ政府とTULFの第3次協議は10月16日からニューデリーで行なわれる予定。 |
DIA-305-1986-10-06-2 | スリランカ | 1986年10月06日 | 1980年代 | 東部州のタミル人口は41%にすぎないので,TULFはタミル人が多数派の地区だけを北部州に編入するよう提案。スリランカ政府でも州の変更を検討中。 |
DIA-305-1986-10-08-1 | スリランカ | 1986年10月08日 | 1980年代 | LTTEは1987年1月より「イーラム国通貨」を発行すると予告した。また地元紙に交通警官の募集広告を掲載した。 |
DIA-305-1986-10-08-2 | スリランカ | 1986年10月08日 | 1980年代 | プレマダーサ首相は,州議会の発足に必要な法案を近く議会に上程すると表明した。 |
DIA-305-1986-10-08-3 | スリランカ | 1986年10月08日 | 1980年代 | TULFはインド外相にスリランカ政府の軍事作戦を休止させるよう要請する電報を発信した。 |
DIA-305-1986-10-09-1 | スリランカ | 1986年10月09日 | 1980年代 | タミル・ナード州のラーマチャンドラン州首相は,独立運動の諸党派に和平会議に参加するよう要請。 |
DIA-305-1986-10-10-1 | スリランカ | 1986年10月10日 | 1980年代 | 日本輸出入銀行は石油公社の海底6マイルのパイプライン敷設に2億6400万ルピーの借款を供与(金利6.2%)。 |
DIA-305-1986-10-11-1 | スリランカ | 1986年10月11日 | 1980年代 | ジャフナで刊行されている『土曜評論』紙は,武装闘争を行なっている諸党派が,ジャヤワルダナ政権との和平会議に参加するよう主張。 |
DIA-305-1986-10-11-2 | スリランカ | 1986年10月11日 | 1980年代 | スリランカ政府はLTTEを除く他の党派は参加すると観測している。 |
DIA-305-1986-10-12-1 | スリランカ | 1986年10月12日 | 1980年代 | 異常気象のためクローヴの収穫が少ない,と農業問題研究所が予測。 |
DIA-305-1986-10-12-2 | スリランカ | 1986年10月12日 | 1980年代 | マータレ病院に日本政府が500万ルピーの医療資材を贈与。 |
DIA-305-1986-10-13-1 | スリランカ | 1986年10月13日 | 1980年代 | マンナールとヴァヴニヤ両県でゲリラ戦がつづき,24時間の外出禁止令が布告される。 |
DIA-305-1986-10-13-2 | スリランカ | 1986年10月13日 | 1980年代 | TULFはスリランカ政府との協議で合意できる点と対立点とを明示した80ページの文書を準備した,とTimes of India紙報道。 |
DIA-305-1986-10-13-3 | スリランカ | 1986年10月13日 | 1980年代 | 三井建設は5万klの原油貯蔵タンク4基とパイプライン1kmの原油基地建設を,石油公団より28億9700万円で受注した(コロンボ港の沖合に建設)。 |
DIA-305-1986-10-14-1 | スリランカ | 1986年10月14日 | 1980年代 | マンナール県の2日間にわたる戦闘で政府軍16名,イーラム運動のタミル人27名およびシンハラ農民5名が死亡した。ヴィクターとして知られるLTTEの幹部も死亡。 |
DIA-305-1986-10-15-1 | スリランカ | 1986年10月15日 | 1980年代 | 世界銀行は電力庁の送電改善事業に1.08億ドルを融資する。 |
DIA-305-1986-10-15-2 | スリランカ | 1986年10月15日 | 1980年代 | アジア開発銀行はルヌガンヴィハーラ灌漑入植事業に2660万ドルを融資する。 |
DIA-305-1986-10-16-1 | スリランカ | 1986年10月16日 | 1980年代 | 55歳のオランダ人が17オンスのヘロインをスリランカから持ち出そうとした罪で,麻薬法による最初の死刑判決を受ける。 |
DIA-305-1986-10-19-1 | スリランカ | 1986年10月19日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,イーラム独立運動の武装闘争を中止し,政府との話合いに参加を呼びかける。 |
DIA-305-1986-10-19-2 | スリランカ | 1986年10月19日 | 1980年代 | 人民党のクマラトゥンガ書記長に,LTTEのスポークスマンから電話で,マンナールで捕虜になった2名の兵士の家族を連れてジャフナに来れば釈放すると連絡。 |
DIA-305-1986-10-20-1 | スリランカ | 1986年10月20日 | 1980年代 | クマラトゥンガがジャフナでLTTEと折衝。 |
DIA-305-1986-10-22-1 | スリランカ | 1986年10月22日 | 1980年代 | キリンディ・オヤ水系開発事業にアジア開発銀行が,2215万SDRの借款を行なう。 |
DIA-305-1986-10-22-2 | スリランカ | 1986年10月22日 | 1980年代 | インド政府の内閣改造で外相がシャンカルからN・D・ティワリに交替。 |
DIA-305-1986-10-23-1 | スリランカ | 1986年10月23日 | 1980年代 | ジャフナでの捕虜釈放工作に失敗したクマラトゥンガ書記長は,コロンボに戻り報告。政府の妨害が失敗の主要な原因と記者会見で語った。 |
DIA-305-1986-10-23-2 | スリランカ | 1986年10月23日 | 1980年代 | W・ダハナーヤカ協同組合相のアクミーナ補選での非協力責任を問わないことに統一国民党委員会が決定。 |
DIA-305-1986-10-24-1 | スリランカ | 1986年10月24日 | 1980年代 | ジャフナで捕虜になっていたチャンドラシリ中尉は,遺体が家族に引渡され葬儀も終っていたので混乱。クマラトゥンガ書記長はこの点でも政府を批判した。 |
DIA-305-1986-10-25-1 | スリランカ | 1986年10月25日 | 1980年代 | ローマ法王による10月27日の全世界休戦日要請に,政府もイーラム運動もともに同意した。 |
DIA-305-1986-10-26-1 | スリランカ | 1986年10月26日 | 1980年代 | タミル・ナード州首相はイーラム解放運動の諸組織を会談に招いた。 |
DIA-305-1986-10-27-1 | スリランカ | 1986年10月27日 | 1980年代 | プレマダーサ首相は,すべての公務員がシンハラ語とタミル語の双方を習得すべきだと語った。 |
DIA-305-1986-10-27-2 | スリランカ | 1986年10月27日 | 1980年代 | アヌラ・バンダーラナーヤカ議員は,義兄のクマラトゥンガ書記長の捕虜交換工作を批判する。 |
DIA-305-1986-10-28-1 | スリランカ | 1986年10月28日 | 1980年代 | AFP通信は,LTTEが独立宣言を一方的に行なう方針であると伝える。 |
DIA-305-1986-10-30-1 | スリランカ | 1986年10月30日 | 1980年代 | PLOTEは,LTTEがジャフナを独占的に支配しようとして圧迫を加えているので,一時的に解放運動を停止すると発表した。 |
DIA-305-1986-11-01-1 | スリランカ | 1986年11月01日 | 1980年代 | 食糧輸送が妨げられているため,ジャフナ住民の健康問題が深刻化している。 |
DIA-305-1986-11-01-2 | スリランカ | 1986年11月01日 | 1980年代 | 今後の2週間の動きがスリランカ史上,もっとも決定的であろう,とアトラトムダリ国家治安相が語った。 |
DIA-305-1986-11-03-1 | スリランカ | 1986年11月03日 | 1980年代 | イーラム運動5組織(LTTE,EPRLF,PLOTE,EROSおよびTELO)は期待されていたような合同文書でなく,個別にラーマチャンドラン州首相に会い,スリランカ政府案に対する回答を行なった。5組織とも今回の和平案は不十分で受入れがたいと拒否。 |
DIA-305-1986-11-03-2 | スリランカ | 1986年11月03日 | 1980年代 | 外資導入政策により輸出加工区外でも,4万人の雇用が増えた(FIAC)。 |
DIA-305-1986-11-03-3 | スリランカ | 1986年11月03日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領はインド大使と会談し,和平交渉の進め方について話し合う。 |
DIA-305-1986-11-05-1 | スリランカ | 1986年11月05日 | 1980年代 | TULFは,ジャフナから軍隊を撤退させるよう要求する電報をジャヤワルダナ大統領に発信した。 |
DIA-305-1986-11-06-1 | スリランカ | 1986年11月06日 | 1980年代 | LTTEはPLOTEを北部から駆逐しようと圧迫しているが,まだ成功していないといわれている。 |
DIA-305-1986-11-06-2 | スリランカ | 1986年11月06日 | 1980年代 | スリランカ政府による反インド秘密放送が1日に1時間(過去4ヵ月間)行なわれている,とEIPRLF発表。 |
DIA-305-1986-11-07-1 | スリランカ | 1986年11月07日 | 1980年代 | LTTEの行政を1月に始めるという予告に対抗して,スリランカ政府軍は軍事攻勢の準備をしている。 |
DIA-305-1986-11-08-1 | スリランカ | 1986年11月08日 | 1980年代 | タミル・ナード警察は州内のイーラム運動根拠地で武装解除を行なった。SAMミサイル,ロケット砲,AK-47自動小銃,2インチ砲などを大量に押収。1週間前にEPRLFのメンバーがチョーライマドゥで1名のハリジャンを射殺してから武装解除が立案された。 |
DIA-305-1986-11-08-2 | スリランカ | 1986年11月08日 | 1980年代 | ガンディー首相とラーマチャンドラン州首相が会談した。 |
DIA-305-1986-11-09-1 | スリランカ | 1986年11月09日 | 1980年代 | 前日逮捕されたイーラム運動諸組織の幹部が全員釈放されたが,自宅からの外出は許されていない。 |
DIA-305-1986-11-10-1 | スリランカ | 1986年11月10日 | 1980年代 | スリランカの紅茶生産は前年より550万kg減少。 |
DIA-305-1986-11-10-2 | スリランカ | 1986年11月10日 | 1980年代 | 東部州でイーラム運動の根拠地を攻撃し,33名を殺し80名を逮捕した,と国家治安省発表。 |
DIA-305-1986-11-11-1 | スリランカ | 1986年11月11日 | 1980年代 | 北部州のヴェルヴェットライ上空を飛ぶヘリコプターをゲリラ側が砲撃した,と国家治安省が発表した。 |
DIA-305-1986-11-13-1 | スリランカ | 1986年11月13日 | 1980年代 | 1987年度予算案をデ・メル蔵相が議会に提出。タバコ1本5セント値上げ,アラック酒6万ルピー,ビール2.7ルピー値上げなどの増税を提案し,「平和か,さもなくば破滅」と述べた。基本政策に変更なし,と与党議員は評価し,野党は否定的な予算と失望を表明した。 |
DIA-305-1986-11-14-1 | スリランカ | 1986年11月14日 | 1980年代 | 緊急に旅券発給を必要とする者に,手数料を高くする制度が近く導入される。 |
DIA-305-1986-11-14-2 | スリランカ | 1986年11月14日 | 1980年代 | インドのティワリ外相はハミード外相に当分軍事作戦を抑制するよう要請。 |
DIA-305-1986-11-14-3 | スリランカ | 1986年11月14日 | 1980年代 | イーラム運動幹部の外出禁止が解除。 |
DIA-305-1986-11-14-4 | スリランカ | 1986年11月14日 | 1980年代 | ロンドンでイーラム運動団体間の対立で3名のタミル人が殺される。 |
DIA-305-1986-11-15-1 | スリランカ | 1986年11月15日 | 1980年代 | ジヤヤワルダナ大統領がSAARCの第2回首脳会談に出席するため,バンガロールに着きガンディー首相の出迎えをうける。 |
DIA-305-1986-11-16-1 | スリランカ | 1986年11月16日 | 1980年代 | ガンディー首相とジャヤワルダナ大統領との会談がつづけられ,ラーマチャンドラン州首相も参加した。 ジャヤワルダナ大統領は,東部を北部州に統合することは不可能だが,アンバーライ県を別個に扱う可能性を示唆した。両国外相,大使も話合いに加わった。 |
DIA-305-1986-11-17-1 | スリランカ | 1986年11月17日 | 1980年代 | ヴァヴニヤ県知事が襲撃される。 |
DIA-305-1986-11-17-2 | スリランカ | 1986年11月17日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領帰国。残された問題を両国外相が継承する。 |
DIA-305-1986-11-18-1 | スリランカ | 1986年11月18日 | 1980年代 | タミル・ナード州議会で,単一のタミル州を作ることに両国首脳が合意した,と州政府が説明する。 |
DIA-305-1986-11-19-1 | スリランカ | 1986年11月19日 | 1980年代 | 両国外相は2日間にわたってニューデリーで首脳会談を引きつぐ会議をつづけたが,イーラム運動の諸組織を納得させる解決案をまとめることができなかった。 |
DIA-305-1986-11-20-1 | スリランカ | 1986年11月20日 | 1980年代 | イスラエルのヘルツォーク大統領がジャヤワルダナ大統領を訪問し,野党とインド政府の疑惑を招いた。 |
DIA-305-1986-11-20-2 | スリランカ | 1986年11月20日 | 1980年代 | マドラスの『ヒンドゥ』紙は,バンガロールへの招待によってLTTEの地位が認知された,と報道。 |
DIA-305-1986-11-20-3 | スリランカ | 1986年11月20日 | 1980年代 | LTTEのプラバーカン委員長は,状況が改善されたという。 |
DIA-305-1986-11-22-1 | スリランカ | 1986年11月22日 | 1980年代 | 工業省は164の新事業への投資を認可した(製紙関連企業が目立つ)。 |
DIA-305-1986-11-22-2 | スリランカ | 1986年11月22日 | 1980年代 | イーラム運動の諸組織がスリランカ各地との交信に用いていた無線通信施設を,タミル・ナード州警察が押収した(Washington Post紙)。 |
DIA-305-1986-11-23-1 | スリランカ | 1986年11月23日 | 1980年代 | 西ドイツ政府の経済援助額が1.2億マルクに決定。 |
DIA-305-1986-11-23-2 | スリランカ | 1986年11月23日 | 1980年代 | 茶業試験場(TRI)では,化学肥料や農薬を用いないで,有機肥料に依存した紅茶栽培を試みはじめた。 |
DIA-305-1986-11-23-3 | スリランカ | 1986年11月23日 | 1980年代 | LTTEのプラバーカン委員長が無線施設の返還を求めて無期限のハンストを行ない,2日後に返還された。 |
DIA-305-1986-11-25-1 | スリランカ | 1986年11月25日 | 1980年代 | インドのチダンバラム国務相とシン対外関係国務相とが来島し,大統領に会った後ただちにニューデリーに帰還。 |
DIA-305-1986-11-26-1 | スリランカ | 1986年11月26日 | 1980年代 | 英国内務省は昨年入国したタミル人1000名以上の政治的亡命申請を却下した。 |
DIA-305-1986-11-27-1 | スリランカ | 1986年11月27日 | 1980年代 | ディサナーヤカ土地相が土地利用計画事業についてアジア開発銀行の融資をうける交渉を閣議で承認。 |
DIA-305-1986-11-27-2 | スリランカ | 1986年11月27日 | 1980年代 | 14名の税関職員が汚職の疑いで停職処分を受けた。 |
DIA-305-1986-11-27-3 | スリランカ | 1986年11月27日 | 1980年代 | エア・ランカの役員が全員交替し,調査委員会の活動強化のため,警察庁から5名の応援を得ることになった。 |
DIA-305-1986-11-28-1 | スリランカ | 1986年11月28日 | 1980年代 | 1986年の前半によい成績をおさめていた経済活動の部門も,後半に入ってから悪天候,価格低落,民族問題などで悪化した,と中央銀行が発表した。 |
DIA-305-1986-11-28-2 | スリランカ | 1986年11月28日 | 1980年代 | オーラトラリア政府は,非灌漑農業の開発を推進し,ウヴァ地区での乾地農法事業を援助している。 |
DIA-305-1986-11-29-1 | スリランカ | 1986年11月29日 | 1980年代 | 麻薬の取引きで逮捕されるスリランカ人(とくにタミル人)の数が増加している。 |
DIA-305-1986-12-01-1 | スリランカ | 1986年12月01日 | 1980年代 | タミル・ナード州政府が前月に押収したイーラム独立運動派の武器は,総額8億ルピーで,スリランカの防衛予算の約10%に相当すると推定されている。 |
DIA-305-1986-12-02-1 | スリランカ | 1986年12月02日 | 1980年代 | イーラム運動の主張をとりまとめ,インドの2名の担当国務相が最終案作成に12月17日頃来島する予定。 |
DIA-305-1986-12-04-1 | スリランカ | 1986年12月04日 | 1980年代 | 軍人の特別手当を87年度も継続すると閣議決定。 |
DIA-305-1986-12-04-2 | スリランカ | 1986年12月04日 | 1980年代 | 87年2月の独立記念式典はスリジャヤワルダナプラで行なわれる。 |
DIA-305-1986-12-04-3 | スリランカ | 1986年12月04日 | 1980年代 | モルディヴ共和国との貿易多角化を検討。 |
DIA-305-1986-12-04-4 | スリランカ | 1986年12月04日 | 1980年代 | イスラエル外交官が国会でメモを取っていたのを弁明。 |
DIA-305-1986-12-05-1 | スリランカ | 1986年12月05日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,人民党のクマラトゥンガ書記長を通じてLTTEのプラバーカン委員長に招待状を送った。 |
DIA-305-1986-12-06-1 | スリランカ | 1986年12月06日 | 1980年代 | アムネスティ・インターナショナル日本支部はスリランカの行方不明者についての集会を東京で開催。 |
DIA-305-1986-12-06-2 | スリランカ | 1986年12月06日 | 1980年代 | バッティカロアのタミル人とムスリムとの対立で24名の死者を出し,27時間の外出禁止令が布告された。 |
DIA-305-1986-12-08-1 | スリランカ | 1986年12月08日 | 1980年代 | アトラトムダリ国家治安相は記者会見を行ない,訪米目的は武器購入でもなければ,政治解決案でもない。「いつわりのプロパガンダ」に反撃するためだと語る。 |
DIA-305-1986-12-09-1 | スリランカ | 1986年12月09日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,イーラム独立運動の指導者と直接交渉の用意がある,と呼びかけた。「土曜評論』紙(ジャフナ)も直接交渉を勧告している。 |
DIA-305-1986-12-10-1 | スリランカ | 1986年12月10日 | 1980年代 | フランスの経済援助でバドゥラに水処理プラントを,1.3億ルピーの費用をかけて建設する(第I期工事)。 |
DIA-305-1986-12-10-2 | スリランカ | 1986年12月10日 | 1980年代 | ルフナ大学図書館の充実に年間30万ルピーの寄付を二つの国立商業銀行が4年間続けることを決めた。 |
DIA-305-1986-12-10-3 | スリランカ | 1986年12月10日 | 1980年代 | ILO憲章の批准案を閣議決定(1986年の改正)。 |
DIA-305-1986-12-10-4 | スリランカ | 1986年12月10日 | 1980年代 | 政府は漁業市場情報の国際機関(Infofish)に加入を決定。 |
DIA-305-1986-12-11-1 | スリランカ | 1986年12月11日 | 1980年代 | インドのチダンバラムとシン両国務相は,マドラスに向いイーラム独立運動指導者の対案を聴取する。 |
DIA-305-1986-12-11-2 | スリランカ | 1986年12月11日 | 1980年代 | 大学教員組合協議会は,1月5日までに賃上げが実現しなければ,学内すべての役職から辞任と通告。 |
DIA-305-1986-12-12-1 | スリランカ | 1986年12月12日 | 1980年代 | マハヴェリ開発公社では,野象の保護地区を設定しなければ,絶滅の恐れがあると対策を検討している。 |
DIA-305-1986-12-12-2 | スリランカ | 1986年12月12日 | 1980年代 | ノルウエーのスリランカに対する経済援助額は,約3.2億ルピーと決定された(1987年度分)。 |
DIA-305-1986-12-13-1 | スリランカ | 1986年12月13日 | 1980年代 | スリランカ学術会議総会でグナティラカ会長は,アジアの科学者の中ではスリランカの給与水準が最も低いが,地域に固有の分野に専念すれば,われわれ高い成果を上げることができよう,と主張した。 |
DIA-305-1986-12-14-1 | スリランカ | 1986年12月14日 | 1980年代 | アトラトムダリ国家治安相はニューヨークで,民族問題に軍事的解決はないと再確認した。 |
DIA-305-1986-12-14-2 | スリランカ | 1986年12月14日 | 1980年代 | LTTEとEPRLFとの分派抗争は,45名の死者を出した後者の降伏で終った,とのジャフナ情報をロイター電報道。 |
DIA-305-1986-12-16-1 | スリランカ | 1986年12月16日 | 1980年代 | 2名の担当相との話合いで,武装タミル人組織の各党派は,東部と北部の統合を強硬に主張した。 |
DIA-305-1986-12-17-1 | スリランカ | 1986年12月17日 | 1980年代 | トリンコマリー県のモラウェワ地区で3名の空軍兵士,1名の警官と3名の自警団員がテロリストに射殺された。 |
DIA-305-1986-12-17-2 | スリランカ | 1986年12月17日 | 1980年代 | インドのチダンバラムおよびシンの両国務相がコロンボに着き,スリランカ政府関係者に会う。 |
DIA-305-1986-12-18-1 | スリランカ | 1986年12月18日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領とインド国務相との話合いは,くりかえし長時間にわたっているが内容は公表されていない。マドラスではイーラム運動側からも直接交渉を望む声が出ている。 |
DIA-305-1986-12-19-1 | スリランカ | 1986年12月19日 | 1980年代 | ジャフナで捕虜になっていた2名の兵士が,スリランカ政府とLTTEの秘密交渉の結果,無事に帰還した。かわりにLTTEの2名の捕虜が釈放された。 |
DIA-305-1986-12-19-2 | スリランカ | 1986年12月19日 | 1980年代 | 3日間にわたるインド国務相との話合いは,最終的な結論に至らず終った。東部州をタミル県,シンハラ県およびムスリム県に三分するジャヤワルダナ案に,双方が妥協点を見出せなかったようである。 |
DIA-305-1986-12-23-1 | スリランカ | 1986年12月23日 | 1980年代 | アンパーレ県でもLTTEとEPRLFとの分派闘争が行なわれ,双方で16名の死者を出した。 |
DIA-305-1986-12-23-2 | スリランカ | 1986年12月23日 | 1980年代 | 政府はクリスマスにむけて,イーラム解放運動との休戦を呼びかけた。アトラトムダリ国家治安相は捕虜交換が「ある種の親善」をもたらしたので,直接交渉を希望した。 |
DIA-305-1986-12-24-1 | スリランカ | 1986年12月24日 | 1980年代 | エア・ランカの調査委員会は,問題が複雑なため,報告期限を2ヵ月延長した。 |
DIA-305-1986-12-25-1 | スリランカ | 1986年12月25日 | 1980年代 | ペルワッタ砂糖会社は作付面積を拡大し,雇用を増加する計画である。 |
DIA-305-1986-12-25-2 | スリランカ | 1986年12月25日 | 1980年代 | TELOは逮捕者の釈放を求めて,それまで和平会談に参加しないと抗議した。 |
DIA-305-1986-12-26-1 | スリランカ | 1986年12月26日 | 1980年代 | 人民党のクマラトゥンガ書記長は,政府が2名の捕虜交換をしたことを歓迎し,この交渉はコミュニケーション・ギャップの縮小に役立つであろうと述べた。 |
DIA-305-1986-12-26-2 | スリランカ | 1986年12月26日 | 1980年代 | 国会特別委員会では,6名の大使の適格性を審査している。キューバ,イタリア,アラブ首長国連邦,シンガポール,タイおよび韓国への大使が交替する。 |
DIA-305-1986-12-27-1 | スリランカ | 1986年12月27日 | 1980年代 | 海軍部隊が北部のカライナガルでLTTEと交戦し,撤退させる。 |
DIA-305-1986-12-27-2 | スリランカ | 1986年12月27日 | 1980年代 | 蔵相は大蔵省幹部の大幅な異動を行なった。 |
DIA-305-1986-12-27-3 | スリランカ | 1986年12月27日 | 1980年代 | 無制限なマイソール豆の輸入は,国内農業にとって好ましくない,と農業問題研究所が報告した。 |
DIA-305-1986-12-27-4 | スリランカ | 1986年12月27日 | 1980年代 | 与党のペレーラ国会議員を団長とする代表団が,ジャフナに赴きLTTEのジャフナ代表と会談した。 |
DIA-305-1986-12-28-1 | スリランカ | 1986年12月28日 | 1980年代 | 政府は北部州と東部州との間に,州間調整委員会を設置し,2または3州の共同事業を行なえるようにする案を検討している。インドからの特使を通じてタミル・ナード州のイーラム運動組織にも伝えられている。 |
DIA-305-1986-12-30-1 | スリランカ | 1986年12月30日 | 1980年代 | LTTEは1987年1月より徴税,教育,難民,農村開発などに加えて,テレビ放送,切手の発行,交通裁判などの行政を担当する計画を発表。 |
DIA-305-1987-01-01-1 | スリランカ | 1987年01月01日 | 1980年代 | 民事治安省が発足。担当相はジャヤワルダナ大統領が兼任し,実務はL・フェルナンド事務次官が行なう。村レベルから民警察組織をきずき,テロリストに対抗しようとする政策を具体化するために設置された。 |
DIA-305-1987-01-01-2 | スリランカ | 1987年01月01日 | 1980年代 | 中国が中距離輸送機Y12をスリランカに輸出決定。 |
DIA-305-1987-01-01-3 | スリランカ | 1987年01月01日 | 1980年代 | 先週ジャフナで開かれた「タミル・イーラム解放の虎」(LTTE)とペレーラ議会問題相との秘密会談で,拘留されている3000名のタミル人の釈放を前者が要求。 |
DIA-305-1987-01-02-1 | スリランカ | 1987年01月02日 | 1980年代 | LTTEがジャフナ半島の行政を行なうのに対抗して,政府は同地区の燃料供給を制限することに決定。 |
DIA-305-1987-01-03-1 | スリランカ | 1987年01月03日 | 1980年代 | ハミード外相が,インド国内で押収した武器をイーラム解放組織に返還しないよう求めた,とインド大使が発表した。 |
DIA-305-1987-01-05-1 | スリランカ | 1987年01月05日 | 1980年代 | インド大使がジャヤワルダナ大統領に会い,ジャフナ半島への経済制裁に対するインド政府の憂慮を伝えた(石油製品に加えてアルミ製品も供給を制限)。 |
DIA-305-1987-01-06-1 | スリランカ | 1987年01月06日 | 1980年代 | ジャフナ市民委員会は国際赤十字に,「経済制裁の中止」のため仲介するよう,救済を求めた。 |
DIA-305-1987-01-06-2 | スリランカ | 1987年01月06日 | 1980年代 | 茶業研究所の農園で3名のタミル人労働者が殺され,10名が負傷。政府はイーラム運動が中央山地に浸透したと憂慮。 |
DIA-305-1987-01-07-1 | スリランカ | 1987年01月07日 | 1980年代 | イランから25万トンの石油の輸入交渉が成立。 |
DIA-305-1987-01-10-1 | スリランカ | 1987年01月10日 | 1980年代 | 7日に始まった政府軍の攻勢により,ジャフナでイーラム側の兵士と市民が10名死亡し30名負傷した。 |
DIA-305-1987-01-11-1 | スリランカ | 1987年01月11日 | 1980年代 | アメリカ兵がスリランカで雇用されているとの報道について,インド政府の関心をヴェンカタテスワラン外務次官が米政府に伝え,調査を求めたと発表した。 |
DIA-305-1987-01-13-1 | スリランカ | 1987年01月13日 | 1980年代 | G・ディサナーヤカ土地相がニューデリーで,インド側のスリランカ問題関係者と解決案について協議。 |
DIA-305-1987-01-13-2 | スリランカ | 1987年01月13日 | 1980年代 | LTTEのプラバカラン委員長は,マドラスを離れ,10日からジャフナに潜入した,とスリランカ政府が発表。 |
DIA-305-1987-01-13-3 | スリランカ | 1987年01月13日 | 1980年代 | スペイン駐スリランカ米大使は,スリランカに米兵は雇用されてないと言明,インド外務省の疑惑を解く。 |
DIA-305-1987-01-16-1 | スリランカ | 1987年01月16日 | 1980年代 | インドから帰国したディサナーヤカ土地相は,インド政府との間に誤解がなく,和平の展望ありと言明。 |
DIA-305-1987-01-18-1 | スリランカ | 1987年01月18日 | 1980年代 | エレファント・パス近くのLTTEの拠点が政府軍に攻撃され,双方で14名の死者を出した。 |
DIA-305-1987-01-18-2 | スリランカ | 1987年01月18日 | 1980年代 | バドゥラでバスが爆破され,乗客7名が死亡し50名が負傷した。 |
DIA-305-1987-01-20-1 | スリランカ | 1987年01月20日 | 1980年代 | ケラニヤ大学リヤナゲ講師(女性)を含む23名が,暴力で政府を覆そうとした容疑で起訴される。 |
DIA-305-1987-01-20-2 | スリランカ | 1987年01月20日 | 1980年代 | カルタラ警察は,ワッドゥワの「ベビー工場」を調べ,22名を乳児販売容疑で検挙した。この「工場で生産された」乳児は,1.5万ドルで西ドイツなどに輸出されている。 |
DIA-305-1987-01-22-1 | スリランカ | 1987年01月22日 | 1980年代 | 東部のバッティカロア市で,北部州に対する経済制裁に抗議して,ストライキと商店の休業が行なわれた。 |
DIA-305-1987-01-22-2 | スリランカ | 1987年01月22日 | 1980年代 | 北部では政府軍とイーラム軍との交戦で8名死亡。 |
DIA-305-1987-01-22-3 | スリランカ | 1987年01月22日 | 1980年代 | LTTE指導部内の対立がシンハラ紙に報道。 |
DIA-305-1987-01-22-4 | スリランカ | 1987年01月22日 | 1980年代 | アトラトムダリ国家治安相が,ジャフナとコロンボ間のダイヤル通話を禁止した,と議会で発表した。 |
DIA-305-1987-01-25-1 | スリランカ | 1987年01月25日 | 1980年代 | コロンボ大学の学生85名が,立入禁止令に違反し逮捕される。 |
DIA-305-1987-01-25-2 | スリランカ | 1987年01月25日 | 1980年代 | バッティカロア市のハルタル中止される。 |
DIA-305-1987-01-26-1 | スリランカ | 1987年01月26日 | 1980年代 | ヴァヴニヤ近郊で,7名のタミル人農民がイーラム軍兵士と誤認されて射殺された,とAP電が伝える。 |
DIA-305-1987-01-26-2 | スリランカ | 1987年01月26日 | 1980年代 | LTTEが飛行機や爆弾を製造する,とロィター電。 |
DIA-305-1987-01-28-1 | スリランカ | 1987年01月28日 | 1980年代 | バッティカロア近郊で,政府軍とイーラム軍とが交戦し,双方とも各8名の戦死者を出し,市民も被害。 |
DIA-305-1987-01-28-2 | スリランカ | 1987年01月28日 | 1980年代 | 政府は,家屋の所有制限を撤廃し,外国銀行も不動産を担保に取り,抵当権を設定できるように閣議で決定。 |
DIA-305-1987-01-29-1 | スリランカ | 1987年01月29日 | 1980年代 | 日本政府が中央農業研究所の遺伝子銀行設置事業に,9.73億ルピーを贈与した。 |
DIA-305-1987-01-29-2 | スリランカ | 1987年01月29日 | 1980年代 | バッティカロア近郊の交戦が続き,双方で死者70名に達した模様とPTI電。 |
DIA-305-1987-01-30-1 | スリランカ | 1987年01月30日 | 1980年代 | ジャフナ半島で政府の「経済制裁」に抗議するハルタル実行。燃料不足のため車両の通行はなくなった。 |
DIA-305-1987-01-31-1 | スリランカ | 1987年01月31日 | 1980年代 | バッティカロア近郊の戦闘は4日目に入り,計60名の政府軍兵士と200名のタミル人が死亡。アメリカの合弁企業によるエビ養殖池の労働者34名も射殺される。 |
DIA-305-1987-02-01-1 | スリランカ | 1987年02月01日 | 1980年代 | コロンボ消費者用生計費指数は,1987年1月に631.4であり,前年同月の指数586.5より7.7%上昇と発表さる。 |
DIA-305-1987-02-03-1 | スリランカ | 1987年02月03日 | 1980年代 | プランテーション省は,CTC紅茶(ティ・バッグ用)の製造設備に財政援助を行なうことに決定した。 |
DIA-305-1987-02-03-2 | スリランカ | 1987年02月03日 | 1980年代 | 1983年以来,5786名のスリランカ人移民を受け入れた,とオーストラリア政府のハーフォード移民相が議会答弁。 |
DIA-305-1987-02-06-1 | スリランカ | 1987年02月06日 | 1980年代 | LTTE製の飛行機が初の試験飛行で墜落と政府発表。 |
DIA-305-1987-02-06-2 | スリランカ | 1987年02月06日 | 1980年代 | モラトゥワでマラティオン入りの密造酒を飲み22名が死亡,80名が急症で治療を受ける。 |
DIA-305-1987-02-07-1 | スリランカ | 1987年02月07日 | 1980年代 | 政府は軽飛行機の使用を全島で禁止すると布告。 |
DIA-305-1987-02-07-2 | スリランカ | 1987年02月07日 | 1980年代 | 北部戦線で22名のイーラム兵士と7名の政府軍兵士とが交戦により死亡した,とコロンボ発AFP電が報道。 |
DIA-305-1987-02-08-1 | スリランカ | 1987年02月08日 | 1980年代 | アンバーライ県東部の村で,5人の女性,10人の子供を含む28名のシンハラ村民がLTTEのテロリストによって虐殺された,と国家治安省が発表する。 |
DIA-305-1987-02-09-1 | スリランカ | 1987年02月09日 | 1980年代 | セイロン電力庁は,OECFの借款で建設されるワラーウェ水系の二つのトンネル工事(総額3.9億ルピー)を,間組・熊谷組の共同企業体に発注した。 |
DIA-305-1987-02-10-1 | スリランカ | 1987年02月10日 | 1980年代 | アトラトムダリ国家治安相は,5000名の兵士と空海軍の支援によって,1日100メートルずつ前進し,ジャフナ市をテロリストの支配から取り戻すと言明した。 |
DIA-305-1987-02-11-1 | スリランカ | 1987年02月11日 | 1980年代 | 上記の軍事作戦のため,北部州3県で36時間の外出禁止令が布告された。 |
DIA-305-1987-02-11-2 | スリランカ | 1987年02月11日 | 1980年代 | 自治体選挙法を改正し,政党提出の名簿による比例代表制に加えて,3名の候補者を記入して投票する方法を認める法案が閣議で承認された。 |
DIA-305-1987-02-11-3 | スリランカ | 1987年02月11日 | 1980年代 | コロンボ―キャンディ道路で民営バスが転倒,乗客51名が死亡し,40名が負傷した。 |
DIA-305-1987-02-11-4 | スリランカ | 1987年02月11日 | 1980年代 | 17名の日本人グループが,住宅建設援助のため来島し,ハバラドゥワを視察。 |
DIA-305-1987-02-12-1 | スリランカ | 1987年02月12日 | 1980年代 | エア・ランカ調査委員会は,その調査活動を終えた。近く大統領に報告書を提出する予定である。 |
DIA-305-1987-02-12-2 | スリランカ | 1987年02月12日 | 1980年代 | LTTEのスポークスマンはマドラスで,スリランカ政府軍が10日にエレファント・パス近くの2村落を攻撃,住民130名とゲリラ兵士20名を殺害したと発表。 |
DIA-305-1987-02-14-1 | スリランカ | 1987年02月14日 | 1980年代 | コロンボのスレーヴァイランド地区で,地域住民と警官隊50名とが争い,双方に負傷者を出した。 |
DIA-305-1987-02-15-1 | スリランカ | 1987年02月15日 | 1980年代 | M・ガネーゴダ・スリランカ婦人会長は,外国に乳児を売る母親は,母性を冒涜していると非難した。 |
DIA-305-1987-02-15-2 | スリランカ | 1987年02月15日 | 1980年代 | ジャフナでLTTEの給油船が爆発し,テロリストの幹部を含む計28名が死亡した,と政府の情報局が発表。 |
DIA-305-1987-02-17-1 | スリランカ | 1987年02月17日 | 1980年代 | 200名以上のタミル人ゲリラが,逮捕される前に青酸カリで服毒し自殺した,とジャフナ発のAP電。 |
DIA-305-1987-02-17-2 | スリランカ | 1987年02月17日 | 1980年代 | バス料金と砂糖価格の値上げが発表される。 |
DIA-305-1987-02-18-1 | スリランカ | 1987年02月18日 | 1980年代 | 工業政策委員会報告を閣議で承認し,政府の基本政策として採用することに決定した。 |
DIA-305-1987-02-18-2 | スリランカ | 1987年02月18日 | 1980年代 | 多角投資保証機構設立条約を批准することを閣議で決定した。 |
DIA-305-1987-02-19-1 | スリランカ | 1987年02月19日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,昨年12月19日に作成された解決案が和平実現の基礎となる,と議会で演説。 |
DIA-305-1987-02-24-1 | スリランカ | 1987年02月24日 | 1980年代 | 英国から国外退去を命ぜられていた58名のスリランカ・タミル難民が,高等裁判所の決定で一時的に在留を認められた(過去数日間に英国で社会問題化した)。 |
DIA-305-1987-02-25-1 | スリランカ | 1987年02月25日 | 1980年代 | ネゴンボのホテルで「ベビー工場」を経営,乳児を高額で売っていたスウェーデン人に国外追放命令。 |
DIA-305-1987-02-26-1 | スリランカ | 1987年02月26日 | 1980年代 | モハメッド運輸相が,庭野平和賞を授与される。 |
DIA-305-1987-02-28-1 | スリランカ | 1987年02月28日 | 1980年代 | 4年半にわたって在任していた日本の大鷹大使が離任(後継者の浜本大使は,3月9日に着任)。 |
DIA-305-1987-03-02-1 | スリランカ | 1987年03月02日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領はバンダーラナーヤカ自由党委員長に民族問題の解決案を説明。 |
DIA-305-1987-03-02-2 | スリランカ | 1987年03月02日 | 1980年代 | ガンディー首相への大統領の返書を,ティラカラトナ駐印大使が伝達。 |
DIA-305-1987-03-02-3 | スリランカ | 1987年03月02日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,モルディブ共和国への公式訪問に出発した(5日に共同声明を発表して帰国)。 |
DIA-305-1987-03-03-1 | スリランカ | 1987年03月03日 | 1980年代 | 平等社会党,人民党および共産党は,ともに12月19日の合意を基礎とする解決案を支持すると共同声明。 |
DIA-305-1987-03-05-1 | スリランカ | 1987年03月05日 | 1980年代 | 国家プランテーション公社は,1月中旬以降ロンドン市場での紅茶の競売に製品を送っていない。コロンボ市場との価格差が大きく,不利だからである。 |
DIA-305-1987-03-05-2 | スリランカ | 1987年03月05日 | 1980年代 | スリランカで雇用されているイギリス兵の多くは,元特殊空軍部隊員(SAS)である。彼らに訓練を受けたスリランカの対ゲリラ作戦部隊員が,タミル人に残虐行為をはたらくので困ると不満をもらしていることをLondon Daily News が報道する。 |
DIA-305-1987-03-07-1 | スリランカ | 1987年03月07日 | 1980年代 | LTTEは北部のウルクラマ近くの道路に地雷を仕掛け,軍用車を爆破して17名の兵士を殺した,とコロンボ発ロイター電(LTTEは21名が爆死と発表)。 |
DIA-305-1987-03-08-1 | スリランカ | 1987年03月08日 | 1980年代 | コロンボの水不足が深刻になり断水時間が増加。 |
DIA-305-1987-03-09-1 | スリランカ | 1987年03月09日 | 1980年代 | 3日間にわたる政府軍の攻勢により,ジャフナ市内の死者は50名,負傷者は150名に達した,とインド各紙が報道。インドのタミル・ナドゥ州ラマチャンドラン州政府首相は,ガンディ首相にスリランカ政府軍のタミル人攻撃を抑制させるように強く要請した。TULFも同様の要請を行なう。 |
DIA-305-1987-03-09-2 | スリランカ | 1987年03月09日 | 1980年代 | デ・メル蔵相は,降水量不足で農業生産が減少し,経済成長率も低下すると予測した。また,債務サービス率も昨年の25%から29%に悪化する見込み,と述べた。 |
DIA-305-1987-03-11-1 | スリランカ | 1987年03月11日 | 1980年代 | スリランカ政府は,68日間続いた燃料輸送禁止を緩和し,容疑の晴れたタミル人拘留者の釈放を決定。 |
DIA-305-1987-03-13-1 | スリランカ | 1987年03月13日 | 1980年代 | 政府はコロンボ駐在の各国大使に旱魃被害地区の救済事業への協力を要請した(約38万世帯が被災)。 |
DIA-305-1987-03-15-1 | スリランカ | 1987年03月15日 | 1980年代 | タミル・ナドゥ州のマルタヤル鉄橋爆破により,列車が転落し32名の乗客が死亡。TELOのティルチラパッリ事務所が閉鎖される(爆破の容疑を受ける)。 |
DIA-305-1987-03-15-2 | スリランカ | 1987年03月15日 | 1980年代 | 日本政府は,飲料水供給事業に2.81億ルピーを贈与。 |
DIA-305-1987-03-18-1 | スリランカ | 1987年03月18日 | 1980年代 | スリランカ問題を担当しているインドのN・シン国務相は,スリランカ政府が経済制裁を中止しなければ,インドがタミル人に食料やその他の生活必需品を供給することもありうる,と下院で明言する。 |
DIA-305-1987-03-19-1 | スリランカ | 1987年03月19日 | 1980年代 | 大蔵省は,エア・ランカの負債返済に2.3億ルピーを支出した。来月もまた1.5億ルピー返済しなければならない。過去5年間に,エア・ランカの債務56億ルピーを国庫が肩代わりして返済した,とデ・メル蔵相が言明。 |
DIA-305-1987-03-22-1 | スリランカ | 1987年03月22日 | 1980年代 | ジャフナでガソリンやディーゼルを政府軍が供給するのは軍政である,と市民団体が抗議行動を行なう。 |
DIA-305-1987-03-23-1 | スリランカ | 1987年03月23日 | 1980年代 | 東部州のセールネワ村で,5名の子供と12名の女性を含む25名のシンハラ人が,ゲリラに殺される。 |
DIA-305-1987-03-23-2 | スリランカ | 1987年03月23日 | 1980年代 | LTTEのスポークスマンは,ジャフナの電信局を政府軍から奪回したと発表。双方で10名の戦死者を出した。 |
DIA-305-1987-03-25-1 | スリランカ | 1987年03月25日 | 1980年代 | 砂糖輸入は4月から完全に民営化され,食料省による輸入は3月末で終了する。 |
DIA-305-1987-03-25-2 | スリランカ | 1987年03月25日 | 1980年代 | 兵士の雇用期間を12年から22年に改める法案を閣議決定。 |
DIA-305-1987-03-26-1 | スリランカ | 1987年03月26日 | 1980年代 | マドラスでイーラム解放諸組織と中央政府のN・シン国務相との話し合いが行なわれる。 |
DIA-305-1987-03-26-2 | スリランカ | 1987年03月26日 | 1980年代 | 母親から50ドルで買われた乳児が,西欧では7000ドルで売られている。スリランカには,約50の「ベビー工場」がある,と英紙。 |
DIA-305-1987-03-28-1 | スリランカ | 1987年03月28日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,2カ月以内に北部州と東部州とで補欠選挙を実施すると演説した。 |
DIA-305-1987-03-30-1 | スリランカ | 1987年03月30日 | 1980年代 | LTTEのジャフナ司令官クリシュナ・ラマールが手榴弾で攻撃され片足切断。2人の護衛は即死した。 |
DIA-305-1987-04-01-1 | スリランカ | 1987年04月01日 | 1980年代 | スリジャヤワルダナプラ病院の入院料を半額に引き下げ(1日に1等300,2等150,3等100ルピー)。 |
DIA-305-1987-04-05-1 | スリランカ | 1987年04月05日 | 1980年代 | LTTEはイーラム人民革命解放戦線(EPRLF)およびタミル・イーラム解放機構(TELO)に対して,司令官攻撃の報復をし140名以上を殺した,と英Times 紙報道。ジャフナ市は非公式の外出禁止状態。 |
DIA-305-1987-04-07-1 | スリランカ | 1987年04月07日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,シンハラ・タミル正月期間(10日間)の停戦をイーラム側に呼びかける。 |
DIA-305-1987-04-08-1 | スリランカ | 1987年04月08日 | 1980年代 | 日本政府は1億ルピー相当の医療機器をスリランカ各地の病院に贈与することにした。 |
DIA-305-1987-04-08-2 | スリランカ | 1987年04月08日 | 1980年代 | 「ベビー工場」の非合法化を明確にする法務省の勧告を閣議で承認した。法制化の委員会報告も閣議に提出された。 |
DIA-305-1987-04-10-1 | スリランカ | 1987年04月10日 | 1980年代 | アトラトムダリ国家治安相は,10日間の一方的停戦の実施を公式に発表(イーラム側は同意せず)。 |
DIA-305-1987-04-12-1 | スリランカ | 1987年04月12日 | 1980年代 | プレマダーサ首相がパキスタン公式訪問より帰国。約1500名のスリランカ軍人がパキスタンで訓練を受け,約40名の元英軍人(SAS)が島内で訓練している。 |
DIA-305-1987-04-13-1 | スリランカ | 1987年04月13日 | 1980年代 | D・ワディントン英移民担当相がジャヤワルダナ大統領と会談,英国の入国査証問題について話し合う。 |
DIA-305-1987-04-13-2 | スリランカ | 1987年04月13日 | 1980年代 | 300人のタミル人難民が南インドからマンナールに帰国した。これで1月以来の帰国難民は4000名に達した。 |
DIA-305-1987-04-17-1 | スリランカ | 1987年04月17日 | 1980年代 | トリンコマリー南部55kmのコロンボ道路上で,3の公営バスと2台の貨物自動車に乗っていたシンハラ人127名が機関銃で射殺された。。政府は10日間の一方的停戦を中断し,トリンコマリー全県に19日午前6時まで夜間外出禁止令を布告し,LTTEへの反撃を始めた。 |
DIA-305-1987-04-18-1 | スリランカ | 1987年04月18日 | 1980年代 | インド外務省はバス乗客虐殺事件をきびしく非難する声明を発表。LTTEは事件への関与を否定した。 |
DIA-305-1987-04-18-2 | スリランカ | 1987年04月18日 | 1980年代 | 200名の軍人と警官が非合法化されている人民解放戦線(JVP)の党員であることが判明,とPTI報道。 |
DIA-305-1987-04-19-1 | スリランカ | 1987年04月19日 | 1980年代 | JVPと関係があると見られる軍人37名が解雇された。軍隊内に2000のJVPシンパがいるという報道や,正月休み中にアッレキャレ駐屯地を襲撃した組織もJVPである,との説に軍首脳は苦慮(Weekend 紙)。 |
DIA-305-1987-04-20-1 | スリランカ | 1987年04月20日 | 1980年代 | 政府は,IMF借款24億ドルの供与に先だち,公企業の経営改善,関税政策の変更など変革に合意。 |
DIA-305-1987-04-21-1 | スリランカ | 1987年04月21日 | 1980年代 | コロンボの商業地区ピタコトゥワのバス・ターミナルで爆発事件のため,約150名が死亡した。 |
DIA-305-1987-04-22-1 | スリランカ | 1987年04月22日 | 1980年代 | 政府軍がジャフナのゲリラ基地に爆弾を投下して反撃を始めた。他方,カンケサントゥライの軍駐屯地がゲリラに襲撃され,14名の兵士が戦死した。コロンボでは夜間の外出禁止令が布告された。 |
DIA-305-1987-04-23-1 | スリランカ | 1987年04月23日 | 1980年代 | 来日中のデ・メル蔵相は倉成外相と会談し,日本の経済援助を拡大するように要請した。 |
DIA-305-1987-04-23-2 | スリランカ | 1987年04月23日 | 1980年代 | 大統領の辞職を求めて仏教僧がコロンボでデモ行進。 |
DIA-305-1987-04-26-1 | スリランカ | 1987年04月26日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領はカランデニヤの与党集会で「2年以内にテロリズム問題を解決できなければ,次の総選挙をとりやめ,国民投票で議会の任期を延期して,テロリズムを根絶する」という演説を行なった。 |
DIA-305-1987-04-27-1 | スリランカ | 1987年04月27日 | 1980年代 | 情報省は過去5日間に400人のテロリストを殺害したと発表した(空爆は本日より一時的に中止する)。 |
DIA-305-1987-04-29-1 | スリランカ | 1987年04月29日 | 1980年代 | メーデーの行事をすべて中止し,5月22日の国民英雄の日に振り替えることを閣議で決定。タイ国とゲワダ原石(ブルー・サファイア加工用)の輸出協定締結。 |
DIA-305-1987-05-01-1 | スリランカ | 1987年05月01日 | 1980年代 | 非合法のメーデー集会で警官が発砲し,2名が死亡し4名が負傷した(仏教僧200名も集会に参加)。 |
DIA-305-1987-05-01-2 | スリランカ | 1987年05月01日 | 1980年代 | タミル・ナードゥ州がジャフナ住民に食料,医薬品など320万ドル相当の救援物資を送る計画を進めている,とスリランカ政府が抗議。これに対してインド政府はスリランカ大統領のインド政府批判に抗議。 |
DIA-305-1987-05-05-1 | スリランカ | 1987年05月05日 | 1980年代 | 野党の自由党(SLFP)と大衆統一戦線(MPE)とは,議会事務局に大統領の不信任動議を提出。 |
DIA-305-1987-05-05-2 | スリランカ | 1987年05月05日 | 1980年代 | JVPが武装蜂起を準備しつつあると警察長官が報告し,大統領も与党議員に注意を喚起するよう指示。 |
DIA-305-1987-05-06-1 | スリランカ | 1987年05月06日 | 1980年代 | コロンボ大学,スリジャヤワルダナプラ大学およびペラデニヤ大学で,教員が学生に監禁される事態が相次ぎ,安全が保証されるまで講義を行なわないと決定。 |
DIA-305-1987-05-07-1 | スリランカ | 1987年05月07日 | 1980年代 | インドのヴェンカタラマン副大統領が,スリランカ・タミル人の苦境を救うため最善をつくすと言明。 |
DIA-305-1987-05-08-1 | スリランカ | 1987年05月08日 | 1980年代 | ジャフナ中央病院を閉鎖せず,「平和地帯」として認めるよう,政府がLTTEに提案した。 |
DIA-305-1987-05-10-1 | スリランカ | 1987年05月10日 | 1980年代 | スリランカ政府はインド近くの海での漁業をすべて禁止し,武器の海上輸送を防ぐ方針を発表した。そのため水産業従事者に1.5億ルピーの補償金を支払う。 |
DIA-305-1987-05-11-1 | スリランカ | 1987年05月11日 | 1980年代 | 政府は軍事支出増のため18.45億ルピーの補正予算案を議会に上程する予定(軍事費は総予算の35%)。 |
DIA-305-1987-05-11-2 | スリランカ | 1987年05月11日 | 1980年代 | 西ドイツはランデニガラ水力発電所建設に100億ルピーの借款を供与する。 |
DIA-305-1987-05-12-1 | スリランカ | 1987年05月12日 | 1980年代 | アトラトムダリ国家治安相は,ジャフナ中央病院に国際赤十字の代表を受け入れる,というLTTE側の提案を拒絶し,仏教僧なら認めてもよいと返答する。 |
DIA-305-1987-05-14-1 | スリランカ | 1987年05月14日 | 1980年代 | トリンコマリー県における地雷敷設のため,2ヵ所で軍の車両が爆破し,10名の政府軍兵士が死亡した。 |
DIA-305-1987-05-15-1 | スリランカ | 1987年05月15日 | 1980年代 | N・U・ジャヤワルダナ元中央銀行総裁が発起人になって創設した,ランカ投資信用銀行が開業した。 |
DIA-305-1987-05-16-1 | スリランカ | 1987年05月16日 | 1980年代 | デ・メル蔵相は,もしIMFの借款が得られなければ,来年度は大幅に輸入を削減しなければならず,軍事支出が増大すれば,他の歳出を抑制すると述べた。 |
DIA-305-1987-05-17-1 | スリランカ | 1987年05月17日 | 1980年代 | IMF・世界銀行のスリランカ経済調査団が来島し,財政赤字等についての実態を調査し始める。 |
DIA-305-1987-05-17-2 | スリランカ | 1987年05月17日 | 1980年代 | 政府軍の戦闘機が北部州のアイヤカッチ村近くで運行中のバスを爆撃,約50人のタミル人乗客を殺害した,とインド各紙が報道。スリランカ政府は作り話と否認。 |
DIA-305-1987-05-19-1 | スリランカ | 1987年05月19日 | 1980年代 | LTTEは,政府軍がジャフナ図書館の建物を軍事施設化しないよう,野天劇場とともに破壊した。 |
DIA-305-1987-05-20-1 | スリランカ | 1987年05月20日 | 1980年代 | タミル・ナードゥ州政府首相の難民共済基金から3000万インドルピーがLTTEに,1000万インドルピーが学生イーラム革命機構(EROS)に与えられ,それぞれの組織の銀行口座に振り込まれた。 |
DIA-305-1987-05-21-1 | スリランカ | 1987年05月21日 | 1980年代 | 政府軍とゲリラとの交戦で双方に30名を超える死者を出した。LTTEの新しいジャフナ司令官も死亡。 |
DIA-305-1987-05-23-1 | スリランカ | 1987年05月23日 | 1980年代 | ハミード外相は,タミル・ナードゥ州政府のテロリストに対する資金援助に抗議した。 |
DIA-305-1987-05-23-2 | スリランカ | 1987年05月23日 | 1980年代 | ガンディ首相はスリランカ政府にジャフナ半島での軍事攻撃を抑制するよう,駐印スリランカ大使を通じて要請を行なった。 |
DIA-305-1987-05-26-1 | スリランカ | 1987年05月26日 | 1980年代 | 48時間の外出禁止令を出して,スリランカ陸海空軍は,ジャフナ半島への「解放作戦」の大攻勢を開始。 |
DIA-305-1987-05-28-1 | スリランカ | 1987年05月28日 | 1980年代 | アトラトムダリ国家治安相は,軍事攻勢によりヴェルヴェトライを支配したと発表。 |
DIA-305-1987-05-28-2 | スリランカ | 1987年05月28日 | 1980年代 | インド首相は広く世界の世論に訴え,スリランカ政府の軍事作戦を抑制させるため,各国が圧力を加えるよう呼びかけた。 |
DIA-305-1987-05-29-1 | スリランカ | 1987年05月29日 | 1980年代 | ソ連はマハヴェリ開発事業に,7500万ドルの無利子借款を供与する(10年ぶりの巨額援助資金である)。 |
DIA-305-1987-05-31-1 | スリランカ | 1987年05月31日 | 1980年代 | ジャフナ半島では,24時間の外出禁止令が続き,激しい戦闘により,軍人と文民の双方で約400名の死者を出した(ゲリラ側は,600名の市民が殺害と主張)。 |
DIA-305-1987-06-01-1 | スリランカ | 1987年06月01日 | 1980年代 | インド政府は,赤十字の旗を上げ,救援物資を積んだ船20叟をジャフナへ向けて出港させると通告した。 これを受けて,スリランカでは緊急閣議と議会を招集。 |
DIA-305-1987-06-02-1 | スリランカ | 1987年06月02日 | 1980年代 | アンパライ県でバスがゲリラに襲撃され,乗客のうち,僧侶32名とシンハラ人4名とが殺害された。 |
DIA-305-1987-06-03-1 | スリランカ | 1987年06月03日 | 1980年代 | インド政府の救援物資を積んだ船は,スリランカ海軍に阻止され,ラーメシュワーラム港に帰還した。 |
DIA-305-1987-06-03-2 | スリランカ | 1987年06月03日 | 1980年代 | 外国人が,スリランカの子供と養子縁組をする申請を禁止,と閣議で決定。この決定は,本日より有効。 |
DIA-305-1987-06-04-1 | スリランカ | 1987年06月04日 | 1980年代 | インド空軍の輸送機が,ジェット戦闘機の護衛を受けてジャフナ上空に飛来し,パラシュートにより食料や医薬品を投下した。スリランカ空軍は阻止を断念。在コロンボのインド人約100名が,主要ホテルに避難。 |
DIA-305-1987-06-05-1 | スリランカ | 1987年06月05日 | 1980年代 | インド空軍による領空侵犯の抗議のため,ハミード外相は国連事務総長を通じて,安保理事会に通告。 |
DIA-305-1987-06-05-2 | スリランカ | 1987年06月05日 | 1980年代 | パキスタンとネパール政府は,遺憾の意を表明した。 |
DIA-305-1987-06-05-3 | スリランカ | 1987年06月05日 | 1980年代 | 南部のブーサ収容所に拘留されていた7名のタミル人青年が射殺された。 |
DIA-305-1987-06-06-1 | スリランカ | 1987年06月06日 | 1980年代 | インド政府は新たな救援物資の供与を通告した。 |
DIA-305-1987-06-07-1 | スリランカ | 1987年06月07日 | 1980年代 | コロンボ南部のコテラーワラ軍事研修アカデミーとカトナーヤカ空港にある空軍基地が,シンハラ人のJVPゲリラに襲われ,多くの武器,弾薬を奪われた。 |
DIA-305-1987-06-07-2 | スリランカ | 1987年06月07日 | 1980年代 | バングラデシュ政府は,インドの領空侵犯を非難。 |
DIA-305-1987-06-07-3 | スリランカ | 1987年06月07日 | 1980年代 | ジャフナ半島に60時間の外出禁止令が布告された。 |
DIA-305-1987-06-09-1 | スリランカ | 1987年06月09日 | 1980年代 | 8000名の民衆がインド大使官邸にデモ行進する。 |
DIA-305-1987-06-10-1 | スリランカ | 1987年06月10日 | 1980年代 | スリランカ政府は,ジャフナ半島での軍事作戦を終了し,今後は和平交渉に向かうと表明した。 |
DIA-305-1987-06-10-2 | スリランカ | 1987年06月10日 | 1980年代 | 今回の作戦で拘留のタミル青年中,450名を釈放。 |
DIA-305-1987-06-11-1 | スリランカ | 1987年06月11日 | 1980年代 | ハミード外相がインド大使と緊急援助を協議。 |
DIA-305-1987-06-11-2 | スリランカ | 1987年06月11日 | 1980年代 | 北部と東部で地雷のため,34名が爆死し25名が負傷。 |
DIA-305-1987-06-13-1 | スリランカ | 1987年06月13日 | 1980年代 | スリランカはSAARCに出席することを決定。 |
DIA-305-1987-06-15-1 | スリランカ | 1987年06月15日 | 1980年代 | スリランカ政府,インドの救援物資をカンケサントゥライ港で,赤十字を通じ受け入れることに合意。 |
DIA-305-1987-06-17-1 | スリランカ | 1987年06月17日 | 1980年代 | SLFPは,9月に予定の地方選挙に反対。 |
DIA-305-1987-06-17-2 | スリランカ | 1987年06月17日 | 1980年代 | 日本の援助で実施される大コロンボ圏の電信電話網事業(9.85億ルピーの工事費)を,丸紅が受注する。 |
DIA-305-1987-06-18-1 | スリランカ | 1987年06月18日 | 1980年代 | ハミード外相はSAARC外相会議で主権を尊重し,内政干渉を行なわないよう域内憲章の必要を強調。 |
DIA-305-1987-06-19-1 | スリランカ | 1987年06月19日 | 1980年代 | PL480号にもとづく借款により,米国から小麦を4.8万トン輸入する契約を結ぶ(トン当たり79ドル)。 |
DIA-305-1987-06-22-1 | スリランカ | 1987年06月22日 | 1980年代 | 日本政府は193.75億円の公的開発援助をスリランカに対して行なうと発表(うち35億円が商品援助)。 |
DIA-305-1987-06-23-1 | スリランカ | 1987年06月23日 | 1980年代 | LTTEはインドの救援物資がジャフナで配分されるまで,軍事行動をすべて停止すると発表した。 |
DIA-305-1987-06-24-1 | スリランカ | 1987年06月24日 | 1980年代 | 大統領は,北部と東部の補欠選挙候補者届出日を7月15日と告示。しかし,野党はただちに反対を表明。 |
DIA-305-1987-06-25-1 | スリランカ | 1987年06月25日 | 1980年代 | インドの救援物資を積んだ貨物船がジャフナ着。 |
DIA-305-1987-06-25-2 | スリランカ | 1987年06月25日 | 1980年代 | パリでスリランカ援助国会議を開催。翌26日に合計,182.5億ルピー(6.25億ドル)の援助が約束された。 |
DIA-305-1987-06-26-1 | スリランカ | 1987年06月26日 | 1980年代 | 警察はJVPの容疑者65人を逮捕した,と発表。 |
DIA-305-1987-06-28-1 | スリランカ | 1987年06月28日 | 1980年代 | トリンコマリー南部にあるムットウールのLTTEの基地を政府軍が襲い,12名のゲリラ戦士を殺害。 |
DIA-305-1987-06-29-1 | スリランカ | 1987年06月29日 | 1980年代 | 5月上旬以来閉鎖されていた各大学が,本日より段階的に講義を再開する。ケラニヤ大学のみ再開未定。 |
DIA-305-1987-07-01-1 | スリランカ | 1987年07月01日 | 1980年代 | V・ペレーラ議会問題・スポーツ相は,与党のコロンボ市議会選挙候補者リストに反対して議員を辞職。 |
DIA-305-1987-07-01-2 | スリランカ | 1987年07月01日 | 1980年代 | 道路開発局の民営化を進める建設相提案を閣議承認。 |
DIA-305-1987-07-02-1 | スリランカ | 1987年07月02日 | 1980年代 | ワシントン市で米国議員の主催するスリランカ問題討論会が開かれ,独裁政治への批判が行なわれた。 |
DIA-305-1987-07-03-1 | スリランカ | 1987年07月03日 | 1980年代 | インドとスリランカの両政府は,ジャフナ半島への救援物資輸送をあと4船分計1万トンにすると合意。 |
DIA-305-1987-07-05-1 | スリランカ | 1987年07月05日 | 1980年代 | M・テンナコーン前議員は,北部州の補欠選挙に出馬するため,ジャフナ旅行中にLTTEに拘束さる。 |
DIA-305-1987-07-05-2 | スリランカ | 1987年07月05日 | 1980年代 | 南部のゴール県で与党の地方選挙候補者が暗殺さる。 |
DIA-305-1987-07-06-1 | スリランカ | 1987年07月06日 | 1980年代 | 北部のネルアディ兵舎が爆破され,16名が死亡。LTTEは,100名の兵士を戦死させたとの戦果を発表。 |
DIA-305-1987-07-08-1 | スリランカ | 1987年07月08日 | 1980年代 | 議会の補正予算審議。陸海空軍と警察の予算額は,35.07億,13.13億,19.20億,17.53億ルピーに。 |
DIA-305-1987-07-09-1 | スリランカ | 1987年07月09日 | 1980年代 | 最高裁の判決に従い,拷問を行なったパーナドゥラ地区の警官4名に停職処分が発令された。 |
DIA-305-1987-07-12-1 | スリランカ | 1987年07月12日 | 1980年代 | カナダ大西洋岸にスリランカ・タミル難民157名がボートで上陸し,全員がカナダへの亡命を希望。 |
DIA-305-1987-07-13-1 | スリランカ | 1987年07月13日 | 1980年代 | 与党はコロンボ北部議員にV・ペレーラを指名。 |
DIA-305-1987-07-13-2 | スリランカ | 1987年07月13日 | 1980年代 | 北部のワダマラッチ地区で戦闘,戦死者計23名。 |
DIA-305-1987-07-14-1 | スリランカ | 1987年07月14日 | 1980年代 | 北部州と東部州の補欠選挙は無期延期された。 |
DIA-305-1987-07-14-2 | スリランカ | 1987年07月14日 | 1980年代 | 公務員医師組合は,私立医科大の試験に反対して,主要病院でストライキを宣言。 |
DIA-305-1987-07-14-3 | スリランカ | 1987年07月14日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領はインドのディクシト大使と会談し,東部州と北部州を単一の行政単位にする和平案を検討(Sun 紙報道)。 |
DIA-305-1987-07-16-1 | スリランカ | 1987年07月16日 | 1980年代 | ディクシト大使は,大統領と12名の閣僚に会い新しい和平提案について話し合う(内容は未公表)。 |
DIA-305-1987-07-17-1 | スリランカ | 1987年07月17日 | 1980年代 | デ・メル蔵相は,民族問題の和平達成後に公務員の給与を引き上げると言明,政治的解決の必要を強調。 |
DIA-305-1987-07-18-1 | スリランカ | 1987年07月18日 | 1980年代 | ディクシト大使が和平交渉の報告に帰国する。 |
DIA-305-1987-07-18-2 | スリランカ | 1987年07月18日 | 1980年代 | プレマダーサ首相が名古屋での会議参加のため来日。 |
DIA-305-1987-07-19-1 | スリランカ | 1987年07月19日 | 1980年代 | 看護婦労組も公務員医師のストライキに加わる。 |
DIA-305-1987-07-19-2 | スリランカ | 1987年07月19日 | 1980年代 | 政府部内で和平案について意見対立。6閣僚が東部州と北部州の統合に反対,首相帰国後に決定せよと主張。 |
DIA-305-1987-07-20-1 | スリランカ | 1987年07月20日 | 1980年代 | プレマダーサ首相がNHK放送でインドを批判。 |
DIA-305-1987-07-20-2 | スリランカ | 1987年07月20日 | 1980年代 | 政府はスト中の2000名の医師と6000名の看護婦に対して,22日までに職場復帰しなければ解雇と通告。 |
DIA-305-1987-07-21-1 | スリランカ | 1987年07月21日 | 1980年代 | メノン外務次官はマドラスで,イーラム解放運動の指導者達に会い,和平案について意見を交換した。 |
DIA-305-1987-07-22-1 | スリランカ | 1987年07月22日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は同政権の10周年記念集会で,交渉によって民族問題を解決すると言明した。 |
DIA-305-1987-07-23-1 | スリランカ | 1987年07月23日 | 1980年代 | 与党の議員総会でジャヤワルダナ大統領は,17項目の和平案を説明し,首相不在のまま承認を得た。 |
DIA-305-1987-07-23-2 | スリランカ | 1987年07月23日 | 1980年代 | V・ペレーラ議員を議会問題・スポーツ相に再任。 |
DIA-305-1987-07-24-1 | スリランカ | 1987年07月24日 | 1980年代 | LTTEプラバカラン委員長は,インド軍用機でニューデリーに飛び,インド政府首脳と話し合い。 |
DIA-305-1987-07-26-1 | スリランカ | 1987年07月26日 | 1980年代 | 僧・俗の民族主義団体「祖国を守る会」(MSU)は,和平案は民族の裏切りであるとの声明発表。 |
DIA-305-1987-07-26-2 | スリランカ | 1987年07月26日 | 1980年代 | プレマダーサ首相が日本より帰国し,和平案を検討。 |
DIA-305-1987-07-27-1 | スリランカ | 1987年07月27日 | 1980年代 | 和平協定調印のためガンディー首相が29日にスリランカを訪問する,とインド政府が公式発表を行なう。 |
DIA-305-1987-07-27-2 | スリランカ | 1987年07月27日 | 1980年代 | 2時間半にわたる閣議の後和平協定に関する発表は行なわれなかった。プレマダーサ首相は調印延期を主張。 |
DIA-305-1987-07-27-3 | スリランカ | 1987年07月27日 | 1980年代 | ニューデリーでLTTE指導部の説得工作が続く。しかし,プラバカランは和平協定を支持できないと表明。 |
DIA-305-1987-07-28-1 | スリランカ | 1987年07月28日 | 1980年代 | コロンボで和平協定に反対する暴動のため,政府の役所,政府新聞社,公営バスなど焼き討ち。2人の仏教僧を含む19名が警官隊に殺され,36時間外出禁止令。 |
DIA-305-1987-07-29-1 | スリランカ | 1987年07月29日 | 1980年代 | ガンディ首相が来島,ジャヤワルダナ大統領との和平協定(「参考資料」参照)に調印。スリランカの首相と農相は欠席。暴動拡大し,さらに15名の死者を出す。コロンボ以外の南部主要都市でも警察など襲わる。 |
DIA-305-1987-07-30-1 | スリランカ | 1987年07月30日 | 1980年代 | ガンディー首相がスリランカ儀杖兵に打たれる。和平協定実施のため3000名のインド平和維持軍進駐。 |
DIA-305-1987-07-31-1 | スリランカ | 1987年07月31日 | 1980年代 | ジャフナ半島のLTTEは,プラバカラン委員長の帰国まで和平協定による武装解除をしないと主張。 |
DIA-305-1987-07-31-2 | スリランカ | 1987年07月31日 | 1980年代 | 南部を旅行中のウェーラシンハ与党議員射殺さる。 |
DIA-305-1987-08-01-1 | スリランカ | 1987年08月01日 | 1980年代 | 北部から政府軍撤退する。 |
DIA-305-1987-08-01-2 | スリランカ | 1987年08月01日 | 1980年代 | 和平協定調印後の暴動でコロンボの死者は少なくとも60名に達する。 |
DIA-305-1987-08-01-3 | スリランカ | 1987年08月01日 | 1980年代 | インドのフリゲート艦2隻がコロンボ沖合に停泊。 |
DIA-305-1987-08-02-1 | スリランカ | 1987年08月02日 | 1980年代 | LTTEのプラバカラン委員長がマドラス空港からジャフナに帰り,武装解除の方式を検討し始める。 |
DIA-305-1987-08-02-2 | スリランカ | 1987年08月02日 | 1980年代 | 今回の暴動で公営バス被害は35億ルピーと算定。 |
DIA-305-1987-08-03-1 | スリランカ | 1987年08月03日 | 1980年代 | インド軍はトリンコマリーから,10台の戦車を含む250台の軍用車を上陸させ,兵員も6500名に増強。 |
DIA-305-1987-08-04-1 | スリランカ | 1987年08月04日 | 1980年代 | プラバカランがジャフナ北郊で開かれた10万人の大集会で,LTTEは和平協定を尊重すると演説。 |
DIA-305-1987-08-05-1 | スリランカ | 1987年08月05日 | 1980年代 | ジャフナのパラリー空港でLTTEの武器引き渡し式が行なわれた。 |
DIA-305-1987-08-05-2 | スリランカ | 1987年08月05日 | 1980年代 | 政府は8月15日の地方選挙を延期。 |
DIA-305-1987-08-06-1 | スリランカ | 1987年08月06日 | 1980年代 | 政府軍もキャンプに拘留していたタミル青年のうち,和平特赦の第1陣として291名を釈放。 |
DIA-305-1987-08-07-1 | スリランカ | 1987年08月07日 | 1980年代 | 日本政府は,スリランカのマラリア対策に15万ドルの緊急援助を行なうことを,閣議で決定した。 |
DIA-305-1987-08-07-2 | スリランカ | 1987年08月07日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領,ロンドン・タイムズ紙の会見で最大の難問は南部のテロリズムである,と答える。 |
DIA-305-1987-08-09-1 | スリランカ | 1987年08月09日 | 1980年代 | プレマダーサ首相は,調印後はじめての公開演説で,大統領に全幅の信頼を持っていることを表明した。 |
DIA-305-1987-08-10-1 | スリランカ | 1987年08月10日 | 1980年代 | 東部州でLTTEの武器引き渡しが開始。 |
DIA-305-1987-08-10-2 | スリランカ | 1987年08月10日 | 1980年代 | 公務員医師労組,ストライキ中止を決定。 |
DIA-305-1987-08-12-1 | スリランカ | 1987年08月12日 | 1980年代 | 倉成外相がジャヤワルダナ大統領,首相,外相,蔵相と会談。サマナラウェア水力発電第Ⅱ期事業に129.2億円,コロンボ港開発第Ⅲ期事業に19.55億円および商品援助に35億円を借款で供与する交換公文に調印。 |
DIA-305-1987-08-12-2 | スリランカ | 1987年08月12日 | 1980年代 | ジャフナで地雷撤去作業中のD・シン少佐と下士官1人が爆死。2名負傷。インド進駐軍の最初の犠牲。 |
DIA-305-1987-08-14-1 | スリランカ | 1987年08月14日 | 1980年代 | 和平後の経済復興のため,スリランカ援助特別会議を早急に開催する予定,と世界銀行が発表した。 |
DIA-305-1987-08-15-1 | スリランカ | 1987年08月15日 | 1980年代 | LTTEのジャフナ司令官は,民衆の安全が保障されるまで,自分たちの武装解除を中断すると宣言。 |
DIA-305-1987-08-16-1 | スリランカ | 1987年08月16日 | 1980年代 | M・テンナコーン議員はLTTEから解放さる。 |
DIA-305-1987-08-18-1 | スリランカ | 1987年08月18日 | 1980年代 | 国会議事堂で開催中の与党議員総会で手榴弾が爆発,アベイヴィクラマ議員と議会職員1名が死亡。アトラトムダリ国家治安相が重傷。他数名の閣僚が負傷。 |
DIA-305-1987-08-20-1 | スリランカ | 1987年08月20日 | 1980年代 | プレマダーサ首相は,和平協定調印式への欠席はインドの領空侵犯に抗議した行為,と議会演説。 |
DIA-305-1987-08-23-1 | スリランカ | 1987年08月23日 | 1980年代 | ディクシト・インド大使は,あと数日でイーラム解放諸組織の武装解除が完了する見込み,と言明。 |
DIA-305-1987-08-25-1 | スリランカ | 1987年08月25日 | 1980年代 | 和平協定に強く反対するバンダーラナーヤカSLFP委員長からTULF書記長あての書簡,公表。 |
DIA-305-1987-08-27-1 | スリランカ | 1987年08月27日 | 1980年代 | 行方不明の議会職員アジットクマーラの捜査協力者に100万ルピーの賞金を出す,と警察庁が呼びかけ。 |
DIA-305-1987-08-27-2 | スリランカ | 1987年08月27日 | 1980年代 | 北部と東部の自警組織1万名が武装解除を完了。 |
DIA-305-1987-08-30-1 | スリランカ | 1987年08月30日 | 1980年代 | ロンドンで麻薬密輸がLTTEの資金集めのために行なわれている実情を,『日曜タイムズ』紙記者が調査し報告。 |
DIA-305-1987-08-31-1 | スリランカ | 1987年08月31日 | 1980年代 | スリランカ放送公社の訓練センターが,日本政府の経済援助(工費34億ルピー)により設立される。 |
DIA-305-1987-09-01-1 | スリランカ | 1987年09月01日 | 1980年代 | 州議会選挙までの暫定行政府長官に2名の元ジャフナ知事を内定し,州評議会議員をLTTEに3名,TULFに2名,EROSに1名,シンハラ人とムスリム代表に各1名割り当て,任命する,とIsland 紙が報道。 |
DIA-305-1987-09-02-1 | スリランカ | 1987年09月02日 | 1980年代 | 和平協定後警察行政を担当していたLTTEが表面的には武装解除されたので,ジャフナ市では無政府状態となり犯罪が増加,とTimes of India 紙が報道。 |
DIA-305-1987-09-03-1 | スリランカ | 1987年09月03日 | 1980年代 | ムットゥールでムスリムの郡長が射殺され,ムスリム住民がタミル人商店を攻撃。外出禁止令布告。 |
DIA-305-1987-09-04-1 | スリランカ | 1987年09月04日 | 1980年代 | 干害の救援物資65.5万ドル相当額を米国が贈与。 |
DIA-305-1987-09-05-1 | スリランカ | 1987年09月05日 | 1980年代 | バッティカロア県でLTTEが警察行政のあり方に抗議して,東部州全体のストライキを呼びかけた。 |
DIA-305-1987-09-07-1 | スリランカ | 1987年09月07日 | 1980年代 | ジャフナのインド進駐軍司令部前で,LTTEの抗議デモが行なわれた。和平協定以降,7人もの同志が他の党派によって殺されたが,インド軍が保護してくれなかった,という。 |
DIA-305-1987-09-07-2 | スリランカ | 1987年09月07日 | 1980年代 | インド政府は,1920万ドルの贈与と1540万ドルの借款を供与すると約束した。 |
DIA-305-1987-09-09-1 | スリランカ | 1987年09月09日 | 1980年代 | ヴァブニヤ地区におけるLTTEとPLOTとの抗争で計32名の死者を出す。 |
DIA-305-1987-09-10-1 | スリランカ | 1987年09月10日 | 1980年代 | LTTEとムスリム住民との抗争で,東部州カルムナイの約15商店が焼打ち,車両も数台壊される。 |
DIA-305-1987-09-11-1 | スリランカ | 1987年09月11日 | 1980年代 | 日系合弁企業のヒルトン・ホテルが開業する。 |
DIA-305-1987-09-13-1 | スリランカ | 1987年09月13日 | 1980年代 | LTTEとPLOT,TELOおよびEPRLFの3組織とがバッティカロアで衝突し,22名が死亡。 |
DIA-305-1987-09-14-1 | スリランカ | 1987年09月14日 | 1980年代 | LTTEとインド軍との最初の武力対決が東部州のエラウールで発生。 |
DIA-305-1987-09-14-2 | スリランカ | 1987年09月14日 | 1980年代 | LTTEとその他3ゲリラ組織との抗争激化。各地で80人が殺された。3組織は和平協定支持。 |
DIA-305-1987-09-14-3 | スリランカ | 1987年09月14日 | 1980年代 | ナッルール寺院でLTTEの100名が,次の5要求を掲げてハンスト。(1)全てのタミル人拘留者釈放,(2)タミル地区へのシンハラ人入植中止,(3)自治政府の成立までは入植事業を停止,(4)タミル地区の警察署再開を中止,(5)農村や学校の軍と警察のキャンプ閉鎖,である。 |
DIA-305-1987-09-16-1 | スリランカ | 1987年09月16日 | 1980年代 | スリランカの新聞報道の検閲が解除された。 |
DIA-305-1987-09-17-1 | スリランカ | 1987年09月17日 | 1980年代 | LTTEの要求で新設の3警察署が閉鎖された。 |
DIA-305-1987-09-18-1 | スリランカ | 1987年09月18日 | 1980年代 | インド放送は,過去数日間LTTEがあらゆる方法を用いて,和平協定の実施を妨げている,と批判。 |
DIA-305-1987-09-19-1 | スリランカ | 1987年09月19日 | 1980年代 | 議会爆破事件で入院し,手術を受けていたアトラトムダリ国家治安相が,ほぼ全快して退院した。 |
DIA-305-1987-09-21-1 | スリランカ | 1987年09月21日 | 1980年代 | 州政府による自治権の範囲に関し,インド・スリランカ両政府の事務レベルでの話し合いで結論に到達。 |
DIA-305-1987-09-21-2 | スリランカ | 1987年09月21日 | 1980年代 | LTTEは9名の州評議会議員の候補リストを提出。 |
DIA-305-1987-09-22-1 | スリランカ | 1987年09月22日 | 1980年代 | 20名のPLOTメンバーがヴァヴニヤでLTTEに殺される。 |
DIA-305-1987-09-22-2 | スリランカ | 1987年09月22日 | 1980年代 | UNPウェリポタ支部長が射殺される。 |
DIA-305-1987-09-23-1 | スリランカ | 1987年09月23日 | 1980年代 | インドの中央警察機動隊1200名がスリランカに派遣。平和維持軍も2個師団に増強される予定。 |
DIA-305-1987-09-23-2 | スリランカ | 1987年09月23日 | 1980年代 | マンナールで平和維持軍がLTTEのデモ隊に発砲。 |
DIA-305-1987-09-23-3 | スリランカ | 1987年09月23日 | 1980年代 | モハメッド運輸相がインド政府と協力,マンナールとラーメシュワーラム間のフェリー便を1月に再開。 |
DIA-305-1987-09-24-1 | スリランカ | 1987年09月24日 | 1980年代 | UNPラトガマ選出議員が和平協定反対で辞任。 |
DIA-305-1987-09-26-1 | スリランカ | 1987年09月26日 | 1980年代 | LTTE幹部のディリーパンガ,ハンスト12日目に死亡。ジャフナ市の商店や事務所は,すべて休業。 |
DIA-305-1987-09-27-1 | スリランカ | 1987年09月27日 | 1980年代 | 第3回目のディクシト大使とプラバカラン委員長との会談で,暫定政府についての妥協点に達した。 |
DIA-305-1987-09-29-1 | スリランカ | 1987年09月29日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,暫定州評議会の12議員を任命する。LTTE 7名,TULF 2名,シンハラ人2名,ムスリム1名の予定で,他のグループは除外。 |
DIA-305-1987-09-30-1 | スリランカ | 1987年09月30日 | 1980年代 | 州政府設置法案が閣議で承認され,官報に掲載。 |
DIA-305-1987-10-01-1 | スリランカ | 1987年10月01日 | 1980年代 | 平等社会党本部,共産党本部,共産党の元教育副大臣などがゲリラに襲われる。トリンコマリーでインド兵がスリランカ軍に撃たれて死亡。負傷兵1名。 |
DIA-305-1987-10-01-2 | スリランカ | 1987年10月01日 | 1980年代 | インドから帰国途上のLTTE17名が海軍に逮捕。 |
DIA-305-1987-10-02-1 | スリランカ | 1987年10月02日 | 1980年代 | LTTEはパドマナーダンを暫定州政府長官に任命しなければ,大統領提案を拒否するとの声明を発表。 |
DIA-305-1987-10-04-1 | スリランカ | 1987年10月04日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,インド軍に対してトリンコマリー県の治安を回復するよう,強く要求した。 |
DIA-305-1987-10-05-1 | スリランカ | 1987年10月05日 | 1980年代 | スリランカ海軍に逮捕されたLTTE17名はコロンボ移送に反対して青酸カリを服毒,12名が死亡。 |
DIA-305-1987-10-06-1 | スリランカ | 1987年10月06日 | 1980年代 | 5月23日にLTTEの捕虜になった8名のスリランカ政府軍兵士が,他6名の公務員と共に処刑。プラバカラン委員長は和平協定の停戦順守せずと通告。 |
DIA-305-1987-10-07-1 | スリランカ | 1987年10月07日 | 1980年代 | 東部州で約140名のシンハラ人が虐殺された。 |
DIA-305-1987-10-08-1 | スリランカ | 1987年10月08日 | 1980年代 | バッティカロア県知事と県警本部長を含む23名が地雷のため爆死。インド陸軍総司令官が東部州を視察。 |
DIA-305-1987-10-09-1 | スリランカ | 1987年10月09日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,和平協定による特赦をLTTEに適用しないと発表。 |
DIA-305-1987-10-09-2 | スリランカ | 1987年10月09日 | 1980年代 | 与党系労組JSSのコロンボ港支部が爆破され,3名が死亡,8名が負傷した。 |
DIA-305-1987-10-09-3 | スリランカ | 1987年10月09日 | 1980年代 | インドのパント国防相が来島し,大統領と協議。 |
DIA-305-1987-10-12-1 | スリランカ | 1987年10月12日 | 1980年代 | 前日よりLTTEへの攻勢を開始したインド軍は,3日間で163名を殺した。18名のインド兵が戦死し,約80名が負傷した。LTTEの捕虜は260名と発表さる。 |
DIA-305-1987-10-14-1 | スリランカ | 1987年10月14日 | 1980年代 | 30名のインド兵がLTTEの攻撃で戦死した。 |
DIA-305-1987-10-14-2 | スリランカ | 1987年10月14日 | 1980年代 | 1988年度予算概要を閣議決定(歳出838億ルピー)。 |
DIA-305-1987-10-15-1 | スリランカ | 1987年10月15日 | 1980年代 | 20名のインド兵が遠隔操作の地雷爆破で戦死し,18名が捕虜となってLTTEに捕われている。タミル・ナードゥ州警察は,州内のLTTE要員の検挙開始。 |
DIA-305-1987-10-16-1 | スリランカ | 1987年10月16日 | 1980年代 | LTTEの拠点ウルンピライが127名の戦死者を出して陥落。インド軍の進撃が市民の抵抗に遭遇する。 |
DIA-305-1987-10-18-1 | スリランカ | 1987年10月18日 | 1980年代 | インド軍はジャフナ市を包囲し,LTTE全面降伏と武装解除を求める。LTTEは停戦を提案した。 |
DIA-305-1987-10-19-1 | スリランカ | 1987年10月19日 | 1980年代 | トリンコマリーでバスが爆破され乗客42名死亡。 |
DIA-305-1987-10-20-1 | スリランカ | 1987年10月20日 | 1980年代 | インド軍約6000名増派,計2万名となる。 |
DIA-305-1987-10-21-1 | スリランカ | 1987年10月21日 | 1980年代 | バンダーラナーヤカ元首相,国内の一部分だけで国民投票を行ない,州統合を決めるのは違憲と主張。 |
DIA-305-1987-10-23-1 | スリランカ | 1987年10月23日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,トリンコマリー港をインドの利益に反して他国に利用させないよう,両国間の友好条約を締結する用意がある,とBMICHで演説。 |
DIA-305-1987-10-24-1 | スリランカ | 1987年10月24日 | 1980年代 | SLFPのジャコディ議員は北・東部州情報がインド大使館に独占されている,と議会で不満を表明。 |
DIA-305-1987-10-24-2 | スリランカ | 1987年10月24日 | 1980年代 | ジャフナで700名の市民が死傷したと市民団体発表。 |
DIA-305-1987-10-24-3 | スリランカ | 1987年10月24日 | 1980年代 | ジャフナでLTTEの船4隻が撃沈,61名が死亡。 |
DIA-305-1987-10-25-1 | スリランカ | 1987年10月25日 | 1980年代 | キャンディ市のインド総領事館で手榴弾が爆裂。 |
DIA-305-1987-10-26-1 | スリランカ | 1987年10月26日 | 1980年代 | ジャフナのインド軍は,LTTEの掃討作戦を始める。半島内の難民に救援物資の配給を行なう。 |
DIA-305-1987-10-27-1 | スリランカ | 1987年10月27日 | 1980年代 | デ・メル蔵相は,和平が達成されなければ,世界銀行主催の特別援助会議は開催されない,と憂慮表明。 |
DIA-305-1987-10-28-1 | スリランカ | 1987年10月28日 | 1980年代 | スリランカの株式市場は,世界的な暴落の影響を受けず株価が安定している。 |
DIA-305-1987-10-28-2 | スリランカ | 1987年10月28日 | 1980年代 | 捕虜になっていたインド軍兵士7名の死体が,コクヴィルで発見された。 |
DIA-305-1987-10-29-1 | スリランカ | 1987年10月29日 | 1980年代 | N・シン国務相が来島し,ジャヤワルダナ大統領と会談し「最悪の時期は終わった」と記者会見で言明。 |
DIA-305-1987-10-30-1 | スリランカ | 1987年10月30日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領,和平協定以降38名のUNP党員がJVPのテロリストに暗殺された,と言明。 |
DIA-305-1987-11-01-1 | スリランカ | 1987年11月01日 | 1980年代 | クルネゲラの輸出振興村は,昨年600万ルピーの非伝統品目の輸出を達成した,と輸出開発局が発表。 |
DIA-305-1987-11-02-1 | スリランカ | 1987年11月02日 | 1980年代 | 12名のインド行政官がインド平和維持軍と協力して,ジャフナ半島の復旧事業を担当する。 |
DIA-305-1987-11-03-1 | スリランカ | 1987年11月03日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領はSAARC会議参加。 |
DIA-305-1987-11-04-1 | スリランカ | 1987年11月04日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領がニューデリーに着き,ガンディー首相とスリランカ情勢について協議。 |
DIA-305-1987-11-04-2 | スリランカ | 1987年11月04日 | 1980年代 | インド軍は,ヴェルヴェティドライ町を解放。LTTE側は死者12名,捕虜700名を出し,休戦を提案。 |
DIA-305-1987-11-05-1 | スリランカ | 1987年11月05日 | 1980年代 | ガンディー首相はLTTE案を拒否し降伏を要求。 |
DIA-305-1987-11-06-1 | スリランカ | 1987年11月06日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,州議会法案の修正を求めるTULF案を拒否し,決定を議会に託すと発言。 |
DIA-305-1987-11-07-1 | スリランカ | 1987年11月07日 | 1980年代 | UNP支持者の弁護士,警官,村役人が,3カ所で射殺されたが,いずれも犯人は検挙されていない。 |
DIA-305-1987-11-09-1 | スリランカ | 1987年11月09日 | 1980年代 | コロンボのマラダナ地区で自動車爆弾が爆発,50名以上が爆死し,199名が負傷した。警察はLTTEとJVPの双方の可能性を考え,捜査をはじめた。 |
DIA-305-1987-11-09-2 | スリランカ | 1987年11月09日 | 1980年代 | 州議会法案のなかで最高裁が国民投票が必要と判定した条項を,政府は法案から削除することに決定した。 |
DIA-305-1987-11-10-1 | スリランカ | 1987年11月10日 | 1980年代 | 州議会法案の審議に抵抗して50地区で暴力事件。 |
DIA-305-1987-11-11-1 | スリランカ | 1987年11月11日 | 1980年代 | G・ジャヤスーリャ農業開発相は,州議会法案に反対して,大臣と議員の双方を辞任。 |
DIA-305-1987-11-12-1 | スリランカ | 1987年11月12日 | 1980年代 | 州議会法案と第13次憲法改正案,138対11で可決される。ハクマナとカンブリピティア選出の2議員は棄権して与党を除名され,議席も失う。共産党は賛成。 |
DIA-305-1987-11-13-1 | スリランカ | 1987年11月13日 | 1980年代 | 州議会法は成立したが,州議会選挙を実施するための選挙法の改正が必要である。北部と東部での情勢が正常化せず,政府は和平協定による年内選挙を断念。 |
DIA-305-1987-11-13-2 | スリランカ | 1987年11月13日 | 1980年代 | ティサマハラマUNP支部書記長がJVPに射殺さる。 |
DIA-305-1987-11-13-3 | スリランカ | 1987年11月13日 | 1980年代 | PLOTのメンバー13名を含む27名のタミル人,マンナール県チェティクラムでバス走行中に地雷で爆死。 |
DIA-305-1987-11-14-1 | スリランカ | 1987年11月14日 | 1980年代 | ポロンナルワ警察署長宅,襲撃。 |
DIA-305-1987-11-14-2 | スリランカ | 1987年11月14日 | 1980年代 | 第二世界銀行とアジア開発銀行から,中小企業融資のため,それぞれ2000万ドルの借款を受ける。 |
DIA-305-1987-11-17-1 | スリランカ | 1987年11月17日 | 1980年代 | デ・メル蔵相が予算演説を行なう。1988年1月から公務員給与を2段階に分けて,総額30億ルピー増額。食糧切符予算1.8億ルピー増額。学童のビスケット給食に1億ルピー。個人所得税の最高課税率50%を40%に引下げ。財政赤字は史上最高の365億ルピーに達する見込み。 |
DIA-305-1987-11-19-1 | スリランカ | 1987年11月19日 | 1980年代 | LTTEの航空機製造工場をインド軍が占拠。 |
DIA-305-1987-11-20-1 | スリランカ | 1987年11月20日 | 1980年代 | 21日午前7時より48時間の停戦を実施する,とN・シン国務相がインド下院で発表。前日LTTEが無条件で18名のインド兵捕虜を釈放したのに応えた。 |
DIA-305-1987-11-20-2 | スリランカ | 1987年11月20日 | 1980年代 | 10月10日以来,262名のインド兵が戦死,927名負傷。 |
DIA-305-1987-11-23-1 | スリランカ | 1987年11月23日 | 1980年代 | LTTEがインド軍に10月10日以前の位置に後退させる攻勢に出,インドは一方的停戦の延長を拒否。 |
DIA-305-1987-11-26-1 | スリランカ | 1987年11月26日 | 1980年代 | 南部地域で,JVPによると見られる電柱に縛る処刑がマクレッサのカッタワで発見された。 |
DIA-305-1987-11-26-2 | スリランカ | 1987年11月26日 | 1980年代 | 民族抗争による直接的な被害は700億ルピーと蔵相言明。家を失った難民が,42万8461人に達した,と復興省発表。 |
DIA-305-1987-11-27-1 | スリランカ | 1987年11月27日 | 1980年代 | ムライティヴで7名のインド兵が射殺される。 |
DIA-305-1987-11-29-1 | スリランカ | 1987年11月29日 | 1980年代 | 政府系新聞の輸送車が,南部地方で攻撃さる。 |
DIA-305-1987-12-02-1 | スリランカ | 1987年12月02日 | 1980年代 | 非合法活動取締本部長のT・ペレーラ警視が,乗用車で出勤途上射殺された。 |
DIA-305-1987-12-02-2 | スリランカ | 1987年12月02日 | 1980年代 | バッティカロアでLTTEと交戦し,インド兵9名戦死,7名負傷。 |
DIA-305-1987-12-04-1 | スリランカ | 1987年12月04日 | 1980年代 | パリの特別援助会議で3年間の復興事業に計4.93億ドルの経済援助が,スリランカ政府に約束された。 |
DIA-305-1987-12-04-2 | スリランカ | 1987年12月04日 | 1980年代 | 日本政府は207.06億円の復興事業への借款と,48億円の農業水利事業への借款を供与する方針を発表した。 |
DIA-305-1987-12-05-1 | スリランカ | 1987年12月05日 | 1980年代 | 農相の辞任による空席を埋めるため内閣改造。 |
DIA-305-1987-12-05-2 | スリランカ | 1987年12月05日 | 1980年代 | 32名のムスリム住民が東部州でインド兵に殺された,とバッティカロア選出のシンナレッベ議員が調査を要求。 |
DIA-305-1987-12-06-1 | スリランカ | 1987年12月06日 | 1980年代 | 非合法下のJVPが,2.5万人のインド軍撤退を求め,武装蜂起を呼びかけるパンフレットを配布。 |
DIA-305-1987-12-08-1 | スリランカ | 1987年12月08日 | 1980年代 | インド海軍は,タミル人反乱軍を輸送中のボート50隻を捕獲もしくは撃沈,とニューデリーで発表。 |
DIA-305-1987-12-09-1 | スリランカ | 1987年12月09日 | 1980年代 | ジャフナの市民生活は正常化され,各種の公的機関も日常業務を再開,とディキシト大使発表。 |
DIA-305-1987-12-11-1 | スリランカ | 1987年12月11日 | 1980年代 | ヴァヴニヤ地区で15名のLTTEが,TELOの武装集団に攻撃されて死亡。TELO側の死者は1名。 |
DIA-305-1987-12-12-1 | スリランカ | 1987年12月12日 | 1980年代 | TULFはLTTEに武装放棄を呼びかける。 |
DIA-305-1987-12-12-2 | スリランカ | 1987年12月12日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領は,600~700名のインド兵が和平協定後に戦死したがスリランカ兵は一人も戦死していない,インド軍の介入で賃上げも可能になると言明。 |
DIA-305-1987-12-13-1 | スリランカ | 1987年12月13日 | 1980年代 | インド外務省は戦死者は319名のみと反論。 |
DIA-305-1987-12-15-1 | スリランカ | 1987年12月15日 | 1980年代 | インド軍に協力したタミル人6名が殺される。 |
DIA-305-1987-12-16-1 | スリランカ | 1987年12月16日 | 1980年代 | 女性を暴行したインド兵6名に強制送還命令。 |
DIA-305-1987-12-16-2 | スリランカ | 1987年12月16日 | 1980年代 | LTTE,東部州でムスリムとシンハラ各5名射殺。 |
DIA-305-1987-12-18-1 | スリランカ | 1987年12月18日 | 1980年代 | ケラニヤ大学で約1000名の学生が警官隊と衝突し,学生35人と警官2人が負傷。大学はただちに閉鎖。 |
DIA-305-1987-12-18-2 | スリランカ | 1987年12月18日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ大統領はLTTEが降伏するまでインド軍の駐留を要請する,しかしJVPは自力で1カ月以内に紛砕できるとIndia Today 誌に回答。 |
DIA-305-1987-12-19-1 | スリランカ | 1987年12月19日 | 1980年代 | 砂糖公社職員と運転手を人質にしたLTTEが公社に対し20万ルピーの身代金を要求。 |
DIA-305-1987-12-20-1 | スリランカ | 1987年12月20日 | 1980年代 | 平等社会党,共産党,人民党および新平等党は共同声明を出し,現政権を批判するとともに,LTTEとJVPのテロに反対すると強く主張。 |
DIA-305-1987-12-23-1 | スリランカ | 1987年12月23日 | 1980年代 | UNP議長のH・ヴィクラマシンハは乗用車で党本部に向かう途中,自転車で近づいた2人の男により,3人の護衛警官,運転手とともに射殺された。犯人は逃亡。 |
DIA-305-1987-12-24-1 | スリランカ | 1987年12月24日 | 1980年代 | デ・メル蔵相は予算案審議のなかで,自分の最後の予算であると断わってから,総選挙を延期した大統領の決定を批判,早急に国会議員の改選が必要と強調。 |
DIA-305-1987-12-24-2 | スリランカ | 1987年12月24日 | 1980年代 | M・G・ラーマチャンドラン州首相の死は,タミル・ナードゥ州だけでなくスリランカ政界にも反響を呼ぶ。 |
DIA-305-1987-12-25-1 | スリランカ | 1987年12月25日 | 1980年代 | タミル・ナードゥ州首相の葬儀にLTTE代表の参加が不許可。 |
DIA-305-1988-01-01-1 | スリランカ | 1988年01月01日 | 1980年代 | 「タミル・イーラム解放の虎」(LTTE)とインド平和維持軍(IPKF)とがジャフナ県庁まえで交戦する。IPKFに協力する公務員を処刑するとのポスターが貼り出される。キヤンデイの市街地で爆破事件があり5名死亡。PTI(インドの通信社)によれば,スリランカ全土で,少なくとも41名が死亡し80名が負傷した。 |
DIA-305-1988-01-01-2 | スリランカ | 1988年01月01日 | 1980年代 | 貿易省は,1959年以来続いていたゴムとココナツの輸出許可制と価格規制を廃止し,自由化すると公表。 |
DIA-305-1988-01-02-1 | スリランカ | 1988年01月02日 | 1980年代 | スリランカ陸軍がアンパーラ県に移動し,武装タミル・ゲリラの攻撃からシンハラ集落を保護する。 |
DIA-305-1988-01-03-1 | スリランカ | 1988年01月03日 | 1980年代 | LTTEが東部州のIPKF軍基地を砲撃し,6名のインド兵が戦死し,8名が負傷した。 |
DIA-305-1988-01-05-1 | スリランカ | 1988年01月05日 | 1980年代 | エア・ランカ航空はコロンボ―東京間の直航便を週に2便運航することに決定した(火・土)。 |
DIA-305-1988-01-06-1 | スリランカ | 1988年01月06日 | 1980年代 | アジア開発銀行(ADB)より送電施設と道路建設のため計5536万SDRの融資を受けると閣議決定。 |
DIA-305-1988-01-06-2 | スリランカ | 1988年01月06日 | 1980年代 | デ・メル蔵相の総選挙を求める発言(前年12月24日)が閣議で激しく批判された,とSun紙が報道する。 |
DIA-305-1988-01-07-1 | スリランカ | 1988年01月07日 | 1980年代 | 統一国民党議長にR・ヴィジャラトナを選出。 |
DIA-305-1988-01-10-1 | スリランカ | 1988年01月10日 | 1980年代 | LTTEはインド軍やスリランカ政府に協力する者を敵とみなす,と主張し公務員や教員の不服従を呼びかけるとともに,タミル・イーラム解放組織(TELO)の事務所を攻撃し3名を射殺した。他方,インド軍の攻勢によりLTTEの兵士23名が降伏し,17名が逮捕された(北部州各地)と政府発表。 |
DIA-305-1988-01-13-1 | スリランカ | 1988年01月13日 | 1980年代 | 南部のハンバントタ県ワラスムッラの定期市で政府軍と人民解放戦線(JVP)とが銃撃戦を行ない,一般市民4名を含む8名が殺される。射殺されたJVP兵士の1人は現職警官であった。政府軍の死者は1名。 |
DIA-305-1988-01-14-1 | スリランカ | 1988年01月14日 | 1980年代 | インド軍兵士4名がジャフナ市で婦女暴行を犯して告訴され,軍事法廷で有罪の判決を受ける。 |
DIA-305-1988-01-17-1 | スリランカ | 1988年01月17日 | 1980年代 | 藤本孝雄厚生大臣がスリランカを訪問する。翌日,医学研究所,自動車技術訓練センターなど4件の無償援助(計63.16億円)に関する交換公文に調印する。 |
DIA-305-1988-01-17-2 | スリランカ | 1988年01月17日 | 1980年代 | 長野県の結婚相談所の斡旋で来日したスリランカ人花嫁の苦境が,発行部数が最も多いシンハラ語新聞であるDiwayna紙のトップ記事として報道される。 |
DIA-305-1988-01-18-1 | スリランカ | 1988年01月18日 | 1980年代 | デ・メル蔵相が,非常事態を解除し,JVPを合法化した上で早期総選挙を行なうよう求めて辞任する。後任にはナイナ・マリカル副大臣が昇格(19日)。 |
DIA-305-1988-01-19-1 | スリランカ | 1988年01月19日 | 1980年代 | タイ・ポンガルの祝日が終り,インド軍支配の北部州では諸官庁,学校,電気通信等が正常に復した。 |
DIA-305-1988-01-20-1 | スリランカ | 1988年01月20日 | 1980年代 | 土地改革法を改正し,農地の所有上限を50エーカーから100エーカーに引き上げる,と閣議決定。 |
DIA-305-1988-01-21-1 | スリランカ | 1988年01月21日 | 1980年代 | LTTEの兵士がバッティカロア刑務所を襲い55名を脱獄させる(4名をインド軍が再逮捕した)。 |
DIA-305-1988-01-21-2 | スリランカ | 1988年01月21日 | 1980年代 | 駐留インド平和維持軍が4万8000名に増強された。 |
DIA-305-1988-01-22-1 | スリランカ | 1988年01月22日 | 1980年代 | インド―スリランカ和平協定に基づく北部・東部合同州議会選挙の実施法案を議会で可決。比例代表制で,12.5%だった足切り得票率を2.5%に削減。 |
DIA-305-1988-01-22-2 | スリランカ | 1988年01月22日 | 1980年代 | LTTE指導部が,北・東部州の臨時行政機構について,アトラトムダリ国家治安相との直接交渉を希望している,と政府系のDaily News紙が報道した。 |
DIA-305-1988-01-24-1 | スリランカ | 1988年01月24日 | 1980年代 | 南部のベリアッタにあるJVPの根拠地を,政府軍の特別部隊が攻撃し,元軍人を含む5名を射殺。 |
DIA-305-1988-01-25-1 | スリランカ | 1988年01月25日 | 1980年代 | インド独立記念祝典の主賓として招かれた大統領が和平協定の実施についてガンディー首相と会談。 |
DIA-305-1988-01-26-1 | スリランカ | 1988年01月26日 | 1980年代 | 大統領に同行したディサナーヤカ土地相とアトラトムダリ国家治安相とが友好条約の締結,州議会選挙の実施,インド軍の撤退時期などについてインドのパント国防相とシン国務相(外交担当)と会談する。 |
DIA-305-1988-01-27-1 | スリランカ | 1988年01月27日 | 1980年代 | インフレーションに対応する政策を立案するために,経済関係各相の閣僚会議が設置された。 |
DIA-305-1988-01-30-1 | スリランカ | 1988年01月30日 | 1980年代 | 大統領がインドから帰国し,南部のテロリストを抑圧し,治安の維持をはかる必要を強調する。 |
DIA-305-1988-01-31-1 | スリランカ | 1988年01月31日 | 1980年代 | JVPの拠点がある南部のタンガッラで政府系の自警団「緑の虎」と治安部隊の作戦により,多くの青年が無差別に殺された,と英国のTimes紙が報道。 |
DIA-305-1988-02-01-1 | スリランカ | 1988年02月01日 | 1980年代 | 前々日からの3日間にわたるジャフナ半島掃討作戦で,計188名のゲリラをインド軍が捕虜にした。トリンコマリーの地雷爆発で政府軍兵士13名が負傷。 |
DIA-305-1988-02-03-1 | スリランカ | 1988年02月03日 | 1980年代 | 武力抗争が深刻な各県に平和委員会を設置し,公務員や司法官が治安作戦に協力するよう閣議で決定。 |
DIA-305-1988-02-04-1 | スリランカ | 1988年02月04日 | 1980年代 | 首都のスリジャヤワルダナプラにて独立40周年記念式典を開催。イーラム革命組織(EROS)はこの祝典に反対して東部のバッテイカロアで抗議行動。 |
DIA-305-1988-02-05-1 | スリランカ | 1988年02月05日 | 1980年代 | イーラム解放運動内の党派抗争が再び激化し,北部のチェッディクラムでLTTEがタミル・イーラム人民解放組織(PLOTE)を襲撃し9名を殺し7名を負傷させた。LTTE側4名が死亡。この外インド軍兵士2名,巻き添えの非武装市民4名も被弾し死亡した。 |
DIA-305-1988-02-06-1 | スリランカ | 1988年02月06日 | 1980年代 | 東部州における平定作戦を強化し,州議会選挙の実施に備えるために,駐留中のインド平和維持軍を2月中に7万人に増強するとスリランカ政府筋が述べる。 |
DIA-305-1988-02-07-1 | スリランカ | 1988年02月07日 | 1980年代 | エイズ患者の多いタミル・ナード州から帰国する難民と,インド軍兵士からエイズが蔓延する恐れがある,とIsland紙が報道する。 |
DIA-305-1988-02-08-1 | スリランカ | 1988年02月08日 | 1980年代 | アトラトムダリ国家治安相は,15旅団編成で7万名に増強されるインド軍が4月末までにタミル反乱軍を掃討し7月までに撤退する予定であると言明した。 |
DIA-305-1988-02-09-1 | スリランカ | 1988年02月09日 | 1980年代 | マハヴェリ水系のシステムC地区における農業開発プロジェクトに対して,日本政府が29.5億円の経済援助を供与する交換公文に調印された。 |
DIA-305-1988-02-09-2 | スリランカ | 1988年02月09日 | 1980年代 | インド外務省は,昨年10月のパワン作戦以来の4カ月間の死傷者数を公表した。戦死者316名,戦傷者1169名,行方不明12名の計1544名である。戦死者のうち,18名が将校,29名が下士官であった。 |
DIA-305-1988-02-10-1 | スリランカ | 1988年02月10日 | 1980年代 | ヒンドゥー教徒がマハーシヴァラートリ祭を祝うため,2月16日に限って特別に北部・東部州の夜間外出禁止令を解除する,と閣議で決定した。 |
DIA-305-1988-02-10-2 | スリランカ | 1988年02月10日 | 1980年代 | トリンコマリー県のカッチャヴェリにおける地雷の爆発により,8名の警官と1名の運転手が死亡した。 |
DIA-305-1988-02-12-1 | スリランカ | 1988年02月12日 | 1980年代 | 約2万名のインド兵がバッティカロアに集結して,LTTEゲリラ兵の掃討作戦を開始した。15日までに3万人を尋問し,12名を射殺し,131名を逮捕した。この作戦が終った18日から,同県内の諸官庁や主要な事業所は,33日ぶりに業務を再開した。 |
DIA-305-1988-02-12-2 | スリランカ | 1988年02月12日 | 1980年代 | シンガポールから300万ルピー相当の金塊(テマトゴダで発見)を密輸していた日本人の旅行者がコロンボ税関に逮捕され,2万5000ルピーの罰金を課せられた。 |
DIA-305-1988-02-13-1 | スリランカ | 1988年02月13日 | 1980年代 | インド軍のヘリコプターが東部州沖の海上で,LTTEのグラスファイバー・ボート2隻を撃沈した。 |
DIA-305-1988-02-16-1 | スリランカ | 1988年02月16日 | 1980年代 | スリランカ人民党(SLMP)委員長のヴィジャヤ・クマラナトゥンガが自宅前で暗殺される。愛国人民戦線(DJV)の犯罪である,とテレビで報道される。 |
DIA-305-1988-02-17-1 | スリランカ | 1988年02月17日 | 1980年代 | キャンディ湖とヌワラエリヤ湖の水位が低下しているので,湖底の土砂を浚渫することを閣議で決定。 |
DIA-305-1988-02-17-2 | スリランカ | 1988年02月17日 | 1980年代 | 第二世界銀行(IDA)は,北部・東部州の復興事業に5500万SDRの借款を供与する。 |
DIA-305-1988-02-20-1 | スリランカ | 1988年02月20日 | 1980年代 | バッティカロアのLTTEは幹部が逮捕されたので,不服従運動を中止するというビラを出した。 |
DIA-305-1988-02-21-1 | スリランカ | 1988年02月21日 | 1980年代 | 暗殺されたクマラナトゥンガの葬儀に,ほとんどすべての党派の指導者と約5万人の民衆が参加した。 |
DIA-305-1988-02-23-1 | スリランカ | 1988年02月23日 | 1980年代 | 日本・衆議院予算委院会で,研修名目で来日したのに就労や結婚を強いられているスリランカ女性について,宇野外務大臣が業者を反社会的,反人道的と断定する。 |
DIA-305-1988-02-24-1 | スリランカ | 1988年02月24日 | 1980年代 | 海外留学に出かけ,帰国しない頭脳流失の事例が多いので,高等教育省では大学教員の旅券の有効年数を留学許可期間に限定すると決定し,閣議で承認した。 |
DIA-305-1988-02-24-2 | スリランカ | 1988年02月24日 | 1980年代 | アソーカ・カルナラトナ社会事業相が心不全で死去。 |
DIA-305-1988-02-25-1 | スリランカ | 1988年02月25日 | 1980年代 | 議会の開会式で,大統領は非合法闘争をしている反乱分子が,武器を捨てれば恩赦を与えると述べた。 |
DIA-305-1988-02-26-1 | スリランカ | 1988年02月26日 | 1980年代 | バッティカロアの母親戦線が,インド軍とLTTEとの即時停戦を求め,19日よりハンストを継続。 |
DIA-305-1988-02-27-1 | スリランカ | 1988年02月27日 | 1980年代 | バッティカロアに無期限外出禁止令を布告。 |
DIA-305-1988-02-27-2 | スリランカ | 1988年02月27日 | 1980年代 | 駐留インド兵は,10.7万人に達しているが,4月末までにさらに2.5万人が増強される。1日当りの戦費は約1億インドルピー,とIsland紙が報道。 |
DIA-305-1988-03-01-1 | スリランカ | 1988年03月01日 | 1980年代 | 内戦状態が続いているため,米の集荷と販売が偏っている。米の消費地区における備蓄確保の必要があり,8万㌧の米を中国とパキスタンより輸入する。 |
DIA-305-1988-03-01-2 | スリランカ | 1988年03月01日 | 1980年代 | 昨年,結婚直後に60歳の日本人の夫から逃げだし,訴えられた18歳のスリランカ人妻が,1万ルピーの保釈金を払って釈放された(Island紙が報道)。 |
DIA-305-1988-03-01-3 | スリランカ | 1988年03月01日 | 1980年代 | 高金利時代の借款の返済期に達した部分のうち,日本政府が現行の利子水準との差額2億円(1987年度分)を債務救済のために贈与とする交換公文に調印した。 |
DIA-305-1988-03-02-1 | スリランカ | 1988年03月02日 | 1980年代 | オルヴェラ陸軍兵舎でひとりの通信兵が突然,就眠中の同僚兵士7名を射殺し。8名を負傷させた。 |
DIA-305-1988-03-02-2 | スリランカ | 1988年03月02日 | 1980年代 | トリンコマリー西部のモラヴェワ入植村で,女子供を含む15名のシンハラ農民が武装ゲリラに殺された。 |
DIA-305-1988-03-05-1 | スリランカ | 1988年03月05日 | 1980年代 | トリンコマリー南部でシンハラ人を乗せた貨物自動車が爆破され,27名が死亡し10名が負傷した。 |
DIA-305-1988-03-07-1 | スリランカ | 1988年03月07日 | 1980年代 | 州議会選挙に立候補するため4名の統一国民党国会議員が辞職した(新設の州首相をめざしたもの)。 |
DIA-305-1988-03-09-1 | スリランカ | 1988年03月09日 | 1980年代 | 選挙管理委員会は,9州議会のうち北西部州,北中部州,ウヴァ州およびサバラガムワ州の投票日を4月28日と決め,立候補の受け付けをはじめた。立候補の届け出をした政党は,統一国民党(UNP),統一社会主義連合(USA)およびスリランカ・ムスリム会議の3党のみで。最大野党のスリランカ自由党(SLFP)やタミル諸党派は,選挙のボイコットを決めた。 |
DIA-305-1988-03-09-2 | スリランカ | 1988年03月09日 | 1980年代 | 長野県の電子部品工場で働いている34名のスリランカ女性の査証が更新されず帰国予定,と報道される。 |
DIA-305-1988-03-10-1 | スリランカ | 1988年03月10日 | 1980年代 | IMFは,3年間に3.43億㌦の借款をスリランカ政府に供与する案が承認された,と発表した。 |
DIA-305-1988-03-11-1 | スリランカ | 1988年03月11日 | 1980年代 | アヌラーダプラ県のホロウポタナ発の私営バスが,タミル・ゲリラに襲われ乗客19名が殺された。 |
DIA-305-1988-03-11-2 | スリランカ | 1988年03月11日 | 1980年代 | 南部州では村レベルの官職であるグラーマ・セーワカがJVPの攻撃を恐れて46事務所で欠員状態にある。 |
DIA-305-1988-03-13-1 | スリランカ | 1988年03月13日 | 1980年代 | ジャフナに次いでヴァヴニアにインド・テレビ中継局が設置され,ティルチラパッリから放送開始。 |
DIA-305-1988-03-15-1 | スリランカ | 1988年03月15日 | 1980年代 | 英国航空は,乗客数が減少したので5月29日からコロンボ経由便の運航を取り止める,と発表した。 |
DIA-305-1988-03-16-1 | スリランカ | 1988年03月16日 | 1980年代 | バッティカロアでハンスト中の母親戦線の指導者アンナマー・ダヴィド(58歳)の娘たちが,インド軍に要請して母親を野戦病院に入院させ強制的にハンストを中止させた。しかし,母親戦線ではシートウ方式(一種の頼母子講)でハンスト実行者2名を選び継続する。 |
DIA-305-1988-03-19-1 | スリランカ | 1988年03月19日 | 1980年代 | スリランカ自由党(SLFP)。人民統一戦線(MEP),統一ランカ人民党(ELJP),民主労働者会議(DWC),リベラル党(LP),タミル会議派(TC)およびSLMCの7政党委員長が連署して,大統領にJVPを合法化し,人権を尊重するよう要請した。 |
DIA-305-1988-03-20-1 | スリランカ | 1988年03月20日 | 1980年代 | 東部州におけるLTTEゲリラを掃討するために,インド軍とスリランカ軍とが合同作戦を行なう。 |
DIA-305-1988-03-21-1 | スリランカ | 1988年03月21日 | 1980年代 | インドの7政党(JP,BJP,TD,AIADMK,DMK,CSおよびAD)は,インド軍がタミル反乱軍と即時停戦するよう,インド政府に要求した。 |
DIA-305-1988-03-22-1 | スリランカ | 1988年03月22日 | 1980年代 | 新大臣の就任式が行なわれた。社会事業相 J・L・シリセーナ,計画実施相 D・B・ヴェラゲダラ,復興再建相 L・ジャヤティラカ,教育サービス相 S・ヴィーラヴァンニ。 |
DIA-305-1988-03-23-1 | スリランカ | 1988年03月23日 | 1980年代 | 復興再建省が新設され,閣内相が任命されたので,各省庁の復興事業は同省に一元化すると閣議決定。 |
DIA-305-1988-03-23-2 | スリランカ | 1988年03月23日 | 1980年代 | 輸出用ダイヤモンドの研磨・加工業は,昨年約15億ルピーの外貨を獲得した,と輸出振興局が発表する。 |
DIA-305-1988-03-24-1 | スリランカ | 1988年03月24日 | 1980年代 | 籾流通局が,政府買い上げ籾の水分含有量基準を17%から14%に引き下げたため,米作農民は籾商人に低価格で販売せざるをえなくなった,と与党議員団が基準を元へ戻すよう,政府に対して要求した。 |
DIA-305-1988-03-25-1 | スリランカ | 1988年03月25日 | 1980年代 | インドへ逃げていたタミル人難民は,約500人単位で金曜日ごとにフェリーで帰還することになった。 |
DIA-305-1988-03-29-1 | スリランカ | 1988年03月29日 | 1980年代 | アヌラーダプラ県の公営バスに仕掛けられた時限爆弾が爆発し,9人が死亡,14人が負傷した。 |
DIA-305-1988-03-29-2 | スリランカ | 1988年03月29日 | 1980年代 | 南部のブーサ刑務所などに拘留中のタミル人政治犯(877名)のうち,EPRLFとPLOTEの党員が近日中に釈放される予定,とIsland紙が報道する。 |
DIA-305-1988-03-30-1 | スリランカ | 1988年03月30日 | 1980年代 | ホテル産業を救済するため,負債の返済猶予などの措置を取ることを閣議で決定した。 |
DIA-305-1988-03-30-2 | スリランカ | 1988年03月30日 | 1980年代 | プレマダーサ首相が長期間のインド旅行に出発する。 |
DIA-305-1988-03-31-1 | スリランカ | 1988年03月31日 | 1980年代 | カルムナイでLTTEのゲリラ兵が約100戸のムスリム住宅やモスクに放火し,少なくとも17名を殺害した(50名を超える死者と伝えた新聞もある)。 |
DIA-305-1988-03-31-2 | スリランカ | 1988年03月31日 | 1980年代 | 日本政府は225.56億円の借款と4.55億円の贈与をスリランカ政府に供与する交換公文に調印した。前者はマハヴェリ水系開発と道路建設プロジェクトに用い,後者はマラリヤ撲滅計画への薬品・設備用である。 |
DIA-305-1988-04-01-1 | スリランカ | 1988年04月01日 | 1980年代 | エア・ランカ航空が15%の運賃値上げを決め東京便は片道で1万6025ルピー,から1万8429ルピーになる。 |
DIA-305-1988-04-01-2 | スリランカ | 1988年04月01日 | 1980年代 | 与党UNP内に6人のメンバーからなる小委員会を設け,ジャヤワルダナ大統領が本年末の選挙で再任され3期目を務める場合の憲法上の問題を検討している。 |
DIA-305-1988-04-02-1 | スリランカ | 1988年04月02日 | 1980年代 | 30名のLTTEゲリラがキリノッチのENDLFの拠点を攻撃し,2名を射殺し1名を負傷させた。 |
DIA-305-1988-04-03-1 | スリランカ | 1988年04月03日 | 1980年代 | 1983年以来,スリランカ軍からの脱走兵は1590名に達する。このうち相当数がJVPに参加してたと見られる(政府系のObserver紙報道)。 |
DIA-305-1988-04-04-1 | スリランカ | 1988年04月04日 | 1980年代 | 昨年7月,LTTEのブラバカラン委員長との会談でインドのガンデイー首相は,和平協定によってジャフナ半島における歳入を失う分の補償金として,月額500万インドルピーを支払う約束をした,とBBC放送が伝える。 |
DIA-305-1988-04-06-1 | スリランカ | 1988年04月06日 | 1980年代 | 東部州で作戦中のインド軍が,パキスタン製の手榴弾を発見し,和平協定の破壊活動にパキスタンが介入している,とTimes of India紙報道。 |
DIA-305-1988-04-06-2 | スリランカ | 1988年04月06日 | 1980年代 | ニューデリーでインド・スリランカの首相が,インド軍の駐留目的と撤退時期について話し合う。 |
DIA-305-1988-04-07-1 | スリランカ | 1988年04月07日 | 1980年代 | 特別職公務員の報酬が次のとおり改訂された。首相(最高裁長官)月額1万5000ルピー,閣内相,国会議長(最高裁判事)1万3500ルピー,国会議員(高裁判事)1万ルピー。 |
DIA-305-1988-04-07-2 | スリランカ | 1988年04月07日 | 1980年代 | スリランカ陸軍が,北部州での活動を再び始める。 |
DIA-305-1988-04-08-1 | スリランカ | 1988年04月08日 | 1980年代 | 国会手榴弾事件の容疑者アジット・クマーラがマーターレ県で逮捕され,コロンボへ移送された。 |
DIA-305-1988-04-10-1 | スリランカ | 1988年04月10日 | 1980年代 | PLOTEのウマ・マヘシュワーラン委員長が大統領と会談し,州議会選挙に立候補することを表明。 |
DIA-305-1988-04-10-2 | スリランカ | 1988年04月10日 | 1980年代 | 東部州のジャングルにあったLTTEの隠れ家をスリランカ軍が深夜に急襲した。12名が射殺され4名が自殺し14名が重傷を受けた。政府軍も1名死者を出す。 |
DIA-305-1988-04-14-1 | スリランカ | 1988年04月14日 | 1980年代 | 西北海岸の漁村でスリランカ陸軍分遣隊がLTTEゲリラに急襲され,7名が戦死し6名が負傷した。 |
DIA-305-1988-04-15-1 | スリランカ | 1988年04月15日 | 1980年代 | 本年のシンハラ・タミル正月は,東部・北部の両戦線でも,南部地方でも戦闘行為がなかった。 |
DIA-305-1988-04-17-1 | スリランカ | 1988年04月17日 | 1980年代 | 6人の乗客を運ぶウパーリ航空のセスナ機がコロンポからジャフナへ向かう途中,プッタラム県で悪天侯のためラグーンに墜落し,全員死亡した模様。 |
DIA-305-1988-04-20-1 | スリランカ | 1988年04月20日 | 1980年代 | アマラシリ貿易・海運相は,南部州の州首相をめざして選挙に立候補するため閣議で辞任を表明した。アトラトムダリ国家治安相が貿易・海運相も兼任する。 |
DIA-305-1988-04-20-2 | スリランカ | 1988年04月20日 | 1980年代 | ヴァヴニアの北部7マイル地点でインド軍がLTTEの訓練所を発見し,27名を射殺し17名を捕虜にした。 |
DIA-305-1988-04-21-1 | スリランカ | 1988年04月21日 | 1980年代 | 選挙管理委員会は南部・中央・北部の3州議会議員選挙日を6月2日と公表し立候補届を受け付けた。UNP,USA,LP,SLMPのほか無所属候補を含めて,計825名が立候補した。 |
DIA-305-1988-04-21-2 | スリランカ | 1988年04月21日 | 1980年代 | 長い間友好関係にあつたLTTEとEROSとが,激しい武力闘争を各地で行ない,数日の間に双方で数十名の死者を出したと見られている(政府系紙の報道)。 |
DIA-305-1988-04-22-1 | スリランカ | 1988年04月22日 | 1980年代 | 約50名の武装青年がカトナヤカ空軍基地を襲撃し,武器弾薬を奪い去った。銃撃戦で7名が射殺される。空軍兵士も3名死亡。隣接の国際空港も1時間閉鎖。 |
DIA-305-1988-04-24-1 | スリランカ | 1988年04月24日 | 1980年代 | セイロン労働者会議(CWC)のトンダマン委員長(農村工業開発相)が,インドのガンディー首相とプランテーション労働者の市民権と本国送還問題で会談した。 |
DIA-305-1988-04-25-1 | スリランカ | 1988年04月25日 | 1980年代 | プレマダーサ首相が,27日ぶりにインド・ネパール訪問の旅から帰国する。 |
DIA-305-1988-04-26-1 | スリランカ | 1988年04月26日 | 1980年代 | 政府医師組合と9医療関連労働組合とが,賃上げと私立医科大学の学位制度に関する要求を掲げ,22日以来順法闘争を続け,手術などの治療が停滞した。 |
DIA-305-1988-04-28-1 | スリランカ | 1988年04月28日 | 1980年代 | 4州議会選挙が初めて実施される。投票率は,58.9%と低かった。4州ともUNPが勝利し,155議席中88議席をえて,多数派となった。 |
DIA-305-1988-04-29-1 | スリランカ | 1988年04月29日 | 1980年代 | 大統領が,4名の州知事を任命した。北西部州 D・B・ヴィジャトウガ(農業相),北中部州 D・B・ヴェラゲダラ(計画相),ウヴァ州 P・C・インプラナ(労働相),サバラガムワ州 N・ヴィマラセーナ。 |
DIA-305-1988-05-01-1 | スリランカ | 1988年05月01日 | 1980年代 | LTTEが通行中の車両に爆弾を仕掛け,島内各地で6人の軍人を含む39名が殺された。 |
DIA-305-1988-05-01-2 | スリランカ | 1988年05月01日 | 1980年代 | 南部では,ゴール県大臣のシルヴァが暗殺された。 |
DIA-305-1988-05-03-1 | スリランカ | 1988年05月03日 | 1980年代 | 第14次憲法改正案を議会が絶対多数で可決した(選挙制度と国民投票制度の改正)。 |
DIA-305-1988-05-04-1 | スリランカ | 1988年05月04日 | 1980年代 | 国内の技術研修生に払う日当を,5ルピーから15ルピーに引き上げると閣議で決定した。 |
DIA-305-1988-05-04-2 | スリランカ | 1988年05月04日 | 1980年代 | カトナーヤカ空軍基地襲撃事件に関連して,非合法団体と関係をもっている3人の空軍兵が逮捕された。 |
DIA-305-1988-05-04-3 | スリランカ | 1988年05月04日 | 1980年代 | キヤンデイでUNP州議会選挙候補者2名が殺さる。 |
DIA-305-1988-05-06-1 | スリランカ | 1988年05月06日 | 1980年代 | 4州で州首相が選出された(4名ともUNP)。北西部州 G・J・ペレーラ,北中部州 G・D・マヒンダソーマ,ウヴァ州 P・サマラヴエラ,サバラガムワ州 G・V・プンチニラメ。 |
DIA-305-1988-05-08-1 | スリランカ | 1988年05月08日 | 1980年代 | ディサナーヤカ土地相がインド首相と会い,インド平和維持軍の段階的撤退方式について話し合った。 |
DIA-305-1988-05-10-1 | スリランカ | 1988年05月10日 | 1980年代 | アトラトムダリ国家治安相は,JVPが武装闘争を放棄し,政府が政党活動の合法化を行なう,という合意に達したと記者会見で発表した。 |
DIA-305-1988-05-11-1 | スリランカ | 1988年05月11日 | 1980年代 | アジア開発銀行の融資による農村電化計画と,火力発電の増強プロジェクトが閣議で承認された。 |
DIA-305-1988-05-12-1 | スリランカ | 1988年05月12日 | 1980年代 | 次の新大臣が任命された。農業相 C・バンダーラ,食糧相 S・ラージャカルナ,労働相 J・M・ペレーラ。 |
DIA-305-1988-05-12-2 | スリランカ | 1988年05月12日 | 1980年代 | 6名のインド兵が,トリンコマリー県でLTTEが仕掛けた地雷のため車両ごと爆破され,死亡する。 |
DIA-305-1988-05-12-3 | スリランカ | 1988年05月12日 | 1980年代 | JVP委員長のヴィジェヴィーラも,書記長のガマナーヤカも政府といかなる合意に達したこともない,と否定する声明を発表する。 |
DIA-305-1988-05-15-1 | スリランカ | 1988年05月15日 | 1980年代 | マータラ県の州議会議員候補A・T・ヘーマラトナ(USA)の自宅を武装青年が攻撃し,警官2名,自警団員1名,女性を含む市民2名を殺害した。 |
DIA-305-1988-05-17-1 | スリランカ | 1988年05月17日 | 1980年代 | 多角的投資保証機関条約の批准に必要な法案を議会に提出することを閣議で決定した。 |
DIA-305-1988-05-18-1 | スリランカ | 1988年05月18日 | 1980年代 | 選挙管理委員会は,4地区(カトガンボラ,ラトナプラ,ヴェリマダおよびケキラワ)での国会議員の補欠選挙の立候補締切を6月15日と公表した。 |
DIA-305-1988-05-20-1 | スリランカ | 1988年05月20日 | 1980年代 | UNPの書記長N・フェルナンドが暗殺された。昨年末にUNP議長のH・アベワルダナが暗殺されたのと同じ場所で同じ方法だった。 |
DIA-305-1988-05-24-1 | スリランカ | 1988年05月24日 | 1980年代 | ハミード外相の斡施で医師の順法闘争が中止された。6月1日から賃上げすることで妥結し,私立医科大学問題は大統領と医師組合が話し合うことになった。 |
DIA-305-1988-05-24-2 | スリランカ | 1988年05月24日 | 1980年代 | インド軍がLTTE根拠地を攻撃。36人を殺し,50人に負傷。インド軍側も10人戦死,21人戦傷。 |
DIA-305-1988-05-26-1 | スリランカ | 1988年05月26日 | 1980年代 | インド陸軍のシヤルマ参媒長が来島し大統領と会談した。 |
DIA-305-1988-05-26-2 | スリランカ | 1988年05月26日 | 1980年代 | LTTEは北部州でインド兵25名を殲滅と戦果を発表。インド大使館は逆に23名の反乱軍を射殺と発表。 |
DIA-305-1988-05-26-3 | スリランカ | 1988年05月26日 | 1980年代 | ヌワラエリヤのUNP演説会場で首相のくる直前に時限爆弾が爆発し,2名が重傷した。首相は難を免れる。 |
DIA-305-1988-05-28-1 | スリランカ | 1988年05月28日 | 1980年代 | マーターレのUSA候補者ヤレガマが2名の支持者とともに射殺され,州議会議員候補者の殺害は,12名になった。 |
DIA-305-1988-05-31-1 | スリランカ | 1988年05月31日 | 1980年代 | インドのパント国防相が来島し大統領と会談。 |
DIA-305-1988-06-01-1 | スリランカ | 1988年06月01日 | 1980年代 | 政府は,選挙妨害者を見つけしだい射殺せよ,との命令をラジオで布告した。 |
DIA-305-1988-06-02-1 | スリランカ | 1988年06月02日 | 1980年代 | 中央州と西部州の州議会選挙が行なわれた。 |
DIA-305-1988-06-03-1 | スリランカ | 1988年06月03日 | 1980年代 | 選挙結果はUNPが中央州では56議席中35,西部州では,96議席中52を得て過半数を占めた。 |
DIA-305-1988-06-04-1 | スリランカ | 1988年06月04日 | 1980年代 | ラトナプラ県とカルタラ県で洪水のため,3万~5万人が家を失ったり,一時的な避難をしたりする。 |
DIA-305-1988-06-04-2 | スリランカ | 1988年06月04日 | 1980年代 | パント国防相とスリランカ政府との協議の結果,6月7日から過剰なインド兵と重火器を駐留兵力から削減して部分的に撤退する,とインド大使館筋が言明した。 |
DIA-305-1988-06-05-1 | スリランカ | 1988年06月05日 | 1980年代 | 次の州知事の任命式が行なわれた。中央州 E・L・B・フルレ(文化相),西部州 S・シャルヴァナンダ(最高裁長官)。 |
DIA-305-1988-06-07-1 | スリランカ | 1988年06月07日 | 1980年代 | 撤兵の第1陣として,T-72型戦車と2500名の兵員がスリランカからインドへ撤退した。 |
DIA-305-1988-06-07-2 | スリランカ | 1988年06月07日 | 1980年代 | CWCのトンダマン委員長(農村工業開発相)が党員から強く押され,中央州首相になる希望を表明する。 |
DIA-305-1988-06-08-1 | スリランカ | 1988年06月08日 | 1980年代 | PL480に基づき,1000万㌦相当額の小麦を米国の食糧援助として受け入れる協定を閣議で承認。 |
DIA-305-1988-06-09-1 | スリランカ | 1988年06月09日 | 1980年代 | 南部州の選挙が行なわれる。投票率はきわめて低く,27.09%にとどまった。ハンバントタ県では特に低く,有権者の7.97%のみが投票した。 |
DIA-305-1988-06-10-1 | スリランカ | 1988年06月10日 | 1980年代 | 前日の選挙の開票結果は,53議席中36をUNPが勝ち取った。これで9州のうち,北・東部州を除く7州でUNPが過半数の議席を占めることになった。 |
DIA-305-1988-06-11-1 | スリランカ | 1988年06月11日 | 1980年代 | LTTEはロイター通信に声明文を出し,バッテイカロア県で7名のインド兵を殺したと主張し,さらに駐留インド軍が強化され,13万を超える軍人が少数民族の居住地を占領している,と訴えている。 |
DIA-305-1988-06-13-1 | スリランカ | 1988年06月13日 | 1980年代 | 南部州知事にB・マリカルが任命される。 |
DIA-305-1988-06-14-1 | スリランカ | 1988年06月14日 | 1980年代 | 政府医師の賃上げ率は,組合との妥結に基づき95~125%にする,とアタバツトウ保健相が公表。 |
DIA-305-1988-06-15-1 | スリランカ | 1988年06月15日 | 1980年代 | 蔵相が提案した政策科学研究所(IPS)の設立が閣議で承認された。 |
DIA-305-1988-06-15-2 | スリランカ | 1988年06月15日 | 1980年代 | 日本政府はモラトワ大学に2億ルピーの機器を贈与。 |
DIA-305-1988-06-16-1 | スリランカ | 1988年06月16日 | 1980年代 | LTTEは,北部州と東部州との統合をインド軍との停戦条件にするとIsland紙に伝えてきた。 |
DIA-305-1988-06-16-2 | スリランカ | 1988年06月16日 | 1980年代 | 9カ月にわたる軍事作戦によるインド軍の損害は,戦死者477名,戦傷者1500名である,とインド大使館発表。同スポークスマンによれば,LTTEの兵力は2500人から6000人の幅であると推定されている。 |
DIA-305-1988-06-17-1 | スリランカ | 1988年06月17日 | 1980年代 | 次の大臣が任命された。計画実施相W・カンナンガラ(農村開発相)。文化相W・W・J・M・ロクバンダーラ(伝統医相),仏教担当相W・M・G・T・バンダ。 |
DIA-305-1988-06-18-1 | スリランカ | 1988年06月18日 | 1980年代 | 80歳の日本人実業家がヌワラエリヤの5.7エーカーの苺農場から1350万ルピーの外貨を獲得。 |
DIA-305-1988-06-20-1 | スリランカ | 1988年06月20日 | 1980年代 | 「チェックメイト」という名の軍事作戦が北部州で開始された。駐留インド軍による本年最大の作戦。 |
DIA-305-1988-06-22-1 | スリランカ | 1988年06月22日 | 1980年代 | 88年の経済成長率を5.3%と予測する経済見通しが閣議で承認された(87年は1.5%)。 |
DIA-305-1988-06-23-1 | スリランカ | 1988年06月23日 | 1980年代 | タミル統一解放戦線(TULF)委員長や書記長など元国会議員の指導者たちが,5年に及ぶインド亡命生活を切り上げ,マドラスからコロンボに帰国した。 |
DIA-305-1988-06-23-2 | スリランカ | 1988年06月23日 | 1980年代 | 世界銀行が主催し,18国政府と国際機関が参加するスリランカ援助会議に出席するため,マッリカル蔵相が開催地のパリに着いた。蔵相は,総額5億㌦の援助が得られるものと期待している。 |
DIA-305-1988-06-25-1 | スリランカ | 1988年06月25日 | 1980年代 | 中央銀行の調査によれば,破産した6金融会社の預金者数は5万人を超え,その元金総額は12.5億ルピーに達する見込みである。 |
DIA-305-1988-06-27-1 | スリランカ | 1988年06月27日 | 1980年代 | トリンコマリー地域から疎開していた避難民の90%以上が治安回復にともなって自分の家へ帰った,とアトラトムダリ国家治安相が発表した。 |
DIA-305-1988-06-29-1 | スリランカ | 1988年06月29日 | 1980年代 | シンガポール航空は,週2回飛んでいたコロンボ経由のヨーロッパ便を7月から中止すると発表した。 |
DIA-305-1988-07-01-1 | スリランカ | 1988年07月01日 | 1980年代 | パリで開催されたスリランカ援助会議において総額6.12億㌦の経済援助が約束された。 |
DIA-305-1988-07-04-1 | スリランカ | 1988年07月04日 | 1980年代 | アヴィッサヴェラでパトロール中の巡査部長が,ペラデニヤでは自宅で休養中の巡査部長が射殺さる。 |
DIA-305-1988-07-05-1 | スリランカ | 1988年07月05日 | 1980年代 | 学生のストライキやJVPの活動などキャンパス内外の不穏な情勢のため,閉鎖されたままになっている大学を再開する方策について,ハミード外相が各大学の学長と話し合う。入学許可を受けたが,大学の授業に出席できない学生が3年分も滞留している。 |
DIA-305-1988-07-06-1 | スリランカ | 1988年07月06日 | 1980年代 | スリランカにおけるインド軍の戦死者数がパキスタンとの戦争時より多くなっているうえ,LTTEとのゲリラ戦がヴァンニのジャングルで行なわれるようになって目覚ましい戦果を上げることが困難になり,インド外務省諜報部門(RAW)の使者がマドラスとジャフナとに派遣されLTTEと交渉を続けている。 |
DIA-305-1988-07-08-1 | スリランカ | 1988年07月08日 | 1980年代 | LTTEのヴァンニ本部は,インド軍の「チェックメイト」作戦が続いている限り,RAWと政治的な解決の話し合いはできないとIsland紙に伝える。 |
DIA-305-1988-07-09-1 | スリランカ | 1988年07月09日 | 1980年代 | 東部州情勢を視察中のインド大使は,LTTEがプラバカラン委員長との和平会談に先立って5日間の停戦と,5カ月の武器引き渡し期間を要求したと語る。 |
DIA-305-1988-07-10-1 | スリランカ | 1988年07月10日 | 1980年代 | 大統領は,SLIFPバンダーラナーヤカが,政権を取ればJVPに閣僚ポストを約束したと非難した。 |
DIA-305-1988-07-11-1 | スリランカ | 1988年07月11日 | 1980年代 | 1000人以上のイスラム教徒がアメリカ大使館にデモ行進をしイラン民間航空機撃墜に対する抗議を表明。 |
DIA-305-1988-07-13-1 | スリランカ | 1988年07月13日 | 1980年代 | 食糧切符の支給額を倍増する提案が社会事業相からなされ,財務当局と協議することになった。 |
DIA-305-1988-07-14-1 | スリランカ | 1988年07月14日 | 1980年代 | 4選挙区の国会議員の補欠選挙が行なわれる。州議会選挙の場合と異なり,今回はSLFPがボイコットしなかったので,投票率が高く85.5%に達した。 |
DIA-305-1988-07-15-1 | スリランカ | 1988年07月15日 | 1980年代 | 前日の補欠選挙の当選者は次のとおりである。 ヴェリマダ R・サマラヴィーラ(UNP) ケキラワ L・D・ガマゲ(UNP) カトガンポラ U・ダサナーヤカ(UNP) ラトナプラ N・エツラワラ(SLFP) |
DIA-305-1988-07-19-1 | スリランカ | 1988年07月19日 | 1980年代 | ディサナーヤカ土地相は,インド軍が和平協定に基づきテロリストの武装解除を行なうという役割を十分に果たしていない,と外国人記者団を前に批判。 |
DIA-305-1988-07-20-1 | スリランカ | 1988年07月20日 | 1980年代 | スリランカ警察で最初の女性警視が誕生。 |
DIA-305-1988-07-22-1 | スリランカ | 1988年07月22日 | 1980年代 | スリランカ軍関係者は,7月中に少なくとも40名のインド兵が北部と東部戦線で戦死したと語った。 |
DIA-305-1988-07-24-1 | スリランカ | 1988年07月24日 | 1980年代 | マーターレ県における韓国との合弁企業が,「カンクン」を含むシンハラ野菜を100㌧輸出した。 |
DIA-305-1988-07-27-1 | スリランカ | 1988年07月27日 | 1980年代 | 私立病院の規制法の制定を閣議で承認する。 |
DIA-305-1988-07-28-1 | スリランカ | 1988年07月28日 | 1980年代 | インド・スリランカ和平協定1周年を期して,大規模な反政府行動が組織されつつあるので,JVPの組織が強いゴール,マータラおよびハンバントタの3県で72時間の外出禁止令が布告された。JVPの呼びかけが郵送されるので,スリランカ全土の郵便配達が1週間停止される。北・東部5県ではインド軍が84時間の外出禁止令を布告した。 |
DIA-305-1988-07-30-1 | スリランカ | 1988年07月30日 | 1980年代 | 83年7月から88年1月の間に民族抗争のため,陸軍646名,警察268名,海軍37名および空軍27名の計978名が戦死した。遺族補償は妻に7.5万ルピー,子供に1万8500ルピー,父親と母親に各3万7500ルピーが支払われるはずである。しかし,補償金を受領していない家族もいると,Island紙報道。 |
DIA-305-1988-08-01-1 | スリランカ | 1988年08月01日 | 1980年代 | ジャフナ沖のプンクドティヴ島にあるLTTEの隠れ家をインド軍が急襲し,主要な幹部を捕虜にした。 |
DIA-305-1988-08-02-1 | スリランカ | 1988年08月02日 | 1980年代 | ジャフナ半島ナッルールのLTTEの隠れ家でソ連製地対空ミサイルSAM-7が見つかり,ヘリコプターを軍事作戦に用いているインド軍が憂慮している。 |
DIA-305-1988-08-03-1 | スリランカ | 1988年08月03日 | 1980年代 | 金融会社の規制強化法案を閣議で検討する。 |
DIA-305-1988-08-04-1 | スリランカ | 1988年08月04日 | 1980年代 | 農業省は肥料価格を約28%値上げする代わりに,籾の政府買い上げ保証価格をブッシェル当たり10ルピー引き上げて80ルピーにした。 |
DIA-305-1988-08-05-1 | スリランカ | 1988年08月05日 | 1980年代 | 政府,警察官を3万名に増員するため,年内に5000人採用し,さらに自警団員を8000人新規雇用する,との計画を発表。 |
DIA-305-1988-08-06-1 | スリランカ | 1988年08月06日 | 1980年代 | 大統領は国民投票による選挙延期をせず,次の総選挙は憲法の規定に従って国会議員を選出すると言明。 |
DIA-305-1988-08-08-1 | スリランカ | 1988年08月08日 | 1980年代 | タミル・ナード州警察はLTTEの活動家154名を不法武器保有,旅券法違反等の容疑で逮捕した。 |
DIA-305-1988-08-10-1 | スリランカ | 1988年08月10日 | 1980年代 | カトマンドゥに着いたハミード外相は,南アジア地域協力連合(SAARC)外相会議で,国内情勢が悪化しているので,本年11月にコロンボで開催予定の首脳会議をパキスタンに代わってもらうよう要請した。 |
DIA-305-1988-08-11-1 | スリランカ | 1988年08月11日 | 1980年代 | 北コロンボ医科大学(私立)は,コロンボ大学医学部から独立した医学士試験をすることに決定した。 |
DIA-305-1988-08-12-1 | スリランカ | 1988年08月12日 | 1980年代 | デ・メル前蔵相は,与党UNPから脱党して13年ぶりにSLFPに再入党するとの希望を表明した。 |
DIA-305-1988-08-15-1 | スリランカ | 1988年08月15日 | 1980年代 | 州議会選挙後成立した7州政府に対して雇用促進事業費として計2億解の資金が割り当てられた。 |
DIA-305-1988-08-16-1 | スリランカ | 1988年08月16日 | 1980年代 | 警察庁長官(IGP)は,現在およそ900人の人民解放戦線のメンバーを拘留していると発表した。 |
DIA-305-1988-08-16-2 | スリランカ | 1988年08月16日 | 1980年代 | スリランカ在留中の日本人結婚ブローカーその代理人から,スレーヴ・アイランド警察署が事情聴取した。 |
DIA-305-1988-08-17-1 | スリランカ | 1988年08月17日 | 1980年代 | 日本の浜本大使は,スリジャヤワルダナプラ病院への救急医療施設(CTスキャンなど),医学研究所改良第2期事業および自動車整備訓練所事業の3件に計6.88億ルピーの贈与を行なう交換公文に調印した。 |
DIA-305-1988-08-20-1 | スリランカ | 1988年08月20日 | 1980年代 | インドのパント国防相は,スリランカの治安維持,タミル住民の権益保護およびインドの安全への脅威除去の3目的が達成されなければ撤兵しない,と言明。 |
DIA-305-1988-08-23-1 | スリランカ | 1988年08月23日 | 1980年代 | 大統領は,誰も87年の和平協定を破棄できないし,反対しているタミル人集団はLTTEのみと言明。 |
DIA-305-1988-08-24-1 | スリランカ | 1988年08月24日 | 1980年代 | プレマダーサ首相は閣議で貧しい農村青年2万名に月額600ルピーの救済事業を始める提案をした。 |
DIA-305-1988-08-25-1 | スリランカ | 1988年08月25日 | 1980年代 | インド軍とLTTEゲリラとの交戦により北部州で2万名の住民が難民化したとIsland紙報道。 |
DIA-305-1988-08-27-1 | スリランカ | 1988年08月27日 | 1980年代 | ヴァヴニア県でインド軍のラーマン大佐と2名の兵士がLTTEとの交戦で戦死したと大使館が発表。 |
DIA-305-1988-08-28-1 | スリランカ | 1988年08月28日 | 1980年代 | インド軍はヴァヴニア県で24時間以内に51名のゲリラ兵を捕虜にし300台のオートバイを捕獲。 |
DIA-305-1988-08-28-2 | スリランカ | 1988年08月28日 | 1980年代 | ニューデリーから帰任したインド大使が大統領に会見し,北・東部州で選挙を実施できると公式報告した。 |
DIA-305-1988-08-31-1 | スリランカ | 1988年08月31日 | 1980年代 | プレマダーサ首相の雇用促進計画(1990年までに85万人)を閣議で承認し,本年度の予算に計上。 |
DIA-305-1988-09-01-1 | スリランカ | 1988年09月01日 | 1980年代 | 駐留インド軍司令官カルカト中将がヴァヴニア県の前線基地にて記者会見し,LTTEの司令本部を陥落させ主要幹部100人を殺し,100人を捕虜にしたと語る。 |
DIA-305-1988-09-03-1 | スリランカ | 1988年09月03日 | 1980年代 | 8月25日以来,タンガッラ警察署に拘留されていた人権派の弁護士W・リヤナアーラッチが死亡する。 |
DIA-305-1988-09-05-1 | スリランカ | 1988年09月05日 | 1980年代 | JVPが与党の南部州議会議員をマータラ市で暗殺し,南部州各地で6名の党員を殺害と警察が発表。 |
DIA-305-1988-09-06-1 | スリランカ | 1988年09月06日 | 1980年代 | 政府与党は,公務員の免責法案と土地改革法改正法案の議会上程の中止を決定した。 |
DIA-305-1988-09-06-2 | スリランカ | 1988年09月06日 | 1980年代 | 警察で拷問死したリヤナアーラッチ弁護士に敬意を表するため独立後初の弁護士ストライキが行なわれた。 |
DIA-305-1988-09-08-1 | スリランカ | 1988年09月08日 | 1980年代 | 昨年の和平協定に従って,暫定的に北部州と東部州を単一の行政単位にすることを大統領が布告する。 |
DIA-305-1988-09-08-2 | スリランカ | 1988年09月08日 | 1980年代 | 陸軍,海軍,空軍,警察および自警団組織の防衛費11.6億ルピーの補正予算案を政府が議会に提出した。 |
DIA-305-1988-09-09-1 | スリランカ | 1988年09月09日 | 1980年代 | UNP運営委員会は,大統領選挙を総選挙より先にして,12月の第3週に実施する日程を採択した。 |
DIA-305-1988-09-09-2 | スリランカ | 1988年09月09日 | 1980年代 | インド政府は北部・東部州の統合決定を歓迎。 |
DIA-305-1988-09-12-1 | スリランカ | 1988年09月12日 | 1980年代 | 拷問死したリヤナアーラッチ弁護士の服喪のために,JVPがすべての商店や事務所の閉鎖を求めた。 |
DIA-305-1988-09-13-1 | スリランカ | 1988年09月13日 | 1980年代 | 南部の諸都市で交通機関がマヒ状態に陥り,州内の学校も学生管理が困難になり,すべて閉鎖される。 |
DIA-305-1988-09-14-1 | スリランカ | 1988年09月14日 | 1980年代 | タミル人組織が選挙に参加するよう,インド軍はスリランカ戦線で5日間の一方的な停戦を布告した。 |
DIA-305-1988-09-16-1 | スリランカ | 1988年09月16日 | 1980年代 | UNP運営委員会は,次期大統領侯補としてプレマダーサ首相を50名の出席者全員一致で決定した。 |
DIA-305-1988-09-16-2 | スリランカ | 1988年09月16日 | 1980年代 | 大統領は,テロリズム防止法で起訴されないまま拘留されているすべての女性容疑者の即時釈放を命じた。 |
DIA-305-1988-09-18-1 | スリランカ | 1988年09月18日 | 1980年代 | プレマダーサ首相が中国訪問の旅に出発する。 |
DIA-305-1988-09-19-1 | スリランカ | 1988年09月19日 | 1980年代 | インド軍,停戦期間の5日間延長を発表。 |
DIA-305-1988-09-19-2 | スリランカ | 1988年09月19日 | 1980年代 | 保健省で今年中に5000名新規採用する予定の看護婦の募集広告に対して,10倍近くの応募者。 |
DIA-305-1988-09-22-1 | スリランカ | 1988年09月22日 | 1980年代 | SLFP,ELJP,MEP,全セイロン・タミル会議(ACTC),DWC,SLMC,LPの7党は元首相のS・バンダーラナーヤカを大統領選挙の統一候補に推薦。 |
DIA-305-1988-09-23-1 | スリランカ | 1988年09月23日 | 1980年代 | インドのパント国防相は,停戦期間をこれ以上延長しないと言明し,できるだけ多くのタミル人党派が武器を捨てて州議会選挙に参加するように呼び掛けた。 |
DIA-305-1988-09-26-1 | スリランカ | 1988年09月26日 | 1980年代 | L・ジャヤティラカ復興・再建相が,クリヤピティヤの寺院にいく途中,待ち伏せに遭い暗殺された。 |
DIA-305-1988-09-27-1 | スリランカ | 1988年09月27日 | 1980年代 | ブレマダーサ首相は,香港でインドとの和平協定を双務的なものに改めたいと述べ,汚職を無くすため法制を整備し,話し合いによる問題の解決を強調した。 |
DIA-305-1988-09-28-1 | スリランカ | 1988年09月28日 | 1980年代 | 南部州だけでなくコロンボの5高校でも,学生たちが授業をボイコットして,街頭デモ行進を始めた。 |
DIA-305-1988-09-28-2 | スリランカ | 1988年09月28日 | 1980年代 | 本年の州政府予算は,県単位に計上されていた開発予算や県大臣の所管になっていた地方予算を充当する。 |
DIA-305-1988-09-29-1 | スリランカ | 1988年09月29日 | 1980年代 | ホロウボタナ選挙区の補欠選挙が行なわれUNP候補が当選した。他の党派は選挙をボイコットした。 |
DIA-305-1988-10-01-1 | スリランカ | 1988年10月01日 | 1980年代 | プレマダーサ首相は,国際住宅賞の授賞式に出席するためロンドンへ向かう。 |
DIA-305-1988-10-02-1 | スリランカ | 1988年10月02日 | 1980年代 | 北部・東部州6県庁が閉鎖されているので,全国中の県庁で州議会選挙の立候補受付けをしてほしい,とスリランカ・ムスリム会議が大統領に陳情する。 |
DIA-305-1988-10-05-1 | スリランカ | 1988年10月05日 | 1980年代 | EPRLFとENDLFとは選挙協定を結び,前者がトリンコマリー,ジャフナ,マンナール,バッテイカロアおよびアンバーライの5県で,後者がヴァヴニア,キリノッチおよびムライテヴの3県で立候補する。 |
DIA-305-1988-10-06-1 | スリランカ | 1988年10月06日 | 1980年代 | 野党の院内総務であるアヌラ・バンダーラナーヤカはロンドンでSLFPの基本政策について,1970年台前半に戻らず,開放経済政策を継承し発展させると語った。またインド軍の撤退を求め,代わりにLTTEを議会政治に参加させる方針であると述べた。 |
DIA-305-1988-10-07-1 | スリランカ | 1988年10月07日 | 1980年代 | 暗殺された復興・再建相の後任にA・アルヴィハーラが就任する(プランテーション産業省副大臣)。 |
DIA-305-1988-10-08-1 | スリランカ | 1988年10月08日 | 1980年代 | スリランカ弁護士会は法廷ボイコットを継続。 |
DIA-305-1988-10-09-1 | スリランカ | 1988年10月09日 | 1980年代 | UNP党大会で,大統領選挙の方針を決める。 |
DIA-305-1988-10-09-2 | スリランカ | 1988年10月09日 | 1980年代 | インド軍は,マドラスに拘留中だったLTTE幹部のキットウほか154名をジャフナに輸送する。 |
DIA-305-1988-10-10-1 | スリランカ | 1988年10月10日 | 1980年代 | 北部州の3県では,州議会選挙の無競争当選が確定する。LTTEがアヌラーダプラ県北部のシンハラ農村で子供18名と女性13名を含む47村民を虐殺。 |
DIA-305-1988-10-11-1 | スリランカ | 1988年10月11日 | 1980年代 | プレマダーサ首相は,貧困を無くするため低所得者に月2500ルピーを支給するとの公約を発表した。 |
DIA-305-1988-10-12-1 | スリランカ | 1988年10月12日 | 1980年代 | 大学だけでなく,全島の学校を10月25日まで閉鎖する命令が出され,キャンディには外出禁止令。 |
DIA-305-1988-10-14-1 | スリランカ | 1988年10月14日 | 1980年代 | 各地で政治的殺人が続き,外出禁止令が出されたり,商店が閉鎖されたり,停電や断水が報告されたりで,正常な市民生活が攪乱されている。 |
DIA-305-1988-10-17-1 | スリランカ | 1988年10月17日 | 1980年代 | 選挙管理委員会は,大統領選挙の投票日を12月19日に決定した,とIsland紙が報道する。 |
DIA-305-1988-10-20-1 | スリランカ | 1988年10月20日 | 1980年代 | アトラトムダリ国家治安相は,政府軍が1週間だけ破壊活動分子の鎮圧作戦を停止する,と発表した。 |
DIA-305-1988-10-22-1 | スリランカ | 1988年10月22日 | 1980年代 | スリランカ仏教3宗派の4僧伽の最高指導者が連名で大統領に書簡を送り,直ちに議会を解散し,選挙管理政府による大統領選挙と総選挙を行なうよう求めた。 |
DIA-305-1988-10-25-1 | スリランカ | 1988年10月25日 | 1980年代 | JVPはポスターやビラで和平協定に反対するため,すべての仕事をやめ1家族から2人が街頭デモに参加するよう求めた。政府は外出禁止令でこれに対抗。コロンボのUNP集会の爆発物で7名死亡70名負傷。 |
DIA-305-1988-10-25-2 | スリランカ | 1988年10月25日 | 1980年代 | マリカル蔵相は286億ルピーの暫定予算案を議会に上程した(1989年1月~4月分), |
DIA-305-1988-10-27-1 | スリランカ | 1988年10月27日 | 1980年代 | 大統領は7党連合代表と会いJVPを議会政治に参加させられたら国会を解散して辞任すると答える。 |
DIA-305-1988-10-29-1 | スリランカ | 1988年10月29日 | 1980年代 | 7党連合の代表は,前夜の話し合いでJVPを説得できなかったことを大統領に報告した。 |
DIA-305-1988-10-30-1 | スリランカ | 1988年10月30日 | 1980年代 | SLMP中央委員会は,O・アベイグナセークラ副委員長を同党の大統領候補に決定した。 |
DIA-305-1988-10-31-1 | スリランカ | 1988年10月31日 | 1980年代 | マハヴェリ水系最大のランテニガラ・ダムが完成したので,西独経済協力相が来島し祝典を行なう。 |
DIA-305-1988-11-01-1 | スリランカ | 1988年11月01日 | 1980年代 | クルネーガラ県パンナラ陸軍訓練基地が約百名の武装青年に襲撃され,447丁の最新式武器と爆薬を奪われた。応戦した陸軍の死者5名犯人側の死者4名。 |
DIA-305-1988-11-03-1 | スリランカ | 1988年11月03日 | 1980年代 | プンチニラメ・サバラガムワ州首相辞任。息子がJVP系医学生を虐殺した容疑で逮捕されたため。 |
DIA-305-1988-11-03-2 | スリランカ | 1988年11月03日 | 1980年代 | マルデヴ島のクーデターをインド軍が鎮圧する。 |
DIA-305-1988-11-05-1 | スリランカ | 1988年11月05日 | 1980年代 | 大統領がバンダーラナーヤカ元首相と会談し,JVPが武器を捨てれば総選挙を実施すると約束する。 |
DIA-305-1988-11-06-1 | スリランカ | 1988年11月06日 | 1980年代 | ペルワッタ収容所から拘留者約100名が脱走,ウェリカデー刑務所では暴動(死者2名,負傷者30名)。 |
DIA-305-1988-11-08-1 | スリランカ | 1988年11月08日 | 1980年代 | 観光ホテル従業員が職場を放棄しデモ行進に参加した。政府は各旅行業者に観光客の帰国を要請した。 |
DIA-305-1988-11-09-1 | スリランカ | 1988年11月09日 | 1980年代 | インドの市民権をもたないすべてのタミル人にスリランカ市民権を与える法案が,議会で可決された。 |
DIA-305-1988-11-10-1 | スリランカ | 1988年11月10日 | 1980年代 | 大統領候補3名で締め切る。JVPは地下放送で和平協定に抗議するデモへ市民の参加を呼び掛ける。軍隊が発砲し15名死亡,25名負傷。2000名を逮捕。 |
DIA-305-1988-11-10-2 | スリランカ | 1988年11月10日 | 1980年代 | ヴィジャラトナ法相が脱獄事件の責任を取り辞職。 |
DIA-305-1988-11-11-1 | スリランカ | 1988年11月11日 | 1980年代 | P・ペレーラ新法相が就任する。 |
DIA-305-1988-11-11-2 | スリランカ | 1988年11月11日 | 1980年代 | 輸出加工区における最低賃金が1000ルピーに決まる。 |
DIA-305-1988-11-13-1 | スリランカ | 1988年11月13日 | 1980年代 | 南部州で政治的対立のため13名が殺される。 |
DIA-305-1988-11-14-1 | スリランカ | 1988年11月14日 | 1980年代 | 東部州でバスが襲われ,28名死亡3名負傷。 |
DIA-305-1988-11-15-1 | スリランカ | 1988年11月15日 | 1980年代 | 政府軍がマーターレ県で,政府に抗議する3000人のデモ行進に発砲し,5名が死亡,17名が負傷した。 |
DIA-305-1988-11-17-1 | スリランカ | 1988年11月17日 | 1980年代 | SLMP集会で手榴弾により2名死亡,85名負傷。 |
DIA-305-1988-11-19-1 | スリランカ | 1988年11月19日 | 1980年代 | 北部・東部州議会議員選挙の投票率が高い。 |
DIA-305-1988-11-20-1 | スリランカ | 1988年11月20日 | 1980年代 | 開票結果は,EPRLF,SLMCが各17名,UNP1名当選。無競争区を含めてEPRLFの勝利。 |
DIA-305-1988-11-21-1 | スリランカ | 1988年11月21日 | 1980年代 | マルデヴ在住のスリランカ人労働者が,クーデター以降ビザを更新されず,徐々に帰国を求められる。 |
DIA-305-1988-11-23-1 | スリランカ | 1988年11月23日 | 1980年代 | 鉄道やバスの運航が妨げられ,公共交通機関がマヒ状態。警察はJVPが18名を射殺したと発表。 |
DIA-305-1988-11-23-2 | スリランカ | 1988年11月23日 | 1980年代 | 1987年7月以降の暴動による被害を受けた公務員に,15万ルピーまでの補償金を払うと閣議で決定。 |
DIA-305-1988-11-27-1 | スリランカ | 1988年11月27日 | 1980年代 | 北・東部州以外の行政機関がマヒ状態になる。 |
DIA-305-1988-11-28-1 | スリランカ | 1988年11月28日 | 1980年代 | 北・東部州首相にP・ベルマルが選出される。 |
DIA-305-1988-11-29-1 | スリランカ | 1988年11月29日 | 1980年代 | 上級職公務員協会は大統領に書簡を送り,脅迫状と軍の要請との板挟みで公務の執行が困難と訴える。 |
DIA-305-1988-11-30-1 | スリランカ | 1988年11月30日 | 1980年代 | 10月15日から11月末までに,国内の政治対立で約500人の死者がでた模様(各紙報道の推計)。 |
DIA-305-1988-11-30-2 | スリランカ | 1988年11月30日 | 1980年代 | 大統領は,公正な選挙のために国際的な選挙監視団体の代表を受け入れる案を検討していると閣議で話す。 |
DIA-305-1988-12-01-1 | スリランカ | 1988年12月01日 | 1980年代 | カダワタでのSLMPの集会に手榴弾が投げ込まれ,副委員長を含む4名が即死し60名が負傷した。 |
DIA-305-1988-12-03-1 | スリランカ | 1988年12月03日 | 1980年代 | 大統領はTV放送を通じて,12月20日に議会を解散し総選挙を2月15日に実施すると発表した。 |
DIA-305-1988-12-05-1 | スリランカ | 1988年12月05日 | 1980年代 | 54名のEPRLFとENDLFの北・東部州議会議員がトリンコマリーで州知事のN・セナヴィラトナ中将立ち合いの下に憲法の規定どおりの宣誓をする。 |
DIA-305-1988-12-07-1 | スリランカ | 1988年12月07日 | 1980年代 | 政府による金融会社の規制法案を閣議で承認。 |
DIA-305-1988-12-09-1 | スリランカ | 1988年12月09日 | 1980年代 | アトラトムダリ国家治安相は,5野党代表団がヴァヴニア県でLTTEと会見したと議会で暴露する。 |
DIA-305-1988-12-11-1 | スリランカ | 1988年12月11日 | 1980年代 | キャンディ県のボーガンバラ刑務所を10名の武装ゲリラが襲撃して,6名の仲間を脱獄させる。 |
DIA-305-1988-12-12-1 | スリランカ | 1988年12月12日 | 1980年代 | 大統領は,JVPと戦うために香港のグルカ兵部隊を派兵するよう英国に求めた事実を明らかにする。 |
DIA-305-1988-12-12-2 | スリランカ | 1988年12月12日 | 1980年代 | JVPは17~19日に全国民の外出禁止を布告。 |
DIA-305-1988-12-13-1 | スリランカ | 1988年12月13日 | 1980年代 | JVP党員と見られる武装青年集団が,ヴェリカテ刑務所を襲撃し,政治犯221名の脱獄を助ける。 |
DIA-305-1988-12-13-2 | スリランカ | 1988年12月13日 | 1980年代 | EROS委員長は議会選挙に参加することを表明。 |
DIA-305-1988-12-15-1 | スリランカ | 1988年12月15日 | 1980年代 | 南部州の海岸にはJVP党員の死体が多く放置され,行政が機能し始めた,とF.Times紙報道。 |
DIA-305-1988-12-15-2 | スリランカ | 1988年12月15日 | 1980年代 | 第15,16次の憲法改正(選挙制度と公用語)。 |
DIA-305-1988-12-16-1 | スリランカ | 1988年12月16日 | 1980年代 | SAARC選挙監視員が来島し3候補に会う。 |
DIA-305-1988-12-16-2 | スリランカ | 1988年12月16日 | 1980年代 | 北東部州政府は地域の復興・再建政策を発表する。 |
DIA-305-1988-12-19-1 | スリランカ | 1988年12月19日 | 1980年代 | 大統領選挙の投票率は低調(55.32%)。モナラーガラ県で49投票所が開かれなかった。3名の投票管理員を含む約25人が殺された,と報道される。 |
DIA-305-1988-12-20-1 | スリランカ | 1988年12月20日 | 1980年代 | 開票結果は次のとおり,UNPの勝利だった。プレマダーサ(UNP)256万9119(50.43)票,バンダーラナーヤカ(SLFP)228万9860(44.97)票,アベイグナセーカラ(SLMP)23万5719(4.50%)票。 |
DIA-305-1988-12-21-1 | スリランカ | 1988年12月21日 | 1980年代 | バンダーラナーヤカ候補は,多くの国民が投票権を行使できない不正選挙だったと司法判断を求める。 |
DIA-305-1988-12-23-1 | スリランカ | 1988年12月23日 | 1980年代 | 議会解散により非常事態布告も1月15日まで。 |
DIA-305-1988-12-24-1 | スリランカ | 1988年12月24日 | 1980年代 | 選挙後の暴力事件を避ける外出禁止令が解除。 |
DIA-305-1988-12-26-1 | スリランカ | 1988年12月26日 | 1980年代 | 亡命していたTULFは総選挙に立候補声明。 |
DIA-305-1988-12-28-1 | スリランカ | 1988年12月28日 | 1980年代 | 新大統領は,食糧切符制度に代わる低所得層の経済自立政策を実施するため省の新設を検討している。 |
DIA-305-1988-12-28-2 | スリランカ | 1988年12月28日 | 1980年代 | 最初の閣議が開かれ,デ・メル前蔵相とその一族の経済行為に関する調査委員会の設置を決定する。 |
DIA-305-1988-12-29-1 | スリランカ | 1988年12月29日 | 1980年代 | イスラマバードで開かれたSAARC首脳会議にジャヤワルダナ大統領が出席。SAARC諸国が大統領選挙に対し監視員を派遣してくれたことに感謝を表明。 |
DIA-305-1988-12-29-2 | スリランカ | 1988年12月29日 | 1980年代 | 和平協定に基づき,北部と東部州の統合について賛否を問う住民投票を7月5日に実施すると大統領布告。 |
DIA-305-1988-12-30-1 | スリランカ | 1988年12月30日 | 1980年代 | 2月15日の総選挙の立候補受付けが始まる。 |
DIA-305-1989-01-01-1 | スリランカ | 1989年01月01日 | 1980年代 | ラナシンラ・プレマダーサ首相が,2日にキャンディの仏歯寺で行なわれる式典において,行政権を持つ2代目の大統領に就任すべく辞表を提出。 |
DIA-305-1989-01-02-1 | スリランカ | 1989年01月02日 | 1980年代 | 在コロンボのインド大使館は,インド平和維持軍の2個大隊4000名を,近日中に撤退させると発表。 |
DIA-305-1989-01-04-1 | スリランカ | 1989年01月04日 | 1980年代 | 2月15日に予定されている総選挙までの暫定内閣が成立する。それまで,首相および10の閣内相のポストを,プレマダーサ大統領が兼任する。 |
DIA-305-1989-01-06-1 | スリランカ | 1989年01月06日 | 1980年代 | 「タミル・イーラム解放の虎」(LTTE)と「人民解放戦線」(JVP)とを除く主要党派が,総選挙の立候補届けを完了する。 |
DIA-305-1989-01-07-1 | スリランカ | 1989年01月07日 | 1980年代 | 政府与党支持の仏教僧が,マータラ県デクウェラで射殺された,と政府軍が発表する。 |
DIA-305-1989-01-09-1 | スリランカ | 1989年01月09日 | 1980年代 | 自由党のバンダーラナーヤカ元首相が,88年12月の大統領選挙は,自由でも公正でもなかった,と最高裁判所に現大統領の当選無効を訴える。 |
DIA-305-1989-01-10-1 | スリランカ | 1989年01月10日 | 1980年代 | プレマダーサ大統領は,12日から68ヵ月ぶりに非常事態の布告を解除し,再び宣言しなくてもよいことを切望する,と述べる。非常事態宣言により裁判なしに拘束されていた政治犯の釈放も進める,と言明する。 |
DIA-305-1989-01-11-1 | スリランカ | 1989年01月11日 | 1980年代 | インドのラジーブ・ガンディ首相は,カンニャクマーリでの政治集会で,スリランカ情勢が正常化すれば,インド軍は撤退する,と演説する。 |
DIA-305-1989-01-11-2 | スリランカ | 1989年01月11日 | 1980年代 | 「タミル統一解放戦線』(TULF)は,インド・スリランカ和平協定の完全実施まで,インド軍の駆留を望む,と選挙で訴える。 |
DIA-305-1989-01-12-1 | スリランカ | 1989年01月12日 | 1980年代 | LTTEは,2月15日の総選挙のボイコットを呼びかける声明文を発表する。 |
DIA-305-1989-01-17-1 | スリランカ | 1989年01月17日 | 1980年代 | LTTE(北・東部州)とJVP(南部州)との待ち伏せ攻撃で,2名のインド軍兵士と6名のスリランカ軍兵士とが戦死し,16名の市民が殺される。 |
DIA-305-1989-01-17-2 | スリランカ | 1989年01月17日 | 1980年代 | 南都のアフンガッラの踏み切りで,通学バスと急行列車が衝突し,死者51名,負傷者110名の大事故となる。 |
DIA-305-1989-01-17-3 | スリランカ | 1989年01月17日 | 1980年代 | 12名のJVP兵士が,モラトゥワで2ヵ所の銀行支店を襲い,700万ルピーの現金を強奪した。 |
DIA-305-1989-01-19-1 | スリランカ | 1989年01月19日 | 1980年代 | 計画実施省次官と日本の調査団長は,ガンバハ県における総合農村開発計画への,日本政府の無償供与(総額2.2億ルピー)を取り決める覚書を締結した。 |
DIA-305-1989-01-20-1 | スリランカ | 1989年01月20日 | 1980年代 | マンナール県で,18日に6名のインド軍兵士がLTTE軍に殺された報復に,ワーディとよばれる漁師の仮小屋25軒,7商店および住宅12戸に放火とのうわさ。120名の村民が避難。インド大使館は,その事実を否定。 |
DIA-305-1989-01-21-1 | スリランカ | 1989年01月21日 | 1980年代 | 英国に政治亡命を希望していた元留学生メンディスが,強制送還され16年ぶりに帰国する。 |
DIA-305-1989-01-23-1 | スリランカ | 1989年01月23日 | 1980年代 | 前日,JVPに射殺された自由党の候補者Il・ハジャルとその支持者17名の葬儀の帰りに,同党候補者S・ラトナーヤカとその支持者3名が斬殺される。 |
DIA-305-1989-01-25-1 | スリランカ | 1989年01月25日 | 1980年代 | 大蔵・計画省次官と日本大使が,コロンボ北部のヴィクトリア橋建て替え事業に必要な,実施計画の贈与(1400万ルピー)に関する交換公文を締結する。実施設計後に,架橋計画への無償協力が予定されている。 |
DIA-305-1989-01-26-1 | スリランカ | 1989年01月26日 | 1980年代 | 統一国民党,自由党および統一社会主義同盟(USA)の支持者44名が,総選挙に反対する勢力によって殺される(中央州および南州部にて)。 |
DIA-305-1989-01-28-1 | スリランカ | 1989年01月28日 | 1980年代 | 西アジア産油国に出稼ぎに行く労働者の旅券申請が25日から急増し,日に750名から1500名になる。 |
DIA-305-1989-01-29-1 | スリランカ | 1989年01月29日 | 1980年代 | コロンボ近郊の3警察署がJVPらしき武装勢力に襲われ,3名の警官が殺され,武器弾薬を奪われる。 |
DIA-305-1989-02-01-1 | スリランカ | 1989年02月01日 | 1980年代 | モルディブのガユーム大統領は,88年11月3日のクーデターは,スリランカの「タミル・イーラム人民解放組織」(PLOTE)の謀略である,と議会で述べる。 |
DIA-305-1989-02-03-1 | スリランカ | 1989年02月03日 | 1980年代 | 大統領は,プランテーション地帯の未利用地に土地のない農民を入植させる施策を検討中と述べる。 |
DIA-305-1989-02-03-2 | スリランカ | 1989年02月03日 | 1980年代 | 東州部のアンバーラ県で,子供を含む11名のシンハラ入植農民がLTTEに殺された,と治安当局が発表する。 |
DIA-305-1989-02-04-1 | スリランカ | 1989年02月04日 | 1980年代 | 第41回独立記念日に際し,大統領が,貧困を無くし民主的な社会を創る,とのメッセージを発表する。 |
DIA-305-1989-02-05-1 | スリランカ | 1989年02月05日 | 1980年代 | 日本政府が,スリジャヤワルダナ病院に6000万ルピーの医療機械を贈与する,と病院側が発表する。 |
DIA-305-1989-02-05-2 | スリランカ | 1989年02月05日 | 1980年代 | ポロンナルワ県ヒングラゴダ町で開催中の自由党の選挙集会で,4個の爆弾が投げられ,35名が負傷する。自由党委員長のバンダーラナーヤカ元首相は難を免れる。 |
DIA-305-1989-02-09-1 | スリランカ | 1989年02月09日 | 1980年代 | エア・ランカは,日本政府との航空交渉で東京への増便を求めていたが,福岡市への寄港に合意する。 |
DIA-305-1989-02-10-1 | スリランカ | 1989年02月10日 | 1980年代 | 日本政府は,122台のいすずバスとその部品をスリランカ運輸公社へ贈与する,交換公文を締結する。 |
DIA-305-1989-02-11-1 | スリランカ | 1989年02月11日 | 1980年代 | JVPの過激派武装集団が,コロンボ市ボラーラ地区の統一国民党選挙集会に爆弾を仕掛け,また警察署を襲撃して,24時間内に34名を殺害する。 |
DIA-305-1989-02-12-1 | スリランカ | 1989年02月12日 | 1980年代 | アヌラーダブラ県のシンハラ農村を,約50名のLTTE兵が攻撃し,僧侶を含む計34名の村民を射殺する。アンパーラ県のムスリム農村でも,同様にして6名を射殺する。他方,JVPは自由党国会議員候補を含む9名の政治家とその支持者を射殺する,と国家治安省が発表。 |
DIA-305-1989-02-14-1 | スリランカ | 1989年02月14日 | 1980年代 | 各政党の選挙運動員19名が,投票日前日にJVPに射殺される,と警察発表。夜間外出禁止令布告される。選挙期間中に,候補者14名を含む1140名が殺される。 |
DIA-305-1989-02-15-1 | スリランカ | 1989年02月15日 | 1980年代 | 12年ぶりの総選挙が実施され,投票日に67名が殺される。投票率は,63.3%と選挙管理委員会が発表。開票が終わるまで,21時間の外出禁止令が施行される。 |
DIA-305-1989-02-16-1 | スリランカ | 1989年02月16日 | 1980年代 | 開票結果確定。党派別議席は次のとおり。統一国民党(UNP,政府与党)125,スリランカ自由党(SLFP)67,イーラム学生革命組織(EROS)13,タミル統一解放戦線連合(TULF/EPRLF)10,統一社会主義同盟(USA/SLMP/LSSR/NSSP/CP)3,大衆統一戦線(MEP)2,ムスリム会議(MC)4,無所属1,全議席数225。 |
DIA-305-1989-02-18-1 | スリランカ | 1989年02月18日 | 1980年代 | 22名の閣内相と49名の国務相が,任命される。 |
DIA-305-1989-02-19-1 | スリランカ | 1989年02月19日 | 1980年代 | 20名のJVP党員が,アヌラーダプラ県の農村において,「黒猫」と自称する武装組織に射殺される。 |
DIA-305-1989-02-21-1 | スリランカ | 1989年02月21日 | 1980年代 | アジア開発銀行は,紅茶生産向上プロジェクトに対して2500万㌦の借款を供与する案を承認する。 |
DIA-305-1989-02-22-1 | スリランカ | 1989年02月22日 | 1980年代 | インドのゴーパラサーミ上院議員(ドラヴィダ進歩同盟所属)が,ひそかにスリランカのジャングルへ渡航し,プラバカランLTTE委員長と会見した事実が公表され,タミル・ナードゥ州議会で州首相が答弁する。 |
DIA-305-1989-02-22-2 | スリランカ | 1989年02月22日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ前大統領が,大喪の礼に参列するために日本へ向う。出発直前にプレマダーサ大統領と会談。 |
DIA-305-1989-02-22-3 | スリランカ | 1989年02月22日 | 1980年代 | 日本政府が贈与したスリジャヤワルダナ総合病院のベッド1000床のうち600床が未使用と,Sun紙が報道する。 |
DIA-305-1989-02-22-4 | スリランカ | 1989年02月22日 | 1980年代 | 警察官を増員してJVPを鎮圧すると閣議で決定する。 |
DIA-305-1989-02-23-1 | スリランカ | 1989年02月23日 | 1980年代 | 低地産を中心に,紅茶輸出価格が急上昇する。 |
DIA-305-1989-02-25-1 | スリランカ | 1989年02月25日 | 1980年代 | 本日までの1週間に,少なくとも25人のタミル青年が党派間の戦闘で死亡した,と報告される。 |
DIA-305-1989-02-26-1 | スリランカ | 1989年02月26日 | 1980年代 | キャンディ市の観光ホテル前で,小学生の運んでいたとみられる爆弾が爆発し,7名が死亡する。 |
DIA-305-1989-02-27-1 | スリランカ | 1989年02月27日 | 1980年代 | 日本政府が漁港用浚渫船に1.43億ルピー贈与。 |
DIA-305-1989-02-27-2 | スリランカ | 1989年02月27日 | 1980年代 | ポロンナルワ県のボラウェワ村で,38名のシンハラ人が,武装タミル集団に襲われ射殺もしくは斬殺され,10名以上が負傷した。死者の内19名が女性と子供。 |
DIA-305-1989-02-27-3 | スリランカ | 1989年02月27日 | 1980年代 | JVPがアヌラーダブラ県内でハルタルを呼びかける。 |
DIA-305-1989-02-27-4 | スリランカ | 1989年02月27日 | 1980年代 | LSSP委員長で,1972年に左翼統一戦線政権の憲法を起草したコルヴィン・ダ・シルヴァ議員が死去(82歳)。 |
DIA-305-1989-02-28-1 | スリランカ | 1989年02月28日 | 1980年代 | 日本政府は,スリランカの債務返済の困難を考慮し,第11次債務救済協力として4700万ルピーを贈与。 |
DIA-305-1989-02-28-2 | スリランカ | 1989年02月28日 | 1980年代 | インド政府は,1987年7月から89年1月までに,スリランカに派遣した平和維持軍の費用として17.4億ルピーを支出した。この期間のインド兵の戦死は784名,負傷は2013名である,とパント国防相が議会に報告する。 |
DIA-305-1989-03-01-1 | スリランカ | 1989年03月01日 | 1980年代 | LTTEと見られる集団がチエッティクラムとマドゥとの間の鉄道を爆破したため,コロンボとタライマンナル間の列車の運行が停止される。 |
DIA-305-1989-03-02-1 | スリランカ | 1989年03月02日 | 1980年代 | 本日に予定されていた全国の大学の再開は,各学長との協議の結果,当分の間,延期することに決定した,とハミード高等教育相が発表する。 |
DIA-305-1989-03-03-1 | スリランカ | 1989年03月03日 | 1980年代 | プレマダーサ大統領は,ヴィジェトゥンガ蔵相(67歳)を新首相に,またヴィクラマシンハ工業相(39歳)を与党の院内総務に任命した。大統領の後継者と見られていた有力な政治家である,フトラトムダリ前国家治安相とディサナーヤカ前マハーヴェリ開発相の2人を,重要な地位から離そうとした人事と見られる。 |
DIA-305-1989-03-04-1 | スリランカ | 1989年03月04日 | 1980年代 | LTTE政治局がインド政府との交渉を拒否し,民放解放とイーラム独立をめざす戦いを続ける,との声明をマドラスで発表する。この声明は,ムッライティヴ県におけるインド軍とスリランカ軍との合同作戦のため,2日間で100名以上のタミル村民が殺された,と述べる。 |
DIA-305-1989-03-05-1 | スリランカ | 1989年03月05日 | 1980年代 | インド軍は,ムッライティヴにおけるLTTEの拠点を3ヵ所攻撃し約50名のゲリラ兵を殺した,と発表。ゴーパラサーミ上院議員が,同地にあるLTTEの司令部を離れ,インドへ帰国した4日にこの作戦が開始された。 |
DIA-305-1989-03-07-1 | スリランカ | 1989年03月07日 | 1980年代 | EROSの国会議員13名は,第6次憲法改正を撤回しなければ,明日の開会式をボイコットする,と主張。 |
DIA-305-1989-03-08-1 | スリランカ | 1989年03月08日 | 1980年代 | コロンボ大学のヴィジェスンドラ前学長が,乱入したJVP党員と見られる犯人に執務室で射殺される。 |
DIA-305-1989-03-09-1 | スリランカ | 1989年03月09日 | 1980年代 | プレマダーサ大統領は,第9回議会開会式の演説で,交渉による平和の回復,公務員の規律向上および行財政改革による貧困を除去する計画の3点を強調。 |
DIA-305-1989-03-11-1 | スリランカ | 1989年03月11日 | 1980年代 | 北・東部州のペルマル州首相が,インドを訪問する。今回の訪問期間中に,ガンディ首相,ラオ外相,タミル・ナードゥ州のカルナニディ州首相などの政府要人と会い,スリランカ・タミル人居住地区の経済再建と州政府への権力移譲への支援を訴える(25日まで)。 |
DIA-305-1989-03-12-1 | スリランカ | 1989年03月12日 | 1980年代 | スリランカ政府軍が,南部州を中心とする作戦により,1200名のJVP党員容疑者を検挙し拘留する。 |
DIA-305-1989-03-16-1 | スリランカ | 1989年03月16日 | 1980年代 | ヴィジェトゥガ首相兼蔵相が,1989年度の予算案を提出する。歳出1080億ルピーに対し歳入600億ルピーで,赤字が440億ルピーである。軍事費が1904年以来初めて削減され,代わって貧民救済に重点が置かれた。 |
DIA-305-1989-03-20-1 | スリランカ | 1989年03月20日 | 1980年代 | 68名のスリランカ・タミル人が容疑者である,モルディブ共和国のクーデター事件の裁判が始まる。 |
DIA-305-1989-03-23-1 | スリランカ | 1989年03月23日 | 1980年代 | ヴィジャラトナ外相が,19日から22日にかけてアヌラーダプラ県等で140名のシンハラ青年が殺された事件に,警察の関与がないか調査する,と議会で回答。 |
DIA-305-1989-03-24-1 | スリランカ | 1989年03月24日 | 1980年代 | ムッライティヴ県における戦闘で,LTTEが声明を発表。20名以上のインド兵が戦死し50名が負傷したが,LTTE側の戦死者は6名にすぎず,その代り300名以上の非戦闘員が殺され数百名が負傷した,と主張。 |
DIA-305-1989-03-24-2 | スリランカ | 1989年03月24日 | 1980年代 | アジア芸術文化協会の田中代表が,前大統領と会見。 |
DIA-305-1989-03-24-3 | スリランカ | 1989年03月24日 | 1980年代 | 米国政府は旱害が続くスリランカに食糧援助の増額を決定する。公法480号に基づく本年中の小麦援助は,17.5万㌧(3000万米㌦)に達する見込みである。 |
DIA-305-1989-03-27-1 | スリランカ | 1989年03月27日 | 1980年代 | 日本政府が,日本脳炎のワクチン1850万ルピー相当を,スリランカ政府に寄贈する,と大使館が発表。 |
DIA-305-1989-03-28-1 | スリランカ | 1989年03月28日 | 1980年代 | タミル・ナードゥ州のマンダバン難民キャンプに収容されていた,255家族のスリランカ・タミル人の難民が,2隻のインド船に分乗して帰国する。 |
DIA-305-1989-03-29-1 | スリランカ | 1989年03月29日 | 1980年代 | ウヴァ州で7名の自由党員が,JVPの軍事組織とみられる「愛国大衆同盟」(DJV)に射殺される。 |
DIA-305-1989-03-31-1 | スリランカ | 1989年03月31日 | 1980年代 | 過去11日間,ジャフナの県庁や銀行等の公的な機関は閉鎖されたままである,とDaily News紙が報道。 |
DIA-305-1989-04-01-1 | スリランカ | 1989年04月01日 | 1980年代 | プレマダーサ大統領は,ラジオ放送を通じて,LTTEとJVPの党員に,次の幅広い和平提案を行なった。(1)政治犯の無条件恩赦,(2)国会における代表権,(3)テロリズム防止法の廃止,(4)インド軍の撤退,(5)反政府の活動家を殺害する武装自警組織の非合法化。 |
DIA-305-1989-04-05-1 | スリランカ | 1989年04月05日 | 1980年代 | JVPは1971年4月反乱の8周年記念日として,すべての事務所や店舗の所有者に,1日休業するように要求したので,コロンボの道路は人通りが少なくなる。 |
DIA-305-1989-04-05-2 | スリランカ | 1989年04月05日 | 1980年代 | 北部州のワンニ県において,LTTEの仕掛けた地雷の爆発と,その直後の攻勢により,将校を含むインド軍兵士25名が戦死する。LTTE側の戦死者は20名と報道。 |
DIA-305-1989-04-07-1 | スリランカ | 1989年04月07日 | 1980年代 | 南部州のハンバントタ県において地雷爆発が相次ぎ,警官11名が死亡し,3名が重傷を追う。治安当局は,JVPの軍事組織が仕掛けたものと見ている。 |
DIA-305-1989-04-08-1 | スリランカ | 1989年04月08日 | 1980年代 | 本年1月~3月にテロリズム防止法によって検挙され,現在も拘留されているJVP党員の数は722であり,キャンディ県が最も多い,と国防省が発表する。 |
DIA-305-1989-04-10-1 | スリランカ | 1989年04月10日 | 1980年代 | スリランカ軍とインド軍は共に,シンハラ・タミルの正月の始まる12日から1週間の一方的な軍事停戦を実施すると発表し,LTTEとJVPとに平和を呼び掛ける。この期間に指定された228ヵ所に投降してくる反乱分子および逃亡兵士には恩赦を与えることも発表する。 |
DIA-305-1989-04-11-1 | スリランカ | 1989年04月11日 | 1980年代 | 大統領宛の公開状で,LTTEが停戦を拒否する。 |
DIA-305-1989-04-13-1 | スリランカ | 1989年04月13日 | 1980年代 | 政府が公開状で,LTTEに平和会談を提案する。 |
DIA-305-1989-04-13-2 | スリランカ | 1989年04月13日 | 1980年代 | トリンコマリー市の市場で停車中の乗用車に仕掛けられた5kgの時限爆弾のため,シンハラ人中心の住民45名とインド軍兵士7名が死亡する。インド軍はLTTEが仕掛けたと見ているが,スリランカ政府のヴィジェラトナ外相は,EPRLFの犯行であろうと語る。 |
DIA-305-1989-04-15-1 | スリランカ | 1989年04月15日 | 1980年代 | 大統領宛の返書でLTTEが和平会談を受諾する。 |
DIA-305-1989-04-15-2 | スリランカ | 1989年04月15日 | 1980年代 | EPRLFのパドマナバ書記長が,前日のヴィジェラトナ外相談話に反論。プレマダーサ政権がLTTEに武器を与えて,インド平和維持軍と戦わせていると非難。 |
DIA-305-1989-04-16-1 | スリランカ | 1989年04月16日 | 1980年代 | 大統領秘書が,ロンドンのLTTE事務所代表に,スリランカ国内で開催する和平会談へのLTTE側代表を,指名するよう要請する。 |
DIA-305-1989-04-17-1 | スリランカ | 1989年04月17日 | 1980年代 | LTTEは,アントン・バーラシンハムを和平会談の代表に任命した,とのメッセージを大使館に伝える。 |
DIA-305-1989-04-17-2 | スリランカ | 1989年04月17日 | 1980年代 | インド外務省は,LTTEとスリランカ政府との和平会談を歓迎する,とのスポークスマン談話を発表。 |
DIA-305-1989-04-18-1 | スリランカ | 1989年04月18日 | 1980年代 | 日本政府が1.14億ルピーの無償協力を行なう,ミニペ/ナーガディーパ農村開発プロジェクト(揚水灌漑と道路建設)に関する交換公文に,伊藤代理大使とバスカリンガム大蔵次官とが調印する。 |
DIA-305-1989-04-19-1 | スリランカ | 1989年04月19日 | 1980年代 | モルディブ政府は,数千人のスリランカ労働者に,査証の更新をしないとの方針を決めたので,職を失い,帰国を余儀なくされる者が増えると伝えられる。 |
DIA-305-1989-04-22-1 | スリランカ | 1989年04月22日 | 1980年代 | 4ヵ所で,計6名の与党支持者が射殺される。 |
DIA-305-1989-04-22-2 | スリランカ | 1989年04月22日 | 1980年代 | ゴール県のピティガラにおいて,21日に警官と兵士が各1名射殺されたが,その同じ場所でJVP党員と思われる青年の,首なし死体が発見される。 |
DIA-305-1989-04-22-3 | スリランカ | 1989年04月22日 | 1980年代 | プレマダーサ大統領はJVPとの和平会談のためなら,いつでもどこへでも出かけると与党の会議で言明。 |
DIA-305-1989-04-26-1 | スリランカ | 1989年04月26日 | 1980年代 | LTTEの代表であるバーラシンハム夫妻がロンドンから到着し,VIP扱いの歓迎を受ける。 |
DIA-305-1989-04-26-2 | スリランカ | 1989年04月26日 | 1980年代 | ジャナサヴィヤ法案が国会に提出され,今議会において初めて,すべての党派が同法案に賛意を表明する。 |
DIA-305-1989-04-27-1 | スリランカ | 1989年04月27日 | 1980年代 | JVPは国家による弾圧と,物価高とに抗議して全国各地で,ストライキと一斉休業を呼びかける。 |
DIA-305-1989-04-27-2 | スリランカ | 1989年04月27日 | 1980年代 | 私立の北コロンボ医科大学を収用し,公立のケラニー大学の医学部に転換するための法案が可決される。 |
DIA-305-1989-04-28-1 | スリランカ | 1989年04月28日 | 1980年代 | 各地で旱害の報告が続いているので,政府はタイ国からトン当り265㌦で7.2万㌧の米を輸入することを決定する(中国とパキスタンからの輸入に追加)。 |
DIA-305-1989-04-29-1 | スリランカ | 1989年04月29日 | 1980年代 | ヴィジェトゥンガ首相が,アジア開発銀行の総会に出席するために,5月4日まで中国を訪問する。 |
DIA-305-1989-04-29-2 | スリランカ | 1989年04月29日 | 1980年代 | 中国は,旱魃の被災地に救援物資を送る。 |
DIA-305-1989-04-30-1 | スリランカ | 1989年04月30日 | 1980年代 | スリランカ中央銀行の年次報告が発表される。特に民族抗争による経済情勢の悪化,対外債務の急激な増加,輸入消費財の物価上昇等について警告している。 |
DIA-305-1989-05-01-1 | スリランカ | 1989年05月01日 | 1980年代 | インド外務省のクマール・シン次官が首相特使として来島し,LTTEとの和平会談の進め方について,スリランカ政府の説明を聴く。2日に大統領と会談する。 |
DIA-305-1989-05-01-2 | スリランカ | 1989年05月01日 | 1980年代 | ヴァヴニヤのインド軍捕虜収容所が襲撃され,46名のLTTE兵士が脱走する。4名の捕虜がその場で射殺され,3名が再逮捕される。6名のインド兵が戦死する。 |
DIA-305-1989-05-01-3 | スリランカ | 1989年05月01日 | 1980年代 | ジャフナ県知事,LTTEの狙撃兵により暗殺さる。 |
DIA-305-1989-05-03-1 | スリランカ | 1989年05月03日 | 1980年代 | ヨーガラ・ナムを代表とする9名のLTTE交渉団が,ムッライティヴのジャングルから,スリランカ空軍のヘリコプターに搭乗し,コロンボに到着する。 |
DIA-305-1989-05-04-1 | スリランカ | 1989年05月04日 | 1980年代 | LTTE交渉団が大統領に表敬訪問し,宿舎のヒルトン・ホテルで,5日から大統領府担当官との事務的な会談を始める。スリランカ政府側の代表団は,ヴィジェラトナ外相を団長として,ヴィクラマシンハ工業相,ハミード高等教育相およびクーレイ住宅相が参加。 |
DIA-305-1989-05-06-1 | スリランカ | 1989年05月06日 | 1980年代 | 南部州と中央州の各地で,僧侶を含む5名が電柱に縛られ,射殺された。遺体に「裏切り者に対する処刑」と記した紙片が,ピンで止められている。 |
DIA-305-1989-05-08-1 | スリランカ | 1989年05月08日 | 1980年代 | 1980年7月のゼネストで解雇された,公的部門の労働者の救済と職場復帰を,閣議で決定する。 |
DIA-305-1989-05-10-1 | スリランカ | 1989年05月10日 | 1980年代 | 反政府活動の温床として,15ヵ月間閉鎖されていた,シンハラ地区の6大学が再開される。 |
DIA-305-1989-05-11-1 | スリランカ | 1989年05月11日 | 1980年代 | LTTEとスリランカ政府との政治会談が始まる。 |
DIA-305-1989-05-11-2 | スリランカ | 1989年05月11日 | 1980年代 | JVPのヴィジェヴィーラ委員長の心臓病治療のため,ロンドンへの渡航を援助する用意あり,と政府が発表。 |
DIA-305-1989-05-13-1 | スリランカ | 1989年05月13日 | 1980年代 | ムッライティヴ県における戦闘でインド兵が18名戦死した,とLTTEが発表。インド大使館は,12名のインド軍兵士と18名のLTTE兵が戦死,と発表する。 |
DIA-305-1989-05-14-1 | スリランカ | 1989年05月14日 | 1980年代 | インド大使館は,ジャフナ近郊におけるLTTEとの戦闘で,10名のインド兵が戦死した,と発表する。 |
DIA-305-1989-05-17-1 | スリランカ | 1989年05月17日 | 1980年代 | LTTEが和平会談後の公式コミュニケで,アムネスティ・インターナショナルの報告を引き,インド軍は平和維持軍ではなく占領軍である,と述べた点に対し,人々に誤った印象を与える,とインド大使が反論する。 |
DIA-305-1989-05-17-2 | スリランカ | 1989年05月17日 | 1980年代 | 日本外務省経済協力局茂田宏参事官が,プレマダーサ大統領と会談し,従来の特定問題のみの調査団と異なり,本格的な経済使節団がスリランカを訪問するのは,今回が初めてであると述べる。これに対して,大統領は冷蔵倉庫ネットワークの設置を要望。 |
DIA-305-1989-05-18-1 | スリランカ | 1989年05月18日 | 1980年代 | アンパーラ県のサマントライで,ムスリム住民とタミル住民との対立が激化し,50戸以上が炎上する。 |
DIA-305-1989-05-19-1 | スリランカ | 1989年05月19日 | 1980年代 | 本年だけでも,2500名の政治的殺人を行なったとして,治安部隊が鎮圧に努めているJVPはウエサックの1週間(19~26日)一方的に停戦する,と発表する。 |
DIA-305-1989-05-21-1 | スリランカ | 1989年05月21日 | 1980年代 | 「タミル・イーラム人民解放組織」(PLOTE)のヴァヴニヤ基地を,LTTEが襲撃し前者に40名,後者に11名の戦死者が出る。インド軍もLTTE兵4名を射殺。 |
DIA-305-1989-05-22-1 | スリランカ | 1989年05月22日 | 1980年代 | インド製商品やインド系銀行などのボイコット運動を,JVPが呼びかける。6月14日までに出国せよ,との脅迫状や脅迫電話を受ける在住インド人が増える。 |
DIA-305-1989-05-26-1 | スリランカ | 1989年05月26日 | 1980年代 | 州政府の権限を強化するための,州議会法改正案が,134対66で可決(自由党と人民統一戦線が反対)。 |
DIA-305-1989-05-28-1 | スリランカ | 1989年05月28日 | 1980年代 | ラナシンハ陸軍司令長官は,インド軍の撤退後にそなえて東・北部州を防衛するにはスリランカの現有兵力3.2万人を倍増する必要がある,と語る。 |
DIA-305-1989-05-29-1 | スリランカ | 1989年05月29日 | 1980年代 | 伊藤忠商事の投資調査団10名が来島して,冷蔵庫ネットワークへの経済協力事業の経験を説明する。 |
DIA-305-1989-05-29-2 | スリランカ | 1989年05月29日 | 1980年代 | 陸軍が南部州を中心に,反政府武装勢力の検束に力をいれ,200名以上を拘留する。「黒猫」,「緑の虎」,「さそり」,「ライオンのたてがみ」,「コブラ」,「ブラー」(人民革命赤軍)等の私的な武装組織が次々に生まれ,警察や正規軍の別動隊のようなかたちでJVP狩りをし,その場で処刑する事件が各地で発生する。 |
DIA-305-1989-05-29-3 | スリランカ | 1989年05月29日 | 1980年代 | LTTE代表団は方針協議で根拠地へ帰る。 |
DIA-305-1989-06-01-1 | スリランカ | 1989年06月01日 | 1980年代 | プレマダーサ大統領は,外国軍隊駐留下で南アジア地域協力連合(SAARC)首脳会談を主催できないのでインド軍に7月末に撤退するよう求める,と演説する。 |
DIA-305-1989-06-02-1 | スリランカ | 1989年06月02日 | 1980年代 | インド大使は,撤兵要請の通知を受けてないと述べる。EPRLFは北・東部州政府が人民を自力で保護できるようになるまで,インド軍の駐留が必要,と声明。 |
DIA-305-1989-06-03-1 | スリランカ | 1989年06月03日 | 1980年代 | ティラカラトナ外務次官が,大統領の撤兵要請メッセージをたづさえニューデリーに到着。カルムナイでインド政府寄贈のバス3台が,放火で焼失する。 |
DIA-305-1989-06-05-1 | スリランカ | 1989年06月05日 | 1980年代 | キャーガッラ県を中心に,洪水と地滑りで死者は約325名,家屋流失等の被災者は22.5万名に達する。政府は,各国大使に被災者への緊急援助を要請する。 |
DIA-305-1989-06-05-2 | スリランカ | 1989年06月05日 | 1980年代 | ガンディ首相は,ティラカラトナ特使と会見し,インド軍の撤退について,協議して取り決めるよう伝える。 |
DIA-305-1989-06-06-1 | スリランカ | 1989年06月06日 | 1980年代 | 日本政府が医薬品等820万ルピー相当を寄贈。 |
DIA-305-1989-06-07-1 | スリランカ | 1989年06月07日 | 1980年代 | ジャヤワルダナ前大統領夫妻と12名の随員が,会議出席を兼ねて,東京と京都訪問の旅に出発する。 |
DIA-305-1989-06-09-1 | スリランカ | 1989年06月09日 | 1980年代 | ヴィジェラトナ外相は,7月末までの撤退が困難,というインド政府の回答を議会に報告する。 |
DIA-305-1989-06-09-2 | スリランカ | 1989年06月09日 | 1980年代 | ティッサマハラマ警察署が襲われ,武器を奪われる。 |
DIA-305-1989-06-10-1 | スリランカ | 1989年06月10日 | 1980年代 | 北・東部州議会で,インド軍撤退はスリランカ・タミル人の大量虐殺を招く恐れがある,と反対決議。 |
DIA-305-1989-06-11-1 | スリランカ | 1989年06月11日 | 1980年代 | LTTE第2次交渉団のバーラシンハム夫妻がロンドンから到着。他の団員は13日にジャングルから着く。 |
DIA-305-1989-06-12-1 | スリランカ | 1989年06月12日 | 1980年代 | 公営バスの労働者の「闘争戦線」が,月額2500ルピーの賃金を要求して無期限ストライキを突入する。 |
DIA-305-1989-06-12-2 | スリランカ | 1989年06月12日 | 1980年代 | インド外務省スポークスマンは,7月末撤退を一方的かつ非現実的な期限と拒否し,協議による撤退を主張。 |
DIA-305-1989-06-13-1 | スリランカ | 1989年06月13日 | 1980年代 | 反インド運動が激化し在住インド人の多くは家族を帰国させて,大使館に近いタージ・ホテルに避難。 |
DIA-305-1989-06-14-1 | スリランカ | 1989年06月14日 | 1980年代 | ガンディ首相が,インド軍の撤退時期は,1987年7月の和平協定の完全実施に依存すると語り,北・東部州政府への権力移譲が,いまだ不十分であると指摘。 |
DIA-305-1989-06-14-2 | スリランカ | 1989年06月14日 | 1980年代 | キリノッチ県の戦闘でインド兵12名殲滅とLTTE発表。 |
DIA-305-1989-06-16-1 | スリランカ | 1989年06月16日 | 1980年代 | プレマダーサ大統領は,ストライキ等の社会的混乱がインド軍駐留を長引かせると訴え,貧民救済の支給基準の2500ルピーまで賃上げできない理由を説明。 |
DIA-305-1989-06-16-2 | スリランカ | 1989年06月16日 | 1980年代 | LTTEと政府の第2次交渉開始。 |
DIA-305-1989-06-19-1 | スリランカ | 1989年06月19日 | 1980年代 | LTTEは,北・東部州政府がインド軍の支援をえて,4505名の青少年に軍事教練を強要していると非難。 |
DIA-305-1989-06-20-1 | スリランカ | 1989年06月20日 | 1980年代 | 政府は国内の秩序回復のため非常事態宣言を布告する。ヴィジェラトナ外相は,年初から本日までに,政党活動家650,公務員120,警察官91,軍人50,市民740,その他54,計1705人が殺害されたと国会に報告。 |
DIA-305-1989-06-21-1 | スリランカ | 1989年06月21日 | 1980年代 | 浜本康也・日本大使とバスカリンガム大蔵事務次官とが,下記の無償協力の交換公文に調印。(1)キャンディ上水道施設改善事業2.15億ルピー,(2)ガンパハ県総合農村開発事業2.50億ルピー,(3)ミニペ農村開発事業(揚水灌漑1.78億ルピー,(4)SLBC短波ラジオ放送改善事業2.95億ルピー。 |
DIA-305-1989-06-23-1 | スリランカ | 1989年06月23日 | 1980年代 | プレマダーサ大統領,インド軍は7月末に撤退できなければ,兵舎内に留まるべきだ,と演説。 |
DIA-305-1989-06-23-2 | スリランカ | 1989年06月23日 | 1980年代 | 与党系労働組合も2500ルピーへの賃上げを要求する。 |
DIA-305-1989-06-25-1 | スリランカ | 1989年06月25日 | 1980年代 | キャンディ選出与党議員ダニエルが射殺される。 |
DIA-305-1989-06-25-2 | スリランカ | 1989年06月25日 | 1980年代 | ヴィジェラトナ外相は,インド政府の非妥協的態度のためSAARC外相会議に欠席,とパキスタンに通知。 |
DIA-305-1989-06-27-1 | スリランカ | 1989年06月27日 | 1980年代 | 政府は,7月3日に予定されていた合併州の可否を問う,東部州における住民投票を90年に延期する。 |
DIA-305-1989-06-28-1 | スリランカ | 1989年06月28日 | 1980年代 | 政府とLTTEは,敵対関係の停止に合意と発表。 |
DIA-305-1989-06-29-1 | スリランカ | 1989年06月29日 | 1980年代 | SAARC外相会議は,無期限に延期される。 |
DIA-305-1989-06-29-2 | スリランカ | 1989年06月29日 | 1980年代 | プレマダーサ大統領は,ガンディ首相にインド軍によるLTTEへの攻撃を止めるよう要請した,と公表する。 |
DIA-305-1989-06-30-1 | スリランカ | 1989年06月30日 | 1980年代 | ガンディ首相が,LTTEの方針次第と回答する。 |
DIA-305-1989-07-01-1 | スリランカ | 1989年07月01日 | 1980年代 | 非常事態宣言に基づき,政府軍が南部州を中心に反政府分子の取締強化を行ない,3200名を検挙する。インド軍は北部州に外部禁止令を出し,LTTE鎮圧作戦。 |
DIA-305-1989-07-02-1 | スリランカ | 1989年07月02日 | 1980年代 | 前日の作戦で,LTTEの戦死70名以上,インド軍の戦死12名と発表。LTTEはインド兵の戦死93名と発表。 |
DIA-305-1989-07-05-1 | スリランカ | 1989年07月05日 | 1980年代 | 前日から病院や銀行も,ストライキを始めたので,政府はすべての学校を無期限に閉鎖する。国内報道機関に対する検閲が実施される。マハーオヤ川の下流に13体の首なし死体が漂着する,とSun紙が報道する。 |
DIA-305-1989-07-06-1 | スリランカ | 1989年07月06日 | 1980年代 | 外国報道機関も検閲対象となる。集会は禁止され治安部隊に法秩序を乱す現行犯の射撃が命令される。 |
DIA-305-1989-07-07-1 | スリランカ | 1989年07月07日 | 1980年代 | 6月1日以来のプレマダーサ大統領とガンディ首相の往復書簡全文が,スリランカ議会で公表される。 |
DIA-305-1989-07-08-1 | スリランカ | 1989年07月08日 | 1980年代 | 2月の総選挙で13議席を獲得した「イーラム民主戦線」(EDF-RROSの議会交渉団体名)は,議会政治に参加することを決め,大統領に通告する。 |
DIA-305-1989-07-08-2 | スリランカ | 1989年07月08日 | 1980年代 | バングラデシュのマフムード外相が来島し,SAARC外相会議へのスリランカの出席を求める。 |
DIA-305-1989-07-12-1 | スリランカ | 1989年07月12日 | 1980年代 | ガンディ首相は,インド軍の撤退問題を打開するために,プレマダーサ大統領宛の親書をデシュムク秘書長に託して,コロンボに派遣する(14日に帰国)。 |
DIA-305-1989-07-13-1 | スリランカ | 1989年07月13日 | 1980年代 | プレマダーサ大統領は,スリランカの主権尊重を求める返書とともに,往復書簡を公表する。 |
DIA-305-1989-07-13-2 | スリランカ | 1989年07月13日 | 1980年代 | TULF書記長のアミルタリンガム議員が,同党幹部のヨーゲスワーラン前議員と共に暗殺される。3名の犯人もその場で射殺されたが,LTTE党員と見られている。 |
DIA-305-1989-07-13-3 | スリランカ | 1989年07月13日 | 1980年代 | 32日間続いた公営バスのストライキが終る。「労働者闘争戦線」の要求が全面的に受入れられ,その勝利宣言が全国に放送される(14日から運行が再開される)。 |
DIA-305-1989-07-16-1 | スリランカ | 1989年07月16日 | 1980年代 | ガンパハ県に外出禁止令が布告される。 |
DIA-305-1989-07-16-2 | スリランカ | 1989年07月16日 | 1980年代 | PLOTEのマヘシュワーラン書記長が暗殺される。 |
DIA-305-1989-07-19-1 | スリランカ | 1989年07月19日 | 1980年代 | ポーヤディのカタラガマ寺院における祝祭の最中に,手榴弾が投げられ13名が死亡し60名が負傷する。 |
DIA-305-1989-07-20-1 | スリランカ | 1989年07月20日 | 1980年代 | ペレーラ法相は,6月21日から7月15日までの25日間に,政治抗争により南部で472名,北部で70名が殺害されたと報告し非常事態継続の承認を求める。 |
DIA-305-1989-07-22-1 | スリランカ | 1989年07月22日 | 1980年代 | 前日来島したパキスタンのカーン外相がSAARCの将来について,プレマダーサ大統領と話し合う。 |
DIA-305-1989-07-23-1 | スリランカ | 1989年07月23日 | 1980年代 | 主任検閲官のグルゲ放送公社総裁が射殺され,後任が見つからないので,報道の検閲が解除される。 |
DIA-305-1989-07-23-2 | スリランカ | 1989年07月23日 | 1980年代 | ブラバカランLTTE委員長死亡説が伝わる。 |
DIA-305-1989-07-24-1 | スリランカ | 1989年07月24日 | 1980年代 | コロンボで僧侶5000名が反政府の行進。 |
DIA-305-1989-07-26-1 | スリランカ | 1989年07月26日 | 1980年代 | 北・東部州におけるLTTEの軍事組織が攻勢に出て,過去48時間にインド兵37名を戦死させる。 |
DIA-305-1989-07-26-2 | スリランカ | 1989年07月26日 | 1980年代 | JVPは,29日の和平協定2周年記念日に向けて,あらゆる分野の政府機能をマヒさせるように呼びかける。 |
DIA-305-1989-07-27-1 | スリランカ | 1989年07月27日 | 1980年代 | 政府は,インド軍撤退要求の混乱を恐れ,本日の深夜から29日までの外出禁止令を布告する。緊急閣議を開き,インド軍の段階的撤退を協議するため,ヴィジェラトナ外相をニューデリーへ派遣することを決める。 |
DIA-305-1989-07-29-1 | スリランカ | 1989年07月29日 | 1980年代 | インド軍が象徴的にトリンコマリーから撤退。 |
DIA-305-1989-07-31-1 | スリランカ | 1989年07月31日 | 1980年代 | 前日までの56時間の外出禁止令に違反し,インド軍の駐留に反対する示威行動で計193名が殺される。北部の戦闘では,インド兵とLTTE兵が計38名戦死。 |
DIA-305-1989-07-31-2 | スリランカ | 1989年07月31日 | 1980年代 | ニューデリーで両国外相が撤兵の協議を継続する。 |
DIA-305-1989-08-01-1 | スリランカ | 1989年08月01日 | 1980年代 | プレマダーサ大統領は,統一スリランカ人民党セーナテーヤカ委員長の斡旋で,JVPの政治局員と秘密会談をし妥協点を模索している,とTimes of India紙。 |
DIA-305-1989-08-02-1 | スリランカ | 1989年08月02日 | 1980年代 | コロンボ市内の4ヵ所で爆弾が投げられる事件があり,8時から全国に夜間外出禁止令が布告された。ティンビリガスヤーヤ警察署が襲われ武器を奪われる。 |
DIA-305-1989-08-04-1 | スリランカ | 1989年08月04日 | 1980年代 | 先週末に多くの市民が殺されたことに抗議し,DJVとJVPがハルタルを呼びかけ。交通機関が麻痺し,ほとんどの官公庁や商店が休業。 |
DIA-305-1989-08-05-1 | スリランカ | 1989年08月05日 | 1980年代 | ニューデリーでの滞在を延長して,インド軍の段階的撤退について交渉を続けていたヴィジェラトナ外相とハミード高等教育相とが,インド政府との合意に達しないまま帰国し,プレマダーサ大統領に報告する。 |
DIA-305-1989-08-06-1 | スリランカ | 1989年08月06日 | 1980年代 | JVPは,ポスターなどでインド軍の撤退を要求して,7,8の両日を「外出禁止」と告示する。 |
DIA-305-1989-08-07-1 | スリランカ | 1989年08月07日 | 1980年代 | モルディブ共和国の高等裁判所は,昨年11月3日のクーデターに加わったスリランカ・タミル人6名に死刑,22名に17年から38年の刑を宣告する。 |
DIA-305-1989-08-08-1 | スリランカ | 1989年08月08日 | 1980年代 | ヴィジェラトナ外相は,1週間にわたるニューデリー会談における,三つの対立点を議会に報告する。対立点 インド案 スリランカ案 (1)撤退の完了 90年2月 89年9月中旬 (2)LTTEとの停戦 15日間 無期限 (3)権力移譲の調整 州首相の参加 州知事の参加 |
DIA-305-1989-08-09-1 | スリランカ | 1989年08月09日 | 1980年代 | タミル人実業家のグナラトナムが射殺される。 |
DIA-305-1989-08-10-1 | スリランカ | 1989年08月10日 | 1980年代 | シン対外問題国務相は,インドに避難したスリランカ・タミル人の総数は13万4053名であり,そのうち4万5166名が帰国した(6月末現在〉と下院に報告する。 |
DIA-305-1989-08-12-1 | スリランカ | 1989年08月12日 | 1980年代 | ジャフナ県ヴェルヴェディトライで8月2日にインド軍が過剰な軍事作戦を行ない,51名の死者,70名の負傷者,170の家屋や商店,69車両,12漁船の焼失等の被害が判明し,インド大使館も市民の被災を認める。 |
DIA-305-1989-08-13-1 | スリランカ | 1989年08月13日 | 1980年代 | JVPは,公営テレビ放送が政府の宣伝機関化したと職員の辞任を要求。代表的な放送記者のアマラトゥンガが射殺される。14日JVP党員を含む7名殺される。 |
DIA-305-1989-08-15-1 | スリランカ | 1989年08月15日 | 1980年代 | JVPがハルタルを呼びかけ実行される。5日目の病院ストライキが,コロンボから各地に拡大する。 |
DIA-305-1989-08-17-1 | スリランカ | 1989年08月17日 | 1980年代 | LTTEがマンナール県のインド軍基地を攻撃し,インド兵の戦死24名,戦傷11名,と大使館が発表する。 |
DIA-305-1989-08-18-1 | スリランカ | 1989年08月18日 | 1980年代 | 大統領特使のウィーラコーンがインド訪問。 |
DIA-305-1989-08-22-1 | スリランカ | 1989年08月22日 | 1980年代 | IMFはスリランカに17%の通貨切り下げを求む。 |
DIA-305-1989-08-23-1 | スリランカ | 1989年08月23日 | 1980年代 | コロンボ近郊で63名が射殺され24死体が遺棄。 |
DIA-305-1989-08-24-1 | スリランカ | 1989年08月24日 | 1980年代 | 法相が15日までの1ヵ月間に840名が殺されたと報告。 |
DIA-305-1989-08-25-1 | スリランカ | 1989年08月25日 | 1980年代 | LTTEは,委員長の生存を示すビデオを発表。 |
DIA-305-1989-08-26-1 | スリランカ | 1989年08月26日 | 1980年代 | 議会の5野党が共同で,大統領行政の廃止,暫定政権の樹立,武力抗争の中止などを呼びかける。 |
DIA-305-1989-08-27-1 | スリランカ | 1989年08月27日 | 1980年代 | LTTEは,国連少数民族保護小委員会に,インド軍が2月に6000名のタミル人を殺害した,と報告する。 |
DIA-305-1989-08-28-1 | スリランカ | 1989年08月28日 | 1980年代 | JVPの呼びかけた1週間のハルタルが始まる。 |
DIA-305-1989-08-31-1 | スリランカ | 1989年08月31日 | 1980年代 | ヴィクラマシンハ工業相が,政治的困難の打開のため近く全政党会議を開催する,と閣議決定を発表。 |
DIA-305-1989-09-01-1 | スリランカ | 1989年09月01日 | 1980年代 | 全政党会議の開催期日は,9月11日に決定。 |
DIA-305-1989-09-01-2 | スリランカ | 1989年09月01日 | 1980年代 | コロンボの南郊のゴール・ロード沿いに,半ば焼けた死体が少なくとも12体,放置された状態で発見される。 |
DIA-305-1989-09-02-1 | スリランカ | 1989年09月02日 | 1980年代 | 内務省は,軍事以外の民政部門でインド軍の指示を受けてはいけない,と各県庁に通達する。 |
DIA-305-1989-09-03-1 | スリランカ | 1989年09月03日 | 1980年代 | アヌラーダプラ県ティラバンナ村において,特別治安部隊工作員の家族が住む家屋に放火される。 |
DIA-305-1989-09-03-2 | スリランカ | 1989年09月03日 | 1980年代 | ジャナサヴィヤ計画の第1次対象地域での実施は,マハトマ・ガンディの誕生日(10月2日)に開始する,とプレマダーサ大統領がテレビ放送で発表する。 |
DIA-305-1989-09-04-1 | スリランカ | 1989年09月04日 | 1980年代 | 本日より徐々に,病院,銀行,郵便局,鉄道,公営バスなど昼間の業務は正常化される。しかし,北・東部州以外の学校は,すべて閉鎖されたままである。 |
DIA-305-1989-09-05-1 | スリランカ | 1989年09月05日 | 1980年代 | コロンボ市府のカジノやディスコは,外出禁止令にもかかわらず繁盛している,とロイター電が報道。 |
DIA-305-1989-09-05-2 | スリランカ | 1989年09月05日 | 1980年代 | カルガンガ川の河口に住む塩干魚売りの行商人が,過去1月に30体以上の損壊死体が軍や警察により投げ込まれた,とTimes of India紙の記者に語る。 |
DIA-305-1989-09-08-1 | スリランカ | 1989年09月08日 | 1980年代 | 国会に議席を持つ主要な政党は,プレマダーサ大統領の呼びかけた全政党会議に参加することを表明。 |
DIA-305-1989-09-09-1 | スリランカ | 1989年09月09日 | 1980年代 | プレマダーサ大統領は,主要5野党の党首と会談し意見を聴く。LTTEも全政党会議への参加を表明。 |
DIA-305-1989-09-11-1 | スリランカ | 1989年09月11日 | 1980年代 | モラトワ大学のパトワダヴィタナ学長が,執務室で射殺される。南部で新たに放置されていた,47死体のうち,身元が判明したのは3体のみである。北部の戦闘で,3名のインド兵と7名のLTTE兵とが戦死する。 |
DIA-305-1989-09-12-1 | スリランカ | 1989年09月12日 | 1980年代 | 前大統領の義妹(薬品公社総裁)が射殺される。 |
DIA-305-1989-09-13-1 | スリランカ | 1989年09月13日 | 1980年代 | 21政党が参加する全政党会議が,開会される。当日まで期待されたJVPの参加は,実現しなかった。 |
DIA-305-1989-09-15-1 | スリランカ | 1989年09月15日 | 1980年代 | 茶業宣伝局が,東京事務所の閉鎖を決定する。 |
DIA-305-1989-09-16-1 | スリランカ | 1989年09月16日 | 1980年代 | 13日に3名の陸軍兵士の家族15名が殺害された報復に,JVPを支持しているといわれる,キャンディ近郊3農村の住民約150名が殺され,家屋が焼失した。 |
DIA-305-1989-09-18-1 | スリランカ | 1989年09月18日 | 1980年代 | 7月からの協議の結果,インド軍の撤退に関して両国政府が妥協点に到達し,89年末の撤兵を取り決めた協定を締結する。これに先立ち,インド軍は州政府の志願兵と合同作戦で,LTTEの根拠地を壊滅させた,と発表。戦死数は,インド兵5,志願兵2,LTTE兵40。 |
DIA-305-1989-09-18-2 | スリランカ | 1989年09月18日 | 1980年代 | インド外務省高官は,撤兵期限に縛られないと示唆。 |
DIA-305-1989-09-21-1 | スリランカ | 1989年09月21日 | 1980年代 | 法相が15日までの1月間に865名の殺人と報告。 |
DIA-305-1989-09-21-2 | スリランカ | 1989年09月21日 | 1980年代 | 政府はJVPとの和解を図るために,9月27日朝6時を期して72時間,治安部隊の軍事作戦を停止すると発表。 |
DIA-305-1989-09-21-3 | スリランカ | 1989年09月21日 | 1980年代 | ジャフナ大学医学部解剖学科長であるとともに,熱心な人権擁護の活動家であるティラナガマが射殺される。 |
DIA-305-1989-09-24-1 | スリランカ | 1989年09月24日 | 1980年代 | 停戦予告に対するJVPからの応答はなく,基幹産業である茶園やゴム園への攻撃が激化している。 |
DIA-305-1989-09-28-1 | スリランカ | 1989年09月28日 | 1980年代 | インド平和維持軍司令官カルカト中将が,87年10月以降の死傷者数を発表する。インド軍の戦死者は,将校49名を含む1109名,負傷者は2834名,LTTE軍の戦死者は2592名,負傷者は1159名,捕虜1587名である。 |
DIA-305-1989-09-30-1 | スリランカ | 1989年09月30日 | 1980年代 | 27日から72時間の停戦は一方的なものに終わったが,政府はさらに72時間の停戦と恩赦を続けると発表。 |
DIA-305-1989-10-02-1 | スリランカ | 1989年10月02日 | 1980年代 | LTTEとスリランカ政府の第3次交渉が始まる。 |
DIA-305-1989-10-02-2 | スリランカ | 1989年10月02日 | 1980年代 | ジャナサヴィヤ計画第1次ラウンド対象地域で開始。 |
DIA-305-1989-10-03-1 | スリランカ | 1989年10月03日 | 1980年代 | 政府は,6日間にわたるJVPに対する一方的な停戦を本日で終了する。ヴィクラマシンハ工業相が停戦は失敗と語る。76名の市民が殺され1149名が投降する。 |
DIA-305-1989-10-03-2 | スリランカ | 1989年10月03日 | 1980年代 | JVPのガマナーヤカ書記長が,1日に20人の命を奪っている政府の大量虐殺を停止させるよう,国連に介入を要請する事務総長宛の書簡を,報道機関に公表する。 |
DIA-305-1989-10-05-1 | スリランカ | 1989年10月05日 | 1980年代 | ペラデニヤ大学構内に18人の青年の死体放置。 |
DIA-305-1989-10-06-1 | スリランカ | 1989年10月06日 | 1980年代 | 「中央山地の鷲」を自称する武装集団が,キャンディ近くの村で22名のJVP党員や支持者を殺害する。 |
DIA-305-1989-10-06-2 | スリランカ | 1989年10月06日 | 1980年代 | インド政府は,9月20日の協定以来,LTTEの停戦協定違反は34件に達した,とスリランカ政府に報告する。 |
DIA-305-1989-10-06-3 | スリランカ | 1989年10月06日 | 1980年代 | 大統領府は,JVPのヴィジェヴィーラ委員長に対する逮捕状が無効であり,彼は自由な市民である,と発表。 |
DIA-305-1989-10-08-1 | スリランカ | 1989年10月08日 | 1980年代 | テロリズム防止法によって検挙され,現在も拘留中の反政府活動の被疑者数は,7200名と議会に報告。 |
DIA-305-1989-10-11-1 | スリランカ | 1989年10月11日 | 1980年代 | カルカタラ県のマトゥガマ道路沿いに,JVP党員とみられる青年80人の黒焦げ死体が遺棄される。 |
DIA-305-1989-10-11-2 | スリランカ | 1989年10月11日 | 1980年代 | IMFがスリランカに8700万㌦の国際収支融資を承認。 |
DIA-305-1989-10-12-1 | スリランカ | 1989年10月12日 | 1980年代 | 全政党の全体会議で,プレマダーサ大統領は自由党のバンダーラナーヤカ委員長が提案した,青年層の反乱を引起こす社会問題の調査委員会設置を発表する。 |
DIA-305-1989-10-14-1 | スリランカ | 1989年10月14日 | 1980年代 | コロンボで11月に開催予定の,SAARC首脳会談を来年3月まで延期するよう,インド政府が要請。 |
DIA-305-1989-10-15-1 | スリランカ | 1989年10月15日 | 1980年代 | 西部州における小学校の授業が再開される。 |
DIA-305-1989-10-15-2 | スリランカ | 1989年10月15日 | 1980年代 | 大統領に招かれた国際赤十字人権問題調査団が到着。 |
DIA-305-1989-10-18-1 | スリランカ | 1989年10月18日 | 1980年代 | パリで開催されたスリランカ援助会議で,人権抑圧に対する憂慮が表明される。1990年度分として,総額314億ルピー(7.85億㌦)の援助が約束される。日本の援助額は,2.15億㌦(300.1億円)である。 |
DIA-305-1989-10-19-1 | スリランカ | 1989年10月19日 | 1980年代 | ペレーラ法相は,反乱分子が14日までの4週間に43名の政治的殺害,852名の殺人,21名の治安要員殺害等を犯した,と議会に報告し非常事態宣言の延長要請。 |
DIA-305-1989-10-23-1 | スリランカ | 1989年10月23日 | 1980年代 | 債務返済の困難を救済するために,日本政府が2300万ルピー(8242.5万円)の無償協力を行なう交換公文に,新田大使とパスカリンガム大蔵次官が調印する。 |
DIA-305-1989-10-23-2 | スリランカ | 1989年10月23日 | 1980年代 | アンパーラ県のインド軍が全面的に撤退を完了する。 |
DIA-305-1989-10-26-1 | スリランカ | 1989年10月26日 | 1980年代 | 「連合労働組合評議会」(JTUC)に加盟している29労組が大統領宛に,12項目の要求書を提出。50%の賃上げと最低賃金を2500ルピーに引上げる要求が中心。 |
DIA-305-1989-10-27-1 | スリランカ | 1989年10月27日 | 1980年代 | コロンボ紅茶貿易協会代表が,暴動の激化により茶園の生産が阻害され,前年の生産量22.6万㌧から18万㌧に減る見込みと語る(産出量の98%を輸出)。 |
DIA-305-1989-10-27-2 | スリランカ | 1989年10月27日 | 1980年代 | 予算編成期に使節団の派遣を避ける,という慣行を破って来島中のIMFと世界銀行調査団は,補助金の削減などにより次年度予算の赤字を縮小し,国内総生産の10%(約3000億ルピー)以下に抑制するよう勧告している。 |
DIA-305-1989-10-27-3 | スリランカ | 1989年10月27日 | 1980年代 | メンディス運輸相は,コロンボの入口にあるヴィクトリア橋を日本の援助で架け替える,と語る。 |
DIA-305-1989-10-27-4 | スリランカ | 1989年10月27日 | 1980年代 | アメリカ大使館に置かれているイスラエル代表部門(所在地は別)の閉鎖を求める,と大統領府が発表する。 |
DIA-305-1989-10-28-1 | スリランカ | 1989年10月28日 | 1980年代 | セイロン海運公社は,債務返済のため,借款で購入した貨物船2隻を香港の企業に730万㌦で売却。 |
DIA-305-1989-10-29-1 | スリランカ | 1989年10月29日 | 1980年代 | LTTEは,インド軍がEPRLFのタミル国民軍を援助しているので,平和委員会に参加しないと主張。 |
DIA-305-1989-10-29-2 | スリランカ | 1989年10月29日 | 1980年代 | エア・ランカ航空のコロンボ-福岡便が就航開始。 |
DIA-305-1989-10-30-1 | スリランカ | 1989年10月30日 | 1980年代 | 自由党は今後全政党会議に参加しないと決定。 |
DIA-305-1989-10-30-2 | スリランカ | 1989年10月30日 | 1980年代 | 新田大使は,南部州ゴール港の再開発と防波堤建設に2億ルピーの無償協力を行なう交換公文に調印する。 |
DIA-305-1989-11-01-1 | スリランカ | 1989年11月01日 | 1980年代 | 東ドイツの援助による公営企業のトゥルヒリヤ紡績工場が,2.6億ルピーで韓国の企業に売却される。 |
DIA-305-1989-11-03-1 | スリランカ | 1989年11月03日 | 1980年代 | JVPは,プレマダーサ大統領のマータラ訪問に反対して,住民に3日間の「外出禁止」を呼びかける。 |
DIA-305-1989-11-03-2 | スリランカ | 1989年11月03日 | 1980年代 | マータラに着いた大統領は,反政府分子による破壊活動の結果,政府や国民の財産89億ルピーが失われたと述べ,武器ではなく話し合いによる解決を,と訴える。 |
DIA-305-1989-11-04-1 | スリランカ | 1989年11月04日 | 1980年代 | 北・東部州のペルマル州首相は,2万人のタミル兵を国軍に3年間で採用する案が認められたと語る。 |
DIA-305-1989-11-05-1 | スリランカ | 1989年11月05日 | 1980年代 | LTTE部隊約500名がアンバーラ県のEPRLFとTELOの軍事キャンプを襲い44名を殺し90名を捕虜に。 |
DIA-305-1989-11-05-2 | スリランカ | 1989年11月05日 | 1980年代 | 10月末のコロンボ生計費指数による1年間の物価上昇率は,13.3%である(指数には若干の欠陥がある)。 |
DIA-305-1989-11-06-1 | スリランカ | 1989年11月06日 | 1980年代 | 南部や中央山地で,夜間外出禁止令の時間帯に100名以上の青年が両手を縛られて射殺された。古タイヤで焼かれた死体が,人目につく道路に遺棄されていた。 |
DIA-305-1989-11-07-1 | スリランカ | 1989年11月07日 | 1980年代 | ウィルパットゥ国立公園で,スリランカ陸軍とLTTEとが遭遇し,双方で各1名戦死。しかし,LTTEは陸軍との交戦があった事実を否定する。 |
DIA-305-1989-11-09-1 | スリランカ | 1989年11月09日 | 1980年代 | 7月27日以来の夜間外出禁止令が解除される。 |
DIA-305-1989-11-10-1 | スリランカ | 1989年11月10日 | 1980年代 | ヘーラト蔵相代理は,外貨不足のため,韓国の商事会社から高価な原油を購入した事情を国会で報告。 |
DIA-305-1989-11-12-1 | スリランカ | 1989年11月12日 | 1980年代 | LTTE部隊約250名が,アンパーラ県のEPRLFとTELOの軍事キャンプを襲い22名を殺す。LTTE側も16名死亡。この戦闘で,約140名が行方不明になる。 |
DIA-305-1989-11-12-2 | スリランカ | 1989年11月12日 | 1980年代 | JVPのヴィジェヴィーラ委員長が,治安部隊によりキャンディの茶園で逮捕され,コロンボへ護送される。 |
DIA-305-1989-11-13-1 | スリランカ | 1989年11月13日 | 1980年代 | ヴィジェヴィーラが,コロンボ郊外にあるJVP/DJV司令本部へ治安部隊を案内したとき,政治局員のヘーラトに射殺された。死体はただちに火葬され埋葬された,とヴィジェラトナ外相が記者会見で説明する。 |
DIA-305-1989-11-14-1 | スリランカ | 1989年11月14日 | 1980年代 | JVPのガマナーヤカ書記長の居所を,ヴィジェヴィーラに教えてもらった治安部隊が,カルタラ近郊で同書記長を逮捕した。他の隠れ家を案内する途中で逃亡しようとし,射殺された。JVPの政治局員7名中,検挙されずに活動しているのは,一人だけになった,とヴィジェラトナ外相が記者会見で語る。 |
DIA-305-1989-11-15-1 | スリランカ | 1989年11月15日 | 1980年代 | ヴイジェトゥンガ蔵相が,公務員の賃上げ(月額200ルピー)などを含む1990年度予算を議会に上程。 |
DIA-305-1989-11-15-2 | スリランカ | 1989年11月15日 | 1980年代 | 日本政府は,各地のモデル農村に対して電力,水道,道路等の施設に,3.63億ルピーの無償協力を行なう。 |
DIA-305-1989-11-17-1 | スリランカ | 1989年11月17日 | 1980年代 | アンパーラ県の4警察署を「タミル国民軍」(TNA)が攻撃し,政府軍18名,TNA軍25名の死者を出す。 |
DIA-305-1989-11-23-1 | スリランカ | 1989年11月23日 | 1980年代 | アンパーラ県で1.4万人以上の避難民が出る。 |
DIA-305-1989-11-25-1 | スリランカ | 1989年11月25日 | 1980年代 | 90年に警察官を2万5746人から3万5000人に増員。 |
DIA-305-1989-11-26-1 | スリランカ | 1989年11月26日 | 1980年代 | モラトゥワの集会で手榴弾が投げられ,3人の大臣とともにデ・コスタ名誉総領事(大阪)が負傷する。 |
DIA-305-1989-11-30-1 | スリランカ | 1989年11月30日 | 1980年代 | インド外務省が,政権交替は和平協定に影響を与えないと確認した,とヴィジェラトナ外相が語る。 |
DIA-305-1989-12-01-1 | スリランカ | 1989年12月01日 | 1980年代 | 北部のタミル武装組織間の戦闘で16名,南部の政府治安部隊によるJVP掃討作戦で17名が死亡する。 |
DIA-305-1989-12-02-1 | スリランカ | 1989年12月02日 | 1980年代 | 空軍ヘリコプターが,南部州と中央州のJVP党員に投降を勧告する文書を撒き,ラジオ放送でも4日までに出頭すれば,安全と恩赦を保証すると呼びかける。 |
DIA-305-1989-12-03-1 | スリランカ | 1989年12月03日 | 1980年代 | 著名な舞台俳優ニハール・シルウァは,コロンボ南検問所で乗用車を停めなかったため警備兵が射殺。 |
DIA-305-1989-12-05-1 | スリランカ | 1989年12月05日 | 1980年代 | シンハラ人の反政府分子は,恩赦の期限までに395名が投降し,他に16名が射殺されたと政府が発表。 |
DIA-305-1989-12-07-1 | スリランカ | 1989年12月07日 | 1980年代 | 800人の帰国インド兵を乗せる船が2000人のインド兵をトリンコマリー港とカンケサントライ港に上陸させた,とIsland紙が報道し,撤兵に疑問を投げる。 |
DIA-305-1989-12-07-2 | スリランカ | 1989年12月07日 | 1980年代 | 1969年に1万2000台にあった公営バスが4000台に減少。 |
DIA-305-1989-12-08-1 | スリランカ | 1989年12月08日 | 1980年代 | ヴィジェラトナ外相がインドのシン首相と会談。 |
DIA-305-1989-12-09-1 | スリランカ | 1989年12月09日 | 1980年代 | 「中央山地の鷲」が31名のJVP党員を殺す。 |
DIA-305-1989-12-11-1 | スリランカ | 1989年12月11日 | 1980年代 | 南部でJVPが71名を殺しバス60台を破壊する。 |
DIA-305-1989-12-13-1 | スリランカ | 1989年12月13日 | 1980年代 | バッティカロア県の支配をめぐりLTTEとEPRLFとが激しい戦闘をし,数十名の戦死者を出す。 |
DIA-305-1989-12-13-2 | スリランカ | 1989年12月13日 | 1980年代 | 非常事態宣言下で司法手続きなしの処刑が行なわれ,月1000人以上の死者を出す,と国際人権団体AIが報告。 |
DIA-305-1989-12-15-1 | スリランカ | 1989年12月15日 | 1980年代 | LTTEのバーラシンハムとヨーガラトナム代表がタミル・ナードゥ州のカルナニディ州外相と会談する。 |
DIA-305-1989-12-17-1 | スリランカ | 1989年12月17日 | 1980年代 | LTTEのバーラシンハム代表がマドラスで記者会見し,民族問題の恒久的な解決まで,武力を放棄することも分離独立の目標を捨てることもない,と言明する。 |
DIA-305-1989-12-19-1 | スリランカ | 1989年12月19日 | 1980年代 | LTTEによる前日の記者会見の内容は,スリランカ政府関係者にショックを与えている。アンパーラ県とバッティカロア県の武力制圧に成功し,タミル国民軍から没収したインド製の武器を,スリランカ政府が要求しても,引き渡すことを拒んでいるからである。 |
DIA-305-1989-12-19-2 | スリランカ | 1989年12月19日 | 1980年代 | インドのメーロートラ大使は,インド・スリランカ友好条約締結に必要な作業が両国で進んでいる。また,ジャナフとトリンコマリーを除く地域からのインド軍の撤退は,年内完了可能である,と述べる。 |
DIA-305-1989-12-20-1 | スリランカ | 1989年12月20日 | 1980年代 | LTTEは選挙管理委員会から政治団体として認定を受け「解放の虎人民戦線」の名称で政治活動をする。 |
DIA-305-1989-12-21-1 | スリランカ | 1989年12月21日 | 1980年代 | ハンバントタ県の路上に,射殺された青年の焼死体170以上が遺棄されていた,とAP電が報道する。 |
DIA-305-1989-12-23-1 | スリランカ | 1989年12月23日 | 1980年代 | 多数の武装したLTTE兵士が,南インドへ渡航してきた,とラーマムルティ州会議派委員長が語る。 |
DIA-305-1989-12-25-1 | スリランカ | 1989年12月25日 | 1980年代 | 小麦粉,パン,肥料,バス料金が値上げされる。 |
DIA-305-1989-12-26-1 | スリランカ | 1989年12月26日 | 1980年代 | 155名のEPRLF兵士がスリランカ陸軍に投降。 |
DIA-305-1989-12-28-1 | スリランカ | 1989年12月28日 | 1980年代 | JVPの最後の政治局員で,軍事作戦の責任者だったフェルナンドが検挙後に死亡した。JVPの運動は壊滅する,とヴィジェラトナ外相が記者会見で公表する。 |
DIA-305-1989-12-28-2 | スリランカ | 1989年12月28日 | 1980年代 | インドのグジラル外相は90年3月に撤兵完了と発表。 |
DIA-305-1989-12-29-1 | スリランカ | 1989年12月29日 | 1980年代 | インド軍撤退直後のヴァヴニヤ県で,EPRLFとLTTEとの戦闘が始まり,220名以上の戦死者を出す。 |
DIA-305-1989-12-30-1 | スリランカ | 1989年12月30日 | 1980年代 | 反政府の落書をしたコロンボ大学20職員逮捕。 |