DIA-305-1990-01-01-1 | スリランカ | 1990年01月01日 | 1990年代 | EC,次の3プロジェクトの調査団派遣を発表。(1)ジャナサビヤ,(2)ミルク生産,学校昼食,観葉植物,きのこ栽培,(3)繊維,海産物,繊維工場の合弁事業。 |
DIA-305-1990-01-01-2 | スリランカ | 1990年01月01日 | 1990年代 | 政府,肥料補助金を廃止,さらに肥料価格を100%値上げ。 |
DIA-305-1990-01-02-1 | スリランカ | 1990年01月02日 | 1990年代 | ペルーマル北・東部州首相,インド軍早期撤退計画に反対してニューデリーへ出発。 |
DIA-305-1990-01-02-2 | スリランカ | 1990年01月02日 | 1990年代 | LTTE(タミル・イーラム解放の虎)とTNA(タミル国家軍)ジャフナで衝突(TNA61名死亡)。 |
DIA-305-1990-01-03-1 | スリランカ | 1990年01月03日 | 1990年代 | 大蔵省,投資手続き簡略化のため,GCEC(大コロンボ経済委員会)とFIAC(外国投資諮問委員会)の合弁を発表。 |
DIA-305-1990-01-04-1 | スリランカ | 1990年01月04日 | 1990年代 | インドによる1990年3月末までのIPKF(インド平和維持軍)撤退通知を一方的とし,協議のためランジャン外相ニューデリーに出発,ランカ側は2月4日までの撤退を要求。 |
DIA-305-1990-01-04-2 | スリランカ | 1990年01月04日 | 1990年代 | 全国的豪雨で洪水,地滑りが発生し,作物に被害。 |
DIA-305-1990-01-05-1 | スリランカ | 1990年01月05日 | 1990年代 | グジラル・インド外相との会談でランジャン外相はスリランカはIPKF早期(2月4日)撤退を要求したのに対し,インドは3月末を固持。 |
DIA-305-1990-01-07-1 | スリランカ | 1990年01月07日 | 1990年代 | タミルナド州のカルナニディ州首相,EROS(イーラム学生革命組織)指導者とマドラスで会談。 |
DIA-305-1990-01-08-1 | スリランカ | 1990年01月08日 | 1990年代 | ペルーマル北・東部州首相はタミルナド州首相と会談するためにマドラスへ出発(8~9日,2回会談インド政府がカルナニディに和平仲介を依頼)。 |
DIA-305-1990-01-08-2 | スリランカ | 1990年01月08日 | 1990年代 | 第2世銀,学校改良プロジェクトに490万ドルの援助を発表。 |
DIA-305-1990-01-08-3 | スリランカ | 1990年01月08日 | 1990年代 | 公共医療局,マラリア患者は年間70万人と発表。 |
DIA-305-1990-01-09-1 | スリランカ | 1990年01月09日 | 1990年代 | プレマダーサ大統領,公共部門における雇用基準を人種・人口比で行なうと公式声明。 |
DIA-305-1990-01-09-2 | スリランカ | 1990年01月09日 | 1990年代 | 政府,公安法により非常事態規則を施行,新たなJVPの政府転覆計画に備えて職場・大学などでのスト,デモなど一切の政治活動を禁止すると発表。 |
DIA-305-1990-01-09-3 | スリランカ | 1990年01月09日 | 1990年代 | 農業・食糧・協同組合相,1日の肥料値上げに伴い,農民に対する無利子クレジットと籾買上げ価格を1ブッシェル80ルピーを110ルピーに増額する。 |
DIA-305-1990-01-09-4 | スリランカ | 1990年01月09日 | 1990年代 | ジャフナでLTTEとインド軍衝突(インド兵2,市民義勇兵2,LTTE5,死亡)。 |
DIA-305-1990-01-10-1 | スリランカ | 1990年01月10日 | 1990年代 | 1月29日の大学最終学年試験には50%以上が受験すると大学当局が発表。 |
DIA-305-1990-01-11-1 | スリランカ | 1990年01月11日 | 1990年代 | 4野党提出の,政府による非常事態規則施行と国内の混乱に伴う政府不信任動議が国会で討論された。 |
DIA-305-1990-01-12-1 | スリランカ | 1990年01月12日 | 1990年代 | ランジャン外相とインド外相の会談―ランジャンはIPKFが1月31日までに撤退するよう要求(ガンジ前インド首相の提示した89年12月31日を考慮)。 |
DIA-305-1990-01-12-2 | スリランカ | 1990年01月12日 | 1990年代 | 政府不信任動議,76対116で否決。 |
DIA-305-1990-01-13-1 | スリランカ | 1990年01月13日 | 1990年代 | 政府,第5回SAARCサミットは4月19日からコロンボで開催されると発表。 |
DIA-305-1990-01-13-2 | スリランカ | 1990年01月13日 | 1990年代 | インド外相,印・ス友好条約の調印は来月行なわれ,両国は敵対するタミルグループの停戦に協力する。 |
DIA-305-1990-01-14-1 | スリランカ | 1990年01月14日 | 1990年代 | 政府,輸入主食(米・砂糖・小麦粉・ダール豆・モルディブ魚)の補助金廃止を決定。 |
DIA-305-1990-01-14-2 | スリランカ | 1990年01月14日 | 1990年代 | LTTEの政党PFLTは最初の政治会合をジャフナ県キリノチチで開催。 |
DIA-305-1990-01-15-1 | スリランカ | 1990年01月15日 | 1990年代 | CEB(セイロン電気公社)はADB債務返済のために電気料金を値上げすることをADBに通知。 |
DIA-305-1990-01-15-2 | スリランカ | 1990年01月15日 | 1990年代 | イランと技術協力で合意。イランはスリランカ人の石油専門家訓練を援助,ランカはイラン北部に茶の生産援助の専門家派遣をし,茶苗を提供する。 |
DIA-305-1990-01-16-1 | スリランカ | 1990年01月16日 | 1990年代 | 外務省,ランカ政府は在外公館強化のため,世界40都市に名誉顧問を置き,大使を頂点とする包括的モデル機関を設けることを公表。 |
DIA-305-1990-01-16-2 | スリランカ | 1990年01月16日 | 1990年代 | 政府,JVP支持を防ぐため閉鎖されていた6大学が約3年ぶりに再開されたと発表。 |
DIA-305-1990-01-17-1 | スリランカ | 1990年01月17日 | 1990年代 | SAARC事務局長,会議日程は未定と語る。 |
DIA-305-1990-01-18-1 | スリランカ | 1990年01月18日 | 1990年代 | 外相,東部州と北部州の合併に関する住民投票は6月に延期と発表。 |
DIA-305-1990-01-18-2 | スリランカ | 1990年01月18日 | 1990年代 | 外相,印・ス友好条約は野党と国民の同意が必要であると語る。 |
DIA-305-1990-01-19-1 | スリランカ | 1990年01月19日 | 1990年代 | イラクと経済技術協力第4回会議で貿易拡大覚書調印。 |
DIA-305-1990-01-20-1 | スリランカ | 1990年01月20日 | 1990年代 | 大統領は省の改造・合理化について閣僚・国会議員から事情を聞く。 |
DIA-305-1990-01-20-2 | スリランカ | 1990年01月20日 | 1990年代 | SLFP(スリランカ自由党),4年ぶりに全国代表大会を開催,UNP(統一国民党)政府批判,内部批判。 |
DIA-305-1990-01-21-1 | スリランカ | 1990年01月21日 | 1990年代 | 北・東部州首相,タミルナド州首相にIPKF撤退について再考を申し入れ。 |
DIA-305-1990-01-21-2 | スリランカ | 1990年01月21日 | 1990年代 | IPKF,ジャフナ半島に1月21日午後7時外出禁止令を出す(23日午前7時解除)。 |
DIA-305-1990-01-22-1 | スリランカ | 1990年01月22日 | 1990年代 | LTTEとIPKF,ENDLF(イーラム国家民主解放戦線)ジャフナで衝突。 |
DIA-305-1990-01-23-1 | スリランカ | 1990年01月23日 | 1990年代 | 21日逮捕されたJVPの指導者によると,JVPは指導者不在で混乱し,資金も不足。 |
DIA-305-1990-01-23-2 | スリランカ | 1990年01月23日 | 1990年代 | CPC(セイロン石油公社)は料金未払いの国家企業・公社・公団にはクレジット供給を中止すると発表。 |
DIA-305-1990-01-24-1 | スリランカ | 1990年01月24日 | 1990年代 | CWE,安い米をパキスタン・ベトナムから輸入,国内米価の25~30%低下を期待。 |
DIA-305-1990-01-25-1 | スリランカ | 1990年01月25日 | 1990年代 | 外相,国際アムネスティ(AI)からランカ法曹協会に資金が渡されたがその一部が反政府分子に流されたと言明。 |
DIA-305-1990-01-25-2 | スリランカ | 1990年01月25日 | 1990年代 | M・Vペレーラ法務・国務相,89年12月15日から90年1月14目まで31日間に警察・治安部隊の101人を含め453人がJVPに殺されたと発表。 |
DIA-305-1990-01-25-3 | スリランカ | 1990年01月25日 | 1990年代 | 国会,非常事態規則の1カ月延長を113対71で承認。 |
DIA-305-1990-01-26-1 | スリランカ | 1990年01月26日 | 1990年代 | 法曹界,外相の発言に反駁。 |
DIA-305-1990-01-26-2 | スリランカ | 1990年01月26日 | 1990年代 | 日本外務省の北村調査団はスリランカの工業化戦略を評価し,支援すると語った。 |
DIA-305-1990-01-27-1 | スリランカ | 1990年01月27日 | 1990年代 | 大統領指令,90年4月まで各省大臣の外国旅行禁止。 |
DIA-305-1990-01-28-1 | スリランカ | 1990年01月28日 | 1990年代 | インド高官とランジャン外相は3日間の討議を終えた。議題は,(1)少数派タミル人への権限委譲,(2)インド・スリランカ友好条約,(3)IPKFのスリランカ撤退。 |
DIA-305-1990-01-30-1 | スリランカ | 1990年01月30日 | 1990年代 | 政府,印・ス友好条約草案に特定条項の留保を求め,インドは了解。 |
DIA-305-1990-01-30-2 | スリランカ | 1990年01月30日 | 1990年代 | LTTE,SLMC(スリランカ・ムスリム会議)に対して東部州で政治活動をしないように警告。 |
DIA-305-1990-01-31-1 | スリランカ | 1990年01月31日 | 1990年代 | LTTE,LTTEはジャフナ市民の支持を得ており,市民はIPKFの撤退を希望していると発表。 |
DIA-305-1990-01-31-2 | スリランカ | 1990年01月31日 | 1990年代 | 政府,2月4日独立記念目にテロ防止法を除く刑事被告人を大赦すると発表。 |
DIA-305-1990-01-31-3 | スリランカ | 1990年01月31日 | 1990年代 | 日本政府,村落開発サービスの訓練・運用に225万ルピーを無償供与することに調印。 |
DIA-305-1990-02-01-1 | スリランカ | 1990年02月01日 | 1990年代 | 国務相,東部州の危機について複数のムスリムグループ指導者とLTTE政治局員との緊急会議を開き,暴力の中止と捕虜釈放で合意を得たと発表。 |
DIA-305-1990-02-01-2 | スリランカ | 1990年02月01日 | 1990年代 | 外相,法曹協会に銀行預金公開を要求。 |
DIA-305-1990-02-02-1 | スリランカ | 1990年02月02日 | 1990年代 | LTTEが封鎖したジャフナ県シャパカッチリ警察署が6年ぶりに再開。 |
DIA-305-1990-02-03-1 | スリランカ | 1990年02月03日 | 1990年代 | 大統領,中産階級のための5000戸建設をコロンボおよび郊外に計画中と語った。 |
DIA-305-1990-02-04-1 | スリランカ | 1990年02月04日 | 1990年代 | 第42回独立記念日祝典。バティカロアでの記念式典はLTTEの脅威で中止。 |
DIA-305-1990-02-06-1 | スリランカ | 1990年02月06日 | 1990年代 | 法曹協会次長,外相のいう法曹協会から反政府分子への金銭供与は事実でなく,87~89年にAIからの入金はないと発表。 |
DIA-305-1990-02-06-2 | スリランカ | 1990年02月06日 | 1990年代 | Hindu紙によると,インド政府,スリランカ武装タミル人の潜入と武器の密輸を阻止する監視塔をタミルナド海岸に設置。 |
DIA-305-1990-02-06-3 | スリランカ | 1990年02月06日 | 1990年代 | EPRLF(イラーム人民革命解放戦線),TNC(タミル国民評議会)を脱退して独自の道を歩むと発表。 |
DIA-305-1990-02-06-4 | スリランカ | 1990年02月06日 | 1990年代 | アムパライ県のジャングルでLTTEとTNAが交戦,双方で60人死亡。 |
DIA-305-1990-02-06-5 | スリランカ | 1990年02月06日 | 1990年代 | エア・ランカ,89年に6億4500万ルピーの収入をあげ,過去10年間の最高記録を達成と発表。 |
DIA-305-1990-02-08-1 | スリランカ | 1990年02月08日 | 1990年代 | LTTE,TNAのジャフナ入境を禁止。 |
DIA-305-1990-02-08-2 | スリランカ | 1990年02月08日 | 1990年代 | SLMCによるとインド軍撤退後の東部は無政府状態でタミルグループが対立している。イスラム教徒は暴力の対象となっている。 |
DIA-305-1990-02-09-1 | スリランカ | 1990年02月09日 | 1990年代 | 2月14日開催予定のAPC(全政党会議)にSLFP,MEP,USA(LSSP,NSSP,CP,SLMP)欠席を表明。 |
DIA-305-1990-02-09-2 | スリランカ | 1990年02月09日 | 1990年代 | 政府,4月1日から電気料金を引き上げと発表。 |
DIA-305-1990-02-10-1 | スリランカ | 1990年02月10日 | 1990年代 | 政府,SAARCサミットがモルディブ開催の場合,欠席すると表明。 |
DIA-305-1990-02-11-1 | スリランカ | 1990年02月11日 | 1990年代 | 政府,全国で6700人以上のJVP被疑者を拘束中と発表。 |
DIA-305-1990-02-12-1 | スリランカ | 1990年02月12日 | 1990年代 | 日本政府,モデル農村の住宅開発計画の質的向上に3億8000万ルピーを援助すると発表。 |
DIA-305-1990-02-13-1 | スリランカ | 1990年02月13日 | 1990年代 | タミルナド州首相,LTTEに武装放棄を要請。 |
DIA-305-1990-02-14-1 | スリランカ | 1990年02月14日 | 1990年代 | 大統領,第3回APCを招集。全てのタミル,ムスリム政党が参加。SLFP,REP,USAは欠席。大統領委員会の51項目提案の大方に同意した(非常事態令の緩和・投降者受入委員会・対反政府ゲリラ作戦停止など)。 |
DIA-305-1990-02-14-2 | スリランカ | 1990年02月14日 | 1990年代 | IPKF,拘留中の700人の青年を2月下旬までに両親のもとへ返還すると発表。 |
DIA-305-1990-02-15-1 | スリランカ | 1990年02月15日 | 1990年代 | 政府,非常事態規制のうち結社禁止,出版制限など5項目を15日零時から解除と発表。 |
DIA-305-1990-02-16-1 | スリランカ | 1990年02月16日 | 1990年代 | 警察,LTTEと話合いをし,19日からバティカロアで業務再開と発表。 |
DIA-305-1990-02-16-2 | スリランカ | 1990年02月16日 | 1990年代 | 政府,RAW(インド諜報部)の指示で北部州からコロンボへ運ばれた武器を押収,100人の青年コロンボ市内で逮捕。 |
DIA-305-1990-02-16-3 | スリランカ | 1990年02月16日 | 1990年代 | 世銀・ADB,中小規模工業開発プロジェクト第3段階に14億ルピー援助を決定。 |
DIA-305-1990-02-17-1 | スリランカ | 1990年02月17日 | 1990年代 | タミルナド州首相,北・東部州首相の辞職と州議会の新選挙を望むと語った。前者は,マドラスでLTTEをはじめとするタミルグループにグループ間の闘争の停止を仲介中。 |
DIA-305-1990-02-17-2 | スリランカ | 1990年02月17日 | 1990年代 | 首相,来訪中の李嵐清対外経済貿易次官ら中国経済代表団と会見。 |
DIA-305-1990-02-18-1 | スリランカ | 1990年02月18日 | 1990年代 | 政府,6公社と12政府所有企業の民営化計画を発表。引続き5社と2政府所有企業も民営化の予定。 |
DIA-305-1990-02-18-2 | スリランカ | 1990年02月18日 | 1990年代 | リチャード・デ・ソイザ記者,自宅付近で誘拐さる(翌日コロンボ郊外で遺体で発見される)。 |
DIA-305-1990-02-19-1 | スリランカ | 1990年02月19日 | 1990年代 | LTTE,もしインド軍が3月31日までに撤退しなければインド軍を攻撃するだろうと表明。 |
DIA-305-1990-02-20-1 | スリランカ | 1990年02月20日 | 1990年代 | インド巡礼中のSLFPのシリマボ・バンダラナイケ総裁,タミルナド知事を訪問。 |
DIA-305-1990-02-20-2 | スリランカ | 1990年02月20日 | 1990年代 | 南アジア外国特派員協会,インドのデーリー・ジャーナリスト組合は,一斉にデ・ソイザ殺人事件を非難。 |
DIA-305-1990-02-21-1 | スリランカ | 1990年02月21日 | 1990年代 | コロンボ市議会,無許可の新築・増築・建替えは取り壊すと表明。 |
DIA-305-1990-02-22-1 | スリランカ | 1990年02月22日 | 1990年代 | 政府,武器所有者は3月31日までに警察に提出するよう公示。 |
DIA-305-1990-02-22-2 | スリランカ | 1990年02月22日 | 1990年代 | SLFP総裁,人権侵害廃絶を求める会議を2月27日に開くと全野党に参加を呼びかけた。 |
DIA-305-1990-02-22-3 | スリランカ | 1990年02月22日 | 1990年代 | 国会,非常事態規則の延長を可決(15日解除の5項目を除く)。 |
DIA-305-1990-02-22-4 | スリランカ | 1990年02月22日 | 1990年代 | 法務相,90年1月15日から2月14日の1カ月間で111人が殺されたと発表。 |
DIA-305-1990-02-23-1 | スリランカ | 1990年02月23日 | 1990年代 | 大統領,LTTE代表団と討議し,全ての民族は同一の権利・機会を享受し,それぞれの民族社会・経済の進歩は妨げられないと言明。 |
DIA-305-1990-02-24-1 | スリランカ | 1990年02月24日 | 1990年代 | 高等教育次官,90年7月予定の国家試験A/L,を8月10日に延期と発表。 |
DIA-305-1990-02-24-2 | スリランカ | 1990年02月24日 | 1990年代 | 政府,ゴール市外ケガラに無税貿易加工区をつくると発表。 |
DIA-305-1990-02-24-3 | スリランカ | 1990年02月24日 | 1990年代 | 政府,日本援助の新ヴィクトリア橋の着工は3月1日と発表。 |
DIA-305-1990-02-25-1 | スリランカ | 1990年02月25日 | 1990年代 | SLTB(スリランカ運輸公社)は余剰人員の4万人に結料支給が困難になったので特別割増金7万5000ルピーを支仏う退職希望者の募集を発表。 |
DIA-305-1990-02-27-1 | スリランカ | 1990年02月27日 | 1990年代 | LTTE,インド軍撤退後のトリンコマリー市内に駐屯し市内を掌握中,市内警備・パトロールはスリランカ警察に行わせていると発表。 |
DIA-305-1990-02-28-1 | スリランカ | 1990年02月28日 | 1990年代 | マドラスからの通信によると,タミルナド州首相の斡旋によるランカのタミル・グループ各間の和平交渉はLTTEとEPRFLの合意が得られず一頓挫。 |
DIA-305-1990-02-28-2 | スリランカ | 1990年02月28日 | 1990年代 | LTTE,北・東部の安全が確保されるまで武装解除を拒否すると発表。 |
DIA-305-1990-03-01-1 | スリランカ | 1990年03月01日 | 1990年代 | ペルーマル北・東部州首相,イーラム国の独立を一方的に宣言。 |
DIA-305-1990-03-01-2 | スリランカ | 1990年03月01日 | 1990年代 | 日本政府,商品援助と7プロジェクトに1億3400万ドル援助に調印。 |
DIA-305-1990-03-02-1 | スリランカ | 1990年03月02日 | 1990年代 | 北・東部州の独立宣言に野党・インド政府は反対を表明。 |
DIA-305-1990-03-03-1 | スリランカ | 1990年03月03日 | 1990年代 | ペルーマル前北・東部州首相,LTTEに提携を申し入れ。 |
DIA-305-1990-03-04-1 | スリランカ | 1990年03月04日 | 1990年代 | 土地・灌漑・マハヴェリ省,大統領の選挙公約である北西部州クルネガラ・プッタラム県での12灌漑プロジェクトの4月施行を発表。 |
DIA-305-1990-03-05-1 | スリランカ | 1990年03月05日 | 1990年代 | LTTEに反対する約3000人がインドに避難。 |
DIA-305-1990-03-05-2 | スリランカ | 1990年03月05日 | 1990年代 | 政府,90年3月4日現在の拘置者9924人そのうち投降者は3986人と発表。 |
DIA-305-1990-03-06-1 | スリランカ | 1990年03月06日 | 1990年代 | EDP(イーラム民主戦線),タミル語を話す人々はペルーマル首相の独立宣言に反対だと表明。 |
DIA-305-1990-03-07-1 | スリランカ | 1990年03月07日 | 1990年代 | 大蔵次官,90年の経済成長に4~5%を期待。 |
DIA-305-1990-03-08-1 | スリランカ | 1990年03月08日 | 1990年代 | AFP,インド政府はEPRLFメンバーを含む750人のスリランカ・タミル人のマドラス上陸を拒否,彼らはオリッサ州に向かった。 |
DIA-305-1990-03-10-1 | スリランカ | 1990年03月10日 | 1990年代 | ペルーマル前北・東部州首相,家族・秘書を伴い,インド特別機でトリンコマリーからインドに入った。 |
DIA-305-1990-03-11-1 | スリランカ | 1990年03月11日 | 1990年代 | タミル人300家族がインド空軍ヘリコプターでトリンコマリーからオリッサに向かった。 |
DIA-305-1990-03-11-2 | スリランカ | 1990年03月11日 | 1990年代 | 新雇用者補償法案,国会を通過(3月15日より施行)。 |
DIA-305-1990-03-12-1 | スリランカ | 1990年03月12日 | 1990年代 | 国防副相,警察に武器の接収を命令。 |
DIA-305-1990-03-12-2 | スリランカ | 1990年03月12日 | 1990年代 | タミルナド州首相,全てのスリランカ武装タミル人キャンプを拒否すると発表。 |
DIA-305-1990-03-13-1 | スリランカ | 1990年03月13日 | 1990年代 | インド高等弁務官,IPKFは90年3月31日までに全軍を撤退すると発表。 |
DIA-305-1990-03-13-2 | スリランカ | 1990年03月13日 | 1990年代 | モルディブ・ガユーム大統領,スリランカでのSAARC開催に反対表明。 |
DIA-305-1990-03-14-1 | スリランカ | 1990年03月14日 | 1990年代 | SLFPの次期総裁アヌラ・バンダラナイケの世襲反対が党内から出たことにアヌラはSLFP書記長に抗議の書簡を発送。 |
DIA-305-1990-03-14-2 | スリランカ | 1990年03月14日 | 1990年代 | 日本政府の第13次食糧生産援助として6億1000万ドル相当の肥料の無償供与が新田大使と大蔵次官の間で調印された。 |
DIA-305-1990-03-15-1 | スリランカ | 1990年03月15日 | 1990年代 | カルカト・インド軍司令官の来島で24日のインド軍完全撤退が決定した。 |
DIA-305-1990-03-15-2 | スリランカ | 1990年03月15日 | 1990年代 | アメリカ,89年開始6年間のマハヴェリ企業開発計画・今年度分の200万ドルの無償供与調印。 |
DIA-305-1990-03-16-1 | スリランカ | 1990年03月16日 | 1990年代 | 環境問題について外国専門家を交え,200人以上が討論と視察。 |
DIA-305-1990-03-17-1 | スリランカ | 1990年03月17日 | 1990年代 | 高等教育相,LTTEとトリンコマリーで会談,3月18日夜から相互に軍事行動停止で合意。 |
DIA-305-1990-03-18-1 | スリランカ | 1990年03月18日 | 1990年代 | インドのDMK所属国会議員,RAWはラジブ前大統領の指示下で活動と証言。 |
DIA-305-1990-03-19-1 | スリランカ | 1990年03月19日 | 1990年代 | オリッサ州の難民キャンプからタミルナド州に約8000人が再潜入,とAFPが報道。 |
DIA-305-1990-03-19-2 | スリランカ | 1990年03月19日 | 1990年代 | ソ連最高会議代表団,スリランカ訪問。 |
DIA-305-1990-03-19-3 | スリランカ | 1990年03月19日 | 1990年代 | パキスタンのカン外務相,プ大統領に90年のSAARCはモルディブ建国25周年の11月に行なわれると述べた。 |
DIA-305-1990-03-20-1 | スリランカ | 1990年03月20日 | 1990年代 | ニューデリーAFP,インドは4月に始まる財政年度でランカに1億5000万ルピーを貸与すると発表。 |
DIA-305-1990-03-20-2 | スリランカ | 1990年03月20日 | 1990年代 | 運輸相,エステートの青年1500人を国家警察に雇用すると発表。 |
DIA-305-1990-03-20-3 | スリランカ | 1990年03月20日 | 1990年代 | 大統領,イスラエルと外交関係を破棄すると発表。 |
DIA-305-1990-03-21-1 | スリランカ | 1990年03月21日 | 1990年代 | オリッサ州の逃走難民800人逮捕で外相,彼らが市民なら引取る用意があると国会で答弁。 |
DIA-305-1990-03-21-2 | スリランカ | 1990年03月21日 | 1990年代 | LTTE,北・東部州で今後暴力緊張を起さないと政府に約束。 |
DIA-305-1990-03-21-3 | スリランカ | 1990年03月21日 | 1990年代 | 政府,統制物資の価格引き上げを発表。 |
DIA-305-1990-03-22-1 | スリランカ | 1990年03月22日 | 1990年代 | 国防副相,IPKFのトリンコマリー撤退を検証。 |
DIA-305-1990-03-22-2 | スリランカ | 1990年03月22日 | 1990年代 | パキスタン外相のSAARC開催地モルディブとの発言に対し,政府コロンボ開催を強調。 |
DIA-305-1990-03-22-3 | スリランカ | 1990年03月22日 | 1990年代 | 90年2月25日から3月14日までの殺害事件は52名へ激減と法務相報告。 |
DIA-305-1990-03-22-4 | スリランカ | 1990年03月22日 | 1990年代 | 非常事態規制延長。120対63で国会を通過。 |
DIA-305-1990-03-23-1 | スリランカ | 1990年03月23日 | 1990年代 | 籾流通局,政府保証価格(1ブッシェル110ルピー)での500万ブッシェルの購入資金6億ルピーを中央銀行から借入れ。 |
DIA-305-1990-03-24-1 | スリランカ | 1990年03月24日 | 1990年代 | 最後のIPKF約2000人がインド国歌とスリランカ国歌吹奏の中をトリンコマリー港から完全撤退。 |
DIA-305-1990-03-25-1 | スリランカ | 1990年03月25日 | 1990年代 | 大統領,IPKFはスリランカの主権・領土保全・独立を尊重して予定より1週間早く撤退してくれたとシン・インド首相に感謝を表明すると同時に北・東部州議会解散,中央の直接統治を宣言,ベルーマル首相解任を発表。 |
DIA-305-1990-03-26-1 | スリランカ | 1990年03月26日 | 1990年代 | 政府,スリランカ海外相談センターを設立,中近東で働くメイド,一般労働者の保護に乗出すと決定。 |
DIA-305-1990-03-26-2 | スリランカ | 1990年03月26日 | 1990年代 | 国防副相,北・東部の治安状態から判断してLTTEは武装解除するべき。 |
DIA-305-1990-03-26-3 | スリランカ | 1990年03月26日 | 1990年代 | 89/90年マハ期籾生産は大豊作で7300万ブッシェル(精米100万トン)が見込まれる(88/89年前期比800万ブッシェル増)。 |
DIA-305-1990-03-27-1 | スリランカ | 1990年03月27日 | 1990年代 | 政府,LTTEに重ねて武器供出を要求。 |
DIA-305-1990-03-28-1 | スリランカ | 1990年03月28日 | 1990年代 | 大統領,内閣解散を宣言。 |
DIA-305-1990-03-29-1 | スリランカ | 1990年03月29日 | 1990年代 | LTTE,インド漁民311人と漁船33隻をジャフナ半島で拿捕(30日釈放)。 |
DIA-305-1990-03-29-2 | スリランカ | 1990年03月29日 | 1990年代 | UNDPは高等教育技術教育プロジェクトに2700万ルピー援助を申し出た。 |
DIA-305-1990-03-30-1 | スリランカ | 1990年03月30日 | 1990年代 | 改造内閣成立(「参考資料」参照)。 |
DIA-305-1990-03-31-1 | スリランカ | 1990年03月31日 | 1990年代 | セイロン銀行は非居住者に外貨領金(NRFC)の利子引き上げを決定。 |
DIA-305-1990-03-31-2 | スリランカ | 1990年03月31日 | 1990年代 | LTTEの指導者プラバカラン,2年半ぶりにバブニヤのジャングルから姿を現す。 |
DIA-305-1990-04-01-1 | スリランカ | 1990年04月01日 | 1990年代 | プラバカラン,最近の北・東部の平静化は大統領の功績だと賛辞を述べたが,完全な平和が来るまではLTTEは武器を手放さない,と言明。 |
DIA-305-1990-04-01-2 | スリランカ | 1990年04月01日 | 1990年代 | 政府,SLFPによる4月5日開催予定の野党合同会議を許可。 |
DIA-305-1990-04-02-1 | スリランカ | 1990年04月02日 | 1990年代 | 大統領,新法相の勧告で1970年12月31日以前からの服役囚700人を釈放。 |
DIA-305-1990-04-02-2 | スリランカ | 1990年04月02日 | 1990年代 | 19野党の首脳,大統領と会見。基本的人権の保護,全国での人身の安全,報道の自由を申し入れ。 |
DIA-305-1990-04-03-1 | スリランカ | 1990年04月03日 | 1990年代 | 警察,LTTEに対し,シンハラ・タミル人正月の間トリンコマリーの安全に協力を要請。 |
DIA-305-1990-04-03-2 | スリランカ | 1990年04月03日 | 1990年代 | 大統領,大臣・国家議員の外遊は公・私を問わず首相を長とする委員会の承認を要すると発表。 |
DIA-305-1990-04-03-3 | スリランカ | 1990年04月03日 | 1990年代 | SLMP代表のチャンドリカ・クマラナトンガがロンドンから帰国。 |
DIA-305-1990-04-04-1 | スリランカ | 1990年04月04日 | 1990年代 | 第2次第9回国会開催式を午前9時開幕,SLFP,MEP,USAがボイコット。 |
DIA-305-1990-04-04-2 | スリランカ | 1990年04月04日 | 1990年代 | 大統領,非常事態法をできるだけ早く廃止すると国会で答弁。 |
DIA-305-1990-04-05-1 | スリランカ | 1990年04月05日 | 1990年代 | SLFP,CP,LSSP,SLMP(V)の野党合同会議,SLFP総裁の司会で開催。 |
DIA-305-1990-04-06-1 | スリランカ | 1990年04月06日 | 1990年代 | LTTE,ACTC,(全セイロン・タミル会議)と話合い,ジャフナにある本部を接収。 |
DIA-305-1990-04-07-1 | スリランカ | 1990年04月07日 | 1990年代 | 大統領,インド軍撤退後初めてLTTE首脳と会談,北・東部の平和回復を話合い。 |
DIA-305-1990-04-07-2 | スリランカ | 1990年04月07日 | 1990年代 | EPRLF政治局,北・東部州議会を3カ月に1度コロンボで開催すると発表。 |
DIA-305-1990-04-08-1 | スリランカ | 1990年04月08日 | 1990年代 | LTTE,ランカ領海に侵入のインド船70隻を7日拿捕したが8日釈放したと発表。 |
DIA-305-1990-04-09-1 | スリランカ | 1990年04月09日 | 1990年代 | LTTE,北・東部州の民族自決権についてインド政府の支持を期待すると表明。 |
DIA-305-1990-04-09-2 | スリランカ | 1990年04月09日 | 1990年代 | EPRLF,政府に自治に関する19項目要求討議を要請。 |
DIA-305-1990-04-10-1 | スリランカ | 1990年04月10日 | 1990年代 | 大統領とLTTE,コロンボで会談。LTTEは第6次修正憲法の廃止と活動停止中の北・東部州議会の活動を促進せよと政府に申し入れ。またジャフナ県バランタンの化学工場生産再開を決定。 |
DIA-305-1990-04-10-2 | スリランカ | 1990年04月10日 | 1990年代 | 国会,非常事態規則から集会禁止条項削除を決定。 |
DIA-305-1990-04-11-1 | スリランカ | 1990年04月11日 | 1990年代 | セイロン銀行,非伝統産物の小規模輸出業者に対する助言部を設け相談に応じると発表。 |
DIA-305-1990-04-12-1 | スリランカ | 1990年04月12日 | 1990年代 | 政府,EPRLF提出の19項目要求を拒否。 |
DIA-305-1990-04-12-2 | スリランカ | 1990年04月12日 | 1990年代 | 国防副相,SAARCサミットがモルディブ開催ならばスリランカは不参加と発言,90年サミットはスリランカとモルディブの2カ所で開催されるよう要請。 |
DIA-305-1990-04-12-3 | スリランカ | 1990年04月12日 | 1990年代 | LTTE,北・東部州での徴税を中止を発表。 |
DIA-305-1990-04-13-1 | スリランカ | 1990年04月13日 | 1990年代 | プラバカランLTTE議長,ジャフナで法相とジャフナの治安状態について討議。 |
DIA-305-1990-04-14-1 | スリランカ | 1990年04月14日 | 1990年代 | シンハラ・タミル人正月。政府はシンハラ過激派に対する全ての軍事行動を停止した。 |
DIA-305-1990-04-16-1 | スリランカ | 1990年04月16日 | 1990年代 | 警察,シンハラ・タミル人正月に大きな事件,交通事故の報告もなかったと発表。 |
DIA-305-1990-04-16-2 | スリランカ | 1990年04月16日 | 1990年代 | 法相とLTTE,北・東部州問題の解決のため,全政党が参加する暫定州議会改正案を合意として提示。 |
DIA-305-1990-04-17-1 | スリランカ | 1990年04月17日 | 1990年代 | APC代表委員会,地方自治体運営に各政党は候補者の40%を18~40歳の層から指名すると決定(20日閣議で承認)。 |
DIA-305-1990-04-18-1 | スリランカ | 1990年04月18日 | 1990年代 | USA,SLMP首脳チャンドリカがUSAのメーデー集会を主導すると発表。 |
DIA-305-1990-04-18-2 | スリランカ | 1990年04月18日 | 1990年代 | インド政府,SAARC開催地は議長国パキスタンと候補地スリランカ・モルディブの合意に従うと表明。 |
DIA-305-1990-04-18-3 | スリランカ | 1990年04月18日 | 1990年代 | 大統領,非常事態規則の政党の政治集会禁止条項を廃止,他についても今後段階的に廃止すると発表。 |
DIA-305-1990-04-19-1 | スリランカ | 1990年04月19日 | 1990年代 | 国防副相と法相,今週中にEPRLFの代表と話合うと発表。 |
DIA-305-1990-04-20-1 | スリランカ | 1990年04月20日 | 1990年代 | 政府,反乱分子に自首を呼びかけ。 |
DIA-305-1990-04-20-2 | スリランカ | 1990年04月20日 | 1990年代 | 政府,5月1日から外国で働く労動者は外国雇用局の許可を要することになると発表。 |
DIA-305-1990-04-21-1 | スリランカ | 1990年04月21日 | 1990年代 | 北・東部州で2000人以上のCVP(市民義勇軍)が収容キャンプから武器を持って逃走。 |
DIA-305-1990-04-22-1 | スリランカ | 1990年04月22日 | 1990年代 | 中央銀行,89年の煙草と酒の税収は同年国庫収入の第5位と発表。 |
DIA-305-1990-04-23-1 | スリランカ | 1990年04月23日 | 1990年代 | プレマチャンドラン労働職業訓練相,在イラン,UAE,クウェート,サウジアラビアの大使館の労務担当官4名を不正行為の疑いで本国送還を命じた。 |
DIA-305-1990-04-23-2 | スリランカ | 1990年04月23日 | 1990年代 | 水道料金の約100%値上げ発表。 |
DIA-305-1990-04-24-1 | スリランカ | 1990年04月24日 | 1990年代 | 政府,EPRLF要請の19項目討議は拒否したが,国防副相と法相がこれに関して5月15日にEPRLFと会談すると発表。 |
DIA-305-1990-04-25-1 | スリランカ | 1990年04月25日 | 1990年代 | SLFP総裁,息子アヌラ,娘チャンドリカをSLFPのリーダーにするつもりはないと言明。 |
DIA-305-1990-04-25-2 | スリランカ | 1990年04月25日 | 1990年代 | イラン大統領使者モハジェリ氏が来訪,プレマダーサ大統領と会見。イスラエルとの外交関係断絶を勇気ある行為と称賛。 |
DIA-305-1990-04-26-1 | スリランカ | 1990年04月26日 | 1990年代 | 国会,非常事態延長を118対40,棄権2で可決。 |
DIA-305-1990-04-27-1 | スリランカ | 1990年04月27日 | 1990年代 | ラマダンを祝って囚人700人釈放。 |
DIA-305-1990-04-29-1 | スリランカ | 1990年04月29日 | 1990年代 | 大統領,VIPに対しても出入国時通常の検査を行なうよう指示。 |
DIA-305-1990-04-29-2 | スリランカ | 1990年04月29日 | 1990年代 | タミルナド州首相,スリランカ・タミル人難民は州および隣地でも受け入れできないのでアンダマン諸島に送るようインド中央政府に進言。 |
DIA-305-1990-04-30-1 | スリランカ | 1990年04月30日 | 1990年代 | 国防副相,インド市民権を有するエステート労働者10万人に無料航空切符を与えると発表。 |
DIA-305-1990-04-30-2 | スリランカ | 1990年04月30日 | 1990年代 | CEBは電力料金不払いの消費者には電力をカットすると警告。 |
DIA-305-1990-05-01-1 | スリランカ | 1990年05月01日 | 1990年代 | 大統領,メーデー集会で貧困の根絶を表明。 |
DIA-305-1990-05-01-2 | スリランカ | 1990年05月01日 | 1990年代 | チャンドリカSLMP(V)代表,USAのメーデー集会で反UNPの統一を強調。 |
DIA-305-1990-05-02-1 | スリランカ | 1990年05月02日 | 1990年代 | 政府,インド人労働者10万人送還についてCWC(セイロン労働者会議)と協議を準備。 |
DIA-305-1990-05-02-2 | スリランカ | 1990年05月02日 | 1990年代 | UNP,自由貿易区の労組活動を認めると約束。 |
DIA-305-1990-05-02-3 | スリランカ | 1990年05月02日 | 1990年代 | LTTE,タミルナド州に対し,北東部海上への侵犯根絶を要請。 |
DIA-305-1990-05-03-1 | スリランカ | 1990年05月03日 | 1990年代 | 海部首相来訪,プレマダーサ大統領と会談。大統領は工業政策研究の日本高級チームの派遣を要請。 |
DIA-305-1990-05-03-2 | スリランカ | 1990年05月03日 | 1990年代 | 国防副相,EPRLFのペルーマルが帰国すれば独立を一方的に宣言した罪で逮捕すると言明, |
DIA-305-1990-05-03-3 | スリランカ | 1990年05月03日 | 1990年代 | CWC議長,農園労働者への株式交付を要請。 |
DIA-305-1990-05-04-1 | スリランカ | 1990年05月04日 | 1990年代 | 新聞審議会,新聞社に報道禁止事項の再確認通告。 |
DIA-305-1990-05-05-1 | スリランカ | 1990年05月05日 | 1990年代 | 警察,タミル人国会議員の身辺警護強化を発表。 |
DIA-305-1990-05-06-1 | スリランカ | 1990年05月06日 | 1990年代 | 大統領,行動規範違反の国会議員を排除と言明。 |
DIA-305-1990-05-06-2 | スリランカ | 1990年05月06日 | 1990年代 | SLMP政治局,オッシー司会の下でチャンドリカの指導的地位からの追放を決定。 |
DIA-305-1990-05-06-3 | スリランカ | 1990年05月06日 | 1990年代 | ウエサク大赦150人(9日,ウェサク休日)。 |
DIA-305-1990-05-07-1 | スリランカ | 1990年05月07日 | 1990年代 | EPRLF国会議員でバティカロア選出のタムビットゥ,コロンボで殺される。 |
DIA-305-1990-05-07-2 | スリランカ | 1990年05月07日 | 1990年代 | ウイジェトンガ首相,ニューデリーでインド・シン首相と会談。 |
DIA-305-1990-05-07-3 | スリランカ | 1990年05月07日 | 1990年代 | インド大使館公使,インド人農園労働者送還はインドにおけるランカ農民の送還と相殺すると語る。 |
DIA-305-1990-05-08-1 | スリランカ | 1990年05月08日 | 1990年代 | LTTE,タムビットゥ殺害に無関係を表明。 |
DIA-305-1990-05-10-1 | スリランカ | 1990年05月10日 | 1990年代 | USA,SLFP,DJVP,タムビットゥ事件を非難。 |
DIA-305-1990-05-11-1 | スリランカ | 1990年05月11日 | 1990年代 | CWCのトンダマン,政府はインド人農園労働者送還に関してインド政府との話し合いに合意と発表。 |
DIA-305-1990-05-11-2 | スリランカ | 1990年05月11日 | 1990年代 | タミルナド州首相,タミルナド州はインド人農園労働者の受入反対を中央政府に伝達したと語る。 |
DIA-305-1990-05-12-1 | スリランカ | 1990年05月12日 | 1990年代 | SLMPのオッシー,チャンドリカがUSAメーデーに参加したことで共産党を非難。 |
DIA-305-1990-05-13-1 | スリランカ | 1990年05月13日 | 1990年代 | EPRLF幹部,国防副相と法相に会見。 |
DIA-305-1990-05-13-2 | スリランカ | 1990年05月13日 | 1990年代 | 大統領,青年代表立候制の立法基準を公表。 |
DIA-305-1990-05-14-1 | スリランカ | 1990年05月14日 | 1990年代 | 政府,消費者物価の引下げ対策6委員会を編成。 |
DIA-305-1990-05-14-2 | スリランカ | 1990年05月14日 | 1990年代 | 政府,インド人農園労働者送還問題でインドへの交渉団派遣を準備中と発表。 |
DIA-305-1990-05-14-3 | スリランカ | 1990年05月14日 | 1990年代 | 合同プランテーション労組(14組合加盟),インド人農園労働者送還問題で会合。 |
DIA-305-1990-05-14-4 | スリランカ | 1990年05月14日 | 1990年代 | SLFP,アヌラを国会内野党リーダーに決定。 |
DIA-305-1990-05-15-1 | スリランカ | 1990年05月15日 | 1990年代 | チャンドリカ,英国へ出発,必ず帰国すると言明。 |
DIA-305-1990-05-15-2 | スリランカ | 1990年05月15日 | 1990年代 | EPRLF,ランジャンと会談し,イーラム独立国宣言(3月1日)を陳謝,共同コミュニュケを発表。 |
DIA-305-1990-05-15-3 | スリランカ | 1990年05月15日 | 1990年代 | シン・インド首相,タミルナド州首相によるインド軍諜報部批判に反論。 |
DIA-305-1990-05-16-1 | スリランカ | 1990年05月16日 | 1990年代 | タミルナド州首相,タミルゲリラの活動に警告。 |
DIA-305-1990-05-16-2 | スリランカ | 1990年05月16日 | 1990年代 | 中央スリランカのインド人農園労働者が逮捕された指導者の釈放を求めてストライキを決行。 |
DIA-305-1990-05-16-3 | スリランカ | 1990年05月16日 | 1990年代 | タミルナド州首相,印・ス漁業紛争の回避に海境ブイ標示設置を提案。 |
DIA-305-1990-05-16-4 | スリランカ | 1990年05月16日 | 1990年代 | プラバカランらLTTE代表,タミルナド州首相と会談。 |
DIA-305-1990-05-16-5 | スリランカ | 1990年05月16日 | 1990年代 | 共産党,オッシー発言に反論(→5/12)。 |
DIA-305-1990-05-16-6 | スリランカ | 1990年05月16日 | 1990年代 | 政府,スリランカの麻薬中毒患者は約4万人,まもなく政府は麻薬取締法を強化すると発表。 |
DIA-305-1990-05-17-1 | スリランカ | 1990年05月17日 | 1990年代 | 国防副相,国民の相互理解のためにタミル・グループに統一を要請。 |
DIA-305-1990-05-18-1 | スリランカ | 1990年05月18日 | 1990年代 | 大統領,カトナヤケ空港の税関の違法取締を強化せよと要望。 |
DIA-305-1990-05-19-1 | スリランカ | 1990年05月19日 | 1990年代 | アヌラ,8月予定の地方議会選挙では他党と共闘せずと言明。 |
DIA-305-1990-05-20-1 | スリランカ | 1990年05月20日 | 1990年代 | トンダマンCWC議長,インド人農園労働者問題の解決を大統領に期待。 |
DIA-305-1990-05-20-2 | スリランカ | 1990年05月20日 | 1990年代 | ジャフナでプラバカランとEROSのバラクマル会談。 |
DIA-305-1990-05-21-1 | スリランカ | 1990年05月21日 | 1990年代 | LTTEによるインド人農園労働者送還反対のストのため北・東部州の行政麻痺(22日終わる)。 |
DIA-305-1990-05-21-2 | スリランカ | 1990年05月21日 | 1990年代 | 法相,ジャフナにLTTEとの会談のために出発。 |
DIA-305-1990-05-22-1 | スリランカ | 1990年05月22日 | 1990年代 | 政府,青年・少数民族社会の代表を決める地方自治体選挙法改正案をAPCに提出。 |
DIA-305-1990-05-22-2 | スリランカ | 1990年05月22日 | 1990年代 | LTTE,法相に北・東部州の新選挙を要請,政府とEPRLFの協議に反対すると述べた。 |
DIA-305-1990-05-23-1 | スリランカ | 1990年05月23日 | 1990年代 | 国防副相,北・東部州の治安をLTTEに任さないと語る。 |
DIA-305-1990-05-23-2 | スリランカ | 1990年05月23日 | 1990年代 | EDF,第6次憲法改正の廃止動議の提出を決定。 |
DIA-305-1990-05-24-1 | スリランカ | 1990年05月24日 | 1990年代 | メンディス運輸相,政府はSLTBのバス車庫の従業員引き渡しを6月1日より始めると決定,と発表。 |
DIA-305-1990-05-24-2 | スリランカ | 1990年05月24日 | 1990年代 | 国防副相,LTTEの武器所有下での選挙は不可能と発言,繰り返し武装放棄要求を表明。 |
DIA-305-1990-05-24-3 | スリランカ | 1990年05月24日 | 1990年代 | 国会,非常事態規則の延長を118対63で可決。 |
DIA-305-1990-05-25-1 | スリランカ | 1990年05月25日 | 1990年代 | 政府,輸入公用車の名義変更について調査。 |
DIA-305-1990-05-25-2 | スリランカ | 1990年05月25日 | 1990年代 | 国防副相,ランカ・ジャティカ農園労組会長に任命される。 |
DIA-305-1990-05-26-1 | スリランカ | 1990年05月26日 | 1990年代 | 大統領,行政腐敗の一掃を言明。マハヴェリ・ランタンベ計画完成に際し西独の援助を感謝。 |
DIA-305-1990-05-27-1 | スリランカ | 1990年05月27日 | 1990年代 | PLOのアラファト,スリランカのイスラエル利益代表部廃止を歓迎。 |
DIA-305-1990-05-27-2 | スリランカ | 1990年05月27日 | 1990年代 | 政府,州議会法改正で北・東部州議会の解散を討議。 |
DIA-305-1990-05-28-1 | スリランカ | 1990年05月28日 | 1990年代 | 法相,LTTEが武器を保持している中で北・東部州議会選挙は不可能と説得。 |
DIA-305-1990-05-28-2 | スリランカ | 1990年05月28日 | 1990年代 | スイス,農業振興に1.8億ルピー贈与に調印。 |
DIA-305-1990-05-29-1 | スリランカ | 1990年05月29日 | 1990年代 | 政府,国会議員用輸入車の不法転売に厳罰を行なうと決定。 |
DIA-305-1990-05-29-2 | スリランカ | 1990年05月29日 | 1990年代 | SLFPアヌラほか野党,バス公社民営化で国会討議を要求。 |
DIA-305-1990-05-29-3 | スリランカ | 1990年05月29日 | 1990年代 | 政府医師協会(GMOA),コロンボ病院人事でスト通告。 |
DIA-305-1990-05-30-1 | スリランカ | 1990年05月30日 | 1990年代 | トンダマンCWC議長,インド農園労働者の送還問題の早期解決は困難と語る。 |
DIA-305-1990-05-31-1 | スリランカ | 1990年05月31日 | 1990年代 | 国防副相,北・東部州議会の解散には新立法が必要。新立法の作成に着手すると語る。 |
DIA-305-1990-05-31-2 | スリランカ | 1990年05月31日 | 1990年代 | LTTE代表マハッタヤ,大統領・政府と会談するためにバヴニヤを出発。 |
DIA-305-1990-05-31-3 | スリランカ | 1990年05月31日 | 1990年代 | 警察,中央州のJVPの訓練キャンプを急襲,少なくとも15人のゲリラを殺害。 |
DIA-305-1990-05-31-4 | スリランカ | 1990年05月31日 | 1990年代 | ADB,7430万ドルの借款供与を承認。 |
DIA-305-1990-05-31-5 | スリランカ | 1990年05月31日 | 1990年代 | 新田日本大使と大蔵次官の間で,日ス友好橋第2期援助8億700万円の供与公文書交換が行なわれた。 |
DIA-305-1990-06-01-1 | スリランカ | 1990年06月01日 | 1990年代 | 大統領とLTTE代表団,コロンボで会談し,解決を強調。 |
DIA-305-1990-06-01-2 | スリランカ | 1990年06月01日 | 1990年代 | AI,LTTEのテロ活動を非難。 |
DIA-305-1990-06-02-1 | スリランカ | 1990年06月02日 | 1990年代 | 情報筋,EPRLFのペルーマルがバティカロア選挙区に立候補する可能性を示唆。 |
DIA-305-1990-06-02-2 | スリランカ | 1990年06月02日 | 1990年代 | LTTE,20人のインド人漁民をジャフナ沖で拿捕。 |
DIA-305-1990-06-03-1 | スリランカ | 1990年06月03日 | 1990年代 | 法相,LTTEの代表団と会談。 |
DIA-305-1990-06-04-1 | スリランカ | 1990年06月04日 | 1990年代 | 政府とLTTE,バティカロアで会談。 |
DIA-305-1990-06-04-2 | スリランカ | 1990年06月04日 | 1990年代 | 最高裁判事,EPRLFペルーマルに反乱陰謀で新たに逮捕令状を申請。 |
DIA-305-1990-06-05-1 | スリランカ | 1990年06月05日 | 1990年代 | 運輸相,バス公社の民営化・株式の公開でサービス改善・赤字解消を約束。 |
DIA-305-1990-06-06-1 | スリランカ | 1990年06月06日 | 1990年代 | 国防副相,州議会法・関連法を改正,大統領に北・東部州議会解散権を与えることを検討中と表明。 |
DIA-305-1990-06-06-2 | スリランカ | 1990年06月06日 | 1990年代 | スウェーデン,4億2000万ルピー贈与に調印。 |
DIA-305-1990-06-07-1 | スリランカ | 1990年06月07日 | 1990年代 | 政府軍とLTTE,バブニヤで衝突,13カ月続いた停戦が破られた。 |
DIA-305-1990-06-08-1 | スリランカ | 1990年06月08日 | 1990年代 | 野党系5労働組合,バス公社民営化反対を表明。 |
DIA-305-1990-06-08-2 | スリランカ | 1990年06月08日 | 1990年代 | LTTE,治安軍の休戦協定破棄を非難。 |
DIA-305-1990-06-08-3 | スリランカ | 1990年06月08日 | 1990年代 | EPRLF,北・東部州議会解散法案の最高裁提訴を決定。 |
DIA-305-1990-06-08-4 | スリランカ | 1990年06月08日 | 1990年代 | 米国,4プロジェクトへの5億ルピー援助に調印。 |
DIA-305-1990-06-09-1 | スリランカ | 1990年06月09日 | 1990年代 | 大統領,生産拡大・商品作物増産によるインフレ克服を主旨とする経済方針を表明。 |
DIA-305-1990-06-10-1 | スリランカ | 1990年06月10日 | 1990年代 | インド政府,タミルナド州でのタミル人集会を禁止。 |
DIA-305-1990-06-10-2 | スリランカ | 1990年06月10日 | 1990年代 | AI,9月にコロンボ事務所を閉鎖すると発表。 |
DIA-305-1990-06-11-1 | スリランカ | 1990年06月11日 | 1990年代 | 東部カルムナイでLTTE10人が兵士殺害・警察署襲撃。 |
DIA-305-1990-06-11-2 | スリランカ | 1990年06月11日 | 1990年代 | EPRLF,ペルーマルに国会議席を割当て。 |
DIA-305-1990-06-12-1 | スリランカ | 1990年06月12日 | 1990年代 | 法相,LTTEとジャフナで交渉し,13日正午より休戦に合意。 |
DIA-305-1990-06-12-2 | スリランカ | 1990年06月12日 | 1990年代 | LTTE,バティカロアで汽車を止め,シンハラ人24人を連行。アンパラでも衝突。 |
DIA-305-1990-06-12-3 | スリランカ | 1990年06月12日 | 1990年代 | TELO(タミルイーラム解放組織),LTTEを非難。 |
DIA-305-1990-06-12-4 | スリランカ | 1990年06月12日 | 1990年代 | 政府,陸・海・空軍・東部州警察に対しLTTEに報復的措置をとるよう命じた。 |
DIA-305-1990-06-13-1 | スリランカ | 1990年06月13日 | 1990年代 | 12日合意の休戦,破棄される。 |
DIA-305-1990-06-13-2 | スリランカ | 1990年06月13日 | 1990年代 | 政府,東部に特別部隊3000人を派遣。 |
DIA-305-1990-06-13-3 | スリランカ | 1990年06月13日 | 1990年代 | LTTE,東部から連行した警官100人以上を殺害したと報じられる。 |
DIA-305-1990-06-13-4 | スリランカ | 1990年06月13日 | 1990年代 | 非公式筋によるとLTTE200人死亡。 |
DIA-305-1990-06-14-1 | スリランカ | 1990年06月14日 | 1990年代 | 内戦,北部にも拡大。 |
DIA-305-1990-06-14-2 | スリランカ | 1990年06月14日 | 1990年代 | カルパゲ駐印大使,タミルナド州首相と会見。 |
DIA-305-1990-06-14-3 | スリランカ | 1990年06月14日 | 1990年代 | LTTE,シンハラ人居住区に攻撃を命令。 |
DIA-305-1990-06-15-1 | スリランカ | 1990年06月15日 | 1990年代 | 法相,ジャフナでLTTEと交渉,16日午後6時より休戦に合意。 |
DIA-305-1990-06-15-2 | スリランカ | 1990年06月15日 | 1990年代 | スリランカ・アラブ協会,イスラエルがLTTEに武器を密輸していたと非難。 |
DIA-305-1990-06-16-1 | スリランカ | 1990年06月16日 | 1990年代 | タミルナド州首相,インド首相と会談。 |
DIA-305-1990-06-16-2 | スリランカ | 1990年06月16日 | 1990年代 | EPRLF,政府にLTTEとの交渉を望む。 |
DIA-305-1990-06-16-3 | スリランカ | 1990年06月16日 | 1990年代 | 15日合意の休戦協定,破棄される。 |
DIA-305-1990-06-16-4 | スリランカ | 1990年06月16日 | 1990年代 | 政府,11日以来の死者,LTTE135人,政府軍35人と発表。 |
DIA-305-1990-06-16-5 | スリランカ | 1990年06月16日 | 1990年代 | カルパゲ駐印大使,インド外相と会談。インド外相,インドの不介入を約束。 |
DIA-305-1990-06-16-6 | スリランカ | 1990年06月16日 | 1990年代 | 大統領,LTTEにJVPのような運命になると忠告。 |
DIA-305-1990-06-17-1 | スリランカ | 1990年06月17日 | 1990年代 | アムパラ難民キャンプにイスラム教徒1万3000人流入。 |
DIA-305-1990-06-17-2 | スリランカ | 1990年06月17日 | 1990年代 | LTTE,政府による休戦協定破棄を非難。 |
DIA-305-1990-06-18-1 | スリランカ | 1990年06月18日 | 1990年代 | 国会で国防追加予算50億ルピー可決。 |
DIA-305-1990-06-18-2 | スリランカ | 1990年06月18日 | 1990年代 | 国会,非常事態規則延長を121対1で可決(SLEP,MEP,LSSPは棄権)。 |
DIA-305-1990-06-19-1 | スリランカ | 1990年06月19日 | 1990年代 | EPRLF書記長パドマナバ,ヨサンガリ議員ら15人,マドラスでLTTEらしきテロに殺害される。 |
DIA-305-1990-06-20-1 | スリランカ | 1990年06月20日 | 1990年代 | インド政府,スリランカの内戦中止を要望。 |
DIA-305-1990-06-20-2 | スリランカ | 1990年06月20日 | 1990年代 | TELO,TULF,ACML,政府に協力を表明。 |
DIA-305-1990-06-21-1 | スリランカ | 1990年06月21日 | 1990年代 | 国防副相,LTTEのプラバカラン死亡を語る。 |
DIA-305-1990-06-21-2 | スリランカ | 1990年06月21日 | 1990年代 | インド野党,LTTE支援を理由にタミルナド州首相の辞任を要求。 |
DIA-305-1990-06-22-1 | スリランカ | 1990年06月22日 | 1990年代 | 国防副相,外交団に国内の現状説明。経済的,道義的援助を要請。 |
DIA-305-1990-06-22-2 | スリランカ | 1990年06月22日 | 1990年代 | モルディブ政府,90年SAARCサミットは9月コロンボ,11月マレの2回開催を提案。 |
DIA-305-1990-06-22-3 | スリランカ | 1990年06月22日 | 1990年代 | 非公式の報道によると,11日以来の戦闘で700人のLTTE,135人の政府軍兵士が死亡。 |
DIA-305-1990-06-23-1 | スリランカ | 1990年06月23日 | 1990年代 | 大統領,LTTEに協議か対決かの選択を迫る。 |
DIA-305-1990-06-23-2 | スリランカ | 1990年06月23日 | 1990年代 | 政府,90難民キャンプに少なくとも21万8670人が避難していると発表。 |
DIA-305-1990-06-24-1 | スリランカ | 1990年06月24日 | 1990年代 | ジャフナ病院閉鎖。 |
DIA-305-1990-06-24-2 | スリランカ | 1990年06月24日 | 1990年代 | 軍,ジャフナ要塞の兵士200人に食料など物資投下。 |
DIA-305-1990-06-25-1 | スリランカ | 1990年06月25日 | 1990年代 | 空軍,ジャフナ要塞付近で一般市民に向けて退去勧告のビラを散布。 |
DIA-305-1990-06-25-2 | スリランカ | 1990年06月25日 | 1990年代 | 政府軍,25日から4日間ジャフナ要塞奪回のため空爆。 |
DIA-305-1990-06-25-3 | スリランカ | 1990年06月25日 | 1990年代 | 国防次官,死亡者数発表。LTTE275人,政府132人,負傷200人。 |
DIA-305-1990-06-25-4 | スリランカ | 1990年06月25日 | 1990年代 | 大統領演説,北・東部州議会の解散,新選挙の動向は北部の状況次第,国民投票は91年まで延長される。 |
DIA-305-1990-06-25-5 | スリランカ | 1990年06月25日 | 1990年代 | 政府軍,バカィカロア解放,地雷撤去。 |
DIA-305-1990-06-26-1 | スリランカ | 1990年06月26日 | 1990年代 | タミルナド州,州内でのスリランカ・タミル人の運動を制限。 |
DIA-305-1990-06-26-2 | スリランカ | 1990年06月26日 | 1990年代 | TELO,インド首相に介入を要請。 |
DIA-305-1990-06-26-3 | スリランカ | 1990年06月26日 | 1990年代 | タミルナド州首相,インド首相と会見。スリランカ内戦に介入を要請。 |
DIA-305-1990-06-27-1 | スリランカ | 1990年06月27日 | 1990年代 | 大統領,LTTEに対話を呼びかけ。 |
DIA-305-1990-06-27-2 | スリランカ | 1990年06月27日 | 1990年代 | タミルナド州首相,LTTEに医療援助を申し入れ。 |
DIA-305-1990-06-28-1 | スリランカ | 1990年06月28日 | 1990年代 | 国防副相,インドの不干渉に感謝,タミルナド州首相の親LTTE発言を批判。 |
DIA-305-1990-06-28-2 | スリランカ | 1990年06月28日 | 1990年代 | タミルナド州首相,インド首相にスリランカ政府のタミル人攻撃を中止させるよう要請。 |
DIA-305-1990-06-28-3 | スリランカ | 1990年06月28日 | 1990年代 | 基本サービス委員会委員長,難民10万世帯,40万人と発表,窮状を訴える。 |
DIA-305-1990-06-28-4 | スリランカ | 1990年06月28日 | 1990年代 | Uppuveliで14人の警官の銃殺死体が発見される。いまだに600人の警官が行方不明。 |
DIA-305-1990-06-28-5 | スリランカ | 1990年06月28日 | 1990年代 | インド政府,空軍のジャフナ空爆との関連で公式にスリランカの対タミル掃討に対する重大関心を表明。 |
DIA-305-1990-06-29-1 | スリランカ | 1990年06月29日 | 1990年代 | 政府,バティカロアに外出禁止令を出す。 |
DIA-305-1990-06-29-2 | スリランカ | 1990年06月29日 | 1990年代 | 外務次官,90年SAARCサミットのモルディブ開催に同意。 |
DIA-305-1990-06-29-3 | スリランカ | 1990年06月29日 | 1990年代 | TELO,タミルナド州首相のLTTE支持を非難。 |
DIA-305-1990-06-29-4 | スリランカ | 1990年06月29日 | 1990年代 | 日本,4プロジェクトに8億5200万ルピー援助。 |
DIA-305-1990-06-29-5 | スリランカ | 1990年06月29日 | 1990年代 | EPRLFの新書記長にK・プレマチャンドラン任命。 |
DIA-305-1990-06-29-6 | スリランカ | 1990年06月29日 | 1990年代 | インド政府,スリランカ政府にタミル人殺害を止めるよう要請。 |
DIA-305-1990-06-29-7 | スリランカ | 1990年06月29日 | 1990年代 | 米国,環境プロジェクトに対する4億8000万ルピー援助協定に調印。 |
DIA-305-1990-07-01-1 | スリランカ | 1990年07月01日 | 1990年代 | プ大統領,人道主義サービス調整委員会の設立を命令。 |
DIA-305-1990-07-02-1 | スリランカ | 1990年07月02日 | 1990年代 | 国防副相,北・東部州陸軍キャンプ周辺の住民に立ち退き要請。 |
DIA-305-1990-07-02-2 | スリランカ | 1990年07月02日 | 1990年代 | インド政府,訪印中に大統領特使ティラカラトナ外務次官に北・東部への介入はしないと約束。 |
DIA-305-1990-07-02-3 | スリランカ | 1990年07月02日 | 1990年代 | 政府,正しい国内情勢を伝えるために全政党代表団をSAARC諸国に派遣すると決定。 |
DIA-305-1990-07-03-1 | スリランカ | 1990年07月03日 | 1990年代 | 日本政府,ユニセフを通じて医療設備・医薬品50万ドル緊急援助を発表。 |
DIA-305-1990-07-04-1 | スリランカ | 1990年07月04日 | 1990年代 | 陸・海・空軍,ムトワルで合同作戦開始。LTTEによって21日間包囲されていたジャフナ要塞から重傷の兵士たちを救出。 |
DIA-305-1990-07-04-2 | スリランカ | 1990年07月04日 | 1990年代 | 東・南部から北部に3500人のタミル人難民が押し寄せている。 |
DIA-305-1990-07-05-1 | スリランカ | 1990年07月05日 | 1990年代 | 中央銀行,公定歩合を14%から15%に引き上げ。 |
DIA-305-1990-07-06-1 | スリランカ | 1990年07月06日 | 1990年代 | 穏健派TULF(タミル統一解放戦線),国連または英連邦仲介による休戦を主張。 |
DIA-305-1990-07-06-2 | スリランカ | 1990年07月06日 | 1990年代 | 国会,北・東部州議会の解散・新選挙と州議会法改正を可決。 |
DIA-305-1990-07-07-1 | スリランカ | 1990年07月07日 | 1990年代 | 大統領,北・東部州議会の解散を公布。8月11日までに選挙登録が行なわれ,その3週間以内に選挙がなされる予定。 |
DIA-305-1990-07-08-1 | スリランカ | 1990年07月08日 | 1990年代 | 大統領,LTTEに対して憲法の範囲内であるならば分権の用意もあると発言。 |
DIA-305-1990-07-09-1 | スリランカ | 1990年07月09日 | 1990年代 | 軍筋によれば北・東部戦闘でタミルゲリラ78人,軍人10人死亡,最近1カ月間の死者342人,負傷者412人。 |
DIA-305-1990-07-09-2 | スリランカ | 1990年07月09日 | 1990年代 | タミル難民3624人タミルナド州のラメスワラム港に到着,さらに1万人がスリランカで待機中。 |
DIA-305-1990-07-10-1 | スリランカ | 1990年07月10日 | 1990年代 | 西ドイツ,スリランカ北・東部への緊急援助・医薬品購入用に20万マルク供与。 |
DIA-305-1990-07-11-1 | スリランカ | 1990年07月11日 | 1990年代 | 国防省,コロンボから12台のトラックに米・砂糖・小麦粉・ミルクなどの食料品を積んで北・東部州へ出発と発表。 |
DIA-305-1990-07-11-2 | スリランカ | 1990年07月11日 | 1990年代 | インドのラジオによるとスリランカで抗争が始まって以来,1万5200人のタミル人がタミルナド州に漂着。 |
DIA-305-1990-07-11-3 | スリランカ | 1990年07月11日 | 1990年代 | EROS,停戦とLTTEとの対話について法相と会談。 |
DIA-305-1990-07-11-4 | スリランカ | 1990年07月11日 | 1990年代 | ADB借款,7430万ドルの地方電化計画に技術援助供与文書調印。 |
DIA-305-1990-07-12-1 | スリランカ | 1990年07月12日 | 1990年代 | イギリス,サマラウエワ水力発電プロジェクトに250万ポンド追加贈与に調印。 |
DIA-305-1990-07-12-2 | スリランカ | 1990年07月12日 | 1990年代 | 政府,非常事態を考慮し,北・東部州議会選挙候補者選挙登録を延期。 |
DIA-305-1990-07-12-3 | スリランカ | 1990年07月12日 | 1990年代 | ENDLF代表団,SLFP総裁と会談。 |
DIA-305-1990-07-12-4 | スリランカ | 1990年07月12日 | 1990年代 | 国防省,6月11日以来の戦闘で342人の警察官・兵士が死亡,412人が負傷したと発表。 |
DIA-305-1990-07-13-1 | スリランカ | 1990年07月13日 | 1990年代 | GCECの新政策を発表,25%以上の外資も認める。 |
DIA-305-1990-07-13-2 | スリランカ | 1990年07月13日 | 1990年代 | 76人のイスラム教徒がバティカロア付近のカッタンクディのモスクで殺害された。 |
DIA-305-1990-07-14-1 | スリランカ | 1990年07月14日 | 1990年代 | コッペカドワ少将,軍事的成果を挙げても最終的に政治的解決以外の方法はないと発言。 |
DIA-305-1990-07-14-2 | スリランカ | 1990年07月14日 | 1990年代 | クウェート・ビザ発行局,スリランカ外国雇用局に対してスリランカ人男性のビザ発行を停止すると通告。 |
DIA-305-1990-07-14-3 | スリランカ | 1990年07月14日 | 1990年代 | 大統領,輸出開発戦略で90年度の経済成長の5%達成に自信を示した。 |
DIA-305-1990-07-14-4 | スリランカ | 1990年07月14日 | 1990年代 | インド政府,スリランカ北・東部で継続中の戦闘に関心を示す(6月11日以来3度目)。 |
DIA-305-1990-07-15-1 | スリランカ | 1990年07月15日 | 1990年代 | 国防副相,政府軍が北部のテロリスト掃討作戦を開始と発表。 |
DIA-305-1990-07-16-1 | スリランカ | 1990年07月16日 | 1990年代 | 政府,ICRC(赤十字国際委員会)と地位協定に調印。 |
DIA-305-1990-07-17-1 | スリランカ | 1990年07月17日 | 1990年代 | 大統領,戦いはタミル人社会を敵とするものでなく正義・公正のためのものと述べる。 |
DIA-305-1990-07-17-2 | スリランカ | 1990年07月17日 | 1990年代 | 豪州高等弁務官事務所,医療関連援助20万オーストラリアドル供与を発表。 |
DIA-305-1990-07-17-3 | スリランカ | 1990年07月17日 | 1990年代 | プッタラム・チラウの2町給水計画は中国の協力によって行なわれる。総工費3億8200万ルピーのうち2億9200万ルピーを中国が供与。 |
DIA-305-1990-07-18-1 | スリランカ | 1990年07月18日 | 1990年代 | 国防副相,6月以降の政府軍・警察の死亡者は440人と発表。 |
DIA-305-1990-07-19-1 | スリランカ | 1990年07月19日 | 1990年代 | 政府,印・ス国会議員定期協議開催に合意。 |
DIA-305-1990-07-19-2 | スリランカ | 1990年07月19日 | 1990年代 | 国会,非常事態延長を117対1で可決。 |
DIA-305-1990-07-19-3 | スリランカ | 1990年07月19日 | 1990年代 | 国家開発銀行総裁,政府が世銀とADBに60億ルピーの工業開発援助を要請したと発表。 |
DIA-305-1990-07-19-4 | スリランカ | 1990年07月19日 | 1990年代 | TELOの広報によれば,SLFPは近々全てのタミルグループと話し合いをする,とシリマボがTELOの代表者に語ったという。 |
DIA-305-1990-07-20-1 | スリランカ | 1990年07月20日 | 1990年代 | LTTE,エレファント・パスを爆破。 |
DIA-305-1990-07-21-1 | スリランカ | 1990年07月21日 | 1990年代 | インド,ランカへの軍隊派遣を否定。但しタミル人難民キャンプ設置でランカ政府と話し合う意向を示した。 |
DIA-305-1990-07-21-2 | スリランカ | 1990年07月21日 | 1990年代 | 6タミルグループ,コロンボに集結。北・東部州議会解散後の政治的空白について話し合い。 |
DIA-305-1990-07-21-3 | スリランカ | 1990年07月21日 | 1990年代 | 6月10日,11日に東部で誘拐されたと見られる200人の警察官の焼死体が発見された。 |
DIA-305-1990-07-23-1 | スリランカ | 1990年07月23日 | 1990年代 | SLTB,全面民営化政策を転換。 |
DIA-305-1990-07-23-2 | スリランカ | 1990年07月23日 | 1990年代 | 親善訪ス中のアブ・ハジラPLO副外相,アラファトPLO議長の年内ランカ訪問を約束。 |
DIA-305-1990-07-23-3 | スリランカ | 1990年07月23日 | 1990年代 | 国防副相が外交団に語ったところによると治安部隊はその重点を東部から北部に移す。 |
DIA-305-1990-07-24-1 | スリランカ | 1990年07月24日 | 1990年代 | EPDP,EDP(EROSの政治団体)の国会議員辞任を表明。 |
DIA-305-1990-07-24-2 | スリランカ | 1990年07月24日 | 1990年代 | 訪日中のヘーラット外相,海部首相にスリランカの現状を訴えた。 |
DIA-305-1990-07-24-3 | スリランカ | 1990年07月24日 | 1990年代 | インド前首相,DMKとL,TTEが共同してパンジャブ州のテロに武器を供与していたと暴露。 |
DIA-305-1990-07-24-4 | スリランカ | 1990年07月24日 | 1990年代 | 政府,米国と1000万ドル相当7.4トンの小麦粉の援助協定に調印。売却代金は北東部復興資金に充当。 |
DIA-305-1990-07-25-1 | スリランカ | 1990年07月25日 | 1990年代 | 日本の中山外相,ヘーラット外相に91年初め高級経済代表団を訪スさせ,経済援助増大についての討議を行なうと述べた。 |
DIA-305-1990-07-25-2 | スリランカ | 1990年07月25日 | 1990年代 | 政府,ハウスメイドのクウェートへの出国を8月1日以降禁止決定。 |
DIA-305-1990-07-25-3 | スリランカ | 1990年07月25日 | 1990年代 | ユニセフ,北・東部に240万ルピー相当の医薬品・設備を供与。 |
DIA-305-1990-07-26-1 | スリランカ | 1990年07月26日 | 1990年代 | 政府治安軍,ジャフナ攻撃態勢を整え48時間以内に出動と決定。 |
DIA-305-1990-07-26-2 | スリランカ | 1990年07月26日 | 1990年代 | 在スイスのタミル人難民,スイス社会の人種差別に抗議し,3日間のハンストを開始。 |
DIA-305-1990-07-26-3 | スリランカ | 1990年07月26日 | 1990年代 | 政府,LTTEの停戦申し入れを拒否したと発表。 |
DIA-305-1990-07-26-4 | スリランカ | 1990年07月26日 | 1990年代 | 政府とタミル政党,反LTTEの共同戦線を設置。 |
DIA-305-1990-07-27-1 | スリランカ | 1990年07月27日 | 1990年代 | GCE,上級試験は8月10日から実施と発表。 |
DIA-305-1990-07-28-1 | スリランカ | 1990年07月28日 | 1990年代 | ヘーラット外相,クアラルンプールでマハティール・マレーシア首相と会談。 |
DIA-305-1990-07-30-1 | スリランカ | 1990年07月30日 | 1990年代 | 再建復興省,最近8週間の戦闘で家を失ったものは61万8000人と発表。 |
DIA-305-1990-07-30-2 | スリランカ | 1990年07月30日 | 1990年代 | インドのラジオによるとこの一カ月の間に4万8000人のスリランカ・タミル難民がインドに到着した。 |
DIA-305-1990-07-31-1 | スリランカ | 1990年07月31日 | 1990年代 | EC,ジャナサビヤ事業に2億5000万ルピー贈与を決定。 |
DIA-305-1990-07-31-2 | スリランカ | 1990年07月31日 | 1990年代 | 情報筋によると,南部でJVPの反政府活動が再燃。 |
DIA-305-1990-08-01-1 | スリランカ | 1990年08月01日 | 1990年代 | APC,15政党に権限の委譲など7項目について意見の提出を求めた。17日が提出期限。 |
DIA-305-1990-08-02-1 | スリランカ | 1990年08月02日 | 1990年代 | (Hindu紙)LTTE,分権成就まで戦うとの書記長発言を報道。 |
DIA-305-1990-08-02-2 | スリランカ | 1990年08月02日 | 1990年代 | 国防副相,中東訪問,LTTEとの戦闘に向けて援助を要請(4日帰国)。 |
DIA-305-1990-08-02-3 | スリランカ | 1990年08月02日 | 1990年代 | アマラトンガ外務担当国務相,クウェート在のランカ人は安全と発表。 |
DIA-305-1990-08-02-4 | スリランカ | 1990年08月02日 | 1990年代 | 政府,LTTEにICRCを通してジャフナに非武装地帯の設置を提案。 |
DIA-305-1990-08-03-1 | スリランカ | 1990年08月03日 | 1990年代 | LTTE,カタンクディのイスラム寺院を襲撃。ムスリム116人死亡,90人が重傷。 |
DIA-305-1990-08-04-1 | スリランカ | 1990年08月04日 | 1990年代 | LTTE,カタンクディ地区のムスリム4万5000人に8月10日までに立退を命ずる最後通牒を提示。 |
DIA-305-1990-08-04-2 | スリランカ | 1990年08月04日 | 1990年代 | SLFP,MEPなど17野党はLTTEのムスリム大量虐殺を共同非難。 |
DIA-305-1990-08-05-1 | スリランカ | 1990年08月05日 | 1990年代 | クウェートで犯罪入獄中の125人のランカ人がイラク軍により釈放さる。 |
DIA-305-1990-08-06-1 | スリランカ | 1990年08月06日 | 1990年代 | バラシンガムLTTE政治顧問,インドの外交的介入を要請(6月11日より3回目)。 |
DIA-305-1990-08-06-2 | スリランカ | 1990年08月06日 | 1990年代 | 国連,対イラク経済制裁を決定。 |
DIA-305-1990-08-07-1 | スリランカ | 1990年08月07日 | 1990年代 | M・H・モハメド国会議長,7月23日付けでEDF議員10名の辞表を受理していたことを明らかにした。 |
DIA-305-1990-08-07-2 | スリランカ | 1990年08月07日 | 1990年代 | 国防副相,東部でのテロ対策強化を言明。 |
DIA-305-1990-08-07-3 | スリランカ | 1990年08月07日 | 1990年代 | 外相,政府はLTTEとの戦闘のために外国の軍事援助は求めないと国会答弁。 |
DIA-305-1990-08-07-4 | スリランカ | 1990年08月07日 | 1990年代 | LTTE,インドの外交的介入を要請。 |
DIA-305-1990-08-08-1 | スリランカ | 1990年08月08日 | 1990年代 | 環境・政策企画実施相,内戦支出のため国家予算における当初赤字の510億ルピーは531億9800万ルピーに拡大と語る。 |
DIA-305-1990-08-08-2 | スリランカ | 1990年08月08日 | 1990年代 | 外務省,イラク政府がクウェート在住のスリランカ人約10万人の無事を保証したと声明。 |
DIA-305-1990-08-09-1 | スリランカ | 1990年08月09日 | 1990年代 | タミル6党,SLFPのシリマ総裁と会見。 |
DIA-305-1990-08-09-2 | スリランカ | 1990年08月09日 | 1990年代 | 国防副相,LTTEと戦闘中の今,ジャフナ要塞周辺に非武装地帯の設置案はないと表明。 |
DIA-305-1990-08-09-3 | スリランカ | 1990年08月09日 | 1990年代 | 防衛次官,8月2日から8日までの6日間で204人の民間人が内戦で死亡したと発表。 |
DIA-305-1990-08-10-1 | スリランカ | 1990年08月10日 | 1990年代 | 政府,ジャフナ進攻を宣言,住民10万人に避難を命じた。トリンコマリーにも外出禁止令発令。 |
DIA-305-1990-08-10-2 | スリランカ | 1990年08月10日 | 1990年代 | タミルナド州首相,6月以来インドに流入した難民は6万4000人と語る。 |
DIA-305-1990-08-10-3 | スリランカ | 1990年08月10日 | 1990年代 | ジャナサビアの第2ラウンド12月3日に開始と発表。 |
DIA-305-1990-08-11-1 | スリランカ | 1990年08月11日 | 1990年代 | LTTE,Eravurのモスクを襲撃。127人のムスリムを殺害。 |
DIA-305-1990-08-12-1 | スリランカ | 1990年08月12日 | 1990年代 | TELOによるとバティカロア県で少なくとも50人のタミル人が襲撃された。 |
DIA-305-1990-08-13-1 | スリランカ | 1990年08月13日 | 1990年代 | 治安筋,アム・バヴニヤ・トリンコマリー地区でシンハラ村民24人が殺害されたと発表。 |
DIA-305-1990-08-14-1 | スリランカ | 1990年08月14日 | 1990年代 | エネルギー相,石油製品価格の値上げを発表。 |
DIA-305-1990-08-14-2 | スリランカ | 1990年08月14日 | 1990年代 | 大統領,インド独立記念日を前にインドのランカ内政不介入政策に感謝を表明。 |
DIA-305-1990-08-14-3 | スリランカ | 1990年08月14日 | 1990年代 | 大統領,5タミル政党の代表者と会見。コミュニティ間の協力を強調。 |
DIA-305-1990-08-14-4 | スリランカ | 1990年08月14日 | 1990年代 | ウヴァ高地産の紅茶が最高値を記録。 |
DIA-305-1990-08-15-1 | スリランカ | 1990年08月15日 | 1990年代 | タミルナド州首相,インド中央政府に和平への介入を求める。 |
DIA-305-1990-08-16-1 | スリランカ | 1990年08月16日 | 1990年代 | 国防副相,紛争は人種的なものではない,スリランカ政府はインドの介入を望まないと表明。同時にタミルナド州がLTTEに武器援助していると非難。 |
DIA-305-1990-08-16-2 | スリランカ | 1990年08月16日 | 1990年代 | SLEP,LSSP,CP(M),DJVP,BNPが新政治戦線を結成し,新党承認を申請中。 |
DIA-305-1990-08-16-3 | スリランカ | 1990年08月16日 | 1990年代 | 国防次官,6月11日~8月15日で警察・治安軍の死者630人,民間人682人,負傷者は警察・兵士817人,行方不明者352人と発表。 |
DIA-305-1990-08-17-1 | スリランカ | 1990年08月17日 | 1990年代 | インド首相,南インドのスリランカ難民に深い関心を表明。難民キャンプに資金援助を用意と表明。 |
DIA-305-1990-08-18-1 | スリランカ | 1990年08月18日 | 1990年代 | 外国雇用局,就職斡旋業者にイラク・クウェート在住ランカ人労働者を他のアラブ諸国に振替要請。 |
DIA-305-1990-08-18-2 | スリランカ | 1990年08月18日 | 1990年代 | 人民銀行,農園労働低所得者層の救済ローン計画に着手。 |
DIA-305-1990-08-18-3 | スリランカ | 1990年08月18日 | 1990年代 | 消息筋によれば,現在非課税の大臣・国会議員・公務員所得は近く行なわれる税制改革で課税の対象となる。 |
DIA-305-1990-08-19-1 | スリランカ | 1990年08月19日 | 1990年代 | インドのラジブ・ガンディー前首相,訪印中のランカ国会代表団にインドの非合法武器市場からLTTEに武器が運ばれていると語る。 |
DIA-305-1990-08-20-1 | スリランカ | 1990年08月20日 | 1990年代 | 政府軍,ジャフナ空爆。 |
DIA-305-1990-08-20-2 | スリランカ | 1990年08月20日 | 1990年代 | 中銀,為替レートに新システムを導入。為替レートは午前9時と午後3時の間で変動。 |
DIA-305-1990-08-20-3 | スリランカ | 1990年08月20日 | 1990年代 | モルディブ政府,SAARC首脳会議は11月19日~12日にマレで開催と発表。 |
DIA-305-1990-08-21-1 | スリランカ | 1990年08月21日 | 1990年代 | インド首相,ランカ政府のジャフナ空爆に重大関心を示す。 |
DIA-305-1990-08-21-2 | スリランカ | 1990年08月21日 | 1990年代 | 新結成の野党戦線初会合(→8/16)。 |
DIA-305-1990-08-21-3 | スリランカ | 1990年08月21日 | 1990年代 | 大蔵・政策・企画実施次官,記者会見でルピー切り下げはないと言明。政府は景気落込みを認め,外国援助とIMF援助の拡大を要請する考えがあると述べた。 |
DIA-305-1990-08-22-1 | スリランカ | 1990年08月22日 | 1990年代 | 米国,医療援助50万ドル(2000万ルピー)を贈与。 |
DIA-305-1990-08-22-2 | スリランカ | 1990年08月22日 | 1990年代 | 政府軍,ジャフナ地区に退去勧告のビラを投下,無期限外出禁止令発令。猛攻撃を開始。 |
DIA-305-1990-08-22-3 | スリランカ | 1990年08月22日 | 1990年代 | 湾岸危機でロンドンの紅茶価格下落,スリランカ・インド・ケニヤなど生産国に影響。 |
DIA-305-1990-08-22-4 | スリランカ | 1990年08月22日 | 1990年代 | 労働次官,中東出稼労働者からの送金減と貿易停滞で90年度歳入欠損はかなりのものと発言。 |
DIA-305-1990-08-23-1 | スリランカ | 1990年08月23日 | 1990年代 | 国会,国防副相がタミルゲリラを全包囲して爆撃することを約束した後,116:68で非常事態規則の1カ月延長を可決(SLMC,TULFは不参加)。 |
DIA-305-1990-08-23-2 | スリランカ | 1990年08月23日 | 1990年代 | SLTB,石油製品値上げに伴い26日からバス運賃をキロ当たり平均10セント引き上ずると発表。 |
DIA-305-1990-08-23-3 | スリランカ | 1990年08月23日 | 1990年代 | ジャフナのコパイで外出禁止令違反の150人のLTTEが空爆により死亡。 |
DIA-305-1990-08-24-1 | スリランカ | 1990年08月24日 | 1990年代 | インド首相,ジャフナ攻撃を激しく非難。 |
DIA-305-1990-08-24-2 | スリランカ | 1990年08月24日 | 1990年代 | 外務省,中東引き揚げランカ人向けのエア・ランカ料金を半減すると発表。 |
DIA-305-1990-08-24-3 | スリランカ | 1990年08月24日 | 1990年代 | 軍,ジャフナ要塞奪回作戦開始。 |
DIA-305-1990-08-25-1 | スリランカ | 1990年08月25日 | 1990年代 | 6野党,政府軍のジャフナ空撃により民間人が多数死亡したと非難。 |
DIA-305-1990-08-27-1 | スリランカ | 1990年08月27日 | 1990年代 | タミルナド州首相,インドはランカ・タミル人とランカ政府の和平交渉の中立的保証人たれと主張。 |
DIA-305-1990-08-27-2 | スリランカ | 1990年08月27日 | 1990年代 | インド政府,インドへのスリランカ難民は8万7000人と発表。インド首相,国会でランカ北部でのLTTE攻撃で一般市民が犠牲になっていると強い関心を示した。 |
DIA-305-1990-08-27-3 | スリランカ | 1990年08月27日 | 1990年代 | リヤドから119人がエア・ランカで帰国。 |
DIA-305-1990-08-27-4 | スリランカ | 1990年08月27日 | 1990年代 | 軍,ジャフナ要塞からヘリコプターで重傷者を救出。 |
DIA-305-1990-08-28-1 | スリランカ | 1990年08月28日 | 1990年代 | 民間バス運輸協会,料金据置を発表。 |
DIA-305-1990-08-29-1 | スリランカ | 1990年08月29日 | 1990年代 | LTTE,ムライティブの陸軍キャンプを襲撃。 |
DIA-305-1990-08-29-2 | スリランカ | 1990年08月29日 | 1990年代 | 米国防総省,医薬品以外を積んでいたイラン向けのランカ貨物船を中東海域で米海軍が臨検と発表。 |
DIA-305-1990-08-30-1 | スリランカ | 1990年08月30日 | 1990年代 | 外相,デクエヤル国連事務総長宛てに書簡で対イラク経済制裁履行はランカに経済困難をもたらすと主張。 |
DIA-305-1990-08-30-2 | スリランカ | 1990年08月30日 | 1990年代 | 政府,91年度政府支出金,1390億ルピー(670億ルピー赤字)予算を承認。 |
DIA-305-1990-08-30-3 | スリランカ | 1990年08月30日 | 1990年代 | 国防副相,対イラク紅茶輸出の件で国連安全保障理事会の拒否にあったと語る。 |
DIA-305-1990-09-01-1 | スリランカ | 1990年09月01日 | 1990年代 | ムライティブ・マンナール・バヴニヤ県に無期限外出禁止令。 |
DIA-305-1990-09-01-2 | スリランカ | 1990年09月01日 | 1990年代 | ハミード法相,北・東部の対立にかかわりなくLTTEゲリラと政府はいつでも交渉する用意があると語る。 |
DIA-305-1990-09-02-1 | スリランカ | 1990年09月02日 | 1990年代 | ENDLF,北・東部に臨時行政機関を設置するよう大統領に提案。 |
DIA-305-1990-09-03-1 | スリランカ | 1990年09月03日 | 1990年代 | シリマボSLEP総裁の率いる16政党の代表団,大統領に会見し,北・東部州の窮状を訴えた。 |
DIA-305-1990-09-03-2 | スリランカ | 1990年09月03日 | 1990年代 | 国防副相,政府公報で無差別攻撃の事実はない,90万の難民に1日3000万ルピー支出していると主張。 |
DIA-305-1990-09-04-1 | スリランカ | 1990年09月04日 | 1990年代 | スリランカ女性182人,IOM(国際移住機構)支援のヨルダン航空機で帰国。 |
DIA-305-1990-09-04-2 | スリランカ | 1990年09月04日 | 1990年代 | 国防省,LTTEがジャフナで徴税などの行政活動を行なっていると発表。 |
DIA-305-1990-09-05-1 | スリランカ | 1990年09月05日 | 1990年代 | 政府,国連の経済制裁に協力し,イラク・クウェートの銀行口座を凍結。 |
DIA-305-1990-09-05-2 | スリランカ | 1990年09月05日 | 1990年代 | ADB,コガラのEPZ(輸出加工区)への25万ドルの技術援助供与に同意。 |
DIA-305-1990-09-06-1 | スリランカ | 1990年09月06日 | 1990年代 | 全政党会議の代表委員会で憲法の基本的人権に関する章の修正草案について討議。 |
DIA-305-1990-09-07-1 | スリランカ | 1990年09月07日 | 1990年代 | 政府,6月11日以来の死者は警官・治安部隊合わせて585人,行方不明者458人,負傷者1010人と発表。 |
DIA-305-1990-09-07-2 | スリランカ | 1990年09月07日 | 1990年代 | SLEP,MEP,USAに組織された民衆が生計費上昇に不満を訴えてデモ活動,現政府総辞職を要求,国会が途中から休会となった。 |
DIA-305-1990-09-07-3 | スリランカ | 1990年09月07日 | 1990年代 | フェルナンド観光局長,湾岸危機により90年度,英国・ヨーロッパ関係観光収入は壊滅的と語る。 |
DIA-305-1990-09-08-1 | スリランカ | 1990年09月08日 | 1990年代 | セイロン石油公社,補助金が得られなければ石油製品価格をあげざるを得ないと発表,公務員へのガソリン割当50%削減を決定。 |
DIA-305-1990-09-09-1 | スリランカ | 1990年09月09日 | 1990年代 | バティカロアで連続爆破事件。 |
DIA-305-1990-09-10-1 | スリランカ | 1990年09月10日 | 1990年代 | ラリト高等教育相,ジャフナ要塞に包囲された兵士らを救出するには空爆するしか方法はないと語る。 |
DIA-305-1990-09-10-2 | スリランカ | 1990年09月10日 | 1990年代 | 政府筋によると,91年1月の州議会選挙の立候補届出受付を10月中旬に予定。 |
DIA-305-1990-09-10-3 | スリランカ | 1990年09月10日 | 1990年代 | オーストラリア高等弁務官事務所,豪州は中東難民の本国帰還に25万ドル提供と発表。 |
DIA-305-1990-09-11-1 | スリランカ | 1990年09月11日 | 1990年代 | プレマチャンドラ労働相,クウェートを訪問し,約5000人のスリランカ難民の現状を視察。 |
DIA-305-1990-09-12-1 | スリランカ | 1990年09月12日 | 1990年代 | 土地・灌漑・マハベリ開発省,18万7336エーカーの土地を17万393人の土地なし農民に与えると決定。 |
DIA-305-1990-09-13-1 | スリランカ | 1990年09月13日 | 1990年代 | 軍,ジャフナ要塞を奪回,200人の兵士・警察官の救出に成功。LTTE側の死者50人。 |
DIA-305-1990-09-13-2 | スリランカ | 1990年09月13日 | 1990年代 | 90年1~7月の外国人観光客の来島は16万5440万人。前年同期比77.5%増。 |
DIA-305-1990-09-14-1 | スリランカ | 1990年09月14日 | 1990年代 | ウィラコーン大統領外交顧問,北・東部の難民は70万人と発表。 |
DIA-305-1990-09-14-2 | スリランカ | 1990年09月14日 | 1990年代 | 大統領,援助供与国大使らに湾岸危機のランカに与える打撃と今後の政府の方針を説明,援助を要請。 |
DIA-305-1990-09-15-1 | スリランカ | 1990年09月15日 | 1990年代 | 大統領,中東難民帰国促進のため航空機隊を組織,1日1000人の送還を指示。 |
DIA-305-1990-09-15-2 | スリランカ | 1990年09月15日 | 1990年代 | インド首相,J.N. Jahにランカ北部からインド南部への難民流入阻止を希望。 |
DIA-305-1990-09-15-3 | スリランカ | 1990年09月15日 | 1990年代 | ウイジェトンガ首相,トリニダード・トバゴでの英連邦蔵相会議に出席のため出発。 |
DIA-305-1990-09-15-4 | スリランカ | 1990年09月15日 | 1990年代 | 4日間のイラク訪問から帰国したプレマチャンドラン労相によると,イラク政府がランカ政府に対して4~5週間以内に難民を帰国させよとの最後通牒を突付けていた。 |
DIA-305-1990-09-16-1 | スリランカ | 1990年09月16日 | 1990年代 | インド首相,マドラスでインド外相のコロンボ訪問を示唆。インドはタミル人の安全のためにランカ政府にジャフナの空爆停止を要請。 |
DIA-305-1990-09-16-2 | スリランカ | 1990年09月16日 | 1990年代 | 『ランカプパト』紙がLTTE指導部内の混乱を報道。 |
DIA-305-1990-09-17-1 | スリランカ | 1990年09月17日 | 1990年代 | 政府筋によると,ハミード法相は18日から各政党の指導者,APCメンバーと北・東部州のシンハラ・ムスリムの安全に関して会合を行なう。 |
DIA-305-1990-09-18-1 | スリランカ | 1990年09月18日 | 1990年代 | 軍によれば,ジャフナ市街地の復旧作業はLTTEの仕掛けた地雷の影響ではかどっていない。ジャフナに発令されていた外出禁止令が解除され,ムライティブの外出禁止令も近々解除される予定。 |
DIA-305-1990-09-18-2 | スリランカ | 1990年09月18日 | 1990年代 | 政府,工業開発法を公示。(1)工業・大蔵・商業・繊維各省大臣・次官と中銀総裁・GCEC長官からなる工業開発委員会,(2)民間代表による工業開発諮問委員会,(3)地域工業開発委員会の設立。 |
DIA-305-1990-09-18-3 | スリランカ | 1990年09月18日 | 1990年代 | 3ムスリム政党がハミード北・東部州平和委員会委員長と会談,融合北・東部州においてムスリムの分離議会を要求。 |
DIA-305-1990-09-19-1 | スリランカ | 1990年09月19日 | 1990年代 | AI,この3年間でスリランカ南部で数千人が治安部隊により殺害・誘拐されたと政府を非難。 |
DIA-305-1990-09-19-2 | スリランカ | 1990年09月19日 | 1990年代 | 情報筋によればランカはIMFの構造調整融資の最終分(第3回目)6000万ドルを受ける。 |
DIA-305-1990-09-19-3 | スリランカ | 1990年09月19日 | 1990年代 | 30人のLTTE,プタラム県のシンハリ漁村を襲撃,40人を殺害。 |
DIA-305-1990-09-20-1 | スリランカ | 1990年09月20日 | 1990年代 | 帰国促進計画に則って初めて276人がアンマンから帰国。 |
DIA-305-1990-09-20-2 | スリランカ | 1990年09月20日 | 1990年代 | 政府,インド外相のランカ訪問を否定。 |
DIA-305-1990-09-20-3 | スリランカ | 1990年09月20日 | 1990年代 | 政府高官によれば,湾岸危機によるスリランカの90年度の損失は30億ルピー(7500万ドル)を超える。 |
DIA-305-1990-09-20-4 | スリランカ | 1990年09月20日 | 1990年代 | 非常事態宣言の延長が114対62で可決された。 |
DIA-305-1990-09-20-5 | スリランカ | 1990年09月20日 | 1990年代 | ジャフナ半島一帯に外出禁止令布告。 |
DIA-305-1990-09-21-1 | スリランカ | 1990年09月21日 | 1990年代 | SLEP議員ら50人,国会へ向かう途中暴徒に襲わる。 |
DIA-305-1990-09-21-2 | スリランカ | 1990年09月21日 | 1990年代 | ムスリム政党による東部独立議会要求を討議するため6タミル政党が会合。 |
DIA-305-1990-09-21-3 | スリランカ | 1990年09月21日 | 1990年代 | ムスリム自警団らしき暴徒,バティカロア付近の村を襲撃,19人が重傷を負った。コロンボのTELOスポークスマンはムスリム自警団を非難。 |
DIA-305-1990-09-22-1 | スリランカ | 1990年09月22日 | 1990年代 | 経済アナリスト,10月のパリ開催のスリランカ援助会議で政府は8億5000万ドル援助を要請,と語った。 |
DIA-305-1990-09-23-1 | スリランカ | 1990年09月23日 | 1990年代 | プレマダサ大統領夫人の母堂死去。 |
DIA-305-1990-09-24-1 | スリランカ | 1990年09月24日 | 1990年代 | 手紡績・繊維工業相ウィジェクーン,政府は既に手織工業推進のための5カ年計画を作成したと発表。 |
DIA-305-1990-09-24-2 | スリランカ | 1990年09月24日 | 1990年代 | 6タミル政党,ムスリム自警団の解散または統制強化を要求するキャンペーンを開催。EPRLFIによれば8月以来,東部州において自警団によってタミル人108人が殺害されている。 |
DIA-305-1990-09-24-3 | スリランカ | 1990年09月24日 | 1990年代 | 国防省によれば,LTTE内部に北・東部州の青年の強制徴兵に関して意見の不統一がある。 |
DIA-305-1990-09-24-4 | スリランカ | 1990年09月24日 | 1990年代 | LTTE,北部のシンハラ人村落を襲撃。ジャフナに対する軍の攻撃をそらすためか。 |
DIA-305-1990-09-24-5 | スリランカ | 1990年09月24日 | 1990年代 | ウィクレマシンハ工業相,来日。 |
DIA-305-1990-09-25-1 | スリランカ | 1990年09月25日 | 1990年代 | ENDLFのスポークスマンが明らかにしたところバティカロア県で3253軒の民家が掠奪され,478軒が放火され,156の商店が放火されるか破壊された。 |
DIA-305-1990-09-26-1 | スリランカ | 1990年09月26日 | 1990年代 | 政府軍,ジャフナ要塞・Mandaitivu島から撤退。ICRC(国際赤十字)にジャフナ半島を引渡した。その後LTTE,ジャフナ要塞を占領。 |
DIA-305-1990-09-26-2 | スリランカ | 1990年09月26日 | 1990年代 | インド筋によると,ランカはインドの提案したランカ難民の復帰に関する双務的援助に応じなかった。 |
DIA-305-1990-09-26-3 | スリランカ | 1990年09月26日 | 1990年代 | 政府は西アジアの労働者10万人を帰国させるために13億ルピーの資金を割当てた。その内10億ルピーはIOMの資金。 |
DIA-305-1990-09-26-4 | スリランカ | 1990年09月26日 | 1990年代 | インド海軍とタミルナド警察,LTTEのタミルナド州からの燃料密輸防止のため沿岸警備を強化。 |
DIA-305-1990-09-26-5 | スリランカ | 1990年09月26日 | 1990年代 | 最大の日刊英字紙である『サン』紙,印刷用紙不足のため操業停止。 |
DIA-305-1990-09-27-1 | スリランカ | 1990年09月27日 | 1990年代 | SLMC,ムスリム団体は政府にムスリム自警団を増加・強化を要望。 |
DIA-305-1990-09-28-1 | スリランカ | 1990年09月28日 | 1990年代 | ウィジェトンガ首相,IMF・世銀の定例会議で湾岸危機がスリランカのような小国に与える経済的問題の解決を促した。 |
DIA-305-1990-09-28-2 | スリランカ | 1990年09月28日 | 1990年代 | EC,ランカ人の中東引き揚げ緊急援助に約208万ドルを供与。 |
DIA-305-1990-09-29-1 | スリランカ | 1990年09月29日 | 1990年代 | 政府,公共部門・民間部門における賃金の引上げを検討中。 |
DIA-305-1990-09-29-2 | スリランカ | 1990年09月29日 | 1990年代 | 国防副相,ジャフナ要塞に入ったLTTEは考古学上価値の高い,いくつかの建物を破壊したと報告。 |
DIA-305-1990-09-29-3 | スリランカ | 1990年09月29日 | 1990年代 | エア・ランカ,9月10日以来,6800人のスリランカ人をアンマンから帰国させたと発表。 |
DIA-305-1990-09-29-4 | スリランカ | 1990年09月29日 | 1990年代 | クウェートから1772人が船で帰国。 |
DIA-305-1990-09-29-5 | スリランカ | 1990年09月29日 | 1990年代 | SLFP声明発表。「北・東部州の合併を拒否するが,統一国家・統一憲法の下での北・東部州への権限の委譲は平和と民族協調のためにも認める方針である」。 |
DIA-305-1990-09-30-1 | スリランカ | 1990年09月30日 | 1990年代 | ムライティブ・アムパラ・トリンコマリーで軍がLTTEの基地を襲撃,大量の武器・日用品を奪回。 |
DIA-305-1990-09-30-2 | スリランカ | 1990年09月30日 | 1990年代 | LTTE,難民キャンプの運営に関与していた東部大学の書記官を誘拐(10月5日に解放)。 |
DIA-305-1990-09-30-3 | スリランカ | 1990年09月30日 | 1990年代 | プレマチャンドラ労相,ヨルダンへ出発。 |
DIA-305-1990-10-01-1 | スリランカ | 1990年10月01日 | 1990年代 | 政府,ジャフナ半島に発令されていた無期限外出禁止令を解除。 |
DIA-305-1990-10-01-2 | スリランカ | 1990年10月01日 | 1990年代 | 政府,湾岸戦争が勃発した場合でも自国民の国連軍参加を認めないと声明。 |
DIA-305-1990-10-02-1 | スリランカ | 1990年10月02日 | 1990年代 | ヘーラット外相,国連総会でランカは湾岸危機の平和的解決を望むと演説。 |
DIA-305-1990-10-03-1 | スリランカ | 1990年10月03日 | 1990年代 | 6ムスリム政党の代表,ハミード北・東部州平和委員会委員長と会見し,マンナールをムスリム自治区にすることの要求を提示。 |
DIA-305-1990-10-04-1 | スリランカ | 1990年10月04日 | 1990年代 | 労相,ヨルダンのフセイン国王と会談。ランカ人の帰国便宜取り計らいで協議。 |
DIA-305-1990-10-05-1 | スリランカ | 1990年10月05日 | 1990年代 | ラニル工業相,証券への外国投資奨励のため為替管理規則・手続きを緩和と発表。 |
DIA-305-1990-10-05-2 | スリランカ | 1990年10月05日 | 1990年代 | 国防副相,ジャフナに攻撃再開を表明。ICRCに24時間以内に撤退するよう要求。 |
DIA-305-1990-10-06-1 | スリランカ | 1990年10月06日 | 1990年代 | 政府高官が明らかにしたところ,政府は2000人のタミル自警団結成を認める。 |
DIA-305-1990-10-07-1 | スリランカ | 1990年10月07日 | 1990年代 | 3ムスリム政党,APC特別会合でムスリム多数居住区における分離州議会制を要求。 |
DIA-305-1990-10-09-1 | スリランカ | 1990年10月09日 | 1990年代 | 政府,大統領のジャナサビヤ信託基金の創設を承認した。 |
DIA-305-1990-10-09-2 | スリランカ | 1990年10月09日 | 1990年代 | カナダ国際開発庁,ジャナサビヤ援助として2億7500万ルピー援助。 |
DIA-305-1990-10-10-1 | スリランカ | 1990年10月10日 | 1990年代 | ウィジェクーン紡績・繊維工業相,中東諸国からの帰国者に繊維工場での職が2万用意されている。 |
DIA-305-1990-10-11-1 | スリランカ | 1990年10月11日 | 1990年代 | 国防副相,LTTEから話し合いの申し入れはない。政府軍は新たに攻撃を開始すると言明。 |
DIA-305-1990-10-12-1 | スリランカ | 1990年10月12日 | 1990年代 | ウィジェトガ蔵相,91年予算案を国会に提出。財政赤字は670億ルピー。 |
DIA-305-1990-10-14-1 | スリランカ | 1990年10月14日 | 1990年代 | LTTEの指導者プラバカラン,Vadamarachchiの集会で5000人を前に演説。イーラム国家実現の日まで戦い続けると誓う。 |
DIA-305-1990-10-15-1 | スリランカ | 1990年10月15日 | 1990年代 | 治安部隊,トリンコマリーで大がかりなLTTE捜索活動を開始。 |
DIA-305-1990-10-16-1 | スリランカ | 1990年10月16日 | 1990年代 | 治安部隊,ジャフナ半島に無期限外出禁止令を発令(24日解除)。 |
DIA-305-1990-10-16-2 | スリランカ | 1990年10月16日 | 1990年代 | 中銀,クウェートからの帰国者早期救済のために16日以降クウェート・ディナールをルピーに交換する。ただし,8月2日以前に6カ月間クウェートで働いていたことを証明できることが条件。 |
DIA-305-1990-10-17-1 | スリランカ | 1990年10月17日 | 1990年代 | 政府軍,北部のLTTE支配地域住民に退去勧告のビラを散布,爆弾投下。 |
DIA-305-1990-10-18-1 | スリランカ | 1990年10月18日 | 1990年代 | ADB,通信事業拡大のため4110万ドル供与を承認。 |
DIA-305-1990-10-19-1 | スリランカ | 1990年10月19日 | 1990年代 | 駐ス新田・日本大使とランカ政府,19億円の食糧生産援助の公文書を交換。 |
DIA-305-1990-10-20-1 | スリランカ | 1990年10月20日 | 1990年代 | マータラ~カタラガマ間の鉄道建設に韓国の技術援助供与が調印された。 |
DIA-305-1990-10-20-2 | スリランカ | 1990年10月20日 | 1990年代 | 情報筋によると,11月11~13日,インド外相が北・東部州問題,87年のインド・ランカ協定について話し合うためにランカを訪問する。 |
DIA-305-1990-10-21-1 | スリランカ | 1990年10月21日 | 1990年代 | LTTE,マンナール・バブニヤ・ジャフナのムスリムに28日までに退去するように命じている(退去期限はムスリムの要求によって31日に延期された)。 |
DIA-305-1990-10-22-1 | スリランカ | 1990年10月22日 | 1990年代 | ADB,ランカに漁業技術援助20万ドルを供与。 |
DIA-305-1990-10-23-1 | スリランカ | 1990年10月23日 | 1990年代 | 軍高官によると,ジャフナ半島の約10都市からテロの脅威を払拭した。 |
DIA-305-1990-10-24-1 | スリランカ | 1990年10月24日 | 1990年代 | IMF,対ランカ経済計画援助として6400万ドル供与を承認。 |
DIA-305-1990-10-25-1 | スリランカ | 1990年10月25日 | 1990年代 | スリランカ援助国会議がパリで開催され,要求額を上回る10億ドル援助を約束すると同時に,ランカの人権抑圧に対し警告。 |
DIA-305-1990-10-25-2 | スリランカ | 1990年10月25日 | 1990年代 | 国会で非常事態規制の延長が112対62で可決された。 |
DIA-305-1990-10-26-1 | スリランカ | 1990年10月26日 | 1990年代 | 外務省,25日までに中東から6万4000人が帰国したと発表。 |
DIA-305-1990-10-27-1 | スリランカ | 1990年10月27日 | 1990年代 | 外務次官,国連安保理制裁委員会で中東のランカ人救済のため食料・衣料品の積載船舶の派遣を要求。 |
DIA-305-1990-10-28-1 | スリランカ | 1990年10月28日 | 1990年代 | マンナールでムスリム1万5000~2万人が避難。 |
DIA-305-1990-10-30-1 | スリランカ | 1990年10月30日 | 1990年代 | 政府,環境保護論者の抗議を受けて,火力発電所建設計画の破棄を決定。 |
DIA-305-1990-10-31-1 | スリランカ | 1990年10月31日 | 1990年代 | 政府高官,原油価格上昇を受けてランカ北部沖の石油採掘の再開を計画中と語る。 |
DIA-305-1990-10-31-2 | スリランカ | 1990年10月31日 | 1990年代 | SLMC,政府にムスリム保護策を即時講じるよう要求。 |
DIA-305-1990-11-01-1 | スリランカ | 1990年11月01日 | 1990年代 | 国防副相,マンナール島を含む北・東部州に無期限外出禁止令,2大隊がマンナール入り,LTTEはジャフナからムスリムを完全に退去させたと発表。 |
DIA-305-1990-11-01-2 | スリランカ | 1990年11月01日 | 1990年代 | 大統領顧問,内閣は先にAPCが提出した基本的人権に関する法案を認めると発表。 |
DIA-305-1990-11-02-1 | スリランカ | 1990年11月02日 | 1990年代 | 工業・科学・技術省,経済開発計画を発表。 |
DIA-305-1990-11-02-2 | スリランカ | 1990年11月02日 | 1990年代 | SLMC,マンナールからのムスリム難民は6万5000人に達したと発表。 |
DIA-305-1990-11-03-1 | スリランカ | 1990年11月03日 | 1990年代 | 軍,マンナールの町を支配に置いたと発表。 |
DIA-305-1990-11-03-2 | スリランカ | 1990年11月03日 | 1990年代 | 人権擁護チーム,ランカの人権侵害と失跡に関し報告書を公表。 |
DIA-305-1990-11-04-1 | スリランカ | 1990年11月04日 | 1990年代 | SLMCアシュラフ党首,いくつかのアラブ諸国がスリランカのムスリムに援助を申し出と発表。 |
DIA-305-1990-11-05-1 | スリランカ | 1990年11月05日 | 1990年代 | 大統領,マンナール・バブニヤ・プッタラムの難民キャンプを視察。 |
DIA-305-1990-11-05-2 | スリランカ | 1990年11月05日 | 1990年代 | 青年の失業緩和のため,政策企画実施省が青年委員会の提案に基づき900人の青年を3国有銀行に就職させることを決定。 |
DIA-305-1990-11-06-1 | スリランカ | 1990年11月06日 | 1990年代 | 政府,ガソリン価格40%,ディーゼル油価格18%の引き上げを発表(湾岸危機以来2度目)。同時にイラクのクウェート侵攻を非難。 |
DIA-305-1990-11-06-2 | スリランカ | 1990年11月06日 | 1990年代 | 世銀,援助供与国に対しスリランカに追加的な援助を与えるよう要請。 |
DIA-305-1990-11-06-3 | スリランカ | 1990年11月06日 | 1990年代 | ICRC,ジャフナ病院は8日に再開するが,これ以上激しい戦闘が続くならばICRCはジャフナ病院の保護を放棄すると声明。 |
DIA-305-1990-11-07-1 | スリランカ | 1990年11月07日 | 1990年代 | 国会,11月1日から公務員の給料を200~300ルピー引き上げると決定。 |
DIA-305-1990-11-08-1 | スリランカ | 1990年11月08日 | 1990年代 | 政府,投資計画を発表。高所得・大量雇用をもたらすという理由で手織産業を優先産業に位置づけ。 |
DIA-305-1990-11-08-2 | スリランカ | 1990年11月08日 | 1990年代 | 政府,3日公表の人権擁護チームの報告を否定。 |
DIA-305-1990-11-09-1 | スリランカ | 1990年11月09日 | 1990年代 | 大統領,世界の情勢を知った上で国民が政策決定に積極的に参加することを望むと演説。 |
DIA-305-1990-11-09-2 | スリランカ | 1990年11月09日 | 1990年代 | 軍高官,ジャフナ半島のManipai地区を空爆と発表。ICRC,空軍が病院周辺における停戦を無視と政府に厳重抗議。 |
DIA-305-1990-11-09-3 | スリランカ | 1990年11月09日 | 1990年代 | EPDP,北・東部州を戦争の惨禍から回復させるために西欧諸国に援助を求めたと発表。 |
DIA-305-1990-11-10-1 | スリランカ | 1990年11月10日 | 1990年代 | 世銀,ランカはもはや貧困国ではないと判断し,政府の貧困撲滅計画を不必要だと発表。 |
DIA-305-1990-11-10-2 | スリランカ | 1990年11月10日 | 1990年代 | パキスタン高等弁務官,難民に対して900万ルピー相当の医療・その他の援助を約束。 |
DIA-305-1990-11-11-1 | スリランカ | 1990年11月11日 | 1990年代 | ムスリム難民の帰還促進のため,マンナールに無期限外出禁止令を発令(13日解除)。 |
DIA-305-1990-11-12-1 | スリランカ | 1990年11月12日 | 1990年代 | 首相,日本で即位の礼に出席。日本の『毎日新聞』に91年1月までという期限を設けて和平交渉に応じる呼びかけをしていることなどを明らかにした。 |
DIA-305-1990-11-13-1 | スリランカ | 1990年11月13日 | 1990年代 | 軍の非公式筋が明らかにしたところ,中国が12月か1月にランカに武器を供給する予定。 |
DIA-305-1990-11-14-1 | スリランカ | 1990年11月14日 | 1990年代 | 行政改革委員会,公務員のうち20%は余剰であると調査結果を発表。 |
DIA-305-1990-11-14-2 | スリランカ | 1990年11月14日 | 1990年代 | 中銀,サンパス銀行の流動性危機の噂を否定。 |
DIA-305-1990-11-15-1 | スリランカ | 1990年11月15日 | 1990年代 | 蔵相,政府予算提出(歳入720億ルピー,歳出1390億ルピー,赤字670億ルピー)。 |
DIA-305-1990-11-16-1 | スリランカ | 1990年11月16日 | 1990年代 | 大統領顧問,報道の自由に対して厳しい制限を設けると発表。 |
DIA-305-1990-11-18-1 | スリランカ | 1990年11月18日 | 1990年代 | 世銀,政府による国家プランテーション公社とジャナタ・エステート開発局への過剰な政治的介入がその活動の阻害要因の一つであると指摘。 |
DIA-305-1990-11-19-1 | スリランカ | 1990年11月19日 | 1990年代 | 政府,ジャフナ・キリノチチ・ムライティブの3地区に外出禁止令を発令。 |
DIA-305-1990-11-19-2 | スリランカ | 1990年11月19日 | 1990年代 | EC,援助にあたりランカの人権活動を考慮にいれると発言。 |
DIA-305-1990-11-20-1 | スリランカ | 1990年11月20日 | 1990年代 | ADB,ランカの資本市場開発のために,自己資本として200万ドルの無償援助,8000万ドルの借款を承認。 |
DIA-305-1990-11-21-1 | スリランカ | 1990年11月21日 | 1990年代 | LTTE,28日まで紛争で死亡した兵士を讃える「英雄週間」を行なう。この間LTTEはジャフナ住民の移動を禁止すると発表。 |
DIA-305-1990-11-21-2 | スリランカ | 1990年11月21日 | 1990年代 | 政府,非常事態規制に基づきJVP指導者・ロハンナの動産・不動産全てを没収すると発表。 |
DIA-305-1990-11-21-3 | スリランカ | 1990年11月21日 | 1990年代 | ヘーラット外相,次回のSAARCはランカで行なうとの合意が得られたと発表。 |
DIA-305-1990-11-22-1 | スリランカ | 1990年11月22日 | 1990年代 | 政府,インド新政府はタミルナド州をタミルゲリラの基地としないと言明したと発表。 |
DIA-305-1990-11-22-2 | スリランカ | 1990年11月22日 | 1990年代 | 情報筋が伝えたところ,LTTEの祭は住民の協力不足と治安部隊・他のタミルグループの軍事的圧力によって失敗した。 |
DIA-305-1990-11-23-1 | スリランカ | 1990年11月23日 | 1990年代 | 労相,チュニスのILO国際会議で湾岸危機で職を失った移民に補償を与える基金の創設を訴え,広く支持された。 |
DIA-305-1990-11-24-1 | スリランカ | 1990年11月24日 | 1990年代 | 大統領,治安部隊とともにジャフナ半島各地を訪問し,治安部隊・EPDPと会見すると共に北部の人々の現状を視察。 |
DIA-305-1990-11-24-2 | スリランカ | 1990年11月24日 | 1990年代 | TELO,SLMCを含む8政党,北・東部州の民族紛争解決を促進する歴史的な合意に達し,一つの州政府の下に議会の機能をムスリム・タミル人に分けるとの共同声明を発表。 |
DIA-305-1990-11-25-1 | スリランカ | 1990年11月25日 | 1990年代 | LTTE(1800人余り),22日からの激しい戦闘の末,Mankulam軍事基地を占領。政府軍兵士はジャングルに逃走。 |
DIA-305-1990-11-26-1 | スリランカ | 1990年11月26日 | 1990年代 | ADB,約8000万ドルの無利子プログラムローンと金融機関に対する122万ドルの技術援助供与を承認。 |
DIA-305-1990-11-26-2 | スリランカ | 1990年11月26日 | 1990年代 | 政府,中国から武器の輸入に合意を発表。 |
DIA-305-1990-11-26-3 | スリランカ | 1990年11月26日 | 1990年代 | 国防省,Mankulamの戦いで政府軍100人以上,LTTE側200人以上が死亡したと発表。 |
DIA-305-1990-11-27-1 | スリランカ | 1990年11月27日 | 1990年代 | 保健省,ランカのエイズ患者は500~600人と発表。 |
DIA-305-1990-11-28-1 | スリランカ | 1990年11月28日 | 1990年代 | 大統領,ジャナサビヤの第2ラウンドに基本方針の変化はないとし,予算の不足も否定。 |
DIA-305-1990-11-29-1 | スリランカ | 1990年11月29日 | 1990年代 | 大統領,人権対策委員会を任命。 |
DIA-305-1990-11-30-1 | スリランカ | 1990年11月30日 | 1990年代 | 外国雇用局,5000から1万のランカ人がクウェートに残ることを希望していると発表。 |
DIA-305-1990-11-30-2 | スリランカ | 1990年11月30日 | 1990年代 | 外務省,中国の李鵬首相が12月17日から3日間ランカを訪問と発表。 |
DIA-305-1990-11-30-3 | スリランカ | 1990年11月30日 | 1990年代 | 政府,湾岸危機によるランカの損失は1億2700万ドルに達すると発表。 |
DIA-305-1990-12-02-1 | スリランカ | 1990年12月02日 | 1990年代 | 治安部隊,北部の病院・難民キャンプに輸送されるはずの衣料品・生活必需品がLTTEに奪われていると明らかにした。 |
DIA-305-1990-12-02-2 | スリランカ | 1990年12月02日 | 1990年代 | 中銀,90年上半期の工業成長率は12%(民間部門14%,公的部門5%)。紅茶の生産高28%,米23%増。 |
DIA-305-1990-12-02-3 | スリランカ | 1990年12月02日 | 1990年代 | 保健省,赤痢の流行を報告。 |
DIA-305-1990-12-03-1 | スリランカ | 1990年12月03日 | 1990年代 | 国防副相,政府とLTTEがロンドンで対談したという報道を否定。 |
DIA-305-1990-12-03-2 | スリランカ | 1990年12月03日 | 1990年代 | ADB,新株式発行による資金調達のギャップ解消のため,200万ドルの融資を承認。 |
DIA-305-1990-12-04-1 | スリランカ | 1990年12月04日 | 1990年代 | 軍筋,PLOTEがワンニ地区で政府軍を援助していると発表。 |
DIA-305-1990-12-05-1 | スリランカ | 1990年12月05日 | 1990年代 | 軍高官,2000人のシンハラ人青年がJVPに対する非常事態規制に基づく拘留から解放されていた。 |
DIA-305-1990-12-05-2 | スリランカ | 1990年12月05日 | 1990年代 | 大統領,北・東部州の住民投票をさらに延期して91年8月22日にすると発表。 |
DIA-305-1990-12-06-1 | スリランカ | 1990年12月06日 | 1990年代 | 国防副相,北・東部州で現在軍に協力しているPLOTE,TELOはLTTEが壊滅した後に正式軍あるいはボランティアとして吸収されると発表。 |
DIA-305-1990-12-06-2 | スリランカ | 1990年12月06日 | 1990年代 | 6タミル・ムスリム政党,一つの最高裁判所とタミル・ムスリムの二つの行政組織を備えた永久融合州設立で合意。10日以内に大統領に提出する予定。 |
DIA-305-1990-12-07-1 | スリランカ | 1990年12月07日 | 1990年代 | 国防省,内戦で治安部隊472人死亡,1620人負傷,106人行方不明,民間人672人死亡,290人負傷,LTTE2040人死亡,530人負傷と発表。 |
DIA-305-1990-12-08-1 | スリランカ | 1990年12月08日 | 1990年代 | 大統領,東部州を訪問・視察。 |
DIA-305-1990-12-09-1 | スリランカ | 1990年12月09日 | 1990年代 | 蔵相,政府所有の商業銀行の人民化報道を否定。 |
DIA-305-1990-12-10-1 | スリランカ | 1990年12月10日 | 1990年代 | スリランカ外国雇用局,ILOがクウェートからの帰国者に8000万ルピー供与。約20の訓練センターが設立される。 |
DIA-305-1990-12-10-2 | スリランカ | 1990年12月10日 | 1990年代 | 日本,2500万ルピーをスリランカICRCに援助と発表。 |
DIA-305-1990-12-11-1 | スリランカ | 1990年12月11日 | 1990年代 | 運輸省,SLTBの人民化の第1段階が28日行なわれると発表。 |
DIA-305-1990-12-13-1 | スリランカ | 1990年12月13日 | 1990年代 | 治安筋,空軍はヘリコプターでKokilaiのLTTE基地を4時間にわたって攻撃。LTTE側の死亡者は40人と報道される。 |
DIA-305-1990-12-14-1 | スリランカ | 1990年12月14日 | 1990年代 | 大統領,ランカにおけるNGO活動に関する調査委員会を任命。 |
DIA-305-1990-12-14-2 | スリランカ | 1990年12月14日 | 1990年代 | The Hindu報道,タミルナド州警察はLTTEと思われる81人を急襲,逮捕した。 |
DIA-305-1990-12-15-1 | スリランカ | 1990年12月15日 | 1990年代 | 政府,91年1月第1週から石油製品価格を引き下げると発表。 |
DIA-305-1990-12-15-2 | スリランカ | 1990年12月15日 | 1990年代 | 警察,キャンディで反政府ピケとサチャグラハを撤退させるために参加者約100人に軽い負傷を負わせた。 |
DIA-305-1990-12-15-3 | スリランカ | 1990年12月15日 | 1990年代 | トンダマンCWC党首,プランテーション労働者に2カ月以内に賃金を引上げると誓約。 |
DIA-305-1990-12-17-1 | スリランカ | 1990年12月17日 | 1990年代 | 李鵬中国首相,来島。 |
DIA-305-1990-12-18-1 | スリランカ | 1990年12月18日 | 1990年代 | 中国,5年間無利子のローン3億7500万ルピーを供与。 |
DIA-305-1990-12-19-1 | スリランカ | 1990年12月19日 | 1990年代 | アヌラ,政府に国内燃料価格の引き下げを要求。 |
DIA-305-1990-12-20-1 | スリランカ | 1990年12月20日 | 1990年代 | 国会議長,選挙委員を任命するために与野党15人からなる選別委員会を任命した。 |
DIA-305-1990-12-20-2 | スリランカ | 1990年12月20日 | 1990年代 | 国会,非常事態規制の延長を118対64で可決。 |
DIA-305-1990-12-21-1 | スリランカ | 1990年12月21日 | 1990年代 | 復興省,12月19日時点でスリランカ全土に難民は92万8954人,難民キャンプは714と発表。 |
DIA-305-1990-12-21-2 | スリランカ | 1990年12月21日 | 1990年代 | 政府,インド外相が1月29日公式にランカを訪問すると発表。 |
DIA-305-1990-12-21-3 | スリランカ | 1990年12月21日 | 1990年代 | 首相,政府は91年10月末までにジャナサビヤの第3ラウンドを開始すると述べた。 |
DIA-305-1990-12-21-4 | スリランカ | 1990年12月21日 | 1990年代 | 国会,91年度予算を116対69で可決。 |
DIA-305-1990-12-22-1 | スリランカ | 1990年12月22日 | 1990年代 | ジャフナで軍とLTTEが大規模な衝突。 |
DIA-305-1990-12-23-1 | スリランカ | 1990年12月23日 | 1990年代 | 大統領,JVPの指導者から没収した5300万ルピー相当の財産を青年の福祉活動に使用すると発表。 |
DIA-305-1990-12-24-1 | スリランカ | 1990年12月24日 | 1990年代 | 大統領,法相の勧めでクリスマスを祝って一般恩赦を行なう。 |
DIA-305-1990-12-27-1 | スリランカ | 1990年12月27日 | 1990年代 | 国防副相,政府は新年の間も片務的な停戦協定を提示する予定はないと表明。 |
DIA-305-1990-12-27-2 | スリランカ | 1990年12月27日 | 1990年代 | インドの国会,スリランカ・タミルがAIADMKの指導者ジャヤラリタを襲撃したと問題にした。 |
DIA-305-1990-12-28-1 | スリランカ | 1990年12月28日 | 1990年代 | 政府,倒産したIndependent Newspapers of Ceylon Ltd(『サン』紙の発行元)に解雇された労働者1700人を救済すると発表。 |
DIA-305-1990-12-29-1 | スリランカ | 1990年12月29日 | 1990年代 | TELO幹部,Island紙にLTTEが片務的な停戦を提示する可能性を示唆した。 |
DIA-305-1990-12-30-1 | スリランカ | 1990年12月30日 | 1990年代 | 国防副相,LTTEがICRCを通して31日24時からの無期限停戦を提示したが,政府はLTTEに対する攻撃を止める予定はないと表明。 |
DIA-305-1990-12-31-1 | スリランカ | 1990年12月31日 | 1990年代 | 政府,LTTEの停戦提示の検討に少なくとも3日間必要であると発表。TULFは停戦提示を歓迎。 |
DIA-305-1991-01-01-1 | スリランカ | 1991年01月01日 | 1990年代 | 大統領,タミルグループと話し合い。政府はLTTEに対して武装放棄と全政党会議(APC)参加を要求するべきだと主張。 |
DIA-305-1991-01-01-2 | スリランカ | 1991年01月01日 | 1990年代 | 工業促進法本日から施行。 |
DIA-305-1991-01-02-1 | スリランカ | 1991年01月02日 | 1990年代 | LTTE,停戦申し入れの一方で,北・東部で政府の軍事基地2カ所を攻撃。 |
DIA-305-1991-01-03-1 | スリランカ | 1991年01月03日 | 1990年代 | 政府,3日深夜から7日間の攻撃停止を発表。 |
DIA-305-1991-01-03-2 | スリランカ | 1991年01月03日 | 1990年代 | LTTE指導者の一人サタシバム・クリシュナクマール(キットウ)は政府との交渉の前提として3条件を提示した。(1)タミル人の自治権を認める。(2)北・東部がタミル人のホームランドであることを認める。(3)武装放棄はしない。 |
DIA-305-1991-01-04-1 | スリランカ | 1991年01月04日 | 1990年代 | 中銀,インフレ抑制を目的に公定歩合を年率15%から17%に引上げる。 |
DIA-305-1991-01-06-1 | スリランカ | 1991年01月06日 | 1990年代 | 紅茶輸出業者,湾岸戦争の勃発で中東向け輸出が激減するのではないかと危惧。野菜などにはすでに影響大。 |
DIA-305-1991-01-07-1 | スリランカ | 1991年01月07日 | 1990年代 | ランジャン国防副相,LTTEの停戦破棄を非難。 |
DIA-305-1991-01-08-1 | スリランカ | 1991年01月08日 | 1990年代 | 国際赤十字,中立的な立場を保つためスリランカ政府による停戦監視要求を拒否。 |
DIA-305-1991-01-08-2 | スリランカ | 1991年01月08日 | 1990年代 | インド首相,タミル・ナド州政府はタミル・ゲリラに対するチェック機能を果たしていない,と不満を表明。 |
DIA-305-1991-01-09-1 | スリランカ | 1991年01月09日 | 1990年代 | 日本政府,スリランカ政府と380億円の借款供与に調印。 |
DIA-305-1991-01-10-1 | スリランカ | 1991年01月10日 | 1990年代 | LTTE,政府に停戦延長と無条件和平会談開催を要請。 |
DIA-305-1991-01-10-2 | スリランカ | 1991年01月10日 | 1990年代 | 人民銀行,無記名外貨預金の受入れを開始。 |
DIA-305-1991-01-11-1 | スリランカ | 1991年01月11日 | 1990年代 | 政府,停戦の延長について討議。タミル政党の多くは停戦に賛成したが,政府は停戦の延長を拒否。本格的な攻撃は14日から開始。 |
DIA-305-1991-01-11-2 | スリランカ | 1991年01月11日 | 1990年代 | 大統領,行方不明者調査委員会を任命。 |
DIA-305-1991-01-15-1 | スリランカ | 1991年01月15日 | 1990年代 | 政府,漁業省を東部トリンコマリーに移す。 |
DIA-305-1991-01-15-2 | スリランカ | 1991年01月15日 | 1990年代 | LTTE,一方的停戦は継続すると発表。 |
DIA-305-1991-01-16-1 | スリランカ | 1991年01月16日 | 1990年代 | CPC(セイロン石油公社)総裁,石油の備蓄は3カ月分あると発表。 |
DIA-305-1991-01-17-1 | スリランカ | 1991年01月17日 | 1990年代 | エアランカ,中東への飛行を中止(2月2日にドバイ・アブダビへの飛行を再開)。 |
DIA-305-1991-01-20-1 | スリランカ | 1991年01月20日 | 1990年代 | 北部キリノチチに外出禁止令。 |
DIA-305-1991-01-21-1 | スリランカ | 1991年01月21日 | 1990年代 | 大統領,非同盟運動議長に緊急メッセージを送付。湾岸戦争反対の意思表示をした。 |
DIA-305-1991-01-22-1 | スリランカ | 1991年01月22日 | 1990年代 | LTTE,東部アムパラ県のシンハラ人農村を襲撃し,27人を殺害。 |
DIA-305-1991-01-24-1 | スリランカ | 1991年01月24日 | 1990年代 | SLFP(スリランカ自由党)中央委員会,全会一致でアヌラ・バンダラナイケを全島組織の長に指名。 |
DIA-305-1991-01-25-1 | スリランカ | 1991年01月25日 | 1990年代 | 政府,マンナール沖の石油調査を再開。 |
DIA-305-1991-01-26-1 | スリランカ | 1991年01月26日 | 1990年代 | タミル・ナド州首相カルナニディ,DMKはスリランカの武装ゲリラを全面的に支援すると発表。 |
DIA-305-1991-01-29-1 | スリランカ | 1991年01月29日 | 1990年代 | V.C.Shuklaインド外相,スリランカ訪問。 |
DIA-305-1991-01-30-1 | スリランカ | 1991年01月30日 | 1990年代 | 訪問中のインド外相とプレマダーサ大統領会談。相互主義と領土の独立を確認しあった。湾岸戦争後の地域的安全保障システム,経済関係についても討議。 |
DIA-305-1991-02-01-1 | スリランカ | 1991年02月01日 | 1990年代 | タミル・ナド州政府,辞職,大統領直轄になる。州内のタミル・ゲリラによる治安の悪化が原因。 |
DIA-305-1991-02-01-2 | スリランカ | 1991年02月01日 | 1990年代 | ランジャン国防副相,90年6月11日以来の戦闘で1441人の警察官と治安部隊が死亡,あるいは行方不明,1981人が負傷(1329人が退院),270人が地雷で足を失った,と述べる。 |
DIA-305-1991-02-01-3 | スリランカ | 1991年02月01日 | 1990年代 | インド外相のスリランカ訪問の成果に関する共同声明発表。 |
DIA-305-1991-02-01-4 | スリランカ | 1991年02月01日 | 1990年代 | スリランカは湾岸危機問題に関してベオグラードで開催される非同盟諸国会議(11,12日)に出席すると発表。 |
DIA-305-1991-02-03-1 | スリランカ | 1991年02月03日 | 1990年代 | スリランカはIMFに構造調整費として4億5000万㌦を要請(9月に調印)。 |
DIA-305-1991-02-03-2 | スリランカ | 1991年02月03日 | 1990年代 | 国会議員ガミニ・デサナヤケがロンドンに出発。 |
DIA-305-1991-02-04-1 | スリランカ | 1991年02月04日 | 1990年代 | イギリス高等弁務官によると,PLOTEがイギリス政府に対しLTTEの同国における反スリランカ政府活動を直ちに排除するよう要請している。 |
DIA-305-1991-02-06-1 | スリランカ | 1991年02月06日 | 1990年代 | LTTE,トリンコマリーで公営のバスを爆破,少なくとも8人が死亡,28人が負傷。 |
DIA-305-1991-02-06-2 | スリランカ | 1991年02月06日 | 1990年代 | CPC発表,スリランカは近々インドとマンナール沖の石油掘削生産シェアについて話し合う。 |
DIA-305-1991-02-06-3 | スリランカ | 1991年02月06日 | 1990年代 | インド首相,インドはスリランカから要請されない限り介入しないと言明。 |
DIA-305-1991-02-08-1 | スリランカ | 1991年02月08日 | 1990年代 | フィンランド,対スリランカ6億ルピーの贈与に同意。 |
DIA-305-1991-02-08-2 | スリランカ | 1991年02月08日 | 1990年代 | LTTE,住民にジャフナで戦死した兵士を讃えるスト参加を要求。 |
DIA-305-1991-02-11-1 | スリランカ | 1991年02月11日 | 1990年代 | LTTEは政府の3条件を拒否するとマハッタヤがジャフナで『ヒンドゥー』紙に語る。3条件とは,(1)LTTEは武装放棄すること,(2)LTTEの類似団体も交渉に加わること,(3)全ての政党が交渉に参加すること。 |
DIA-305-1991-02-11-2 | スリランカ | 1991年02月11日 | 1990年代 | TULF,大統領に対し91年1月20~23日のバブニヤの学校,民家対象の空爆を抗議。 |
DIA-305-1991-02-12-1 | スリランカ | 1991年02月12日 | 1990年代 | バブニヤ県に非公式の外出禁止令が発令され,集中的攻撃が継続されている。 |
DIA-305-1991-02-12-2 | スリランカ | 1991年02月12日 | 1990年代 | TELO,会議派のリーダーとニューデリーで会談,タミル・ナド州に拘禁されている1200人のタミル・グループの釈放に関し討議。 |
DIA-305-1991-02-12-3 | スリランカ | 1991年02月12日 | 1990年代 | 25~28日に開催予定だった国際投資者会議は湾岸戦争による飛行機事情の悪化で延期。 |
DIA-305-1991-02-14-1 | スリランカ | 1991年02月14日 | 1990年代 | 政府,19日に予定されている母親戦線の集会を許可,しかしデモは禁止した。 |
DIA-305-1991-02-15-1 | スリランカ | 1991年02月15日 | 1990年代 | 政府,外国企業の投資ガイドライン発表。 |
DIA-305-1991-02-15-2 | スリランカ | 1991年02月15日 | 1990年代 | 大統領,バティカロアで,北・東部州議会選挙(7県)を91年6月30日以降に行なうと発表。 |
DIA-305-1991-02-15-3 | スリランカ | 1991年02月15日 | 1990年代 | 韓国とスリランカが5億8000万ルピー(1450万㌦,103億7000万ウォン)の融資に調印。コロンボ・ゴール間道路の第3次修復計画に使用される。 |
DIA-305-1991-02-16-1 | スリランカ | 1991年02月16日 | 1990年代 | 8タミル政党が構成する連盟,91年半ばに開催される予定の北・東部州選挙に参加すると表明。 |
DIA-305-1991-02-17-1 | スリランカ | 1991年02月17日 | 1990年代 | バティカイロア県に無期限外出禁示令発令。 |
DIA-305-1991-02-17-2 | スリランカ | 1991年02月17日 | 1990年代 | ロイターによると,プラバカランが政府の爆撃で被害を受けた北・東部州を訪問。 |
DIA-305-1991-02-17-3 | スリランカ | 1991年02月17日 | 1990年代 | マンナール県のKondachchiで45人の兵士がLTTEの待ち伏せによる攻撃で死亡。 |
DIA-305-1991-02-21-1 | スリランカ | 1991年02月21日 | 1990年代 | シリマボを中心に12政党が合同集会を開催。 |
DIA-305-1991-02-22-1 | スリランカ | 1991年02月22日 | 1990年代 | パキスタン外交官,同国がスリランカに2億2000万ルピー(約550万㌦)を経済発展のために融資すると発表。 |
DIA-305-1991-02-22-2 | スリランカ | 1991年02月22日 | 1990年代 | 警察,五つ星ホテルに乗り込み,16人の外国人をカジノの現行犯で逮捕した。政府はスリランカのカジノ王,シンガポール人ジョー・シムの国外追放を決定。 |
DIA-305-1991-02-24-1 | スリランカ | 1991年02月24日 | 1990年代 | EROS,政府に反LTTE支援を申し出た。 |
DIA-305-1991-02-24-2 | スリランカ | 1991年02月24日 | 1990年代 | 非公式筋によると,スリランカ政府は近々ニューデリーで開催されるインド・スリランカ合同委員会で,インドに対しタミル・ナド州に拘留中のLTTEゲリラを解放するよう要請する見込み。 |
DIA-305-1991-02-25-1 | スリランカ | 1991年02月25日 | 1990年代 | 7人のIMFチームが来島。スリランカは構造調整融資として5億㌦を要請する見込み。 |
DIA-305-1991-02-25-2 | スリランカ | 1991年02月25日 | 1990年代 | 政府,90年度成長率は6%を達成,91年のインフレ率を10%以下に抑制すると発表。 |
DIA-305-1991-02-26-1 | スリランカ | 1991年02月26日 | 1990年代 | インド政府,スリランカに対して新州議会選挙ができる環境が整うまで,北・東部に基盤を持つ全ての政党が参加する暫定北・東部議会を創設することを要求。 |
DIA-305-1991-02-28-1 | スリランカ | 1991年02月28日 | 1990年代 | JVP撲滅期間中(88~90年)治安維持軍によって拘留されていた218人が解放される。これで2617人が解放されることになる。現在,リハビリキャンプに収容されているのは1200人余りである。 |
DIA-305-1991-02-28-2 | スリランカ | 1991年02月28日 | 1990年代 | 政府,6月11日以来1560人の警官・兵士が殺害,行方不明となっていると発表。またランジャン国防副相はインドの提案する北・東部における暫定議会の創設は現行の法のもとでは不可能であると表明。 |
DIA-305-1991-03-01-1 | スリランカ | 1991年03月01日 | 1990年代 | 空軍,ムライティブ県のLTTE基地を攻撃。 |
DIA-305-1991-03-02-1 | スリランカ | 1991年03月02日 | 1990年代 | ランジャン・ウィジェラトネ(59歳)プランテーション産業相・国防担当副相,コロンボ郊外で停車中のバンに積んであった爆弾で殺害される。6日国葬。 |
DIA-305-1991-03-03-1 | スリランカ | 1991年03月03日 | 1990年代 | 住宅・建設大臣シリセナ・クーレイがランジャンに代わってUNP幹事長に任命される。 |
DIA-305-1991-03-04-1 | スリランカ | 1991年03月04日 | 1990年代 | 『アイランド』紙,LTTEが1万5000人の国家軍を北部に創設,と報道。 |
DIA-305-1991-03-04-2 | スリランカ | 1991年03月04日 | 1990年代 | ロイターによると,ロンドン在住のキットウはランジャン暗殺にLTTEが関与しているという噂を否定。 |
DIA-305-1991-03-05-1 | スリランカ | 1991年03月05日 | 1990年代 | ランジャン暗殺の情報提供者には100万=の報奨金が与えられる。LTTEと思われるタミル人200人がランジャン暗殺の容疑で職務質問を受けている。 |
DIA-305-1991-03-06-1 | スリランカ | 1991年03月06日 | 1990年代 | D・B・ウィジェトンガ首相が国防担当副相に就任。 |
DIA-305-1991-03-06-2 | スリランカ | 1991年03月06日 | 1990年代 | インド外務次官,インドはスリランカと平和友好条約を結ぶ用意があると表明。 |
DIA-305-1991-03-07-1 | スリランカ | 1991年03月07日 | 1990年代 | 選挙管理委員会,地方選挙の届出は3月21日昼12時から28日までと発表。 |
DIA-305-1991-03-07-2 | スリランカ | 1991年03月07日 | 1990年代 | アメリカ政府,1992年の援助のスリランカ割当分として16億3000万ルピー(4110万㌦)を決定したが,同時にスリランカにおける人権侵害事例を指摘。 |
DIA-305-1991-03-08-1 | スリランカ | 1991年03月08日 | 1990年代 | 労働大臣,多くの女性を含むおよそ6000人のスリランカ人労働者が,台湾で強制退去を命じられた,と発表。 |
DIA-305-1991-03-08-2 | スリランカ | 1991年03月08日 | 1990年代 | 『アイランド』紙,政府は全ての公企業を91年の末までに民営化する,と報道。 |
DIA-305-1991-03-11-1 | スリランカ | 1991年03月11日 | 1990年代 | 労働大臣,IOM(国際移民機構)の援助で5万人のスリランカ人がクウェートに戻った,と語る。 |
DIA-305-1991-03-11-2 | スリランカ | 1991年03月11日 | 1990年代 | 大統領,自由・公平・平和な選挙を保証。 |
DIA-305-1991-03-11-3 | スリランカ | 1991年03月11日 | 1990年代 | SLFP,他の5政党(MEP,CP,NSSP,LSSP,BNP)と来る地方選挙に統一戦線を組んで戦うことで合意。 |
DIA-305-1991-03-12-1 | スリランカ | 1991年03月12日 | 1990年代 | 工業省,コッガラ自由貿易地区のインフラ整備が近いうちに着工と発表。 |
DIA-305-1991-03-12-2 | スリランカ | 1991年03月12日 | 1990年代 | DPLF幹部のKaravai Kandasamyによると,APCは数カ月に及ぶ話し合いにも関わらず民族問題解決に関してタミルとムスリムの合意が得られず,失敗に終わった。 |
DIA-305-1991-03-12-3 | スリランカ | 1991年03月12日 | 1990年代 | インド高等弁務官が,コロンボでタミル・グループ(少なくとも5政党)と会談。 |
DIA-305-1991-03-14-1 | スリランカ | 1991年03月14日 | 1990年代 | 中国・ランカ貿易委員会(貿易・商業省に所属)と中国・ランカ経済委員会(大蔵省に所属)が統一される。 |
DIA-305-1991-03-14-2 | スリランカ | 1991年03月14日 | 1990年代 | 大統領,ランジャン暗殺に伴い内閣を一部改造。 |
DIA-305-1991-03-14-3 | スリランカ | 1991年03月14日 | 1990年代 | アメリカ,ICRCの要請でスリランカに100万㌦(4000万ルピー)供与。 |
DIA-305-1991-03-14-4 | スリランカ | 1991年03月14日 | 1990年代 | 『アイランド』紙,大統領顧問が最近ジェノバでLTTE幹部のLawrence Thilakarと45分間対談,と報道。 |
DIA-305-1991-03-16-1 | スリランカ | 1991年03月16日 | 1990年代 | SLMP,PLOTEとDWCが同じシンボルと名前で今回の地方選挙を戦うことを許可した。 |
DIA-305-1991-03-17-1 | スリランカ | 1991年03月17日 | 1990年代 | 大統領,現在の非常事態規制を地方選挙の公平と自由を確保するために緩和すると表明。 |
DIA-305-1991-03-18-1 | スリランカ | 1991年03月18日 | 1990年代 | LTTEはインド高等弁務官と会見し,南インドで拘留されている300人の解放を求める。 |
DIA-305-1991-03-18-2 | スリランカ | 1991年03月18日 | 1990年代 | LTTE,話し合い再開と戦闘終結のためにスリランカ政府が提示した核となる条件(プラバカランの交渉参加)を拒否。 |
DIA-305-1991-03-19-1 | スリランカ | 1991年03月19日 | 1990年代 | 政府,外国為替の規制を緩和する。自由化と闇市場の解消が目的。 |
DIA-305-1991-03-19-2 | スリランカ | 1991年03月19日 | 1990年代 | マンナール全県に外出禁止令。 |
DIA-305-1991-03-19-3 | スリランカ | 1991年03月19日 | 1990年代 | 日本の経済協力調査団,投資とスリランカの工業戦略について話し合うために来島。 |
DIA-305-1991-03-21-1 | スリランカ | 1991年03月21日 | 1990年代 | 大統領,SAARCの選挙監視団を招聘することを決定(30日来島)。 |
DIA-305-1991-03-22-1 | スリランカ | 1991年03月22日 | 1990年代 | タミル5政党(TULF,ACTC,TELO,PLOTE,EPRLF)は北・東部州問題解決のための新たな政策(最終法案)に同意。同法案は25日までにムスリム政党に提出される予定。 |
DIA-305-1991-03-25-1 | スリランカ | 1991年03月25日 | 1990年代 | スリランカのNGO活動調査委員会が3月25日から調査を開始する。 |
DIA-305-1991-03-26-1 | スリランカ | 1991年03月26日 | 1990年代 | 労働省,4月末にスリランカ人の雇用促進を目的に西アジアを視察すると発表。 |
DIA-305-1991-03-28-1 | スリランカ | 1991年03月28日 | 1990年代 | 在コロンボ・インド高等弁務官スポークスマン,インドは3200万ルピーを出してスリランカ北・東部州に難民キャンプを設立すると発表。 |
DIA-305-1991-03-28-2 | スリランカ | 1991年03月28日 | 1990年代 | 国防次官,ランジャン暗殺の犯人はLTTE関係者であると断定。 |
DIA-305-1991-03-28-3 | スリランカ | 1991年03月28日 | 1990年代 | 地方選挙は5月11日に決定。 |
DIA-305-1991-03-28-4 | スリランカ | 1991年03月28日 | 1990年代 | 政府,5月にニューデリーでインド・スリランカ共同委員会を開くことを決定。 |
DIA-305-1991-03-30-1 | スリランカ | 1991年03月30日 | 1990年代 | 大統領,地方選挙に向けて非常事態規制緩和。 |
DIA-305-1991-03-31-1 | スリランカ | 1991年03月31日 | 1990年代 | 軍,マンナール県Veepankulamで100人以上のゲリラを殺害。軍側,20人死亡。インドからの密輸ルートの監視が強化されている。 |
DIA-305-1991-04-01-1 | スリランカ | 1991年04月01日 | 1990年代 | 大統領JVP解放を約束(4月7日に225人解放)。バブニヤ,マンナール両県(マンナール島を除く)で無期限外出禁示令。東部でも衝突がおこっている。 |
DIA-305-1991-04-01-2 | スリランカ | 1991年04月01日 | 1990年代 | ADB,スリランカ国営開発銀行の民営化に関する諮問的・業務的支援に9万8000㌦の技術支援承認。 |
DIA-305-1991-04-03-1 | スリランカ | 1991年04月03日 | 1990年代 | 大蔵省エコノミストによると,91年度予算1390億ルピーにさらに70億ルピーを追加。軍事費は130億ルピーから156億ルピー(GDPの5%)へ増大。 |
DIA-305-1991-04-03-2 | スリランカ | 1991年04月03日 | 1990年代 | トリンコマリー沖でシンハリ漁船をLTTEが襲撃,シンハリ漁民11人死亡。9人負傷。16人が行方不明。警察はシンハリ人による報復を恐れてタミル人村落を警護。 |
DIA-305-1991-04-03-3 | スリランカ | 1991年04月03日 | 1990年代 | ENDLFスポークスマン,警察がコロンボの同事務所を急襲,4人を強盗容疑で連行拘留と発表。 |
DIA-305-1991-04-03-4 | スリランカ | 1991年04月03日 | 1990年代 | 軍,ジャフナ半島カラナイガル基地周辺で1日以来治安部隊とLTTEの間で激しい戦闘が行なわれたと発表。 |
DIA-305-1991-04-04-1 | スリランカ | 1991年04月04日 | 1990年代 | グナワアルデナ駐越大使,着任。 |
DIA-305-1991-04-05-1 | スリランカ | 1991年04月05日 | 1990年代 | バブニヤ,バティカロア,マンナール,トリンコマリー各地でLTTEと軍が衝突,合わせて95人が死亡。 |
DIA-305-1991-04-07-1 | スリランカ | 1991年04月07日 | 1990年代 | 政府,テルジブ海域で密漁中に拿捕されたスリランカ人漁師170人の返還に関してモルジブと交渉中。 |
DIA-305-1991-04-07-2 | スリランカ | 1991年04月07日 | 1990年代 | 国防省,3月のLTTEの死者は518人,政府軍の死者は83人,民間人31人,単独の戦闘で規模が最大であったのは3月19~23日のSilvatturaiの戦闘であった,と発表。 |
DIA-305-1991-04-09-1 | スリランカ | 1991年04月09日 | 1990年代 | 東部バティカロア県Thoppigalaで戦闘,タミルゲリラ30人死亡。 |
DIA-305-1991-04-10-1 | スリランカ | 1991年04月10日 | 1990年代 | 軍高官,北・東部での戦闘においてタミル・ゲリラ合わせて107人を殺害と発表。 |
DIA-305-1991-04-13-1 | スリランカ | 1991年04月13日 | 1990年代 | アムパラ県の農村がLTTEに襲撃され,17人死亡。この日はシンハラ・ヒンズー正月であった。 |
DIA-305-1991-04-18-1 | スリランカ | 1991年04月18日 | 1990年代 | ADB,都市開発のプロジュクトの準備に60万㌦の技術援助を承認。 |
DIA-305-1991-04-19-1 | スリランカ | 1991年04月19日 | 1990年代 | 大統領,新国会の演説で国民のために平和解決に向けての交渉にのり出すようタミル関係者全てに繰り返し要請。交渉の条件としてプラバカランの話し合い参加,タミル・ゲリラの武装放棄を提示。 |
DIA-305-1991-04-20-1 | スリランカ | 1991年04月20日 | 1990年代 | LTTE,東部のNiyadella村を襲撃,21人死亡。村の周辺には地雷が仕掛けてあるため接近が困難。 |
DIA-305-1991-04-25-1 | スリランカ | 1991年04月25日 | 1990年代 | 国防次官,25日よりジャフナ半島全域に無期限外出禁止令を発令。対LTTE重点作戦を再開(30日解除)。 |
DIA-305-1991-04-29-1 | スリランカ | 1991年04月29日 | 1990年代 | 中銀発表,90年のGDP成長率は6.2%,消費者物価指数は21.5%上昇。 |
DIA-305-1991-04-29-2 | スリランカ | 1991年04月29日 | 1990年代 | LTTE,Nanaddan陸軍キャンプのパトロール部隊を待ち伏せ,45人を殺害。また軍は25日から4日間の作戦でエレファント・バスのLTTE拠点近くでLTTE126人を殺害,約150人負傷。軍では兵士31人死亡,70人負傷。 |
DIA-305-1991-05-01-1 | スリランカ | 1991年05月01日 | 1990年代 | LTTEはデャフナのメーデーに各国大使を招待したが,拒否された。 |
DIA-305-1991-05-01-2 | スリランカ | 1991年05月01日 | 1990年代 | ジャフナに続きムライティブ県にも外出禁止令。 |
DIA-305-1991-05-02-1 | スリランカ | 1991年05月02日 | 1990年代 | 首相,ADBが2億4000万㌦(96億ルピー)の借款を承認したと発表(90年は1億9600万㌦〔78億5600万ルピー〕の借款を受けた)。首相は今週ADBのカナダ会議に出席する。政府はまた鉄屑の輸出禁止を解除。 |
DIA-305-1991-05-03-1 | スリランカ | 1991年05月03日 | 1990年代 | 大統領,地方選挙に向けて4日の真夜中から,非常事態規制をさらに緩和(すでに3月に一部緩和)。 |
DIA-305-1991-05-04-1 | スリランカ | 1991年05月04日 | 1990年代 | ムライティブ,バブニヤのシンハラ地区を除いた各地に外出禁止令。バブニヤの北2マイルのThandikulam,NochimoddaiのLTTE要塞を軍が突破。軍はジャフナに向けて行進している。 |
DIA-305-1991-05-06-1 | スリランカ | 1991年05月06日 | 1990年代 | 大統領,バングラデシュ災害見舞いに100万ルピー(2万5000㌦)を送る。 |
DIA-305-1991-05-07-1 | スリランカ | 1991年05月07日 | 1990年代 | バブニヤで軍30人,LTTE20人死亡。LTTEの幹部4人死亡。 |
DIA-305-1991-05-09-1 | スリランカ | 1991年05月09日 | 1990年代 | 政府,警視総監に選挙に向けての治安維持について通達。爆発物検問所を設置すると発表。 |
DIA-305-1991-05-09-2 | スリランカ | 1991年05月09日 | 1990年代 | 軍,ジャフナ半島の西Karaitivu,バブニヤのOmantaiのLTTEの基地を接収。基地から武器のほか食糧,制服を押収。 |
DIA-305-1991-05-11-1 | スリランカ | 1991年05月11日 | 1990年代 | 地方選挙投票日,朝7時から午後4時まで,7499の投票場で行われた。オーストリア,バングラデシュ,カナダ,インド,パキスタン,ネパール,イギリス,フィリピンの代表者が選挙の過程を監視。 |
DIA-305-1991-05-11-2 | スリランカ | 1991年05月11日 | 1990年代 | SLFPは選挙にごまかしがあったと主張。 |
DIA-305-1991-05-12-1 | スリランカ | 1991年05月12日 | 1990年代 | 国防省,選挙後の秩序維持のために選挙中取り消されていた非常事態規制の再導入を発表。 |
DIA-305-1991-05-12-2 | スリランカ | 1991年05月12日 | 1990年代 | UNP,英国高等弁務官グラッドスンを選挙妨害で非難。スリランカ南部で警察にUNP支持者が投票済みの印を消して同一人物に再投票させていたと主張した点について,UNP幹事長は選挙管理委員会にグラッドスンの申し立を民主的な選挙を妨害するものだと訴えた。 |
DIA-305-1991-05-12-3 | スリランカ | 1991年05月12日 | 1990年代 | 軍,バティカロアAnandakulamキャンプを接収。LTTEはジャングルに逃亡。東部バティカロアでも衝突。 |
DIA-305-1991-05-13-1 | スリランカ | 1991年05月13日 | 1990年代 | 大統領,民主主義の勝利を宣言。「UNPが生活の質の改善をもたらすと民衆に認められた。今後は分権化が進められる。新しい地方政府には開発にあたって重要な役割が与えられる」。 |
DIA-305-1991-05-13-2 | スリランカ | 1991年05月13日 | 1990年代 | 5月2日から戦闘によりバブニヤでLTTE250人死亡。兵士の死亡者35人。バブニヤとマンナールに発布されていた外出禁止令は14日朝6時から解除される。 |
DIA-305-1991-05-17-1 | スリランカ | 1991年05月17日 | 1990年代 | 大統領,経済戦略発表。92年を輸出の年とする。 |
DIA-305-1991-05-18-1 | スリランカ | 1991年05月18日 | 1990年代 | ジャフナ半島付近のKaraitivu,Kayts島からLTTEを掃討。島民4万人に帰島が許され,EPDPから50㌧の食糧が分配された。 |
DIA-305-1991-05-22-1 | スリランカ | 1991年05月22日 | 1990年代 | 大統領,ガンジー暗殺を非難。LTTE以外のタミル・グループも犯人をLTTEと断定して,LTTE批判。スリランカ軍,スリランカ北部の海域のパトロールを強化。一方,ロンドンのLTTE事務所は犯行を否定。 |
DIA-305-1991-05-23-1 | スリランカ | 1991年05月23日 | 1990年代 | 国防次官,ガンジー暗殺にLTTEの関与容疑があり,政府はインド調査当局の要請があれば捜査に協力すると発表。 |
DIA-305-1991-05-23-2 | スリランカ | 1991年05月23日 | 1990年代 | 国防次官,仏教徒等の訴えにより5月26~29日の3日間の攻撃を中止すると決定。 |
DIA-305-1991-05-24-1 | スリランカ | 1991年05月24日 | 1990年代 | ガンジーの死を悼んで国の機関では半旗を掲げる。 |
DIA-305-1991-05-25-1 | スリランカ | 1991年05月25日 | 1990年代 | タミル・ナド州でLTTE100人と活動家3600人が検挙される。 |
DIA-305-1991-05-26-1 | スリランカ | 1991年05月26日 | 1990年代 | タミル・ナド州のスリランカ・タミル難民20万5000人(230の難民キャンプに11万5000人,そのほかに9万人)はガンジー暗殺の余波による本国送還を危惧。AIADMKのJayalalith Jayaramは即刻強制送還を主張。 |
DIA-305-1991-05-26-2 | スリランカ | 1991年05月26日 | 1990年代 | スリランカ軍,中国からF-7戦闘機3機を購入。しかしこれらの戦闘機は北・東部州の内戦に使用されることはないと発表。 |
DIA-305-1991-05-27-1 | スリランカ | 1991年05月27日 | 1990年代 | インド警察,ガンジー暗殺に関してタミル・ナド州で30歳のスリランカ・タミル人女性を拘留。 |
DIA-305-1991-05-28-1 | スリランカ | 1991年05月28日 | 1990年代 | 在ロンドンのLTTE幹部キットゥ,暗殺前にガンジーに会っていた,3月5日にもガンジーと会見し,両者の関係は良好であった,と言明。 |
DIA-305-1991-05-28-2 | スリランカ | 1991年05月28日 | 1990年代 | タミル・ゲリラと軍衝突が相次ぐ。LTTE,トリコマリー県Pulmoddaiで休戦を破棄して待ち伏せ。民間人の乗ったバスを誘導中の兵士8人が死亡。バティカロア県では警察の車が放火されたが負傷者はなかった。 |
DIA-305-1991-05-29-1 | スリランカ | 1991年05月29日 | 1990年代 | スリランカでインド犯罪捜査局とスリランカ国防省がガンジー暗殺事件を捜査。LTTE以外のタミル・グループと会談。スリランカにおける過去の爆弾事件についてスリランカ警察から情報収集(~6月4日)。 |
DIA-305-1991-05-29-2 | スリランカ | 1991年05月29日 | 1990年代 | 政府,LTTEは休戦期間中,10件の休戦破棄を行なったとしてLTTEを非難。 |
DIA-305-1991-05-30-1 | スリランカ | 1991年05月30日 | 1990年代 | ガンジー暗殺に関してインド中央調査局員来島。 |
DIA-305-1991-05-30-2 | スリランカ | 1991年05月30日 | 1990年代 | ADB,中小産業開発政策・戦略の研究に23万8000㌦の諮問的・業務支援的(A&O)技術援助承認。ADB,スリランカ信用情報局の機構強化に11万㌦のA&O技術支援承認。これらは融資承認を受けた第二次中小産業プロジェクト(アジア開発基金AFDから3000万㌦のソフトローン,成長性ある中小規模産業への長期投資資金の供給と関連する政策改革の促進を目標とする)に関連して承認された。 |
DIA-305-1991-06-01-1 | スリランカ | 1991年06月01日 | 1990年代 | アムネスティ・インターナショナル(AI)代表団来訪。 |
DIA-305-1991-06-02-1 | スリランカ | 1991年06月02日 | 1990年代 | インド捜査局,ガンジー暗殺の犯人はスリランカ・タミルの女性スンダリと断定。 |
DIA-305-1991-06-03-1 | スリランカ | 1991年06月03日 | 1990年代 | 政府筋,グラッドストン駐スリランカ英高等弁務官は6月8日スリランカを出発すると発表。 |
DIA-305-1991-06-05-1 | スリランカ | 1991年06月05日 | 1990年代 | バブニヤ地区でLTTE拠点への作戦を開始。 |
DIA-305-1991-06-05-2 | スリランカ | 1991年06月05日 | 1990年代 | 政府,カジノ全面禁止令を発布。 |
DIA-305-1991-06-06-1 | スリランカ | 1991年06月06日 | 1990年代 | インドのタミル・ナド州でガンジー暗殺に関連してスリランカ・タミル人47人逮捕。 |
DIA-305-1991-06-07-1 | スリランカ | 1991年06月07日 | 1990年代 | カルナニディ,タミル・ナド州首相,在任中に前首相がマドラスで2度LTTEと会談したのは嘘だと述べた。しかし,彼自身は89年12月から90年2月にかけてLTTE代表団と会談した。 |
DIA-305-1991-06-08-1 | スリランカ | 1991年06月08日 | 1990年代 | 米国務省,米国民にスリランカ北・東部の観光禁止を警告。 |
DIA-305-1991-06-08-2 | スリランカ | 1991年06月08日 | 1990年代 | 大統領顧問,APC民族問題解決案起草委員は6月25日までに包括案を作成すると発表。 |
DIA-305-1991-06-09-1 | スリランカ | 1991年06月09日 | 1990年代 | 追放された英高等弁務官,出発に際して放逐は不当であると訴えた。スリランカの人権問題についても言及。 |
DIA-305-1991-06-10-1 | スリランカ | 1991年06月10日 | 1990年代 | 国連難民高等弁務官は,マンナール県でテロに襲われるが,辛くも逃れた。東部・マンナール島を除く,マンナール県で外出禁止令が続いている。 |
DIA-305-1991-06-12-1 | スリランカ | 1991年06月12日 | 1990年代 | 中央調査局,ガンジー暗殺の犯人の写真を公開。2人のスリランカ人女性NaliniとShobha。そのほか18歳のスリランカ人Muruganに関する情報には報酬を与える。 |
DIA-305-1991-06-12-2 | スリランカ | 1991年06月12日 | 1990年代 | バティカロア県のKokadichcholaiで交戦中に民間人24人が死亡。 |
DIA-305-1991-06-12-3 | スリランカ | 1991年06月12日 | 1990年代 | ガンジー暗殺の犯人に宿泊を提供したマドラスの25歳の青年とその母親が逮捕された。 |
DIA-305-1991-06-13-1 | スリランカ | 1991年06月13日 | 1990年代 | 大統領顧問,LTTEから和平交渉の打診があるという噂を否定。6月以来の死傷者は1369人。 |
DIA-305-1991-06-14-1 | スリランカ | 1991年06月14日 | 1990年代 | バブニヤ西部・Sinnathampanianで800人(500人は北部から300人は西部から徴兵)のLTTEと4時間半におよび戦闘,LTTE側の損失は多大。バブニヤと南部のシンハリ人村落を除いたマンナール,ムライティブ・キリノチチに外出禁止令が発令されている。 |
DIA-305-1991-06-14-2 | スリランカ | 1991年06月14日 | 1990年代 | バティカロア県とアムパラ県の境のLTTE最大基地を襲撃。バティカロア県の外出禁止令は14日に解除された。 |
DIA-305-1991-06-14-3 | スリランカ | 1991年06月14日 | 1990年代 | 大統領,コガラで国内3番目の自由貿易区の開設式に参加し,不純な動機を持った外国人投資家に警告。 |
DIA-305-1991-06-15-1 | スリランカ | 1991年06月15日 | 1990年代 | バティカロア県Kokaddicholaiでおこった2人の民間人殺害事件に関して大統領は調査委員会を任命。 |
DIA-305-1991-06-18-1 | スリランカ | 1991年06月18日 | 1990年代 | 外務大臣,国会でSLFP議員の質問に答えて,台湾がスリランカにおいて外交権を与えられていたことを否定。台北貿易ミッションには外交権は与えられていない。スリランカは中国本土のみを中国人民の代表として認めると断言。スリランカの対中国外交の方針に変化はない。 |
DIA-305-1991-06-19-1 | スリランカ | 1991年06月19日 | 1990年代 | 大統領顧問,スリランカはインドにいるスリランカ難民11万5000人の帰国を歓迎する。 |
DIA-305-1991-06-20-1 | スリランカ | 1991年06月20日 | 1990年代 | トリンコマリー県Weli OyaでLTTE,政府軍兵士16人を待ち伏せ,殺害。一方,バブニヤ35㌔の西の要衝ParaiyanakulamのLTTE基地を襲撃。172人のLTTEが死亡。27人の兵士も死亡。 |
DIA-305-1991-06-21-1 | スリランカ | 1991年06月21日 | 1990年代 | コロンボの国防省共同作戦本部の付近で車が大爆発。約70人が死亡。 |
DIA-305-1991-06-21-2 | スリランカ | 1991年06月21日 | 1990年代 | 北部の外出禁止令,一部解除。 |
DIA-305-1991-06-22-1 | スリランカ | 1991年06月22日 | 1990年代 | スリランカ政府,コロンボのインド大使館の警備を強化する。 |
DIA-305-1991-06-24-1 | スリランカ | 1991年06月24日 | 1990年代 | 9人の一般市民がバティカロア県南の県境Weliga-hakandiaで虐殺された。村落はタミル人村落であるが,LTTEは村民がLTTEに関する情報を流したと疑っている。 |
DIA-305-1991-06-26-1 | スリランカ | 1991年06月26日 | 1990年代 | IMF,経済改革包括提案の一部として政府に輸入関税削減を要請。 |
DIA-305-1991-06-26-2 | スリランカ | 1991年06月26日 | 1990年代 | ジャヤラリタ・タミル・ナド州首相,マドラスで新しいインド・スリランカ協定を結びたいと語る。 |
DIA-305-1991-06-27-1 | スリランカ | 1991年06月27日 | 1990年代 | LTTEパリ事務所のローレンス,コロンボ市内での爆弾事件関与を否定したが,結果には満足していると発表。 |
DIA-305-1991-06-28-1 | スリランカ | 1991年06月28日 | 1990年代 | ADB,セイロン電気局(CEB)の機構見直し・強化に12万5000㌦のA&O諮問的・業務支援的技術援助承認。 |
DIA-305-1991-07-01-1 | スリランカ | 1991年07月01日 | 1990年代 | スリランカ政府,ChilawにあるVOA(ボイスオブアメリカ)基地はインドの利益を害するものではないと言明。 |
DIA-305-1991-07-03-1 | スリランカ | 1991年07月03日 | 1990年代 | 6月21日のコロンボ市内での爆弾はLTTEがジャフナから持ち込んだものと犯罪捜査局が断定。 |
DIA-305-1991-07-05-1 | スリランカ | 1991年07月05日 | 1990年代 | インド訪問中のヘーラット外相にインドは権限の委譲,国民投票による北・東部州の合併など87年の印・ス合意(13次改正憲法)の実施を強く要求。 |
DIA-305-1991-07-05-2 | スリランカ | 1991年07月05日 | 1990年代 | インド中央捜査局(CBI)はガンジー暗殺に関してニューデリー市内でLTTEの70歳の男性と10代の少女を共犯容疑で逮捕した。 |
DIA-305-1991-07-10-1 | スリランカ | 1991年07月10日 | 1990年代 | 2000人のLTTE,エレファント・バスの軍基地を包囲。北部全体に無期限外出禁止令発令。 |
DIA-305-1991-07-13-1 | スリランカ | 1991年07月13日 | 1990年代 | 軍,エレファント・バスのLTTE基地を接収。LTTE側の犠牲者は50人以上。軍側の犠牲者は16人。 |
DIA-305-1991-07-13-2 | スリランカ | 1991年07月13日 | 1990年代 | ポロンナルワ県とバティカロア県の境の2村がLTTEに襲撃され,27人が死亡した。大部分の被害者はムスリム。 |
DIA-305-1991-07-15-1 | スリランカ | 1991年07月15日 | 1990年代 | 海軍もLTTE制圧を開始したが,LTTEは対空武器を入手したもようで,1500㍍以下での攻撃は困難。 |
DIA-305-1991-07-15-2 | スリランカ | 1991年07月15日 | 1990年代 | アメリカ難民委員会,第三国がLTTEと政府の無条件交渉の仲介役になる可能性を示唆。 |
DIA-305-1991-07-16-1 | スリランカ | 1991年07月16日 | 1990年代 | EPDP幹部,LTTEは10日以来,北部の人々を兵士の看護にあたらせているとして,LTTEのファシスト的支配を批判。 |
DIA-305-1991-07-17-1 | スリランカ | 1991年07月17日 | 1990年代 | 10日以来のエレファント・パスでの攻撃で100~200人が死亡。LTTEは1000~2000人を戦闘に投入。 |
DIA-305-1991-07-18-1 | スリランカ | 1991年07月18日 | 1990年代 | 『アイランド』紙,LTTE幹部のヨギが重傷を負った兵士を殺すよう命令したと報道。 |
DIA-305-1991-07-18-2 | スリランカ | 1991年07月18日 | 1990年代 | インド高等弁務官と大統領,スリランカ外相のデリー訪問に向けて会談。来るSAARCサミット,インド・スリランカ共同委員会,トリンコマリー県ChillawのVOA基地についても,話し合いが行なわれる。 |
DIA-305-1991-07-21-1 | スリランカ | 1991年07月21日 | 1990年代 | 大統領,LTTE以外のタミル・グループを交渉の相手とする政府方針を示唆。 |
DIA-305-1991-07-21-2 | スリランカ | 1991年07月21日 | 1990年代 | LTTE,北部で独自の行政組織を組織。通貨の発行も報じられる。 |
DIA-305-1991-07-25-1 | スリランカ | 1991年07月25日 | 1990年代 | イラク,スリランカ紅茶の買い付けを再開。 |
DIA-305-1991-07-29-1 | スリランカ | 1991年07月29日 | 1990年代 | インド・スリランカ合同委員会設立。両国の協力関係を強化する機関。インド外相とヘラルド・ヘーラット・スリランカ外相,デリーで調印。 |
DIA-305-1991-08-01-1 | スリランカ | 1991年08月01日 | 1990年代 | 中銀,居住者外貨預金(RFC)を導入。 |
DIA-305-1991-08-03-1 | スリランカ | 1991年08月03日 | 1990年代 | 大統領,約1カ月(25日)続いたエレファント・パスの戦闘における軍の勝利を発表。同時に和平交渉を呼びかけ。非公式筋によると今回の戦闘で軍は200人死亡,700人負傷,LTTEは500人死亡,900人負傷。 |
DIA-305-1991-08-03-2 | スリランカ | 1991年08月03日 | 1990年代 | ロンドン在住のキットゥ,英政府より7日までに退去するようとの勧告を受けたことが明らかになった。 |
DIA-305-1991-08-04-1 | スリランカ | 1991年08月04日 | 1990年代 | ヘーラット外相,インド首相と会談。インド側は少数派の権利尊重を主張し,87年合意の実施を要請。 |
DIA-305-1991-08-05-1 | スリランカ | 1991年08月05日 | 1990年代 | インド国防省,タミル・ナド州におけるLTTE攻撃開始。 |
DIA-305-1991-08-06-1 | スリランカ | 1991年08月06日 | 1990年代 | 中央銀行,同行のカウンターでルピーで金を買うことができると発表。従来は銀行における外貨払いであった。 |
DIA-305-1991-08-07-1 | スリランカ | 1991年08月07日 | 1990年代 | 91年8月22日に予定されていた北・東部の国民投票は大統領令によって92年2月22日に延期された。当初は87年の合意により88年12月31日に国民投票をすることになっていた。争点は,(1)北部と東部は行政的にも融合していてもよいのか,(2)別の行政単位であるべきであるか。 |
DIA-305-1991-08-08-1 | スリランカ | 1991年08月08日 | 1990年代 | 90年6月以来禁止されていた北・東部への食糧の輸送が解除された。 |
DIA-305-1991-08-09-1 | スリランカ | 1991年08月09日 | 1990年代 | スリランカ国会,全会一致で民族抗争を解決する議員委員会の任命を決定。この動議はSLFP議員から提出された。国家の分裂を防ぎ,軍・市民の殺戮。暴力の横行をなくす。平和と安定,軍事費削減を目指す。全政党会議の失敗を反省した組織。 |
DIA-305-1991-08-10-1 | スリランカ | 1991年08月10日 | 1990年代 | 大統領顧問,ロンドンに出発。LTTEとヨーロッパで交渉を行なうと噂されている。 |
DIA-305-1991-08-12-1 | スリランカ | 1991年08月12日 | 1990年代 | モルジブの大統領来島(~14日)。 |
DIA-305-1991-08-13-1 | スリランカ | 1991年08月13日 | 1990年代 | 13日付『アイランド』紙,LTTEはジャフナで発券をともなう銀行業務を開始,スリランカ紙幣を回収,と報道。 |
DIA-305-1991-08-18-1 | スリランカ | 1991年08月18日 | 1990年代 | 12人のLTTEがインドのカルナータカ州で青酸カリで服毒自殺。 |
DIA-305-1991-08-20-1 | スリランカ | 1991年08月20日 | 1990年代 | ガンジー暗殺犯人,LTTEのシバラサン(32歳)がカルナータカ州のバンガロール郊外で警官隊との銃撃戦の末,拳銃で自殺。共犯の女性を含む六人も服毒自殺。 |
DIA-305-1991-08-22-1 | スリランカ | 1991年08月22日 | 1990年代 | LTTEのバラシンガム,ジャフナで記者団の質問に応じ,政府との和平交渉に応じる用意があると語る。バラシンガムは政府側の交渉相手としてタミル人閣僚トンダマン,交渉場所としてジャフナを指定。 |
DIA-305-1991-08-28-1 | スリランカ | 1991年08月28日 | 1990年代 | ラリト教育相,ガミニの2人が反大統領与党議員と野党議員を組織し,憲法38条2項に基づき,大統領弾劾動議を議長H・モハメドに提出。 |
DIA-305-1991-08-28-2 | スリランカ | 1991年08月28日 | 1990年代 | 外交筋によると,キットウはパリに到着した(在スリランカ・仏大使館もこれを確認した)。 |
DIA-305-1991-08-29-1 | スリランカ | 1991年08月29日 | 1990年代 | 軍はトリンコマリー県で重点攻撃を開始。55人の軍兵士,400人以上のLTTEが死亡したと報告されている。 |
DIA-305-1991-08-29-2 | スリランカ | 1991年08月29日 | 1990年代 | 軍,大統領弾劾動議に対し中立を保つよう警告。 |
DIA-305-1991-08-30-1 | スリランカ | 1991年08月30日 | 1990年代 | 大統領,国会の機能を9月24日まで停止させる。 |
DIA-305-1991-08-30-2 | スリランカ | 1991年08月30日 | 1990年代 | シリマボ,「動議は大統領個人を弾劾しているのであってUNPを弾劾しているのではない。国家は今危機に瀕している」。 |
DIA-305-1991-09-01-1 | スリランカ | 1991年09月01日 | 1990年代 | ラリト,今回の大統領弾劾動議に外国の支援はないと否定,またインドがタミル人国会議員(EPRLF)に動議に参加するよう説得したことも否定。 |
DIA-305-1991-09-01-2 | スリランカ | 1991年09月01日 | 1990年代 | プラバカラン,ジャフナで政府に平和会議を要求。国際会議も提唱。 |
DIA-305-1991-09-02-1 | スリランカ | 1991年09月02日 | 1990年代 | 大統領,UNP議員122人のうち116人から動議反対の署名を得たと発表。動議にも名前を連ねている人物がいるため,議長はこれを調査する。同時に大統領は国民投票による議会制への移行を考慮中と明らかにした。 |
DIA-305-1991-09-03-1 | スリランカ | 1991年09月03日 | 1990年代 | ラリト,IPKF駐留時に政府がLTTEに武器を供給していたことを暴露。ガミニ,ラリトとシリセナ・クーレイ,ラニル・ウィクレマシンハが会見。ガミニは無記名選挙を要求。 |
DIA-305-1991-09-03-2 | スリランカ | 1991年09月03日 | 1990年代 | 首相が率いるUNP議員116人がモハメド議長と会談。2日に全会一致で議決した文書を手渡した。 |
DIA-305-1991-09-03-3 | スリランカ | 1991年09月03日 | 1990年代 | 政府,従来認可制であった紅茶の売買を改め,生産者に10%の販売枠を認めた。 |
DIA-305-1991-09-03-4 | スリランカ | 1991年09月03日 | 1990年代 | 日本の経済ミッション40人が来島。 |
DIA-305-1991-09-04-1 | スリランカ | 1991年09月04日 | 1990年代 | プラバカラン,BBCのインタビューに答える。LTTEはいつでも交渉をする用意があるが交渉は無条件で行なわれなければならない。またLTTEによるラジブ・ガンジー暗殺を否定。しかしインドとLTTEが対立関係にあったことを認め,インドを非難。 |
DIA-305-1991-09-05-1 | スリランカ | 1991年09月05日 | 1990年代 | ラニル,国会規定により無記名選挙は行なわれないと発表。 |
DIA-305-1991-09-05-2 | スリランカ | 1991年09月05日 | 1990年代 | 軍当局,8月26日のWeli Oyae地区の戦闘でLTTEの226人が死亡と発表。 |
DIA-305-1991-09-05-3 | スリランカ | 1991年09月05日 | 1990年代 | 大統領顧問,ロンドンでLTTEと話し合いをした事実はないと言明。 |
DIA-305-1991-09-06-1 | スリランカ | 1991年09月06日 | 1990年代 | UNP役員会は,8人の国会議員をUNPから追放すると決定。対象者はLalith Athulathmudali,Gamini Dassanayake,G.M.Premachandra,Laxsman Seneviratne,Smaraweera Weerawanni,Chandra Gankanda,K.Vincent Perera,Premaratne Gunasekara。 |
DIA-305-1991-09-10-1 | スリランカ | 1991年09月10日 | 1990年代 | ラリト,コロンボ郊外のヌケゴダで大規模な集会を開き,大統領のワンマン政治を批判。UNP内部の分裂ではなく,あくまで大統領批判であることを強調。 |
DIA-305-1991-09-10-2 | スリランカ | 1991年09月10日 | 1990年代 | 全国に170万人いる難民のために,イタリア政府が250万㌦供与。 |
DIA-305-1991-09-10-3 | スリランカ | 1991年09月10日 | 1990年代 | ヘーラット外相,パキスタン首相にSAARCサミット出席要請の書簡を手渡した。外相はネパール,ブータン,バングラデシュも訪問する予定。 |
DIA-305-1991-09-11-1 | スリランカ | 1991年09月11日 | 1990年代 | 大統領顧問,法務長官に国会停止にともなう憲法上の問題を検討するように要請。 |
DIA-305-1991-09-12-1 | スリランカ | 1991年09月12日 | 1990年代 | アラブ連合外相会議でアラブ諸国はスリランカ政府に対しイスラエル代表部の閉鎖を感謝。 |
DIA-305-1991-09-12-2 | スリランカ | 1991年09月12日 | 1990年代 | 『アイランド』紙,AIが最近の報告書でLTTEの人権侵害を批判と報道。 |
DIA-305-1991-09-12-3 | スリランカ | 1991年09月12日 | 1990年代 | 造反派のプレマチャンドラン,政府とこれ以上話し合いを持たないと言明。 |
DIA-305-1991-09-12-4 | スリランカ | 1991年09月12日 | 1990年代 | 11日の大統領顧問の要請に関する司法長官の返事「国会の停会決定前に議長が議事日程に記載することにより弾劾動議を承認しなかったから,動議は次回の国会で審議されることはない」。また大統領は国会を解散することができることを示唆。 |
DIA-305-1991-09-12-5 | スリランカ | 1991年09月12日 | 1990年代 | IMF,91~94年の4年間にわたる4億5000万㌦の構造調整融資を認可と発表。 |
DIA-305-1991-09-12-6 | スリランカ | 1991年09月12日 | 1990年代 | トンダマン,CWCの代表としてインド首相と会談。北・東部のタミル難民問題,ラジブ・ガンジー暗殺問題について協議(16日帰国)。 |
DIA-305-1991-09-12-7 | スリランカ | 1991年09月12日 | 1990年代 | 大統領,司法長官の回答を議長に伝えた。 |
DIA-305-1991-09-14-1 | スリランカ | 1991年09月14日 | 1990年代 | 政府,2~3週間の間,国会議員に海外旅行を控えるよう要請。 |
DIA-305-1991-09-16-1 | スリランカ | 1991年09月16日 | 1990年代 | 大統領,1989年にLTTEと共にTNA(タミル国家軍)と戦ったことを認めた。 |
DIA-305-1991-09-17-1 | スリランカ | 1991年09月17日 | 1990年代 | ラリト,再び大統領弾劾動議の提出を検討中。 |
DIA-305-1991-09-17-2 | スリランカ | 1991年09月17日 | 1990年代 | 『アイランド』紙,ジェノバで行なわれた人権に関する国連会議でPLOTEのリーダーがLTTEの人権侵害,政府軍による強制退去に関し報告,また難民に対する措置の必要性を主張と報道。 |
DIA-305-1991-09-17-3 | スリランカ | 1991年09月17日 | 1990年代 | 『アイランド』紙,トンダマンにインタビュー,9月5日,デリーに出発する前に,国際赤十字を通してLTTE(プラバカラン)に平和会談を持ちかける書簡を書いた。しかし今のところLTTEからの返事はない。 |
DIA-305-1991-09-18-1 | スリランカ | 1991年09月18日 | 1990年代 | 更に2人の閣僚が辞任。Ravindra Samaraweera(労働担当閣外相),Aryaratne Jayatilleke(鉱業プロジェクト相)は大統領がLTTEに武器を供与していたという理由から辞任。 |
DIA-305-1991-09-18-2 | スリランカ | 1991年09月18日 | 1990年代 | 大統領顧問,1995年までの4カ年開発計画を公表。大統領はこの計画書を根拠に国会の解散はないと主張。また大統領弾劾動議に署名したからといって,法的な処罰を受けることはないと言明。 |
DIA-305-1991-09-19-1 | スリランカ | 1991年09月19日 | 1990年代 | 軍,北西部Weli OyaのMichael基地で戦闘が継続中,LTTEは3000人を動員していると発表。 |
DIA-305-1991-09-19-2 | スリランカ | 1991年09月19日 | 1990年代 | サンパス銀行,海外雇用部を開設。外国雇用に関する事務,職の斡旋,航空券の売買,帰国後の自営開始などを扱う。 |
DIA-305-1991-09-20-1 | スリランカ | 1991年09月20日 | 1990年代 | 軍,20日にLTTEの最大の基地(ムライティブ県)を掌握。約1カ月間の戦闘でLTTE側620人,政府軍60人が死亡。 |
DIA-305-1991-09-20-2 | スリランカ | 1991年09月20日 | 1990年代 | アメリカとスリランカ,(1)投資促進,(2)知的所有権保護,(3)二重課税回避について二国間協定締結。 |
DIA-305-1991-09-20-3 | スリランカ | 1991年09月20日 | 1990年代 | 大統領支持の僧侶500人がコロンボで集会。 |
DIA-305-1991-09-21-1 | スリランカ | 1991年09月21日 | 1990年代 | 大統領,もしUNPが国会の過半数を失った場合,アヌラが首相になることを望むと演説。 |
DIA-305-1991-09-22-1 | スリランカ | 1991年09月22日 | 1990年代 | ラリト,造反派の集会でLTTEに武器を供与したことを理由に大統領に辞職を要求。ガミニ,政府はLTTEに対空兵器17基を供与していたと暴露。 |
DIA-305-1991-09-23-1 | スリランカ | 1991年09月23日 | 1990年代 | 大統領,大統領の地位に留まる決意を表明。 |
DIA-305-1991-09-23-2 | スリランカ | 1991年09月23日 | 1990年代 | LTTE,造反派支持を表明。また16日の大統領による軍・LTTEの関係に関する発言を否定。軍とLTTEは,TNAを倒すのに協力していない。 |
DIA-305-1991-09-23-3 | スリランカ | 1991年09月23日 | 1990年代 | EDF(EROSの政治団体),EROSはLTTEのパートナーではないと否定。 |
DIA-305-1991-09-24-1 | スリランカ | 1991年09月24日 | 1990年代 | 第4期国会が大統領への罵声の中で開催された。 |
DIA-305-1991-09-25-1 | スリランカ | 1991年09月25日 | 1990年代 | 野党,LTTEに武器を供与した件で政府に不信任動議を提出。議長はデリーでの会議に出席するために同日離島。 |
DIA-305-1991-09-25-2 | スリランカ | 1991年09月25日 | 1990年代 | LTTE,ICRCを通して書簡でトンダマンにジャフナでの和平交渉を呼びかけ。これに対してトンダマンも27日,LTTE幹部のマハッタヤに宛てた書簡で対話条件の提出を要求。 |
DIA-305-1991-09-26-1 | スリランカ | 1991年09月26日 | 1990年代 | LTTE,9人のEROSの国会復帰を承認。選挙管理委員会にEROS議員を再任命するように要請する見込み。 |
DIA-305-1991-09-27-1 | スリランカ | 1991年09月27日 | 1990年代 | 大統領,ジャナサビヤ貧困撲滅計画の第3段階は92年2月から開始と発表。 |
DIA-305-1991-09-28-1 | スリランカ | 1991年09月28日 | 1990年代 | 軍,全島的なLTTE撲滅作戦開始。マンナール島を除くマンナール県に無期限夜間外出禁止令を発令。 |
DIA-305-1991-09-30-1 | スリランカ | 1991年09月30日 | 1990年代 | インド首相,スリランカ政府の対LTTE武器供与を批判。 |
DIA-305-1991-09-30-2 | スリランカ | 1991年09月30日 | 1990年代 | シリマボ,EROS議員の国会復帰に驚きを表明。議員への便宜がLTTEの活動に使用されるのではと懸念。 |
DIA-305-1991-10-03-1 | スリランカ | 1991年10月03日 | 1990年代 | 野党5党,UNPに議会制への回帰と政治の民主的な運用を求めた共同声明を発表。 |
DIA-305-1991-10-03-2 | スリランカ | 1991年10月03日 | 1990年代 | インド首相,SAARCサミット出席を表明。 |
DIA-305-1991-10-04-1 | スリランカ | 1991年10月04日 | 1990年代 | 造反派,最高裁にUNPの役員を訴える。 |
DIA-305-1991-10-05-1 | スリランカ | 1991年10月05日 | 1990年代 | Dr.P.M.B.Cyril(前保健副相)が造反派につき,これで造反派は12人となった。 |
DIA-305-1991-10-06-1 | スリランカ | 1991年10月06日 | 1990年代 | 北部州に外出禁止令発令さる。 |
DIA-305-1991-10-07-1 | スリランカ | 1991年10月07日 | 1990年代 | 議長,大統領弾劾動議は弾劾に必要な人数に達していないという理由から却下した。 |
DIA-305-1991-10-07-2 | スリランカ | 1991年10月07日 | 1990年代 | 国連人権センターの代表団が来島。10日間でバティカロア,ハンバトタ,キャンディを視察,非政府活動組織とも話し合う。 |
DIA-305-1991-10-08-1 | スリランカ | 1991年10月08日 | 1990年代 | 5野党,モハメド議長不信任案を議長自身に提出。 |
DIA-305-1991-10-09-1 | スリランカ | 1991年10月09日 | 1990年代 | 野党,内閣不信任案の審議を当面断念。同案の失効が確定した。 |
DIA-305-1991-10-10-1 | スリランカ | 1991年10月10日 | 1990年代 | 議長不信任案,123対85で否決された。TULF,TELO,EROS,SLMCは政府支持。 |
DIA-305-1991-10-15-1 | スリランカ | 1991年10月15日 | 1990年代 | 政府,効率的で公正な閣議運営のために大臣補佐の制度を導入。 |
DIA-305-1991-10-16-1 | スリランカ | 1991年10月16日 | 1990年代 | 政府軍,LTTEの拠点を激しく攻撃。政府軍30人,LTTE側80人が死亡した。 |
DIA-305-1991-10-16-2 | スリランカ | 1991年10月16日 | 1990年代 | 首相,ジンバブエでの英連邦首長会議に出席。 |
DIA-305-1991-10-17-1 | スリランカ | 1991年10月17日 | 1990年代 | All Indian Radioの記者,誤報を理由に国外退去命令を受けた。これに対し,インド高等弁務官はスリランカに対し不満を表明。 |
DIA-305-1991-10-19-1 | スリランカ | 1991年10月19日 | 1990年代 | 軍,ジャフナ半島の戦闘を強化。 |
DIA-305-1991-10-22-1 | スリランカ | 1991年10月22日 | 1990年代 | アヌラ,全会一致でSLFP党書記に任命された。 |
DIA-305-1991-10-22-2 | スリランカ | 1991年10月22日 | 1990年代 | 野党の党首ら,議長に対する不信感から国会審議開催前の党指導者会議をボイコット。 |
DIA-305-1991-10-23-1 | スリランカ | 1991年10月23日 | 1990年代 | 国会が開催されるが,議長に対する野党の罵声で継続が不可能になり,24日に延期される。 |
DIA-305-1991-10-24-1 | スリランカ | 1991年10月24日 | 1990年代 | シリマボ,中国へ出発(11月15日帰国)。 |
DIA-305-1991-10-29-1 | スリランカ | 1991年10月29日 | 1990年代 | モサド委員会,報告書を提出。それによると,スリランカのテロがイスラエルで軍事訓練を受けた事実はない。 |
DIA-305-1991-10-30-1 | スリランカ | 1991年10月30日 | 1990年代 | エアランカ,サウジアラビアのジェッダへ就航。 |
DIA-305-1991-10-30-2 | スリランカ | 1991年10月30日 | 1990年代 | ブータン国王,SAARCサミット出席を確約。 |
DIA-305-1991-10-31-1 | スリランカ | 1991年10月31日 | 1990年代 | 4野党(SLFP,MEP,USA,EPRLF)第2回目の議長不信任案を提出。 |
DIA-305-1991-11-01-1 | スリランカ | 1991年11月01日 | 1990年代 | インド政府,タミル・ナド州のスリランカ難民を12月初旬に送還すると決定。5万3000人のうち1万6000人が帰国を希望している。 |
DIA-305-1991-11-01-2 | スリランカ | 1991年11月01日 | 1990年代 | 軍に共同作戦本部JOCが設立され,北部における対LTTE作戦が強化される。 |
DIA-305-1991-11-02-1 | スリランカ | 1991年11月02日 | 1990年代 | 造反派の集会でプレマチャンドランの演説中,爆破事件が発生。約5万人が集まっており,民間人少なくとも11人が負傷。 |
DIA-305-1991-11-02-2 | スリランカ | 1991年11月02日 | 1990年代 | 外務次官,7日から開催されるSAARCサミットにスリランカの他6カ国が参加すると発表。 |
DIA-305-1991-11-03-1 | スリランカ | 1991年11月03日 | 1990年代 | ムスリム4万人が北西部州プッタラムでLTTEに対して抗議デモ。 |
DIA-305-1991-11-04-1 | スリランカ | 1991年11月04日 | 1990年代 | 投資フォーラムが開かれる。19カ国150名が参加(~7日)。 |
DIA-305-1991-11-05-1 | スリランカ | 1991年11月05日 | 1990年代 | SAARC参加5カ国(ブータンとインドを除く)の外相会議が開催される。 |
DIA-305-1991-11-06-1 | スリランカ | 1991年11月06日 | 1990年代 | 南アジア地域連合(SAARC)の第6回首脳会議の無期延期が決まる。ブータンのワンチュク国王が国内事情を理由に欠席を通告したのに伴い,インド(ラオ首相),ネパール(コイララ首相)が「全ての国の首脳クラスが集まらなければ意味がない,と会議の延期を要請したため。 |
DIA-305-1991-11-08-1 | スリランカ | 1991年11月08日 | 1990年代 | アヌラ,UNPの外交を批判。 |
DIA-305-1991-11-08-2 | スリランカ | 1991年11月08日 | 1990年代 | インド沿岸警備隊,東南アジアで武器を調達したLTTEの船2隻をタミル・ナド沖で拿捕。 |
DIA-305-1991-11-09-1 | スリランカ | 1991年11月09日 | 1990年代 | トンダマン,LTTEから新たた書簡を受理したと発表。 |
DIA-305-1991-11-12-1 | スリランカ | 1991年11月12日 | 1990年代 | 国会で蔵相の予算演説。歳出1566億ルピー,赤字696億ルピー。国防費は予算全体の約10%に達する。 |
DIA-305-1991-11-13-1 | スリランカ | 1991年11月13日 | 1990年代 | アヌラ,声明を発表。プレマダーサ大統領の権限を抑制し,議会民主主義を復活させるために全政党,組織が結集する必要がある。 |
DIA-305-1991-11-15-1 | スリランカ | 1991年11月15日 | 1990年代 | 外務省,モルジブ外相が各国を訪問して第6回SAARCサミットの日程をあらたに決定すると発表。 |
DIA-305-1991-11-18-1 | スリランカ | 1991年11月18日 | 1990年代 | コロンボ周辺の2大学で学生が衝突。警祭が出動。 |
DIA-305-1991-11-20-1 | スリランカ | 1991年11月20日 | 1990年代 | LTTE幹部のキットゥ,スイスに亡命を申請。 |
DIA-305-1991-11-20-2 | スリランカ | 1991年11月20日 | 1990年代 | 大学附属カレッジ(AUC)が発足。 |
DIA-305-1991-11-22-1 | スリランカ | 1991年11月22日 | 1990年代 | 予算案,121対59で国会通過。EROS,SLMCは予算案に賛成。 |
DIA-305-1991-11-23-1 | スリランカ | 1991年11月23日 | 1990年代 | 15閣僚が北部州バブニヤを視察。 |
DIA-305-1991-11-24-1 | スリランカ | 1991年11月24日 | 1990年代 | 軍,20日から27日までジャフナでLTTEによる戦没者追悼記念式典が開催されていると発表。軍はジャフナに非常事態宣言を発令(12月1日に解除)。 |
DIA-305-1991-11-27-1 | スリランカ | 1991年11月27日 | 1990年代 | 首相,国会で2つの国有銀行と鉄道は民営化しないと言明。 |
DIA-305-1991-11-27-2 | スリランカ | 1991年11月27日 | 1990年代 | 政府,SAARCサミットは12月末に1日だけ開催と決定。 |
DIA-305-1991-11-28-1 | スリランカ | 1991年11月28日 | 1990年代 | 首相,もしLTTEが民主的な方法をとらないのならば,政府はLTTEを撲滅させるまで戦うと宣言。 |
DIA-305-1991-11-28-2 | スリランカ | 1991年11月28日 | 1990年代 | 科学技術相,GCEC以外の工場に適用されるタックスホリデーの期間を延長すると定例閣議で発表。 |
DIA-305-1991-11-29-1 | スリランカ | 1991年11月29日 | 1990年代 | チャンドリカとBNP議員ら16人がSLFPの地方支部に加盟。シリマボと代理書記のDharmasiri Senanayakeがこれを認可。 |
DIA-305-1991-12-02-1 | スリランカ | 1991年12月02日 | 1990年代 | アヌラ,チャンドリカをはじめとするBNP議員の入党は党の規約に反すると訴えた。これに対してシリマボは党の規約は熟知していると反論。 |
DIA-305-1991-12-02-2 | スリランカ | 1991年12月02日 | 1990年代 | 軍,軍は北部でLTTEに投降を呼びかけるビラをヘリコプターで散布したが,LTTE側はこれを拒否と発表。 |
DIA-305-1991-12-03-1 | スリランカ | 1991年12月03日 | 1990年代 | 最高裁,9月6日のUNP役員委員会決定による造反派議員8人の党からの追放は合法的と判決。これで8人は正式に国会議員の資格を失った。 |
DIA-305-1991-12-03-2 | スリランカ | 1991年12月03日 | 1990年代 | 造反派はUnited Democratic National Front(統一民主国民戦線)を設立すると発表。 |
DIA-305-1991-12-03-3 | スリランカ | 1991年12月03日 | 1990年代 | モルジブ大統領,SAARCサミットは21日開催すると発表。 |
DIA-305-1991-12-04-1 | スリランカ | 1991年12月04日 | 1990年代 | インド国会内にLTTE調査委員会が設置された。 |
DIA-305-1991-12-05-1 | スリランカ | 1991年12月05日 | 1990年代 | 軍,コロンボ市内で36㌔の爆弾を積んだ車両が発見されたと発表。 |
DIA-305-1991-12-06-1 | スリランカ | 1991年12月06日 | 1990年代 | 政府,イギリスとカナダがコロンボ・プランから脱退と発表。 |
DIA-305-1991-12-07-1 | スリランカ | 1991年12月07日 | 1990年代 | 大統領,バブニヤを訪問,行政と市民生活の正常化への努力を表明。 |
DIA-305-1991-12-08-1 | スリランカ | 1991年12月08日 | 1990年代 | 仏教僧の団体,トンダマンの提案はスリランカの独立を脅かすものだとして反対を表明。 |
DIA-305-1991-12-09-1 | スリランカ | 1991年12月09日 | 1990年代 | ジャフナでLTTEとトンダマンの話し合いが予定されていたが,大統領の許可がまだないという理由で延期になった。 |
DIA-305-1991-12-10-1 | スリランカ | 1991年12月10日 | 1990年代 | 日本政府と6億5500万ルピーの援助に調印。 |
DIA-305-1991-12-11-1 | スリランカ | 1991年12月11日 | 1990年代 | UDNF事務所開設。労働組合も分裂。 |
DIA-305-1991-12-12-1 | スリランカ | 1991年12月12日 | 1990年代 | 8人の新国会議員らが宣誓を行なう。 |
DIA-305-1991-12-14-1 | スリランカ | 1991年12月14日 | 1990年代 | 大統領,92年の政治経済の展望と94年までの計画を発表。 |
DIA-305-1991-12-15-1 | スリランカ | 1991年12月15日 | 1990年代 | UNPの第37回年次大会。約2万人が出席。 |
DIA-305-1991-12-18-1 | スリランカ | 1991年12月18日 | 1990年代 | 復旧省次官,タミル・ナド州のスリランカ難民2万人が帰国を望んでおり,帰国の第1陣は1月15日以降になる見込みと発表。 |
DIA-305-1991-12-21-1 | スリランカ | 1991年12月21日 | 1990年代 | SAARCサミット開催。 |
DIA-305-1991-12-27-1 | スリランカ | 1991年12月27日 | 1990年代 | 全土のシンハラ人の安全のためにSinhara Arakshaka Sanvidhanayaがつくられた。 |
DIA-305-1991-12-28-1 | スリランカ | 1991年12月28日 | 1990年代 | 『アイランド』,SLFP,NSSP,LSSP,CP,BNP,UNDFらが野党共同戦線を結成したと報道。来年早々から積極的な活動を予定。 |
DIA-305-1992-01-02-1 | スリランカ | 1992年01月02日 | 1990年代 | ラナシンハ・プレマダーサ大統領は,大統領就任三周年記念式典において,北・東部州の危機に関するいかなる政治解決も,議会の特別委員会の同意を得ないで,実施することはありえないと明言する。 |
DIA-305-1992-01-06-1 | スリランカ | 1992年01月06日 | 1990年代 | 1987年のインド―スリランカ和平協定に基づいて,両国外相が出席する合同委員会が,ニューデリーにおいて4年半ぶりに開催されて,約23万人のスリランカ・タミル難民の帰国問題が話し合われた。 |
DIA-305-1992-01-10-1 | スリランカ | 1992年01月10日 | 1990年代 | 「タミル・イーラム解放の虎」(LTTE)が,スリランカ政府軍の攻勢を予期して5000の棺桶を注文した,とコロンボの赤十字幹部が述べる。 |
DIA-305-1992-01-16-1 | スリランカ | 1992年01月16日 | 1990年代 | プレマダーサ大統領は,1992年を「貿易の年」と宣言し,全島200郡にもれなく輸出用縫製工場を建設し,計10万人の雇用を創出すると発表した。 |
DIA-305-1992-01-22-1 | スリランカ | 1992年01月22日 | 1990年代 | 750人のスリランカ・タミル人が,南インドのタミル・ナードゥ州からトリンコマリー港に帰還。 |
DIA-305-1992-01-23-1 | スリランカ | 1992年01月23日 | 1990年代 | キリンディ漁港復興事業のために,日本政府は2800万円の贈与を行なう交換公文に調印した。 |
DIA-305-1992-02-01-1 | スリランカ | 1992年02月01日 | 1990年代 | インド中央捜査局の証拠に基づきマドラス地方裁判所は,ラジーヴ・ガンディー首相暗殺事件の被告としてLTTEのプラバーカラン委員長に2月28日までに同裁判所へ出頭するよう命令した。 |
DIA-305-1992-02-09-1 | スリランカ | 1992年02月09日 | 1990年代 | パリで開催されたスリランカ援助国会議で先進工業国と国際援助機関から,計8億2500万㌦の援助の申し出がなされた。日本政府は,コロンボ港拡張事業等に337億3500万円の借款供与を表明した。 |
DIA-305-1992-02-15-1 | スリランカ | 1992年02月15日 | 1990年代 | 政府は,ジャフナ半島における72時間の外出禁止令を布告した。政府軍の攻勢始まる。 |
DIA-305-1992-02-17-1 | スリランカ | 1992年02月17日 | 1990年代 | 工業省が,スリランカに存在しない製造業種への新規投資,500万ルビー以上の規模の設備投資をする既存企業および工業団地への投資に免税措置を拡大と発表。 |
DIA-305-1992-02-18-1 | スリランカ | 1992年02月18日 | 1990年代 | オーストラリアでスリランカ・タミル人商人が航空券や通貨を偽造し,イスラエルからLTTEのために武器を購入していたことが判明し,摘発された。 |
DIA-305-1992-02-21-1 | スリランカ | 1992年02月21日 | 1990年代 | ヴィジェトンガ首相は,プランテーションを管理している政府の2公社が,過去20年間に10億㌦の赤字を出したので,民営化を進めるが外国企業には譲渡しない,と議会で答弁する。 |
DIA-305-1992-02-28-1 | スリランカ | 1992年02月28日 | 1990年代 | LTTE軍が北・東部州にて政府軍と交戦して,前者に121名,後者に21名の戦死者を出した,と政府が発表した。外出禁止令が布告される。 |
DIA-305-1992-03-02-1 | スリランカ | 1992年03月02日 | 1990年代 | 北部州の前線においてLTTE軍が30名の戦死者を出し,東部州で政府軍兵士19名の死体を収容した,と政府が発表した。 |
DIA-305-1992-03-05-1 | スリランカ | 1992年03月05日 | 1990年代 | ヴァヴニア地区においてLTTEの女性兵士25名が爆死した,とインドのHindu紙が報道する。 |
DIA-305-1992-03-10-1 | スリランカ | 1992年03月10日 | 1990年代 | 政府は,公的部門のプランテーションの所有権を保持する一方,経営権を94年6月までに私企業に譲渡する,と最終的に決定した。 |
DIA-305-1992-03-17-1 | スリランカ | 1992年03月17日 | 1990年代 | ジャフナ沖の海上で,インドのトロール漁船がスリランカ海軍に砲撃され,炎上した。3月26日の記者会見でフェルナンド海軍司令官がこの事実を認める。 |
DIA-305-1992-03-19-1 | スリランカ | 1992年03月19日 | 1990年代 | マルディヴ共和国の領海内で漁労中のスリランカ漁船5隻を拿捕したとコロンボの同国大使館が発表。 |
DIA-305-1992-03-30-1 | スリランカ | 1992年03月30日 | 1990年代 | セイロン電力公社が,旱魃のため4月1日より送電時間を全島的に削減する,と発表した。 |
DIA-305-1992-04-01-1 | スリランカ | 1992年04月01日 | 1990年代 | 政府軍とLTTEは,教育省が実施する統一試験(10年次)の期間のみ休戦することに同意した。 |
DIA-305-1992-04-04-1 | スリランカ | 1992年04月04日 | 1990年代 | 今回の旱魃による被害は,40万世帯に及び公的支出が6億ルビーに達する,と政府が発表する。 |
DIA-305-1992-04-09-1 | スリランカ | 1992年04月09日 | 1990年代 | 元警祭庁次長のウドゥガンポラは,公権力が政争による集団的な殺人事件に関与したと言明した。この証言を重視した7野党幹部は合同記者会見を行ない,プレマダーサ大統領と内閣の辞職を求めた。 |
DIA-305-1992-04-14-1 | スリランカ | 1992年04月14日 | 1990年代 | LTTE幹部でロンドンに駐在していたクリシュナクマールが,フランス,スイス,インド経由で帰国。 |
DIA-305-1992-04-23-1 | スリランカ | 1992年04月23日 | 1990年代 | シンハラ仏教僧の代表団がジャフナを訪問し,LTTE幹部と内戦の和平条件(13項目)について話し合う。しかし,合意に至らなかった(26日)。 |
DIA-305-1992-04-30-1 | スリランカ | 1992年04月30日 | 1990年代 | インド大使は,プレマダーサ大統領がハンバントタで行なった演説で,インド平和維持軍を占領軍と呼んだことに抗議する文書をスリランカ外務省に手交。 |
DIA-305-1992-05-04-1 | スリランカ | 1992年05月04日 | 1990年代 | ノールウェイ政府代表団が人権問題の調査のため来島。調査結果を経済援助額に反映させる予定。 |
DIA-305-1992-05-14-1 | スリランカ | 1992年05月14日 | 1990年代 | インド政府はLTTEの政治活動禁止とプラバーカラン委員長の身柄引渡しをスリランカ政府に要求。しかし,スリランカ政府はLTTEを非合法化しない方針。 |
DIA-305-1992-05-24-1 | スリランカ | 1992年05月24日 | 1990年代 | サルヴォーダヤ運動の指導老アーリヤラトナ博士が,日本の庭野平和賞を受ける。同氏は,現大統領になってから,さまざまな形でサルヴォーダヤ運動が政府に妨害されるようになり,障害が増えたと述べる。 |
DIA-305-1992-05-26-1 | スリランカ | 1992年05月26日 | 1990年代 | マルディヴ経済水域で漁労し,抑留されていたスリランカ漁民26名が釈放されコロンボに帰国する。 |
DIA-305-1992-06-05-1 | スリランカ | 1992年06月05日 | 1990年代 | 南西地方に豪雨が降り,約2万世帯が洪水の被害を受ける。コロンボの降水量493.7mmは観測史上最高。日本政府は10万㌦の災害緊急援助を行なう。 |
DIA-305-1992-06-18-1 | スリランカ | 1992年06月18日 | 1990年代 | カルナティラカ中央銀行総裁は,公費を濫用した疑いで辞任。後任はディサナーヤカ大蔵次官補。 |
DIA-305-1992-06-24-1 | スリランカ | 1992年06月24日 | 1990年代 | 南部のブーサ収容所において,人民解放戦線(JVP)運動で拘留されている収監者約600人が暴動を起こし,警察に1名が射殺され60名が負傷する。 |
DIA-305-1992-06-25-1 | スリランカ | 1992年06月25日 | 1990年代 | 電力・エネルギー省は,トリンコマリー県に400億ルビーで火力発電所を建設することを決める。 |
DIA-305-1992-06-30-1 | スリランカ | 1992年06月30日 | 1990年代 | 政府軍は,過去3日間に北部州で激しい軍事作戦を展開した。この戦闘でLTTE兵士260名以上,政府軍33名が戦死した,と政府が発表する。 |
DIA-305-1992-07-03-1 | スリランカ | 1992年07月03日 | 1990年代 | IMFと世界銀行の代表団は2週間の滞在後,財政赤字を国内総生産の8.8%以内に縮小するなどの経済改革を勧告して,ワシントンに帰任した。 |
DIA-305-1992-07-04-1 | スリランカ | 1992年07月04日 | 1990年代 | ジャフナ上空で中国製軍用輸送機が爆破され,6名の将校を含む19名の空軍兵士が戦死する。 |
DIA-305-1992-07-11-1 | スリランカ | 1992年07月11日 | 1990年代 | 北部州の政府軍基地が,LTTEのゲリラ軍によって攻撃され,46名の兵士が戦死する。 |
DIA-305-1992-07-12-1 | スリランカ | 1992年07月12日 | 1990年代 | プレマダーサ大統領は,1993年4月から430万人の学童・学生すべてに制服を無料支給する政策を発表した。この費用は,およそ7億㌦である。 |
DIA-305-1992-07-14-1 | スリランカ | 1992年07月14日 | 1990年代 | 北部のキリノッチおよびムライティウの両県において,無期限外出禁止令が布告される。 |
DIA-305-1992-07-15-1 | スリランカ | 1992年07月15日 | 1990年代 | プランテーション産業省は,カンターレ,ヒソグラナおよびセワナガラ砂糖工場の民営化を発表。 |
DIA-305-1992-07-24-1 | スリランカ | 1992年07月24日 | 1990年代 | スリランカ・ムスリム会議(SLMC)は政府に対して,陸軍にムスリム部隊の新設を要求した。 |
DIA-305-1992-08-01-1 | スリランカ | 1992年08月01日 | 1990年代 | マレーシアの裁判所が,20万米㌦の債務不履行のためエア・ランカ航空のトライスター機をクアラルンプル空港に監置する(4日に解除)。 |
DIA-305-1992-08-08-1 | スリランカ | 1992年08月08日 | 1990年代 | ジャフナ沖カイツ島の道路上で走行中のジープが爆破され,コッベカドゥワ陸軍北東部司令官,ジャヤマハ海軍北部司令官等の政府軍幹部10名が戦死する。 |
DIA-305-1992-08-12-1 | スリランカ | 1992年08月12日 | 1990年代 | コロンボ市における政府軍幹部の葬儀に際して,民衆の反政府感情が爆発し,大衆的な暴動となる。 |
DIA-305-1992-08-16-1 | スリランカ | 1992年08月16日 | 1990年代 | 与野党間の争点であった,エア・ランカ航空が,新規購入する7機のエア・バス旅客機に,世界銀行が7億㌦の借款を供与する,とIsland紙が報道する。 |
DIA-305-1992-09-03-1 | スリランカ | 1992年09月03日 | 1990年代 | 最高裁判所は1988年12月の選挙でプレマダーサ大統領が合法的に選出された,との判決を下した。 |
DIA-305-1992-09-04-1 | スリランカ | 1992年09月04日 | 1990年代 | 国際ペン・クラブのキーリー会長は,ジャフナでLTTEに拘禁されているタミル人の女性詩人セルヴァニティ(28歳)に,「執筆自由賞」を授与すると発表。 |
DIA-305-1992-09-13-1 | スリランカ | 1992年09月13日 | 1990年代 | 人権タスク・フォースの会長報告によれば,7356人が非常事態規制によって裁判を受けることなく拘留され,さらに東部州を中心に3589人が行方不明である。 |
DIA-305-1992-09-13-2 | スリランカ | 1992年09月13日 | 1990年代 | スリランカの主要商業銀行で回収不能の不良債権が60億ルビーを超え,1万件以上が裁判所に提訴中であることを世界銀行が憂慮している,と報道される。 |
DIA-305-1992-09-17-1 | スリランカ | 1992年09月17日 | 1990年代 | 政府は,大コロンボポ経済委員会(GCEC)を改組し,新設のスリランカ投資委員会(BISL)がすべての外国投資を一元的に扱えるようにする,と発表した。 |
DIA-305-1992-09-23-1 | スリランカ | 1992年09月23日 | 1990年代 | プレマダーサ大統領はSAARC議長として南アジア諸国を歴訪する。23日から25日までパキスタンとネパール,10月1日から6日までインド,ブータンとバングラデシュ,そして10日にマルディヴの日程である。 |
DIA-305-1992-10-03-1 | スリランカ | 1992年10月03日 | 1990年代 | インドのラオ首相は,ニューデリー訪問中のプレマダーサ大統領との首脳会談で,タミル問題の平和的解決はスリランカの内政問題であると明言した。 |
DIA-305-1992-10-15-1 | スリランカ | 1992年10月15日 | 1990年代 | 東部州メディリギリヤ地区でイスラム教徒の農村がLTTEに襲撃され,145名が殺害され70名が負傷。 |
DIA-305-1992-10-20-1 | スリランカ | 1992年10月20日 | 1990年代 | 英国は,同国大使が内政に干渉したとの理由で国外退去を命ぜられて以来,スリランカに武器輸出を中止していたが,輸出再開を決定したと発表する。 |
DIA-305-1992-11-06-1 | スリランカ | 1992年11月06日 | 1990年代 | ヴィジェトンガ蔵相は,公務員に30%の賃上げ,300ルビーの年金引き上げなどを含む1993年度の予算案を議会に上程し,北東部に平和が回復すれば,少なくとも年間120億ルビーの戦費が節減できると述べる。 |
DIA-305-1992-11-12-1 | スリランカ | 1992年11月12日 | 1990年代 | 島の南部をサイクロン(熱帯性低気圧)が縦断し,ラトナプラ県とバッティカロア県を中心にしておよそ2万5000戸の住民と家屋が被害を受けた。 |
DIA-305-1992-11-14-1 | スリランカ | 1992年11月14日 | 1990年代 | プレマダーサ大統領は,エンビリピティヤの縫製工場開所式で政府の現実的な政策が実施されれば,3年か4年のうちに対外債務から解放される,と述べる。 |
DIA-305-1992-11-17-1 | スリランカ | 1992年11月17日 | 1990年代 | フェルナンド海軍司令長官が車で出勤途上,コロンボのゴールフェース・グリーンにて爆死する。 |
DIA-305-1992-12-02-1 | スリランカ | 1992年12月02日 | 1990年代 | 8月に爆死したコッベカドゥワ中将の夫人は,陸軍幹部の死因について国際的な調査団を任命するようヴィジェトゥンガ首相に求めて,記者会見した。 |
DIA-305-1992-12-09-1 | スリランカ | 1992年12月09日 | 1990年代 | 政府は,ロシアから戦闘用ヘリコプター,チェコから戦車を購入し,戦力を強化することに決めた。 |
DIA-305-1992-12-11-1 | スリランカ | 1992年12月11日 | 1990年代 | プレマダーサ大統領はバングラデシュを訪問し,カレダ・ジア首相と,インドのバブリ・モスク破壊にともなう宗教的対立の緊迫化のたやめに延期せざるをえなくなったSAARC首脳会談の善後策について話し合う。 |
DIA-305-1992-12-13-1 | スリランカ | 1992年12月13日 | 1990年代 | LTTEは議会特別委員会の提案を検討するため北部州で政府軍を攻撃しないよう停戦の指令をだした。 |
DIA-305-1992-12-13-2 | スリランカ | 1992年12月13日 | 1990年代 | カトゥナーヤカ輸出加工区の縫製工場で賃上げを要求しストライキ中の3000人の女性労働者を解散させるため,警官隊が実力行使し36名が負傷し入院した。 |
DIA-305-1992-12-31-1 | スリランカ | 1992年12月31日 | 1990年代 | 過去1年間に北・東部州の戦線において,政府軍の将兵1157名が戦死し2004名が負傷する一方,LTTE兵士2876名の死体を確認した,と軍報道官が公表。 |
DIA-305-1992-12-31-2 | スリランカ | 1992年12月31日 | 1990年代 | ロイター電,ハミード法務・高等教育相がパリでLTTEのティラカ代表と和平交渉中,と伝える。 |
DIA-305-1993-01-02-1 | スリランカ | 1993年01月02日 | 1990年代 | 野党の自由党内で,元首相の長男であるアヌラ・バンダーラナーヤカ派と同次女のチャンドリカ派との対立が表面化する。 |
DIA-305-1993-01-02-2 | スリランカ | 1993年01月02日 | 1990年代 | 「タミル・イーラム解放の虎」(LTTE)政治組織のヨーギ書記長,「北部州と東部州との統合を認めなければスリランカ政府軍との和解はあり得ない」と言明。 |
DIA-305-1993-01-04-1 | スリランカ | 1993年01月04日 | 1990年代 | 閣議,物価上昇から年金受給者救済目的で月額300ルピーの手当支給を決定。 |
DIA-305-1993-01-10-1 | スリランカ | 1993年01月10日 | 1990年代 | 政府,LTTE軍の行動を封じ込めのためジャフナ・ラグーン内の自由通行を禁止すると布告。 |
DIA-305-1993-01-10-2 | スリランカ | 1993年01月10日 | 1990年代 | プレーマダーサ大統領,開発政策に関する公開論争をすべての野党に呼びかけ。野党側はテーマを開発政策に限定することに反対し,同提案を拒否。 |
DIA-305-1993-01-14-1 | スリランカ | 1993年01月14日 | 1990年代 | プレーマダーサ大統領,仏教遺蹟を巡礼するため,北インド訪問旅行(~17日)。 |
DIA-305-1993-01-16-1 | スリランカ | 1993年01月16日 | 1990年代 | LTTE幹部のクリシュナクマラン,乗っていた武器輸送船がインド海軍に拿捕され,爆破自殺する。 |
DIA-305-1993-01-16-2 | スリランカ | 1993年01月16日 | 1990年代 | スリランカ空軍が,アルゼンチン製のプカラ爆撃機を4機購入(1680万米ドル)。北部基地に配属。 |
DIA-305-1993-02-01-1 | スリランカ | 1993年02月01日 | 1990年代 | 政府軍,パラリー空軍基地にてLTTE軍の捕虜20人を釈放し,和平へのジェスチャーを示す。第45回独立記念日の祝賀行事の一環として実施する。 |
DIA-305-1993-02-06-1 | スリランカ | 1993年02月06日 | 1990年代 | 反政府的な記事の多いタブロイド版のシンハラ語新聞「ラクディヴァ」紙,発行禁止処分を受ける。 |
DIA-305-1993-02-10-1 | スリランカ | 1993年02月10日 | 1990年代 | 裁判所,全国で20万件もの交通違反事件の訴訟が審理を待ちと公表した。 |
DIA-305-1993-02-16-1 | スリランカ | 1993年02月16日 | 1990年代 | 環境保護団体,シンハラージャ保護林の一部を伐採する道路建設事業に反対を表明。 |
DIA-305-1993-03-01-1 | スリランカ | 1993年03月01日 | 1990年代 | エアランカ航空,赤字削減のためオーストラリア路線とインドネシア路線の運航休止を発表。 |
DIA-305-1993-03-02-1 | スリランカ | 1993年03月02日 | 1990年代 | サマナラウェワ発電用ダムの漏水防止のために,外国人専門家の勧告する「ウェット・ブランケット工法」に従い,ダムの湖底に砂利が敷き詰められた。 |
DIA-305-1993-03-03-1 | スリランカ | 1993年03月03日 | 1990年代 | LTTEのプラバーカラン委員長,連邦国家制を受け入れることに同意した,と伝えられる。 |
DIA-305-1993-03-10-1 | スリランカ | 1993年03月10日 | 1990年代 | 民衆統一戦線(PEP)が,5月の地方選挙に向けて選挙管理委員会に政党として届け出。PEPは自由党,社会平等党,共産党および大衆党から構成される。 |
DIA-305-1993-03-12-1 | スリランカ | 1993年03月12日 | 1990年代 | ラリト・アトラトムダリ,懸案だった第1年目の統一国民民主戦線委員長に選出される。 |
DIA-305-1993-03-22-1 | スリランカ | 1993年03月22日 | 1990年代 | 元首相の長男アヌラ・バンダーラナーヤカ,海外での病気治療のために出国する母親の留守中,野党院内総務代行に任命さる。 |
DIA-305-1993-03-28-1 | スリランカ | 1993年03月28日 | 1990年代 | 政府軍合同司令本部,過去3月間に200人を超えるLTTE軍兵士を殱滅したと発表した。 |
DIA-305-1993-04-01-1 | スリランカ | 1993年04月01日 | 1990年代 | 州議会議員選挙の立候補受付けが開始,選挙管理委員会に10以上の党派が届け出でる。 |
DIA-305-1993-04-03-1 | スリランカ | 1993年04月03日 | 1990年代 | セイロン会議派副委員長のモティラール・ネルーが,映画スターのサナト・グナティラカとともに,政府与党の統一国民党に入党し,立候補を届け出た。 |
DIA-305-1993-04-05-1 | スリランカ | 1993年04月05日 | 1990年代 | 統一国民民主戦線党のキャンディ市党員23人,選挙違反容疑で逮捕さる。 |
DIA-305-1993-04-07-1 | スリランカ | 1993年04月07日 | 1990年代 | ヴィンセント・ペレーラ環境・議会問題相が病没。国民統一党の長老で75歳。後任にヴィマール・ヴィクラマシンハ議員が就任した。 |
DIA-305-1993-04-18-1 | スリランカ | 1993年04月18日 | 1990年代 | 国民統一民主戦線,今回の州議会議員選挙で民衆統一戦線との共闘を決定した。 |
DIA-305-1993-04-23-1 | スリランカ | 1993年04月23日 | 1990年代 | 統一国民民主戦線のアトラトムダリ委員長がコロンボの選挙集会で演説中に射殺さる。政府,真相究明ため英国警視庁の専門家を招くことを決定。 |
DIA-305-1993-04-29-1 | スリランカ | 1993年04月29日 | 1990年代 | 政府,外出禁止令を布告。アトラトムダリの葬儀に際し,コロンボ市で暴動が発生したため。 |
DIA-305-1993-05-01-1 | スリランカ | 1993年05月01日 | 1990年代 | プレーマダーサ大統領がメーデー行進の指揮中に,爆弾を身に付けたタミル人に暗殺さる。 |
DIA-305-1993-05-01-2 | スリランカ | 1993年05月01日 | 1990年代 | ディギリ・バンダ・ヴィジェトゥンガ大首相が,憲法上の規定に従い直ちに大統領代行に就任する。 |
DIA-305-1993-05-06-1 | スリランカ | 1993年05月06日 | 1990年代 | 故大統領の国葬。南アジア各国首脳が来島。 |
DIA-305-1993-05-07-1 | スリランカ | 1993年05月07日 | 1990年代 | ヴィジェトゥンガの大統領就任を議会が承認。新首相には工業相のラニル・ヴィクラマシンハが就任する。 |
DIA-305-1993-05-08-1 | スリランカ | 1993年05月08日 | 1990年代 | 新大統領,スリランカ政府が直面しているのは北部のテロリズム問題であって,民族問題ではない,と公式に言明する。 |
DIA-305-1993-05-17-1 | スリランカ | 1993年05月17日 | 1990年代 | 北・東部州を除く7州で州議会選挙を実施。投票率は75%を超える高さに。 |
DIA-305-1993-05-22-1 | スリランカ | 1993年05月22日 | 1990年代 | 州議会選挙で,7州中3州で野党連合が勝利し,コロンボのある西部州では自由党のチャンドリカ・クマラヴィジャヤトゥンガが州首相に就任する。 |
DIA-305-1993-05-22-2 | スリランカ | 1993年05月22日 | 1990年代 | ガーミニ・ディサナーヤカ,前委員長暗殺のため,後任の国民統一民主戦線委員長に選出さる。 |
DIA-305-1993-05-28-1 | スリランカ | 1993年05月28日 | 1990年代 | ラトナプラ地方に豪雨災害。地域住民数千世帯が洪水被害で住居を失う。 |
DIA-305-1993-06-07-1 | スリランカ | 1993年06月07日 | 1990年代 | カトリック教会が和平使節を北部州のジャフナに派遣。 |
DIA-305-1993-06-17-1 | スリランカ | 1993年06月17日 | 1990年代 | LTTEの捕虜である警官30人の親族が,ジャフナを訪問し,釈放を求めてハンストを実施。5人のみが釈放さる。 |
DIA-305-1993-06-18-1 | スリランカ | 1993年06月18日 | 1990年代 | 南インドに亡命中の前警察庁次長のウドゥガンポラが帰国。刑事上のすべての訴追を免責されたうえ,スリランカ港湾公社副理事長に任命さる。 |
DIA-305-1993-06-27-1 | スリランカ | 1993年06月27日 | 1990年代 | スリランカ人40人が,ルーマニア国境地帯で不法入国容疑で逮捕さる。 |
DIA-305-1993-07-01-1 | スリランカ | 1993年07月01日 | 1990年代 | 7月から実施予定の公務員賃金の40%引き上げは,財政難のため94年1月からに延期。 |
DIA-305-1993-07-08-1 | スリランカ | 1993年07月08日 | 1990年代 | 政府,米穀輸入の停止を決定。93年度の米作が大豊作のため。 |
DIA-305-1993-07-12-1 | スリランカ | 1993年07月12日 | 1990年代 | ヴィジェトゥンガ大統領,国営のメディアが政府事業の過剰な宣伝を抑制するように指示。西側外交団はこれを歓迎。 |
DIA-305-1993-07-28-1 | スリランカ | 1993年07月28日 | 1990年代 | ジャフナ訪問のヴィクラマシンハ首相,「和平交渉のための扉は今も開かれている」と言明。 |
DIA-305-1993-07-31-1 | スリランカ | 1993年07月31日 | 1990年代 | ジョージ・カイツが92才の高齢で死去。スリランカ美術界を代表する長老画家。 |
DIA-305-1993-08-01-1 | スリランカ | 1993年08月01日 | 1990年代 | 一般教育資格試験(上級課程)を実施。大学進学をめざす高校生14万4000人が受験。ただし,試験問題漏洩事件のため数学のみ延期される。 |
DIA-305-1993-08-03-1 | スリランカ | 1993年08月03日 | 1990年代 | ノーベル賞受賞者4氏が,民族抗争の和平案を提示。スリランカ政府は同提示案を拒絶する。 |
DIA-305-1993-08-11-1 | スリランカ | 1993年08月11日 | 1990年代 | ヴィジェトゥンガ大統領,内閣改造でハミードを外相に,ヘーラトを法務相に任命する。 |
DIA-305-1993-08-13-1 | スリランカ | 1993年08月13日 | 1990年代 | 前大統領が任命のNGO調査委員会,その任務を終了。報告書の発表は12月に。 |
DIA-305-1993-08-20-1 | スリランカ | 1993年08月20日 | 1990年代 | 内閣改造を実施。ポール・ペレーラを土地相に,ジョー・アマラトゥガを州議会問題・内務相に任命。 |
DIA-305-1993-08-23-1 | スリランカ | 1993年08月23日 | 1990年代 | スリランカ陸軍,大規模な募兵を開始する。 |
DIA-305-1993-08-25-1 | スリランカ | 1993年08月25日 | 1990年代 | アジア開発銀行,中等教育レベルの学校施設の改善のために,15億ルピーの借款供与協定に調印。 |
DIA-305-1993-08-29-1 | スリランカ | 1993年08月29日 | 1990年代 | 海軍のイスラエル製最新型巡洋艦(3億ルピー),ポイント・ピードロ沖でLTTEに撃沈さる。 |
DIA-305-1993-09-02-1 | スリランカ | 1993年09月02日 | 1990年代 | 政府は,マンナールからトリンコマリーにいたる海浜を立入禁止地帯とする非常事態令を布告。 |
DIA-305-1993-09-03-1 | スリランカ | 1993年09月03日 | 1990年代 | ゴール市で大火,13店舗が全焼。 |
DIA-305-1993-09-14-1 | スリランカ | 1993年09月14日 | 1990年代 | タミル人難民7000人超が,国連の援助プログラムにより南インドから帰国する。 |
DIA-305-1993-09-18-1 | スリランカ | 1993年09月18日 | 1990年代 | イラナヴィラにおけるVOA中継所の建設反対して,地域住民1万2000人が抗議行動を行なう。 |
DIA-305-1993-09-19-1 | スリランカ | 1993年09月19日 | 1990年代 | LTTE,タミル統一開放戦線のアムリタリンガム書記長の殺害を初めて認める。 |
DIA-305-1993-09-28-1 | スリランカ | 1993年09月28日 | 1990年代 | 政府軍,ジャフナ・ラグーンにおけるLTTE基地を殲滅するため,5日間にわたる大規模な「ヤール・デーヴィ作戦」を開始するが,失敗に終わる。 |
DIA-305-1993-10-07-1 | スリランカ | 1993年10月07日 | 1990年代 | 裁判所の決定により南部州首相にドダンゴダ,北西部州首相にプレーマチャンドランが就任する。 |
DIA-305-1993-10-08-1 | スリランカ | 1993年10月08日 | 1990年代 | ラトナプラ地方に集中豪雨。死者500人,地域住民2万世帯が住居を失う。 |
DIA-305-1993-10-08-2 | スリランカ | 1993年10月08日 | 1990年代 | コロンボ控訴裁判所,北西部州と南部州の州知事による統一国民党の州首相任命を無効と判決する。 |
DIA-305-1993-10-12-1 | スリランカ | 1993年10月12日 | 1990年代 | 自由党組織委員長のアヌラ・バンダーラナーヤカ,2月間の党員権停止処分の後,離党する。 |
DIA-305-1993-10-13-1 | スリランカ | 1993年10月13日 | 1990年代 | ラニル・ヴィクラマシンハ首相,米国政府首脳訪問と英連邦首脳会談に出席するため出発(~27日)。 |
DIA-305-1993-10-30-1 | スリランカ | 1993年10月30日 | 1990年代 | 国連難民高等弁務官事務所,マドゥ難民キャンプでの活動停止を発表。難民間の対立が激しく正常な任務の続行が困難なため。 |
DIA-305-1993-11-12-1 | スリランカ | 1993年11月12日 | 1990年代 | アヌラ・バンダーラナーヤカ,統一国民党に入党。同党の比例選挙区名簿の国会議員となる。 |
DIA-305-1993-11-12-2 | スリランカ | 1993年11月12日 | 1990年代 | プーネリン陸軍基地とナーガテワントライ海軍基地がLTTEに攻撃さる。戦死者675人を出し,LTTEが敗北する。 |
DIA-305-1993-11-16-1 | スリランカ | 1993年11月16日 | 1990年代 | 英国警視庁チーム,アトラトムダリ銃殺事件に政府が関与していなかったとの調査報告書を提出。同夫人はこの報告を認めず裁判で争うと言明。 |
DIA-305-1993-11-18-1 | スリランカ | 1993年11月18日 | 1990年代 | サバラガムワ州のプンチニラーメ州首相,就任後2カ月足らずで心臓発作のために死去する。 |
DIA-305-1993-11-22-1 | スリランカ | 1993年11月22日 | 1990年代 | アブサーリ労動相が,中東和平の結果,94年はスリランカの出稼ぎ労動者が20万人になる見込と言明。 |
DIA-305-1993-11-25-1 | スリランカ | 1993年11月25日 | 1990年代 | LTTE軍がジャナカプラ陸軍基地を襲撃。兵士400人以上を殺害し,5000万ルピー相当の武器を奪い取る。 |
DIA-305-1993-11-30-1 | スリランカ | 1993年11月30日 | 1990年代 | 社会平等党と共産党とが再統一する。スターリン主義をめぐって1938年に分裂したもの。 |
DIA-305-1993-12-08-1 | スリランカ | 1993年12月08日 | 1990年代 | 早朝,マグニチュード5.6の地震が発生。被害は微少であったが60年間の観測史上初めて。 |
DIA-305-1993-12-08-2 | スリランカ | 1993年12月08日 | 1990年代 | ランク・エア社がヘリコプター旅客輸送事業を開始。 |
DIA-305-1993-12-13-1 | スリランカ | 1993年12月13日 | 1990年代 | ワイディヤラトナ陸軍司令官が,北部戦線における政府軍敗北の責任を取って辞任を表明する。 |
DIA-305-1993-12-16-1 | スリランカ | 1993年12月16日 | 1990年代 | ロニー・デメル前蔵相が統一国民党に入党。 |
DIA-305-1993-12-17-1 | スリランカ | 1993年12月17日 | 1990年代 | ヴィジェトゥンガ大統領,アヌラ・バンダーラナーヤカを閣内相として高等教育相に任命する。あわせて,LTTE軍に敗北したワイディヤラタナ陸軍司令官を更迭し,ゲリー・デ・シルヴァ少将を任命する。 |
DIA-305-1993-12-18-1 | スリランカ | 1993年12月18日 | 1990年代 | 統一国民党大会,ヴィジェトゥンガ大統領を来年に実施を予定される大統領選挙の候補に決定する。 |
DIA-305-1993-12-20-1 | スリランカ | 1993年12月20日 | 1990年代 | 北部州で豪雨が続き地域住民に被害甚大の模様。行政機構が機能しておらず詳細は不明。 |
DIA-305-1993-12-21-1 | スリランカ | 1993年12月21日 | 1990年代 | 中央州の州首相不信任案は,当初賛成していたセイロン労働者会議内の対立のため不成立に終わる。 |
DIA-305-1993-12-22-1 | スリランカ | 1993年12月22日 | 1990年代 | 政府は,すべてのNGOに対して非常事態令に基づき社会事業省に登記し,その活動は同省の監督のもとで行なうよう求める。NGO側はこれには強く反発。 |
DIA-305-1993-12-27-1 | スリランカ | 1993年12月27日 | 1990年代 | 空軍機,北部州で激しい空爆を実施。LTTE軍の兵を含む多数の死傷者を出す。 |
DIA-305-1993-12-31-1 | スリランカ | 1993年12月31日 | 1990年代 | 南部州議会,与党議員の誘拐をめぐり混乱。大統領は州議会を解散し新たな選挙の実施を決定する。 |
DIA-305-1995-01-03-1 | スリランカ | 1995年01月03日 | 1990年代 | 政府とタミル・イーラム解放のトラ(LTTE)が和平のための予備交渉を再開。 |
DIA-305-1995-01-05-1 | スリランカ | 1995年01月05日 | 1990年代 | タバコやアルコール飲料の価格を10%値上げ。 |
DIA-305-1995-01-06-1 | スリランカ | 1995年01月06日 | 1990年代 | 国会開会。クマラトゥンガ大統領が政府演説し,財政赤字の削減や民間主導の「マーケット・フレンドリー」政策の推進を強調。また,LTTEと暫定停戦で合意したことを公表。 |
DIA-305-1995-01-08-1 | スリランカ | 1995年01月08日 | 1990年代 | 政府とLTTEの2週間の暫定停戦が発効。 |
DIA-305-1995-01-14-1 | スリランカ | 1995年01月14日 | 1990年代 | ジャフナで政府とLTTEが3回目の和平予備交渉。暫定停戦の延長を決定。政府は和平のための包括的な政治解決案を示したが進展なし。 |
DIA-305-1995-01-20-1 | スリランカ | 1995年01月20日 | 1990年代 | ローマ法王ヨハネ・パウロ2世,来訪。宗教関係者らに対し演説。 |
DIA-305-1995-01-23-1 | スリランカ | 1995年01月23日 | 1990年代 | 政府,大統領制から議院内閣制への憲法改正案を発表。 |
DIA-305-1995-01-25-1 | スリランカ | 1995年01月25日 | 1990年代 | カレダ・ジア・バングラデシュ首相が南アジア地域協力連合(SAARC)議長としてスリランカを訪問。クマラトゥンガ大統領と会談し,両国間の経済協力強化や南アジア特恵貿易協定(SAPTA)の早期実現で合意。 |
DIA-305-1995-01-26-1 | スリランカ | 1995年01月26日 | 1990年代 | セイロン石油公社,ガソリン価格の15%値上げを発表。 |
DIA-305-1995-02-08-1 | スリランカ | 1995年02月08日 | 1990年代 | G・L・ペイリス大蔵副大臣,95年度予算案を発表。新一般売上税を提案。 |
DIA-305-1995-02-20-1 | スリランカ | 1995年02月20日 | 1990年代 | イギリスの貿易代表団,スリランカを訪問し,発電所建設などの協定に調印。 |
DIA-305-1995-02-24-1 | スリランカ | 1995年02月24日 | 1990年代 | スリランカ・ムスリム会議(SLMC)とムスリム統一解放戦線(MULF)が合併。 |
DIA-305-1995-03-01-1 | スリランカ | 1995年03月01日 | 1990年代 | クマラトゥンガ大統領,公営企業改革委員会を設置。 |
DIA-305-1995-03-17-1 | スリランカ | 1995年03月17日 | 1990年代 | LTTEのベルピライ・プラバカラン議長,クマラトゥンガ大統領に書簡を送る。政治交渉受け入れを条件としてプーネリン陸軍基地の撤去などを再提案。 |
DIA-305-1995-03-22-1 | スリランカ | 1995年03月22日 | 1990年代 | 95年度予算案成立。 |
DIA-305-1995-03-24-1 | スリランカ | 1995年03月24日 | 1990年代 | クマラトゥンガ大統領,インド訪問。経済関係強化などが目的。 |
DIA-305-1995-03-28-1 | スリランカ | 1995年03月28日 | 1990年代 | クマラトゥンガ大統領,バングラデシュ訪問。 |
DIA-305-1995-03-29-1 | スリランカ | 1995年03月29日 | 1990年代 | 政府,国営エアランカ航空の民営化計画を発表。 |
DIA-305-1995-04-04-1 | スリランカ | 1995年04月04日 | 1990年代 | ヒラリー・クリントン米大統領夫人,スリランカ訪問。 |
DIA-305-1995-04-10-1 | スリランカ | 1995年04月10日 | 1990年代 | 政府とLTTE,4回目の和平予備交渉。政府はLTTE支配地域への燃料の禁輸を解除。包括和平案などを検討する3委員会設置,暫定停戦の継続で合意。 |
DIA-305-1995-04-18-1 | スリランカ | 1995年04月18日 | 1990年代 | LTTE,クマラトゥンガ大統領に対し,政府がLTTEの要求に応じないために暫定停戦を破棄すると通告。 |
DIA-305-1995-04-19-1 | スリランカ | 1995年04月19日 | 1990年代 | 未明,LTTEがトリンコマリー軍港に停泊中の政府の艦艇2隻を沈没させ,乗組員12人が死亡。停戦が崩壊する。 |
DIA-305-1995-04-23-1 | スリランカ | 1995年04月23日 | 1990年代 | 治安当局がコロンボでタミル人500人を拘留し,LTTEとの関係を尋問。 |
DIA-305-1995-04-27-1 | スリランカ | 1995年04月27日 | 1990年代 | コロンボで初の茶生産7カ国会議開催,市況低迷対策などを話し合う。 |
DIA-305-1995-04-28-1 | スリランカ | 1995年04月28日 | 1990年代 | LTTE,ジャフナの基地から飛び立った政府軍機を撃墜。 |
DIA-305-1995-04-29-1 | スリランカ | 1995年04月29日 | 1990年代 | LTTE,再び政府軍機を撃墜。政府は緊急国家安全保障会議を招集。 |
DIA-305-1995-05-12-1 | スリランカ | 1995年05月12日 | 1990年代 | 政府軍,東部のバティカロアで大規模なLTTE掃討作戦を開始。 |
DIA-305-1995-05-22-1 | スリランカ | 1995年05月22日 | 1990年代 | クマラトゥンガ大統領,テレビ演説のなかで,対LTTE軍事行動を辞さずとの態度を明らかにする。 |
DIA-305-1995-05-26-1 | スリランカ | 1995年05月26日 | 1990年代 | LTTEが東部のシンハラ人村を襲撃,42人を殺害。 |
DIA-305-1995-06-02-1 | スリランカ | 1995年06月02日 | 1990年代 | 南部のゴールでタミル人の商店や住宅約20軒が焼き討ちされる。政府は同市に外出禁止令を発令。 |
DIA-305-1995-06-04-1 | スリランカ | 1995年06月04日 | 1990年代 | 北部海上で赤十字国際委員会のチャーター船がLTTEが仕掛けたとみられる機雷に触れる。乗組員1人が行方不明,2人が負傷。 |
DIA-305-1995-06-13-1 | スリランカ | 1995年06月13日 | 1990年代 | コロンボでマネーロンダリング対策会議を開催,インターポール専門家ら約100人が参加。 |
DIA-305-1995-07-09-1 | スリランカ | 1995年07月09日 | 1990年代 | 政府1万人以上を動員し,ジャフナ半島のLTTE掃討作戦を開始。 |
DIA-305-1995-07-10-1 | スリランカ | 1995年07月10日 | 1990年代 | LTTEのラジオ放送,政府軍の攻撃で民間人150人が死亡し,30万人以上が避難を余儀なくされたと伝える。 |
DIA-305-1995-07-25-1 | スリランカ | 1995年07月25日 | 1990年代 | クマラトゥンガ大統領,コロンボ・ヒルトン・ホテルの経営会社に対し,統一国民党(UNP)への贈賄疑惑の結論がでるまで同ホテルに融資している日本企業への債務返済を凍結するよう命令。 |
DIA-305-1995-08-03-1 | スリランカ | 1995年08月03日 | 1990年代 | クマラトゥンガ大統領,各州に大幅な自治権限を与える憲法改正案を発表。 |
DIA-305-1995-08-07-1 | スリランカ | 1995年08月07日 | 1990年代 | コロンボの西部州首相府前で大規模な爆弾テロ。21人が死亡,40人以上が負傷。 |
DIA-305-1995-08-08-1 | スリランカ | 1995年08月08日 | 1990年代 | 東部のバティカロアで爆弾テロ。 |
DIA-305-1995-08-12-1 | スリランカ | 1995年08月12日 | 1990年代 | LTTE,憲法改正案を拒否。 |
DIA-305-1995-08-16-1 | スリランカ | 1995年08月16日 | 1990年代 | 政府,ハイテク企業などに5年間の免税措置を認めることなどを柱とした外資誘致政策を発表。 |
DIA-305-1995-08-19-1 | スリランカ | 1995年08月19日 | 1990年代 | クマラトゥンガ政権1周年。 |
DIA-305-1995-09-04-1 | スリランカ | 1995年09月04日 | 1990年代 | スリランカ警察のエリート・コマンド部隊が,囚人21人の変死事件に関与していたことが明るみに。 |
DIA-305-1995-09-13-1 | スリランカ | 1995年09月13日 | 1990年代 | スリランカ空軍のAN32輸送機がコロンボの北西45キロの海上に墜落。75人死亡。 |
DIA-305-1995-09-17-1 | スリランカ | 1995年09月17日 | 1990年代 | クマラトゥンガ大統領,LTTEとの内戦が長期化した場合の徴兵制の導入を示唆。 |
DIA-305-1995-09-21-1 | スリランカ | 1995年09月21日 | 1990年代 | セナナヤケ報道・観光・航空相,軍事に関する報道を検閲すると発表。 |
DIA-305-1995-09-25-1 | スリランカ | 1995年09月25日 | 1990年代 | 外国メディアに対する検閲を解除。 |
DIA-305-1995-09-29-1 | スリランカ | 1995年09月29日 | 1990年代 | ペイリス大蔵副大臣,96年度予算案で国防費を前年度比25%増にすると発表。 |
DIA-305-1995-10-16-1 | スリランカ | 1995年10月16日 | 1990年代 | 政府,パンと小麦粉を値上げ。 |
DIA-305-1995-10-17-1 | スリランカ | 1995年10月17日 | 1990年代 | 政府軍,ジャフナ半島の大規模な掃討作戦「サンシャイン作戦」を開始。 |
DIA-305-1995-10-20-1 | スリランカ | 1995年10月20日 | 1990年代 | コロンボ郊外の石油貯蔵施設がLTTEによって連続爆破され,25人が死亡。 |
DIA-305-1995-10-21-1 | スリランカ | 1995年10月21日 | 1990年代 | LTTEが東部のシンハラ人村3カ所を襲撃し,住民64人を殺害。 |
DIA-305-1995-10-29-1 | スリランカ | 1995年10月29日 | 1990年代 | 政府,ジャフナ半島へのケロシンの輸送を停止。 |
DIA-305-1995-10-30-1 | スリランカ | 1995年10月30日 | 1990年代 | ジャフナ半島のLTTEの重要拠点ニールベリが陥落。 |
DIA-305-1995-11-01-1 | スリランカ | 1995年11月01日 | 1990年代 | 政府,内戦の激化のために全学校に休校命令。ジャフナ市から大量の住民脱出が始まる。 |
DIA-305-1995-11-04-1 | スリランカ | 1995年11月04日 | 1990年代 | 東部のバティカロア駅で爆弾テロ。列車などが炎上。 |
DIA-305-1995-11-05-1 | スリランカ | 1995年11月05日 | 1990年代 | 七つのタミル人政党,政府とLTTEに対して即時停戦を要求。 |
DIA-305-1995-11-08-1 | スリランカ | 1995年11月08日 | 1990年代 | 政府,国防費の大幅増額を盛り込んだ96年度予算案を発表。 |
DIA-305-1995-11-11-1 | スリランカ | 1995年11月11日 | 1990年代 | コロンボの国軍総司令部近くで2件の連続爆弾テロ。15人が死亡。 |
DIA-305-1995-11-18-1 | スリランカ | 1995年11月18日 | 1990年代 | ジャフナ半島でLTTEが政府軍の輸送機を撃墜。 |
DIA-305-1995-11-23-1 | スリランカ | 1995年11月23日 | 1990年代 | ジャフナ半島で空軍輸送機が撃墜。60人死亡。 |
DIA-305-1995-12-02-1 | スリランカ | 1995年12月02日 | 1990年代 | 政府軍,LTTE本拠地のジャフナを制圧。 |
DIA-305-1995-12-05-1 | スリランカ | 1995年12月05日 | 1990年代 | バティカロアの警察特殊部隊駐屯地に爆発物を積んだLTTEの車が突入,爆発と銃撃戦で69人が死亡。 |
DIA-305-1996-01-01-1 | スリランカ | 1996年01月01日 | 1990年代 | 政府が輸出入に課している戦争保険税を100%引上げ。 |
DIA-305-1996-01-04-1 | スリランカ | 1996年01月04日 | 1990年代 | 北中部州とサバラガムワ州の知事が統一国民党(UNP)政権の州議会を解散。 |
DIA-305-1996-01-21-1 | スリランカ | 1996年01月21日 | 1990年代 | タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)が北部で政府軍のロシア製ヘリを撃墜。39人死亡。 |
DIA-305-1996-01-31-1 | スリランカ | 1996年01月31日 | 1990年代 | LTTEの決死隊がコロンボの中央銀行ビルに突入し,ビルを爆破。92人死亡,500人以上が負傷。 |
DIA-305-1996-02-04-1 | スリランカ | 1996年02月04日 | 1990年代 | 英連邦内の自治領セイロンとして独立してから,48回目の記念日。クマラトゥンガ大統領が政府による北部地域の平和維持を誓約。 |
DIA-305-1996-02-07-1 | スリランカ | 1996年02月07日 | 1990年代 | コロンボの上水に毒が撒かれたとのうわさが広がり市民がパニックに。 |
DIA-305-1996-02-11-1 | スリランカ | 1996年02月11日 | 1990年代 | 政府軍兵士,トリンコマリー地区の村民約30人を殺害。 |
DIA-305-1996-02-14-1 | スリランカ | 1996年02月14日 | 1990年代 | 北部海上で,スリランカ海軍が武器を積んだLTTEの輸送船を破壊。 |
DIA-305-1996-03-02-1 | スリランカ | 1996年03月02日 | 1990年代 | マレーシア政府が国内でのLTTEの活動を禁止。 |
DIA-305-1996-03-05-1 | スリランカ | 1996年03月05日 | 1990年代 | クマラトゥンガ大統領,仏教教団幹部との会談で,政府の地方への権限委譲案への支持を訴え。 |
DIA-305-1996-03-11-1 | スリランカ | 1996年03月11日 | 1990年代 | 東部バティカロアで政府軍とLTTEが交戦。 |
DIA-305-1996-03-15-1 | スリランカ | 1996年03月15日 | 1990年代 | 狂牛病にからみ英国からの牛肉の輸入を禁止。 |
DIA-305-1996-03-17-1 | スリランカ | 1996年03月17日 | 1990年代 | スリランカ・クリケットチームがワールドカップを制覇。 |
DIA-305-1996-03-27-1 | スリランカ | 1996年03月27日 | 1990年代 | 最高裁が北中部など2州の議会解散を違法と判決。 |
DIA-305-1996-04-01-1 | スリランカ | 1996年04月01日 | 1990年代 | コロンボ北方約50キロメートルのアナマドゥワで,人民連合(PA)とUNPの支持者が衝突し,多数の負傷者が出る。 |
DIA-305-1996-04-12-1 | スリランカ | 1996年04月12日 | 1990年代 | LTTEが,未明にコロンボ港に攻撃をしかけたが撃退される。 |
DIA-305-1996-04-19-1 | スリランカ | 1996年04月19日 | 1990年代 | 政府軍が北部ジャフナ半島のテナマラッチとバダマラッチで大規模なLTTE掃討作戦開始。 |
DIA-305-1996-04-19-2 | スリランカ | 1996年04月19日 | 1990年代 | 政府,軍事ニュースに関する検閲開始。 |
DIA-305-1996-04-22-1 | スリランカ | 1996年04月22日 | 1990年代 | 約60万人のプランテーション労働者が賃上げと年間300日の就労保障を要求してストライキを開始。 |
DIA-305-1996-04-22-2 | スリランカ | 1996年04月22日 | 1990年代 | 大統領,中国を訪問。江沢民党首と会談。 |
DIA-305-1996-04-27-1 | スリランカ | 1996年04月27日 | 1990年代 | インターン修了者460人の処遇をめぐるトラブルから医師約3000人が職場放棄。 |
DIA-305-1996-05-01-1 | スリランカ | 1996年05月01日 | 1990年代 | 各政党と労働組合がメーデー集会を実施。左翼の集会で警察と参会者がもみ合いになり多数の負傷者を出す。 |
DIA-305-1996-05-12-1 | スリランカ | 1996年05月12日 | 1990年代 | 訪日中のクマラトゥンガ大統領が日本の経済界に投資を呼びかけ。 |
DIA-305-1996-05-16-1 | スリランカ | 1996年05月16日 | 1990年代 | 政府軍がLTTEの拠点の一つ,北部のバダマラッチを制圧。 |
DIA-305-1996-05-25-1 | スリランカ | 1996年05月25日 | 1990年代 | 電力危機に対応して,標準時を1時間早める。 |
DIA-305-1996-05-29-1 | スリランカ | 1996年05月29日 | 1990年代 | セイロン電力局の労働者が4日間のストライキを開始。この間,全土で電力供給がストップ。 |
DIA-305-1996-06-01-1 | スリランカ | 1996年06月01日 | 1990年代 | 電力ストで,政府は深夜に労働組合のリーダーを逮捕。 |
DIA-305-1996-06-10-1 | スリランカ | 1996年06月10日 | 1990年代 | スリランカとパキスタンが二国間協議の議定書に調印。 |
DIA-305-1996-06-11-1 | スリランカ | 1996年06月11日 | 1990年代 | LTTEが,シンハラ人の住む北西部州プタラマ村を襲い14人を殺害。 |
DIA-305-1996-06-15-1 | スリランカ | 1996年06月15日 | 1990年代 | デング熱により,2週間で18人の子供が死亡したことが明らかに。 |
DIA-305-1996-06-21-1 | スリランカ | 1996年06月21日 | 1990年代 | スリランカが南アフリカとカタールに大使館を開くことを決定。 |
DIA-305-1996-07-04-1 | スリランカ | 1996年07月04日 | 1990年代 | ジャフナ半島でのLTTEの自爆攻撃で政府軍将校ら22人が死亡。 |
DIA-305-1996-07-18-1 | スリランカ | 1996年07月18日 | 1990年代 | LTTEが奇襲作戦で政府軍のムライティブ基地を制圧。大量の武器・弾薬を奪う。戦闘で1200人が死亡。 |
DIA-305-1996-07-24-1 | スリランカ | 1996年07月24日 | 1990年代 | LTTEがコロンボ郊外のデヒワラ付近で列車を爆破。65人が死亡し,350人が負傷。 |
DIA-305-1996-07-31-1 | スリランカ | 1996年07月31日 | 1990年代 | 民主党のチャナカ・アマラトゥンガ党首が交通事故で死亡。 |
DIA-305-1996-08-09-1 | スリランカ | 1996年08月09日 | 1990年代 | 北東部のトリンコマリー港沖で,海軍がLTTEの艦船を攻撃し,30人を殺害。 |
DIA-305-1996-08-11-1 | スリランカ | 1996年08月11日 | 1990年代 | クマラトゥンガ大統領が訪問先の韓国で1000万㌦の借款に調印。韓国側はスリランカへの投資で3万人の雇用機会創出を約束。 |
DIA-305-1996-08-16-1 | スリランカ | 1996年08月16日 | 1990年代 | 伝統的なシンハラ文学の復興に努め,日本に関する著作もあるエディリヴィーラ・サラッチャンドラ氏が死亡。 |
DIA-305-1996-08-26-1 | スリランカ | 1996年08月26日 | 1990年代 | 政府,今年3度目の小麦価格引上げを発表。 |
DIA-305-1996-08-30-1 | スリランカ | 1996年08月30日 | 1990年代 | リフキンド英外相がスリランカを訪問し,英国内でのLTTEの資金集めなどに法的措置をとることを確約。 |
DIA-305-1996-09-01-1 | スリランカ | 1996年09月01日 | 1990年代 | 日本がスリランカの農業開発プロジェクトに15億5000万円の借款を決定。 |
DIA-305-1996-09-12-1 | スリランカ | 1996年09月12日 | 1990年代 | LTTE,アランタラワで民間バスを襲撃。 |
DIA-305-1996-09-29-1 | スリランカ | 1996年09月29日 | 1990年代 | 政府軍が北部のキリノッチを制圧。LTTEをジャングルに追い込む。 |
DIA-305-1996-09-30-1 | スリランカ | 1996年09月30日 | 1990年代 | ベテラン左翼政治家のビビアン・グネワルデナ女史が80歳で死亡。 |
DIA-305-1996-10-08-1 | スリランカ | 1996年10月08日 | 1990年代 | 軍事ニュースに関する検閲廃止。 |
DIA-305-1996-10-26-1 | スリランカ | 1996年10月26日 | 1990年代 | 標準時を5月25日の変更から30分もどして,日本との時差は3時間に。 |
DIA-305-1996-10-27-1 | スリランカ | 1996年10月27日 | 1990年代 | 日本,スリランカの電力プロジェクトへの円借款を発表。 |
DIA-305-1996-10-30-1 | スリランカ | 1996年10月30日 | 1990年代 | スリランカ初の女性最高裁判事にシラニ・バンダラナイケ氏が就任。 |
DIA-305-1996-10-31-1 | スリランカ | 1996年10月31日 | 1990年代 | 兵士への食料配給にからむ汚職で陸軍幹部逮捕。 |
DIA-305-1996-11-01-1 | スリランカ | 1996年11月01日 | 1990年代 | J・R・ジャヤワルデネ元大統領が90歳で死去。氏はサンフランシスコ講和会議で対日賠償請求の放棄を唱えた。 |
DIA-305-1996-11-01-2 | スリランカ | 1996年11月01日 | 1990年代 | 韓国企業の韓進,セイロン鉄鋼公社の株90%を買収する合意書に調印。 |
DIA-305-1996-11-09-1 | スリランカ | 1996年11月09日 | 1990年代 | 政府の許可をとらずに活動していたとして,4人のデンマーク人ジャーナリストが国外退去に。 |
DIA-305-1996-11-11-1 | スリランカ | 1996年11月11日 | 1990年代 | 北部のカンカサヌライ港へのLTTEの攻撃に海軍が応戦し,LTTE兵士30人を殺害。 |
DIA-305-1996-11-18-1 | スリランカ | 1996年11月18日 | 1990年代 | スリランカ援助国グループが8億6000万ドルの援助パッケージを発表。 |
DIA-305-1996-11-24-1 | スリランカ | 1996年11月24日 | 1990年代 | クマラトゥンガ大統領がフランスを訪問し,シラク仏大統領と会談。二国間関係の強化や投資促進で合意。 |
DIA-305-1996-12-05-1 | スリランカ | 1996年12月05日 | 1990年代 | 政府,デング熱に対する全土でのアクション・デーを宣言。 |
DIA-305-1996-12-08-1 | スリランカ | 1996年12月08日 | 1990年代 | 政府軍ヘリコプターがLTTEの支配地域に不時着。乗っていたA・ラトワッテ副国防相,R・ダルワッテ陸軍司令官らは一命を取りとめる。クマラトゥンガ大統領が両者らの救出を陣頭指揮。 |
DIA-305-1996-12-17-1 | スリランカ | 1996年12月17日 | 1990年代 | LTTEの自爆攻撃で政府軍特殊部隊のサハバンドゥ副司令官が死亡。 |
DIA-305-1996-12-27-1 | スリランカ | 1996年12月27日 | 1990年代 | コロンボ港の労働者が,政府の港リース計画に反対してストライキ。 |
DIA-305-1997-01-04-1 | スリランカ | 1997年01月04日 | 1990年代 | イーラム人民民主党(EPDP),ジャフナ市に6年ぶりに政党事務所を再開。 |
DIA-305-1997-01-06-1 | スリランカ | 1997年01月06日 | 1990年代 | 法定準備率を15%から14%へ引下げ。 |
DIA-305-1997-01-09-1 | スリランカ | 1997年01月09日 | 1990年代 | タミルイーラム解放の虎(LTTE),バランタンとエレファントパスの軍事基地を攻撃。軍側に223人,LTTE側は約500人の死傷者。 |
DIA-305-1997-01-20-1 | スリランカ | 1997年01月20日 | 1990年代 | グジュラル・インド外相,カジルガマル外相と会談(19~22日まで4日間滞在)。 |
DIA-305-1997-01-24-1 | スリランカ | 1997年01月24日 | 1990年代 | 前政権時代に民営化された国有企業の再国有化が進んでいる,とピーリス副蔵相・法相語る。 |
DIA-305-1997-01-31-1 | スリランカ | 1997年01月31日 | 1990年代 | 大統領,調査の結果1988年のヴィジャヤ暗殺に故プレマダーサ大統領とウジェラトナ元国防副大臣が関与していたと発表。 |
DIA-305-1997-02-05-1 | スリランカ | 1997年02月05日 | 1990年代 | 地方選挙,立候補受付開始。 |
DIA-305-1997-02-11-1 | スリランカ | 1997年02月11日 | 1990年代 | ラトナプラ選出の統一国民党(UNP)議員スサンタら,スリランカ自由党(SLFP)議員のナーランダ・エッラウェラを銃殺。 |
DIA-305-1997-02-20-1 | スリランカ | 1997年02月20日 | 1990年代 | インドに向かう難民150人の乗った漁船がマンナール沖で転覆,130人が死亡。 |
DIA-305-1997-02-22-1 | スリランカ | 1997年02月22日 | 1990年代 | 軍,2月初めに開始した作戦の結果,バブニヤとマンナール間の幹線道路を確保。 |
DIA-305-1997-03-03-1 | スリランカ | 1997年03月03日 | 1990年代 | ヌアラ・エリアで,大統領の別荘近くで爆弾爆発。少なくとも1人が死亡。 |
DIA-305-1997-03-04-1 | スリランカ | 1997年03月04日 | 1990年代 | LTTE,バブニヤ,トリンコマリー,バティカロアの政府軍施設を襲撃,政府軍76人,LTTE側は168人が死亡(~6日)。 |
DIA-305-1997-03-04-2 | スリランカ | 1997年03月04日 | 1990年代 | 大統領,今年度末までに内戦を終結させると宣言。 |
DIA-305-1997-03-09-1 | スリランカ | 1997年03月09日 | 1990年代 | Island紙,LTTEパリ支部のローレンス・ティラカーが秘密裏にスリランカに来ていると報道。第三国の仲介による和平の可能性をプラバカランに伝達か。 |
DIA-305-1997-03-13-1 | スリランカ | 1997年03月13日 | 1990年代 | 政府軍,東部のLTTE基地(ムライティブ,ヴェリオヤ)を攻撃。LTTE側65人死亡。 |
DIA-305-1997-03-17-1 | スリランカ | 1997年03月17日 | 1990年代 | 親LTTE団体によるデモーストレーショシが国連人権委員会開催中のジュネーブで行われる。 |
DIA-305-1997-03-17-2 | スリランカ | 1997年03月17日 | 1990年代 | カジルガマル外相,パキスタン外相と対談。 |
DIA-305-1997-03-17-3 | スリランカ | 1997年03月17日 | 1990年代 | 政府内に人権委員会設立。 |
DIA-305-1997-03-21-1 | スリランカ | 1997年03月21日 | 1990年代 | 地方選挙,238地方議会のうち人民連合(PA)が194議会で与党となる。 |
DIA-305-1997-03-21-2 | スリランカ | 1997年03月21日 | 1990年代 | 法定準備率をさらに引き下げて12%に。 |
DIA-305-1997-03-24-1 | スリランカ | 1997年03月24日 | 1990年代 | ムライティブ沖でLTTEの船艇25隻と海軍が交戦,LTTEは沿岸部の石油施設に自爆攻撃を試みたが失敗。 |
DIA-305-1997-03-24-2 | スリランカ | 1997年03月24日 | 1990年代 | パレスチナ・アラファト議長,来訪(~25日)。 |
DIA-305-1997-03-26-1 | スリランカ | 1997年03月26日 | 1990年代 | 憲法改正案の18章分を一般に公表。 |
DIA-305-1997-04-03-1 | スリランカ | 1997年04月03日 | 1990年代 | PAとUNPが民族紛争解決に向けて超党派的合意に達する。 |
DIA-305-1997-04-27-1 | スリランカ | 1997年04月27日 | 1990年代 | LTTE,北・東部で軍基地などを襲撃。軍側に31人の被害。 |
DIA-305-1997-05-05-1 | スリランカ | 1997年05月05日 | 1990年代 | 4月発効のスリランカ放送権限法を最高裁が違憲と判断。 |
DIA-305-1997-05-07-1 | スリランカ | 1997年05月07日 | 1990年代 | Daily News紙,SLFPがジャフナ市に支部を開設と報道。 |
DIA-305-1997-05-07-2 | スリランカ | 1997年05月07日 | 1990年代 | 国際赤十字(ICRC),コロンボで政府とLTTEに対して,民間人の人命尊重を要請する声明文を発表。 |
DIA-305-1997-05-12-1 | スリランカ | 1997年05月12日 | 1990年代 | 南アジア地域協力連合(SAARC)会議,モルディブのマレで開催(~14日)。 |
DIA-305-1997-05-13-1 | スリランカ | 1997年05月13日 | 1990年代 | 政府軍,ジャヤ・シクルイ(確実な勝利)作戦開始。 |
DIA-305-1997-05-26-1 | スリランカ | 1997年05月26日 | 1990年代 | 大統領,クウェート訪問。(~27日) |
DIA-305-1997-05-29-1 | スリランカ | 1997年05月29日 | 1990年代 | 大統領,タミル統一解放戦線(TULF)などタミル政党と北部情勢について会談。休戦も考慮すると語る。 |
DIA-305-1997-06-05-1 | スリランカ | 1997年06月05日 | 1990年代 | ピーリス副蔵相・法相,議会選任委員会に議席数の削減を含む選挙制度の改正案を提出。 |
DIA-305-1997-06-06-1 | スリランカ | 1997年06月06日 | 1990年代 | インド,バングラデシュ,スリランカの南アジア3カ国とタイはバンコクで閣僚級会議を開き,新たな経済協力機構(BISTEC)を設立する宣言に調印。 |
DIA-305-1997-06-09-1 | スリランカ | 1997年06月09日 | 1990年代 | 内閣改造で,民主統一国民戦線(DUNLF)のスリマニ・アトラトムダリが閣外へ。大統領,新たに7省を設置し,8人の新閣僚を任命。 |
DIA-305-1997-06-10-1 | スリランカ | 1997年06月10日 | 1990年代 | LTTE,バブニヤの政府軍基地を攻撃,軍側100人,ゲリラ側210人死亡(女性兵士が多数参加したとの報道あり)。 |
DIA-305-1997-06-16-1 | スリランカ | 1997年06月16日 | 1990年代 | シリセナ・クーレイ元UNP幹部,国家騒乱罪で逮捕される。8月釈放。 |
DIA-305-1997-06-24-1 | スリランカ | 1997年06月24日 | 1990年代 | LTTEと軍,プリヤンクラムで衝突,軍側118人,ゲリラ側も多数死亡(~25日)。軍は作戦を一時停止。7月3日に再開。 |
DIA-305-1997-06-26-1 | スリランカ | 1997年06月26日 | 1990年代 | 郵政大臣,国会権限・特権条例(1978年判定)を近く廃止すると言明。廃止は9月。 |
DIA-305-1997-06-29-1 | スリランカ | 1997年06月29日 | 1990年代 | プレマダーサセンターで会合,UNP関係者の多くは出席せず。23日にハンバントータで開催されたプレマダーサ生誕73年式典には数人が参加。 |
DIA-305-1997-07-01-1 | スリランカ | 1997年07月01日 | 1990年代 | LTTE,マンナールからジャフナに向かう難民輸送船ミッセン号を爆破し,インドネシア人乗員等を拉致。4日に解放。 |
DIA-305-1997-07-01-2 | スリランカ | 1997年07月01日 | 1990年代 | 14人のムスリム漁民がLTTEに誘拐される。2日の夕方解放される。 |
DIA-305-1997-07-02-1 | スリランカ | 1997年07月02日 | 1990年代 | トリンコマリー県の沿岸の村からシンハラ4人,ムスリム37人がLTTEに誘拐される。LTTEがムスリムコミュニティに対して政府支持を取りやめるように脅迫。 |
DIA-305-1997-07-05-1 | スリランカ | 1997年07月05日 | 1990年代 | TULFの国会議員タンガトゥライ(61歳)他5人がトリンコマリーで移動中にLTTEの襲撃を受けて死亡。 |
DIA-305-1997-07-07-1 | スリランカ | 1997年07月07日 | 1990年代 | LTTE,ジャフナ沖で北朝鮮食糧貨物船モランボン号をハイジャック。船員1人死亡。 |
DIA-305-1997-07-09-1 | スリランカ | 1997年07月09日 | 1990年代 | 北朝鮮船員の遺体,ICRCに引き渡される。その他の37人船員は12日に解放。その後8月21日,ICRCが交渉にあたりLTTEは船を解放すると合意(実際の引き渡しは9月)。2日に誘拐されたムスリムのうち10代の年少者8人もICRC経由で解放される。 |
DIA-305-1997-07-10-1 | スリランカ | 1997年07月10日 | 1990年代 | 国会,暴力事件減少地域での非常事態宣言(97年7月4日~)を解除する動議を117対77,棄権31で採択。コロンボと周辺地域および北部・東部は解除対象から除外されている。 |
DIA-305-1997-07-14-1 | スリランカ | 1997年07月14日 | 1990年代 | PAの議員ら,憲法改正案について集中討議。国民投票について与党議員内の合意を得るため(~15日)。 |
DIA-305-1997-07-15-1 | スリランカ | 1997年07月15日 | 1990年代 | LTTEロンドン事務所,ジャフナに軍事物資を運ぶ船舶は攻撃する,と政府に通告。 |
DIA-305-1997-07-17-1 | スリランカ | 1997年07月17日 | 1990年代 | ピーリス副蔵相・法相,UNPに権限委譲案についての対案を早急に提出するよう要求。 |
DIA-305-1997-07-20-1 | スリランカ | 1997年07月20日 | 1990年代 | UNP国会議員マハルーフ(58歳),トリンコマリーで暗殺される。2日にLTTEに誘拐されたムスリム村人の家族を慰問する途中。 |
DIA-305-1997-07-21-1 | スリランカ | 1997年07月21日 | 1990年代 | バティカロアでLTTEが軍施設を襲撃,LTTE側58人死亡。 |
DIA-305-1997-07-23-1 | スリランカ | 1997年07月23日 | 1990年代 | 政府,大統領邸宅の建設中止を発表。 |
DIA-305-1997-07-23-2 | スリランカ | 1997年07月23日 | 1990年代 | ドーナー・オーストラリア外相,スリランカ訪問(~25日)。LTTEを批判。 |
DIA-305-1997-07-25-1 | スリランカ | 1997年07月25日 | 1990年代 | 米国政府,LTTEの民間人に対するテロ行為を批判。スリランカ政府の権限移譲を支持。 |
DIA-305-1997-07-25-2 | スリランカ | 1997年07月25日 | 1990年代 | 選挙法改正に伴う国会議員数削減はない,とピーリス副蔵相・法相言明。 |
DIA-305-1997-07-30-1 | スリランカ | 1997年07月30日 | 1990年代 | 政府の提示した教育改革案に反対して学生がデモ。警察は催涙弾で応酬。大統領は生徒の負担を軽減するためのカリキュラム変更と英語学習の義務化を検討。 |
DIA-305-1997-08-01-1 | スリランカ | 1997年08月01日 | 1990年代 | LTTE,オマンタイを襲撃,LTTE側126人,軍67人死亡。ジャヤ・シクルイ作戦開始以来,LTTEによる大規模な攻撃はこれで3回目。 |
DIA-305-1997-08-02-1 | スリランカ | 1997年08月02日 | 1990年代 | 米国議会上院が全会一致でLTTEをテロリスト組織に指定することをクリントン政権に提言。 |
DIA-305-1997-08-05-1 | スリランカ | 1997年08月05日 | 1990年代 | NTT,スリランカテレコム株の35%を2億2500万ドルで買収。大統領,スリランカテレコム売却益の100億ルピーで大蔵省証券の償還を決定。 |
DIA-305-1997-08-06-1 | スリランカ | 1997年08月06日 | 1990年代 | 国連難民弁務官事務所(UNHCR),LTTEが難民の帰還と食糧輸送を妨害と批判。 |
DIA-305-1997-08-09-1 | スリランカ | 1997年08月09日 | 1990年代 | 国際人権委員会(IHRC),LTTEをテロ組織と認定。 |
DIA-305-1997-08-10-1 | スリランカ | 1997年08月10日 | 1990年代 | ケラニティッサの火力発電所稼働。 |
DIA-305-1997-08-11-1 | スリランカ | 1997年08月11日 | 1990年代 | コロンボ株式市場に新システム導入。 |
DIA-305-1997-08-11-2 | スリランカ | 1997年08月11日 | 1990年代 | 補助金削減のため小麦価格をキロ当り2ルピー値上げ。 |
DIA-305-1997-08-12-1 | スリランカ | 1997年08月12日 | 1990年代 | 民間のバス会社,40%の賃金アップを求めてストライキ。14日に解除。 |
DIA-305-1997-08-19-1 | スリランカ | 1997年08月19日 | 1990年代 | プリヤンクラムで交戦。LTTE側130人が死亡。21日に軍,プリヤンクラム駅を掌握。 |
DIA-305-1997-08-19-2 | スリランカ | 1997年08月19日 | 1990年代 | 最高裁,シリセナ・クーレイへの基本的人権(憲法13条(1),(2)で保証されている)の侵害と不当な逮捕があったとして,政府にクーレイの釈放と20万とルピーの慰謝料の支払いを命じた。 |
DIA-305-1997-08-24-1 | スリランカ | 1997年08月24日 | 1990年代 | LTTE,バティカロアを襲撃,軍15人,民間人4人が死亡。 |
DIA-305-1997-08-25-1 | スリランカ | 1997年08月25日 | 1990年代 | 大統領,和平と憲法改正への理解を深める平和キャラバンのためアヌラダプラで僧侶たちに協力を要請。全国を遊説。 |
DIA-305-1997-08-27-1 | スリランカ | 1997年08月27日 | 1990年代 | ピーリス副蔵相・法相,マレーシアを訪問(~29日)。 |
DIA-305-1997-08-27-2 | スリランカ | 1997年08月27日 | 1990年代 | 大統領特別委員会,ウィジャパーラ・メンディスUNP幹部らの権限濫用に対して市民権剥奪を勧告。 |
DIA-305-1997-08-28-1 | スリランカ | 1997年08月28日 | 1990年代 | マンナール,トリンコマリーからジャフナに向かう船の運航が再開された。 |
DIA-305-1997-08-29-1 | スリランカ | 1997年08月29日 | 1990年代 | カナダ連邦裁判所,タミル人・スレッシュの入国を拒否する判決を出す。 |
DIA-305-1997-09-01-1 | スリランカ | 1997年09月01日 | 1990年代 | 電気料金平均11%引き上げ。 |
DIA-305-1997-09-03-1 | スリランカ | 1997年09月03日 | 1990年代 | 軍とLTTE,ポリオ予防接種のため4日間の停戦に合意。 |
DIA-305-1997-09-06-1 | スリランカ | 1997年09月06日 | 1990年代 | LTTE,停戦を破り,ポロンナルワ県で兵士3人を殺害。 |
DIA-305-1997-09-09-1 | スリランカ | 1997年09月09日 | 1990年代 | LTTE,ムライティブ沖で作業中の香港船コーディアィティ号を襲撃,民間人4人を含む少なくとも32人が死亡。 |
DIA-305-1997-09-09-2 | スリランカ | 1997年09月09日 | 1990年代 | インダーファース南アジア担当米国務次官補,スリランカ訪問,政府の権限委譲パッケージの支持を表明。 |
DIA-305-1997-09-11-1 | スリランカ | 1997年09月11日 | 1990年代 | 国会権限・特権条例(1978年制定)国会で廃止を決定。 |
DIA-305-1997-09-11-2 | スリランカ | 1997年09月11日 | 1990年代 | コロンボのEPDP事務所に手榴弾が投げ込まれる。 |
DIA-305-1997-09-15-1 | スリランカ | 1997年09月15日 | 1990年代 | 大統領,マレーシア訪問(~18日)。16日,経済・科学技術協力に関する二つの合意文書と二重関税回避などの四つの相互了解覚書に調印。 |
DIA-305-1997-09-17-1 | スリランカ | 1997年09月17日 | 1990年代 | シンハラ委員会の中間報告で,政府提出の権限委譲案を否定。 |
DIA-305-1997-09-23-1 | スリランカ | 1997年09月23日 | 1990年代 | アンパラのタミル人入植地でムスリムの自警団ら民間人5人が殺害される。前日に警官が殺害されたのがきっかけ。 |
DIA-305-1997-09-25-1 | スリランカ | 1997年09月25日 | 1990年代 | マンガラ郵政・メディア大臣,シンハラ委員会の中間報告を批判。両者の亀裂が広がる。 |
DIA-305-1997-09-29-1 | スリランカ | 1997年09月29日 | 1990年代 | 大臣会議,全会一致で権限委譲案に賛成(公式声明は発表されず)。権限移譲の単位がほぼ決定。トリンコマリーとバティカロアで国民投票を行うことも決定。 |
DIA-305-1997-09-30-1 | スリランカ | 1997年09月30日 | 1990年代 | プリヤンクラムの北で交戦。 |
DIA-305-1997-09-30-2 | スリランカ | 1997年09月30日 | 1990年代 | 数百人の僧侶がマンガラ郵政大臣に対して発言の取り消しを要求。 |
DIA-305-1997-10-02-1 | スリランカ | 1997年10月02日 | 1990年代 | カジルガマル外相,オルブライト米国務長官と会談,LTTEテロ指定について議論。 |
DIA-305-1997-10-03-1 | スリランカ | 1997年10月03日 | 1990年代 | 外相,国連総会で演説,LTTEが子供を兵士として戦わせていることを非難。 |
DIA-305-1997-10-04-1 | スリランカ | 1997年10月04日 | 1990年代 | LTTEロンドン支部,ジンバブエ船ハイジャックの疑いを否定。 |
DIA-305-1997-10-05-1 | スリランカ | 1997年10月05日 | 1990年代 | プリヤンクラム周辺で戦闘,LTTE側150人,軍34人が死亡。 |
DIA-305-1997-10-06-1 | スリランカ | 1997年10月06日 | 1990年代 | アンパラ県でLTTEが警察署を襲撃,警官6人が死亡。 |
DIA-305-1997-10-07-1 | スリランカ | 1997年10月07日 | 1990年代 | ラリト・アトラトムダリ暗殺調査委員会,前大統領のプレマダーサが直接関与していたと断定。 |
DIA-305-1997-10-08-1 | スリランカ | 1997年10月08日 | 1990年代 | アメリカ,LTTEを含む30団体をテロリストと見なすことを,公式発表。 |
DIA-305-1997-10-11-1 | スリランカ | 1997年10月11日 | 1990年代 | カタラガマのバス停が放火され,1人死亡。 |
DIA-305-1997-10-12-1 | スリランカ | 1997年10月12日 | 1990年代 | 世界貿易センターがオープン。大統領,南アジアの金融ハブとしての役割を期待。 |
DIA-305-1997-10-15-1 | スリランカ | 1997年10月15日 | 1990年代 | 世界貿易センター付近でテロの自爆攻撃,18人死亡,外国人36人を含む100人以上が負傷。 |
DIA-305-1997-10-19-1 | スリランカ | 1997年10月19日 | 1990年代 | ムライティブ沖で海軍とLTTEが交戦,LTTE側に100人近い死者。 |
DIA-305-1997-10-23-1 | スリランカ | 1997年10月23日 | 1990年代 | 大統領,英連邦会議に出席。 |
DIA-305-1997-10-23-2 | スリランカ | 1997年10月23日 | 1990年代 | 軍,カナガラヤンクラム周辺でLTTEゲリラを待ち伏せ,ゲリラ側50人死亡。 |
DIA-305-1997-10-24-1 | スリランカ | 1997年10月24日 | 1990年代 | ピーリス副蔵相・法相,国会に憲法改正案提出。 |
DIA-305-1997-10-25-1 | スリランカ | 1997年10月25日 | 1990年代 | 大統領,インド首相と会談。 |
DIA-305-1997-10-26-1 | スリランカ | 1997年10月26日 | 1990年代 | 大統領,ネルソン・マンデラ南アフリカ共和国大統領と会談。 |
DIA-305-1997-10-27-1 | スリランカ | 1997年10月27日 | 1990年代 | ピーリス副蔵相・法相,スリランカ国内でLTTEを非合法化することはない,と語る。 |
DIA-305-1997-10-28-1 | スリランカ | 1997年10月28日 | 1990年代 | 駐スリランカ・アメリカ大使ドネリー,アメリカ政府はLTTEによるアメリカの利益に反する行為に容赦しないと語る。 |
DIA-305-1997-10-29-1 | スリランカ | 1997年10月29日 | 1990年代 | 米軍,スリランカへの医療活動訓練の日程を繰り上げて帰国。 |
DIA-305-1997-11-02-1 | スリランカ | 1997年11月02日 | 1990年代 | 空軍,ムライティブ沖でLTTEの輸送船を破壊。 |
DIA-305-1997-11-05-1 | スリランカ | 1997年11月05日 | 1990年代 | ピーリス副蔵相,経済開発政策を盛り込んだ98年度予算演説を発表。 |
DIA-305-1997-11-14-1 | スリランカ | 1997年11月14日 | 1990年代 | ケラニティッサの発電所に爆弾が仕掛けられる。 |
DIA-305-1997-11-14-2 | スリランカ | 1997年11月14日 | 1990年代 | 軍,ジャヤ・シクルイ作戦の最終局面に突入。 |
DIA-305-1997-11-18-1 | スリランカ | 1997年11月18日 | 1990年代 | インドで,ラジーヴ・ガンディー暗殺を調査したジャイン委員会の中間報告の内容がIndia Today誌に掲載される。LTTEとドラヴィダ進歩同盟の関係が明らかにされる。 |
DIA-305-1997-11-19-1 | スリランカ | 1997年11月19日 | 1990年代 | 98年度予算,126対85で議会を通過。 |
DIA-305-1997-12-04-1 | スリランカ | 1997年12月04日 | 1990年代 | マンクラム周辺で交戦,軍157人死亡。ICRC,軍側の146人の兵士の遺体を引渡し。 |
DIA-305-1997-12-04-2 | スリランカ | 1997年12月04日 | 1990年代 | 政府,汚職・不正調査委員会の委員長,委員等に辞職を要求。 |
DIA-305-1997-12-16-1 | スリランカ | 1997年12月16日 | 1990年代 | ジャフナ・キリノッチ地方選挙の立候補,受付(~23日)。 |
DIA-305-1997-12-30-1 | スリランカ | 1997年12月30日 | 1990年代 | バーナード・ソイザ科学技術大臣が83歳で死亡。 |
DIA-305-1997-12-30-2 | スリランカ | 1997年12月30日 | 1990年代 | セイロン電気局と韓国企業の現代,5億ルピーの開発契約に調印。 |
DIA-305-1998-01-08-1 | スリランカ | 1998年01月08日 | 1990年代 | スリランカ・パキスタン経済委員会(~9日)。 |
DIA-305-1998-01-12-1 | スリランカ | 1998年01月12日 | 1990年代 | 軍,カナガラヤンクラムからタミルイーラム解放の虎(LTTE)を排除。 |
DIA-305-1998-01-12-2 | スリランカ | 1998年01月12日 | 1990年代 | 成田発スリランカ行きのエアランカ便にLTTEを名乗る男から爆破予告電話があったが,不審物は発見されず。 |
DIA-305-1998-01-16-1 | スリランカ | 1998年01月16日 | 1990年代 | 1981年の暴動で焼失したジャフナ図書館,再開。 |
DIA-305-1998-01-21-1 | スリランカ | 1998年01月21日 | 1990年代 | 商業大臣,小麦輸入自由化を発表。 |
DIA-305-1998-01-21-2 | スリランカ | 1998年01月21日 | 1990年代 | 大統領,現在国有地で米を耕作している農民に土地を与えると発表。 |
DIA-305-1998-01-25-1 | スリランカ | 1998年01月25日 | 1990年代 | LTTE,キャンディの仏歯寺を爆破,16人死亡。 |
DIA-305-1998-01-26-1 | スリランカ | 1998年01月26日 | 1990年代 | 政府,スリランカ国内におけるLTTEの活動を非合法化。 |
DIA-305-1998-01-28-1 | スリランカ | 1998年01月28日 | 1990年代 | 政府,独立50周年式典会場をキャンディからコロンボに変更すると決定。 |
DIA-305-1998-01-28-2 | スリランカ | 1998年01月28日 | 1990年代 | 1991年のラジーヴ・ガンディー暗殺容疑でスリランカ人16人に死刑判決が下る。 |
DIA-305-1998-01-28-3 | スリランカ | 1998年01月28日 | 1990年代 | 国防副大臣,仏歯寺爆破の責任をとって大統領に辞表を提出するが慰留される。 |
DIA-305-1998-01-29-1 | スリランカ | 1998年01月29日 | 1990年代 | 北部州で地方選挙が行われる。投票率は25%程度。ジャフナ市長にタミル統一解放戦線(TULF)の女性候補が当選。 |
DIA-305-1998-01-29-2 | スリランカ | 1998年01月29日 | 1990年代 | 統一国民党(UNP),憲法改正案の対案の一部を提出。 |
DIA-305-1998-02-01-1 | スリランカ | 1998年02月01日 | 1990年代 | キリノッチ,エレファントパス,バランタンの政府軍基地をLTTEが襲撃,軍の反撃によりLTTE側に350人の被害。 |
DIA-305-1998-02-03-1 | スリランカ | 1998年02月03日 | 1990年代 | Daily News紙,エアランカの株式売却交渉がエミレイト航空と進んでいる,と報道。 |
DIA-305-1998-02-03-2 | スリランカ | 1998年02月03日 | 1990年代 | チャールズ英皇太子,独立記念式典に参加するために来訪(~6日)。 |
DIA-305-1998-02-04-1 | スリランカ | 1998年02月04日 | 1990年代 | コロンボで独立50周年式典。 |
DIA-305-1998-02-05-1 | スリランカ | 1998年02月05日 | 1990年代 | 農園労働者組合,ストに突入。13日に大統領の仲介で終結。 |
DIA-305-1998-02-06-1 | スリランカ | 1998年02月06日 | 1990年代 | コロンボ市内の空軍司令部チェックポイント付近で女性の自爆攻撃による爆破で9人死亡。 |
DIA-305-1998-02-10-1 | スリランカ | 1998年02月10日 | 1990年代 | 国防省,独立50周年を記念して脱走兵に対して恩赦を発表。20日深夜までに帰還するよう呼びかけ。 |
DIA-305-1998-02-12-1 | スリランカ | 1998年02月12日 | 1990年代 | Sunday Leader紙に戦況レポートを書いているイクバル宅に空軍関係者が侵入,脅迫。 |
DIA-305-1998-02-22-1 | スリランカ | 1998年02月22日 | 1990年代 | ポイント・ペドロ沖で海軍船2隻がLTTEの襲撃を受け,少なくとも45人が行方不明。LTTEの女性自爆攻撃で11人死亡。 |
DIA-305-1998-03-03-1 | スリランカ | 1998年03月03日 | 1990年代 | UNP支持者に対する暴力が頻発していることを理由にUNPは国会を1カ月ボイコットすることを決定(~31日)。 |
DIA-305-1998-03-03-2 | スリランカ | 1998年03月03日 | 1990年代 | UNP,憲法改正案に対案提出。 |
DIA-305-1998-03-05-1 | スリランカ | 1998年03月05日 | 1990年代 | コロンボ・マラダーナ駅付近で,LTTEによる自爆攻撃で,37人死亡,250人余りが負傷。 |
DIA-305-1998-03-05-2 | スリランカ | 1998年03月05日 | 1990年代 | Island紙,南アフリカ政府がLTTEの事務所開設の申請を却下と報道。 |
DIA-305-1998-03-09-1 | スリランカ | 1998年03月09日 | 1990年代 | バティカロア県で爆弾を積んだトラックが爆発。警察官1人を含む5人が死亡。 |
DIA-305-1998-03-09-2 | スリランカ | 1998年03月09日 | 1990年代 | トリンコマリー県でLTTEが警察署を襲撃。警官が少なくとも3人死亡。 |
DIA-305-1998-03-11-1 | スリランカ | 1998年03月11日 | 1990年代 | スリランカテレコ,ム国内通話料金引き上げ,海外通話料金引き下げを発表。 |
DIA-305-1998-03-11-2 | スリランカ | 1998年03月11日 | 1990年代 | TULFのサロンジニ・ヨゲスヴァラン,ジャフナ市長に就任。 |
DIA-305-1998-03-14-1 | スリランカ | 1998年03月14日 | 1990年代 | マンクラム周辺で政府軍とLTTEが激しい戦闘(~15日)。少なくとも39人が死亡。 |
DIA-305-1998-03-17-1 | スリランカ | 1998年03月17日 | 1990年代 | UNP所属の国会議員ウィジャパーラ・メンディスの市民権剥奪に関する動議が提出される。 |
DIA-305-1998-03-21-1 | スリランカ | 1998年03月21日 | 1990年代 | 大統領,インド新首相のヴァジュペイー氏に就任を祝福するメッセージを送る。 |
DIA-305-1998-03-31-1 | スリランカ | 1998年03月31日 | 1990年代 | エアランカ,エミレイト航空に株式の40%売却,経営権譲渡で調印。 |
DIA-305-1998-04-01-1 | スリランカ | 1998年04月01日 | 1990年代 | 売上税(TT)に代わり,物品・サービス税(GST)を導入。 |
DIA-305-1998-04-12-1 | スリランカ | 1998年04月12日 | 1990年代 | ジャフナのマーケットで爆発,1人死亡,19人負傷。 |
DIA-305-1998-04-13-1 | スリランカ | 1998年04月13日 | 1990年代 | 大蔵副大臣らIMF会議に出席するためにワシントン入り(~17日)。 |
DIA-305-1998-04-14-1 | スリランカ | 1998年04月14日 | 1990年代 | LTTE,トリンコマリー県の警察署を襲撃,4人死亡。 |
DIA-305-1998-04-17-1 | スリランカ | 1998年04月17日 | 1990年代 | 英連邦担当大臣スリランカ訪問(~20日)。民族問題解決の仲介を申し出る。 |
DIA-305-1998-04-18-1 | スリランカ | 1998年04月18日 | 1990年代 | アメリカ国連大使ビル・リチャードソン,南アジア担当補佐官インダーファース,スリランカ訪問。LTTEに武装解除と交渉に応じるよう呼びかけ。 |
DIA-305-1998-04-25-1 | スリランカ | 1998年04月25日 | 1990年代 | 政府,3月22日より深夜業務を放棄している郵便局員労組に対して必須業務令を宣言(5月13日解除)。 |
DIA-305-1998-04-26-1 | スリランカ | 1998年04月26日 | 1990年代 | モルディブ大統領,来訪。 |
DIA-305-1998-04-26-2 | スリランカ | 1998年04月26日 | 1990年代 | 大統領,大蔵副大臣,ADB第31回年次総会出席のためにジュネーブへ。 |
DIA-305-1998-04-27-1 | スリランカ | 1998年04月27日 | 1990年代 | カルタラの電話交換所爆破される。5000回線が不通に。以降,電話交換所の爆破が相次ぐ。 |
DIA-305-1998-05-01-1 | スリランカ | 1998年05月01日 | 1990年代 | 厳重な警備の中,各地でメーデー開催。 |
DIA-305-1998-05-04-1 | スリランカ | 1998年05月04日 | 1990年代 | 国防省,1万5000人の脱走兵に対し,5日間の恩赦期間を与えると発表。 |
DIA-305-1998-05-08-1 | スリランカ | 1998年05月08日 | 1990年代 | スリランカ訪問中のオトゥンヌ国連特使,LTTEが17歳以下の少年・少女の徴兵を即時中止すると約束したことを明らかにした。 |
DIA-305-1998-05-12-1 | スリランカ | 1998年05月12日 | 1990年代 | インド,LTTEの国内活動禁止措置を2年間延長。 |
DIA-305-1998-05-13-1 | スリランカ | 1998年05月13日 | 1990年代 | ジャヤシクルイ作戦1年経過。これに対して,プラバカランはロンドン支部を通してLTTEはゲリラ戦から近代戦に転換した,と声明を発表。 |
DIA-305-1998-05-14-1 | スリランカ | 1998年05月14日 | 1990年代 | 軍のバス,マンナールからアヌラーダプラに向かう途中,地雷を踏んで幹部を含む13人死亡。ポイント・ペドロでも,軍幹部がLTTEの自爆攻撃で死亡。 |
DIA-305-1998-05-17-1 | スリランカ | 1998年05月17日 | 1990年代 | ジャフナ市長サロンジニ・ヨゲスヴァラン(60歳),暗殺される。 |
DIA-305-1998-05-21-1 | スリランカ | 1998年05月21日 | 1990年代 | 1997年10月のガラダリホテル爆破事件の容疑者4人を逮捕。 |
DIA-305-1998-05-22-1 | スリランカ | 1998年05月22日 | 1990年代 | 仏教関係者らの要請で脱走兵に対する恩赦が実施され,4500人余りが帰還。 |
DIA-305-1998-05-24-1 | スリランカ | 1998年05月24日 | 1990年代 | 南アジア地域協力連合(SAARC)郵政大臣会議で,地域内の国際電話料金の引き下げを決定。 |
DIA-305-1998-05-26-1 | スリランカ | 1998年05月26日 | 1990年代 | パリで開催された対スリランカ援助国会議はスリランカに7億8000万ドルの援助を行うことを決定。 |
DIA-305-1998-05-30-1 | スリランカ | 1998年05月30日 | 1990年代 | マンクラムおよびキリノッチ周辺で戦闘があり,政府軍とLTTEの760人が死亡,2200人が負傷。 |
DIA-305-1998-06-05-1 | スリランカ | 1998年06月05日 | 1990年代 | 国内外の報道機関に対して戦況に関するすべての報道を国防省が事前に検閲すると発表。 |
DIA-305-1998-06-05-2 | スリランカ | 1998年06月05日 | 1990年代 | ジャフナのTULF事務所の副事務所長,殺害される。 |
DIA-305-1998-06-10-1 | スリランカ | 1998年06月10日 | 1990年代 | 国防副大臣,4日から始まった北部の戦闘で433人が死亡と発表。 |
DIA-305-1998-06-20-1 | スリランカ | 1998年06月20日 | 1990年代 | UNP,メンディス議員の議員資格の一時的停止を決定。 |
DIA-305-1998-06-23-1 | スリランカ | 1998年06月23日 | 1990年代 | 大蔵副大臣,国産タバコと酒の税率引き上げと酒・タバコの免税輸入を禁止する考えを議会で明らかにした。1999年1月から酒・タバコの宣伝も禁止される。 |
DIA-305-1998-06-29-1 | スリランカ | 1998年06月29日 | 1990年代 | ジャフナ市長にTULFのシバパランが就任。 |
DIA-305-1998-06-30-1 | スリランカ | 1998年06月30日 | 1990年代 | イーラム人民民主党(EPDP)党首ダグラス,カルタラの刑務所でハンスト中の囚人を慰問中に刺され重傷。 |
DIA-305-1998-07-03-1 | スリランカ | 1998年07月03日 | 1990年代 | クリシャンティ暴行殺人事件の犯人らにコロンボ高等裁判所は死刑判決。 |
DIA-305-1998-07-10-1 | スリランカ | 1998年07月10日 | 1990年代 | 新・失跡者調査大統領委員会発足。 |
DIA-305-1998-07-16-1 | スリランカ | 1998年07月16日 | 1990年代 | 地方裁判所,メンディス議員のUNP除名を撤回するよう指示。 |
DIA-305-1998-07-20-1 | スリランカ | 1998年07月20日 | 1990年代 | テロリスト調査局,バブニヤでタミル紙記者を拘束(8月10日に釈放)。 |
DIA-305-1998-07-21-1 | スリランカ | 1998年07月21日 | 1990年代 | 政府,警察にジャフナにおける大量虐殺について調査するよう命じる。 |
DIA-305-1998-07-29-1 | スリランカ | 1998年07月29日 | 1990年代 | 第10回SAARC首脳会議開催(~31日)。 |
DIA-305-1998-08-05-1 | スリランカ | 1998年08月05日 | 1990年代 | 政府,非常事態宣言を全土に拡大し,28日に予定されていたウバ・中央・北中部・サバラガムワ・西部州の地方評議会選挙の実施を延期すると発表。 |
DIA-305-1998-08-13-1 | スリランカ | 1998年08月13日 | 1990年代 | 大蔵副大臣,国防費に80億ルピー追加を発表。 |
DIA-305-1998-08-15-1 | スリランカ | 1998年08月15日 | 1990年代 | 空軍,ムライティブ沖でLTTEにハイジャックされた民間船を爆撃。 |
DIA-305-1998-08-31-1 | スリランカ | 1998年08月31日 | 1990年代 | 南アフリカで開催中の非同盟諸国会議に際し,南ア在住タミル人らがデモ行進。 |
DIA-305-1998-09-02-1 | スリランカ | 1998年09月02日 | 1990年代 | 大統領,第12回非同盟諸国会議(~3日,ダーバン)で演説。 |
DIA-305-1998-09-08-1 | スリランカ | 1998年09月08日 | 1990年代 | 大統領,UNP議員J・ジャヤワルダナとLTTE幹部による人民連合(PA)政府転覆計画があったことを明らかにし,LTTEとの無条件の和平対話は再開はしないと発言。 |
DIA-305-1998-09-08-2 | スリランカ | 1998年09月08日 | 1990年代 | 国会,子供に対する性犯罪やその他の人権侵害を取り締まる全国児童保護局を設置する新法案を全会一致で採択。 |
DIA-305-1998-09-11-1 | スリランカ | 1998年09月11日 | 1990年代 | ジャフナ市庁舎で爆弾テロがあり,シバパラン・ジャフナ市長(46歳),軍幹部ら12人が死亡。 |
DIA-305-1998-09-17-1 | スリランカ | 1998年09月17日 | 1990年代 | UNICEF,ポリオ接種のため政府とLTTEゲリラが4日間の休戦に合意したと公表。休戦は18,19日および10月23,24日。 |
DIA-305-1998-09-22-1 | スリランカ | 1998年09月22日 | 1990年代 | 大統領,第53回国連総会の一般演説でLTTEが子供をゲリラとして戦わせていると非難。 |
DIA-305-1998-09-22-2 | スリランカ | 1998年09月22日 | 1990年代 | 政府,国防費の追加支出122億ルピーの承認を議会に要請。 |
DIA-305-1998-09-28-1 | スリランカ | 1998年09月28日 | 1990年代 | UNDPの在スリランカ代表,ジャフナ半島の地雷除去作業は年末にも始まると語る。 |
DIA-305-1998-09-29-1 | スリランカ | 1998年09月29日 | 1990年代 | ジャフナ発の民間航空機が離陸直後に消息を絶つ。10月1日にジャフナ沖で発見される。 |
DIA-305-1998-09-30-1 | スリランカ | 1998年09月30日 | 1990年代 | 国防省発表,27日から続いているパランタン・キリノッチ間の戦闘で,政府・LTTE双方合わせて1000人以上の死者が発生。 |
DIA-305-1998-10-02-1 | スリランカ | 1998年10月02日 | 1990年代 | 軍,キリノッチ南部の拠点を失うが,マンクラムを制圧。 |
DIA-305-1998-10-16-1 | スリランカ | 1998年10月16日 | 1990年代 | 国防省,脱走兵に対して3日間の恩赦を発表し帰還を促す。 |
DIA-305-1998-10-22-1 | スリランカ | 1998年10月22日 | 1990年代 | 経済団体,北・東部州の紛争解決を最優先課題として合意。 |
DIA-305-1998-10-24-1 | スリランカ | 1998年10月24日 | 1990年代 | LTTE,兵士4人を含む22人の捕虜を国際赤十字委員会に引き渡す。 |
DIA-305-1998-10-29-1 | スリランカ | 1998年10月29日 | 1990年代 | LTTEの自爆攻撃,軍の船を爆破。15人行方不明。 |
DIA-305-1998-11-04-1 | スリランカ | 1998年11月04日 | 1990年代 | 国連特使オトゥンヌ,LTTEが合意を守らずに依然として子供を徴兵していると非難。 |
DIA-305-1998-11-05-1 | スリランカ | 1998年11月05日 | 1990年代 | 大蔵副大臣,1999年度予算案提出。 |
DIA-305-1998-11-06-1 | スリランカ | 1998年11月06日 | 1990年代 | 南アフリカ外交筋,南アフリカにおけるLTTEの活動について調査中であることを明らかにした。 |
DIA-305-1998-11-09-1 | スリランカ | 1998年11月09日 | 1990年代 | 国際仏教徒会議,コロンボで開催。 |
DIA-305-1998-11-10-1 | スリランカ | 1998年11月10日 | 1990年代 | 政府筋,イラクとの間で紅茶と原油のバーター取引を行うとIsland紙に語る。 |
DIA-305-1998-11-10-2 | スリランカ | 1998年11月10日 | 1990年代 | プラバカランらLTTE幹部8人を1996年1月のコロンボのホテル爆破事件の被告として欠席裁判にかけることを高等裁判所が認めた。 |
DIA-305-1998-11-11-1 | スリランカ | 1998年11月11日 | 1990年代 | Daily News紙,洪水の影響でガンパハ県,プッタラム県で5000世帯が避難していると報道。 |
DIA-305-1998-11-11-2 | スリランカ | 1998年11月11日 | 1990年代 | 北西部州評議会解散,立候補登録は12月1日より。 |
DIA-305-1998-11-11-3 | スリランカ | 1998年11月11日 | 1990年代 | 宗教界,知識人,各種職能団体で構成される国民平和同盟,初集会を開催。 |
DIA-305-1998-11-15-1 | スリランカ | 1998年11月15日 | 1990年代 | タミル政党,9月に大統領が南アフリカでテレビインタビューを受けた際にスリランカ・タミル人を侮蔑する発言をしたと非難。 |
DIA-305-1998-11-15-2 | スリランカ | 1998年11月15日 | 1990年代 | 南アフリカ外相,南アフリカをLTTEの活動の拠点とさせないと言明。 |
DIA-305-1998-11-22-1 | スリランカ | 1998年11月22日 | 1990年代 | 大統領,UNPのラニル代表に戦争終結に協力する最後のチャンスを与えると語る。 |
DIA-305-1998-11-24-1 | スリランカ | 1998年11月24日 | 1990年代 | 軍幹部,作戦遂行に2万人の増員が必要と語る。 |
DIA-305-1998-11-26-1 | スリランカ | 1998年11月26日 | 1990年代 | プラバカラン,LTTEの英雄週間での演説で仲介者をたてた上での話し合いの可能性を示唆。 |
DIA-305-1998-11-26-2 | スリランカ | 1998年11月26日 | 1990年代 | 政府,UNDPに地雷撤去作業に必要な通信機器のジャフナ持ち込みを許可。 |
DIA-305-1998-12-01-1 | スリランカ | 1998年12月01日 | 1990年代 | 郵便料金値上げ。 |
DIA-305-1998-12-01-2 | スリランカ | 1998年12月01日 | 1990年代 | 最高裁判所,審理中の州評議会選挙法改正案は違憲であると判断。 |
DIA-305-1998-12-03-1 | スリランカ | 1998年12月03日 | 1990年代 | スリランカ共産党のY.P.シルバ死去。 |
DIA-305-1998-12-04-1 | スリランカ | 1998年12月04日 | 1990年代 | EU事務所,代表がジャフナを視察したと発表。 |
DIA-305-1998-12-04-2 | スリランカ | 1998年12月04日 | 1990年代 | 国防省,マンクラムを制圧してジャヤシクルイ作戦の終了を宣言。 |
DIA-305-1998-12-06-1 | スリランカ | 1998年12月06日 | 1990年代 | 国防副大臣ら軍最高幹部,オッドゥスッダンでLTTEのテロ攻撃にあうが,無事。巻き添えで5人死亡。 |
DIA-305-1998-12-08-1 | スリランカ | 1998年12月08日 | 1990年代 | 北西部州評議会選挙の立候補受付終了。投票は1月25日。 |
DIA-305-1998-12-08-2 | スリランカ | 1998年12月08日 | 1990年代 | トヨタ,ワッタラに東南アジア最大の販売・修理センターをオープン。 |
DIA-305-1998-12-08-3 | スリランカ | 1998年12月08日 | 1990年代 | 南アフリカ議員代表団,スリランカ外相の招きでスリランカを訪問し,タミル問題についてジャフナの司教と会談。(~14日) |
DIA-305-1998-12-09-1 | スリランカ | 1998年12月09日 | 1990年代 | 復興副大臣,前政権時代(1977~94年)の暴動の被害者に2億ルピーを割り当てたと語る。 |
DIA-305-1998-12-09-2 | スリランカ | 1998年12月09日 | 1990年代 | 日本政府,1999年度の対スリランカ援助額は前年度並みの130億ルピーと発表。 |
DIA-305-1998-12-10-1 | スリランカ | 1998年12月10日 | 1990年代 | Daily News紙,LTTEと関係の深いカナダ連邦大臣の辞任を報道。 |
DIA-305-1998-12-11-1 | スリランカ | 1998年12月11日 | 1990年代 | 大統領,情報局を設置し,報道規制業務を国防省から移管。 |
DIA-305-1998-12-16-1 | スリランカ | 1998年12月16日 | 1990年代 | 1999年度予算案,124対86で承認される。 |
DIA-305-1998-12-28-1 | スリランカ | 1998年12月28日 | 1990年代 | 大統領,インドを訪問し自由貿易協定締結。 |
DIA-305-1999-01-01-1 | スリランカ | 1999年01月01日 | 1990年代 | 大統領,新年の挨拶で,平和をもたらすために政治的立場の違いを捨てるべきと各政党に呼びかける。 |
DIA-305-1999-01-06-1 | スリランカ | 1999年01月06日 | 1990年代 | 新たに合同作戦本部を設立し,退役したばかりのロハン・ダルワッタを参謀に任命。 |
DIA-305-1999-01-06-2 | スリランカ | 1999年01月06日 | 1990年代 | Daily News紙,年末から北部・東部に降った豪雨で10万人以上が家を失ったと報道。 |
DIA-305-1999-01-07-1 | スリランカ | 1999年01月07日 | 1990年代 | 国防副大臣,国会で1999年内に「タミル・イーラム解放の虎」(LTTE)ゲリラを鎮圧し,国内に平和をもたらすと確約。 |
DIA-305-1999-01-10-1 | スリランカ | 1999年01月10日 | 1990年代 | 経済界,1998年末締結のスリランカ・インド自由貿易協定をスリランカに不利と非難。 |
DIA-305-1999-01-18-1 | スリランカ | 1999年01月18日 | 1990年代 | 外相,南アフリカ共和国が人種抗争終結への仲介をすることはないと断言。 |
DIA-305-1999-01-25-1 | スリランカ | 1999年01月25日 | 1990年代 | 北西部州評議会選挙。人民連合(PA)が30議席,統一国民党(UNP)が19議席,人民解放戦線(JVP)が3議席を獲得。 |
DIA-305-1999-02-04-1 | スリランカ | 1999年02月04日 | 1990年代 | 大統領,北西部州評議会選挙に不正があったとの批判に対して,再調査を命じる。 |
DIA-305-1999-02-15-1 | スリランカ | 1999年02月15日 | 1990年代 | 宗教界指導者ら,マドゥーを訪問。 |
DIA-305-1999-03-01-1 | スリランカ | 1999年03月01日 | 1990年代 | 本日付けで発効予定のスリランカ・インド自由貿易協定は,輸入関税撤廃リスト作成で交渉が決裂し,発効延期。 |
DIA-305-1999-03-04-1 | スリランカ | 1999年03月04日 | 1990年代 | バブニヤ・マンクラムの西側における作戦「ラナゴサ」開始。8日までに500平方キロ以上のゲリラ支配地域を制圧。 |
DIA-305-1999-03-09-1 | スリランカ | 1999年03月09日 | 1990年代 | コロンボ中心部で2時間のうちに鉄道,バス停,変電所で3回の爆発。 |
DIA-305-1999-03-10-1 | スリランカ | 1999年03月10日 | 1990年代 | 選挙管理委員会,最高裁の認可を受けて州評議会選挙を4月1日から6日に変更。 |
DIA-305-1999-03-13-1 | スリランカ | 1999年03月13日 | 1990年代 | ガンポラでUNP国会議員がPA支持者を殺害。 |
DIA-305-1999-03-13-2 | スリランカ | 1999年03月13日 | 1990年代 | 大統領発表,殺人と薬物密輸に対する死刑を復活させる。 |
DIA-305-1999-03-14-1 | スリランカ | 1999年03月14日 | 1990年代 | 『シンハラ』紙新聞記者が誘拐されるが,同日発見される。警察は軍幹部を逮捕。 |
DIA-305-1999-03-16-1 | スリランカ | 1999年03月16日 | 1990年代 | コロンボ郊外のマウントラビニヤで警察幹部を狙った女性自爆攻撃で,3人死亡,15人が負傷。 |
DIA-305-1999-03-16-2 | スリランカ | 1999年03月16日 | 1990年代 | 国防省,バブニヤ解放宣言,報道関係者らに視察を許可。 |
DIA-305-1999-03-17-1 | スリランカ | 1999年03月17日 | 1990年代 | バブニヤ県で地雷により6人死亡。 |
DIA-305-1999-03-17-2 | スリランカ | 1999年03月17日 | 1990年代 | ジャフナのバス停で爆発。3人が負傷。 |
DIA-305-1999-03-18-1 | スリランカ | 1999年03月18日 | 1990年代 | 軍,マドゥーへ進行開始。22日までに125平方キロを制圧。 |
DIA-305-1999-03-18-2 | スリランカ | 1999年03月18日 | 1990年代 | ヌアラエリアで南アジア地域協力連合(SAARC)外相会議開催。印パの関係改善などを積極的に働きかける必要性を強調。 |
DIA-305-1999-04-01-1 | スリランカ | 1999年04月01日 | 1990年代 | 国防省,マドゥーでLTTEゲリラ250人が政府軍に投降したことを明らかにする。 |
DIA-305-1999-04-04-1 | スリランカ | 1999年04月04日 | 1990年代 | 政府,紅茶市場価格の下落を受けて国有銀行が紅茶製造業者に低金利融資を行うと発表。 |
DIA-305-1999-04-06-1 | スリランカ | 1999年04月06日 | 1990年代 | 西部,中央,北中央,サバラガムワ,ウヴァ州で評議会選挙実施。各州でPAが僅差で勝利。 |
DIA-305-1999-04-06-2 | スリランカ | 1999年04月06日 | 1990年代 | 政府発表,ジャフナ市内の工事現場で7日から12日に行われた発掘作業で23体の人骨が発見される。 |
DIA-305-1999-04-18-1 | スリランカ | 1999年04月18日 | 1990年代 | 国連,湾岸戦争で失職した1万8000人のスリランカ人に4500万ドルの補償金支払い。 |
DIA-305-1999-04-22-1 | スリランカ | 1999年04月22日 | 1990年代 | コロンボ,マータラ,ラトナプラで大洪水。2万世帯が避難。大統領,調査委員会を任命して復旧に250万ルピーを割り当てた。 |
DIA-305-1999-04-23-1 | スリランカ | 1999年04月23日 | 1990年代 | 外相,アメリカと南アフリカに領事館を開設すると発表。 |
DIA-305-1999-04-26-1 | スリランカ | 1999年04月26日 | 1990年代 | スリランカ赤十字の職員,LTTEに通信機器などを供与していた疑いで逮捕される。 |
DIA-305-1999-04-28-1 | スリランカ | 1999年04月28日 | 1990年代 | 大統領,仏教・キリスト教の高僧らと会談して,和平交渉再開の条件を再度語る。LTTEは独立要求を取り下げて,交渉は期限を切るべき。 |
DIA-305-1999-04-28-2 | スリランカ | 1999年04月28日 | 1990年代 | 最高裁,UNP議員メンディスの除名撤回を支持。5月3日にUNP委員会はメンディスの党籍停止措置を解除。 |
DIA-305-1999-05-01-1 | スリランカ | 1999年05月01日 | 1990年代 | 大蔵副大臣,1999年のGDP成長率は,1998年と同程度(4.7%)かそれよりも低い水準になる見込みと語る。 |
DIA-305-1999-05-03-1 | スリランカ | 1999年05月03日 | 1990年代 | 軍,ジャフナでタミル人青年らに対して募集(~22日)。 |
DIA-305-1999-05-06-1 | スリランカ | 1999年05月06日 | 1990年代 | 非常事態宣言延長。延長前にラトワッタはUNPとタミル統一解放戦線(TULF)議員を最近制圧した地域に同行した。 |
DIA-305-1999-05-10-1 | スリランカ | 1999年05月10日 | 1990年代 | 軍,ペリヤマドゥー周辺において「ラナゴサ3」開始。 |
DIA-305-1999-05-10-2 | スリランカ | 1999年05月10日 | 1990年代 | アラブ首長国連邦,スリランカに大使館開設。 |
DIA-305-1999-05-11-1 | スリランカ | 1999年05月11日 | 1990年代 | 1991年5月のラジーヴ・ガンディー暗殺でインド最高裁判所,4人に死刑判決。3人に無期懲役,19人は即時釈放。 |
DIA-305-1999-05-15-1 | スリランカ | 1999年05月15日 | 1990年代 | コロンボ市内でタミル・イーラム人民解放組織(PLOTE)党員がタミル・イーラム解放組織(TELO)党員2人を殺害,同日バブニヤでTELO党員がPLOTE党員4人を殺害。 |
DIA-305-1999-05-16-1 | スリランカ | 1999年05月16日 | 1990年代 | 軍発表,軍とLTTEが14日に衝突,双方で54人死亡。14日までに102平方キロを軍が制圧した。 |
DIA-305-1999-05-19-1 | スリランカ | 1999年05月19日 | 1990年代 | 40日間におよんだ国営銀行従業員の労働争議(残業拒否)終了。 |
DIA-305-1999-05-20-1 | スリランカ | 1999年05月20日 | 1990年代 | コロンボで仏僧と支持者ら4000人が和平会談反対,武力によるLTTE鎮圧を訴える抗議集会。 |
DIA-305-1999-05-22-1 | スリランカ | 1999年05月22日 | 1990年代 | 外相,ベトナムを訪問(20~24日)し,技術文化協定に締結。 |
DIA-305-1999-05-25-1 | スリランカ | 1999年05月25日 | 1990年代 | 外相,カンボジア訪問(25~27日)。技術文化協定に締結。 |
DIA-305-1999-05-26-1 | スリランカ | 1999年05月26日 | 1990年代 | 僧侶200人がマドゥー,ジャフナを訪問。 |
DIA-305-1999-05-26-2 | スリランカ | 1999年05月26日 | 1990年代 | スリランカ・インド貿易協定除外品目リストについての交渉決裂。話し合いは継続。 |
DIA-305-1999-06-04-1 | スリランカ | 1999年06月04日 | 1990年代 | 政府,チェンマニ発掘にヨーロッパの監視団参加を承認。 |
DIA-305-1999-06-06-1 | スリランカ | 1999年06月06日 | 1990年代 | バブニヤで,過去1週間で3回目の変電所爆破。 |
DIA-305-1999-06-06-2 | スリランカ | 1999年06月06日 | 1990年代 | 大統領,南部州評議会選挙キャンペーン中の演説で大統領選挙は来年に行うと述べる。 |
DIA-305-1999-06-10-1 | スリランカ | 1999年06月10日 | 1990年代 | 南部州評議会選挙。PA27議席,UNP21議席,JVPが7議席獲得。 |
DIA-305-1999-06-10-2 | スリランカ | 1999年06月10日 | 1990年代 | Island紙,LTTEの政治顧問バーラシンガムがイギリスに入国し,ロンドンに滞在中と報じる。 |
DIA-305-1999-06-10-3 | スリランカ | 1999年06月10日 | 1990年代 | パランタン付近で政府軍とLTTE衝突,双方で61人死亡。 |
DIA-305-1999-06-14-1 | スリランカ | 1999年06月14日 | 1990年代 | 国家医師協会(GMOA)の医師4500人が無期限ストに突入。7月1日に終了。 |
DIA-305-1999-06-16-1 | スリランカ | 1999年06月16日 | 1990年代 | 人権団体や專門家の立ち会いの下,チェンマニ発掘。2体の人骨が発見される。 |
DIA-305-1999-06-19-1 | スリランカ | 1999年06月19日 | 1990年代 | スリランカ・イラク共同経済委員会でイラクが6000トンの紅茶を購入,スリランカはイラクから12万トンの原油を輸入。 |
DIA-305-1999-06-25-1 | スリランカ | 1999年06月25日 | 1990年代 | アメリカ連邦控訴裁判所,危険テロ組織からのLTTE除外請求を却下。 |
DIA-305-1999-06-26-1 | スリランカ | 1999年06月26日 | 1990年代 | 政府軍,ワンニ地区61平方キロをLTTEから奪取。 |
DIA-305-1999-06-29-1 | スリランカ | 1999年06月29日 | 1990年代 | 国防省発表,政府軍はワンニ地区でLTTEゲリラに対する大攻勢をかけ,ゲリラ250人以上を殺害した。ワンニ北西部をほぼ制圧。 |
DIA-305-1999-06-30-1 | スリランカ | 1999年06月30日 | 1990年代 | バブニヤで,PLOTE国会議員宅が何者かに襲撃され,護衛の2人が死亡。 |
DIA-305-1999-07-02-1 | スリランカ | 1999年07月02日 | 1990年代 | 副大臣ポストの改造。新入閣した13人を含む16人が副大臣に任命され宣誓。 |
DIA-305-1999-07-05-1 | スリランカ | 1999年07月05日 | 1990年代 | 大統領,ネパール国王の招待により5日からネパールを訪問。その後8日にブータン入り(~10日)。 |
DIA-305-1999-07-05-2 | スリランカ | 1999年07月05日 | 1990年代 | 国連職員,18カ月遅れていたジャフナでの地雷除去作業の用意が完了したと語る。 |
DIA-305-1999-07-13-1 | スリランカ | 1999年07月13日 | 1990年代 | 国営航空のエアランカ,スリランカ・エアラインに社名を変更。 |
DIA-305-1999-07-14-1 | スリランカ | 1999年07月14日 | 1990年代 | バティカロアの警察署前で時限爆弾が爆発。3人死亡。 |
DIA-305-1999-07-15-1 | スリランカ | 1999年07月15日 | 1990年代 | 政府,食糧不足を解消するために幹線道路沿いを民間人安全地帯とすることを提案するが,LTTEはこれを拒否と軍発表。 |
DIA-305-1999-07-15-2 | スリランカ | 1999年07月15日 | 1990年代 | 東部および北部ヴェリオヤで戦闘,15人死亡。 |
DIA-305-1999-07-15-3 | スリランカ | 1999年07月15日 | 1990年代 | ミャンマー外相がスリランカ訪問(14日~),ミャンマーにおけるLTTEの活動を許可しないと語る。 |
DIA-305-1999-07-15-4 | スリランカ | 1999年07月15日 | 1990年代 | 大統領制の廃止を主張するUNP街頭デモに対して警官が催涙ガスを使用。少なくとも30人が負傷。 |
DIA-305-1999-07-16-1 | スリランカ | 1999年07月16日 | 1990年代 | ジャフナで,イーラム人民民主党(EPDP)党員とPLOTE党員がLTTEゲリラに銃撃され死亡。 |
DIA-305-1999-07-21-1 | スリランカ | 1999年07月21日 | 1990年代 | 15日のUNPデモにおける警察の暴力に抗議してジャーナリストらがデモ行進。 |
DIA-305-1999-07-22-1 | スリランカ | 1999年07月22日 | 1990年代 | UNP,大統領に選挙公約の実現を要求し,コロンボで4000人を動員してデモ行進。 |
DIA-305-1999-07-22-2 | スリランカ | 1999年07月22日 | 1990年代 | 政府,北部における民間人安全地帯を再提案したと発表。 |
DIA-305-1999-07-22-3 | スリランカ | 1999年07月22日 | 1990年代 | オーストラリア沖でスリランカ人密航者14人を乗せた船が転覆。 |
DIA-305-1999-07-26-1 | スリランカ | 1999年07月26日 | 1990年代 | PA,8月19日までに地方分権・大統領制廃止を盛り込んだ憲法改正案を国会に提出すると発表。 |
DIA-305-1999-07-28-1 | スリランカ | 1999年07月28日 | 1990年代 | 政府,政府事務職組合の要求に応じ,6月1日に遡及して賃上げを実施。 |
DIA-305-1999-07-29-1 | スリランカ | 1999年07月29日 | 1990年代 | TULF副議長ニーラン・チィルチェルバム(55歳)コロンボ市内で自爆テロにより死亡。 |
DIA-305-1999-08-04-1 | スリランカ | 1999年08月04日 | 1990年代 | バブニヤ県で,LTTE女性ゲリラによる自爆攻撃で警察官10人,民間人1人が死亡。 |
DIA-305-1999-08-04-2 | スリランカ | 1999年08月04日 | 1990年代 | 軍発表,LTTEが民間人安全地帯を設けることに同意。 |
DIA-305-1999-08-09-1 | スリランカ | 1999年08月09日 | 1990年代 | 副外相,ダライ・ラマのスリランカ訪問は中国の反対で不許可とした,と語る。 |
DIA-305-1999-08-31-1 | スリランカ | 1999年08月31日 | 1990年代 | ロンドンでおこなわれたタミル・スポーツ祭で暴動,20人逮捕。 |
DIA-305-1999-09-02-1 | スリランカ | 1999年09月02日 | 1990年代 | PLOTEのバブニヤ事務所で爆弾が爆発。2人死亡。 |
DIA-305-1999-09-03-1 | スリランカ | 1999年09月03日 | 1990年代 | 元外相でUNP幹部ハミード(72歳)死亡。 |
DIA-305-1999-09-07-1 | スリランカ | 1999年09月07日 | 1990年代 | 反政府系新聞編集長,何者かに銃撃され死亡。 |
DIA-305-1999-09-10-1 | スリランカ | 1999年09月10日 | 1990年代 | 10~11日,10月15~16日,ポリオ予防接種のために一時停戦。 |
DIA-305-1999-09-10-2 | スリランカ | 1999年09月10日 | 1990年代 | Daily News紙,ジャフナで地雷除去作業中のジンバブエ人国連職員が負傷,作業一時中断と報道。 |
DIA-305-1999-09-13-1 | スリランカ | 1999年09月13日 | 1990年代 | 政府発表,マンナール地区で12日「ラナゴサ5」を開始,LTTE116人,政府軍兵士53人が死亡。 |
DIA-305-1999-09-15-1 | スリランカ | 1999年09月15日 | 1990年代 | 空軍がムライティブ沿岸の町を誤爆。民間人22人が死亡,35人が負傷。 |
DIA-305-1999-09-18-1 | スリランカ | 1999年09月18日 | 1990年代 | アンパラ県の3シンハラ村で住民56人が虐殺される。 |
DIA-305-1999-09-18-2 | スリランカ | 1999年09月18日 | 1990年代 | カソリック司祭らLTTEと会談。後に,政府が和平交渉を主体的に始めるべきと,LTTEが語ったことを明らかにした。 |
DIA-305-1999-09-24-1 | スリランカ | 1999年09月24日 | 1990年代 | バティカロアで軍輸送バスが爆発,兵士18人が死亡。 |
DIA-305-1999-09-27-1 | スリランカ | 1999年09月27日 | 1990年代 | 外相,国連記者協会で,民族問題が国内問題であることを強調,仲介を必要しないと断言。 |
DIA-305-1999-10-06-1 | スリランカ | 1999年10月06日 | 1990年代 | 2000年度短期予算,国会に提出される。国防費は前年度比11.5%増の524億ルピー。 |
DIA-305-1999-10-07-1 | スリランカ | 1999年10月07日 | 1990年代 | 機会均等法案提出延期。 |
DIA-305-1999-10-10-1 | スリランカ | 1999年10月10日 | 1990年代 | 軍,創立50周年記念式典。 |
DIA-305-1999-10-11-1 | スリランカ | 1999年10月11日 | 1990年代 | 大統領,モルジブ訪問(~13日)。 |
DIA-305-1999-10-19-1 | スリランカ | 1999年10月19日 | 1990年代 | ラニルUNP党首,大統領の和平参加を呼びかける手紙に応え,共同歩調をとると語った。 |
DIA-305-1999-10-20-1 | スリランカ | 1999年10月20日 | 1990年代 | 政府,大統領選挙を繰り上げて実施すると発表。 |
DIA-305-1999-10-29-1 | スリランカ | 1999年10月29日 | 1990年代 | 軍発表,28日からの北部各地における戦闘で政府軍兵士とLTTE,あわせて少なくとも60人が死亡。 |
DIA-305-1999-10-30-1 | スリランカ | 1999年10月30日 | 1990年代 | セイロン労働者会議(CWC)党首トンダマン(86歳),大統領選挙でチャンドリカ支持を表明した後に死亡。 |
DIA-305-1999-10-31-1 | スリランカ | 1999年10月31日 | 1990年代 | スリランカ・エアラインは2000年問題を危惧して,当該時運行しない,と発表。 |
DIA-305-1999-11-02-1 | スリランカ | 1999年11月02日 | 1990年代 | LTTEの作戦「絶え間ない波3」,オッドゥスダンなどワンニ東部の軍拠点を襲撃し占拠。6日までの間に軍はプリヤンクラムまで後退。 |
DIA-305-1999-11-02-2 | スリランカ | 1999年11月02日 | 1990年代 | EPDPの政治部長でタミル系雑誌の編集者,コロンボで襲撃され,死亡。 |
DIA-305-1999-11-04-1 | スリランカ | 1999年11月04日 | 1990年代 | シリマボ首相,来訪中の中国外交部副部長楊文昌と会談。 |
DIA-305-1999-11-06-1 | スリランカ | 1999年11月06日 | 1990年代 | 12月ネパールで開催予定のSAARC首脳会議,延期決定。 |
DIA-305-1999-11-07-1 | スリランカ | 1999年11月07日 | 1990年代 | 北部における戦闘に関して報道管制がしかれる。 |
DIA-305-1999-11-08-1 | スリランカ | 1999年11月08日 | 1990年代 | ラニル,大統領に国防大臣の辞任を要求。大統領,北部における敗北を認める。 |
DIA-305-1999-11-14-1 | スリランカ | 1999年11月14日 | 1990年代 | エッパワラでUNP選挙キャンペーン中に爆発,1人死亡。ラニルは無事。 |
DIA-305-1999-11-17-1 | スリランカ | 1999年11月17日 | 1990年代 | マドゥー周辺,LTTE支配下に。 |
DIA-305-1999-11-20-1 | スリランカ | 1999年11月20日 | 1990年代 | マドゥーの教会が襲撃され,難民ら44人が死亡。軍とLTTEは互いに非難。 |
DIA-305-1999-11-23-1 | スリランカ | 1999年11月23日 | 1990年代 | 大統領,マドゥーの教会から政府軍の引き上げを命令。 |
DIA-305-1999-11-26-1 | スリランカ | 1999年11月26日 | 1990年代 | LTTE,政府軍兵士6人を解放すると発表。翌日解放。12月6日に2人解放。 |
DIA-305-1999-11-27-1 | スリランカ | 1999年11月27日 | 1990年代 | プラバカランLTTEリーダー,恒例の演説。戦争を継続しながらの和平交渉を主張する大統領を批判。 |
DIA-305-1999-11-30-1 | スリランカ | 1999年11月30日 | 1990年代 | 選挙管理委員会,15カ国から選挙監視団の招聘を発表。 |
DIA-305-1999-12-02-1 | スリランカ | 1999年12月02日 | 1990年代 | 中国人民政治協商会議主席李瑞環スリランカ訪問。首相,外相らと会談。 |
DIA-305-1999-12-06-1 | スリランカ | 1999年12月06日 | 1990年代 | TULF,大統領選挙におけるPA支持を撤回。 |
DIA-305-1999-12-06-2 | スリランカ | 1999年12月06日 | 1990年代 | ラニル,バティカロアで演説,内戦の停止とLTTEが代表する暫定評議会の設立を主張する。 |
DIA-305-1999-12-11-1 | スリランカ | 1999年12月11日 | 1990年代 | エレファントパスの東で衝突,LTTE側230人死亡と軍が発表。 |
DIA-305-1999-12-18-1 | スリランカ | 1999年12月18日 | 1990年代 | コロンボで選挙演説直後に大統領,自爆攻撃で負傷。ピーリスら大臣も負傷。同日にUNPの選挙キャンペーンでも爆発。あわせて33人が死亡。 |
DIA-305-1999-12-21-1 | スリランカ | 1999年12月21日 | 1990年代 | 大統領選挙実施。 |
DIA-305-1999-12-22-1 | スリランカ | 1999年12月22日 | 1990年代 | チャンドリカが第6代大統領に就任。ラニルUNP党首に連立政府の結成を呼びかける。 |
DIA-305-1999-12-27-1 | スリランカ | 1999年12月27日 | 1990年代 | UNP,連立政権の申し出を拒否。 |