DIA-302-1970-01-15-1 | インド | 1970年01月15日 | 1970年代 | ネ・ウィン・ビルマ国家評議会議長,訪印――1週間の滞在中,ガンディー首相,バガット外国貿易相らと会談した。 |
DIA-302-1970-01-15-2 | インド | 1970年01月15日 | 1970年代 | 外国企業との提携件数減少――エコノミック・タイムス紙の調査によれば,インドと外国企業との提携件数は1957年と1968年の間に2,875件に達している。外国企業との提携件数は1964年以降,下向傾向をたどっており,まだ回復のきざしはあらわれていない。外国企業との提携の年度別件数と相手国の内訳は次のとおり。 |
DIA-302-1970-01-29-1 | インド | 1970年01月29日 | 1970年代 | チャンディガル市,パンジャーブ州に帰属決定――政府は,パンジャーブ州とハリヤナ州の間で帰属を争っていた,両州の共同州都チャンディガル市をパンジャーブ州に帰属させることを決定した。同市は5年後にパンジャーブ州に帰属し,ハリヤナ州はフェロズポルの綿作地帯と新州都建設資金および借款2億ルピーを得る。この政府決定に反対して,ハリヤナ州では1月30日,31日とハルタルが続き死傷者がでたため陸軍が出動して鎮圧した。 |
DIA-302-1970-01-31-1 | インド | 1970年01月31日 | 1970年代 | 外資系2石油会社が原油輸入価格を引下げ――インド政府は昨年来,シェル,エッソ,カルテックスの外資系石油会社3社に対して,原油輸入価格をバーレル当たり1.28ドルまで引下げるように要求し,外資系石油会社と鋭い対立を続けていたが,ついにシェルとエッソの2社は政府の圧力に屈して,原油輸入価格を政府の要求する線まで引下げた。 |
DIA-302-1970-02-06-1 | インド | 1970年02月06日 | 1970年代 | 第4次計画の鉄鋼投資を倍増――インド政府・重工業省は鉄鋼需要の急速な増加に対処するため,第4次5カ年計画の鉄鋼投資を23.4億ルピー増額して56億ルピーに修正した。この修正計画はビライ製鉄所の生産設備の250万トンから420万トンへの拡張,ボカロ製鉄所の第2期工事の早期開始,ドウルガプール製鉄所のステンレス鋼の生産,ドウルガプール製鉄所の特殊鋼生産の倍増などを骨子としたものであり,計画委員会が若干の修正を加えたうえで第4次5カ年計画の最終計画に組込まれるものとみられている。 |
DIA-302-1970-02-10-1 | インド | 1970年02月10日 | 1970年代 | ウッタル・プラデーシュ,C.B.グプタ首相辞任――州議会野党である与党会議派は,野党会議派のグプタ内閣不信任案提出を検討中であった。野党会議派は次期内閣の首相に,インド革命党(BKD)のチャラン・シンを推して,野党会議派-BKD-ジャン・サン・統一社会党の連立政権樹立の構想を持っており,一方与党会議派もBKDに働きかけて多数派工作を行なっている。 |
DIA-302-1970-02-11-1 | インド | 1970年02月11日 | 1970年代 | 最高裁判所,14行の国有化に違憲判決――インドの最高裁判所は2月10日,商業銀行14行の国有化を実施したBanking Company Actは無効であり,憲法違反であるとの判決を下した。最高裁判所は銀行法は外国銀行,14行以外の銀行の国有化を規定しておらず敵意ある差別的な法律であること,銀行の資産評価で“のれん”を評価しておらず,補償が十分でないため,無効であり憲法違反であるとの判決を下したものである。しかし,最高裁判所は議会に銀行を国有化する権限があることを判決の中で認め,14行の再国有化をさまたげないものと一般に受取られていた。 |
DIA-302-1970-02-13-1 | インド | 1970年02月13日 | 1970年代 | シェール西ドイツ外相訪印――16日まで滞在し,ガンディー首相,D.シン外相らと会談した。 |
DIA-302-1970-02-14-1 | インド | 1970年02月14日 | 1970年代 | ガンディー内閣,14行を再国有化――ガンディー内閣はすぐに14行を再国有化する方向で問題を検討していたが,2月14日に14行を再国有化する大統領令を出した。この大統領令は銀行法が無効,憲法違反であると指摘した点を取除くための措置を講じているが,外国銀行の国有化はもちろんのこと,一部で予想されていた全銀行の国有化も規定していない。すなわち,大統領令は中間補償を14行の個々の株主に支払う代わりに,銀行に対して支払い,さらに14行が銀行業を含むいかなる事業をもなしうることを認めている。これは最高裁が14行を除くインドと外国の銀行に銀行業を認めていることを敵意ある差別として憲法違反の主要な理由にあげているので,政府は14行に銀行業を形式的に認めることによって,この判決に対処したものと思われる。
第2に,補償については,支払金額をふやし,株主が希望するならば全額現金で受取れるようになっている。 |
DIA-302-1970-02-16-1 | インド | 1970年02月16日 | 1970年代 | ビハール州,ダローガ・ラーイ(与党会議派)首相就任――新政府は,右派共産党,人民社会党,ソシット・ダル,ジャルカンド党,インド革命党の支持を受け,1969年中間選挙以来,第3次州政府である。これにより1969年7月からの大統領統治は終了した。 |
DIA-302-1970-02-17-1 | インド | 1970年02月17日 | 1970年代 | 中央政府,2閣僚任命――国民会議派分裂により欠員になっていた鉄道相にG.L.ナンダ,労働・社会復帰相にD.サンジーヴァッヤが任命された。 |
DIA-302-1970-02-17-2 | インド | 1970年02月17日 | 1970年代 | ウッタル・プラデーシュ,チャラン・シン(BKD)内閣成立――与党会議派との提携協定により成立したもので,与党会議派の全面支持を受け,将来,連立を試みる。 |
DIA-302-1970-02-19-1 | インド | 1970年02月19日 | 1970年代 | 西ベンガル州連立政府のベンガル会議派3閣僚辞職――3閣僚の辞職は,ベンガル会議派の指令によるもので,同じく連立政府与党である左派共産党の反政府的行動を非難するものである。これによりベンガル会議派からの閣僚は,アジョイ・ムケルジー首相のみとなった。 |
DIA-302-1970-03-01-1 | インド | 1970年03月01日 | 1970年代 | ギリ大統領,郭沫若氏とネパールで歓談――ネパール皇太子結婚式列席のためカトマンズ訪問中の郭沫若・中国全国人民代表大会常務委員会副委員長はギリ大統領主催の成婚祝賀会に出席しギリ大統領と歓談した。 |
DIA-302-1970-03-08-1 | インド | 1970年03月08日 | 1970年代 | アジア工業開発審議会が南西アジアの製鉄所立地について勧告書を出す――アジア工業開発審議会(AIDC)の主催するエカフェ調査団は南西アジア諸国の製鉄所の立地に関する報告書を出したが,それによれば,インドのゴアとヴィサカパトナム,イランのシャプール,パキスタンのカラチが選ばれている。調査報告書はエカフェ加盟南西アジア諸国の鉄鋼需要は短期的には既存設備の拡張によって充足しうるが,長期的な観点からするならば,製鉄所の新設が必要であるとしている。
インド,パキスタン,イラン,ネパールを合わせた鉄鋼需要は1975年には1630万トン,1980年には2520万トン,1985年には3720万トンになるものと推定されている。審議会の報告書は,製鉄所の建設には巨額の資金を要するため,世界の金融機関の援助が必要となろうと述べている。
インドではすでに製鉄業がかなり発展しているが,需給のギャップが大きい。需給のギャップは製鉄所の新設によってのみ解決しうる。地域需要の観点からするならば,製鉄所は,ゴア,ヴィサカパトナムのような海岸地帯が望ましい。 |
DIA-302-1970-03-15-1 | インド | 1970年03月15日 | 1970年代 | 工業の「禁止リスト」を廃止――インド政府工業開発省は3月14日,工業の「禁止リスト」(banned list)の廃止を発表した。「禁止リスト」には小規模工業育成のための業種とすでに十分な設備能力が認可されている業種があげられていたが,産業許可政策の修正により,若干の業種が小規模企業のために特別に留保されたため,このリストは不要となった。
したがって,今後は「禁止リスト」にあげられていた業種を許可をえて,あるいは許可なしに設立することができるが,政府は適切な手段で不急不要業種あるいは奢侈品製造業種に資金が流れるのを抑制する。 |
DIA-302-1970-03-16-1 | インド | 1970年03月16日 | 1970年代 | 西ベンガル州首相辞任――2月19日のベンガル会議派3閣僚辞任に続き,同党のアジョイ・ムケルジー州首相が辞表を提出,1969年2月成立した西ベンガル州14党連立政府は与党間の対立が原因となり崩壊した。 |
DIA-302-1970-03-17-1 | インド | 1970年03月17日 | 1970年代 | 西ベンガル州ハルタル――左派共産党の呼びかけによる24時間ハルタルが実施され,州内各地での衝突,警官の発砲により27人が死亡した。 |
DIA-302-1970-03-19-1 | インド | 1970年03月19日 | 1970年代 | 西ベンガル州,大統領直轄統治令施行,州議会停止される。 |
DIA-302-1970-03-21-1 | インド | 1970年03月21日 | 1970年代 | 本年度のアメリカの対印援助は2.76億ドル――ジョン・ハンナ援助担当官は,予算小委員会において,アメリカは1971財政年度(7月1日から始まる)中に2億7655万ドルの援助を供与する予定であると証言した。この援助には借款と技術援助(贈与)の両方が含まれている。アメリカは1969財政年度に2億0336万ドルの援助を供与し,1970財政年度分として2億0345万ドルの援助が議会の承認を与えられている。 |
DIA-302-1970-03-25-1 | インド | 1970年03月25日 | 1970年代 | パンジャープ州,グルナーム・シン内閣(アカリ・ジャン・サン連立)不信任される――シン内閣は州議会で与党アカリ・ダルの支持を失ない,不信任された。アカリ・ダル州議会議員団は新リーダーにプラカーシュ・シン・バダル州政府開発相を選出し次期内閣組閣を計画している。グルナーム・シン首相は,同日行なわれた上院議員選挙で党指令に反した行動をとったため党の支持を失なったもので,3月29日に党から除名処分を受けた。 |
DIA-302-1970-03-28-1 | インド | 1970年03月28日 | 1970年代 | 小麦の単位当たり収量が1966-69年に大幅増加――1950-51年から1968-69年の小麦の作付け面積,生産量,ヘクタール当たりの収量は次表のとおり。小麦は1966-69年に単位当たり収量が大幅にのびており,作付面積よりも大きく生産量の増加に寄与している。 |
DIA-302-1970-03-28-2 | インド | 1970年03月28日 | 1970年代 | パンジャーブ州,P.S.バダル内閣就任――新政権はアカリ・ダル,ジャン・サン連立,バダル首相は施政方針演説でヒンドゥー・シク連帯を強調した。 |
DIA-302-1970-03-28-3 | インド | 1970年03月28日 | 1970年代 | 上院議員選挙――3月18日から始まった上院議員選挙終了。上院選挙は2年毎に3分の1が改選され,今回の選挙では総定員240(うち選出議員228,指名議員18)中75議席が争われた。その結果与党会議派の大幅な後退が明らかになった。 |
DIA-302-1970-04-01-1 | インド | 1970年04月01日 | 1970年代 | インドの1970-71年度の輸出入政策――インド政府外国貿易省は3月31日,38品目の輸入国営化の追加,159品目の輸入禁止の追加,3業種の重要産業への追加などを骨子とする1970-71年度の輸出入政策を発表した。新しい輸出入政策は輸入制限を強化し,輸出促進のためのアメとムチの政策をさらに強く打ち出している。
国産品の供給量が増大し,質が改善したことを理由に輸入禁止となる159品目にはボール・ベアリング,テイパー・ローラー・ベアリング,小工具,工作機械,および電気器具・装置・機械の一部,繊維機械付属品,医薬品,化学製品,自動車修理用工具と映写機の若干品目,電子医療器具と,圧力計の一部などが含まれている。 |
DIA-302-1970-04-04-1 | インド | 1970年04月04日 | 1970年代 | 日本の鉄鋼8社,インドと鉄鉱石の長期輸入協定に調印――日本の鉄鋼8社は4月3日,東京でインドのMMTC(金属鉱物貿易公社)と鉄鉱石とマンガン鉱石の長期輸入協定を締結した。この協定は4つの独立した契約よりなっており,1979財政年度までに7150万トン(7億1500万ドル)の鉄鋼石とマンガン鉱をMMTCが日本の鉄鋼8社に輸出することを規定している。この契約は単一のものとしてはインドがこれまでに行なった最大のものである。
4つの契約のうちで最大のものはバイラディラ鉱山の鉄鉱石6100万トン(6億2200万ドル)の輸出である。バィラディラ鉱山の鉄鉱石は全量ヴィサカパトナム港から1971年から1979年の間に積出されることになっている。この契約は1974年5月31日までにヴィサカパトナム外港の建設が完了することを前提としており,外港の建設が完了すれば,日本への輸出能力は飛躍的に拡大する。 |
DIA-302-1970-04-18-1 | インド | 1970年04月18日 | 1970年代 | 南部3州に製鉄所を建設――ガンディー首相は4月17日,議会においてアンドラ,マイソール,タミール・ナドウの3州に製鉄所を建設すると発表した。アンドラ州はヴィサカパトナム,マイソール州はホスペットに建設し,軟鋼の生産を予定している。タミール・ナドウはサレムに建設し,特殊鋼を生産する予定。 |
DIA-302-1970-04-21-1 | インド | 1970年04月21日 | 1970年代 | インド,鉄鋼一次製品の輸出を削減――M.S.クレシ鉄鋼次官は4月20日,議会において鉄鋼の国内向けの供給をふやすため,鉄鋼一次製品の輸出を削減しつつ高価格の鉄鋼製品の輸出だけを奨励すると述べた。政府は鉄鋼の一部品目の不足に対処するため,すでに1億7500万ルピー相当の鉄鋼を海外に発注しているが品不足がひどくなり,国内の機械工業への影響が大きくなってきたためこのような措置がとられることになったもの。
政府はタタ製鉄に対し,亜鉛鈑の生産を削減して薄鈑の生産をふやすように要請した。また,鉄鋼は品目による不足品目とそれ以外の品目の区別をやめ,すべての品目が不足として取扱われる。政府は鉄鋼の流通機構の整備にも着手しており,今後,鉄鋼の輸入はすべてHSL(ヒンドスタン・スティール)を通じて行ない,実需家と小規模工業に優先的に回す方針である。 |
DIA-302-1970-04-23-1 | インド | 1970年04月23日 | 1970年代 | カナダ,インドに1億1800万ルピーの開発借款を供与――インド政府とカナダは4月22日,開発借款協定に調印した。この協定に基づきカナダはインドに1億1800万ルピー(1700万カナダ・ドル)を供与し,インドはこの資金で鉛,亜鉛,ニッケル,アスベスト,パルプ,新聞紙,合金,アルミニューム,合成ゴムなどをカナダから購入する。
この借款は1967年に開発借款協定を締結して以来,カナダがインドに与えた5番めの商品借款である。借款条件は無利子の50年返済となっており,インドがこれまでに外国から得た借款の中では最も条件がゆるやかである。カナダはインドに1953-54年から1967-68年までに商品の購入のため,6億9800万ルピー(1億0050万カナダ・ドル)の無償援助を与えている。1967年に開発借款協定が成立して以来の借款累積額は4億3200万ルピー(6230万カナダ・ドル)となっている。
カナダの商品借款によって購入する工業原材料はいずれもインドでまったく生産されていないものか不足しているものであるため,外貨不足のインドにとって,カナダの借款が果たす役割はきわめて大きいと高く評価されている。 |
DIA-302-1970-04-23-2 | インド | 1970年04月23日 | 1970年代 | 第2世銀,インドに7500万ドルの借款を供与――第2世銀(IDA)は4月22日,工業化のために7500万ドルの借款をインドに供与することを承認したと発表した。IDAの借款は原材料,部品,設備の輸入のために使用される。
借款の対象となる業種は商業用車,農業用車,トラクター,自動車部品,工作機械,小工具,研磨用電動モーター,化学肥料,殺虫剤などとくに重要度の高いものだけである。 |
DIA-302-1970-04-26-1 | インド | 1970年04月26日 | 1970年代 | EEC,インドの綿繊維輸入割当をふやす――インドはEEC6カ国と繊維長期輸入協定に基づく2国間交渉を行なっていたが,EEC6カ国は綿繊維の包括割当量の増加とその運営の改善を認めたようである。6カ国の行なった譲歩の内容は秘密にされているが,4月24日に発表されたコミュニケは「EEC6カ国は包括割当量を相当引上げ,今後の割当量の運営を,とくに弾力的,効果的利用の面でいくつかの改善をすることを申し出た」と述べている。 |
DIA-302-1970-04-27-1 | インド | 1970年04月27日 | 1970年代 | 下院野党,核武装要求――4月23日,中国の人工衛星打上げに影響され野党および与党会議派議員間にも核武装要求の声が強まってきた。これに対し,28日スワラン・シン国防相は,核政策は変えない,と答えながらも宇宙開発10年計画を早めて3~4年のうちに低軌道に人工衛星を打ち上げることができようと答えている。 |
DIA-302-1970-04-29-1 | インド | 1970年04月29日 | 1970年代 | インドの原油精製能力は年間1955万トンに達する――最近発行された石油・化学省の年報によれば,インドの原油精製能力は1970年初に年間1955万トンに到達した。現在,インドには操業中の精油所が9つあり,建設中のものが一つある。これらのうち民間企業の精油所は4つで,精製能力は800万トンである。政府部門の精製能力は1155万トンである。 |
DIA-302-1970-04-30-1 | インド | 1970年04月30日 | 1970年代 | アジア会議に不参加を発表――政府はインドネシア提案のカンボジア問題に関するアジア会議に不参加を発表した。 |
DIA-302-1970-05-07-1 | インド | 1970年05月07日 | 1970年代 | マハーラーシュトラで暴動――同州ビーワンディー市で宗派対立が起因の暴動が発生,翌8日には州内各地に飛び火して外出禁止令がしかれた。暴動は14日まで続き死者は136人にのぼった。 |
DIA-302-1970-05-16-1 | インド | 1970年05月16日 | 1970年代 | 1969年の工業生産は7.2%増加――中央統計局が明らかにしたところによれば,インドの1969年の工業生産は前年に比べて7.2%増加した。1969年の工業生産増加率は前年の増加率6.1%よりも高くなっている。繊維生産の2%の減少がなければ1969年の工業生産指数はさらに高くなっていたであろう。というのは,綿繊維とジュート繊維は工業生産指数に対して27.1%という高いウェイトを持っているからである。 |
DIA-302-1970-05-19-1 | インド | 1970年05月19日 | 1970年代 | インド政府,第4次計画最終案を議会に提出――ガンディー首相は5月18日,第4次計画最終案を議会に提出した。第4次計画の草案は1967年と1969年に作成されたが,いずれも政治的,経済的理由から議会提出にまで到らず第4次計画は年度計画の積重ねの形で1969年から実施されている。 |
DIA-302-1970-05-22-1 | インド | 1970年05月22日 | 1970年代 | 今年末までに輸入の80%を政府部門の取扱いに――B.R.バガート外国貿易相は上院において,今年末までにインドの輸入の80%を政府部門の取扱いにすることを明らかにした。政府は輸入の大部分を政府部門の取扱いとするという既定の方針を実行しており,すでに輸入の3分の2が政府部門の取扱いになっている。来シーズンの綿花輸入は政府部門の取扱いになるので,今年末までにインドの輸入の80%が政府部門の取扱いとなろう。政府部門の輸入増大に備えSTC(国営貿易公社),MMTC(金属鉱物貿易公社)の機能強化を図る。また,中小企業の輸出を援助する輸出振興機関を新設する。 |
DIA-302-1970-05-23-1 | インド | 1970年05月23日 | 1970年代 | P.ゴーヴィンダ・メノン法相,心臓マヒで死去。 |
DIA-302-1970-05-28-1 | インド | 1970年05月28日 | 1970年代 | パリでの対印債権国会議で,1970年度(70年4月から)について11億0014万ドルの約束がなされる。その内,7億ドルがノン・プロジェクト援助(内1億ドルが債務救済分),プロジェクト援助は残りの4億ドル,参加国は12カ国と世界銀行。コンソーシアムは過去1年間のインド経済に対して高い評価を与えた。 |
DIA-302-1970-05-30-1 | インド | 1970年05月30日 | 1970年代 | 左派インド共産党(CPI・M),新労働組合組織を結成――カルカッタ市で開かれたAITUC大会においてCPI・M系の新労働組合組織(インド労働組合センター)結成が採択された。 |
DIA-302-1970-06-01-1 | インド | 1970年06月01日 | 1970年代 | 独占禁止法(Monopolits and Restrictive Trade Practices Act)発効。 |
DIA-302-1970-06-16-1 | インド | 1970年06月16日 | 1970年代 | 国営銀行の7人の頭取が辞任――昨年国有化された14行のうち7行の頭取が辞表を提出した。頭取の辞任の詳しい理由は明らかにされていないが辞表を提出した7人の頭取は銀行国有化以前からその地位にいついていたが,国有化後銀行経営に対し,大蔵省とインド準備銀行の介入が強まったことに強い不満を持っていることが辞表提出の原因の一つとみられている。また,国営になった14行の重役会のメンバーの交代が予定されており,準備銀行と政府の代表が各行に1人ずつ重役として派遣されることになったこと,頭取の異動もあることも辞表提出の原因の一つにあげられている。なお,新しい重役会の構成は最高7人で少なくとも2人の民間人が任命されることになる。 |
DIA-302-1970-06-19-1 | インド | 1970年06月19日 | 1970年代 | アジア会議3特使訪印――カンボジア和平のためのアジア会議で任命された日本,マレーシア,インドネシア3国特使はカウル外務次官らと会談した。会談でインドシナ問題解決および国際休戦監視委(ICC)復活の問題が話合われ,会談後,外務省スポークスマンは,インドシナ問題の軍事解決はありえないという点で特使団と合意したと述べた。 |
DIA-302-1970-06-22-1 | インド | 1970年06月22日 | 1970年代 | イギリスがインドに4500万ポンドの借款を供与――イギリス政府海外開発省は6月22日,1970-71年度にインドに4500万ポンドの借款を供与すると発表した。この借款のうち2600万ポンドはノン・プロジェクト援助で部品,スペア,工業原材料,農機具などの輸入に使用することになっている。残りの1800万ポンドはプロジェクト援助でイギリスからの資本財輸入に使用し,1000万ポンドは家族計画の実施のための現地費用にあてられる。
新規借款の条件は近年供与された借款の条件と同じで無利子,7年間据え置きの後18年間で返済することになっていた。なお,この援助はイギリスの対印技術援助とは別のものである。 |
DIA-302-1970-06-26-1 | インド | 1970年06月26日 | 1970年代 | ケララ州議会解散。 |
DIA-302-1970-06-27-1 | インド | 1970年06月27日 | 1970年代 | ガンディー内閣大幅改造――今回の内閣改造は1969年秋国民会議派の分裂後,与党国民会議派の結束を固め,1972年に予定されている総選挙に向かってガンディー体制を確立するための大幅な内閣改造である。今までガンディー首者が兼任していた蔵相にはチャバン内相が就任,首相は内相と原子力相を兼任,スワラン・シン国防相は外相に,J.ラーム食糧・農業相は国防相に,F.A.アーメッド工業開発相は食糧・農業相に任命された。ディネーシュ・シン外相は更迭に不満で6月26日辞任したが首相の説得で工業開発相のポストを受けいれた. |
DIA-302-1970-07-01-1 | インド | 1970年07月01日 | 1970年代 | インド政府,エッソ石油輸入価格の引下げを認めさす――インド政府石油・化学省は,エッソ石油が昨年8月から輸入しているスペシャル・ミックス原油の価格をバーレル当たり1.23ドルと決定し,本年末までにバーレル当たり1.29ドルで割当てられていた外貨の差額を返済するよう要求していたが,エッソ石油はインド政府の要求する価格は指定する混合比率の原油(アラビア産軽原油80%と重原油20%)を供給できないとインド政府に回答したため,インド政府はエッソの原油輸入を禁止し,インド政府とエッソ石油の間で過去10日間ほど継続して交渉が行なわれていた。エッソ石油は6月30日,トロンベイの精油所の原油ストックが3日分しかなくなり,インド政府が妥協案として出したバーレル当たり1.25ドルを受入れるとトリグナ・セン石油化学相に通告した。これはエッソ石油がインド政府の輸入石油値引き攻勢に対して敗北したものとみられている。 |
DIA-302-1970-07-02-1 | インド | 1970年07月02日 | 1970年代 | タタの修正されたマタプール肥料工場プロジェクトが政府の承認をうる。これは独占禁止法をパスしたもの。 |
DIA-302-1970-07-03-1 | インド | 1970年07月03日 | 1970年代 | 鉄鋼輸出額7億6000万ルピー(1969-70年)――
1968-69年の鉄鋼輸出162万トン(7億ルピー)
1969-70年 〃 135 〃 (7億6000万ルピー)
内訳
ヒンドスタン・スチール 89万トン
タタ・スチール 13万トン
インド・スチール 8万トン
圧延業者 25万トン |
DIA-302-1970-07-04-1 | インド | 1970年07月04日 | 1970年代 | 過去3カ月で逮捕されたナクサライトは,西ベンガル州で1,600人以上。州政府スポークスマン発表。 |
DIA-302-1970-07-08-1 | インド | 1970年07月08日 | 1970年代 | 中央政府の負債残高は1970年3月で1784億ルピー,連邦準備銀行発表。 |
DIA-302-1970-07-11-1 | インド | 1970年07月11日 | 1970年代 | ソ連外務次官インド訪問――フィリュービン・ソ連外務次官は,ハノイ訪問の帰途デリーに立寄りスワラン・シン外相T.N.カウル外務次官らと会談した。13日にはガンディー首相とも会談したが,フィリュービン次官の突然の訪問は,国際監視委員会議長国のインドに,ソ連が,インドシナ和平のためのインドの意向を打診したものとみられている。 |
DIA-302-1970-07-14-1 | インド | 1970年07月14日 | 1970年代 | 西ベンガル州ベンガル・バンド(ゼネスト)実施――右派共産党系の8党連合と左派共産党系の6党連合が,大統領統治下の警察による弾圧に抗議し,大統領統治の終結と早期中間選挙実施などを要求して別個にバンドを実施した。州政府は混乱に備えて警官隊を要所に配備し,陸軍,国境警備隊も出動し待機したが,衝突事件が続発し,カルカッタ市では1人死亡し25人が負傷した。 |
DIA-302-1970-07-16-1 | インド | 1970年07月16日 | 1970年代 | Y.B.チャバン蔵相,物価上昇抑制に政府は最大限の努力をすると言明。 |
DIA-302-1970-07-18-1 | インド | 1970年07月18日 | 1970年代 | 南ベトナム臨時革命政府ビン外相,インド訪問――ビン外相ら5人の同政府代表は,インド各地を旅行し,政府首脳と会談し,27日セイロンに渡り,31日ハノイに向かった。ビン外相は20日,ギリ大統領を訪問した後スワラン・シン外相と会談,インド側は,カンボジア問題と国際監視委員会についてのインドの見解を説明した。会談後の記者会見でビン外相は,会談では,南ベトナムおよびインドシナの現状と臨時革命政府の立場を説明し,両政府の関係を深めることを希望したと述べた。22日にはガンディー首相と会談,臨時革命政府へのインド政府の支持を求めたが,ガンディー首相から積極的な答えは得られなかったようである。 |
DIA-302-1970-07-20-1 | インド | 1970年07月20日 | 1970年代 | インドは74年中ごろまでに最初の人工衛星を打上げる方針。計画として,重さ約30キロで7週間にわたって,地上400キロの地球軌道を回る予定。 |
DIA-302-1970-07-20-2 | インド | 1970年07月20日 | 1970年代 | インド,大企業と外国企業の設備拡張に制限――インド政府は,新製品生産のために設備能力を25%まで無許可で拡張できるという産業開発規制法の規定を,大企業と外国企業には適用しないことに決定した。資産5000万ルピー以上の大企業と外国企業および外国企業の支店,子会社は今後,生産設備の拡張を図る場合には事前に政府の許可を得なければならなくなった。 |
DIA-302-1970-07-22-1 | インド | 1970年07月22日 | 1970年代 | 目印航空交渉合意に達する――①73年までに相互乗入れを現在の週4便から8便に増加する。②両国航空路線の中間地点にシンガポール,クアラルンプールの2地点を追加。 |
DIA-302-1970-07-22-2 | インド | 1970年07月22日 | 1970年代 | 技術ギャップ打破のために外国との提携政策を緩和――政府は技術ギャップを打破するため,外国との提携を許可する121品目を発表した。これらの品目は技術ギャップが存在し,インドのノー・ハウを導入する必要があると認められたもので,高度な産業機械から自動車タイヤ,テニス・ボールのような消費財にまで広範囲な業種にわたっている。
工業開発省が技術ギャップの存在する業種の指定を行なったが,工業開発省は企業家が投資決定を行ない,将来の計画をたてるさいの便宜を考えて,外国との提携が得られる分野を明示したもの。外国との提携条件はそれぞれのケースごとに現行の政策のわくの中で検討し,承認することになっているが,輸出産業と小規模工業には特別の便宜が与えられ,政策の適用をゆるやかにすることになっている。 |
DIA-302-1970-07-28-1 | インド | 1970年07月28日 | 1970年代 | 東ドイツと領事関係樹立を決定――この決定は完全な東ドイツ承認を意味するものでなく,インドにある東ドイツの貿易代表部が領事館に昇格するもの。スワラン・シン外相は8月3日に両国が領事級関係を樹立し総領事を交換することで合意したと公式に発表した。 |
DIA-302-1970-07-29-1 | インド | 1970年07月29日 | 1970年代 | 下院内閣不信任案を否決――同案はSSP(連合社会党)のマドゥ・リマエ議員が提出し,政府がケララ州選挙を控え不正行為を行なっている点と首相への過度の権力集中,政府の非民主主義的傾向を非難したもので,連合社会党,野党会議派,スワタントラ党,ジャン・サン,左派共産党が賛成。与党会議派,DMK(ドラビダ進歩同盟),右派共産党らが反対にまわり賛成139対反対243で否決された。 |
DIA-302-1970-07-30-1 | インド | 1970年07月30日 | 1970年代 | 円借款返済繰り延べ――日本輸出入銀行はインド政府の要請に基づき本年度に期限が来る第1次から第4次までの円借款の元本債権約2540万ドルの繰り延べを決定。繰り延べ期間は3年据え置きを含む12年間,年利4%。 |
DIA-302-1970-07-30-2 | インド | 1970年07月30日 | 1970年代 | 政府,輸出政策決議を議会に提出――外国援助への依存を減少させ,第4次計画の資金調達を助けるための輸出促進政策を盛込んだもの。年率7%の輸出拡大を目標。 |
DIA-302-1970-07-30-3 | インド | 1970年07月30日 | 1970年代 | 西ベンガル州議会解散――さる3月19日の同州大統領直轄統治施行により停止されていた州議会が解散された。同州各党は驚きを示しながらもこの決定を一応歓迎している。 |
DIA-302-1970-07-31-1 | インド | 1970年07月31日 | 1970年代 | 政府は,綿花輸入の全取引と,国内綿花の販売購入を行なう公的機関として,インド綿花公社(Cotton Corporation of India)設立を決定。 |
DIA-302-1970-08-01-1 | インド | 1970年08月01日 | 1970年代 | 計画委員会,今年半ばの人口は5億5000万人と推定。 |
DIA-302-1970-08-01-2 | インド | 1970年08月01日 | 1970年代 | 連邦政府財政の赤字幅,8年間で最低――推定によると,1969-70年度の連邦政府財政の赤字幅は5億8000万ルピーで,ここ8年間で最低,連邦と州をあわせた赤字幅も4億9000万ルピーで同期間で最低。所得税の伸びが大きい。 |
DIA-302-1970-08-01-3 | インド | 1970年08月01日 | 1970年代 | ケララ州アチュータ・メノン右派共産党連立政権,総辞職――8月4日に同州に大統領直轄統治令がしかれた。 |
DIA-302-1970-08-02-1 | インド | 1970年08月02日 | 1970年代 | 政府,3人の独占禁止委員会の設立を公式に発表。 |
DIA-302-1970-08-04-1 | インド | 1970年08月04日 | 1970年代 | フランスの対印援助(1969-70年度)は,コンソーシアムの一環として1億5270万フラン提供の協定結ばれる。 |
DIA-302-1970-08-05-1 | インド | 1970年08月05日 | 1970年代 | U.P.州条例で予防拘禁法を復活。 |
DIA-302-1970-08-07-1 | インド | 1970年08月07日 | 1970年代 | 政府,小型乗用車国産化を決定――D.シン工業開発相は議会で,外国との技術提携による国営小型自動車工場の建設を決定したと発表。
この計画は第4次5カ年計画のわく外で,政府は政府系銀行,金融機関からの融資を考えている。現在,自動車は大幅な供給不足で,新工場は年産5万台を目標としている。 |
DIA-302-1970-08-09-1 | インド | 1970年08月09日 | 1970年代 | 土地占拠運動(Land grab movement)開始――連合社会党(SSP),人民社会党(PSP),右派共産党(CPI)の指導で余剰耕地の占拠運動が始められた。労働者,農民が党の指導のもとに大地主,政府首脳,マハラジャらの余剰耕地に赤旗,小屋などを建ててその土地を占拠しようとするもの。運動初日に全国で約5,000人の逮捕者を出した。逮捕者の中には,マドゥ・リマエSSP書記長・国会議員も含まれている。8月16日,CPIは,8月9日からの逮捕者は1万6000人にのぼると発表。 |
DIA-302-1970-08-14-1 | インド | 1970年08月14日 | 1970年代 | 右派共産党S.A.ダンゲ議長,土地占拠運動で逮捕――ウッタル・プラデーシュのビルラ農場を占拠するためラクナウに着いたところであった。 |
DIA-302-1970-08-17-1 | インド | 1970年08月17日 | 1970年代 | 三菱重工,ケララ州コチン市で建設予定の国営コチン造船所(インド最大の予定)に全面的技術援助をする契約に調印。 |
DIA-302-1970-08-17-2 | インド | 1970年08月17日 | 1970年代 | 愛知外相訪印――愛知外相は法眼外務審議官,須之部アジア局長らを伴ない訪印,3日間の公式訪問後パキスタンへ向かった。18日ガンディー首相と会い,アジア情勢,カンボジア情勢について意見を交した。同日,S.シン外相と会談,インドシナ問題を中心に話合い,カンボジア問題に関して日本側が,国際休戦監視委員会(ICC)の復活,パリ和平会談の促進などにインドの積極的協力を求めた。シン外相は紛争の早期解決については異論はないが,カンボジア問題はベトナム問題と切り離した解決はむずかしく,現時点ではICCの復活は見込みが薄い,紛争地域からの全外国軍撤退は,まずアメリカが実行すべきであることなどを強調した。翌19日,愛知外相,S.シン外相は再び会談を行ない,国際問題,日印経済関係強化などを話合った。日本側は対印経済協力方針について,インドから要請されていた鉄鉱石運搬船一隻を延払いで供与,食糧援助,農業機械を供与,円借款の条件緩和を前向きに検討することなどを明らかにした。 |
DIA-302-1970-08-18-1 | インド | 1970年08月18日 | 1970年代 | 政府,原子力開発,宇宙研究10カ年計画の承認を発表――1980年までに2,700メガワットの原子力発電と,1974年までにインドの国産4段ロケットで研究用衛星を打ち上げる目標。 |
DIA-302-1970-08-19-1 | インド | 1970年08月19日 | 1970年代 | 日印農業協力協定調印――マディヤ・プラテージュ,ダンダカラニヤの農村総合開発計画で,日本は,稲作,畑作,灌漑,排水,農業機材,農業技術などに援助を行なう。 |
DIA-302-1970-08-19-2 | インド | 1970年08月19日 | 1970年代 | カヌ・サンヤル(CPI・ML)逮捕――西ベンガル州パンチデウァのシンギコラ茶農場に近いナクサライトの拠点に対する国境警備隊と中央治安警察の共同捜査の結果,マルクス・レーニン主義インド共産党(CPI・ML)幹部のカヌ・サンヤルら30人が逮捕された。 |
DIA-302-1970-08-22-1 | インド | 1970年08月22日 | 1970年代 | ドゥルガプル製鉄所ストライキ終る――前州議員を含むCPI・Mリーダーの釈放と,中央警察,中央工場防衛隊のドウルガプル製鉄所(西ベンガル州)からの撤退を要求して8月12日から無期限ストに入っていた。ドウルガプル製鉄所労働組合共闘委員会は,“警察の弾圧に正面から向かってのスト継続は望まない”との判断でストの中止を指令した。 |
DIA-302-1970-08-23-1 | インド | 1970年08月23日 | 1970年代 | 少女売買事件――ヨーロッパの修道院が,1,200人以上の南インド農村の少女を,ケララ州のローマカトリック僧侶から,1人約26万円で“輸入”していたことがイギリスのサンデー・タイムズ紙に発表された。 |
DIA-302-1970-08-25-1 | インド | 1970年08月25日 | 1970年代 | 西ベンガル州大統領統治さらに6カ月延長――下院は西ベンガル州大統領統治をさらに6カ月延長して1971年の3月までとすることを承認した。同時に同州1970-71年度予算案を可決した。8月31日には上院の承認を得た。 |
DIA-302-1970-08-27-1 | インド | 1970年08月27日 | 1970年代 | 核実験検討中――ガンディー首相は下院で原子力開発について答弁し,核爆発実験は否定されていない,核実験の研究は行なわれていると語った。さらに,政府の非核武装決定は様々の観点に基づいており,われわれは,たとえ中国の核の脅威があっても若干の核兵器を所有することによりその脅威が減ずるものだとは考えないと語った。 |
DIA-302-1970-08-28-1 | インド | 1970年08月28日 | 1970年代 | 特許権法案,下院通過――新特許権法案は特許権存続期間の短縮,政府の特許権への干渉・制限の強化,特許料の上限の設定などが盛り込まれ,外国大企業の特許権行使の規制が目的であるとみられている。 |
DIA-302-1970-08-30-1 | インド | 1970年08月30日 | 1970年代 | V.P.シン石油化学省副大臣辞職――V.P.シン副大臣(ナルシンガル藩王)は政府の藩王年金制廃止の動きに反対してガンディー内閣を辞任した。同副大臣は藩王年金廃止の法案に反対し,同時に首相がこの法案に対して反対票を投じることを許可しなかったことをも不満。これにより同法案への賛否の対立がさらに深まることが予想され首相は苦慮。現在与党会議派は下院に藩王議員を9人出しており,そのうちカラン・シン議員(観光・民間航空相)1人が法案を支持,残る藩王議員は反対しており自由投票の声も出る。 |
DIA-302-1970-09-02-1 | インド | 1970年09月02日 | 1970年代 | 下院・藩王年金・諸特権廃止憲法改正案を可決――採決結果は賛成399票,反対154票で憲法改正に必要な議員総数の過半数,投票議員数の3分の2以上の賛成が得られた。表決内容は次のとおり。
法案賛成
与党会議派 215
右派共産党(CPI) 23
左派共産党(CPI・M) 18
ドラヴィダ進歩同盟(DMK) 24
人民社会党(PSP) 15
統一社会党(SSP) 12
インド革命党(BKD) 3
スワタントラ党 1
無所属その他 28
計 339
法案反対
野党会議派 58
スワタントラ党 33
ジャン・サン 32
インド革命党(BKD) 8
アカリ・ダル 3
与党会議派 8
無所属その他 12
計 154 |
DIA-302-1970-09-03-1 | インド | 1970年09月03日 | 1970年代 | 日印経済合同委員会――第4回日印経済合同委員会が京都で開催された。合弁事業,技術・文化交流,貿易の促進のため日印経済常設委員会を設置することを決定,5日閉会した。 |
DIA-302-1970-09-05-1 | インド | 1970年09月05日 | 1970年代 | 藩王年金・諸特権廃止法案,上院で否決――賛成149,反対75で法案可決に必要な3分の2に1票足らず否決された。 |
DIA-302-1970-09-06-1 | インド | 1970年09月06日 | 1970年代 | 藩王の認可取消し――政府は藩王278名と藩王年金支給者42人に対し,藩王としての認可を取消し,したがって年金および諸特権の付与を中止するとの大統領決定を通知した。認可取消しは,藩王は大統領により認められるという憲法366条22項の規定に基づくもので,個々の藩王に対して発せられた。これに対し藩王側は9月11日,憲法で保証された平等,財産権を犯し,藩王の権利を規定した憲法の条項に違反するとして最高裁に異議申立てを行なった。 |
DIA-302-1970-09-08-1 | インド | 1970年09月08日 | 1970年代 | 日本,尿素7万4000トンを対印輸出――第9次対印円借款に基づき,尿素約7万4000トン(500万ドル)の対印輸出契約に調印。 |
DIA-302-1970-09-08-2 | インド | 1970年09月08日 | 1970年代 | 非同盟会議でガンデイー首相演説――非同盟諸国首脳会議でガンディー首相は非同盟諸国はお互いの力を結集して政治経済面における現代の未完成の革命を推進していくべきであると演説,翌9日に首相は東南アジア情勢悪化をくい止めるため米国がリーダーシップをとって兵力を引揚げ,国際会議を開くべきだ。南アフリカの解放闘争を物質面でも支持する必要がある,中東問題で67年の国連決議が無視されているのは遺憾であるとの発言を行なった。 |
DIA-302-1970-09-16-1 | インド | 1970年09月16日 | 1970年代 | 国際金融公社(IFC)の対印投資額は,6月末までに2840万ドル(2億1300万ルピー)に達し,ブラジルに次いで世界第2の受益者になっている。 |
DIA-302-1970-09-17-1 | インド | 1970年09月17日 | 1970年代 | ケララ州議会選挙実施。 |
DIA-302-1970-09-18-1 | インド | 1970年09月18日 | 1970年代 | ケララ州議会選挙結果判明――CP1統一戦線と,これと提携した与党会議派が過半数(133議席中70議席)を占め,反対にCPI・Mは改選前の52議席から28議席に大幅後退,州議会第2党に落ちた。 |
DIA-302-1970-09-19-1 | インド | 1970年09月19日 | 1970年代 | インド外貨準備高,5月末現在で10億ドルを越える。67年の6億6000万ドルに比較して伸びている。 |
DIA-302-1970-09-22-1 | インド | 1970年09月22日 | 1970年代 | ギリ大統領訪ソ――ソ連最高幹部会および政府の招きにより公式訪問。23日には,ポドゴルヌイ・ソ連最高幹部会議長と政治・経済問題について広く話しあった。 |
DIA-302-1970-09-26-1 | インド | 1970年09月26日 | 1970年代 | 州首相,土地所有制限引下げに反対――州首相会議が開かれ,中央政府の土地所有上限引下げ提案に対し,全州首相が反対した。 |
DIA-302-1970-09-27-1 | インド | 1970年09月27日 | 1970年代 | UP州内閣与党会議派閣僚解任――ウッタル・プラデーシュ州のBKD・与党会議派の連立州政府主相チャラン・シン(BKD)は与党会議派の13閣僚の解任を決定し,州知事がこれを承認した。70年2月17日与党会議派の支持を得て成立したBKD州政府は,その後,与党会議派の入閣をもって連立政府を組織したが,両党合併問題の難行,意見のくいちがいなどから安定を得ず,9月5日上院で否決された藩王年金廃止法案でBKD議員(3名)全員が反対にまわったことなどで,与党会議派の不満,不信がさらに深まった。9月24日には,チャラン・シン首相は与党会議派13閣僚に辞任を求め拒否されており,これに対し与党会議派側は州知事にチャラン・シン首相の解任を求めている。 |
DIA-302-1970-10-01-1 | インド | 1970年10月01日 | 1970年代 | 米印繊維協定――1億1000万平方ヤードをリミットとする4年間の協定。初年度は84.7百万平方の繊維と2530万平方ヤードの衣服,手工業製品は除外される。 |
DIA-302-1970-10-02-1 | インド | 1970年10月02日 | 1970年代 | キエフでのギリ大統領の承認により,ウッター・プラデーシュに大統領直轄統治がしかれる。 |
DIA-302-1970-10-02-2 | インド | 1970年10月02日 | 1970年代 | 国連総会でスワラン・シン外相演説――アメリカ軍撤退の最終ラーブルと広範囲な基礎をもつベトナム政府樹立が,平和に寄与するであろうと述べる。数年ぶりに中国の国連加盟を主張。 |
DIA-302-1970-10-03-1 | インド | 1970年10月03日 | 1970年代 | MIG-21M完全国産化成功――Nasik工場にて。 |
DIA-302-1970-10-04-1 | インド | 1970年10月04日 | 1970年代 | ケララ州新内閣宣誓を行なう――アチュータ・メノンにとって第2次内閣。 |
DIA-302-1970-10-04-2 | インド | 1970年10月04日 | 1970年代 | 与党会議派全国委員会――ヤングタークのB.T.アーザードの提出した左翼連合結成の動議は反応を得ることができず,ガンディーもチャバンも全国レベルでの左翼連合に言及せず。執行委員会の支配的意見は,総選挙がまだ先であることに対し,コミットメントを拒否すること。 |
DIA-302-1970-10-04-3 | インド | 1970年10月04日 | 1970年代 | ギリ大統領,4日間の予定でハンガリーを訪問。 |
DIA-302-1970-10-05-1 | インド | 1970年10月05日 | 1970年代 | 連邦国防生産担当国務大臣P.C.セティがプーナで語ったところによると,防衛のための研究開発支出は,年間2億ルピーから,きたる2~3年で3億ルピーになろうと述べた。また,年間防衛生産は115億1000万ルピーであると述べた。 |
DIA-302-1970-10-08-1 | インド | 1970年10月08日 | 1970年代 | アメリカのパキスタンに対する武器売却決定に対して,インド政府抗議。 |
DIA-302-1970-10-09-1 | インド | 1970年10月09日 | 1970年代 | ウッター・プラデッシュ州の新SVDの指導者として,シャストリ内閣の工業大臣T.n.シン(野党会議派)が全会一致で選ばれる。 |
DIA-302-1970-10-14-1 | インド | 1970年10月14日 | 1970年代 | IMFはインドに1400万ドルのSDRを負うように要請。 |
DIA-302-1970-10-18-1 | インド | 1970年10月18日 | 1970年代 | U.P.新内閣発足――首相はT.N.シン(野党会議派)。 |
DIA-302-1970-10-18-2 | インド | 1970年10月18日 | 1970年代 | スワラン・シン外相,インドシナ問題で,南ベトナム臨時革命政府の5項目提案と,ニクソン提案の共通の基礎を見つけ出せると述べる。 |
DIA-302-1970-10-22-1 | インド | 1970年10月22日 | 1970年代 | ガンディー首相,ニューヨークでユーゴ首相と会談。 |
DIA-302-1970-11-05-1 | インド | 1970年11月05日 | 1970年代 | アッサム州新内閣就任――B.P.チャリハ首相(与党会議派)の辞任により,新首相にM.M.チョウドリ(与党会議派)が就任した。 |
DIA-302-1970-11-06-1 | インド | 1970年11月06日 | 1970年代 | ビハール州与党会議派内部分裂――同党反主流派は,D.ラーイ州首相(州議会議員団リーダー)の解任要求を発表した。なお11月16日,党中央議会局は,この要求を却下した。 |
DIA-302-1970-11-10-1 | インド | 1970年11月10日 | 1970年代 | メガーラヤ州――首相,下院で,メガーラヤ州設立の政府決定を発表した。 |
DIA-302-1970-11-11-1 | インド | 1970年11月11日 | 1970年代 | 下院,CPI・Mの政府不信任動議を否決――CPI・Mは,西ベンガル州でCPI・Mの女教師が襲われた事件について,人身保護の手段がとられていないとして政府不信任動議を提出したが,賛成39,反対191で否決された。野党側では,はじめ野党会議派,スワタントラ党,ジャン・サンが動議支持だったが表決の際反対にまわった。 |
DIA-302-1970-11-12-1 | インド | 1970年11月12日 | 1970年代 | 野党会議派運営委員会――運営委員会は,中間選挙が迫っていると判断しその戦略として他党と提携の方針を決定,中央においては他党とのゆるやかな妥協,各州では各州組織に調整の自由を与える方針を示した。さらにニジャリンガッパ党総裁に民主政党の統一行動を可能とするための必要な手段をとる権限を与えた。党最高首脳部間の意見の不一致により,全国民主戦線構想は具体化しなかった。 |
DIA-302-1970-11-18-1 | インド | 1970年11月18日 | 1970年代 | 西ベンガル州,4月以来殺人事件341件――K.C.パント内務担当相は下院で,4月1日以来同州で341件の殺人事件が発生し,そのうち172件が政治的殺人とみられ,警察への攻撃事件は526件,警察官25人が死亡している。警察は武器291個,爆発物1,738個を押収,3,519人が逮捕されて,1,825人が起訴された。州政府は治安回復のため万全の措置をとっていると発表した。 |
DIA-302-1970-11-19-1 | インド | 1970年11月19日 | 1970年代 | 西ドイツ対印経済援助協定調印――1年間に5億5350万ルピーの援助を与える。 |
DIA-302-1970-11-22-1 | インド | 1970年11月22日 | 1970年代 | 西ベンガル州暴力行為取締法発効――同法は旧予防拘禁法を部分修正したもので,州政府に対して暴力を行使する,もしくは暴力行為を示唆するおそれのあるものを予防拘禁することができる。 |
DIA-302-1970-11-26-1 | インド | 1970年11月26日 | 1970年代 | グルナーム・シン派がアカリ・ダルに復帰――グルナーム・シン(前パンジャーブ州首相)派はアカリ・ダルに無条件で復帰することを発表した。アカリ・ダルは分裂後8カ月で再統一された。 |
DIA-302-1970-11-27-1 | インド | 1970年11月27日 | 1970年代 | UP,SVD内閣組閣完成――10月18日に就任したSVD(統一戦線)州内閣の組閣が完成,閣僚53人を擁する最大規模の州政府となった。SVD参加政党は,野党会議派(17),BKD(21),ジャン・サン(7),統一社会党(1),スワタントラ党(1)で,首相は野党会議派のT.N.シンである(カッコ内は閣僚の人数)。 |
DIA-302-1970-11-27-2 | インド | 1970年11月27日 | 1970年代 | シェオ・ナラヤン(野党会議派,院内総務)再び,両会議派の統合を訴える。 |
DIA-302-1970-11-29-1 | インド | 1970年11月29日 | 1970年代 | UP,BKD州議員9名党籍離脱――BKD(インド革命党)のSVD参加に反対して9名の同党州議員が離党,無所属を宣言した。 |
DIA-302-1970-12-06-1 | インド | 1970年12月06日 | 1970年代 | ラクノウでの野党会議派の全国委員会終る――ニジャリンガッパ総裁に,ジャン・サン,スワタントラ党をふくむ政党と必要な選挙協定を結ぶための白紙委任を与える。 |
DIA-302-1970-12-07-1 | インド | 1970年12月07日 | 1970年代 | 西ベンガル州の23万人のジュート産業労働者,賃上げを要求して無期限ストに突入。 |
DIA-302-1970-12-08-1 | インド | 1970年12月08日 | 1970年代 | 西ベンガル州,今年3回めの24時間ハルタル――暴力行為取締法その他の治安法と警察の暴力に対して,6党連合,8党連合共同で提起したもの。 |
DIA-302-1970-12-11-1 | インド | 1970年12月11日 | 1970年代 | Y・B・チャバン蔵相は下院で,外国銀行国有化は考えていないと表明。また,外国銀行の預金高は増加しているが,国有銀行の犠牲によるものではないと述べた。 |
DIA-302-1970-12-14-1 | インド | 1970年12月14日 | 1970年代 | グジャラート州の野党会議派の大物マヌバイ・シャー,同党を離脱。ジャン・サン,スワタントラ党との連合に強く反発したもの。 |
DIA-302-1970-12-15-1 | インド | 1970年12月15日 | 1970年代 | 最高裁,旧藩王の内帑金・諸特権廃止の大統領令を違憲と判定。旧藩王側勝訴。 |
DIA-302-1970-12-18-1 | インド | 1970年12月18日 | 1970年代 | ビハール州議会で,D.P.ライ(与党会議派)連立内閣,不信任案が通り,首相は辞表提出。同内閣は67年の総選挙以来7度めの内閣であった。 |
DIA-302-1970-12-20-1 | インド | 1970年12月20日 | 1970年代 | 全インド・ムスリム政治会議終る。選挙でのムスリムへの比例代表,複数選挙区制,ウルドウ語の正当な地位などを要求。 |
DIA-302-1970-12-22-1 | インド | 1970年12月22日 | 1970年代 | ビハール州でSVD(統一戦線)内閣成立――首相は連合社会党のカルポーリ・タタール。SVDを構成しているのは,連合社会党,ジャンサン,野党会議派,スワタントラ党,ジャンタ党。 |
DIA-302-1970-12-24-1 | インド | 1970年12月24日 | 1970年代 | 与党会議派執行委員会――連邦内閣に中間選挙を実施するかどうかの判断を委任。 |
DIA-302-1970-12-24-2 | インド | 1970年12月24日 | 1970年代 | ジュート労働者のスト終る。 |
DIA-302-1970-12-27-1 | インド | 1970年12月27日 | 1970年代 | 国会下院解散――内閣決定の直後,大統領宣言。
解散時の議会勢力(Statesman,12月28日)
与党会議派 228
野党〃 65
スワタントラ党 35
ジャンサン 33
ドラビタ進歩連盟 24
共産党(右派) 24
〃(左派) 19
連合社会党 17
人民〃 15
インド革命党 10
中立連合 25
無所属 24
空席 3
計 522
(議長を除く) |
DIA-302-1970-12-28-1 | インド | 1970年12月28日 | 1970年代 | ソ連・インド間の貿易協定(今後5年間)調印される――5年間で75%の伸びを見込み,初年度の1971年は15%の伸び。今年の19億ルビーより75年には33.5億ルビーをみこむ。 |
DIA-302-1970-12-30-1 | インド | 1970年12月30日 | 1970年代 | カルカッタのジャダヴブール大学学長ゴパル・セン氏,キャンパス内で何者かに殺される――同大学は,ナクサライトの一拠点といわれている。 |
DIA-302-1970-12-31-1 | インド | 1970年12月31日 | 1970年代 | オリッサ州副首相パビトラ・モハン・プラダン,R.N.シンデオ(スワタントラ党)首相に対し,ジャナ・コングレスは連合政府から一方的に手を引き,新選挙にのぞむという意志を伝達。 |
DIA-302-1971-01-03-1 | インド | 1971年01月03日 | 1970年代 | 民族民主戦線結成-野党会議派,ジャン・サン,統一社会党は中間選挙に備えて統一戦線を結成した。 |
DIA-302-1971-01-04-1 | インド | 1971年01月04日 | 1970年代 | タミル・ナドゥ州議会解散-カルナニディ首相は州議会選挙と下院中間選挙を同時に実施することを望んでいる。 |
DIA-302-1971-01-08-1 | インド | 1971年01月08日 | 1970年代 | スワタントラ党,民族民主戦線参加-党中央執行委員会は満場一致で戦線への参加を決定した。 |
DIA-302-1971-01-08-2 | インド | 1971年01月08日 | 1970年代 | 公定歩合1%引上げを決定-インド準備銀行ジャガンナタン総裁は,公定歩合を5%から6%上げることを発表した。 |
DIA-302-1971-01-09-1 | インド | 1971年01月09日 | 1970年代 | オリッサ州首相辞任。 |
DIA-302-1971-01-18-1 | インド | 1971年01月18日 | 1970年代 | “パキスタン・スパイ”22人を逮捕-カシミール警察はサデイーク州首相の誘拐,暗殺をはかった疑いで22人を逮捕した。警察の発表によれば,彼らは“アル・ファタ”と呼ばれるパキスタン人組織で,現在非合法化されているジャム・カシミール・プレビシット・フロントと学生組織を通じてつながっている。 |
DIA-302-1971-01-24-1 | インド | 1971年01月24日 | 1970年代 | パキスタン外交官追放さる-カシミール“アル・ファタ”と関係を持ちスパイ活動の容疑があるとして1等書記官が国外退去を命ぜられた。 |
DIA-302-1971-01-24-2 | インド | 1971年01月24日 | 1970年代 | 与党会議派選挙声明発表-財産問題について私有財産廃止の意図はなく,納得のいく限度以上の財産所有を防ぎ,少数の手に力と富の集中を防ぐ,社会正義を実現するため憲法改正を行なう。 |
DIA-302-1971-01-25-1 | インド | 1971年01月25日 | 1970年代 | T.N.シン,補欠選挙で落選-ウッタル・プラデーシュ,マニラーム州議会選挙区の補欠選挙でT.N.シン(野党会議派),UP州首相は与党会議派候補R.ドヴィヴェディに敗れた。今回の補欠選挙はT.N.シン首相が州議会議席を得るために出馬し,会議派分裂以来,両党が直接に対立して争った選挙である。R.ドヴィヴェデイは3万3230票,T.N.シンは1万7137票であった。 |
DIA-302-1971-01-29-1 | インド | 1971年01月29日 | 1970年代 | カシミール問題について国連で話合う意志はない-政府はジャム・カシミールの情勢もしくはインドのとる行動を,国連で,またはどこかの国と話合う意志のないことを明らかにした。インド・パキスタン間の問題はパキスタンによるインド領不法強制占領により生じたもので,政府はこれについて2国間で平和的に話合う用意があり,パキスタンがインド国内情勢に干渉して両国の関係を損うのをやめて平和的アプローチをとることを希望する。 |
DIA-302-1971-01-30-1 | インド | 1971年01月30日 | 1970年代 | インド国内航空機ハイジャック-乗客28人を乗せたインド航空のフレンドシップ.スリナガル=ジャム定期便は,銃で武装した2人の男に乗取られてラホールに着陸した。S.K.バネルジー民間航空省次官はパキスタン高等弁務官サッジャド・ハイデルを訪れ,航空機と乗客の送還を求めた。 |
DIA-302-1971-01-30-2 | インド | 1971年01月30日 | 1970年代 | タミル・ナドゥで与党会議派とDMKの選挙協定-内容は,与党会議派が州議会で争わないかわり,下院での10議席に立候補するというもの。 |
DIA-302-1971-02-01-1 | インド | 1971年02月01日 | 1970年代 | ハィジャック機の乗客,乗務員帰国-ハイジャッカーは彼らの家族に危害を加えないこと,この2~3日間にカシミールで逮捕された人を釈放することを要求し,この2点が守られなければ機体を爆破すると通告した。インド政府は,ハイジャックは非難されるべき犯罪行為であり,パキスタン政府が犯人の亡命を許したことに驚いている。ジャム・カシミールで逮捕された者については国内問題であるので外国の干渉はうけないと発表した。 |
DIA-302-1971-02-04-1 | インド | 1971年02月04日 | 1970年代 | パキスタン機のインド上空飛行を禁止-2月2日夜,インド航空機爆破のしらせを受け,パキスタンの全航空機のインド領空飛行を禁止した。 |
DIA-302-1971-02-05-1 | インド | 1971年02月05日 | 1970年代 | 対パキスタン抗議デモ-デリーのパキスタン高等弁務官事番所前で学生約1万人がデモ。政府は,パキスタン高等弁務官事番所職員の生命・財産を守る措置をとったと発表した。 |
DIA-302-1971-02-05-2 | インド | 1971年02月05日 | 1970年代 | 首相,パキスタン選挙について発言-S.M.ラーマン氏は現実的な性格を持ち,わが国に友好的であると考える。また,インド機ハイジャックによる情勢の悪化を和げるための印・パ会談開催の早期実現はむずかしいと述べた。 |
DIA-302-1971-02-09-1 | インド | 1971年02月09日 | 1970年代 | 南ベトナム軍のラオス侵攻,政府声明-南部ラオスの米空軍および火器の援護下での南ベトナム軍の侵入に対し,情勢の一層の悪化とエスカレーションを憂慮し注視していると発表。今度のアメリカと南ベトナム軍の行動により,ラオスでの戦闘縮小の期待が消滅したことを認めた。 |
DIA-302-1971-02-12-1 | インド | 1971年02月12日 | 1970年代 | 石油価格-原油価格協定調印により,インドの原油・石油製品輸入額は年2億5000万ルピー余り増えよう。 |
DIA-302-1971-02-17-1 | インド | 1971年02月17日 | 1970年代 | 西ベンガル州,候補者殺される-バングラ・コングレスの州議会候補者が刺殺された。この2週間に候補者2名が殺されている。 |
DIA-302-1971-02-19-1 | インド | 1971年02月19日 | 1970年代 | 3国大使,ラオス支持を要請-日本,インドネシア,マレーシア大使は別個に外務省を訪れ,インドがICC議長国としてインドシナ危機の展開についてラオス政府の立場を支持するよう求め,ICCでラオス問題解決のイニシャチブをとるよう要請した。 |
DIA-302-1971-02-20-1 | インド | 1971年02月20日 | 1970年代 | FB党首,刺殺される-カルカッタ市で白昼,フォワード・ブロック議長H.バスが数人に襲われて死亡した。H.バスはカルカッタ市の州議会選挙区から立候補していた。 |
DIA-302-1971-02-21-1 | インド | 1971年02月21日 | 1970年代 | ケララ州政府職員,ストライキ中止-12日間にわたった州職員ストは,労働者1人当り11~17ルピー(政府支出総額5200万ルピー)支払うことで協定が成立し,中止された。 |
DIA-302-1971-02-28-1 | インド | 1971年02月28日 | 1970年代 | 70年12月の輸出額15億1270万ルピ-―69年12月より3億2000万ルピー増。1970年4月~12月の輸出額は109億7380万ルピーで前年同期比5.2%の伸びとなった。輸出額は後半になって伸びた。10月,12億9500万ルピー。11月,13億8360万ルピー。目標の7%達成の見込みがでてきている。 |
DIA-302-1971-03-01-1 | インド | 1971年03月01日 | 1970年代 | 中間選挙投票始まる。10日まで。 |
DIA-302-1971-03-10-1 | インド | 1971年03月10日 | 1970年代 | 開票始まる-172議席の開票が行なわれ,与党会議派が128議席を獲得,定員の3分の2に近づくことも予想される。ガンディー首相,J.ラーム,チャバン,D.シンなど大差で当選した。野党側ではS.K.パティル,サンジーヴァ・レッデイー(野党会議派),M.R.マサニ,チャラン・シンなど落選。 |
DIA-302-1971-03-11-1 | インド | 1971年03月11日 | 1970年代 | 首相記者会見一党として財産権を基本的に認めるが,憲法改正を考えている。失業問題に関する“突貫計画”,経済政策の実行は党の勝利によりペースを早められると語った。外交政策について具体的な発表はなく,パキスタンへの歩みよりを示唆したが,なんらかのアプローチについては控えた。 |
DIA-302-1971-03-15-1 | インド | 1971年03月15日 | 1970年代 | 東西パキスタンを結ぶすべての航空機のインド領空飛行を禁止-この措置は,軍航空機についてのものであり,民間航空機についてはあまり厳密ではない。飛行が許可される場合はインドの空港に一時着陸する。 |
DIA-302-1971-03-18-1 | インド | 1971年03月18日 | 1970年代 | CPI,与党会議派による西ベンガル州政府を支持-CPI西ベンガル州評議会は,与党会議派の組閣鑑よる州政府に全面的支持を与えることを決定した。 |
DIA-302-1971-03-18-2 | インド | 1971年03月18日 | 1970年代 | マイソール州内閣辞任-ヴィーレンドラ・パティル(野党会議派)州政府辞職,知事は与党会議派に組閣を求めた。V.パティル内閣は総選挙後,3閣僚を含む20人の議員が与党会議派に移籍したことにより,議会小数派となった。 |
DIA-302-1971-03-18-3 | インド | 1971年03月18日 | 1970年代 | ガンデイー内閣改造(第3次)-7人の閣内相を含む14人の閣僚を更迭,新たに5人が入閣した。J.ラーム国防相,F.A.アーメッド食糧・農業相,Y.B.チャバン蔵相,K・シン観光航空相は留任。M.クマラマンガラム,S.S.ライ,R.バハドゥル,H.R.ゴーカレ,M.H.チョウドリが新たに入閣した。 |
DIA-302-1971-03-22-1 | インド | 1971年03月22日 | 1970年代 | 計画委員会,総辞職。 |
DIA-302-1971-03-23-1 | インド | 1971年03月23日 | 1970年代 | オリッサ州議会停止-新州議会は停止され,1月23日からの大統領直轄統治がさらに延長された。 |
DIA-302-1971-03-27-1 | インド | 1971年03月27日 | 1970年代 | 東パキスタン情勢協議-首相は閣議を開き情勢を協議した。東パキスタン問題に対し慎重なアプローチをとって,国内的,国際的な反応を考慮する。インドへの影響については,とくに東部地域への難民流入,紛争波及に関心を持っている。政府は西パキスタン軍が東部国境地域に4万~5万配備されているとみている。 |
DIA-302-1971-03-30-1 | インド | 1971年03月30日 | 1970年代 | U.P.州T.N.シン(野党会議派)連立政府倒れる。 |
DIA-302-1971-03-31-1 | インド | 1971年03月31日 | 1970年代 | グジャラート州H.デサィ内閣辞職。 |
DIA-302-1971-04-02-1 | インド | 1971年04月02日 | 1970年代 | 西ベンガル州政府発足-アジョイ・ムカージー首相(ベンガル会議派)B.S.ナハル副首相(会議派(R))。政権参加政党は,会議派(R),ムスリム・リーグ,ベンガル会議派,グルカリーグ,連合社会党,人民社会党,閣外協力政党は,右派共産党,フォワード・ブロック,会議派(O),ジャルカンド党。 |
DIA-302-1971-04-02-2 | インド | 1971年04月02日 | 1970年代 | 同州の大統領直轄統治終る。 |
DIA-302-1971-04-03-1 | インド | 1971年04月03日 | 1970年代 | オリッサ州政府成立-スワタントラ党,ウトカル・コングレス,ジャルカンド先の統一戦線で,首相は無党派のビスワナトダス。大統領直轄統治終る。 |
DIA-302-1971-04-04-1 | インド | 1971年04月04日 | 1970年代 | U.P.州会議派(R)政府成立-首相はカムラパティ・トリパティ。 |
DIA-302-1971-04-07-1 | インド | 1971年04月07日 | 1970年代 | グジャラート州,H.デサイは,会議派(O),スワタントラ党,ジャン・サン党その他の支持を得て,再び州政府を組織。 |
DIA-302-1971-04-14-1 | インド | 1971年04月14日 | 1970年代 | マイソール州,大統領直轄統治下に入る。 |
DIA-302-1971-04-20-1 | インド | 1971年04月20日 | 1970年代 | 日本の対インド第10次円借款の政府間協定調印-総額2539万ドルで,7年据置きを含む20年,金利5%。 |
DIA-302-1971-04-30-1 | インド | 1971年04月30日 | 1970年代 | 全インド会議派委員会(R)でD.サンジバヤ,総裁に選出される。 |
DIA-302-1971-05-01-1 | インド | 1971年05月01日 | 1970年代 | 1971-72年度輸入政策発表。 |
DIA-302-1971-05-02-1 | インド | 1971年05月02日 | 1970年代 | デリー市議会選挙でジャン・サンは100議席のうち52議席を獲得。 |
DIA-302-1971-05-02-2 | インド | 1971年05月02日 | 1970年代 | 内閣改造,ウマ・シャンカル・ディクシットら入閣。 |
DIA-302-1971-05-02-3 | インド | 1971年05月02日 | 1970年代 | ガンジー政府新閣僚名簿(1971年5月2日) CABINET MINISTERS Mrs.Indira Gandhi:Prime Minister, Minister for Atomic Energy, Home Affairs and Information and Broadcasting. Mr.Fakhruddin AH Ahmed:Agriculture. Mr.Y.B.Chavan:Finance. Mr.Jagjivan Ram:Defence. Mr.Swaran Singh:External Affairs. Mr.K.Hanumanthaiya:Railways. Dr.Karan Singh:Tourism and Civil Aviation. Mr.Raj Bahadur:Parliamentary Affairs and Shipping and Transport. Mr.Moinul Huq Choudhury:Industrial Development. Mr.Siddhartha Shankar Ray:Education and Social Welfare, also in charge of the Department of Culture. Mr.H.R.Gokhale:Law and Justice. Mr.S.Mohan Kumaramangalam:Steel and Mines. Mr.K.K.Shah:Health and Family Planning. Mr.C.Subramanian:Planning, also in charge of the Department of Science and Technology. Mr.Uma Shankar Dikshit:Works and Housing. MINISTERS OF STATE Dr.Nitiraj singh Chaudhury:Law and Justice. Mr.K.L.Rao:Irrigation and Power. Mr.L.N.Mishira:Foreign Trade. Mr.R.K.Khadikar:Labour and Rehabilitation. Mr.K.V.Raghunatha Reddy:Company Affairs. Mr.D.R.Chavan:Supply. Mr.P.C.Sethi:Petroleum and Chemicals. Mr.H.N.Bahuguna:Communications. Mr.I.K.Gujral:Works and Housing Prof.Sher Singh : Agriculture. Mr.Om Mehta:Department of Parliamentary Affairs and Ministry of Shipping and Transport. Mr.Ram Niwas Mirdha:Home Affairs and in the Department of Personnel. Mr.K.C.Pant:Home Affairs, also to assist the Prime Minister in parliamentary work relating to the Departments of Atomic Energy and Electronics. Mrs.Nandini Satpathy:Information and Broadcasting. Mr.V.C.Shukla:Defence Production in the Ministry of Defence. Mr.Annasaheb P.Shinde:Agriculture. Mr.K.R.Ganesh:Finance. Mr.Shah Nawaz Khan:Steel and Mines. Mr.D.P.Chattopadhyaya:Health and Family Planning. Mr.Ghanshyambhai Oza:Industrial Development Mr.Mohan Dharia:Planning. Dr.Sarojini Mahishi:Tourism and Civil Aviation. DEPUTY MINISTERS Mr.A.K.Kisku:Health and Family Planning. Mr.Jagannath Pahadia:Agriculture. Mr.Mohammed Shaft Qureshi:Railways. Mr.K.S.Ramaswamy:Education and Social Welfare. Mr.Siddheshwar Prasad :Industrial Development. Mr.Surendra Pal Singh:External Affairs. Mr.B.Shankaranana :Department of Parliamentary Affairs. Mr.Kedar Nath Singh:Department of Parliamentary Affairs. Mr.Bcdabrata Barua:Department of Company Affairs. Prof.D.P.Yadav:Education and Social Welfare. Mr.BalgovindVerma:Labour and Rehabilitation. Mr.Dalbir Singh:Petroleum and Chemicals. Mr.Baijnath Kureel:Irrigation and Power. Mr.Dharamvir Singh:Information and Broadcasting. Mr.Kartik Oraon :Communications. Mr.A.C.George:Foreign Trade. Mrs.Sushila Rohtagi :Finance. Mr.F.H.Mohsin:Home Affairs. |
DIA-302-1971-05-03-1 | インド | 1971年05月03日 | 1970年代 | D.R.ガドギル博士死亡。 |
DIA-302-1971-05-05-1 | インド | 1971年05月05日 | 1970年代 | インド外務省は,パキスタンに対し,東ベンガルとインド国境での,「挑発行為」に再度抗議。 |
DIA-302-1971-05-06-1 | インド | 1971年05月06日 | 1970年代 | インド政府の要請で国連難民委員会の3人のグループがニューデリーに到着。 |
DIA-302-1971-05-06-2 | インド | 1971年05月06日 | 1970年代 | 社会復帰省R.K.カディカルはステートメントを発表し,パキスタンからの難民問題に対して,主要国と国際的援助を要請した。 |
DIA-302-1971-05-06-3 | インド | 1971年05月06日 | 1970年代 | E.M.S.ナンブーディリパドは,パキスタンの軍事政権を支持する中国と,ガンディー政権を支持するソ連を非難。 |
DIA-302-1971-05-07-1 | インド | 1971年05月07日 | 1970年代 | ギリ大統領,国内安全維持令(治安維持法)公布。 |
DIA-302-1971-05-10-1 | インド | 1971年05月10日 | 1970年代 | 日本はインドに対し,1億1250万ルピーの円借款(海岸石油開発機械購入)。2年間で年利5.25%で返済。 |
DIA-302-1971-05-10-2 | インド | 1971年05月10日 | 1970年代 | PTI通信によると,パキスタン軍とインド国境警備軍が,国境で交戦。 |
DIA-302-1971-05-11-1 | インド | 1971年05月11日 | 1970年代 | 民間での新規小製鋼業の創設が政府によって原則的に認められる。 |
DIA-302-1971-05-11-2 | インド | 1971年05月11日 | 1970年代 | インド,パキスタン両政府は,ダッカ,カルカッタの外交官,職員の帰国問題行詰まりに終止符を打つために調停を申入れたスイスの提案を受諾。 |
DIA-302-1971-05-11-3 | インド | 1971年05月11日 | 1970年代 | 日本輸出入銀行と外国為替銀行13行は,インドの海底石油開発プロジェクトを援助するため,インド政府と52億7400万円の円借款供与協定に調印。 |
DIA-302-1971-05-13-1 | インド | 1971年05月13日 | 1970年代 | グジャラート州,大統領直轄統治下に入る。 |
DIA-302-1971-05-13-2 | インド | 1971年05月13日 | 1970年代 | バチカンは,インド人尼僧売買問題の調査結果を発表し,人身売買の事実を否定。 |
DIA-302-1971-05-13-3 | インド | 1971年05月13日 | 1970年代 | 援害保険国有化-大統領令により106社(インド系64社,外国系42社)が対象。 |
DIA-302-1971-05-14-1 | インド | 1971年05月14日 | 1970年代 | ダムダム刑務所で,ナクサライトに指導されたといわれる集団脱獄事件が起き15人死亡。 |
DIA-302-1971-05-16-1 | インド | 1971年05月16日 | 1970年代 | ガンディー首相,バングラデシュ承認にはタイミングが必要と語る。難民を訪問。 |
DIA-302-1971-05-16-2 | インド | 1971年05月16日 | 1970年代 | 会議派(O)の新総裁にサディク・アリが選ばれる。 |
DIA-302-1971-05-18-1 | インド | 1971年05月18日 | 1970年代 | C.スブラマニアム計画相は,急速な農業発展こそ最優先されるべきであると語る。 |
DIA-302-1971-05-18-2 | インド | 1971年05月18日 | 1970年代 | ガンディー首相はパキスタンに対して警告を発し,「止むを得ないならば,われわれは十分もう用意が出来ている」と語る。 |
DIA-302-1971-05-18-3 | インド | 1971年05月18日 | 1970年代 | Y.B.チャバン蔵相は,インド経済が当面している3つの問題点は,工業投資生産の低調,鉄鋼生産の停滞,鉄道輸送の不十分さであると指摘。 |
DIA-302-1971-05-20-1 | インド | 1971年05月20日 | 1970年代 | 国連のウ・タント事務総長はアッピールを発し,東ベンガルからインドに大量に流入している難民を金と物で援助するよう訴えた。 |
DIA-302-1971-05-20-2 | インド | 1971年05月20日 | 1970年代 | 全インド労働組合指導者会議が開かれる。 |
DIA-302-1971-05-25-1 | インド | 1971年05月25日 | 1970年代 | サンジバ・レディ,会議派(O)執行委員会を辞任。 |
DIA-302-1971-05-30-1 | インド | 1971年05月30日 | 1970年代 | カジカル社会復帰相は,東パキスタンからのインドへの難民は推計400万人に上ると述べた。 |
DIA-302-1971-06-01-1 | インド | 1971年06月01日 | 1970年代 | 西ベンガル州ナディア地区のパキスタン難民収容所で過去800人がコレラで死亡。 |
DIA-302-1971-06-01-2 | インド | 1971年06月01日 | 1970年代 | CPI(M)の指導するULF(統一左翼戦線)の呼びかけた24時間ハルタル,無事終了。 |
DIA-302-1971-06-01-3 | インド | 1971年06月01日 | 1970年代 | ビハール州カルプーリ・タクル内閣辞職。 |
DIA-302-1971-06-02-1 | インド | 1971年06月02日 | 1970年代 | ビハール州ポーラ・パスワン(無所属)を首相とするPVD連合内閣成立。 |
DIA-302-1971-06-03-1 | インド | 1971年06月03日 | 1970年代 | 難民の間のコレラで5,000人が死亡したと伝えられる。 |
DIA-302-1971-06-05-1 | インド | 1971年06月05日 | 1970年代 | スワラン・シン外相,難民問題に対する主要国の援助を求めるため,ソ連,仏,英,米訪問に出発。 |
DIA-302-1971-06-05-2 | インド | 1971年06月05日 | 1970年代 | ベンガル会議派,アジョイ・ムカージー派とダーラ派に分裂。 |
DIA-302-1971-06-08-1 | インド | 1971年06月08日 | 1970年代 | K.L.ラオ灌漑動力相は,現在インドの農村の2割弱が電化されているが,1980年までに半数の農村が電化されるだろうと語った。 |
DIA-302-1971-06-08-2 | インド | 1971年06月08日 | 1970年代 | 難民問題に対するインド側の立場説明に来日したS.S.ライ教育相,佐藤首相と会談。 |
DIA-302-1971-06-08-3 | インド | 1971年06月08日 | 1970年代 | スワラン・シン外相,モスクワでグロムイコ外相,コスイギン首相と会談した後,共同コミュニケを発表。「難民流入をストップさせるために緊急措置が必要で,同時に東パキスタンに平和が回復され,避難民が国へ帰還できるような安全措置を確保することが望ましい」とうたっている。 |
DIA-302-1971-06-08-4 | インド | 1971年06月08日 | 1970年代 | 難民空輸調査に当る米軍事使節団2人がニューデリーに到着。 |
DIA-302-1971-06-10-1 | インド | 1971年06月10日 | 1970年代 | チャバン蔵相は,新規国内消費税の対象であったマイダ(高級小麦粉)と粗布を対象から除外。 |
DIA-302-1971-06-14-1 | インド | 1971年06月14日 | 1970年代 | 国会審議の一つの焦点として,イギリスが従来免税であったインドからの綿製品輸入に対し,72年1月から15%の関税をかける方針を出してきたため,対英輸出問題が議論されている。 |
DIA-302-1971-06-15-1 | インド | 1971年06月15日 | 1970年代 | パンジャブ州プラカシュ・シンバダル内閣は内紛のため倒れ,大統領直轄統治下に入る。 |
DIA-302-1971-06-18-1 | インド | 1971年06月18日 | 1970年代 | パリでの対インドコンソーシャムで,今年度(71~72年度)に11億5000万ドル(ノン・プロジェクト援助,6億5000万ドル,プロジェクト援助,5億ドル)が承認された。日本は6100万ドル(うち繰り延べ分2000万ドル)を分担。 |
DIA-302-1971-06-18-2 | インド | 1971年06月18日 | 1970年代 | 外国貿易省は今年度の輸出伸び率の目標を9.1%とおいた(1970~71年度は8.3%)。 |
DIA-302-1971-06-19-1 | インド | 1971年06月19日 | 1970年代 | ガンディー首相はカシュミールで演説し,もしパキスタンが攻撃を仕掛けるならインドはそれに見合う報復をするだろうと述べた。 |
DIA-302-1971-06-22-1 | インド | 1971年06月22日 | 1970年代 | J.ラム国防相は,陸軍将兵向けの演説のなかで,パキスタンに対する臨戦態勢を準備するよう呼びかけた。 |
DIA-302-1971-06-24-1 | インド | 1971年06月24日 | 1970年代 | スワラン・シン外相は国会で,「パキスタンに飛行機など軍事物資を輸送中の米国船2隻の航海を中止させるよう米政府に要求した」と述べた。 |
DIA-302-1971-06-26-1 | インド | 1971年06月26日 | 1970年代 | アメリカの国防省,国務省は,北インドに秘密のレーダー基地があるという報道を否定。 |
DIA-302-1971-06-28-1 | インド | 1971年06月28日 | 1970年代 | 70~71年度予算国会提出-増税22億ルピー,赤字22億ルピーの赤字予算一般歳出358億0034万ルピー,資本関係予算239億6000万ルピー。 |
DIA-302-1971-06-29-1 | インド | 1971年06月29日 | 1970年代 | 西ベンガル州,アジョイ,ムカージーを首相とする政府辞任の後,大統領直轄統治下に入る。 |
DIA-302-1971-07-06-1 | インド | 1971年07月06日 | 1970年代 | キッシンジャー米大統領特別補佐官,ニューデリー到着。 |
DIA-302-1971-07-07-1 | インド | 1971年07月07日 | 1970年代 | キッシンジャー補佐官,首相,外相,国防相と会談-同補佐官は首相にニクソン大統領からの親書を手渡した。首相は,インド亜大陸の現在の状態は,アメリカによる対パキスタン武器援助継続に原因がある,アメリカを含む世界各国は西パキスタン政府への政治的・軍事的援助を中止すべきで,700万人難民が安全に帰国できる状態を作るため緊急に行動しなければならないと語った。キ補佐官はインドに強硬態度に出ないよう説得したと伝えられるが,対パキスタン武器援助問題についてのインド側の納得はえられなかった。 |
DIA-302-1971-07-09-1 | インド | 1971年07月09日 | 1970年代 | 米,対印ノンプロジェクト追加援助-2000万ドルの追加援助協定が調印され,総額は1億9000万ドルになった。今回の援助は,肥料,工業原材料,部品などの輸入にあてる。同時に,先に発表された7000万ドルの追加援助のうち難民対策として5000万ドル支給される。内容は救援物資,救援活動のためのドル援助とPL480にもとづく食糧援助がそれぞれ2500万ドルである。 |
DIA-302-1971-07-09-2 | インド | 1971年07月09日 | 1970年代 | ラージャスターン州首相にバルカトゥッラ・カーン-他8大臣が就任。 |
DIA-302-1971-07-11-1 | インド | 1971年07月11日 | 1970年代 | 対外債務総額,71年4月末で990億2220万ルビ-―さらに以降の借款協定を加えると1000億ルピーにのぼる。債権国は,アメリカが総額252億4580万ルピー,世銀が141億0230万ルピー,西ドイツが37億1920万ルピーなど。 |
DIA-302-1971-07-12-1 | インド | 1971年07月12日 | 1970年代 | 対米抗議書簡-政府は,6月27日にアメリカ政府に対し,対パキスタン武器供与についての抗議書簡を送ったことを明らかにした。 |
DIA-302-1971-07-15-1 | インド | 1971年07月15日 | 1970年代 | A.L.ディアス元トリプラ副知事,西ベンガル州知事に就任。 |
DIA-302-1971-07-16-1 | インド | 1971年07月16日 | 1970年代 | ニクソン訪中発表を歓迎-政府は米中開係正常化を期待し,これが世界の緊張緩和に役立つとして歓迎。S.シン外相は下院で,米中関係改善は世界情勢を全面的に変えるものとなろうと述べる一方,政府の外交政策の正しさを強調,中国の参加なくして世界平和はありえず,インドは米中正常化が,インドシナの平和解決をもたらすことを期待すると語った。 |
DIA-302-1971-07-18-1 | インド | 1971年07月18日 | 1970年代 | インド共産党(CPI)中国を非難-CPI書記局は声明を出し,米大統領の北京訪問は,アメリカが中ソ戦争をおこそうと意図したもので,中国首脳部は,偏狭な反動目的のために日和見的役割りを果たしたとして攻撃した。 |
DIA-302-1971-07-24-1 | インド | 1971年07月24日 | 1970年代 | 共産党左派(CPI・M)書記局決議-バングラデシュ問題についてインドとパキスタンの戦争をあおる動きに対し警告し,同時に,政府がヤヒヤ・カーン軍政と戦っている独立バングラデシュ臨時政府により積極的支持を与えるように求める。スンダラヤ書記長は,政府がバングラデシュ承認をためらっているのは,アメリカの意向を考えているためと思う,党は政府が,アメリカによる国連監視団の国境視察を拒否したことを評価する,米大統領訪中はアメリカ政策の中国に対する敗北であると語った。 |
DIA-302-1971-07-24-2 | インド | 1971年07月24日 | 1970年代 | 対パキスタン強硬発言-J.ラーム国防相は,インド領空に侵入するいかなるパキスタン機も撃墜する,と下院で発言した。 |
DIA-302-1971-08-02-1 | インド | 1971年08月02日 | 1970年代 | 中印大使,モスクワで接触-S.シン外相は,モスクワの中国,インド大使が少なくとも2回にわたって会談をもったことを認めた。 |
DIA-302-1971-08-04-1 | インド | 1971年08月04日 | 1970年代 | 中国と正常化の用意-S.シン外相は上院で,中国から反応があれば対中国関係改善の用意があると語った。 |
DIA-302-1971-08-04-2 | インド | 1971年08月04日 | 1970年代 | 憲法改正案を下院可決-国民の基本的人権を含む憲法改正の全権を議会に認める法案が384対29で可決された。 |
DIA-302-1971-08-05-1 | インド | 1971年08月05日 | 1970年代 | D.P.ダル前駐ソ大使訪ソ-シェルヴアンカル新駐ソ大使とともにコスイギン首相と会談。 |
DIA-302-1971-08-08-1 | インド | 1971年08月08日 | 1970年代 | グロムイコ外相訪印-S.シン外相と会談。 |
DIA-302-1971-08-09-1 | インド | 1971年08月09日 | 1970年代 | 印ソ平和友好条約調印-両国のいずれかが攻撃ないし,その脅威を受けた場合,脅威を除去し,平和と安全保証に効果的な措置について相互協議を行なう。相手国に敵対する軍事同盟に加わらない。このほか,相互不可侵,軍縮,人種主義・植民地主義絶滅への努力の誓約,貿易・運輸・通信分野での相互協力などをとりきめており,期限は20年間である。 |
DIA-302-1971-08-09-2 | インド | 1971年08月09日 | 1970年代 | 首相,東パキスタン独立支持の集会で,非同盟の立場にとどまることを強調する演説を行なった。 |
DIA-302-1971-08-10-1 | インド | 1971年08月10日 | 1970年代 | エドワード・ケネディ米上院議員,カルカッタに到着。 |
DIA-302-1971-08-10-2 | インド | 1971年08月10日 | 1970年代 | 外交官相互引揚げ-政府は,ダッカのインド外交官とカルカッタのパキスタン外交官を12日,本国に相互送還することになったと発表した。 |
DIA-302-1971-08-10-3 | インド | 1971年08月10日 | 1970年代 | ラーマン助命を要請-首相は,ウタント国連事務総長,米大統領,ソ連首相ら23カ国首脳にラーマン・アワミ総裁党首の助命にはたらきかけるよう訴えた。 |
DIA-302-1971-08-10-4 | インド | 1971年08月10日 | 1970年代 | 印ソ条約は,バングラデシュについてインドの行動を規制するものではない,とS,シン外相答弁。 |
DIA-302-1971-08-12-1 | インド | 1971年08月12日 | 1970年代 | S,シン外相,インドネシア訪問。 |
DIA-302-1971-08-12-2 | インド | 1971年08月12日 | 1970年代 | グロムイコ外相帰国,共同コミニュケ発表-東パキスタン危機にいかなる軍事解決もありえない,東パキスタン内紛の政治解決のため緊急措置をとることが必要である,インド・ソ連両国の友好関係は両国の平和友好条約によりさらに強化されたことを表明している。 |
DIA-302-1971-08-13-1 | インド | 1971年08月13日 | 1970年代 | インド・ネパール貿易通商条約調印(5年)-8カ月にわたって難行した話合いは,ネパールが条約2本立ての主張をとり下げて結論を見た。 |
DIA-302-1971-08-24-1 | インド | 1971年08月24日 | 1970年代 | C.スブラマニアム計画相,タミル・ナドゥ,クリシュナギリから下院補欠選挙に当選。 |
DIA-302-1971-08-26-1 | インド | 1971年08月26日 | 1970年代 | バングラ・バンドに備えて陸軍を配備-西ベンガル州はインド労働組合センター(CITU)などのよびかけで27日に予定している24時間バンド(ゼネスト)に備えて各戦略的地点に陸軍を配備することを決定した。 |
DIA-302-1971-08-31-1 | インド | 1971年08月31日 | 1970年代 | B・ミシュラ駐北京代理大使一時帰国。 |
DIA-302-1971-09-01-1 | インド | 1971年09月01日 | 1970年代 | ガンジー首相,「インド政府は対中国関係を改善するため具体的措置を講じた」と語る。 |
DIA-302-1971-09-02-1 | インド | 1971年09月02日 | 1970年代 | インド政府は,アジア,アフリカ卓球大会への中国の招待を受けることを決めた。 |
DIA-302-1971-09-02-2 | インド | 1971年09月02日 | 1970年代 | アッサム州,パキスタンの破壊活動に対処するため,国境警備隊の増強を要求。 |
DIA-302-1971-09-02-3 | インド | 1971年09月02日 | 1970年代 | インド政府は,土地所有制限引下げに関して州首相と話合う計画を取りやめたといわれる。 |
DIA-302-1971-09-03-1 | インド | 1971年09月03日 | 1970年代 | 今年のセンサスによるとインドの人口は5億4737万人。 |
DIA-302-1971-09-03-2 | インド | 1971年09月03日 | 1970年代 | ガンジス川とその支流の氾濫により西ベンガル州で約1000万人が家を失う。 |
DIA-302-1971-09-06-1 | インド | 1971年09月06日 | 1970年代 | ガンジス川の支流ゴムチ川などがモンスーンのため氾濫し,U.P.州で被災者は1000万人にのぼる。 |
DIA-302-1971-09-08-1 | インド | 1971年09月08日 | 1970年代 | 3日間にわたるナグプール市の暴動で6人死亡。 |
DIA-302-1971-09-08-2 | インド | 1971年09月08日 | 1970年代 | ラム.スバーク.シン,会議派(O)首脳部を公然と非難。 |
DIA-302-1971-09-09-1 | インド | 1971年09月09日 | 1970年代 | 会議派(R),執行委員会は,西ベンガル,ラージャースターン,ビハール,マディヤプラデーシ,トリプラ諸州の州会議派委員会を解散し,特別委員会でもってこれに替えることを決定。 |
DIA-302-1971-09-10-1 | インド | 1971年09月10日 | 1970年代 | 今年のセンサスによるとインド人口の4分に1に当たる1億0900万人が10大都市に集中。 |
DIA-302-1971-09-11-1 | インド | 1971年09月11日 | 1970年代 | アンドラ州首相ブラーフマナンダ・レディはガンディー首相と会談し,テレンガナ問題解決の条件をつくるため,州首相の地位を去ることを表明。 |
DIA-302-1971-09-11-2 | インド | 1971年09月11日 | 1970年代 | ナクサライトのカヌ・サンヤールら,ダージリンの裁判所で無罪判決を受ける。 |
DIA-302-1971-09-11-3 | インド | 1971年09月11日 | 1970年代 | 3日間にわたるスワラン・シン外相のセイロン訪問が終り,インドは6000万ルピーの援助に同意。 |
DIA-302-1971-09-12-1 | インド | 1971年09月12日 | 1970年代 | 世銀グループの対インド・コミットメントは71年6月末で終る一年間に2億4340万ドルの記録的水準に達し,前年度の2億2750万ドルと対比される。IDAがすべてである。 |
DIA-302-1971-09-13-1 | インド | 1971年09月13日 | 1970年代 | 西ベンガル州のA.L.ディアス知事は,12人の州政府公務員を解雇。 |
DIA-302-1971-09-15-1 | インド | 1971年09月15日 | 1970年代 | アンドラ州,ブラーフマナンダ・レディ首相辞任。 |
DIA-302-1971-09-15-2 | インド | 1971年09月15日 | 1970年代 | ソ連のボドゴルヌイ議長は,東ベンガルの政治解決を訴える。 |
DIA-302-1971-09-16-1 | インド | 1971年09月16日 | 1970年代 | インド政府は,「法と秩序」の維持に関する州政府の権限を一定程度縮小することを考えているという情報が流れる。 |
DIA-302-1971-09-16-2 | インド | 1971年09月16日 | 1970年代 | ECは,インドとjoint commissionをつくることに合意。 |
DIA-302-1971-09-17-1 | インド | 1971年09月17日 | 1970年代 | テレンガナ・プラジャ・サミティ執行委員会,会議派(R)との統合を決定。 |
DIA-302-1971-09-21-1 | インド | 1971年09月21日 | 1970年代 | ソ連のツァラプキン外務次官,訪印。 |
DIA-302-1971-09-22-1 | インド | 1971年09月22日 | 1970年代 | ソ連のフィリュービン外務次官を団長とする代表団5人訪印。 |
DIA-302-1971-09-24-1 | インド | 1971年09月24日 | 1970年代 | ケララ州政府,5人の会議派(R)の大臣入閣。CPIを中心とする連合政権に会議派(R)が加わったことになる。 |
DIA-302-1971-09-24-2 | インド | 1971年09月24日 | 1970年代 | オリッサ州補欠選挙で与党の統一戦線が4議席全部を獲得,会議派(R)完敗。 |
DIA-302-1971-09-24-3 | インド | 1971年09月24日 | 1970年代 | ガンディー首相,3日間の訪ソ-印ソ条約以来初めて。 |
DIA-302-1971-09-28-1 | インド | 1971年09月28日 | 1970年代 | ガンディー首相歓迎会で,コスイギン首相はヤヒヤ・パ大統領に対して東ベンガルの「政治解決」を要請。 |
DIA-302-1971-09-29-1 | インド | 1971年09月29日 | 1970年代 | ソ連・インド共同声明発表-ガンディー首相帰国。共同声明は,東ベンガルでの事態の発展によって作り出された諸問題の政治的解決を訴えた。 |
DIA-302-1971-09-29-2 | インド | 1971年09月29日 | 1970年代 | 内閣に国家安全局(Dept.of National Security)創設を決定。 |
DIA-302-1971-09-30-1 | インド | 1971年09月30日 | 1970年代 | アンドラ州,テレンガナ出身のナラシンハ・ラオ(会談派(R))を首班とする内閣成立。 |
DIA-302-1971-09-30-2 | インド | 1971年09月30日 | 1970年代 | 西ベンガル担当連邦相S.S.ライは同州の,「法と秩序」は大幅に改善されたと述べた。 |
DIA-302-1971-10-01-1 | インド | 1971年10月01日 | 1970年代 | ソ連のボドゴルヌイ最高会議幹部会議長,ハノイ訪問の途上,インド訪問。 |
DIA-302-1971-10-03-1 | インド | 1971年10月03日 | 1970年代 | インド共産党(CPI)第9回大会,コーチンで開かれる。 |
DIA-302-1971-10-03-2 | インド | 1971年10月03日 | 1970年代 | パ放送,コミラ,ジュソールにインド軍の砲撃があったと報じる。 |
DIA-302-1971-10-05-1 | インド | 1971年10月05日 | 1970年代 | コシポール,イチャプール,ダム・ダムの軍需工場の従業員32人が解雇される。 |
DIA-302-1971-10-08-1 | インド | 1971年10月08日 | 1970年代 | シムラで開かれた全インド会議派委員会(AICC(R))でスワラン・シン外相は,ラーマンが合意すれば東ベンガルはパキスタンにとどまってもよいと語る。しかし同時に,「バングラデシュ」独立の可能性も示唆した。 |
DIA-302-1971-10-09-1 | インド | 1971年10月09日 | 1970年代 | AICC(R)でヤング・タークのチャンドラ・セカールが中央選挙委員会に中央首脳部の意向に反して選出される。 |
DIA-302-1971-10-09-2 | インド | 1971年10月09日 | 1970年代 | パ放送は,2週間に及ぶ国境紛争で初めてインド軍が,「インド側工作員」を伴わずにパ領内に侵入したと発表。 |
DIA-302-1971-10-11-1 | インド | 1971年10月11日 | 1970年代 | ボンベイの綿工場労働者,ボーナス問題でストに突入,23工場が100%,22工場が部分的に操業を停止した。 |
DIA-302-1971-10-12-1 | インド | 1971年10月12日 | 1970年代 | PTI通信は,パキスタン軍の8割がインドとの国境の前線拠点に布陣していると報じた。 |
DIA-302-1971-10-15-1 | インド | 1971年10月15日 | 1970年代 | ボンベイの綿工場スト終結。 |
DIA-302-1971-10-16-1 | インド | 1971年10月16日 | 1970年代 | ユーゴのチトー大統領,4日間訪印でニュー・デリー着。 |
DIA-302-1971-10-16-2 | インド | 1971年10月16日 | 1970年代 | 大統領令で214のコークス用石炭の炭鉱経営を国営化と発表。鉄鋼生産に資するためと説明。 |
DIA-302-1971-10-17-1 | インド | 1971年10月17日 | 1970年代 | J・ラム国防相は,パキスタンとの戦争はパ嶺で行なわれ,インドは占領地を撤退しないであろうと述べた。 |
DIA-302-1971-10-17-2 | インド | 1971年10月17日 | 1970年代 | 東パと西ベンガル州ナジア州間で印パ両軍が砲撃戦 |
DIA-302-1971-10-18-1 | インド | 1971年10月18日 | 1970年代 | 米国務省スポークスマンは,印パ両国の武力衝突発生を防ぐため,両政府と接触を始めていることを明らかにした。 |
DIA-302-1971-10-19-1 | インド | 1971年10月19日 | 1970年代 | ガンディー首相は,軍隊引揚げに関してパキスタンと話合うつもりはないと語る。 |
DIA-302-1971-10-19-2 | インド | 1971年10月19日 | 1970年代 | 駐米インド大使館スポークスマンは印パ国境地帯の軍隊増強を自制するようにとの米の要請を拒否。 |
DIA-302-1971-10-20-1 | インド | 1971年10月20日 | 1970年代 | インド外務省スポークスマンは,「もし世界かパキスタンに対して難民が安全に帰れる状態をつくるよう説得できなければ,インドは国家利益に伴う行動をとるだろう。インドはこれに必要ないかなる措置をとれる権利を留保している」と警告した。 |
DIA-302-1971-10-22-1 | インド | 1971年10月22日 | 1970年代 | ソ連外務次官N.フィリュービン,インド訪問。 |
DIA-302-1971-10-22-2 | インド | 1971年10月22日 | 1970年代 | 大統領令で,鉄道運賃,航空運賃,郵便料の引上げを決める。財政困難の打開と説明。 |
DIA-302-1971-10-22-3 | インド | 1971年10月22日 | 1970年代 | PTI通信は,インド政府はパキスタン国境の緊張のため予備役を召集したと伝えた。 |
DIA-302-1971-10-24-1 | インド | 1971年10月24日 | 1970年代 | ガンディー首相,欧米6カ国訪問に出発,ベルギー着。 |
DIA-302-1971-10-24-2 | インド | 1971年10月24日 | 1970年代 | 印パ東部で相互に砲撃,50~70名の死者がでたもよう。 |
DIA-302-1971-10-25-1 | インド | 1971年10月25日 | 1970年代 | トリプラでパキスタンと砲撃し,5人死亡。 |
DIA-302-1971-10-27-1 | インド | 1971年10月27日 | 1970年代 | ソ連のフィリュービン外務次官は会談を終え,共同コミュニケを発表。会談は印ソ条約第9条に基づくものであり,双方は情勢評価において完全に意見が一致したと述べている。 |
DIA-302-1971-10-27-2 | インド | 1971年10月27日 | 1970年代 | ガンディー首相は,中国の周恩来にメッセージを送り,中国の国連復帰を祝福。 |
DIA-302-1971-10-28-1 | インド | 1971年10月28日 | 1970年代 | スワラン・シン外相は,インドがパキスタンと紛争になった場合,ソ連に全面的支持を期待できると述べた。また,インドは政治的解決をパキスタンのワク内とは考えていないと語った。 |
DIA-302-1971-10-28-2 | インド | 1971年10月28日 | 1970年代 | ソ連空軍司令官,中将P.S.クターコフ,6日間の訪印のためニューデリー着。 |
DIA-302-1971-10-28-3 | インド | 1971年10月28日 | 1970年代 | パ放送は,パ政府軍が,「インド工作隊」の東パ侵入者を96人殺したと報じた。 |
DIA-302-1971-10-29-1 | インド | 1971年10月29日 | 1970年代 | UNI通信はカシミールと東部インドで砲撃戦があったと伝えた。 |
DIA-302-1971-10-29-2 | インド | 1971年10月29日 | 1970年代 | ガンディー首相,訪英。 |
DIA-302-1971-10-30-1 | インド | 1971年10月30日 | 1970年代 | トリプラで砲撃戦。 |
DIA-302-1971-11-01-1 | インド | 1971年11月01日 | 1970年代 | インド24時間砲撃-インド国防省によると、インド軍はパキスタン(以下、パ)軍の砲撃への報復として、10月31日夜から24時間にわたって東パを砲撃。 |
DIA-302-1971-11-01-2 | インド | 1971年11月01日 | 1970年代 | インドのトリプラ州、連邦政府直轄下に-インド政府は同州が連日パ軍の砲撃を受けているためとしている。 |
DIA-302-1971-11-01-3 | インド | 1971年11月01日 | 1970年代 | インド首相、英外相と会談-10月24日から諸国歴訪中のガンディー首相はパのヤヒア大統領とラーマン人民連盟(以下、AL)委員長の会談が行われるなら、その仲介の用意があると語った。 |
DIA-302-1971-11-01-4 | インド | 1971年11月01日 | 1970年代 | パ政府、国連調停を要請-パのマフムード・アリ国連代表団長がウ・タント国連事務総長との会談で要請。 |
DIA-302-1971-11-01-5 | インド | 1971年11月01日 | 1970年代 | (パ)ダッカの地方選挙管理委員会事務所が「解放軍」ゲリラの手で爆破され、1人死亡。 |
DIA-302-1971-11-01-6 | インド | 1971年11月01日 | 1970年代 | (パ)ムスリム連盟評議会派(CML)のダウルターナ委員長およびムスリム連盟カユーム派(QML)のカユーム委員長はヤヒア大統領と憲法問題を討議。 |
DIA-302-1971-11-02-1 | インド | 1971年11月02日 | 1970年代 | インド空軍機初出撃-インド政府によると、インド空軍機は2機編隊でパンジャーブ州に入ったパ空軍戦闘機4機を迎撃した。 |
DIA-302-1971-11-02-2 | インド | 1971年11月02日 | 1970年代 | (パ)ヌールル・アミーン、西パ訪問-ヌールル・アミーン・パ民主党(PDP)委員長の西パ訪問中に印パ戦争が勃発、同委員長はついに東パへは戻らなかったもよう。西パでは各地で演説をするとともに頻繁に諸政党指導者と会談、とくにヤヒア大統領とは11月末までに公式に4度会談(その後は不明)。 |
DIA-302-1971-11-03-1 | インド | 1971年11月03日 | 1970年代 | インド軍50万集結か-カラチの消息筋は、インドが東西パ国境に50万以上の軍隊を集結させており、海・空軍も「侵略戦争態勢」に入っていると語った(DPA、カラチ発)。 |
DIA-302-1971-11-03-2 | インド | 1971年11月03日 | 1970年代 | ソ連輸送機1機、ニューデリー到着-この1機は最近飛来した10機目のものといい、これにソ連が供給した軍事設備の部品が搭載されているという(ロイター、ニューデリー発)。 |
DIA-302-1971-11-03-3 | インド | 1971年11月03日 | 1970年代 | (イ)ナクサライト指導者A・チャテルジー逮捕。 |
DIA-302-1971-11-03-4 | インド | 1971年11月03日 | 1970年代 | (パ)12日間の諸国歴訪から帰国したブット・パ人民党(PPP)委員長は直ちにヤヒア大統領と会談。 |
DIA-302-1971-11-04-1 | インド | 1971年11月04日 | 1970年代 | インド、東部国境全域を外国人立ち入り禁止の「制限地域」とすると発表。 |
DIA-302-1971-11-04-2 | インド | 1971年11月04日 | 1970年代 | ガンディー・ニクソン会談-ニクソン米大統領は政治解決の実現を要請し、印・パ両国軍隊の国境からの撤退を提案したといわれる。 |
DIA-302-1971-11-05-1 | インド | 1971年11月05日 | 1970年代 | ガンディー・ニクソン会談-ガンディー首相はアメリカに対パ軍事援助の中止と紛争解決のためパに働きかけることを求めた。会談後の記者会見で首相は、「インド軍を撤退させる用意はない。東ベンガルの平和実現が先決である」と語った。 |
DIA-302-1971-11-05-2 | インド | 1971年11月05日 | 1970年代 | パ代表団、訪中(~8日)―ヤヒア大統領の特使ブットPPP委員長を団長とする15人編成(70年11月の大統領訪中以来、最大)で、出迎えは姫鵬飛外交部長代理等。一行は到着後ただちに同外交部長代理、周恩来首相、葉剣英中国共産党中央軍事委員会副主席らと会談。なお、代表団員はブット氏の他に、空軍総司令官A.ラヒーム・カーン中将、陸軍司令部参謀局長グル・ハッサン中将、海軍参謀総長ラシード・アハッマッド少将、スルタン・カーン外務次官、A・アハマッド・カーン外務省局長等。 |
DIA-302-1971-11-05-3 | インド | 1971年11月05日 | 1970年代 | (イ)ナガ反乱軍活発化-ナガランド・セマ首相は、ナガ反乱軍が徴税、徴兵活動を始めていると発表。 |
DIA-302-1971-11-06-1 | インド | 1971年11月06日 | 1970年代 | インド軍、戦車初出動か-パ政府発表によると、最近東パに侵入してきたインド軍軽騎兵大隊に戦車部隊が加わっており、ディナージプール付近で作戦活動を行っている。パ政府がインド戦車出動を発表したのはこれが初めて(AP、ダッカ発)。この日、西ベンガルナディア地区のメグナ、ゲデ、バーンプルでも新たな戦闘が行われた(AFP、ニューデリー発)。 |
DIA-302-1971-11-06-2 | インド | 1971年11月06日 | 1970年代 | ソ連、対インド武器供与か-6日付の「タイムズ紙」によれば、過去4日間に地対空ミサイル等を搭載していると思われるソ連輸送機が少なくとも12機、ニューデリーとボンベイに到着した(ニューデリー発)。 |
DIA-302-1971-11-06-3 | インド | 1971年11月06日 | 1970年代 | 中・パ会談続行-本日は以下の組み合わせで個別会談。周恩来・ブット、葉剣英・ラヒーム中将、姫鵬飛・カーン外務次官、彭紹輝人民解放軍副総参謀長・ハッサン中将。 |
DIA-302-1971-11-06-4 | インド | 1971年11月06日 | 1970年代 | (パ)ヌールル・アミーンPDP委員長、ヤヒア大統領と会談。この日、同委員長は記者会見で、右派6党は議会でも連合を継続すると述べた(パの項、10月19日参照)。 |
DIA-302-1971-11-07-1 | インド | 1971年11月07日 | 1970年代 | インド軍、進攻-インド軍筋は、10月30日と11月1日に、インド軍がトリプラ州から東パ領内に進攻したと発表。 |
DIA-302-1971-11-07-2 | インド | 1971年11月07日 | 1970年代 | ソ連、インドへ武器輸送-インド防衛関係者は、インドとソ連の輸送機がインド空軍のMIG-21、SU-7ジェット戦闘機の部品供給のため空輸作業中であると発表、地対空ミサイルが運ばれていることは否定した。 |
DIA-302-1971-11-07-3 | インド | 1971年11月07日 | 1970年代 | 姫鵬飛中国外交部長代理、パ代表団に歓迎昼食会-夜、ブット・パ団長が答礼晩餐会。昼食会ではブットが印・パ関係についてパの立場を説明し、一方、姫鵬飛は次のように述べた。1.中・パ関係は平和5原則に立っている、2.インド政府は東パ問題を利用してパ内政に乱暴に干渉し、パに対する転覆活動と軍事威嚇を行っている、3.中国と中国人民は、これまでずっと、国家間の紛争は双方の話合いによって解決されるべきであると主張してきた。最近、ヤヒア大統領の出した印・パ両軍の国境からの撤退案は歓迎さるべきだ、4.パが外部の侵略を受ければ、中国政府と中国人民はパ政府と人民の正義の闘争を断固支持する。 |
DIA-302-1971-11-07-4 | インド | 1971年11月07日 | 1970年代 | (イ)CPI・ML党中央委員会、チャル・マズムダール書記長を除名。 |
DIA-302-1971-11-08-1 | インド | 1971年11月08日 | 1970年代 | ガンディー首相、フランスのポンピドー大統領、シャバンデルマス首相と会談。 |
DIA-302-1971-11-08-2 | インド | 1971年11月08日 | 1970年代 | 米、対パ武器輸出停止-米政府は360万ドル相当の対パ武器輸出許可を全面的に撤回した。9日、米国務省スポークスマンは、「この措置に関してはすでにパ政府との間に話はついていたのであり、インドの要求によるものではない」と語った。 |
DIA-302-1971-11-08-3 | インド | 1971年11月08日 | 1970年代 | 訪中のパ代表団帰国-新華社電の伝えるところでは、ブッド大統領特使と周恩来首相との会談は双方ともに満足すべき成果を挙げ、さらに両国の友好関係を深めた。ラーワルピンディに帰着したブットは、早速ヤヒア大統領と会談した。 |
DIA-302-1971-11-08-4 | インド | 1971年11月08日 | 1970年代 | ヤヒア大統領、アメリカのCBS放送局員と会見-席上、要旨次のように述べた。1.中国は、インドがもしパを攻撃すれば、パを援助するであろう、2.ムジブル・ラーマンの処遇は、法廷の決定に従うことになるであろう。しかし、まもなく完了しようし、裁判記録が公表されるだろう、3.すでに、民政移管への準備はすべて終了した。 |
DIA-302-1971-11-08-5 | インド | 1971年11月08日 | 1970年代 | (パ)東パ「解放軍」ゲリラ、ダッカ近郊ナラヤンガンジ発電所を爆破(9日にも)、さらに、平和委員会委員12名を暗殺。 |
DIA-302-1971-11-09-1 | インド | 1971年11月09日 | 1970年代 | コミラ南方で交戦-パ放送は、2週間に及ぶ国境での紛争でインド軍が初めて「インド側工作兵(”バングラデシュ解放軍”をさす)」を伴わずにパ領内に侵入したと発表。侵入したのはインド正規軍2個中隊でコミラ南方でパ軍と交戦した(AFP、カラチ発)。この日また、東パ市民軍(パの項、4月27日参照)とラザカール部隊(同、7月21日参照)はコミラ、バリサル、マイメンシンでインドと特務兵の秘密基地を攻撃、これを占拠したという(パ・オブザーバー紙、ダッカ発)。一方、インド情報では、「解放軍」はクステイア地区800平方キロ余りの地域を制圧、メヘルプールのパ軍国境基地17ヵ所を占拠したという(PTI、ニューデリー発)。 |
DIA-302-1971-11-09-2 | インド | 1971年11月09日 | 1970年代 | ソ連、印・パ関係について-ソ連共産党機関紙”プラウダ”は論説で印・パ両国に対し、インド亜大陸の平和的発展のための努力を要請するとともに、「難民が安全に帰国できるようにするのはパ政府の義務であった」とし、インドが難民に示した「偉大なる人道主義」を讃え、また、「印・パ両軍対決をおしつけている」と暗に中国を非難、さらに、「パには問題をインドのせいにして印・パ両国の対立をあおる短気者や過激なものがいる」としている。 |
DIA-302-1971-11-09-3 | インド | 1971年11月09日 | 1970年代 | 印・仏首相会談-フランスは、「対パ武器供与はしない、東ベンガル問題は住民の意思に従って政治的に解決されるべきである」と述べた。一方、ガンディー首相は、記者会見で、「独立バングラデシュは不可避であり、適当な時期に承認する」と語った。 |
DIA-302-1971-11-09-4 | インド | 1971年11月09日 | 1970年代 | (パ)ブットPPP委員長、ヤヒア大統領と会談-記者会見で、「東パ問題などを語り合った」と述べ、さらに、「われわれはインドのように諸大国に対して恐喝はしてはならず、自制すべきだ」と語った。 |
DIA-302-1971-11-10-1 | インド | 1971年11月10日 | 1970年代 | ノアカリ等で交戦-パ放送によれば、戦車、野砲の援護を受けたインド軍2個大隊と「インドの手先」1個大隊が、ノアカリ県ベロニアを攻撃し、パ軍が応戦、インド軍兵士74名が戦死、130名が負傷した。インド軍部隊はシク連隊に所属する部隊である。同放送はこの日のインド軍大攻撃は、インドの攻撃開始以来最大であったと伝えた。また、この日、シレット、ディナージプール、ラージシャヒ等でも交戦があった(AFP、ダッカ発)。 |
DIA-302-1971-11-10-2 | インド | 1971年11月10日 | 1970年代 | ソ連軍事物資、インドに-米情報筋によると、航空機8機を含む5,000トン以上のソ連軍事物資が月末までに3隻のソ連船によってインドに到着する(ワシントン・ポスト紙、ワシントン発)。 |
DIA-302-1971-11-10-3 | インド | 1971年11月10日 | 1970年代 | ガンディー首相、西独でブラント首相と会談-さらに11日に会談を行い、「西ドイツ政府は政府声明で、東ベンガルの政治解決は、現在の紛争状態を解決し、最終的には難民の本国帰還を可能にする方向へ探るべきである」と述べた。 |
DIA-302-1971-11-10-4 | インド | 1971年11月10日 | 1970年代 | パ外務次官、諸国歴訪(~24日)―スルタン・カーン外務次官はこの間、国連、米国、カナダ、フランス、西ドイツを訪問、パの立場を訴えた。 |
DIA-302-1971-11-10-5 | インド | 1971年11月10日 | 1970年代 | (パ)ブット各地で演説-ブットPPP委員長はカラチからラホール経由でペシャーワルへ汽車で赴き、各駅で演説、以下のように語った。1.西パを代表できるのはPPPだけだ、2.協議中の右派諸党連合などいんちきもはなはだしい、3.ヤヒア大統領は絶対12月27日までに権力を選挙で選ばれた国民に委譲すると私に約束した、4.大統領が私に中国へ行くよう要請したのは正しかった、5.われわれはヒンドゥー教徒とは過去千年間も戦ってきたし、将来の千年間も彼らと戦う覚悟である、6.戦争となれば正式な条約はなくとも共に戦ってくれる友人はパにもある。 |
DIA-302-1971-11-11-1 | インド | 1971年11月11日 | 1970年代 | (パ)ブット暗殺未遂-ラホールで歯医者に行こうとしたブットPPP委員は、「ブットを殺せ」と叫ぶ群衆にとりまかれたが、護衛に守られてやっと病院に入った。外ではピストルが聞こえた。一味は狂信的極右回教政党ジャマーテ・イスラーム(JI)党員といわれるが、JIはそれを否定。 |
DIA-302-1971-11-12-1 | インド | 1971年11月12日 | 1970年代 | 西ベンガルで印・パ交戦-インド政府は、西ベンガル州シカルプールでパ軍4個大隊2,800人がインド国境警備拠点を攻撃、パ兵135人が死亡し、一方、西パとの国境ではパ空軍機3機がインド側カシミールの領空を侵犯、これを対空砲火で迎撃したと発表(ロイター、ニューデリー発)。 |
DIA-302-1971-11-12-2 | インド | 1971年11月12日 | 1970年代 | 米国、戦争を憂慮-ロジャース米国務長官はジャーナリストの会議で演説、「印・パ戦争が近く勃発する危険は強く、米政府は両国に自制を訴え続けている。戦争になれば、わが国はできるだけそれから離れるようにする。また別の戦争に手をそめる気はない」と語った。 |
DIA-302-1971-11-12-3 | インド | 1971年11月12日 | 1970年代 | (パ)ブットPPP委員長、連立政権構想を否定-同委員長はカラチで演説、「民政移管の時にはPPPだけの政権をつくり、虫食いだらけの諸政党とは連立しない」などと述べた。 |
DIA-302-1971-11-13-1 | インド | 1971年11月13日 | 1970年代 | クスティアで交戦-パ軍はクスティア県のダムルフダ付近でインド軍と交戦、インド正規軍兵士6人を捕虜にした。インド正規軍捕虜の報道は初めて(ドーン紙)。 |
DIA-302-1971-11-13-2 | インド | 1971年11月13日 | 1970年代 | デリー放送によると、インドは現在、発射火薬、弾道弾の製造を進めている。70年の兵器工場生産高は計120億ルピーで、銃や機関銃の製造が完成しつつあり、ミサイル用の設備も一部生産されたという。 |
DIA-302-1971-11-13-3 | インド | 1971年11月13日 | 1970年代 | ガンディー首相帰国-記者会見で、「今回の欧米訪問には全体として満足している。各国首脳への説得がどれだけ効果があるかわからないが各首脳は最善を尽くしてくれると思う。現在の緊張激化は耐え難いものである」と述べた。 |
DIA-302-1971-11-13-4 | インド | 1971年11月13日 | 1970年代 | 米、「バングラデシュ」と折衝工作-インド権威筋によれば、米国は秘密裡にパ政府だけでなく「バングラデシュ」指導部とも、カルカッタ、東パ、第3国などで折衝工作をしていたが、「バングラデシュ」側に拒絶されたという(ワシントン・ポスト紙、ニューデリー紙)。 |
DIA-302-1971-11-13-5 | インド | 1971年11月13日 | 1970年代 | (パ)西パ訪問中のヌールル・アミーンPDP委員長は、首相には東パ人がなるべきだと要求。 |
DIA-302-1971-11-14-1 | インド | 1971年11月14日 | 1970年代 | クスティアで交戦-パ放送によると、インド第4山岳師団の1個大隊がクスティアに侵入、パ軍と交戦して6人の死者を出し、パ軍は4人の戦死者を出した。パ側が自国軍の戦死者を報じたのは初めて(ロイター、カラチ発)。 |
DIA-302-1971-11-14-2 | インド | 1971年11月14日 | 1970年代 | (パ)ブット、大統領に西パ人を要求-ブットPPP委員長はスィンド州のタッタでの大衆集会で、「東パ人が首相になってもかまわないが、その際、大統領は西パ人がなるべきだ」と要求した。 |
DIA-302-1971-11-15-1 | インド | 1971年11月15日 | 1970年代 | (イ)国会開会。 |
DIA-302-1971-11-16-1 | インド | 1971年11月16日 | 1970年代 | ガンディー首相は、国民会議派執行委員会で、「対パ戦争は切迫しており、不可避だと考えるべきである。バングラデシュ問題は2ヶ月以内に決着がつくだろう」と語った。 |
DIA-302-1971-11-16-2 | インド | 1971年11月16日 | 1970年代 | インド、国連調停案否定-ガンディー首相はウ・タント国連総長の調停提案を拒否し、東パ内戦終結に全力を注ぐよう要請した。 |
DIA-302-1971-11-16-3 | インド | 1971年11月16日 | 1970年代 | 米、調停について-米国務相スポークスマンは記者会見で、「米国は適当と思われる時に印・パ緊張緩和のために建設的役割を果たすだろう。それは非公式にやるのが一番よいと思う。ただ、米政府は解決のための具体案を提案しようとしているのではない」と語った。 |
DIA-302-1971-11-16-4 | インド | 1971年11月16日 | 1970年代 | (パ)7政党、統一戦線-すでに選挙連合を結成した6政党(10月19日参照)にパ・ウラマー党(JUP)が加わった形で右派7党の統一戦線がラホールで発足。名称は「統一連立党(United Coalition Party, UCP)」で、代表はヌールル・アーミンPDP委員長。 |
DIA-302-1971-11-17-1 | インド | 1971年11月17日 | 1970年代 | (パ)ゲリラ対策のためダッカに夜間外出禁止令。 |
DIA-302-1971-11-17-2 | インド | 1971年11月17日 | 1970年代 | (パ)ブット、UDPを非難-ブットPPP委員長はカラチで演説、「UCPは反動分子で作った雑炊だ。そんなものが政府をつくったりすれば革命を行う」などと語った。これに対し、ヌールル・アミーンPDP委員長兼UCP代表は、「ブット氏は力で権力を手に入れる気か」などと激しく反論。 |
DIA-302-1971-11-18-1 | インド | 1971年11月18日 | 1970年代 | 印・パ両高等弁務官府職員引き揚げを開始。 |
DIA-302-1971-11-18-2 | インド | 1971年11月18日 | 1970年代 | インド、対中国接近の構え-スワラン・シン外相は下院で、「北京、ニューデリーの中・印代理大使は近く大使級に格上げされよう。また、中国の広州交易会に参加し、中国を72年のニューデリー見本市に招待する」と語った。 |
DIA-302-1971-11-18-3 | インド | 1971年11月18日 | 1970年代 | (パ)東パに初めて女性警察軍創設。 |
DIA-302-1971-11-19-1 | インド | 1971年11月19日 | 1970年代 | ヤヒア大統領、回教徒のイード祭(20日)をひかえ、「善隣外交の新時代を開こう」とインドに和解を呼びかけ。 |
DIA-302-1971-11-19-2 | インド | 1971年11月19日 | 1970年代 | 難民用に約6億ドルの見込み-オール・インディア放送によれば、インドの今会計年度(72年3月終了)内に東パ難民用出費は52億5000万インド・ルピー(約6億1000万ドル)となる見込みという。また、これまで難民用にインドによせられた外国援助は物資も含めて5億~5億5000万ルピーという。さらに、現在までの難民数は970万人と発表された。 |
DIA-302-1971-11-19-3 | インド | 1971年11月19日 | 1970年代 | 中国、インドを間接非難-国連第3委員会で符浩中国代表は、「インド亜大陸の紛争と東パ難民問題はパに対する他国の内政干渉の結果だ」と語った。 |
DIA-302-1971-11-19-4 | インド | 1971年11月19日 | 1970年代 | インド、台湾人旅行者にビザ発行停止。 |
DIA-302-1971-11-19-5 | インド | 1971年11月19日 | 1970年代 | (パ)UCP、政府組織の用意-ヌールル・アミーンUCP代表はラーワルピンディでヤヒア大統領と会談。記者会見で、「UCPはPPP抜きでも政府を組織する用意がある」と語った。 |
DIA-302-1971-11-21-1 | インド | 1971年11月21日 | 1970年代 | ジェソールで交戦-パ放送によると、インド正規軍2個旅団が戦車部隊1個連隊の支援を受けてパ軍と激戦、インド軍は死者90人、負傷者160人を出したという。同放送はこの日のインド軍侵入は今までで最も重大だとしている(AFP、カラチ発)。また、この日、パ軍はアッサム州カリムガンジを砲撃したという(AFP、ニューデリー発)。 |
DIA-302-1971-11-22-1 | インド | 1971年11月22日 | 1970年代 | 初の空中戦-インド国防省によると、パ空軍機4機がカルカッタ東北104キロのボイラ付近でインド領空を侵犯、インド機が3機を撃墜した(AP、ニューデリー発)。また、パ筋によると、この日インドは宣戦布告のないまま東パに攻撃を開始、とくにジェソール空港に激しい砲撃を加えたが、パ軍はインド軍戦車十数両を破壊、死者数百万の被害を与えた。この件につき、パのアガ・シャーヒ駐国連大使はウ・タント国連事務総長に「インドの侵入」として通告、インドのセン駐国連大使は「それは東ベンガル解放軍とパ軍との衝突だ」と反論した。 |
DIA-302-1971-11-22-2 | インド | 1971年11月22日 | 1970年代 | パ国際空港(PIA)は東パ国内便をすべて停止。 |
DIA-302-1971-11-22-3 | インド | 1971年11月22日 | 1970年代 | 国連総会第3委員会、印パ両国に自軍の自制を要望する決議案を採択。 |
DIA-302-1971-11-23-1 | インド | 1971年11月23日 | 1970年代 | パに非常事態宣言-インドのPTI通信によると、東パ「解放軍」は要衝サトキラに駐留するパ軍への補給路を断つためジェソール空軍を砲撃、大砲・迫撃砲の支援の下にジェソールに進撃中。一方、パ放送によると、インド正規軍はカルカッタ近くの国境地帯で東パの村2つを占拠するとともに、東部ではトリプラを超えてコミラ付近に戦線拡大のため7個師団で攻撃中、パ軍はこれに応戦、1個大隊をせん滅したという。この日午後、ヤヒア大統領は65年の印・パ戦争以来はじめてパ全土に非常事態宣言を行った。 |
DIA-302-1971-11-23-2 | インド | 1971年11月23日 | 1970年代 | ヤヒア大統領、国連事務総長および各国元首にメッセージ-インド亜大陸の紛争はインドがひきおこしていると訴えた。 |
DIA-302-1971-11-23-3 | インド | 1971年11月23日 | 1970年代 | ブット、記者会見-ブットPPP委員長はラホールで記者会見、「わが国はインドによる侵略をいますぐ国連安保理に提訴すべきではない。しかし、提訴する時には、わが国を代表して国連に赴き得るのは私をおいて他にはない」と言明した。 |
DIA-302-1971-11-23-4 | インド | 1971年11月23日 | 1970年代 | ヒース英首相、親書でヤヒア大統領に自制を要請(AFP、ロンドン発)。 |
DIA-302-1971-11-23-5 | インド | 1971年11月23日 | 1970年代 | 英国、事態を憂慮-米国務省スポークスマンは、米政府は事態の平和的解決のため印・パ両政府およびソ連政府との接触を強化していると明らかにしたが、中国政府との接触は否定した。 |
DIA-302-1971-11-24-1 | インド | 1971年11月24日 | 1970年代 | 戦闘激化-パ政府スポークスマンは次のように語った。「本日、チッタゴン、シレット、ジェソール等の地域で激戦が行われ、シレットでは23日にインドに占領されたチャンドプール国境陣地を奪回した。インドは現在、国境警備隊36個大隊と歩兵10個師団を展開しており、とくにジェソール地域では大規模な終結がみられる。現在、170平方キロのパ領土が占領されているが、戦闘は継続中であり、パ軍はインド軍の進撃を阻止している。パは戦闘停止のための諸外国のいかなる働きかけも歓迎する」 |
DIA-302-1971-11-24-2 | インド | 1971年11月24日 | 1970年代 | ダッカに外出禁止令(4時間)-さらに本日から1週間、毎日1時間の灯火管制訓練。 |
DIA-302-1971-11-24-3 | インド | 1971年11月24日 | 1970年代 | ガンディー首相、国会演説-「パが侵略的行動を強めない限り、インドは非常事態宣言を出すつもりはない」と発言。また、21日、インド軍戦車が東パキスタンに進攻しパキスタン戦車隊と交戦、パキスタン軍戦車13台を破壊したことを認め、「インド軍は自衛のためを除いて国境を越えないよう指令をうけている」と語った。 |
DIA-302-1971-11-24-4 | インド | 1971年11月24日 | 1970年代 | インド政府声明-「インドとバングラデシュ国境にそってパ軍の挑発活動と侵略的動きが認められ、インド軍はこれに対し防衛手段をとらなければならない。陸軍はすでに国境に移動し、空軍は侵略に備えて空軍基地に待機している」 |
DIA-302-1971-11-24-5 | インド | 1971年11月24日 | 1970年代 | インド政府は、インド軍が自衛のためにパ領内へ進攻することを認めると発表。 |
DIA-302-1971-11-24-6 | インド | 1971年11月24日 | 1970年代 | 米、自制を要請-ロジャーズ米国務長官は駐米パ大使とインド代理大使を別々に招き、両国に軍の撤退を要請。 |
DIA-302-1971-11-24-7 | インド | 1971年11月24日 | 1970年代 | 周恩来首相、北京駐在パ大使と会談-同首相は先日のブットPPP委員長との会談で印・パ問題について表明した中国の立場を再確認。 |
DIA-302-1971-11-24-8 | インド | 1971年11月24日 | 1970年代 | 中国援助のタクスィーラ重機械工場竣工式-式典にはパ側はヤヒア大統領、M.M.アハマッド大統領経済顧問、スルタン・カーン外務次官等が、中国側は張駐パ大使、23日に北京から赴いた李水清第1機会工業部長以下12名の代表団が出席。 |
DIA-302-1971-11-25-1 | インド | 1971年11月25日 | 1970年代 | 西部国境情勢-インド軍事筋によると、インド軍は西パとの国境地帯に歩兵8個師団、機甲2個旅団、空挺1個旅団の計25万人を集結しているという。また、インド軍最精鋭機甲師団はアムリッツァルに、パ軍機甲師団はラーワルピンディ、機甲旅団はラホールに集結しているという。さらに、インド軍のソ連製地対空ミサイルSAM2型50基のほとんどがパンジャーブ州を中心に配備され、ソ連製のミグ21型戦闘機180機、SU型戦闘爆撃機のほとんどが西部国境に配備されているという(共同、ニューデリー発)。 |
DIA-302-1971-11-25-2 | インド | 1971年11月25日 | 1970年代 | 「バングラデシュ」首脳、インド政府の招請でニューデリーへ-サイエッド・ノズルル・イスラーム「大統領代行」、タージュウッディン・アーメッド「首相」等。 |
DIA-302-1971-11-25-3 | インド | 1971年11月25日 | 1970年代 | ニクソン米大統領、印・パ問題等でヒース英首相に国際電話。 |
DIA-302-1971-11-25-4 | インド | 1971年11月25日 | 1970年代 | (イ)パンジャーブ州大統領統治、1972年2月5日からさらに半年間延長。 |
DIA-302-1971-11-26-1 | インド | 1971年11月26日 | 1970年代 | インド、海上封鎖か-パのPPI通信によると、インド海軍は東パのチャルナ港への水路を封鎖した(AFP、カラチ発)。 |
DIA-302-1971-11-26-10 | インド | 1971年11月26日 | 1970年代 | (パ)ヤヒア大統領、NAP(パシャニー派、ワーリ・カン派、パクトゥーン派)を禁止。 |
DIA-302-1971-11-26-2 | インド | 1971年11月26日 | 1970年代 | インド軍、ヒリに進攻-インド国防省発表によるとインド軍は東パのヒリ攻撃を開始。 |
DIA-302-1971-11-26-3 | インド | 1971年11月26日 | 1970年代 | ソ連、パに警告-オール・インディア放送によると、ソ連はヤヒア大統領に覚書を送り、戦争拡大をやめて東パ問題の政治解決を図るよう警告した(UPI、ニューデリー発)。 |
DIA-302-1971-11-26-4 | インド | 1971年11月26日 | 1970年代 | 東欧の兵器も-ニューデリーの消息筋によると、この1~2週間、大量の東欧製兵器がインドに送り込まれている。この中にはチェコ製戦車、装甲兵員輸送車等が含まれているという(ロイター、ニューデリー発)。 |
DIA-302-1971-11-26-5 | インド | 1971年11月26日 | 1970年代 | 米国、印・パ問題でソ連に憂慮表明-米国務省スポークスマン発表。 |
DIA-302-1971-11-26-6 | インド | 1971年11月26日 | 1970年代 | インド、対中国接近を希望-スワラン・シン外相は上院で、「インドは北京に外交使節団を派遣して東ベンガル危機についての見解を中国に伝えることを考慮している」と明らかにした。 |
DIA-302-1971-11-26-7 | インド | 1971年11月26日 | 1970年代 | 中国、国連でパ支持-喬冠華中国国連代表団長は国連演説で「インドは印・ソ条約を背景にパに侵入している」と激しく非難、パ支持を強く表明。 |
DIA-302-1971-11-26-8 | インド | 1971年11月26日 | 1970年代 | 中国、対パ戦車空輸か-英国の26日付”デーリー・エクスプレス紙”は、ラーワルピンディ特派員報告として、中国の対パ軍事援助が増加されつつあり、戦車が新疆から空輸されていると報じた。 |
DIA-302-1971-11-26-9 | インド | 1971年11月26日 | 1970年代 | (イ)西ベンガル州、アリボール刑務所暴動-ナクサライト囚人による暴動が発生し、囚人6人が死亡、看視人30人を含む172人が負傷した。昨年11月以降、同様の事件で西ベンガル州でナクサライト囚人47人が死亡している。 |
DIA-302-1971-11-27-1 | インド | 1971年11月27日 | 1970年代 | インド、進撃-インド国防省は、「インド軍は、パ軍の侵入を阻止する自衛措置として東パへ越境、進撃した。これは今週3回目の越境である」と発表。 |
DIA-302-1971-11-27-2 | インド | 1971年11月27日 | 1970年代 | ガンディー書簡-ガンディー首相はヤア・カーン大統領に書簡を送り、ラーマンAL委員長の釈放と政治解決のための話合いを行うよう求めた。 |
DIA-302-1971-11-27-3 | インド | 1971年11月27日 | 1970年代 | ニクソン米大統領、メッセージ-同大統領はガンディー首相、ヤヒア大統領、およびコスイギン・ソ連首相にメッセージを送付、印・パ全面戦争阻止のための努力を要請した。 |
DIA-302-1971-11-28-1 | インド | 1971年11月28日 | 1970年代 | ヤヒア大統領、国連監視団の東パ国境への派遣を要請。 |
DIA-302-1971-11-28-2 | インド | 1971年11月28日 | 1970年代 | (パ)「解放軍」ゲリラ5万人以上-これはパ軍スポークスマンが初めて認めたもの。 |
DIA-302-1971-11-29-1 | インド | 1971年11月29日 | 1970年代 | ジバンナガル陥落-パ政府は、ジェソール地域の要衝ジバンナガルは8日間の戦闘ののちインド軍の手に落ちたと発表。インド軍はチョウガチャ方面から攻撃を加えていた。一方、ヒリでは戦闘続行中。 |
DIA-302-1971-11-29-2 | インド | 1971年11月29日 | 1970年代 | 中国機、ギルギットに-インド軍筋によると、最近、西パ北方のギルギット軍用飛行場に中国空軍機複数が到着したという(共同、ニューデリー発)。 |
DIA-302-1971-11-29-3 | インド | 1971年11月29日 | 1970年代 | 中国、ソ連非難-李先念中国副首相はアルバニア解放祝賀会で、ソ連の対インド武器供与を激しく非難。 |
DIA-302-1971-11-29-4 | インド | 1971年11月29日 | 1970年代 | (イ)西ベンガル州大統領統治、1972年1月26日より6カ月間延長。 |
DIA-302-1971-11-30-1 | インド | 1971年11月30日 | 1970年代 | ガンディー首相下院演説-「来月はわれわれにとってもバングラデシュ人民にとっても非常に苦しい時期となろう、問題を国連に持込むことは情況を複雑化させるものである。パ軍がバングラデシュからまず撤退するならばインド軍撤退に反対しない」 |
DIA-302-1971-11-30-2 | インド | 1971年11月30日 | 1970年代 | 難民600万人-これまでパ政府は難民は200万人としていたが、政府スポークスマンは記者会見で、「難民が200万、400万、あるいは600万であっても、帰国希望者は全員受入れる用意がある」と語った。 |
DIA-302-1971-11-30-3 | インド | 1971年11月30日 | 1970年代 | 国境立入り禁止-パ政府は、西パ北部の中国との国境地帯に外国人が立入ることを禁じた。 |
DIA-302-1971-11-30-4 | インド | 1971年11月30日 | 1970年代 | インド政府、NAP(バシャニー派)事務所、手入れ-カルカッタのNAP民族解放闘争共闘委事務所にインド警察隊が捜索のため立入り、居た人々に出頭を命じた。 |
DIA-302-1971-11-30-5 | インド | 1971年11月30日 | 1970年代 | (パ)ヤヒア大統領、ヌールル・アミーンPDP委員長兼UCP代表およびブットPPP委員長と会談-夕刻、カユームQML委員長とも会談。 |
DIA-302-1971-11-30-6 | インド | 1971年11月30日 | 1970年代 | (パ)政府は国会を予定通り12月27日にイスラーマバードで開くと発表。 |
DIA-302-1971-12-01-1 | インド | 1971年12月01日 | 1970年代 | インド政府、ヒリの町を一部占領していると発表-また、インド歩兵部隊はジェソールへあと6キロに迫っている(AP、ジェソール発)。 |
DIA-302-1971-12-01-2 | インド | 1971年12月01日 | 1970年代 | 米、対インド武器供与停止-米国務省、インドに対する武器、弾薬など軍事物資の新規輸出許可はしないと発表。 |
DIA-302-1971-12-01-3 | インド | 1971年12月01日 | 1970年代 | ガンディー、ニクソンに書簡-消息筋は、ガンディー首相がニクソン米大統領に対し、印パ危機に対するインドの立場を要約した「丁重ながら断固たる」書簡を送ったと言明(タイムズ・オブ・インディア紙)。 |
DIA-302-1971-12-01-4 | インド | 1971年12月01日 | 1970年代 | 中国、印・ソ両国を非難-北京放送はインドと「その背後の」ソ連を非難、いかなる威嚇もパ政府と人民をおどすことはできないと述べた。 |
DIA-302-1971-12-02-1 | インド | 1971年12月02日 | 1970年代 | 各地で激戦-パ放送によれば、インド陸・空軍が東パの戦線に大規模攻撃。パ軍筋によればジェソール、デイナージプール、シレット、コミラ、チッタゴン丘陵地帯などで激戦中。また、インド政府によれば、パ空軍が初の空爆、アガルタラ空港などを攻撃した。 |
DIA-302-1971-12-02-2 | インド | 1971年12月02日 | 1970年代 | ガンディー、演説-ガンディー首相は国民会議派の集会で、「インドは諸大国に左右されず国益を追求する」と延べ、さらに、「印・パ両国軍の引離しはまずパ側から行うべきだ」とした。 |
DIA-302-1971-12-02-3 | インド | 1971年12月02日 | 1970年代 | ソ連、中国非難-モスクワ放送は、対パ武器援助を強化した中国はインド亜大陸情勢を険悪化させていると非難。 |
DIA-302-1971-12-02-4 | インド | 1971年12月02日 | 1970年代 | (パ)チッタゴン市内各所で、早朝、爆弾が爆発、これにより、変電所5カ所、石油タンク2基などが爆破された。 |
DIA-302-1971-12-02-5 | インド | 1971年12月02日 | 1970年代 | (イ)K.C.パント内務閣外相は、今年の8月1日から10月31日までに、ナクサライトにより、アンドラ、ビハール、パンジャーブ、西ベンガル州で196人殺害されたと発表。 |
DIA-302-1971-12-02-6 | インド | 1971年12月02日 | 1970年代 | (イ)連邦下院で、藩王の内帑金と特権廃止を目的とする憲法改正案(26次)が381対6で通過。 |
DIA-302-1971-12-03-1 | インド | 1971年12月03日 | 1970年代 | 全面戦争突入-インド空軍当局によると、午後5時半、パ空軍機が西部国境のアムリッツァル、アグラなど10カ所のインド空軍基地を奇襲。パ放送は、インド軍が西パ国境全域にわたってパ軍前線基地を攻撃したと発表。東部国境では、インド筋によれば「バングラデシュ解放軍」が東パ補給基地タクールガオンを占領。ガンディー・インド首相は国家非常事態宣言を発令、ヤヒア・パ大統領は国家総動員令を発令し、60歳以下の元軍人男子などの動員を指令。かくて、東部戦線ではインド攻勢、西部戦線ではパ攻勢のうちに全面戦争に突入。 |
DIA-302-1971-12-03-2 | インド | 1971年12月03日 | 1970年代 | 中国、インド非難-北京放送は、「インド政府は社会帝国主義の支持とはげましのもとに、バングラデシュをつくり、パキスタンを分裂させようとしており、チベット難民問題と同じである」と非難。 |
DIA-302-1971-12-04-1 | インド | 1971年12月04日 | 1970年代 | 東パ制空権インドへ-この日、早くもインド空軍が東パ制空権を掌握したもようだが、まだ各地で空中戦が続いている。また、ラム・インド国防省は、東パ全港湾を海上封鎖し、陸軍はカチャル地区シャムシェルナガールに入ったと発表。西部戦線では、パ陸軍がインド領カシミールのチャンプ地区に進撃、デワ町を占領したといい、一方、インド空軍は夜から5日早朝にかけてカラチを空襲。さらに、カラチ沖合で海戦、インド海軍はパ海軍の駆逐艦カイバル号など4隻を撃沈・撃破したという。インド海軍はインド洋でパ商船の拿捕も行い、第3国船の臨検も開始。 |
DIA-302-1971-12-04-2 | インド | 1971年12月04日 | 1970年代 | タクールガオン占領はインド軍-オール・インディア放送は、インド軍がタクールガオンを占領したと発表。 |
DIA-302-1971-12-04-3 | インド | 1971年12月04日 | 1970年代 | パ、宣戦布告-ガンディー首相は「パから宣戦布告を受けた」と発表。 |
DIA-302-1971-12-04-4 | インド | 1971年12月04日 | 1970年代 | インド防衛法承認-両院、緊急事態宣言を全会一致で承認、また、政府に非常大権を与えるインド防衛法(Defence of India Bill)を承認。 |
DIA-302-1971-12-04-5 | インド | 1971年12月04日 | 1970年代 | ヤヒア大統領、特別放送-「インドとの戦いは、最大にして最後のものとなるであろう」などと述べた。 |
DIA-302-1971-12-04-6 | インド | 1971年12月04日 | 1970年代 | 印パ軍事衝突に関して、国連緊急安保理が開かれた。 |
DIA-302-1971-12-04-7 | インド | 1971年12月04日 | 1970年代 | (イ)グジャラート州とパンジャーブ州の大統領統治を6ヶ月延長することが下院で承認される。 |
DIA-302-1971-12-05-1 | インド | 1971年12月05日 | 1970年代 | 東パ制海権、インドへ-インド筋によれば、インド空軍は東パ制空権を確保、陸軍はアコウラを占領、海軍はベンガル湾のほぼ全域で制海権を確立。西部戦線では、カラチ沖合で海戦、インド海軍によるカラチ湾砲撃が伝えられた。 |
DIA-302-1971-12-05-2 | インド | 1971年12月05日 | 1970年代 | ソ連、パ非難-タス通信は、印・パ紛争について声明を発表し、問題の唯一の解決策は、東パ弾圧政策の中止、ラーマンの釈放、東パ住民の希望にこたえる解決をめざした会談の即時再開であると述べた。 |
DIA-302-1971-12-05-3 | インド | 1971年12月05日 | 1970年代 | ソ連、拒否権-国連安保理で、即時停戦と両軍の撤退を盛り込んだ米国提案に対し、ソ連が拒否権を発動。 |
DIA-302-1971-12-06-1 | インド | 1971年12月06日 | 1970年代 | パ軍、東パで劣勢-東パ州知事軍事顧問R.F.アリ少将は東パでの劣勢を認めると発言(ロイター、ダッカ発)。この日、インド軍はフェニ、シレット、コミラ3地区で広範な地域を占領(ロイター、ニューデリー発)。西部戦線では、パ空軍はボンベイ市街とカッチ地区のインド海軍ミサイル基地を空襲。 |
DIA-302-1971-12-06-2 | インド | 1971年12月06日 | 1970年代 | インド、「バングラデシュ」承認、パはインドと断交-ガンディー首相、両院総会で「バングラデシュ」の承認を発表。これに対し、パ政府はインドとの断交を宣言(47年印・パ独立以来はじめて)。インド政府はパとの断交の意向はないと発表。 |
DIA-302-1971-12-06-3 | インド | 1971年12月06日 | 1970年代 | 米、対インド援助停止-米国務省スポークスマンは、対印経済援助のうち8760万ドル(一般経済援助)の停止を発表。米国の対印経済援助は、一般経済援助、開発計画援助、技術援助、余剰農作物援助など約2億5000万ドル、および国際借款団を通じての約2億ドルの合計4億5000万ドルからなりたっている。 |
DIA-302-1971-12-06-4 | インド | 1971年12月06日 | 1970年代 | 中国、インド非難-人民日報は、「でたらめきわまる論理、あからさまな、おおっぴらな侵略」と題する評論文を発表、インドのパに対する「侵略行為」を激しく非難し、「バングラデシュ」はかつての「満州国の再版」にすぎないとしている。 |
DIA-302-1971-12-06-5 | インド | 1971年12月06日 | 1970年代 | 国連安保理で、印パ問題が国連総会に移されることが決まる。 |
DIA-302-1971-12-07-1 | インド | 1971年12月07日 | 1970年代 | パに降伏勧告-インド軍参謀総長マネクショー大将はパ軍に降伏を勧告。 |
DIA-302-1971-12-07-2 | インド | 1971年12月07日 | 1970年代 | ブータン、「バングラデシュ」承認。 |
DIA-302-1971-12-07-3 | インド | 1971年12月07日 | 1970年代 | ブレジネフ発言-ブレジネフ・ソ連共産党書記長はワルシャワで、「ソ連は断固として流血の停止と政治的、平和的解決を支持する。ただしこれには外部からのあらゆる干渉を排除しなければならない」と述べた(ポーランド統一労働者党大会演説)。 |
DIA-302-1971-12-07-4 | インド | 1971年12月07日 | 1970年代 | 国連総会で7日(現地時間)、印・パ即時停戦、両国兵力引揚げ決議を可決。104対11、棄権10。ソ連、パ非難決議を単独提出。 |
DIA-302-1971-12-07-5 | インド | 1971年12月07日 | 1970年代 | (パ)ヌールル・アミーン、首相に-ヤヒア大統領は、ヌールル・アミーンPDP委員長兼UCP代表を首相、ブットPPP委員長を副首相とする連立内閣を組織するよう要請した。なお両氏とも要請を受諾、同日付で連立内閣を組閣して、ブットは外相を兼務することとなった。 |
DIA-302-1971-12-08-1 | インド | 1971年12月08日 | 1970年代 | インド、ジェソール等占領-マネクショー・インド軍参謀総長は、「ジェソールを占領、ダッカは包囲体制にある。シレットでは降下部隊が活動中」と発表。この日、クールナ、ムングラ、コミラは陥落、インド軍はチャンドプール、ダウッドカンディに進撃、ジェソールを占領した第9師団はダッカにあと35キロの地点まで進撃、パ軍はバリサルへ退去中。西部戦線では、パ軍はチャンプを大部分占領と発表。これに対し、インドのマネクショー大将はチャンプで8~12キロ後退したことを認めた。 |
DIA-302-1971-12-08-2 | インド | 1971年12月08日 | 1970年代 | ブット、国連へ-国連総会出席のためニューヨークに向かう途中のブット副首相兼外相は、ペシャーワルで「国家の存亡を賭けてインドとの千年戦争も辞さない」と述べた。 |
DIA-302-1971-12-08-3 | インド | 1971年12月08日 | 1970年代 | ヤヒア、防衛基金設立命令-ヤヒア大統領はインドとの長期戦に備えて、防衛基金の設立を命じた。また、全国民に対し、あらゆる資源を動員して軍隊を支援せよと述べるとともに、全銀行、郵便局に一般からの献金を集めるよう指示した。 |
DIA-302-1971-12-08-4 | インド | 1971年12月08日 | 1970年代 | ガンディー首相は議会の野党指導者と会見、戦争を理由に来年2月の州占拠を73年3月まで延期する措置を要請。 |
DIA-302-1971-12-08-5 | インド | 1971年12月08日 | 1970年代 | 中国、インド非難-人民日報はインドの「バングラデシュ」承認は「茶番劇だ」と非難。 |
DIA-302-1971-12-09-1 | インド | 1971年12月09日 | 1970年代 | チュアダンガ陥落-この日、チャンドプールも陥落(AFP、ニューデリー発)。西部戦線では8日夜から9日朝にかけてインド空軍がカラチを猛爆。 |
DIA-302-1971-12-09-2 | インド | 1971年12月09日 | 1970年代 | ニューデリーにバングラデシュ高等弁務官事務所開設。 |
DIA-302-1971-12-09-3 | インド | 1971年12月09日 | 1970年代 | インド外務次官コウルは国連出席のため、ニューヨークに向け出発。 |
DIA-302-1971-12-10-1 | インド | 1971年12月10日 | 1970年代 | インド軍、「バングラデシュ解放軍」との統一司令部を組織-ラル国防次官、インドと「バングラデシュ人民共和国」は、双方の軍隊をインド軍司令官の指揮下に置くこと、などを骨子とする初めての協定に調印したと発表。これは「了解事項であって、条約ではない」としており要旨は次の通り。1.双方の軍隊は、インド軍司令官による統一司令部のものとに行動する、2.インド軍司令官はインド、バングラデシュ双方の首脳に、マネクショー・インド軍参謀総長を通じて定期的に戦況を報告する、2.インド軍、解放軍双方は共同して、約1000万人にのぼる難民が帰国できるよう正常化に努力する、4.双方の軍隊は解放地域住民を守るため努力する。 |
DIA-302-1971-12-10-2 | インド | 1971年12月10日 | 1970年代 | ガンディー首相、デリー大学で演説し、「インドは国連総会決議を受入れも拒否もしていない。真剣に考慮中」と述べた。 |
DIA-302-1971-12-11-1 | インド | 1971年12月11日 | 1970年代 | インド空軍約5000人、ダッカ郊外に降下作戦-この日、マイメンシンとクスティア陥落。 |
DIA-302-1971-12-11-2 | インド | 1971年12月11日 | 1970年代 | 「バングラデシュ政府」首脳ジェソール入り-ノズルル・イスラーム「大統領代行」、タージェウッディン・アーメッド「首相」ら「バングラデシュ政府」首脳が、「臨時首都」ジェソールでの集会に出席。アーメッド「首相」は集会後の記者会見で、1.ダッカが開放され次第、ダッカを首都として新政府を発足する、2.民衆には、パ軍協力者を移したりせず法の裁きにまかせるようとくに注意する、3.UCP(11月16日参照)参加政党を禁止する、などと述べた。 |
DIA-302-1971-12-11-3 | インド | 1971年12月11日 | 1970年代 | インド外務省のダール政策委員長、モスクワ向け出発。 |
DIA-302-1971-12-12-1 | インド | 1971年12月12日 | 1970年代 | クズネツォフ・ソ連第1外務次官、ニューデリー着。 |
DIA-302-1971-12-12-10 | インド | 1971年12月12日 | 1970年代 | ヒューム英外相は下院で、インド向け武器輸出をこれからも続けると言明。 |
DIA-302-1971-12-12-11 | インド | 1971年12月12日 | 1970年代 | 国連安保理事会で、米国の提案した印・パ戦争の即時停戦と両軍の撤兵を要求する決議案を、ソ連は3度目の拒否権行使により否決。 |
DIA-302-1971-12-12-2 | インド | 1971年12月12日 | 1970年代 | インド、米国非難-ガンディー首相は、名指しはしなかったが米国を非難して、「かつてインドを共産主義から救うといっていた大国がいまやインドに脅威を与えている」と述べた。 |
DIA-302-1971-12-12-3 | インド | 1971年12月12日 | 1970年代 | 印パ戦争をめぐり、再び国連緊急安保理が開かれる。米国代表は、停戦と撤退の即時実施を求める新決議案を提出。 |
DIA-302-1971-12-12-4 | インド | 1971年12月12日 | 1970年代 | 「バングラデシュ」、社会主義宣言草案-インドのPTI通信は、「バングラデシュ」が「人民共和国」として正式発足した場合、社会主義政策を推進するという宣言草案を発表。同草案は、独占企業やカルテルは廃止し、すべての財源は主要産業とともに国有化、ジュート貿易も国営とするとうったえている。外交面では、平和共存、帝国主義・植民地主義反対。さらに、非宗教国家をうたっている。 |
DIA-302-1971-12-12-5 | インド | 1971年12月12日 | 1970年代 | (パ)パ政府は、政府声明を出し、「物資欠乏による物価上昇を抑えるため、必需品の最高価格を設定し、また必需品の取得および処分についても制限を加える」ことを明らかにした。 |
DIA-302-1971-12-12-6 | インド | 1971年12月12日 | 1970年代 | (イ)ジャム・カシミール州のG.M.サーディク首相死亡、後任はS.M.カースィム氏と発表される。 |
DIA-302-1971-12-12-7 | インド | 1971年12月12日 | 1970年代 | ダッカへ18キロ-インド東部軍管区司令部は、ダッカ中心部へ18キロの地点に到達、ダッカ市内は大砲による砲撃の射程距離内に入ったと発表。なお降下部隊はラカヤ川渡し場まで前進、機甲歩兵部隊はジョイデプールまで進出した。 |
DIA-302-1971-12-12-8 | インド | 1971年12月12日 | 1970年代 | インド、戦費調達のための補正予算措置発表-Y.B.チャバン蔵相、13億5000万ルピーの新課税を発表。主要な内容は、食糧穀物、書籍以外の全輸入品に対する2.5%の課税、特定品目については10%、法人所得税の2.5%引き上げなど。 |
DIA-302-1971-12-12-9 | インド | 1971年12月12日 | 1970年代 | ガンディー・クズネツォフと会談-ソ連外務次官クズネツォフ、ガンディー首相と会談。パに対するアメリカの態度を検討。 |
DIA-302-1971-12-14-1 | インド | 1971年12月14日 | 1970年代 | ダッカ攻撃開始-インド軍スポークスマンは、インド軍部隊がダッカ市内の軍事目標に砲撃を開始したと発表。東パ州知事邸にロケット弾。 |
DIA-302-1971-12-14-2 | インド | 1971年12月14日 | 1970年代 | D.P.ダール・インド外務省政策委員長、クレムリンでコスイギン首相と会談。 |
DIA-302-1971-12-14-3 | インド | 1971年12月14日 | 1970年代 | ソ連軍事顧問、最近インドへ-モスクワの消息筋が明らかにしたところによると、印・パ紛争の全面的拡大以後、ソ連の軍事顧問多数がインドに向ったといわれる。 |
DIA-302-1971-12-14-4 | インド | 1971年12月14日 | 1970年代 | (パ)東パ州知事、辞任-マリク知事以下、東パ州政府職員は一斉にヤヒア大統領に辞表提出。これにより、東パに関する全責任はニアーズィB地区戒厳司令官が持つこととなった。 |
DIA-302-1971-12-15-1 | インド | 1971年12月15日 | 1970年代 | 無条件降伏勧告-パのニアーズィ東部軍管区司令官兼B地区戒厳司令官は駐ニューデリー米大使館を通じ、停戦申入れ。これは15日午後2時半にマネクショー・インド軍参謀総長に届いたが、これに対し、マネクショー大将は同じく米大使館を通じて、16日午前9時までに無条件降伏をするようニアーズィ司令官に通告し、午後5時以降のインド空軍活動の停止を命令。夜、インド空軍は5非ぶりにカラチ大空襲。 |
DIA-302-1971-12-15-2 | インド | 1971年12月15日 | 1970年代 | ソ連艦隊、東支那海を南下中(ミサイル巡洋艦、ミサイル駆逐艦など)。 |
DIA-302-1971-12-15-3 | インド | 1971年12月15日 | 1970年代 | 米の太平洋統合軍、担当範囲拡大-マッケーン米太平洋統合軍司令官、米太平洋統合軍の担当範囲がインド西方まで拡大され、印・パ両国も含むことになった旨通告-フィリピンのマルコス大統領に最近伝えられたという。 |
DIA-302-1971-12-15-4 | インド | 1971年12月15日 | 1970年代 | 米第7艦隊、ベンガル湾へ-米第7艦隊の原子力空母エンタープライズほか7隻の艦船がマラッカ海峡を通過、ベンガル湾に入る(シンガポール外交筋)。13日、米は同空母がトンキン湾を出向したことを発表、行き先は明らかにしていなかった。 |
DIA-302-1971-12-15-5 | インド | 1971年12月15日 | 1970年代 | ブット、退場-国連の緊急安保理に出席していたブット外相は、「みじめな降伏を受入れるためにこの場に残ることはできない。国連はみにくい現実をおおいかくすためのファッション・ハウスになりさがっている」と述べ、パ代表団を率いて退場した。 |
DIA-302-1971-12-15-6 | インド | 1971年12月15日 | 1970年代 | (イ)連邦閣議は、来年初め開かれる予定の州議会選挙を1973年3月まで延期を決定。 |
DIA-302-1971-12-16-1 | インド | 1971年12月16日 | 1970年代 | 東パで、パ軍無条件降伏-パ側はインドによる降伏要求返答期限が切れてから無条件降伏を回答、インド軍はダッカを無血占領、降伏文書にはパ側はニアーズィ司令官、インド側は「インド・バングラデシュ連合軍総司令官」オーロラ・インド陸軍中将が調印。インド政府は、西パでも17日午前8時を期して一方的に停戦すると発表、ガンディー首相は「インド軍は必要以上にバングラデシュに長期駐留するつもりはない」と議会で演説。一方、ヤヒア大統領は16日夜7時15分からの全国放送で、「われわれは最期まで戦う」と述べた。 |
DIA-302-1971-12-16-2 | インド | 1971年12月16日 | 1970年代 | ソ連、米国非難-プラウダは「砲艦外交」と題する論評を掲げ、米艦隊のベンガル湾派遣を非難。 |
DIA-302-1971-12-16-3 | インド | 1971年12月16日 | 1970年代 | 中国、インドに抗議-中国外交部は、中国駐在インド大使館に覚書を送り、去る10日、インド武装要員が中国シッキムの国境を侵犯し、中国領内で偵察活動を行った事に対し、インド政府に厳しく抗議(新華社電)。インド外務省は中国の主張を「全く根拠のないもの」として否定。 |
DIA-302-1971-12-16-4 | インド | 1971年12月16日 | 1970年代 | 「バングラデシュ」領海発表-ノズルル・イスラーム「バングラデシュ大統領代行」は「バングラデシュ沿岸より12カイリをわが国の了解としてここに宣言する」と声明した。 |
DIA-302-1971-12-16-5 | インド | 1971年12月16日 | 1970年代 | (パ)ヤヒア大統領はきたる30日付で新憲法を公布すると言明、さらに、憲法は「東西パ双方に適用される」と語った。 |
DIA-302-1971-12-17-1 | インド | 1971年12月17日 | 1970年代 | 戦争終了-午後8時を期してのインド側の停戦にパキスタン側が応じた形となり、印パ戦争終了。ヤヒア大統領は午後3時パ放送を通じ、17日午後7時半から西部戦線の戦闘を中止するよう命令。また、停戦などすべての取り決めは国連を通じて行うよう訴えた。 |
DIA-302-1971-12-17-2 | インド | 1971年12月17日 | 1970年代 | 深夜までのインド軍の損失(インド側発表) |
DIA-302-1971-12-17-3 | インド | 1971年12月17日 | 1970年代 | 米国務省は、今度の戦争を契機に停止されている対インド経済援助は政治的理由によって近い将来に再開されることはないという方針を明らかにした。 |
DIA-302-1971-12-17-4 | インド | 1971年12月17日 | 1970年代 | 国連総会はインド洋を平和地域に宣言する決議案を60:0:55(棄権)で採択。 |
DIA-302-1971-12-18-1 | インド | 1971年12月18日 | 1970年代 | インド、パとの関係改善を提唱-J.ラム国防省は、インドには領土的野心がないことを表明し、パキスタンとの関係改善を提唱。同じこの日インド政府スポークスマンは、西部国境線は今度の戦争で確立された境界線を基礎にすべきだと語った。 |
DIA-302-1971-12-18-2 | インド | 1971年12月18日 | 1970年代 | ソ連、平和を要望-ソ連外務省は印・パ停戦情勢を迎えたインド亜大陸について声明を発表、印・パ戦争の平和的解決に協力したいと述べた。 |
DIA-302-1971-12-19-1 | インド | 1971年12月19日 | 1970年代 | ラホールおよびペシャーワルで、「降伏」に抗議した集会やデモが行われ、ヤヒア退陣を要求した。 |
DIA-302-1971-12-19-2 | インド | 1971年12月19日 | 1970年代 | インド、占領地域について-J.ラム国防相、「パとの戦争で占領した地域を返還するかどうかはわれわれ自身が決定する。パとの和平条約について外部からの圧力を許さない」と述べた。カシミールを主たる部隊とする西部戦線では、インド軍がパ領を3,600平方キロ占領し、パ軍はインド領を150平方キロ占領したといわれる。 |
DIA-302-1971-12-19-3 | インド | 1971年12月19日 | 1970年代 | ブットは米国からの帰途ローマ空港での記者会見で「ニクソン大統領はパの主権と統一の原則に対する米国の支持を確認した」と語った。 |
DIA-302-1971-12-19-4 | インド | 1971年12月19日 | 1970年代 | (バ)ヤヒア、明日辞任-パ政府スポークスマンは、「ヤヒア大統領は20日辞任し、文民政府に権限を委譲する」と発表。これに先立ち、同大統領は国連総会出席のブッタ副首相兼外相に急拠帰国を指令。 |
DIA-302-1971-12-20-1 | インド | 1971年12月20日 | 1970年代 | 「解放軍」指導者、逮捕-インド陸軍第4師団のサダト・シン司令官は、ダッカで、「バングラデシュ解放軍」の最高指導者の一人カーデル・スィディキ(学生、25歳)を逮捕したと発表した。 |
DIA-302-1971-12-20-2 | インド | 1971年12月20日 | 1970年代 | カラチでヤヒア前大統領とソ連に講義するデモが行われた。 |
DIA-302-1971-12-20-3 | インド | 1971年12月20日 | 1970年代 | ニクソン・ヒース米英首脳会談で印パ戦争に関して意見が対立した。 |
DIA-302-1971-12-20-4 | インド | 1971年12月20日 | 1970年代 | 英国、パとの関係改善を希望。 |
DIA-302-1971-12-20-5 | インド | 1971年12月20日 | 1970年代 | 政治家や知識人を含む約1,500人の政治犯がダッカ、ジェソール、クスティアなどの各刑務所から釈放された。 |
DIA-302-1971-12-20-6 | インド | 1971年12月20日 | 1970年代 | (パ)ヤヒア辞任、ブットが大統領に-ヤヒア・カーン大統領兼戒厳総司令官が辞任、ブット副首相兼外相(PPP委員長)が大統領兼戒厳総司令官に就任。ブット大統領は就任後、午後10時、全国向けラジオ放送をつうじて、初演説を行い、「世界で最も勇敢なパの将兵がインドへの報復を忘れないよう」呼びかけ、また、インドとの交渉に入る前提はインド軍の東パからの撤退であると述べた。さらに、同演説の中で、大統領はみずから外相と国防省に就任すると述べ、参謀総長にグル・ハッサン陸軍中将を任命した。また、ブット大統領は就任演説の後、記者会見で、「ALのラーマン総裁の早期釈放はないだろうが、いずれ釈放することになろう」と言明した。 |
DIA-302-1971-12-20-7 | インド | 1971年12月20日 | 1970年代 | (イ)インド・ルピーは、スターリング・ポンドに対して5.5%引下げられ、1英ポンド=18ルピーから、18.9677ルピーとなった。その結果、米ドルに対しては3%の引上げとなり、1ドル=7.5ルピーから7.279ルピーとなった。 |
DIA-302-1971-12-21-1 | インド | 1971年12月21日 | 1970年代 | インド政府は、「パからの脅威が存在する限り」「非常事態宣言」を撤回するつもりはないといわれる。また、きたる州議会選挙中でも、問題のある地域では、非常事態状態が継続されるであろう。 |
DIA-302-1971-12-21-2 | インド | 1971年12月21日 | 1970年代 | (パ)副大統領にルーヌヌ・アーミン-ブット大統領はヌールル・アミーンPDP委員長に任命、同氏これを受諾、同氏は去る7日にヤヒア前大統領から首相に任命されていたが、インドの東パ制圧後はブット大統領実現を支持していた。また、ブット大統領は外国人記者団に対するレセプションで、ヤヒア前大統領の裁判は時期尚早としつつも、その可能性を否定しなかった。 |
DIA-302-1971-12-21-3 | インド | 1971年12月21日 | 1970年代 | (イ)憲法改正案(第27次)下院通過-東北地域の再編成を求めたものであり、3州(マニプール、トリプラ、メガラヤ)の完全州化と、2州の連邦州(ミゾラムミゾ地域)、アルナチャル・プラデシュ(旧NEFA)の新設である。 |
DIA-302-1971-12-22-1 | インド | 1971年12月22日 | 1970年代 | インド、停戦ラインについて-スワラン・シン外相は、カシミールの停戦ラインについて、「より安定的・合理的・実際的」にするために、若干の調整を主張すると述べた(国連)。 |
DIA-302-1971-12-22-10 | インド | 1971年12月22日 | 1970年代 | (パ)重要人事-ブット大統領はムザッファル・ハッサン海軍総司令官を解任、新司令官にハフィーズ・アハマッド准将を任命。また、ラシード・アハマッド(海軍参謀総長)、M.A.ロージ、U.A.サイアッドの海軍少将3名を解任。このほか、海軍准将2名、陸軍少将3名を解任。これで、過去2日間に解任された将官は14名となった。 |
DIA-302-1971-12-22-11 | インド | 1971年12月22日 | 1970年代 | ブット大統領は22家族の財閥に対し、国外にある隠し資本(数十億ドルといわれる)を国内に戻し、経済再建に投資するよう命じた。 |
DIA-302-1971-12-22-2 | インド | 1971年12月22日 | 1970年代 | 周恩来中国首相、ブット大統領にメッセージ-大統領就任に祝意を伝えた。 |
DIA-302-1971-12-22-3 | インド | 1971年12月22日 | 1970年代 | 「バングラデシュ」のノズルル・イスラーム「大統領代行」はじめ閣僚メンバーがダッカに帰着。 |
DIA-302-1971-12-22-4 | インド | 1971年12月22日 | 1970年代 | (バ)ブット大統領はNAP(ワーリ・カーン派およびパクトウーン派)の政治活動禁止を解除した。 |
DIA-302-1971-12-22-5 | インド | 1971年12月22日 | 1970年代 | (イ)下院に第28次憲法改正案(国内の一定地域に非常事態を宣言する能力を政府に与えようとするもの)が提出される。全野党は反対。 |
DIA-302-1971-12-22-6 | インド | 1971年12月22日 | 1970年代 | (イ)インド、第4次計画について-第4次5カ年計画の中間査定によると、全分野で計画は未達成に終る可能性が高い。食料穀物生産は73-74年度には1億2200~1億2500万トンと予想され、400万~700万トンの未達成となろう。繊維、食用油の未達成は一層大きい。以下は計画終了時工業分野で予想される不足量。鋼塊250万トン、完成鋼140万トン、銃鉄50万トン、特殊鋼2万7000トン、アルミ1万トン、銅5,000トン、チッ素肥料70万トン、リン肥料14万2000トン、新聞用紙8万5000トン、原油生産450万トン、合成ゴム3万4000トン、綿布(工場制)6億メートル。 |
DIA-302-1971-12-22-7 | インド | 1971年12月22日 | 1970年代 | インド外相、訪英-スワラン・シン外相は国連総会からの帰途ロンドンに立寄ってヒューム英外相と会談。英外務省コミュニケによれば、両外相はインド亜大陸における停戦の維持と交渉による解決の必要について完全な意見の一致をみた。 |
DIA-302-1971-12-22-8 | インド | 1971年12月22日 | 1970年代 | ガンディー首相特使D.P.ダール、ダッカ訪問-「バングラデシュ首相」タージュウッディン・アーメッドと会談、両国間の平和友好条約の可能性について話合った。またダールは、インドは「バングラデシュ」の国連加盟を推進すると語った。 |
DIA-302-1971-12-22-9 | インド | 1971年12月22日 | 1970年代 | (イ)政府は論争の多い第28次憲法改正案(地域緊急事態宣言)が、上院の3分の2を得られない見通しから、提出を取下げることに決めた。スワタントラ党以外はすべて反対。 |
DIA-302-1971-12-24-1 | インド | 1971年12月24日 | 1970年代 | ガンディー首相、アムリッツアルで演説-インドは内政干渉をゆるさないし、外国援助停止のおどしは、インドになんら影響も与えないであろうと述べた。 |
DIA-302-1971-12-24-2 | インド | 1971年12月24日 | 1970年代 | 「バングラデシュ政府」当局、マリク前東パ州知事とその閣僚8人および前州政府高官21人の逮捕を発表。 |
DIA-302-1971-12-24-3 | インド | 1971年12月24日 | 1970年代 | (パ)パ新内閣-ブット大統領は11人の閣僚を発表。大統領自身は国防相・外国・内相・州間調整相を兼ねる。その他の閣僚は次の通り。官房長官-ヌールル・アミーン副大統領(PDP委員長)、大統領府担当・文化・都市計画相-J.A.ラヒーム(PPP書記長)、法務・議会相-ミアーン・アフムード・アリ・カスリ(PPP副委員長、弁護士)、財政計・経済問題・開発相-ムバッシル・ハッサン博士(PPP)、保健・社会福祉・家族計画相-シェイク・ムハマッド・ラシード(PPPパンジャーブ支部委員長)、少数民族問題相-ラージャ・トリデブ・ロイ(東パ・チッタゴン少数民族首長)、政治問題・交通通信・天然資源相-グラーム・ムスタファー・カーン・ジャトイ(PPP)、食糧、農業・低開発地域相-ムハマッド・ハニーフ(PPP)。その他は追って任命。 |
DIA-302-1971-12-24-4 | インド | 1971年12月24日 | 1970年代 | (パ)ブット大統領、ラフィー・ラザ(PPP憲法問題委、委員)を大統領特別顧問に任命。―28日にはさらに次の顧問を任命。政治-マフムード・アリ(閣僚級)、国家治安-ムハマッド・アクバル・カーン、情報-マウラーナ・カウサル・ニアーズィ、公共事業-メーラージュ・ムハマッド・カーン、外国借款-M.M.アハマッド(ヤヒア前大統領特別補佐官兼経済顧問)。 |
DIA-302-1971-12-24-5 | インド | 1971年12月24日 | 1970年代 | (パ)ムムターズ・アリ・ブット(PPP)、スィンド州知事に就任-同氏は大統領のいとこ。25日にはハヤート・マフムード・カーン・シェールパオ(PPP北西辺境州委員長)、29日にはガウス・バクシュ・ライサーニが、それぞれ北西辺境州知事、バルーチスタン州知事に就任。パンジャーブ州知事にはムスタファー・カール(PPPパンジャール支部)が就任(就任日不明)。なお、知事は当該地区の戒厳司令官を兼ねる。 |
DIA-302-1971-12-25-1 | インド | 1971年12月25日 | 1970年代 | ソ連、「バングラデシュ」承認の方向か-N.M.ペゴフ・ソ連大使は、ソ連は適当な時期に「インドの友人」と相談の上、バングラデシュを承認することになろうと非公式に語った。 |
DIA-302-1971-12-25-2 | インド | 1971年12月25日 | 1970年代 | ポドゴルヌイ、ブットにメッセージ-印・パ善隣関係と平和を希望。 |
DIA-302-1971-12-25-3 | インド | 1971年12月25日 | 1970年代 | 「バングラデシュ政府」、閣議-「バングラデシュ政府」はこのほど首都ダッカで初閣議を開き、ベンガル語を公用語にすること、公共機関はすべて「バングラデシュ」を冠することなどを決定した。 |
DIA-302-1971-12-26-1 | インド | 1971年12月26日 | 1970年代 | インド、軍を一定期間「バングラデシュ」にとどめる方針-国連から戻ったスワラン・シン外相は記者会見で、「絶対必要と思われる期間以上に、インド軍をバングラデシュにとどめて置く考えはないが、避けることの許されない義務が課されている以上、一定期間とどまらなければならない」と述べた。 |
DIA-302-1971-12-26-2 | インド | 1971年12月26日 | 1970年代 | バングラデシュ共産党サラーム書記長、「解放闘争中に受けた援助と共鳴」についてソ連等の社会主義諸国に謝意表明。 |
DIA-302-1971-12-26-3 | インド | 1971年12月26日 | 1970年代 | 李先念中国副総理、イラク政府代表団歓迎宴で、インドの無条件撤兵を要求。 |
DIA-302-1971-12-26-4 | インド | 1971年12月26日 | 1970年代 | 「バングラデシュ」経済-ノズルル・イスラーム「大統領代行」は1.新中央銀行として”バングラデシュ銀行”を設立した、2.一部企業を国有化する、との2つの布告を発表した。また、タージュウッディン・アーメッド「首相」は、「公共・民間経済再建には200億ルピーを要する。その第1年度として70億ルピーを見積もるが、60%はインドに依存せねばならない」と語った。 |
DIA-302-1971-12-26-5 | インド | 1971年12月26日 | 1970年代 | (イ)AICC(R)は、アンドラ州の臨時州会議派委員会執行部と選挙委員会の名簿を発表。前州首相は双方から外され、ナルシンハ元州首相は選挙委員会に含まれている。 |
DIA-302-1971-12-27-1 | インド | 1971年12月27日 | 1970年代 | インド戦費-ヒンドゥスタン・タイムズ紙によると、インドは今回の印・パ戦争で弾薬2億~2億5000ルピー、軍用機・空軍施設損害1億5000万ルピー等、合計約10億ルピー(約1億3738万ドル)を費やした。 |
DIA-302-1971-12-27-2 | インド | 1971年12月27日 | 1970年代 | 中国、インドに抗議-中国外交部は、去る15日、インドの武装要員と飛行機が中国領土と領空を侵犯した事件について駐インド中国大使館に覚書を送り、インド政府に対する厳重抗議を行った(北京放送)。 |
DIA-302-1971-12-27-3 | インド | 1971年12月27日 | 1970年代 | 「バングラデシュ」3軍設立の方針-バングラデシュ政府は、陸・海・空3軍からなる軍隊と人民警察軍、国家民兵隊を創設する方針を発表した。「解放軍」の武装解除が進められているが、政府の武装解除命令に対し、学生たちの大半は「ラーマン大統領の命令がない限り応じられない」と反対している。 |
DIA-302-1971-12-27-4 | インド | 1971年12月27日 | 1970年代 | (イ)ビハール州のポーラ・パスワン首相(PVD内閣)、辞表をD.K.バルーア知事に提出。同時に州議会の解散と選挙を勧告。パスワン内閣は67年以来9番目のものであった。 |
DIA-302-1971-12-27-5 | インド | 1971年12月27日 | 1970年代 | (パ)ブット、ラーマンと初会談。 |
DIA-302-1971-12-28-1 | インド | 1971年12月28日 | 1970年代 | 印・パ、またも軍事衝突-インドのラージャスタン州と西パとの国境で両国軍が衝突、インド兵8人死亡(DPA、ニューデリー発)。一方、「バングラデシュ」に駐留していたインド軍のすでに約半数が撤退、依然緊張が続いている西部戦線へ移動を開始。 |
DIA-302-1971-12-28-2 | インド | 1971年12月28日 | 1970年代 | パ軍捕虜移送-インド軍はダッカに収容していたパ軍兵士約3万5000人のインドへの移送を開始。完了には2週間かかるという。 |
DIA-302-1971-12-28-3 | インド | 1971年12月28日 | 1970年代 | イスラーム「大統領代行」、記者会見-「バングラデシュ大統領代行」ノズルル・イスラームは、ダッカ帰還後初の公式記者会見に応じ「非同盟、独立の外交政策を目指す」とつぎのように語った。1.われわれは大国が冷戦を存続させるために利用する軍事条約にはいっさい加わらない、2.われわれは米国が果たした役割を忘れない。だが、おそまきながら、ニクソン米大統領に独立バングラデシュの現実を認識するよう求める。 |
DIA-302-1971-12-28-4 | インド | 1971年12月28日 | 1970年代 | (イ)ピハール州議会解散-パスワンら4人は選挙管理内閣としてとどまる。 |
DIA-302-1971-12-28-5 | インド | 1971年12月28日 | 1970年代 | (イ)選挙管理委員会のセン・ベルマ委員長によると、1972年3月に選挙が予定される州は、アンドラ、アッサム、ヒマチャル・プラデシュ、ジャム・カシミール、マディアプラデーシ、マハーラーシュトラ、ラージャスタン、ゴア・ダマン・ディウである。 |
DIA-302-1971-12-28-6 | インド | 1971年12月28日 | 1970年代 | (イ)リパブリカン党総裁B.K.カエクワド死亡。 |
DIA-302-1971-12-28-7 | インド | 1971年12月28日 | 1970年代 | (イ)食糧省担当国務大臣のA.P.シンデは、PL480によるアメリカからの小麦の輸入を停止すると発表。内需用の米の輸入はビルマ、タイ、アラブ連合以外からは停止される。 |
DIA-302-1971-12-30-1 | インド | 1971年12月30日 | 1970年代 | ブット、和平交渉について-ブット大統領はラホールで演説、「インドが1947年の印・パ分離独立時の基礎をインドが認めるならば明日にでも和平交渉に入ることができる」と述べた。 |
DIA-302-1971-12-30-2 | インド | 1971年12月30日 | 1970年代 | 「バングラデシュ外相」、更迭-バングラデシュ政府のタージュウッディン・アーメッド首相は、コンドカル・ムシュターク・アーメッド外相を更迭し、アブドゥッサマード(前ハンガリー代表団首席)を任命した。なおこの任命に伴い全閣僚の名簿をつぎのとおり発表した。首相兼国防、情報・放送、計画、経済相-タージュウッゥディン・アーメッド(46歳)、蔵相兼工業・天然資源、貿易・商業相-マンスール・アリ(53)、法務・議会担当、土地税・登記・測量相-コンドカル・ムシュターク・アーメッド(53)、内相兼救済・復興相-A.M.カマルッザマン(45)、通信相-シェィク・アブドゥル・アズィーズ(47)、食糧、農業、地方自治体、地方開発・共同組合相-パニ・ブシャン・マジュムダール(70)、外相-モハメッド・アブドウツサマード(49)、・保健、労働、社会福祉、家族計画相-ザフル・アーメッド・チョードリ(55)、・教育・文化建設、住宅、動力、藩漑相-ユースフ・アリ(以上全員がAL党員)。 |
DIA-302-1971-12-30-3 | インド | 1971年12月30日 | 1970年代 | 「バングラデシュ政府」、ジュート輸出会社32社(西パ人が所有していたもの)を接収。 |
DIA-302-1971-12-30-4 | インド | 1971年12月30日 | 1970年代 | (パ)ブット、連邦方式を提案-政府高官筋によると、ブット大統領は軟禁中のラーマンAL委員長に対し、パの統一を守る一環として、アラブ共和国連邦に似たゆるやかな東西パ連邦方式を提案したという。 |
DIA-302-1971-12-31-1 | インド | 1971年12月31日 | 1970年代 | インド、第三者の調停を拒否-ガンディー首相は戦後初の記者会見で次のように述べた。1.戦後処理は印・パ2国間で行い、第三者の調停は拒否する、2.インド軍はバングラデシュから早期撤退する。 |
DIA-302-1971-12-31-2 | インド | 1971年12月31日 | 1970年代 | 本日付で終了する予定の英・印貿易協定延長される。同時にインドはインド製綿製品に対する15%の輸入課税を承認。 |
DIA-302-1971-12-31-3 | インド | 1971年12月31日 | 1970年代 | バングラデシュ共産党大会(ダッカ)-モニ・シンを委員長とするバングラデシュ共産党がダッカで大会を開き、約1万の群集のほか、ソ連、ポーランド、ブルガリアの外交官が出席。この大会により、これまで東パでは地下活動を続けていた共産党が合法政党として登場、東パの主要合法政党はALおよびNAPを含め、3党となった。 |
DIA-302-1972-01-02-1 | インド | 1972年01月02日 | 1970年代 | インドはバングラデシュ援助をよろこんで行なう用意がある,インドはいかなる外国援助も受けることなく,あらゆる援助をさし出すことができる─首相演説。 |
DIA-302-1972-01-02-2 | インド | 1972年01月02日 | 1970年代 | マドラス,シンプソン・グループのストライキで前マドラス市長を含む50人が逮捕され,1日とあわせて126人の逮捕者となった。シンプソン・グループ労働者1万5000人は11月22日以来ストライキに入っている。 |
DIA-302-1972-01-04-1 | インド | 1972年01月04日 | 1970年代 | 西部国境からの撤兵は“現在のところ”行なわない─ラーム国防相,記者会見で発表。 |
DIA-302-1972-01-05-1 | インド | 1972年01月05日 | 1970年代 | 難民100万人余り,バングラデシュに帰国─社会復帰省発表。 |
DIA-302-1972-01-05-2 | インド | 1972年01月05日 | 1970年代 | 首相,経済建設を呼びかけ─経済建設は戦争での勝利と同じく成功しなければならない,生産を向上させるため,ストライキ,ロックアウトなどをひかえ,1972年内に経済自立を達成しよう。 |
DIA-302-1972-01-06-1 | インド | 1972年01月06日 | 1970年代 | バングラデシュ・サマド首相,インド首脳と会談。 |
DIA-302-1972-01-06-2 | インド | 1972年01月06日 | 1970年代 | シンプソン系会社(マドラス市)労働争議─中央政府労働相が調停にのりだし,AITUC,INTUC,CITU代表は首相,労働相らと会見した。労働者側は,DMK系組合が経営者側と結んだ協定の破棄を求めた。 |
DIA-302-1972-01-07-1 | インド | 1972年01月07日 | 1970年代 | 北ベトナムとの関係を大使レベルに引上げ。 |
DIA-302-1972-01-08-1 | インド | 1972年01月08日 | 1970年代 | 南ベトナム,国際監視委員会インド人職員の入国を拒否。 |
DIA-302-1972-01-09-1 | インド | 1972年01月09日 | 1970年代 | インド・バングラデシュ共同コミュニケ─インド軍はバングラデシュ政府が望む時に撤兵を実施する。 |
DIA-302-1972-01-09-2 | インド | 1972年01月09日 | 1970年代 | ビハール州,大統領直轄統治。 |
DIA-302-1972-01-11-1 | インド | 1972年01月11日 | 1970年代 | バングラデシュに500万ポンドの借款供与。 |
DIA-302-1972-01-11-2 | インド | 1972年01月11日 | 1970年代 | 南ベトナム政府,全インド人の国外退去を求める。 |
DIA-302-1972-01-12-1 | インド | 1972年01月12日 | 1970年代 | 東独外相,首相,大統領と会談。 |
DIA-302-1972-01-12-2 | インド | 1972年01月12日 | 1970年代 | バングラデシュに4700万ドルの経済援助計画を発表─内訳は長期借款1275万ドル,肥料,鉄鋼,石油などの物資供与3420万ドル。 |
DIA-302-1972-01-16-1 | インド | 1972年01月16日 | 1970年代 | 印パ国境画定後に撤兵─J.ラーム国防相は,ゴウハティの大衆集会で,印パ国境が決定しない限り,インド軍の停戦位置からの撤退はない,調停は第三国の干渉なしに2国間の折衝により行なうべきである,と語った。 |
DIA-302-1972-01-17-1 | インド | 1972年01月17日 | 1970年代 | バングラデシュに2億5000万ルピーの商品援助。 |
DIA-302-1972-01-18-1 | インド | 1972年01月18日 | 1970年代 | バングラデシュにフォッカー機2機供与。 |
DIA-302-1972-01-18-2 | インド | 1972年01月18日 | 1970年代 | 会議派,選挙綱領─10~18エーカーの土地所有制限,都市財産所有制限,1975年までに11歳までの児童すべてに無料教育,などの新10項目計画を発表。 |
DIA-302-1972-01-18-3 | インド | 1972年01月18日 | 1970年代 | 日本,援助再開。 |
DIA-302-1972-01-20-1 | インド | 1972年01月20日 | 1970年代 | メガーラヤ州,アルナチャル連邦直轄州成立─メガーラヤは19番目の州,アルナチャルはもとのNEFA。 |
DIA-302-1972-01-21-1 | インド | 1972年01月21日 | 1970年代 | マニプール,トリプラ州成立─それぞれ20番目,21番目の州として成立,ミゾラムは連邦直轄地となる。 |
DIA-302-1972-01-21-2 | インド | 1972年01月21日 | 1970年代 | D.P.ダル首相特使,バングラデシュ・サマド外相と会談。 |
DIA-302-1972-01-21-3 | インド | 1972年01月21日 | 1970年代 | ハリヤナ州議会解散─3月11日に選挙実施。 |
DIA-302-1972-01-23-1 | インド | 1972年01月23日 | 1970年代 | マクナマラ世銀総裁,インドに─世銀はインドを援助すると語る。 |
DIA-302-1972-01-23-2 | インド | 1972年01月23日 | 1970年代 | バングラデシュに借款500万ポンド供与─鉄鋼,肥料プラント建設のため。すでに2億5000万ルピーの商品援助,鉄道再建に1億ルピーの借款と食糧援助が約束されている。今回の借款は,バングラデシュ訪問中のD.P.ダル外務省政策委員会議長とラーマン首相との会談で結論をみたもの,その他,インドは,石油精製工場建設の援助を申し出ている。 |
DIA-302-1972-01-24-1 | インド | 1972年01月24日 | 1970年代 | 米の1973年度予算,対印援助を除外。 |
DIA-302-1972-01-24-2 | インド | 1972年01月24日 | 1970年代 | マクナマラ世銀総裁,計画委員会,シン外相と会談。 |
DIA-302-1972-01-24-3 | インド | 1972年01月24日 | 1970年代 | パとの友好関係を望む─首相はデリーでの集会で,もしパキスタンが現状を認めるならば,インドはパと永久的友好関係を持つ用意があると語った。 |
DIA-302-1972-01-27-1 | インド | 1972年01月27日 | 1970年代 | マディヤ・プラデーシュ州S.C.シュクラ首相辞任。 |
DIA-302-1972-01-28-1 | インド | 1972年01月28日 | 1970年代 | マドラス,アバディの工場でスト中の労働者と警官隊が衝突,負傷者34人,逮捕者48人を出した。 |
DIA-302-1972-01-29-1 | インド | 1972年01月29日 | 1970年代 | P.C.セティ石油化学相,マディヤ・プラデーシュ州首相に就任。 |
DIA-302-1972-01-30-1 | インド | 1972年01月30日 | 1970年代 | M.M.チョードリ・アッサム州首相辞任。 |
DIA-302-1972-01-31-1 | インド | 1972年01月31日 | 1970年代 | アッサム州首相にS.C.シンハ就任。 |
DIA-302-1972-02-01-1 | インド | 1972年02月01日 | 1970年代 | チャバン蔵相,バングラデシュ経済援助のため増税を示唆。 |
DIA-302-1972-02-01-2 | インド | 1972年02月01日 | 1970年代 | バングラデシュへ石油1万6000トンを輸出。 |
DIA-302-1972-02-01-3 | インド | 1972年02月01日 | 1970年代 | 日本,新円借款310億円供与─工業プロジェクトに160億円,肥料,鉄鋼購入のため150億円。 |
DIA-302-1972-02-03-1 | インド | 1972年02月03日 | 1970年代 | 親パ活動家をカシミールより追放─州政府はB.S.アブドゥッラにカシミールからの退去命令を出し,親パ活動家数人を逮捕した。 |
DIA-302-1972-02-05-1 | インド | 1972年02月05日 | 1970年代 | ヒューム英外相訪印。 |
DIA-302-1972-02-06-1 | インド | 1972年02月06日 | 1970年代 | ラーマン・バングラデシュ首相訪印─カルカッタでガンディー首相の出迎えをうけた。 |
DIA-302-1972-02-07-1 | インド | 1972年02月07日 | 1970年代 | INTUC,AITUC,HMSの3労働組織代表,政府と会談─団体交渉その他の問題で合意に達し,合同の「労働組合全国評議会」を設立し組合間の対立を防ぎ,健全な労働組合運動を推進することを決定した。 |
DIA-302-1972-02-07-2 | インド | 1972年02月07日 | 1970年代 | 英印外相会談─バングラデシュ独立にともなう亜大陸の情勢とインド洋の海軍基地問題等を話し合った。 |
DIA-302-1972-02-08-1 | インド | 1972年02月08日 | 1970年代 | 1971年4月~1972年1月の外国援助は8億5577万ドル。 |
DIA-302-1972-02-08-2 | インド | 1972年02月08日 | 1970年代 | シン外相,L.N.ミシュラ外国貿易相,ヒューム英外相と会談─ECへの英加盟による影響から,インドの貿易利益を守るよう求めた。 |
DIA-302-1972-02-08-3 | インド | 1972年02月08日 | 1970年代 | インド・バングラデシュ共同声明─1972年3月25日までにインド軍撤兵を完了。 |
DIA-302-1972-02-12-1 | インド | 1972年02月12日 | 1970年代 | 米の輸入禁止─A.シンド農業副大臣語る。 |
DIA-302-1972-02-14-1 | インド | 1972年02月14日 | 1970年代 | 国連事務総長へ書簡─パキスタンといかなる時でも,どのようなレベルでも,無条件で直接話し合うつもりであると伝えた。 |
DIA-302-1972-02-19-1 | インド | 1972年02月19日 | 1970年代 | 外資系企業に対する新政策─政府は外資系企業が所有権を分散させ,インド参加を促進すれば,拡大が許されるであろうと述べた。新規投資の際,その分について最低のインド人化比率が決められた。 |
DIA-302-1972-02-21-1 | インド | 1972年02月21日 | 1970年代 | ニクソン訪中─首相は,デリーでの選挙演説で米中両国が友好関係を持つことは歓迎するが,新しい関係がアジアにおける影響の拡大とバランス・オブ・パワーの古い概念を永続させるものかどうかを注視しなければならない,とのべた。 |
DIA-302-1972-02-21-2 | インド | 1972年02月21日 | 1970年代 | 北朝鮮と貿易協定調印,往復貿易量を1971年の5500万ルピーから,1972年には3倍にまでもっていこうとするもの。 |
DIA-302-1972-02-22-1 | インド | 1972年02月22日 | 1970年代 | D.P.ダル外務省政策委員長,訪ソ。 |
DIA-302-1972-02-23-1 | インド | 1972年02月23日 | 1970年代 | マネクシャウ陸軍総司令官訪ソ。 |
DIA-302-1972-02-24-1 | インド | 1972年02月24日 | 1970年代 | D.P.ダル政策委員長,コスイギン首相と会談─アジアにおける情勢の変化と米中接近について討議した。 |
DIA-302-1972-02-25-1 | インド | 1972年02月25日 | 1970年代 | コインバトール(タミル・ナードゥ)繊維関係労働者ストライキ,4日間で800人余りの逮捕者を出す。ストライキはINTUC,AITUC,CITU,HMSが中心となっており,14日目にはいっている。 |
DIA-302-1972-02-25-2 | インド | 1972年02月25日 | 1970年代 | 首相はグジャラート州の選挙演説会で,インドの“第1の敵”すなわち貧困の絶滅のため各州に会議派の政権を樹立するよう呼びかけた。 |
DIA-302-1972-03-02-1 | インド | 1972年03月02日 | 1970年代 | カシミール停戦ラインからの撤兵は米中に無関係である─首相。 |
DIA-302-1972-03-03-1 | インド | 1972年03月03日 | 1970年代 | 日印会談終了。 |
DIA-302-1972-03-05-1 | インド | 1972年03月05日 | 1970年代 | 州議会選挙始まる─アンドラ州,マイソール州,マハーラーシュトラ,グジャラート,ビハール,ヒマーチャル・プラデーシュ。 |
DIA-302-1972-03-05-2 | インド | 1972年03月05日 | 1970年代 | カシミール問題について中国を非難─首相は,米中共同声明において,解決済みのカシミール問題を中国がとりあげたことを非難するとともに,インドはパキスタンが第三国の介入なしにインドと話し合って平和を確立するよう求める,と語った。 |
DIA-302-1972-03-06-1 | インド | 1972年03月06日 | 1970年代 | ラージャスターン,マニプール州議会選挙。 |
DIA-302-1972-03-06-2 | インド | 1972年03月06日 | 1970年代 | マニプールで投票警備にあたっていた中央治安警備隊をナガ・ゲリラが襲撃,1人射殺され2人が負傷。またアンドラ州でも投票所襲撃事件で2人が死亡。 |
DIA-302-1972-03-10-1 | インド | 1972年03月10日 | 1970年代 | 政府,民間会社のインディアン・コパー・コーポレーション(Indian Copper Corporation),国営化を発表。銅採掘・生産の全て国営化される。 |
DIA-302-1972-03-10-2 | インド | 1972年03月10日 | 1970年代 | 政府,非常事態体制の解消は考えていないと発表。 |
DIA-302-1972-03-11-1 | インド | 1972年03月11日 | 1970年代 | 西ベンガル州議会選挙,衝突事件で4人が死亡,夜間外出禁止令が3地区に出された。 |
DIA-302-1972-03-11-2 | インド | 1972年03月11日 | 1970年代 | コインバトール繊維労働者スト解決─78の繊維工場,5万2000人の労働者が参加して29日間続いたストライキに調停が成立。 |
DIA-302-1972-03-11-3 | インド | 1972年03月11日 | 1970年代 | 州議会選挙,開票第1日目。マイソール,グジャラート,マハーラーシュトラで会議派は過半数を占める。 |
DIA-302-1972-03-12-1 | インド | 1972年03月12日 | 1970年代 | 会議派,パンジャーブ,ハリヤナ,マディヤ・プラデーシュ,ラージャスターン,ビハール,アッサム,デリー市議会でも過半数を得る。 |
DIA-302-1972-03-12-2 | インド | 1972年03月12日 | 1970年代 | バングラデシュのインド軍引揚げ開始の発表。 |
DIA-302-1972-03-13-1 | インド | 1972年03月13日 | 1970年代 | 会議派,選挙圧勝─16州のうち14州で圧倒的多数を占める。メガーラヤはAPHLC,マニプールではどの党も過半数に達しなかった。デリーでは会議派過半数,ゴアはマハーラーシュトラワーディー・ゴマンタク党が過半数を得た。各党では,会議派(O)はハリヤナ,マイソール,グジャラートでの中心野党となる。CPIは会議派と協定の成立した州では快調,一方CPI・Mは基盤西ベンガルで会議派に完敗し,J.バスら有力者も落選,カルカッタ市では1議席も得られなかった。 |
DIA-302-1972-03-14-1 | インド | 1972年03月14日 | 1970年代 | マハーラーシュトラ州,V.P.ナイク首相就任, |
DIA-302-1972-03-14-2 | インド | 1972年03月14日 | 1970年代 | 米中共同声明は内政干渉である─シン外相は下院で,米中共同声明がカシミールに言及したことは内政干渉であるとのべた。 |
DIA-302-1972-03-15-1 | インド | 1972年03月15日 | 1970年代 | グジャラート州会議派委員長にG.オザ(工業開発担当相)が選出される。パンジャーブ州会議派委員長にはザイル・シン。 |
DIA-302-1972-03-16-1 | インド | 1972年03月16日 | 1970年代 | 州議会選挙結果。(表を参照) |
DIA-302-1972-03-16-2 | インド | 1972年03月16日 | 1970年代 | 1972~73年度予算案議会に提出─18億3000万ルピーの増税。 |
DIA-302-1972-03-17-1 | インド | 1972年03月17日 | 1970年代 | アッサム州,S.C.シンハ国民会議派政府成立。 |
DIA-302-1972-03-17-2 | インド | 1972年03月17日 | 1970年代 | 首相,バングラデシュ訪問─バングラデシュ首相,外相と会談。 |
DIA-302-1972-03-18-1 | インド | 1972年03月18日 | 1970年代 | インド・バングラデシュ共同声明調印。 |
DIA-302-1972-03-19-1 | インド | 1972年03月19日 | 1970年代 | ビハール州,K.パンデイ会議派政府成立。 |
DIA-302-1972-03-19-2 | インド | 1972年03月19日 | 1970年代 | インド・バングラデシュ友好協力平和条約(25年間)調印。 |
DIA-302-1972-03-20-1 | インド | 1972年03月20日 | 1970年代 | 西ベンガル州,S.S.ライ会議派政府成立。 |
DIA-302-1972-03-20-2 | インド | 1972年03月20日 | 1970年代 | 首相,経済自立計画の実施をうたう。上院で,インドの直面する問題は開発計画の遅れの理由とはならない,経済不均衡の最大の要因は失業と雇用問題である,“農村雇用のための突貫計画”などの失業救済特別計画が実施されていないことなど明らかにした。 |
DIA-302-1972-03-20-3 | インド | 1972年03月20日 | 1970年代 | 全7州で大統領統治終了─ビハール,グジャラート,マニプール,マイソール,パンジャーブ,トリプラ,西ベンガル。マニプールはM.アリムッディーン統一戦線政府。トリプラはS.セングプタ会議派政府,マイソールはD.ウルス会議派政府,アンドラはP.V.N.ラーオ会議派政府が誕生。 |
DIA-302-1972-03-23-1 | インド | 1972年03月23日 | 1970年代 | ゴア,マディヤ・プラデーシュで組閣。MPはP.C.セティ会議派政府,ゴアはD.B.バンドドカル(マハーラーシュトラワーディー・ゴマンタク党)政府。 |
DIA-302-1972-03-23-2 | インド | 1972年03月23日 | 1970年代 | 電力不足─マハーラーシュトラ州は8%,グジャラート州は25%の電力消費削減を発表。 |
DIA-302-1972-03-27-1 | インド | 1972年03月27日 | 1970年代 | ギリ大統領,タイ公式訪問。 |
DIA-302-1972-03-28-1 | インド | 1972年03月28日 | 1970年代 | インド・バングラデシュ貿易協定調印─1年間と定め往復5億ルピーの取引きを行なう。インドは,セメント,生タバコ,絹糸,綿織物,石炭,アスファルト,木材その他,フィルム等,バングラデシュは,魚,ジュート等を輸出する。 |
DIA-302-1972-03-30-1 | インド | 1972年03月30日 | 1970年代 | ギリ大統領,タイから帰国─29日の共同声明で,両国の話合いは相互に実りあるものであることを証明し,特に共通の関心,利益のある問題で,両国関係の強化に役立ったと発表した。 |
DIA-302-1972-04-02-1 | インド | 1972年04月02日 | 1970年代 | インド政府は,今まで約束した50万トンの食糧に加えて,さらに25万トンの食糧をバングラデシュに供給することを決定。 |
DIA-302-1972-04-03-1 | インド | 1972年04月03日 | 1970年代 | インド政府,輸入統制強化政策打出す─1972~73年度に関して,160品目の輸入禁止と87品目の輸入割当制限の強化法案,議会に提出。対象品目の大半はアメリカからの輸入品でボールベアリング,工作機械,化学,医薬品など。 |
DIA-302-1972-04-03-2 | インド | 1972年04月03日 | 1970年代 | ソ連海軍司令官S.G.ゴルシコフ訪印。スワラン・シン外相訪ソ。 |
DIA-302-1972-04-04-1 | インド | 1972年04月04日 | 1970年代 | ガンディー首相,インドはパキスタンと直接接触していると発表─印パ戦争後初めて。 |
DIA-302-1972-04-04-2 | インド | 1972年04月04日 | 1970年代 | スワラン・シン外相,ブレジネフ,コスイギンと会談,主としてインド亜大陸の正常化問題。 |
DIA-302-1972-04-06-1 | インド | 1972年04月06日 | 1970年代 | スワラン・シン外相,2日間のソ連公式訪問を終え帰国,共同声明発表。 インド亜大陸での紛争の早期解決を図るため,インド,バングラ,パキスタン3政府間の直接交渉の実現を提唱。 また,スワラン・シン外相は特使レベルでの直接の印パ交渉がさしせまっていると語った。 |
DIA-302-1972-04-06-2 | インド | 1972年04月06日 | 1970年代 | パキスタン高官,ガンディー首相がブット大統領に書簡を送り,前提条件なしの首脳会談提唱があったことを確認。 |
DIA-302-1972-04-07-1 | インド | 1972年04月07日 | 1970年代 | スワラン・シン外相,インド洋にソ連海軍基地は存在しないと表明。 |
DIA-302-1972-04-08-1 | インド | 1972年04月08日 | 1970年代 | 訪印中のソ連海軍司令官G.ゴルシコフは,ソ連はインド洋に海軍基地をもつ計画はないと非公式に言明。 |
DIA-302-1972-04-09-1 | インド | 1972年04月09日 | 1970年代 | ブット大統領,平和交渉に関するインド側提案を受諾。 |
DIA-302-1972-04-12-1 | インド | 1972年04月12日 | 1970年代 | パンジャブ,ハリアナ,U.P.州首相は,内閣政治委員会と話合い,農産物価格委員会の小麦買入れ価格引下げ案反対を押し通す。 |
DIA-302-1972-04-12-2 | インド | 1972年04月12日 | 1970年代 | ブット大統領,ガンディー提案受諾の書簡。 |
DIA-302-1972-04-15-1 | インド | 1972年04月15日 | 1970年代 | 会議派・右派共産党連合,西ベンガル州で持続─AICC書記長H.オースチン,「左翼冒険主義者」との抗争が終わらない以上,西ベンガル州での会議派,右派共産党連合は維持されると表明。 |
DIA-302-1972-04-18-1 | インド | 1972年04月18日 | 1970年代 | D.P.ダール,ダッカ訪問,印パ会談の議題となりうる共通の問題について協議するため。 |
DIA-302-1972-04-18-2 | インド | 1972年04月18日 | 1970年代 | ミゾラム州で州議会議員選挙。 |
DIA-302-1972-04-18-3 | インド | 1972年04月18日 | 1970年代 | 第5次5カ年計画の規模,第4次5カ年計画の2倍計画委員会提案。 公共部門の支出は3200億ルピーとなる。 |
DIA-302-1972-04-19-1 | インド | 1972年04月19日 | 1970年代 | インド・バングラは,来る印パ特使会談において亜大陸の恒久平和をめざすべきであるとする点で意見が一致。特使会談でのインド首席代表はD.P.ダール外務省政策委員長を予定。 |
DIA-302-1972-04-19-2 | インド | 1972年04月19日 | 1970年代 | ミゾ族,ナガ族,バングラデシュのラザカール,アル・バドル,ビルマの親中国部族と統一戦線を結成しているという一部情報。 |
DIA-302-1972-04-20-1 | インド | 1972年04月20日 | 1970年代 | インド外務省は,印パ特使会談は,4月26日,イスラマバード近くのマリー(Muree)で開かれると発表。 |
DIA-302-1972-04-20-2 | インド | 1972年04月20日 | 1970年代 | 米国務省,過去の軍事援助の数字を発表。 |
DIA-302-1972-04-21-1 | インド | 1972年04月21日 | 1970年代 | K.C.パント内相,非常事態宣言を取り消すことは,まだ不可能と表明。 |
DIA-302-1972-04-22-1 | インド | 1972年04月22日 | 1970年代 | インド共産党(マルクス主義派)中央委員会,1週間の討議終了。 「会議派の一党独裁」の危険性を予測し,「左翼的・民主的政党」による反対運動を呼びかけた。 また,西ベンガル州議会ボイコットも継続。 |
DIA-302-1972-04-22-2 | インド | 1972年04月22日 | 1970年代 | ガンディー首相,社会主義は全産業の国有化とは異なると表明。 |
DIA-302-1972-04-22-3 | インド | 1972年04月22日 | 1970年代 | イギリス,インドからの無税の手織綿製品輸入割当てを100万平方ヤードから800万平方ヤードにすることに同意したと伝えられる。 |
DIA-302-1972-04-23-1 | インド | 1972年04月23日 | 1970年代 | 会議派・DMK連合が崩壊してから最初のタミル・ナド,カルナニディ州首相とガンディー首相との会談。 |
DIA-302-1972-04-25-1 | インド | 1972年04月25日 | 1970年代 | インド側代表団,パキスタン着。 |
DIA-302-1972-04-25-2 | インド | 1972年04月25日 | 1970年代 | 会議派国会議員団執行委員会内部で,農地保有引下げ問題の対象地に関して意見対立,全灌漑地の統一上限設定の是非に関連する。 |
DIA-302-1972-04-25-3 | インド | 1972年04月25日 | 1970年代 | 西ベンガル州公共秩序維持法,州議会通過。 |
DIA-302-1972-04-26-1 | インド | 1972年04月26日 | 1970年代 | 第29次憲法改正案議会提出。 保有制限を越える土地を州が接収する場合,市場価格での補償の必要性をなくするもの。 |
DIA-302-1972-04-26-2 | インド | 1972年04月26日 | 1970年代 | 印パ特使会談,マリーで開かれる─インド側:D.P.ダール外務省政策委員長,パキスタン側:アジス・アーメド外務省事務次官。 |
DIA-302-1972-04-27-1 | インド | 1972年04月27日 | 1970年代 | F.A.アーメッド農業相,政府系水源による灌漑地は,土地保有制限引下げの対象にならないと述べた。 |
DIA-302-1972-04-27-2 | インド | 1972年04月27日 | 1970年代 | ミゾラム州選挙結果。 ミゾ・ユニオン 21 会議派 6 無所属 3 計30 |
DIA-302-1972-04-28-1 | インド | 1972年04月28日 | 1970年代 | D.P.ダール,ラワルピンディでブット大統領と会談。 |
DIA-302-1972-04-28-2 | インド | 1972年04月28日 | 1970年代 | 防衛生産相V.C.シュクラは,インドの武器輸出を促進するため,公共機関をつくる予定であると述べる。 |
DIA-302-1972-04-28-3 | インド | 1972年04月28日 | 1970年代 | ソ連,アメリカの援助停止によって作り出された工業原材料不足を埋めあわせることに合意。 |
DIA-302-1972-04-30-1 | インド | 1972年04月30日 | 1970年代 | 印パ両国政府,共同声明を発表─首脳会談が5月末か6月初めにニューデリーで開かれることが明らかにされた。首脳会談の方法,議題については明らかにせず。 |
DIA-302-1972-05-02-1 | インド | 1972年05月02日 | 1970年代 | J.ラム国防相,原子力委員会は「平和的目的のための地下核爆発技術を研究中」と語る。 |
DIA-302-1972-05-03-1 | インド | 1972年05月03日 | 1970年代 | ミゾラム州,チュンガ(Chhunga)内閣成立。新首相はミゾ・ユニオン・レジスレーチャ・パーティの指導者。 |
DIA-302-1972-05-03-2 | インド | 1972年05月03日 | 1970年代 | 会議派国議員団内部で,農地保有制限引下げをめぐって議論激化─私有井戸からの灌漑地の統一上限10~18エーカーに含めるかどうかを,中央土地改革委員会に決定するよう要請。 |
DIA-302-1972-05-05-1 | インド | 1972年05月05日 | 1970年代 | ジャム・カシミール州のティトワル(Tithwal)地区のインド軍陣地をパキスタン軍が攻撃。パ側はインド軍の侵入と発表。 |
DIA-302-1972-05-05-2 | インド | 1972年05月05日 | 1970年代 | インド農業研究所(IARI)の若い学者Dr.V.H.シャー,研究所の人事政策に抗議して自殺。 |
DIA-302-1972-05-05-3 | インド | 1972年05月05日 | 1970年代 | 内閣政治委員会は,私有井戸灌漑地も,土地保有制限の引下げの特例にすべきでないと表明。 |
DIA-302-1972-05-06-1 | インド | 1972年05月06日 | 1970年代 | ジャム・カシミールでの印パ軍衝突は,両軍の停戦命令で終結。パ軍が若干領土を奪ったもよう。 |
DIA-302-1972-05-06-2 | インド | 1972年05月06日 | 1970年代 | インドの軍需品輸出額は1971年で350万ドル。 |
DIA-302-1972-05-07-1 | インド | 1972年05月07日 | 1970年代 | 5月18日から予定されていた西ベンガル州ジュート工場労働者スト回避─三者協議会の協定により,遡及して4月15日からの3年間,最低賃金月額235ルピー(75ルピーは物価手当)で,現行より45.60ルピー・アップ。対象者は24万人。 |
DIA-302-1972-05-07-2 | インド | 1972年05月07日 | 1970年代 | 会議派総裁D.サンジバヤ死亡。 |
DIA-302-1972-05-08-1 | インド | 1972年05月08日 | 1970年代 | パトナ近くのバガルプル(Bhagalpur)特別中央刑務所で暴動が起き,警官の発砲で9名死亡。 |
DIA-302-1972-05-09-1 | インド | 1972年05月09日 | 1970年代 | 中央土地改革委員会,全会一致で5月末に開かれる予定の州首相会議に,農地保有制限問題について下駄をあずけることを決定。 |
DIA-302-1972-05-09-2 | インド | 1972年05月09日 | 1970年代 | J.ラム国防相,インド軍はジャム・カシミール,ティトワル地区の2つの陣地から撤退したと発表。さらに,この事件は来る印パ会談には影響しないと述べた。 |
DIA-302-1972-05-10-1 | インド | 1972年05月10日 | 1970年代 | ガンディー首相,ブット大統領に書簡を送り,会談の日取りを提案。 スワラン・シン外相,議会でアメリカの戦争エスカレーションを非難,また,1954年のジュネーブ会議の共同議長国であるソ連とイギリスと接触中であると述べた。 |
DIA-302-1972-05-11-1 | インド | 1972年05月11日 | 1970年代 | 会議派執行委員会,書記長のS.D.シャルマを新会議派総裁に決定。 |
DIA-302-1972-05-12-1 | インド | 1972年05月12日 | 1970年代 | インド茶の世界茶市場に占めるシェアは,1951年の45.0%から1970年の31.6%へ低下。 |
DIA-302-1972-05-12-2 | インド | 1972年05月12日 | 1970年代 | 会議派指導者会議開催─急進的土地改革を主張するC.スブラマニアム計画相とガンディー首相衝突。 |
DIA-302-1972-05-12-3 | インド | 1972年05月12日 | 1970年代 | ブット大統領,ガンディー書簡に答えて,6月28日を首脳会議の日取りとして合意。 |
DIA-302-1972-05-12-4 | インド | 1972年05月12日 | 1970年代 | インドの対セイロン援助は,72~73年度で4820万ルピーを予定。 |
DIA-302-1972-05-14-1 | インド | 1972年05月14日 | 1970年代 | 労働争議のためアショーク・レイランド(Ashok Leyland)工場閉鎖。 |
DIA-302-1972-05-15-1 | インド | 1972年05月15日 | 1970年代 | D.P.ダール外務省政策委員長。ダッカ訪問─ラーマン首相と会談。 |
DIA-302-1972-05-16-1 | インド | 1972年05月16日 | 1970年代 | R.K.カディルカール労相,農業労働者の組合組織化の必要性を主張。 |
DIA-302-1972-05-16-2 | インド | 1972年05月16日 | 1970年代 | UNCTAD総会で,インド代表H.ラル,EECを批判─開発途上国の貿易発展を阻害しているとするもの。 |
DIA-302-1972-05-17-1 | インド | 1972年05月17日 | 1970年代 | スワラン・シン外相,カシミール国連監視グループの役割は終わったと述べる。 |
DIA-302-1972-05-18-1 | インド | 1972年05月18日 | 1970年代 | 北部インドの熱風で171名死亡。 |
DIA-302-1972-05-20-1 | インド | 1972年05月20日 | 1970年代 | ガンディー首相,ナクサライト,インド共産党(マルクス主義者),ジャン・サンを非難。 |
DIA-302-1972-05-21-1 | インド | 1972年05月21日 | 1970年代 | INTUC,AITUC,HMSの3労組は,全国協議会(National Council)をつくることに合意─ガンディー首相は,マドゥライでINTUCの指導者達に対し,他労組との協力の可能性を追及し,労組内の過激主義者と斗うよう呼びかける。 |
DIA-302-1972-05-21-2 | インド | 1972年05月21日 | 1970年代 | ガンディー首相,マドゥライで自治要求は国の統一を破壊する可能性があると述べる。 |
DIA-302-1972-05-22-1 | インド | 1972年05月22日 | 1970年代 | 州労働大臣達は,中央政府の労使関係法改訂の動きに同意─州政府の権限縮少の場合には認められないと表明。 |
DIA-302-1972-05-23-1 | インド | 1972年05月23日 | 1970年代 | チャバン蔵相,所得の上限設定を示唆。 |
DIA-302-1972-05-24-1 | インド | 1972年05月24日 | 1970年代 | 第11次対印円借款にもとづく肥料輸出契約調印,16億円で7万5000トンの尿素肥料。 |
DIA-302-1972-05-24-2 | インド | 1972年05月24日 | 1970年代 | 内務省,オリッサ州の小数部族少女の売買問題調査を中央情報局に依頼。 |
DIA-302-1972-05-24-3 | インド | 1972年05月24日 | 1970年代 | 1971~72年度に調印された外国援助は10億8400万ドル,半分の5億0600万ドルは世銀グループ─日本は1億6130万ドルでトップ,アメリカは4位に転落。 |
DIA-302-1972-05-27-1 | インド | 1972年05月27日 | 1970年代 | 労働争議法改正案,国会通過─50人以上の従業員を有する経営者に,工場閉鎖の場合,政府に60日前までに予告することを義務づけたもの。 |
DIA-302-1972-05-28-1 | インド | 1972年05月28日 | 1970年代 | ブルドワンで脱獄事件,3人死亡。 |
DIA-302-1972-05-29-1 | インド | 1972年05月29日 | 1970年代 | ガンディー首相,米ソ首脳会談は小国にはプラスにならないと述べる。 |
DIA-302-1972-05-29-2 | インド | 1972年05月29日 | 1970年代 | アリーガル大学法改正案議会提出。 |
DIA-302-1972-05-30-1 | インド | 1972年05月30日 | 1970年代 | 国家開発会議開く─ガンディー首相,「第5次5カ年計画へのアプローチ」の目的は貧困層を助けることであると表明。 |
DIA-302-1972-05-30-2 | インド | 1972年05月30日 | 1970年代 | 会議派執行委員会,前日のガンディー首相の発言とは異なって,米ソ・モスクワ・コミュニケを限界を認めつつも,歓迎の意を表明。 |
DIA-302-1972-05-30-3 | インド | 1972年05月30日 | 1970年代 | ソ連へのインドの輸出は,72年度には25%増加し,26億3000万ルピーになる見込み。輸入は12億4000万ルピー。 L.N.ミシュラン外国貿易相は,アメリカが供給停止した戦略非鉄金属類は,ソ連から入手していると述べた。 |
DIA-302-1972-05-31-1 | インド | 1972年05月31日 | 1970年代 | 会議派内の土地改革専門委員会は灌漑リースの相違にかかわらず,5人家族当り10~18エーカーの農地保有上限を勧告。 |
DIA-302-1972-05-31-2 | インド | 1972年05月31日 | 1970年代 | 計画委員会の「第5次5カ年計画へのアプローチ」文書が議会へ提出される。 |
DIA-302-1972-06-01-1 | インド | 1972年06月01日 | 1970年代 | AICC,ニューデリーで開かれる─Y.B.チャバン蔵相,州首相に対し,農業所得税の必要性を訴える。 |
DIA-302-1972-06-02-1 | インド | 1972年06月02日 | 1970年代 | AICCで,第5次5カ年計画へのアプローチ案承認される。 |
DIA-302-1972-06-02-2 | インド | 1972年06月02日 | 1970年代 | アリーガル大学法(修正)上院通過(1日に下院通過)。 |
DIA-302-1972-06-02-3 | インド | 1972年06月02日 | 1970年代 | 宇宙エネルギー委員会,設立。 |
DIA-302-1972-06-03-1 | インド | 1972年06月03日 | 1970年代 | 国産最初のフリゲート艦ニルギリ(Nilgiri)就役。 |
DIA-302-1972-06-03-2 | インド | 1972年06月03日 | 1970年代 | 刑法修正案,上院通過─コミュナル,言語,地域的分裂をあおる武装,プロパガンダを行なう団体を非合法化する権限を政府に与えるもの。 |
DIA-302-1972-06-04-1 | インド | 1972年06月04日 | 1970年代 | 都市資産上限設定に関する政府任命のスタディー・グループ,50万ルピー上限案を勧告。 |
DIA-302-1972-06-05-1 | インド | 1972年06月05日 | 1970年代 | カシミール州政府,シェーク・アブドラの入州を許可。 |
DIA-302-1972-06-05-2 | インド | 1972年06月05日 | 1970年代 | 世銀勧告,1972~73年の対印援助を12億5000万ドルと勧告。 |
DIA-302-1972-06-05-3 | インド | 1972年06月05日 | 1970年代 | 会議派内の土地改革委員会の報告によると,個人所有灌漑地の優遇を勧告(土地保有制限問題)。 |
DIA-302-1972-06-05-4 | インド | 1972年06月05日 | 1970年代 | アリーガルでムスリム,ヒンドゥー衝突で24時間の外出禁止令。 |
DIA-302-1972-06-07-1 | インド | 1972年06月07日 | 1970年代 | S.D.シャルマ会議派総裁,会議派執行委員会を新しく任命,チャンドラ・セカルは外されて,AICCの書記長になる。 |
DIA-302-1972-06-09-1 | インド | 1972年06月09日 | 1970年代 | インド政府が日本に尿素大量注文─日印肥料交渉ワク7万5000トンとは別に15万トン。 |
DIA-302-1972-06-09-2 | インド | 1972年06月09日 | 1970年代 | インド,対バングラ軍事援助─バングラ政府筋表明,パトロール船,軍事訓練など。 |
DIA-302-1972-06-09-3 | インド | 1972年06月09日 | 1970年代 | ビスワナト・ダス,オリッサ州首相,辞表提出─ウトカル・コングレス統一戦線政府から離れ,会議派との統合を決定したため。 |
DIA-302-1972-06-09-4 | インド | 1972年06月09日 | 1970年代 | インド・バングラ経済会議,ニューデリーで開かれる。 |
DIA-302-1972-06-10-1 | インド | 1972年06月10日 | 1970年代 | カナダとインド,5000万ドルの開発借款供与協定調印。 |
DIA-302-1972-06-11-1 | インド | 1972年06月11日 | 1970年代 | インド・バングラ,原子力平和利用,宇宙開発,高等教育の分野での協力に合意。 |
DIA-302-1972-06-12-1 | インド | 1972年06月12日 | 1970年代 | 国連開発計画,来る5年間,5000万ドルの対印技術援助を承認。 |
DIA-302-1972-06-12-2 | インド | 1972年06月12日 | 1970年代 | ジェーク・アブドラ,ガンディーと会見。 |
DIA-302-1972-06-12-3 | インド | 1972年06月12日 | 1970年代 | ガンディー首相,スウェーデン,チェコ,ハンガリーへの12日間の公式訪問に出発。 |
DIA-302-1972-06-12-4 | インド | 1972年06月12日 | 1970年代 | 策定中の新産業政策によると,長期的には公共部門の役割の強化をうたいつつ,短期的には民間部門の生産能力のフル稼働を目指している。 |
DIA-302-1972-06-13-1 | インド | 1972年06月13日 | 1970年代 | ガンディー首相,ローマで,印パ問題で第三者が介入する必要はないと言明。 |
DIA-302-1972-06-13-2 | インド | 1972年06月13日 | 1970年代 | 西ベンガル州S.S.ライ首相,バングラから帰国,両国間に関係する治安維持問題を話合ったといわれる。 |
DIA-302-1972-06-14-1 | インド | 1972年06月14日 | 1970年代 | パリでの対印コンソーシャム会議は2日間の日程を終え,12億5000万ドルのコミットメントを決定。 内訳 ノン・プロジェクト援助(デット・リリーフを含む) 7億ドル プロジェクト援助 5億5000万ドル |
DIA-302-1972-06-14-2 | インド | 1972年06月14日 | 1970年代 | 来年のバングラの対印ジュート輸出見込み20万ベール(7500万ルピー)。 |
DIA-302-1972-06-14-3 | インド | 1972年06月14日 | 1970年代 | オリッサ州,N.サトパティ(Mrs.Nandini Satpathy)会談派内閣成立─会議派の政権復帰は5年ぶり。新首相は,前連邦政府情報相。 |
DIA-302-1972-06-14-4 | インド | 1972年06月14日 | 1970年代 | 日航機,デリー郊外で,原因不明の墜落(JAL.DC-8)。 |
DIA-302-1972-06-15-1 | インド | 1972年06月15日 | 1970年代 | ハノイへの途上のソ連の連邦会議議長ポドゴルヌイと,スワラン・シン外相会談(カルカッタ)。 |
DIA-302-1972-06-15-2 | インド | 1972年06月15日 | 1970年代 | タミル・ナードのシンプソン(Sinpson)工場でDMK労組指導者,労組間抗争で死亡。 |
DIA-302-1972-06-16-1 | インド | 1972年06月16日 | 1970年代 | アリーガル大学法反対のムスリムのプロテスト・デイ,大きな衝突はなく終わる。しかし14人死亡。 |
DIA-302-1972-06-16-2 | インド | 1972年06月16日 | 1970年代 | ガンディー首相,ストックホルムで,米印関係悪化の責任は米側にある,と述べる。 |
DIA-302-1972-06-16-3 | インド | 1972年06月16日 | 1970年代 | 1972年3月末現在の外貨準備高発表,11億6600万ドルで1年前より,1億9000万ドルの増加。SDRの伸びが大きい。 |
DIA-302-1972-06-17-1 | インド | 1972年06月17日 | 1970年代 | ソ連,インドから銑鉄を来る1年間に50万トン輸入の協定調印。 |
DIA-302-1972-06-17-2 | インド | 1972年06月17日 | 1970年代 | アグラ地区のフェロザバードと,ベナレスで,警官隊と群衆が衝突して13人死亡。 |
DIA-302-1972-06-18-1 | インド | 1972年06月18日 | 1970年代 | 熱風による今までの死者789人にのぼる。 |
DIA-302-1972-06-18-2 | インド | 1972年06月18日 | 1970年代 | オランダ,対印借款6億ルピー(8年間すえ置き,20年払,利率21/2%)。 |
DIA-302-1972-06-18-3 | インド | 1972年06月18日 | 1970年代 | 印パ首脳会談,シムラで6月28日からと発表。 |
DIA-302-1972-06-19-1 | インド | 1972年06月19日 | 1970年代 | フェロザバードでアリーガル大学問題をめぐって8人死亡。 |
DIA-302-1972-06-19-2 | インド | 1972年06月19日 | 1970年代 | チェコ駐在中国大使,中印両国の大使交換希望と表明(PTI)。 |
DIA-302-1972-06-19-3 | インド | 1972年06月19日 | 1970年代 | ブータン,外務省を創設。 |
DIA-302-1972-06-19-4 | インド | 1972年06月19日 | 1970年代 | ガンディー首相と,チェコのL.ストルギル首相の会談が終わり,両国は5カ年計画を毎年相互間で協議することに合意。 |
DIA-302-1972-06-20-1 | インド | 1972年06月20日 | 1970年代 | インド・チェコ共同コミュニケ─ベトナム臨時革命政府の7項目支持を表明,また,北爆と機雷封鎖を非難。 |
DIA-302-1972-06-20-2 | インド | 1972年06月20日 | 1970年代 | 1971年4月1日の人口発表─1961年の439,072,582人から24.8%増加して547,949,809人。 |
DIA-302-1972-06-20-3 | インド | 1972年06月20日 | 1970年代 | PL480の在印積立て基金を,外国人の訓練計画に使用するのを禁止(政府)。 現存の積立金は,45億米ドルにのぼる。 |
DIA-302-1972-06-21-1 | インド | 1972年06月21日 | 1970年代 | インド・ハンガリー,貿易・経済協力を拡大するため合同委員会設立に合意。 |
DIA-302-1972-06-22-1 | インド | 1972年06月22日 | 1970年代 | 農業省,全農地(政府系灌漑,私的灌漑を問わず)に関する統一的保有制限には反対と伝えられる。 |
DIA-302-1972-06-23-1 | インド | 1972年06月23日 | 1970年代 | インド,年内核実験説を否定。 |
DIA-302-1972-06-23-2 | インド | 1972年06月23日 | 1970年代 | ルピー変動相場制に移行─ポンドの変動為替相場制移行に伴い,ポンドにリンクしているルピーも自動的にフロート。 |
DIA-302-1972-06-24-1 | インド | 1972年06月24日 | 1970年代 | ピルー・モディ(Piloo Mody),スワタントラ党議長に選出される。 |
DIA-302-1972-06-24-2 | インド | 1972年06月24日 | 1970年代 | ガンディー首相帰国。 |
DIA-302-1972-06-27-1 | インド | 1972年06月27日 | 1970年代 | 71年12月の印パ戦争のインド側のコストは14億ルピー─インド政府筋。 |
DIA-302-1972-06-27-2 | インド | 1972年06月27日 | 1970年代 | インド共産党(マルクス主義)第9回大会,マドゥライで開催。 |
DIA-302-1972-06-28-1 | インド | 1972年06月28日 | 1970年代 | 印パ首脳会談,シムラで開催。第1回両国代表団の事務レベル会談。 |
DIA-302-1972-06-30-1 | インド | 1972年06月30日 | 1970年代 | ガンディー,ブット第2回会談。 |
DIA-302-1972-07-01-1 | インド | 1972年07月01日 | 1970年代 | 第3回ガンディー・ブット会談。 |
DIA-302-1972-07-02-1 | インド | 1972年07月02日 | 1970年代 | 印パ会談─ブット大統領,ガンディー首相を訪問。訪問後の記者会見でブット大統領は,会談は行詰まっている,そのおもな問題はカシミール問題である,とのべた。 |
DIA-302-1972-07-03-1 | インド | 1972年07月03日 | 1970年代 | 印パ平和協定に調印─ジャム・カシミールを除く地域での両軍撤退,ジャム・カシミールでは1971年12月17日停戦ラインを尊重,撤兵は協定発効から30日以内に完了する。 |
DIA-302-1972-07-04-1 | インド | 1972年07月04日 | 1970年代 | コナリー米大統領特使,インド訪問。 |
DIA-302-1972-07-04-2 | インド | 1972年07月04日 | 1970年代 | タミル・ナードゥ,農民運動で2,500人の逮捕者。 |
DIA-302-1972-07-05-1 | インド | 1972年07月05日 | 1970年代 | タミル・バンド,死者14人を出す。 |
DIA-302-1972-07-05-2 | インド | 1972年07月05日 | 1970年代 | コナリー特使,首相と会談。 |
DIA-302-1972-07-05-3 | インド | 1972年07月05日 | 1970年代 | ギリ大統領,ベルグラード訪問。 |
DIA-302-1972-07-06-1 | インド | 1972年07月06日 | 1970年代 | 会議派執行委員会,土地シーリング案を緩和する方向で検討。 |
DIA-302-1972-07-06-2 | インド | 1972年07月06日 | 1970年代 | シン外相,ワルシャワ訪問。 |
DIA-302-1972-07-06-3 | インド | 1972年07月06日 | 1970年代 | K.B.キーティング米駐印大使辞任。 |
DIA-302-1972-07-06-4 | インド | 1972年07月06日 | 1970年代 | コインバトール・ハルタルに陸軍出動。 |
DIA-302-1972-07-09-1 | インド | 1972年07月09日 | 1970年代 | インド・ポーランド共同コミュニケ─ポーランドはバングラデシュの国連加盟を求め,シムラでの印パ協定を歓迎する,両国は,インドシナからすべての外国軍隊の即時撤退を呼びかける。 |
DIA-302-1972-07-10-1 | インド | 1972年07月10日 | 1970年代 | ギリ大統領,アフガニスタン訪問。 |
DIA-302-1972-07-10-2 | インド | 1972年07月10日 | 1970年代 | CPIのボワニ・セン,モスクワで客死。 |
DIA-302-1972-07-11-1 | インド | 1972年07月11日 | 1970年代 | 食糧生産,昨年の1億0800万トンを200万トン下まわるもよう。 |
DIA-302-1972-07-12-1 | インド | 1972年07月12日 | 1970年代 | 首相,インドの核実験計画を否定。 |
DIA-302-1972-07-16-1 | インド | 1972年07月16日 | 1970年代 | C.マズムダール(ナクサライト指導者)逮捕。 |
DIA-302-1972-07-20-1 | インド | 1972年07月20日 | 1970年代 | K.ハヌマンタイヤ鉄道相辞任。 |
DIA-302-1972-07-21-1 | インド | 1972年07月21日 | 1970年代 | M.H.チョウドリ工業開発相辞任。 |
DIA-302-1972-07-21-2 | インド | 1972年07月21日 | 1970年代 | シン外相,ヒューム英首相と会談。 |
DIA-302-1972-07-22-1 | インド | 1972年07月22日 | 1970年代 | 土地シーリング計画後退─会議派州首相,党運営委から,果樹園に関する例外規定,“家族”の内容,個人井戸による灌漑実施日等についての譲歩を引き出す。 |
DIA-302-1972-07-22-2 | インド | 1972年07月22日 | 1970年代 | 内閣改造─D.P.ダル(外務省政策局長)は計画相,T.A.パーイは鉄道相として入閣。C.スブラマニアムは工業開発・科学技術相に。 |
DIA-302-1972-07-23-1 | インド | 1972年07月23日 | 1970年代 | 土地シーリング案─会議派州首相は,10~50エーカーの範囲でシーリング設定,立法化に賛成,果樹園に関しては54エーカーの上限を定めることに同意した。 |
DIA-302-1972-07-25-1 | インド | 1972年07月25日 | 1970年代 | 輸出成長率鈍化─1971~72年輸出総額は156億7000万ルピーで前年比2%の伸びにとどまった。 |
DIA-302-1972-07-25-2 | インド | 1972年07月25日 | 1970年代 | 閣議,シムラ印パ協定を承認。 |
DIA-302-1972-07-27-1 | インド | 1972年07月27日 | 1970年代 | インド・ネパール通商貿易協定合意。 |
DIA-302-1972-07-28-1 | インド | 1972年07月28日 | 1970年代 | C.マズムダール死去。 |
DIA-302-1972-07-28-2 | インド | 1972年07月28日 | 1970年代 | シムラ協定批准─大統領,批准書に調印。 |
DIA-302-1972-07-31-1 | インド | 1972年07月31日 | 1970年代 | モンスーン国会開会。 |
DIA-302-1972-08-03-1 | インド | 1972年08月03日 | 1970年代 | 首相,物価上昇のチェックを求める─関係機関に,物価上昇を規制する計画を考えるよう求めた。計画委員会が召集され食糧品価格の値上りを検討することになった。 |
DIA-302-1972-08-03-2 | インド | 1972年08月03日 | 1970年代 | カシミールについてインドの立場は変わらない─シン外相は上院の答弁で,ジャム・カシミールはパキスタンに占領されている領土も含めてインド領であると答えた。 |
DIA-302-1972-08-04-1 | インド | 1972年08月04日 | 1970年代 | シムラ印パ協定発効。 |
DIA-302-1972-08-05-1 | インド | 1972年08月05日 | 1970年代 | 国防費削減はしない,J.ラーム国防相─インド国防費はGNRの3.4%からなり,これは他の国にくらべて大きいものではない,南アジア地域に平和が確立されるまで削減はしない,と語った。 |
DIA-302-1972-08-05-2 | インド | 1972年08月05日 | 1970年代 | アーンドラ,ビバール,グジャラート,ケララ,マハーーシュトラ,ラージャスタン等13州に旱ばつ被害。 |
DIA-302-1972-08-08-1 | インド | 1972年08月08日 | 1970年代 | カリフ(秋作),1500万トンの減産の見通し。 |
DIA-302-1972-08-08-2 | インド | 1972年08月08日 | 1970年代 | マハーラーシュトラ禁酒法廃止。 |
DIA-302-1972-08-10-1 | インド | 1972年08月10日 | 1970年代 | 印パ司令官会談─ジャム・カシミールの“支配領域ライン”画定の手続方法について話し合った。会談はインド側カシミールのスーチェトゥガル村で行なわれ,インド側出席者は陸軍司令官P.S.バガト中将,パ側は陸軍司令官A.ハミード・カーン中将。 |
DIA-302-1972-08-10-2 | インド | 1972年08月10日 | 1970年代 | 最高裁,憲法改正の検討を決定─憲法に定められた基本権を修正するために議会の権利を検討することを決定。 |
DIA-302-1972-08-10-3 | インド | 1972年08月10日 | 1970年代 | 政府,ウガンダのアジア人追放に関してウガンダ政府と接触。 |
DIA-302-1972-08-11-1 | インド | 1972年08月11日 | 1970年代 | スーチェトゥガル会談でインド側,支配領域ライン固定を主張。 |
DIA-302-1972-08-12-1 | インド | 1972年08月12日 | 1970年代 | 印パ・カシミール支配領域ラインで合意─印パ,スーチェトゥガル会談,共同記者発表。13日から3~5日のうちに支配領域ライン画定作業を始める,次回印パ軍司令会談はパキスタンのワガで8月21日開かれると発表。 |
DIA-302-1972-08-19-1 | インド | 1972年08月19日 | 1970年代 | 食糧増産突貫計画─ラビ(春作)から実施し年間1500万トンの増産を計画,小麦を350万ヘクタール広げ,うち120万ヘクタールに高収穫品種を採用,小麦880万トン,夏米450万トン,ラビ・ジョワール50万トン,ひよこ豆200万トンの増産を計画している。 |
DIA-302-1972-08-21-1 | インド | 1972年08月21日 | 1970年代 | 印パ・ワガ会談。 |
DIA-302-1972-08-21-2 | インド | 1972年08月21日 | 1970年代 | インド・韓国共同声明─訪印(8月17日)した金溶植韓国外相は大統領,首相,外相らと会談後共同声明を発表,貿易・文化の面で両国間の提携促進の努力を行なうことに同意,またインドは,南北朝鮮統一の動きを歓迎するとのべた。 |
DIA-302-1972-08-22-1 | インド | 1972年08月22日 | 1970年代 | ワガ印パ会談終わる─ジャム・カシミール支配領域ライン画定に関し,ある結論を得たと発表されたが内容については明らかにされなかった。 |
DIA-302-1972-08-22-2 | インド | 1972年08月22日 | 1970年代 | 繊維輸出国営化を決定。 |
DIA-302-1972-08-22-3 | インド | 1972年08月22日 | 1970年代 | イラク・バキ外相,首相と会談。 |
DIA-302-1972-08-23-1 | インド | 1972年08月23日 | 1970年代 | インド,ソ連,ユーゴ,英,国連安保委にバンングラデシュ加盟案提出。 |
DIA-302-1972-08-25-1 | インド | 1972年08月25日 | 1970年代 | 印パ・デリー会談─インド側はP.N.ハクサル首相特別書記官,T.N.カウル外務次官らパキスタンからはA.アーメド大統領特使等が出席。共同発表によれば,この会談で双方は,円滑な運営をはかるためシムラ協定以降の進展を話し合った。 |
DIA-302-1972-08-26-1 | インド | 1972年08月26日 | 1970年代 | 印パ会談─インドはパキスタンに対し,バングラデシュ国連加盟を中国と共謀して阻止し,さらにジャム・カシミール休戦ラインに国連監視員を置いている等の点でシムラ協定の精神に反しているとして失望を伝えた。会談後両国スポークスマンは“満足ゆく”進展が維持されたと発表。 |
DIA-302-1972-08-28-1 | インド | 1972年08月28日 | 1970年代 | 印パ会談難行─アーメッド大統領特使は首相を訪問,ブット大統領からの書簡を手渡した。また会談を1日延長し,29日も続開することを決定。 |
DIA-302-1972-08-29-1 | インド | 1972年08月29日 | 1970年代 | 印パ・デリー会談,共同声明─シムラ協定の精神を守る,シャム・カシミール支配領域ライン画定を9月4日までに終え,9月15日までに撤兵を完了するなどを発表。 |
DIA-302-1972-08-29-2 | インド | 1972年08月29日 | 1970年代 | 1971年~72年財政赤字52億1000万ルピー。 |
DIA-302-1972-08-30-1 | インド | 1972年08月30日 | 1970年代 | 外相,印パ・デリー会談について説明─インドは,パキスタンに対して,パのバングラデシュ承認が延びることは,正常化と平和確立に悪影響を及ぼす,捕虜とパキスタン民間人の送還はバングラデシュ政府の参加と同意なしには解決しえないと伝えた。 |
DIA-302-1972-08-31-1 | インド | 1972年08月31日 | 1970年代 | ナガランド州政府,対ゲリラ強硬措置─3団体の活動を禁止し,8年間の“休戦”を9月1日からとり止めることを決定した。 |
DIA-302-1972-09-01-1 | インド | 1972年09月01日 | 1970年代 | 輸出向け生産を行なう外資系企業は優遇されよう─L.N.ミスラ外国貿易相語る。 |
DIA-302-1972-09-04-1 | インド | 1972年09月04日 | 1970年代 | 食糧価格上昇急ピッチ─過去3カ月,豆類,米,麦,茶,砂糖,食用油の価格上昇目立つ。粗糖(グル)は7月のキロ当り2ルピーから,2.75ルピーへ。 |
DIA-302-1972-09-05-1 | インド | 1972年09月05日 | 1970年代 | インド共産党(マルクス主義)のジョティー・バス,バングラデシュの野党指導者バサーニとの接触を否定。 |
DIA-302-1972-09-06-1 | インド | 1972年09月06日 | 1970年代 | 民間部門での印ソ合弁第1号は商業車生産。Insov Auto Ltd.による1億6000万ルピーの投資見込み。 |
DIA-302-1972-09-06-2 | インド | 1972年09月06日 | 1970年代 | インド,世銀グループの援助の最大の受益国,昨年度より2億3000万ドルも増加─1972年6月に終わる会計年度での世銀グループの援助承認額とインドの取り分。 世銀グループ全体の援助額 ・銀行貸付け 19億6600万ドル IDAの信用供与 10億ドル IFCによる民間企業貸付 1億1600万ドル 合計 30億8200万ドル(対前年度6億ドルアップ) うち, ・インドへの援助 銀行貸付け 6000万ドル(ICICI) IDAの信用供与 4億1220万ドル (11プロジェクト,ただし,そのうち1億6800万ドル〈その内訳は8300万ドルの造船プロジェクトと7500万ドルの工業品輸入〉は,調印されておらず,主としてアメリカによるIDA分担金払込みを待っている)。 合計 4億7220万ドル 1972年6月末までの対インドIDAクレディットは17億6860万ドルにのぼっている(インドに次ぐ受益国はブラジルで,すべて銀行融資で4億3700万ドル)。 世銀グループ対インド援助承認額,最近の数字 1969年度 1億9300万ドル 1970〃 2億6750万ドル 1971〃 2億4340万ドル 1972〃 4億7220万ドル |
DIA-302-1972-09-07-1 | インド | 1972年09月07日 | 1970年代 | パトナ大学で学生と警官隊衝突,3人死亡。私立中学の教師達は,学校の州営化を要求してデモ。 |
DIA-302-1972-09-08-1 | インド | 1972年09月08日 | 1970年代 | 英印貿易協定(1939年)継続の可能性検討─ロンドンでのL.N.ミスラ外国貿易相と英側貿易相M.ノーベルとの会談の結果。 |
DIA-302-1972-09-09-1 | インド | 1972年09月09日 | 1970年代 | セントラル・デリーでハリジャンを中心とする暴動。 |
DIA-302-1972-09-09-2 | インド | 1972年09月09日 | 1970年代 | 南ベトナム政府,ICCインド代表へのビザ更新を拒否。 |
DIA-302-1972-09-12-1 | インド | 1972年09月12日 | 1970年代 | 会議派執行委員会は,物価上昇に対して警告を発し,政府に対して,小麦,米,砂糖,布,豆類などの必需品を,公正価格店で大衆に供給するための措置を要請。 |
DIA-302-1972-09-14-1 | インド | 1972年09月14日 | 1970年代 | 連邦準備銀行,赤字財政に警告─同銀行の年次報告で,通貨供給の増加の重要な要因として,政府の赤字財政を指摘。 |
DIA-302-1972-09-14-2 | インド | 1972年09月14日 | 1970年代 | 南インド鉄道の12日間のスト終結。 |
DIA-302-1972-09-14-3 | インド | 1972年09月14日 | 1970年代 | ガンディー首相,ラーマン首相と会談─ジュネーブからの帰途デリーに立寄ったラーマン首相は,パキスタンのバングラデシュの承認前にブット大統領とは会談しないと述べる。 |
DIA-302-1972-09-16-1 | インド | 1972年09月16日 | 1970年代 | ガンディー首相,田中首相に対して訪印を要請,東京に立寄ったT.N.カウル外務次官語る。 |
DIA-302-1972-09-18-1 | インド | 1972年09月18日 | 1970年代 | 政府,最低ボーナス引上げを承認─ボーナス検討委員会(Bonus Review Committee5月任命9月12日勧告案提出)の報告書を検討して,現行の最低ボーナス年間給与の4%を8.33%に引上げることを承認。1971~72年度から施行され,全ての公共部門企業も含まれるが,鉄道,郵便・電報などの政府直営企業は除外される。 |
DIA-302-1972-09-18-2 | インド | 1972年09月18日 | 1970年代 | 政府,中央政府公務員低所得者の特別手当て(interium-relief)を,8月1日に遡って引上げることを承認。 |
DIA-302-1972-09-18-3 | インド | 1972年09月18日 | 1970年代 | 州工業開発公社の不振,明らか─過去5年間に各州工業開発公社に120件の投資仮許可証(letter of intent)が発給されたが,産業許可証の形で結実したのは8件に過ぎないことが明らかになった。 |
DIA-302-1972-09-19-1 | インド | 1972年09月19日 | 1970年代 | 印ソ政府間経済科学技術協力委員会の設立協定調印。 D.P.ダール計画相訪ソして調印。 |
DIA-302-1972-09-19-2 | インド | 1972年09月19日 | 1970年代 | ガンディー首相,ビハール州の旱ばつ地帯を視察。 |
DIA-302-1972-09-19-3 | インド | 1972年09月19日 | 1970年代 | C.スブラマニアム工業開発相,新しく選択的産業許可政策を考慮中と発表。 |
DIA-302-1972-09-20-1 | インド | 1972年09月20日 | 1970年代 | 印ソ,双方の長期経済計画のなかに相互の需要見通しを組入れることに合意。 |
DIA-302-1972-09-21-1 | インド | 1972年09月21日 | 1970年代 | 「CIAの暗躍」を非難─S.D.シャルマ会議派総裁,最近の各地の暴動の背後にはCIAがいると述べた。 |
DIA-302-1972-09-21-2 | インド | 1972年09月21日 | 1970年代 | ICCインド代表ハノイへ─約20人のインド代表団は南ベトナムがビザ発行を拒否したため,ハノイへ移行。 |
DIA-302-1972-09-21-3 | インド | 1972年09月21日 | 1970年代 | 駐印米大使,当分空席(7月以降)。 |
DIA-302-1972-09-22-1 | インド | 1972年09月22日 | 1970年代 | 第5次5カ年計画へのアプローチ修正を命じられる─成長(5~6%)に重点を置き,手元にあるプロジェクトの急速な実施を要請(D.P.ダール計画相)。 |
DIA-302-1972-09-22-2 | インド | 1972年09月22日 | 1970年代 | パンジャーブ州,ハリアナ州など各地の電力不足深刻化。 |
DIA-302-1972-09-23-1 | インド | 1972年09月23日 | 1970年代 | ケララでインド共産党(マルクス主義)の指導者A.ラガーバン暗殺される。 |
DIA-302-1972-09-24-1 | インド | 1972年09月24日 | 1970年代 | ギリ大統領,4日間のエチオピア訪問。 |
DIA-302-1972-09-25-1 | インド | 1972年09月25日 | 1970年代 | マクナマラ世銀総裁,インドへの援助をうったえる─IMF総会。 |
DIA-302-1972-09-26-1 | インド | 1972年09月26日 | 1970年代 | IMF総会で,開発援助とSDRとのリンクを要求─チャバン蔵相。 |
DIA-302-1972-09-27-1 | インド | 1972年09月27日 | 1970年代 | テレンガナで80人の餓死者が伝えられる。 |
DIA-302-1972-09-27-2 | インド | 1972年09月27日 | 1970年代 | ケララ州議会,アチュータ・メノン内閣不信認案否決。 |
DIA-302-1972-09-28-1 | インド | 1972年09月28日 | 1970年代 | ギリ大統領,タンザニア訪問。 |
DIA-302-1972-09-28-2 | インド | 1972年09月28日 | 1970年代 | CPIの指導者は,CPIは会議派に全分野で対決するものではないと述べる。 |
DIA-302-1972-09-30-1 | インド | 1972年09月30日 | 1970年代 | C.スプラマニアム工業開発相,生活必需品の卸売の国営化を訴える。 |
DIA-302-1972-09-30-2 | インド | 1972年09月30日 | 1970年代 | 連邦政府は農産物価格委員会の勧告を初めて受入れ,米の政府買入れ価格の引上げを決めた。 最高キンタール当り2ルピーの引上げ(現行54ルピーの場合)。 |
DIA-302-1972-09-30-3 | インド | 1972年09月30日 | 1970年代 | カシミールのラジャウリ(Rajauri)で印パ両軍が戦斗を交える。 |
DIA-302-1972-10-01-1 | インド | 1972年10月01日 | 1970年代 | C.スブラマニアム工業開発相,訪ソ。 |
DIA-302-1972-10-01-2 | インド | 1972年10月01日 | 1970年代 | 失業者倍増─職業安定所の調査によると,1961年に240万人であった失業者は,1971年に500万人に達した。 |
DIA-302-1972-10-02-1 | インド | 1972年10月02日 | 1970年代 | ランチ(Ranchi)で6,000トンの鋳造工場,生産開始(総投資額10億8000万ルピー─大部分はチェコからのクレディット)。 |
DIA-302-1972-10-02-2 | インド | 1972年10月02日 | 1970年代 | 労組連合協議会(United Council of Trade Unions)結成─CITU(CPI-M系)とヒンドゥ・マズドゥール・パンチャヤット(HMP-ジョージ・フェルナンデス指導)が,反会議派を旗じるしに結成。AITUC,INTUC,HMSの労組全国協議会(National Council of Trade Unions)に対抗するもの。 |
DIA-302-1972-10-02-3 | インド | 1972年10月02日 | 1970年代 | ボンベイでテレビ放送開始。 |
DIA-302-1972-10-03-1 | インド | 1972年10月03日 | 1970年代 | ボカロ製鉄所,操業開始─1973年には年産170万トンの生産目標。 |
DIA-302-1972-10-03-2 | インド | 1972年10月03日 | 1970年代 | インド共産党,物価上昇反対の全国キャンペーン開始。 |
DIA-302-1972-10-03-3 | インド | 1972年10月03日 | 1970年代 | チャバン蔵相,訪日。 |
DIA-302-1972-10-04-1 | インド | 1972年10月04日 | 1970年代 | 政府,許可能力の2~3倍生産が許される業種11を追加。ポリスチレン,ディーゼル車輌など。 |
DIA-302-1972-10-04-2 | インド | 1972年10月04日 | 1970年代 | 公共投資局(Public Investment Board)設立。公共部門企業のプロジェクトを審査するため。 |
DIA-302-1972-10-04-3 | インド | 1972年10月04日 | 1970年代 | インド共産党(マルクス主義)を中心とする8党左翼戦線,物価,失業,弾圧反対などでカルカッタで大集会。 |
DIA-302-1972-10-05-1 | インド | 1972年10月05日 | 1970年代 | パンジャープのモガで学生と警官隊衝突,学生4人死亡。映画料金引下げを要求するデモによる。 |
DIA-302-1972-10-05-2 | インド | 1972年10月05日 | 1970年代 | イラク・マトゥラ精油所建設に長期クレディット供与,必要外貨7500万ドルのうち5000~5500万ドルの信用供与を原則的に同意。 |
DIA-302-1972-10-07-1 | インド | 1972年10月07日 | 1970年代 | パンジャーブの騒動拡大,モガに軍隊が入る。 |
DIA-302-1972-10-07-2 | インド | 1972年10月07日 | 1970年代 | スワラン・シン外相,パキスタンのバングラデシュ承認なしには,捕虜問題は解決しないと語る。 |
DIA-302-1972-10-08-1 | インド | 1972年10月08日 | 1970年代 | アッサム州でベンガル語とアッサム語の言語暴動拡大。 |
DIA-302-1972-10-08-2 | インド | 1972年10月08日 | 1970年代 | 米・小麦の卸売業の国営化提案,会議派執行委員会で再確認。 |
DIA-302-1972-10-08-3 | インド | 1972年10月08日 | 1970年代 | 土地改革法制化の緩和措置─農業省が各州政府に手渡した,土地保有上限の引下げ法案のガイドラインとして,1972年3月15日以降すえつけられた灌漑設備のある農地は,新保有制限法の対象から外されるとしている。 |
DIA-302-1972-10-08-4 | インド | 1972年10月08日 | 1970年代 | 政府,東ドイツを正式承認─領事レベルを大使レベルに引上げ。 |
DIA-302-1972-10-09-1 | インド | 1972年10月09日 | 1970年代 | 全インド会議派委員会,(AICC)アーメダバード郊外で開かれる─執行委員会(CWC)の提出した小麦・米の卸売業国営化案承認。 |
DIA-302-1972-10-10-1 | インド | 1972年10月10日 | 1970年代 | AICC閉会,ガンディー首相は,1956年の産業政策決議を変える必要はないが,リジッドに考えなくともよいと語る。 |
DIA-302-1972-10-10-2 | インド | 1972年10月10日 | 1970年代 | コメコン,インドを正式メンバーとして受入れる用意があると伝えられる。 |
DIA-302-1972-10-10-3 | インド | 1972年10月10日 | 1970年代 | DMK,同党員で有名な映画スターであるM.G.ラマチャンドランを同党会計責任者の地位を解く。DMK内の対立公然化。 |
DIA-302-1972-10-12-1 | インド | 1972年10月12日 | 1970年代 | インド,パキスタンのカシミール地区の領域策定交渉再開の提案に「原則的に」同意。 |
DIA-302-1972-10-12-2 | インド | 1972年10月12日 | 1970年代 | ナガランドで前首相I.N.アンガミら5人逮捕,現首相ホシシュ・セマの暗殺計画に加担していたとするもの。 |
DIA-302-1972-10-13-1 | インド | 1972年10月13日 | 1970年代 | アッサムの言語騒動拡大。10人ほど殺され,警官隊と軍隊増派される。 |
DIA-302-1972-10-14-1 | インド | 1972年10月14日 | 1970年代 | 第7次印パ支配領域策定会議,スチトガルシュ(Suchetgarsh)で開かれる。 |
DIA-302-1972-10-15-1 | インド | 1972年10月15日 | 1970年代 | インドの総人口の4割が貧困ライン以下─インド商工会議所連合会の調査によると,1969年末のインドの総人口5億3000万人のうち41%の2億2000万人が必要とされる最低限度以下の生活をしているといわれる。 |
DIA-302-1972-10-16-1 | インド | 1972年10月16日 | 1970年代 | パンジャーブ州の騒動,州政府と学生との間に合意成立,終わる。 |
DIA-302-1972-10-18-1 | インド | 1972年10月18日 | 1970年代 | DMK分裂,M.G.ラマチャンドラン,新党を結成─DMKの創立者アナドライに戻れと呼びかけアンナDMK名(ADMK)の新党を結成。 |
DIA-302-1972-10-18-2 | インド | 1972年10月18日 | 1970年代 | 卸売物価急騰(9月中旬現在)。 指数は過去1年間で8% 食料〃13.2% 工業原材料〃13.6% |
DIA-302-1972-10-18-3 | インド | 1972年10月18日 | 1970年代 | 国産最初のヘリコプターSA-315成功,ヒンドスタン・アエロノチック・Ltd.。 |
DIA-302-1972-10-21-1 | インド | 1972年10月21日 | 1970年代 | タミル・ナード,DMKの州議会議員3人,ADMKに移る。 |
DIA-302-1972-10-22-1 | インド | 1972年10月22日 | 1970年代 | 外貨流出4億ドルと推計,インドは外貨取得の5分の1以上にあたる30億ルピー(約4億ドル)の外貨が密輸その他で流出しているといわれる。 |
DIA-302-1972-10-25-1 | インド | 1972年10月25日 | 1970年代 | ADMK,タミル・ナード州議会で6名になる。 |
DIA-302-1972-10-27-1 | インド | 1972年10月27日 | 1970年代 | セメント不足量100万トンと伝えられる。内需1700万トンに対して生産見通しは1600万トン。 |
DIA-302-1972-10-29-1 | インド | 1972年10月29日 | 1970年代 | 野党会議派全国委員会(AICC(O)),政府の失政を暴露するよう呼びかける。 |
DIA-302-1972-10-30-1 | インド | 1972年10月30日 | 1970年代 | アカリの指導者,サント・ファテ・シン死亡。 |
DIA-302-1972-10-30-2 | インド | 1972年10月30日 | 1970年代 | 5日間に及ぶU.P.州電力労働者のスト,無条件で中止。 |
DIA-302-1972-10-30-3 | インド | 1972年10月30日 | 1970年代 | 計画委員会,第5次5カ年計画へのアプローチ承認─D.P.ダール計画相提出。 目標 総支出は5116億5000万ルピー(1971~72年価格) 年平均成長率5.5% 30%の極貧層に,月20ルピーの所得の保障の必要性(1960~61年価格) |
DIA-302-1972-10-31-1 | インド | 1972年10月31日 | 1970年代 | 新聞用紙制限(10ページ以内)は,憲法違反─最高裁。 |
DIA-302-1972-10-31-2 | インド | 1972年10月31日 | 1970年代 | 政府,業績の良くない46の繊維工場,国営化を決める。過去国営化された繊維工場を含めると103工場となる。 |
DIA-302-1972-10-31-3 | インド | 1972年10月31日 | 1970年代 | 農業所得税に関するラージ委員会,勧告案提出─所得ではなく農地の所有規模面積に対して課税されるべきであるとするもの。 |
DIA-302-1972-11-01-1 | インド | 1972年11月01日 | 1970年代 | タミル・ナードの電力不足,一層深刻化,25%の電力消費削減。 |
DIA-302-1972-11-01-2 | インド | 1972年11月01日 | 1970年代 | アッサム州のシルサガル地区の言語暴動に軍隊出動。 |
DIA-302-1972-11-03-1 | インド | 1972年11月03日 | 1970年代 | 繊維輸出公社設立を閣議決定,12月1日より。 |
DIA-302-1972-11-03-2 | インド | 1972年11月03日 | 1970年代 | アジア国際見本市,ニューデリーで開会,参加国47。 |
DIA-302-1972-11-04-1 | インド | 1972年11月04日 | 1970年代 | インド・ユーゴ間のルピー貿易廃止。 |
DIA-302-1972-11-06-1 | インド | 1972年11月06日 | 1970年代 | アメリカ,世銀提案のインドの債務支払い繰り延べを受諾。 |
DIA-302-1972-11-07-1 | インド | 1972年11月07日 | 1970年代 | ワガで印パ両軍司令官会談。 |
DIA-302-1972-11-07-2 | インド | 1972年11月07日 | 1970年代 | インド・バングラ2国間会議─インド亜大陸の永続的平和のためには,パキスタンによるバングラ承認が先決であることで合意。 |
DIA-302-1972-11-08-1 | インド | 1972年11月08日 | 1970年代 | イギリスの対印援助協定調印。 ノン・プロジェクト援助(対英輸入のため)4億7420万ルピー。 プロジェクト援助3億0350万ルピー。 |
DIA-302-1972-11-10-1 | インド | 1972年11月10日 | 1970年代 | ADMKとCPIの反カルナニディ内閣デモ(マドラス)。 |
DIA-302-1972-11-12-1 | インド | 1972年11月12日 | 1970年代 | オリッサ州,ウトカル・コングレスが復活。 |
DIA-302-1972-11-12-2 | インド | 1972年11月12日 | 1970年代 | 卸売物価指数,9月段階で対前年同月比8%の上昇。 |
DIA-302-1972-11-13-1 | インド | 1972年11月13日 | 1970年代 | ガンディー首相は,会議派議員団執行委に対して,政府はインドでのCIA活動に関する情報をつかんでいるが,それを公けにすることは適当でないと述べた。 |
DIA-302-1972-11-13-2 | インド | 1972年11月13日 | 1970年代 | 日本の対印調査団(平賀潤二団長)チャバン蔵相,D.P.ダール計画相と会見,インド側は日本の技術協力,投資を要請。 |
DIA-302-1972-11-14-1 | インド | 1972年11月14日 | 1970年代 | 冬期国会で全野党が,物価上昇で政府を攻撃,CPIのS.M.バナージーは,F.A.アーメッドの辞任を望む。 チャバン蔵相は,今後数カ月で経済状態はさらに悪化するであろうと述べる。 |
DIA-302-1972-11-15-1 | インド | 1972年11月15日 | 1970年代 | ADMKとCPIが呼びかけた,タミル・ナードのハルタルは,カルナニディに対する不信任を表明したものであるが,ほぼ成功裏に終わる。 |
DIA-302-1972-11-15-2 | インド | 1972年11月15日 | 1970年代 | 1971~72年度の食糧穀物生産は1億0468万トン。目標より732万トン少なかった。 |
DIA-302-1972-11-17-1 | インド | 1972年11月17日 | 1970年代 | インドの外貨準備高低下する(SDR含む)。 72年3月31日現在 84億8700万ルピー (11億6600万ドル) 10月31日〃 72億8500万ルピー (10億6900万ドル) |
DIA-302-1972-11-17-2 | インド | 1972年11月17日 | 1970年代 | 電力不足でボンベイ深刻な事態。現行8%カット。 |
DIA-302-1972-11-17-3 | インド | 1972年11月17日 | 1970年代 | 日本はインドから,15年間にわたって,2億トンの鉄鋼石を買入れることにしていると伝えられる。 |
DIA-302-1972-11-18-1 | インド | 1972年11月18日 | 1970年代 | タタは,政府の出した条件を受入れた形でミタプールで肥料工場を設立することを決めた。 |
DIA-302-1972-11-19-1 | インド | 1972年11月19日 | 1970年代 | コークス用石炭の不足が,銑鉄,鋼塊生産不足の大きな原因の1つ。コークス用石炭の能力2700万トンに対し,生産1500万ドル。 |
DIA-302-1972-11-19-2 | インド | 1972年11月19日 | 1970年代 | ニクソン米大統領,ガンディー首相の誕生日のメッセージを寄せる─米印間の関係が強化され,「両国が理解と相互間の敬意を基礎に確固たる関係を打立てること」を望むと述べる。 |
DIA-302-1972-11-20-1 | インド | 1972年11月20日 | 1970年代 | ムルキ・ルールに関する10人委員会(17日結成),アンドラ出身委員とテレンガナ出身委員の対立のまま結論出ずに終わる。 |
DIA-302-1972-11-20-2 | インド | 1972年11月20日 | 1970年代 | 世銀アトラスのインド経済に関する最近の数字。 ・60年代の平均経済成長年率1.2%。 ・1人当り国民所得825ルピー(110ドル)(1970年市場価格)122カ国のうち102位。 ・1971~72年度の経済成長率3~4%,工業生産の伸び3%。 ・1972年10月末までの世銀グループ援助31億8500万ドル(内,第2世銀クレディット29億3200万ドル)。 |
DIA-302-1972-11-21-1 | インド | 1972年11月21日 | 1970年代 | 反ムルキ・ルール・デモで,9人殺される。 |
DIA-302-1972-11-22-1 | インド | 1972年11月22日 | 1970年代 | 反ムルキ・ルールのデモで多くの鉄道が襲われる。 |
DIA-302-1972-11-23-1 | インド | 1972年11月23日 | 1970年代 | ガンディー首相,アンドラ州の分割を否定。 |
DIA-302-1972-11-24-1 | インド | 1972年11月24日 | 1970年代 | オリッサ州の国民会議派州議会議員40人,会議派総裁S.D.シャルマに手紙を送り,現州首相ナンディニ・サトパティ女史の更迭を要求(同州の会議派議員は95人)。 |
DIA-302-1972-11-25-1 | インド | 1972年11月25日 | 1970年代 | インドがアメリカ,アルゼンチン,カナダ,オーストラリアの4カ国に対して,小麦の買付け交渉をしていることが明らかになる。150万トンと推定。 |
DIA-302-1972-11-25-2 | インド | 1972年11月25日 | 1970年代 | インド政府,米軍機の上空飛行を禁止。 |
DIA-302-1972-11-25-3 | インド | 1972年11月25日 | 1970年代 | 印ソ貿易議定書調印─1973年度分41億ルピー(5億6000万ドル)で,1972年度より15%アップ。 現在インドにとって貿易相手国としてはアメリカに次いで2番目。 |
DIA-302-1972-11-26-1 | インド | 1972年11月26日 | 1970年代 | 印パ両軍首脳(マネクショーとティッカ・カーン),11月28日にラホールで会談することに合意。 |
DIA-302-1972-11-26-2 | インド | 1972年11月26日 | 1970年代 | S.D.シャルマ会議派総裁に再任。 |
DIA-302-1972-11-27-1 | インド | 1972年11月27日 | 1970年代 | 雑穀・豆類の州外移動禁止州が増加,パンジャーブ・ハリアナ,ラジャスタン,U.P.マッディア・プラデーシ。 |
DIA-302-1972-11-27-2 | インド | 1972年11月27日 | 1970年代 | ムルキ・ルールに対する閣議決定─テレンガナでは1980年末まで,ハイデラバード,セタンデラバードでは1977年末まで有効と表明。 |
DIA-302-1972-11-27-3 | インド | 1972年11月27日 | 1970年代 | オリッサ州カタックの州議会議員補欠選挙で,現州首相,ナンディニ・サトパティ女史,圧勝。 |
DIA-302-1972-11-28-1 | インド | 1972年11月28日 | 1970年代 | バングラデシュ大統領A.S.チョードリー,ニューデリー訪問。 |
DIA-302-1972-11-28-2 | インド | 1972年11月28日 | 1970年代 | ラホールでのマネクショー,ティッカ・カーンの会談失敗に終わる。パ側がジャムのラインを国境として認めることを拒否したものと伝えられる。 |
DIA-302-1972-11-30-1 | インド | 1972年11月30日 | 1970年代 | スワラン・シン外相は,上院で,中国との関係正常化のため,両国間で「過去,相互間の関係を悪化させた」問題を直接話合うことを呼びかける。また,それ自身正常化を意味しないが,大使の交換を考えたいと述べた。またアメリカに対しても,「現実の認識を基礎として新しく出発すること」を呼びかけた。 |
DIA-302-1972-11-30-2 | インド | 1972年11月30日 | 1970年代 | F.A.アーメド農業相は,マハーラーシュトラ州へあらゆる援助を与えると述べた。 25地区と2000万人が食糧不足に苦しんでいる。 |
DIA-302-1972-12-01-1 | インド | 1972年12月01日 | 1970年代 | 印パ捕虜交換─インド人捕虜617人,パキスタン人捕虜540人がワガの国境ポストで双方にひきわたされた。 |
DIA-302-1972-12-01-2 | インド | 1972年12月01日 | 1970年代 | アンドラ・プラジャー・サミティーは首相のムルキ・ルール5項目提案を拒否することを決定し,現状ではアンドラ州分割が唯一の解決方法であり,政府に住民投票を行なうよう求めると発表した。 |
DIA-302-1972-12-02-1 | インド | 1972年12月02日 | 1970年代 | タミル・ナドゥ州議会,議場を2分して混乱。 |
DIA-302-1972-12-04-1 | インド | 1972年12月04日 | 1970年代 | タミル・ナドゥ,野党会議派,ADMK,CPI,会議派,スワタントラ党,州議会をボイコット。 |
DIA-302-1972-12-04-2 | インド | 1972年12月04日 | 1970年代 | アフガニスタン皇太子夫妻訪印。 |
DIA-302-1972-12-05-1 | インド | 1972年12月05日 | 1970年代 | バングラデシュ,A.S.チョウドリ大統領帰国─インド・バングラデシュ共同声明を発表,友好と相互理解の精神で戦争により荒廃した経済の再建と復興を助けることを約束。 |
DIA-302-1972-12-06-1 | インド | 1972年12月06日 | 1970年代 | デリー大学で騒動,学生10人が逮捕され大学は再び休校。 |
DIA-302-1972-12-07-1 | インド | 1972年12月07日 | 1970年代 | アンドラ出身,アンドラ州大臣9名,辞意を表明─首相のムルキ・ルール5項目提案に反対している。 |
DIA-302-1972-12-07-2 | インド | 1972年12月07日 | 1970年代 | 日印経済合同委員会始まる。 |
DIA-302-1972-12-07-3 | インド | 1972年12月07日 | 1970年代 | マネクシャウ・カーン印パ参謀長会談,合意に達する(ラホール)─撤兵は12月11日の司令官会談で地図に同意した後10日~12日のうちに行なわれる。 |
DIA-302-1972-12-08-1 | インド | 1972年12月08日 | 1970年代 | 日印経済合同委員会─インド側は,円切り上げ,アジア決済同盟などについてとりあげ,また5つの肥料プラント建設について円借款を求めた。 |
DIA-302-1972-12-08-2 | インド | 1972年12月08日 | 1970年代 | ラホール協定は双方にとって勝利である,シン外相語る。 |
DIA-302-1972-12-11-1 | インド | 1972年12月11日 | 1970年代 | 印パ陸軍司令官,支配地域ライン画定で調印─12日調印内容が発表された。 |
DIA-302-1972-12-12-1 | インド | 1972年12月12日 | 1970年代 | 150万トンの小麦輸入を決定─アメリカ,カナダから30万トンの輸入をとり決めている。 |
DIA-302-1972-12-13-1 | インド | 1972年12月13日 | 1970年代 | ジャム・カシミールで印パ軍撤兵始まる。 |
DIA-302-1972-12-14-1 | インド | 1972年12月14日 | 1970年代 | 西独,2億8000万マルク(1972~73年度)援助協定に調印。 |
DIA-302-1972-12-14-2 | インド | 1972年12月14日 | 1970年代 | インド・スペイン,肥料・造船・電気プラント・精油などの分野で協力することで,貿易経済協力協定に調印。 |
DIA-302-1972-12-15-1 | インド | 1972年12月15日 | 1970年代 | 食糧,秋作買上げ目標の米400万トン,粗穀60万トンの目標は達成されよう,食糧輸入について150万~200万トンの輸入を考えているとF.A.アーメッド食糧農業相,州食糧相会議で語る。 |
DIA-302-1972-12-15-2 | インド | 1972年12月15日 | 1970年代 | 対外債務は9月末で847億6000万ルピー。 |
DIA-302-1972-12-16-1 | インド | 1972年12月16日 | 1970年代 | 各州食糧相,食糧卸売国営化について実施上の困難を表明。 |
DIA-302-1972-12-17-1 | インド | 1972年12月17日 | 1970年代 | ジャムのチョータ・チャク,チュムビアンから撤兵完了。 |
DIA-302-1972-12-19-1 | インド | 1972年12月19日 | 1970年代 | ムルキ・ルール法案,下院に提出─ムルキ・ルールの段階的解消を提案している。 |
DIA-302-1972-12-20-1 | インド | 1972年12月20日 | 1970年代 | アンドラで州分離派が別個の会議派を設立。 |
DIA-302-1972-12-20-2 | インド | 1972年12月20日 | 1970年代 | 第5次5カ年計画アプローチ草案を閣議承認,5116億5000万ルピーの計画支出,5.5%の経済成長率を目標とする。 |
DIA-302-1972-12-20-3 | インド | 1972年12月20日 | 1970年代 | 撤兵ほぼ完了─豪雪地帯の一部を除いて,ジャム・カシミール支配領域ラインへ撤兵を完了したと印パ両政府共同声明発表。 |
DIA-302-1972-12-21-1 | インド | 1972年12月21日 | 1970年代 | 下院,ムルキ・ルール法案を可決。 |
DIA-302-1972-12-22-1 | インド | 1972年12月22日 | 1970年代 | 政府,21日のハノイ爆撃でインド大使館に被害があったことについて強く抗議。 |
DIA-302-1972-12-23-1 | インド | 1972年12月23日 | 1970年代 | ムルキ・ルール法案,上院通過。 |
DIA-302-1972-12-24-1 | インド | 1972年12月24日 | 1970年代 | ビジャヤワダで紛争─アンドラ分離運動に警察が発砲し,3人死亡。 |
DIA-302-1972-12-25-1 | インド | 1972年12月25日 | 1970年代 | C.ラージャーゴーパラチャリ(スワタントラ党長老)死去。 |
DIA-302-1972-12-26-1 | インド | 1972年12月26日 | 1970年代 | 第74回会議派全国大会(AICC),西ベンガル,ビダーンナガルで開会。 |
DIA-302-1972-12-28-1 | インド | 1972年12月28日 | 1970年代 | 1972年4月~10月輸出107億ルピー,前年同期比22%上昇,輸入は4.6%,前年同期比低下。 |
DIA-302-1972-12-28-2 | インド | 1972年12月28日 | 1970年代 | 1972年4月~11月の機械輸出8億4000万ルピー,(昨年同期は8億2400万ルピー)。目標の15%増を下まわり,1.5%の伸びであった。 |
DIA-302-1972-12-29-1 | インド | 1972年12月29日 | 1970年代 | AICC閉会─政治決議を採択し,会議派党員が地域的,分離主義的運動に参加することを禁止。 |
DIA-302-1972-12-31-1 | インド | 1972年12月31日 | 1970年代 | S.H.F.J.マネクシャウ陸軍参謀長,インド陸軍元帥となる。 |
DIA-302-1972-12-31-2 | インド | 1972年12月31日 | 1970年代 | UP寒波,52人死亡。 |
DIA-302-1973-01-02-1 | インド | 1973年01月02日 | 1970年代 | 社会党,アンドラ州の分割を支持。 |
DIA-302-1973-01-02-2 | インド | 1973年01月02日 | 1970年代 | 会議派執行委員会,新メンバー発表-インディラガンディー,Y.B.チャバン,U.S.ディクシット,スワラン・シン,C.スブラマニアム,シェド・ミル・カシム,チャンドラジット・ヤダブ,チャンドラセカル夫人,プラビ・ムカージー夫人,アジス・イヌム。 |
DIA-302-1973-01-03-1 | インド | 1973年01月03日 | 1970年代 | H.マハタブら,会議派離脱。 |
DIA-302-1973-01-04-1 | インド | 1973年01月04日 | 1970年代 | カナダ,インドに小麦40万トンを売却-カナダ政府小麦局はインドに40万トンの小麦を売却すると発表した。10日間のうちに1500万ブッシェルの小麦が太平洋,大西洋岸から船積みされる。 |
DIA-302-1973-01-06-1 | インド | 1973年01月06日 | 1970年代 | アンドラ電気労働者,ムルキ・ルールに反対してスト。 |
DIA-302-1973-01-07-1 | インド | 1973年01月07日 | 1970年代 | ヴィシャカパトナム,アンドラ分離デモで外出禁止令。 |
DIA-302-1973-01-08-1 | インド | 1973年01月08日 | 1970年代 | 石油・化学省,海底油田探査で外国の参加を認める新政策発表。 |
DIA-302-1973-01-09-1 | インド | 1973年01月09日 | 1970年代 | 来日中のスワラン・シン外相,肥料,鉄鋼,海底油田探査での日本の協力を求める。 |
DIA-302-1973-01-10-1 | インド | 1973年01月10日 | 1970年代 | アンドラ州会議派アドホク委員会解散。 |
DIA-302-1973-01-10-2 | インド | 1973年01月10日 | 1970年代 | ガンディー首相,今年は困難な年となろうと語る。 |
DIA-302-1973-01-10-3 | インド | 1973年01月10日 | 1970年代 | ポーランドのジャロセヴィッツ首相8日間の訪印でデリー着。 |
DIA-302-1973-01-11-1 | インド | 1973年01月11日 | 1970年代 | ナラシンハ・ラオ・アンドラ州首相,閣僚を8名増加させる。 |
DIA-302-1973-01-11-2 | インド | 1973年01月11日 | 1970年代 | 債権国が1.5億ドルの債務繰延べ-世銀の主催する対印債権国会議において1972-73年度の債務繰延べ額が1.5億ドルに決定されたもよう。73-74年度も同程度が見込まれる。 |
DIA-302-1973-01-12-1 | インド | 1973年01月12日 | 1970年代 | インド,バングラ間のルピー貿易減少。 |
DIA-302-1973-01-13-1 | インド | 1973年01月13日 | 1970年代 | 当面の穀物輸入150万トン。 小麦アメリカから40万トン100万トン カナダ40万トン100万トン100万トン アルゼンチン20万トン100万トン マイロアメリカ50万 |
DIA-302-1973-01-15-1 | インド | 1973年01月15日 | 1970年代 | CPI・M政治局,ムルキ・ルールの廃止とテレンガナ,アンドラ両地域の団結を呼びかける。 |
DIA-302-1973-01-16-1 | インド | 1973年01月16日 | 1970年代 | U.P.州の州電力局の労働者,無期限ストに突入。 |
DIA-302-1973-01-17-1 | インド | 1973年01月17日 | 1970年代 | アンドラ・プラデーシ州首相,ナラシンハ・ラオ辞表提出。 |
DIA-302-1973-01-18-1 | インド | 1973年01月18日 | 1970年代 | アンドラ・プラデーシ州,大統領直轄統治下に置かれる。 |
DIA-302-1973-01-20-1 | インド | 1973年01月20日 | 1970年代 | 国家開発評議会,第5次5ヵ年計画のアプローチペーパー承認。 年成長率5.5% 総支出額5116億5000万ルピー(1971-72年価格) その内公共部門3559億5000万ルピー 私的部門1557億ルピー 貧乏追放と自助に重点を置く。 |
DIA-302-1973-01-21-1 | インド | 1973年01月21日 | 1970年代 | ザイルのモブツ大統領訪印。 |
DIA-302-1973-01-21-2 | インド | 1973年01月21日 | 1970年代 | U.P.州の電力スト拡大。 |
DIA-302-1973-01-22-1 | インド | 1973年01月22日 | 1970年代 | アンドラ州会議派州議会議員114名党を離れる。 |
DIA-302-1973-01-23-1 | インド | 1973年01月23日 | 1970年代 | ガンディー首相は,ブット・パキスタン大統領に対して手紙を送ったもよう。 |
DIA-302-1973-01-24-1 | インド | 1973年01月24日 | 1970年代 | P.N.ハクサル,テヘラン着。 |
DIA-302-1973-01-27-1 | インド | 1973年01月27日 | 1970年代 | ラオスのプーマ首相,3日間の訪印でデリー着。 |
DIA-302-1973-01-28-1 | インド | 1973年01月28日 | 1970年代 | イギリス,74年初までインド貿易特恵を供与-イギリスは74年初までインドに貿易特恵を与える。インドの対英輸出の混乱を防ぐため,その後は4年間にわたって関税率を引上げる。 |
DIA-302-1973-01-28-2 | インド | 1973年01月28日 | 1970年代 | オリッサ州内閣15人増加。 |
DIA-302-1973-01-28-3 | インド | 1973年01月28日 | 1970年代 | 新規円クレ調印される-総額8078万ドルで内訳は次のとおり。 債務返済繰延べ3820万ドル 商品援助3320万ドル プロジェクト援助874万ドル 新規援助の条件は,年利4.5%,25年返済,返済猶予期間5年。 |
DIA-302-1973-01-30-1 | インド | 1973年01月30日 | 1970年代 | アンドラ地方出身国会議員15人,会議派から離れる。 |
DIA-302-1973-01-30-2 | インド | 1973年01月30日 | 1970年代 | 政府,非粘結炭会社の経営権を接収―粘結炭会社の経営権接収はすでに72年に行なわれていたので,石炭産業は完全に政府の統制下に置かれることになった。 |
DIA-302-1973-02-01-1 | インド | 1973年02月01日 | 1970年代 | 地区会議派委員会議長,書記長会議で中央指導部は矢表に立たされる。失業,物価問題に失敗すれば,支持を失うと警告,また,インディラのイメージだけでは不充分としている。 |
DIA-302-1973-02-01-2 | インド | 1973年02月01日 | 1970年代 | IDA(第2世銀),肥料生産のため5800万ドルのクレディット供与を発表。 |
DIA-302-1973-02-02-1 | インド | 1973年02月02日 | 1970年代 | 工業分野でのジョイント・セクター構想,閣議承認。 |
DIA-302-1973-02-02-2 | インド | 1973年02月02日 | 1970年代 | ガンディー首相は,国内の強力な分子が会議派の政策実施をさまたげていると述べる。それは与党内部にもいると述べる。ジャン・サンとCPMを非難。 |
DIA-302-1973-02-03-1 | インド | 1973年02月03日 | 1970年代 | ワルトハイム国連事務総長,訪印。 |
DIA-302-1973-02-04-1 | インド | 1973年02月04日 | 1970年代 | マドラス外港,開港式―マドラス外港の開港式はバハドウール海運担当相の出席の下に行なわれた。外港のオイル・バースには77万トンのオイル・タンカーの接岸ができる。現在のドラフトは42フィートであるが,今後49フィートにし,10万トン・タンカーの接岸も可能となる。 |
DIA-302-1973-02-04-2 | インド | 1973年02月04日 | 1970年代 | 外資提携申込みの現況-72年中に政府に承認された外資提携の申込みは257件で前年より,若干上回った。 |
DIA-302-1973-02-04-3 | インド | 1973年02月04日 | 1970年代 | 内閣改造行なわれる-主要なものは次のとおり。K.ラグラマイアは議会担当相として入閣。 R.バハドゥールは議会担当相を辞め,海運・輸送相となる。 L.N.ミシュラは外国貿易相を辞め,鉄道大臣として閣内大臣となる。 D.P.チャトパダヤは商業相となる(外国貿易省は商業相となる)。 T.A.パイは鉄道大臣を辞め,新設の重工業大臣となる。 U.S.ディクシットは内相。 D.K.バルーアは石油・化学相。 ボーラ・パスワンは住宅相。 ラグナタ・レディは労働・雇用相。 R.K.カディカルは保健・家族計画相。 |
DIA-302-1973-02-05-1 | インド | 1973年02月05日 | 1970年代 | 世銀,対印年間援助限度額を発表。 世銀5000万ドル IDA4億ドル |
DIA-302-1973-02-06-1 | インド | 1973年02月06日 | 1970年代 | アンドラおよびテレンガナ地域出身の国会議員,議会内外でアンドラ州の2分割のために共闘することを申合わせる。 |
DIA-302-1973-02-07-1 | インド | 1973年02月07日 | 1970年代 | ガンディー首相,ネパール訪問。 U.P.州,40%の節電規制。 |
DIA-302-1973-02-08-1 | インド | 1973年02月08日 | 1970年代 | ガンディー首相のベトナム問題に対する言及に関達して,米国務省は,D.P.モイニハン大使の出発を引延ばしていると伝えられる。 |
DIA-302-1973-02-09-1 | インド | 1973年02月09日 | 1970年代 | 印ソ合同委員会,第1回会議。 |
DIA-302-1973-02-09-2 | インド | 1973年02月09日 | 1970年代 | ジャン・サン,第18回大会。L.K.アドバニ総裁,社会的平等と変化を要求。 |
DIA-302-1973-02-11-1 | インド | 1973年02月11日 | 1970年代 | パンジャブ州首相ザイル・シン,印・パ貿易の開始を中央政府に要請。 |
DIA-302-1973-02-12-1 | インド | 1973年02月12日 | 1970年代 | ハリアナ州の政府系高校教師,無期限ストに突入。 |
DIA-302-1973-02-12-2 | インド | 1973年02月12日 | 1970年代 | ジャン・サン総裁L.K.アドバニが発表した執行委員会名簿には,B.マドクが除かれる。 |
DIA-302-1973-02-13-1 | インド | 1973年02月13日 | 1970年代 | F.A.アーメッド農業相,食糧不足分は300~400万トンと述べる。 |
DIA-302-1973-02-14-1 | インド | 1973年02月14日 | 1970年代 | 1972年中の卸売物価上昇率は12%-公式発表によれば,1972年(1月~12月)の卸売物価指数は前年に比べて上昇した。卸売物価上昇の主要因は食糧穀物と工業原材料の値上がり。 |
DIA-302-1973-02-15-1 | インド | 1973年02月15日 | 1970年代 | ルピー,ポンド・リンクを継続。 |
DIA-302-1973-02-15-2 | インド | 1973年02月15日 | 1970年代 | 1972-73年度末の公的債務残高は1608.4債ルピー-インド政府の公的債務残高1608.4億ルピーのうち,国内債務は875.6億ルピー(54.4%),対外債務は732.8億ルピー(45.6%)である。 |
DIA-302-1973-02-16-1 | インド | 1973年02月16日 | 1970年代 | アラーハーバードでのガンディー演脱,「インディラ・ガンディーくたばれ」の野次を浴びる。 |
DIA-302-1973-02-17-1 | インド | 1973年02月17日 | 1970年代 | 印ソ経済委員会で議定書調印。 |
DIA-302-1973-02-20-1 | インド | 1973年02月20日 | 1970年代 | L.N.ミシュラ鉄道大臣提出の予算案,鉄道料金引上げを提案。 |
DIA-302-1973-02-20-2 | インド | 1973年02月20日 | 1970年代 | U.P.州,下級公務員(Non-zazetted employees)の75%がストに突入。 |
DIA-302-1973-02-20-3 | インド | 1973年02月20日 | 1970年代 | 第4次計画の最初の3年間(69-72年)の外国援助コミットメントは191億3840万ルピーで,62億3670万ルピーが特定のプロジェクトにリンクしている。 使用額は既存分もあわせて,213億1810万ルピーでプロジェクト・エイドは45億8070万ルピー。 IDAは州にも与えられているが,使用額は低い。 |
DIA-302-1973-02-22-1 | インド | 1973年02月22日 | 1970年代 | 「経済白書」発表される。経済は全般的に停滞的。 |
DIA-302-1973-02-22-2 | インド | 1973年02月22日 | 1970年代 | スワラン・シン外相,パとの首相会談は非公式にもありえないと語る。 |
DIA-302-1973-02-23-1 | インド | 1973年02月23日 | 1970年代 | Y.B.チャバン蔵相,最近のドル切下げについて,インドの対外貿易への影響力はマージナルであろうと述べた。 また国際通貨改革について「われわれの目的は,何らかの中間的,第3のメディア-SRDなど-を介入通貨として見出すことである」と述べた。また,ポンド・リンクも不変ではないと述べた。 ルピーの購買力平価(1949=100,全インド労働者消費指数)は,67年12月の46.7から72年12月には39.2へ落ちたと語る。 |
DIA-302-1973-02-23-2 | インド | 1973年02月23日 | 1970年代 | インドの金価格急上昇。-24金300ルピーで前日より10ルピー上がる。 |
DIA-302-1973-02-24-1 | インド | 1973年02月24日 | 1970年代 | 州首相会議,全会一致で来る春作から,小麦卸売業の国営化に賛意を表す。 |
DIA-302-1973-02-24-2 | インド | 1973年02月24日 | 1970年代 | モンゴルのツェデンバル首相,訪印。 |
DIA-302-1973-02-25-1 | インド | 1973年02月25日 | 1970年代 | G.L.ナンダ,インド洋艦隊創設を提唱。 |
DIA-302-1973-02-27-1 | インド | 1973年02月27日 | 1970年代 | バングラの同意なしの捕虜釈放に反対,ガンディー首相表明。 |
DIA-302-1973-02-28-1 | インド | 1973年02月28日 | 1970年代 | 1973-74年度予算案-チャバン蔵相は,1973-74年度予算案を議会に提出した。概要は次のとおり。(単位1000万ルピー) |
DIA-302-1973-03-01-1 | インド | 1973年03月01日 | 1970年代 | オリッサ州政府辞任。 |
DIA-302-1973-03-03-1 | インド | 1973年03月03日 | 1970年代 | オリッサ州,大統領直轄統治下に入る,州議会解散。 |
DIA-302-1973-03-04-1 | インド | 1973年03月04日 | 1970年代 | インド商工会議所(FICCI),食糧穀物卸売業の国営化は不可能であり,問題はいかに農業生産を高めるかであると主張。 |
DIA-302-1973-03-05-1 | インド | 1973年03月05日 | 1970年代 | ユーゴ,ヴィジェディク大統領,訪印。 |
DIA-302-1973-03-05-2 | インド | 1973年03月05日 | 1970年代 | ギリ大統領,マレーシア訪問。 |
DIA-302-1973-03-06-1 | インド | 1973年03月06日 | 1970年代 | ガンディー首相,訪印中のユーゴ首相と会談。 |
DIA-302-1973-03-06-2 | インド | 1973年03月06日 | 1970年代 | マハーラーシュトラ州,小麦卸売業の政府によるテーグ・オーバー。 |
DIA-302-1973-03-09-1 | インド | 1973年03月09日 | 1970年代 | タタ製鉄の拡張について新日鉄が調査-インド政府はタタ製鉄の拡張に関するフィージビリティ・レポートの作成を新日鉄に依頼することを承認した。調査の主目的は,現存鋼塊生産能力200万トンを400万トンに引上げるための設備拡張と,この拡張をいかにして経済的に行なうかである。この調査のために350万ルピーの外貨支出が認められている。 |
DIA-302-1973-03-10-1 | インド | 1973年03月10日 | 1970年代 | ボンベイ市議会選挙で会議派後退ジャン・サン,ムスリム・リーグ伸びる。 |
DIA-302-1973-03-12-1 | インド | 1973年03月12日 | 1970年代 | 大財閥の資産は年間10%の増加-D.R.チャバン会社問題担当相は12日,上院において,大財閥(monopoly houses)の資産は過去2,3年,年間10%の割合で増加していると述べた。 |
DIA-302-1973-03-13-1 | インド | 1973年03月13日 | 1970年代 | アメリカ,印パに対する非殺傷用武器とスペアの販売を開始,71年の全面武器禁輸の部分的解除。 |
DIA-302-1973-03-15-1 | インド | 1973年03月15日 | 1970年代 | アメリカ,対印援助凍結を解除 1971年印パ戦争以来凍結していた8700万ドルを再開。 |
DIA-302-1973-03-15-2 | インド | 1973年03月15日 | 1970年代 | ハリアナ州の教員スト,32日目で終る。 |
DIA-302-1973-03-18-1 | インド | 1973年03月18日 | 1970年代 | アンドラ州の分離主義者のアンドラ会議派議員,地域政党結成に合意。 |
DIA-302-1973-03-19-1 | インド | 1973年03月19日 | 1970年代 | エッソ,カルテックス試験的にイラク原油を使用-エッソ,カルテックスは試験的にイラク原油を精製することに同意した。エッソは来週中に1万5000トンのイラク原油を受取る予定。エッソ,カルテックスがイラク原油の使用に合意したのはイラク政府とIPC(イラク石油会社)との紛争が解決したことによるもの。 |
DIA-302-1973-03-21-1 | インド | 1973年03月21日 | 1970年代 | デリーその他の主要都市での主要な穀物市場閉鎖一政府の穀物卸売業のテーク・オーバフに抗議したもの。 |
DIA-302-1973-03-23-1 | インド | 1973年03月23日 | 1970年代 | 最近年のコミュナル異動件数(内務省発表)。 70年521件 71年321件 72年240件 |
DIA-302-1973-03-24-1 | インド | 1973年03月24日 | 1970年代 | ロジャーズ米国務長官,米印間の意見の違いは強調されてはならないと述べる。 |
DIA-302-1973-03-24-2 | インド | 1973年03月24日 | 1970年代 | D.P.ダール計画相,次期計画のトップ・プライオリティは農業生産であると述べる。 |
DIA-302-1973-03-24-3 | インド | 1973年03月24日 | 1970年代 | インドとバングラ,貿易・支払い協定を3ヵ月延期-インドとバングラデシュ貿易・制限支払い協定を3ヵ月間延期することを決定した。この協定の有効期間は1年間で3月27日に失効することになっていた。 |
DIA-302-1973-03-24-4 | インド | 1973年03月24日 | 1970年代 | ディーゼル発電機の輸入を許可-政府はディーゼル発電機の輸入を6ヵ月間解除することに決定した。ただし,輸入はルピー支払い地域からのみ許可される。 |
DIA-302-1973-03-26-1 | インド | 1973年03月26日 | 1970年代 | マニプール州政府辞任。 |
DIA-302-1973-03-27-1 | インド | 1973年03月27日 | 1970年代 | CPI,デリーで「貪乏追放」の20万人デモ。 |
DIA-302-1973-03-28-1 | インド | 1973年03月28日 | 1970年代 | カルカッタで26の反会議派大衆組織が,失業,農民追出し,物価引上げに反対の集会。 |
DIA-302-1973-03-28-2 | インド | 1973年03月28日 | 1970年代 | 米印,PL480による見返り資金ルピー積立ての処理に関して話しあいを始める。現在200億ルピーあまり。 |
DIA-302-1973-03-28-3 | インド | 1973年03月28日 | 1970年代 | マニプール州大統領直轄下に入る。 |
DIA-302-1973-03-29-1 | インド | 1973年03月29日 | 1970年代 | スブラマニアム工業開発相,インドが工業分野で困難に直面していると述べる。 |
DIA-302-1973-03-30-1 | インド | 1973年03月30日 | 1970年代 | シッキムで国王に対するデモ,各地に拡大。 |
DIA-302-1973-03-31-1 | インド | 1973年03月31日 | 1970年代 | 第3次賃金委員会の勧告案発表される。 |
DIA-302-1973-04-01-1 | インド | 1973年04月01日 | 1970年代 | P.N.ハクサル首相特使,バングラ訪問。 |
DIA-302-1973-04-03-1 | インド | 1973年04月03日 | 1970年代 | マリク,インドネシア外相,インド訪問終る。共同声明。 |
DIA-302-1973-04-04-1 | インド | 1973年04月04日 | 1970年代 | 経営不振の車両工場の接収を示唆-T.A.パイ重工業相は4日,下院で民間車両会社14社のうち7社が経営不振で工場の閉鎖に追込まれているものがあり,これらの会社の接収を示唆した。経営不振の会社はBraithwaite,Jessops,Bird and Co.等で,これらの会社は国鉄からの発注がないため経営不振に陥っている。 |
DIA-302-1973-04-07-1 | インド | 1973年04月07日 | 1970年代 | 国防省年次報告(1972-73年度)発表。74-79年の防衛計画策定中と述べる。 |
DIA-302-1973-04-09-1 | インド | 1973年04月09日 | 1970年代 | シッキム行政,インド掌握。 |
DIA-302-1973-04-11-1 | インド | 1973年04月11日 | 1970年代 | ガンディー首相,「貧乏追放は漸次的課題」。 |
DIA-302-1973-04-11-2 | インド | 1973年04月11日 | 1970年代 | 外務次官ケワル・シン,シッキムのチョギャル国王と会談。 |
DIA-302-1973-04-11-3 | インド | 1973年04月11日 | 1970年代 | デリーの5つの繊維工場2万7000人の労働者,IN-TUCの呼びかけで無期限スト突入。 |
DIA-302-1973-04-11-4 | インド | 1973年04月11日 | 1970年代 | 資本財の輸入許可手続きの迅速化-専門家の勧告にもとづき,資本財の輸入許可手続きを大幅に修正して,輸入の迅速化がはかれることになった。現在,おそい場合には輸入許可がおりるまでに14ヵ月もかかるが,勧告どおりの改革が実施されれば,輸入許可は1ヵ月内におりることになっている。 |
DIA-302-1973-04-12-1 | インド | 1973年04月12日 | 1970年代 | シッキム問題で中国,インドを非難-新華社電によると,中国はシッキム問題に初めて触れ,インドがシッキムの暴動を理由としてシッキムに軍隊を送り,行政権を接収したと非難。 |
DIA-302-1973-04-12-2 | インド | 1973年04月12日 | 1970年代 | V.C.シュクラ防衛生産相,インドはミサイル技術を開発中と語る。 |
DIA-302-1973-04-13-1 | インド | 1973年04月13日 | 1970年代 | ナガランドで,あらゆる分離運動が非合法化される。 |
DIA-302-1973-04-13-2 | インド | 1973年04月13日 | 1970年代 | 政府,輸入原油の価格値上げに同意-石油・化学省はパーマ・シェル,カルテックスが要求している輸入原油の値上げを部分的に認める意向である。両社は4月1日からバレル当り7セントの値上げを要求しており,新価はバレル当り2.25ドル。なお,インドは1973年中に1400万トンの原油の輸入が見込まれており,所要外貨は20億ルピー。 |
DIA-302-1973-04-14-1 | インド | 1973年04月14日 | 1970年代 | マディア・プラデーシュ州のコルバ肥料工場着工,総工費12億ルピー,完成時アンモニア900トン/日,尿素肥料1,500トン/日。 |
DIA-302-1973-04-15-1 | インド | 1973年04月15日 | 1970年代 | 春作(ラビ)の政府買入れ開始-目標810万トン。 |
DIA-302-1973-04-16-1 | インド | 1973年04月16日 | 1970年代 | スワラン・シン外相,バングラのK.フセイン外相と会談,亜大陸情勢正常化に関して合意に達する。 |
DIA-302-1973-04-17-1 | インド | 1973年04月17日 | 1970年代 | 大財閥を“good and bad”の2グループに分ける―会社問題担当相は17日,下院において大財閥をgood and badの2グループに分けるつもりであると言明した。主要財閥の1970-71年の資産総額は次のとおり(単位1000万ルピー)。 タタ711.15,ピルラ687.38,ACC127.85,アンドリュー・コール58.01,バングール149.70,マフアタル172.38,タパール137.12。 |
DIA-302-1973-04-17-2 | インド | 1973年04月17日 | 1970年代 | インドとバングラ,共同してパキスタンに対して,捕虜と双方の国民(バングラ入とビハール人)相互送還を申し出る。 |
DIA-302-1973-04-17-3 | インド | 1973年04月17日 | 1970年代 | 会議派内のソーシャリスト・フォーラム正式に解散される。 |
DIA-302-1973-04-19-1 | インド | 1973年04月19日 | 1970年代 | 最高裁特別法延,国内治案維持法17条Aに関して憲法違反とする。 |
DIA-302-1973-04-24-1 | インド | 1973年04月24日 | 1970年代 | 最高裁特別法廷「基本的人権の部分も国会で改正可能」と判決。 |
DIA-302-1973-04-25-1 | インド | 1973年04月25日 | 1970年代 | 糖業調査委員会,製糖業の固有化に反対-5人の委員よりなる糖業調査委員会は1人の委員を除いて製糖業の国営化に反対した。委員会はNational Sugar Authorityを設置し,これが経営不振あるいは倒産した会社の経営にあたることを勧告している。現在,全国に220の製糖会社があり,20社が経営不振で10社が操業をやめている。 |
DIA-302-1973-04-26-1 | インド | 1973年04月26日 | 1970年代 | 最高裁3判事,A.N.ライの最高裁長官任命に反対して辞任。 |
DIA-302-1973-04-27-1 | インド | 1973年04月27日 | 1970年代 | ガンディー首相スリランカ訪問,バンダラナイケ首相と会談。 |
DIA-302-1973-04-27-2 | インド | 1973年04月27日 | 1970年代 | 国営金融機関のための持株会社を設置へ-Y.B.チャバン蔵相は27日,下院で国営金融機関が金融関係を持っている民間企業に代表を送り,経営管理を行なうための持株会社を設置することを明らかにした。 |
DIA-302-1973-04-29-1 | インド | 1973年04月29日 | 1970年代 | 本年度中に500万トンの食糧を輸入-インドは本財政年度中に少なくとも500万トンの食糧を輸入することになりそうである。政府は1973-74年度中に300万トンも食糧を輸入すれば十分であるとしていたが,最近の食糧暴動,公営配給機関の供給不足から政府の当初予想はくつがえされることになったもの。 |
DIA-302-1973-05-03-1 | インド | 1973年05月03日 | 1970年代 | さらに200~300万トンの食糧輸入を検討中。 |
DIA-302-1973-05-03-2 | インド | 1973年05月03日 | 1970年代 | 最高裁判事の罷免に抗議して,ほとんどの法廷が休廷。 |
DIA-302-1973-05-04-1 | インド | 1973年05月04日 | 1970年代 | S.D.シャルマー会議派総裁,3判事を非難-罷免された3判事は「右派大同盟」と結託しているとのべた。 |
DIA-302-1973-05-08-1 | インド | 1973年05月08日 | 1970年代 | 西ベンガル州,ライ首相,「会議派とCPIの同盟は,相互に多くの誤解はあるが保つ努力をする」。 |
DIA-302-1973-05-08-2 | インド | 1973年05月08日 | 1970年代 | インド・シッキム協定-インド政府代表,シッキム国王,シッキム3党代表が調印。 |
DIA-302-1973-05-09-1 | インド | 1973年05月09日 | 1970年代 | パキスタンによる在パ・ベンガル人への行動は,インド・バングラデシュによる共同宣言を無視するもので,パキスタンは捕虜,民間人の返還を希望していないように思われると,シン外相,下院答弁。 |
DIA-302-1973-05-10-1 | インド | 1973年05月10日 | 1970年代 | 非常事態宣言は撤回しない-K.C.パント内相は国内治安維持法に関する上院答弁で,現在の状態は非常事態とはいえないにしてもそれを撤回する時ではない,と述べる。 |
DIA-302-1973-05-11-1 | インド | 1973年05月11日 | 1970年代 | アーメッド食糧相,小麦買入れ価格の引上げ要求を拒否-また,小麦買入れ目標810万トンのうち140万トンを達成,食糧輸入については200万トンが取決められており,そのうち160万トンはすでに届いている。モンスーンの状況が不良の場合,追加食糧輸入も考えている。 |
DIA-302-1973-05-13-1 | インド | 1973年05月13日 | 1970年代 | ジャン・サン,スワタントラ党,野党会議派,DMKは,大統領に対し,司法の独立について国民の信頼を回復するよう求めた。 |
DIA-302-1973-05-15-1 | インド | 1973年05月15日 | 1970年代 | 会議派国会議員団書記局選挙-左右の対決として注目されていた下院副団長に右派のA.P.シャルマーが選出された。 |
DIA-302-1973-05-15-2 | インド | 1973年05月15日 | 1970年代 | ボンベイで食糧不足抗議スト-CPL,CPIM,ラル・ニシャン党の組織した工業労働者のストが実施され,午後,各地で暴動と化した。 |
DIA-302-1973-05-21-1 | インド | 1973年05月21日 | 1970年代 | ラクナウ(U.P.)で州機動隊と陸軍が交戦-ラクナウ大学での学生の鎮圧に出動した州機動隊は,学生との“合意”(5月20日)にもとづき学内にたてこもったため,陸軍が鎮圧に出動した。 |
DIA-302-1973-05-21-2 | インド | 1973年05月21日 | 1970年代 | 下院補欠選挙(タミル・ナードゥ)でADMK候補が当選。 |
DIA-302-1973-05-22-1 | インド | 1973年05月22日 | 1970年代 | シン外相,シリア訪問。 |
DIA-302-1973-05-22-2 | インド | 1973年05月22日 | 1970年代 | 陸軍,ほとんど全U.P.で機動隊の武器を管理-カーンプル,バラーナシーでは機動隊が武器の引きわたしを拒否して交戦。 |
DIA-302-1973-05-22-3 | インド | 1973年05月22日 | 1970年代 | 5月5日に終る1ヵ月で卸売物価4%上る。 |
DIA-302-1973-05-22-4 | インド | 1973年05月22日 | 1970年代 | インド・バングラデシュバキスタン問題で会談。 |
DIA-302-1973-05-24-1 | インド | 1973年05月24日 | 1970年代 | ビハール州,会議派から分かれた約50人の州議会議員,反K.パンデ州首相の統一戦線を結成。 |
DIA-302-1973-05-24-2 | インド | 1973年05月24日 | 1970年代 | U.P.機動隊反乱おさまる。 |
DIA-302-1973-05-26-1 | インド | 1973年05月26日 | 1970年代 | 政府,向こう6ヵ月間,全国の鉄道労働者のストを禁止。 |
DIA-302-1973-05-26-2 | インド | 1973年05月26日 | 1970年代 | シン外相,東独訪問。 |
DIA-302-1973-05-28-1 | インド | 1973年05月28日 | 1970年代 | 政府,アメリカに対しPL480についての新提案―260億ルピーにのぼるPL480によるルピー積立勘定の帳消しを行ない,残金をドル借款とすることを提案。 |
DIA-302-1973-05-28-2 | インド | 1973年05月28日 | 1970年代 | ビハール州新内閣組閣-27日に行なわれた内閣改造について不満の閣僚がいたため,いったん内閣を解散し新たに組閣した。 |
DIA-302-1973-05-29-1 | インド | 1973年05月29日 | 1970年代 | シン外相,チェコ訪問。 |
DIA-302-1973-05-30-1 | インド | 1973年05月30日 | 1970年代 | 公定歩合6%から7%へ-指定銀行の法定準備率も引上げ。 |
DIA-302-1973-05-31-1 | インド | 1973年05月31日 | 1970年代 | 食糧穀物の政府買入れ,30日現在で小麦295万トン,前年より約100万トン低い。 |
DIA-302-1973-05-31-2 | インド | 1973年05月31日 | 1970年代 | A.P.シンデ農業相,米の買入れ価格を来カリフ(秋作)から引上げる可能性を示唆。 |
DIA-302-1973-05-31-3 | インド | 1973年05月31日 | 1970年代 | M.クマラマンガラム連邦鉄鋼鉱業相,飛行機事故死-デリーでのインド国内航空機墜落事故により,同鉄鋼鉱業相,G.シン前パンジャーブ州首相ら65人の乗客が死亡した。 |
DIA-302-1973-06-01-1 | インド | 1973年06月01日 | 1970年代 | 世銀,対印援助12億ドル(1973-74年度)を勧告-うち7億ドルがノン・プロジェクト援助,5億ドルがプロジェクト援助,また目標額が達成できても純援助額は2億ドルとみられている。 |
DIA-302-1973-06-03-1 | インド | 1973年06月03日 | 1970年代 | オーストラリア,ウィットラム首相,来印。 |
DIA-302-1973-06-03-2 | インド | 1973年06月03日 | 1970年代 | U.P.トリパティー州首相,州内閣改造と行政組織の改革を示唆。 |
DIA-302-1973-06-04-1 | インド | 1973年06月04日 | 1970年代 | アーメッド食糧農業相,小麦の買入れ量が600万トンを越えないならば,200~250万トンの食糧穀物輸入が必要となると語る。 |
DIA-302-1973-06-05-1 | インド | 1973年06月05日 | 1970年代 | ガンディー首相,鉄鋼鉱業相を兼任。 |
DIA-302-1973-06-06-1 | インド | 1973年06月06日 | 1970年代 | インド,オーストラリア共同コミュニケ発表-インド洋を平和地域とし,東南アジアの緊張緩和をのぞむ。 |
DIA-302-1973-06-06-2 | インド | 1973年06月06日 | 1970年代 | 日印経済協力調査委員会終る-日本側からは中山伊知郎一橋大学名誉教授を委員長に岩佐凱実,水野重雄,東畑精一,松本重治の5氏,インド側からはバガット元蔵相,ラール商務省次官,ラーム・インド商工会議所会頭,チャクラバルティ政府計画委員会委員が出席。この会議で,日印関係の緊密化のために相互理解の促進,両国が相互補完的に経済協力を進めるなどの点で合意に達した。 |
DIA-302-1973-06-06-3 | インド | 1973年06月06日 | 1970年代 | ビハール州,パンデ州首相派と反対派が対立してそれぞれ集会を開く。 |
DIA-302-1973-06-08-1 | インド | 1973年06月08日 | 1970年代 | 日本政府,対印円借款-第13次円借款で食糧危機打開のための肥料工場援助にあてる方針。 |
DIA-302-1973-06-08-2 | インド | 1973年06月08日 | 1970年代 | 閣議,11月のカリフ(秋作)収穫期までにさらに200万トンの食糧穀物輸入が必要と決定。すでに200万トンの食糧輸入がとり決められている。 |
DIA-302-1973-06-08-3 | インド | 1973年06月08日 | 1970年代 | IDA,1億ドルの対印借款発表一特定優先産業のうち,大規模企業の工業用原材料,部品の輸入にあてる。 |
DIA-302-1973-06-09-1 | インド | 1973年06月09日 | 1970年代 | 卸売物価急上昇-5月19日現在,前年にくらべ20%上昇。 |
DIA-302-1973-06-09-2 | インド | 1973年06月09日 | 1970年代 | 昨年の対印援助実績は,世銀勧告12億5000万ドルのうち協定成立は9億2888万ドル,6億3000万ドルが実際に支払われた。 |
DIA-302-1973-06-09-3 | インド | 1973年06月09日 | 1970年代 | チャバン蔵相,600万トンの食糧輸入について語る。 |
DIA-302-1973-06-11-1 | インド | 1973年06月11日 | 1970年代 | 食糧輸入の総額650万トン―今年はじめに200万トンを決定,2ヵ月前に250万トン,先週さらに200万トンの輸入を決定した。 |
DIA-302-1973-06-12-1 | インド | 1973年06月12日 | 1970年代 | K.トリパティーU.P.州首相,辞表提出,大統領直轄統治を勧告。 |
DIA-302-1973-06-13-1 | インド | 1973年06月13日 | 1970年代 | U.P.州,大統領統治下に入る―議会は停止。 |
DIA-302-1973-06-13-2 | インド | 1973年06月13日 | 1970年代 | 連邦閣議の政治委員会と経済政策委員会は,農産物価格委員会による米買入れ価格引上げ勧告(現行の1キンタール56ルピーから7ルピー引上げ)を基本的に承認したといわれる。 |
DIA-302-1973-06-14-1 | インド | 1973年06月14日 | 1970年代 | 州首相,食糧相会議,中央政府が提案した農産物価格委員会の勧告による米雑穀の支持価格の来カリフからの引上げを承認。 |
DIA-302-1973-06-15-1 | インド | 1973年06月15日 | 1970年代 | 対印コンソーシャム,対印援助12万ドルの勧告を承認。 |
DIA-302-1973-06-15-2 | インド | 1973年06月15日 | 1970年代 | ガンディー首相,ユーゴ訪問-チトー大統領と会談。 |
DIA-302-1973-06-17-1 | インド | 1973年06月17日 | 1970年代 | インド・ユーゴ共同声明-1967年に占領した全アラブ領からのイスラエル軍の完全引揚げ,カンボジア爆撃の早期停止,ラオスの和平協定履行を求める。 |
DIA-302-1973-06-17-2 | インド | 1973年06月17日 | 1970年代 | 1972-73年度の財政赤字は127億8640万ルピーに達する。 |
DIA-302-1973-06-18-1 | インド | 1973年06月18日 | 1970年代 | ガンディー首相,カナダ訪問-トルドゥー首相と会談。 |
DIA-302-1973-06-22-1 | インド | 1973年06月22日 | 1970年代 | ビハール州K.パンデ州内閣の閣僚24人,州首相に辞表提出。 |
DIA-302-1973-06-24-1 | インド | 1973年06月24日 | 1970年代 | ビハール州会議派州議員総会で,K.パンデ州首相は不信任される。 |
DIA-302-1973-06-24-2 | インド | 1973年06月24日 | 1970年代 | インド・カナダ共同コミュニケ-カナダはインドへの食糧穀物供与を約束。 |
DIA-302-1973-06-24-3 | インド | 1973年06月24日 | 1970年代 | D.K.バローア石油化学相は,外国石油会社の国有化は「時聞の問題」であると語った。 |
DIA-302-1973-06-25-1 | インド | 1973年06月25日 | 1970年代 | ガンディー首相,ヒース英首相と会談。 |
DIA-302-1973-06-26-1 | インド | 1973年06月26日 | 1970年代 | 米ソ会談を歓迎-カナダ訪問中のガンディー首相は,緊張緩和の方向としての米ソ会談を歓迎すると述べた。 |
DIA-302-1973-06-27-1 | インド | 1973年06月27日 | 1970年代 | グジャラート州G.オザ首相,辞職を決意,ガンディー首相に伝える。 |
DIA-302-1973-07-01-1 | インド | 1973年07月01日 | 1970年代 | 失業者数増加-4月現在727万人で,72年12月より37万人増加。 |
DIA-302-1973-07-02-1 | インド | 1973年07月02日 | 1970年代 | ビハール州,アプドゥル・ガフール新内閣誕生。 |
DIA-302-1973-07-03-1 | インド | 1973年07月03日 | 1970年代 | 会議派総裁S.D.シャルマ,モスクワでブレジネフ書記長と会談。 |
DIA-302-1973-07-04-1 | インド | 1973年07月04日 | 1970年代 | 外資石油会社,原油価格の値上げを要求-カルテックスとバーマシェルは原油価格をバレル当り20.30セントの引上げをインド政府に要求した。このうち3.50セントは通貨変動によるもの。原油価格はこの6ヵ月間に4回引上げられており,今回の引上げにより,2.34セントから2.55セントになる。 |
DIA-302-1973-07-05-1 | インド | 1973年07月05日 | 1970年代 | インド・バングラ,3年間の貿易協定調印。 |
DIA-302-1973-07-06-1 | インド | 1973年07月06日 | 1970年代 | ガンディー首相特使P.N.ハクサル,ダッカでフセイン外相と会談。 |
DIA-302-1973-07-06-2 | インド | 1973年07月06日 | 1970年代 | H.N.バフグナ通信相,小麦の卸売業国営化失敗を認める。 |
DIA-302-1973-07-07-1 | インド | 1973年07月07日 | 1970年代 | J.ラム国防相,ソ連のグレチコ将軍の招待でモスクワ着,10日間滞在。 |
DIA-302-1973-07-08-1 | インド | 1973年07月08日 | 1970年代 | インド地質調査研究所はオリッサでVanadiーferrouss magnetite ore,ニッケル等の埋蔵量70億トンの鉱山を発見した。 |
DIA-302-1973-07-10-1 | インド | 1973年07月10日 | 1970年代 | 東部U.P.州で飢餓が伝えられる。 |
DIA-302-1973-07-10-2 | インド | 1973年07月10日 | 1970年代 | 2月の工業生産低下-2月の工業生産は192.8となり,72年2月に比べて2.8%の低下となった。1~2月の平均を前年同期と比較しても0.4%の低下となっている。 |
DIA-302-1973-07-12-1 | インド | 1973年07月12日 | 1970年代 | 小麦450万トンを輸入契約-インドは海外から450万トンの小麦を買う契約を行なった。これはすでに輸入した165万トンとは別である。 |
DIA-302-1973-07-12-2 | インド | 1973年07月12日 | 1970年代 | インド準備銀行,さらに金融引締め。 |
DIA-302-1973-07-18-1 | インド | 1973年07月18日 | 1970年代 | 1973年第1四半期の工業生産は前年同期に比べて1.8%の下落となった。 |
DIA-302-1973-07-18-2 | インド | 1973年07月18日 | 1970年代 | グジャラート州,チマンバイ・バテル首相就任。 |
DIA-302-1973-07-19-1 | インド | 1973年07月19日 | 1970年代 | インド,アフガニスタンのダウド新政権承認。 |
DIA-302-1973-07-20-1 | インド | 1973年07月20日 | 1970年代 | スワラン・シン外相,2日間のイラン訪問でテヘラン着,ホヴェイダ首相らと会談。 |
DIA-302-1973-07-21-1 | インド | 1973年07月21日 | 1970年代 | アカリ・ダル,カルナールで小麦買入価格引上げを要求してデモ。 |
DIA-302-1973-07-21-2 | インド | 1973年07月21日 | 1970年代 | 最近の主要消費物資の価格動向は次のとおり。 |
DIA-302-1973-07-21-3 | インド | 1973年07月21日 | 1970年代 | マディア・プラデーシ州,以前に辞表を提出した5人の大臣,それを撤回。 |
DIA-302-1973-07-23-1 | インド | 1973年07月23日 | 1970年代 | モンスーン国会始まる。野党,物価問題で政府追及。 |
DIA-302-1973-07-23-2 | インド | 1973年07月23日 | 1970年代 | 在印ルピー・ファンド処理に関してデリーで米印会談-PL480に主として帰因するアメリカ政府のルピー・ファンドがきわめて大きくなったのに対して,インド側が帳消しを要求している。 |
DIA-302-1973-07-24-1 | インド | 1973年07月24日 | 1970年代 | 印バ事務レベル会談,ラワルビンディーで始まる。 インド側代表P.N.ハクサル(前首相主席秘書) パキスタン側代表アジス・アーメッド外務・国防相 |
DIA-302-1973-07-24-2 | インド | 1973年07月24日 | 1970年代 | ミゾラム州でミソ族の反乱が拡大していると伝えられる。 |
DIA-302-1973-07-25-1 | インド | 1973年07月25日 | 1970年代 | 政府の小麦買入れ量は430万トン-A.P.シンデ食糧・農業担当相は,25日上院で政府の小麦買入れ量は430万トン強であることを明らかにした。これは当初目標の820万トンはもちろん修正目標の600万トンを下回っている。 |
DIA-302-1973-07-26-1 | インド | 1973年07月26日 | 1970年代 | ガンディー首相,野党指導者に対し,現在の危機打開のための協力要請。 |
DIA-302-1973-07-26-2 | インド | 1973年07月26日 | 1970年代 | 産業ライセンス,仮ライセンスの発行数低下。 産業ライセンス73年前半163件 72年前半445 71年前半370 仮ライセンス73年前半288件 72年前半877 71年前半1,015 |
DIA-302-1973-07-27-1 | インド | 1973年07月27日 | 1970年代 | 印パ会談出席中のP.N.ハクサル,英仏から帰国したブット大統領と会談。 |
DIA-302-1973-07-27-2 | インド | 1973年07月27日 | 1970年代 | 西ベンガル州でバンド(ゼネスト)行なわれる。CPI,CPM参加。 |
DIA-302-1973-07-28-1 | インド | 1973年07月28日 | 1970年代 | ギリ大統領,ラクノウでインドの政治家の腐敗を非難。 |
DIA-302-1973-07-30-1 | インド | 1973年07月30日 | 1970年代 | 印パ会談中断-次期は早急にデリーで開くことに合意。 |
DIA-302-1973-07-31-1 | インド | 1973年07月31日 | 1970年代 | シブ・セナの活動家,ボンベイで穀物小売商,食料品店を襲い,価格引下げを強制。 |
DIA-302-1973-08-01-1 | インド | 1973年08月01日 | 1970年代 | 北部インドの鉄道サボ。 |
DIA-302-1973-08-01-2 | インド | 1973年08月01日 | 1970年代 | ボンベイで,物価値上げ反対連動が暴動化。 |
DIA-302-1973-08-02-1 | インド | 1973年08月02日 | 1970年代 | ケララ州で物価値上げと食糧不足反対のバンド(ゼネスト)。 |
DIA-302-1973-08-02-2 | インド | 1973年08月02日 | 1970年代 | シェーク・アプドゥラ,カシュミール問題解決には国民投票以外の方法が考えられると述べる。 |
DIA-302-1973-08-02-3 | インド | 1973年08月02日 | 1970年代 | 金がボンベイで新高値をつける―金地金は2日,トーラ当り500ルピーの新高値をつけた。前日引値は430ルピー,一挙に70ルピーの値上りとなった。新高騰の原因は高額紙幣の流通禁止(demonitization)のうわさが根強いためである。 |
DIA-302-1973-08-03-1 | インド | 1973年08月03日 | 1970年代 | 英連邦首脳会談(オタワ)でスワラン・シン外相,ペルシャ湾地域での軍備競争に警告。 |
DIA-302-1973-08-05-1 | インド | 1973年08月05日 | 1970年代 | 72年末以来,デリーで犯罪件数急増,殺人未遂は60%アップ,暴動は100%アップ。 |
DIA-302-1973-08-06-1 | インド | 1973年08月06日 | 1970年代 | ボーパルで食糧暴動,500人逮捕。 |
DIA-302-1973-08-06-2 | インド | 1973年08月06日 | 1970年代 | U.P.州の野党連合-74年初めに予定される州議会選挙に備え,会議派(O),BKD,SSP,ムスリム・マジュリス,プラガティ党の代表,ラクノウで,口頭の確認として,反会議派戦線を組むことを決める。 |
DIA-302-1973-08-07-1 | インド | 1973年08月07日 | 1970年代 | L.N.ミシュラ鉄道相,スト中の鉄道機関士労働者代表と会うことに同意。 |
DIA-302-1973-08-07-2 | インド | 1973年08月07日 | 1970年代 | シェーク・アブドゥラ,ガンディーと会談。 |
DIA-302-1973-08-07-3 | インド | 1973年08月07日 | 1970年代 | デリーでCPIの反物価引上げデモ,300人逮捕。 |
DIA-302-1973-08-08-1 | インド | 1973年08月08日 | 1970年代 | K.R.ガネッシュ大蔵担当相は下院で高額紙幣の流通禁止唐風はとらないと述べた。しかし,来年から新100ルピー紙幣を発行することを明らかにした。 |
DIA-302-1973-08-09-1 | インド | 1973年08月09日 | 1970年代 | CB.グプタ(会議派(O)),チャラン・シン(BKD)の反会議派新党結成のための二度目の会談,結実せず。 |
DIA-302-1973-08-10-1 | インド | 1973年08月10日 | 1970年代 | Y.B.チャバン,政府支出40億ルピー削減を発表。 |
DIA-302-1973-08-10-2 | インド | 1973年08月10日 | 1970年代 | L.N.ミシュラ鉄道相,機関士組合(Loco Running Staff Association)議長のM.R.サバパティ,スト終結について会談。 |
DIA-302-1973-08-10-3 | インド | 1973年08月10日 | 1970年代 | デリーで電力サボで停電。 |
DIA-302-1973-08-11-1 | インド | 1973年08月11日 | 1970年代 | ガンディー首相,会議派(O)の実力者K.カマラージとデリーで会う。 |
DIA-302-1973-08-12-1 | インド | 1973年08月12日 | 1970年代 | ゴア首相のD.バンドドカル死去。 |
DIA-302-1973-08-13-1 | インド | 1973年08月13日 | 1970年代 | 鉄道スト中止,政府折れる。 |
DIA-302-1973-08-13-2 | インド | 1973年08月13日 | 1970年代 | アメリカ小麦のインド到着価格はトン200ドル-A.P.シンデ食糧・農業担当相はアメリカの小麦価格は以前のトン当り125~130ドルから160ドルに値上がりし,船賃もトン15ドルから40ドルに上がっており,インド到着価格は200ドルになると下院で述べた。 |
DIA-302-1973-08-14-1 | インド | 1973年08月14日 | 1970年代 | ギリ大統領,3年間のストライキ,ロックアウトのモラトリアムを呼びかける。 |
DIA-302-1973-08-14-2 | インド | 1973年08月14日 | 1970年代 | 準備銀行,預金準備率を5%から7%に引上げ-インド準備銀行は8月14日,9月8日,9月22日の2回にわけて指定商業銀行の預金準備率を1%ずつ引上げ,7%にすると14日発表した。 |
DIA-302-1973-08-15-1 | インド | 1973年08月15日 | 1970年代 | P.N.ハクサル,ダッカ訪問,ラーマン首相と会談。 |
DIA-302-1973-08-15-2 | インド | 1973年08月15日 | 1970年代 | ラージャスタン州公務員,37日間のスト中止。 |
DIA-302-1973-08-16-1 | インド | 1973年08月16日 | 1970年代 | マハーラシュトラ州,インド防衛法を発動し,日常品の価格凍結。 |
DIA-302-1973-08-16-2 | インド | 1973年08月16日 | 1970年代 | U.P.電力技術者サボタージュに入る。 |
DIA-302-1973-08-17-1 | インド | 1973年08月17日 | 1970年代 | デリーのスト中の看護婦に対してインド防衛法発動。 |
DIA-302-1973-08-17-2 | インド | 1973年08月17日 | 1970年代 | ボーパルで物価値上げ反対デモに警官が発砲し,6人殺される。 |
DIA-302-1973-08-18-1 | インド | 1973年08月18日 | 1970年代 | 印パ会談,第2ラウンド,デリーで開始。 |
DIA-302-1973-08-19-1 | インド | 1973年08月19日 | 1970年代 | C.スブラマニアム工業開発相とK.カマラージが会う。 |
DIA-302-1973-08-19-2 | インド | 1973年08月19日 | 1970年代 | インドの世界貿易に占めるシェアはさらに低下-インドの世界貿易(社会主義諸国を除く)に占めるシェアは1972年には1962年の1.13%から0.67%に低下した。絶対額では増加。 |
DIA-302-1973-08-20-1 | インド | 1973年08月20日 | 1970年代 | J.ラム国防相,パキスタン,イランの軍備増強に対処する用意ありと述べる。 |
DIA-302-1973-08-21-1 | インド | 1973年08月21日 | 1970年代 | TISCOの拡張費用は80億ルピ―J.R.D.タタ・TISCO会長は21日,TISCOの200万トンの増産のため拡張には80億ルピー必要であると株主総会で説明した。拡張のためのフィージビリティレポートを新日鉄が作成しており,このレポートにもとづいて資金調達について政府と交渉する。 |
DIA-302-1973-08-22-1 | インド | 1973年08月22日 | 1970年代 | スワラン・シン,イランとの間の通商経済関係の拡大を強調。 |
DIA-302-1973-08-23-1 | インド | 1973年08月23日 | 1970年代 | インド,イラクで石油探査権を獲得-インドとイラクはイラク原油輸入に関する協定を結んだが,中近東通信によれば,その協定の一部にインドのイラクにおける石油探査権が含まれている。 |
DIA-302-1973-08-24-1 | インド | 1973年08月24日 | 1970年代 | インドは核に関してフリー・ハンド-V.C.シュクラ防衛生産相,下院で語る。 |
DIA-302-1973-08-25-1 | インド | 1973年08月25日 | 1970年代 | 印パ会談のパ側の代表の一人アガ・シャヒ,急拠帰国(24日)してブットの指示を得て戻る。 |
DIA-302-1973-08-26-1 | インド | 1973年08月26日 | 1970年代 | イラク海軍司令官B.アブドゥル・アルデリ,9日間の訪印でデリー着。 |
DIA-302-1973-08-27-1 | インド | 1973年08月27日 | 1970年代 | イラン王女,アシュラフ・バーレビ訪印。 |
DIA-302-1973-08-27-2 | インド | 1973年08月27日 | 1970年代 | 外国為替規制改正法,下院を通過-貿易業者のインボイス操作の防止,外資導入規制強化などを目的とした外国為替規制改正法が27日,下院を通過した。この法律は輸出産業などの例外業種を除いて外国人の持株比率を40%以下にすること,外国法人の不動産取得なども規定している。 |
DIA-302-1973-08-28-1 | インド | 1973年08月28日 | 1970年代 | 印パ協定,調印される-パはベンガル人裁判を取りやめ,バングラ側はビハール人の送還数26万人に固執せず。 |
DIA-302-1973-08-28-2 | インド | 1973年08月28日 | 1970年代 | インドはIMFのゴールドトランシュより1億800万ドル引出しており,ゴールドトランシュの残額は8600万ドルしかない。 |
DIA-302-1973-08-29-1 | インド | 1973年08月29日 | 1970年代 | ジャン・サンを除いて,さまざまな政党の指導者,デリー協定を称賛。 |
DIA-302-1973-08-30-1 | インド | 1973年08月30日 | 1970年代 | 本年度の産業ライセンスのガイドラインが決まる-企業の新設の許可・不許可を規定する本年度の産業ライセンスのガイドラインが110業種について発表された。 |
DIA-302-1973-09-02-1 | インド | 1973年09月02日 | 1970年代 | ガンディー首相,節約を奨励-公式行事は外国の大臣以上の訪問者に限る,公用車の使用を制限する,公費の旅行を制限するなどの節約8項目指令を出した。 |
DIA-302-1973-09-04-1 | インド | 1973年09月04日 | 1970年代 | ガンディー首相,非同盟諸国会議(アルジエ)に出席。 |
DIA-302-1973-09-05-1 | インド | 1973年09月05日 | 1970年代 | インド,海外での小麦の買付けを中止-インドは海外の小麦価格の高騰から小麦の買付けを中止した。インドの買付けミッションは1973-74年度中に450万トンの買付け権限を与えられており,すでに200万トン強の買付けを行なっているにれは72-73年中の契約分180万トンとは別)。現在,国内の小麦買入れ価格がキンタール当り75ルピーであるのに対し,海外では約200ルピーになっている。 |
DIA-302-1973-09-06-1 | インド | 1973年09月06日 | 1970年代 | 首相,大国による小国の支配を非難-非同盟会議で,大国の支配を非難し,地域不均衡は大国の責任であると述べた。 |
DIA-302-1973-09-07-1 | インド | 1973年09月07日 | 1970年代 | 米の卸売り国営化未定 F.A.アーメッド食糧相は,MP,UP,西ベンガル,パンジャーブ,ハリヤナなどの州政府の担当大臣と米の卸売り国有化問題について会談したが結論はでなかった。 |
DIA-302-1973-09-10-1 | インド | 1973年09月10日 | 1970年代 | ガソリンの価格を50%値上げ-政府はガソリンの不急不要の消費を削減するため価格を50%引上げることにし,ガソリンの配給制は導入しないことにした。ガソリン価格はリッター当り現在の1.66ルピーから2.50ルピーとなる。 |
DIA-302-1973-09-11-1 | インド | 1973年09月11日 | 1970年代 | カストロ・キューバ首相,アルジエからの帰途,訪印。 |
DIA-302-1973-09-11-2 | インド | 1973年09月11日 | 1970年代 | D.シン元外相,会議派から資格停止処分をうける。 |
DIA-302-1973-09-11-3 | インド | 1973年09月11日 | 1970年代 | マハーラーシュトラ医師スト中止-26日間続いたストはガンディー首相の介入により労使双方の合意が成立した。 |
DIA-302-1973-09-12-1 | インド | 1973年09月12日 | 1970年代 | 来春小麦の政府買入れ価格を50%引上げ-農産物価格委員会は来春収穫する小麦の価格をキンタール当り85ルピーと決定した。現在はキンタール76ルピーなので9ルピーの値上げとなる。 |
DIA-302-1973-09-15-1 | インド | 1973年09月15日 | 1970年代 | 会議派運営委員会,米卸売り国営化を断念。 |
DIA-302-1973-09-16-1 | インド | 1973年09月16日 | 1970年代 | 会議派全国大会(AICC)米の卸売り国営化の代案を承認-米卸売り国営化を断念し,代案として,①生産者からの買入れ,②精米業者からの買入れ,③生産者・精米業者からの買入れ,④卸売り公営化,のうちから各州政府の選択に任せることを決定した。 |
DIA-302-1973-09-16-2 | インド | 1973年09月16日 | 1970年代 | 鉄鋼の価格をトン当り75ルピー値上げ-ジョイント・プラント・コミティーは16日,あらゆるカテゴリーの鉄鋼をトン当り75ルピー値上げすると発表した。 |
DIA-302-1973-09-18-1 | インド | 1973年09月18日 | 1970年代 | CPI・Mと社会党,共同行動について会談。 |
DIA-302-1973-09-19-1 | インド | 1973年09月19日 | 1970年代 | インド・トルコ貿易協定に調印。 |
DIA-302-1973-09-19-2 | インド | 1973年09月19日 | 1970年代 | 石油の使用量を25%削減-政府は第5次5ヵ年計画中に石油の消費量を25%削減し,30億ルピーの外貨節 約を考えている。石油の消費量を25%削減するには,個人保有乗用車は50%,公用車は33%,タクシー,オート・リキショー,軽トラックは16%,大型トラック,バスは10%の削減が必要と推定されている。 |
DIA-302-1973-09-19-3 | インド | 1973年09月19日 | 1970年代 | 印・パ・バングラの捕虜抑留者相互送還始まる。 |
DIA-302-1973-09-20-1 | インド | 1973年09月20日 | 1970年代 | 小麦支特価格-在来品種を80ルピ-,メキシカンを85ルピ-とする。 |
DIA-302-1973-09-20-2 | インド | 1973年09月20日 | 1970年代 | Cadbury社を独禁法違反容疑で調査一会社問題省は独占・制限的取引法の44条にもとづきCadbury Fry(India)を調査することを命じた。同社は活動分野で支配的影響力を持っており,製品価格を生産コストと無関係に決めて,大きな利益をあげていると言われている。独禁法にもとづいて会社が調査されるのは法律の制定収来はじめてのことである。 |
DIA-302-1973-09-20-3 | インド | 1973年09月20日 | 1970年代 | アンドラ紛争解決のための政府6項目提案を示す。 |
DIA-302-1973-09-24-1 | インド | 1973年09月24日 | 1970年代 | 国営企業が1972-73年度にはじめて黒字を出す-国営企業は前年度は1億4420万ルピーの赤字を出していたが,1972-73年度はこの20年来はじめて約9000万ルピーの黒字を出した。利益の最も多いのはIndian Oilで2億ルピーの利益を出している。 |
DIA-302-1973-09-25-1 | インド | 1973年09月25日 | 1970年代 | 日印経済合同委員会始まる。 |
DIA-302-1973-09-27-1 | インド | 1973年09月27日 | 1970年代 | 日印経済合同委員会終る-インド側はとくに,輸出指向型産業への投資・協力を要望,合弁企業としてインドへの進出を望み,日本側は,インド産業の強化に協力することを表明,両国代表は,インド国内の資源利用の点で一致した。 |
DIA-302-1973-09-27-2 | インド | 1973年09月27日 | 1970年代 | カルカッタ港のストライキ終る-15日間にわたる,カルカッタ港の港湾労働者のストライキは27日夜,労使の合意に到達したため中止された。 |
DIA-302-1973-09-28-1 | インド | 1973年09月28日 | 1970年代 | ソ連が穀物200万トンを貸付ける-ソ連はインドに対し200万トンの穀物を貸付けるとの申出をし,インドはこれを受諾した。200万トンの中には米も若干量含まれている。船積みはただちに開始されることになっている。なお,中央政府は5,6,7月には110万トン,8月には95万トン9月には75万トンの食糧を放出した。 |
DIA-302-1973-09-29-1 | インド | 1973年09月29日 | 1970年代 | トリプラで天然ガスを発見-石油・化学省のスポークスマンは,トリプラのバラムラで天然ガスを発見したと発表した。 |
DIA-302-1973-10-01-1 | インド | 1973年10月01日 | 1970年代 | 本年度の輸出目標を206億ルピーに引上げる-外国貿易省は本年度の輸出目標を当初の190億ルビーから206億ルピーに引上げた。ジュート,皮革製品の輸出が依然として好調なことから輸出目標が引上げられたものである。 |
DIA-302-1973-10-02-1 | インド | 1973年10月02日 | 1970年代 | 日本の製鉄会社,インド鉄鉱石の12.8%値上げに同意一日本の製鉄会社はドル切下げの補償措置としてインド鉄鉱石の12.8%値上げに同意した。 |
DIA-302-1973-10-03-1 | インド | 1973年10月03日 | 1970年代 | ギリ大統領,ルーマニア訪問。 |
DIA-302-1973-10-04-1 | インド | 1973年10月04日 | 1970年代 | 米の政府買入れ価格を引上げ-F.A.アーメッド食糧農業相は米の政府買入れ価格を前年に比べてキンタール当り17.72ルピーから27.70ルピー引上げると発表した。引上げ幅はアンドラ州が最高で最低はM.P.州。 |
DIA-302-1973-10-06-1 | インド | 1973年10月06日 | 1970年代 | ギリ大統領,インド・ルーマニア共同声明発表後,チェコ訪問。 |
DIA-302-1973-10-07-1 | インド | 1973年10月07日 | 1970年代 | 外務省,中東戦争でイスラエルを非難。 |
DIA-302-1973-10-08-1 | インド | 1973年10月08日 | 1970年代 | ソ連の食糧援助,第1船入港-1万3350トンの食糧を積んだソ連船が8日,マドラ港港に入港した。これはソ連がオーストラリアより購入した小麦を本国に輸送中,インドへの食糧援助のために転送したものである。 |
DIA-302-1973-10-11-1 | インド | 1973年10月11日 | 1970年代 | 首相,経済危機について,経済学者,財界人と懇談 V.K.R.V.ラオ,A.M.クスロ,P.C.ジョシ,K.クリシュナムルティ氏らによる,インフレ経済危機についての報告書を検討した。 |
DIA-302-1973-10-11-2 | インド | 1973年10月11日 | 1970年代 | ラージャスターン州首相,B.カーン死去-暫定首相にH.ジョシ会議派州議会副リーダーが就任。 |
DIA-302-1973-10-12-1 | インド | 1973年10月12日 | 1970年代 | ソ連と食糧借款返済協定調印一先に貸付けられた200万トンの食糧援助の返済に関するもので,7年間にわたって返済の計画。 |
DIA-302-1973-10-12-2 | インド | 1973年10月12日 | 1970年代 | ネパール,ビレンドラ国王,ガンディー首相と会談。 |
DIA-302-1973-10-12-3 | インド | 1973年10月12日 | 1970年代 | APHLC (全党山岳指導者会議)からG.G.スウェル下院副議長除名される。 |
DIA-302-1973-10-13-1 | インド | 1973年10月13日 | 1970年代 | 西ベンガル州,CPIとCPI・M合意に達する-食糧危機と物価騰貴により生じた状況への対策を求める大衆運動の必要性を認めることで合意に達した。両党は,会議派に対する態度などに基本的な相違があるが,個々の問題で共同行動をとることは可能と考える。 |
DIA-302-1973-10-15-1 | インド | 1973年10月15日 | 1970年代 | 中央政府,穀物の放出価格を引上げる-中央政府は配給用に州政府に放出する穀物の価格を25~331/3%引上げることに決定した。これは政府買上げ価格の値上げにともなってとられた措置で11月1日から実施される。 |
DIA-302-1973-10-18-1 | インド | 1973年10月18日 | 1970年代 | 鉄鋼の輸出を一時停止-鉄鋼省は生産の減少と国内需要の増大に対処するため,銑鉄の輸出契約を当分停止することに決定した。 |
DIA-302-1973-10-18-2 | インド | 1973年10月18日 | 1970年代 | 政府,西アジア情勢とインドへの原油供給問題を検討。 |
DIA-302-1973-10-21-1 | インド | 1973年10月21日 | 1970年代 | 政府,製紙プラントの輸入禁止を援和-政府は1ヵ月前に製紙プラントの輸入禁止を決定したが,国内メーカーの供給能力が低いこと,価格が高いことから部分的に輸入が不可欠であることを認め,ノック・ダウンを条件に一部の機械の輸入を認める方針。 |
DIA-302-1973-10-22-1 | インド | 1973年10月22日 | 1970年代 | エッソ,原油1バレル当り95.6セントの値上げを政府に通告。 |
DIA-302-1973-10-22-2 | インド | 1973年10月22日 | 1970年代 | アンドラ紛争の6項目提案をアンドラ,テレンガナ両地域代表が受諾。 |
DIA-302-1973-10-23-1 | インド | 1973年10月23日 | 1970年代 | 1973年4~7月の輸出は前年比10.5%増の65億ルピーとなった。 |
DIA-302-1973-10-23-2 | インド | 1973年10月23日 | 1970年代 | ラージャスターン州,会議派州議会リーダーにH。ジョシ(現暫定州首相)選出される。 |
DIA-302-1973-10-24-1 | インド | 1973年10月24日 | 1970年代 | ミソラーム州会議派,州与党ミソ・ユニオンとの無条件合併案を拒否。 |
DIA-302-1973-10-24-2 | インド | 1973年10月24日 | 1970年代 | トラクターの価格値上がり-政府はトラクター・メーカーから出されていた価格値上げ申請を許可した。ボンベイInternational Tractorの場合,25馬カトラクターは400ルピー値上がりし,26,700ルピー,44馬力トラクターは13,000ルピー値上がりし,30,900ルピーになった。 |
DIA-302-1973-10-24-3 | インド | 1973年10月24日 | 1970年代 | カルテックスはビサカパトナムの精油所への原油輸入の削減を通告。 |
DIA-302-1973-10-25-1 | インド | 1973年10月25日 | 1970年代 | ラージャスターン州,H.ジョシ州内閣成立。 |
DIA-302-1973-10-27-1 | インド | 1973年10月27日 | 1970年代 | 第6次財政委員会,報告書を提出-第6次財政委員会は27日,大統領に報告書を提出し,報告書において第5次5ヵ年計画中に600億ルピーの資金を中央から州に移転することを勧告した。 |
DIA-302-1973-10-29-1 | インド | 1973年10月29日 | 1970年代 | 1972-73年の経済成長率は2%以下-準備銀行の1972-73年度年報によれば,1972-73年度の実質成長率は前年同様に2%以下となっている。 |
DIA-302-1973-10-30-1 | インド | 1973年10月30日 | 1970年代 | エッソ,カルテックスか原油の供給削減を通告-カルテックスに続いてエッソが原油の供給削減を石油・化学省に通告した。インドの新聞はインドに供給すべき石油をアメリカに転用していると石油資本を批判している。 |
DIA-302-1973-10-31-1 | インド | 1973年10月31日 | 1970年代 | サウジアラビア,インドへの原油供給を10%削減-サウジアラビアはインド,バングラデシュタイ,シンガポール,日本,フィリビン,オーストラリヤなどへの原油供給を10%削減すると通告した。パキスタン,イギリス,フランスは除外されており,インド政府はショックを受けている。 |
DIA-302-1973-11-01-1 | インド | 1973年11月01日 | 1970年代 | マイソール州改名してカルナタカ州となる。 |
DIA-302-1973-11-01-2 | インド | 1973年11月01日 | 1970年代 | スワラン・シン外相,インド洋へ海軍機動部隊を投入するというアメリカの決定に対して懸念を表明。 |
DIA-302-1973-11-01-3 | インド | 1973年11月01日 | 1970年代 | バーマ・シェル,原油価格を3.64ドルに値上げ-バーマ・シェルは政府に10月16日から原油価格を90セント億上げし,3.64ドルにすると通告した。同社は年間375万トン輸入しているが,削減量についてはまだ通告していない。 |
DIA-302-1973-11-02-1 | インド | 1973年11月02日 | 1970年代 | 政府,石油製品価格を億上げ-政府はガソリンの価格をリッター1.66ルピーから2.74ルピーに,灯油を38パイサー値上げする政令を出した。ナフサ価格は据置かれた。 |
DIA-302-1973-11-02-2 | インド | 1973年11月02日 | 1970年代 | 食糧輸入は当分ストップ-F.A.アーメッド農業相はすでに契約された410万トンとソ連からの200万トンの援助で,当分輸入はストップと述べた。また,1972~73年度の食糧穀物生産高は9500万トンであったと発表。 |
DIA-302-1973-11-04-1 | インド | 1973年11月04日 | 1970年代 | デリーの市職員のストに対し,インド防衛法を発動。 |
DIA-302-1973-11-04-2 | インド | 1973年11月04日 | 1970年代 | 政府,エッソに株式の75%取得代価として1.7億ルピーを提示-インド政府はエッソの株式75%取得の代価として1億7000万ルピーを提示した。エッソは会社資産を4億ルピーと評価していたが,インド政府は2億500万ルピーと評価し,これにもとづいて1億7000万ルピーを提示したもの。 |
DIA-302-1973-11-05-1 | インド | 1973年11月05日 | 1970年代 | アンドラ・プラデーシ州に関する6項目の提案を,州会議派会議で了承。州の統一を保持することを骨子としたもの。 |
DIA-302-1973-11-06-1 | インド | 1973年11月06日 | 1970年代 | CPM,CPI,ジャンサン系の労働組合がデリーでゼネスト,商工業活動ほとんどストップ。 |
DIA-302-1973-11-07-1 | インド | 1973年11月07日 | 1970年代 | ジュート,ココヤシ皮の繊維に関する協定をECと結ぶ-インドはECとジュート,ココヤシ皮の繊維輸出に関する協定を結んだ。協定期間は3年間で73年1月にさかのぼって適用される。 |
DIA-302-1973-11-08-1 | インド | 1973年11月08日 | 1970年代 | 内閣改造,第1次発表。 運輸海運相カムラパティトリパティ (前U.P.州首相) 通信相ラージバハドゥール (運輸海運相から) 情報放送相I.K.グジュラール (ガンディー首相兼任から辞任へ) 灌漑電力閣外相K.L.ラオ 辞任 |
DIA-302-1973-11-08-2 | インド | 1973年11月08日 | 1970年代 | U.P.州大統領直轄統治解除される。 H.N.バフグナを主班とする35人の会議派新内閣成立。 |
DIA-302-1973-11-08-3 | インド | 1973年11月08日 | 1970年代 | サンタ・クルス自由貿易地域への外資100%会社設立を認める-サンタ・クルス・エレクトロニクス自由貿易地域への外資持分100%の会社の設立が認められることになった。ただし,輸出の増進,エレクトロニクスの技術修得に役立つものしか許可されず,審査はサンタ・クルス・ゾーン・オーソリティーが行なう。 |
DIA-302-1973-11-09-1 | インド | 1973年11月09日 | 1970年代 | 内閣改造第2次発表。 保健・家族計画相 カラン・シン (観光・民間航空相から) 観光・民間航空相 ラージ・バハドゥール 新運輸・海運相 臨時兼任 灌漑・電力相 K.C.パント (内務閣外相から) 供給・社会復帰相 カデルカール |
DIA-302-1973-11-09-2 | インド | 1973年11月09日 | 1970年代 | ボンベイ・ハイでガスを掘りあてる-ボンベイ・ハイで石油掘削中のサムラット・サガル丸はボンベイの西北120キロのボンベイ・ハイで1606メートルの掘削でガスを掘りあてた。4,500メートルの掘削を予定しており,石油掘削への期待が高まっている。 |
DIA-302-1973-11-09-3 | インド | 1973年11月09日 | 1970年代 | サウジアラビア,インドへの石油供給削減通告を撤回-サウジアラビのS.A.ナセル・インド大使は外務省に石油の供給削減の撤回を通告した。 |
DIA-302-1973-11-11-1 | インド | 1973年11月11日 | 1970年代 | ガンディー首相,組織労働者に対し,生産増大に協力するため「スト権を自発的に放棄する」よう呼びかける。 |
DIA-302-1973-11-12-1 | インド | 1973年11月12日 | 1970年代 | インディアン・エアラインの技師・非技師のスト。 |
DIA-302-1973-11-14-1 | インド | 1973年11月14日 | 1970年代 | ガンディー首相,野党会議派の指導者カマラージと会う。 |
DIA-302-1973-11-14-2 | インド | 1973年11月14日 | 1970年代 | ONGC,イランのアルファで第3の油田の試掘に成功-石油・天然ガス委員会(ONGC)は,イタリーのAGIP,アメリカのフィリップス,ナショナル・イラニアン・オイルと共同で開発を進めているイランのアルファで第3の油田の試掘に成功した。すでに生産にはいっているロスタム,ラクシュ油田からは,ONGCは年間80万トンのシェアを得ている。 |
DIA-302-1973-11-15-1 | インド | 1973年11月15日 | 1970年代 | スワラン・シン外相,パキスタン領カシミールでのブット大統領の演説は,シムラ協定の精神に違反すると非難。 |
DIA-302-1973-11-16-1 | インド | 1973年11月16日 | 1970年代 | フランス,肥料工場の建設に3億ルピーの援助を供与-訪印中のディスカール・デスタン仏蔵相は,肥料工場建設のために3億ルピーの援助を供与することを明らかにした。 |
DIA-302-1973-11-19-1 | インド | 1973年11月19日 | 1970年代 | サウジアラビア,対印石油供給削減せず-サウジアラビア放送は,アラブの立場を支持するインドには石油の供給を削減しないという政府のステイトメントを放送した。 |
DIA-302-1973-11-20-1 | インド | 1973年11月20日 | 1970年代 | 印ソ経済協力予備会議,デリーで開く。ソ連側代表団長はN。バイバコフ・ゴスプラン議長。 |
DIA-302-1973-11-20-2 | インド | 1973年11月20日 | 1970年代 | 石油販売業者が手数料の引上げを要求してスト-石油販売業者はガソリンと軽油の販売手数料をメーカーに要求し,石油製品引取り拒否を始めた。一部のスタンドは販売する品物がなくなり,閉鎖している。 |
DIA-302-1973-11-20-3 | インド | 1973年11月20日 | 1970年代 | 外貨準備は11月16日現在,36億2540万ルピーで,9月14日の44億3420万ルピーに比べて8億880万ルピーの減少(金とSDRを除く)。 |
DIA-302-1973-11-23-1 | インド | 1973年11月23日 | 1970年代 | スワラン・シン外相,印ソ関係を犠牲にした形での中印関係の改善はありえないと語る。 |
DIA-302-1973-11-23-2 | インド | 1973年11月23日 | 1970年代 | 閣議,第5次計画草案を承認-閣議は23日,総支出額5335億ルピー,目標経済成長率5.5%の第5次5ヵ年計画草案を承認した。 |
DIA-302-1973-11-24-1 | インド | 1973年11月24日 | 1970年代 | インド国内航空ロックアウト。 |
DIA-302-1973-11-26-1 | インド | 1973年11月26日 | 1970年代 | ソ連のブレジネフ書記長,訪印。 |
DIA-302-1973-11-27-1 | インド | 1973年11月27日 | 1970年代 | ガンディー,ブレジネフ会談。15年間の印ソ経済・科学・技術協力協定に合意。 |
DIA-302-1973-11-27-2 | インド | 1973年11月27日 | 1970年代 | ブレジネフ書記長,レッド・フォートで演説。 |
DIA-302-1973-11-27-3 | インド | 1973年11月27日 | 1970年代 | Andrew Yuleを国営化―政府はAncdrew Yule and Companyを国営化する方針で非居住者の保有する49%の株式の買取りについて交渉中であることを明らかにした。政府は一株の買取り価格として4.5ルピーを出しているが,市場価格が6ルピーなので,株主は市場価格での買取りを要求している。 |
DIA-302-1973-11-29-1 | インド | 1973年11月29日 | 1970年代 | 印ソ経済貿易協力協定調印-期間15年間で主要な援助プロジェクトは次の通り。 ボカロ製鉄所能力 1000万トンへ拡張 ビライ製鉄所能力 700万トンへ拡張 マトゥラ石油精製所建設 600万トン カルカッタ地下鉄 マランジカント製鋼プロジェクト |
DIA-302-1973-11-30-1 | インド | 1973年11月30日 | 1970年代 | ブレジネフ書記長帰国。 |
DIA-302-1973-11-30-2 | インド | 1973年11月30日 | 1970年代 | インド準備銀行,商業銀行に対して強い引締めを指示,最低利率(商業銀行向け)を10%から11%へ引上げる。11月から74年5月までの信用拡大を10%以内に抑えるため。 |
DIA-302-1973-11-30-3 | インド | 1973年11月30日 | 1970年代 | 自動車タイヤの価格を凍結-自動車用のタイヤ,チューブの生産が需要を下回り,ヤミ市場ができているため,政府は法定統制価格を決め,現在の価格で凍結した。 |
DIA-302-1973-12-02-1 | インド | 1973年12月02日 | 1970年代 | ネパール政府,外国企業の輸出入業務を禁止-ネパール政府は外国企業が輸出入業務に従事することを禁止した。ネパールの外国企業の大部分はインドなので,インド政府は重大な関心を示している。 |
DIA-302-1973-12-03-1 | インド | 1973年12月03日 | 1970年代 | チェコ共産党書記長G.フサーク,ニューデリー着,ガンディー首相と3時間会談,1週間の公式訪問。 |
DIA-302-1973-12-06-1 | インド | 1973年12月06日 | 1970年代 | BKD,ムスリム・マジュリス,SSP間で反会議派統一戦線結成。 |
DIA-302-1973-12-06-2 | インド | 1973年12月06日 | 1970年代 | スワラン・シン外相,ソ連との協定にはいかなる軍事的なものも含まれていないと述べる。 |
DIA-302-1973-12-06-3 | インド | 1973年12月06日 | 1970年代 | インド・チェコ貿易協定-インドはチェコと1974年度の貿易協定に調印した。貿易額は往復15億ルピー。 |
DIA-302-1973-12-06-4 | インド | 1973年12月06日 | 1970年代 | 政府はパタック委員会の勧告にもとづきHELとBHELを合併することを決定した。 |
DIA-302-1973-12-07-1 | インド | 1973年12月07日 | 1970年代 | B.S.ミンハス博士は7日,計画委員会に辞表を提出した。 |
DIA-302-1973-12-09-1 | インド | 1973年12月09日 | 1970年代 | NDC,第5次計画草案を承諾-8,9の2日間にわたって開かれたNDC(国家開発評議会)で第5次5ヵ年計画草案が承認された。B.S.ミンハス博士が計画草案が非現実的であるとして計画委員会の委員を辞任したにもかかわらず,目標成長率,計画規模に対する批判はどの州首相からも出なかった。 |
DIA-302-1973-12-10-1 | インド | 1973年12月10日 | 1970年代 | アンドラ・プラデーシ州ジャラガム・ベンガル・ラオ内閣成立-大統領直轄統治終了。 |
DIA-302-1973-12-10-2 | インド | 1973年12月10日 | 1970年代 | 南北朝鮮と正式外交関係樹立-韓国と朝鮮民主主義人民共和国との間に各々大使を交換することで合意をみた。 |
DIA-302-1973-12-10-3 | インド | 1973年12月10日 | 1970年代 | インド・イラン外相会談。 |
DIA-302-1973-12-10-4 | インド | 1973年12月10日 | 1970年代 | ニトレックス,肥料の輸出契約をキャンセル-ヨーロッパの肥料メーカーのカルテルであるニトレックスはアラブの原油供給削減により肥料の輸出ができなくなったとして既契約分についても契約破棄を通告した。東ドイツは通貨の値上がりを理由に新規輸出をしぶっている。 |
DIA-302-1973-12-13-1 | インド | 1973年12月13日 | 1970年代 | PL480資金処理協定,仮調印-カウル・インド大蔵次官とモイニハン・インド駐在米大使は,PL480にもとづいて米国がもっていた対インド余剰農産物援助の累積債権30億ドル分のうち,20億ドルを帳消しにするPL480資金処理協定に仮調印。 |
DIA-302-1973-12-15-1 | インド | 1973年12月15日 | 1970年代 | カルナタカのフブリ,ダルワル,マリーラーシトラのサングリ地区など,外出禁止令。 |
DIA-302-1973-12-17-1 | インド | 1973年12月17日 | 1970年代 | 鉄道でゼネスト始まる。 |
DIA-302-1973-12-17-2 | インド | 1973年12月17日 | 1970年代 | シブ・セナが呼びかけ,会議派,社会党,ジャン・サンが支持するボンベイのハルタルが行なわれる,カルナタカ州でのマラーティに対する虐待に抗議したもの。 |
DIA-302-1973-12-17-3 | インド | 1973年12月17日 | 1970年代 | ECと商業協力協定を締結-インドはECと期間5ヵ年の商業協力協定を結んだ。この協定によれば,ECとインドは合同委員会を設置し,貿易,経済問題について定期的に協議する。 |
DIA-302-1973-12-19-1 | インド | 1973年12月19日 | 1970年代 | カルナタカ州ウルス内閣改造,4人のハリジャン出身者も入閣。 |
DIA-302-1973-12-19-2 | インド | 1973年12月19日 | 1970年代 | 1973年4~9月の輸出は109億ルピー-今年度前半の輸出は109億ルピーで前年同期に比べて16億3290万ルピー17.5%増になっている。 |
DIA-302-1973-12-19-3 | インド | 1973年12月19日 | 1970年代 | Burn & Co.,とISWの経営権を接収-政府はBurn & Co.,とIndian Standard Wagon Co.,の経営権を接収した。 |
DIA-302-1973-12-21-1 | インド | 1973年12月21日 | 1970年代 | パキスタンへ会談呼びかけ-スワラン・シン外相は,「通信・文化交渉の再開のため」パキスタンとの話し合いを望むと言明。 |
DIA-302-1973-12-24-1 | インド | 1973年12月24日 | 1970年代 | 国鉄機関士スト中止。 |
DIA-302-1973-12-24-2 | インド | 1973年12月24日 | 1970年代 | 1700万トンの原油輸入を維持-政府は1月より原油価格が250%値上がりしても前年並みの1700万トンの原油と300万トンの石油製品輸入を維持することを明らかにした。 |
DIA-302-1973-12-25-1 | インド | 1973年12月25日 | 1970年代 | クリシュナ河の水利権について調停が行なわれる。マハーラーシトラ州,カルナタカ州,アンドラ州3州間でもめていたもの。 |
DIA-302-1973-12-27-1 | インド | 1973年12月27日 | 1970年代 | ニュージランドのカーク首相5日間の公式訪問でデリー着。 |
DIA-302-1973-12-27-2 | インド | 1973年12月27日 | 1970年代 | 選挙委員会,州選挙の日程発表。 ポンディシェリー連邦直轄地 74年2月24日 U.P.州2月24,26日 オリッサ州2月24日 マニプール州2月20,23,25日 ナガランド州2月12,14,16日 |
DIA-302-1973-12-28-1 | インド | 1973年12月28日 | 1970年代 | 米国務長官キッシンジャーは,アメリカが対印関係改善に努力してきたし,その努力は相手国から反応 をうけていると語る。 |
DIA-302-1973-12-29-1 | インド | 1973年12月29日 | 1970年代 | ボンベイの2万6000人の繊維労働者無期限ストに突入。 |
DIA-302-1974-01-01-1 | インド | 1974年01月01日 | 1970年代 | 石炭価格2倍に-キンタール当り17.5ルピーから34ルピーヘ。 |
DIA-302-1974-01-01-2 | インド | 1974年01月01日 | 1970年代 | 米原子力巡洋艦「バインブリッジ」インド洋に入る。 |
DIA-302-1974-01-01-3 | インド | 1974年01月01日 | 1970年代 | 1月1日より乗用車の価格を引上げる-政府は1日,乗用車の値上げを承認した。値上げ幅はアンバサダー950ルピー,プレミア・プレジデント1301ルピー,スタンダード1174ルピーである。各車の工場渡し価格は18,300ルピー,17,980ルピー,17,840ルピーである。 |
DIA-302-1974-01-01-4 | インド | 1974年01月01日 | 1970年代 | ニュージーランドのカーク首相帰国。 |
DIA-302-1974-01-02-1 | インド | 1974年01月02日 | 1970年代 | ソ連新駐印大使としてヴィクトル・フェドロヴィッチ・マルツェフ任命される。 |
DIA-302-1974-01-03-1 | インド | 1974年01月03日 | 1970年代 | ポンディシェリー大統領直轄統治下に入り,議会解散。 |
DIA-302-1974-01-05-1 | インド | 1974年01月05日 | 1970年代 | ハリヤナ州,工業用電力カット60%に-ハリヤナ州電力局は工業用電力カット率を40%から60%に引上げた。 |
DIA-302-1974-01-06-1 | インド | 1974年01月06日 | 1970年代 | ボンベイでダリット・パンサーの集会-警官隊と衝突。 |
DIA-302-1974-01-08-1 | インド | 1974年01月08日 | 1970年代 | F.A.アーメッド農業相,73年夏作(カリフ)の政府の穀物買入量は目標665万トンに対し,200万トンの実績と発表。 |
DIA-302-1974-01-08-2 | インド | 1974年01月08日 | 1970年代 | 生命保険公社,ロック・アウト-生命保険公社はデリー,マドラス,バンガロール,パトナ支社で3級,4級職員に対して9日からロック・アウトを実施した。 |
DIA-302-1974-01-10-1 | インド | 1974年01月10日 | 1970年代 | 政府は国内の紙不足に対処するため紙の輸出を全面的に禁止した。 |
DIA-302-1974-01-11-1 | インド | 1974年01月11日 | 1970年代 | 内閣改造行なわれる。 新任 K.D.マラビヤ 鉄鋼鉱山相 B.レディエ 通信相 B.P.マウルヤ 農業閣外相 異動 M.B.ラーナ 運輸・船舶閣外相から工業開発閣外相へ P.K.ムカージー 工業開発政務次官-運輸・船舶閣外相へ |
DIA-302-1974-01-11-2 | インド | 1974年01月11日 | 1970年代 | アーメダバードで暴動続く-過去2日間で10人死亡。 |
DIA-302-1974-01-14-1 | インド | 1974年01月14日 | 1970年代 | グジャラート州チマンバイ・パテル首相,生活供給相N.ジャーラ解任。 |
DIA-302-1974-01-14-2 | インド | 1974年01月14日 | 1970年代 | 中央ボンベイ選挙区での連邦下院補欠選挙でCPIのローザ・デスパンデ勝つ(今まで会議派の地盤)。 |
DIA-302-1974-01-14-3 | インド | 1974年01月14日 | 1970年代 | デリーで,インド・イラン会談。 イラン側アンサリ経済相 インド側スワラン・シン外相 |
DIA-302-1974-01-14-4 | インド | 1974年01月14日 | 1970年代 | デリーで看護婦組合スト突入。 |
DIA-302-1974-01-14-5 | インド | 1974年01月14日 | 1970年代 | 石炭不足でセメント産業が危機に直面-セメント産業は石炭不足のため,21のキルンが操業を停止している。操業率は通常の85~90%から75%に落ち,1日の生産損失は12,000トンになっている。 |
DIA-302-1974-01-16-1 | インド | 1974年01月16日 | 1970年代 | エッソ,シェルが石油製品の130%値上げを政府に通告-エッソ,シェルはアラビアン・ミックスがバレル3.53ドルから8.29ドルヘ,イラニアン・ライトが3.86ドルから8.48ドルに値上げされたため,製品の価格を130%値上げすることを通告した。 |
DIA-302-1974-01-17-1 | インド | 1974年01月17日 | 1970年代 | グジャラート州での食糧暴動拡大。 |
DIA-302-1974-01-17-2 | インド | 1974年01月17日 | 1970年代 | インド国内航空(IAC)は2月1日より旅客運賃を25%値上げする。 |
DIA-302-1974-01-17-3 | インド | 1974年01月17日 | 1970年代 | 鉄鉱石の輸出価格をトン50セント値上げ-日本の鉄鋼メーカーは,1973年4月1日にさかのぼってすべてのグレイドの鉄鉱石の価格をトン当り50セント値上げすることに同意した。 |
DIA-302-1974-01-19-1 | インド | 1974年01月19日 | 1970年代 | 会議派選挙委員会,ポンディシェリー,オリッサでの野党会議派との選挙協定を確認。 |
DIA-302-1974-01-19-2 | インド | 1974年01月19日 | 1970年代 | パトナの学生アジテーション-警官の発砲により10人死亡。 |
DIA-302-1974-01-21-1 | インド | 1974年01月21日 | 1970年代 | 1973年中の卸売物価上昇は39%-1973年(暦年)の平均卸売物価指数は239.3で前年の200.7より39%の上昇となった。 |
DIA-302-1974-01-22-1 | インド | 1974年01月22日 | 1970年代 | カマラージ野党会議派指導者,ガンディー首相と2度目の会談。 |
DIA-302-1974-01-22-2 | インド | 1974年01月22日 | 1970年代 | 西ベンガル州,ジュート労働者のスト集会。 |
DIA-302-1974-01-22-3 | インド | 1974年01月22日 | 1970年代 | スリランカのバンダラナイケ首相,ニューデリー着。 |
DIA-302-1974-01-22-4 | インド | 1974年01月22日 | 1970年代 | 重油などの価格を引上げる-政府は1月24日より重油の価格を1キロリットルにつき232ルピー,ナフサを194ルピー引上げることに決定した。現在の重油価格は279.89ルピー,ナフサ価格は252.25ルピーである。 |
DIA-302-1974-01-23-1 | インド | 1974年01月23日 | 1970年代 | チマンバイ・パテル・グジャラート州首相,暴動の責任はジャン・サン,野党会議派にあるとして非難。 |
DIA-302-1974-01-23-2 | インド | 1974年01月23日 | 1970年代 | 雑穀の州間移動を自由化-中央政府は州政府に雑殻の州間移動禁止を解除するよう勧告した。ただし,移動は州政府間でのみ認められる。 |
DIA-302-1974-01-24-1 | インド | 1974年01月24日 | 1970年代 | ユーゴのチトー大統領,5日間の訪印でデリー着。 |
DIA-302-1974-01-25-1 | インド | 1974年01月25日 | 1970年代 | グジャラート・バンド行なわれる。 |
DIA-302-1974-01-28-1 | インド | 1974年01月28日 | 1970年代 | アーメダバードに治安維持のため,軍隊が導入される。 |
DIA-302-1974-01-28-2 | インド | 1974年01月28日 | 1970年代 | ソ連とルピー払いで32万5000トンの肥料購入契約。 |
DIA-302-1974-01-29-1 | インド | 1974年01月29日 | 1970年代 | スリランカ,インド共同コミュニケ-1964年協定でカバーされていない15万人のインド人について,半分ずつ両国の市民権を与えることで合意。 |
DIA-302-1974-01-29-2 | インド | 1974年01月29日 | 1970年代 | ユーゴ・インド共同声明-国際情勢の推移について検討するための非同盟会議開催を呼びかけ。 |
DIA-302-1974-01-29-3 | インド | 1974年01月29日 | 1970年代 | タミル・ナドゥ州アルコット・ディストリクトのTiruvananamalaiで確認埋蔵量1.4億トンの鉄鉱石が発見された。 |
DIA-302-1974-01-30-1 | インド | 1974年01月30日 | 1970年代 | UP州電力局はビルラ財閥のヒンドスタン・アルミニューム社,カノーラ・ケミカルが州政府との協定を破ったとして,電力供給を全面的に停止した。 |
DIA-302-1974-01-30-2 | インド | 1974年01月30日 | 1970年代 | 各州への灯油供給,一律15%カット。 |
DIA-302-1974-01-30-3 | インド | 1974年01月30日 | 1970年代 | 日本の対印円借款調印-6億1800万ルピーのうち商品援助1億9700万ルピー,債務救済4億2100万ルピー。 |
DIA-302-1974-01-31-1 | インド | 1974年01月31日 | 1970年代 | ONGCはタラプール沖での石油ドリリングを放棄した。 |
DIA-302-1974-02-01-1 | インド | 1974年02月01日 | 1970年代 | エッソ3社を統合-政府は株式の74%を取得することになっているエッソ系企業3社(エッソ販売,エッソ精製,ルブ・インディア)を統合し,Hindustan Petroleum Corporationとする。 |
DIA-302-1974-02-06-1 | インド | 1974年02月06日 | 1970年代 | ディエゴ・ガルシア島の米海・空軍基地建設に関する英米協定に反対。シン外相英米に反対の意を通告。 |
DIA-302-1974-02-06-2 | インド | 1974年02月06日 | 1970年代 | 西ベンガルのCPI,2月24日の州議会補欠選挙で会議派を支持しないことを決定。 |
DIA-302-1974-02-06-3 | インド | 1974年02月06日 | 1970年代 | 輸出入銀行設立調査委員を任命-政府は6日,輸出金融と海外でのターンキー・プロジェクトに融資する輸出入銀行設立の可能性について調査するための5人の委員を任命した。 |
DIA-302-1974-02-07-1 | インド | 1974年02月07日 | 1970年代 | チマンバイ・パテル・グジャラート州首相,4閣僚をやめさせる。 |
DIA-302-1974-02-08-1 | インド | 1974年02月08日 | 1970年代 | アメリカ政府筋,ディエゴ・ガルシア基地建設について,事前にインドに通告ずみと述べる。 |
DIA-302-1974-02-09-1 | インド | 1974年02月09日 | 1970年代 | グジャラート州,大統領直轄統治下におかれ,チマンバイ・パテル州首相辞任,議会停止される。 |
DIA-302-1974-02-09-2 | インド | 1974年02月09日 | 1970年代 | ギリ大統領,小麦卸売業国営化は予期された成果を生み出さなかったと語る。 |
DIA-302-1974-02-11-1 | インド | 1974年02月11日 | 1970年代 | 中央政府の閣議はエッソ石油の株式の74%取得に関する協定を了承した。 |
DIA-302-1974-02-12-1 | インド | 1974年02月12日 | 1970年代 | ナガランドで州議会選挙行なわれる。 |
DIA-302-1974-02-12-2 | インド | 1974年02月12日 | 1970年代 | 1月の綿繊維輸出,月間輸出新記録-1月の綿繊維輸出は2.7億ルピーでこれまでの最高の73年11月の2.5億ルピーを抜いて月間輸出新記録となった。 |
DIA-302-1974-02-13-1 | インド | 1974年02月13日 | 1970年代 | スワラン・シン外相 バングラデシュ訪問。 |
DIA-302-1974-02-15-1 | インド | 1974年02月15日 | 1970年代 | インド・バングラ共同声明-スワラン・シン外相,パキスタンがイスラム諸国会議で亜大陸問題をとりあげることは,亜大陸の正常化を阻害するだろうと述べる。 |
DIA-302-1974-02-16-1 | インド | 1974年02月16日 | 1970年代 | ガンディー首相は,ラホールで開かれる予定のイスラム諸国会議を非同盟諸国の分断に利用しようとする国々があることに警告。 |
DIA-302-1974-02-16-2 | インド | 1974年02月16日 | 1970年代 | 政府,資本財の輸入手続きを簡素化-政府は資本財輸入手続簡素化のための措置を発表した。政府は国内のメーカーに44品目を今年6月末までに生産できるかどうかを30日以内に知らせるように命じた。 |
DIA-302-1974-02-18-1 | インド | 1974年02月18日 | 1970年代 | PL480の見返り資金処理協定正式調印。 |
DIA-302-1974-02-18-2 | インド | 1974年02月18日 | 1970年代 | 重油消費削減措置-政府は絶対に必要なもの以外は重油を燃料とする新規工場の建設を許可しないことに決定した。また石油会社に対して事前の許可なしに重油の新規顧客を作らないように命じた。 |
DIA-302-1974-02-19-1 | インド | 1974年02月19日 | 1970年代 | アーメダバード・バンド-学生組織のナブニルマン・ユバク・サミティの呼びかけ。 |
DIA-302-1974-02-19-2 | インド | 1974年02月19日 | 1970年代 | ポンペイ・ハイで石油を発見-石油掘削船サガール・サムラート号がボンベイ・ハイの地下980mの所で石油を掘りあてた。埋蔵量が商業ベースに乗るだけあるかどうかはまだ不明。 |
DIA-302-1974-02-20-1 | インド | 1974年02月20日 | 1970年代 | スワラン・シン外相,インド・イラン閣僚会議出席のためテヘラン着。 |
DIA-302-1974-02-20-2 | インド | 1974年02月20日 | 1970年代 | ナガランドの選挙結果。 United Democratic Front 25議席 Nagaland Nationalist Organization 23〃 Independents 12〃 (NNOが今までの与党であった) |
DIA-302-1974-02-20-3 | インド | 1974年02月20日 | 1970年代 | インドの小火器自給確立-J.ラム国防相は1962年の国防生産局の設立以来小火器の自給が可能になったと語る。 最近の軍需生産 1969-70年度 14億6200万ルピー 1971-72〃 17億3680万〃 1972-73〃 20億8000万〃 |
DIA-302-1974-02-21-1 | インド | 1974年02月21日 | 1970年代 | 連邦政府,グジャラート州議会解散要求に反対の意を表明。 |
DIA-302-1974-02-22-1 | インド | 1974年02月22日 | 1970年代 | インド・イラン経済協力協定に合意-5年間にわたってインドに年間100万トンの原油を供給。一部延払い,価格は1バレル当り11.35ドル。また3.5億ドルの借款を与えることになった。 |
DIA-302-1974-02-24-1 | インド | 1974年02月24日 | 1970年代 | サダト・エジプト大統領,インドに立寄る。 |
DIA-302-1974-02-25-1 | インド | 1974年02月25日 | 1970年代 | 74年度経済白書発表。インフレと外貨危機を強調。 |
DIA-302-1974-02-26-1 | インド | 1974年02月26日 | 1970年代 | さらに53品目を中小企業のために留保-政府は中小企業だけにしか生産を認めない品目をさらに53品目追加した。中小企業の独占生産品目は合計177品目。 |
DIA-302-1974-02-26-2 | インド | 1974年02月26日 | 1970年代 | ナガランド,UDFのヴィゾル州政府成立。 |
DIA-302-1974-02-27-1 | インド | 1974年02月27日 | 1970年代 | ポンディシェリー選挙結果,DMK後退。 ()内は立候補者数 DMK 2(26) 会議派 7(14) 野党会議派 5(16) ADMK 12(21) CPI 2(7) CPM 1(5) 無所属 1(19) 30 |
DIA-302-1974-02-27-2 | インド | 1974年02月27日 | 1970年代 | L.N.ミシュラ鉄道相は27日,1974-75年度の鉄道予算を提出した。 |
DIA-302-1974-02-28-1 | インド | 1974年02月28日 | 1970年代 | 1974-75年度予算案提出-チャバン蔵相は,1974-75年度予算案を議会に提出した。予算の概要次の通り。 |
DIA-302-1974-03-01-1 | インド | 1974年03月01日 | 1970年代 | 会議派指導部,前グジャラート州首相チマンバイ・パテルを党から追放。 |
DIA-302-1974-03-01-2 | インド | 1974年03月01日 | 1970年代 | マニプール州選挙最終結果。 Manipur People’s Party 20 Manipur Hills Union 12 会議派 12 CPI 6 社会党(SP) 2 Kuki National Assembly 2 野党会議派 0 CPM 0 無所属 5 計 59 |
DIA-302-1974-03-01-3 | インド | 1974年03月01日 | 1970年代 | オリッサ州選挙結果。 会議派 69 Utkal Congress 33 スワタントラ 21 CPI 7 CPM 3 SSP 2 SPI 2 JC 1 無所属 8 計 147(1議席取消しを含む) |
DIA-302-1974-03-02-1 | インド | 1974年03月02日 | 1970年代 | 輸入制限を6ヵ月間緩和-政府は外貨不足にもかかわらず,重要産業の原材料不足を緩和し,輸出品の生産をふやすため今後6ヵ月間の輸入制限を若干ゆるめた。 |
DIA-302-1974-03-03-1 | インド | 1974年03月03日 | 1970年代 | 機械メーカーの製品多角化を自由化-政府は機械メーカーの製品多角化に対する制限をゆるめた。これは大財閥に属する企業にも適用される。 |
DIA-302-1974-03-04-1 | インド | 1974年03月04日 | 1970年代 | モイニハン駐印米大使,ディエゴ・ガルシア島でのアメリカの利害はインドよりも重要と語る。 |
DIA-302-1974-03-04-2 | インド | 1974年03月04日 | 1970年代 | パンジャーブ,電力カットを40%から60%へ拡大。灌漑用に電力をまわすため。 |
DIA-302-1974-03-04-3 | インド | 1974年03月04日 | 1970年代 | ブルガリヤと5カ年間の貿易・支払協定に調印した。 |
DIA-302-1974-03-06-1 | インド | 1974年03月06日 | 1970年代 | ポンディシェリーでADMK内閣成立。 |
DIA-302-1974-03-06-2 | インド | 1974年03月06日 | 1970年代 | 政府,雑穀の移動に関する全ての制限を外す。 |
DIA-302-1974-03-06-3 | インド | 1974年03月06日 | 1970年代 | オリッサ州ナンディニ・サトパティ女史を首班とする会議派内閣成立。 |
DIA-302-1974-03-07-1 | インド | 1974年03月07日 | 1970年代 | スウラン・シン外相,3月4日のモイニハン発言に反撥。 |
DIA-302-1974-03-07-2 | インド | 1974年03月07日 | 1970年代 | 元蔵相,T.T.クリシュナマチャリ死亡。 |
DIA-302-1974-03-07-3 | インド | 1974年03月07日 | 1970年代 | グジャラート州議会議員,自発的辞任者67名になる。 |
DIA-302-1974-03-07-4 | インド | 1974年03月07日 | 1970年代 | 政府は金属スクラップの輸入を許可した。 |
DIA-302-1974-03-09-1 | インド | 1974年03月09日 | 1970年代 | インド海軍,4隻目のフリゲート艦就航。 |
DIA-302-1974-03-09-2 | インド | 1974年03月09日 | 1970年代 | マルディブのアーメッド・ザキ首相,ガンディー首相と会談。 |
DIA-302-1974-03-11-1 | インド | 1974年03月11日 | 1970年代 | 世銀のインド経済についての秘密報告がもれる。 今後5年間で1000万トンの食糧輸入が必要となり,肥料輸入の削減が食糧生産に直接影響を与えるだろうと指摘。 |
DIA-302-1974-03-11-2 | インド | 1974年03月11日 | 1970年代 | CPI全国レベルの物価値上げ反対運動呼びかけ。 |
DIA-302-1974-03-12-1 | インド | 1974年03月12日 | 1970年代 | インド政府,米空母キティー・ホークがインド洋に入ったという情報に懸念を表明。 |
DIA-302-1974-03-12-2 | インド | 1974年03月12日 | 1970年代 | 米国防総省は,ディエゴ・ガルシア島の米空軍基地を,スエズ運河再開に伴って強化されるソ連艦隊のインド洋進出に対抗するため拡充する計画を明らかにする。 |
DIA-302-1974-03-13-1 | インド | 1974年03月13日 | 1970年代 | 1973-74年度の小麦の政府買入量-目標の810万トンに対して450万トン。 410万トンの小麦とマイロを輸入し,200万トンの小麦ローンを受けた。 |
DIA-302-1974-03-13-2 | インド | 1974年03月13日 | 1970年代 | セメント労働者4000人解雇さる-労働組合側の発表によれば,ACC,バーラト・セメントの労働者4000人が石炭不足と車両不足による製品ストック増大のために解雇された。 |
DIA-302-1974-03-14-1 | インド | 1974年03月14日 | 1970年代 | ソ連から鉄鋼5万トンを輸入一インドは1974年度にソ連から鉄鋼5万トンを輸入する。このうち2万5000トンは1-6月渡しで金額は4400万ルピー。 |
DIA-302-1974-03-15-1 | インド | 1974年03月15日 | 1970年代 | グジャラート州議会,悪化する治安状況のなかで解散される。 |
DIA-302-1974-03-15-2 | インド | 1974年03月15日 | 1970年代 | UP州電力供給削減のため,約5万入の失業者がでている。 |
DIA-302-1974-03-16-1 | インド | 1974年03月16日 | 1970年代 | 州首相会議開かれる。小麦卸売業の国営化は非現実的であるとして,連邦政府に新政策の決定がゆだねられる。 |
DIA-302-1974-03-18-1 | インド | 1974年03月18日 | 1970年代 | パトナに暴動対策のため陸軍派遣される。 |
DIA-302-1974-03-21-1 | インド | 1974年03月21日 | 1970年代 | 1月末の金外貨準備残高は70億ルピー。金とSDRを除いた純外貨準備は34.7億ルピー。 |
DIA-302-1974-03-22-1 | インド | 1974年03月22日 | 1970年代 | タミル・ナドゥ州,電力カット30%に-タミル・ナドゥ州は電力カットを15%から30%に引上げる決定を行なった。 |
DIA-302-1974-03-25-1 | インド | 1974年03月25日 | 1970年代 | チャバン蔵相,非公式の席で,食糧穀物の二重価格制反対を表明。 |
DIA-302-1974-03-26-1 | インド | 1974年03月26日 | 1970年代 | ファリダバード工業地帯で電力不足深刻化。 |
DIA-302-1974-03-26-2 | インド | 1974年03月26日 | 1970年代 | 政府は外国企業の子会社Cadbury Fryの独占行為について調査するようMRTPに命じた。 |
DIA-302-1974-03-28-1 | インド | 1974年03月28日 | 1970年代 | 小麦卸売業の国営化政策と民間卸売業者の排除政策が廃止される。 |
DIA-302-1974-03-28-2 | インド | 1974年03月28日 | 1970年代 | ポンディシェリー,大統領直轄統治下に入る。議会解散される。 |
DIA-302-1974-03-28-3 | インド | 1974年03月28日 | 1970年代 | イラクから石油借款1億1000万ドル-イラクはインドに対し,本年度の石油輸出280万トンのうちバレル当り5.86ドル分を現金,残りに借款1.1億ドルを供与とすることに同意した。借款は5年据置き後,5年払いで利子は2.5%。 |
DIA-302-1974-03-30-1 | インド | 1974年03月30日 | 1970年代 | 政府は外国企業の子会社Colgate Palmolive(India)Limitedの独占行為を調査するようMRTPに命じた。 |
DIA-302-1974-04-02-1 | インド | 1974年04月02日 | 1970年代 | デリーで,インド・バングラ外相会談。 |
DIA-302-1974-04-03-1 | インド | 1974年04月03日 | 1970年代 | 小麦の卸売業に関する新政策が発表されてから,ハリアナ州でも小麦価格キンタール当り10~20ルピー上がる。 |
DIA-302-1974-04-05-1 | インド | 1974年04月05日 | 1970年代 | 左翼9組織指導者会議デリーで始まる。 5月3日を連邦政府の反人民的政策に対する抗議デーと決める。 参加組織,SP,CPI,CPM,RSP,フォワード・ブロック(M),ワーカーズ・パーティー,SUC. |
DIA-302-1974-04-05-2 | インド | 1974年04月05日 | 1970年代 | 印・パ・バングラ3国外相会議デリーで開始。 |
DIA-302-1974-04-05-3 | インド | 1974年04月05日 | 1970年代 | 政府は小麦余剰時にバッファー・ストックの所有を認める-政府はパンジャブ,ハリヤナ,ラジャスタン,UPなどの小麦の生産余剰をもつ州にバッファー・ストックを認めることを決定した。 |
DIA-302-1974-04-08-1 | インド | 1974年04月08日 | 1970年代 | 米農務省,インドが世界中で400~500万トンの穀物を求めていると伝える。 |
DIA-302-1974-04-08-2 | インド | 1974年04月08日 | 1970年代 | ヒンドスタン・アルミニュームの経営者は4月10日から工場のロック・アウトを行なうと宣言した。 |
DIA-302-1974-04-09-1 | インド | 1974年04月09日 | 1970年代 | ジャヤプラカシ・ナーラーヤンがビハールの学生たちに対して,「政府機構をマヒさせよ」と呼びかける。 |
DIA-302-1974-04-09-2 | インド | 1974年04月09日 | 1970年代 | 印パ・バングラ間の協定調印される-195人のパ軍捕虜,裁判なしでパキスタンに送還される。 |
DIA-302-1974-04-09-3 | インド | 1974年04月09日 | 1970年代 | 今年度は計画支出を半年単位で-中央政府はさきに6ヵ月間の輸入政策を発表したのに続いて計画支出も半年単位で行なうことを決定した。 |
DIA-302-1974-04-10-1 | インド | 1974年04月10日 | 1970年代 | バングラのラーマン首相,モスクワからの帰途,デリーに立寄りガンディー首相と会談。 |
DIA-302-1974-04-10-2 | インド | 1974年04月10日 | 1970年代 | ビハール州首相ガフールを含む40人の大臣,AICC書記長チャンドラセカル夫人に対して辞表提出。 |
DIA-302-1974-04-10-3 | インド | 1974年04月10日 | 1970年代 | 機械製品4品目に対する輸出補助金を撤廃-政府はbright steel bar,wiremesh,スクラップ,レールに対する輸出現金補助金を撤廃し,その他2品目については補助金の率を引下げた。 |
DIA-302-1974-04-11-1 | インド | 1974年04月11日 | 1970年代 | 連邦下院議事堂に一青年がピストルと爆弾をもって乱入。 |
DIA-302-1974-04-11-2 | インド | 1974年04月11日 | 1970年代 | S.D.シャルマ会議派総裁,ビハール州の大統領直轄統治は考えられないと語る。 |
DIA-302-1974-04-11-3 | インド | 1974年04月11日 | 1970年代 | キッシンジャー米国務長官,米印関係は好転しつつあると語る。 |
DIA-302-1974-04-12-1 | インド | 1974年04月12日 | 1970年代 | アーメダバードで繊維労働者1万2000人解雇さる一15%の電力供給カットのため,約1万2000人の繊維労働者が解雇された。そのうち7000人はパーマネントの労働者。 |
DIA-302-1974-04-13-1 | インド | 1974年04月13日 | 1970年代 | インドはカナダと二重課税回避協定について話し合っていたが,合意に達した。 |
DIA-302-1974-04-13-2 | インド | 1974年04月13日 | 1970年代 | アルナチャル・プラデシュに多量の石油埋蔵の可能性-アルナチャル・プラデシュに多量の石油が埋蔵されている可能性があり,オイル・インディア社が開発に乗出す。 |
DIA-302-1974-04-14-1 | インド | 1974年04月14日 | 1970年代 | 8野党,新単一政党結成の方向で合意。 BKD,スワタントラ党,Utkal Congress,SSP,Muslim Majlis,Bharatiya Khetikar Sangh,Loktantrik Dal,Harijan Sangbarsh Samiti |
DIA-302-1974-04-15-1 | インド | 1974年04月15日 | 1970年代 | 鉄道労組調整委員会(National Co-ordination Committee of Railway Uni6ns),5月8日から無期限ストに入ることを決定。 |
DIA-302-1974-04-15-2 | インド | 1974年04月15日 | 1970年代 | バイラディラ鉱山,輸出目標を達成できず-MMTCのP.K.グプタ・リージョナル・マネジャーはバイラディラ鉱山の1973-74年度の鉄鉱石輸出目標は490万トンであったが実績は450万トンに終わったと発表した。 |
DIA-302-1974-04-17-1 | インド | 1974年04月17日 | 1970年代 | インドはカナダと2つの技術協力協定に調印した。 |
DIA-302-1974-04-18-1 | インド | 1974年04月18日 | 1970年代 | ビハール州のA.ガフール州首相,14人の新閣僚名簿を発表。 |
DIA-302-1974-04-19-1 | インド | 1974年04月19日 | 1970年代 | 国連資源総会でスワラン・シン外相演説,石油危機にともなう救済措置を要求。 |
DIA-302-1974-04-19-2 | インド | 1974年04月19日 | 1970年代 | 関税委員会はセメントのretention priceをトン当り25ルピー上げることを勧告した。 |
DIA-302-1974-04-19-3 | インド | 1974年04月19日 | 1970年代 | 政府は医薬品価格の値上げを決定した。 |
DIA-302-1974-04-20-1 | インド | 1974年04月20日 | 1970年代 | ガンディー首相,カシミール訪問。 |
DIA-302-1974-04-21-1 | インド | 1974年04月21日 | 1970年代 | 春作の肥料未充足率は50%-計画委員会の推定によれば,1974-75年春作・シーズンの肥料需要は287万5000トンであるのに対し,入手量は141万1000トンになる。 |
DIA-302-1974-04-21-2 | インド | 1974年04月21日 | 1970年代 | 政府,海外での小麦の購入をみとめる-政府は,はじめて現在も海外市場で小麦の買付けを行なっていることを議会で明らかにした。小麦の価格は最高時のトン当り230ドルから151~155ドルに下がっている。 |
DIA-302-1974-04-23-1 | インド | 1974年04月23日 | 1970年代 | ジャヤプラカシ・ナーラーヤン,ビハール州ガフール内閣辞任と州議会解散を要求する「人民闘争」を発表。 |
DIA-302-1974-04-23-2 | インド | 1974年04月23日 | 1970年代 | 全国の100以上の鉄道関係労組,5月8日からの無期限ストの予告をする。 (INTUC系のNFIR(National Federation of Indian Railwaymen)を除く) |
DIA-302-1974-04-24-1 | インド | 1974年04月24日 | 1970年代 | 過去10年間,工業労働者の実質賃金,ほとんど上らず-労働省によると,工業労働者の名目賃金は1961年から1971年までの間に85%あがったが,実質賃金はたったの1%増にとどまった。 |
DIA-302-1974-04-24-2 | インド | 1974年04月24日 | 1970年代 | 訪印中のネ・ウィン・ビルマ大統領ガンディー首相と会談。 |
DIA-302-1974-04-25-1 | インド | 1974年04月25日 | 1970年代 | 1973年の観光外貨収入は6億7500万ルピ-―サンプル調査によれば,1973年の観光による外貨収入は6億7500万ルピーと推定されている。 |
DIA-302-1974-04-26-1 | インド | 1974年04月26日 | 1970年代 | インド・ビルマ共同コミュニケ。インド洋を平和地域にすることを希望。 |
DIA-302-1974-04-28-1 | インド | 1974年04月28日 | 1970年代 | ガンディー首相,4日間のイラン公式訪問でテヘラン着。 |
DIA-302-1974-04-29-1 | インド | 1974年04月29日 | 1970年代 | ガンディー,イランのシャー会談-地域的経済協力問題を検討。 |
DIA-302-1974-04-29-2 | インド | 1974年04月29日 | 1970年代 | パンジャプ・ナショナル・バンクはRBIの許可がおり,イギリスに支店を開設する。国営化された14行のうち国営化後に海外支店を開設するのはPNBがはじめて。 |
DIA-302-1974-04-30-1 | インド | 1974年04月30日 | 1970年代 | 鉄道副大臣M.S.クレシとNCCRS側との話し合い行きづまる。 |
DIA-302-1974-04-30-2 | インド | 1974年04月30日 | 1970年代 | 政府,PALの乗用車増産を認可-中央政府はプレミア・オートモビル社が乗用車の生産台数を14,000台から18,000台に増産することを認可した。 |
DIA-302-1974-05-02-1 | インド | 1974年05月02日 | 1970年代 | ガンディー首相,イラン訪問から帰国-イランの対印クレディット,10億ドルを越える。 |
DIA-302-1974-05-02-2 | インド | 1974年05月02日 | 1970年代 | 全国一斉に鉄道労組指導者の逮捕が行なわれる。NCCRS議長,ジョージ・フェルナンデス逮捕-L.N.ミシュラ鉄道相はNCCRSがスト計画を撤回するなら,話し合いに応じる,と語る。 |
DIA-302-1974-05-02-3 | インド | 1974年05月02日 | 1970年代 | HMS,AITUC,CITU,HMP,鉄道ストを支持。 |
DIA-302-1974-05-02-4 | インド | 1974年05月02日 | 1970年代 | 1973-74年度の卸売物価上昇率は22.7%-1973-74年度の平均卸売物価指数は254.0で前年度の207.0に比べ22.7%の上昇となった。1972-73年度の上昇率は10% |
DIA-302-1974-05-05-1 | インド | 1974年05月05日 | 1970年代 | デリーでムスリム・ヒンドウー衝突し,死者10人。 |
DIA-302-1974-05-05-2 | インド | 1974年05月05日 | 1970年代 | 政府・鉄道ストに対して,インド防衛法の発動を示唆。 |
DIA-302-1974-05-05-3 | インド | 1974年05月05日 | 1970年代 | 6野党,鉄道労働者の動きを支持。(CPI,CPM,ジャン・サン,SP,RSP,SUC) |
DIA-302-1974-05-06-1 | インド | 1974年05月06日 | 1970年代 | L.N.ミシュラ鉄道相,労組との話し合いには,スト通告の撤回が条件であると語る。 |
DIA-302-1974-05-06-2 | インド | 1974年05月06日 | 1970年代 | ビハール州のSSP,集団で州議会辞任を決定。 |
DIA-302-1974-05-06-3 | インド | 1974年05月06日 | 1970年代 | タミル・ナドウ州政府は連続作業をする工場を除くすべての工場に対して電力供給を50%カットする。 |
DIA-302-1974-05-07-1 | インド | 1974年05月07日 | 1970年代 | ビハール州議会,ジャン・サン18人,SSP6人辞表提出。 |
DIA-302-1974-05-08-1 | インド | 1974年05月08日 | 1970年代 | 鉄道スト突入。 |
DIA-302-1974-05-10-1 | インド | 1974年05月10日 | 1970年代 | NCCRSは,野党とガンディー首相との会談のなかで出された拘禁中の組合指導者の釈放,話し合いの開始,スト中止の3項目を一括した政府側提案を拒否。 |
DIA-302-1974-05-10-2 | インド | 1974年05月10日 | 1970年代 | 西部,中央鉄道の運営に軍のSignal Corpsが出動した。 |
DIA-302-1974-05-10-3 | インド | 1974年05月10日 | 1970年代 | ケララ州の与党からムスリム・リーグが外れる。 |
DIA-302-1974-05-11-1 | インド | 1974年05月11日 | 1970年代 | ビハールのガフール州首相,圧力に屈した辞任は考えていないと語る。 |
DIA-302-1974-05-11-2 | インド | 1974年05月11日 | 1970年代 | 国連の軍事専問家は,ディエゴ・ガルシアの米軍事基地拡張は,インド洋での米ソの軍事競争を激化させるということで意見が一致した。 |
DIA-302-1974-05-13-1 | インド | 1974年05月13日 | 1970年代 | ガンディー首相,訪印中のバングラデシュのラーマン首相と会談。 |
DIA-302-1974-05-13-2 | インド | 1974年05月13日 | 1970年代 | 15日から郵便,電報料金を値上げ-15日からハガキは20パイサー(現行15パイサー),封書1ルピー50パイサー(同1ルピー20パイサー),電報は最初の8字までが3ルピー(1ルピー50パイサー)に値上げされる。 |
DIA-302-1974-05-14-1 | インド | 1974年05月14日 | 1970年代 | インド・バングラ領土問題で結着。 |
DIA-302-1974-05-15-1 | インド | 1974年05月15日 | 1970年代 | バーラット・バンド(ゼネスト)都市部で行なわれる-鉄道労働者との連帯。 |
DIA-302-1974-05-16-1 | インド | 1974年05月16日 | 1970年代 | インドはバングラデシュと経済・技術協力協定を結び,6億9000万ルピーの援助供与を約束した。 |
DIA-302-1974-05-16-2 | インド | 1974年05月16日 | 1970年代 | ギリ大統領,政府に対し,鉄道労働者代表と話し合いを始めることを勧告。 |
DIA-302-1974-05-18-1 | インド | 1974年05月18日 | 1970年代 | インド,初の地下核爆発実験を行なう。ラージャスターン州のポカランで行なわれ,10~15キロトンのプルトニウム爆弾,平和利用目的を強調。 |
DIA-302-1974-05-18-2 | インド | 1974年05月18日 | 1970年代 | ガンディー首相,ビハール州首相の更迭に反対を表明。 |
DIA-302-1974-05-18-3 | インド | 1974年05月18日 | 1970年代 | セネガルのL.S.サンゴール大統領9日間の公式訪問でデリー着。 |
DIA-302-1974-05-20-1 | インド | 1974年05月20日 | 1970年代 | H.N.セトナ原子力委員長,核実験をさらに行なう可能性を否定せず。 |
DIA-302-1974-05-21-1 | インド | 1974年05月21日 | 1970年代 | S.A.ダンゲら鉄道スト収拾をめぐる動き活撥化。 |
DIA-302-1974-05-21-2 | インド | 1974年05月21日 | 1970年代 | マディヤ・プラデーシ州の会議派反主流派,州首相の更迭を求めて声明を発表。 |
DIA-302-1974-05-21-3 | インド | 1974年05月21日 | 1970年代 | ストによる石炭不足でセメントエ場が操業停止-長期の国鉄ストによる石炭不足でセメント工場が次々と操業停止に追込まれ,労働者が解雇されている。 |
DIA-302-1974-05-22-1 | インド | 1974年05月22日 | 1970年代 | NCCRSスト続行を表明。 |
DIA-302-1974-05-23-1 | インド | 1974年05月23日 | 1970年代 | カナダ,対印原子力関係援助全面停止を決定。 |
DIA-302-1974-05-24-1 | インド | 1974年05月24日 | 1970年代 | S.A.ダンゲのスト収拾提案に対して,HMS,CITU,UTUC,UTUU Lenin Sarani反対。 |
DIA-302-1974-05-24-2 | インド | 1974年05月24日 | 1970年代 | 沖合石油の掘削で米の2社と契約-インドは沖合石油の掘削に関して米の2社と契約を結んだ。Messers Carlsberg IndiaグループとReading and Bates Oil and Gas Companyグループは来年4月には掘削を始める予定。 |
DIA-302-1974-05-25-1 | インド | 1974年05月25日 | 1970年代 | 中央政府は25日,5月23日にさかのぼってアルミ価格をトン1090ルピー値上げすることに決定した。 |
DIA-302-1974-05-26-1 | インド | 1974年05月26日 | 1970年代 | A.R.シンデ農業閣外相,ここ2,3ヵ月の間に200~300万トンの小麦輸入を行ない,配給制度を維持すると述べる。 |
DIA-302-1974-05-26-2 | インド | 1974年05月26日 | 1970年代 | ギリ大統領,スト中止を鉄道労組に呼びかける。 |
DIA-302-1974-05-27-1 | インド | 1974年05月27日 | 1970年代 | NCCRS,28日を期して鉄道スト中止を決定-労組側敗北に終る。 |
DIA-302-1974-05-28-1 | インド | 1974年05月28日 | 1970年代 | 鉄道スト中止,ジョージ・フェルナンデスら釈放される。 |
DIA-302-1974-05-29-1 | インド | 1974年05月29日 | 1970年代 | マカリオス・キプロス大司教,デリーでガンディー首相と会談。 |
DIA-302-1974-05-29-2 | インド | 1974年05月29日 | 1970年代 | IDA(第二世銀)1億5000万ドルの対印クレディット調印,原材料と部品の購入に使用される。 |
DIA-302-1974-05-29-3 | インド | 1974年05月29日 | 1970年代 | ナガの指導者のフィゾ,ロンドンで,ガンディー首相と会いたいと語る。 |
DIA-302-1974-05-30-1 | インド | 1974年05月30日 | 1970年代 | ビハール州での天然痘の死者8000人にのぼる。 |
DIA-302-1974-05-30-2 | インド | 1974年05月30日 | 1970年代 | 政府は1974年1-3月の間に113件の外国とのコラボレイションを承認した。うち94件は技術協力,19件は資本参加を含む。 |
DIA-302-1974-05-31-1 | インド | 1974年05月31日 | 1970年代 | 内閣政治委員会,当面,公務員,公共企業での賃上げを行なわないことを決める。 |
DIA-302-1974-05-31-2 | インド | 1974年05月31日 | 1970年代 | 政府,NCCRSと話し合いの用意なしと表明。 |
DIA-302-1974-06-01-1 | インド | 1974年06月01日 | 1970年代 | パキスタン,次週予定の印パ事務会談中止を通告。 |
DIA-302-1974-06-01-2 | インド | 1974年06月01日 | 1970年代 | 政府,肥料価格大幅引上げ。 ユリア(トン)1050ルピーから2000ルピーヘ 硫安(50kg)590〃935〃 |
DIA-302-1974-06-02-1 | インド | 1974年06月02日 | 1970年代 | ポルトガル外相,ガンディー首相から両国の外交関係樹立の要請を受けたと語る。 |
DIA-302-1974-06-02-2 | インド | 1974年06月02日 | 1970年代 | 政府は,石炭とコークスの価格を4月1日にさかのぼって値上げすることを決定した。燃料炭の山元渡し価格はトン10ルピー値上げとなる。 |
DIA-302-1974-06-03-1 | インド | 1974年06月03日 | 1970年代 | ビハール州のパトナでCPIの指導によるデモ-州議会解散要求に対する反対の意見を表明するため。 |
DIA-302-1974-06-04-1 | インド | 1974年06月04日 | 1970年代 | 1975年の工業生産増加率は0.1%増-1973年の年間平均工業生産数は199.5で対前年比ではわずか0.1%の増加にとどまった。1972年は7%の増加となっている。 |
DIA-302-1974-06-05-1 | インド | 1974年06月05日 | 1970年代 | ビハール州でジャヤプラカシ・ナーラーヤン(J.P.)の指導する50万人のデモ行なわれる。ナーラーヤン,ガンディー首相とその政策を厳しく非難-R.D.バンダラ・ビハール州知事へ州議会解散要求のメモを提出したデモ隊に向って,インディラ・ブリゲードと称するグループが発砲,12人死亡。 |
DIA-302-1974-06-05-2 | インド | 1974年06月05日 | 1970年代 | 最高裁特別法廷,大統領選挙について判断を下す。グジャラート州議会が解散されているにもかかわらず,大統領選挙を行なえるとするもの。 |
DIA-302-1974-06-05-3 | インド | 1974年06月05日 | 1970年代 | スウェーデン,6億1390万ルピーの借款を供与-スウェーデンはインドに6億1390万ルピーの借款を供与した。このうち3億2070万ルピーは1974-75年度分,残りの2億9320万ルピーは1976-77年度分。 |
DIA-302-1974-06-07-1 | インド | 1974年06月07日 | 1970年代 | キッシンジャー米国務長官,インドの核実験は南アジアのバランス・オブ・パワーを変えるものではないと言い,近日中の訪問の意思を再確認。 |
DIA-302-1974-06-08-1 | インド | 1974年06月08日 | 1970年代 | スワラン・シン外相とシェーク・アブドラ,スリナガルでカシミールの地位に関して話し合い始まる。 |
DIA-302-1974-06-09-1 | インド | 1974年06月09日 | 1970年代 | アブドラ・シン会談2日間。アブドラはカシミール州にもっと自治権を与えることに関して合意を求める。 |
DIA-302-1974-06-09-2 | インド | 1974年06月09日 | 1970年代 | ブータン国王,1949年のインド・ブータン条約の改正の意図なしと語る。 |
DIA-302-1974-06-09-3 | インド | 1974年06月09日 | 1970年代 | エッソは5月17日からアラビアン・ミックスの価格をバレル30セント上げるように政府に要求してきた。 |
DIA-302-1974-06-10-1 | インド | 1974年06月10日 | 1970年代 | オイル・インディアのストを6ヵ月禁止するため,連邦政府インド防衛法の発動。 |
DIA-302-1974-06-10-2 | インド | 1974年06月10日 | 1970年代 | アッサム州で7日に始まった学生のサッチャグラハが新しい地域に拡大し,陸軍が警戒体制に入る。 |
DIA-302-1974-06-11-1 | インド | 1974年06月11日 | 1970年代 | ビハール州会議派委員会総裁シタラム・ケサリに対して,ガンディー首相はジャヤプラカシ・ナーラーヤンの運動にもかかわらず州政府を支持すると語る。 |
DIA-302-1974-06-11-2 | インド | 1974年06月11日 | 1970年代 | 1974年4月の工業労働者消費者物価指数は,前年同月に比べて27.9%の上昇になっている。 |
DIA-302-1974-06-12-1 | インド | 1974年06月12日 | 1970年代 | 鉄道スト参加者9000人解雇,25万人一時休職扱い,50万人の「忠誠」な労働者に昇給を決める。 |
DIA-302-1974-06-12-2 | インド | 1974年06月12日 | 1970年代 | タルケシュハリ・シンハ夫人(元野党会議派総栽),野党会議派を離党,ガンディー首相支持を表明。 |
DIA-302-1974-06-13-1 | インド | 1974年06月13日 | 1970年代 | CPI,西ベンガル州での与党連合である進歩的民主連合から脱退することを決定。 |
DIA-302-1974-06-13-2 | インド | 1974年06月13日 | 1970年代 | 石油・天然ガス委員会はルーマニア,ソ連,アメリカに石油掘削措置11を本年中に発注した。 |
DIA-302-1974-06-14-1 | インド | 1974年06月14日 | 1970年代 | パリでの対印コンソーシャム会議14億ドルの援助目標を決定。 ノンプロ(ほとんどが債務救済) 8億ドル プロジェクト援助 6億ドル 昨年度より2億ドル多い。 |
DIA-302-1974-06-14-2 | インド | 1974年06月14日 | 1970年代 | K.C.パント灌漑・電力相,希少な資源の配分において,国防と並んで電力開発を重視すると述べる。 |
DIA-302-1974-06-15-1 | インド | 1974年06月15日 | 1970年代 | ギリ大統領,5日間の公式訪問でパングラ着。 |
DIA-302-1974-06-15-2 | インド | 1974年06月15日 | 1970年代 | 73年度の輸出は23%増で241億1000万ルピーとなったが,輸入が44.3%増の263億6000万ルピーであったため,貿易収支の赤字幅は22億5000万ルピーとなる。 |
DIA-302-1974-06-17-1 | インド | 1974年06月17日 | 1970年代 | アラブ首長国連邦はインドに製油所を建設し,ソフト・タームのクレジットで原油を供給する申出を行なった。 |
DIA-302-1974-06-19-1 | インド | 1974年06月19日 | 1970年代 | 石油・石油製品輸入に15億ルピーを追加割当一内閣の政治経済間題委員会は,1974年度分の石油と石油製品輸入のために15億ルピーを追加した。石油輸入基金の総額は111億8000万ルピーとなる。73年度の1600万トンの輸入に対して,74年度は1260万トンと見込まれる。 |
DIA-302-1974-06-19-2 | インド | 1974年06月19日 | 1970年代 | ジョージ・フェルナンデス,鉄道労働者と政府の新たな対決を示唆。 |
DIA-302-1974-06-22-1 | インド | 1974年06月22日 | 1970年代 | ガンディー首相,ラダク地区のカルギルで軍隊に対して演説し,激励する。 |
DIA-302-1974-06-22-2 | インド | 1974年06月22日 | 1970年代 | 大統領,必需品法の罰則規定強化令を発布-ギリ大統領は必需品法の罰則規定を強化する大統領令を出した。これにより,綿,毛織物,食料品などの退蔵,ヤミ不当利益者を略式裁判で処罰することができる。 |
DIA-302-1974-06-23-1 | インド | 1974年06月23日 | 1970年代 | チャバン蔵相,モスクワ訪問。 |
DIA-302-1974-06-23-2 | インド | 1974年06月23日 | 1970年代 | ジャヤプラカシ・ナーラーセン,ビハール州の闘争は他の州まで拡大すると述べ,同様な運動の準備がUP州でなされていると語った。 |
DIA-302-1974-06-24-1 | インド | 1974年06月24日 | 1970年代 | インド・アフガニスタン,第3回合同委員会を終え,経済協力の促進をうたう。 |
DIA-302-1974-06-24-2 | インド | 1974年06月24日 | 1970年代 | ソ連・インド,カルカッタ地下鉄建設議定書に調印-ダム・ダム=トリガンジー間17.5kmの地下鉄工事建設に関する議定書にソ連とインドは調印した。ソ連は必要な資材,建設機械材を供給する。 |
DIA-302-1974-06-25-1 | インド | 1974年06月25日 | 1970年代 | CPIはSPとCPMに対して,人民が当面する緊急事態に対処するため,「出来るだけ早く」左翼政党の結集を呼びかける。 |
DIA-302-1974-06-25-2 | インド | 1974年06月25日 | 1970年代 | 1974-75年度のnon-core年次プロジェクトの支出を一率30%カットすることになった。 |
DIA-302-1974-06-26-1 | インド | 1974年06月26日 | 1970年代 | スワラン・シン外相,訪印したチョガール国王と会談,シッキム国民の意思に従うよう勧告。 |
DIA-302-1974-06-27-1 | インド | 1974年06月27日 | 1970年代 | インド政府,スリランカにカッチャチブ島を譲ることに合意。 |
DIA-302-1974-06-27-2 | インド | 1974年06月27日 | 1970年代 | チョギャル・シッキム国王,ガンディー首相との会見を求めるが,返事を得られず外務次官のケワル・シンと会う。 |
DIA-302-1974-06-27-3 | インド | 1974年06月27日 | 1970年代 | スワラン・シン外相,ブルガリアへ行く途中,モスクワに立ち寄る。フィリュービン外務次官と会談。 シン外相は5日間の公式訪問でブルガリア着。 |
DIA-302-1974-06-29-1 | インド | 1974年06月29日 | 1970年代 | ガンディー首相,チョギャル・シッキム国王に対し,新憲法に合意を与えるよう勧告。 |
DIA-302-1974-06-29-2 | インド | 1974年06月29日 | 1970年代 | 政府は1974食糧年度の肥料投入量を昨年度より70万トン多い330万トンと決める。 |
DIA-302-1974-06-29-3 | インド | 1974年06月29日 | 1970年代 | 政府,乗用車の価格を4000ルピー引上げ-政府はアンバサダーの価格を3977ルピー,プレミア・プレジデントの価格を3630ルピー,スタンダードの価格を3898ルピー引上げると発表した。 |
DIA-302-1974-06-30-1 | インド | 1974年06月30日 | 1970年代 | ガンディー首相,チョギャル国王と会談。 |
DIA-302-1974-07-01-1 | インド | 1974年07月01日 | 1970年代 | 会議派議会理事会,F.A.マーメッド農相を次期大統領候補に選出。 |
DIA-302-1974-07-01-2 | インド | 1974年07月01日 | 1970年代 | 国際生理学会(10月予定)に台湾,イスラエル代表招待取止め。 |
DIA-302-1974-07-01-3 | インド | 1974年07月01日 | 1970年代 | ラム国防相,ポーランド,チェコ訪問に出発。 |
DIA-302-1974-07-01-4 | インド | 1974年07月01日 | 1970年代 | シッキム国王インドから帰国。 |
DIA-302-1974-07-02-1 | インド | 1974年07月02日 | 1970年代 | シッキム国民会議派,国王の要請による議会召集にボイコットを決定。 |
DIA-302-1974-07-02-2 | インド | 1974年07月02日 | 1970年代 | 米ミサイル巡洋艦「シカゴ」インド洋に入る。 |
DIA-302-1974-07-03-1 | インド | 1974年07月03日 | 1970年代 | 南西モンスーンの到来がおくれる-エコノミック・タイムス紙の調査によれば,6月26日までの時点で南西モンスーンの到来が全国的に遅れて稲作への影響が心配されている。 |
DIA-302-1974-07-03-2 | インド | 1974年07月03日 | 1970年代 | シッキム国王,新憲法に合意。 |
DIA-302-1974-07-04-1 | インド | 1974年07月04日 | 1970年代 | 原料ジュートの最低価格を125ルピーと決定-1974-75年度の原料ジュートの法定最低価格はキンタール当り125ルピーと決定された。 |
DIA-302-1974-07-05-1 | インド | 1974年07月05日 | 1970年代 | スリナガルで,プレビサイト・フロントの年次総会,10年ふりに開かれる。 |
DIA-302-1974-07-06-1 | インド | 1974年07月06日 | 1970年代 | 配当と賃金上昇分の一部を凍結-政府は①配当制限,②賃金,物価手当の引上げ分の一部を強制貯蓄にする,③高所得グループに対する強制貯蓄制度を再導入する大統領令を出した。 |
DIA-302-1974-07-06-2 | インド | 1974年07月06日 | 1970年代 | J.P.,ビハール州のアジテーションにCPI(M)の組織的支持を要請(カルカッタ)。 |
DIA-302-1974-07-07-1 | インド | 1974年07月07日 | 1970年代 | INTUCを除く全労働組織,賃金強制貯蓄法に反対。 |
DIA-302-1974-07-07-2 | インド | 1974年07月07日 | 1970年代 | シェーク・アブドラ,カシミールに問題の解決は,1953年の段階に戻すことであると述べる。 |
DIA-302-1974-07-08-1 | インド | 1974年07月08日 | 1970年代 | Bonus issueについても制限-政府は企業の配当制限に続いてボーナス株式の発行について資金の転用を防ぐため制限を強化した。 |
DIA-302-1974-07-08-2 | インド | 1974年07月08日 | 1970年代 | マディヤ・プラデーシ州の全閣僚,P.C.セティ州首相の要請で辞任。 |
DIA-302-1974-07-08-3 | インド | 1974年07月08日 | 1970年代 | マニプール州のモハメッド・アリムディン連立内閣議案採決で敗れ,総辞職。 |
DIA-302-1974-07-10-1 | インド | 1974年07月10日 | 1970年代 | J.P.,ビノーバ・バーヴェ会談。 |
DIA-302-1974-07-10-2 | インド | 1974年07月10日 | 1970年代 | マニプール州,進歩的民主戦線のY.シャイザ内閣成立。 |
DIA-302-1974-07-11-1 | インド | 1974年07月11日 | 1970年代 | IBMが出資比率を74%に引下げ-アメリカの多国籍企業IBMは海外で100%出資を原則としているが,このほど株式の26%をインド化するとの申出をした。 |
DIA-302-1974-07-12-1 | インド | 1974年07月12日 | 1970年代 | インド政府,パキスタンが印パ国境全域で大規模な軍隊を集結させ,演習を行なっていると非難。 |
DIA-302-1974-07-12-2 | インド | 1974年07月12日 | 1970年代 | ビノーバ・バーヴェ,サルボダヤ活動家がビハール州でJ.P.のアジテーションに参加することに反対しないと述べる。 |
DIA-302-1974-07-13-1 | インド | 1974年07月13日 | 1970年代 | マディヤ・プラデーシ州セティ首相内閣改造。 |
DIA-302-1974-07-14-1 | インド | 1974年07月14日 | 1970年代 | スリナガルでシェーク・アブドラの支持者とアワミ・アクション・コミッティーの支持者の衝突続く。 |
DIA-302-1974-07-15-1 | インド | 1974年07月15日 | 1970年代 | GM,ヒンドスタン・モーターの合弁申請却下-政府はビルラが提出したGMとヒンドスタン・モーターの合弁による商業車生産の申請を却下した。 |
DIA-302-1974-07-16-1 | インド | 1974年07月16日 | 1970年代 | M.A.ベーク(プレビサイト・フロント総裁)とG.パラタサラティ(ガンディー首相特使)の話し合い再開。 |
DIA-302-1974-07-17-1 | インド | 1974年07月17日 | 1970年代 | 年収1万5000ルピー以上の人に強制貯蓄-ギリ大統領は高額所得者の所得の一部を凍結するため,強制貯蓄制度を導入する大統領令を出した。年収2万5000ルピーまでの所得者は所得の4%,2万5000から7万ルピーの所得者は所得の6%,それ以上は8%を強制貯蓄させられる。期間は2年間で利率は銀行預金と同じ。 |
DIA-302-1974-07-18-1 | インド | 1974年07月18日 | 1970年代 | ビハール州で警官隊の発砲により3人死亡。 |
DIA-302-1974-07-18-2 | インド | 1974年07月18日 | 1970年代 | IDAはラジャスタン・キャナルのかんがい地域の開発に8300万ドルの借款を供与することを承認した。 |
DIA-302-1974-07-19-1 | インド | 1974年07月19日 | 1970年代 | AICC.(ニューデリー)。 |
DIA-302-1974-07-20-1 | インド | 1974年07月20日 | 1970年代 | ガンディー首相,会議派内の分裂がJ.P.の反政府運動の有利な条件となっていることを暗黙に認める。 |
DIA-302-1974-07-21-1 | インド | 1974年07月21日 | 1970年代 | J.P.,ビハール州での運動がゆるめられる可能性を否定。 |
DIA-302-1974-07-22-1 | インド | 1974年07月22日 | 1970年代 | 革命社会党のトリディブ・クマール・チョードリー,野党の大統領候補に推される。 CPI(M),野党会議派,ジャン・サン,スワタントラ,SP,SSP,プラガディ党,BKD。 |
DIA-302-1974-07-22-2 | インド | 1974年07月22日 | 1970年代 | モンスーン国会開幕。 |
DIA-302-1974-07-22-3 | インド | 1974年07月22日 | 1970年代 | 公定歩合を7%から9%に引上げ-準備銀行はインフレ抑制策の一環として公定歩合を7%から9%に引上げた。公定歩合が一挙に2%引上げられたのは初めてのことである。 |
DIA-302-1974-07-23-1 | インド | 1974年07月23日 | 1970年代 | BKDの全国協議会,チャラン・シンを党から放逐。 |
DIA-302-1974-07-23-2 | インド | 1974年07月23日 | 1970年代 | CPI(M)のハレクリシュナ・コナール死去。 |
DIA-302-1974-07-23-3 | インド | 1974年07月23日 | 1970年代 | 商務省は発電装置の輸入禁止を解除する決定をした。 |
DIA-302-1974-07-24-1 | インド | 1974年07月24日 | 1970年代 | ガンディー首相,1978年にインド初の宇宙船打ち上げ計画を発表。 |
DIA-302-1974-07-25-1 | インド | 1974年07月25日 | 1970年代 | CPI(M)政治局,ジャム・カシミールの完全自治を要求。 |
DIA-302-1974-07-25-2 | インド | 1974年07月25日 | 1970年代 | 下院で内閣不信認案否決。 |
DIA-302-1974-07-25-3 | インド | 1974年07月25日 | 1970年代 | 外資系タバコ会社をインド化へ-政府は外国為替規制法の指導要綱にしたがって外国人が株式の過半数を所有しているIndia Tobacco, Vazir Sultan Tobacco,Godfrey Philipsの3社をインド化する意向である。 |
DIA-302-1974-07-26-1 | インド | 1974年07月26日 | 1970年代 | ボカロ製鉄所の完成,予定より1年前後遅れる-K.D.マラビヤ鉄綱・鉱山相はボカロ製鉄所の完成が当所より10~18ヵ月遅れると議会で述べた。当初の完成予定は1976年末であった。 |
DIA-302-1974-07-27-1 | インド | 1974年07月27日 | 1970年代 | インド,バングラに貨車500両を輸出-STCはバングラデシュと鉄道貨車500両を輸出する契約を結んだ。引渡しは来年の10月か11月から始まる。 |
DIA-302-1974-07-27-2 | インド | 1974年07月27日 | 1970年代 | ナガランド武装警察の11人が地下ナガに殺されたと伝えられる。 |
DIA-302-1974-07-27-3 | インド | 1974年07月27日 | 1970年代 | ガフール・ビハール州首相,ヴィノーバ・バーヴェのJ.P.運動への介入を要請。 |
DIA-302-1974-07-28-1 | インド | 1974年07月28日 | 1970年代 | J.P.,ビハール州の警官に対して,良心が命じるなら,命令に従わないことを訴える。 |
DIA-302-1974-07-30-1 | インド | 1974年07月30日 | 1970年代 | カシミールのカシム州首相,国境でパキスタン軍の「前進運動」が見られると表明。 |
DIA-302-1974-07-30-2 | インド | 1974年07月30日 | 1970年代 | L.N.ミシュラ鉄道相,NCCRSとの話し合いを拒否。 |
DIA-302-1974-07-31-1 | インド | 1974年07月31日 | 1970年代 | 政府は増税23.2億ルピーの補正予算を議会に提出した。 |
DIA-302-1974-07-31-2 | インド | 1974年07月31日 | 1970年代 | 中国は,75年2月カルカッタで行なわれる世界卓球選手権第33回大会に出場の予定と伝えられる。1962年以来,中国のスポーツ・チームが訪印するのは初めて。 |
DIA-302-1974-08-01-1 | インド | 1974年08月01日 | 1970年代 | 会議派の副大統領候補,オリッサ州知事のB.D.ジャティと決まる。 |
DIA-302-1974-08-01-2 | インド | 1974年08月01日 | 1970年代 | モハン・ダリア計画閣外相,インド人口の3分の2が「貧困ライン」以下と述べる。 |
DIA-302-1974-08-01-3 | インド | 1974年08月01日 | 1970年代 | スワラン・シン外相,南ベトナム臨時革命政府との「公式接触」を検討中と語る。 |
DIA-302-1974-08-01-4 | インド | 1974年08月01日 | 1970年代 | ディクシット内相,地下ナガとの話し合いの可能性を否定。 |
DIA-302-1974-08-01-5 | インド | 1974年08月01日 | 1970年代 | 政府はセメントの工場渡し価格をトン110ルピーから131ルピーに21ルピー値上げすることを認可した。 |
DIA-302-1974-08-02-1 | インド | 1974年08月02日 | 1970年代 | エア・インディアの2000人のパイロット,無期限ストに突入。 |
DIA-302-1974-08-02-2 | インド | 1974年08月02日 | 1970年代 | スワラン・シン外相,パキスタンのアジス・アーメッド外相に対し,印パ事務レベル会談を呼びかける。 |
DIA-302-1974-08-02-3 | インド | 1974年08月02日 | 1970年代 | K.R.ガネッシュ大蔵担当大臣はWestinghouse Trading Corporation(Asia)Limitedの副社長のジャン・ドロボット氏を所得税法違反の疑いで逮捕し,会社の事務所を捜査したと議会で発表した。 |
DIA-302-1974-08-03-1 | インド | 1974年08月03日 | 1970年代 | レケワル・シン外務次官,キッシンジャー国務長官と会談。 |
DIA-302-1974-08-04-1 | インド | 1974年08月04日 | 1970年代 | ブット首相,印パ事務会談再開に合意。 |
DIA-302-1974-08-06-1 | インド | 1974年08月06日 | 1970年代 | スワラン・シン外相,インドネシア訪問。 |
DIA-302-1974-08-07-1 | インド | 1974年08月07日 | 1970年代 | インド・ビルマ間国境の80%について協定合意。 |
DIA-302-1974-08-07-2 | インド | 1974年08月07日 | 1970年代 | J.P.,「反人民」体制に対して納税拒否を呼びかけ州政府をマヒさせることを呼びかける。 |
DIA-302-1974-08-07-3 | インド | 1974年08月07日 | 1970年代 | 会議派執行委員会,退蔵摘発運動を展関することを決定。 |
DIA-302-1974-08-07-4 | インド | 1974年08月07日 | 1970年代 | ゴアの鉄鉱石価格をMMTCが決定-MMTCはゴアの鉄鉱石輸出業者に対し,ゴアの鉄鉱石価格も他の地域同様にMMTCが外国と交渉し,決定すると通知した。ゴアは従来,個々の輸出業者が外国と交渉して価格を決めていた。 |
DIA-302-1974-08-08-1 | インド | 1974年08月08日 | 1970年代 | インド,インドネシアと両国間の大陸ダナ協定に調印。 |
DIA-302-1974-08-08-2 | インド | 1974年08月08日 | 1970年代 | ラム国防相,パキスタン軍のアフガン国境への集結を非難。 |
DIA-302-1974-08-09-1 | インド | 1974年08月09日 | 1970年代 | スワラン・シン外相,韓国の金外相の招待でソウル着-5日間の滞在。 |
DIA-302-1974-08-09-2 | インド | 1974年08月09日 | 1970年代 | インド,アメリカに鉄鉱石を輸出-ゴアのChowgle社はアメリカのUSスチル社と鉄鉱石を100万トン輸出する契約を結んだ。鉄鉱石の対米輸出はこれが初めて。 |
DIA-302-1974-08-09-3 | インド | 1974年08月09日 | 1970年代 | ビハール州での洪水の被害者500万人にのぼる。 |
DIA-302-1974-08-10-1 | インド | 1974年08月10日 | 1970年代 | スワラン・シン外相の8月2日の書簡に対してパキスタンのアーメッド外相返書。 |
DIA-302-1974-08-10-2 | インド | 1974年08月10日 | 1970年代 | キッシンジャー,T.N.カウル駐米インド大使を通じてフォード新大統領のメッセージを手渡す。両国間の関係改善を強調。 |
DIA-302-1974-08-11-1 | インド | 1974年08月11日 | 1970年代 | ネパールのカルキ外相,インドのシッキムに対する政策に批判的態度を表明。 |
DIA-302-1974-08-12-1 | インド | 1974年08月12日 | 1970年代 | インド,韓国と貿易経済技術協定と文化協定に調印。 |
DIA-302-1974-08-13-1 | インド | 1974年08月13日 | 1970年代 | 外資石油会社,1973年中に5200万ルピー送金-D.K.バロア石油担当相は上院でバーマシェル,カルテックスの2社は配当,利益,ロイヤルティーなどの名目で1973年中に5200万ルピーの送金をしたと述べた。 |
DIA-302-1974-08-14-1 | インド | 1974年08月14日 | 1970年代 | ギリ大統領,ブラック・マネーのチェックと価格引上げチェックを強く訴える。 |
DIA-302-1974-08-14-2 | インド | 1974年08月14日 | 1970年代 | Banking Commissionの国有化銀行に関する報告について,連邦下院で国有化銀行が批判される。財閥系への融資が増加しているため。 50大財閥に対して 1969年 39億9740万ルピー 1973年 51億1940万ルピー |
DIA-302-1974-08-15-1 | インド | 1974年08月15日 | 1970年代 | インド,ECから100万トンの小麦輸入(そのうち30万トンは贈与)について打診する。 |
DIA-302-1974-08-15-2 | インド | 1974年08月15日 | 1970年代 | ガンディー首相,独立記念日の演説で国民に対して消費抑制を訴える。 |
DIA-302-1974-08-16-1 | インド | 1974年08月16日 | 1970年代 | スワラン・シン外相,アメリカは反インド的ではないと語る。 |
DIA-302-1974-08-17-1 | インド | 1974年08月17日 | 1970年代 | 大統領選挙行なわれる-CPIとムスリム・リーグ棄権。 |
DIA-302-1974-08-19-1 | インド | 1974年08月19日 | 1970年代 | ラム国防相,J.P.に対して現在の運動をやめるよう呼びかける。 |
DIA-302-1974-08-19-2 | インド | 1974年08月19日 | 1970年代 | インド政府,鉄鉱石の日本向け輸出に関する日本の製鉄会社との長期供給契約をキャンセルすべきだとする議会の要求を退けた。数人の議員がこの契約に価格エスカレーダー条項が含まれていないことを理由に,契約を無効にするよう政府に求めていた。 |
DIA-302-1974-08-19-3 | インド | 1974年08月19日 | 1970年代 | アッサム州で食糧不足深刻化。 |
DIA-302-1974-08-20-1 | インド | 1974年08月20日 | 1970年代 | ファクルーディン・アリ・アーメッド,新大統領に選出される。 得票率 アーメッド 80.2% チョードリー 19.8% |
DIA-302-1974-08-20-2 | インド | 1974年08月20日 | 1970年代 | 政府はセメントの慢性的不足のため,事務所,映画館用のビルなどを1年間建設することを禁止した。 |
DIA-302-1974-08-21-1 | インド | 1974年08月21日 | 1970年代 | 野党会議派アショーカ・メータ総裁,全国の学生に対して「腐った民主制と社会」に「反乱」することを呼びかける。 |
DIA-302-1974-08-21-2 | インド | 1974年08月21日 | 1970年代 | L.N.ミシュラ鉄道相は鉄道の赤字を減らすため,旅客運賃を20~30%引上げる鉄道予算を議会に提出した。 |
DIA-302-1974-08-23-1 | インド | 1974年08月23日 | 1970年代 | パキスタン,インドとの話し合いは前提条件なしであることを認める。 |
DIA-302-1974-08-24-1 | インド | 1974年08月24日 | 1970年代 | バチンダ肥料プロジェクトに日本製機械-バチンダ肥科プロジェクトの機械設備供給について日本の東洋エンジニアリングとインド石油化学省の間で協定の調印が行なわれた。 |
DIA-302-1974-08-25-1 | インド | 1974年08月25日 | 1970年代 | シェーク・アブドラ,カシミールが1953年段階に憲法上の地位が回復すれば中間政府をつくる意思ありと語る。 |
DIA-302-1974-08-25-2 | インド | 1974年08月25日 | 1970年代 | 1974年6月末の外貨準備は112.6億ルピ-―1974年6月末の外貨準備は112.6億ルピーで前年同期の88.3億ルピーに比べて14.3億ルピーふえている。しかし,IMFからの引出し36億ルピーを除くと76.6億ルピーで1971-72年来の最低である。 |
DIA-302-1974-08-25-3 | インド | 1974年08月25日 | 1970年代 | J.P.,ラクノウで学生たちに社会改革を訴える。 |
DIA-302-1974-08-26-1 | インド | 1974年08月26日 | 1970年代 | 憲法第34次改正案,下院通過-州の土地保有制限法と小作法を訴訟の対象にしないというもの。 |
DIA-302-1974-08-26-2 | インド | 1974年08月26日 | 1970年代 | シェーク・アブドラ,25年ぶりにラダク地区を訪れる。 |
DIA-302-1974-08-27-1 | インド | 1974年08月27日 | 1970年代 | クーチ・ベハール地区で中央機動隊の発砲で2人死亡,軍隊パトロールを始める。 |
DIA-302-1974-08-27-2 | インド | 1974年08月27日 | 1970年代 | B.D.ジャティ,副大統領に選出される。 |
DIA-302-1974-08-27-3 | インド | 1974年08月27日 | 1970年代 | 輸入ライセンスの推せんに関して国会議員の偽の署名の存在が国会で問題化。 |
DIA-302-1974-08-29-1 | インド | 1974年08月29日 | 1970年代 | 新野党インド人民党(Bharatiya Lok Dal,BLD))結成。 党首 チャラン・シン 加盟する政党,BKD,スワタントラ党,SSP,ウトカル・コングレス,ラーシュトリア・ロクタントリック・ダル,ハリアナ農民労働者党,パンジャーブ・ケトリバリ・ザミンダール・ユニオン。 農業と村落工業の振興をうたう。 |
DIA-302-1974-08-29-2 | インド | 1974年08月29日 | 1970年代 | J.P.,BLDの結成を歓迎。 |
DIA-302-1974-08-31-1 | インド | 1974年08月31日 | 1970年代 | インド・イラン,5年間の貿易協定。 |
DIA-302-1974-09-02-1 | インド | 1974年09月02日 | 1970年代 | シッキム準州化のためのインド憲法改正案,連邦下院に選出される。 ガンディー首相,野党指導者と会う。ネパール外相,シッキム準州化に不安を表明。 |
DIA-302-1974-09-03-1 | インド | 1974年09月03日 | 1970年代 | 連邦下院で輸入ライセンスに関するスキャンダルが問題化。 |
DIA-302-1974-09-03-2 | インド | 1974年09月03日 | 1970年代 | 中国の人民日報,インドの憲法改正案を非難。 |
DIA-302-1974-09-04-1 | インド | 1974年09月04日 | 1970年代 | 憲法改正案,連邦下院通過。 |
DIA-302-1974-09-04-2 | インド | 1974年09月04日 | 1970年代 | ネパールでシッキム問題に関連して反インドデモ。 |
DIA-302-1974-09-06-1 | インド | 1974年09月06日 | 1970年代 | 過去1ヵ月の食糧価格急上昇。 砂糖はキロ当り4.45~4.50ルピー(7月)から5.80~6.20ルピー(8月)。 |
DIA-302-1974-09-07-1 | インド | 1974年09月07日 | 1970年代 | 憲法改正案,上院通過。 |
DIA-302-1974-09-07-2 | インド | 1974年09月07日 | 1970年代 | 公務員にはボーナスを出さない-B.K.マダンを委員長とするBonus Review Commissionは国鉄,郵便,電信,国営企業の従業員を含む公務員に対してはボーナスの支給をしない,との方向で勧告を検討している。 |
DIA-302-1974-09-08-1 | インド | 1974年09月08日 | 1970年代 | 西ベンガル州プルリアで餓死者が伝えられる。 |
DIA-302-1974-09-08-2 | インド | 1974年09月08日 | 1970年代 | 商務省の発表によれば,第1四半期の輸出は95.4億ルピー,輸入は107億ルピーで前年同期に比べてそれぞれ44.5%,53%の増加となっている。 |
DIA-302-1974-09-08-3 | インド | 1974年09月08日 | 1970年代 | シッキム国王,インド大統領に電報を送り,ガンディー首相との会談が実現する前に憲法改正等に合意しないよう要請。 |
DIA-302-1974-09-08-4 | インド | 1974年09月08日 | 1970年代 | インド,ギニア・ビサウと大使級外交関係樹立に合意。 |
DIA-302-1974-09-08-5 | インド | 1974年09月08日 | 1970年代 | 米国務省,アメリカがインドに濃縮ウランを供給しないという報道を否定。 |
DIA-302-1974-09-09-1 | インド | 1974年09月09日 | 1970年代 | 訪ソ中のシン外相,グロムイコ外相と2度会談。 |
DIA-302-1974-09-09-2 | インド | 1974年09月09日 | 1970年代 | 政府の小麦買入れ量,昨年より大幅ダウン-昨年の実績460万トンに対し,180万トンと見込まれる。 |
DIA-302-1974-09-10-1 | インド | 1974年09月10日 | 1970年代 | パンジャーブ電力庁,本月より9月25日まで,州内の大規模企業への電力供給完全ストップと発表。 |
DIA-302-1974-09-10-2 | インド | 1974年09月10日 | 1970年代 | シン外相,プレジネフ書記長を訪問。書記長は,インドの目ざすアジアと世界の緊張緩和政策に,ソ連の「断固たる一貫した支持」を約束。 |
DIA-302-1974-09-11-1 | インド | 1974年09月11日 | 1970年代 | シン外相,訪ソを終えるにあたって「プレス・ステートメント」を発表。インドの亜大陸正常化政策へのソ連の支持を表明。 |
DIA-302-1974-09-11-2 | インド | 1974年09月11日 | 1970年代 | 国会で,国防上の危機が去ったのにもかかわらず,Emergencyの継続が野党の攻撃に会う。政府側,経済的困難を理由に挙げる。 |
DIA-302-1974-09-12-1 | インド | 1974年09月12日 | 1970年代 | シッキム国王,スワラン・シン外相と会談。 |
DIA-302-1974-09-12-2 | インド | 1974年09月12日 | 1970年代 | デリーの電力をパンジャーブ,ハリヤナ,UPに転送-かんがい・電力省はデリー電力供給会社(DESU)と話し合った結果,パンジャーブ,ハリヤナ,UPの作物を救うため,デリーの電力を転送することに決定した。デリーの電力供給はさらに削減される。 |
DIA-302-1974-09-12-3 | インド | 1974年09月12日 | 1970年代 | 地下ナガ組織,2年間の非合法化。 |
DIA-302-1974-09-12-4 | インド | 1974年09月12日 | 1970年代 | 印パ事務会談,イスラマパードで開かれる。 インド側,ケワル・シン外務次官 パキスタン側 アガ・シャヒ外務次官 郵便,通信,旅行の再開問題が議題。 |
DIA-302-1974-09-12-5 | インド | 1974年09月12日 | 1970年代 | 駐印米大使モイニハン,10日にキッシンジャーに送った極秘電報で,チリでのCIA活動がガンディー首相の対米不信感を助長していると伝えた。 |
DIA-302-1974-09-13-1 | インド | 1974年09月13日 | 1970年代 | ケワル・シン外務次官,ブット首相と会談。 |
DIA-302-1974-09-14-1 | インド | 1974年09月14日 | 1970年代 | 印パ事務会談で,郵便,通信,旅行の再開に関する協定調印-共同コミュニケで上空飛行,航空路,商業,文化科学交流のための会議を早期に開くことに合意。 |
DIA-302-1974-09-14-2 | インド | 1974年09月14日 | 1970年代 | セトナ原子力委員長,水爆実験の可能性を否定せず。 |
DIA-302-1974-09-14-3 | インド | 1974年09月14日 | 1970年代 | 秋作(カリフ)の政府買入れ価格に関する州首相会議開かれる。 |
DIA-302-1974-09-15-1 | インド | 1974年09月15日 | 1970年代 | ジャヤプラカシ・ナーラーヤン,10月5日にガンディー首相の自宅の前で大衆集会を開くよう呼びかける。 |
DIA-302-1974-09-16-1 | インド | 1974年09月16日 | 1970年代 | ガンディー,シェーク・アブドラと会談-現行の州議会をどうするかが焦点。 |
DIA-302-1974-09-17-1 | インド | 1974年09月17日 | 1970年代 | 大統領令で,国内治安維持法を密輸業者に対しても適用できるように変える。 |
DIA-302-1974-09-17-2 | インド | 1974年09月17日 | 1970年代 | 石油製品の価格を18日から値上げ-中央政府はガソリン,ケロシン,軽油,重油の価格を18日から値上げすることに決定した。LPガスの価格も同時に値上げされた。 |
DIA-302-1974-09-17-3 | インド | 1974年09月17日 | 1970年代 | モスクワで,印ソ経済科学技術協力委員会開く-D.P.ダール計画相出席。 |
DIA-302-1974-09-18-1 | インド | 1974年09月18日 | 1970年代 | 日本,1年契約分の鉄鉱石価格の値上げに同意-日本の製鉄各社は1年契約分の鉄鉱石価格の30~50%値上げに同意した。数量は220万トンで前年より40~55%少なくなっている。 |
DIA-302-1974-09-18-2 | インド | 1974年09月18日 | 1970年代 | 治安維持法により密輸業者が拘留される。S.N.バキア,H.M.ナスタンら。 |
DIA-302-1974-09-18-3 | インド | 1974年09月18日 | 1970年代 | ナーラーヤン,カルカッタでCPI(M),SPの指導者らと会う。 |
DIA-302-1974-09-19-1 | インド | 1974年09月19日 | 1970年代 | フォード大統領,スワラン・シン外相と会談。 |
DIA-302-1974-09-20-1 | インド | 1974年09月20日 | 1970年代 | マハラシュトラは4~33%の電力カット-マハラシュトラはモンスーンの降雨量が少なかったため,今年の10月1日から来年の6月末まで用途によって4~33%の電力供給カットをすることを決定した。一般工業用のカット率は20%。 |
DIA-302-1974-09-22-1 | インド | 1974年09月22日 | 1970年代 | 世銀報告によると,インドの対外債務は1972年末現在で116億5200万ドル。 |
DIA-302-1974-09-22-2 | インド | 1974年09月22日 | 1970年代 | 駐ネパール・インド大使M.K.ダスゴトラ,本国と印ネ関係検討のため帰国。 |
DIA-302-1974-09-22-3 | インド | 1974年09月22日 | 1970年代 | タミル・ナドウの野党会議派,会議派との関係についての最終的判断をカマラージにまかせることを決定。 |
DIA-302-1974-09-24-1 | インド | 1974年09月24日 | 1970年代 | インド・ルーマニアと長期貿易協定を締結-インドはルーマニアと長期貿易協定に調印し,1976年から5年間に化学肥料150万トンを輸入することになった。 |
DIA-302-1974-09-24-2 | インド | 1974年09月24日 | 1970年代 | J.ラム国防省,軍事雑誌『ヴィクラント』で,インド・イラン関係の緊密さを強調。 |
DIA-302-1974-09-24-3 | インド | 1974年09月24日 | 1970年代 | 小麦生産,ここ2,3年間低下-農業省の最新の推計によると,以下の通り。 69年度 2380万トン 71〃 2640〃 72〃 2490〃 73〃 2200〃 |
DIA-302-1974-09-24-4 | インド | 1974年09月24日 | 1970年代 | 国連でスワラン・シン外相,ポルトガルのソアレス外相と会い近い,将来の両国間の国交回復に合意。 |
DIA-302-1974-09-26-1 | インド | 1974年09月26日 | 1970年代 | 政府は輸出産業を電力不足から救うため,ディーゼル発電機の輸入禁止を解除した。 |
DIA-302-1974-09-27-1 | インド | 1974年09月27日 | 1970年代 | ポンディシェリーの大統領直轄統治6ヵ月延長。 |
DIA-302-1974-09-27-2 | インド | 1974年09月27日 | 1970年代 | J.ラム国防相,シリア訪問。 |
DIA-302-1974-09-28-1 | インド | 1974年09月28日 | 1970年代 | 国連でパキスタン提案の「南アジア非核地域」構想にインド代表反撥。 |
DIA-302-1974-10-01-1 | インド | 1974年10月01日 | 1970年代 | 政府,穀物買入れ価格(秋作)発表。 |
DIA-302-1974-10-02-1 | インド | 1974年10月02日 | 1970年代 | TELCO,トラック価格を10%値上げ-TEL-COは10月2日からトラックの工場渡し価格を7816ルピー値上げした。7.5トン積みのトラックの価格は,74,663ルピーとなった。 |
DIA-302-1974-10-02-2 | インド | 1974年10月02日 | 1970年代 | イランのシャー,3日間の予定でデリー着。 |
DIA-302-1974-10-03-1 | インド | 1974年10月03日 | 1970年代 | ビハール・バンド始まる-鉄道,駅が略奪の対象となる。 |
DIA-302-1974-10-03-2 | インド | 1974年10月03日 | 1970年代 | T.N.カウル駐米大使主催の夕食会で,キッシンジャー国務長官は,米印関係には利害の対立もなく,友好関係改善の可能性を強調。 |
DIA-302-1974-10-03-3 | インド | 1974年10月03日 | 1970年代 | シャー・ガンディー会談。 |
DIA-302-1974-10-04-1 | インド | 1974年10月04日 | 1970年代 | インド・イラン共同コミュニケ発表-経済協力の具体化,イランの西アジア非核地域構想に対するインドの支持を表明。 |
DIA-302-1974-10-04-2 | インド | 1974年10月04日 | 1970年代 | 米下院外交委員会,74年度の対印食糧援助を7500万ドルから5000万ドルへ削減。 |
DIA-302-1974-10-06-1 | インド | 1974年10月06日 | 1970年代 | 元国防相クリシュナ・メノン死去。 |
DIA-302-1974-10-06-2 | インド | 1974年10月06日 | 1970年代 | ビハール・バンドの死者,今まで17人。 |
DIA-302-1974-10-06-3 | インド | 1974年10月06日 | 1970年代 | J.ナーラーヤン,要求が受け入れられなければ,ガンディー首相の辞任を要求すると述べる。 |
DIA-302-1974-10-07-1 | インド | 1974年10月07日 | 1970年代 | 中小企業に対する輸入政策を変更-政府は外貨事情が悪くなったため,年度後半はこれまでとってきた’Repeat operation’basisの輸入許可証発行政策を消費実績主義に改めることに決定した。 |
DIA-302-1974-10-08-1 | インド | 1974年10月08日 | 1970年代 | 過去1年間の食糧価格の上昇は43.5%(8月24日を基準とするもの)。 |
DIA-302-1974-10-08-2 | インド | 1974年10月08日 | 1970年代 | チャバン蔵相は世界銀行が供与する石油輸入融資のうち2億ドルを引出すと語った。 |
DIA-302-1974-10-09-1 | インド | 1974年10月09日 | 1970年代 | S.A.ダンゲ,レーニン賞受賞。 |
DIA-302-1974-10-09-2 | インド | 1974年10月09日 | 1970年代 | 世銀,肥料工場の新増設に7.4億ルピーの援助-世銀はPhulpur肥料プロジェクトの建設,シンドリ肥料工場の近代化に必要な外貨7.4億ルピーの融資に同意した。 |
DIA-302-1974-10-10-1 | インド | 1974年10月10日 | 1970年代 | J.ナーラーヤン,ビハール州議会が解散されなければ,別の「人民議会」を選出すると語る。 |
DIA-302-1974-10-10-2 | インド | 1974年10月10日 | 1970年代 | マハラシュトラ,グジャラート,MPで肥料が余る-マハラシュトラ,グジャラート,MP州では肥料の売れ残りが多く,マハラシュトラ州だけで7万トンもある。その原因として肥料価格の値上げによる需要低下,施肥期の雨不足,肥料購入許可証発行などがあげられている。 |
DIA-302-1974-10-10-3 | インド | 1974年10月10日 | 1970年代 | 内閣大幅改造が発表される。 主要な異動 J.ラム(国防相から農業灌漑相へ) Y.B.チャバン(蔵相から外相へ) スワラン・シン(外相から国防相へ) ブラーフマナンダ・レディ(通信相から内相へ) U.S.ディクシット(内相から無任所相) C.スブラマニアム(工業開発相から蔵相へ) T.A.パイ(重工業相,重工業省と工業開発省結合される) K.D.マラビア(鉄鋼相から石油・化学相へ) K.ラグラミア(議会相に加えて,土木住宅相を兼任) L.N.ミシュラ,D.P.ダール,カラン・シン,カムラパティ・トリパティ,ラジ・バハドール,H.R.ゴーカレは留任。 辞任D.K.バルーア,ボラ・パスワン・シャーストリー,シェール・シン,等。 |
DIA-302-1974-10-10-4 | インド | 1974年10月10日 | 1970年代 | ハリアナ州,工業向け電力全面カット。 |
DIA-302-1974-10-11-1 | インド | 1974年10月11日 | 1970年代 | ワシントンの米政府筋,インドがアメリカの長期,低利の外国食糧援助計画に正式の要請をしたことを確認。 |
DIA-302-1974-10-12-1 | インド | 1974年10月12日 | 1970年代 | J.ナーラーヤン,11月14日にビハール州庁前で大衆的ゲラオを予告。 |
DIA-302-1974-10-12-2 | インド | 1974年10月12日 | 1970年代 | ガボン共和国のボンゴ大統領,4日間の訪印でデリー着。 |
DIA-302-1974-10-12-3 | インド | 1974年10月12日 | 1970年代 | 「ヒンドスタン・タイムズ」のデリー編集長B.G.ヴァルギスに来年初めに辞めるように圧力がかかっていることに対し,同社のスタッフが反対を表明。 |
DIA-302-1974-10-13-1 | インド | 1974年10月13日 | 1970年代 | J.ナーラーヤン,11月3日をビハール州会議解散のデッドラインとすると発表。 |
DIA-302-1974-10-13-2 | インド | 1974年10月13日 | 1970年代 | インドはリビヤと石油協定を結び,原油購入の見返りとして石油技術を供与する。 |
DIA-302-1974-10-14-1 | インド | 1974年10月14日 | 1970年代 | J.ナーラーヤン,4段階の「人民議会」構想を発表。 |
DIA-302-1974-10-15-1 | インド | 1974年10月15日 | 1970年代 | 国連の緊急援助計画から,インドは肥料輸入用として70万ドルを受取る予定。 |
DIA-302-1974-10-15-2 | インド | 1974年10月15日 | 1970年代 | 印パ間の郵便,通信再開される。 |
DIA-302-1974-10-18-1 | インド | 1974年10月18日 | 1970年代 | ナフサを出血輸出-インドはナフサの需給見通しをあやまり,ナフサが過剰生産になり,すでに125万トン輸出したが,さらに150万トン輸出せざるをえなくなっている。 |
DIA-302-1974-10-19-1 | インド | 1974年10月19日 | 1970年代 | カルカッタで,CPMなどの党連合による「ハンガー・マーチ」。 |
DIA-302-1974-10-19-2 | インド | 1974年10月19日 | 1970年代 | 選挙費用に関する大統領令公布される-政党あるいは候補者以外によって集められた金は,候補者によって集められた選挙費用とはみなさないというもの。 |
DIA-302-1974-10-19-3 | インド | 1974年10月19日 | 1970年代 | 会議派執行委員会D.バルーアを新会議派総裁に選出。また,ビハール州のJ.ナーラーヤンと全面的対決を決める。 |
DIA-302-1974-10-20-1 | インド | 1974年10月20日 | 1970年代 | CPI(M)のP.スンダラヤ,「ビハール州とグジャラート州のアジテーショツは,会議派とガンディー首相のセミ・ファッショ政策に対する人民反乱のはしりである」と述べる。 |
DIA-302-1974-10-21-1 | インド | 1974年10月21日 | 1970年代 | インド石油公社は貯油タンク不足のためガソリン2万トンを輸出する契約をした。 |
DIA-302-1974-10-22-1 | インド | 1974年10月22日 | 1970年代 | CPI,反J.ナーラーヤン運動を全国規模で11月2日から展開すると発表。 |
DIA-302-1974-10-23-1 | インド | 1974年10月23日 | 1970年代 | ナガ,ミゾラム地域で地下反乱組織の活動活撥化が伝えられる。 |
DIA-302-1974-10-24-1 | インド | 1974年10月24日 | 1970年代 | C・スブラマンアム蔵相,金融引締め緩和を否定。 |
DIA-302-1974-10-24-2 | インド | 1974年10月24日 | 1970年代 | 緊急食糧増産計画に20億ルピー支出-中央政府は春作から始まる緊急食糧増産計画に対して20億ルピー支出する。 |
DIA-302-1974-10-24-3 | インド | 1974年10月24日 | 1970年代 | ADMK,J・ナーラーヤンの運動に反対すると表明。 |
DIA-302-1974-10-26-1 | インド | 1974年10月26日 | 1970年代 | ビハール州,サルボダヤ指導者A.R.ムルティラを州外追放。 |
DIA-302-1974-10-27-1 | インド | 1974年10月27日 | 1970年代 | エア・インディアの88日間のパイロット・ストはパイロット側が譲歩した形で終わる。 |
DIA-302-1974-10-27-2 | インド | 1974年10月27日 | 1970年代 | インドはザイールからバス500台,約1100万ドルを受注した。 |
DIA-302-1974-10-27-3 | インド | 1974年10月27日 | 1970年代 | キッシンジャー国務長官インド訪問でデリー着-チャバン外相,米印両国の成熟したかつ現実的関係に入ることを望む,と述べる。 |
DIA-302-1974-10-28-1 | インド | 1974年10月28日 | 1970年代 | ガンディー・キッシンジャー会談,米印合同委員会設立に合意調印(教育文化,科学技術,経済通商)。 |
DIA-302-1974-10-28-2 | インド | 1974年10月28日 | 1970年代 | キッシンジャー長官,講演のなかで,インドが核技術輸出を抑制するよう協力を呼びかける。 |
DIA-302-1974-10-28-3 | インド | 1974年10月28日 | 1970年代 | 年間の密輸額は約40億ルピ-―政府の推計によれば,1974年1-7月の間の密輸額は26~27億ルピーで徹底的な取締り措置がとられなかったら年間では40億ルピーになったものと思われる。 |
DIA-302-1974-10-29-1 | インド | 1974年10月29日 | 1970年代 | 米印共同声明発表-南アジア問題に外部の介入があってはならないという点で合意。 |
DIA-302-1974-10-29-2 | インド | 1974年10月29日 | 1970年代 | 「デリー学生闘争委員会」11月4日にナーラーヤン支持のデリー・バンドを呼びかける。 |
DIA-302-1974-10-29-3 | インド | 1974年10月29日 | 1970年代 | 駐ネパール・インド大使ラスゴトラ,カトマンズに帰任。 |
DIA-302-1974-10-30-1 | インド | 1974年10月30日 | 1970年代 | キッシンジャー長官,ダッカへ向かう。ディエゴ・ガルシア基地問題での意見の対立を認める。 |
DIA-302-1974-10-30-2 | インド | 1974年10月30日 | 1970年代 | J.ナーラーヤン,選挙制度改革小委員会の勧告を実施するよう政府に要求。 シッキム国王,シッキムが地理的にも人種的にもインドの一部であったことはないと述べる。 |
DIA-302-1974-10-31-1 | インド | 1974年10月31日 | 1970年代 | パトナの官庁街,11月4日のバンドに備え,バリケードが構築される。 |
DIA-302-1974-11-01-1 | インド | 1974年11月01日 | 1970年代 | ガンディー首相,J.P.ナーラーヤンと会談-ガンディー首相,ビハール州議会解散要求を拒否,また選挙改革も早急にできないと述べる。事実上,決裂。 |
DIA-302-1974-11-01-2 | インド | 1974年11月01日 | 1970年代 | ガンディー首相,スリランカのバンダラナイケ首相と会う。 |
DIA-302-1974-11-01-3 | インド | 1974年11月01日 | 1970年代 | エア・インディアが3ヵ月間のロックアウトを解除-新勤務システムに反対してインディアン・パイロット・ギルドは8月1日よりストにはいり,経営者側は8月2日よりロックアウトを実施していたが,IPG加盟パイロットの大部分が新勤務制度受入れに応じたため,11月1日,ロックアウトが解除された。 |
DIA-302-1974-11-02-1 | インド | 1974年11月02日 | 1970年代 | パトナ地区当局,11月4日のパトナでのデモ,集会を許さないと述べる。 |
DIA-302-1974-11-03-1 | インド | 1974年11月03日 | 1970年代 | シッキムのカジ・レンドップ・ドルジ首相,カルカッタ着。 |
DIA-302-1974-11-03-2 | インド | 1974年11月03日 | 1970年代 | 会議派とCPI,パトナで反J.P.ナーラーヤンのデモを行なう-ビハール州で陸軍,警戒体制に入る。 |
DIA-302-1974-11-04-1 | インド | 1974年11月04日 | 1970年代 | インド,鉄鉱石輸出国機構結成を提案-ジュネーブでの鉄鉱石輸出国会議で,D.P.チャトパダヤ商業相は,政府間の組織的行動で市場コントロールを行なおうと訴えた。 |
DIA-302-1974-11-04-2 | インド | 1974年11月04日 | 1970年代 | J.P.ナーラーヤン,パトナで警官隊により負傷。 |
DIA-302-1974-11-04-3 | インド | 1974年11月04日 | 1970年代 | シッキムのドルジ首相,ケワル・シン外務次官と会談。シッキム国王の将来の地位が検討されたといわれる。 |
DIA-302-1974-11-04-4 | インド | 1974年11月04日 | 1970年代 | ビハールの運動を支持するデリー・ハンド。 |
DIA-302-1974-11-05-1 | インド | 1974年11月05日 | 1970年代 | 政府,産業政策の再検討を決定-政府は産業政策が経済成長を促進するよりも成長の足かせになっているとの認識に基づいて,産業政策の再検討を決定した。 |
DIA-302-1974-11-05-2 | インド | 1974年11月05日 | 1970年代 | パトナ・バンドJ.P.支持のため。 |
DIA-302-1974-11-05-3 | インド | 1974年11月05日 | 1970年代 | ガンディー首相,J.P.ナーラーヤンに対して,ビハール州での次期州選挙の結果をまつよう呼びかける。 |
DIA-302-1974-11-06-1 | インド | 1974年11月06日 | 1970年代 | 訪印中のシッキム首相に対し,インド政府は国王の将来に関して早急な決定をしないよう勧告したといわれる。 |
DIA-302-1974-11-08-1 | インド | 1974年11月08日 | 1970年代 | 米海軍機動部隊「コンステレーション」,インド洋に入る。 |
DIA-302-1974-11-11-1 | インド | 1974年11月11日 | 1970年代 | 冬期国会始まる。 |
DIA-302-1974-11-11-2 | インド | 1974年11月11日 | 1970年代 | CPI,パトナで反J.P.ナーラーヤンの大規模なデモ。 |
DIA-302-1974-11-11-3 | インド | 1974年11月11日 | 1970年代 | 中央情報局(CBI),トルモハン・ラム国会議員を輸入ライセンス・スキャンダル容疑で逮捕。 |
DIA-302-1974-11-12-1 | インド | 1974年11月12日 | 1970年代 | ケワル・シン外務次官,ワシントンでキッシンジャー米国務長官と会談。 |
DIA-302-1974-11-12-2 | インド | 1974年11月12日 | 1970年代 | CPMのジョティ・バス,CPMはJ.P.ナーラーヤンの運動を支持するが,ジャン・サンなどが参加している以上,組織的には参加できないと語る。 |
DIA-302-1974-11-14-1 | インド | 1974年11月14日 | 1970年代 | 国連総会政治委員会,インド洋の平和地域化維持要請の決議案を採決。 |
DIA-302-1974-11-14-2 | インド | 1974年11月14日 | 1970年代 | 世界平和評議会,アジア・アフリカ人民連帯委員会による「インド洋問題」に関する会議がデリーで開かれる。チャバン外相,米のディエゴ・ガルシヤ基地拡張を非難。 |
DIA-302-1974-11-14-3 | インド | 1974年11月14日 | 1970年代 | C.ヤダブ鉄鋼・鉱山担当相は上院で民営の鉄鉱石鉱山の国有化について検討中であると答えた。 |
DIA-302-1974-11-15-1 | インド | 1974年11月15日 | 1970年代 | J.P.ナーラーヤン,政治,経済,社会,文化,全ての面での「全面的革命(total revolution)」を呼びかける。 |
DIA-302-1974-11-16-1 | インド | 1974年11月16日 | 1970年代 | 会議派,パトナで近来まれな最夫の反J.P.ナーラーヤンの大デモ。 |
DIA-302-1974-11-16-2 | インド | 1974年11月16日 | 1970年代 | 大統領令で,国内治安維持法によって密輸に関して抑留されている者は,今後6ヵ月あるいは緊急事態が終了するまで,いずれか早い方の間,基本的人権の問題に関して裁判所に救済を求めることが禁止された。 |
DIA-302-1974-11-18-1 | インド | 1974年11月18日 | 1970年代 | J.P.ナーラーヤン,パトナの大集会で演説-ガンディー首相が提案した,次期連邦下院,州議会選挙でビハール運動の支持を競うというチャレンジを受けると述べた。 |
DIA-302-1974-11-18-2 | インド | 1974年11月18日 | 1970年代 | 航空機の領空通過と航空路再開に関する印・パ事務レベル会談,イスラマパードで始まる。 |
DIA-302-1974-11-18-3 | インド | 1974年11月18日 | 1970年代 | チャバン外相,スリランカ公式訪問でコロンボ着。 |
DIA-302-1974-11-19-1 | インド | 1974年11月19日 | 1970年代 | 日印経済協力会議,ジャイプールで2日間の日程を終える。 |
DIA-302-1974-11-19-2 | インド | 1974年11月19日 | 1970年代 | 計画委員筋によれば,第5次5カ年計画の最終案は75年3月までに作成される。 |
DIA-302-1974-11-20-1 | インド | 1974年11月20日 | 1970年代 | 会議派国会議員でヤング・タークのチャンドラシェカル,デリーでJ.P.ナーラーヤンに対するレセプション。50人を越える会議派国会議員が集まる。 |
DIA-302-1974-11-20-2 | インド | 1974年11月20日 | 1970年代 | スワラン・シン国防相,CENTOのペルシャ湾・インド洋での演習を非難。 |
DIA-302-1974-11-21-1 | インド | 1974年11月21日 | 1970年代 | K.カマラージ会議派(O)指導者,J.P.ナーラーヤンと会う。 |
DIA-302-1974-11-21-2 | インド | 1974年11月21日 | 1970年代 | ハンガリーのジェノ・フォック首相訪印。 |
DIA-302-1974-11-21-3 | インド | 1974年11月21日 | 1970年代 | 卸売物価が下がる-10月26日で終わる1週間の物価指数は前週比1.1%,4週前比3.1%下がった。1年前と比較すると24.9%上昇している。 |
DIA-302-1974-11-23-1 | インド | 1974年11月23日 | 1970年代 | タミル・ナドゥ州は商工業用電力消費者に対し電力供給を12月1日より40%カットすることに決定した。 |
DIA-302-1974-11-23-2 | インド | 1974年11月23日 | 1970年代 | 気象専門家が内閣に報告書を提出-気象専門家は気象報告書を内閣に提出,インドは20年間の降雨不足期にはいったので,1930~1965年のような降雨にはめぐまれないと警告した。 |
DIA-302-1974-11-24-1 | インド | 1974年11月24日 | 1970年代 | J.P.ナーラーヤン支持の青年・学生会議開く-デリー学生闘争委員会主催。 |
DIA-302-1974-11-24-2 | インド | 1974年11月24日 | 1970年代 | ナローラでのAICC,3日間の日程を終了-チャンドラシェカルを除き,ほとんどがJ.P.ナーラーヤンとの対決を強調。 1975年2月までに実施する13項目の緊急計画を打出す。 |
DIA-302-1974-11-24-3 | インド | 1974年11月24日 | 1970年代 | スブラマニアム蔵相,プラン・ホリディは考えられないと語る。 |
DIA-302-1974-11-25-1 | インド | 1974年11月25日 | 1970年代 | CPIを除く野党会議,J.P.運動支持を打出す-参加政党,ジャン・サン,BLD,会議派(O),SP,DMK,RSP,アカリ・ダル,アーリヤ・サバ等。 |
DIA-302-1974-11-25-2 | インド | 1974年11月25日 | 1970年代 | 鉄道ストを6ヵ月間禁止-政府は11月26日から6ヵ月間鉄道ストを禁止した。 |
DIA-302-1974-11-25-3 | インド | 1974年11月25日 | 1970年代 | スブラマニアム蔵相は下院でこれまでに350万トンの食糧穀物を輸入したことを明らかにした。 |
DIA-302-1974-11-26-1 | インド | 1974年11月26日 | 1970年代 | スーダンのニメリ大統領5日間の公式訪問でデリー着。 |
DIA-302-1974-11-26-2 | インド | 1974年11月26日 | 1970年代 | 印パ貿易再開に関するニューデリー会談始まる。 |
DIA-302-1974-11-27-1 | インド | 1974年11月27日 | 1970年代 | IDA(第二世銀),シンドリ肥料プラントの近代化と拡張のため,9100万ドルのクレディット供与を決定。 |
DIA-302-1974-11-29-1 | インド | 1974年11月29日 | 1970年代 | 東独のジンダーマン首相,ニューデリー着。 |
DIA-302-1974-11-30-1 | インド | 1974年11月30日 | 1970年代 | 印パ貿易協定調印。 |
DIA-302-1974-11-30-2 | インド | 1974年11月30日 | 1970年代 | アメリカ,インドヘ30万トンの小麦割当て決定。 |
DIA-302-1974-12-01-1 | インド | 1974年12月01日 | 1970年代 | マニプールのシャイザ内閣から,4人の会議派大臣辞任。 |
DIA-302-1974-12-01-2 | インド | 1974年12月01日 | 1970年代 | ソ連はルディアナの業者に来年度分として1.5億ルピーのニット製品を発注した。 |
DIA-302-1974-12-02-1 | インド | 1974年12月02日 | 1970年代 | チェコのルボミール・ストルーガル首相,訪印。 |
DIA-302-1974-12-02-2 | インド | 1974年12月02日 | 1970年代 | 政府はアメリカのザパタ社とボンベイ・ハイの石油掘削契約を結ぶことに決定した。 |
DIA-302-1974-12-02-3 | インド | 1974年12月02日 | 1970年代 | ボンベイ・ハイの産油量は日産1500~2500バレル-K.D.マラビヤ石油・化学相は議会でポンベイ・ハイの産油量は日産1500~2500バレルであり,1976年央までは年間100万トンの生産ができるようになることを明らかにした。 |
DIA-302-1974-12-04-1 | インド | 1974年12月04日 | 1970年代 | 連邦上院で,野党が輸入スキャンダルに関するCBIレポートの提出を要求,政府側が拒否したため大混乱になる。 |
DIA-302-1974-12-04-2 | インド | 1974年12月04日 | 1970年代 | 国民の40%が貧困線以下の生活-V.C.シュクラ計画担当相は,2億2000万人(国民の40%)の人が貧困線以下の生活をしていると下院で報告した。 |
DIA-302-1974-12-05-1 | インド | 1974年12月05日 | 1970年代 | 政府,輸入ライセンス・スキャンダルに関するCBI報告を,秘密厳守を条件に野党にみせることに合意。 |
DIA-302-1974-12-06-1 | インド | 1974年12月06日 | 1970年代 | マレーシア国王,訪印。 |
DIA-302-1974-12-06-2 | インド | 1974年12月06日 | 1970年代 | IDAは総額7910万ドルのプロジェクト援助をインドに与えると発表した。 |
DIA-302-1974-12-07-1 | インド | 1974年12月07日 | 1970年代 | チャバン外相,バングラデシュ訪問。 |
DIA-302-1974-12-08-1 | インド | 1974年12月08日 | 1970年代 | ジャン・サンのA.B.ヴァジュパイエ,国会議員辞任の決意を述べる。議会制民主主義がもはや機能していないという理由。 |
DIA-302-1974-12-09-1 | インド | 1974年12月09日 | 1970年代 | 野党,輸入ライセンスに関するCBIレポートを秘密厳守の上見せるという政府提案に合意。 |
DIA-302-1974-12-10-1 | インド | 1974年12月10日 | 1970年代 | アジア決済同盟結成-テヘランに本部を置き,参加国は,インド,パキスタン,ネパール,バングラデシュ,スリランカ,イラン。 |
DIA-302-1974-12-11-1 | インド | 1974年12月11日 | 1970年代 | SP,CPMら野党,L.N.ミシュラ鉄道相が,輸入ライセンス・スキャンダルに関係しているとして非難。 |
DIA-302-1974-12-11-2 | インド | 1974年12月11日 | 1970年代 | N.P.リジャル・ネパール首相,ニューデリーでガンディー首相と非公式会談。 |
DIA-302-1974-12-11-3 | インド | 1974年12月11日 | 1970年代 | 炭鉱労働者の最低賃金を1ヵ月325ルピーに引上げ-K.C.パント・エネルギー相は炭鉱労働者と賃上げについて合意ができ,12月11日からのストライキは回避されると議会で報告した。炭鉱労働者の最低賃金は1カ月325ルピーに引上げられる。 |
DIA-302-1974-12-13-1 | インド | 1974年12月13日 | 1970年代 | チャトバダヤ商業相,controlled cloth生産増加の方針を明らかにする。 |
DIA-302-1974-12-13-2 | インド | 1974年12月13日 | 1970年代 | ミゾラムで,反乱分子に対する保安隊の活動活発化。 |
DIA-302-1974-12-14-1 | インド | 1974年12月14日 | 1970年代 | 政府は鉄鉱石の輸出をMMTCに一本化することを検討中であることを認めた。 |
DIA-302-1974-12-15-1 | インド | 1974年12月15日 | 1970年代 | ガンディー首相ビハール州の運動は反国民的であり,国を弱めるものであると述べる。 |
DIA-302-1974-12-15-2 | インド | 1974年12月15日 | 1970年代 | コーチンで新共産党成立,名称Centreof Indian Cmmunists.A.V.Aryan書記長。イデオロギー面では「中国のコースを歩む」が,インドの置かれた具体的条件を考慮するものといわれる。 |
DIA-302-1974-12-16-1 | インド | 1974年12月16日 | 1970年代 | K.カマラージ,ガンディー首相と会う。 |
DIA-302-1974-12-16-2 | インド | 1974年12月16日 | 1970年代 | サルヴァ・セヴァ・サンガの圧倒的多数がJ.P.支持。 |
DIA-302-1974-12-16-3 | インド | 1974年12月16日 | 1970年代 | サウジからの原油輸入を来年1月から再開-政府は外貨不足のため本年8月から中止していた原油輸入を来年1月1日から再開する。輸入量は110万トン。 |
DIA-302-1974-12-16-4 | インド | 1974年12月16日 | 1970年代 | アジア清算同盟の決済措置から石油は除外されることになった。 |
DIA-302-1974-12-17-1 | インド | 1974年12月17日 | 1970年代 | インド・バングラ,1975年から両国間でルピー貿易をやめて外貨取引きにすることに合意。 |
DIA-302-1974-12-18-1 | インド | 1974年12月18日 | 1970年代 | ブータンのJ.S.ワンチューク国王,10日間の公式訪問でデリー着。 |
DIA-302-1974-12-18-2 | インド | 1974年12月18日 | 1970年代 | アフガニスタン大統領の特使モハメッド・ナイム,デリー着。ナイムは中国で周首相と会っている。 |
DIA-302-1974-12-19-1 | インド | 1974年12月19日 | 1970年代 | インド・EEC合同委員会,インドのヤシ皮繊維とジュート製品のイギリスとデンマークヘの無関税輸入を1975年についても認める。 |
DIA-302-1974-12-19-2 | インド | 1974年12月19日 | 1970年代 | CPIを除く野党,メモランダムを政府に提出し,輸入ライセンスの汚職にL.N.ミシュラ鉄道相が関わっているとして,議会による調査を要求した。 |
DIA-302-1974-12-20-1 | インド | 1974年12月20日 | 1970年代 | インドと関係の強いイギリス共産党員,ラジャニ・パーム・ダット死去。 |
DIA-302-1974-12-21-1 | インド | 1974年12月21日 | 1970年代 | 4-10月の貿易収支の赤字は53.7億ルピ-―4-10月の輸出は175.2億ルピー,輸入は208.9億ルピーで33.7億ルピーの赤字。 |
DIA-302-1974-12-21-2 | インド | 1974年12月21日 | 1970年代 | インド・ポーランド,今後3年間,ルピー貿易継続で合意。 |
DIA-302-1974-12-21-3 | インド | 1974年12月21日 | 1970年代 | 石炭不足のため鉄道輸送が大幅な打撃。 |
DIA-302-1974-12-22-1 | インド | 1974年12月22日 | 1970年代 | FICCIのK.K.ビルラ会長,いくつかの産業(綿,車輌,自動車,機械工業)に不況現象が見られるとして政府に警告。 |
DIA-302-1974-12-22-2 | インド | 1974年12月22日 | 1970年代 | ブータン・インド共同声明,相互間および国際問題に関して完全な意見の一致を表明。 |
DIA-302-1974-12-23-1 | インド | 1974年12月23日 | 1970年代 | 茶輸出国間で,単価引上げのための共同行動合意,FAOの支援によるニューデリー会議。 |
DIA-302-1974-12-24-1 | インド | 1974年12月24日 | 1970年代 | カナダのマクドナルド・エネルギー相,インド向け原子力設備輸出は停止されたままであると述べた。 |
DIA-302-1974-12-24-2 | インド | 1974年12月24日 | 1970年代 | ビハール州の学生闘争委員会,改組の動き。 |
DIA-302-1974-12-27-1 | インド | 1974年12月27日 | 1970年代 | D.P.ダール計画相,経済困難を理由に辞表提出。 |
DIA-302-1974-12-27-2 | インド | 1974年12月27日 | 1970年代 | ポルトガルのソアレス外相,訪印。 |
DIA-302-1974-12-27-3 | インド | 1974年12月27日 | 1970年代 | J.P.ナーラーヤン,UP州での「全面的革命」のための行動綱領を発表。 |
DIA-302-1974-12-27-4 | インド | 1974年12月27日 | 1970年代 | 乗用車と植物油の価格統制をはずす一政府は乗用車と植物油の価格統制をはずした。乗用車の価格統制撤廃は21年ぶりのことである。 |
DIA-302-1974-12-28-1 | インド | 1974年12月28日 | 1970年代 | P.N.ハクサル,インドは中国と話し合いの用意ありと語る。 |
DIA-302-1974-12-29-1 | インド | 1974年12月29日 | 1970年代 | SP,第2回全国大会開会。 |
DIA-302-1974-12-30-1 | インド | 1974年12月30日 | 1970年代 | サルボダヤ指導者シャンカルラオ・デオ死去。 |
DIA-302-1974-12-30-2 | インド | 1974年12月30日 | 1970年代 | インドとソ連は1975年の貿易計画に調印した。貿易総額は75億ルピー。 |
DIA-302-1974-12-31-1 | インド | 1974年12月31日 | 1970年代 | ポルトガルとインド,国交再開条約調印(ニューデリー)。 |
DIA-302-1975-01-01-1 | インド | 1975年01月01日 | 1970年代 | インド政府は,パキスタン綿がインド綿と同価格あるいはそれ以下になるように輸入関税を25%引下げる決定をした。 |
DIA-302-1975-01-01-2 | インド | 1975年01月01日 | 1970年代 | アラブ首長国連邦のシェイク・ザイド大統領,公式訪問でデリー着。 |
DIA-302-1975-01-02-1 | インド | 1975年01月02日 | 1970年代 | L.N.ミシュラ鉄道相ら16人,ビハール州のサマスティプール駅で爆弾爆発のため負傷(後4人死去)。 |
DIA-302-1975-01-03-1 | インド | 1975年01月03日 | 1970年代 | L.N.ミシュラ鉄道相,死去。 |
DIA-302-1975-01-03-2 | インド | 1975年01月03日 | 1970年代 | P.N.ハクサル,計画委員会副議長就任。 |
DIA-302-1975-01-04-1 | インド | 1975年01月04日 | 1970年代 | ミゾラム平和勧告委員会,ミゾラム反乱政府の副大統領のトラン・チュアカあて話合いの呼びかけを行なう。 |
DIA-302-1975-01-06-1 | インド | 1975年01月06日 | 1970年代 | 西ベンガル州のジュート産業労働者ストに突入―西ベンガル州の62のジュート工場の労働者25万人は物価手当の引上げを要求して6日から無期限ストに突入した。 |
DIA-302-1975-01-06-2 | インド | 1975年01月06日 | 1970年代 | バーレンのアル・カリファ外相,訪印。 |
DIA-302-1975-01-07-1 | インド | 1975年01月07日 | 1970年代 | ガンディー首相,デリーのL.N.ミシュラ追悼集会で演説,ミシュラの暗殺はより大きなカタストロフのための「リハーサル」であり,J.P.運動は暴力集団を激励していると述べた。 |
DIA-302-1975-01-07-2 | インド | 1975年01月07日 | 1970年代 | ソ連のマズロフ副首相,グロムイコ外相,ガンディー首相の早期訪ソを望むと語る。 |
DIA-302-1975-01-09-1 | インド | 1975年01月09日 | 1970年代 | インドはモーリシャスに5000万ルピーの政府借款と1億ルピーの商業借款を与えた。 |
DIA-302-1975-01-10-1 | インド | 1975年01月10日 | 1970年代 | PLOのインドに事務所を持ちたいという要望をインド政府承認。 |
DIA-302-1975-01-10-2 | インド | 1975年01月10日 | 1970年代 | インド,ネパール向け石油製品輸出(ルピー勘定)を取止め。 |
DIA-302-1975-01-10-3 | インド | 1975年01月10日 | 1970年代 | S.A.ダンゲ,ミシュラの暗殺は,J.P.運動を通じるガンディー政権打倒のアメリカの陰謀であると語る。 |
DIA-302-1975-01-11-1 | インド | 1975年01月11日 | 1970年代 | 世界銀行はSir Arthur Cotton Barrageの建設に対する4500万ドルの借款を承認した。 |
DIA-302-1975-01-11-2 | インド | 1975年01月11日 | 1970年代 | ボンベイ・ハイの3番目の油井も1145メーターの地点で石油噴出。 |
DIA-302-1975-01-12-1 | インド | 1975年01月12日 | 1970年代 | ガンディー首相,マルディブ訪問。 |
DIA-302-1975-01-13-1 | インド | 1975年01月13日 | 1970年代 | ミゾラムのアイジャルで,警視総監を含む3人の警官,ミゾ反乱分子によって殺害される。 |
DIA-302-1975-01-13-2 | インド | 1975年01月13日 | 1970年代 | ボンベイ・ハイは4年後に年間1000万トン産出―石油,天然ガス委員会のN.B.プラサド委員長はボンベイ・ハイは4年後には年間1000万トンの原油を産出することになろうと語った。 |
DIA-302-1975-01-14-1 | インド | 1975年01月14日 | 1970年代 | インド・モーリシャス共同コミュニケ,ディエゴ・ガルシア問題で合意。 |
DIA-302-1975-01-14-2 | インド | 1975年01月14日 | 1970年代 | CPMのジョティ・バス,自由に投票できる権利を含め,民主的権利の回復のため,西ベンガル州で9党連合結成を行なおうと述べる。 |
DIA-302-1975-01-14-3 | インド | 1975年01月14日 | 1970年代 | 中央統計局は1972/73年の国民所得(1960/61年価格)は1913億ルピーで前年比0.9%のマイナスと発表した。 |
DIA-302-1975-01-15-1 | インド | 1975年01月15日 | 1970年代 | 印パ海運協議,2月15日より10年振りに両国間の航路再開,相互船舶の最恵国待遇供与らに合意。 |
DIA-302-1975-01-15-2 | インド | 1975年01月15日 | 1970年代 | インドとパキスタンは海運協定に調印し,2月15日からシッピング・サービスを再開することにした。 |
DIA-302-1975-01-17-1 | インド | 1975年01月17日 | 1970年代 | 港湾ストの第2日目に主要港では非常事態宣言が発せられ,ボンベイ,カルカッタ港では海軍は重要な仕事を遂行する態勢にはいっている。 |
DIA-302-1975-01-18-1 | インド | 1975年01月18日 | 1970年代 | ガンディー首相,イラク訪問,フセイン大統領と会談。 |
DIA-302-1975-01-20-1 | インド | 1975年01月20日 | 1970年代 | イラク,74年と同じく,75年についても280万トンの原油供給に合意。 |
DIA-302-1975-01-21-1 | インド | 1975年01月21日 | 1970年代 | インド・イラク共同声明―国際問題,双方の関心ある問題に関して意見の一致をみた。 |
DIA-302-1975-01-21-2 | インド | 1975年01月21日 | 1970年代 | 石油天然ガス委員会はトリプラでインド最大のガス田を発見したと発表した。 |
DIA-302-1975-01-24-1 | インド | 1975年01月24日 | 1970年代 | インド綿業協会,統制品目以外の高級品を10~20%値上げ。 |
DIA-302-1975-01-24-2 | インド | 1975年01月24日 | 1970年代 | 訪印中のザンビアのケネス・カウンダ大統領とガンディー首相会談。 |
DIA-302-1975-01-25-1 | インド | 1975年01月25日 | 1970年代 | J.P.,ボンベイでCITU,CPMの活動家の前で演説。J.P.運動に対してCPMが組織的に参加するよう呼びかける。 |
DIA-302-1975-01-25-2 | インド | 1975年01月25日 | 1970年代 | 中央政府公務員の物価手当を3回引上げ―中央政府は公務員の物価手当を1974年6月1日,7月1日,9月1日にさかのぼって3回引上げる。引上げ率は本給300ルピーまでは4%,300ルピー以上は3%,金額では最低1ルピー,最高27ルピー。 |
DIA-302-1975-01-27-1 | インド | 1975年01月27日 | 1970年代 | イギリスは2000万ポンドの追加援助の供与を約束した。イギリスは1974/75年度分としてすでに500万ポンドの援助を約束しており,総計9500万ポンドになる。 |
DIA-302-1975-01-27-2 | インド | 1975年01月27日 | 1970年代 | CPI,第10回党大会,ヴィジャヤワダで開催―30ヵ国から共産党代表参加。S.A.ダンゲ議長,インド洋における帝国主義者の脅威,国内におけるJ.P.の「総体的革命」という二つの反革命の試みと闘うよう訴える。また,中国を非難。 |
DIA-302-1975-01-28-1 | インド | 1975年01月28日 | 1970年代 | 世界卓球選手権大会に出場するため,中国卓球代表団の第一団,カルカッタに到着。 |
DIA-302-1975-01-28-2 | インド | 1975年01月28日 | 1970年代 | 陸軍,中国に行こうとしたナガ族104人逮捕。 |
DIA-302-1975-01-29-1 | インド | 1975年01月29日 | 1970年代 | CPI大会,ダンゲ議長,J.P.を激しく非難。 |
DIA-302-1975-01-30-1 | インド | 1975年01月30日 | 1970年代 | 西ベンガル州ナディア地区で,ナクサライトと警官隊衝突,7人死亡。 |
DIA-302-1975-01-30-2 | インド | 1975年01月30日 | 1970年代 | CPI大会。スポークスマンは,CPIが今日初めて朝鮮労働党中央委員会からメッセージを受けたと語る。 CPIの党員数は35万人で,71年のコーチン大会時より50%伸びる。 |
DIA-302-1975-01-30-3 | インド | 1975年01月30日 | 1970年代 | パキスタンから原綿2.5億ルピー輸入―インドはパキスタンと原綿2.5億ルピーを輸入する協定を結んだ。 これは1965年に貿易が中断されて以来,最初の商談。 |
DIA-302-1975-01-31-1 | インド | 1975年01月31日 | 1970年代 | STCは輸入品のストックが5億ルピーにもなったため,石油化学製品など1億ルピーの注文をキャンセルすることに決定した。 |
DIA-302-1975-02-01-1 | インド | 1975年02月01日 | 1970年代 | チャバン外相,カシミール問題に関する最近のブット首相の発言を内政干渉として激しく非難。 |
DIA-302-1975-02-01-2 | インド | 1975年02月01日 | 1970年代 | D.P.ダール,正式に駐ソ大使に任命される。閣内相待遇。 |
DIA-302-1975-02-02-1 | インド | 1975年02月02日 | 1970年代 | デリーのムスリム寺院ジャマ・マスジッドで回教徒間の衝突,警官隊の発砲により9人死亡。 |
DIA-302-1975-02-03-1 | インド | 1975年02月03日 | 1970年代 | 西ベンガル,ビハール,オリッサ3州の州首相,3州間でナクサライトに関する情報を交換しあうことを決めた。 |
DIA-302-1975-02-05-1 | インド | 1975年02月05日 | 1970年代 | ガンディー首相,産業平和を維持して外国資本の投資にとって望ましい条件を生み出す必要性を強調。 |
DIA-302-1975-02-05-2 | インド | 1975年02月05日 | 1970年代 | 第33回世界卓球選手権大会,カルカッタで開催,中国も参加。 |
DIA-302-1975-02-05-3 | インド | 1975年02月05日 | 1970年代 | ラジャスタン州にあるKhetri銅製錬所は5日,操業を開始した。電気銅の生産能力は年間3万1000トン。 |
DIA-302-1975-02-06-1 | インド | 1975年02月06日 | 1970年代 | インド,アメリカから75年度用として70万トンの小麦購入。 |
DIA-302-1975-02-06-2 | インド | 1975年02月06日 | 1970年代 | 中国卓球団長でスポーツ文化省次官趙正洪,西ベンガル州S.S.ライ州首相を訪問。 |
DIA-302-1975-02-07-1 | インド | 1975年02月07日 | 1970年代 | フランス,75年度分として5億7800万ルピーのインド向け借款供与に調印。 |
DIA-302-1975-02-07-2 | インド | 1975年02月07日 | 1970年代 | ガンディー首相,サウジアラビアのヤマニ石油相と会談。ヤマニ,原油延払い輸出を否定。 |
DIA-302-1975-02-08-1 | インド | 1975年02月08日 | 1970年代 | チャバン外相,キッシンジャーに電報を送り,パキスタン向け武器禁輸解除は,米印関係改善の方向をストップし,亜大陸の正常化を阻げるものであると警告した。 |
DIA-302-1975-02-09-1 | インド | 1975年02月09日 | 1970年代 | 24億ルピーのナショナル・シード・プロジェクト―中央政府農業・食糧省は州政府の協力を得て,種子の完全な自給達成を目標とした24億ルピーのナショナル・シード・プロジェクトを実施する。第二世銀(IDA)がプロジェクト費用の50%を援助する。 |
DIA-302-1975-02-10-1 | インド | 1975年02月10日 | 1970年代 | 内閣小改造―カムラパティ・トリパティ運輸相は鉄道相に,ウマ・シャンカル・ディクシットは運輸相となる。 |
DIA-302-1975-02-10-2 | インド | 1975年02月10日 | 1970年代 | 内閣政治委員会,ジャム・カシミールの将来の地位に関するシェーク・アブドラとの協定を了承―内容はシェーク・アブドラが同州の行政の責任(2月24日から)を担う,プレビサイト・フロントはその名称と目的を変える。憲法改正は行なわずというもの。 |
DIA-302-1975-02-10-3 | インド | 1975年02月10日 | 1970年代 | ソ連から肥料26万7000トン輸入―インドは今年中に26万7000トンを輸入する。肥料価格は前年比35%アップ。 |
DIA-302-1975-02-11-1 | インド | 1975年02月11日 | 1970年代 | 農産物価格委員会は1975/76年度の砂糖キビ最低価格をキンタール当り9ルピー50パイサー,前年比12%アップに決定した。 |
DIA-302-1975-02-11-2 | インド | 1975年02月11日 | 1970年代 | シュレジンジャー米国防長官,米海軍は定期的にインド洋訪問を行なうと述べる(米戦略年報にて)。 |
DIA-302-1975-02-12-1 | インド | 1975年02月12日 | 1970年代 | IDAが工業品輸入に1億ドルの借款―IDAはこのほかにゴダヴァリ堰の建設に4500万ドルの借款を与える。本年度中のIDAの対印借款は3億9800万ドルになる。 |
DIA-302-1975-02-13-1 | インド | 1975年02月13日 | 1970年代 | ガンディー首相,ニューヨーク・タイムズとのインタビューで,アメリカの対パ武器禁輸の決定がなされれば,米印関係改善の仕事を一層困難にするだろうと述べる。 |
DIA-302-1975-02-15-1 | インド | 1975年02月15日 | 1970年代 | J.P.公務員に対して,非道徳的命令には従わないよう訴える。 |
DIA-302-1975-02-15-2 | インド | 1975年02月15日 | 1970年代 | プレビサイト・フロント,シェーク・アブドラと中央政府との協定を全会一致で承認。 |
DIA-302-1975-02-16-1 | インド | 1975年02月16日 | 1970年代 | ハリアナ州議会議員補欠選挙―3議席のうち2議席で会議派敗北。 |
DIA-302-1975-02-16-2 | インド | 1975年02月16日 | 1970年代 | J.P.とCPIを除く野党との会談終る。合意事項。 (1)4月6日を全国的な「非常事態宣言撤回要求」日とする。 (2)U.P.州,マディヤ・プラデーシ州,ハリアナ州,グジャラート州で,ビハール州の人民闘争強化プログラムの一環として,市民的不服従運動を開始する。 (3)庶民の社会的,経済的,政治的地位向上のための9人委員会設置。 |
DIA-302-1975-02-17-1 | インド | 1975年02月17日 | 1970年代 | デリー高裁,ヒンドスタン・タイムズ社に対してヴァルギス編集長の身分保全を命じる。 |
DIA-302-1975-02-17-2 | インド | 1975年02月17日 | 1970年代 | 中国スポーツ文化省次官趙正洪,カルカッタで,中国とインドとの友好関係の発展を望むと語る。 |
DIA-302-1975-02-17-3 | インド | 1975年02月17日 | 1970年代 | ナガ平和協議会理事M.アランは,ナガの地下組織とコンタクトした結果,話合いの見通しは明るいと述べた。 |
DIA-302-1975-02-17-4 | インド | 1975年02月17日 | 1970年代 | 1974年12月の全インド労働者消費者物価指数は前月比5ポイント下がったが,73年12月よりも25.4%上昇した。 |
DIA-302-1975-02-18-1 | インド | 1975年02月18日 | 1970年代 | 趙スポーツ省次官を団長とする中国卓球チームの一部,10日間の予定でデリー訪問。 |
DIA-302-1975-02-18-2 | インド | 1975年02月18日 | 1970年代 | 米国務省,チャバン外相からパキスタン向け武器禁輸解除に懸念を表明する手紙(1月28日付)を受けとったと語った。 |
DIA-302-1975-02-19-1 | インド | 1975年02月19日 | 1970年代 | J.P.,ガンディー首相はバングラデシュ型の一党支配を企図しているのではないかと恐れると語る。また,ダッカとデリーは重要な問題に関して常時協議していると指摘。 |
DIA-302-1975-02-19-2 | インド | 1975年02月19日 | 1970年代 | インドは来財政年度中にイラクから280万トン,アラブ首長国連邦から100万トンの原油を輸入する。 |
DIA-302-1975-02-20-1 | インド | 1975年02月20日 | 1970年代 | 西ベンガル州のジュート労働者のスト,46日目で終る。 |
DIA-302-1975-02-20-2 | インド | 1975年02月20日 | 1970年代 | タミル・ナード州,旱ばつのため20%の食糧生産の減少。 |
DIA-302-1975-02-20-3 | インド | 1975年02月20日 | 1970年代 | 1975/76年度鉄道予算には穀物とマンガン鉱石の運賃値上げが盛込まれているが,乗客運賃は値上げされない。 |
DIA-302-1975-02-21-1 | インド | 1975年02月21日 | 1970年代 | マハーラーシュトラ州S.B.チャバンを首班とする25人の新内閣が成立。 |
DIA-302-1975-02-22-1 | インド | 1975年02月22日 | 1970年代 | シッキムのナムギャル国王,個人の資格でネパール戴冠式出席のためカトマンドゥ着。 |
DIA-302-1975-02-22-2 | インド | 1975年02月22日 | 1970年代 | 中国副首相陳錫聯,ネパールへの往路,カルカッタに立寄り,「中印両国民の伝統的友好は続こう」と語る。 |
DIA-302-1975-02-23-1 | インド | 1975年02月23日 | 1970年代 | ソ連国防相グレチコ,ソ連海軍総司令官とともに訪印。 |
DIA-302-1975-02-23-2 | インド | 1975年02月23日 | 1970年代 | ガンディー首相,シェーク・アブドラと会談。 |
DIA-302-1975-02-23-3 | インド | 1975年02月23日 | 1970年代 | アメリカはインドに対して,対印パ向け武器禁輸解除決定を公式に伝えたといわれる。 |
DIA-302-1975-02-24-1 | インド | 1975年02月24日 | 1970年代 | アメリカ,対印パ向け武器禁輸,25日から解除。 |
DIA-302-1975-02-24-2 | インド | 1975年02月24日 | 1970年代 | 連邦政府とシェーク・アブドラとの間の6項目の合意が発表される。 |
DIA-302-1975-02-24-3 | インド | 1975年02月24日 | 1970年代 | ネパール,ビレンドラ国王戴冠式,インドはジャティ副大統領出席。 |
DIA-302-1975-02-24-4 | インド | 1975年02月24日 | 1970年代 | グレチコソ連国防相,スワラン・シン国防相と会談。 |
DIA-302-1975-02-24-5 | インド | 1975年02月24日 | 1970年代 | 1974/75年Economic Survey―エコノミック・サーベイによれば1973/74年の国民所得は3.5%の増加で1974/75年も1%程度の増加になりそう。 |
DIA-302-1975-02-25-1 | インド | 1975年02月25日 | 1970年代 | ジャム・カシミール州でシェーク・アブドラを首班とする4人の新内閣成立―会議派は閣外支持。 |
DIA-302-1975-02-25-2 | インド | 1975年02月25日 | 1970年代 | グレチコ国防相・ガンディー首相スワラン・シン国防相,チャバン外相と各々会談。 |
DIA-302-1975-02-25-3 | インド | 1975年02月25日 | 1970年代 | シッキムのカジ首相,ナムギャル国王は内閣の同意なしにネパールへ行ったと非難。 |
DIA-302-1975-02-26-1 | インド | 1975年02月26日 | 1970年代 | チャバン外相,3月に予定されていた米印合同委員会のためのワシントン訪問を中止と発表。 ガンディー首相,アメリカの印パをバランスさせようとする政策は「不正直」であると語る。 |
DIA-302-1975-02-26-2 | インド | 1975年02月26日 | 1970年代 | 中国陳錫聯副首相,カルカッタ空港で,もしインド政府が望むなら,中国政府は関係正常化の話合いに応じると語る。 |
DIA-302-1975-02-27-1 | インド | 1975年02月27日 | 1970年代 | ガンディー首相,T.A.パイ工業相の「ナショナル・セクター」構想を支持。 |
DIA-302-1975-02-27-2 | インド | 1975年02月27日 | 1970年代 | 48日間のジュート産業ストの損失は7500万ルピー―インド・ジュート工場協会の発表によれば,48日間にわたる労働者のストによる生産の損失は14万4000トン,金額にして7500万ルピーである。 |
DIA-302-1975-02-27-3 | インド | 1975年02月27日 | 1970年代 | 政府,米印合同委員会を廃止せよという野党の要求を拒否。 |
DIA-302-1975-02-27-4 | インド | 1975年02月27日 | 1970年代 | 1975/75年度予算―スブラマニアム蔵相が議会に提出した1975/76年度予算の概要は以下の通り。(単位1000万ルピー) |
DIA-302-1975-03-01-1 | インド | 1975年03月01日 | 1970年代 | シッキムのナムギャル国王,カトマンドゥの記者会見で,シッキムの独自性を強調。 |
DIA-302-1975-03-02-1 | インド | 1975年03月02日 | 1970年代 | モハン・ダリア閣外相,J.P.問題に対する発言で,ガンディー首相によって閣僚として不適任と指摘され,辞表提出。 |
DIA-302-1975-03-02-2 | インド | 1975年03月02日 | 1970年代 | サクスビ―米大使,ニューデリー着任。 |
DIA-302-1975-03-03-1 | インド | 1975年03月03日 | 1970年代 | 新華社電,グレチコの訪印はインド軍に高級武器を供与するためであり,亜大陸での軍備競争を強化するものであると非難。 |
DIA-302-1975-03-04-1 | インド | 1975年03月04日 | 1970年代 | J.P.,モハン・ダリア解任問題で発言「ガンディー首相は,民主的政党としての会議派をつぶそうとしている。J.ラム農業相,Y.B.チャバン外相らの長老は,現在重要な責任をもっている。人民は彼らが,この時期に指導権を握ることを期待している」。 |
DIA-302-1975-03-05-1 | インド | 1975年03月05日 | 1970年代 | ガンディー首相,会議派分裂時と同じように,彼女の生命が脅かされていると語る。 |
DIA-302-1975-03-05-2 | インド | 1975年03月05日 | 1970年代 | コカコーラの活動を制限―政府はコカコーラのインドでの営業活動を厳しく制限する方針で,一切のソフト・ドリンクの新規製造を禁止した。 |
DIA-302-1975-03-06-1 | インド | 1975年03月06日 | 1970年代 | J.P.の指導するデリーの「人民行進」―汚職の廃止,選挙改革,市民的権利の擁護を要求。CPMは行進には参加せず。J.P.,ディロン下院議長に要求書提出。 |
DIA-302-1975-03-08-1 | インド | 1975年03月08日 | 1970年代 | 産業許可手続をさらに簡素化―産業・民需品供給省は若干の産業の設備拡張は許可委員会,外国投資局まであげずに下級機関の承認だけでよいことにした。 |
DIA-302-1975-03-09-1 | インド | 1975年03月09日 | 1970年代 | ナガランドのUDFのヴィゾル内閣,4閣僚が辞任したため崩壊。 |
DIA-302-1975-03-10-1 | インド | 1975年03月10日 | 1970年代 | ナガランドでNN0(ナガ民族組織)のJ.B.ジャソキエを首班とする新内閣成立。 |
DIA-302-1975-03-10-2 | インド | 1975年03月10日 | 1970年代 | ダウド・アフガニスタン大統領,4日間の公式訪問でインド着,ガンディー首相と会談―パキスタンはバルチスタンとパクトニスタンで血を流させていると語る。 |
DIA-302-1975-03-10-3 | インド | 1975年03月10日 | 1970年代 | ガンディー首相,パキスタンのブット首相からカシミール問題について抗議の手紙を受けとったと発表。 |
DIA-302-1975-03-11-1 | インド | 1975年03月11日 | 1970年代 | ICICIは世界銀行より1億ドルの借款を受ける。ICICIはこのほかにイギリスから100万ポンド,ドイツから500万マルクの借款を受けることになっている。 |
DIA-302-1975-03-12-1 | インド | 1975年03月12日 | 1970年代 | スワラン・シン国防相,カシミール協定はプレビサイトの要求を無意味にしたと語る。 |
DIA-302-1975-03-12-2 | インド | 1975年03月12日 | 1970年代 | 1976年3月末の政府債務残高は2818.8億ルピーに―政府の推計によれば,1975年3月末の政府債務残高は2604億ルピーで1976年3月末には2818.8億ルピーとなる。 |
DIA-302-1975-03-14-1 | インド | 1975年03月14日 | 1970年代 | インド・アフガニスタン共同声明―アメリカの対パ武器禁輸解除は,南アジアの軍備競争を促進し,正常化を犠牲にすると述べる。また,南アジアの政治,経済,その他の分野で密接にコンタクトをとることで合意。 |
DIA-302-1975-03-14-2 | インド | 1975年03月14日 | 1970年代 | CPM,4月6日にJ.P.が指導する全インド調整委員会が主催する「市民的自由の回復」を要求するプロテスト・デイに参加を決定。 |
DIA-302-1975-03-15-1 | インド | 1975年03月15日 | 1970年代 | 国営企業の収益が好転―中央政府の全企業の純利益は1973/74年には前年の1億7300万ルピーから14億1500万ルピーに増大した。欠損企業を除く55社の純利益は15億5500万ルピー。 |
DIA-302-1975-03-16-1 | インド | 1975年03月16日 | 1970年代 | マダーヴァン・タミル・ナード州食糧相,同州の飢餓状況は深刻であると述べる。 |
DIA-302-1975-03-17-1 | インド | 1975年03月17日 | 1970年代 | MRTPCが1974年中に34社を審査―MRTPC(独占および制限取引禁止委員会)は1974年中に34社をファイルした。そのうち5社はタター・グループ。 |
DIA-302-1975-03-18-1 | インド | 1975年03月18日 | 1970年代 | J.P.,パトナで州議会解散を要求する行進を指導,CPM初めてデモに参加。 |
DIA-302-1975-03-18-2 | インド | 1975年03月18日 | 1970年代 | ガンディー首相,アラハバード高裁に証人として出廷―1971年総選挙に際して,選挙違反で訴えられた事件。高裁入口でピストルをもった青年が逮捕された。 |
DIA-302-1975-03-19-1 | インド | 1975年03月19日 | 1970年代 | ナガランドで,NNOに属する10人の議員がUDFに移ることを宣言。 |
DIA-302-1975-03-19-2 | インド | 1975年03月19日 | 1970年代 | 州別1人当り国民所得はマハラーシュトラ州がトップ―1973/74年の州別1人当り国民所得はマハラーシュトラ州がトップで1075ルピー,次いでパンジャブ(1054ルピー),ハリヤナ(906ルビー)となっている。全国平均は698ルピー。 |
DIA-302-1975-03-20-1 | インド | 1975年03月20日 | 1970年代 | ナガランド州議会でNN0,UDFのどちらが多数かを採決することなく,州議会開会を無期限延期。 |
DIA-302-1975-03-20-2 | インド | 1975年03月20日 | 1970年代 | 最高裁長官A.N.ライの車の中に,手製爆弾が2発投げ込まれていたが不発で無事。 |
DIA-302-1975-03-20-3 | インド | 1975年03月20日 | 1970年代 | サクスビ―米大使“ワシントン・ポスト”紙に対して,アメリカはインドに対して「人道的,文化的関係」についてのみ関心をもつと語る。 |
DIA-302-1975-03-21-1 | インド | 1975年03月21日 | 1970年代 | ミゾラム州全域が,「不穏地域」と宣言される。 |
DIA-302-1975-03-21-2 | インド | 1975年03月21日 | 1970年代 | CPMは,市民的自由の回復と非常事態宣言の撤回要求に関してJ.P.を支持するが,社会,経済的問題では統一行動をとらないことを明らかにする。 |
DIA-302-1975-03-21-3 | インド | 1975年03月21日 | 1970年代 | 西ベンガル州,M.フセイン内相(閣外),72年以来同州で治安維持法(MISA)で拘禁されたものは1万人以上にのぼると語る。 |
DIA-302-1975-03-21-4 | インド | 1975年03月21日 | 1970年代 | ストによる1974年の労働日損失は5120万人日―1974年のストによる労働日の損失は3120万人日で前年の50%増。1967~1973年の年間損失日は1700万人日から2100万人日。 |
DIA-302-1975-03-22-1 | インド | 1975年03月22日 | 1970年代 | ナガランド,大統領直轄統治下に入る。 |
DIA-302-1975-03-25-1 | インド | 1975年03月25日 | 1970年代 | 会議派最高指導部,ビハール州のガフール州首相の辞任を認める。 |
DIA-302-1975-03-27-1 | インド | 1975年03月27日 | 1970年代 | MMTCが肥料の輸入を独占―従来,ルピー地域からの肥料輸入を取扱っていたMMTCが自由通貨地域からの輸入も独占的に取扱うようになり,肥料輸入はMMTCの独占となった。 |
DIA-302-1975-03-28-1 | インド | 1975年03月28日 | 1970年代 | カンボジア王国連合政府外相サリン・チャク,ニューデリー着。インドの支持に謝意を表す。 |
DIA-302-1975-03-30-1 | インド | 1975年03月30日 | 1970年代 | インド・バングラデシュ,領海問題に関する外相会談を開く。 |
DIA-302-1975-04-01-1 | インド | 1975年04月01日 | 1970年代 | インド,カンボジア王国連合政府を正式承認。 |
DIA-302-1975-04-01-2 | インド | 1975年04月01日 | 1970年代 | 全インド中印友好協会会長スンダルラルら81名のデリー市民,中印関係正常化に向けてインド政府がイニシヤをとるよう要請。 |
DIA-302-1975-04-01-3 | インド | 1975年04月01日 | 1970年代 | IDBIがバングラデシュに4000万ルピーの借款―IDBIはバングラデシュに機械・設備購入のために4000万ルピーの借款を与えた。返済期間は12年。IDBIは前年は2.5億ルピーの借款をバングラに与えた。 |
DIA-302-1975-04-02-1 | インド | 1975年04月02日 | 1970年代 | J.P.,カルカッタ大学で演説しようとした際。ユース・コングレス,チャートラ・パリシャドのグループに阻止される。 |
DIA-302-1975-04-02-2 | インド | 1975年04月02日 | 1970年代 | 野党会議流のモラルジ・デサイ,グジャラート州議会選挙を要求して4月7日から無期限断食に入ると宣言 |
DIA-302-1975-04-03-1 | インド | 1975年04月03日 | 1970年代 | ボンベイで,数千人の部族民と農業労働者が,ボンベイの主婦,工業労働者と一諸に行進し,最低賃金制実施,1人1ヵ月7キロの食糧穀物,森林地の部族民への返還を求めてデモ。 |
DIA-302-1975-04-04-1 | インド | 1975年04月04日 | 1970年代 | インド製鉄所の1974/75年の鋼生産量は489万トン―インド製鉄所の1974/75年の工場販売用鋼の生産量は以下の通り。 |
DIA-302-1975-04-06-1 | インド | 1975年04月06日 | 1970年代 | 「非常事態」撤回を要求するデリーの大統一行動,J.P.が指導。 インド防衛法,治安維持法(MISA)の撤回を要求。 |
DIA-302-1975-04-07-1 | インド | 1975年04月07日 | 1970年代 | モラルジ・デサイ,5月までにグジャラート州議会議員選挙実施を要求して,無期限断食開始。 |
DIA-302-1975-04-07-2 | インド | 1975年04月07日 | 1970年代 | シッキム親衛隊40人,インド軍によって解散させられる一親衛隊長ソナム・コングダ,ナムギャル国王の指示で,シッキムの政治指導者を殺そうとした容疑で逮捕される。 |
DIA-302-1975-04-07-3 | インド | 1975年04月07日 | 1970年代 | 1975/76年度輸入政策を発表―政府は輸出産業の輸入自由化,従来の優先産業と非優先産業の分類廃止,それにかわる29のセレクト・インダストリーの導入などを骨子とする1975/76年度輸入政策を発表した。 |
DIA-302-1975-04-07-4 | インド | 1975年04月07日 | 1970年代 | 1975/76年度の輸出目標額は340億ルピーと決定された。 |
DIA-302-1975-04-08-1 | インド | 1975年04月08日 | 1970年代 | シッキムのドルジ首相,ガンディー首相に対してナムギャル国王の廃止を要求。 |
DIA-302-1975-04-08-2 | インド | 1975年04月08日 | 1970年代 | 西ベンガル州のCPMを中心とする8党連合は,野党会議派系のナブ・ニルマン・サミティと一諸に,J.P.がこの次カルカッタを訪問する際,J.P.を支持して大衆行動を行なうことを決める。 |
DIA-302-1975-04-08-3 | インド | 1975年04月08日 | 1970年代 | インドはソ連と1975年中に灯油60万トンと軽油60万トンの供給を受ける協定を結んだ。 |
DIA-302-1975-04-09-1 | インド | 1975年04月09日 | 1970年代 | タミル・ナード州が工業用電力供給を全面停止―タミル・ナード・州は10日から10日間工業用電力供給を全面停止する。自家用発電と他州からの電力供給を受けている以外の工場は休業せざるをえなくなる。 |
DIA-302-1975-04-10-1 | インド | 1975年04月10日 | 1970年代 | シッキム議会,ナムギャル国王の廃位(王制の廃止)とシッキムのインドへの編入を要求する決議案を全会一致で採択。 |
DIA-302-1975-04-11-1 | インド | 1975年04月11日 | 1970年代 | ビハール州,ジャガナト・ミシュラ新内閣成立。 |
DIA-302-1975-04-11-2 | インド | 1975年04月11日 | 1970年代 | チャバン外相,インド政府はシッキム議会の一致した要求であるインドへの完全編入を,シッキムの伝統的感情と願いを反映したものであると考えると述べる。 |
DIA-302-1975-04-12-1 | インド | 1975年04月12日 | 1970年代 | ガンディー首相,初めてデサイの断食に言及し,「政府は圧力には屈しない」と語る。 |
DIA-302-1975-04-12-2 | インド | 1975年04月12日 | 1970年代 | J.ミシュラ・ビハール州首相,J.P.運動で逮捕された政治犯すべての釈放を命じたと述べた。 |
DIA-302-1975-04-12-3 | インド | 1975年04月12日 | 1970年代 | シッキムのドルジ首相,ガンディー首相への書簡で,早急にシッキムをインドの一州とするよう要求。 |
DIA-302-1975-04-13-1 | インド | 1975年04月13日 | 1970年代 | ガンディー首相,モラルジ・デサイあて書簡で,6月7日頃グジャラート州議会の選挙を行なうことに合意。デサイ,7日間の断食を終える。 |
DIA-302-1975-04-14-1 | インド | 1975年04月14日 | 1970年代 | ガンディー首相,ジャム地域を訪問し,インドは非常事態宣言撤回の時期ではないと述べる。 |
DIA-302-1975-04-14-2 | インド | 1975年04月14日 | 1970年代 | シッキムで王制廃止とインドへの編入についての国民投票が行なわれる。開票結果は賛成5万9637票,反対1496票で承認された。 |
DIA-302-1975-04-14-3 | インド | 1975年04月14日 | 1970年代 | シッキムのナムギャル国王,ガンディー首相との会談を要求。 |
DIA-302-1975-04-15-1 | インド | 1975年04月15日 | 1970年代 | 計画委員会,乗用車の生産目標を大幅削減―計画委員会は1978/79年までに乗用車の年間生産台数を16万台にするという目標を6万台に削減した。 |
DIA-302-1975-04-15-2 | インド | 1975年04月15日 | 1970年代 | ガンディー首相,中国のシッキム問題に対する立場を非難。 |
DIA-302-1975-04-16-1 | インド | 1975年04月16日 | 1970年代 | シッキムのドルジ首相,ニューデリーでガンディー首相らと会談。ガンディー首相,4月10日のシッキム議会の決議と国民投票の結果を尊重すると語る。 |
DIA-302-1975-04-16-2 | インド | 1975年04月16日 | 1970年代 | チャバン外相,米ソを同列に扱うことはできない,印ソ関係は歴史の試練を経ていると語る。 |
DIA-302-1975-04-16-3 | インド | 1975年04月16日 | 1970年代 | IDAはインドの農業開発のためにARCを通じて7500万ドルの援助を与える。 |
DIA-302-1975-04-19-1 | インド | 1975年04月19日 | 1970年代 | マハーラーシュトラ州公務員労組,無期限ストに突入。 |
DIA-302-1975-04-19-2 | インド | 1975年04月19日 | 1970年代 | インド初めての宇宙衛星,ソ連の基地から打上げられる。 |
DIA-302-1975-04-19-3 | インド | 1975年04月19日 | 1970年代 | 公害で肥料工場に操業中止命令―P.S.バトナガル・ディストリクト・マジストレイトはSancoaleにあるZuari Agrochemicals社に対してただちに操業を停止するように命じた。同社は3月29日に工場の公害を10日以内に防止するよう命じられていたが,それができなかったため。 |
DIA-302-1975-04-20-1 | インド | 1975年04月20日 | 1970年代 | ガンディー首相,最近の外部からの脅威というのは,一つはパキスタンのことであると述べる。 スワラン・シン国防相,インドはパキスタンと戦争を欲しないが,もしパキスタンが戦争を押しつけるならば,我々は有利な立場で闘うことになろうと語る。 |
DIA-302-1975-04-20-2 | インド | 1975年04月20日 | 1970年代 | P.N.ハクサル計画委員会副議長,テヘランでイランのパーレビ国王と会談。パーレビ国王,3億ドルのクレディットを約束。 |
DIA-302-1975-04-21-1 | インド | 1975年04月21日 | 1970年代 | 国営企業,1973/74年度に6億4420万ルピーの黒字―国営企業114社は1973/74年度に6億4420万ルピーの黒字(税引き後)を記録し,1974/75年度は1.5億ルピーの黒字になるものとみられている。 |
DIA-302-1975-04-21-2 | インド | 1975年04月21日 | 1970年代 | インド,イスラマバードでの李先念中国副首相のインド非難発言に反撥。 |
DIA-302-1975-04-21-3 | インド | 1975年04月21日 | 1970年代 | ガンディー首相,ケララ型連合政府(CPIとの連立)は連邦段階も他の州でもありえないと否定。 |
DIA-302-1975-04-21-4 | インド | 1975年04月21日 | 1970年代 | 金韓国外相,チャバン外相,ガンディー首相と会談,経済分野での協力促進をうたう。 |
DIA-302-1975-04-22-1 | インド | 1975年04月22日 | 1970年代 | 印パ貿易会談,ニューデリーで始まる。 |
DIA-302-1975-04-22-2 | インド | 1975年04月22日 | 1970年代 | ガンディー首相の招請により,野党指導者,選挙制度改革に関して,首相と話し合う。 |
DIA-302-1975-04-22-3 | インド | 1975年04月22日 | 1970年代 | CPM,シッキムのインド編入の動きを批判。 |
DIA-302-1975-04-22-4 | インド | 1975年04月22日 | 1970年代 | CPMら7党,西べンガルの現況に関して,ガンディー首相に討論の申入れを行なう。 |
DIA-302-1975-04-23-1 | インド | 1975年04月23日 | 1970年代 | シッキム編入の第36次憲法改正案,反対はCPMだけで下院通過。 |
DIA-302-1975-04-23-2 | インド | 1975年04月23日 | 1970年代 | インド,バングラ国境問題会議終る。国境越えの武器密輸禁止措置を検討。 |
DIA-302-1975-04-23-3 | インド | 1975年04月23日 | 1970年代 | インド,韓国,共同プレス・ステートメント発表,南アジアでのインドの役割を称賛。 |
DIA-302-1975-04-23-4 | インド | 1975年04月23日 | 1970年代 | ソ連,インド,第二段階の宇宙協力協定調印。 |
DIA-302-1975-04-23-5 | インド | 1975年04月23日 | 1970年代 | チャバン外相,ASEAN諸国の東南アジア平和地域構想とインド洋沿岸諸国がインド洋を平和地域にしようとする提案は,事実上,不可分に結びついたものであると述べた。 |
DIA-302-1975-04-24-1 | インド | 1975年04月24日 | 1970年代 | イランと経済協力協定に調印―インドはイランと鉄鉱石の輸出,それの開発に必要なイランの3億ドル借款などについて調印した。 |
DIA-302-1975-04-25-1 | インド | 1975年04月25日 | 1970年代 | グジャラート州選挙で,チマンバイ・パテル指導のキサン・マズドゥール・ロク・パクシャ党,単独で闘うことを決める。 |
DIA-302-1975-04-25-2 | インド | 1975年04月25日 | 1970年代 | 西ドイツ,20億ルピーの援助を供与―西ドイツは1975/76年度に6.09億マルク(20億ルピー)の2国間および国際機関を通じる援助を供与する。2国間援助は3.65億マルクでそのうち1.7億マルクは債務救済分である。 |
DIA-302-1975-04-26-1 | インド | 1975年04月26日 | 1970年代 | ガンディー首相,全インド法律家会議で演説,暴力と破壊を説き,非憲法的手段を扇動しようとしている人々から,民主主義と議会制度を守るよう呼びかけた。 |
DIA-302-1975-04-26-2 | インド | 1975年04月26日 | 1970年代 | シッキムに関する第36次憲法改正案上院通過。 |
DIA-302-1975-04-26-3 | インド | 1975年04月26日 | 1970年代 | バングラデシュのラーマン大統領,デリーでガンディー首相と会談。 |
DIA-302-1975-04-27-1 | インド | 1975年04月27日 | 1970年代 | ガンディー首相,4月29日からジャマイカのキングストンで開かれる英連邦首脳会議出席のため,チャパン外相とともに出発。 |
DIA-302-1975-04-27-2 | インド | 1975年04月27日 | 1970年代 | モハン・ダリア,ボルーア会議派総裁がCPIと関係をもっていることは党にとって危険であると述べる。 |
DIA-302-1975-04-27-3 | インド | 1975年04月27日 | 1970年代 | ミゾラムの首都アイジャルで,白昼2人の警官が殺される。 |
DIA-302-1975-04-28-1 | インド | 1975年04月28日 | 1970年代 | スワラン・シン国防相,パキスタンと中国の敵対的態度が続いている以上,防衛努力を緩和するわけにはいかないと述べる。 |
DIA-302-1975-04-28-2 | インド | 1975年04月28日 | 1970年代 | ナガランドUDFのヴィゾル元州首相,L.P.シン知事と会い,新たに選挙を行なうことが州政治安定の方向であると訴えた。 |
DIA-302-1975-04-29-1 | インド | 1975年04月29日 | 1970年代 | 中国,政府声明でインドの「シッキム併合」を非難。 |
DIA-302-1975-04-30-1 | インド | 1975年04月30日 | 1970年代 | インド,南ベトナム臨時革命政府承認。ガンディー首相,臨時革命政府大統領とグエン・チ・ビン外相に対して,祝いのメッセージを送る。 |
DIA-302-1975-04-30-2 | インド | 1975年04月30日 | 1970年代 | 英連邦首脳会議でガンディー首相演説,アメリカのベトナム政策は誤った評価に基づく介入であったとして厳しく批判。 |
DIA-302-1975-05-01-1 | インド | 1975年05月01日 | 1970年代 | 政府筋,中国政府の4月29日声明は内政干渉であり,この地域の政治的安定性をそこなおうとするものであると述べる。 |
DIA-302-1975-05-01-2 | インド | 1975年05月01日 | 1970年代 | イギリス留学中のナムギャル国王の息子,タイムズ紙に投書し,シッキム問題に関し,国連などの中立機関による国民投票を提案。 |
DIA-302-1975-05-01-3 | インド | 1975年05月01日 | 1970年代 | J.P.,南インド旅行を始める。 |
DIA-302-1975-05-01-4 | インド | 1975年05月01日 | 1970年代 | 1974/75年度の物価上昇率は23%―1974/75年度の平均卸売物価指数は前年比23.3%となり,前年の上昇率22.6%を上回った。品目別では食料品23%(前年23.4%),製品23.6%(同16.3%),工業原材料9.3%(同46.6%)となっている。 |
DIA-302-1975-05-02-1 | インド | 1975年05月02日 | 1970年代 | ガンディー首相,アメリカがパキスタンに武器を供給するという政策にもかかわらず,インドはアメリカとの友好関係を維持したいと語る。また,インドシナ問題に関する米印間の違いはアプローチの違いであり,インド自体が共産化すべきでないという考えは不変であると述べる。 |
DIA-302-1975-05-02-2 | インド | 1975年05月02日 | 1970年代 | CPMのジョティ・バス,西ベンガルの現状では,同党は選挙に参加できないと語る。 |
DIA-302-1975-05-02-3 | インド | 1975年05月02日 | 1970年代 | 鉄鋼省は鉄鋼の供給が改善したため,全品目の販裾統制を撤廃した。 |
DIA-302-1975-05-03-1 | インド | 1975年05月03日 | 1970年代 | J.P.,ビハール州のコミュニティ開発区587のうち300にジャナタ・サルカル(人民政府)がつくられると語る。 |
DIA-302-1975-05-03-2 | インド | 1975年05月03日 | 1970年代 | UNI通信,ナガ・ミゾ・チッタゴンのチャクマ,ビルマのカチン,チン間で独立国を作ろうとする動きを中国が支持していると語る。 |
DIA-302-1975-05-05-1 | インド | 1975年05月05日 | 1970年代 | 会議派,四つの補欠選挙(州議会)で勝つ。マディア・プラデシ3議席,マハーラーシュトラ1議席。 |
DIA-302-1975-05-05-2 | インド | 1975年05月05日 | 1970年代 | ドルガプール特殊鋼工場のマネージャーが辞任―HSLのドルガプール特殊鋼工場のゼネラル・マネージャーのB.Tulpule氏は辞表を提出した。理由は明らかにされていないが,工場の経営権に対するSteel Authorityの干渉に対する不満によるものとみられており,ルールケラ,ビライのゼネラル・マネージャーも辞表を出すものとみられている。 |
DIA-302-1975-05-06-1 | インド | 1975年05月06日 | 1970年代 | グジャラート州のジャナタ・フロント(人民戦線),共通選挙網領発表。 |
DIA-302-1975-05-06-2 | インド | 1975年05月06日 | 1970年代 | スブラマニアム蔵相,ソ連国家銀行は,74年3月から75年3月までの間に,ルピー・ルーブル間為替レートを13回変更と語る。 |
DIA-302-1975-05-06-3 | インド | 1975年05月06日 | 1970年代 | 配当制限の修正法が下院を通過―配当制限を緩和するCompanies(restriction on dividends)Actが下院を通過した。これにより制限以上の配当ができるが,超過分は1976年7月5日以降2回に分けて支払われる。 繰延べられた配当金に対して8%はの利子が支払われる。 |
DIA-302-1975-05-07-1 | インド | 1975年05月07日 | 1970年代 | サクスビー米大使,禁輸解除以降もパキスタン向け武器売却は行なわれていないと語る。 |
DIA-302-1975-05-08-1 | インド | 1975年05月08日 | 1970年代 | 政府,治安維持法改正案提出延期に合意。 |
DIA-302-1975-05-09-1 | インド | 1975年05月09日 | 1970年代 | CPMのE.M.S.ナンブーディリパド,J.P.運動は「独裁的ファシスト的支配」に抵抗するブルジョア反対派の現象であると語る。 |
DIA-302-1975-05-10-1 | インド | 1975年05月10日 | 1970年代 | B.レディ内相,州首相に対し,治安維持法の適用の際,乱用にわたらないようチェックすることを要請。 |
DIA-302-1975-05-12-1 | インド | 1975年05月12日 | 1970年代 | チャバン外相,ニューヨークで,アメリカの対パ武器禁輸解除には反対であるが,それが米印関係改善の障害ではないし,フォード大統領への訪印の招待状は生きていると語る。 |
DIA-302-1975-05-12-2 | インド | 1975年05月12日 | 1970年代 | 西ベンガル州政府,Engel India Machine and Tools Ltd,の経営権を接収―西ベンガル州政府は工作機械,ダイカスト機械メーカーのEngel India Machine and Tools Ltd.の経営権を接収した。また,中央政府はカルカッタにあるGluconate Limitedの経営権接収を考慮中。いずれも経営不振で現在閉鎖中。 |
DIA-302-1975-05-13-1 | インド | 1975年05月13日 | 1970年代 | ヴィノーバ・バーベは,全インド・サルバ・セバ・サンガとの関係を断ったといわれる。 |
DIA-302-1975-05-13-2 | インド | 1975年05月13日 | 1970年代 | 南ベトナム臨時革命政府のヴォ・ハイ・ヒエン代理大使着任。 |
DIA-302-1975-05-13-3 | インド | 1975年05月13日 | 1970年代 | 東独から肥料18万トンを輸入―MMTCは今財政年度中に18万トンの肥料を輸入する契約を東独と結んだ。これでMMTCがルピー払い地域との肥料輸入契約量は95万7000トンになった。 |
DIA-302-1975-05-15-1 | インド | 1975年05月15日 | 1970年代 | タミル・ナード,電力カットを緩和―タミル・ナードは全産業に対する電力供給カット率を75%から60%へ,重要産業への供給カット率を40%から30%に緩和した。 |
DIA-302-1975-05-15-2 | インド | 1975年05月15日 | 1970年代 | 上空飛行問題に関する印パ会談,デリーで始まる。 |
DIA-302-1975-05-16-1 | インド | 1975年05月16日 | 1970年代 | シッキム,正式にインドへ編入される。 |
DIA-302-1975-05-17-1 | インド | 1975年05月17日 | 1970年代 | CPMのE.M.S.ナンブーディリパド,40年代のイタリア,ドイツのファシズムを思い出させるあらゆる特徴が,現在のインド政府に現われていると語る。 |
DIA-302-1975-05-18-1 | インド | 1975年05月18日 | 1970年代 | グジャラート州会議派,選挙綱領発表,安定か混乱かを問いかける。 |
DIA-302-1975-05-18-2 | インド | 1975年05月18日 | 1970年代 | インフレで郵便貯金残高の伸び減少―ナショナル・セイヴィング・コミッショナーの報告書によれば,インフレのため1974/75年の純預金増加高は31億ルピーで目標の36億ルピーを5億ルピー下回った。 |
DIA-302-1975-05-19-1 | インド | 1975年05月19日 | 1970年代 | 上空飛行に関する印パ会議,合意に達せず。 |
DIA-302-1975-05-20-1 | インド | 1975年05月20日 | 1970年代 | ケワル・シン外務次官,パキスタンのアガ・シャヒ外務次官に対し,インド・パキスタン両国の非侵略条約を提案し,核能力を平和目的以外に使うのではないかという懸念をなくそうと試みたといわれる。 |
DIA-302-1975-05-20-2 | インド | 1975年05月20日 | 1970年代 | 大統領,ナガランド州議会解散。 |
DIA-302-1975-05-20-3 | インド | 1975年05月20日 | 1970年代 | ポンベイ・ハイの5号井も有望―4号井の南40キロの地点で地下1500メートルに達した5号井は炭火水素の存在がきわめて有望となったため,ONGCはこれ以上の掘削を中止し,6号井の掘削,に着手することになった。 |
DIA-302-1975-05-20-4 | インド | 1975年05月20日 | 1970年代 | 政府は民間会社の海外起債を独立後はじめて承認した。 |
DIA-302-1975-05-21-1 | インド | 1975年05月21日 | 1970年代 | アンドラ・プラデシ州グントゥールで30人のナクサライト,警察を襲撃。 |
DIA-302-1975-05-21-2 | インド | 1975年05月21日 | 1970年代 | CITU(CPM系労組)第3回大会,B.T.ラナディベ議長,政府の賃金凍結政策反対を訴える。 |
DIA-302-1975-05-21-3 | インド | 1975年05月21日 | 1970年代 | トリプラ州でCPMの州議会議員6名,治安維持法で拘留される。 |
DIA-302-1975-05-22-1 | インド | 1975年05月22日 | 1970年代 | 1974/75年の輸出は322億ルピー1974/75年の輸出は前年の238.4億ルピーに比べて28%増の322億ルピーとなった。一方,輸入は48%増。 |
DIA-302-1975-05-22-2 | インド | 1975年05月22日 | 1970年代 | イラン,鉄鉱石代金2.5億ドル前払い―イランはクドレムク鉱山の鉄鉱石輸入のための代金2.5億ドルの前払いを決めた。イランはクドレムク鉱山の開発に総額6.3億ドルの融資をする。融資条件は金利2.5%,返済31年。鉄鉱石の輸出は1979年末までに開始される予定。 |
DIA-302-1975-05-22-3 | インド | 1975年05月22日 | 1970年代 | J.P.,ナクサライトの指導者に対し,「総体的革命」に参加するよう呼びかけるとともに,警察と地主がグルとなって農業労働者の正当な要求を抑えていると非難。 |
DIA-302-1975-05-23-1 | インド | 1975年05月23日 | 1970年代 | 西ベンガル州会議派総裁A.モイトラ,州党内で派閥抗争が激化していることを公然と認める・ |
DIA-302-1975-05-24-1 | インド | 1975年05月24日 | 1970年代 | ネパールのK.R.マリヤル外相,インドはネパールの「平和地域」構想に答えるべきであると語る。 |
DIA-302-1975-05-24-2 | インド | 1975年05月24日 | 1970年代 | グジャラートのウンジャでガンディー首相,投石される(翌25日にも,ブローチ地区で投石される)。 |
DIA-302-1975-05-24-3 | インド | 1975年05月24日 | 1970年代 | J.P.,ビハールのJ.ミシュラ新内閣はガフール前内閣より,「人民運動」に対して抑圧的であると語る。 |
DIA-302-1975-05-25-1 | インド | 1975年05月25日 | 1970年代 | アーメッド大統領,インドネシア公式訪問に出発。 |
DIA-302-1975-05-26-1 | インド | 1975年05月26日 | 1970年代 | S.B.チャバン・マハーラーシュトラ州首相,州公務員の物価手当を中央政府並みにするという要求を原則的に認めたため,37日間のスト中止。 |
DIA-302-1975-05-26-2 | インド | 1975年05月26日 | 1970年代 | 印ソ貿易会談。 |
DIA-302-1975-05-27-1 | インド | 1975年05月27日 | 1970年代 | インドネシア訪問中のアーメッド大統領,スハルト大統領と会談。 |
DIA-302-1975-05-27-2 | インド | 1975年05月27日 | 1970年代 | K.D.マラビヤ石油化学相,外資系薬品企業の国有化を否定。 |
DIA-302-1975-05-27-3 | インド | 1975年05月27日 | 1970年代 | チャバン外相,エジプト訪問。 |
DIA-302-1975-05-28-1 | インド | 1975年05月28日 | 1970年代 | チャバン外相,ファーミ外相と会談。軍需生産面での協力を話し合ったといわれる。 |
DIA-302-1975-05-28-2 | インド | 1975年05月28日 | 1970年代 | 北部ベンガルで,ユース・コングレスとチャートラ・パリシャドによる,州政府の公約実現を迫るバンド。 州会議派内の対立公然化。 |
DIA-302-1975-05-28-3 | インド | 1975年05月28日 | 1970年代 | トリプラで日産8万立方メートルのガス田を発見―マラビヤ石油・化学相はトリプラのBarmuraで日産8万立方メートルのガス田を発見したと発表した。 |
DIA-302-1975-05-29-1 | インド | 1975年05月29日 | 1970年代 | チャバン外相,インドはエジプトと核協力に関する話合いを始めるだろうと語る。 |
DIA-302-1975-05-29-2 | インド | 1975年05月29日 | 1970年代 | ジョティ・バス,グジャラート州選挙で必要ならば野党に「支持」を与えると述べる。 |
DIA-302-1975-05-30-1 | インド | 1975年05月30日 | 1970年代 | 政府,当面肥料輸入の新規契約中止。 |
DIA-302-1975-05-30-2 | インド | 1975年05月30日 | 1970年代 | S.セングプタ・トリプラ州首相,同州でミゾ反乱軍の活動活発化と述べる。 |
DIA-302-1975-05-30-3 | インド | 1975年05月30日 | 1970年代 | サクスビー米大使,インドが核実験を続けても,米印関係を深刻に脅かすことはないと述べる。 |
DIA-302-1975-06-01-1 | インド | 1975年06月01日 | 1970年代 | T.N.ライナ,陸軍総司令官となる。 |
DIA-302-1975-06-01-2 | インド | 1975年06月01日 | 1970年代 | HMTは1974/75年度に会社はじまって以来の純利益(5000万ルピー)をあげた。 |
DIA-302-1975-06-02-1 | インド | 1975年06月02日 | 1970年代 | ミゾ民族戦線書記長R.K.トナンが降伏。 |
DIA-302-1975-06-03-1 | インド | 1975年06月03日 | 1970年代 | パキスタン綿の最初の入荷分が3日,バヴナガルに到着し,6月7日までにボンベイに荷揚げされる。 |
DIA-302-1975-06-04-1 | インド | 1975年06月04日 | 1970年代 | オリッサ河川局が河川汚染で製紙工場に罰金―オリッサ河川局はTitaguhur Paper Millが規定量以上の汚水を川に排出していると2万ルピーの罰金を課した。汚水が規定量に下がるまで毎日5000ルピーの罰金が課せられる。 |
DIA-302-1975-06-05-1 | インド | 1975年06月05日 | 1970年代 | J.P.,カルカッタの大集会で演説―その後,野党会議派のP.C.セン,CPMのジョティ・バスらとともにデモ行進。 |
DIA-302-1975-06-05-2 | インド | 1975年06月05日 | 1970年代 | 機械類の輸出促進助成措置―政府は5日,エンジニアリング・アイテムの輸出促進助成措置を発表した。新措置には,輸出産業にあらゆる原材料を優先供給する,アドヴァンス・ライセンスの場合には原材料輸入に関税をかけない,輸出契約に長期的保障を与える,輸出義務不履行に対する処罰をゆるめるなどである。 |
DIA-302-1975-06-06-1 | インド | 1975年06月06日 | 1970年代 | 印ソ経済関係を検討する閣僚レベルの3人委員会結成される―P.N.ハクサル,T.A.パイ,D.P.チャトパダヤ。 |
DIA-302-1975-06-06-2 | インド | 1975年06月06日 | 1970年代 | 西ベンガル州のバリア,ガジプール地区でナクサライトの活動活発化が伝えられる。 |
DIA-302-1975-06-07-1 | インド | 1975年06月07日 | 1970年代 | ジャンガル・サンタールら獄中のナクサライト,J.P.運動支持の署名を行なう。 |
DIA-302-1975-06-07-2 | インド | 1975年06月07日 | 1970年代 | カルカッタでS.S.ライ州首相自らが指導する反J.P.の大デモ。特にCPMを非難。 |
DIA-302-1975-06-08-1 | インド | 1975年06月08日 | 1970年代 | グジャラート州議会選挙(一部は11日に行なわれる)。 |
DIA-302-1975-06-09-1 | インド | 1975年06月09日 | 1970年代 | インドとルーマニア,リビアでの石油探査での協力に合意。 |
DIA-302-1975-06-10-1 | インド | 1975年06月10日 | 1970年代 | シッキムのK.L.ドルジ首相,訪印。 |
DIA-302-1975-06-10-2 | インド | 1975年06月10日 | 1970年代 | オリッサ州の旱ばつで1200万人に被害―オリッサ州は州の約3分の2が旱ばつに襲われており,1200万人の人が被害を受けている。 |
DIA-302-1975-06-12-1 | インド | 1975年06月12日 | 1970年代 | アラハバード高裁J.L.シンハ判事,71年総選挙に関してガンディー首相が訴えられていた選挙違反事件で有罪判決を下す。 当選無効で国会の下院議席はく奪,6年間の公職被選挙権はく奪,ただし20日間の執行猶予。 有罪理由は,公務員を選挙運動に使用したなどというもの。 |
DIA-302-1975-06-12-2 | インド | 1975年06月12日 | 1970年代 | J.ラム農相,Y.B.チャバン外相ら,ガンディー首相の地位にとどまることを支持。会議派国会議員,州首相ら次々とガンディー首相支持声明を出す。一方,CPIを除く野党は,一斉にガンディー首相の辞任を要求。 |
DIA-302-1975-06-12-3 | インド | 1975年06月12日 | 1970年代 | D.P.ダール駐ソ大使,デリーで死去。 |
DIA-302-1975-06-12-4 | インド | 1975年06月12日 | 1970年代 | グジャラート州議会議員選挙で会議派,野党の「ジャナタ・フロント」に大敗したことが判明。 選挙結果 「ジャナタ・フロント」 86議席 内訳 野党会議派 56 ジャン・サン 18 BLD 2 SP 2 ナショナル・レーバー・パーティ 1 無所属 7 会議派 75議席 KMLP 13 無所属 7 (取消し) 1 計 182 |
DIA-302-1975-06-13-1 | インド | 1975年06月13日 | 1970年代 | 世銀,第2世銀は1975年6月末で終わる1年間にインドに8億4000万ドルの融資を行なった。 |
DIA-302-1975-06-13-2 | インド | 1975年06月13日 | 1970年代 | ガンディー首相,キューバ・メキシコ訪問中止。 |
DIA-302-1975-06-15-1 | インド | 1975年06月15日 | 1970年代 | ボルーア会議派総裁,最高裁の判決があるまでガンディー首相は辞任しないという声明文を発表。 |
DIA-302-1975-06-16-1 | インド | 1975年06月16日 | 1970年代 | CPIを除く野党指導者,アーメッド大統領と会い,ガンディー首相の解任を要求。アーメッド大統領,野党の要求を拒否。 |
DIA-302-1975-06-18-1 | インド | 1975年06月18日 | 1970年代 | グジャラート州で「ジャナタ・フロント」州政府成立。州首相は野党会議派のバブバイ・チナイ。KM:LPは閣外支持にまわる。 |
DIA-302-1975-06-18-2 | インド | 1975年06月18日 | 1970年代 | 会議派国会議員総会が開かれ,ガンディー首相の指導に対する支持を改めて表明―J.ラム農相が決議案を提出,チャバン外相が賛成し,決議等は拍手をもって採択された。451人が出席したが,欠席者はチャンドラシェカルら少数。 |
DIA-302-1975-06-18-3 | インド | 1975年06月18日 | 1970年代 | 米大統領は議会に対して1億5200万ドルの対印援助を要請した。 |
DIA-302-1975-06-18-4 | インド | 1975年06月18日 | 1970年代 | ブルガリアはインドから総額1500万ドルのボギー車300台を買うことに同意した。 |
DIA-302-1975-06-19-1 | インド | 1975年06月19日 | 1970年代 | 20日に予定されているCPM系8党フロントの呼びかけたバンドに備え,2000人が拘禁された。 |
DIA-302-1975-06-19-2 | インド | 1975年06月19日 | 1970年代 | ガンディー首相,彼女の生命に脅威があるからといって,急進的政策を変更するわけにはいかないと語る。 |
DIA-302-1975-06-20-1 | インド | 1975年06月20日 | 1970年代 | ガンディー首相,アラハバード高裁判決に対して,最高裁判所に上告,執行猶予延長要請も行なう。 |
DIA-302-1975-06-20-2 | インド | 1975年06月20日 | 1970年代 | ニューデリーで,AICC主催によるガンディー首相への信認を表明する数十万人規模の大衆集会が開かれる―ガンディー首相は,当面の問題はガンディー首相の推しすすめようとする政策の遂行と反動勢力との闘いであると演説。 |
DIA-302-1975-06-20-3 | インド | 1975年06月20日 | 1970年代 | カルカッタでCITU,UTUCなど労組の呼びかけによるバンド―刈分小作,農業労働者らへの解雇手当,治安維持法,非常事態宣言の撤回,低価格の食糧供給を要求。 |
DIA-302-1975-06-21-1 | インド | 1975年06月21日 | 1970年代 | FICCI代表団,ガンディー首相を訪問し,財界のガンディー首相信認を表明した。 |
DIA-302-1975-06-21-2 | インド | 1975年06月21日 | 1970年代 | タイから米10万トンを輸入―政府はG-Gベースでタイから米10万トンを輸入する契約を結び,3万トンが8月に入荷する。これは米の生産が低下したタミル・ナード,オリッサ州に供給するため。 |
DIA-302-1975-06-22-1 | インド | 1975年06月22日 | 1970年代 | デリーで野党の組織する大規模なガンディー首相辞任要求の大衆集会が開かれる。 |
DIA-302-1975-06-23-1 | インド | 1975年06月23日 | 1970年代 | J.P.「ジャナタ・フロント」の5党の指導者と会い,現在の状況は統一行動を求めていると強調した。 |
DIA-302-1975-06-24-1 | インド | 1975年06月24日 | 1970年代 | 最高裁,条件付き執行猶予を決定―最高裁の休暇判事V.R.クリシュナ・アイヤルはガンディー首相に対し,判決を伝えた。その内容は,「上告審の判決が出るまで,条件つきで高裁判決の執行猶予延長を認める。ガンディー首相の地位を保持することには法的妨げはない。下院議員としてではなく,首相として国会に出席できるが,投票権はない。 |
DIA-302-1975-06-24-2 | インド | 1975年06月24日 | 1970年代 | 最高裁判決に対しての反応。 会議派:議会理事会は決議を採択し,ガンディー首相への完全な信認を表明。 CPI:中央書記局は,「ガンディー首相は右翼反動の恐喝に屈するべきではなく,首相の地位にとどまるべきである」とする見解を表明。 「ジャナタ・フロント」:J.P.も参加して決議を採択し,「ガンディー首相が辞任しなければ,サッチャグラハを含む全国的運動を展開して辞任に追い込む」と表明。 |
DIA-302-1975-06-26-1 | インド | 1975年06月26日 | 1970年代 | 野党指導者大量逮捕―インド警察当局,治安維持法を発動して,CPIを除く野党指導者の大量逮捕にふみ切る。逮捕された者。 J.P.会議派(O)総裁アショーカ・メータ(Asoka Mehta),モラルジ・デサイ,BLD総裁チャラン・シン,同党書記長ピロー・モディ(Piloo Mody),ガンディー首相を訴えた同党指導者ラージ・ナライン,ジャン・サン総裁L.K.アドバニ,同党国会議員A.B.ヴァジュパイエ(Vajpayee),ジャン・サン機関紙マザーランド(Motherland)編集長K.R.マルカニ(Malkani),CPMの国会議員ジョティルモイ・ボス(Jyotirmoy Bosu)ら野党指導者,会議派執行委員のチャンドラシェカル,会議派国会議員団書記長ラム・ダーン。 |
DIA-302-1975-06-26-2 | インド | 1975年06月26日 | 1970年代 | アーメッド大統領は,国内混乱がインドの安全を脅かしているとの理由で,インド全土に非常事態を宣言した。 インド政府は非常事態宣言の一環として,内外の全報道機関に対し,事前検閲の実施を開始した。 |
DIA-302-1975-06-26-3 | インド | 1975年06月26日 | 1970年代 | 最高裁上告の際のガンディー首相弁護人,N.A.パルキワラ辞任。 |
DIA-302-1975-06-26-4 | インド | 1975年06月26日 | 1970年代 | マハーラーシュトラ州は電力供給カット率を54%から12~15%に引下げると発表した。 |
DIA-302-1975-06-27-1 | インド | 1975年06月27日 | 1970年代 | ガンディー首相,放送を通じて演説。「J.P.ナーラーヤン氏の運動は,背後にRSSやナクサライト,マルクス主義派共産党などあらゆる勢力が控えており,国外からそそのかされたものだと思う。RSSはジャン・サンの重要な一翼でナチの方法を使っていた」として,J.P.を中心とする野党の反政府運動に対して激しい攻撃を浴びせた。また,「野党各党はゼネストや座り込みストを計画し,労働者や警察官にも職場を放棄するように扇動していた。ある指導者は軍隊にも命令に従わないように呼びかけていた」と述べた。 |
DIA-302-1975-06-27-2 | インド | 1975年06月27日 | 1970年代 | ソ連共産党機関紙プラウダはインドの非常事態宣言について初めて論評し,「これは国内の政情が紛糾した結果であり,民主主義勢力と反動勢力の闘争が激化していることを示している」と指摘するとともに,「インド政府の諸措置は進歩的な業績を守り,反動勢力の計画を失敗させることをねらったものである」として,ガンディー首相の措置を支持。 |
DIA-302-1975-06-27-3 | インド | 1975年06月27日 | 1970年代 | 新華社電,インドの非常事態宣言を論評。「これはブルジョア民主主義の手厳しい無視であるばかりか,インディラ・ガンディーの不安定で,弱い立場を暴露したものである。インドの政治情勢はインディラ・ガンディー政府が抑圧的措置をとった結果,ますます不穏になるだろう」と伝える。 |
DIA-302-1975-06-27-4 | インド | 1975年06月27日 | 1970年代 | イギリスはインドと6億7230万ルピーを贈与する協定を結んだ。 |
DIA-302-1975-06-27-5 | インド | 1975年06月27日 | 1970年代 | アメリカの政府筋によれば,キッシンジャー国務長官はインドの事態に関してノー・コメントを部下に指示。 |
DIA-302-1975-06-27-6 | インド | 1975年06月27日 | 1970年代 | デリーの主要紙が「電力カット」により一斉休刊した。 |
DIA-302-1975-06-28-1 | インド | 1975年06月28日 | 1970年代 | アーメッド大統領は,非常事態に関する憲法359条1項に基づき,全国民に対し,国民の基本的人権の一部停止を行なうと布告した。これは外国人にも適用される。この大統領布告により,国内治安維持法によって拘禁されている人たちは,裁判に救済を求める権利が停止されることになった。 |
DIA-302-1975-06-28-2 | インド | 1975年06月28日 | 1970年代 | 内閣改造。 ・V.C.シュクラ計画担当相は情報・放送担当相へ。 ・I.K.グジュラル情報・放送担当相は計画担当相へ。 |
DIA-302-1975-06-28-3 | インド | 1975年06月28日 | 1970年代 | 対印債権国会議,1975/76年度の援助目標を決めず―パリで開かれた対印債権国会議は1975/76年度の援助目標を決めなかったが,コミュニケは前年の実績よりも多くすることをうたっている。 |
DIA-302-1975-06-29-1 | インド | 1975年06月29日 | 1970年代 | 治安維持法,大統領令で改正される―拘禁される者に,その根拠を示さなくてよいことになった。 |
DIA-302-1975-07-01-1 | インド | 1975年07月01日 | 1970年代 | ガンディー首相,20項目の経済プログラムを発表―ガンディー首相は,弱者の救済,ブラック・マネーと密輸の取締り,必需品の増産,所得税免税点の引上げなどを内容とする20項目の経済改革(re-structuring the economy)プログラムを発表した。 |
DIA-302-1975-07-02-1 | インド | 1975年07月02日 | 1970年代 | ビハール州で,ナクサライトが4人殺され,5人逮捕される。 |
DIA-302-1975-07-02-2 | インド | 1975年07月02日 | 1970年代 | 1974/75年度貿易収支赤字は110億ルピー1974/75年度の輸出は29%増の325.3億ルピー,一方輸入は434.9億ルピーで貿易収支は109.6億ルピーの赤字となった。 |
DIA-302-1975-07-02-3 | インド | 1975年07月02日 | 1970年代 | 1974年の労働日損失は3162.5万人日で,西ベンガルが約3分の1の1154.3万人日を占めている。 |
DIA-302-1975-07-02-4 | インド | 1975年07月02日 | 1970年代 | 中央銀行は対ポンド・レートを18.75ルピーから18.55ルピーに切上げた。 |
DIA-302-1975-07-03-1 | インド | 1975年07月03日 | 1970年代 | CPI中央委員会,非常事態宣言支持の声明を発表―「ガンディー首相のす早く機敏な処置は,右翼反動と反革命勢力に対決するため,必要であり正当なものであった」。 |
DIA-302-1975-07-04-1 | インド | 1975年07月04日 | 1970年代 | MP州スルグジャ・ディストリクトで埋蔵量8億トンのボーキサイトを発見した。 |
DIA-302-1975-07-04-2 | インド | 1975年07月04日 | 1970年代 | 政府はインド防衛法を発動して,アーナンド・マルグ,RSS,ジャマーティ・イスラム,ナクサライト系グループなど26団体を非合法化。 |
DIA-302-1975-07-04-3 | インド | 1975年07月04日 | 1970年代 | INTUC,AITUC,HMSの代表,R・レディ労相と個別に会い,生産増強と産業平和維持に協力を約束。 |
DIA-302-1975-07-04-4 | インド | 1975年07月04日 | 1970年代 | 商店,店頭に価格表示を始める。 |
DIA-302-1975-07-06-1 | インド | 1975年07月06日 | 1970年代 | 中央政府,州政府に対して,土地改革の促進を要望。 |
DIA-302-1975-07-07-1 | インド | 1975年07月07日 | 1970年代 | ガンディー首相,財界団体(FICCI,ACC,AIMO)の代表と会談―ロック・アウト,レイ・オフ,解雇に訴えないよう要請。 |
DIA-302-1975-07-08-1 | インド | 1975年07月08日 | 1970年代 | ラージ・ナライン,最高裁にガンディー首相を再び告発。 |
DIA-302-1975-07-09-1 | インド | 1975年07月09日 | 1970年代 | パブリック・セクター企業の生産目標を10%アップ―重工業・供給省の管轄下のパブリック・セクター企業の本年度生産目標は当初計画よりも10%アップされた。 |
DIA-302-1975-07-09-2 | インド | 1975年07月09日 | 1970年代 | ガンディー首相,国民に規律の強化を呼びかけるとともに,西欧式の自由はインドの政治的風土には適合しないとの考えを強く示唆。 |
DIA-302-1975-07-10-1 | インド | 1975年07月10日 | 1970年代 | 鉄鋼と石炭の価格を値上げ―政府は7月1日にさかのぼって鉄鋼と石炭の価格をぞれそれトン当り17.50ルピー,80ルピー引上げると発表した。 |
DIA-302-1975-07-11-1 | インド | 1975年07月11日 | 1970年代 | ヒンディー語映画「アーンディ」の上映禁止。 |
DIA-302-1975-07-12-1 | インド | 1975年07月12日 | 1970年代 | ソ連大使V.F.マルツェフ,D.P.ダール元駐ソ大使追悼集会で,インド政府の政策は国内の社会経済的仕事を最も速く解決することをねらったもの,と称賛。 |
DIA-302-1975-07-16-1 | インド | 1975年07月16日 | 1970年代 | 大統領令で治安維持法改正―外国人も裁判なしで2年間,投獄できる。 |
DIA-302-1975-07-17-1 | インド | 1975年07月17日 | 1970年代 | Y.B.チャバン外相,ブータン訪問。 |
DIA-302-1975-07-17-2 | インド | 1975年07月17日 | 1970年代 | 肥料価格を引下げ,流通マージンを上げる―政府は国産と輸入肥料の価格を引下げ,流通マージンを引上げることに決定した。引下げ幅はトン当り尿素150ルピー,DAP200ルピー,カルシウム・アンモニウム・ニトレイト85ルピー,muriate of potash50ルピー,アンモニウム・ニトロ・フオスフェイト75ルピーである。流通マージンは約40%引上げられた。 |
DIA-302-1975-07-20-1 | インド | 1975年07月20日 | 1970年代 | 株価が新経済措置を好感して7月1日以来連騰―エコノミック・タイムズ株価指数は新経済措置を好感して7月1日以来連騰し,V字型の反騰を示している。 |
DIA-302-1975-07-21-1 | インド | 1975年07月21日 | 1970年代 | 国会開催される―J.ラム農相,非常事態宣言承認を要請。「何故,非常事態宣言が出されたか」という公式文書が議会に提出された。 |
DIA-302-1975-07-22-1 | インド | 1975年07月22日 | 1970年代 | 上院,非常事態宣言を追認―133票対33票の大差。CPIを除く野党の議員たちは直ちに議場から退場し,残りの審議には加わらないと宣言。 |
DIA-302-1975-07-22-2 | インド | 1975年07月22日 | 1970年代 | 新所得税率表は以下の通り。 |
DIA-302-1975-07-23-1 | インド | 1975年07月23日 | 1970年代 | 下院,非常事態宣言を336票対59票で追認―CPIを除く野党,退場して政府に抗議する声明を発表。 |
DIA-302-1975-07-23-2 | インド | 1975年07月23日 | 1970年代 | 憲法改正案(第38次),下院を342票対1票で通過一各級裁判所は,非常事態宣言の当否について審理できないとするもの。 |
DIA-302-1975-07-23-3 | インド | 1975年07月23日 | 1970年代 | 産業ガイドライン1975/76年が発表され,33業種がライセンス発給停止業種に含められ,44業種の拡張が認められることになった。 |
DIA-302-1975-07-24-1 | インド | 1975年07月24日 | 1970年代 | 非常事態宣言後1週間の物価動向―1975年7月5日が終わる1週間の卸売物価指数は,前週に比べて0.56%下落した。これは主として穀物々が6ポイント下がったことによるものである。工業原材料は9ポイント,中間材は0.8ポイント下落したが,製造品は1.2ポイント,完成品は1.9ポイント,燃料は22ポイント上がった。 |
DIA-302-1975-07-25-1 | インド | 1975年07月25日 | 1970年代 | 政府,国会開期31日まで延長を発表。 |
DIA-302-1975-07-25-2 | インド | 1975年07月25日 | 1970年代 | 1974/75年の国民所得成長率は2%―1974/75年の国民所得成長率は約2%との暫定発表が計画委員会からなされた。1973/74年の成長率は3.1%で4次計画期間の年平均成長率は約3%。 |
DIA-302-1975-07-26-1 | インド | 1975年07月26日 | 1970年代 | U.P.州でI.A.S.を含む高級官僚19人,綱紀引き締めの一環として解雇される。 |
DIA-302-1975-07-27-1 | インド | 1975年07月27日 | 1970年代 | IMFは1975年のオイル・ファシリティーからインドが2億SDRを引出すことを承認した。 |
DIA-302-1975-07-29-1 | インド | 1975年07月29日 | 1970年代 | インド,インドネシア外相会談終る。新貿易条約調印に合意。 |
DIA-302-1975-07-30-1 | インド | 1975年07月30日 | 1970年代 | 朝鮮民主主義共和国のホー・ダム外相訪印,チャパン外相と会談―チャバン,北朝鮮訪問の招待を受ける。ホー外相,金日成のガンディー首相あてメッセージを持参。 |
DIA-302-1975-07-31-1 | インド | 1975年07月31日 | 1970年代 | 輸出市場開拓のための旅行用外貨制限を緩和―外貨の制限が緩和された点は事務所あるいは支店のあるところも認められること,代表が技術アドバイザーまたは財務アドバイザーを帯同できることである。 |
DIA-302-1975-08-02-1 | インド | 1975年08月02日 | 1970年代 | ソ連にアルミナ2.2万トンを輸出―パブリック・セクターのバーラト・アルミニウム社はソ連と2.2万トン(約1000万ルピー)のアルミナの輸出契約を結んだ。8,9月中に船積み。 |
DIA-302-1975-08-02-2 | インド | 1975年08月02日 | 1970年代 | ミシュラ鉄道相暗殺犯人を逮捕―CBIはミシュラ鉄道相暗殺犯人を逮捕したと発表した。犯人は非合法化されたアーナンド・マルグに所属している。 |
DIA-302-1975-08-04-1 | インド | 1975年08月04日 | 1970年代 | 最高裁弁護士のR.DwivediはA.Nレイ最高哉長官の車に爆弾を投げた疑いでアーナンド・マルグのメンバー3人とともに逮捕された。 |
DIA-302-1975-08-05-1 | インド | 1975年08月05日 | 1970年代 | ガンディー首相が輸出促進を訴える―ガンディー首相はBoard of tradeの特別会議で10~12%の輸出成長目標を達成するため努力するようにメーカー,商社に訴え,輸出ライセンスの廃止,手続の簡素化を約束した。 |
DIA-302-1975-08-06-1 | インド | 1975年08月06日 | 1970年代 | ヴァルギース編集局長にマグサイサイ賞―1975年のマグサイサイ賞(ジャーナリズム,文学,創造的コミュニケーション部門)がヒンドスタン・タイムズ紙のヴァルギース編集局長に授与された。ヴァルギースはインドのシッキム併合を批判したことで知られている。 |
DIA-302-1975-08-06-2 | インド | 1975年08月06日 | 1970年代 | 商務省は190品目の輸出ライセンスを廃止すると発表した。 |
DIA-302-1975-08-07-1 | インド | 1975年08月07日 | 1970年代 | 7月のモンスーンは全国的に順調で各地で予定通りに田植えが進んでいる。 |
DIA-302-1975-08-07-2 | インド | 1975年08月07日 | 1970年代 | 7月の販売用鉄鋼生産量は前月比20%の増産となった。 |
DIA-302-1975-08-11-1 | インド | 1975年08月11日 | 1970年代 | ビハールの洪水で700万人が被災―ガンジス川の氾濫でビハール州の三つのディストリクトの2300力村が浸水し,被災者は700万人にのぼっている。 |
DIA-302-1975-08-11-2 | インド | 1975年08月11日 | 1970年代 | 首相の指示による輸出許可規則の改正で140余品目の輸出が自由化された。 |
DIA-302-1975-08-12-1 | インド | 1975年08月12日 | 1970年代 | ONGCは西ベンガル州24パルガナスのバクルタラで石油の試掘をはじめた。 |
DIA-302-1975-08-14-1 | インド | 1975年08月14日 | 1970年代 | F.A.アーメッド大統領は独立記念日前夜のラジオ放送で非常事態宣言は国を混乱から救ったと述べた。 |
DIA-302-1975-08-17-1 | インド | 1975年08月17日 | 1970年代 | J.ミシュラ・ビハール州首相は事務能率向上のため91人の上級職員を強制退職させたと述べた。 |
DIA-302-1975-08-18-1 | インド | 1975年08月18日 | 1970年代 | バングラデシュは印バ国境を閉鎖し,インド側は警戒を厳重にした。 |
DIA-302-1975-08-18-2 | インド | 1975年08月18日 | 1970年代 | 会議派所属の州首相が土地改革の進捗情況について討議―会議派が政権についている州の首相と歳入相は土地改革の進捗情況についてデリーで討議し,形式だけの土地譲渡による法的抜け穴を封じることを決定した。 |
DIA-302-1975-08-18-3 | インド | 1975年08月18日 | 1970年代 | 石炭とコークスの価格が統制価格を下回る―マハーラーシュトラ州では供給が増加したため,石炭とコークスの価格が統制価格を下回るようになった。 |
DIA-302-1975-08-19-1 | インド | 1975年08月19日 | 1970年代 | 会議派所属の州首相,歳入相はゴーカレー法相と会い,土地改革,とくに土地保有制限に対する異議申立て訴訟を拒絶するように憲法改正をすることで意見の一致をみた。 |
DIA-302-1975-08-19-2 | インド | 1975年08月19日 | 1970年代 | 事務能率向上のため,パンジャブ州では6人の上級警察職員が退職させられた。 |
DIA-302-1975-08-19-3 | インド | 1975年08月19日 | 1970年代 | トリプラ州政府は農業労働者の最低賃金を1日4ルピー,15歳以下はその3分の2と決定した。 |
DIA-302-1975-08-19-4 | インド | 1975年08月19日 | 1970年代 | 政府は生命保険公社会長のK.R.プリを中央銀行総裁に任命した。 |
DIA-302-1975-08-21-1 | インド | 1975年08月21日 | 1970年代 | 工業省は旧設備の取替,プラント・機械の近代化によって生じるエクセス・キャパシティーについては25%まで認めることを決定した。 |
DIA-302-1975-08-22-1 | インド | 1975年08月22日 | 1970年代 | アンドラでCPI(M)の党員200人がCPIに入党―アンドラ州ナルゴンダ・ディストリクトの11の村でCPI(M)の活動的な党員約200人がCPIに入党した。 |
DIA-302-1975-08-23-1 | インド | 1975年08月23日 | 1970年代 | 中央政府公務員の物価手当を9月から引上げ―消費者物価指数272までの上昇分に対する物価手当を給与に応じて35ルピーから100ルピーまで9月から引上げる。前回の引上げ時から9月までの未払い分は全額強制貯蓄され,9月の給与から引上げ分の50%が現金で支払われ,残りの50%は強制貯蓄。 |
DIA-302-1975-08-23-2 | インド | 1975年08月23日 | 1970年代 | 輸出用輸入品の関税を撤廃―政府は輸出促進のため,アドバンス・ライセンス制に基づいて輸出業者が原材料,部品,パートを輸入する際に課せられる輸入関税を免除することに決定した。これにより,輸出業者は輸入関税の払戻しを受ける手間がはぶける。 |
DIA-302-1975-08-24-1 | インド | 1975年08月24日 | 1970年代 | アンドラ州政府,公務員51人を解雇―アンドラ州政府は汚職,非能率公務員追放運動でディパートメントの長3人を含む51人を強制退職させた。 |
DIA-302-1975-08-24-2 | インド | 1975年08月24日 | 1970年代 | オリッサの洪水の死者は35人―オリッサの五つのディストリクトの洪水による死者は35人にのぼり,そのほかに32人の漁民が行方不明となっている。 |
DIA-302-1975-08-26-1 | インド | 1975年08月26日 | 1970年代 | 植物油の価格をトン当り300ルピー値下げ―植物油製造業者協会はただちに植物油(ヴァナスパティー)の価格をトン当り300ルピー値下げすることを決定した。これはSTCの輸入油の値下げに追随したものである。 |
DIA-302-1975-08-27-1 | インド | 1975年08月27日 | 1970年代 | ガンジス川とソン川の氾濫による洪水でパトナ市は大部分が水没し,陸軍と空軍が2日間にわたって救援活動を続けている。 |
DIA-302-1975-08-27-2 | インド | 1975年08月27日 | 1970年代 | チャバン外相はリマで開催されている非同盟国外相会議で新国際経済秩序と発展途上国間の相互援助に関する8項目計画を提案した。 |
DIA-302-1975-08-28-1 | インド | 1975年08月28日 | 1970年代 | 20項目実施委員会を設置―会議派はガンディー首相の20項日経済プログラムを実施するため,州,ディストリクト,タルカの三段階で委員会を設置する,必要な場合には大統領令による法律を施行する。 |
DIA-302-1975-08-30-1 | インド | 1975年08月30日 | 1970年代 | インド,パキスタンの「反インド宣伝」に抗議―インドはパキスタンの在外公館が「インドが国内危機から国民の目をそらすため,パキスタンに対する牽制行動をしている」という宣伝をしていること,パキスタンの新聞が「インドがバングラを攻撃するかもしれない」と報じたことに対して強く抗議した。 |
DIA-302-1975-08-30-2 | インド | 1975年08月30日 | 1970年代 | 中央政府は巨額の富裕税と所得税の滞納のため,ハイデラバードのニザムの宮殿を接収することに決定した。 |
DIA-302-1975-08-31-1 | インド | 1975年08月31日 | 1970年代 | トリプラ州は公共の利益のため,50~55歳の州政府公務員15人を強制退職させた。 |
DIA-302-1975-08-31-2 | インド | 1975年08月31日 | 1970年代 | 新聞用紙のストックがふえる―インドでは半年前まで不足気味であった新聞紙がだぶつき,STCはカナダ,日本からの輸入用紙4.5万トンの在庫をかかえている。在庫がふえた理由として用紙の価格が高いうえに約300紙の不定期刊行の新聞が規制実施後廃刊したことによるものである。 |
DIA-302-1975-09-01-1 | インド | 1975年09月01日 | 1970年代 | 政府は代替措置を講ずるまで,現行の現金輸出補助金制度を続けることに決定した。 |
DIA-302-1975-09-02-1 | インド | 1975年09月02日 | 1970年代 | インドはカブールで,本年度の文化協定を調印した。 |
DIA-302-1975-09-03-1 | インド | 1975年09月03日 | 1970年代 | 西ベンガル州の綿糸布の工場在庫がふえる―綿布需要が例年なら増加するプジャー・シーズンに入ったにもかかわらず,西ベンガル州の綿糸布の工場在庫は低高級品ともに増大している。6月の在庫は前年の4739ベイルに対し9500ベイルとなっている。 |
DIA-302-1975-09-03-2 | インド | 1975年09月03日 | 1970年代 | J.ミシュラ・ビハール州首相は先週の洪水による被害総額は50億ルピーにのぼると述べた。 |
DIA-302-1975-09-04-1 | インド | 1975年09月04日 | 1970年代 | インド種子公団は食糧増産のため種子用の米と小麦の価格を10%引下げることを決定した。 |
DIA-302-1975-09-05-1 | インド | 1975年09月05日 | 1970年代 | ガンディー首相は非常事態宣言を長期間(very long)続けたくないと教員グループに対して語った。 |
DIA-302-1975-09-05-2 | インド | 1975年09月05日 | 1970年代 | 砂糖と植物油の総代理店制を禁止―中央政府は会社法に基づき,砂糖と植物油の総代理店の新設を5年間禁止することを決定した。既存の契約の禁止は法的に困難で,契約の自然死をはかる。 |
DIA-302-1975-09-06-1 | インド | 1975年09月06日 | 1970年代 | カシュミール州政府は16人の州政府公務員を解雇した。 |
DIA-302-1975-09-07-1 | インド | 1975年09月07日 | 1970年代 | 12州と4連邦直轄地は,すでに農村債務のモラトーリアムのための措置を講じた。しかし,大部分の州が1年間のモラトーリアムしか実施していない。 |
DIA-302-1975-09-08-1 | インド | 1975年09月08日 | 1970年代 | T.A.パイ工業相は,後進地域の工業開発のために特別の機関を設立すべきであるという提案を拒否した。 |
DIA-302-1975-09-09-1 | インド | 1975年09月09日 | 1970年代 | アメリカ訪問から帰国したC.スブラマニアム蔵相はアメリカは本年度から対印援助を再開すると語ったが,金額は明らかにされていない。 |
DIA-302-1975-09-09-2 | インド | 1975年09月09日 | 1970年代 | 首相のナショナル・レリーフ・ファンドへの寄付は100%免税とする大統領令がだされた。 |
DIA-302-1975-09-10-1 | インド | 1975年09月10日 | 1970年代 | 政府は輸出入手続簡素化のための委員会を設置した。 |
DIA-302-1975-09-11-1 | インド | 1975年09月11日 | 1970年代 | 元グジャラート州首相のヒテンドラ・デサイは与党会議派に入党した。 |
DIA-302-1975-09-11-2 | インド | 1975年09月11日 | 1970年代 | 訪印中のブータン国王はガンディー首相をはじめとするインド首脳と会談した。 |
DIA-302-1975-09-12-1 | インド | 1975年09月12日 | 1970年代 | 日本はパチンダとパーニパットの肥料工場建設のため109億円の借款を供与した。 |
DIA-302-1975-09-13-1 | インド | 1975年09月13日 | 1970年代 | K.B.レディー内相は,国内治安維持法による非常事態宣言後の逮捕者の30%が釈放されたことを明らかにした。 |
DIA-302-1975-09-13-2 | インド | 1975年09月13日 | 1970年代 | ONGCはコミッション300万ドルでイラクの石油の地震探査を受託した。 |
DIA-302-1975-09-14-1 | インド | 1975年09月14日 | 1970年代 | 中央政府は年4.5億ルピーにのぼる残業料節約のため,きわめて重要な部局以外の残業規制を強化した。 |
DIA-302-1975-09-14-2 | インド | 1975年09月14日 | 1970年代 | 西ベンガル州内閣はブリタニア・エンジニアリング・カンパニーの経営権の接収を原則的に承認した。 |
DIA-302-1975-09-16-1 | インド | 1975年09月16日 | 1970年代 | 8月末の卸売物価は前年同期比3.7%低下―8月の卸売物価指数は,前年同期の323.8に対して311.6で,3.7%のマイナスとなっている。 |
DIA-302-1975-09-17-1 | インド | 1975年09月17日 | 1970年代 | 中央政府は太陽エネルギーの利用実験計画(5000万ルピー)を策定した。 |
DIA-302-1975-09-18-1 | インド | 1975年09月18日 | 1970年代 | 政府はナフサに対する連邦消費税を,キロリッター当り450ルピーから420ルピーに引下げることを決定した。 |
DIA-302-1975-09-18-2 | インド | 1975年09月18日 | 1970年代 | インド政府外務省スポークスマンはフォード大統領の発言は内政干渉であると強く非難した。 |
DIA-302-1975-09-18-3 | インド | 1975年09月18日 | 1970年代 | 工業許可制度を自由化―T.A.パイ工業相は砂糖,植物油に次いでセメント,紙,繊維の総代理店制度を廃止し,若干の業種については工業許可を廃止すると語った。 |
DIA-302-1975-09-19-1 | インド | 1975年09月19日 | 1970年代 | K.C.パント・エネルギー相は,Coal India Limitedという石炭産業の持株会社を設立すると発表した。 |
DIA-302-1975-09-20-1 | インド | 1975年09月20日 | 1970年代 | 西ベンガル州政府は労働争議と資金難で過去3年間閉鎖されていたEngel Indiaの経営権を接収した。 |
DIA-302-1975-09-21-1 | インド | 1975年09月21日 | 1970年代 | ビハール州首相は今年度の洪水による州の被害総額は60億ルピーに達すると語った。 |
DIA-302-1975-09-22-1 | インド | 1975年09月22日 | 1970年代 | ヴァルギース編集長が解任され,N.C.メノンが編集長代理に選ばれた。 |
DIA-302-1975-09-22-2 | インド | 1975年09月22日 | 1970年代 | K.D.マラビヤ石油・化学相はボンベイ・ハイの近くに,石油埋蔵の可能性の高い背斜構造をいくつか発見したことを明らかにした。 |
DIA-302-1975-09-22-3 | インド | 1975年09月22日 | 1970年代 | STCは輸出専用の生産設備を作る企業に融資する3000万ルピーの特別基金を作った。 |
DIA-302-1975-09-23-1 | インド | 1975年09月23日 | 1970年代 | 原油の10%値上げで輸入代金が15億ルピーのアップ―OPECの原油価格の10%値上げで輸入代金はさらに15億ルピーふえる見込み。本年は1400万トンの原油輸入を予定しており,これの支払いは120億ルピー。 |
DIA-302-1975-09-24-1 | インド | 1975年09月24日 | 1970年代 | ルピーのポンドへのリンクを廃止―インドは1971年12月以来続けてきたルピーのポンドへのリンクを廃止し,ルピーの対外交換価値を,一連の主要通貨(a basket of selected currendes)にリファレンスして決定することを発表した。 |
DIA-302-1975-09-25-1 | インド | 1975年09月25日 | 1970年代 | ボーナスに関する新大統領令―F.A・アーメッド大統領はボーナスの概念を明確にし,ボーナスを利益もしくは生産,もしくは生産性とリンクさせる新大統領令を出した。企業は利益がない場合にはボーナスを支払わなくてもよいが,名目だけでも利益があれば最低限のボーナスを出さねばならない。 |
DIA-302-1975-09-26-1 | インド | 1975年09月26日 | 1970年代 | 農村銀行5行を10月に設立―政府の新経済政策の一環として農村銀行5行をUP,ハリヤナ,ラジャスタン,西ペンガルに設立する。農村銀行は小農,貧農,農業労働者,農村職人などの融資を目的とし,活動範囲は1,2のディストリクトに限られる。 |
DIA-302-1975-09-26-2 | インド | 1975年09月26日 | 1970年代 | 全業種で原材料・製品在庫が増加―エコノミック・タイムス紙の調査によれば,企業の年間売上げに占める原材料・製品在庫の比率が1975年は過去3年の32~34から38.5%に増大している。在庫比率の増加は全業種に共通している。 |
DIA-302-1975-09-26-3 | インド | 1975年09月26日 | 1970年代 | グジャラート州は10月2日からすべての電力供給制限を解除する。 |
DIA-302-1975-09-27-1 | インド | 1975年09月27日 | 1970年代 | 西ベンガル州とビハール州政府の高官が,両州における過激派対策に関する情報交換のためにライターズ・ビルディングで会合を開いた。 |
DIA-302-1975-09-28-1 | インド | 1975年09月28日 | 1970年代 | オスマニア大学のCEGはUP州のラチタプールでウラニウムを発見した。 |
DIA-302-1975-09-29-1 | インド | 1975年09月29日 | 1970年代 | クリシュナスワミ・ヒンドスタン・オイル・コーポレイション会長は,ボンベイ・ハイの石油埋蔵量は最低2億トンあることを明らかにした。 |
DIA-302-1975-09-30-1 | インド | 1975年09月30日 | 1970年代 | 政府は1975/76年中は新聞,雑誌の用紙割当を廃止することに決定した。 |
DIA-302-1975-10-01-1 | インド | 1975年10月01日 | 1970年代 | インドとイランは両国の首都で,両国のジョイント・プロジェクトに10億ドル以上投資するという内容のコミュニケを発表した。 |
DIA-302-1975-10-01-2 | インド | 1975年10月01日 | 1970年代 | 公共施設での飲酒を禁止―政府は10月2日からホテル,ホステル,レストラン,クラブ,公的レセプションでの飲酒を禁止するとともに飲酒を減らす措置をとった。 |
DIA-302-1975-10-02-1 | インド | 1975年10月02日 | 1970年代 | カマラジ元会議派総裁死去。 |
DIA-302-1975-10-03-1 | インド | 1975年10月03日 | 1970年代 | 到着後7日以内に受取らない荷物は競売に―インド政府は1890年の鉄道法を改正し,目的地に到着後7日以内に受取人があらわれない荷物を競売に付することができるようにした。これは鉄道車両や鉄道倉庫を倉庫代わりに利用する悪い傾向を防止することを狙いとしている。 |
DIA-302-1975-10-03-2 | インド | 1975年10月03日 | 1970年代 | 中央政府は9月末までに各省庁の50~55歳の職員1972人を繰上げ退職させ,39人を降格処分にした。 |
DIA-302-1975-10-04-1 | インド | 1975年10月04日 | 1970年代 | 税務所は脱税の容疑でP.Kar全インド銀行従業員協会書記長,委員長の家を家宅捜査した。 |
DIA-302-1975-10-05-1 | インド | 1975年10月05日 | 1970年代 | F.A.アーメッド大統領はハンガリー,ユーゴ訪問を終えて帰国した。 |
DIA-302-1975-10-06-1 | インド | 1975年10月06日 | 1970年代 | 第1回印米合同会議開催―第1回印米合同会議がワシントンで開催され,チャバン外相とキッシンジャー国務長官の会談が行なわれた。この合同会議は昨年のキッシンジャー訪印の成果の一つで,印米関係の改善をめざしたもの。 |
DIA-302-1975-10-06-2 | インド | 1975年10月06日 | 1970年代 | 政府は原則としてダージリン,ドーアルス,アッサム,トリプラの経営不振あるいは閉鎖された茶園を国有化することに決定した。 |
DIA-302-1975-10-07-1 | インド | 1975年10月07日 | 1970年代 | 小売物価の上昇率月1%に下がる―1969/70年を基準とする大ボンベイ市のエコノミック・タイムス小売物価指数の上昇率は1973/74年16.1%,1974/75年21.1%,1975年4~9月6.8%となっている。 |
DIA-302-1975-10-08-1 | インド | 1975年10月08日 | 1970年代 | インド政府は脱税者に脱税の自発的申告をした場合には罰しないという大統領令を出した。期限は12月末日までで申告分には別途課税される。このような措置は過去10年間に二度目。 |
DIA-302-1975-10-08-2 | インド | 1975年10月08日 | 1970年代 | 政府は新規品目への輸出現金補助金をつけること,一部の品目への補助金を増加すること,さきに補助金を打切った品目への補助金の復活を決めた。 |
DIA-302-1975-10-09-1 | インド | 1975年10月09日 | 1970年代 | SCIとシンディア汽船はインド―パキスタン―アメリカ(東海岸)運賃同盟を脱退した。 |
DIA-302-1975-10-10-1 | インド | 1975年10月10日 | 1970年代 | ONGCに2億ルピーの融資―石油産業開発ボードはボンベイ・ハイの石油生産を促進するため,ONGCに2億ルピーの融資をすることに決定した。 |
DIA-302-1975-10-10-2 | インド | 1975年10月10日 | 1970年代 | ベンガル湾で石油試掘中のアメリカの企業グループは,約6500フィートで石油を掘りあてたが商業ベースに乗るかどうかは未確認。 |
DIA-302-1975-10-11-1 | インド | 1975年10月11日 | 1970年代 | インド中央銀行,非居住者外貨預金口座開設―インド中央銀行は海外に住むインド人,印系人が10月1日からインドの銀行に外貨預金口座を開くことを認めると発表した。元本および利子は預金した外貨で引出せる。 |
DIA-302-1975-10-11-2 | インド | 1975年10月11日 | 1970年代 | 政府はプロジェクトの輸出促進のため,ターン・キー・ベースのプロジェクトを海外で建設する企業に現金補助金を与えることを決定した。 |
DIA-302-1975-10-12-1 | インド | 1975年10月12日 | 1970年代 | ガンディー首相はサンデー・テレグラフ誌との記者会見で,中国は依然としてインドの内政に干渉していると中国を非難した。 |
DIA-302-1975-10-14-1 | インド | 1975年10月14日 | 1970年代 | ケワル・シン次官は国連で,1978年までに第2回目の通信用人工衛星を打上げると語った。 |
DIA-302-1975-10-14-2 | インド | 1975年10月14日 | 1970年代 | カナダは本年度の対印食糧援助を前年の13万4000トンから約30万トンにふやす。 |
DIA-302-1975-10-15-1 | インド | 1975年10月15日 | 1970年代 | ピルの原料のdioscoreaの輸出を禁止―インドは外国の製薬会社の乱獲でピルの原料のdioscoreaが急激に減っているとして輸出を禁止した。メキシコとインドがピルの原料の主要生産国。 |
DIA-302-1975-10-15-2 | インド | 1975年10月15日 | 1970年代 | ボンベイで銀行が夜間営業を開始―ユニオン・バンク・オブ・インディアのボンベイ市内の4支店は,商人・ビジネスマンのために11時から3時のほかに6時から9時の夜間営業を開始した。 |
DIA-302-1975-10-16-1 | インド | 1975年10月16日 | 1970年代 | MISAによる逮捕者の40%がこれまでに釈放された。6週間前には釈放者は30%であった。 |
DIA-302-1975-10-16-2 | インド | 1975年10月16日 | 1970年代 | 1974/75年のジュート製品輸出は,前年の56万トン(22.7億ルピー)から57万トン(28.8億ルピー)に増加した。 |
DIA-302-1975-10-17-1 | インド | 1975年10月17日 | 1970年代 | 大統領令でMISAを改正―大統領令でMISAの3回目の改正が行なわれ,MISAによる拘禁の理由,理由を形成する証拠の公開が禁止された。 |
DIA-302-1975-10-17-2 | インド | 1975年10月17日 | 1970年代 | 国営重工業は半年間で生産目標の89%を達成―国営重工業は半年間で今財政年度の生産目標33.334億ルピーに対し29.667億ルピーを達成した。 |
DIA-302-1975-10-17-3 | インド | 1975年10月17日 | 1970年代 | 1974年の産業ライセンス発給件数は1099―1974年のライセンス発給件数は,前年の597件に対し1099件と激増した。近年の発給件数は1970年363,1971年625,1972年563となっている。1975年前半の発給件数は489。 |
DIA-302-1975-10-18-1 | インド | 1975年10月18日 | 1970年代 | インドの交易条件は1970/71年の118から1973/74年は109,74/75年は93と低下している。 |
DIA-302-1975-10-19-1 | インド | 1975年10月19日 | 1970年代 | 精米業者は西ベンガル州政府に最低22万5000トンの米の集買を保証した。11月から始まる州政府の集買目標は30万トン。 |
DIA-302-1975-10-19-2 | インド | 1975年10月19日 | 1970年代 | ビハール州首相は州内の土地保有制限を上回る土地の接収令を出した。 |
DIA-302-1975-10-19-3 | インド | 1975年10月19日 | 1970年代 | 世銀がインドの産業政策に関する報告書―世銀はインドの産業政策に関する報告書の中で,今後10年間は重工業,資本財工業の開発に片寄っている工業政策を修正し,輸出生産を増大すべきことを勧告している。 |
DIA-302-1975-10-20-1 | インド | 1975年10月20日 | 1970年代 | エア・インディは今財政年度の上半期に1200万ルピーの黒字を出した。 |
DIA-302-1975-10-21-1 | インド | 1975年10月21日 | 1970年代 | 農業・食糧省はノース・ライス・ゾーン内の米の移動制限を撤廃することに決定した。 |
DIA-302-1975-10-22-1 | インド | 1975年10月22日 | 1970年代 | ジュート輸出国のインド,バングラデシュ,ネパールの3国はニューデリーで3日間にわたるジュート輸出国会議を開いた。 |
DIA-302-1975-10-22-2 | インド | 1975年10月22日 | 1970年代 | 5月現在の職安求職登録者は870万人―職業安定所に求職登録をしている人の数は1970年の406万人から1975年5月には870万に増加した。 |
DIA-302-1975-10-22-3 | インド | 1975年10月22日 | 1970年代 | ヤダブ鉄鋼相は1975年4~9月の鉄鋼生産は前年同期比16.5%の増加となっているが,供給過剰になっていないと語った。 |
DIA-302-1975-10-23-1 | インド | 1975年10月23日 | 1970年代 | 南インドの東海岸沖(Cauvery basin)での石油探査は11月1日から開始。 |
DIA-302-1975-10-23-2 | インド | 1975年10月23日 | 1970年代 | インドは国連安保理事会のアジアに割当てられた議席への立候補を辞退したので,パキスタンの当選が確実となった。 |
DIA-302-1975-10-24-1 | インド | 1975年10月24日 | 1970年代 | 債務拘束労働を禁止する大統領令を発令。 |
DIA-302-1975-10-25-1 | インド | 1975年10月25日 | 1970年代 | 21業種を許可制からはずす―中央政府は21業種を許可制の対象からはずし,薬品,セメント,紙,化学製品など30業種については外国企業,独占企業にも認められた能力以上の生産を許す。ただし,外国企業と独占,制限的取引法の対象となっている企業は21業種についても許可が必要であり,許可能力以上の生産については輸出するか,政府の指示に従って販売せねばならない。 |
DIA-302-1975-10-26-1 | インド | 1975年10月26日 | 1970年代 | 1974/75年の粗鋼生産量は645万トン―5大製鉄所の1974/75年の粗鋼生産量は645万トンで前年比13.1%増。設備利用率は前年の65%から73%にアップ。 |
DIA-302-1975-10-27-1 | インド | 1975年10月27日 | 1970年代 | 1975年4~8月の輸出は146。1億ルピーで前年同期比15.6%アップ,輸入は183.8億ルピーで14.6%アップ。 |
DIA-302-1975-10-28-1 | インド | 1975年10月28日 | 1970年代 | マラビヤ石油・化学相はKutch basinの石油試掘が始まったと発表した。 |
DIA-302-1975-10-29-1 | インド | 1975年10月29日 | 1970年代 | インド,アフガニスタン会談はアフガニスタン訪問中のチャバン外相と同国首脳の間で始まった。 |
DIA-302-1975-10-30-1 | インド | 1975年10月30日 | 1970年代 | 政府は,法制化しないショップ・フロアと工場レベルでの労働者の経営参加制度を発表した。 |
DIA-302-1975-11-01-1 | インド | 1975年11月01日 | 1970年代 | インド政府の発表によれば,10月20日,東北国境でインド軍パトロール部隊を中国側が奇襲攻撃し,インド兵4人が殺された。 |
DIA-302-1975-11-01-2 | インド | 1975年11月01日 | 1970年代 | 5日間にわたってカトマンズで開かれていたインド・ネパール会談は,両国が自国の見解を説明し,1日に終わった。 |
DIA-302-1975-11-03-1 | インド | 1975年11月03日 | 1970年代 | ソ連のタス通信は,中印国境での両国パトロール部隊の衝突でインド兵が死亡した事件で中国を非難した。 |
DIA-302-1975-11-04-1 | インド | 1975年11月04日 | 1970年代 | 輸出入法違反者に対する罰則を強化する大統領令が出された。 |
DIA-302-1975-11-05-1 | インド | 1975年11月05日 | 1970年代 | インド政府,バングラの前閣僚の殺害にショック―インド政府はバングラのラーマン前内閣の閣僚であったナズルール・イスラム氏らが殺害されたことに大きなショックを受けたことを表明した。 |
DIA-302-1975-11-05-2 | インド | 1975年11月05日 | 1970年代 | イランはクドレムクの鉄鉱山開発のために6億3000万ドルの借款をインドに供与した。 |
DIA-302-1975-11-05-3 | インド | 1975年11月05日 | 1970年代 | スマグラーおよび外国為替不正利用者が取得した財産を没収できる大統領令が発令された。 |
DIA-302-1975-11-07-1 | インド | 1975年11月07日 | 1970年代 | 最高裁小法廷全員一致でガンディー無罪判決―5人で構成する最高裁小法廷は全員一致でガンディー首相の選挙違反事件に無罪判決をくだし,有罪とするアラハバード高裁の判決をしりぞけた。 |
DIA-302-1975-11-08-1 | インド | 1975年11月08日 | 1970年代 | シェイク・アブドラ・カシミール州首相は「会議派とナショナル・カンファレンスの紛争を解決する唯一の方法は新たな選挙しかない」とし,選挙の実施を呼びかけた。 |
DIA-302-1975-11-09-1 | インド | 1975年11月09日 | 1970年代 | A.グロサート・カナダ上院科学・技術小委員会委員長はニューデリーで,カナダは引続きインドに原子炉を供与すると語った。 |
DIA-302-1975-11-11-1 | インド | 1975年11月11日 | 1970年代 | 政府・ナガ会談,基本問題で合意―インド政府代表のL.P.シン知事とナガ地下政府代表は,2日間 の会談で“基本問題”で合意に達した。 |
DIA-302-1975-11-12-1 | インド | 1975年11月12日 | 1970年代 | 1~10月の原油生原量は前年同期の617万トンを上回る684万トンとなった。 |
DIA-302-1975-11-14-1 | インド | 1975年11月14日 | 1970年代 | オリッサ州議会は結婚持参金禁止法(Dowry Prohibition Bill)を成立させた。 |
DIA-302-1975-11-15-1 | インド | 1975年11月15日 | 1970年代 | C.スブラマニアム蔵相は消費の促進と景気回復のために消費税を引下げる意向はないことを明らかにした◎ |
DIA-302-1975-11-16-1 | インド | 1975年11月16日 | 1970年代 | インドは本年度の鉄鋼輸出は目標の100万トンを上回る120万トンに達しており,前年の輸出実績の6倍になっている。 |
DIA-302-1975-11-16-2 | インド | 1975年11月16日 | 1970年代 | S.D.シャルマ通信相は非常事態宣言以来200人以上の郵便・電報局職員を解雇したことを明らかにした。 |
DIA-302-1975-11-17-1 | インド | 1975年11月17日 | 1970年代 | J.P.ナラヤン氏釈放さる―J.P.ナラヤン氏は釈放され,健康診断を受けた。 |
DIA-302-1975-11-17-2 | インド | 1975年11月17日 | 1970年代 | インド政府外務省スポークスマンはバングラデシュにおけるインド人と財産の安全に対して不安を繰り返し表明するとともに,これをインドの内政干渉への前奏曲であると報じた西側の新聞を非難した。 |
DIA-302-1975-11-19-1 | インド | 1975年11月19日 | 1970年代 | 2日間の日程でシッキム訪問中のガンディー首相は,与党シッキム国民会議の執行委員会で一部の勢力の陰謀に対する監視を怠らないように呼びかけた。 |
DIA-302-1975-11-19-2 | インド | 1975年11月19日 | 1970年代 | ミゾ反徒109人が投降―政府発表によれば,MNAの将校を含むミゾ反徒109人がアイゾールでS.K.チバール中将に投降した。 |
DIA-302-1975-11-21-1 | インド | 1975年11月21日 | 1970年代 | 釈放されているJ.P.は健康診断のためボンベイ入りした。 |
DIA-302-1975-11-24-1 | インド | 1975年11月24日 | 1970年代 | モンゴル首相は6日間にわたる訪印を終わり,経済協力の強化をうたったコミュニケを発表した。 |
DIA-302-1975-11-25-1 | インド | 1975年11月25日 | 1970年代 | マハーラーシュトラ州政府は400のビルが破損のため住むのは危険であり,再建する必要があることを明らかにした。 |
DIA-302-1975-11-25-2 | インド | 1975年11月25日 | 1970年代 | インドとノルウェーは漁業協力協定に調印した。 |
DIA-302-1975-11-25-3 | インド | 1975年11月25日 | 1970年代 | 砂糖工場に助成措置―政府は新しく設立される砂糖工場,あるいは既存の砂糖工場の拡張に対して,自由販売用砂糖の割当をふやす,連邦消費税の比率を引下げる,の二つの助成措置を11月1日にさかのぼって実施する。 |
DIA-302-1975-11-26-1 | インド | 1975年11月26日 | 1970年代 | サマール・セン駐バングラデシュ大使は6人組の男に大使館入口でかたを撃たれ負傷した。 |
DIA-302-1975-11-27-1 | インド | 1975年11月27日 | 1970年代 | インドの鉄鉱石埋蔵量は200億トンで採掘量は年間3500万トン。 |
DIA-302-1975-11-28-1 | インド | 1975年11月28日 | 1970年代 | 肥料価格を引下げ―政府は関税,消費税の引下げによって,硫安の価格をトン430ルピー,NPKを55ルピー引下げることを決定した。 |
DIA-302-1975-11-29-1 | インド | 1975年11月29日 | 1970年代 | チェンナ・レディーUP州知事はバフグナ州首相の辞表を受理した。 |
DIA-302-1975-11-30-1 | インド | 1975年11月30日 | 1970年代 | ガンディー首相,内閣を改造―ガンディー首相は内閣改造を行ない,スワラン・シン国防相,U.S.ディキシット海運相をはずし,バンシ・ラル・ハリヤナ州前首相,G.S.ディロン下院議長を入閣させた。国防相はガンディー首相が兼任。 |
DIA-302-1975-11-30-2 | インド | 1975年11月30日 | 1970年代 | UP州は4回目の大統領統治が布告され,議会は一時休止された。 |
DIA-302-1975-11-30-3 | インド | 1975年11月30日 | 1970年代 | B.レディー内相,ナガ反乱軍との協定を公表―協定は不法所持武器の提出,インドの憲法のワク内での活動などを内容としているが,反乱軍の議会はまだ協定を批准していない。 |
DIA-302-1975-11-30-4 | インド | 1975年11月30日 | 1970年代 | 政府は灯油,プロパンガス,重油,軽油の価格を11月6日から値上げした。 |
DIA-302-1975-12-01-1 | インド | 1975年12月01日 | 1970年代 | ムシラバー監獄で2人のナクサライトを処刑―左翼政党,人権擁護委員会などの助命運動にもかかわらず,政府はボーマラ,ゴーウドの2人のナクサライトの死刑を執行した。2人は50年代初のテレンガナ闘争で活動しており,1971年に地主殺しの容疑者として逮捕された。 |
DIA-302-1975-12-03-1 | インド | 1975年12月03日 | 1970年代 | カイロを訪問中のアーメッド大統領はサダト大統領とバングラデシュ情勢などについて2時間半にわたって会談した。 |
DIA-302-1975-12-03-2 | インド | 1975年12月03日 | 1970年代 | 最高裁は退職したICSの役人は英ポンドで年金を受取る権利はないとの判決をくだした。 |
DIA-302-1975-12-04-1 | インド | 1975年12月04日 | 1970年代 | 政府はJ.P.に対する拘禁命令を取消した。 |
DIA-302-1975-12-04-2 | インド | 1975年12月04日 | 1970年代 | 4日間にわたる「反ファシズム国際会議」がパトナで始まった。 |
DIA-302-1975-12-05-1 | インド | 1975年12月05日 | 1970年代 | 1975年11月22日で終わる1週間の卸売物価は前月同期比3.4%,前年同期比6.2%の低下となっている。 |
DIA-302-1975-12-06-1 | インド | 1975年12月06日 | 1970年代 | 鉱物探査公社(MEC)はビハール州シングブム・ディストリクトのチリアで埋蔵量約15億トンの鉄鉱山を発見した。 |
DIA-302-1975-12-08-1 | インド | 1975年12月08日 | 1970年代 | 反社会的出版物の発行を禁止―政府は,Publication of objectionable matter(反社会的出版物)の発行禁止,国会議事の報道に対する特別保護の撤廃,プレス・カウンシル・アクトの撤廃,プレス・カウンシルの解散を命ずる大統領令を公布した。 |
DIA-302-1975-12-08-2 | インド | 1975年12月08日 | 1970年代 | インドとバングラデシュの代表は3日間にわたる会議を終え,友好と協力の増進を望むという共同コミュニケを発表した。 |
DIA-302-1975-12-09-1 | インド | 1975年12月09日 | 1970年代 | 大統領,副大統領,首相,閣僚,下院議長,州知事の名誉きそんはPrevention of Publication of Objectionable Matter ordinanceによって刑事罰の対象となる。 |
DIA-302-1975-12-09-2 | インド | 1975年12月09日 | 1970年代 | 政府はミニ・スチール・プラントの生産する銑鉄に対する連邦消費税をトン当り150ルピー引下げることに決定した。 |
DIA-302-1975-12-10-1 | インド | 1975年12月10日 | 1970年代 | インドとルーマニアは新貿易・支払5ヵ年協定を結んだ。1976年の貿易額は往復12.6億ルピー。 |
DIA-302-1975-12-11-1 | インド | 1975年12月11日 | 1970年代 | インドはインドがバングラデシュ,パキスタン国境に多数の兵力を移動させているというパキスタンの宣伝に強く抗議した。 |
DIA-302-1975-12-13-1 | インド | 1975年12月13日 | 1970年代 | インドはクウェートと石油製品を長期ベースで輸入し,インド製品の輸出をふやす協定を結んだ。 |
DIA-302-1975-12-14-1 | インド | 1975年12月14日 | 1970年代 | 自営業者30万人に課税―今回の脱税摘発キャンペーンで30万人の自営業者が所得税の納税者に加えられた。 |
DIA-302-1975-12-15-1 | インド | 1975年12月15日 | 1970年代 | 西ベンガル州青年会議派議長のB.B.ダスは他の政党の青年部との協力は必要ないと語り,CPI青年部との協力打切りを示唆した。 |
DIA-302-1975-12-15-2 | インド | 1975年12月15日 | 1970年代 | 政府,カールスバーグ・グループの株式15%を取得―ベンガル湾で石油試掘中のカールスバーグ・インディアが資金難から手離す株式の15%を政府が取得した。 同グループの1号井は石油を掘りあてたと報じられていたが技術上の理由で放棄された。 |
DIA-302-1975-12-16-1 | インド | 1975年12月16日 | 1970年代 | インド訪問中のノルベール・セガール仏外国貿易相はパキスタンにミラージュの工場を建設する意向はないと語った。 |
DIA-302-1975-12-16-2 | インド | 1975年12月16日 | 1970年代 | 政府発表によれば,非常事態発布以来,必需品令違反で2500人が逮捕された。 |
DIA-302-1975-12-17-1 | インド | 1975年12月17日 | 1970年代 | 政府スポークスマンはインド軍がバングラデシュに侵入したとの非難を否定した。 |
DIA-302-1975-12-17-2 | インド | 1975年12月17日 | 1970年代 | マハーラーシュトラ州は発電機の故障のため1月末まで30%の電力カットをしており,一部の企業で労働者が解雇されている。 |
DIA-302-1975-12-18-1 | インド | 1975年12月18日 | 1970年代 | 酸素製造会社3社が採算われと過剰生産のため工場を閉鎖した。 |
DIA-302-1975-12-18-2 | インド | 1975年12月18日 | 1970年代 | 下院議席を542にふやす―中央下院の議席が現在の522から542にふやされる。このうち78議席が指定カースト,48議席が指定部族のために留保される。 |
DIA-302-1975-12-18-3 | インド | 1975年12月18日 | 1970年代 | 1974年1~11月の原油生産量は754万トンですでに前年の生産量749万トンを上回っており,1年間では前年比10%増が見込まれている。 |
DIA-302-1975-12-19-1 | インド | 1975年12月19日 | 1970年代 | 5州がゴダヴァリ川の水利用で合意―カルナタカ,アンドラ・プラデシ,マハーラーシュトラ,オリッサ,マディヤ・プラデシは,ゴダヴァリ川の分水をめぐって独立以来紛争を続けてきたが,非常事態宣言のもとで中央政府が介入し,5州は水利用協定を結んだ。これにより1300万エーカーのかんがいが可能になる。 |
DIA-302-1975-12-19-2 | インド | 1975年12月19日 | 1970年代 | インドはアメリカが76年1月1日より実施する農産物などの一般特恵制の受益国となる。 |
DIA-302-1975-12-20-1 | インド | 1975年12月20日 | 1970年代 | バンシ・ラル国務相を国防相に―前回の内閣改造でガンディー首相の兼任となっていた国防相にバンシ・ラル国務相が任命された。 |
DIA-302-1975-12-20-2 | インド | 1975年12月20日 | 1970年代 | 本年度の工業成長率は繊維,自動車産業の不振のため,計画目標の8%に対し3.5~4%になる見通し。 |
DIA-302-1975-12-21-1 | インド | 1975年12月21日 | 1970年代 | 1975年4~10月の輸出は201.586億ルピー,輸入は295.149億ルピーで貿易収支の赤字は93.563億ルピー。 |
DIA-302-1975-12-23-1 | インド | 1975年12月23日 | 1970年代 | S.C.シュクラはマディヤ・プラデシ州の首相に就任した。 |
DIA-302-1975-12-23-2 | インド | 1975年12月23日 | 1970年代 | カッチ湾のオカ港の近くで石油掘削中に4200メーターの地点で天然ガスを発見した。 |
DIA-302-1975-12-24-1 | インド | 1975年12月24日 | 1970年代 | インド政府はバーマ・シェルと同社の完全国有化に関する協定を結んだ。バーマ・シェルは600万トン精油所と3200ヵ所の貯油所を所有していた。 |
DIA-302-1975-12-24-2 | インド | 1975年12月24日 | 1970年代 | インド初の全国農業センサス(1970/71年を対象)が完了した。 |
DIA-302-1975-12-25-1 | インド | 1975年12月25日 | 1970年代 | ボンベイのプレミア自動車会社は,26日からドムビヴリ・プラントの労働者3000人に対して1週3日のレイ・オフを行なう。すでにヒンドスタン・モータース,マヒンドラ・マヒンドラはレイ・オフを行なっている。 |
DIA-302-1975-12-25-2 | インド | 1975年12月25日 | 1970年代 | 自発申告制度による脱税所得と財産の総額は19億ルピー。 |
DIA-302-1975-12-26-1 | インド | 1975年12月26日 | 1970年代 | カルカッタ市はクラスIVの職員で60歳以上のもの1500人を来年1月に退職させる。 |
DIA-302-1975-12-26-2 | インド | 1975年12月26日 | 1970年代 | バルーア会議派総裁は75回会議派大会の総会で,憲法を社会の変化に合うように改正する必要があると演説した。 |
DIA-302-1975-12-27-1 | インド | 1975年12月27日 | 1970年代 | インドで最大の炭鉱事故がダンバートの近くのチャスナラ鉱山で発生し,372人が坑内に閉じこめられ,絶望視されている。 |
DIA-302-1975-12-28-1 | インド | 1975年12月28日 | 1970年代 | 前運輸相のU.S.ディキシットはカルナタカ州知事に任命された。 |
DIA-302-1975-12-28-2 | インド | 1975年12月28日 | 1970年代 | 計画省筋によれば,第5次計画は来年3月末まで最終計画が完成する。 |
DIA-302-1975-12-30-1 | インド | 1975年12月30日 | 1970年代 | ガンディー首相は会議派の75回大会で,外国勢力はバングラデシュから手を引くように警告した。 |
DIA-302-1975-12-31-1 | インド | 1975年12月31日 | 1970年代 | 会議派大会は非常事態の継続を決定した。 |
DIA-302-1976-01-01-1 | インド | 1976年01月01日 | 1970年代 | 昨年中に15万人の人が約150億ルピーの税金未納所得の自発的申告を行つた。これにより,中央政府の税収は25億ルピー増。 |
DIA-302-1976-01-02-1 | インド | 1976年01月02日 | 1970年代 | マヒシ司法,会社問題担当相(女性)は閣僚を辞任した。 |
DIA-302-1976-01-02-2 | インド | 1976年01月02日 | 1970年代 | ラージ・バハドゥール観光,民間航空担当相は民間航空会社にポンベイ-コルハプール,カリカット-コチンなどのルートの運航をオッファーしたことを明らかにした。 |
DIA-302-1976-01-02-3 | インド | 1976年01月02日 | 1970年代 | 1975年の鉱山事故死者は660名でこの100年間の最高。 |
DIA-302-1976-01-02-4 | インド | 1976年01月02日 | 1970年代 | 1975年の石油製品の販売量は2234万トンで前年の2174万トンを2.7%上回った。 |
DIA-302-1976-01-03-1 | インド | 1976年01月03日 | 1970年代 | 乗用車メーカ-の生産多角化0K―政府は乗用車メーカーがバス,トラック,モーターサイクル,スクーター,産業機械,工作機械を生産することを許可した。 |
DIA-302-1976-01-04-1 | インド | 1976年01月04日 | 1970年代 | 中央監視委員会は正廉性に疑問のある上級公務員32人を停年前に強制退職させることに同意した。 |
DIA-302-1976-01-04-2 | インド | 1976年01月04日 | 1970年代 | 東独のホフマン国防相は6日間の予定でインド訪問のためデリーに到着した。 |
DIA-302-1976-01-05-1 | インド | 1976年01月05日 | 1970年代 | F.A.アーメッド大統領は議会の開会演説で政府は成長促進のためドラスチックな政策転換を行うと述べた。 |
DIA-302-1976-01-05-2 | インド | 1976年01月05日 | 1970年代 | B.R.バーガートが下院議長に選ばれた |
DIA-302-1976-01-06-1 | インド | 1976年01月06日 | 1970年代 | 7議員を会議派議員団から除名―CPP(会議派議員団)はチャンドラ・セカル,モハン・ダリア,シェル・シン,クリシュナ・カント,ラム・ダン,S.N.ミシュラ,L.カンタマ(女性)の7議員をCPPから除名した。 |
DIA-302-1976-01-06-2 | インド | 1976年01月06日 | 1970年代 | 西ベンガル州政府の発表によれば,75年11月7日までに20項目の経済プログラムに基づいて273,681家族が宅地を取得した。 |
DIA-302-1976-01-07-1 | インド | 1976年01月07日 | 1970年代 | パプリック・アカウント・コミティーは1972-73年に政府が25億ルピーで実施した緊急農産物増産プログラムは,計画がずさんで,実施に一貫性がなかつたと政府を批判した。 |
DIA-302-1976-01-07-2 | インド | 1976年01月07日 | 1970年代 | 政府はこれまでに秋作米300万トンを買上げた |
DIA-302-1976-01-08-1 | インド | 1976年01月08日 | 1970年代 | Escorts社はネパールが実施したトラクターの国際入札に応札160台のフォード・トラクターの輸出が決まった。 |
DIA-302-1976-01-08-2 | インド | 1976年01月08日 | 1970年代 | 大統領は憲法19条に規定する「7つの自由」の権利を非常事態の期間中停止する命令を出した。 |
DIA-302-1976-01-09-1 | インド | 1976年01月09日 | 1970年代 | ガンディー首相は議会で5次計画は放棄したわけではないが,国際経済情勢の見通し難で完成がおくれていると答えた。 |
DIA-302-1976-01-10-1 | インド | 1976年01月10日 | 1970年代 | 政府はセメントと鉄鋼需要を喚起するため,インフレ抑制のため実施していた政府の省庁・公営企業の建設活動の禁止を解除した。 |
DIA-302-1976-01-11-1 | インド | 1976年01月11日 | 1970年代 | インド海軍の艦艇54隻が参加する大演習がボンベイで行われ,大統領が観閲した。 |
DIA-302-1976-01-11-2 | インド | 1976年01月11日 | 1970年代 | 12月の大ボンベイを対象とするE.T紙の小売物価指数は0.1%下落した。 |
DIA-302-1976-01-11-3 | インド | 1976年01月11日 | 1970年代 | UP州政府は110万家族に宅地を与えられたことを明らかにした。 |
DIA-302-1976-01-12-1 | インド | 1976年01月12日 | 1970年代 | 政府は1976-77財政年度にFCIのプロジェクトに23億ルピーを投資する計画。 |
DIA-302-1976-01-12-2 | インド | 1976年01月12日 | 1970年代 | A.P.シンデ食糧・農業担当相はフランスの農業専門家の分析によれば,過去20年のインドの農業生産の増加は80%であるのに対し中国は60%であると述べた。 |
DIA-302-1976-01-12-3 | インド | 1976年01月12日 | 1970年代 | インドとバングラは石炭と新聞用紙に関する長期協定を結んだ。 |
DIA-302-1976-01-14-1 | インド | 1976年01月14日 | 1970年代 | 1975-76年の上半期工業生産増加率は3.6%。 |
DIA-302-1976-01-14-2 | インド | 1976年01月14日 | 1970年代 | ガンディー首相,タミル・ナードゥ州政府を非難-ガンディー首相はマドラス市で,DMK政権は自分の責任を回避するため中央政府を批判しているとタミル・ナードゥ州政府とDMKを非難した。 |
DIA-302-1976-01-14-3 | インド | 1976年01月14日 | 1970年代 | IDAはインドの送電プロジェクトに1.5億ドルの融資を決定した。 |
DIA-302-1976-01-14-4 | インド | 1976年01月14日 | 1970年代 | 6州とデリーを含む2つの連邦直轄地で800万枚のニセの配給カードが発見された。 |
DIA-302-1976-01-15-1 | インド | 1976年01月15日 | 1970年代 | Associated Chamber of Commerceは政府に景気回復と雇用増加のため選択的なリフレイション政策をとるように訴えた。 |
DIA-302-1976-01-15-2 | インド | 1976年01月15日 | 1970年代 | 政府はソーダ灰の過剰をなくするため,近く制限つきで輸出禁止を解除する。 |
DIA-302-1976-01-15-3 | インド | 1976年01月15日 | 1970年代 | マハラシュトラ州電力供給制限をゆるめる―マハラシュトラ州は電力供給カット率を維繊産業は35%から20%へ,連続加工産業は46%から30%ヘ,一般産業は54%から40%に緩和した。 |
DIA-302-1976-01-15-4 | インド | 1976年01月15日 | 1970年代 | パキスタンはインドに対して銑鉄5000トンを発注した。 |
DIA-302-1976-01-15-5 | インド | 1976年01月15日 | 1970年代 | インドの民間企業の1974-75年の貯蓄と投資は次の 通り(カッコ内は73-74年)。 |
DIA-302-1976-01-16-1 | インド | 1976年01月16日 | 1970年代 | オーストラリアとブラジルの鉄鉱石値下げのインドへのハネ返りについて商務省とMMTCは検討しているが,MMTCは鉄鉱石は需要弾力性がないため価格の引下げでインドには得ることは何もないとみている。 |
DIA-302-1976-01-16-2 | インド | 1976年01月16日 | 1970年代 | M.S.クレシ鉄道担当相は74年の鉄道ストで解雇された職員の95%は復職を認められたことを明らかにした。 |
DIA-302-1976-01-17-1 | インド | 1976年01月17日 | 1970年代 | ニエレレ・タンザニア大統領はF・A・アーメッド大統領より73年のネルー賞を授与された。 |
DIA-302-1976-01-17-2 | インド | 1976年01月17日 | 1970年代 | パンジャプ州とジャム・カシミール州はTheinダム・プロジェクトとシャプール・カンディ堰の建設について完全な合意に達した。 |
DIA-302-1976-01-17-3 | インド | 1976年01月17日 | 1970年代 | 会議派運営委員会はUP州首相にH.N.バフグナ内閣の蔵相であったN.D.ティワリを選んだ。 |
DIA-302-1976-01-18-1 | インド | 1976年01月18日 | 1970年代 | 繊維輸出に対するインセンチブが現行のまま3ヵ月延長される。理由は新しいスキームの作成が完了していないため。 |
DIA-302-1976-01-19-1 | インド | 1976年01月19日 | 1970年代 | 西独がMP州のTawaかんがい地域へ農業技術援助―西独はMP州のTawaかんがい地域の2.4万ヘクタールの科学的土地開発をし近代農業を行うための援助をする。10年間で5億マルクの援助が予定されている。 |
DIA-302-1976-01-20-1 | インド | 1976年01月20日 | 1970年代 | 西独は援助条件を緩和―イゴン・バール西独経済協力相はガンディー首相との記者会見で借款の返済期間を50年(10年据置き),利子率を0.751としIDA並みにすることを明らかにした。 |
DIA-302-1976-01-21-1 | インド | 1976年01月21日 | 1970年代 | 4通信社が合同を申し出る―V.C.シュクラ情報・放送相はPTI,UNI,ヒンドスタン・サマーチャール,サマーチャール・バーラティの4通信社が合同を申し出,労組もそれを支持していると議会で述べた。 |
DIA-302-1976-01-21-2 | インド | 1976年01月21日 | 1970年代 | 中央政府は1976年に約1400万トンの原油を輸入することに決定した。 |
DIA-302-1976-01-22-1 | インド | 1976年01月22日 | 1970年代 | ジャグジヴァン・ラム食糧・農業相は州政府に対して土地改革にトップ・プライオリティーを置くように要求した。 |
DIA-302-1976-01-22-2 | インド | 1976年01月22日 | 1970年代 | 業績不振の茶園を接収―政府は業績不振の茶園(sick tea garden)の経営権を接収することに決定した。これに必要な法律は近く議会に上程される。 |
DIA-302-1976-01-24-1 | インド | 1976年01月24日 | 1970年代 | インドとフランスはインドに不利になっている貿易収支の改善を主目的とした3つの協定を結んだ。 |
DIA-302-1976-01-24-2 | インド | 1976年01月24日 | 1970年代 | 訪印中のシラック仏首相はインドから武器供給の要請があれば考慮すると語った。ただしフランスはどの国に対してもコマーシヤル・ベースで供給することを強調した。 |
DIA-302-1976-01-24-3 | インド | 1976年01月24日 | 1970年代 | 政府はバーマ・シェルの株式100%の取得に伴い,バーマ・シェル製油所の名称をバーラト製油所に変更した。 |
DIA-302-1976-01-25-1 | インド | 1976年01月25日 | 1970年代 | National Small Industries Corporationは資金不足のため,小規模経営者に対するhirepurchaseに基づく機械の供給を打切ることに決定した。 |
DIA-302-1976-01-25-2 | インド | 1976年01月25日 | 1970年代 | HMTの中央工作機械研究所はイランのタブリズに金属加工研究所を設立する契約をイランと結んだ。 |
DIA-302-1976-01-25-3 | インド | 1976年01月25日 | 1970年代 | 内務省の国会諮間委は,グジャラート州の治安状態低下を憂慮し中央政府の厳しい措置を望む。 |
DIA-302-1976-01-26-1 | インド | 1976年01月26日 | 1970年代 | チャバン外相は中国の周首相の死によつて中国の対印政策は変わるまいと述べた。 |
DIA-302-1976-01-26-2 | インド | 1976年01月26日 | 1970年代 | クウェートはカルナタカ州のカリナディ電力プロジェクトに対して5000万ドルの借款を供与した。 |
DIA-302-1976-01-27-1 | インド | 1976年01月27日 | 1970年代 | ガンディー首相はフィガロ紙とのインタビューで印ソ友好条約は中印閑係の改善の障害にならないと語った。 |
DIA-302-1976-01-27-2 | インド | 1976年01月27日 | 1970年代 | 上院は食品混入防止法を可決し,食品混入に対する最高刑は無期懲役となった。 |
DIA-302-1976-01-28-1 | インド | 1976年01月28日 | 1970年代 | 下院,報道関係2法案を可決―報道審議会廃止法案と議会議事(報道の保護)法廃止法案の2法案。 |
DIA-302-1976-01-29-1 | インド | 1976年01月29日 | 1970年代 | 不穏当事項出版防止法案と外国為替管理・密輸活動防止(修止)法案,1976は上院を通過した。 |
DIA-302-1976-01-29-2 | インド | 1976年01月29日 | 1970年代 | F.H.モフシン内務政務次官はビハール州のパトナ,ボジュプール,マツバニでナクサライトが活動しているとの報告書を下院に提出した。 |
DIA-302-1976-01-29-3 | インド | 1976年01月29日 | 1970年代 | マハラシュ・トラ州は1975年10月2目の改正農地所有制限法の施行により,1976年1月24日までに,2.6万ヘクタールがサー・プラス・ランドと宣告された。 |
DIA-302-1976-01-29-4 | インド | 1976年01月29日 | 1970年代 | 首相はこれ以上の民間企業国有化をしたいと述べたおぼえはないと議会で言明した。 |
DIA-302-1976-01-30-1 | インド | 1976年01月30日 | 1970年代 | 日本からの穴をあけた真珠の多量輸入でボンベイ,スーラト,アーメダバードの熟練した穴あけ職人900人が失業している。 |
DIA-302-1976-01-30-2 | インド | 1976年01月30日 | 1970年代 | 政府は,バングラデシュの反インド的態度に驚きと痛みを感ずる,また,バングラデシニの新聞が,インドを,反バングラ政府活動に武器・訓練・資金・聖域を供与していると非難していることは事実無根であるとの声明を出した。 |
DIA-302-1976-01-31-1 | インド | 1976年01月31日 | 1970年代 | 大統領は憲法356条に基づきタミル・ナードゥ州議会を解散し,大統領の直接統治にした。 |
DIA-302-1976-02-01-1 | インド | 1976年02月01日 | 1970年代 | 20項目計画についての会議派大会―サンジャイ・ガンジーは,会議派国会議員に,国会休会中は自分の選挙区に帰り,20項目計画の推進につとめ,計画の実施状況などを党に報告するようよびかけるとともに,怠慢な議員や官僚を非難した。 |
DIA-302-1976-02-02-1 | インド | 1976年02月02日 | 1970年代 | Urban Land Ceiling Billは,下院で可決された。 |
DIA-302-1976-02-03-1 | インド | 1976年02月03日 | 1970年代 | 肥料メーカーは販売促進のため,連邦消費税と売上税の引下げのほかに直接補助金を要求している。肥料価格は引下げられたにもかかわらず売れないことがその理由。 |
DIA-302-1976-02-03-2 | インド | 1976年02月03日 | 1970年代 | TNの汚職調査委員会設立される―R.S.サルカリア最高裁判事によるワンマン委員会で,DMK州政府の閣僚に対する54件の汚職容疑を調査する。 |
DIA-302-1976-02-03-3 | インド | 1976年02月03日 | 1970年代 | 下院の任期1年延長―1976年3月18日に終了する予定の下院の任期を1年延長するための法案が下院で可決される。 |
DIA-302-1976-02-03-4 | インド | 1976年02月03日 | 1970年代 | 上院,議会議事(報道の保護)法廃止法案を可決―議会議事の報道に関してプレスに与えられていた特権を廃止するもの。 |
DIA-302-1976-02-04-1 | インド | 1976年02月04日 | 1970年代 | 下院,ポーナス支払い(修正)案を可決―最低ボーナスを81/3%から4%に引下げる。 |
DIA-302-1976-02-05-1 | インド | 1976年02月05日 | 1970年代 | HCL(Hindustan Copper Limited)はアンドラ州グントゥール・ディストリクトのアグニクンダラ地域の銅と鉛の埋蔵量をそれぞれ630万トン,1190万トンと発表した。 |
DIA-302-1976-02-06-1 | インド | 1976年02月06日 | 1970年代 | 南インドの繊維工場の重役が給与の50%を返上―南部インド繊維工場主協会は76年1月から重役の給与を50%カットすることに合意した。これは不況対切抜け策の一環で労組に対しても自発的賃金カットを呼びかけている。 |
DIA-302-1976-02-07-1 | インド | 1976年02月07日 | 1970年代 | 中央政府はユーザ・インダストリーに対してステンレス・スチール・ストリップの輸入を自由化した。 |
DIA-302-1976-02-07-2 | インド | 1976年02月07日 | 1970年代 | 中央政府は連結貸借対照表が赤字か,または資金の不足している総合繊維会社(Composite textile mill)に対して公定価格綿布の生産免除を決定した。 |
DIA-302-1976-02-08-1 | インド | 1976年02月08日 | 1970年代 | 76年1月のエコノミック・タイムス総合小売物価指数は前月比3.4%,前年同月比3.1%の下落となった。 |
DIA-302-1976-02-09-1 | インド | 1976年02月09日 | 1970年代 | 6ヵ月間に30万人のレイ・オフ―K.V.Rレディー中央政府労働相は過去6ヵ月間に約30万人の労働者がレイ・オフされ,数千人が解雇されたことを明らかにした。 |
DIA-302-1976-02-09-2 | インド | 1976年02月09日 | 1970年代 | 国鉄は車両メーカーに,1万5555台の車両を発注した。 |
DIA-302-1976-02-10-1 | インド | 1976年02月10日 | 1970年代 | ィンドはアルジェリア,スリカンカと貿易経済協力協定を結び,スリランカに5000万ルピーの借款を供与する。 |
DIA-302-1976-02-11-1 | インド | 1976年02月11日 | 1970年代 | CPI全国大会―7日から開かれたトリバンドラム市での党大会で,1975年8月以降の政治情勢を分析した政治報告を採択,ガンジー首相の立場を評価。 |
DIA-302-1976-02-11-2 | インド | 1976年02月11日 | 1970年代 | グジャラート州KMLP解散―党総裁C.パテルは,州のジャナタ・フロント人民戦線政府は,KMLPが戦線から撤退したことで州議会過半数の支持を失ったと主張。 |
DIA-302-1976-02-11-3 | インド | 1976年02月11日 | 1970年代 | 中央政府は所管地域の農業労働者の最低賃金を1日4.45ルピーから6.50ルピーに決定した。すでに決定をみている州の最低賃金は3ルピーから8ルピー。 |
DIA-302-1976-02-12-1 | インド | 1976年02月12日 | 1970年代 | ジュート製品に対する輸出税を撤廃―中央政府はコーヒー,落花生,ジュ-ト製品に対する輸出税を変更し,ジュート製品に対する輸出税は全廃となつた。 |
DIA-302-1976-02-14-1 | インド | 1976年02月14日 | 1970年代 | 政府は金装身具の輸出ワクを今年から1000万ルピーに引上げる。従来は200万ルピーが制限ワクであった。 |
DIA-302-1976-02-14-2 | インド | 1976年02月14日 | 1970年代 | K.D.マラビヤ石油・化学相はボンベイ・ハイとその近辺以外の地域での石油開発は外国人にも開放すると語った。 |
DIA-302-1976-02-17-1 | インド | 1976年02月17日 | 1970年代 | Urban Lznd(Ceiling and Regulaiion)Bill,1976は上下両院を通過し,大統領の裁可を得た。 |
DIA-302-1976-02-18-1 | インド | 1976年02月18日 | 1970年代 | インド・ファラッカ交渉を拒否―インドはバングラデシュのファラッカ堰の水利用に関する前提条件―3月央から5月央までの渇水期中はインドがファラッカ堰からの取水を禁止する-は受入れがたいとして拒否した。 |
DIA-302-1976-02-19-1 | インド | 1976年02月19日 | 1970年代 | 綿布の在庫が減少―綿布の売残り在庫は1975年12月の176,800メトリック・ベイルから76年1月には264,000ベイルに減少した。1月末の総在庫量は1ヵ月分の生産量より若干多い264,000メトリック・ベイルとなっている。1月の生産量は前年12月よりも1160万メーターの減産となっている。 |
DIA-302-1976-02-20-1 | インド | 1976年02月20日 | 1970年代 | A.P.シンデ食糧農業担当相はアンダマン諸島を将来,漁業基地にすることを明らかにした |
DIA-302-1976-02-21-1 | インド | 1976年02月21日 | 1970年代 | ボンベイの穀物卸売市場では新穀が出はじめ,小麦とグラムの卸売価格が大幅に下がった。 |
DIA-302-1976-02-22-1 | インド | 1976年02月22日 | 1970年代 | 本年度の計画支出は780億ルピ―計画委員会と大蔵省は1976-77年度の計画支出を前年比30%増の780億ルピーと決定した。 |
DIA-302-1976-02-22-2 | インド | 1976年02月22日 | 1970年代 | ONGCは沖合での石油探査で相当の成果をあげたので,今後1年から1年半は陸上での石油探査に力を入れることを明らかにした。 |
DIA-302-1976-02-24-1 | インド | 1976年02月24日 | 1970年代 | 1976-77年度は肥料プロジェクトに4.4億ルピー割当てる。 |
DIA-302-1976-02-24-2 | インド | 1976年02月24日 | 1970年代 | IDAがイラン工業開発銀行に2億ドル融資―この資金は1976-77年の原材料,部品の輸入に使用される。 |
DIA-302-1976-02-25-1 | インド | 1976年02月25日 | 1970年代 | コーチン造船所は最初の船(75,000トン)の建造に着手した。 |
DIA-302-1976-02-25-2 | インド | 1976年02月25日 | 1970年代 | 政府は3月10日から郵便・電報・電話・テレックスなどの料金を値上げする。 |
DIA-302-1976-02-25-3 | インド | 1976年02月25日 | 1970年代 | 憲法改正に関して,ゴーカレ法相は,改正を,政府は検討中である,現行の議会制民主主義を変更するつもりはない,違憲立法審査権について司法の法的権限の範囲を規制すべきだとの一般的見解がある,とのべる。 |
DIA-302-1976-02-26-1 | インド | 1976年02月26日 | 1970年代 | 会議派憲法改正委(10人委)任命―S.Singh(前国防相)議長,A.R.Antulay,S.S.Ray,Rajni Patel,H.R.Gokhale,V.A.S.Muhamad,V.N.Gadgil,C.M.Stepher,D.P.Singh,D.C.Goswamy. |
DIA-302-1976-02-26-2 | インド | 1976年02月26日 | 1970年代 | 大小合わせて36のテレビ工場のうち15工場が需要不足のため生産を中止している。 |
DIA-302-1976-02-29-1 | インド | 1976年02月29日 | 1970年代 | 中央統計局(CSO)の速報によれば,1974-75年の国民所得は0.2%の増加となっている。 |
DIA-302-1976-04-01-1 | インド | 1976年04月01日 | 1970年代 | 繊維に対する輸出補助金を1年間継続―政府は繊維に対する輸出補助金を四半期ごとから1年間に延長することに決定した。 |
DIA-302-1976-04-01-2 | インド | 1976年04月01日 | 1970年代 | 政府は,パキスタン外務省の声明「パはインドと相互の利益となる事項について折衝に入る用意がある」に留意する,インドは常に,パと平和的手段により相互の相異を解決する折衝に入る用意がある(B.P.ダス外務次官上院答弁)。 |
DIA-302-1976-04-03-1 | インド | 1976年04月03日 | 1970年代 | 農産物価格委員会は1976-77年度の原料ジュートの最低価格をキンタール当り140ルピー(現行価格より5ルピー高)にするよう勧告した。 |
DIA-302-1976-04-03-2 | インド | 1976年04月03日 | 1970年代 | 1975-76年度鉄鋼生産量は577万トン―SAILの発表によれば,1975-76年度の販売用鋼生産量は前年比18%増の577.5万トンとなった。 |
DIA-302-1976-04-04-1 | インド | 1976年04月04日 | 1970年代 | チャバン外相,トルコ訪問を終える。インド・トルコ共同コミュニケ発表。 |
DIA-302-1976-04-05-1 | インド | 1976年04月05日 | 1970年代 | 在外インド人の投資に優遇措置―中央政府は非居住者インド人がインドのプライオリティ・セクターの企業に投資する場合に各種の優遇措置を認めることを決定した。 |
DIA-302-1976-04-06-1 | インド | 1976年04月06日 | 1970年代 | イラクは1979年中に400万トンの原油を供給することに同意した。 |
DIA-302-1976-04-07-1 | インド | 1976年04月07日 | 1970年代 | インドへの送金は月平均6~7億ルピーと推定されており,低い方の数字をとっても年間72億ルピーにものぼり,在外インド人の送金が外貨準備増加に大きく寄与している。 |
DIA-302-1976-04-07-2 | インド | 1976年04月07日 | 1970年代 | T.ギリ,ネパール首相訪印,ガンジー首相と会談した。 |
DIA-302-1976-04-09-1 | インド | 1976年04月09日 | 1970年代 | インドは東独から5隻の貨物船を輸入する契約を結んだ。引渡しは1978-80年。 |
DIA-302-1976-04-09-2 | インド | 1976年04月09日 | 1970年代 | 1975-76年の原油生産は828万トン―前年の生産量は749万トンなので10.6%増。 |
DIA-302-1976-04-10-1 | インド | 1976年04月10日 | 1970年代 | 1975-76年のアルミ生産量は前年の12.7万トンに対し18.6万トンとなった。 |
DIA-302-1976-04-10-2 | インド | 1976年04月10日 | 1970年代 | サマーチャルの報道によれば,インドは中国と大使の交換を検討中である。 |
DIA-302-1976-04-12-1 | インド | 1976年04月12日 | 1970年代 | 1973-74年の州別1人当り国民所得はパンジャブ州が1105ルピーでトップ,次いでマハラシュトラ州の1080ルピーとなっている。全国平均は850ルピー。 |
DIA-302-1976-04-12-2 | インド | 1976年04月12日 | 1970年代 | 1975-76年のエコノミック・タイムス紙ボンベイ小売物価指数は前年比2.7%上昇で全体として安定傾向を示している。 |
DIA-302-1976-04-12-3 | インド | 1976年04月12日 | 1970年代 | 1976-77年度の輸入政策は20項目経済政策に沿って,輸入の自由化と輸入許可証発行のじん速化をさらにすすめている。 |
DIA-302-1976-04-12-4 | インド | 1976年04月12日 | 1970年代 | 首相はウッタル・プラデシュのラエバレリ近くの村でパダヤートラ(農村行脚)を開始する。 |
DIA-302-1976-04-13-1 | インド | 1976年04月13日 | 1970年代 | 憲法改正のためのS.シン委員会で,国会の優位を確立し,州の治安について中央権限を強化,一定の分野で司法権を制限するなどの大幅な改正を求める議論がでる。 |
DIA-302-1976-04-13-2 | インド | 1976年04月13日 | 1970年代 | バンダラナイケ・スリランカ首相はデリーに立寄り,8月開催の非同盟会議について,インド首脳と話合う。 |
DIA-302-1976-04-15-1 | インド | 1976年04月15日 | 1970年代 | S.ラハトギ外務政務次官は外国企業の株式所有に関する外国為替規制法29条のガイドラインについて下院で説明した。 |
DIA-302-1976-04-15-2 | インド | 1976年04月15日 | 1970年代 | 中国との大使交換を決定。 |
DIA-302-1976-04-15-3 | インド | 1976年04月15日 | 1970年代 | 印ソ通商協定1976-1980締結。 |
DIA-302-1976-04-16-1 | インド | 1976年04月16日 | 1970年代 | アメリカの原子力規制委員会はタラプール原子力発電所用の濃縮ウラン2.1kgの輸出を差止めた。 |
DIA-302-1976-04-16-2 | インド | 1976年04月16日 | 1970年代 | インド,IMFに6200万SDRを返済―インドは1974年,1975年中にIMFより75.7億ルピー借出していたが,このほどコンペンセイトリー・ファイナンシング・ファシリティー(CFF)による引出し分6200万SDR(6.5億ルピー)を返済した。 |
DIA-302-1976-04-17-1 | インド | 1976年04月17日 | 1970年代 | 中国,インドに大使派遣を発表,また,駐中国インド大使にK.R.ナラヤナンが任命されたことを承認。 |
DIA-302-1976-04-18-1 | インド | 1976年04月18日 | 1970年代 | 1976-77年度の輸出増加目標は15~16%―商務省は1976-77年度の輸出目標を前年の380億ルピーの15~16%増の430~410億ルピーとしている。 |
DIA-302-1976-04-19-1 | インド | 1976年04月19日 | 1970年代 | インドとパキスタンは,今月にはいって両国首相が書簡を交換した結果,パキスタンはICAOへの提訴をとり下げることを提案(3月27日のブット書簡),インドは,外交関係再開について討議の用意があることを示し(4月11日のガンジー書簡),両国の話合い再開に希望が持たれるようになった。(サマーチャール) |
DIA-302-1976-04-20-1 | インド | 1976年04月20日 | 1970年代 | クドレムグ鉱山の開発が始まり,今年中に10億ルピーの支出が行われる予定。 |
DIA-302-1976-04-20-2 | インド | 1976年04月20日 | 1970年代 | バングラデシュ国境で19,20日交戦があり,インド政府は,バングラ政府に対し挑発発砲に強く抗議し,この事件の調査を求めた。 |
DIA-302-1976-04-20-3 | インド | 1976年04月20日 | 1970年代 | シャンカル・ゴーシュ西ベンガル州蔵相,中央政府の計画担当相として1.K.グジュラルの後任に任命される。 |
DIA-302-1976-04-21-1 | インド | 1976年04月21日 | 1970年代 | ソ連が最大の茶輸入国に―インドは1975年中に24.4億ルピーの茶を輸出したが,最大の輸入国は従来の英国を抜いてソ連となった。ソ連の輸入量は724億ルピー,イギリスは5.02億ルピー。 |
DIA-302-1976-04-21-2 | インド | 1976年04月21日 | 1970年代 | 19日のデリー暴動について,内務省プレスノート発表される。それによれば,不法占拠住宅の取り壊しに反対する主婦ら80人が騒ぎだし,近くのモスクから礼拝を終えて出てきた群衆約3000人が合流し投石などを始め,暴動に拡大した。警察は催涙ガスを用いたが平静にならず,発砲せざるをえなかった。3名が即死,2名が病院に運ばれた後死亡,12人が負傷した。この地帯に外出禁止命がしかれている。 |
DIA-302-1976-04-22-1 | インド | 1976年04月22日 | 1970年代 | 政府はジュート製品に対する輸出税を全廃することに決定し,ただちに実施した。 |
DIA-302-1976-04-22-2 | インド | 1976年04月22日 | 1970年代 | エンジニアリング輸出企業の補充ライセンスによるステンレス鋼の輸入を自由化した。 |
DIA-302-1976-04-22-3 | インド | 1976年04月22日 | 1970年代 | ラジオ・パキスタンによれば,パキスタンは,ブット大統領からガンジー首相に返書を送り,航空路再開,上空通過,外交関係復活を討議するためインド代表団を受け入れる用意があることを示した。 |
DIA-302-1976-04-24-1 | インド | 1976年04月24日 | 1970年代 | インド,アラブ首長国合同会議はアブダビに合弁肥料工場を建設する計画について討議した。 |
DIA-302-1976-04-26-1 | インド | 1976年04月26日 | 1970年代 | インドはEECと石炭輸出契約を結び,7月に2.5万トン,3万トンの2回に分けて船積みする。 |
DIA-302-1976-04-27-1 | インド | 1976年04月27日 | 1970年代 | 印パ,イスラマバードで会談を開くことに合意。 |
DIA-302-1976-04-28-1 | インド | 1976年04月28日 | 1970年代 | 輸出商社(export house)の新基準として輸出額が2年間500万ルピー以上(小企業は250万ルピー)であること,基準年次の輸出がゼロでないことが決められた。 |
DIA-302-1976-04-28-2 | インド | 1976年04月28日 | 1970年代 | MISAによる予防拘禁者は高裁に人身保護令状の発令を求めることができない,との最高裁判決が下された。これは,アラハバード,ポンベイ,デリー,カルナータカ,パンジャープ,マディヤ・プラデシュ,ラージャスタンの高等裁判所が拘禁者の人身保護の請願を支持し釈放を命じる判決を下したことに対し,連邦政府を含む各州政府が最高裁に上告していたものであり,最高裁は連邦政府,州政府の訴えを認めた。審議に出席した最高裁判事5人のうちH.R.カンナ判事は,高裁の持つ人身保護令発令の権限は,憲法の基本的な部分であるとして反対を表明した。 |
DIA-302-1976-04-29-1 | インド | 1976年04月29日 | 1970年代 | 補充輸入許可品目のリストに高炭素銅飯など数品目が追加された。 |
DIA-302-1976-04-29-2 | インド | 1976年04月29日 | 1970年代 | 燐安肥料など4種類の肥料の小売価格はさらに引下げられ,昨年7月以来4回目の引下げとなった。 |
DIA-302-1976-04-29-3 | インド | 1976年04月29日 | 1970年代 | 政府は,現在,強制的産児制限手術には反対であるが,各州が世論の支持をうけて州立法として,経済的な面等での規制措置をとることに反対しない。K.シン厚生相下院で答弁。 |
DIA-302-1976-04-30-1 | インド | 1976年04月30日 | 1970年代 | 1976-77年度電力供給見通し―K.C.パント・エネルギー担当相はモンスーンが正常であれば,1976-77年度の発電量は10~12%増になるが,カルナタカ,マハラシュトラ,マディヤ・プラデシュでは引続き供給制限が行われるとの見通しを明らかにした。 |
DIA-302-1976-05-01-1 | インド | 1976年05月01日 | 1970年代 | ボンベイでは春作の油糧種子の価格が供給増のため下落している。 |
DIA-302-1976-05-01-2 | インド | 1976年05月01日 | 1970年代 | 米の政府買上げ量はすでに目標の460万トンをオーバーし530万トンに達した。 |
DIA-302-1976-05-02-1 | インド | 1976年05月02日 | 1970年代 | 1975-76年度の援助約束は17億ドル―サマチャールによれば,1975-76年度の世界銀行グループとコンソーシャム加盟国の援助コミットメントはこれまでに17億ドルになっている。ディスバースメントは160億ドルになる見通しである。 |
DIA-302-1976-05-02-2 | インド | 1976年05月02日 | 1970年代 | FICCI,インフレ抑制策の緩和を要望―FICCIはレセッションを乗り切り,工業生産の回復を早めるためインフレ抑制策の緩和,とくに金融緩和を政府に強く要望した。 |
DIA-302-1976-05-02-3 | インド | 1976年05月02日 | 1970年代 | 政府は500万トンのオペレイショナル・ストックのほかに1000万トンの食糧ストックを10月末までにつくる計画である。 |
DIA-302-1976-05-03-1 | インド | 1976年05月03日 | 1970年代 | カナダと原子力技術の供与・使用についての話合いを始める。カナダの技術供与は,1974年5月のポカラン核実験以降停止されている。 |
DIA-302-1976-05-03-2 | インド | 1976年05月03日 | 1970年代 | パンジャーブ州は,中央から州への援助の基準は,人口・貧困度よりも,業績や投資からの還元度を考慮するように望む。 |
DIA-302-1976-05-03-3 | インド | 1976年05月03日 | 1970年代 | 送金規則を改正―インド準備銀行は6月1日から海外からのインドへの外貨送金のルピーへのコンバートを支払指図書提示の時点から郵便・電信受領の日に変更する。 |
DIA-302-1976-05-04-1 | インド | 1976年05月04日 | 1970年代 | インドは1976年中に110万トンの原油を輸入する協定を結んだ。 |
DIA-302-1976-05-04-2 | インド | 1976年05月04日 | 1970年代 | 本年度の秋作米の生産目標は5100万トンと設定された。昨年実績は4900万トンと推定されている。 |
DIA-302-1976-05-05-1 | インド | 1976年05月05日 | 1970年代 | 300人以上の労働者を雇用する企業の解雇は労働省の許可制に―労働省は300人以上の労働者を雇用する企業のレイオフ,解雇,工場閉鎖にはspecified authorityの事前許可を必要とするという公告を出した。 |
DIA-302-1976-05-05-2 | インド | 1976年05月05日 | 1970年代 | 昨年末までの自発的脱税申告者は25.5万人―昨年12月31日までの脱税の自発的申告者数は25.5万人,申告額は158.7億ルピー。このうち1975-76年度の徴税分は20.8億ルピー,今年度は4.8億ルピーが見込まれている。 |
DIA-302-1976-05-05-3 | インド | 1976年05月05日 | 1970年代 | B.レッディ内相は,下院で,いくつかの州で,過激派,反動勢力による暴力事件が生じている,これら事件の詳細を公表することは公の利益に反する,と答弁。 |
DIA-302-1976-05-06-1 | インド | 1976年05月06日 | 1970年代 | カナダと原子力発電プラントに関する援助で大筋合意に達した。 |
DIA-302-1976-05-06-2 | インド | 1976年05月06日 | 1970年代 | 秋作米の政府買上げ量は目標の460万トンに達し,8州で目標を上回つた。 |
DIA-302-1976-05-06-3 | インド | 1976年05月06日 | 1970年代 | 野党,予算国会を控えて,戦略協議のため会談を開く。タミル・ナドゥの大統領統治に反対することを決定。 |
DIA-302-1976-05-06-4 | インド | 1976年05月06日 | 1970年代 | ファラッカ会談,カルカッタで開かれる。 |
DIA-302-1976-05-07-1 | インド | 1976年05月07日 | 1970年代 | チャラン・シンBLD委員長釈放される。 |
DIA-302-1976-05-07-2 | インド | 1976年05月07日 | 1970年代 | IAの1975-76年度の利益は約4000万ルピー(前年度は1350万ルピー)でこれまでの最高を記録した。 |
DIA-302-1976-05-08-1 | インド | 1976年05月08日 | 1970年代 | 中央銀行は外国為替の取引を2日間停止していたが,8日対ポンド直物レートを2.09%切上げ,新レートを1ポンド17.80ルピー(売り)と決めた。 |
DIA-302-1976-05-08-2 | インド | 1976年05月08日 | 1970年代 | 1975ー76年エコノミック・サーベイ発表―C.スブラマニアム蔵相は例年より2週間ほど遅れてエコノミック・サーペイを議会に提出した。 |
DIA-302-1976-05-08-3 | インド | 1976年05月08日 | 1970年代 | サマーチャールによれば,インド初のスズ鉱床がMP州のバスタール・ディストリクトで発見された。 |
DIA-302-1976-05-08-4 | インド | 1976年05月08日 | 1970年代 | 憲法改正S.シン委員会初会合。 |
DIA-302-1976-05-08-5 | インド | 1976年05月08日 | 1970年代 | 上院,タミル・ナドゥの大統領統治を承認。 |
DIA-302-1976-05-08-6 | インド | 1976年05月08日 | 1970年代 | 外国人バイヤーの機械類購入にクレジットを供与することに政府は原則的に同意した。 |
DIA-302-1976-05-09-1 | インド | 1976年05月09日 | 1970年代 | 上院,外国献金(規制)法案を可決,個人,団体が外国から献金を受け,使用する場合の規制を強化する。 |
DIA-302-1976-05-09-2 | インド | 1976年05月09日 | 1970年代 | チャバン外相は下院で,ファラッカ問題はいかなる状況になっても放棄しないと答弁,また,2月11日に,バングラデシュに対し,干期の水の利用についての話合いを持つようよびかけたことを明らかにした。 |
DIA-302-1976-05-09-3 | インド | 1976年05月09日 | 1970年代 | 1976年1月の金・外貨準備は95.77億ルピー―1976年1月の金・外貨準備はIMFからの引出し20.7億ルピーを除いても1975年3月に比べて14億ルピーの増。増加は援助の流入増と海外送金の増加によるものである。1975年7-12月の月平均海外送金額は10億ルピーとなっている。 |
DIA-302-1976-05-10-1 | インド | 1976年05月10日 | 1970年代 | K.トリパティ鉄道相は貨物運賃を5-10%引上げ,旅客運賃を据置く1976-77年度鉄道予算を発表した。 |
DIA-302-1976-05-10-2 | インド | 1976年05月10日 | 1970年代 | ホベイダ・イラン首相訪印。 |
DIA-302-1976-05-10-3 | インド | 1976年05月10日 | 1970年代 | 改憲のためのS.シン委員会は憲法への重要な改正を提案するため,国会議員と討議し,その意見を求める。委員会はすでに暫定案を出しており,州会議派委員会がこの案を検討中である。 |
DIA-302-1976-05-11-1 | インド | 1976年05月11日 | 1970年代 | グジャラート州議会で人民戦線州政府は,バローダ事件に関連して非難される。バローダ事件とは3月9日にバローダ市の輸送会社倉庫から,ダイナマイトが大量に発見され,人民戦線の市会議員を含む数人が逮捕された事件である。会議派州議会議員は,この事件について,CBI(中央情報局)の調査を要求。 |
DIA-302-1976-05-11-2 | インド | 1976年05月11日 | 1970年代 | I.K.グジュラル(放送・情報相)ソ連大使に任命される。 |
DIA-302-1976-05-11-3 | インド | 1976年05月11日 | 1970年代 | 下院,ナガランドの大統領直轄統治の6ヵ月延長を承認,9日には上院の承認を得ている。 |
DIA-302-1976-05-11-4 | インド | 1976年05月11日 | 1970年代 | 印パ会談,イスラマバードで開かれる。インド側は,メータ外務次官らの代表団を派遣。 |
DIA-302-1976-05-12-1 | インド | 1976年05月12日 | 1970年代 | グジャラー卜州大統領統治下にはいる―1975年6月18日に誕生したジャナタ・フロント人民戦線州政府は州予算案が89対87で否決されたあと辞任。 |
DIA-302-1976-05-12-2 | インド | 1976年05月12日 | 1970年代 | 中央銀行は市中銀行の貸し最高金利を16.5%に制限した。実施は3月15日から。 |
DIA-302-1976-05-13-1 | インド | 1976年05月13日 | 1970年代 | 政府は,M.バシャニのファラッカ平和行進(5月16日に予定)を中止するようバングラデシュに要請した。同時に,国境の平穏を保つための予防措置をとるよう国境警備隊に命令した。 |
DIA-302-1976-05-14-1 | インド | 1976年05月14日 | 1970年代 | 外国企業の人員のインド人化進む―外資が所有または支配している在印企業における月給2000ルピー以上の外国人の数は1964年1月1日の2696人から1974年1月1日には623人に減少している。一方,インド人の数は3736人から1万2616人に増加した。 |
DIA-302-1976-05-14-2 | インド | 1976年05月14日 | 1970年代 | 印パ共同声明に調印―近いうちに大使を交換する,鉄道,道路,航空路,上空通過の再開,両国民の交通の復活などについて合意。 |
DIA-302-1976-05-15-1 | インド | 1976年05月15日 | 1970年代 | 1976-77年度予算は例年より約2週間おくれて議会に提出された。経常勘定と資本勘定の支出合計は1297億ルピーで前年度当初予算比20.4%増。 |
DIA-302-1976-05-15-2 | インド | 1976年05月15日 | 1970年代 | S.シン委員会,2回目の会合。 |
DIA-302-1976-05-15-3 | インド | 1976年05月15日 | 1970年代 | オリッサでボーキサイトを発見―サマーチャールによれば,インド地質研究所は一次調査でオリッサの南部および西部のディストリクトで10.5億トンのボーキサイトを発見した。 |
DIA-302-1976-05-15-4 | インド | 1976年05月15日 | 1970年代 | 1976年中にソ連から石油製品130万トン輸入予定―インドは1966年中にソ連から灯油80万トン,軽油50万トンを輸入する予定である。輸入量は前年より9万トン増。 |
DIA-302-1976-05-15-5 | インド | 1976年05月15日 | 1970年代 | 中央政府大蔵省1975-76年報告書によれば,1975年の民間企業の資本発行額は25.5億ルピー(381社)で前年の19.9億ルピー(338社)より5億ルピ-ほどふえている。 |
DIA-302-1976-05-16-1 | インド | 1976年05月16日 | 1970年代 | インド・ジュート公社は34.5万ベイルのジュートメスタの輸入計画を発表した。 |
DIA-302-1976-05-16-2 | インド | 1976年05月16日 | 1970年代 | グジャラート州が土地保有制限の上限を引下げ―G.オジャ内閣時代に成立しながらグジャラート高等裁判所への差止訴訟が出されていた上限の引下げ土地保有法が4月1日から施行される。ドライ・クロップ・,ランドの上限は132エーカーから54エーカーに引下げられる。 |
DIA-302-1976-05-16-3 | インド | 1976年05月16日 | 1970年代 | 8州政府は,中央政府に対し,農業所得に課税する考えのないことを通告。 |
DIA-302-1976-05-17-1 | インド | 1976年05月17日 | 1970年代 | 独占禁止委員会はヒンドスタン・レバーと問屋の間で結ばれ穴協定の5条を修正し,9条を無効にした。この2つの条項は再販価格の維持,販売地域などを規定しており,これが制限的取引き行為にあたるため。 |
DIA-302-1976-05-17-2 | インド | 1976年05月17日 | 1970年代 | 外務省スポークスマンの発表。「エジプトは先ごろインドに対し,MIG21の部品の供給を要請したが,“契約上の点で(対ソ連)”これは可能ではない。インドは,この要請に対しすぐ返答を出し,エジプト政府は我々の状況を完全に理解したと思う。」 |
DIA-302-1976-05-17-3 | インド | 1976年05月17日 | 1970年代 | 独占禁止委員会(MRTPC)はマヒンドラ・アンド・マヒンドラ社に制限的取引行為をやめるように命令した。 |
DIA-302-1976-05-18-1 | インド | 1976年05月18日 | 1970年代 | 3月17日に受けとったファラッカに関するバングラデシュの返書で,バングラが干期のみならず年間を通じての水の配分を言い出した点について,政府は,水の配分は干期についてだけであり,他の時期は流水不足よりむ,しろ洪水の恐れがあるほどで,関係ないと発表。 |
DIA-302-1976-05-18-2 | インド | 1976年05月18日 | 1970年代 | 1976年財政法によって法人部門が受ける恩恵は9.6億ルピー。 |
DIA-302-1976-05-18-3 | インド | 1976年05月18日 | 1970年代 | インドはハルディア製油所のために1976年中に300万トンの原油を輸入する契約をイラクと結んだ。 |
DIA-302-1976-05-18-4 | インド | 1976年05月18日 | 1970年代 | 印パ合同貿易委員会を設置―印パは次官レベルの合同貿易委員会を設置することを決定した。 |
DIA-302-1976-05-19-1 | インド | 1976年05月19日 | 1970年代 | 肥料の購入,取扱い,輸入チッソ肥料の販売業務は3月1日から食糧公団が担当する。 |
DIA-302-1976-05-19-2 | インド | 1976年05月19日 | 1970年代 | インドのICIグループは4月1日から会長にインド人のA.L.Mudaliar氏を起用する。インド人がICIの会長になるのは初めて。 |
DIA-302-1976-05-19-3 | インド | 1976年05月19日 | 1970年代 | 大統領制への移行の意図はなく,これを主張している文書の流布には政府は関与していない,と,V.A.S.モハメド法務担当相は上院でのべる。 |
DIA-302-1976-05-19-4 | インド | 1976年05月19日 | 1970年代 | ナガランドのナガ民族戦線,会議派と合併。 |
DIA-302-1976-05-20-1 | インド | 1976年05月20日 | 1970年代 | インドは北朝鮮と1966-67年度の貿易協定を結んだ。貿易量は前年度の1.2億ルピーに対し2.7億ルピー。 |
DIA-302-1976-05-20-2 | インド | 1976年05月20日 | 1970年代 | TISCOは1-2月中に2195人の臨時雇いの労働者を解雇した。 |
DIA-302-1976-05-20-3 | インド | 1976年05月20日 | 1970年代 | 原綿の輸入に35億ルピー割当一大蔵省は本年度中に15万ベイルの原綿を輸入することを決定した。 |
DIA-302-1976-05-20-4 | インド | 1976年05月20日 | 1970年代 | 中央政府はスチール・ワークス・コンストラクション(SAILの子会社)をクドレムク鉱山のコントラクターに指名した。 |
DIA-302-1976-05-20-5 | インド | 1976年05月20日 | 1970年代 | 南ベトナム,ビン外相訪印。 |
DIA-302-1976-05-20-6 | インド | 1976年05月20日 | 1970年代 | カナダは対印原子力援助の停止を決定。 |
DIA-302-1976-05-21-1 | インド | 1976年05月21日 | 1970年代 | 1975年の平均工業生産指数は前年比3.9%アップ。75年12月の前年同月比は8%アップ。 |
DIA-302-1976-05-21-2 | インド | 1976年05月21日 | 1970年代 | ボンベイ・ハイの2っの油井が21日から商業生産を始めた。産出量は日産4280バレル。 |
DIA-302-1976-05-21-3 | インド | 1976年05月21日 | 1970年代 | 憲法改正(40次)法案を下院に提出。297条で,インドの資源統治権を領海内もしくは大陸棚にとどめているのを,排他的経済水域内の地下資源その他にまで及ぼさせる。また9th Scheduleを拡大して64の連邦・州法を加え,これらが,基本権の侵害を理由に法廷で争われることを阻む。 |
DIA-302-1976-05-21-4 | インド | 1976年05月21日 | 1970年代 | アメリカは,タラプールでの米援助による原子力プラントに濃縮ウランを出荷する許可を与える。 |
DIA-302-1976-05-22-1 | インド | 1976年05月22日 | 1970年代 | 自動車メーカー3社は需要喚起のため約4000ルピー(連邦消費税の引下げ分2500ルピーを含む)値下げすることに決定した。 |
DIA-302-1976-05-22-2 | インド | 1976年05月22日 | 1970年代 | 全国的陸上輸送ができるナショナル・パーミットがこれまでに482件発給された。 |
DIA-302-1976-05-22-3 | インド | 1976年05月22日 | 1970年代 | NTC(国営繊維公社)は1975-76年度に6.073億ルピーの赤字を出した。赤字額は前年より74%増。 |
DIA-302-1976-05-22-4 | インド | 1976年05月22日 | 1970年代 | S.シン委員会はファイナル・レポートを会議派総裁に提出した。内容は,非常事態宣言は国の一部分に出すことができる,国会の憲法改正の権限は法廷で問われない,前文に“自治・非宗教・社会主義”をつけくわえる,前文にある“国家の統一”を“国家の統一と統合”とする,農業,教育を州管轄事項から,中央・州の共同管轄事項に移す,など。 |
DIA-302-1976-05-23-1 | インド | 1976年05月23日 | 1970年代 | スリランカと海上領域決定の協定に調印。 |
DIA-302-1976-05-24-1 | インド | 1976年05月24日 | 1970年代 | K.C.パント・エネルギー相は石炭を消費する国営企業に石炭の引取りを指示した。今年3月の山元の貯炭量は1034万トンで前年同月より337万トン多い。 |
DIA-302-1976-05-24-2 | インド | 1976年05月24日 | 1970年代 | 中央政府はコンピューターのメインテナンスのためComputer Maintenance Corporationを近く設立することを決定した。 |
DIA-302-1976-05-25-1 | インド | 1976年05月25日 | 1970年代 | 中央政府はラビの小麦の政府買入れ価格キンタール105ルピーを維持する決定をした。 |
DIA-302-1976-05-25-2 | インド | 1976年05月25日 | 1970年代 | ケララ州議会の任期を6ヵ月延長する法案が上院で可決される。 |
DIA-302-1976-05-25-3 | インド | 1976年05月25日 | 1970年代 | モーター・インダスリー社はソ連より300万個以上の点火プラグ(1000万ルピー)を受注した。 |
DIA-302-1976-05-25-4 | インド | 1976年05月25日 | 1970年代 | インドは毎年耕地の1%を喪失―経済科学調査基金(ESRF)の調査によれば,インドは毎年耕地の約1%を喪失しており,全耕地3.06億ヘクタールのうち1.45億ヘクタールがエロージョンの脅威にさらされており,土じょう,水保全措置を必要としている。 |
DIA-302-1976-05-25-5 | インド | 1976年05月25日 | 1970年代 | J.P.ナラヤンはボンベイで記者会見を行い,野党会議派,BLD,ジャンサン,社会党からなる新党を結成する方針を発表した。 |
DIA-302-1976-05-25-6 | インド | 1976年05月25日 | 1970年代 | 中央政府は今年度中に約80万トンのチッソ肥料の輸入を決定し,すでに約60%の契約を終わったとみられている。 |
DIA-302-1976-05-26-1 | インド | 1976年05月26日 | 1970年代 | 印米会議が外国投資に関する共同コミュニケを発表―ニューデリーで開かれていた印米会議は「対印外国投資の受入れおよび,投資が行われたあとの安定性に関する現実的で明確な法律を作ることの重要性」を強調する共同コミュニケを発表した。 |
DIA-302-1976-05-26-2 | インド | 1976年05月26日 | 1970年代 | S.ゴーシュ計画担当相は1976-77年度の年次計画を議会に提出したが,規模は785.2億ルピーで前年比31.4%増。 |
DIA-302-1976-05-27-1 | インド | 1976年05月27日 | 1970年代 | 海外での合弁企業設立のための送金を自由化―D.P.チャトッパダヤ商相は一定の地域に限って合弁のために,プロジェクトに必要な準備経費以外の送金を認めることに決定したことを明らかにした。 |
DIA-302-1976-05-27-2 | インド | 1976年05月27日 | 1970年代 | 上院議員選挙,会議派が3分の2以上の議席を獲得。 |
DIA-302-1976-05-27-3 | インド | 1976年05月27日 | 1970年代 | 政府はプレスノートで,ファラッカからの取水を減量することを独自に決定したと発表,しかし現取水量および減量後の量は明記されていない。 |
DIA-302-1976-05-27-4 | インド | 1976年05月27日 | 1970年代 | 機械類97品目に対する輸出補助金は従来通りの率で77年3月末まで継続する。 |
DIA-302-1976-05-27-5 | インド | 1976年05月27日 | 1970年代 | 綿紡績会社は安価な綿布の価格を消費者団体の要求を入れ,3~5%値下げすることを決定した。 |
DIA-302-1976-05-27-6 | インド | 1976年05月27日 | 1970年代 | 上院,憲法改正(40次)案を可決。 |
DIA-302-1976-05-28-1 | インド | 1976年05月28日 | 1970年代 | スブラマニアム蔵相は経済記者との会見で外国投資は主として輸出拡大余地の大きいところに限定すると語った。 |
DIA-302-1976-05-28-2 | インド | 1976年05月28日 | 1970年代 | 対印債権国会議は1976-77年分として17億ドルをプレッジした。 |
DIA-302-1976-05-28-3 | インド | 1976年05月28日 | 1970年代 | IBM,ICLは販売・サービス活動を2年以内に中止するようにエレクトロニクス・デパートメントは決定した。 |
DIA-302-1976-05-28-4 | インド | 1976年05月28日 | 1970年代 | 会議派運営委,シン委員会レポートを承認。 |
DIA-302-1976-05-29-1 | インド | 1976年05月29日 | 1970年代 | 政府はバングラデシュに対し,ガンジス河の水の分配の話合いにバングラを招くと同時に,ファラッカでの取水の影響を専門家による調査委員会を設けて調査することを提案する文書を送った。 |
DIA-302-1976-05-29-2 | インド | 1976年05月29日 | 1970年代 | 下院,外国献金(規制)法案を可決。 |
DIA-302-1976-05-29-3 | インド | 1976年05月29日 | 1970年代 | 駐北京代理大使はブット首相主催晩さん会で,ブット首相が,ジャム・カシミール問題は民族自決により解決すべきだと演説したのに抗議して,退場。 |
DIA-302-1976-05-29-4 | インド | 1976年05月29日 | 1970年代 | アメリカは1975年10月1日から始まる年度の綿繊維製品のインドの輸出ワク引上げを拒否した。 |
DIA-302-1976-05-29-5 | インド | 1976年05月29日 | 1970年代 | AICC,憲法改正レポートを採択―インドの国体を自治・民主・非宗教・社会主義共和国とする,国会は憲法のいかなる部分でも改正する権限を持つ,中央政府は国のどの部分にでも警察・治安軍を送る権限を持つ,政府は国の一部に非常事態を宣言できる等の原案に,国民のになう基本義務と目的を加え,また,共管リストへの移行を提案した農業については州管轄事項にとどめるよう,これを削除し,教育だけを共管とする。 |
DIA-302-1976-05-30-1 | インド | 1976年05月30日 | 1970年代 | ブルック・ポンドとリプトンに株式保有比率引下げを命じる―政府はインドにある2大製茶会社のブルック・ポンドとリプトンに2年間内に株式保有比率を40%まで引下げるように命じた。 |
DIA-302-1976-05-30-2 | インド | 1976年05月30日 | 1970年代 | 機械製品12品目に対する輸出補助金の支払を4月1日から1年間とした。 |
DIA-302-1976-05-30-3 | インド | 1976年05月30日 | 1970年代 | 政府はWyeth(Ⅰ)Private Ltd.とJohn Wyeth Bros Private Ltd.の2外国製薬会社に対して1年以内にインドでの営業をやめるように命じた。 |
DIA-302-1976-05-30-4 | インド | 1976年05月30日 | 1970年代 | アルジェで,非同盟諸国外相会議開かれる。 |
DIA-302-1976-05-31-1 | インド | 1976年05月31日 | 1970年代 | IBMは株式持分を40%まで引下げられないと政府に通告した。 |
DIA-302-1976-05-31-2 | インド | 1976年05月31日 | 1970年代 | 中央政府はバチンダとパーニパットに建設する肥料工場のコンサルタント会社に西独のVeba Chehile社を指名した。 |
DIA-302-1976-06-01-1 | インド | 1976年06月01日 | 1970年代 | 中央政府,工業ライセンスの実施に期限―政府は過去に多くのライセンスが発給されながらそれが実行されないことに対処するため,仮許可証のライセンスへの転換は1年間,ライセンスの発給から企業の設立までは2年間のタイム・リミットを設定した。 |
DIA-302-1976-06-01-2 | インド | 1976年06月01日 | 1970年代 | Projects and Equipment Corporationはドバイの送電塔プロジェクトを国際入札で受注した。 |
DIA-302-1976-06-03-1 | インド | 1976年06月03日 | 1970年代 | パキスタン経由での第3国への貨物輸送に関する話合いは失敗した。 |
DIA-302-1976-06-04-1 | インド | 1976年06月04日 | 1970年代 | A.P.シンデ食糧・農業担当相は今年は米と綿花を輸入しなくてもやっていけると語った。 |
DIA-302-1976-06-05-1 | インド | 1976年06月05日 | 1970年代 | 中央政府はビタミンCの国内生産が増加したため輸入を禁止した。 |
DIA-302-1976-06-05-2 | インド | 1976年06月05日 | 1970年代 | サンジャイ・ガンジー夫妻,S.ゴーシュ計画相,タシケントに出発。 |
DIA-302-1976-06-06-1 | インド | 1976年06月06日 | 1970年代 | ソ連とインドはインドが繊維製品を輸出,原綿を輸入することに合意した。 |
DIA-302-1976-06-06-2 | インド | 1976年06月06日 | 1970年代 | ジャム・カシミール州前首相ミル・カシムは,中央政府の無任所相として入閣する。 |
DIA-302-1976-06-07-1 | インド | 1976年06月07日 | 1970年代 | MMTCは台湾に55万トン(約2億ルピー)の石炭輸出を成約した。 |
DIA-302-1976-06-08-1 | インド | 1976年06月08日 | 1970年代 | 1976-77年度の中央政府予算の消費支出は前年比4.3%の増が見込まれており,前年度実績の18%増に比べると増加率が著しく小さくなっている。 |
DIA-302-1976-06-08-2 | インド | 1976年06月08日 | 1970年代 | ガンジー首相訪ソ―ブレジネフと会談。 |
DIA-302-1976-06-09-1 | インド | 1976年06月09日 | 1970年代 | ガンジー・ブレジネフ会談。 |
DIA-302-1976-06-10-1 | インド | 1976年06月10日 | 1970年代 | ガンジー・ブレジネフ非公式会談。 |
DIA-302-1976-06-10-2 | インド | 1976年06月10日 | 1970年代 | 社会党リーダーで地下潜行中だったG.フェルナンデスはカルカッタで逮捕された。 |
DIA-302-1976-06-11-1 | インド | 1976年06月11日 | 1970年代 | 印ソ共同宣言に調印―カンジー首相は記者会見で,中印大使交換決定は印ソ友好の障害には,ならない,ソ連は,我々の立場を理解していると思うとのべた。 |
DIA-302-1976-06-12-1 | インド | 1976年06月12日 | 1970年代 | ケララ州では例年5月29日頃モンスーンが到来するが今年は遅れており,田植えがおくれている。 |
DIA-302-1976-06-13-1 | インド | 1976年06月13日 | 1970年代 | 首相帰国,印ソ共同宣言発表―1971年の友好条約に基づく友好強化を強調,ソ連は非同盟運動におけるインドの重要かつ積極的な外交政策を高く評価する,両国はインド洋を平和ゾーンとするために協力する。 |
DIA-302-1976-06-14-1 | インド | 1976年06月14日 | 1970年代 | 印パ,領空飛行についての話合いを始める。 |
DIA-302-1976-06-15-1 | インド | 1976年06月15日 | 1970年代 | 外務省スポークスマンは,対バングラデシュ関係打開のため,バングラにC.パルタサルティ外務省政策立案委員長を団長とする特別使節団を18日から22日まで派遣すると発表。一行には,外務・内務・商工・農業・水利など両国間の懸案事項の担当部局メンバーが含まれている。 |
DIA-302-1976-06-15-2 | インド | 1976年06月15日 | 1970年代 | カナダは1976-77年度分として4600万ドル相当の食糧を無償でインドに供与する。 |
DIA-302-1976-06-16-1 | インド | 1976年06月16日 | 1970年代 | 24ヵ月の予防拘禁を認める大統領令―MISAを再修正して予防拘禁期間(現12ヵ月まで)を24ヵ月までとする大統領令が出された。 |
DIA-302-1976-06-16-2 | インド | 1976年06月16日 | 1970年代 | ONGCは今年はモンスーン期もボンベィ・ハイでの石油掘削を続ける。 |
DIA-302-1976-06-17-1 | インド | 1976年06月17日 | 1970年代 | 43品目の連邦消費税を最高25%まで引下げ―政府は基準年に比べて生産がふえている金属・化学製品,セメント・肥料,コーヒー,茶,商業車,トラクターなど43品目の連邦消費税を7月1日から3年間最高25%引下げる。 |
DIA-302-1976-06-17-2 | インド | 1976年06月17日 | 1970年代 | 小麦の政府買上げ量は今年度の目標519.8万トンを上回り,600万トン(前年は320万トン)を突破した。 |
DIA-302-1976-06-17-3 | インド | 1976年06月17日 | 1970年代 | COFEPOSA(外貨取締・密輸防止法)を修正して,理由を明すことなく2年間の拘禁(現12ヵ月まで)を認める大統領令が出される。 |
DIA-302-1976-06-18-1 | インド | 1976年06月18日 | 1970年代 | カルナタカ州ChickmagalurディストリクトのKalasapuraとDevagondanahalliの2つの村でウラニウムを発見した。 |
DIA-302-1976-06-19-1 | インド | 1976年06月19日 | 1970年代 | 政府は従価15%のヤシ皮の繊維に対する輸出税を6月19日から廃止した。 |
DIA-302-1976-06-19-2 | インド | 1976年06月19日 | 1970年代 | インド・バングラデシュ会談―この日,2度にわたる会談後,パルタサラティ団長は,われわれはファラッカ問題を先ずとりあげた,会談は,友好的ふんい気の中で行われたと語った。 |
DIA-302-1976-06-20-1 | インド | 1976年06月20日 | 1970年代 | ポンベイではモンスーンの不調のため穀物の入荷が減り,小麦,ジョワール,グラムなどがキンタール当り10~30ルピー値上がりしている。 |
DIA-302-1976-06-21-1 | インド | 1976年06月21日 | 1970年代 | 印パ,大使名を発表―インドはK.S.バジパイ駐オランダ大使,パキスタンは,S.F.フセイン大統領事務次官。 |
DIA-302-1976-06-21-2 | インド | 1976年06月21日 | 1970年代 | ネパール貿易代表団訪印。貿易の拡大,貿易通商協定の更新などを話合う予定である。 |
DIA-302-1976-06-22-1 | インド | 1976年06月22日 | 1970年代 | バングラ訪問団帰国。成果はえられなかった。 |
DIA-302-1976-06-22-2 | インド | 1976年06月22日 | 1970年代 | 独占禁止委員会(MRTPC)はフィリップス・インディァ社に対し制限的取引行為をやめるように命じた。 |
DIA-302-1976-06-23-1 | インド | 1976年06月23日 | 1970年代 | 政府は,7月15日以降,印パの民間貿易を認めると発表。1974年12月7日に政府部門を通しての貿易が認められており,今回,民間業者の取引も認められた。 |
DIA-302-1976-06-23-2 | インド | 1976年06月23日 | 1970年代 | 印パ間鉄道交通再開の話合いが始まり,ラホール・アムリトサル間に少くとも急行便を1便通すことにまず合意した。 |
DIA-302-1976-06-24-1 | インド | 1976年06月24日 | 1970年代 | ボンベイ・ハイの原油生産は当初の2倍の日産8000バレルに達した。 |
DIA-302-1976-06-25-1 | インド | 1976年06月25日 | 1970年代 | C.スブラマニアム蔵相は1976-77年度の工業成長率は10%になるだろうとの見通しを明らかにした。 |
DIA-302-1976-06-26-1 | インド | 1976年06月26日 | 1970年代 | アーメド大統領,イラン訪問。 |
DIA-302-1976-06-27-1 | インド | 1976年06月27日 | 1970年代 | 1975-76年度の輸出は18%増―インドの1975-76年度の輸出は前年比18%増の394.3億ルピー,輸入は2.1%増の501.8億ルピーと修正発表された。 |
DIA-302-1976-06-28-1 | インド | 1976年06月28日 | 1970年代 | 不況に苦しむジュート業界はカーペット・バッキング2.6万(1.3億ルピー)トンの処理で政府に援助を要請した。 |
DIA-302-1976-06-28-2 | インド | 1976年06月28日 | 1970年代 | 印パ,鉄道交通再開の協定に調印―7月17日~24日頃に,アムリトサル・ラホール間を再開させる。 |
DIA-302-1976-06-30-1 | インド | 1976年06月30日 | 1970年代 | ケララ州はモンスーンが不調―ケララ州は6月末までの降雨量が例年の5分の1で1億ルピーの米の収穫減となると予想されている。 |
DIA-302-1976-07-01-1 | インド | 1976年07月01日 | 1970年代 | プラント輸出に対する現金補助金を1年間継続―政府は6月末で終わるターン・キー・プロジェクトの輸出に対する現金補助金を1年間継続することに決定した。補助率は10%。 |
DIA-302-1976-07-01-2 | インド | 1976年07月01日 | 1970年代 | 独占禁止委員会はクロンプトン・クリーブス社に対して制限的取引行為をやめるように命じた。 |
DIA-302-1976-07-01-3 | インド | 1976年07月01日 | 1970年代 | EC,インド・ジュートの輸入関税を1978年7月までにゼロへーインドとECは新しいジュート貿易協定を結び,インドが輸出量を減らすことを条件にジュートに対する輸入関税を1978年7月までにゼロにすることをとりきめた。 |
DIA-302-1976-07-01-4 | インド | 1976年07月01日 | 1970年代 | 首相,東独を訪問。 |
DIA-302-1976-07-02-1 | インド | 1976年07月02日 | 1970年代 | 政府はセメントのリテンション・プライスをトン当り3.65ルピー値上げすることを決定した。 |
DIA-302-1976-07-02-2 | インド | 1976年07月02日 | 1970年代 | スワラン・シン委員会は,憲法改正提案に,国民の基本義務8件を盛り込むことを勧告。8つの基本義務は,憲法の遵守,国家統一の努力,必要な時に兵役につき国を守る,コミュナリズムを排する,法に従い税金を納める等がふくまれている。 |
DIA-302-1976-07-03-1 | インド | 1976年07月03日 | 1970年代 | インドへの海外送金はふえ続けており,過去6~7週間は7~7.5億ルピーにのぼっており,多い週は8億ルピーに達している。 |
DIA-302-1976-07-03-2 | インド | 1976年07月03日 | 1970年代 | 政府は1974年の会社法に基づく配当制限を7月6日から撤廃することを決定した。 |
DIA-302-1976-07-04-1 | インド | 1976年07月04日 | 1970年代 | 首相,アフガニスタン訪問。 |
DIA-302-1976-07-05-1 | インド | 1976年07月05日 | 1970年代 | ONGCはタンザニア石油開発公社との協定に従い6月16日よりソンゴ・ソンゴ島で石油の掘さくを開始し,1000メートルの地点でガスを掘りあてている。 |
DIA-302-1976-07-06-1 | インド | 1976年07月06日 | 1970年代 | 経済関係省次官会議は貿易情報センターの設立を決定した。これはイギリスの貿易情報センターをモデルにしたもの。 |
DIA-302-1976-07-07-1 | インド | 1976年07月07日 | 1970年代 | インド工業開発銀行は機械購入のための融資限度額を500万ルピーから750万ルピーに引上げた。 |
DIA-302-1976-07-08-1 | インド | 1976年07月08日 | 1970年代 | デリーで非同盟諸国閣僚会議が開かれ,ニュース・プール等を検討した。7月12日まで。 |
DIA-302-1976-07-09-1 | インド | 1976年07月09日 | 1970年代 | 政府は中古コンピューターの輸入を禁止した。 |
DIA-302-1976-07-09-2 | インド | 1976年07月09日 | 1970年代 | 政府は食用油の不足解消のため,STCに食用油を優先的に輸入するように指示した。 |
DIA-302-1976-07-10-1 | インド | 1976年07月10日 | 1970年代 | 政府は自動車,トラクター,たん造,鋳造,繊維機械,工作機械などの業種の近代化と輸出促進のため,技術開発基金を設立した。 |
DIA-302-1976-07-10-2 | インド | 1976年07月10日 | 1970年代 | パキスタンと,航空運行に関する話合いを始める。 |
DIA-302-1976-07-12-1 | インド | 1976年07月12日 | 1970年代 | 駐印中国大使に陳肇源(現スペイン大使)が任命される。 |
DIA-302-1976-07-12-2 | インド | 1976年07月12日 | 1970年代 | 非同盟諸国閣僚会議はニューデリーでニュース・エージェンシー・プ-ル宣言を採択。 |
DIA-302-1976-07-13-1 | インド | 1976年07月13日 | 1970年代 | パキスタンへの輸出に対しても輸出ライセンスが必要とされるようになり,各種のインセンチブの対象となった。 |
DIA-302-1976-07-14-1 | インド | 1976年07月14日 | 1970年代 | 政府はHSP落花生の輸出を禁止した。 |
DIA-302-1976-07-15-1 | インド | 1976年07月15日 | 1970年代 | 月刊誌セミナーに対し,主任検閲官から同誌7月15日版の発行停止処分に対する反対理由提示を求める命令,また内務省から,以降出版の同誌のすべての記事を検閲のため提出するよう求める2命令が出される。 |
DIA-302-1976-07-16-1 | インド | 1976年07月16日 | 1970年代 | 政府は砂糖,食用油,原綿の投機,退蔵を厳しく取締ることを決定した。 |
DIA-302-1976-07-17-1 | インド | 1976年07月17日 | 1970年代 | 政府は1972年に経営権を接収していたIISCOの国有化を決定した。 |
DIA-302-1976-07-17-2 | インド | 1976年07月17日 | 1970年代 | 政府は,州,中央直轄地政府に指示を与え,MISA,DIRその他の手段を用い,物価引下げに努力するよう求めた。 |
DIA-302-1976-07-18-1 | インド | 1976年07月18日 | 1970年代 | 輸出が増加する一方輸入が減少し,2月以来4ヵ月連続貿易収支は黒字となった。 |
DIA-302-1976-07-19-1 | インド | 1976年07月19日 | 1970年代 | 1975~76年度の政府の食糧穀物買上げ量はこれまでの最高の1300万トンとなつた。 |
DIA-302-1976-07-19-2 | インド | 1976年07月19日 | 1970年代 | ソ連と海運協定を調印。 |
DIA-302-1976-07-20-1 | インド | 1976年07月20日 | 1970年代 | 政府は7人の委員で構成する間接税調査委員会を設立した。 |
DIA-302-1976-07-20-2 | インド | 1976年07月20日 | 1970年代 | 政府は輸出品に対する現行の現金補助金を今後3年間続けることにした。 |
DIA-302-1976-07-20-3 | インド | 1976年07月20日 | 1970年代 | 印パ,航空協定に調印し,デリー・ラホール,ボンベイ・カラチ,デリー・カラチ便が21日から運行することになった。明日のインド国内航空第1便でK.S.バジパイ駐パキスタン・インド大使はラホールに,パキスタン航空第1便でS.F.ハッサン,パキスタン大使はラホールからデリーに赴任する。 |
DIA-302-1976-07-20-4 | インド | 1976年07月20日 | 1970年代 | チャバン外相,インドネシア訪問。 |
DIA-302-1976-07-20-5 | インド | 1976年07月20日 | 1970年代 | ステーツマン(ニュ-デリ-)紙に,H.J.D’Penha主任検閲官署名の通知が出され,ステーツマンが印刷を請負っている月刊誌セミナー203号の3論文は,検閲を通さずニュースおよび論評の出版を禁じているDefence and Internal Security of India Rules,1971,に反しており,検閲されていない雑誌を印刷したステーツマンの印刷所を差押えることに対する反対理由の提示を,ステーツマン紙に命じた。 |
DIA-302-1976-07-21-1 | インド | 1976年07月21日 | 1970年代 | 工業開発銀行は輸出産業に対して近代化,競争力のある商品開発のために30億ルピーの融資を計画。 |
DIA-302-1976-07-21-2 | インド | 1976年07月21日 | 1970年代 | 綿花商人の団体である東インド綿花協会は業者の手持ちストックを繊維委員会が妥当とみなす価格でミルに売ることを決定した。 |
DIA-302-1976-07-22-1 | インド | 1976年07月22日 | 1970年代 | 印パを結ぶアムリッツァール―ラホールの鉄道が11年ぶりに再開され,処女列車がラホールに向けて出発した。 |
DIA-302-1976-07-23-1 | インド | 1976年07月23日 | 1970年代 | アメリカよりタラプール原子力発電所用の濃縮ウラン9トンが航空機でインドに輸送された。 |
DIA-302-1976-07-23-2 | インド | 1976年07月23日 | 1970年代 | Century Rayonが口ック・アウト―ボーナス支給率をめぐって対立していたCentury Rayonでは組合員36人が逮捕されたため,組合員がすわり込みストにはいり,会社はこれに対抗してロック・アウトを行った。 |
DIA-302-1976-07-23-3 | インド | 1976年07月23日 | 1970年代 | タミル・ナドウ州は7月26日から産業用電力の供給を30%カットする。 |
DIA-302-1976-07-26-1 | インド | 1976年07月26日 | 1970年代 | セミナー誌,203号の“Fear and Freedom”が事前検閲を求められたため,R.タパル編集長は同誌の廃刊を決定した。また,ボンベイの週刊誌オピニヨンは,州政府の命令で出版停止となった(タイムズ・ロンドン)。 |
DIA-302-1976-07-26-2 | インド | 1976年07月26日 | 1970年代 | CPI-Mは7月24日中央委員会を終え,非常事態以降の政治・経済情勢を分析したステートメントを発表した。そのなかで,憲法改正については「もし,これらの提案が可決されるなら,国会は茶番でしかなく,すべての権力は行政府のものとなろう」とのべ,また,家族計画実施のための諸措置を批判している。野党会議派,ジャン・サン等との反会議派同盟への参加は拒否するが,CPIがその政策の危険性を理解し,CPI-Mと民主勢力に参加することを希望する。 |
DIA-302-1976-07-27-1 | インド | 1976年07月27日 | 1970年代 | Projects and Equipment Corporationはバングラデシュから1560億ルピー相当の繊維機械を受注した。 |
DIA-302-1976-07-27-2 | インド | 1976年07月27日 | 1970年代 | 1975~76年のグジャラート州の綿花生産量は前年より1.4万ベイル少い1713万ベイルとなった。 |
DIA-302-1976-07-29-1 | インド | 1976年07月29日 | 1970年代 | 政府は物価安定のため,たまねぎとじゃがいもの輸出を停止した。 |
DIA-302-1976-07-29-2 | インド | 1976年07月29日 | 1970年代 | インドは昨年契約分の残りのタイ米6万トンを買うことに合意した。 |
DIA-302-1976-07-30-1 | インド | 1976年07月30日 | 1970年代 | タミル・ナドゥ州の農村貧民の借金を帳消し―タミル・ナドゥ州の土地なき農業労働者・農村職人,小農の金融機関以外からの借金を帳消しにする大統領令が出された。 |
DIA-302-1976-07-31-1 | インド | 1976年07月31日 | 1970年代 | 会社問題省は20大財閥に属する会社の経理を中心とした調査を開始した。 |
DIA-302-1976-08-02-1 | インド | 1976年08月02日 | 1970年代 | 政府は経営不振に陥ったNational Company Ltd.の経営権を接収した。同社はインド最大のジュート工場を所有している。 |
DIA-302-1976-08-02-2 | インド | 1976年08月02日 | 1970年代 | 石油天然ガス委員会はボンベイ・ハイとバセインの中間の通称“fault”と呼ばれる地域で石油と天然ガスを掘当てた。 |
DIA-302-1976-08-03-1 | インド | 1976年08月03日 | 1970年代 | 政府はすでに経営権を接収していたMetal Corporation of Indiaを国有化した。 |
DIA-302-1976-08-04-1 | インド | 1976年08月04日 | 1970年代 | 大蔵省は砂糖に対する連邦消費税の税率を15%から10%に引下げた。 |
DIA-302-1976-08-04-2 | インド | 1976年08月04日 | 1970年代 | S.シン委員会レポートにもとづき,AICCの改憲資料が作成された。 |
DIA-302-1976-08-08-1 | インド | 1976年08月08日 | 1970年代 | 中央政府は州政府の1976~77年度の社会住宅計画のために生命保険公社の資金1.77億ルピーを融資することに決定した。金利は7.5%。 |
DIA-302-1976-08-08-2 | インド | 1976年08月08日 | 1970年代 | 憲法改正について,政府と野党との話合いが始まった。ジャン・サン,野党会議派,BLDは共同書簡で,話合いに参加しないことを通告,DMK,CPI-M,SPは,話合う予定である。本日は,ゴーカレ法相,ラグラマイヤ法務担当相,メータ内務担当相,S.シンらが,F.アントニ-(無所属国会議員グループのリーダー)と話し合った。 |
DIA-302-1976-08-09-1 | インド | 1976年08月09日 | 1970年代 | BHELはリビアの発電所建設(総額10.25億ルピー)を受注した。 |
DIA-302-1976-08-09-2 | インド | 1976年08月09日 | 1970年代 | ユース・コングレス大会が9日,10日両日開かれる。約900人の代表がニューデリーに集まり,サンジャィ・ガンジーが開会した。 |
DIA-302-1976-08-09-3 | インド | 1976年08月09日 | 1970年代 | コロンボで,非同盟諸国17カ国協力委員会が開かれる。 |
DIA-302-1976-08-09-4 | インド | 1976年08月09日 | 1970年代 | 野党会議派,ジャン・サン,BLD,社会党は8月10日から始まる国会(改憲案審議)をボイコットすることを決定。CPI-M,DMKも改憲審議をボイコットする。 |
DIA-302-1976-08-09-5 | インド | 1976年08月09日 | 1970年代 | CPI全国委員会(ハイデラバードにて)終了。選挙の延期に反対,シン委員会のほとんどに賛成するが財産権は破棄し農業は共管項目に入れるべきだ,ガンジー首相の20項目計画実施のための全国的大衆運動等を含む7項目計画を作成,会議派との協力を強化するとともに党独自の役割りも強めること等を決議した。 |
DIA-302-1976-08-10-1 | インド | 1976年08月10日 | 1970年代 | ユース・コングレス大会で,サンジャイ・ガンジーのアピールが出され,社会主義インド建設を目的にする,若者の役割への献身,よりよき明日のため理想を追求するという宣言が採択された。若者の役割りとして若者のなすべきことは,20項目計画の実行と,サンジャイ提案の5項目計画(従来の項目,文盲をなくす,持参金制度の廃止,家族計画,植樹に,カースト制の廃止を加えて5項目とする)の実行である。 |
DIA-302-1976-08-11-1 | インド | 1976年08月11日 | 1970年代 | インド航空はカブールへの飛行を5年ぶりに再開する。 |
DIA-302-1976-08-11-2 | インド | 1976年08月11日 | 1970年代 | 世銀はインドに膨大な天然ガスの利用を勧告した。 |
DIA-302-1976-08-11-3 | インド | 1976年08月11日 | 1970年代 | 非同盟外相会議がコロンボで開かれ,F.バンダラナイケ・スリランカ外相を議長に選出した。 |
DIA-302-1976-08-12-1 | インド | 1976年08月12日 | 1970年代 | 工業省は地域的セメント不足解消のため,北インドに6工場(400万トン)の設立を認可する方針。 |
DIA-302-1976-08-13-1 | インド | 1976年08月13日 | 1970年代 | 1976年1~5月の工業生産指数は前年同期比11.8%アップとなっている。 |
DIA-302-1976-08-13-2 | インド | 1976年08月13日 | 1970年代 | HSLは在庫が増大したため,10月末までのビレットの引取りに対してはトン当り150ルピーのリベートを出す。 |
DIA-302-1976-08-13-3 | インド | 1976年08月13日 | 1970年代 | コロンボ外相会議。ルーマニア,ポルトガル,スペインがゲストとして首脳会議への出席が認められる。 |
DIA-302-1976-08-14-1 | インド | 1976年08月14日 | 1970年代 | インドのEngineering Projects India Ltd.は日本のパシフィック・コンサルタント社と共同でクウェートの都市建設を受注した。総額23億ルピー。 |
DIA-302-1976-08-15-1 | インド | 1976年08月15日 | 1970年代 | インドの5月の金・外貨準備は118.5億ルピーに増大した。 |
DIA-302-1976-08-16-1 | インド | 1976年08月16日 | 1970年代 | 中央政府はエッソの残りの株式26%を取得し,完全国有をすることを決定した。 |
DIA-302-1976-08-16-2 | インド | 1976年08月16日 | 1970年代 | 工業省は繊維産業の近代化のため工業開発銀行を通じて今後3年間に450億ドルの融資をする計画を発表した。 |
DIA-302-1976-08-16-3 | インド | 1976年08月16日 | 1970年代 | 第5回非同盟首脳会議がスリランカのコロンボで開かれ,インド代表ガンジー首相が演説。バンダラナイケ・スリランカ首相が議長に選出された。 |
DIA-302-1976-08-16-4 | インド | 1976年08月16日 | 1970年代 | 下院は,拘禁期間を12ヵ月から24ヵ月に延長するMISA修正法案を承認した。 |
DIA-302-1976-08-17-1 | インド | 1976年08月17日 | 1970年代 | インドの貿易収支は2月以来5ヵ月連続黒字で4~6月の貿易収支は10.1億ルピーの黒字となった。 |
DIA-302-1976-08-17-2 | インド | 1976年08月17日 | 1970年代 | デリー高裁は,デリーのステーツマン紙の印刷所差押え命令(7月20日)に対するステーツマン側の異議申し立てに,8月20日までに答弁するよう政府に命じた。これにより,政府は8月20日まで同紙に対し行動をとることができない。 |
DIA-302-1976-08-17-3 | インド | 1976年08月17日 | 1970年代 | 上院は,タミル・ナドゥ,ナガランドの大統領統治をさらに半年間延長することを承認した。 |
DIA-302-1976-08-17-4 | インド | 1976年08月17日 | 1970年代 | コロンボ会議でガンジー首相は新経済秩序,非同盟運動の団結,プレスプール等について演説した。 |
DIA-302-1976-08-19-1 | インド | 1976年08月19日 | 1970年代 | ヤダブ鉄鋼相は本年度の鉄鋼輸出目標を30億ルピーと発表した。 |
DIA-302-1976-08-19-2 | インド | 1976年08月19日 | 1970年代 | 非同盟会議終る。 |
DIA-302-1976-08-19-3 | インド | 1976年08月19日 | 1970年代 | 上院,MISA修正法案を可決。 |
DIA-302-1976-08-19-4 | インド | 1976年08月19日 | 1970年代 | Directorate of Advertising and Visual Publicityからの“秘密,文書が,国営銀行,航空会社も含めるすべての国営部門にまわされ,これら部門が,広告を,ステーツマン(カルカッタ,デリー),トリビューン(チャンディガル)に出さないよう指令した(タイムズ・ロンドン10月14日付)。 |
DIA-302-1976-08-20-1 | インド | 1976年08月20日 | 1970年代 | 燃料政策委員会は工業立地計画と石炭の生産・輸送を整合さすことを政府に勧告した。 |
DIA-302-1976-08-20-2 | インド | 1976年08月20日 | 1970年代 | 特定産業の生産極大化措置を決定―中央政府は紙,セメント,綿繊維,人造繊維,タイヤ・チューブ,砂糖,ジュート・ジュート繊維の生産を最大限にするための措置をただちにとることを決定した。 |
DIA-302-1976-08-21-1 | インド | 1976年08月21日 | 1970年代 | 政府は1976~77年度も石炭価格を前年の水準に据置くことに決定した。 |
DIA-302-1976-08-22-1 | インド | 1976年08月22日 | 1970年代 | 政府はスーダンから落花生油1万トンを買入れ,9月10日までにインドに到着する予定。 |
DIA-302-1976-08-23-1 | インド | 1976年08月23日 | 1970年代 | A.P.シンデ食糧担当相は食糧穀物の輸入をストップする決定を6月に行つたことを明らかにした。 |
DIA-302-1976-08-23-2 | インド | 1976年08月23日 | 1970年代 | Director of Advertising and Visual Publicityから国営企業への“極秘・緊急”ノーティスで,ステーツマンの姉妹紙のジュニア・ステ-ツマンとステーツマン・ウイークリーへの広告も禁止し,また,インディアン・エクスプレス・グループの16紙も同様の扱をすることを指令した。(10月14日付タイムズ・ロンドン) |
DIA-302-1976-08-24-1 | インド | 1976年08月24日 | 1970年代 | B.D.グプタ・ハリヤナ州首相は未曽有の大洪水による作物・財産の損害は2~2.2億ルピーと語った。 |
DIA-302-1976-08-24-2 | インド | 1976年08月24日 | 1970年代 | 下院に,会社法修正案提出される。修正点は,政党への企業献金の禁止を解き,利潤の5%もしくは5万ルピーまでの献金を認め,その献金先を発表する。 |
DIA-302-1976-08-25-1 | インド | 1976年08月25日 | 1970年代 | 中央銀行は指定銀行の預金準備率を9月4日より4%から5%に引上げることを決定した。 |
DIA-302-1976-08-25-2 | インド | 1976年08月25日 | 1970年代 | 政府はアッサムとダージリンの経営不振に陥っている茶園3つの経営権を接収した。 |
DIA-302-1976-08-25-3 | インド | 1976年08月25日 | 1970年代 | 日刊紙インディアン・エキスプレスは,インディアン・エキスプレスと日曜版のサンデー・スタンダードの記事と広告を事前検閲のために提出せよとの中央政府の命令について,ボンベイ高裁に異議を申し立てている。(8月25日付タイムズ・ロンドン) |
DIA-302-1976-08-26-1 | インド | 1976年08月26日 | 1970年代 | 1975~76年の対東欧貿易は9.5%の減―1975~76年の対ソ連,東欧貿易は117.4億ルピーで前年比9.5%の減で4年ぶりにマイナスとなった。 |
DIA-302-1976-08-27-1 | インド | 1976年08月27日 | 1970年代 | イランから鉄道貨車186両を受注―インドはイランから鉄道貨車186両(1600万ルピー相当)を受注した。これは1970年に受注した492両のうち1973年末までに306両引渡した残りの分についての契約が復活したもの。 |
DIA-302-1976-08-27-2 | インド | 1976年08月27日 | 1970年代 | インドとネパールの貿易・通過条約に関する第2回会談は5日間にわたってカトマンズで開かれていたが合意に達しなかった。 |
DIA-302-1976-08-29-1 | インド | 1976年08月29日 | 1970年代 | A.C.ジョージ民需品供給・協同組合相は政府の食糧ストックが史上最高の1700万トンあることを明らかにした。 |
DIA-302-1976-08-30-1 | インド | 1976年08月30日 | 1970年代 | タミル・ナドゥとアンドラ・プラデシ州政府はめ牛のと殺を禁止することを決定した。 |
DIA-302-1976-08-30-2 | インド | 1976年08月30日 | 1970年代 | 下院はケララ州議会の任期を6ヵ月延長するための法案を可決した。 |
DIA-302-1976-08-31-1 | インド | 1976年08月31日 | 1970年代 | インド石油公社はアラブ首長国,サウディアラビアと原油320万トンを輸入する協定を結んだ。 |
DIA-302-1976-08-31-2 | インド | 1976年08月31日 | 1970年代 | チャバン外相は,国会外務委員会で,ファラッカ間題を国連でとり上げたいとするバングラデシュの動きに留意している,インドは常に問題を2国間で話し合うつもりである,とのべる。 |
DIA-302-1976-09-01-1 | インド | 1976年09月01日 | 1970年代 | 211社が増配―エコノミック・タイムス紙の調査によれば,1975~76年度の決算を発表した393社のうち211社が増配,98社が据置き,43社が減配,33社が無配になっている。 |
DIA-302-1976-09-01-2 | インド | 1976年09月01日 | 1970年代 | 7月の継続的な降雨に続いて8月もモンスーンは順調で,6~8月の降雨量が不足となっているのはケララ州だけとなった。 |
DIA-302-1976-09-01-3 | インド | 1976年09月01日 | 1970年代 | 44次憲法改正法案,下院にまわされる―10項目の国民の義務,国家指導原則は基本権に優先する,高裁の司法権を制限,下院と州議会の任期を現行5年から6年に延長する,前文のインドの規定を「自治・社会主義・非宗教主義・民主主義共和国」とする,大統領に憲法制定・修正の権限を与える,憲法改正は368条による手続きに従う点で法廷で争われない,中央は州に警察力を派遣することができる,大統領宣言は国の一部にも施行することができる,州議会・国会議席数を1971年時点の数から2001年まで凍結する,大統領は内閣の助言に従わなければならない,など,59の改正点を持つ。 |
DIA-302-1976-09-01-4 | インド | 1976年09月01日 | 1970年代 | 下院は,グジャラート州の大統領統治をさらに6ヵ月延長することを承認した。 |
DIA-302-1976-09-01-5 | インド | 1976年09月01日 | 1970年代 | CPI-Mを含む野党は,憲法改正と野党議員30人の拘禁に抗議して下院を退場した。政府は,非常事態体制へのこの抗議声明に関する報道を禁止した。野党のうちCPIはボイコットに加わっていない。 |
DIA-302-1976-09-01-6 | インド | 1976年09月01日 | 1970年代 | 上院はケララ州議会の任期延長法案を可決した。 |
DIA-302-1976-09-02-1 | インド | 1976年09月02日 | 1970年代 | Indian Sugar Mills Associationは砂糖の工場出荷価格を現在のキンタール当り400~410ルピーから335ルピーに引下げることに決定した。 |
DIA-302-1976-09-02-2 | インド | 1976年09月02日 | 1970年代 | 上院は,ジャン・サン議員スブラマニアム・スワミによる反国家活動を調査するための調査委員会を作ることになった。 |
DIA-302-1976-09-03-1 | インド | 1976年09月03日 | 1970年代 | 工業生産増,輸出促進のための新戦略の一環として工業原材料輸入のために40億ルピーの追加外貨割当てが発表された。 |
DIA-302-1976-09-04-1 | インド | 1976年09月04日 | 1970年代 | 政府は,バングラデシュに対し,無条件で話合いを持つ用意がある旨,伝える。 |
DIA-302-1976-09-05-1 | インド | 1976年09月05日 | 1970年代 | 1976年4~8月の販売用鉄鋼生産量は273万トンで前年同期に比べて26.9%アップ。 |
DIA-302-1976-09-06-1 | インド | 1976年09月06日 | 1970年代 | インド工業開発銀行はTanzanian Small Industries Development Organizationと2000万ルピ-の借款を供与する協定を結んだ。 |
DIA-302-1976-09-06-2 | インド | 1976年09月06日 | 1970年代 | 西ベンガル州政府の調べによれば,ジュート工場閉鎖,解雇,レイオフ,ロックアウトで3.7万人の労働者が職を失っている。 |
DIA-302-1976-09-07-1 | インド | 1976年09月07日 | 1970年代 | SAIL Internationalはすでに32億ルピーの鉄鋼を受注しており,本年度の輸出は30億ルピー(200万トン)を上回るものと予想されている。 |
DIA-302-1976-09-08-1 | インド | 1976年09月08日 | 1970年代 | 中央政府は中央銀行にジュート公社が価格支持のための買入れに必要な資金を供給するよう指示した。 |
DIA-302-1976-09-08-2 | インド | 1976年09月08日 | 1970年代 | デリーでバングラデシュ代表とファラッカ問題についての話合いが持たれる。インド側はJ.ラーム農業相らが出席した。 |
DIA-302-1976-09-09-1 | インド | 1976年09月09日 | 1970年代 | 8月のエコノミック・タイムス小売物価指数は前月に比べ3%上昇した。 |
DIA-302-1976-09-09-2 | インド | 1976年09月09日 | 1970年代 | STCは民間輸出業者が9月11日以降銀の輸出契約を結ぶことを禁止し,STCが輸出を独占することに決定した。 |
DIA-302-1976-09-10-1 | インド | 1976年09月10日 | 1970年代 | 陳肇源中国大使着任。過去15年間の関係の逆行は,長い友好の歴史のちいさな1ページにすぎない,われわれは今,中印関係正常化が双方の共同の努力で達成されたことを語れるのは幸福である。両国民の友好はさらに広がることを信じる,とあいさつ。 |
DIA-302-1976-09-10-2 | インド | 1976年09月10日 | 1970年代 | ファラッカに関するバングラデシュとの話合いは,結論が出ず失敗に終った。インドは,会談の失敗はバングラデシュの硬直した態度のためであるとしている。 |
DIA-302-1976-09-11-1 | インド | 1976年09月11日 | 1970年代 | 閣議は5次計画の成長率を5%とすることを了承した。 |
DIA-302-1976-09-12-1 | インド | 1976年09月12日 | 1970年代 | K.R.プリ中央銀行総裁は商業銀行に対して貸出し増加率を前年と同じ12%に押えるよう指示した。 |
DIA-302-1976-09-13-1 | インド | 1976年09月13日 | 1970年代 | 4~6月の工業生産は14%上昇―工業生産のウエイトの60%を占める業種の生産は目標の9%に対して14%アップとなっている。平均以上の上昇率を示したのは鉄鋼,綿織物,肥料,電力,アルミ,セメント,農業用トラクター,工作機械,商業車,苛性ソーダ,新聞紙,板紙,セメントで,増加率の小さいか減少したのは亜鉛,鉛,ジープ,ソーダ灰,ジュート,砂糖,合成洗剤,石けん。 |
DIA-302-1976-09-13-2 | インド | 1976年09月13日 | 1970年代 | 政府は,ステ-ツマン紙の発行停止命令(7月20日)をとり下げた。ステーツマンはデリー高裁に7月20日の発行停止命令について異議申し立てを出していた高裁は8月20日迄の期限で政府に釈明を求めたが政府は答を出さず,9月13日まで答弁の期限が延期されていた。 |
DIA-302-1976-09-14-1 | インド | 1976年09月14日 | 1970年代 | インドの1977~78年から1988~89年までの債務返済額は以下のように予測されている(単位1000万ルピー,1976年4月7日の通貨レートによる)。 |
DIA-302-1976-09-14-2 | インド | 1976年09月14日 | 1970年代 | ADMKはコインバトールで党大会を開き,党の名称を全インドADMKと変更することを決定した。 |
DIA-302-1976-09-15-1 | インド | 1976年09月15日 | 1970年代 | ケワル・シン外務次官が,T.N・カウル駐米大使の後任として任命された。 |
DIA-302-1976-09-16-1 | インド | 1976年09月16日 | 1970年代 | 凍結されていた物価手当の第1回分と給与の第2回分の支払いが10月31日までに行われることが決定した。 |
DIA-302-1976-09-17-1 | インド | 1976年09月17日 | 1970年代 | ポカロ製鉄所の建設費の上昇で新規プロジェクトの資金がくわれる―ボカロ製鉄所の建設費が127億ルピーから191億ルピーにアップしたため,ヴァィザック・ヴィシャヤナガル,サレムの製鋼所建設コスト37億ルピーがほとんどくわれてしまった。 |
DIA-302-1976-09-18-1 | インド | 1976年09月18日 | 1970年代 | 毛沢東主席の追悼の意味で,デリーの政府建物の国旗を半旗にする。 |
DIA-302-1976-09-18-2 | インド | 1976年09月18日 | 1970年代 | 5次計画の政府部門の支出は5年前の当初年よりも505億ルピー多い4230億ルピーと計画委員会は決定した。 |
DIA-302-1976-09-18-3 | インド | 1976年09月18日 | 1970年代 | 西ベンガル州会議派首脳,デリーに集まり,ガンジー首相,バルーア会議派総裁,同州出身の中央政府閣僚らと,州の政治情勢を話し合った。ガンジー首相は西ベンガル州会議派に,対立を解消し力を合わせるよう,よびかけた。 |
DIA-302-1976-09-19-1 | インド | 1976年09月19日 | 1970年代 | ケララ州のケララ・コングレスは正式に会議派と合併した。 |
DIA-302-1976-09-20-1 | インド | 1976年09月20日 | 1970年代 | デリーに輸出用繊維工場―中央政府はデリーに製品の50~70%を輸出する繊維工場を総工費10.5億ルピーで建設することを承認した。 |
DIA-302-1976-09-21-1 | インド | 1976年09月21日 | 1970年代 | ビハール州政府は経営不振の8砂糖工場を国営にすることに決定した。経営権はすでに接収していた。 |
DIA-302-1976-09-21-2 | インド | 1976年09月21日 | 1970年代 | インドは原子力技術の一方的開発抑制に反対―インドはIAEの会議で伝統的エネルギーにとって代わりつつある原子力技術の一方的開発抑制の政策に反対することを表明した。 |
DIA-302-1976-09-22-1 | インド | 1976年09月22日 | 1970年代 | サッチャー英保守党首,訪印。 |
DIA-302-1976-09-25-1 | インド | 1976年09月25日 | 1970年代 | エッソはHPCの株式の26%を売却する契約に調印し,HPCはインド政府が100%所有する企業となった。 |
DIA-302-1976-09-25-2 | インド | 1976年09月25日 | 1970年代 | 国家開発委員会は5次計画の最終案を承認した。 |
DIA-302-1976-09-26-1 | インド | 1976年09月26日 | 1970年代 | 中印友好協会はデリーで独立運動の闘士P.スンデルラルの誕生日を祝う会を持ち,陳肇源・中国大使,バルーア会議派総裁,トリパティ鉄道相らが出席した。 |
DIA-302-1976-09-27-1 | インド | 1976年09月27日 | 1970年代 | インドはバングラデシュとの貿易協定を3年間延長する用意があることを明らかにした。 |
DIA-302-1976-09-27-2 | インド | 1976年09月27日 | 1970年代 | 1974年の労働争議件数は1843件,労働日の損失は2156万日で労働日の損失は前年の4026万日に比べて半減している。 |
DIA-302-1976-09-28-1 | インド | 1976年09月28日 | 1970年代 | インドは貨車250両,車両20両とスペアパーツ7500万ルピー相当の輸出契約をウガンダと結んだ。 |
DIA-302-1976-09-29-1 | インド | 1976年09月29日 | 1970年代 | インドはIMFに対し債務2.6億SDRを返済した。債務残は4.8億SDR。 |
DIA-302-1976-09-30-1 | インド | 1976年09月30日 | 1970年代 | 政府は米の政府買上げ目標を農産物価格委員会の勧告よりも少い440万トン,価格は前年と同じキンタール当り74ルピーと決定した。 |
DIA-302-1976-10-01-1 | インド | 1976年10月01日 | 1970年代 | 政府は一定額までの資本財の輸入自由化。輸出企業に対してはその限度以上の輸入自由化を発表した |
DIA-302-1976-10-01-2 | インド | 1976年10月01日 | 1970年代 | インディアン・エキスプレス(デリー・発行部数約50万)は,デリー市の送電カットのため朝刊の発行が不可能となった。発行元のエキスプレス・グループ(社主はゴーエンカ)はインド最大の新聞グループであり,このところ事前検閲の強化などで政府の圧力を受けている。 |
DIA-302-1976-10-02-1 | インド | 1976年10月02日 | 1970年代 | カルナタカ州営のマイソール・ミネラル・リミッテッドによれば,推定40億トン(クドレムク鉱山の埋蔵量とほぼ同じ)の鉄鉱石がKarnakas Kodachadri and Katebare Hillsで発見された。 |
DIA-302-1976-10-03-1 | インド | 1976年10月03日 | 1970年代 | インディアン・エクスプレス紙は,2日おいて発行を再開した。経営側は,「われわれのコントロールしがたい理由により」過去2日間発行することができなかった,と発表した。 |
DIA-302-1976-10-04-1 | インド | 1976年10月04日 | 1970年代 | デリー市は,武装警察隊を出動させインディアン・エクスプレスの建物を包囲し,印刷所を封鎖した。理由は,88万ルピーの税金滞納のためである。 |
DIA-302-1976-10-04-2 | インド | 1976年10月04日 | 1970年代 | N.D.Tiwari UP州首相は全国にある259の砂糖工場のうち165工場は近代化する必要があるとのべた。 |
DIA-302-1976-10-06-1 | インド | 1976年10月06日 | 1970年代 | デリー高等裁判所は,インディアン・エクスプレス印刷所の差押えを不適当とし,デリー市に対し,解除を命じる。 |
DIA-302-1976-10-06-2 | インド | 1976年10月06日 | 1970年代 | 中央政府は小麦の配給量を1人当り8キロから12キロにただちに引上げることに決定した。 |
DIA-302-1976-10-06-3 | インド | 1976年10月06日 | 1970年代 | ピルー・モディBLD書記長は1975年6月26日以降15ヵ月間の拘禁を解かれ釈放される。ビジュ・パトナイク(BLD,オリッサ州),バブバイ・パテル(野党会議派,グジャラート州)も釈放される。 |
DIA-302-1976-10-08-1 | インド | 1976年10月08日 | 1970年代 | パキスタンはインドに今年度は原綿を供給できないと通告した。 |
DIA-302-1976-10-08-2 | インド | 1976年10月08日 | 1970年代 | SAILの会長にR.P.Billimoria氏が任命された。 |
DIA-302-1976-10-08-3 | インド | 1976年10月08日 | 1970年代 | ガンジー首相,モーリシャスを訪問。 |
DIA-302-1976-10-09-1 | インド | 1976年10月09日 | 1970年代 | 消費者物価指数が12ヵ月に月平均312から304に下落したため,中央政府公務員に今年1月から実施している物価手当の5次引上げ分が撤廃されることになった。 |
DIA-302-1976-10-11-1 | インド | 1976年10月11日 | 1970年代 | 4~8月の輸出累計は185.7億ルピー,一万輸入は181.7億ルピーで貿易収支は4億ルピーの黒字。前年同期は48.1億ルピーの赤字。 |
DIA-302-1976-10-12-1 | インド | 1976年10月12日 | 1970年代 | 首相,タンザニア訪問。 |
DIA-302-1976-10-12-2 | インド | 1976年10月12日 | 1970年代 | 繊維機械輸出コンソーシャムを結成一繊維機械会社とエンジニアリング会社3社は繊維機械輸出コンソーシャムMMM Internationalを結成した。 |
DIA-302-1976-10-13-1 | インド | 1976年10月13日 | 1970年代 | カルナタカ州は発電を全面的に水力に依存しているが,水不足のため40%の供給カットに追込まれている。 |
DIA-302-1976-10-14-1 | インド | 1976年10月14日 | 1970年代 | 政府は高圧ポリエチレンと低圧ポリエチレンの輸入関税をそれぞれ145%,103%から75%に引下げた。 |
DIA-302-1976-10-15-1 | インド | 1976年10月15日 | 1970年代 | カルテックスの製油所と販売会社の100%国営化について合意が成立し,政府がカルテックスに1300万ルピーをドルで支払うことになった。 |
DIA-302-1976-10-15-2 | インド | 1976年10月15日 | 1970年代 | 政府は天然ゴムの在庫増のため,さらに4000トンの輸出許可をだした。 |
DIA-302-1976-10-16-1 | インド | 1976年10月16日 | 1970年代 | 政府は過去2ヵ月間に18の電力プロジェクト(3573MW)の建設を認可した。 |
DIA-302-1976-10-16-2 | インド | 1976年10月16日 | 1970年代 | カルナニディ・タミルナドゥ前首相は,45万ルピーの収賄と,小麦取引にからむ汚職容疑で起訴される。 |
DIA-302-1976-10-16-3 | インド | 1976年10月16日 | 1970年代 | バルーア会議派総裁は党機関紙ソシャリスト・インディア主催の集会で,過去,インドの司法はしかるべく機能していなかったと批判,また改憲に関する国民投票には反対,現国会は国民を充分代表しており,憲法を改正する権限を有する,制憲議会招集には反対である,とのべた。 |
DIA-302-1976-10-16-4 | インド | 1976年10月16日 | 1970年代 | デリーで野党系による「憲法を考える全国委員会」が開かれ(16,17両日),C.K.ダフタリ前司法長官,E.M.S.ナンブーディリパド(CPI-M)らが,憲法改正に反対意見をのべた。参加したのは,野党会議派,BLD,JS,社会党,CPI-M,FB等である。 |
DIA-302-1976-10-17-1 | インド | 1976年10月17日 | 1970年代 | 野党は,憲法改正の討議後「市民の自由と民主的権利のための国民統一」という組織を結成し,現在,入院治療中のJ.P.ナラヤンをこの組織のリーダーに指名した。 |
DIA-302-1976-10-18-1 | インド | 1976年10月18日 | 1970年代 | 海外向け労働者の募集団体を登録制に―中央政府は海外で働くインド人の募集をしているすべてのエイジェンシーを登録・認可制にした。 |
DIA-302-1976-10-18-2 | インド | 1976年10月18日 | 1970年代 | T.ギリ・ネパール首相は,インドが新たに採用した入国許可制度を批判して,インドの行動の裏にある動機を理解することは困難である,もしこの決定が,2つの自治独立国の国民を区別しようという目的のものなら「何も言うことはない」とめべた。インド政府はさきごろ,インド側ネパ-ル国境地域をネパール人が旅行することに対し許可制を採用した。これに対しネパールは,1970年の平和友好条約が相互の領土の自由旅行を認めていることに違犯しているとクレームをつけている。 |
DIA-302-1976-10-19-1 | インド | 1976年10月19日 | 1970年代 | インドとソ連は第3回会談でルピー・ルーブル平価に関する新方式におおすじにおいて合意に達した。 |
DIA-302-1976-10-19-2 | インド | 1976年10月19日 | 1970年代 | FICCIは成長促進のため法人税の負担を現行の57~68%から45%に引下げることを提言した。 |
DIA-302-1976-10-20-1 | インド | 1976年10月20日 | 1970年代 | 制憲議会要求の声が上る―パンジャープ州会議派委員会と会議派州議会議員総会の合同会議は,憲法の全面改訂を希望して制憲議会を没置する勧告を決議した。一方,マハーラーシュトラ州,グジャラート州,西ベンガル州会議派は第44次憲法改正案を承認した。また,ウッタル・プラデシュ会議派合同会議は,現国会を制憲会議とし州の代表も加えて,抜本的憲法改正を討議することを要求する決議を採択した。ビハール州会議派合同委は,憲法改正案を歓迎するが,改正点の細部の検討にもっと時間をかけて,制憲議会の形式を持つ起草委員会による修正点の検討が望ましいと首相に勧告した。 |
DIA-302-1976-10-20-2 | インド | 1976年10月20日 | 1970年代 | 首相はラクナウでの会議派集会で,外国勢力が野党を支援しており,このことは,とくに選挙時に国にとって大きな危険となる,とのべ,総選挙をさらに延期することを示唆する発言をした。 |
DIA-302-1976-10-21-1 | インド | 1976年10月21日 | 1970年代 | ィンドはポーランドと1977~80年の貿易協定に調印した。 |
DIA-302-1976-10-21-2 | インド | 1976年10月21日 | 1970年代 | ハリヤナ州会議合同委員会は,首相に,制憲議会設立を要求する決議を行った。会議には,バンシ・ラール国防相やハリヤナ出身国会議員らが出席した。 |
DIA-302-1976-10-21-3 | インド | 1976年10月21日 | 1970年代 | ハリヤナ・パンジャープ会議派合同委員会は,現国会を制憲議会にするのには反対するが,制憲議会を設置して「国民の憲法」を作成することを勧告した。 |
DIA-302-1976-10-21-4 | インド | 1976年10月21日 | 1970年代 | 印パはカシミールのサラル・ダム計画に関する3日間の話合いを行ったが,意見の一致をみなかった。サラル・ダムは印パ国境から40マイルの所にあるインダス河上流ダムであり,パキスタンは,このダムが完成すれば干期にパキスタンへの流水が止まることを恐れている。 |
DIA-302-1976-10-22-1 | インド | 1976年10月22日 | 1970年代 | 国営企業の設備利用率は過去15ヵ月間に51%アップした。 |
DIA-302-1976-10-22-2 | インド | 1976年10月22日 | 1970年代 | カトマンズのインド大使館のプレス・リリーズによれば,ネパール政府はインドに対し,「インド国内の特定地域へのネパール人の旅行を規制したことについて,いかなる苦情も受けとっていない」先に11月19日,グローバー・インド大使は,U.バット・ネパール外務次官と会談,後の記者会見で,「インドはネパール国民のこうむる不便について話し合う用意がある,ネパールはインドの措置を理解した」と語った。 |
DIA-302-1976-10-22-3 | インド | 1976年10月22日 | 1970年代 | CPI-M政治局は,憲法改正案についての見解をまとめた。それによると,比例代表制による直接選挙を行い新たに制憲議会を結成すること,現法案はとり下げること。非常事態宣言を解除した後,最低6ヵ月間にわたって広く討議を持っことなどの要求がもり込まれている。 |
DIA-302-1976-10-23-1 | インド | 1976年10月23日 | 1970年代 | CPIのR.ラオ書記長は,制憲議会要求に強く反対するステートメントを発表した。 |
DIA-302-1976-10-23-2 | インド | 1976年10月23日 | 1970年代 | 首相はデリーでの会議派国会議員総会で,制憲議会設置を否定し,現国会は改憲の権限を充分有するとくりかえしのべる。 |
DIA-302-1976-10-24-1 | インド | 1976年10月24日 | 1970年代 | 下院開会を明25日に控えて,野党会議派,BLD,社会党,CPI-M,DMK,RSPの6野党と2グループは合同会議を開き,野党側発言に対する報道規制の撤回要求が認められないため,国会審議をボイコットすることを再確認した。 |
DIA-302-1976-10-25-1 | インド | 1976年10月25日 | 1970年代 | 44次憲法改正案が下院に提出される―ゴーカレ法相が提出。野党はCPIとDMK,無所属議員が出席した。 |
DIA-302-1976-10-25-2 | インド | 1976年10月25日 | 1970年代 | ジャム・カシミール州アブドラ州首相は,会議派を含む新入閣者の就任式を延期することを発表した。同時に,12月に予定されているスリナガル市議会選挙も無期延期することを発表した。 |
DIA-302-1976-10-26-1 | インド | 1976年10月26日 | 1970年代 | ラージャスタン州会議派合同委員会は必次憲法改正案を承認し,制憲議会は不要である旨の決議をした。 |
DIA-302-1976-10-26-2 | インド | 1976年10月26日 | 1970年代 | カナダはインドに肥料輸入のための1000万ドルのローンを供与した。 |
DIA-302-1976-10-26-3 | インド | 1976年10月26日 | 1970年代 | 学者,作家,ジャーナリスト,法律家らの署名による,憲法改正案討議の延期を求める「講願書」が,首相,大統領,下院議長,副大統領に渡された。 |
DIA-302-1976-10-26-4 | インド | 1976年10月26日 | 1970年代 | 下院の改憲討議で,会議派の一部と野党議員は制憲議会案に強く反対する発言を行った。 |
DIA-302-1976-10-27-1 | インド | 1976年10月27日 | 1970年代 | 首相は,下院で,家族計画についてのトラブルで死者がでたことを認めた。野党は先週,デリー市の北方の村で強制手術に反対する騒動で50人以上が死亡した事件をとり上げた。首相は,野党議員の提出した数字は多すぎるとのべたが,具体的数字は明らかにしなかった。 |
DIA-302-1976-10-27-2 | インド | 1976年10月27日 | 1970年代 | マハラシュトラ州は11月1日から15~40%の産業用電力の供給のカットを実施する。このカットは1977年のモンスーン入りまで続ける予定。 |
DIA-302-1976-10-27-3 | インド | 1976年10月27日 | 1970年代 | デンマークは1975年10月から1979年4月までに返済期日のくる対印債権2000万ドルのうち1000万ドルについて債務救済を決定した。 |
DIA-302-1976-10-28-1 | インド | 1976年10月28日 | 1970年代 | Hindustan petroleum Corporationは製油所の能力を250万トンから350万トンに拡張することを決定。費用は4300万ルピーで来年7月までに完成予定。 |
DIA-302-1976-10-28-2 | インド | 1976年10月28日 | 1970年代 | 下院,改憲案の59項目のうち6項目を可決。 |
DIA-302-1976-10-28-3 | インド | 1976年10月28日 | 1970年代 | 首相は華国鋒中国共産党主席に,就任を祝い「来る年に中印関係が更に改善されることを希望する」メッセージを送った。 |
DIA-302-1976-10-29-1 | インド | 1976年10月29日 | 1970年代 | 下院,改憲案の基本義務についての項,その他を採択。M.C.ダガ(会議派)は大統領に関する条項に修正案(「大統領は首相を長とする内閣の助言に基づいて行動する」を修正して「大統領は,内閣の助言により行為するが,憲法の条項に違犯するケースについてはこの限りではない」とする提案)を出したが拒否された。 |
DIA-302-1976-10-29-2 | インド | 1976年10月29日 | 1970年代 | パキスタンへの茶の輸出が11年ぶりに再開され,10月27日に第1回の船積みが行われた。 |
DIA-302-1976-10-29-3 | インド | 1976年10月29日 | 1970年代 | インディアン・エクスプレス・グループ社主のR.ゴエンカは,株主総会を利用して,重役会から政府系の5重役を解任した。 |
DIA-302-1976-10-30-1 | インド | 1976年10月30日 | 1970年代 | 下院をさらに1年延長―コーカレ法相は下院で,下院1年延長のための法案を本国会に提出するつもりだ,今は選挙の時ではない,とのべた。 |
DIA-302-1976-10-31-1 | インド | 1976年10月31日 | 1970年代 | J.P.ナラヤンは,共産党以外の野党に対し,単一政党の結成を呼びかける計画を持っていることを発表した。 |
DIA-302-1976-10-31-2 | インド | 1976年10月31日 | 1970年代 | 政府は石炭の輸出調整を担当する委員会の設置を決定した。 |
DIA-302-1976-10-31-3 | インド | 1976年10月31日 | 1970年代 | デリー市は,インディアン・エクスプレス社のエアコンと3基の水圧ポンプを不動産税滞納を理由に,競売に付した。 |
DIA-302-1976-11-01-1 | インド | 1976年11月01日 | 1970年代 | M.G.カウル氏(前ICS)はIMFの理事に就任した。 |
DIA-302-1976-11-01-2 | インド | 1976年11月01日 | 1970年代 | インディアン・エクスプレス社弁護団は,10月31日に執行された競売に反対し,デリー高裁に,冷却装置は印刷に必要な物であり,競売は,印刷作業を妨害してはならないとする先の判決に違犯すると申し立てた。デリー高裁はエクスプレス側の主張を認め,競売を停止する命令を下した。 |
DIA-302-1976-11-01-3 | インド | 1976年11月01日 | 1970年代 | 1975年3月20日におきたA.N.ライ最高裁長官暗殺未遂事件について,デリー地方裁判所は,被告2名に17年の禁固刑,1名に4年の刑を言い渡し,1名は無罪と判決した。被告4人は,禁止されている団体,アーナンド・マルグの団員である。 |
DIA-302-1976-11-02-1 | インド | 1976年11月02日 | 1970年代 | 44次憲法改正案は下院で可決された。 |
DIA-302-1976-11-02-2 | インド | 1976年11月02日 | 1970年代 | 5業種の近代化にソフト・ローン―中央政府はジュート,繊維,エンジニアリング,セメント,砂糖の5業種の近代化のために工業開発銀行を通じて年間20億ルピーを年利7.5%,返済期間12~15年で融資することを決定した。 |
DIA-302-1976-11-04-1 | インド | 1976年11月04日 | 1970年代 | インド準備銀行は預金準備率を5%から6%に引上げた。 |
DIA-302-1976-11-05-1 | インド | 1976年11月05日 | 1970年代 | C.ヤダプ鉄鋼相は鉄鋼政策をゆるめ,民間部門がスポンジ・アイアン製造業を設立することを認めると発表した。 |
DIA-302-1976-11-05-2 | インド | 1976年11月05日 | 1970年代 | 中央政府と州政府の穀物備畜量は1700万トンに達した。 |
DIA-302-1976-11-05-3 | インド | 1976年11月05日 | 1970年代 | 現下院の任期を1年再延長して,1978年3月までとする法案が下院に出される。 |
DIA-302-1976-11-05-4 | インド | 1976年11月05日 | 1970年代 | ゴアの民間鉄鉱石輸出業者は日本の製鉄会社と1976~77年の鉄鉱石輸出価格を10.5%値上げすることで合意に達した。 |
DIA-302-1976-11-05-5 | インド | 1976年11月05日 | 1970年代 | 下院は,下院の任期を1年再延長する法案を賛成180対反対34で可決した。下院は休会に入る。 |
DIA-302-1976-11-06-1 | インド | 1976年11月06日 | 1970年代 | 訪印中のマクナマラ世銀総裁は財界人に対して輸出の増加につながる分野への投資をふやすことと輸出によって輸入をまかなうことを助言した。 |
DIA-302-1976-11-07-1 | インド | 1976年11月07日 | 1970年代 | ユース・コングレス委員長A.ソニ夫人はゴーハティ(アッサム)で,「昨年,メンバ-勧誘キャンペーンを始めていらい,メンバ-は470万人を超えた」とのべる。 |
DIA-302-1976-11-08-1 | インド | 1976年11月08日 | 1970年代 | 西ベンガル州知事は96年の歴史を持つCalcutta Tramways Co.(イギリス企業)の国有化令をだした。CTCはすでに1967年に経営権を接収されており,375万ポンドの補償金が支払われる。 |
DIA-302-1976-11-09-1 | インド | 1976年11月09日 | 1970年代 | 中央政府は石油から石炭へ燃料転換を行う企業に対して低利融資を行う決定をした。 |
DIA-302-1976-11-09-2 | インド | 1976年11月09日 | 1970年代 | FICCIの代表はガンディー首相を訪間,政府の各種経済政策を評価していることを伝えるとともに繊維,ジュート産業の再建について要請した。 |
DIA-302-1976-11-09-3 | インド | 1976年11月09日 | 1970年代 | CPIのC.R.ラオ書記長は11日から14日にかけて開く予定の全インド農民労働者会議に先立ちステートメントを発表,その中で,「下院選挙延期は最も非民主的であり,党は反対キャンペーンを行う,憲法改正案はいくつかの有害事項を含むとはいえ,正しい方向へのステップである。最も有害な点は反国家活動についてである。法案への反対意見は会議派内の反動勢力からも出てきている。彼らは自分達の意に従おうとしない州首相を除こうとしており,われわれは州での不安定化の試みに反対する。」とのべている。 |
DIA-302-1976-11-09-4 | インド | 1976年11月09日 | 1970年代 | オリッサ州のサトパティ州首相とその反対勢力はそれぞれ別個に集会を開き,互いに非難しあった。 |
DIA-302-1976-11-10-1 | インド | 1976年11月10日 | 1970年代 | ガンディー首相は「不合理な」旧ボーナス制度の代わりに「長期生産性協定」を結び,労働者に誘因を与えうることを示唆した。 |
DIA-302-1976-11-11-1 | インド | 1976年11月11日 | 1970年代 | 中央政府は1976~77年度の落花生の支持価格を標準物キンタール当り140ルピーに決定し,州政府が課している一切の移動制限を撤廃するように州政府に指示した。 |
DIA-302-1976-11-11-2 | インド | 1976年11月11日 | 1970年代 | 上院は,44次憲法改正法案の全条項を無修正で可決した。会議派,CPI,MLが賛成,その他の野党は投票に欠席した。 |
DIA-302-1976-11-12-1 | インド | 1976年11月12日 | 1970年代 | 政府は製紙会社に対して印刷用紙の市場販売を中止するように命じた。 |
DIA-302-1976-11-12-2 | インド | 1976年11月12日 | 1970年代 | 上院は,下院の1年延長法案を可決した。 |
DIA-302-1976-11-13-1 | インド | 1976年11月13日 | 1970年代 | D.P.チャトッパダヤ商相は政府はプランテーション部門を国有化する意志がないことを表明した。 |
DIA-302-1976-11-15-1 | インド | 1976年11月15日 | 1970年代 | アルキポフ・ソ連副首相とT.A.パイ工業相の間で鉱業,漁業,皮革,衣服,食品加工などの分野での印ソ産業協力に関する合意が成立し,インドはソ連にココヤシ繊維1000トンを輸出することも決定した。 |
DIA-302-1976-11-15-2 | インド | 1976年11月15日 | 1970年代 | S.スワミ(ジャン・サン)上院議員は,「その行動が上院と上院議員の尊厳をけがすもので,院がその議員に期待する規範に従わない」として除名処分を受ける。上院が議員を除名処分にするのは初めてのことである。 |
DIA-302-1976-11-15-3 | インド | 1976年11月15日 | 1970年代 | 会議派実行委員会は全国大会への政治,経済,国際情勢の3つの決議案を承認。 |
DIA-302-1976-11-16-1 | インド | 1976年11月16日 | 1970年代 | インド地質調査所の推定によれば東部海岸に5億トンのボーキサイトが埋蔵されている。 |
DIA-302-1976-11-16-2 | インド | 1976年11月16日 | 1970年代 | 中央政府はペレット・プラント2基の建設を決定―ひとつはカルナタカ州のドニマライ鉱山で設備能力は200万トン,もうひとつはMP州のバイラディラ鉱山で設備能力は200万トン。 |
DIA-302-1976-11-16-3 | インド | 1976年11月16日 | 1970年代 | メガラヤ州政党APHLCは総会を開き,会議派との合併を最終的に決めた。一部は合併に反対し,党を存続させることになった。 |
DIA-302-1976-11-16-4 | インド | 1976年11月16日 | 1970年代 | プルガリア大統領訪印。 |
DIA-302-1976-11-17-1 | インド | 1976年11月17日 | 1970年代 | オーストラリアはマハラシュトラ州のDevelopment Corporation of Konkanに乳片500頭を贈ると発表した。 |
DIA-302-1976-11-18-1 | インド | 1976年11月18日 | 1970年代 | フランスは本年度分として6.2億ルピーの援助をコミットした。 |
DIA-302-1976-11-18-2 | インド | 1976年11月18日 | 1970年代 | オリッサ州のL.マリク農業担当相は,サトパティ州首相と対立して辞任した。 |
DIA-302-1976-11-18-3 | インド | 1976年11月18日 | 1970年代 | メガラヤ州政府の4閣僚は,州の与党であるAPHLCが会議派との合併を決定したことに反対して州政府を辞任した。 |
DIA-302-1976-11-19-1 | インド | 1976年11月19日 | 1970年代 | 中央政府は許可能力以上の生産を行い,利益をあげている外資会社の超過生産分の利益送金を認めないことを決定した。 |
DIA-302-1976-11-19-2 | インド | 1976年11月19日 | 1970年代 | ユース・コングレス大会がゴーハティ郊外(会場はジャワハルナガルと命名)で開かれ,1年間のYCの勢力拡大を誇示し,バルーア会議派総裁がYCの5項目計画を賞讃した。サンジャイ・ガンジーは,さらに前進するよう呼びかけ,いくつかの行動計画を提示した。 |
DIA-302-1976-11-20-1 | インド | 1976年11月20日 | 1970年代 | 中央政府はポリエステル繊維の供給を円滑にするため,STCの輸入独占を廃止,関税率を変えずに自由輸入リストに入れた。 |
DIA-302-1976-11-20-2 | インド | 1976年11月20日 | 1970年代 | 会議派と合併したもとのAPHLCのW.サングマは,会議派州議会議員団の首班に指名された。 |
DIA-302-1976-11-20-3 | インド | 1976年11月20日 | 1970年代 | ユース・コングレス(ジャワハルナガル)大会でガンジー首相はYCを賞讃し「あなたがたは,われわれ(会議派)の考えを先取りしている」と演説した。この日,YCは「インドの歴史形成の最も有効な道具としてYCは出現した。この大会は,組織をより強く,より団結し,より献身的にするためのものである。インドの青年は,国の建設者,新たな社会,経済秩序の先達としておどり出る」旨の大会宣言と,3決議を採択した。 |
DIA-302-1976-11-21-1 | インド | 1976年11月21日 | 1970年代 | 4~9月の貿易収支は輸出226.1億ルピーに対し輸入225.1億ルピーで1.2億ルピーの黒字となっている。 |
DIA-302-1976-11-21-2 | インド | 1976年11月21日 | 1970年代 | AICCのジャワハルナガル大会開かれる。国会の任期延長決定を認め,国会の優位を再確認する憲法改正を賞讃,非常事態下での成果を確立する必要性等をうたった政治決議を採択した。 |
DIA-302-1976-11-22-1 | インド | 1976年11月22日 | 1970年代 | AICCで経済情勢と国際情勢についての2つの決議が採択された。 |
DIA-302-1976-11-22-2 | インド | 1976年11月22日 | 1970年代 | ガンディー首相はAICCの大会でアッサム州のDemulgaonとナガランド州のBorholaで石油を掘りあてたと発表した。 |
DIA-302-1976-11-22-3 | インド | 1976年11月22日 | 1970年代 | W.サングマを州首相とするメガラヤ州会議派新内閣が就任した。 |
DIA-302-1976-11-22-4 | インド | 1976年11月22日 | 1970年代 | 政府は,アメリカの対パ長距離軍用機提供は“時を得ない”ものであるとアメリカに通告した。J.メータ外務次官はこの問題でキッシンジャー長官と会見した。 |
DIA-302-1976-11-23-1 | インド | 1976年11月23日 | 1970年代 | インドは1977年中にソ連から灯油80万トン,高速ディーゼル油60万トンを輸入する予定。 |
DIA-302-1976-11-24-1 | インド | 1976年11月24日 | 1970年代 | ヨルダン皇太子夫妻,訪印。 |
DIA-302-1976-11-24-2 | インド | 1976年11月24日 | 1970年代 | 外貨増で輸入をさらに自由化―政府はスペア・パーツ(permissible spare parts)の輸入をオープン・ゼネラル・ライセンスに移しかえること,資本財輸入手続の簡素化,自由化した機械輸入手続の詳細を発表した。 |
DIA-302-1976-11-24-3 | インド | 1976年11月24日 | 1970年代 | 政府は,家族計画に関連して,大家族へのディスインセンティヴの一部として,公務員に,1977年9月30日以降3人以上の子供を持つ場合,通常の家族手当を認めない方針である。 |
DIA-302-1976-11-24-4 | インド | 1976年11月24日 | 1970年代 | インドとバングラデシュは12月はじめ,ダッカで会談を開くことを決定したと,国連政治特別委員会で発表した。 |
DIA-302-1976-11-26-1 | インド | 1976年11月26日 | 1970年代 | 1976~77年度の落花生の生産量は699.1万トンを下回る600万トン程度の見通しである。 |
DIA-302-1976-11-27-1 | インド | 1976年11月27日 | 1970年代 | 政府はデシ綿の輸出をする意向がないことを明らかにした。 |
DIA-302-1976-11-27-2 | インド | 1976年11月27日 | 1970年代 | 国家統合のための作業グループで首相は,コミュナル政党や分離主義的言語を用いる地域政党を警戒するようのべる。 |
DIA-302-1976-11-27-3 | インド | 1976年11月27日 | 1970年代 | オリッサ州内閣改造。 |
DIA-302-1976-11-28-1 | インド | 1976年11月28日 | 1970年代 | CPI西ベンガル州評議会は,「党の“運動スタイル”を変更し,とくに草の根レベルでの愛国的・民主勢力の統一をうちたてるための努力を払う。CPI-M系の分子もこの統一に含める。州の行政上の異動が必要ならばそれは民主的プロセスでなされるべきだ。会議派との“統一と闘争”の戦術を維持する一方,州内では闘争のほうにより重点を置くべきだ」等の決定を下した。 |
DIA-302-1976-11-28-2 | インド | 1976年11月28日 | 1970年代 | デリー市は,学童への予防接種を中止することを決定した。これは,学童への予防接種が産児制限のためだとの噂が広がり,父兄が恐慌をきたして学童を通学させなくなったためである。 |
DIA-302-1976-11-29-1 | インド | 1976年11月29日 | 1970年代 | CPI-Mの西ベルガル州政治局員P.D.グプタは,州CPIの新方針・草の根レベルの統一に賛成し,この方針を,CPI-Mの路線への接近として評価するとのべる。 |
DIA-302-1976-11-30-1 | インド | 1976年11月30日 | 1970年代 | エンジニアリング・インダストリーは資本設備の近代化と促進のため,来年度に自由外貨30億ルピーを割り当てるように政府に要請した。 |
DIA-302-1976-12-01-1 | インド | 1976年12月01日 | 1970年代 | 計画委員会は来年度から2肥料工場の建設に着手することを承認した。 |
DIA-302-1976-12-01-2 | インド | 1976年12月01日 | 1970年代 | 国営銀行のパンジャーブ・ナショナル銀行は,インディアン・エキスプレス紙への印刷用紙購入用の貸付を断った。 |
DIA-302-1976-12-02-1 | インド | 1976年12月02日 | 1970年代 | BHE(バーラト重電機)は西独のMulheimer Kraftwerk社と15年間の協力協定を結んだ。 |
DIA-302-1976-12-02-2 | インド | 1976年12月02日 | 1970年代 | 3回のサイクロンでアンドラ州のクリシュナ,ゴダヴァリ両デルタの稲が被害を受け,450万トンの減収が予想されている。 |
DIA-302-1976-12-02-3 | インド | 1976年12月02日 | 1970年代 | インドとネパールは,入国許可システムを簡素化することで合意に達した。 |
DIA-302-1976-12-03-1 | インド | 1976年12月03日 | 1970年代 | 4~11月の販売用鋼の生産量は前年比23%増く444万トンとなった。 |
DIA-302-1976-12-04-1 | インド | 1976年12月04日 | 1970年代 | PECはスリランカ国鉄と車両30両と部品1150万ルピー相当の輸出契約を結んだ。 |
DIA-302-1976-12-06-1 | インド | 1976年12月06日 | 1970年代 | ファラッカ会談がダッカで始まった。インド側はJ.ラーム農業・灌漑相からなる代表団を出席させた。 |
DIA-302-1976-12-07-1 | インド | 1976年12月07日 | 1970年代 | インド,ソ連はインドの石油探査・掘削で協力することに合意した。 |
DIA-302-1976-12-07-2 | インド | 1976年12月07日 | 1970年代 | コトニス博士の遺族を含む全印コトニス記念委員会代表団は,中国,石家荘市でのコトニス記念館の開設式,12月9日のコトニス没34周年式典に出席のため訪中した。 |
DIA-302-1976-12-07-3 | インド | 1976年12月07日 | 1970年代 | タイムズ(ロンドン)のDavid Wattによれば,マハーラーシュトラのスルガオンで65歳になるサルボダヤ運動家P.シャルマは,ガンディー首相の専制的やり方に抗議して焼身自殺をした。自殺前に彼は,首相,州首相に自殺の理由をのべた手紙を送り,この手紙は彼の葬儀において読み上げられた。 |
DIA-302-1976-12-07-4 | インド | 1976年12月07日 | 1970年代 | デリー市から25マイルのピプリ村で強制的不妊手術に反対する暴動が発生し,村民2人と警官1人が死亡。 |
DIA-302-1976-12-07-5 | インド | 1976年12月07日 | 1970年代 | ミゾ地下組織とアッサム州警察パトロール隊との交戦で,ゲリラ6名が死亡,1名が負傷した。 |
DIA-302-1976-12-08-1 | インド | 1976年12月08日 | 1970年代 | オム・メーター内務担当相は在外インド人の1~9月の国内送金額累計は112.8億ルピーで1年間では目標の150億ルピーを上回る160億ルピ-となろうと語った。 |
DIA-302-1976-12-08-2 | インド | 1976年12月08日 | 1970年代 | G.S.ディロン運輸相出席の下にヴィサカパトナム外港の開港式が行われた。外港の総工費は9億7250万ルピーで10万トンの船まで入港できる。 |
DIA-302-1976-12-08-3 | インド | 1976年12月08日 | 1970年代 | ファラッカ会談は,3日間の話し合いを終えた。 |
DIA-302-1976-12-08-4 | インド | 1976年12月08日 | 1970年代 | カルナータカ州,州会議派委員長K.H.パテルはウルス州内閣に入閣する。これはK.Hパテルとウルス州首相との和解へのステップと受けとられている。 |
DIA-302-1976-12-08-5 | インド | 1976年12月08日 | 1970年代 | 会議派国会議員,S.D.シンら5名は,右派共産覚(CPI)のC.R.ラオを攻撃し,CPI自身が全体主義,反動的であると非難した。 |
DIA-302-1976-12-09-1 | インド | 1976年12月09日 | 1970年代 | 今年にはいって現在までに約600万トンの食糧穀物を輸入した。6月から輸入を中止しているが,契約分は流入している。 |
DIA-302-1976-12-10-1 | インド | 1976年12月10日 | 1970年代 | 会議派国会議負,州会議派リーダーらは,CPIとC.R.ラオ(CPI書記長)が会議派に干渉していると非難する文書を発表した。 |
DIA-302-1976-12-11-1 | インド | 1976年12月11日 | 1970年代 | Chattwa1駐マレーシア大使は,バーラト重電機(BHEL)はマレーシアへのボイラー,電力設備の輸出で強力な足場をきずいたとのべた。マレーシアには23のインド系合弁企業がある。 |
DIA-302-1976-12-11-2 | インド | 1976年12月11日 | 1970年代 | ケララ州,K.M.ジョージ州政府運輸相(ケララ・コングレス)死去。 |
DIA-302-1976-12-11-3 | インド | 1976年12月11日 | 1970年代 | CPI-MのE.M.S.ナンブードリパドは,CPI-Mが野党リーダー会議に参加する予定のないことを明らかにした。 |
DIA-302-1976-12-11-4 | インド | 1976年12月11日 | 1970年代 | 会議派国会議員6名,またパンジャープの会議派州議会議員は,CPIによる会議派への千渉を非難する声明文を発表した。 |
DIA-302-1976-12-12-1 | インド | 1976年12月12日 | 1970年代 | ポンベイとカルカッ夕を除いて0ctori(入市税)を近く廃止へ―市の財源であるオクトリの廃止には強力な市の反対があるが,中央政府は道路輸送をスムースにするため廃止する方針である。 |
DIA-302-1976-12-13-1 | インド | 1976年12月13日 | 1970年代 | ヤダウ鉄鋼相は全製鉄所の過去8ヵ月間の平均稼動率は89%にアップしたことを明らかにした。 |
DIA-302-1976-12-15-1 | インド | 1976年12月15日 | 1970年代 | 訪中の全印コトニス記念委員会代表団は,午後,葉剣英中国共産党中央副主席,中央軍事委副主席,聶栄臻全国人民代表大会常務委副委員長と北京で会見した。 |
DIA-302-1976-12-15-2 | インド | 1976年12月15日 | 1970年代 | 野党会議派,インド人民党,社会党,ジャン・サン,ドラビダ進歩同盟の党首,リーダーらとクリシュナ・カント,シェール・シンの会議派離脱者はデリーに会し,ガンディー首相との野党合同会見など,野党による共同活動について話し合った。 |
DIA-302-1976-12-16-1 | インド | 1976年12月16日 | 1970年代 | オリッサ州に大統領統治―Nサトパティ州政府は辞任。しかし州議会は停止されたまま存続する。 |
DIA-302-1976-12-16-2 | インド | 1976年12月16日 | 1970年代 | 9月の工業生産は前月比0.4ポイント下落したが,1~9月の増加率は11%と依然高水準を保っている。 |
DIA-302-1976-12-17-1 | インド | 1976年12月17日 | 1970年代 | 15日の野党会談で,野党の「基本的同盟」と正常化のために首相と話し合いの用意があるとの2点で合意が成立した。DMKのカルナニディは「基本的同盟」宣言のコピーを同封して「率直かつ自由な討議により,インドが今日当面している問題を解決できることを希望する」との書簡をガンジー首相に送った。 |
DIA-302-1976-12-18-1 | インド | 1976年12月18日 | 1970年代 | 大統領,憲法改正(42次)法案に承認を与える―改正(44次)案であったが,法案の成立順から42次となる。 |
DIA-302-1976-12-18-2 | インド | 1976年12月18日 | 1970年代 | インドとポーランドは貿易,炭鉱,工業,農業,漁業などの広範な分野での経済脇力に関する協定に調印した。 |
DIA-302-1976-12-20-1 | インド | 1976年12月20日 | 1970年代 | 政府は,新聞が会議派内部の対立を報道することを禁止する指令を出した。これは主任検閲官事務所から電話で各新聞社に伝えられた。 |
DIA-302-1976-12-21-1 | インド | 1976年12月21日 | 1970年代 | インドは来年は1350万トンの原油輸入を計画しており,すでに910万トンは輸入手当をしている。 |
DIA-302-1976-12-21-2 | インド | 1976年12月21日 | 1970年代 | D.K.バルア会議派総裁,S.シン委員会を解散。 |
DIA-302-1976-12-22-1 | インド | 1976年12月22日 | 1970年代 | 4~11月の直接税徴収額は前年同期に比べて9%の大幅増となっている。 |
DIA-302-1976-12-22-2 | インド | 1976年12月22日 | 1970年代 | ガンディー内閣改造―H.デサィ(現クジャラート州会議派委員長)は公共事業・住宅担当相に,K.ラグラマイヤは議会担当相を兼務したまま,観光・民間航空担当相に就任,公共事業・住宅担当は解任される。P.C.セト(化学・肥料担当相)は無任所相に,D.P.チャトパディヤヤ商業相はキャビネット・ランクに昇格する。J.B.パトナイク国防副大臣は,国防担当相に昇格する。 |
DIA-302-1976-12-23-1 | インド | 1976年12月23日 | 1970年代 | ガンディー首相,CPIを攻撃―AICCのトレーニングキャンプ(ニューデリ-)で演説し,CPIは,ユース・コングレスの5項目計画を非難し,これを反動的といっているが,この5項目計画は,20項目計画が具体化する以前から会議派のプログラムの一部である。CPIはサンジャイを批判しているが,この攻撃は自分に向けたものである,などと,CPIをするどく攻撃した。 |
DIA-302-1976-12-23-2 | インド | 1976年12月23日 | 1970年代 | 西ベンガル州の政治的紛争について,ガンディー首相は,S.S.ライ州首相を留任させ,現在S.S.ライの担当している内務・警察のポストをT.N.ゴーシュに譲る等の方向で州内閣改造を行うよう指示を与えた。 |
DIA-302-1976-12-24-1 | インド | 1976年12月24日 | 1970年代 | カルナタカ州では来年1月から電力供給カット率を40%から50%に引上げる。 |
DIA-302-1976-12-24-2 | インド | 1976年12月24日 | 1970年代 | グジャラート州政府成立―マタヴシン・ソランキ会議派州政府が成立し,1976年3月12日からの大統領統治は終了した。 |
DIA-302-1976-12-24-3 | インド | 1976年12月24日 | 1970年代 | 西ベンガル州内閣改造-T.K.コーシュが内務(警察)を担当する。また州内閣に内務委員会を設置する。一方,N.イスラム,A.M.ビスワスらライ首相退陣要求派は集会を開き,「CPIの立場は反国家的であり,我々は必要とあらばCPIによる反サンジャイ・キャンペーンと闘うため流血をもいとわない」と主張した。 |
DIA-302-1976-12-25-1 | インド | 1976年12月25日 | 1970年代 | 11月の綿繊維工場の倒産件数は10月の35に対し41にふえ,綿繊維産業の危機は更に深刻になっている。 |
DIA-302-1976-12-26-1 | インド | 1976年12月26日 | 1970年代 | 中央統計局(CSO)の工業調査によれば,1973~74年において政府部門の工場が固定資本の60.1%,生産資本の52.4%を占めている。 |
DIA-302-1976-12-26-2 | インド | 1976年12月26日 | 1970年代 | オリッサ会議派の州議会議員団リーダーにB.アチャリアが選出される。 |
DIA-302-1976-12-27-1 | インド | 1976年12月27日 | 1970年代 | インドとマルディプは領海協定に調印した。 |
DIA-302-1976-12-28-1 | インド | 1976年12月28日 | 1970年代 | ONGCはボンベイ・ハイの産油量が本年末までに年産ベースで200万トン,来年10月までに400万トンになるとの見通しを明らかにした。 |
DIA-302-1976-12-28-2 | インド | 1976年12月28日 | 1970年代 | 週刊誌メインストリームは,事前検閲のためのコピー提出を拒否して廃刊を決定した。 |
DIA-302-1976-12-29-1 | インド | 1976年12月29日 | 1970年代 | 中央政府は鉄鋼製品23品目の輸入自由化を決定した。 |
DIA-302-1976-12-29-2 | インド | 1976年12月29日 | 1970年代 | オリッサ州政府成立―B.アチャリヤ会議派州政府が就任し,大統領統治は終了した。 |
DIA-302-1976-12-30-1 | インド | 1976年12月30日 | 1970年代 | カルテックス・リファイナリーの株式を取得―政府はカルテックス・リファイナリーの株式を取得する大統領令を出した。インドの石油精製設備2740万トンのうち2690万トンが国営になった。 |
DIA-302-1977-01-03-1 | インド | 1977年01月03日 | 1970年代 | 憲法改正(42次)法(1976年),の36改正点が施行された。 |
DIA-302-1977-01-04-1 | インド | 1977年01月04日 | 1970年代 | HECは1975/76年度に2.14億ルピーの利益をあげた。 |
DIA-302-1977-01-04-2 | インド | 1977年01月04日 | 1970年代 | 中央政府はデリーの高層建築物の高さ制限を撤廃した。 |
DIA-302-1977-01-04-3 | インド | 1977年01月04日 | 1970年代 | ガンディー首相はブバネシワルで,野党が非常事態前にとった暴力とアジテーションの道を放棄するなら,野党と話し合う必要があるとのべて「基本的合意」という条件で話し合いに応ずることを示した。 |
DIA-302-1977-01-05-1 | インド | 1977年01月05日 | 1970年代 | James Finlayが持分を40%に引下げへ―英国資本のJames Finlay & Companyは中央政府の指示に従って持分を40%に引下げると発表した。同社は茶園7,コーヒー園1を所有,資産は1.1億ルピー。 |
DIA-302-1977-01-06-1 | インド | 1977年01月06日 | 1970年代 | ラジニ・パテル・ボンベイ会議派委員長,辞任する。 |
DIA-302-1977-01-09-1 | インド | 1977年01月09日 | 1970年代 | インドはOPECの特別基金から2180万ドルの援助を供与される。この基金の援助を受ける国は24ヵ国,総額1.1億ドル。 |
DIA-302-1977-01-10-1 | インド | 1977年01月10日 | 1970年代 | 輸出振興会の機能拡大を勧告―A.Senguptaを委員長とする調査委員会は輸出振興会(EPC)の再編と機能の大幅拡大を勧告する報告書を提出した。 |
DIA-302-1977-01-11-1 | インド | 1977年01月11日 | 1970年代 | 中央政府は公定価格布の工場渡し価格を35%引上げ―中央政府は公定価格布の工場渡し価格の35%引上げを決定したが,値上げをしない繊維会社に対しては補助金を出すことに決定した。 |
DIA-302-1977-01-12-1 | インド | 1977年01月12日 | 1970年代 | チャンドラシェカル上院議員,モハン・ダリヤ下院議員,釈放される。 |
DIA-302-1977-01-12-2 | インド | 1977年01月12日 | 1970年代 | 海外合弁企業への投資政策を変更―中央政府はこれまで海外で合弁企業を設立する場合現物出資しか認めなかったが,今後は現金による投資を認めることに決定した。 |
DIA-302-1977-01-13-1 | インド | 1977年01月13日 | 1970年代 | 準備銀行はインフレ再燃防止のため,期限付きの預金準備率の引上げ,既存の在庫融資に対するマージンの引上げなどの金融引締め措置をとった。 |
DIA-302-1977-01-13-2 | インド | 1977年01月13日 | 1970年代 | 卸売物価指数を修正―基準年次(1961/62年から1970/71年),指数品目(218品目から360品目),ウェイトなど卸売物価指数が全面的に修正される。 |
DIA-302-1977-01-15-1 | インド | 1977年01月15日 | 1970年代 | 全インド・ユース・コングレス(会議派青年部)の書記長パンカジ・バネルジーは,A.ソニ委員長から辞任勧告をうけて辞任。 |
DIA-302-1977-01-15-2 | インド | 1977年01月15日 | 1970年代 | インドは200カイリ専管経済水域を宣言した。 |
DIA-302-1977-01-15-3 | インド | 1977年01月15日 | 1970年代 | インドの1976年の石炭生産量は約1億トンで世界6位の生産国となった。 |
DIA-302-1977-01-16-1 | インド | 1977年01月16日 | 1970年代 | CPI中央執行委員会終る。政治決議は,サンジャイの名は出さず,「5項目計画に反対しないし,それを反動ともみない」,しかし「計画は貧困と失業を解消できない」,また「CPIは家族計画を支持するが強制的不妊手術には反対」している。 |
DIA-302-1977-01-16-2 | インド | 1977年01月16日 | 1970年代 | ボンベイ・ハイの出油量は日産3.2万バレル―ボンベイ・ハイの出油量は倍増し,日産約3.2万バレルとなった。現在,第3プラットホームを建設中で最終的には25プラットホームなる。 |
DIA-302-1977-01-17-1 | インド | 1977年01月17日 | 1970年代 | 政府は食用油と油糧種子の輸入自由化を発表した。 |
DIA-302-1977-01-18-1 | インド | 1977年01月18日 | 1970年代 | 下院解散,3月に選挙―首相は全国放送で選挙実施の方針を発表した。同時に,「合法的政治活動」をするために非常事態が一部緩和された。 |
DIA-302-1977-01-18-2 | インド | 1977年01月18日 | 1970年代 | 野党統一の動き―社会党,ジャン・サン,インド国民党,野党会議派は合併に合意した。 |
DIA-302-1977-01-18-3 | インド | 1977年01月18日 | 1970年代 | インドのLICはマレーシアで合弁の生命保険会社United Oriental Insurance Companyを設立した。払込資本金は50万マレーシア・ドルでLICの所有比率は30%。 |
DIA-302-1977-01-19-1 | インド | 1977年01月19日 | 1970年代 | J.P.ナラヤンはパトナで,選挙実施決定はよろこばしい,しかし,選挙準備期間が殆どないというのは,野党にとって不公平だ,野党は1党として,団結して選挙を闘うことを望む,とのべた。 |
DIA-302-1977-01-20-1 | インド | 1977年01月20日 | 1970年代 | 新党ジャナタ(人民)党結成―野党会議派,ジャン・サン,インド国民党,社会党とその他個人が参加して,来る下院選挙で統一して活動する。 |
DIA-302-1977-01-20-2 | インド | 1977年01月20日 | 1970年代 | 政府は,MISAによる政治拘禁者の釈放を早めると発表,集会,通常の政治活動,選挙活動は自由に認める,このことを州政府に通告した。 |
DIA-302-1977-01-21-1 | インド | 1977年01月21日 | 1970年代 | 主任検閲官制度が廃止された。 |
DIA-302-1977-01-21-2 | インド | 1977年01月21日 | 1970年代 | 工業省は生産の多角化のため,許可能力の25%までbright barsとmild steel productsの生産を認めることを決定した。 |
DIA-302-1977-01-22-1 | インド | 1977年01月22日 | 1970年代 | 5業種の近代化融資は今後3年間に総額55億ルピーで内訳は繊維155億ルピー,製糖10億ルピー,ジユート10億ルピーとなっている。 |
DIA-302-1977-01-22-2 | インド | 1977年01月22日 | 1970年代 | JSのアドバニ総裁は,党執行委員会見解を発表。それによれば,まだ1万人がMISAにより拘禁されている,若干の有名人を釈放しただけで政府は大量釈放の印象を与えようとしている,JS党員は3800人以上が拘禁中である,これは選挙の公正性に疑問を抱かせる。 |
DIA-302-1977-01-22-3 | インド | 1977年01月22日 | 1970年代 | 社会党全国委は党決議で,来る総選挙にむけて,ジャナタ党の結成提案を歓迎した。 |
DIA-302-1977-01-23-1 | インド | 1977年01月23日 | 1970年代 | モラルジ・デサイがジャナタ党の議長に,チャラン・シンが副議長に任命された。ジャナタ党の全国委員会が開かれ,3~4日内にすべての政治犯の釈放,インド国営放送とテレビは,野党の選挙運動の報道にしかるべき時間を与える,特定団体の禁止の解除を求める決議を採択した。ジャナタ党は選挙のためにBLDのシンボルを採用する。 |
DIA-302-1977-01-24-1 | インド | 1977年01月24日 | 1970年代 | サンジャイ発言,「会議派青年部は,下院選挙で活躍するだろう。青年部への議席はまだ割りあてられていないが,青年部には,良い資質を持ち,抜擢されるべき人材があり,我々は彼等を引き立てねばならない」。 |
DIA-302-1977-01-24-2 | インド | 1977年01月24日 | 1970年代 | ジャナタ党執行委は,選挙をするにあたり,非常事態の撤回,被拘禁者,政治犯の釈放,PPOMAの廃止,サマーチャル通信を独立させる,停止された新聞・雑誌の再開,集会,デモ規制の撤回・禁止団体の解除の条件を出した。 |
DIA-302-1977-01-24-3 | インド | 1977年01月24日 | 1970年代 | 大蔵省は家畜飼料の輸出税(トン当り125ルピー)の廃止を発表した。 |
DIA-302-1977-01-25-1 | インド | 1977年01月25日 | 1970年代 | 政府はミニ・スチールの輸出に対して15~20%の現金援助の供与を決定した。 |
DIA-302-1977-01-27-1 | インド | 1977年01月27日 | 1970年代 | CPIは,会議派と全国的同盟は求めないが,西ベンガル,ビハール,タミル・ナドゥ,ケララなどで協定を結ぶ可能性はあると発表した。 |
DIA-302-1977-01-27-2 | インド | 1977年01月27日 | 1970年代 | 中央政府は必需品の州間移動禁止を廃止した。 |
DIA-302-1977-01-28-1 | インド | 1977年01月28日 | 1970年代 | A.N.ライ最高裁長官(1月29日に辞任)の後任にH.ベグが任命された。A.N.ライの次席であるH.R.カンナ判事は辞表を提出。 |
DIA-302-1977-01-28-2 | インド | 1977年01月28日 | 1970年代 | ヒマチャル・プラデシュ州首相に会議派のラーム・ラル就任。 |
DIA-302-1977-01-28-3 | インド | 1977年01月28日 | 1970年代 | ジャナタ党デリー集会で,モラルジ・デサイ議長は,「インド民主主義は“不妊手術”を施されてしまった,非常事態を終わらせ,民主主義を回復するために,ジャナタ党に投票するよう」よびかけた。聴集は約15万人といわれた。パトナ集会では,J.P.ナラヤンが「今回の選挙は,民主主義と専制との戦いである」と選挙第一声を発した。 |
DIA-302-1977-01-28-4 | インド | 1977年01月28日 | 1970年代 | CPI・Mは非常事態に反対するすべての野党グループに議席の調整を求めることを決定,野党票の分裂を阻止する方針をとる。ジャナタ党については,会議派にかわるべきものとはみず,会議派と同じ階級的基盤に立っており,CPI・Mはジャナタ党と共通プログラム・選挙統一戦線を持たない,しかし,ジャナタ党の主張する,非常事態の撤回,検閲廃止等を検討した結果,州レベルで選挙協力を行うことは可能であると考える。 |
DIA-302-1977-01-31-1 | インド | 1977年01月31日 | 1970年代 | 11月の貿易収支は10.9億ルピーの赤字となり,月別収支では4月以来の最大の赤字となった。 |
DIA-302-1977-01-31-2 | インド | 1977年01月31日 | 1970年代 | ジャナタ党は,会議派を選挙区毎に敗ることを第1目的として,野党と選挙を持っことを決定。 |
DIA-302-1977-02-01-1 | インド | 1977年02月01日 | 1970年代 | インド綿花公社は輸入綿花の売渡し価格をキャンディー当り300~500ルピー引き下げた。 |
DIA-302-1977-02-02-1 | インド | 1977年02月02日 | 1970年代 | ジャグジバン・ラム農業・灌漑相,政府と党から辞任―非常事態を終わらせて,インド政治にしのびこむ全体主義・権威主義的傾向をくい止めるよう,すべての会議派党員に自分に続くよう呼びかけた。N.サトパティ,K.R.ガネーシ,D.N.ティワリ,R.M.パンデらがJ.ラムに賛同して会議派を脱退。またジャナタ党は,J.ラム辞任を歓迎し,J.ラムと彼に続く者を,価値あるパートナーとしてむかえると発表。 |
DIA-302-1977-02-02-2 | インド | 1977年02月02日 | 1970年代 | 会議派執行委緊急会議は,J.ラム辞任を,脱党であり背信行為だと非難する。 |
DIA-302-1977-02-03-1 | インド | 1977年02月03日 | 1970年代 | 中央政府は港湾開発のスピー・ドアップのため,港湾機械の優先輸入を決定した。 |
DIA-302-1977-02-03-2 | インド | 1977年02月03日 | 1970年代 | インドはアメリカとPL-480号に基づいて5万トンの大豆油を輸入する契約を結んだ。 |
DIA-302-1977-02-03-3 | インド | 1977年02月03日 | 1970年代 | ガンディー首相は集会で,J.ラムの新党結成と“ジャナタ・フロント”との選挙協力協定を,インドの社会主義計画を腕ずくで変えようとする根の深い陰謀だから警戒するようにとよびかける。 |
DIA-302-1977-02-03-4 | インド | 1977年02月03日 | 1970年代 | CPIはJ.ラム辞任を「インドに生じている否定的かつ妨害的な発展に対して,非常に適切な時に,批判の声をあげたものだ」と評価した。否定的かつ妨害的発展とは,非常事態権力のらん用,議会制民主主義の弱体化,特権階級への譲歩,強制的不妊手術・住居の立ちのき等であるとしている。しかし,CPIは,1975年6月の非常事態宣言は不可避のものだとの態度は維持する。 |
DIA-302-1977-02-04-1 | インド | 1977年02月04日 | 1970年代 | J.ラムの新党は民主会議派と命名される。ラムは記者会見で,民主会議派は社会主義―科学的社会主義―を支持する,それは教条的社会主義ではなく,実際的社会主義である,と語った。 |
DIA-302-1977-02-06-1 | インド | 1977年02月06日 | 1970年代 | デリーでJ.ラム,J.P.ナラヤンら集会演説。ラムは「過去19ヵ月間,1.5人のボスがインドを支配した」とのべて,ガンディー・サンジャイを攻撃した。 |
DIA-302-1977-02-06-2 | インド | 1977年02月06日 | 1970年代 | 政府は小麦の移動を完全に自由化した。 |
DIA-302-1977-02-07-1 | インド | 1977年02月07日 | 1970年代 | 政府は繊維製品の輸出に対する10~15%の現金補助金をさらに1年間延長した。 |
DIA-302-1977-02-07-2 | インド | 1977年02月07日 | 1970年代 | 中央政府は各種の肥料の販売価格をトン当り100~645ルピー引下げることを決定した。 |
DIA-302-1977-02-07-3 | インド | 1977年02月07日 | 1970年代 | ラジ・ナラヤン,マドゥ・リマエら釈放される。. |
DIA-302-1977-02-07-4 | インド | 1977年02月07日 | 1970年代 | J.ラムは,政府が選挙めあてに,デリーの非合法コロニーの整備とか,小麦の配給量増加とかの政策を発表しはじめている,と批判。 |
DIA-302-1977-02-08-1 | インド | 1977年02月08日 | 1970年代 | J.ラムの民主会議派は,ジャナタ党の選挙シンボル“すきをかついだ男”を用いることを決定。 |
DIA-302-1977-02-09-1 | インド | 1977年02月09日 | 1970年代 | インドの1976年の茶生産は前年比加重平均で5.5%増加した。 |
DIA-302-1977-02-09-2 | インド | 1977年02月09日 | 1970年代 | マハラシュトラ州政府は綿花を2月5日までに売渡した農民にキンタール当り50ルピーの仮払いをすることを決定した。 |
DIA-302-1977-02-10-1 | インド | 1977年02月10日 | 1970年代 | 下院選挙の大統領告示が出された。同時にケララ州議会選挙も実施する。3月16日から3月19日まで投票期間。 |
DIA-302-1977-02-11-1 | インド | 1977年02月11日 | 1970年代 | F.A.アーメッド大統領死去―マレーシア公式訪問を中止して10日に帰国していた。B.D.ジャティ副大統領が,大統領を代行する。また,月末に予定されていたポドゴルヌイ訪印は,このために延期された。 |
DIA-302-1977-02-11-2 | インド | 1977年02月11日 | 1970年代 | バングラデシュとの貿易議事録抄に調印。 |
DIA-302-1977-02-14-1 | インド | 1977年02月14日 | 1970年代 | ビジャヤラクシミ・パンディット夫人(ネルーもと首相の妹),民主会議派のために働く,ジャナタ党とも協力すると発表。 |
DIA-302-1977-02-14-2 | インド | 1977年02月14日 | 1970年代 | CSOの推計によれば1975/76年の国民所得は前年比6.6%増となった。 |
DIA-302-1977-02-15-1 | インド | 1977年02月15日 | 1970年代 | サンジャイ・ガンディーはUP州アメティ選挙区から出馬。 |
DIA-302-1977-02-15-2 | インド | 1977年02月15日 | 1970年代 | インドはパキスタンにはじめてレーヨン糸30万kgの輸出に成功した。 |
DIA-302-1977-02-16-1 | インド | 1977年02月16日 | 1970年代 | インドの唯一のリノリューム床材メーカーであるIndia Linoleums社は在庫がふえすぎ,経営危機に直面している。 |
DIA-302-1977-02-16-2 | インド | 1977年02月16日 | 1970年代 | ジャナタ党は党の候補者約50人がまだ獄中にいる,その中にはG.フェルナンデスらもいる,と発表。 |
DIA-302-1977-02-18-1 | インド | 1977年02月18日 | 1970年代 | 日本のインドに対するプロジェクト・ローン90億円と商品ローン100億円の調印がデリーで行なわれた。 |
DIA-302-1977-02-19-1 | インド | 1977年02月19日 | 1970年代 | ガンディー首相は西ベンガル遊説で,「安定した強い中央政府は,会議派だけが提供できる,野党の“ごった煮”政府の成立は避けなければならない。」と語る。 |
DIA-302-1977-02-20-1 | インド | 1977年02月20日 | 1970年代 | バンシ・ラル国防相は閣僚としてはじめて不妊手術に強制があったことを認め「政府は強制手術について国民にあやまる。将来は強制的手段は用いない」とのべた。 |
DIA-302-1977-02-22-1 | インド | 1977年02月22日 | 1970年代 | 中央政府は国営銀行の銀行員の採用を担当するBanking Service Commissionを発足させた。 |
DIA-302-1977-02-23-1 | インド | 1977年02月23日 | 1970年代 | 商務省は1977/78年度の輸出目標を600億ルピーに決めた。前年の目標は450億ルピー。 |
DIA-302-1977-02-24-1 | インド | 1977年02月24日 | 1970年代 | パイ工業相は5000万ドルのサウジの電化プロジェクトを受注したことを明らかにした。 |
DIA-302-1977-02-25-1 | インド | 1977年02月25日 | 1970年代 | インドとイランは原子力の平和利用に関する協定を結んだ。 |
DIA-302-1977-02-25-2 | インド | 1977年02月25日 | 1970年代 | デリーのジャマ・マスジッドのイマーンは,民主会議派支持を表明。 |
DIA-302-1977-02-25-3 | インド | 1977年02月25日 | 1970年代 | IDAはオリッサとケララの農業開発プロジェクトに5000万ドルの借款供与を承認した。 |
DIA-302-1977-02-26-1 | インド | 1977年02月26日 | 1970年代 | 海運発展基金委員会(SDFC)はインドの海運会社がインドの銀行コンソーシャムから融資を受ける場合の保証を行う。現在の船舶保有量は510万トンで第6次計画末には650万トンに引上げる計画である。 |
DIA-302-1977-02-28-1 | インド | 1977年02月28日 | 1970年代 | インド製ポリエステル繊維がメーカーの乱売のため,数ヵ月前のトン当り7.8~8.2万ルピーから6.3~6.8万ルピーに値下がりしている。 |
DIA-302-1977-02-28-2 | インド | 1977年02月28日 | 1970年代 | ジャナタ党のチャラン・シン副委員長は,会議派の経済政策を批判して,「会議派の誤った経済政策はインドに膨大な損害をなした。マハトマ・ガンディーの道を外れたのが根本的過ちである。マハトマは農村を重視したが,ネルーはそれを拒否して“ソビエト型”の経済政策をとり,父と娘が30年間も国を支配した間,この政策はかえられなかった」と語る。 |
DIA-302-1977-03-01-1 | インド | 1977年03月01日 | 1970年代 | 西独のKar O Helm-Chemicals社のヘルマン・シュナーベ社長はインドの化学製品は価格が高すぎ,西独市場への輸出見通しは暗いと語った。 |
DIA-302-1977-03-01-2 | インド | 1977年03月01日 | 1970年代 | ガンディー首相はデリーの選挙集会で,家族計画の実施において,役人だけでなく政治家による“ゆきすぎ”があったと認めた。しかし,強制は全く望まなかったと強調した。, |
DIA-302-1977-03-02-1 | インド | 1977年03月02日 | 1970年代 | マハトマ・ガンディーの孫で前上院議員のスミトラ・クルカルニ夫人は会議派を辞任して民主会議派に参加した。 |
DIA-302-1977-03-03-1 | インド | 1977年03月03日 | 1970年代 | 海運開発基金委員会はチョーグル・スチームシップに2.1億ルピーの融資を行なう。同社は7.5万トンの貨物船をコチン造船所に発注しており,これに対する融資である。 |
DIA-302-1977-03-04-1 | インド | 1977年03月04日 | 1970年代 | アメリカのAIDは1978年度予算にインド向け援助を計上しなかった。 |
DIA-302-1977-03-05-1 | インド | 1977年03月05日 | 1970年代 | 政府は国会が解散されたため,Economic Surveyの発表を中止した。 |
DIA-302-1977-03-05-2 | インド | 1977年03月05日 | 1970年代 | アメリカのDorr-Oliver Inc.の100%子会社Dorr-Oliver(India)はインド化を行ない,株式の25%を放出する。 |
DIA-302-1977-03-06-1 | インド | 1977年03月06日 | 1970年代 | A.K.ダット・インド食糧公団専務理事は食糧穀物のストックは1800~1900万トンでラビを買入れればさらに400万トンふえるので小麦の輸出を考える必要があることを明らかにした。 |
DIA-302-1977-03-10-1 | インド | 1977年03月10日 | 1970年代 | サレム製鋼所は第1段階として全計画規模の7分の1の大きさでステンレス製鋼の生産からスタートする。 |
DIA-302-1977-03-11-1 | インド | 1977年03月11日 | 1970年代 | 計画委員会は電話線の生産分野に民間企業が参加することを拒否した。 |
DIA-302-1977-03-12-1 | インド | 1977年03月12日 | 1970年代 | 政府は1977/78年度に原油を450万トン輸入することに決定した。灯油・ディーゼル油は140万トン輸入する予定である。 |
DIA-302-1977-03-15-1 | インド | 1977年03月15日 | 1970年代 | ジョージ・フェルナンデスは獄中で断食(11日から)の結果,危篤におちいり入院した。 |
DIA-302-1977-03-16-1 | インド | 1977年03月16日 | 1970年代 | 第6次下院選挙投票始まる。 |
DIA-302-1977-03-17-1 | インド | 1977年03月17日 | 1970年代 | STCは好業績の年度に積みたて,業績の悪い年に取崩す輸出安定基金を設置する。 |
DIA-302-1977-03-18-1 | インド | 1977年03月18日 | 1970年代 | 外国為替規制法に基づく外国人の株式保有制限が発表されてすでに4年以上になるが,保有比率はほとんど進んでいない。40%以下への引下げ勧告を受けた188社のうち40社が実行したにすぎない。 |
DIA-302-1977-03-19-1 | インド | 1977年03月19日 | 1970年代 | J.ラムは,民主会議派に入党したい者へはデッドラインはもうけない,会議派首脳部が交替した場合にも会議派に復帰しないと語る。 |
DIA-302-1977-03-21-1 | インド | 1977年03月21日 | 1970年代 | インディラ・ガンディー,サンジャイ母子ともに落選,会議派の後退と,北インドでのジャナタ党の躍進が目立つ。 |
DIA-302-1977-03-21-2 | インド | 1977年03月21日 | 1970年代 | ボンベイの株式市場はジャナタ党の安定政権ができることを見込んで値上がりしたが,カルカッタ市場はCPI・M系の勝利に不安を示している。 |
DIA-302-1977-03-21-3 | インド | 1977年03月21日 | 1970年代 | 政府は,1975年6月25日発令の国内非常事態宣言を解除した。非常事態下で出されていた特定法の停止が解かれたため,RSS,アナンド・マルグその他団体の禁止が解除となった。 |
DIA-302-1977-03-22-1 | インド | 1977年03月22日 | 1970年代 | ガンデイー首相,辞任―「今後は,非宗教・社会主義・民主主義的基礎が強化されることを望む,会議派と私は,インドの共通の事業のために建設的に協力する用意がある。大衆の審判は尊重すべきだ」。と辞任の弁をのべた。 |
DIA-302-1977-03-22-2 | インド | 1977年03月22日 | 1970年代 | アメリカ政府スポークスマンは「インドが民主主義と基本的人権へのコミットの道に完全にたちもどったことは,我々との関係を強めるだろう。ガンディー政権が,辞任するにあたって非常事態を撤回したことを歓迎する。」と論評した。 |
DIA-302-1977-03-22-3 | インド | 1977年03月22日 | 1970年代 | CPI・MのA.K.ゴパラン死去。 |
DIA-302-1977-03-22-4 | インド | 1977年03月22日 | 1970年代 | A.メノン・ケララ州政府辞任。 |
DIA-302-1977-03-22-5 | インド | 1977年03月22日 | 1970年代 | サンジャイは,政治活動をやめて「建設的な仕事」に従事するつもりだと語る。 |
DIA-302-1977-03-23-1 | インド | 1977年03月23日 | 1970年代 | 会議派国会議員団リーダーにY.B.チャバンが選出される。 |
DIA-302-1977-03-24-1 | インド | 1977年03月24日 | 1970年代 | P.N.ハクサル計画委員会副委員長辞任。 |
DIA-302-1977-03-24-2 | インド | 1977年03月24日 | 1970年代 | デサイ首相就任―まず,ジャナタ党国会議員団リーダーに選出された後,就任。独立後はじめて,非会議派政府が誕生した。就任式に,J.ラムは出席しなかった。 |
DIA-302-1977-03-24-3 | インド | 1977年03月24日 | 1970年代 | J.ラムは,入閣を拒否,また民主会議派は国会内外で独自の存在として活動すると発表。 |
DIA-302-1977-03-24-4 | インド | 1977年03月24日 | 1970年代 | A.ソニ夫人,会議派青年部委員長を辞任する。 |
DIA-302-1977-03-25-1 | インド | 1977年03月25日 | 1970年代 | ジャム・カシミールの会議派は,アブドラ州政府への支持を撤回し,党からの6大臣を辞任させた。 |
DIA-302-1977-03-25-2 | インド | 1977年03月25日 | 1970年代 | ケララ州首相に,会議派のK.カルナカラン就任。 |
DIA-302-1977-03-25-3 | インド | 1977年03月25日 | 1970年代 | ビライ製鉄所の労働者は経営者側と3年間(1976/79年)のボーナス協定を結んだ。 |
DIA-302-1977-03-26-1 | インド | 1977年03月26日 | 1970年代 | デサイ内閣,閣僚15人就任。J.ラム,H.N.パフグナ,R.ナライン,G.フェルナンデスは欠席。 |
DIA-302-1977-03-26-2 | インド | 1977年03月26日 | 1970年代 | N.サンジバ・レディが第6次下院の議長に選出された。 |
DIA-302-1977-03-27-1 | インド | 1977年03月27日 | 1970年代 | ジャム・カシミール州知事は,州議会を解散,アブドラ州内閣は辞任した。 |
DIA-302-1977-03-27-2 | インド | 1977年03月27日 | 1970年代 | J.ラム,国防相として入閣することに合意。H.N.パフグナ,G.フェルナンデス,R.ナライン,P.S.バダル,B.ベルマも入閣(28日に就任)。 |
DIA-302-1977-03-27-3 | インド | 1977年03月27日 | 1970年代 | 対外非常事態宣言(1971年12月3日)を解除。 |
DIA-302-1977-03-28-1 | インド | 1977年03月28日 | 1970年代 | インド綿花公社は6~7月の船積みで4万6800ベイルの中短繊維綿花輸入を決定した。これまでの輸入累計は1,023,967ベイル。 |
DIA-302-1977-03-28-2 | インド | 1977年03月28日 | 1970年代 | ジャティ大統領代行,上下両院合同本会議で演説。MISA,PPOMAの廃止,司法の独立,3権のバランス,自発的家族計画の実施,10年間で貧困の追放等を約束する。 |
DIA-302-1977-03-29-1 | インド | 1977年03月29日 | 1970年代 | 1976年1~12月の平均工業生産指数は前年比10.0%の上昇となった。 |
DIA-302-1977-03-29-2 | インド | 1977年03月29日 | 1970年代 | 会議派内に,会議派青年部による犯罪の調査をして,これに関連するすべての人間を党の要職から外すよう求める声,また,サンジャイ一派の除名を求める声が上る。さらに,バルア総裁の辞任要求もでた。 |
DIA-302-1977-03-30-1 | インド | 1977年03月30日 | 1970年代 | トリプラ州政府(S.セングプタ首相)総辞職。 |
DIA-302-1977-03-31-1 | インド | 1977年03月31日 | 1970年代 | C.シン内相は下院で,1975年6月25日の非常事態宣言は,閣議の承認を経ずに出され,閣議は,26日になってこれを事後承認したことを明かにした。 |
DIA-302-1977-03-31-2 | インド | 1977年03月31日 | 1970年代 | 会議派議会局は,バルア総裁と党執行委が4月12日までに辞任し,AICCをそれ以降に開催することを決定。 |
DIA-302-1977-04-01-1 | インド | 1977年04月01日 | 1970年代 | 新政権は旧政権が決定していた輸出現金補助金を1979年3月31日まで延長するという決定を受継ぐことを明らかにした。 |
DIA-302-1977-04-01-2 | インド | 1977年04月01日 | 1970年代 | トリプラに,民主会議派とCPI・Mによる連立政府が成立。P.ダス州首相。 |
DIA-302-1977-04-01-3 | インド | 1977年04月01日 | 1970年代 | 政府は,マルティ事件,ナガルワラ事件,バンシ・ラル事件を調査するために調査委員会を作る方針である。 |
DIA-302-1977-04-01-4 | インド | 1977年04月01日 | 1970年代 | デサイ首相はコスイギン・ソ連首相に返礼のメッセージを送り,インド・ソ連の伝統的な友情と協力の関係が両国民の利益のために栄え続けることを確信すると伝える。 |
DIA-302-1977-04-02-1 | インド | 1977年04月02日 | 1970年代 | ネパール・ビレンドラ国王夫妻デリーを訪問。 |
DIA-302-1977-04-02-2 | インド | 1977年04月02日 | 1970年代 | A.ソニ夫人が招集した会議派青年部会議は,委員長にJ.S.ゲーロトを選出した。これは,最近D.K.バルーアがP.R.ダス・ムンシを委員長に任命したことに正面から対立する動きである。 |
DIA-302-1977-04-03-1 | インド | 1977年04月03日 | 1970年代 | R.ナライン厚生相は,州政府に対して,強制的家族計画手術の犠牲者各々に5000ルピー以上の補償金を支払うよう指令したことを発表。 |
DIA-302-1977-04-04-1 | インド | 1977年04月04日 | 1970年代 | タミル・ナド州は電力供給のカット率を40%に引下げた。 |
DIA-302-1977-04-04-2 | インド | 1977年04月04日 | 1970年代 | 下院で,A.B.バジパイ外相は,パキスタンに不戦条約を提案したと発表。 |
DIA-302-1977-04-05-1 | インド | 1977年04月05日 | 1970年代 | ガンディー夫人はステーツマン紙との会見で,「現在,政治から遠ざかっており,補欠選挙で国会に入る計画はない。サンジャイの5項目計画は政府の計画であり,50年代,父の時代にさかのぼるものだ」とのべ,また,サンジャイを擁護して「サンジャイ,ラールに選挙潰滅の責任をなすりつけようとするのは,あまりにも単純化しすぎる。ラールはハリヤナ州では何かをしたかもしれないが,他の場所はどうだというのだ。野党の宣伝で誇張された」。と語った。 |
DIA-302-1977-04-06-1 | インド | 1977年04月06日 | 1970年代 | インドの代表的なエンジニア7社はサウジアラビアのダーランに合同事務所を出すことに決定した。 |
DIA-302-1977-04-06-2 | インド | 1977年04月06日 | 1970年代 | 下院は,PPOMA(議会議事報道制限法)の廃案に賛成決議。 |
DIA-302-1977-04-07-1 | インド | 1977年04月07日 | 1970年代 | 中央政府の食糧公団に対する1976/77年度の財政補助金支出は50.6億ルピーとなった。 |
DIA-302-1977-04-07-2 | インド | 1977年04月07日 | 1970年代 | 1976/77年度の当初10ヵ月間のエンジニアリング・グッズの輸出は前年比40%増となった。 |
DIA-302-1977-04-07-3 | インド | 1977年04月07日 | 1970年代 | 国会・州議会の任期を5年にする法案が下院に提出された。 |
DIA-302-1977-04-08-1 | インド | 1977年04月08日 | 1970年代 | ボンベイ・ハイの石油生産は1976年5月21日に開始され以降77年3月31日までに累積40万トンに達し,日産3.5万バレルの生産体制を確立した。1977年未までに8万バレルに生産をアップする予定。 |
DIA-302-1977-04-08-2 | インド | 1977年04月08日 | 1970年代 | 駐印アメリカ大使にR.F.Goheen(58歳,プリンストン大学学長)が任命される。 |
DIA-302-1977-04-09-1 | インド | 1977年04月09日 | 1970年代 | 中央政府は内需用の茶の供給をふやし,価格を引下げるため,キロ当り5ルピーの輸出税を課し,輸出リベートを廃止することに決定した。 |
DIA-302-1977-04-10-1 | インド | 1977年04月10日 | 1970年代 | 中央政府大蔵省は各省庁に対して,ジャナタ党の選挙綱領にかかげられた経済プログラムに従ってプラン・プライオリティーを決めるように指示した。 |
DIA-302-1977-04-10-2 | インド | 1977年04月10日 | 1970年代 | 政府は小麦の買上げ価格をキンタール当り110ルピー(5ルビー値上げ)と決定し,放出価格は125ルピーに据置いた。 |
DIA-302-1977-04-11-1 | インド | 1977年04月11日 | 1970年代 | グジャラート州,B.パテル・ジャナタ党州政府成立。 |
DIA-302-1977-04-11-2 | インド | 1977年04月11日 | 1970年代 | J.P.ナラヤンはネパール国王に,B.P.コイララ・ネパールもと首相の釈放を願いでた。 |
DIA-302-1977-04-12-1 | インド | 1977年04月12日 | 1970年代 | 会議派執行委で,ガンディー夫人からバルーア総裁への書簡が公開された。書簡は「下院選挙での会議派の敗北の全責任を自分は無条件に負う。私は,誰かをかばおうとは思わないし,守らねばならないようなグループは持たない」とある。 |
DIA-302-1977-04-13-1 | インド | 1977年04月13日 | 1970年代 | 会議派執行委で,D.K.バルーア総裁は辞任を発表,また執行委は14日に総辞職する。S.シンがAICC開催まで暫定総裁の地位についた。 |
DIA-302-1977-04-13-2 | インド | 1977年04月13日 | 1970年代 | 政府は輸出の増加に対応して1977/78年度の輸出補助金として30億ルピーを計上の予定。 |
DIA-302-1977-04-14-1 | インド | 1977年04月14日 | 1970年代 | 会議派執行委は,バンシ・ラル前国防相を党から6年間除名処分とした。また,V.C.シュクラ情報相をけん責処分に。サンジャイについては,彼はAICCの指名メンバーであり,すでに党を辞任しているので処分はしないことになった。執行委はまた,スワラン・シンを暫定総裁に任命した。 |
DIA-302-1977-04-15-1 | インド | 1977年04月15日 | 1970年代 | 会議派執行委,選挙敗北総括ステートメント発表。敗北責任はガンディー夫人と執行委にあると宣言,しかし夫人を「我々の敬愛する指導者」と評している。非常事態については,この期間の不幸な出来事が敗北に導いたとしながらも,プラスの面も強調している。またS.シン暫定総裁は記者会見で,今後,党は,集団指導体制の概念をとりいれる,とのべた。 |
DIA-302-1977-04-15-2 | インド | 1977年04月15日 | 1970年代 | V.R.ネドゥンチェリアン・DMK書記長は党を脱退した。後,4月23日に新党Makkal-DMKを設立。(Makkal=人民) |
DIA-302-1977-04-16-1 | インド | 1977年04月16日 | 1970年代 | 会議派内に,Congress for Socialist Unityのグループが結成された。 |
DIA-302-1977-04-16-2 | インド | 1977年04月16日 | 1970年代 | ボンベイ金市場で金価格は10g 628ルピーの新高値をつけた。 |
DIA-302-1977-04-17-1 | インド | 1977年04月17日 | 1970年代 | ケララ州首相,K.カルナカラン辞任。 |
DIA-302-1977-04-17-2 | インド | 1977年04月17日 | 1970年代 | 会議派V.D.パティル,マハラシュトラ州首相に就任。 |
DIA-302-1977-04-17-3 | インド | 1977年04月17日 | 1970年代 | 1977年3月の卸売物価指数は1976年3月に比べて12%上昇した。 |
DIA-302-1977-04-18-1 | インド | 1977年04月18日 | 1970年代 | C.シン内相は,下院選挙で会議派が敗れた9州の州議会解散と選挙を望むとのアピールを,9州(UP,パンジャーブ,ハリヤナ,MP,ビハール,オリッサ,西ベンガルとナガランド,ジャム・カシミール)に出した。 |
DIA-302-1977-04-19-1 | インド | 1977年04月19日 | 1970年代 | デサイ首相は,核拡散防止条約について,インドは,すべての国が核兵器を放棄するならば条約に調印するとの従来の立場を守ると,外国記者団に答えた。 |
DIA-302-1977-04-19-2 | インド | 1977年04月19日 | 1970年代 | 経営者団体は中央政府に対して,非常事態解除後ストライキがひんぱつしていることにかんがみて,中央政府新労働政策を打出すまで労使休戦を命じるように要請した。 |
DIA-302-1977-04-20-1 | インド | 1977年04月20日 | 1970年代 | エコノミック・タイムス紙の調査による大ボンベイを対象とする小売物価指数は1976/77年度中に12%の上昇を記録した。 |
DIA-302-1977-04-21-1 | インド | 1977年04月21日 | 1970年代 | デリー市評議会解散された。 |
DIA-302-1977-04-22-1 | インド | 1977年04月22日 | 1970年代 | オリッサ,パンジャーブ,ラジャスタン,ビハールの4州首相は,州議会解散についてのシン内相の助言を拒否した。 |
DIA-302-1977-04-22-2 | インド | 1977年04月22日 | 1970年代 | G.D.ビルラはFICCIの50年記念大会で,インフレの封込めと増産のため外国投資を誘致する環境を作ることを政府に要求した。 |
DIA-302-1977-04-24-1 | インド | 1977年04月24日 | 1970年代 | 石油・天然ガス委員会はフランス石油(CFP)とボンベイ・ハイの増産のために技術協力協定を結んだ。 |
DIA-302-1977-04-25-1 | インド | 1977年04月25日 | 1970年代 | グロムイコ・ソ連外相訪印。A.B.バジパイ外相と会談。 |
DIA-302-1977-04-25-2 | インド | 1977年04月25日 | 1970年代 | パンジャーブ,ビハール,ラージャスタン,MPの4州は,最高裁に,4月18日付のC.シン内相から9州への書簡による“directive”を政府が施行しないよう,訴えた。 |
DIA-302-1977-04-26-1 | インド | 1977年04月26日 | 1970年代 | インドはコーヒーの輸出関税をキンタール当り1300ルピーから2200ルピーに引上げた。 |
DIA-302-1977-04-26-2 | インド | 1977年04月26日 | 1970年代 | グロムイコ外相,デサイ首相と会談。 |
DIA-302-1977-04-27-1 | インド | 1977年04月27日 | 1970年代 | 中央政府は増産,輸出促進のため,輸入自由をさらに進める1977/78年度輸入政策を発表した。 |
DIA-302-1977-04-27-2 | インド | 1977年04月27日 | 1970年代 | ソ連はインドと22.5億ルピーの借款協定を結んだ。金利は2.5%,3年据置きの返済期間20年。 |
DIA-302-1977-04-27-3 | インド | 1977年04月27日 | 1970年代 | ゴア州議会解散。 |
DIA-302-1977-04-27-4 | インド | 1977年04月27日 | 1970年代 | ケララ州新州首相に,A.K.アントニー(会議派)が就任。 |
DIA-302-1977-04-27-5 | インド | 1977年04月27日 | 1970年代 | 印ソ共同コミュニケ発表。2万5000ルーブルの信用供与,鉄鋼プラントと炭鉱の資材購入用。ソ連から原油を1977年度に100万トン輸入。 |
DIA-302-1977-04-29-1 | インド | 1977年04月29日 | 1970年代 | 最高裁は,6州による訴えを却下。 |
DIA-302-1977-04-30-1 | インド | 1977年04月30日 | 1970年代 | ジャティ大統領代行は,9州議会解散と大統領統治施行の大統領を出した。モンスーン前に9州とタミル・ナドゥの州議会選挙を行なう予定。 |
DIA-302-1977-05-01-1 | インド | 1977年05月01日 | 1970年代 | ジャナタ党正式結成―デリーで党の創立大会が開かれ,党総裁にチャンドラシェカルが任命された。また,J.ラムも大会に出席し,数日内に民主会議派がジャナタ党に参加することを発表した。 |
DIA-302-1977-05-02-1 | インド | 1977年05月02日 | 1970年代 | フランスは1977/78年度分として5000万ルピーの借款を供与する。 |
DIA-302-1977-05-02-2 | インド | 1977年05月02日 | 1970年代 | 1976/77年度の株式・社債などによる資本市場からの資金調達額は8.21億ルピーで前年の9.39億ルピーを下回った。 |
DIA-302-1977-05-03-1 | インド | 1977年05月03日 | 1970年代 | 発電設備建設は5次計画目標を300万kW下回りそう―発電設備は1974/75年から1976/77年までに552万kWの新設が行なわれたが,1250万kWを300万kWほど下回るとみられている。 |
DIA-302-1977-05-03-2 | インド | 1977年05月03日 | 1970年代 | ジャナタ党チャンドラシェカル総裁は,今後,入党したいという者には,特別の例外を除いて,州議会選挙に党公認を与えない,さらに,非常事態下の悪行に責任ある人物はうけいれない,とのべた。また,ジャナタ党執行委が,デサイ,バジパイ,C.シン,R.ナラヤン,アドバニ,ラマチャンドランら30人で結成された。 |
DIA-302-1977-05-04-1 | インド | 1977年05月04日 | 1970年代 | 西ドイツの対印民間投資―印独商業会議所の発表によれば,1957/76年度のドイツの民間投資額(再投資を除く)は6億7614万ルピーでアジアではイラン・日本についで3番目に多い。件数は413。 |
DIA-302-1977-05-05-1 | インド | 1977年05月05日 | 1970年代 | 会議派AICCに,予告なしにガンディー夫人が出席し,「党は大衆の中に根をはっており,再び勢いを盛り返すだろう。私はここに11年間の私への支持に感謝するために来た。」とのべた。Y.B.チャバンが提出した政治決議は,民主的ラインに沿った党の再建,集団指導体制などが盛り込まれた。 |
DIA-302-1977-05-05-2 | インド | 1977年05月05日 | 1970年代 | マザガオン・ドックはインド海軍に4隻めのフリゲート艦ヅナギリを引渡した。 |
DIA-302-1977-05-05-3 | インド | 1977年05月05日 | 1970年代 | 民主会議派はジャナタ党への合併を正式承認。 |
DIA-302-1977-05-06-1 | インド | 1977年05月06日 | 1970年代 | 会議派総裁に,K.B.レッディが選出される。対立候補はS.S.ライ,カラン・シン他3名であった。S.S.ライはガンディー・サンジャイ攻撃の急先峰であった。また。会議派が総裁を投票で決めたのは1950年以降はじめて。 |
DIA-302-1977-05-06-2 | インド | 1977年05月06日 | 1970年代 | マヒンドラ・マヒンドラ社のケシュブ・マヒンドラ会長は雇用をふやす経済政策の必要性を強調した。 |
DIA-302-1977-05-09-1 | インド | 1977年05月09日 | 1970年代 | ミゾラームのチュンガ会議派内閣辞任。 |
DIA-302-1977-05-09-2 | インド | 1977年05月09日 | 1970年代 | 物価手当アップ分の強制貯蓄廃止―物価手当アップ分の50%を強制貯蓄させる法律は9日から廃止され,強制貯蓄された分は退職基金に組込まれた。 |
DIA-302-1977-05-10-1 | インド | 1977年05月10日 | 1970年代 | 政府は昨年から許可された外国合弁企業の設備拡張の自動承認を廃止,以前の状態に戻した。 |
DIA-302-1977-05-11-1 | インド | 1977年05月11日 | 1970年代 | ヒンドスタン・リーヴァのストライキは1ヵ月をこえ,連邦消費税の損失だけでも2500万ルピーにのぽった。 |
DIA-302-1977-05-11-2 | インド | 1977年05月11日 | 1970年代 | ミゾラーム州議会は解散され,州は大統領統治下にはいった。 |
DIA-302-1977-05-11-3 | インド | 1977年05月11日 | 1970年代 | 政府は,1974年5月の国鉄ストに参加して処分をうけた国鉄労働者1万6898人の処分を撤回した。 |
DIA-302-1977-05-12-1 | インド | 1977年05月12日 | 1970年代 | ソビエトの小麦200万トン返済を決定―政府はソビエトへの小麦200万トンの返済を決定,8月までに第一船を出す。余剰小麦の輸出も検討中。 |
DIA-302-1977-05-12-2 | インド | 1977年05月12日 | 1970年代 | ボンボイ港のドック・ワーカーのストライキは3日目にはいり,港の機能がマヒし,滞船がふえている。 |
DIA-302-1977-05-12-3 | インド | 1977年05月12日 | 1970年代 | 米カーター政権は,タラプル原子力発電プラントに濃縮ウラン燃料の供給を認める決定を下した。 |
DIA-302-1977-05-13-1 | インド | 1977年05月13日 | 1970年代 | 政府は植物油,食糧穀物,砂糖などの生活必需品の長期供給計画を決定した。 |
DIA-302-1977-05-13-2 | インド | 1977年05月13日 | 1970年代 | 西ベンガル州に,左派フロントが結成された。CPI・M,フォワード・ブロック,RSP,RCPI,FB(マルキスト),ビプラビ・バングラ・コングレスの6党と無所属が参加,ジャナタ党との議席調整が成立しなかったため,州議会の全294議席に候補者をたてることを決定。 |
DIA-302-1977-05-13-3 | インド | 1977年05月13日 | 1970年代 | 会議派執行委員会委員にガンディー夫人がノミネートされた。 |
DIA-302-1977-05-13-4 | インド | 1977年05月13日 | 1970年代 | マニプールのR.K.D.シン会議派州内閣はディフェクション増加のため辞任。 |
DIA-302-1977-05-14-1 | インド | 1977年05月14日 | 1970年代 | インド政府とバーマ・オイルはバーマ・オイルが持つオイル・インディア社の株式の50%売却で了解に達した。 |
DIA-302-1977-05-15-1 | インド | 1977年05月15日 | 1970年代 | 季節はずれの雨のために本年度の小麦生産量は目標の2800万トンを下回る2600万トンになりそう。 |
DIA-302-1977-05-15-2 | インド | 1977年05月15日 | 1970年代 | ガンディー夫人は,党総裁により会議派議会局のメンバーに任命された。 |
DIA-302-1977-05-16-1 | インド | 1977年05月16日 | 1970年代 | デサイ首相は記者会見で,将来はいかなる核実験も秘密には行なわない,インドは原子力平和利用のための核開発に外部からの調査を受けいれる用意があることを示唆する発言をした。 |
DIA-302-1977-05-18-1 | インド | 1977年05月18日 | 1970年代 | エア・インディアの高級エンジニア,テクニシャン72人が過去1年間に退職して外国航空会社に就職した。 |
DIA-302-1977-05-18-2 | インド | 1977年05月18日 | 1970年代 | インドと中国は15年ぶりに貿易を再開することに合意した―初回の取引き量は1500万ルピー。 |
DIA-302-1977-05-18-3 | インド | 1977年05月18日 | 1970年代 | 州議会選挙立候補届け出最終日。ジャナタ党,会議派ともに,公認候補者リストが完成していない。 |
DIA-302-1977-05-19-1 | インド | 1977年05月19日 | 1970年代 | STCは中国とシェラック600トンの輸出契約を結んだ。 |
DIA-302-1977-05-20-1 | インド | 1977年05月20日 | 1970年代 | 11日間にわたるボンベイ港の労働者のストライキはデサイ首相の中止呼びかけで終わった。 |
DIA-302-1977-05-21-1 | インド | 1977年05月21日 | 1970年代 | インドはサウジアラビアからの水輸出申込みについて閣僚レベルで検討中。 |
DIA-302-1977-05-23-1 | インド | 1977年05月23日 | 1970年代 | インドはソ連に対して軽油3.6万トン,灯油1.2万トンをペルシャ湾のソ連のソースから至急に送ってくれるように要請した。 |
DIA-302-1977-05-24-1 | インド | 1977年05月24日 | 1970年代 | 計画委員会新メンバー。D.K.ラクダワラ,ラジ・クリシュナらエコノミストに,蔵相,内相,国防相も参加する。 |
DIA-302-1977-05-25-1 | インド | 1977年05月25日 | 1970年代 | 政府は,24日のギリ・ネパール首相の発言(インドがネパールの内政に干渉している……)に不満を表明。「ギリ氏がインド新政府の政策と国内システムに広がっている民主的自由を誤解したことはとくに不幸なことだ。……」とインド外務省スポークスマン発表。 |
DIA-302-1977-05-25-2 | インド | 1977年05月25日 | 1970年代 | IDAは農業再融資公社に2億ドルの信用供与を決定した。 |
DIA-302-1977-05-26-1 | インド | 1977年05月26日 | 1970年代 | 砂糖輸出政策が決まらないために港に5.5万トンの砂糖の滞貨ができている。 |
DIA-302-1977-05-27-1 | インド | 1977年05月27日 | 1970年代 | インドは電力不足のため,1977/78年度に3.5万トンのアルミ不足が予想されている。 |
DIA-302-1977-05-28-1 | インド | 1977年05月28日 | 1970年代 | 政府は,マルティ系の3社の13件の容疑を調査するために,もとアラハバード高裁判事D.S.マトゥル委員会を任命。 |
DIA-302-1977-05-30-1 | インド | 1977年05月30日 | 1970年代 | モハン・ダリア商相は経営不振に陥った繊維工場の経営引受けは一切せず,すでに接収した工場の返却をしたいと発表した。 |
DIA-302-1977-05-31-1 | インド | 1977年05月31日 | 1970年代 | 大手企業グループは政府の物価抑制策を支援するため,年末まで製品価格を凍結することに決定した。 |
DIA-302-1977-06-01-1 | インド | 1977年06月01日 | 1970年代 | 724社の1976/77年度決算―724社のうち増配は136社,据置きは92社,減配は92社,復配は29社,無配は403社となっている。 |
DIA-302-1977-06-02-1 | インド | 1977年06月02日 | 1970年代 | サウジアラビアはアンドラ州の二つの電力プロジェクトへの1億ドルの融資協定に調印した。 |
DIA-302-1977-06-03-1 | インド | 1977年06月03日 | 1970年代 | ビライ・スチール・プラントのディリ・ラジャハラ鉱山で。鉱山労働者の紛争に警察が発砲,8人死亡。6月2日にナクサライト・リーダーのS.N.グハを逮捕したことに抗議する集まりを開いていた。 |
DIA-302-1977-06-04-1 | インド | 1977年06月04日 | 1970年代 | 連邦直轄州ゴア・ダマン・ディヴの州議会選挙の結果,MGPは絶対過半数を得られず。全30議席の内訳は,MGP=15(解散前=18),会議派=10,ジャナタ党=3,無所属=2。 |
DIA-302-1977-06-04-2 | インド | 1977年06月04日 | 1970年代 | チャンドラシェカル・ジャナタ党総裁は,西ベンガル州でジャナタ党が連立政府を立てる可能性を否定。 |
DIA-302-1977-06-04-3 | インド | 1977年06月04日 | 1970年代 | サンジャイ・ガンディー氏の義父アーナンド大佐が,デリーから30キロ離れたアーナンド大佐の農場の近くで,死体となって発見された。至近距離からピストルで右から左にこめかみを撃ち抜かれていた。 |
DIA-302-1977-06-05-1 | インド | 1977年06月05日 | 1970年代 | ゴア,MGPは州議会リーダーにカコドカル夫人を選出した。 |
DIA-302-1977-06-06-1 | インド | 1977年06月06日 | 1970年代 | もと最高裁判事,J.M.レッディは,ナガルワラ事件の調査を担当する。12月31日までに報告書をまとめる。 |
DIA-302-1977-06-07-1 | インド | 1977年06月07日 | 1970年代 | ゴア政府成立,カコドカル・MGP政権。 |
DIA-302-1977-06-07-2 | インド | 1977年06月07日 | 1970年代 | デサイ首相,コモンウエルス会議出席のためロンドンに。途中,テヘランでイラン国王と2時間にわたり会談。ロンドンでの記者会見で,「核兵器は作らない。」また「核拡散防止条約には調印しない」とのべた。 |
DIA-302-1977-06-07-3 | インド | 1977年06月07日 | 1970年代 | 1977/78年度の年次計画の中央政府関係支出は50.4億ルピーと決まり,前年より9.5億ルピー増。 |
DIA-302-1977-06-08-1 | インド | 1977年06月08日 | 1970年代 | 鉄鋼の滞貨が150万トン(約30億ルピー)にのぼっている。 |
DIA-302-1977-06-09-1 | インド | 1977年06月09日 | 1970年代 | デサイ首相,ロンドンで,ジア・バングラデシュ大統領と話し合う。デサイ首相は,インドに亡命した バングラデシュ人には反バングラデシュ政府活動を行わせないと約束,しかし,政治亡命の権利は認める,と述べた。ファラッカ問題も話し合われた。 |
DIA-302-1977-06-09-2 | インド | 1977年06月09日 | 1970年代 | デサイ首相,ロンドンで,トルドー・カナダ首相と会談。インドの核政策を説明。 |
DIA-302-1977-06-09-3 | インド | 1977年06月09日 | 1970年代 | ミゾラームのミゾ・ナショナル・フロントとミゾ・ナショナル・アーミーに属する62人が武装解除して投降。 |
DIA-302-1977-06-10-1 | インド | 1977年06月10日 | 1970年代 | チャンドラシェカル・ジャナタ党総裁は西ベンガル州に関して,ジャナタ党は,レフト・フロントの選挙調整の話合いが失敗することを望まなかったが,不幸にしてフロントが応じなかった,州でレフト・フロントが,ジャナタ党の主要ライバルとなろう。連立政府樹立を論ずることは時期尚早だが,フロントはジャナタ党との将来の協力の可能性を損ったり,関係を悪化させるような行動をとるべきではない,と語った。 |
DIA-302-1977-06-10-2 | インド | 1977年06月10日 | 1970年代 | 州議会議員選挙投票にはいる。 |
DIA-302-1977-06-10-3 | インド | 1977年06月10日 | 1970年代 | デサイ首相,ロンドンで,ジアウル・ラーマン・バングラデシュ大統領と再度会談。 |
DIA-302-1977-06-11-1 | インド | 1977年06月11日 | 1970年代 | 1977/78年度国鉄予算―旅客,貨物とも運賃の値上げはなく,収支は3.25億ルピーの黒字。 |
DIA-302-1977-06-12-1 | インド | 1977年06月12日 | 1970年代 | 大ボンベイを対象とするエコノミック・タイムス紙の調査の5月の小売物価指標は前年同月に比べて11.8%アップとなった。 |
DIA-302-1977-06-13-1 | インド | 1977年06月13日 | 1970年代 | ケララ州高裁は,K.カルナカラン前州首相にラジャン事件に関して偽証罪で有罪と判決。 |
DIA-302-1977-06-13-2 | インド | 1977年06月13日 | 1970年代 | 1976/77年度経済白書―パテル蔵相が提出したエコノミック・サーベイは輸出の増加,外貨準備の増加を除いては悪いという,かってない厳しい評価をしている。 |
DIA-302-1977-06-14-1 | インド | 1977年06月14日 | 1970年代 | 州議会選挙の結果,ハリヤナ,HP,ラジャスタとデリー市でジャナタ党は大勝,UP,オリッサ,MPでリードする。パンジャーブで,アカリ・ダル=ジャナタ=CPI・Mの同盟が開票117議席のうち70議席を占める。MPのS.C.シュクラ州首相は落選,オリッサではN.サトパティ夫人が当選,タミル・ナドウのM.G.ラマチャンドラン当選。 |
DIA-302-1977-06-14-2 | インド | 1977年06月14日 | 1970年代 | グジャラート州議会補欠選挙で9議席中6議席にジャナタ党が当選。この選挙の結果,ジャナタ党は,182議席中107議席の勢力となった。 |
DIA-302-1977-06-14-3 | インド | 1977年06月14日 | 1970年代 | デサイ首相,ロンドンで,亡命中のナガ族リーダーのピゾと話し合う。話し合いは「失敗」と報道された。 |
DIA-302-1977-06-15-1 | インド | 1977年06月15日 | 1970年代 | 西ベンガル州選挙結果は,未明に,CPI・M系のレフト・フロントが第1勢力として出現,開票80議席のうち,59議席を占める。 |
DIA-302-1977-06-15-2 | インド | 1977年06月15日 | 1970年代 | 州議会選挙結果。 HP(全68),ジャナタ=53,会議派=9,無所属=1 オリッサ(全147),ジャナタ=110,会議派=26,CPI・M=1,CPI=1,無所属=9 ポンディシェリ(全30),ジャナタ=7,会議派=2,CPI=1,諸党=17,無所属=3 デリー(全56),ジャナタ=46,会議派=10 |
DIA-302-1977-06-15-3 | インド | 1977年06月15日 | 1970年代 | 政府は価格差が10%までならば国営企業の製品を優先的に購入する“優先購入制度”の廃止を決定した。 |
DIA-302-1977-06-16-1 | インド | 1977年06月16日 | 1970年代 | 西ベンガル選挙は未明に,開票154のうち94にCPI・Mが当選し,最終的にはCPI・Mが絶対過半数穫得,レフト・フロントとして3分の2議席を占める可能性がでてくる。 |
DIA-302-1977-06-17-1 | インド | 1977年06月17日 | 1970年代 | ビハール州はジャナタ党が3分の2議席を超す。 |
DIA-302-1977-06-17-2 | インド | 1977年06月17日 | 1970年代 | 1977/78年度予算―H.M.パテル蔵相は1977/78年度予算を提出した。 |
DIA-302-1977-06-18-1 | インド | 1977年06月18日 | 1970年代 | デサイ首相は記者会見で,大統領候補の選定について,野党と話し合いを行っていることを明かにした。 |
DIA-302-1977-06-18-2 | インド | 1977年06月18日 | 1970年代 | 西ベンガル州,総議席294のうち開票292議席で,レフト・フロントは230議席を占める。会議派は20議席,ジャナタ党は29議席,CPIは2議席であった。またCPI・MLが1議席を得てはじめて州議会に進出した。 |
DIA-302-1977-06-19-1 | インド | 1977年06月19日 | 1970年代 | マハラシュトラ州議会補欠選挙で,V.D.パテル(会議派,前州首相)が,ジャナタ党候補を361票差でやぶって当選。 |
DIA-302-1977-06-19-2 | インド | 1977年06月19日 | 1970年代 | 世界銀行はインドの外貨準備,食糧ストック,貿易収支見通しからみて,積極的成長政策を推進するように勧告した報告書を提出した。 |
DIA-302-1977-06-20-1 | インド | 1977年06月20日 | 1970年代 | P.S.バダル,中央政府農業相を辞し,パンジャーブ州首相に就任。パンジャーブ州にアカリ・ダル州政府が成立。CPI・Mは入閣せず閣外から政府を支持する。 |
DIA-302-1977-06-20-2 | インド | 1977年06月20日 | 1970年代 | マハラシュトラの会議派から,S.B.チャバン前州首相,P.K.スワント前州党委員長他州議会議員約20名が脱退。 |
DIA-302-1977-06-21-1 | インド | 1977年06月21日 | 1970年代 | ハリヤナ州首相にデビ・ラル(ジャナタ党)就任。 |
DIA-302-1977-06-21-2 | インド | 1977年06月21日 | 1970年代 | ジャナタ党中央議会局設立。チャンドラシェカル,デサイ,J.ラム,チャラン・シン,A.B.バジパイ,G.フェルナンデスからなる。 |
DIA-302-1977-06-21-3 | インド | 1977年06月21日 | 1970年代 | 西ベンガルにレフト・フロント州政府成立―首相にCPI・Mのジョティ・バス。 |
DIA-302-1977-06-22-1 | インド | 1977年06月22日 | 1970年代 | ヒマチャル州首相にS.クマール(ジャナタ党),ラージャスタン州首相にB.S.シェクワト(ジャナタ党)就任。 |
DIA-302-1977-06-22-2 | インド | 1977年06月22日 | 1970年代 | ビハール州にジャナタ党州政府成立,州首相はK.タークル。 |
DIA-302-1977-06-22-3 | インド | 1977年06月22日 | 1970年代 | STCは輸入食用油の価格を7月1日からトン当たり300ルピーから400ルピー値上げする。 |
DIA-302-1977-06-23-1 | インド | 1977年06月23日 | 1970年代 | UPにジャナタ州政府成立,州首相はR.N.ヤーダヴ。 |
DIA-302-1977-06-24-1 | インド | 1977年06月24日 | 1970年代 | ジャティ大統領代行はJ,M.Shelatを委員長とする第7次財政委員会を任命した。 |
DIA-302-1977-06-25-1 | インド | 1977年06月25日 | 1970年代 | 中央政府はアルミ精錬会社に自家用発電設備の建設を認めた。 |
DIA-302-1977-06-26-1 | インド | 1977年06月26日 | 1970年代 | オリッサにジャナタ党州政府成立。州首相はN.ロウトライ。 |
DIA-302-1977-06-27-1 | インド | 1977年06月27日 | 1970年代 | デサイ首相はスリナガルで,大統領候補者について2~3日中に会議派と合意することを期待する,と語った。また印パ関係について,印パ両国の自由通行は,「絶対的友好関係」が樹立された場合にのみ可能だ,インドの努力にパキスタンは応じる必要がある,インドからの不戦条約の申し出にはパキスタンはまだ未解答だ,とのべる。中印について,関係は改善の途上だが,さにらイニシヤティヴが中国からあるべきだ,結局,中国はまだインド領を占領している,と語った。 |
DIA-302-1977-06-28-1 | インド | 1977年06月28日 | 1970年代 | BHEがサウジアラビアのWati Jizanの電化計画を受注―インドがサウジアラビアでターンキー・ベースの受注をしたのはこれがはじめてで,受注額は7400万ドル。 |
DIA-302-1977-06-28-2 | インド | 1977年06月28日 | 1970年代 | 在庫増のためポリエステル糸の価格がキロ3ルピー引下げられた。 |
DIA-302-1977-06-29-1 | インド | 1977年06月29日 | 1970年代 | 本年度の食糧穀物生産目標は1億2500万トン。 |
DIA-302-1977-06-30-1 | インド | 1977年06月30日 | 1970年代 | ジャム・カシミール州議会選挙の投票が行われた。 |
DIA-302-1977-06-30-2 | インド | 1977年06月30日 | 1970年代 | タミル・ナドゥ州首相にAIADMKのM.G.ラマチャンドランが就任。 |
DIA-302-1977-06-30-3 | インド | 1977年06月30日 | 1970年代 | N.S.レッディ下院議長は「4月9日に,自分は与野党一致の支持がない限り大統領選に出ないと明言した」とのべ,立候補には与野党合同の支持が条件である旨の発言を行った。 |
DIA-302-1977-06-30-4 | インド | 1977年06月30日 | 1970年代 | アメリカ原子力委はタラプール・プラントに1万2261kgの濃縮ウランを供給することを認めた。 |
DIA-302-1977-06-30-5 | インド | 1977年06月30日 | 1970年代 | イラクはインドへの石油供給量を従来の200万トンに加えて60万トン輸出することにした。 |
DIA-302-1977-06-30-6 | インド | 1977年06月30日 | 1970年代 | 中央政府の閣議はジュートの支持価格をキンタール当り136ルピーから141ルピーに引上げることを決定した。 |
DIA-302-1977-07-02-1 | インド | 1977年07月02日 | 1970年代 | ポンディシェリにAIADMKによるS.ラマスワミ政府成立。 |
DIA-302-1977-07-02-2 | インド | 1977年07月02日 | 1970年代 | IDAはアッサムの農業開発に800万ドルの借款を供与する。 |
DIA-302-1977-07-02-3 | インド | 1977年07月02日 | 1970年代 | ビハール州政府S.シン灌漑相は,同省への回状で,省職員にヒンディ語を公用語として用いるよう命じ,英語を用いる者は処罰の対象となる,と伝えた。 |
DIA-302-1977-07-03-1 | インド | 1977年07月03日 | 1970年代 | タミル・ナドゥ州首相M.G.ラマチャンドランは,ビハール政府のヒンディー語使用の政策を強く非難した。 |
DIA-302-1977-07-03-2 | インド | 1977年07月03日 | 1970年代 | 1976/77年度の国営企業生産は10%増―国営企業と重工業省所管企業の1976/77年度生産額は82.88億ルピーで前年度比10%増。 |
DIA-302-1977-07-04-1 | インド | 1977年07月04日 | 1970年代 | ジャム・カシミール州選挙で,ナショナル・コンファレンスが過半数を超す。シェイク・アブドラは当選。 |
DIA-302-1977-07-05-1 | インド | 1977年07月05日 | 1970年代 | サマチャール通信によれば,対印債権国は1977/78年度の開発援助として2.0億ドルをプレッジした。 前年の約束額は17.6億ドルでネット流入額は13億ドル。 |
DIA-302-1977-07-06-1 | インド | 1977年07月06日 | 1970年代 | G.フェルナンデス通信相とB.ヴァルマ工業相のポストが交替。 |
DIA-302-1977-07-07-1 | インド | 1977年07月07日 | 1970年代 | ジャナタ党と会議派は,大統領候補として,S.レッディ下院議長で合意した。 |
DIA-302-1977-07-07-2 | インド | 1977年07月07日 | 1970年代 | UTIは1977年6月30日で終わる1年間の配当を9%と発表した。前年の配当は8.75%。 |
DIA-302-1977-07-08-1 | インド | 1977年07月08日 | 1970年代 | シェイク・アブドラはナショナル・コンファレンス委員長に選出された。 |
DIA-302-1977-07-08-2 | インド | 1977年07月08日 | 1970年代 | 会議派内に,ソシャリスト・フォーラムが復活。P.R.ダス・ムンシ,シャシ・ブーシャン,サウガタ・ロイ,H.D.マラビヤらの名で声明を出し「党組織の歴史のなかで,過去にもまして,より重要な役割を果たすため」再結成したことを告げた。 |
DIA-302-1977-07-09-1 | インド | 1977年07月09日 | 1970年代 | ジャム・カシミール州で,シェイク・アブドラ州政府成立。102日間の州知事直接統治が終了。州議会勢力は,ナショナル・コンファレンス=47,ジャナタ党=13,会議派=11,ジャマーテ・イスラム=5,無所属=4。 |
DIA-302-1977-07-10-1 | インド | 1977年07月10日 | 1970年代 | 下院,ラダク補欠選挙で会議派が勝つ。 |
DIA-302-1977-07-10-2 | インド | 1977年07月10日 | 1970年代 | STCは食用油4.6万トンの追加輸入を決定した。 |
DIA-302-1977-07-11-1 | インド | 1977年07月11日 | 1970年代 | 非常事態での「ゆきすぎ」を調査するシャー委員会は,すでに9000件の訴えを受付けた。 |
DIA-302-1977-07-11-2 | インド | 1977年07月11日 | 1970年代 | インドは食糧備蓄が豊富となったため今年度食糧輸入はおこなわない,とバルナラ農業相,下院で答弁。 |
DIA-302-1977-07-11-3 | インド | 1977年07月11日 | 1970年代 | バジパイ外相,ネパールを訪問,T.ギリ・ネパール首相と意見交換。 |
DIA-302-1977-07-11-4 | インド | 1977年07月11日 | 1970年代 | フェルナンデス工業相は下院で,過去,多国籍企業と結んだ契約を調査し,近く下院で発表する,とのべる。 |
DIA-302-1977-07-11-5 | インド | 1977年07月11日 | 1970年代 | 世界銀行の特別報告書はインドの限界資本係数(ICOR’s)は101国中73番で他の発展途上国に比べて低いと指摘している。 |
DIA-302-1977-07-12-1 | インド | 1977年07月12日 | 1970年代 | カルナタカ州カルールで長さ10万1000メートルの銅鉱脈が発見された。深さは地下180メートル。 |
DIA-302-1977-07-13-1 | インド | 1977年07月13日 | 1970年代 | N.S.レッディ(下院議長),大統領選に立候補の届け出を行う。ジャナタ党,会議派,CPI,CPI・M,RSP,AD,AIADMK,FB,ML,PWPの支持を得ている。 |
DIA-302-1977-07-13-2 | インド | 1977年07月13日 | 1970年代 | シン内相は下院で,ガンディー前政権は獄中で野党指導者を暗殺することを考えていた,とのべる。これに対し,会議派の議員カラン・シンは「内相発言は重大な意味を持つので,そのような計画の詳細を下院に説明するよう」求めた。 |
DIA-302-1977-07-14-1 | インド | 1977年07月14日 | 1970年代 | 13日のシン内相発言に反発して,会議派は下院議場から退場した。 |
DIA-302-1977-07-14-2 | インド | 1977年07月14日 | 1970年代 | CBI(中央調査局)は,映画「キッサ・クルシー・カ」のフィルムを破棄した容疑で,サンジャイ・ガンディーとV.C.シュクラ(前情報相)を起訴した。 |
DIA-302-1977-07-14-3 | インド | 1977年07月14日 | 1970年代 | 政府は9月からアルミケーブルとコンダクターに対する10%輸出補助を廃止する。 |
DIA-302-1977-07-15-1 | インド | 1977年07月15日 | 1970年代 | インディラ・ガンディー夫人は声明を出し,「ガンディー内閣が野党指導者を獄中で暗殺しようと計画したことはない」とのべる。 |
DIA-302-1977-07-15-2 | インド | 1977年07月15日 | 1970年代 | インド・ネパール外相会談。 |
DIA-302-1977-07-16-1 | インド | 1977年07月16日 | 1970年代 | JPはカルカッタで,ガンディー夫人のカムバック活動を批判,もしカムバックすれば,会議派への打撃となろう,とのべる。 |
DIA-302-1977-07-16-2 | インド | 1977年07月16日 | 1970年代 | バジパイ外相ネパールから帰国。記者会見で,「インドは,ネパールの平和地域提案には拒否も承認もしなかった,印パ関係は改善され,バングラデシュとも関係が改善されつつある,ネパールとの関係も「優れた状態」にあると考えており,このことからインド亜大陸は平和地域であると考える。……ネパールとの話合いには非常に満足している」,とのべた。共同声明が発表された。 |
DIA-302-1977-07-17-1 | インド | 1977年07月17日 | 1970年代 | ボンベイ地区会議派委員会とマハラシュトラ州会議派委員会は正式に合併することを決定。 |
DIA-302-1977-07-17-2 | インド | 1977年07月17日 | 1970年代 | 6月のエコノミック・タイムス小売物価指数は前月比1.4%上昇,1977/78(4~6月)年では前年同期比12%上昇となった。 |
DIA-302-1977-07-17-3 | インド | 1977年07月17日 | 1970年代 | 1977年4~5月の貿易収支は11.78億ルピーの黒字を記録した。前年同期は5.35億ルピーの赤字。 |
DIA-302-1977-07-19-1 | インド | 1977年07月19日 | 1970年代 | ナクサライトの西ベンガル州議会議員S.ラナは,ビハール州における5年間の拘留生活後,釈放された。「社会変革を実現するための非暴力はありえない,階級のない社会は武装闘争なくしては不可能だ。」「自分はゴーピーバラブプル県の最も忘れられている部門である農業開発のために働く」とのべた。 |
DIA-302-1977-07-19-2 | インド | 1977年07月19日 | 1970年代 | 鳩山外相,訪印―バジパイ外相と会談。 |
DIA-302-1977-07-19-3 | インド | 1977年07月19日 | 1970年代 | ソ連の小麦調査団は200万トンの返済用小麦の質について満足の意を表明した。 |
DIA-302-1977-07-20-1 | インド | 1977年07月20日 | 1970年代 | デサイ首相は下院で,A.Z.ピゾとのロンドンでの話し合いについて説明。「ナガ地下活動家が武装闘争をするなら自分は彼らを必ず絶滅させる,この点については妥協しないと,ピゾに言明した。ナガランドはインドの一部であるとの政府の立場は変えないと伝えた。」とのべた。 |
DIA-302-1977-07-20-2 | インド | 1977年07月20日 | 1970年代 | IDAはインドの農業開発に対して8300万ドルの援助を承認した。 |
DIA-302-1977-07-20-3 | インド | 1977年07月20日 | 1970年代 | インドの1977年3月末の外貨準備は32.42億ルピーに増大した。 |
DIA-302-1977-07-20-4 | インド | 1977年07月20日 | 1970年代 | 鳩山外相は,H.M.パテル蔵相,フェルナンデス工業相,パトナイク鉄鋼相,ジャティ大統領代行と会談。インドは,第3国への輸出・貿易拡大,ジョイント・ベンチャーを希望,日本は2国間の協力に,より関心を持つ。 |
DIA-302-1977-07-21-1 | インド | 1977年07月21日 | 1970年代 | N・S・レッディは,無投票で第6代大統領に―他の21人の候補者の書類が不完全であるとして7月20日に却下されたため,当選が宣言された。 |
DIA-302-1977-07-21-2 | インド | 1977年07月21日 | 1970年代 | 鳩山外相,デサイ首相と会談。日印会議を外相レベルに引上げることで合意,バジパイ外相を日本に招待,福田首相はデサイ首相を日本に招待する。会談後,鳩山外相は,核拡散防止条約にインドが調印することを望むが,インドが「不平等」条約への調印に反対であることも理解する,とのべた。 |
DIA-302-1977-07-21-3 | インド | 1977年07月21日 | 1970年代 | 下院議長にK.S.ヘグデ。 |
DIA-302-1977-07-21-4 | インド | 1977年07月21日 | 1970年代 | 会議派国会議員団は,非常事態下での犯罪行為についてガンディー夫人を非難した。また,集団指導と党内民主主義を求める点で合意。 |
DIA-302-1977-07-21-5 | インド | 1977年07月21日 | 1970年代 | ONGC(石油天然ガス委員会)はタンザニアのソンゴ・ソンゴで天然ガスの試掘に成功した。 |
DIA-302-1977-07-22-1 | インド | 1977年07月22日 | 1970年代 | 下院は,ガンディー夫人非難動議を採択,会議派は退場。チャバンは「動議はシャー委員会が調査を終えるまで撤回するか少くともペンディングとすべきだ」と主張した。 |
DIA-302-1977-07-22-2 | インド | 1977年07月22日 | 1970年代 | 政府の食糧買上げ量は目標の500万トンを突破し,深刻な倉庫問題を引き起こしている。 |
DIA-302-1977-07-23-1 | インド | 1977年07月23日 | 1970年代 | カルナタカ州C.N.パティル労働相,辞任。 |
DIA-302-1977-07-23-2 | インド | 1977年07月23日 | 1970年代 | 政府はタマネギとじゃがいもを除く野菜の輸出を22日から禁止した。25日からタマネギ,じゃがいもも国内価格安定のために輸出を禁止した。 |
DIA-302-1977-07-23-3 | インド | 1977年07月23日 | 1970年代 | クリストファ米国務副長官訪印,バジパイ外相,パテル蔵相と話し合う。米国務副長宮は∫「米印の信頼は増大し,援助の再開は時間の問題だ,カーター政権は米印関係を重要視しており,インドが南アジアで,その規模と重要度に応じた指導性を発揮するよう期待している」と語った。 |
DIA-302-1977-07-24-1 | インド | 1977年07月24日 | 1970年代 | ガンディー夫人はパウナルのアシュラムでビノーバ・バーベと会う。26日までアシュラムに滞在。 |
DIA-302-1977-07-24-2 | インド | 1977年07月24日 | 1970年代 | 6月の卸売物価指数は前月比0.6%,前年同月比9.5%アップとなった。 |
DIA-302-1977-07-25-1 | インド | 1977年07月25日 | 1970年代 | N.S.レッディ,第6代大統領に就任―「古い傷をいやし,より大きな理解を促進し,恐怖と疑惑をとり除くことが自分の第一の任務である。自分の就任は一時代の終りと新たな時代の始まりを画すものだ」。 |
DIA-302-1977-07-26-1 | インド | 1977年07月26日 | 1970年代 | トリプラに,ジャナタ・CPI・Mの第2次連立政府就任,首相はジャナタ党のR.R.グプタ。 |
DIA-302-1977-07-26-2 | インド | 1977年07月26日 | 1970年代 | JPはジャナタ党員が過去の所属を捨てて完全にジャナタ党に合体すべきだとのべた。 |
DIA-302-1977-07-26-3 | インド | 1977年07月26日 | 1970年代 | ガンディー夫人はパナウルのアシュラム訪問について,訪問は政治とは関係ない,ビノーバ・バーベに会いに来ただけだ,と説明。また,自分が政治生活に再び入って国民を導くか否かは国民の決めることだ,とのべた(ナーグプルにて)。一方バーベは,「夫人と政治的な話はしなかった。自分は12月から“業”を行っているので誰とも健康と精神の話以外しない。非常事態下でガンジー夫人と交したすべての文書は焼却した。」とのべた。 |
DIA-302-1977-07-26-4 | インド | 1977年07月26日 | 1970年代 | ONGCは本年度の原油生産見通しを,前年度の875万トンを35%上回る1100万トンと発表した。 |
DIA-302-1977-07-27-1 | インド | 1977年07月27日 | 1970年代 | デサイ首相はケララ州の海岸の砂からとれるウラン233を燃料とする小型研究炉を設計していることを明らかにした。 |
DIA-302-1977-07-28-1 | インド | 1977年07月28日 | 1970年代 | 上院は,予算関連財政法案を,6項目について修正案をつけて下院に戻した。法案が修正案を付されて上院から下院にもどされたのは今回が初めて。 |
DIA-302-1977-07-28-2 | インド | 1977年07月28日 | 1970年代 | 会議派議員団役員選挙で,ガンディー夫人派から6人が出たが2人が辛うじて当選,反対に反ガンディご派は楽勝。 |
DIA-302-1977-07-28-3 | インド | 1977年07月28日 | 1970年代 | インド政府は1977/78年度の宝石の輸出目標を30億ルピーと決めた。 |
DIA-302-1977-07-29-1 | インド | 1977年07月29日 | 1970年代 | ファラッカ会談,ダッカで始まる。 |
DIA-302-1977-07-29-2 | インド | 1977年07月29日 | 1970年代 | 会議派議員団は党内民主主義と集団指導体制に賛成し個人崇拝に反対の決議を採択した。 |
DIA-302-1977-07-29-3 | インド | 1977年07月29日 | 1970年代 | 政府は綿糸の輸出を禁止した。 |
DIA-302-1977-07-31-1 | インド | 1977年07月31日 | 1970年代 | 州首相会議が開かれ,デサイ首相は「強い中央政府は国をまとめる力を持っている。しかし州の力を削減したくはない。」とのべた。 |
DIA-302-1977-08-01-1 | インド | 1977年08月01日 | 1970年代 | アドバニ情報相は,ガンディー前首相時代のマス・メディア政策についての白書を下院に提出。K.K.ダス委員会の調査報告であり,「ガンディー夫人がサマチャール設立の立案者であった,ガンディー夫人がTVと全インド放送を政府の宣伝用とした,また夫人が1975年7月26日にゴーカレ前法相,V.C.シュクラ前情報相,G.パルタサラティ前政策委員長らを招集し,将来のメディア政策を決めたこと」などが記されている。 |
DIA-302-1977-08-02-1 | インド | 1977年08月02日 | 1970年代 | 下院,予算関連財政法案を原案どうり可決。ただし上院からおりてきた修正案は否決した。 |
DIA-302-1977-08-02-2 | インド | 1977年08月02日 | 1970年代 | 外国企業の脱税を摘発―H.M.パテル蔵相はIBM,ワールド・トレイド・コーポレーション,三井銀行など外資企業の脱税を摘発したと発表した。 |
DIA-302-1977-08-03-1 | インド | 1977年08月03日 | 1970年代 | 会議派内のガンディー夫人支持派から,AICC招集要求の署名が集まりつつある。またビハール州では州会議派委員長にガンディー夫人支持派のK.パンデが選出された。 |
DIA-302-1977-08-03-2 | インド | 1977年08月03日 | 1970年代 | モハン・ダリア商相はグジャラート市場の滞貨解消のため,綿花の買付けをCCIに命じた。 |
DIA-302-1977-08-04-1 | インド | 1977年08月04日 | 1970年代 | デリーでガンディー夫人を支持する夕食会が開かれ,夫人はK.トリパティに伴われて出席,チャバンとレッディ総裁は欠席。国会議邑ら150人が出席した。 |
DIA-302-1977-08-04-2 | インド | 1977年08月04日 | 1970年代 | 1976/77年度の鉄鋼製品の輸出収入は29.6億ルピーとなった。 |
DIA-302-1977-08-05-1 | インド | 1977年08月05日 | 1970年代 | ビハール州会議派委員会で,J.ミシュラ以下州議会議員59人が,ガンディー夫人が党を指導するよう要請した。 |
DIA-302-1977-08-05-2 | インド | 1977年08月05日 | 1970年代 | 法相は「次期国会に42次憲法改正中の,のぞましくない部分を削除するための法案を出したい」とのべた。 |
DIA-302-1977-08-05-3 | インド | 1977年08月05日 | 1970年代 | 外相は上院で,インドとの関係をさらに改善するためには中国から何らかのイニシァティヴがあるべきだ,と語った。 |
DIA-302-1977-08-05-4 | インド | 1977年08月05日 | 1970年代 | 会議派の反ガンディー派も夕食会を開く。党内グループ「木曜クラブ」が呼びかけたもので,「集団指導」を強調し,「caucus」の活動は有害だと強調した。 |
DIA-302-1977-08-05-5 | インド | 1977年08月05日 | 1970年代 | 1976/77年度の主作機械生産額は前年度の11.4億ルピーに対して11.7億ルピーとなった。 |
DIA-302-1977-08-06-1 | インド | 1977年08月06日 | 1970年代 | ファラッカ会談終る。共同声明が出され,9月にデリーで会談を再開することになった。 |
DIA-302-1977-08-06-2 | インド | 1977年08月06日 | 1970年代 | 政府は,「インドがインド国内のチベット人によるいわゆる反中国活動を黙認している」との新華社の報道を否定した。 |
DIA-302-1977-08-06-3 | インド | 1977年08月06日 | 1970年代 | ガンディー夫人は,レッディ会議派総裁とチャバンに,今後重要な党会議には出席する意向であると伝えた。先ず8月7日の会議派運営委員会に出席。 |
DIA-302-1977-08-06-4 | インド | 1977年08月06日 | 1970年代 | HL(ヒンドスタン・リーバー)はソフィスティケィテッド・テクノロジーを使用しているので外資持分を51%まで認められることになった。 |
DIA-302-1977-08-07-1 | インド | 1977年08月07日 | 1970年代 | 会議派運営委員会は,ガンディー夫人も出席して開かれ,ジャナタ政府の政策に反対,核政策に反対する,ジャナタ政府は非同盟の意味をゆがめた,などの決議を行った。 |
DIA-302-1977-08-08-1 | インド | 1977年08月08日 | 1970年代 | K.ハヌマンタイヤ前鉄道相,会議派から脱退。 |
DIA-302-1977-08-08-2 | インド | 1977年08月08日 | 1970年代 | 会議派議会局で,Y.B.チャバン,B.レッディは,党内の個人崇拝に反対する,集団指導体制とは2人とか3人とかを意味するものではない旨の発言をした。ガンディー夫人は欠席した。 |
DIA-302-1977-08-08-3 | インド | 1977年08月08日 | 1970年代 | インド政府はコカ・コーラ社に製法を公開するか工場閉鎖するかの最後通告を出した。 |
DIA-302-1977-08-09-1 | インド | 1977年08月09日 | 1970年代 | ファラッカ会談について,J.ラム国防相は上院で,「パケッジ・ディールに関して折衝が行われている,ブラーマプトラにリンクさせるインド案が含まれている」,「カルカッタ港はいかなる協定のもとでも危機に陥しいれることはしない」とのべた。 |
DIA-302-1977-08-09-2 | インド | 1977年08月09日 | 1970年代 | 砂糖の輸出不振―砂糖の輸出が不振で砂糖年度の期首在庫(10月1日)は前年度の2倍の155万トン程度になりそう。 |
DIA-302-1977-08-10-1 | インド | 1977年08月10日 | 1970年代 | 西ベンガル州会議派委員長選出で,はじめて選挙が行なわれ,P.ムケルジー夫人が選ばれた。 |
DIA-302-1977-08-10-2 | インド | 1977年08月10日 | 1970年代 | ソ連はルピー・ルーブルの新レート実施に伴うインドの負担増50億ルピーの50年年賦返済を提案した。 |
DIA-302-1977-08-10-3 | インド | 1977年08月10日 | 1970年代 | 政府はゴムの支持価格をキンタール当り520ルピーから655ルピーに引上げた。 |
DIA-302-1977-08-11-1 | インド | 1977年08月11日 | 1970年代 | デサイ内閣拡大,名簿発表。24人が入閣し,14日に就任する。 |
DIA-302-1977-08-12-1 | インド | 1977年08月12日 | 1970年代 | オランダはカルカッタ市の改造計画に対して6850万ルピーの贈与を行った。 |
DIA-302-1977-08-13-1 | インド | 1977年08月13日 | 1970年代 | ガンディー夫人は,ハリジャン殺害事件の生じたビハール州ベルチ村を訪れた。この訪問は,会議派首脳部と協議なく決定されたもので8月16日にはチャバンがベルチ村を訪問することになっていた。ベルチ村でガンディー夫人は象に乗って村を回った。 |
DIA-302-1977-08-14-1 | インド | 1977年08月14日 | 1970年代 | 独立記念日の大統領演説。「われわれは,いかなる人々をも犠牲にすることなく,生活水準の不均衡を和らげるため緊急に協力しなければならない,物価・生活のための戦いについては,一部の人々が他の人々よりも組織化させているために若干の救済をえてもそれは続くものでない。未組織の数百万人が補償されるあてもなく苦しんでいることを考えるべきだ。自分はサラリー1万ルピーのうち7000ルピーを返上し,今の官邸から,より小さな官邸に移りたい。」 |
DIA-302-1977-08-14-2 | インド | 1977年08月14日 | 1970年代 | JPはガンディー夫人に祝福を与え,より輝かしい将来を望むと伝えた。ガンディー夫人は,JPへの訪問は,純粋に個人的,非公式だとのべ,また,自分は党リーダーの地位を求めて争ってはいない,今は,党を強化して党員の意気を高めるときだ,ベルチへの訪問は,党の許可を得るような性質のものではない,と語った。「トロイカ」プランについてはノーコメント。 |
DIA-302-1977-08-15-1 | インド | 1977年08月15日 | 1970年代 | 中央調査局は,P.C.セティ,ヤシュパル・カプール,R.K.ダワンら,ガンディー夫人の側近10人を,横領容疑で逮捕した。 |
DIA-302-1977-08-15-2 | インド | 1977年08月15日 | 1970年代 | デサイ首相は独立30周年の記念演説で政府は一連の物価引下げ措置をこうじたと述べた。 |
DIA-302-1977-08-16-1 | インド | 1977年08月16日 | 1970年代 | 中印関係についてバジパイ外相は,「インドは中国による国境問題の話し合いのイニシァティヴがあれば応じる,インドはチベットが中国の領土だと考えており,チベット難民は人道的見地からのみ亡命を認めている」と語った。ビルマへの友好訪問に出発。 |
DIA-302-1977-08-16-2 | インド | 1977年08月16日 | 1970年代 | コカ・コーラ社の従業員は全国22のボトリング工場をただちに接収するよう政府に要請した。 |
DIA-302-1977-08-17-1 | インド | 1977年08月17日 | 1970年代 | N.A.パルキワラTISCO副会長は国営金融機関の同社株式所有率が50%を超してもTISCOは国営会社にならないと株主総会で述べた。 |
DIA-302-1977-08-18-1 | インド | 1977年08月18日 | 1970年代 | ジャナタ党運営委員会始まる。 |
DIA-302-1977-08-18-2 | インド | 1977年08月18日 | 1970年代 | 8.33%の最低ボーナス復活―中央政府は1975年ボーナス法で廃止された8.33%の最低ボーナスを復活した。企業は1976年中に赤字を出していても最低ボーナスを支払わねばならない。 |
DIA-302-1977-08-19-1 | インド | 1977年08月19日 | 1970年代 | 政府は公害のおそれのため,マトゥラの肥料プロジェクトの建設を断念した。 |
DIA-302-1977-08-19-2 | インド | 1977年08月19日 | 1970年代 | ジョティ・バス西ベンガル州首相は,独占企業,多国籍企業は独禁法と外国為替規制法を守るかぎり,州内への投資は自由であると語った。 |
DIA-302-1977-08-20-1 | インド | 1977年08月20日 | 1970年代 | 外相,ビルマから帰国。ビルマ側が2国間の問題を,協力と相互便宣の精神をもって解決しようと考えていることに印象づけられた,両国国境の早期画定で合意,インドがナガ地下活動を心配している点にビルマ側は留意し,ビルマは,ナガ族がビルマ領で活動することを認あないと約束した,と記者会見で発表。 |
DIA-302-1977-08-20-2 | インド | 1977年08月20日 | 1970年代 | 政府は8.33%のボーナスを復活,強制貯蓄の2回目の満期に伴う流動性を吸収するため,総額32.6億ルピーの5年満期,年利13%の国債を発行すると発表した。 |
DIA-302-1977-08-21-1 | インド | 1977年08月21日 | 1970年代 | CITUはジャナタ政府を,会議派と同じ資本主義的発展の道をたどっていると考える,政府は,MISA,42次憲法改正などを廃止する約束を守ろうとしていない点を批判するが,ジャナタ政府が倒れてインディラ・ガンディー専制体制が復帰するのは望まない,と述べた。 |
DIA-302-1977-08-21-2 | インド | 1977年08月21日 | 1970年代 | 首相は,シロンで,採来ピゾが自身をインド国民と認めない限り会うつもりはないと,語った。 |
DIA-302-1977-08-23-1 | インド | 1977年08月23日 | 1970年代 | バンシ・ラル前国防相は会議派青年部の資金横領容疑で逮捕された。 |
DIA-302-1977-08-23-2 | インド | 1977年08月23日 | 1970年代 | インドとネパールは,貿易とトランジットについて別個の条約を持つことを決めたと,アリヤル・ネパール外相が発表した。 |
DIA-302-1977-08-23-3 | インド | 1977年08月23日 | 1970年代 | インド肥料協会(FAI)は本年度の肥料消費量は18.1%増加するとの予測を発表した。チッソ肥料の消費量は282.6万トンと推定されているが,国産は22万トン。 |
DIA-302-1977-08-24-1 | インド | 1977年08月24日 | 1970年代 | 第1四半期の貿易収支黒字は11.9億ルピー―1977年4~6月の122.5億ルピー,一方輸入は100.6億ルピーで11.9億ルピーの黒字となった。前年同期は5.4億ルピーの赤字。 |
DIA-302-1977-08-25-1 | インド | 1977年08月25日 | 1970年代 | 駐米大使にN.パルキワラが閣僚レベルで任命された。ケワル・シンの後任。 |
DIA-302-1977-08-25-2 | インド | 1977年08月25日 | 1970年代 | R.S.バート・インド投資センター会長は外国民間資本に対する政府の政策は変っていないと語った。 |
DIA-302-1977-08-26-1 | インド | 1977年08月26日 | 1970年代 | ハンフリーズ・アンド・グラスゴー社はマンガロール・ケミカルズ・アンド・ファーティライザーのギャランティー・テストを成功裡に完了した。設備能力はアンモニア日産600トン,尿素日産1030トン。 |
DIA-302-1977-08-27-1 | インド | 1977年08月27日 | 1970年代 | G・フェルナンデス工業相はソ連と締結したボカロ製鉄所拡張工事を破棄することはないと述べた。 |
DIA-302-1977-08-28-1 | インド | 1977年08月28日 | 1970年代 | ONGCはナガランドのWokha県で石油を掘りあてた。 |
DIA-302-1977-08-29-1 | インド | 1977年08月29日 | 1970年代 | ガンディー夫人の長男ラジープが1976年9月29日の国防省の重要会議に出席し,空軍によるボーイング機購入の話合いに参加したことが明かにされた。 |
DIA-302-1977-08-30-1 | インド | 1977年08月30日 | 1970年代 | レッディ大統領は,精密検査の結果,左肺にコイン大の腫瘍が発見されたため,9月4日,治療のためニューヨークに行くことになった。 |
DIA-302-1977-08-30-2 | インド | 1977年08月30日 | 1970年代 | 7月の本国送金は16.5億ルピーで月間ベースでは史上最高となった。 |
DIA-302-1977-09-01-1 | インド | 1977年09月01日 | 1970年代 | デサイ首相は記者会見で,ガンディー夫人への一般旅券交付は,夫人への調査が行なわれている時であるためむずかしい,と語った。 |
DIA-302-1977-09-02-1 | インド | 1977年09月02日 | 1970年代 | ボンベイ・ハイの原油と天然ガスを輸送するパイプラインをアメリカのBrown and Root社に発注した。 |
DIA-302-1977-09-03-1 | インド | 1977年09月03日 | 1970年代 | バジパイ外相,アフガニスタン訪問に出発。 |
DIA-302-1977-09-03-2 | インド | 1977年09月03日 | 1970年代 | 印ソ文化臨会の代表として訪ソしていたリマエ・ジャナタ党書記長は,帰国し,首相に,コスイギンを含むソ連首脳との会談(9月2日)のもようを報告した。会談でコスイギン首相は,ソ連が印ソの関係を強化するために出来る限りのことをすると約束し,代表団の訪ソは印ソ関係の安定を特徴づけるものだと語った。 |
DIA-302-1977-09-03-3 | インド | 1977年09月03日 | 1970年代 | 大統領は,最低ボーナス8.33%を回復する大統領令を出した |
DIA-302-1977-09-03-4 | インド | 1977年09月03日 | 1970年代 | N.P.プラサドONGC会長はボンベイ・ハイの石油生産量は1977年12月までに日産8万バレルになると述べた。 |
DIA-302-1977-09-03-5 | インド | 1977年09月03日 | 1970年代 | 輸出の伸び鈍化―1977年4~6月の輸出は前年同期比10.5%増で前年同期の44%と比べると伸び率が小さく,月を追って伸び率が鈍化している。 |
DIA-302-1977-09-04-1 | インド | 1977年09月04日 | 1970年代 | バジパイ外相,アフガニスタンのアブドゥラ外相と会談。 |
DIA-302-1977-09-04-2 | インド | 1977年09月04日 | 1970年代 | 中央政府はHPCへのLPGの独占供給者Koscrn Gas社のテイク・オーバーを決定した。 |
DIA-302-1977-09-05-1 | インド | 1977年09月05日 | 1970年代 | 政府は11月の国会に,憲法改正案を出す予定で,現在,法相,内相,情報相,教育相からなる内閣小委員会が修正案作成の作業中である。また38次,39次憲法改正とMISAも廃案にしたい,しかし反社会分子を規制することは必要であり,そのための法的規制はあるべきだと考えている。法相発表。 |
DIA-302-1977-09-05-2 | インド | 1977年09月05日 | 1970年代 | カルナタ州首相D.ウルスは州会議派委員長K.H.パティルに辞任を要求した。 |
DIA-302-1977-09-05-3 | インド | 1977年09月05日 | 1970年代 | 1977/78年度のジュート製品の輸出目標は52万トン,金額にして21億ルピー。 |
DIA-302-1977-09-06-1 | インド | 1977年09月06日 | 1970年代 | オリッサ州前首相サトパティ夫人のブバネシワルの住居が,汚職防止法違犯容疑で捜査された。サトパティ夫人は東独訪問中。 |
DIA-302-1977-09-06-2 | インド | 1977年09月06日 | 1970年代 | 西ベンガル州議会は,中央政府にMISAの即時撤回を求める決議を採択した。 |
DIA-302-1977-09-07-1 | インド | 1977年09月07日 | 1970年代 | 政府は,中印友好協会が訪中団を送る予定だとの報道を否定した。 |
DIA-302-1977-09-07-2 | インド | 1977年09月07日 | 1970年代 | SAILは1976/77年度に7.326億ルピーの収益―工場別の利益はビライ4.905億ルピー,ルールケラ3.313億ルピー,アロイ・スチール・プラント0.417億ルピー,ボカロ0.176億ルピー,ドウルガプール・スチール・プラントは0.773億ルピーの赤字。 |
DIA-302-1977-09-08-1 | インド | 1977年09月08日 | 1970年代 | カルナタカ州でK.ハヌマンタイヤ元鉄道相が新党スーラジャ党を結成。 |
DIA-302-1977-09-08-2 | インド | 1977年09月08日 | 1970年代 | インドとソ連はスチール・プラントの近代化,拡張,新設に対する援助協定を結んだ。 |
DIA-302-1977-09-09-1 | インド | 1977年09月09日 | 1970年代 | インド・ベトナム協定調印。無利子の小麦ローン10万トンがベトナムに供与される。 |
DIA-302-1977-09-09-2 | インド | 1977年09月09日 | 1970年代 | インドとイランは経済・技術協力協定を締結した。 |
DIA-302-1977-09-09-3 | インド | 1977年09月09日 | 1970年代 | コーヒー産業は1976/77年度に15.132億ルピーの輸出を記録した。 |
DIA-302-1977-09-10-1 | インド | 1977年09月10日 | 1970年代 | 計画委員会は従来の5カ年計画方式を変更―計画委員会は毎年5ヵ年間の展望を修正するローリング・ワン・イアー・プラン方式を採用する。 |
DIA-302-1977-09-10-2 | インド | 1977年09月10日 | 1970年代 | STCは輸入食用油のストックが10万トンになっため,船積みをおくらせることを決定した。 |
DIA-302-1977-09-11-1 | インド | 1977年09月11日 | 1970年代 | 本年度の州政府の財政赤字は49億ルピーが見込まれている。 |
DIA-302-1977-09-11-2 | インド | 1977年09月11日 | 1970年代 | 中央政府は着工されない122件の工業ライセンスと仮許可証を取り消した。 |
DIA-302-1977-09-12-1 | インド | 1977年09月12日 | 1970年代 | UP州会議派委員会は,ガンディー夫人に州党組織再編成の問題を委ねる決議を採択した。. |
DIA-302-1977-09-12-2 | インド | 1977年09月12日 | 1970年代 | 準備銀行が外資企業に持分引下げで最後通告―RBIは外資企業100社に外国為替規制法に従って持分を引下げなければ利益送金の停止を含むドラスチックな措置をとることを決定した。 |
DIA-302-1977-09-13-1 | インド | 1977年09月13日 | 1970年代 | ジャム・カシミールのアブドラ首相は「州は自治権を維持する,州政府は1953年以降,州に適用されたすべての連邦法を検討しなおすつもりだ,自分は1975年に政治復帰した時に,1953年8月8日以前の状況のもとに活動することを明言している,州議会はいかなる連邦法でも州自治を規制するならば拒否する権利をもつ」と語った。 |
DIA-302-1977-09-14-1 | インド | 1977年09月14日 | 1970年代 | 農業省は今財政年度の綿花生産目標を700万ベイルと決定した。 |
DIA-302-1977-09-15-1 | インド | 1977年09月15日 | 1970年代 | インドはモザンビークからジープ200台(1000万ルピー)の輸出を受注した。 |
DIA-302-1977-09-17-1 | インド | 1977年09月17日 | 1970年代 | 財ンド政府はFAOの要請によりレバノンにタネ麦(カルヤン・ソナ)1500キンタールを輸出する。 |
DIA-302-1977-09-18-1 | インド | 1977年09月18日 | 1970年代 | ガンディー夫人はラエ・バレリに遊説に向う途上各地で抗議の黒旗をふられた。 |
DIA-302-1977-09-18-2 | インド | 1977年09月18日 | 1970年代 | CITU,BMS,HMS,TUC,TUCCの代表2500人による労働組合大会がデリーで開かれた。INTUCとNLOは欠席。 |
DIA-302-1977-09-18-3 | インド | 1977年09月18日 | 1970年代 | エコノミック・タイムス紙によれば,世銀の年次報告書はインド経済の発展を高く評価している。 |
DIA-302-1977-09-18-4 | インド | 1977年09月18日 | 1970年代 | 8月のエコノミック・タイムス紙小売物価指数は前月よりも1.2%下がり,16ヵ月ぶりに顕著な下落を記録した。 |
DIA-302-1977-09-19-1 | インド | 1977年09月19日 | 1970年代 | 皮革製品は1976/77年度に33億ドルの輸出を記録したが,1977年4~8月は前年同期比21%の減となっている。 |
DIA-302-1977-09-20-1 | インド | 1977年09月20日 | 1970年代 | ファラッカ会談,デリーで再開。 |
DIA-302-1977-09-21-1 | インド | 1977年09月21日 | 1970年代 | ガンディー夫人はアブドラ州首相の招きでスリナガルに。 |
DIA-302-1977-09-21-2 | インド | 1977年09月21日 | 1970年代 | 中央政府は,綿繊維工場に対して,統制外綿布に1mごとに工場渡し価格と連邦消費税を別々に印刷するように命じた。 |
DIA-302-1977-09-22-1 | インド | 1977年09月22日 | 1970年代 | M.シン労働省アドバイザーは各種社会保険でカバーされているのは1.8億人の労働力のうち2000万人の労働者(11%)である,とILO主催セミナーで述べた。 |
DIA-302-1977-09-23-1 | インド | 1977年09月23日 | 1970年代 | ガンディー夫人はスリナガルで,「非常事態は必要であった,宣言を発したことを後悔していない,ジャナタ政府はこれまでに何ら正義を行っていない,非常事態下での「ゆきすぎ」には,最初に「すまない」と言っている,なぜ,さらにくりかえせと言うのか。」など,政治的・強気発言を行った。 |
DIA-302-1977-09-23-2 | インド | 1977年09月23日 | 1970年代 | LIC会長にランガラジャン氏が任命された。 |
DIA-302-1977-09-24-1 | インド | 1977年09月24日 | 1970年代 | レッディ大統領,手術を終えて帰国。 |
DIA-302-1977-09-25-1 | インド | 1977年09月25日 | 1970年代 | 政府は,憲法の非常事態条項は削除しない方針である。しかし修正し,宣言を出す条件として内乱と侵略を規定し,内閣承認だけでなく上下両院3分の2以上の賛成が必要と定める方針である。 |
DIA-302-1977-09-25-2 | インド | 1977年09月25日 | 1970年代 | インドの9月の電力供給量は2億3620万kWhであるのに対して需要は2億6941万kWhと推定されており,33.19kWhの不足となっている。 |
DIA-302-1977-09-26-1 | インド | 1977年09月26日 | 1970年代 | 化学製品・関連品輸出振興会議の発表によれば,1976/77年度の輸出額は13.1億ルピーで本年度は15.7億ルピーが見込まれている。 |
DIA-302-1977-09-27-1 | インド | 1977年09月27日 | 1970年代 | OPEC特別基金はインドに対して2180万ドルの融資を承認した。資金はシングラウリの超大型火力発電所の建設に使われる。 |
DIA-302-1977-09-28-1 | インド | 1977年09月28日 | 1970年代 | 印パは,サテライトでの直接通信リンク設置に合意した。 |
DIA-302-1977-09-28-2 | インド | 1977年09月28日 | 1970年代 | 中央政府は10月1日から.米の移動制限を撤廃することを決定した。 |
DIA-302-1977-09-28-3 | インド | 1977年09月28日 | 1970年代 | イギリス登録会社のIndia Foils Ltd.は外国人の株式所有比率を年末までに73.66%に引下げ,インド登録会社に切換える。 |
DIA-302-1977-09-29-1 | インド | 1977年09月29日 | 1970年代 | シャー委員会の公聴会始まる。H.R.ゴーカレ前法相とT.A.パイ前工業相らが陳述し,ともにガンディー夫人を非難する発言をした。 |
DIA-302-1977-09-29-2 | インド | 1977年09月29日 | 1970年代 | 計画委員会のハイレベル・ミーティングは6次計画の策定にあたっては,最初に計画規模を決め,それに必要な資金をさがす従来の方式をとらないことを決めた。 |
DIA-302-1977-09-29-3 | インド | 1977年09月29日 | 1970年代 | ファラッカ協定調印―インド・バングラデシュ両国は,最渇水期(4月21日~4月30日)にミニマム水量5万5000cusecsのうちインドが37.5%,バングラデシュが62.5%の割合で分配することに合意した。 |
DIA-302-1977-09-30-1 | インド | 1977年09月30日 | 1970年代 | 西ベンガル州各党は,ファラッカ協定が,最低4万cusecsを約束できなかった点で中央政府に抗議し,カルカッタ港の将来を憂慮すると伝えた。 |
DIA-302-1977-09-30-2 | インド | 1977年09月30日 | 1970年代 | 中央政府はボンベイ・ハイの石油随伴ガスから肥料,石油化学製品を作る工場をUranに建設することを決定した。 |
DIA-302-1977-09-30-3 | インド | 1977年09月30日 | 1970年代 | Public Investment Board(PIB)はHMTの新時計工場(年産200万個,投資額3億ルピー)の建設を承認した。 |
DIA-302-1977-10-01-1 | インド | 1977年10月01日 | 1970年代 | CPI(M)の中央委員会は,現実主義の美名のもとに5ヵ年計画の目標達成努力を放棄するものである,とローリング・プランの構想を批判した。 |
DIA-302-1977-10-02-1 | インド | 1977年10月02日 | 1970年代 | 中央政府鉄鋼省が任命した調査グループはミニ・スチールの拡張に外国投資を求めることに反対することを表明した。 |
DIA-302-1977-10-03-1 | インド | 1977年10月03日 | 1970年代 | ガンディー夫人は,中央調査局により,汚職防止法違犯容疑で逮捕された。夫人は逮捕後出した声明文で,自分の逮捕は政治的なもので,自分が国民と接しないようにするためだ。同時に,K.D.マラビヤ,H.R.ゴーカレ,D.P.チャットパディヤのガンディー政権閣僚,R.P.ゴエンカ,M.V.アルナチャランなど財界人も逮捕された。 |
DIA-302-1977-10-03-2 | インド | 1977年10月03日 | 1970年代 | 中央政府はセメントの工場渡し価格をトン当り1.57ルピー値上げすることに決定した。 |
DIA-302-1977-10-04-1 | インド | 1977年10月04日 | 1970年代 | デリー地方裁判所はガンディー夫人の釈放を命じ,夫人は釈放された。 |
DIA-302-1977-10-05-1 | インド | 1977年10月05日 | 1970年代 | ガンディー夫人は,グジャラート州遊説を開始した。政治復帰の弁として「色々な問題について人民の声を受けとり,人民を導く決心をした」と語った。 |
DIA-302-1977-10-05-2 | インド | 1977年10月05日 | 1970年代 | インドとナイジェリアはインド鉄道の専門家が全ナイジェリアの鉄道システムの経営,操業,補修業務を引受ける覚え書きに調印した。 |
DIA-302-1977-10-07-1 | インド | 1977年10月07日 | 1970年代 | 訪中したチトー,バンスをとうして中国から伝えられた関係改善の働きかけについて,政府は,「長期にわたる紛争収拾のイニシァティヴとしてこの動きを受けいれることには消極的である。第3国をとうしての働きかけは何らかの政策的変更を示すものではない,と考える」とコメントした。 |
DIA-302-1977-10-07-2 | インド | 1977年10月07日 | 1970年代 | 良好な天候のためカリフの生産量は7500万トンに達するとの推計が発表された。` |
DIA-302-1977-10-07-3 | インド | 1977年10月07日 | 1970年代 | インドは脱脂綿の輸出禁止を解除した。 |
DIA-302-1977-10-08-1 | インド | 1977年10月08日 | 1970年代 | テレビ,ラジオがガンディー夫人逮捕・釈放を歪めて報道していることに抗議して,青年・学生が放送局に乱入し,約80人が逮捕された。この事件に抗議して,会議派ユース・フォーラムの約200人がデモを行ない,警察は催涙ガスで対抗した。 |
DIA-302-1977-10-10-1 | インド | 1977年10月10日 | 1970年代 | 国営会社モダン・ベイカリーズは22のコカ・コーラのびん詰め工場を使って代替清料飲料“77”を12月1日から発表する計画である。 |
DIA-302-1977-10-11-1 | インド | 1977年10月11日 | 1970年代 | ガンディー夫人支持のため,カルナタカ州首相D.ウルス(会議派)は,デリーで茶会を開いた。出席者は,レディー会議派総裁が辞任してガンディー夫人のために席をあけるよう申し出ることを決定した。 |
DIA-302-1977-10-11-2 | インド | 1977年10月11日 | 1970年代 | 1~8月の工業生産成長率は10%となった。 |
DIA-302-1977-10-11-3 | インド | 1977年10月11日 | 1970年代 | 政府は尿素の価格をトン100ルピー値下げ,1550ルピーとした。 |
DIA-302-1977-10-11-4 | インド | 1977年10月11日 | 1970年代 | 政府はS.Bhoothalingamを委員長とする賃金・所得・物価政策委員会を設置した。 |
DIA-302-1977-10-12-1 | インド | 1977年10月12日 | 1970年代 | 会議派の反ガンディー夫人系の国会議員は声明を出し,ガンディー支持の策動と,個人崇拝・4人組復活の試み,ユース・フォーラムの設立を非難した。 |
DIA-302-1977-10-13-1 | インド | 1977年10月13日 | 1970年代 | 会議派内部対立を解消するための統一提案が,C.スブラマニアム,C.ヤダヴ,スワラン・シン,カラン・シンらにより作成された。提案には,1978年2月の州議会選挙の党候補者選定に,ガンディー夫人の発言権を強める,夫人の指名する人物2人を党書記長に任命するなどが含まれた。 |
DIA-302-1977-10-13-2 | インド | 1977年10月13日 | 1970年代 | 工具鋼など一部特殊鋼の輸入が自由化された。 |
DIA-302-1977-10-13-3 | インド | 1977年10月13日 | 1970年代 | スウェーデンはインドなど発展途上国に対する債権約2億ドルをすべて帳消しにした。 |
DIA-302-1977-10-13-4 | インド | 1977年10月13日 | 1970年代 | RBIは「望ましくない活動」を理由に外国企業50社に利益送金停止,25社にインドからの撤退を通告した。 |
DIA-302-1977-10-14-1 | インド | 1977年10月14日 | 1970年代 | インドの外貨準備は9月末で364.89億ルピーに達した。 |
DIA-302-1977-10-14-2 | インド | 1977年10月14日 | 1970年代 | 西ドイツは本年度分として13.57億ルピー(3.6億マルク)の援助を供与することを約束した。 |
DIA-302-1977-10-15-1 | インド | 1977年10月15日 | 1970年代 | 会議派総裁B.レッディーは,辞任を拒否した。また党執行委員会が招集された。メンバーの1人であるガンディー夫人は出席したが発言しなかった。 |
DIA-302-1977-10-15-2 | インド | 1977年10月15日 | 1970年代 | AICC緊急会議が開かれた。ここでD.ウルスは,ガンジー派はAICC大会要求を提出しないと発表した。次いで,ガンディー夫人に党の重要ポストを与えるべきだとのV.サテ提案が拒否された。ガンディー夫人はこのあと,自分は会議派総裁ポストは求めていない,過去一度もリーダーシップは求めたことはない,と語った。AICCは深夜になって「統一」決議を採択した。 |
DIA-302-1977-10-15-3 | インド | 1977年10月15日 | 1970年代 | バジパイ外相は記者会で「中国との関係正常化については“直接の話し合い”を望む。これは国境・領土問題をとりあげることなく可能だと考える。中印両国は外交関係を持っているのだから,北京が通常の外交チャンネルを使ってくれるよう望む。もし国境問題が解決されるならば,単に正常な関係のみならず“友好関係”も持てるだろう」と語った。 |
DIA-302-1977-10-15-4 | インド | 1977年10月15日 | 1970年代 | 中央政府は1978/79年から始まる5ヵ年計画でかんがいに700億ルピー支出する計画である。 |
DIA-302-1977-10-16-1 | インド | 1977年10月16日 | 1970年代 | ONGCはボンベイの南西70kmの地点で石油と天然ガスを掘りあてた。 |
DIA-302-1977-10-17-1 | インド | 1977年10月17日 | 1970年代 | ビハール州工業開発公社はHECと協力して西独の技術によってスポンジ鉄プラントをランチに作る計画である。プラントの能力は年産12万トン。 |
DIA-302-1977-10-18-1 | インド | 1977年10月18日 | 1970年代 | 会議派国会議員団総会で,ガンディー派議員2人を除いて,すべての発言者が5月にAICCが採択した“集団指導体制”を信ずると述べた。 |
DIA-302-1977-10-18-2 | インド | 1977年10月18日 | 1970年代 | インドはタンザニアとタンザニアにおける石油探査について合意に達した。 |
DIA-302-1977-10-19-1 | インド | 1977年10月19日 | 1970年代 | 政府は,冬の国会に,憲法改正法案を出す予定である。 |
DIA-302-1977-10-19-2 | インド | 1977年10月19日 | 1970年代 | MMTCは国内の石炭不足のため,当分輸出契約をしないことを決定した。 |
DIA-302-1977-10-20-1 | インド | 1977年10月20日 | 1970年代 | 会議派のレッディー総裁は声明を出し,「ガンディー派によるAICC招集要求と総裁辞任要求は,党の憲章と規律に反する試みだ,集団指導体制と党内民主主義の2原則はゆずれない」とのべ,党員に「党を弱体化させるいかなる試みにも抵抗するよう」警告した。 |
DIA-302-1977-10-21-1 | インド | 1977年10月21日 | 1970年代 | デザイ首相訪ソ―ブレジネフ書記長と会談した。会議でブレジネフ書記長は,インドとの友好協力はソ連の変らぬ政策であると語った。また晩さん会でデサイ首相は,「今回の訪ソは,より親しい個人的関係をソ連首脳との間にうちたてないかとの,ブレジネフ書記長による招待にこたえたもので,我々がソ連との友好にいかに価値をおき,それを強化したいと考えているかを示す」とと述べた。 |
DIA-302-1977-10-21-2 | インド | 1977年10月21日 | 1970年代 | 約130社の国営企業の1976/77年度税引き利益は45億ルピーと推定されている(前年は30.6億ルピー)。 |
DIA-302-1977-10-23-1 | インド | 1977年10月23日 | 1970年代 | ケララ州首相A.K.アントニー(会議派)は,州議会補欠選挙に当選した。 |
DIA-302-1977-10-23-2 | インド | 1977年10月23日 | 1970年代 | 計画委員会のラージ・クリシュナ委員は6次計画の規模は5次計画よりも30~40%大きくなろうと述べた。 |
DIA-302-1977-10-25-1 | インド | 1977年10月25日 | 1970年代 | 印ソ首脳会談―2時間40分にわたって話し合い,両者は,両国のトップが個人的に知り合えたことに満足を表明した。デサイ首相は,核について,超大国による非核国への差別的条件を非難,インド洋を軍事的に凍結する米ソの試みを歓迎,ブレジネフ書記長とコスイギン首相をインドに招待した。 |
DIA-302-1977-10-25-2 | インド | 1977年10月25日 | 1970年代 | インド準備銀行総裁にI.G.パテル氏が任命された。 |
DIA-302-1977-10-26-1 | インド | 1977年10月26日 | 1970年代 | 印ソ共同宣言を発表―宣言は,両国の友好・協力の強化に努める,1971年条約は両国関係の発展を導く精神としてとらえる,ソ連はインドにアルミナ・プラントを建設する,両国はインド洋平和地域化へのインド洋地域の人々の希望を支持する,両国は経済協力拡大に努力することなどが盛り込まれた。 |
DIA-302-1977-10-26-2 | インド | 1977年10月26日 | 1970年代 | 計画のガイドライン発表―計画委員会は中央政府と州政府が来年度の年次計画,1978年4月1日から始まる第6次5ヵ年計画を策定するためのガイドラインを発表した。投資優先順位を変更することが従来の計画と大きく違った点である。 |
DIA-302-1977-10-27-1 | インド | 1977年10月27日 | 1970年代 | デサイ首相帰国―記者会見で,インドはいかなる国とも特別な関係は持たない,訪ソでは国防・経済援助の細部の話し合いはしなかった,核拡散防止条約は不平等であるゆえ反対の立場をとった,など,語った。 |
DIA-302-1977-10-27-2 | インド | 1977年10月27日 | 1970年代 | 中央政府は大企業の農村地域への投資に対する減税ガイドライン15項目を発表した。 |
DIA-302-1977-10-28-1 | インド | 1977年10月28日 | 1970年代 | CPI・Mはトリプラ州における,ジャナタ党とCPI・Mの連立政府から撤退することを決定した。 |
DIA-302-1977-10-28-2 | インド | 1977年10月28日 | 1970年代 | 西ベンガル州首相J・バスは,先にスリナガルで持の会談で,州自治の問ったジャム・カシミール州のシェイク・アブドラ州首相と題が深く話し合われ,州に,より効果的な政治・財政・経済的権限が与えられるべきだとの点で合意した,と語った。 |
DIA-302-1977-10-28-3 | インド | 1977年10月28日 | 1970年代 | インド工業開発銀行は5業種近代化融資の株式転換条項を撤回―中央政府は砂糖・セメント・綿繊維・ジュート・エンジニアリングの5業種に対する低利近代化融資についてはIDBIに融資の株式転換条項を適用させないと発表した。理由はこの条項が原因で借り出しが少ないため。 |
DIA-302-1977-10-29-1 | インド | 1977年10月29日 | 1970年代 | ラージ・クリシュナ計画委員会委員は本年度の経済見通しについて,経済成長率4.7%,工業成長7%,食糧穀物生産1億1800万トンと述べた。 |
DIA-302-1977-10-30-1 | インド | 1977年10月30日 | 1970年代 | タミル・ナドゥ州マドラス市で,ガンディー支持派と反対派デモの衝突に警察の発砲があり,市民3人が死亡,警官10人,他27人が負傷した。反対派デモにはCPI・M,DMKが含まれており,デモは許可がおりていたが,マドライ,ティルチラパリ市で暴動が生じたため29日夜に許可が撤回された。DMKのカルナニディ前州首相ら党リーダーが拘禁された。同日,カニヤクマリからマドラスへのガンディー夫人の乗った特急列車に投石があり,列車の運転手と助手が負傷した。 |
DIA-302-1977-10-31-1 | インド | 1977年10月31日 | 1970年代 | 鉄鋼・鉱山省は鉄鋼価格の据置き,品不足の一部品目の輸入許可,1977/78年の生産量を759.3万トン(前年は699.2万トン)とすることを決定した。 |
DIA-302-1977-10-31-2 | インド | 1977年10月31日 | 1970年代 | タミル・ナドゥ州,コインバトゥール市で,30日のDMKリーダー逮捕に抗議する暴動が発生し,約7000人が加わった。 |
DIA-302-1977-11-01-1 | インド | 1977年11月01日 | 1970年代 | ガンディー夫人,カルタカ遊説に出発。 |
DIA-302-1977-11-01-2 | インド | 1977年11月01日 | 1970年代 | インドの輸入業者は外国のシッパーが輸出契約条件を守っていないとして食用油のボンベイ港での通関を拒否している。 |
DIA-302-1977-11-03-1 | インド | 1977年11月03日 | 1970年代 | ガンディー夫人はカルナタカ遊説中,シモガ県で乗用車に投石をうけ,割れた窓ガラスで右耳を負傷した。各地の演説会で妨害を受け,ハッサンでは混乱のため集会がキャンセルされた。 |
DIA-302-1977-11-03-2 | インド | 1977年11月03日 | 1970年代 | トリプラ州R.R.グプタ州政府(ジャナタ党とCPI・Mの連立)は辞任した。 |
DIA-302-1977-11-03-3 | インド | 1977年11月03日 | 1970年代 | ボカロ・スチール・プラントは1700トンの冷延薄板をはじめてソ連に輸出船積みした。 |
DIA-302-1977-11-04-1 | インド | 1977年11月04日 | 1970年代 | フィリップスと西ベンガル・エレクトロニクス工業開発社の合弁によるトランシーバー工場の設立は認可された。フィリップスの持分は40%。 |
DIA-302-1977-11-04-2 | インド | 1977年11月04日 | 1970年代 | ザサイ首相飛行機事故―デサイ首相の乗ったTU-124空軍機はアッサム州ジョーラト空港で悪天候のためオーバーランした後墜落した。乗員5人が死亡したがデサイ首相は助かった。 |
DIA-302-1977-11-04-3 | インド | 1977年11月04日 | 1970年代 | ガンディー夫人のアンドラ州旅行は,中止された。 |
DIA-302-1977-11-05-1 | インド | 1977年11月05日 | 1970年代 | ジャナタ政権の経済政策―経済政策は大財閥の無差別的多角化の制限,外資の資本参加の抑制,総投資の40%を農業に割当ること,大規模工業は官民を問わず自己資金によって拡張することなどを骨子としている。 |
DIA-302-1977-11-05-2 | インド | 1977年11月05日 | 1970年代 | ファラッカ協定調印―最渇水期(4月20日~30日)の水量を,インドが26,750cusecs,バングラデシュが38,750cusecsに分配する,渇水期の水不足を補うたあの長期的解決を見出すべく合意。 |
DIA-302-1977-11-05-3 | インド | 1977年11月05日 | 1970年代 | トリプラ州は,州議会が解散され,大統領統治下におかれた。 |
DIA-302-1977-11-05-4 | インド | 1977年11月05日 | 1970年代 | カーター米大統の訪印は中止された。 |
DIA-302-1977-11-06-1 | インド | 1977年11月06日 | 1970年代 | バジパイ外相,ユーゴ訪問。 |
DIA-302-1977-11-06-2 | インド | 1977年11月06日 | 1970年代 | ジャム・カシミール州政府は,10月29日の州条令で,特定地域への旅行を禁止し,報道を規制,理由を明示せず2年間以内の拘禁を認める権限を政府に付したことを発表した。 |
DIA-302-1977-11-07-1 | インド | 1977年11月07日 | 1970年代 | 会議派の懲罰委員会はウルス・カルナタカ州首相が州内に自派の党組織を運営している点について釈明をもとめた。ウルスに対してのみならず,ガンディー派のK.トリパティ,アントウライ,V.サテなどにも“反党活動”容疑が出されている。 |
DIA-302-1977-11-07-2 | インド | 1977年11月07日 | 1970年代 | 中央政府スポークスマンは,ジャム・カシミール州条令(10月29日付)は,憲法の枠内における州政府の行動である,と述べた。 |
DIA-302-1977-11-07-3 | インド | 1977年11月07日 | 1970年代 | コインバトールの繊維工場40,約6万人の労働者がボーナスの支払いを要求して無期限ストにはいった。 |
DIA-302-1977-11-08-1 | インド | 1977年11月08日 | 1970年代 | 中央政府はペルシャ湾岸への鉄鋼製品の過当競争を避けるためチェック・プライスを決めた。 |
DIA-302-1977-11-09-1 | インド | 1977年11月09日 | 1970年代 | 広東の秋の交易会の成約額は1700万ルピーで印中貿易拡大の期待を裏切った。 |
DIA-302-1977-11-09-2 | インド | 1977年11月09日 | 1970年代 | 会議派ガンディー派は,B.レッディー党総裁に対する要求(総裁辞任とAICC招集)を“一時的”に控えるとのアピールを出した。 |
DIA-302-1977-11-10-1 | インド | 1977年11月10日 | 1970年代 | インド―パキスタン―バングラデシュ―運賃同盟はボンベイ港のコンジェスチョン・サーチャージ10%を11月9日から撤廃した。 |
DIA-302-1977-11-11-1 | インド | 1977年11月11日 | 1970年代 | インド最大のポリエステル糸工場(3500トン,バローダ)が生産を始めた。 |
DIA-302-1977-11-14-1 | インド | 1977年11月14日 | 1970年代 | バフグナ石油・化学担当相は上院で1980/81年までにボンベイ・ハイの産油量は約1000万トンになろうと述べた。 |
DIA-302-1977-11-15-1 | インド | 1977年11月15日 | 1970年代 | IBMがインドでの営業停止を発表―IBMは持分引下げに関するインド政府との交渉が決裂,営業停止を発表した。IBMのメインテナンス・サービスはコンピューター・メインテナンス・コーポレーション(CMC)が引継ぐ。 |
DIA-302-1977-11-16-1 | インド | 1977年11月16日 | 1970年代 | 政府は自由販売用砂糖の基本連邦消費税を17.5%,公正価格店販売用砂糖の基本連邦消費税を2.5%引下げることを決定した。 |
DIA-302-1977-11-18-1 | インド | 1977年11月18日 | 1970年代 | ナガランド州議会選挙投票。 |
DIA-302-1977-11-18-2 | インド | 1977年11月18日 | 1970年代 | 会議派総裁をガンディー夫人が訪問し,両者は話し合った。レッディー総裁は,ガンディー派要求が無条件に撤回されなければ実質的な話し合いは行なえないと主張し,合意は成立しなかった。 |
DIA-302-1977-11-18-3 | インド | 1977年11月18日 | 1970年代 | インドの自動車タイヤ・メーカーは1本当りの価格を6~16ルピー値上げした。 |
DIA-302-1977-11-18-4 | インド | 1977年11月18日 | 1970年代 | 政府は在外インド人が本国送金した外貨の25%を海外旅行,子女の留学などのために使用できる制度を導入した。 |
DIA-302-1977-11-19-1 | インド | 1977年11月19日 | 1970年代 | アンドラ州V.ラオ州首相は,ガンディー夫人に夫人のアンドラ州訪問(12月5日~8日)をとりやめるよう要請し,ガンディー夫人はこれを了承した。 |
DIA-302-1977-11-19-2 | インド | 1977年11月19日 | 1970年代 | アンドラ州,Lベンガル湾沿いにサイクロンが直撃。 |
DIA-302-1977-11-19-3 | インド | 1977年11月19日 | 1970年代 | ビジュ・パトナイク鉄鋼相はゴミア火薬工場のストライキで石炭の生産が止まり,鉄鋼,電力などの産業が大きな被害を受けたと語った。 |
DIA-302-1977-11-20-1 | インド | 1977年11月20日 | 1970年代 | 10月のエコノミック・タイムス小売物価指数は201.3で前月比1.8%下落となったが,前年同月比では5.2%高。 |
DIA-302-1977-11-21-1 | インド | 1977年11月21日 | 1970年代 | アンドラ州のサイクロンによる死者は6000人を超えた。 |
DIA-302-1977-11-21-2 | インド | 1977年11月21日 | 1970年代 | ナガランド州議会選挙結果は,総議席60のうちUDF=35,会議派=15,無所属=9,NCN=1。 |
DIA-302-1977-11-21-3 | インド | 1977年11月21日 | 1970年代 | ガンディー夫人は,シャー委員会への出席を拒否,「委員会は違法であり,その調査方法はまちがっている,委員会の結論は,政治的動機によるもので,一方的,非合法である,委員会が法に従って,証人とて私を招喚するならば,委員会の指示に従う」との声明を出した。 |
DIA-302-1977-11-22-1 | インド | 1977年11月22日 | 1970年代 | ハリヤナ州首相D.ラール(ジャナタ党)は,さきに解任したスワラージ夫人と和解し,夫人を州内閣に復帰させることとなった。この和解はジャナタ党のチャンドラシェカル総裁の介入で成立した。 |
DIA-302-1977-11-22-2 | インド | 1977年11月22日 | 1970年代 | ルールケラ・スチール・プラントはアメリカのArmco社の技術協力でインド初のORGOエレクトリカル・シート工場(建設費11億ルピー)を建設する。 |
DIA-302-1977-11-23-1 | インド | 1977年11月23日 | 1970年代 | デリー発のアーメダバード・デリー超特急は,アジェルカ・バワル間で10車輌が脱線し,会議派国会議員1名を含む20人が死亡し,22人が病院に運ばれた。レールの継ぎ目板がとり除かれており破壊活動の疑いが持たれた。 |
DIA-302-1977-11-23-2 | インド | 1977年11月23日 | 1970年代 | ナガランド州,UDFの州議会リーダーにヴィゾルが選出された。 |
DIA-302-1977-11-24-1 | インド | 1977年11月24日 | 1970年代 | 金の価格がグラム当り700ルピーを突破,史上最高の701ルピーを記録した。 |
DIA-302-1977-11-24-2 | インド | 1977年11月24日 | 1970年代 | EEC9ヵ国はジュート関税の撤廃を予定より6ヵ月繰り上げ,1978年1月より実施する。 |
DIA-302-1977-11-25-1 | インド | 1977年11月25日 | 1970年代 | ナガランド州,ヴィゾル(UDF)州政府就任。 |
DIA-302-1977-11-25-2 | インド | 1977年11月25日 | 1970年代 | イランとの共同開発を進めているクドレムク鉱山の開発コストは当初の6.13億ドルをさらに1億ドル上回りそうでインド側の負担増となる。 |
DIA-302-1977-11-26-1 | インド | 1977年11月26日 | 1970年代 | インドは来年度の原油輸入量を本年度よりも100万トン少ない1350万トンとすることに決定した。これによる外貨節約は現在の国際価格で8億ルピー。 |
DIA-302-1977-11-26-2 | インド | 1977年11月26日 | 1970年代 | 大手エンジニアリング会社のLarsen & Toubro社は組合間の対立・抗争のため,11月27日よりポワイ工場(従業員6000人)の閉鎖を決定した。 |
DIA-302-1977-11-27-1 | インド | 1977年11月27日 | 1970年代 | ガンディー夫人は,サイクロン被害にあったカルナタカ州のグントゥール,クリシュナ両県を視察した。4人の州政府閣僚が同行したがV.ラオ州首相は同行しなかった。 |
DIA-302-1977-11-28-1 | インド | 1977年11月28日 | 1970年代 | ラジャスタン州議会補欠選挙にジャナタ党候補が2選挙区とも当選した。うち1区ではB.S.シェカワト州首相が当選した。 |
DIA-302-1977-11-28-2 | インド | 1977年11月28日 | 1970年代 | デサイ首相はさきに会議派政府が決定した製糖工業の国有化に反対であることを下院で表明した。 |
DIA-302-1977-11-29-1 | インド | 1977年11月29日 | 1970年代 | アンドラ州政府はサイクロンの被害救済・再建のために22.7億ルピーの援助を中央政府に要求した。 |
DIA-302-1977-11-30-1 | インド | 1977年11月30日 | 1970年代 | フェルナンデス工業相は本年度4~8月の工業生産成長率は4.7%で前年同期の13.1%を大幅に下回っていること明らかにした。 |
DIA-302-1977-11-30-2 | インド | 1977年11月30日 | 1970年代 | P.ラマチャンドラン・エネルギー担当相は11の州と連邦直轄地で5~25%の電力供給カットが行なわれていることを明らかにした。 |
DIA-302-1977-12-01-1 | インド | 1977年12月01日 | 1970年代 | アンドラ州政府の5閣僚辞任。 |
DIA-302-1977-12-01-2 | インド | 1977年12月01日 | 1970年代 | 会議派は,レッディー総裁,チャバンら党の首脳が会談し,カルナタカ州のウルス派に党の州選挙委員会の構成で過半数を与えるなどの提案が出され,2日にC.ヤダブが特使としとしてバンガロールに赴くことになった。 |
DIA-302-1977-12-01-3 | インド | 1977年12月01日 | 1970年代 | レーヨン紡績会社は人絹糸価格問題が満足のいくように解決されるまで実需家への供給を12月1日から停止することを決定した。 |
DIA-302-1977-12-02-1 | インド | 1977年12月02日 | 1970年代 | 中央政府は,10月29日にジャム・カシミール州政府が出した州公安条令中の特定の“好ましくない部分”について注意を促したと,C.シン内相が下院でのべた。 |
DIA-302-1977-12-02-2 | インド | 1977年12月02日 | 1970年代 | 西ベンガル州政府は「中央・州に関する覚え書き」を発表した。 |
DIA-302-1977-12-02-3 | インド | 1977年12月02日 | 1970年代 | 政府は12馬力までのミニ・トラクターに対する連邦消費税(15%)を廃止することに決定した。 |
DIA-302-1977-12-03-1 | インド | 1977年12月03日 | 1970年代 | バローダの重水プラントのコンバーターが爆発事故をおこした。 |
DIA-302-1977-12-03-2 | インド | 1977年12月03日 | 1970年代 | 1977年1~10月の海外送金受取り累計は150.5億ルピーとなり,1976年1年間の151億4860万ルピーに匹敵する額になった。 |
DIA-302-1977-12-04-1 | インド | 1977年12月04日 | 1970年代 | インド準備銀行はインドで新しく登記したスターリング・ティー・カンパニーの株式の26%をマネージング・エイジェントに与えたいという会社の要請を拒否した。 |
DIA-302-1977-12-05-1 | インド | 1977年12月05日 | 1970年代 | 会議派執行委員会は,党員に,シャー委員会への出頭は,招喚された時にのみ行なうように指令した。これは実質上,シャー委員会ボイコットの指示となる。 |
DIA-302-1977-12-05-2 | インド | 1977年12月05日 | 1970年代 | UP州議会補欠選挙で,会議派候補がジャナタ党をやぶって当選した。 |
DIA-302-1977-12-05-3 | インド | 1977年12月05日 | 1970年代 | H.M.パテル蔵相は下院で国有化した商業銀行を民営に戻す考えはないと言明した。 |
DIA-302-1977-12-06-1 | インド | 1977年12月06日 | 1970年代 | インド亜鉛公社は7500万ルピーを投じて埋蔵量400万トンの西ベンガル州ダージリンの鉱山の開発に着手する。 |
DIA-302-1977-12-06-2 | インド | 1977年12月06日 | 1970年代 | カルナタカ州会議派の対立に関しての会議派中央議会局と執行委員会の非公式会議が,それぞれガンディー夫人の出席をえて開かれた。ここで,党は,ウルスの要求(州会議派委員会の解散とパティル州会議派委員長解任)には譲らないが,ウルスが自派組織を解散するならウルス派処分は行なわないとの提案を出した。 |
DIA-302-1977-12-07-1 | インド | 1977年12月07日 | 1970年代 | カルナタカ州ウルス州首相は,会議派執行委員会が送った妥協のための特使のY.B.チャバンとトリパティに会うことを拒否した。 |
DIA-302-1977-12-07-2 | インド | 1977年12月07日 | 1970年代 | マハラシュトラ州政府の公務員90万人が物価手当の引上げなどを要求,1日間のストライキを行った。 |
DIA-302-1977-12-09-1 | インド | 1977年12月09日 | 1970年代 | デサイ首相,ネパール訪問。 |
DIA-302-1977-12-09-2 | インド | 1977年12月09日 | 1970年代 | ソ連は1978年も今年と同じ条件でインドに原油150万トン,製品150万トンを輸出する。 |
DIA-302-1977-12-10-1 | インド | 1977年12月10日 | 1970年代 | 西ベンガル州政府は州政府が接収した倒産企業のうち大規模なものを中央政府が接収することを要求した。 |
DIA-302-1977-12-11-1 | インド | 1977年12月11日 | 1970年代 | インドはセメント不足のため韓国,ポーランド,ルーマニアなどから大量の輸入をしている。輸入量は国際価格の値上がりのおそれがあるので明らかにされていない。 |
DIA-302-1977-12-11-2 | インド | 1977年12月11日 | 1970年代 | 11月のエコノミック・タイムス紙小売物価指数は前月より1.3%,前年同月よりも5.7%上昇している。 |
DIA-302-1977-12-11-3 | インド | 1977年12月11日 | 1970年代 | デサイ首相はカトマンズで記者会見し,ネパールとの貿易・通過協定(2本)はまもなく調印されよう,両国は密輸取締りのための効果的手段をとることで合意した,など発表した。共同コミュニケが発表され,両国は対等の立場で経済協力を強化しなければならない,両国関係に新たな章を開く必要がある,などの内容が盛り込まれた。 |
DIA-302-1977-12-12-1 | インド | 1977年12月12日 | 1970年代 | バジパイ外相は下院で「中印国境紛争についての11月27日の北京放送は事実関係で誤っており,不必要に挑発的である,しかし政府は中国との関係正常化の政策をただ1回の放送に基いて検討しなおすことはしないし,この放送について中国側の釈明を求めることが必要だとは考えない」と答弁した。 |
DIA-302-1977-12-12-2 | インド | 1977年12月12日 | 1970年代 | 中央銀行は商業銀行に小農,小規模企業,小運輸業に1978年1月1日から2500ルピーまでの融資を11%以下の金利で行なうことを命じた。融資の50%までは中央銀行が金利9%で再融資する。 |
DIA-302-1977-12-13-1 | インド | 1977年12月13日 | 1970年代 | 会社法修正案が下院を通過,慈善寄付金の限度額が2.5万ルピーから5万ルピーに引上げられた。 |
DIA-302-1977-12-14-1 | インド | 1977年12月14日 | 1970年代 | ルピー資金不足で援助利用率が低下―ルピー資金不足のため,1977/78年度の第一四半期の援助利用額は,4.5億ルピーにすぎず,未使用残高が197.6億ルピー,本年度約束額が200億ルピー,合計約400億ルピーが残っている。 |
DIA-302-1977-12-14-2 | インド | 1977年12月14日 | 1970年代 | カルナタカ州D.ウルス州首相はチャバンと会談したが双方妥協点を見出せなかった。 |
DIA-302-1977-12-14-3 | インド | 1977年12月14日 | 1970年代 | カルナタカ州A.サイト運輸相は「会議派の分裂は不可避である。B.レッディーが,総裁でいる限り党の統一はありえない」との発言をした。 |
DIA-302-1977-12-15-1 | インド | 1977年12月15日 | 1970年代 | 会議派レッディ総裁は,カルナタカ州首相ウルスに,サイト運輸相を“反党的発言”のかどで州政府から解任するよう求めた。 |
DIA-302-1977-12-15-2 | インド | 1977年12月15日 | 1970年代 | MMTCは石炭不足のため,輸出契約通りの引き渡しが困難になっている。 |
DIA-302-1977-12-16-1 | インド | 1977年12月16日 | 1970年代 | 下院に第44次憲法改正法案が提出された。 |
DIA-302-1977-12-17-1 | インド | 1977年12月17日 | 1970年代 | 会議派のガンディー夫人派は12月28日に大会(コンベンション)を開く準備を始めた。また,ガンディー夫人は自宅での記者会見で,「自分は党分裂は望まない,しかし状況は私の手中になくコントロールできない」と語った。 |
DIA-302-1977-12-17-2 | インド | 1977年12月17日 | 1970年代 | 11日のサイクロンによるアンドラ州の穀物の被害は35.5億ルピーである,との公式推定が発表された。 |
DIA-302-1977-12-18-1 | インド | 1977年12月18日 | 1970年代 | 会議派,ガンディー夫人は,党執行委員会の指名委員を辞任した。党総裁への辞表は12月9日付となっていた。 |
DIA-302-1977-12-19-1 | インド | 1977年12月19日 | 1970年代 | ジアウル・ラーマン・バングラデシュ大統領訪印。 |
DIA-302-1977-12-19-2 | インド | 1977年12月19日 | 1970年代 | ケララ高等裁判所は,C.H.M.コヤ州政府教育相の州議会当選は無効との判決を下した。コヤは州内閣を辞任した。 |
DIA-302-1977-12-19-3 | インド | 1977年12月19日 | 1970年代 | 州議会補欠選挙(12月18日)結果。グジャラート州議会1区は会議派に,ラジコット下院補欠選挙区はジャナタ党が当選,ビハール州では州議会2区をジャナタ党,UPではジャナタ党のR.N.ヤダヴ州首相が当選した。 |
DIA-302-1977-12-20-1 | インド | 1977年12月20日 | 1970年代 | 中央政府は,現在のMISAを廃止して新たに予防拘禁的性格を持つ法律を国会に提出する考えである。 |
DIA-302-1977-12-20-2 | インド | 1977年12月20日 | 1970年代 | ビハール州議会補欠選挙(18日投票)でK.タークル州首相(ジャナタ党)が会議派候補をやぶって当選した。 |
DIA-302-1977-12-20-3 | インド | 1977年12月20日 | 1970年代 | ブラント西独社会民主党党首がインド政府の招きで訪印。 |
DIA-302-1977-12-20-4 | インド | 1977年12月20日 | 1970年代 | 下院は,国会・州議会の任期を5年にもどす第43次憲法改正法案(原案は44次)を可決した。 |
DIA-302-1977-12-20-5 | インド | 1977年12月20日 | 1970年代 | ジァウル・ラーマン・バングラデシュ大統領訪印終る。共同コミュニケが発表された。 |
DIA-302-1977-12-20-6 | インド | 1977年12月20日 | 1970年代 | マハラシュトラ州政府公務員のストライキにより,約320人の軍人がミルクの供給のためにミルク工場に出動している。 |
DIA-302-1977-12-21-1 | インド | 1977年12月21日 | 1970年代 | 会議派ガンディー派は夕刻,AICC大会をデリーで12月31日,1月1日に招集することを決め,よびかけを行なった。ただし,AICCとは呼ばず会議派コンベンションと称している。 |
DIA-302-1977-12-21-2 | インド | 1977年12月21日 | 1970年代 | ケララ高等裁判所は,K.M.マニ州内相の州議会当選を無効であると判決した。マニは辞任を表明した。 |
DIA-302-1977-12-21-3 | インド | 1977年12月21日 | 1970年代 | MMTCはすでに180万トンの尿素のバッファー・ストックを作ったが,来年の需要増を考慮して,4.5億ルピー相当の輸入を計画している。 |
DIA-302-1977-12-22-1 | インド | 1977年12月22日 | 1970年代 | マニプール州議会補欠選挙で,州首相のY.シャイザ(ジャナタ党)が会議派候補をやぶって当選した。 |
DIA-302-1977-12-22-2 | インド | 1977年12月22日 | 1970年代 | インドは来年1~7年月にベトナムに7万トンの小麦粉を輸出する。 |
DIA-302-1977-12-23-1 | インド | 1977年12月23日 | 1970年代 | フェルナンデス工業相,新産業政策を発表―新産業政策は家内工業,零細工業,小規模工業の優遇,大工業と大財閥の活動規制,首都・都市センターへの工業の集中防止,外資系企業に対する外国為替規制法の厳重な適用などを骨子としている。 |
DIA-302-1977-12-23-2 | インド | 1977年12月23日 | 1970年代 | 44次改憲法案は上院で可欠された。 |
DIA-302-1977-12-24-1 | インド | 1977年12月24日 | 1970年代 | 会議派のB.レッディ総裁,Y.B.チャバン,ガンディー夫人はK.トリパティ宅で会した。 |
DIA-302-1977-12-24-2 | インド | 1977年12月24日 | 1970年代 | 農業省筋の情報によれば,カリフの生産量は7300~7400万トンで本年度の生産目標の1億1800万トンの達成見通しは明るい。 |
DIA-302-1977-12-25-1 | インド | 1977年12月25日 | 1970年代 | B.M.ビルラは工業製品の価格引下げのためにも銀行の貸出し金利を引下げる必要があると記者会見で訴えた。 |
DIA-302-1977-12-26-1 | インド | 1977年12月26日 | 1970年代 | 会議派総裁は,カルナタカ州首相D.ウルスを,“反党的活動を続けたため”党資格停止処分とした。その前にガンディー派は1月1日~2日にデリーで会議派ナショナル・コンベンションを開くことを発表した。 |
DIA-302-1977-12-26-2 | インド | 1977年12月26日 | 1970年代 | インドのProjects and Equipment CorporationはイギリスのTurriffグループと西アジア諸国における大規模プロジェクトの国際入札での協力に関する長期協定を結んだ。 |
DIA-302-1977-12-27-1 | インド | 1977年12月27日 | 1970年代 | 会議派のレッディー総裁とチャバンは,党員にガンディー派のコンベンションに出席しないように,とのよびかけを行なった。一方ガンディー派の党執行委メンバーであるK.トリパティ,S.M.カシム,R.V.N.ラオら7名が執行委から辞任した。 |
DIA-302-1977-12-27-2 | インド | 1977年12月27日 | 1970年代 | 中央政府はルピー貿易を段階的に自由外貨にスウィッチ・オーバーすることを決定した。 |
DIA-302-1977-12-28-1 | インド | 1977年12月28日 | 1970年代 | 会議派執行委は2回にわたって会合を開いたが,ガンディー夫人辞任などについて何ら決定はみず,党の最善のため総裁の裁量にゆだねることになった。 |
DIA-302-1977-12-28-2 | インド | 1977年12月28日 | 1970年代 | 会議派創立93周年記念がデリーで開かれ,午前中の党旗掲揚式には,ガンディー夫人,トリパティらも出席した。 |
DIA-302-1977-12-28-3 | インド | 1977年12月28日 | 1970年代 | CPIはデリーで開いた全国評議会で,非常事態下で党の果した役割りを検討し,党が非常事態宣言支持を行なったのは誤りであった,ガンディー夫人のプロ・モスクワ外交政策と国内での貧困層向けのリップ・サービスに関する“革進的宣言”について判断を誤った,など,非常事態下の路線を誤りであったとの決議を採択した。 |
DIA-302-1977-12-29-1 | インド | 1977年12月29日 | 1970年代 | 1978/79年度の印ソ貿易はソ連側がはじめて10億ルピーの赤字となる見込みでインドに輸入拡大を強硬に要求している。 |
DIA-302-1977-12-30-1 | インド | 1977年12月30日 | 1970年代 | S.A.ダンゲCPI議長は,中央執行委書記長と,全国評議会議長を“健康上の理由”で辞任した。 |
DIA-302-1977-12-30-2 | インド | 1977年12月30日 | 1970年代 | ゾーン制の廃止にもかかわらず政府の米の買上げは順調ですでに218万トン(前年同期は189万トン)を突破している。 |
DIA-302-1977-12-31-1 | インド | 1977年12月31日 | 1970年代 | カルナタカ州ウルス州内閣は解任され,大統領統治令がしかれた。州議会は解散され,6週間以内に選挙が持たれることとなった。 |
DIA-302-1977-12-31-2 | インド | 1977年12月31日 | 1970年代 | トリプラ州議会選挙投票。 |
DIA-302-1977-12-31-3 | インド | 1977年12月31日 | 1970年代 | インド海運公社は1976/77年度まで黒字であったが1977/78年度は2.8億ルピーの赤字が予想されている。 |
DIA-302-1978-01-01-1 | インド | 1978年01月01日 | 1970年代 | カーター米大統領,3日間の予定で訪印。 |
DIA-302-1978-01-01-2 | インド | 1978年01月01日 | 1970年代 | ドバイ行きエア・インディア,ジャンボ・ジェット機,空中爆発,236人死亡。 |
DIA-302-1978-01-02-1 | インド | 1978年01月02日 | 1970年代 | 商業銀行は6月末までに676の無銀行地域に支店を開設する。 |
DIA-302-1978-01-02-2 | インド | 1978年01月02日 | 1970年代 | カーター大統領,インド国会で演説―デサイ首相と会談,核燃料問題で対立解けず。 |
DIA-302-1978-01-02-3 | インド | 1978年01月02日 | 1970年代 | 会議派分裂,インディラ・ガンディー派はガンディー前首相を総裁に選出。 |
DIA-302-1978-01-03-1 | インド | 1978年01月03日 | 1970年代 | 鉄鋼省はSAILにコークス炭の輸入を許可した。 |
DIA-302-1978-01-04-1 | インド | 1978年01月04日 | 1970年代 | イギリス,1億4400万ポンドの対印無償援助発表。 |
DIA-302-1978-01-04-2 | インド | 1978年01月04日 | 1970年代 | 1978―79年度の石炭生産目標1億1300万トン―計画委員会は1978―79年度の石炭生産目標を1億1300万トンに決めた。前年は目標1億3500万トンであったが,実績は約1万トン。 |
DIA-302-1978-01-04-3 | インド | 1978年01月04日 | 1970年代 | 中央政府閣議はFCI(インド肥料公社)を4つの独立組織に再編することを決定した。 |
DIA-302-1978-01-05-1 | インド | 1978年01月05日 | 1970年代 | 政府は8月の1.5万トン,9月の2万トンに次いで8.4万トンのナフサの追加輸入を決定した。 |
DIA-302-1978-01-05-2 | インド | 1978年01月05日 | 1970年代 | トリプラ州,N.チャクラヴォルティを首班とする「左翼戦線」政府発足。 |
DIA-302-1978-01-05-3 | インド | 1978年01月05日 | 1970年代 | デサイ首相,訪印中の米上院議員グループに対し,インドは核拡散防止条約に調印するつもりはないと言明。 |
DIA-302-1978-01-06-1 | インド | 1978年01月06日 | 1970年代 | カラハン英首相,6日間の訪印でデリー着。 |
DIA-302-1978-01-06-2 | インド | 1978年01月06日 | 1970年代 | 西ベンガル州の「左翼戦線」,産業政策フレームワークを発表。 |
DIA-302-1978-01-07-1 | インド | 1978年01月07日 | 1970年代 | カラハン英首相,ガンジス川とブラーフマプトラ川の利用計画調査に協力すると表明。 |
DIA-302-1978-01-07-2 | インド | 1978年01月07日 | 1970年代 | カーター米大統領,記者会見で,インドとの関係改善が予想以上であったと語り,インドのソ連離れを称賛した。 |
DIA-302-1978-01-07-3 | インド | 1978年01月07日 | 1970年代 | 政府はセメント価格をトン当り20ルピー値上げすることを決定した。 |
DIA-302-1978-01-08-1 | インド | 1978年01月08日 | 1970年代 | レディ派会議派執行委員会,会議派の多数が結集。 |
DIA-302-1978-01-09-1 | インド | 1978年01月09日 | 1970年代 | ガンディー前首相,シャー委員会に出頭,委員会の手続きに対して異議提出。 |
DIA-302-1978-01-09-2 | インド | 1978年01月09日 | 1970年代 | 政府はくずダイヤと低級宝石に対する輸入関税を廃した。 |
DIA-302-1978-01-10-1 | インド | 1978年01月10日 | 1970年代 | シャー委員会,ガンディー前首相の異議申立てを却下。 |
DIA-302-1978-01-10-2 | インド | 1978年01月10日 | 1970年代 | 「農業および農村開発」に関する州首相会議でバルナラ農相は豆類,油種子,綿花の増産を呼びかけた。 |
DIA-302-1978-01-10-3 | インド | 1978年01月10日 | 1970年代 | 中央政府はInternational Computer(India)Manufactures(ICIM)に大型電算機の製造を許可した。 |
DIA-302-1978-01-11-1 | インド | 1978年01月11日 | 1970年代 | シャー調査委員会はガンディー前首相に対し,証言拒否の理由で裁判手続きを開始することを決定。 |
DIA-302-1978-01-12-1 | インド | 1978年01月12日 | 1970年代 | デサイ首相,現段階では赤字財政は不可避であると表明。 |
DIA-302-1978-01-12-2 | インド | 1978年01月12日 | 1970年代 | ナガ地下組織の代表,デサイ首相と会談。 |
DIA-302-1978-01-12-3 | インド | 1978年01月12日 | 1970年代 | 中央政府は自由外貨によるトロール船75隻(4億ルピー)の輸入を決定した。 |
DIA-302-1978-01-13-1 | インド | 1978年01月13日 | 1970年代 | カルナタカ州前州首相D.アルスの汚職を調査したグローバー委員会は報告書を提出。 |
DIA-302-1978-01-13-2 | インド | 1978年01月13日 | 1970年代 | 中央政府は制限付きで中国からのしょうの輸入を認めた。 |
DIA-302-1978-01-14-1 | インド | 1978年01月14日 | 1970年代 | 中央政府はパーム・オレインを除く一切のパーム油の輸入を禁止した。 |
DIA-302-1978-01-14-2 | インド | 1978年01月14日 | 1970年代 | 政府はスリランカに1億ルピーの借款を供与した。金利は5%,3年据え置きの15年半返済。 |
DIA-302-1978-01-15-1 | インド | 1978年01月15日 | 1970年代 | 政府,マイノリティ委員会を任命―宗教的・言語的マイノリティの利益を擁護するため現行法規の実行をチェックすることが目的。 |
DIA-302-1978-01-16-1 | インド | 1978年01月16日 | 1970年代 | 中央政府は不正な取り引き防止のため,1,000ルピー,5,000ルピー,10,000ルピー札の流通を停止した。 |
DIA-302-1978-01-16-2 | インド | 1978年01月16日 | 1970年代 | Engineering Projects(India)はクウェートで兵舎の建設(約8億ルピー)を受注した。 |
DIA-302-1978-01-18-1 | インド | 1978年01月18日 | 1970年代 | マディア・プラデシ州新州首相に,V.K.サクレチャ選出される。 |
DIA-302-1978-01-19-1 | インド | 1978年01月19日 | 1970年代 | ガンディー前首相,シャー委員会への証言を再び拒否。 |
DIA-302-1978-01-19-2 | インド | 1978年01月19日 | 1970年代 | 茶,コーヒー,ショウズクの輸出急増―1977/78年度のこれらの品目の輸出目標は58.3億ルピーであったが80億ルピーに乗せる可能性がある。内訳は茶55億ルピー,コーヒー20億ルピー,ショウズク4億ルピー。 |
DIA-302-1978-01-20-1 | インド | 1978年01月20日 | 1970年代 | シャー委員長,証言拒否の科でガンディー前首相を首都司法長官に告訴。 |
DIA-302-1978-01-20-2 | インド | 1978年01月20日 | 1970年代 | H.N.バフグナ石油・化学・肥料相は住民の公害反対のため,レワスへの石油化学工場建設を延期すると発表した。 |
DIA-302-1978-01-21-1 | インド | 1978年01月21日 | 1970年代 | エネルギー省は1978/79年の石炭輸出目標を100万トンと設定するとともにSTCに長期輸出契約をしないように指示した。 |
DIA-302-1978-01-22-1 | インド | 1978年01月22日 | 1970年代 | デサイ首相,西ベンガル州政府の要求している州自治拡大の考え方は国の分裂に導くとして反論。 |
DIA-302-1978-01-22-2 | インド | 1978年01月22日 | 1970年代 | 40日続いているマハラシトラ州公務員のストライキ,話し合いがつかず続行。 |
DIA-302-1978-01-22-3 | インド | 1978年01月22日 | 1970年代 | 国民所得自書によれば,1976―77年の1人当り所得はマイナス0.4%(人口増加2.0%,所得増加率1.4%)となった。 |
DIA-302-1978-01-23-1 | インド | 1978年01月23日 | 1970年代 | 「牝牛と仔牛」のシンボル・マークは会議派(レディー総裁)に与えられる。 |
DIA-302-1978-01-23-2 | インド | 1978年01月23日 | 1970年代 | 中央政府はジュート取り引き許可に新制度を導入することを決定した。 |
DIA-302-1978-01-24-1 | インド | 1978年01月24日 | 1970年代 | 金融筋によれば,流通停止になった高額紙幣の総額は約7億ルピーと推定している。高額紙幣の流通速度は低額紙幣の7~8倍なので約56億ルピーの低額紙幣が流通停止になったのと同じ効果があり,商業界に与える影響は大きい。 |
DIA-302-1978-01-25-1 | インド | 1978年01月25日 | 1970年代 | バジパイ外相,テレビ番組で中印関係改善の希望を表明。 |
DIA-302-1978-01-25-2 | インド | 1978年01月25日 | 1970年代 | アイルランドのパトリック・J・ヒラリー大統領,2週間の親善訪問でニューデリー着。 |
DIA-302-1978-01-27-1 | インド | 1978年01月27日 | 1970年代 | 中央政府は自由販売用砂糖の移動制限を解除した。 |
DIA-302-1978-01-28-1 | インド | 1978年01月28日 | 1970年代 | ボンベイ・ハイの産油量は日産8万バレルに―ボンベイ・ハイの産油量は3月末の予定よりも早く1月16日に日産8万バレルに達した。9月から6万バレルに引き上げられる予定。 |
DIA-302-1978-01-29-1 | インド | 1978年01月29日 | 1970年代 | シェーク・アブドゥラ,ジャム・カシミール州首相,州権の拡大要求を支持。 |
DIA-302-1978-01-29-2 | インド | 1978年01月29日 | 1970年代 | エア・インディアは1月31日からトリバンドラム―ドゥバイ間に毎週1便就航させる。トリバンドラムから湾岸への乗客は推定1ヵ月3000人。 |
DIA-302-1978-01-30-1 | インド | 1978年01月30日 | 1970年代 | インドにある宗教,教育,伝導,開発などの各種団体は年間平均1.2億ルピーの資金を受け取っている。 |
DIA-302-1978-01-31-1 | インド | 1978年01月31日 | 1970年代 | 最高裁は選挙シンボルとして「牝牛と仔牛」を要求した会議派(I)の訴えを却下。 |
DIA-302-1978-02-01-1 | インド | 1978年02月01日 | 1970年代 | サハレンドラ・クンドゥ外務次官は経済・技術協力を話しあうため,ベトナム訪問。 |
DIA-302-1978-02-01-2 | インド | 1978年02月01日 | 1970年代 | 中央政府はカルテックス・オイル・リファイナリーとヒンドスタン・ペトロリュームの合併を決めた。 |
DIA-302-1978-02-02-1 | インド | 1978年02月02日 | 1970年代 | イランのパーレビ国王,訪印―パーレビ国王・デサイ首相会談。 |
DIA-302-1978-02-03-1 | インド | 1978年02月03日 | 1970年代 | ファン・バン・ドン・ベトナム首相,訪越中のクンドゥ外務次官に対して,印越友好の重要性を強調。 |
DIA-302-1978-02-03-2 | インド | 1978年02月03日 | 1970年代 | チャラン・シン内相,スリランカ訪問。 |
DIA-302-1978-02-03-3 | インド | 1978年02月03日 | 1970年代 | インド・朝鮮民主主義人民共和国間で新貿易協定,ルピー決済を廃止。 |
DIA-302-1978-02-03-4 | インド | 1978年02月03日 | 1970年代 | インドはソ連から150万トンの原油を1978年中に輸入する契約を結んだ。 |
DIA-302-1978-02-03-5 | インド | 1978年02月03日 | 1970年代 | 石油省はSCIにコーチン精油所への湾岸からの原油輸送の独占権を与えた。 |
DIA-302-1978-02-04-1 | インド | 1978年02月04日 | 1970年代 | パーレビ国王,ラジャスタン訪問。食糧供給を見返りに,256キロのラジャスタン運河計画に融資することに合意。 |
DIA-302-1978-02-04-2 | インド | 1978年02月04日 | 1970年代 | 石油・天然ガス委員会,グジャラート沖でガス田を発見したと発表。 |
DIA-302-1978-02-04-3 | インド | 1978年02月04日 | 1970年代 | 中国の鄧小平副首相,カトマンドゥで中印関係改善の希望を表明。 |
DIA-302-1978-02-05-1 | インド | 1978年02月05日 | 1970年代 | インド・イラン共同コミュニケ発表。 |
DIA-302-1978-02-05-2 | インド | 1978年02月05日 | 1970年代 | HMTは本年2月で創立25周年になり,その記念事業として25の村を選び,ルーラル・スキル・ワークショップを作る。 |
DIA-302-1978-02-06-1 | インド | 1978年02月06日 | 1970年代 | カーター,ブレジネフ双方がデサイ首相に対し,エチオピア・ソマリア紛争の仲介を依頼した。(ステーツマン紙2月6日付) |
DIA-302-1978-02-06-2 | インド | 1978年02月06日 | 1970年代 | インド・ベトナム貿易・経済協力協定―インドはベトナムと貿易・経済協力,科学・技術協力に関する協力協定を結んだ。インドはベトナムに3億ルピーの商業借款を供与する。 |
DIA-302-1978-02-06-3 | インド | 1978年02月06日 | 1970年代 | インド政府は多国籍企業が投資前の調査のために支店を置くことを拒否した。 |
DIA-302-1978-02-06-4 | インド | 1978年02月06日 | 1970年代 | ヴァジパイ外相,パキスタン訪問。ジア戒厳令司令官と会談。 |
DIA-302-1978-02-06-5 | インド | 1978年02月06日 | 1970年代 | マハラシトラ州公務員約100万人の54日間のスト終る。 |
DIA-302-1978-02-06-6 | インド | 1978年02月06日 | 1970年代 | ハリアナ州のバドリ州議会補欠選挙で,ジャナタ党候補者当選。 |
DIA-302-1978-02-08-1 | インド | 1978年02月08日 | 1970年代 | 中国の貿易使節団,ニューデリー着。 |
DIA-302-1978-02-10-1 | インド | 1978年02月10日 | 1970年代 | S.クンドゥー外務担当国務相は10日間にわたるベトナム訪問から帰国,鉄道輸送,農業・家畜などの分野で復興に協力することを約束したことを明らかにした。 |
DIA-302-1978-02-11-1 | インド | 1978年02月11日 | 1970年代 | デサイ首相はハリジャン,部族民保護のための委員会設立を提示。 |
DIA-302-1978-02-12-1 | インド | 1978年02月12日 | 1970年代 | シドニイのホテルで爆弾爆発,英連邦アジア太平洋地域会議出席中のデサイ首相は無事。 |
DIA-302-1978-02-12-2 | インド | 1978年02月12日 | 1970年代 | インド政府はオマーンで働いているインド人労働者の生活状態,賃金,サラリーについて調査するため,2人で構成する調査団を派遣した。 |
DIA-302-1978-02-13-1 | インド | 1978年02月13日 | 1970年代 | インド訪問中の中国貿易代表団はMMTCとの会談で鉄鉱石の試験輸入について打診した。 |
DIA-302-1978-02-15-1 | インド | 1978年02月15日 | 1970年代 | 会議派執行委のC.M.ステファン,会議派(I)へ移る。 |
DIA-302-1978-02-15-2 | インド | 1978年02月15日 | 1970年代 | ガンディー夫人,25日のシャー委員会には再び出席しないと表明。 |
DIA-302-1978-02-20-1 | インド | 1978年02月20日 | 1970年代 | 政府は粗糖(グル)の輸出数量規制を全面的に撤廃した。 |
DIA-302-1978-02-21-1 | インド | 1978年02月21日 | 1970年代 | M.ダンダヴァテ鉄道相は1978―79年度鉄道予算を議会に提出した。鉄道収入総額は221.99億ルピーで6.54億ルピーの黒字を見込んでいる。 |
DIA-302-1978-02-21-2 | インド | 1978年02月21日 | 1970年代 | 1978―79年度の輸出目標は650億ルピー。 |
DIA-302-1978-02-21-3 | インド | 1978年02月21日 | 1970年代 | 最高裁はLICボーナス法(生命保険公社従業員と当局の間で結ばれたボーナス協定を無効にする法律)を無効と判決。 |
DIA-302-1978-02-21-4 | インド | 1978年02月21日 | 1970年代 | ジョティ・バス西ベンガル州首相は,CPI(M)はインドを多言語国家とみているが,どの集団も分離権をもっていないと語る。 |
DIA-302-1978-02-21-5 | インド | 1978年02月21日 | 1970年代 | 幼児結婚制限法改正案が下院通過,女性の結婚年令を15歳から18歳へ,男性のそれを18才から21才へ引上げるもの。 |
DIA-302-1978-02-22-1 | インド | 1978年02月22日 | 1970年代 | Y.V.チャンドラチャド,最高裁長官に任命される。 |
DIA-302-1978-02-22-2 | インド | 1978年02月22日 | 1970年代 | マイノリティ委員会議長に,M.R.マサニが任命される。 |
DIA-302-1978-02-22-3 | インド | 1978年02月22日 | 1970年代 | D.L.マンダル内務国務相,中央・州関係の手直し必要なしと語る。 |
DIA-302-1978-02-23-1 | インド | 1978年02月23日 | 1970年代 | イラン陸軍司令官G.オヴェイシー,インド訪問。 |
DIA-302-1978-02-23-2 | インド | 1978年02月23日 | 1970年代 | H.M.パテル蔵相は1977―78年度のエコノミック・サーベイを議会に提出した。 |
DIA-302-1978-02-24-1 | インド | 1978年02月24日 | 1970年代 | パジパイ外相,中印関係正常化は,領土問題解決なしにはありえないと語る。適当な時期に訪中を考えていると表明。 |
DIA-302-1978-02-24-2 | インド | 1978年02月24日 | 1970年代 | 政府はフリー・ライセンシング・スキームに基づくパーム・オイルの輸入自由化を発表した。 |
DIA-302-1978-02-24-3 | インド | 1978年02月24日 | 1970年代 | ファン・バン・ドン・ベトナム首相訪印―デサイ首相と会談。 |
DIA-302-1978-02-25-1 | インド | 1978年02月25日 | 1970年代 | 州議会選挙行なわれる―カルナタカ州,アンドラ・プラデシ州,マハラシトラ州,アッサム州,メガラヤ州とアルナチャル・プラデシ連邦直轄地。 |
DIA-302-1978-02-25-2 | インド | 1978年02月25日 | 1970年代 | インドはベトナムに対し,昨年の10万トンに加えて30万トンの小麦貸し付けに同意,また原子力平和利用についても協力を申し出た。 |
DIA-302-1978-02-26-1 | インド | 1978年02月26日 | 1970年代 | 州議会選挙結果 |
DIA-302-1978-02-26-2 | インド | 1978年02月26日 | 1970年代 | インド・ベトナム,①農業調査協定,②貿易・経済協力協定,③借款協定(インドはベトナムに1億ルピーの信用供与,鉄道資材,家畜などの輸入のため),④科学技術協定の4協定と文化交流計画に調印。 |
DIA-302-1978-02-26-3 | インド | 1978年02月26日 | 1970年代 | ボカロの3号高炉の火入れが26日行われた。ボカロの第1期工事(粗鋼170万トン)はこれで完了した。 |
DIA-302-1978-02-27-1 | インド | 1978年02月27日 | 1970年代 | B.レディ会議派総裁辞任。 |
DIA-302-1978-02-27-2 | インド | 1978年02月27日 | 1970年代 | 政府は製糖工業とさとうきび生産者救済のため,政府買上げの砂糖小売り価格をキロ当たり15パイサ引き上げ,2.30ルピーとすることに決定した。 |
DIA-302-1978-02-28-1 | インド | 1978年02月28日 | 1970年代 | ガンディー前首相は,近い将来国会議員に立候補するつもりはないと語る。 |
DIA-302-1978-02-28-2 | インド | 1978年02月28日 | 1970年代 | カルナタカ州,D.アルス(会議派(I))州首相に就任。 |
DIA-302-1978-02-28-3 | インド | 1978年02月28日 | 1970年代 | パテル蔵相は28日,1978―79年度予算を議会に提出。 |
DIA-302-1978-03-01-1 | インド | 1978年03月01日 | 1970年代 | V.P.ナイク,ガンディー前首相と会い両会議派の統一問題について話しあう。 |
DIA-302-1978-03-01-2 | インド | 1978年03月01日 | 1970年代 | ファリダバード労働争議激化。 |
DIA-302-1978-03-01-3 | インド | 1978年03月01日 | 1970年代 | 連邦消費税の引上げにより乗用車の価格が300ルピー上がる。 |
DIA-302-1978-03-03-1 | インド | 1978年03月03日 | 1970年代 | アフガニスタンのダウド大統領,2日間の公式訪問でデリー着。 |
DIA-302-1978-03-03-2 | インド | 1978年03月03日 | 1970年代 | インドはコンコルドの上空飛行を拒否。 |
DIA-302-1978-03-04-1 | インド | 1978年03月04日 | 1970年代 | インドはアフガニスタンに無利子で小麦5万トンを融資する。 |
DIA-302-1978-03-04-2 | インド | 1978年03月04日 | 1970年代 | 第6次計画草案,閣議に提出される。 |
DIA-302-1978-03-05-1 | インド | 1978年03月05日 | 1970年代 | 中央政府は海外で就業する熟練,半熟練,未熟練労働者の募集方法を規制するため,各省代表で構成する委員会を設置した。 |
DIA-302-1978-03-06-1 | インド | 1978年03月06日 | 1970年代 | アンドラ・プラデーシ州,チェンナ・レディー(会議派(I))州首相就任。 |
DIA-302-1978-03-06-2 | インド | 1978年03月06日 | 1970年代 | インドとソ連は両国の経済協力を拡大する協定書に調印した。ソ連はボカロ製鉄所の拡張,ビライ製鉄所の近代化に協力する。 |
DIA-302-1978-03-07-1 | インド | 1978年03月07日 | 1970年代 | 王炳南中国対外人民友好協会会長を団長とする代表団,2週間の訪印でデリー着。 |
DIA-302-1978-03-07-2 | インド | 1978年03月07日 | 1970年代 | 中央政府は今年度内にトロール漁船100隻の輸入を決定した。 |
DIA-302-1978-03-08-1 | インド | 1978年03月08日 | 1970年代 | マハラシトラ州,両会議派連立州政府発足,バサントラオ・パティル州首相(会議派),N.K.ティルプデ副州首相(会議派(I))。 |
DIA-302-1978-03-08-2 | インド | 1978年03月08日 | 1970年代 | 王炳南,バジパイ外相に対して中国外相からの訪中招待を伝える。バジパイ外相は原則的に受諾。 |
DIA-302-1978-03-08-3 | インド | 1978年03月08日 | 1970年代 | 外資系肥料会社の国有化問題で閣内の意見が分れている。 |
DIA-302-1978-03-09-1 | インド | 1978年03月09日 | 1970年代 | デサイ首相,シッキムの併合は誤りであったと述べる。 |
DIA-302-1978-03-09-2 | インド | 1978年03月09日 | 1970年代 | 電力供給カットによるアルミ不足に対処するため,中央政府は今後4ヵ月内に2万トンの地金を輸入することに決定した。 |
DIA-302-1978-03-10-1 | インド | 1978年03月10日 | 1970年代 | メガラヤ州,非会議派(APHLC,HSPDP,PDIC)連立州政府成立。プグ州首相。 |
DIA-302-1978-03-10-2 | インド | 1978年03月10日 | 1970年代 | 連邦上院の構成 会議派 72 会議派(I) 61 ジャナタ 41 CPI 11 AIADMK 10 CPM 5 DMK 3 ムスリム・リーグ 3 無所属 14 その他 5 |
DIA-302-1978-03-12-1 | インド | 1978年03月12日 | 1970年代 | アッサム州,ゴラプ・ボルボラを首班とするジャナタ党州政府成立。 |
DIA-302-1978-03-13-1 | インド | 1978年03月13日 | 1970年代 | シャー調査委員会,第1回中間報告書発表。 |
DIA-302-1978-03-13-2 | インド | 1978年03月13日 | 1970年代 | STCは輸入関税が120%から200%に引き上げられたのに伴い,輸入ポリエステル糸の価格をトン当たり500ルピー引き上げた。 |
DIA-302-1978-03-14-1 | インド | 1978年03月14日 | 1970年代 | アルナチャル・プラデシ連邦直轄地,P.K.トゥンゴンを主班とするジャナタ党州政府成立。 |
DIA-302-1978-03-15-1 | インド | 1978年03月15日 | 1970年代 | ビハール州政府,州公務員の26%を「後進カースト」に割当てると発表。これに関連して暴動拡大。 |
DIA-302-1978-03-15-2 | インド | 1978年03月15日 | 1970年代 | 朝鮮民主主義人民共和国副首席康良煜,訪印。 |
DIA-302-1978-03-15-3 | インド | 1978年03月15日 | 1970年代 | バジパイ外相,モリシャスから帰国。 |
DIA-302-1978-03-18-1 | インド | 1978年03月18日 | 1970年代 | 国家開発評議会開く,第6次5ヵ年計画について討議。 |
DIA-302-1978-03-19-1 | インド | 1978年03月19日 | 1970年代 | 国家開発評議会の小委員会は中央・州間の財源配分を検討することを決めた。第6次5ヵ年計画草案採択されず。 |
DIA-302-1978-03-20-1 | インド | 1978年03月20日 | 1970年代 | カンドラ自由貿易地域にWIMCOが5月までに工場建設をはじめることになり,この地域への外国進出企業の第1号となった。 |
DIA-302-1978-03-20-2 | インド | 1978年03月20日 | 1970年代 | 計画委員会副議長D.T.ラクダワラ,第6次計画の目標の一つは4900万人に仕事を与えることだと述べる。 |
DIA-302-1978-03-21-1 | インド | 1978年03月21日 | 1970年代 | 45大財閥の売上げと利益が4年間で60~70%増―シャンティ・ブシャン国務相は野党議員の質問に文書で回答,1972~75年の4年間の45大財閥の売り上げと利益の伸びについて公表した。 |
DIA-302-1978-03-22-1 | インド | 1978年03月22日 | 1970年代 | 南部のセメント工場は鉄道輸送が追いつかないため,深刻な石炭不足に陥っている。 |
DIA-302-1978-03-23-1 | インド | 1978年03月23日 | 1970年代 | デサイ首相,核拡散防止条約に調印を迫る米国の圧力に屈するよりも,タラプール原子力発電所を閉鎖する用意があることを表明。 |
DIA-302-1978-03-23-2 | インド | 1978年03月23日 | 1970年代 | チャラン・シン内相,MISA(国内治安維持法)撤廃の政府決定を発表。 |
DIA-302-1978-03-25-1 | インド | 1978年03月25日 | 1970年代 | インド・ネパール貿易・通過協定発効。 |
DIA-302-1978-03-25-2 | インド | 1978年03月25日 | 1970年代 | インドは1977年3月で終わる5年間にバングラデシュ,ブータン,ネパールへの贈与21億ルピーを含めて358.1億ルピーの援助を第3世界に供与した。 |
DIA-302-1978-03-26-1 | インド | 1978年03月26日 | 1970年代 | ブータンのワンチュク国王,訪印。 |
DIA-302-1978-03-28-1 | インド | 1978年03月28日 | 1970年代 | 中央政府は繊維・ジュート製品に対する輸出現金補助金の給付率の引き下げ,廃止を決定した。 |
DIA-302-1978-03-29-1 | インド | 1978年03月29日 | 1970年代 | 日印調査委員会,ニューデリーで開かれる。 |
DIA-302-1978-03-30-1 | インド | 1978年03月30日 | 1970年代 | 中央政府はセメントの生産刺激のため,電力料金を割り引くことに決定した。 |
DIA-302-1978-03-31-1 | インド | 1978年03月31日 | 1970年代 | CPI,第11回大会,バティンダで開く。 |
DIA-302-1978-03-31-2 | インド | 1978年03月31日 | 1970年代 | 政府は電子製品の輸出促進のため,電子部品の輸入をOGLによって行なうことを許可する。 |
DIA-302-1978-04-01-1 | インド | 1978年04月01日 | 1970年代 | ハリアナ,UP,ラジャスタン,MP州は中央政府に小麦の買上げ価格の引き上げを要求した。 |
DIA-302-1978-04-02-1 | インド | 1978年04月02日 | 1970年代 | CPI(M)第10回大会,ジャランダールで開かれる。4月8日まで。 |
DIA-302-1978-04-02-2 | インド | 1978年04月02日 | 1970年代 | ONGCは420kmの海底パイプ・ラインの敷設を完了―原油パイプ・ラインは直径30”で年間2000万トンの輸送能力。 |
DIA-302-1978-04-03-1 | インド | 1978年04月03日 | 1970年代 | 非公開のジャナタ党国会議員総会で,チャラン・シン内相,デサイ首相はチャンドラシェカル総裁を非難。 |
DIA-302-1978-04-03-2 | インド | 1978年04月03日 | 1970年代 | ハイデラバードで暴動,警官隊の発砲により9人死亡,軍隊が導入され外出禁止令が出される。 |
DIA-302-1978-04-03-3 | インド | 1978年04月03日 | 1970年代 | CPI指導者はCPI(M)の統一呼びかけを拒否。 |
DIA-302-1978-04-03-4 | インド | 1978年04月03日 | 1970年代 | モハン・ダリア商相は大幅に輸入を自由化した1978/79年度の輸出入政策を発表した。 |
DIA-302-1978-04-04-1 | インド | 1978年04月04日 | 1970年代 | CPI大会は「非常事態宣言」を支持するS.A.ダンゲ議長の路線を拒否。 |
DIA-302-1978-04-04-2 | インド | 1978年04月04日 | 1970年代 | バイラディラ鉄鉱山で暴動。 |
DIA-302-1978-04-05-1 | インド | 1978年04月05日 | 1970年代 | ジャナタ党,党内の対立を調整するための5人のトップ会談(チャンドラシェカル総裁,デサイ首相,バジパイ外相,シン内相,ラム国防相)。 |
DIA-302-1978-04-05-2 | インド | 1978年04月05日 | 1970年代 | カルナル連邦下院補欠選挙で,ジャナタ党のM.S.ラテルは会議派(I)に勝つ。 |
DIA-302-1978-04-05-3 | インド | 1978年04月05日 | 1970年代 | Tatas Exportsはイラン国鉄から6000万ルピーの鉄道レール部品を受注した。 |
DIA-302-1978-04-06-1 | インド | 1978年04月06日 | 1970年代 | エンジニアリング・プロジェクト・インディアはイラクの穀物サイロの建設を4.7億ルピーで受注した。 |
DIA-302-1978-04-07-1 | インド | 1978年04月07日 | 1970年代 | 政府は化学製品,加工商品などに対する輸出補助の廃止。自衣,陶器などの補助金率引き下げを決定した。 |
DIA-302-1978-04-08-1 | インド | 1978年04月08日 | 1970年代 | デサイ首相,ダンダカラニヤからの難民は戻らなければならないと述べた。 |
DIA-302-1978-04-08-2 | インド | 1978年04月08日 | 1970年代 | E.M.S.ナンブーディリパド,CPI(M)書記長に再選される。 |
DIA-302-1978-04-09-1 | インド | 1978年04月09日 | 1970年代 | S.A.ダンゲ,ラジェスワラ・ラオ各々,CPI議長,書記長に選出される。 |
DIA-302-1978-04-09-2 | インド | 1978年04月09日 | 1970年代 | タミル・ナドゥ州のディンディガル近くでデモ中の農民に警察が発砲,6人死亡。 |
DIA-302-1978-04-10-1 | インド | 1978年04月10日 | 1970年代 | ソ連最高会議議長A.P.シティコフ訪印。 |
DIA-302-1978-04-10-2 | インド | 1978年04月10日 | 1970年代 | パキスタンの外務顧問アガ・シャヒ,3日間の公式訪問でデリー着。バジパイ外相と会談。 |
DIA-302-1978-04-10-3 | インド | 1978年04月10日 | 1970年代 | 西ドイツのKWFはトロンベイのタター火力発電所に8500万ドイツ・マルクを融資することに決定した。 |
DIA-302-1978-04-12-1 | インド | 1978年04月12日 | 1970年代 | 中央政府は小麦の買上げ価格を前年よりも2.5ルピー高の112.50ルピー(キンタール当り)と決定した。 |
DIA-302-1978-04-12-2 | インド | 1978年04月12日 | 1970年代 | カルカッタの州政府庁舎を会議派(I)の活動家が襲撃。 |
DIA-302-1978-04-13-1 | インド | 1978年04月13日 | 1970年代 | U.P.州のパントナガル農科大学で農業労働者のデモに対して警官隊が発砲,100人近くが死んだと伝えられる。 |
DIA-302-1978-04-13-2 | インド | 1978年04月13日 | 1970年代 | アムリツァルで,スィク教徒とニランカリ派が衝突して17人殺される。 |
DIA-302-1978-04-14-1 | インド | 1978年04月14日 | 1970年代 | 1976年に「サマチャール」通信社として統合された4つの通信社(PTI,UNI,ヒンドゥスタン・サマチャール,サマチャール・バーラティ)が再び独立して再発足。 |
DIA-302-1978-04-14-2 | インド | 1978年04月14日 | 1970年代 | パキスタンとサラル・ダムについて合意成立,協定調印。 |
DIA-302-1978-04-14-3 | インド | 1978年04月14日 | 1970年代 | 政府はSwadeshi Cotton Millsの経営権を接収した。 |
DIA-302-1978-04-15-1 | インド | 1978年04月15日 | 1970年代 | ネパールのK.N.ビスタ首相,11日間の公式訪問でデリー着。 |
DIA-302-1978-04-15-2 | インド | 1978年04月15日 | 1970年代 | 原子力省の年次報告は,タラプールで建設していた使用済み核燃料再処理施設が稼動を開始し,プルトニウムの抽出が始まったことを明らかにした。 |
DIA-302-1978-04-15-3 | インド | 1978年04月15日 | 1970年代 | エンジニアリング輸出振興会は1977―78年度の輸出額が目標を下回ったことから78―79年度目標を72億ルピーと決めた。 |
DIA-302-1978-04-16-1 | インド | 1978年04月16日 | 1970年代 | オリッサ州の竜巻きで100人以上死亡。 |
DIA-302-1978-04-17-1 | インド | 1978年04月17日 | 1970年代 | デサイ首相は,ヒマラヤ山中の原子力電池付きの中国核実験探査装置は,インド政府最高首脳部と米政府との合意に基づいて設置されたことを明らかにした。 |
DIA-302-1978-04-18-1 | インド | 1978年04月18日 | 1970年代 | シリアのアーサード大統領,6日間の訪印でデリー着。 |
DIA-302-1978-04-18-2 | インド | 1978年04月18日 | 1970年代 | 金が10g,716ルピーの本年度新高値となった。 |
DIA-302-1978-04-19-1 | インド | 1978年04月19日 | 1970年代 | MISA廃止法,国会(下院)に提出される。 |
DIA-302-1978-04-20-1 | インド | 1978年04月20日 | 1970年代 | 米原子力規制委員会,対印濃縮ウラン輸出不許可を正式決定。 |
DIA-302-1978-04-20-2 | インド | 1978年04月20日 | 1970年代 | 本財政年度の肥料生産量はチッソ肥料250万トン,燐肥料80万トンと決定された。 |
DIA-302-1978-04-24-1 | インド | 1978年04月24日 | 1970年代 | デサイ首相,ウラン輸出禁止の米決定は契約違反であると述べる。 |
DIA-302-1978-04-25-1 | インド | 1978年04月25日 | 1970年代 | 本年度の穀物生産量は史上最高の1.25億トン―S.S.バルナラ農業相は本年度の穀物生産量は前年比1400万トン増の1億2500万トンであると下院で発表した。 |
DIA-302-1978-04-26-1 | インド | 1978年04月26日 | 1970年代 | 1977年の海外送金受け取り額は月平均16億ルピーで190億ルピーを上回ったもよう。 |
DIA-302-1978-04-27-1 | インド | 1978年04月27日 | 1970年代 | カーター大統領はインド向けウラン7.6トンの船積みを承認した。 |
DIA-302-1978-04-29-1 | インド | 1978年04月29日 | 1970年代 | チャラン・シン内相はジャナタ党中央議会理事会のメンバーを辞任。 |
DIA-302-1978-04-29-2 | インド | 1978年04月29日 | 1970年代 | 中国への外貨送金禁止が解除される。 |
DIA-302-1978-04-29-3 | インド | 1978年04月29日 | 1970年代 | 国営大企業のトップ7人が工業省と意見対立のため,辞表を提出したか,辞職を希望している。 |
DIA-302-1978-04-30-1 | インド | 1978年04月30日 | 1970年代 | 労働争議のため過去12ヵ月間に約1500工場が直接,間接の影響を受け,年平均200万日の労働日が失われた。ロックアウト件数は200。 |
DIA-302-1978-04-30-2 | インド | 1978年04月30日 | 1970年代 | インドはアフガニスタンのタラキ新政権を承認。ソ連に次いで2番目。 |
DIA-302-1978-05-01-1 | インド | 1978年05月01日 | 1970年代 | インドはアフガニスタン新政府に協力を約束。 |
DIA-302-1978-05-01-2 | インド | 1978年05月01日 | 1970年代 | 1977年4月~1978年1月の工業生産指数は前年同期比4.2%上昇。 |
DIA-302-1978-05-05-1 | インド | 1978年05月05日 | 1970年代 | サンジャイ・ガンディー,拘留される。保釈金の権限を1ヵ月間停止。 |
DIA-302-1978-05-06-1 | インド | 1978年05月06日 | 1970年代 | 政府は縫製品の下期輸出割当(78年7―12月)の50%をハンドルーム・ガーメントのために留保することを決定した。 |
DIA-302-1978-05-07-1 | インド | 1978年05月07日 | 1970年代 | 1978―79年度中に原油1500万トン,石油製品約300万トンを輸入する計画。 |
DIA-302-1978-05-08-1 | インド | 1978年05月08日 | 1970年代 | デビ・ラル・ハリアナ州首相,信任投票に勝つ。 |
DIA-302-1978-05-08-2 | インド | 1978年05月08日 | 1970年代 | U.P.州のアザムガル連邦下院補欠選挙,ソラオンとマナカプル両州議会補欠選挙で会議派(I)の立候補者当選。 |
DIA-302-1978-05-09-1 | インド | 1978年05月09日 | 1970年代 | カルテックスは最終的にHindustan Petroleum Corporationに併合された。 |
DIA-302-1978-05-11-1 | インド | 1978年05月11日 | 1970年代 | デサイ内閣に対する初めての不信任動議,下院で否決される。 |
DIA-302-1978-05-11-2 | インド | 1978年05月11日 | 1970年代 | ケララ州政府はビルラ財閥のグワリオール・レイヨン社のパルプ工場の経営権を接収した。同工場は労働争議のため,5ヵ月間操業中止しており,約2万人の従業員が失職していた。 |
DIA-302-1978-05-12-1 | インド | 1978年05月12日 | 1970年代 | カルナニディ前タミル・ナド州首相を有罪とするサルカリア調査委員会報告書,国会に提出される。 |
DIA-302-1978-05-13-1 | インド | 1978年05月13日 | 1970年代 | J.P.ナラヤンは,ジャナタ党に対して個人的野心による内紛をやめなければ,国民を裏切ることになろうと警告。 |
DIA-302-1978-05-13-2 | インド | 1978年05月13日 | 1970年代 | 所得政策に関するブータリンガム報告提出される。 |
DIA-302-1978-05-14-1 | インド | 1978年05月14日 | 1970年代 | ジョージ・フェルナンデス工業相,財閥を非難。 |
DIA-302-1978-05-15-1 | インド | 1978年05月15日 | 1970年代 | 第45次憲法改正案,下院に提出される。 |
DIA-302-1978-05-15-2 | インド | 1978年05月15日 | 1970年代 | シャー委員会の2つの中間報告書,下院に提出される。ガンディー前首相を権力乱用で責任を問うもの。 |
DIA-302-1978-05-16-1 | インド | 1978年05月16日 | 1970年代 | インドは,ハバナで開かれた非同盟諸国事務局会議で,キューバのアフリカにおける軍事介入を批判。 |
DIA-302-1978-05-16-2 | インド | 1978年05月16日 | 1970年代 | 政府は実需家による資本財24品目の輸入を自由化した。 |
DIA-302-1978-05-17-1 | インド | 1978年05月17日 | 1970年代 | チャンドラシェカル・ジャナタ党総裁は,党内にハリジャン,部族問題を扱う常設委員会を設けると言明。 |
DIA-302-1978-05-17-2 | インド | 1978年05月17日 | 1970年代 | フェルナンデス工業相は上院で,これ以上経営不振繊維工場のテイク・オーバーをしないことを示唆した。 |
DIA-302-1978-05-18-1 | インド | 1978年05月18日 | 1970年代 | 元最高裁判事P.K.ゴスワミを委員長とする第二次新聞問題委員会が設置される。 |
DIA-302-1978-05-19-1 | インド | 1978年05月19日 | 1970年代 | 中央政府は,経営不振に陥っている製薬会社Bengal Immunity Co.の経営権を接収した。 |
DIA-302-1978-05-20-1 | インド | 1978年05月20日 | 1970年代 | ミゾラム連邦直轄州議会選挙。 |
DIA-302-1978-05-20-2 | インド | 1978年05月20日 | 1970年代 | インド道路建設公社(IRCC)は,はじめてイラクとリビアで2.3億ルピーの事業を受注した。 |
DIA-302-1978-05-22-1 | インド | 1978年05月22日 | 1970年代 | J.ラム国防相,ソ連,東独,ユーゴ,英国訪問に出発。 |
DIA-302-1978-05-23-1 | インド | 1978年05月23日 | 1970年代 | 世界銀行はインドに対するプログラム援助の停止を決定した。プロジェクト援助は継続。 |
DIA-302-1978-05-24-1 | インド | 1978年05月24日 | 1970年代 | MMTCは1978―79年度の鉄鉱石輸出目標を1320万トンに決定した。 |
DIA-302-1978-05-27-1 | インド | 1978年05月27日 | 1970年代 | ケララ海岸沖での石油探査は1600mまでの掘削では炭化水素は発見できず,作業は一時中断された。 |
DIA-302-1978-05-27-2 | インド | 1978年05月27日 | 1970年代 | バジパイ外相,テヘランでシャーと話しあう。アフガニスタン問題が議題。 |
DIA-302-1978-05-27-3 | インド | 1978年05月27日 | 1970年代 | ガンディー前首相はJ.ラムが首相になれば会議派(I)は支持すると述べる。 |
DIA-302-1978-05-27-4 | インド | 1978年05月27日 | 1970年代 | 外国為替規制法のガイドライン内での営業困難を理由に,これまでに外国会社の10支店が撤退を決定した。1977年3月31日現在,482社がインドに支店を持っている。 |
DIA-302-1978-05-28-1 | インド | 1978年05月28日 | 1970年代 | UNCTADの報告書は13の公害業種を先進工業国からインドに移すことを勧告している。 |
DIA-302-1978-05-29-1 | インド | 1978年05月29日 | 1970年代 | イランから帰国したバジパイ外相は,アフガニスタンの政変は地域的不安定をもたらさないと語る。 |
DIA-302-1978-05-30-1 | インド | 1978年05月30日 | 1970年代 | ルーマニアのチャウシェスク大統領,中国からの帰途,デリーに立寄りデサイと会う。中国側の中印関係改善意志を伝える。 |
DIA-302-1978-05-30-2 | インド | 1978年05月30日 | 1970年代 | ミゾラム連邦直轄州選挙結果(当選者数)。 人民会議 23 ジャナタ党 1 会議派 4 無所属 2 計 30 |
DIA-302-1978-05-30-3 | インド | 1978年05月30日 | 1970年代 | CMCは700ヵ所のIBMの施設を6月1日から実質的に接収する。 |
DIA-302-1978-06-01-1 | インド | 1978年06月01日 | 1970年代 | 綿繊維輸出振興会(TEXPROCIL)はソ連と1.1億ドルにのぼる綿製品輸出協定を結んだ。 |
DIA-302-1978-06-02-1 | インド | 1978年06月02日 | 1970年代 | ミゾラム大統領直轄統治終了。人民会議のB.T.サイロ州政府成立。 |
DIA-302-1978-06-02-2 | インド | 1978年06月02日 | 1970年代 | ボンベイ港の混雑はさらにひどくなり,沖待ち日数は1ヵ月をこえている。 |
DIA-302-1978-06-04-1 | インド | 1978年06月04日 | 1970年代 | 西ベンガル州,パンチャヤット選挙。 |
DIA-302-1978-06-04-2 | インド | 1978年06月04日 | 1970年代 | R.N.ヤダヴU.P.州首相,信任される。 |
DIA-302-1978-06-05-1 | インド | 1978年06月05日 | 1970年代 | デサィ首相,イラン経由でベルギー訪問。 |
DIA-302-1978-06-05-2 | インド | 1978年06月05日 | 1970年代 | サンジャイ・ガンディー釈放される。 |
DIA-302-1978-06-05-3 | インド | 1978年06月05日 | 1970年代 | チャラン・シン内相はチャンドラシェカル・ジャナタ党総裁の辞任を要求。 |
DIA-302-1978-06-05-4 | インド | 1978年06月05日 | 1970年代 | 政府は,小規模工業に留保された分野への大企業グループ,外国企業の進出を認めないことを公言していたにもかかわらず,工業省がライセンスを出している例がいくつかでている。 |
DIA-302-1978-06-06-1 | インド | 1978年06月06日 | 1970年代 | デサイ首相,ECのジェンキンス委員長と会談。 |
DIA-302-1978-06-06-2 | インド | 1978年06月06日 | 1970年代 | 西ベンガル州のパンチャヤット選挙でCPI(M)が4分の3議席を得て圧勝。 |
DIA-302-1978-06-06-3 | インド | 1978年06月06日 | 1970年代 | デサイ首相,ロンドンでカラハン首相と会談。 |
DIA-302-1978-06-07-1 | インド | 1978年06月07日 | 1970年代 | トリプラ州のパンチャヤット選挙でもCPI(M)圧勝。 |
DIA-302-1978-06-08-1 | インド | 1978年06月08日 | 1970年代 | デサイ首相,訪米―ロンドンで,ソ連のアフリカへの軍事介入を非難。 |
DIA-302-1978-06-08-2 | インド | 1978年06月08日 | 1970年代 | 全インド製造業者団体は,統制制度を5~7年のうちにすべて撤廃することを主目標にすべきことを提言した。 |
DIA-302-1978-06-09-1 | インド | 1978年06月09日 | 1970年代 | デサイ首相,国連軍縮特別総会で演説,全世界が非核地帯宣言をすべきでであると提案。 |
DIA-302-1978-06-09-2 | インド | 1978年06月09日 | 1970年代 | カンボジャのイエン・サリ副首相は,デサイ首相,バジパイ外相を訪問。 |
DIA-302-1978-06-09-3 | インド | 1978年06月09日 | 1970年代 | フェルナンデス工業相の公約にもかかわらず,77件のライセンスが大企業グループに発給されている。 |
DIA-302-1978-06-09-4 | インド | 1978年06月09日 | 1970年代 | 対印債権国会議は1978―79年度分として23億ドルの援助を約束した。 |
DIA-302-1978-06-11-1 | インド | 1978年06月11日 | 1970年代 | ラージ・ナライン保健相は,チヤンドラシェカル・ジャナタ党総裁は正当な手続きで選ばれたものではないと非難。 |
DIA-302-1978-06-11-2 | インド | 1978年06月11日 | 1970年代 | ボンベイ・ハイのガス輸送が11日午前9時からスタートしたが,203kmはなれたウラン・ターミナルには16日に到着する。 |
DIA-302-1978-06-13-1 | インド | 1978年06月13日 | 1970年代 | ワシントンで米印首脳会談,アフガニスタンと核問題が話し合われたといわれる。 |
DIA-302-1978-06-13-2 | インド | 1978年06月13日 | 1970年代 | 政府はBritannia EngineeringとArthur Butlerの2社を国有化,合併してBharat Wagon and Engineering Company Limitedとすることを決定した。 |
DIA-302-1978-06-14-1 | インド | 1978年06月14日 | 1970年代 | フェルナンデス工業相は電力不足のため,本年度の生産の損失は400億ルピーになろうと語った。 |
DIA-302-1978-06-15-1 | インド | 1978年06月15日 | 1970年代 | 米印共同コミュニケ発表。 |
DIA-302-1978-06-17-1 | インド | 1978年06月17日 | 1970年代 | MP州のバスター・ディストリクトで富豊な埋量の銅とスズが発見された。 |
DIA-302-1978-06-18-1 | インド | 1978年06月18日 | 1970年代 | 1977/78年度のGNP成長率(1970/71年基準)はエコノミック・サーベイ推定の5%を上回る6%になりそう。 |
DIA-302-1978-06-20-1 | インド | 1978年06月20日 | 1970年代 | バジパイ外相は国連でパキスタンがCENTOを抜けるなら,インドはパの非同盟グループ入りを支持すると伝える。 |
DIA-302-1978-06-22-1 | インド | 1978年06月22日 | 1970年代 | ジャナタ党中央議会理事会は,チャンドラシェカル攻撃を続けるラージ・ナラインに釈明を求めた。 |
DIA-302-1978-06-22-2 | インド | 1978年06月22日 | 1970年代 | ターター製鉄会長のJ.R.D.ターターは鉄鋼価格の値上げを歓迎したが,健全な経営をするには十分な値上げでないと語った。 |
DIA-302-1978-06-23-1 | インド | 1978年06月23日 | 1970年代 | バジパイ外相は,ジャナタ指導部のラージ・ナライン非難を根拠にして,チャラン・シン内相が政府あるいは党を離れないよう説得した。 |
DIA-302-1978-06-24-1 | インド | 1978年06月24日 | 1970年代 | 政府は国内の天然ゴム不足のため,天然ゴムの輸出をただちに停止することを決定した。 |
DIA-302-1978-06-25-1 | インド | 1978年06月25日 | 1970年代 | デサイ首相は,党の規律に従わないならばラージ・ナラインが党を去るのは自由であると述べた。 |
DIA-302-1978-06-26-1 | インド | 1978年06月26日 | 1970年代 | ケララ州高裁はケララ州政府によるグワリオール・レイヨン社のパルプ部門の接収令に対して憲法違反であるとの判決を下した。 |
DIA-302-1978-06-27-1 | インド | 1978年06月27日 | 1970年代 | 工業省は60件(1900万トンの設備能力)のセメント工場新設を認可した。 |
DIA-302-1978-06-28-1 | インド | 1978年06月28日 | 1970年代 | チャラン・シン内相は,ガンディー前首相の即時逮捕と特別法延による裁判を要求。 |
DIA-302-1978-06-28-2 | インド | 1978年06月28日 | 1970年代 | しょうずく産業は1977/78年度に史上最高の生産,輸出を記録した。輸出額は4.6億ルピー。 |
DIA-302-1978-06-29-1 | インド | 1978年06月29日 | 1970年代 | 緊急閣議は,デサイ首相に対し,チャラン・シン内相,ラージ・ナライン保健相の二閣僚を辞任させることを決定。デサイは両閣僚に辞任を求める手紙を送る。 |
DIA-302-1978-06-30-1 | インド | 1978年06月30日 | 1970年代 | チャラン・シン内相ラージ・ナライン保健相と4人の閣外相辞任。 |
DIA-302-1978-06-30-2 | インド | 1978年06月30日 | 1970年代 | 全国でエンジニアリング会社91社が経営不振に陥っており,銀行負債は25.2億ルピーにのぼっている。 |
DIA-302-1978-07-01-1 | インド | 1978年07月01日 | 1970年代 | 大統領は,チャラン・シン内相とラージ・ナライン保健相の辞任を承認した。内相,保健相のポストはデサイ首相が兼務することになった。 |
DIA-302-1978-07-02-1 | インド | 1978年07月02日 | 1970年代 | バジパイ外相は,外相を辞任し,党のために全精力を尽したいと発表した。 |
DIA-302-1978-07-02-2 | インド | 1978年07月02日 | 1970年代 | ハリヤナ州,G.B.ナガル食糧供給相は,デビ・ラール州首相と対立して州政府から辞任した。 |
DIA-302-1978-07-03-1 | インド | 1978年07月03日 | 1970年代 | ジャナタ党中央議会理事会が開かれたが,ハリヤナ州政府内の対立について結論がでなかった。 |
DIA-302-1978-07-03-2 | インド | 1978年07月03日 | 1970年代 | 政府はTELCOに商業車の生産設備を相当拡張するように要請した。 |
DIA-302-1978-07-04-1 | インド | 1978年07月04日 | 1970年代 | ジャナタ党中央議会理事会は,ハリヤナ州のデビ・ラール州首相に辞任を求め,7日に新たな党州議会議員団団長を選出するよう指示した。これに対してラール州首相は,理事会の指示に従う必要はない,とのべた。 |
DIA-302-1978-07-04-2 | インド | 1978年07月04日 | 1970年代 | 政府は自由貿易地域(FTZ)の運営を円滑にするため,自由貿易地域法の制定を検討中である。 |
DIA-302-1978-07-04-3 | インド | 1978年07月04日 | 1970年代 | ボンベイ・ハイの石油・天然ガス生産予測。 |
DIA-302-1978-07-05-1 | インド | 1978年07月05日 | 1970年代 | チャラン・シン前内相は,解任されたことについて「カンティ・デサイ氏に対する汚職容疑調査のための委員会の設立を要求した点が,デサイ首相の反感をかったにちがいない」と語った。 |
DIA-302-1978-07-06-1 | インド | 1978年07月06日 | 1970年代 | 政府はバングラデシュ,ビルマ,ネパール以外への石炭の輸出を今財政年度中禁止した。 |
DIA-302-1978-07-06-2 | インド | 1978年07月06日 | 1970年代 | チャンドラシェカル・ジャナタ党総裁は,農民大会が中止され,7日のハリヤナ州議会議員総会も中止されたと発表した。 |
DIA-302-1978-07-07-1 | インド | 1978年07月07日 | 1970年代 | チャラン・シン前内相は,もし,党執行委が開かれる予定の10日までに現在の対立が解消されないならば,7月17日に農民集会を開く,と発表した。 |
DIA-302-1978-07-07-2 | インド | 1978年07月07日 | 1970年代 | 鉄道省は石炭輸送のボトルネック解消のため,貨車2000輌をふやすことを決定した。 |
DIA-302-1978-07-08-1 | インド | 1978年07月08日 | 1970年代 | チャラン・シン前内相は,17日予定の農民集会を中止した。 |
DIA-302-1978-07-08-2 | インド | 1978年07月08日 | 1970年代 | デサイ首相は,スリナガルで,「党の現在の危機は,政府の危機とはならない,チャラン・シン派に対して話し合いのためのイニシァティヴをとるつもりはない。攻撃しているのは,彼らであって自分ではない」とのべた。 |
DIA-302-1978-07-09-1 | インド | 1978年07月09日 | 1970年代 | デサイ首相は,ラダクのレーにて「和解工作をするのはいいが,自分に対してチャラン・シン,ラージ・ナラインの内閣復帰を求めるべきではない」とのべた。 |
DIA-302-1978-07-09-2 | インド | 1978年07月09日 | 1970年代 | ガンディー前首相は,9月9日に“インドを救え”の運動を始めるようよびかけた。 |
DIA-302-1978-07-09-3 | インド | 1978年07月09日 | 1970年代 | 民間企業242社の1977年の配当支払い額は前年より31%減少した。 |
DIA-302-1978-07-10-1 | インド | 1978年07月10日 | 1970年代 | ジャナタ党の,バジパイ,パトナイク,フェルナンデス,アドバニ,ダリヤの5閣僚が会合を持ち,デサイ首相とチャラン・シン内相間の妥協を実現するよう努力することになった。 |
DIA-302-1978-07-10-2 | インド | 1978年07月10日 | 1970年代 | 前デリー市長官のクリシュナチャンド自殺。非常事態体制期間に長官をつとめた人物であった。 |
DIA-302-1978-07-11-1 | インド | 1978年07月11日 | 1970年代 | 政府は,ガンディー前首相,サンジャイ・ガンディーその他の人々を,非常事態下での事件について告訴した。 |
DIA-302-1978-07-11-2 | インド | 1978年07月11日 | 1970年代 | ジャナタ党執行委員会は,チャラン・シン前内相が,党中央議会理事会と執行委員会からの辞任(4月28日)を撤回することを希望する旨の決議を行なった |
DIA-302-1978-07-11-3 | インド | 1978年07月11日 | 1970年代 | ギリディの雲母工場の長期ストライキのため1000万ルピー以上の輸出の損失となった。 |
DIA-302-1978-07-12-1 | インド | 1978年07月12日 | 1970年代 | マハーラーシュトラ州のパティル州政府(会議派と会議派(I)の連立)からシャラド・パワル工業相ら4閣僚が辞任した。 |
DIA-302-1978-07-12-2 | インド | 1978年07月12日 | 1970年代 | チャラン・シン前内相は,4月28日の党役員からの辞表を撤回した。 |
DIA-302-1978-07-12-3 | インド | 1978年07月12日 | 1970年代 | 政府は,大統領に対して「非常事態下でのゆきすぎから生じた犯罪を審理するための特別法廷を作ることについて最高裁の見解を求める」ように要請することを決定した。この問題は,ジャナタ党下院議員のジェトマラニが「ガンディー夫人その他を裁くための特別法廷を設置するための法案」を議会に出す予定であることから生じた。 |
DIA-302-1978-07-12-4 | インド | 1978年07月12日 | 1970年代 | タラプール原子力発電所への7.5トンの濃縮ウランの輸出が,米議会で事実上承認された。 |
DIA-302-1978-07-12-5 | インド | 1978年07月12日 | 1970年代 | インド・バングラデシュ合同河川委員会は,デリーでの会合を終えた。インドは,バングラデシュを経てガンジス,ブラーマプトラを結ぶ200マイルの水路とディハング,スバンスィリの2点でダム建設を提案したがバングラデシュはこれを訴け,かわりに,ガンジス,ブラーマプトラの上流の中国・ネパールの参加を提案したが,インドは,このような「国際化」に反対した。 |
DIA-302-1978-07-13-1 | インド | 1978年07月13日 | 1970年代 | インドとトルコは,経済・技術協力条約に調印した。 |
DIA-302-1978-07-13-2 | インド | 1978年07月13日 | 1970年代 | 政府はソーダ灰の品不足解消のため1.5万トンの輸入を決定した。 |
DIA-302-1978-07-14-1 | インド | 1978年07月14日 | 1970年代 | いなごによる被害がラジャスタン州からUP州に拡大してきた。 |
DIA-302-1978-07-14-2 | インド | 1978年07月14日 | 1970年代 | 会議派(インディラ派)はモンスーン国会で,汚職,多国籍企業からの圧力その他,チャラン・シン,ラージ・ナラインがとり上げた問題を利用して政府を追求するとの方針を定めた。 |
DIA-302-1978-07-17-1 | インド | 1978年07月17日 | 1970年代 | デサイ首相は自宅でチャラン・シン前内相と会談した。 |
DIA-302-1978-07-17-2 | インド | 1978年07月17日 | 1970年代 | マハーラーシュトラ州V.パティル州政府が辞任し,州知事は,会議派のシャラド・パワルに組閣を要請した。パワルは組閣について,ジャナタ党,農民労働者党,CPI・M,レパブリカン党両派,マハラシュトラ・ソシャリスト・コングレスの代表と話し合った。 |
DIA-302-1978-07-17-3 | インド | 1978年07月17日 | 1970年代 | リビヤ副大統領A.S.A.ジャッロウド訪印,デサイ首相と会談した。 |
DIA-302-1978-07-18-1 | インド | 1978年07月18日 | 1970年代 | マハーラーシュトラ州に,シャラド・パワル州政権が成立した。統一戦線(Progressive Democratic Front)によるもので,参加党は,会議派(パワル派),ジャナタ党,CPI・M,マハラーシュトラ・ソシャリスト・コングレス,レパブリカン党両派。 |
DIA-302-1978-07-18-2 | インド | 1978年07月18日 | 1970年代 | 準備銀行は第9回の金の最低競売価格を10g711ルピーに引き上げた。 |
DIA-302-1978-07-19-1 | インド | 1978年07月19日 | 1970年代 | 西ベンガル州首相ジョティ・バスはパトナで開かれた中央・州関係セミナーで,財政関係について憲法の洗い直しをもとめた。 |
DIA-302-1978-07-19-2 | インド | 1978年07月19日 | 1970年代 | 下院は,国内治案維持法廃止法案を満場一致で可決した。 |
DIA-302-1978-07-19-3 | インド | 1978年07月19日 | 1970年代 | デサイ首相は上院で,デサイ首相とチャラン・シン前内相の間で交された書簡を公表することを拒否した。 |
DIA-302-1978-07-19-4 | インド | 1978年07月19日 | 1970年代 | インドとリビヤは,工業,経済,科学,技術協力に関する条約に調印した。 |
DIA-302-1978-07-19-5 | インド | 1978年07月19日 | 1970年代 | エコノミック・タイムス紙の調査によれば,石炭不足のため全国的な工場操業度の低下,操業停止が生じている。 |
DIA-302-1978-07-20-1 | インド | 1978年07月20日 | 1970年代 | 中央政府はIndian Aluminium Co.(カナダのアルキャン社の子会社)の圧廷設備などの拡張を承認した。 |
DIA-302-1978-07-21-1 | インド | 1978年07月21日 | 1970年代 | ジャナタ党の国会議員団総会で,党役員選挙は1979年5月1日まで延期されることになった。 |
DIA-302-1978-07-21-2 | インド | 1978年07月21日 | 1970年代 | バジパイ外相は下院で「カラコルム・ハイウエイは非合法であり,この地域に深刻な戦略的意味を持つ。この問題を,中国を訪問した時に中国側と話し合うつもりだ」とのべた。 |
DIA-302-1978-07-22-1 | インド | 1978年07月22日 | 1970年代 | バジパイ外相は,ステーツマン紙との会見で,「訪中が,中印の対立を解決する方向に役立つことを希望する,関係正常化は,国境問題を含めて中印の懸案の対立点が解決された時に実現するものだ。我々は,中国指導者が国境対立を平和的に話し合いで解決しようと主張していることをよろこぶ」など,語った。 |
DIA-302-1978-07-22-2 | インド | 1978年07月22日 | 1970年代 | 西ベンガル州ブルドワンのダンダカラニヤ難民キヤンプで暴動が発生し,警官1人が殺され,20人が負傷した。事件は,難民をダンダカラニヤに送還するためにトラックに乗せようとした時に発生した。 |
DIA-302-1978-07-23-1 | インド | 1978年07月23日 | 1970年代 | バジパイ外相は,ベルグラードの非同盟会議に出席のため出発した。 |
DIA-302-1978-07-24-1 | インド | 1978年07月24日 | 1970年代 | UP,ラージャスタン,MP,ビハール,パンジャーブ州に洪水が広がる。 |
DIA-302-1978-07-24-2 | インド | 1978年07月24日 | 1970年代 | スズラマニアム・スワミ(ジャナタ党下院議員)は,バジパイ外相の訪中に先立ち,9月25日に中国を訪れる予定であることを明かにした。 |
DIA-302-1978-07-24-3 | インド | 1978年07月24日 | 1970年代 | 上院は,デサイとチャラン・シン書簡の扱いをR.ジャティ上院議長に委ねることで与野党が一致した。 |
DIA-302-1978-07-24-4 | インド | 1978年07月24日 | 1970年代 | ガンディー前首相が,カルナタカのチクマガルルの補欠選挙で下院に復帰するのではないかとの観測がなされている。 |
DIA-302-1978-07-24-5 | インド | 1978年07月24日 | 1970年代 | CPI・M,はマハラーシュトラ州パワル政府に参加せず州議会の与党統一戦線にも加わらないことを決めた。ただし州政府は支持する。 |
DIA-302-1978-07-24-6 | インド | 1978年07月24日 | 1970年代 | 独占・制限取引行為委員会(MRTPC)はマイソール・セメントが特定のストッキストにセメントを出荷していることに対して警告を発した。 |
DIA-302-1978-07-25-1 | インド | 1978年07月25日 | 1970年代 | 中央政府は食用油の不足時に輸入した落花生油14,500トンを再輸出することを決定した。 |
DIA-302-1978-07-26-1 | インド | 1978年07月26日 | 1970年代 | バジパイ外相はベルグラードの非同盟会議で演説し,非同盟諸国間の対立は当時国間の話し合いで平和的に解決されるべきだとのべた。キューバ軍のアフリカ侵攻,仏とベルギーのザイール駐留には直接ふれなかった。 |
DIA-302-1978-07-26-2 | インド | 1978年07月26日 | 1970年代 | デサイ首相は下院で,「核爆発を否定した自分の発言は,建設的目的に限定された核爆発を含むものではない」とのべ核爆発実験の可能性を示唆した。また「ポカランでの核実験がすべてのトラブルのもとである,実験の目的は政治的なものだけであった」とのべた。 |
DIA-302-1978-07-27-1 | インド | 1978年07月27日 | 1970年代 | ジャティ上院議長は,デサイ・シン書簡について,「上院議長執務室の机上で各党代表に閲覧させる」ことを政府に提言し,政府はこれを了承した。 |
DIA-302-1978-07-27-2 | インド | 1978年07月27日 | 1970年代 | マハーラーシュトラ州のオランガバード市で,暴動が発生し,マラトワダ県各地に広がった。暴動は,州議会がマラトワダ大学をアンベドカル大学と改称する決定を下したとの報道が伝わったことから学生らが反撥し,拡大していった。 |
DIA-302-1978-07-27-3 | インド | 1978年07月27日 | 1970年代 | タミル・ナドゥ州のヴィルップラム村では24日からハリジャンとカースト・ヒンドゥーが対立し,12人が死亡した。 |
DIA-302-1978-07-27-4 | インド | 1978年07月27日 | 1970年代 | インドとアメリカは関税譲許に関する協定に合意し,ジュート,雲母などの輸入関税が引き下げられることになった。 |
DIA-302-1978-07-28-1 | インド | 1978年07月28日 | 1970年代 | デサイ・シン書簡が新聞に記載された。書簡は3月11日からチャラン・シンが内相を辞任した時までの6通で,この中でデサイは,チャラン・シンの妻と女婿による汚職の疑いにふれている。 |
DIA-302-1978-07-28-2 | インド | 1978年07月28日 | 1970年代 | マラトワダ県の暴動は激化。 |
DIA-302-1978-07-28-3 | インド | 1978年07月28日 | 1970年代 | 中央政府はマハラシュトラ州コルバ・ディストリクトのThal-Vaishetにボンベイ・ハイの天然ガスを原料とする大型チッソ肥料工場を建設することを決定した。 |
DIA-302-1978-07-29-1 | インド | 1978年07月29日 | 1970年代 | デサイ首相とチャラン・シン前内相は80分間にわたって話し合ったが,歩み寄りは全くみられなかった。 |
DIA-302-1978-07-30-1 | インド | 1978年07月30日 | 1970年代 | チャラン・シン前内相は,29日のデサイとの会談から何もうまれなかった,とのべた。 |
DIA-302-1978-07-31-1 | インド | 1978年07月31日 | 1970年代 | デサイ首相は,H.D.N.ヤーダヴ(ビハール州出身,ジャナタ党国会議員)からの質問状に答えて,「カンティへの攻撃は自分への間接攻撃だ,しかし今のところカンティへの汚職容疑は証明されていない」とのべた。 |
DIA-302-1978-07-31-2 | インド | 1978年07月31日 | 1970年代 | 1977年の労働争議による労働日の損失は2121万人日で前年の1147万人日に比べて激増している。 |
DIA-302-1978-08-01-1 | インド | 1978年08月01日 | 1970年代 | 大統領は,最高裁に対し,非常事態下で犯された犯罪に関して政治・行政上の高い地位にいた人々を調べるために特別法廷を設置するための法律を制定することについての憲法上の意見を求めた。 |
DIA-302-1978-08-01-2 | インド | 1978年08月01日 | 1970年代 | 上院で野党は,カンティ・デサイその他の汚職容疑調査委員会設立と,デサイ・シン書簡のリリースを要求した。 |
DIA-302-1978-08-01-3 | インド | 1978年08月01日 | 1970年代 | H.M.パテル蔵相は外国会社が利益送金分を高度の技術を要する産業に再投資する場合には外国為替管理法の規定よりも高い持分を認めることを示唆した。 |
DIA-302-1978-08-02-1 | インド | 1978年08月02日 | 1970年代 | バンス米国務長官は,スエーデンの戦闘機ビゲンのインドへの売却を認めない,とのべた。理由はビゲンがアメリカ製のエンジンを用いているためである。 |
DIA-302-1978-08-03-1 | インド | 1978年08月03日 | 1970年代 | 下院は,シャー委員会報告を討議し,議員の一部はガンディー前首相の弾劾を要求した。 |
DIA-302-1978-08-03-2 | インド | 1978年08月03日 | 1970年代 | マハーラーシュトラ州で,マラトワダ大学問題での抗議行動が激化し,プールナでは2人が死亡した。 |
DIA-302-1978-08-04-1 | インド | 1978年08月04日 | 1970年代 | ジャナタ党内紛を妥開するためにフェルナンデス工業相,バジパイ外相が独自にデサイ首相と会ったが,首相は調停を拒否した。 |
DIA-302-1978-08-04-2 | インド | 1978年08月04日 | 1970年代 | 最高裁は,特別法廷に関する大統領のレファランスについで9月11日から審議することにならた。一方,R.ジェトマラニ(ジャナタ党)により特別法廷設置のための法案が国会に提出された。 |
DIA-302-1978-08-04-3 | インド | 1978年08月04日 | 1970年代 | BHEが製作したインド最初の200MWの発電機が5日からオブラ発電所で運転を開始する。 |
DIA-302-1978-08-05-1 | インド | 1978年08月05日 | 1970年代 | マハーラーシュトラ州マラトワダ大学をめぐる暴動が激化し,ナーグプル市では警察との衝突で4人が死亡,13人が負傷した。 |
DIA-302-1978-08-05-2 | インド | 1978年08月05日 | 1970年代 | CPI・M政治局は,声明で,デサイ首相の個人主義的な行動がジャナタ党に大損害を及ぼした,ジャナタ党は国民の信任を裏切った,と非難した。 |
DIA-302-1978-08-06-1 | インド | 1978年08月06日 | 1970年代 | 中央政府はセメント150万トンの追加輸入を決定した。 |
DIA-302-1978-08-07-1 | インド | 1978年08月07日 | 1970年代 | 両院に,デサイ・シン書簡が提出された。 |
DIA-302-1978-08-07-2 | インド | 1978年08月07日 | 1970年代 | 第45次憲法改正法案が下院に出された。法案は,憲法の基本構造,基本権にふれる改正には国民投票を用いる,予防拘禁権を持たせる等の改正点が含まれている。 |
DIA-302-1978-08-07-3 | インド | 1978年08月07日 | 1970年代 | 上院は,プレス・コンシル法案を可決した。 |
DIA-302-1978-08-07-4 | インド | 1978年08月07日 | 1970年代 | R.ナライン前保健相は,10月にデリーで全インド農民会議の集会を開く予定であると発表した。 |
DIA-302-1978-08-08-1 | インド | 1978年08月08日 | 1970年代 | デサイ首相は,コミュナル暴動の拡大を押える方法について野党リーダーと会談した。 |
DIA-302-1978-08-08-2 | インド | 1978年08月08日 | 1970年代 | 中国に鉄鉱石3.2万トンを試験輸出のため,マドラス港で中国船に積込み中。 |
DIA-302-1978-08-08-3 | インド | 1978年08月08日 | 1970年代 | FICCIの代表団は10日間の中国訪問のため8日北京入りした。 |
DIA-302-1978-08-08-4 | インド | 1978年08月08日 | 1970年代 | デサイ首相は,下院で「中央政府はカンジャワラ村のハリジャンに割り当てられた土地は完全に保護するつもりだ」とのべた。カンジャワラ村のカースト・ヒンドゥーは,ハリジャンに割り当てられた土地をとり戻そうと工作している。 |
DIA-302-1978-08-09-1 | インド | 1978年08月09日 | 1970年代 | デサイ首相は下院で,インドはタラプール発電所の使用済燃料貯蔵問題をアメリカと話し合っている,とのべた。 |
DIA-302-1978-08-09-2 | インド | 1978年08月09日 | 1970年代 | ガンディー前首相による“インドを救おう”集会が開かれた。前首相は,デリーのボートクラブの集会で,ジャナタ党・政府を強く非難した。集会は豪雨のため盛り上らなかった。 |
DIA-302-1978-08-09-3 | インド | 1978年08月09日 | 1970年代 | ジャナタ党は,党国会議員に対して,汚職容疑問題について会議派(I)による動議が出された際は,政府を支持するよう指令を出した。 |
DIA-302-1978-08-10-1 | インド | 1978年08月10日 | 1970年代 | 上院は,政府に対して,デサイ首相の家族とガンディー前首相の家族に対する汚職容疑について上院委員会のガイドラインに従うか,もしくは,直ちに容疑調査のための2委員会を任命することを要求した。 |
DIA-302-1978-08-10-2 | インド | 1978年08月10日 | 1970年代 | チャラン・シン前内相は,9日の党指令に非常に不満である,との声明を出した。 |
DIA-302-1978-08-10-3 | インド | 1978年08月10日 | 1970年代 | 政府は8月16日から砂糖の価格,移動に関する統制を撤廃すると発表した。 |
DIA-302-1978-08-12-1 | インド | 1978年08月12日 | 1970年代 | 国内生産が増加しているにもかかわらず,それを上回る需要増のため,1978―79年中に190万トンの肥料輸入が必要なものと予想されている。 |
DIA-302-1978-08-13-1 | インド | 1978年08月13日 | 1970年代 | バジパイ外相は,日本,韓国訪問に出発。 |
DIA-302-1978-08-13-2 | インド | 1978年08月13日 | 1970年代 | 会議派スワラン・シン総裁は,すべての会議派員の合体に反対しない,とのべた。 |
DIA-302-1978-08-13-3 | インド | 1978年08月13日 | 1970年代 | デリー近郊のカンジャワラ村の農民約5000人がデサイ首相邸にデモを行ない,警察とこぜりあいになった。 |
DIA-302-1978-08-14-1 | インド | 1978年08月14日 | 1970年代 | レディ大統領は,独立記念日前夜の全国放送で,国内の「不和」に厳しい口調で警告を発した。 |
DIA-302-1978-08-14-2 | インド | 1978年08月14日 | 1970年代 | バジパイ外相,東京に。 |
DIA-302-1978-08-14-3 | インド | 1978年08月14日 | 1970年代 | 訪印中のラムソドルフ西独経済相はインド政府が外国為替管理法を弾力的に運用することを約束した,と記者会見で述べた。 |
DIA-302-1978-08-15-1 | インド | 1978年08月15日 | 1970年代 | ジャナタ党のM.リマエ書記長は,デサイ首相に書簡を送り,その中で,カンティ・デサイが,父の地位を利用して選挙運動費として800万ルピーを集めたことをただした。 |
DIA-302-1978-08-16-1 | インド | 1978年08月16日 | 1970年代 | 訪日中のバジパイ外相は,福田首相,園田外相と会談した。両外相は声明に調印した。 |
DIA-302-1978-08-16-2 | インド | 1978年08月16日 | 1970年代 | ルピーはポンドに対して1.27%切り下げられ,ミドル・レートは15.55ルピーから15.75ルピーとなった。 |
DIA-302-1978-08-17-1 | インド | 1978年08月17日 | 1970年代 | 緊急非公式閣議が持たれ,出席した閣僚の多くは,デサイ首相とチャラン・シン前内相の和解を希望した。またチャラン・シンを党総裁にする提案も出された。これに従って,夕刻,デサイ・シン会談が持たれたが,成果は上らなかった。 |
DIA-302-1978-08-17-2 | インド | 1978年08月17日 | 1970年代 | バジパイ外相は韓国を訪れた。朴大統領と会談。 |
DIA-302-1978-08-17-3 | インド | 1978年08月17日 | 1970年代 | 1978年4―7月の工業生産増率は推定7%。 |
DIA-302-1978-08-18-1 | インド | 1978年08月18日 | 1970年代 | 両会議派指導者は,会議派(I)のD.アルスの催した夕食会に出席した。 |
DIA-302-1978-08-18-2 | インド | 1978年08月18日 | 1970年代 | 中央政府はgold jewellery export replenishment schemeのため金の輸入をステイト・バンク・オブ・インディアを通じて行なうことを決定した。 |
DIA-302-1978-08-20-1 | インド | 1978年08月20日 | 1970年代 | 中央政府は1979会計年度のボーナスを8.35%と決定した。 |
DIA-302-1978-08-20-2 | インド | 1978年08月20日 | 1970年代 | 中央政府は本年度の食糧穀物生産量を1.26億トンと設定した。 |
DIA-302-1978-08-21-1 | インド | 1978年08月21日 | 1970年代 | 国家開発評議会(NDC)で州首相は,州への財源シェアの拡大を希望した。NDCは,作業グループを作り,税収のシェアに関して州が出した各案を検討することになった。 |
DIA-302-1978-08-21-2 | インド | 1978年08月21日 | 1970年代 | 中央政府はポリエステル繊維工業の輸出義務を解除した。 |
DIA-302-1978-08-23-1 | インド | 1978年08月23日 | 1970年代 | 下院は,第45次憲法改正案(改めて第44次改正案となった)を可決した。 |
DIA-302-1978-08-24-1 | インド | 1978年08月24日 | 1970年代 | Indian Oxygen社は外国の持分を66%から40%に引き下げる。 |
DIA-302-1978-08-25-1 | インド | 1978年08月25日 | 1970年代 | J.ラーム国防相の息子スレシ・クマールに関するスキャンダル事件(8月20日)でジャナタ党活動家が2人逮捕された。 |
DIA-302-1978-08-26-1 | インド | 1978年08月26日 | 1970年代 | アメリカの対印援助が7年間のブランクの後再開され,米印は6000万ドル援助協定に調印した。かんがい計画,抗マラリヤ薬品輸入,農村近代化にあてられる予定である。 |
DIA-302-1978-08-27-1 | インド | 1978年08月27日 | 1970年代 | ビサカパトナム造船所地区とマラクプラムで,海軍兵士と民間人が26日夜から衝突事件をおこし,4人が死亡した。 |
DIA-302-1978-08-27-2 | インド | 1978年08月27日 | 1970年代 | カンジャワラ村で,パンジャーブ,ハリヤナ,UP,ラージャスタン州の農民による集会が開かれ,ハリジャンに与えられた土地の返却を要求した。 |
DIA-302-1978-08-27-3 | インド | 1978年08月27日 | 1970年代 | シャー委員会の最終報告書が出された。 |
DIA-302-1978-08-27-4 | インド | 1978年08月27日 | 1970年代 | 政府は国内石油温存のため,今後4年間輸入を現在の量よりもふやすことを決定した。 |
DIA-302-1978-08-27-5 | インド | 1978年08月27日 | 1970年代 | サルチャール委員会は1969年のMRTP法の大改正は勧告せず,産業界から強い要請のあった適用対象の2億ルピーから5億ルピーへの引き上げも取り上げなかった。 |
DIA-302-1978-08-28-1 | インド | 1978年08月28日 | 1970年代 | J.ラーム国防相は,デリーにおける講演会で,「特権階級からの逆襲が始まっている。彼らは高い地位を利用して力を行使している」とのべた。 |
DIA-302-1978-08-29-1 | インド | 1978年08月29日 | 1970年代 | ジャティ上院議長は,汚職調査委員会を設立せよとの野党要求を拒否した。 |
DIA-302-1978-08-29-2 | インド | 1978年08月29日 | 1970年代 | 閣議はコークス炭100万トンの輸入を承認した。 |
DIA-302-1978-08-30-1 | インド | 1978年08月30日 | 1970年代 | 労使関係法案が下院に提出された。 |
DIA-302-1978-08-31-1 | インド | 1978年08月31日 | 1970年代 | 下院は,プレス・コンシル法案を可決した。 |
DIA-302-1978-08-31-2 | インド | 1978年08月31日 | 1970年代 | 政府は,シャー委員会報告を承認し,メモランダムを付して下院に提出した。 |
DIA-302-1978-08-31-3 | インド | 1978年08月31日 | 1970年代 | 上院は,第45次憲法改正法案を,国民投票の条項などに修正を加えて可決した。 |
DIA-302-1978-08-31-4 | インド | 1978年08月31日 | 1970年代 | ケニヤッタ大統領葬儀に参列するためナイロビを訪れたデサイ首相は,パキスタンのジアウル・ハクと会談した。 |
DIA-302-1978-08-31-5 | インド | 1978年08月31日 | 1970年代 | 外国為替管理法の対象外資会社877社のうち52社が営業をやめ,162社が持分を引き下げた。 |
DIA-302-1978-09-01-1 | インド | 1978年09月01日 | 1970年代 | スブラマニアム・スワミ(ジャナタ党下院議員)は中国の招きで北京を訪問した。 |
DIA-302-1978-09-01-2 | インド | 1978年09月01日 | 1970年代 | インドはアルジェリアと技術協力協定を締結した。 |
DIA-302-1978-09-03-1 | インド | 1978年09月03日 | 1970年代 | ジャナタ党執行委員会(3日,4日)が開かれ,組織問題,党規律問題が討議された。 |
DIA-302-1978-09-03-2 | インド | 1978年09月03日 | 1970年代 | ハイデラバード市で暴動が再発し,36人が負傷した。 |
DIA-302-1978-09-04-1 | インド | 1978年09月04日 | 1970年代 | レッディ大統領はマドラスで「カマラージは,彼の名を汚すような息子や女婿を幸いにも持たなかった。」と語った。 |
DIA-302-1978-09-04-2 | インド | 1978年09月04日 | 1970年代 | ジャナタ党全国執行委員会は,同委員会の性格を最高政策決定機関と定め,全国評議会により比例代表制を用いて選出されるものと規定した。また,党規律委員会の設立が決定された。 |
DIA-302-1978-09-04-3 | インド | 1978年09月04日 | 1970年代 | インド生命保険公社(LIC)の1977―78年度の収入は101.7億ルピーとなり,はじめて100億台に乗った。 |
DIA-302-1978-09-05-1 | インド | 1978年09月05日 | 1970年代 | 北インドの洪水は拡大し,被害は,ハリヤナ,デリー,UP,ビハールに広がった。デサイ首相は,空からデリーの被害状況を視察した。 |
DIA-302-1978-09-06-1 | インド | 1978年09月06日 | 1970年代 | 1978―79年4―7月の輸出は163.4億ルピーで前年同期比9.7%の減となった。 |
DIA-302-1978-09-07-1 | インド | 1978年09月07日 | 1970年代 | 北インドの洪水被害状況は,農業かんがい省の推計によれば,死者900人,家畜3900頭,作物9億1000万ルピー,4万6166村(人口3243万人)の878万ヘクタールが冠水,60万戸が流失,公共財産の被害は2250万ルピーとなった。同省は,救済として小麦52500トン,米5000トンの計57500トンを放出した。 |
DIA-302-1978-09-07-2 | インド | 1978年09月07日 | 1970年代 | インドはパキスタンに5270トンの種小麦を輸出することで合意した。 |
DIA-302-1978-09-07-3 | インド | 1978年09月07日 | 1970年代 | 茶輸出税をキロ当り5ルピーから2ルピーに引き下げた。 |
DIA-302-1978-09-08-1 | インド | 1978年09月08日 | 1970年代 | レッディ大統領は,プレス・コンシル法に承認を与えた。 |
DIA-302-1978-09-08-2 | インド | 1978年09月08日 | 1970年代 | 1977年にはじまる会計年度について,純益がない場合でも最低ボーナス8.33%を支払うようにとの大統領令が出された。 |
DIA-302-1978-09-09-1 | インド | 1978年09月09日 | 1970年代 | インドは,河川利用について,ガンジス河の干期の水の分配計画の調査にネパールを参加させようとのバングラデシュの提案を拒否した。 |
DIA-302-1978-09-09-2 | インド | 1978年09月09日 | 1970年代 | 金は10g768ルピーの史上最高値を記録した。 |
DIA-302-1978-09-09-3 | インド | 1978年09月09日 | 1970年代 | 独禁法26条に基づいて登録している会社,いわゆるMRTP会社数は1046社である。 |
DIA-302-1978-09-09-4 | インド | 1978年09月09日 | 1970年代 | アメリカとインドは,インドの繊維製品輸出について,ハンドルーム布の枠を若干広げることで妥協した。 |
DIA-302-1978-09-10-1 | インド | 1978年09月10日 | 1970年代 | バジパイ外相は,7日間の予定でソ連訪問に出発した。出発前の空港での記者会見で外相は,印ソ関係はインドの対外関係の重要なファクターである,今回のソ連との会談で両国関係がさらに強まることを望む,訪中についてソ連と話し合うだろう,など語った。外相は訪ソ後,カーブルに寄り,9月20日に帰国の予定。 |
DIA-302-1978-09-10-2 | インド | 1978年09月10日 | 1970年代 | クンドゥ外務担当国務相,西アフリカ5ヵ国(エチオピア,ザイール,ガーナ,リベリア,セネガル)歴訪のため,ナイロビにむけて出発した。 |
DIA-302-1978-09-11-1 | インド | 1978年09月11日 | 1970年代 | 原子力局の技術者によれば,トロンベイのプルトニウム実験プラントは,放射能漏れがみつかったため過去4年間,動いていない。 |
DIA-302-1978-09-11-2 | インド | 1978年09月11日 | 1970年代 | バジパイ外相,モスクワに到着。グロムイコ外相が空港に出迎えた。 |
DIA-302-1978-09-11-3 | インド | 1978年09月11日 | 1970年代 | 工業省は国内プロジェクトへの設備・機器の納入がおくれる悪質企業15社をブラックリストにのせた。 |
DIA-302-1978-09-12-1 | インド | 1978年09月12日 | 1970年代 | 印ソ外相会談―バジパイ外相はグロムイコ外相と1時間半にわたり会談し,インドの対中国その他近隣諸国との関係,インド亜大陸問題などを話しあった。バジパイ外相は,インドが中国との関係正常化を希望していることを説明した。グロムイコ外相は,中国の内外政策を厳しく批判した。バジパイ外相は午後,コスイギン首相を訪問した。 |
DIA-302-1978-09-12-2 | インド | 1978年09月12日 | 1970年代 | 外務省スポークスマンは,中国を訪れているスブラマニアム・スワミ(ジャナタ党,下院議員)の発言,観測は,インド政府の見解を示すものではない,と発表した。 |
DIA-302-1978-09-12-3 | インド | 1978年09月12日 | 1970年代 | 政府は落花生,大豆,サンフラワーの支持価格をキンタール当り115ルピーに引き上げた。 |
DIA-302-1978-09-13-1 | インド | 1978年09月13日 | 1970年代 | デリーで,カンジャワラ事件に関する全インド農民闘争会議による集会が開かれた。 |
DIA-302-1978-09-13-2 | インド | 1978年09月13日 | 1970年代 | バジパイ外相,ブレジネフ書記長と会談―バジパイ外相は,インドと他の国々とのいかなる関係改善もソ連との友好を犠牲にしないと説明,また,日中条約について,条約は不安定に導くものであってはならないとのべた。ブレジネフ書記長は,デサイ首相による再度の訪印要請をうけいれた。 |
DIA-302-1978-09-13-3 | インド | 1978年09月13日 | 1970年代 | ゴア・ダマン・ディヴ連邦直轄州議会で,州政府法案が否決された。与党議員2名が反対票を投じたため。 |
DIA-302-1978-09-14-1 | インド | 1978年09月14日 | 1970年代 | バジパイ外相はモスクワで記者会見を行ない,中印関係と,予定されている外相の訪中にふれ,インドはすべての隣国との関係改善に努力してきたこと,また,中印間には国境問題があり,インドはこれを平和5原則にもとづいて解決されることを望んでいること,インドはソ連のような頼れる友人との友情を犠牲にしていかなる国とも関係を正常化することはないと約束したことなど説明した。また,ブレジネフ訪印がこの冬に実現するだろうとのべた。 |
DIA-302-1978-09-15-1 | インド | 1978年09月15日 | 1970年代 | 陸軍は国産戦車ビジャヤンタをソ連製のT72にかえていく方針である。T72購入の契約はJ.ラームが2ヵ月前に訪ソした時に結ばれた。 |
DIA-302-1978-09-15-2 | インド | 1978年09月15日 | 1970年代 | J.ラーム国防相,レディ大統領を訪れて会談。 |
DIA-302-1978-09-15-3 | インド | 1978年09月15日 | 1970年代 | スブラマニアム・スワミ(ジャナタ党下院議員)は2週間の中国訪問を終え帰国し,中国はバジパイの訪中の時にインドと国境問題を解決する用意がある,解決は我々の折衝能力にかかっている,とのべた。 |
DIA-302-1978-09-15-4 | インド | 1978年09月15日 | 1970年代 | 農産物価格委員会は1978―79年度の米の買上げ価格をキンタール当り82ルピー,雑穀を78ルピーと決定した。米は前年比5ルピー,雑穀は4ルピー引き上げられた。 |
DIA-302-1978-09-16-1 | インド | 1978年09月16日 | 1970年代 | 政府は,S.スワミの訪中報告(中国はインドとの国境問題解決の用意があるとの印象をうけた)を楽観的すぎると考えている。 |
DIA-302-1978-09-16-2 | インド | 1978年09月16日 | 1970年代 | ガンディー前首相はレディ大統領を訪問し45分間にわたって会談した。 |
DIA-302-1978-09-17-1 | インド | 1978年09月17日 | 1970年代 | バジパイ外相はモスクワからカーブルにむかった。 |
DIA-302-1978-09-17-2 | インド | 1978年09月17日 | 1970年代 | デサイ首相,大統領を訪れて会談。 |
DIA-302-1978-09-17-3 | インド | 1978年09月17日 | 1970年代 | 東北州評議会(アッサム,トリプラ,ナガランド,メガラヤ,マニプール,アルナチャル)が開かれ,各州首相は,評議会が北東州を統制する組織となりつつあることについて懸念を表明した。 |
DIA-302-1978-09-17-4 | インド | 1978年09月17日 | 1970年代 | 工業省工業開発局は1978―79年度の工業ガイド・ラインを発表した。 |
DIA-302-1978-09-18-1 | インド | 1978年09月18日 | 1970年代 | 各党の労働組合は,相互に共同戦線を組んで政府の「反労働者政策」と戦う方針である。 |
DIA-302-1978-09-18-2 | インド | 1978年09月18日 | 1970年代 | バジパイ外相はカーブルでアフガニスタン副首相兼外相ハフィズッラー・アミンと会談した。 |
DIA-302-1978-09-18-3 | インド | 1978年09月18日 | 1970年代 | 印・ソ共同コミュニケ―ソ連は,インドその他の南アジアの国々が地域の平和・安定の確立のためにとった現実的措置を賞讃する。両国は南アジア諸国間の積極的動きを満足をもって留意する。両外相は,印ソの結びつきは,異なる社会体制をもつ国の間の関係が相互尊敬,自治平等,内政不干渉の原則に基づいていかに発展するかを示す良い例であると考える。両国は非同盟運動が国際平和のための重要なファクターであり続けることを確信する。 |
DIA-302-1978-09-18-4 | インド | 1978年09月18日 | 1970年代 | 訪印中の中国農業科学代表団(5人)は,B.P.シン農業・かんがい担当国務相と会談し,有機・科学肥料利用に関するセミナーに出席した。 |
DIA-302-1978-09-18-5 | インド | 1978年09月18日 | 1970年代 | スブラマニアム・スワミ議員は,中印問題に関して,中国政府はインドとの国境紛争を討議し解決したいと望んでいること,中国指導者は「カシミール住民の民族自決支持」から「印パが話し合いをすることによって対立を解決する」ように態度を変更したと考えること,中国指導者との会談で,印中関係改善は印ソ関係を損うべきではないと強調し,中国側はこれに同意したことなど語った。 |
DIA-302-1978-09-19-1 | インド | 1978年09月19日 | 1970年代 | チャラン・シン前内相は,レディ大統領への手紙(9月8日付)と大統領の返書(9月12日付)を公表した。それによると,シンは大統領に,自分の女婿に対するあてこすりが真実であるかどうか調査するよう求め,大統領は,9月4日のマドラスでの発言は,チャラン・シンの女婿のことは念頭になかったと釈明した。 |
DIA-302-1978-09-19-2 | インド | 1978年09月19日 | 1970年代 | チャラン・シンは,全インド農民会議に出席した。会議は12月23日(シンの誕生日)にデリーで農民集会を持つことを決定すると同時に「インドの基本的誤りは,チベットを中国の一部だと認めたことであり,このことはチベットに本来の独立を回復することにより償わなければならない,国境問題で妥協すべきではない」と中国との外交問題に関する決議を行った。 |
DIA-302-1978-09-19-3 | インド | 1978年09月19日 | 1970年代 | バジパイ外相,アフガニスタンのタラキ革命評議会議長と会談。 |
DIA-302-1978-09-19-4 | インド | 1978年09月19日 | 1970年代 | インド準備銀行の1977―78年度年報によれば,外国為替管理法に基づいて外資系343社が持分の引き下げを命じられ,163社が規定の水準まで引き下げた。 |
DIA-302-1978-09-20-1 | インド | 1978年09月20日 | 1970年代 | バジパイ外相帰国。ソビエトでは,自分の中国訪問について話しあった,中国では中印国境問題に関する中国の立場をさぐるつもりだ,長い断絶期間を経た後の1回の訪問に多くを期待するのは現実的ではない,と語った。 |
DIA-302-1978-09-20-2 | インド | 1978年09月20日 | 1970年代 | インド・アフガニスタン共同コミュニケ発表。 |
DIA-302-1978-09-20-3 | インド | 1978年09月20日 | 1970年代 | シク教徒とニランカリ派との対立は,シク教のサント・ジャルナイル・シン師が,ニランカリの2教典をパンジャーブ州で発禁処分にすること,アムリトサルのニランカリ会館での集会を禁止することなどを要求してニランカリ派に最後通牒を出したことから,新展開をはじめた。シク教団の総裁グルチャラン・シン・タウラはサントの要求を支持した。 |
DIA-302-1978-09-20-4 | インド | 1978年09月20日 | 1970年代 | ラージ・ナライン前保健相,大統領を訪問。 |
DIA-302-1978-09-20-5 | インド | 1978年09月20日 | 1970年代 | デサイ首相はカーター大統領と電話でキャンプ・デービッド合意について話し合った。首相は,西アジアのすべての当時者が合意に参加しない限り,和平実現は効果を上げないだろうと伝えた。 |
DIA-302-1978-09-21-1 | インド | 1978年09月21日 | 1970年代 | 4―7月の卸売物価は前年同期比2%の上昇となった。 |
DIA-302-1978-09-22-1 | インド | 1978年09月22日 | 1970年代 | ジャナタ党国会議員団執行委で,マドゥ・リマエの書簡問題は収拾された。会議にはチャラン・シンが出席したが発言はしなかった。 |
DIA-302-1978-09-22-2 | インド | 1978年09月22日 | 1970年代 | ジャム・カシミール州内閣改造で,M.A.ベーグ(副首相兼法相)が法相から解任された。 |
DIA-302-1978-09-22-3 | インド | 1978年09月22日 | 1970年代 | レディ大統領はネパール国王に返書を送り,洪水制御のために,ネパールにインド・ネパール河川合同コントロール・プロジェクトの早期実現を要請した。 |
DIA-302-1978-09-23-1 | インド | 1978年09月23日 | 1970年代 | 全国首相会議が開かれ,治安問題が討議された。出席したデサイ首相は,治安問題は基本的に州の責任である,中央は治安問題で州に干渉しないとのべた。 |
DIA-302-1978-09-23-2 | インド | 1978年09月23日 | 1970年代 | ケララ州議会補欠選挙でCPI・Mが当選した。 |
DIA-302-1978-09-23-3 | インド | 1978年09月23日 | 1970年代 | 政府は,トロンベイ原子力研究所の放射能漏れ事故を調査している。 |
DIA-302-1978-09-23-4 | インド | 1978年09月23日 | 1970年代 | 政府は日本へのうこん800トンの輸出を例外的に許可した。 |
DIA-302-1978-09-24-1 | インド | 1978年09月24日 | 1970年代 | 州首相会議でデサイ首相は,州が治安維持のために必要と判断すれば,州警察を拡充するのは自由である,しかし必要以上に拡大するのには反対であるとのべた。 |
DIA-302-1978-09-24-2 | インド | 1978年09月24日 | 1970年代 | インド・ネパール閣僚会議がカトマンズで開かれ,インドからはフェルナンデス工業相が出席した。 |
DIA-302-1978-09-24-3 | インド | 1978年09月24日 | 1970年代 | インド・パキスタン・バングラデシュ,イギリス,ヨーロッパ運賃同盟はインドの港からイギリス,ヨーロッパに積出す貨物の運賃を12.5%値上げすることに決定した。 |
DIA-302-1978-09-25-1 | インド | 1978年09月25日 | 1970年代 | ジャム・カシミール州のM.A.ベーグ(副首相)は内閣から辞任した。 |
DIA-302-1978-09-25-2 | インド | 1978年09月25日 | 1970年代 | ガンディー前首相はカルナタカ州チクマガルルでの下院補欠選挙(11月)に出馬することに合意したといわれる。 |
DIA-302-1978-09-25-3 | インド | 1978年09月25日 | 1970年代 | 政府は乗用車の生産設備の拡張・新設を認めないことを決定した。1982-83年までの推定年間需要は48,500台。 |
DIA-302-1978-09-26-1 | インド | 1978年09月26日 | 1970年代 | カーンプル市でシク教徒とニランカリ派が衝突し,12人が死亡,56人が負傷した。カーンプルにはニランカリ派の教主グルバチャン・シンが滞在中であった。 |
DIA-302-1978-09-26-2 | インド | 1978年09月26日 | 1970年代 | デサイ首相はバンガロールで「もしガンディー夫人が国会に入るなら自分はうれしい」と発言した。 |
DIA-302-1978-09-26-3 | インド | 1978年09月26日 | 1970年代 | インドとネパールは,経済協力の合意文書に調印した。両国はネパールの工業プロジェクトに約18億ルピーを出資する。中部ネパールのセメント・プラント,西部ネパールに紙パルプ・プラント等を計画している。 |
DIA-302-1978-09-27-1 | インド | 1978年09月27日 | 1970年代 | パンジャーブ州政府は,ニランカリ派のグルバチャン・シンが州に入ることを6ヵ月間禁止し,同派の週刊誌エク・ナザルの販売・配布を禁止した。 |
DIA-302-1978-09-27-2 | インド | 1978年09月27日 | 1970年代 | カルカッタ地方は60年ぶりの集中豪雨にみまわれ,午後8時30分までの36時間に降雨量は400ミリに達した。 |
DIA-302-1978-09-27-3 | インド | 1978年09月27日 | 1970年代 | バジパイ外相は国連で中国の黄華外相と会談した。 |
DIA-302-1978-09-28-1 | インド | 1978年09月28日 | 1970年代 | パンジャーブ州政府は,ジュルンドゥル市から出版されているあらゆる新聞・出版物によるシク・ニランカリ対立の報道を禁止した。ジュルンドゥル市は州の出版活動の中心地である。 |
DIA-302-1978-09-28-2 | インド | 1978年09月28日 | 1970年代 | カルカッタの降雨はさらに続き,洪水により市は孤立した。州政府は陸・空軍と対策・協議を行なった。 |
DIA-302-1978-09-28-3 | インド | 1978年09月28日 | 1970年代 | 会議派(I)の執行部はガンディー前首相にカルナタカ州チクマガル下院議員補欠選挙に出るよう要請した。 |
DIA-302-1978-09-28-4 | インド | 1978年09月28日 | 1970年代 | National Textile Corporationは設立以来はじめて240万ルビーの黒字を記録した。さん下の100社中58社が黒字。 |
DIA-302-1978-09-29-1 | インド | 1978年09月29日 | 1970年代 | ジャム・カシミール州首相シェイク・アブドゥッラはM.A.ベーグとベーグの女婿M.M.Y.ベーグ(州議会議員)を与党ナショナル・コンファレンスから除名したと発表した。 |
DIA-302-1978-09-29-2 | インド | 1978年09月29日 | 1970年代 | 中央政府1978―79年度の秋作物の買入れ価格を決定―米はキンタール当り85ルピーで前年より8ルピー引き上げ,雑穀もキンタール当り85ルピーで前年より11ルピー引き上げ。政府放出価は据え置き。 |
DIA-302-1978-10-01-1 | インド | 1978年10月01日 | 1970年代 | ジャム・カシミール州のM.A.ベーグは,シェイク・アブドゥラ州首相の「王朝支配」に反対して新党を結成することを決めた。 |
DIA-302-1978-10-01-2 | インド | 1978年10月01日 | 1970年代 | EPI(エンジニアリング・プロジェクツ・インディア)はバグダードのカラー・テレビ放送網建設工事を日本の三菱電機と共同で受注した。 |
DIA-302-1978-10-02-1 | インド | 1978年10月02日 | 1970年代 | 中央政府の調査によれば,1974年から77年の期間にハリジャンに対する残虐行為はふえている。事件は,金銭関係,土地争い,収穫強奪,労賃紛争,ボンド労働,社会・宗教・政治的緊張関係などを原因としている。 |
DIA-302-1978-10-03-1 | インド | 1978年10月03日 | 1970年代 | ポンディシェリ連邦直轄州政府(AIADMK)から内相D.ラマチャンドランが辞任した。 |
DIA-302-1978-10-03-2 | インド | 1978年10月03日 | 1970年代 | 中央政府は低価格織布に補助金を与えるため,高級品の連邦消費税を10%引き上げることを決定,10月4日から実施する。 |
DIA-302-1978-10-04-1 | インド | 1978年10月04日 | 1970年代 | インド空軍の戦闘機購入について,機種選定のためイギリス,フランス,スエーデンを訪れていた軍関係者チームが帰国した。購入戦闘機はイギリスのジャガーとなる可能性が強い。内閣政治委員会は,チームの報告を検討した。 |
DIA-302-1978-10-04-2 | インド | 1978年10月04日 | 1970年代 | ジャナタ党国会議員団総会でデサイ派よチャラン・シン派が対立した。 |
DIA-302-1978-10-04-3 | インド | 1978年10月04日 | 1970年代 | ジャナタ党内の,L.K.アドバニ,N.デシュムク,S.S.バンダリら旧J.S.系国会議員約30人がデサイ首相支持を誓った。 |
DIA-302-1978-10-05-1 | インド | 1978年10月05日 | 1970年代 | 最高裁は11日間の審議を終えたが,特別法廷法案についての見解を下すことを保留した。 |
DIA-302-1978-10-05-2 | インド | 1978年10月05日 | 1970年代 | ジャナタ党議員団総会で,旧BLDと社会党系は,カンティ汚職容疑調査を要求した。 |
DIA-302-1978-10-05-3 | インド | 1978年10月05日 | 1970年代 | アリーガル市で,コミュナル暴動。 |
DIA-302-1978-10-05-4 | インド | 1978年10月05日 | 1970年代 | インドの第2次SDR割当は4.47億ドル。 |
DIA-302-1978-10-06-1 | インド | 1978年10月06日 | 1970年代 | 政府は,ジャガー購入を決定した。契約の詳細は折衝中であるが,空軍は約200機を今後入手する予定で,そのうち40~60機はイギリスから購入し,のこりはライセンスを得てインド国内で生産する方針である。 |
DIA-302-1978-10-06-2 | インド | 1978年10月06日 | 1970年代 | ガンディー前首相は,カルナタカ州チクマガルル選挙区での下院補欠選挙に立候補の届出を行なった。 |
DIA-302-1978-10-06-3 | インド | 1978年10月06日 | 1970年代 | ジャナタ党議員総会でデサイ首相は「党の信頼を失なってまで職にとどまるつもりはない,しかし,いやになってやめることはしない」とのべた。総会にチャンドラシェカル党総裁は欠席した。 |
DIA-302-1978-10-07-1 | インド | 1978年10月07日 | 1970年代 | J.ラーム国防相は,潜水艦の国産を考えており,そのためにスエーデン,オランダ,フランス,西ドイツ,イタリーがオファーしてきているとのべた。 |
DIA-302-1978-10-07-2 | インド | 1978年10月07日 | 1970年代 | CPI全国執行委はバジパイ外相の訪中は何の役にも立たないだろうとの決議を出した。 |
DIA-302-1978-10-07-3 | インド | 1978年10月07日 | 1970年代 | 印パ貿易会談(10月9日まで)開かれる。イスラマバードにて。 |
DIA-302-1978-10-08-1 | インド | 1978年10月08日 | 1970年代 | サダト・エジプト大統領はデサイ首相への親書で,キャンプ・デービッド合意についてインドの支持を求めた。キャンプ・デービッド合意に対してインドは,バジパイ外相発言によれば,①パレスチナ人は自分の国を持つ権利がある,②合意はエルサレム問題について沈黙している,③PLOがパレスチナ人の代表として認められていない,の3点を指摘している。 |
DIA-302-1978-10-09-1 | インド | 1978年10月09日 | 1970年代 | アメリカはインドに対し,パキスタンに限定した数のF-5E戦闘機を商業べースで売却すると通告した。国防専門家によれば数は75機。 |
DIA-302-1978-10-09-2 | インド | 1978年10月09日 | 1970年代 | ラージ・ナライン前保健相は,ジャガー購入が,デサイ首相の首席秘書とカンティによりロンドンで折衝された疑いがあるとして契約の破棄もしくは調査を要求した。 |
DIA-302-1978-10-09-3 | インド | 1978年10月09日 | 1970年代 | エコノミック・タイムス紙は1978―79年度の秋作穀物の収穫を8000万トンと予想している。 |
DIA-302-1978-10-10-1 | インド | 1978年10月10日 | 1970年代 | チクマガルル下院補欠選挙にジャナタ党からヴィーレンドラ・パティル(もと州首相)が出馬する。 |
DIA-302-1978-10-10-2 | インド | 1978年10月10日 | 1970年代 | バジパイ外相は国連に出席したシャヒ・パキスタン外相と会い,インドのジャガー購入は地域における空の支配を意図しているものではない,と告げた。 |
DIA-302-1978-10-11-1 | インド | 1978年10月11日 | 1970年代 | バジパイ外相はニューヨークからの帰途ロンドンで,中国との国境紛争についての話し合いは訪中により何らかの合意が成立しよう,中国はインドに国境間題について具体的な提案をするよう求めた,中国は中印関係についてのあらゆる問題を討議したいといっていると語った。 |
DIA-302-1978-10-11-2 | インド | 1978年10月11日 | 1970年代 | ジャナタ党内の民主会議派系グループは,党がRSSとJS勢力と直ちに手を切るべきだとデサイ首相に要求し,BLD,SP系も同調した。 |
DIA-302-1978-10-11-3 | インド | 1978年10月11日 | 1970年代 | 1978―79年第一・四半期の工業成長率は7.3%を記録した。 |
DIA-302-1978-10-11-4 | インド | 1978年10月11日 | 1970年代 | パンジャーブ州内閣から教育相スクジンデル・シンが解任された。州首相との対立が原因である。 |
DIA-302-1978-10-12-1 | インド | 1978年10月12日 | 1970年代 | パンジャーブ州政府の3閣僚が州首相と対立して辞任した。 |
DIA-302-1978-10-13-1 | インド | 1978年10月13日 | 1970年代 | チクマガルル補欠選挙についてジャナタ党の選挙対策委員長のG.フェルナンデス工業相とCPI・Mの書記長EMS・ナンブーディリパドが会談した。ナンブーディリパドは,ガンディー夫人に反対する人々が協力すれば夫人を敗ることもできる,CPI・Mはケララ州,タミル・ナードゥ州から党員を動員してジャナタ党のためにキャンペーンを行うとのべた。 |
DIA-302-1978-10-13-2 | インド | 1978年10月13日 | 1970年代 | インド政府は在印多国籍企業に海外での合弁企業の可能性について打診したが,多部分が否定的な反応を示した。 |
DIA-302-1978-10-13-3 | インド | 1978年10月13日 | 1970年代 | EPIはイラクで穀物サイロ(4.5億ルピー)に次いでターンキー・プロジェクト(4.2億ルピー)を受注した。EPIのイラクでの受注プロジェクトは合計5,受注総額は16.5億ルピーになった。 |
DIA-302-1978-10-14-1 | インド | 1978年10月14日 | 1970年代 | ミゾラームの与党ピープルズ・コンファレンスの州議会議員23人中8人がサイロ州首相への支持を撤回した。 |
DIA-302-1978-10-14-2 | インド | 1978年10月14日 | 1970年代 | チクマガルル補欠選挙でDMKは,ジャナタ党候補のV.パティル支持を決定した。 |
DIA-302-1978-10-14-3 | インド | 1978年10月14日 | 1970年代 | CPIはチクマガルル補欠選挙に関して,公式にはガンディー候補に反対し中立的立場をとると表明したが,S.A.ダンゲ議長がガンディー支持を公けに歓迎したため,内部でもめている。 |
DIA-302-1978-10-14-4 | インド | 1978年10月14日 | 1970年代 | 金価格は10グラム当り960ルピーの新高値を記録した。 |
DIA-302-1978-10-14-5 | インド | 1978年10月14日 | 1970年代 | インド食糧公団は1978―79年度に520万トン(前年は480万トン)の米の買上げを予定している。 |
DIA-302-1978-10-15-1 | インド | 1978年10月15日 | 1970年代 | デサイ首相はアーメダバードで,「予定されている農民集会は,政治的陰謀であり反党活動である」とのべた。 |
DIA-302-1978-10-16-1 | インド | 1978年10月16日 | 1970年代 | アリーガル市でコミュナル対立・暴動の結果,市に外出禁止令が出された。ジャナタ党のS.R.バルク(UP州議会議員)は,暴動の背後にRSSが存在するとしてCBIの調査を要求した。また,チャンドラシェカル・ジャナタ党総裁はRSSは無関係との見解を出した。 |
DIA-302-1978-10-16-2 | インド | 1978年10月16日 | 1970年代 | チャラン・シンは,農民集会はデサイのいうような陰謀ではなく,非政治的組織であり,反党活動はしない,との声明を出した。 |
DIA-302-1978-10-16-3 | インド | 1978年10月16日 | 1970年代 | 新駐北京大使にR.D.Sathe(56才,現駐仏大使,文化大革命時に北京代理大使)が任命された。 |
DIA-302-1978-10-16-4 | インド | 1978年10月16日 | 1970年代 | イギリスから垂直離着陸機24機を購入することを決定した。 |
DIA-302-1978-10-17-1 | インド | 1978年10月17日 | 1970年代 | ジャナタ党のチャンドラシェカル総裁は農民集会についてのデサイ首相の見解に反対し,集会がチャラン・シンの誕生祝いである限り,そして農民の不満の表現である限り何ら悪いことではない,とのべた。 |
DIA-302-1978-10-17-2 | インド | 1978年10月17日 | 1970年代 | 会議派(スワラン・シン派)国会議員理事会の過半数は,チクマガルル補欠選挙でガンディー前首相を支持することに賛成した。 |
DIA-302-1978-10-18-1 | インド | 1978年10月18日 | 1970年代 | チクマガルル補欠選挙で,J.ラーム国防相,L.K.アドバニ情報相,チャンドラシェカル党総裁もキャンペーンに加わった。 |
DIA-302-1978-10-18-2 | インド | 1978年10月18日 | 1970年代 | 中央政府は基礎的薬品に限って「新・高級技術」の分野で医薬品工業の外国との技術提携を認めることを決定した。 |
DIA-302-1978-10-19-1 | インド | 1978年10月19日 | 1970年代 | ジャム・カシミール州の与党ナショナル・コンファレンスはスリナガル市議会選挙で全33議席を独占,アナントナーグ議会では13議席中10議席を占めた。 |
DIA-302-1978-10-19-2 | インド | 1978年10月19日 | 1970年代 | ガンディー前首相は選挙キャンペーンを開始し,ジャナタ党政府になってからハリジャン,マイノリティーへの残虐行為はふえていると政府を攻撃した。 |
DIA-302-1978-10-19-3 | インド | 1978年10月19日 | 1970年代 | チョクシー委員会は直接税の最高税率を60%にまで引下げることを勧告するレポートを提出した。 |
DIA-302-1978-10-19-4 | インド | 1978年10月19日 | 1970年代 | デサイ首相は,1962年以前に中国に併合された全インド領を回復することに政府はコミットしている,国境紛争に満足ゆく解決がない限り関係正常化はありえないと語った。一方,外務省国会諮問委ではバジパイ外相が会議派(I)やジャナタ党からも中国招待をうけいれたことを強く非難された。 |
DIA-302-1978-10-20-1 | インド | 1978年10月20日 | 1970年代 | バジパイ外相,ネパール訪問。ビスタ首相と河川コントロール,バジパイ外相の訪中などを話し合った。外相はビレンドラ国王と会見した。 |
DIA-302-1978-10-20-2 | インド | 1978年10月20日 | 1970年代 | チクマガルル補欠選挙について会議派(インディラ派)は,S.シン会議派総裁(シン派)に書簡で,会議派(シン派)が候補者を立てなかったことを感謝するとともに,ガンディー前首相を支持するようアピールを出した。 |
DIA-302-1978-10-20-3 | インド | 1978年10月20日 | 1970年代 | インド海運公社は1977―78年度に1.47億ルピーの赤字を出した。前年は0.39億ルピーの黒字。 |
DIA-302-1978-10-20-4 | インド | 1978年10月20日 | 1970年代 | SBIはインドの銀行としてはじめてシンガポールでオフショアバンキング業務を開始した。 |
DIA-302-1978-10-21-1 | インド | 1978年10月21日 | 1970年代 | インドとネパールは,合同河川水利計画,広域森林緑化,洪水警報システムについてスピードアップすることに原則合意した。バジパイ外相は帰国。 |
DIA-302-1978-10-21-2 | インド | 1978年10月21日 | 1970年代 | インドはイギリスと,ジャガー購入について合意書に調印した。 |
DIA-302-1978-10-23-1 | インド | 1978年10月23日 | 1970年代 | 西ベンガル州首相は首相に西ベンガル州の洪水被害額は75億ルピーであるとのメモランダムを提出した。 |
DIA-302-1978-10-24-1 | インド | 1978年10月24日 | 1970年代 | デサイ首相はパトナで,インドは中国から占領地をとり戻す固い決意であること,しかしそのために戦争はしない,友好的にテーブルについて解決したい,とのべた。 |
DIA-302-1978-10-24-2 | インド | 1978年10月24日 | 1970年代 | 会議派議員理事会(シン派)はチクマガルル補欠選挙でジャナタ党をうち破ろうとの決議を行なった。 |
DIA-302-1978-10-24-3 | インド | 1978年10月24日 | 1970年代 | レミントン・ランド社はインドの子会社の株式をすべて放出,インド化する方針を打ち出した。 |
DIA-302-1978-10-25-1 | インド | 1978年10月25日 | 1970年代 | ケララ州首相A.K.アントニー(会議派・シン派)は,24日の理事会決議に抗議して州首相辞任を決意した。またシン派のカラン・シン,チャンドラジット・ヤダヴは決議に反対して党運営委から辞任した。 |
DIA-302-1978-10-26-1 | インド | 1978年10月26日 | 1970年代 | 会議派(インディラ派)は11月のサマスティプル下院補欠選挙にタラケシワリ・シンハ夫人を立てることに決定した。 |
DIA-302-1978-10-26-2 | インド | 1978年10月26日 | 1970年代 | 中央政府は金価格引き下げのために中央銀行が実施していた所有金の放出を中止した。 |
DIA-302-1978-10-27-1 | インド | 1978年10月27日 | 1970年代 | バジパイ外相はカトマンズから帰国後入院,そのため11月30日からの訪中は延期された。 |
DIA-302-1978-10-27-2 | インド | 1978年10月27日 | 1970年代 | スリランカのJ.R.ジャヤワルダナ大統領は15日間の予定で訪印した。デサイ首相らと会談した。 |
DIA-302-1978-10-28-1 | インド | 1978年10月28日 | 1970年代 | 第7次財政委員会の報告書が出された。州への財源移転増を勧告している。 |
DIA-302-1978-10-28-2 | インド | 1978年10月28日 | 1970年代 | インド政府は臨海製鉄所建設の一環としてマンガロール,ヴィシャカパトナム,パラディープに製鉄所を建設することを決定した。 |
DIA-302-1978-10-29-1 | インド | 1978年10月29日 | 1970年代 | ケララ州新内閣成立。州首相はP.K.ヴァースデヴァン・ナイル(CPI・前工業相)で6党連立となる。 |
DIA-302-1978-10-29-2 | インド | 1978年10月29日 | 1970年代 | アカリ・ダル第18回全国総会(28日,29日)は,真の連邦制をうち立てるために憲法改正を求める,シク教徒の利益を守る,ニランカリ派に厳しい態度をとる,政府・公共機関は同派との関係を断つべきだ,などの政治決議を採択した。 |
DIA-302-1978-10-29-3 | インド | 1978年10月29日 | 1970年代 | ビハール州内閣は16の民間製糖工場の接収を決定した。 |
DIA-302-1978-10-30-1 | インド | 1978年10月30日 | 1970年代 | インド・スリランカ共同声明。今後は経済協力と貿易拡大のために閣僚レベルの会議を持つ,インドはスリランカの自由貿易地区にジョイント・ベンチャーを始めるなど。 |
DIA-302-1978-10-31-1 | インド | 1978年10月31日 | 1970年代 | ビハール州政府は,「後進カースト」への公務員の割当を原案の26%から下げて20%とすると決定した。 |
DIA-302-1978-11-01-1 | インド | 1978年11月01日 | 1970年代 | チクマガルル選挙集会で混乱,警官の発砲で女子学生1人が死亡し85人が負傷した。 |
DIA-302-1978-11-02-1 | インド | 1978年11月02日 | 1970年代 | デサイ首相は,我々は中国との折衝をとおして失なった領土をとりもどすことを望む,ジャナタ党時代になって,中国,パキスタンを含む近隣諸国との関係は良くなった,近隣諸国との紛争解決のための平和的話し合いを信ずるなど,語った。 |
DIA-302-1978-11-03-1 | インド | 1978年11月03日 | 1970年代 | SBIはナイジェリアに40%出資で合弁銀行を設立する。これはバンク・オブ・インディアに次ぐナイジェリア進出。 |
DIA-302-1978-11-03-2 | インド | 1978年11月03日 | 1970年代 | 両会議派合併に反対する会議派(シン派)の国会議員21人が出席した会議で,党国会議員団理事会決定が非難され,ガンディー夫人は権威主義勢力を代表し,国民会議派の分裂に責任があるとの決議が行なわれた。 |
DIA-302-1978-11-04-1 | インド | 1978年11月04日 | 1970年代 | ジャナタ党総裁は,アリーガル市党委員長K.K.ナルマーンの更迭を指示した。 |
DIA-302-1978-11-04-2 | インド | 1978年11月04日 | 1970年代 | Coal Indiaは1982―83年までに石炭生産量を1.53億トンに増産する5ヵ年計画(185億ルピー)を決定した。 |
DIA-302-1978-11-05-1 | インド | 1978年11月05日 | 1970年代 | チクマガルル下院補欠選挙投票。 |
DIA-302-1978-11-05-2 | インド | 1978年11月05日 | 1970年代 | デリーでアカリ・ダルのデモ隊と警官隊が衝突し,2人が死亡し,100人余りが負傷した。さらにデリー市シク教団運営委の委員1名が,病院に運ばれたあと死亡した。 |
DIA-302-1978-11-05-3 | インド | 1978年11月05日 | 1970年代 | タミル・ナドゥ,ケララ,ポンディシェリの海岸地帯を襲ったモンスーン(3日)で140人が死亡した。 |
DIA-302-1978-11-06-1 | インド | 1978年11月06日 | 1970年代 | アカリ・ダルのS.S.バルナラ農業相とD.S.グルシャン教育担当相は,5日のデリーでのシク教徒死亡事件に抗議して中央内閣から辞任した。このことは,J.S.タルワンディ党総裁とG.S.トーラ・シロマニ・グルドワラ・プラバンダク(シク教団運営委)委員長により発表された。 |
DIA-302-1978-11-06-2 | インド | 1978年11月06日 | 1970年代 | B.パトナイク鉄鋼相はインドに大型製鉄所を建設し,そのための資金調達に関する計画の提出をイギリスに要請した。 |
DIA-302-1978-11-07-1 | インド | 1978年11月07日 | 1970年代 | 中央政府緊急閣議が招集され,アカリ・ダル閣僚辞任問題を討議した。S.S.バルナラ農相はダッカから呼びもどされて出席した。緊急閣議は,J.ラーム国防相が提案したもので,ラームはアカリ・ダルの説得を行なった。 |
DIA-302-1978-11-07-2 | インド | 1978年11月07日 | 1970年代 | マドゥ・リマエ(ジャナタ党書記長,下院議員)を団長とする超党派の国会議員代表団(インド・ベトナム友好代表団)はベトナムを訪問した。11月15日までの予定。 |
DIA-302-1978-11-08-1 | インド | 1978年11月08日 | 1970年代 | ボンベイ市議会選挙投票。 |
DIA-302-1978-11-08-2 | インド | 1978年11月08日 | 1970年代 | ガンディー夫人,下院に当選―チクマガルル補欠選挙でガンディー夫人がジャナタ党のパテル侯補を7万7321票差で破って下院議員選挙に当選した。デサイ首相は,「補欠選挙は全国政治になんらのインパクトをもたない。両会議派の離合を激化させるだけだろう。非常事態体制の否定とか承認とかの意味をもたせるべきでない」と語った。CPIのダンゲ議長はガンディー当選を祝う一方,E.M.S.ナンブーディリパド(CPI・M書記長)とG.フェルナンデス(ジャナタ党選挙委員長,中央政府工業相)に弔電を送った。ウェスト・ベンガル州首相J.バスは「深刻だ。権威主義が民主主義を攻撃し始めた」と述べた。ガンディー夫人は「国民の勝利だ」と語った。また,J.ラーム国防相は,夫人に当選を祝う電話をかけた。フェルナンデスは敗因について組織の不備と,党が混迷しているというイメージをあげた。沈黙の行をおこなっているビノーバ・バーベは夫人当選の知らせをうけて,手をたたいて喜びを示した。 |
DIA-302-1978-11-09-1 | インド | 1978年11月09日 | 1970年代 | ガンディー夫人は,会議派(インディラ派)国会議員団総会で「自分はジャナタ党政府を妨害も打倒もしていない。自分の党は不正に反対する。政府が外国に国益を売り渡すことを許さない。非常事態下でのミステークは,同じく成果を消し去るものではない。20項目計画の実施がチクマガルル勝利に貢献した」と述べた。 |
DIA-302-1978-11-09-2 | インド | 1978年11月09日 | 1970年代 | ボンベイ市議会選挙で,ジャナタ党系の革進民主戦線が総議席140のうち過半数の85議席を得た。 |
DIA-302-1978-11-09-3 | インド | 1978年11月09日 | 1970年代 | 製糖工場接収の中央政府政令が出され,中央は今後3年にわたって工場の経営を接収する。まず11月15日までに圧搾を始めないミルが該当する。 |
DIA-302-1978-11-09-4 | インド | 1978年11月09日 | 1970年代 | 政府は民間企業の重役の給与の最高限度などを決めたガイドラインを発表した。 |
DIA-302-1978-11-09-5 | インド | 1978年11月09日 | 1970年代 | ジャム・カシミール州前州副首相M.A.ベーグは新党インキラービー・ナショナル・コンファレンス(革命民族会議)を結成し,暫定総裁に就任した。 |
DIA-302-1978-11-09-6 | インド | 1978年11月09日 | 1970年代 | アメリカとインドの科学・技術小委員会がデリーで開かれた。 |
DIA-302-1978-11-09-7 | インド | 1978年11月09日 | 1970年代 | 閣議は,ジャガー購入を承認した。 |
DIA-302-1978-11-10-1 | インド | 1978年11月10日 | 1970年代 | 政府は皮革機械の輸入をOGLに指定がえした。 |
DIA-302-1978-11-10-2 | インド | 1978年11月10日 | 1970年代 | 政府は1979年3月31日で終わる輸出現金補助金制度を3年間延長した。 |
DIA-302-1978-11-11-1 | インド | 1978年11月11日 | 1970年代 | ミゾラームに大統領直接統治令が出された。州政府は停止され,州議会は解散された。 |
DIA-302-1978-11-12-1 | インド | 1978年11月12日 | 1970年代 | サマスティプル下院議員補欠選挙キャンペーン終了。 |
DIA-302-1978-11-12-2 | インド | 1978年11月12日 | 1970年代 | ポンディシェリは大統領直接統治下におかれ,州議会は解散された。 |
DIA-302-1978-11-12-3 | インド | 1978年11月12日 | 1970年代 | 会議派両派のD.アルス,P.V.N.ラオ,S.S.ライは会談し,すべての会議派人はインド国民会議派のもとにまとまるべきだとの合意を得た。この会談に関して,ジャナタ党内の旧会議派系の党員にも通告があった。 |
DIA-302-1978-11-12-4 | インド | 1978年11月12日 | 1970年代 | デサイ首相は,アカリ・ダル党首脳と会い,アカリ・ダル閣僚辞任問題を話し合った。 |
DIA-302-1978-11-12-5 | インド | 1978年11月12日 | 1970年代 | ガンディー夫人は1週間の予定で英国を私的に訪問した。 |
DIA-302-1978-11-13-1 | インド | 1978年11月13日 | 1970年代 | ベトナム訪問中の国会議員訪問団(団長,マドゥ・リマエ)はファン・バン・ドン首相と会見した。 |
DIA-302-1978-11-13-2 | インド | 1978年11月13日 | 1970年代 | バジパイ外相,退院。 |
DIA-302-1978-11-14-1 | インド | 1978年11月14日 | 1970年代 | ジャナタ党はマディヤ・プラデーシ州のウッジャインで党員合宿を行なった。14日から17日までの4日間。マドゥ・リマエは外遊中で欠席,チャラン・シン,R.ナラインも欠席した。約300人の幹部党員が参加した。チャンドラシェカル総裁は,党公約遂行を強く訴える開会演説を行なった。 |
DIA-302-1978-11-14-2 | インド | 1978年11月14日 | 1970年代 | インドネシア外相訪印。 |
DIA-302-1978-11-15-1 | インド | 1978年11月15日 | 1970年代 | 中央政府は輸出入政策を3年単位で発表することにした。輸出現金補助金についてはすでに実施ずみ。 |
DIA-302-1978-11-15-2 | インド | 1978年11月15日 | 1970年代 | 港湾労働者によるストのためボンベイ,カルカッタ港での作業が止まった。 |
DIA-302-1978-11-15-3 | インド | 1978年11月15日 | 1970年代 | インド,インドネシア外相会談。 |
DIA-302-1978-11-15-4 | インド | 1978年11月15日 | 1970年代 | 1978―79年度前半(4―9月)の工業生産成長率は9.2%(大蔵省年央経済報告書)。 |
DIA-302-1978-11-16-1 | インド | 1978年11月16日 | 1970年代 | ジャナタ党のウッジャイン党員合宿で,デサイ首相は党の団結を訴えた。 |
DIA-302-1978-11-17-1 | インド | 1978年11月17日 | 1970年代 | 1978年3月31日から9月29日までの通貨供給増加量は99.3億ルピーで前年同期(32.3億ルピー)の3倍になった。 |
DIA-302-1978-11-18-1 | インド | 1978年11月18日 | 1970年代 | 会談派(I)は,アリーガル暴動のレポートを大統領に提出し,マイノリティをRSSの残虐行為とジャナタ党政府の無神経さから保護するよう訴えた。 |
DIA-302-1978-11-18-2 | インド | 1978年11月18日 | 1970年代 | アカリ・ダルは内閣辞任を撤回した。S.S.バルナラとD.S.グルシャンは内閣に復帰した。 |
DIA-302-1978-11-18-3 | インド | 1978年11月18日 | 1970年代 | 下院勢力 ジャナタ党 302 会議派(インディラ派) 75 会議派(シン派) 66 CPI・M 22 AIADMK 18 アカリ・ダル 9 CPI 7 PWP 6 RSP 4 FB 3 ナショナル・コンファレンス 2 ケララ・コングレス 2 RPI(コブラガダ派) 2 無所属 17 空席 6 |
DIA-302-1978-11-19-1 | インド | 1978年11月19日 | 1970年代 | ガンディー夫人は訪英を終えモスクワ経由で帰国した。 |
DIA-302-1978-11-19-2 | インド | 1978年11月19日 | 1970年代 | インドとキューバは,科学・技術の分野で広範な協力を行なうことで協定(5年)に調印した。 |
DIA-302-1978-11-19-3 | インド | 1978年11月19日 | 1970年代 | カシミールのレー空港(海抜3900メートル)で空軍輸送機AN12型機が墜落し乗員77人が死亡。 |
DIA-302-1978-11-19-4 | インド | 1978年11月19日 | 1970年代 | 港湾スト解決のための労働相と労組の話し合い失致。 |
DIA-302-1978-11-19-5 | インド | 1978年11月19日 | 1970年代 | 1978―79年度の輸出は前年比13~15%減が見込まれている。 |
DIA-302-1978-11-20-1 | インド | 1978年11月20日 | 1970年代 | 冬の国会始まる。 |
DIA-302-1978-11-21-1 | インド | 1978年11月21日 | 1970年代 | 下院に特権委員会報告が提出された。報告は,ガンディー前首相ほか2名が国会特権を侵害・侮辱したとする。 |
DIA-302-1978-11-21-2 | インド | 1978年11月21日 | 1970年代 | ガンディー夫人は,すべての会議派人と両会議派の統一を望むとの統一アピールを出した。会議派(シン派)ではカラン・シンら国会議員65人がアピールに反対し,約40人が賛成といわれる。 |
DIA-302-1978-11-21-3 | インド | 1978年11月21日 | 1970年代 | S.ブシャン法相は民間に比べて低い国営企業の重役の給与・手当を引下げる考えはないことを明らかにした。 |
DIA-302-1978-11-21-4 | インド | 1978年11月21日 | 1970年代 | ナラヤナン前駐中国大使は帰国し,インタビューに対して「中印関係は正常化の段階から,今や後退のありえない新たな段階に至った。正常化の時期が終ったとはいえ正常化が進んだとはいえない。バジパイ外相の訪中は,両国関係における重大事項となるだろう。中国は国境問題を話し合う用意がある」など語った。 |
DIA-302-1978-11-22-1 | インド | 1978年11月22日 | 1970年代 | 印ソ経済協力計画作成のため,ソ連からN.N.Inozemtev(ゴスプラン副議長)らが訪印し,インド側と話し合いにはいった。 |
DIA-302-1978-11-22-2 | インド | 1978年11月22日 | 1970年代 | 中央政府は砂糖の価格安定のためにバッファー・ストックを作らないことを決定した。 |
DIA-302-1978-11-24-1 | インド | 1978年11月24日 | 1970年代 | 会議派(シン派)の運営委は11対6でガンディー夫人のアピールに留意するとの決議を採択した。 |
DIA-302-1978-11-24-2 | インド | 1978年11月24日 | 1970年代 | 第7次財政委員会の報告書が下院に提出された。 |
DIA-302-1978-11-24-3 | インド | 1978年11月24日 | 1970年代 | 中央政府は砂糖,綿花などの農産物価格の値下がり防止措置をとることを決定した。 |
DIA-302-1978-11-25-1 | インド | 1978年11月25日 | 1970年代 | インド・イタリア外相会談。 |
DIA-302-1978-11-25-2 | インド | 1978年11月25日 | 1970年代 | 政府は,コミュナル暴動の可能性のある都市でのRSSの「シャカ」の禁止を考えている。ただし非合法化は考えていない。 |
DIA-302-1978-11-26-1 | インド | 1978年11月26日 | 1970年代 | サマスティプル下院補欠選挙投票。 |
DIA-302-1978-11-26-2 | インド | 1978年11月26日 | 1970年代 | パンジャブ,ハリヤナ,UPの3州では軽油と肥料不足のため春作小麦のたねまきがおくれている。 |
DIA-302-1978-11-27-1 | インド | 1978年11月27日 | 1970年代 | 全インド港湾労働者連盟は11日間にわたるストライキを終わらせることを決定した。 |
DIA-302-1978-11-27-2 | インド | 1978年11月27日 | 1970年代 | インドとソ連は現在および将来の信用協定のルピー・ルーブル交換レートを1ルーブル=10ルピーとすることで合意に達した。 |
DIA-302-1978-11-28-1 | インド | 1978年11月28日 | 1970年代 | クレプス米商務長官訪印,米印貿易拡大の余地があると考え,滞在中(3日間)にこの方向で検討したいと表明した。 |
DIA-302-1978-11-28-2 | インド | 1978年11月28日 | 1970年代 | 海軍総司令官にスルセトジーの後任としてR.L.ペレイラが任命された。 |
DIA-302-1978-11-29-1 | インド | 1978年11月29日 | 1970年代 | サマスティプル補欠選挙で,ジャナタ党のA.K.メータが会議派(I)のT.シンハ夫人を2万6864票差で破り当選した。 |
DIA-302-1978-11-29-2 | インド | 1978年11月29日 | 1970年代 | マドゥ・リマエ(ジャナタ党書記長)はデサイ首相に書簡(11月24日付)を送り,党とRSSとの関係を明確にするよう求めたことを明らかにした。 |
DIA-302-1978-11-30-1 | インド | 1978年11月30日 | 1970年代 | ジャナタ党国会議員団執行委は「ガンディー夫人に国会特権に違犯したことを謝罪するよう求め,彼女が拒否するなら謝罪するまで議員資格を停止すべきだ」と決定した。 |
DIA-302-1978-11-30-2 | インド | 1978年11月30日 | 1970年代 | 政府は停電と電力不足による生産減少を防ぐため,すべての新肥料工場に専用発電所を作らせることを決定した。 |
DIA-302-1978-12-01-1 | インド | 1978年12月01日 | 1970年代 | 最高裁は,「国会は非常事態下において公的・政治的に高い地位にいた人々の犯した犯罪を迅速に裁くために特別法廷を設立する法的能力を有する」と裁定した。 |
DIA-302-1978-12-01-2 | インド | 1978年12月01日 | 1970年代 | ガンディー夫人は,スワラン・シン会議派総裁と会談。シン総裁は,チャバンに対し両会議派統一を認めるよう要請した。 |
DIA-302-1978-12-02-1 | インド | 1978年12月02日 | 1970年代 | 閣議は,特別法廷法案を政府法案として出すことを承認した。 |
DIA-302-1978-12-02-2 | インド | 1978年12月02日 | 1970年代 | 政府は一切の食用油と油糧種子をSTCを通じて輸入することに決定した。 |
DIA-302-1978-12-03-1 | インド | 1978年12月03日 | 1970年代 | ファテープル下院補欠選挙投票。 |
DIA-302-1978-12-04-1 | インド | 1978年12月04日 | 1970年代 | L.K.アドバニ情報相は,7閣僚(フェルナンデス,バジパイ,パトナイク,ダンダヴァテ,アドバニ,ダリア,カウシク)が辞任を考えているとの報道を否定した。 |
DIA-302-1978-12-04-2 | インド | 1978年12月04日 | 1970年代 | デサイ首相とシン前内相の話し合いは決裂した。シンは副首相兼内相もしくは他の閣僚ポストを要求したと伝えられ,対してデサイは,内相以外はどのポストでも与えると申し出,R.ナラインの復帰には反対,カンティ問題をシンが無条件でとり下げることを主張したといわれる。 |
DIA-302-1978-12-04-3 | インド | 1978年12月04日 | 1970年代 | ジャナタ党国会議員総会でデサイ首相は「ガンディー夫人の国会特権侵害に対し最大の処罰を下院に勧告する」ことに合意した。 |
DIA-302-1978-12-04-4 | インド | 1978年12月04日 | 1970年代 | マハラシュトラ州会議派のシャラド・パワル(州首相)グループは,会議派統一に反対し別個の政党として存在を維持することを決定した。 |
DIA-302-1978-12-05-1 | インド | 1978年12月05日 | 1970年代 | ファテープル下院補欠選挙でジャナタ党のL.フセインが会議派(I)のP.D.ティワリをやぶり当選した。 |
DIA-302-1978-12-06-1 | インド | 1978年12月06日 | 1970年代 | ジャナタ党国会議員団執行委の特別会議で,ガンディー夫人に対し強い処罰を果すことを望むことで合意が成った。 |
DIA-302-1978-12-06-2 | インド | 1978年12月06日 | 1970年代 | C.シン前内相は,カルナタカのD.アルス州首相と会談した。アルスはシンに「後進階級の指導者として,農民ベースの新党のためのいかなる行動をも歓迎する」と伝えた。 |
DIA-302-1978-12-07-1 | インド | 1978年12月07日 | 1970年代 | 下院は45次憲法改正法案を可決。 |
DIA-302-1978-12-07-2 | インド | 1978年12月07日 | 1970年代 | デサイ首相は下院に,特権委員会報告の討議を求める動議を提出した。 |
DIA-302-1978-12-07-3 | インド | 1978年12月07日 | 1970年代 | 政府はセメントの価格をトン当り39.91ルピー値上げすることを決定した。1袋あたり2.10ルピーから2.25ルピーの値上げになる。 |
DIA-302-1978-12-08-1 | インド | 1978年12月08日 | 1970年代 | チャラン・シン前内相は,副首相を2人置くとの和解案を拒否し,再入閣はしないと宣言した。 |
DIA-302-1978-12-08-2 | インド | 1978年12月08日 | 1970年代 | 下院は,7日のデサイ首相動議を可決し,続いて特権委員会報告を同意するようにとのデサイ首相動議も可決した。 |
DIA-302-1978-12-09-1 | インド | 1978年12月09日 | 1970年代 | ジャム・カシミール州のベーグ前州副首相は,大統領とデサイ首相に対し,アブドラ州首相による「王朝支配」と個人崇拝を懸念している旨,伝えた。 |
DIA-302-1978-12-09-2 | インド | 1978年12月09日 | 1970年代 | インドは1979年中に1600万トンの原油を輸入する予定で1000万トンについては確定契約を結んだ。 |
DIA-302-1978-12-10-1 | インド | 1978年12月10日 | 1970年代 | 1978―79年度上半期(4―9月)の貿易収支は輸出249.7億ルピーに対して輸入308.5億ルピーで58.8億ルピーの赤字となった。 |
DIA-302-1978-12-12-1 | インド | 1978年12月12日 | 1970年代 | M.ダンダヴァテ会社担当相は,ガイド・ラインを上回る会社役員へのヤミ給与の支払いは厳重に罰すると上院で述べた。 |
DIA-302-1978-12-13-1 | インド | 1978年12月13日 | 1970年代 | ジャナタ党国会議員団総会で若手強硬派は,ガンディー夫人の投獄と下院除名を主張した。 |
DIA-302-1978-12-13-2 | インド | 1978年12月13日 | 1970年代 | 下院で,ガンディー夫人答弁,罪の全面否定と自己弁護の50分にわたる演説で,最後に「瀕死の馬はより強く蹴る」とジャナタ党をたとえた。 |
DIA-302-1978-12-13-3 | インド | 1978年12月13日 | 1970年代 | 政府はゴム1.5万トンの追加輸入を決め,銅も本財政年度中に8万トン輸入する予定である。 |
DIA-302-1978-12-13-4 | インド | 1978年12月13日 | 1970年代 | リー・クァン・ユー・シンガポール首相(12日に訪印),デサイ首相と会談。 |
DIA-302-1978-12-14-1 | インド | 1978年12月14日 | 1970年代 | デサイ首相は下院に,ガンディー夫人の下院除名と本国会会期中投獄を提案する動議を提出した。 |
DIA-302-1978-12-16-1 | インド | 1978年12月16日 | 1970年代 | 米中国交樹立決定について政府は,決定がアジアの緊張を和らげ,平和と安定の促進に導くことを希望する,ソ連の立場を考慮にいれてアジア諸国間の関係へのインパクトを検討したいと発表した。 |
DIA-302-1978-12-16-2 | インド | 1978年12月16日 | 1970年代 | 1979年の鉄鋼輸入は需給関係からみて100万トン以上と予測されている。 |
DIA-302-1978-12-17-1 | インド | 1978年12月17日 | 1970年代 | チャラン・シン前内相は「ジャナタ党はもとの構成グループに分裂し,それから中央と州で連立政府を結成すべきだ」との声明を発表した。 |
DIA-302-1978-12-17-2 | インド | 1978年12月17日 | 1970年代 | ガンディー夫人とスワラン・シン会議派総裁が会談し,ジャナタ党の挑戦に対し共同して立ち向かおう,両党合併の形式は下院で特権問題が片づいてから検討することで合意した。 |
DIA-302-1978-12-17-3 | インド | 1978年12月17日 | 1970年代 | 12月23日の農民大会に,デサイ,ラーム,パテル,アドバニ,バフグナを除く中央政府閣僚と全州首相が招待された。 |
DIA-302-1978-12-18-1 | インド | 1978年12月18日 | 1970年代 | チャンドラシェカル・ジャナタ党総裁は,党を分割しようとのチャラン・シン提案に反対すると述べた。 |
DIA-302-1978-12-18-2 | インド | 1978年12月18日 | 1970年代 | 中央政府は1978―79年度中に30万ベイルの原料ジュート輸入を決定した。 |
DIA-302-1978-12-19-1 | インド | 1978年12月19日 | 1970年代 | ジャナタ党国会議員団総会は,ガンディー夫人の逮捕,議員資格剥奪との強硬略線を承認した。 |
DIA-302-1978-12-19-2 | インド | 1978年12月19日 | 1970年代 | 下院は,ガンディー夫人の逮捕,議員資格剥奪を採択。 |
DIA-302-1978-12-19-3 | インド | 1978年12月19日 | 1970年代 | ガンディー夫人処罰に抗議して,会議派(I)が動員するデモが各地で実施された。 |
DIA-302-1978-12-20-1 | インド | 1978年12月20日 | 1970年代 | ガンディー逮捕反対者が,インド国内航空機(カルカッタ・デリー便)ボーイング737をハイジャックしてバラナシに強制着陸させた。犯人2人は夫人の即時釈放を要求した。一方,会議派(I)による抗議行動で,全国で1万8000人余りが逮捕された。 |
DIA-302-1978-12-20-2 | インド | 1978年12月20日 | 1970年代 | バングラデシュのS.ハク外相はバジパイ外相と会談した。バジパイ外相は,ハク外相に,インドが印パ関係正常化の方向を維持することを心から望んでいることをパキスタン指導者に伝えるよう依頼し,インドは関係正常化へのいかなるパキスタンの提案にも応ずる用意があることを伝えた。ハク外相はこのあとパキスタンに向けて発った。 |
DIA-302-1978-12-21-1 | インド | 1978年12月21日 | 1970年代 | 国内航空機乗っ取り犯人2人は逮捕された。 |
DIA-302-1978-12-22-1 | インド | 1978年12月22日 | 1970年代 | C.シン前内相は下院で,内相辞任の声明を行ない「6月の内相辞任は,除名であった。その原因はカンティへの汚職容疑の調査を首相に提案したせいだ」と発表した。 |
DIA-302-1978-12-22-2 | インド | 1978年12月22日 | 1970年代 | 第1回インド・フランス経済技術協力委員会終了。 |
DIA-302-1978-12-22-3 | インド | 1978年12月22日 | 1970年代 | H.N.バフグナ石油相はOPECの石油価格値上げで1979年の石油輸入支払いは203億ルピーになろうと述べた。 |
DIA-302-1978-12-22-4 | インド | 1978年12月22日 | 1970年代 | インドと東独は,科学・経済・技術協力のためのプロトコールに調印した(ベルリン)。 |
DIA-302-1978-12-23-1 | インド | 1978年12月23日 | 1970年代 | 農民集会―デリーでチャラン・シンの77才の誕生日を記念する農民集会が開かれた。ハリヤナ,ビハール,ウッタル・プラデーシュの州首相,パンジャーブ州首相とアカリ・ダル首脳,パトナイク鉄鋼・鉱業相が出席,D.アルス・カルナタカ州首相,チャンドラシェカル・ジャナタ党総裁,J.P.ナラヤンからメッセージが送られ,獄中のガンディー夫人から花束が届けられた。集会は農民の権利を主張する20項目チャーターを採択した。 |
DIA-302-1978-12-23-2 | インド | 1978年12月23日 | 1970年代 | 印ソ貿易プロトコール(1979年度)調印。インドの要求する原油・印刷用紙の増は応じられなかったが,原油150万トン,印刷用紙4万5000トンが約束された。また貿易額を120億ルピー(1978年度は100億ルピー)に拡大する。量は1978年皮より15~20%増にすることが決定された。 |
DIA-302-1978-12-25-1 | インド | 1978年12月25日 | 1970年代 | ビレット・スクラップ不足で鉄鋼圧延メーカーの40%が操業を停止しているといわれている。 |
DIA-302-1978-12-26-1 | インド | 1978年12月26日 | 1970年代 | L.K.アドバニ情報相は午前,辞表を出したが,J.ラーム,フェルナンデス,バジパイの説得により夕刻,辞表を撤回した。上院でのカンティ事件の扱いとデサイ首相の不実行に不満で,カンティ問題は司法の判断に委ねるべきだと考えていた。カンティ問題については,閣僚グループを結成し問題を検討し解決方法を閣議に提案することが決まった。 |
DIA-302-1978-12-26-2 | インド | 1978年12月26日 | 1970年代 | 下院閉会,ガンディー夫人は7日間の拘留を終え釈放された―夫人は帰宅して「チャラン・シンの農民集会は大成功だった。シンには友情から花束を贈った。集会は,すでに揺らいでる政府をよりゆさぶった」と語った。 |
DIA-302-1978-12-27-1 | インド | 1978年12月27日 | 1970年代 | 会議派(I)国会議員団総会でガンディー夫人は「チャラン・シンへの攻撃は暴力政治的で最も非民主的だ。インド,パキスタン,バングラデシュ,スリランカのいかんをとわず,このような排除方法を許すわけにいかない。自分の除名ははじめから計画されていたと思う,このことはチクマガルル選挙キャンペーンでのJ.ラーム,フェルナンデスの発言から明らかだ」と述べた。 |
DIA-302-1978-12-27-2 | インド | 1978年12月27日 | 1970年代 | ジャナタ党執行委(12月28日,29日)を旧BLDはボイコットすることを決定した。 |
DIA-302-1978-12-27-3 | インド | 1978年12月27日 | 1970年代 | 11月の工業生産指数は前年同月比10%上昇,4―11月は前年同期比8.3%上昇となった。 |
DIA-302-1978-12-27-4 | インド | 1978年12月27日 | 1970年代 | 会議派(I)中央運営委員会で,両会議派統一の条件は,ガンディー夫人が全インド指導者であることを認めることだ,との点が強調された。 |
DIA-302-1978-12-27-5 | インド | 1978年12月27日 | 1970年代 | CPI・M総会がウェスト・ベンガル州のホウラーで開かれた。31日まで。 |
DIA-302-1978-12-28-1 | インド | 1978年12月28日 | 1970年代 | ジャナタ党執行委員会にチャラン・シンら旧BLDは欠席した。 |
DIA-302-1978-12-28-2 | インド | 1978年12月28日 | 1970年代 | ベトナムのグエン・ズイ・チン副首相兼外相はアフガニスタン訪問を終え,インドに。ファン・バン・ドン首相からの親書をデサイ首相に渡した。 |
DIA-302-1978-12-28-3 | インド | 1978年12月28日 | 1970年代 | 銀行員スト。 |
DIA-302-1978-12-29-1 | インド | 1978年12月29日 | 1970年代 | ジャナタ党全国執行委員会に,チャラン・シンと旧BLDが出席した。その後,シンは声明を発表し「2月1日~2日にデリーで旧BLD集会を開くこと,ジャナタ党へのコミットは続けること」などを明らかにした。 |
DIA-302-1978-12-29-2 | インド | 1978年12月29日 | 1970年代 | インド・ベトナム外相会談。インドはベトナムの経済再建のために多方面にわたって努力することを申し出た。ベトナムに専門家と資材を送る。両外相は,ベトナムと中国の厳しい関係と,中越国境の緊張を討議した。ベトナム外相は,ベトナムはカンボジアに千渉しない政策であるが,カンボジア救国戦線を支持すると述べた。 |
DIA-302-1978-12-30-1 | インド | 1978年12月30日 | 1970年代 | チャンドラシェカル・ジャナタ党総裁は,「2人の副首相を置き,チャラン・シンを内閣に復帰させる」との妥協案にもとづき,シン前内相と会談した。 |
DIA-302-1978-12-30-2 | インド | 1978年12月30日 | 1970年代 | H.N.バフグナ石油相はイラクからの石油輸入量を来年度は本年度の250万トンから600万トンにふやすと発表した。 |
DIA-302-1978-12-31-1 | インド | 1978年12月31日 | 1970年代 | 1978―79年度4―10月の輸出は297.1億ルピーであるのに対して,輸入は361.2億ルピーで貿易収支は64.1億ルピーの赤字となった。 |
DIA-302-1979-01-01-1 | インド | 1979年01月01日 | 1970年代 | 政府は綿縫製品に対する輸出補助金は廃止するが,綿繊維に対する補助金を7.5%をから10%に引き上げると発表した。 |
DIA-302-1979-01-03-1 | インド | 1979年01月03日 | 1970年代 | 政府は,特別法廷設置法案を臨時国会を1月中に召集して検討する意向である。 |
DIA-302-1979-01-04-1 | インド | 1979年01月04日 | 1970年代 | モーリシャスと米6万トンの輸出契約を結んだ。 |
DIA-302-1979-01-04-2 | インド | 1979年01月04日 | 1970年代 | CPI・M党総会(西ベンガル州,ホウラにて)の政治決議で,会議派(I)とジャナタ党が批判された。 |
DIA-302-1979-01-05-1 | インド | 1979年01月05日 | 1970年代 | アッサム州とナガランド州境のゴラグハト村で住民が武装した約200名により襲撃され,少なくとも50人が死亡した。 |
DIA-302-1979-01-05-2 | インド | 1979年01月05日 | 1970年代 | 世銀とIDAは発電所の建設に2.5億ドルの借款を供与することを承認した。 |
DIA-302-1979-01-05-3 | インド | 1979年01月05日 | 1970年代 | 中国代表団(ハイデラバードのインド史学会に出席予定)の訪印は中止された。 |
DIA-302-1979-01-05-4 | インド | 1979年01月05日 | 1970年代 | バルラージ・マドク(インド・ジャナタ民族戦線議長)は,もしジャナタ党が今のように反ナショナル,反民主主義政策に固執するならジャン・サンを復活させることになろうと述べた。 |
DIA-302-1979-01-06-1 | インド | 1979年01月06日 | 1970年代 | ガンディーとスワラン・シン会議派総裁は,両党合併を話し合った。 |
DIA-302-1979-01-07-1 | インド | 1979年01月07日 | 1970年代 | CPIのC.R.ラオ書記長は,CPIは特別法廷の判事が政府によって任命されるなら特別法廷法案を支持する,党執行委員会はガンディーを支持するとのダンゲ議長の発言を認めないと述べた。 |
DIA-302-1979-01-07-2 | インド | 1979年01月07日 | 1970年代 | ガンディーとスワラン・シンは会談し,両党が統一することで合意した。 |
DIA-302-1979-01-07-3 | インド | 1979年01月07日 | 1970年代 | マハラシュトラ州会議派大会で,N.M.ティドケ州委員長が解任され,D.T.ルパワテが新委員長に任命された。大会はスワラン・シンによる会議派統一の動きを批判した。 |
DIA-302-1979-01-07-4 | インド | 1979年01月07日 | 1970年代 | 中央統計局(CSO)の発表によれば1977/78年度の国民所得は前年度比7.8%増加(前年は1.4%増加)した。 |
DIA-302-1979-01-07-5 | インド | 1979年01月07日 | 1970年代 | ケララ州会議派委員長にA.K.アントニーが選出された。 |
DIA-302-1979-01-08-1 | インド | 1979年01月08日 | 1970年代 | デサイ首相,東独首相ホイネッカーと会談。 |
DIA-302-1979-01-08-2 | インド | 1979年01月08日 | 1970年代 | シン会議派総裁は,マハラシュトラ州党大会(7日)の出席者は自動的に州役員を解任されると述べた。 |
DIA-302-1979-01-09-1 | インド | 1979年01月09日 | 1970年代 | 閣議は,2月半ば召集の予算国会に特別法廷法案を提出することを決定した。 |
DIA-302-1979-01-09-2 | インド | 1979年01月09日 | 1970年代 | カナダ税務担当大臣A.C.アボツトとダリヤ商業相は,カナダの対印援助再開の可能性などを討議した。 |
DIA-302-1979-01-09-3 | インド | 1979年01月09日 | 1970年代 | インドと東独は,長期の経済・工業・科学技術協力促進協定に調印した。 |
DIA-302-1979-01-09-4 | インド | 1979年01月09日 | 1970年代 | アンドラ・プラデシュのシディペトとセクンデラバード下院補欠選挙(1月7日投票)で会議派(I)が当選。 |
DIA-302-1979-01-10-1 | インド | 1979年01月10日 | 1970年代 | 国家開発評議会の連邦財政問題作業グループで殆どの州は計画委員会案に不満を表明した。 |
DIA-302-1979-01-10-2 | インド | 1979年01月10日 | 1970年代 | ボンベイの商業・穀物取引市場などは,銀行従業員のサボタージュによる銀行業務渋滞に抗議してビジネス・バンド(商活動停止)を行なった。 |
DIA-302-1979-01-10-3 | インド | 1979年01月10日 | 1970年代 | 国家開発評議会作業グループは,中央管轄事業を半減し州への移転を300億ルピー増額する点で合意したが,計画総額の州のシェアと中央政府の開発援助配分案は決定されなかった。 |
DIA-302-1979-01-11-1 | インド | 1979年01月11日 | 1970年代 | アッサム・ナガランド知事L.P.シンは,アッサム州ゴラグハト村襲撃はナガ族ゲリラによるものではないと語った。 |
DIA-302-1979-01-11-2 | インド | 1979年01月11日 | 1970年代 | インド・東独首相は共同声明で,東南アジアの未解決問題は,外からの干渉なく平和的に解決されることを望むと表明。 |
DIA-302-1979-01-12-1 | インド | 1979年01月12日 | 1970年代 | 政府は米代理大使を外務省に招き,インドがアメリカのウラン供給の遅れに深い懸念を抱いていることを伝えた。 |
DIA-302-1979-01-13-1 | インド | 1979年01月13日 | 1970年代 | 政府は海運危機のため,1979/80年度は新船を買入れないことを決定した。 |
DIA-302-1979-01-15-1 | インド | 1979年01月15日 | 1970年代 | ジャナタ党執行委員会(15日~17日)。 |
DIA-302-1979-01-16-1 | インド | 1979年01月16日 | 1970年代 | デイサ首相は,イランのバクチアル首相に就任を祝うメッセージを送った。 |
DIA-302-1979-01-16-2 | インド | 1979年01月16日 | 1970年代 | ジャナタ党内紛の和解案として,チャラン・シンとエラームを副首相とする案が示された。 |
DIA-302-1979-01-17-1 | インド | 1979年01月17日 | 1970年代 | ガンディーとスワラン・シンが会議派統一のために会談を持った。 |
DIA-302-1979-01-17-2 | インド | 1979年01月17日 | 1970年代 | インドとアフガニスタンは経済・貿易・技術協力について共同コミュニケを発表した。インドはアフガニスタンの工業プロジェクトに融資,小麦5万トンを供給することを約束した。 |
DIA-302-1979-01-17-3 | インド | 1979年01月17日 | 1970年代 | CPI・M政治局は,カンボジア問題についてのベトナムとソ連の立場を支持する決議を採択した。政治局会議に委員11人中6人が欠席,ナンブーディリパド,ダースグプタなど親中国派は欠席した。 |
DIA-302-1979-01-18-1 | インド | 1979年01月18日 | 1970年代 | インドの1978年の鉄鋼生産量は940万トンで前年の1000万トンを下回った。世界ランクは16位。 |
DIA-302-1979-01-19-1 | インド | 1979年01月19日 | 1970年代 | デサイ首相は,ポンディチェリ連邦直轄州で安定州政権確立がのぞめない状態であるから,ポンディチェリとカライカルをタミル・ナー・ドゥに,マヘをケララに,ヤナムをアンドラ・プラデシュに併合することを最善措置だと考えると述べた。 |
DIA-302-1979-01-20-1 | インド | 1979年01月20日 | 1970年代 | デサイ首相はバトナイク,フェルナンデス両大臣の基幹産業国有化発言は個人的なもので内閣の見解ではないと言明した。 |
DIA-302-1979-01-21-1 | インド | 1979年01月21日 | 1970年代 | 2月2日から予定されていた銀行員ストは,政府と職員との話合いがついたため中止された。 |
DIA-302-1979-01-22-1 | インド | 1979年01月22日 | 1970年代 | マレーシアのフセイン・オン首相訪印-オン首相はレディ大統領と会見,デサイ首相,バジパイ外相と非公式に会談した。 |
DIA-302-1979-01-22-2 | インド | 1979年01月22日 | 1970年代 | ポンディチェリで,19日のデサイ首相発言に抗議のゼネストが暴動化し,1人が死亡した。 |
DIA-302-1979-01-23-1 | インド | 1979年01月23日 | 1970年代 | 中央政府はグラム(エジプト豆)の下限価格をキンタール当り125ルピーから140ルピーに引き上げることを決定した。 |
DIA-302-1979-01-23-2 | インド | 1979年01月23日 | 1970年代 | インド・マレーシア首脳会談。両国外相も同席した。オン・マレーシア首相はインドを離れパキスタンに向った。 |
DIA-302-1979-01-23-3 | インド | 1979年01月23日 | 1970年代 | チャラン・シンが副首相,大蔵大臣として再入閣-ラビ・ライが保健相として入閣が決定した。24日に宣誓。J.ラームが国防兼務で副首相に昇格,H.M.パテルが内務につくことが決まった。 |
DIA-302-1979-01-24-1 | インド | 1979年01月24日 | 1970年代 | チャラン・シン,ラビ・ライ入閣。 |
DIA-302-1979-01-24-2 | インド | 1979年01月24日 | 1970年代 | インドとマレーシア,経済・技術協力協定に調印。プレス・ステートメント発表,両首相は,インドとASEANとの関係緊密化のステップに満足を表明した。 |
DIA-302-1979-01-24-3 | インド | 1979年01月24日 | 1970年代 | インドはモザンビクでの非同盟外相会議(1月29日~2月3日予定)で,カンボジア問題を討議することに反対する方針である旨,パジパイ外相が外務省国会諮問委に報告した。 |
DIA-302-1979-01-24-4 | インド | 1979年01月24日 | 1970年代 | 政府は石炭増産のため34プロジェクト(総費用60億ルピー)を承認した。本年中にさらに12プロジェクトが認可される予定で,46プロジェクトで4500万トンの増産が予定されている。 |
DIA-302-1979-01-25-1 | インド | 1979年01月25日 | 1970年代 | ウッタル・プラデシュ州政府から2閣僚が辞任した。 |
DIA-302-1979-01-25-2 | インド | 1979年01月25日 | 1970年代 | オーストラリアのフレーザー首相訪印-大統領を訪問し,デサイ首相と会談した。 |
DIA-302-1979-01-25-3 | インド | 1979年01月25日 | 1970年代 | ソ連からT72戦車70台を購入することが決定された。2月に調印予定。 |
DIA-302-1979-01-26-1 | インド | 1979年01月26日 | 1970年代 | フェルナンデス工業相以下の代表団,サウジアラビア訪問。 |
DIA-302-1979-01-27-1 | インド | 1979年01月27日 | 1970年代 | インド,オーストラリア両国首相会談。 |
DIA-302-1979-01-27-2 | インド | 1979年01月27日 | 1970年代 | ケララ州会議派委員長A.K.アントニーは党中央に両会議派統一の話合いをやめるよう訴えた。 |
DIA-302-1979-01-28-1 | インド | 1979年01月28日 | 1970年代 | CPI・M中央委のホウラ大会(1978年12月31日)ドキュメントは対ヒンディー語州戦略を展開することなどを宣言。 |
DIA-302-1979-01-28-2 | インド | 1979年01月28日 | 1970年代 | アッサムとナガランド州境紛争について,両州政府は,必要とあれば中央政府の力をかりて,できる限り早く境界紛争を収拾すべきだとの点で合意した。 |
DIA-302-1979-01-28-3 | インド | 1979年01月28日 | 1970年代 | バジパイ外相は,ポート・ルイス(モーリシャス)にて,インド政府はアフリカ南部の民族主義運動への政治的・物的援助を拡大するとのべた。 |
DIA-302-1979-01-30-1 | インド | 1979年01月30日 | 1970年代 | フェルナンデス工業相はサウジ・アラビアのファハド皇子・副首相と会談,イランからの原油供給が断たれた場合,インドの石油需要をみたすため,サウジは便宜をはかると約束した。フェルナンデス工業相,帰国。 |
DIA-302-1979-01-30-2 | インド | 1979年01月30日 | 1970年代 | バジパイ外相訪中日程は2月1日から8日間と決定。 |
DIA-302-1979-01-30-3 | インド | 1979年01月30日 | 1970年代 | 中央政府はポリエステル糸の輸入窓口を複数化することを決定した。 |
DIA-302-1979-01-31-1 | インド | 1979年01月31日 | 1970年代 | バジパイ外相は『プリッツ』紙とのインタヴューで,インドは必要とあれば核実験を行なうとのべた。 |
DIA-302-1979-01-31-2 | インド | 1979年01月31日 | 1970年代 | パジパイ外相は,政府が2~3日前にカンボジア新政権から承認要請をうけとったことを明らかにした。要請はハノイのインド大使館をつうじてなされた。 |
DIA-302-1979-02-02-1 | インド | 1979年02月02日 | 1970年代 | 中央政府は輸出用にデシ綿3万トンを追加放出した。 |
DIA-302-1979-02-03-1 | インド | 1979年02月03日 | 1970年代 | ウッタル・プラデシュ州政府から旧ジャン・サン系8閣僚辞任。 |
DIA-302-1979-02-03-2 | インド | 1979年02月03日 | 1970年代 | デサイ首相,スリランカ訪問。 |
DIA-302-1979-02-05-1 | インド | 1979年02月05日 | 1970年代 | 北部5州,ハリヤナ,ラジャスタン,ウッタル・プラデシュ,ビハール,パンジャーブの州首相は,チャラン・シン蔵相と会見し,「農民予算」を要求した。 |
DIA-302-1979-02-05-2 | インド | 1979年02月05日 | 1970年代 | エスコート社は日本のヤマハとオートバイの製造技術の導入協定を締結した。 |
DIA-302-1979-02-06-1 | インド | 1979年02月06日 | 1970年代 | デサイ首相のスリランカ公式訪問が終り,インド・スリランカ合同プレス・ステートメント発表,貿易拡大等が約束された。 |
DIA-302-1979-02-07-1 | インド | 1979年02月07日 | 1970年代 | ジャナタ党中央委はウッタル・プラデシュのヤーダヴ州首相にジャナタ党州議員会で信任技票をうけるよう指示することを決定した。 |
DIA-302-1979-02-07-2 | インド | 1979年02月07日 | 1970年代 | ビジュ・バトナイク鉄鋼相は,RSSがウッタル・プラデシュ州政権奪取をねらっていると,閣僚ではじめてRSSを名指し非難した。 |
DIA-302-1979-02-07-3 | インド | 1979年02月07日 | 1970年代 | マディヤ・プラデシュのカンドワ下院補欠選挙の結果,ジャナタ党候補が会議派(I)をやぶって当選した。 |
DIA-302-1979-02-09-1 | インド | 1979年02月09日 | 1970年代 | 中央政府はガスを原料とする化学肥料プラント2基の設立(各アンモニア日産1350トン)を近く承認する。投資額は57億ルピー。 |
DIA-302-1979-02-11-1 | インド | 1979年02月11日 | 1970年代 | ウッタル・プラデーシュ州,旧JS系の13州閣僚辞任。 |
DIA-302-1979-02-11-2 | インド | 1979年02月11日 | 1970年代 | バジパイ外相,訪中に出発-ボンペイに一泊し12日に北京に着く予定。日程は北京に3日,帰国は19日。 |
DIA-302-1979-02-11-3 | インド | 1979年02月11日 | 1970年代 | 中央政府は州政府に対して農業への電力供給を最優先するように要請した。 |
DIA-302-1979-02-12-1 | インド | 1979年02月12日 | 1970年代 | バジパイ外相,北京に空港で黄華外相が出迎えた。バジパイ外相は空港で「中国・インド間の問題は,複雑であっても平和5原則の精神により解決されうる」とのべた。 |
DIA-302-1979-02-13-1 | インド | 1979年02月13日 | 1970年代 | 中印外相第1回会談。両外相はデタントについて対立,西アジア,南アフリカなどで合意したもよう。中印国境に関して中国側は,国境紛争は両国の友好関係の長い歴史の中の短いエピソードにすぎないとのべた。バジパイ外相は,インド亜大陸の関係正常化・改善に果したインドの努力にふれた。そのあとの夕食会で黄華外相はインドの努力を賞讃し,同時に,南アジア諸国がすべての紛争を公正かつ合理的に解決することを望むとのべた。 |
DIA-302-1979-02-13-2 | インド | 1979年02月13日 | 1970年代 | ヒンドスターン・モータースはアンバサダー・マークIVの価格を3500ルピー引き上げ,連邦消費税・売上税込みで44,701ルピーとする。 |
DIA-302-1979-02-14-1 | インド | 1979年02月14日 | 1970年代 | 中印外相会議が開かれたが,国境問題をさらに討議するために15日に再会することになった。両外相会談後,鄧副首相がバジパイ外相と会い,鄧副首相は,両国間に国境問題についていくつかの対立があるとの発言を行なった。 |
DIA-302-1979-02-15-1 | インド | 1979年02月15日 | 1970年代 | ウックル・プラデーシュのジャナタ党州議会議員総会で,ヤーダヴ州首相が不信任されたため,ヤーダヴは,州首相を辞任した。 |
DIA-302-1979-02-15-2 | インド | 1979年02月15日 | 1970年代 | 中印外相会談,3日目。夜,華国鋒首相は,「未解決の2国間の問題」とのべ,国境問題に直接ふれず,バジパイ外相の訪問は友好関係発展の有効なはじまりであり,今後このような訪問が続いてなされようとのべた。これに対してバジパイ外相は,国境問題解決は両国関係にとって重要だとのべた。華首相はデサイ首相を中国に招待した。 |
DIA-302-1979-02-16-1 | インド | 1979年02月16日 | 1970年代 | バジパイ外相,上海にむかう。 |
DIA-302-1979-02-17-1 | インド | 1979年02月17日 | 1970年代 | 中央政府は原綿が供給過剰になったため,繊維用原綿の輸出をグジャラートの商人に許可した。輸出予定量は3万トン。 |
DIA-302-1979-02-18-1 | インド | 1979年02月18日 | 1970年代 | バジパイ外相は,中越紛争勃発のため,訪中予定を1日繰り上げて帰国-デリーでの記者会見で,訪中は全体として有益であったと発表した。一方,デサイ首相は,駐印ベトナム大使の訪問,説明をうけた後,声明で,中国軍のベトナムからの撤退を求めた,インドは平和的話合いで紛争が解決されるべきだと考えるとのべた。 |
DIA-302-1979-02-18-2 | インド | 1979年02月18日 | 1970年代 | デリーに軟禁中のミゾ・ゲリラ指導者ラルデンガはアラカンにあるMNF本部に特使を送りMNFの統一回復を試みたといわれる。 |
DIA-302-1979-02-19-1 | インド | 1979年02月19日 | 1970年代 | インドはシンガポールと所得税の二重課税防止協定を締結した。 |
DIA-302-1979-02-19-2 | インド | 1979年02月19日 | 1970年代 | 上院予算議会で野党は,中国のベトナム攻撃についての討議と政府が即刻声明を発表することを求めた。 |
DIA-302-1979-02-20-1 | インド | 1979年02月20日 | 1970年代 | M.ダンダヴァテ鉄道相は1979/80年度の鉄道予算案を提出した。予算は貨物・旅客運賃の値上げにより8.8億ルピーの黒字を見込んでいる。 |
DIA-302-1979-02-20-2 | インド | 1979年02月20日 | 1970年代 | 政府は,ブラッド米代理大使を外務省によび,米の濃縮ウラン供給が遅れていることに深い憂慮を抱いていると告げた。 |
DIA-302-1979-02-21-1 | インド | 1979年02月21日 | 1970年代 | メガラヤ州D.D.プグ州政府樹立。 |
DIA-302-1979-02-21-2 | インド | 1979年02月21日 | 1970年代 | バジパイ外相は下院で訪中報告を行ない,19年ぶりに中国指導者と話合いを持ち複雑で政治的にきわめて重大な中印国境問題について率直に意見を交換した,今回の接触では少くとも問題を凍結しなかった,中越関係も話し合ったが,中国政府側が中越紛争がおこることを通告しなかったのは遺憾である等とのべた。 |
DIA-302-1979-02-21-3 | インド | 1979年02月21日 | 1970年代 | 特別法廷法案が下院に提出された。 |
DIA-302-1979-02-22-1 | インド | 1979年02月22日 | 1970年代 | 政府はシャー委員会報告にもとづき3件の告訴を行なうことを決定した。(1)サチャール他7名の不当拘禁事件で,ガンディー夫人,ダワーンらを,(2)マルティ社の不正機械輸入に関する調査を担当した政府職員に対して刑事訴訟を起こした事件で,ガンディー夫人,ダワーン,D.セン前中央調査局局長を,(3)カパシェラ村における住宅の不法撤去事件で,サンジャイ・ガンディ,ジャグマハンを告訴する。 |
DIA-302-1979-02-23-1 | インド | 1979年02月23日 | 1970年代 | 中央政府は1978/79年度のエコノミック・サーベイを議会に提出した。 |
DIA-302-1979-02-26-1 | インド | 1979年02月26日 | 1970年代 | 国家開発評議会で州政府は,6次計画の財源シェアについて承認を与えた。 |
DIA-302-1979-02-26-2 | インド | 1979年02月26日 | 1970年代 | サンジャイ・ガンディーとV.C.シュクラは「キッサー・クルシー・カ」事件で,ニューデリ地裁(session court)より有罪判決をうけた。刑は27日に発表され,2人は2年の禁固刑判決,執行は高裁への上告期限である3月27日まで猶予された。 |
DIA-302-1979-02-26-3 | インド | 1979年02月26日 | 1970年代 | 25日夜,ソ連の輸送機がベトナムへの途上カルカッタ空港に寄り26日朝離陸した件について税関は,通常貨物は積まれていなかったと発表した。 |
DIA-302-1979-02-26-4 | インド | 1979年02月26日 | 1970年代 | 計画委員会は1979/80年度の石油部門への支出66.7億ルピーを承認した。 |
DIA-302-1979-02-27-1 | インド | 1979年02月27日 | 1970年代 | ウッタル・プラデーシュのジャナタ党州議会議員総会はバナーラシー・ダースをリーダーに選出した。 |
DIA-302-1979-02-27-2 | インド | 1979年02月27日 | 1970年代 | 中央政府は今シーズン15万ベイルの指定銘柄の原綿を輸出することに決定した。前年は20万ベイル輸出。 |
DIA-302-1979-02-28-1 | インド | 1979年02月28日 | 1970年代 | ウッタル・プラデーシュ,バナーラシー・ダース(ジャナタ党)州政府成立。 |
DIA-302-1979-02-28-2 | インド | 1979年02月28日 | 1970年代 | チャラン・シン蔵相は1979/80年度予算を議会に提出した。農民と一部小企業優遇を強調,135億5000万ルピーの赤字予算。 |
DIA-302-1979-02-28-3 | インド | 1979年02月28日 | 1970年代 | 濃縮ウラン供給問題で,クリストファー米国務次官とジャガト・メータ外務次官が会談,インドはウラン供給をうけ続ける権利があることを強調した。 |
DIA-302-1979-03-01-1 | インド | 1979年03月01日 | 1970年代 | 米印会談は,インドシナ・核問題で意見を残して終了。 |
DIA-302-1979-03-01-2 | インド | 1979年03月01日 | 1970年代 | ビハール州ジャナタ党内の旧ジャン・サン派は,タークル州首相支持を撤回した。 |
DIA-302-1979-03-01-3 | インド | 1979年03月01日 | 1970年代 | 下院は,特別法廷法案の討議を求める政府動議を可決した。 |
DIA-302-1979-03-01-4 | インド | 1979年03月01日 | 1970年代 | 海軍司令官にR.L.ペレイラ海軍大将就任。 |
DIA-302-1979-03-02-1 | インド | 1979年03月02日 | 1970年代 | インド石油公社は,3月に40万トン不足する原油をカバーするため,スポット市場での購入を指示された。 |
DIA-302-1979-03-03-1 | インド | 1979年03月03日 | 1970年代 | チャンド・ラム海運担当国務相は6カ月以上引き取らずに倉庫に置かれている輸入品を競売するようボンベイ港湾局に命じた。 |
DIA-302-1979-03-04-1 | インド | 1979年03月04日 | 1970年代 | RSSはデリーで約5万5000人の集会を開いた。集会でバラサヘブ・デオラス総裁は「RSSはいかなる宗派とも敵対せず,建設的仕事に関心を向ける」とのべた。バジパイ,アドバニ,N.デシュムク,S.スワミなどジャナタ党首脳部のジャン・サン系有力者が参加した。 |
DIA-302-1979-03-06-1 | インド | 1979年03月06日 | 1970年代 | 上院で,バジパイ外相訪中にからみ政府の対中国政策が攻撃された。 |
DIA-302-1979-03-06-2 | インド | 1979年03月06日 | 1970年代 | ゴヒーン米大使はボンベイで,アメリカの対パキスタン武器輸出はパキスタンの防衛目的に限定したものだけである,と語った。 |
DIA-302-1979-03-07-1 | インド | 1979年03月07日 | 1970年代 | デサイ首相は上院の答弁で,アメリカが対印ウラン供給で協定に背いた場合,タラプール発電所で代案を採ることになろう,しかし,アメリカから決定的な“ノー”を聞くまでは協定に反することはしないとのべた。また首相は下院で,コスイギン訪印中にインドの原子力発電プロジェクトへのソ連重水供給問題を討議するかどうかはいえない,インドはこれまでソ連から供給の重水に関してはセーフガードをうけいれている,とのべた。 |
DIA-302-1979-03-07-2 | インド | 1979年03月07日 | 1970年代 | アメリカ上院外交委・小委員会は対印援助(1億3500万ドル)について討議した。 |
DIA-302-1979-03-08-1 | インド | 1979年03月08日 | 1970年代 | ソ連は,小麦と交換に原油60万トンの供給に同意した。 |
DIA-302-1979-03-09-1 | インド | 1979年03月09日 | 1970年代 | 政府は肥料価格をトン当り151~300ルピーただちに引下げることを決定した。 |
DIA-302-1979-03-09-2 | インド | 1979年03月09日 | 1970年代 | 下院は特別法廷法案を可決した。法案では,特別法廷は高裁と同等の地位に置かれ,最高裁に上告することができるとされる。 |
DIA-302-1979-03-09-3 | インド | 1979年03月09日 | 1970年代 | コスイギン・ソ連首相ら一行,訪印-6日間の公式訪問の予定である。コ首相はインド上下両院でのスピーチで,中国の「拡張主義」を非難する演説を行なった。デサイ・コスイギン会談で,インドはインドの対中関係,バジパイ訪中のもようなどを伝え,インドの対中正常化はソ連との関係を犠牲にしないと約束した。コスイギン首相は,インドがカンボジア新政権を承認していない理由をただした。 |
DIA-302-1979-03-10-1 | インド | 1979年03月10日 | 1970年代 | ジャナタ党のマドウ・リマエとR.ナラインは,マディヤ・プラデシュ州のジャナタ党州政府内の旧BLD,社会党系閣僚に対し,RSSの支配する州政府に反対するようよびかけた。 |
DIA-302-1979-03-10-2 | インド | 1979年03月10日 | 1970年代 | 印ソ首脳会談。デサイ首相は中国を侵略者とよぶことに反対した。コスイギン首相はレッドフォートの市民歓迎集会で中国の侵略を批判する演説を行なった。 |
DIA-302-1979-03-10-3 | インド | 1979年03月10日 | 1970年代 | 外国為替管理委員会はヒンドスタン・リーバから申請のあった外国人51%所有申請を拒否,40%に引き下げるように命じた。 |
DIA-302-1979-03-11-1 | インド | 1979年03月11日 | 1970年代 | コスイギン・デサイ会談,その後夕食会でコスイギン首相は,中国を攻撃し,ソ連がベトナムを完全支持する,とのべた。デサイ首相は,中越紛争についてコ首相の演説に同調せず,紛争は国際平和への脅威である,中国軍の撤退を望むとのべた。また,ソ連は米500万トンと交換に原油60万トンの追加供給を約束した。コスイギン首相は,ビハール州ラーンチの重機械公社の視察に向った。 |
DIA-302-1979-03-12-1 | インド | 1979年03月12日 | 1970年代 | 両会議派の統一は不成功。会議派運営委員会は会議派(I)との合併に反対の決議を行なった。 |
DIA-302-1979-03-12-2 | インド | 1979年03月12日 | 1970年代 | ィンド・パキスタン・バングラデシュ・中東運賃同盟は,ボンベイのコンジェスチョン・サーチャージを35%に上げ,新たにカルカッタに10%を課した。 |
DIA-302-1979-03-13-1 | インド | 1979年03月13日 | 1970年代 | コスイギン首相は,地方視察の日程を1日短縮し,デサイ首相と更に話し合うためデリーに戻った。 |
DIA-302-1979-03-14-1 | インド | 1979年03月14日 | 1970年代 | コスイギン・デサイ会談が午前と午後の2度にわたって開かれた。14日発表予定のコミュニケは書き直しのため発表が延期された。コ首相は夕方のテレビ・インタヴュー番組で,中国を非難し,中国がベトナムから撤退するというのは嘘だときめつけた。印ソは6件の協定,プロトコールに調印した。 |
DIA-302-1979-03-15-1 | インド | 1979年03月15日 | 1970年代 | コスイギン首相帰国,共同コミュニケが発表された-コミュニケは,ベトナムへの中国の広範な武力攻撃との関連で東南アジアの情勢を検討し,両国は,ベトナム領からの中国軍の全面・即時・無条件撤退を要求する,同時にインドは,ベトナム軍のカンボジアからの撤退を要求する,その他では中国,カンボジア,ベトナム,アフガニスタンにはふれていない。 |
DIA-302-1979-03-19-1 | インド | 1979年03月19日 | 1970年代 | カラチにインド総領事館開設。 |
DIA-302-1979-03-20-1 | インド | 1979年03月20日 | 1970年代 | MMTCは中国から鉄鉱石4.2万トンを受注,すでに2.1万トンを輸出した。 |
DIA-302-1979-03-20-2 | インド | 1979年03月20日 | 1970年代 | ゴヒーン米大使はゴウハティで,タラプールへの濃縮ウラン供給は,核拡散防止条約の発効により,今年末で止められるだろうと語った。 |
DIA-302-1979-03-21-1 | インド | 1979年03月21日 | 1970年代 | デサイ首相はキャラハン英首相に書簡を送り,イギリスからパキスタンに「密輸」されている原子力資材についてインドが深刻に憂慮していることを伝えた。これに先立ちデサイ首相は,パキスタンのハク大統領への書簡で,パキスタンが核兵器を開発しようとの破壊的試みに抗議した。これに対してパキスタン側は,もパキスタンの原子力計画は最近加速されたとはいえ,目的は,純粋に平和的なものであると答えた。 |
DIA-302-1979-03-21-2 | インド | 1979年03月21日 | 1970年代 | 上院は,2つの修正案を付して特別法廷法案を可決した。ジャナタ党に加えて会議派,両共産党が賛成,会議派(I),AIADMKが反対にまわった。 |
DIA-302-1979-03-21-3 | インド | 1979年03月21日 | 1970年代 | 政府は,21日のゴヒーン米大使発言に反対して,アメリカがウラン供給義務を約束の1993年まで守ることを望むと発表した。 |
DIA-302-1979-03-21-4 | インド | 1979年03月21日 | 1970年代 | イギリスはインドに2009万ポンドの贈与をする協定を結んだ。 |
DIA-302-1979-03-23-1 | インド | 1979年03月23日 | 1970年代 | デサイ首相は,パキスタンのハク大統領から,パキスタンは核兵器入手・開発の意図は持たないとの手紙を受けとった。 |
DIA-302-1979-03-23-2 | インド | 1979年03月23日 | 1970年代 | 製鉄用コークス炭が不足しているにもかかわらず,パラディープ港の労使対立のため,10万トンのコークス炭を降ろせず,船は2カ月以上待機している。 |
DIA-302-1979-03-24-1 | インド | 1979年03月24日 | 1970年代 | 米原子力規制委は,タラプールへの濃縮ウラン16.8トンの供給を認めた。 |
DIA-302-1979-03-24-2 | インド | 1979年03月24日 | 1970年代 | アメリカは,太陽エネルギーを利用して光合成による作物の生産性引上げプロジェクトに在印基金から1000万ルピー贈与することを決定した。 |
DIA-302-1979-03-26-1 | インド | 1979年03月26日 | 1970年代 | ブット死刑判決についてデサイ首相は,パキスタンの国内問題であるとしてコメントを拒否した。 |
DIA-302-1979-03-27-1 | インド | 1979年03月27日 | 1970年代 | ソ連は,タラプール発電所の6倍の規模の原子力発電プラントの建設をオファーした。 |
DIA-302-1979-03-27-2 | インド | 1979年03月27日 | 1970年代 | タミルナド州は200MWの需要超過が出たため,ただちに非連続作業業種30%,連続作業業種15%の電力供給カットを実施する。 |
DIA-302-1979-03-28-1 | インド | 1979年03月28日 | 1970年代 | クリヤンサク・タイ首相,モスクワからの帰途デリーに立寄り,デサイ首相とインド・タイ問題,カンプチア・ベトナム問題などを話し合った。 |
DIA-302-1979-03-28-2 | インド | 1979年03月28日 | 1970年代 | OPECの追加値上げによる本年度の原油・石油製品の輸入外貨負担の増加は50億ルピー。1979年は原油650万トン,石油製品400万トンを輸入する計画。 |
DIA-302-1979-03-30-1 | インド | 1979年03月30日 | 1970年代 | バジパイ外相は下院で,国際情勢や近隣諸国の変化に応じて政府の核政策を再検討することもありうる,パキスタンの核開発の可能性についてインドは深刻に考えるとのべた。 |
DIA-302-1979-03-31-1 | インド | 1979年03月31日 | 1970年代 | カルナタカ州電力庁は大口消費者に対する電力供給を4月1日から15%カットする。 |
DIA-302-1979-03-31-2 | インド | 1979年03月31日 | 1970年代 | 4月1日から適用される新輸出現金補助金率が発表され,80品目が適用からはずされた。 |
DIA-302-1979-04-01-1 | インド | 1979年04月01日 | 1970年代 | 中国はインド側旅行社に対して観光客受入れを表明。 |
DIA-302-1979-04-01-2 | インド | 1979年04月01日 | 1970年代 | 全インド農民組合(CPI(M)系)大会終了。イラン国民の勝利を祝い,中国のベトナム武力侵攻に憂慮を表明。 |
DIA-302-1979-04-02-1 | インド | 1979年04月02日 | 1970年代 | ジャナタ党有力指導者はRSS問題について話しあったが結論は出ず。ラージ・ナラインは党員がRSSとの関係を断つよう要求した。バジバイは,この要求を通せば,党脱退も辞さないと反論。 |
DIA-302-1979-04-02-2 | インド | 1979年04月02日 | 1970年代 | バジパイ外相,カンプチアを承認しないのは中国を喜こばせるためではないと語る。 |
DIA-302-1979-04-02-3 | インド | 1979年04月02日 | 1970年代 | バジパイ外相,ソマリアのバール外相と会談。 |
DIA-302-1979-04-03-1 | インド | 1979年04月03日 | 1970年代 | デサイ首相,下院でブット処刑問題で答弁し,同問題は他国の内政問題であり,コメントするつもりはないと述べる。 |
DIA-302-1979-04-04-1 | インド | 1979年04月04日 | 1970年代 | ジャナタ党執行委員会,ラージ・ナラインのデサイ首相批判発言を党規違反として,本人に釈明を求めることを決めた。 |
DIA-302-1979-04-04-2 | インド | 1979年04月04日 | 1970年代 | ブット処刑に抗議するデモで3人死亡(カシミール)。 |
DIA-302-1979-04-04-3 | インド | 1979年04月04日 | 1970年代 | チャンドラシェカル,ジアが国際世論を無視したことは遺憾と表明。 |
DIA-302-1979-04-04-4 | インド | 1979年04月04日 | 1970年代 | ルールケラ製鉄所は1978―79年に104.2万トンの販売用鋼を生産,年間生産目標の89%に達した。 |
DIA-302-1979-04-04-5 | インド | 1979年04月04日 | 1970年代 | 印ソ,米と原油のバーター協定調印,米20万トンに対して,ソ連原油60万トン。 |
DIA-302-1979-04-06-1 | インド | 1979年04月06日 | 1970年代 | 鉄鋼の基本価格に対する15%の付加税と付加税加重税のため,銑鉄の価格がトン当り100ルピー引き上げられた。 |
DIA-302-1979-04-06-2 | インド | 1979年04月06日 | 1970年代 | ジャナタ党中央議会理事会(CPB)は,ビハール州,オリッサ州,ヒマチャル・プラデシ州首相に対し,改めて信任投票を行うことを要求した。さらに,U.P.州,アッサム州での党内対立の調整を要求した。しかし,党役員選挙問題は小委員会に検討をまかせることになった。 |
DIA-302-1979-04-08-1 | インド | 1979年04月08日 | 1970年代 | デサイ首相,シッキム訪問。シッキム合併は既成事実であると語る。 |
DIA-302-1979-04-08-2 | インド | 1979年04月08日 | 1970年代 | インドの1978年12月3日現在の製油所の精製能力は年3045万トン。製油所の数は10。1977―78年の精製量は2489万トン。 |
DIA-302-1979-04-09-1 | インド | 1979年04月09日 | 1970年代 | カルカッタの電力不足が深刻化。市の主要産業の生産はほとんどストップ。 |
DIA-302-1979-04-09-2 | インド | 1979年04月09日 | 1970年代 | 国産原油,78―79年度は1250万トンの見込み(前年度は1070万トン)。 |
DIA-302-1979-04-09-3 | インド | 1979年04月09日 | 1970年代 | ルピー,対ポンドで2%切り下げ。 |
DIA-302-1979-04-09-4 | インド | 1979年04月09日 | 1970年代 | リビヤは4月から12カ月間に250万トンの原油を供給することに合意した。 |
DIA-302-1979-04-11-1 | インド | 1979年04月11日 | 1970年代 | 79年度分小麦支持価格引上げ決定。1キンタールあたり112.50ルピーから115ルピーへ。 |
DIA-302-1979-04-11-2 | インド | 1979年04月11日 | 1970年代 | ジャムシェドプールの暴動で6人死亡。軍隊が鎮圧のため導入される。 |
DIA-302-1979-04-11-3 | インド | 1979年04月11日 | 1970年代 | 元米駐印大使モイニハンの著書で,ガンディー夫人が,アメリカから選挙資金を受けたと書かされていることに対し,ガンディーは,「根拠なく,悪質な意見だ」と語る。 |
DIA-302-1979-04-14-1 | インド | 1979年04月14日 | 1970年代 | ジャムシエドプールの暴動で死者数100人にのぼる。 |
DIA-302-1979-04-16-1 | インド | 1979年04月16日 | 1970年代 | デサイ首相,バングラ訪問。バングラからインドへの非合法越境移動を止めることで同意(18日まで滞在)。 |
DIA-302-1979-04-16-2 | インド | 1979年04月16日 | 1970年代 | タミル・ナード州のAIADMKは会議派(I)と共同して,統一候補としてガンディー夫人をタンジャヴール補欠選挙に立候補させることを決めたと伝えられる。 |
DIA-302-1979-04-17-1 | インド | 1979年04月17日 | 1970年代 | メガラヤ州議会,停会される。 |
DIA-302-1979-04-17-2 | インド | 1979年04月17日 | 1970年代 | ビハール州の13閣僚辞任。 |
DIA-302-1979-04-17-3 | インド | 1979年04月17日 | 1970年代 | 1978-74年度の外国および国際機関からの援助186.1億ルピーに対して利用額は極めて少なく利用率はわずか25%であった。 |
DIA-302-1979-04-19-1 | インド | 1979年04月19日 | 1970年代 | 石炭輸送用貨車が割当量の半分も手当てできないため,山元には史上最高の1406万トンの石炭の滞貨ができている。 |
DIA-302-1979-04-19-2 | インド | 1979年04月19日 | 1970年代 | カルプーリ・タークル・ビハール州首相・与党の信認を失い辞任。 |
DIA-302-1979-04-19-3 | インド | 1979年04月19日 | 1970年代 | シャンタ・クマール・ヒマチャル・プラデシ州首相,州議会でかろうじて信任を受ける。 |
DIA-302-1979-04-20-1 | インド | 1979年04月20日 | 1970年代 | ガンディー夫人,デリーで会議派(I)のジャナタ党政府反対デモを指導。 |
DIA-302-1979-04-20-2 | インド | 1979年04月20日 | 1970年代 | ニラモニ・ロウトリー・オリッサ州首相,与党州会議員総会で信任獲得。 |
DIA-302-1979-04-20-3 | インド | 1979年04月20日 | 1970年代 | バジパイ外相,米印合同委(24~25日)出席のため訪米。 |
DIA-302-1979-04-21-1 | インド | 1979年04月21日 | 1970年代 | AICC(I)開催,アルス・カルナタカ州首相,サンジャイ・ガンディーとつながる人々を非難。 |
DIA-302-1979-04-21-2 | インド | 1979年04月21日 | 1970年代 | ビハール州首相に,元社会党でハリジャンのラム・スンダル・ダースが決まる。 |
DIA-302-1979-04-22-1 | インド | 1979年04月22日 | 1970年代 | 1978年の雇用3.3%増-組織部門の従業者数は1977年3月末の2074万人から1978年末には2143.7万人に増加した。公共部門は1387.6万人から1439.8万人に増加した。 |
DIA-302-1979-04-22-2 | インド | 1979年04月22日 | 1970年代 | ヴィノーバ・バーヴェ,牛の屠殺の完全禁止を要求して,無期限の断食に入る。 |
DIA-302-1979-04-23-1 | インド | 1979年04月23日 | 1970年代 | グジャラート州電力局のウカイ火力発電所(200MW)は燃料不足のため運転を停止した。 |
DIA-302-1979-04-23-2 | インド | 1979年04月23日 | 1970年代 | ゴアのカコドカル内閣の予算案,議会で否決される。 |
DIA-302-1979-04-24-1 | インド | 1979年04月24日 | 1970年代 | ミゾラム州議会選挙行なわれる。 |
DIA-302-1979-04-24-2 | インド | 1979年04月24日 | 1970年代 | バジパイ外相,カーター米大統領と会談。パキスタンの核開発問題を話しあったといわれる。 |
DIA-302-1979-04-25-1 | インド | 1979年04月25日 | 1970年代 | 会議派(I)内の対立,役員選挙をめぐって表面化。 |
DIA-302-1979-04-25-2 | インド | 1979年04月25日 | 1970年代 | CPIのブペシュ・グプタはヴィノーバ・バーヴェを支持するガンディー夫人を非難。 |
DIA-302-1979-04-26-1 | インド | 1979年04月26日 | 1970年代 | ヴィーバ・バーヴェ,断食をやめる。デサイ首相は牛屠殺を中央・州の共管事項にする憲法改正案を提出すると約束。 |
DIA-302-1979-04-26-2 | インド | 1979年04月26日 | 1970年代 | ゴアのカコドカル州首相辞表提出。 |
DIA-302-1979-04-27-1 | インド | 1979年04月27日 | 1970年代 | ジャナタ党5人委員会開かれる。RSS,党役員選挙問題で結論でず。 |
DIA-302-1979-04-27-2 | インド | 1979年04月27日 | 1970年代 | サンジャイ・ガンディーはデリーの法廷で騒いだため保釈を取り消され,拘置される。 |
DIA-302-1979-04-28-1 | インド | 1979年04月28日 | 1970年代 | ゴア,大統領直轄統治下に入る。。州議会解散。 |
DIA-302-1979-04-29-1 | インド | 1979年04月29日 | 1970年代 | ミゾラーム州議会選挙結果,全30議席のうち26議席の結果判明,人民会議(People’s Coference)17議席,会議派(I)5議席獲得。 |
DIA-302-1979-04-30-1 | インド | 1979年04月30日 | 1970年代 | 第44次憲法改正法,成立。行政権の乱用を阻止。非常事態宣言発動に制限,財産権を基本的人権から除外する。 |
DIA-302-1979-04-30-2 | インド | 1979年04月30日 | 1970年代 | 1978―79年度のアルミ生産量は21.5万トンで前年度の17.9万トンより20%アップ。 |
DIA-302-1979-05-01-1 | インド | 1979年05月01日 | 1970年代 | サンジャイ・ガンディーの指導する特別法廷設置反対のデモ,デリーで暴動化。サンジャイら教百人の青年会議派(I)活動家が逮捕される。(サンジャイ,5月3日保釈される)。 |
DIA-302-1979-05-02-1 | インド | 1979年05月02日 | 1970年代 | ジャナタ党国会議員団理事会で,ハリアナ州相首デビ・ラールの党員権停止の動きが阻止される。 |
DIA-302-1979-05-02-2 | インド | 1979年05月02日 | 1970年代 | マハラシュトラ州でも石炭不足で電力不足深刻化。 |
DIA-302-1979-05-03-1 | インド | 1979年05月03日 | 1970年代 | エジプト・ムバラク副大統領訪印。 |
DIA-302-1979-05-03-2 | インド | 1979年05月03日 | 1970年代 | アリーガル・ムスリム大学法(改正案)下院通過。1965年,1972年法の前の段階に戻そうというもの。 |
DIA-302-1979-05-03-3 | インド | 1979年05月03日 | 1970年代 | U.P.州議会で,ジャナタ党内のバナラシ・ダス州首相反対派が州首相攻撃。 |
DIA-302-1979-05-04-1 | インド | 1979年05月04日 | 1970年代 | メガラヤ州のプグ内閣,不信任案が可決され倒れる。 |
DIA-302-1979-05-04-2 | インド | 1979年05月04日 | 1970年代 | インドはバングラデシュに小麦5万トン,米15万トンをコモデイティ・ローン・ベースで輸出することに合意した。 |
DIA-302-1979-05-04-3 | インド | 1979年05月04日 | 1970年代 | 国営マザガオン・ドックは,ONGCに海洋油田掘削プラットフォームを引き渡した。 |
DIA-302-1979-05-04-4 | インド | 1979年05月04日 | 1970年代 | ヤダブ工業担当国務相は1978―79年中にゼメント26万トンの輸入を予定していることを下院で明らかにした。 |
DIA-302-1979-05-06-1 | インド | 1979年05月06日 | 1970年代 | ジャナタ党国会議員団理事会,党役員選挙と二重籍(RSSとジャナタ党)問題を話しあう。 |
DIA-302-1979-05-06-2 | インド | 1979年05月06日 | 1970年代 | アルス・カルナタカ州首相,個人崇拝の傾向について警告。 |
DIA-302-1979-05-07-1 | インド | 1979年05月07日 | 1970年代 | B.B.リンドー(Lyngdoh)を州首相とするメガラヤ州新政府発足。連立政権。 |
DIA-302-1979-05-07-2 | インド | 1979年05月07日 | 1970年代 | ガンディー女史が,米国から金を受けとったとされる問題について,政府は調査委員会設置提案を拒否。 |
DIA-302-1979-05-07-3 | インド | 1979年05月07日 | 1970年代 | ジョージ・フェルナンデス工業相,鉄道労働者が正当な要求でストライキに立ち上がれば,閣僚を辞任せざるを得ないと語る。 |
DIA-302-1979-05-07-4 | インド | 1979年05月07日 | 1970年代 | インド・ユーゴ共同声明で,非同盟諸国間で紛争解決のために武力が行使されていることに遺憾の意を表明。ユーゴのヴロヴェク外相3日間の訪印終える。 |
DIA-302-1979-05-08-1 | インド | 1979年05月08日 | 1970年代 | UNCTAD第5回総会(マニラ)で,M.ダリア商業相,発展途上諸国間の貿易のより自由化を主張。 |
DIA-302-1979-05-08-2 | インド | 1979年05月08日 | 1970年代 | サンジャイ・ガンディーはラージ・ナライン前保健相と反RSSに向けての「統一戦線」の結成の可能性を追求して,数回会ったこともあると述べた。 |
DIA-302-1979-05-08-3 | インド | 1979年05月08日 | 1970年代 | 特別法廷法案,上院の修正を付して下院通過。 |
DIA-302-1979-05-08-4 | インド | 1979年05月08日 | 1970年代 | T.サイロを州首相とするミゾラム州人民会議党政府発足。 |
DIA-302-1979-05-09-1 | インド | 1979年05月09日 | 1970年代 | アルス・カルナタカ州首相などの汚職を調査したグローヴァー委員会報告書,連邦下院に提出される。内容は,アルスらが有罪であるとするもの。 |
DIA-302-1979-05-09-2 | インド | 1979年05月09日 | 1970年代 | アリーガル・ムスリム大学の学生とRSS系活動家がデリーで衝突,100人の負傷者を出す。 |
DIA-302-1979-05-09-3 | インド | 1979年05月09日 | 1970年代 | マハラシュトラ州政府はボンベイ・プーナ工業地帯に1週5日労働制を一方的に導入,労使の強い反発を受けている。 |
DIA-302-1979-05-10-1 | インド | 1979年05月10日 | 1970年代 | デサイ首相,フィゾがインド国籍を受入れるなら,話し合いを行なうのに何の問題もないと語る。 |
DIA-302-1979-05-10-2 | インド | 1979年05月10日 | 1970年代 | パンジャブ州政府,警官のデモに対して強硬姿勢で臨むことを決める。 |
DIA-302-1979-05-10-3 | インド | 1979年05月10日 | 1970年代 | アリーガル・ムスリム大学,9日の事件に抗議して休校。学生と警官隊の衝突で5人死亡。 |
DIA-302-1979-05-10-4 | インド | 1979年05月10日 | 1970年代 | カルカッタで反CPI(M)デモ,警官隊と衝突。 |
DIA-302-1979-05-11-1 | インド | 1979年05月11日 | 1970年代 | パンジャーブ州の警官のアジテーションが拡大し,州警察機動隊(PAC)も参加した。バダル州首相,会議派(I)とCPIが警官のアジテーションを利用していると非難。 |
DIA-302-1979-05-11-2 | インド | 1979年05月11日 | 1970年代 | 訪印中のグエン・チ・ビン・ベトナム教育相,インドによるカンプチヤ承認と同国への援助を要請。 |
DIA-302-1979-05-11-3 | インド | 1979年05月11日 | 1970年代 | 農産物価格委員会は1979―80年度の米の政府買上げ価格を前年より5ルピー引き上げキンタール当り90ルピーとした。 |
DIA-302-1979-05-11-4 | インド | 1979年05月11日 | 1970年代 | インドはバングラデシュと2.87万トンのジュート・バックの輸入契約を結んだ。 |
DIA-302-1979-05-11-5 | インド | 1979年05月11日 | 1970年代 | アンドラ州のネロール,クリシュナ,ゴダヴァリ地区でサイクロン,100万人以上が家を失う。 |
DIA-302-1979-05-11-6 | インド | 1979年05月11日 | 1970年代 | AIADMK,タンジャヴール,ナガパティナムの連邦下院補選(6月17日)で会議派(I)と選挙協定を結ぶことを決める。 |
DIA-302-1979-05-13-1 | インド | 1979年05月13日 | 1970年代 | 陸軍,パンジャーブ州のジャランダールとバハドゥールガルの警察武器貯蔵所を占拠,国境警備隊さらに各地に配備される。パンジャーブ各地で警察官のデモが続く。 |
DIA-302-1979-05-14-1 | インド | 1979年05月14日 | 1970年代 | パンジャーブ州政府,警察官の給与引上げを決定。巡査は現行の427ルピーから527ルピーへ,賃金委員会の勧告より85ルピー引上げ。 |
DIA-302-1979-05-14-2 | インド | 1979年05月14日 | 1970年代 | 同州の警官スト,7日目に入る。125人解雇され,200人逮捕される。 |
DIA-302-1979-05-14-3 | インド | 1979年05月14日 | 1970年代 | ディネッシュ・シン首相特使,東南アジア訪問に出発。 |
DIA-302-1979-05-15-1 | インド | 1979年05月15日 | 1970年代 | H.M.パテル内相,全国の警官に対して,アジテーションをやめるよう訴える。パンジャーブ州の警官のアジテーションは続く。 |
DIA-302-1979-05-15-2 | インド | 1979年05月15日 | 1970年代 | ルピー,対ポンド1.48%と切上げ。新ミドルレートは16.90ルピー=1ポンド。 |
DIA-302-1979-05-15-3 | インド | 1979年05月15日 | 1970年代 | 1978―79年の輸出額(暫定)は554.4億ルピーで前年比5.5%の増加となった。 |
DIA-302-1979-05-15-4 | インド | 1979年05月15日 | 1970年代 | ジャナタ党国会議員団理事会,「二重所属メンバー問題」をデサイ首相に一任することを決めた。 |
DIA-302-1979-05-16-1 | インド | 1979年05月16日 | 1970年代 | 会議派(I)主催の特別法廷法案反対集会,デリーで行なわれる。ガンディー女史はジャナタ党は内部から崩壊しつつあると演説。 |
DIA-302-1979-05-16-2 | インド | 1979年05月16日 | 1970年代 | ジャナタ党役員選挙で会議派(O)―ジャン・サン連合,優勢をしめる。 |
DIA-302-1979-05-16-3 | インド | 1979年05月16日 | 1970年代 | 未熟練鉱夫の最低賃金は月438ルピーから512ルピーに引き上げられた。 |
DIA-302-1979-05-17-1 | インド | 1979年05月17日 | 1970年代 | 憲法第46次改正案(指定カースト,部族委員会とマイノリティ委員会に憲法上の地位を与えようとするもの),下院で否決される。 |
DIA-302-1979-05-17-2 | インド | 1979年05月17日 | 1970年代 | 特別法廷法案,大統領承認。 |
DIA-302-1979-05-18-1 | インド | 1979年05月18日 | 1970年代 | デサイ首相,ナンダ・デヴィの放射能の残存は心配なしと語る。 |
DIA-302-1979-05-18-2 | インド | 1979年05月18日 | 1970年代 | 牝牛のと殺禁止に関する第50次憲法改正法案下院に提出される。 |
DIA-302-1979-05-18-3 | インド | 1979年05月18日 | 1970年代 | ジャナタ党内の旧BLD系,党役員選挙に参加しないと表明。 |
DIA-302-1979-05-18-4 | インド | 1979年05月18日 | 1970年代 | ケララ州議会議員補欠選挙でCPI(M)の指導する野党戦線が全議席獲得。CPI(M) 2,ジャナタ党1,ムスリム・リーグ反主流派1,CPI(M)は会議派(I)に代わって野党第一党になる。 |
DIA-302-1979-05-19-1 | インド | 1979年05月19日 | 1970年代 | パンチャヤート・ラージ改善に関するアショーカ・メータ委員会の勧告,州首相会議で拒否される。勧告案は,中央立法により,現行の3段階を2段階にしようとするものであるが,州首相たちは現行制度の維持を主張した。 |
DIA-302-1979-05-20-1 | インド | 1979年05月20日 | 1970年代 | ガンディー女史,タンジャヴール補欠選挙に立候補しないと発表。 |
DIA-302-1979-05-20-2 | インド | 1979年05月20日 | 1970年代 | マディア・プラデシ州で,警官隊,待遇改善を主張してデモを行なう。 |
DIA-302-1979-05-20-3 | インド | 1979年05月20日 | 1970年代 | ラビ・シーズン(1979―80年度)の政府小麦買上げ量は400万,トンを突破した。 |
DIA-302-1979-05-21-1 | インド | 1979年05月21日 | 1970年代 | バジパイ外相,西アジア訪問。クウェート着。 |
DIA-302-1979-05-21-2 | インド | 1979年05月21日 | 1970年代 | 警官隊のデモ,インドールにも拡がる。 |
DIA-302-1979-05-22-1 | インド | 1979年05月22日 | 1970年代 | マディア・プラデシ州の警官のアジテーション,各地(ウジャイン,グワリオル,ジャバルプル,カトニ,チンドワラ,ダル,ジャオラ)に拡がる。U.P.州政府は警察官に対し,年間一カ月分の給与積増しを決定。 |
DIA-302-1979-05-22-2 | インド | 1979年05月22日 | 1970年代 | U.P.州バナラシ・ダス首相,警察官の労働組合は認められないと語る。 |
DIA-302-1979-05-23-1 | インド | 1979年05月23日 | 1970年代 | ONGCのG. Ramaswamy理事を権限外の事項で外国政府,外国会社と関係をもったとの理由で解任した。 |
DIA-302-1979-05-24-1 | インド | 1979年05月24日 | 1970年代 | 警官のデモがラージャスターン州のコタ,シカルにまで拡大する。 |
DIA-302-1979-05-25-1 | インド | 1979年05月25日 | 1970年代 | タミル・ナード州で15万人の繊維労働者,賃上げなどの要求でストに突入。 |
DIA-302-1979-05-25-2 | インド | 1979年05月25日 | 1970年代 | 1978年の労働争議による労働日損失は2151万人日であった。前年より381万人日減。 |
DIA-302-1979-05-26-1 | インド | 1979年05月26日 | 1970年代 | ラクノウで,販売税の問題をめぐって商人と警官隊が衝突。 |
DIA-302-1979-05-26-2 | インド | 1979年05月26日 | 1970年代 | 中央機動隊,ウダイプールなどの警察所を抑える。 |
DIA-302-1979-05-26-3 | インド | 1979年05月26日 | 1970年代 | マディア・プラデシ州,警官の賃金年間につき一カ月分のサラリーを付加される。 |
DIA-302-1979-05-27-1 | インド | 1979年05月27日 | 1970年代 | ラクノウ市,無制限外出禁止令が出される。 |
DIA-302-1979-05-27-2 | インド | 1979年05月27日 | 1970年代 | 警官のスト,オリッサ州にも拡がる。 |
DIA-302-1979-05-28-1 | インド | 1979年05月28日 | 1970年代 | デサイ首相,政府は警官のストに対して厳しく対処しなければならないと語る。警官スト,クジャラマト州にも拡がる。 |
DIA-302-1979-05-28-2 | インド | 1979年05月28日 | 1970年代 | ジャナタ党,役員選挙を当面中止する。 |
DIA-302-1979-05-28-3 | インド | 1979年05月28日 | 1970年代 | パキスタンのシャー・ナワズ外務次官,パの非同盟運動参加問題協議のため訪印。 |
DIA-302-1979-05-28-4 | インド | 1979年05月28日 | 1970年代 | バジパイ外相,イラク訪問。 |
DIA-302-1979-05-28-5 | インド | 1979年05月28日 | 1970年代 | 中央政府は1979―80年度中にセメント200万トンを輸入する決定をした。 |
DIA-302-1979-05-29-1 | インド | 1979年05月29日 | 1970年代 | バジパイ外相,西アジア諸国訪問から帰国。非同盟運動からエジプトを追放すべきかどうかの問題については,アラブ諸国のコンセンサスに従うと述べる。 |
DIA-302-1979-05-29-2 | インド | 1979年05月29日 | 1970年代 | マディア・プラデシ州シディ選挙区の連邦下院補欠選挙で,ジャナタ党が会議派(I)を破る。 |
DIA-302-1979-05-29-3 | インド | 1979年05月29日 | 1970年代 | インド・フィリピン貿易協定,モハン・ダリア商業相,マルコス・フィリピン大統領を訪問。 |
DIA-302-1979-05-29-4 | インド | 1979年05月29日 | 1970年代 | デサイ首相がダージリン訪問,ネパーリー語を憲法の第8スケジュールに入れることを要求するデモが行なわれた。 |
DIA-302-1979-05-30-1 | インド | 1979年05月30日 | 1970年代 | マハラシュトラ州政府,警察官の二つの要求(週休制と無料の家賃)をのむ。 |
DIA-302-1979-05-30-2 | インド | 1979年05月30日 | 1970年代 | デリーに二つの特別法廷設置される。 |
DIA-302-1979-05-30-3 | インド | 1979年05月30日 | 1970年代 | インドはモロッコ大使の退去を求めた。 |
DIA-302-1979-05-30-4 | インド | 1979年05月30日 | 1970年代 | ラクノウの商人のストに連帯して,デリーでバンドが行なわれ,ほとんどの店が閉じられた。 |
DIA-302-1979-05-30-5 | インド | 1979年05月30日 | 1970年代 | 5日間にわたるラクノウ商人のアジテーション中止される。 |
DIA-302-1979-05-31-1 | インド | 1979年05月31日 | 1970年代 | 日本とイギリスはボンベイ・ハイの天然ガスを原料とする化学肥料工場の建設に資金援助することに合意した。 |
DIA-302-1979-05-31-2 | インド | 1979年05月31日 | 1970年代 | マルティ問題についてのグプタ調査報告書,パテル内相に提出される。 |
DIA-302-1979-06-01-1 | インド | 1979年06月01日 | 1970年代 | 日印外務事務次官会議。ニューデリーで東南アジア情勢に関して,意見交換。 |
DIA-302-1979-06-01-2 | インド | 1979年06月01日 | 1970年代 | 中央政府閣議はヴィシャカパトナムの製鉄所建設着工を了承した。製鉄所の生産能力は320万トン,建設費は225.6億ルピーの予定。 |
DIA-302-1979-06-01-3 | インド | 1979年06月01日 | 1970年代 | ガンディナガルで5000人の警官のデモと陸軍衝突。7人の警官負傷。 |
DIA-302-1979-06-01-4 | インド | 1979年06月01日 | 1970年代 | デサイ首相,非同盟運動はエジプトを追放できないと語る。 |
DIA-302-1979-06-01-5 | インド | 1979年06月01日 | 1970年代 | インド,ウガンダのルレ政権を承認。 |
DIA-302-1979-06-02-1 | インド | 1979年06月02日 | 1970年代 | インドの組織労働者数,1968年から78年の間に3倍増。10万人以上を組織している中央労組の労組員は,68年の255万0480人を78年の743万2627人へ。労組数は4から11へ。(1978年の組織者数)INTUC 238万8451人 AITUC 130万7471人 BMS 85万9200人 HMS 85万2558人 CITU 81万7805人 HMP 22万1522人 UTC 38万4564人 NLO 20万2965人 NFITU 22万4520人 |
DIA-302-1979-06-03-1 | インド | 1979年06月03日 | 1970年代 | バローダでミルクの値上りに抗議する大衆と警官隊衝突,12時間の外出禁止令が出される。 |
DIA-302-1979-06-03-2 | インド | 1979年06月03日 | 1970年代 | 家族計画の一環として,今年は50万人の女性がピルを使用することを目標とする。 |
DIA-302-1979-06-03-3 | インド | 1979年06月03日 | 1970年代 | CPI(M),インドはエジプトのサダト体制を非難し,パキスタンを非同盟運動に加入させるべきでないと主張。 |
DIA-302-1979-06-04-1 | インド | 1979年06月04日 | 1970年代 | U.P.州の商工会議所と州政府話し合いがつき,バンド中止。 |
DIA-302-1979-06-04-2 | インド | 1979年06月04日 | 1970年代 | グジャラート州の警察官のアジテーション,州政府と妥協が生まれ,終結。 |
DIA-302-1979-06-05-1 | インド | 1979年06月05日 | 1970年代 | デサイ首相,もしエジプトが非同盟運動から追放されることになれば,ハバナの会議に出席できないと語る。 |
DIA-302-1979-06-05-2 | インド | 1979年06月05日 | 1970年代 | バジパイ外相,パキスタンの非同盟運動への加入を歓迎すると語る。バ外相コロンボの非同盟諸国外相会議に参加。 |
DIA-302-1979-06-05-3 | インド | 1979年06月05日 | 1970年代 | ビハール州閣僚21人が新たに加えられラム・スンダル・ダスは内閣33人の閣僚で構成される。 |
DIA-302-1979-06-06-1 | インド | 1979年06月06日 | 1970年代 | ハリアナ州の7人のジャナタ党州議員,党総裁とデサイ首相に会い,デヴィ・ラル州政府の解任を要求。うち,4人の閣僚は辞表を提出。 |
DIA-302-1979-06-06-2 | インド | 1979年06月06日 | 1970年代 | ガンディー女史,D.アルスに代わるカルナタカ州同党委員長が選出されるだろうと語る。 |
DIA-302-1979-06-06-3 | インド | 1979年06月06日 | 1970年代 | 警察官問題についての州首相会議。日直制度の廃止などを決める。 |
DIA-302-1979-06-06-4 | インド | 1979年06月06日 | 1970年代 | アッサム州,ナガランド州,干ばつのため飢饉が懸念されている。 |
DIA-302-1979-06-07-1 | インド | 1979年06月07日 | 1970年代 | 2回目のインドの宇宙衛星バスカラ(444kg)がソ連のロケットによって打ち上げられた。 |
DIA-302-1979-06-07-2 | インド | 1979年06月07日 | 1970年代 | テレビ受像機の販売台数が1979年財政法による連邦消費税の引上げのため,33~40%低下した。 |
DIA-302-1979-06-07-3 | インド | 1979年06月07日 | 1970年代 | J.ラム国防相,ロンドンにてサッチャー英首相と会談。 |
DIA-302-1979-06-08-1 | インド | 1979年06月08日 | 1970年代 | 対印債権国は総額約30億ドル(対前年比22%増)の援助を約束した。 |
DIA-302-1979-06-08-2 | インド | 1979年06月08日 | 1970年代 | 鉄鋼・鉱山省は長期ベースで年間100万トンのコークス炭の輸入を決定した。 |
DIA-302-1979-06-08-3 | インド | 1979年06月08日 | 1970年代 | アルス・カルナタカ州首相,自分は州会議派(I)委員長に正式に選出されていると述べ,ガンディー女史の発言に反発。 |
DIA-302-1979-06-09-1 | インド | 1979年06月09日 | 1970年代 | ビハール州政府,政令で4月1日に朔及して禁酒法を施行。 |
DIA-302-1979-06-09-2 | インド | 1979年06月09日 | 1970年代 | J.ラム国防相,ジャガー戦闘機の第一期分,7月に到着すると語る。 |
DIA-302-1979-06-09-3 | インド | 1979年06月09日 | 1970年代 | アルス・カルナタカ州首相,州会議派(I)委員長の辞任の意向はないと表明。 |
DIA-302-1979-06-10-1 | インド | 1979年06月10日 | 1970年代 | デサイ首相,訪ソ。タシュケントで独立国家間の公平で平等な関係を強調し,インドは周辺地域を支配するつもりはないと語る。 |
DIA-302-1979-06-11-1 | インド | 1979年06月11日 | 1970年代 | デサイ首相,タシュケントからモスクワへ。ブレジネフ,コスイギンら出迎え。 |
DIA-302-1979-06-11-2 | インド | 1979年06月11日 | 1970年代 | UNDPインド向け8860万ドルの援助を決める。 |
DIA-302-1979-06-12-1 | インド | 1979年06月12日 | 1970年代 | ジャナタ党統制委員会,ラージ・ナラインを党閣僚の個人攻撃を行なったとして,1年間党から追放する。 |
DIA-302-1979-06-13-1 | インド | 1979年06月13日 | 1970年代 | 印ソ首脳会談,ソ連,インドに対する重水と原油の供給を約束。 |
DIA-302-1979-06-14-1 | インド | 1979年06月14日 | 1970年代 | 印ソ共同コミュニケ発表。平和的核エネルギー開発,ヴィシャカパトナム鉄鋼プラント,宇宙衛星など経済その他の分野での協力拡大をうたう。国際問題ではSALT IIの意義,アフガニスタンとの友好協力関係の発展,非同盟運動の意義を確認する。 |
DIA-302-1979-06-14-2 | インド | 1979年06月14日 | 1970年代 | デサイ首相,ポーランド訪問。 |
DIA-302-1979-06-15-1 | インド | 1979年06月15日 | 1970年代 | 会議派(I)執行委員会,同党カルナタカ州委員会を解散。 |
DIA-302-1979-06-15-2 | インド | 1979年06月15日 | 1970年代 | デサイ首相,ギエレク・ポーランド書記長と会談。双方とも,パキスタンのアフガニスタン外交批判。 |
DIA-302-1979-06-15-3 | インド | 1979年06月15日 | 1970年代 | ミゾラム州で暴動,国境警備隊,中央機動隊,陸軍出動。 |
DIA-302-1979-06-15-4 | インド | 1979年06月15日 | 1970年代 | ルピー,対ポンド1.17%切下げ。 |
DIA-302-1979-06-16-1 | インド | 1979年06月16日 | 1970年代 | カルナタカ州会議派(I)分裂。同党中央が,S.バンガラッパを州党委員長に任命したのに対し,アルス州首相はバンガラッパを内閣閣僚から解任した。 |
DIA-302-1979-06-16-2 | インド | 1979年06月16日 | 1970年代 | インド・ポーランド共同声明。 |
DIA-302-1979-06-16-3 | インド | 1979年06月16日 | 1970年代 | デサイ首相,チェコ訪問,フサク大統領と会談。 |
DIA-302-1979-06-17-1 | インド | 1979年06月17日 | 1970年代 | アッサム・ミゾラム州境に陸軍パトロール。 |
DIA-302-1979-06-18-1 | インド | 1979年06月18日 | 1970年代 | 会議派(I)執行委員会は,アルスに対し,党の決定に従わないことについて釈明を求める。 |
DIA-302-1979-06-18-2 | インド | 1979年06月18日 | 1970年代 | インド・チェコ共同コミュニケ。 |
DIA-302-1979-06-18-3 | インド | 1979年06月18日 | 1970年代 | デサイ首相,ユーゴ訪問。チトー大統領と会談。 |
DIA-302-1979-06-18-4 | インド | 1979年06月18日 | 1970年代 | ジャムシェドプールで暴動が起き,外出禁止令。 |
DIA-302-1979-06-18-5 | インド | 1979年06月18日 | 1970年代 | アリーガルでも外出禁止令。 |
DIA-302-1979-06-19-1 | インド | 1979年06月19日 | 1970年代 | 憲法第44次改正の大統領令,財産権を基本権から除くもの。 |
DIA-302-1979-06-19-2 | インド | 1979年06月19日 | 1970年代 | ダライ・ラマ・モンゴル訪問を終える。 |
DIA-302-1979-06-19-3 | インド | 1979年06月19日 | 1970年代 | ミゾラム,アッサムでの暴動拡大。 |
DIA-302-1979-06-21-1 | インド | 1979年06月21日 | 1970年代 | ケララ州のトリパンドラムとパリプラムで中央機動隊(CRP)が賃上げ,労働条件改善でストライキに入ったため,陸軍出動。 |
DIA-302-1979-06-21-2 | インド | 1979年06月21日 | 1970年代 | アルス・カルナタカ州首相,ガンディー夫人の行動を非難。 |
DIA-302-1979-06-21-3 | インド | 1979年06月21日 | 1970年代 | インド・ユーゴ・共同コミュニケ発表,「非同盟運動はその原則,目的を厳しく守る」ことを強調。 |
DIA-302-1979-06-21-4 | インド | 1979年06月21日 | 1970年代 | デサイ首相,西独訪問。シュミット首相と会談。 |
DIA-302-1979-06-21-5 | インド | 1979年06月21日 | 1970年代 | ネパールの元首相,B.P.コイララ,パトナ着。 |
DIA-302-1979-06-22-1 | インド | 1979年06月22日 | 1970年代 | ジャナタ党国会議員団理事会の各州への指示。ハリアナ州首相デヴィ・ラルに対して,同州議会議員総会で信任投票を受けること。アッサム州首相ボルボラに対して,内閣改造を要求。ラジャスタン州については緊急行動の必要はないと判断。 |
DIA-302-1979-06-22-2 | インド | 1979年06月22日 | 1970年代 | デサイ首相,帰国。 |
DIA-302-1979-06-22-3 | インド | 1979年06月22日 | 1970年代 | カルカッタでサンジャイの率いる会議派(I)のデモ,警官隊と衝突。 |
DIA-302-1979-06-23-1 | インド | 1979年06月23日 | 1970年代 | ラージ・ナライン,ジャナタ党離党。 |
DIA-302-1979-06-23-2 | インド | 1979年06月23日 | 1970年代 | デヴィ・ラル・ハリアナ州首相・ジャナタ党州議会リーダーを辞任。 |
DIA-302-1979-06-23-3 | インド | 1979年06月23日 | 1970年代 | ナディア暴動の死者32人にのぼる。 |
DIA-302-1979-06-23-4 | インド | 1979年06月23日 | 1970年代 | デリーで中央機動隊(CRP)のスト,組合を結成し賃上げを要求。 |
DIA-302-1979-06-24-1 | インド | 1979年06月24日 | 1970年代 | 会議派(I)執行委員会,アルス・カルナタカ州首相を6年間党から追放と決定。 |
DIA-302-1979-06-25-1 | インド | 1979年06月25日 | 1970年代 | ボカロで待遇改善要求をしていた中央工場保安隊(CISF)が陸軍と銃撃戦。700人のCISFが逮捕される,死亡者は23人。 |
DIA-302-1979-06-25-2 | インド | 1979年06月25日 | 1970年代 | デリーで鉄道保安隊もアジテーション。 |
DIA-302-1979-06-25-3 | インド | 1979年06月25日 | 1970年代 | デリーでCRPと陸軍衝突。 |
DIA-302-1979-06-25-4 | インド | 1979年06月25日 | 1970年代 | D.アルスを指導者とする新党カルナタカ・コングレス発足。 |
DIA-302-1979-06-26-1 | インド | 1979年06月26日 | 1970年代 | ボカロ,陸軍が完全掌握。 |
DIA-302-1979-06-26-2 | インド | 1979年06月26日 | 1970年代 | トリバンドラムのCRPが武装解除処分を受ける。 |
DIA-302-1979-06-28-1 | インド | 1979年06月28日 | 1970年代 | 旧BLD系のバジャン・ラルがハリアナ州首相に就任。 |
DIA-302-1979-06-29-1 | インド | 1979年06月29日 | 1970年代 | 農業省,78/79年度(78.7~79.6)の食糧穀物生産1億3050万トンと発表。 |
DIA-302-1979-06-30-1 | インド | 1979年06月30日 | 1970年代 | 国防相,一般兵士の待遇改善措置を発表。 |
DIA-302-1979-06-30-2 | インド | 1979年06月30日 | 1970年代 | タミルナド州でCISFの就業拒否。 |
DIA-302-1979-07-01-1 | インド | 1979年07月01日 | 1970年代 | ミゾラームのコラシブ地区で,ミゾ民族戦線ゲリラと中央治安警察隊が交戦し,警察隊の1人が死亡,陸軍が治安出動した。 |
DIA-302-1979-07-02-1 | インド | 1979年07月02日 | 1970年代 | キャリントン英外相が,デサイ首相,バジパイ外相と会談。3日にもバジパイ外相と会談。 |
DIA-302-1979-07-02-2 | インド | 1979年07月02日 | 1970年代 | ミゾ民族戦線ゲリラは,ミゾラーム州アイザウル市の国営ラジオ放送局と,ミゾラーム州警察本部を襲撃,さらにアイザウル市の西5キロメートル地点の中央治安警察隊駐屯地も襲われた。夜にはミゾラーム州警察本部長襲撃未遂事件があった。 |
DIA-302-1979-07-03-1 | インド | 1979年07月03日 | 1970年代 | ミゾラーム州アイザウル市のラジオ局が再びゲリラに襲撃された。 |
DIA-302-1979-07-03-2 | インド | 1979年07月03日 | 1970年代 | インド準備銀行は,砂糖,食用油・油用種子,豆などの商品への融資規制を強めて買占めや投機に利用されることをチェックする方針を立てた。 |
DIA-302-1979-07-03-3 | インド | 1979年07月03日 | 1970年代 | 閣議は11日から始まるモンスーン国会の議事を討議し,特別法廷に高裁と同格の権限を与える,指定カースト・部族委員会,小数民族委員会に法律上の地位を付す,デリー借家法修正,パルプ紙工業の調査研究所の設立,強制貯蓄計画による積立金の支給を1年間停止,落花生の支持価格を引上げて1キンタール190ルピーに,などの方針を決定。 |
DIA-302-1979-07-04-1 | インド | 1979年07月04日 | 1970年代 | インド準備銀行職員のストを禁止する大統領令発行。 |
DIA-302-1979-07-04-2 | インド | 1979年07月04日 | 1970年代 | アルスによる会議派系バンガロール大会が開かれ,「インド国民会議派」の名のもとに団結することを決議,スワラン・シンとアルスに対し,分裂(1977年12月31日)前の会議派の状態で党全国大会を開き,党を統一する方法を見出すよう要請した。 |
DIA-302-1979-07-04-3 | インド | 1979年07月04日 | 1970年代 | 強制貯蓄計画による積立金の支払いを1年延期する大統領政令が出された。 |
DIA-302-1979-07-05-1 | インド | 1979年07月05日 | 1970年代 | ジャナタ党内の旧社会党系のサマソル・グハ,H.V.カマトは,G.フェルナンデスが呼びかけた「ソシャリスト大会」(7月6日予定)に出席しないと発表。 |
DIA-302-1979-07-06-1 | インド | 1979年07月06日 | 1970年代 | インド,ビルマ外務次官会談で,アンダマン諸島海域の500kmの境界を画定。 |
DIA-302-1979-07-07-1 | インド | 1979年07月07日 | 1970年代 | ダライ・ラマはデサイ首相を訪問し,ダライ・ラマによる先のモンゴル訪問などを話した。 |
DIA-302-1979-07-07-2 | インド | 1979年07月07日 | 1970年代 | ジャナタ党内旧社会党系の大会がデリーで開かれ,党内社会党系の人々に離党を呼びかけた。 |
DIA-302-1979-07-07-3 | インド | 1979年07月07日 | 1970年代 | キューバのカルロス・ラファエル・ロドリゲス副大統領が,デサイ首相,バジパイ外相と会談。科学技術協力,第3国でのジョイントベンチャーなどを討議した。 |
DIA-302-1979-07-09-1 | インド | 1979年07月09日 | 1970年代 | ジャナタ党から,ラージ・ナライン派の下院議員11人が脱退,他に2人が脱退して会議派に加わった。これにより下院のジャナタ党勢力は総議席の半数を17上廻る287に落ちた。 |
DIA-302-1979-07-09-2 | インド | 1979年07月09日 | 1970年代 | 下院で,ヴァルマ労働相が大統領令2本(インド準備銀行のスト禁止,強制貯蓄積立金の支払い延期)の立法化案を提出し,全野党がこれに抗議して退場した。 |
DIA-302-1979-07-09-3 | インド | 1979年07月09日 | 1970年代 | ラージ・ナラインは自派をジャナタ党(S.セキュラー)と命名。 |
DIA-302-1979-07-09-4 | インド | 1979年07月09日 | 1970年代 | 会議派(I)の下院議員12人が離党し,会議派に参加した。 |
DIA-302-1979-07-10-1 | インド | 1979年07月10日 | 1970年代 | ジャナタ党下院議員14人が党を脱退した。ジャナタ党(S)に参加を表明。 |
DIA-302-1979-07-10-2 | インド | 1979年07月10日 | 1970年代 | サンジャイ・ガンジーら約300人の会議派(I)青年部の活動家がパトナ市で禁止令違犯のデモを行ない逮捕された。直ちに保釈された。 |
DIA-302-1979-07-11-1 | インド | 1979年07月11日 | 1970年代 | ジャナタ党から下院議員がさらに20人辞任したため,党下院勢力は,535中225と半数を割った。 |
DIA-302-1979-07-11-2 | インド | 1979年07月11日 | 1970年代 | 会議派(I)は,チャラン・シンを支持すると表明。 |
DIA-302-1979-07-11-3 | インド | 1979年07月11日 | 1970年代 | シェール・シン原子力担当相は,インドはソ連と重水200トンの輸入を折衝中だと語った。 |
DIA-302-1979-07-12-1 | インド | 1979年07月12日 | 1970年代 | デサイ内閣から5閣僚辞任-ラビ・ライ厚生相,J.ミシュラ・エネルギー相,ジャグビール・シン情報・放送相,N.ヤダヴ法・公正・会社関係相,ラーム・キンカル公共事業・住宅相の5名,他に下院議員2名と上院議員3名が党を脱退。 |
DIA-302-1979-07-13-1 | インド | 1979年07月13日 | 1970年代 | バフグナ石油・化学・肥料相,F.ラーマン計画担当相,ズルフィクアルラー蔵務担当国務相はデサイ内閣から辞任。3人はCFD系。 |
DIA-302-1979-07-13-2 | インド | 1979年07月13日 | 1970年代 | CPI・Mはデサイ政府不信任動議を支持する方針-両会議派も不信任動議を支持することを決定した。 |
DIA-302-1979-07-14-1 | インド | 1979年07月14日 | 1970年代 | ジャナタ党中央議会局会合で,フェルナンデス,バジパイがデサイ首相に辞任を勧告した。また後刻,チャンドラシェカル党総裁とフェルナンデスはデサイ首相に会い,J.ラームを首相に立てる案を示したが,デサイは拒否した。 |
DIA-302-1979-07-14-2 | インド | 1979年07月14日 | 1970年代 | B.パトナイク鉄鋼相,内閣を辞任-B.L.マンダル内務担当相も辞任した。パトナイク他下院議員9人(オリッサ州出身)はジャナタ党議員団から脱退した。 |
DIA-302-1979-07-15-1 | インド | 1979年07月15日 | 1970年代 | デサイ首相辞任-これに先立ち,G.フェルナンデス,B.P.シン,P.カウシクが内閣から辞任した。デサイ内閣は,16日の国会でチャバン(会議派)提出の不信任動議の表決をうける予定であった。デサイはジャナタ党議員団リーダーを辞任することは拒んだ。 |
DIA-302-1979-07-15-2 | インド | 1979年07月15日 | 1970年代 | 会議派(I)のK.トリパティは,チャラン・シンを「無条件」に支持すると述べた。またガンディーは,連立政府ができることになろうが党は参加しないと発言した。 |
DIA-302-1979-07-15-3 | インド | 1979年07月15日 | 1970年代 | H.N.パフグナ派はジャナタ党を脱退した。 |
DIA-302-1979-07-16-1 | インド | 1979年07月16日 | 1970年代 | チャラン・シン,組閣を申し出る-チャラン・シンはジャナタ党を辞任,ジャナタ党(S)に入党し,同党国会議員団(下院80人)のリーダーに選ばれた。シンは,R.ナラインの同行でレッディ大統領を訪れ,組閣を申し出た。 |
DIA-302-1979-07-16-2 | インド | 1979年07月16日 | 1970年代 | 会議派のスワラン・シン,チャバンらは,ジャナタ党(S)のチャラン・シンと会い,チャラン・シンの組閣に協力を申し出た。 |
DIA-302-1979-07-16-3 | インド | 1979年07月16日 | 1970年代 | デサイ前首相は声明を発表し,ジャナタ党は下院で最大の勢力を持つが党員の脱退のために下院過半数を失ない,政府は辞任したと述べた。デサイの声明は,ラジオで放送する予定であったが,大統領の要請で放送がとり止められた。デサイは大統領と会談。 |
DIA-302-1979-07-16-4 | インド | 1979年07月16日 | 1970年代 | CPI・M政治局は,ジャン・サン,RSS,会議派(I)の支持をうけた政府を支持しないと発表。 |
DIA-302-1979-07-16-5 | インド | 1979年07月16日 | 1970年代 | アッサム州政府のK.C.ゴゴイ灌漑・計画相が州政府から辞任。 |
DIA-302-1979-07-17-1 | インド | 1979年07月17日 | 1970年代 | J.ラーム(ジャナタ党)は,党内外を含めて政府樹立のためのマジョリティーを得られる,と語った。 |
DIA-302-1979-07-17-2 | インド | 1979年07月17日 | 1970年代 | 大統領,デサイと再度会談。大統領は,まず,チャバン(会議派)に組閣を打診する考えだといわれる。 |
DIA-302-1979-07-17-3 | インド | 1979年07月17日 | 1970年代 | ジャガー2機が,ロンドンでインド側に渡された。 |
DIA-302-1979-07-17-4 | インド | 1979年07月17日 | 1970年代 | 会議派国会議員60人余りが,C.シン政府を支持することに反対を表明した。D.アルスは,党はC.シンのグループに協力すべきでない,と述べた。 |
DIA-302-1979-07-17-5 | インド | 1979年07月17日 | 1970年代 | ジャナタ党(S)の上院議員団(20人)リーダーにラビ・ライが選出される。 |
DIA-302-1979-07-17-6 | インド | 1979年07月17日 | 1970年代 | 石炭価格引上げ-1トン当り21~25ルピー上げられ,消費者価格はCoal Indiaのものが1トン101.18ルピーとなった。石炭の連邦消費税は撤廃された。価格引上げは4年ぶりである。 |
DIA-302-1979-07-18-1 | インド | 1979年07月18日 | 1970年代 | アッサム州政府(ジャナタ党)からJ.シンハ労働相が辞任。 |
DIA-302-1979-07-18-2 | インド | 1979年07月18日 | 1970年代 | 大統領,チャバンに組閣を打診-レッディ大統領は野党第1党リーダーであるY.B.チャバン(会議派)に7月21日までに組閣の可能性を探るよう伝えた。 |
DIA-302-1979-07-18-3 | インド | 1979年07月18日 | 1970年代 | ジャナタ党下院国会議員総会(217人)が開かれたが,デサイは議員団リーダーを辞任することを拒否した。 |
DIA-302-1979-07-18-4 | インド | 1979年07月18日 | 1970年代 | インド空軍小型機がパキスタンのラホールに強制着陸させられた。 |
DIA-302-1979-07-18-5 | インド | 1979年07月18日 | 1970年代 | J.P.ナラヤンはデサイに党議員団リーダーを辞し,J.ラームに道を譲るよう求める手紙を送った。 |
DIA-302-1979-07-18-6 | インド | 1979年07月18日 | 1970年代 | ケララ州政府のK.M.マニ内務相とK.N.クルプ税・輸送相(ともにケララ・コングレス)が州閣議をボイコット。 |
DIA-302-1979-07-19-1 | インド | 1979年07月19日 | 1970年代 | アッサム州のT.M.バルアら与党ジャナタ党反主流派がボルボラ州首相支持を撤回した。 |
DIA-302-1979-07-19-2 | インド | 1979年07月19日 | 1970年代 | デサイは,ジャナタ党のパテル,ダンダヴァテ,S.S.バンダリの出した打開案「J.ラームに主導権を譲る」を拒否した。デサイは,チャバンの次には自分が大統領からの組閣要請を受けるべきだと,R.ジェトマラニ(ジャナタ党)への書簡で語った。 |
DIA-302-1979-07-19-3 | インド | 1979年07月19日 | 1970年代 | 政府はパキスタンに対し,19日にラホールに強制着陸させられたインド空軍機の返還を求めた。 |
DIA-302-1979-07-19-4 | インド | 1979年07月19日 | 1970年代 | 2桁インフレ-7月第1週の卸売物価指数は,前年の同期から10.2%の上昇を示した。物価は,79年度予算が国会に提出された2月28以来,上昇を続けている。 |
DIA-302-1979-07-20-1 | インド | 1979年07月20日 | 1970年代 | チャラン・シンの組閣工作難行-ガンディー(会議派(I))は,チャラン・シン支持は無条件ではないと語る。 |
DIA-302-1979-07-21-1 | インド | 1979年07月21日 | 1970年代 | チャラン・シン,組閣を主張-シンは,大統領に書簡を送り,その中で,新たな政党間同盟が成立したため自分は政権を樹立できる,と伝えた。 |
DIA-302-1979-07-21-2 | インド | 1979年07月21日 | 1970年代 | ジャナタ党(S),会議派,バフグナ派,社会党系が会合し,JS系を排除した政府を樹立するために同盟を組むことを決定した。 |
DIA-302-1979-07-21-3 | インド | 1979年07月21日 | 1970年代 | ハリヤナ州前首相デビ・ラールは,州でジャナタ党(S)を結成した。 |
DIA-302-1979-07-21-4 | インド | 1979年07月21日 | 1970年代 | インド準備銀行は,事業もしくは勉学目的の渡航者の持出外貨の上限を引上げる方針である。 |
DIA-302-1979-07-22-1 | インド | 1979年07月22日 | 1970年代 | チャバン・組閣に失敗-チャバンは大統領に,組閣の試みに失敗した旨を報告した。 |
DIA-302-1979-07-22-2 | インド | 1979年07月22日 | 1970年代 | J.ラームはジャナタ党国会議員のリーダー争いから退くと発表した。 |
DIA-302-1979-07-23-1 | インド | 1979年07月23日 | 1970年代 | 大統領はデサイとシンに支持者リストの提出を要求-レッディ大統領は,デサイとチャラン・シン双方に対し文書で,7月25日までに下院における支持者名簿を提出するよう求めた。 |
DIA-302-1979-07-23-2 | インド | 1979年07月23日 | 1970年代 | C.シンはガンディーの支持を要請-チャラン・シンはガンディーに書簡を送り,シン組閣について会議派(I)の支持を要請した。これに対しガンディーは支持を約束した。また会議派はシンを支持すると伝えた。 |
DIA-302-1979-07-23-3 | インド | 1979年07月23日 | 1970年代 | ジャナタ党議員総会は,「J.ラームの協力を得でデサイが組閣に努力する」と決定。 |
DIA-302-1979-07-25-1 | インド | 1979年07月25日 | 1970年代 | ハリヤナ州ジャナタ党は,デビ・ラール前州首らのジャナタ(S)入党者を除名した。 |
DIA-302-1979-07-25-2 | インド | 1979年07月25日 | 1970年代 | アカリ・ダル(下院,9人)は中央政府から撤退-S.S.バルナラ農相,D.S.グルシャン教育担当相が辞任した。 |
DIA-302-1979-07-25-3 | インド | 1979年07月25日 | 1970年代 | カルナタカ州会議派(K.H.パティル委員長)分裂,州委員長,書記長,党州議会議員団リーダーら25人が会議派(I)に入党した。 |
DIA-302-1979-07-25-4 | インド | 1979年07月25日 | 1970年代 | チャラン・シンとデサイが支持者リストを提出-両者のリストは重復しており,双方とも下院538議席のうち279人の支持者を主張した。 |
DIA-302-1979-07-26-1 | インド | 1979年07月26日 | 1970年代 | 大統領はチャラン・シンに組閣を要請-「8月第3週までに下院で信任投票を得るよう」伝えた。チャラン・シンは,新政権は,貧困,失業と戦い,経済不均衡を除くことを目的とすると述べた。デサイは,シン政権樹立について,「政治ディフェクションが聖衣をまとったものだ」と批判した。ガンディーは,シン政府はJS,RSSが加わっていない点でデサイ政府よりも良いと評した。 |
DIA-302-1979-07-26-2 | インド | 1979年07月26日 | 1970年代 | ビハール州ジャナタ党の州議会議員78人がK.タークル前州首相を中心に党を脱退した。 |
DIA-302-1979-07-27-1 | インド | 1979年07月27日 | 1970年代 | 会議派,シン内閣に参加-党運営委員会,中央議会局は,シン政府への参加を合意した。 |
DIA-302-1979-07-27-2 | インド | 1979年07月27日 | 1970年代 | デサイはジャナタ党議員団リーダーを辞任-J.ラームが後任に選出された。ラームは,ジャナタ(S)が少数党である,その小数党リーダーのチャラン・シンに大統領が組閣を要請したのは異常だと,大統領の判断を批判,ジャナタ党州政府が倒されないよう努力すると述べた。 |
DIA-302-1979-07-28-1 | インド | 1979年07月28日 | 1970年代 | チャラン・シン内閣就任-S.N.ミシュラ(外務),B.バトナイク,H.N.パフグナ(大蔵),ズルフィカルッラ,ラビ・ライ,ラーム・キンカル,P.カウシクのジャナタ党(S)の8人と会議派のY.B.チャバン(副首相,内務)が就任した。会議派からさらに6人が入閣するはずであったが,ジャナタ党(S)と会議派の統一ミニマム計画が完成しなかったため就任しなかった。会議派(I)が,会議派の入閣予定者のうちとくにT.A.パイとカラン・シンに強く反対したためといわれる。 |
DIA-302-1979-07-28-2 | インド | 1979年07月28日 | 1970年代 | チャラン・シン首相は全国放送で,経済・労使関係を重視,治安を守るために厳しい措置をとる,外交政策は非同盟による,失業をなくす,などの方針を語った。 |
DIA-302-1979-07-28-3 | インド | 1979年07月28日 | 1970年代 | マドゥ・リマエ(ジャナタ・S)は,外務のポストが与えられなかったため,入閣を拒否した。 |
DIA-302-1979-07-28-4 | インド | 1979年07月28日 | 1970年代 | ガンディーの特使としてB.N.シン上院議員がJ.ラームと会談。 |
DIA-302-1979-07-28-5 | インド | 1979年07月28日 | 1970年代 | ラジャスタン州ジャナタ党州議会議員多数が党を離脱し,ジャナタ党(S)に参加を決定。 |
DIA-302-1979-07-29-1 | インド | 1979年07月29日 | 1970年代 | ビハール州会議派(I)はR.S.ダース州政府(ジャナタ党)を支持すると発表。 |
DIA-302-1979-07-29-2 | インド | 1979年07月29日 | 1970年代 | ジャナタ党全国執行委員会は,チャラン・シン政府は存在理由を持たないから辞任すべきだと考える。 |
DIA-302-1979-07-30-1 | インド | 1979年07月30日 | 1970年代 | シン内閣,10閣僚就任-ジャナタ党SからH.R.カンナ(法律・公正・会社相)ら3人,会議派から28日に入閣予定であった6人に1人追加されて7人が入閣した。さらに。閣外相7人が就任した。 |
DIA-302-1979-07-30-2 | インド | 1979年07月30日 | 1970年代 | ビハール州R.S.ダース内閣への不信任動議が否決。 |
DIA-302-1979-07-30-3 | インド | 1979年07月30日 | 1970年代 | 会議派(I)は,H.R.カンナ前最高裁判事が法相として入閣したことに反対を表明した。 |
DIA-302-1979-07-31-1 | インド | 1979年07月31日 | 1970年代 | マディヤ・プラデシ州内閣から3大臣が辞任し,サクレチャ州首相の辞任を求めた。 |
DIA-302-1979-07-31-2 | インド | 1979年07月31日 | 1970年代 | S.N.ミシュラ外相,ルサカでのコモンウエルス会議に出席のため出発。 |
DIA-302-1979-08-01-1 | インド | 1979年08月01日 | 1970年代 | UP州のB.ダース州首相らがジャナタ党(S)に入党。 |
DIA-302-1979-08-01-2 | インド | 1979年08月01日 | 1970年代 | AIADMKはチャラン・シン内閣に参加を決定。 |
DIA-302-1979-08-01-3 | インド | 1979年08月01日 | 1970年代 | S.N.ミシュラ外相,コモンウエルス会議に出席のためルサカに到着。 |
DIA-302-1979-08-02-1 | インド | 1979年08月02日 | 1970年代 | H.R.カンナ法相,辞任。 |
DIA-302-1979-08-03-1 | インド | 1979年08月03日 | 1970年代 | 法相にS.N.カッケルが任命された。 |
DIA-302-1979-08-03-2 | インド | 1979年08月03日 | 1970年代 | カルナタカ州会議派委員会からゴウダ州委員長ら517人が脱退,会議派(I)に入党した。 |
DIA-302-1979-08-04-1 | インド | 1979年08月04日 | 1970年代 | チャラン・シン内閣に,会議派から9人が閣外相として入閣。 |
DIA-302-1979-08-05-1 | インド | 1979年08月05日 | 1970年代 | ジャナタ党のJ.ラームは,デリーの党集会で,C.シン政府を倒すべきだ,そのためには,ガンディーが支持を申し出るならばそれをうけいれることもいとわない,次は野党第1党に組閣が求められるべきだと述べた。 |
DIA-302-1979-08-07-1 | インド | 1979年08月07日 | 1970年代 | 会議派(I)の国会議員は合同声明で,チャラン・シン政府に対し特別法廷の撤廃を要求した。 |
DIA-302-1979-08-07-2 | インド | 1979年08月07日 | 1970年代 | ミゾラーム州の,アイザウル・シルチャール街道で日中,民間のトラックがミゾ・ゲリラに襲われ,婦女子を含む7人が死亡,3人が負傷した。 |
DIA-302-1979-08-08-1 | インド | 1979年08月08日 | 1970年代 | ミゾ・ゲリラがトリプラ州とミゾラーム州の刑務所を襲撃,ゲリラの目的は囚人の解放であったが成功しなかった。 |
DIA-302-1979-08-09-1 | インド | 1979年08月09日 | 1970年代 | ヒダヤトウッラ元最高裁長官,副大統領に選出される。 |
DIA-302-1979-08-09-2 | インド | 1979年08月09日 | 1970年代 | UP州,ジャナタ党州議会議員団リーダーにR.M.パンデーが選ばれた。 |
DIA-302-1979-08-09-3 | インド | 1979年08月09日 | 1970年代 | ガンディーはデリーの集会で,シン内閣を“新たなごった煮政府”だと批判した。 |
DIA-302-1979-08-09-4 | インド | 1979年08月09日 | 1970年代 | J.ラームは,「もしシン政府が8月20日に下院で不信任されたなら,大統領は自分に次期政権樹立を要請すべきだ」と述べた。 |
DIA-302-1979-08-11-1 | インド | 1979年08月11日 | 1970年代 | サテライト打ち上げ失敗。ベンガル湾のシハリコタ島宇宙基地から打ち上げられた四段式ロケットSLV3(50kg)は,軌道にのることに失敗し,ベンガル湾に墜落した。 |
DIA-302-1979-08-11-2 | インド | 1979年08月11日 | 1970年代 | 政府はバングラデシュから流入している非ベンガル人ムスリムの移動を止めるために,今後2~3日の間,バングラデシュとの国境を閉鎖することを決定。 |
DIA-302-1979-08-11-3 | インド | 1979年08月11日 | 1970年代 | 政府は,最近のミゾ・ゲリラの活動は,ミゾラーム・トリプラ境界,バングラデシュのチッタゴン丘陵などを基地としているとみている。 |
DIA-302-1979-08-11-4 | インド | 1979年08月11日 | 1970年代 | ガンディーはシン内閣信任投票(8月20日予定)の際にシン内閣不支持をほのめかした。 |
DIA-302-1979-08-11-5 | インド | 1979年08月11日 | 1970年代 | チャラン・シン首相とバフグナ蔵相が和解の共同声明を発表。シンが,かつてバフグナをKGBのエージェントだと非難して両者が対立していた問題は一応収拾した。 |
DIA-302-1979-08-11-6 | インド | 1979年08月11日 | 1970年代 | 第6次5ヵ年計画の支出総額を7100億ルピーに修正。 |
DIA-302-1979-08-11-7 | インド | 1979年08月11日 | 1970年代 | ソ連副大統領P. Y. Strautmanis訪印。 |
DIA-302-1979-08-12-1 | インド | 1979年08月12日 | 1970年代 | ラージャスタン州ラージコット県でモールヴィ川のダムが決壊し,出水により約1000人が死亡または行方不明。 |
DIA-302-1979-08-12-2 | インド | 1979年08月12日 | 1970年代 | ミゾ民族戦線は,軍のパトロール強化に対抗するため,ボルコルの本部とチッタゴン・ヒル,ミゾラーム,ビルマのキャンプを連絡する「緊急委員会」を結成したと伝えられる。 |
DIA-302-1979-08-12-3 | インド | 1979年08月12日 | 1970年代 | ニューデリーで大規模全日スト。主要5労働組合がよびかけ,最低賃金の引き上げを要求,約50万人が参加した。 |
DIA-302-1979-08-12-4 | インド | 1979年08月12日 | 1970年代 | スリランカに1979年度分コモディティ・ローン1億8000万ルピーを供与。 |
DIA-302-1979-08-12-5 | インド | 1979年08月12日 | 1970年代 | 電力不足のため東部のボカロ,ドゥルガプル,IISCOの製鉄プラントの生産が落ちている。 |
DIA-302-1979-08-13-1 | インド | 1979年08月13日 | 1970年代 | 閣議は,インド準備銀行職員のスト禁止令の撤回,強制貯蓄支払い停止を撤回,指定カースト・指定部族への議席留保制をさらに1年延長する等の方針を決定した。 |
DIA-302-1979-08-13-2 | インド | 1979年08月13日 | 1970年代 | モールヴィ川ダム決壊による死者は5000人をこえたもよう。政府は,首相特別救済基金から75万ルピーを救済用に拠出した。 |
DIA-302-1979-08-13-3 | インド | 1979年08月13日 | 1970年代 | シッキム州議会(31議席)解散。 |
DIA-302-1979-08-13-4 | インド | 1979年08月13日 | 1970年代 | ジャナタ党(S)のラージ・ナラインは,ジャガー機が現在最悪の機種であると非難し,政府がイギリスと結んだジャガー機購入契約を攻撃した。 |
DIA-302-1979-08-14-1 | インド | 1979年08月14日 | 1970年代 | 大統領は独立記念の全国放送で,各面にわたって公的生活と公的道徳の低下が進んでいる,過去30年間の経験にてらしあわせてみて憲法のみなおしが必要だと語った。 |
DIA-302-1979-08-15-1 | インド | 1979年08月15日 | 1970年代 | チャラン・シン首相は独立記念日演説(デリー市,レッド・フォート)で,パキスタンが核兵器を製造するならば,インドも製造を考えざるをえない,と語った。 |
DIA-302-1979-08-16-1 | インド | 1979年08月16日 | 1970年代 | アメリカ国務省は,シン首相が独立記念日演説で核兵器開発にふれた点を問題にしている。 |
DIA-302-1979-08-16-2 | インド | 1979年08月16日 | 1970年代 | CPI・Mは,チャラン・シン政府支持を決定した。 |
DIA-302-1979-08-17-1 | インド | 1979年08月17日 | 1970年代 | 石油製品価格値上げ。 |
DIA-302-1979-08-17-2 | インド | 1979年08月17日 | 1970年代 | シッキム州首相K.L.ドルジ辞任。 |
DIA-302-1979-08-17-3 | インド | 1979年08月17日 | 1970年代 | ガンディーは,会議派(I)がチャラン・シン政府を支持するかどうかはまだ決まっていない,党員は中間選挙の準備をするように,など,シン政府との距離を拡げる旨の発言を行なった。 |
DIA-302-1979-08-18-1 | インド | 1979年08月18日 | 1970年代 | シッキム州,大統領直接統治下におかれる。 |
DIA-302-1979-08-18-2 | インド | 1979年08月18日 | 1970年代 | アカリ・ダルはシン政府支持を決定。 |
DIA-302-1979-08-19-1 | インド | 1979年08月19日 | 1970年代 | 閣議が招集され,中間選挙の可能性が討議されたもよう。会議派とジャナタ党(S)は,シン内閣存続のために会議派(I)の協力を求めないことを決定した。 |
DIA-302-1979-08-19-2 | インド | 1979年08月19日 | 1970年代 | AIADMKからA.B.パジノルとサティヤヴァニ・ムトゥ夫人がシン内閣に加わった。 |
DIA-302-1979-08-19-3 | インド | 1979年08月19日 | 1970年代 | 会議派(I)は,シン政府を支持しない方針に傾むく。 |
DIA-302-1979-08-20-1 | インド | 1979年08月20日 | 1970年代 | チャラン・シン内閣辞職-下院で内閣信任投票が予定されていたが,会議派(I)議会局が信任拒否を決定した直後,下院討議の15分前に総辞職した。シンは,大統領に辞表を提出すると同時に,下院解散,選挙実施を勧告した。辞任にあたってシンは,コミュナル勢力と権威主義勢力が結托して政府を倒した,大統領は自分の助言に従うべきだ,ガンディーが特別法廷の廃止を要求したが自分は妥協しなかった,など語った。 |
DIA-302-1979-08-20-2 | インド | 1979年08月20日 | 1970年代 | J.ラームは大統領に会い,下院解散・選挙をとのシンの勧告をうけいれないよう求めた。 |
DIA-302-1979-08-20-3 | インド | 1979年08月20日 | 1970年代 | ジャナタ党のチャンドラシェカル,デサイらは,ジャグジーヴァン・ラームに組閣要請があるべきだと主張。 |
DIA-302-1979-08-21-1 | インド | 1979年08月21日 | 1970年代 | 大統領,下院中間選挙の方針を決定-選挙を11月に予定し,その間暫定政府が行政管理を行なうとの構想である。 |
DIA-302-1979-08-21-2 | インド | 1979年08月21日 | 1970年代 | アッサム州知事L.P.シンは,G.ボルボラ州首相に州議会で信任投票をうけるよう助言した。 |
DIA-302-1979-08-21-3 | インド | 1979年08月21日 | 1970年代 | J.ラームは,自分は下院で過半数支持を証明できる,大統領は自分に組閣を求めるべきだ,などとのべて大統領決定を非難した。またジャナタ党執行部は,大統領は先例に従ってJ.ラームに組閣を求めるべきだとの見解を発表した。 |
DIA-302-1979-08-22-1 | インド | 1979年08月22日 | 1970年代 | ジャナタ党,大統領決定を非難-J.ラームは,大統領決定は計画された陰謀だとのべ,またチャンドラシェカル党総裁は,党は上院で大統領弾劾動議を出すつもりだと発表。 |
DIA-302-1979-08-22-2 | インド | 1979年08月22日 | 1970年代 | ポンディシェリ,ゴア,マニプール,シッキム州議会選挙を下院選挙と同時に実施する予定。 |
DIA-302-1979-08-22-3 | インド | 1979年08月22日 | 1970年代 | D.アルス(カルナタカ・コングレス)は会議派に正式に参加。 |
DIA-302-1979-08-23-1 | インド | 1979年08月23日 | 1970年代 | 大統領,下院を解散憲法85条第2項(B)にもとづき下院を解散,中間選挙を11月~12月半ばをめどに実施する,C.シン内閣を管理内閣として任ずること等が決定された。 |
DIA-302-1979-08-23-2 | インド | 1979年08月23日 | 1970年代 | ジャナタ党は「大統領弾劾」を検討中。党はデリーでの集会で,大統領決定を非難した。 |
DIA-302-1979-08-23-3 | インド | 1979年08月23日 | 1970年代 | インド準備銀行は,商業銀行融資規制をさらに強める。 |
DIA-302-1979-08-24-1 | インド | 1979年08月24日 | 1970年代 | ジャナタ党と会議派(I)はそれぞれ大統領に対して,暫定内閣としてチャラン・シン内閣は承認できないと主張した。大統領は,会議派(I)の申し立てについて合意し,管理内閣としてのチャラン・シン内閣の行動をチェックすることを約束した。 |
DIA-302-1979-08-24-2 | インド | 1979年08月24日 | 1970年代 | ジャナタ党(S)と会議派は,合併問題の討議を選挙後まで見合わせたまま選挙同盟を組むことで合意。 |
DIA-302-1979-08-25-1 | インド | 1979年08月25日 | 1970年代 | オリッサ州のジャナタ党はB.パトナイク議長のもとに会合を開き,ジャナタ党(S)と会議派との合併問題が決着するまでジャナタ党(S)とジャナタ党間に等距離を保つことを決定した。 |
DIA-302-1979-08-25-2 | インド | 1979年08月25日 | 1970年代 | リビアが原油輸出を停止-リビアはインドに対する原油輸出を突然停止した。インドは1980年3月末までに230万トンの原油輸入契約をリビアと結んでいたが,これまでに30万トン強輸入しただけである。 |
DIA-302-1979-08-27-1 | インド | 1979年08月27日 | 1970年代 | ジャナタ党(S)と会議派は,下院選挙で共通マニフェストを掲げて戦うことを決定。 |
DIA-302-1979-08-28-1 | インド | 1979年08月28日 | 1970年代 | ミゾ・ゲリラがマニプール州インパール市の検事局を襲い,公判中の同志(複数)を救出。同日,インパール市郊外の警察署も襲われた。25日にはミゾラーム州アイザウル市の中心部で州農業局の運転手が射殺された。 |
DIA-302-1979-08-28-2 | インド | 1979年08月28日 | 1970年代 | ジャムシェドプルでコミュナル暴動,衝突事件が発生し,死者5人を出した。ジャムシェドプル市では過去2~3日,ヒンドゥー・ムスリス教徒間の緊張が続いていた。 |
DIA-302-1979-08-28-3 | インド | 1979年08月28日 | 1970年代 | CPIのR.ラオ書記長とCPI・MのEM.S.ナンブーディリパド,B.T.ラーナディヴが,左派統一戦線を組む問題を討議。 |
DIA-302-1979-08-29-1 | インド | 1979年08月29日 | 1970年代 | UP,ビハール州に旱ばつ広がる-UPの56県中49県に旱ばつ地域宣言が出された。オリッサ,ハリヤナ,パンジャーブ州なども旱ばつ被害が出はじめた。ラージャスタンでも7月半ばの洪水の後,8月にはいって降雨がない。 |
DIA-302-1979-08-29-2 | インド | 1979年08月29日 | 1970年代 | モンスーンの不調による降水不足に加えて火力発電の発電量も低下,発電量は近年の最低水準に落ちている。 |
DIA-302-1979-08-29-3 | インド | 1979年08月29日 | 1970年代 | デサイ前首相,下院選挙に不出馬を表明。 |
DIA-302-1979-08-29-4 | インド | 1979年08月29日 | 1970年代 | ジャムシェドプルで暴動再発,過去2日間で死者10名,負傷者50人にのぼった。 |
DIA-302-1979-08-29-5 | インド | 1979年08月29日 | 1970年代 | S.B.チャバンがマハラシュトラ州政府から辞任。 |
DIA-302-1979-08-29-6 | インド | 1979年08月29日 | 1970年代 | UPのバナラシ・ダース州政府は州議会で信任された。不信任197対信任218であった。 |
DIA-302-1979-08-30-1 | インド | 1979年08月30日 | 1970年代 | ジャムシェドプルに陸軍が治安出動。 |
DIA-302-1979-08-30-2 | インド | 1979年08月30日 | 1970年代 | ボーナス支給の大統領令を発令,1978年度分のボーナス(年給の8.33%をミニマム,20%をマキシマム)を支給する。 |
DIA-302-1979-08-31-1 | インド | 1979年08月31日 | 1970年代 | マハラシュトラ州の会議派からV.D.パティル前州首相,N.M.テイドゥケ前党州委員長ら会議派(I)に入党。 |
DIA-302-1979-08-31-2 | インド | 1979年08月31日 | 1970年代 | 中央政府閣議は今後5~6年の間に実施する3つの新規石炭開発プロジェクトを承認した。 |
DIA-302-1979-09-01-1 | インド | 1979年09月01日 | 1970年代 | 暴動のジャムシェドプル市を視察したチャバン内相は,コミュナル団体,コミュナル組織が責任あるとのべた。 |
DIA-302-1979-09-01-2 | インド | 1979年09月01日 | 1970年代 | パキスタンのアガ・シャヒ外相はミシュラ外相との会談で,パキスタンは核爆弾を作る意図はないとのべた。ミシュラ外相は,独立記念日のシン首相の演説は仮定の話であり,インドは核兵器を作らない,インドの政策は変更してないと説明した。両外相は非同盟会議の準備会議のためハバナに滞在中。 |
DIA-302-1979-09-02-1 | インド | 1979年09月02日 | 1970年代 | ハバナの非同盟会議準会議でインド代表のミシュラ外相は,ソ連への傾斜に反対を表明した。 |
DIA-302-1979-09-02-2 | インド | 1979年09月02日 | 1970年代 | 旱ばつはほとんど全国に及んでおり,規模,被害の程度からみて過去25年間の最悪のひとつであると農業省では見ている。 |
DIA-302-1979-09-02-3 | インド | 1979年09月02日 | 1970年代 | 会議派執行委員会で,UP,ビハール,ラージャスタン,パンジャーブ,ハリヤナを除く各州委員長は党とジャナタ党(S)の合併案を拒否した。上記5州はジャナタ党(S)との選挙同盟を希望した。 |
DIA-302-1979-09-02-4 | インド | 1979年09月02日 | 1970年代 | ジャナタ党全国執行委員会(8月31日~9月2日)は,J.ラームを首相とする安定的,革新的,ダイナミックな政府を約束するとの政治決議を採択した。 |
DIA-302-1979-09-03-1 | インド | 1979年09月03日 | 1970年代 | 非同盟首脳会議,ハバナで。 |
DIA-302-1979-09-03-2 | インド | 1979年09月03日 | 1970年代 | ジャムシェドプル暴動,逮捕者601人にのぼった。 |
DIA-302-1979-09-03-3 | インド | 1979年09月03日 | 1970年代 | ガンディー前首相は特別法廷(ジャイン判事)に,自分に対して出されたサチャール拘禁事件審議は下院選挙終了まで停止するよう求める訴えを提出した。 |
DIA-302-1979-09-03-4 | インド | 1979年09月03日 | 1970年代 | ガンディーは,ナーグプル,ワルダーの洪水地帯を視察し,チャラン・シンは管理内閣を率いる資格がない,大統領決定を軽んじることはまちがいだ,必要なのは秩序・規津を回復することだとのべた。 |
DIA-302-1979-09-04-1 | インド | 1979年09月04日 | 1970年代 | 会議派(I)の中央議会局は,全国レベルの選挙同盟は組まないと決定した。 |
DIA-302-1979-09-04-2 | インド | 1979年09月04日 | 1970年代 | アッサム州のボルボラ州政府(ジャナタ党)辞任。 |
DIA-302-1979-09-05-1 | インド | 1979年09月05日 | 1970年代 | カルナタカ州前首相ヴィーレンドラ・パティルはジャナタ党を辞任し,会議派(I)に入党した。パティルは1978年11月にチクマガルル下院補欠選挙でガンディーにやぶれた。 |
DIA-302-1979-09-05-2 | インド | 1979年09月05日 | 1970年代 | 1979年8月の卸売物価指数は218.9で前年同期に比べて17.3%高く,年率19%の上昇率。 |
DIA-302-1979-09-05-3 | インド | 1979年09月05日 | 1970年代 | イギリスはThalに建設予定の肥料工場に6000万ドル融資することに同意した。 |
DIA-302-1979-09-06-1 | インド | 1979年09月06日 | 1970年代 | ハバナ非同盟会議でミシュラ外相演説。 |
DIA-302-1979-09-06-2 | インド | 1979年09月06日 | 1970年代 | 外務省スポークスマンによれば,ブータン南西部に中国からの流入者がふえている。中国人遊牧民の数は今年ふえている,しかし衝突事件はない,ブータン政府はこれらの点を憂慮しており,インドはブータン政府の考えに同意している。7月に駐印中国代理大使に外務省でブータンの意向を伝えたが北京からの答えはない。 |
DIA-302-1979-09-06-3 | インド | 1979年09月06日 | 1970年代 | シン首相はAIADMKに対し,下院選挙でジャナタ党(S)と協力するか,中央の連立政府から撤退するかを選択するよう通告した。 |
DIA-302-1979-09-06-4 | インド | 1979年09月06日 | 1970年代 | アルナチャルのトゥンゴン州内閣は州与党ジャナタ党からの脱退者が続出したため辞任した。 |
DIA-302-1979-09-07-1 | インド | 1979年09月07日 | 1970年代 | グプタ委員会報告書が出され,その中で,ガンディー元首相がマルティ事件のあらゆる分野での「力の根源」だったとのべられている。 |
DIA-302-1979-09-07-2 | インド | 1979年09月07日 | 1970年代 | 政府は,広告料という形での会社による政党への献金を禁止した。 |
DIA-302-1979-09-08-1 | インド | 1979年09月08日 | 1970年代 | I.G.パテル中央銀行総裁は年率8~20%ペースで伸びている銀行貸出しを大幅にダウンさせる政策を再確認した。 |
DIA-302-1979-09-09-1 | インド | 1979年09月09日 | 1970年代 | ハバナ非同盟会議終了。 |
DIA-302-1979-09-09-2 | インド | 1979年09月09日 | 1970年代 | 79年4~6月のエンジニアリング・グッズの輸出額は14.01億ルピーで前年同期7%減となった。 |
DIA-302-1979-09-09-3 | インド | 1979年09月09日 | 1970年代 | アッサム州,J.ハザリカ州政府就任(アッサム・ジャナタ・ダル)。 |
DIA-302-1979-09-09-4 | インド | 1979年09月09日 | 1970年代 | G.フェルナンデス(ジャナタ党S)は,J.ラームに対してジャン・サン中心のジャナタ党にいるべきでないから党を出てきてほしいと呼びかけた。 |
DIA-302-1979-09-09-5 | インド | 1979年09月09日 | 1970年代 | バフグナによるCFD・Sの大会(8日~9日)終了。 |
DIA-302-1979-09-10-1 | インド | 1979年09月10日 | 1970年代 | CPI・M中央委員会(7日~9日)は,選挙でジャナタ党(S)と会議派の同盟を支持し,会議派(I),ジャナタ党と闘う,の方針を決定した。 |
DIA-302-1979-09-10-2 | インド | 1979年09月10日 | 1970年代 | エコノミック・タイムス紙調べの8日のボンベイの小売物価指数は前年同月比21%アップとなった。 |
DIA-302-1979-09-10-3 | インド | 1979年09月10日 | 1970年代 | サンジャイ・ガンディーら約100人の会議派(I)青年部活動家は,UPのデーラドゥーンで県警察と衝突して逮捕された。 |
DIA-302-1979-09-11-1 | インド | 1979年09月11日 | 1970年代 | 会議派運営委員会は,党とジャナタ党(S)による戦線を組み,共通マニフェスト,共通シンボル,共通リーダーをもって戦うと決定。 |
DIA-302-1979-09-11-2 | インド | 1979年09月11日 | 1970年代 | カルタナ州は10月から工場への電力供給70%カットする。 |
DIA-302-1979-09-12-1 | インド | 1979年09月12日 | 1970年代 | 会議派総裁にD.アルス就任-スワラン・シン前総裁と異なり,ガンディーとの対立を強める方向をとる方針である。 |
DIA-302-1979-09-12-2 | インド | 1979年09月12日 | 1970年代 | 中央銀行はインフレ抑制のため,プライオリティー・セクター以外への貸出し金利を3%ポイント引き上げた。 |
DIA-302-1979-09-12-3 | インド | 1979年09月12日 | 1970年代 | インド石油公社の14労働組合のうち9組合がストに突入した。北部,東部,南部がとくに影響をうけるもよう。 |
DIA-302-1979-09-12-4 | インド | 1979年09月12日 | 1970年代 | 西ベンガル州レフト・フロント会議。会議後,議長のP.ダスグプタ(CPI・M)は,フロントは州でCPIと選挙協力を行なってもよいが,CPIが反ガンディーの態度を明示し,ケララの反CPI・Mフロントを解散し,アッサムの会議派(I)系州政府支持を撤回することが条件であるとのべた。 |
DIA-302-1979-09-13-1 | インド | 1979年09月13日 | 1970年代 | インド石油公社労働者のストで,輸送部門に影響が出た。主要空港での航空燃料不足のため国内線,国際線のほとんどが欠航,運休となった。 |
DIA-302-1979-09-14-1 | インド | 1979年09月14日 | 1970年代 | インド石油公社のスト中止。 |
DIA-302-1979-09-15-1 | インド | 1979年09月15日 | 1970年代 | 閣議はグプタ委員会報告(マルティ事件の調査)を承認した。 |
DIA-302-1979-09-15-2 | インド | 1979年09月15日 | 1970年代 | 会議派(I)とDMKはタミル・ナードウ,ポンディチェリで選挙協定を組むことに合意した。 |
DIA-302-1979-09-17-1 | インド | 1979年09月17日 | 1970年代 | 79年4~7月の輸出は前年同期比21%,輸入は21.6%アップとなった。 |
DIA-302-1979-09-17-2 | インド | 1979年09月17日 | 1970年代 | 政府は各州政府に対し,軽油,灯油など必需品の需要増に対して,供給体制を確立するよう指令した。 |
DIA-302-1979-09-18-1 | インド | 1979年09月18日 | 1970年代 | アルナチャル州,トモ・リバ州政府が就任(統一人民党)。 |
DIA-302-1979-09-19-1 | インド | 1979年09月19日 | 1970年代 | ネパール国王夫妻,インド公式訪問。 |
DIA-302-1979-09-19-2 | インド | 1979年09月19日 | 1970年代 | チャンド・ラーム前船舶・輸送相とスジャル・シン上院議員(ハリヤナ選出)はジャナタ党(S)に入党。 |
DIA-302-1979-09-20-1 | インド | 1979年09月20日 | 1970年代 | ケララ州の市町村議会選挙(9月15日,18日投票)でCPI・Mが最多議席を獲得。 |
DIA-302-1979-09-20-2 | インド | 1979年09月20日 | 1970年代 | J.A.ダベ国防次官を長とする代表団が,武器購入折衝のため訪ソ。 |
DIA-302-1979-09-20-3 | インド | 1979年09月20日 | 1970年代 | 会議派運営委員会に,チャバン,スワラン・シン,スブラマニアム,ヒテンドラ・デサイ,ティルプデ,M.Y.サリムが任命された。 |
DIA-302-1979-09-21-1 | インド | 1979年09月21日 | 1970年代 | ネパール国王とシン首相,ミシュラ外相会談-ビレンドラ・ネパール国王は,亜大陸とくにネパールでソ連の活動が活発化していることに懸念を示し,これに対して対策がこうじられない限り,中国は座視していなだろう,ネパールは国際緊張の温床となるかもしれない,ネパールはアフガニスタン,ベトナム,カンボジアのようにソ連の手による混乱の犠牲となりたくないとのべた。 |
DIA-302-1979-09-21-2 | インド | 1979年09月21日 | 1970年代 | ボンベイのサンタクルズ国際空港で火事。 |
DIA-302-1979-09-21-3 | インド | 1979年09月21日 | 1970年代 | 20大企業グループの資産は1972―77年の間に75.8%増加した。 |
DIA-302-1979-09-23-1 | インド | 1979年09月23日 | 1970年代 | 石油天然ガス公社職員2500人が無期限ストにはいった。東部の精油プラントから西部への石油供給がほぼ停止した。 |
DIA-302-1979-09-23-2 | インド | 1979年09月23日 | 1970年代 | 世界銀行の1979年年報はインド経済の持続的発展には相当の援助が必要であると述べた。 |
DIA-302-1979-09-25-1 | インド | 1979年09月25日 | 1970年代 | カルカッタ港は,過去8日間,港湾労働者のストで機能麻痺が続いている。 |
DIA-302-1979-09-25-2 | インド | 1979年09月25日 | 1970年代 | ケララ州の与党フロントは,州議会を解散し下院と同時に選挙を実施することで合意し,この方向でCPI・Mと協議することを決定した。CPI・Mはフロントの決定を歓迎した。 |
DIA-302-1979-09-25-3 | インド | 1979年09月25日 | 1970年代 | 選挙管理委員会はジャナタ党Sを全国政党として認可し,「畑をたがやす農民」をシンボルとして与えた。 |
DIA-302-1979-09-25-4 | インド | 1979年09月25日 | 1970年代 | アカリ・ダルのバダル(パジャーブ州首相)派が会合を持ち,ロンゴワルが党総裁に就任したことを宣言した。アカリ・ダルは,バダル派とタルワンディ党総裁派が対立している。 |
DIA-302-1979-09-25-5 | インド | 1979年09月25日 | 1970年代 | AIADMKは,下院選挙のためにジャナタ党と同盟を組むことを決定した。 |
DIA-302-1979-09-25-6 | インド | 1979年09月25日 | 1970年代 | CPI・M選挙マニフェスト発表。左派民主戦線の同盟を強調,会議派(I)の権威主議およびRSS・JS中心のジャナタ党と闘う,ジャナタ党(S)・会議派の同盟と共闘することなどを盛り込んだものである。 |
DIA-302-1979-09-26-1 | インド | 1979年09月26日 | 1970年代 | ジャナタ党(S)はロク・ダルと名称-チャラン・シンが総裁に,ラージ・ナラインが総裁代行をつとめ,リマエ,フェルナンデス,B.パトナイクが参加。H.N.パフグナは不参加である。 |
DIA-302-1979-09-26-2 | インド | 1979年09月26日 | 1970年代 | ケララ州与党の統一フロントとCPI・Mが会談し,土地贈与法案,選挙区の配分などの問題点を話し合った。 |
DIA-302-1979-09-26-3 | インド | 1979年09月26日 | 1970年代 | 州首相会議でシン首相は,予防拘禁権を用いて経済事犯を厳しく取り締りたいと主張したが,州首相の多くはこの案に難色を示した。 |
DIA-302-1979-09-27-1 | インド | 1979年09月27日 | 1970年代 | カルナタカ州議会でアルス州政府が信任された。 |
DIA-302-1979-09-28-1 | インド | 1979年09月28日 | 1970年代 | 政府は各種小額貯蓄の金利を引き上げた。10月1日から実施。 |
DIA-302-1979-09-28-2 | インド | 1979年09月28日 | 1970年代 | ジャム・カシミール州でナショナル・コンファレンスと会議派(I)は選挙協定を結ぶことを決定した。 |
DIA-302-1979-09-30-1 | インド | 1979年09月30日 | 1970年代 | アカリ・ダルのバダル派の総裁ハルチャンド・シンロンゴワルはアムリトサルでシク教の3長老と会見した。これはバダル派とタルワンディ派の対立を和解させるためシク教長老が調停にのり出したものである。 |
DIA-302-1979-09-30-2 | インド | 1979年09月30日 | 1970年代 | H.N.パフグナのCFDは下院選挙を,独自の31項目計画を掲げて闘うことを決定した。 |
DIA-302-1979-09-30-3 | インド | 1979年09月30日 | 1970年代 | サウジアラビアはビハール州の水力発電プロジェクトに2.65億ルピーの借款を供与することに同意した。 |
DIA-302-1979-10-01-1 | インド | 1979年10月01日 | 1970年代 | シン首相,総選挙の延期には反対と述べる。 |
DIA-302-1979-10-01-2 | インド | 1979年10月01日 | 1970年代 | 1978/79年度の対オーストラリア輸出は1.04億ドルで前年度比16%増となった。 |
DIA-302-1979-10-03-1 | インド | 1979年10月03日 | 1970年代 | シン首相,バフグナ蔵相に対して,かつてKGBの手先とよんだことを謝罪する書簡を渡す。 |
DIA-302-1979-10-03-2 | インド | 1979年10月03日 | 1970年代 | 中国からジャーナリスト訪印団,到着。 |
DIA-302-1979-10-03-3 | インド | 1979年10月03日 | 1970年代 | ストライキ中のカルカッタ港で労働者の2つのグループが衝突し,警察が出動。4人死亡。 |
DIA-302-1979-10-03-4 | インド | 1979年10月03日 | 1970年代 | 1979年1~4月の労働争議による労働日損失は1620万人日で前年同期に比べて2倍になった。 |
DIA-302-1979-10-05-1 | インド | 1979年10月05日 | 1970年代 | 予防拘禁を含むブラック・マーケット防止,生活必需品供給のための大統領令が出される。 |
DIA-302-1979-10-05-2 | インド | 1979年10月05日 | 1970年代 | シッキム州議会選挙行なわれる。 |
DIA-302-1979-10-05-3 | インド | 1979年10月05日 | 1970年代 | バンシ・ラル元国防相,会議派(I)に復帰。 |
DIA-302-1979-10-05-4 | インド | 1979年10月05日 | 1970年代 | S.N.ミシュラ外相とアガ・シャヒ・パ外相が国連で会談,両国間の関係が中心。 |
DIA-302-1979-10-06-1 | インド | 1979年10月06日 | 1970年代 | 5日の大統領令に対して,FICCIのシンガニア総裁はジャナタ党指導者らを非難。 |
DIA-302-1979-10-06-2 | インド | 1979年10月06日 | 1970年代 | ケララ州のヴァスデバン・ナイル(CPI)州首相,「コミュナリズムと専制主義との闘争のため」連立内閣を辞任。CPMが,土地贈与税に反対したため,CPMとの左翼戦線を重視するという観点から,今までの会議派(U),ムスリム・リーグ・ケララ会議派の反CPIM連立を破棄した。ナイル州首相,州議会の解散は勧告せず。RSPも同調。 |
DIA-302-1979-10-07-1 | インド | 1979年10月07日 | 1970年代 | ミゾラムの牢獄からミゾ民族戦線のコマンド19人脱獄。 |
DIA-302-1979-10-07-2 | インド | 1979年10月07日 | 1970年代 | チャラン・シン首相,再度,下院選挙延期の可能性を否定。 |
DIA-302-1979-10-07-3 | インド | 1979年10月07日 | 1970年代 | アカリ・ダルのバダル派,長老の妥協案をのむ。 |
DIA-302-1979-10-07-4 | インド | 1979年10月07日 | 1970年代 | ビジュ・バトナイク鉄鋼相らオリッサ州のジャナタ党,ロク・ダルと正式合併。 |
DIA-302-1979-10-08-1 | インド | 1979年10月08日 | 1970年代 | J.P.ナラヤン,パトナで死去。 |
DIA-302-1979-10-08-2 | インド | 1979年10月08日 | 1970年代 | インドはカンプチアに10万トンの米の供与を決定。 |
DIA-302-1979-10-08-3 | インド | 1979年10月08日 | 1970年代 | エコノミック・タイムス紙調べのボンベイ小売物価指数は9月は前月比1.3%ダウンしたが,前年同月比では20.3%アップした。 |
DIA-302-1979-10-09-1 | インド | 1979年10月09日 | 1970年代 | J.P.ナラヤンの国葬行なわれる。大統領,首相,各界の要人出席。米,英大使も参列。 |
DIA-302-1979-10-09-2 | インド | 1979年10月09日 | 1970年代 | ガンディー夫人,サンジャイ同席のもとでJ.ラムと会談。 |
DIA-302-1979-10-09-3 | インド | 1979年10月09日 | 1970年代 | インパールで,2人の政府要人が殺された,外出禁止令。 |
DIA-302-1979-10-09-4 | インド | 1979年10月09日 | 1970年代 | アッサムで洪水。 |
DIA-302-1979-10-09-5 | インド | 1979年10月09日 | 1970年代 | 非合法のミゾ民族戦線の指導者ラルデンガ保釈される。 |
DIA-302-1979-10-09-6 | インド | 1979年10月09日 | 1970年代 | 鉄鋼生産大幅低下。79年度上半期生産は285万トン(年産570万トン)で過去4年間で最低。当初の年産目標740万トン,修正目標656万トンに比べても大幅低下。 |
DIA-302-1979-10-10-1 | インド | 1979年10月10日 | 1970年代 | 中央政府は銑鉄の輸入禁止を解除した。 |
DIA-302-1979-10-10-2 | インド | 1979年10月10日 | 1970年代 | マハラシュトラ州シャラド・パワル州首相はアルス会議派(U)総裁に対して,パラレル会議派は次期下院選挙で会議派(U)の立候補者を支持すると伝える。 |
DIA-302-1979-10-11-1 | インド | 1979年10月11日 | 1970年代 | ロク・ダルは会議派(U)がジャナタ党と選挙協定を結ぶことに警告を発する。 |
DIA-302-1979-10-11-2 | インド | 1979年10月11日 | 1970年代 | シッキムでシッキム・ジャナタ・パリシャドのN.B.バンダリーを首班とする州政府発足。 |
DIA-302-1979-10-11-3 | インド | 1979年10月11日 | 1970年代 | タミル・ナドの警官のスト3日目に入り,マドラスなどに国境警備隊,中央機動隊が配備され,陸軍が待機状態に入る。 |
DIA-302-1979-10-11-4 | インド | 1979年10月11日 | 1970年代 | チャラン・シン首相,80年1月からサトウキビの買入れ価格を引上げると語る。キンタール当り2.50ルピーから15ルピーの引上げ幅。 |
DIA-302-1979-10-11-5 | インド | 1979年10月11日 | 1970年代 | J.R.D.タタはインドはウェストミンスター型より大統領制に移行すべきであると語る。 |
DIA-302-1979-10-12-1 | インド | 1979年10月12日 | 1970年代 | シッキム州議会選挙投票。 |
DIA-302-1979-10-12-2 | インド | 1979年10月12日 | 1970年代 | ケララ州でムスリム・リーグのC.H.モハメッド・コヤを首班とする州内閣発足。77年以来,同州で4番目の連立内閣。NDP,PSPとの連立。しかし外から両会議派,両ケララ・コングレス,ジャナタ党に支持されている。 |
DIA-302-1979-10-12-3 | インド | 1979年10月12日 | 1970年代 | 政府,CISFの規律順守を要求。 |
DIA-302-1979-10-12-4 | インド | 1979年10月12日 | 1970年代 | インドの対外債務返済額は1970/71年の45億ルピーから78/79年には90億ルピーに増加したが,輸出収入に対する債務返済比率は29%から16%に低下した。 |
DIA-302-1979-10-13-1 | インド | 1979年10月13日 | 1970年代 | アッサム州のほとんどの政党が同州での連邦下院選挙の延期を主張。 |
DIA-302-1979-10-14-1 | インド | 1979年10月14日 | 1970年代 | シッキム州議会選挙結果。(総議席32)シッキム・ジャナタ・パリシャド16,シッキム会議派(革命派)11,シッキム・プラジャタントラ・コングレス3,無所属1。前州首相ドルジ落選。 |
DIA-302-1979-10-14-2 | インド | 1979年10月14日 | 1970年代 | バルラジ・マドクにより復活させられたジャン・サンの全国会議開く。 |
DIA-302-1979-10-15-1 | インド | 1979年10月15日 | 1970年代 | 会議派(U)アルス総裁,CPI・M,EMS・ナンブードリパド書記長,CPIのラオ書記長と会談,下院選挙で団結して行なうことを申し合わせる。 |
DIA-302-1979-10-15-2 | インド | 1979年10月15日 | 1970年代 | K.C.パント・エネルギー相は当面の深刻な電力不足の解決は,火力発電の効率化であると語る。 |
DIA-302-1979-10-15-3 | インド | 1979年10月15日 | 1970年代 | インドの世界の輸出に占めるシェアは1950年2.1%,60年1.2%,70年0.7%,78年0.5%と長期低落傾向にある。 |
DIA-302-1979-10-16-1 | インド | 1979年10月16日 | 1970年代 | ミゾラム州の野党(ミゾラム・コングレス,人民会議),「ミゾ・ナショナル・フロントと中央政府との話し合いの中止をもたらした事情」についての白書を要求。 |
DIA-302-1979-10-17-1 | インド | 1979年10月17日 | 1970年代 | マザー・テレサ,ノーベル平和賞受賞決定。 |
DIA-302-1979-10-17-2 | インド | 1979年10月17日 | 1970年代 | ファリダバードで労働者のデモに対する警官隊の発砲で5人死亡。 |
DIA-302-1979-10-17-3 | インド | 1979年10月17日 | 1970年代 | バフグナ蔵相はチャラン・シン首相と会い,CFDのロク・ダルに合併するための条件を提示。 |
DIA-302-1979-10-17-4 | インド | 1979年10月17日 | 1970年代 | インドの石油製品消費量は1960/61年800万トン,70/71年1790万トン,75/76年2240万トン,76/77年2410万トン,77/78年2550万トン,78/79年2850万トンと石油危機後も高い伸びを示している。 |
DIA-302-1979-10-19-1 | インド | 1979年10月19日 | 1970年代 | サンジバ・レディ大統領,政府の緊急ファンドを10億ルピー増加させる大統領令にサインせず。政府に説明を求める。(20日署名) |
DIA-302-1979-10-19-2 | インド | 1979年10月19日 | 1970年代 | デリー・クロス・ミルの1万6000人の114日間のスト解決。 |
DIA-302-1979-10-19-3 | インド | 1979年10月19日 | 1970年代 | バフグナ蔵相,首相の要求に従って閣僚を辞任。 |
DIA-302-1979-10-19-4 | インド | 1979年10月19日 | 1970年代 | ガンディー夫人,会議派(I)はタミル・ナド州以外では単独で選挙を闘うと述べる。 |
DIA-302-1979-10-22-1 | インド | 1979年10月22日 | 1970年代 | サンジバ・レディ大統領,選挙の延期はありえないと語る。 |
DIA-302-1979-10-23-1 | インド | 1979年10月23日 | 1970年代 | スブラマニアム国防相,ソ連のAN32中型輸送機を購入し,80年末までに配備を終え,MI-8ヘリコプターを購入し,MI-4と替えると語る。 |
DIA-302-1979-10-24-1 | インド | 1979年10月24日 | 1970年代 | 政府,全国の旱ばつ対策強化。 |
DIA-302-1979-10-24-2 | インド | 1979年10月24日 | 1970年代 | 会議派(U)とロク・ダルの選挙綱領をめぐる対立激化。重工業の役割,ネルーの評価を巡って,共通の選挙綱領作りが難行している。 |
DIA-302-1979-10-24-3 | インド | 1979年10月24日 | 1970年代 | CPI,共通の選挙綱領のもとにロク・ダルー会議派(U)連合と選挙協定を結ぶ可能性を否定。 |
DIA-302-1979-10-25-1 | インド | 1979年10月25日 | 1970年代 | ガンディー夫人,バンシ・ラルとサンジャイ・ガンディーを擁護。 |
DIA-302-1979-10-25-2 | インド | 1979年10月25日 | 1970年代 | シロンで暴動激化。アッサム・ライフル,国境警備隊以外に陸軍も厳戒体制。無期限の外出禁止令出される。部族民の少年2人が負傷した事件を発端として,ハルタルが呼びかけられた。 |
DIA-302-1979-10-25-3 | インド | 1979年10月25日 | 1970年代 | チャラン・シン,蔵相を兼任。 |
DIA-302-1979-10-25-4 | インド | 1979年10月25日 | 1970年代 | アルス会議派(U)総裁ジャナタ党のJ.ラムに会議派(U)に移るよう要請。ラム,要請を断る。アルス,バフグナにも同様の呼びかけを行なったが拒否される。アルスの「全会議派」の結集計画失敗。 |
DIA-302-1979-10-26-1 | インド | 1979年10月26日 | 1970年代 | 選挙委員会,第7次総選挙の正式日程を発表。80年1月3日と6日の2日間を予定。 |
DIA-302-1979-10-26-2 | インド | 1979年10月26日 | 1970年代 | 連邦政府,以下のマニプール州の政党を非合法化,革命的人民戦線(元マニプール武装革命政府),人民解放軍,カングレイパク人民革命党,赤軍など。これら諸組織が独立マニプールをめざしていることなどを理由としている。 |
DIA-302-1979-10-26-3 | インド | 1979年10月26日 | 1970年代 | ケララ州議会,土地贈与確定法を賛成70,反対42で通過させる。 |
DIA-302-1979-10-26-4 | インド | 1979年10月26日 | 1970年代 | Y.B.チャバン副首相,会議派(U)はチャラン・シン内閣から引上げることはないと述べる。 |
DIA-302-1979-10-27-1 | インド | 1979年10月27日 | 1970年代 | 会議派(U)のM.Y.サリム書記長,会議派(U)は会議派(I)と選挙協定を結ぶことはないが,ジャナタ党との調整は全面否定せず。 |
DIA-302-1979-10-27-2 | インド | 1979年10月27日 | 1970年代 | タミル・ナド州でアジテーションのため逮捕された警官の数1954人となる。 |
DIA-302-1979-10-27-3 | インド | 1979年10月27日 | 1970年代 | ソ連は80年2月までに契約通りに尿素20万トンの売り渡しに同意した。 |
DIA-302-1979-10-28-1 | インド | 1979年10月28日 | 1970年代 | チャラン・シン首相,ロク・ダル,会議派(U),共産党は意見の違いにもかかわらず,最小限のプログラムで共同して仕事のできる可能性があると訴える。 |
DIA-302-1979-10-28-2 | インド | 1979年10月28日 | 1970年代 | チャンドラシェカル・ジャナタ党総裁は同党が勝てばJ.ラムが首相になり,またサンジバ・レディ大統領は直ちに解任されるだろうと語った。 |
DIA-302-1979-10-28-3 | インド | 1979年10月28日 | 1970年代 | CPIのラオ書記長,インドの共産主義運動の統一をめざすと語る。 |
DIA-302-1979-10-29-1 | インド | 1979年10月29日 | 1970年代 | 選挙委員会,ロク・ダルの名前で立候補したり選挙シンボルを使用できないと裁定。その結果,同党はジャナタ(S)の形で認められることになった。 |
DIA-302-1979-10-29-2 | インド | 1979年10月29日 | 1970年代 | C.スブラマニアム国防相,インドの核政策はパキスタンの核政策によって決定されると語る。 |
DIA-302-1979-10-29-3 | インド | 1979年10月29日 | 1970年代 | 第6次5カ年改訂計画での工業政策の7項目のうち,重点は既存の能力の稼動率引上げと資本係数の低い投資である。 |
DIA-302-1979-10-30-1 | インド | 1979年10月30日 | 1970年代 | マディア・プラデシュ州政府,全州を飢餓危険地域と宣言。 |
DIA-302-1979-10-30-2 | インド | 1979年10月30日 | 1970年代 | インドは研磨ダイヤモンド貿易で全世界の30%を占めた。 |
DIA-302-1979-10-30-3 | インド | 1979年10月30日 | 1970年代 | FICCIは政府に対し,適切な措置がタイミングよくとられねば不況になるであろう,と警告した。 |
DIA-302-1979-10-31-1 | インド | 1979年10月31日 | 1970年代 | アルナチャル州のトモ・リバ州内閣(アルナチャル統一人民党)辞任。 |
DIA-302-1979-10-31-2 | インド | 1979年10月31日 | 1970年代 | ヴェンカトラトナム・コーヒー・ボード会長は1979/80年のコーヒー生産量は史上最高の13万トンになる,との予測を発表した。 |
DIA-302-1979-10-31-3 | インド | 1979年10月31日 | 1970年代 | 選挙委員会,選挙費用上限引上げを提案,国会議員選挙1人当り10万ルピー,州議会議員選挙3万5000ルピー。 |
DIA-302-1979-11-01-1 | インド | 1979年11月01日 | 1970年代 | 西ベンガル州CPI委員会,CPIMとの選挙協定失敗と発表。 |
DIA-302-1979-11-01-2 | インド | 1979年11月01日 | 1970年代 | バンガロールで暴動。 |
DIA-302-1979-11-01-3 | インド | 1979年11月01日 | 1970年代 | エネルギー政策に対する作業グループ(N.B.プラサド・エネルギー省次官),インドの経済成長戦略はエネルギー資源不足と高価格を考慮に入れて再検討されるべきであるという結論に達する。 |
DIA-302-1979-11-01-4 | インド | 1979年11月01日 | 1970年代 | チャバン内相,メガラヤ政府に対して暴動が起こらないよう必要な処置を要請。 |
DIA-302-1979-11-02-1 | インド | 1979年11月02日 | 1970年代 | ロク・ダルは会議派(U)と別個の選挙綱領をつくる見通し。 |
DIA-302-1979-11-02-2 | インド | 1979年11月02日 | 1970年代 | チャバン内相,アッサムでの下院選挙ボイコットの動きに警告。 |
DIA-302-1979-11-02-3 | インド | 1979年11月02日 | 1970年代 | 大蔵省は財源不足のため,1980/81年度の年次計画支出を前年比200億ルピーのカットを求めた。 |
DIA-302-1979-11-03-1 | インド | 1979年11月03日 | 1970年代 | アルナチャル・ブラデシ州,大統領直轄統治下に置かれる。州議会解散される。 |
DIA-302-1979-11-03-2 | インド | 1979年11月03日 | 1970年代 | ロク・ダル,会議派(U)の観点を考慮に入れて選挙綱領を書き換えることに合意。 |
DIA-302-1979-11-03-3 | インド | 1979年11月03日 | 1970年代 | アッサム州政府,「全外国人」を州から追放することを決定。 |
DIA-302-1979-11-04-1 | インド | 1979年11月04日 | 1970年代 | 西ベンガル州における左翼戦線とCPIの間の選挙協定成立。CPIは3選挙区が割当てられる。 |
DIA-302-1979-11-04-2 | インド | 1979年11月04日 | 1970年代 | 旱ばつと洪水にみまわれたアッサム州の飢餓状況深刻化。 |
DIA-302-1979-11-04-3 | インド | 1979年11月04日 | 1970年代 | ONGCはボンベイ沖のR―12鉱区で日産5000~7000バーレルの石油を発見した。 |
DIA-302-1979-11-04-4 | インド | 1979年11月04日 | 1970年代 | 中央政府は非居住者勘定(ルピー表示)の開設を60行に許可した。 |
DIA-302-1979-11-05-1 | インド | 1979年11月05日 | 1970年代 | N.チャクラボルティ・トリプラ州首相,4日にバングラデシュ・ライフル部隊が国境越しに農民を目標に発砲したと発表。 |
DIA-302-1979-11-06-1 | インド | 1979年11月06日 | 1970年代 | インディアン・オイル・コーポレーションのスト12日目に入り,各地でガソリン不足が目立ち始める。 |
DIA-302-1979-11-06-2 | インド | 1979年11月06日 | 1970年代 | ハイデラバードとセカンデラバードでハルタル。バス公社のポーターが警察になぐり殺されたことに抗議するもの。 |
DIA-302-1979-11-06-3 | インド | 1979年11月06日 | 1970年代 | ラージ・ナラインはJ.ラムとバフグナにロク・ダルへの入党を呼びかける。 |
DIA-302-1979-11-07-1 | インド | 1979年11月07日 | 1970年代 | シン首相,ガンディー夫人は早急に投獄されるべきだと語る。 |
DIA-302-1979-11-07-2 | インド | 1979年11月07日 | 1970年代 | バングラデシュとトリプラ州国境での緊張が続いており,国境警備隊の警戒体制が強化される。 |
DIA-302-1979-11-09-1 | インド | 1979年11月09日 | 1970年代 | アッサム州のナハルカティヤ,ティンスキヤで外出禁止令。 |
DIA-302-1979-11-09-2 | インド | 1979年11月09日 | 1970年代 | D.J.ラクダワラ計画委員会副委員長はICICIの25周年記念シンポジウムで,インド工業が現在かかえている深刻な問題として,拙劣な経営と不健全な労使関係を指摘した。 |
DIA-302-1979-11-10-1 | インド | 1979年11月10日 | 1970年代 | トリプラのダルマナガル地区で,国境警備隊員ら3人がミゾ反乱分子のため殺害された。 |
DIA-302-1979-11-11-1 | インド | 1979年11月11日 | 1970年代 | ガンディー夫人らビハール州のサハルサ近くで襲われたが無傷。 |
DIA-302-1979-11-11-2 | インド | 1979年11月11日 | 1970年代 | 会議派(I)とジャム・カシミール州のナショナル・コンファレンスの間で選挙協定成立。 |
DIA-302-1979-11-11-3 | インド | 1979年11月11日 | 1970年代 | インドで唯一のハルディア港の完全機械化コンテナー・ターミナルが正式に就役した。 |
DIA-302-1979-11-12-1 | インド | 1979年11月12日 | 1970年代 | ミシュラ外相,71年の印パ戦争の際,ガンディー政府閣僚の一人がCIAにインドの対パ戦略を通報したといわれる事件は調査すべきであると語る。 |
DIA-302-1979-11-12-2 | インド | 1979年11月12日 | 1970年代 | アッサム州で高まる暴動の危険性に対して陸軍待機。 |
DIA-302-1979-11-13-1 | インド | 1979年11月13日 | 1970年代 | 会議派(U)とロク・ダル,下院選挙を統一した選挙綱領で闘うことをきめた。 |
DIA-302-1979-11-13-2 | インド | 1979年11月13日 | 1970年代 | Y.V.チャンドラチャド最高裁長官,キッサ・クルシー・カ事件の弁護士シャルマに法廷に出ないよう脅迫を受けたと語る。 |
DIA-302-1979-11-13-3 | インド | 1979年11月13日 | 1970年代 | 政府,鉄道労働者に対して,生産性とリンクしたボーナスとして,25日分の賃金を今会計年度から払うことを決定。 |
DIA-302-1979-11-13-4 | インド | 1979年11月13日 | 1970年代 | 訪印中の中国貿易使節団,FICCIと会談。 |
DIA-302-1979-11-14-1 | インド | 1979年11月14日 | 1970年代 | マニプール州,大統領直轄統治下におかれる。州議会も解散される。 |
DIA-302-1979-11-14-2 | インド | 1979年11月14日 | 1970年代 | バフグナとガンディー夫人,CFDと会議派(I)の統合について話しあう。 |
DIA-302-1979-11-14-3 | インド | 1979年11月14日 | 1970年代 | CPIのラオ書記長,同党はロクダル,会議派(U)と統一戦線は組まないが,選挙協定を結ぶと語る。 |
DIA-302-1979-11-14-4 | インド | 1979年11月14日 | 1970年代 | ソ連にアルミナを輸出インドはソ連にアルミナ,薬品(Stelazine)を輸出,見返りにボールベアリングを輸入する協定を結んだ。 |
DIA-302-1979-11-15-1 | インド | 1979年11月15日 | 1970年代 | 会議派(I)議会理事会,サンジャイ・ガンディーをU.P.州のアメティから立候補させることを決定。 |
DIA-302-1979-11-15-2 | インド | 1979年11月15日 | 1970年代 | J.バス西ベンガル州首相,アッサム州首相に対して,非アッサム人を難民として西ベンガル州に流入させないよう要請。 |
DIA-302-1979-11-16-1 | インド | 1979年11月16日 | 1970年代 | 生産性とリンクしたボーナスは,電報・電話局,軍需工場労働者にも適用されることに決定。 |
DIA-302-1979-11-16-2 | インド | 1979年11月16日 | 1970年代 | 海外からの仕送り,79年4月―8月で,前年同期比で14.3%増大。 |
DIA-302-1979-11-16-3 | インド | 1979年11月16日 | 1970年代 | アルス会議派(U)総裁,シン首相と,下院選挙での会議派(U)とロク・ダルの候補者調整について話しあう。 |
DIA-302-1979-11-16-4 | インド | 1979年11月16日 | 1970年代 | ソ連は1981―85年に12万トンの重機械を輸入する契約をインドと結んだ。 |
DIA-302-1979-11-17-1 | インド | 1979年11月17日 | 1970年代 | U.P.州内閣で8人の閣僚(7人はCFD,1人はロク・ダル)辞任。 |
DIA-302-1979-11-17-2 | インド | 1979年11月17日 | 1970年代 | アッサム州で「外国人」を有権者リストから除くことを要求するデモで多くの者が逮捕される。 |
DIA-302-1979-11-17-3 | インド | 1979年11月17日 | 1970年代 | マハラシュトラ州で,パワル州首相の「パラレル会議派」とジャナタ党との選挙協定成立せず。 |
DIA-302-1979-11-17-4 | インド | 1979年11月17日 | 1970年代 | CPI(M)のナンブーディリパド書記長,同党は会議派(U)とロク・ダルのブロックで政権をとるのを支持するが,労働者階級の利益のため独自の政策のために闘うと述べる。 |
DIA-302-1979-11-18-1 | インド | 1979年11月18日 | 1970年代 | CPI選挙綱領,反会議派(I)を明確に打出す。 |
DIA-302-1979-11-18-2 | インド | 1979年11月18日 | 1970年代 | 石油・天然ガス委員会,オフ・ショア原油の生産目標を6次計画末(82年度)の900万トンを1800万トンに倍増。 |
DIA-302-1979-11-18-3 | インド | 1979年11月18日 | 1970年代 | 1980年の石油・同製品輸入額380億ルピーの見通し。原油輸入量1800万トン,石油製品輸入量400万トンで,前年より80億ルピー増大。 |
DIA-302-1979-11-19-1 | インド | 1979年11月19日 | 1970年代 | カーター大統領,イランの人質解放のためインドのあっせんを求めるメッセージを送る。 |
DIA-302-1979-11-20-1 | インド | 1979年11月20日 | 1970年代 | スブラマニアム国防相,インドは独力で国産戦車を開発中と語る。 |
DIA-302-1979-11-20-2 | インド | 1979年11月20日 | 1970年代 | インド・バングラ両国,国境での紛争を避けるためあらゆる手段をとることに合意。 |
DIA-302-1979-11-20-3 | インド | 1979年11月20日 | 1970年代 | 10月13日で終わる1年間の卸売物価上昇率は17.2%となった。 |
DIA-302-1979-11-21-1 | インド | 1979年11月21日 | 1970年代 | 中央選挙委員会,第7回連邦下院選挙の最終日程発表,投票80年1月3日と6日開票は1月6日から。 |
DIA-302-1979-11-21-2 | インド | 1979年11月21日 | 1970年代 | H.N.バフグナ,正式にCFDを会議派(I)と合併させると発表した。同席したジャマ・マスジッドのイマームはガンディー夫人支持を表明。 |
DIA-302-1979-11-21-3 | インド | 1979年11月21日 | 1970年代 | ハリヤナ州電力庁は工場に対する電力供給削減率を60%にアップした。 |
DIA-302-1979-11-22-1 | インド | 1979年11月22日 | 1970年代 | インド外務省スポークスマン,メッカ襲撃事件を非難。 |
DIA-302-1979-11-22-2 | インド | 1979年11月22日 | 1970年代 | ロク・ダルの選挙綱領決定。ネルー批判の部分を削除したが,中央政府公務員の25%を後進カーストに留保するという公約はそのままとなっている。 |
DIA-302-1979-11-22-3 | インド | 1979年11月22日 | 1970年代 | 1979年4―9月の輸出は289.09億ルピーであるのに対して輸入は369.01億ルピーで貿易収支は79.92億ルピーの赤字。前年同期は58.81億ルピーの赤字。 |
DIA-302-1979-11-23-1 | インド | 1979年11月23日 | 1970年代 | バフグナ,会議派(I)の書記長に就任。 |
DIA-302-1979-11-23-2 | インド | 1979年11月23日 | 1970年代 | 東部U.P.州,州電力庁のサボのため停電。 |
DIA-302-1979-11-23-3 | インド | 1979年11月23日 | 1970年代 | カーバ神殿占拠事件をきっかけにハイデラバードで暴動,外出禁止令が出される。 |
DIA-302-1979-11-23-4 | インド | 1979年11月23日 | 1970年代 | カルカッタでも暴動。 |
DIA-302-1979-11-23-5 | インド | 1979年11月23日 | 1970年代 | 政府砂糖の工場出し値価格,キンタール当リ35ルピー引上げ決定。 |
DIA-302-1979-11-23-6 | インド | 1979年11月23日 | 1970年代 | インド準備銀行,金融引締めを継続すると発表。 |
DIA-302-1979-11-24-1 | インド | 1979年11月24日 | 1970年代 | 綿布等の国内消費税継続の大統領令出される。 |
DIA-302-1979-11-25-1 | インド | 1979年11月25日 | 1970年代 | U.P.州政府,州電力局のエンジニアのアジテーションに対して強硬姿勢。軍隊待機態勢に入る。 |
DIA-302-1979-11-25-2 | インド | 1979年11月25日 | 1970年代 | シン首相,経済基幹部門でのアジテーションをチェックするよう各政党に訴える。 |
DIA-302-1979-11-26-1 | インド | 1979年11月26日 | 1970年代 | CPIのS.A.ダンケ議長,辞表提出。 |
DIA-302-1979-11-26-2 | インド | 1979年11月26日 | 1970年代 | インドはレイヨン糸の不足を解消するため,はじめてバングラデシュからの輸入をはじめた。 |
DIA-302-1979-11-27-1 | インド | 1979年11月27日 | 1970年代 | 会議派(U)のブラーフマナンダ・レディ工業相,閣僚を辞任するとともに,会議派(U)を離党。 |
DIA-302-1979-11-27-2 | インド | 1979年11月27日 | 1970年代 | A.P.ラオ観光・民間航空・国務相,辞任。ラオはレディ工業相の支持者。 |
DIA-302-1979-11-27-3 | インド | 1979年11月27日 | 1970年代 | ゴダヴァリ川の水量配分をめぐるマハラシュトラ州,マディヤ・プラデシ州,オリッサ州,カルナタカ州,アンドラ・プラデシ州間の抗争についての裁定が出され問題は決着。 |
DIA-302-1979-11-28-1 | インド | 1979年11月28日 | 1970年代 | 会議派(U)とロク・ダル,U.P.州,ビハール州についての候補者調整に失敗。 |
DIA-302-1979-11-28-2 | インド | 1979年11月28日 | 1970年代 | コヤ・ケララ州政府,知事に対し,州議会解散,選挙を勧告。 |
DIA-302-1979-11-29-1 | インド | 1979年11月29日 | 1970年代 | 会議派(U)緊急執行委員会,ロク・ダルと同盟を継続するかどうかをアルス総裁に一任。 |
DIA-302-1979-11-29-2 | インド | 1979年11月29日 | 1970年代 | U.P.州電力庁の技師,アジテーションに関連して350人逮捕される。 |
DIA-302-1979-11-29-3 | インド | 1979年11月29日 | 1970年代 | アメリカはインドからのエビの輸入禁止を解除した。 |
DIA-302-1979-11-30-1 | インド | 1979年11月30日 | 1970年代 | ケララ州議会解散される。 |
DIA-302-1979-12-01-1 | インド | 1979年12月01日 | 1970年代 | 会議派(I)の選挙協定発表。法と秩序の回復を主張しガンディー夫人の役割を強調。 |
DIA-302-1979-12-01-2 | インド | 1979年12月01日 | 1970年代 | ブラーフマナンダ・レディら会議派(I)に入党。 |
DIA-302-1979-12-01-3 | インド | 1979年12月01日 | 1970年代 | 全アッサム学生連合,レディ大統領と会う。中央政府はアッサムへの「外国人」流入問題を扱う委員会設立計画を放棄する。 |
DIA-302-1979-12-01-4 | インド | 1979年12月01日 | 1970年代 | アッサム州での選挙人名簿,最終日の11月30日にも完成してないことが明らかになった。 |
DIA-302-1979-12-01-5 | インド | 1979年12月01日 | 1970年代 | ケララ州,コヤ州政府辞任。 |
DIA-302-1979-12-02-1 | インド | 1979年12月02日 | 1970年代 | U.P.州電力局の技術者のスト中止。 |
DIA-302-1979-12-03-1 | インド | 1979年12月03日 | 1970年代 | 連邦下院選挙告示。 |
DIA-302-1979-12-03-2 | インド | 1979年12月03日 | 1970年代 | ズルフィカルラー通信相,閣僚辞任。ムスリム・ナショナル・フロントはジャナタ党と選挙協定を結ぶ。 |
DIA-302-1979-12-03-3 | インド | 1979年12月03日 | 1970年代 | ベロニアでのバングラデシュとの衝突続く。 |
DIA-302-1979-12-03-4 | インド | 1979年12月03日 | 1970年代 | ニューデリーで国際原子力エネルギー機構,第23回総会開幕。 |
DIA-302-1979-12-03-5 | インド | 1979年12月03日 | 1970年代 | アッサム州で連邦下院選挙の延期を要求してバン・ド。 |
DIA-302-1979-12-04-1 | インド | 1979年12月04日 | 1970年代 | 会議派(U)のチャンドラジット・ヤダヴ,ロク・ダルに入党し,アザムガールから立候補すると表明。 |
DIA-302-1979-12-04-2 | インド | 1979年12月04日 | 1970年代 | 10月25日のシロン・バンドから11月26日までのシロンでの死者6人。 |
DIA-302-1979-12-04-3 | インド | 1979年12月04日 | 1970年代 | 中央銀行は対ポンド中心レート(スポット)を1ボンド17.55ルピーから17.80ルピーへ1.4%切下げた。 |
DIA-302-1979-12-05-1 | インド | 1979年12月05日 | 1970年代 | ケララ州,大統領直轄統治下に入る。 |
DIA-302-1979-12-05-2 | インド | 1979年12月05日 | 1970年代 | 会議派(U)独自の選挙綱領を出すことを決定。これによって会議派(U)とロク・ダルの選挙協定は事実上崩壊。 |
DIA-302-1979-12-05-3 | インド | 1979年12月05日 | 1970年代 | 「キッサ・クルシー・カ」事件を扱っている最高裁は,特別法廷法等は合憲であるとの判決を下す。 |
DIA-302-1979-12-05-4 | インド | 1979年12月05日 | 1970年代 | タミル・ナド州は工場に対する電力供給率を30%カットした(連続作業工場に対しては15%)。 |
DIA-302-1979-12-06-1 | インド | 1979年12月06日 | 1970年代 | ナグプールでマラトワダ大学をB.R.アンベドカル大学に変更を要求する暴動が起き,夜間外出禁止令が出される。2人死亡。 |
DIA-302-1979-12-06-2 | インド | 1979年12月06日 | 1970年代 | インド政府はバングラデシュ政府に対して,過去5週間,トリプラ州境のベロニア地区へのバングラ・ライフル部隊の発砲に警告。 |
DIA-302-1979-12-06-3 | インド | 1979年12月06日 | 1970年代 | 会議派(I)とナショナル・コンファレンスは,ジャム・カシミール州での選挙協定を行なうことに合意。 |
DIA-302-1979-12-06-4 | インド | 1979年12月06日 | 1970年代 | ナグプールの死者4人となる。 |
DIA-302-1979-12-06-5 | インド | 1979年12月06日 | 1970年代 | ナルマダ川の水量配分に関するマディヤ・プラデシ州,グジャラート州,ラジャスタン州,マハラシュトラ州間の抗争に対して,裁定が下される。 |
DIA-302-1979-12-06-6 | インド | 1979年12月06日 | 1970年代 | インドはパキスタンによる南アジア非核地帯設定提案を拒否。 |
DIA-302-1979-12-08-1 | インド | 1979年12月08日 | 1970年代 | ガンディー夫人,U.P.州のラエ・バレリのほか,アンドラ・プラデシ州のメダクでも立候補届出。 |
DIA-302-1979-12-08-2 | インド | 1979年12月08日 | 1970年代 | アッサム州のハザリカ内閣(ジャナタ党)に対して,会議派(U)とCPIは支持を撤回。 |
DIA-302-1979-12-09-1 | インド | 1979年12月09日 | 1970年代 | アッサム州政府から州首相を除く全閣僚13人辞表提出。 |
DIA-302-1979-12-09-2 | インド | 1979年12月09日 | 1970年代 | ノウゴンで無期限外出禁止令。 |
DIA-302-1979-12-09-3 | インド | 1979年12月09日 | 1970年代 | インド,駐パキスタン外交官がイスラマバードで暴行を受けたことに対して,パキスタンに抗議。 |
DIA-302-1979-12-09-4 | インド | 1979年12月09日 | 1970年代 | インドの技術輸出(ロイヤリティーとノーハウ)は年間700~800万ドルで世界の輸出額のわずか1%にすぎない。 |
DIA-302-1979-12-10-1 | インド | 1979年12月10日 | 1970年代 | アッサム州では社会不安のため,14選挙区のうち4選挙区のみ選挙可能となった。 |
DIA-302-1979-12-11-1 | インド | 1979年12月11日 | 1970年代 | ケララ州の州議会選挙80年1月21日と決定。 |
DIA-302-1979-12-12-1 | インド | 1979年12月12日 | 1970年代 | アッサム州,大統領直轄統治下に入る。州議会は停止される。 |
DIA-302-1979-12-12-2 | インド | 1979年12月12日 | 1970年代 | エコノミッタ・タイムス紙調べのボンベイ小売物価は11月には261.2を記録,前年同月比25%アップとなった。1―11月の平均では20.3%上昇,月間2.5%の上昇率となった。 |
DIA-302-1979-12-13-1 | インド | 1979年12月13日 | 1970年代 | 中央政府公務員の間での「後進カースト」出身者に特定のパーセントの雇用を保証する案,再度たなあげされる。 |
DIA-302-1979-12-13-2 | インド | 1979年12月13日 | 1970年代 | メガラヤのボコで,州議会議員1人を含む3人が道路上で射殺される。 |
DIA-302-1979-12-13-3 | インド | 1979年12月13日 | 1970年代 | インド・バングラ国境問題に関する話し合い始まる。 |
DIA-302-1979-12-14-1 | インド | 1979年12月14日 | 1970年代 | ゴーハティで治安維持のため陸軍示威行進を行なう。無期限外出禁止令のなかで衝突続く。 |
DIA-302-1979-12-14-2 | インド | 1979年12月14日 | 1970年代 | ビハール州の会議派(I)州議員,ラム・スンダル・ダス内閣に対する支持を撤回。 |
DIA-302-1979-12-14-3 | インド | 1979年12月14日 | 1970年代 | 79年1―6月の労働争議による労働日の損失は2260万人日(前年同期は1490万人)となった。 |
DIA-302-1979-12-16-1 | インド | 1979年12月16日 | 1970年代 | パンジャブ州政府,学校教師に対する賃上げを賃金委員会の勧告より大幅にする。 |
DIA-302-1979-12-16-2 | インド | 1979年12月16日 | 1970年代 | インド・バングラ国境問題交渉,主要問題未解決に終る。 |
DIA-302-1979-12-17-1 | インド | 1979年12月17日 | 1970年代 | 中央政府は砂糖価格の値上がり防止のため,二重価格制による部分的統制を導入した。 |
DIA-302-1979-12-18-1 | インド | 1979年12月18日 | 1970年代 | 第7次総選挙の立候補者確定。第6次の場合より約2倍の4633人(542選挙区)となった。 |
DIA-302-1979-12-19-1 | インド | 1979年12月19日 | 1970年代 | 外国製薬会社の「高度技術」の主張が40社中36社認められた。 |
DIA-302-1979-12-20-1 | インド | 1979年12月20日 | 1970年代 | ジャナタ党とアカリ・ダルはパンジャブ州で選挙協定を結ぶ。 |
DIA-302-1979-12-20-2 | インド | 1979年12月20日 | 1970年代 | 12月8日で終わる1週間の卸売物価指数は前年同期比20.9%高となった。 |
DIA-302-1979-12-21-1 | インド | 1979年12月21日 | 1970年代 | 中国,駐印大使に申健を任命。 |
DIA-302-1979-12-21-2 | インド | 1979年12月21日 | 1970年代 | インドの来年度の原油輸入額はバーレル当り24ドルで440億ルピーになり,予想輸出収入660億ルピーの66%になる。 |
DIA-302-1979-12-22-1 | インド | 1979年12月22日 | 1970年代 | チャラン・シン首相の要求で,AIADMKのバル・パジノル石油相ら2閣僚辞任。 |
DIA-302-1979-12-22-2 | インド | 1979年12月22日 | 1970年代 | シロンの暴動で3人死亡,陸軍出動。 |
DIA-302-1979-12-23-1 | インド | 1979年12月23日 | 1970年代 | 79年1―10月の商業車生産台数は50,424台で前年同期の42,151台と比べて大幅増であるが,乗用車は逆に28,105台から21,529台に減少した。 |
DIA-302-1979-12-24-1 | インド | 1979年12月24日 | 1970年代 | 計画委員会は,政府部門の支出総額7100億ルピーの修正6次計画を発表した。 |
DIA-302-1979-12-24-2 | インド | 1979年12月24日 | 1970年代 | A.B.バジパイは,外国の外交官は選挙に介入しないよう警告。 |
DIA-302-1979-12-24-3 | インド | 1979年12月24日 | 1970年代 | ガンディー夫人,サンジャイが立候補したのは政治に参加するためではなく,いわれなき攻撃から身を守るためであると語る。 |
DIA-302-1979-12-26-1 | インド | 1979年12月26日 | 1970年代 | 会議派(U)中央指導部とアッサム州支部との間で対立。州支部はジャナタ党と組んで組閣する方針をとっている。 |
DIA-302-1979-12-26-2 | インド | 1979年12月26日 | 1970年代 | インド,対ローデシア経済関係断絶を解除。 |
DIA-302-1979-12-27-1 | インド | 1979年12月27日 | 1970年代 | 3人の州議会議員を含むメガラヤ州政治家5人予防拘禁法で逮捕される。 |
DIA-302-1979-12-28-1 | インド | 1979年12月28日 | 1970年代 | インド政府スポークスマン,アフガンの事態に対して,インドは従来から一国の内政に対する外国の介入に反対してきたと述べる。 |
DIA-302-1979-12-28-2 | インド | 1979年12月28日 | 1970年代 | 印ソ貿易議定書1980年度調印,往復,190億ルピー。 |
DIA-302-1979-12-30-1 | インド | 1979年12月30日 | 1970年代 | チャラン・シン首相,ガンディー夫人とサンジャイによるスイス銀行からの6億ルピーの預金引出しという情報を調査するつもりだと語る。 |
DIA-302-1979-12-31-1 | インド | 1979年12月31日 | 1970年代 | インド政府,ソ連大使を呼び,アフガニスタンからソ連軍は早期撤退するよう要望した。 |
DIA-302-1979-12-31-2 | インド | 1979年12月31日 | 1970年代 | 銀が史上最高値のキログラム当り3442ルピーとなった。 |