ID 国名 日付 年代 内容
DIA-303-1974-01-01-1ネパール1974年01月01日1970年代ネパール国立銀行,米穀倉庫建設のため農業開発銀行に対する長期貸付を決定。
DIA-303-1974-01-01-2ネパール1974年01月01日1970年代中国の援助による“Prithvi Highway”(Naubise-Pokhara間174キロメートル)完成。総工費122,000万ルピー。
DIA-303-1974-01-01-3ネパール1974年01月01日1970年代ネパール・ソ連文化協定の1974年計画書調印される。
DIA-303-1974-01-03-1ネパール1974年01月03日1970年代政府は米穀の輸出規制を行なうことを発表。
DIA-303-1974-01-03-2ネパール1974年01月03日1970年代ネパール航空,国際線の運賃値上げを発表。
DIA-303-1974-01-04-1ネパール1974年01月04日1970年代ネパール産米5万トン,バングラデシュへ輸出される。
DIA-303-1974-01-04-2ネパール1974年01月04日1970年代ビレンドラ国王,スルケット西部の地域開発センターを視察。28日カトマンズ帰還。
DIA-303-1974-01-06-1ネパール1974年01月06日1970年代国連難民高等弁務官特別補佐官,ビハリ・モスリムの送還業務打合せのためネパール訪間(ネパールより,今後送還されるビハリ・モスリムの数は約9000名に達する見込み)。
DIA-303-1974-01-08-1ネパール1974年01月08日1970年代インド側での貨車不足のため,ネパール産輸出向ジュートは,国境のビラトナガールで多量に滞貨。
DIA-303-1974-01-08-2ネパール1974年01月08日1970年代中国の援助によるカトマンズ環状道路の建設が開始される(建設予定期間2カ年,援助額5000万ルピー)。
DIA-303-1974-01-09-1ネパール1974年01月09日1970年代自民党中近東・アジア・アフリカ経済協力調査議員団一行7名(奥田敬和議員外)ネパール訪問。リザル総理を表敬訪問。
DIA-303-1974-01-11-1ネパール1974年01月11日1970年代農業開発公社は,現在の3万トンの貯蔵能力を増加するため,今後2年間に7万トンの貯蔵能力を持つ倉庫を建設する予定である旨の政府発表。
DIA-303-1974-01-12-1ネパール1974年01月12日1970年代(~17日)。カダヤット法務大臣,第15回AA法律諮問委員会東京会議出席のため訪日。
DIA-303-1974-01-18-1ネパール1974年01月18日1970年代政府は,軽油不足のため自動車の輸入を今後3ヵ月間,公共輸送用を除き制限する旨発表。
DIA-303-1974-01-19-1ネパール1974年01月19日1970年代(~23日)。全国パンチャーヤット(国会)の招待により,オーストラリア国会議員団一行9名がネパール訪間。
DIA-303-1974-01-20-1ネパール1974年01月20日1970年代タクール前駐日大使,政府より罷免され,今後公職に就く資格を剥奪される。
DIA-303-1974-01-20-2ネパール1974年01月20日1970年代政府,新輸入規定を発表。本規定により,インド以外の第3国から優先外貨で輸入する場合には,優先外貨の25%を特定物資の輸入に充当することが義務づけられた。
DIA-303-1974-01-23-1ネパール1974年01月23日1970年代(~26日)。英国国会議員団一行4名ネパール訪問。
DIA-303-1974-01-28-1ネパール1974年01月28日1970年代ビレンドラ国王戴冠式は,1975年2月24日挙行される旨王宮総務局より発表される。
DIA-303-1974-01-31-1ネパール1974年01月31日1970年代中国の援助により綿紡績工場がヘタウダに建設される旨政府発表。
DIA-303-1974-01-31-2ネパール1974年01月31日1970年代ビレンドラ国王,1972年に設置された食糧管理委員会を解散。
DIA-303-1974-02-01-1ネパール1974年02月01日1970年代第28回全国パンチャーヤット招集される。
DIA-303-1974-02-02-1ネパール1974年02月02日1970年代政府,じゃ香の輸出禁止措置を発表。
DIA-303-1974-02-02-2ネパール1974年02月02日1970年代(~5日)。チトー・ユーゴスラヴィア大統領夫妻,ビレンドラ国王の招待によりネパールを公式訪問。5日共同コミュニケ発表。
DIA-303-1974-02-08-1ネパール1974年02月08日1970年代バングラデシュ航空,カトマンズ乗入れ開始。ダッカ=カトマンズ間週2回運航。
DIA-303-1974-02-10-1ネパール1974年02月10日1970年代全国パンチャーヤット議長選挙が行なわれ,N.B.スワル元土地改革担当国務大臣が当選。
DIA-303-1974-02-11-1ネパール1974年02月11日1970年代国連中東平和維持軍参加のため,ネパール軍570名カトマンズ出発。
DIA-303-1974-02-11-2ネパール1974年02月11日1970年代政府は,外交官用を除き,全外国車の輸入を禁止する旨発表。
DIA-303-1974-02-12-1ネパール1974年02月12日1970年代Y.P.パント元国立銀行総裁,駐日ネパール大使に任命される。
DIA-303-1974-02-15-1ネパール1974年02月15日1970年代バスネット森林・一般行政担当国務大臣辞職。
DIA-303-1974-02-15-2ネパール1974年02月15日1970年代ネパール・インド経済関係会議がニューデリーで開催され,ネパールよりカトリ外務次官が出席。
DIA-303-1974-02-15-3ネパール1974年02月15日1970年代王政復古記念卓球国際親善試合がカトマンズで開催され,日本,インド,中国,タイ,マレーシァ,スリランカ,ビルマ,パキスタン及びネパールの9カ国代表が参加。
DIA-303-1974-02-17-1ネパール1974年02月17日1970年代U.B.バスネット前駐英大使,外務省儀典長に任命される。
DIA-303-1974-02-17-2ネパール1974年02月17日1970年代シャー厚生担当国務大臣辞職。
DIA-303-1974-02-18-1ネパール1974年02月18日1970年代ビレンドラ国王,エネルーギ危機と開発用資材の不足は,ネパールの国家進歩の障害となっている旨演説。
DIA-303-1974-02-19-1ネパール1974年02月19日1970年代中国体育代表団一行,ソザル総理を表敬訪間。
DIA-303-1974-02-21-1ネパール1974年02月21日1970年代国民帰郷運動全国委員会委員長にJ.B.シンガ就任。
DIA-303-1974-02-22-1ネパール1974年02月22日1970年代ネパール外務省,パキスタンのバングラデシュ承認を歓迎する旨の声明を発表。
DIA-303-1974-02-25-1ネパール1974年02月25日1970年代ビレンドラ国王,ダンクタ東部ネパール開発センターを視察。
DIA-303-1974-02-27-1ネパール1974年02月27日1970年代第23回全国パンチャーヤット閉会。
DIA-303-1974-02-28-1ネパール1974年02月28日1970年代政府は新賃銀制を導入する旨発表。
DIA-303-1974-02-30-1ネパール1974年02月30日1970年代ネパール国内マイクロ・ウェーブ通信計画実施のため,世銀は720万ドルの融資を決定。
DIA-303-1974-03-01-1ネパール1974年03月01日1970年代カトマンズ,ラリトプールで最低賃銀制が導入される。
DIA-303-1974-03-02-1ネパール1974年03月02日1970年代倉庫建設,トラクター等農具購入のための第2次農業クレジットとして,アジア開銀は,ネパール農業開発銀行に対し,300万ドルの借款を供与(10年据置を含む期間40年,年利1%)。
DIA-303-1974-03-04-1ネパール1974年03月04日1970年代政府,ギニア・ビサウ共和国を承認。
DIA-303-1974-03-04-2ネパール1974年03月04日1970年代(~7日)。第9回東南アジア中央銀行総裁会議カトマンズで開催される。
DIA-303-1974-03-13-1ネパール1974年03月13日1970年代シン通信大臣,ギミレ食糧・農業・土地改革大臣及びカダヤット食糧・農業担当副大臣はパンチャーヤット議員の任期満了のため辞職。
DIA-303-1974-03-16-1ネパール1974年03月16日1970年代ビラトナガル巡行中の国王の近くで,手榴弾爆発。死者3名,負傷者37名。
DIA-303-1974-03-17-1ネパール1974年03月17日1970年代カルキ外務大臣,非同盟諸国事務会議(於アルジェ)出席のため出発。
DIA-303-1974-03-20-1ネパール1974年03月20日1970年代(~4月23日)。ネパール通商使節団一行5名(団長,P.R.パンディ大蔵省対外援助局長)ラサに向け出発。
DIA-303-1974-03-21-1ネパール1974年03月21日1970年代ユネスコの要請により,日本は,ハヌマン・ドウカ宮殿修復計画のため2万ドルを拠出。
DIA-303-1974-03-24-1ネパール1974年03月24日1970年代エカフェ総会出席のネパール代表団出発。
DIA-303-1974-03-29-1ネパール1974年03月29日1970年代第2次リザル内閣成立(大臣7名,国務大臣4名,副大臣10名)。内閣改造に伴い,内務・パンチャーヤット省は,内務省及びパンチャーヤット省に分割された。
DIA-303-1974-04-04-1ネパール1974年04月04日1970年代エカフェ総会はルンビニ開発計画に関する決議採択。
DIA-303-1974-04-07-1ネパール1974年04月07日1970年代ネパール青年機構親善使節団一行5名,中国の招待で中国訪問(約1ヵ月滞在)。
DIA-303-1974-04-09-1ネパール1974年04月09日1970年代本年3月に再開された送還業務により,ビハリ・モスリム1800名がパキスタンに送還された(ネパールより送還された本難民数は総計2万5000名に達した)。
DIA-303-1974-04-18-1ネパール1974年04月18日1970年代植物検疫法施行される。
DIA-303-1974-04-19-1ネパール1974年04月19日1970年代カトリ外務次官,ネパール石油公団総裁を帯同,原油等買付のためクウェート等ペルシア湾沿岸諸国へ出発。
DIA-303-1974-04-19-2ネパール1974年04月19日1970年代ビレンドラ国王,カトマンズ地域開発センターを視察。
DIA-303-1974-04-20-1ネパール1974年04月20日1970年代ブータン国王特使ネパール訪問。カルキ外務大臣等と会談。ビレンドラ国王に対し,ワンチュク・ブータン国王戴冠式への出席を要請。
DIA-303-1974-04-22-1ネパール1974年04月22日1970年代政府は新産業政策を発表。
DIA-303-1974-04-22-2ネパール1974年04月22日1970年代政府は言論統制強化策として,文学関係定期刊行物の登録制を実施。
DIA-303-1974-04-22-3ネパール1974年04月22日1970年代ビラトナガルでの国王暗殺未遂事件犯人逮捕される。
DIA-303-1974-04-24-1ネパール1974年04月24日1970年代政府は,インドの援助になるトリスリ及びデビガト水力発電所建設工事は,本年秋着工され,完成時期は1977年になる見込と発表。
DIA-303-1974-04-24-2ネパール1974年04月24日1970年代ネパール航空理事長外5名はスカンジナビア航空との技術提携交渉のためストックホルムに向け出発。
DIA-303-1974-04-25-1ネパール1974年04月25日1970年代インド内相は記者会見で,「インドは友好国に対する反体制活動にインド領を使用することを許さない」旨発言。
DIA-303-1974-04-25-2ネパール1974年04月25日1970年代政府,産業許可委員会を設置。
DIA-303-1974-04-25-3ネパール1974年04月25日1970年代(~29日)。第7回マラリア撲減印・ネ調整委員会開催される(於ラクノウ)。
DIA-303-1974-04-27-1ネパール1974年04月27日1970年代ユニセラはネパール向け追加援助資金13.118百万ルピーの提供を発表。
DIA-303-1974-04-30-1ネパール1974年04月30日1970年代(~5月5日)。ネパール航空はスカンジナビア航空と技術提携交渉を開催(於ストックホルム)。
DIA-303-1974-04-30-2ネパール1974年04月30日1970年代(~5月3日)。北朝鮮親善使節団一行4名(団長,Kim Gyong Ryan大蔵大臣)ネパール訪問。ビレンドラ国王に謁見したほか,リザル総理,スワル国会議長等と会見。
DIA-303-1974-05-03-1ネパール1974年05月03日1970年代釈迦生誕記念式典カトマンズで開催される。
DIA-303-1974-05-03-2ネパール1974年05月03日1970年代全国パンチャーヤット議員32議席の選挙始まる。
DIA-303-1974-05-05-1ネパール1974年05月05日1970年代スワル運輸大臣の乗用車に対する爆破未遂事件発生。
DIA-303-1974-05-08-1ネパール1974年05月08日1970年代ネパール上下水道建設工事の第1段階として,カトマンズ,ポカラ及びラソトプールの上下水道改良拡張工事が着工される。1978年完成予定。IDAは本計画のため7800万ルピーの借款を供与。
DIA-303-1974-05-08-2ネパール1974年05月08日1970年代1969/70年度ネパール対外貿易額発表。総輸入額854,771,000ルピー。総輸出額489,247,000ルピー。
DIA-303-1974-05-08-3ネパール1974年05月08日1970年代在ネパール・ポーランド通商代表部,大使館に昇格。
DIA-303-1974-05-14-1ネパール1974年05月14日1970年代(~16日)。井上アジア開銀総裁ネパール訪問。タパ大蔵担当国務大臣と会見。
DIA-303-1974-05-15-1ネパール1974年05月15日1970年代政府は南北両朝鮮と外交関係樹立で合意した旨発表。
DIA-303-1974-05-15-2ネパール1974年05月15日1970年代政府はアジア開銀と借款協定に調印。
DIA-303-1974-05-15-3ネパール1974年05月15日1970年代パンチャーヤット省次官にJ.B.チャンド前全国パンチャーヤット事務局長が任命される。
DIA-303-1974-05-17-1ネパール1974年05月17日1970年代西独政府は,ネパールに対し800万DMの商品援助借款を供与することに合意(アンタイ。10年据置を含む50年返済。年利0.75%)。
DIA-303-1974-05-28-1ネパール1974年05月28日1970年代(~6月1日)。中国通商使節団(団長陳潔外国貿易部副部長)ネパール訪問。
DIA-303-1974-05-30-1ネパール1974年05月30日1970年代政府,西独政府と技術協力基本協定に調印。
DIA-303-1974-05-31-1ネパール1974年05月31日1970年代ネパール・中国通商協定調印される。本協定は期間3年で,特にネパール・チベット間交易拡大に重点が置かれ,30万スターリング・ポンドの振子勘定が設けられている。
DIA-303-1974-06-01-1ネパール1974年06月01日1970年代(~5日)。ディレンドラ殿下同妃殿下,ブータン国王戴冠式出席のためブータン訪問。
DIA-303-1974-06-03-1ネパール1974年06月03日1970年代在ネパールChoi UK-Myong北鮮総領事,大使に任命される。
DIA-303-1974-06-06-1ネパール1974年06月06日1970年代(~19日)。K.R.ラナ将軍(ビレンドラ国王の岳父)夫妻日本訪問。天皇陛下に謁見。
DIA-303-1974-06-12-1ネパール1974年06月12日1970年代1971/72年会計年度の米の生産量発表される。米100万トン,小麦184,021トン。
DIA-303-1974-06-14-1ネパール1974年06月14日1970年代ジャナカプール県知事に対する投弾事件発生。
DIA-303-1974-06-17-1ネパール1974年06月17日1970年代政府はパキスタンと航空協定に調印。本協定により,ネパール航空及びPIAは各々カトマンズ・カラチ間を運航する予定。
DIA-303-1974-06-19-1ネパール1974年06月19日1970年代ビラトナガル空港拡張工事完成。
DIA-303-1974-06-21-1ネパール1974年06月21日1970年代第24回全国パンチャーヤット開会される。
DIA-303-1974-06-23-1ネパール1974年06月23日1970年代カトマンズでシッキム新憲法反対のデモ発生。
DIA-303-1974-06-24-1ネパール1974年06月24日1970年代ビレンドラ国王,全国パンチャーヤット議会で施政方針演説を行なう。
DIA-303-1974-06-25-1ネパール1974年06月25日1970年代ジャナカプールで治安状況が悪化し夜間外出禁止令がしかれる。
DIA-303-1974-06-25-2ネパール1974年06月25日1970年代1973年度ネパール観光統計発表される。日本人観光客数は5719人で,米国,ドイツ,フランス,英国に次ぎ5番目を占めている。
DIA-303-1974-06-27-1ネパール1974年06月27日1970年代(~29日)。韓国親善使節団一行14名(Ji Chul Cha大統領特使)ほかネパール訪問。国王に謁見したほか,リザール総理,スワル国会議長と会見。
DIA-303-1974-07-01-1ネパール1974年07月01日1970年代ァジァ開銀調査団,カトマンズ空港ターミナル拡張計画の調査開始。
DIA-303-1974-07-01-2ネパール1974年07月01日1970年代政府はカンパ族が所有している武器の登録制を実施する旨発表。
DIA-303-1974-07-02-1ネパール1974年07月02日1970年代カルキ外務・大蔵大臣は大蔵大臣の兼任を解かれる。
DIA-303-1974-07-05-1ネパール1974年07月05日1970年代政府は中国政府との間で「練瓦・タイル工場設立に関する協定」に調印(本工場はバクタプールに建設される予定)。
DIA-303-1974-07-05-2ネパール1974年07月05日1970年代政府は全国パンチャーヤット議会に1974/75年度政府予算案を提出。総額17億0409万ルピー。
DIA-303-1974-07-05-3ネパール1974年07月05日1970年代通常予算5億8750万ルピー。開発予算11億5340万ルピー。
DIA-303-1974-07-07-1ネパール1974年07月07日1970年代政府は最近の農業生産実績を発表。1972/73年度は農業生産は天候不順のため約20%弱の増加にとどまった。1973/74年度は農業生産(見積)は概して良好であり,米麦,ポテト,砂糖キビ等は最近5年間での最高の収穫が見込まれている。
DIA-303-1974-07-11-1ネパール1974年07月11日1970年代パント駐日大使の駐韓国大使兼任が発令される。
DIA-303-1974-07-12-1ネパール1974年07月12日1970年代テライ地方で天然痘流行。このため1000人以上が感染し,200人が死亡。
DIA-303-1974-07-12-2ネパール1974年07月12日1970年代政府はカンパ族に対し,本月26日までに,武器,通信器と共に降伏するよう最後通告を発出。
DIA-303-1974-07-16-1ネパール1974年07月16日1970年代インド政府は「東ガンダキ運河」全長18マイルをネパール政府に引渡す。
DIA-303-1974-07-18-1ネパール1974年07月18日1970年代タクシー及び乗合バスの料金値上げ発表される。
DIA-303-1974-07-19-1ネパール1974年07月19日1970年代C.B.ラナ駐中国大使の北朝鮮大使兼任を発令。
DIA-303-1974-07-25-1ネパール1974年07月25日1970年代駐ネパール韓国総領事は大使に任命される。
DIA-303-1974-07-25-2ネパール1974年07月25日1970年代政府発表によれば,現在までにカンパ族3000名が降伏。
DIA-303-1974-07-26-1ネパール1974年07月26日1970年代政府はカンパ族に対する降伏期限を7月21日まで延長する旨発表。
DIA-303-1974-07-30-1ネパール1974年07月30日1970年代ビラトナガル県各地で洪水被害が発生。
DIA-303-1974-08-01-1ネパール1974年08月01日1970年代ルンビニ=バイラワ間道路(全長17.5キロメートル)の土地整備完成。
DIA-303-1974-08-02-1ネパール1974年08月02日1970年代本日までに降伏したカンパ族は全体の60%であり,政府は警察に対し必要な行動をとるよう指令した旨シュレスタ内務大臣発表。
DIA-303-1974-08-06-1ネパール1974年08月06日1970年代ラモサン・ジリ間道路(全長100キロメートル)建設資金として,スイス政府は5200万ルピーの借款を供与。
DIA-303-1974-08-10-1ネパール1974年08月10日1970年代西ベンガル州政府は印・ネ国境80キロ以内にネパール人政治亡命者が居住することを禁止。
DIA-303-1974-08-11-1ネパール1974年08月11日1970年代カルキ外務大臣は第24回全国パンチャーヤット議会で外交方針演説を行ない,インドの対シッキム政策を非難。
DIA-303-1974-08-13-1ネパール1974年08月13日1970年代リザル総理,東部ネパール・洪水被害地域を視察。
DIA-303-1974-08-14-1ネパール1974年08月14日1970年代ネパール・パキスタン友好協会主催パキスタン独立式典において,ムキヤ教育担当副大臣はパキスタンの対ネ技術援助を賞讃。
DIA-303-1974-08-15-1ネパール1974年08月15日1970年代ビレンドラ国王は,歴代8元総理のうち6名を王宮の非公式晩餐会に招待,最近の政情及び憲法改正等について意見を聴取した。
DIA-303-1974-08-16-1ネパール1974年08月16日1970年代北朝鮮親善使節団一行3名(団長Son Kwan Ya対外文化関係委員会委員長)ネパール訪問。
DIA-303-1974-08-19-1ネパール1974年08月19日1970年代テライ地方を開墾し,ヒル地域住民7900家族を入植させる再入植計画のために,IDAは600万ドルの借款供与協定に調印(10年据置を含む期間50年,0.75%の手数料のみ)。
DIA-303-1974-08-20-1ネパール1974年08月20日1970年代ルンビニ県西部テライ地方において反体制運動の続発が伝えられる。
DIA-303-1974-08-21-1ネパール1974年08月21日1970年代森林省内に水土保全局が設置される。
DIA-303-1974-08-21-2ネパール1974年08月21日1970年代シン商工担当国務大臣は,全国パンチャーヤット議会で貿易相手国の多様化,開発用建設資材の緊急輸入に努める旨演説。
DIA-303-1974-08-21-3ネパール1974年08月21日1970年代ビラトナガルを中心とする東部テライ地域に洪水被害発生。
DIA-303-1974-08-22-1ネパール1974年08月22日1970年代(~25日)。ソ連外務省員,A.E.ネストレンコ,ネパール訪問。リザル総理,カルキ外務大臣等と会見。
DIA-303-1974-08-23-1ネパール1974年08月23日1970年代ネパール,フランクフルト見本市に参加。
DIA-303-1974-08-24-1ネパール1974年08月24日1970年代第7回アジア競技大会参加のためネパール代表団出発。
DIA-303-1974-08-25-1ネパール1974年08月25日1970年代ネパールに亡命していたL.ドルジ元ブータン首相,ブータンに帰国。
DIA-303-1974-08-28-1ネパール1974年08月28日1970年代日本政府派遣医療協力調査団はネパール側と討議議事録を交換。 ネパール陸運事業改善のため,UNDPは599万5000ルピーの資金供与を決定。本計画は1975年1月より3年間の予定で実施される予定。
DIA-303-1974-08-28-2ネパール1974年08月28日1970年代政府はソ連よりディーゼル油2万5000トンを輸入する取決めに調印。
DIA-303-1974-08-28-3ネパール1974年08月28日1970年代ネパール国内電気通信施設拡充計画第2期工事のため,世銀は550万ドルの借款供与を決定。
DIA-303-1974-08-28-4ネパール1974年08月28日1970年代(~9月2日)。国際赤十字連盟代表,東部ネパールの洪水被害地域を視察。
DIA-303-1974-08-30-1ネパール1974年08月30日1970年代スヤンジャ地区で大量の武器弾薬が捕獲される。
DIA-303-1974-09-02-1ネパール1974年09月02日1970年代カトマンズ周辺に異常降雨,農作物に被害発生。
DIA-303-1974-09-03-1ネパール1974年09月03日1970年代ネパール教育視察団一行3名(アリヤル教育大臣ほか)中国,北鮮訪問。
DIA-303-1974-09-03-2ネパール1974年09月03日1970年代インドのシッキム併合化法案反対の学生デモがカトマンズで発生。
DIA-303-1974-09-03-3ネパール1974年09月03日1970年代英国はネパール赤十字に対し,35,664ルピー相当の災害救援用品を寄贈。
DIA-303-1974-09-04-1ネパール1974年09月04日1970年代国連中東平和維持軍参加のネパール軍570名帰国開始。9月21日全員帰国。
DIA-303-1974-09-04-2ネパール1974年09月04日1970年代ポカラ近郊にて,大量の密輸入された武器弾薬が発見され押収される。
DIA-303-1974-09-04-3ネパール1974年09月04日1970年代(~7日)ユネスコ・アジア地域文化交流専門家会議出席のため,バンデル・ネパール王立学士院副院長が訪日。
DIA-303-1974-09-05-1ネパール1974年09月05日1970年代ビレンドラ国王,1974/75年度歳出予算案を承認。
DIA-303-1974-09-05-2ネパール1974年09月05日1970年代インド政府は,先にカトマンズで発生した反印デモにつきネパール政府に抗議すると共に,在ネパール・インド大使館付属施設が蒙った損害に対する賠償を要求。
DIA-303-1974-09-07-1ネパール1974年09月07日1970年代ガンダキ県ラムジュン地区において囚人8名が武器弾薬を略奪し逃走。
DIA-303-1974-09-10-1ネパール1974年09月10日1970年代ネパール,アジア清算同盟に加盟。
DIA-303-1974-09-11-1ネパール1974年09月11日1970年代シュレスタ内務大臣,全国パンチャーヤット議会で,8月31日現在,ライフル銃543丁,手榴弾981個,無線機5台をカンパ族より押収した旨発表。
DIA-303-1974-09-13-1ネパール1974年09月13日1970年代国連総会出席のためカルキ外務大臣出発。15日ニューデリーで,スワラン・シン・インド外相と会見。
DIA-303-1974-09-13-2ネパール1974年09月13日1970年代カンパ族指導者W.ウォンディは,アハカリ県ダルチュラ地区でネパール国境警備隊と交戦中死亡。
DIA-303-1974-09-17-1ネパール1974年09月17日1970年代第24回全国パンチャーヤット議会開会。
DIA-303-1974-09-17-2ネパール1974年09月17日1970年代政府は,「カンパ族再入植委員会」を設置。
DIA-303-1974-09-19-1ネパール1974年09月19日1970年代(~21日)。国民帰郷運動第2回全国大会始まる。
DIA-303-1974-09-20-1ネパール1974年09月20日1970年代世銀年次総会出席のためタパ大蔵担当国務大臣出発(途次ソ連,西独及び日本に立寄り)。
DIA-303-1974-09-20-2ネパール1974年09月20日1970年代フィンランド政府と大使レベルの外交関係樹立で合意。
DIA-303-1974-09-22-1ネパール1974年09月22日1970年代英国軍事視察団一行13名ネパール訪問。リザル総理と会見。
DIA-303-1974-09-22-2ネパール1974年09月22日1970年代インド政府はラスゴトラ駐ネパール・インド大使を本国に召還。
DIA-303-1974-09-23-1ネパール1974年09月23日1970年代ICAO総会出席のためスワル運輸大臣出発。
DIA-303-1974-09-27-1ネパール1974年09月27日1970年代ニュージランド政府は,同国に本部を置くHimalayan trustのネパールでの病院建設援助のため17万5000ドルを支出する旨発表。
DIA-303-1974-09-29-1ネパール1974年09月29日1970年代IPU東京会議出席のため,ネパール国会議員団一行4名(団長,N.B.スワル国会議長)出発。
DIA-303-1974-09-30-1ネパール1974年09月30日1970年代カンパ族副隊長J.グルメ投身自殺。
DIA-303-1974-10-01-1ネパール1974年10月01日1970年代旧ネパール・コングレス党系の4名の反政府分子は輸送される途中逃亡を企て全員射殺される。
DIA-303-1974-10-02-1ネパール1974年10月02日1970年代政府,1973/74年度の米穀生産量発表。2,402,167トン。
DIA-303-1974-10-02-2ネパール1974年10月02日1970年代カルキ外務大臣,国連総会での演説で内陸国の自由無制限な海へのアクセス権を強調。
DIA-303-1974-10-04-1ネパール1974年10月04日1970年代ポカラ近郊にて,非合法政治結社「大衆福祉連盟」が摘発され,関係者8名が逮捕される。
DIA-303-1974-10-05-1ネパール1974年10月05日1970年代第3回国家開発会議始まる。
DIA-303-1974-10-07-1ネパール1974年10月07日1970年代ネパール,日本両国は,第3次KR食糧援助供与(35万ドル相当の農業物資)に関する交換公文に署名。
DIA-303-1974-10-10-1ネパール1974年10月10日1970年代タパ大蔵担当国務大臣訪日,大平蔵相と会見。
DIA-303-1974-10-12-1ネパール1974年10月12日1970年代旧ネパール・コングレス党副総裁シャムシェル将軍,王政支持の声明を発表。声明は,国王への忠誠を表明し,コングレス党員の暴力活動を排撃しながらも現行パンチャーヤット体制は改革を要すると指摘している。
DIA-303-1974-10-12-2ネパール1974年10月12日1970年代政府は,降伏したカンパ族449名をスヤンジャ地区に移住させ,入植活動を開始。
DIA-303-1974-10-15-1ネパール1974年10月15日1970年代(~17日)。カルキ外務大臣訪日,木村外務大臣と会見。
DIA-303-1974-10-17-1ネパール1974年10月17日1970年代(~20日)。カルキ外務大臣韓国訪問。
DIA-303-1974-10-18-1ネパール1974年10月18日1970年代(~22日)。イスラエル国会議員団一行7名,IPU東京会議の帰途ネパール訪間。リザル総理,スワル国会議長を表敬。
DIA-303-1974-10-21-1ネパール1974年10月21日1970年代カルキ外務大臣マレーシア訪問。
DIA-303-1974-10-22-1ネパール1974年10月22日1970年代政府は,日本山妙法寺が援助するポカラでの仏舎利塔建設を許可。
DIA-303-1974-10-25-1ネパール1974年10月25日1970年代ビレンドラ国王,隣国との友好関係強化を強調したメッセージを発表。
DIA-303-1974-10-26-1ネパール1974年10月26日1970年代第18回ユネスコ総会で,ネパールは執行委員に選出される。
DIA-303-1974-10-27-1ネパール1974年10月27日1970年代国連総会での侵略の定義案の表決に際し,ネパールは本侵略の定義に海へのアクセスへの封鎖が含まれていないとして反対を表明。
DIA-303-1974-10-29-1ネパール1974年10月29日1970年代カトマンズでの反印デモに関連して本国に召還されていたラスゴトラ駐ネ・インド大使帰任。
DIA-303-1974-10-30-1ネパール1974年10月30日1970年代政府は,1975/76会計年度より奢侈品の輸入禁止を決定。
DIA-303-1974-11-03-1ネパール1974年11月03日1970年代カダヤット食糧農業大臣,世界食糧会議出席のため出発。
DIA-303-1974-11-03-2ネパール1974年11月03日1970年代総理府青年海外派遣団一行,リザル総理と会見。
DIA-303-1974-11-05-1ネパール1974年11月05日1970年代ネパール仏教代表団,アーメッド・インド大統領,ガンジー首相と会見。
DIA-303-1974-11-07-1ネパール1974年11月07日1970年代日本・ネパール両国「ジャナカプール県農業協力協定」に調印。
DIA-303-1974-11-08-1ネパール1974年11月08日1970年代パキスタン,ルンビニ開発計画に10,074ドルを寄付。
DIA-303-1974-11-10-1ネパール1974年11月10日1970年代内閣の一部改造発表される。バッタ水・電力・森林担当国務大臣,シャー大蔵担当副大臣及びアイトワル森林担当副大臣更迭される。
DIA-303-1974-11-12-1ネパール1974年11月12日1970年代政府,食糧政策委員会設置,11月16日より米穀輸出規制を実施する旨発表。
DIA-303-1974-11-17-1ネパール1974年11月17日1970年代(~12月6日)。ビレンドラ国王,ポカラ地域開発センター視察。
DIA-303-1974-11-17-2ネパール1974年11月17日1970年代西部ネパール,マハカリ県の印・ネ国境にまたがるマハカリ河に架設された吊り橋が墜落,多くの通行人が死亡。
DIA-303-1974-11-18-1ネパール1974年11月18日1970年代(~25日)。ネパール国会議員団一行8名(団長スワル国会議長)衆参両院議長の招待により訪日。
DIA-303-1974-11-20-1ネパール1974年11月20日1970年代ネパールでのラジオ受信機保有台数は11万5000台(100人に1台の割合)である旨新聞報道。
DIA-303-1974-11-21-1ネパール1974年11月21日1970年代政府,土地改革諮問委員会を再編成。
DIA-303-1974-11-22-1ネパール1974年11月22日1970年代インドはインド自身の石油調達余力が乏しくなったため,1975年1月1日以降,ネパールに対する石油製品供給を停止する。ただし,インド国内の貯蔵施設,精製設備利用に関する便宜供与及び石油製品の代替交換は引続き行なう旨ネパール商工省発表。
DIA-303-1974-11-23-1ネパール1974年11月23日1970年代インド政府は,外貨での支払を条件にしてのみ,ネパールに石油製品を供給する旨発表。
DIA-303-1974-11-26-1ネパール1974年11月26日1970年代ネパール,日本両国政府は,100万ドル円借款の使用期限を9ヵ月延長し,使用期限を明年9月30日までとする公文を交換。
DIA-303-1974-11-27-1ネパール1974年11月27日1970年代インド政府は,西部コシ運河建設のため取得した土地の補償として,3600万ルピーをネパールに支払った。
DIA-303-1974-11-27-2ネパール1974年11月27日1970年代(~30日)。日本青年海外脇力隊事務局長ネパール訪問。
DIA-303-1974-12-01-1ネパール1974年12月01日1970年代建設資材輸入のためスイス政府は570万ルピーをネパールに無償援助。
DIA-303-1974-12-03-1ネパール1974年12月03日1970年代リザル総理はギミレ通産大臣,カトリ外務次官を帯同,ユーゴスラヴィア公式訪間のため出発。
DIA-303-1974-12-03-2ネパール1974年12月03日1970年代東部ネパールSIRAH地域で100名以上が食中毒のため死亡。
DIA-303-1974-12-04-1ネパール1974年12月04日1970年代WEP事務局長ネパール訪問。カルキ外務大臣,カダヤット食糧農業大臣と会見。
DIA-303-1974-12-04-2ネパール1974年12月04日1970年代(~9日)。リザル総理,ユーゴスラヴィア公式訪問。9日共同コミュニケ発表。
DIA-303-1974-12-06-1ネパール1974年12月06日1970年代政府,栄養状態調査プロジェクト協定に署名。
DIA-303-1974-12-09-1ネパール1974年12月09日1970年代政府は,「ネパール食糧公団」及び「農業イン・プット」を設立。
DIA-303-1974-12-09-2ネパール1974年12月09日1970年代ほしぶどう,テレペン油等の基礎調査のためソ連人専門家3名がネパール訪問。
DIA-303-1974-12-11-1ネパール1974年12月11日1970年代国内での電力需給に関する国営通信報道。カトマンズ地域需要27,300kW,供給28,500kW。全国需要50,000kW,供給57,000kW。ただし,76/77年度より不足が見込れる予定。
DIA-303-1974-12-11-2ネパール1974年12月11日1970年代(~13日)。ユーゴスラヴィア訪問の帰途,リザル総理はニューデリーに非公式に立寄り,ガンジー首相,チャバン外相と会談。
DIA-303-1974-12-14-1ネパール1974年12月14日1970年代シャー元外相,武器の密輸容疑で逮捕される。 22日釈放される。
DIA-303-1974-12-15-1ネパール1974年12月15日1970年代カトマンズ陸軍本部で失火事件発生。
DIA-303-1974-12-16-1ネパール1974年12月16日1970年代憲法記念日に際しての記念講演でビレンドラ国王は憲法改正委員会の設置を発表。
DIA-303-1974-12-17-1ネパール1974年12月17日1970年代英国政府はトリブバン大学に対して科学関係図書400冊を寄贈。
DIA-303-1974-12-19-1ネパール1974年12月19日1970年代東京・カトマンズ間に直通無線電信電話回線が開通。
DIA-303-1974-12-21-1ネパール1974年12月21日1970年代東部ネパール・オカルドンガで,旧コングレス党系武装集団150名とネパール陸軍が交戦。武装集団の指導者タパ退役大佐は逮捕され,16名が死亡。
DIA-303-1974-12-25-1ネパール1974年12月25日1970年代マヘンドラ前国王の銅像,除幕式が行なわれる。
DIA-303-1974-12-28-1ネパール1974年12月28日1970年代ビレンドラ国王誕生日祝賀式典が各地で行なわれる。
DIA-303-1974-12-31-1ネパール1974年12月31日1970年代ネパール石油公団,インド石油公団との石油供給に関する協定に署名。
DIA-303-1974-12-31-2ネパール1974年12月31日1970年代リザル総理,イラン,パキスタン両国訪問のためバンコク向け出発。
DIA-303-1975-01-03-1ネパール1975年01月03日1970年代(~7日)リザール首相はタパ大蔵大臣及びカトリ外務次官を同行し,パキスタンを非公式訪問。ブットー首相と会見。
DIA-303-1975-01-05-1ネパール1975年01月05日1970年代ソ連はネパールに4万メトリックトンの石油を供給することに同意。ちなみに1975年のネパールの需要量は10万5000トンとされている。
DIA-303-1975-01-06-1ネパール1975年01月06日1970年代15年前インドの援助で建設されたポカラ溪谷の中規模の発電灌漑用ダムが倒壊し100万ドルの損害を生ずる。
DIA-303-1975-01-07-1ネパール1975年01月07日1970年代(~9日)リザール首相はタパ蔵相,カトリ外務次官を帯同し,イランを公式訪問。イラン経済使節団の訪ネ,対ネ石油供給を考慮する旨の共同コミュニケが発表された。
DIA-303-1975-01-10-1ネパール1975年01月10日1970年代インドは1万2000トンの塩をネパールに供給する旨同意。1973年の調印では,インドは5年間にわたり塩6万トンを供給することに同意している。
DIA-303-1975-01-19-1ネパール1975年01月19日1970年代印ネ国境でのインド官憲によるネパール向け物資の輸送停止措置は(1月8日実施)19日解除された。
DIA-303-1975-01-20-1ネパール1975年01月20日1970年代Bhoirahwa―Lumbini間道路(18.2km)は本年2月完成予定。リザール首相は最近現地を視察した。
DIA-303-1975-01-21-1ネパール1975年01月21日1970年代ネパール政府は国内での牛肉販売を制限する布告を発令。
DIA-303-1975-01-21-2ネパール1975年01月21日1970年代ネパール政府タンザニアと外交関係樹立。
DIA-303-1975-01-22-1ネパール1975年01月22日1970年代養蚕業振興のため蚕の卵8万個を韓国政府が寄贈。
DIA-303-1975-01-28-1ネパール1975年01月28日1970年代中国経済使節団一行7名(団長陶琦交通副部長)訪ネ。
DIA-303-1975-01-30-1ネパール1975年01月30日1970年代1000名のビハリモスレムをパキスタンへ送還する業務開始。
DIA-303-1975-02-02-1ネパール1975年02月02日1970年代中国・ネパール,ポカラ―スルケット間道路(407km)の建設に関する協定に調印(中国側運輸次官,ネパール側タパ大蔵大臣)。総工費8000~8500万ドル。中国は専門家派遣の他,道路建設機材等を無償援助する。
DIA-303-1975-02-04-1ネパール1975年02月04日1970年代ソ連赤十字は昨年の水害被災者に対し,医薬品,毛布等を寄贈する旨発表。
DIA-303-1975-02-05-1ネパール1975年02月05日1970年代ネパール観光局発表。1973/74年には観光産業よりの外貨収入が,外貨収入の第1位を占め,概算9500万ルピーを記録した。1974年の日本人観光客は5362人で英国に次ぎ第5番目である。米国人1万5104人,西独人9904人,仏人7927人,英国人7685人,日本人5362人。
DIA-303-1975-02-08-1ネパール1975年02月08日1970年代ビルマ大使(U.ZAHRE LIAN)国王に信任状提出(最初のネパール常駐大使)。
DIA-303-1975-02-10-1ネパール1975年02月10日1970年代憲法改正委員会の7名の委員が任命された。委員長MR.A.P. Singh前最高裁判事,前法務大臣,MR.K. Bista元首相,R.H. Sharma前国会議長,B.Jha,S. Sharmaコングレス党関係者,D.P. Adhikari元共産党関係者,Dr.O.M. Moshinパンチャーヤット省局長。
DIA-303-1975-02-14-1ネパール1975年02月14日1970年代新外務省庁舎落成式(9階建て総合庁舎の敷地内)。
DIA-303-1975-02-18-1ネパール1975年02月18日1970年代ネパールはモロッコと大使レベルの外交関係樹立で合意。カトマンズに本任大使を常駐させている国は,日,英,米,ソ,仏,西独,エジプト,イスラエル,インド,ビルマ,パキスタン,韓国,北鮮,中国の14力国。代理大使を置く国はバングラデシュ,タイ,イタリア,東独,ポーランド。
DIA-303-1975-02-24-1ネパール1975年02月24日1970年代ビレンドラ国王戴冠式挙行される。外国人列席者。57ヵ国政府代表,国連代表,シッキム国王が列席。 ビレンドラ国王はネパール平和地帯を宣言。
DIA-303-1975-02-26-1ネパール1975年02月26日1970年代クラトク・ソ連最高会議幹部会副議長は国王の平和地帯宣言を支持する旨声明。
DIA-303-1975-02-27-1ネパール1975年02月27日1970年代仏のデストレモ外務担当国務大臣は,ビレンドラ国王よりジスカールデスタン大統領宛の親書を携行して帰国。
DIA-303-1975-02-27-2ネパール1975年02月27日1970年代1973/74年度の対日貿易統計発表(ネパール,Trade Promotion Center),対日輸出793万ルピー(薬草,じゃ香,手工芸品),対日輸入7475万ルピー(繊維製品,タイヤチューブ,自動車,機械部品,肥料)。
DIA-303-1975-03-02-1ネパール1975年03月02日1970年代容量600キロリットルの航空燃料貯蔵庫が総工費260万ルピーで2年がかりで完成。落成式が挙行された。
DIA-303-1975-03-03-1ネパール1975年03月03日1970年代ソ連赤十字はネパール赤十字に対し,28万ルピー相当の被災者救援物資(医薬品,毛布)を寄贈。
DIA-303-1975-03-08-1ネパール1975年03月08日1970年代西独政府はハヌマンドゥカ宮殿修復費として4万ドルをネパールに供与する旨発表。
DIA-303-1975-03-09-1ネパール1975年03月09日1970年代東独政府は在ネパール代理大使を特命全権大使に昇格任命(カトマンズ駐在の本任大使は15名)。
DIA-303-1975-03-15-1ネパール1975年03月15日1970年代(~17日)クウェート経済使節団(団長Abdul Atif Y. Hamadアラブ経済開発基金事務局長)はネパール大蔵省の招待によりネパール訪問(ネパール側はクリカニ発電プロジェクトに対する資金援助(1000~2000万ドル)を要請。クウェート側は検討する旨回答した)。
DIA-303-1975-03-16-1ネパール1975年03月16日1970年代ネパール大蔵省の機構改革実施。①従来の外国援助局を発展解消し,新たに外国援助計画局と経済局を設置。②外国援助計画局は従来の外国援助局の所掌事務を継承し,すべての開発計画を掌握する。
DIA-303-1975-03-18-1ネパール1975年03月18日1970年代ネパール政府は,国王の指示に基づき本年7月より初等教育を無償とする措置をとった。
DIA-303-1975-03-18-2ネパール1975年03月18日1970年代スワル公共事業・運輸・厚生大臣,ムキヤ水・電力・森林担当国務大臣はパンチャーヤット議員の任期満了を控え辞職した。他に6名の閣僚がパンチャーヤット議員の任期満了により近く辞職する予定。これに伴い,運輸公共事業はリザール首相,森林はシュレスタ内務大臣,厚生はカダーヤット農業・食糧大臣,水・電力はアリヤル教育大臣が兼任。
DIA-303-1975-03-25-1ネパール1975年03月25日1970年代ネパールはキューバと大使レベルの外交関係樹立。
DIA-303-1975-03-30-1ネパール1975年03月30日1970年代ネパールに対するわが国KR食糧援助による農業物資援助の供与期間を延長することで交換公文に署名。①1974年10月7日の交換公文で取極めた援助の供与期間は,1975年3月31日までであったが,これを1975年9月30日まで延長。②1億0780万円の灌漑用ポンプ,600万円を限度とする農業物資の海上輸送に必要な日本人役務の贈与。③右贈与は,1974年10月7日から,1975年3月31日までの間に供与されることになっていたが,ネ側の実施手続から上記期間までに完了できなかったもの。
DIA-303-1975-03-31-1ネパール1975年03月31日1970年代ネパール航空PC-6はエンジン故障のため墜落。乗客のヒラリー卿夫人,同令嬢を含む5名が死亡。
DIA-303-1975-04-01-1ネパール1975年04月01日1970年代インドは従来インドルピーで決済していた石炭,セメント,鉄鋼等の生活必需物資の決済は4月1日よりドル決済の国際価格とする旨決定した。
DIA-303-1975-04-02-1ネパール1975年04月02日1970年代ネパール政府商工省観光局は入管手続に関し変更を行なった。①インドからの陸路入国を容易にするため,入国地点をPASHUPATINAGAR等5ヵ所増設。 ②ポカラ入管事務所にて,トレッキングパミットを発給する。③在外公館で発給する観光ビザによる滞在期間を1ヵ月にする。入国地点の入管事務所で発行する査証の滞在期間を15日とする。④申請により数次(3回)の入国査証を発行する。
DIA-303-1975-04-14-1ネパール1975年04月14日1970年代ビレンドラ国王はビクラム暦2032年の年頭に当り国民が一致協力して国の開発に当るようにとのメッセージを発表した。
DIA-303-1975-04-14-2ネパール1975年04月14日1970年代第3次リザール内閣成立。大臣5名,国務大臣7名,副大臣9名。外務大臣にはアリヤル前教育大臣が任命される。
DIA-303-1975-04-17-1ネパール1975年04月17日1970年代西独は1万4000トン(2.3百万ドル)の化学肥料をネパールに供給。本件肥料の売却代金は,両国政府間で承認される開発計画に使用される,ことになっている。
DIA-303-1975-04-18-1ネパール1975年04月18日1970年代ネパール中央銀行は預金利率の引上げを行なった。同時に貸付金利も引上げた。これに伴い農業開発銀行,ネパール産業開発公社等の貸付金利も引上げられた。
DIA-303-1975-04-18-2ネパール1975年04月18日1970年代ネパールはカンボジア王国民族連合政府を承認。
DIA-303-1975-04-18-3ネパール1975年04月18日1970年代砂糖価格値上げ(従来1kg4.4ルピーが7ルピーに)。
DIA-303-1975-04-21-1ネパール1975年04月21日1970年代ネパールは第30回国連総会第1委員会委員長にUdhaya国連大使を立候補させた。
DIA-303-1975-04-24-1ネパール1975年04月24日1970年代新ラサ駐在ネパール総領事任命される。Mr. Jonden Ukyab.
DIA-303-1975-04-25-1ネパール1975年04月25日1970年代タパネパール大蔵大臣は中国のアジア開銀加盟を支持する旨の声明を発表。
DIA-303-1975-04-25-2ネパール1975年04月25日1970年代スシラタパ厚生大臣は記者会見においてネパールの平均寿命は46歳に伸びたと述べる。
DIA-303-1975-04-26-1ネパール1975年04月26日1970年代ネパール・中国友好協会の7名よりなる親善使節団が中国の招待で訪中。
DIA-303-1975-05-02-1ネパール1975年05月02日1970年代ビレンドラ国王夫妻視察のためRasuwaに到着(数日間の滞在)。
DIA-303-1975-05-06-1ネパール1975年05月06日1970年代ネパールは南ベトナム臨時革命政府を承認。
DIA-303-1975-05-12-1ネパール1975年05月12日1970年代陸軍司令官にGuna Shunsher中将が任命された。
DIA-303-1975-05-15-1ネパール1975年05月15日1970年代ネパール,北ベトナムと大使レベルの外交関係樹立で合意。
DIA-303-1975-05-16-1ネパール1975年05月16日1970年代エベレスト女性登山隊の田部井登はん隊長とシェルパのアンツェリンはエベレスト登頂に成功した。
DIA-303-1975-06-02-1ネパール1975年06月02日1970年代イラン経済使節団ネパール訪問(~5日),両国間経済協力問題につき意見交換した。本使節団は,本年1月のリザール首相の訪イをフォローするものであり,ファクト・ファインディング・ミッションである。
DIA-303-1975-06-03-1ネパール1975年06月03日1970年代ネパールはケニヤとの間で大使級レベルで外交関係を樹立した。
DIA-303-1975-06-04-1ネパール1975年06月04日1970年代6月初旬よりネパールを訪問中のカナダ経済協力調査団一行5名は,タパ蔵相,国家計画委員会副委員長等と会見。一行はネパール西部での農業灌漑に関するフィージビリティ・スタディを行なった。
DIA-303-1975-06-05-1ネパール1975年06月05日1970年代NIDCのGeneral ManagerにMr.R.P. Sharmaが任命された(R.P. Sharmaは首相のSecretaryを務めていた)。
DIA-303-1975-06-09-1ネパール1975年06月09日1970年代インド赤十字はネパール赤十字の要請に応じ,25万人分のコレラワクチンをネ赤十字に寄贈した。
DIA-303-1975-06-12-1ネパール1975年06月12日1970年代第26回全国パンチャーヤット議会開会される。
DIA-303-1975-06-12-2ネパール1975年06月12日1970年代カトマンズ盆地での牛乳の生産流通発展のため250万米ドルの援助を供与するFAOとネパール政府の協定が調印された。
DIA-303-1975-06-13-1ネパール1975年06月13日1970年代P.D.カティ運輸公共事業担当国務大臣は法務を兼任。
DIA-303-1975-06-13-2ネパール1975年06月13日1970年代カンカイ地区水利灌漑発電計画のため14万マルクの借款供与に関する協定を西独とネパール政府との間で調印(条件10年据置を含む50年,利率0.75%)。
DIA-303-1975-06-15-1ネパール1975年06月15日1970年代西部ネパールD.D.道路(Dhangadhi―Dadeldhura間145km)建設のため87.6百万ルピーのグラント供与に関する協定にネパール政府と米国が署名。
DIA-303-1975-06-15-2ネパール1975年06月15日1970年代ネパール政府は5000万ルピーの開発公債及び5000万ルピーの大蔵省証券を発行。
DIA-303-1975-06-16-1ネパール1975年06月16日1970年代第26回全国パンチャーヤット議会においてビレンドラ国王は非同盟政策を続けることを言明すると共に,ネパールの平和地帯宣言を再び呼びかけた。
DIA-303-1975-06-17-1ネパール1975年06月17日1970年代Rising Nepal紙によれば第5次5ヵ年計画の重点は農業生産の伸張を図ることに置かれている。
DIA-303-1975-06-25-1ネパール1975年06月25日1970年代ラジオ北京はネパール語放送を開始(新華社報道),夜間30分番組を2回宛放送。
DIA-303-1975-06-29-1ネパール1975年06月29日1970年代第4回国家開発委員会(National Development Council)が国王主宰の下に開催され,第5次経済開発5ヵ年計画に関する報告,説明が行なわれた。
DIA-303-1975-07-03-1ネパール1975年07月03日1970年代トゥルシー・ギリ国王政治顧問はインド・ガンディー首相を訪問。
DIA-303-1975-07-06-1ネパール1975年07月06日1970年代タパ大蔵大臣は1975/76年度予算案を国会に提出。
DIA-303-1975-07-09-1ネパール1975年07月09日1970年代国会副議長選挙が行なわれ,Mr. L.B.Chandが当選。
DIA-303-1975-07-09-2ネパール1975年07月09日1970年代ネパール政府大蔵省の発表によればクウェートのアラブ経済協力基金はクリカニ発電プロジェクトに対し1750万ドル(7年据置を含む32年,利率3%)の資金援助に同意。
DIA-303-1975-07-17-1ネパール1975年07月17日1970年代第5次経済開発5ヵ年計画スタート(総額9190億万ルピー~1億1400百万ルピー)。
DIA-303-1975-07-21-1ネパール1975年07月21日1970年代ビレンドラ国王王妃両陛下は9月チトー大統領夫妻招待によりユーゴスラビアを公式訪問する旨発表。
DIA-303-1975-07-21-2ネパール1975年07月21日1970年代米国はマラリア撲滅のため,本会計年度に1900万ルピーを贈与することに合意。また第5次5ヵ年計画中にマラリヤ撲滅のため400万ドル相当のネパールルピーを贈与する予定。
DIA-303-1975-07-28-1ネパール1975年07月28日1970年代北鮮金日成首席の特使YANG HYONG SOP(楊享變)はネパール到着。北鮮金日成首席の国王宛親書を携行。国王謁見のほか,総理,外相等と会談。
DIA-303-1975-07-29-1ネパール1975年07月29日1970年代北鮮特使はリザール首相,アリヤル外相と会談。 ネパール平和地帯宣言を北鮮が支持する旨公式表明。
DIA-303-1975-07-29-2ネパール1975年07月29日1970年代9件の真性コレラの発生が確認される。
DIA-303-1975-07-30-1ネパール1975年07月30日1970年代内務大臣が国会において明らかにしたところによると洪水及び地すべりのため,10県下で被害が生じ,死者15名,家畜485頭,穀物被害57万ルピー等の損害があった。
DIA-303-1975-08-01-1ネパール1975年08月01日1970年代1日付人民日報はネパール・中国国交樹立20周年に寄せて,ネパールの非同盟中立政策を賞讃すると共に,ネパールの平和地帯宣言を支持する論文を掲載。
DIA-303-1975-08-03-1ネパール1975年08月03日1970年代ネパール政府発表によれば1974/75年度ジュート輸出額はジュート及びジュート製品2万6866トン(9814万4000ルピー)国別輸出順位は中国,ベルギー,モザンビーク,ポーランド,ソ連,米国,オーストラリア,英国,西独,韓国。
DIA-303-1975-08-04-1ネパール1975年08月04日1970年代G.B. Khatri国会議員,H.B. Thapa前国会議員の2名が,治安条例違反で逮捕された。逮捕の理由は学生ストを扇動したため。
DIA-303-1975-08-05-1ネパール1975年08月05日1970年代グルカパトラ編集長G.P. Bhattaraiは解雇処分を受けた(王妃名を皇太后名と誤って記載した記事の責任をとらされたもの)。
DIA-303-1975-08-06-1ネパール1975年08月06日1970年代ネ外務省は近くイランに大使館を開設する旨,また臨時代理大使を任命した旨発表した。
DIA-303-1975-08-07-1ネパール1975年08月07日1970年代韓国大統領特使SOYONG CHUNG農水産長官ネパール訪問。リザール首相,アリヤル外相と会見。
DIA-303-1975-08-08-1ネパール1975年08月08日1970年代洪水被害者救済のため,政府は15万5000ルピーを支出することに決定。
DIA-303-1975-08-11-1ネパール1975年08月11日1970年代過去6週間のモンスーン降雨のため洪水,山崩れ等により,最低65名の死者が生じた旨ネパール赤十字会長が発表。
DIA-303-1975-08-11-2ネパール1975年08月11日1970年代ネパール・北朝鮮通商協定を1976年12月1日まで延長する協定に調印。
DIA-303-1975-08-13-1ネパール1975年08月13日1970年代アリヤル外相,カトリ外務次官,バッタ国連局長,大蔵次官を帯同し,インド外相の招待によりインド訪問(~17日迄)。
DIA-303-1975-08-14-1ネパール1975年08月14日1970年代アリヤル外相,チャバン・インド外相ほか政府首脳と会談,両国共同水力開発計画等の経済協力関係及び非同盟諸国外相会談,国連経済特別総会に対する対処方針につき協議した。
DIA-303-1975-08-14-2ネパール1975年08月14日1970年代シンガダルバールの再建開始,リザール首相は礎石を置く。
DIA-303-1975-08-15-1ネパール1975年08月15日1970年代チャバン外相はネパールの第5次経済計画に対する協力をインドは惜しまない旨発言。
DIA-303-1975-08-18-1ネパール1975年08月18日1970年代「新聞出版条例1975」施行される。政府に忠実な新聞刊行物には財政的援助を与える反面,王室政府を批判する刊行物の印刷,出版を禁止。
DIA-303-1975-08-19-1ネパール1975年08月19日1970年代アリヤル外相ソ連非公式訪問(~22日)。クズネツォフ,ペゴフ外務次官等と会談。
DIA-303-1975-08-20-1ネパール1975年08月20日1970年代ネパールはバングラデシュ新政権を承認した。
DIA-303-1975-08-20-2ネパール1975年08月20日1970年代インドは本年8月期限満了となる対ネパール1億ルピーのスタンドバイクレジットを1976年2月まで延長することに合意。
DIA-303-1975-08-25-1ネパール1975年08月25日1970年代アリヤル外相非同盟会議出席のためペルー訪問(4日間)。
DIA-303-1975-08-25-2ネパール1975年08月25日1970年代ネパール政府は新聞出版条例により,3ネパール語日刊紙,4ネパール語週刊紙を発禁処分にした。発禁の理由は国家の安全と公共の利益を害するものである。
DIA-303-1975-08-26-1ネパール1975年08月26日1970年代D.B.ライ水・電力担当副大臣辞任(同大臣秘書の行状の責任をとったもの)。
DIA-303-1975-08-28-1ネパール1975年08月28日1970年代ネパール赤十字は国際赤十字を通じ各国赤十字に対し,モンスーン洪水被害者救済のために援助を要請。
DIA-303-1975-09-03-1ネパール1975年09月03日1970年代1974/75年度穀物総生産378万トン(Rsing Nepal紙報道)。
DIA-303-1975-09-15-1ネパール1975年09月15日1970年代ビレンドラ国王は9月22日,ユーゴ公式訪問のため出発する旨王宮正式発表。王妃アリヤル外相を帯同6日間の予定。往途テヘランに,帰途ジョルダン,インドに立寄る予定。
DIA-303-1975-09-25-1ネパール1975年09月25日1970年代ビレンドラ国王,ユーゴ公式訪問(~28日)。
DIA-303-1975-09-28-1ネパール1975年09月28日1970年代ビレンドラ国王,王妃一行ジョルダン訪問(非公式)。
DIA-303-1975-09-30-1ネパール1975年09月30日1970年代ビレンドラ国王インドに非公式に立寄る。
DIA-303-1975-10-01-1ネパール1975年10月01日1970年代ビレンドラ国王はガンディー首相と1時間にわたり会談。ガンディー首相は国王夫妻を昼食に招待。国王はインド国防相,エネルギー相,食糧・農業相を引見。
DIA-303-1975-10-02-1ネパール1975年10月02日1970年代カナダ政府とネパール政府はヌルケットにAuxiliary Heath Workers Traing Center設立のためにカナダが約1000万ルピーをグラントとして供与する取極に調印した。
DIA-303-1975-10-09-1ネパール1975年10月09日1970年代ネパールルピー平価切下げ。対米ドル交換レートは1ドル=12.50ルピーに設定された(対インドルピー交換レートは不変)。
DIA-303-1975-10-12-1ネパール1975年10月12日1970年代ダサイン祭(~16日)。
DIA-303-1975-10-18-1ネパール1975年10月18日1970年代ネパールは中国に対し,7000万トンの米を4000万ルピーで輸出することを決定。本件米はチベット住民の消費に充当される。両国関係者は今回の輸出は両国間の貿易収支均衝を図るためと説明している(Rising Nepal紙報道)。
DIA-303-1975-10-21-1ネパール1975年10月21日1970年代中国バトミントンチーム一行12名が親善訪問のため訪ネ。11日間の滞在期間中,カトマンズ,ビラトナガル等で親善試合を行なった。
DIA-303-1975-10-22-1ネパール1975年10月22日1970年代米国スポーツ使節団(People to people Sports Committee)一行11名訪ネ。
DIA-303-1975-10-22-2ネパール1975年10月22日1970年代アメリカ宇宙飛行士Stuart Alein Roosa大佐等11名はカトマンズ着。
DIA-303-1975-10-23-1ネパール1975年10月23日1970年代ギャネンドラ殿下夫妻,ディレンドラ殿下夫妻中国公式訪問のため北京着(~30日迄)。陳錫聯副首相,喬冠華外相等が出迎え。
DIA-303-1975-10-23-2ネパール1975年10月23日1970年代ネパール,インド,バングラデシュ3国のジュート生産国会議(於デリー)開催。化繊との競争に勝つためのジュートの国際機関を設置することを協議。
DIA-303-1975-10-25-1ネパール1975年10月25日1970年代Mr. Adolph Dubs(米国務省Assistaat Deputy Secretary南アジア担当)ネパール訪問。
DIA-303-1975-10-26-1ネパール1975年10月26日1970年代カトマンズのHYUMAT地区で水漏れのため100エーカーの土地が陥没し,35軒の家が倒壊,住民約1000人が避難した。負傷者はなし。
DIA-303-1975-10-26-2ネパール1975年10月26日1970年代ネパール・インド貿易通過条約レヴュー会談開始(~30日)。インド側Burma商業省Joint Secretary,ネパール側商工省局長参加。
DIA-303-1975-10-28-1ネパール1975年10月28日1970年代ネパールバングラデシュ両国政府,本任大使交換で合意。
DIA-303-1975-10-29-1ネパール1975年10月29日1970年代高度障害研究所(東京医大により建設)Phericheに開設。
DIA-303-1975-11-09-1ネパール1975年11月09日1970年代ユーゴスラヴィア経済代表団(4名,団長P. NOVAK貿易次官)訪ネ(~11日)。先の国王訪ユの後をついで両国間経済協力につき話し合うため(一行はネ側のR.P.ラージバハの商工担当副大臣他総理,蔵相と会談した)。
DIA-303-1975-11-10-1ネパール1975年11月10日1970年代Thongシンガポール情報文化相非公式訪ネ(~12日)。タパ蔵相と会談した他,カトマンズ周辺を視察。
DIA-303-1975-11-10-2ネパール1975年11月10日1970年代西独国会議員団一行8名(団長R.Jegar副議長)は,ネパール国会議長の招待によりネパールを親善訪問(~14日)。
DIA-303-1975-11-12-1ネパール1975年11月12日1970年代チャチャイ・タイ外相はネ政府の招待によりネパールを公式訪問(~15日)。
DIA-303-1975-11-14-1ネパール1975年11月14日1970年代カトマンズ―バクタプル間トロリーバス建設作業に従事していた中国人技術者1名が最近病気のため死亡した(Rising Nepal紙報道)。
DIA-303-1975-11-21-1ネパール1975年11月21日1970年代A.P.Singh憲法改正委員会委員長国王に答申を提出。
DIA-303-1975-11-25-1ネパール1975年11月25日1970年代ネパール,メキシコと大使レベルの外交関係樹立に合意した。
DIA-303-1975-11-26-1ネパール1975年11月26日1970年代ネパール,ルクセンブルクと大使レベルの外交関係樹立に合意。
DIA-303-1975-11-30-1ネパール1975年11月30日1970年代Muhammad Nurul lslam Chaudhary駐ネパール初代バングラデシュ大使として着任。
DIA-303-1975-12-01-1ネパール1975年12月01日1970年代内閣改造が行なわれ,トゥルシーギリ国王政治顧問を首班とする新内閣成立。
DIA-303-1975-12-03-1ネパール1975年12月03日1970年代ネパール政府は治安維持法に基づき逮捕されていた国会議員4名の釈放を発表。
DIA-303-1975-12-03-2ネパール1975年12月03日1970年代新聞出版条例により発禁処分を受けていたネパール語週刊紙2紙,出版社5社に対し,その禁止措置を解除する旨発表。
DIA-303-1975-12-04-1ネパール1975年12月04日1970年代チェコスロバキア外相BOHUSLAV CHNOUPEK訪ネ(~6日)。
DIA-303-1975-12-07-1ネパール1975年12月07日1970年代ネパール外務省主催外交団懇親視察旅行。
DIA-303-1975-12-09-1ネパール1975年12月09日1970年代U.B.バッタ外務省国連局長外務次官に就任。
DIA-303-1975-12-12-1ネパール1975年12月12日1970年代ビレンドラ国王第2次憲法改正を発表。
DIA-303-1975-12-15-1ネパール1975年12月15日1970年代憲法記念日に際し,全国で政治犯50名を釈放。
DIA-303-1975-12-20-1ネパール1975年12月20日1970年代ネパールはナイジェリアとの間に大使レベルの外交関係を設定することに合意。
DIA-303-1975-12-21-1ネパール1975年12月21日1970年代エジプト通商使節団(団長ナハール通産次官)訪ネ。
DIA-303-1975-12-23-1ネパール1975年12月23日1970年代ネパール・エジプト通商協定の締結。
DIA-303-1975-12-30-1ネパール1975年12月30日1970年代ネパールはリビアと大使レベルの外交関係を樹立した(ネパールが外交関係を有する国は67ヵ国)。
DIA-303-1976-01-02-1ネパール1976年01月02日1970年代ビレンドラ国王夫妻Bheri県スルケット(Surkhet)訪問。同地に滞在。
DIA-303-1976-01-05-1ネパール1976年01月05日1970年代イラン王弟H.I.H.Abdorreza Pahlavi訪ネ(~15日まで)。滞ネ中はギャネンドラ殿下が接遇し,ビレンドラ国王にも謁見。
DIA-303-1976-01-07-1ネパール1976年01月07日1970年代ビレンドラ国王夫妻Kamali県ドルパ(Dolpa)訪問。
DIA-303-1976-01-09-1ネパール1976年01月09日1970年代インド政府は金物類(hardware)53品目の内9品目を除きネパールへの輸出を自由化する措置を発表。
DIA-303-1976-01-12-1ネパール1976年01月12日1970年代IDAはネパ一ル政府に対し,クリカニ発電所プロジェクトのため20百万ドルの借款供与に同意(返済期間50年,据置10年,サービス料0.75%)。
DIA-303-1976-01-13-1ネパール1976年01月13日1970年代ネパール外務省はネパール東部Saptari地区に2500名のインド人が侵入し掠奪を働いたとして在ネ・インド大使館に抗議。
DIA-303-1976-01-13-2ネパール1976年01月13日1970年代米国はドリブワン大学農業・動物学研究所施設拡充のため43.65百万ルピーを5年間に亘り無償援助する旨同意。
DIA-303-1976-01-15-1ネパール1976年01月15日1970年代ビレンドラ国王夫妻Mahakali県Darchula,Baitudi,Kanchanpur視察訪問。
DIA-303-1976-01-17-1ネパール1976年01月17日1970年代ビレンドラ国王夫妻Kamali県Jumla,Muguを視察訪問。
DIA-303-1976-01-17-2ネパール1976年01月17日1970年代1975年1月~10月まで訪ネした外国人観光客は7万3040人(内インド人1万5788名)で前年同期に比較し,1.1%増にすぎない。
DIA-303-1976-01-19-1ネパール1976年01月19日1970年代チャバン・インド外相はアリヤル外相の招待で訪ネ(~22日まで)。チャバン外相はギリ首相,グルン商工相等と会談したほかビレンドラ国王に謁見。
DIA-303-1976-01-21-1ネパール1976年01月21日1970年代ビレンドラ国王夫妻Rapti県訪問。
DIA-303-1976-01-23-1ネパール1976年01月23日1970年代ビレンドラ国王夫妻カトマンズへ帰着。
DIA-303-1976-01-24-1ネパール1976年01月24日1970年代国連特別基金理事会はネパールをMSAC対象国に指定。
DIA-303-1976-01-24-2ネパール1976年01月24日1970年代在ネ・インド大使館筋は印・ネ両国がインドの対ネパール・スタンド・バイ・クレジット協定(1億ルピー)を延長する旨の合意に達したと発表。
DIA-303-1976-01-27-1ネパール1976年01月27日1970年代ビレンドラ国王夫妻Bheri県Surkhetへ出発。
DIA-303-1976-01-27-2ネパール1976年01月27日1970年代ネパールはペルーと大使レベルの外交関係を樹立(68番目)。
DIA-303-1976-01-28-1ネパール1976年01月28日1970年代ネパール政府新登山規則発表。同規則によれば,エベレストの登山料は50%,他の8000メートル以上の山については60%の値上げとなった。ちなみにエベレストの登山料は1万5000ルピー。
DIA-303-1976-01-29-1ネパール1976年01月29日1970年代ビレンドラ国王夫妻Seti県Dhangadhi視察訪問。
DIA-303-1976-02-01-1ネパール1976年02月01日1970年代ネパール政府は113名のネパール在住外国人に市民権を付与。
DIA-303-1976-02-02-1ネパール1976年02月02日1970年代グループ77会議(於マニラ)にDr.H.B.グルン商工大臣がネパール首席代表として参加。
DIA-303-1976-02-03-1ネパール1976年02月03日1970年代ネパールはソ連とケロシン輸入協定締結。同協定に基づきネパールは4万トンのケロシンをソ連から輸入する由。
DIA-303-1976-02-04-1ネパール1976年02月04日1970年代ネパールはブラジルとの間に外交関係を樹立。(ネパールが外交関係を有する国は69となる)
DIA-303-1976-02-08-1ネパール1976年02月08日1970年代ビレンドラ国王はMr.Jagat Mohan Adhikariをトリブワン大学の学長に任命。
DIA-303-1976-02-08-2ネパール1976年02月08日1970年代ビレンドラ国王は1971年4月18日に発足したNEC(National Education Committee)を改組。
DIA-303-1976-02-11-1ネパール1976年02月11日1970年代アリヤル外相エジプト訪問(~15日まで)。バッタ外務次官同行。ネパール・エジプト文化交流協定締結。
DIA-303-1976-02-13-1ネパール1976年02月13日1970年代ビレンドラ国王夫妻カトマンズへ帰着。
DIA-303-1976-02-16-1ネパール1976年02月16日1970年代アリヤル外相スリ・ランカを非公式訪問(~19日まで)。
DIA-303-1976-02-16-2ネパール1976年02月16日1970年代ネパール政府観光局発表によれば,1975年(1月~12月)の外国人観光客総数は9万2440人で観光収入は前年度比26.6%増加し,120百万ルピ一を記録した。また日本人の観光客数は5921名で5番目である。
DIA-303-1976-02-18-1ネパール1976年02月18日1970年代佐々木駐ネパール大使ビレンドラ国王に信任状捧呈。
DIA-303-1976-02-25-1ネパール1976年02月25日1970年代駐ネパール新米国大使にMrs.Marquita Maytagが任命される。
DIA-303-1976-02-25-2ネパール1976年02月25日1970年代NOC(Nepal Oil Corporation)はディーゼル油とケロシンの値段をリットル当り50パイサ値上げし,1リットル2.50ルピーとする。
DIA-303-1976-02-27-1ネパール1976年02月27日1970年代National Water Resources and Energy Commission(水・電力大臣が議長)が設置される。
DIA-303-1976-03-01-1ネパール1976年03月01日1970年代第11回World Fe1lowship of Buddhists会議(於バンコク)はネパール平和地帯宣言を支持する旨の決議を可決。
DIA-303-1976-03-03-1ネパール1976年03月03日1970年代UNDPの新ネパール駐在代表にMr.Manfred Kulessayが任命される。
DIA-303-1976-03-03-2ネパール1976年03月03日1970年代17名の全国パンチャーヤット議員の任期が来る4月12日に終了するが,右の補欠選挙は第2次憲法改正前の公選法に基づいて実施される旨発表される。
DIA-303-1976-03-04-1ネパール1976年03月04日1970年代ハヌマンドゥカ宮殿の第2期修復工事がモンスーン期到来前に完了の予定であるが,政府考古学局,ユネスコ及びUNDPの査定によれば,所要経費は70万ルピーである。
DIA-303-1976-03-10-1ネパール1976年03月10日1970年代ソ連の親善使節団(団長Dr.Venedictov,Deputy Minister of Health)訪ネ(~17日まで)。
DIA-303-1976-03-12-1ネパール1976年03月12日1970年代ネパール政府は公務員の退職年齢を現行の63歳から60歳に引下げる旨発表。
DIA-303-1976-03-12-2ネパール1976年03月12日1970年代インド政府はこれまで禁止されていた印刷紙(年間2000トン)とGur(年間200トン)の対ネ輸出を許可する旨発表。
DIA-303-1976-03-12-3ネパール1976年03月12日1970年代内務省とパンチャーヤット省が併合し,内務・パンチャーヤット省(Home Pancbayat)省となる。内務次官であったMr.Sher Bahadur Shahiが新次官に任命される。
DIA-303-1976-03-16-1ネパール1976年03月16日1970年代Dr.H.B.グルン商工大臣South Asia Regional Travel Commissionを開会。
DIA-303-1976-03-16-2ネパール1976年03月16日1970年代日本の対ネパール・クリカニ水力発電所プロジェクト借款協定(30億円)交換公文署名(返済期間30年,据置10年,利子2.75%)。
DIA-303-1976-03-17-1ネパール1976年03月17日1970年代印・ネ外務次官会談(於デリー)。
DIA-303-1976-03-17-2ネパール1976年03月17日1970年代選挙管理委員会は昨年12月の憲法改正によって全国4グループの内の第1グループに指定された3県(Sagarmatha,Lumbini,Seti)内の町村レベル・パンチャーヤット議員選挙は3月28日から5月13日にかけて行われる旨発表。
DIA-303-1976-03-19-1ネパール1976年03月19日1970年代Mrs.Sushila Thapa厚生相当国務大臣は全国パンチャーヤット議員としての任期が満了し辞任。Mr.Bhola Nath Jha森林担当国務大臣が厚生大臣を兼任。
DIA-303-1976-03-20-1ネパール1976年03月20日1970年代印・ネ間の懸案(灌漉,水利電力)問題について事務レベル会談を行うためインド代表団(団長エネルギー省シャー次官)訪ネ。
DIA-303-1976-03-22-1ネパール1976年03月22日1970年代ビレンドラ国王ジャナカプール(Janakpur)県訪問。
DIA-303-1976-03-26-1ネパール1976年03月26日1970年代ビレンドラ国王はジャナカプール県を訪問しHardinathの農業センター視察。
DIA-303-1976-03-29-1ネパール1976年03月29日1970年代ビレンドラ国王Narayani県Birgunj訪問。
DIA-303-1976-03-31-1ネパール1976年03月31日1970年代Mr.Harka Bahadur Thapa駐バングラデシュ初代ネパール大使に任命される。
DIA-303-1976-03-31-2ネパール1976年03月31日1970年代ネパール・バングラデシュ間の貿易,通過に関する協定交渉開始(BD側はHuda大統領顧問,ネ側はDr.H.B.グルン商工大臣)。
DIA-303-1976-04-01-1ネパール1976年04月01日1970年代ビレンドラ国王Narayani県内の開発プロジェクト視察。
DIA-303-1976-04-02-1ネパール1976年04月02日1970年代ネパール・バングラデシュ間で貿易,通過,技術協力,航空の4つの実務協定が締結される。
DIA-303-1976-04-03-1ネパール1976年04月03日1970年代ソ連スポーツ親善使節団(フットボールチ-ム22名)訪ネ(~9日まで)。
DIA-303-1976-04-07-1ネパール1976年04月07日1970年代ギリ首相訪印(グルン商工大臣,バッタ外務次官)随行。
DIA-303-1976-04-07-2ネパール1976年04月07日1970年代駐ネパール新パキスタン大使にAmir Gulistan Janjuaが任命される。
DIA-303-1976-04-11-1ネパール1976年04月11日1970年代ネパール政府は外国人管理法(Foreigner’s Regulations 1976)を発表。
DIA-303-1976-04-16-1ネパール1976年04月16日1970年代ネパール・インド間自動車ラリー実施。
DIA-303-1976-04-16-2ネパール1976年04月16日1970年代ネパール政府は1975年7月迄に治安維持法違反で拘禁していた政治犯316名の内266名を釈放した旨発表。
DIA-303-1976-04-16-3ネパール1976年04月16日1970年代ビレンドラ国王は国立博物館内に先帝マヘンドラ国王記念博物館開設。
DIA-303-1976-04-16-4ネパール1976年04月16日1970年代モーリタニア大統領特使Mohammad Ould Sidi Ali訪ネ(~19日まで)。
DIA-303-1976-04-18-1ネパール1976年04月18日1970年代Dr.B.B.Thapa蔵相ADB理事会(於ジャカルタ)に出席(~27日まで)。
DIA-303-1976-04-22-1ネパール1976年04月22日1970年代ネパール政府は1マウンド当りの小麦値段を50ルピーと設定。
DIA-303-1976-04-26-1ネパール1976年04月26日1970年代ネパール政府は今後ブータン人がネパールへ入る場合パスポートを提示しなければならず,また在ネ中のブータン人は2週間以内に旅券を取得しなければならない旨の新規則を発表。
DIA-303-1976-04-27-1ネパール1976年04月27日1970年代ネ政府は第5回NDC(National Development Council)会議が5月19日から同21日まで開催される旨発表。
DIA-303-1976-04-29-1ネパール1976年04月29日1970年代Mr.Karl Maes駐ネパール新西独大使ネパール着。
DIA-303-1976-04-29-2ネパール1976年04月29日1970年代国立商業銀行はFY 1975/76の最近の9ヵ月間に農工業サービス部門に12.89百万ルピーの貸付けを行った。
DIA-303-1976-04-30-1ネパール1976年04月30日1970年代中・ネ両国は現行のネパール・チベット交易協定を10年間延長する旨合意。
DIA-303-1976-04-30-2ネパール1976年04月30日1970年代ネパール政府はビレンドラ国王が6月に中国(四川省・チベット自治区)を訪問する旨発表。
DIA-303-1976-04-30-3ネパール1976年04月30日1970年代在ネ・日本大使館主催の天皇誕生日レセプションにDhirendra殿下・同妃両殿下が出席。
DIA-303-1976-05-01-1ネパール1976年05月01日1970年代Mr.StemEmest世銀副総裁訪ネ(~4日まで)。滞ネ中タパ蔵相と対ネパール援助国グループ結成に関し話合いが行われる。
DIA-303-1976-05-03-1ネパール1976年05月03日1970年代Dr H.B.グルン商工相第4回UNCTAD総会にネパール首席代表として出席のためナイロビへ出発。
DIA-303-1976-05-03-2ネパール1976年05月03日1970年代ギリ首相は政府が全国の27地区に於て協同組合組織を導入し,右により農村開発を図る政策を決定した旨述べる。
DIA-303-1976-05-04-1ネパール1976年05月04日1970年代Mr.Kirti Nidbi Bista元総理夫妻中国及び北鮮を親善訪問(~11日まで)。
DIA-303-1976-05-05-1ネパール1976年05月05日1970年代Mr.Kirti Nidhi Bista元総理金日成主席と会見。
DIA-303-1976-05-06-1ネパール1976年05月06日1970年代Gorkhapatra(ネパ-ル語日刊紙)創立76周年記念日。
DIA-303-1976-05-07-1ネパール1976年05月07日1970年代ビレンドラ国王はC.Von Furer Haimendorf教授(London School of Oriental and African Studies)に“Birendra Pragyalankar”授与。
DIA-303-1976-05-11-1ネパール1976年05月11日1970年代Mr.B.G.Magar運輸・公共事業担当国務大臣はRaniPauwa-Trisu1i間道路の開通式を行う。同道路はインドの技術援助く総工費8.4百万ルピー)で完成したものである。
DIA-303-1976-05-12-1ネパール1976年05月12日1970年代ビレンドラ国王はMr.K.N.Bista元総理をNDCの委員に任命。
DIA-303-1976-05-13-1ネパール1976年05月13日1970年代全国パンチャーヤット議員選挙第1グループ(Seti,Lumbini,Sagarmatha3県)17地区の市町村パンチャーヤット議員の選挙が終了。
DIA-303-1976-05-13-2ネパール1976年05月13日1970年代ビンンドラ国王は仏陀生誕2600年記念に際しメッセージを発出。
DIA-303-1976-05-17-1ネパール1976年05月17日1970年代インド・ネパール軍合同登山隊エベレスト登頂。
DIA-303-1976-05-18-1ネパール1976年05月18日1970年代ネパール駐箚の米,西独,パキスタン,イラン各新大使はビレンドラ国王に信任状捧呈。
DIA-303-1976-05-19-1ネパール1976年05月19日1970年代ビレンドラ国王は第5回NDC会議を主宰。
DIA-303-1976-05-20-1ネパール1976年05月20日1970年代ネパール駐笥イラン大使(G.D.Tajbaksh)はネパール記者団に対し,ビレンドラ国王のネパール平和地帯宣言を“Most Welcome”する旨語る。
DIA-303-1976-05-23-1ネパール1976年05月23日1970年代ビレンドラ国王の訪中メンバーが発表される。ヒマラヤ殿下,同妃プリンセップ殿下,バスンドラ殿下,同妃ショーバ妃殿下,アリヤル外相等。
DIA-303-1976-05-24-1ネパール1976年05月24日1970年代米・ネ両国は米国がマラリア撲滅のためFY1976/77に1146万6000ルピーをネパールに贈与する旨の取極を締結。
DIA-303-1976-05-26-1ネパール1976年05月26日1970年代第9回NJA(Nepal Joumalist’s Association)会議開催。
DIA-303-1976-05-27-1ネパール1976年05月27日1970年代ネパール政府は北西地域(Dana,Late,Jomsum Kagbeni,Muktinath)でのトレッキング禁止令を解除する旨発表。
DIA-303-1976-06-02-1ネパール1976年06月02日1970年代ピレンドラ国王中国(四川省,チベット自治区)訪問(~9日まで)。
DIA-303-1976-06-06-1ネパール1976年06月06日1970年代印・ネ両国は食糧輸出取極を締結(右取極に基づきネパールはインドに米5万トンを輸出)。
DIA-303-1976-06-10-1ネパール1976年06月10日1970年代ネパール政府は全国パンチャーヤット規則(Rastriya-Panchayat Regulatio 1976)を公布。右規則により議会審議の模様が公開されることになった。
DIA-303-1976-06-15-1ネパール1976年06月15日1970年代第27回全国パンチャーヤット議会開会。
DIA-303-1976-06-17-1ネパール1976年06月17日1970年代Mr.Ram Hari Shama全国パンチャーヤット議会議長に任命される。
DIA-303-1976-06-17-2ネパール1976年06月17日1970年代Mr.Lazar Mojsovユ-ゴスラヴィア外務次官訪ネ(~20日まで)。
DIA-303-1976-06-18-1ネパール1976年06月18日1970年代Dr.B.B.Thapa蔵相FY1975/76の補正予算(総額98.186百万ルピー)を全国パンチャーヤット議会に提出。
DIA-303-1976-06-21-1ネパール1976年06月21日1970年代印・ネ貿易・通過協定の改訂交渉を行うためネパール代表団(首席代表Mr.D.R.Upadhyaya商工次官)インドヘ出発。
DIA-303-1976-06-22-1ネパール1976年06月22日1970年代日本の対ネパール第5次KR食糧援助供与協定締結総額70万ドル(於カトマンズ)。
DIA-303-1976-06-23-1ネパール1976年06月23日1970年代ビレンドラ国王は第27回全国パンチャーヤット議会に於て施政方針演説を行う。
DIA-303-1976-06-23-2ネパール1976年06月23日1970年代ネパール駐笥キューバ,ポーランド,オーストラリア各大使ピレンドラ国王に信任状捧呈。
DIA-303-1976-06-26-1ネパール1976年06月26日1970年代ディペンドラ皇太子満5歳の誕生日。
DIA-303-1976-06-27-1ネパール1976年06月27日1970年代ソ連文化使節団(団長Mr.V.I.Nossov)訪ネ。
DIA-303-1976-06-30-1ネパール1976年06月30日1970年代プリンセップ妃殿下ネパール王立学士院(Royal Nepal Academy)主催のネパール語セミナー開会。
DIA-303-1976-07-01-1ネパール1976年07月01日1970年代ギリ首相ネパール商工会議所の年次総会に於て開会演説。
DIA-303-1976-07-05-1ネパール1976年07月05日1970年代ビレンドラ国王は駐ネ米大使主催の独立200年記念レセプションに臨席。
DIA-303-1976-07-06-1ネパール1976年07月06日1970年代Dr.B.B.Thapa蔵相FY1976/77予算案を全国パンチャーヤット議会に提出。
DIA-303-1976-07-07-1ネパール1976年07月07日1970年代ビレンドラ国王は毛沢東主席宛に朱徳全人代委員長の死をいたむメッセージを発出。
DIA-303-1976-07-08-1ネパール1976年07月08日1970年代ポカラ地区の河川管理・灌漑プロジニクト(総工費50百万ルピー)に対する中国の無償援助協定がカトマンズに於て締結される。
DIA-303-1976-07-09-1ネパール1976年07月09日1970年代予算(FY1976/77)審議開始される。
DIA-303-1976-07-11-1ネパール1976年07月11日1970年代ネパール政府は7月16日から郵便料金を値上げする旨発表。
DIA-303-1976-07-14-1ネパール1976年07月14日1970年代予算審議終了。
DIA-303-1976-07-16-1ネパール1976年07月16日1970年代王宮報導局はビレンドラ国王が8月の第3週にバンダラナイケ首相の招待によりスリ・ランカを訪問し,第5回非同盟首脳会議に出席する旨発表。
DIA-303-1976-07-19-1ネパール1976年07月19日1970年代Mr.N.I.Mokhovソ連高等中等専門教育省次官訪ネ(~26日まで)。
DIA-303-1976-07-19-2ネパール1976年07月19日1970年代Syangja地区(Gandaki県)で豪雨のため河川が・氾濫,土砂崩れで75名が死亡し穀物にも甚大な被害が発生。
DIA-303-1976-07-20-1ネパール1976年07月20日1970年代ビレンドラ国王及びポドゴルヌイソ連邦最高会議幹部会議長は外交関係樹立20周年を記念し,祝賀メッセージを交換。
DIA-303-1976-07-22-1ネパール1976年07月22日1970年代ネパール政府は7月31日から8月6日迄を“植林週間”とする旨発表。
DIA-303-1976-07-27-1ネパール1976年07月27日1970年代ビレンドラ国王は第4回アジア仏教徒平和会議(於東京)開催を祝うメッセージを発出。
DIA-303-1976-08-02-1ネパール1976年08月02日1970年代駐ネパール新インド大使にN.B.Menonが任命される。
DIA-303-1976-08-04-1ネパール1976年08月04日1970年代行政改革委員会は政府に報告書を提出し,省庁数の削減や公務員の綱紀粛正を提言。
DIA-303-1976-08-04-2ネパール1976年08月04日1970年代J.M.Shrestha法相(内務・パンチャーヤット兼任)は本年に入りこれまでに洪水や山崩れ等の自然災害によって308名が死亡した旨発表。
DIA-303-1976-08-05-1ネパール1976年08月05日1970年代本年4月に公布された外国人管理規則の中の外国人のトレッキングに対する条項が若干緩和され,個人的にトレッキング許可申請が行えるように改正された。
DIA-303-1976-08-08-1ネパール1976年08月08日1970年代ビレンドラ国王はMr.Nayan Bahadur Katriを新最高裁長官に任命。
DIA-303-1976-08-12-1ネパール1976年08月12日1970年代駐バングラデシュ・リビア大使訪ネ(ネパール・リビアは1975年12月30日大使レベルの外交関係を樹立している)。
DIA-303-1976-08-13-1ネパール1976年08月13日1970年代ネパール政府はコロンボに在スリ・ランカ総領事館を開設し,Dr.Subash Chawalaを初代総領事に任命。
DIA-303-1976-08-15-1ネパール1976年08月15日1970年代ビレンドラ国王は非同盟首脳会議に出席のためコロンボ着。
DIA-303-1976-08-17-1ネパール1976年08月17日1970年代ビレンドラ国王は非同盟首脳会議に於て演説。
DIA-303-1976-08-17-2ネパール1976年08月17日1970年代カトマンズ渓谷都市開発計画に基づき今後カトマンズ市内に建設される住宅建造物の高さは傾斜屋根の場合は13.7メートル,平屋根の場合には12.2メ-トルに制限されることになった。
DIA-303-1976-08-19-1ネパール1976年08月19日1970年代ビレンドラ国王はインドのガンディー首相と会談(於コロンボ)。
DIA-303-1976-08-20-1ネパール1976年08月20日1970年代ビレンドラ国王カトマンズ帰着。
DIA-303-1976-08-21-1ネパール1976年08月21日1970年代Mr.P.C.Alexander外国貿易省次官を団長とするインド代表団が印・ネ貿易通過協定改訂交渉のため訪ネ(~28日まで)。
DIA-303-1976-08-25-1ネパール1976年08月25日1970年代インド政府は対ネパールのルピー貨スタンドバイ・クレジット供与協定を6ヵ月延長する旨同意。
DIA-303-1976-08-26-1ネパール1976年08月26日1970年代ネパール政府はサンスクリット語の振興を図るため,今後は国内におけるサンスクリット語教育を無償で行う旨発表。
DIA-303-1976-08-27-1ネパール1976年08月27日1970年代選挙管理委員会は公選法に基づく第2グループの全国パンチャーヤット議員選挙がMechi,Bagmati,Gandaki,Beri4県にて実施される旨発表。
DIA-303-1976-08-30-1ネパール1976年08月30日1970年代食糧公社(Nepal Food Corporation)はFY1976/77に東部開発地区に対し,1110トンの米を配給する計画を発表。
DIA-303-1976-08-31-1ネパール1976年08月31日1970年代ネパール政府商工省はFY1976/77に機械・スペアーパーッ,原材料を輸入するため公共・民間部門に対し約116百万ルピー相当の外貨割当を計画している旨発表。
DIA-303-1976-09-01-1ネパール1976年09月01日1970年代ネパール・ポルトガル両国は大使レベルの外交関係樹立に合意。
DIA-303-1976-09-02-1ネパール1976年09月02日1970年代ビレンドラ国王は内閣を改造し,大臣(Minister)7名,国務大臣(State Minister)4名・副大臣(Assistant Minister)7名から成る新内閣を発表・ギリ首相,アリヤル外相,タパ蔵相等は留任。
DIA-303-1976-09-06-1ネパール1976年09月06日1970年代ビレンドラ国王は行政機関のあり方を調査させるため,B.Jhaを委員長とし,5名の委員より成る諮問委員会を設置。
DIA-303-1976-09-07-1ネパール1976年09月07日1970年代ギリ首相急性盲腸炎のため国立ビール病院に入院。
DIA-303-1976-09-08-1ネパール1976年09月08日1970年代ビレンドラ国王はギリ首相見舞のため国立ビール病院を訪問。
DIA-303-1976-09-09-1ネパール1976年09月09日1970年代ビレンドラ国王は中国の華首相に対し弔電を発出し,毛主席の死去に対し哀悼の意を表する。
DIA-303-1976-09-09-2ネパール1976年09月09日1970年代アリヤル外相国連総会に出席のため出発。
DIA-303-1976-09-10-1ネパール1976年09月10日1970年代アリヤル外相はニューデリーに於てガンディー首相と会談し,ビレンドラ国王の親善を同首相に手交。
DIA-303-1976-09-12-1ネパール1976年09月12日1970年代消息筋は世銀主催の第1回対ネパール援助国会議が来る12月の第一週に東京に於て開催される旨公表。
DIA-303-1976-09-14-1ネパール1976年09月14日1970年代ビレンドラ国王は国家開発評議会(NDC)を改組。
DIA-303-1976-09-15-1ネパール1976年09月15日1970年代印・ネマラリア防禦協定が締結され,両国民は入国の際相互にマラリア感染の有無を検査されることになった。
DIA-303-1976-09-16-1ネパール1976年09月16日1970年代ビレンドラ国王は第1回全国パンチャーヤット運動員大会を開会。
DIA-303-1976-09-17-1ネパール1976年09月17日1970年代ビレンドラ国王は第27回全国パンチャーヤット議会の停会を宣言。今会期は去る6月15日に召集され,第2次憲法改正法案を含む,45法案が成立している。
DIA-303-1976-09-18-1ネパール1976年09月18日1970年代第1回全国パンチャーヤット運動員大会本会議に於て,今年度実施計画が採択される。
DIA-303-1976-09-19-1ネパール1976年09月19日1970年代ギリ首相退院。
DIA-303-1976-09-19-2ネパール1976年09月19日1970年代ビレンドラ国王第1回全国パンチャーヤット運動員大会を閉会。
DIA-303-1976-09-20-1ネパール1976年09月20日1970年代駐ネパール・タイ及びスエーデン大使信任状捧呈のため訪ネ。
DIA-303-1976-09-21-1ネパール1976年09月21日1970年代米国の対ネ無償援助協定締結。対象プロジェクトはIntegrated-Health Service Project,Malaria Eradication Project,Family Planning Project等。
DIA-303-1976-09-23-1ネパール1976年09月23日1970年代駐ネパール・及びスエ-デン大使ビレンドラ国王に信任状捧呈。
DIA-303-1976-09-26-1ネパール1976年09月26日1970年代Pitambar Dhoj Khati厚生相“Managerial Aspects of Integrated Community Health Service”セミナー開会。
DIA-303-1976-09-27-1ネパール1976年09月27日1970年代アリヤル外相国連総会で演説。
DIA-303-1976-09-28-1ネパール1976年09月28日1970年代ビレンドラ国王は週刊“Janajagriti”元編集長H.Shresthaの恩赦を決定。
DIA-303-1976-09-30-1ネパール1976年09月30日1970年代ビレンドラ国王はTundi Khelの陸軍営舎でFulpati functionを観閲。
DIA-303-1976-09-30-2ネパール1976年09月30日1970年代パンチャーヤット運動員全国大会で採択された綱領によれば,全国パンチャーヤット議員はFulltime委員として1年のうち6ヵ月を出身地区で過ごし,地域住民にパンチャーヤット制度の普及を行うことが義務づけられた。
DIA-303-1976-10-01-1ネパール1976年10月01日1970年代アリヤル外相第31回国連総会から帰国。
DIA-303-1976-10-02-1ネパール1976年10月02日1970年代UNDPの協力を得てネパ-ル政府が実施した鉱物資源探査予備調査が完了。
DIA-303-1976-10-03-1ネパール1976年10月03日1970年代ビレンドラ国王はVijaya Dashamiを祝い国民にメッセージを発出し,史的遺跡の保存保護を国民に訴える。
DIA-303-1976-10-06-1ネパール1976年10月06日1970年代Dr.B.B.Thapa蔵相は対ネパール援助調整会議が今年中に東京で開催される旨述べる。
DIA-303-1976-10-06-2ネパール1976年10月06日1970年代中国喬外相は国連での演説に於てネパール平和地帯宣言を支持する旨述べる。
DIA-303-1976-10-08-1ネパール1976年10月08日1970年代ネパール文化使節団ソ連訪問のため出発。
DIA-303-1976-10-08-2ネパール1976年10月08日1970年代ADBはHetauda-Narayangadh間道路建設のため4.9百万ドルの借款供与を合意。
DIA-303-1976-10-09-1ネパール1976年10月09日1970年代Maramis ESCAP事務局長訪ネ(~13日まで)。
DIA-303-1976-10-10-1ネパール1976年10月10日1970年代商工省のDepartment of Mines and Geologyが明らかにしたところによればNarayani県のHetaudaに年産26万トンの設備を有するセメント工場が1980年までに建設される由。
DIA-303-1976-10-10-2ネパール1976年10月10日1970年代Maramis ESCAP事務局長ビレンドラ夫妻に拝謁。
DIA-303-1976-10-12-1ネパール1976年10月12日1970年代駐ネ・インド大使(M.K.Rasgotra)ビレンドラ国王及びギリ首相に離任表敬。
DIA-303-1976-10-14-1ネパール1976年10月14日1970年代バッタ外務次官はRasgotraインド大使を招致し,インド政府のネパール人入国制限に抗議を申し入れる。
DIA-303-1976-10-16-1ネパール1976年10月16日1970年代王宮報道局はアイシュワリヤ王妃が第一皇女を出産した旨発表。
DIA-303-1976-10-16-2ネパール1976年10月16日1970年代王宮報道局はビレンドラ国王が11月16日から同22日まで,ソ連を公式訪問する旨発表。
DIA-303-1976-10-19-1ネパール1976年10月19日1970年代ビレンドラ国王は駐ソ・ネパール大使にG.B.Karki(元外相)を任命。
DIA-303-1976-10-19-2ネパール1976年10月19日1970年代ギリ首相は第1回Asian & Pacific Affairs of World Veterans Federation会議開会。
DIA-303-1976-10-20-1ネパール1976年10月20日1970年代FY1975/76の観光収入は190百万ルピーであり前年度比57.7%の増加であった旨報じられる。
DIA-303-1976-10-20-2ネパール1976年10月20日1970年代ビレンドラ国王はギリ首相主催の“国連記念日”式典に臨席。
DIA-303-1976-10-21-1ネパール1976年10月21日1970年代ビレンドラ国王は第27回全国パンチャーヤット議会で成立した15法案に裁可を与える。
DIA-303-1976-10-24-1ネパール1976年10月24日1970年代ビレンドラ国王は第31回国連記念日に際し国民にメッセージ発出。
DIA-303-1976-10-25-1ネパール1976年10月25日1970年代Dr.H.B.グルン商工相はナイロビにおける第19回UNESCO総会に出発。
DIA-303-1976-10-25-2ネパール1976年10月25日1970年代Dr.V.T.H.Gunaratne(Regional-Director of WHO)ネパール政府厚生省の招待で訪ネ。
DIA-303-1976-10-26-1ネパール1976年10月26日1970年代NPC(National Planning Commission)はFY1975/76の第2四半期における農工業プロジェクトの進捗状況をレヴュー。
DIA-303-1976-10-28-1ネパール1976年10月28日1970年代第一皇女はH.R.H.Princess Shruti Rajya Laxmi Devi Shahと命名される。
DIA-303-1976-10-28-2ネパール1976年10月28日1970年代Dr.H.Johannes Witteveen,Managing Director & Chairman of the Board of Directors of IMF訪ネ。
DIA-303-1976-10-29-1ネパール1976年10月29日1970年代Mr.J.Mehtaインド外務次官バッタ外務次官の招待により訪ネ(~11月1日まで)。
DIA-303-1976-10-30-1ネパール1976年10月30日1970年代ANFA(All Nepal Football Association)主催の中国フットボールティーム観迎会にバスンドラ殿下出席。
DIA-303-1976-10-31-1ネパール1976年10月31日1970年代Dr.B.B.Thapa蔵相は税関業務に関するセミナーの閉会演説で政府は景気のリセッション傾向を抑制するため早急に金融財政政策を採る旨述べる。
DIA-303-1976-11-01-1ネパール1976年11月01日1970年代在ネパール・リビア大使館開設。
DIA-303-1976-11-03-1ネパール1976年11月03日1970年代Dr.F.Klamser(Ministry of Economic Cooperation)を団長とする西独使節団訪ネ(~12日まで)。
DIA-303-1976-11-03-2ネパール1976年11月03日1970年代Prof.Kosukhinを団長とするCentral Organization of Soviet Cooperative Societiesソ連代表団訪ネ。
DIA-303-1976-11-04-1ネパール1976年11月04日1970年代ビレンドラ国王はUNESCO創立30周年記念に際しメッセージを発出し,教育・文化・科学の振興の九めにUNESCOが果している役割を称賛。
DIA-303-1976-11-05-1ネパール1976年11月05日1970年代王弟ギャネンドラ殿下夫妻,ディレンドラ殿下インド公式訪問(~14日まで)。
DIA-303-1976-11-06-1ネパール1976年11月06日1970年代アイシュワリヤ王妃28歳の誕生日。
DIA-303-1976-11-06-2ネパール1976年11月06日1970年代王妹ショーバ妃殿下ソ連大使主催の革命記念レセプションに出席。
DIA-303-1976-11-10-1ネパール1976年11月10日1970年代Back to the Vi1lage中央委員会は24名の委員から成るClass Organization Central Advisory Committeeを設置。
DIA-303-1976-11-11-1ネパール1976年11月11日1970年代西独はネパールに対しKankai多目的プロジェクト援助のため総額129百万ルピーの借款供与に合意。
DIA-303-1976-11-12-1ネパール1976年11月12日1970年代英国はネパールに対し貯蔵倉庫建設のため9.7百万ルピーの無償援助に合意。
DIA-303-1976-11-16-1ネパール1976年11月16日1970年代ビレンドラ国王訪ソ(~22日まで)。
DIA-303-1976-11-16-2ネパール1976年11月16日1970年代ネ政府はNarakant Adhikariを新大蔵次官に任命。
DIA-303-1976-11-19-1ネパール1976年11月19日1970年代ネパール・ソ連経済・技術協力協定締結。
DIA-303-1976-11-19-2ネパール1976年11月19日1970年代ギリ首相NPC会議を開会(於Dhangadhi)。
DIA-303-1976-11-21-1ネパール1976年11月21日1970年代新駐ネ・インド大使N.B.メノン(Mr.Nedyan Balachandran Menon)カトマンズ着。
DIA-303-1976-11-24-1ネパール1976年11月24日1970年代ネ政府は全国パンチャーヤット議長及び議員歳費を現行の月額2415ルピー,780ルピーから各々2625ルピー,825ルピーに増額する旨発表。
DIA-303-1976-11-24-2ネパール1976年11月24日1970年代OPEC特別基金は原油値上げに伴う経済打撃を軽減するため,ネパー々に対し約4百万ドルの長期借款を行うことを合意。
DIA-303-1976-11-28-1ネパール1976年11月28日1970年代ギャネンドラ殿下夫妻,米国訪問途次日本立寄り。
DIA-303-1976-11-28-2ネパール1976年11月28日1970年代Dr.B.B.Thapa蔵相訪日(~12月9日まで)。
DIA-303-1976-12-02-1ネパール1976年12月02日1970年代第1回対ネ援助調整グループ会議開催(於東京)。
DIA-303-1976-12-03-1ネパール1976年12月03日1970年代ビレンドラ国王はMr.S.S.J.B.Ranaを駐ビルマ・ネパール大使に任命。
DIA-303-1976-12-05-1ネパール1976年12月05日1970年代ギリ首相Zonal Commissioners会議開会(於ポカラ)。
DIA-303-1976-12-05-2ネパール1976年12月05日1970年代Mr.N.B.メノン・インド大使ビレンドラ国王に信任状捧呈。
DIA-303-1976-12-05-3ネパール1976年12月05日1970年代ビレンドラ国王はインド亡命中の12名の政治犯に恩赦を与える。
DIA-303-1976-12-06-1ネパール1976年12月06日1970年代ビレンドラ国王ポカラ着。
DIA-303-1976-12-08-1ネパール1976年12月08日1970年代日本政府はネ政府に対しタンセン市上水道施設拡充のため5億円を限度とする無償援助を合意。
DIA-303-1976-12-08-2ネパール1976年12月08日1970年代Zonal Commissioner’s会議閉会。
DIA-303-1976-12-09-1ネパール1976年12月09日1970年代Mr.Kurt Leoffler東独文化相訪ネ(~13日まで)。
DIA-303-1976-12-09-2ネパール1976年12月09日1970年代ADBはネ政府に対しHetaudaセメント工場建設のため493.75百万ルピーの借款供与に合意。
DIA-303-1976-12-09-3ネパール1976年12月09日1970年代ビレンドラ国王Dhawalagiri県Mustang,Parbat,Baglung訪問。同タポカラ帰着。
DIA-303-1976-12-13-1ネパール1976年12月13日1970年代ビレンドラ国王Dhawa1agiri県Baglung視察。ポカラ帰着。
DIA-303-1976-12-14-1ネパール1976年12月14日1970年代アイシュリワリヤ王妃及びディペンドラ皇太子ポカラ着。
DIA-303-1976-12-15-1ネパール1976年12月15日1970年代ビレンドラ国王はポカラでの憲法記念日集会に於てパンチャーヤット制度は理想と現実のギャップをうめるためのイデオロギーを実践する点で民主的制度である旨述べる。
DIA-303-1976-12-17-1ネパール1976年12月17日1970年代ビレンドラ国王はLumbini県Kapilvastu,Gulmi,Nawalparasi訪問(ポカラ着)。
DIA-303-1976-12-20-1ネパール1976年12月20日1970年代ビレンドラ国王Lumbini地Butwal訪問,同タポカラ着。
DIA-303-1976-12-20-2ネパール1976年12月20日1970年代大蔵省によればUNDPはGandaki河流域電源開発調査のため12.2百万ルピー相当の技術援助を行う由。
DIA-303-1976-12-22-1ネパール1976年12月22日1970年代ネ政府筋は最近のOPEC総会での原油値上げ決定はネパールがかかる地域から国内消費の20%を輸入しているにすぎず,ネ経済にさしたる影響は及ばない旨述べる。
DIA-303-1976-12-24-1ネパール1976年12月24日1970年代ビレンドラ国王Gandaki県Manang,Tanafu,Lamjung,Syangja訪問。
DIA-303-1976-12-25-1ネパール1976年12月25日1970年代ビレンドラ国王夫妻はポカラでのセミナー“A New Economic Order for Nepal a Search”に出席。
DIA-303-1976-12-27-1ネパール1976年12月27日1970年代ビレンドラ国王Gandaki県Gorkha,Kaski訪問。
DIA-303-1976-12-28-1ネパール1976年12月28日1970年代ビレンドラ国王誕生日。
DIA-303-1976-12-29-1ネパール1976年12月29日1970年代第6回NDC(National Development Council)会議がギリ首相の司会で開会。
DIA-303-1976-12-31-1ネパール1976年12月31日1970年代ビレンドラ国王第6回NDC会議主宰。
DIA-303-1977-01-06-1ネパール1977年01月06日1970年代アリヤル外相はバッタ外務次官を帯同,6日より12日までの1週間パキスタン政府の招待により同国を公式訪問し,プットー首相を始めパキスタン首脳部と会談した。
DIA-303-1977-01-12-1ネパール1977年01月12日1970年代アリヤル外相は12日よりバーレン,カタール,オーマン及びアラブ首長国連邦の湾岸諸国を非公式に訪問した。
DIA-303-1977-01-14-1ネパール1977年01月14日1970年代バーレンと外交関係樹立。
DIA-303-1977-01-19-1ネパール1977年01月19日1970年代駐ネ・ビルマ大使U.Zakre Lianは任期終了し,カトマンズ発帰国した。
DIA-303-1977-01-21-1ネパール1977年01月21日1970年代オーマン及びカタールと外交関係樹立。
DIA-303-1977-01-22-1ネパール1977年01月22日1970年代アラブ首長国連邦と外交関係樹立。
DIA-303-1977-01-30-1ネパール1977年01月30日1970年代日本政府はネパール政府に対し第6次KR援助として肥料2億5564万円(海上輸送費4004万円を含む)を供与することに同意,さらにシンドゥリマリ農業普及センター建設のため8990万円の供与に同意し,カトマンズにおいて佐々木大使とアディカリ大蔵次官との間に交換公文の署名が行なわれた。
DIA-303-1977-02-09-1ネパール1977年02月09日1970年代ファン・ヒェン・ヴィエトナム政府外務次官は9日より12日までネパールを訪問し,ギリ首相以下ネパール首脳部と会談した。
DIA-303-1977-02-10-1ネパール1977年02月10日1970年代IMFアジア局長Dr.Tun Thinはギリ首相を表敬訪問した。
DIA-303-1977-02-12-1ネパール1977年02月12日1970年代ギリ首相はアーメッド・インド大統領の葬儀に参列するためインドを訪問し,14日帰国した。
DIA-303-1977-02-19-1ネパール1977年02月19日1970年代ネパール・スリランカ航空協定締結。ネパール航空は3月16日より週1便カトマンズ・コロンボ間直行便を運航,10月以降は週2便に増便するが,エァー・セイロンの具体的なカトマンズ乗入れ計画については決定されていない。
DIA-303-1977-02-20-1ネパール1977年02月20日1970年代駐ネパール・ルーマニア大使Petre Tanasieは任期終了し,カトマンズ発帰国した。
DIA-303-1977-02-23-1ネパール1977年02月23日1970年代新駐ネパール・ビルマ大使U.G.Bawn Yingはカトマンズに到着した。
DIA-303-1977-02-24-1ネパール1977年02月24日1970年代ネパール政府は従来商工省の管轄下におかれていた観光局を省に昇格し,観光省(Ministry of Tourism)を新設,商工・教育担当国務大臣H.B.グルンが観光相をも併せ兼務することになり,また新次官には総理大臣秘書官N.Pradhanが任命された。
DIA-303-1977-02-27-1ネパール1977年02月27日1970年代東京女子大学学生33名がネパール事情研修のためカトマンズに到着した。一行はネパールに2週間滞在し,同国各地を訪問してネパール事情などを研修した。
DIA-303-1977-03-06-1ネパール1977年03月06日1970年代日本政府派遣の食糧増産援助調査団は,6日カトマンズに到着,3日間滞在し,ネパール関係当局とネパールに対する食糧増産援助につき会談した。
DIA-303-1977-03-06-2ネパール1977年03月06日1970年代ネパールの新聞記者一行7名が,中国新聞協会の招待により同国を2週間訪問するためカトマンズを出発した。
DIA-303-1977-03-09-1ネパール1977年03月09日1970年代デンマークの経済協力使節団3名がカトマンズに到着し,13日まで4日間滞在した。
DIA-303-1977-03-15-1ネパール1977年03月15日1970年代ネパール政府はサウディ・アラビアとの外交関係樹立を発表した。
DIA-303-1977-03-15-2ネパール1977年03月15日1970年代ソ連経済使節団一行3名がカトマンズに到着した。
DIA-303-1977-03-18-1ネパール1977年03月18日1970年代駐ネパール・ビルマ大使U.G.Bawn Ying及びイラク大使Mohammad Said Al-Sahhafは,ビレンドラ国王に対しそれぞれ信任状を奉呈した。
DIA-303-1977-03-20-1ネパール1977年03月20日1970年代バングラデシュ文化使節団11名がカトマンズに到着,1週間滞在した。
DIA-303-1977-03-24-1ネパール1977年03月24日1970年代サウディ・アラビヤ政府はネパール政府に対し約3億8000万ルピーの無利子借款を供与することを申し出た旨ネパール大蔵省が発表した。この資金は,ネパールのKohalpur-Banfase 191km間の道路建設と,Kankai水力発電プロジェクトに使用される予定である。
DIA-303-1977-03-27-1ネパール1977年03月27日1970年代ビレンドラ国王及び王妃両陛下は,アリヤル外相ほか政府高官を帯同,インドを1週間非公式に訪問するため27日カトマンズを出発,同日カルカッタに到着した。
DIA-303-1977-03-30-1ネパール1977年03月30日1970年代ビレンドラ国王は,南インドのマドライにおいて開催された世界宗教哲学文化会議の開会式に出席した。
DIA-303-1977-04-02-1ネパール1977年04月02日1970年代ビレンドラ国王はニューデリーにおいてジャツティ・インド大統領代理及びデサイ・インド首相と会談した。
DIA-303-1977-04-03-1ネパール1977年04月03日1970年代ビレンドラ国王及び王妃両陛下は,1週間のインド非公式訪問を終えネパールに帰国した。
DIA-303-1977-04-04-1ネパール1977年04月04日1970年代インド陸軍司令官T.N.ライナ将軍は,ネパール陸軍司令官グナ・シャムシェル・ラナ将軍の招へいにより,4日より7日までネパールを訪問し,ギリ首相と会談したほか,ビレンドラ国王よりネパール陸軍名誉将.軍の称号及び軍刀一刀が贈られた。
DIA-303-1977-04-06-1ネパール1977年04月06日1970年代ネ・ウィン・ビルマ大統領及び同夫人は,ビレンドラ国王の招待によりネパールを訪問,3日間滞在の後8日カトマンズ発帰国した。
DIA-303-1977-04-10-1ネパール1977年04月10日1970年代国会議員35議席をめぐる改選選挙がメチ,バグマティ,ガンダギ及びベリの4県23地区で開始された。
DIA-303-1977-04-13-1ネパール1977年04月13日1970年代ネパール政府は,外国人立入り禁止区域となっていたマナン地区のマルシャンディ川流域以南の一部立入り緩和を発表した。これによりアンナプルナ山塊を一週するトレッキングが可能となった。
DIA-303-1977-04-13-2ネパール1977年04月13日1970年代痘瘡撲滅国際委員会は,ネパールを4月13日より痘瘡撲滅国に指定したが,種痘注射証明書の携行は当分の間必要である。
DIA-303-1977-04-14-1ネパール1977年04月14日1970年代カルンガラ・スリランカ海運航空観光大臣は,14日より20日までネパールを訪問,ギリ首相と会談し,セイロン航空は今年末までにカトマンズに乗り入れる旨語った。
DIA-303-1977-04-18-1ネパール1977年04月18日1970年代タパ大蔵大臣は20日マニラにおいて開催される第10回アジア開発銀行年次総会に出席するため,カトマンズを出発し,マニラに向った。
DIA-303-1977-04-18-2ネパール1977年04月18日1970年代ネパール・ソ連文化科学交換協定に基づく1977/78年度の計画がネパール政府通信次官と駐ネパールソ連大使との間で調印された。
DIA-303-1977-04-20-1ネパール1977年04月20日1970年代アジア開発銀行はネパール政府に対し600万ドル(約7500万ルピー)の借款を供与することとなり,右協定がタパ大蔵大臣とアジア開発銀行代表との間に,マニラにおいて調印された。
DIA-303-1977-04-27-1ネパール1977年04月27日1970年代ビレンドラ国王は,第28回国会を6月12日召集する旨発表した。
DIA-303-1977-05-04-1ネパール1977年05月04日1970年代在ネパール米国情報センターは,4月22日辞任した前駐ネパール大使の後任としてカーター大統領は,Douglas Heck元駐ニジェール大使を任命する意向である旨発表した。
DIA-303-1977-05-06-1ネパール1977年05月06日1970年代駐ネパール・カナダ大使R.Maybee及び同チェコスロヴァキア大使Zdenek Trhlikは任期終了し,それぞれカトマンズ発帰国した。
DIA-303-1977-05-10-1ネパール1977年05月10日1970年代ネパール外務省は,M.スコット英国大使の後任として,在アテネ総領事J.B.Densonが駐ネパール英国大使に任命された旨発表した。
DIA-303-1977-05-16-1ネパール1977年05月16日1970年代ビレンドラ国王は,「国民帰郷運動中央委員会」委員長Bahadur Singhの辞任を認め,後任委員長にBiswa Bandhu Thapa元内相を任命した。
DIA-303-1977-05-16-2ネパール1977年05月16日1970年代ビレンドラ国王は,Bahadur Singh食糧・農業・灌漑兼土地改革相の辞任を了承した。
DIA-303-1977-05-17-1ネパール1977年05月17日1970年代王宮報道局は,16日のBahadur Singh食糧・農業相の辞任に伴う内閣の一部改造を発表した。右発表によると,辞任した前食糧・農業相以外の全閣僚17名が留任し,新たに大臣2名,国務大臣2名,副大臣1名が入閣し,閣僚数は従来の18名より大臣8名,国務大臣6名,副大臣8名の計22名に増強され,従来多くの兼轄が行なわれていた所管ポストがほぼ1名1省に割振られ,さらにかつて前例をみなかった内務パンチャーヤット担当副大臣2名を配置しているのが特色である。 新入閣者の所管ポスト及び一部所管割振りの変更は次のとおり。 (1)大臣 食糧・農業・灌漑兼土地改革相 ナト・シャルマ 法相 メラ・シュレスタ 通信相 バハドゥール・バスネット 蔵相 バハドゥール・タパ 商工相 ドジ・カティ (2)国務大臣 行政管理担当 ガルティ・マガル 厚生担当 スンダル・ラワテ 観光・公共事業・運輸担当 バハドゥール・グルン 教育担当 パシュパティ・シュムシェル (3)副大臣 内務パンチャーヤット バハドゥール・マラ 食糧・農業・灌漑 チャンドラ・シン・ラジバムシ
DIA-303-1977-05-18-1ネパール1977年05月18日1970年代王宮報道局は,K.B.マルラ駐印大使の後任として,前枢密院常任委員長ベダナンダ・ジャーが駐印大使に任命された旨発表した。
DIA-303-1977-05-21-1ネパール1977年05月21日1970年代フィリュービン・ソ連外務次官は21日より25日までネパールを公式訪問し,国王謁見,首相,蔵相,商工相を表敬訪問したほか,各閣僚と国際関係,二国間関係などにつき意見の交換を行ない,経済,貿易,科学,文化などにつき協力を拡大することに同意した。
DIA-303-1977-06-03-1ネパール1977年06月03日1970年代駐ネパール英国大使John Boyd Denson,同ノールウェー大使Per Gulowser及びブラジル大使De Araujoはビレンドラ国王に対しそれぞれ信任状を奉呈した。
DIA-303-1977-06-06-1ネパール1977年06月06日1970年代アジア太平洋森林委員会第10回総会がネパール政府主催により,インド,インドネシア,フィリピン,タイ,米国,日本,オーストラリアなど20ヵ国参加の下に6日より5日間カトマンズにおいて開催された。
DIA-303-1977-06-08-1ネパール1977年06月08日1970年代ビレンドラ国王はB.P.コイララに対し病気治療のため海外に赴くことを許可し,コイララは9日カトマンズ発ニューデリーに向った。
DIA-303-1977-06-10-1ネパール1977年06月10日1970年代ビレンドラ国王は駐ビルマ・ネパール大使にSardul Shumshereを任命した。
DIA-303-1977-06-11-1ネパール1977年06月11日1970年代国立通信社RSSは,ネパール人の読み書きの能力は,1972/73年度の13.1%から19.2%に上昇した旨発表した。また同通信社の発表によると,小学校,中学校,高等学校の生徒数は次のとおりである。(1975~76年度) 小学校 男子  374,508人 女子  84,008 中学校 男子  45,072 女子  29,071 高等学校 男子  55,826 女子  11,388
DIA-303-1977-06-12-1ネパール1977年06月12日1970年代第28回国会が開会された。会期は約3ヵ月の予定である。
DIA-303-1977-06-13-1ネパール1977年06月13日1970年代奥田外務政務次官一行10名はネパール政府の招待により同国を公式訪問,4日間滞在の後7日カトマンズ発帰国した。滞在中奥田政務次官はビレンドラ国王に謁見したほか,ギリ首相を始め各閣僚と会談し,わが国の対ネパール経済技術協力を含む両国関係など諸問題につき率直な意見の交換を行なった。なお日本政府はビレンドラ国王を明年4月以降招待することを申し入れ,国王はこれを受諾した。
DIA-303-1977-07-04-1ネパール1977年07月04日1970年代タパ大蔵大臣は議会に対し1977/78年度の予算案を提出したが,その骨子は次の通りである。 歳入  1,724.6百万ルピー(前年度比30.2%増) 歳出  3,087.4百万ルピー(前年度比30.5%増) 歳入の大幅増加は新たに実施される税制改革と徴税機構の改善およびnon-tax revenue(官有品の払い下げなど)の増加に期待している。歳出では経常支出の増加を対前年度比9%以内に抑え,開発支出を大幅に増加させている。財政不足分は外国援助期待額の大幅増加(前年度592.3百万ルピー,1977/78年度1,120.5百万ルピー)と国内借入れにて賄なうことを期待している。
DIA-303-1977-07-06-1ネパール1977年07月06日1970年代ネパール外務省は駐ネパール・カナダ大使にRobert Louis Rogersが任命された旨発表した。
DIA-303-1977-07-14-1ネパール1977年07月14日1970年代ヴァジパイ・インド外務大臣は,アリヤル外務大臣の招待により14日より16日までネパールを公式訪問したが,滞在中ビレンドラ国王謁見,ギリ首相及びシャルマ国会議長を表敬訪問したほか,アリヤル外務大臣及びカティ商工大臣と会談し,16日帰国した。
DIA-303-1977-07-18-1ネパール1977年07月18日1970年代ネパール外務省は,駐ネパール・フランス大使としてFrancois de Testaが任命された旨発表した。
DIA-303-1977-07-22-1ネパール1977年07月22日1970年代ネパール選挙管理委員会は,憲法改正後の第3次国会議員改選選挙(議席数20)を1978年ジャナカプール,カルナリ及びマハカリの3県13区において実施する旨発表した。
DIA-303-1977-07-22-2ネパール1977年07月22日1970年代鳩山外務大臣一行13名は,ネパール政府の招待により,22日及び23日の両日ネパールを公式訪問し,ビレンドラ国王,ギリ首相及びシャルマ国会議長を公式訪問したほか,アリヤル外務大臣と日・ネ両国関係及び国際情勢全般についての率直な意見の交換を行なった。わが国外務大臣のネパール公式訪問は初めてである。
DIA-303-1977-07-23-1ネパール1977年07月23日1970年代ネパール外務省は,アリヤル外務大臣は鳩山外務大臣の訪日招請を受諾し,近い将来日本を訪問することとなった旨発表した。
DIA-303-1977-07-27-1ネパール1977年07月27日1970年代7月中旬以降任期満了により空席となっていた国会副議長は,対立候補がないため前副議長Lokendra Bahadur Chandが全会一致で推せんされ,27日国王の認可を得て再任された。
DIA-303-1977-07-29-1ネパール1977年07月29日1970年代駐ネパール・アメリカ大使Douglas Heck及び同オーマン大使はSalem Mohammad Al-Ghaylaniはビレンドラ国王に対してそれぞれ信任状を奉呈した。
DIA-303-1977-08-04-1ネパール1977年08月04日1970年代米国政府はネパール政府に対して4万ドルの無賞援助及び440万ドルの技術援助を供与することに決定し,右協定がカトマンズにおいてネパール政府大蔵次官と駐ネパール米国大使との間で署名された。
DIA-303-1977-08-14-1ネパール1977年08月14日1970年代ネパール外務省は,駐ネパール北鮮大使としてSo Jong Gukが任命された旨発表した。
DIA-303-1977-08-14-2ネパール1977年08月14日1970年代カナダ政府はネパール政府に対し160万カナダ・ドルの無償援助(加里肥料)を供与することとなり,両国政府代表が右に関する覚書に署名した。
DIA-303-1977-08-16-1ネパール1977年08月16日1970年代ネパール外務省は,コスタリカ共和国と外交関係を樹立した旨発表した。ネパールが外交関係を有する国は76ヵ国となった。
DIA-303-1977-08-19-1ネパール1977年08月19日1970年代ネパール政府は,同国最東部にある世界第3位の高峰カンチェンジュンが主峰(8598メートル)の登山を解禁する旨発表した。
DIA-303-1977-08-23-1ネパール1977年08月23日1970年代アリヤル外務大臣は国会において,インドはネパールとの貿易通過協定に関し,貿易と通過の2本立の協定を締結することに同意し,これを在印ネパール大使に通告した旨明らかにした。
DIA-303-1977-08-31-1ネパール1977年08月31日1970年代バスンドラ・ビル・ビクラム・シャハ殿下(ビレンドラ国王の叔父)は病気のため国立病院で逝去された。当年56歳。
DIA-303-1977-09-09-1ネパール1977年09月09日1970年代衆議院議員左藤恵以下6名よりなる衆議院東南アジア視察議員団一行は,政治,経済事情視察のためネパールを訪問,シャルマ国会議長を表敬訪問し,11日カトマンズ発ダッカに向った。
DIA-303-1977-09-09-2ネパール1977年09月09日1970年代王宮報道局は,ビレンドラ国王がギリ首相の辞表を受理し,憲法の規定により同時に閣僚会議の解散を命じ,首相初め全閣僚に対して在任中の献身的な任務遂行に謝意を表明した旨の新聞発表を行なった。
DIA-303-1977-09-12-1ネパール1977年09月12日1970年代王宮総務局は,枢密院常任委員会,国民帰郷運動中央委員会及び全国パンチャーヤット議会の3機関の推せんにもとづき,キルティニディ・ビスタ元首相(1969~73年)を首相に任命した旨発表した。また同日午後ビスタ首相を首班とする大臣9名,国務大臣8名,副大臣8名の計25名からなる新内閣が成立した。
DIA-303-1977-09-13-1ネパール1977年09月13日1970年代タパ大蔵大臣は,9月26日より5日間ワシントンにて開催されるIMF会議に出席するため,アデカリ大蔵次官を帯同,カトマンズを出発した。
DIA-303-1977-09-13-2ネパール1977年09月13日1970年代衆議院議員野中英二(自)以下4議員は,各国の政治・経済事情視察のためカトマンズに到着,シャルマ食糧・農業・灌漑大臣を表敬訪問し,15日ニュー・デリーに向け出発した。
DIA-303-1977-09-15-1ネパール1977年09月15日1970年代駐ネパール・ユーゴースラヴィア大使Ilija Topaloskiは,任期終了し帰国した。
DIA-303-1977-09-15-2ネパール1977年09月15日1970年代アリヤル外務大臣は,第32回国連総会に出席のためカトマンズ発ニューヨークに向った。
DIA-303-1977-09-19-1ネパール1977年09月19日1970年代ネパール外務省は,駐ネパール・ルーマニア大使にDumitru Niculescuが任命された旨発表した。
DIA-303-1977-09-20-1ネパール1977年09月20日1970年代王宮報道局は,ビレンドラ国王は過去における反国家活動のかどにより服役中の政治犯15名に対して恩謝を与え,平和にネパールに居住することを許可した旨発表した。
DIA-303-1977-09-23-1ネパール1977年09月23日1970年代駐ネパール・フランス大使Francois De Testa,同韓国大使So Jong Guk,同ルーマニア大使Dumitru Mculescu及び同トルコ大使Oktay Iscenはビレンドラ国王に対しそれぞれ信任状を奉呈した。
DIA-303-1977-09-25-1ネパール1977年09月25日1970年代ネパール商工会議所連盟派遣の貿易調査団(5名)は,3週間の予定をもってパキスタン及び中近東諸国を訪問するためカトマンズを出発した。
DIA-303-1977-10-06-1ネパール1977年10月06日1970年代ソ連法務大臣Blionovを団長とする4名よりなる親善使節団がカトマンズに到着し,1週間滞在して各地を視察した。
DIA-303-1977-10-09-1ネパール1977年10月09日1970年代ネパール政府発表によると,1977年1~6月の間にネパールを訪問した外国人観光客の数は5万5394人で昨年同期の4万9642人に比較して16%の増加であった。なお日本人観光客(登山隊を含む)は45.26%の増加であった。また観光客による外貨収入は,1976/77年において2億4414万1000ルピーで1975/76年の1億8822万9000ルピーに比較して22.90%の増加であった。
DIA-303-1977-10-14-1ネパール1977年10月14日1970年代国家計画委員会は,第7回国家開発委員会(NDC)総会が国王の命により本年12月22日より同25日に至る4日間,会員76名(会長は国王)の出席の下にカトマンズにおいて開催されることとなった旨発表した。
DIA-303-1977-10-14-2ネパール1977年10月14日1970年代マガル公共事業・運輸担当国務大臣は,10月16日より東京において開催される国際道路連盟会議に出席するためカトマンズ発東京に向った。
DIA-303-1977-10-16-1ネパール1977年10月16日1970年代駐ネパール・ヴェトナム大使としてNguyen Quang Huyが任命された旨ネパール外務省が発表した。
DIA-303-1977-10-18-1ネパール1977年10月18日1970年代西独政府はネパール政府に対し,1000万D.M.の借款及び6000トンの混合肥料の無償援助を供与することとなり,右協定がネパール政府大蔵次官補と駐ネパール西独大使との間で署名された。
DIA-303-1977-10-24-1ネパール1977年10月24日1970年代ネパールがバングラデシュに輸出する米3万トンの内1万7600トンが,インド経由バングラデシュに到着。残りの1万2400トンは10月末までに到着することが期待されている。
DIA-303-1977-10-27-1ネパール1977年10月27日1970年代ビレンドラ国王は,駐英大使にJharendra Narayan Singhを任命した。
DIA-303-1977-10-30-1ネパール1977年10月30日1970年代ビレンドラ国王及び王妃両陛下は,約1ヵ月の非公式旅行のためカトマンズを出発し,ヘタウラに到着した。
DIA-303-1977-11-02-1ネパール1977年11月02日1970年代ネパール政府の登山業務は,明春より外務省に代り観光省が行なうこととなった旨ネパール外務省が発表した。
DIA-303-1977-11-08-1ネパール1977年11月08日1970年代B.P.コイララ元首相(旧ネパール国民会議派指導者)は,ネパール航空によりインドのパトナより帰国したが,空港到着後直ちに懸案中の罪責7件に係る裁判上の手続き促進のための特別法廷にかけられ,仮釈放以前と同じ拘禁状態におかれることとなった。
DIA-303-1977-11-08-2ネパール1977年11月08日1970年代スバルナ・ラナ旧ネパール国民会議派総裁は病気のためカルカッタで死去した。
DIA-303-1977-11-15-1ネパール1977年11月15日1970年代中国人民銀行耿道明副行長を団長とする同銀行代表団6名は,ネパール国立銀行の招待によりカトマンズに到着,12日間滞在した。
DIA-303-1977-11-16-1ネパール1977年11月16日1970年代インド政府はコロンボプラン協議委員会事務局の要請により,同会議用電話交換機2セット(21万ルピー相当)を無償供与した。
DIA-303-1977-11-23-1ネパール1977年11月23日1970年代韓国政府は,コロンボプラン協議委員会用機材として,乗用車5台をネパール政府に無償供与した。
DIA-303-1977-11-25-1ネパール1977年11月25日1970年代ネパール外務省は,11月初旬離任した曹痴中国大使の後任として彭光偉(Peng Kuang-Wei)前駐東独大使が,駐ネパール中国大使に任命された旨発表した。
DIA-303-1977-11-25-2ネパール1977年11月25日1970年代バッタ外務次官及びシュレスター商工次官は,インド政府との事務レベル協議のため,インドを訪問した。
DIA-303-1977-11-25-3ネパール1977年11月25日1970年代ジャナカプール農業センター開所式がビレンドラ国王臨席の下に行なわれた。同開所式には日本側から佐々木駐ネパール大使及び法眼国際協力事業団総裁が出席した。
DIA-303-1977-11-27-1ネパール1977年11月27日1970年代アリヤル外相はバングラデシュ政府の招待により27日より4日間同国を公式訪問し,30日帰国した。滞在中同外相はバングラデシュ政府首脳と両国間関係などにつき意見の交換を行なった。
DIA-303-1977-11-28-1ネパール1977年11月28日1970年代日本政府はネパール政府に対し食糧増産援助のため肥料3億円(ネパール国境までの輸送費を含む)を供与することに同意し,これに関する交換公文の署名がカトマンズにおいてアデカリ大蔵次官と佐々木大使との間で行なわれた。
DIA-303-1977-11-29-1ネパール1977年11月29日1970年代コロンボプラン協議委員会第26回会議が11月29日より12月7日までカトマンズにおいて開催された。同会議にはアジア太平洋地域の開発途上国21ヵ国と日,米,英など先進国6ヵ国が参加し,開発途上国の経済・社会開発問題などを討議した。
DIA-303-1977-11-30-1ネパール1977年11月30日1970年代アリヤル外務大臣は園田外務大臣に対し,外務大臣就任の祝電を送った。
DIA-303-1977-12-09-1ネパール1977年12月09日1970年代デサイ・インド首相はヴァジパイ外務大臣を帯同,9日より11日まで3日間ネパールを公式訪問したが,滞在中ビレンドラ国王に謁見し,両国首脳会談を行なったほか,ネパール政府首脳と会談した。なお11日平和地帯宣言,貿易通過協定などに関する共同コミュニケが発表された。
DIA-303-1977-12-14-1ネパール1977年12月14日1970年代アリヤル外務大臣は随員2名とともに14日より20日まで外務省賓客としてわが国を訪問した。滞日中同大臣は天皇陛下に謁見し,福田総理大臣を表敬訪問したほか,園田外務大臣,河本通産大臣及び砂田文部大臣と会談し,両国友好関係の増進につき意見の交換を行なった。
DIA-303-1977-12-18-1ネパール1977年12月18日1970年代ゼァウル・ラーマン・バングラデシュ大統領は,随員26名を帯同,18日及び19日の両日ビレンドラ国王の招待により国賓としてネパールを訪問,国王との間に両国首脳会談が行なわれたほか,ビスタ首相を表敬訪問した。なお19日共同コミュニケが発表された。
DIA-303-1977-12-22-1ネパール1977年12月22日1970年代アリヤル外務大臣は随員2名とともにマレイシアを非公式訪問し,25日まで滞在した。滞在中同大臣はマレイシア外務大臣と2国間関係及び国際情勢に関する会談を行なった。
DIA-303-1977-12-22-2ネパール1977年12月22日1970年代第7回国家計画委員会総会がビレンドラ国王臨席の下に,カトマンズにおいて25日まで4日間開催された。
DIA-303-1977-12-27-1ネパール1977年12月27日1970年代王宮報道局は,ビレンドラ国王及び王妃両陛下はバングラデシュのゼアウル・ラーマン大統領の招待により,1978年1月12日より同15日まで国賓としてバングラデシュを訪問する旨発表した。
DIA-303-1977-12-29-1ネパール1977年12月29日1970年代ビレンドラ国王第33回誕生日にあたり,政治犯250名が仮釈放された。
DIA-303-1978-01-12-1ネパール1978年01月12日1970年代ビレンドラ国王王妃両陛下はバングラデシュを公式訪問し,15日まで滞在した。訪問終了後共同コミュニケが発表された。
DIA-303-1978-01-16-1ネパール1978年01月16日1970年代中国民航トライデント2機(乗員20名),鄧小平副首相訪ネの試験飛行のためカトマンズに飛来し,数時間滞在した。
DIA-303-1978-01-17-1ネパール1978年01月17日1970年代ネ印貿易通過協定交渉ネパール側代表団(団長バッタ外務次官)ニューデリーに向け出発した。
DIA-303-1978-01-28-1ネパール1978年01月28日1970年代ドロジンスキー・ユーゴスラビア副大統領はビスタ首相の招待によりネパールを公式訪問し,31日まで滞在した。
DIA-303-1978-01-31-1ネパール1978年01月31日1970年代ネパール政府,新にネパール・ヒマラヤ47峰の登山解禁を発表した。
DIA-303-1978-02-03-1ネパール1978年02月03日1970年代鄧小平中国副総理ビスタ首相の招待によりネパールを公式訪問,同6日まで滞在。
DIA-303-1978-02-10-1ネパール1978年02月10日1970年代ドゲルスレン・モンゴル外相はアリヤル外相の招待によりネパールを公式訪問。
DIA-303-1978-02-10-2ネパール1978年02月10日1970年代米国新聞協会の南西アジア調査団一行21名がネパールを訪問。
DIA-303-1978-02-23-1ネパール1978年02月23日1970年代ネパール政府拘禁中の政治犯B.P.コイララ元首相を健康上の理由により釈放。
DIA-303-1978-02-27-1ネパール1978年02月27日1970年代農村開発に関するネパール援助国グループ会議が,オーストリア,カナダ,西独,日本,米国,英国,スイスおよびネパールの8カ国代表および世銀等3国際機関代表出席の下に,カトマンズにおいて開催された。
DIA-303-1978-02-27-2ネパール1978年02月27日1970年代世銀副総裁David Hopper氏,右会議に関連し訪ネ,3月5日まで滞在した。
DIA-303-1978-03-02-1ネパール1978年03月02日1970年代2月27日よりカトマンズで行なわれていたネパール・インド貿易通過協定第4次交渉が妥結,ネ印両国外務次官の間で右協定の仮調印が行なわれた。
DIA-303-1978-03-03-1ネパール1978年03月03日1970年代康良煜(Kang Ryang Uk)北朝鮮副主席はビスタ首相の招待によりネパールを公式訪問,同月8日まで滞在した。
DIA-303-1978-03-17-1ネパール1978年03月17日1970年代ネパール・インド貿易通過密輸防止協定がニューデリーにおいて,P.カティ・ネパール商工大臣とモハーン・ダリア・インド商工大臣との間で行なわれた。インド,ネパールの対バングラデシュおよびバングラデシュ経由第二国貿易への陸上ルートの通過に合意。
DIA-303-1978-03-19-1ネパール1978年03月19日1970年代Benita Royバングラデシュ救済復興担当政策評議会委員,ビレンドラ国王と謁見。
DIA-303-1978-03-22-1ネパール1978年03月22日1970年代ネ政府,ネパール・ルピーの対米ドル・レートの切上げおよび対インド・ルピーの切下げ(いずれも4.3%)を発表。 新交換率 1米ドル=12.00ルピー 1IC=1.45NC
DIA-303-1978-03-23-1ネパール1978年03月23日1970年代ネパール登山協会所管トレッカーのための登山規則発効。
DIA-303-1978-03-23-2ネパール1978年03月23日1970年代ネパール英国,トゥリブバン大学附属工業専門学校拡充計画(ディプロマ・コースの開設等)に対する技術協力に関する交換公文に署名。
DIA-303-1978-03-23-3ネパール1978年03月23日1970年代ネパール国会議員代表団(団長R.H.シャルマ国会議長)リスボンにおいて開催される春期IPU大会出席のため出発。
DIA-303-1978-03-24-1ネパール1978年03月24日1970年代クレッサ在ネパールUNDP代表,マイクロ水力発電所建設およびルンビニ開発計画第2期工事用620万ドルの新規援助を発表。
DIA-303-1978-03-25-1ネパール1978年03月25日1970年代ヴィシュバ・バンドゥ・タパ国民帰郷運動中央委員会委員長,ジャナカプール・パンチャーヤット政治大会において「国民の真の代表は王制国家パンチャーヤット制度に対する不断の信頼と公共福祉事業に対する貢献によって選出されたパンチャーヤット議員でなければならない」等演説。
DIA-303-1978-03-26-1ネパール1978年03月26日1970年代日本・ネパール,ジャナク教材センター拡充計画に対する無償援助供与(3000万円,約150万ルピー相当)に関する交換公文に署名。
DIA-303-1978-03-26-2ネパール1978年03月26日1970年代ハリ・プラサード・ギリ・ネパール商工会議所会頭を団長とする貿易使節団一行10名バングラデシュに向け出発。
DIA-303-1978-03-28-1ネパール1978年03月28日1970年代アジア開銀,ジャナクプール県サガルマータ森林開発計画(対象範囲11,000ヘクタール)に対する490万ドルの融資に同意。
DIA-303-1978-03-28-2ネパール1978年03月28日1970年代ネパール西独研究専門家基金―Study and Experts Fund―(1460万ルピー)設置に関する交換公文に署名。
DIA-303-1978-03-29-1ネパール1978年03月29日1970年代ネパール国会議員訪中親善使節団一行8名(団長グンジェシュワリ・プラサード・水資源開発委員会委員長)2週間の中国訪問に向け出発。
DIA-303-1978-03-30-1ネパール1978年03月30日1970年代ネパール政府,外国貿易為替管理に関する次の新措置を決定し即日実施する旨発表。①1米ドル=12ルピーの基本レートのほか1米ドル=16ルピーの第2レートを新設する。②輸出ボーナス制度(EEC Scheme)を廃止し,輸出獲得ドルおよび輸入決済用ドルは第2レートによる。但し開発資材14品目の輸入に要するドルは基本レートにより換算される。
DIA-303-1978-04-01-1ネパール1978年04月01日1970年代中国全人代副委員長,ガボ・ガワンジグメ・ネパール国会議員訪中親善使節団歓迎晩餐会を主催,「ネ中友好関係は平和五原則に基づき過去20年以上共同の努力により強化されてきたが,右は外国との関係促進の模範である」等演説した。
DIA-303-1978-04-02-1ネパール1978年04月02日1970年代ビレンドラ国王,クマルタール送信所ラジオ・ネパール短波放送(100kW)送信開始式典に臨席。
DIA-303-1978-04-02-2ネパール1978年04月02日1970年代ネパール国会議員親善訪中団(団長G.P.シン水資源開発委員会委員長)鄧小平副首相と会談。
DIA-303-1978-04-03-1ネパール1978年04月03日1970年代ネ政府バス・デブ・シャルマ(元在中国大使館2等書記官1971~75)を在ラサ総領事に任命。
DIA-303-1978-04-03-2ネパール1978年04月03日1970年代ビスタ総理,クレカニ水力発電所計画(発電容量6万キロワット)の定礎式に出席,日本IDAクウェイト基金,UNDP等の援助に謝意表明。
DIA-303-1978-04-04-1ネパール1978年04月04日1970年代カルナリ水力発電所計画ネ印第1回事務レベル会談がカトマンズにおいて開催された。
DIA-303-1978-04-05-1ネパール1978年04月05日1970年代K.B.ウドゥムヤン・ソ連大使,カトマンズ・ロータリークラブにおいて「経済開発と平和の問題」と題し講演,軍拡競争終結のための国際的フォーラムにおけるネパールの努力を評価。
DIA-303-1978-04-06-1ネパール1978年04月06日1970年代チェコスロバキアPavel Kanka,ポルトガルLuiz de Silva,ハンガリーJanes Vertes,各ネパール駐割大使信任状捧呈。
DIA-303-1978-04-06-2ネパール1978年04月06日1970年代ラプティ河バルンバン多目的計画(発電容量10.7メガワット,灌漑面積80,350ヘクタール)ネパール・インド技術者会議がカトマンズにおいて開催された。
DIA-303-1978-04-08-1ネパール1978年04月08日1970年代ネ印灌漑協力協定―チャンドラ運河,コシ配水設備修復拡張工事用119百万インド・ルピーの資金供与,インド側P.A.パテル灌漑次官,ネパール側D.R.コイララ農業次官の間で調印された。
DIA-303-1978-04-10-1ネパール1978年04月10日1970年代ビレンドラ国王,中東平和維持軍参加のネパール陸軍に対し「平和と独立と非同盟の諸原則を堅く信じ,母国を平和ゾーンとすることを希求しているネパール人にとって,平和のために貢献する任務に参加することは誇りとすべきである」旨のメッセージを発出。
DIA-303-1978-04-10-2ネパール1978年04月10日1970年代パンチェシュワル水力発電所計画ネパール・インド事務レベル会談(ネ側代表S.K.マルラ電気局主任技師,イ側代表Y.K.マルラ中央水資源委員会委員長)がカトマンズにおいて開催された。
DIA-303-1978-04-11-1ネパール1978年04月11日1970年代ネパール・西独肥料(尿素5000トン)の無償援助に関する交換公文に署名。
DIA-303-1978-04-11-2ネパール1978年04月11日1970年代サガルマータ米穀輸出会社,モリシャス向けネパール産米27,000トンを出荷。
DIA-303-1978-04-12-1ネパール1978年04月12日1970年代在ネ西独大使館,中東平和維持軍参加ネパール軍に対する機材供与のプレス・リリーズを発表―右全軍650名に対し米国は輸送費,西独は機材,英国は給与をそれぞれ分担。
DIA-303-1978-04-13-1ネパール1978年04月13日1970年代ネパールソ連樹脂工場建設借款(50百万ルピー,返済期間据置3年を含む15年,年利2.5%)協定に調印。
DIA-303-1978-04-13-2ネパール1978年04月13日1970年代国王ネパール暦新年に当り「パンチャーヤット制度は諸困難を克服し基盤を確立してきたが,なお警戒は怠ってはならない」等を骨子としたメッセージを発出。
DIA-303-1978-04-15-1ネパール1978年04月15日1970年代ビスタ首相,デサイ首相の招待により夫人同伴インドを公式訪問。
DIA-303-1978-04-15-2ネパール1978年04月15日1970年代インド大蔵担当国務大臣Satish Agrawal 76/77年におけるネ印国境の密輸量を1540万ルピーと発表。
DIA-303-1978-04-15-3ネパール1978年04月15日1970年代ネパール国連平和維持軍(643名)レバノン着。イスラエル軍と交替。
DIA-303-1978-04-16-1ネパール1978年04月16日1970年代ビスタ総理,デサイ首相にビレンドラ国王からの親書を手交。
DIA-303-1978-04-16-2ネパール1978年04月16日1970年代ネパール中国友好協会は,Y.N.カナル新駐中大使およびバス・デブ・シャルマ・トゥファン駐ラサ総領事歓迎会を開催した。
DIA-303-1978-04-16-3ネパール1978年04月16日1970年代インド,デビガット水力発電所計画のため3億ルピーの資金援助に合意。
DIA-303-1978-04-17-1ネパール1978年04月17日1970年代ビスタ首相訪印のネパール・インド共同コミュニケ発表。
DIA-303-1978-04-19-1ネパール1978年04月19日1970年代ソ連キルギツ共和国通信相Vil Tjurembazevを団長とする親善使節団10日間のネパール訪問のため到着,レーニン生誕108周年記念式典等に出席。
DIA-303-1978-04-20-1ネパール1978年04月20日1970年代シンガ・バハドゥール・バスネット将軍(70~75年ネパール陸軍司令官)駐エジプト大使に発令。
DIA-303-1978-04-21-1ネパール1978年04月21日1970年代タパ大蔵大臣,アジア開銀総会出席のためウィーンにむけ出発。
DIA-303-1978-04-21-2ネパール1978年04月21日1970年代ネ政府,(イ)ビリ,タバコ,マッチ,(ロ)阿片,モルヒネ,含有量60%以上のアルコール,(ハ)無電,マイクロ・ウェーブ,ウォーキートーキーセット,(ニ)金銀,貴石,半貴石,(ホ)武器・弾薬用化学薬品等,新輸入禁止品目を発表。
DIA-303-1978-04-25-1ネパール1978年04月25日1970年代ビスタ総理,インド公式訪問より帰国,空港記者会見において「ジャナター政権成立後の両国関係の改善は,ビレンドラ国王の訪印,デサイ首相の訪ネ等が基礎になっており,インドはネパールの経済開発に対しより深い認識をもっていた」等発言。
DIA-303-1978-04-27-1ネパール1978年04月27日1970年代英国,山間丘陵地帯小規模プロジェクトのため64.77百万ルピーの無償援助をプレッジ(うち35.54百万ルピーが77~78年に供与される)。
DIA-303-1978-04-27-2ネパール1978年04月27日1970年代ネパール・中国,ネパール産靴底革300トンの売買契約に調印。
DIA-303-1978-04-27-3ネパール1978年04月27日1970年代第11回アジア開銀総会(於ウィーン)に出席中のタパ大蔵大臣「サガルマータ森林開発計画」のためOPEC特別基金と36百万ルピー(3百万ドル)の借款契約に調印。
DIA-303-1978-04-27-4ネパール1978年04月27日1970年代韓国ルンビニ開発委員会代表一行8名/団長Lee Hang Chung)ネパールを訪問,5月2日まで滞在,ルンビニ聖園等巡拝。
DIA-303-1978-04-28-1ネパール1978年04月28日1970年代李団長ビスタ総理と会見,ルンビニ開発計画。
DIA-303-1978-05-03-1ネパール1978年05月03日1970年代タパ大蔵大臣,対ネ援助国会議(於パリ)において演説,加盟各国に謝意表明併せて第6次計画の資金不足をアピール。
DIA-303-1978-05-05-1ネパール1978年05月05日1970年代パドマ・スンダル・ラワティ厚生国務大臣,笹川財団が建設資金94,000ドルを寄附した笹川テク救癩病院定礎式に出席した。
DIA-303-1978-05-08-1ネパール1978年05月08日1970年代カール・マエス西独大使,ネパール・スポーツ評議会シャー事務局長へバレーボール用ボール100個を贈呈。
DIA-303-1978-05-08-2ネパール1978年05月08日1970年代B.B.タパ蔵相,西独Matt Hoefer蔵相と会談,両国経済協力につき協議。
DIA-303-1978-05-08-3ネパール1978年05月08日1970年代ネパール・中国,ダサイン祭用山羊・羊(4500頭)と砂糖のバーター協定に調印。
DIA-303-1978-05-09-1ネパール1978年05月09日1970年代ネ政府,アフガニスタンのタラキ新政権を承認。
DIA-303-1978-05-11-1ネパール1978年05月11日1970年代ネパール全国科学技術会議,カトマンズにおいて開催。
DIA-303-1978-05-11-2ネパール1978年05月11日1970年代日本ネパール友好議員連盟(会長春日一幸,幹事長奥田敬和)の結成が発表された。
DIA-303-1978-05-12-1ネパール1978年05月12日1970年代インドネシア,マレイシア,スリランカ,シンガポール各ネパール駐〓大使の信任状捧呈式が行なわれた。
DIA-303-1978-05-12-2ネパール1978年05月12日1970年代ジェトロ主催「ネパール物産展」開催(~19日まで)。
DIA-303-1978-05-14-1ネパール1978年05月14日1970年代ビレンドラ国王,訪日の途次北京において華国鋒主席と会談。
DIA-303-1978-05-15-1ネパール1978年05月15日1970年代ビレンドラ国王・王妃両陛下,国賓として日本を訪問(~21日まで)。
DIA-303-1978-05-15-2ネパール1978年05月15日1970年代国王,福田総理と会談(於迎賓館)。
DIA-303-1978-05-16-1ネパール1978年05月16日1970年代国王,ジェトロ主催「ネパール物産展」を視察。
DIA-303-1978-05-16-2ネパール1978年05月16日1970年代ネパール航空公団が米国Batch Air Companyから購入したボーイング727カトマンズ着。
DIA-303-1978-05-16-3ネパール1978年05月16日1970年代ネパール・中国国境共同監視委員会中国代表団一行10名カトマンズ着,国境協定議定書30条に基づく合同監視委員会が開催された。
DIA-303-1978-05-17-1ネパール1978年05月17日1970年代国王,東京大学学長主催午餐会,福田総理主催晩さん会に出席。
DIA-303-1978-05-18-1ネパール1978年05月18日1970年代ソ連貿易省アジア部長E.G.Zhdanovを団長とする貿易使節団,国営貿易公社と石油および石油製品の売込み交渉のため来ネ(~29日まで)。
DIA-303-1978-05-18-2ネパール1978年05月18日1970年代アリヤル外相,園田外相を表敬。23.5億円の対ネ無償援助の供与を発表。
DIA-303-1978-05-19-1ネパール1978年05月19日1970年代D.R.コイララ商工次官を団長とするネパール貿易使節団一行5名,中国との貿易定期協議―1974年5月調印されたネ・中通商協定に基づく出席のため中国にむけ出発。
DIA-303-1978-05-20-1ネパール1978年05月20日1970年代コシ,メチ米穀輸出会社,モリシャスとネパール産米6万クゥインタルの輸出契約に署名。
DIA-303-1978-05-21-1ネパール1978年05月21日1970年代ビレンドラ国王・王妃両陛下,フィリピンを非公式訪問し23日まで滞在した。
DIA-303-1978-05-22-1ネパール1978年05月22日1970年代アリヤル外相,ロムロ外相を表敬,ネパール平和地帯宣言につき説明,支持を要請。
DIA-303-1978-05-23-1ネパール1978年05月23日1970年代ビレンドラ国王・王妃両陛下,マレイシア非公式訪問(~26日まで)。
DIA-303-1978-05-23-2ネパール1978年05月23日1970年代アリヤル外相,マレイシア外相トゥンク・アーマッド・リタウディンと会談。
DIA-303-1978-05-24-1ネパール1978年05月24日1970年代モスクワ第一医学研究所外科教授Dr. Uladimir S. Vasilievを団長とするソ連医療協力調査団,ネパールにおける医療教育プログラム編成指導および医療機材需要情況調査のためネパールを訪問。
DIA-303-1978-05-26-1ネパール1978年05月26日1970年代ビレンドラ国王,日本公式訪問,フィリピン,マレイシア非公式訪問より帰国「日本が長い年月をかけて経済の分野で成功し,先進国の仲間入りをしたその努力と献身には強い印象を受けた。日本の指導者がネパールの経済開発に協力することにより両国の関係強化を望んでいることを知り喜こんでいる」等の談話を発表。
DIA-303-1978-05-26-2ネパール1978年05月26日1970年代アリヤル外相,空港記者会見において「国王の日本公式訪問は両国関係に新な一章を開くものであり,日本はその協力の実質的増大を約束したので,両国の経済協力は大きく拡大するものと確信する」等発言。
DIA-303-1978-05-26-3ネパール1978年05月26日1970年代アイシュワリヤ王妃祖父アグニ・シャムシェル・ラナ元陸軍司令官(故ジュッダ・シャムシェル・ラナ宰相第3男子)死去。
DIA-303-1978-05-27-1ネパール1978年05月27日1970年代中国登山親善使節団(団長Han Min Yanスポーツ評議会委員)一行7名,エベレスト人類初登頂25周年記念行事参加のためカトマンズに到着した。
DIA-303-1978-05-28-1ネパール1978年05月28日1970年代ネパール・中国国境合同監視委員会ネ・中双方の代表は,イ)縮尺のより大きな国境地図の作成,ロ)破損した国境標識杭の修理,再建等に関する合意書に署名した。
DIA-303-1978-05-28-2ネパール1978年05月28日1970年代ビスタ総理,パタン工業団地福祉治安委員会主催,産業見本市の開会を宣言。
DIA-303-1978-05-29-1ネパール1978年05月29日1970年代ビスタ総理「ネパール登山週間の開会を宣言」(エベレスト登頂者32名が出席),国王は同登山週間に寄せて「ネパールはサガルマータの高峯を含む広いヒマラヤ連峯の中央部に位置していることを誇りにしている云々」のメッセージを発出した。
DIA-303-1978-05-29-2ネパール1978年05月29日1970年代ネパール石油公団はソ連外国貿易公団とディーゼル油12万トン(190百万ルピー相当)の輸入契約(期間78/80年)に調印した。
DIA-303-1978-05-30-1ネパール1978年05月30日1970年代ネパール・中国国境監視委員会中国代表団一行10名帰国。
DIA-303-1978-05-31-1ネパール1978年05月31日1970年代韓国政府,ネパールに養蚕関連機材(hydrometer,larval hatching nets,cocoon-fur remover等)を増与。
DIA-303-1978-06-01-1ネパール1978年06月01日1970年代アリヤル外相,国連軍縮特別総会出席のため出発。
DIA-303-1978-06-01-2ネパール1978年06月01日1970年代ソ連は1962/63年,同国の援助により建設されたカンティ小児科病院に2百万ルピー相当の医療機材医薬品等を贈与することを決定,保健省においてK.B.ウドゥムヤン・ソ連大使とタラ・バッタライ保健次官の間で贈呈式が行なわれた。
DIA-303-1978-06-02-1ネパール1978年06月02日1970年代ビハール州政府灌漑大臣Sachhidanda Singhは,ビスタ総理を表敬訪問した。
DIA-303-1978-06-03-1ネパール1978年06月03日1970年代ソ連卓球親善使節団(団長Tariel Godjeev)一行8名訪ネ,カトマンズのほか各地で親善試合を行なった。
DIA-303-1978-06-03-2ネパール1978年06月03日1970年代ネパール訪中貿易使節団(団長D.R.コイララ商工次官)一行帰国,空港記者会見において,イ)1974年貿易協定のレビューおよび両国間貿易拡充につき協議した,ロ)中国側はネパール産砂糖,小麦粉の輸入に関心を示した,ハ)次期貿易会議は1979年カトマンズで開催する等語った。
DIA-303-1978-06-04-1ネパール1978年06月04日1970年代シャシ・シャムシェル等,旧コングレス党党員38名,国王への忠誠を表明する共同ステートメントを発表,1968年5月15日スバルナ・シャムシェル党総裁の決議の支持を再確認。
DIA-303-1978-06-06-1ネパール1978年06月06日1970年代アルジェリア大統領特使Dr. Omar Boudjellab国王と謁見,同日バッタ外務次官と非同盟外相会議につき協議。
DIA-303-1978-06-07-1ネパール1978年06月07日1970年代勅選国会議員Dhir Bahadur Hamal辞任。
DIA-303-1978-06-08-1ネパール1978年06月08日1970年代アリヤル外相,国連軍縮総会において演説。
DIA-303-1978-06-08-2ネパール1978年06月08日1970年代D.R.パンデー大蔵次官とN.B.メノン駐ネ・インド大使が,デビガット水力発電所建設協力協定に調印,イ)右協定により,インド政府は同プロジェクトをターン・キー・ベースで援助,総工費3億インド・ルピーをロ)工期5年,完成時発電容量14メガワット。
DIA-303-1978-06-08-3ネパール1978年06月08日1970年代ネパール商工会議所連盟(FNCC)会頭選挙においてIndra Bahadur Shresthaが当選(任期3年)。
DIA-303-1978-06-08-4ネパール1978年06月08日1970年代英人John MelfordがUNDP駐ネ代表に任命されたことが発表された。着任は10日。
DIA-303-1978-06-12-1ネパール1978年06月12日1970年代国王,マトリカ・プラサード・コイララ元総理大臣(B.P.コイララの異母兄)を勅選国会議員に任命。
DIA-303-1978-06-12-2ネパール1978年06月12日1970年代Khadgajit Baral警視総監退官,中部地区副総監Durlav Kumar Thapa IGPに昇格。
DIA-303-1978-06-13-1ネパール1978年06月13日1970年代中国産業視察団(団長Yu Win Nan)一行10名,鄧小平訪ネ時にコミットした製陶,紙パルプ,砂糖工場の基礎調査を行なうため,ネパールを訪問した。
DIA-303-1978-06-13-2ネパール1978年06月13日1970年代ジョン・メルフォード在ネパールUNDP代表は,ビスタ総理兼外相に信任状を捧呈した。
DIA-303-1978-06-14-1ネパール1978年06月14日1970年代国王は国会の推薦にもとづきロケンドラ・バハドゥール・チャンド議員(1939年生,マハカリ県バイタディ区出身)を副議長に任命,同日認証武が行なわれた。
DIA-303-1978-06-15-1ネパール1978年06月15日1970年代トゥリブバン大学は,ユネスコ総局長Dr. Mathar M’Bowに名誉学位を授与した。
DIA-303-1978-06-17-1ネパール1978年06月17日1970年代アリヤル外相は国連軍縮総会より帰国した。
DIA-303-1978-06-18-1ネパール1978年06月18日1970年代ビレンドラ国王は第29回国会(予算議会)において,イ)パンチャーヤット民主体制の強化,ロ)開発戦略の農業一本主義から,工業・農業二本立への転換,ハ)非同盟平和外交等を骨子とした施政方針演説を行なった。
DIA-303-1978-06-18-2ネパール1978年06月18日1970年代政治犯として狗禁中の元運輸大臣G.M.シン(旧ネパール会議派)は病状悪化により仮釈放された。
DIA-303-1978-06-18-3ネパール1978年06月18日1970年代H.B.バスネット通信大臣,アジア大平洋通信政策大臣会議出席のためクアラルンプールにむけ出発した。(~22日帰国)。
DIA-303-1978-06-19-1ネパール1978年06月19日1970年代パシュパティ・シャムシェル教育国務大臣と,ユネスコ総局長A.M.M’Bowはユネスコの対ネパール文化協力に関するエード・メモアールに署名した。
DIA-303-1978-06-22-1ネパール1978年06月22日1970年代ビシュバ・バンドゥ・タパ帰郷国民運動中央委員会委員長は記者会見において,「最近終了したパンチャーヤット議員選挙を通じ,パンチャーヤット要員はカースト,言語,種族等地域的利益よりは国家統一の強化,独立の維持に努力し,イデオロギー的にも成熟していることが窺われた」旨述べた。
DIA-303-1978-06-23-1ネパール1978年06月23日1970年代ネパールは英国と,森林研究センター設置,植林学実験施設拡充に関する技術協力協定に調印した。
DIA-303-1978-06-27-1ネパール1978年06月27日1970年代ディペンドラ皇太子殿下7歳の誕生日祝賀行事が行なわれた。
DIA-303-1978-06-29-1ネパール1978年06月29日1970年代インド・マディヤ・プラデシュ州首席大臣Birendra Kumar Saklechaは非公武にネパールを訪問した(~31日まで滞在)。
DIA-303-1978-06-30-1ネパール1978年06月30日1970年代アリヤル外相は佐々木大使離任の送別晩さん会を主催した。
DIA-303-1978-06-30-2ネパール1978年06月30日1970年代ネパール航空公団創立20周年記念祝賀レセプションが開催された。
DIA-303-1978-06-30-3ネパール1978年06月30日1970年代長老アムリタナンダを団長とするネパール仏教徒親善使節団は,ソ連中央宗教会議J. D. Goboya Bandido Hambo Lama(仏教部長)の招聘により同国訪問のため出発した。ブリアート共和国ウラン・ウデの僧院等を視察した。
DIA-303-1978-06-30-4ネパール1978年06月30日1970年代トゥリブバン大学学長ジャガット・モハン・アディカリを団長とするネパール教育視察団が中国を訪問中,Kang Shih-en副首相と会談した(一行は7月3日帰国した)。
DIA-303-1978-07-02-1ネパール1978年07月02日1970年代病状悪化のため仮釈放された政治犯G.M.シン元運輸大臣は,治療のためインドにむけ出発した。
DIA-303-1978-07-02-2ネパール1978年07月02日1970年代国民帰郷運動中央委員会は78/79年度政治プログラムを発表,パンチャーヤット体制の自由化政策を誤解,反体制組織の強化をはからんとする者に警告を与えた。
DIA-303-1978-07-04-1ネパール1978年07月04日1970年代中国甘粛省バレーボールチーム一行14名(団長同省Chang Shu-wu副委員長)がネパールを訪問,各地で親善試合を行ない,16日まで滞在した。
DIA-303-1978-07-05-1ネパール1978年07月05日1970年代バングラデシュ農業森林大臣Aziz-ul Huqがネパールを訪問,8日まで滞在し,国王との謁見のほかビスタ総理,K.B.シン内相,R.シャルマ食糧農業相と会談,FAOアジア太平洋地域開発センターのコミラ誘致への協力を要請した。
DIA-303-1978-07-06-1ネパール1978年07月06日1970年代タパ大蔵大臣は,議会に対し骨子次のとおりの1978/79年度予算案を提出した。 歳入2,025.6百万ルピー(前年度比28.2%増) 歳出3,752.8百万ルピー(前年度比31.6%増) 歳入の増加は徴税努力の強化のほか新たに実施される税制改正(国内産業の保護を主たる目的とする若干の輸入品に対する関税率引上げなど)により達成する。歳出面においては職員給与の引上げ等のため経常支出は20%以上も大幅に伸びている。開発支出では農業とくに灌漑に引続き最重点を置き,次いで運輸電力開発,社会開発(教育,公衆衛生,上水道など)の3分野に重点的な予算配分を行なっている。財政不足分は外国援助の大幅増加と国内借入れなどにより賄うことを見込んでいる。
DIA-303-1978-07-07-1ネパール1978年07月07日1970年代駐ネパール佐々木大使は,R.K.ゴーシュ・カトマンズ・ロータリークラブ会長へ川崎玉ロータリークラブからの贈呈品・文房具等を手交した。
DIA-303-1978-07-08-1ネパール1978年07月08日1970年代トゥリブバン大学は,評議員選挙立候補者の反体制的発言を繞って紛糾する大学評議会(University Council)の無期延期を発表した。
DIA-303-1978-07-09-1ネパール1978年07月09日1970年代駐ネパール佐々木大使,離任のため出発。
DIA-303-1978-07-10-1ネパール1978年07月10日1970年代ネパール登山協会初代会長にクマール・カドガ・ビクラム・シャー殿下が選出された。
DIA-303-1978-07-10-2ネパール1978年07月10日1970年代ネパール政府はスンサリ・モラン灌漑汚水処理計画のためアジア開銀と3000万ドルの借款協定に調印した。
DIA-303-1978-07-13-1ネパール1978年07月13日1970年代国会財務委員会は1977/78年度決算報告を承認し,78/79年度予算案を可決した。
DIA-303-1978-07-14-1ネパール1978年07月14日1970年代国王はトゥリブバン大学創立19周年記念祝賀行事に参列した。
DIA-303-1978-07-16-1ネパール1978年07月16日1970年代ギャネンドラ,ディレンドラ両殿下夫妻は,北鮮公式訪問のため出発した。
DIA-303-1978-07-17-1ネパール1978年07月17日1970年代両殿下北京到着,アペイ・アワン・チンメイ全人代副委員長が空港に出迎えた。
DIA-303-1978-07-18-1ネパール1978年07月18日1970年代ネパール文化使節団一行60名(団長Indra Prasad Kafle)は北鮮における公演旅行から帰国した。
DIA-303-1978-07-18-2ネパール1978年07月18日1970年代ギャネンドラ,ディレンドラ両殿下,北鮮公式訪問のため平壌に到着,康良煜副主席が空港に出迎え,20日金日成主席と会見,23日まで滞在した。
DIA-303-1978-07-21-1ネパール1978年07月21日1970年代Y.N.カナル駐中国兼駐北鮮大使は,訪問中のギャネンドラ殿下一行のため平壌においてレセプションを開催,席上ネパール平和地帯宣言を中心にネパールの外交政策を説明,また朝鮮人民の平和的祖国統一達成に対する願望をネパールは正当且つ公正であるとし,朝鮮問題に関する北鮮側3基本項目を評価した。
DIA-303-1978-07-21-2ネパール1978年07月21日1970年代ネ政府は英国,カナダ,米国,アジア開銀からの外国援助総額20.878百万ルピーをもって,メチ,コシ,ベリ,ラプティ,サガルマータ各県およびチェパン少数部族に対する農村総合開発計画5プロジェクトの着手を決定した旨発表した。
DIA-303-1978-07-22-1ネパール1978年07月22日1970年代インドに亡命中のネパール共産党創立者(党幹事長)Pushpa Lal Shresthaは心臓病のためデリーで死去した。
DIA-303-1978-07-23-1ネパール1978年07月23日1970年代鄧小平副首相は,北鮮公式訪問の帰路立寄りのギャネンドラ殿下一行のために晩さん会を主催した。
DIA-303-1978-07-23-2ネパール1978年07月23日1970年代ギャネンドラ殿下一行に同行していたアリヤル外相は,ベオグラード非同盟外相会議(25日から29日まで)出席のため,北鮮の帰路直接ユーゴスラビアにむけ出発した。28日同外相会議において演説を行なった。
DIA-303-1978-07-24-1ネパール1978年07月24日1970年代ギャネンドラ殿下一行北京を出発,帰国の途についた。空港にはアペイ・アワン・チンメイ全人代常務委副委員長,張海峰外務次官,沈平アジア局長,金明洙駐中国北鮮大使等が見送った。
DIA-303-1978-07-26-1ネパール1978年07月26日1970年代ネパール・インド産業協力事務レベル協議が,ネ側代表D.R.コイララ商工次官と,イ側代表V.クリシュナ・ムルティ重工業次官との間でカトマンズにて行なわれ,29日双方の代表はウダヤプール・セメント工場,紙パルプ工場,家内工業,鉛・スズ・鉄等鉱業開発等の協力に関する合意メモランダムに調印した。インド側代表団は滞在中ビスタ総理,P.D.カティ商工大臣,G.C.ラージュバンシ商工副大臣と会談した。
DIA-303-1978-07-27-1ネパール1978年07月27日1970年代ギャネンドラ,ディレンドラ両殿下夫妻は北鮮公式訪問から帰国した。
DIA-303-1978-07-31-1ネパール1978年07月31日1970年代選挙管理委員会はビクラム暦2035年(78/79年)における第4グループのパンチャーヤット議員改選選挙を,コシ,ナラヤニ,ダウラギリ,ラプティの4県にて行なう旨発表した。
DIA-303-1978-08-02-1ネパール1978年08月02日1970年代アリヤル外相ベオグラード非同盟外相会議より帰国,空港において国営通信社RSSの記者に対し,イ)今次非同盟外相会議は,非同盟運動とそれを基礎づける原則に対する信念を再確認することに役立った,ロ)今次会議は非同盟運動の直面している諸問題を洗いざらしに討議したが,その結束には影響を受けなかった等述べた。
DIA-303-1978-08-02-2ネパール1978年08月02日1970年代英国政府,マヘンドラ・ハイウェイのナラヤンガット・ブトール間建設資金45百万ルピーの借款を無償援助に切換え,右に関する交換公文が調印された。
DIA-303-1978-08-04-1ネパール1978年08月04日1970年代駐ネパール韓国大使Tae Woong Kwonの信任状捧呈式が行なわれ,席上同大使は,イ)ネ・韓両国はともに共通の精神的価値と文化遺産を所有し,平和と開発に対する同じ理念と願望を追求してきた,ロ)養蚕開発計画や灌漑水力発電所計画等への協力を通じ,両国友好関係が増進されつつある等述べた。
DIA-303-1978-08-04-2ネパール1978年08月04日1970年代スイスはネパール等7カ国への債務(総額106百万ルピー)を,1978年1月1日に遡って根消しにすることを決定した旨発表した。
DIA-303-1978-08-09-1ネパール1978年08月09日1970年代国王は,バイラブ・プラサード・ウパディヤヤ(元最高裁補欠判事)を特権乱用監視委員会委員に任命。
DIA-303-1978-08-12-1ネパール1978年08月12日1970年代国会議員アムリトラル・セルチェン,ネパールソ連文化協会スワラジ・サキヤ事務局長,ソ連ネパール友好協会の招待によりソ連訪問のため出発した。
DIA-303-1978-08-12-2ネパール1978年08月12日1970年代西独国会議員Paul Hoffackerを団長とする経済協力調査団一行3名はネパールを訪問,17日まで滞在し,ビスタ総理シャルマ国会議長と会談したほか各地の西独援助の経済協力プロジェクトを視察した。
DIA-303-1978-08-13-1ネパール1978年08月13日1970年代ブータン,オーム・プラダハン商工森林次官を団長とする貿易使節団はネパールを訪問し,両国の貿易促進につき協議した。ブータンは馬鈴薯,香辛料,みかん・生姜,茶等を輸出しネパール産米の輸入に関心を示した。
DIA-303-1978-08-13-2ネパール1978年08月13日1970年代デサイ首相はインド独立記念日に,ネ・印協会主催記念式典に,イ)貿易通過協定の成立はネ・印関係の質的変化を示すものである,ロ)種々な分野での過去の遺産は消えつつあり,新しい友好善隣互恵の関係が生れつつある等を骨子としたメッセージを寄せた。
DIA-303-1978-08-14-1ネパール1978年08月14日1970年代インドとバングラデシュは,ネパールのバングラデシュおよび第三国との貿易に対する通過便益に関する合意メモランダムに調印した。発効日は9月15日。
DIA-303-1978-08-14-2ネパール1978年08月14日1970年代ビスタ首相はネパール・インド友好協会主催インド独立記念式典において,インドの善隣友好外交を高く評価する挨拶を行なった。
DIA-303-1978-08-15-1ネパール1978年08月15日1970年代閣僚会議及び国民帰郷運動中央委員会は,パンチャーヤット運営の基本方針につき合同会議を開催,イ)改正,改革は実施上に問題ある場合のみに行ない,基本酌理論の変更は行なわない,ロ).全国民の国家建設への参加を呼びかける等の決議を行なった。
DIA-303-1978-08-15-2ネパール1978年08月15日1970年代国民帰郷運動中央委員会は,カルナリ県カリコート地区出身国会議員Tula Ray Bharatiに対し選挙不正を理由に辞任を勧告した。
DIA-303-1978-08-15-3ネパール1978年08月15日1970年代ソ連バレーボール・チーム一行16名(団長U. N. Zorin,Dean of Moscow Technical Institute)カトマンズ着,各地で親善試合を行なった。
DIA-303-1978-08-16-1ネパール1978年08月16日1970年代中国産業協力調査団はRupandehi,Nawalparashi,Kapilvastu,Narayanghatにおいて,紙パルプ,砂糖,製陶工場のF/Sを完成し,ネパール政府に調査報告書を提出した。
DIA-303-1978-08-18-1ネパール1978年08月18日1970年代政府機関紙ライジング・ネパールは,日中平和友好条約をアジアの平和と安定に寄与するものとして高く評価する論評を掲載した。
DIA-303-1978-08-20-1ネパール1978年08月20日1970年代3月3日仮釈放され,その後米国において病気治療を行なっていたB.P.コイララがパトナより帰国,空港周辺では大規模な反対者と支持者のデモが行なわれた。
DIA-303-1978-08-21-1ネパール1978年08月21日1970年代ネパール外務省はパキスタン駐〓ネパール大使に,1972年以降経済企画委員会委員であったゴビンダ・プラサード・ロハニが任命された旨発表した。
DIA-303-1978-08-22-1ネパール1978年08月22日1970年代ネパール中国航空協定交渉代表団(運輸次官,航空局長,法務省課長,ネパール航空公団総裁からなる)は北京にむけ出発した。
DIA-303-1978-08-24-1ネパール1978年08月24日1970年代パンデー大蔵次官とマンフレッドUNDP代表は,ジャパ,ナワルプール,バンチ,バルディア,カイラリ,カンチャンプールにおける入植計画に対するWFPからの食糧(小麦・脱脂粉乳・食用油等17,078トン)援助に関する交換公文に署名した。
DIA-303-1978-08-27-1ネパール1978年08月27日1970年代日本とネパールは,イ)食糧増産援助(7億円肥料および農薬),ロ)西部地域医療施設建設のための贈与(5.5億円ヘルス・ポスト12カ所建設)に関する交換公文に署名した。
DIA-303-1978-08-28-1ネパール1978年08月28日1970年代三宅正一衆院副議長を団長とする衆議院政治経済事情調査団一行5名がネパールを訪れ,ビスタ総理,シャルマ国会議長等と会談し,ルンビニを視察した。(30日まで滞在)。
DIA-303-1978-08-31-1ネパール1978年08月31日1970年代ネパールと中国の民間航空運輸協定がネ側Y.N.カナル駐中国大使と,中国側沈図中国民航総局長との間で調印された。右調印式には陳錫聯副総理が出席した。
DIA-303-1978-08-31-2ネパール1978年08月31日1970年代耿副総理は,ネ・中国境合同調査委員会プラダハーン首席代表と会談した。
DIA-303-1978-08-31-3ネパール1978年08月31日1970年代ネパールとUSAIDの間でラプティ県農村総合開発計画等4プロジェクトの総額317百万ルピーの無償援助に関する協定が調印された。
DIA-303-1978-08-31-4ネパール1978年08月31日1970年代国王は憲法23条第2項により,枢密院議員の構成を再編成した。
DIA-303-1978-09-01-1ネパール1978年09月01日1970年代ビスタ首相ポカラ,パンチャーヤット訓練センターにおいて講演,イ)日中平和条約はアジアの同地域に安定と安全をもたらし,相互協力の環境を増進する,ロ)ネパール平和ゾーン構想は全国民の願望を反映するものであり,多くの国が支持しており,インドもかならず支持してくれるものと期待する等述べた。
DIA-303-1978-09-01-2ネパール1978年09月01日1970年代バジュパイ・インド外相は怪我のためネパール公式訪問を無期延期した旨の発表がなされた。アリヤル外相は見舞電を発出した。
DIA-303-1978-09-01-3ネパール1978年09月01日1970年代ロケンドラ・バハドゥール・チャンド副議長を団長とするネパール国会議員団一行6名は,ボンにおける第65回列国議会同盟に出席のためカトマンズを出発した。
DIA-303-1978-09-03-1ネパール1978年09月03日1970年代観光省は1977/78年の外人観光客数129,000人,うち日本人は9286人である旨発表した。
DIA-303-1978-09-04-1ネパール1978年09月04日1970年代UNDROはネパールの災害救済用として現金85,000米ドルおよびWHOを通じコレラワクチン25,000滴,サルファグナイディン5万タブレット,アンピシリン4万カプセル等医薬品の贈与を行なった。
DIA-303-1978-09-04-2ネパール1978年09月04日1970年代カルプリ・タクール・ビハール州首席大臣はネパール人記者団と会見,イ)洪水防止ネ・印共同計画を提案,ロ)カルナリ水力発電所計画の余剰電力購入についての意向を表示した。
DIA-303-1978-09-04-3ネパール1978年09月04日1970年代インド教育大臣プラカーシュ・チュンデルはネパール人ガンジー主義者トゥルシ・メハルにジャワハラル・ネルー賞授与のためネパールを訪問し,ビスタ総理,アリヤル外相を表敬訪問した。
DIA-303-1978-09-06-1ネパール1978年09月06日1970年代ダグラス・ヘック駐ネ米国大使は災害救済基金として25,000米ドルの小切手をビスタ総理に手交した。
DIA-303-1978-09-06-2ネパール1978年09月06日1970年代ネパールとバングラデシュの貿易会談がネ側商工省P.B.ビスタ局長,BD側工業省A.アーメッド局長の間で行なわれ,BD側は新聞用紙,洗剤等を輸出し,材木,石材等建設資材の輸入に関心を示した。バングラデシュ代表団はカティ商工大臣を表敬,工業団地視察等を行ない11日まで滞在した。
DIA-303-1978-09-07-1ネパール1978年09月07日1970年代英国はネパールの災害救済用として現金25,000ポンドおよび毛布・テント・医薬品等18,000ポンド相当の救恤物資をネパール政府に寄贈した。
DIA-303-1978-09-07-2ネパール1978年09月07日1970年代アリヤル外相は国会財務委員会において,ネパールの外交政策を説明,イ)ネパール平和地帯宣言は中国,パキスタン,バングラデシュ,ビルマ,南北両朝鮮,日本,フィリピンから評価ないし支持を受けており,今後もさらに積極的に推進していく,ロ)在外公館の経費は削減する等述べた。
DIA-303-1978-09-08-1ネパール1978年09月08日1970年代クレカニ水力発電所追加借款会議が東京において開催された。
DIA-303-1978-09-09-1ネパール1978年09月09日1970年代駐ネパール北鮮大使は建国記念日祝賀レセプションを開催,国王名代として王姉シャンティ・シン妃殿下が出席した。
DIA-303-1978-09-10-1ネパール1978年09月10日1970年代西蔵自治区革命委員会,天宝副主任を団長とするチベット親善使節団一行11名がネパールを訪問し,ビスタ首相,アリヤル外相,タパ蔵相を表敬訪問し,ポカラ等各地を見学,23日まで滞在した。一行の接遇に当ったジャナク・バハドゥール・シャー土地改革国務大臣は,歓迎晩さん会の席上,中国のネパール平和地帯宣言に対する支持に謝意を表明し,76年の国王のチベット訪問は両国の経済協力の増進に大きく寄与した旨述べた。
DIA-303-1978-09-12-1ネパール1978年09月12日1970年代貿易促進センターは,ネパールの対チベット貿易を,輸出は76/77年3482万ルピーから77/78年2652万ルピーに減少し,輸入は76/77年1055万ルピーから77/78年1331万ルピーに増大した旨発表した。
DIA-303-1978-09-13-1ネパール1978年09月13日1970年代6月9日より開催されていた第29回全国パンチャーヤット議会(予算議会)が閉会された。
DIA-303-1978-09-14-1ネパール1978年09月14日1970年代フランス国会議員Jeane Briane文化社会委員会副委員長を団長とする親善使節団がネパールを訪問,各地を視察した。
DIA-303-1978-09-17-1ネパール1978年09月17日1970年代日本政府はネパールの社会開発援助のため,イ)ピレット小型棒鋼およびセメント,ロ)衣料品およびその輸送費をネパール政府に無償援助することになり,右に関する交換公文の署名がカトマンズにおいて行なわれた。
DIA-303-1978-09-24-1ネパール1978年09月24日1970年代国王は第3回全国パンチャーヤット要員政治集会の開会に当り,パンチャーヤット制度の民主的性格,特に言論表現の自由を強調したメッセージを寄せた。
DIA-303-1978-09-24-2ネパール1978年09月24日1970年代フェルナンデス・インド工業大臣がネパールを訪問し,両国の経済協力につき協議が行なわれ,26日インドはウダヤプール・セメント工場,紙パルプ工場,小規模灌漑用ディーゼル・ポンプ・セット工場,マグネサイト錫,鉛工場,復合技術地域訓練所設置計画,鉄道建設および上記訓練施設建設資金9000万ルピー,家内工業開発用3500万ルピーの無償資金援助を約束した旨の新聞発表が行なわれた。
DIA-303-1978-09-25-1ネパール1978年09月25日1970年代第3回全国政治集会に参加したパンチャーヤット要員約3万名による大規模な王制支持デモが行なわれた。
DIA-303-1978-09-26-1ネパール1978年09月26日1970年代ビスタ首相は中国公式訪問の往路カルカタ空港において記者会見し,イ)中・印関係正常化の兆しを大いに喜ぶ,ロ)ネパールはインドの善隣友好外交を高く評価している,ハ)中国とは地域協力について話合う等述べた。
DIA-303-1978-09-28-1ネパール1978年09月28日1970年代ビスタ首相と鄧小平副首相の第1回ネ・中公式会談が開催された。
DIA-303-1978-09-28-2ネパール1978年09月28日1970年代土屋南夫駐ネパール日本大使着任。
DIA-303-1978-09-30-1ネパール1978年09月30日1970年代ビスタ首相一行は,第29回国慶節祝賀行事に出席した。
DIA-303-1978-09-30-2ネパール1978年09月30日1970年代アリヤル外相,国連総会において演説。
DIA-303-1978-10-01-1ネパール1978年10月01日1970年代ビスタ首相は華国鋒主席を表敬訪問した。
DIA-303-1978-10-01-2ネパール1978年10月01日1970年代中国はネパールの製糖,製紙工場建設計画(所要経費総額4000万ドル)に協力することを決定し,右に関する協定がビスタ首相と鄧小平副首相の間で調印された。
DIA-303-1978-10-04-1ネパール1978年10月04日1970年代ビスタ首相は日本で開催中の第12回世界仏教徒会議に対し,ビレンドラ国王のネパール平和ゾーン構想は,仏教精神に合致するものである等のメッセージを寄せ,パント駐日大使が代読した。
DIA-303-1978-10-04-2ネパール1978年10月04日1970年代タパ大蔵大臣はIMF世銀総会の帰路日本に立寄り福永運輸大臣,愛野政務次官と会談した。
DIA-303-1978-10-06-1ネパール1978年10月06日1970年代土屋駐ネパール大使の信任状捧呈式が行なわれた。同日サゥディアラビア,イスラエル大使の捧呈式も併せて行なわれた。
DIA-303-1978-10-10-1ネパール1978年10月10日1970年代ビスタ首相は中国からの帰路タイ国王に謁見した。
DIA-303-1978-10-10-2ネパール1978年10月10日1970年代ビスタ首相一行は中国公式訪問から帰国した。
DIA-303-1978-10-10-3ネパール1978年10月10日1970年代アリヤル外相は国連総会から帰国した。
DIA-303-1978-10-11-1ネパール1978年10月11日1970年代国王は開発計画への国民全体の参加を要望したダサイ祭メッセージを発出した。
DIA-303-1978-10-17-1ネパール1978年10月17日1970年代タパ大蔵大臣を団長とするネパール代表団がバングラデシュを訪問,貿易経済協力の拡大に関する第1回ネパール・バングラデシュ経済合同委員会がダッカにおいて開催された。
DIA-303-1978-10-18-1ネパール1978年10月18日1970年代タパ大蔵大臣は,ゼアウル大統領を表敬訪問した。
DIA-303-1978-10-18-2ネパール1978年10月18日1970年代第1回ネパール・バングラデシュ経済合同委員会が終り,双方の代表は,イ)両国は貿易決済にアジア清算同盟を利用する,ロ)バングラデシュはネパールの第三国貿易に対する港湾通関施設利用の便益を供与する,ハ)ジュートおよびジュート関連産業の合弁企業を設立する,ニ)観光促進の共同市場およびUHF通信網を設立する,ホ)バングラデシュは年間25名のネパール人留学生を受入れ,うち10名分の費用を負担する等を骨子とする合意書に署名した。
DIA-303-1978-10-18-3ネパール1978年10月18日1970年代中国曲芸団一行48名がネパールを訪問,各地で親善公演を行なった。
DIA-303-1978-10-18-4ネパール1978年10月18日1970年代米国Jack Miklos国務次官補はビスタ総理を表敬訪問した。
DIA-303-1978-10-19-1ネパール1978年10月19日1970年代モリシャス商工大臣D. Basant Raiはネパール産米買付け交渉のためネパールを訪問し,20日ビスタ総理を表敬訪問し,22日まで滞在した。
DIA-303-1978-10-20-1ネパール1978年10月20日1970年代訪問が延期されていたヴァジュパイ・インド外相がネパールを訪問し,国王との謁見のほかビスタ総理,シャルマ食糧農業灌漑相,P.D.カティ商工相,D.P.アディカリ水電力国務相と会談し,カルナリ,ラプティ,マハカリ川共同河川計画の推進等,洪水防止の両国の協力について合意をみた。
DIA-303-1978-10-22-1ネパール1978年10月22日1970年代北朝鮮許淡副首相兼外相はネパールを公式訪問し,両国外相会談のほか国王との謁見,ビスタ総理への表敬等を行ない26日まで滞在した。アリヤル外相は歓迎晩さん会において北鮮のネパール平和地帯宣言への支持に対し謝意を表明するとともに,朝鮮統一間題に言及し「ネパールは朝鮮人民の独立と祖国統一達成の願望を十分理解する。朝鮮の平和的自発的な祖国統一達成が,外国の干渉なしに実現されるよう期待する」旨述べた。
DIA-303-1978-10-24-1ネパール1978年10月24日1970年代ルンビニ開発委員会ロク・ダルシヤン委員長は東京で開催された第12回世界仏教徒会議において1979年を「ルンビニの年」とすることに決定した旨発表した。
DIA-303-1978-10-25-1ネパール1978年10月25日1970年代許淡北鮮外相は,ギャネンドラ殿下に北鮮第一等労働勲章を授与した。
DIA-303-1978-10-27-1ネパール1978年10月27日1970年代国王は,国民帰郷運動中央委員会ビシュバ・バンドゥ・タパ委員長の辞表を受理した。
DIA-303-1978-10-29-1ネパール1978年10月29日1970年代王宮報道局はRam Janam Tiwari等旧コングレス等関係者政治犯33名の釈放を発表した。
DIA-303-1978-10-30-1ネパール1978年10月30日1970年代ネパール観光省は,大阪市立大学・トゥリブバン大学合同ランタン・リルン登山隊が,10月24日に登頂に成功した旨発表した。
DIA-303-1978-10-30-2ネパール1978年10月30日1970年代西独はネパール政府に67.1百万ルピーの無償資金協力および肥料7000トンの援助供与を決定し,右に関する協定と交換公文の署名が行なわれた。
DIA-303-1978-11-03-1ネパール1978年11月03日1970年代国王はKamal Raj Regmiを国民帰郷運動中央委員会新委員長に任命,N.B.カトリ最高裁長官立合いのもとに宣誓式が行なわれた。
DIA-303-1978-11-04-1ネパール1978年11月04日1970年代ジャヤワルデネ・スリランカ大統領夫妻は国賓としてネパールを訪問,ポカラ,ルンビニ,カピラバストゥを視察,ルンビニ開発計画への協力に関心を示した。
DIA-303-1978-11-05-1ネパール1978年11月05日1970年代ブルガリア文化大臣Ludmil Zivkova夫人ネパールを訪問,ブルガリア大統領からの親書を手交したほか,ビスタ総理,アリヤル外相,バスネット通信相と会談,10日両国文化協力の合意に関する共同新聞発表が行なわれた。
DIA-303-1978-11-06-1ネパール1978年11月06日1970年代国王第2王子が誕生し,特赦として政治犯10名が釈放された。16日同王子の命名式が行なわれNeeranjan Bir Bikram Shahと名づけられた。
DIA-303-1978-11-07-1ネパール1978年11月07日1970年代アジア・太平洋民間航空局長会議に出席中のCAO事務局長Asad Kotaiteは国王に謁見した。
DIA-303-1978-11-09-1ネパール1978年11月09日1970年代ネパール新聞協会会長選挙においてARPAN紙編集長Manju Ratna Shakyaが当選した。
DIA-303-1978-11-13-1ネパール1978年11月13日1970年代西独経済協力使節団一行8名(団長C. W. Sanne経済協力省次官)がネパールを訪問,ビスタ総理,アリヤル外相と会談したほか,西独援助のバクタプール文化財保存計画等を視察した。西独はネパールの借款返済額76.497百万マルク全額を無償に切換え,カンカイ多目的ダム・プロジェクトに対し,5000万マルクの追加無償援助を行なうことを決定し,19日Sanne団長は右に関する2つの協定に署名した。
DIA-303-1978-11-16-1ネパール1978年11月16日1970年代R.H.シャルマ国会議長を団長とする国会議員親善使節団一行7名,ソ連訪問のため出発,一行は27日帰国した。
DIA-303-1978-11-19-1ネパール1978年11月19日1970年代国王は東部開発地区メチ・コシ・サガルマータ各県巡幸のため,ダンクタに向け出発した。12月22日まで滞在した。
DIA-303-1978-11-20-1ネパール1978年11月20日1970年代チェッコスロバキア外務副大臣Milos Vojtaがネパールを訪問し,ビスタ総理,ラワティ厚生国務大臣を表敬した(~21日まで)。
DIA-303-1978-11-21-1ネパール1978年11月21日1970年代英国はネパール政府に,ヘタウラにおけるディーゼル発電機4台据付けのため2百万ポンドの無償援助供与を決定し,これに関する交換公文の署名が行なわれた。
DIA-303-1978-11-24-1ネパール1978年11月24日1970年代インドはネパール政府に,チャトラ運河修復工事用職員住宅および電話架線工事費4.97百万ルピーの贈与を決定し,これに関する交換公文の署名が行なわれた。
DIA-303-1978-11-24-2ネパール1978年11月24日1970年代民族独立学生連盟(Rastravadi Swatantra Vidyarthi Mandal)は,カトマンズ峡谷学生団結委員会を結成し,モハメッド・モーシン,ビノード・タパがそれぞれ委員長,副委員長に選出された。
DIA-303-1978-11-26-1ネパール1978年11月26日1970年代法務大臣H.B.シュレスタ,土地改革国務大臣J.B.シャー,運輸公共事業国務大臣B.ガルティマガル,パンチャーヤット副大臣D.B.マルラ,土地改革副大臣M.M.シン,水電力副大臣シャムスル・ハック以上閣僚6名は,明年1月14日付をもって国会議員としての任期が満了となり,次期総選挙立候補のため辞任した。このため法務はS.B.シャルマ行政管理相,土地改革はD.S.ラナ無任所相,運輸公共事業はH.B.グルン観光相がそれぞれ兼務することになった。
DIA-303-1978-11-27-1ネパール1978年11月27日1970年代ネパールはユネスコ世界文化財委員会委員国に選出され,同日世界文化財条約に調印した。
DIA-303-1978-11-27-2ネパール1978年11月27日1970年代ネパール政府は,ナラヤニ県灌漑開発計画第2期工事費として世銀IDAと16.8百万ルピーの借款協定に調印した。条件は返済期間据置10年を含む50年,手数料年率0.75%,完工期の灌漑面積は18,700ヘクタール。
DIA-303-1978-11-27-3ネパール1978年11月27日1970年代ネパール回教徒福祉委員会は,ハック前水電力副大臣を委員長に選出した。
DIA-303-1978-11-28-1ネパール1978年11月28日1970年代B.P.コイララ元首相がポカラを訪問し,民衆が反対の抗議デモを行なった。
DIA-303-1978-11-28-2ネパール1978年11月28日1970年代カナダCIDA副総裁ノーブル・パワーを団長とする経済協力調査団がネパールを訪問し,イ)ダンクタ看護学校,ロ)ベリ県農村総合開発計画,ハ)ブトール送電線網拡充計画等のため38百万ドルの援助を約束した。ビスタ総理,タパ大蔵大臣と会談,30日まで滞在した。
DIA-303-1978-12-01-1ネパール1978年12月01日1970年代北鮮は許淡外相訪ネ時のプレッジにより,極西部モハナ灌漑計画(カイラリ・カンチャンプール両区にまたがる3500ヘクタールの灌漑を行なう)に援助することになり,右に関する援助協定がG.カトリ大蔵次官代行と北鮮大使Se Jong Gukとの間で署名された。この協定により北鮮はカルカタCIFベースでセメント7200トン,捧綱120トンを供与する。
DIA-303-1978-12-01-2ネパール1978年12月01日1970年代フランス政府はネパール地震研究所設立に関し,地震測量機器等関連機材を贈与した。
DIA-303-1978-12-02-1ネパール1978年12月02日1970年代オーストリア国務大臣Dr. Adolf Nussbaumerがネパールを訪問,同国援助のナムチェ・バザール小規模水力発電所建設現場を視察し,ビスタ総理,タパ蔵相,D.P.アディカリ水電力国務大臣と会談,3日まで滞在した。
DIA-303-1978-12-05-1ネパール1978年12月05日1970年代ケロシン不足が発生。
DIA-303-1978-12-08-1ネパール1978年12月08日1970年代ビスタ総理は大平総理大臣就任に対し,祝電を発出した。
DIA-303-1978-12-10-1ネパール1978年12月10日1970年代タパ大蔵大臣,P.D.カティ商工大臣,H.B.グルン観光国務大臣は,カーペット輸出不正事件に関連し辞任,このため大蔵はビスタ総理,商工はシャルマ行政管理相,観光運輸公共事業はパシュパティ・シャムシェル・ラナ教育相,法務土地改革はダモダル・シャムシェル無任所相が土地改革,法務をそれぞれ兼務することになった。
DIA-303-1978-12-10-2ネパール1978年12月10日1970年代アリヤル外相は園田外相再任に際し「ネ・日両国の友好関係が閣下の在任中一層強化されることを期待する」旨の祝電を発出した。
DIA-303-1978-12-14-1ネパール1978年12月14日1970年代国立銀行総裁クル・シェカル・シャルマが辞任し,副総裁Yudhir Shamsher Thapaが総裁に昇格した。
DIA-303-1978-12-15-1ネパール1978年12月15日1970年代憲法記念日,ダイレク出身N.B.パッチャイほか政治犯30名が恩赦を受けて釈放された。
DIA-303-1978-12-16-1ネパール1978年12月16日1970年代国王はビラトナガルにおける憲法記念式典において,イ)パンチャーヤット制度はネパールにおける民主主義の基礎を確立したばかりでなく,国連憲章に謳われている基本的人権を高揚してきた,ロ)政党は国民の間に敵対心と分裂を起させ,分裂主義者の鳳潮を醸成する。政党なきパンチャーヤット制度は,母国の主権を守っただけでなく,経済開発の道を前進するのに役立ってきた等,パンチャーヤット制度の民主的性格を強調した演説を行なった。
DIA-303-1978-12-16-2ネパール1978年12月16日1970年代ネ政府は米中外交関係樹立を歓迎する旨の外務省スポークスマンの談話を発表した。
DIA-303-1978-12-17-1ネパール1978年12月17日1970年代バジュパイ・インド外相は上院において議員の質問に答え,中国がネパールに高性能兵器を供与しているとの情報を否認した。
DIA-303-1978-12-18-1ネパール1978年12月18日1970年代中国人技術者14名がポカラ・スルケート・ハイウェイ(全長407km)建設工事現地調査のためカトマンズに到着した。
DIA-303-1978-12-18-2ネパール1978年12月18日1970年代在ネパール・イスラエル大使S. Laorは記者会見において,平和協定締結の失敗は,エジプトがキャンプ・デービット協定以外の問題を提起したためであり,中東問題に関するネパール紙の報道は公正を欠くものであるとし,不満を表明した。
DIA-303-1978-12-19-1ネパール1978年12月19日1970年代バングラデシュ食糧省モハメッド・アリ次官補がネパール産米買付交渉のため訪ネ,20日3万トンの輸入契約に調印した。右米穀はインドとの通過協定に基づきラジカプール経由陸路輸出される。
DIA-303-1978-12-21-1ネパール1978年12月21日1970年代パンチャーヤット内務省は全国の村落パンチャーヤットを整備し,その数を3919から2911に削減した旨発表した。
DIA-303-1978-12-21-2ネパール1978年12月21日1970年代アジア開銀はネパール・サガルマータ県総合農村開発計画に14百万ドル,カトマンズ国際空港拡張計画に11百万ドルの借款を供与することになり,右に関する協定がマニラにおいて調印された。
DIA-303-1978-12-22-1ネパール1978年12月22日1970年代国王は約1ヵ月に亘る東部開発地区の巡幸から帰還した。
DIA-303-1978-12-24-1ネパール1978年12月24日1970年代国際児童年ネパール委員会委員長シャラダ・シャー妃殿下は,児童の権利の保証と社会的向上のため,国際児童年に因んだ諸事業を行なう旨の談話を発表した。
DIA-303-1978-12-27-1ネパール1978年12月27日1970年代国王は劇作家バラ・クリシュナ・サマにプリトゥビ学士院賞および画家シャシ・シャムシェル・ラナにインドラ・ラジャ学士院賞を授与した。
DIA-303-1978-12-30-1ネパール1978年12月30日1970年代ヴィエトナム副首相兼外相グエン・ドゥイ・ティンがネパールを公式訪問,国王との謁見のほか,ビスタ総理,アリヤル外相と会談した。
DIA-303-1979-01-03-1ネパール1979年01月03日1970年代M.P.コイララ勅選国会議員 次期パンチャーヤット選挙立候補のため辞任。
DIA-303-1979-01-05-1ネパール1979年01月05日1970年代パキスタンの貿易使節団の出発にあたりネ・パ共同プレス・ステートメントが発表された。1.パキスタン側はネパール側に新しい貿易協定案文を送付する。2.ネパール側は合弁企業に対するパキスタンのオファーを準備し,右提案の検討を約した。(1) VEGETABLE OIL PROCESSING PLANTS (2) CHIPBOARD & HARDBOARD INDUSTRY (3) PLANTATION & DEVELOPMENT OF TEXTILE 3.パ商工相は両国の貿易関係に満足の意を表明した。
DIA-303-1979-01-05-2ネパール1979年01月05日1970年代国王は国際児童年にあたり,初等教育用教科書の全額無償配布,中等教育用教科書を10~15%値下げするよう指示した。
DIA-303-1979-01-05-3ネパール1979年01月05日1970年代モリシャス商工大臣Dr. D. Basant Raiは,ネパール産米穀買付交渉のためネパールを訪問,R.N.シャルマ農業大臣,ビスタ総理等と会議。(8日両国政府間の合意をみたが,具体的数量は発表されなかった。昨年の輸出は14,000トン。)
DIA-303-1979-01-10-1ネパール1979年01月10日1970年代カンプチア問題についてネパール政府スポークスマンは骨子次の談話を発表。(1)ネ政府はカンプチアの最近の事件に関し深い関心を有している。ネ政府は全ての国家,国連加盟国の領土保全,主権,独立の不可侵,内政不干渉の原則を先ず確認したい。(2)上記原則の違反は許すことは出来ないし,非難さるべきである。ネ政府はカンプチア国民が平和的,友好的手段により,独自にその問題を解決できるような,好ましい条件が回復されるよう切望する。
DIA-303-1979-01-22-1ネパール1979年01月22日1970年代ネパールを訪問中のバングラデシュのホク外相の歓迎晩さん会におけるアリヤル外務大臣のスピーチ骨子とホク外相の応答。1.(イ)両国が見解を異にする国際問題はない。バングラデシュの「ネパール平和地帯宣言」への支持表明は同国の最高度の理解を意味する。(ロ)閣僚レベルの経済合同委員会の設置は両開発途上国の相互利益のための協力に対する,心からの願望を示している。(ハ)バングラデシュの安保理当選に対する祝意を表する。バングラデシュの安保理立候補への支持は双方の願望と関心に対する理解を示すものである。(ニ)ネパールはバングラデシュによるジカプール,ビロール間の陸上ルート開設と右に対するバングラデシュの便益に対し謝意を表明したい。2.ホク外相は答礼スピーチにおいてネパールの安保理立候補支持への謝意を表明するとともに,新国際経済秩序確立の有用性を強調した。
DIA-303-1979-01-22-2ネパール1979年01月22日1970年代I.L.シュレスタ,D.R.ウパディヤヤ元両商工次官等高級官僚12名はカーペット輸出汚職事件に関連し,特権乱用防止委員会の告発により職務停止処分を受けた。
DIA-303-1979-01-22-3ネパール1979年01月22日1970年代運輸公共事業次官Narayan Prasad Aryalはヘタウラ・ラナンガリ道路建設契約に関し,職務停止処分を受けた。
DIA-303-1979-01-23-1ネパール1979年01月23日1970年代米国は対ネ援助開始28周年を記念し次の4プロジェクトに総額57,417百万ルピーを援助することになり,右に関する両国政府間協定が調印された。1.人口問題,家族計画関係 約12百万ルピー(1980年以降) 2.ラジオ放送教員養成番組 約22百万ルピー 3.教育行政及び計画用 約82百万ルピー 4.総合穀物計画 約21百万ルピー
DIA-303-1979-01-28-1ネパール1979年01月28日1970年代ネ政府は次の次官級人事異動を発表した。(イ)食糧農業灌漑次官代行 MR.Murali Presad Lipadhyaya(前Comptroller general)(ロ)教育次官代行 MR. Jitendralal Maskey(前NIDC総支配人)(ハ)運輸公共事業次官 MR. Mangal Krishna Shresta(前行政管理省,管理部局長)
DIA-303-1979-02-02-1ネパール1979年02月02日1970年代東大総長向坊隆博士はトウリブバン大学第16回卒業式に於て,記念講演を行なった。
DIA-303-1979-02-08-1ネパール1979年02月08日1970年代王立ネパール航空の社長にDiwakar Bikram Rana氏任命。
DIA-303-1979-02-08-2ネパール1979年02月08日1970年代英国は次の3プロジェクトに総額約2.96億ルピーの無償援助を供与することを決定し,右に関する3協定がD.R.パンデー大蔵次官代行及びJ.B.デンソン英国大使の間で署名された。(1)アブロ航空機(HS―748)2機購入費,1.46405億ルピー (2)東部ネパール茶業開発プロジェクト 8789万ルピー (3)宇宙衛星設置,関連機器購入費 6204万ルピー
DIA-303-1979-02-09-1ネパール1979年02月09日1970年代ネ内務省は死刑の確定していたY.B.タパ元大尉(1974年オカルドランガ武装蜂起事件の首謀者)及びBhim Narayam Shrestha(ビラトナガル国王暗殺未遂事件の犯人)の刑が執行された旨発表した。
DIA-303-1979-02-11-1ネパール1979年02月11日1970年代ソ連東洋学研究所,Dr. E.M. Primakov,同研究部Mr. G.G. Katovsky,両国学術交流のため訪ネ。
DIA-303-1979-02-11-2ネパール1979年02月11日1970年代メチ米穀輸出会社バングラ向けネパール産米5000トンを出荷。右荷物はBhadrapur経由Galgalia-Radhipapurルートで発送。
DIA-303-1979-02-16-1ネパール1979年02月16日1970年代国会議員13名,共同ステートメントを発表。オカルドランガ武装蜂起の首謀者Y.P.タパ元大尉及びビラトナガル国王暗殺未遂事件犯人Bhim Narayam Shresthaの死刑に対するインドの非難に対し,国王と国民の間に亀裂を生じさせる意図があり,内政干渉であると抗議した。
DIA-303-1979-02-16-2ネパール1979年02月16日1970年代OPEC基金はトウリブバン国際空港第2期工事のため5百万ドルの有償資金協力(条件:年利0.75%,返済期間5年据置20年)を行うことを決定,ウイーンに於てネ政府との協定に調印。
DIA-303-1979-02-24-1ネパール1979年02月24日1970年代日本の民間投資Hotel Jaya International(部屋数80室,ベッド数150)の定礎式が三井不動産(同社は総工費の70%,4.12千万ルピーを投資)の坪社長出席のもとに行なわれた。
DIA-303-1979-02-26-1ネパール1979年02月26日1970年代国王は元最高裁判事,Muktikaut Mainaliを特権乱用防止委員会委員に任命した。
DIA-303-1979-02-26-2ネパール1979年02月26日1970年代スリランカ教育大臣Nissanka Wijeratneを団長とする同国国会議員親善使節団一行6名がネパールを訪問し,Ram Hariシャルマ国会議長,ビスタ総理を表敬,ロク・バハドゥール・チャンド副議長が歓迎レセプションを主催した。
DIA-303-1979-02-27-1ネパール1979年02月27日1970年代1月10日よりカトマンズにおいて開催されていた第3回ネパール・中国国境合同調査委員会が終了,イ)5万分の1の新国境地図の作成 ロ)第1回委員会の合意議事録に関する覚書が,中国側Tsao sheng-king,ネ側ビシュバ・プラダハーン代表の間で調印された。
DIA-303-1979-02-27-2ネパール1979年02月27日1970年代ネパール国営通信社RSS(Rastrija Samachar Samiti)は第三世界ニュース・プールOANA(Organization of Asian News Agency,本部バンコク,会長Mr.Ismail Salleh)に加盟を承認された。
DIA-303-1979-03-01-1ネパール1979年03月01日1970年代チェコスロバキア厚生大臣Dr. Jaraslari Prokopecがネパールを訪問し公衆衛生,医学水準の向上等に関する協力を行なうことになり右医療協力に関する協定がP.S.ラワティ厚生国務大臣と同厚生相の間で調印された。2日,プロコペック厚生相はビスタ総理との会談の際,チェコスロバキアは「ネパール平和地帯宣言」を支持する旨伝達した。
DIA-303-1979-03-01-2ネパール1979年03月01日1970年代イラク訪問中のアリヤル外相はAhmad Hasan Al-Bakr大統領,Taha Muhi Al-hin Mamf,副大統領Dr. Saadoon Hammadi外相等と会談した。4日の共同新聞発表によれば両国はネパールの平和地帯宣言に対する支持,1982年バグダードで開催予定の非同盟首脳会議等に関して討議した。
DIA-303-1979-03-04-1ネパール1979年03月04日1970年代M.P.コイララ,N.P.リザール元首相,コシ県モラン区議会選挙において,各々7052票を獲得し当選した。
DIA-303-1979-03-09-1ネパール1979年03月09日1970年代IFAD(国際農業開発基金)のAbdelmushin M. Al-Sundeary総裁,国王,総理と会談。「サガルマータ農村総合開発計画」への援助(総額13百万米ドル)協定に調印(条件:無利子・返済期間:据置10年を含む50年)。
DIA-303-1979-03-20-1ネパール1979年03月20日1970年代運輸省は公営バス料金の15~20%を3月28日から値上げする旨発表した。
DIA-303-1979-03-21-1ネパール1979年03月21日1970年代インド外務省はNarendkakumar Pannalalji Jain(現外務省Additional Sec.)を駐ネパール・インド大使に任命した旨発表した。
DIA-303-1979-03-22-1ネパール1979年03月22日1970年代R.H.シャルマ国会議員を団長とする国会議員親善使節団一行10名,インド下院議長の招待により訪印,Neelam Sanjeeva Reddy大統領,デサイ首相と会談。
DIA-303-1979-03-23-1ネパール1979年03月23日1970年代西独の外務担当国務大臣Dr. H. Hamm Brucherがネパールを公式訪問,国王,総理と会見してアリヤル外相と会談。ブルッヒヤー国務大臣の記者会見での発言要旨。(1)農業,基礎産業や繊維産業の分野で,西独の民間投資により合弁企業設置の可能性がある。投資保証があればドイツ側は出来るだけ早く民間投資を実施する。(2)(a)西独の対ネ援助は資金協力が139百万マルク,肥料52百万マルク,技術援助101百万マルクである。(b)カンカイ多目的計画には先の話合いにより100百万マルクを約束している。マルシャンディ・バグマテイ計画はFeasibility Surveyを行っている。(3)文化関係では西独は歴史的,文化的価値のあるものを含めたMuseum of Handicraftに関心を有する。(4)ネパールの高度の寛容の精神を高く評価し,仏教とヒンズー教の調和的傾向を評価する。サンスクリット研究等の分野で協力出来る。(5)西独はネパールの援助使用実績に満足している。
DIA-303-1979-03-27-1ネパール1979年03月27日1970年代ネパール共産党創設者の1人であるMr. Manamahan Adhikariがビラトナガルにおいて逮捕された。
DIA-303-1979-03-28-1ネパール1979年03月28日1970年代インド政府,79年4月1日~12月31日までの数量制限品目の数量割当を発表。赤ちゃん用食物とミルク7,300トン,セメント60,000トン,用紙7,000トン,石炭54,000トン,綿花2,250トン,アルミニウム・インゴツト675トン,銑鉄750トン,鉄器類6,000トンなど23品目。
DIA-303-1979-03-31-1ネパール1979年03月31日1970年代スリランカ貿易・海運大臣Lalit Athulath Mudaliは訪ネし,ビスタ総理,アリヤル外相と会談。1日の両国貿易会談では輸入関心品目を提示した。スリランカ輸入関心品目:砂糖,材木,米,なめし革,プライウッド,ジュート,ジュート製品 ネパールの輸入関心品目:香辛料,ゴム,ココナツ製品,紙,セメント,医薬品
DIA-303-1979-04-01-1ネパール1979年04月01日1970年代バグマティ県庁事務所はB.P.ゴイララ元首相の行動範囲をカトマンズ峡谷に限定する旨指示を与えた。
DIA-303-1979-04-05-1ネパール1979年04月05日1970年代キューバ大統領特使Z.M. Vidsuretta(大臣)科学技術国家委員会議長を団長とする一行6名が,9月ハバナで開催予定の第6回非同盟首脳会議への,カストロ大統領からの招待状を携行し来訪。国王へ表敬,総理,外相等と会談した。
DIA-303-1979-04-06-1ネパール1979年04月06日1970年代パキスタンのブット首相処刑に抗議する学生デモ,警官隊と衝突。
DIA-303-1979-04-08-1ネパール1979年04月08日1970年代警察・学生デモ弾圧。学生22項目要求を提案。
DIA-303-1979-04-10-1ネパール1979年04月10日1970年代ネパール教員総合特別委員会及びトウリブバン大学教授会は学生に学園復帰を求ある共同アピールを発表した。
DIA-303-1979-04-12-1ネパール1979年04月12日1970年代国王は王立学士院の新会員を次の通り任命。会長:Lain Singh Bangdel 副会長Madhava Prasad Gimire
DIA-303-1979-04-12-2ネパール1979年04月12日1970年代学生ストライキ続く。
DIA-303-1979-04-12-3ネパール1979年04月12日1970年代王宮の人事異動が発表された。ビレンドラ国王は宮内庁長官にSardar Hansman Singh,侍従長にMir Suaha Madhusudhan Rajbhandhari(前宮内庁副長官)をそれぞれ任命した。
DIA-303-1979-04-14-1ネパール1979年04月14日1970年代新内閣成立:大臣8名,国務大臣5名,副大臣8名,計22名から構成される第二次ビスタ内閣の認証式が行なわれた。
DIA-303-1979-04-14-2ネパール1979年04月14日1970年代王宮報道局はDr. K.I.シン,S.B.ターパ等旧政党関係者を含む新勅選国会議員16名の任命を発表した。
DIA-303-1979-04-22-1ネパール1979年04月22日1970年代ラナ教育大臣,学生に授業復帰を呼びかけ。
DIA-303-1979-04-26-1ネパール1979年04月26日1970年代ダヤン・イスラエル外相・ネパールを公式訪問。ラナ教育大臣は歓迎会で,ネパールは国連安保理決議242,338号が中東の正当かつ永続性ある平和を育成する骨組みを提供すると考える旨発言。イスラエルはネパールの平和地帯宣言を支持すると表明。
DIA-303-1979-04-27-1ネパール1979年04月27日1970年代ネパール,中国と材木輸入契約(16.4百万ルピー,1.23百万米ドル)に調印。また皮革,タバコ,なめし皮など48.4百万ルピー相当の売買契約が成立。
DIA-303-1979-04-27-2ネパール1979年04月27日1970年代ヘタウラ暴動事件発生(警官隊発砲死者3名)。デモ隊,土地改革副大臣Ramanand Prasad Singhを取り囲む。
DIA-303-1979-04-27-3ネパール1979年04月27日1970年代治安維持法の発効により下記の反体制派指導者を逮捕。旧コングレス党(会議派)のB.P. Koirala元首相,47党首のK.P. Bhandari,実力者のGanesh Man Singh。K.P. Bhattarai, B.B. Manandhar, N.Acharya, Shamsha Ram shrestha, B.B. Chetriら親ソ系,親中国系の共産主義者も逮捕された。
DIA-303-1979-04-27-4ネパール1979年04月27日1970年代リビアのTahir O Shahbar駐ネパール臨時代理大使は(1)リビアは在ネ大使館を閉鎖する。(2)右閉鎖はダヤン・イスラエル外相の訪ネとは関係なく,リビアはネパール平和地帯宣言を支持する等発言した。
DIA-303-1979-04-27-5ネパール1979年04月27日1970年代最低賃金法の改正。
DIA-303-1979-04-28-1ネパール1979年04月28日1970年代Vyathit内務パンチャーヤット大臣,学生運動を装って政治活動を行なう『反社会分子』に対しては厳しい措置をとる旨の声明を発表。
DIA-303-1979-04-28-2ネパール1979年04月28日1970年代インド・ジャナタ党党首Chandra Shekharは「B.P. Koiralaと和解するために,国王はイニシアティブをとるべきである」と主張した。
DIA-303-1979-04-30-1ネパール1979年04月30日1970年代駐印ネパール大使はチャンドラ・シェカール,ジャナタ党総裁がB.P.コイララとの和解を訴えた声明を内政干渉として抗議。ネパール各地の政治家も同種の抗議声明を発表。
DIA-303-1979-05-01-1ネパール1979年05月01日1970年代ネパール,SDR993再購入(9.6millionルピー)。
DIA-303-1979-05-01-2ネパール1979年05月01日1970年代インド首相特使のディネシュ・シン元外相,国王に謁見(但し日付不明)。
DIA-303-1979-05-02-1ネパール1979年05月02日1970年代パシュパティ・シャムシェル・ラナ教育大臣辞任。
DIA-303-1979-05-02-2ネパール1979年05月02日1970年代国王 学生ストライキ調査委員会を設立。
DIA-303-1979-05-02-3ネパール1979年05月02日1970年代学生14名を釈放。
DIA-303-1979-05-08-1ネパール1979年05月08日1970年代各県関連機関は,4月28日逮捕されたB.P.コイララ,ガネシュ・マン・シン等反体制指導者を25名全員釈放。
DIA-303-1979-05-14-1ネパール1979年05月14日1970年代トウリブバン大学当局は学生側の要求に対し,大学レベルでの学生自治会設立を承認,総合試験・入学試験の廃止,奨学金の増額等,大幅譲歩を発表した。
DIA-303-1979-05-15-1ネパール1979年05月15日1970年代国王は陸軍参謀本部長Singh Pactap Shahを准将に昇格させ,陸軍司令官に任命。
DIA-303-1979-05-17-1ネパール1979年05月17日1970年代政府,Illam地区でパンチャーヤット土地開発税の徴収を開始。
DIA-303-1979-05-17-2ネパール1979年05月17日1970年代スルケート地方で塩不足,トラック輸送料をキンタル当り75ルピーか140ルピーに値上げ。
DIA-303-1979-05-17-3ネパール1979年05月17日1970年代ネパール,バングラデシュに鉄道まくら木50万キュービックフィート(3千万ルピー相当)を輸出。
DIA-303-1979-05-18-1ネパール1979年05月18日1970年代バクタプールにおいて農民による反政府集会が開かれる。
DIA-303-1979-05-18-2ネパール1979年05月18日1970年代クレカニ等でパンチャーヤット政治集会開催される。
DIA-303-1979-05-18-3ネパール1979年05月18日1970年代ネパール,インドと塩8万トン(Salt Trading Cooperation)の輸入契約に調印。
DIA-303-1979-05-18-4ネパール1979年05月18日1970年代サガルマータ県シラハ地区において放火,略奪事件続く。
DIA-303-1979-05-19-1ネパール1979年05月19日1970年代内相声明を発表。(1)政府は法と秩序を守るため,いかなる措置を講ずることもちゅうちょしない。(2)学生は団結して,主権と独立に偏見をもつ反社会分子に挑戦すべきである。彼等は法と秩序を乱し,無政府状態を作ろうとしている。(3)政府は最早消極的な傍観者にとどまることはない。学生問題に関する限り,相互の協議によって解決出来ない問題はない。
DIA-303-1979-05-19-2ネパール1979年05月19日1970年代反社会分子,Mahottari地区のKatkataiyaで国境警備警察を襲撃,死者1名。
DIA-303-1979-05-20-1ネパール1979年05月20日1970年代プラダハーン教育副大臣がルンビニ県古都を旅行中おそわれ,車は大破,同行者4~5名が負傷。
DIA-303-1979-05-21-1ネパール1979年05月21日1970年代学生行動委員会代表Bal Bahadur K.C.Kailash Karki, Saran Bikram Mallaは学生ストライキの終結と授業復帰をつぎの条件で呼びかけ。(1)全国レベルの学生ユニオンの設立許可(2)治安維持法により逮捕された学生の釈放(3)民族自由学生同盟RSVMの解散(4)スト期間中に逮捕された学生に対する刑事責任の撤回と全員の釈放。
DIA-303-1979-05-21-2ネパール1979年05月21日1970年代パタン市において市民,農民,学生等推定4000人が反政府集会。
DIA-303-1979-05-21-3ネパール1979年05月21日1970年代ビスタ総理記者会見。(1)学生の要求は実現されたので,22日から授業を再開する。学生,教師,政治家,保護者は学生活動の再開に資する雰囲気を醸成しよう。(2)学生問題は正常化しつつある。解決できない問題はない。(3)政府は反社会分子による騒乱には強硬策をとる。彼等は学生騒動を悪用している。(4)パンチャーヤット土地開発税は地方分権主義の考え方から出てきたものである。農民が反対を決議している地域ではこれを廃止する。(5)地方で発生している散発的事件は相互に無関係で国民の不満の表示ではない。
DIA-303-1979-05-23-1ネパール1979年05月23日1970年代学生デモ,ネパール航空公団ビル・政府系大手新聞2社に投石,放火破壊した。学生は21日,事前了解なしに政府側と妥協したBal Bahadur K.C.(会議派系),Saran Bikram Malla(親マオイスト)の弾劾集会を行なった。
DIA-303-1979-05-24-1ネパール1979年05月24日1970年代午前6時45分,国王はラジオ放送を通じ,パンチャーヤット制度の存続か政党政治の復活かを問う国民投票を行なうため,選挙委員会を設立する旨発表。
DIA-303-1979-05-25-1ネパール1979年05月25日1970年代王宮報道局は「24日ビスタ総理は今次騒乱の責任をとり辞表を提出したが,国王は予定を操上げて5月30日開催される全国パンチャーヤット議会(国会)が,次期総理を推薦するまで現内閣のままとどまるよう命じた。ビスタ氏(54歳)は1977年9月就任,79年4月14日第二次ビスタ内閣を組閣。
DIA-303-1979-05-25-2ネパール1979年05月25日1970年代韓国政府は,29日から6月2日まで予定されていたギャネンドラ殿下の韓国公式訪問がネパールの国内事情により無期延期されたと発表。
DIA-303-1979-05-28-1ネパール1979年05月28日1970年代国王は国民帰郷運動中央委員会委員の辞表を受理した。
DIA-303-1979-05-29-1ネパール1979年05月29日1970年代スルケートにおいて暴徒が政府公共施設を破壊,警官から武器弾薬を略奪,死者4名,2名の警官を含む3名が重傷。
DIA-303-1979-05-30-1ネパール1979年05月30日1970年代国王,国民投票管理委員会委員15名,委員長に元最高裁長官バガワティ・プラサード・シンを任命。
DIA-303-1979-05-30-2ネパール1979年05月30日1970年代国王,全国パンチャーヤット議会の勧告にもとづき,S.B.ターパを総理に任命した。
DIA-303-1979-06-01-1ネパール1979年06月01日1970年代王宮報道局,新内閣の所管ポストを発表。(1)スールヤ・バハドウール・ターパ 首相,宮内相,蔵相(2)K.B.シャヒ 外相,通信相(3)バララム・ガルテイ・マガル 国防相(4)ジョダ・メルル・シュレスタ 内相,パンチャーヤット相
DIA-303-1979-06-02-1ネパール1979年06月02日1970年代商工省はNepal Biscuits Company, Galcha Woolen, Jorganesh Press等民間企業で行なわれている賃上げストは非合法である旨の通達を発出した。
DIA-303-1979-06-03-1ネパール1979年06月03日1970年代共産党指導者(CPN)Bishnu Bahadur Manandharは国民投票の平等,公正を歪曲しようとする動きに対して,政党勢力は警戒を強めるべきであると語った。
DIA-303-1979-06-05-1ネパール1979年06月05日1970年代ネパール中央銀行従業員,賃上げ等43項目を要求してストライキ,ネ政府は公営企業従業員のストライキを禁止。
DIA-303-1979-06-06-1ネパール1979年06月06日1970年代コングレス党,議会制民主主義復活を支持する政治集会を開催,参加者10万人以上。
DIA-303-1979-06-09-1ネパール1979年06月09日1970年代ネパール週刊紙“Nepal Post”編集長Denendra Gautama逮捕さる。
DIA-303-1979-06-11-1ネパール1979年06月11日1970年代元内務大臣Shaikudra Kumar Upadhyaya,ネパール国営通信の記者の質問に以下のように答えた。(1)自分は確信をもってパンチャーヤット制度に参加したものであり,今後も積極的パンチャーヤット要員として活動を続ける。(2)国王の指導性はネパール全国民のためのものであり,一部の特定のネパール人のためのものではない。国王を一部のネパール人のみの指導者と考えるものは王制を弱体化している。
DIA-303-1979-06-20-1ネパール1979年06月20日1970年代政府は全国教員共闘委員会の要求を受入れ,預貯金,元金及び年金の支給等,教員の待遇改善及び教員組合の設立を許可する旨発表した。
DIA-303-1979-06-23-1ネパール1979年06月23日1970年代政治集会でのコングレス党のクリシュナ・プラサード・バッタライの発言。(イ)国王は最近の国民の願望,国家のニーズに鑑み,国民投票に関する歴史的,革命的宣言を行なった。現政府は国民投票においては完全に中立であるべきである。(ロ)国王は国家統一の象徴であり,国王の威厳は有害な刺激から守らるべきである。我々は非同盟外交政策に賛成であるが,今までの政策はある時はこちら,ある時は向う側と本当の意味での非同盟政策ではない。(ハ)コングレス党が共産党と国民投票で提携しているのは,ネパールの労働力,技術資源を有効に利用すべきである,との見解が一致しているからである。
DIA-303-1979-06-24-1ネパール1979年06月24日1970年代ネパール共産党指導者マン・モーハン・アデイカリの発言。(1)パンチャーヤットは何らの哲学,思想ももたないから政治制度ではない。パンチャーヤットはファシストのようなスローガンを掲げている。国王宣言の前には言論,報道の自由はなかった。憲法の基本的人権も次官の電話ひとつで停止された。(2)国民は自らの利益に反するような憲法には反対であり,学識経験者による草案を準備している。(3)農民は負債返済をせきたてられ,逆に土地を追いたてられている。
DIA-303-1979-06-27-1ネパール1979年06月27日1970年代ガネシュ・マン・シン・コングレス党指導者(元運輸公共事業相)は遊説先のヘタウラのブタンデビ高等学校において,RSVM系学生に襲撃される。
DIA-303-1979-06-27-2ネパール1979年06月27日1970年代世銀新聞発表,世銀IDAはネ政府の行なうマハカリ県のバイタデイ,Dadeldhura, Darchula 3郡の農村総合開発計画へ1100万ドルの借款を供与することに同意した。条件:返済期間10年据置を含む50年,無利息,手数料0.75%。
DIA-303-1979-06-28-1ネパール1979年06月28日1970年代S.B.ターパ首相,全国パンチャーヤット政治集会の開会を宣言。
DIA-303-1979-06-28-2ネパール1979年06月28日1970年代ガネシュ・マン・シン・コングレス党指導者が26日殴打された事件に抗議して,ビンガルジュ商店街閉店スト,犯人ラリット・バハドウール・バスネットは逮捕された。
DIA-303-1979-07-01-1ネパール1979年07月01日1970年代28日から開催されていたパンチャーヤット政治集会は憲法改正に関する次の諸事項を決議した。1.国会議員の普通成人による直接選挙への切換え。2.総理大臣の全国パンチャーヤット議会からの選出。3.内閣は議会に対して責任を負う。4.報道,言論,集会,政治的でない結社,協会設立の自由。5.集会はさらに地勢的条件,宗教的価値,社会的パターン,文化的伝統,歴史的背景,国民の信仰に鑑み,国家主権は国王に存することを認めた。 経済事項の決議(1)小作人の権利の法的保護,肥料・種子の農民への迅速な供与。(2)不合理な土地税,灌漑税の改正,土地パンチャーヤット開発税の廃止。
DIA-303-1979-07-02-1ネパール1979年07月02日1970年代R.H.シャルマ国会議長は,全国農民大会(National Peasants Conventions)開会冒頭,骨子次の通り発言。1.農民は政治においても積極的役割を果たすべきであり,国民投票においてはパンチャーヤット制度の成功のために協力願いたい。2.農民問題はタライと山岳地帯においては性格を異にしており,政治的行政的チャネルを通じて取組むべきである。 B.P.リジャール元首相の発言 1.パンチャーヤット制度は警察力によってではなく,それ自体の力によって生存できたのである,ということを証明できる時がきた。2.国民の願望により行動するのが国王の伝統であり,これはまたパンチャーヤット制度が立脚している基盤でもある。
DIA-303-1979-07-05-1ネパール1979年07月05日1970年代クリシュナ・プラサード・バッタライ・コングレス党総裁代行,バンチ郡多数政党制広報委員会主催大衆集会において骨子次の通り演説。(イ)国民投票実施前に有権者全員に対し,住民票のごときcertificateを発給すべきである。(ロ)王政復古以前,ラナ政権はタライの住民を第二階級市民として取扱ってきた。カーストの相違にかかわらず,ネパールに住む全ての種族はネパール人であり,平等の取扱いを受けるべきである。(ハ)国王はパンチャーヤット制度の欠陥を確信し,国民投票実施の発表を行なったのであり,右選挙の歴史的意義をよく考え,多数政党制度に投票願いたい。多数政党化においてのみ,独立と自尊心を確保し,国民に責任ある政府が可能になる。(ニ)パンチャーヤット制度は経済開発,物価の抑制に失敗し,貯蓄は乱用され,税負担率は増え,汚職は日常茶飯事となっている。
DIA-303-1979-07-08-1ネパール1979年07月08日1970年代6月16日から24項目(ジャナクプール・タバコ工場と同じ勤務条件)を要求して行なわれているビルガンジュ砂糖工場のストライキは依然解決のメドがたたず,労働者側はナラヤン県庁ではなく,中央政府の介入を要求している。
DIA-303-1979-07-09-1ネパール1979年07月09日1970年代S.B.ターパ総理兼大蔵大臣は議会に対し,1979/80年の予算案を提出したが,右によると,歳出4183.8百万ルピー(うち経常支出が1214.3,開発支出が2969.6),歳入2121.3百万ルピーで,不足額は次の通り外国援助に期待している。(イ)無償援助 968.2(i)二国間 793.0(ii)多数国間 175.3(ロ)有償援助 907.9(i)二国間 146.9(ii)多数国間 761.0 上記のように外国援助への期待額は総額18億76百万ルピーに達し,この額は開発関係予算総額の63.2%に及び,全予算総額の44.8%に達し,外国援助への依存度が前年度に比し極めて高くなっている。
DIA-303-1979-07-15-1ネパール1979年07月15日1970年代予算案に対する批判。1.ドウルガ・バハドウール・シャー(ルンビニ県出身)(イ)貧民階級は土地税の廃止から何ら利益を得ない。(ロ)予算配分は非科学的で,4つの開発地域への割当は不満足である。(ハ)貧富の格差の別なく,国民に直接間接利益あるように配分のやり直しを望む。2.B.P.コイララ(元首相)(イ)予算はネパールの経済状態をよく示している。開発資金の大部分は外国援助に依存しているため,国内資金の調達力が低下しているが,それは借款のディスバースと高金利のためである。(ロ)マネー・サプライは年初9ヵ月間で19.27%も増大しているが,もっと増大する見込みである。しかし予算案はこの傾向に対処する何ら具体的な計画も示していない。インフレ傾向は基本的には国民総生産の低下に起因している。(ハ)価格統制は商品の十分な供給がなければ,行政措置のみによるのは不可能である。(ニ)予算は観光という外貨獲得の重要源に言及していないが,右部門は奨励されるべきである。またインドからの観光客を誘致する方策も考慮すべきであり,ダンクタ,バラチエトラ,タンセン,ジャナクプール等を観光地として開発する必要がある。
DIA-303-1979-07-15-2ネパール1979年07月15日1970年代ネパール共産党マンナモーハン・アデイカリ幹事長はカトマンズのサイド・マイダーン広場において演説。(1)パンチャーヤット制度の勝利は困難であり,サボタージュに注意すべきである。(2)選挙管理委員会は国民投票を故意に遅らせている。(3)18~20歳のネパール人男女に投票権を与えないのは不当である。(4)ビラトナガルにおいて国民投票工作資金として7百万ルピーを集金,カトマンズに送金した。
DIA-303-1979-07-16-1ネパール1979年07月16日1970年代政府はネパール航空公団総裁(Executive Chairman)に前エンジニアリング専門学校校長Gaurinath Rimalを任命した。
DIA-303-1979-07-21-1ネパール1979年07月21日1970年代B.P.コイララ元首相はビラトナガルにおける大衆集会において骨子次の通り演説。(1)ネパール国民は今日,過去19年間に象徴される暗黒時代を黙認するか或いは明るい将来を選択するか,意見を表明する自由をもっている。過去19年間,権力の座にあったものは,国家に無関心で国民を搾取してきた。(2)国王と国民は今や一体であり,5月24日付の国王宣言は彼らに打撃を与えた。国民投票を平等かつ公正に行なうためには行政機関は介入すべきではない。国王は論争に引きずり込まれるべきではない。(3)国家開発奉仕活動で地方に在住していた学生を召還したが,これは学生が政党政治のために応援する怖れがあったためであり,もしパンチャーヤットを支持していたら,召還することはなかったであろう。(4)パンチャーヤット委員はそれぞれ500ルピーを支給されているが,彼らは買収されようとしている。教員ストライキの教員側要求をみたすにはさらに2000万ルピーの追加支出が必要である。
DIA-303-1979-07-23-1ネパール1979年07月23日1970年代K.B.シャヒ外務大臣は「ネパール世界問題評議会」においてネパールの外交政策につき,パンチャーヤット制度に対する最も辛辣な批判者でも外交政策を批判の対象としたことはなかった点を強調しつつ,現下の国際情勢を順次に地域別にレヴュー,ネ政府の見解を述べるとともに,最後にハバナの非同盟首脳会議に言及し,同会議は多くの難問をかかえ,一般的には非同盟運動を弱体化せしめるものとみられているが,ネパールは非同盟運動が世界平和への積極的な力として強化されるよう努力すると講演を結んでいる。
DIA-303-1979-07-24-1ネパール1979年07月24日1970年代政府は食糧需給,倉庫施設等をアセスするため,食糧管理委員会(Food Management Committee)を新設した。委員長はマダン・バハドウール・プラダン食糧・農業国務大臣,事務局長にはMukti Prasad Kafle内務省局長が就任した。
DIA-303-1979-07-24-2ネパール1979年07月24日1970年代トウリブバン・ハイウエイはヘタウラ近郊カルダ川の橋梁破損で閉鎖される。
DIA-303-1979-07-25-1ネパール1979年07月25日1970年代肉屋のストライキ初まる。10名逮捕。羊肉,キロ17.50ルピーを20ルピーで売る。
DIA-303-1979-07-29-1ネパール1979年07月29日1970年代物価調査委,主要日用品の適正価格を決定。
DIA-303-1979-08-05-1ネパール1979年08月05日1970年代ネ政府はUddhav Dev Bhatta現外務次官を国連大使に任命した。
DIA-303-1979-08-12-1ネパール1979年08月12日1970年代ネパール石油買付交渉団(代表,Bishwa Pradhanネパール石油公団総支配人は)中東歴訪より帰国した。買付交渉団の代表はイラクはネパールに79年3万トン,80年1万トンの原油を供与することに合意したと発表した。
DIA-303-1979-08-14-1ネパール1979年08月14日1970年代バラジュ工業団地でネパール労働機構のストライキ続行。
DIA-303-1979-08-15-1ネパール1979年08月15日1970年代ネパール政府各省次官人事を発表。1.内務次官代行 Mukti Prasad Kafle(前内務省局長)2.外務次官 Jagdish Shumshere Rana(前外務省局長)3.保健次官 Dr. Laxman Potdyal 保健次官ターラバッタライは退官した。
DIA-303-1979-08-17-1ネパール1979年08月17日1970年代S.B.ターパ総理,パドマ・カンニヤ女子大において,国民投票に関連した各政党の批判・要求等に関して政府側立場を弁明。(1)国民投票廃止,即時複数政党制度へ切換えた上での総選挙の実施は5月24日,国王によって与えられた選択の権利を放棄するものであり,基本的人権の否定につながる。国民投票の結果は安定した強力な民主主義のために全国民によって尊重されるであろう。(2)治安:国民投票実施の阻害要因となるような散発的事件が発生しているが,政府は法と秩序を維持出来ており,国民投票実施への協力は全国民の責任である。(3)インドの政情不安静観(4)政府が国民投票に於いて特殊なグループと提携しているかどうかは別問題であり,政府はあくまで公正な態度をとっており,公務員給与は行政上の事務に対するサラリーであり,運動費ではない。(5)アゥト・カーストは社会統一への障害であり,民法の改正により法的に改善されつつあるが,さらに法の精神の方向でのダイナミックな決定的措置が必要である。
DIA-303-1979-08-24-1ネパール1979年08月24日1970年代国王はトウリブバン大学学長にDr. Mahendra Prasadを任命。同氏の略歴:1916年生。小児科専門医。ビル病院の院長。WHO南アジア地区Assistant Directorでもある。
DIA-303-1979-08-26-1ネパール1979年08月26日1970年代国王は第6回非同盟首脳会議への出発に際し,骨子次のようなメッセージを発出した。1.非同盟の原則をネパールが重視していることは周知の通りであり,全般的には異なったブロックに属する諸国もこの概念を受入れている。今日の非同盟諸国の増加は,それ自身この運動がはずみを得ていることを物語るものである。ネパールは同運動の開始以来常に,この運動こそが,地域と世界の平和実現の道になりうるとの信念のもとに,首脳会議にも積極的に参加してきた。2.非同盟首脳会議はネパールにとって各国首脳との接触の機会を与え,わが国の大きな国益であり,ここにネパール代表団を派遣する決意を行なった。
DIA-303-1979-08-26-2ネパール1979年08月26日1970年代法務次官にDhurbabar Singh Theapaを任命。
DIA-303-1979-08-26-3ネパール1979年08月26日1970年代ビレンドラ国王夫妻北京着。華国峰首相,李先念副首相,姫鵬飛全人代常務委副委員長,黄華外相ら空港出迎へ。
DIA-303-1979-08-27-1ネパール1979年08月27日1970年代バラジュ工業団地の工場労働者ストライキ終結。
DIA-303-1979-08-28-1ネパール1979年08月28日1970年代ネ・中国境合同調査委第4回会議北京で開催。中国:曹勝功首席代表ネパールの団長ビシュパ・プラダハーン局長「ネ・中の国境は平和・友誼の国境であり,その他の国の手本となっている」と語る。
DIA-303-1979-08-29-1ネパール1979年08月29日1970年代議会は全国パンチャーヤット議会議員選挙条令2033の改正法案を可決した。右により全国パンチャーヤット議員は21歳のネパール人男女により,普通成人選挙方式によって選出される。
DIA-303-1979-08-29-2ネパール1979年08月29日1970年代ネ政府(森林省企画局長)とソ連政府(ソ連経済担当参事官)は,樹脂,テルペン油工場設置関連資機材購入契約に調印した。(1)工場はソ連政府からの借款30百万ルーブルにより,極西部に建設される。(2)工場の生産能力は年産,樹脂油(rosin)3000トン テルペン油740トン(3)78年4月に調印された借款協定に基づき,事前調査,設計,資機材の供与。プロジェクトは76年国王訪ソ時のネ・ソ経済・技術協力協定に基づくものである。
DIA-303-1979-08-31-1ネパール1979年08月31日1970年代米国はネパールに対し吊橋36ヵ所の建設費3百万ドル(36百万ルピー)及び人口計画助成資金2百万ドル(24百万ルピー)の向う5年間の無償援助を行なうことになり,右に関する別々の協定が,D.R.パンデー大蔵次官とUSAID駐ネ代表Samuel H.Butterfieldの間で調印された。
DIA-303-1979-09-02-1ネパール1979年09月02日1970年代国王ハバナ着。非同盟会議参加国89ヵ国。
DIA-303-1979-09-07-1ネパール1979年09月07日1970年代日本政府はネ政府に対し輸送力整備計画を実施するために必要な物品及び役務12億円(66.7百万ルピー)の無償援助を供与することになり,右に関する交換公文が樋口代理大使及びパンデー大蔵次官の間で調印された。右はバス30台,コンテナ・トラック7台の他,自転車修理工場の建設,バス停,停留所の改善に使用される。
DIA-303-1979-09-09-1ネパール1979年09月09日1970年代ネ・印産業協力,次官レベル会談で合意。ネ側,Diraharaj Kairala商工次官 印側,B. Krishnamurthi重工業次官 1.ネパールはウダヤプール・セメント工場に関連し,Jayanagar-Laxmipur間の鉄道建設に合意した。鉄道は3年間で完成,セメントは4年間で完成。2.ネ・印合弁案件:紙パルプ工場基礎調査団(40名)1年以内に来ネして調査する。3.印側が合意した案件(イ)Hetauda Polytechnic Institute (ロ)Nepalguny Technical Training Centre (ハ)Butwal工業団地インフラ整備計画(所要経費,85百万ルピー)(ニ)Power Tiller Assembly Plant,その他国境チェック・ポストの新設。
DIA-303-1979-09-10-1ネパール1979年09月10日1970年代S.B.ターパ首相,全国退役軍人総会にて演説。1.今日,全国民に与えられている任務は,民主主義に対する確固たる信念を抱く国王が国民に与えた意見を表明する独特な重要な機会である国民投票への平和な環境作りに貢献することである。国民投票は国家の開発を早あるレールを敷くであろう。2.無政党政治と複数政党政治復活に関する国民の意見を徴する国民投票は政治に新な局面を与えるものであり,これを妨害することは基本的人権を踏みにじることと同じである。
DIA-303-1979-09-10-2ネパール1979年09月10日1970年代FAOはInternational Fertilizer Supply Schemeにより肥料5,000トンをネ政府に追加供与することになり,右に関する交換公文がFAOとネパール政府の間で調印された。肥料はAgricultural Input Corporationを通じ分配され,FAO,HMG共認プロジェクトに使用される。
DIA-303-1979-09-18-1ネパール1979年09月18日1970年代朝鮮民主主義人民共和国は,ネパール王国駐在朝鮮特命全権大使として黄斗浩(音訳Hwang Du ho)を任命した。
DIA-303-1979-09-19-1ネパール1979年09月19日1970年代国王王妃ニューデリー着,レデイ・インド大統領を表敬訪問,チャラン・シン首相と会談。インディラ・ガンディ,J.ラーム国防相A.B.バジパイ外相と引見。
DIA-303-1979-10-02-1ネパール1979年10月02日1970年代ネパール共産党の5つの分派(ケシャル・ジュング・ライマジの率いる親ソ派を除く)は国民投票運動に着手するため統一戦線を結成した。
DIA-303-1979-10-11-1ネパール1979年10月11日1970年代非合法の会議派のリーダー・ディリ・ラーマン・レグミはアッサム地方のネパール人を含む外国人が強制退去させられていることに憂慮を表した。
DIA-303-1979-10-12-1ネパール1979年10月12日1970年代シュレスタ内相はSankhuwasabha地区のパンチャーヤット大会ですべてのネパール市民は,非政党と多党制を選ぶ権利を持っている,そのために法と秩序の維持は政府のみならず政治家の責任であると演説した。
DIA-303-1979-10-14-1ネパール1979年10月14日1970年代オランダのライ救済協会は7つの病院建設用に4386万ルピーを贈与。
DIA-303-1979-10-17-1ネパール1979年10月17日1970年代非合法の会議派の指導ディリ・ラーマン・レグミはパンチャーヤット制の存在する限り公平無私の国民投票実施など問題外であると述べ,非パンチャーヤット政府樹立とパンチャーヤット解体を呼びかけた。
DIA-303-1979-11-01-1ネパール1979年11月01日1970年代ワチラロンコン・タイ皇太子夫妻,ギャネンドラ皇太子の招待によって5日間公式来訪。
DIA-303-1979-11-11-1ネパール1979年11月11日1970年代民主主義擁護の学生連合の学生700人,テロ防止政策の断行を要求してカトマンズの主要道路をターパ首相官邸へ向けてデモ。
DIA-303-1979-11-13-1ネパール1979年11月13日1970年代国王,パンチャーヤット選挙に関する9法案を裁可。以後村落と国家パンチャーヤット選挙は成人直接選挙となる。B.P.コイララ元首相は,ビレンドラ国王の5月24日の国民投票実施声明以後は,暫定政権には選挙手続き等の改変はできないはずであると論評。K.J.ライマジ親ソ派共産党議長は,国民投票を前に現在の制度を改革することは国王の宣言の精神に反するものであり,重ねてパンチャーヤット制の停止を訴えた。
DIA-303-1979-11-15-1ネパール1979年11月15日1970年代国民投票法によれば,ネパール市民は制限付きで自己の意見を表明することができる。制限の主なものをあげると政治的目的をもったいかなる党派,組合,協会も組織できないし,国民投票を目指して運動することもできない。また公務員,教師,公社公団の職員,銀行員などは国民投票のための運動に参加できない。
DIA-303-1979-11-16-1ネパール1979年11月16日1970年代ターパ首相はJanakpurdhamでの大衆集会で演説し,もし脅迫や暗殺を手段とするなら民主主義は逃げていってしまうだろうと演説した。
DIA-303-1979-11-20-1ネパール1979年11月20日1970年代黄華中国外交部長は,シャヒ外相の招きで11月20日より5日間ネパールに公式に来訪し両国国境議定書に調印した。国境議定書は両国の国境1414.7kmの国境を画定したもので,77年5月以来両国合同調査委員会が調査・修復を行なって作成したものである。議定書によれば現在の50万分の1の地図に代えて5万分の1の地図を作成する。ネパール側高官によればインド,ネパールおよび中国の領土が合するネパールの東と西の2点は画定されず,中印関係の正常化を待つことになった。
DIA-303-1979-11-20-2ネパール1979年11月20日1970年代ガンダク・プロジェクトのSurajkur水力発電所は15日から700KWの電力供給を開始。
DIA-303-1979-11-22-1ネパール1979年11月22日1970年代日本,食糧増産計画に79.7百万ルピーを供与。
DIA-303-1979-11-25-1ネパール1979年11月25日1970年代家内工業・村落工業局の発表によれば,工業部門はGDPの11%を占め,家内工業は7%を占めている。
DIA-303-1979-12-04-1ネパール1979年12月04日1970年代ルンビニで国際仏教会議開催。
DIA-303-1979-12-07-1ネパール1979年12月07日1970年代ソ連は駐ネパール大使にラクマン・カリル・オグリ・ペジロフ(Rakhmam Khalil Ogly Vezirov)を任命。
DIA-303-1979-12-11-1ネパール1979年12月11日1970年代Kosi丘陵地帯の農村開発のために英国は1億1368万ルピーを供与する予定。
DIA-303-1979-12-12-1ネパール1979年12月12日1970年代国民選挙委員会は75地区すべてで選挙人名簿を完成した。
DIA-303-1979-12-16-1ネパール1979年12月16日1970年代ビレンドラ国王は父マヘンドラ王と憲法の記念日に全国へメッセージを発出し,民主主義を擁護する約束を再確認するとともに,国民投票は国民の意思実現を助けるばかりでなく,国の取るべき進路をも決定するであろうと述べた。
DIA-303-1979-12-17-1ネパール1979年12月17日1970年代バングラデシュのマウドッド・アーメッドMo udud Ahmed)副首相,4日間の公式来訪,ネパール首脳と水力発電,水資源,洪水制禦などについて討議。
DIA-303-1979-12-18-1ネパール1979年12月18日1970年代トリブバン大学当局は一部学生による法学部の封鎖に関連してアカデミックな雰囲気を損なわないようにと全学生に告示。
DIA-303-1979-12-18-2ネパール1979年12月18日1970年代非合法となっている会議派の指導者Bhattaraiは16日の国王のメッセージは民主主義のために戦っている自由を愛している人々にとって歓迎すべきものであると述べた。
DIA-303-1979-12-20-1ネパール1979年12月20日1970年代食糧・農業省は西部・最西開発区の干ばつ被災に対して40,000トンの食糧(穀類)を分配すること,さらにネパール国内で20,000トンを準備することを決定した。
DIA-303-1979-12-22-1ネパール1979年12月22日1970年代政府は砂糖価格をキロ当り4.80ルピーから5.25ルピーに引上げると発表した。
DIA-303-1979-12-23-1ネパール1979年12月23日1970年代非合法の会議派リーダーの1人デイリ・ラーマン・レグミはHetaudaでの演説で民主主義のための戦いは非暴力でなければならない。何故なら暴力闘争は永続きしないからであると述べた。
DIA-303-1979-12-25-1ネパール1979年12月25日1970年代今年のメイズ生産量は干ばつのため昨年の74万2000トンより25%少ない55万4000トンとみられている。
DIA-303-1979-12-26-1ネパール1979年12月26日1970年代マン・アディカリ(Man Adhikari)親中ネパール共産党指導者,政党制導入の必要を演説して逮捕された。
DIA-303-1979-12-27-1ネパール1979年12月27日1970年代ADB, Mulghat水力発電プロジェクト資金として1860万ドルの借款供与を承認。