ID 国名 日付 年代 内容
DIA-303-1980-01-04-1ネパール1980年01月04日1980年代食糧供給特別委設立―政府は旱魃で22万トンの食糧不足が見込まれていることから,不足食糧の調達,輸送,配分について立案・実施するための委員会(20人)を設立した。
DIA-303-1980-01-04-2ネパール1980年01月04日1980年代Shahi外相,ソ連のアフガン侵攻非離―外相は外人記者団と会見,ソ連のアフガン侵攻は非同盟・主権国の内政に対する軍事的介入であり,南アジアの平和と安定を脅かすとのべた。
DIA-303-1980-01-05-1ネパール1980年01月05日1980年代旧ネパール会議派指導者G.Singhは現政府の退陣と国民投票を公正に行なうための暫定内閣樹立を要求した。
DIA-303-1980-01-06-1ネパール1980年01月06日1980年代旧ネパール会議派指導者B.P.コイララはカトマンドゥの大衆集会で演説,現政府の解散は要求しないが,国王の5・24宣言の速やかな実施,政治犯釈放,亡命者の自由な帰国,政治犯裁判中止と刑執行の停止を要求した。集会には3万5000人の聴衆が集まり反政府系集会としては最大。
DIA-303-1980-01-11-1ネパール1980年01月11日1980年代民間投資低調―民間資本は政治の先行不安のため,政府の設立認可は受けても投資を手控えている。
DIA-303-1980-01-13-1ネパール1980年01月13日1980年代トリブベン大学,再開。
DIA-303-1980-01-13-2ネパール1980年01月13日1980年代選挙管理委員長に元内務次官のSher Bahadur Shahi就任。
DIA-303-1980-01-14-1ネパール1980年01月14日1980年代7閣僚辞任―国会議員の任期ぎれのため7閣僚辞任。Shahi外相,H.Rajauriya商工観光相,B.B.Singh保健担当相,D.S.Rai国防副大臣,A.Lama森林副大臣,S.P.S.Yadav灌漑副大臣K.Joshi内務副大臣。
DIA-303-1980-01-15-1ネパール1980年01月15日1980年代10閣僚任命―Shahi外相(14日辞任して再任された),B.Ghartimagar国防相,M.Singh電力・水利相,国務相3人,副大巨4人が任命された。
DIA-303-1980-01-23-1ネパール1980年01月23日1980年代石油製品価格,引上げ―石油輸入価格上昇に伴う措置でガソリンは1リットル8.3Rs.,ケロシンは4.25Rs.に引上げられた。これにより,バス料金および航空運賃も引上げられる。
DIA-303-1980-01-31-1ネパール1980年01月31日1980年代全国学生ユニオン設立大会開催―政府の干渉をうけない新全国学生ユニオン設立を目指す学生大会で,中央暫定委員会設置を定め,委員長にB.Pathakを選出した。
DIA-303-1980-01-31-2ネパール1980年01月31日1980年代ネパール債権国会議,パリで開催―Raj Panday計画委副議長がネパール経済の現状を説明,今年度新規援助として70億ルピーを要請すると共に,緊急食糧備蓄計画用の食糧20万トンの援助を求めた。
DIA-303-1980-02-05-1ネパール1980年02月05日1980年代旧ネ会議派の2派が合同―B.S.Garung派とP.Upadhyaya派が合同したもの。B.P.コイララ派は合同に反対した。
DIA-303-1980-02-10-1ネパール1980年02月10日1980年代B.P.コイララ,国王との協力呼びかけ―地方都市で演説したコイララ氏は「現在重要なことは国王と国民が協力してネパールを繁栄させることである。国王は5月24日の宣言,12月16日の声明により民主主義を約束した」とのべ,さらに旧政党の統一戦線の結成あるいは合同会議の開催には消極的な発言を行った。
DIA-303-1980-02-15-1ネパール1980年02月15日1980年代カトマンドゥで物価上昇抗議デモ―PeoPle’s Front Nepal主催のデモで,市内の商店も多くは閉店してデモを支持した。
DIA-303-1980-02-18-1ネパール1980年02月18日1980年代Democracy Day,国王のメッセージ―ビレンドラ国王は民主主義の日を記念して,国民に次のようなメッセージを送った。「民主主義の形態は国により異なるものである。過去19年間,パンチャヤット民主制はネパールの民族主義を守り,国民生活改善にも役立った。しかし,国の内外での変化は,この制度の継続の正当性について疑問を生じさせている。だから我々は国民投票を提唱した」
DIA-303-1980-02-18-2ネパール1980年02月18日1980年代インド外務次官,訪ネ(~19日)―R.D.Satheインド外務次官が訪ネ,J.S.Ranaネ外務次官と会談,アフガニスタン問題,両国経済協力問題,水資源共同開発問題について協議した。Sathe外務次官はネ首相・外相とも会見している。
DIA-303-1980-02-21-1ネパール1980年02月21日1980年代対ドル交換レート,引上げ―ネパールでは1978年3月より二重為替制をとっており,今回はそのうち第Ⅱ交換レートをドル16ルピーから14ルピーへと引上げた。第Ⅰ交換レートは1ドル12ルピーで不変。
DIA-303-1980-02-21-2ネパール1980年02月21日1980年代国会議員,政府を批判して辞任―S.Sharma議員は声明を発表,政党政治への復活を直ちに実行すべきだと主張,政府がこれを認めないため辞任するとのべた。
DIA-303-1980-02-21-3ネパール1980年02月21日1980年代駐ネ・ソ連武官のレセプション―陸軍デーを記念したものだが,西側・パキスタン・中国はボイコット,バングラ・ビルマ・インドは出席。
DIA-303-1980-02-22-1ネパール1980年02月22日1980年代政府,砂糖価格引上げ―砂糖キビ減産と輸入砂糖価格上昇のため,1kg5.25Rs.を7Rs.に。
DIA-303-1980-02-24-1ネパール1980年02月24日1980年代ビレンドラ国王夫妻,スリランカ公式訪問(~27日)―ジャヤワルデネ大統領,プレマデサ首相と会談,27日には共同声明を発表,アフガン,カンプチアからの外国軍の撤退と非同盟政策堅持で同意した。
DIA-303-1980-02-27-1ネパール1980年02月27日1980年代ビレンドラ国王夫妻,シンガポール非公式・友好訪問(~3月2日)。
DIA-303-1980-03-02-1ネパール1980年03月02日1980年代ビレンドラ国王,ビルマ,バングラデシュを非公式訪問(~6日)―ネ・ウィン議長,ジア大統領と会談し,非同盟諸国の関係強化,2国間問題について話し合った。
DIA-303-1980-03-06-1ネパール1980年03月06日1980年代国王,インド公式訪問(~8日)―レディ大統領,ガンジー首相と会談,アフガン事件後の南西アジア情勢について協議した。大統領主催夕食会で国王は「我々の資源を,関係する多数国のため最大限有効に利用する原則に基づき,インドと二国間の,あるいは地域間共同のプロジェクトを実施する用意がある」「我々は強力で安定したインドがネパールにとって防波堤となり,逆に安定したネパールがインドにとってもそうであると信じている」とのべた。7日共同声明発表。
DIA-303-1980-03-06-2ネパール1980年03月06日1980年代全国教師連合,スト―全国の小・中・高校教師が民主的権利と経済要求を掲げてストに突入した。
DIA-303-1980-03-09-1ネパール1980年03月09日1980年代日本,5982.9万円の商品借款供与。また1978年4月~1980年3月までの負債返済分を贈与とした。
DIA-303-1980-03-10-1ネパール1980年03月10日1980年代ネ貿易代表団,訪印(~16日)―ネ商業会議所R.B.Chipalu総裁を団長とする10人。
DIA-303-1980-03-10-2ネパール1980年03月10日1980年代B.P.コイララ,ジャナカプールで演説―ネパールの存在は国王なしには危機に直面することになり,民主主義のみが国王を守ることができる,と発言。
DIA-303-1980-03-11-1ネパール1980年03月11日1980年代FAO,緊急食糧援助407.2万ドル供与。
DIA-303-1980-03-15-1ネパール1980年03月15日1980年代ディーゼル不足深刻化―インドからのディーゼル供給がストップしたことから,必要量の40%しか供給できなくなり,バス・トラックの運行,生産活動,開発プロジェクト実施に影響が出ている。輸送費ははね上り,ポカラなど地方都市では物価にはねかえっている。
DIA-303-1980-03-21-1ネパール1980年03月21日1980年代文部省副大臣Kulpana Bista夫人,病気で辞任。
DIA-303-1980-03-22-1ネパール1980年03月22日1980年代ミルク生産者,スト―生産者は買上げ価格を1l2.2ルピーから3.5ルピーに引上げること,低利農業ローン供与,改良仔牛の公定価格での供給などを要求してスト。
DIA-303-1980-03-24-1ネパール1980年03月24日1980年代カトマンドゥ・バス運転手,スト―運転手の安全を保障すること,バス運転手のための独立した労働組合の設立などを要求してストに入った。
DIA-303-1980-03-24-2ネパール1980年03月24日1980年代タバコ葉の買上げ価格,引上げ―タバコ開発公社はタバコ葉の買上げ価格を引上げた。
DIA-303-1980-03-25-1ネパール1980年03月25日1980年代カトマンドゥで物価値上げ反対デモ―学生および農民組織による。
DIA-303-1980-03-26-1ネパール1980年03月26日1980年代英N.Marten海外開発相,訪ネ(~31日)―タパ首相らと会見,緊急食糧援助の供与を約束。
DIA-303-1980-03-30-1ネパール1980年03月30日1980年代ガーリ・エジプト外相,訪ネ(~4月2日)―同外相はネパールを訪れた最初のエジプト高官。
DIA-303-1980-04-02-1ネパール1980年04月02日1980年代国民投票日は5月2日と発表―選挙管理委員会は今後の政治体制に関する国民投票を5月2日に行なうと発表した。有権者720万人は全国9935ヵ所の投票所で,パンチャヤット制支持なら投票用紙の黄色部分に,政党制支持なら同スカイブルー部分にスタンプを押して投票箱に入れる。公正を期すため,投票所には両派支持者から2~4人の代表が監視人として立合う。
DIA-303-1980-04-04-1ネパール1980年04月04日1980年代ネ石油需要―1980年の需要はディーゼル5500万l,ケロシン4500万l,航空燃料1900万l,原油1200万l。
DIA-303-1980-04-05-1ネパール1980年04月05日1980年代ソ連・フィリュービン外務次官,訪ネ(~7日)―非公式訪問だが,Shahi外相,タパ首相らと会談。
DIA-303-1980-04-05-2ネパール1980年04月05日1980年代チベットから友好代表団,訪ネ(~14日)―Ren Ron団長以下12人で,ネパール各地を訪問,大歓迎をうけた。
DIA-303-1980-04-07-1ネパール1980年04月07日1980年代ネ・バングラ合同経済委員会開催―サイフル・ラーマン,バングラ商相が訪ネ,貿易決済・水資源開発における協力について討議した(~10日)。
DIA-303-1980-04-08-1ネパール1980年04月08日1980年代ネ・バ合同経済委員会開催―両国の貿易拡大,水資源開発,合弁企業設立での協力について協議した。
DIA-303-1980-04-08-2ネパール1980年04月08日1980年代ネ・豪協力協定に調印―2空港の無線設備への協力で総額406.4万ルピー。
DIA-303-1980-04-12-1ネパール1980年04月12日1980年代ネパール暦2037年,国王の新年メッセージ―わが国にとってベストと考えられる政治制度をめぐって国民投票を行なうことは,歴史的に重要である。我々は国民の意志を尊重する。すべての有権者が参加するよう希望するものであり,その意味からも政治犯と指定されている人々に対して特赦を与える。
DIA-303-1980-04-14-1ネパール1980年04月14日1980年代Bagamati,Narayani省で政治犯22人釈放。
DIA-303-1980-04-19-1ネパール1980年04月19日1980年代マクナマラ世銀総裁,訪ネ(~20日)―国王,タパ首相と会見,R.S.Rana計画委副議長と第6次5ヵ年計画に対する外国援助問題について討議した。
DIA-303-1980-04-24-1ネパール1980年04月24日1980年代旧会議派指導者B.S.Rana,インド亡命から帰国―国王の特赦で10年ぶりにインドから帰国したもので他に26人の亡命者も帰国。
DIA-303-1980-04-29-1ネパール1980年04月29日1980年代国王,国民投票にむけてメッセージ―国民投票はひとつの国の歴史の中でも数多くあるものではない。いかなる制度を選ぶにせよ,民主主義を信奉するならば,国民投票が困難となるようなことはすべきでなく,平和的に投票に参加するよう国民に訴える。
DIA-303-1980-04-29-2ネパール1980年04月29日1980年代アジア開発銀行と2つの協定に調印―①送電線プロジェクト1860万ドル,②家畜プロジェクト1228万ドルの供与。
DIA-303-1980-05-02-1ネパール1980年05月02日1980年代国民投票,実施―1979年5月24日国王宣言により,今後の政治制度として,①現行パンチャヤット制に必要な改革を加えて存続させるか,②多数政党による議会制を復帰させるか,をめぐって,ネパール史上初めての国民投票が全国一斉に行なわれた。有権者総数は715万9678人,投票所は外国に19ヵ所,国内に10,006ヵ所おかれている。
DIA-303-1980-05-02-2ネパール1980年05月02日1980年代8投票所で両派衝突,投票は4日以降に延期された。5投票所は雷雨のため延期。
DIA-303-1980-05-07-1ネパール1980年05月07日1980年代中国へ貿易使節団派遣―ネパール商業会議所連盟I.B.Shrestha総裁を団長とする貿易使節国は3週間の予定で中国各地を訪問する。
DIA-303-1980-05-13-1ネパール1980年05月13日1980年代パンチャヤット制支持者,過半数越す―選挙管理委員会は国民投票結果を発表した。それによると投票率は66.9%,パンチャヤット制支持者は有効投票の54.8%,政党制支持者は同45.2%,その差は9.6%。全国75県のうち54県(72%)ではパンチャヤット制支持者が多数を占め,21県(28%)では政党支持者が多数派となった。21県は主として南部ネパールおよびカトマンズ盆地にあり,経済的にも開発がすすみ,教育も普及している地方である。
DIA-303-1980-05-14-1ネパール1980年05月14日1980年代ビレンドラ国王,声明発表―国民はパンチャヤット制民主主義を必要な改革を条件として支持した。国民の意志は政策決定の主要な基盤となるべきだ。民主社会において多数者の意見が基本となるのはもちろんだが,少数者の意見もまた尊重されねばならない。国民が過去の対立を越え,平和・繁栄・発展のために統一するよう期待する。近く必要な憲法改正を行なう予定である。
DIA-303-1980-05-14-2ネパール1980年05月14日1980年代タパ首相,記者会見―すべての国民がパンチャヤット制というmainstreamに参加することを望む,と発言。
DIA-303-1980-05-14-3ネパール1980年05月14日1980年代全国パンチャ大会執行委員会,声明発表―パンチャヤット制の勝利はこれがネパールの文化と伝統に根ざしているからだ。政党政治は今日から終りになった。
DIA-303-1980-05-14-4ネパール1980年05月14日1980年代B.P.コイララ氏,記者会見―我々は国民の選択を受入れる。しかし政党制支持者が45%を占めたことは,これもひとつのmainstreamであることを示す。今後は民主的権利を拡大し,平和的手段で完全な民主化を達成するために闘う。
DIA-303-1980-05-21-1ネパール1980年05月21日1980年代国王,憲法改正委11人を任命―委員長は最高裁長官代理S.B.Sharma.
DIA-303-1980-05-23-1ネパール1980年05月23日1980年代ネ・オリンピック委,モスクワ五輪参加決定。
DIA-303-1980-05-29-1ネパール1980年05月29日1980年代言論・出版の自由法2037,公布。
DIA-303-1980-05-31-1ネパール1980年05月31日1980年代地方開発省を新たに設置。
DIA-303-1980-06-01-1ネパール1980年06月01日1980年代タパ首相,内閣大幅改造―閣僚13人,国務相3人,副大臣7人,合計23人からなる実務型内閣を組閣した。前内閣からの横すべり12人,元大巨経験者9人で,新規は2人のみ,うち1人はDr.Y.P.Pant大蔵担当国務省・前駐日大使(閣僚名簿は資料参照)。
DIA-303-1980-06-08-1ネパール1980年06月08日1980年代言論・出版の自由法への批判強まる―5月末公布の同法は言論・出版に大幅な制限を加えたものであるとして批判が強まっている。とくに政党・政治団体の名で出される出版物の禁止,集会・デモの大幅制限,国王,王族批判の禁止,軍・警察・官僚批判の制限などに反発している。
DIA-303-1980-06-10-1ネパール1980年06月10日1980年代憲法改正委,改正憲法に対する提案・意見を改正委に提出するよう呼びかけ。
DIA-303-1980-06-12-1ネパール1980年06月12日1980年代農業信用状況調査―1976/77年度調査によれば,農業資金需要の58%は民間の金貸しに依存し,公的機関はその42%しか賄っていない。しかも借金をしている農家の76%は金貸しから借りている。1976/77年度の公的機関の資金の73%は大規模農家に貸付けられ,資金を最も必要とする小・貧農にはその11%しか貸付けられていない。
DIA-303-1980-06-15-1ネパール1980年06月15日1980年代Rastriya Panchayat(国民議会)第31回会議開催
DIA-303-1980-06-16-1ネパール1980年06月16日1980年代Ragtriya Panchayat議員4人に辞任要求―同4人は国民投票に際し政党制支持の活動をしていたことから,他の議員が辞任を要求したもの。すでに議員1人が政党支持活動をしたため辞任している。
DIA-303-1980-06-18-1ネパール1980年06月18日1980年代国王,国民議会議長としてLokendra Bahadur Chand氏任命。
DIA-303-1980-06-18-2ネパール1980年06月18日1980年代憲法改正委,地方へ―憲法改正委メンバー7人は地方住民の憲法提案を聴取するため各地方都市へ。
DIA-303-1980-06-20-1ネパール1980年06月20日1980年代B.P.コイララ氏,憲法改正案を提出―憲法改正委の呼びよけに答えて各界の人々から改正案が出されており,コイララ氏も国王の権限を大幅に縮小し,基本的人権を保証する内容の改正案を提出したもの。旧政党指導者のうち,共産党系左派グループは改正案提出を拒否している。
DIA-303-1980-06-27-1ネパール1980年06月27日1980年代1980/81年度インドの対ネ経済援助は1.75億ネパール・ルピー。使途はマヘンドラ道路,Devighat水力発電など。
DIA-303-1980-06-28-1ネパール1980年06月28日1980年代駐米大使にB.B.Thapa前蔵相を任命。
DIA-303-1980-06-28-2ネパール1980年06月28日1980年代Rana外務次官,スリランカ訪問。その後パキスタン,バングラデシュ歴訪。
DIA-303-1980-06-30-1ネパール1980年06月30日1980年代セメント販売価格引上げ―インド製セメントは1袋69ルピー,韓国製紙袋入セメントは110ルピー(ジュート袋入は71ルピー),国産セメントは76ルピー。
DIA-303-1980-07-01-1ネパール1980年07月01日1980年代米価高騰―下級米で1kgが3ルピーから3.4ルピー,上級米が同3.9ルピーから4.75ルピーに。
DIA-303-1980-07-04-1ネパール1980年07月04日1980年代ブルガリアと貿易・決済協定に調印。
DIA-303-1980-07-04-2ネパール1980年07月04日1980年代経済事情,1979/80発表―1979/80年度は第5次5ヵ年計画の最終年度に当るため,経済事情は第5次計画全体の評価も行っている。①第5次計画までに経済・社会インフラは前進がみられたが,生産の増加に反映せず,人々の生活条件は殆ど変らなかった,②第5次計画は生産部門への投資に力を入れ,GDPの年成長率を4~5%と見込んだが,実績は2%の年成長率でしかなく,人口の年増加率2.6%を大幅に下回った,③投資実績は計画額を上回ったのであり,経済不振の原因は,農業部門の停滞にある。とくに食糧生産は,計画当初4ヵ年平均が年わずか0.5%の増産,1979/80年度は13.4%減産であった,④換金作物は年平均8%伸びて来たが,1979/80年度は1.3%の伸びに止った,⑤農業生産の不振は天候が悪かったことの外に,灌漑設備,肥料,営農資金,技術普及などが十分に為されなかったことによる⑥工業部門の成長率は計画全体で年平均5%以下と不振であった。政府の優遇政策にも拘らず民間投資も低調であった,⑦発電部門は目標を大幅に下回り,水力発電は目標56,400kwのところ,実績は15,345kwにとどまった。
DIA-303-1980-07-07-1ネパール1980年07月07日1980年代1980/81年度予算案,国会へ提出―パント大蔵担当相が提出したもので,主な内容は,①歳出合計は48.68億ルピーで前年度改定予算比37%増,経常支出の増加率は21.6%,開発支出のそれは45.5%と大幅に増加した,②資金調達は国内資金(歳入)で24.14億ルピー(全体の49.6%),外国援助資金で20.48億ルピー(同42.1%),残り4.06億ルピーは国内借入金2.50億ルピーと赤字分1.55億ルピーとなる,③外国援助資金は前年度改定予算比50%の大幅増となる。
DIA-303-1980-07-11-1ネパール1980年07月11日1980年代ネパール石油公社,ガソリン価格をリットル当り8.3ルピーから9.3ルピーに引上げ。
DIA-303-1980-07-13-1ネパール1980年07月13日1980年代国会議員26人,連名で憲法改正提案を提出。
DIA-303-1980-07-14-1ネパール1980年07月14日1980年代閣僚など14人,憲法改正案を共同提案。
DIA-303-1980-07-16-1ネパール1980年07月16日1980年代ネパール政府,「天然痘僕滅」を宣言。
DIA-303-1980-07-19-1ネパール1980年07月19日1980年代J.S.ラナ外務次官,ブータン訪問(~24日)。
DIA-303-1980-07-28-1ネパール1980年07月28日1980年代ネ・印Inter-Govermental Committee開催―インド商務次官が訪ネ,貿易,通過貨物,決済状況を検討。
DIA-303-1980-07-29-1ネパール1980年07月29日1980年代西部ネパールで大地震―西・極西部ネパールに大地震あり,家屋の95%が倒壊し,死者多数。
DIA-303-1980-07-31-1ネパール1980年07月31日1980年代J.Rana外務次官,インド訪問。
DIA-303-1980-08-02-1ネパール1980年08月02日1980年代人口推計―中央統計局の推計では1980年央の人口は1386万7793人。
DIA-303-1980-08-02-2ネパール1980年08月02日1980年代カンパ族反乱分子7人に終身刑判決。
DIA-303-1980-08-06-1ネパール1980年08月06日1980年代公務員に月60ルピーの配給クーポン支給―公務員の生活安定のため,月給に追加して60ルピーの配給クーポンを支給する。同クーポンは公正価格店で食糧品を購入するに使う。現金で受取ることも可。公正価格店は各Districtに1つ置き,米,豆,雑穀,砂糖,食用油を取扱う。
DIA-303-1980-08-07-1ネパール1980年08月07日1980年代対米ドル交換レート―中央銀行は1米ドルの交換レートを11.60ルピーに変更。
DIA-303-1980-08-12-1ネパール1980年08月12日1980年代USAID,2680万ドル贈与―Rapti Zoneの総合農村開発資金援助で5年間に支出される。
DIA-303-1980-08-13-1ネパール1980年08月13日1980年代言論・出版の自由法,発効―Freedom of Speech and Publication Actで,きびしい制約の下に言論,出版の自由を認めたもの。制約の主なものは,①政党の名前を使ったあらゆる組織の出版・印刷物は禁止,②国の主権を脅かし,国民の間に対立をもち込む出版物は禁止,③軍・警察・公務員の業務を妨げる出版物も禁止。これに伴いControl of Organisation & Association Act 2019,Local Adminiatration Act 2028も修正される。
DIA-303-1980-08-18-1ネパール1980年08月18日1980年代下級公務員に物価手当支給―月18ルピーの物価手当を下級公務員Non-Gazettedにのみ支給する。
DIA-303-1980-08-18-2ネパール1980年08月18日1980年代印ネ貿易について―ネ商工業担当相は国会で,①インドは対ネパール輸出割当を商務省内に作り,必ず輸出するよう努力する,②インドはその港湾を通してのネパールと第3国との交易には最大限の協力をする,ことが約束されたとのべた。
DIA-303-1980-08-20-1ネパール1980年08月20日1980年代スイス,1.859億ルピーの贈与―Lamo SanguとJiri間の道路建設に1.144億ルピー,丘陵地帯総合開発事業に7150万ルピー。
DIA-303-1980-08-22-1ネパール1980年08月22日1980年代日本,20億円の贈与―2つの覚書きに調印したもので,①15億円(7900万ルピー)は送電線工事資金,②5億円(2600万ルピー)はSteel Barの日本からの輸入。
DIA-303-1980-08-22-2ネパール1980年08月22日1980年代中国,チベット国境貿易禁止令を解除。
DIA-303-1980-08-31-1ネパール1980年08月31日1980年代USAID,6170万ドルの贈与―2つの贈与協定に調印した。①3420万ドル(総合農村保健・家族計画事業),②2750万ドル(Resource Conservation & UtiliZation Project)で,1980年9月から5年間に供与。
DIA-303-1980-08-31-2ネパール1980年08月31日1980年代北朝鮮政府代表団(団長Kim Gyong Ryon副首相以下6人),訪ネ(~9月4日)。
DIA-303-1980-09-01-1ネパール1980年09月01日1980年代チベット貿易代表団訪ネ(~15日)―チベット自治区Puquing副議長を団長とする4人で,14日の最終会議でネパール・チベット間貿易の拡大,貿易地点の増加,ネパールはチベットから山羊・羊など6千頭を輸入することに合意された。
DIA-303-1980-09-02-1ネパール1980年09月02日1980年代Rana外務次官,ビルマ・中国訪問に出発―同外務次官はこれまで南アジア5ヵ国を訪問しており,今回はビルマ,中国。
DIA-303-1980-09-02-2ネパール1980年09月02日1980年代WHO,保健活動に322万ドル供与。
DIA-303-1980-09-07-1ネパール1980年09月07日1980年代シンガポール首相,訪ネ―英連邦地域首脳会議(インド)出席の帰路1日だけ立寄ったもので,国王を表敬訪問後タパ首相と会談した。昼食会で歓迎の辞をのべたタパ首相は,シンガポールがネパールの「平和地帯宣言」を支持したことに感謝した。
DIA-303-1980-09-09-1ネパール1980年09月09日1980年代憲法改正委員会,国王に憲法改正案を提出―同委員会委員長B.D.Sharmaの最高裁判事は国王を訪ね,改正案を提出した。国王は同委員会を9月17日付で解散した。
DIA-303-1980-09-14-1ネパール1980年09月14日1980年代UNFPA,3.18億ルピーの贈与―5年間に供与される人口・家族計画資金協力で,うち1.8億ルピーはUNFPA資金,残りはMulti-biで集める。
DIA-303-1980-09-15-1ネパール1980年09月15日1980年代ネパール学生連盟,抗議の日―各地で集会・デモを行ない,民主主義復活,基本的人権擁護,物価引下げ,授業料引下げ,奨学金数増加などを要求した。
DIA-303-1980-09-17-1ネパール1980年09月17日1980年代ジュート最低価格決定―商・工業相はジュートの最低価格を40kgで70Rsとする旨発表した。これは国際価格より高く,輸出による差額は補助金で充当する。
DIA-303-1980-09-21-1ネパール1980年09月21日1980年代Local Administration(改正)法,発効―Zonal CommissionerあるいはChief District Officerは,法と秩序が脅かされていると判断したとき,特定地域を一定期間,Disturbed Areaと宣言し,外出禁止令を公布する権限を有し,違反者は逮捕して最大1ヵ月の拘禁,最高1000ルピーの罰金を課すことができる。外出禁止令下で警察は発砲することが認められ,集会・デモの禁止,学校等の閉鎖,家宅捜査も認められ。期間はZCが1ヵ月,CDOが2週間で,中央政府の承認を得れば3ヵ月まで延長可。
DIA-303-1980-09-24-1ネパール1980年09月24日1980年代パンチャヤット制改革の内容をめぐって,体制内部の意見対立―内部統一をはかるため,Pancha Mahasabha(15人),Pancha Coordination Committee(17人),8つのSub-Committee(各7人)の設立を決めた。
DIA-303-1980-09-28-1ネパール1980年09月28日1980年代国王夫妻,地震被災地を視察(~10月4日)。
DIA-303-1980-10-01-1ネパール1980年10月01日1980年代IDA,灌漑・飲料水プロジェクトに4300万ドル借款供与―①上下水道プロジェクトに2700万ドル,②Mahakali Zone灌漑プロジェクトに1600万ドル。いずれも5ヵ年で支出される。
DIA-303-1980-10-03-1ネパール1980年10月03日1980年代ビスタ元首相夫妻,訪中(~16日)。
DIA-303-1980-10-07-1ネパール1980年10月07日1980年代カトマンドゥのYouth Pancha内部対立―Youth Panchaの役割に関するセミナーが開催されたが,この開催をめぐって保守派と改革派が対立した。改革派はセミナー開催の中止を要求。
DIA-303-1980-10-07-2ネパール1980年10月07日1980年代Development Regionを4から5に再分割―極西部のSeti,Mahakali Zoneを分割して第5のDevelopment Regionとする。
DIA-303-1980-10-10-1ネパール1980年10月10日1980年代食糧備蓄計画―政府は11月15日までに80,500の食糧を備蓄する計画で,うち48,000トンは国内で買上げ,残りは外国援助によって調達する。現在までに58,000トンの食糧援助がプレッジされている。
DIA-303-1980-10-20-1ネパール1980年10月20日1980年代国王夫妻,タイ訪問(~27日)―医師団の勧告により健康診断を受けるためと発表。
DIA-303-1980-10-21-1ネパール1980年10月21日1980年代政府,インドへの米の輸出を許可―民間業者はインドへの米の輸出を認められるが,Food Corp.への20%の税金(levy),パンチャヤット税,消費税,輸送費が加わるため,米価が高くなる。前年度は不作で米の輸出を禁止した。
DIA-303-1980-10-22-1ネパール1980年10月22日1980年代第5次5ヵ年計画期の物価上昇は年率4.15%―消費者物価指数総合は年率4.15%の上昇で,食糧品物価上昇率は年率3.2%,非食糧品は年率6.5%の上昇。
DIA-303-1980-10-26-1ネパール1980年10月26日1980年代地域別地図作成―Village Panchayat 2919,Town Panchayat 23,District 75の各地図が完成,近く発表される。
DIA-303-1980-10-27-1ネパール1980年10月27日1980年代インド陸軍総参謀長O.P.Malhotra大将,訪ネ(~11月1日)―国王を表敬訪問,タパ首相兼国防相と会談した。
DIA-303-1980-10-28-1ネパール1980年10月28日1980年代小農への農業融資促進策を検討する委員会設立―委員長はT.N.Pant食糧農業相次官補,メンバーは中央銀行,農業開発銀行,大蔵省から各1人。委員会は同時に農業開発銀行の活動を検討し,効果的に生産向上に直結する融資方法を勧告する。
DIA-303-1980-10-30-1ネパール1980年10月30日1980年代Village Panchayatに民事裁判権―Panchayat内の民事紛争の解決に当るもので,Village Judicial Committee(3人)を設立する。
DIA-303-1980-10-31-1ネパール1980年10月31日1980年代下級米の政府買上げ価格決る―1キンタール142.50ルピー(40kg当り57ルピー)。この価格でNepal Food.Corp.とRice Export Companyが農民から買上げる。
DIA-303-1980-11-04-1ネパール1980年11月04日1980年代内相,パンチャヤット制の強化を主張。最近パンチャヤット制度の維持・強化を主張する発言が多くなり,その改革を主張する声が小さくなっている。
DIA-303-1980-11-09-1ネパール1980年11月09日1980年代米国務次官,訪ネ(~12日)―Richard N.Cooper米国務省経済担当次官が訪ネ,タパ首相,パント蔵相らと会見した。ネパール第6次5ヵ年計画に対するアメリカの援助問題について協議した。
DIA-303-1980-11-10-1ネパール1980年11月10日1980年代ミルク価格引上げ―Dairy Development Corp.はミルクの販売価格を1リットル1.4ルピーから1.75ルピーに25%引上げると発表した。
DIA-303-1980-11-11-1ネパール1980年11月11日1980年代第6次5ヵ年計画開発支出は339.4億ルピー―国家計画委員会副議長R.S.Ranaが発表したもので,支出内訳は政府部門が204.9億ルピー,Panchayat部門が18億ルピー,民間部門が116.5億ルピー。資金調達は政府部門投資の場合,その64%,131.7億ルピーを外国援助に依存する。GDPの年成長率は4.3%(第5次5ヵ年計画案績は2.2%と推計),農業部門のそれは3.2%,非農業部門は5.6%を目標としている。
DIA-303-1980-11-12-1ネパール1980年11月12日1980年代ビレンドラ国王夫妻,パキスタン,英国など歴訪の旅に出発―パキスタン,英国を公式訪問し,キプロス,ベルギー,ユーゴを非公式訪問する。12日パキスタン着,ジアウル・ハク大統領と首脳会談(13日)。
DIA-303-1980-11-13-1ネパール1980年11月13日1980年代国王のPrincipal Personal SecretaryにM.S.I.M.Shrestaを任命。
DIA-303-1980-11-14-1ネパール1980年11月14日1980年代国王夫妻,キプロス着(~15日)。キプロス大統領と会談(15日)。
DIA-303-1980-11-14-2ネパール1980年11月14日1980年代砂糖販売価格引上げ―商・工業省は砂糖販売価格を1kg当り7ルピーを10.5ルピーへ50%引上げると発表した。これに伴い,砂糖キビの政府買上げ価格も1キンタール24ルピーから28ルピーへ17%引上げ。
DIA-303-1980-11-14-3ネパール1980年11月14日1980年代ディーゼル価格引上げ―石油公社はディーゼル販売価格を1l1.05ルピーから5.65ルピーへ4.4倍に引上げ,ケロシンの価格も1l0.9ルピーから5.15ルピーへ4.7倍にすると発表した。
DIA-303-1980-11-16-1ネパール1980年11月16日1980年代国王夫妻,ベルギー着(~18日)。
DIA-303-1980-11-18-1ネパール1980年11月18日1980年代国王夫妻,イギリス着(~22日)―エリザベス女王主催の晩さん会に出席,サッチャー首相と公式会談(19日)。イギリスはネパールの「平和地帯宣言」を支持する旨発表した。
DIA-303-1980-11-22-1ネパール1980年11月22日1980年代国王夫妻,ユーゴ着(~24日)―ユーゴ大統領と会談,両国外相会議がもたれ,ユーゴは「平和地帯宣言」支持を表明し,共同声明発表(23日)。
DIA-303-1980-11-25-1ネパール1980年11月25日1980年代国王夫妻,帰国―ユーゴからエジプト,オマーン,インドのボンベイに立寄って帰国。
DIA-303-1980-12-04-1ネパール1980年12月04日1980年代愛知外務政務次官,訪ネ(~6日)―国王,タパ首相,パント蔵相らと会談,3つの贈与協定に調印した(5日)。①商品援助1.1億ルピー(肥料・深井戸ポンプ資材等の輸入),②KR5940万ルピー(タイ米7000トン),③3300万ルピー(深井戸ポンプ資材輸入)。
DIA-303-1980-12-06-1ネパール1980年12月06日1980年代英国チャールズ皇太子,訪ネ(~13日)―ギャレンドラ殿下の招請で訪問したもので,国王,タパ首相らと会見したあと,ポカラ周辺をトレッキング。
DIA-303-1980-12-12-1ネパール1980年12月12日1980年代カトマンドゥで学生デモ荒れ,45人逮捕―デモの学生が交通機関を止め,商店に店を閉めるよう強要したため警察が介入したと発表。
DIA-303-1980-12-13-1ネパール1980年12月13日1980年代イラク外相,訪ネ―両国外相会談でイラク・イラン戦争をはじめとする国際情勢について意見交換。
DIA-303-1980-12-14-1ネパール1980年12月14日1980年代憲法改正委員長,第3次改正憲法草案を国王に提出―第3次改正憲法草案は国王に任命された憲法改正委員会が作った原案を,枢密院(Rajsabha)と国会の常任委員会メンバーで構成される特別委員会で検討して作成されたもの。
DIA-303-1980-12-15-1ネパール1980年12月15日1980年代国王,第3次改正憲法を発表―マヘンドラ国王追悼と憲法記念日の15日,国王は宣言Proclamationを発表,第3次憲法改正の基本的考えを明らかにした。改正憲法の主要内容は次の通り。①国会Rastraya Panchayat議員の選挙は普通成人選挙により全国一斉に行なう。任期は5年,②首相は国会の勧告により国王が任名する。首相候補者は国会議員の資格を有し,議員総数の25%以上の支持を得たものでなくてはならぬ。首相として国会の推薦を受けるためには議員総数の60%以上の支持を必要とする。首相候補者が複数のときには選挙により議員総数の60%以上を得票した人が推薦を受ける。何人も60%の得票をえられない場合,国会は3人のメンバーを指名し,国王がそのうち1人を任命する,③副首相,閣僚,国務相の任命は首相の勧告に基づいて国王が行なう。すべての閣僚・大臣は国会に対して責任を負う,④国会議員数は選挙メンバー112人,任命メンバー28人の計139人とする,⑤国会議員立候補者は6つのclass organizationのいずれかのメンバーたること。
DIA-303-1980-12-17-1ネパール1980年12月17日1980年代選挙管理委員会,選挙人名簿の改正手続き―1981年4月12日までに21歳になるものは,1981年1月13日までにその名前を選挙人名簿に登録すべく届出るよう呼びかけた。これにより,国会選挙の実施は1981年5月以降になることが明らかとなった。
DIA-303-1980-12-26-1ネパール1980年12月26日1980年代パント蔵相,経済予測発表―1980/81のGDP成長率は6.7%,農業部門のそれは3.7%となろう。食糧生産は14.5%の増産,換金作物は5%の増産となる見込。
DIA-303-1981-01-01-1ネパール1981年01月01日1980年代訪ネ中の中国人民友好協会代表,タパ首相と会見。ネパールの平和地域宣言へ世界各国の支持が拡大していることを喜ぶと語る。
DIA-303-1981-01-06-1ネパール1981年01月06日1980年代カーペット輸出汚職を審理していた上告裁判所は,前首相トゥルシー・ギリらを職権濫用で有罪と判決。
DIA-303-1981-01-06-2ネパール1981年01月06日1980年代スベディー内務パンチャヤト相は,来る国家パンチャヤト選挙にむけてパンチャの活躍をよびかけた。
DIA-303-1981-01-09-1ネパール1981年01月09日1980年代憲法57条にもとづき,プラダーン・パンチャ,村・町パンチャヤト・メンバーの任期を国家パンチャヤト選挙終了まで延期する政令発布。
DIA-303-1981-01-13-1ネパール1981年01月13日1980年代国家パンチャヤト議員35人の任期満了。
DIA-303-1981-01-13-2ネパール1981年01月13日1980年代観光部門の外貨収入は78/79年度4億0680万ルピー。
DIA-303-1981-01-14-1ネパール1981年01月14日1980年代13日の国家パンチャヤト議員辞任にともなう内閣の空席をうめる人事,N.B.スワンル法・公正相が食糧・農業相兼務,K.B.シャヒ外相が土木・輸送相を兼務,Y.P.パント大蔵相が総務を担当。
DIA-303-1981-01-16-1ネパール1981年01月16日1980年代R.P.ラジバハク工業・商業相は,輸出に関する政府部門会議で,輸出促進,輸出品目の生産拡大,競争力,品質改善などの必要性を説いた。
DIA-303-1981-01-19-1ネパール1981年01月19日1980年代全国75郡の郡パンチャヤト議長,国家開発委員会委員に任命される。第6次5カ年計画の実施に郡パンチャヤトの参加を求める措置である。
DIA-303-1981-01-19-2ネパール1981年01月19日1980年代外務省は,ネパールの平和地域構想をタイムス・オブ・インディア紙の論説が批判したことについて,構想の基本を理解しておらず残念だと述べた。また,シャヒ外相は,改正憲法に平和地域提案を加えたことは新たな局面を示すことになろうと語った。
DIA-303-1981-01-20-1ネパール1981年01月20日1980年代IDA,灌漑計画・道路建設に280万SDR(350万ドル)の信用供与。
DIA-303-1981-01-21-1ネパール1981年01月21日1980年代ダライ・ラマ,ルンビニに巡礼。
DIA-303-1981-01-22-1ネパール1981年01月22日1980年代ADBは,農業信用プロジェクト,漁業開発,丘陵地帯灌漑プロジェクトの,3件に総額4億6200万ルピー融資の協定に調印。ADB貸付は1980年末で2億2000万ドルにのぼる。
DIA-303-1981-01-25-1ネパール1981年01月25日1980年代IDAは穀物倉庫建設に7440万ルピーのソフトローン供与に調印。総貯蔵能力4万トンの予定。
DIA-303-1981-01-25-2ネパール1981年01月25日1980年代ジュート・ジュート製品輸出は80年7月~12月14日に,原ジュート1億3000万トン(5300万ルピー),製品7600万トン(5280万ルピー)を輸出。このうち対インドは6000万ルピー強である。
DIA-303-1981-01-29-1ネパール1981年01月29日1980年代インド外務次官サテ,訪ネ。
DIA-303-1981-02-01-1ネパール1981年02月01日1980年代国王,エジプト公式訪問に出発。カイロ着後,「平和という共通の希望で我国は平和地域を提案している,これをエジプトが支持していることに感謝する,両国関係がさらに進むようのぞむ」とスピーチ。6日まで。
DIA-303-1981-02-02-1ネパール1981年02月02日1980年代ビレンドラ国王,サダト・エジプト大統領と会談。シャヒ外相はフセイン・アリ外相と会談。
DIA-303-1981-02-02-2ネパール1981年02月02日1980年代インドのチョウドリ・エネルギー相,訪ネ。
DIA-303-1981-02-02-3ネパール1981年02月02日1980年代B.P.コイララ,「三次憲法改正は前向きの点もあるが非民主的で失望する,選挙に出馬するか否かは未定。」
DIA-303-1981-02-03-1ネパール1981年02月03日1980年代インドと水資源開発で協力に合意。洪水制御のために合同努力をする。
DIA-303-1981-02-04-1ネパール1981年02月04日1980年代計画委,6次計画を検討。
DIA-303-1981-02-04-2ネパール1981年02月04日1980年代国王はエジプト『アルアハラム』紙のインタビューで,サダトの中東和平努力を評価,両国の関係緊密化をのぞむと語る。
DIA-303-1981-02-06-1ネパール1981年02月06日1980年代国王,バハレーン非公式訪問,8日帰国。
DIA-303-1981-02-08-1ネパール1981年02月08日1980年代ネパール・エジプト共同コミュニケ。両国は非同盟運動を守る。サダトはネパールの平和地域宣言を支持,ネは中東和平でエジプトの努力が実ることをのぞむ。
DIA-303-1981-02-08-2ネパール1981年02月08日1980年代シャヒ外相,非同盟閣僚会議出席のためインドに。
DIA-303-1981-02-10-1ネパール1981年02月10日1980年代国家開発委員会,6次計画案を討議(~12日)。5次計画(75~80)の国民所得成長率目標年4~5%は達成できず,2.2%にとどまった。6次計画の目的は,生産性引上げ,雇用の最大限創出,国民のミニマム・ニーズに応ずることである。
DIA-303-1981-02-11-1ネパール1981年02月11日1980年代イラク,原油14万トン供給に合意。
DIA-303-1981-02-11-2ネパール1981年02月11日1980年代シャヒ外相はデリーで,ガンディー首相,ラオ外相と会談。
DIA-303-1981-02-12-1ネパール1981年02月12日1980年代タパ首相は,総選挙のために暫定政府を設立せよとの要求は非論理的だとして斥ける。
DIA-303-1981-02-13-1ネパール1981年02月13日1980年代モーリシャスと大使級外交関係を樹立。
DIA-303-1981-02-14-1ネパール1981年02月14日1980年代ワルトハイム国連事務総長訪ネ。
DIA-303-1981-02-16-1ネパール1981年02月16日1980年代法律改正令発令。憲法第三次改正に合致するよう選挙規定・手続きを改正。
DIA-303-1981-02-17-1ネパール1981年02月17日1980年代K.ライマジ,総選挙参加。自派50区出馬を決定。B.P.コイララ,M.アディカリと選挙協力を行なう予定。
DIA-303-1981-02-23-1ネパール1981年02月23日1980年代ESCAP報告によれば,79/80年度食糧穀物生産は13%減,GDPは1.4%低下。
DIA-303-1981-02-24-1ネパール1981年02月24日1980年代食糧公社は,もみを市場価格の上昇にあわせて公定レートより高めで買入れを始めた。
DIA-303-1981-02-25-1ネパール1981年02月25日1980年代79/80年度の輸出は7806万ルピー,対前年比6%減となった。
DIA-303-1981-03-01-1ネパール1981年03月01日1980年代インドは81/82年度予算で対ネパール援助を2500万ドル(前年度は1800万ドル)見込む。
DIA-303-1981-03-05-1ネパール1981年03月05日1980年代インドのラオ外相はインド下院で「印ネ間に国境問題はない」と答弁。
DIA-303-1981-03-05-2ネパール1981年03月05日1980年代インドは,国内特定地域(ダージリン,クルセオン)に入国するネパール人に入国許可をとることを要求。
DIA-303-1981-03-06-1ネパール1981年03月06日1980年代選挙管理委は,パンチャ会議で総選挙を平和的に実施するためにパンチャの協力をよびかけた。
DIA-303-1981-03-07-1ネパール1981年03月07日1980年代ラジバハク工業・商業相,多国籍企業の対ネパール投資を歓迎すると述べる。
DIA-303-1981-03-08-1ネパール1981年03月08日1980年代バングラデシュ・ジュート・ミル公社代表団は,ネパールでのジュート・ミル建設のフィージビリティ調査のため訪ネ。
DIA-303-1981-03-09-1ネパール1981年03月09日1980年代土地法第三次改正政令,施行。
DIA-303-1981-03-10-1ネパール1981年03月10日1980年代選挙日程発表。3月22日が届出最終日。投票日は未定。
DIA-303-1981-03-11-1ネパール1981年03月11日1980年代貿易収支(79/80年7月~2月)は前年同期比42.7%増の4760万ルピーの赤字。
DIA-303-1981-03-13-1ネパール1981年03月13日1980年代日本政府グラント援助80年4月~81年3月に487万ルピー供与,セメント,肥料などの購入用。
DIA-303-1981-03-18-1ネパール1981年03月18日1980年代6次計画期に工業関連主要工業投資を各プロジェクトごとに9000万~12億ルピーで計画。
DIA-303-1981-03-20-1ネパール1981年03月20日1980年代茶,コーヒー,精製バター,調理用油その他の関税,販売税の引下げ。関税は一元化する。
DIA-303-1981-03-20-2ネパール1981年03月20日1980年代選挙布告,パンチャヤト選挙投票日を5月9日,午前8時~午後5時とする。
DIA-303-1981-03-22-1ネパール1981年03月22日1980年代パンチャヤト選挙,立候補届出始まる。
DIA-303-1981-03-25-1ネパール1981年03月25日1980年代インド,1981年の対ネパール輸出25品目の割当量を発表日ベビーフード500トン,植物油2000トン,セメント6万4500トン,印刷用紙8000トンなど。
DIA-303-1981-03-26-1ネパール1981年03月26日1980年代パンチャヤト選挙の候補者1447人。
DIA-303-1981-03-27-1ネパール1981年03月27日1980年代米政府は議会に対ネパール援助81/82年度1610万ドル,PL480を210万ドル,IMET基金を7万5000ドル提案。
DIA-303-1981-03-28-1ネパール1981年03月28日1980年代カトマンドゥ市などで学生デモ。
DIA-303-1981-03-30-1ネパール1981年03月30日1980年代新工業政策発表,家内産業を優先する。民間部門の振興をはかり,防衛関連産集を除く全分野に民間の投資を招く,外国投資も歓迎し,利益の本国送金の規制も緩和,優先業種への外国投資について政府が保障を与える,国有化は行なわない,国有化の際は保障する。
DIA-303-1981-03-31-1ネパール1981年03月31日1980年代上院召集,4月4日まで開会。政治,経済,社会,外交,国防の5委員会設立。
DIA-303-1981-03-31-2ネパール1981年03月31日1980年代B.P。コイララ,カトマンドゥ市での集会で,国民に選挙ポイコットを呼びかける。
DIA-303-1981-04-02-1ネパール1981年04月02日1980年代上院は,政治,経済,社会,外交,国防委員会の報告書ドラフトを可決した。3日閉会。
DIA-303-1981-04-02-2ネパール1981年04月02日1980年代ネパール商工会議所は新工業政策を歓迎。
DIA-303-1981-04-05-1ネパール1981年04月05日1980年代政治犯釈放委貝会のトゥラダール議長は,投獄中の政治犯は現在わかっただけで128人いると発表。
DIA-303-1981-04-07-1ネパール1981年04月07日1980年代各学生デモ。
DIA-303-1981-04-10-1ネパール1981年04月10日1980年代IDAローン,3億0600万ルピー調印。農業開発,食糧生産開発プロジェクト用。
DIA-303-1981-04-10-2ネパール1981年04月10日1980年代5次計画工業生産指数の伸ぴは年率6.7%,内訳はジュートが4.9%,砂糖3.5%,綿繊維は△3%。
DIA-303-1981-04-10-3ネパール1981年04月10日1980年代家内工業部門は1972年の37.7万件から79年に75万件に拡大,雇用者数は120万人,投資総額は3.4億ルピー,年産額は7.1億ルピー。
DIA-303-1981-04-11-1ネパール1981年04月11日1980年代製糖工場立地等の調査に中国専門家チーム訪ネ
DIA-303-1981-04-15-1ネパール1981年04月15日1980年代バングラデシュのラーマン大統領訪ネ。3日間の非公式訪問。
DIA-303-1981-04-15-2ネパール1981年04月15日1980年代ネパール共産党(ML)中央委は総選挙反対,体制勢力の協力をよびかけるステートメントを発表。
DIA-303-1981-04-16-1ネパール1981年04月16日1980年代パキスタン外務次官訪ネ。
DIA-303-1981-04-16-2ネパール1981年04月16日1980年代教員の全国規模スト実施。
DIA-303-1981-04-16-3ネパール1981年04月16日1980年代ラーマン・バングラ大統領,国王と会見。タバ首相,シャヒ外相との会談も持たれた。
DIA-303-1981-04-17-1ネパール1981年04月17日1980年代サウジアラビアのサウド外相訪ネ。タパ首相と会談。
DIA-303-1981-04-17-2ネパール1981年04月17日1980年代ラーマン・バングラ大統領帰国。記者会見で,合同経済委を両国の貿易拡大に役立てたい,ガンジス河水問題について,ガンジスは国際河川であるのでネパールも含めた合同アプローチがのぞましい,と述べる。
DIA-303-1981-04-18-1ネパール1981年04月18日1980年代J.S.ラナ外務次宮,南アジア諸国外務次官会議(21~24日)出席のためコロンボに。
DIA-303-1981-04-20-1ネパール1981年04月20日1980年代ネパール共産党(第4会議)ネパール共産党(ML)は総選挙ボイコットのため共同行動をとることを決定,5月1~8日を「選挙ボイコット週間」とする。
DIA-303-1981-04-22-1ネパール1981年04月22日1980年代K.J.ライマジは,選挙ボイコットは意味がないとして批判,自派は50~60候補者を出すと発表。
DIA-303-1981-04-24-1ネパール1981年04月24日1980年代経済委員会の最終レポート出される。間接税収入の増大を検討,税制効率化を求める。
DIA-303-1981-04-26-1ネパール1981年04月26日1980年代全国パンチャ会議準備委員会は,総選挙のため非政党民主主義パンチャヤト制度の政策と計画を発表。
DIA-303-1981-04-26-2ネパール1981年04月26日1980年代80/81年度の歳入,28.8%増の見込み。
DIA-303-1981-04-27-1ネパール1981年04月27日1980年代内務パンチャヤト省は,総選挙期間の治安維持を強化の方針。
DIA-303-1981-04-28-1ネパール1981年04月28日1980年代ADB,ミニ水力発電プラント建設のため9960万ルピー融資。
DIA-303-1981-05-03-1ネパール1981年05月03日1980年代81/82年度から民間銀行の流動性リザーブ25%を義務づける,中央銀行に準備金5%を預ける。
DIA-303-1981-05-05-1ネパール1981年05月05日1980年代インド・ルピー準備は,80/81年度7~3月に対前年同期比25%増。対印貿易収支改善による。
DIA-303-1981-05-06-1ネパール1981年05月06日1980年代ADBは対ネ援助を前年(実績4.5億ルピー)比40%増加するもよう。パント大蔵相発表。
DIA-303-1981-05-06-2ネパール1981年05月06日1980年代中央銀行によると1979年6月央~80年4月央間にマネー・サプライは17.6%増(前年は19.0%)。内訳は,国内信用増22.6%で,民間部門貨付は38.9%の増加である。
DIA-303-1981-05-09-1ネパール1981年05月09日1980年代国家パンチャヤト選挙投票。一部の投票所では騒ぎのため5月10~11日に投票延期となった。すでにマナン郡1議席は無投票当選。選挙の行なわれたのは74郡111議席,有権者は約760万人。
DIA-303-1981-05-10-1ネパール1981年05月10日1980年代国家パンチャヤト選挙開票始まる。ダンクタ郡からはタパ首相が当選。
DIA-303-1981-05-11-1ネパール1981年05月11日1980年代第三次改正憲法の6,8,10,15,18,19,20条を施行。政府樹立その他を規定した条項。
DIA-303-1981-05-17-1ネパール1981年05月17日1980年代国家パンチャヤト選挙の投票率は全国平均56%,最高はシラハ郡の80%,現在当選者数は108人,このうち44.2%の51人が新人である。
DIA-303-1981-05-17-2ネパール1981年05月17日1980年代79/80年度7~3月の対インド以外の貿易は輸出が2.5%減で4億1570万ルピー,輸入は19.9%増の10億3020万ルピー。
DIA-303-1981-05-19-1ネパール1981年05月19日1980年代総選挙開票終る。閣僚のうちタパ首相ら8人,国務相1人,副大臣2人は再選。落選したO.P.ガウチャン副教育相,M.P.シン森林相,J.ブラカーシュ内務・パンチャヤト副大臣らは閣僚を辞任。モスクワ派共産党は1人当選,ネパーリー・コングレスは5議席獲得した。改憲委メンバー11人中4人が出馬したが全員落選した。
DIA-303-1981-05-24-1ネパール1981年05月24日1980年代79/80年度の経済白書によれば,外国援助は78/79年度の8640万ドルから79//80年度に1億6750万ドル(グラントとローンが半々),80/81年度は倍増を予想している。79年7月央の対外債務残高は1億1370万ドル。
DIA-303-1981-05-26-1ネパール1981年05月26日1980年代国家パンチャヤト議員23人が任命される。
DIA-303-1981-05-28-1ネパール1981年05月28日1980年代中国援助で製紙プラント(ビリクティ・ペーパー・ミルズ,ナワルパラシ郡)建設開始,必要機材は中国の供与による。生産は日産10万トンを計画。
DIA-303-1981-05-28-2ネパール1981年05月28日1980年代選挙集計によると,国家パンチャヤト選挙投票率は52.27%,有権者779万3119人中407万3836人が投票した。
DIA-303-1981-05-31-1ネパール1981年05月31日1980年代80/81年度7~1月のマネー・サプライは1ユー3%増の31億5120万ルピー,前年同期は9.1%増であった。
DIA-303-1981-06-04-1ネパール1981年06月04日1980年代国勢調査スタート。
DIA-303-1981-06-04-2ネパール1981年06月04日1980年代〓紫陽・中国首相,パキスタン訪問を終えてネパールに。タパ首相と会談。
DIA-303-1981-06-04-3ネパール1981年06月04日1980年代外務省は,ネパールは中印および印パの話合いに積極的な関心を持つ,とのプレス・リリース。
DIA-303-1981-06-04-4ネパール1981年06月04日1980年代セティ川の水保全灌漑計画(中国援助)の予算作業開始,本工事は81年10月からの予定。
DIA-303-1981-06-05-1ネパール1981年06月05日1980年代中ネ首相会談。タパ首相は,一方で中印話合いの進展,他方で印パ会談の進行にネパールは関心を持つ,チベット地域とも経済・貿易関係を持ちたいと望むと伝えた。
DIA-303-1981-06-06-1ネパール1981年06月06日1980年代〓中国首相,カトマンドゥ市レセプションで,中国はネパールの善隣関係努力をよろこぶ,中国はネパールによる平和宣言提案を支持する。2回目の中ネ首相会談。〓首相,国王夫妻と夕食会。
DIA-303-1981-06-07-1ネパール1981年06月07日1980年代〓首相,ダッカに出発。記者会見で,中ネ関係はすばらしく友好的である,多くの重要問題について共通の見解を持つ,中国はネパールの平和地域案を支持する,等述べた。また,ネパール首相を中国に招待した。
DIA-303-1981-06-09-1ネパール1981年06月09日1980年代政府は,イスラエルによるイラク原子力施設の爆破を非難した。
DIA-303-1981-06-11-1ネパール1981年06月11日1980年代第32次国家パンチャヤト開会。新議員宣誓。
DIA-303-1981-06-11-2ネパール1981年06月11日1980年代カトマンドゥ市で教員デモ,36人が逮捕された。
DIA-303-1981-06-12-1ネパール1981年06月12日1980年代国家パンチャヤト議長に前教育相のマリチ・マン・シング任命される。
DIA-303-1981-06-12-2ネパール1981年06月12日1980年代販売税収入は79/80年度に3億910ルピー,80/81年度の推定は15%増の4億5890万ルピーとなるもよう。
DIA-303-1981-06-14-1ネパール1981年06月14日1980年代国家パンチャヤトはS.B.タパ前首相を新首相候補者として選出。議会135議員中121人の支持を得たと言われれる。タパ,首相候補として届け出。
DIA-303-1981-06-15-1ネパール1981年06月15日1980年代モンスーン遅れ気味。
DIA-303-1981-06-16-1ネパール1981年06月16日1980年代タパ内閣就任。新人は20人,前内閣から7人。
DIA-303-1981-06-22-1ネパール1981年06月22日1980年代81/82年度の農業生産成長率目標は3.2%。
DIA-303-1981-06-24-1ネパール1981年06月24日1980年代国王,第32次国家パンチャヤトで演説。
DIA-303-1981-06-28-1ネパール1981年06月28日1980年代教育文化省は,政府は教員の要求にできる限り応じたいとし,教員に4月16日から続いているストの即時中止を求めた。
DIA-303-1981-06-28-2ネパール1981年06月28日1980年代国家パンチャヤト,政府の81/82年度政策・計画の討議に入る。
DIA-303-1981-06-29-1ネパール1981年06月29日1980年代カトマンドゥ市教員団体執行委は,政府の呼びかけに応じてストを中止した。
DIA-303-1981-07-01-1ネパール1981年07月01日1980年代ネパール商工会議所第15次総会に出席したタパ首相,物価抑制,民間部門の協力などの期待を述べた。
DIA-303-1981-07-01-2ネパール1981年07月01日1980年代80/81年度の貿易収支は前年度赤字13.7億ルピーに対して30億ルピーの赤字のもよう。パント大蔵・商業相発表。
DIA-303-1981-07-01-3ネパール1981年07月01日1980年代パシュパティ石鹸社は,インド製の安い石鹸輸入のため,在庫増・売上げ減となり操業難。
DIA-303-1981-07-03-1ネパール1981年07月03日1980年代ビルガンジ税関は,カルカッタのソ連領事館からカトマンドゥの同国大使館宛のトラック2台分の貨物を,禁輸品が含まれている疑いで,押収(3日付,アルパン)。
DIA-303-1981-07-05-1ネパール1981年07月05日1980年代日本政府は中波ラジオ・ネットワーク改良・拡充用に1億0500万ルピーのグラント供与。中波トランス・ミッション・ステーションをカトマンドゥとポカラに,スタジオ・センターをカトマンドゥに建設する。
DIA-303-1981-07-06-1ネパール1981年07月06日1980年代80/81年度経済白書出される。
DIA-303-1981-07-07-1ネパール1981年07月07日1980年代81/82年度予算案提出。総額71億1320万ルピー,うち開発支出53億3370万ルピー,経営支出17億7950万ルピー,歳入31億ルピー,外国援助はグラント14億ルピー,ローン18億ルピーを見込み,財政赤字は3億2500ルピー。
DIA-303-1981-07-07-2ネパール1981年07月07日1980年代国家開発委は81/82年度次計画を承認。
DIA-303-1981-07-07-3ネパール1981年07月07日1980年代予算案に伴う税率改正案。所得課税税シーリングを引上げ,粗布・灯油・布靴の関税引下げ,土地税減税等。
DIA-303-1981-07-08-1ネパール1981年07月08日1980年代公務員(15万人)給与,年金,その他手当ての引上げ発表,これによる追加総額は1億5000億万ルピー。
DIA-303-1981-07-10-1ネパール1981年07月10日1980年代スンコシ川洪水,スンコシ・ダム破壊。
DIA-303-1981-07-17-1ネパール1981年07月17日1980年代国勢地図プロジェクト着手。1年以内に2912村パンチャヤト,23町パンチャヤト,75郡パンチャヤト等の地図を作成する。
DIA-303-1981-07-24-1ネパール1981年07月24日1980年代ネパーリー・コングレス書記長パラシュ・ナラヤン・チャウダリは党を離れることを宣言,第三次憲法改正を支持すると発表。
DIA-303-1981-07-24-2ネパール1981年07月24日1980年代ADB,OPEC基金,UNDPから水力プロジェクトに830万ドル借款供与協定。
DIA-303-1981-07-25-1ネパール1981年07月25日1980年代80/81年度の籾生産は,前年度の248.5万トンを2.1万トン下回る246.4万トン。メイズは目標77.1万トンに対して実績74.3万トン,小麦は同40万トンをほぼ達成した。
DIA-303-1981-07-29-1ネパール1981年07月29日1980年代79/80年度第1~3四半期の貿易収支赤字は14億5850万ルピー,対インド貿易赤字は対前年同期比15%増,対インド以外の貿易赤字は130%増。
DIA-303-1981-08-01-1ネパール1981年08月01日1980年代1981年国勢調査速報によれば,人口1417万9301人(男713万2424人,女704万6877人),人口増加率2.1%(1971年は2.2%)。人口分布は,丘陵地帯56%,テライ44%(1971年は各62%,38%)。
DIA-303-1981-08-04-1ネパール1981年08月04日1980年代印ネ政府間委員会(デリーで5~7日)に参加のためS.P.シュレスタ商業・供給省次官ら代表団,訪印。貿易・トランジットのボトルネックの問題を話し合うため。
DIA-303-1981-08-04-2ネパール1981年08月04日1980年代丘陵地帯再定住計画,本年度はダンクタで着手の予定。テライへの移住者増をチェックする目的。
DIA-303-1981-08-08-1ネパール1981年08月08日1980年代ポカラ工業団地の80/81年度生産額は585万ルピー,同年度政府投資920.5万ルピー,民間投資は2020.5万ルピー,工場数13,労働者数455人。
DIA-303-1981-08-09-1ネパール1981年08月09日1980年代印ネ会談を終え,訪印団帰国。話し合いの内容は,①ネパールの一次産品をインド市場に自由アクセス,ネパールの工業製品については,優遇措置をとる,②ネパールは,インドからの輸出品のクォータ引上げを求め,インドは必需品について極力供給を約束,③トランジット・コスト,港湾使用量等問題を討議,④未決問題を今後合同調査,⑤バングラディシュからの輸入に便宜をはかる。
DIA-303-1981-08-11-1ネパール1981年08月11日1980年代パント大蔵・商業・供給相は,バンコクのESCAP・HCWA・LDC 地域会議(10~11日)で,ネパールの80年代の開発計画の目的を説明。
DIA-303-1981-08-11-2ネパール1981年08月11日1980年代79/80年度の物価上昇(CPI9.8%増)は農・工業生産減による。
DIA-303-1981-08-13-1ネパール1981年08月13日1980年代カトマンドゥで反政府系勢力による1961年ラナ家追放記念集会が開かれ,タパ政権批判が出る。
DIA-303-1981-08-22-1ネパール1981年08月22日1980年代ネパーリー・コングレス,カトマンドゥ委員会会議は,来る地方パンチャヤト選挙に不参加を決定。
DIA-303-1981-08-24-1ネパール1981年08月24日1980年代各省次官クラスの大幅人事異動実施。
DIA-303-1981-08-25-1ネパール1981年08月25日1980年代米国カークパトリク国連大使訪ネ,国王と会見,タパ首相と会談。
DIA-303-1981-08-29-1ネパール1981年08月29日1980年代6次計画期の税収,年7.5%増を見込み,総額122億4000万ルピーを目標とする。
DIA-303-1981-08-30-1ネパール1981年08月30日1980年代国王,パリでのUNCTAD-LDC会議(9月1~14日)に出席のため出発。パント大蔵・商業・供給相が同行。31日パリ着。
DIA-303-1981-08-31-1ネパール1981年08月31日1980年代モフタル・インドネシア外相,訪ネ。タパ首相と会談。
DIA-303-1981-09-02-1ネパール1981年09月02日1980年代訪ネのモフタル・インドネシア外相,記者会見,パンチャヤト制度を賞讃,ネパールとインドネシアは国際関係についていくつかの共通のゴールを共に持っていると述べた。
DIA-303-1981-09-03-1ネパール1981年09月03日1980年代パリのUNDP・LDC会議で,国王演説。
DIA-303-1981-09-04-1ネパール1981年09月04日1980年代国王,パリでの記者会見で,平和地域提案はネパールの国内問題への不干渉を確立することが基本的目的である,多くの国がこの提案を支持している,ネパールは必要があれば国連で支持をさらに求めたい」など,語った。国王,9日に帰国。
DIA-303-1981-09-05-1ネパール1981年09月05日1980年代冬に,材・郡パンチャヤト会議を予定。
DIA-303-1981-09-06-1ネパール1981年09月06日1980年代砂糖価格を1キロ10.50ルピーから9.50ルピーに引下げ。80/81年度の砂糖生産は1.4万トン,輸入は0.8万トン,81/82年度生産は2.5万トン目標である。
DIA-303-1981-09-08-1ネパール1981年09月08日1980年代国王,パリから帰国の途に。途中パキスタン・カラチに立寄り,ジア大統領と会談。9日に掃国。
DIA-303-1981-09-08-2ネパール1981年09月08日1980年代国家パンチャヤトは,「政府に平和地域提案への支持を各国に強く求めることを要請する」決議。
DIA-303-1981-09-09-1ネパール1981年09月09日1980年代パリのUN・LDC会議でパント蔵相は,LDC諸国の経済開発努力と国際援助の必要性性などを訴える演説を行なった。
DIA-303-1981-09-15-1ネパール1981年09月15日1980年代政府は日本政府と,トリババン大学医学研完所病院(病床300)の建設計画に合意。日本から6400万ルピーのグラント,着工は1982年3月,完成予定は1984年。
DIA-303-1981-09-17-1ネパール1981年09月17日1980年代1980年の外国人旅行者は前年16万2276人から0.8%増の16万2879人,このうちインド人旅行者を除くと,1980年は12万2205人となり前年より2548人の減少である。
DIA-303-1981-09-17-2ネパール1981年09月17日1980年代原ジュートの最低価格を40kg当り77ルピーと決定。
DIA-303-1981-09-18-1ネパール1981年09月18日1980年代国家パンチャヤト閉会。
DIA-303-1981-09-19-1ネパール1981年09月19日1980年代二重為替制度廃止。旧レート(1米ドル12ルピー,14ルピー)を廃止し,13.20ルピーに一元化。対ドル10%の切り下げとなる。この措置で輸出ロスは5.71%と推定される。対インド・ルピー・レートは不変。
DIA-303-1981-09-21-1ネパール1981年09月21日1980年代P.N.チャウダリ主催によるネパーリー・コングレス会議がカトマンドゥで開かれ約300人が参加。
DIA-303-1981-09-21-2ネパール1981年09月21日1980年代外国旅行持出し外貨規制を強化。
DIA-303-1981-09-27-1ネパール1981年09月27日1980年代ネパール向け輸入貨物3.4億ルピー相当が,カルカッタ港税関で滞貨。インド税関がネパールの輪入業者に保証金を要求しているため。
DIA-303-1981-09-30-1ネパール1981年09月30日1980年代会社設立法,外国投資・技術法,施行。
DIA-303-1981-10-01-1ネパール1981年10月01日1980年代世銀・IMF総会(ワシントン)で,パント蔵相は,国際協力,非産油発展途上国の国際収支悪化と低成長,ネパールの開発計画等,スピーチ。
DIA-303-1981-10-01-2ネパール1981年10月01日1980年代南アジア保護・人口会議,カトマンドゥで開かれる。インド,パングラ,ブータン,マルディヴ,パキスタン,ネパールの参加。
DIA-303-1981-10-08-1ネパール1981年10月08日1980年代ADB,西部・極西部地区の地域開発プロジェクト。(総額2810万ドル)に対し1940万ドルの融資を承認。
DIA-303-1981-10-09-1ネパール1981年10月09日1980年代サダト・エジプト大統領葬儀参列のためディレンドラ王子出発。11日,ムバラク副大統領と会談,13日に帰国。
DIA-303-1981-10-11-1ネパール1981年10月11日1980年代6次計画の農業生産成長率目標は年3.2%,食糧生産は丘陵地帯で19.8%,テライで3.5%の目標,商品作物は10.4%の成長目標。80/81年度の農業生産は対前年度比18.9%増であった。
DIA-303-1981-10-14-1ネパール1981年10月14日1980年代1980年7月16日~81年2月11日の輸出は6.2億ルピー,輸入は25.2億ルピー,収支赤字は18.9億ルピー。輸出の56.3%,輸入の49.4%が対インド。
DIA-303-1981-10-16-1ネパール1981年10月16日1980年代農業政策変更。全国を3区(丘陵地と再遠隔地をA区,一般遠隔地と輸送困難地域をB区,カトマンドゥ盆地と軸送可能地域をC区)に分け,A・B区で食糧(低品質米)を割引価格で供給,小麦・メイズの割引価格販売も考えている。C区への現在の配給は中止するのでなく除々に量を減じていきたい。凶作,天災にそなえて緊急ストック・墓金を設立する。作付前に主要作物の支持価格を発表する。
DIA-303-1981-10-17-1ネパール1981年10月17日1980年代租税行政セミナーでパント蔵相は,経済自立のために内資動員の必要を訴えた。
DIA-303-1981-10-19-1ネパール1981年10月19日1980年代タパ首相,ラジオ放送で,行政改革を訴える。
DIA-303-1981-10-22-1ネパール1981年10月22日1980年代原ジュート買付は,公示価格77ルピーを上回る81ルピーで取引きされているため,ジュート公社は各購入センターに,市場価格での購入を指示した。
DIA-303-1981-10-23-1ネパール1981年10月23日1980年代貿易収支赤字は8年7月央~81年3月央に前年同期比62%増の28億ルピー。はじめて第3国貿易赤字(15.4億ルピー)が対インド貿易赤字(12.6億ルピー)を上回った。
DIA-303-1981-10-24-1ネパール1981年10月24日1980年代79/80年度税収内訳,輸入関税46%,消費・販売税23%,所得税6%,土地税4%。輸入関税収入の伸びが大きい。
DIA-303-1981-10-27-1ネパール1981年10月27日1980年代国王のダサイン祭メッセージ,「人口の驚異的増加に応じられないのは食糧生産だけでない。社会・経済サービスの全面でも立ち遅れており,我々は前進するかわりに後ずさりしているようだ。」
DIA-303-1981-11-02-1ネパール1981年11月02日1980年代南アジア7カ国外務次官会議。タパ首相は会議で,地域協力を協調。会議は4日に,既存5調査グループに加えて,輸送,郵便,科学・技術協力の3分野で調査を行う,6~8ヵ月内に次回会議を開く等合意。
DIA-303-1981-11-02-2ネパール1981年11月02日1980年代カナダは,水・エネルギー・資源開発第2期プロジェクトに9800万ルピー援助に合意,調印。
DIA-303-1981-11-09-1ネパール1981年11月09日1980年代イギリスのアン王女,ネパール訪問(~19日)。
DIA-303-1981-11-12-1ネパール1981年11月12日1980年代国家計画委貝会,1980/81年度下半期の計画レビューを開始。
DIA-303-1981-11-15-1ネパール1981年11月15日1980年代国家開発委員会によれば,80/81年度下半期に着手された開発事業は916件,うち完了したのが29%の267件,順調に進展している事業は256件,進展なしが62件,41件は不明である。
DIA-303-1981-11-15-2ネパール1981年11月15日1980年代パンチャヤト統一グループ(元首相M.P.コイララ,H.K.シンが中心)はビラトナガルで集会開き,現政府はパンチャヤト制度改革に失敗し,そのプログラムは世論も反していると政府を批判,1項目計画を打ち出した。
DIA-303-1981-11-15-3ネパール1981年11月15日1980年代1980/81年度の政府財政赤宇は前年同期の1億2200万ルピーから1億6830万ルピーに拡大。
DIA-303-1981-11-16-1ネパール1981年11月16日1980年代パンチャヤト政治・調査委員会(国家パンチャヤト議長を委員長に委員全15人)を設立。さらに6委員が階層団の役員決定後に任命される予定。
DIA-303-1981-11-18-1ネパール1981年11月18日1980年代西ドイツは,肥料購入他農業プロジェクト向け1億4750万ルピーの援助供与に調印。
DIA-303-1981-11-20-1ネパール1981年11月20日1980年代ポカラ水保全・灌漑プロジェクト起工。同プロジェクトは1976年調印の中国援助により,総工費5億ルピー,完成予定1980年。
DIA-303-1981-11-21-1ネパール1981年11月21日1980年代中国貿易代表団(外国貿易副大臣を代表に)訪ネ。25日まで滞在。
DIA-303-1981-11-23-1ネパール1981年11月23日1980年代日本本は,ネパールの農業開発に1億6300万ルピー(27億円)の援助協定に調印。
DIA-303-1981-11-25-1ネパール1981年11月25日1980年代中国と,新たな貿易・決済協定(3カ年)に調印。外貨決済を採用し,支払い方法を簡素化する。対チベット貿易は従来の交易を継続。中国代表団離国。
DIA-303-1981-11-26-1ネパール1981年11月26日1980年代上級官僚,公社・政府関係機関役員の人事異動。
DIA-303-1981-11-27-1ネパール1981年11月27日1980年代インドのラオ外相訪ネ(~30日),タパ首相と2国間協力,地域情勢,アフガニスタンなど国際問題を語し合う。28日にも会談。ネパールの平和地域宣言も話し合われた。
DIA-303-1981-11-29-1ネパール1981年11月29日1980年代ラオ・インド外相,国王と会見。タパ首相,ラオ外相と会談。ラオ外相はカダヤト水資源相とも会談。,進行中のプロジェクトおよびパンチェシュワル,カルナリ,ラプティ・プロジェクトを進める話合いを持った。
DIA-303-1981-11-30-1ネパール1981年11月30日1980年代ラオ・インド外相帰国。
DIA-303-1981-12-01-1ネパール1981年12月01日1980年代パンチャヤト政治・調査委スタート,各地からの国家パンチャヤト議員と各地区の政情・開発計画を討議。
DIA-303-1981-12-02-1ネパール1981年12月02日1980年代対チベット貿易,80/81年度上半期に輸出977.3万ルピー,輸入945.5万ルピー。
DIA-303-1981-12-03-1ネパール1981年12月03日1980年代対ネパール援助国会議(1~4日,パリ)でパント蔵相は,政府の経済政策・計画を説明,その中で公企業の製品を市場価格に近く引上げる,パーポイル米価格もカトマンドゥで60%,丘陵・山岳地帯で45%引上げる,他に木材,薪,レンガも値上げする等述べた。
DIA-303-1981-12-03-2ネパール1981年12月03日1980年代北朝鮮・季鐘玉首相訪ネ(~6日),タパ首相と会談,経済・貿易関係拡大で合意した。
DIA-303-1981-12-06-1ネパール1981年12月06日1980年代工業労働者最低賃金を30%引上げ。
DIA-303-1981-12-06-2ネパール1981年12月06日1980年代ジュート開発公社による原ジュート輸出は本年度12月までで2128トン(うち1700トンがエチオピア),これは全ジュート輸出の43%を占める。
DIA-303-1981-12-06-3ネパール1981年12月06日1980年代パント蔵相帰国,援助国会は3.6億ドル援助約束。
DIA-303-1981-12-07-1ネパール1981年12月07日1980年代インドのレッディ大統領訪ネ(~10日)。国王主催夕食会でレッディ大統領は,印ネの関係強化を望む,ネパールへのインドのコミットは不変である等述べる。国王はネパール平和地域宣言提案は変らぬ願いであるとスピーチ。
DIA-303-1981-12-13-1ネパール1981年12月13日1980年代ソ連・クズネツォフ最高会議幹部会副会長(~15日),タパ首相と会談。会談でソ連はネパールとの経済協力に積極的関心を示した。ネパールの平和地域案をソ連は検討中である(スポークスマン)。夕食会でタパパ首相は,平和地域宣言にソ連政府・国民の理解を求めると述べた。15日,共同声明発表。ソ連はネパールが参加している非同盟運動を,国際緊張緩和と平和維持確立のための重要なファクターと考える。両国は両国関係強化を望む,国王をソ連に招待するなど。タパ首相は記者団に,アフガン問題で両国は双方の主張を述べたと語る。
DIA-303-1981-12-14-1ネパール1981年12月14日1980年代工業振興委員会設立,マガル工業相を委員長にNPC委員,ネパール国立銀行総裁,大蔵・工業省次官工業局局長が参加。
DIA-303-1981-12-16-1ネパール1981年12月16日1980年代外務省コメント,イスラエルによるゴラン高原併合を非難。
DIA-303-1981-12-20-1ネパール1981年12月20日1980年代食糧微生物生産,1979/80年度24.9万トン,消費量20.7万トン。
DIA-303-1981-12-20-2ネパール1981年12月20日1980年代各ゾーン・コミッショナー任命。
DIA-303-1981-12-25-1ネパール1981年12月25日1980年代政府スポークスマン。ポーランド情勢は完全にポーランドの内政である,ポーランド国民が外からの干渉なくこの情勢に対処できると信ずる。
DIA-303-1982-01-01-1ネパール1982年01月01日1980年代森林・土壌保全省は新森林政策を発表,樹木伐採の制限,木材輸出規制等の森林保護政策を出した。
DIA-303-1982-01-04-1ネパール1982年01月04日1980年代商務省は1981年9月19日の二重為替制度廃止のインパクトを相殺するため,原ジュート,ジュート製品,カーダモン,干しょうが,茶,薬草,既製服の輸出に消費税と輸出税を撤廃し,ジュート輸出に補助金を出す(7月15日まで)等の措置を発表。
DIA-303-1982-01-07-1ネパール1982年01月07日1980年代中ネは,ナワルパルシ郡に精糖工場設立の作業計画を作成。グラニュー糖年間1万㌧,工業用アルコール95度を年間1万6000㌧生産の計画。
DIA-303-1982-01-09-1ネパール1982年01月09日1980年代中国交通相彭徳清を代表とする経済代表団訪ネ
DIA-303-1982-01-12-1ネパール1982年01月12日1980年代中国,Barhabise友野橋の再建・修復の資金融資でネパールと合意。
DIA-303-1982-01-14-1ネパール1982年01月14日1980年代Y・P・パント大蔵・商業・供給相はネパール・バングラデシュ合同経済委第3回会議出席のためダッカに。
DIA-303-1982-01-17-1ネパール1982年01月17日1980年代Y・P・パント蔵相,ダッカから帰国。ネパールとダッカは,両国の経済・技術を促進する,両国大蔵省による検討委を設立する,貿易情報を交換する等合意。
DIA-303-1982-01-17-2ネパール1982年01月17日1980年代S・B・タパ首相はポカラ市パンチャヤト(議会)で,「新憲法で実現した現実を無視している人々」を非難し,「彼らが治安を乱すなら政府は断固たる手段をとることをもためらわない」と語る。
DIA-303-1982-01-18-1ネパール1982年01月18日1980年代西独と2500万DMの借款に合意。このうち1740万DMは農業インプット公社の肥料購入資金に,560万DMは高品種農産物プロジェクトに。
DIA-303-1982-01-18-2ネパール1982年01月18日1980年代ジャナクプル・タバコ会社の81/82年度上半期生産実績は21億8970万本,年間目標は21億0220万本。
DIA-303-1982-01-19-1ネパール1982年01月19日1980年代サウジアラビアから原油102万2000バレルの購入協定。
DIA-303-1982-01-21-1ネパール1982年01月21日1980年代カトマンドゥ郡の農民を代表して国会員ジョグ・メヘル・シュレスタ,ナニ・マイヤ・ダハル議らはタパ首相に会見し,グティ地耕作民400人の署名による「ライカル,グティ両地の地税を同率にするよう」との請願書を提出した。
DIA-303-1982-01-22-1ネパール1982年01月22日1980年代パンチャ38人は共同声明で,パンチャヤト政治調査委員会に全国パンチャ会議の即時開催を求めた。
DIA-303-1982-01-26-1ネパール1982年01月26日1980年代UNCTAD,ESCAPグループ会議,カトマンドゥで開会。パント蔵相は開会演説で,通関詐欺と密輸を防ぐための協力をよびかけた。
DIA-303-1982-01-31-1ネパール1982年01月31日1980年代財務副大臣バドリ・プラサード・マンダルは不祥事を理由に辞表を提出,受理される。
DIA-303-1982-02-05-1ネパール1982年02月05日1980年代政府外務省は2月22日からのデリー南々会議への出席を決定。南々会議の主催国インドからネパールに出席招待がなかったため,対印批判が出ていた。
DIA-303-1982-02-05-2ネパール1982年02月05日1980年代オーストラリア,ネパールの平和地帯案支持を決定。
DIA-303-1982-02-07-1ネパール1982年02月07日1980年代中央統計局,1981年国勢調査によれば,人口1502万0451人,内訳は男759万9046人,女742万1405人,人口増加率は2.6%,ヒマラヤ地域は1.3%,丘陵地は1.8%,タライは4.1%。
DIA-303-1982-02-08-1ネパール1982年02月08日1980年代パンチャヤト政治調査委は3月10~13日に中央パンチャ大会を開くことを決定。準備委員会を設立。
DIA-303-1982-02-10-1ネパール1982年02月10日1980年代インドと水資源開発協議のためP・P・シャハ水資源省次官ら代表団訪印(~14日)。
DIA-303-1982-02-16-1ネパール1982年02月16日1980年代パンチャ大会準備委員会会合,委員長はマリチマン・シン国会議長。政治戦略計画,財政政策,階層団・地方パンチャヤト選挙計画,地方分権化,パンチャヤト政策調査委への提案に関する5小部会を設立,討議に入る。
DIA-303-1982-02-17-1ネパール1982年02月17日1980年代日本援助3件,総額4億3080万ルピーに合意。内訳はクレカニ第2水力発電計画の第1期工事に4億1130万ルピーの借款,マヘンドラ・ラージマルグのうち37km分に1680万ルピーのグラント,81年4月1日~9月30日の債務繰延に270万ルピー。
DIA-303-1982-02-18-1ネパール1982年02月18日1980年代ネパール商業会議所は政府に対し,81年9月に実施された輸出促進の通貨レートの廃止にともない現金補助を出す,輸出競争力をつけるために原材料・部品への関税・販売税を返還するなどを要請した。
DIA-303-1982-02-20-1ネパール1982年02月20日1980年代タパ首相はラジオ放送で,第6次5カ年計画の遂行のための「経済突貫計画」を発表した。これは,経済開発促進を求めた1981年12月16日の国王メッセージの指示に従ったものである。
DIA-303-1982-02-21-1ネパール1982年02月21日1980年代タパ首相,平和地帯提案を説明。それによれば,(1)平和,非同盟,平和共存,すべての国との友好関係を守る。(2)他の国の平和と安全を脅かすような方法で武力行使をしない。(3)あらゆる紛争の平和的解決を求める。(4)ネパールは他国の内政に干渉しない。(5)ネパールは平和地帯提案を支持する国への敵対行為がネパール領内で行なわれることを認めない。(6)現在結んでいる外国との協定は有効である限り守る。(7)非同盟政策に従いネパールは軍事同盟を結ばず外国軍の駐留を認めない。
DIA-303-1982-02-22-1ネパール1982年02月22日1980年代労働・社会福祉省は工場労働者の新最低賃金を発表,1981年7月16日から実施する。未熟練労働者は月200ルピーを260に,半熟練労働者は230を299,熟練労働者は290を377に引上げる。
DIA-303-1982-03-04-1ネパール1982年03月04日1980年代砂糖卸売価格を1キロ9.50ルピーから9ルピーに引下げ。本年度の国内3工場の砂糖生産は前年度の1万1000㌧から80%増の2万㌧と予想,在庫増となっている。砂糖黍価格は前年の28ルピー/キンタールに据置く。
DIA-303-1982-03-04-2ネパール1982年03月04日1980年代観光客数1981年1~11月14万6946人。前年同期は14万6378人。
DIA-303-1982-03-08-1ネパール1982年03月08日1980年代パンチャ大会準備委,5小委員会の報告を承認。
DIA-303-1982-03-10-1ネパール1982年03月10日1980年代パンチャ大会開会。参加者1245人(~14日)。
DIA-303-1982-03-11-1ネパール1982年03月11日1980年代ネパール人の帰国時の持ち込み荷物は年1回に限り3万ルピー相当を無税とし,8000ルピー相当までの宝石・貴金属の持ち込みも自由とする。旧方式は3カ月に1回で上限5000ルピーであったが違反者が続出したため持ち込み制限を緩和した。
DIA-303-1982-03-11-2ネパール1982年03月11日1980年代ネ印外務次官会議,デリーで(3月10~13日)。J・S・ラナ・ネパール外務次官,サテ・インド外務次官が出席。ラナ次官はラオ・インド外相と会談。
DIA-303-1982-03-13-1ネパール1982年03月13日1980年代クレカニ水力発電所送電開始。総工費15億5000万ルピー,そのうち外貨コストは12億4000万ルピー。送電量は60MWであるがピーク時に3時間の送電能力しかないとも言われる。
DIA-303-1982-03-14-1ネパール1982年03月14日1980年代パンチャ大会は決議を採択し閉会。
DIA-303-1982-03-15-1ネパール1982年03月15日1980年代ラオ・インド外相はインド下院で,「インドはネパールによる平和地帯宣言の7項目案を検討している」と答弁。
DIA-303-1982-03-22-1ネパール1982年03月22日1980年代プラダーン・パンチャら16名は連名で,パンチャヤト政策調査委に,階層団選挙終了後に地方パンチャヤト選挙を実施するよう求めた。
DIA-303-1982-03-24-1ネパール1982年03月24日1980年代ネ印トランジット問題調査チーム会合,カトマンドゥで。ネパールはジャヤ・プラタープ・ラナ外務次官,インドはR・K・ヴァルマー貿易局局長。
DIA-303-1982-03-27-1ネパール1982年03月27日1980年代村パンチャヤト,市パンチャヤト新設でパンチャヤト数はそれぞれ4021,29となる。
DIA-303-1982-03-27-2ネパール1982年03月27日1980年代81/82年度のメイズ生産は73万1590㌧。
DIA-303-1982-03-28-1ネパール1982年03月28日1980年代ヘタウダ皮革工業会社創業,西独のGerb Haut社と提携。300万平方フィートの皮革生産,うち75%はGerb社が購入する。労働者数250。
DIA-303-1982-03-29-1ネパール1982年03月29日1980年代全国民主社会主義会議カトマンドゥで開催(~31日)。議長はC・P・シャルマー元外相,他にT・P・アチャリヤ元首相,R・シャハ外相が参加。
DIA-303-1982-03-29-2ネパール1982年03月29日1980年代81/82年度籾生産量249万7710㌧。前年度実績は246万4310㌧。
DIA-303-1982-03-30-1ネパール1982年03月30日1980年代アメリカ,対ネ・グラント援助調印,171万2000ルピー。内訳はラームプルの農業家畜科学研究所に110万㌦,保健家族計画に61万2000㌦。
DIA-303-1982-04-04-1ネパール1982年04月04日1980年代国王布告2038BS。憲法57条により地方パンチャヤト議員の任期を終了する。政府は選挙委に対し,全75郡の村・市パンチャヤトの役員,議員の選挙を実施するよう通告した。
DIA-303-1982-04-08-1ネパール1982年04月08日1980年代インド政府は82暦年の対ネ輸出14品目(ベビー・フード,植物油,石炭,セメント,アルミニウム製品,紙,原綿など)の輸出量を決定。
DIA-303-1982-04-09-1ネパール1982年04月09日1980年代サテ・インド外務次官,ラナ次官の招きで訪ネ(~13日)。11日にラナ・サテ次官会談。
DIA-303-1982-04-11-1ネパール1982年04月11日1980年代IDA借款1430万㌦,ポカラ技術訓練所建設にあてる。完成は1982年12月予定。
DIA-303-1982-04-11-2ネパール1982年04月11日1980年代国王布告。階層団選挙実施の態勢と手続を整備する。
DIA-303-1982-04-14-1ネパール1982年04月14日1980年代国王の薪年メッセージ(2039BS)。「パンチャヤト制度はわれわれの社会の基底部に根ざすもので,分権化が重要性を持つ,従って近く階層団と地方パンチャヤト選挙を行なう」。
DIA-303-1982-04-15-1ネパール1982年04月15日1980年代政府は5階層団の地方評議会を設立。
DIA-303-1982-04-16-1ネパール1982年04月16日1980年代政府は新経済計画のため,農業,灌漑・電力,林業・土壌保全,土地改革・サジャ,工業,家内工業・商業,基礎サービス,民間部門の9部門に担当班を組織。
DIA-303-1982-04-18-1ネパール1982年04月18日1980年代塩価格47%アップ。インドの鉄道運賃値上げのため・ただし,僻地での価格は据置き。ネパール塩貿易公社はインドのヒンドゥスタン製塩社と82/83年度9万㌧の輸入契約。
DIA-303-1982-04-25-1ネパール1982年04月25日1980年代80/81年度の茶生産量は政府部門147㌧,民間416㌧。81/82年度生産目標は714㌧,消費予測は1890㌧。
DIA-303-1982-04-26-1ネパール1982年04月26日1980年代中国貿易のヘタウラ織物工場,2シフトから3シフト制に変更。日産606㍍を1000㍍に引上げたい。
DIA-303-1982-04-26-2ネパール1982年04月26日1980年代パント蔵相,アジア開銀総会に出席のためマニラに。
DIA-303-1982-04-27-1ネパール1982年04月27日1980年代外務省はプレスノートを発表「政府は,和平協定によりシナイからのイスラエル撤兵と占領地のエジプトへの正式返還を歓迎,パレスチナ国家の独立,イスラエルを含む地域全国家の権利の承認にもとづく中東問題の総合的・恒久的解決に向かう和平プロセスを望む」。
DIA-303-1982-04-28-1ネパール1982年04月28日1980年代日本OECF,クレカニ水力発電所第2期工事に73億4400万円援助調印。
DIA-303-1982-04-30-1ネパール1982年04月30日1980年代カトマンドゥ盆地の80/81年度の家内工業設立件数は242,投資総額は3740万ルピー,81/82年度初9カ月は250件,同3420万ルピー。
DIA-303-1982-04-30-2ネパール1982年04月30日1980年代アジア開銀,4プロジェクトに4億8160万ルピー(3705万㌦)の援助約束。内訳は第4次発電プロジェクトに1940万㌦,10カ年農村電化プログラムにグラント115万㌦,重点地区開発計画に1350万㌦,化学肥料購入用に借款400万㌦。
DIA-303-1982-05-02-1ネパール1982年05月02日1980年代階層団選挙投票日は6月17日。各階層団の地方執行委員会の役員,委員を選出する。投票者は各階層団の地方評議会の委員で,各階層団地方執行委員会の委員長,副委員長,総務,総務補,財務,および委員4名を選出する。労働者団の場合は工業生産加工,輸送部門,金融・観光・サービスの3分野に分けられる。
DIA-303-1982-05-06-1ネパール1982年05月06日1980年代ネパール初の植物油工場ネパール植物ギー工業,試験操業開始。商品名は「シャーンティ」,主原料は大豆油,落花生油で生産6000㌧予定。
DIA-303-1982-05-11-1ネパール1982年05月11日1980年代ネ印政府間協議,カトマンドゥで開かれる(~14日)。ネパールはS・K・マッラ商務次官他17人,インドはアビド・フセイン商務次官他14人で,貿易,トランジット,非合法貿易取締り協力の3分野に分けて協議。
DIA-303-1982-05-11-2ネパール1982年05月11日1980年代地方パンチャヤト選挙の投票スタート(~17日)。有権者833万人,選出ポストは19万2088で内訳は郡パンチャヤト委員長・同副委員長が各75人,郡パンチャヤト議員675人,市パンチャヤトと村パンチャヤトのプラダーン・パンチャおよび副プラダーンパンチャが9102人他。
DIA-303-1982-05-11-3ネパール1982年05月11日1980年代英軍グルカ兵がクイーンエリザベスⅡでフォークランドに向けてイギリスを出発。
DIA-303-1982-05-14-1ネパール1982年05月14日1980年代ネ印協議,覚え書に調印。貿易についてはネパール産品を円滑に通すよう手続きを簡素化する。トランジット問題では,個人用を除きネパール向けの全品に保険をかける,カルカッタ港でのネパール向け貨物の滞貨についてインドは3重保管料を廃止し,貨物の保管期間として45日間を認める,ゴラクプル(インド,UP)にトランジットポイントを新設,インドはハルディア港にも軌条頭用地を提供する。非合法貿易取締りについて,情報を交換し,両国政府の接触を頻繁にする。
DIA-303-1982-05-15-1ネパール1982年05月15日1980年代農業インプット公社による化学肥料配給は,80/81年度5万4000㌧,81/82年度目標は5万3600㌧。
DIA-303-1982-05-18-1ネパール1982年05月18日1980年代イラク大統領特使ハモーディ訪ネ。第7回非同盟会議(バクダッドで9月に予定)にネパールを招待。
DIA-303-1982-05-26-1ネパール1982年05月26日1980年代J・ラナ外務次官,ASEAN歴訪に出発。
DIA-303-1982-05-27-1ネパール1982年05月27日1980年代ラナ外務次官,バンコクでタイ外相と会談。
DIA-303-1982-05-28-1ネパール1982年05月28日1980年代ベイルートへの国連派遣軍に加わるネパール軍108人の壮行式実行。5月31日に出発。
DIA-303-1982-05-31-1ネパール1982年05月31日1980年代Y・P・パント蔵相は,ネパール国立銀行とステート・バンク・オブ・インディア協賛による「家内・小企業融資」訓練プログラムで,ネパールの工業化は農業部門から出発したい,6次計画に要する資金の60%は外国に依存するとはいえ内資の貢献も小さくはない,家内工業は丘陵地住民の所得を拡げるものとしたい,非伝統品輸入増大による貿易赤字を縮小したい,と語った。
DIA-303-1982-06-01-1ネパール1982年06月01日1980年代5月9日からストで閉鎖されていたビラトナガル市の12工場,5月31日にスト中止で操業開始。
DIA-303-1982-06-01-2ネパール1982年06月01日1980年代旱魃の懸念強まる。5月植え付けのメイズの苗は殆ど立ち枯れ,カトマンドゥ盆地の5月の降雨は不充分。
DIA-303-1982-06-02-1ネパール1982年06月02日1980年代農業開発銀行,80/81年度融資額は前年度比9.1%減の1億3400万ルピー,短期生産ローンは11%増。中・長期は22%減。
DIA-303-1982-06-03-1ネパール1982年06月03日1980年代卸売物価指数は4月末に年率でカトマンドゥが9.2%上昇,バイラワ8.4%,ビルガンジ6.7%,ビラトナガル9.7%,ネパールガンジ10.7%上昇。
DIA-303-1982-06-06-1ネパール1982年06月06日1980年代カトマンドゥで反物価騰貴デモ。6月26日も。
DIA-303-1982-06-08-1ネパール1982年06月08日1980年代外務省は,イスラエルのレバノンでの軍事行動を憂慮し,イスラエル軍の撤退を望むと発表。
DIA-303-1982-06-08-2ネパール1982年06月08日1980年代政府筋はフォークランド紛争に出兵している英軍グルカ兵は「雇兵」ではない,と説明。また,アルゼンチン政府から,グルカ兵をフォークランドから引揚げるよう求められたことはないとのべる。現在英軍のグルカ兵は約7000人で,フォークランドへは650人が出兵しているといわれる。
DIA-303-1982-06-10-1ネパール1982年06月10日1980年代カトマンドゥ市パンチャヤトは政府にネパール食糧公社供給のパーボイル米の元値回復を要請した。同公社は先頃,上質米を1キロ2.75ルピーから3.50ルピーに,粗米を同2.25ルピーから3.00ルピーに引上げた。
DIA-303-1982-06-13-1ネパール1982年06月13日1980年代新貿易政策発表(「参考資料」参照)。
DIA-303-1982-06-13-2ネパール1982年06月13日1980年代80/81年度農業生産実績は,籾246万4000㌧,メイズ74万3000㌧,小麦27万7000㌧,きび12万2000㌧。
DIA-303-1982-06-14-1ネパール1982年06月14日1980年代銀行利子引上げ。預金は0.5%引上げ,貸出しは,基幹産業,輸入代替,輸出産業は1%引上げて12%に,農業ローンのうちカーダモン,果物,茶,綿花は10%,家畜,にわとり,養魚,絹,養蜂は12%,サービス部門は15%とする。
DIA-303-1982-06-15-1ネパール1982年06月15日1980年代デューソン駐ネ英国大使は記者会見で,フォークランドのネパール兵は現在650人で,そのうち死者は出ていないと発表。
DIA-303-1982-06-20-1ネパール1982年06月20日1980年代駐中国大使にグナ・シャムシェル・ラナ将軍(元RNA司令官)を任命。
DIA-303-1982-06-23-1ネパール1982年06月23日1980年代第33回国会開会。
DIA-303-1982-06-25-1ネパール1982年06月25日1980年代ビルガンジ精糖工場は,密輸のインド製砂糖が1キロ7.50ルピーであるため9万袋のストックを抱え,自社製品の販売価格をビルガンジ市に限って1キロ9ルピーから8.65ルピーに引下げた。
DIA-303-1982-06-27-1ネパール1982年06月27日1980年代国会規制法(2次改正)1982により,国会の議事報道規制を緩和。傍聴規制も緩めるが外国人記者,外国ミッションの傍聴は認められない。
DIA-303-1982-07-09-1ネパール1982年07月09日1980年代81/82年度経済白書発表。GDP成長率4.1%増。農業4.4%,非農業3.5%増。
DIA-303-1982-07-10-1ネパール1982年07月10日1980年代82/83年度予算国会に提出。総額91億8720万ルピー,経常支出22億2840万ルピー(前年度RE比23.3%増),開発支出69億5880万ルピー(同41.6%増)。開発支出のうち33億3080万ルピーが内資。歳入40億4250万ルピーのうち関税・消費税・販売税等増税で4.5億ルピーを見込む。Y・P・パント蔵相は記者会見で,「予算案は歳入指向でなく開発指向である。民間投資を生産部門に向けたい。対外債務は29億ルピー,年間利子はGDPの0.1%3000万ルピー,インフレは過去3年間15~17%」など発表。
DIA-303-1982-07-10-2ネパール1982年07月10日1980年代国会議員17名(L・B・チャンド,P・C・ロハニ,P・S・ラワティなど)はカトマンドゥで記者会見し,赤字予算はインフレを進めるものだと批判した。
DIA-303-1982-07-12-1ネパール1982年07月12日1980年代国会に,L・B・チャンド議員が「本国会は,国内がほとんど飢饉状態にあることを遺憾とし,政府が即時しかるべき措置をとることを求める」との緊急決議案を提出,同決議案は議員135人中87人の支持を得た。
DIA-303-1982-07-13-1ネパール1982年07月13日1980年代IDAと調印。タライ・チュリア地域の石油探査に830万SDRの信用供与。
DIA-303-1982-07-17-1ネパール1982年07月17日1980年代政府は林野破壊を止めるため委員会を設立,伐採を統制し林野保護と有効利用を行なう。
DIA-303-1982-07-18-1ネパール1982年07月18日1980年代マルティヴ,ネパール平和地帯宣書案を支持。
DIA-303-1982-07-19-1ネパール1982年07月19日1980年代ネ印外務次官会議デリーで。ネパールのJ・S・ラナ次官,インドのラスゴトラ外務次官が会談。
DIA-303-1982-07-21-1ネパール1982年07月21日1980年代ネパーリー・コングレス党のB・P・コイララ死去。67歳。22日,カトマンドゥ市での葬儀に4~5万人参加。
DIA-303-1982-07-23-1ネパール1982年07月23日1980年代国会議員ら30名は,地すべり,食糧不足,物価騰貴,菜種・パーム油問題,汚職等について政府の注意を促す共同声明を発表。
DIA-303-1982-07-27-1ネパール1982年07月27日1980年代国王訪中,蘭州に。趙紫陽首相が空港に出迎えた。Y・P・パント蔵相が同行。7月29日に蘭州からチベットのシガツェに,31日にギャンツェに。
DIA-303-1982-07-28-1ネパール1982年07月28日1980年代国王,中国の趙首相と会談。Y・P・パント蔵相,G・S・ラナ・ネ大使,呉学謙中国外務次官,陳肇源外務省第2アジア司長が同席。
DIA-303-1982-07-28-2ネパール1982年07月28日1980年代パキスタンと貿易経済協定調印。1962年協定にかわるもので,貿易関税等について最恵国待遇を認める。
DIA-303-1982-07-29-1ネパール1982年07月29日1980年代国会でタパ首相答弁。丘陵地のメイズは凶作,タライの米作は天候が回復すれば望みがある,冬作に力を入れたい,食糧供給を円滑に進めたいなど。
DIA-303-1982-07-29-2ネパール1982年07月29日1980年代国王,シガツェでパンチェン・ラマと会見。
DIA-303-1982-08-01-1ネパール1982年08月01日1980年代国王,甘粛に。3日に帰国。
DIA-303-1982-08-02-1ネパール1982年08月02日1980年代国会で7議員が食糧事情に関する討議を要求。
DIA-303-1982-08-02-2ネパール1982年08月02日1980年代国王,劉家峡水力発電所を視察。蘭州で第2回中ネ協議,Y・P・パント蔵相と呉学謙外務次官が出席,中国は対ネ協力拡大に意欲を示す。
DIA-303-1982-08-02-3ネパール1982年08月02日1980年代カトマンドゥ市でB・P・コィララ追悼集会開催。
DIA-303-1982-08-08-1ネパール1982年08月08日1980年代国会はネパール法修正法案を可決。政府が県・郡・市議会を解散しうる点に22議員の反対があった。
DIA-303-1982-08-09-1ネパール1982年08月09日1980年代南アジア地域脇力外務次官会議(7日~,イスラマバードで,J・S・ラナ外務次官出席),共同声明発表。
DIA-303-1982-08-11-1ネパール1982年08月11日1980年代パント蔵相は食糧不足懸念に対して,政府はいかなる事態にも対処する用意がある,備蓄は米2万㌧ある,農民や諸外国からの食糧確保につとめる,国内需要を優先し米の輸出を行なわない等語った。
DIA-303-1982-08-15-1ネパール1982年08月15日1980年代イラン特使シェイクル・イスラム副外相訪ネ。
DIA-303-1982-08-17-1ネパール1982年08月17日1980年代食糧公社はカトマンドゥ盆地で米1キロ5.50ルピー,粗米4.50ルピーで配給開始。市場価格は上質米9ルピーにものぼっている。
DIA-303-1982-08-18-1ネパール1982年08月18日1980年代M・M・シン国会議長は国会で,物価騰貴,食糧問題はしかるべき時に討議を行なうと約束。
DIA-303-1982-08-22-1ネパール1982年08月22日1980年代国会で「物価・食糧に関する決議案」の修正決議案が討議され,政府批判,内閣辞任要求も出る。Y・P・パント蔵相は国会で,食糧供給に全力を尽す,今後6カ月間に食糧10万㌧を調達したい,冬作に精力を注ぐ,物価上昇を抑制するなど答弁。
DIA-303-1982-08-22-2ネパール1982年08月22日1980年代N・B・スワンル内相は国会で,公安法による拘禁者は学生22名を含む47人であると答弁。
DIA-303-1982-08-26-1ネパール1982年08月26日1980年代国会,J・M・シュレスタ(カトマンドゥ)は,食糧危機,物価騰貴,生産減から,地税納入期限を半年延期するよう発議。
DIA-303-1982-08-27-1ネパール1982年08月27日1980年代国会でパント蔵相は,小農に地税の90%を返却し,天災で作物壊滅の場合は全額を免除すると発表。
DIA-303-1982-08-27-2ネパール1982年08月27日1980年代国王,タパ首相から食糧情勢と政府の対策を聴取し,被災地住民に食糧の最低必要量を確保できるよう求めた。国会議長,パンチャヤト政治調査委委員長,閣僚,計画委委員長・委員,開発委委員長・委員らも同席。
DIA-303-1982-08-29-1ネパール1982年08月29日1980年代政府,食糧供給計画を発表。「天候不順の結果,82/83年度の食糧生産目標440万㌧の達成は見込めない。とくにメイズは目標より28%減の57.6万㌧の見込み。食糧輸出禁止措置もインドの価格急騰のために効果が上らない。今後6カ月間に各開発区に通常割当量4.4万㌧を含む10.4万㌧を供給する。このうち外国からは4万㌧,のこりは国内買入れを計画している。冬作目標を引上げそのための資金を拠出する。
DIA-303-1982-09-03-1ネパール1982年09月03日1980年代議会パンチャヤト委員会でタパ首相は地方分権化法案を説明し,法案は地方に村市郡レベルの開発計画の作成と遂行の権限と責任を与えるものだと語る。
DIA-303-1982-09-06-1ネパール1982年09月06日1980年代商業・供給省は,貿易供給管理委員会,トランジット調整委員会を設立。
DIA-303-1982-09-06-2ネパール1982年09月06日1980年代ナィジェリア,ネパールの平和地帯宣言案を支持。
DIA-303-1982-09-08-1ネパール1982年09月08日1980年代選挙管理委員会発表。村市郡パンチャヤト・議会の選出ポスト全18万9498が埋められた。空席2626への補欠選挙は1983年1月13日~10月16日に実施。
DIA-303-1982-09-09-1ネパール1982年09月09日1980年代インド政府は米10万㌧をローン援助,フランスは小麦1000㌧のグラント援助を供与。
DIA-303-1982-09-10-1ネパール1982年09月10日1980年代国会閉会。
DIA-303-1982-09-11-1ネパール1982年09月11日1980年代M・P・コイララ元首相らはビラトナガル市で食糧委員会設立,モラン郡に食糧の安定供給確保のため。
DIA-303-1982-09-13-1ネパール1982年09月13日1980年代アメリカ,小麦1万㌧をグラント援助。
DIA-303-1982-09-14-1ネパール1982年09月14日1980年代パント蔵相,トロントの世銀・IMF年次総会でソフト・ローン援助の拡大を求めた。また,インドのムケルジー蔵相,ADBの藤岡総裁とも会談。
DIA-303-1982-09-15-1ネパール1982年09月15日1980年代英,食糧の国内運搬費用に45万ルピーのグラントを供与,ECにも援助を募ると約束。
DIA-303-1982-09-16-1ネパール1982年09月16日1980年代パント蔵相はカナダからの帰途日本に立寄り,鈴木首相と会談。鈴木首相は対ネ援助を約束,食糧問題についても協力を約束した。同日,桜内外相とも会談。
DIA-303-1982-09-17-1ネパール1982年09月17日1980年代国王,法律改正委員会設立。委員長にS・I・ラジ・ミシュラ司法委員会委員長任命。83年4月14日までに報告書を提出する予定。
DIA-303-1982-09-20-1ネパール1982年09月20日1980年代ケニア,ネパールの平和地帯宣言案を支持。
DIA-303-1982-09-20-2ネパール1982年09月20日1980年代政府はイスラエルのレバノン人虐殺を非難。
DIA-303-1982-09-21-1ネパール1982年09月21日1980年代カトマンドゥ市野外劇場で,T・P・アチャリヤ等により,食糧不足,物価騰貴,政治的弾圧に対する集会。
DIA-303-1982-09-21-2ネパール1982年09月21日1980年代WHO南アジア会議(ダッカで,~23日)にN・スベディ保健相出席。エルシャド戒厳令総司令官と会談。
DIA-303-1982-09-21-3ネパール1982年09月21日1980年代政府はレバノンの国連平和維持軍からの撤兵を決定
DIA-303-1982-09-24-1ネパール1982年09月24日1980年代土木工事・輸送省次官G・P・シャルマを含む上級官吏20人解任,理由は発表されず。これと前後して政府公社役員数名が解任されたもよう。
DIA-303-1982-09-24-2ネパール1982年09月24日1980年代S・P・シュレスタ工業省次官訪印。ネ印は両国合弁事業を検討するため合同工業委員会の設立に合意した。
DIA-303-1982-09-25-1ネパール1982年09月25日1980年代冬作増産のための突貫計画開始。小麦生産目標を3万㌧引上げ62万3000㌧に,その他作物の生産目標を引き上げる。種,灌漑,融資等も準備する。
DIA-303-1982-09-29-1ネパール1982年09月29日1980年代民間航空局とRNACを観光省に配属。
DIA-303-1982-09-29-2ネパール1982年09月29日1980年代8次官,4次官補任命さらに首相府次官1名任命。
DIA-303-1982-09-30-1ネパール1982年09月30日1980年代政府・6県の県長官任命,7県長官は留任。
DIA-303-1982-10-01-1ネパール1982年10月01日1980年代RNACによるカトマンドゥ=香港の定期航空路スタート,ダッカを経由する。
DIA-303-1982-10-06-1ネパール1982年10月06日1980年代日ネ,2覚書調印。日本は1億4450万ルピーのグラントを供与する。そのうち1億0600万ルピーはカトマンドゥ盆地の送電システム改善に,3850万ルピーはネパールによる日本米輸入と輸送費用に充てる。
DIA-303-1982-10-06-2ネパール1982年10月06日1980年代K・I・シン元首相(ルパンデヒ郡出身国会議員)死去。
DIA-303-1982-10-07-1ネパール1982年10月07日1980年代外国の食糧援助約束,3万3600㌧に達する。
DIA-303-1982-10-10-1ネパール1982年10月10日1980年代タパ内閣改造。前内閣28人から35人に拡大。(「参考資料」参照)。
DIA-303-1982-10-17-1ネパール1982年10月17日1980年代ラジーブ・ガンディー(インド国会議員)訪ネ。18日にタパ首相と会見。
DIA-303-1982-10-17-2ネパール1982年10月17日1980年代サーガルマータ・サテライト地上局機能開始。タンコットの地上局から直径11mのディスク・アンテナによりインド洋上3.5万kmのインテルサットと交信。
DIA-303-1982-10-19-1ネパール1982年10月19日1980年代パキスタン貿易代表団(団長・カラチ商工会議所総裁H・R・ジャヌー)訪ネ。20日にネパール商工会議所と会談。
DIA-303-1982-10-19-2ネパール1982年10月19日1980年代国王,サウジアラビアのアラブニュース記者と会見し,ネパール平和地帯案,開発間題,援助問題等を語る。
DIA-303-1982-10-20-1ネパール1982年10月20日1980年代ADBの藤岡総裁訪ネ。パント蔵相と会談。パント蔵相は,水資源開発に配慮を払うよう要請した。
DIA-303-1982-10-21-1ネパール1982年10月21日1980年代ADB藤岡総裁は記者会見で,ネパールの農業・水資源という優先部門への援助は非常に容易である,ADBからの資金援助は拡大しよう,ADBはこの2部門の開発を優先するというネパール政府の政策目標に完全に同意している,など語る。藤岡総裁,ダッカに発つ。
DIA-303-1982-10-21-2ネパール1982年10月21日1980年代政府,71郡の郡行政官を任命,4郡行政官は留任。
DIA-303-1982-10-22-1ネパール1982年10月22日1980年代12月24~27日に6階層団の中央執行委選挙実施。県レベル階層団選挙は12月5~8日の予定。
DIA-303-1982-10-25-1ネパール1982年10月25日1980年代大蔵省発表。10月18日付で全階級の公務員,軍務,警察官に基本給の20%の追加手当を支給。
DIA-303-1982-10-27-1ネパール1982年10月27日1980年代国王,ダサイン祭メッセージ。「今年の食糧不足に対し全国民が協力するよう求める。政府は物価騰貴などの困難な状況を認識し,対応措置をとってほしい」。
DIA-303-1982-10-30-1ネパール1982年10月30日1980年代政府は本年度内に開発プロジェクト1371件に総額69億5876万ルピー投資する。前年度の投資目標は1063件に53億3374万ルピー。
DIA-303-1982-10-30-2ネパール1982年10月30日1980年代工・商・供給相B・ガルティ・マガル訪中。
DIA-303-1982-10-30-3ネパール1982年10月30日1980年代インド・小麦1万㌧を緊急援助。イタリア,米2000㌧供与に合意。
DIA-303-1982-10-31-1ネパール1982年10月31日1980年代B・G・マガル工商供給相,北京で中国対外経済貿易部副部長鄭拓彬と会談。マガル工商供給相はこのあと北朝鮮を訪問。
DIA-303-1982-11-05-1ネパール1982年11月05日1980年代タイ政府,米300㌧をグラント援助。
DIA-303-1982-11-06-1ネパール1982年11月06日1980年代パンチャヤト政治調査委員会発表。1983年1~4月に村市郡パンチャヤト員のための政治訓練プログラムを実行する。82年12月~83年4月に県郡レベルのパンチャ大会を開く,82年12月に市町パンチャヤト議長・副議長の会議(5日間)を開く,パンチャ会議では中央パンチャ大会の決議事項を検討し,地方分権化プログラムを実施する。政治訓練プログラムはパンチャに無政党民主パンチャヤト制度を学ばせ,開発活動への参加を促し,地方分権化について意見を交換する目的である。
DIA-303-1982-11-06-2ネパール1982年11月06日1980年代ビルマ,米1000㌧グラント援助供与。
DIA-303-1982-11-07-1ネパール1982年11月07日1980年代国会議員75人署名の国会冬期開会要求出る。
DIA-303-1982-11-08-1ネパール1982年11月08日1980年代EEC,対ネ援助拡大に同意,すでに供与の3400㌧に加え米1万2000㌧援助を約束。
DIA-303-1982-11-10-1ネパール1982年11月10日1980年代バングラデシュのエルシャド戒厳令司令官,ネパールを公式訪問(~12日)。タパ首相と会談。
DIA-303-1982-11-11-1ネパール1982年11月11日1980年代エルシャド・バングラ司令官,国王を表敬。
DIA-303-1982-11-12-1ネパール1982年11月12日1980年代ネ・バ共同コミュニケ発表。エルシャド帰国。
DIA-303-1982-11-22-1ネパール1982年11月22日1980年代カトマンドゥで,ESCAP,UNCTAD,UNDP共催の内陸LDCへの特別措置についてのセミナー(~26日)。B・G・マガル工商供給相は開会演説で,国連機関が内陸LDC諸国に充分配慮するよう訴えた。
DIA-303-1982-11-23-1ネパール1982年11月23日1980年代食糧脇力監視委員会の委員であるP・S・ラナ,P・S・ラワティ,P・C・ロハニら国会議員16人はG・マガル供給相に政府の配給措置に不満を表明し,政府が新収穫物を正当な価格で買入れるよう求めた。
DIA-303-1982-11-23-2ネパール1982年11月23日1980年代政府は,開発プロジェクトの実施状況等を調べるため5開発区に副大臣率いる視察チームの派遣を決定。
DIA-303-1982-11-25-1ネパール1982年11月25日1980年代西独,2億5500万ルピーの援助供与調印。タナフ郡の水力発電計画,肥料等の商品援助を含む。また4000㌧の食糧援助を約東。
DIA-303-1982-11-29-1ネパール1982年11月29日1980年代D・ホッパー世銀副総裁(27日に訪ネ)はパント蔵相と会談し,対ネ援助拡大の意向を示す。
DIA-303-1982-11-29-2ネパール1982年11月29日1980年代ネパールの工業開発への協力を呼びかける「合同閣僚会議」開会(~12月3日)。政府とUNIDOが主催し19カ国,17国際機関が参加。国王は開会式で,ネパールの工業戦略の5分野(食料,衣類,住宅,保健,教育)を強調し協力を求めた。
DIA-303-1982-11-30-1ネパール1982年11月30日1980年代ネパーリー・コングレスの「非公式」大会開催(~12月2日)。各地から約1000人が参加し,K・P・バッタライが党首に,G・P・コイララが党総務に選ばれる。
DIA-303-1982-11-30-2ネパール1982年11月30日1980年代合同閣僚会議で,ティワリ・インドエ業相は対ネ援助に意欲表明,陳潔中国代表は,皮グローブ,エプロン製造等へのグラント援助供与を発表。
DIA-303-1982-12-01-1ネパール1982年12月01日1980年代合同閣僚会議,5分科会に分かれて57プロジェクトを討議。ティワリ・インド工業相は12プロジェクトの基礎調査に1000万ルピーの援助を約束。
DIA-303-1982-12-01-2ネパール1982年12月01日1980年代UNWFP,は小麦1万㌧(370万㌦)緊急援助。
DIA-303-1982-12-03-1ネパール1982年12月03日1980年代合同閣僚会議閉会。57プロジェクト中33件を優先検討するとの最終レポートを採択した。
DIA-303-1982-12-04-1ネパール1982年12月04日1980年代政府は冬作用に34郡に各10万ルピーを拠出。
DIA-303-1982-12-04-2ネパール1982年12月04日1980年代K・B・ビスタ教育・文化担当国務相訪ソ。
DIA-303-1982-12-05-1ネパール1982年12月05日1980年代アジア太平洋河水管理政府協議会がカトマンドゥでFAO,UNDP,15カ国参加で開かれる。10日に,土地と河水の利用,技術マンパワーの訓練,途上国の技術網設立をすすめる等の決議を採択し閉会。
DIA-303-1982-12-07-1ネパール1982年12月07日1980年代計画委副委員長にM・サインジュ任命。ラナ前副委員長は王立ネパール科学技術学院副院長に就任。
DIA-303-1982-12-08-1ネパール1982年12月08日1980年代階層団の県役員・委員の選出終了。
DIA-303-1982-12-13-1ネパール1982年12月13日1980年代チェコスロバキアと貿易決済協定に調印。
DIA-303-1982-12-13-2ネパール1982年12月13日1980年代中国,スンサリ・モラン灌漑プロジェクトの第1期工事(1万1200ha,総工費1450万㌦)落礼。
DIA-303-1982-12-17-1ネパール1982年12月17日1980年代新為替レート発表。対米ドル8.3%切下げて1㌦=14.30ルピーとする。パント蔵相は新レートについて「米ドル,インド・ルピー,ネパール・ルピー間の為替レート差から生じる『クロス・レート』を除くためである。対外輸出拡大インセンティブとなろう,輸入品の価格上昇をチェックする措置をとる」など語る。対インド・ルピーのレートは変えない。
DIA-303-1982-12-17-2ネパール1982年12月17日1980年代ネ米,3プロトコール調印。ラプティ総合農村開発計画,水資源保全利用計画,総合農村保健家族計画に総額1億5925万ルピーのグラント援助を供与する。
DIA-303-1982-12-17-3ネパール1982年12月17日1980年代粗籾と上質籾の最低価格をキンタール当りそれぞれ178ルピー,185ルピーに決定。籾生産コストが天候不順の結果140~150ルピーに上昇したことと,米のインド流出を止めるためインドの価格に合わせた。籾の本年度生産推計は前年比27.7%減の185万2000㌧。
DIA-303-1982-12-21-1ネパール1982年12月21日1980年代食糧危機援助としてサウジアラビア7120万ルピー,スイス1220万ルピーを約束。
DIA-303-1982-12-21-2ネパール1982年12月21日1980年代輸入関税率を一部修正。12月17日のルピー切下げに付随するもので,輸入品価格上昇を防ぐためインド以外からの輸入品(綿布,灯油,アルミニウム食器,鉄棒,波形シート他建設資材,一部工業原材料,石油製品)の関税率を変更した。
DIA-303-1982-12-27-1ネパール1982年12月27日1980年代全6階層団の中央執行委員会選挙終了。
DIA-303-1982-12-28-1ネパール1982年12月28日1980年代ネ印外務次官会談。ラスゴトラ・インド外務次官訪ネによりJ・S・ラナ外務次官と会談,83年3月のニューデリー非同盟首脳会談,ネ印経済協力等を討議。
DIA-303-1983-01-06-1ネパール1983年01月06日1980年代6階層団の各中央委委員長選出される。農民団委員長はD・B・シャハ、青年団はカマル・タパ、婦人団はスシラ・タパ、壮年団はO・P・ガウチャン、労働者団はプラモド・マッラが当選、退役軍人団はS・S・ラナが無投票当選となった。
DIA-303-1983-01-06-2ネパール1983年01月06日1980年代外国人観光客数、1982年度上半期に前年同期比3.7%増の8万2344人、うちインド人は同20.5%増の3万291人。ネパール航空の乗客は同期7.7%減、同期観光収入はかなり減のもよう。観光局発表。
DIA-303-1983-01-08-1ネパール1983年01月08日1980年代茶の消費量は全国で190万キログラム、1人当たり133グラム、前年度生産は71.4万キログラムで需要の37%。ネパール茶開発公社発表。
DIA-303-1983-01-09-1ネパール1983年01月09日1980年代農民団の第1回会議は、農業ローンの利子率を10%とする、農民団に郡徴収地税の50%を分配する、農民団の事務局を各郡、県、中央に置くなどの要求を決議した。
DIA-303-1983-01-12-1ネパール1983年01月12日1980年代第4回ネバール・バングラデシュ合同経済委員会(~16日、カトマンドゥ)。14日にムヒット・バングラデシュ外相、パント・ネパール蔵相が会談、3作業部会に分かれて協議した。16日に覚書を調印し、合同委の任期を更に5年延長した。同委は、1978年1月、国王のバングラデシュ訪問の際の合意にもとづき成立したもの。
DIA-303-1983-01-15-1ネパール1983年01月15日1980年代フランスは、ドゥムキバス・ブトワル間の送電施設建設に2150万フラン供与に合意、20%はグラント、残りは国庫借款と民間銀行ローンが40%ずっ(RN)。
DIA-303-1983-01-18-1ネパール1983年01月18日1980年代スイス政府、米2000㌧グラント供与(RN)。
DIA-303-1983-01-20-1ネパール1983年01月20日1980年代国王は政府に対し、東部開発区住民の経済社会的条件改善のため、南北道路、灌概、水力発電、家内工業、茶、カルダモン栽培等のプロジェクトを進めるよう指示した。国王は3週間にわたって東部開発区を視察旅行。
DIA-303-1983-01-20-2ネパール1983年01月20日1980年代ビスワ・プラダーン元駐エジプト大使、外務省次官に任命、J・S・ラナが駐インド大使として転出した後任。
DIA-303-1983-01-20-3ネパール1983年01月20日1980年代IDA、第2次灌漑システム改善プロジェクト用に、1510万SDRの信用供与に合意。
DIA-303-1983-01-23-1ネパール1983年01月23日1980年代40郡73カ村での小農振興プロジェクト54件で7万6920人の小農が恩恵をうけた。6次計画末までに合計154件を実行の予定、貸付総額は1億4000万ルピーを目標とする。農業開発銀行発表。
DIA-303-1983-01-28-1ネパール1983年01月28日1980年代韓国大統領特使呉世応政務長官、訪ネ。30日に国王、タパ首相と会談。
DIA-303-1983-02-01-1ネパール1983年02月01日1980年代L・B・チャンドら国会議員12人は記者会見を行ない、タパ内閣の辞任を要求する。この要求に国会議員75名の支持が集まったと発表した。
DIA-303-1983-02-03-1ネパール1983年02月03日1980年代タパ首相、訪印(~5日)、カトリ外相が同行。 タパ・ガンディー会談、夕食会。4日、首脳・外相会談。
DIA-303-1983-02-05-1ネパール1983年02月05日1980年代ネ印、閣僚(外相)レベルの合同経済委員会の設置、3河川プロジェクトの協議遂行に合意。タパ首相はデリーでの記者会見で、ガンディー首相との話合いに「全面的に満足している」、同首相に「ネパール平和地域宣言」構想について説明したなど語る。タパ首相は同日パキスタン、イスラマバード訪問。
DIA-303-1983-02-06-1ネパール1983年02月06日1980年代タパ首相、ジア・パキスタン大統領と会談。ネ・パ外相会談も持たれる。
DIA-303-1983-02-07-1ネパール1983年02月07日1980年代ネ・パ合同記者声明発表。非同盟デリー会議に期待、両国の協力拡大、合同経済委員会設立に合意など。
DIA-303-1983-02-08-1ネパール1983年02月08日1980年代遠隔地40カ所への輸送コストの90%までに政府補助金を支出する。工業省発表。
DIA-303-1983-02-09-1ネパール1983年02月09日1980年代PPICは、2月~3月に全75郡で「地方分権化」のための世論喚起のセミナーを組織する、これには現・元国会議員、郡パンチャヤト議長、県・郡の階層団役員らが参加するなど発表。
DIA-303-1983-02-09-2ネパール1983年02月09日1980年代アメリカ、小麦1万㌧援助に合意。
DIA-303-1983-02-13-1ネパール1983年02月13日1980年代プラサイ観光省次官、ダッカに。15日航空協定改正調印。
DIA-303-1983-02-14-1ネパール1983年02月14日1980年代タパ首相、非公式訪米(~16日)、シュルツ国務長官と会談。16日にブッシュ副大統領と会談。
DIA-303-1983-02-16-1ネパール1983年02月16日1980年代青年団中央委員会は、青年の福祉向上のための特別プログラムを実施するとの決議を採択。
DIA-303-1983-02-16-2ネパール1983年02月16日1980年代81/82年度歳入実績は当初見積の0.2%増の24億1920万ルピー、前年度実績の28.7%増。
DIA-303-1983-02-17-1ネパール1983年02月17日1980年代農民団中央委員会は、包括的発展のための21項目計画を承認。
DIA-303-1983-02-18-1ネパール1983年02月18日1980年代タパ首相、バングラデシュ公式訪問、エルシャド戒厳司令官と会談。19日、ネ・バ会談。
DIA-303-1983-02-20-1ネパール1983年02月20日1980年代ネ・バ合同コミュニケ発表。タパ首相帰国。
DIA-303-1983-02-22-1ネパール1983年02月22日1980年代人口問題委員会、新人口戦略発表。
DIA-303-1983-02-23-1ネパール1983年02月23日1980年代国会議員9人によるタパ首相への要望書公開。ラプティ、カルナリ、パンチェシュワル川に関するインドとの合意内容を公けにするよう求めた。L・B・チャゴンド、P・S・ラナらが署名。
DIA-303-1983-02-28-1ネパール1983年02月28日1980年代ネ日プロトコール調印、農業開発・農村水供給にグラント1億7400万ルピー供与。
DIA-303-1983-03-02-1ネパール1983年03月02日1980年代タイ・トンヨット副首相訪ネ。3日にタパ首相、パント蔵相と会談。5日に、マンパワー開発、医療問題他で協力の合意。
DIA-303-1983-03-02-2ネパール1983年03月02日1980年代カトリ外相、非同盟外相会議(2日~)出席のためデリーに。3日、同会議でスピーチ。
DIA-303-1983-03-04-1ネパール1983年03月04日1980年代キプロス、ネパールの「平和地帯」構想を支持。
DIA-303-1983-03-06-1ネパール1983年03月06日1980年代国王、非同盟サミット(7日~)出席のためデリーに。8日に本会議で演説し、12日帰国。
DIA-303-1983-03-07-1ネパール1983年03月07日1980年代旱魃地区の農民に地税免除、大蔵省地税局発表。
DIA-303-1983-03-09-1ネパール1983年03月09日1980年代ADB3借款。第2次丘陵地灌漑計画、科学教育計画、製紙ミルの3プロジェクトに6000万㌦。
DIA-303-1983-03-11-1ネパール1983年03月11日1980年代西ドイツ、小麦4000㌧のグラント援助、インドは小麦1万5000㌧をローン援助。
DIA-303-1983-03-13-1ネパール1983年03月13日1980年代県長官会談(~17日)。
DIA-303-1983-03-15-1ネパール1983年03月15日1980年代ネ・パ合同航空委員会第1回会談(カトマンドゥで、~18日)。18日に、カトマンドゥ・カラチ便を4月15日から開設など合意。
DIA-303-1983-03-17-1ネパール1983年03月17日1980年代外国食糧援助はこれまでに9万㌧約束、うち2万4000㌧はすでに受取り。
DIA-303-1983-03-17-2ネパール1983年03月17日1980年代第6回ネ印政府間委員会開かれる(デリー、~21日)。 21日に、現貿易協定の5年間延長に合意調印。貿易拡大に合意。
DIA-303-1983-03-17-3ネパール1983年03月17日1980年代IDA開発ローン2億2880万ルピー供与合意。バイラワ・ルンビニ地下水計画第2期工事用。
DIA-303-1983-03-17-4ネパール1983年03月17日1980年代石油価格引下げで輸入負担軽減は9300万ルピーであるが、国内価格は変えない。NOC総裁発言。
DIA-303-1983-03-19-1ネパール1983年03月19日1980年代ジャナクプルダムでパンチャ大会。L・B・チャンド、P・S・ラナ、P・S・ラワティなど反タパ首相派の国会議員が出席し、食糧危機、汚職等を批判。
DIA-303-1983-03-19-2ネパール1983年03月19日1980年代1984年度の米の対ネ援助提案は、開発援助1350万㌦、PL480援助150万㌦、軍事訓練援助9万5000㌦。
DIA-303-1983-03-23-1ネパール1983年03月23日1980年代中国全国人民会議代表N・N・ジグメ、訪ネ。 24日にタパ首相、カトリ外相と会談、28日帰国。
DIA-303-1983-03-24-1ネパール1983年03月24日1980年代新家内工業プログラム発足。10業種を各75郡に設置する計画である(RN)。
DIA-303-1983-03-28-1ネパール1983年03月28日1980年代本年度地税を、パルサ郡について15~50%軽減、トリ地区8カ村は50%減とする。これにより同郡の歳入は60万ルピー減の見込み。政府発表。
DIA-303-1983-03-29-1ネパール1983年03月29日1980年代農村開発に関する国際協議会、カトマンドゥで(~30日)。ADB、FAO、UNDP等が参加し、ADB資料を討議。
DIA-303-1983-03-30-1ネパール1983年03月30日1980年代サウジへ政府代表団出発。ネパールの道路建設(マヘンドラ・ハイウェイの15キロメートル部分)にサウジ開発基金3800万㌦の援助を期待。
DIA-303-1983-04-03-1ネパール1983年04月03日1980年代国立保険公社の81/82年度の生命保険収入は、30.9%増(RN)。
DIA-303-1983-04-04-1ネパール1983年04月04日1980年代PPICは14県で4月末~5月第2週内に県パンチャ大会を開くことを決定。またPPICは9人からなるハイレベルの「地方分権化」委員会を設立、委員長にはPPIC委員長で国会議長のM・M・シン(RN)。
DIA-303-1983-04-05-1ネパール1983年04月05日1980年代森林地帯からの不法居住者追放を進める、このような居住者は全国で約3万5000人、ナワルパラシ郡だけで1万4000人である。カドカ森林・土壌保全担当国務相発表。
DIA-303-1983-04-06-1ネパール1983年04月06日1980年代NRB主催で第1回「優先部門信用」セミナー開催。タパ首相は民間銀行が開発資金動員に努力するよう訴えた。
DIA-303-1983-04-07-1ネパール1983年04月07日1980年代ネパール電力公社は4月14日から電気料金の引上げを発表、増収4000万ルピーを見込む。
DIA-303-1983-04-11-1ネパール1983年04月11日1980年代サウジ開発基金ローン2500万㌦をマルシャンディ水力発電プロジェクトに供与決定(RN)。
DIA-303-1983-04-13-1ネパール1983年04月13日1980年代カトマンドゥ・カラチ間にPIA週1便運航を開始、RNACは航空機の手配がつき次第運行する。
DIA-303-1983-04-14-1ネパール1983年04月14日1980年代公務員、軍関係雇用者の最低年金給付率引上げ。
DIA-303-1983-04-18-1ネパール1983年04月18日1980年代ラハンで反タパ首相のパンチャ集会。国会議員17人が出席し、タパ政府の辞任を要求。
DIA-303-1983-04-18-2ネパール1983年04月18日1980年代チャタラ水路再建第1期工事、モラン・スンサリ灌漑プロジェクト拡張工事(工費1億9000万ルピー)開始。国際入札により中国の水力発電公社が請負う。
DIA-303-1983-04-19-1ネパール1983年04月19日1980年代ネ印、次官級の水資源会議(~24日)。カルナリ、パンチェシュワル、ラプティ川について3技術委員会を設けて検討した。24日の合同記者会見によれば、カルナリ川は協力委員会を設立して相互にデータを交換する、パンチェシュワル川については外国人コンサルタントの役割り、コスト分担など、ラプティ川に関してはダムの立地、洪水制御などネパールからインドへ流れる河川の水利用、貯水、洪水制御など、が討議された。
DIA-303-1983-04-20-1ネパール1983年04月20日1980年代インド、小麦追加援助ローン1万㌧を約束、これによりインドの食糧援助は2万㌧となる。
DIA-303-1983-04-25-1ネパール1983年04月25日1980年代カトマンドゥ郡パンチャヤト決議、タパ内閣を譴責することを決議し、5月21日にパンチャ大会をカトマンドゥで開くことを決定。
DIA-303-1983-04-26-1ネパール1983年04月26日1980年代ADBの協調融資は1982年に前年の2倍の2億7600万㌦となった。蔵相発表。
DIA-303-1983-04-27-1ネパール1983年04月27日1980年代日本、クレカニ第2水力発電プロジェクトに2億9000万ルピーのローン供与に合意。
DIA-303-1983-04-28-1ネパール1983年04月28日1980年代スイス、ポテト開発プロジェクトへの技術援助としてグラント900万ルピー供与に調印。
DIA-303-1983-05-02-1ネパール1983年05月02日1980年代ミッテラン仏大統領、ネパール公式訪問(~3日)。シェイソン外相が同行。1億450万ルピーの援助供与、科学技術協力、投資保護の3協定に調印。
DIA-303-1983-05-07-1ネパール1983年05月07日1980年代バーグマティ県パンチャ大会(ヌワコット)で国会議員P・C・ロハニらは議事進行等に抗議して会議をボイコット、ガンダギ県のパンチャ大会では、会場前で抗議行動をしたとしてタナフ、ラムジュン、ゴルカの郡パンチャヤト議長の大会出席が許可されなかった。
DIA-303-1983-05-07-2ネパール1983年05月07日1980年代農業インプット公社は、尿素価格を1㌧当り3500ルピーとするなど、肥料価格を引上げた。
DIA-303-1983-05-09-1ネパール1983年05月09日1980年代日本のグラント援助によるラジオ・ネパールの新放送局開局。
DIA-303-1983-05-09-2ネパール1983年05月09日1980年代ターメリック、米ぬかケーキ、薬草、完全加工皮革の輸出ライセンスを廃止。商業・供給省発表。
DIA-303-1983-05-11-1ネパール1983年05月11日1980年代サウジ開発基金から、マヘンドラ・ハイウェイ建設に4億4100万ルピーの借款供与、調印。マルシャンディ水力発電所への2500万㌦借款は合意成立。
DIA-303-1983-05-11-2ネパール1983年05月11日1980年代パント蔵相、ADB第16回総会(マニラ)に出席し、帰国。ADBはカンカイ多目的水資源開発は専門家を加えて推進する予定・ネパールはADBにマルシャディ水力発電プロジェクトへの援助申請、ヘタウラ・セメント・プロジェクトへの援助増額申請などを出したと語る。
DIA-303-1983-05-16-1ネパール1983年05月16日1980年代A・N・ラナ大将、将軍・陸軍指令官に任命される。前任のS・P・シャハ将軍は5月15日に退官(RN)。
DIA-303-1983-05-19-1ネパール1983年05月19日1980年代PPICからジョグメヘル・シュレスタ(国会議員)辞任。タパ首相の反対活動を強めている。
DIA-303-1983-05-20-1ネパール1983年05月20日1980年代カトマンドゥ市パンチャヤト議長K・チトラカルら8人は、5月21日のパンチャ集会は政治的混乱を招くものだと批判する共同声明を発表(R2V)。
DIA-303-1983-05-20-2ネパール1983年05月20日1980年代日本、3600万ルピーの第5次グラント援助協定に調印。棒鋼、亜鉛鋼板などの輸入にあてられる。
DIA-303-1983-05-21-1ネパール1983年05月21日1980年代カトマンドゥで、タパ政府を批判し、電気料金、肥料価格の引下げ、食糧問題解決などを求めるパンチャ集会が開かれる。国会議員のL・B・チャンド、J・M・シュレスタ、P・C・ロハニらが参加した。
DIA-303-1983-05-22-1ネパール1983年05月22日1980年代イギリス、グラント援助572万ルピー。
DIA-303-1983-05-25-1ネパール1983年05月25日1980年代パキスタン・ジア大統領、ネパール公式訪問。ネ・パ合同経済委員会設立に合意、調印。閣僚レベルで年1回以上会合し、経済、技術協力強化を検討する。第1回会合は5月26日。ジア大統領、タパ首相と会談。
DIA-303-1983-05-27-1ネパール1983年05月27日1980年代ギヤネンドラ王子、サウジ公式訪問(5月29日~6月3日)に出発。
DIA-303-1983-05-27-2ネパール1983年05月27日1980年代ジア・パキスタン大統領帰国。共同コミュニケ発表。
DIA-303-1983-06-01-1ネパール1983年06月01日1980年代為替レート変更。バスケット制を採用し、米ドル、インドルピーへのペッグは廃止する。米ドルを「介入通貨」とする。
DIA-303-1983-06-02-1ネパール1983年06月02日1980年代「地方分権化」委員会会合。
DIA-303-1983-06-04-1ネパール1983年06月04日1980年代ブータンと外交関係(大使級)樹立。ブータンはネパールが正式外交関係を持つ85番目の国となる(RN)
DIA-303-1983-06-04-2ネパール1983年06月04日1980年代82/83年度のネパール食糧公社配給量は6万7822㌧(RN)。
DIA-303-1983-06-07-1ネパール1983年06月07日1980年代ネ印はウダヤプルにセメント工場設立で合意。総工費15億3700万ルピー、日産1200㌧、完成は4年半後を予定。原料のライムストーンとクレイはシンダリとベルタールから入手する。
DIA-303-1983-06-10-1ネパール1983年06月10日1980年代政府は、民間輸入業者に対する輸入許可証発行を「一時的に停止」した。外貨準備減少が理由。商業局のR・バハドゥルKC局長代理は、7月17日の新年度から輸入許可証を発行する、政府は近く、輸入規制、輸出促進のための新政策を発表する予定であるなど語る。またNRBのK・B・アディカリ総裁は、外貨準備は危機的状況ではない、しかし政府が輸入許可証を発行し続けるならば輸入業者への外貨供給は苦しくなろう、NRBは民間銀行を通して規制を強めたなどと語った。(RN)。
DIA-303-1983-06-16-1ネパール1983年06月16日1980年代82/83年度の農業生産、小麦は66万トンで過去最高・もみは目標を100万㌧下回り前年推定実績より72.7万㌧減の183・3万㌧、メイズは71.8万㌧と不振。
DIA-303-1983-06-19-1ネパール1983年06月19日1980年代第34回国会開会。
DIA-303-1983-06-19-2ネパール1983年06月19日1980年代ネパール・ホテル協会は、「ネパールが観光外貨収入1㌦に対し80セントも支出していることはホテル業界の責任である」とのNRB発表に対して、NRBの計算は根拠がないとして反論。
DIA-303-1983-06-21-1ネパール1983年06月21日1980年代国会で国王演説。
DIA-303-1983-06-23-1ネパール1983年06月23日1980年代石けん生産は、需要25㌧に対して、大工場3社が日産18㌧、小工場142社が同12㌧の水準(RN)。
DIA-303-1983-06-23-2ネパール1983年06月23日1980年代東部丘陵地にモンスーン到来。24日にはカトマンドゥ盆地もモンスーンに入る。例年より遅れ気味のためメイズに若干の被害が出ている。
DIA-303-1983-06-24-1ネパール1983年06月24日1980年代国会にタパ首相辞任要求が出される。反タパ首相派(L・B・チャンド代表)は41議員の署名によるタパ首相批判動議を国会事務局に提出した。
DIA-303-1983-06-26-1ネパール1983年06月26日1980年代国会議長M・M・シンは、批判動議について国会事務局もしくは議長事務局に出された提案はすべての必要手続きが終らない限り、議会で討議はできないと説明。
DIA-303-1983-07-03-1ネパール1983年07月03日1980年代NRBは輸出先物レートを導入する。7月17日から実行。
DIA-303-1983-07-04-1ネパール1983年07月04日1980年代フランス、ネパールの「平和地帯」構想を支持。カトリ外相、国会で報告。32番目の支持国である。
DIA-303-1983-07-06-1ネパール1983年07月06日1980年代82/83年度経済白書、パント蔵相が国会に提出。82/83年度GDP成長率-1.3%、食糧生産は-12.1%の伸び、工業生産は16.7%増。
DIA-303-1983-07-08-1ネパール1983年07月08日1980年代タパ内閣の8閣僚辞任、国王は辞任を承認。
DIA-303-1983-07-10-1ネパール1983年07月10日1980年代国王、さらに数閣僚の辞任を認める。辞任閣僚はY・B・パント蔵相、N・スベディ・パンチャヤト・地域開発相、カトリ外相も含まれる。
DIA-303-1983-07-10-2ネパール1983年07月10日1980年代83/84年度予算案、国会に出される。総支出95億2261万ルピー、35億5564万ルピーの財政赤字を見込む。所得税控除上限の引上げ、ペン、鉛筆、ミルク等の販売税引下げ、不動産取引税引下げ、干しょうが、加工皮革の輸出税撤廃、めん類、レンガ、植物油、電線、毛糸などの輸入税を15%まで引上げ等の税改正措置を提案、貿易収支対策としては輸入規制強化、輸出補助金などを提案している。
DIA-303-1983-07-11-1ネパール1983年07月11日1980年代国会、L・B・チャンド提出のタパ首相批判動議を可決、賛成108対反対17。動議内容は、S・B・タパ首相がその職務を誠意をもって遂行しておらず、無政党民主パンチャヤト制度の基本原則が保たれず、汚職が広がり、食糧危機は解決されず、経済的無秩序は極まっている、というもの。続いて国王は、タパ内閣を解任し国会が首相後任をすみやかに勧告するよう指示した。
DIA-303-1983-07-11-2ネパール1983年07月11日1980年代タパ前首相は解任後、自分への非難には根拠がない、新たな「廷臣」が汚職を奨めているなどと語った(7月12日付ステーツマン)。
DIA-303-1983-07-11-3ネパール1983年07月11日1980年代L・B・チャンド、次期首相候補として届け出る。
DIA-303-1983-07-12-1ネパール1983年07月12日1980年代国会はL・B・チャンドを首相候補と認める。国王、チャンドを首相に任命。
DIA-303-1983-07-13-1ネパール1983年07月13日1980年代L・B・チャンド内閣発足(参考資料参照)。
DIA-303-1983-07-17-1ネパール1983年07月17日1980年代粗米、大豆油価格、電気料金を引下げ。
DIA-303-1983-07-18-1ネパール1983年07月18日1980年代ラワティ内相は国会で、治安法により拘禁の政治犯を早い時期に釈放する、と発表。
DIA-303-1983-07-20-1ネパール1983年07月20日1980年代治安法による拘禁者28人を釈放。
DIA-303-1983-07-20-2ネパール1983年07月20日1980年代内閣とPPICの合同会議開かれる。
DIA-303-1983-07-21-1ネパール1983年07月21日1980年代チャンド首相、記者会見。庶民救済策を主張、経済規律を樹立したい、粗米、大豆油、電力料金を引下げる、近く第2次の拘禁者釈放を行なう。国民の税負担を軽減したい、食糧投機は許さない、など語る。
DIA-303-1983-07-22-1ネパール1983年07月22日1980年代コイララ没1周年集会、カトマンドゥで開く。
DIA-303-1983-07-27-1ネパール1983年07月27日1980年代南アジア地域協力会議次官会議、デリーで。
DIA-303-1983-07-29-1ネパール1983年07月29日1980年代司法改革委員会の報告書、国王に提出される。
DIA-303-1983-08-01-1ネパール1983年08月01日1980年代南アジア地域協力会議、デリーで。カトリ外相出席。外相、3日に帰国。
DIA-303-1983-08-03-1ネパール1983年08月03日1980年代国会に、RNACのボーイング購入問題にからみ疑議が出される。
DIA-303-1983-08-03-2ネパール1983年08月03日1980年代タイのプレム首相、訪ネ。4日にチャンド首相と会談。6日、離ネ。4日、ナロン・タイ農相とマッラ農業・土地改革相の会談。
DIA-303-1983-08-04-1ネパール1983年08月04日1980年代D・ボーラ観光担当国務相、国会でボーイング購入問題について釈明。
DIA-303-1983-08-07-1ネパール1983年08月07日1980年代RNACは「ボーイング購入について不正はない」とのプレスノート発表。
DIA-303-1983-08-08-1ネパール1983年08月08日1980年代政府、ボーイング機購入問題調査委員会を設立。8月25日に調査報告書が提出された。
DIA-303-1983-08-13-1ネパール1983年08月13日1980年代アグリカルチャー・トゥール・ファクトリー社(国営)の生産は82/83年度に前年の300%増の810万ルピー、売上げは同238%増の830万ルピーとなった。
DIA-303-1983-08-14-1ネパール1983年08月14日1980年代ネパール人、外人旅行者への関税、販売税減免。ベッド用品、衣料品を含む個人用品7品目は輸入許可不要、関税、販売税を免除、ペン、宝石類、スポーツ用品等は数量規制のうえ免税とする(RN)。
DIA-303-1983-08-18-1ネパール1983年08月18日1980年代国会議長・PPIC委員長M・M・シンは農民団中央委で、各階層団の行動計画案は完成し、近く政府と協議に入る予定だと述べる。
DIA-303-1983-08-19-1ネパール1983年08月19日1980年代元首相T・P・アーチャリヤは、チャンド政府を倒そうとの動きは国益に反するとの声明文を発表。チャンド首相不信任の動きが出ている。
DIA-303-1983-08-21-1ネパール1983年08月21日1980年代PPIC委員にJ・M・シュレスタ・パンチャヤト・地域開発相が任命される。
DIA-303-1983-08-22-1ネパール1983年08月22日1980年代国会に、チャンド内閣不信任動議出される。48議員の署名、D・B・シュレスタが提出。
DIA-303-1983-08-27-1ネパール1983年08月27日1980年代インドはカカルビッタ経由で許可証なく入国するネパール人の入国を規制したと伝えられる(RN)。
DIA-303-1983-08-29-1ネパール1983年08月29日1980年代ロハニ蔵相は国会で、新予算は赤字縮小のため緊縮予算としたい、外貨準備は過去3年間で10億ルピーも減少した、など発言。翌日、パント蔵相が反論。
DIA-303-1983-08-30-1ネパール1983年08月30日1980年代政府は、インド両国間を往来するネパール人に規制を加えていることについて、インド政府に強く抗議した。カトリ外相、国会で発表。
DIA-303-1983-08-30-2ネパール1983年08月30日1980年代政治犯52人を釈放。ラワティ内相、国会で発表。
DIA-303-1983-08-31-1ネパール1983年08月31日1980年代国会でシン議長は、チャンド内閣不信任動議を「技術的エラー」を根拠に却下。動議提出のD・B・シュレスタら24国会議員は記者会見で、動議の拒否は政府の「陰謀」の結果だと抗議。
DIA-303-1983-09-01-1ネパール1983年09月01日1980年代国会、83/84年度予算案を可決。8月31日の不信任動議の討議拒否に抗議して23議員が退場。新予算案は、当初予算案の財政支出を15%削減。
DIA-303-1983-09-01-2ネパール1983年09月01日1980年代インド国境メチ川岸でインド警察がネパール人33名を無許可入国者として逮捕。逮捕者はのち釈放された。
DIA-303-1983-09-03-1ネパール1983年09月03日1980年代国会閉会。
DIA-303-1983-09-09-1ネパール1983年09月09日1980年代10日にかけて中西、極西部で豪雨。アッチャムでは1480戸が破壊され、16人が死亡。
DIA-303-1983-09-10-1ネパール1983年09月10日1980年代農業開発銀行の82/83年度融資額は目標の97.2%を達成して3億2351万ルピー(RN)。
DIA-303-1983-09-10-2ネパール1983年09月10日1980年代バチカンと外交関係樹立を決定(RN)。
DIA-303-1983-09-11-1ネパール1983年09月11日1980年代国王は、PPICの空席に各階層団中央委員会委員長を任命。
DIA-303-1983-09-13-1ネパール1983年09月13日1980年代ロハニ蔵相、記者会見で新年度予算説明。当初予算案の支出を経常、開発支出とも縮小し10億4000万ルピーの削減、歳入は当初予算案から4億1000万ルピーの減となっている。予算赤字は当初の35億5000万ルピーを29億8000万ルピーに縮小した。飲料水、基礎的保健施設、技術開発、ロバ道建設等を優先させたい、開発予算への影響は避けたいなど語る。
DIA-303-1983-09-14-1ネパール1983年09月14日1980年代政府は、泥棒追跡と称して許可なく入国したインド人警察官3名の身柄を、インド大使館に引き渡し、今後このような非合法活動が起きないよう注意した。
DIA-303-1983-09-15-1ネパール1983年09月15日1980年代国王、外遊に出発。カラチでジア大統領ヤクブ・カーン外相と会見。16日、ローマに。
DIA-303-1983-09-17-1ネパール1983年09月17日1980年代国王、イタリア非公式訪問。ベルティニ大統領と会談。ネ・イ外相会談。イタリアは「平和地帯」構想支持を表明。国王、バチカンでローマ法王と会見。
DIA-303-1983-09-19-1ネパール1983年09月19日1980年代国王、スベイン公式訪問(~22日)。外相会談、ネパール・スペイン文化協定に調印。
DIA-303-1983-09-20-1ネパール1983年09月20日1980年代インド大使館発表。「先週、盗賊2名とインド警察官3名がインド領ビハール州ススタで交戦し5名全員が死亡した。盗賊はインド領内で木を盗伐していた」。
DIA-303-1983-09-20-2ネパール1983年09月20日1980年代日本、5400万ルピーのグラント援助調印。食糧生産およびタイ、パキスタンからの米の輸入にあてる。
DIA-303-1983-09-21-1ネパール1983年09月21日1980年代ネパール・スペイン外相会談。スペインは「平和地帯」構想を承認した。
DIA-303-1983-09-25-1ネパール1983年09月25日1980年代国王、マルタに立寄り。マルタは「平和地帯」構想支持を表明。国王、エジプト非公式訪問でカイロに。26日にエジプト首相と昼食会。
DIA-303-1983-09-27-1ネパール1983年09月27日1980年代国王、UAE非公式訪問。UAEは「平和地帯構想」支持を表明。28日にUAE大統領と会見。
DIA-303-1983-09-29-1ネパール1983年09月29日1980年代国王、マルディブを友好訪問。10月1日帰国。
DIA-303-1983-09-30-1ネパール1983年09月30日1980年代カトマンドゥ市内で学生デモ、152人逮捕。
DIA-303-1983-10-01-1ネパール1983年10月01日1980年代ネ中合同会議は越境放牧に関する議事録調印。 フムラ、ムスタン、シンドパルチョク、ドルカ4郡の家畜1万頭の中国領内放牧の期間延長を認める(前2郡5年、後2郡3年)、チベット自治区のブラン族の家畜900頭のネパールでの放牧を今後、5年間認める、病気の拡散防止措置をとる。
DIA-303-1983-10-03-1ネパール1983年10月03日1980年代建築税増税。都市新築家屋は1平方フィート当り現行50パイサから2ルピーに引上げる。
DIA-303-1983-10-05-1ネパール1983年10月05日1980年代中国は、カトマンドゥとバクタプルの飲料水用井戸19本建設を落札。
DIA-303-1983-10-06-1ネパール1983年10月06日1980年代職権濫用防止委員会は、郡行政官、判事を含む19名を停職処分とした。
DIA-303-1983-10-06-2ネパール1983年10月06日1980年代もみ買入れ価格を1キンタール当り粗もみ190ルピー、 上質もみ200ルピーとする。商業省発表(RN)。
DIA-303-1983-10-06-3ネパール1983年10月06日1980年代ダサイン祭向けに羊6000頭をチベットから輸入。販売価格は山羊一頭415ルピー、羊440ルピー。
DIA-303-1983-10-10-1ネパール1983年10月10日1980年代計画委員会、第6次計画第3年度の実績を検討。
DIA-303-1983-10-11-1ネパール1983年10月11日1980年代食糧公社は今年からタライ8郡でバダイヤ米3000㌧買い付け、国内各地で組織的に売却する計画。
DIA-303-1983-10-12-1ネパール1983年10月12日1980年代国王、7法案を承認。
DIA-303-1983-10-12-2ネパール1983年10月12日1980年代ネ中、経済協力拡大と貿易促進のための経済委員会設立に合意。
DIA-303-1983-10-12-3ネパール1983年10月12日1980年代チャンド首相は第6次計画3年間の実績について、計画支出の達成率は40%以下、灌漑への投資は29.6%、国際収支は悪化、森林資源の破壊、投資の低下に加えて投資が生産に反映していないとの5点を指摘。
DIA-303-1983-10-21-1ネパール1983年10月21日1980年代食糧公社の82/83年度食糧買付量は5100万㌧、供給は6万1773㌧であった(RN)。
DIA-303-1983-10-24-1ネパール1983年10月24日1980年代カトリ外相、国連総会で、国連の機能を高めるよう訴える演説を行なう。
DIA-303-1983-10-25-1ネパール1983年10月25日1980年代外務省はレバノン国連監視軍への爆弾テロ事件について、「深い衝撃を受けた、事件はレバノンの事態の推移をうちこわすものだ」と表明。
DIA-303-1983-10-27-1ネパール1983年10月27日1980年代ボーイング機購入に関して、観光省とRNAC による不正行為が判明したとの調査報告書発表。
DIA-303-1983-10-27-2ネパール1983年10月27日1980年代外務省、グレナダヘの米侵攻を非難するプレス発表。
DIA-303-1983-10-27-3ネパール1983年10月27日1980年代国営企業82/83年度の業績、ジャナクプル・タバコ、ヒマール・セメント、ブリック・タイル、バンスバリ靴・皮革社は好調(RN)。
DIA-303-1983-10-28-1ネパール1983年10月28日1980年代D・ボハラ観光担当国務相はボーイング機購入にからみ辞任。労働社会福祉相S・P・ブダトキが観光担当相を兼任する。
DIA-303-1983-10-30-1ネパール1983年10月30日1980年代ジュート生産、83年に前年比40%減の3万1124㌧の見込み(RN)。
DIA-303-1983-11-01-1ネパール1983年11月01日1980年代人口1500万人を突破。1981年6月22日現在で1502万2839人、男769万5336人、女732万7503人。過去10年間の人口増加率は年平均2.66%、人口密度は1平方キロメートル当り78.5人から102.1人に増加。宗教人口はヒンドゥー教徒が89.5%、仏教徒5.3%、ムスリム2.6%。総家族数258万5154、1所帯平均人数は5.8人。就業人口の91.1%は農業、4.6%が個人営業、1.6%が商業に従事。CBS発表。
DIA-303-1983-11-01-2ネパール1983年11月01日1980年代輸出促進9項目計画発表、商業・供給省。金融、通貨、制度的措置が中心となっている。輸出財開発・輸出促進協議会の設立、皮・皮革製品輸出業者に現金補助金支出、他の輸出商品についても外貨取得の銀行証明書をもとにFOB価格の10%を現金で支払う、外貨取得の輸出企業は必要とする原材料、資機材の輸入にその外貨収入の15%を利用できる、第三国輸出の関税を1%引下げる、LCに対し250万ルピーまでの輸出信用が与えられる、輸出ローン利子を軽減して輸送コスト負担を援助する、NRBは民間銀行に輸出ローンのレファイナンスを行ない、民間銀行が輸出ローン利子と特別利子の間で金利を設定することを認める、工業開発公社は輸出産業に対し同公社投資の10%をふり向けるなど。
DIA-303-1983-11-01-3ネパール1983年11月01日1980年代工業開発公社は工業化促進のため、特定部門への貸付の簡素化、地域バランスをとるなど投資方針を変更。
DIA-303-1983-11-11-1ネパール1983年11月11日1980年代外国人旅客数は83年1月~3月に前年同期比15%増の4万6043人(RN)。
DIA-303-1983-11-13-1ネパール1983年11月13日1980年代NRBは民間銀行に対し、輸出前信用を45日まで利率8%で融資するよう指示した(RN)。
DIA-303-1983-11-16-1ネパール1983年11月16日1980年代中国援助のブリクティ製紙工場起工式。
DIA-303-1983-11-16-2ネパール1983年11月16日1980年代外務省プレス発表、トルコ系キプロスの一方的な独立宣言はすでに緊張下にあるという状況のなかで不幸な動きである、政府はキプロスを支持する。
DIA-303-1983-11-17-1ネパール1983年11月17日1980年代スイスと西独はティナフ水管理プロジェクトの第2期工事に315万ルピーのグラント援助に合意。第1期工事は同じくスイスと西独の援助により1983年7月に完成。
DIA-303-1983-11-20-1ネパール1983年11月20日1980年代カピルバッタ税関はインドへのミレットとメイズの輸出を許可。
DIA-303-1983-11-25-1ネパール1983年11月25日1980年代チャンド首相、記者会見で、経済を活力化させるための「新計画」を発表。第6次5カ年計画の残る2年間に経済開発のペース加速を目的とする(資料参照)。
DIA-303-1983-11-25-2ネパール1983年11月25日1980年代外務省発表、国王は北朝鮮を訪問しない(RN)。
DIA-303-1983-11-28-1ネパール1983年11月28日1980年代水資源開発の契約の過程での不正行為をなくすため、公正な分析、評価、手続の迅速化などの措置をとる。水資源省発表。
DIA-303-1983-12-01-1ネパール1983年12月01日1980年代国王、訪米に出発。まずスイス・チューリヒに。
DIA-303-1983-12-03-1ネパール1983年12月03日1980年代国王、ルクセンブルグ非公式訪問(~5日)。
DIA-303-1983-12-03-2ネパール1983年12月03日1980年代現在、自給の工業製品は粉、砂糖、菓子、たばこ、洗剤、マッチ棒、スチール家具、スチール什器、ポリパイプ、手工芸品など。今後2年間に、セメント、鉛筆、既製服、アルミ・銅線、粗布、加工食器、アクリル糸、ゴムサンダル、アルミ什器、皮靴など25品目の自給達成を期待(RN)。
DIA-303-1983-12-04-1ネパール1983年12月04日1980年代ルクセンブルグ、「平和地帯」構想支持を発表。
DIA-303-1983-12-05-1ネパール1983年12月05日1980年代パリでネパール援助国会議。6日に83/84年度対ネ援助2億2000万㌦を決定。
DIA-303-1983-12-05-2ネパール1983年12月05日1980年代国王、ワシントンに。シュルツ長官が空港に出迎え。国王、シュルツ長官と会談。アメリカ公式訪問は7日~12日。
DIA-303-1983-12-05-3ネパール1983年12月05日1980年代カトマンドゥに山岳開発国際総合センター開設。
DIA-303-1983-12-07-1ネパール1983年12月07日1980年代国王、レーガン大統領による歓迎式典に出席(ワシントン)。午前、レーガン大統領と会談。アメリカは「平和地帯」構想に支持を表明、38番目の支持国となる。夜、夕食会。
DIA-303-1983-12-08-1ネパール1983年12月08日1980年代国王、ワシントンのプレス・クラブでスピーチ。
DIA-303-1983-12-12-1ネパール1983年12月12日1980年代陸軍、警察官の給与改正。
DIA-303-1983-12-19-1ネパール1983年12月19日1980年代ADB借款合意、6プロジェクトに9610万㌦。
DIA-303-1983-12-21-1ネパール1983年12月21日1980年代ヒマール・セメント社、中国機械設備輸出入公司と調印、設備207万㌦を延払いで供与。ヒマール・セメント社の83/84年度生産目標は4万㌧、1985年7月までに現在の日産160㌧水準から400㌧に引上げたい。
DIA-303-1983-12-22-1ネパール1983年12月22日1980年代国王、非公式日本訪問、6日間。カトリ外相も同行。
DIA-303-1983-12-23-1ネパール1983年12月23日1980年代カトリ外相、安倍外相と会談。カトリ外相24日に離日、帰国の途に。
DIA-303-1983-12-26-1ネパール1983年12月26日1980年代国王、天皇と昼食会(東京)。
DIA-303-1983-12-27-1ネパール1983年12月27日1980年代政府は、開発計画加速化のために各開発区毎に調査チームを設ける(RN)。
DIA-303-1983-12-27-2ネパール1983年12月27日1980年代国王、離日、香港に。
DIA-303-1983-12-30-1ネパール1983年12月30日1980年代アメリカ、3援助協定調印。83/84年度プロジェクト実行用に1億8475万ルピーのグラント。
DIA-303-1983-12-31-1ネパール1983年12月31日1980年代NCは「全国協調の日」を実行、各地で逮捕者がでる。G・M・シン、G・P・コイララ、K・P・バッタライらも逮捕される。のち釈放。
DIA-303-1983-12-31-2ネパール1983年12月31日1980年代政府は、人口問題のための諮問委員会を設立、R・B・ビスタ元最高裁長官を委員長とし、3カ月内に長期、短期の提案を出す。
DIA-303-1984-01-02-1ネパール1984年01月02日1980年代ビルガンジ税関は前年12月30日に届いたソ連大使館宛の貨物(180万ルピー相当)を押収した。ソ連大使館はこの貨物との関係を否定。貨物の内容は,時計,ビデオTVセット,ラジオ,カメラ,タバコ,バッテリーなど(RN,1/2)。
DIA-303-1984-01-07-1ネパール1984年01月07日1980年代政府は6月からネパールのホテル,観光業者への海外からの支払はインドの会社を通した取引でもネパールの業者に直接支払うよう指示(RN,1/7)。
DIA-303-1984-01-08-1ネパール1984年01月08日1980年代ネ・印,国境柱の改修工事を開始。
DIA-303-1984-01-10-1ネパール1984年01月10日1980年代ネ・英,グラント1億2456万ルピー供与協定調印。給水プロジェクト,道路補修工事にあてられる。
DIA-303-1984-01-12-1ネパール1984年01月12日1980年代ネ・ルーマニア,貿易決済協定に調印。外貨決済を行なう,最恵国待遇を相互に与えるなどの内容。
DIA-303-1984-01-13-1ネパール1984年01月13日1980年代創立20周年のジャナカプル・シガレット工場,創立以来20年間に納めた所得税は13億ルピー,82/83年度の生産はタバコ30億本,4億2588万ルピー。
DIA-303-1984-01-15-1ネパール1984年01月15日1980年代カトマンドゥで南アジア地域協力機構の保健・人口会議(~17日)。
DIA-303-1984-01-16-1ネパール1984年01月16日1980年代政府と国際機関の合意にもとづく機関およびプロジェクトのための輸入には1%の輸入ライセンス料を課す(「官報」1/16)。
DIA-303-1984-01-17-1ネパール1984年01月17日1980年代ロハニ蔵相,奢侈品の輸入を抑えるため輸入ライセンスの発行を規制すると発表(RN,1/17)。
DIA-303-1984-01-18-1ネパール1984年01月18日1980年代ホテル,ロッジ,野生動物公園などの22企業に工場・工場労働者法の適用を決定(RN,1/18)。
DIA-303-1984-01-20-1ネパール1984年01月20日1980年代駐インド大使に任命のJ・S・ラナ外務次官の後任にビスワ・プラダーン(元駐エジプト大使)を任命。
DIA-303-1984-01-20-2ネパール1984年01月20日1980年代中国社会科学院の友好代表団(6人)訪ネ。8日間滞在。
DIA-303-1984-01-20-3ネパール1984年01月20日1980年代農業開発銀行は今後2年間に10億ルピーを融資する計画。食糧作物生産に2億8700万ルピー,灌漑に9000万ルピー,ゴバル(牛糞)ガスに3300万ルピー,農業関連家内工業に1億1700万ルピーなど。
DIA-303-1984-01-22-1ネパール1984年01月22日1980年代中央銀行は,学卒失業者への融資計画を1月29日から発足させると発表。86年までに約5000人を対象に7000万ルピーを融資する計画。
DIA-303-1984-02-03-1ネパール1984年02月03日1980年代ブルネイと大使級の外交関係を樹立。
DIA-303-1984-02-06-1ネパール1984年02月06日1980年代通信省は新聞・出版規則を発表(「官報」2/6)。内容は,出版物の発行部数に条件をつける,出版物の発行は登録義務があり登録料をとる,編集者はトリババン大学のジャーナリズム科の修了証を持つ,外国からの記事,広告は政府の許可を要する,ネパールの対外政策に影響する記事はのせない,など。
DIA-303-1984-02-08-1ネパール1984年02月08日1980年代B・S・グルン司法相死去。10日,カトリ外相が司法相兼任となる。
DIA-303-1984-02-15-1ネパール1984年02月15日1980年代パナマと大使級の外交関係を樹立。
DIA-303-1984-02-18-1ネパール1984年02月18日1980年代タパ前首相,2月6日に出された新聞出版規則「プレス法」を批判。N・B・スワンル,N・R・スベディ,アルジュン・ナルシング・K・C,K・P・ウプレティら国会議員10名もプレス法に反対し撤回を求める声明を発表(RN,2/18)。
DIA-303-1984-02-20-1ネパール1984年02月20日1980年代インド灌漑省次官M・G・パディヤ訪ネ。ネ印水資源会議(21日)出席のため。
DIA-303-1984-02-21-1ネパール1984年02月21日1980年代ネ・印水資源会議,カトマンドゥで開かれる(~24日)。ネバールはダカル水資源省次官が出席。カルナリ,パンチェシュワルについての専門家合同会議も持たれる。
DIA-303-1984-02-23-1ネパール1984年02月23日1980年代UNDP,UNCDFと3協定に調印。ドティ,バジュラ,バイタディの30灌漑プロジェクトの改修工事用にグラント780万ルピーなど。
DIA-303-1984-02-24-1ネパール1984年02月24日1980年代ネ・印水資源会議終わる。
DIA-303-1984-02-27-1ネパール1984年02月27日1980年代国家開発評議会の新委員任命される。M・P・コイララ,トゥルシー・ギリ,キルティニディ・ビスタの元首相3名,25郡の郡パンチャヤト議長,著名人5名。
DIA-303-1984-02-27-2ネパール1984年02月27日1980年代デリーで南アジア地域協力機構外務次官会議。29日まで。B・プラダーン外務省次官が出席。
DIA-303-1984-02-27-3ネパール1984年02月27日1980年代ネ・日,3プロトコール締結。グラント1億1496万ルピー,内訳は,地下水開発の鉄材購入・輸送に6700万ルピー,同じくチューブウェル購入・輸送に4020万ルピー,83年の債務返済利用でセメント,棒鋼,肥料,石油等の輸入に775万ルピー。
DIA-303-1984-02-28-1ネパール1984年02月28日1980年代国防次官サルドゥル・シュムシェル・J・B・ラナ死亡。
DIA-303-1984-02-29-1ネパール1984年02月29日1980年代貿易促進センターは83/84年度上半期の第三国輸出は前年同期比68%増の2億0220万ルピーに急増したと発表(RN,2/29)。
DIA-303-1984-03-04-1ネパール1984年03月04日1980年代パシュパティ・プラスチック工業社,生産を開始。東部では初,全国で4番目のプラスチック工場(RN,3/4)。
DIA-303-1984-03-05-1ネパール1984年03月05日1980年代政府は,物価抑制のために,必需品の安定供給,マネーサプライの抑制,政府支出の抑制を目標とする,インフレ率を83/84年度6~8%としたいなどと発表。
DIA-303-1984-03-06-1ネパール1984年03月06日1980年代チャンド首相,83年7月央~12月央の物価指数上昇率は1%,外貨準備,輸出ともに拡大と語る。
DIA-303-1984-03-07-1ネパール1984年03月07日1980年代ネパール初の医学教育病院,日本の援助で完成,ネパール側に引き渡される。ベッド数300,学生数500人収容,日本の援助は2億1770万ルピー。
DIA-303-1984-03-08-1ネパール1984年03月08日1980年代国会議員27人,二つの声明を発表。3月3日の政治家襲撃事件を非難し,犯人の裁判と政府の調査を要求する声明と,警察による国会議員弾圧事件に抗議する声明。
DIA-303-1984-03-09-1ネパール1984年03月09日1980年代デビガート水力発電所運営開始。開所式に国王列席。A・M・カーン・インド・エネルギー担当国務相も出席。
DIA-303-1984-03-11-1ネパール1984年03月11日1980年代国会開発評議会開会。13日に第7次計画の原案を承認して閉会。
DIA-303-1984-03-12-1ネパール1984年03月12日1980年代韓国,馬車10台,救急車5台を贈与。
DIA-303-1984-03-13-1ネパール1984年03月13日1980年代英ヤング外務次官訪ネ。16日まで滞在。英は,年800万ポンドの現在の援助額レベルを維持すると発表。
DIA-303-1984-03-15-1ネパール1984年03月15日1980年代英の援助によるダラン・ダンクタ道路開通。
DIA-303-1984-03-15-2ネパール1984年03月15日1980年代ネ・中,合意書調印。カトマンドゥにバンサリ皮革・靴工場を設立する。
DIA-303-1984-03-19-1ネパール1984年03月19日1980年代李先念中国国家主席訪ネ(~23日)。国王,空港に出迎え。李主席は空港で,訪ネの目的は,理解を深め,ネパールから学び,友好・協力を強化することであると述べる。
DIA-303-1984-03-21-1ネパール1984年03月21日1980年代カトリ外務・司法相,田紀雲中国副首相と会談。バッタ工業・商業・厚生相,ロハニ蔵相も同席。道路建設,合弁事業,ネパールの工業開発,観光促進などを話し合う。
DIA-303-1984-03-21-2ネパール1984年03月21日1980年代IDA,ネパール西部地区のカルナリ河のダム・発電所建設計画のフィージビリティ調査の一部に1200万ドルの援助を行なう合意書に調印。
DIA-303-1984-03-23-1ネパール1984年03月23日1980年代李先念中国国家主席帰国。プラダーン外務次官と中国大使の合同記者コミュニケ発表。中国はポカラ・バグルン道路(67km)の建設を行なうことで合意。
DIA-303-1984-03-27-1ネパール1984年03月27日1980年代カトマンドゥでジュート生産国協議会(~30日)。
DIA-303-1984-03-28-1ネパール1984年03月28日1980年代ブルネイ,「平和地帯」構想を支持(RN,3/28)。
DIA-303-1984-03-30-1ネパール1984年03月30日1980年代インド,コシ河のチャンドラ水路プロジェクトに4572万ルピーの援助を発表。
DIA-303-1984-04-03-1ネパール1984年04月03日1980年代チャンド内閣改造。J・シュレスタ(パンチャヤト・地方開発相)が森林・土壌保全相を兼務,B・マデン(森林・土壌保全相解任)が司法相に,副大臣3名がポスト異動。
DIA-303-1984-04-05-1ネパール1984年04月05日1980年代前首相S・B・タパら国会議員数名,西部遊説に。
DIA-303-1984-04-06-1ネパール1984年04月06日1980年代カトマンドゥでネパーリー・コングレス全国大会開かれる。「和解」路線を確認し,運動の強化を決定。
DIA-303-1984-04-06-2ネパール1984年04月06日1980年代ネ・日,31億7800万円のグラント供与の合意文書交換。農業機械,資材購入,食糧援助などに充てられる。
DIA-303-1984-04-08-1ネパール1984年04月08日1980年代S・B・タパら,遊説先のカンチャンプルで反対派に襲われる。翌9日のマヘンドラナガルでの集会は「地元民の反対」により禁止される。
DIA-303-1984-04-16-1ネパール1984年04月16日1980年代ジャパ郡の精米所は3カ月ぶりにストックの4分の1をインドに輸出することを許可された。のこる4分の1は食糧公社が購入,他は地元消費(RN,4/16)。
DIA-303-1984-04-19-1ネパール1984年04月19日1980年代家族計画・母子衛生プロジェクトは83年7月央以来6万4180組の夫婦が不妊処置をうけたと発表。83/ 84年度の目標は6万5000組(RN,4/19)。
DIA-303-1984-04-20-1ネパール1984年04月20日1980年代上級公務員20人異動,うち7人は特別職・次官級に昇格(RN,4/20)。
DIA-303-1984-04-20-2ネパール1984年04月20日1980年代モラン,スンサリ郡に今年,8000トンの米の輸出許可がおりる(RN,4/20)。
DIA-303-1984-04-20-3ネパール1984年04月20日1980年代ネ・印,水資源会議,カトマンドゥで22日まで。インドはパディヤ灌漑省次官とベンカタラマン電力省次官,ネパールはダカル水資源省次官が出席。カルナリ,ラプティ,パンチェシュワル計画を話し合う。
DIA-303-1984-04-22-1ネパール1984年04月22日1980年代パンチャヤト政策調査委員会は4月8日のS・B・タパ襲撃事件に関連し,無政党パンチャヤト制度を守るよう,要求は平和的に行なうよう,襲いかかったり互いに非難しあったりしないよう訴えた。
DIA-303-1984-04-26-1ネパール1984年04月26日1980年代スリランカ副外相T・フェルナンド,公式訪問(~28日)。
DIA-303-1984-04-26-2ネパール1984年04月26日1980年代倉庫・輸送のセミナー,商業省,ネパール経営者協会,UNDP,UNCTADの共催でカトマンドゥで開かれる。ネパールの地理的条件による損失の大きさが訴えられた。
DIA-303-1984-04-26-3ネパール1984年04月26日1980年代アディカリ中央銀行総裁は,輸出前貸融資をカーペット,ジュート・ジュート製品,加工皮革・皮革製品などの輸出用に輸出額の80%までを利子1.4%で貸付ける方針を発表。総額250万ルピーの予定。
DIA-303-1984-04-26-4ネパール1984年04月26日1980年代ロハニ蔵相はADB年次総会(アムステルダム)で,低い援助吸収力と内資動員力を改善するための各種措置をとりたいと演説。
DIA-303-1984-05-02-1ネパール1984年05月02日1980年代ウ・チー・レイン・ピルマ外相公式訪問。7日 まで滞在。3日にネ・ビ外相会談。
DIA-303-1984-05-07-1ネパール1984年05月07日1980年代塩専売公社はインドから砂糖1万トンの輸入契約を結ぶ。一方ビルガンジ製糖工場は生産1万1400トンのうち7500トンを輸出する予定(RN,5/7)。
DIA-303-1984-05-07-2ネパール1984年05月07日1980年代パンチャヤト政策調査委員会は,5月22日から6月8日の間に各郡で3日ずつ全75郡でパンチャ(議員)大会を開くことを決定。
DIA-303-1984-05-09-1ネパール1984年05月09日1980年代国王,ネパーリー・コングレス書記長G・P・コイララと会談。
DIA-303-1984-05-09-2ネパール1984年05月09日1980年代チトワン郡国会補欠選挙投票。結果はG・パタク当選。選挙ボイコットの呼びかけもあり投票率は25~30%。
DIA-303-1984-05-11-1ネパール1984年05月11日1980年代カンチャナプリのカルナリ河護岸工事は,インドがバンバサ・ダムの水門を予告なくあけたため水が急流し,すでに完成した護岸の一部が決壊(RN,5/11)。
DIA-303-1984-05-11-2ネパール1984年05月11日1980年代ネパール・アラブ銀行(NABIL)登記。ドバイ銀行,ネパール各機関の共同出資。ドバイ銀行は50%を出資。
DIA-303-1984-05-16-1ネパール1984年05月16日1980年代パンチャヤト政策調査委員会の新委員任命。
DIA-303-1984-05-17-1ネパール1984年05月17日1980年代バハマ,「平和地帯」構想を支持。
DIA-303-1984-05-18-1ネパール1984年05月18日1980年代ネパールの人口増加と対策についてのセミナー,カトマンドゥで開かれる(~20日)。
DIA-303-1984-05-20-1ネパール1984年05月20日1980年代ネパール商工会議所総会。チャンド首相が工業開発,貿易振興,民間の活動を訴える演説を行なった。21日にバッタ商工業相は,輸出部門の発展に期待する,輸入代替,輸出促進が必要であるなどと強調。
DIA-303-1984-05-21-1ネパール1984年05月21日1980年代森林・土壌保全省は,パルサ,マクワンプル,チトワンにまたがる野生動物保護区「パルサ・ワイルド・ライフ」設立を発表。350km2の計画(「官報」5/21)。
DIA-303-1984-05-24-1ネパール1984年05月24日1980年代IDAはマルシャンディ水力発電プロジェクト(66メガワット)に1億0700万ドルの信用供与。
DIA-303-1984-05-25-1ネパール1984年05月25日1980年代バグマティ県青年団委員長はカトマンドゥで記者会見し,パンチャ大会をカトマンドゥで6月13日に開くと発表。N・M・ダハル,アルジュン・ナルシン・K・Cら反チャンド首相派の国会議員も記者会見に同席。
DIA-303-1984-05-27-1ネパール1984年05月27日1980年代ポカラ,フェワ・タール・ダム完成。
DIA-303-1984-05-28-1ネパール1984年05月28日1980年代ジャパ郡メチ河橋起工,幅7m,長さ570m。ビハール,西ベンガルと結ばれ,バングラ国境とは17kmの距離。
DIA-303-1984-05-28-2ネパール1984年05月28日1980年代民有地振興の目的で民有地の地税引下げ。
DIA-303-1984-05-29-1ネパール1984年05月29日1980年代公共事業・運輸省に運輸局を新設。
DIA-303-1984-05-30-1ネパール1984年05月30日1980年代ネパール石油公社はソ連と石油製品輸入契約。ディーゼル油8万トンに加え,初めて灯油2~4万トン輸入。
DIA-303-1984-06-04-1ネパール1984年06月04日1980年代UNIDOと政府共催の投資促進会議,カトマンドゥで開かれる(~7日)。53の合弁案件が出た。
DIA-303-1984-06-05-1ネパール1984年06月05日1980年代ネ・印貿易次官会議,カトマンドゥで開催(~8日)。フセイン・インド商業省次官,ガウタム・ネパール商業省次官が出席。貿易,トランジット,非合法貿易の3作業部会も会議。8日に,インドはネパールからの輸入規制と手続きの緩和,簡素化を約束,インドはトランジットの便宜をはかり,預託金・保険などの廃止を検討し,ネパールの対印貿易赤字縮小などを考える,など合意した。
DIA-303-1984-06-11-1ネパール1984年06月11日1980年代ヌワコット,ダディン,ダングの3郡で化学肥料工場試験操業に入る。
DIA-303-1984-06-11-2ネパール1984年06月11日1980年代大蔵省はネパール保険公社による対外投資を許可した。以前は対外投資を禁止(「官報」6/11)。
DIA-303-1984-06-13-1ネパール1984年06月13日1980年代前首相S・B・タパら国会議員28人の呼びかけによるパンチャ大会がカトマンドゥで開かれる。プレス法の廃止。チャンド内閣の解任などを要求。
DIA-303-1984-06-14-1ネパール1984年06月14日1980年代第35次国会開会。国王演説。
DIA-303-1984-06-14-2ネパール1984年06月14日1980年代ネパール工業開発公社創立26周年。創立以来6億3780万ルピーを830件に投資,うち観光業が37.1%の投資シェア,次は農業関連部門で36.8%。地域別では中央開発区に75%が投資された。
DIA-303-1984-06-15-1ネパール1984年06月15日1980年代日本,運輸通信プロジェクトに4570万ルピーのグラント供与調印。
DIA-303-1984-06-15-2ネパール1984年06月15日1980年代国王,指名国会議員にP・N・チャウドリ(ラプティ県),B・N・ジャー(ジャナカプル県),P・B・サキヤ,R・N・パンディ(ともにバグマティ県)を任命。
DIA-303-1984-06-16-1ネパール1984年06月16日1980年代中央銀行は民間銀行に対し,7月までに貸付総額の25%を生産部門に,うち8%は優先部門にふり向けるよう,実現されない場合は未達成部分を中央銀行の特別口座(無利子)に預けるよう指令(RN,6/16)。
DIA-303-1984-06-17-1ネパール1984年06月17日1980年代トリスリとラスワ郡ドゥンチ間42kmに自動車道路完成(RN,6/17)。
DIA-303-1984-06-17-2ネパール1984年06月17日1980年代空路ネパールを訪れたインド人を含む外国人観光客数は83年に17万9405人,82年比2.3%増。しかし観光収入(82/83年度)は4億9107万ルピーで前年度比0.6%減。83年の観光客数で一番多いのはインド人,5万4201人(RN,6/17)。
DIA-303-1984-06-21-1ネパール1984年06月21日1980年代国会,審議始まる。チャンド首相施政方針演説。
DIA-303-1984-06-23-1ネパール1984年06月23日1980年代国会で,S・B・タパ前首相は,チャンド内閣が国民の基本権をないがしろにしている,1979年の国民投票で生まれた精神を押さえつけている,などと批判発言。
DIA-303-1984-06-24-1ネパール1984年06月24日1980年代政府はプレス法の「不穏当部分」を削除する方針といわれる(RN,6/24)。
DIA-303-1984-07-01-1ネパール1984年07月01日1980年代チャンド内閣不信任動議,国会事務局に出される。国会議員42名が署名したと言われる。
DIA-303-1984-07-02-1ネパール1984年07月02日1980年代シン議長,国会で,不信任動議の扱いについては憲法にも国会規定にもない,動議の提出だけでは国会討議を行なうのに充分でないと述べる。
DIA-303-1984-07-05-1ネパール1984年07月05日1980年代カトリ外相,スリランカ公式訪問。6日にジャヤワルダナ大統領,ハミド外相と会談。カトリ外相は7日,南アジア地域脇力機構外相会議に出席のためモルディヴのマレに向かう。
DIA-303-1984-07-08-1ネパール1984年07月08日1980年代83/84年度経済白書発表。GDP成長率7.4%,農業18.4%,工業13.2%の伸び。
DIA-303-1984-07-08-2ネパール1984年07月08日1980年代チャンド首相,国会で,近く報道規制法を修正したいと発表。
DIA-303-1984-07-09-1ネパール1984年07月09日1980年代84/85年度予算案発表。支出規模総額98.1億ルピー,うち67.3億ルピーが開発支出。
DIA-303-1984-07-10-1ネパール1984年07月10日1980年代内閣不信任動議,シン国会議長に正式に提出される。42人が署名。内容は,チャンド首相がその責務を遂行していないというもの。
DIA-303-1984-07-11-1ネパール1984年07月11日1980年代政府は米国シティ・バンクのカトマンドゥ事務所開設を許可。商業銀行業務は行なわない(RN,7/11)。
DIA-303-1984-07-12-1ネパール1984年07月12日1980年代外国民間企業(ドバイ銀行)出資による初の商業銀行「ネパール・アラブ銀行」発足。
DIA-303-1984-07-12-2ネパール1984年07月12日1980年代カトリ外相訪印(~14日)。ラオ外相と会談。2重課税防止協定案,河川利用等を協議,外相レベルでの合同委設立に合意した。
DIA-303-1984-07-14-1ネパール1984年07月14日1980年代中央銀行は,農業銀行に商業銀行業務を行なう,24支店の開設を許可した(RN,7/14)。
DIA-303-1984-07-19-1ネパール1984年07月19日1980年代カナダ,「平和地帯」構想を支持。
DIA-303-1984-07-22-1ネパール1984年07月22日1980年代輸出促進評議会第1回会議開かれる。輸出促進のための9項目ガイドラインの作成作業を開始。
DIA-303-1984-07-23-1ネパール1984年07月23日1980年代外国登山隊のヒマラヤ入山料を引上げる。同時に8000m級の山への小規模登山隊の入山を制限する方針。
DIA-303-1984-07-29-1ネパール1984年07月29日1980年代国会議長,内閣不信任決議案の国会審議を拒否。シン議長は,決議案提出者のスワンル議員に対して文書で,「決議案では,チャンド首相がその責務を遂行していないとしているが,その証拠が立証されておらず,したがって国会での審議は妥当でないと考える」と答えた。S・B・タパ前首相などから,決議案の国会審議却下は憲法違反だとの非難が出る。決議案支持議員は76人。
DIA-303-1984-07-30-1ネパール1984年07月30日1980年代S・B・タパ,スワンルら反チャンド内閣の国会議員32人は記者会見を行ない,不信任動議拒否では問題を解決できない,第三次改正憲法の実施を要求するなどと発言。
DIA-303-1984-08-01-1ネパール1984年08月01日1980年代繊維局設立。繊維製品の自給達成を目標とする。工業省次官I・L・シュレスタが局長に任命される。
DIA-303-1984-08-03-1ネパール1984年08月03日1980年代イラン副外相イスラム,訪ネ。カトマンドゥに大使館開設,ジュート,食糧,食料品輸入などをネパールと協議のため。
DIA-303-1984-08-09-1ネパール1984年08月09日1980年代政府は,米生産者と精米所に対し,ネパール食糧公社に生産の25%を納入すれば,残量の輸出(主に対インド)を認めた。米の取引業者にも同様の許可を与えた。また,バダイヤ米,小麦,小麦粉,ミレットの輸出を許可。
DIA-303-1984-08-11-1ネパール1984年08月11日1980年代北朝鮮から閣僚級の代表団訪問(~15日)。
DIA-303-1984-08-18-1ネパール1984年08月18日1980年代公務員,警察官,陸軍の賃金を改訂,84年7月16日から実施する(RN,8/18)。
DIA-303-1984-08-18-2ネパール1984年08月18日1980年代ネパール・トランスヒマラヤ貿易協会は総会を開き,ネパール・チベット貿易について,チベットからの輸入品への輸入税の引上げに反対の意を表明した。反対の理由は,チベットからの輸入はチベットへの輸出に対する代金受取りの意味が大きいため,輸入税引上げはチベットへの輸出を阻害することになるというもの。
DIA-303-1984-08-24-1ネパール1984年08月24日1980年代83/84年度当初11カ月間の貿易は,輸出が15.6億ルピー,輸入が55.6億ルピー,輸出のうち海外輸出(インド以外)は前年同期比67%増の4.8億ルピー。輸出品目では,皮革,豆,リンデン実,サル・シード,既製服などが好調,原ジュートの輸出はほとんどゼロ。貿易促進センター発表。
DIA-303-1984-08-27-1ネパール1984年08月27日1980年代繊維の国内需要は年間2億4700万m,生産能力からいえば自給率は25%弱であるが,82/83年度の国内生産は1300万m。工業開発センター発表。
DIA-303-1984-08-28-1ネパール1984年08月28日1980年代中央銀行アディカリ総裁は銀行・金融機関総裁会議で,農業開発銀行の農業ローンが農民の所得と生産に寄与しているかどうかに,またネパール工業開発公社は企業化調査,ローン認可・使用などに,もっと注意を払うべきであると語る。
DIA-303-1984-08-30-1ネパール1984年08月30日1980年代83/84年度末現在,国民の80%が道路輸送手段を利用できる。全国14県75郡のうち12県48郡に道路輸送手段が及んだ。舗装道路は2673km,簡易舗装道路は873km,乾期に通行可能な道路は2731kmとなっている。
DIA-303-1984-09-02-1ネパール1984年09月02日1980年代中国チベット自治区から政府観光調査団(7人)訪ネ(~13日)。4日に観光に関する政府間会議を開く。
DIA-303-1984-09-04-1ネパール1984年09月04日1980年代ネパール政府貿易代表団(商業省次官以下),中国チベット自治区を訪問,コダリ道路を通り陸路ラサに向った(~13日)。12日に貿易議定書に調印。中国はチベット・ネパール貿易のために,従来のコダリ,ラスク,ヤリの3ルートに加えて新たに3ルートを開通させる,ネパールはチベットから85~87年にウール750トン,羊5000頭などを輸入,チベットに米7000トン,小麦粉3000トン,セメント5000トンを輸出する,国境30km区域内での伝統的なバーター取引には手を加えないなど合意した。
DIA-303-1984-09-11-1ネパール1984年09月11日1980年代インド・ユニオン・カーバイド社の出資によるネパール・バッテリー社(乾電池生産)工場,バラジュ工業団地で起工式。
DIA-303-1984-09-11-2ネパール1984年09月11日1980年代工業省に外国投資促進部が新設される。
DIA-303-1984-09-14-1ネパール1984年09月14日1980年代ネパール・タイ,航空協定に調印。ネパール航空はバンコク経由シンガポール・ルートを,タイ航空はカトマンドゥ以遠1地点の権利を得る。
DIA-303-1984-09-14-2ネパール1984年09月14日1980年代チャンド首相,計画委員会会議(13~15日)で,(1)すべてのプロジェクトの期間内完成,(2)すべてのプロジェクトの早期完成,(3)プロジェクトの計画は国民の利益を第1とする,(4)プロジェクトに関するすべての問題には即時対処する,の4点を訴えた。
DIA-303-1984-09-17-1ネパール1984年09月17日1980年代ブータン外相ダワ・ツェリン訪ネ。南アジア・スポーツ大会(カトマンドゥ)に出席のため。
DIA-303-1984-09-18-1ネパール1984年09月18日1980年代チャンド内閣改造。解任4名,新任11人。人数は17人から26人に増える。
DIA-303-1984-09-18-2ネパール1984年09月18日1980年代ネ・印水資源会議,デリーで開かれる。ダカル水資源省次官が出席。カルナリ河委員会を早い時期に開くことを決定。
DIA-303-1984-09-22-1ネパール1984年09月22日1980年代クジェリ観光省次官,モルディブを訪問。27日に航空協定調印,両国航空機の相互乗り入れに合意した。
DIA-303-1984-09-26-1ネパール1984年09月26日1980年代カトリ外相,国連総会(ニューヨーク)に出席。
DIA-303-1984-09-26-2ネパール1984年09月26日1980年代雨で不通となっていたプリトビ・ハイウェイ,トリババン・ハイウェイ,マヘンドラ・ハイウェイが車輛通行可能となる。
DIA-303-1984-09-27-1ネパール1984年09月27日1980年代ロハニ蔵相,世銀・IMF会議(ワシントン)に出席,83/84年度のGDP成長率は7.4%,輸出が好調で国際収支赤字も若干縮小したと発表。
DIA-303-1984-09-30-1ネパール1984年09月30日1980年代メキシコ,「平和地帯」構想支持。外務省発表。
DIA-303-1984-10-11-1ネパール1984年10月11日1980年代日本の技術援助による「ネパール製紙工場」試験操業に入る(RN,10/11)。
DIA-303-1984-10-11-2ネパール1984年10月11日1980年代84/85年度夏作生産,平年並み予想。籾は83/84年度288.5万トン(前年度実績は274.7万トン)のもよう。メイズは播種期に雨不足で5%程度の減産とみられる(RN,10/11)。
DIA-303-1984-10-12-1ネパール1984年10月12日1980年代チベット自治区からラマ僧7人を含む9人の友好代表団が訪ネ,10月23日まで滞在。
DIA-303-1984-10-12-2ネパール1984年10月12日1980年代インド商工会議所役員会,カトマンドゥで開く。バジャージ会頭は,インド・ネパール間の貿易,合弁,技術移転拡大の可能性は大きい,インドの民間企業はネパールの経済発展に貢献できると新聞インタビューで語る。13日にネパール商工会議所と合同役員会。
DIA-303-1984-10-12-3ネパール1984年10月12日1980年代コロンビア,「平和地帯」構想を支持。外務省発表。
DIA-303-1984-10-13-1ネパール1984年10月13日1980年代83/84年度のジュート生産は当初予想の3万3124トン(前年度実績は2万5048トン)を上まわるもよう。市場価格は政府の支持価格の倍近い高値となっている(RN,10/13)。
DIA-303-1984-10-14-1ネパール1984年10月14日1980年代ボリビア,「平和地帯」構想を支持。外務省発表。
DIA-303-1984-10-15-1ネパール1984年10月15日1980年代ネパール航空,カトマンドゥ・バンコク・シンガポール便の運行開始,週2便。18日はカトマンドゥ・カラチ・ドバイ便を開始,週1便。
DIA-303-1984-10-18-1ネパール1984年10月18日1980年代バンチャヤト政策調査委員会は,近く全75郡で労働奉仕週間を実施すると発表。
DIA-303-1984-10-18-2ネパール1984年10月18日1980年代労働局S・B・シン局長代行は,工場労働者の60%は外国人である,政府はネパール人労働者の割合を増すよう努力していると語る(RN,10/18)。
DIA-303-1984-10-19-1ネパール1984年10月19日1980年代ヨルダン,「平和地帯」構想を支持。外務省発表。
DIA-303-1984-10-21-1ネパール1984年10月21日1980年代インド工業信用投資公社は,ネパール工業開発公社の業務能率・質の改善のための技術援助協力に合意。
DIA-303-1984-10-22-1ネパール1984年10月22日1980年代政府は観光省民間航空局局長を委員長に,チャーター便利用の観光旅行に関する規則作成のための委員会を設置。
DIA-303-1984-10-28-1ネパール1984年10月28日1980年代バラ郡アムレクガンジに,ガルフ・オイル,ペトロシルとの提携で潤滑油生産プラントの設立を決定(RN,10/28)。
DIA-303-1984-10-29-1ネパール1984年10月29日1980年代チベット自治区人民政府首席ドルジェ・ツェテンを代表とする代表団(11人)訪ネ。12日間滞在。
DIA-303-1984-10-29-2ネパール1984年10月29日1980年代石油製品価格引上げ。
DIA-303-1984-10-30-1ネパール1984年10月30日1980年代選挙管理委員会は布告を出し,国民で1986年3月13日までに21歳に達する者はすべて1986年の総選挙のための有権者名簿に登録するよう指示した。
DIA-303-1984-10-31-1ネパール1984年10月31日1980年代バス,タクシー料金10%値上げ。
DIA-303-1984-11-01-1ネパール1984年11月01日1980年代チャンド首相,インド・ガンディー首相国葬に出席のため出発。4日に帰国。滞印中にブータン国王,ジャヤワルダナ・スリランカ大統領,エルシャド・バングラデシュ大統領らと会談。
DIA-303-1984-11-02-1ネパール1984年11月02日1980年代ネパーリー・コングレス,ポカラ近郊で集会,バッタライ総裁代行,G・P・コイララ書記長ら約60人が逮捕され,のち釈放。
DIA-303-1984-11-06-1ネパール1984年11月06日1980年代日本,カトマンドゥの看護婦養成所建設用に11.6億円(8021万ルピー)のグラント供与に合意調印。
DIA-303-1984-11-06-2ネパール1984年11月06日1980年代政府,1982年に中止したネバール軍のレバノン国連監視軍への派遣再開を決定(RN,11/6)。
DIA-303-1984-11-07-1ネパール1984年11月07日1980年代中国最高人民法院代表団(5人),カトリ法相の招きで訪ネ,6日間滞在。
DIA-303-1984-11-10-1ネパール1984年11月10日1980年代パニジャ銀行とネパール銀行は米国シティー・バンクの旅行者小切手発売を契約(RN,11/10)。
DIA-303-1984-11-14-1ネパール1984年11月14日1980年代英,5億9900万ルピーのグラント供与に調印。
DIA-303-1984-11-16-1ネパール1984年11月16日1980年代サウジ開発基金,マルシャンディ水力プロジェクトに4億3750万ルピーの供与に合意。
DIA-303-1984-11-16-2ネパール1984年11月16日1980年代政府は,7月16日から工業労働者の最低賃金を18~25%引上げることを決定。ネパール商工会議所はこの改訂を拒否する声明を発表(RN,11/16)。
DIA-303-1984-11-16-3ネパール1984年11月16日1980年代中央銀行は各市銀に,預金金利決定の権限を与える。ただし現行の金利(普通預金金利は8.5%)を最低レートとし,上限枠を設定している。
DIA-303-1984-11-18-1ネパール1984年11月18日1980年代株式取引所開設。国営の株式取引センターが営業する。
DIA-303-1984-11-25-1ネパール1984年11月25日1980年代政府は節約令の一環として11月25日から85年7月15日まで政府・公的機関の自動車購入を禁止した。
DIA-303-1984-11-27-1ネパール1984年11月27日1980年代ジンバブエと大使級外交関係を樹立。
DIA-303-1984-11-28-1ネパール1984年11月28日1980年代イスラマバードで,ネパール・パキスタン第2回経済合同委員会(~29日)。ロハニ蔵相が出席。27日に,ロハニ蔵相はジア大統領と会談。
DIA-303-1984-11-28-2ネパール1984年11月28日1980年代オランダ,「平和地帯」構想支持。オランダ大使発表。
DIA-303-1984-11-28-3ネパール1984年11月28日1980年代中央銀行は市銀に,信用状引受けのマージン・レートの変更を許可した。
DIA-303-1984-11-29-1ネパール1984年11月29日1980年代中央銀行は,1級職員のK・シャルマ中銀副総裁(パリ滞在中)を職務怠慢として停職処分にした。外国から10億ドルの借入れと再融資を計画し工作したといわれる(RN,11/29)。
DIA-303-1984-11-30-1ネパール1984年11月30日1980年代ポルトガル,「平和地帯」構想を支持。外務省発表。
DIA-303-1984-11-30-2ネパール1984年11月30日1980年代教育省,教師の給与表改訂を発表。84年7月16日付けで20%の引上げとなる。
DIA-303-1984-12-01-1ネパール1984年12月01日1980年代供給省,食糧の輸出条件をさらに緩和。米は精米所が生産の10%をネパール食糧公社に売却したのこりを輸出してもよいとする。
DIA-303-1984-12-03-1ネパール1984年12月03日1980年代政府は1985年3月央からのタライの小麦支持価格を1キンタール当り235ルピーと決定。製粉所と国営貿易公社が買い付けたのこりは輸出を認める。
DIA-303-1984-12-05-1ネパール1984年12月05日1980年代パプア・ニューギニア,「平和地帯」構想を支持。
DIA-303-1984-12-07-1ネパール1984年12月07日1980年代チャンド首相,“中央銀行外国ローン・スキャンダル”で,「事実無根である,悪意ある宣伝だ,政府は国の利益に反することは何もしていない」との声明を発表。中央銀行のアディカリ総裁も声明で,「われわれは外国からのローン導入には慎重であり,10億ドルのローンについても政府と協議した」と発表。
DIA-303-1984-12-08-1ネパール1984年12月08日1980年代中央銀行アディカリ総裁,解任される。
DIA-303-1984-12-08-2ネパール1984年12月08日1980年代国会財務委員会は中銀スキャンダル調査のためチャンド首相の出席を求め,4日にようやく同首相の出席がえられたといわれる。アディカリ中銀総裁は11月28日に同会議に呼ばれ,そこで,「中銀の名で外国ローンを借り入れる陰謀があった」ことを認めたといわれる(RN,12/8)。
DIA-303-1984-12-11-1ネパール1984年12月11日1980年代ネパール商工会議所貿易代表団,バングラデシュ訪問,5日間滞在。
DIA-303-1984-12-12-1ネパール1984年12月12日1980年代国王夫妻,タイ公式訪問(~18日)。13日にギリ通信相がタイ・シチ外相と会談,会談後,外務次官級の経済協力合同作業グループの設立が発表された。同時に外務次官会談が持たれ第1回作業グループ会議(カトマンドゥで予定)の内容を詰めた。
DIA-303-1984-12-15-1ネパール1984年12月15日1980年代IDAは民間工業投資促進プロジェクトと農業部門の人員訓練用に1600万ドルの資金供与(RN,12/15)。
DIA-303-1984-12-21-1ネパール1984年12月21日1980年代パンチャヤト政策調査委員会は年内に各地で政治教育集会を開くと発表(RN,12/21)。
DIA-303-1984-12-22-1ネパール1984年12月22日1980年代ネパール航空のツインオッター機(乗客20人,乗員3人),トゥムリンタルからカトマンドゥへ向けて離陸後,ボージュプル郡ヘラウチャ村に墜落。国会議員G・M・アディカリを含む15人が死亡。原因は積みすぎとみられ,事故調査委員会が設置された。
DIA-303-1984-12-24-1ネパール1984年12月24日1980年代西ドイツ,「平和地帯」構想を支持。
DIA-303-1984-12-26-1ネパール1984年12月26日1980年代ロハニ蔵相,第1回ネパール・中国経済貿易合同会議(~28日,北京)に出席,中国側からは陳慕華対外経済貿易相出席。28日にネ中議定書調印,経済協力の拡大,ネパール・チベット国境取引の拡大などを約束。
DIA-303-1984-12-30-1ネパール1984年12月30日1980年代ネパーリー・コングレス,各地で集会を開く。
DIA-303-1985-01-02-1ネパール1985年01月02日1980年代チュニジア,「平和地帯」構想を支持(RN,1/2)。
DIA-303-1985-01-04-1ネパール1985年01月04日1980年代農民団中央執行委は声明を発表し,政府に,市場価格と生産者価格の開きの補填,政府と商人による農民の経済的搾取の廃止,食糧価格固定の結果からくる生産コストの圧迫への対策などを求めた。
DIA-303-1985-01-08-1ネパール1985年01月08日1980年代ネパール全国教員組合によるストがカトマンドゥ他各地で実施される。
DIA-303-1985-01-14-1ネパール1985年01月14日1980年代キッシンジャー米元国務長官訪ネ。
DIA-303-1985-01-14-2ネパール1985年01月14日1980年代鉱業・地質局は,1985年第1四半期に,タライの石油資源探査のための国際入札を行なうと発表(RN,1/14)。
DIA-303-1985-01-16-1ネパール1985年01月16日1980年代ブータン工業・貿易・森林省ドルジ局長以下代表団訪ネ。
DIA-303-1985-01-18-1ネパール1985年01月18日1980年代政府は,教員からの諸要求を検討するための専門委員会を設立(RN,1/18)。
DIA-303-1985-01-18-2ネパール1985年01月18日1980年代ネパール・ブータン会議,貿易,経済協力促進で合意。19日に,ブータンからセメント1000㌧を試験的に輸入する契約に調印。
DIA-303-1985-01-19-1ネパール1985年01月19日1980年代ジャナカプル鉄道旅客・貨物運賃値上げ.
DIA-303-1985-01-19-2ネパール1985年01月19日1980年代ロハニ蔵相,ダッカ訪問。エルシャド大統領と会談。第5回ネパール・バングラデシュ経済合同委員会開催。バングラデシュはネパールから小麦1万㌧を輸入,これに対しネパールは肥料を輸入して貿易収支を均衡させる,新聞紙,肥料等の貿易について近く契約を結ぶ,ネパールに合弁による丸石工場の設立を検討する,ジュート開発で協力することなどを合意。
DIA-303-1985-01-21-1ネパール1985年01月21日1980年代ネパール・インド協力調査委員会(政府,民間の合同),カトマンドゥで開かれる。25日に閉会し,ネパールがインドに自由に輸出できる工業製品リストに66品目の追加が決定され,二重課税防止措置が提案された。
DIA-303-1985-01-25-1ネパール1985年01月25日1980年代ビスワカルマ供給相は,食糧輸出を,10%の供出を条件に許可すると発表。
DIA-303-1985-01-26-1ネパール1985年01月26日1980年代クウェートと借款供与協定に調印。クウェート・ファンドから600万デイナール(3億8430万ルピー)を借入れ,マルシャンディ水力発電プロジェクトに利用する。
DIA-303-1985-01-30-1ネパール1985年01月30日1980年代レバノンの国連平和維持軍への派遣軍(全666人)のうち第1陣の147人が現地に出発。
DIA-303-1985-02-02-1ネパール1985年02月02日1980年代モルディブのマレでの南アジア地域協力機構(SARC)会議(5~7日)出席のため,プラダーン外務次官出発。’
DIA-303-1985-02-03-1ネパール1985年02月03日1980年代チベットからネパール・チベット貿易促進のための代表団訪ネ,9日まで滞在。
DIA-303-1985-02-03-2ネパール1985年02月03日1980年代第12回県長官会議開会(~5日)。
DIA-303-1985-02-05-1ネパール1985年02月05日1980年代ソ連対外経済ミッション訪ネ。新たな協力案件としてセメント,繊維,飼料,薬草加工,果物缶詰などについてネパール側と協議。
DIA-303-1985-02-08-1ネパール1985年02月08日1980年代チベット貿易代表団と,ヒマール・セメント社生産のセメント1500㌧をチベットに試験的に輸出する契約に調印。支払いはドルで行なわれる。
DIA-303-1985-02-09-1ネパール1985年02月09日1980年代国王,D・N・ヤーダヴ保健相の辞表を受理。後任はR・P・ギリ通信相が兼任。
DIA-303-1985-02-10-1ネパール1985年02月10日1980年代チベットのカサでチベットとトランス・ヒマラヤ貿易協会共催による貿易フェアが開かれる(~15日)。
DIA-303-1985-02-10-2ネパール1985年02月10日1980年代ネパール全国教員組合はカトマンドゥで中央集会を開き,学校閉鎖,デモ行進などの闘争戦術を検討。
DIA-303-1985-02-11-1ネパール1985年02月11日1980年代土壌保全局は,ネパールの表土流失は年平均1.7ミリメートルであると発表(RN,2/11)。
DIA-303-1985-02-11-2ネパール1985年02月11日1980年代マレのSARC会議で,カトマンドゥにSARCの結核研究センター開設を決定(RN,2/11)。
DIA-303-1985-02-14-1ネパール1985年02月14日1980年代教員問題を検討する専門委員会の最終報告書が政府に提出される。
DIA-303-1985-02-15-1ネパール1985年02月15日1980年代(マニラ)政府はADBと,ADBローン3260万㌦借入契約に調印。農業,灌漑,農村給水の3プロジェクトに利用する。
DIA-303-1985-02-26-1ネパール1985年02月26日1980年代ジュート開発公社はジュート種子売却を開始。価格は普通種が1キログラム当り19ルピー(前年は15ルピー),トサ種が20ルピー(同16ルピー)。
DIA-303-1985-02-27-1ネパール1985年02月27日1980年代政府観光局局長J・タパを団長に,政府・民間合同観光調査団がチベットとの観光開発協議のためにチベットに出発。
DIA-303-1985-02-28-1ネパール1985年02月28日1980年代クウェートから灯油6万㌧の輸入契約調印。
DIA-303-1985-03-01-1ネパール1985年03月01日1980年代カタール,「平和地帯」構想を支持(RN,3/1)。
DIA-303-1985-03-01-2ネパール1985年03月01日1980年代ヒンドスタン・ソルト社(インド)から塩10万㌧の輸入契約に調印。
DIA-303-1985-03-02-1ネパール1985年03月02日1980年代商業省は,北朝鮮,韓国,フィリピン,タイからのセメント18.8万㌧の輸入に許可証を発行。
DIA-303-1985-03-03-1ネパール1985年03月03日1980年代日本と公文交換。83/84年度の債務繰延べ用に1000万ルピーのグラントを受ける。セメント,肥料等の購入にあてる。
DIA-303-1985-03-06-1ネパール1985年03月06日1980年代秩父宮妃訪ネ。
DIA-303-1985-03-06-2ネパール1985年03月06日1980年代(ラサ)チベット観光公社と覚書調印。ネパール・チベット国境の数ヵ所およびトレッキソグ・ルート数本を観光客にオープンする,カトマンドゥ・ラサ間の航空路を開く,観光促進のために相互に必要な物資を供給することなどで合意。
DIA-303-1985-03-10-1ネパール1985年03月10日1980年代政府,教員の給与改訂を発表。2月12日に遡って20~30%の給与引上げを実施,これによる政府支出増は年2億1000万ルピーとみられる。
DIA-303-1985-03-10-2ネパール1985年03月10日1980年代計画委員会は第7次5ヵ年計画案を承認。
DIA-303-1985-03-11-1ネパール1985年03月11日1980年代ネパーリー・コングレス,カトマンドゥで党大会を開く(~13日)。68郡代表1200人を含む約3000人が参加した。多数の逮捕者が出たとも言われる。
DIA-303-1985-03-11-2ネパール1985年03月11日1980年代国会議員35名が共同声明を発表。内閣を批判し,憲法に保障されている権限を認めるよう求めた。
DIA-303-1985-03-13-1ネパール1985年03月13日1980年代ナショナル保険社(インド)は,ネパールに輸送される貨物の保険料を4月1日から一率0.25%に引下げる(ネパール商業省発表)。
DIA-303-1985-03-14-1ネパール1985年03月14日1980年代電力料金,平均35%引上げ。1ヵ月の消費量が25kW/hのものは料金は据置き(RN,3/4)。
DIA-303-1985-03-15-1ネパール1985年03月15日1980年代84/85年度当初7ヵ月の輸出許可証発行額は6億ルピー,輸入許可証発行額は25億ルピー(RN,3/15)。
DIA-303-1985-03-21-1ネパール1985年03月21日1980年代(ロンドン)第1回石油探査促進会議。
DIA-303-1985-03-22-1ネパール1985年03月22日1980年代農業局は,17郡の3.5万㌶で米,豆,油用作物,野菜の生産拡大のための特別プログラムを発表(RN,3/22)。
DIA-303-1985-03-22-2ネパール1985年03月22日1980年代ネパール工業開発公社はフランスの援助によりカトマンドゥとポカラでパン工場を設立する(RN,3/22)。
DIA-303-1985-03-22-3ネパール1985年03月22日1980年代ネパール・インド・トランジット協定,さらに6カ月延長(商業省発表)。
DIA-303-1985-03-24-1ネパール1985年03月24日1980年代ネパール国立銀行総裁にガネシ・バハドゥル・タパが任命される。
DIA-303-1985-03-26-1ネパール1985年03月26日1980年代外務省は,インドからアメリカに亡命したソ連人外交官がネパールを経由した証拠はないと発表(RN,3/26)。
DIA-303-1985-03-28-1ネパール1985年03月28日1980年代(ヒューストン)第2回石油探査促進会議。
DIA-303-1985-04-01-1ネパール1985年04月01日1980年代(カトマンドゥ)ネパール・インド外務次官会議(~2日)。インドからバンダリ外務次官,ネパールからプラダーン外務次官が出席し,水資源利用,貿易促進,二重課税防止,経済協力,地域協力,ネパールの「平和地帯」構想などが話し合われた。
DIA-303-1985-04-02-1ネパール1985年04月02日1980年代第3回ラージ・サバー(国家評議会)開会(~5日)。
DIA-303-1985-04-02-2ネパール1985年04月02日1980年代R・P・ギリ通信相を代表に通信問題についての代表団訪中に出発,3日に北京に着く。
DIA-303-1985-04-04-1ネパール1985年04月04日1980年代(北京)ネパールと中国の通信問題代表団会議,直接通信リンクの設置などを話し合う。
DIA-303-1985-04-06-1ネパール1985年04月06日1980年代(北京)中国と通信問題の協議文書に調印。サテライト通話ラインをカトマンドゥ・北京間に早期に開設することで合意。
DIA-303-1985-04-08-1ネパール1985年04月08日1980年代ネパール・アラブ銀行の株式の50%を保有するドバイ銀行(UAE)は持株をユニオン・バンク・オプ・ミドル・イースト(UAE)に売却(RN,4/8)。
DIA-303-1985-04-08-2ネパール1985年04月08日1980年代工業省は,タライ等の石油探査の入札を1985年4月9日から10月15日に行なうと発表(『官報』4/8)。
DIA-303-1985-04-08-3ネパール1985年04月08日1980年代政府は,7月15日から入山料を10%引上げ(『官報』4/8)。
DIA-303-1985-04-09-1ネパール1985年04月09日1980年代(カトマンドゥ)第3回石油探査促進会議。
DIA-303-1985-04-09-2ネパール1985年04月09日1980年代(カトマンドゥ)インドと消費税リファンドを討議。
DIA-303-1985-04-10-1ネパール1985年04月10日1980年代政府,砂糖とカンドサリ価格を引上げ。
DIA-303-1985-04-12-1ネパール1985年04月12日1980年代日本,28.8億円のグラント援助に調印(RM,4/12)。
DIA-303-1985-04-12-2ネパール1985年04月12日1980年代クレカニ水力発電所,ネパール電力公社に移管。
DIA-303-1985-04-13-1ネパール1985年04月13日1980年代ネパール時間を,5分間早めて国際標準時マイナス5時間45分とする。
DIA-303-1985-04-17-1ネパール1985年04月17日1980年代ネパール航空,航空料金を平均21%引上げ。
DIA-303-1985-04-17-2ネパール1985年04月17日1980年代選挙委員会は,次期国会選挙のための有権者名簿作成のため,1986年3月13日までに21歳に達する者の登録最終日を1985年7月15日とする(『官報』4/17)。
DIA-303-1985-04-19-1ネパール1985年04月19日1980年代国会前で,シンドゥリ郡選出国会議員B・ガレ(女性)が洪水被害救済,食糧供給など9項目を要求してハンスト(RN,4/22)。25日に,要求のうち4項目に政府が応じたとしてハンストを中止(RN,4/26)。
DIA-303-1985-04-24-1ネパール1985年04月24日1980年代バンドン会議30周年記念式典に政府代表としてY・N・カナル外務省顧問が出席。
DIA-303-1985-04-29-1ネパール1985年04月29日1980年代政府は,1984年9月4日から実行していたカンドサリ輸入の禁止を,1986年1月13日まで解除する(『官報』4/29)。
DIA-303-1985-05-02-1ネパール1985年05月02日1980年代モルディブ・ガユーム大統領訪問。
DIA-303-1985-05-03-1ネパール1985年05月03日1980年代(カトマンドゥ)モルディプと文1化協力協定に調印。
DIA-303-1985-05-07-1ネパール1985年05月07日1980年代(カトマンドゥ)ネパール・パキスタン外務次官会議。パキスタンのナイク外務次官が出席,パキスタンは,ブトワルおよびネパールガンジの繊維工場の機械,資材購入用に6000万ルピーの借款を供与することに合意。
DIA-303-1985-05-08-1ネパール1985年05月08日1980年代ネパーリー・コングレスは王室報道長官R・R・カナルに,65郡の32万1463人の署名による国王宛の要求書を提出。
DIA-303-1985-05-08-2ネパール1985年05月08日1980年代ネパール国立銀行は,遠隔地の家内工業向けの商業銀行の貸付金利を2%引下げるよう指示し,そのための商銀への融資金利を4%引下げることを決定。
DIA-303-1985-05-10-1ネパール1985年05月10日1980年代オーストラリア・ハイデン外相訪ネ(~12日)。
DIA-303-1985-05-12-1ネパール1985年05月12日1980年代トリババン空港で金を密輸入しようとしたネパール人5人を逮捕,金287キログラムを押収(RN,5/12)。
DIA-303-1985-05-13-1ネパール1985年05月13日1980年代P・B・カトリ外相,R・ロイ内務担当副大臣,F・S・タル教育文化担当国務相,H・V・カルマ供給担当国務相解任。
DIA-303-1985-05-14-1ネパール1985年05月14日1980年代チャンド内閣改造(「参考資料」参照)。
DIA-303-1985-05-14-2ネパール1985年05月14日1980年代ネパーリー・コングレスのG・M・シン,K・P・バッタライ,G・P・コイララは国王にメモランダムを提出し,政党政治復活を求め,5月23日からサティヤグラハ(ゼネスト,市民不服従運動)を開始すると伝える。
DIA-303-1985-05-22-1ネパール1985年05月22日1980年代ネパーリー・コングレス党員約300人が逮捕される。政府は逮捕者40~50名と発表。
DIA-303-1985-05-22-2ネパール1985年05月22日1980年代(カトマンドゥ)カルナリ・プロジェクトについてネパール・インド技術調整委員会開かれる。
DIA-303-1985-05-23-1ネパール1985年05月23日1980年代1年前の工業省外国投資促進部新設以降,わずか5件の提携が許可されたのみ。内容は,ハンガリーによる電球,アメリカによる大豆ミルク,インドの3社による酪農,アーク炉製造業(RN,5/23)。
DIA-303-1985-05-24-1ネパール1985年05月24日1980年代内務省は,23日のネパーリー・コングレスのサティヤグラハについて,市民生活に影響なく,政府業務は滞りなく遂行された,カトマンドゥで51人その他で94人が逮捕されたと発表(RN,5/25)。
DIA-303-1985-05-28-1ネパール1985年05月28日1980年代(カトマンドゥ)ネパール商工会議所年次総会,チャンド首相は,民間部門は政府が多くの便宜をはかっているにもかかわらず工業投資に殆ど関心を示さないと不満発言。
DIA-303-1985-05-30-1ネパール1985年05月30日1980年代Y・N・カナル外務省顧問の辞任を5月27日付で承認(RN,5/30)。
DIA-303-1985-05-31-1ネパール1985年05月31日1980年代少なくとも3人の編集者が治安維持法により逮捕された(『タイムズ・オブ・インディア』5/31)。
DIA-303-1985-06-04-1ネパール1985年06月04日1980年代バングラデシュのサイクロン見舞に250万ルピーを贈与。
DIA-303-1985-06-05-1ネパール1985年06月05日1980年代ネパール・ジャーナリスト協会(N・K・アリヤル委員長)は,ラワティ通信相と会見し,各地で逮捕されたジャーナリストの即時釈放を求めた。
DIA-303-1985-06-10-1ネパール1985年06月10日1980年代(ワシントン)IDAとローン協定調印。750万SDRを工業開発プロジェクトに借入れる。
DIA-303-1985-06-12-1ネパール1985年06月12日1980年代ネパーリー・コングレスは,各地でのピケ実行など運動強化計画を発表。5月23日以降の逮捕者は7000人近くにのぼると言われる。一方シュレスタ内相は,逮捕者数は2300人,そのうち約1000人はすでに釈放したと発表(『タイムズ・オプ・インディア』6/13)。
DIA-303-1985-06-13-1ネパール1985年06月13日1980年代第36回国会開会。
DIA-303-1985-06-13-2ネパール1985年06月13日1980年代通信省は,新聞出版法による取締りを受けたのは7紙のみで,うち2紙への訴えは撤回と発表(RN,6/13)。
DIA-303-1985-06-15-1ネパール1985年06月15日1980年代最高裁判事D・B・シン,報道評議会議長に任命。
DIA-303-1985-06-15-2ネパール1985年06月15日1980年代銭正英・中国水利電力相訪ネ(~17日)。16日にポカラの中国援助の灌漑プロジェクトの開通式に出席。
DIA-303-1985-06-17-1ネパール1985年06月17日1980年代マッラ・ホテルと中国・四川国際技術協力公社はカトマンドゥに豆腐工場設立で合意(RN,6/17)。
DIA-303-1985-06-17-2ネパール1985年06月17日1980年代政府は,7次5ヵ年計画案を承認。計画投資総額は504.1億ルピー,GDP成長率目標は年4.5%。
DIA-303-1985-06-17-3ネパール1985年06月17日1980年代ガボンと国交樹立。
DIA-303-1985-06-17-4ネパール1985年06月17日1980年代政府は,ネパール人,インド人に対してそれぞれの国の通貨の所有に制限をつけないことを決定,ただし金銀についてはこの限りではない(『官報』6/17)。
DIA-303-1985-06-19-1ネパール1985年06月19日1980年代国王,国会演説。
DIA-303-1985-06-20-1ネパール1985年06月20日1980年代王宮前,国会ロビーなどカトマンドゥ市内5ヵ所,ほか国内6市で爆破事件発生,19人が死傷。
DIA-303-1985-06-20-2ネパール1985年06月20日1980年代ビルガンジ,ジャナカプル,ネパールガンジ,ポカラで爆発物発見。
DIA-303-1985-06-20-3ネパール1985年06月20日1980年代「統一解放戦線」が爆破事件の犯行声明(『タイムズ・オブ・インディア』6/21)。
DIA-303-1985-06-23-1ネパール1985年06月23日1980年代国会議員37人(39人とも言われる)が,爆破事件に憤りを表明,チャンド内閣の責任を追求し辞任を求める共同声明を発表。
DIA-303-1985-06-23-2ネパール1985年06月23日1980年代ネパーリー・コングレスのG・P・コイララは爆破事件を非難し,同党が実施中のサティヤグラハの中止を訴えた。
DIA-303-1985-06-24-1ネパール1985年06月24日1980年代(カトマンドゥ)日本,10億5000万円のグラント供与に調印。灌漑,農村電化プロジェクトなどにあてる。
DIA-303-1985-06-26-1ネパール1985年06月26日1980年代通信省は,爆破事件に関連して外国通信社の「誤報」に遺憾の意を表明(RN,6/26)。
DIA-303-1985-07-01-1ネパール1985年07月01日1980年代米政府は,ネパールを含む貧困国32カ国からの特定品目の輸入を無税とすると発表。
DIA-303-1985-07-02-1ネパール1985年07月02日1980年代M・P・コイララ元首相,爆破事件を非難の声明。
DIA-303-1985-07-06-1ネパール1985年07月06日1980年代計画委員会によると,第6次5ヵ年計画の実績は,GDP成長率年率4.4%,農業成長率4.7%,非農業同5.0%,1人当り国民所得の伸びは1.7%(RN,7/6)。
DIA-303-1985-07-08-1ネパール1985年07月08日1980年代チャンド首相は国会で,爆弾事件の責任を回避しない,首相辞任はしない,とのべる。
DIA-303-1985-07-09-1ネパール1985年07月09日1980年代セネガル,「平和地帯」構想を支持(RN,7/9)。
DIA-303-1985-07-09-2ネパール1985年07月09日1980年代1984/85年度経済白書発表。GDP成長率(市場価格)年率9.3%増,農業1.7%増。
DIA-303-1985-07-09-3ネパール1985年07月09日1980年代1985/86年度予算案,国会提出。総支出規模は114億8936万ルピー,そのうち開発支出は74億8637万ルピー,歳入は55億2819万ルピーでそのうち増税は9280万ルピー,外国のグラント援助は19億2466万ルピーとなっている。財政赤字は40億3652万ルピー。
DIA-303-1985-07-09-4ネパール1985年07月09日1980年代駐日大使にN・P・アルジャル公共事業・運輸省次官を任命。17日に信任状提出。
DIA-303-1985-07-09-5ネパール1985年07月09日1980年代インド観光開発局は三井不動産とホテル・ジャヤ・インターナショナル社,トランス・ヒマラヤ社との合弁でネパールにホテルを開設することで合意。
DIA-303-1985-07-15-1ネパール1985年07月15日1980年代帰国荷物について,外国に7日以上滞在した者は年2回1.5万ルピー相当の荷物持込みを免税とする(『官報』7/15)。
DIA-303-1985-07-16-1ネパール1985年07月16日1980年代7月16日から外貨規制変更。ネパールの市銀に外貨勘定の開設を認める(『官報』7/16)。
DIA-303-1985-07-19-1ネパール1985年07月19日1980年代P・B・カトリ前外相,死去。
DIA-303-1985-07-19-2ネパール1985年07月19日1980年代15企業がネパールの石油探査に参加の意志表明(鉱業・地質局発表)(RN,7/19)。
DIA-303-1985-07-21-1ネパール1985年07月21日1980年代国会で,R・スバ外相とインド紙(Hindustan Times,Indian Express)との会見記事が問題となる。
DIA-303-1985-07-21-2ネパール1985年07月21日1980年代李源京韓国外相,公式訪問(~23日)。23日にチャンド首相,R・スバ外相と会談。
DIA-303-1985-07-23-1ネパール1985年07月23日1980年代マハト公共事業・運輸相,辞任。後任にブダトキ労働・社会福祉相を任命。労働・社会福祉相はカマロ司法担当国務相が担当する。
DIA-303-1985-07-25-1ネパール1985年07月25日1980年代ガイアナ,「平和地帯」構想を支持(外務省発表)。
DIA-303-1985-07-26-1ネパール1985年07月26日1980年代10月までにネパール・インドスエズ銀行開設の予定(RN,7/26)。
DIA-303-1985-07-26-2ネパール1985年07月26日1980年代(ラサ)チベットとハイプリッド家畜の交換で合意,覚書き調印(農業省発表)。
DIA-303-1985-07-30-1ネパール1985年07月30日1980年代国会議員9名が国会で,本国会で内閣不信任案は出さないが,内閣の解任を求めていくとの声明を発表。
DIA-303-1985-07-31-1ネパール1985年07月31日1980年代トーゴ,「平和地帯」構想承認(外務省発表)。
DIA-303-1985-08-05-1ネパール1985年08月05日1980年代G・P・コイララ(ネパーリー・コングレス),サティヤグラハ運動中逮捕された党員の釈放と,政府との話し合いを求める(『タイムズ・オブ・インディア』8/5)。
DIA-303-1985-08-06-1ネパール1985年08月06日1980年代工業局は,1983/84年度に125企業の設立を許可,内訳は小企業92件,中企業26件,大企業7件。1982/83年度の許可件数は115。
DIA-303-1985-08-08-1ネパール1985年08月08日1980年代インド,グラント9500万ルピー供与。用途はヌワコットの農村電化,ヘタウダの森林研究所に展示場・図書館・文書館の建設の2件。
DIA-303-1985-08-09-1ネパール1985年08月09日1980年代中央銀行は市銀に,米ドル,英ポンドでの預金受入れを許可。外貨預金を認められる者は,国際機関,大使館で働き外貨所得のある者,外国で働いているネパール人,6ヵ月以上外国で就業した者。
DIA-303-1985-08-11-1ネパール1985年08月11日1980年代大蔵省次官にK・D・アディカリ,政府官房長官に任命。アディカリの後任はL・B・シュレスタ(RN,8/11)。
DIA-303-1985-08-17-1ネパール1985年08月17日1980年代電力料金,平均22%値上げ。
DIA-303-1985-08-17-2ネパール1985年08月17日1980年代電力局とネパール電力公社が統合され,ネパール電力局(Nepal Electricity Authority)発足。
DIA-303-1985-08-17-3ネパール1985年08月17日1980年代政府は,本年度,トサ種のジュート輸出規制を撤廃,普通種の輸出制限は一部のみとすると発表(RN,8/17)。
DIA-303-1985-08-19-1ネパール1985年08月19日1980年代破壊犯罪防止法発効。3年の時限法,必要ならば2年間の延長が可能。
DIA-303-1985-08-24-1ネパール1985年08月24日1980年代政府,ネパーリー・コングレス指導者を含む政治犯500人を釈放。
DIA-303-1985-08-25-1ネパール1985年08月25日1980年代国会議員資格剥奪手続法発効。司法長官が選挙管理委と協議のうえ国会議員資格の剥奪を行なえる。
DIA-303-1985-08-25-2ネパール1985年08月25日1980年代ネパール特別公務員法発効。
DIA-303-1985-08-25-3ネパール1985年08月25日1980年代シュレスタ内相,国会に爆破事件の報告書を提出。それによれば,前国会議員R・R・プラサド・シンを犯人とみなす。シンは「ジャンワディ・モルチャ」(人民戦線)の指導者であり,犯行声明を出し,インドに滞在中とされる。爆破事件に関する逮捕者は1750人,うち拘留継続は101人。
DIA-303-1985-08-26-1ネパール1985年08月26日1980年代県長官人事異動。5県を除き異動。
DIA-303-1985-08-28-1ネパール1985年08月28日1980年代農業開発(第4次改正)法発効。農業開発の定義を拡大し,農業生産のための資源供給,農産物保護・販売・加工,養鶏,養魚,養蜂,エネルギー開発,林業,家内工業なども含める。
DIA-303-1985-08-29-1ネパール1985年08月29日1980年代日本,グラント8億7700万円(6225万ルピー)供与。
DIA-303-1985-08-30-1ネパール1985年08月30日1980年代国王,ブルネイ訪問(~9月1日)。
DIA-303-1985-08-30-2ネパール1985年08月30日1980年代(デリー)ネ印,貿易,トランジットで合意。現在のトランジット取決めを継続させることを決定。
DIA-303-1985-08-31-1ネパール1985年08月31日1980年代(ブルネイ)スバ外相,ブルネイ外相と会談。
DIA-303-1985-09-01-1ネパール1985年09月01日1980年代通信省。105紙の発行を停止,25人以上のジャーナリストを逮捕。
DIA-303-1985-09-01-2ネパール1985年09月01日1980年代国王,オーストラリア公式訪問(~8日)。
DIA-303-1985-09-01-3ネパール1985年09月01日1980年代(デリー)ネ印次官会議終わる(8月28日~)。現在のトランジット取決めの継続,国境非合法取引き取締りの強化で合意,さらに,インドはネパールが提案したネパールからの対印輸出半加工皮革5品目のローカル・コンテソツ条件緩和の検討に合意した。
DIA-303-1985-09-06-1ネパール1985年09月06日1980年代インド,西コシ河水路建設に2175万ルピー供与。
DIA-303-1985-09-06-2ネパール1985年09月06日1980年代ネパール工業開発公社,ネパール・アラブ銀行,ネパール銀行,ナショナル商業銀行は,9870万ルピーを融資してバラ郡に化繊工場(年産250万㍍)設立を決定。
DIA-303-1985-09-08-1ネパール1985年09月08日1980年代国王,クチン(マレーシア)非公式訪問。
DIA-303-1985-09-10-1ネパール1985年09月10日1980年代国王,香港に。
DIA-303-1985-09-10-2ネパール1985年09月10日1980年代(カトマンドゥ)第6回ネ印国境専門家委員会(~14日),現地調査の進捗に満足を表明。14日,作業を1989年5月までに完了することで合意。
DIA-303-1985-09-11-1ネパール1985年09月11日1980年代国王,訪日。非公式訪問。
DIA-303-1985-09-13-1ネパール1985年09月13日1980年代(東京)ネ日外相会議。国王,中曽根首相と会談。国王,天皇を訪問。
DIA-303-1985-09-14-1ネパール1985年09月14日1980年代国王,つくば科学万博へ。国王,16日に離日。
DIA-303-1985-09-15-1ネパール1985年09月15日1980年代ネパール共産党(サハナ派)第36回大会,ネパーリー・コングレスの運動の完全支持を宣言。
DIA-303-1985-09-17-1ネパール1985年09月17日1980年代バス,トロリーバスの最低運賃値上げ(RN,9/21)。
DIA-303-1985-09-18-1ネパール1985年09月18日1980年代国王,訪印(~20日)。シン・インド大統領と会談。訪印の途中でダッカに立寄り,エルシャド・バングラデシュ大統領と会談。
DIA-303-1985-09-19-1ネパール1985年09月19日1980年代(デリー)国王,ガンディー・インド首相と会談。ネ印外相会談。
DIA-303-1985-09-20-1ネパール1985年09月20日1980年代(カトマンドゥ)IMF代表団,ロハニ蔵相,タパ中央銀行総裁らと会談。
DIA-303-1985-09-22-1ネパール1985年09月22日1980年代新5ルピー硬貨発行。
DIA-303-1985-09-26-1ネパール1985年09月26日1980年代ネパール共産党(アディカリ派)会議(24日~),左派・民主勢力の統一を呼びかけ,選挙参加を表明。
DIA-303-1985-09-27-1ネパール1985年09月27日1980年代香港は,グルカ4個大隊のうちの1大隊を,役割りが縮小したため1987年に廃止すると発表。
DIA-303-1985-09-28-1ネパール1985年09月28日1980年代インド,東西ハイウエイのコハルプル・マハカリ部門(204キロメートル)建設に7億万2500ルピーのグラント供与調印。同部門は中国が入札,ほとんど中国に決まっていたと言われる。
DIA-303-1985-09-30-1ネパール1985年09月30日1980年代(ワシントン)IDA,1億700万㌦のローン供与に調印。マルシャンディ・プロジェクト用。
DIA-303-1985-10-01-1ネパール1985年10月01日1980年代ブータンと直接郵便リンク開設。インドのナクサルバリ郵便局が中継する。
DIA-303-1985-10-01-2ネパール1985年10月01日1980年代日本グラント14億2800万円(1億1078万ルピー)供与調印。カトマンドゥ盆地送電線網の第2期工事など。
DIA-303-1985-10-01-3ネパール1985年10月01日1980年代(カトマンドゥ)ネ・バングラデシュ外務次官協議。南アジア諸国首脳会議(12月)の打合せ。
DIA-303-1985-10-03-1ネパール1985年10月03日1980年代国会,刑法第8次改正法案を可決。議員32人が反対票。チャンド首相は,死刑の条項はネパール法にすでにあるとして改正法案の死刑規定を正当化の発言。
DIA-303-1985-10-03-2ネパール1985年10月03日1980年代第36次国会閉会。
DIA-303-1985-10-04-1ネパール1985年10月04日1980年代(ニューヨーク)国連総会でスバ外相演説。
DIA-303-1985-10-04-2ネパール1985年10月04日1980年代(カトマンドゥ)ガボン大統領特使,国王と会見。ガボン,「平和地帯」構想支持を表明。
DIA-303-1985-10-04-3ネパール1985年10月04日1980年代選挙管理委員会,有権者リストを完成。有権者数は1986年3月13日(現国会の任期満了日)に897万4199人となる。
DIA-303-1985-10-06-1ネパール1985年10月06日1980年代ヘタウダ・セメント工場,試験操業を開始。
DIA-303-1985-10-08-1ネパール1985年10月08日1980年代パキスタン政府貿易代表団訪ネ(~11日)。
DIA-303-1985-10-09-1ネパール1985年10月09日1980年代P・S・ラワティ工業・通信相,N・D・バッタ・パンチャヤト・地方開発(PLD)相,辞任。後任は,工業相をP・N・チャウダリ商業・供給相が兼務,通信相をP・S・J・B・ラナ水資源相が兼務,PLD相をJ・M・シュレスタ内相が兼務(RN,10/11)。
DIA-303-1985-10-09-2ネパール1985年10月09日1980年代刑法(第8次修正)法発効。死刑の規定および終身刑の年限を20年から33年に延長(『官報』10/9)。
DIA-303-1985-10-10-1ネパール1985年10月10日1980年代ホワイトヘッド米国務次官補訪ネ。
DIA-303-1985-10-10-2ネパール1985年10月10日1980年代スイス,総合丘陵開発計画(第3期)にグラント1億ルピー供与。
DIA-303-1985-10-11-1ネパール1985年10月11日1980年代モーリシャス,「平和地帯」構想を支持。67番目の構想支持国。
DIA-303-1985-10-11-2ネパール1985年10月11日1980年代バイディヤ・インド陸軍司令官,訪ネ(~14日)。
DIA-303-1985-10-11-3ネパール1985年10月11日1980年代日本,農村通信開発計画にグラント43億7600万円(3億5120万ルピー)供与。
DIA-303-1985-10-17-1ネパール1985年10月17日1980年代カーター前米大統領,訪ネ。
DIA-303-1985-10-25-1ネパール1985年10月25日1980年代カトリ通信省次官以下政府代表団,訪中。
DIA-303-1985-10-29-1ネパール1985年10月29日1980年代チベット自治区農業・畜産関係代表団,訪ネ。
DIA-303-1985-10-30-1ネパール1985年10月30日1980年代(ニューヨーク)民主カンボジア政府,「平和地帯」構想を支持。
DIA-303-1985-10-31-1ネパール1985年10月31日1980年代全国パンチャ大会組織委員会初会合。年末に予定の全国パンチャ大会に提出するワーキソグ・ペーパーを作成するために7小委員会(政治,財政,パンチャヤト,行政・地方化,社会,国際関係,リピュー)を設立。
DIA-303-1985-11-04-1ネパール1985年11月04日1980年代(カトマンドゥ)南アジア地域協力機構の運輸問題技術委員会(~6日)。南アジア・ハイウエイ,鉄道網建設案の作成作業を進める。
DIA-303-1985-11-05-1ネパール1985年11月05日1980年代中央食糧管理小委員会,粗米,良質米の支持価格を,キンタール当り各197ルピー,207ルピーと設定。
DIA-303-1985-11-07-1ネパール1985年11月07日1980年代ネ印,石炭供給で合意。インド政府金属鉱物資源公社はネパール石炭社に1986年1月から3ヵ月間に石炭2万400㌧を供給する。石炭輸出に初めてインド政府公社が参加。
DIA-303-1985-11-07-2ネパール1985年11月07日1980年代ADB,378万SDRのローン・技術援助。
DIA-303-1985-11-09-1ネパール1985年11月09日1980年代全国パンチャ大会の決議案草案,大会組織委が採択。
DIA-303-1985-11-16-1ネパール1985年11月16日1980年代パンチャヤト政策調査委員会は,12月25日からのパンチャヤト制度25周年祝典の組織化のための委員会を設立,委員長にT・ギリ元首相を任命。
DIA-303-1985-11-19-1ネパール1985年11月19日1980年代西独,マルシャンディ水力発電プラント用機材のために12億5000万ルピー供与。
DIA-303-1985-11-21-1ネパール1985年11月21日1980年代(カトマンドゥ)全国パンチャ大会開かれる(~25日)。1500人が出席。野党リーダーは招待されたが出席を拒否。
DIA-303-1985-11-22-1ネパール1985年11月22日1980年代野党首脳,T・P・アチャリヤ元首相宅で会合。パンチャヤト制拒否,民主主義の復活を要求,政治犯釈放を求める共同声明を発表。
DIA-303-1985-11-25-1ネパール1985年11月25日1980年代G・P・コイララ(10月22日の野党首脳会議に欠席)は,国王に国の諸問題を解決するための手段をとるよう訴える声明を発表。
DIA-303-1985-11-25-2ネパール1985年11月25日1980年代全国パンチャ大会は,7小委員会のワーキング・ペーパーを採択して閉会。
DIA-303-1985-11-25-3ネパール1985年11月25日1980年代グアテマラ,「平和地帯」構想を支持。第69番目の支持国となる。
DIA-303-1985-11-25-4ネパール1985年11月25日1980年代労働局,職業紹介所を設立。とくに縫製品関係で失業中の熟練労働者の登録を呼びかける(RN,11/29)。
DIA-303-1985-11-25-5ネパール1985年11月25日1980年代ジャナカプル県長官は,シンドゥリ郡森林事務所職員12名を,木材密輸出に関与したとして解雇。また,木材密輸取締りのために特別チームを国境地帯に派遣した(RN,11/29)。
DIA-303-1985-11-30-1ネパール1985年11月30日1980年代ネパール・ルピー,14.7%切下げ。100インド・ルピーが旧145ネパール・ルピーから170ネパール・ルピーに,1米㌦が旧17.40ルピーから20.40ルピーに,1英ポンドは旧25.47ルピーから30.01ルピーとなる。
DIA-303-1985-11-30-2ネパール1985年11月30日1980年代ルピー切下げについてロハニ蔵相は,外貨不足対策として切下げざるをえなかった,物価水準維持に努める,切下げは外国の圧力によるものではないなどと説明。
DIA-303-1985-12-02-1ネパール1985年12月02日1980年代蔵相ルピー切下げの新聞声明で,切下げは外貨準備の減少を止める目的である,過去2年間でインドは対米ドル15.8%切下げたためネパール・ルピーが弱くなり資金の流出を招いたと語る。
DIA-303-1985-12-04-1ネパール1985年12月04日1980年代タバ前首相派の国会議員33人,ルピー切下げ批判の共同声明を発表。
DIA-303-1985-12-04-2ネパール1985年12月04日1980年代(ダッカ)SARC外務次官会議,プラダーン外務次官出席。5日には外相会議,スバ外相出席。
DIA-303-1985-12-06-1ネパール1985年12月06日1980年代中央銀行の「ルピー切下げ」セミナーで蔵相は,政府歳入を増し財政赤字を削減したいと語る。タパ中銀総裁は,過去3年間のルピー安傾向がネパールの外貨準備減少を招いたと語る。
DIA-303-1985-12-06-2ネパール1985年12月06日1980年代国王,バングラデシュに。SARC首脳会議のため。
DIA-303-1985-12-07-1ネパール1985年12月07日1980年代(ダッカ)SARC首脳会議(~8日)。
DIA-303-1985-12-10-1ネパール1985年12月10日1980年代(ダッカ)ガンディー・インド首相,ネ印関係は良好である,ネパールの「平和地帯」構想はまだはっきりしない部分があるなどと記者団に語る(RN,12/12)。また,ガンジス河問題で,バングラデシュとの話し合いにネパールを加える用意があると語る(RN,12/16)。
DIA-303-1985-12-10-2ネパール1985年12月10日1980年代T・P・アチャリヤ元首相宅で野党グループによる「人権の日」の会合。ネパール人に,国連が定める政治その他の権利を認めるよう訴える決議を行なう。
DIA-303-1985-12-11-1ネパール1985年12月11日1980年代Y・P・パソト前蔵相ルピー切下げについて政府の経済政策失敗を批判。
DIA-303-1985-12-11-2ネパール1985年12月11日1980年代ネパール商工会議所は,ルピー切下げの物価への影響を懸念するプレス・リリースを発表。
DIA-303-1985-12-16-1ネパール1985年12月16日1980年代ホッパー世銀副総裁(11日から滞ネ),離ネにあたり,世銀はルピー切下げ政策を支持すると語る。
DIA-303-1985-12-17-1ネパール1985年12月17日1980年代プラダーン外務次官,駐米大使に任命。
DIA-303-1985-12-18-1ネパール1985年12月18日1980年代政府,ルピー切下げにともない1985/86年度経済プログラムを発表。財政赤字抑制,輸入削減,輸出促進,金融引締め,経常・開発支出の合計4100万ルピー削減,工業振興などの諸政策を内容とする。
DIA-303-1985-12-20-1ネパール1985年12月20日1980年代国家開発評議会再編,役割が強化される。
DIA-303-1985-12-22-1ネパール1985年12月22日1980年代国王,中央開発区視察に出発。
DIA-303-1985-12-24-1ネパール1985年12月24日1980年代左派5グループ,首都圏で集会,デモを持つ。25日にも。
DIA-303-1985-12-25-1ネパール1985年12月25日1980年代イエメン・アラブ共和国と外交関係を樹立。
DIA-303-1985-12-25-2ネパール1985年12月25日1980年代政府,IMFから1865万SDRを引出し。
DIA-303-1985-12-25-3ネパール1985年12月25日1980年代政府,米の輸出規制を大幅に緩和。
DIA-303-1985-12-29-1ネパール1985年12月29日1980年代ネパール・テレビ,放送開始。
DIA-303-1985-12-30-1ネパール1985年12月30日1980年代ネパール空軍機,西部で墜落。乗員25人死亡。
DIA-303-1985-12-31-1ネパール1985年12月31日1980年代マルシャンディ多目的水利プロジェクト起工式。1989年に完成の予定。
DIA-303-1986-01-02-1ネパール1986年01月02日1980年代ネパール・インド通過協定を1989年3月23日まで再延長する旨の合意書を先頃交換(Times of India,1/2)。
DIA-303-1986-01-03-1ネパール1986年01月03日1980年代パチカン,「平和地帯」構想承認。
DIA-303-1986-01-06-1ネパール1986年01月06日1980年代駐ネパール・インド大使にA・R・デオ任命。
DIA-303-1986-01-10-1ネパール1986年01月10日1980年代ロハニ蔵相,記者会見でルピー切下げについて,レートはより現実的となった,外貨準備の目減りのために切り下げざるをえなかった,輸出促進のためにいくつかの措置をとった,と語る。
DIA-303-1986-01-12-1ネパール1986年01月12日1980年代ロハニ蔵相,東京での対ネ援助国会議出席のため離ネ。
DIA-303-1986-01-14-1ネパール1986年01月14日1980年代(東京)ネ・日,20億円の無償援助供与の文書交換。肥料購入と輸送費にあてる。
DIA-303-1986-01-16-1ネパール1986年01月16日1980年代カトマンドゥで12の左派・民主政党グループによるゼネスト実行。ルピー切下げと物価上昇に抗議。
DIA-303-1986-01-16-2ネパール1986年01月16日1980年代(東京)ロハニ蔵相,竹下蔵相と会談。ネパールは7次計画期の日本援助案件を提案,また,日本の対ネパール輸入拡大を要望する。
DIA-303-1986-01-16-3ネパール1986年01月16日1980年代(東京)対ネ債権国会議。対ネ援助6億8000万ドルをプレッジ。
DIA-303-1986-01-17-1ネパール1986年01月17日1980年代(マニラ)アジア開発銀行は,電力開発プロジェクトなど5件,合計8760万ドルの援助供与協定に調印。
DIA-303-1986-01-20-1ネパール1986年01月20日1980年代大蔵省は,チベットとインドからの輸入品の販売価格は,チベットおよびインドで生産されるものに限り,輸入コスト,関税,手数料分を15%加算して決定できると規定(『官報』1/20)。
DIA-303-1986-01-21-1ネパール1986年01月21日1980年代(カトマンドゥ)ネ・米政府,縫製品の対米輸出にりいて協議(~23日)。23日に合意覚書調印。
DIA-303-1986-01-21-2ネパール1986年01月21日1980年代国王,中央開発区の開発のための7項目ガイドラインと23項目指示を出す。国王は12月22日から1月20日まで同開発区を視察。
DIA-303-1986-01-23-1ネパール1986年01月23日1980年代国会選挙布告される。投票は5月12日。
DIA-303-1986-01-23-2ネパール1986年01月23日1980年代ネパール・インドスエズ銀行,正式認可。
DIA-303-1986-01-27-1ネパール1986年01月27日1980年代商業局は,銀行に外貨預金勘定を開いたネパール人に,預金の30%を公定レートでネパール国立銀行に売却するなら,のこり70%を輸入にあてる,もしくは第三者に売却することを認める(『官報』1/27)。
DIA-303-1986-01-30-1ネパール1986年01月30日1980年代マヘンドラ・ハイウエイの中央部,ブトワル-コハルプル間が完成。
DIA-303-1986-02-03-1ネパール1986年02月03日1980年代政府,農業生産拡大プログラムを作成。1985/86年度に食糧7万トンの生産増目標など。
DIA-303-1986-02-05-1ネパール1986年02月05日1980年代ネパール・インドスニズ銀行,カトマンドゥに店舗を開設,2月27日から営業を開始。
DIA-303-1986-02-05-2ネパール1986年02月05日1980年代政府は,工場とくに縫製品工場の労働者にその国籍を示す身分証明書を発行するよう各企業に指示した。
DIA-303-1986-02-06-1ネパール1986年02月06日1980年代ネパーリー・コングレスのG・P・コイララ,憲法に必要な改正が加えられなければネパーリー・コングレスは選挙に参加しないと語る。一方K・P・バッタライは,選挙不参加を主張していると言われる。
DIA-303-1986-02-06-2ネパール1986年02月06日1980年代パンチャヤト政治調査委員会は,外国の政治団体とのコンタクトは,パンチャヤト制の価値観,精神に反すると発表。前年12月末,インドのボンベイで開かれたインド国民会議派100周年式典にM・P・コイララ,S・B・タパらが出席したことを批判している。
DIA-303-1986-02-14-1ネパール1986年02月14日1980年代マヘンドラ・ハイウエイのコハルプル-マハカリ間の工事に着工,全長204km,4年間で完成の予定。
DIA-303-1986-02-16-1ネパール1986年02月16日1980年代英,マラリヤ対策用に100万ポンドのグラントを供与。
DIA-303-1986-02-17-1ネパール1986年02月17日1980年代英エリザベス女王夫妻,ネパールを公式訪問(~21日)。
DIA-303-1986-02-19-1ネパール1986年02月19日1980年代ネ・米,直通電話回線を試験的に開設。
DIA-303-1986-02-20-1ネパール1986年02月20日1980年代オーストラリア,むこう5年間に745万オーストラリアドルをシンドゥパルチョク郡,カプレ郡の森林開発プロジェクト第2期用に供与する覚書を調印。
DIA-303-1986-02-20-2ネパール1986年02月20日1980年代レバノン,「平和地帯」構想を支持。
DIA-303-1986-02-22-1ネパール1986年02月22日1980年代チベットに,卵と鶏肉の輸出を始める(RN,2/22)。
DIA-303-1986-02-23-1ネパール1986年02月23日1980年代(カトマンドゥ)全ネパール民族独立学生組合の会合,国会選挙のボイコットを決定。
DIA-303-1986-03-03-1ネパール1986年03月03日1980年代大蔵省は,外国人旅行客が,銀行もしくは公的外貨ディーラーに外貨を売却して得たルピーで購入したという条件でネパール製品のギフト輸出についての許可取得義務を撤廃(『官報』3/3)。
DIA-303-1986-03-03-2ネパール1986年03月03日1980年代インド政府は1986/87年度予算で対ネ援助を4億6700万ルピー提案。
DIA-303-1986-03-05-1ネパール1986年03月05日1980年代ネパール国立銀行は,同行が民間銀行の必要とするインド・ルピー需要に応じられないとの噂を否定,インド・ルピー準備はネパール・ルピー切下げ後増加しており,2月末に1億5000万インドルピーに達したと発表。
DIA-303-1986-03-08-1ネパール1986年03月08日1980年代チベット自治区貿易・経済・観光問題代表団訪ネ。9日にガウタム商業省次官と会談。
DIA-303-1986-03-10-1ネパール1986年03月10日1980年代日本,1985年の債務繰延べとして8250万円のグラントを供与。
DIA-303-1986-03-14-1ネパール1986年03月14日1980年代ネパール・リュープ・オイル社(バラ郡),操業開始。資本金5000万ルピー,米のガルフ・オイル・トレーディング社の技術を導入,ガソリン,工業用オイル等を生産する。
DIA-303-1986-03-16-1ネパール1986年03月16日1980年代(カトマンドゥ)ネ・中政府合同経済・貿易委員会第2回会議(~20日)。19日に,プリクティ製紙工場の建設,ルンビニ砂糖工場の着工,ポカラーバグルン・ハイウェイの調査実施などについて覚書調印。
DIA-303-1986-03-19-1ネパール1986年03月19日1980年代選挙管理委員会は,選挙費用の上限として5万ルピーを設定(RN3/19)。
DIA-303-1986-03-20-1ネパール1986年03月20日1980年代国王,L・B・チャンド内閣に辞任を命じる。
DIA-303-1986-03-21-1ネパール1986年03月21日1980年代国王,ナゲンドラ・プラサド・リジャルを首相に任命。選挙管理のための暫定内閣である。5閣僚,4国務相からなるリジャル内閣就任。
DIA-303-1986-03-27-1ネパール1986年03月27日1980年代選挙管理委員会,選挙日程を発表。
DIA-303-1986-03-30-1ネパール1986年03月30日1980年代農業マーケットサービス局,籾生産実績を発表。
DIA-303-1986-04-02-1ネパール1986年04月02日1980年代ネパーリー・コングレス,新聞声明発表。内容は,3月30日に党代表が首相と話し合い,首相はバッタライ総裁代行と国王との会見を4月1日に持てるよう約束したが,4月1日に首相はわれわれと再度話し合いを求め,この話し合いで,国王との会見はおろか前向き措置をとることも拒否した,したがって党は選挙不参加を決定したというもの。
DIA-303-1986-04-02-2ネパール1986年04月02日1980年代国会議長M・M・シン・シュレスタ,副議長G・C・シン辞任。選挙に出馬するため。
DIA-303-1986-04-03-1ネパール1986年04月03日1980年代ネパーリー・コングレスのG・P・コイララ,国王から「前向き約束」を得たとして,党員に選挙準備をするようにアピール。また,党と首相との話し合い失敗の責任は「反動勢力」にあると述べる。
DIA-303-1986-04-05-1ネパール1986年04月05日1980年代インド・メガラヤ州で20年以上炭鉱,輸送業に従事していたネパール系インド人27人が,メガラヤ州から追放されブトワルに着き,同町バンチャヤトおよび県庁に救済を求めた(RN,4/5)。
DIA-303-1986-04-08-1ネパール1986年04月08日1980年代ブルネイ,原則的に原油売却に合意。9月に量と売却時期を決める予定。価格はその時の国際市場価格とする(RM4/8)。
DIA-303-1986-04-09-1ネパール1986年04月09日1980年代立候補届出最終日,1792人が届け出る。資格審査の結果,4月15日に立候補者数は1547人となる。
DIA-303-1986-04-14-1ネパール1986年04月14日1980年代ルワンダ,「平和地帯」構想を承認(外務省リリース,RM4/14)。
DIA-303-1986-04-14-2ネパール1986年04月14日1980年代シヤンジャ郡から出馬のナゲンドラ・プラサド・リジャル,交通事故死。同郡の投票日は5月19日に延期。
DIA-303-1986-04-16-1ネパール1986年04月16日1980年代外務省声明,ネパールは地中海の緊張(米のリビア攻撃)に深い懸念を持つ。
DIA-303-1986-04-18-1ネパール1986年04月18日1980年代(ニューデリー)スバ外相,ガンディー・インド首相と会談,バーガット・インド外相とも会談。スバ外相は非同盟会議調整委員会出席(16日~)のためにインド滞在中。
DIA-303-1986-04-21-1ネパール1986年04月21日1980年代(ワシントン)世銀,2070万SDR供与に調印。第4期通信プロジェクト用。
DIA-303-1986-04-27-1ネパール1986年04月27日1980年代デンマーク,通信プロジェクト第4期工事に2億9000万ルピーの援助供与調印。
DIA-303-1986-04-27-2ネパール1986年04月27日1980年代カトマンドゥ市内の数ヵ所で警官詰所が襲われる。
DIA-303-1986-04-28-1ネパール1986年04月28日1980年代工業省は,1981年工業企業法で定められた消費税,関税,販売税,所得税のステンレス鋼,化学繊維,タバコ,木材,プラスチック,アルコール飲料など特定部門への優遇措置を廃止(『官報』4/28)。
DIA-303-1986-05-01-1ネパール1986年05月01日1980年代インドから年内に石炭6万3000トン輸入決定。
DIA-303-1986-05-01-2ネパール1986年05月01日1980年代カスキ郡の選挙は,立候補者が病死(4月29日)のため,投票が5月26日に延期される。
DIA-303-1986-05-04-1ネパール1986年05月04日1980年代政府,ビラトナガル近郊(ブロック10)の石油探査で米の石油探査会社2社と調印。
DIA-303-1986-05-08-1ネパール1986年05月08日1980年代ネ・日,丘陵地帯の電化プロジェクトに3億円,灌漑プロジェクトに1億5000万円などのグラント供与。
DIA-303-1986-05-08-2ネパール1986年05月08日1980年代選挙キャンペーン終了。
DIA-303-1986-05-11-1ネパール1986年05月11日1980年代内務省,5月7日のビルガンジ市のマナカマナ寺爆破事件,8日の同市税関吏自宅近くでの爆破事件,ジャナカプル空港フェンス外爆破事件での1人死亡等の事件発生を発表(RN,4/11)。
DIA-303-1986-05-11-2ネパール1986年05月11日1980年代次官人事異動。
DIA-303-1986-05-12-1ネパール1986年05月12日1980年代インド大使館プレスリリース,インドは反ネパール活動にインドの領土を使わせないことをネパール国民と政府に約束すると発表。
DIA-303-1986-05-12-2ネパール1986年05月12日1980年代国会議員選挙投票。108議席,候補者1450人。63カ所の投票所で,混乱があったため再投票となる。
DIA-303-1986-05-18-1ネパール1986年05月18日1980年代中国民間航空局代表団訪ネ。ラサ・カトマンドウ・香港の航空路開設を協議の予定。
DIA-303-1986-05-18-2ネパール1986年05月18日1980年代チャンド内閣の内相で1965年来国会議員をつとめてきたJ・M・シュレスタ(カトマンドゥ)落選。
DIA-303-1986-05-20-1ネパール1986年05月20日1980年代農業インプット公社,肥料価格を20~30%値上げ。
DIA-303-1986-05-20-2ネパール1986年05月20日1980年代ネパール国立銀行は5月29日から,民間銀行,金融機関が預金・貸付金利を枠内で独自に決定することを許可する。
DIA-303-1986-05-20-3ネパール1986年05月20日1980年代シエラレオネ,「平和地帯」構想を支持。
DIA-303-1986-05-20-4ネパール1986年05月20日1980年代外務省,政府は5月19日の南アフリカによるポツワナ,ザンビア,ジンバプエへの武力侵略行為を非難すると,声明。
DIA-303-1986-05-25-1ネパール1986年05月25日1980年代ネパール航空は初めてボーイング757型1機を購入。
DIA-303-1986-05-25-2ネパール1986年05月25日1980年代トリババン空港新ターミナル起工式。
DIA-303-1986-05-25-3ネパール1986年05月25日1980年代選挙結果,当選者108人中44人が新人。
DIA-303-1986-05-26-1ネパール1986年05月26日1980年代カスキ選挙区の投票実施。
DIA-303-1986-05-28-1ネパール1986年05月28日1980年代ヒマール・セメント社とヘタウダ・セメント社は,セメント価格を引き上げる。
DIA-303-1986-05-28-2ネパール1986年05月28日1980年代ネパール農民団,肥料値上げを批判。
DIA-303-1986-05-29-1ネパール1986年05月29日1980年代大蔵省は声明で,ルピーの再度切下げの噂を否定。
DIA-303-1986-05-29-2ネパール1986年05月29日1980年代国王,第37次国会を招集,6月9日に開会。
DIA-303-1986-05-31-1ネパール1986年05月31日1980年代大蔵省,インド・ルピーを含めたバスケット制を採用して為替レートを決める方式を決定。
DIA-303-1986-06-01-1ネパール1986年06月01日1980年代国王,勅撰国会議員20名を任命。
DIA-303-1986-06-01-2ネパール1986年06月01日1980年代中国援助でナワルパラサイ郡に建設のプリクティ製紙工場,試験操業開始。
DIA-303-1986-06-01-3ネパール1986年06月01日1980年代為替レート変更についてネパール国立銀行プラダーン総裁の発言。「これまでネパール・ルピーはインド・ルピーに固定され,インド・ルピーの変動に従っていた。この状態は,ネパール・ルピーの対外貨レートを『内容およびウエイトを知らない他国(インド)の通貨バスケットに従って変動させていた』ことであり,不合理であった」。
DIA-303-1986-06-02-1ネパール1986年06月02日1980年代アメリカと,縫製品輸出クオータで合意,調印,1990年12月まで有効。ネパールは1986年に男子用シャツ18万ダース,婦人用ブラウス60万ダース,スカート10万ダース,綿プレイ・スーツ7万5000ダースを輸出する。この4品目以外はクオータ設定なし。
DIA-303-1986-06-04-1ネパール1986年06月04日1980年代カトマンドゥ郡パンチャヤトは政府に,肥料価格値上げの撤回を求めた。
DIA-303-1986-06-09-1ネパール1986年06月09日1980年代第37次国会開会。国王,勅撰議員をさらに5名任命,N・P・リジャル暫定首相を含む。
DIA-303-1986-06-09-2ネパール1986年06月09日1980年代タイ政府代表団訪ネ。10日にネ・タイ合同作業グループの第1回会議。
DIA-303-1986-06-10-1ネパール1986年06月10日1980年代国会議長にN・スベディが立候補。対立候補がでず,11日に国会議長に任命される。
DIA-303-1986-06-11-1ネパール1986年06月11日1980年代1985年12月から建設の,バドラプル,ティリンにおける国境柱(ネパール側41本,インド側54本)ほぼ完成。
DIA-303-1986-06-12-1ネパール1986年06月12日1980年代フィジーと国交樹立,外務省発表。
DIA-303-1986-06-13-1ネパール1986年06月13日1980年代ネパール国立銀行は15日から各銀行に預金口座の内容と金利を一部自由化すると発表。
DIA-303-1986-06-14-1ネパール1986年06月14日1980年代M・M・シン・シュレスタ前国会議長,首相候補者として届け出る。
DIA-303-1986-06-15-1ネパール1986年06月15日1980年代国王,シュレスタを首相に任命。リジャル暫定内閣を解散。
DIA-303-1986-06-16-1ネパール1986年06月16日1980年代シュレスタ新内閣成立,全17人(「参考資料」参照)。
DIA-303-1986-06-16-2ネパール1986年06月16日1980年代外国就業法施行,6月16日より。中東諸国,香港,マレーシア,シンガポール,ブルネイで就業するネパール人について適用される(『官報』6/16)。
DIA-303-1986-06-22-1ネパール1986年06月22日1980年代中央アフリカ共和国とスワジランド,「平和地帯」構想を支持,ウパディヤヤ外相,国会で発表。
DIA-303-1986-06-24-1ネパール1986年06月24日1980年代ペプシ・コーラ生産開始。カトマンドゥ工場で年産120万本。
DIA-303-1986-06-25-1ネパール1986年06月25日1980年代国王,国会で施政方針演説,経済基盤の拡大を強調。
DIA-303-1986-07-01-1ネパール1986年07月01日1980年代バングラデシュ・エルシャド大統領訪ネ(~3日)。1日は両国外相会談。2日に国王と会談。
DIA-303-1986-07-02-1ネパール1986年07月02日1980年代国会各専門委員会委員長選出。パンチャヤト委員会はT・P・ダカル,財務委員会はK・ガウタム,水資源委員会はM・K・S・ヤーダヴ,開発委員会はL・N・アディカリ,社会委員会は,Y・タパが委員長。
DIA-303-1986-07-03-1ネパール1986年07月03日1980年代プラダーン蔵相,国会で,インド・ルピーがネバール市場に自由に出回っていることに無関心だと言った事実はない,ネパール・ルピーへの国民の信頼は,インド・ルピーを通貨バスケットに加えてからも減じていない。ネパール国立銀行の調査によれば,当初はインド国境沿いの住民がインド・ルピーとネパール・ルピーの新レートを認めることを拒否したが,現在は新バスケット制をうけいれている,と答弁。
DIA-303-1986-07-09-1ネパール1986年07月09日1980年代『1985/86年度エコバック・サーベイ』発表,GDP成長率実績4.2%。
DIA-303-1986-07-10-1ネパール1986年07月10日1980年代1986/87年度予算案,国会に提出。
DIA-303-1986-07-10-2ネパール1986年07月10日1980年代ネパールとブルネイ,航空協定調印。
DIA-303-1986-07-13-1ネパール1986年07月13日1980年代マホッタリ郡イタハルワ村で地主が,賃上げ要求の農業労働者に発砲,死傷者が出る。村パンチャヤト議長,副議長を含む数名が逮捕される(RN,7/13)。
DIA-303-1986-07-15-1ネパール1986年07月15日1980年代(カトマンドゥ)ネ・印,冠水対策常任委員会第1回会議。17日に,今雨期に冠水被害にあった地区の合同調査を行なうことで合意し終了。
DIA-303-1986-07-16-1ネパール1986年07月16日1980年代バハドゥル財務担当国務相,国会で,外貨準備は新バスケット制移行以降増えており,7月11日に外貨準備23億1000万ルピー,インド・ルピーは8億2000万ルピーとなっていると説明。
DIA-303-1986-07-17-1ネパール1986年07月17日1980年代日本贈与のバス47台が新たにカトマンドゥ盆地で運行開始。
DIA-303-1986-07-20-1ネパール1986年07月20日1980年代スベディ国会議長,国会議員62名が先の肥料価格値上げについての疑義決議案を国会に提出した件で,もし国会が希望するなら,決議案は2~3日内に国会に正式提案され,討議されることになろうと答弁。7月24日にも議長による同趣旨の答弁があった。
DIA-303-1986-07-21-1ネパール1986年07月21日1980年代シン・インド大統領訪ネ,国王と会談。23日にウパディヤヤ外相はティワリ・インド工業相と会談。
DIA-303-1986-07-25-1ネパール1986年07月25日1980年代フィジー,『平和地帯』構想を支持。
DIA-303-1986-07-30-1ネパール1986年07月30日1980年代政府,肥料価格の5%引き下げを決定。
DIA-303-1986-07-30-2ネパール1986年07月30日1980年代ペルー,『平和地帯』構想を支持。
DIA-303-1986-07-31-1ネパール1986年07月31日1980年代ウパディヤヤ外相,訪中。
DIA-303-1986-07-31-2ネパール1986年07月31日1980年代(ニューデリー)インドのシヴ・シャンカル外相,インドとバングラデシュは乾期のガンジス河水配分について必要なデータの提供をネパールに依頼したと発表。
DIA-303-1986-08-01-1ネパール1986年08月01日1980年代(北京)ウパディヤヤ外相,中国外相と会談。ネ中はネパールとチベットの貿易およびその他の関連事項について合意,協定に調印。
DIA-303-1986-08-06-1ネパール1986年08月06日1980年代国会議員デヴコタ宅で政治集会,少なくとも国会議員11名が参加,政治犯釈放運動の実行などを決定。
DIA-303-1986-08-11-1ネパール1986年08月11日1980年代ウパディヤヤ外相,ダッカに。南アジア地域協力機構閣僚会議(12日~)に出席のため。
DIA-303-1986-08-11-2ネパール1986年08月11日1980年代プラダーン財務担当相は,国会での物価騰貴に関する討議で,政府は物価上昇率を1桁台に押さえる努力をしている,物価上昇の主因は財政赤字であると答弁。
DIA-303-1986-08-11-3ネパール1986年08月11日1980年代国会で,デヴコタ議員に物価上昇に関する動議の提出が認められる。
DIA-303-1986-08-12-1ネパール1986年08月12日1980年代政府,1986/87年度の工業原材料の輸入に「パス・ブック制度」を導入。各社は工業局もしくは農村家内工業局に前年度の原材料輸入の量と金額および本年度予定する輸入のための外貨額を申請する,輸入ライセンスは入札により決定し発行する。
DIA-303-1986-08-13-1ネパール1986年08月13日1980年代(ダッカ)ネ・バ外相会談。両国は,経済協力を実施していくことで合意。ネ・バ経済合同委員会が協力の内容を検討し決定する。
DIA-303-1986-08-17-1ネパール1986年08月17日1980年代ボツワナ,「平和地帯」提案を承認。
DIA-303-1986-08-17-2ネパール1986年08月17日1980年代ウパディヤヤ外相,国会で,英による英軍グルカ兵処分はネ英条約違反ではない,と答弁。この事件は5月に,香港駐留の英グルカ兵が演習地のハワイで騒ぎを起こし,111人が処分されたというもの。
DIA-303-1986-08-25-1ネパール1986年08月25日1980年代プラダーン財務担当国務相は,各国,国際機関の駐ネパール代表と会い,食糧事情を説明,食糧援助を求めた。
DIA-303-1986-08-26-1ネパール1986年08月26日1980年代国王,非同盟首脳会議出席のため出発。26日にセイシェルを訪問し,28日にジンバブエのハラレに着く。
DIA-303-1986-08-27-1ネパール1986年08月27日1980年代選挙管理委員会は,地方パンチャヤト選挙にそなえて有権者リストを8月31日より10月17日の間各地区役場に掲示すると発表。有権者はリストの訂正を求めることができる。
DIA-303-1986-08-29-1ネパール1986年08月29日1980年代政府は,バングラデシュ政府とインド政府に対して,印バ合同河川専門家委員会に協力するために同委員会の印バ代表と,双方の都合良い時に会う用意があるとの趣旨の文書を送った(外務省発表)。
DIA-303-1986-08-31-1ネパール1986年08月31日1980年代首根,国会で,モンスーンの到来が遅れたためタライの殆どの地域が被害にあい,タライの籾生産は昨年より28%減と予想される,と発表。
DIA-303-1986-09-01-1ネパール1986年09月01日1980年代(カトマンドゥ)第6回ネパール・バングラデシュ合同経済委員会(~3日)。3日に,両国はより実質的な経済協力に向けて具体的な措置をとるなどで合意し,両国が互いに輸出する品目を特定して終了。
DIA-303-1986-09-04-1ネパール1986年09月04日1980年代(ハラレ,ジンバプエ)非同盟諸国首脳会議で国王演説。
DIA-303-1986-09-06-1ネパール1986年09月06日1980年代前国会議員で週刊誌『サプタヒク・ピマルシャ』の客員論説員パドマ・タクラティ,国会議事堂内の部屋で射たれて重傷。警察は犯人2名を収監。10日に国会にこの事件に関連して治安維持措置の強化を求める動議が出される。
DIA-303-1986-09-07-1ネパール1986年09月07日1980年代西独経済協力相,訪ネ(~9日)。8日に,西独から肥料購入用グラント2000万マルク供与調印。
DIA-303-1986-09-09-1ネパール1986年09月09日1980年代国王,ルサカからナイロビに。ケニア訪問(~10日)。
DIA-303-1986-09-10-1ネパール1986年09月10日1980年代国王,ザンビア訪問。ザンビア,ネパールと外交関係を樹立。ネパールの「平和地帯」案を支持。
DIA-303-1986-09-11-1ネパール1986年09月11日1980年代国王,オマーン訪問,13日に帰国。
DIA-303-1986-09-19-1ネパール1986年09月19日1980年代プラダーン財務担当相,国会で経済実績発表。ルピー切下げ後9ヵ月で物価上昇率は13.3%に達した,インド・ルピーを通貨バスケットに加えたことにより資本逃避と対印貿易への影響が懸念されたが,これは杷憂であった,などと発言。
DIA-303-1986-09-19-2ネパール1986年09月19日1980年代チャウダリ供給相,国会で,モンスーンの遅れにより食糧40~50万トンの不足が懸念されたが,8月末から9月にかけての降雨で生産減は例年の15~20%どまりとみられ,したがって不足量は14.2万トンに縮小した,と発表。
DIA-303-1986-09-19-3ネパール1986年09月19日1980年代インドは,10月1日以降,ネパールで登録されている乗用車・商業車所有者に対して,車をインドに入国させる際に銀行保証書を用意することを求める,と発表(インド大使館発表)。
DIA-303-1986-09-23-1ネパール1986年09月23日1980年代国会は,インドのグルカランド問題(1986年のインドの項参照)についてのガンディー首相発言「インド・ダージリンのネパール人はインド国民ではない」で紛糾,政府の態度表明を求める声が上がる。
DIA-303-1986-09-27-1ネパール1986年09月27日1980年代福田元日本首相を代表とする日本国会議員友好ミッション,訪ネ(~10月1日)。
DIA-303-1986-09-29-1ネパール1986年09月29日1980年代モザンビクと外交関係樹立。
DIA-303-1986-09-29-2ネパール1986年09月29日1980年代(カトマンドウ)南アジア地域協力機構の抗薬品性マラリヤ問題セミナー開かれる。
DIA-303-1986-09-30-1ネパール1986年09月30日1980年代対米縫製品輸出のクォータ(1987年から5年間),ネ米間で合意。
DIA-303-1986-10-04-1ネパール1986年10月04日1980年代N・B・スワンル,N・D・バッタ,H・グルンら国会議員を含む16名が共同声明を発表し,行政掌握グループを批判し,警察と行政による過剰介入を批判。
DIA-303-1986-10-05-1ネパール1986年10月05日1980年代ニカラグアと外交関係を樹立。
DIA-303-1986-10-06-1ネパール1986年10月06日1980年代対第三国輸出製造業製品への消費税コンセション(1984年1月2日発表)を1987年7月15日まで延長(『官報』10/6)。
DIA-303-1986-10-06-2ネパール1986年10月06日1980年代(カトマンドウ)南アジア地域協力機構の運輸専門委員会開かれる(~8日)。
DIA-303-1986-10-08-1ネパール1986年10月08日1980年代籾の支持価格決定。タライ各郡の生産者保護を念頭に,粗籾をキンタール当り240ルピー,マンスーリー種を同250ルピーと設定。
DIA-303-1986-10-08-2ネパール1986年10月08日1980年代所得税法(第6次改正)施行(『官報』10/8)。
DIA-303-1986-10-09-1ネパール1986年10月09日1980年代日本,総額38億5500万円(5億3970万ルピーのグラント供与。農村通信網改善第2期工事,カトマンドゥ盆地送電線補強工事,食糧備蓄費などに。
DIA-303-1986-10-11-1ネパール1986年10月11日1980年代中国国家化学建設公社とネパール・ゴルカリ・ラバー社は,自動車タイヤ・チューブ生産工場建設契約に調印。工場はゴルヵ郡に設立する。
DIA-303-1986-10-13-1ネパール1986年10月13日1980年代セイシェルと外交関係を樹立。
DIA-303-1986-10-16-1ネパール1986年10月16日1980年代国王,西独訪問に出発。途中,マスカット,カイロ,アレキサンドリア,ザルツブルグに寄る。20日に西独に。西独滞在は20日から26日。
DIA-303-1986-10-18-1ネパール1986年10月18日1980年代電話基本料金と通話料金,国内トランク通話料金値上げ。
DIA-303-1986-10-20-1ネパール1986年10月20日1980年代商業省は,1983年12月5日から1985年11月29日の期間の対第三国輸出について,商銀を通した開発債もしくは現金で輸出補助金を支払う(『官報』10/20)。
DIA-303-1986-10-20-2ネパール1986年10月20日1980年代西独と投資促進協定に調印。
DIA-303-1986-10-27-1ネパール1986年10月27日1980年代国王,ドゥバイに。29日に帰国。
DIA-303-1986-10-28-1ネパール1986年10月28日1980年代世界食糧プログラム,米5000トンを1986年緊急援助として供与。輸送コスト,貯蔵・配給コストも半額を負担する。
DIA-303-1986-10-29-1ネパール1986年10月29日1980年代インド・バングラデシュ合同河川専門家委員会代表,訪ネ(~31日)。31日に,同委員会とネパールとの共同声明発表,内容は,「委員会訪ネの目的は,ガンガ河水配分問題の結論を出すためのデータと情報の提供をネパールに要請するためであった。ネパールは,委員会から渡された必要項目リストを検討し,委員会の要請に前向きに応じて協力することを約束した」というもの。
DIA-303-1986-10-29-2ネパール1986年10月29日1980年代パンチャヤト政治調査委員会は,パンチャヤト制25周年を記念して,パンチャヤト研究センターと中央パンチャヤト訓練センターの設立を決定。
DIA-303-1986-11-04-1ネパール1986年11月04日1980年代ネパール共産党のアマティヤ派とヴァルマ派は,合併を決定との共同声明を発表。
DIA-303-1986-11-04-2ネパール1986年11月04日1980年代中国チベット自治区友好代表団,訪ネ(~13日)。6日にチャウダリ供給相と会談。11日に,1983年に調印したネパール・チベット協定をさらに2年間延長する合意書に調印,チベットのシガチェにシンドゥパルチョク郡とドラカ郡からの家畜放牧を認めるもの。
DIA-303-1986-11-07-1ネパール1986年11月07日1980年代ネパールの第三国からの輸入品に対するインド保険社による保険料率,10月27日より引下げられて0.15%となる(RN,11/7)。前回の引下げは1985年4月1日で,この時に一律0.25%となった。
DIA-303-1986-11-07-2ネパール1986年11月07日1980年代クレカニ第2発電所,送電を開始。当初1万6000kWで3週間内に3万2000kWに引上げる。
DIA-303-1986-11-10-1ネパール1986年11月10日1980年代ディセントラリゼーション法(第1次改正)施行。郡パンチャヤト,郡議会の役割を改正。
DIA-303-1986-11-13-1ネパール1986年11月13日1980年代T・P・アチャリヤ,G・M・シン,D・R・レグミら共同声明を発表し,政治の現状,経済の欠陥,政府の弾圧的政策を非難。
DIA-303-1986-11-13-2ネパール1986年11月13日1980年代西独,1986,87年に8億ルピーのグラント供与,議事録に調印。
DIA-303-1986-11-14-1ネパール1986年11月14日1980年代ネパーリー・コングレスは,大衆運動組織化のために党リーダーによる全国遊説を開始。
DIA-303-1986-11-15-1ネパール1986年11月15日1980年代計画委は,1985年末の国王指示「2000年までに国民の生活をアジア的水準に引き上げる」を実行するための基本案を承認。
DIA-303-1986-11-15-2ネパール1986年11月15日1980年代国王,南アジア地域協力機携首脳会議出席のため,インド・バンガロールに。16日に国王演説。
DIA-303-1986-11-16-1ネパール1986年11月16日1980年代内務省は,全国の村・町パンチャヤトに担当者を派遣し,国民証を発行する作業を開始。作業は3ヵ月間の予定。国民証発行作業終了後,関連問題に取り組む予定。
DIA-303-1986-11-19-1ネパール1986年11月19日1980年代商業省は,各商社,企業に,輸入ライセンスの申請手続きをとるよう通告し,輸入品各品目についてのプレミアム・レートを発表。
DIA-303-1986-11-20-1ネパール1986年11月20日1980年代英,第3期コシ丘陵地農村開発計画に対して向う3年間に2億8200万ルピーのグラントを供与。
DIA-303-1986-11-20-2ネパール1986年11月20日1980年代極西部のマヘンドラナガル・ディパヤル間(167km)に初の路線バス開業(RN,11/20)。
DIA-303-1986-11-27-1ネパール1986年11月27日1980年代(カトマンドゥ)第15回世界仏教徒会議開催(~12月1日)。中国を含む27ヵ国から代表約300人が参加。ダライ・ラマは招かれず。
DIA-303-1986-12-02-1ネパール1986年12月02日1980年代パンチャヤト政治調査委員会の布告,地方パンチャヤト,同役員の役割,権限などを明確化。
DIA-303-1986-12-03-1ネパール1986年12月03日1980年代世銀,ラスワ・ヌワコット総合農村開発プロジェクト第2期に1910万ドル(4億ルピー)供与。
DIA-303-1986-12-09-1ネパール1986年12月09日1980年代ネパーリー・コングレスは,ナラヤニ県会議(7日~)で,組織強化のための運動を進め,国会議員で民主主義志向の人々と共に活動していくとの意見表明。
DIA-303-1986-12-09-2ネパール1986年12月09日1980年代プラダーン商業担当相,訪印(~13日)。ネ印経済会議のため。ベンガル・ラオ工業相と協議。
DIA-303-1986-12-11-1ネパール1986年12月11日1980年代(ニューデリー)ネ印会議(~12日)。プラダーン商業担当相,インドのラオ工業相,ティワリ外相,シン蔵相,シャンカル商業相と会談。
DIA-303-1986-12-11-2ネパール1986年12月11日1980年代ネ印会談でインドは,ネパールに,インド国境近くでのネパールの開発プロジェクトに中国が参加することに対するインドの懸念を伝えた(Times of Indis,12/12)。
DIA-303-1986-12-12-1ネパール1986年12月12日1980年代(ニューデリー)ネ印会議終る。二重課税防止協定に調印。ネ印合同委員会の設立を検討し計画する,インドはネパールへのスタンドバイ・クレジット額を1億5000万ルピーから2億5000万ルピーに引上げる,返済期間を3カ月から6ヵ月に延ばす,インドはネパールからジュートを無制限に輸入する,インドはネパールからの優先輸入品の品目を拡大する方向で検討する,などで合意。
DIA-303-1986-12-15-1ネパール1986年12月15日1980年代政府は,ネパール国民が享受する食料,衣料,住宅,教育,衛生,安全を2000年までにアジア的水準に引き上げるためのプログラムの大枠を発表(「参考資料」参照)(RN,12/16)。
DIA-303-1986-12-15-2ネパール1986年12月15日1980年代供給省発表によれば,タライで旱魃被害はあったが食糧事情は満足のいく状態であり,ネパール食糧公社の食糧ストックは2万5000トンである。
DIA-303-1986-12-16-1ネパール1986年12月16日1980年代マヘンドラ憲法記念日の国王演説,「2000年までにネパール人の生活をアジア的水準に」と訴える。
DIA-303-1986-12-19-1ネパール1986年12月19日1980年代セイシェル,「平和地帯」提案を支持。
DIA-303-1986-12-19-2ネパール1986年12月19日1980年代政府と川崎重工業社は,マヘンドラ・ハイウェイのコハルプル-マハカリ間のカルナリ河架橋で契約,総工費は2億5500万ルピーで世銀とネパール政府が負担,工事予定期間は42ヵ月。
DIA-303-1986-12-19-3ネパール1986年12月19日1980年代イギリス,プリトビ・ハイウェイのマレク-ムグルン間の道路補強と道幅拡大のため770万ポンド(2億4150万ルピー)のグラント供与,調印。
DIA-303-1986-12-24-1ネパール1986年12月24日1980年代国会議員ナル・バハドゥル・グルン(タナフ郡出身)辞任。金密輸に関係したとの疑惑が出ていた。
DIA-303-1986-12-29-1ネパール1986年12月29日1980年代国王誕生日を記念して,12月16日付で政府全職員,小中高校教員の給与を一律100ルピー引上げる。
DIA-303-1986-12-29-2ネパール1986年12月29日1980年代国王誕生日を祝して,囚人202人釈放(RN,12/29)。
DIA-303-1987-01-01-1ネパール1987年01月01日1980年代アジア開発銀行融資によるマルスヤンディ水力発電所プロジェクトの送電敷設工事をカトマンドゥのバラジュを起点として開始。
DIA-303-1987-01-03-1ネパール1987年01月03日1980年代ネパール=チベット間の通商問題の検討のため,ネパール・ヒマラヤ通商協会の招きで中国チベット自治区使節19名訪ネ。
DIA-303-1987-01-08-1ネパール1987年01月08日1980年代農業マーケットサービス局,夏季主要農作物の収穫減少を発表。籾の1985/86年の280万トンから,1986/87年(推定)230万トンへ(16.2%減)。メイズは81万7000トンから80万5000トンへ(1.4%減)。アワは13万8000トンから13万8500トンとわずかながら増収(0.4%増)。
DIA-303-1987-01-12-1ネパール1987年01月12日1980年代駐ネ・韓国公使,外務大臣を訪問し,食糧援助としてネパール政府に,87万6000ルピー小切手を手渡す。
DIA-303-1987-01-14-1ネパール1987年01月14日1980年代国王,ネパール憲法57条に従い地方パンチャヤト修正法案公布。内容は,(1)議員の任期,(2)上位パンチャヤト立候補の際の辞任,(3)選挙管理委員会の権限などについてである。
DIA-303-1987-01-14-2ネパール1987年01月14日1980年代ニュージーランド政府はネパールの食糧不足に対し5万米ドル援助を政府に行なう。
DIA-303-1987-01-14-3ネパール1987年01月14日1980年代政府は次期選挙に備え,職能階層組織各6団体ごとに監督のための特別中央委員会を設置。
DIA-303-1987-01-16-1ネパール1987年01月16日1980年代(ダッカ)昨年9月の第6回バングラデシュ=ネパール合同経済委員会の決定にもとづきバングラデシュ第二のチャルナ港のネパール物資輸出入港としての使用可能性をさぐる共同調査が実施されることになる。
DIA-303-1987-01-16-2ネパール1987年01月16日1980年代パンチャヤト政策評価委員会は開発地域別に代表を送り,各地の政治状況を調査し,国家開発事業が円滑に進められるよう地域とパンチャヤト職員の関係強化を進めるよう命ずる。
DIA-303-1987-01-18-1ネパール1987年01月18日1980年代ネパールとインド両政府は二重課税回避と脱税防止協定に調印。
DIA-303-1987-01-20-1ネパール1987年01月20日1980年代サウジ開発基金使節団はバグマト灌漑プロジェクトに対し,3000万サウジリアル(1億8300万ルピア)の借款援助に調印。
DIA-303-1987-01-21-1ネパール1987年01月21日1980年代財務・工業大臣B・B・プラダンは友好国代表,国際機関代表と会見し,異常気象による農作物の減収を報告し,援助を要請。
DIA-303-1987-01-28-1ネパール1987年01月28日1980年代政府は1万5600トンの食糧援助受入を発表。内訳は,EEC5000トン,世界食糧機構5500トン,スイス4000トン,ビルマ500トン,パキスタン600トンおよび10万米ドルである。
DIA-303-1987-02-03-1ネパール1987年02月03日1980年代国家パンチャヤト議員からなる11の森林地区改良委員会発足。目的は事業の実施を円滑に推進するための諸問題の解決にある。
DIA-303-1987-02-05-1ネパール1987年02月05日1980年代政府は諸外国からの2万5900トンの食糧援助の追加を発表。内訳は:EEC1万トン,日本5000トン,フランス3000トン,西ドイツ2400トン,イタリア5500トン。
DIA-303-1987-02-10-1ネパール1987年02月10日1980年代ネパール貿易促進センターとEEC共催の一般特恵制度に関するセミナーの席上,1985年の対EEC輸出が3600万ECUであったことが明らかにされた。またEECは1980~86年の間にネパールの貿易促進のために75万7000ECUを支出し,EEC諸国へのネパール通商使節団の派遣,駐在員業務の助成を行なっていることが報告された。
DIA-303-1987-02-11-1ネパール1987年02月11日1980年代アメリカ政府は森林プロジェクト実施のため,228万ドルの無償援助供与に調印。
DIA-303-1987-02-12-1ネパール1987年02月12日1980年代日本人専門家によるテレビ網設置のための基礎調査が開始される。
DIA-303-1987-02-12-2ネパール1987年02月12日1980年代政府は小学校教員組合と中学校教員組合の設立を承認。
DIA-303-1987-02-13-1ネパール1987年02月13日1980年代政府は間接税の増税を発表。輸入関税についてはセメント,アクリル繊維,自動車燃料,売上税についてはセメント,鉄骨材,鉄ワイヤー,消費税については高級酒,ビール,タバコなど。
DIA-303-1987-02-16-1ネパール1987年02月16日1980年代タクシー料金10%値上げ実施。
DIA-303-1987-02-18-1ネパール1987年02月18日1980年代アジア開発銀行は道路改修と養漁開発プロジェクトに対し4100万ドルの借款に調印。
DIA-303-1987-02-18-2ネパール1987年02月18日1980年代ユーゴスラビア政府の無償援助640万ルピーを含む総工費1080万ルピーの水力発電所がドライ地区シルガディに完成。
DIA-303-1987-02-20-1ネパール1987年02月20日1980年代ザイール政府は「平和地帯構想」の支持を発表。
DIA-303-1987-02-22-1ネパール1987年02月22日1980年代政府は国王提示の極西部開発指針に基づき小農家育成計画,農村婦人向け生産借款計画,銀行業務推進計画,コハルプールとアタリヤ間マヘンドラ・ハイウェーの建設,カルナリ河架橋計画を決定。
DIA-303-1987-02-22-2ネパール1987年02月22日1980年代選挙管理委員会はタナフ地区国家パンチャヤト議員補欠選挙が5月12日に実施されることを発表。
DIA-303-1987-02-23-1ネパール1987年02月23日1980年代日本政府は23億3000万円(3億3552万ルピー)無償援助に調印。食糧増産と負債軽減のために用いられる。
DIA-303-1987-02-24-1ネパール1987年02月24日1980年代国連平和維持軍としてレバノンに派遣されていたネパール王国陸軍部隊帰国。
DIA-303-1987-03-01-1ネパール1987年03月01日1980年代国王夫妻,極西部地域の非公式旅行から帰省。
DIA-303-1987-03-02-1ネパール1987年03月02日1980年代地方パンチャヤト選挙は5月21日~5月24日実施が発表される。全国4015村落パンチャヤトと新たに四つの町パンチャヤト創設を含む33の町パンチャヤトについて実施される。
DIA-303-1987-03-05-1ネパール1987年03月05日1980年代西ドイツ政府は小企業育成事業に88万7000マルク,バクタプール市の窯業育成事業に49万3000マルクの無償援助に調印。
DIA-303-1987-03-06-1ネパール1987年03月06日1980年代原綿価格8.5ルピー(キログラム当り)に値上げ。
DIA-303-1987-03-06-2ネパール1987年03月06日1980年代コロンボ経由カトマンドゥ,モルジブ間航空路開設決定。10月より週1便運行予定。
DIA-303-1987-03-09-1ネパール1987年03月09日1980年代日本の援助による園芸研修センター完成。総工費1億2095ルピー。
DIA-303-1987-03-11-1ネパール1987年03月11日1980年代浩宮殿下ネパール訪問。
DIA-303-1987-03-12-1ネパール1987年03月12日1980年代1986年における観光客は22万3000人で対前年比23.4%増。日本観光客は1万2133人で16.1%増。
DIA-303-1987-03-15-1ネパール1987年03月15日1980年代デンマーク「平和地帯構想」支持を発表。82番目の支持国となる。
DIA-303-1987-03-16-1ネパール1987年03月16日1980年代選挙管理委員会は職能階層組織の選挙日程を村落パンチャヤト選挙後の5月26~28日と発表。
DIA-303-1987-03-16-2ネパール1987年03月16日1980年代ルーマニア大統領夫妻,国王夫妻の招待で訪ネ,「平和地帯構想」を支持。
DIA-303-1987-03-17-1ネパール1987年03月17日1980年代ネパール=ルーマニア間の貿易促進と多様化に関する協定に調印。貿易総額は年間300万ドルに達する見込み。
DIA-303-1987-03-17-2ネパール1987年03月17日1980年代OPEC国際開発基金は道路改良事業のために400万ドルの借款に調印。
DIA-303-1987-03-19-1ネパール1987年03月19日1980年代オーストラリア政府は水力発電所と送電線建設のために2590万ルピーの無償援助に調印。
DIA-303-1987-03-19-2ネパール1987年03月19日1980年代西ドイツとの間の航空路開設のための政府間会議が開催され協定案作成される。
DIA-303-1987-03-19-3ネパール1987年03月19日1980年代(コペンハーゲン)プラダン財務・工業大臣はデンマーク工業大臣と両国の経済協力について会談。
DIA-303-1987-03-22-1ネパール1987年03月22日1980年代(ストックホルム)財務・工業大臣はスウェーデン大蔵大臣と二国間協力について会談。
DIA-303-1987-03-23-1ネパール1987年03月23日1980年代ポカラとバングルング間自動車道路建設に係わる文書に中国政府調印。
DIA-303-1987-03-23-2ネパール1987年03月23日1980年代(ハーグ)オランダ政府は灌漑整備のために,3750万ルピーの無償援助に調印。
DIA-303-1987-03-26-1ネパール1987年03月26日1980年代中国ジャーナリスト協会使節団訪ネ。
DIA-303-1987-03-26-2ネパール1987年03月26日1980年代パルサ地区村落パンチャヤトにて17歳の青年が警察の発砲で死亡。対立グループ間の衝突が発生し,数人が投票所へおし入り,投票箱を壊すなどの事件があったためである。
DIA-303-1987-04-02-1ネパール1987年04月02日1980年代政府はネパールで働く外国人労働者に対し労働許可証の取得義務を決定。
DIA-303-1987-04-03-1ネパール1987年04月03日1980年代西ドイツ,ハイデルベルク大学の南アジア研究所カトマンドゥ事務所を開設。
DIA-303-1987-04-07-1ネパール1987年04月07日1980年代ILOはブトワルの職業紹介所増改築費として520万ルピーを供与。
DIA-303-1987-04-08-1ネパール1987年04月08日1980年代アジア開発銀行はネパール農業開発銀行の第5次農業金融事業に対し2400万ドルの借款を決定。なお第1次は240万ドル,2次は300万ドル,3次600万ドル,4次1500万ドルであった。
DIA-303-1987-04-09-1ネパール1987年04月09日1980年代駐ネパール・ソ連大使館経済顧問O・M・オパーリン氏はネパール=ソ連間の経済・技術協力の拡大を強調。
DIA-303-1987-04-10-1ネパール1987年04月10日1980年代中米のベリーズは「平和地帯構想」を支持。84番目の支持国となる。
DIA-303-1987-04-11-1ネパール1987年04月11日1980年代非合法ネパーリー・コングレス所属のカトマンドゥ・町パンチャヤト議員,2名が,それぞれ議長,副議長に選出される。
DIA-303-1987-04-17-1ネパール1987年04月17日1980年代(ワシントン)世界銀行国際開発協会はネパールへのSDR4090万ドルに調印。
DIA-303-1987-04-17-2ネパール1987年04月17日1980年代日本政府は結核予防プロジェクトへのグラントと同様に技術協力協定にも調印。
DIA-303-1987-04-21-1ネパール1987年04月21日1980年代日本・中国合同工事による69メガワットのマルサングディ水力発電所の建設起工式が行なわれる。
DIA-303-1987-04-22-1ネパール1987年04月22日1980年代国家パンチャヤト議長の招きでモンゴル使節団訪ネ。
DIA-303-1987-04-23-1ネパール1987年04月23日1980年代農業大臣は輸入ミルクの放射能汚染についてのうわさを打ち消すため記者会見。
DIA-303-1987-04-24-1ネパール1987年04月24日1980年代米国との修好40周年記念に際し,国王はレーガン大統領にメッセージを送る。
DIA-303-1987-04-24-2ネパール1987年04月24日1980年代政府はモルジブ政府に対し,高波被害救援として5万ドルを供与。
DIA-303-1987-04-24-3ネパール1987年04月24日1980年代南アジア地域協力連合輸送問題委員会がカトマンドゥで開催され,南アジアにおける輸送計画,管理研究所の設置が勧告された。
DIA-303-1987-04-25-1ネパール1987年04月25日1980年代(パリ)ネパール援助国グループ会議は5億7000万ドル相当の無償援助と低利融資を約束。
DIA-303-1987-04-28-1ネパール1987年04月28日1980年代放射能汚染ミルク取締りで,107トンの粉ミルクがカトマンドゥとビルガンジの税関に差し押さえられた。
DIA-303-1987-04-28-2ネパール1987年04月28日1980年代外務省はベネズエラと大使館レベルの外交関係樹立を発表。
DIA-303-1987-04-30-1ネパール1987年04月30日1980年代政府は国王の指示により紀元2000年までにネパールがアジア諸国平均水準の国民生活,防衛力を確立するためのプログラム発表。
DIA-303-1987-05-04-1ネパール1987年05月04日1980年代ジンバブエ「平和地帯構想」支持。85番目の支持国。
DIA-303-1987-05-06-1ネパール1987年05月06日1980年代選挙管理委員会は郡パンチャヤト選挙が64地区については5月8日に,他の11地区は5月17~29日に行なわれる予定と発表。
DIA-303-1987-05-07-1ネパール1987年05月07日1980年代コロンビア政府と大使交換レベルの外交関係樹立。
DIA-303-1987-05-09-1ネパール1987年05月09日1980年代カルナリダム建設プロジェクトは財政上のメドが立つならば,5年以内に着工される見込み。工期は12年間で2005年完成予定。総工費40億ドル。完成すれば3600メガワットの電力供給と,ネパールに35万ha,インドに14万6000haの灌漑が可能となる。
DIA-303-1987-05-11-1ネパール1987年05月11日1980年代1985/86年の貿易輸出額は30億8000万ルピー,輸入は93億4000万ルピーであったと発表される。
DIA-303-1987-05-11-2ネパール1987年05月11日1980年代4月27日にネパール科学技術庁に設置された科学者会議はミルク・食品の放射能の許容量は300ベクレルと発表し,報告書をシュレスタ首相に提出。また放射能測定のための装置と人材の確保を要請した。
DIA-303-1987-05-15-1ネパール1987年05月15日1980年代ネパール金属株式会社は良質の鉛と亜鉛の鉱床がガネシュ・ヒマラヤ地域で発見されたと報告。同社はソムダングに1万8667トンの鉛精選工場と2600トンの亜鉛精選工場の建設を計画。
DIA-303-1987-05-15-2ネパール1987年05月15日1980年代中国の援助によるスナワルのルンビニ製糖工場建設起工式が行なわれる。年間生産能力1万トン。
DIA-303-1987-05-18-1ネパール1987年05月18日1980年代第3回ネパール・中国通商委員会に出席のため,B・B・プラダン財務・工業大臣以下,37名の使節団,北京に向かう。
DIA-303-1987-05-18-2ネパール1987年05月18日1980年代ライ副議長を団長とする国家パンチャヤト使節団,朝鮮民主主義人民共和国の招待でカトマンドゥを出発。
DIA-303-1987-05-21-1ネパール1987年05月21日1980年代ボリビア政府と外交関係樹立。
DIA-303-1987-05-24-1ネパール1987年05月24日1980年代全国75郡の内66郡で郡パンチャヤト選挙実施。ヒマラヤ地域8カ所の郡では5月25~29日の間に,ヒュムラでは6月5日に実施予定。
DIA-303-1987-05-24-2ネパール1987年05月24日1980年代階層別組織の郡レベル選挙が全国各所で実施される。
DIA-303-1987-05-25-1ネパール1987年05月25日1980年代政府はレーガン大統領の依頼により,4頭の子供のサイをアメリカ国民に贈る。
DIA-303-1987-05-25-2ネパール1987年05月25日1980年代自然保護団体,マヘンドラ・トラストとルンビル開発トラストの議長ギャネンドラ殿下は両トラストへの支援を求め,アメリカに出発。
DIA-303-1987-05-26-1ネパール1987年05月26日1980年代イタリアからの1万トンの食糧から,1kg当り370ベクレルの放射能が検出されたとネパール科学技術庁発表。
DIA-303-1987-05-27-1ネパール1987年05月27日1980年代インドの内務大臣を団長とする8人の使節団,国家パンチャヤトの招待で訪ネ。
DIA-303-1987-06-03-1ネパール1987年06月03日1980年代西ドイツ政府は住民の努力による都市開発プロジェクトのため当初2年間270万マルクの援助を発表。
DIA-303-1987-06-05-1ネパール1987年06月05日1980年代国際開発協会は灌漑修復プロジェクトのために3120万SDRを50年間の特別貸付とすることを約束。
DIA-303-1987-06-13-1ネパール1987年06月13日1980年代アメリカ児童救済連盟はゴルカ郡5村落パンチャヤトにおける農村開発プログラムの実施状況について報告。プログラムは主に教育,保健,家族計画,水源整備,人材育成,農業小企業開発,自然保護等である。
DIA-303-1987-06-13-2ネパール1987年06月13日1980年代オランダのヒマラヤ眼科治療財団はポカラに500万ルピーの眼科病院建設のための機器,人材派遣などの援助を発表。
DIA-303-1987-06-14-1ネパール1987年06月14日1980年代マヘンドラ・ハイウェーの北バナガンガ=ボルラバス地域に無断居住していた約250家族はカピラワスト郡クリフリヤ村落パンチャヤトに強制移動させられた。
DIA-303-1987-06-16-1ネパール1987年06月16日1980年代ネパール電気通信公社は全国23都市で,3万4880本の容量のある26台の電話交換機が作動していると報告。これは500人に1台の電話普及を意味する。また公社は全国86カ所で無線中継所を持っており,その内の44カ所が太陽エネルギーにより作動していると報告。
DIA-303-1987-06-19-1ネパール1987年06月19日1980年代第38回国家パンチャヤト会議開会。国王施政方針演説。
DIA-303-1987-06-21-1ネパール1987年06月21日1980年代労働局は4月14日以後ネパール人には身分証明書,非ネパール人には労働証可証を発行すると発表。
DIA-303-1987-06-22-1ネパール1987年06月22日1980年代S・K・ウパディヤヤ外務大臣は国家パンチャヤト会議の席上,6月20日インドと合同委員会を設置する同意書に調印したと発表。委員会の目的は,両国間で経済・通商・輸送・産業・水資源等について相互の理解と協力を増進させることであると説明。
DIA-303-1987-06-23-1ネパール1987年06月23日1980年代橋本運輸大臣,R・N・パンデイ観光・労働・福祉大臣の招待により訪ネ。
DIA-303-1987-06-23-2ネパール1987年06月23日1980年代日本との間の航空路線問題について話し合いがもたれ,日本側から専門家チームが送られることが発表された。またカトマンドゥとポカラの空港施設改善のため1988年3月調査団が派遣されることとなった。
DIA-303-1987-06-24-1ネパール1987年06月24日1980年代K・B・ビスタ教育文化大臣は国家パンチャヤト会議の席上,6月25~27日カトマンドゥで開催が予定されているネパール全国教師協会は違法団体であると発表。これは先に設立されたネパール全国小学校教員組合と同中学校教員組合が国家指導法の下に設立され,類似した組織の設立を禁じているためである。
DIA-303-1987-06-26-1ネパール1987年06月26日1980年代(カトマンドゥ)インドと通信用INSAT人工衛星の設置覚書き文書交換。
DIA-303-1987-07-01-1ネパール1987年07月01日1980年代D・B・ラマ前警察庁長官逮捕される。罪状は在職中における21名の実業家からの840万ルピーのゆすり,警察福祉基金1920万ルピーの使い込み,密輸幇助など(The Deshantar Weekly,7/5)。
DIA-303-1987-07-01-2ネパール1987年07月01日1980年代農業開発銀行は1985/86年の投資額,6億6000万ルピーと発表。
DIA-303-1987-07-03-1ネパール1987年07月03日1980年代G・P・シン保健大臣は,6月29日のヌワコット郡の豪雨のため地滑りと洪水が発生し,24名が死亡し,広大な田畑に被害がもたらされたと発表。
DIA-303-1987-07-05-1ネパール1987年07月05日1980年代ダヌシャ郡における3年間の製材・薪炭プロジェクトに対しEEC,1386万ルピー無償援助に調印。
DIA-303-1987-07-09-1ネパール1987年07月09日1980年代B・B・プラダン財務・工業大臣は1987~88年度中の国家開発予算は102億2600万ルピーでその内66億200万ルピー(64.5%)は外国からのグラントと借款でまかなう予定であることを発表。
DIA-303-1987-07-13-1ネパール1987年07月13日1980年代米国政府は向う8年間ラプティ県開発プロジェクトに対し,1880万ドルの無償援助追加に調印。米国は1980年以来,このプロジェクトを援助している。
DIA-303-1987-07-14-1ネパール1987年07月14日1980年代日本政府はサカルマタ県ウダイプル郡に建設されるセメント工場に対し24億6000万ルピーの借款に調印。
DIA-303-1987-07-14-2ネパール1987年07月14日1980年代ネパール通信公社はカルカッタおよびデリーとカトマンドゥ間の国際ダイヤル通話業務を発足させる。
DIA-303-1987-07-16-1ネパール1987年07月16日1980年代シンガポール航空は週2便,ダッカ,カルカッタ経由カトマンドゥ便の運行を開始。
DIA-303-1987-07-17-1ネパール1987年07月17日1980年代1987年度予算案,国王の同意を得る。
DIA-303-1987-07-20-1ネパール1987年07月20日1980年代H・コール西ドイツ首相夫妻カトマンドゥ来訪。
DIA-303-1987-07-20-2ネパール1987年07月20日1980年代西ドイツ政府は2500万マルクの無償援助に調印。内訳は水力発電に1930万マルク,私企業融資500万マルク,ヒマール・セメント工場の再建のために70万マルク。
DIA-303-1987-07-20-3ネパール1987年07月20日1980年代コール西ドイツ首相,国家パンチャヤト会議で演説。ネパールの「平和地帯構想」を評価し,1988~89年度国連安全保障理事会議席へのネパールの立候補を支持。
DIA-303-1987-07-21-1ネパール1987年07月21日1980年代H・クライン西ドイツ経済協力大臣はマルスヤングディ水力発電プロジェクトを視察し,1860万マルクの援助を約束。
DIA-303-1987-07-29-1ネパール1987年07月29日1980年代アジア開発銀行とOPECの借款によるミャグディ郡タトパニ小規模水力プロジェクト建設開始。
DIA-303-1987-07-29-2ネパール1987年07月29日1980年代ネパール成人階層組織のバンケ郡支部議長A・P・シュレスタは7月16日反逆罪により逮捕されたが,1万762ルピーの保釈金を支払い釈放された。
DIA-303-1987-08-06-1ネパール1987年08月06日1980年代日本政府はトリブバン大学地質学部に研究所設置のため,2900万ルピーの無償援助に調印。
DIA-303-1987-08-13-1ネパール1987年08月13日1980年代B・B・プラダン財務・工業大臣は,中部・東ネパールで発生した洪水と地滑りによる被害状況を援助国・国際機関代表に説明。席上同大臣は初期の報告よりも被害は一段と大きいものであったと述べた。
DIA-303-1987-08-13-2ネパール1987年08月13日1980年代オランダ開発機構は,養蜂の研修とプロジェクト拡大のため1180万ルピーの無償援助に調印。
DIA-303-1987-08-23-1ネパール1987年08月23日1980年代H・ラジォリヤ農業大臣は国家パンチャヤト会議で,農業開発銀行は洪水に見舞われた地域における農業ローンの返済を2年間据置くと述べる。
DIA-303-1987-08-23-2ネパール1987年08月23日1980年代1986~87年度のジャナカブルたばこ工場は,総売上8億4290万ルピー,純利益5000万ルピーであったと発表。
DIA-303-1987-08-23-3ネパール1987年08月23日1980年代日本,2億2786万円の無償援助に調印。
DIA-303-1987-08-23-4ネパール1987年08月23日1980年代英国大使,洪水災害救助としてネパール赤十字への5万ルピーをP・B・シン内務大臣に手わたす。
DIA-303-1987-08-26-1ネパール1987年08月26日1980年代国王は,中部から東ネパール各地で発生した,地滑り,洪水による被災害の状況を最大の配慮をもって調査するように命じた。
DIA-303-1987-08-27-1ネパール1987年08月27日1980年代観光・労働・社会福祉大臣は,新観光開発計画を発表し,西暦2000年までに年間100万人の外国人観光客を想定していると報告。
DIA-303-1987-08-27-2ネパール1987年08月27日1980年代国家パンチャヤト財政委員会において数名の議員が,ネパールの非同盟外交政策,平和地帯構想についてのインドとソ連の態度,1950年ネパール=インド条約について問題提起をした(~30日)。
DIA-303-1987-08-31-1ネパール1987年08月31日1980年代国王は洪水被災地メチ県ジャパ,コシ県モロン,スンサリ,サガルマタ県サプタリ,シラハ,ジャナクプル県ダヌシャ,マホタリ,サルラヒ,バクマティ県ヌワコット,シンドゥパルチョック,ナラヤニ県ラウタハット等の郡を訪問。訪問後,政府に被災地域の再建と救済のために5000万ルピーの支出を指示するとともに,被害規模の推定,復興計画調査の実施を命じた。
DIA-303-1987-08-31-2ネパール1987年08月31日1980年代米国政府は林学研究所の向上のために870万ドルの無償援助に調印。
DIA-303-1987-08-31-3ネパール1987年08月31日1980年代6名の韓国国会議員使節団カトマンドゥに到着。9月2日までの滞在予定。
DIA-303-1987-09-01-1ネパール1987年09月01日1980年代H・B・バシャット労働・運輸・通信大臣は河川調査の結果,重量1トンの平底船,時速25マイルでナラヤニ川,カルナリ川をインド国境まで運行可能と発表。なお河川を拡げれば,ガンダキ川,スンコシ川,ベリ川,トモール川,サプタコシ川でも運行可能と報告。
DIA-303-1987-09-07-1ネパール1987年09月07日1980年代自然災害中央救済委員会は洪水・地滑りによる被害救済,復興対策決定。特に死者の出た家族に対し1000ルピー,家屋の倒壊に対し500ルピーの緊急援助を報告。
DIA-303-1987-09-09-1ネパール1987年09月09日1980年代貿易促進センターの対中国貿易報告によると,輸出額は1981/82年度2087万ルピーから1982/1983年度69万9000ルピーに落ち込んで以来,低迷。輸入額は1985/86年度3億169万ルピー。
DIA-303-1987-09-09-2ネパール1987年09月09日1980年代タトパニ税関を通じてのチベットからの輸入額は2億6180万ルピー,輸出は4080万ルピー。
DIA-303-1987-09-09-3ネパール1987年09月09日1980年代(マニラ)アジア開発銀行は第5次農業融資プロジェクトに対し2400万ドルの借款に調印。
DIA-303-1987-09-10-1ネパール1987年09月10日1980年代日本政府と以下の無償援助に関する文書を交換。(1)カトマンドゥとポカラの結核センター建設に14億3100万円。(2)1985年開始された地方通信網改善事業に9億500万円。この通信網改善事業は1988年完成予定で,全国33郡の役所に電話が取り付けられる。
DIA-303-1987-09-11-1ネパール1987年09月11日1980年代インドのメガーラヤ州に30年間居住していたネパール人98名は居住を拒否され,ビルガンジに到着。
DIA-303-1987-09-12-1ネパール1987年09月12日1980年代カトマンドゥ=ラサ間週1便の定期航空輸送業務開始。中国の民間航空会社役員によると1986年ネパール経由でチベットを訪れた観光客は1万230人,チベットからネパールへは1万4125人であった。
DIA-303-1987-09-14-1ネパール1987年09月14日1980年代国王夫妻中国訪問。17日帰国予定。
DIA-303-1987-09-15-1ネパール1987年09月15日1980年代H・B・バスナー水資源大臣はスンサリ郡コシ川の洪水被災地区視察後,インド大使と会見し,堤防建設援助を要請。
DIA-303-1987-09-16-1ネパール1987年09月16日1980年代フランス大使,洪水被災救援としてネパール赤十字あてに31万2500ルピーをP・B・シン内務大臣に手渡した。
DIA-303-1987-09-17-1ネパール1987年09月17日1980年代韓国外務大臣は中規模水力発電プロジェクト実施のため,ネパールにソフトローン供与を申し出る。
DIA-303-1987-09-17-2ネパール1987年09月17日1980年代(北京)中国政府9700万ルピーの無償援助に調印。
DIA-303-1987-09-17-3ネパール1987年09月17日1980年代通商技術開発センターがカトマンドゥにオープン。同センターはカナダの援助により建設された。
DIA-303-1987-09-29-1ネパール1987年09月29日1980年代古代遣跡保護法案,度量衡公定基準法案,汚職排斥法案,ラジャ法案,ネパール医療会議法案,麻薬管理法案,電信電話法案,私企業登録法案など8法案が国家パンチャヤト議会を通過し,国王の同意を得た(Gork-hapatra,9/29)。
DIA-303-1987-10-02-1ネパール1987年10月02日1980年代(ワシントン)財務・工業大臣は世界銀行総裁とIMF総裁から構造調整融資の継続の約束を取り付けた。また世銀は基本的ニーズ計画と洪水被害復興対策への援助も約束した。
DIA-303-1987-10-07-1ネパール1987年10月07日1980年代ルフトハンザ航空は毎週水曜,フランクフルト=カトマンドゥ間の運行開始。
DIA-303-1987-10-07-2ネパール1987年10月07日1980年代カトマンドゥのチベット難民はラサ暴動での死者慰霊のためボウッダ寺院にて集会。中国の抑圧的な政策の抑制を全世界に訴えた。
DIA-303-1987-10-11-1ネパール1987年10月11日1980年代R・N・パンディ観光・労働・社会福祉大臣は日本の法華クラブによるルンビニ開発のホテル建設起工式に出席。
DIA-303-1987-10-14-1ネパール1987年10月14日1980年代ネパール航空は毎土曜,コロンボ経由マレ(モルジブの首都)への定期便運行開始。
DIA-303-1987-10-14-2ネパール1987年10月14日1980年代(東京)日本政府はウダイプール・セメント工場に関連して187億7900万円の借款に調印。
DIA-303-1987-10-15-1ネパール1987年10月15日1980年代国連総会でネパールは1988~89年度安全保障理事国に選出される。
DIA-303-1987-10-17-1ネパール1987年10月17日1980年代ナラヤンガデイとチトワンでネパール人難民問題と労働許可制度について討議する集会が計画されたが,警察により集会開催は阻止された。その際,J・P・ベトワル国家パンチャヤト議員を含む38人が逮捕され,12時間拘留された。翌日同議員は,政府がインド政府とともにメガーラヤ州からのネパール人難民問題について議論するよう要請した。
DIA-303-1987-10-18-1ネパール1987年10月18日1980年代B・K・ポカレル国家パンチャヤト議員によるとインドのメガーラヤ地方からのネパール人難民は1万5000人に達し毎日80~150人がネパールに到着している(Jawala Weekly,10/18)。
DIA-303-1987-10-19-1ネパール1987年10月19日1980年代下記7法案が国家パンチャヤト会議を通過し,国王の同意を得た。(1)特許・デザイン・商標法案,(2)共同事業法案,(3)会社法案,(4)郵便業務法案,(5)町パンチャヤト法案,(6)外国為替法案,(7)廃棄物法案などである。
DIA-303-1987-10-22-1ネパール1987年10月22日1980年代(カトマンドゥ)ネパール=チベット観光開発に関する覚書きが交換された。
DIA-303-1987-10-29-1ネパール1987年10月29日1980年代韓国大使,200台のテレビをネパール・テレビのコミュニティ視聴覚センターに供与。
DIA-303-1987-10-30-1ネパール1987年10月30日1980年代M・M・S・シュレスタ首相によると第3回南アジア地域協力連合の首脳会談のための準備費用は3000万ルピーを要し,加えて2億2000万ルピーが既存施設の拡張・改善,インフラストラクチャー,公園等のためにかかり,そのうち,首都整備に使用された8000万ルピーは日本,韓国,EECによる援助によりまかなわれた。
DIA-303-1987-11-01-1ネパール1987年11月01日1980年代民主主義国民統一会議,市民権会議,人民人権保護委員会,全国人民会議はインドのメガーラヤ州からのネパール人追放に反対し,12月の第1週から合同でデモの実施を発表(Jawala Weekly)。
DIA-303-1987-11-02-1ネパール1987年11月02日1980年代(カトマンドゥ)南アジア地域協力連合首脳会議,4日までの予定で始まる。
DIA-303-1987-11-04-1ネパール1987年11月04日1980年代南アジア地域協力連合加盟国外相は食糧安全備蓄協定書に調印。備蓄は20万トンの小麦,米。ネパールの備蓄割当量は,3600トン。
DIA-303-1987-11-04-2ネパール1987年11月04日1980年代南アジア地域協力連合加盟国外務大臣はテロリズム防止に関する地域協約に調印。
DIA-303-1987-11-10-1ネパール1987年11月10日1980年代B・B・コナブル世界銀行総裁はネパールにおける構造調整プログラムの実施状況を評価し,次の段階における実施支援を保証した。
DIA-303-1987-11-11-1ネパール1987年11月11日1980年代アジア開発銀行は丘陵部園芸開発プロジェクトの実施のために2億4960万ルピーのローンに合意。
DIA-303-1987-11-12-1ネパール1987年11月12日1980年代内務大臣スポークスマンは,インド各地から,追い出されネパールに戻ってきたネパール人難民約6000人について,できるだけ早期にインドに戻りインドの法の下に保護されることを望んでいるとの見解を発表した。
DIA-303-1987-11-13-1ネパール1987年11月13日1980年代外務省は国連の第一政治委員会がネパールの提案による平和と軍縮のための国連地域センターのカトマンドゥ設立案を採択したと発表。
DIA-303-1987-11-16-1ネパール1987年11月16日1980年代80名のイギリス軍グルカ兵を乗せた香港発ロイヤル・ネパール航空チャーター便は給油のため,カルカッタに着陸した際,インド税関より“予期せぬ”捜索を受け,各グルカ兵から12万5000ルピー相当の金を押収と報告された。イギリス軍グルカ兵恩給受領者は収入の多くを金にかえ,ネパールの法律に従い国内に持ち込んでいる。
DIA-303-1987-11-17-1ネパール1987年11月17日1980年代ネパールガンジのガジュナからグレリヤまでの32kmに及ぶ道路工事が国連資本開発基金,4730万ルピーの援助により開始される。完成予定は1989年9月(Gork-hapatra,11/17)。
DIA-303-1987-11-20-1ネパール1987年11月20日1980年代ロイヤル・ネパール航空のその後の報告ではインド税関から金は返却された。また同航空は迷惑をこうむった乗客に各5000ルピーを贈った。
DIA-303-1987-11-20-2ネパール1987年11月20日1980年代なおカルカッタ税関事件に関しては国際法,民間航空規定,1947年ネパール・インド・英国グルカ新兵徴募協定,50年インド=ネパール平和・友好条約,また南アジア地域協力機構の精神の侵害であるとし,16日以後,ネパールで発行されている14紙に批判記事が掲載。
DIA-303-1987-11-30-1ネパール1987年11月30日1980年代財務・工業大臣を議長とする第4回現地代表援助グループ会議が開催され,同大臣は基本的ニーズにもとづく,部門別援助協力を要請した。
DIA-303-1987-12-08-1ネパール1987年12月08日1980年代S・K・ウパディヤヤ外相,日本公式訪問。
DIA-303-1987-12-09-1ネパール1987年12月09日1980年代米政府はネパール政府の要請に脱脂粉乳1000トン,バター250トン(97万ドル,2120万ルピー相当)無償供与。
DIA-303-1987-12-11-1ネパール1987年12月11日1980年代B・B・プラダン財務・工業大臣は最近の経済状況について次のように述べた。国内総生産の成長率は1985/86年が4.1%,86/87年が2.3%であったのに対し,87/88年は5%あるいはそれ以上に達すると推定される。また86/87年の同時期に比べて本年度第1四半期(87年7月17日~10月17日)歳入徴収は31%増大した。開発支出額は21%,一般支出は10%程度増大した。同様に輸出は44%,輸入20%,通貨供給量も2.1%増大している。外貨保有高も83%増え52億6830万ルピーに達した。
DIA-303-1987-12-13-1ネパール1987年12月13日1980年代非合法ネパーリー・コングレスは地方パンチャヤト,階層別組織等の議員に選出されたコングレス派議員に対しマレンドラ国王記念日と憲法記念日の式典に参加しないよう指示した。
DIA-303-1987-12-14-1ネパール1987年12月14日1980年代(カトマンドゥ)デンマーク政府は1億クローネ(3億3800万ルピー)の無償援助同意書に調印。用途は酪農工場の改修・拡張と,超高温工場・スキムミルク工場の可能性調査。
DIA-303-1987-12-14-2ネパール1987年12月14日1980年代アジア開発銀行は,2320万SDR(3040万ドル)の低利融資と東部チトワンの東ラプテイ灌漑プロジェクトへの13万5000ドルの技術供与に同意。
DIA-303-1987-12-17-1ネパール1987年12月17日1980年代S・K・ウパディヤヤ外相は日本への往復にニューデリーを訪れ,ガンディ首相,K・N・シン外務担当国務相と会談した。会談内容は,(1)水資源開発における両国の協力,(2)境界柱の修理と再設置,(3)両国合同閣僚使節交流の活性化,(4)メガーラヤ州ネパール人追放問題(RN,12/17)。
DIA-303-1987-12-17-2ネパール1987年12月17日1980年代(パリ)フランスは2億フラン(8億ルピー)の援助同意書に調印。援助の用途は,(1)ネパールガンジ=マヘンドラナガール輸送路線プロジェクト,(2)空港施設,(3)灌漑,(4)セティ灌漑プロジェクト可能性調査など。
DIA-303-1987-12-23-1ネパール1987年12月23日1980年代政府は新しく選出された六つの階層別組織の代表を1981年に定められた規則にもとづき,「パンチャヤト政策および諮問委員会」の委員に任命した。
DIA-303-1987-12-24-1ネパール1987年12月24日1980年代(マニラ)アジア開発銀行はネパールガンジの製紙工場に対し,2510万ドルの借款同意書に調印。
DIA-303-1987-12-25-1ネパール1987年12月25日1980年代政府はカトマンドゥの町パンチャヤト議長と副議長の停職を発表。この決定は町パンチャヤト法にもとづく議員3分の2の要求によるものであり,また両人が12月16日のマヘンドラ記念日と憲法記念日の式典ボイコットしたことによりパンチャヤト政策および諮問委員会の勧告にもとづくものである。
DIA-303-1988-01-04-1ネパール1988年01月04日1980年代工業省,別途定める一部産業の設立には,その規模にかかわらず,許可取得を要さないと発表。
DIA-303-1988-01-04-2ネパール1988年01月04日1980年代M・M・S・シュレスタ首相,国家経済開発における民間部門を活性化するため,各種の措置を講じている旨述べた。また1987/88年度の食糧生産は12.01%,GDPは5~6%の伸びが予測されると発表。
DIA-303-1988-01-04-3ネパール1988年01月04日1980年代スイス,ジリ郡の技術学校に対し,向う5年間にわたる1020万ルピーの無償援助に調印。
DIA-303-1988-01-06-1ネパール1988年01月06日1980年代ネパール農民組織中央委員会,1965~69年間に土地改革制度のもとで徴収された義務貯蓄の返還要求等を決議。
DIA-303-1988-01-06-2ネパール1988年01月06日1980年代政府,1987年12月16日のマヘンドラ憲法記念式典をボイコットした,ジャナカプール町およびネパールガンジ町のパンチャヤット役員に対する職務停止を発表。
DIA-303-1988-01-11-1ネパール1988年01月11日1980年代森林土壌保全省,私有林における植林および生産品等は,1961年森林法にもとづき森林所有者が自由に処分し得る旨説明。
DIA-303-1988-01-11-2ネパール1988年01月11日1980年代11日より開催が予定されていたネパール・インド合同委員会に1カ月延期の報道(Rising Nepal,1/11)。
DIA-303-1988-01-14-1ネパール1988年01月14日1980年代工業省は,先に発表した一部の産業許可制度の廃止は,基本的ニーズを満たすための生産とサービスを奨励することが目的と説明。
DIA-303-1988-01-16-1ネパール1988年01月16日1980年代中央銀行,1983/84年度以降,税関が没収した密輸金塊1103.7㎏を,2億9460万ルピーで買い上げた旨発表。
DIA-303-1988-01-17-1ネパール1988年01月17日1980年代国家計画委員会は,東部開発地域の社会・経済開発計画は成果を挙げており,食糧生産は,1982/83年度の62万6870㌧から,86/87年度には63万2517㌧に増加したと発表。
DIA-303-1988-01-18-1ネパール1988年01月18日1980年代工業省,基本的ニーズを満たす業種および国家的優先度の高い産業リストを発表。主な産業は,食糧,衣類,住居,教育,保健等。
DIA-303-1988-01-18-2ネパール1988年01月18日1980年代ネパール・バングラデシュ次官級貿易会議がカトマンドゥにて開催。
DIA-303-1988-01-21-1ネパール1988年01月21日1980年代農業開発銀行,小農開発計画は,65郡に普及し,プロジェクト数は289に達し,7万家族がその対象となっている旨を発表。
DIA-303-1988-01-25-1ネパール1988年01月25日1980年代工業省,外資導入政策につき詳細説明。家内工業および小企業に対する投資は,ネパール人にのみ許可される。
DIA-303-1988-01-26-1ネパール1988年01月26日1980年代カナダ・クロスビー運輸相,ネパール訪問。カルナリ河開発計画,アルン第3水力発電所計画および基本的ニーズ充足計画につきネバール側と協議。
DIA-303-1988-01-26-2ネパール1988年01月26日1980年代ネパール青年組織中央執行委員会,マヘンドラ憲法記念日式典をボイコットした地区レベル委員長の職務停止処分を決定。
DIA-303-1988-01-29-1ネパール1988年01月29日1980年代日本政府,肥料購入にあてられる食糧増産無償援助3億4420万ルピーに調印。
DIA-303-1988-02-03-1ネパール1988年02月03日1980年代ビレンドラ国王,東部開発地域パンチャヤット集会に臨席。基本的ニーズ充足計画は,政府,パンチャヤット,職能階層別組織および民間部門の相互協力により達成可能なものである旨述べるとともに基礎的データが欠除していることを指摘。
DIA-303-1988-02-05-1ネパール1988年02月05日1980年代イランのM・バエジ特使来訪。S・K・ウパディヤ外相と会談。会談の内容は両国関係および経済協力。
DIA-303-1988-02-06-1ネパール1988年02月06日1980年代マハタリ郡パンチャヤット副議長および青年組織委員長は,マヘンドラ憲法記念式典へ参加できなかったのは,個人的事情によるものと共同声明を行なう。
DIA-303-1988-02-06-2ネパール1988年02月06日1980年代P・B・シン内務相は,国民証発給チームを各地へ派遣しているのは,純粋なネパール人が国民証を取得することを確実にすることが目的と述べる。
DIA-303-1988-02-10-1ネパール1988年02月10日1980年代ネパール航空,中国民航とカトマンドゥーラサ間のチャーター便運行に関する文書に調印。
DIA-303-1988-02-11-1ネパール1988年02月11日1980年代第26回コシ河計画調整委員会が開催(8~10日)される。同委員会のインドとの会合は,10年ぶりである。
DIA-303-1988-02-11-2ネパール1988年02月11日1980年代国王夫妻,東部開発地域への非公式視察を終えてカトマンドゥへ帰着。国王夫妻は,昨年12月27日より同開発地域を訪れていた。
DIA-303-1988-02-12-1ネパール1988年02月12日1980年代労働社会福祉省,首都における主要な事業所で働くほとんどの労働者に労働許可証が発給されたと発表。労働許可証制は1986年4月13日より実施されていた。
DIA-303-1988-02-18-1ネパール1988年02月18日1980年代国王は駐印大使にB・B・シャハを任命。
DIA-303-1988-02-19-1ネパール1988年02月19日1980年代米国テキサス州輸入使節団一行来訪。ネパール産既製服等の輸入交渉を行なう。
DIA-303-1988-02-21-1ネパール1988年02月21日1980年代国王は東部開発地域の開発に関して,政府に対するガイドラインを発表。指示内容は基盤整備,基本的ニーズ充足計画および地方分権に関するもの。
DIA-303-1988-02-22-1ネパール1988年02月22日1980年代国家教育委員会,ネパール人の識字率を33%と発表。女性の識字率は18%。
DIA-303-1988-02-22-2ネパール1988年02月22日1980年代B・B・プラダン蔵相は,公社・公団の民営化政策は,民間部門の効率性の高さを認識したうえでの方針であると述べた。
DIA-303-1988-02-22-3ネパール1988年02月22日1980年代大蔵省,水資源省,UNDP主催で,灌漑部門調整会議が行なわれた。25援助国および国際機関代表が参加。
DIA-303-1988-02-23-1ネパール1988年02月23日1980年代日本政府,ネパール政府の対日1987年債務負担分3760万ルピーの無償化文書に調印。
DIA-303-1988-02-25-1ネパール1988年02月25日1980年代政府は,カンチェンジュンガ地域をトレッカーに解禁。
DIA-303-1988-02-26-1ネパール1988年02月26日1980年代政府,SAARC食糧備蓄計画に対して,3600㌧の米を備蓄すると発表。
DIA-303-1988-02-29-1ネパール1988年02月29日1980年代ネパール・中国第2回合同国境査察委員会会議,北京にて終了。
DIA-303-1988-03-06-1ネパール1988年03月06日1980年代WHOのマラリア撲滅活動調査団来訪。
DIA-303-1988-03-06-2ネパール1988年03月06日1980年代カトマンドゥにてインド貿易博覧会開催。国王が開会式に出席。
DIA-303-1988-03-08-1ネパール1988年03月08日1980年代ネパール・ミルク開発公社,原乳の買上げ価格を26.5%引き上げ。販売価格も1㍑当り8ルピーに値上げすると発表。
DIA-303-1988-03-09-1ネパール1988年03月09日1980年代内閣改造。M・M・S・シュレスタを首相に,閣内相14名,国務相6名,副相13名により構成。
DIA-303-1988-03-09-2ネパール1988年03月09日1980年代シュレスタ首相,内閣は,開発行政の機能向上,とくに基本的ニーズ充足計画の効率的実施を考慮し,各副相は基本的ニーズ計画の各分野を担任,と発表。
DIA-303-1988-03-12-1ネパール1988年03月12日1980年代国立競技場で惨事。フットボールの試合中に暴風雨が襲来し,観客が出口に殺到し70名が死亡。政府は,死亡者家族に1万ルピー,負傷者へ2000ルピーの見舞金を支払う旨発表。
DIA-303-1988-03-15-1ネパール1988年03月15日1980年代スイス政府,吊橋建設計画で8194万ルピーの無償援助文書に調印。
DIA-303-1988-03-16-1ネパール1988年03月16日1980年代C・シャハ住宅施設計画担当副相辞任。後任にD・D・ウパディヤを任命。
DIA-303-1988-03-16-2ネパール1988年03月16日1980年代N・R・スペディ国会議長を団長とする国会議員団13名中国訪問に出発。中国訪問中,李先念国家主席等要人と会談。両国関係,地域問題等につき話し合った。
DIA-303-1988-03-20-1ネパール1988年03月20日1980年代カナダ国際開発庁総裁C・カールソン来訪。滞在中にカナダの援助継続の意図を表明。
DIA-303-1988-03-21-1ネパール1988年03月21日1980年代A・カラオスマノグル世銀副総裁来訪。アルン第3水力発電所計画に対する援助につき協議。
DIA-303-1988-03-22-1ネパール1988年03月22日1980年代訪ネ中のC・パターン英国海外開発相は,B・B・プラダン蔵相と会談。パターン開発相は,アルン第3水力発電所計画等に対する約2000万ポンドの対ネ援助計画を公表。
DIA-303-1988-03-24-1ネパール1988年03月24日1980年代世界ヒンドゥー会議,カトマンドゥで開催。26カ国1500名の代表および7000名のオブザーバーが参加。
DIA-303-1988-03-31-1ネパール1988年03月31日1980年代国王,バラトプールでパキスタン援助によるマヘンドラ記念眼科病院の開院式に臨席。
DIA-303-1988-04-04-1ネパール1988年04月04日1980年代内務省報道官発表,シラバ郡で民衆が村の行事をめぐる対立で暴徒化。警察が制圧・自衛のため発砲し暴徒1名が死亡。
DIA-303-1988-04-06-1ネパール1988年04月06日1980年代政府,農業開発銀行を,農業省から大蔵省へ移管。
DIA-303-1988-04-07-1ネパール1988年04月07日1980年代H・プレマダーサ,スリランカ首相来訪。M・M・S・シュレスタ首相と,貿易,工業等の2国間関係およびスリランカ情勢につき協議。
DIA-303-1988-04-08-1ネパール1988年04月08日1980年代国際金融公社W.Ryrie副総裁来訪。対金融機関融資につき協議。
DIA-303-1988-04-11-1ネパール1988年04月11日1980年代ネパール・チベット税関年次協議のため,チベット自治区税関使節団来訪。
DIA-303-1988-04-13-1ネパール1988年04月13日1980年代国王,ビクラム暦新年メッセージで,真の民主主義の基盤は,国民の基本的ニーズの充足および地方分権によって強化されると表明。
DIA-303-1988-04-14-1ネパール1988年04月14日1980年代ベルギー政府,通信開発計画に対して,8億3000万ベルギーフランの無償援助につきブレッジ。うち3000万ペルギーフランにつき調印。
DIA-303-1988-04-15-1ネパール1988年04月15日1980年代外務省発表。ネパールはアフガニスタン撤兵に関するジュネーブ会議およびその結果を歓迎する。
DIA-303-1988-04-19-1ネパール1988年04月19日1980年代外務省報道官発表。パスポート不正発行事件への外務省職員の関与で,特別警察に調査を依頼。
DIA-303-1988-04-19-2ネパール1988年04月19日1980年代福田越夫日本元総理,ルンビニ開発計画の理事に指名さる。
DIA-303-1988-04-22-1ネパール1988年04月22日1980年代第4回ネパール・中国経済貿易委員会が開催される。ネパール側代表は,B・B・プラダン蔵相。
DIA-303-1988-04-22-2ネパール1988年04月22日1980年代ネパール投資促進使節団一行,ストックホルム,コペンハーゲン等欧州諸国へ出発。
DIA-303-1988-04-24-1ネパール1988年04月24日1980年代内務省,62郡の郡行政官の異動を発表。
DIA-303-1988-04-27-1ネパール1988年04月27日1980年代ネパール政府,国連の要請により,ジュネーブ協定に基づくアフガニスタンからのソ連軍撤退国連軍事監視団への参加を決定。
DIA-303-1988-04-27-2ネパール1988年04月27日1980年代カトマンドゥ―ラサ間のチャーター便運行開始。ネパール航空および中国民航の相互乗り入れ。
DIA-303-1988-04-28-1ネパール1988年04月28日1980年代政府,国王の東部開発地域視察に基づく指示を実施すべく,基本的ニーズに関するデータ収集特別キャンペーンを行なうことを決定。また,同活動のため,パンチャヤット・地方開発相を委員長とする調整委員会を設置した。
DIA-303-1988-04-29-1ネパール1988年04月29日1980年代南イエメン,ネパールの「平和地帯構想」に支持を表明。
DIA-303-1988-04-30-1ネパール1988年04月30日1980年代政府,次官クラス3名の人事異動を行なう。
DIA-303-1988-05-04-1ネパール1988年05月04日1980年代ソ連のアフガニスタン撤兵国連軍事監視団へ参加のため,6名のネパール軍士官がアフガニスタンへ向け出発。
DIA-303-1988-05-05-1ネパール1988年05月05日1980年代M・フランク新米国大使は,ネパールの「平和地帯構想」および基本的ニーズ充足計画を評価すると述べた。
DIA-303-1988-05-05-2ネパール1988年05月05日1980年代中国・日本・ネパール合同エベレスト登山隊は南北双方からの同時登頂に成功。
DIA-303-1988-05-06-1ネパール1988年05月06日1980年代アジア開発銀行,東部ラプティ灌漑計画へ3800万㌦,山地園芸開発計画へ1178万㌦の融資を決定。
DIA-303-1988-05-07-1ネパール1988年05月07日1980年代基本的ニーズ充足計画中央調整委員会は,貧困層に関するデータ収集法指導のため,75郡の委員会に対し指導チームを派遣開始。
DIA-303-1988-05-10-1ネパール1988年05月10日1980年代国王は,ポカラで開催された職能階層別組織合同総会に出席。
DIA-303-1988-05-12-1ネパール1988年05月12日1980年代政府は,基本的ニーズ充足計画の一環として,郡レベルの灌漑計画を開始。70の郡に灌漑技術者のポストを新設。
DIA-303-1988-05-12-2ネパール1988年05月12日1980年代アルン第3水力発電所計画に関する援助国会議,パリで開催さる。援助国および国際機関等は,5億5000万㌦を暫定プレッジ。
DIA-303-1988-05-17-1ネパール1988年05月17日1980年代B・ガルティマガール工業相,ネパール商工会議所総会において,基本的ニーズ充足計画達成への商工業界の協力参加を要望。
DIA-303-1988-05-17-2ネパール1988年05月17日1980年代ネパール電力庁,新電気料金を発表(筆者注,約20%値上げ)。
DIA-303-1988-05-18-1ネパール1988年05月18日1980年代国立競技場惨事調査委員会,事故の主たる原因は嵐の襲来によるとの調査結果を発表。
DIA-303-1988-05-18-2ネパール1988年05月18日1980年代G・B・タパ中央銀行総裁,貧困ライン以下の国民を対象とする特別金融計画を21郡において開始予定と発表。
DIA-303-1988-05-18-3ネパール1988年05月18日1980年代シャージャ運輸公社は,カトマンドゥ市内のバス料金を約25%値上げ。
DIA-303-1988-05-19-1ネパール1988年05月19日1980年代国立競技場惨事の責任をとり,K・B・ビスタ教育文化相辞任。国王は,国家体育評議会を解散。
DIA-303-1988-05-20-1ネパール1988年05月20日1980年代ネパールの森林マスター・プラン会議,カトマンドゥにて開催。在カトマンドゥ援助国および国際機関等の代表が参加。
DIA-303-1988-05-21-1ネパール1988年05月21日1980年代政府,SAARCテロ防止条約を批准。
DIA-303-1988-05-22-1ネパール1988年05月22日1980年代観光省,1987年にネパールを訪れた観光客数は24万8080名,1986/87年度の観光による外貨収入は5590万㌦と発表。
DIA-303-1988-05-24-1ネパール1988年05月24日1980年代国王,第39次国会を6月17日に召集と発表。
DIA-303-1988-05-25-1ネパール1988年05月25日1980年代S・K・ウパディヤ外相は国連軍縮総会第3回特別会議出席のため訪米。
DIA-303-1988-05-26-1ネパール1988年05月26日1980年代職権乱用防止委員会(CPAA),H・B・マルラ元森林土壌保全相を森林伐採許可証不法発給の疑いで拘束。
DIA-303-1988-05-28-1ネパール1988年05月28日1980年代M・M・S・シュレスタ首相,ネパール・コングレス党のリーダーG・M・シンと会談(Delhi Weekly,5/30)。
DIA-303-1988-06-02-1ネパール1988年06月02日1980年代政府,基本的ニーズ充足計画促進委員会を再編成。同促進委員会は,1987年10月に発足していたもの。
DIA-303-1988-06-02-2ネパール1988年06月02日1980年代ネパール・インド水資源開発次官級会議ニューデリーで終了。インドは,ネパールからの電力購入の意図を有する旨共同声明発表。
DIA-303-1988-06-04-1ネパール1988年06月04日1980年代綿開発理事会,ネパール産原綿買上げ価格を1㎏当り9.5ルピーに引き上げを発表。
DIA-303-1988-06-05-1ネパール1988年06月05日1980年代第5回ネパール・インド・カルナリ多目的ダム調整委員会開催。
DIA-303-1988-06-06-1ネパール1988年06月06日1980年代1986/87年度開発プロジェクトで目標達成率が50%以下のものに関する原因究明チーム編成さる。P・B・シャシ供給相がチーム長。
DIA-303-1988-06-07-1ネパール1988年06月07日1980年代リベリア,ネパールの「平和地帯構想」に支持を表明。
DIA-303-1988-06-07-2ネパール1988年06月07日1980年代政府,経済サービス・センターおよび工業地域運営公社を設置。
DIA-303-1988-06-08-1ネパール1988年06月08日1980年代最高裁,王宮西門・首都市内等爆発事件(85年6月20日)に対する特別法廷の判決を支持。政府は同判決を不服とし最高裁に上告していたもの。
DIA-303-1988-06-08-2ネパール1988年06月08日1980年代ネパール商工会議所使節団,パキスタン政府の招〓で訪パ。一行はネパール・パキスタン間の輸出入品目につき協議。
DIA-303-1988-06-09-1ネパール1988年06月09日1980年代政府,国連との間で「アジア平和と軍縮国連地域センター」のカトマンドゥ設置につき調印。
DIA-303-1988-06-09-2ネパール1988年06月09日1980年代グレナダ,ネパールの「平和地帯構想」に支持を表明。
DIA-303-1988-06-10-1ネパール1988年06月10日1980年代エクアドル,ネパールの「平和地帯構想」に支持を表明。
DIA-303-1988-06-11-1ネパール1988年06月11日1980年代政府は,国家統計評議会を設置。議長は,B・B・プラダン国家計画委員会委員。
DIA-303-1988-06-13-1ネパール1988年06月13日1980年代ドミニカ共和国,ネパールの「平和地帯構想」に支持を表明。
DIA-303-1988-06-13-2ネパール1988年06月13日1980年代ネパール工業開発公社,設立以来30年間に11億3800万ルピーの投融資を行なったと発表。主要投融資分野は,ホテル等観光関連産業。
DIA-303-1988-06-15-1ネパール1988年06月15日1980年代日本政府,シャージャ運輸公社の輸送力増強計画へ11億9600万円,治水計画へ11億7900万円の無償援助に調印。
DIA-303-1988-06-15-2ネパール1988年06月15日1980年代チュニジア特使A・ティカイヤ来訪。首相,外相等と会談。
DIA-303-1988-06-17-1ネパール1988年06月17日1980年代第39次国家パンチャヤット議会始まる。
DIA-303-1988-06-17-2ネパール1988年06月17日1980年代中央銀行,1984~85年に行なった家計調査結果を発表。調査結果では,国民の50.4%が経済活動を行なっており,その79%が農業に従業。
DIA-303-1988-06-18-1ネパール1988年06月18日1980年代N・R・スベディ国会議長は,国会にて元森林相H・B・マルラ逮捕の経緯につき説明。
DIA-303-1988-06-20-1ネパール1988年06月20日1980年代国際開発協会は,灌漑および道路補修計画に対し,5680万㌦の借款を発表。
DIA-303-1988-06-22-1ネパール1988年06月22日1980年代政府,各職能階層別組織の,政治・経済活動計画を承認。
DIA-303-1988-06-23-1ネパール1988年06月23日1980年代国王,国会で政府の施政方針を演説。開発促進のための国内資源の動員および基本的ニーズ充足計画達成を強調。
DIA-303-1988-06-23-2ネパール1988年06月23日1980年代日本政府,国立博物館に対する4900万円の無償援助に調印。
DIA-303-1988-06-23-3ネパール1988年06月23日1980年代インドのA・パンジャ歳入相来訪。麻薬および禁制品密輸防止覚書に調印。
DIA-303-1988-06-28-1ネパール1988年06月28日1980年代M・M・S・シュレスタ首相に対する不信任案,53名の国会議員により提出さる(Naya Nepal,6/29)。
DIA-303-1988-06-30-1ネパール1988年06月30日1980年代日本の無償援助による第一次地方通信網計画工事終了。同計画により49郡に電話開通。
DIA-303-1988-07-01-1ネパール1988年07月01日1980年代S・K・ウパディヤ外相,インド警察のネパール領侵入および同国空軍の領空侵犯につき報告を受け,インド政府と折衝中,と国会で発表。
DIA-303-1988-07-01-2ネパール1988年07月01日1980年代B・B・プラダン蔵相,国会に接収密輸金塊の処分を発表。1987年7月16日以降の接収分359㎏を中央銀行に1億3000万ルピーで買取らせたと報告。
DIA-303-1988-07-02-1ネパール1988年07月02日1980年代Y・P・パント水資源相,アルン第3水力発電所計画より,インドが200MWを買いとることで,原則的に同意していると発表。
DIA-303-1988-07-07-1ネパール1988年07月07日1980年代B・B・プラダン蔵相,1987/88年度の「エコノミック・サーベイ」を国会へ提出。GDP7.13%増,物価上昇率11.4%。
DIA-303-1988-07-08-1ネパール1988年07月08日1980年代B・B・プラダン蔵相,1988/89年度国家予算案を国会へ提出。予算総額195億2020万ルピー。
DIA-303-1988-07-09-1ネパール1988年07月09日1980年代B・B・プラダン蔵相,新年度より公務員の給与の約25%引き上げを発表。
DIA-303-1988-07-10-1ネパール1988年07月10日1980年代政府は優先地域中央調整委員会を設置。同委員会は,5月18日に発表された21郡における特別融資計画の実施を調整する。計画内容は,貧困ライン以下にある国民に対して,資金,生産材料および技術的援助を行なうもの。
DIA-303-1988-07-11-1ネパール1988年07月11日1980年代OISCAインターナショナルは,ネパール青年組織と合同で,植林キャンベーンを開始。
DIA-303-1988-07-12-1ネパール1988年07月12日1980年代N・パ内務相,6月15日以来の豪雨・地滑りで,ウダヤプール,マクワンプール,バイタディ,サリヤン4郡において,少なくとも23名が死亡,と国会へ報告。
DIA-303-1988-07-15-1ネパール1988年07月15日1980年代B・B・プラダン蔵相,ネパール経済は,歳入の伸びに伴う赤字縮小等で改善している,と国会で報告。
DIA-303-1988-07-17-1ネパール1988年07月17日1980年代M・サンジュウ国家計画副委員長,駐米大使に任命される。
DIA-303-1988-07-19-1ネパール1988年07月19日1980年代S・K・ウパディヤ外相,イラン政府による国連安全保障理事会598号決議受諾を歓迎。
DIA-303-1988-07-20-1ネパール1988年07月20日1980年代ソ連臨時代理大使,ネパール・ソ連友好協会の会合で,ソ連の上層部が,ネパールの「平和地帯構想」を検討中と表明。
DIA-303-1988-07-21-1ネパール1988年07月21日1980年代N・R・スベディ国会議長,内閣不信任案は,国会審議には付されない旨決定している,と国会で発表。
DIA-303-1988-07-22-1ネパール1988年07月22日1980年代インドのN・シン国務相,ガンジー首相特使として来訪。国王と会見。
DIA-303-1988-07-26-1ネパール1988年07月26日1980年代中国政府,国際会議センター建設計画に関する技術協力文書に調印。
DIA-303-1988-07-27-1ネパール1988年07月27日1980年代ネパール政府,SAARC事務局カトマンドゥ設置に関する協定に調印。
DIA-303-1988-08-01-1ネパール1988年08月01日1980年代第2回ネパール・中国合同国境査察委員会開催。
DIA-303-1988-08-01-2ネパール1988年08月01日1980年代観光省,登山料を改訂。新レートでは,エベレストの登山料7万3205ルピー。
DIA-303-1988-08-04-1ネパール1988年08月04日1980年代N・R・スベディ国会議長,第4次憲法改正の噂につき,「憲法は必要に応じて改正されるのは当然」と述べ,噂の出所には心当りなしと付言。
DIA-303-1988-08-07-1ネパール1988年08月07日1980年代SAARC計画委員会開催。
DIA-303-1988-08-07-2ネパール1988年08月07日1980年代第2回ネパール・中国合同国境査察委員会終了。
DIA-303-1988-08-07-3ネパール1988年08月07日1980年代政府は新国家情報政策を発表。情報省内に,チーフ・スポークスマンのポストを設置。
DIA-303-1988-08-08-1ネパール1988年08月08日1980年代SAARCテロ防止条約につき,パキスタン,スリランカ,インドの3カ国が批准書を事務局へ提出。他の4カ国はすでに批准書提出を終えており,同条約は,22日発効する。
DIA-303-1988-08-08-2ネパール1988年08月08日1980年代政府は一部の郡における,パンチャヤット開発・土地税法の実施を承認。
DIA-303-1988-08-08-3ネパール1988年08月08日1980年代日本国大使,B・B・プラダン蔵相に対し,1978年から87年までに供与した円借款319億2500万円の債務免除を通知。
DIA-303-1988-08-09-1ネパール1988年08月09日1980年代B・B・プラダン蔵相,政府は基本的ニーズ充足計画を強力に推進している,と国会へ報告。
DIA-303-1988-08-09-2ネパール1988年08月09日1980年代バルバドス,コートジボアール,マリの3カ国,ネパールの「平和地帯構想」に支持を表明。
DIA-303-1988-08-10-1ネパール1988年08月10日1980年代N・タパ内務相,1987年12月以降,68郡593万9106名に国民証を発給,と国会へ報告。
DIA-303-1988-08-11-1ネパール1988年08月11日1980年代SAARC閣僚会議開始。開会式には国王臨席。
DIA-303-1988-08-12-1ネパール1988年08月12日1980年代SAARC食糧備蓄計画発効。
DIA-303-1988-08-13-1ネパール1988年08月13日1980年代SAARC閣僚会議,第4回首脳会議の開催地をスリランカよりパキスタンへ変更と発表。
DIA-303-1988-08-13-2ネパール1988年08月13日1980年代第1回ネパール・インド合同委員会開催。両国間の経済協力,通商通過問題等を協議。ネ側代表S・K・ウパディヤ外相。インド側代表P・V・N・ラオ外相。
DIA-303-1988-08-15-1ネパール1988年08月15日1980年代政府,住宅開発・建設関連産業を,1981年工業法が指定するサービス産業に分類すると発表。
DIA-303-1988-08-15-2ネパール1988年08月15日1980年代香港―カトマンドゥ間の航空路開設で,ネパール・英国航空交渉開始さる。
DIA-303-1988-08-16-1ネパール1988年08月16日1980年代ネパール・インド通過協定および密輸防止取り決め交渉開始さる。
DIA-303-1988-08-21-1ネパール1988年08月21日1980年代ネパール東部で震度6.7の地震発生。
DIA-303-1988-08-23-1ネパール1988年08月23日1980年代EEC,ネパールの地方開発計画に対し7313万ルピーの無償援助に調印(パリ)。
DIA-303-1988-08-23-2ネパール1988年08月23日1980年代政府,首相を委員長とする中央震災対策再建基金を設置。
DIA-303-1988-08-25-1ネパール1988年08月25日1980年代日本を始め,各国および国際機関等の震災に対する緊急援助が始まる。
DIA-303-1988-08-25-2ネパール1988年08月25日1980年代K・P・ヒョウジュー元国会議員,バクタプール市(バグマティ県)で地震救済活動中,暴徒化した民衆に襲われ死亡。
DIA-303-1988-08-26-1ネパール1988年08月26日1980年代N・タパ内務相,メチ,コシ,サガルマータ,ジャナカプール,バグマティ県内の27郡が地震で被災と国会へ報告。
DIA-303-1988-08-30-1ネパール1988年08月30日1980年代N・タパ内務相,8月21日の地震により死亡者708名,負傷者1551名,破損家屋1万7953と発表。
DIA-303-1988-08-31-1ネパール1988年08月31日1980年代ブルンジ,ネパールの「平和地帯構想」に支持表明。96番目の支持国。
DIA-303-1988-09-02-1ネパール1988年09月02日1980年代教育文化省,新年度(7月16日)から教師の給与約25%引き上げを発表。
DIA-303-1988-09-03-1ネパール1988年09月03日1980年代政府,企業労働者法に基づく最低賃金額を発表。7月16日より実施。単純労働者523ルピー,半熟練労働者582ルピー,熟練労働者690ルピー(月当り)。
DIA-303-1988-09-05-1ネパール1988年09月05日1980年代S・K・ウパディヤ外相,議会に対して,ネパールの「平和地帯構想」に対するインドの支持を得るべく努力している旨述べる。
DIA-303-1988-09-05-2ネパール1988年09月05日1980年代S・K・ウパディヤ外相,非同盟諸国外相会議出席のためニコシアへ出発。
DIA-303-1988-09-05-3ネパール1988年09月05日1980年代アイスランド,ネパールの「平和地帯構想」に支持を表明。
DIA-303-1988-09-05-4ネパール1988年09月05日1980年代UNICEF,基本的ニーズ充足計画に対する1988~92年間の援助として4900万ルピーをプレッジする文書に調印。
DIA-303-1988-09-06-1ネパール1988年09月06日1980年代震災救援物資引き取りのため,カルカッタへ向ったネパール航空機は,着陸許可を得られず,カトマンドゥへ引き返す。
DIA-303-1988-09-07-1ネパール1988年09月07日1980年代第6回ネパール・インド合同カルナリ多目的ダム計画調整委員会開始。
DIA-303-1988-09-07-2ネパール1988年09月07日1980年代中央震災救済再建基金へ国内外から寄せられた援助金は2830万ルピー。
DIA-303-1988-09-09-1ネパール1988年09月09日1980年代第39次国会終了。
DIA-303-1988-09-09-2ネパール1988年09月09日1980年代政府,B・P・ディタールを,国家計画委員会副委員長に任命。
DIA-303-1988-09-09-3ネパール1988年09月09日1980年代政府,元国会議員K・P・ヒョウジュー死亡事件に関連し,パンチャヤット政治評価委員会の勧告により,バクタプール市パンチャヤットを解散。
DIA-303-1988-09-09-4ネパール1988年09月09日1980年代中国民航は,カトマンドゥ―ラサ間の直行便運航予定を発表。
DIA-303-1988-09-09-5ネパール1988年09月09日1980年代インド下院議長B・R・ジャカール,6日より9日まで,N・R・スベディ国会議長の招きで来訪。
DIA-303-1988-09-11-1ネパール1988年09月11日1980年代政府,バングラデシュに洪水救援として10万㌦を供与。
DIA-303-1988-09-14-1ネパール1988年09月14日1980年代カナダ政府,ネパールガンジ空港整備計画に対する8440万ルピーの援助に調印。
DIA-303-1988-09-15-1ネパール1988年09月15日1980年代国王夫妻,地震被災地視察開始。
DIA-303-1988-09-19-1ネパール1988年09月19日1980年代ネパール航空購入の2機目のボーイング757型機,カトマンドゥへ到着。
DIA-303-1988-09-20-1ネパール1988年09月20日1980年代マグディ郡にて豪雨による地滑りのため,106名が死亡。
DIA-303-1988-09-21-1ネパール1988年09月21日1980年代国王夫妻,地震被災地視察を終える。
DIA-303-1988-09-22-1ネパール1988年09月22日1980年代国王,地震被災地再建に関し,中央再建委員会の設置等,再建計画を政府に対して指示。
DIA-303-1988-09-23-1ネパール1988年09月23日1980年代M・M・S・シュレスタ首相,震災状況を発表。死亡者721名,負傷者1万2244名。家屋約6万6000,学校,寺院等1202および道路等が崩壊,損傷。被害総額50億ルピー。
DIA-303-1988-09-23-2ネパール1988年09月23日1980年代M・M・S・シュレスタ首相は,国内外から資金・物資による救援額は推定1億8330万ルピー相当と発表。
DIA-303-1988-09-23-3ネパール1988年09月23日1980年代世銀,マハカリ第二次灌漑計画に対して4130万㌦の借款供与を決定。
DIA-303-1988-09-29-1ネパール1988年09月29日1980年代Y・P・パント水資源相,基本的ニーズ充足計画に基づく,小中規模灌漑計画に対し,政府は工費の40~75%の補助を行なうと述べた。
DIA-303-1988-09-30-1ネパール1988年09月30日1980年代国王夫妻,SAARC議長として,28日コロンボ,マレ,29日イスラマバード,30日ニュー・デリーを訪問。二国間関係,地域および国際情勢につき協議。
DIA-303-1988-10-01-1ネパール1988年10月01日1980年代(西ベルリン)B・B・プラダン蔵相は,IMF・世銀の年次総会で,ネパールの基本的ニーズ充足計画の資金需要および震災復旧計画を説明し,援助の増大を要請した。
DIA-303-1988-10-01-2ネパール1988年10月01日1980年代ネパール航空,ルフトハンザ航空とカトマンドゥ―フランクフルト間の直行便運航を開始。
DIA-303-1988-10-02-1ネパール1988年10月02日1980年代エルシャド・バングラデシュ大統領来訪。同日国王と会見。会談は両国間および国際間の利益を守るため,洪水,旱魃,自然災害等に関する恒久的対策には,域内全ての国の地域協力を必要とする旨意見の一致を見たとの新聞発表。
DIA-303-1988-10-05-1ネパール1988年10月05日1980年代(ニューヨーク)S・K・ウパディヤ外相,第43回国連総会で演説。国際政治・経済・社会問題に対するネパールの見解を述べるとともに,ネパールの開発努力およびSAARCにつき説明した。
DIA-303-1988-10-05-2ネパール1988年10月05日1980年代カトマンドゥで中国・河南省の工業技術および商品輸出展開催さる。
DIA-303-1988-10-06-1ネパール1988年10月06日1980年代国王夫妻,SAARC議長として5日ティンプー,6日ダッカを訪問。次回首脳会議準備等につき会談。
DIA-303-1988-10-13-1ネパール1988年10月13日1980年代M・カムドシュIMF専務理事来訪。第2次構造調整計画につき協議。
DIA-303-1988-10-15-1ネパール1988年10月15日1980年代ネパール・インド通商協定および不正貿易防止協定交渉,物別れに終る。
DIA-303-1988-10-17-1ネパール1988年10月17日1980年代政府,都市開発委員会法(1962年)に基づき,地震災害を受けたダーラン市に,都市開発委員会を設置。
DIA-303-1988-10-24-1ネパール1988年10月24日1980年代A・アハサンSAARC事務局長,域内自然災害の原因,環境破壊防止等調査のため調整官グループが発足したと発表。
DIA-303-1988-10-26-1ネパール1988年10月26日1980年代内務省,新査証規則を発表。新規則では,報酬を受けて滞在する外国人に,査証申請に際して,ネパール政府発行の労働許可証の提示を義務づけたもの。
DIA-303-1988-10-27-1ネパール1988年10月27日1980年代イランのJ・モンソーリ外務副相来訪。M・M・S・シュレスタ首相に,イラン・イラク交渉の現状を説明。
DIA-303-1988-10-31-1ネパール1988年10月31日1980年代内閣改造。新内閣はM・M・S・シュレスタを首相に,閣内相13名,国務相7名,副相12名により構成。
DIA-303-1988-10-31-2ネパール1988年10月31日1980年代県知事8名の人事異動発令。
DIA-303-1988-11-01-1ネパール1988年11月01日1980年代金永南北朝鮮副首相兼外相来訪。S・K・ウパディヤ外相と会談。両国の協力を約束。
DIA-303-1988-11-01-2ネパール1988年11月01日1980年代第3回SAARC計画官会議開催。ネパール代表は,B・B・プラダン蔵相。SAARC協力機構の長期的展望につき協議。
DIA-303-1988-11-02-1ネパール1988年11月02日1980年代アルバニア,ネパールの「平和地帯構想」に支持表明。98番目の支持国。
DIA-303-1988-11-02-2ネパール1988年11月02日1980年代国王,任期満了で離任する丹羽敏之UNDP常駐代表にグルカ・ダクチン・バウー勲章を授与。
DIA-303-1988-11-03-1ネパール1988年11月03日1980年代M・A・クレシ世銀副総裁来訪(10月30~11月3日)。世銀の援助プロジェクトを視察。
DIA-303-1988-11-04-1ネパール1988年11月04日1980年代外務省報道官は,3日モルディブで起きたクーデターを非難。
DIA-303-1988-11-04-2ネパール1988年11月04日1980年代国防省報道官,中国からの武器輸入は,基本的ニーズ充足計画の一環であり,ネパール軍は,必要最少限の近代的武器を備える必要があると発表。
DIA-303-1988-11-05-1ネパール1988年11月05日1980年代日本政府,第二次中波放送網整備計画14億6000万円,河川防護計画8億4500万円,学校建設用亜鉛鉄板2億円の3無償援助案件に調印。
DIA-303-1988-11-06-1ネパール1988年11月06日1980年代住宅建設計画,カトマンドゥ市内で始まる。
DIA-303-1988-11-08-1ネパール1988年11月08日1980年代土地改革計画に基づく義務貯蓄(1964~69年間に実施)の元本利子の返還が開始される。返還金額は約2億6000万ルピー。
DIA-303-1988-11-12-1ネパール1988年11月12日1980年代労働社会福祉省,労働許可証と基本的ニーズ計画との関係を説明。これによると外国人労働者に対する労働許可証取得義務は,企業・企業労働者法(1959年)および工業政策法(1981年)に基づき1987年から実施されたもので,雇用データとして基本的ニーズ計画でも役立ったと説明。
DIA-303-1988-11-16-1ネパール1988年11月16日1980年代8月21日震災による住居喪失住民に対し,住宅ローン貸付け開始さる。
DIA-303-1988-11-17-1ネパール1988年11月17日1980年代ネパール援助国会議,パリで開催。援助国側は1988/89年度援助額として4億㌦をプレッジ。
DIA-303-1988-11-19-1ネパール1988年11月19日1980年代フィンランド,ネパールの「平和地帯構想」に支持表明。
DIA-303-1988-11-20-1ネパール1988年11月20日1980年代外務省,パレスチナ独立宣言(11月15日)に支持表明。
DIA-303-1988-11-20-2ネパール1988年11月20日1980年代イギリス国防委員会の一行来訪。香港の中国返還以降の,英グルカ兵の扱いについては,1989年3月に決定されようと述べる。
DIA-303-1988-11-21-1ネパール1988年11月21日1980年代顧林昉中国治安担当副相来訪。
DIA-303-1988-11-22-1ネパール1988年11月22日1980年代政府,基本的ニーズ充足計画の一環として飲料水供給計画を発表。地方分権制度のもとに費用の一部受益者負担を義務づける。
DIA-303-1988-11-22-2ネパール1988年11月22日1980年代ネパール航空,国内線の運賃値上げを発表。
DIA-303-1988-11-22-3ネパール1988年11月22日1980年代労働社会福祉省報道官,労働許可証制度に対するインドの報道を論評し,労働許可証発給制度は,目的が基本的ニーズ計画に係わる統計整備にあると再度表明。
DIA-303-1988-11-23-1ネパール1988年11月23日1980年代国王,ネパール・コングレス党リーダーG・M・シンと会見。コングレス党事務局発表(Samaaj,11月25日)。
DIA-303-1988-11-27-1ネパール1988年11月27日1980年代コングレス党中央委員会新役員発表さる。党最高顧問G・M・シン,総裁代行K・P・バタライ,事務局長G・P・コイララ(Matribum Weekly,11月29日)。
DIA-303-1988-11-27-2ネパール1988年11月27日1980年代欧州国会使節団来訪。
DIA-303-1988-11-30-1ネパール1988年11月30日1980年代イギリス,カトマンドゥ―香港間の航空便運航覚書に調印。
DIA-303-1988-11-30-2ネパール1988年11月30日1980年代外務省,PLO指導者Y・アラファトに対するアメリカのビザ発給拒否につき,不運な事柄であると非難声明。
DIA-303-1988-12-02-1ネパール1988年12月02日1980年代スイス,馬鈴薯開発計画に対し,380万スイスフランの無償援助に署名。
DIA-303-1988-12-03-1ネパール1988年12月03日1980年代R・マーフィ米国務省中近東・南アジア担当次官補来訪。A・アハサンSAARC事務局長と米国の対SAARC協力で,またM・M・S・シュレスタ首相とは,二国間,地域および国際問題につき会談。
DIA-303-1988-12-06-1ネパール1988年12月06日1980年代中国訪問中のS・K・ウパディヤ外相,第2回ネパール・中国合同国境査察プロトコールに調印。また同外相は李鵬首相と会談。
DIA-303-1988-12-06-2ネパール1988年12月06日1980年代第7回ネパール・インド・カルナリ河多目的ダム調整委員会始まる。
DIA-303-1988-12-07-1ネパール1988年12月07日1980年代S・K・ウパディヤ外相,北朝鮮を訪問。北朝鮮のネパールの「平和地帯構想」支持に対し謝意表明。
DIA-303-1988-12-08-1ネパール1988年12月08日1980年代B・B・プラダン蔵相,トリブバン大学経済開発行政センターにおいてネパール経済の現況につき説明。輸出は41%と高い伸びを示し,外貨準備も75億ルピーに達し好ましい状況にあると述べた。
DIA-303-1988-12-08-2ネパール1988年12月08日1980年代国王,ディレンドラ皇太子の王族権放棄願いに対し許可。
DIA-303-1988-12-09-1ネパール1988年12月09日1980年代日本政府,輸送力増強計画8億2500万円,都市給水計画4億2500万円の無償援助2案件に調印。
DIA-303-1988-12-13-1ネパール1988年12月13日1980年代貿易振興センター,1988/89年度第1四半期の貿易状況につき発表。カーペットの輸出58%増(前年同期比),既製服の輸出38%増(同)。
DIA-303-1988-12-14-1ネパール1988年12月14日1980年代政府,チーフ・スポークスマンにRadheshyam Bistaを指名。
DIA-303-1988-12-17-1ネパール1988年12月17日1980年代F・マヨールUNESCO事務局長来訪。滞在中に,地震により被害を受けた学校,寺院復旧のため,10万㌦の緊急援助を発表。
DIA-303-1988-12-19-1ネパール1988年12月19日1980年代IMF,構造調整計画に対し1120万SDRの借款供与。
DIA-303-1988-12-20-1ネパール1988年12月20日1980年代ヘトウダ・セメント工場,セメント価格を1袋当り13.58ルピー引き下げ。
DIA-303-1988-12-20-2ネパール1988年12月20日1980年代アジア開発銀行は,空港拡張計画へ2億ルピー,農機具調達計画に13億7500万ルピー,灌漑開発計画に9億750万ルピーの借款供与。
DIA-303-1988-12-20-3ネパール1988年12月20日1980年代ノルウェー,ネパールの「平和地帯構想」に支持表明。
DIA-303-1988-12-21-1ネパール1988年12月21日1980年代燃料公社,薪の価格引き上げ発表。カトマンドゥ市では100㎏当り95ルピー。
DIA-303-1988-12-21-2ネパール1988年12月21日1980年代D.Cloaraecフランス大蔵省財務借款局長来訪。
DIA-303-1988-12-22-1ネパール1988年12月22日1980年代フランス政府は,2援助案件に調印。地震被災地再建計画に対し,2100万フランの無償および3900万フランの低利融資,ネパールガンジ―マヘンドラナガール間送電線建設計画に対し,1500万フランの無償および3700万フランの低利追加融資援助。
DIA-303-1988-12-25-1ネパール1988年12月25日1980年代ブータンと,カトマンドゥ―ティンプー間の航空路線開設覚書に調印。
DIA-303-1988-12-27-1ネパール1988年12月27日1980年代コンゴ,ネパールの「平和地帯構想」に支持表明。
DIA-303-1988-12-27-2ネパール1988年12月27日1980年代日本政府,7億円の食糧増産援助に調印。
DIA-303-1988-12-29-1ネパール1988年12月29日1980年代国王夫妻,SAARC首脳会議のためイスラマバートへ出発。首脳会議は31日まで開催。
DIA-303-1988-12-31-1ネパール1988年12月31日1980年代イギリス政府は,アルン第3水力発電所計画に1000万ポンド,別案件に対して1000万ポンドの無償援助に調印。
DIA-303-1989-01-02-1ネパール1989年01月02日1980年代サントメ・プリンシペ,「平和地帯」提案を支持(102ヵ国め)。
DIA-303-1989-01-02-2ネパール1989年01月02日1980年代輸出振興委員会(第7回)開かれる。
DIA-303-1989-01-03-1ネパール1989年01月03日1980年代第7回ネパール・バングラデシュ合同経済委員会,ダッカで開催。両国蔵相ら出席(~5日)。
DIA-303-1989-01-03-2ネパール1989年01月03日1980年代ウパディヤヤ外相,イラン公式訪問。4日,ベラヤティ外相と会談。
DIA-303-1989-01-04-1ネパール1989年01月04日1980年代イラン,「平和地帯」提案を支持(103ヵ国め)。
DIA-303-1989-01-07-1ネパール1989年01月07日1980年代ウパディヤヤ外相,パリでの化学兵器防止会議に出席(~11日)。
DIA-303-1989-01-08-1ネパール1989年01月08日1980年代昭和天皇崩御に対し政府機関を一日閉庁とする。
DIA-303-1989-01-08-2ネパール1989年01月08日1980年代カトマンドゥ周辺に集中豪雨。
DIA-303-1989-01-09-1ネパール1989年01月09日1980年代ジャナクプルで市開発事業のための無償の土地収用に反対する住民デモに警察が発砲,死者1名,負傷者数十名を出す。
DIA-303-1989-01-09-2ネパール1989年01月09日1980年代各商業銀行の預金と生産部門への融資残高(1988年11月中旬現在,単位:100万ルピー)。
DIA-303-1989-01-10-1ネパール1989年01月10日1980年代英議員団,人口と家族計画関連の活動視察のため来訪(~16日)。
DIA-303-1989-01-12-1ネパール1989年01月12日1980年代1987/88年度貿易収支発表。貿易赤字は前年度比22.8%の増加(単位3100万ルピー)。
DIA-303-1989-01-12-2ネパール1989年01月12日1980年代ブダトキ供給相,ネパール石油公社に品質向上と地方への灯油供給の促進を急ぐよう指示。また公社は今後石油の国内備蓄を現在の35日から今世紀末までに120日とする計画。
DIA-303-1989-01-13-1ネパール1989年01月13日1980年代米共和党下院議員(2名)来訪。援助事業の進行状況を視察。
DIA-303-1989-01-15-1ネパール1989年01月15日1980年代国王夫妻,中西部開発地域(ラプティ,ベリ,カルナリ県)への非公式巡察に出発(~3月21日)。
DIA-303-1989-01-19-1ネパール1989年01月19日1980年代政府,88年8月の大地震被災者1万275家族に6745万ルピーを住宅ローンとして貸付け。
DIA-303-1989-01-20-1ネパール1989年01月20日1980年代国王,ブッシュ米大統領の就任に対し祝辞。
DIA-303-1989-01-20-2ネパール1989年01月20日1980年代インド,メガラヤ州で強制的に難民キャンプに収容されていたネバール系住民(Nepali Speaking Indians)が,食糧配給停止のためネパール領内へ流入。一部がブトワルに到着(Dainik Siddharth紙)。
DIA-303-1989-01-20-3ネパール1989年01月20日1980年代ネパール・インド,マハカリ川のパンチェシュワル多目的計画で双方同出力の発電所を建設することで合意。
DIA-303-1989-01-24-1ネパール1989年01月24日1980年代メチ県イラムで県パンチャヤット大会始まる。本年最初の県パンチャヤット,以下各地で順次開催。
DIA-303-1989-01-25-1ネパール1989年01月25日1980年代Samaj紙,ヘトウダ・セメント工場に4000万ルピー相当の在庫あり,と報道。インド製セメントが安価であるため。
DIA-303-1989-01-26-1ネパール1989年01月26日1980年代夏穀物(米,トウモロコシ,シコクビエ)の生産は449万4400㌧で,前年比46万990㌧の増産(単位:トン)。
DIA-303-1989-01-28-1ネパール1989年01月28日1980年代外国人旅行者数・外貨収入(単位:100万ルピー)
DIA-303-1989-01-29-1ネパール1989年01月29日1980年代スウェーデン,「平和地帯」提案を支持(104番め)。
DIA-303-1989-01-30-1ネパール1989年01月30日1980年代国連平和軍縮アジア地域センター,カトマンドゥに設立。開所式行なわれる。
DIA-303-1989-02-01-1ネパール1989年02月01日1980年代ネパール,国連安全保障理事会の2月の議長国となる。
DIA-303-1989-02-01-2ネパール1989年02月01日1980年代ラプティ県ペルジュンディにマヘンドラ・サンスクリット大学設立。
DIA-303-1989-02-02-1ネパール1989年02月02日1980年代政府,一部非政府系紙の「インドがネパールに平和友好条約の改定を通告」の報道を否定。
DIA-303-1989-02-02-2ネパール1989年02月02日1980年代アジア開発銀行,東部,西部,中西部地域の飲料水供給事業向けに1億4400万㌦の借款供与。
DIA-303-1989-02-03-1ネパール1989年02月03日1980年代ネパール人権協会,ジャナクプルの1月9日の発砲事件に関して調査団を派遣(Saptahik Bimarsha紙)。
DIA-303-1989-02-04-1ネパール1989年02月04日1980年代ネパール電力局,次の雨季までの節電を呼びかけ。降水不足のためクリカニ・ダムの水量が十分でないため。
DIA-303-1989-02-06-1ネパール1989年02月06日1980年代ウパディヤヤ外相,ネパール・インドの相互理解関係は良好であると発言,インド側の一部で報道された関係の悪化を否定。
DIA-303-1989-02-08-1ネパール1989年02月08日1980年代ラトナ・ハイウエイ(コハルプル-スルケット間,91km)開通。
DIA-303-1989-02-08-2ネパール1989年02月08日1980年代産業省職員,商工会議所役員等からなるネパール投資促進使節団,約1ヵ月の予定でイタリア,西ドイツ,アメリカを訪問。
DIA-303-1989-02-09-1ネパール1989年02月09日1980年代政府,全国建築法の制定とその準備委員会の設立を決定。
DIA-303-1989-02-10-1ネパール1989年02月10日1980年代政府,エイズ抑制計画の一環として行なった調査で,国内に外国人4人,ネパール人女性2人の感染者が発見されたと発表。
DIA-303-1989-02-12-1ネパール1989年02月12日1980年代政府,西ドイツ・スイスとの間でパルパ県の諸開発事業向けに266万スイスフランの無償援助を受ける旨の文書を交換。
DIA-303-1989-02-13-1ネパール1989年02月13日1980年代ベネズエラ,「平和地帯」提案を支持(105ヵ国め)。
DIA-303-1989-02-15-1ネパール1989年02月15日1980年代ブータンのトブギャル観光通信相,ドゥルク航空(Druk Air)の最初の商業飛行で来訪。カトマンドゥ・パロ間には4月13日より定期航路が開設予定(ネパール航空と相互乗入れ)。
DIA-303-1989-02-15-2ネパール1989年02月15日1980年代現在ネパールにおいて国外からの58の投資事業と30の技術援助活動が行なわれている。このうち66件はインド,中国,日本,アメリカなどとの二国間協力事業となっている(RN)。
DIA-303-1989-02-17-1ネパール1989年02月17日1980年代イエメン・アラブ共和国,「平和地帯」提案を支持(106ヵ国め)。
DIA-303-1989-02-17-2ネパール1989年02月17日1980年代シェル運輸貿易会社のホルムズ会長(ロイヤル・ダッチ・シェル社副会長)来訪。シェル・ネパール合同の石油試掘調査を視察。
DIA-303-1989-02-21-1ネパール1989年02月21日1980年代国際刑事警察機構アジア地域会議,カトマンドゥで開催(~24日)。
DIA-303-1989-02-22-1ネパール1989年02月22日1980年代ギャネンドラ殿下,大喪の礼に出席のため日本へ出発。
DIA-303-1989-02-22-2ネパール1989年02月22日1980年代1987/88年度の国外からの輸入は前年比で23%増加(RN)。
DIA-303-1989-02-23-1ネパール1989年02月23日1980年代政府,国内に国連難民高等弁務官事務所認定の難民が61人存在すると発表(イラン25人,アフガニスタン24人,イラク4人,ユーゴスラビア1人,インド7人)。
DIA-303-1989-02-23-2ネパール1989年02月23日1980年代政府,1988年12月14日現在647万9137人が国籍証明書を獲得と発表。
DIA-303-1989-02-25-1ネパール1989年02月25日1980年代政府,スイスの援助機関から地方の橋梁建設事業に対し40万スイスフランの援助を受けることで合意。
DIA-303-1989-02-28-1ネパール1989年02月28日1980年代政府,日本政府から2億1990万円の無償援助を受ける旨の文書を交換。この援助は主に開発,建築事業用の資材の購入に当てられる。
DIA-303-1989-02-28-2ネパール1989年02月28日1980年代2月末~3月初,非政府系各紙,インドがネパール政府に1950年平和友好条約の見直しを正式に通告した,と報道。
DIA-303-1989-03-02-1ネパール1989年03月02日1980年代政府,ラオ・インド外相をシヴァラートリ祭(6日)に招待。
DIA-303-1989-03-06-1ネパール1989年03月06日1980年代デクエヤル国連事務総長,シュレスタ首相の招待により公式訪問(~9日)。
DIA-303-1989-03-06-2ネパール1989年03月06日1980年代ラオ・インド外相,カトマンドゥ訪問。条約問題に関する交渉は進展なし。
DIA-303-1989-03-09-1ネパール1989年03月09日1980年代ネパール・インド合同チーム,東部・西部・中西部国境で破損した境界柱を再設置。また同チームは不明確であった河川上,無人地帯の国境線引きのための調査を開始。
DIA-303-1989-03-14-1ネパール1989年03月14日1980年代マルシャンディ水力発電プロジェクトの85%が完成,本年11月には電力供給を開始できる見通し(RN)。
DIA-303-1989-03-18-1ネパール1989年03月18日1980年代インド鉄道敷設会社によるビルガンジ・ヘトウダ架橋計画が完成。世銀の援助を受けたこのプログラムにより同区間の道路に七つの橋が建設された。
DIA-303-1989-03-19-1ネパール1989年03月19日1980年代ネパールガンジで国王出席の下,中西部地域パンチャ大会が開かれる。
DIA-303-1989-03-22-1ネパール1989年03月22日1980年代国内の茶需要のうち国内生産は33%を満たすにすぎない,とネパール茶開発公社が発表(RN)。
DIA-303-1989-03-23-1ネパール1989年03月23日1980年代政府,中西部地域を中心とした灌漑設備,道路整備,産業育成計画を発表。
DIA-303-1989-03-23-2ネパール1989年03月23日1980年代ネパール・インド通商条約,通過条約失効。国境の各通関地点が閉鎖される。
DIA-303-1989-03-24-1ネパール1989年03月24日1980年代バグマティ県,首都圏でのガソリン,ディーゼル燃料を25日より配給制とすることを決定。
DIA-303-1989-03-26-1ネパール1989年03月26日1980年代ウパディヤヤ外相,ニューデリーへ。インド外相と会談,できるだけ早期の問題解決で合意したが,具体的な進展はみられず(27日帰着)。
DIA-303-1989-03-27-1ネパール1989年03月27日1980年代ネパール国立銀行からインド準備銀行への預託金,インド紙幣1億3000万ルピーがパトナ空港税関の通過を認められずカトマンドゥへ返送される。
DIA-303-1989-03-28-1ネパール1989年03月28日1980年代ネパール国立銀行,いかなるインド国民,実業家,事業体に対してもネパールの商業銀行は業務上の制限を行なってはいない,と言明。
DIA-303-1989-03-28-2ネパール1989年03月28日1980年代ウパディヤヤ外相,駐ネ・インド大使に対し,すでに行なわれているインドからの経済封鎖行為を指摘し,抗議。
DIA-303-1989-03-28-3ネパール1989年03月28日1980年代バグマティ県,カトマンドゥ三市の灯油供給を配給制とする。4人以下の家庭で週3㍑,5人以上で週5㍑。
DIA-303-1989-03-28-4ネパール1989年03月28日1980年代政府,石油燃料の不足対策として,カトマンドゥ三市,ポカラ等で薪燃料の供給を促進し,価格を25%下げる措置をとると発表。
DIA-303-1989-03-28-5ネパール1989年03月28日1980年代トリブバン大学薬学研究所と日本の国際協力事業団(JICA)間の技術協力が5年間延長して更新(1989年6月発効)(RN)。
DIA-303-1989-03-29-1ネパール1989年03月29日1980年代政府,インド外相の「条約更新がなくてもインドはネパールに対し生活必需品の供給を行なうであろう」との発言報道に対し,条約失効以前の3月19日からいかなる物資も国境通過を許されていない,と反発。
DIA-303-1989-03-30-1ネパール1989年03月30日1980年代政府,全国75郡に国籍証明書発行を行なう264の公式チームを派遣する,と発表。この証明書は1988年に登録されたすべてのネパール人に対して発行される。業務期間は1989年4月13日から7月15日まで。
DIA-303-1989-03-30-2ネパール1989年03月30日1980年代政府,インド政府あてに,早期にカトマンドゥかニューデリーで条約交渉を開始するよう要請する書簡を送ったと発表。
DIA-303-1989-03-30-3ネパール1989年03月30日1980年代インド・ネパール国境の15ヵ所の物資通過地点のうち2ヵ所(ラクソウル,ジョグバニ)を第三国貿易の窓口として通過を認める。
DIA-303-1989-03-30-4ネパール1989年03月30日1980年代アビシュ・フランス外務大臣付大臣来訪(~31日)。31日にウパディヤヤ首相,プラダン蔵相と会談。
DIA-303-1989-03-31-1ネパール1989年03月31日1980年代ネパール運送業者協会,燃料不足のため全国のバス,トラック,タクシー等の運行を長距離で40%,短距離で50%削減すると発表。
DIA-303-1989-04-03-1ネパール1989年04月03日1980年代カトマンドゥ各地で学生を中心とした経済封鎖抗議のデモ。
DIA-303-1989-04-03-2ネパール1989年04月03日1980年代バグマティ県,事前許可なき集会,デモを禁止。
DIA-303-1989-04-03-3ネパール1989年04月03日1980年代トリブバン大学,教育文化省の要請により2ヵ月間の全キャンパス閉鎖を決定。
DIA-303-1989-04-04-1ネパール1989年04月04日1980年代ネパール石油公社,インド以外の第三国からの石油製品輸入を発注。
DIA-303-1989-04-04-2ネパール1989年04月04日1980年代政府,OGLによる基本物資輸入を許可。
DIA-303-1989-04-05-1ネパール1989年04月05日1980年代パキスタンのアクンド首相外交顧問訪ネ(~6日)。国王,シュレスタ首相と会談。ブット首相の親書を手渡し,印・ネ問題解決への協力を約束(6日)。
DIA-303-1989-04-05-2ネパール1989年04月05日1980年代B・シャハ駐印ネパール大使,インド紙のインタビューで,早期の条約交渉再開を訴える(Statesman)。
DIA-303-1989-04-06-1ネパール1989年04月06日1980年代3月27日,パトナ空港で通関を拒否されたネパール国立銀行預託金のインド紙幣,パトナ空港税関を通過。
DIA-303-1989-04-07-1ネパール1989年04月07日1980年代政府スポークスマン,中国からの武器購入に関するインドの報道に対し,あくまで自衛目的であり,インドの脅威となるものではない,と語る。
DIA-303-1989-04-07-2ネパール1989年04月07日1980年代バスネット水資源相訪中(~11日)。両国間の水資源開発協力について担当大臣と会談(8日)。
DIA-303-1989-04-10-1ネパール1989年04月10日1980年代世銀IDA,都市部開発と1988年8月地震被害の復興再建に4150万㌦の借款援助を決定。
DIA-303-1989-04-11-1ネパール1989年04月11日1980年代政府,輸入付加税,輸出税の税率削減を発表。同時にインド製品への関税上の優遇を撤廃。
DIA-303-1989-04-11-2ネパール1989年04月11日1980年代ネパール国籍規定を修正,国籍申請に対しパンチャヤット長の推薦も有効とする(官報)。
DIA-303-1989-04-12-1ネパール1989年04月12日1980年代ネパール石油公社,バングラデシュ石油公社との間で石油製品買いつけに合意。他にバングラデシュからは砂糖4000㌧の購入も決定。
DIA-303-1989-04-13-1ネパール1989年04月13日1980年代ビクラム暦2046年,新年。国王,難局に当たり国民の忍耐と協力団結を呼びかけるメッセージを発表。
DIA-303-1989-04-16-1ネパール1989年04月16日1980年代内務省,ネパール・ビザ延長の規定変更を発表。1ヵ月以上3ヵ月までの旅行ビザ延長には1日当り10㌦の換金証明が必要となる。
DIA-303-1989-04-16-2ネパール1989年04月16日1980年代学生組織がカトマンドゥ3市,ポカラ,ビラトナガル等でゼネストを呼びかけ。
DIA-303-1989-04-17-1ネパール1989年04月17日1980年代政府,観光シーズンの終わりに当たり,外国人旅行者数(インド人を含む)は前シーズン並みであったと発表。現在,観光業に対する経済封鎖の影響は小さいが,今後も特にこの部門を保護すべきであると強調。
DIA-303-1989-04-19-1ネパール1989年04月19日1980年代ロハニ住宅相,住宅開発金融会社を設立し,住宅建設融資や土地開発を組織的に行なう予定と語る。
DIA-303-1989-04-20-1ネパール1989年04月20日1980年代政府スポークスマン,今年の小麦の予想生産高を81万3520㌧(前年比9.26%増)と発表。
DIA-303-1989-04-20-2ネパール1989年04月20日1980年代モシン観光相,シンガポールのアジア太平洋観光業協会(PATA)に出席,経済封鎖によるネパール観光業への打撃はないと語る。
DIA-303-1989-04-24-1ネパール1989年04月24日1980年代ニカラグア,「平和地帯」提案を支持(107ヵ国め)。
DIA-303-1989-04-24-2ネパール1989年04月24日1980年代50名の米国会議員,駐米インド大使に対しネパールへの経済封鎖を中止するよう書簡を送る(RN)。
DIA-303-1989-04-25-1ネパール1989年04月25日1980年代外務省は,駐ネ・インド大使に対しカトマンドゥで6月初旬に,外相レベル協議を行なうことを申し入れ。
DIA-303-1989-04-26-1ネパール1989年04月26日1980年代ネパール石油公社,全インド放送の「インドはネパールに対し通常どおりに石油を供給」の報道を否定。
DIA-303-1989-04-26-2ネパール1989年04月26日1980年代日本外務省,ネ・印条約交渉問題について進展を見守るとともに,両国間での交渉の再開と満足のいく解決を望むとの声明を発表。
DIA-303-1989-04-29-1ネパール1989年04月29日1980年代印,米,英,の新聞・雑誌記者,BBC,ロイター,ソ連の通信社,ビルガンジで経済封鎖の現状を取材。
DIA-303-1989-05-01-1ネパール1989年05月01日1980年代英,ネ・印問題に対して深い関心と憂慮を表明。
DIA-303-1989-05-01-2ネパール1989年05月01日1980年代プラダン蔵相,経済封鎖による1988/89年度の経済的損失は20億ルピー,税収減は10億ルピー,GDP成長率は当初予想5.3%のところ1.6%にとどまる見込,と語る。
DIA-303-1989-05-01-3ネパール1989年05月01日1980年代ウパディヤヤ外相,インドとの早期の交渉開始を呼びかける記者会見。
DIA-303-1989-05-01-4ネパール1989年05月01日1980年代プラダン蔵相,アジア開発銀行総会(4~6日)とネ・中政府間経済通商委員会(7~9日)に出席のため北京へ出発。
DIA-303-1989-05-01-5ネパール1989年05月01日1980年代インドのHindu紙,アッサム,メガラヤ各州で約1400家族のネパール系住民が放火,追放にあったと報道。
DIA-303-1989-05-02-1ネパール1989年05月02日1980年代インド外相,駐ネ・インド大使をニユーデリーに召還し,報告を受ける予定である,と議会に語る。
DIA-303-1989-05-02-2ネパール1989年05月02日1980年代米政府と議会,ネ・印問題への関心を示し,駐米インド大使に問題解決への働きかけを行なった。
DIA-303-1989-05-03-1ネパール1989年05月03日1980年代パキスタン政府,ネ・印問題を注意深く見守るとともに交渉による早期解決を望む,と発表。
DIA-303-1989-05-03-2ネパール1989年05月03日1980年代ネパール石油公社,300㌧相当の石油製品を中国から購入。
DIA-303-1989-05-03-3ネパール1989年05月03日1980年代ルンビニ県の地方開発事業向けにフランスから約1480万ルピー相当の無償援助を受ける旨の文書を交換。
DIA-303-1989-05-08-1ネパール1989年05月08日1980年代ネパール国立銀行,各商業銀行に対し,経済封鎖により影響を受けた企業,事業主への特別融資を行なうよう指示。
DIA-303-1989-05-08-2ネパール1989年05月08日1980年代フィンランド議員団訪ネ。滞在中,援助準備としての現地視察,調査を行なう(~11日)。
DIA-303-1989-05-08-3ネパール1989年05月08日1980年代ドルパ郡の18ヵ村に対する外国人旅行者の入域禁止を解除。またインド人を除く外国人はムズタン郡のムクチナート寺院に行くために許可証が必要となる。
DIA-303-1989-05-11-1ネパール1989年05月11日1980年代電力局,供給制限を強化。
DIA-303-1989-05-12-1ネパール1989年05月12日1980年代ガトマンドゥ,ポカラ等6都市で速達郵便を開始。適用範囲は6市を管轄する郡内の郵便局管内。
DIA-303-1989-05-12-2ネパール1989年05月12日1980年代ウパディヤヤ外相,非同盟諸国閣僚レベル会議に出席のためハラレへ。16日,インドのラオ外相と会談。
DIA-303-1989-05-13-1ネパール1989年05月13日1980年代政府,22項目の経済政策を発表。経済封鎖による影響を最小限に抑えることが目的(「参考資料」参照)。
DIA-303-1989-05-19-1ネパール1989年05月19日1980年代ネパーリー・コングレスのガネシュ・マン・シン,現在の「危機」(ネ・印関係)が終結するまでいかなる行動も起こさないことを決定,と語る。
DIA-303-1989-05-19-2ネパール1989年05月19日1980年代ネ・印関係に関する反政府的発言で逮捕されていた前外相リシケシュ・シャハが釈放され,発言の真意について弁明する(インド誌のインタビュー記事が問題とされた)。
DIA-303-1989-05-21-1ネパール1989年05月21日1980年代政府,パキスタン,バングラデシュ,シンガポールに官民合同の輸出促進チームを派遣。
DIA-303-1989-05-22-1ネパール1989年05月22日1980年代ウダイプル・セメント工場の建設を日本の川崎製鉄とトーメンが行なう旨の契約文書交換,資金は36億7960万ルピーを日本の海外経済協力基金,30億ルピーをネパール政府が支出。完成は1992年7月。
DIA-303-1989-05-22-2ネパール1989年05月22日1980年代駐ネ・インド大使館,シュレスタ首相が先の非同盟諸国調整部会にネ・印問題を持出した件について声明を発表,「インドは二ヵ国間の問題について国際会議の場で解決をはかることはしない」。
DIA-303-1989-05-22-3ネパール1989年05月22日1980年代英国防相は英国議会で,香港の中国への返還時にグルカ連隊を半分(現在8000人)に削減すると発表。
DIA-303-1989-05-24-1ネパール1989年05月24日1980年代政府,森林開発のための21ヵ年計画を発表。アジア開発銀行,フィンランド政府,FAO,ODAが一部を援助。
DIA-303-1989-05-24-2ネパール1989年05月24日1980年代シュレスタ首相,極西部地域の数都市を訪れ,パンチャ指導部と現状への対応などについて懇談(~24日)。
DIA-303-1989-05-25-1ネパール1989年05月25日1980年代外務省,駐ネ・インド大使を通じ,6月第1週かそれ以前にカトマンドゥで外相レベルの会談開催を申し入れ。
DIA-303-1989-05-28-1ネパール1989年05月28日1980年代RSS通信,条約失効後の経済的諸影響に関するリポートを発表。
DIA-303-1989-05-30-1ネパール1989年05月30日1980年代各国・国際機関援助グループ,カトマンドゥで会議を行なう。西側11ヵ国,世銀等4国際機関の現地代表が出席。プラダン蔵相が経済封鎖の開発事業に与える影響と援助に対する期待について演説。
DIA-303-1989-05-31-1ネパール1989年05月31日1980年代インド政府,モハナ河の橋梁建設に2000万インドルピーの無償援助。
DIA-303-1989-05-31-2ネパール1989年05月31日1980年代ガンダキ西運河,再度決壊する。
DIA-303-1989-05-31-3ネパール1989年05月31日1980年代(Prakash紙報道)世銀調査によれば1989年1月現在,ネパール人口の60%(農村部人口の97%)が貧困ライン以下にあり,世銀の認定する「最も経済的に貧しい国」の一つになっている。
DIA-303-1989-06-01-1ネパール1989年06月01日1980年代経済封鎖後の観光業は外国人観光客の減少等により打撃を受ける(4月は前年比20%減,5月は32%減,インド人についてはそれぞれ46%,65%減)(RN)。
DIA-303-1989-06-01-2ネパール1989年06月01日1980年代プラダン蔵相,サウジアラビア,クウェート訪問に出発。3日Abdulkhail蔵相と会談,ネパールの現状を訴えるとともに経済協力について協議(~8日)。
DIA-303-1989-06-01-3ネパール1989年06月01日1980年代H・B・M・タクリ前森林・土壌保全相,任期中の不正木材横流し行為により有罪判決を受ける。
DIA-303-1989-06-02-1ネパール1989年06月02日1980年代シェル,ネパール合同の石油採掘ボーリング作業,ビラトナガル近郊で始まる。
DIA-303-1989-06-03-1ネパール1989年06月03日1980年代供給省,この日からディーゼル,灯油の供給を増やす,と発表。インド以外から調達した石油製品が到着し始めたため。この後,徐々に灯油配給の緩和,バス運行本数の増加等が行なわれる。
DIA-303-1989-06-04-1ネパール1989年06月04日1980年代国会議員パシュパティ・S・J・B・ラナ,現在の危機に対する政府の対応を批判。
DIA-303-1989-06-06-1ネパール1989年06月06日1980年代アッサム州を追われたネパール系住民約500人,モラン,スンサリ郡等に到着(Samaj紙)。
DIA-303-1989-06-08-1ネパール1989年06月08日1980年代オーストリア,「平和地帯」提案を支持(108ヵ国め)。
DIA-303-1989-06-08-2ネパール1989年06月08日1980年代マヘンドラナガルのエベレスト製紙,クレカニからの電力供給が不足のため日産9㌧(平常15㌧)に減産。
DIA-303-1989-06-08-3ネパール1989年06月08日1980年代政府,ネパールのGATT正式加盟をGATT本部に申請,と発表。
DIA-303-1989-06-08-4ネパール1989年06月08日1980年代政府スポークスマン,中国情勢についてコメントを求められ,「ネパールは友好国の内政問題には言及しない立場を守る。また中国自身の安定と平和を望む」と語る。
DIA-303-1989-06-09-1ネパール1989年06月09日1980年代G・B・タパ,ネパール国立銀行総裁に再任される(任期5年)。
DIA-303-1989-06-10-1ネパール1989年06月10日1980年代ポカラ産業区にある40の事業所がインドあるいは第三国からの原料が不足しているため操業を休止している(GP)。
DIA-303-1989-06-11-1ネパール1989年06月11日1980年代海外貿易(88年7月16日~89年4月13日)―輸出は前年度に比べ34.8%増,カーペット(11億4200万ルピー),衣料品(9億3900万ルピー)で全体の90%を占める。他に山羊皮,豆類,銀,宝飾品等(単位:100万ルピー)。
DIA-303-1989-06-12-1ネパール1989年06月12日1980年代内務省の管轄下に移民局(Department of Immigration)を新設(官報)。
DIA-303-1989-06-15-1ネパール1989年06月15日1980年代第40回国家バンチャヤット議会(国会)開会。
DIA-303-1989-06-21-1ネパール1989年06月21日1980年代国王,国会で演説。ネ・印問題早期解決とネパールの平和外交政策の堅持を強調。
DIA-303-1989-06-22-1ネパール1989年06月22日1980年代政府,6月16日付で5月25日の申入れに対するインドからの返答を受けとった,と発表。
DIA-303-1989-06-23-1ネパール1989年06月23日1980年代バキスタンのヤクブ・カーン外相,ウパディヤヤ外相の招きで公式訪問。
DIA-303-1989-06-26-1ネパール1989年06月26日1980年代ウパディヤヤ外相,国会でネ・印問題の現状について説明。
DIA-303-1989-06-30-1ネパール1989年06月30日1980年代ウパディヤヤ外相は国会で,先のインドからの返答に何ら交渉再開の意思がみられず,26日付で再びインドへの申入れを行なった(このなかで,1950年友好条約の見直し,安全保障問題についても話しあう用意がある,と表明)と発言。
DIA-303-1989-07-02-1ネパール1989年07月02日1980年代ブダトキ供給相,国会において対インド問題の国内経済に対する影響の現状について説明。石油製品,砂糖等の不足と,当面の措置について詳細を語る。
DIA-303-1989-07-03-1ネパール1989年07月03日1980年代北朝鮮の世界学生大会に出席のため出国しようとした学生の一部,空港で差止められる。大会には北朝鮮の招待を受け,ネ政府が選考した学生は参加した。出発を認められなかったのは個人で北朝鮮の招きに応じた学生運動家で,政府に通知を行なわずに出国しようとしたため。
DIA-303-1989-07-03-2ネパール1989年07月03日1980年代トリブバン大学の教師117名が連名でインドに対する抗議声明を発表。「〔インド側の反ネパール的報道や煽動を通じて〕インド政府はネパールの国内問題に干渉すべきでない」。
DIA-303-1989-07-04-1ネパール1989年07月04日1980年代政府,生活必需品の円滑な流通と販売を監督するため中央から地方,都市町村レベルそれぞれに流通委員会を設置。中央では供給省の管轄下に関係大臣,議員,軍,商工会議所長らがメンバーとなる。
DIA-303-1989-07-07-1ネパール1989年07月07日1980年代電力局,発電所地域への降水があったため午後3時~6時の停電を中止。
DIA-303-1989-07-09-1ネパール1989年07月09日1980年代シュレスタ首相,国会でネパールの外交姿勢と最近の外交問題を総轄する演説を行なう。
DIA-303-1989-07-09-2ネパール1989年07月09日1980年代プラダン蔵相,1988/89年度経済白書を発表。
DIA-303-1989-07-10-1ネパール1989年07月10日1980年代1989/90年度予算案を国会に提出。総支出202億4200万ルピー,うち開発支出は135億9080万ルピー,総収入は107億2460万ルピー,うち外国援助(贈与)は22億2400万ルピー,財政収支は-95億1740万ルピー(「主要統計」参照)。
DIA-303-1989-07-10-2ネパール1989年07月10日1980年代政府,インド・ルピーの無制限交換制度を廃止。
DIA-303-1989-07-10-3ネパール1989年07月10日1980年代バングラデシュのマフムード外相来訪。外相,首相と両国間の貿易,地域協力等について会談(~11日)。
DIA-303-1989-07-16-1ネパール1989年07月16日1980年代次期国家パンチャヤット選挙有権者名簿の作成開始(90年4月13日までに21歳となるネパール国民が対象)。
DIA-303-1989-07-16-2ネパール1989年07月16日1980年代一部地域を除き石油製品の配給制を中止するとともに,各製品の値上を行なう。
DIA-303-1989-07-17-1ネパール1989年07月17日1980年代ガンディー首相,インドは貿易,通過問題についていつでもネパールと話し合う用意がある,と発言。
DIA-303-1989-07-19-1ネパール1989年07月19日1980年代バス,タクシー,テンポ等の交通機関の値上げを実施。
DIA-303-1989-07-21-1ネパール1989年07月21日1980年代ウパディヤヤ外相,先のガンディー発言に対し「わい曲され,事実とは極度に異なっている」と反発(ガンディー首相が条約失効直前に国王とコンタクトを試みたが果たされなかった,と発言したと報じられたことに対し,そのような事実を否定。)
DIA-303-1989-07-21-2ネパール1989年07月21日1980年代ギリシア,「平和地帯」提案を支持(109ヵ国め)。
DIA-303-1989-07-24-1ネパール1989年07月24日1980年代ネパール商工会議所年次大会開催される(~26日)。
DIA-303-1989-07-26-1ネパール1989年07月26日1980年代第3回ネパール・パキスタン合同経済委員会,カトマンドゥで開催。パキスタンからピラーチャー大蔵担当国務相が来訪(~29日)。
DIA-303-1989-07-26-2ネパール1989年07月26日1980年代オランダ政府,ネ・印問題に対し公正な解決を望む旨の声明を発表。
DIA-303-1989-07-26-3ネパール1989年07月26日1980年代インド,ジャナタ・ダルのV・P・シン委員長,「インド政府の対ネ政策は単に政府レベルだけでなく,両国民間の長年にわたる友好関係をも傷つけた」と発言。
DIA-303-1989-07-27-1ネパール1989年07月27日1980年代産業相,1988/89年度の産業統計を発表。
DIA-303-1989-07-28-1ネパール1989年07月28日1980年代バングラデシュの貿易使節団来訪。
DIA-303-1989-07-28-2ネパール1989年07月28日1980年代ブダトキ供給相,石油製品配給制再開の必要ありと語る。カルカッタ港のネパール物資の取扱い埠頭(バジ・バジ埠頭)が近く修理のために平常の使用が不可能になり,再び海外からの石油輸入が滞る見通しのため。
DIA-303-1989-07-31-1ネパール1989年07月31日1980年代観光省,ヒマラヤ登山の入山料を改定(官報)。
DIA-303-1989-08-01-1ネパール1989年08月01日1980年代ネ・中国交樹立34周年の会合でウパディヤヤ外相,対インドを意識して地域内安定のための中国の協力を期待するスピーチを行なう。また駐ネ中国大使は最近の中国情勢(自由化弾圧)に対しネ政府が「国内問題」として不干渉を表明し続けていることを高く評価。
DIA-303-1989-08-02-1ネパール1989年08月02日1980年代Prakash紙,スリランカの平和維持軍に参加のグルカ兵が戦闘で死亡と報道。国会でもこの問題がとりあげられ,これはインドがグルカ連隊をインド軍の作戦に投入することを禁じた1947年の協約に違反するものであると批難。
DIA-303-1989-08-08-1ネパール1989年08月08日1980年代カルカッタのバジ・バジ埠頭修理が終了し,まもなく使用再開の見通し,との国会報告。
DIA-303-1989-08-09-1ネパール1989年08月09日1980年代モルディブのジャミール外相来訪。ウパディヤヤ外相と二国間の協力,および南アジア地域の諸情勢について会談(~10日)。
DIA-303-1989-08-10-1ネパール1989年08月10日1980年代政府,河川の輸送路としての利用開発整備のための5ヵ年計画を発表。
DIA-303-1989-08-11-1ネパール1989年08月11日1980年代アジア開発銀行,カトマンドゥ盆地の土地利用と環境保護計画に60万㌦を貸与。
DIA-303-1989-08-15-1ネパール1989年08月15日1980年代カトマンドゥで援助国・国際機関の会議が行なわれる(米,英,日本など西側8ヵ国,世銀,ユニセフなど4国際機関の現地代表が参加)。この席でプラダン蔵相はネ経済の状況ど予算を含めた当面の政策について説明を行ない,これらの事実にあたっての援助の必要性と期待を表明。
DIA-303-1989-08-19-1ネパール1989年08月19日1980年代内務担当相,現在治安法により拘留されているのは44名にすぎず,これらも近く釈放されるであろう,と国会で答弁。またこの時,現在国内には合法的に登録認可を受けたいかなる人権擁護組織も存在しない,と発言。
DIA-303-1989-08-21-1ネパール1989年08月21日1980年代ボハラ公共事業・運輸相,現在全国75郡中50郡に6611kmの道路が完成しており,ハイウエイの延長部も順調に建設中であると語る。
DIA-303-1989-08-21-2ネパール1989年08月21日1980年代国内各地の大学教師857名,連名でインドへの前向きの交渉を求める声明を発表。
DIA-303-1989-08-22-1ネパール1989年08月22日1980年代米議員使節団来訪(~25日)。
DIA-303-1989-08-24-1ネパール1989年08月24日1980年代政府,条約問題に関する6月26日付の対印書簡に対し返答があった,と発表。
DIA-303-1989-08-25-1ネパール1989年08月25日1980年代インドのラオ外相,ウパディヤヤ外相の招きで来訪,条約問題について会談(~26日)。
DIA-303-1989-08-26-1ネパール1989年08月26日1980年代国王,ロンドンで開催されたヒンドゥー教会議にメッセージを送り,ヒンドゥー教国としてネパールが世界平和に努力することを強調する。
DIA-303-1989-08-27-1ネパール1989年08月27日1980年代国連難民高等弁務官事務所,カトマンドゥに事務所開設を決定し,ネ政府との間で文書合意。
DIA-303-1989-08-30-1ネパール1989年08月30日1980年代内閣改造(詳細は「参考資料」を参照)。
DIA-303-1989-09-01-1ネパール1989年09月01日1980年代国王夫妻,ベオグラードの第9回非同盟諸国首脳会議出席をふくむ外遊に出発。1~3日トルコ(非公式),3~7日ユーゴスラビア,7~11日チェコスロバキア(非公式),11~15日フィンランド(公式),15~17日クウェート(非公式)。
DIA-303-1989-09-01-2ネパール1989年09月01日1980年代ウパディヤヤ外相,非同盟諸国首脳会議に先立つ外相協議で,ネパールの現状について理解と協力を求める。
DIA-303-1989-09-04-1ネパール1989年09月04日1980年代ベオグラードでビレンドラ・ガンディー会談行われる。条約問題に大きな成果はなし。
DIA-303-1989-09-07-1ネパール1989年09月07日1980年代RN紙,コシ川の洪水で1万㌦の土地が冠水,4000万ルピー相当の被害があり4名が死亡と報道。また地元では洪水の原因はインド領内の治水設備の不備であると批難が高まっている。
DIA-303-1989-09-09-1ネパール1989年09月09日1980年代ネパーリー・コングレス,一週間の全国規模の大衆覚醒運動(Public Awaking Week)を開始。当局はこれを厳しく取締まることを指示し,全国で多数の逮捕者を出した(元外相で人権運動家のR・シャハも逮捕)。
DIA-303-1989-09-09-2ネパール1989年09月09日1980年代新駐ネ・アメリカ大使,「印ネ問題にさしたる進展がみられないのは遺憾である」と発言。特にインドに対し小国への抑圧をやめるよう要請した。
DIA-303-1989-09-10-1ネパール1989年09月10日1980年代カトマンドゥで「消費者フォーラム」開催。物価対策,基本物資の供給等に関する意見書を首相に提出する。
DIA-303-1989-09-11-1ネパール1989年09月11日1980年代インド外相,印ネ問題の公式協議はインドの総選挙後になるか,との質問に対し,「そのように先のことではない」と発言。
DIA-303-1989-09-13-1ネパール1989年09月13日1980年代K・ビスタ元外相,中国を訪問中に李鵬首相と会談,李首相は「印ネ問題の友好的解決を望む。中国もインドとの関係改善をはかっている」と発言。
DIA-303-1989-09-15-1ネパール1989年09月15日1980年代ネ・米間で森林開発のための800万㌦の無償援助に合意。
DIA-303-1989-09-20-1ネパール1989年09月20日1980年代国立銀行,ネパール人の外貨持出しに関する制限を改定。旅行一回につきSAARC諸国200US㌦,アジア300㌦,その他(日本を含む)500㌦。
DIA-303-1989-09-24-1ネパール1989年09月24日1980年代1989年3月23日以降,ネパール石油公社はシンガボールからガソリン9372㌧,ディーゼル3万4310㌧,灯油2万7410㌧を輸入したと発表。
DIA-303-1989-09-24-2ネパール1989年09月24日1980年代ネバーリー・コングレスのG・M・シン,ティハール祭後に左翼と合同で反政府行動を起す予定である,と語る。(Dristi Weekly)。
DIA-303-1989-09-25-1ネパール1989年09月25日1980年代バングラデシュのアフマド首相,公式訪問(~29日)。国王,首相と会談。同時に両国の合同貿易会議が行なわれ,早急な貿易の拡大について具体的品目で合意したほか,カトマンドゥ-ダッカ間の航空運賃の値下げが提案された。
DIA-303-1989-09-25-2ネパール1989年09月25日1980年代マラウィ,「平和地帯」提案を支持(111ヵ国め)。
DIA-303-1989-09-25-3ネパール1989年09月25日1980年代シュレスタ首相,友好団体の中国建国40周年祝賀会で挨拶,ネ・中友好の発展を強調,内陸小国の平和維持と開発への協力要請。
DIA-303-1989-09-27-1ネパール1989年09月27日1980年代国会議員らが参加して政治腐敗,物資不足等に対する政府批判をかかげたストライキがビルガンジで行なわれる(~28日)。参加者逮捕に反発してデモ行進を行ない,チョウドリ議員,アフマド郡パンチャヤット議長ら逮捕される。
DIA-303-1989-09-28-1ネパール1989年09月28日1980年代治安法改正案,国会通過後国王の承認を受けて成立。郡知事にも被疑者の拘留を決定する権限を与える。
DIA-303-1989-10-02-1ネパール1989年10月02日1980年代チトワン郡パンチャヤット,Public Awaking Week参加者の逮捕を含め,全国の政治犯の釈放を求める覚え書を郡当局に提出(Dristi Weekly)。
DIA-303-1989-10-02-2ネパール1989年10月02日1980年代カメルーン,「平和地帯」提案を支持(112ヵ国め)。
DIA-303-1989-10-02-3ネパール1989年10月02日1980年代政府はチベット自治区への輸出に関して禁制品以外はいかなる制限も設けない,と発表(官報)。
DIA-303-1989-10-03-1ネパール1989年10月03日1980年代カーペット輸出,1988/89年度は15億9000万ルピー(GP)。
DIA-303-1989-10-03-2ネパール1989年10月03日1980年代1988/89年度に2億㍍の布地が消費され,うち20%が国内生産であった。しかし現在は製品,原料,燃料ともに輸入が止っている(RN)。
DIA-303-1989-10-04-1ネパール1989年10月04日1980年代国家計画委員会開催。1988/89年度の開発計画の見直しと,貿易問題が現在の経済状況と今後の政策に与える影響,展望等について協議。
DIA-303-1989-10-05-1ネパール1989年10月05日1980年代ウパティヤヤ外相,国連で演説。暗にインドを批難しネパールへの支持を求める。
DIA-303-1989-10-05-2ネパール1989年10月05日1980年代ネパール航空,カトマンドゥ-ロンドン線を開設(週1便)。
DIA-303-1989-10-05-3ネパール1989年10月05日1980年代既製服輸出は1988/89年度11億800万ルピー(前年度8億9700万ルピー),輸出先の90%はアメリカ(RN)。
DIA-303-1989-10-06-1ネパール1989年10月06日1980年代Saptahik Bimarsha紙,ビルガンジのデモが平和裏に行なわれたにもかかわらず当局の介入で逮捕者が出たことを遺憾とする国会議員31名の声明を発表。
DIA-303-1989-10-13-1ネパール1989年10月13日1980年代国王夫妻外遊に出発。17~21日のデンマーク公式訪問を含む。ウパディヤヤ外相が同行(~23日)。
DIA-303-1989-10-14-1ネパール1989年10月14日1980年代国王,非公式のフランス訪問でミッテラン大統領と会談。UPI通信はこの席で国王がインド首相を激しく批難した,と報じる。
DIA-303-1989-10-17-1ネパール1989年10月17日1980年代カルナリ川流域運河の1988/89年度完成分で雨季に1万5000ha,乾季に9000haが灌漑可能となる。日本は245万ルピー相当の資材援助を行なった(GP)。
DIA-303-1989-10-18-1ネパール1989年10月18日1980年代K・K・バルガヴァ(インド),SAARC新事務局長に就任。
DIA-303-1989-10-19-1ネパール1989年10月19日1980年代1989年4月中旬までにネパールに投下された海外資本は86企業,36億ルピーである。主な投資国は印,日,米,仏等で,建設,食料,衣料,観光,カラー写真現像,冷凍貯蔵,,コンサルタント業,等にわたる(RN)。
DIA-303-1989-10-19-2ネパール1989年10月19日1980年代マルシャンディ水力発電所の第1発電機(2万3000kW)が試運転。
DIA-303-1989-10-21-1ネパール1989年10月21日1980年代カルカッタ港のバジ・バジ埠頭再び閉鎖される(30日から再開)。
DIA-303-1989-10-24-1ネパール1989年10月24日1980年代水資源省,家庭向け電力利用を奨励。マルシャンディ水力発電所が運転開始したため,薪,灯油の供給は現状では十分でない。
DIA-303-1989-10-26-1ネパール1989年10月26日1980年代アルゼンチン,「平和地帯」提案を支持(113ヵ国め)。
DIA-303-1989-11-01-1ネパール1989年11月01日1980年代米下院アジア・太平洋外交小委員会でケリー国務長官補,ネパールの外交政策を高く評価し,ネ・印問題についてネパールを擁護する発言を行なう。
DIA-303-1989-11-02-1ネパール1989年11月02日1980年代インド・ラクソウル税関,この日早朝より12時間閉鎖される。後,カトマンドゥのインド大使館の指令で閉鎖を解除。
DIA-303-1989-11-03-1ネパール1989年11月03日1980年代政府,1989/90年度に5万㌧の米を輸出することを決定。
DIA-303-1989-11-05-1ネパール1989年11月05日1980年代ネパーリー・コングレス,カトマンドゥで中央委員会を開催。非暴力運動をとおした民主主義の確立を訴え,非パンチャヤット系のすべての運動組織に参加を呼びかける。また,現在の政治状況の分析と解決への方針を協議(~7日)。
DIA-303-1989-11-05-2ネパール1989年11月05日1980年代カトマンドゥ-ポカラのプリトヴィ・ハイウエイのジョギマッラで定期バスがトリスリ河に転落,40数名が死亡・彷方不明(バス引上げのためバングラデシュより大型クレーンを輸送,なおバスがマルシャンディ発電所からのケーブルを切断)。
DIA-303-1989-11-08-1ネパール1989年11月08日1980年代SAARC外相会議,イスラマバードで開催,ウパディヤヤ外相が出席(~9日)。加盟国の緊急時援助のための基本物資の備蓄(食糧備蓄政策に準ずる形で)を提唱,インド以外の参加国が支持。
DIA-303-1989-11-09-1ネパール1989年11月09日1980年代マルシャンディ水力発電所の第2発電機が稼動開始(6万9000kW)。
DIA-303-1989-11-09-2ネパール1989年11月09日1980年代過去7ヵ月にOGL制度によって輸入された工業向け原材料は17億6190万ルピー相当,このなかには政府および準政府事業体によって輸入された石油製品・石炭・砂糖・塩5億9980万ルピー分が含まれる。
DIA-303-1989-11-09-3ネパール1989年11月09日1980年代インドネシアから輸入の石炭5万㌧,ビルガンジ,ビラトナガル等に到着。このため休業,半操業中の工場の一時稼動が可能となる。
DIA-303-1989-11-09-4ネパール1989年11月09日1980年代ネパールと中国,チベットとの貿易状況(単位:1万ルピー)。
DIA-303-1989-11-10-1ネパール1989年11月10日1980年代アジア開発銀行,東西ハイウエイ,ビルガンジ-ヘトウダ道路等の建設・整備のために5000万㌦の借款および87.5万㌦の技術協力を決定。
DIA-303-1989-11-12-1ネパール1989年11月12日1980年代第13回国家開発委員会,カトマンドゥで開催(~14日)。第8次5ヵ年計画(1990~95年),地域開発計画の基本案検討と第7次5ヵ年計画の中間報告が行なわれる。第6次計画(80~85年)のGDP成長率は5.2%(目標4.8%),第7次計画の当初3年の成長率は農業部門4.8%,非農業部門6.7%で目標を上まわった。
DIA-303-1989-11-14-1ネパール1989年11月14日1980年代チョウドリ教育文化相,ソ連公式訪問に出発。ネパール使節の訪ソはソ連のアフガニスタン侵攻以来初めて。
DIA-303-1989-11-15-1ネパール1989年11月15日1980年代アジア開発銀行カトマンドゥ事務所開設。
DIA-303-1989-11-16-1ネパール1989年11月16日1980年代松本市使節団,カトマンドゥ市バンチャヤットの招待で訪ネ。両市は姉妹都市の協定を結ぶ。
DIA-303-1989-11-16-2ネパール1989年11月16日1980年代ヘトウダ・セメント工場,石炭の到着により操業を再開(4月以来)。
DIA-303-1989-11-17-1ネパール1989年11月17日1980年代タンザニア,「平和地帯」提案を支持(114ヵ国め)。
DIA-303-1989-11-17-2ネパール1989年11月17日1980年代Saptahik Nepali Awaj紙,左翼系各派政治指導者(M・M・アディカリ,R・K・マイナーリ,国会議員のD・P・アチャリヤら)がそれぞれネパーリー・コングレスの民主化要求運動を支持する旨の声明,インタビューを掲載。
DIA-303-1989-11-19-1ネパール1989年11月19日1980年代中国の李鵬首相訪ネ,銭其=外相が同行(~21日)。国王,首相と会見し,貿易拡大,経済協力,外交関係の強化等について話し合う。
DIA-303-1989-11-20-1ネパール1989年11月20日1980年代駐ネ英国大使館は「英国皇太子が『グルカ福祉基金』の後継者となった」と発表。この基金は今年2月に設立され,全世界でこれまでに結成された退役グルカ兵団体に属する個人,組織への援助を目的とする。
DIA-303-1989-11-21-1ネパール1989年11月21日1980年代米,民主党議員49名,インド政府にネパールとの交渉を早急に行なうよう要請。
DIA-303-1989-11-23-1ネパール1989年11月23日1980年代シュレスタ首相,チトワン郡バラトプルのパンチャット集会に出席して,最近のパンチャヤット制改変要求の動きを,民主化の名を借りて民衆を政治的に利用している,と批難。パンチャヤット制堅持を訴える。
DIA-303-1989-11-30-1ネパール1989年11月30日1980年代パンチャヤット評議委員会,新メンバーで発足(委員長:スベディ国会議長,他,国会議員,閣僚,各県パンチャヤット代表で構成)。
DIA-303-1989-12-01-1ネパール1989年12月01日1980年代インドの国民戦線リーダーV・P・シン,首相就任直前の記者会見で近隣諸国,特にスリランカ,ネパールとの早急な関係改善の必要を強調する。
DIA-303-1989-12-02-1ネパール1989年12月02日1980年代シュレスタ首相,V・P・シン首相の就任に祝電を送る。
DIA-303-1989-12-02-2ネパール1989年12月02日1980年代インドのラジオ,テレビは,シュレスタ首相の祝電をウパディヤヤ外相のものとして放送。ネパール政府,PTI通信にクレーム,原因究明と事情の説明を行なわせる。
DIA-303-1989-12-03-1ネパール1989年12月03日1980年代カトマンドゥの灯油配給制,解除される。ディーゼル油は10日,ガソリンは15日から同様の措置がとられる。
DIA-303-1989-12-04-1ネパール1989年12月04日1980年代ネパーリー・コングレスのK・P・バッタライ,V・P・シン首相の就任に祝電を送る。
DIA-303-1989-12-05-1ネパール1989年12月05日1980年代ソ連との間で空路を開設することに合意。
DIA-303-1989-12-11-1ネパール1989年12月11日1980年代ウパディヤヤ外相,インドのI・K・グジャール新外相に対し,いつでも交渉を開始する準備がでぎている旨,書簡を送ったと語る。
DIA-303-1989-12-13-1ネパール1989年12月13日1980年代7月16日~10月16日の四半期におけるネパールの海外輸出は8億1400万ルピーで前年同期比21.9%の増加。
DIA-303-1989-12-14-1ネパール1989年12月14日1980年代日本の援助による国立結核センター,バクタプルのティミに完成(日本政府2億2290万ルピー相当の資金贈与と技術協力,ポカラの地域結核センター設立分を含む)。
DIA-303-1989-12-15-1ネパール1989年12月15日1980年代中国援助によるルンビニ製糖工場,ナワル・パルシ郡に完成,操業を開始。今シーズンの生産目標は5000キンタル。
DIA-303-1989-12-15-2ネパール1989年12月15日1980年代V・P・シン首相,新政府は条約問題収拾のためにすぐに交渉に入ることに合意するであろう,と発言。
DIA-303-1989-12-15-3ネパール1989年12月15日1980年代ネパーリー・コングレスの中心人物G・M・シン,G・P・コイララ,M・M・アディカリ,コシ県当局により反国家法違反の容疑で逮捕される(10日の人権デーの演説が抵触したもの。翌日全員保釈される)。
DIA-303-1989-12-16-1ネパール1989年12月16日1980年代マヘンドラ国王憲法記念日。各地でパンチャヤット擁護派と反対派の集会開かれる。反対派は10日の世界人権デー関係の集会も含めて多数の逮捕者を出す。
DIA-303-1989-12-18-1ネパール1989年12月18日1980年代インドのグジャール外相,シャハ駐印ネパール大使と会談,ウパディヤヤ外相をニューデリーに招待する旨を伝える。インド外務省,訪問は1週間以内に行なわれるだろうと発表。
DIA-303-1989-12-19-1ネパール1989年12月19日1980年代8月から休業していたビラトナガル・ジュート工場,操業を再開。
DIA-303-1989-12-19-2ネパール1989年12月19日1980年代S・ソラーズ米下院アジア太平洋小委員会議長来訪(21日)。国王と会見後,首相,外相,蔵相と順次会談(非公式でネパーリー・コングレスのK・P・バッタライとも会見し,民主化問題について話し合う)。
DIA-303-1989-12-21-1ネパール1989年12月21日1980年代インド下院召集の日程に合わせ,ウパディヤヤ外相の訪印は1990年1月第1週になるであろう,とインド側が発表。
DIA-303-1989-12-21-2ネパール1989年12月21日1980年代プラダン蔵相,経済封鎖の影響について総轄した会見を行なう。1988/89年度農業生産は6.8%の伸び,非農業生産は5.7%の落ちこみ,全体の成長率は1.5%。89/90年度第1四半期の輸入は13.8%増,輸出は16.4%減。89/90度年の外国援助実行額はすでに22億7000万ルピーを超える。
DIA-303-1989-12-22-1ネパール1989年12月22日1980年代政府,米が軍事介入したパナマ情勢を憂慮し,事態が国連の精神に基づいて解決されることを望む,とのコメントを発表。
DIA-303-1989-12-25-1ネパール1989年12月25日1980年代政府は基本的ニーズ計画の一環として貧困ライン以下の人々向けの雇用促進,収入確保のための特別プログラムを準備中であると発表。
DIA-303-1989-12-26-1ネパール1989年12月26日1980年代日本と,以下の無償援助に関する文書を交換。(1)中波ラジオ中継設備(14億1100万円),(2)水道設備(11億4100万円),(3)学校建設資材(2億円),(4)食糧増産計画(3億5000万円),(5)タライ地域灌漑整備(4億5200万円),(6)債務救済(2億850万円)。
DIA-303-1989-12-28-1ネパール1989年12月28日1980年代政府,タライ地域発展のための村落ブロック計画を発表。タライの22郡について農民の土地所有を保障した再定住をはかり,道路・水道の整備,生活環境の改善等を村落ブロックの単位で行なうというもの,1993/94年度までに達成の計画。
DIA-303-1989-12-29-1ネパール1989年12月29日1980年代国王誕生日。