DIA-304-1980-01-01-1 | パキスタン | 1980年01月01日 | 1980年代 | パ政府は昨年12月29日の米政府による突然の対パ武器援助再開申し出に対し,その意図,援助武器の質と量などについて米政府の回答を要求。 |
DIA-304-1980-01-03-1 | パキスタン | 1980年01月03日 | 1980年代 | ジア大統領,記者会見―①政府は米からの軍事援助の受入れについて検討中,②アフガニスタンへの外国の軍事介入は平和共存の原則への重大な違反,③米はアフガニスタンのソ連軍に対して軍事攻撃をかけるべきではない。④パはインドとの友好を希望。 |
DIA-304-1980-01-05-1 | パキスタン | 1980年01月05日 | 1980年代 | パ,緊急国連安全保障理事会で,ソ連のアフガニスタン介入を非難,ソ連軍の即時無条件撤退を要求。 |
DIA-304-1980-01-07-1 | パキスタン | 1980年01月07日 | 1980年代 | 富裕税法改正。 |
DIA-304-1980-01-07-2 | パキスタン | 1980年01月07日 | 1980年代 | ソ連,「米,中,パによるパ国内でのアフガン・ゲリラの軍事訓練」を非難。 |
DIA-304-1980-01-08-1 | パキスタン | 1980年01月08日 | 1980年代 | パ流入のアフガン難民数は40万8,000人。 |
DIA-304-1980-01-09-1 | パキスタン | 1980年01月09日 | 1980年代 | インドのガンディー女史は,米の対パ武器援助は「本物の危険を招くものだ」と批判。 |
DIA-304-1980-01-12-1 | パキスタン | 1980年01月12日 | 1980年代 | 軍事援助内定―国連緊急総会出席のため訪米中のシャーヒー大統領外務顧問はバンス米国務長官と会談。これにより向う2年間で2億ドルの経済援助,2億ドルの軍事援助の対パ供与が内定したという。 |
DIA-304-1980-01-12-2 | パキスタン | 1980年01月12日 | 1980年代 | ジア大統領,北西辺境州視察(~13日)―以下,視察中の発言。①アフガニスタンはもはや緩衝地帯ではなくなった。②対ソ・アフガニスタン聖戦は時期尚早。③中国は肝心な時には必ずパを助けてくれた。④イスラーム的指導体制が現出すれば私は大統領を辞任する。 |
DIA-304-1980-01-13-1 | パキスタン | 1980年01月13日 | 1980年代 | ヌスラット・プット・パ人民党(PPP)党首および息女ベナズィール女史の自宅軟禁,3ヵ月延長。 |
DIA-304-1980-01-14-1 | パキスタン | 1980年01月14日 | 1980年代 | キャリントン英外相,来訪(~16日)。 |
DIA-304-1980-01-15-1 | パキスタン | 1980年01月15日 | 1980年代 | ジア大統領,ソ連軍またはアフガニスタン軍のパ国境侵犯があれば反撃すると言明。 |
DIA-304-1980-01-16-1 | パキスタン | 1980年01月16日 | 1980年代 | 陸軍人事―J.アルバーブ退役中将,カタール駐在大使に任命さる。なお,同氏は既に78年2月に中将を解任されていたが,80年1月22日付官報は同中将の他,N.H.シャー少将,S.A.サイエド少将,M.I.アリー准将(79年6月に遡及)の解任を発表。 |
DIA-304-1980-01-17-1 | パキスタン | 1980年01月17日 | 1980年代 | パンジャーブ州の各地方自治体の長,就任。 |
DIA-304-1980-01-18-1 | パキスタン | 1980年01月18日 | 1980年代 | ジア大統領は18日付米紙で報じられた米人記者団との会見で次のように言明。①米による4億ドル援助はピーナツにすぎず,ひどくがっかりしている。②1959年のパ・米相互防衛協定を71年印・ソ条約のような友好条約に変えるべきだ。③パ領内に米軍事基地は不要だ。④パの軍政は少なくともあと数年は続こう。同18日,米政府はパとの新条約締結を拒否。 |
DIA-304-1980-01-18-2 | パキスタン | 1980年01月18日 | 1980年代 | 黄華中国外相,来訪(~23日)―19日,シャーヒー外務顧問と計6時間の会談。双方はパ・中両国の友好関係の緊密化で合意。20日,ペシャーワル郊外のアフガン難民キャンプを訪問。難民側代表は中国の軍事援助の必要を訴えたが,パの通訳がこれを通訳せず,外相の返答はなかった(『読売』1.21)。21日,シャーヒー外務顧問と計5時間の会談,ジア大統領と1時間の会談(予定外)。黄華外相は会談で「ソ連のパ攻撃があれば中国はあらゆる面での対パ支援を行う」と繰り返し強調。これまでと同様,会談後の共同声明の類はなかったが,両国は,中国が対パ経済・軍事援助を強化することで合意したもよう。 |
DIA-304-1980-01-20-1 | パキスタン | 1980年01月20日 | 1980年代 | カーター米大統領は,ソ連のアフガニスタン侵攻を改めて厳しく非難するとともに,「パとは1959年の条約上の約束を再確認した。パの安全を守るために必要とあれば米の軍事力を投入する」と言明。 |
DIA-304-1980-01-21-1 | パキスタン | 1980年01月21日 | 1980年代 | アフガニスタンのカールマル新政権はパとの平和的話し合いの希望を初めて表明。 |
DIA-304-1980-01-23-1 | パキスタン | 1980年01月23日 | 1980年代 | ワルトハイム国連事務総長,来訪。 |
DIA-304-1980-01-27-1 | パキスタン | 1980年01月27日 | 1980年代 | パ領内のペシャーワルでアフガニスタンの反政府6組織により「アフガニスタン解放イスラーム連盟」,結成。発表の記者会見にはパのムアッザム大統領顧問(在外邦人担当)およびクールシード前経済相(イスラーム結社JI系)も出席した。 |
DIA-304-1980-01-27-2 | パキスタン | 1980年01月27日 | 1980年代 | イスラーム諸国緊急外相会議(~29日)―イスラーマバードで予定より1日遅れて開始されたが,実質討議は26日開始。27日,モロッコ外相に代ってパのシャーヒー外務顧問を議長に選出。不参加予定のリビア,PLOも急きょ参加し,不参加はイスラーム諸国会議41ヵ国中アフガニスタンなど5ヵ国。アフガニスタン解放イスラーム連盟(1月27日結成)がオブザーバー参加。27日,ジア大統領は開会演説でソ連を繰り返し名指しで非難し,「イスラーム共同防衛」に向けての具体的努力の必要を訴えた。29日,モスクワ・オリンピック不参加,アフガニスタンの反ソ・反政府勢力に対する支援などの点で多少柔かい表現が採用されたとはいえ,ソ連非難,ソ連軍のアフガニスタンからの即時無条件撤退など,パの主張とほぼ合致する決議案が採択された。ただし,「イスラーム共同防衛」問題はアルジェリア,イラク,PLOからの異論で議題にはならなかった。 |
DIA-304-1980-01-31-1 | パキスタン | 1980年01月31日 | 1980年代 | ソ連の『プラウダ』紙は,「パが何万人という雇い兵を使ってのアフガニスタンに対する宣戦布告なき戦争をやめねばパは危険に陥ろう」と警告。 |
DIA-304-1980-02-01-1 | パキスタン | 1980年02月01日 | 1980年代 | ブレジンスキー米大統領補佐官,来訪―随員はクリストファー国務副長官,マックギファート国防副長官など10人。2日,パ側と7時間の会談。パ側はジア大統領自らが,米の軍事援助を量,質ともに改善し,額にして20~30億ドルとすることを要求したと伝えられるのに対し,米側は向う2年間に4億ドルとしていた援助を1年半に短縮すると増額回答。3日,米側一行はアフガン人難民キャンプを視察したが,急ぎイスラーマバードに戻りパ側の要求で4時間の予定外会談を行った。しかし米側は,「対パ援助は多国間で共同で行い,米はその一端を担うにすぎない」との態度を貫き,援助増額については継続審議ということで逃げ切った。一方,パ側は米に対する不満を抱いたまま,パの核開発計画に対する米の中止要求を拒否。会談は3日夜,ソ連のアフガニスタン武力介入を非難する共同声明を以て終了。 |
DIA-304-1980-02-04-1 | パキスタン | 1980年02月04日 | 1980年代 | サテ・インド外務次官,来訪(~7日)―5~6日,シャーナワーズ・パ外務次官と会談。6日,声明発表。会談では,ソ連のアフガニスタン介入,両国関係正常化などが討議され,完全合意に向けて会談継続となった。サテ次官は会談後の記者会見で,米による対パ軍事援助が「1ドルといえども」インドに向けられてはならないと述べた。同次官は6日,ジア大統領とも会談。同大統領は会談後のインド記者団との会見で,「インドはソ連に対して影響力を行使してほしい」と述べるとともに,インド,イラン,パがアフガニスタン国境に「平和維持軍」を創設すべきだと述べた。6日,ジア大統領はガンディー・インド首相と電話で会談。 |
DIA-304-1980-02-05-1 | パキスタン | 1980年02月05日 | 1980年代 | バンス米国務長官は米下院外交問題委で,米政府には4億ドル以上の対パ援助の意図はないと言明。 |
DIA-304-1980-02-07-1 | パキスタン | 1980年02月07日 | 1980年代 | ホワイトハウス高官は対パ軍事・経済一括援助はしばらく延期されようと談。これは「他の諸国の対パ援助意向を見極めるまで米の単独援助を延期してほしい」とのジア・パ大統領の要請による。 |
DIA-304-1980-02-07-2 | パキスタン | 1980年02月07日 | 1980年代 | 7日付Pakistan Times紙は,PPPの元パンジャーブ州政府閣僚M.M.A.アワーンがアフガニスタンへ亡命し,近くカル元パンジャーブ州知事(PPP)も同国へ亡命するだろうと伝えた。 |
DIA-304-1980-02-08-1 | パキスタン | 1980年02月08日 | 1980年代 | ジア大統領,バルーチスタン州を視察。8日,スィビーで同州地方自治体評議員大会を主宰。9日,印・パ共同防衛のうわさを否定。 |
DIA-304-1980-02-11-1 | パキスタン | 1980年02月11日 | 1980年代 | 北西辺境州政府,「民主的パキスタン」という小冊子を発禁,押収。 |
DIA-304-1980-02-13-1 | パキスタン | 1980年02月13日 | 1980年代 | 政府,ソ連の『プラウダ』紙によるパ空軍機のアフガニスタン領空侵犯の非難を否定。 |
DIA-304-1980-02-15-1 | パキスタン | 1980年02月15日 | 1980年代 | 戒厳下位司令官(県単位)を廃止―15日,バルーチスタン州全域について。同日,パンジャーブ州のラホール,ファイサラーバード,ラーワルピンディーを除く全域(ただし,首都イスラーマバードについては今後ラーワルピンディーの下位司令官の権限が及ぶ)。23日,北西辺境州全域。4月15日,スィンド州全域。 |
DIA-304-1980-02-16-1 | パキスタン | 1980年02月16日 | 1980年代 | シヤーヒー外務顧問,アフガニスタンはソ連撤兵後,国際的承認の下に中立的地位を有すべきだと談。 |
DIA-304-1980-02-20-1 | パキスタン | 1980年02月20日 | 1980年代 | 北西辺境州カムラの航空コンプレックスのミラージュ組立工場でパ空軍初の完全オーバーホール開始。 |
DIA-304-1980-02-21-1 | パキスタン | 1980年02月21日 | 1980年代 | アフガニスタンのカーブルなどで大規模な反ソデモ。同国政府のパ人がこれに関与したとして大量逮捕。23日,パ政府はこれを拒否。同日,北西辺境州政府はペシャーワル・カーブル間バス便を停止。 |
DIA-304-1980-02-23-1 | パキスタン | 1980年02月23日 | 1980年代 | パのソ連大使館でのソ連国防記念日パーティーにパ,米,英,西独,仏の代表が招待を辞退して欠席。 |
DIA-304-1980-02-25-1 | パキスタン | 1980年02月25日 | 1980年代 | スティルン仏外務次官,来訪(~27日)。25日,核燃料再処理工場の対パ輸出はまだ検討中と談。26日,ジア大統領と会談。 |
DIA-304-1980-02-25-2 | パキスタン | 1980年02月25日 | 1980年代 | アフガニスタンでパ人「工作員」2人,逮捕。 |
DIA-304-1980-02-28-1 | パキスタン | 1980年02月28日 | 1980年代 | 28日付の米紙『ニューヨーク・タイムズ』は,パが核爆弾生産能力開発の努力を継続しており,これが米の対パ軍事援助の将来に影響を与えるかもしれない,と報道。29日付米紙『ワシントン・ポスト』は,パが関心を示さないため米の対パ軍事援助は無期延期されたと報道。 |
DIA-304-1980-02-28-2 | パキスタン | 1980年02月28日 | 1980年代 | ソ連の『プラウダ』紙,「米帝国主義に支援されたパのアフガニスタンに対する宣戦布告なき戦争」を直ちに中止するよう警告。 |
DIA-304-1980-02-29-1 | パキスタン | 1980年02月29日 | 1980年代 | 政府系の29日付Pakistan Times紙は社説で,ジア将軍は国民投票なり他の方法なりによって国の指導者としての地位を正式なものにすべきだと主張。 |
DIA-304-1980-03-02-1 | パキスタン | 1980年03月02日 | 1980年代 | ジア大統領はPPP,自立運動党(TI)を除き主にパ国民連合(PNA)に属す主要政治家たちと個別に会談。3日,バルーチスタン州政治家たちと会談。 |
DIA-304-1980-03-03-1 | パキスタン | 1980年03月03日 | 1980年代 | パ政府,駐アフガニスタン大使館の格下げ,縮小決定。すでに大使館員のほとんどは帰国している。 |
DIA-304-1980-03-03-2 | パキスタン | 1980年03月03日 | 1980年代 | パ政府,去る10日のソ連空軍機(1機)のチトラール上空侵犯でソ連に抗議。なお,パ政府によれば昨年12月のアフガニスタン政変以来,アフガニスタン機のパ領空侵犯は28回に及ぶという。 |
DIA-304-1980-03-04-1 | パキスタン | 1980年03月04日 | 1980年代 | 園田日本首相特使,来訪(~6日)。 |
DIA-304-1980-03-05-1 | パキスタン | 1980年03月05日 | 1980年代 | 政府,米の4億ドル包括援助を拒否―米時間6日,カーター政権は対パ4億ドル援助の議会承認を求める方針を無期延期。 |
DIA-304-1980-03-06-1 | パキスタン | 1980年03月06日 | 1980年代 | イスラーマバードでの地方自治体評議員全国大会でジア大統領が演説。①アフガニスタン問題の解決のため国際的平和維持軍の創設,アフガニスタンとの国境閉鎖などを提案する。②私は4月か5月に訪中する。③すべてのイスラーム諸国にとってモデルとなるイスラーム民主主義体制を確立したら大統領を辞任する。 |
DIA-304-1980-03-06-2 | パキスタン | 1980年03月06日 | 1980年代 | PNA系の政治家など500人以上がイスラーマバードで大会を開催。 |
DIA-304-1980-03-06-3 | パキスタン | 1980年03月06日 | 1980年代 | ラホール高裁は,政党禁止(79年10月)を違法とする「アスガルTI党首の訴訟に(同高裁が)判決を下し得るように」総選挙の期日を発表するよう政府に要請。 |
DIA-304-1980-03-06-4 | パキスタン | 1980年03月06日 | 1980年代 | アフガン難民の数は登録された者だけで北西辺境州48万2,488人,バルーチスタン州9万6,294人,北方地域1,141人の計57万9,923人に達した。 |
DIA-304-1980-03-07-1 | パキスタン | 1980年03月07日 | 1980年代 | カラチにインド総領事館開設。 |
DIA-304-1980-03-09-1 | パキスタン | 1980年03月09日 | 1980年代 | ジア大統領は西独の9日付『デア・シュピーゲル』誌との会見で米援助拒否に触れ,①パはその10倍の額を必要としている,②たとえこっそりとでも核技術を入手する,③EECのアフガニスタン中立化構想は非現実的だ,などと語った。 |
DIA-304-1980-03-10-1 | パキスタン | 1980年03月10日 | 1980年代 | ジア大統領,記者会見―①パは非同盟路線を堅持。②ソ連にも門戸を開いており,アフガニスタン問題で同国と協議中。③米の対パ援助で増額されても再考しない。④3月23日までに,文民を含む新内閣を組織。 |
DIA-304-1980-03-12-1 | パキスタン | 1980年03月12日 | 1980年代 | クーデター未遂―12日付の外国各紙は,クーデターを計画していた分子(21~26人,官僚を含むがほとんどは軍人,すべてパンジャーブ州出身者)が去る4,5両日に一斉逮捕されたと報道。政府は当初これを否定したが,17日,ジア大統領は自らこれを認め,「或る外国の手」が関与していることを示唆。首謀者のT.H.マリク退役陸軍少将は76年にブット首相(当時)に解任されたのち小規模な宗教政党を結成し,このところブット一族と密接な連絡をとっていたといわれる。ジア大統領は事件の「根は浅い」とし,警戒を厳重にするわけでもなく,従来通りに行動しているが,一般国民の間では「多数の下級将校が逮捕された」とか,軍事クーデターの可能性について様々なうわさがあるという。 |
DIA-304-1980-03-12-2 | パキスタン | 1980年03月12日 | 1980年代 | クリストファー米国務副長官は米上院外交委で,対パ援助を経済開発援助に重点を置いて早急に再検討すると言明。国務省筋によればパは米に対し4億ドル全額を経済援助にするよう要請しているという。 |
DIA-304-1980-03-14-1 | パキスタン | 1980年03月14日 | 1980年代 | 中国軍事代表団,来訪(~19日)―団長は蕭克国防次官。15日,パ軍当局者と会談,既に累計20億ドルに達した軍事・経済援助,米と協同の対ソ・アフガニスタン戦略などを討議。16日,ジア大統領を訪問。17日,ペシャーワルを視察。なお,79年10月の張才千副総参謀長の訪パ以来5ヵ月足らずの間に同一国家に2度も軍事代表団を派遣したのは中国としては極めて異例。 |
DIA-304-1980-03-15-1 | パキスタン | 1980年03月15日 | 1980年代 | イスラーマバードで第2回ムスリム(イスラーム教徒)教育世界大会開始(~21日)。 |
DIA-304-1980-03-16-1 | パキスタン | 1980年03月16日 | 1980年代 | 3軍人事(特記以外は陸軍)―ジア大統領兼戒厳総司令官兼陸軍参謀長は,州知事または閣僚を兼任する軍団司令官は現職の中将として州戒厳司令官兼州知事または閣僚の地位に留まるが,軍団司令官の地位を解くと発表。同16日,6人の少将が中将に昇格し,22日,軍団司令官に就任。同22日,M.A.シャミーム空軍参謀長,K.R.ニアーズィー海軍参謀長が中将から大将にそれぞれ昇格。同30日,チシュティー中将およびG.H.カーン中将,任期切れで退役。 |
DIA-304-1980-03-18-1 | パキスタン | 1980年03月18日 | 1980年代 | チシュティー労相,辞表提出―労相辞任は現実には3月30日の陸軍中将退役に伴って行われた。同30日,ジャマール・サイード・ミアーン地方自治相,解任(4月22日参照)。なお,18日の記者会見でチシュティー労相は,G.Hカーン生産相も近いうちに閣僚を辞任しようと談。 |
DIA-304-1980-03-18-2 | パキスタン | 1980年03月18日 | 1980年代 | ジア大統領は記者会見で,米の第7艦隊司令官および米海軍の高級将校(複数)から成る代表団が訪パ中と明らかにした。 |
DIA-304-1980-03-25-1 | パキスタン | 1980年03月25日 | 1980年代 | マルミエルカ・キューバ外相,来訪(~27日)―「突然」の訪問。26日,南西アジア情勢を憂慮するカストロ首相の親書をジア大統領に手交。 |
DIA-304-1980-03-28-1 | パキスタン | 1980年03月28日 | 1980年代 | カシミールで印・パ両軍,2時間の銃撃戦。 |
DIA-304-1980-03-29-1 | パキスタン | 1980年03月29日 | 1980年代 | ジア大統領は予定されている「顧問評議会」の設置について記者会見で,まず州レベルの顧問評議会を設置してから州内閣を組織し,次に連邦内閣を拡大し,最後に連邦顧問評議会を設置する。究極的には政治家による政府が目標だ,などと言明。 |
DIA-304-1980-04-01-1 | パキスタン | 1980年04月01日 | 1980年代 | 米政府,対パ4億ドル援助計画を正式に放棄。 |
DIA-304-1980-04-01-2 | パキスタン | 1980年04月01日 | 1980年代 | サウジアラビアの1日付『アル・ジャジラ』紙は,パの米援助拒否は米が軍事基地を求めたためと報道。 |
DIA-304-1980-04-02-1 | パキスタン | 1980年04月02日 | 1980年代 | 外務省は,「パは80年末か81年初めまで核実験を行おう」との3月のインド国防研究所の報告書を全面的に否定し,パは核爆発能力を有していないと言明。 |
DIA-304-1980-04-02-2 | パキスタン | 1980年04月02日 | 1980年代 | パ政府は,イスラーマバードで4月16日開始予定のイスラーム諸国外相会議を5月に延期。 |
DIA-304-1980-04-03-1 | パキスタン | 1980年04月03日 | 1980年代 | スィンド州評議会(45人),設置(11月22日,60人に増加)。パンジャーブ州(110人),16日。バルーチスタン州(42人),21日。部族地域13区(計334人),29日。北西辺境州(50人),5月25日。 |
DIA-304-1980-04-04-1 | パキスタン | 1980年04月04日 | 1980年代 | ブット処刑1周忌―3日,カラチ高裁は政府の意向に反してヌスラット夫人とベナズィール女史の墓参を許可。4日,ブット前首相の郷里ラールカーナには厳しい軍の警戒にもかかわらず数千人が集ってデモ,警官隊の発砲で2名死亡,6人負傷。 |
DIA-304-1980-04-07-1 | パキスタン | 1980年04月07日 | 1980年代 | ジア大統領,北西辺境州シェイフプラ県評議員に演説―①政治の目的はイスラーム体制の基礎固めにある。②地方自治体評議員制度はイスラーム民主主義の一形態だ。③西欧流議会総選挙を要求する世俗主義者や左翼はイスラーム的秩序を破壊しようとしている。 |
DIA-304-1980-04-07-2 | パキスタン | 1980年04月07日 | 1980年代 | 徐以新駐パ中国大使,6日間のバルーチスタン州視察を開始。 |
DIA-304-1980-04-08-1 | パキスタン | 1980年04月08日 | 1980年代 | 79年10月16日以来,自宅に軟禁されていたヌスラットPPP党首とベナズィール女史,釈放。 |
DIA-304-1980-04-10-1 | パキスタン | 1980年04月10日 | 1980年代 | パの10日付『ナワー・エ・ワクト』紙によると,パ政府はソ連との間にアフガニスタン問題解決のための外交折衝ルートを確立したという。 |
DIA-304-1980-04-10-2 | パキスタン | 1980年04月10日 | 1980年代 | スワラン・シン元インド外相,来訪(~14日)―ガンディー・インド首相の特使として。 |
DIA-304-1980-04-11-1 | パキスタン | 1980年04月11日 | 1980年代 | 11日付米紙「ワシントン・ポスト』はパが80年秋にも核実験を行う可能性があると報道。 |
DIA-304-1980-04-11-2 | パキスタン | 1980年04月11日 | 1980年代 | パ政府,駐ベトナム大使館の閉鎖を決定。 |
DIA-304-1980-04-14-1 | パキスタン | 1980年04月14日 | 1980年代 | ヌスラットPPP党首,記者会見―①アフガニスタン問題でソ連を弁護し,カールマル政権承認を要求するとともに,③ジア政権はアフガニスタン問題を延命のために利用している,③別の軍人集団が政権を奪取して総選挙を行う可能性はあり得る,などと談。 |
DIA-304-1980-04-16-1 | パキスタン | 1980年04月16日 | 1980年代 | ジア大統領,ジンバブウェ訪問―独立記念式典参列のため。17日記者会見。①アフガニスタンを巡る米の反応不足に失望。②アフガン・ゲリラは武器不足だが米はほとんど何もしていない。③戦闘がパ領内に及んだ今,少数の米軍が具体的役割を果たすべきだ。④パ領内に米軍基地を望まないが,米はパ軍を強化すべきだ。 |
DIA-304-1980-04-18-1 | パキスタン | 1980年04月18日 | 1980年代 | 印・パ首脳会談―ジア大統領はジンバブウェのソールズベリでガンディー・インド首相と非公式に会談し,①南西アジアの超大国の勢力争い回避の道を探る,②印・パ正常化努力の強化などで合意。また,ジア大統領はソ連撤兵を促すようガンディー首相に要請したという。ガンディー首相は会談後の記者会見で,パ軍の必要とする武器の調達について強硬路線をとらないと言明。同18日,黄華中国外相がジア大統領を訪れ,会談。 |
DIA-304-1980-04-18-2 | パキスタン | 1980年04月18日 | 1980年代 | アスガルTI党首,釈放。24日の記者会見で,ジア大統領を“権力の纂奪者”として激しく非難。 |
DIA-304-1980-04-19-1 | パキスタン | 1980年04月19日 | 1980年代 | ジア大統領,サウジアラビアへ―メッカなどで宗教行事を行った後,20日帰国。 |
DIA-304-1980-04-21-1 | パキスタン | 1980年04月21日 | 1980年代 | ジア大統領は,アフガニスタンによる17日のパ,イランとの個別2国間会談の呼びかけを拒否。 |
DIA-304-1980-04-21-2 | パキスタン | 1980年04月21日 | 1980年代 | イラン宗教代表団来訪。24日,ジア大統領に会見。 |
DIA-304-1980-04-22-1 | パキスタン | 1980年04月22日 | 1980年代 | 陸軍人事―M.イクバール・カーン陸軍副参謀長が中将から大将に昇格の上,統合参謀本部議長に任命さる(5月1日就任,以下同)。サワール・カーン中将に代りグラーム・ジラニー・カーン中将(国防総次官)がパンジャーブ州知事に。サワール中将は大将に昇格の上,陸軍副参謀長に(“副”は従来の“Deputy”でなく“Vice”に変更)。なお,クェッタに第12軍団を新設。司令官はジャマール・S.ミアーン中将。 |
DIA-304-1980-04-26-1 | パキスタン | 1980年04月26日 | 1980年代 | 北西辺境州政府,アフガン難民による不動産購入を禁止。 |
DIA-304-1980-04-27-1 | パキスタン | 1980年04月27日 | 1980年代 | ムフティー・マハムードPNA委員長,速やかに民政移管をせねば全国に混乱が生じようと警告。 |
DIA-304-1980-04-28-1 | パキスタン | 1980年04月28日 | 1980年代 | 政府,イランでの米人人質救出件戦を非難。 |
DIA-304-1980-04-29-1 | パキスタン | 1980年04月29日 | 1980年代 | 29日付Times of India紙によると,PPPはアフガニスタン内に“人民解放軍”を有し,同国の左翼勢力と合流すべく努力中。ブットの子息ムルタザとシャーナワーズがカーブルにいるか否かは不明だが,彼らは79年9月に同地を訪れている。 |
DIA-304-1980-04-30-1 | パキスタン | 1980年04月30日 | 1980年代 | 政府の総合大学助成委員会はジア大統領からの指示により,次の学期から全学生に対してイスラーム学とパキンスタン学コースの必須化を指示。 |
DIA-304-1980-05-01-1 | パキスタン | 1980年05月01日 | 1980年代 | パは中国のアジア開発銀行加盟を提案。 |
DIA-304-1980-05-01-2 | パキスタン | 1980年05月01日 | 1980年代 | パ側カシミールで反ジア政権デモ。参加者5,000人で指導者はカユーム元カシミール大統領。 |
DIA-304-1980-05-02-1 | パキスタン | 1980年05月02日 | 1980年代 | ジア大統領,訪中―2日夜の歓迎宴で華中国首相がアフガニスタン問題に関してソ連を名指しで非難したのに対し,ジア大統領はソ連の名指し非難を避けた。ジア大統領はまた,同宴で次のように演説。①ペルシァ湾は危機の第3の中心地と化した。②パはシムラ協定に基づいてインドとの正常化に努力してきた。③パ・中の友好関係は誰に敵対するものでもない。なお,華首相は印・パ関係に関しカシミール問題には言及しなかった。3~4日,2度のジア・鄧副首相会談。4日午後,ジア・華会談。6日,チトー・ユーゴ大統領の葬儀出席のため離中を2日繰り上げ,訪中後に予定の北朝鮮訪問も中止して帰国。帰国後の記者会見で,ブレジネフ・ソ連共産党書記長からアフガニスタン危機解決への提案を含む親書を受けとり,この提案について華首相と討議したと明らかにしたが,会談の詳細な内容は明らかにせず,「北京訪問は非常な成功だった。実りある結果となろう」とだけ語った。 |
DIA-304-1980-05-03-1 | パキスタン | 1980年05月03日 | 1980年代 | ドイツ人顧問―パ政府が経済改善のため招へいしたシラー元西独経済相を長とする顧問団(4月27日到着)が「政府特別顧問団」として活動を開始した。 |
DIA-304-1980-05-03-2 | パキスタン | 1980年05月03日 | 1980年代 | レイスン英内務担当相,パが英連邦に復帰するなら英はこれを歓迎すると談。 |
DIA-304-1980-05-08-1 | パキスタン | 1980年05月08日 | 1980年代 | テロ続出―ペシャーワルの警察署が爆破され18~27人死亡。去る1日にクッラム自治区で5人が爆死,3日にはペシャーウルでアフガン・ゲリラの事務所が爆破され25人が死亡。北西辺境州では去る4月だけでも90件の爆破事件が発生している。 |
DIA-304-1980-05-08-2 | パキスタン | 1980年05月08日 | 1980年代 | ジア大統領,訪問先のベオグラードでガンディー・インド首相などと会談。 |
DIA-304-1980-05-09-1 | パキスタン | 1980年05月09日 | 1980年代 | パ,モスクワ五輪不参加を決定。 |
DIA-304-1980-05-12-1 | パキスタン | 1980年05月12日 | 1980年代 | ラホール高裁所長は,ジア軍政を違法とするアスガルTI党首による訴訟の審理中,軍事裁判所の存在は正当化され得ないと言明。 |
DIA-304-1980-05-13-1 | パキスタン | 1980年05月13日 | 1980年代 | パ政府,米によるウランの対インド供与決定を強く非難。 |
DIA-304-1980-05-14-1 | パキスタン | 1980年05月14日 | 1980年代 | アフガニスタン政府,パに交渉の呼びかけ。パは15日に,ソ連撤兵がなければ拒否すると声明。なお,この数週間,ソ連はパに対しアフガニスタンとの交渉に応じるよう圧力をかけていた。 |
DIA-304-1980-05-16-1 | パキスタン | 1980年05月16日 | 1980年代 | シャーヒー外務顧問は記者会見でアフガニスタン問題に関して「関係諸国に接触し,政治解決の道を探ることは可能だ」と言明。 |
DIA-304-1980-05-17-1 | パキスタン | 1980年05月17日 | 1980年代 | 第11回イスラーム諸国外相会議(イスラーマバード)―40ヵ国参加。ジア大統領は開会演説で,アフガニスタンとイランの両問題で米ソを名指しで非難するとともに,イスラーム諸国の集団防衛の必要を強調し,またソ連軍の撤退を実現する方法を採るための常任委員会の設置を提案。20日,ペシャーワルに本部を置くアフガン・ゲリラが発言し,会議紛糾。22日,会期1日延長ののち,これまで最高の101項目に上る議題の討議を終え,90項目の決議案を採択して終了。同日,アフガニスタン問題の政治解決を目指す特別委員会,設置。メンバーはシャティー・イスラーム会議事務局長(チュニジア),ゴトブザーデ・イラン外相,パ外相(現実にはシャーヒー大統領外務顧問)の3者。 |
DIA-304-1980-05-19-1 | パキスタン | 1980年05月19日 | 1980年代 | スラーマバードの大統領新官邸,竣工。 |
DIA-304-1980-05-20-1 | パキスタン | 1980年05月20日 | 1980年代 | インドが向う7年間で計190万トンの鉄鉱石をパに輸出する協定,ニューデリーで調印。なお,80年末までに試験操業開始予定のカラチ製鉄所は鉄鉱石輸入総量の40%をインドに依存する計画。 |
DIA-304-1980-05-21-1 | パキスタン | 1980年05月21日 | 1980年代 | パ,リビア両国が経済,科学,技術,軍事協力を促進するための文書に調印。 |
DIA-304-1980-05-26-1 | パキスタン | 1980年05月26日 | 1980年代 | 憲法改正―大統領命令により憲法第199条が改正され,戒厳令命令・規則,軍事裁判所の判決を無効化したり差止を命じる権限および戒厳令当局者に対する被告召換令状発行権が高裁から剥奪された。同日,軍事裁判所の権限をさらに強化する戒厳令命令第77号および戒厳令当局の予防拘禁権限を強化する同第78号,発令。 |
DIA-304-1980-05-26-2 | パキスタン | 1980年05月26日 | 1980年代 | 選挙管理委員会,再編。チョウハン委員長。 |
DIA-304-1980-05-26-3 | パキスタン | 1980年05月26日 | 1980年代 | 大統領命令により連邦イスラーム法法廷,設置。 |
DIA-304-1980-05-28-1 | パキスタン | 1980年05月28日 | 1980年代 | アスガルTI党首,再び自宅軟禁。 |
DIA-304-1980-05-28-2 | パキスタン | 1980年05月28日 | 1980年代 | ファイサル・サウジアラビア外相は『アラブ・ニューズ』との会見で,「サウジアラビアは,侵略者と戦うパに対し全面的に援助を行うだろう」と言明。 |
DIA-304-1980-05-29-1 | パキスタン | 1980年05月29日 | 1980年代 | シャーヒー外務顧問,外相に昇格。同時にシャーナワーズ外務総次官とR.ピルチャ外務次官を任命。 |
DIA-304-1980-05-29-2 | パキスタン | 1980年05月29日 | 1980年代 | グラーム・ハッサン工業・生産相はソ連のカラチ製鉄社に対する援助は中断しないだろうと談。 |
DIA-304-1980-05-31-1 | パキスタン | 1980年05月31日 | 1980年代 | 政府,最近のソ連の報道がジア大統領などパ要人の名誉を設損するものであるとして厳重に抗議。 |
DIA-304-1980-06-01-1 | パキスタン | 1980年06月01日 | 1980年代 | 政府は,国境付近の平穏を保つためアフガン難民を都市部付近の「テント村」に移し始めた。 |
DIA-304-1980-06-01-2 | パキスタン | 1980年06月01日 | 1980年代 | 5月の憲法改正に反対する弁護士がパンジャーブ,スィンド両州でスト,デモ。 |
DIA-304-1980-06-02-1 | パキスタン | 1980年06月02日 | 1980年代 | パの2日付『ナワー・エ・ワクト』紙によれば,ソ連のブレジネフ書記長はこのほどジア大統領あての書簡でアフガニスタン政府と会談を行うよう要求したという。 |
DIA-304-1980-06-03-1 | パキスタン | 1980年06月03日 | 1980年代 | ジア大統領,全国向け演説―①近く連邦評議会(200人)を組織。②近く連邦内閣を拡充。③総選挙は必ず行う。④現在のカーイデ・アーザム大学のイスラーム法学部を大学に昇格。⑤全国にカーズィー(イスラーム法判事)を任命。⑥シャーヒー外相が近く訪印。⑦インドの軍備拡張は警戒すべきだ。⑧わが国も防衛に必要な軍備を持つ用意あり。⑨イラーム外相会議で設置決定のアフガニスタン特別委員会がカールマル政権などと接触する用意がある。⑩ソ連はアフガニスタン占領を恒久化している。⑪パは難民援助を続行。 |
DIA-304-1980-06-04-1 | パキスタン | 1980年06月04日 | 1980年代 | 第1回アフガニスタン特別委員会(5月17日参照),テヘランで開催。シヤーヒー外相,出席。 |
DIA-304-1980-06-06-1 | パキスタン | 1980年06月06日 | 1980年代 | 黄華中国外相,外遊の途次イスラーマバードに立ち寄り,ジア大統領と会談。 |
DIA-304-1980-06-08-1 | パキスタン | 1980年06月08日 | 1980年代 | バルーチスタン州政府,女学生にチャードル着用で頭・顔を隠すよう義務付け。 |
DIA-304-1980-06-08-2 | パキスタン | 1980年06月08日 | 1980年代 | シャーヒー外相,アフガニスタン問題など協議のためルーマニア,西独を歴訪(~12日)。 |
DIA-304-1980-06-09-1 | パキスタン | 1980年06月09日 | 1980年代 | ベナズィール・ブット女史,逮捕。 |
DIA-304-1980-06-10-1 | パキスタン | 1980年06月10日 | 1980年代 | ジア大統領は,73年憲法はイスラームの原則に合致しない条項を含んでおり再編の必要ありと談。 |
DIA-304-1980-06-10-2 | パキスタン | 1980年06月10日 | 1980年代 | 最近の調査によると,パのアフガン難民の30%が結核または栄養失調という。5月15日現在の難民数は計76.7万(北西辺境州61.48万,バルーチスタン州15.21万,パンジャーブ州2.22万,スィンド州0.56万,パ側カシミール0.13万,その他7.57万)。 |
DIA-304-1980-06-11-1 | パキスタン | 1980年06月11日 | 1980年代 | ジア大統領,3万2,000の地方ザカート(宗教上の富裕税,救貧税)徴収所を設置,パはサウジアラビアについて2番目のザカート制保有国となる。 |
DIA-304-1980-06-12-1 | パキスタン | 1980年06月12日 | 1980年代 | 訪パ中のフォルカ米国務次官(国際麻薬取締り担当)は,パ,イラン,アフガニスタンのアヘン生産量(年間1,500万トン)は「黄金の三角地帯」の5倍と談。 |
DIA-304-1980-06-13-1 | パキスタン | 1980年06月13日 | 1980年代 | 対パ債権国会議(12日~)は80/81年度の対パ経済援助を対前年度比54%増の10.78億ドル(うち9,800万ドルはアフガン難民用)と決定。パの債務繰延べ要請に対しアメリカを初め会議諸国が原則としてこれを承認。 |
DIA-304-1980-06-15-1 | パキスタン | 1980年06月15日 | 1980年代 | シャーヒー外相,訪英。18日,訪仏。19日,ユーゴ訪問。23日,アフガニスタン問題について国連本部で米政府代表団と会談。 |
DIA-304-1980-06-15-2 | パキスタン | 1980年06月15日 | 1980年代 | 政府のイスラーム教義評議会(CII)は,国家経済から利子を廃絶するための報告書を政府に提出。 |
DIA-304-1980-06-16-1 | パキスタン | 1980年06月16日 | 1980年代 | 核問題―英BBCテレビは次のような内容の番組を放映。パはリビアから75年以来5億ドルの資金援助を受けて核爆弾を開発中(「プロジェクト706」)で,1年半以内に実験を行おう。ウランはニジェールのフランス企業が採掘したもの。リビアの資金援助は故ブット・パ首相(当時)とカダフィー・リビア国家元首が70年代初めに結んだ協定に基づいている。 |
DIA-304-1980-06-16-2 | パキスタン | 1980年06月16日 | 1980年代 | パ公式筋は,この数週間ソ連機のパ領空侵犯が続いており,北西辺境州各地での爆破事件と関連があると思われると明らかにした。 |
DIA-304-1980-06-17-1 | パキスタン | 1980年06月17日 | 1980年代 | パンジャーブ州政府,3種の宗教冊子を発禁。 |
DIA-304-1980-06-18-1 | パキスタン | 1980年06月18日 | 1980年代 | カラチ高裁は5月の憲法改正を3対2で有効と判断。 |
DIA-304-1980-06-19-1 | パキスタン | 1980年06月19日 | 1980年代 | 反政府デモ―ラホールで4,000人の弁護士が軍政反対のデモ。80人逮捕。このデモは5月の憲法改正に反対する集会の後に挙行されたもので,現政権下での反政府行動としては今までで最大の規模。 |
DIA-304-1980-06-19-2 | パキスタン | 1980年06月19日 | 1980年代 | 米国務省報告書は,79年11月のパでの米大使館焼打ち事件の際のパの対応は遅すぎたとしている。 |
DIA-304-1980-06-20-1 | パキスタン | 1980年06月20日 | 1980年代 | ジア大統領,ザカート・ウシャル令を公布―これによりザカート(救貧税)は21日から徴収開始。ザカートは11種の資産から強制的に,また12種の資産から自由申告に基づいて年2.5%を徴収。年間数百万ルピーが見込まれる。ウシャル(農産物に対する十分の一税)は天水農地から10%,非天水農地から5%を徴収。徴収開始は後日発表。 |
DIA-304-1980-06-23-1 | パキスタン | 1980年06月23日 | 1980年代 | ジア大統領,政府に船舶業務の国営を解除する権限を付与する法令を公布。 |
DIA-304-1980-06-24-1 | パキスタン | 1980年06月24日 | 1980年代 | 79/80年度『経済白書』,出来(資料参照), |
DIA-304-1980-06-26-1 | パキスタン | 1980年06月26日 | 1980年代 | 80/81年度予算発表(資料参照)。27日,イスハーク財政相,記者会見。①ルピー切下げはない。②計75億ルピーで8ヵ所に原発を建設の計画。③原子力委員会予算4.9億ルピー中4.3億ルピーは核燃料再処理工場(ミアーンワリー県チャシュマ)建設に充当。 |
DIA-304-1980-06-26-2 | パキスタン | 1980年06月26日 | 1980年代 | パ政府,ソ連軍のアフガニスタンからの一部撤退を歓迎。 |
DIA-304-1980-06-29-1 | パキスタン | 1980年06月29日 | 1980年代 | 北西辺境州政府顧問4人が辞表提出。2名辞任。他2名は慰留された。 |
DIA-304-1980-07-01-1 | パキスタン | 1980年07月01日 | 1980年代 | シャーヒー外相はBBCとのインタビューで,パは核実験の段階には達してもいないし,核兵器開発の能力も有していないと言明。 |
DIA-304-1980-07-02-1 | パキスタン | 1980年07月02日 | 1980年代 | クエッタ高裁は5月の憲法改正を政府の越権行為と宣言(全員一致)。 |
DIA-304-1980-07-03-1 | パキスタン | 1980年07月03日 | 1980年代 | ジア大統領,シャヒード・ハミード退役陸軍少将を文化・スポーツ・観光相に任命し,同少将の今までの情報・放送相のポストを自ら兼任。なお,従来の教育・文化・スポーツ・観光省は単に教育省と改称。 |
DIA-304-1980-07-03-2 | パキスタン | 1980年07月03日 | 1980年代 | ホーティー教育相は全国のカレッジ以上の女子学生に対しチャードル着用義務化を指示。 |
DIA-304-1980-07-04-1 | パキスタン | 1980年07月04日 | 1980年代 | シーア派デモ―ザカートおよびウシャルの義務化はシーア派教義に反するとしてシーア派ムスリム数万人がイスラーマバードで抗議集会。5日,警官隊との衝突で1~2人が死亡したためラホール,カラチなどでも抗議デモが行われた。6日,イスラーマバードではジア政権登場以来最大規模の(2個師団)の軍が出動。5日,シーア派の動きに呼応するかのようにこの日(ジア政権登場の日)を「暗黒の日」として全国の法律家が一斉スト。6日夜,ジア大統領はムフティー・ジャアッファル・フセインを長とするシーア派代表団と会談を行い,同派の要求に合わせ9月15日までにザカート・ウシャル法を改正すると約束,事態を収拾した。 |
DIA-304-1980-07-05-1 | パキスタン | 1980年07月05日 | 1980年代 | インド外務省は議会に提出した年次報告書においてパの軍拡に懸念を表明。8日,パ外務省スポークスマンはインドが「この時点で,ありもせぬパの軍拡」を問題にしたことに「驚き」を表明し,「インドこそ軍拡を行っている」と非難。 |
DIA-304-1980-07-06-1 | パキスタン | 1980年07月06日 | 1980年代 | 大平首相葬儀のためイスハーク財政省,訪日。 |
DIA-304-1980-07-07-1 | パキスタン | 1980年07月07日 | 1980年代 | アキーズ・アハマッド・ハーン空軍副参謀長,少将から中将に昇格。 |
DIA-304-1980-07-09-1 | パキスタン | 1980年07月09日 | 1980年代 | ジア大統領,サウジアラビア訪問(~10日)―滞在中,ハーリド国王およびファハド皇太子と中東・アフガニスタン情勢などを協議。 |
DIA-304-1980-07-10-1 | パキスタン | 1980年07月10日 | 1980年代 | ソ連,ビタリー・ズミルノフ駐パ新大使を任命。同氏はかつて白ロシア国連常駐大使を務めた大物。 |
DIA-304-1980-07-11-1 | パキスタン | 1980年07月11日 | 1980年代 | インドの11日付The Statesman紙によると,このほどパのラホール高裁判事6人が5月の憲法改正に抗議して辞任した。 |
DIA-304-1980-07-11-2 | パキスタン | 1980年07月11日 | 1980年代 | 政府,新たに500,1000ルピー紙幣を発行。 |
DIA-304-1980-07-13-1 | パキスタン | 1980年07月13日 | 1980年代 | ヨルダンでイスラーム諸国外相特別会議。シャーヒー外相,出席。14日,帰国。 |
DIA-304-1980-07-15-1 | パキスタン | 1980年07月15日 | 1980年代 | シャーヒー外相,訪印―まずガンディー・インド首相と1時間にわたりカシミール問題,印・パ両軍の規模,アフガニスタン問題などを討議。その後,3時間に及ぶラオ・インド外相との会談はほとんどアフガニスタン問題に集中。これらの会談において両国はカシミール問題,アフガニスタン問題の政治解決の方策などでは合意できなかったが,アフガニスタン問題の解決のためには冷戦構造ではなく対話が必要であり,また南西アジアからの大国の介入停止が必要である点でほぼ一致した。17日発表の共同声明は,今後も6ヵ月ごとに両国の外務次官レベルでの会談を続けていくとしている。 |
DIA-304-1980-07-15-2 | パキスタン | 1980年07月15日 | 1980年代 | 聖ラマザーン月1日に際し,ザカート法発効。同法によると貧者は月40ルピーまでを給付される。 |
DIA-304-1980-07-16-1 | パキスタン | 1980年07月16日 | 1980年代 | 欧州在住パ人向けの16日付Daily Millat紙は,パ政府は14日の閣議でサウジアラビア王家を大衆運動から守るためパ軍2個師団を派遣することを承認したが,サウジ王室からの見返り金額は不明と報道。 |
DIA-304-1980-07-17-1 | パキスタン | 1980年07月17日 | 1980年代 | この数週間,記者会見などの形でパ各紙にパがとるべき政体についての政治家たちの論争が突然目立つようになった。これは全政党が非合法化されている状況では戒厳令違反だが当局は黙認するだけでなく,ジア大統領自ら論争をあおっている。ほとんどの政治家が73年憲法と民主主義を擁護しており,17日,トゥファイルJI党首さえもが成人普通選挙制と議会制民主主義を主張(ただし「政治指導者たちはイスラーム体制を築き得る者でなくてはならない」としている)。 |
DIA-304-1980-07-21-1 | パキスタン | 1980年07月21日 | 1980年代 | パの21日付Dawn紙によると,「パの亡命政権スポークスマン」を自称するラージャ・アヌワルという男がアフガニスタンのパスポートおよびある大国の資金でこのほどインドに入国したという。 |
DIA-304-1980-07-21-2 | パキスタン | 1980年07月21日 | 1980年代 | シャーヒー外相,国連の特別緊急総会(パレスチナ問題)出席のため訪米。23日,マスキー米国務長官と武器供与などを協議。記者会見で,ジア大統領がアフガニスタン問題でソ連と接触中と談。26日,ニューヨークでラオ・インド外相と会談。訪英後,30日帰国。 |
DIA-304-1980-07-21-3 | パキスタン | 1980年07月21日 | 1980年代 | インドのUNI通信によると,パはフランスからミラージュ機40機を購入する計画を進めている。 |
DIA-304-1980-07-27-1 | パキスタン | 1980年07月27日 | 1980年代 | 「アハマディア教徒」,ザカートおよびウシャルの支払いを拒否。なお,回教徒は74年9月の憲法改正でムスリム(イスラーム教徒)ではないとされた。 |
DIA-304-1980-08-03-1 | パキスタン | 1980年08月03日 | 1980年代 | パ,南アジア非核地帯を再び提案。4日,インド外務省は3点の論拠によりこれを拒否。 |
DIA-304-1980-08-04-1 | パキスタン | 1980年08月04日 | 1980年代 | パ公式筋によるとジア大統領は軍幹部に対する選別的な秘密書簡で,米からの大規模な武器援助取付けの失敗とインドの大幅軍拡に対する対応策として中国式人民軍の創設について打診(T.I.紙8.25)。 |
DIA-304-1980-08-07-1 | パキスタン | 1980年08月07日 | 1980年代 | ジア大統領,サウジアラビア訪問(~9日)。 |
DIA-304-1980-08-07-2 | パキスタン | 1980年08月07日 | 1980年代 | カールマル・アフガニスタン政権はこのほどイスラーム諸国外相会談特別委員会でなくパとの直接交渉を第3者を通じて提案してきたが,パはこれを拒否。 |
DIA-304-1980-08-08-1 | パキスタン | 1980年08月08日 | 1980年代 | TI幹部は記者会見でジア政権打倒のためのジハード(聖戦)を宣言し,全政党の結集を訴えるとともに軍人の結起を促した。 |
DIA-304-1980-08-08-2 | パキスタン | 1980年08月08日 | 1980年代 | 財政省筋によると,パは80/81年度に国際収支改善分を含めてIMF,OPECなどから計18.3億ドルの経済援助を受けることになるという。 |
DIA-304-1980-08-08-3 | パキスタン | 1980年08月08日 | 1980年代 | ヤヒヤー・ハーン元大統領,病死(63歳)。 |
DIA-304-1980-08-10-1 | パキスタン | 1980年08月10日 | 1980年代 | パ外務省筋によると,パ政府はこのほどカラチのソ連情報センター閉鎖と月刊Tulu紙の廃刊措置をとったが,10日,ソ連大使館員数の半減を要求。 |
DIA-304-1980-08-10-2 | パキスタン | 1980年08月10日 | 1980年代 | 10日のモスクワ放送は,パ政府がパ領内のパシュトゥーン諸部族を取り込むのに失敗と報道。またソ連の公式報道機関としては初めてパシュトゥーン民族を大きく扱い,彼らはアフガニスタン国民だと強調。 |
DIA-304-1980-08-11-1 | パキスタン | 1980年08月11日 | 1980年代 | ソ連のタス通信は中・パ両国がインド国境に軍を集結中と報道。 |
DIA-304-1980-08-12-1 | パキスタン | 1980年08月12日 | 1980年代 | 司法府の独立,再度延期―ジア戒厳総司令官は,司法府の行政府からの独立をさらに1年間延期して81年8月14日とするための「諸法<効力継続><第11回改正>命令,1980年」を布告。 |
DIA-304-1980-08-15-1 | パキスタン | 1980年08月15日 | 1980年代 | パ政府は米およびヨーロッパの民間諸銀行との間で総計2億ドル(パ史上最高)の借款協定に調印。 |
DIA-304-1980-08-15-2 | パキスタン | 1980年08月15日 | 1980年代 | アフガン難民,100万人を突破。 |
DIA-304-1980-08-16-1 | パキスタン | 1980年08月16日 | 1980年代 | スィンド州政府は,ギルギット・バルティスタン民族戦線の小冊子「圧政に次ぐ圧政」を発禁。 |
DIA-304-1980-08-17-1 | パキスタン | 1980年08月17日 | 1980年代 | 英Times紙のパ人新聞記者,イランでスパイ容疑で逮捕(9月2日釈放)。 |
DIA-304-1980-08-19-1 | パキスタン | 1980年08月19日 | 1980年代 | 19日夜リアド空港で炎上したサウジアラビア航空機の死者300のうち74名はパ人乗客であった。 |
DIA-304-1980-08-20-1 | パキスタン | 1980年08月20日 | 1980年代 | サウジアラビアに派兵か―米当局者によるとパはサウジアラビアと1個師団(パの場合,1.2~1.5万人)を見返り10億ドルで派遣すると見られており,既に400人の技術者が派遣されているという。24日サウジアラビア政府が,25日パ政府がこれを否定。 |
DIA-304-1980-08-21-1 | パキスタン | 1980年08月21日 | 1980年代 | 神学者大会―ジア大統領はパ史上初めて全宗派・学派の神学者100人以上を招集しての神学者大会を主催。22日,大会はイスラーム化のための「15項目宣言」を採択。ジア大統領は閉会演説において,「社会の完全なイスラーム化」のための様々な措置を発表。 |
DIA-304-1980-08-21-2 | パキスタン | 1980年08月21日 | 1980年代 | カラチ法律家協会主催の全パ法律家大会(500~1000人参加)が開かれ,集会後60~70人が民主化を要求してデモを行い,警官隊と衝突して10人逮捕。 |
DIA-304-1980-08-22-1 | パキスタン | 1980年08月22日 | 1980年代 | ジア大統領,全パ・ジヤアッファル法実施運動(APNFJ)のムフティー・ジャアッファル委員長と会談。会談後の記者会見で同委員長は,シーア派と政府の7月6日協定に基づいて9月15日までに(シーア派の)ジャアッファル法が実施されよう,などと談。 |
DIA-304-1980-08-22-2 | パキスタン | 1980年08月22日 | 1980年代 | 最近のインド各地でのムスリム殺害事件に対しパ全国で抗議集会。22日付『ジャサーラット』紙はこの事件に対するイスラーム諸国の無関心,とくにイランを非難。 |
DIA-304-1980-08-22-3 | パキスタン | 1980年08月22日 | 1980年代 | 駐パ・インド大使,カラチでヌスラット・ブット夫人およびベナズィール女史に会見。ガンディー女史からの個人的書簡を手交。 |
DIA-304-1980-08-24-1 | パキスタン | 1980年08月24日 | 1980年代 | ヌスラット・ブット夫人およびベナズィール女史,3ヵ月間パンジャーブ州内立入り禁止。 |
DIA-304-1980-08-26-1 | パキスタン | 1980年08月26日 | 1980年代 | 26日付Muslim紙によると,ソ連援助で建設中のカラチ製鉄所の完成は当初予定の78年1月から延び延びになり現在は84/85年度になる見通しで,現在の修正予算21.43億ルピーもさらに大幅に上昇しよう。 |
DIA-304-1980-08-27-1 | パキスタン | 1980年08月27日 | 1980年代 | 73~77年のブット前政権によるバルーチスタン州の武力弾圧による被害者5,000家族への賠償開始。 |
DIA-304-1980-08-27-2 | パキスタン | 1980年08月27日 | 1980年代 | キム・ギョン・リョン北朝鮮副首相,来訪。 |
DIA-304-1980-08-29-1 | パキスタン | 1980年08月29日 | 1980年代 | インドのTimes of India紙によるとパ法務省は22日のイスラーム神学者大会の15項目宣言に基づいて憲法の抜本的改正のための準備作業を開始。 |
DIA-304-1980-08-29-2 | パキスタン | 1980年08月29日 | 1980年代 | 当局はカラチおよびハイデラーバードを拠点とする反政府地下組織(機関紙『赤旗』および『無政府』を出版)の5人を逮捕。 |
DIA-304-1980-08-30-1 | パキスタン | 1980年08月30日 | 1980年代 | ムニール原子力委員長は,パは3週間ほど前にチャシュマ核燃料工場において自力で国産ウラン鉱石から核燃料(濃縮ウラン)製造に成功したと発表。 |
DIA-304-1980-08-30-2 | パキスタン | 1980年08月30日 | 1980年代 | 政府はパ駐在外国外交官の国内旅行を大幅に制限。しかし,現実にはこの措置はソ連・東欧圏の外交官にしか適用されていない。また,去る21日,政府はイスラーマバード以外の諸外国の情報センターを閉鎖したことになっているが,現実にはソ連・東欧圏のもののみ閉鎖(Washington Post 8.31,等)。 |
DIA-304-1980-08-30-3 | パキスタン | 1980年08月30日 | 1980年代 | 伊東外相,来訪(~9月2日)。9月1日,イスハーク蔵相との間で経済協力協定に調印。 |
DIA-304-1980-09-01-1 | パキスタン | 1980年09月01日 | 1980年代 | 1日付Business Recorder紙によるとパの綿織物工場193のうち89は“病める”状態にあり,うち36工場は完全に操業停止に陥っているという。 |
DIA-304-1980-09-02-1 | パキスタン | 1980年09月02日 | 1980年代 | IMF代表団,来訪(~22日)。 |
DIA-304-1980-09-03-1 | パキスタン | 1980年09月03日 | 1980年代 | 3月のモスクワ放送は,中国とパが82年末に領内で協力して地下核実験を行おうと報道。 |
DIA-304-1980-09-04-1 | パキスタン | 1980年09月04日 | 1980年代 | パ空軍は3飛行中隊F-86のセイバー戦闘機40機を老朽化のため使用停止とした。 |
DIA-304-1980-09-07-1 | パキスタン | 1980年09月07日 | 1980年代 | シェイフ・ジャベル・クウェート元首,来訪―8日,ジア大統領と会談。9日,共同声明発表。 |
DIA-304-1980-09-07-2 | パキスタン | 1980年09月07日 | 1980年代 | パ商工会議所によると,パと台湾の民間直接貿易がこのほど再開された。 |
DIA-304-1980-09-08-1 | パキスタン | 1980年09月08日 | 1980年代 | イランの月刊誌Jihad(聖戦),パで発禁。 |
DIA-304-1980-09-08-2 | パキスタン | 1980年09月08日 | 1980年代 | インド・クリケット・チームのパにおける訪問試合はパ側の要請で無期延期。10月1日,パのクリケット・チームの訪印,無期延期。 |
DIA-304-1980-09-09-1 | パキスタン | 1980年09月09日 | 1980年代 | 9日付朝日新聞によると8月13日以来のインドでのムスリム殺害事件に対し,パの国営テレビ・ラジオや新聞が反インド・キャンペーンを行っているという。 |
DIA-304-1980-09-10-1 | パキスタン | 1980年09月10日 | 1980年代 | 当局発表によるとパンジャーブ州では貯蔵不良のため年間150万トン以上の小麦が損傷している。 |
DIA-304-1980-09-12-1 | パキスタン | 1980年09月12日 | 1980年代 | 12日付朝日新聞によると,ソ連軍とアフガニスタン政府軍の兵士数人が去る7月上旬の交戦以来,パ軍の捕虜となっており,未確認情報によるとソ連とパが極秘裡に外交折衝を行っているという。 |
DIA-304-1980-09-14-1 | パキスタン | 1980年09月14日 | 1980年代 | ジア大統領,ムフティー・ジャアッファルAPNFJ委員長と会談(~15日)。15日,イムティアーズィー宗教次官は,政府は近くザカート・ウシャル法を改正すると発表。16日,ジア大統領はシーア派などスンニー派以外のコーランおよびスンナの解釈を許容するため「憲法<第3次改正>命令,1980年」を布告。 |
DIA-304-1980-09-16-1 | パキスタン | 1980年09月16日 | 1980年代 | CIIは,1981年末までに国内取引から利子を3段階に分けて廃絶するための報告書を政府に提出。 |
DIA-304-1980-09-18-1 | パキスタン | 1980年09月18日 | 1980年代 | パ政府は,補助金の大幅削減,輸入自由化,新労働政策の策定など,IMFの諸条件を承認。 |
DIA-304-1980-09-20-1 | パキスタン | 1980年09月20日 | 1980年代 | 米の20日付Wasington Post紙によるとパ政府はソ連空軍機によるパ領空侵害やアフガン難民キャンプ爆撃などをできるだげ伏せようと努めている。 |
DIA-304-1980-09-20-2 | パキスタン | 1980年09月20日 | 1980年代 | パンジャーブ州シェイフプラでバス事故,75人以上死亡。 |
DIA-304-1980-09-21-1 | パキスタン | 1980年09月21日 | 1980年代 | ジア大統領,ラージャ・トリデヴ・ロイ少数民族問題担当大統領顧問を任命。 |
DIA-304-1980-09-22-1 | パキスタン | 1980年09月22日 | 1980年代 | スイス政府,核技術の対パ提供は継続と言明。 |
DIA-304-1980-09-23-1 | パキスタン | 1980年09月23日 | 1980年代 | ジア大統領,ガンジドゥースト駐パ・イラン大使と会談。24日,同大使はジア大統領がイラン・イラク戦争の調停を申し出たことを示唆。 |
DIA-304-1980-09-23-2 | パキスタン | 1980年09月23日 | 1980年代 | 米の23日付Wasington Post紙によると,パは81年秋にも初の原爆実験を行う目的でラーワルピンディー近郊に核燃料再処理工場を建設中という。 |
DIA-304-1980-09-23-3 | パキスタン | 1980年09月23日 | 1980年代 | 23日付『フリヤット』紙によると,パの外資系銀行は誰がザカート課税の対象とされる「分限者」であるかを画定しようとしないため,預金者たちは国営銀行でなく外資系銀行に長蛇の列をなしているという。 |
DIA-304-1980-09-26-1 | パキスタン | 1980年09月26日 | 1980年代 | 26日のパ放送によると,アフガニスタン空軍のヘリコプターがパ領のバジャーワド地区の領空を侵犯,初めてパ軍監視所を攻撃,2人死亡。 |
DIA-304-1980-09-27-1 | パキスタン | 1980年09月27日 | 1980年代 | イラン・イラク戦争調停の努力―ジア大統領は国連でのイスラーム諸国外相会議による要請(26日) を受けて,27日,テヘランでバニサドル・イラン大統領と2回にわたり会談。アラファトPLO議長も参加。イランの強硬態度により不調。28日,トルコに立ち寄った後,ヨルダンに立ち寄ってフセイン国王と会談。29日,バグダードでフセイン・イラク大統領と会談。シャティー・イスラーム諸国会議事務局長とハッサン・ヨルダン皇太子も参加したが不調。30日,国連総会出席のためパリ経由でニニーヨークへ。 |
DIA-304-1980-09-29-1 | パキスタン | 1980年09月29日 | 1980年代 | イスラーム法法廷は,イスラーム教義に反するとして殺人犯の死刑など刑法の計18条項を無効と宣言。 |
DIA-304-1980-09-29-2 | パキスタン | 1980年09月29日 | 1980年代 | シャーヒー外相,グロムイコ・ソ連外相と会談(ニューヨーク)。同月,マスキー米国務長官とも会談。 |
DIA-304-1980-10-01-1 | パキスタン | 1980年10月01日 | 1980年代 | ジア大統領,国連総会で演説―①イランとイラクの和平のためにはすべての外部勢力の厳正中立,不介入が必要。②超大国間の対立と干渉合戦こそが地球規模の不安定の原因だ。③アメリカのイスラエル支持は中東不安定の要因だ。④ソ連は伝統的に自由なアフガニスタン国民の独立を奪った。⑤カシミール問題の解決なくして南アジアの真の安定はあり得ない。⑥パは対印関係の正常化に努めてきた。 |
DIA-304-1980-10-02-1 | パキスタン | 1980年10月02日 | 1980年代 | ジア大統領,国連でハンマディー・イラク外相と会談。同日,ニューヨーク市内でロックフェラー氏など米財界人と会談。 |
DIA-304-1980-10-03-1 | パキスタン | 1980年10月03日 | 1980年代 | ジア大統領,カーター米大統領と会談(ワシントン)―会談後の記者会見でカーター大統領は,「パが危険な状況に陥れば,1959年の米・パ軍事協定はまだ生きている」と演説。ジア大統領は米の対パ経済援助,対アフガン難民援助に謝意を表明。パの5日付Muslim紙によるとジア大統領は会談において,①パ・米関係においては軍事援助よりも経済援助の方が重要であること,②パは米・ソ等距離外交の立場をとらざるを得ないこと,などを強調したという。 |
DIA-304-1980-10-05-1 | パキスタン | 1980年10月05日 | 1980年代 | ジア大統領は米Newsweek誌とのインタビューで,「ソ連はペルシァ湾の裏口を狙っており,パとイランが攻撃目標となる可能性がある」と述べた。 |
DIA-304-1980-10-06-1 | パキスタン | 1980年10月06日 | 1980年代 | ジア大統領,訪英サッチャー英首相と会談。同日,オーストラリアを非公式訪問。7日,クライスキー首相と会談。9日,西ドイツを訪問,シュミット首相と会談,共同声明発表。ジア大統領は会談後の記者会見で,ソ連撤兵まで「アフガニスタン問題を生かしておくべきだ。あすはポーランドかもしれない」と述べ,同問題には政治解決しかないと主張。また,イラン・イラク戦争にも政治解決しかないと主張。10日帰国。 |
DIA-304-1980-10-10-1 | パキスタン | 1980年10月10日 | 1980年代 | カラコラム街道のタラーコートより先のファルハッド橋から分岐してスカルドゥに至る道路の拡張と全天候道路への改修工事がパ単独の力で完了。 |
DIA-304-1980-10-14-1 | パキスタン | 1980年10月14日 | 1980年代 | マウラーナー・ムフティー・マハムードPNA委員長病死(61歳)。 |
DIA-304-1980-10-14-2 | パキスタン | 1980年10月14日 | 1980年代 | セクー・トウーレ・ギニア大統領,来訪(~16日)。15日,ジア大統領と会談。16日,共同声明発表。 |
DIA-304-1980-10-17-1 | パキスタン | 1980年10月17日 | 1980年代 | シャティー・イスラーム諸国会議事務局長,訪パ。18日,同会議議長であるジア大統領にイラン・イラク戦争調停努力について結果を報告。 |
DIA-304-1980-10-18-1 | パキスタン | 1980年10月18日 | 1980年代 | 79年3月,ブット前首相に対する死刑判決の再審要請却下の判決に署名を拒否した3判事のうちの1人サフダル・シャー最高裁判事が辞任。 |
DIA-304-1980-10-18-2 | パキスタン | 1980年10月18日 | 1980年代 | パ原子力委員会,エネルギー危機克服のための3項目計画の概要を発表。 |
DIA-304-1980-10-20-1 | パキスタン | 1980年10月20日 | 1980年代 | イスラーム暦14世紀最後のイードゥッズハー祭,全国各地で挙行。 |
DIA-304-1980-10-22-1 | パキスタン | 1980年10月22日 | 1980年代 | ジア大統領,演説(ラホールの民間人によるレセプションで)―①アフガニスタン問題は政治的に解決すべきだ。②もう一方の国境の状況も良好ではない。③パには武器および金を提供してくれているいくつかの友好国がある。④私はイスラームの下僕であり,いかなる力もパ社会の完全なイスラーム化という使命から私を引き留めることはできない。⑤私は自分の政党を持つつもりはないが,パはイスラーム党ないしパキスタン党と称されるべき唯一の政党を有すべきである。 |
DIA-304-1980-10-23-1 | パキスタン | 1980年10月23日 | 1980年代 | 外務省,BBC放送によるパとイラン関係悪化の報道を否定。 |
DIA-304-1980-10-24-1 | パキスタン | 1980年10月24日 | 1980年代 | アフガニスタン政府軍のヘリコプター6機がパ領内16kmの難民キャンプを初めて攻撃し,初めて死者3人,負傷者7人を出した。越境攻撃としては1980年に入って3回目。 |
DIA-304-1980-10-25-1 | パキスタン | 1980年10月25日 | 1980年代 | ジア大統領,演説(カラチの民間レセプションで)―①近く内閣を拡大改造する。②また,連邦レベルの顧問評議会を設置する。③国民は政教分離主義者と闘い,イスラームに奉仕すべきだ。④国民はパの将来の政治体制について熟考してほしい。現時点での総選挙は自殺行為だ。 |
DIA-304-1980-10-26-1 | パキスタン | 1980年10月26日 | 1980年代 | シラー元西ドイツ蔵相(5月3日参照),10日間の予定で来訪―28日,ジア大統領に会見。パの直面する経済問題に関する報告を提出。 |
DIA-304-1980-10-27-1 | パキスタン | 1980年10月27日 | 1980年代 | シャーヒー外相は国連総会からの帰途ロンドンに立ち寄り,キャリントン英外相と会談。28日,パリでジスカール・デスタン仏大統領と会談。 |
DIA-304-1980-10-27-2 | パキスタン | 1980年10月27日 | 1980年代 | アフガニスタン政府公共事業省の高官,パに亡命。 |
DIA-304-1980-10-28-1 | パキスタン | 1980年10月28日 | 1980年代 | パ公式筋によるとパ領内のキャンプにいるアフガン難民の間で結核が急速に伝染しているという。 |
DIA-304-1980-10-29-1 | パキスタン | 1980年10月29日 | 1980年代 | 政府は,ジーア派などの教義にも沿うようにザカート・ウシャル法を改正(7月4日参照)。 |
DIA-304-1980-10-30-1 | パキスタン | 1980年10月30日 | 1980年代 | シャーヒー外相,イラン・イラク戦争調停のためヨルダン訪問。31日,イラク訪問。 |
DIA-304-1980-10-31-1 | パキスタン | 1980年10月31日 | 1980年代 | 政府,アフガン難民管理の再編を開始。 |
DIA-304-1980-11-01-1 | パキスタン | 1980年11月01日 | 1980年代 | ジア大統領はペシャーワル市評議会で演説,「いかなる犠牲を払っても核技術を取得する」と言明。 |
DIA-304-1980-11-03-1 | パキスタン | 1980年11月03日 | 1980年代 | 中央銀行79/80年度報告書,出来。 |
DIA-304-1980-11-04-1 | パキスタン | 1980年11月04日 | 1980年代 | バルーチスタン州政府は4~22日の間に次の出版物を押収。親ソ派といわれるバルーチスタン学生機構(BSO)の2機関誌,カナダのカシミール行動委員会の小冊子,イスラエル国旗のステッカー,スンニー派行動委員会の小冊子,3学生組織から成る学生合同行動委員会の小冊子,イランのホメイニ師非難のポスター,イランのアラビア語誌,その他数種の小冊子。なお7日,クエッタに集会・武器携行禁止令が出された。 |
DIA-304-1980-11-05-1 | パキスタン | 1980年11月05日 | 1980年代 | ソ連から帰国したカールマル・アフガニスタン革命評議会議長は今までで最も激しい口調でパに対しアフガニスタンの内政に干渉しないように警告。 |
DIA-304-1980-11-05-2 | パキスタン | 1980年11月05日 | 1980年代 | ガンディー・インド首相は印・パ関係正常化について,パの熱意は弱い,パはアフガニスタン問題とイラン・イラク戦争を利用しているなどとパを批判。 |
DIA-304-1980-11-06-1 | パキスタン | 1980年11月06日 | 1980年代 | ジア大統領は上位裁判所裁判官の服装を従来の英国式のものから伝統的礼服であるシェールワーニーおよび黒のジンナ帽に代えるための大統領命令を布告。 |
DIA-304-1980-11-06-2 | パキスタン | 1980年11月06日 | 1980年代 | インドのスワミー・ジャナタ党書記長は記者会見で,ソ連がアフガニスタン支配のためインドに対しパとの東部国境で戦争をしかけるように要求したと談。 |
DIA-304-1980-11-08-1 | パキスタン | 1980年11月08日 | 1980年代 | カムラの航空機組立工場完成式―F-6型機およびミラージュ機の組立のため1972年から中国援助で建設されていたもの。王定烈中国空軍参謀長も出席。 |
DIA-304-1980-11-08-2 | パキスタン | 1980年11月08日 | 1980年代 | インドのUNI通信によると,中国はこのほどファンタン(F-9)機と地対空ミサイルSA改良型の供給を開始し,81年半ばまでに計3個中隊分65機が引き渡されるという。16日,パ政府はこれを否定。 |
DIA-304-1980-11-10-1 | パキスタン | 1980年11月10日 | 1980年代 | ロング米太平洋艦隊司令官,来訪。 |
DIA-304-1980-11-12-1 | パキスタン | 1980年11月12日 | 1980年代 | ビレンドラ・ネパール国王夫妻,来訪(~14日)。13日,ジア大統領と会談。 |
DIA-304-1980-11-12-2 | パキスタン | 1980年11月12日 | 1980年代 | 北西辺境州政府はイランのコムで出版の月刊『聖戦』誌8~9月号,「女性隔離は終った」および「抑圧者は誰か」という小冊子,反ホメイニ師ポスターの押収命令を出した。 |
DIA-304-1980-11-13-1 | パキスタン | 1980年11月13日 | 1980年代 | ジア大統領,イスラーマバードにイスラーム大学を設立するための大統領令を布告。 |
DIA-304-1980-11-16-1 | パキスタン | 1980年11月16日 | 1980年代 | ジア大統領,A.K.ブローヒー氏(法律家)を文化担当の無任所大使(連邦大臣級)に任命。 |
DIA-304-1980-11-18-1 | パキスタン | 1980年11月18日 | 1980年代 | ジア大統領,ガンディー・インド首相に書簡―両国関係正常化を訴えるもの。 |
DIA-304-1980-11-19-1 | パキスタン | 1980年11月19日 | 1980年代 | クーデター未遂か―パの19日付各紙は9月末~10月初旬予定の政府転覆計画が発覚,800万ドル相当の武器が押収され,首謀者のM.ワライチ(退役海軍少佐,前政権時代の外務省高官)はアトック軍事裁判所で死刑判決を受けたと報道。また,海軍の現役将校4人および外務省下級官吏2人が尋問中。他にパ国際航空職員,学生などPPP系の者が関係しており当局は20余人の行方を追及。政府はこれらの報道を否定したが,ワライチは前政権時代の76年に秘密情報をソ連に漏洩した科で取調べ中であるとしている。 |
DIA-304-1980-11-20-1 | パキスタン | 1980年11月20日 | 1980年代 | イギリスの20日付Guardian紙は,インドがカシミールを巡る戦争を準備中と報道。 |
DIA-304-1980-11-21-1 | パキスタン | 1980年11月21日 | 1980年代 | ジア大統領,バルーチスタン州視察(~24日)―以下,視察中の発言。①地方評議会制は社会の民主化とイスラーム化のためのものだ。②ガンディー・インド首相への書簡については何も言えない。③アフガニスタン問題についてソ連と接触している。 |
DIA-304-1980-11-21-2 | パキスタン | 1980年11月21日 | 1980年代 | パの21日付Imroze紙はインドのSrinagar Timesを引用して,このほどムルタザ・ブットおよびカル元パンジャーブ州知事がインドを訪れボンベイでガンディー首相に会見した,と報道。 |
DIA-304-1980-11-22-1 | パキスタン | 1980年11月22日 | 1980年代 | サフダル・シャー前最高裁判事,イギリスへ亡命(10月18日参照)―22日,カーブルに立ち寄り。 |
DIA-304-1980-11-22-2 | パキスタン | 1980年11月22日 | 1980年代 | 最高裁,法定書類にウルドゥ語使用を許可。 |
DIA-304-1980-11-24-1 | パキスタン | 1980年11月24日 | 1980年代 | 中国海軍代表団,2週間の予定で来訪。 |
DIA-304-1980-11-24-2 | パキスタン | 1980年11月24日 | 1980年代 | 政府は最近の外国紙による中国核ロケットのパ領内の存在および中国軍による訓練の報道を否定。 |
DIA-304-1980-11-25-1 | パキスタン | 1980年11月25日 | 1980年代 | IMF援助―IMFは拡大信用供与措置から向う3年間で17億ドルの借款供与を決定。これはトルコの16.2億ドルを上回り,発展途上国に対するものとしては史上最高額。 |
DIA-304-1980-11-25-2 | パキスタン | 1980年11月25日 | 1980年代 | パの25日付Muslim紙はイスラーマバード外交筋の話しとして,パとアフガニスタンの直接交渉はあり得ないが,パはここしばらくソ連と外交折衝を重ねており,大臣級の会談も不可能ではないと伝えた。 |
DIA-304-1980-11-26-1 | パキスタン | 1980年11月26日 | 1980年代 | シャーヒー外相,国連から訪英,キャリントン英外相と会談。同日午後,帰国。 |
DIA-304-1980-11-27-1 | パキスタン | 1980年11月27日 | 1980年代 | ガンディー・インド首相は上院で,パは近代兵器および核兵器の製造能力がないため外国から入手しつつあり,インドに対する危険が増大していると警告。 |
DIA-304-1980-11-28-1 | パキスタン | 1980年11月28日 | 1980年代 | スハルト・インドネシア大統領,来訪―29日ジア大統領と会談。30日,カラチ原子力発電所を見学し,この分野でのパの協力を希望。12月1日,共同コミュニケ発表。同日,インドへ。 |
DIA-304-1980-11-30-1 | パキスタン | 1980年11月30日 | 1980年代 | ジア大統領はイスラーム教義評議会の委員数を15人から20人に拡大するため「憲法<第4次改正>命令,1980年」を公布(1980年大統領令第16号)。 |
DIA-304-1980-12-01-1 | パキスタン | 1980年12月01日 | 1980年代 | ムハマッド・アリー元首相,死去(75歳)。 |
DIA-304-1980-12-01-2 | パキスタン | 1980年12月01日 | 1980年代 | ジア大統領,パ軍の印・パ国境集結の報を否定。 |
DIA-304-1980-12-01-3 | パキスタン | 1980年12月01日 | 1980年代 | アフガン難民数,130万を突破。 |
DIA-304-1980-12-02-1 | パキスタン | 1980年12月02日 | 1980年代 | イラン代表団,来訪。シャーヒー外相と会談。 |
DIA-304-1980-12-03-1 | パキスタン | 1980年12月03日 | 1980年代 | ナイフ・サウジアラビア内相,来訪。 |
DIA-304-1980-12-04-1 | パキスタン | 1980年12月04日 | 1980年代 | スィンド州政府発表によると,去る11月23日以来,州内数ヵ所のカレッジ教師がストライキ中。 |
DIA-304-1980-12-07-1 | パキスタン | 1980年12月07日 | 1980年代 | 米の7日付Wasingtong Post紙によると,核兵器開発に必要なエレクトロニクス装置(アメリカ製)などが5回にわたってカナダ経由で密輸されていたが,先日6回目の密輸計画が発覚し,パキスタン系カナダ人技術者3人が逮捕されたと報道。パ政府は否定。 |
DIA-304-1980-12-08-1 | パキスタン | 1980年12月08日 | 1980年代 | ファハド・サウジアラビア皇太子,来訪―同日ジア大統領とアフガニスタン問題,イラン・イラク紛争,湾岸諸国,印・パ関係等で会談。同日の歓迎宴で皇太子は,「強力なパは地域平和および世界平和を保障するものだ」と述べた。10日,共同コミュニケ発表。 |
DIA-304-1980-12-08-2 | パキスタン | 1980年12月08日 | 1980年代 | ムルターン市の学生多数が滞在中のインド外交官のホテルの前で投石を含む反インド・デモ。 |
DIA-304-1980-12-08-3 | パキスタン | 1980年12月08日 | 1980年代 | ラホールで「人権の日」。法律家がデモ。 |
DIA-304-1980-12-09-1 | パキスタン | 1980年12月09日 | 1980年代 | スィンド州政府はカナダのカシミール行動委員会の小冊子,他1種の反政府小冊子を押収。 |
DIA-304-1980-12-10-1 | パキスタン | 1980年12月10日 | 1980年代 | 10日付Pakistan Times紙は最近のインド国営報道機関による反パ宣伝を非難。 |
DIA-304-1980-12-11-1 | パキスタン | 1980年12月11日 | 1980年代 | 11日ロイター電によると,軍事裁判所はムルタザ・ブットなどの欠席裁判を秘密裡に開始したという。 |
DIA-304-1980-12-12-1 | パキスタン | 1980年12月12日 | 1980年代 | 中国軍事代表団来訪(〓懐智団長)。15日,ハイバル峠視察。17日,ジア大統領に会見。25日帰国。 |
DIA-304-1980-12-12-2 | パキスタン | 1980年12月12日 | 1980年代 | アッバースィーC地区(スィンド州)戒厳司令官はH.A.クレースィー陸軍少将をH.A.アヌサーリー准将に代えカラチ県東部・南部戒厳副司令官に任命。 |
DIA-304-1980-12-12-3 | パキスタン | 1980年12月12日 | 1980年代 | ペシャーワル警察は反政府パンフレットを配布していた外国人8人を逮捕。 |
DIA-304-1980-12-13-1 | パキスタン | 1980年12月13日 | 1980年代 | 政府はイスラーマバードでの外国商業銀行との間で2億ドルの借款協定に調印。 |
DIA-304-1980-12-14-1 | パキスタン | 1980年12月14日 | 1980年代 | ラホール市で刑法第144条発令により集会・武器携行禁止(向う2ヵ月)。16日,北西辺境州でも。 |
DIA-304-1980-12-14-2 | パキスタン | 1980年12月14日 | 1980年代 | 北西辺境州政府は“解放戦線”の小冊子「防衛」を押収。28日,「人民の友」,「最後の警告」という2種の小冊子を押収。 |
DIA-304-1980-12-17-1 | パキスタン | 1980年12月17日 | 1980年代 | 政府は17~21日に高級官僚177人を強制的に退職処分とした。 |
DIA-304-1980-12-17-2 | パキスタン | 1980年12月17日 | 1980年代 | パンジャーブ州教育委員長,全教育機関において午後の礼拝の義務づけを指示。 |
DIA-304-1980-12-18-1 | パキスタン | 1980年12月18日 | 1980年代 | カユーム元パ側カシミール大統領はラーワルピンディーでの政治家たちの会合で,ガンディー・インド首相はカシミールで戦争を起こそうとしていると警告。 |
DIA-304-1980-12-18-2 | パキスタン | 1980年12月18日 | 1980年代 | 外務省,中国軍がパに駐留との外国報道を否定。 |
DIA-304-1980-12-19-1 | パキスタン | 1980年12月19日 | 1980年代 | ジア大統領は記者会見で,インドとの間に緊張は感じないと談。 |
DIA-304-1980-12-20-1 | パキスタン | 1980年12月20日 | 1980年代 | ガンディー・インド首相はパとの友好促進を望むとしながらも,パが国際的な場でカシミール問題を持ち出すなどシムラ協定の精神に違反していると非難。 |
DIA-304-1980-12-20-2 | パキスタン | 1980年12月20日 | 1980年代 | 政府はパがサウジアラビアに軍を駐留させることに合意したとの外国報道を強く否定。 |
DIA-304-1980-12-20-3 | パキスタン | 1980年12月20日 | 1980年代 | IMFはパの年間2~2.5億ドルの債務返済繰延べ要請を81年1月13~14日に検討する予定。 |
DIA-304-1980-12-21-1 | パキスタン | 1980年12月21日 | 1980年代 | バルーチスタン州政府は,アフガニスタンから密輸入された反パ政府カセットテープと民族民主党(NDP)の小冊子を押収。 |
DIA-304-1980-12-22-1 | パキスタン | 1980年12月22日 | 1980年代 | ジア大統領は軍人に対し,インドとの国境緊張のうわさにまどわされないように訴え。 |
DIA-304-1980-12-22-2 | パキスタン | 1980年12月22日 | 1980年代 | 22~27日の間に,全国の大学で「イスラーム学およびパキスタン学」が必須課目とされた。 |
DIA-304-1980-12-23-1 | パキスタン | 1980年12月23日 | 1980年代 | シャーヒー外相,訪中―滞在中,黄華外相,鄧小平副主席,趙紫陽首相などとアフガニスタン問題,印・パ関係などについて会談。なお,この訪中はブレジネフ・ソ連共産党書記長の訪印を機に急きょ決定したと見られている。26日,シャーヒー外相は香港を非公式訪問。28日,パの対米関係はレーガン政権登場で改善されようと談。29日,アフガニスタン問題解決のため国連仲介のもとでカールマル政権と会談の用意ありと言明。 |
DIA-304-1980-12-27-1 | パキスタン | 1980年12月27日 | 1980年代 | パンジャーブ州で非熟練労働者の最低賃金引上げ。新賃金は1日14.61~15ルピー。 |
DIA-304-1980-12-28-1 | パキスタン | 1980年12月28日 | 1980年代 | ジア大統領,政府・労・使の3者会談を主宰。計60人の代表が参加。産業平和,生産増加を呼びかけ労働法改正を示唆。23項目の行動計画が提案され,30日には労働政策勧告のためのパネル設立を決めて閉会。 |
DIA-304-1980-12-28-2 | パキスタン | 1980年12月28日 | 1980年代 | 外務省は中・パ両国が最近カラチ西方に中国の海軍基地を建設する秘密協定を結んだとの外国報道を否定。 |
DIA-304-1980-12-29-1 | パキスタン | 1980年12月29日 | 1980年代 | 政府は最近の突然かつ急激なインフレに深い懸念を抱いていると伝えられる。 |
DIA-304-1980-12-30-1 | パキスタン | 1980年12月30日 | 1980年代 | アフガニスタンのサルブランド情報相は,カールマル政権発足1周年にあたる27日にパが自国の陸軍将校100人を変装させてアフガニスタンに送り込みカンダハール市を破壊しようとしたと非難。 |
DIA-304-1981-01-01-1 | パキスタン | 1981年01月01日 | 1980年代 | 無利子銀行制度開始―ジア大統領はイスラーム化の一環として「無利子預金(正式には“損益分担預金PLS””)口座」を差し当り国営5銀行に開設。当面は従来の利子付預金と併存。 |
DIA-304-1981-01-01-2 | パキスタン | 1981年01月01日 | 1980年代 | 大学法改正令―ジア大統領は総合大学の理事会委員を従来の選挙制から学長(大統領または州知事が兼任)による指名制に変更。また,イスラーム学およびパキスタン学未習得の学生は学位を獲得得できない。 |
DIA-304-1981-01-01-3 | パキスタン | 1981年01月01日 | 1980年代 | イスラー・マバード首都圏地域,州に昇格―初代行政管(Administrator)はM.Aバジュワ。 |
DIA-304-1981-01-03-1 | パキスタン | 1981年01月03日 | 1980年代 | パキスタン(以下,「パ」と省略)はワルトハイム国連事務総長に対し,パ,イラン,アフガニスタンの三国会談実現のため国連特使任命を要請。 |
DIA-304-1981-01-03-2 | パキスタン | 1981年01月03日 | 1980年代 | サウジアラビアはこのほど武器調達用としてパに8億ドルの援助を約束,うち7.5億ドルは既に供与されたという(パNawa-e-Waqt 1.3)。 |
DIA-304-1981-01-04-1 | パキスタン | 1981年01月04日 | 1980年代 | 中国の4日付け『人民日報』紙は「パに中国軍が駐留しているとモスクワで流布されているうわさはソ連の南進目標としてパが選ばれたことを示す」と評。 |
DIA-304-1981-01-06-1 | パキスタン | 1981年01月06日 | 1980年代 | パンジャーブ教師労組およびバハーワルプル教師労組,ストライキ突入(27日,終結)。 |
DIA-304-1981-01-07-1 | パキスタン | 1981年01月07日 | 1980年代 | ジア大統領は記者会見で,国会と類似の機能を果たす連邦諮問評議会を2月初旬までに設置し,2月末までに内閣を拡充すると言明。 |
DIA-304-1981-01-07-2 | パキスタン | 1981年01月07日 | 1980年代 | アフガン難民,50万突破(収容所240)。 |
DIA-304-1981-01-11-1 | パキスタン | 1981年01月11日 | 1980年代 | ジア大統領,諸国歴訪―月末のイスラーム諸国首脳会議準備のため11~18日,クウェート,トルコ(12~15日),カタール,バハレーン,オマーンを歴訪。12日,クウェート在留邦人に,①アフガニスタンの政権党代表とは話し合うがカーブルの政権とは話さない,②パは前線国家として重要な地位を有する,などと演説。 13日,エヴレン・トルコ大統領と会談,今後両国外相の定期的会談開催で合意。同日昼食会でアタテュルクを絶賛。14日の記者会見で,①エヴレン大統領との会談で国際問題に関する意見は大体一致した,②米の対パ軍事援助再開のための措置はとられていない,などと言明。15日,共同コミュケ。16日,カタールでの記者会見で,①米が今までペルシャ湾情勢に関してとってきた措置はさして信頼に値しない,②パは平和目的のための核開発努力を続行する決意だ,などと言明。17日,バハレーンでの記者会見で,①パの対サウジアラビア軍事協力は技術・訓練面に限られており軍隊派遣はない,②ただ,要請があれば私は同国あるいはバハレーンの防衛のために個人的にパ軍を率いる,と言明。18日,帰国後の記者会見で,①諸国歴訪中イスラーム諸国共同防衛の討議はなかった,②アフガニスタン問題・ |
DIA-304-1981-01-13-1 | パキスタン | 1981年01月13日 | 1980年代 | 対パ債権国会議(~14日)―向う3カ年2.59億ドル前後の支払い猶予要請に対し,その90%(2.33億ドル)の支払いを81年1月15日から向う18ヵ月猶予。 |
DIA-304-1981-01-18-1 | パキスタン | 1981年01月18日 | 1980年代 | 政府は現行の第5次経済開発5カ年計画に代って3カ年計画(1981/82~83/84)を策定中という(Pakistan Times,1.18)。 |
DIA-304-1981-01-18-2 | パキスタン | 1981年01月18日 | 1980年代 | 駐パ・インド大使,パの主権,領土保全などの尊重を保障するガンディー首相の書簡をジア大統領に手交。 |
DIA-304-1981-01-18-3 | パキスタン | 1981年01月18日 | 1980年代 | イランのスィースタン=パルーチスタン州知事,国境地域での相互協力協議のため来訪。 |
DIA-304-1981-01-21-1 | パキスタン | 1981年01月21日 | 1980年代 | カダフィ・リビア大統領はボンペイの週刊Current最新号掲載のインタビューで,リピアはパの核兵器開発の資金援助をしているとの報道を強く否定。 |
DIA-304-1981-01-21-2 | パキスタン | 1981年01月21日 | 1980年代 | 労働法規改訂のため政府・労・使3者会談。 |
DIA-304-1981-01-22-1 | パキスタン | 1981年01月22日 | 1980年代 | ナハヤーン・アラブ首長国連邦大統領,来訪。 |
DIA-304-1981-01-25-1 | パキスタン | 1981年01月25日 | 1980年代 | 第3次イスラーム諸国首脳会議(~29日,タイフ)-26日,アジア大統領が演説,アフガニスタン問題解決のために同国とソ連も対し最大限の圧力をかけるよう訴えた。会期中,アジア大統領は74年2月以来今回までの議長国元首として終始指導的立場に立とうと努めていたが,会議自体の新役員の中にはパ人は一人もいない。 ただ,設置が決定されたイラン・イラク戦争調停委員会8カ国にはパも含まれる。 |
DIA-304-1981-01-28-1 | パキスタン | 1981年01月28日 | 1980年代 | ヘイグ財政省次管によると,政府は工業部門での非国有化の可能性を検討するために政府高官から成る委員会を設置。 |
DIA-304-1981-01-31-1 | パキスタン | 1981年01月31日 | 1980年代 | サウド・サウジアラピア外相,来訪(~2月5日)―同国におけるパとの合弁事業の可能性調査のため。31日,タールプル国防相と会談。 |
DIA-304-1981-02-02-1 | パキスタン | 1981年02月02日 | 1980年代 | シャーヒー外相,イラン・イラク戦争調停のためイラン訪問,パニサドル大統領などと会談。4日帰国。 |
DIA-304-1981-02-05-1 | パキスタン | 1981年02月05日 | 1980年代 | レジア大統領はサウジアラビアの5日付Al-Bilad紙とのインタビューで,①パに対するソ連の直接の脅威は日々増大している,②ソ連の意図は非常に明白,③イスラーム共同体防衛のためイスラーム諸国の資金をプールし,超大国とのバランスをとるためにイスラミック・パワーを確立する要がある,と主張。 |
DIA-304-1981-02-06-1 | パキスタン | 1981年02月06日 | 1980年代 | 9政党連合―非合法9政党がジア大統領辞任,戒厳令徹廃,早期民政移管などを要求して「民主主義回復運動(MR))」を詰成,参加政党はパ人民党(PPP),自立運動党(TI),民族民主党(NDP),パ・ムスリム連盟ハイルッディーン派(PML-K),イスラーム神学者協会(JUI),パ民主党(PDP)など,議長はジャムー・カシミール・ムスリム会議(JKMC)のS.アブドゥル・カユーム党首。 |
DIA-304-1981-02-07-1 | パキスタン | 1981年02月07日 | 1980年代 | 学生騒乱―パンジャープ州5大学学生自治会を掌握している保守ムスリム連盟(CMSF),全学生ストを呼びかけ。主要求は,①大学法改正令撤廃,②政党禁止と新聞検閲の解除,③戒厳令撤廃と民政移管,④対アフガン・ゲリラ軍事訓練援助。9日,CMSFの動きとは別にPPPの学生組織である人民学生連盟(PSF)がベナズィール・ブットの領導によりムルターンで反政府デモを開始。騒ぎはたちまち全国各地の都市部学生の間に波及,学生たちは「軍政打倒」の他,「カールマル(アフガニスタン革命評議会議長)万歳」を叫び,破壊活動を強行。これにMRD政治家の反政府行動の他,弁護士,報道関係者,教育関係者のストが加わった。しかし,国鉄労働組が軍政反対を叫んだ他は労働者はこれといった動きを示さなかった。ジア政権は一連の騒乱に対し機動隊,治安部隊を投入,政治家,学生など数百人を逮捕し,最大の危機を乗り切った。 |
DIA-304-1981-02-07-2 | パキスタン | 1981年02月07日 | 1980年代 | スミルノフ駐パ・ソ連大使,パルーチスタン州を訪問,同州の大物政治家ビゼーンジョー,大使との会見を拒否。 |
DIA-304-1981-02-08-1 | パキスタン | 1981年02月08日 | 1980年代 | 非同盟諸国外相会議のため訪印中のシャーヒー外相は記者会見で,国連仲介下の3者会談(1月3日参照)を主張しドースト・アフガニスタン外相の6日の個別会談提案を拒否,また非公式会談も拒否。 |
DIA-304-1981-02-08-2 | パキスタン | 1981年02月08日 | 1980年代 | 警察当局はラールカ一ナ近郊の塹壕にこもる男たちと2時間半の銃撃戦の後17人を逮捕,火器押収。 |
DIA-304-1981-02-10-1 | パキスタン | 1981年02月10日 | 1980年代 | 訪印中のシキーヒー外相,ガンディー・インド首相を訪問,両国関係改善の希望を表明。 |
DIA-304-1981-02-11-1 | パキスタン | 1981年02月11日 | 1980年代 | 経済改善策―政府の招へいにより昨年2月からパ経済改善策を検討していたシラー元西ドイツ経済財政相はこのほどジア大統領に報告書を提出。11日記者会見でシラー博士は,貯蓄および投資の寡少をパ経済の主要欠陥とし,さまざまな統制の援助,マネー・サプライの3減,輸入自由化,20%の平価切下げ,等々を勧告したことを明らかにした。これに対し,イスハーク財政相などのパ政府関係者は平価切下げを強く否定。 |
DIA-304-1981-02-14-1 | パキスタン | 1981年02月14日 | 1980年代 | 80年3月のクーデター未遂事件の首謀者T.フセイン・マリク退役少将に悠役14年の軍事法廷判決,15日ジア大統領,大学法改正令撤廃を拒否。 |
DIA-304-1981-02-16-1 | パキスタン | 1981年02月16日 | 1980年代 | 政府と大学教師連合(UTF)代表との会談で大学法改正令を再改正することが決定。 |
DIA-304-1981-02-16-2 | パキスタン | 1981年02月16日 | 1980年代 | ローマ法王,フィリピンヘの途次カラチに立ち寄り6万の聴衆に説教。これより先,会場で手製爆弾の暴発によりその所持者1名死亡,3人負傷。 |
DIA-304-1981-02-19-1 | パキスタン | 1981年02月19日 | 1980年代 | 外国公館保護のため首都圏に治安部隊出動。 |
DIA-304-1981-02-19-2 | パキスタン | 1981年02月19日 | 1980年代 | パンジャーブ州政府,政治活動など地方評議員の諸種の行動を厳しく規制。 |
DIA-304-1981-02-21-1 | パキスタン | 1981年02月21日 | 1980年代 | 駐ネパール・パ大使,ソ連大使によるソ連軍創設記念日レセプションをボイコット。 |
DIA-304-1981-02-25-1 | パキスタン | 1981年02月25日 | 1980年代 | ジア大統領は記者会見で,「学生の騒乱は内外の多くの煽動による」と談。 |
DIA-304-1981-02-25-2 | パキスタン | 1981年02月25日 | 1980年代 | ガンディー・インド首相は下院での書面質問に対し,最近サウジアラビアがパの核爆弾開発を援助しているとの報を得ているが両国は否定したと回答。インド政府はまた,パが中国援助で複数の空軍基地を建設中との最近のロイター電に重大な関心を抱いているという。 |
DIA-304-1981-02-26-1 | パキスタン | 1981年02月26日 | 1980年代 | ジア大統領,サウジアラビア訪問―イスラーム会議機構のイラン・イラク戦争調停平和使節団参加のため,3月5日,帰国。 |
DIA-304-1981-02-26-2 | パキスタン | 1981年02月26日 | 1980年代 | 予告より1日早い26日にラホールで第1回会合開催中のMRD政治家86人,逮捕。会場の外にいた支持者のうち100人以上,逮捕。ヌスラット・ブットPPP党首はパンジャーブ州から追放され,カラチで自宅軟禁。 |
DIA-304-1981-02-27-1 | パキスタン | 1981年02月27日 | 1980年代 | JUDはMRD加盟を否定。 |
DIA-304-1981-02-28-1 | パキスタン | 1981年02月28日 | 1980年代 | パキスタン・ムスリム連盟パガーロ派(PML-P)のピール・パガーロ党首は,MRDに対抗してイスラーム政党連合結成のためパキスタン神学者協会(JUP)およびイスラーム結社(JI)と交渉開始。 |
DIA-304-1981-02-28-2 | パキスタン | 1981年02月28日 | 1980年代 | シャラフル・パラカティーサウジアラビア海軍司令官,来訪。 |
DIA-304-1981-03-01-1 | パキスタン | 1981年03月01日 | 1980年代 | ジア大統領,イラク訪問―イラン・イラク戦争調停のため。 |
DIA-304-1981-03-02-1 | パキスタン | 1981年03月02日 | 1980年代 | パ国際空港(PIA)機,乗っ取らる-MRD”抗議の日”に当る2日,各地で教師,学生,法律家,医者などが摘発的反政抗議行動を行なう一方,カラチからペシャーワルヘ向ったPIA機(乗客ら計148人)がパ人3人に乗っ取られアフガニスタンのカーブル空港に着陸。アフガニスタン空港はPIAの侵入を阻止せず。犯行は故ブット前首相の長男ムルタザ(26歳)の率いる組織“アル・ズルフィカール””による。政治犯92人の釈放を要求。5日までに婦女子54人解放。 |
DIA-304-1981-03-05-1 | パキスタン | 1981年03月05日 | 1980年代 | 反政府政治家,数百人逮捕さる。 |
DIA-304-1981-03-06-1 | パキスタン | 1981年03月06日 | 1980年代 | カープル空港閉鎖。犯人は乗容の1人(パ外務省2等書記官)を射殺。パ政府,アフガニスタン政府は犯人たちに協力していると非難声明。7日,病人など4人釈放,7日,カーブル駐在のイラク大使およびパレスチナ解放機構(PLO)事務所員が交渉に参加。 |
DIA-304-1981-03-08-1 | パキスタン | 1981年03月08日 | 1980年代 | 乗っ取り犯との交渉不調。機はカーブルを離れシリアのダマスカスに着陸。パ政府,政治犯20人を釈放。一時釈放中のヌスラット党首,ベナズィール・ブット女史などPPP党員150人,カラチで逮捕。 |
DIA-304-1981-03-09-1 | パキスタン | 1981年03月09日 | 1980年代 | 内閣大幅改造(参考資料参照)。 |
DIA-304-1981-03-10-1 | パキスタン | 1981年03月10日 | 1980年代 | 乗っ取り犯,政治犯55人の釈放を要求する新リストを提出。12日,米人乗客3人を殺害と警告。政府,政治犯55人の釈放に同意。同日,リビア政府は犯人,その家族釈放政治犯の受入れを申し出。14日,釈放犯54人ダマスカスからトリポリへ出発するもリビア政府は受入れの申し出を撒回。機はアテネ経由でダマスカスに帰還。15日,シリアが犯人と政治犯の受入れを表明。 |
DIA-304-1981-03-10-2 | パキスタン | 1981年03月10日 | 1980年代 | 北西辺境州内閣成立。 |
DIA-304-1981-03-11-1 | パキスタン | 1981年03月11日 | 1980年代 | ソ連国防省機関綾『赤い星』は,パがインドとの国境付近の砂漠で地下核実験を準備中と報道。 |
DIA-304-1981-03-15-1 | パキスタン | 1981年03月15日 | 1980年代 | ジア大統領はテレビ演説で,今回の乗っ取り事件はパとイスラームに対する国際的陰諜だとし,アフガニスタンは犯人に武器など諸便宣を供与したと非難。 |
DIA-304-1981-03-18-1 | パキスタン | 1981年03月18日 | 1980年代 | ジア大統領,インド人記者と会見―①最近印・パ停戦ラインに両国軍集結との噂は正しくない。②米と特別の軍事関係樹立のつもりはない。③1959年の米・パ相互防衛協定は行政協定にすぎず,パにとっては何の益もない。とはいえパは米との軍事条約・協定の締結を望まない。④パ陸軍2個師団の派遣と引替えに年間8億ドルの援助をサウジアラビアから受けているという噂は全く間違いだ。(パ 週刊MAG,3.18) |
DIA-304-1981-03-18-2 | パキスタン | 1981年03月18日 | 1980年代 | ジア大統領はペシャーワル空港で,乗っ取られたPIA機の乗客・乗務員の帰還を歓迎し,記者会見で,乗っ取りはPPPの仕業だと強く非難。 |
DIA-304-1981-03-19-1 | パキスタン | 1981年03月19日 | 1980年代 | レーガン米大統領は議会に対し,パ,アルゼンチン両国に対する武器輸出を禁じた法律の廃止を要請。 |
DIA-304-1981-03-20-1 | パキスタン | 1981年03月20日 | 1980年代 | ヘイグ米国務長官は上院外交委で,米政府はソ連に対抗するためにエジプトからパに至る地域で戦略的合意を確立し,パとトルコをこれに含めたいと言明。 |
DIA-304-1981-03-21-1 | パキスタン | 1981年03月21日 | 1980年代 | MRD分裂―カユームMRD議長,“PPPのテロリズム””を非難,同党のMRDからの追放を訴え,MRDの活動停止と発表。これに対しN.スィディキーTI党首代行は予定通り23日の共和国記念日に対政府抗議行動を行なうよう訴え。22日,MRD政治家40人,予防拘禁。23日の抗議行動は散発的なものに終った。 |
DIA-304-1981-03-23-1 | パキスタン | 1981年03月23日 | 1980年代 | パは中国と協同でカラコラム道とカシミールの印・パ支配領域ラインを結ぶ戦略的道路を建設中といわれる(Times of india 3.23)。 |
DIA-304-1981-03-24-1 | パキスタン | 1981年03月24日 | 1980年代 | 暫定憲法令―ジア大統領は”1981年暫定憲法命令”を公布。これにより,停止中の73年憲法の一部は復活したが,イスラーム法廷を含むすべての裁判所から軍事裁判所の判決に対する審査権を剥奪し,同時に全判事に大統領への忠誠を義務づけた。また,将来政党活動が許された場合も,79年9月に中央選挙管理委に登録した政党(PPPは登録せず)だけの活動を許可すると規定。25日アヌワルル・ハック最高裁長官および2人の最高裁判事,パンジャーブ州高裁判事21人中7人。バルーチスタン州高裁判事3人中2人が大統領への忠誠宣誓を拒否して自動的に解任された。 |
DIA-304-1981-03-25-1 | パキスタン | 1981年03月25日 | 1980年代 | 米国務省は,82年10月に始まる会計年度に4億7500万ドルの対パ軍事援助を行なうと発表。これに対しパは軍事授助ではなくソ連がインドに与えたと同程度の大幅な割引き率による武器購入を希望している。 |
DIA-304-1981-03-27-1 | パキスタン | 1981年03月27日 | 1980年代 | キャリントン外相,来訪(~29日)―同日ジア大統領と会談。28日,今後バルーチスタン州開発の強力な支援および対パ武器売却の用意があると言明。 |
DIA-304-1981-03-28-1 | パキスタン | 1981年03月28日 | 1980年代 | ジア大統領演説―マルダーンの地方評議委員会合で。①73年憲法は廃棄されていない。②現政権は戒厳令政権ということを忘れるな。③適切な時期に選挙を行なうが国民に好まれる政府の実現のためイスラーム方式で行なう。④破壊分子の発見は国民の義務だ。 |
DIA-304-1981-03-28-2 | パキスタン | 1981年03月28日 | 1980年代 | マクナマラ世銀総裁,来訪―パの81/82年度に2億ドルの援助を保障(従来6000~7000万ドル)。 |
DIA-304-1981-03-29-1 | パキスタン | 1981年03月29日 | 1980年代 | ジア大統領,サウジアラビア訪問―イラン・イラク戦争調停のためのイスラーム会議平和委員会出席のため。4月2日,掃国。 |
DIA-304-1981-03-30-1 | パキスタン | 1981年03月30日 | 1980年代 | 中国軍事学院代表団(賈若瑜団長),来訪。 |
DIA-304-1981-03-30-2 | パキスタン | 1981年03月30日 | 1980年代 | パンジャーブ大再開。 |
DIA-304-1981-04-01-1 | パキスタン | 1981年04月01日 | 1980年代 | PMLとJUP,連合を詰成。2日,ジア大統領はこれを称讃。 |
DIA-304-1981-04-01-2 | パキスタン | 1981年04月01日 | 1980年代 | 1~2日の両日,野党関係者100人逮捕。 |
DIA-304-1981-04-04-1 | パキスタン | 1981年04月04日 | 1980年代 | ブット前首相の2周忌―墓のあるスィンド州ナウデラには数百人の治安部隊が配備されたが,追悼集会出席者4000人のうち数百人が反政府スローガンを叫んで公共機関などに投石,放火。25人,逮捕。 |
DIA-304-1981-04-05-1 | パキスタン | 1981年04月05日 | 1980年代 | ガンディー・インド首相は大衆集会で,対パ武器供与に反対はしないが,過去の経験はそれらの武器がインドに向けられたことを示していると語った。 |
DIA-304-1981-04-05-2 | パキスタン | 1981年04月05日 | 1980年代 | パンジャーブ州ムザッファルガル警察は15日間の脱走兵逮捕キャンペーンを開始。 |
DIA-304-1981-04-07-1 | パキスタン | 1981年04月07日 | 1980年代 | イスラーム神学者47人の代表団,ジア大統領にイスラーム化促進21項目進言を提出。大統領はうち7項目の即時実行を約束。 |
DIA-304-1981-04-08-1 | パキスタン | 1981年04月08日 | 1980年代 | ジア大統領,暫定憲法命令を改正(カーディアーニ派の身分に関する条項)。 |
DIA-304-1981-04-09-1 | パキスタン | 1981年04月09日 | 1980年代 | 政府は79年11月のイスラーマバードの米大使館焼打ち事件に関し損害賠償1365万ドル支払いを決定。 |
DIA-304-1981-04-09-2 | パキスタン | 1981年04月09日 | 1980年代 | スィンド州ラールカーナ警察は8,9両日に計122人を戒厳令違反で逮捕。一方,パンジャーブ州ワーの兵器工場は爆発物盗難防止のため警備を強化。 |
DIA-304-1981-04-12-1 | パキスタン | 1981年04月12日 | 1980年代 | クエジャル国連特使,アフガニスタン問題協議のため来訪。15日,アフガニスタンへ。 |
DIA-304-1981-04-13-1 | パキスタン | 1981年04月13日 | 1980年代 | 憲法改正―連邦イスラーム法廷に3人のイスラーム神学者を判事と同資格で追加。 |
DIA-304-1981-04-15-1 | パキスタン | 1981年04月15日 | 1980年代 | 訪印中のサウド・サウジアラビア外相。予定外の訪パ(~16日)。16日,記者会見で,今回の訪パはシャーヒー・パ外相との間で継続してきた協議の一部を行なうためであった,と談。なお,最近の英紙SundayTimes はサウジアラビアはパ軍数個師団の派遣と引替えにパの核兵器開発のために8億ドルを贈与する予定と報道(Times of India,4.18)。 |
DIA-304-1981-04-15-2 | パキスタン | 1981年04月15日 | 1980年代 | 戒厳令当局は最近,テロリズムと政府転覆活動に対抗のため全国に特別分隊(数不明)を設置したという(KW,4.15)。 |
DIA-304-1981-04-15-3 | パキスタン | 1981年04月15日 | 1980年代 | S.H.カドゥリー・ラホール高裁所長代行,下級裁判所判事62人を更迭。 |
DIA-304-1981-04-17-1 | パキスタン | 1981年04月17日 | 1980年代 | シャーヒー外相,記者会見―①パが1959年の米・パ相互防衛協定強化を米に頼んだとの報道は間違い。②パはペルシャ湾防衛と無関係。③パはアフガン・ゲリラに対する米の武器供与ルートにはならない。 |
DIA-304-1981-04-17-2 | パキスタン | 1981年04月17日 | 1980年代 | シャーヒー外相は,パの米からの武器購入に対するインドの非難キャンペーンは過去3週間に印・パ関係に人為的な危機をもたらしたとインドを非難。 |
DIA-304-1981-04-17-3 | パキスタン | 1981年04月17日 | 1980年代 | 防印中のサッチャー英首相,パの自衛権を擁護。 |
DIA-304-1981-04-17-4 | パキスタン | 1981年04月17日 | 1980年代 | パ公式筋によるとアフガニスタン政府はカーブルでPPP党員に政治教育と軍事教訓を行なっているという(パ Morning News,4.17)ら。 18日シャーヒー外相,訪米(~27日)-20日のヘイグ米国務長官との会談の前に,米は2年間で10億ドルの対パ軍事・経済援助供与と発表。20~21日,シャーヒー・ヘイグ会談。その結果,「正式の同盟関係ぬきの密接な経済・安全保障間係の確立」で合意。また向う5年間の25億ドルの経済・軍事援助供与で合意が成立したといわれるが,最終的合意は次回の会談に持ちこされれた。シャーヒー外相は21日の記者会見で,80年1月のカーター前政権による対パ援助申し出はパに対する脅威の度合に比して少額であっただけでなく,信頼に足るものではなかった,と談。22日,ブッシュ副大統領と会談。23日の記者会見で,パは軍事援助そのものでなく武器購入のための借款を望んでいるのだと談。23~24日,米両院指導者たちのパ支持取りつけの努力。27日,帰国。 |
DIA-304-1981-04-19-1 | パキスタン | 1981年04月19日 | 1980年代 | パ国防学院代表団,訪中。 |
DIA-304-1981-04-24-1 | パキスタン | 1981年04月24日 | 1980年代 | シリアに亡命したPIA乗っ取り犯3人が釈放された政治犯54人のうち25人とともにニューデリー空港経由でアフガニスタンに入国,亡命を許可されたという(英 BBC放送,4.24,米VOA放送,4.27)。 |
DIA-304-1981-04-25-1 | パキスタン | 1981年04月25日 | 1980年代 | ジア大統領は,5月中に社会の各分野の350人から成る連邦諮問評議会(FAC,Majilis-e-Shura)を組織すると言明。 |
DIA-304-1981-04-25-2 | パキスタン | 1981年04月25日 | 1980年代 | パンジャーブ州内閣,成立。 |
DIA-304-1981-04-26-1 | パキスタン | 1981年04月26日 | 1980年代 | ワインバーガー米国防次官は英紙SundayTimes とのインタビューで,「パの核爆弾は(米の)友好国の手に留るべきだ」と,暗にパの核兵器開発を容認したともとれる発言。 |
DIA-304-1981-04-27-1 | パキスタン | 1981年04月27日 | 1980年代 | 米上院外交委員会のクランストン議員(民主党)は,パはこの数週間バルーチスタン州山岳地帯に今年中あるいは遅くとも来年中に核実験を行なうべく実験場を建設中であると言明。 |
DIA-304-1981-05-03-1 | パキスタン | 1981年05月03日 | 1980年代 | 日シャーヒー外相,記者会見―①インドとアフガニスタン両国がソ連と軍事的色彩を持つ条約を結んでいるためパは潜在的な二正面状況に直面しており,米からの武器購入が必要。②パは米と軍事的関係に入る予定はない。③パは米のペルシャ湾戦略の一部ではない。④パは自国の安全とこの地域の安定のために第2のヤルタ協定に反対。⑤パはインドとのシムラ協定を順守する。 |
DIA-304-1981-05-04-1 | パキスタン | 1981年05月04日 | 1980年代 | シャーヒー外相は,パ・米両国は向う5年間にわたる経済援助および兵器購入を内容とする新たな関係の樹立に関し原則的合意に達したと言明。また,米から20億ドル相当の兵器を購入すると示唆したが,米との合意は防衛条約を含むものではなく,パの非同盟国としての立場に変化はないと言明。 |
DIA-304-1981-05-04-2 | パキスタン | 1981年05月04日 | 1980年代 | シャーヒー外相,訪米―国連軍縮諮問委出席のためであり,米との援助交渉のためではないという。 |
DIA-304-1981-05-04-3 | パキスタン | 1981年05月04日 | 1980年代 | 政府,武器購入のための米借款流入までの期間についての資金援助をサウジアラビアに要請。 |
DIA-304-1981-05-04-4 | パキスタン | 1981年05月04日 | 1980年代 | 非合法諸政党のうちジア大統領に最も近いといわれるJIのトゥファイル党首は政府批判の声明を発表。以下,要旨。①ジア大統領は設置予定の連邦諮問評議会によって行政を行なう前に国民投票が総選挙を通じて国民の委任を取りつけるべきだ。②ソ連の脅威に対処するには国民の支持を得た政府を樹立する必要がある。③暫定憲法令は正義の概念を根本的に変更し,イスラーム体制と正義の確立を否定するものだ。 |
DIA-304-1981-05-06-1 | パキスタン | 1981年05月06日 | 1980年代 | スミルノフ駐パ・ソ連大使はパのPPI通信とのインタビューで,ソ連は他の国に供与したのと同条件でパに原子力発電プラントなどの供与の用意があると談。 |
DIA-304-1981-05-08-1 | パキスタン | 1981年05月08日 | 1980年代 | 同大使は問題解決のため今はアフガニスタンとパの対話を行なうに適切な時期だと呼びかけ |
DIA-304-1981-05-09-1 | パキスタン | 1981年05月09日 | 1980年代 | ガンディー・インド首相はパのMuslim 紙とのインタビュ一で,①強力で安定したパはインドの利にかなう。②体制の相違は両国の友好の障害にはならない,などと述べた。 |
DIA-304-1981-05-14-1 | パキスタン | 1981年05月14日 | 1980年代 | 米上院委,対パ援助を可決―米上院外交委員会は82年10月1日開始の83会計年度用として総額58億ドルの対外援助を10対0で可決。このうち82年10月からの向う5年間で5億ドルの対パ援助は10対7で可決。ただしこれはパを今回に限り,核兵器開発中の国への援助を禁じる海外武器売却法サイミントン・グレン修正条項の適用除外国とするというもの。 |
DIA-304-1981-05-14-2 | パキスタン | 1981年05月14日 | 1980年代 | 情報筋によると近く”Corporate Law Authorityの主導により1913年会社法が全面的に改定されることになるという(パ Dawn,5.14)。 |
DIA-304-1981-05-14-3 | パキスタン | 1981年05月14日 | 1980年代 | スィンド州内閣成立。 |
DIA-304-1981-05-16-1 | パキスタン | 1981年05月16日 | 1980年代 | 信頼すべき筋によるとアル・ズルフィカールの作戦本部がアフガニスタンのカーブルからジェララバードに移設されたという(パとの国境から約70㎞)。 |
DIA-304-1981-05-16-2 | パキスタン | 1981年05月16日 | 1980年代 | 政府,インドとの南部国境でパ軍がカッチ地区に侵入とのインド報道を否定。 |
DIA-304-1981-05-19-1 | パキスタン | 1981年05月19日 | 1980年代 | クェッタで学生300人の反政府集会・デモ。 |
DIA-304-1981-05-20-1 | パキスタン | 1981年05月20日 | 1980年代 | 政・労・使3者会議第9回作業班会議で,“イスラームの労働精神””にのっとって労使協調と生産性向上を中心とする9項目原則で合意が成立。 |
DIA-304-1981-05-21-1 | パキスタン | 1981年05月21日 | 1980年代 | パ・中外交関係樹立30周年記念日。 |
DIA-304-1981-05-23-1 | パキスタン | 1981年05月23日 | 1980年代 | ムガベ・ジンバブウェ大統領,来訪(~26日)。 |
DIA-304-1981-05-24-1 | パキスタン | 1981年05月24日 | 1980年代 | インドのPTI通信は,カシミールの支配領域ラインでパが過去15日間に10回インド軍に向けて発砲したと報道。パ外務省はこれを全面的に否定するとともに,ソ連およびアフガニスタンがこの種のインド情報を引用するのは3国の共謀を示していると非難。27日,駐パ・インド大使館も上記の発砲を否定。 |
DIA-304-1981-05-25-1 | パキスタン | 1981年05月25日 | 1980年代 | ヌラーニJUP党首,辞任。 |
DIA-304-1981-05-26-1 | パキスタン | 1981年05月26日 | 1980年代 | 共同コミュニケ。 |
DIA-304-1981-05-28-1 | パキスタン | 1981年05月28日 | 1980年代 | フランス総同盟(CGT)は,ジスカール前大統領はパが核兵器開発能力を有していると知りながら同国に相当量の処理済みウランを供給したと非難。 |
DIA-304-1981-05-29-1 | パキスタン | 1981年05月29日 | 1980年代 | 米政府,駐パ新大使にR.I.スパイアーズ氏を任命。A.ハンメル前大使は中国大使に転任。 |
DIA-304-1981-05-29-2 | パキスタン | 1981年05月29日 | 1980年代 | パのアフガン難民200万人を突破。 |
DIA-304-1981-05-30-1 | パキスタン | 1981年05月30日 | 1980年代 | トゥファイルJI党首は,官僚のなかに若干のアル・ズルフィカール(AZ)分子がいると警告。 |
DIA-304-1981-06-01-1 | パキスタン | 1981年06月01日 | 1980年代 | 趙紫陽中国首相,来訪(~4日)―中国首相の来訪は65年の故周恩来首相以来16年ぶり。アフガニスタン問題,カンボジア問題を中心とする国際関係についてジア大統領と2回計5時間の会談。同日夜の歓迎宴でジア大統領は,ソ連による周辺地域侵略の危険性を強調。 趙首相はこれに同意し,パの領土・主権保全の努力を全面的に支持するとともに,印・パ関係の好転を希望。2日午前,趙首相一行はアフガン難民キャンプを視察。午後第3回会談。3日,趙首相は記者会見で,アフガニスタン問題の政治解決努力を支持するとともにパの防衛能力向上に協力するとし,また,中・印関係改善への期待を表明。4日,趙首相一行はネパールへ。 |
DIA-304-1981-06-01-2 | パキスタン | 1981年06月01日 | 1980年代 | バグダードで第12回イスラーム諸国外相会議(~5日)―シャーヒー外相,出席。 |
DIA-304-1981-06-08-1 | パキスタン | 1981年06月08日 | 1980年代 | ラオ・インド外相,来訪(~12日)―8~9日,シャーヒー・パ外相と2国間,南~南西アジア情勢について3度の会談。パ側は米からの武器購入はインド亜大陸での米軍の存在を許すものではないとしたが,米軍のペルシャ湾での展開については意見を留保し,同地域の安全は当諸国の問題だと強調,10日,共同声明。①印・パ両国の友好強化は地政上からも絶対必要。②双方は核エネルギーを平和目的のみに用いると言明。③双方はそれぞれ自衛のために武器取得の権利を有することで合意。11日,ラオ外相はカラチのパ国際問題研究所で演説,パの安定はインドの利益にも合致と言明。 |
DIA-304-1981-06-08-2 | パキスタン | 1981年06月08日 | 1980年代 | 国連本部で明らかにされたところによると,イスラエル政府はイラク原子炉爆破に先立つ5月27日,ワルトハイム国連事務総長に対し,パの核兵器開発に対する”深い憂慮”を表明する書簡を送付していた。 |
DIA-304-1981-06-08-3 | パキスタン | 1981年06月08日 | 1980年代 | バルーチスタン州で全高等教育機関,無期限閉鎖。11日,バルーチスタン学生機構(BSO)のアブドゥル・ハミード・バルーチ(21歳),処刑。彼は79年12月に殺人未遂容疑で逮捕。同州高裁は軍事法廷による彼の死刑判決に対し執行停止命令を度々出していた。8月21日,同じくBSCのA.ナスィール(24),処刑。 |
DIA-304-1981-06-10-1 | パキスタン | 1981年06月10日 | 1980年代 | ソ連のある高級将校は最近,駐ソ・パ大使に対し,「パはソ連に対し宣戦布告なき戦争をしかけている」 と発表した(米 Washington Post,6.10)。 |
DIA-304-1981-06-11-1 | パキスタン | 1981年06月11日 | 1980年代 | バックリー米国務次官,来訪(~16日)―13~14日,3度にわたりシャーヒー・パ外相と会談の結果,米がパに対し82年10月からの向う5年間で10億ドルの経済援助および武器購入のための借款20億ドル,計30億ドルを供与することで合意。米はまた,不特定数のF-16戦闘爆撃機を供与することで合意。14日,共同声明発表。同日,バックリー次官,ジア大統領に会見。15日,シャーヒー外相は記者会見で,今から82年10月までの武器購入は自国資金と友好的イスラーム諸国の協力によって行なう,と談。15日,共同声明。 |
DIA-304-1981-06-11-2 | パキスタン | 1981年06月11日 | 1980年代 | 対パ債権国会議(パリ)―81/82年度用としてパの要請12億ドルに対し,11.7億ドルの援助を決定。加えて,アフガン難民用として1.1億ドルの世銀援助を約束。 |
DIA-304-1981-06-11-3 | パキスタン | 1981年06月11日 | 1980年代 | シャーヒー外相,イスラエルがパの核施設を攻撃する恐れがあるとの懸念を表明。 |
DIA-304-1981-06-14-1 | パキスタン | 1981年06月14日 | 1980年代 | 戒厳令規則第51号布告―公務員,国営企業雇用者に対し即決裁判で解雇などの刑を宣告する権限を軍事裁判所に与えるもの。 |
DIA-304-1981-06-16-1 | パキスタン | 1981年06月16日 | 1980年代 | インド政府。F-16型機は本来的に攻撃的なものでインドの安全への重大な脅威だとの見解を表明。 |
DIA-304-1981-06-17-1 | パキスタン | 1981年06月17日 | 1980年代 | スブラマニアム・インド防衛研究研長は,ボンベイの原子力センターとラージャスタン州コタの原子力発電所がF-16の射程に入ると指摘。 |
DIA-304-1981-06-22-1 | パキスタン | 1981年06月22日 | 1980年代 | ジア大統領は,イスラーム体制を立法,行政,司法にわたって確立するためイスラーム・イデオロギー評議会(CⅡ)に答申を求めた。 |
DIA-304-1981-06-24-1 | パキスタン | 1981年06月24日 | 1980年代 | 『1980/81年度経済白書』出来(資料参照)。 |
DIA-304-1981-06-24-2 | パキスタン | 1981年06月24日 | 1980年代 | バックリー米国務次宮は上院の公聴会で,パ政府から核兵器を開発しないとの保証を得ていると証言。 |
DIA-304-1981-06-25-1 | パキスタン | 1981年06月25日 | 1980年代 | 25日付英The Times 紙によると,米は2~3年内にパに2飛行中隊(36機)分のF-16機戦闘機を供与する予定で,うち2機は年内供与の予定という。 |
DIA-304-1981-06-25-2 | パキスタン | 1981年06月25日 | 1980年代 | 81/82年度予算発表(資料参照)。 |
DIA-304-1981-06-26-1 | パキスタン | 1981年06月26日 | 1980年代 | バルーチスタン州政府はイスラエル発行の8種の単行本,社会主義学生団(SSO),パ共産党ヨーロッパ支部,同西ドイツ支部の小冊子を押収。 |
DIA-304-1981-06-30-1 | パキスタン | 1981年06月30日 | 1980年代 | パ新聞編集者評議会(CPNE)はラホールで対米関係に関し多様な知識人の討論会を主催。全体として過度の対米接近に反対の声が強く,シャーヒー外相は政府政策の弁明に終始。以下,外相の発言要旨。①米援助に対しパは何の見返りも提供しない。②パもアラブ諸国も地域的同盟や米のいう「戦略的合意」に参加するつもりはない。③パは非同盟運動(NAM)やイスラーム諸国会議(OIC)の立場を堅持する。④パは米の中東政策に自国の命運をかけるわけにはいかない。⑤パは今や国際社会で孤立していず,ソ連によるパ侵略は考え難い。⑥向う5年間のパ・米関係は確かに不安定でどうなるか予測し難いが,パとしてはいかんともし難い。⑦パは核実験を実行するとすればこのプログラム(米との協力関係を指すと思われる―筆者)を破棄するまでだ。パは核実験について米に何の言質も与えていない。⑧米からの武器購入で国家財政が圧迫されることはない。 |
DIA-304-1981-07-01-1 | パキスタン | 1981年07月01日 | 1980年代 | スィンド州警察,”テロリスト撲滅緊急展開部隊(ATRDF)”を創設。 |
DIA-304-1981-07-02-1 | パキスタン | 1981年07月02日 | 1980年代 | ムニール原子力委員長は記者会見で,イスラエルによる攻撃に備えてパの原子力施設に絶対確実な防衛措置がとられていると談(パ Muslim,7.6)。 |
DIA-304-1981-07-02-2 | パキスタン | 1981年07月02日 | 1980年代 | ブット前政権によるバルーチスタン州での反乱鎮圧の被害者に対する補償・社会復帰措置が完了。申請者10,569人中6,495人が救済対象となった。 |
DIA-304-1981-07-02-3 | パキスタン | 1981年07月02日 | 1980年代 | 政府,ザカート(イスラーム法による救貧税)基金設立のため1億ルピー配分。銀行預金残高(2000ルピー以上)に対するザカート徴収は7月4日開始。 |
DIA-304-1981-07-07-1 | パキスタン | 1981年07月07日 | 1980年代 | ロンドンのユダヤ系某週間誌は,イスラエルによる次の攻撃目標はパとリビアだと報道(パ Viewpoint7.16)。 |
DIA-304-1981-07-08-1 | パキスタン | 1981年07月08日 | 1980年代 | シャミーム空軍参謀長の任期,1年延長。 |
DIA-304-1981-07-10-1 | パキスタン | 1981年07月10日 | 1980年代 | カシミールの印・パ支配領域ラインで両国軍の小ぜり合い。14日までに計14人死亡(T,7.15)。なお,ロイター通信によるとパの権威筋は最近,81年に入って印・パ国鏡粉争は40件を数えると明らかにした(フィリピン) DATA ASIA,7.20)。 |
DIA-304-1981-07-10-2 | パキスタン | 1981年07月10日 | 1980年代 | ガンディー・インド首相は記者会見で,「F-16型機は(インドの所有する)ミグ21型機の少なくとも3倍の攻撃能力を有し,パによる同機の米からの購入はインド亜大陸をいや応なしに軍拡競争におとしいれている」と非難。13日,シャーヒー・パ外相は,①インドこそこの地域に新兵器体系を導入入した,②両国空軍の力は正しくは5対1でインドに有利だ,と反論。 |
DIA-304-1981-07-12-1 | パキスタン | 1981年07月12日 | 1980年代 | インドのPTI通信が信頼し得る軍事分析家の情報として伝えるところによると,パ軍はインドとの全国境線で大規模な展開(15歩兵師団,2機甲師団,3砲兵旅団,15防空連隊,計35万人。なお,パ陸軍総数は42万人―筆者)を完了したという(TI,7.13)。パはこれを「通常の循環交代」とし,数字が誇張されているとしている。 |
DIA-304-1981-07-13-1 | パキスタン | 1981年07月13日 | 1980年代 | 軍事代表団,訪米―ラヒーム・ハーン国防次官以下15人,13~16日,カールッチ米国防次官補,バックリー国務次官などとパの兵器購入で協議。17日,共同声明。①米は,南西アジアの安定のためにパの独立維持が不可欠であると確信し,広範な分野の主要軍備の購入費および引渡し期日をパに提示した。②両国の軍備供給交渉は継続される。なお,パは2飛行中隊用のF-16型40機(8機は予備のため),M-60などの戦車200台,ヘリコプター等々の購入を希望しているが価格で折合いがつかず,とくにF-16機の最低12機の年内納品を求めるパの要求を米国防総省が拒否し,パ代表団は失望しているという(TI,7.19)。 |
DIA-304-1981-07-13-2 | パキスタン | 1981年07月13日 | 1980年代 | シャーヒー外相,訪米-国連の会議のため。14日,ヘイグ米国務長官と会談。 |
DIA-304-1981-07-16-1 | パキスタン | 1981年07月16日 | 1980年代 | ニューデリー発AFP電によるとムルタザ・ブットは,アル・ズルフィカール(AZ)の武装ゲリラ数千人が(カーブルから)パに潜入,ジア政権打倒の機会を待っていると宣言(『東南アジア月報。1981.7)。 |
DIA-304-1981-07-18-1 | パキスタン | 1981年07月18日 | 1980年代 | バルーチスタン州政府は,昨年度着手の道路建設27プロジェクト中9プロジェクトが完了と発表。 |
DIA-304-1981-07-20-1 | パキスタン | 1981年07月20日 | 1980年代 | 当局は,PLS口座(1月1日参照)預金者の現在までの”収益”が利子付預金の利子を上回ったと具体的数字をあげて発表。なお現在,PLS口座預金額は全パ預金額の4.5%。 |
DIA-304-1981-07-21-1 | パキスタン | 1981年07月21日 | 1980年代 | A.ナセル・ムハマッド・イエーメン人民民主共和国大統領は最近のクウェートの日刊紙Al-Watanとのインタビューで,①米はパにイランに代りペルシャ湾の憲兵の役を担わせる計画だ,②複数のパの部隊がペルシャ湾地域に駐屯している,と言明したというが,パ外務省はこれを強く否定(PT,7.22)。 |
DIA-304-1981-07-21-2 | パキスタン | 1981年07月21日 | 1980年代 | ヌスラットPPP党首,釈放。 |
DIA-304-1981-07-22-1 | パキスタン | 1981年07月22日 | 1980年代 | ラヒームッディーン・ハーン・バルーチスタン州知事の計画・開発・地方自治体担当顧問,辞任。 |
DIA-304-1981-07-23-1 | パキスタン | 1981年07月23日 | 1980年代 | ムルタザ・ブットが最近ロンドンから訪印,ガンディー・インド首相に会見し,13日離印(印 Hindustan Times,7.23)。 |
DIA-304-1981-07-23-2 | パキスタン | 1981年07月23日 | 1980年代 | パ政府はアメリカ銀行などから成る借款団から2億ドルを借入する協定に調印。 |
DIA-304-1981-07-26-1 | パキスタン | 1981年07月26日 | 1980年代 | 中国は最近,労働力輸出計画策に関しパの助力を求めた(パ Morning News,7.26)。 |
DIA-304-1981-07-26-2 | パキスタン | 1981年07月26日 | 1980年代 | カーブルのAZ本部が銃撃され13人死亡。8月3日にも6人殺害。現場には”アル・パシュトゥーン”と名乗るグループの犯行声明が残されていたというが,パの8月6日付PT紙は内部対立としている。また,パの秒密部隊の刺客によるともいわれる(『読売』,8.22)。 |
DIA-304-1981-07-27-1 | パキスタン | 1981年07月27日 | 1980年代 | ジア大統領,サウジアラビア訪問(~29日)―小巡礼のためという。27日,ハーリッド国王と会談。ファド皇太子,スルターン国防相,サウド外相も同席。 |
DIA-304-1981-07-27-2 | パキスタン | 1981年07月27日 | 1980年代 | ロンドンの外交筋によると,インド軍内のタカ派は最近ガンディー首相に対しパの核施設攻撃を進言したが同首相は拒否したという(PT,7.27)。 |
DIA-304-1981-07-30-1 | パキスタン | 1981年07月30日 | 1980年代 | 1977年価格統制・暴利・退蔵防止法により政府による価格統制の対象となっていた生活必需品数は現在は(=81/82年度に入ってから?)従来の100から26に削減されている。うち8品目が連邦政府管轄で18品目が各州政府の管轄。(パ Business Recorder,7.30) |
DIA-304-1981-08-04-1 | パキスタン | 1981年08月04日 | 1980年代 | アフガニスタン問題協議のためペレス・デ・クエジャル国連特使が4~9日にパとアフガニスタンの間で往復外交。その結果,当面イランを除いてパ・ア両国の外相が9月の国連事務総長を介しての会議に合意。 |
DIA-304-1981-08-06-1 | パキスタン | 1981年08月06日 | 1980年代 | Business Recorder 紙はカラチで対米関係討論会を主催。席上,シャーヒー外相は,①パはソ連とより緊密な関係を望む,②米援助に関し米議会がパにとって容認し得ない条件を出してくればパは援助協定を取り消すだけだ,などと言明。なお,討論会を通じて米のF-16機納入が大幅に遅れそうだということが表面化し,政府系の7日付 Pakistan Times 紙は,「事実上すべての弁士が米の武器納入の遅滞に対する懸念を表明した」と報じた。 |
DIA-304-1981-08-08-1 | パキスタン | 1981年08月08日 | 1980年代 | グロムイコ・ソ連外相は『プラウダ』紙に異例の厳しい調子のパ非難論文を発表。①パの政策は必然的にパを米・中との共謀関係に引き込む。②パの軍事化の規模はただでさえ困難な印・パ関係の正常化を阻止する。③ソ連は対印武器供与を増大するかもしれない。 |
DIA-304-1981-08-10-1 | パキスタン | 1981年08月10日 | 1980年代 | シャーヒー外相,訪米(~23日)―国連の会議のため。21日,ヘイグ米国務長官と会談。 |
DIA-304-1981-08-12-1 | パキスタン | 1981年08月12日 | 1980年代 | パを根拠地とするアフガン・ゲリラがソ連軍人を捕虜としたが,パ当局が介入して彼をソ連に返還。 |
DIA-304-1981-08-12-2 | パキスタン | 1981年08月12日 | 1980年代 | ジア大統領は記者会見で,いかなる政府組織がイスラームに合致するか等をイスラーム・イデオロギー評議会(CⅡ)等6機関が検討中と談。 |
DIA-304-1981-08-14-1 | パキスタン | 1981年08月14日 | 1980年代 | 米の14日付狩『ワシントン・ポスト』紙は,F-16機の対パ納入は早くともあと2年はかかると報道。16日付同紙は,米政府のF-16機納入遅滞の決定はパ国民の間に盟友としての米の信頼性を疑わせ,反米感情をよみがえらせていると報じている。 |
DIA-304-1981-08-14-2 | パキスタン | 1981年08月14日 | 1980年代 | 独立34周年記念日の14日の有力紙誌ではイスラームに批判的で民主主義回復を要求する論調が強い。 |
DIA-304-1981-08-14-3 | パキスタン | 1981年08月14日 | 1980年代 | ティッカ・ハーン元陸軍参謀長(PPP)など政治犯38人,釈放。 |
DIA-304-1981-08-15-1 | パキスタン | 1981年08月15日 | 1980年代 | 戒厳令規則第52布告―これによりパ国際航空(PIA)労組が「PIA 再建のため」解散。同日~9月12日にPIA職員など1100人,解雇。なお,PlA職員がアメリカに北西辺鏡州産のヘロインを大量に搬入しており,米の麻薬取締り当局がその取締りを対パ援助の条件とするよう米政府に要請したとの報もある。 |
DIA-304-1981-08-15-2 | パキスタン | 1981年08月15日 | 1980年代 | レーガン米政権は対パ30億ドル援助の割合を当初は軍事用4対経済援助1の予定でいたが,その後,1対1というパの要求に同意(M,8.15)。 |
DIA-304-1981-08-18-1 | パキスタン | 1981年08月18日 | 1980年代 | 外務省スポークスマンはガンディー首相を初めとする最近のインド首脳がパの武器購入に関してしきりに「印・パ戦争への気運の高まり」に言及していると指摘し,「パは反印キャンペーンなど行なっていない」と反論。19日,ガンディー・インド首相は国会で,パが軍縮を提案してきたと明らかにし,「だまされることのないよう十分な注意を要する」と述べた(BBC)。 |
DIA-304-1981-08-18-2 | パキスタン | 1981年08月18日 | 1980年代 | パ側カシミールのミールプルで反政府ハルタール(ゼネスト)。24日,パ軍により鎮圧。 |
DIA-304-1981-08-22-1 | パキスタン | 1981年08月22日 | 1980年代 | ウォーカー元NATO北欧連合司令官,来訪。 |
DIA-304-1981-08-22-2 | パキスタン | 1981年08月22日 | 1980年代 | シャミーム空算軍参謀長,訪米(~9月9日)。 |
DIA-304-1981-08-24-1 | パキスタン | 1981年08月24日 | 1980年代 | ドースト・アフガニスタン外相はカーブル放送を通じて,「カールマル政権が国連事務総長の同席する三国間(パ,ア,イラン)または多国間の交渉に応じる用意がある」ことを骨子とする”8項目提案”を発表。 |
DIA-304-1981-08-24-2 | パキスタン | 1981年08月24日 | 1980年代 | フィリュービン・ソ連外務次官,来訪―ソ連高官の訪パは79年12月のソ連によるアフガニスタン軍事侵攻後初めて。パの招請。24日,シャーヒー外相は歓迎宴で演説,「パは他の小さな非同盟諸国が,彼らの領土的統一,主権を侵害する圧力を受けているのに懸念を抱く」と述べるとともにパの国連憲章へのコミットメントを再確認。25~26日,フィリュービン次官はシャーヒー外相などと3度の会談。26日,共同声明。同次官は27~28日,予定外のインド訪問。なお,ソ連は同次官の訪パに先立ち,パが米援助を断れば50億ドルの援助を供与すると提示したという(『東南アジア月報』,81.8)。 |
DIA-304-1981-08-25-1 | パキスタン | 1981年08月25日 | 1980年代 | マクファーソン米開発局(USAID)理事長,米32億ドル援助の経済援助分協議のため来訪。 |
DIA-304-1981-08-25-2 | パキスタン | 1981年08月25日 | 1980年代 | ラヒームッディン・パルーチスタン州知事は記者会見で最近のクエッタ郊外での火焔びん事件に触れ,「極悪人どもの活動をたたきつぶす」と述べた。 |
DIA-304-1981-08-27-1 | パキスタン | 1981年08月27日 | 1980年代 | ジア大統領,記者会見―①アフガニスタンの新提案はかなりの柔軟性を示している。②パは米を信頼し得るのかというのがパにおける一般的印象だ。 |
DIA-304-1981-08-27-2 | パキスタン | 1981年08月27日 | 1980年代 | カークパトリック米国連大使,来訪(~31日)―パはアジア6カ国歴訪の最終国。27日,到着後の記者会見で,「米はF-16機を通常の42ヵ月よりずっと早く納入すると既にジア大統領に伝えた」と明らかにした。 |
DIA-304-1981-08-31-1 | パキスタン | 1981年08月31日 | 1980年代 | パ製鉄所(PSM)第1高炉火入式―76年に着工最終的には84年6月までに完成の予定。総費用16億ドル中5億ドルがソ連援助。完成時には粗鋼117万トンと第2次産品の生産能力を持つことになる,火入式にはモロゾフ・ソ連国家対外経済連絡委員会第1副議長も出席。なお,鉄鉱石の20%はインドから輸入予定。 |
DIA-304-1981-08-31-2 | パキスタン | 1981年08月31日 | 1980年代 | カラチ県イスラーム法廷はパで初めて,私通のかどで通学バス運転手に対し投石による死刑,某女高生に対し100回の公開鞭打ち刑を判決。 |
DIA-304-1981-09-02-1 | パキスタン | 1981年09月02日 | 1980年代 | ジア大統領は記者会見で,73年憲法はイスラーム社会に合致するように改正の余地が多いと談。 |
DIA-304-1981-09-02-2 | パキスタン | 1981年09月02日 | 1980年代 | 国連総会出席のため訪米中のシャーヒー外相,ヘイグ米国務長官と会談。4日,国連事務総長と会談。 |
DIA-304-1981-09-03-1 | パキスタン | 1981年09月03日 | 1980年代 | ジア大統領,男子生徒の女子校立入りを禁止。 |
DIA-304-1981-09-04-1 | パキスタン | 1981年09月04日 | 1980年代 | ブット裁判のブット側主任弁護人であったヤヒア・バフティヤール元検事総長がバルーチスタン州高裁弁護人士会長に選出された。 |
DIA-304-1981-09-05-1 | パキスタン | 1981年09月05日 | 1980年代 | アフガニスタン空軍のミグ17型機2機がバルーチスタン州の国鏡監視所を掃射。7日,アフガニスタン陸軍兵士40人が同州国鏡の村を捜索。8日,政府はアフガニスタン政府に強硬に抗議。同日,米国務省報道官は,「米は事態を深刻に受けとめており,責任はソ連帰すべきだ」とソ連を非難。 |
DIA-304-1981-09-08-1 | パキスタン | 1981年09月08日 | 1980年代 | バックリー米国務次官,来訪。 |
DIA-304-1981-09-08-2 | パキスタン | 1981年09月08日 | 1980年代 | ビレンドラ・ネパール国王夫妻,来訪(~9日)。 |
DIA-304-1981-09-09-1 | パキスタン | 1981年09月09日 | 1980年代 | ファズル・ハック北西辺境州知事は,「マラカンド自治区は労働党(MKP)やAZのような共産主義者という不満分子の隠れ家となっている」と警告。 |
DIA-304-1981-09-14-1 | パキスタン | 1981年09月14日 | 1980年代 | ジア大統領は14日発売のU.S.News & World Report誌(81.9.21)とのインタビューで次のように談。①米の対パ武器売却は米の信頼可能度に対する暗黙のテストだ。F-16機は1年以内に納品されるべきだ。②ソ連人は残忍だ。ゲリラ追撃または他の形でソ連軍がパに侵入するかもしれない。 |
DIA-304-1981-09-14-2 | パキスタン | 1981年09月14日 | 1980年代 | インド外務省スポークスマン,「インドはパの英連邦再加盟に反対しない」と言明。 |
DIA-304-1981-09-15-1 | パキスタン | 1981年09月15日 | 1980年代 | 米援助を受諾―パ外務省は声明で,32億ドルの米援助を正式に受諾すると発表。各種の米政府情報によると,米国生産のF-16機7~9機が82年10月までにパに供与され,ベルギー,オランダが生産中の7~9機が米に回されることになるという。 |
DIA-304-1981-09-15-2 | パキスタン | 1981年09月15日 | 1980年代 | 政府は声明で,インドに対し領土不可侵・武力不行使実現のための会談を提案。 |
DIA-304-1981-09-16-1 | パキスタン | 1981年09月16日 | 1980年代 | バックリー米国務次官証言―米下院外交委員会公聴会にて。①現政権はカーター前政権と同じく1959年の米・パ相互防衛協定の有効性を再確認した。②新たな米・パ関係の重要性は強調してもしすぎることはない,③6年後の印・パの近代的戦闘機所有数は6対1となろう。④米は南西アジアにおけるソ連の目標達成の阻止のためこの地域諸国の自衛のための自助努力を手伝うことを考えており,パはそのテスト・ケースだ。 |
DIA-304-1981-09-18-1 | パキスタン | 1981年09月18日 | 1980年代 | ジア大統領,バルーチスタン州を視察。18日クエッタで,同州内閣は近いうちに組織されようと言明。 |
DIA-304-1981-09-19-1 | パキスタン | 1981年09月19日 | 1980年代 | 同州開発を急ぐと言明,23日クエッタで記者会見①8月24日のアフガニスタン提案は80年5月の提案と変わらないが若干の柔軟性を示している,②パは英連邦には喜んで再加盟しよう,と談。 |
DIA-304-1981-09-19-2 | パキスタン | 1981年09月19日 | 1980年代 | パ国営APPによればパは5~6年内に独自の通信衛星を保有するに至るという。地上ステーションは米航空宇宙局(NASA),ヨーロッパの欧州宇宙機関(ESA)の協力により建設。 |
DIA-304-1981-09-20-1 | パキスタン | 1981年09月20日 | 1980年代 | PIA,アフガニスタン乗り入れを中止。 |
DIA-304-1981-09-21-1 | パキスタン | 1981年09月21日 | 1980年代 | ガンディー・インド首相はオーストラリア紙とのインタビューで,米はパに軍事基地(単数)または基地(複数)を手に入れようとしていると談。またBBC放送は,①米の武器供与はこの方向への第一歩である,②米はパにペルシャ湾地域の警察官の役を果たさせようとしている,③パはアフガニスタン問題の解決を望んではいない,と解説。(『東南アジア月報』,81.9) |
DIA-304-1981-09-21-2 | パキスタン | 1981年09月21日 | 1980年代 | サダト・エジプト大統領は米がエジプトからソ連製の武器を購入してアフガン・ゲリラに供与していると明らかにした。パ政府,これを否定。 |
DIA-304-1981-09-22-1 | パキスタン | 1981年09月22日 | 1980年代 | スィンド州教育相は,計画中の“パキスタン・イスラーム団地”(PIC,A.H.タンヴィー総裁)に対し”ジアウル・ハック総合大学”設立を許可と発表。 |
DIA-304-1981-09-22-2 | パキスタン | 1981年09月22日 | 1980年代 | ジア大統領,公務員採用に際しイスラーム学およびパキスタン学の試験合格を条件とするように指示。 |
DIA-304-1981-09-24-1 | パキスタン | 1981年09月24日 | 1980年代 | バルーチスタン州クエツタ郊外でアフガン難民の部族代表600人がジルガ(部族会議を開こうとしたが,パの武装警官隊がこれを阻止。 |
DIA-304-1981-09-25-1 | パキスタン | 1981年09月25日 | 1980年代 | C・ザフール・エラーヒ元労働・人的資源相,ラホール市内で暗殺さる。英BBC放送によるとムルタザ・ブットはAZがこの暗殺にかかわっているとBBCに連絡してきたという。なお,78年3月にブット前首相に死刑判決を下したパンジャーブ州高裁のムシュターク・フセイン元所長も負傷。 |
DIA-304-1981-09-26-1 | パキスタン | 1981年09月26日 | 1980年代 | ワルトハイム国連事務総長,パ,アフガニスタン両外相と個別会談。28日,中止。 |
DIA-304-1981-09-26-2 | パキスタン | 1981年09月26日 | 1980年代 | 政府は治安当局に対し全国的に政府要人および公共施設の警備を強化するよう命令。 |
DIA-304-1981-09-27-1 | パキスタン | 1981年09月27日 | 1980年代 | N.A.フセイン・パ戦略研究所長,訪中。 |
DIA-304-1981-09-28-1 | パキスタン | 1981年09月28日 | 1980年代 | カールマル・アフガニスタン革命評議会長,パ,イランとの3者会談に応ずる意向を表明。 |
DIA-304-1981-09-29-1 | パキスタン | 1981年09月29日 | 1980年代 | インド航空機,乗っ取られラホール着。30日,犯人5人はパ側の45分間の作戦で全員逮捕。 |
DIA-304-1981-09-30-1 | パキスタン | 1981年09月30日 | 1980年代 | シャーヒー外相,ニューヨークでアフガニスタン問題についてグロムイコ・ソ連外相と会談。 |
DIA-304-1981-10-01-1 | パキスタン | 1981年10月01日 | 1980年代 | ザファルル・ハック情報相は,インドはパ政府転覆を目指す分子をかくまっている,とインドを非難。 |
DIA-304-1981-10-02-1 | パキスタン | 1981年10月02日 | 1980年代 | シャーヒー外相は国連総会で,①「戦争開始の雲行き」を口にするパの隣人の性癖を憂慮する,②(9月21日のサダト発言に関し)2200キロに及ぶアフガニスタンとの全国境の閉鎖は不可能だ,などと演説。 |
DIA-304-1981-10-02-2 | パキスタン | 1981年10月02日 | 1980年代 | ホーティー教育相は,大学レベルの共学を廃止して各州に女子大を設置するとの方針を発表。 |
DIA-304-1981-10-03-1 | パキスタン | 1981年10月03日 | 1980年代 | 治安当局はこの頃,アフガニスタンから密輸入の大量の手榴弾を押収,ペシャーワルで200人逮捕(番港Far Eastern Economic Review,11.13)。 |
DIA-304-1981-10-04-1 | パキスタン | 1981年10月04日 | 1980年代 | アフガニスタン空軍のミグ17型機2機がパルーチスタン州の国境監視所を掃射。5日,パはアフガニスタンに強硬に抗議。 |
DIA-304-1981-10-04-2 | パキスタン | 1981年10月04日 | 1980年代 | ガンディー・インド首相,パの英連邦復帰に反対。 |
DIA-304-1981-10-04-3 | パキスタン | 1981年10月04日 | 1980年代 | ザブロッキー米下院外交委員の発議によって印・パ両国に派遣の対パ32億ドル援助に関する調査団,来訪。 |
DIA-304-1981-10-05-1 | パキスタン | 1981年10月05日 | 1980年代 | パ国民銀行(NBP),北京支店を開設。 |
DIA-304-1981-10-06-1 | パキスタン | 1981年10月06日 | 1980年代 | リビアで軍関係の仕事に従事している2700人のパ人退役軍人のうち数百人がゲリラ訓練を受けることを強要されていると伝えられる(PT,10.7等)。 |
DIA-304-1981-10-06-2 | パキスタン | 1981年10月06日 | 1980年代 | シャーヒー外相,国連でイラン外相と会談。 |
DIA-304-1981-10-08-1 | パキスタン | 1981年10月08日 | 1980年代 | サッチャー英首相,来訪―メルボルンでの英連邦首脳会議の帰途15時間の立寄り。ジア大統領との会談後,アフガン難民キャンプを訪問。帰国前の記者会見で,アフガニスタン問題についてパを全面的に支持。 |
DIA-304-1981-10-08-2 | パキスタン | 1981年10月08日 | 1980年代 | パ在住アフガン難民による運輸業や密輪分野での蓄財と不動産購入により北西辺境州でその価格が高騰しているといわれるため,政府は調査を開始。 |
DIA-304-1981-10-09-1 | パキスタン | 1981年10月09日 | 1980年代 | ジア大統領は9日発売の香港のF.E.E.R.誌(10月16日号)とのインタビューで次のように談。①インドがパの不戦提案に応じてこないのは残念だ。②ガンディー夫人は多分パの存在をまだ容認していないように思える。③アフガニスタンの8月24日提案は何の柔軟性も示していないと分った。④ソ連は今日,パに対して限定的な攻撃をかける余力を有している。 |
DIA-304-1981-10-11-1 | パキスタン | 1981年10月11日 | 1980年代 | パ放送(RP)によると政府は今後4年でバルーチスタン州と北西辺境州を貫通する約360キロの道路を建設する計画を立案中である。 |
DIA-304-1981-10-12-1 | パキスタン | 1981年10月12日 | 1980年代 | 憲法<第3次改正>命令,1981,布告。 |
DIA-304-1981-10-14-1 | パキスタン | 1981年10月14日 | 1980年代 | イスハーク財政相は,IMFはパに対し向う2年で9.19億SDRを供与しようと明らかにした(80年11月決定の17億ドル対パ拡大信用供与措置の一部)。 |
DIA-304-1981-10-17-1 | パキスタン | 1981年10月17日 | 1980年代 | ペシャーワル空港滑走路拡張工事,完了。これによりジャンボ級航空機の発着が可能になった。クエッタ,イスラーマバード両空港についても同様の工事が進行中。ラホール空港については近く着工。 |
DIA-304-1981-10-18-1 | パキスタン | 1981年10月18日 | 1980年代 | サワール・ハーン陸軍副参謀長,トルコ訪問。 |
DIA-304-1981-10-19-1 | パキスタン | 1981年10月19日 | 1980年代 | ジア大統領は視察中のペシャーワルで記者会見,①大国インドは緊張している印・パ関係改善のイニシアティブをとるべきだ,②パはインドに対する不戦条約提案を文書で行なったわけではないが,それは通常の外交ルートを通じてなされた,などと述べた。 |
DIA-304-1981-10-20-1 | パキスタン | 1981年10月20日 | 1980年代 | 政府,ブットの遺族を告訴―政府は,故ブット前首相が公金82万ルピーを私用のため費消したとしてその返還を求めて遺族をスィンド州高裁に告訴。10月2日,政府は467万ルピーの公金に関しブットの遺族を被告として同州高裁に同様の訴訟を提訴。 |
DIA-304-1981-10-21-1 | パキスタン | 1981年10月21日 | 1980年代 | 米上院。対ハパ援助承認―パを向う6年間サイミントン修正条項の適用除外国とする法案を可決。 |
DIA-304-1981-10-22-1 | パキスタン | 1981年10月22日 | 1980年代 | アブドゥル・カユーム・ハ・ン元内相,死去。 |
DIA-304-1981-10-24-1 | パキスタン | 1981年10月24日 | 1980年代 | ジア大統領,記者会見―①政府はイスラーム精神に基づいた政治下部組織の確立を考慮中。②その草案を検討することになっている連邦諮問評議会(MS,FAC)はそれまでの暫定的議会というべきものであり11月に発足する。③73年憲法廃棄はより広範囲な合意を得てからのことだ。 |
DIA-304-1981-10-24-2 | パキスタン | 1981年10月24日 | 1980年代 | 全ジャムー・カシミール・ムスリム会議(AJKMC)のS・ハヤート・ハーン党首は,パ側カシミールでは反政府地下活動か活発になっていると語った。 |
DIA-304-1981-10-25-1 | パキスタン | 1981年10月25日 | 1980年代 | スイ・天然ガスのバルーチスタン州への輸送パイブ(350キロメートル),着工。 |
DIA-304-1981-10-26-1 | パキスタン | 1981年10月26日 | 1980年代 | 中央銀行1980/81年度報告書,出来。 |
DIA-304-1981-10-27-1 | パキスタン | 1981年10月27日 | 1980年代 | ガンディー・インド首相は記者会見で,パは平和を説く一方で戦争準備を進めており,パの不戦提案に何の興味も抱かないと述べた。同首相は29日,空軍司令官会議において。①パの不戦提案は無内容でシムラ協定を弱めるための悪意ある動きだ,②パは過去2回,同様のインド提案を拒否した,とパを非難。 |
DIA-304-1981-10-31-1 | パキスタン | 1981年10月31日 | 1980年代 | ピラーチャ外務次宮,ネパール訪問―途次,ニューデリーに立ち寄りサテ・インド外務次官と印・パ関係などについて非公式会談。記者会見で,不戦条約提案がパからインドに対し正式に行なわれたと言明。 |
DIA-304-1981-10-31-2 | パキスタン | 1981年10月31日 | 1980年代 | 政府,去る25日インド軍がカシミールのパ軍監視所を機関銃で射撃したとインドを非難。 |
DIA-304-1981-11-01-1 | パキスタン | 1981年11月01日 | 1980年代 | スィンド州の主要3市で5人組制,復活。 |
DIA-304-1981-11-03-1 | パキスタン | 1981年11月03日 | 1980年代 | バックリー米国次官,米・パ経済評議会で演説(ニューヨーク)―①印・パ空軍の軍備比率は現在4対1だが,インドがソ連,英,仏に注文中の最新鋭機を受納した段階では6対1になる。②ジア・大統領は,パは核兵開発の意図はないと私に確約した。核兵器を開発すれば(米の対パ援助が)どういうことになるかについてパは幻想を抱いてはいない。③米はパの通常兵器の増強によってパの核クラブ参加の動機を取り除き得ると考えている。 |
DIA-304-1981-11-06-1 | パキスタン | 1981年11月06日 | 1980年代 | バルーチスタン州パスニ空港,開設。ラヒームッディン州知事は,政府は同州に150平方マイル当り1空港の建設計画を既に立案したと明らかにした。 |
DIA-304-1981-11-09-1 | パキスタン | 1981年11月09日 | 1980年代 | ダスタギール人的資源相,リビア訪問。11日,マブルーク・リビア労相は,「(準軍隊である)保安要員として在留したくないパ人の帰国を許す」と言明。同労相は15日,「AZに徴募されていたパ人をパに返還する」と言明。16日,共同声明。(10月6日参照) |
DIA-304-1981-11-11-1 | パキスタン | 1981年11月11日 | 1980年代 | インド政府,パから正式の不戦提案を受げていないと再度言明,パ提案は宣伝臭が強いと非難。 |
DIA-304-1981-11-13-1 | パキスタン | 1981年11月13日 | 1980年代 | 米経済代表団,来訪―米による対パ投資,技術移転などを協議のため。 |
DIA-304-1981-11-15-1 | パキスタン | 1981年11月15日 | 1980年代 | 楊得志中国解放軍総参謀長,来訪(~20日)―友好訪問という,中国解放軍総参謀長の来訪は初めて。16日のイクバール・ハーン・パ統合参謀本部議長による歓迎宴で楊総参謀長は,平和5原則に基づく南アジア諸国の友好関係を希望。 |
DIA-304-1981-11-15-2 | パキスタン | 1981年11月15日 | 1980年代 | ジア大統領,記者会見―①パの不戦条約提案に対するインドの積極的反応を望む。②政府は過去4年半,新たな政治体制を模索してきたがあまり前進できなかった。③82年7月1日からパンジャーブ州にグジュランワーラ省(6県)を新設する。 |
DIA-304-1981-11-16-1 | パキスタン | 1981年11月16日 | 1980年代 | ジア大統領は記者会見で,連邦諮問評議会について州知事や連邦・各州閣僚と協議しなくてはならず,その発足は12月初旬になろうと談。 |
DIA-304-1981-11-16-2 | パキスタン | 1981年11月16日 | 1980年代 | アフガニスタン空軍のヘリコプター4機が北西辺境州でパ領空を侵犯,難民キャンプ掃射,地雷投下,1名死亡,10名負傷。政府,強硬に抗議。 |
DIA-304-1981-11-17-1 | パキスタン | 1981年11月17日 | 1980年代 | 米下院外交委員会はF-16型機40機の対パ売却反対決議案を10対7で棄却。19日上院外交委同様の決議案を13対13で棄却。 |
DIA-304-1981-11-18-1 | パキスタン | 1981年11月18日 | 1980年代 | 自由カシミール総合大学(AKU),創立。 |
DIA-304-1981-11-22-1 | パキスタン | 1981年11月22日 | 1980年代 | 米議会,対パ援助承認―対パ軍事・経済包括援助を阻止する決議案採決は上・下両院の各本会議にかけられないまま期限を過ぎ,無修正のまま自動的に議会で承認された。なお,F-16戦闘爆撃機40機のうち最初の6機は売却協定調印後1年以内に納品される。 |
DIA-304-1981-11-22-2 | パキスタン | 1981年11月22日 | 1980年代 | エヴレン・トルコ大統領,来訪(~27日)―80年9月の大統領就任後初の外国訪問。23日,ジア大統領と会談。24日,難民キャンプ訪問。27日,トルコは要請あらばパに軍事面で助力と示唆。同日,共同コミュニケ。 |
DIA-304-1981-11-22-3 | パキスタン | 1981年11月22日 | 1980年代 | バルーチスタン州で反政府活動家5人,処刑。 |
DIA-304-1981-11-23-1 | パキスタン | 1981年11月23日 | 1980年代 | インド政府,インド駐在パ大使館員3人をスパイ容疑で国外追放処分。24日パ政府,イスラーマバードのインド大使館員1人,カラチのインド総領事館員3人をスパイ容疑で国外退去処分。 |
DIA-304-1981-11-24-1 | パキスタン | 1981年11月24日 | 1980年代 | ガンディー・インド首相「もしパが本気なら不戦条約について協議する用意がある」と言明。 |
DIA-304-1981-11-24-2 | パキスタン | 1981年11月24日 | 1980年代 | イスラーマバードでパの国営企業に関する国際シンポジウム(~28日)。パ政府主催,国連協賛。 |
DIA-304-1981-11-25-1 | パキスタン | 1981年11月25日 | 1980年代 | ラホールで宗派衝突,114人逮捕。 |
DIA-304-1981-11-26-1 | パキスタン | 1981年11月26日 | 1980年代 | 大量逮捕―治安当局は1月に入って全国でAZ壊滅の努力を強化したもようであり,20日までにカラチだけで2000人を逮捕,大量の武器を押収したと発表。月末までにカラチでさらに300人逮捕。逮捕者の多くは学生であるが,若手の大学教師,警官,空港警備員なども含まれる。なお,18日付Jang紙はAZはアフガニスタン秘密警察と緊密な関係にあるとしている。また,3月のPIA機乗っ取り事件で釈放された政治犯のうちひそかに帰国した8人が月末までに逮捕された。 |
DIA-304-1981-11-26-2 | パキスタン | 1981年11月26日 | 1980年代 | ガンディー・インド首相は上院で,パはインドとの国境で兵力を増強しており,いくつかの空軍基地の建設に取りかかっていると言明。 |
DIA-304-1981-11-26-3 | パキスタン | 1981年11月26日 | 1980年代 | カラチで31人から成る”愛国連盟(PA)”,結成。政府転覆,テロなどを終結させるためのもので「非政治的」なものという,代表はムスリム連盟(ML)の指導者であるS.リーカット・フセイン。 |
DIA-304-1981-11-29-1 | パキスタン | 1981年11月29日 | 1980年代 | バルーチスタン州政府は,パ政府は同州開発のために向う5~6年間で総額20億ルピーに及ぶマスター・プランを策定したと明らかにした。 |
DIA-304-1981-11-30-1 | パキスタン | 1981年11月30日 | 1980年代 | PIA機乗っ取り犯3人(3月日誌参照)は釈放政治犯25人とともに先週モスクワ経由でリビアに入国した。同国は今後彼らの活動の根拠地となろう。なお,ブット兄弟は他2名とともにカーブルに在留(PT,12.1)。 |
DIA-304-1981-11-30-2 | パキスタン | 1981年11月30日 | 1980年代 | 米国務省当局者によると,ソ連のアフガニスタン侵攻後のアフガニスタン軍によるパ領内侵入は379回に上る(『日経』,11.30)。 |
DIA-304-1981-12-01-1 | パキスタン | 1981年12月01日 | 1980年代 | スルターン・サウジアラビア国防相,来訪(~23日)―同日,ジア大統領と会談。同日のタールプル国防相との会談では,パによる米兵器購入に対するサウジアラビアの大量の援助を協議(NW,12.3<BBC)。2日,スルターン国防相は歓迎宴で,サウジアラビアはパの安全に対するいかなる脅威も容認しない,と言明。 |
DIA-304-1981-12-02-1 | パキスタン | 1981年12月02日 | 1980年代 | アフガニスタン軍のヘリコプターがバルーチスタン州に侵入,機銃掃射により民間人7人を殺傷。 |
DIA-304-1981-12-03-1 | パキスタン | 1981年12月03日 | 1980年代 | カラチ大学学生自治会選挙で学生同士の武力衝突,2人死亡。月末までに40人逮捕,32人停学処分。 |
DIA-304-1981-12-04-1 | パキスタン | 1981年12月04日 | 1980年代 | パ・米両国はF-16型機6機の売却・購入協定に調印。82年9月~12月に納品予定(M,7.12)。 |
DIA-304-1981-12-05-1 | パキスタン | 1981年12月05日 | 1980年代 | ジア大統領は5日付英 Economist誌で,カシミール問題解決はインドとの不戦条約の条件ではないと言明。また,米VOA放送によるとジア大統領は,インドが各施設相互査察に同意せずともパ・印は相互に対する核兵器不使用協定を締決すべきだと談(D,12.8)。 |
DIA-304-1981-12-09-1 | パキスタン | 1981年12月09日 | 1980年代 | 米下院外交委員会,81年10月1日開始の米82会計年度の対パ1億1ドル援助を満場一致で承認。 |
DIA-304-1981-12-09-2 | パキスタン | 1981年12月09日 | 1980年代 | 国連総会はパ提案の2決議案(核兵器非保有国の安全保障強化,南アジア非核武装地域化)を採択。 |
DIA-304-1981-12-09-3 | パキスタン | 1981年12月09日 | 1980年代 | ファイサラバード農業大で3ヵ月前の学生同士の武力衝突のため43人,退学。 |
DIA-304-1981-12-10-1 | パキスタン | 1981年12月10日 | 1980年代 | 10日付Viewpoint 誌によると,先月末の北西辺境州全地域での学生自治会選挙でPPP系の人民学生連盟(PSF)が圧勝。 |
DIA-304-1981-12-11-1 | パキスタン | 1981年12月11日 | 1980年代 | ガンディー・インド首相,近い将来に印・パ戦争の可能性は無いと言明。 |
DIA-304-1981-12-11-2 | パキスタン | 1981年12月11日 | 1980年代 | 11日付 Baluchistan Times 紙によると,アフガニスタンは78年(4月)以来パ領空を415回侵犯。 |
DIA-304-1981-12-13-1 | パキスタン | 1981年12月13日 | 1980年代 | ヘイグ米国務長官,12月中旬予定のインド,パ,トルコ,イスラエル歴訪を中止。 |
DIA-304-1981-12-13-2 | パキスタン | 1981年12月13日 | 1980年代 | パンジャーブ州公務員2034人解雇(PT,12.20)。 |
DIA-304-1981-12-15-1 | パキスタン | 1981年12月15日 | 1980年代 | A.K.ブローヒー無任所大使,ガンディー・インド首相に会見 |
DIA-304-1981-12-16-1 | パキスタン | 1981年12月16日 | 1980年代 | 米両院,82年度の対パ1僚ドル援助(32億ドル包括援助の”頭金”)を承認。 |
DIA-304-1981-12-16-2 | パキスタン | 1981年12月16日 | 1980年代 | ラオ・インド陸軍参謀長発言は最近の記者会見で,①インドは他の諸国によるこれ以上の侵略を先取りするために攻勢守備の立場をとったりはしていない,②パを除いて他にインドの敵国があるだろうか,と談。 |
DIA-304-1981-12-18-1 | パキスタン | 1981年12月18日 | 1980年代 | 人口計画局,管轄下の8000人を解雇。 |
DIA-304-1981-12-18-2 | パキスタン | 1981年12月18日 | 1980年代 | アフガニスタン軍ヘリコプター6機,ワズィー・リスタン自治区を掃射,子供1人死亡。 |
DIA-304-1981-12-19-1 | パキスタン | 1981年12月19日 | 1980年代 | ガンディー・インド首相はパと不戦条約を協議する用意があると言明。 |
DIA-304-1981-12-20-1 | パキスタン | 1981年12月20日 | 1980年代 | レジア大統領は記者会見で,①アフガニスタン問題は少し古ぼけてきたが忘れられてはいない,②連邦諮問評議会(FAC=MS)の役割は代議政体導入のための地ならしだ,などと談。 |
DIA-304-1981-12-21-1 | パキスタン | 1981年12月21日 | 1980年代 | パ・米両国はコブラ武装ヘリコプター,155ミリ榴弾砲など4.5億ドルの兵器売買協定に調印。 |
DIA-304-1981-12-21-2 | パキスタン | 1981年12月21日 | 1980年代 | パンジャーブ州211カレッジの学生自治会選挙。40カレッジで学生イスラーム協会(JIT)が勝利。反対派はUTの選挙操作を非難。同日,全カレッジ閉鎖。 |
DIA-304-1981-12-24-1 | パキスタン | 1981年12月24日 | 1980年代 | 連邦評議会,設置―ジア大統領は内政・外政全般にわたる全国放送において連邦評議会(FC=MS)の開設を発表。大統領は,選挙によって選ばれた国会を有するイスラーム民主主議が最終目標だが,連邦評議会はそれまでの暫定措置だと言明。その機能は,政府のイスラーム体制確立努力に対する助力,イスラーム民主主議の目標達成のための条件作り,開発計画,予算,法の制度・改正・実施などについて審議し,大統領に勧告することであるという。あらゆる決定は出席者の全会一致による。なお同24日,評議員350人中287人の氏名発表。 |
DIA-304-1981-12-24-2 | パキスタン | 1981年12月24日 | 1980年代 | 政府は,79年政党登録法に基づく登録を怠った政党の資産を没収すると発表し,また,それらの政党は政党解禁となったあとも非合法とすると発表。 |
DIA-304-1981-12-24-3 | パキスタン | 1981年12月24日 | 1980年代 | K.N.スィン駐パ・インド大使はラオ・インド外相による招へい状をシャヒー外相に手交。 |
DIA-304-1981-12-24-4 | パキスタン | 1981年12月24日 | 1980年代 | パの日刊『イムローズ』紙によると,米はE2Cホーク・アイ偵察機4機の売却を考慮中という。 |
DIA-304-1981-12-27-1 | パキスタン | 1981年12月27日 | 1980年代 | 当局はベナズィール・ブット女史のカラチ中央刑務所拘禁を自宅軟禁に変更。 |
DIA-304-1981-12-27-2 | パキスタン | 1981年12月27日 | 1980年代 | ジア大統領,贈賄の停止を指示。 |
DIA-304-1981-12-28-1 | パキスタン | 1981年12月28日 | 1980年代 | ヤマニ・サウジアラビア石油相,来訪―同日,ジア大統領と会見。29日,ファルマーン・アリー石油・天然資源相との会談で,パの石油需要の全量を供給すると言明。30日,パ・アフガニスタン国境を視察。82年1月2日,日本へ向うに当り記者会見で,「パはわが国にとって第1の優先順位を有する」と言明。 |
DIA-304-1981-12-31-1 | パキスタン | 1981年12月31日 | 1980年代 | ジア大統領は「緊急に必要な措置」として,「特定の人々の出国を禁止する」ための”パキスタン出国<統制>令,1981年”を布告。 |
DIA-304-1981-12-31-2 | パキスタン | 1981年12月31日 | 1980年代 | 治安当局のAZ狩りにより,数紙誌から判明しただけでも12月中に全国で少なくとも計911人(カラチ440人,シェイフプラ237人,ラホール31人,他・不明203人)が逮捕された。 |
DIA-304-1982-01-04-1 | パキスタン | 1982年01月04日 | 1980年代 | ガンディー・インド首相,インドはパキスタンとの間の不戦条約を望むが,わなに陥ることなきよう注意の要があると語る。 |
DIA-304-1982-01-08-1 | パキスタン | 1982年01月08日 | 1980年代 | ルピー,管理フロート制に移行―ルピーの為替相場は主要貿易相手国通貨の貿易加重平均をとるバスケット建てとなるが,今後も米ドルが為替介入通貨として使用され,中央銀行がルピーの対ドル相場を毎日設定する。8日の為替相場は従来の1㌦当り9.90ルピーから10.10ルピー(1.98%の切下げ)に設定。 |
DIA-304-1982-01-11-1 | パキスタン | 1982年01月11日 | 1980年代 | 連邦評議会(FC)第1回会議開催(~18日)―ジア大統領演説。(1)西欧民主主義はパでは採用できない。(2)FC設立はイスラーム民主主義確立のための重要な一歩だ。(3)FCは国会に代るものではなく,イスラーム教の実践,イスラーム民主主義の確立,内外情勢,経済・社会的困難の克服について政府に助言することを4大課題とする。・大統領は開会に先立ちM・サフダル元農相をFC議長に任命。FC議長職は大統領に次ぐものとされる。・ハルーン内相は会議において,アル・ズルフィカール(AZ)取締りのために連邦・州政府にテロ対策室を設置すると発表。・なお,FC定員は350人だが現在までに288人が指名・任命されている。 |
DIA-304-1982-01-12-1 | パキスタン | 1982年01月12日 | 1980年代 | シヤーヒー外相,連邦評議会で外交問題演説。 |
DIA-304-1982-01-13-1 | パキスタン | 1982年01月13日 | 1980年代 | サウジアラビアはパに対し米の武器購入のため5億㍉供与に合意。うち3億㌦は今後6カ月以内に行なわれるF-16戦闘爆撃機購入用(POT-P,1/16)。 |
DIA-304-1982-01-13-2 | パキスタン | 1982年01月13日 | 1980年代 | 国際アムネスティーは報告書において,パの81年3.月期の政治的逮捕者は6000人,81年のパンシャーブ州の死刑判決1250人,80年1月~81年8月の拷問死10人としている。14日,ハルーン内相は同報告を否定し,現在の政治犯は62人,AZ関係の逮捕者は481人と言明。 |
DIA-304-1982-01-16-1 | パキスタン | 1982年01月16日 | 1980年代 | シャーヒー外相は最近英紙Financial times(FT)との会見で,米の対パ32億㌦援助はパの核開発とは無関係であり,パが平和的な核実験を行う可能性を否定しないと言明。(POT-P,1/21)。 |
DIA-304-1982-01-17-1 | パキスタン | 1982年01月17日 | 1980年代 | ジア大統領,訪欧―訪問国はイタリア,ルーマニア,ユーゴスラビア,フランス(24~27日)。各国でアフガニスタン問題の政治解決のための協力を要請。仏ではミッテラン大統領と会談(25日),アフガニスタン問題,イラン・イラク戦争,印パ関係などについて意見交換ジア大統領,同日記者会見。(1)武器購入も議題になった。仏との間に武器売却・購入関係が続くことを期待。(2)ミラージュ2000型戦闘機を購入したい。(3)パには核爆弾製造の意図も能力もない。(4)核燃料再処理工場購入問題(76年成約。仏が下履行)の解決を望む。・27日,小巡礼のためサウジアラビア訪問。 |
DIA-304-1982-01-20-1 | パキスタン | 1982年01月20日 | 1980年代 | パ政府は31年9月にパに亡命した駐パ・アフガニスタン大使館一等書記官とその家族のパ居住許可を撤回し,帰国させることを決定。 |
DIA-304-1982-01-21-1 | パキスタン | 1982年01月21日 | 1980年代 | S・M・イブラヒーム・ハーン元パ側カシミール大統領は4地方政党を代表して,パがカシミール問題を棚上げしたままインドと不戦条約を締結しても認めないし,そんな条約は長続きもしないと警告。 |
DIA-304-1982-01-22-1 | パキスタン | 1982年01月22日 | 1980年代 | イクバール・ハーン統幕議長,仏およびヨルダン訪問(~2月8日)。 |
DIA-304-1982-01-24-1 | パキスタン | 1982年01月24日 | 1980年代 | 米中央情報局(CIA)はパが3年以内に原爆を所有するとの結論(『読売』1/25)。 |
DIA-304-1982-01-25-1 | パキスタン | 1982年01月25日 | 1980年代 | ビゼーンジョー・パ国民党(PNP)党首およびブグティー元バルーチスタン州知事,カールマル・アフガニスタン政権承認を要求。 |
DIA-304-1982-01-25-2 | パキスタン | 1982年01月25日 | 1980年代 | カラチとバルーチスタン州海岸地域を結ぶ幹線道路(227km,7億ルピー),建設着工。 |
DIA-304-1982-01-27-1 | パキスタン | 1982年01月27日 | 1980年代 | サフダル連邦評議会議長は同評議会で,(1)総選挙の早期実施を望む,(2)連邦評議会は27の常設委員会(各11名)を設立しつつある,などと述べた。 |
DIA-304-1982-01-27-2 | パキスタン | 1982年01月27日 | 1980年代 | パ開発経済研究所(PIDE)の『人的資源の中東移住』報告書,出来。 |
DIA-304-1982-01-29-1 | パキスタン | 1982年01月29日 | 1980年代 | 印パ不戦条約交渉開始―29日インド入りしたシャーヒー外相は30~31日,ラーオ・インド外相と不戦条約(81年パ提案)を討議,30日,ガンディー・インド首相はパ人記者団に,(1)印ソ平和友好条約と同様の友女子条約をパとの間で締結の用意がある,(2)パの核開発が純粋に平和的なものであれば異議をはさまない(3)不戦条約の有無に関係なくインドはパを攻撃しない,と言明。2月1日,共同声明。(1)不可侵・武力不使用協定(俗に「不戦条約」―筆者)に関する意見交換継続のために2月中に両国高官会議を開く。(2)両国間問題協議のために印パ合同委員会を設置する。なお,シャーヒー外相にはK・M・アーリフ大統領最高顧問(陸軍中将)およびヤクーブ・ハーン駐仏大使らが随伴した。 |
DIA-304-1982-01-29-2 | パキスタン | 1982年01月29日 | 1980年代 | 国際麻薬統制委員会(INCB)報告書はパキスタン麻薬統制委員会の努力により同国の81年麻薬生産高は79年の800㌧から100㌧に減少と称賛。 |
DIA-304-1982-02-03-1 | パキスタン | 1982年02月03日 | 1980年代 | ビゼーンジョーPNP党首,州自治間題を解決するための3方式を提案。 |
DIA-304-1982-02-04-1 | パキスタン | 1982年02月04日 | 1980年代 | ハルーン内相はイギリスのBBC放送との会見で,訓練のためアフガニスタンに入国したAZ分子1000人のうち481人は逮捕したが,政府に対するAZの脅威はまだ存在すると,語る。 |
DIA-304-1982-02-07-1 | パキスタン | 1982年02月07日 | 1980年代 | ジア大統領,記者会見。(1)インドがパの不戦条約提案に積極的に反応したことは喜ばしいことだ。(2)近い将来に印パ首脳会議の可能性はない。(3)アフガニスタン問題でイランが今や国連事務総長の協力を承諾したことは満足すべきことだ。 |
DIA-304-1982-02-07-2 | パキスタン | 1982年02月07日 | 1980年代 | 信頼し得る筋によるとジア大統領を乗せた大統領専用機がイスラーマバードからラホールに向う途中,AZに砲撃された(FEER,6/4)。 |
DIA-304-1982-02-09-1 | パキスタン | 1982年02月09日 | 1980年代 | 空港開発局(ADA)は7空港新設計画策定を完了。新空港建設予定地はバルーチスタン州のスィビー,ゾブ,スイ,フズダール,パンジヤーブ州のバハーワルプルとD・G・ハーン,パ側カシミールのムザッファラバード。 |
DIA-304-1982-02-09-2 | パキスタン | 1982年02月09日 | 1980年代 | 西北辺境州警察長官は高級警察官僚以下3800人の州警察雇用者が汚職と職務不適格のため解雇され,さらに多くの者が尋問中と明らかにした。 |
DIA-304-1982-02-10-1 | パキスタン | 1982年02月10日 | 1980年代 | 閣議,政治活動禁止措置の継続を決定。 |
DIA-304-1982-02-11-1 | パキスタン | 1982年02月11日 | 1980年代 | 政府,国内のAZ工作員400人(パンジヤーブ州だけで365人)中170人を逮捕したと発表。 |
DIA-304-1982-02-12-1 | パキスタン | 1982年02月12日 | 1980年代 | ガンディー・インド首相,記者会見。(1)印パ間不戦条約提案は1949年のネルー・インド首相提案が最初だ。(2)パはインド提案の友好条約を受けいれるべきだ。(3)パが米から入手する兵器はインドに対して用いられるものだ。(4)インドは隣人諸国家が強い国であることを願う。弱い隣国は何をしでかすか予測できないからだ。 |
DIA-304-1982-02-12-2 | パキスタン | 1982年02月12日 | 1980年代 | パの12日付Nawa-e-Waqt(NW)紙はロンドンのアラビア語紙Al-Mujallaを引用して,ジア大統領が1月のイタリア訪問中にザーヘル元アフガニスタン国王と会見したと報道。 |
DIA-304-1982-02-12-3 | パキスタン | 1982年02月12日 | 1980年代 | 西北辺境州税関はヘロイン80キロおよび阿片270キロを押収。これは当局によるとヨーロッパで8000万㌦で密売されることになっていたもので,パ当局の押収したものとしては史上最大規模。 |
DIA-304-1982-02-14-1 | パキスタン | 1982年02月14日 | 1980年代 | イスラーム諸国工業相会議(イスラーマバード)―イスラーム諸国29カ国および国連工業開発機関(UNIDO),イスラーム開発銀行などの機関が参加,17日,21項目のイスラーマバード宣言を採択。 |
DIA-304-1982-02-15-1 | パキスタン | 1982年02月15日 | 1980年代 | ジア大統領,記者会見。(1)政府は政府形態,総選挙等73年憲法の全側面について何がイスラームに合致しないかを検討中であり,同憲法は適切な時に改正されよう。(2)地方自治体選挙は任期4年完了時に実施。 |
DIA-304-1982-02-16-1 | パキスタン | 1982年02月16日 | 1980年代 | シャーヒー外相,辞任―「健康上の理由」とされている。後任はサーヒブザーダ・ヤクーブ・アリー・ハーン駐仏大使(3月21日就任,閣外相級)。 |
DIA-304-1982-02-16-2 | パキスタン | 1982年02月16日 | 1980年代 | ファハド・ビン・アブドゥッラー・サウジアラビア海軍司令官,公式訪問で来訪(~25日)。 |
DIA-304-1982-02-20-1 | パキスタン | 1982年02月20日 | 1980年代 | ジア大統領はバルチースタン州スィビーの各州評議会で,(1)現政権は同州開発のために4年半で57億1000万ルピー(前政権は5年半で28億4000ルピー)を支出,(2)200億ルピーの同州特別開発計画が飛躍的な経済・社会発展を招来することを期待するなどと演説。 |
DIA-304-1982-02-21-1 | パキスタン | 1982年02月21日 | 1980年代 | 大量逮捕―ペシャーワル警察はAZの100人を西北辺境州内で逮捕。その際,史上初のコーランのくりぬき偽装爆弾を押収。25,26両日,パンジャーブ,スィンド両州治安当局による「反社会的犯罪分子」摘発で2700人以上が逮捕された(うち2000人はラホール市,742人はスィンド州にて)。 |
DIA-304-1982-02-24-1 | パキスタン | 1982年02月24日 | 1980年代 | インド政府は不戦条約締結交渉のためのサテ外務次官の3月1日の訪パ予定を無期延期。理由は,12日のジュネーブでの国連人権委員会でパ代表がカシミール民族自決間題をパレスチナ問題やナミビア問題と同列に置いて論じたことが72年の印パ間のシムラ協定に違反するためという。 |
DIA-304-1982-02-24-2 | パキスタン | 1982年02月24日 | 1980年代 | ハルーン内相はクウェート通信社との会見で,総選挙はアフガニスタン問題と関係しているため実施できないし,また非合法諸政党がジア大統領に政治綱領を提出し得ずにいるという事情もあると語る。 |
DIA-304-1982-02-25-1 | パキスタン | 1982年02月25日 | 1980年代 | ベンカタラマン・インド国防相は国会で,(1)パは国境付近に軍を集結している,(2)インドはパのF-16戦闘機入手予定に対する十分な措置をとったと言明。 |
DIA-304-1982-02-25-2 | パキスタン | 1982年02月25日 | 1980年代 | ジア大統領,カラチ視察。記者会見で,(1)最近の逮捕者数は2132人,(2)アフガニスタン問題は総選挙には何の影響も与えない,と言明。 |
DIA-304-1982-02-27-1 | パキスタン | 1982年02月27日 | 1980年代 | スパイヤーズ駐パ米大使,トゥファイルJI党首と会見。 |
DIA-304-1982-02-27-2 | パキスタン | 1982年02月27日 | 1980年代 | パのMashriq紙はソ連のタス通信報道を引用して,パはバルーチスタン州で地下核実験の準備を進めていると報じた。一方26日,国際原子力機関(IAEA)はパが自国の核施設の国際査察の強化に同意したと発表。 |
DIA-304-1982-02-28-1 | パキスタン | 1982年02月28日 | 1980年代 | 国連筋によれば2月28日現在,パ政府に登録したアフガン難民は269万5000人(西北辺境州13万8000,連邦直轄部族地域79万6000,バルーチスタン州50万5000,他2万6000)である(Dawn,4/24)。 |
DIA-304-1982-03-01-1 | パキスタン | 1982年03月01日 | 1980年代 | 1日発売の米『タイム』誌はソ連が,パ,アフガニスタン,イラン3国の接点付近のイラン領内にイランの協力で対パ受信基地を建設したと報道。 |
DIA-304-1982-03-02-1 | パキスタン | 1982年03月02日 | 1980年代 | カラチで6政党が政権奪還討議のため会合。参加政党はパ人民党(PPP),パ神学者協会(JUP),パ・ムスリム連盟パガーロ派(PML-P),全国人民党(NDP),パ民主党(PDP),自立運動党(TI)。 |
DIA-304-1982-03-04-1 | パキスタン | 1982年03月04日 | 1980年代 | ジア大統領はジェッダで開催のイスラーム平和委員会出席のためサウジアラビア訪問。7~11日にはイラク,イラン,シリア,トルコ,ヨルダン,アブダビを訪問し,主としてイラン・イラク戦争調停に努力。 |
DIA-304-1982-03-05-1 | パキスタン | 1982年03月05日 | 1980年代 | サワール・ハーン陸軍副参謀長,サウジ訪問。 |
DIA-304-1982-03-07-1 | パキスタン | 1982年03月07日 | 1980年代 | NDPのアルバーブ・スィカンダル・ハリール・ハーン元西北辺境州知事,ペシヤーワルで暗殺。 |
DIA-304-1982-03-07-2 | パキスタン | 1982年03月07日 | 1980年代 | パンジャーブ州学校教員15万人,スト突入。 |
DIA-304-1982-03-11-1 | パキスタン | 1982年03月11日 | 1980年代 | 政府は「若干の非常に重要な人物」をミサイルで暗殺しようとのAZの陰謀を未然に発見。また12日,スィンド州政府はカラチ原子力発電所を爆破する陰謀を企てた20人を逮捕。(POT-P 3/15) |
DIA-304-1982-03-13-1 | パキスタン | 1982年03月13日 | 1980年代 | 首都近郊で学生同士衝突,1人射殺さる。 |
DIA-304-1982-03-14-1 | パキスタン | 1982年03月14日 | 1980年代 | 閣議で警察組織の再編・効率化を図るため高級警察官僚から成る委員会の設置,パンジャーブ州管轄下のスィハーラ警察カレッジの警察アカデミーへの改組昇格が決定された他,「1975年テロ活動鎮圧<特別法廷>法」の改正草案が承認された。 |
DIA-304-1982-03-14-2 | パキスタン | 1982年03月14日 | 1980年代 | ラーワルピンディーで全国教員代表2000人,デモ。 |
DIA-304-1982-03-15-1 | パキスタン | 1982年03月15日 | 1980年代 | バット水資源開発局(WAPDA)総裁はインダス川中流でのカーラーバーグ・ダムの準備設計が開始されたと発表。総費用は24億㌦の予定で,完成時の貯水能力は950万エーカー・フィート,発電能力は176万kW(1760MW)。1985年着手,1992年完成予定。 |
DIA-304-1982-03-15-2 | パキスタン | 1982年03月15日 | 1980年代 | マハブーブル・ハック世銀政策企画問題局長,パ政府の計画委員会副委員長に就任。25日,初の記者会見で82/83年度開発計画の優先5分野を説明。 |
DIA-304-1982-03-16-1 | パキスタン | 1982年03月16日 | 1980年代 | 米の対パ軍事援助物資のうち戦車,大砲類の船積みが始った(POT-P 3/19)。 |
DIA-304-1982-03-16-2 | パキスタン | 1982年03月16日 | 1980年代 | ヌラーニーJUP党首はこの1カ月,駐主義回復運動(MRD)所属8政党を含む13政党の連合結成に努めてきたが,16日の記者会見でMRD筋はこの試みが失敗に終ったと語る。 |
DIA-304-1982-03-18-1 | パキスタン | 1982年03月18日 | 1980年代 | ジア大統領,コーランに対する冒行為に終身刑をもって対処すべく刑法<改正>令1982年を布告。 |
DIA-304-1982-03-18-2 | パキスタン | 1982年03月18日 | 1980年代 | チシュティー退役陸軍中将(80年3月労相辞任)は,パの週刊Hurmat誌18日号掲載の会見記事で,民政移管の必要を強調するとともに「軍の政治的役割の憲法中での明記」構想に反対(POT,3/20)。 |
DIA-304-1982-03-18-3 | パキスタン | 1982年03月18日 | 1980年代 | ラホールでパンジャーブ州教員数千人デモ,400人逮捕。 |
DIA-304-1982-03-18-4 | パキスタン | 1982年03月18日 | 1980年代 | ワリー・ハーン夫妻,アフガニスタン訪問。29日,カールマル・アフガニスタン議長と会見。 |
DIA-304-1982-03-18-5 | パキスタン | 1982年03月18日 | 1980年代 | ペシャーワルで学校教員,賃上げ要求デモ。 |
DIA-304-1982-03-19-1 | パキスタン | 1982年03月19日 | 1980年代 | カラチ駐在の米総領事,ブグティー元パンジャーブ州知事に会見。 |
DIA-304-1982-03-20-1 | パキスタン | 1982年03月20日 | 1980年代 | 来訪中のエルスィン・トルコ陸軍司令官(国家安全評議会委員),ジア大統領に会見(25日,帰国)。 |
DIA-304-1982-03-20-2 | パキスタン | 1982年03月20日 | 1980年代 | ラホールで教員2万人の賃上げ要求デモ。 |
DIA-304-1982-03-21-1 | パキスタン | 1982年03月21日 | 1980年代 | ジア大統領,記者会見。(1)総選挙を今やれば77年以上の危機が発生しよう。(2)社会のイスラーム化という使命の達成までは政権を移譲しないし,誰にも浮上させない。(3)挙国一致内閣設立は考えていない。(4)1月11日の新聞の事前検閲制廃止以来,新聞は国民に不安を植え付けてきた。・同日,新聞事前検閲再開,とくに野党活動の報道厳禁(POT-P 3/23, FEER, 4/2)。 |
DIA-304-1982-03-21-2 | パキスタン | 1982年03月21日 | 1980年代 | インドの月刊Probe誌(最近号?)掲載の会見記事でパの退役陸軍准将ウスマーン「パ解放運動」(TAP)創始者はAZ,PPP,TAPの3者が連携していると証言(POT-P,3/29)。 |
DIA-304-1982-03-22-1 | パキスタン | 1982年03月22日 | 1980年代 | 姫鵬飛中国副首相,来訪(~26)―同副首相を団長とする代表団には張震解放軍副総参謀長が含まれている。23日,一行はジア大統領と会談。24日の歓迎宴で同大統領は,(1)アフガニスタン,カンプチア両国の内政に対する外国の干渉は当該地域の平和を脅やかしている,(2)インドは最終的にはパの不戦条約提案のよさを理解するだろう,などと演説。25日,ペシャーワル近郊のアフガン難民キャンプを訪れた姫副首相は,「アフガニスタン人民は……勇敢な闘争を堅持しさえすれば必ずやソ連の侵略者を追い出し得る」と演説。26日,姫副首相は帰国に際してカラチ空港で記者会見,「双方は多くの主要な国際問題で意見が一致した」と語る。 |
DIA-304-1982-03-23-1 | パキスタン | 1982年03月23日 | 1980年代 | パの23日付Jasarat紙は,パの反国家分子がサウジなどのパ人中東出稼ぎ者のパスポートをパ入国のために高値で買いあげていると報道(POT-P,3/27)。 |
DIA-304-1982-03-23-2 | パキスタン | 1982年03月23日 | 1980年代 | カラチのテレビ局前で婦人60人の女性差別反対デモ。 |
DIA-304-1982-03-24-1 | パキスタン | 1982年03月24日 | 1980年代 | ジア大統領はサボタージュ,テロ等を特別軍事法廷で裁くため「1982年刑法改正命令」を布告。 |
DIA-304-1982-03-29-1 | パキスタン | 1982年03月29日 | 1980年代 | パンジヤーブ州,西北辺境州の学校教員スト22日目。 |
DIA-304-1982-03-30-1 | パキスタン | 1982年03月30日 | 1980年代 | ヴェラーヤティー・イラン外相,来訪(~4月2日)―4月1日,ジア大統領に会見。 |
DIA-304-1982-04-03-1 | パキスタン | 1982年04月03日 | 1980年代 | ジア大統領は連邦評議会で,昨年の32億㌦援助交渉時に米側はパに米軍を駐留させてもよいと提案してきたが,私はそれを辞退したと言明。 |
DIA-304-1982-04-03-2 | パキスタン | 1982年04月03日 | 1980年代 | 第2回連邦評議会(~22日)―ジア大統領は,(1)現状は総選挙実施には不適当,(2)問題の本質は権力の移譲方法ではなくイスラーム的民主体制の確立だ,などと演説。なおジア大統領は同日,北方地域(フンザ,ギルギット,スカールドゥー)から3人の連邦評議会議員(ただしオブザーバー)を指名・任命。 |
DIA-304-1982-04-03-3 | パキスタン | 1982年04月03日 | 1980年代 | パ・イマーミア評議会(ICP)のアラマ・アキール・トゥラービー委員長はシーア派神学にも憲法上の承認を与えよと要求。6日,同委員長は,要求が認められなければパの領土的統一が脅威にさらされるかも知れぬと警告(TI, 4/8)。 |
DIA-304-1982-04-04-1 | パキスタン | 1982年04月04日 | 1980年代 | ブット元首相処刑3周年。ヌスラットPPP党首,ベーナズィール女史などPPP幹部によるラールカーナでの集会に,5000人が出席。 |
DIA-304-1982-04-06-1 | パキスタン | 1982年04月06日 | 1980年代 | 戒厳令当局によると,最近の反社会分子狩りでスィンド州サッカル地区だけでも1477人逮捕。 |
DIA-304-1982-04-08-1 | パキスタン | 1982年04月08日 | 1980年代 | 米議会報告によれば過去に米,カナダ,西独,仏,オランダ等12カ国がパの核開発に関係してきた。同報告はまた,このままではパは1990年代までに核兵器年産数個分のプルトニウムを持つことになると警告。 |
DIA-304-1982-04-09-1 | パキスタン | 1982年04月09日 | 1980年代 | ペシャーワル警察は,最近の「反社会分子」狩りでペシャーワル県だけで700人を逮捕と発表。 |
DIA-304-1982-04-10-1 | パキスタン | 1982年04月10日 | 1980年代 | パンジャーブ州警察は2月の「反社会分子」狩りで計9220人を逮捕(POT-P, 4/12)。 |
DIA-304-1982-04-10-2 | パキスタン | 1982年04月10日 | 1980年代 | 水資源開発局,管理職14人を含む37人を解雇。 |
DIA-304-1982-04-11-1 | パキスタン | 1982年04月11日 | 1980年代 | パガーロPML-P党首は再びジア大統領に同党党首就任を呼びかけ。 |
DIA-304-1982-04-12-1 | パキスタン | 1982年04月12日 | 1980年代 | 陸軍中将ファズル・ハック西北辺境州知事,米,英,スペイン歴訪―5月19日,帰国後の記者会見で各国でアフガニスタン問題を協議したと語る。 |
DIA-304-1982-04-12-2 | パキスタン | 1982年04月12日 | 1980年代 | 外務省で事務次官職が廃止されるなど,高官級の大規模な人事異動。 |
DIA-304-1982-04-14-1 | パキスタン | 1982年04月14日 | 1980年代 | ジア大統領,インド人記者と会見。(1)カシミール問題は今や国際問題であり印パ2国間だけで討議すべきでない。(2)ギルギット,フンザ,スカールドゥーはパの一部であり係争地域ではない。(3)カシミールはまだ係争中であり,印パ不戦条約締結後もその地位は不変だ。(4)私は不戦条約交渉に関するインド政府の誠意を疑う。(5)不戦条約締結が合同委員会設置に先行すべきだ。 |
DIA-304-1982-04-14-2 | パキスタン | 1982年04月14日 | 1980年代 | 政府は,イスラーマバード南方約250kmのチャシュマに建設中の原発の発電能力は当初目標を50%近く上回る50%93万7000kW(937MW)となろうと発表。総コストは16㌦億余りで1988年半ば完成の見込み。 |
DIA-304-1982-04-18-1 | パキスタン | 1982年04月18日 | 1980年代 | ワリー・ハーンNDP指導者は父ガッファール・ハーンの病気見舞いのためアフガニスタンを訪問,同国のカールマル革命評議会議長と会見。ワリーは,アの78年4月革命を支持,81年8月のアフガン政府の宣言は同国,パ,イラン3国間の交渉の完ぺきな基盤となり得ると談。28日,ガッファールも4年ぶりに帰国。 |
DIA-304-1982-04-18-2 | パキスタン | 1982年04月18日 | 1980年代 | イスラーム・イデオロギー評議会(CII)答申―将来の政治体制に関する大統領への同答申は,(1)大統領制の方がイスラーム教義に近いが議院内閣制も非イネラーム的ではない,(2)成人普通選挙制は本質的にイスラーム的概念であり,連邦評議会議員はそれによって選出されるべきだ,等と政府に批判的な内容になっている。 |
DIA-304-1982-04-18-3 | パキスタン | 1982年04月18日 | 1980年代 | ソ連のモスクワ放送はインド情報として,パが米のCIAとともにインドのスィク教徒によるカーリスタン運動を支援していると報道。 |
DIA-304-1982-04-20-1 | パキスタン | 1982年04月20日 | 1980年代 | ヤクーブ外相,訪中(~26日)―21~23日,黄華外相,鄧小平副首相と2国間問題,国際関係などについて2回の会談。22日,趙紫陽首相を表敬訪問,黄華外相は歓迎宴で,「アフガニスタン人民の闘争は正義の闘争であり,最後の勝利は必ずアフガン人民のものである」と演説。27日,ヤクーブ外相は帰国後の記者会見で,「すべての問題で両国の見解が一致した」と談。 |
DIA-304-1982-04-20-2 | パキスタン | 1982年04月20日 | 1980年代 | パはイランとの間に当面5年間(10年間に延長し得る),経済協力協定,石油議定書,通商脇定を締結。イランが長期の経済協力協定を結んだのは初めて。 |
DIA-304-1982-04-21-1 | パキスタン | 1982年04月21日 | 1980年代 | ジア大統領は米のLos Angels Times紙記者と会見。(1)民政移管をめざす総選挙のための条件は9~11力月以内に満たされよう。(2)(民政移管の一条件として)軍は将来の政府において正式の役割を与えられよう。それは3軍参謀長から成る諮問評議会設置の形をとるかもしれない。(3)選挙による政府を私が個人的に関与して助成するであろう。(4)性質の良い者が国会・州議会に立候補するように,選ばれた宗教指導者および地域社会の指導者グループが立候補者たちをふるいにかけることになろう。(5)(従来のパの政治的指導者たちに対する 侮蔑の念を繰り返し表明して)無責任な入物の選出を避けるための機構を設置する。(6)私は現存諸政党の選挙参加を許可しないだろう。立候補者たちは当選後に初めて好みのグループを結成すればよい。 |
DIA-304-1982-04-26-1 | パキスタン | 1982年04月26日 | 1980年代 | インド,パとの国境にミグ23型戦闘機2個中隊を配備(『東南アジァ月報』82年4月)。 |
DIA-304-1982-04-27-1 | パキスタン | 1982年04月27日 | 1980年代 | ヤマニ・サウジ石油相来訪(~30日)。 |
DIA-304-1982-04-29-1 | パキスタン | 1982年04月29日 | 1980年代 | パのViewpoint誌4月29日号によるとパ政府とパ側カシミール政府は双方の3軍の統合を決定。 |
DIA-304-1982-05-02-1 | パキスタン | 1982年05月02日 | 1980年代 | ヤクーブ外相,ペルシャ湾岸諸国等歴訪―3~4日,クウェート。5日,フランス立寄り。6~8日,モロッコでイスラーム諸国外相会議(エルサレム委員会)出席。9~11日,サウジでアラビアでサウド外相と会談,ハーリド国王に会見。12~14日,アラブ首長国連邦(UAE)。14日,カタル。同日帰国。 |
DIA-304-1982-05-05-1 | パキスタン | 1982年05月05日 | 1980年代 | パの国連難民高等弁務官(UNHCR)によるとパの同事務所に登録したイラン難民は約800人に達したが,パ政府は彼らを難民とは認めていない。 |
DIA-304-1982-05-06-1 | パキスタン | 1982年05月06日 | 1980年代 | ジア大統領,記者会見(ムルターン)。(1)パはイスラームの国だ。コーランの指示を仰げばよいのであり,憲法は不要だ。パはイスラームに基づく体制を必要としているのだ。(2)軍こそ唯一の整然たる組織だ。国政には軍が関与せねばならない。(3)パの将来の政治体制は大統領,首相,国防相,3軍参謀長から成る高等指揮官評議会(HCC)を具備すべきだ。(4)大統領と首相の権限は均衡したものであるべきだ。(5)総選挙は肯定的な結果が確実視され得て初めて実施されよう。われわれは(総選挙に関する)法的枠組を作成中だ。 |
DIA-304-1982-05-08-1 | パキスタン | 1982年05月08日 | 1980年代 | ジア大統領は記者会見で,現在の78政党が1~2に減れば政党活動禁止を解除する用意があると談。 |
DIA-304-1982-05-08-2 | パキスタン | 1982年05月08日 | 1980年代 | インドの最近のPatriot紙は,(1)パのグワーダルに米軍用海軍基地が建設中,(2)カラチ港に米海軍艦艇数隻が停泊している,(3)米陸軍軍人がパの80カ所でアフガン・ゲリラを訓練中,等と報道(POT-P, 5/12)。 |
DIA-304-1982-05-08-3 | パキスタン | 1982年05月08日 | 1980年代 | 指導的な神学者A・アハマッド博士が連邦評議会評議員を辞任。連邦評議員の辞任は初めて。 |
DIA-304-1982-05-11-1 | パキスタン | 1982年05月11日 | 1980年代 | ジア大統領はクエッタで記者会見,(1)パはソ連との連絡を保ってきた,(2)パはカールマル政権を承認していないが彼らがアフガニスタン国政の支配権を掌握している事実は否定し得ない,と談。 |
DIA-304-1982-05-11-2 | パキスタン | 1982年05月11日 | 1980年代 | パ国民銀行(NBP)が北京事務所を開所。第三世界国の銀行としては初の北京事務所。 |
DIA-304-1982-05-12-1 | パキスタン | 1982年05月12日 | 1980年代 | 陸軍大将サワール・ハーン陸軍参謀長,北朝鮮と中国へ―13~18日,金光鎮人民軍中将,金日成主席等に会見。18~29日,中国訪問。楊得志人民解放軍総参謀長,耿国防相,趙紫陽首相等と会見。 |
DIA-304-1982-05-12-2 | パキスタン | 1982年05月12日 | 1980年代 | ジア大統領は全パ地方自治体大会で,政府は地方自治体議員の経験を有することを国会・州議会選挙立候補の条件とする提案を検討中と明らかにした。 |
DIA-304-1982-05-15-1 | パキスタン | 1982年05月15日 | 1980年代 | ジア大統領,記者会見。(1)行政改革を行ない,現在の等級制(前政権による官僚の)等級制を廃止して旧制度を再開することになろう。(2)インドの友好条約提案は正式になされたものではない。(3)サウジもインドに対しパ提案の不戦条約に正式に応じるよう要請した。 |
DIA-304-1982-05-16-1 | パキスタン | 1982年05月16日 | 1980年代 | 陸軍人事―16日,以下の4少将が中将に昇格。Khushdil Khan Afridi,Mujibur Rahman Khan,Sbamsur Rahman Kallue,Syed Rafaqat(POT-P,5/28)。6月2日付Nawa-e-Waqt紙によるとGhulam Rabani,Ahsan Dar,Rafie Alam,Khawaja Salauddinの4少将が強制的に退役させられ,高級文民職を与えられた。同時に数人~多数の副戒厳司令官(地区Division管轄)が更迭された。なお,4月の連邦評議議会でこの4年間の外国駐在大使42人中17人が軍(うち14人が陸軍)出身であると明らかにされた(POT-P,6/3。TI,6/6)。 |
DIA-304-1982-05-16-2 | パキスタン | 1982年05月16日 | 1980年代 | 陸軍大将イクバール統合幕僚議長,トルコ訪問(~24日)。17日。エヴレン大統領に会見。 |
DIA-304-1982-05-17-1 | パキスタン | 1982年05月17日 | 1980年代 | 政府はロンドンでシンジケート銀行団(Bank of America,Chase Manhattan,Gulf International,Habib Pakistan等)との間で2億2500万㌦の融資契約に調印。パとしては史上最高額。 |
DIA-304-1982-05-18-1 | パキスタン | 1982年05月18日 | 1980年代 | スィミルノフ駐パ・ソ連大使はカラチの国際問題研究所(PIIA)での講演で,アフガニスタン問題,2国間問題などの討議のためにヤクーブ外相以下のパ外務省外交団の訪ソを呼びかけた。 |
DIA-304-1982-05-20-1 | パキスタン | 1982年05月20日 | 1980年代 | パの20日付Jang紙は,パ政府は仏からミラージュ2000型機50機を購入の予定と報道。 |
DIA-304-1982-05-21-1 | パキスタン | 1982年05月21日 | 1980年代 | イスラーム諸国会議(OIC)はパによるイスラーム諸国商業銀行団結成の提案を満場一致で可欠。 |
DIA-304-1982-05-23-1 | パキスタン | 1982年05月23日 | 1980年代 | 駐パ米大使,ホノルルで海軍大将ロング米太平洋艦隊司令官とインド洋情勢などについて協議。 |
DIA-304-1982-05-23-2 | パキスタン | 1982年05月23日 | 1980年代 | アラファットPLO議長,3日間の訪印後パを訪問。24日,共同コミュニケ。 |
DIA-304-1982-05-25-1 | パキスタン | 1982年05月25日 | 1980年代 | ラホールの25日付Istiqlal紙によるとラールカーナ,ナワーブシャー,ジャームショーロなどのスィンド州内陸部でスィンド万歳党(JS)による暴力などが横行しているという(POT-P,6/10)。 |
DIA-304-1982-05-28-1 | パキスタン | 1982年05月28日 | 1980年代 | アスガル・ハーンTI党首,不断の自宅軟禁3年目に突入。詳しい筋によると無期軟禁のもよう。 |
DIA-304-1982-05-28-2 | パキスタン | 1982年05月28日 | 1980年代 | エラーヒー・チョードリー前大統領,死去。 |
DIA-304-1982-05-31-1 | パキスタン | 1982年05月31日 | 1980年代 | ナトワル・スィン・インド外務次官,ガンディー首相特使として来訪。6月1日,両国は不可侵条約交渉の再開で合意(期日未定)。 |
DIA-304-1982-06-02-1 | パキスタン | 1982年06月02日 | 1980年代 | ヤクーブ外相,諸国歴訪―2~6日,非同盟諸国調整事務局閣僚会議出席のためのキューバ訪問。7~9日,国連軍縮特別総会出席。9目,ニューヨークでグロムイコ・ソ連外相と会談。11~15日,ワシントンで米のブッシュ副大統領,ザブロッキー下院外交委員長,タワー上院軍事委員長,ワインバーガー国防長官,ヘイグ国務長官などと会談。16~24日,スイスのジュネーブでコルドヴェス国連特使の仲介によるアフガニスタン外相との間接交渉。25~28日,ヨルダン訪問。28日帰国。 |
DIA-304-1982-06-02-2 | パキスタン | 1982年06月02日 | 1980年代 | パ側カシミールの2人の元大統領カユーム・ハーンとS・M・イブラヒーム・ハーンは記者会見で,ギルギット,フンザ,スカールドゥーはジャムー・カシミールの不可欠の一部を成し,その他位の変更はカシミール問題に関するパの立場を弱めるだけだと警告。 |
DIA-304-1982-06-03-1 | パキスタン | 1982年06月03日 | 1980年代 | ジア大統領,サウジアラビア訪問。5~7日,イスラーム諸国会議イスラーム平和委員会出席。8日,ジェッダでの記者会見で,不戦条約提案に対するインドの最初の反応は非常に良好だった,と言明。9日,帰国後の記者会見で,パが最近インドに不戦条約草案を提出したとのうわさを否定。 |
DIA-304-1982-06-03-2 | パキスタン | 1982年06月03日 | 1980年代 | ワリー・ハーンNDP指導者は,ソ連がアフガニスタンに軍を入れたのはこの地域で米の手先になる道を選んだパ政府の愚行のせいだと談(POT-P,6/12)。 |
DIA-304-1982-06-06-1 | パキスタン | 1982年06月06日 | 1980年代 | パ側カシミールのカユーム・ハーン全ジャムー・カシミール・ムスリム会議(AJKMC)党首,印パ不戦条約に先立ってカシミール問題を解決せよと要求。 |
DIA-304-1982-06-07-1 | パキスタン | 1982年06月07日 | 1980年代 | インド外務省スポークスマンは最近のパの不戦条約草案はかなりの修正,変更,追加を要すると談。 |
DIA-304-1982-06-10-1 | パキスタン | 1982年06月10日 | 1980年代 | 対パ債権国会議(パリ,~11日)―82/83年度用として,要請額推定17億5000万~20億㌦に対し13億5000万㌦の対パ援助を承認。アフガン難民救済用援助としては2億3000万㌦を承認。今回の会議では推定2億4370万㌦の債務繰延べ要請は討議されなかった。これは債務権国との個別接衝にゆだねられる予定。なお,日本は昭和57年度分として280億円までの円借款を供与する意図を表明(累計28別億円)。日本は他に508億円の債務繰延べ措置を提供。 |
DIA-304-1982-06-10-2 | パキスタン | 1982年06月10日 | 1980年代 | ジア大統領,腎疝痛のため入院(~13日)。 |
DIA-304-1982-06-12-1 | パキスタン | 1982年06月12日 | 1980年代 | 『パ経済白書1981/82』,出来(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1982-06-14-1 | パキスタン | 1982年06月14日 | 1980年代 | 82/83年度予算発表(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1982-06-15-1 | パキスタン | 1982年06月15日 | 1980年代 | ジア大統領はハーリド・サウジ国王の死去に当り,サウジを弔問,同日帰国。 |
DIA-304-1982-06-16-1 | パキスタン | 1982年06月16日 | 1980年代 | 第3回連邦評議会(~7月1日)。 |
DIA-304-1982-06-20-1 | パキスタン | 1982年06月20日 | 1980年代 | ジャムー・カシミール解放戦線(JKLF,アマーヌッラー・ハーン議長)はカシミール独立国家を目的としてパ側カシミール内に事務所を開設。 |
DIA-304-1982-06-21-1 | パキスタン | 1982年06月21日 | 1980年代 | 連邦イスラーム法廷はラジュム(姦通者の投石処刑)はイスラーム教義に合致するとの判断を示した。同法廷は81年にはそれと逆の判断を示していた。このため政府が同法廷を再編してこの新判断となった。 |
DIA-304-1982-06-22-1 | パキスタン | 1982年06月22日 | 1980年代 | 警察当局はカラチで「パレスチナ支持」を呼ぶMRDの数千人の集会を実力で排除し,30人を逮捕。前21日,ジア大統領は連邦評議会でパレスチナ支持をデモ行進でなく祈りで表明するよう訴えていた。 |
DIA-304-1982-06-22-2 | パキスタン | 1982年06月22日 | 1980年代 | 連邦評議会のM・シャーザーダ・ハーン議員が白昼ラーワルピンディーで暗殺された。出身地である西北辺境州のモフマンド部族内の争いが原因という。 |
DIA-304-1982-06-22-3 | パキスタン | 1982年06月22日 | 1980年代 | 6月初旬からの全国医師のスト,拡大。 |
DIA-304-1982-06-24-1 | パキスタン | 1982年06月24日 | 1980年代 | パの週刊Hurmat誌によると,カラチ駐在の米総領事は最近PPP指導者で元検事総長のヤヒヤー・バフティヤールと会見(POT-P, 7/1)。 |
DIA-304-1982-06-26-1 | パキスタン | 1982年06月26日 | 1980年代 | インドは経済・貿易・科学・技術・文化協力のための印パ合同委員会設立に関する草案をパに送付。 |
DIA-304-1982-06-26-2 | パキスタン | 1982年06月26日 | 1980年代 | ルピーの管理フロート制移行後ほぼ半年を経た6月26日の対ドル為替相場は1米㌦当り12.20ルピー(スポット,買い)となった。 |
DIA-304-1982-06-28-1 | パキスタン | 1982年06月28日 | 1980年代 | 82/83年度輸入政策,発表。 |
DIA-304-1982-06-28-2 | パキスタン | 1982年06月28日 | 1980年代 | ジア大統領は政府関係諸機関に対し,イスラーム学およびパキスタン・イデオロギーの知識を新人採用試験に含めるように指示。 |
DIA-304-1982-06-29-1 | パキスタン | 1982年06月29日 | 1980年代 | MRD中央委員会は,政党抜きの立候補者全員無所属という選挙が実施されてもMRD傘下政党は参加しないと決定。30日,イクバール・ハイダルMRD代表代行は,「空前の物価上昇,電力不足,水不足」などを非難するとともに,軍の政治的役割を憲法に明記するとの現政権の意向を拒否(Dawn,7/1)。 |
DIA-304-1982-06-29-2 | パキスタン | 1982年06月29日 | 1980年代 | 連邦イスラーム法延は昨年10月のサヒーワル地裁による手首切断刑を支持し,上告を棄却。 |
DIA-304-1982-06-30-1 | パキスタン | 1982年06月30日 | 1980年代 | ヤクーブ外相,記者会見―(1)国連事務総長代理の同席のもとで(アフガニスタンの)カールマル政権との3者直接会談の可能性はある。(2)しかしパの現在の立場は国連事務総長代理の主催による3者間接会談ということだ。パはカールマル政権を承認していないから直接会談はあり得ない。 |
DIA-304-1982-07-01-1 | パキスタン | 1982年07月01日 | 1980年代 | パの1日付週刊MAG誌によるとジア大統領は最近インドの週刊Sunday誌と会見。(1)3月21日の私の書簡に対するガンディー・インド首相の返辞は非常に積極的だった。(2)私はフンザ,ギルギット,スカールドゥーをパの一部だと表現したことはない。これらはカシミールと同じく係争地だ。(3)パは71年の対印敗戦の雪辱戦を挑む意図はない(POT-P,7/8)。 |
DIA-304-1982-07-01-2 | パキスタン | 1982年07月01日 | 1980年代 | カラチ大学で学生同士の衝突,1人射殺。 |
DIA-304-1982-07-08-1 | パキスタン | 1982年07月08日 | 1980年代 | ラーオ・インド外相,議会で答弁。(1)政府はパから送られてきた不戦条約草案を検討中。(2)インドは72年シムラ協定自体が不戦条約であり,したがって不戦条約は不要だとパに伝えた。(3)インドは不戦条約の内容を広範なものにした方がよいと考える。(4)印パ間の係争地カシミールも次回の交渉で取り扱われよう。(5)インドは草案を作成した。それを近くパに送る。(6)インドはパに対し印パ合同委員会設立に関する草案を送った。 |
DIA-304-1982-07-11-1 | パキスタン | 1982年07月11日 | 1980年代 | 西北辺境州ハリープルでアフガン難民同士が井戸の用水権をめぐって衝突,1人死亡。 |
DIA-304-1982-07-13-1 | パキスタン | 1982年07月13日 | 1980年代 | バルーチスタン州政府はインド共産党(CPI)のウルドゥー語機関誌Hayatを押収。 |
DIA-304-1982-07-13-2 | パキスタン | 1982年07月13日 | 1980年代 | ヤクーブ外相,非同盟運動閣僚緊急会議(15~17日)に出席のためキプロスへ出発。 |
DIA-304-1982-07-13-3 | パキスタン | 1982年07月13日 | 1980年代 | カラチでシーア派の宗教行列隊が反米スローガンを叫んで米国旗に放火。 |
DIA-304-1982-07-14-1 | パキスタン | 1982年07月14日 | 1980年代 | イランのホメイニ師特使として来訪中の3人の神学者代表団,ジア大統領のイスラーム諸国連合軍提案 (80年5月)を支持。 |
DIA-304-1982-07-15-1 | パキスタン | 1982年07月15日 | 1980年代 | ジア大統領は記者会見で,政府がイスラーム・イデオロギー評議会に対し4月答申の再考を指示したことを明らかにした。理由は,同答甲が将来のあるべき政治体制のメカニズムを提起していないためという。 |
DIA-304-1982-07-15-2 | パキスタン | 1982年07月15日 | 1980年代 | ガンディー・インド首相,米テレビとの会見で,インドはパによる自衛のための武器購入権には反対しないが,パが自衛のため以上の高性能武器を購入し続けるなら非同盟運動から追放されるかもしれないと談。 |
DIA-304-1982-07-17-1 | パキスタン | 1982年07月17日 | 1980年代 | ジア大統領,サウジ訪問。メディナで礼拝のためという。17日、ファハド国王に会見。19日,帰国。 |
DIA-304-1982-07-19-1 | パキスタン | 1982年07月19日 | 1980年代 | 9日付Pakistan Times紙によると西北辺境州マーンセヘラ県での部族衝突で15人死亡,12人負傷。 |
DIA-304-1982-07-19-2 | パキスタン | 1982年07月19日 | 1980年代 | ヌスラット・ブットPPP党首は,PPP活動家によるMRD傘下諸政党指導者のための朝食会で,政府がバノンでイスラエルと闘うためにパ軍の3分の1を派遣すればPPPは反政府運動をその間は中止と演説。 |
DIA-304-1982-07-19-3 | パキスタン | 1982年07月19日 | 1980年代 | グラーム・フセインPPP元書記長,英に亡命。同氏は81年3月のAZによるパ国際航空(PIA)機ハイジャック事件時にAZの要求によって釈放されていたもの。同氏は20日ロンドンで記者会見,「ヌスラットPPP党首もAZを非難している」としてAZを非難。 |
DIA-304-1982-07-20-1 | パキスタン | 1982年07月20日 | 1980年代 | ガッフール・アハマッド・イスラーム結社(JI)副党首は20日付Dawn紙との会見で,(1)政府は73年憲法に基づく総選挙を速やかに実施せよ,(2)イスラーム・イデオロギー評議会答申書を公開せよ,と要求。 |
DIA-304-1982-07-25-1 | パキスタン | 1982年07月25日 | 1980年代 | ヌスラットPPP党首(54歳),「気管支炎」のためカラチで手術,入院。 |
DIA-304-1982-07-25-2 | パキスタン | 1982年07月25日 | 1980年代 | トゥファィルJI党首は早期の民政移管,イスラーム化の徹底等を要求。同日,ガッフール同党副党首は,「ジア大統領の頻繁なサウジアラビアへの巡礼行の費用が国庫から出ているとすれば,それは孤児たちのための金銭の横領に等しい」と非難。 |
DIA-304-1982-07-27-1 | パキスタン | 1982年07月27日 | 1980年代 | マハブーブル・ハック計画委員会副委員長はワシントンで,策定中の第6次5カ年計画についてPPI通信と会見―(1)農工業および金融面における(ペルシャ)湾岸諸国との協力が同計画の一骨子となろう。(2)対湾岸諸国輸出を中心として農産物(家禽,果物,野菜,食糧穀物)の輸出を計画期間中に10倍にする。とくにバルーチスタン州を一大農業基地にする。 |
DIA-304-1982-07-27-2 | パキスタン | 1982年07月27日 | 1980年代 | カラチの米総領事はマザーリーNDP党首,メーラージュ国民解放戦線(QMA)党首,他2政治家と個別会見。8月1日,ハイルッディンPMLハイルッディン派(PML-K)党首と会見。7月28日,カラチの米領事がスィディーキーTI情報書記に会見。 |
DIA-304-1982-07-28-1 | パキスタン | 1982年07月28日 | 1980年代 | パの28日付Muslim紙によると,エチオピアに対抗のためソマリアが精神・物質両面での助力をパに求めてきたがパ政府は同国への軍事援助を断わった。 |
DIA-304-1982-07-29-1 | パキスタン | 1982年07月29日 | 1980年代 | イラン,カシミール問題でパを支持―29日のイラン・テレビは「インド占領地カシミール」と表現し,インドがジャムー・カシミール住民に自決権を認めないことを解説,革命後初めてカシミール問題でイラン政府のパ支持の立場を明確にした(PT,8/1)。 |
DIA-304-1982-07-29-2 | パキスタン | 1982年07月29日 | 1980年代 | サフダル連邦評議会議長はパガーロPML-P党首,ヌラーニーJUP党首,ジャトーイPPPスィンド州支部長等が無政党選挙に同意を表明と会談。 |
DIA-304-1982-07-29-3 | パキスタン | 1982年07月29日 | 1980年代 | ジャムー・カシミールのプーンチ地区で印パ両軍が5時間の撃ち合い(PTI通信)。 |
DIA-304-1982-07-31-1 | パキスタン | 1982年07月31日 | 1980年代 | ソマリア大統領特使として来訪中の陸軍少将A・M・ファディル工業相,ジア大統領に会見。 |
DIA-304-1982-07-31-2 | パキスタン | 1982年07月31日 | 1980年代 | エジプト軍事代表団,来訪(~8月8日)。 |
DIA-304-1982-07-31-3 | パキスタン | 1982年07月31日 | 1980年代 | パンジャーブ州各地の国立工業技術教育機関および西北辺境州のペシャーワル農業大学で軍人の子息のために学生定数の一部が留保されている(PT,7/31)。 |
DIA-304-1982-08-01-1 | パキスタン | 1982年08月01日 | 1980年代 | 政府はジア大統領の指示により,全国規模の「社会改革」キャンペーンを開始。 |
DIA-304-1982-08-01-2 | パキスタン | 1982年08月01日 | 1980年代 | パ国際航空は清掃,食堂,園芸関係の825人解雇。 |
DIA-304-1982-08-01-3 | パキスタン | 1982年08月01日 | 1980年代 | 印パ間の衛生中継自動テレックス業務,開始。 |
DIA-304-1982-08-02-1 | パキスタン | 1982年08月02日 | 1980年代 | ラホール空港で爆弾破裂,8人負傷。 |
DIA-304-1982-08-03-1 | パキスタン | 1982年08月03日 | 1980年代 | バルーチスタン州のスイ天然ガス・プロジェクト関係者100人が予告なしで解雇された。 |
DIA-304-1982-08-04-1 | パキスタン | 1982年08月04日 | 1980年代 | 政府は,スィク教徒に乗っとられたインド航空機のラホール着陸を拒否。同機はインド国内に着陸。 |
DIA-304-1982-08-05-1 | パキスタン | 1982年08月05日 | 1980年代 | 初の小麦輸出―今後5カ月で5万㌧のイラン向け小麦輸出が開始された。 |
DIA-304-1982-08-06-1 | パキスタン | 1982年08月06日 | 1980年代 | ザファルル・ハック情報相はパのDaily News紙との会見で,国際的政治目的のためにパを不安に陥れる努力の第二波が行われている確証があると言明。 |
DIA-304-1982-08-07-1 | パキスタン | 1982年08月07日 | 1980年代 | イスラーマバードで第3回南アジア7カ国地域協力会議開催(~9日)。各国の外務次官が参加。 |
DIA-304-1982-08-07-2 | パキスタン | 1982年08月07日 | 1980年代 | ジア大統領はカラチ輸出加工区(EPZ)の内外投資家に,「EPZではパ国内の労働法規の不都合な部分は適用されない。外国人投資家たちは採用・解雇の自由を持つ」と演説。なお,EPZプロジェクトは79年4月に承認され,83年6月完成の予定。 |
DIA-304-1982-08-09-1 | パキスタン | 1982年08月09日 | 1980年代 | 西辺境州境チトラールで宗派衝突,7人死亡。 |
DIA-304-1982-08-10-1 | パキスタン | 1982年08月10日 | 1980年代 | 国連難民高等弁務官,トルコ系アフガン難民のトルコ移住開始。23日までに3800人の空輸計画完了。 |
DIA-304-1982-08-11-1 | パキスタン | 1982年08月11日 | 1980年代 | 11~12日,イスラーマバードで計3回の印パ外務次官会議が開かれ,不戦条約,合同委員会設置等について討議。インド側はパに対し正式に平和友好脇力条約を提案し,その草案を提出。 |
DIA-304-1982-08-12-1 | パキスタン | 1982年08月12日 | 1980年代 | S・イスラーム外務次官以下4人のイラン代表団,来訪。同日ヤクーブ外相に会見後,ジア大統領にホメイニ師の書簡を手交。記者会見で,アフガニスタン問題解決には同国人民とその代表の参画が不可欠と談。 |
DIA-304-1982-08-14-1 | パキスタン | 1982年08月14日 | 1980年代 | ジア大統領は第35回独立記念日に際し,現政権の目標はイスラーム福祉国家の建設だとして「汚職,麻薬,貧困,無知などの社会悪に対する聖戦」への参加を国民に訴えるとともに,来る83年8月14日までにイスラーム政治体制について明らかにすると公約。 |
DIA-304-1982-08-15-1 | パキスタン | 1982年08月15日 | 1980年代 | 米カラチ総領事,ヌスラットPPP党首会見。 |
DIA-304-1982-08-16-1 | パキスタン | 1982年08月16日 | 1980年代 | ジア大統領は選挙管理委員会に対し業務の効率化と選挙人名簿を直ちに改訂するように指示。 |
DIA-304-1982-08-16-2 | パキスタン | 1982年08月16日 | 1980年代 | パの18日付Amn紙によると,陸軍中将ラヒームッディン・ハーン・バルーチスタン州知事は16日,現在同州で32飛行場が建設中と言明(POT-P,8/20)。 |
DIA-304-1982-08-18-1 | パキスタン | 1982年08月18日 | 1980年代 | 駐イラン・パ大使,ヴェラーヤティー・イラン外相にヤクーブ外相からの「重要伝言」を手交。 |
DIA-304-1982-08-18-2 | パキスタン | 1982年08月18日 | 1980年代 | ウォルター元NATO総司令官,来訪(~22日)。 |
DIA-304-1982-08-18-3 | パキスタン | 1982年08月18日 | 1980年代 | ガッファール・ハーンは声明を発表,「アフガン難民の使命に心から共感する」としてアフガニスタン問題解決のために難民指導者との個別または集団での会談を提案。ファズル・ハック西北辺境州知事,これを歓迎。 |
DIA-304-1982-08-19-1 | パキスタン | 1982年08月19日 | 1980年代 | ザファルル・ハック情報相は,いくつかの外国勢力がパを混乱させようとしており,その代理人たちは銀行強盗や夜盗を働いていると語る。 |
DIA-304-1982-08-19-2 | パキスタン | 1982年08月19日 | 1980年代 | カラチのソ連領事はビゼーンジョーPNP党首,マザーリーNDP党首と個別に会見。 |
DIA-304-1982-08-20-1 | パキスタン | 1982年08月20日 | 1980年代 | ヤクーブ外相,第13回イスラーム諸国会議 (OIC)出席のためニジェール訪問(~29日)。 |
DIA-304-1982-08-20-2 | パキスタン | 1982年08月20日 | 1980年代 | A・K・ブローヒー・イスラーム大学長,辞任。 |
DIA-304-1982-08-20-3 | パキスタン | 1982年08月20日 | 1980年代 | ビゼーンジョーPNP党首は最近のBBC放送との会見で,PNPはMRDの言う以上の州自治を望むからMRD に加入しないのだと語る(POT-P,8/24)。 |
DIA-304-1982-08-21-1 | パキスタン | 1982年08月21日 | 1980年代 | シーア派の著名なウラマー(神学者)がマリーで会議を開き,政府の対シーア派の約束不履行を非難。 |
DIA-304-1982-08-24-1 | パキスタン | 1982年08月24日 | 1980年代 | ザブロッキー米下院外交委員長は米のMuslim Development Corporationへの書簡で,米議会は対印武器売却に当り印パの軍事均衝の保持に留意と保証。 |
DIA-304-1982-08-25-1 | パキスタン | 1982年08月25日 | 1980年代 | ジア大統領は社会悪に対する「聖戦」を宣言,そのための4委員会を設置。 |
DIA-304-1982-08-27-1 | パキスタン | 1982年08月27日 | 1980年代 | 中パ国境フンジェラーブ峠の一般人通行解禁。25日インド政府は,同峠を含むパ側カシミールをパによる「不法占拠地」として中・パ両国が同峠開放議定書に調印する権利はないと両国の駐印大使に口答で抗議。 |
DIA-304-1982-08-27-2 | パキスタン | 1982年08月27日 | 1980年代 | ハルーン内相はある演説で,国内情勢は危機的だとして,「権力を掌握しようとしている分子」を非難。 |
DIA-304-1982-08-28-1 | パキスタン | 1982年08月28日 | 1980年代 | 政府は「1982年パ刑法<改正>令」をバルーチスタン州にも適用すると発表。 |
DIA-304-1982-08-28-2 | パキスタン | 1982年08月28日 | 1980年代 | カシミールのプーンチで印パ両軍の撃ち合い(24日~)で民間人2人を含むパ7人死亡。 |
DIA-304-1982-08-29-1 | パキスタン | 1982年08月29日 | 1980年代 | ジア大統領は,経済体制の自由化のために現存の経済統制制度を再検討すべくマハブーブル・ハック計画委副委員長を長とする内閣委員会を設置。 |
DIA-304-1982-08-30-1 | パキスタン | 1982年08月30日 | 1980年代 | ラーオ・インド外相は,インドのパに対する平和友好協力条約は不戦条約を包含し,(パの不戦条約提案)よりはるかに広範で積極的な概念だと語る。 |
DIA-304-1982-08-30-2 | パキスタン | 1982年08月30日 | 1980年代 | 桜内日本外相,来訪―インド来訪後パに入り,31日ヤクーブ外相と会談,日本はパに昭和57年度分円借款として280億円供与を通達。同日,ジア大統領と会見。9月1日,アフガン難民キャンプを訪問。2日,英へ。 |
DIA-304-1982-08-30-3 | パキスタン | 1982年08月30日 | 1980年代 | 戒厳令当局は,政府公務員の解雇に対する最高裁判所以下の諸種裁判所の介入を禁止。 |
DIA-304-1982-09-01-1 | パキスタン | 1982年09月01日 | 1980年代 | ラヒームッディン・ハーン・バルーチスタン州知事はザカート・ウシャル会議において,職業的乞食の存在はイスラーム社会の恥部であるとして厳罰をもって州内の職業的乞食を取締るよう指示。 |
DIA-304-1982-09-02-1 | パキスタン | 1982年09月02日 | 1980年代 | サフダル連邦評議会議長,暗殺未遂。 |
DIA-304-1982-09-02-2 | パキスタン | 1982年09月02日 | 1980年代 | 選挙管理委員長,12月15日までに選挙人名簿改定業務を完了するよう指示。 |
DIA-304-1982-09-02-3 | パキスタン | 1982年09月02日 | 1980年代 | ラホールの水資源開発局で火事。4日,国立教育カレッジで最近のラホール4件目の火事。 |
DIA-304-1982-09-04-1 | パキスタン | 1982年09月04日 | 1980年代 | カシミールで印パ両軍,7時間の銃撃戦。 |
DIA-304-1982-09-06-1 | パキスタン | 1982年09月06日 | 1980年代 | パ側カシミールのバーグで反パ政府4政党により「印・パ戦勇士記念式典」。カユーム・ハーン,イブラヒーム・ハーンの元大統領2人,逮捕。 |
DIA-304-1982-09-07-1 | パキスタン | 1982年09月07日 | 1980年代 | 陸軍大将サワール・ハーン陸軍副参謀長,訪英(~13日)。 |
DIA-304-1982-09-08-1 | パキスタン | 1982年09月08日 | 1980年代 | ナーイク外務次官,訪ソ―訪ソ中,マリツェフ外務第1次官とアフガニスタン問題,二国間問題等を討議。両国は年1回の両国政府公式会談の回数をふやすことで合意。ナーイク次官は12日帰国後,(1)両国は新たな協力の可能性を協議することで合意,(2)会談が積極的かつ友好的雰囲気のなかで行われたことに満足,(3)両国は,6月のスイスでのパとアフガニスタンの会談が建設的役割を果たし得るという点で意見が一致,などと語る。 |
DIA-304-1982-09-08-2 | パキスタン | 1982年09月08日 | 1980年代 | インドの8日付TI紙はPPP筋情報として,リビアがAZの新たな根拠地となりそうだと報道。 |
DIA-304-1982-09-09-1 | パキスタン | 1982年09月09日 | 1980年代 | 選挙人名簿改訂作業開始。 |
DIA-304-1982-09-12-1 | パキスタン | 1982年09月12日 | 1980年代 | 陸軍大将イクバール統合幕僚議長,訪中(~26日)―中国各地を訪問後,20日,北京で耿国務委員兼国防相と会見。21日,趙紫陽首相と会見。 |
DIA-304-1982-09-12-2 | パキスタン | 1982年09月12日 | 1980年代 | カラチで白昼現金輸送車が襲われ,70万ルピー強奪される。13日もある金融機関で13万3000ルピーの強奪事件。カラチではこの2週間で計6件(計203万3000ルピー)の強奪事件が発生している。 |
DIA-304-1982-09-12-3 | パキスタン | 1982年09月12日 | 1980年代 | ジア大統領はイスラーマバードで,「イスラームには多数決原理はない」と演説。 |
DIA-304-1982-09-12-4 | パキスタン | 1982年09月12日 | 1980年代 | アッバースィー・スィンド州知事は連邦評議会の同州議員72人全員を刑事訴訟法に基づき「治安判事」とする(Justice of Peace)と宣言。 |
DIA-304-1982-09-12-5 | パキスタン | 1982年09月12日 | 1980年代 | イスハーク財政相,世銀・IMF総会閣僚級合同委員会議長に選出さる。 |
DIA-304-1982-09-13-1 | パキスタン | 1982年09月13日 | 1980年代 | ボパーリー連邦評議会議員,カラチで暗殺。なお,死亡した犯人の1人は元PPP党員で81年3月のAZによるパキスタン国際航空機ハイジャック事件の人質と交換に釈放された者であることが数日後に判明。 |
DIA-304-1982-09-13-2 | パキスタン | 1982年09月13日 | 1980年代 | 3~14日にカラチで「犯罪者」926人,逮捕。 |
DIA-304-1982-09-14-1 | パキスタン | 1982年09月14日 | 1980年代 | ジア大統領,テロに対抗するため「法を守る市民」に対する武器所有許可証の発給を指示。 |
DIA-304-1982-09-14-2 | パキスタン | 1982年09月14日 | 1980年代 | J・スィディキー連邦評議会議員,スィンド州ナワーブシャーで「不可解な」交通事故により死亡。 |
DIA-304-1982-09-16-1 | パキスタン | 1982年09月16日 | 1980年代 | ヤクーブ外相,21日からの国連総会出席の途次,訪英。17日,ロンドンで記者会見。(1)パは核兵器製造の意図は全くない。(2)ソ連の対パ姿勢は和らいできた。(3)アフガニスタン危機解決のためにはイランの参加がきわめて重要だ(なお同外相は,アフガン・ゲリラも参加すべきだとの暗示も行った)。(PT,9/19)。 |
DIA-304-1982-09-16-2 | パキスタン | 1982年09月16日 | 1980年代 | マハブーブ計画委副委員長は記者会見で83年7月からの第6次5カ年計画の骨子を説明。目標経済成長率は年率6~7%,農業は5%,工業は10%。 |
DIA-304-1982-09-19-1 | パキスタン | 1982年09月19日 | 1980年代 | バルーチスタン州知事,イスラーム同胞団パ支部のパンフレット押収を命令。 |
DIA-304-1982-09-20-1 | パキスタン | 1982年09月20日 | 1980年代 | 20日付Jasarat紙によれば,現在の社会悪撲滅キャンペーンでパンジャーブ州だけで4000人逮捕。 |
DIA-304-1982-09-21-1 | パキスタン | 1982年09月21日 | 1980年代 | ジア大統領,外人記者団と会見。(1)パはいかなる核実験も行う意図はない。核実験に平和目的があろうはずがない。(2)中国がパに核開発の原料を供給しているとの西側情報は誤っている。(3)77年の総選挙延期は政治家たちの要求による。79年にも総選挙を実施しようとしたがほとんどの主要政党が棄権を決定したのだ。 |
DIA-304-1982-09-22-1 | パキスタン | 1982年09月22日 | 1980年代 | パの22日付Jang紙によると,米政府スポークスマンは最近,中国がパ,南アフリカ,アルジェンチンの核開発に協力していると語る。 |
DIA-304-1982-09-22-2 | パキスタン | 1982年09月22日 | 1980年代 | 国連総会出席のため訪米中のヤクーブ外相はニューヨークで22~30日の間,デクエヤル国連事務総長,ラーオ・インド外相等々と会談。22日,ワシントンでシュルツ米国務長官と会談。 |
DIA-304-1982-09-22-3 | パキスタン | 1982年09月22日 | 1980年代 | 大量の武器弾薬をパに密輸入したパ在住米人逮捕。 |
DIA-304-1982-09-22-4 | パキスタン | 1982年09月22日 | 1980年代 | 陸軍中将ファズル・ハック西北辺境州知事,「巡礼のため」サウジアラビア訪問。 |
DIA-304-1982-09-23-1 | パキスタン | 1982年09月23日 | 1980年代 | スパイヤーズ駐パ米大使に暗殺の脅迫状。 |
DIA-304-1982-09-24-1 | パキスタン | 1982年09月24日 | 1980年代 | カラチの米総領事,ブグティー元バルーチスタン州知事およびシェール・ムハンマド・マリー(マリー部族長)に会見。 |
DIA-304-1982-09-25-1 | パキスタン | 1982年09月25日 | 1980年代 | ロンドンのPPP筋によると,最近欧州各地で開かれた同党大会で党内対立の深刻化が目立った(Dawn,9/26)。 |
DIA-304-1982-09-27-1 | パキスタン | 1982年09月27日 | 1980年代 | ジア大統領は,公共財産破損犯に死刑を適用する戒厳令規則第53号を布告。 |
DIA-304-1982-10-01-1 | パキスタン | 1982年10月01日 | 1980年代 | 国連総会出席のため渡米中のヤクーブ外相はグロムイコ・ソ連外相とアフガニスタン問題,2国間問題などで会談。6~8日,ワシントンでパーシー上院外交委員会委員長,ワインバーガー国防長官,ヘイグ元国務長官,シュレジンジャー元国防長官と会談。 |
DIA-304-1982-10-02-1 | パキスタン | 1982年10月02日 | 1980年代 | フールシード・ジャムー・カシミール解放連盟(JKLL)委員長,記者会見。(1)カシミールとアフガニスタンの問題は同一だ。全ての外国軍は同地域から撤退すべきだ。(2)パ側カシミール政府は人民の支持を失った。 |
DIA-304-1982-10-03-1 | パキスタン | 1982年10月03日 | 1980年代 | 来訪中のユースフ・ハルーン元西パ州知事(在米),ジア大統領に会見。12日,突然のイギリス行きまでヌスラットPPP党首等々の政治家に会見。9日の記者会見で,(1)73年憲法に基づく総選挙により民主主義を守りたい,(2)総選挙を可能ならしめるために単一綱領で全政治家の合意をとりつけたい,と語る。 |
DIA-304-1982-10-04-1 | パキスタン | 1982年10月04日 | 1980年代 | ジア大統領,全国紙誌編集長たちと会見。(1)テロリストは近隣諸国で訓練を受けてからパに潜入,(2)テロリストは公開処刑とされよう,(3)最近のテロ活動高揚は現政権に対する国民の不満の表われではない。 |
DIA-304-1982-10-05-1 | パキスタン | 1982年10月05日 | 1980年代 | 5日付Jang紙によれば,最近逮捕されたテロリストが「リビアで30人の仲間とともにパのハーリド・ウスマーン元准将とバングラデシュのラシード大佐に訓練を受けた」と自白。ラシード大佐はバングラデシュのジア・ウル・ラーマン大統領(当時)の殺害に関与しているといわれる(POT-P,10/7)。 |
DIA-304-1982-10-06-1 | パキスタン | 1982年10月06日 | 1980年代 | パ政府は,アフガニスタン仕込みのテロリストがインド経由でパに侵入しているがインドに彼らの訓練所はないとしている(POT-P,10/9)。 |
DIA-304-1982-10-09-1 | パキスタン | 1982年10月09日 | 1980年代 | ジア大統領は第4回連邦評議会開会後の記者会見で,非合法諸政党指導者たちと常に連絡をとってはいるが挙国一致内閲を組織するつもりはないと言明。 |
DIA-304-1982-10-11-1 | パキスタン | 1982年10月11日 | 1980年代 | ガンディー・インド首相,パの11日付Amn紙と会見。(1)印パ友好関係発展は不可避,(2)いかなる国も自衛のための武器購入権を有するがインド亜大陸の勢力均衡が破れてはならない,(3)ソ連はアフガンが対ソ侵略基地として使用されないとの保証を得たいだけなのだ。 |
DIA-304-1982-10-11-2 | パキスタン | 1982年10月11日 | 1980年代 | ジア大統領,カラチで記者会見。(1)最近の中国はアフガニスタン問題で硬直しているとの見方は正しくない,(2)最近の湾岸協力評議会(GCC)でのスルターン・サウジアラビア外相による合同軍事戦略提案に完全に賛成する,(3)パは(ペルシャ)湾岸地域に属する。 |
DIA-304-1982-10-11-3 | パキスタン | 1982年10月11日 | 1980年代 | ヤクーブ外相はワシントンでPPI通信との会見で,ソ連のアフガニスタン問題に対する態度はその政治解決に希望を抱かせるものだと言明(POT-P,10/15)。 |
DIA-304-1982-10-12-1 | パキスタン | 1982年10月12日 | 1980年代 | ハルーン内相連邦評議会で報告。(1)政府は軍人を含む計150人以上のテロ撲滅隊(複数)を編成した。(2)今までテロリスト650人を逮捕。(3)テロリストたちは外国諸勢力の支援を得てパ政府の転覆のみならずパ国家のイデオロギー基盤を変えようとしている。 |
DIA-304-1982-10-13-1 | パキスタン | 1982年10月13日 | 1980年代 | ハキーム・サイード大統領伝統医学顧問辞任。 |
DIA-304-1982-10-15-1 | パキスタン | 1982年10月15日 | 1980年代 | 「専門経済学者討論グループ」(EDGE)主催の「パの新社会・経済体制」討論会がラホールで開かれ(~16日),マハブーブ計画委員会副委員長が83年7月開始の第6次5カ年計画の11優先分野を説明。 |
DIA-304-1982-10-15-2 | パキスタン | 1982年10月15日 | 1980年代 | S・O・テルミサニー・ムスリム同胞団指導者,来訪,ジア大統領に会見。 |
DIA-304-1982-10-15-3 | パキスタン | 1982年10月15日 | 1980年代 | パ政府はインド政府に対し,「ブット」という芝居の上演禁止を要請。 |
DIA-304-1982-10-16-1 | パキスタン | 1982年10月16日 | 1980年代 | ジア大統領,BBC放送と会見。(1)最近ソ連がパに対し,同国がパの安全を保証する安全保障条約を提案してきたが拒否した。(2)イスラーム体制と戒厳令は矛盾しない,(3)私は神によって政権の座につけられた。 |
DIA-304-1982-10-17-1 | パキスタン | 1982年10月17日 | 1980年代 | ジア大統領,中国,北朝鮮訪問―17日の歓迎宴で趙中国首相は,民族独立と国家主権を守るためのパの正義の闘争を断固支持すると言明。ジア大統領は印パ関係と中印関係の改善に期待を表明。18日,計6時間に及ぶ2度のジア・趙会談。同日ジア大統領,記者会見。(1)アフガニスタン問題早起解決の見通しはまだない。(2)中ソ関係改善に期待。19日,ジア・鄧小平会談。同日,ジア・胡耀邦総書記会談。20~23日,西安,上海,桂林を見学。23日,初の北朝鮮訪問。23~25日,3度のジア・金日成会談。26日,帰国。 |
DIA-304-1982-10-18-1 | パキスタン | 1982年10月18日 | 1980年代 | パ,国連安全保障理事会非常任理事国に選出。 |
DIA-304-1982-10-20-1 | パキスタン | 1982年10月20日 | 1980年代 | ジア大統領,米APA通信と会見。(1)ソ連軍が撤退し,アフガニスタンが自由で中立的で親ソ的なイスラーム国家になれば問題は解決。(2)ソ連軍のアフガニスタン占領をア・ソ両国,アフガン自由戦士,イラン,パ,中,米で討議したい。(3)パは中ソ間の公分母だ。 |
DIA-304-1982-10-23-1 | パキスタン | 1982年10月23日 | 1980年代 | ジア大統領は北京での記者会見で,(1)総選挙は間近だ,(2)現政権は地方レベルで代議制を育成したのだからパ過去35年の歴史で最も民主的だ,と語る。 |
DIA-304-1982-10-24-1 | パキスタン | 1982年10月24日 | 1980年代 | ジア戒厳令総司令官は,強盗,テロリスト等を隠匿した者を死刑とする戒厳令規則第54号を布告。 |
DIA-304-1982-10-24-2 | パキスタン | 1982年10月24日 | 1980年代 | リビアのカダフィー大佐は訪中の途次,事前の連絡に反してカラチに立ち寄らず,パの陸軍中将アッバースィー・スィンド州知事等が待ちぼけを食った。 |
DIA-304-1982-10-31-1 | パキスタン | 1982年10月31日 | 1980年代 | パ政府,インド提案の友好条約は印ソ間の平和友好協力条約と同類だとして態度保留を表明。 |
DIA-304-1982-10-31-2 | パキスタン | 1982年10月31日 | 1980年代 | カラチで法律家1000人,憲法回復等要求でデモ。 |
DIA-304-1982-11-01-1 | パキスタン | 1982年11月01日 | 1980年代 | ジア大統領,インド立寄り―東南アジア諸国歴訪の途次ニューデリーで1時間にわたりガンディー首相と会談。ジア大統領初の訪印で,パ大統領訪印は10年ぶり。会談後,共同新聞発表。(1)両国合同委員会設置で合意,(2)パ提案の印パ不可侵条約およびインド提案の平和友好条約の協議継続で合意,等。なお,共同新聞発表ではカシミール帰属問題やアフガニスタン問題に言及していないが,意見交換は行われたもよう。同1日,パのAPP通信社とインドのPTI通信社間のテレプリンター・リンク開設。 |
DIA-304-1982-11-01-2 | パキスタン | 1982年11月01日 | 1980年代 | ジア大統領,ASEAN諸国歴訪(フィリピンを除く)―非同盟運動,国際経済間題,アフガニスタン問題,カンプチア問題,相互経済協力が主要議題。1日,インド立寄り後タイに1泊の立寄り,プレム首相と会談。2~6日,インドネシア。3日,スハルト大統領と会談。同日記者会見で,インドネシアとの外交関係回復を望む旨の中国の伝言をスハルト大統領に伝えたとのうわさを否定,また,印パ会談がASEANタイプの南アジア機構結成につながることを期待すると談。5日の記者会見で,(1)ソ連はアフガンからの撤兵を示唆してきた,(2)ソ連が友好国としてのアフガンを望むのを拒否することはできない,と談。6日,共同コミュニケ。6~10日,初のマレーシア訪問。8~9日,マハティル首相と2度の会談。8日の記者会見でジア大統領は,私はパ国民に多少の安定を与えることはできたがまだ(新たな)体制を与えることができずにいる,と談。9日の記者会見でジア大統領はパの英連邦復帰に反対ではないと言明。同席のヤクーブ・パ外相は,国連主催下にジュネーブで始ったアフガン問題会議には一筋の光明が感じられる,と談。10日,共同コミュニケ。11日,シンガポールで李光耀首相と会談,双方は南西アジアと東南アジ |
DIA-304-1982-11-03-1 | パキスタン | 1982年11月03日 | 1980年代 | レーガン米大統領はジア大統領に,ヌスラットPPP党首の病気治療のための海外渡航許可を要請。 |
DIA-304-1982-11-05-1 | パキスタン | 1982年11月05日 | 1980年代 | ガッファール・ハーン,再びアフガニスタン政府と反政府勢力との調停を申し出。 |
DIA-304-1982-11-06-1 | パキスタン | 1982年11月06日 | 1980年代 | ハリアナ州商工会議所会頭以下の貿易代表団,来訪。インド民間部門代表団としては25年ぶりの訪パ。 |
DIA-304-1982-11-06-2 | パキスタン | 1982年11月06日 | 1980年代 | 当局発表では現在のアフガン難民278万9952人中10万人が西北辺境州とバルーチスタン州以外に居住。 |
DIA-304-1982-11-08-1 | パキスタン | 1982年11月08日 | 1980年代 | イスラーム神学者協会(JUI),ムフティー・マハムード派とダルフワスティー派に分裂。 |
DIA-304-1982-11-10-1 | パキスタン | 1982年11月10日 | 1980年代 | 政治家たちは過去5カ月間,諸政党円卓会議開催努力を続けてきたが,実行委員会議長のJUP書記長は10日,カラチで16政党35人を集めて開催予定であった円卓会議の無期延期を発表。MRD8政党が宣言案で意見調整ができず,8政党中5政党が宣言案署名を拒否し,イスラーム神学者協会(JUI),JI,PML-Pの3党が会議参加を拒否していた。 |
DIA-304-1982-11-13-1 | パキスタン | 1982年11月13日 | 1980年代 | ザファルル・ハック情報相,リビア訪問。 |
DIA-304-1982-11-14-1 | パキスタン | 1982年11月14日 | 1980年代 | ジア大統領,訪ソ―ブレジネフ書記長葬儀列席のため。15日,アンドロポフ新書記長と会談。ヤクーブ,グロムイコ両外相同席。同日朝,米のブッシュ副大統領とシュルツ国務長官がジア大統領訪問。16日,帰国後記者会見。(1)アンドロポフ書記長との会談は非常に有益だった。アフガニスタン間題でソ連の姿勢に若干の新味と柔軟性があった。(2)ソ連軍撤退後のソ連の安全の保証を確実にするための多国間会議をやるという私の構想は持ち出さなかった。(3)双方は意見交換に非常に熱心だった。 |
DIA-304-1982-11-15-1 | パキスタン | 1982年11月15日 | 1980年代 | イブラヒーム・パ側カシミール元大統領,同地では政治犯500人が獄中にあり,1000人に逮捕状が出ていると言明。16日,カシミール政府はこれを否定。 |
DIA-304-1982-11-17-1 | パキスタン | 1982年11月17日 | 1980年代 | パンジヤーブ州政府,同州の連邦評議会議員全員を「治安判事」に任命する方針を決定。 |
DIA-304-1982-11-17-2 | パキスタン | 1982年11月17日 | 1980年代 | パ国鉄はクエッタとイランのザーヘダーン間の鉄道輸送力強化計画を策定。 |
DIA-304-1982-11-20-1 | パキスタン | 1982年11月20日 | 1980年代 | ヌスラット・ブットPPP党首,肺癌の疑いで治療のため西独へ。カラチ空港には支持者1万人が集った。ヌスラット女史は去る16日,息女ベーナズィールをPPP党首代行に任命していたが,19日,ベ女史は自らを長とする12人編成のPPP運営委員会を組織した。 |
DIA-304-1982-11-20-2 | パキスタン | 1982年11月20日 | 1980年代 | ヤクーブ外相,イラン訪問―テヘラン到着後の記者会見で,パによる米兵器購入は両国間の強い軍事的関係を意味しないと言明。20日,ヴェラーヤティー外相と会談。ヤ外相は会談において,ペルシャ湾の安全はムスリム諸国にとって非常に重要だと語り,ヴェ外相は両国関係拡大を希望したといわれる。22日の共同声明は全イスラーム諸国の団結強化,ペルシャ湾岸地域への外国兵力の介入反対などをうたっている。 |
DIA-304-1982-11-23-1 | パキスタン | 1982年11月23日 | 1980年代 | ジア大統領は最近インドUPI通信と会見。(1)パは100メガワットの原発建設に外国の助力を歓迎。(2)アンドロポフ・ソ連書記長の15日の発言は秘密だ。(3)ソ連はアフガニスタンで赤軍小型版創設に尽力している。(4)ソ連はアフガニスタンの軍事施設を強固に掌握したがソ連軍の早期撤退はあるまい(POT-P,11/25)。 |
DIA-304-1982-11-30-1 | パキスタン | 1982年11月30日 | 1980年代 | 中央銀行年次報告書81/82年版,出来。 |
DIA-304-1982-12-01-1 | パキスタン | 1982年12月01日 | 1980年代 | アブドゥル・アズィーズ・サウジ国防相来訪。 |
DIA-304-1982-12-03-1 | パキスタン | 1982年12月03日 | 1980年代 | ヌスラットPPP党首,パでJIの戦闘的ムスリムたちが武力による政権奪取を企図と警告。 |
DIA-304-1982-12-04-1 | パキスタン | 1982年12月04日 | 1980年代 | パが米から購入のF-16戦闘爆撃機40機中最初の6機は11月19日にパに向けて離陸の予定であったが,本日の協定調印により配送は83年1月中旬となる(サウジ経由)。この協定は米の妥協により,パ向けF46に最新式レーダー“ALR69”を装備することを骨子とする。残る34機は前記6機配送後27カ月内にパに配送。 |
DIA-304-1982-12-04-2 | パキスタン | 1982年12月04日 | 1980年代 | フセイン・ヨルダン国王以下のアラブ連盟代表団,ソ連より訪中の途次パに立寄り(~5日)。 |
DIA-304-1982-12-05-1 | パキスタン | 1982年12月05日 | 1980年代 | ジア大統領,5日発売の米U.S.N.&.W.R.誌と会見。(1)パはアフガニスタン問題についてソ連軍撤退,ア難民の名誉ある帰国,アの中立国としての地位回復,ア国民による政府選択権という4原則では妥協しないがソ連が非常に親ソ的なアを持つことに異議はない。(2)アを本拠とするテロ集団を全面的にソ連が支援。 |
DIA-304-1982-12-05-2 | パキスタン | 1982年12月05日 | 1980年代 | ジア大統領は訪米の途次スイスで記者会見,私はカリフ時代のイスラーム体制をパに導入したいと語る。 |
DIA-304-1982-12-06-1 | パキスタン | 1982年12月06日 | 1980年代 | ジア大統領,米およびカナダ訪問―6日,シュルツ国務長官と会談。両国は合同閣僚委員会の設立協定に調印。7日,パ・米首脳会談。ジア大統領はレーガン米大統領に対し,11月のアンドロポフ・ソ連新書記長との会見について説明。両首脳はアフガン問題で変化が起こると語るのは時期尚早との見方で一致したもよう。また,ジア大統領が32億ドルの軍事・経済包括援助の早期実施の要請に対しレーガン大統領は全力を尽くすと約束。核開発についてはジア大統領はパの平和目的核開発の権利を強調。米国務省筋によるとこの他,パから欧米への麻薬流入の問題,印パ関係,中東間題等が討議されたもよう。なお,ジア大統領は6~8日,この他にブッシュ副大統領,ワインバーガー国防長官,ニクソン元大統領,カーター元大統領,有力上院議員,有力下院議員,財界有力者等々と会見,数々の記者会見や各地での演説を行った。9日,ニューヨークでデクエヤル国連事務総長と会談。11日,ニューヨークでヤクーブ外相,グロムイコ・ソ連外相会談。15日,カナダへ。17日,トルードー・カナダ首相と核開発協力等で会談。18日,ワシントンへ。健康診断後,「流感」で休養。26日帰国。 |
DIA-304-1982-12-08-1 | パキスタン | 1982年12月08日 | 1980年代 | 米国防総省は緊急展開部隊(RDF)に代えて1月1日付で中東軍統合司令部を創設と発表。国防総省高官によるとその管轄地域はパ,アフガニスタン,イランなどの西南アジア,ペルシャ湾岸諸国,紅海沿岸諸国。 |
DIA-304-1982-12-08-2 | パキスタン | 1982年12月08日 | 1980年代 | ジア大統領,ワシントンの全国記者クラプで演説と質疑応答。(1)アンドロポフ・ソ連書記長は丁寧だが命令口調だった。彼は肉体的に少々老けていた。(2)同書記長はアフガニスタン問題をきわめて強く憂慮していた。(3)アフガニスタンからのソ連の早期撤兵はあるまい。(4)パはインドに双方核施設の合同査察制度確立を提案。 |
DIA-304-1982-12-09-1 | パキスタン | 1982年12月09日 | 1980年代 | ソ連のタス通信,ジア大統領訪米を非難。 |
DIA-304-1982-12-12-1 | パキスタン | 1982年12月12日 | 1980年代 | エヴレン・トルコ大統領,訪中途次カラチ1泊の立寄り。25日も立寄り(~26日)。 |
DIA-304-1982-12-12-2 | パキスタン | 1982年12月12日 | 1980年代 | ジア大統領,NBCテレビと会見(12日放送)。(1)(アフガニスタンにソ連軍が展開するなかでパ軍の大半bulkをインドとの国境沿いに配備している理由を間われて)西部国境には軍事的インフラの問題がある。F-16戦爆入手後は越境してくるミグに対処し得るが,必要とあらばためらわずに軍を西部国境に移転させる。(2)時はソ連に味方している。(3)米の中東軍統合司令部に基地を使用させる計画はないし,当分は緊急展開部隊(RDF)を必要としてもいない。 |
DIA-304-1982-12-12-3 | パキスタン | 1982年12月12日 | 1980年代 | ヌスラットPPP党首はパリでパのNawa-e-Waqt紙と会見。(1)AZを非難したことはない,(2)歴史が示すように,かつてテロリストとの烙印を押された人々は時とともに国民に歓迎される統治者となった。 |
DIA-304-1982-12-17-1 | パキスタン | 1982年12月17日 | 1980年代 | 米国務省スポークスマンは,ソ連の17日付『プラウダ』紙がソ連にはアフガン・ゲリラを追ってパに越境する権利があると暗示したと明らかにした。 |
DIA-304-1982-12-18-1 | パキスタン | 1982年12月18日 | 1980年代 | ジア大統領,オタワで記者会見。(1)軍が選出された国民の代表とともに憲法上の恒久的役割を持つ体制を必ず確立する,(2)それは軍が国民の代表を支配することではない。私はトルコ型の軍の役割を考えているのではなく,選出された国民の代表に安定させたいのだ。 |
DIA-304-1982-12-18-2 | パキスタン | 1982年12月18日 | 1980年代 | パ側カシミール元大統領イブラヒーム自由カシミール人民党(AKPP)指導者は,カシミールの印パ間支配領域ライン(LAC)を恒久的国境として承認することはパの存在自体の否定につながると警告。 |
DIA-304-1982-12-20-1 | パキスタン | 1982年12月20日 | 1980年代 | 趙紫陽中国首相,カラチに立寄り。 |
DIA-304-1982-12-21-1 | パキスタン | 1982年12月21日 | 1980年代 | サウジ海軍司令官(准将),来訪。 |
DIA-304-1982-12-24-1 | パキスタン | 1982年12月24日 | 1980年代 | ニューデリーでの印パ外務次官会議で,両国問題協議のための合同委員会設置協定に仮調印。 |
DIA-304-1982-12-25-1 | パキスタン | 1982年12月25日 | 1980年代 | イラン内相,来訪(~31日)。26日,相互の国境地域監視のための合同委員会設置を提案。 |
DIA-304-1982-12-26-1 | パキスタン | 1982年12月26日 | 1980年代 | シャティーOIC事務総長,来訪(~30日)。 |
DIA-304-1982-12-27-1 | パキスタン | 1982年12月27日 | 1980年代 | サウジ国軍幕僚長,来訪(~1月2日)。 |
DIA-304-1982-12-27-2 | パキスタン | 1982年12月27日 | 1980年代 | 日本紡績協会,パおよび韓国綿糸に対するダンピング関税および相殺関税を課すよう大蔵省に提訴。 |
DIA-304-1982-12-28-1 | パキスタン | 1982年12月28日 | 1980年代 | パ空軍はエグゾセ対艦ミサイル装備のミラージュ5型23機(数年前成約)を入手。同日,シャミーム空軍参謀長はパ西部海岸地域に空港(複数)新設中と談。 |
DIA-304-1983-01-01-1 | パキスタン | 1983年01月01日 | 1980年代 | パキスタン、国連安保理非常任理事国に就任。 |
DIA-304-1983-01-02-1 | パキスタン | 1983年01月02日 | 1980年代 | インドのPTI電は、パキスタンが先頃イタリア、アメリカから高技術電子戦闘装備を入手し、さらにフランス、スウェーデンなどから高性能ミサイル購入交渉を進め、契約も近いと信じられていると伝えた。 |
DIA-304-1983-01-02-2 | パキスタン | 1983年01月02日 | 1980年代 | 2日付の英有力紙オブザーバーは、パキスタンの極めて信頼すべき筋の情報として、同国がアメリカの警告を受け入れて核実験計画を無期延期したと報じた。 |
DIA-304-1983-01-02-3 | パキスタン | 1983年01月02日 | 1980年代 | サウジアラビアのM・サレ・アルハンマド一般幕僚長、1週間の訪パを終えてバングラデシュへ。 |
DIA-304-1983-01-03-1 | パキスタン | 1983年01月03日 | 1980年代 | パキスタンの3日付Jang紙は、1982年12月24日付Times of India紙を引用して、アメリカはパキスタンのペシャーワルおよびイスラマバードに特殊電子監視施設を獲得することになっており、エジプト在留の電子モニター通信監査専門家たちがパキスタン行きのために待機を命じられたと報じた。 |
DIA-304-1983-01-05-1 | パキスタン | 1983年01月05日 | 1980年代 | ユースフ・ハールーン元西パキスタン州知事は現在の在住地アメリカから来訪、「パキスタンを現在の危機から救うために尽力する」と語った。1月19日、ジア・ウル・ハック大統領に会見。 |
DIA-304-1983-01-05-2 | パキスタン | 1983年01月05日 | 1980年代 | 全国民主党(NDP)指導者アブドゥル・ワリー・ハーンはカラチで記者会見。武装アフガン難民が徐々にパキスタンの国内政治に巻き込まれてきており、放置すればパキスタンは内戦に直面しようと語り、民主政治の回復が内戦回避の最善の策だと強調。 |
DIA-304-1983-01-06-1 | パキスタン | 1983年01月06日 | 1980年代 | バルーチスタン州サーリアーブの天然ガス・パイプライン・プロジェクト完成。これでスイ・ガス田の天然ガスが初めて同州住民に供給される。 |
DIA-304-1983-01-07-1 | パキスタン | 1983年01月07日 | 1980年代 | 米連邦金融銀行、対パキスタン1億5000万㌦借款供与協定に調印(武器購入用)。 |
DIA-304-1983-01-08-1 | パキスタン | 1983年01月08日 | 1980年代 | ヤークーブ・ハーン外相、オマーン(8~10日)、バハレーン(10~12日)を歴訪―3月予定の非同盟諸国会議での協調、イラン・イラク紛争、アフガニスタン問題、イスラーム諸国団結、(ペルシャ)湾岸地域への外国の干渉の排除などを話し合った。両国それぞれと経済協力などに関し合同委員会設置で合意。 |
DIA-304-1983-01-09-1 | パキスタン | 1983年01月09日 | 1980年代 | 閣議、麻薬(ヘロイン)使用者に対する刑罰強化を決定(徴役2年~終身刑)。 |
DIA-304-1983-01-09-2 | パキスタン | 1983年01月09日 | 1980年代 | 政府は石油および国内産天然ガス価格の平均15%引上げを発表。 |
DIA-304-1983-01-11-1 | パキスタン | 1983年01月11日 | 1980年代 | 外務省は改めてエジプトにパキスタン大使を赴任させる(2年間不在だった)と決定。 |
DIA-304-1983-01-12-1 | パキスタン | 1983年01月12日 | 1980年代 | 国際原子力機関(IAEA)は、パキスタンがカラチ原子力発電所の査察強化を受諾と発表。 |
DIA-304-1983-01-15-1 | パキスタン | 1983年01月15日 | 1980年代 | 政府筋は15日、ジア大統領がクエッタで、私的にパキスタン滞在中のサウジアラビア国防相(スルターン・ビン・アブドゥル・アジーズ王子)と「相互に関心のある問題」で協議したと発表した。同国防相は29日帰国。 |
DIA-304-1983-01-17-1 | パキスタン | 1983年01月17日 | 1980年代 | 印パ次官会談―ナトワール・シン・インド外務次官が来訪し、18~19日ニヤーズ・ナーイク外務次官とパキスタン提案の印パ不可侵条約、インド提案の印パ平和友好協力条約、3月予定の非同盟諸国会議などについて第2回外務次官会談を開いた。19日の共同声明によると、印パ合同委員会設置に関連して3小委員会を設置するなどの点で合意。 |
DIA-304-1983-01-19-1 | パキスタン | 1983年01月19日 | 1980年代 | パキスタンのJang紙によると、ソ連のタシュケント放送は米紙を引用、アメリカはパキスタンに軍事専門家2500人を派遣しようとしていると報じた。 |
DIA-304-1983-01-20-1 | パキスタン | 1983年01月20日 | 1980年代 | 「自由カシミール」(Azad Kashmir―パキスタン側カシミール)大統領にアブドゥル・ラハマーン・ハーン退役陸軍少将、任命さる(2月1日就任)。前任のM・ハヤート・ハーン准将は軍務に復帰。 |
DIA-304-1983-01-23-1 | パキスタン | 1983年01月23日 | 1980年代 | コルドベス国運事務総長特使、来訪(アフガニスタンの項参照)。24、25両日、ヤークーブ・バーン外相と会談。25日夜、ジア大統領に会見。27日、アフガニスタンへ。 |
DIA-304-1983-01-24-1 | パキスタン | 1983年01月24日 | 1980年代 | アメリカ政府高官W・ジョンソンがパキスタン人民党(PPP―以下、政党はすべて非合法)のムムターズ・A・ブットおよびA・H・ピールザーダに会見。これより先、パキスタン・ムスリム連盟ハイルッディン派(PML―K)、パキスタン全国民主党(NDP)政治家とも会見。27日にはペシャーワルのアメリカ領事がNDP指導者ワリー・ハーンに会見。 |
DIA-304-1983-01-24-2 | パキスタン | 1983年01月24日 | 1980年代 | ジア大統領、「オンブズマン(Wafaqi Mohtasib)設置令1983年」を布告。 |
DIA-304-1983-01-27-1 | パキスタン | 1983年01月27日 | 1980年代 | F-16、引渡し―パキスタンがアメリ.カから購入するF-16戦闘機40機のうち最初の6機がサルゴーダ空軍基地で引き渡された(3機は15日到着)。残る34機は85年9月までに引き渡される予定。 |
DIA-304-1983-01-28-1 | パキスタン | 1983年01月28日 | 1980年代 | A・S・シャガリ・ナイジェリア大統領、来訪(~31日)―28日、ジア大統領と会談。 |
DIA-304-1983-02-01-1 | パキスタン | 1983年02月01日 | 1980年代 | 1月31日にアフガニスタンから戻ったコルドベス国連事務総長特使は2月1日、ヤークーブ外相と会談。3日、同特使は再びアフガニスタンへ。 |
DIA-304-1983-02-01-2 | パキスタン | 1983年02月01日 | 1980年代 | パンジャーブ州は初等教育普及計画の一環としてモスク学園4000校設置予定。 |
DIA-304-1983-02-01-3 | パキスタン | 1983年02月01日 | 1980年代 | ナイフ・ビン・アブドゥル・アジーズ・サウジアラビア内相、来訪。同日、M・A・ハールーン内相およびジア大統領と会談。 |
DIA-304-1983-02-02-1 | パキスタン | 1983年02月02日 | 1980年代 | 北西辺境州のアフガン難民1万5000人をパンジャーブ州へ移転。現在の登録難民は北西辺境州215万、バルーチスタン州68万。 |
DIA-304-1983-02-02-2 | パキスタン | 1983年02月02日 | 1980年代 | 2日付Dawn紙は、シンド州警察が1億3000万ルピーの予算で高性能武器を装備の計画と報道。 |
DIA-304-1983-02-03-1 | パキスタン | 1983年02月03日 | 1980年代 | イスラマバードでパキスタン・北朝鮮合同経済委員会第1回会議(~6日)。 |
DIA-304-1983-02-03-2 | パキスタン | 1983年02月03日 | 1980年代 | 3日発行の国際アムネスティ報告書はパキスタンの政治犯の数を「数千人」としている。 |
DIA-304-1983-02-04-1 | パキスタン | 1983年02月04日 | 1980年代 | 米政府、1984米会計年度の対パキスタン援助増(4億7500万㌦→5億2500万㌦)を議会に提案。83年度には軍事援助2億7500万㌦および経済援助2億㌦をコミット済み。 |
DIA-304-1983-02-04-2 | パキスタン | 1983年02月04日 | 1980年代 | ベラヤティ・イラン外相、北朝鮮訪問途次イスラマバードに2時間立ち寄り、ヤークーブ外相とアフガニスタン問題などを協議。 |
DIA-304-1983-02-04-3 | パキスタン | 1983年02月04日 | 1980年代 | 1月28日の北カラチでのシーア派モスク焼打ちに抗議してシーア派数千人の座り込み(~6日)。 |
DIA-304-1983-02-05-1 | パキスタン | 1983年02月05日 | 1980年代 | タパ・ネパール首相、来訪(~8日)。 |
DIA-304-1983-02-06-1 | パキスタン | 1983年02月06日 | 1980年代 | カラチのサウジ領事館が総領事に昇格。 |
DIA-304-1983-02-06-2 | パキスタン | 1983年02月06日 | 1980年代 | PPPなど8政党(政党はすべて非合法)から成る「民主回復運動」(MRD)、カラチで「民主主義の日」挙行。12項目決議案を採択。 |
DIA-304-1983-02-07-1 | パキスタン | 1983年02月07日 | 1980年代 | タールプル国防相は第5回連邦評議会(FC)で、政府はペシャワールの空軍司令部を4月から徐々にイスラマバードに移転することに決定と言明。 |
DIA-304-1983-02-08-1 | パキスタン | 1983年02月08日 | 1980年代 | 海軍はアラビア海で大規模演習。 |
DIA-304-1983-02-08-2 | パキスタン | 1983年02月08日 | 1980年代 | シンド州ハイルプル・ナターンの学生同士の衝突でシンド人民学生連盟(SPSF)の2人が死亡。 |
DIA-304-1983-02-08-3 | パキスタン | 1983年02月08日 | 1980年代 | シャムスード・ドーハー・バングラデシュ外相、来訪(~11日)。 |
DIA-304-1983-02-10-1 | パキスタン | 1983年02月10日 | 1980年代 | ジア大統領は、記者会見で、総選挙を政党ベースで行なうとすれば再度の政党登録が必要だと述べた。 |
DIA-304-1983-02-11-1 | パキスタン | 1983年02月11日 | 1980年代 | 11日付Muslim紙によると、パンジャーブ大学などパンジャーブ州各地の総合大学やカレッジの学生自治会選挙でイスラーム結社(JI)系のイスラーム学生協会(JTI)が敗北しているという。 |
DIA-304-1983-02-12-1 | パキスタン | 1983年02月12日 | 1980年代 | 政府のイスラーム・イデオロギー評議会(IIC)はイスラーム教義に基づく「証言法」を連邦評議会に上呈しようとしているが、12日、ラホールで「女性差別」だとする婦人たちのデモ。警官隊の催涙弾と警棒で13人以上が負傷。 |
DIA-304-1983-02-13-1 | パキスタン | 1983年02月13日 | 1980年代 | パキスタンのPPI通信は権威筋情報として、ヌスラット・ブットPPP党首(故ブット前首相夫人。フランスで肺癌治療中)がパリでイランのパーレピ前国王の軍最高司令官アーリアーナ大将と会談したと報道。 |
DIA-304-1983-02-13-2 | パキスタン | 1983年02月13日 | 1980年代 | 検察当局が、83年7月1日のカラチ大学キャンパス内殺人事件の容疑者(JTI学生)の提訴を撤回したため、JTIは43日間に及んだデモ・集会を停止。 |
DIA-304-1983-02-14-1 | パキスタン | 1983年02月14日 | 1980年代 | ヤークーブ・ハーン外相、ヨルダン(14~18日)、イラク(18~19日)歴訪へ―14日、クウェートに立寄り、アハマッド・アル・サバ外相と3月の非同盟会議などについて協議。ヨルダンではマルワーン・アル・カーシム外相などと会談の他、フセイン国王と会見。イラクではターリク・アジーズ外相と会談の他、フセイン大統領と会見。帰国後の記者会見で、パキスタンはフェズ・サミットのアラブ和平計画を支持と言明。 |
DIA-304-1983-02-16-1 | パキスタン | 1983年02月16日 | 1980年代 | 中国製A-5支援戦闘機1飛行中隊(6機)のパキスタン空軍への引渡し完了。シャミーム空軍参謀長によれば、パキスタン空軍は3飛行中隊分のA-5機取得を計画(A-5はミグ-19の改良型機)。 |
DIA-304-1983-02-17-1 | パキスタン | 1983年02月17日 | 1980年代 | I・ハック・ハーン公共事業相、辞任。 |
DIA-304-1983-02-20-1 | パキスタン | 1983年02月20日 | 1980年代 | エイタン・イスラエル軍参謀総長、イスラエルの港町エイラートから200キロメートルのサウジアラビア西部のタブークにパキスタン軍1個機甲師団が駐留と明らかにした。21日、サウジアラビア国防相、これを否定。 |
DIA-304-1983-02-20-2 | パキスタン | 1983年02月20日 | 1980年代 | 連邦評議会は「カージー法廷設置政令草案、1983年」を全員一致で採択。「カージー」(qazi)はイスラーム法裁判官。 |
DIA-304-1983-02-20-3 | パキスタン | 1983年02月20日 | 1980年代 | M・A・ハーン・オブ・ホーティー教育相は連邦評議会で、反イスラーム的内容を持つ教科書500種が今までに発禁となったと明らかにした。 |
DIA-304-1983-02-22-1 | パキスタン | 1983年02月22日 | 1980年代 | カラチでスンニー派とシーア派が衝突、公式発表で5人死亡、35人負傷。西カラチ全域に外出禁止令(28日撤回)。23日、カラチ市の全教育機関閉鎖(27日再開)。 |
DIA-304-1983-02-26-1 | パキスタン | 1983年02月26日 | 1980年代 | 来訪中のトゴス・トルコ陸軍少将以下6人のトルコ防衛施設製作代表団、ジア大統領と会談。 |
DIA-304-1983-02-27-1 | パキスタン | 1983年02月27日 | 1980年代 | 「ザカート・ウシャル〈改正〉令、1983」布告。 |
DIA-304-1983-03-03-1 | パキスタン | 1983年03月03日 | 1980年代 | 連邦評議会、「証言法政令、1983年」草案を全会一致で採択。 |
DIA-304-1983-03-04-1 | パキスタン | 1983年03月04日 | 1980年代 | コウンチェ・ニジェール大統領、来訪。 |
DIA-304-1983-03-05-1 | パキスタン | 1983年03月05日 | 1980年代 | 3閣僚任命(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1983-03-05-2 | パキスタン | 1983年03月05日 | 1980年代 | ジャトイPPPシンド支部長は記者会見で、MRDは10月予定の地方自治体議会選挙をボイコットしないがPPPとしてはこの件について未定と述べた。’ |
DIA-304-1983-03-07-1 | パキスタン | 1983年03月07日 | 1980年代 | 第7回非同盟諸国首脳会議(ニューデリー、~12日)―ジア・パキスタン大統領一行は6日、ニューデリー入り。9日、ジア大統領演説。(1)この会議がアフガニスタンの勇敢な国民への支持を再確認するものと確信する。(2)印パ両国はジャムー・カシミール問題の正しい解決方法を探らなくてはならない。(3)イラン・イラク紛争解決のためのあらゆる努力を支持する。10日、ジア・パキスタン大統領とガンディ・インド首相、会談(20分)。10日、印パ両国外相は(ガンディー・インド首相とジア・パキスタン大統領同席)印パ合同委員会設置協定に調印。同委員会は両国の懸案事項を協議するためのものである。12日、ジア大統領は帰国後の記者会見で、インド国民はパキスタンに友好的だったと述べた。 |
DIA-304-1983-03-08-1 | パキスタン | 1983年03月08日 | 1980年代 | 北西辺境州政府によると、アフガニスタンからの難民流入数が最近急増、1日平均8000人に達する。 |
DIA-304-1983-03-10-1 | パキスタン | 1983年03月10日 | 1980年代 | アメリカのシャーファー副国務次官補は下院外交委アジア・太平洋小委員会でパキスタンに対する機器(F-16戦闘爆撃機に装備するALR69など)の売却の必要性を強調。 |
DIA-304-1983-03-12-1 | パキスタン | 1983年03月12日 | 1980年代 | 12日付『デイリー・ニューズ』紙によると、ジア大統領はニューデリーで記者会見、あと2~3年はパキスタン元首の地位にとどまると述べた。 |
DIA-304-1983-03-12-2 | パキスタン | 1983年03月12日 | 1980年代 | モイ・ケニア大統領、来訪(~13日)。 |
DIA-304-1983-03-13-1 | パキスタン | 1983年03月13日 | 1980年代 | 『人民日報』、印パ合同委設置協定を称賛。 |
DIA-304-1983-03-14-1 | パキスタン | 1983年03月14日 | 1980年代 | ソ連のバキン組立・特殊建設事業相、来訪。14日記者会見で、ソ連はパキスタンに対しオールラウンドな協力の用意があると言明。17日、ソ連援助によるパキスタン製鉄所の製鋼コンビナートおよびビレット製造工場開所式典出席。19日、ジア大統領に会見。20日、ヤークーブ外相と会談。22日、帰国。 |
DIA-304-1983-03-18-1 | パキスタン | 1983年03月18日 | 1980年代 | フランスで肺癌治療中のヌスラット・ブットPPP党首は18日、ジュネーブからロンドンに入り、4日後パリに戻った(Dawn3/30)。 |
DIA-304-1983-03-18-2 | パキスタン | 1983年03月18日 | 1980年代 | カラチでシーア、スンニー両宗派の武力衝突で7人(公式には2人)死亡。19日、外出禁止令。 |
DIA-304-1983-03-19-1 | パキスタン | 1983年03月19日 | 1980年代 | ファティ・アブ・タレブ・ヨルダン陸軍参謀長、1週間の予定で来訪。 |
DIA-304-1983-03-20-1 | パキスタン | 1983年03月20日 | 1980年代 | パキスタン商工会議所連盟(FPCCI)にカラチで第6次5カ年計画に関するセミナーを開催し、同計画の規模は現実的な3600億ルピー程度にとどめるべきだとの意見を表明。 |
DIA-304-1983-03-21-1 | パキスタン | 1983年03月21日 | 1980年代 | 戦闘的なバルーチ民族主義指導者シェール・ムハンマド・マリー、記者会見。(1)パキスタンにバルーチ、シンディー、パットゥーン、パンジャービーの4民族が存在することを認めよ。(2)選挙は人民の問題の解決策ではない。 |
DIA-304-1983-03-21-2 | パキスタン | 1983年03月21日 | 1980年代 | ハークサール運動(KT)、MRDに加盟。 |
DIA-304-1983-03-21-3 | パキスタン | 1983年03月21日 | 1980年代 | ターリク・カマール・ハーン海軍中将、大将に昇格のうえ、海軍参謀長に就任。 |
DIA-304-1983-03-23-1 | パキスタン | 1983年03月23日 | 1980年代 | ジア大統領のデンマーク放送インタビュー―(1)インドに自由カシミールを要求する権利はない。(2)カシミール問題解決までパキスタンは同問題を国際会議の場に持ち出す権利を有する。 |
DIA-304-1983-03-24-1 | パキスタン | 1983年03月24日 | 1980年代 | ラオ・インド外相はインド下院で、アフガニスタンに対するパキスタンの姿勢は変化しつつあると述べた。28日、ジア・パキスタン大統領、これを否定。 |
DIA-304-1983-03-27-1 | パキスタン | 1983年03月27日 | 1980年代 | ベーナジール・ブットPPP指導者は、ある裁判の被告側証人として特別軍事裁判所で証言の際、次のように発言。(1)パキスタン・イデオロギーは1973年憲法の最初の5カ条に明確に規定されている。これらに違反する者はパキスタン・イデオロギーに害を為す者だ。(2)戒厳令はイスラームに反する。 |
DIA-304-1983-03-27-2 | パキスタン | 1983年03月27日 | 1980年代 | ジア大統領はカラチで、新聞など定期刊行物の事前検閲制を撤回(ただしカラチの新聞を除く)するが「自己検閲」の必要は存続させると述べた。 |
DIA-304-1983-03-28-1 | パキスタン | 1983年03月28日 | 1980年代 | シェイソン・フランス外相、来訪(~30日)―29日、ヤークーブ外相およびイスハーク財政相と会談。シェイソン外相は会談後、記者会見。(1)さまざまな国際問題の他、核技術開発を含む2国間問題を話し合った。(2)いかなる国も平和的利用のための核技術開発の権利を有する。フランスはこの面でパキスタンに協力する。フランスの協力によるパキスタンの核焼料再処理工場建設計画はまだ進められている。フランスはパキスタンの原子力発電所新設に協力する用意がある(パキスタンは首都イスラーマバード南方200キロメートルのインダス川流域のチャシュマに90万キロワットの原発を建設したいとしている。パキスタンはまた、今世紀末までに原発24基を建設する計画を有する)。29日、シェイソン外相はジア大統領に会見(ヤークーブ外相同席)。 |
DIA-304-1983-03-31-1 | パキスタン | 1983年03月31日 | 1980年代 | サワール・ハーン陸軍参謀次長、エジプト訪問(~4月10日)。 |
DIA-304-1983-04-01-1 | パキスタン | 1983年04月01日 | 1980年代 | イスラーマバードで第1回パキスタン・中国経済合同会議。4日、貿易、経済協力、科学・技術分野での共同研究に関する3議定書、調印。 |
DIA-304-1983-04-02-1 | パキスタン | 1983年04月02日 | 1980年代 | ハールーン内相、サウジアラビア訪問(~12日)―3日、国外犯引渡し協定および警察、移民、麻酔剤、港湾警備の分野での技術交換協定に調印。 |
DIA-304-1983-04-02-2 | パキスタン | 1983年04月02日 | 1980年代 | マハブーブル・ハック計画委員会副委員長は記者会見で、第5次5カ年計画の成果概要を発表。 |
DIA-304-1983-04-03-1 | パキスタン | 1983年04月03日 | 1980年代 | アル・バディー・UAE国軍参謀長、来訪。 |
DIA-304-1983-04-04-1 | パキスタン | 1983年04月04日 | 1980年代 | 某国銀行の調査によると、海外からの本国送金額は1972/73年度の1億4630万㌦から1981/82年度には23億9500万㌦に増加。 |
DIA-304-1983-04-04-2 | パキスタン | 1983年04月04日 | 1980年代 | 退役少将M・ラヒーム・ハーン国防次官以下5人、オマーン訪問。 |
DIA-304-1983-04-04-3 | パキスタン | 1983年04月04日 | 1980年代 | ブット前首相処刑後の4回忌が故郷のシンド州ノウデーロー(ラールカーナより20キロメートル)で数千人のPPP支持者によって実施された。 |
DIA-304-1983-04-06-1 | パキスタン | 1983年04月06日 | 1980年代 | 日本政府はパキスタン産綿糸に相殺関税を適用するための正式調査に踏み切ると明らかにした。 |
DIA-304-1983-04-09-1 | パキスタン | 1983年04月09日 | 1980年代 | ジア大統領、バルーチスタン州訪問(~11日)―9日、クエッタで政府高官会議を開き、バルーチスタン開発の進捗状況を検討。11日、クエッタで記者会見。(1)アフガニスタン問題解決のための間接的会談の進歩状況をアフガン難民に常に伝えている。(2)8月14日発表予定の新政治体制の策定作業が進んでいる。(3)現在はバルーチスタン州全域がきわめて平穏だ。(4)1~2年のうちに公式にパキスタン軍史を公刊する。 |
DIA-304-1983-04-11-1 | パキスタン | 1983年04月11日 | 1980年代 | ムバラク・エジプト大統領、来訪(~12日)―極東諸国歴訪の帰途。12日、ジア大続領などと中東情勢イラン・イラク紛争などについて会談。 |
DIA-304-1983-04-11-2 | パキスタン | 1983年04月11日 | 1980年代 | ジュネーブで第2回パキスタン・アフガニスタン外相間接会談(アフガニスタンの項を参照)。 |
DIA-304-1983-04-12-1 | パキスタン | 1983年04月12日 | 1980年代 | カラチのリアーカタバードでスンニー派とシーア派の銃撃戦。過去7週間の宗派抗争による死者は12人。軍が出動。 |
DIA-304-1983-04-13-1 | パキスタン | 1983年04月13日 | 1980年代 | 訓練巡洋艦「PNSバーブル」、4日間の日本親善訪問のため東京港入港。 |
DIA-304-1983-04-15-1 | パキスタン | 1983年04月15日 | 1980年代 | パキスタン国際航空(PIA)のカラチ~カトマンズ~ダッカ航路、初就航。 |
DIA-304-1983-04-16-1 | パキスタン | 1983年04月16日 | 1980年代 | ムハンマド・ソマリア空軍参謀長、来訪。 |
DIA-304-1983-04-17-1 | パキスタン | 1983年04月17日 | 1980年代 | ジア大統領、シンド州訪問(~20日)―17日、ハイルプルで記者会見。(1)(8月発表予定の)新政治体制は73年憲法の構造的変化を意図していない。(2)ただし、若干のイスラーム原理が混入されよう。憲法はいかなる改変も許されないコーランとは異なる。20日、サッカル、ハイルプル、ラールカーナ等々の訪問を終えたジア大統領はカラチでの記者会見で、10~11月に地方自治体議会選挙を厳格な無政党選挙法式で実施すると発表。同20日、ラホールで記者会見。(1)シンド州の人々は戒厳令がさらに6年延長されることを望んでいるとの印象を受けたが、私はそんなつもりはない。(2)私は自分の政党を創立する気はない。(3)政府は赤字経営の国有化企業を以前の所有者に返還することを考えている。 |
DIA-304-1983-04-17-2 | パキスタン | 1983年04月17日 | 1980年代 | ザルール・ヨルダン空軍司令官、来訪。 |
DIA-304-1983-04-18-1 | パキスタン | 1983年04月18日 | 1980年代 | パキスタン国防学院代表団、訪中。同学院は73年以来、代表団を毎年訪中させている。 |
DIA-304-1983-04-19-1 | パキスタン | 1983年04月19日 | 1980年代 | 対パキスタン債権国会議がパリで開かれ、パキスタンの83/84年度援助要請額13億5000万㌦に対しSDR24%増の14億600万㌦を約束(82/83年度は11億1500万㌦)。パキスタンは債務救済を要請しなかった。さらに12月7~8日、第6次5カ年計画(1983/84~87/88年度)検討のために特別会議開催が決定。 |
DIA-304-1983-04-19-2 | パキスタン | 1983年04月19日 | 1980年代 | S・L・マネ・ギニア・ビサウ外相、来訪。 |
DIA-304-1983-04-20-1 | パキスタン | 1983年04月20日 | 1980年代 | 米下院外交委員会は83会計年度に対パキスタン武器売却借款の7500万㌦追加を承認。 |
DIA-304-1983-04-21-1 | パキスタン | 1983年04月21日 | 1980年代 | ジア大統領は9日のバルーチスタン州訪問から始まった「国民との対話キャンペーン」の一環としてパンジャーブ州グジュランワーラーで、イスラーム国家建設の基礎を固め、後戻りができないようにすると演説。 |
DIA-304-1983-04-22-1 | パキスタン | 1983年04月22日 | 1980年代 | M・M・M・K・ダウルターナー、A・A・ロクリー・、フィダー・ハッサンなど建国運動以来のムスリム連盟(PML)指導者たちから成る強力な一派が、ジア大統領は自らの政党を創設すべきだと主張している。彼らはジア大統領がムスリム連盟諸派を統合して率いるのを支持するとしており、そのためにはピール・パガーロー(PMLパガーロー派)PML-P党首に「冷や飯を食わせる」用意があるとしている。一方、パガーローは自党による反政府運動の可能性を否定(POT、4/27)。 |
DIA-304-1983-04-23-1 | パキスタン | 1983年04月23日 | 1980年代 | イスラーム神学者協会ファズルル・ラハマーン派(JUI-FR)は「ウシャル政令」(2月27日参照)はイスラームに反すると非難。 |
DIA-304-1983-04-24-1 | パキスタン | 1983年04月24日 | 1980年代 | 政府筋によるとパンジャーブ州はアフガン難民20万人の受入れに同意している。1982/83年度、6万人。 |
DIA-304-1983-04-27-1 | パキスタン | 1983年04月27日 | 1980年代 | 財政省によると82年12月31日時点の公約対外債務累積額は77/78年度の64億㌦から90億㌦に増大し、ネットで年1億㌦の割で増大中という。 |
DIA-304-1983-04-28-1 | パキスタン | 1983年04月28日 | 1980年代 | ラホールでMRD中央委員会会議。31項目の行動計画案についてMRD構成各党の合意をとりつける方針などを決定。 |
DIA-304-1983-05-03-1 | パキスタン | 1983年05月03日 | 1980年代 | ベンカタラーマン・インド国防相は上院で、パキスタンはカシミールの「支配領域ライン」(印パ停戦ライン)付近の飛行場など軍事施設改良を続行中と言明。 |
DIA-304-1983-05-03-2 | パキスタン | 1983年05月03日 | 1980年代 | 朱穆之中国文化相、来訪(~8日)。 |
DIA-304-1983-05-04-1 | パキスタン | 1983年05月04日 | 1980年代 | UAEと海底ケーブル敷設協定に調印。 |
DIA-304-1983-05-05-1 | パキスタン | 1983年05月05日 | 1980年代 | ジア大統領は記者会見で、「今のところ」私は自分の政党を結成する気はないが、「明日のことは神のみがご存じだ」と述べた。 |
DIA-304-1983-05-05-2 | パキスタン | 1983年05月05日 | 1980年代 | ヤークーブ外相、トルコ訪問(~9日)。7日、記者会見で、ソ連はアフガニスタンからの撤兵を望んでいると確信すると述べた。 |
DIA-304-1983-05-07-1 | パキスタン | 1983年05月07日 | 1980年代 | 政府は3月31日からのカラチ港湾労働者の怠業戦術に対し非常事態を宣言、怠業などを禁じ、違反者の即時解雇権を港湾関係当局に付与した。14日、解決。 |
DIA-304-1983-05-07-2 | パキスタン | 1983年05月07日 | 1980年代 | ザカート・ウシャル第2次改正令1983年、布告。 |
DIA-304-1983-05-08-1 | パキスタン | 1983年05月08日 | 1980年代 | 8日付Times of India紙はカラチのDefence Journal誌最近号を引用、同誌編集長のA・R・シディキー退役准将が軍首脳陣に対し、故パーレビー・イラン前国王の悪例を出して最先端兵器入手をやめるよう警告していると報道。同紙はまた別記事で、パキスタンは「今や武器の大輸出国だ」とするサワール・ハーン陸軍参謀長による同上誌掲載論文について報道。 |
DIA-304-1983-05-08-2 | パキスタン | 1983年05月08日 | 1980年代 | ジア大統領は記者会見で、パキスタンはソ連のアフガニスタン撤兵で幻想をいだかないと述べた。 |
DIA-304-1983-05-10-1 | パキスタン | 1983年05月10日 | 1980年代 | ヌスラット・ブット党首の出国(肺癌治療)後初のPPP運営委員会(カラチ、2日間)。 |
DIA-304-1983-05-10-2 | パキスタン | 1983年05月10日 | 1980年代 | 米上院外交委員会は1984年度の対パキスタン援助から計7500万㌦削減を決定(経済援助2億2500万㌦→2億㌦。軍事借款3億㌦→2億5000万㌦)。20日、同委員会は軍事借款の3000万㌦復活を決定(2億5000万㌦→2億8000万㌦)。 |
DIA-304-1983-05-10-3 | パキスタン | 1983年05月10日 | 1980年代 | 高官筋によると、政府は民間貿易業者に対し一定条件下で台湾との貿易を許可したという。 |
DIA-304-1983-05-10-4 | パキスタン | 1983年05月10日 | 1980年代 | サワール・ハーン陸軍参謀次長、訪日。 |
DIA-304-1983-05-11-1 | パキスタン | 1983年05月11日 | 1980年代 | 12日付Times of India紙によると、ジア大統領は最近のネパール紙との会見で、パキスタンはインドによる印パ平和友好条約に関し、(1)パキスタンが外国勢力に軍事基地を貸与しないこと、(2)すべての印パ間の問題を2国間で解決すること、というインドの提案の条項に賛成できないと述べた。 |
DIA-304-1983-05-13-1 | パキスタン | 1983年05月13日 | 1980年代 | 13日付Times of India紙によると、サウジアラビアはここ数年来同国に駐留しているパキスタン軍1万5000人に加え、タブークおよびリヤドの軍事施設防衛のためパキスタン軍6000人を追加駐留させる協定を去る1月と2月にパキスタンとの間に結んだという。 |
DIA-304-1983-05-15-1 | パキスタン | 1983年05月15日 | 1980年代 | ヤークープ外相、訪中―15日~16日、呉学謙中国外相とアフガニスタン問題などで会談。15日夕、呉外相は歓迎宴で、ア問題に関する国連決議4原則をパキスタンが堅持していることに支持を表した。16日、ヤクーブ外相は中南海で趙紫陽首相に会見。17日、帰国。 |
DIA-304-1983-05-15-2 | パキスタン | 1983年05月15日 | 1980年代 | チャシュマ原子力発電所(16億㌦、900メガワット、1990年完成予定)の国際入札期間、7月31日まで3カ月延長(3月28日参照)。 |
DIA-304-1983-05-16-1 | パキスタン | 1983年05月16日 | 1980年代 | カラコラム道の中国との国境のフンジェラーブ峠(海抜4620㍍)、開通。 |
DIA-304-1983-05-16-2 | パキスタン | 1983年05月16日 | 1980年代 | 政府は綿糸輸出業者に対する輸出割戻金輸出価格を7.5%から4.5%に引下げたと日本政府に通告。 |
DIA-304-1983-05-17-1 | パキスタン | 1983年05月17日 | 1980年代 | ハールーン内相、トルコ訪問(~23日)。 |
DIA-304-1983-05-19-1 | パキスタン | 1983年05月19日 | 1980年代 | イギリスの国際戦略研究所の報告によると、パキスタンはまだ核兵器開発努力を継続しているという。 |
DIA-304-1983-05-21-1 | パキスタン | 1983年05月21日 | 1980年代 | ヤークーブ外相、諸国歴訪―6月のジュネーブでのアフガニスタンとの間接会談を前にサウジアラビア(21~23日)、イギリス(23日)、フランス(23~24日)、アメリカ(24~29日)を歴訪。サウジアラビアではファイサル外相と会談の他、シャティーOIC事務局長に会見。25日、シュルツ米国務長官と余人を交えず会談。ヤ外相は同日の記者会見で、アフガニスタン問題で95%の合意があるとの国連筋報道に関する論評を拒否。同25日、ブッシュ副大統領を訪問。26日、ニューヨークでデクエヤル国連事務総長に会見。30日、帰国。 |
DIA-304-1983-05-21-2 | パキスタン | 1983年05月21日 | 1980年代 | 来訪中のバダル陸軍少将以下8人のエジプト国防生産チーム、ジア大統領と会談。 |
DIA-304-1983-05-24-1 | パキスタン | 1983年05月24日 | 1980年代 | ジア大統領、ネパール訪問(~27日)―24日、ビレンドラ国王とアフガニスタン問題、南アジア地域協力問題などで会談。同日、両国閣僚級合同経済委員会設置協定に調印。26日、同委員会の3小委員会設置。 |
DIA-304-1983-05-25-1 | パキスタン | 1983年05月25日 | 1980年代 | インドのラジーブ・ガンディー国民会議派はカルカッタの国民会議派集会で、(インドの)パンジャーブ州でのシク教徒による反政府騒動にパキスタンが関与している、また、パキスタンの反印運動とフンジェラーブ峠開通は印パ間の摩擦のもとだと非難した。26日、パキスタンはこれを全面的に否定。 |
DIA-304-1983-05-26-1 | パキスタン | 1983年05月26日 | 1980年代 | ハルーン内相、記者会見―(1)政府は最新設備導入など警察力整備を積極的に考慮中。(2)ほとんどの犯罪はイスラーム法導入によって自動的に無くし得る。 |
DIA-304-1983-05-27-1 | パキスタン | 1983年05月27日 | 1980年代 | 北朝鮮文化代表団、来訪(~6月2日)。 |
DIA-304-1983-05-30-1 | パキスタン | 1983年05月30日 | 1980年代 | パキスタン原子力委員会(PAEC)は国内4カ所で豊富なウラン鉱床(ウラン含有率0.2%まで)が発見されたと発表。 |
DIA-304-1983-05-31-1 | パキスタン | 1983年05月31日 | 1980年代 | ジア大統領、肝のう手術のため入院。 |
DIA-304-1983-06-01-1 | パキスタン | 1983年06月01日 | 1980年代 | 印パ第1回合同委員会、開催(イスラーマバード)―首席代表はヤークーブ・パキスタン外相とラオ・インド外相。同1日、4小委員会を設置。2日、両国外相はイスラーマーバード近郊のマリーで外相会談。4日、共同声明。外相会談はパキスタン提案の印パ不戦条約およびインド提案の印パ平和友好条約も討議したが合意に至らず、8月にニューデリーで外務次官会談が開かれることになった。 |
DIA-304-1983-06-01-2 | パキスタン | 1983年06月01日 | 1980年代 | ジア大統領は1日発売の香港のFar Eastern Economic Review誌との会見記事で、ソ連はアフガニスタンからの撤兵を真剣に考えているようだと語った。 |
DIA-304-1983-06-01-3 | パキスタン | 1983年06月01日 | 1980年代 | 国家経済評議会は第6次5カ年計画(1983年7月~88年6月)を承認(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1983-06-02-1 | パキスタン | 1983年06月02日 | 1980年代 | アメリカの南西アジア研究家セリグ・ハリソンは記者会見で、ソ連は1984年にアフガニスタンから撤兵するかもしれないと語った。 |
DIA-304-1983-06-07-1 | パキスタン | 1983年06月07日 | 1980年代 | 「カージー法廷設置令、1983年」布告。 |
DIA-304-1983-06-08-1 | パキスタン | 1983年06月08日 | 1980年代 | ヤークーブ外相、訪ソ(~11日)―10日、グロムイコ第1副首相兼外相とアフガニスタン問題政治解決を中心に会談。グ外相は、政治的解決はアフガニスタンに対する干渉が完全に停止されて初めて可能だと強調。モスクワの信頼すべき筋によると、会談では重要な前進があったという。両外相はソ連軍撤兵の方式についても協議しないといわれる。ヤ外相は11日、帰国後の記者会見で、「訪ソは非常に有益だった」と語った。 |
DIA-304-1983-06-08-2 | パキスタン | 1983年06月08日 | 1980年代 | パンジャーブ州D・G・ハーンで「反対分子」3000人逮捕。 |
DIA-304-1983-06-09-1 | パキスタン | 1983年06月09日 | 1980年代 | 「経済白書」82/83年度版出来(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1983-06-10-1 | パキスタン | 1983年06月10日 | 1980年代 | MRD州支部大会はシンド州と北西辺境州では開催。バルーチスタン州では開催が防止され、パンジャープ州では開催できなかった。 |
DIA-304-1983-06-10-2 | パキスタン | 1983年06月10日 | 1980年代 | ヌラーニー・パキスタン神学者協会(JUP)党首は、JIがアフガン難民用の基金を利己目的のために使用していると非難。 |
DIA-304-1983-06-11-1 | パキスタン | 1983年06月11日 | 1980年代 | 1983/84年度予算発表(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1983-06-11-2 | パキスタン | 1983年06月11日 | 1980年代 | 空軍司令部、ペシャーワルからイスラマーバードへの移転完了。 |
DIA-304-1983-06-13-1 | パキスタン | 1983年06月13日 | 1980年代 | 先週ファイサラバードで収賄容疑で逮捕された同僚3人を弁護して警官200人がデモ、治安判事に暴行。戒厳当局は軍を派遣して鎮圧。 |
DIA-304-1983-06-14-1 | パキスタン | 1983年06月14日 | 1980年代 | 14日付Daily News紙によると、大学副学長委員会(19人編成)はすべての教育機関の学生自治組織の禁止を勧告。19日付Dawn紙、これを強く批判。 |
DIA-304-1983-06-15-1 | パキスタン | 1983年06月15日 | 1980年代 | 15日付Dawn紙によると、パキスタンは衛生経由ホットラインで70カ国の株式市場、金市場、通貨市場と連結された(香港のコンピューター経由)。 |
DIA-304-1983-06-15-2 | パキスタン | 1983年06月15日 | 1980年代 | V.S.Naipau1(インド人)のAmong the Believersパキスタンで発禁。 |
DIA-304-1983-06-15-3 | パキスタン | 1983年06月15日 | 1980年代 | 北朝鮮外交官2人、腕時計密輸で国外追放。 |
DIA-304-1983-06-15-4 | パキスタン | 1983年06月15日 | 1980年代 | 北西辺境州スワートのアフガン難民キャンプで男女3人が姦通罪で投石処刑された。 |
DIA-304-1983-06-16-1 | パキスタン | 1983年06月16日 | 1980年代 | ジュネーブでパキスタンとアフガニスタンの第3次外相間接会談(アフガニスタンの項を参照)。ヤークーブ外相は17日、「双方は具体的な事項で着実な進展を見せている」と語った。 |
DIA-304-1983-06-16-2 | パキスタン | 1983年06月16日 | 1980年代 | ジア大統領、戒厳令規則56号によりフリーメイソンを禁止。 |
DIA-304-1983-06-17-1 | パキスタン | 1983年06月17日 | 1980年代 | MRDは自立運動党(TI)の主張に従って、パキスタンは「4民族」から成るとする主張を落とすなど「31項目プログラム」を修正。24日MRD中央行動委は、7月5日予定の「暗黒の日」と称する市民不服従運動を協議。TIとJUIは同会議に不参加。 |
DIA-304-1983-06-19-1 | パキスタン | 1983年06月19日 | 1980年代 | 19日付Daily News紙によると、シンド州治安当局は8月14日予定のMRDの反政府行動に備えて警戒態勢に入った。 |
DIA-304-1983-06-23-1 | パキスタン | 1983年06月23日 | 1980年代 | 23日付Times of India紙によると、ワシンンのAerospace Daily誌は米国防総省筋を引用、パキスタンは空軍近代化5カ年計画の一環としてアメリカからさらに60機のF-16戦闘機を購入しようとしている(計20億㌦)。 |
DIA-304-1983-06-23-2 | パキスタン | 1983年06月23日 | 1980年代 | シュルツ米国務長官はマニラへ向う機中で記者会見、アフガニスタン問題についてアメリカとパキスタンの間に考えの相違はないと言明。26日、ヤークーブ外相は、アメリカがアフガニスタン問題の政治的解決反対の圧力をパキスタンにかけているとのうわさは誤っていると言明。 |
DIA-304-1983-06-23-3 | パキスタン | 1983年06月23日 | 1980年代 | アメリカの在ペシャーワル領事、S・M・シャーTI党首代行と会見。 |
DIA-304-1983-06-23-4 | パキスタン | 1983年06月23日 | 1980年代 | 23日のAFP電によると、北西辺境州バラーチナル村でスンニー、シーア両宗派の衝突で34人死亡。 |
DIA-304-1983-06-26-1 | パキスタン | 1983年06月26日 | 1980年代 | 陸軍中将グラーム・ジラーニー・ハーン・パンジャーブ州知事、イギリスで心臓手術。 |
DIA-304-1983-06-26-2 | パキスタン | 1983年06月26日 | 1980年代 | シンド州の治安当局によると、同州では過去3年間に警官60人が「盗賊」に殺害されたという。 |
DIA-304-1983-06-28-1 | パキスタン | 1983年06月28日 | 1980年代 | 政府発表によると、失業率は3.54%(全労働人口2764万)。労働人口の87.9%が男性。 |
DIA-304-1983-06-29-1 | パキスタン | 1983年06月29日 | 1980年代 | 83/84年度輸入政策発表。 |
DIA-304-1983-06-29-2 | パキスタン | 1983年06月29日 | 1980年代 | インド警察はジャームー・カシミール州でパキスタン人3人をスパイとして逮捕。 |
DIA-304-1983-07-02-1 | パキスタン | 1983年07月02日 | 1980年代 | シュルツ米国務長官来訪―アジア諸国歴訪の一環。到着後、直ちに第1回米パ合同閣僚級委員会会議に出席。同会議終了後、ヤークーブ外相とシュルツ米国務長官はアフガニスタン問題、印パ関係などの地域問題および国際問題で会談。また、ヤ外相は米側に対し、パキスタン政府によるケシ栽培・麻薬抑制努力を説明。3日、シュルツ長官は陸軍中将ファズル・ハック北西辺境州知事と会談。同日、アフガン難民キャンプを訪問し、難民およびアフガン・ゲリラ主催の歓迎会で演説、ソ連軍の即時全面撤退を要求。4日、シュルツ長官は記者会見で、(1)アフガニスタン問題の類の解決に期限を定めるのは誤っている、(2)8月中旬のジア大統領による新政治体制構想の発表を見守っている、などと述べた。同日、サウジアラビアに向けて出発。 |
DIA-304-1983-07-02-2 | パキスタン | 1983年07月02日 | 1980年代 | シンド刈分小作人委員会(SHC)は、退官・現役の官僚に対して分配された(シンド州の)土地46万エーカー土地無し農民に無料で再分配するよう要求。 |
DIA-304-1983-07-03-1 | パキスタン | 1983年07月03日 | 1980年代 | ジア大統領は記者会見で、イスラエルがパキスタンの原子力施設奇襲攻撃を今年に入って真剣に考慮していたとの「絶対的な情報」があると述べた。 |
DIA-304-1983-07-03-2 | パキスタン | 1983年07月03日 | 1980年代 | 3日付『ワシントン・ポスト』紙は、レーガン大統領がシュルツ国務長官に対し予定外の中東歴訪を指示したのは、パキスタンの仲介でシリアがアメリカとの交渉に応じることが分ったためだと報じた。 |
DIA-304-1983-07-04-1 | パキスタン | 1983年07月04日 | 1980年代 | サルファラーズTIパンジャーブ支部長は、8月14日のMRDの不服従運動にTIは不参加と宣言。 |
DIA-304-1983-07-05-1 | パキスタン | 1983年07月05日 | 1980年代 | カラコラム道沿いのパキスタン・中国の電信網、完成。 |
DIA-304-1983-07-05-2 | パキスタン | 1983年07月05日 | 1980年代 | MRDの「暗黒の日」反政府抗議行動。主要都市で政治指導者10人、活動家100人が逮捕された。 |
DIA-304-1983-07-06-1 | パキスタン | 1983年07月06日 | 1980年代 | 連邦評議会の小委員会は、「新政治体制構想」答申で議院内閣制を提唱。 |
DIA-304-1983-07-06-2 | パキスタン | 1983年07月06日 | 1980年代 | シンド州サッカルから30キロメートルのバヘージャブで囚人と警官の銃撃戦で、計7人死亡。 |
DIA-304-1983-07-06-3 | パキスタン | 1983年07月06日 | 1980年代 | マックイーチェン・カナダ副首相兼外相、来訪。 |
DIA-304-1983-07-11-1 | パキスタン | 1983年07月11日 | 1980年代 | Times of India紙は、カラチのThe Leader紙を引用、過去2年間に5万人のバングラデシュ人が低賃金労働者としてパキスタンに「密輸入」され、一部はペルシャ湾地域へ送られていると報じた。 |
DIA-304-1983-07-16-1 | パキスタン | 1983年07月16日 | 1980年代 | PPP指導者ムムターズ・ブット(故ブット前首相の従弟)は、シンド州で「シンドゥーデシュ」(シンド国)樹立の分離運動が勢いを得ていると警告。 |
DIA-304-1983-07-17-1 | パキスタン | 1983年07月17日 | 1980年代 | ジア大統領、訪日―16日出発、上海1泊の後・国賓として訪日。18日、歓迎式典後、天皇に30分の会見。同日、経済5団体による昼食会で演説、対パキスタン民間経済委員会設置を希望。同日午後、アフガニスタン問題、イラン・イラク紛争、日本外交の基本姿勢など国際問題を中心に第1回首脳会談。19日の第2回首脳会談は2国間問題が中心となり、両国間の政治・経済・安全保障上の情報交換を行なう場としての日パ合同委員会設置で合意。また、同席した安倍外相が、83年度対パ円借款として300億3600万円(昨年度280億円)および70億円以上の無償援助を提示・合意した。.20日、ジア大統領は記者会見で、核拡散防止条約に小国差別条項が存在する以上、パキスタンは同条約に調印しない、などと述べた。同20日、ヤークーブ外相と安倍外相が会談、日パ合同委員会(臨機応変に外相レベルあるいは高級事務レベル)設置で正式に合意。同26日、日パ共同声明。22日、離日、23日、イスラマバード帰着。 |
DIA-304-1983-07-17-2 | パキスタン | 1983年07月17日 | 1980年代 | A・シャミーム空軍参謀長の任期1年延長。 |
DIA-304-1983-07-19-1 | パキスタン | 1983年07月19日 | 1980年代 | イスラーム・イデオロギー評議会の「新政治体制」に関する修正答申、発表。8月27日公表。 |
DIA-304-1983-07-22-1 | パキスタン | 1983年07月22日 | 1980年代 | TIはMRD脱退で会議、脱退せずと決定。 |
DIA-304-1983-07-24-1 | パキスタン | 1983年07月24日 | 1980年代 | MRDは地方議会選挙ボイコットを決定。 |
DIA-304-1983-07-25-1 | パキスタン | 1983年07月25日 | 1980年代 | 呉学謙中国外相、来訪―26日、ヤークーブ外相と第1回会談で2国間問題および国際問題を協議。同日夜・ジア大統領に李先念国家主席の書簡を手交。27日の第2回外相会議ではアフガニスタン問題、カンプチア問題などで協議。28日、ペシャーワル近郊のアフガン難民キャンプを訪問。29日の記者会見で、ソ連がアフガニスタンから撤兵し、同国の独立が回復された場合、中国はソ連が政治的解決のために要求する国際的保証を与える用意があると言明。30日、タイへ向けて出発。 |
DIA-304-1983-07-25-2 | パキスタン | 1983年07月25日 | 1980年代 | A地区(パンジャーブ州)戒厳司令部はラホールの弁護士アフターブ・グルの自宅からSAM地対空ミサイル2基を押収したと発表。ハールーン内相は27日、暴力的政治組織アル・ズルフィカール(AZ)取締りを主眼としたテロ対策班の設置を発表。同日、PPPのティッカ・ハーン元陸軍参謀長は今回の措置はPPPに対する不信を生み出すための政治宣伝(AZ指導者はヌスラット・ブットPPP党首の長男および次男)であるとし、事件発覚が、8月14日予定の大統領による「新政治体制」発表の直前である点に注意を喚起した。 |
DIA-304-1983-07-26-1 | パキスタン | 1983年07月26日 | 1980年代 | ベーナジール・プットPPP指導者、耳病手術(30日、退院し、自宅軟禁継続)。 |
DIA-304-1983-07-27-1 | パキスタン | 1983年07月27日 | 1980年代 | PPP行動委、地方議会選挙参加予定を確認。 |
DIA-304-1983-07-28-1 | パキスタン | 1983年07月28日 | 1980年代 | ニューデリーで南アジア7カ国の南アジア地域協力機構(「南アジア共同体」)構想に関し、8月の外相会議に備え外務次官レベルの準備会議(~29日)。30日ヤークーブ外相、ニューデリー入り。 |
DIA-304-1983-08-01-1 | パキスタン | 1983年08月01日 | 1980年代 | ニューデリーでの南アジア7カ国外相会議が「南アジア地域協力機構」(SARC)結成に合意。2日、ヤークーブ・パキスタン外相、ガンディー・インド首相に会見。ヤ外相は3日、ラオ・インド外相と会談d |
DIA-304-1983-08-04-1 | パキスタン | 1983年08月04日 | 1980年代 | アンサーリー委員会、「新政治体制」を答申。 |
DIA-304-1983-08-06-1 | パキスタン | 1983年08月06日 | 1980年代 | プレーム・タイ首相、来訪(~8日)。 |
DIA-304-1983-08-08-1 | パキスタン | 1983年08月08日 | 1980年代 | カラチのPPP運営委員会会議、10月予定の地方議会選挙ボイコットを決定。 |
DIA-304-1983-08-10-1 | パキスタン | 1983年08月10日 | 1980年代 | ヤークーブ外相、バングラデシュ訪問。 |
DIA-304-1983-08-11-1 | パキスタン | 1983年08月11日 | 1980年代 | JTI学生、政府検討中の学生自治会禁止に反対してラホールでデモ。 |
DIA-304-1983-08-11-2 | パキスタン | 1983年08月11日 | 1980年代 | ガッファール・ハーン、MRDの反政府運動不支持を訴え。 |
DIA-304-1983-08-12-1 | パキスタン | 1983年08月12日 | 1980年代 | 「新政治体制」構想発表―ジア大統領は公約より2日早い12日、連邦評議会で演説、総選挙を「1985年3月25日までに」実施と言明する他、「パキスタンが確立すべき新政治体制」大綱を発表(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1983-08-14-1 | パキスタン | 1983年08月14日 | 1980年代 | 16日付Times of India紙はサウジアラビアの14日付Arab News紙のジア大統領インタビュー記事を引用。(1)私は、イスラームとパキスタンを愛する国民の代表を選出するという伝統を確立する決意だ。途中で放り出すことはできない。(2)政党による以外のより良い統治方法があるはずだ。(3)私は後継者が見つかるまで政権を保持し続けよう。(4)(12日発表の)国家安全保障会議はトルコやアメリカのものとは大幅に異なるものになろう。同会議は時には政府の手をしばることになるやもしれない(15日の記者会見で同様の発言)。 |
DIA-304-1983-08-14-2 | パキスタン | 1983年08月14日 | 1980年代 | ジア大統領は第37回独立記念日の演説で、ラーワルピンディーとイスラーマバードにカージー法廷を試験的に設置すると発表。同日の記者会見で「新政治体制」構想の補足説明を行ない、政党の総選挙参加を許すか無政党選挙とするかは未定、などと述べた。 |
DIA-304-1983-08-14-3 | パキスタン | 1983年08月14日 | 1980年代 | MRDの反政府不服従運動開始。カラチでMRD支持者2万人とジア大統領支持者5000人が乱闘。シンド州ダードゥーの「ジア支持運動」事務所、爆破さる。 |
DIA-304-1983-08-17-1 | パキスタン | 1983年08月17日 | 1980年代 | シンド州ダードゥー、モロ、カージー・アハマッド3町に治安部隊派遣さる。8月末までには同州主要市町村に治安部隊派遣さる。8月末までの死者は公式発表で33人、MRDによると40~60人。 |
DIA-304-1983-08-19-1 | パキスタン | 1983年08月19日 | 1980年代 | インド治安軍はジャーム・カシミール州の対パキスタン国境を封鎖。同19日、パキスタン軍に追われた反政府運動支持者3000人がインド側に越境したが送り返された。20日、印パ両軍が銃火を交えた。 |
DIA-304-1983-08-21-1 | パキスタン | 1983年08月21日 | 1980年代 | 政府によれば14日以来の逮捕は計715人。シンド州335、北西辺境州209、パンジャーブ州115、バルーチスタン州54。 |
DIA-304-1983-08-22-1 | パキスタン | 1983年08月22日 | 1980年代 | 陸軍大将ムハンマド・イクバール・ハーン統合参謀本部議長、サウジアラビア訪問。 |
DIA-304-1983-08-22-2 | パキスタン | 1983年08月22日 | 1980年代 | シンド州ハイルプルで5万人のデモ(今までで最大)。政府関係建築物などを襲撃。 |
DIA-304-1983-08-23-1 | パキスタン | 1983年08月23日 | 1980年代 | トゥファイルJI党首、早期総選挙を要求。 |
DIA-304-1983-08-24-1 | パキスタン | 1983年08月24日 | 1980年代 | PPPはパンジャーブ州の国民に対し、反政府運動参加を呼びかけ。各地で弁護士の法廷ボイコット。 |
DIA-304-1983-08-24-2 | パキスタン | 1983年08月24日 | 1980年代 | パキスタン国民党(PNP)とバルーチスタン・パフトゥーン党(PKB)は、「国民民主戦線」(PNDF)と称する連合戦線を結成。 |
DIA-304-1983-08-25-1 | パキスタン | 1983年08月25日 | 1980年代 | ラオ・インド外相は下院でパキスタンの反政府運動に関し、「民主主義の回復を要求しては人々の苦難に対する憂慮」を表明。インド側初の公式コメント。翌26日、ガンディー・インド首相も国民会議派(1)議員団会合で、「インドはあらゆる国に民主主義の存在を望む」と述べ、パキスタンの反政府運動を「民主主義のための闘い」と評価し、さらに、「ヌスラット・ブットの拷問、ベーナジール・ブットおよびガッファール・ハーンの不健健」に対する憂慮を表明。27日、パキスタン外務省はシャルマ駐パ・インド大使を招致し、「これらの発言は内政干渉であるだけでなく、国際法、シムラ協定、非同盟諸原則、南アジア地域協力宣言に対する違反である」と口頭で抗議。 |
DIA-304-1983-08-26-1 | パキスタン | 1983年08月26日 | 1980年代 | 26日付Times of India紙によると、シンド州で6県の武装警官隊が反政府暴徒に対する発砲を拒否して武装解除された。またPPP筋によると、陸軍5個師団がシンド州内陸部に展開している。 |
DIA-304-1983-08-27-1 | パキスタン | 1983年08月27日 | 1980年代 | マハブーブル・ハック計画相、第6次5カ年計画最終修正を発表。 |
DIA-304-1983-08-28-1 | パキスタン | 1983年08月28日 | 1980年代 | JI指導層、ジア大統領と会見。 |
DIA-304-1983-08-29-1 | パキスタン | 1983年08月29日 | 1980年代 | ジア大統領、トルコ訪問―29日、30日、エブレン・トルコ大統領と両国経済協力、アフガニスタン問題などで会談。この会談により、今まで有名無実だつた両国合同委員会が活性化した。9月3日、共同コミュニケ。同日、サウジアラビアへ。なお、トルコ訪問は当初10日間の予定であったが、6日間に短縮された。29日、トルコへの出発に先立ち記者会見で、「国内の混乱は一握りの反国家分子が一部の政治家や外国の主人(複数)の命令で起こしている」と述べた。 |
DIA-304-1983-08-29-2 | パキスタン | 1983年08月29日 | 1980年代 | 政府、綿糸輸出割戻金制度を撤廃。 |
DIA-304-1983-08-31-1 | パキスタン | 1983年08月31日 | 1980年代 | 「ハーラーのマフドゥーム」(シンド州指折りのイスラーム神秘主義指導者(マフドゥーム・ムハンマド・ザマーン)、反政府暴動の中止を訴え。 |
DIA-304-1983-08-31-2 | パキスタン | 1983年08月31日 | 1980年代 | フセイン・ヨルダン国王、訪中途次立寄り。 |
DIA-304-1983-09-01-1 | パキスタン | 1983年09月01日 | 1980年代 | パキスタン貿易使節団の訪印、無期延期。 |
DIA-304-1983-09-01-2 | パキスタン | 1983年09月01日 | 1980年代 | 北西辺境州地方議会選挙。 |
DIA-304-1983-09-03-1 | パキスタン | 1983年09月03日 | 1980年代 | ジア大統領、サウジアラビア訪問―トルコから入国。4日、ファハド国王と会談。5日、帰国。 |
DIA-304-1983-09-03-2 | パキスタン | 1983年09月03日 | 1980年代 | シンド州モロでデモ隊と警官隊の銃撃戦。4日のMRD筋によると13人死亡。6日付Muslim紙によると警官7人死亡。軍出動。同日、アッパーシー州知事は、9月29日の地方議会選挙に備えてさらに軍人1万人を派遣すると発表。 |
DIA-304-1983-09-05-1 | パキスタン | 1983年09月05日 | 1980年代 | ジア大統領、記者会見。(1)政治家との対話は必要だと思うが、暴力的政治を行なった政治家たちとの対話は彼らに生涯の教訓を与えて初めて行なう。(2)連邦・州議会総選挙は85年3月23日よりずっと以前に完了するであろう。(3)地方議会選挙が完了したら次の選挙スケジュールを発表する。(4)8月12日発表の新体制講想は神聖不可侵のものではない。(5)アフガニスタン問題に関するエブレン・トルコ大統領とファハド・サウジアラビア国王の考えはパキスタンの考えと合致していた。(6)複数の国がシンド州の暴徒を支援している証拠がある。 |
DIA-304-1983-09-05-2 | パキスタン | 1983年09月05日 | 1980年代 | 5日付Pakistan Times紙は、「1971年(第3次印パ戦争のこと、―筆者)を繰り返すためにインド軍の展開が命じられた」と報じた。 |
DIA-304-1983-09-06-1 | パキスタン | 1983年09月06日 | 1980年代 | パンジャーブ州政府、アスガル・ハーン退役空軍中将のGenerals in Politicsを発禁。 |
DIA-304-1983-09-07-1 | パキスタン | 1983年09月07日 | 1980年代 | ジア大統領、クエッタを視察。記者会見で、(1)総選挙前に挙国一致内閣を組織する計画はない、(2)イスラーム的な愛国諸政党の連合を望む、などと述べた。 |
DIA-304-1983-09-07-2 | パキスタン | 1983年09月07日 | 1980年代 | バルーチスタン州農村部地方議会選挙。都市部は8月30日に終了・対立2部族長の衝突で7人死亡。 |
DIA-304-1983-09-08-1 | パキスタン | 1983年09月08日 | 1980年代 | ジア大統領はラホールでの記者会見で、地方議会選挙後間もなく州議会選挙を行なうかもしれない、などと述べた。 |
DIA-304-1983-09-08-2 | パキスタン | 1983年09月08日 | 1980年代 | ジア大統領、シンド州内陸部を視察(~11日)。9日、(1)シカールプルで、パンジャーブ州とシンド州の地方議会選挙を延期することはない、(2)新政治体制についていかなるグループとも話し合うが、イスラーム体制については妥協しない、などと演説。10日、ハイダラバードで、新政治体制構想の修正について話し合う用意があると言明、11日、タッタで、パキスタンは西欧流民主主義を採用しない、などと演説。 |
DIA-304-1983-09-11-1 | パキスタン | 1983年09月11日 | 1980年代 | パキスタンとイラン、協力覚書に調印。 |
DIA-304-1983-09-12-1 | パキスタン | 1983年09月12日 | 1980年代 | アッバーシー・シンド州知事によるとこれまでの同州での逮捕者は1999人、投獄された者は173人。MRDによると8月末までの逮捕者は全国で1万5000(シンド州1万)人、投獄された者は9000人という。 |
DIA-304-1983-09-12-2 | パキスタン | 1983年09月12日 | 1980年代 | パキスタン空軍は洋上作戦用としてミラージュ5機にエグゾセ・ミサイルを装備した。フランスよりのミラージュ機32機の引渡しは82年に完了している。 |
DIA-304-1983-09-18-1 | パキスタン | 1983年09月18日 | 1980年代 | パキスタン放送によると、アフガニスタン空軍のミグ21戦闘機の7機が北西辺境州パーラチナール付近の村を爆撃、1人死亡、1人負傷。 |
DIA-304-1983-09-20-1 | パキスタン | 1983年09月20日 | 1980年代 | ヤークーブ外相、訪米―第38回国連総会出席のためにニューヨーク入りしたヤ外相は20日、デクエヤル国連事務総長とアフガニスタン問題について会談。26日、中国外相と会談。同日、イギリス外相と会談。 |
DIA-304-1983-09-22-1 | パキスタン | 1983年09月22日 | 1980年代 | 22日付Daily News紙がSunday Times紙を引用して報じるところによると、イラン人急進派がサウジアラビアにおける大巡礼を混乱させるのを阻止するために掃除人夫に変装したパキスタン軍人が活動を開始。なおサウジ政府は、数千人のパキスタン軍人が最近3カ月の予定で同国に入国したことについてはノーコメント。 |
DIA-304-1983-09-23-1 | パキスタン | 1983年09月23日 | 1980年代 | 23日付Pakistan Times紙は社説で、ジア大統領は連邦議会を利用して自らの政党を結成すべきだと提唱。 |
DIA-304-1983-09-25-1 | パキスタン | 1983年09月25日 | 1980年代 | ギルギットで第1回カラコラム文化国際会議。 |
DIA-304-1983-09-26-1 | パキスタン | 1983年09月26日 | 1980年代 | 28日付Japan Times紙によると、ヌスラットPPP党首は、イクバール・ハーン統合参謀本部議長に対して政権奪取を訴えた。 |
DIA-304-1983-09-26-2 | パキスタン | 1983年09月26日 | 1980年代 | 外務省はジア大統領が9月14日付でガンディー・インド首相に「インドの対パキスタン内政干渉」を非難する書簡を渡したことを明らかにした。 |
DIA-304-1983-09-26-3 | パキスタン | 1983年09月26日 | 1980年代 | イギリスから帰国のワリー・ハーンNPP指導者、空港で逮捕。 |
DIA-304-1983-09-27-1 | パキスタン | 1983年09月27日 | 1980年代 | ガブリエル米空軍参謀長、来訪中。 |
DIA-304-1983-09-28-1 | パキスタン | 1983年09月28日 | 1980年代 | PNPがMRDに正式加入。 |
DIA-304-1983-09-28-2 | パキスタン | 1983年09月28日 | 1980年代 | パンジャーブ州地方議会選挙。対立候補の衝突で1~4人・死亡。投票率は30%だったといわれる。 |
DIA-304-1983-09-29-1 | パキスタン | 1983年09月29日 | 1980年代 | シンド州地方議会選挙。29日には15県のうち9県のみで実施、6県は10月2日に延期。29日、選挙反対派と政府軍がシンド州各地で発砲、公式発表で17人死亡、48人負傷、MRD発表では死者37、負傷者150。29日までの公式発表者の合計58人中56人はシンド州の死者。MRD発表では29日までに計137人死亡。 |
DIA-304-1983-09-29-2 | パキスタン | 1983年09月29日 | 1980年代 | FEER誌9月29日号によると、シンド州で所によってはシンディー人がパンジャービー人を襲撃。 |
DIA-304-1983-09-30-1 | パキスタン | 1983年09月30日 | 1980年代 | ワインバーガー米国防長官、来訪―アジア歴訪の一環として。MRDは同長官来訪を強く非難。 |
DIA-304-1983-10-01-1 | パキスタン | 1983年10月01日 | 1980年代 | ジア大統領、アメリカ人記者団と会見―(1)パキスタンはペルシャ湾の裏庭だ。湾岸に脅威があればパキスタンを強化すべきだ。(2)アメリカに基地を供与する気はない。(3)湾岸地域の安定はアメリカの緊急展開部隊(RDF)でなく、この地域のバランスに基づくべきだ。イラン・イラク戦争でヨーロッパや日本に対する石油供給が混乱しても、アメリカが介入するのは誤っている。介入は賭けの要素が非常に強い。(4)パキスタンはソ連が敵対的なアフガニスタンを認めないということを容認する。ソ連軍撤退の日程表はまだ受け取っていない。 |
DIA-304-1983-10-01-2 | パキスタン | 1983年10月01日 | 1980年代 | 来訪中のワインバーガー米国防長官、ジア大統領と会見。2日、記者会見で、パキスタンの防衛力増強のため同国への「先端兵器」の供与を続けると述べた。 |
DIA-304-1983-10-02-1 | パキスタン | 1983年10月02日 | 1980年代 | シンド州6県(ラールカーナ、ハイルプル、ナワーブシャー、サーンガル、タールパルカル、ダードゥー)で地方議会選挙(9月29日参照)。反政府勢力と軍との衝突で16人死亡。4日、同様に16人死亡。 |
DIA-304-1983-10-04-1 | パキスタン | 1983年10月04日 | 1980年代 | ヤークーブ外相、4~6日、ワシントンでブッシュ米副大統領、ワインバーガー国防長官などと会談。 |
DIA-304-1983-10-04-2 | パキスタン | 1983年10月04日 | 1980年代 | 4日付Dawn紙によると、トラック運転手がジンド州内陸部を通る定期便運転を拒否する例が多く、カラチからパンジャーブ州へのトラックによる物資輸送は通常の30%減になっているという。 |
DIA-304-1983-10-04-3 | パキスタン | 1983年10月04日 | 1980年代 | ジア大統領、パガーローPML-P党首と会談。10日、ヌラーニーJUP党首と会談。 |
DIA-304-1983-10-04-4 | パキスタン | 1983年10月04日 | 1980年代 | 天然資源相は、ソ連がリグ(石油掘削機)2基をパキスタンに売却することに合意と発表。 |
DIA-304-1983-10-06-1 | パキスタン | 1983年10月06日 | 1980年代 | 「シンド万歳運動」(JST)指導者G・M・サイアドは6日付週刊MAG誌で、MRDの反政府行動はJST破壊を狙ったものだと非難。 |
DIA-304-1983-10-07-1 | パキスタン | 1983年10月07日 | 1980年代 | クエッタで4000人の反政府デモ。デモ隊と警官隊の銃撃戦でデモ隊1人、警官2人を死亡。これは8月中旬以来、パルーチスタン州では初の本格的衝突。 |
DIA-304-1983-10-13-1 | パキスタン | 1983年10月13日 | 1980年代 | (Mashriq10/23)ジア大統領はシンド州高等文官の同州出身者採用増を指示。 |
DIA-304-1983-10-15-1 | パキスタン | 1983年10月15日 | 1980年代 | 来訪中のインドのジャナタ党指導者スブラマニアム・スワミー、ジア大統領に会見。 |
DIA-304-1983-10-15-2 | パキスタン | 1983年10月15日 | 1980年代 | ジア大統領、パガーローPML-P党首と会見。16日、アーリフ大統領主席顧問がアスガルTI党首と会見。23日、ア顧問、ナスルッラーPDP党首と会見。 |
DIA-304-1983-10-19-1 | パキスタン | 1983年10月19日 | 1980年代 | 19日付の政府系Pakistan Times紙は、18日のニューデリーでの「世界シンディー語大会」における同大会オーガナイザーのA・バグワンデブ(国民会議派(I)下院議員)の「シンド州が印パ双方のシンド人の共存共栄のためにインドと合併する機が熟した」との発言を第一面トップで非難。外務省は25日、シャルマ駐パ・インド大使を招致して口頭で抗議。 |
DIA-304-1983-10-19-2 | パキスタン | 1983年10月19日 | 1980年代 | パキスタンはアメリカから航空管制機4機を入手の予定といわれる(D、10/19)。また同日、パキスタンはアメリカとの間にハープーン・ミサイル購入協定に調印。NATO諸国外でアメリカが同ミサイル売却に踏み切ったのはイスラエル、サウジアラビア、日本、韓国の他、先週決定のパキスタンとエジプトのみ。 |
DIA-304-1983-10-20-1 | パキスタン | 1983年10月20日 | 1980年代 | シンド州ラカティー・ジャトイでMRD支持者と警察の衝突で12人死亡、50人負傷。 |
DIA-304-1983-10-20-2 | パキスタン | 1983年10月20日 | 1980年代 | シンド州内陸部で軍がヘリコプターによる反政府勢力掃討作戦を展開し、22人(MRD発表は200人)死亡(International Herald Tribune、10/20)。 |
DIA-304-1983-10-21-1 | パキスタン | 1983年10月21日 | 1980年代 | ワルダークTI書記長代行は記者会見で、「新シンディー人」(パンジャービー人のシンド州入植者など)はMRDの反政府運動に参加しなければ、(1971年の東パキスタンにおける)ビハーリー人と同じ目に会おう(殺害、追放など)と警告。また、パンジャービー入植者によりシンディー人数人が殺害されたと述べた。 |
DIA-304-1983-10-22-1 | パキスタン | 1983年10月22日 | 1980年代 | ジア大統領、第8回連邦評議会会議で演説―(1)イスラームには政党政治の入る余地はない。(2)PPPがMRDの背骨になっている。(3)8月12日発表の新政治体制構想に変化はない。(4)連邦評議会は国会が構成されるまで存続する。 |
DIA-304-1983-10-22-2 | パキスタン | 1983年10月22日 | 1980年代 | BBC放送、最近ムルタザー・ブットAZ書記長と会見。(1)AZはパキスタンで10カ月の活動休止の後に再び活発化した。(2)AZ本部はニューデリーへもリビアへも移動していない。(3)カーブルのAZ調整・情報事務局員たちに基本的軍事訓練を施す試みはあった。(4)(アフガニスタン政権との意見対立のうわさについて)まだ同政権との友好関係を望んでいる。(PT、10/23) |
DIA-304-1983-10-24-1 | パキスタン | 1983年10月24日 | 1980年代 | シンド州で初のシンディー民族出身の州警察警視総監が任命された。 |
DIA-304-1983-10-24-2 | パキスタン | 1983年10月24日 | 1980年代 | 情報省によると、8月中旬以来の反政府運動の逮捕者は4070人(1783人未釈放)、死者50人。 |
DIA-304-1983-10-26-1 | パキスタン | 1983年10月26日 | 1980年代 | ラホールで工業労働者1万人の反政府デモ。8月中旬以来、パンジャーブ州最大規模のデモ。また、MRDの反政府運動に対する労働者初の大々的呼応。 |
DIA-304-1983-10-27-1 | パキスタン | 1983年10月27日 | 1980年代 | ドパ・サウジアラビア大使、ジア大統領の新政治体制構想支持を訴え。(Viewpoint、10/27) |
DIA-304-1983-10-29-1 | パキスタン | 1983年10月29日 | 1980年代 | 「ザカート・ウシャル令、1980年」、改正。 |
DIA-304-1983-10-30-1 | パキスタン | 1983年10月30日 | 1980年代 | VOA放送によるとアメリカのボッブ核統制局長は・パキスタンは核実験に「非常に近い」段階に到達しているという(Jang、10/31)。 |
DIA-304-1983-10-30-2 | パキスタン | 1983年10月30日 | 1980年代 | 83/84年度開発計画、修正(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1983-11-01-1 | パキスタン | 1983年11月01日 | 1980年代 | ヤークーブ外相はアフガニスタン機のパキスタン領空侵犯は5~10月に44回に及ぶと言明。 |
DIA-304-1983-11-02-1 | パキスタン | 1983年11月02日 | 1980年代 | ジア大統領は10月24日に続き、選挙管理委員会と2度目の会議を開き、選挙準備を指示。 |
DIA-304-1983-11-03-1 | パキスタン | 1983年11月03日 | 1980年代 | マハブーブル・ハック計画相は、1990年までに900MWの原子力発電所を建設する計画を取りやめないと言明。また、チャシュマ原発計画(17億㌦)の国際入札を妨害しているとしてアメリカを非難するとともに応札最終日を12月31日まで延長(4回目)と発表。 |
DIA-304-1983-11-07-1 | パキスタン | 1983年11月07日 | 1980年代 | 8日付Jang紙によるとジア大統領は最近インドのDelhi Recorder誌に対し次のように語った。「インド陸軍の4分の3はパキスタン国境に展開している。私はインドに対し、わが国がアフガニスタン国境への派兵を増強し得るように数個師団を他所に移していただきたいと要請したが、今のところ積極的反応を得ていない。」(POT-P、11/12)。 |
DIA-304-1983-11-07-2 | パキスタン | 1983年11月07日 | 1980年代 | パキスタンと韓国が大使級の外交関係樹立に合意。日本政府が仲介役の役割を果たした。 |
DIA-304-1983-11-07-3 | パキスタン | 1983年11月07日 | 1980年代 | ジア大統領、3日間の「北方地域」視察開姶―8日、ギルギットにパキスタン駐在大使を招いて晩さん会(シャルマ・インド大使は欠席)。10日、インドはこれを「挑発的」と非難・抗議するとともに、ギルギット町はインド領カシミール州内に位置すると主張。パキスタンはギルギット、フンザ、スカールドゥー3地域を自国の「北方地域」(Northern Areas)であり、インドと係争中のカシミールには含まれないとしている。 |
DIA-304-1983-11-09-1 | パキスタン | 1983年11月09日 | 1980年代 | ガンディー・インド首相はハリヤナ州クルクシェトラの集会で演説、パキスタンはインドとの戦争準備を進めていると非難。 |
DIA-304-1983-11-09-2 | パキスタン | 1983年11月09日 | 1980年代 | イクバール統合参謀本部議長、イタリア訪問へ。 |
DIA-304-1983-11-10-1 | パキスタン | 1983年11月10日 | 1980年代 | ハールーン内相は、反政府運動は「雲散霧消した」と宣言し、反政府暴動による死者は61人(うち12人が治安当局側)、負傷200人(同50人)、逮捕者4691人(うち2121人はすでに釈放)と発表した。 |
DIA-304-1983-11-11-1 | パキスタン | 1983年11月11日 | 1980年代 | 劉華清中国人民解放軍海軍司令官以下の中国海軍代表団、来訪(~20日)。 |
DIA-304-1983-11-12-1 | パキスタン | 1983年11月12日 | 1980年代 | 消息筋によれば、この3週間比較的平静であったシンド州で反政府活動が再燃、警察は少なくとも三つのデモ隊(約1000人)に対し催涙弾を使用。 |
DIA-304-1983-11-14-1 | パキスタン | 1983年11月14日 | 1980年代 | ジア大統領主宰の高級会議は「北方領域」の生活改善のための3人委員会設置を決定。 |
DIA-304-1983-11-14-2 | パキスタン | 1983年11月14日 | 1980年代 | ヨルダン訪問中のサワール・ハーン陸軍参謀次長、M・バドラン・ヨルダン首相と会見。 |
DIA-304-1983-11-14-3 | パキスタン | 1983年11月14日 | 1980年代 | アメリカ下院外交委員会、84/85年度分の対パキスタン軍事・経済援助5.83億㌦を承認。 |
DIA-304-1983-11-15-1 | パキスタン | 1983年11月15日 | 1980年代 | インド側カシミールのプーンチでパキスタン人スパイ・グループ、逮捕(PT、11/16)。 |
DIA-304-1983-11-15-2 | パキスタン | 1983年11月15日 | 1980年代 | 空軍演習「ジェット気流、1983」(~12月3日)。 |
DIA-304-1983-11-16-1 | パキスタン | 1983年11月16日 | 1980年代 | ジア大統領、カラチで記者会見―(1)政党との対話は強制されてのものではない。(2)自分の政党を結成したり、既成政党に入党するつもりはない。 |
DIA-304-1983-11-16-2 | パキスタン | 1983年11月16日 | 1980年代 | ジア大統領、クエッタで記者会見。(1)先般のインド首相発言(9日参照)は両国関係改善上は一時的障害にすぎない。パキスタンはインドとの平和共存を望む。(2)すべての市長は職権上、連邦評議会議員とされよう。 |
DIA-304-1983-11-16-3 | パキスタン | 1983年11月16日 | 1980年代 | ガンディー・インド首相は下院で、パキスタンがシク教徒のカーリスタン運動テロ分子訓練に係り合っている証拠があると述べた。 |
DIA-304-1983-11-16-4 | パキスタン | 1983年11月16日 | 1980年代 | バルーチスタン州トゥルバットで、オマーン軍のための兵士徴募に反対して抗議行動。20人、逮捕。 |
DIA-304-1983-11-17-1 | パキスタン | 1983年11月17日 | 1980年代 | サジャド・アリー・ボンベイ駐在パキスタン総領事(8月着任)は、「ジンナー邸」の専有権をインド政府が引き渡さないため総領事館業務を「一時停止」してニューデリーのパキスタン大使館に転勤。 |
DIA-304-1983-11-18-1 | パキスタン | 1983年11月18日 | 1980年代 | イスハーク財政相、第3回パキスタン・イラク合同閣僚委員会会議出席のためイラクへ。24日、帰国。 |
DIA-304-1983-11-19-1 | パキスタン | 1983年11月19日 | 1980年代 | カラチ大学でシンド万歳学生連盟(JSSF)とパンジャービー学生連盟(PSF)が2時間半にわたって銃撃戦を行なった(POT-P、11/23)。 |
DIA-304-1983-11-20-1 | パキスタン | 1983年11月20日 | 1980年代 | 政府、原綿輸出を禁止。 |
DIA-304-1983-11-20-2 | パキスタン | 1983年11月20日 | 1980年代 | ファズル・ハック北西辺境州知事は、同州のヘロイン47工場を完全に破壊し、ケシ畑を除去したと発表。また、現在のアフガン難民数は北西辺境州205万、バルーチスタン州および北方地域90万、パンジャープ州4万と明らかにした。 |
DIA-304-1983-11-20-3 | パキスタン | 1983年11月20日 | 1980年代 | マハブーブル・ハック開発相、日本、韓国、アメリカ、スイス、フランス歴訪に出発。 |
DIA-304-1983-11-22-1 | パキスタン | 1983年11月22日 | 1980年代 | 選挙管理委員会はジア大統領に対し政党ベースによる総選挙を答申(NW、11/23)。 |
DIA-304-1983-11-23-1 | パキスタン | 1983年11月23日 | 1980年代 | 23日付Times of India紙は、「パキスタン軍は対印国境付近の戦略的諸地域で軍展開の再編を大々的に行なっている」と報じた。 |
DIA-304-1983-11-26-1 | パキスタン | 1983年11月26日 | 1980年代 | タールプル国防相は1984年総選挙実施の可能性があると示唆するとともに、13空港建設計画を発表。 |
DIA-304-1983-11-29-1 | パキスタン | 1983年11月29日 | 1980年代 | ジア大統領は先週の米Yorshire Post紙に対し、2カ国以上がパキスタンの内政に干渉している証拠があると述べた(POT-P、12/1)。 |
DIA-304-1983-11-29-2 | パキスタン | 1983年11月29日 | 1980年代 | シャルマ駐パ・インド大使はカラチ記者クラブで、印パ関係改善のための6項目包括案を提示。 |
DIA-304-1983-12-01-1 | パキスタン | 1983年12月01日 | 1980年代 | ジア大統領は記者会見で、「総選挙という苦い薬をのまねばなるまいが、84年3月では早すぎ、84年10月でも遅すぎることはない」と述べた。 |
DIA-304-1983-12-01-2 | パキスタン | 1983年12月01日 | 1980年代 | 「自由カシミール」PPP、民主主義回復を要求してカシミールのラワールコートからイスラマバードまで1週間の「大行進」を開始4000~5000人。反政府筋によると3日までに450人逮捕、160人負傷。行進は予定の7日にイスラマバード到着できず。 |
DIA-304-1983-12-02-1 | パキスタン | 1983年12月02日 | 1980年代 | ラオ・インド外相は上院で、パキスタンはアメリカからハープーン・ミサイル100基を購入することになるかもしれないと述べた(TI、12/3)。 |
DIA-304-1983-12-02-2 | パキスタン | 1983年12月02日 | 1980年代 | ラオ・インド外相、インドはパキスタンにボンベイのジンナー邸を貸与しないと決定したと述べた。 |
DIA-304-1983-12-03-1 | パキスタン | 1983年12月03日 | 1980年代 | パキスタンがアメリカから購入するF-16戦闘爆撃機の未入手34機は1984年1月から26カ月に亘って供与される予定であったが、時期が早められて85年央に引渡し完了となる見込み(D、12/3)。 |
DIA-304-1983-12-06-1 | パキスタン | 1983年12月06日 | 1980年代 | ヤークープ外相、バングラデシュでのイスラーム諸国外相会議出席。7日、アフガニスタン問題の軍事的解決はあり得ないと演説。 |
DIA-304-1983-12-07-1 | パキスタン | 1983年12月07日 | 1980年代 | 対パキスンタ債権国会議(パリ、~8日)―マハブーブル・ハック計画相はパリで記者会見。(1)パキスタンの第6次5カ年計画期に外国援助の総流入100億㌦(純流入60億㌦)を要請した。これは債権国、非債権国、商業銀行、直接外国投資を含む。(2)次回の対パキスタン債権国会議は84年4月。マ計画相はこのあと日本、韓国、スイス、フランスを歴訪(1~11日)。 |
DIA-304-1983-12-07-2 | パキスタン | 1983年12月07日 | 1980年代 | 綿繰り業者協会によると83/84年度の綿花生産は300~310万ベイル(前年度比38.0~36.0%減)。 |
DIA-304-1983-12-10-1 | パキスタン | 1983年12月10日 | 1980年代 | イスラマバードでイスラーム学者250人による「今日のイスラーム」、と題する国際会議(~12日)。 |
DIA-304-1983-12-13-1 | パキスタン | 1983年12月13日 | 1980年代 | H・U・ベーグ財政次官は、83年7~10月のインフレ率は5.81%(前年同期2.4%)と発表。 |
DIA-304-1983-12-14-1 | パキスタン | 1983年12月14日 | 1980年代 | イスハーク財政相、訪ソ(~20日)。16日、ムルターン火力発電所(210MWの発電機3基)建設に対する援助協定調印。20日、イスハーク財政相は帰国後の記者会見で、ソ連はチャシュマ原発およびカーラーバーグ・ダム建設への援助も考慮しているという。 |
DIA-304-1983-12-14-2 | パキスタン | 1983年12月14日 | 1980年代 | 今までに北西辺境州のアフガン難民のうち4万9000人以上がパンジャーブ州に移住させられた。あと6カ月~1年で総計20万人の同州への移住が完了の予定。 |
DIA-304-1983-12-15-1 | パキスタン | 1983年12月15日 | 1980年代 | カムラ航空コンプレックス初の製品である軽練習機5機が陸軍と空軍に引き渡された。 |
DIA-304-1983-12-17-1 | パキスタン | 1983年12月17日 | 1980年代 | 最近、パンジャーブ州レガーリーとダカーニーで2油田発見(日産1万バレル)。 |
DIA-304-1983-12-17-2 | パキスタン | 1983年12月17日 | 1980年代 | 北西辺境州ディール警察はアフガニスタンのカープルに新たな反パキスタン政府の暴力的政治組織「リアーカット」が存在することを発見。同組織はアフガニスタン秘密警察の指揮下にあるという(D、12/18)。 |
DIA-304-1983-12-17-3 | パキスタン | 1983年12月17日 | 1980年代 | ガンディー・インド首相はカルカッタで、パキスタンは戦争準備をしていると非難(IT、12/19)。 |
DIA-304-1983-12-17-4 | パキスタン | 1983年12月17日 | 1980年代 | サウジアラビアで出入国管理法違反のためパキスタン人7000人が投獄されている(VP、12/22)。 |
DIA-304-1983-12-18-1 | パキスタン | 1983年12月18日 | 1980年代 | 中央銀行82/83年度報告書、発表。 |
DIA-304-1983-12-19-1 | パキスタン | 1983年12月19日 | 1980年代 | Z・H・ボパーリー連邦評議員暗殺の被疑者によると、アフガニスタン陸軍はカーブルで5~6組織に対しパキスタン国内での破壊活動のために訓練を施しているという(D、12/20)。 |
DIA-304-1983-12-19-2 | パキスタン | 1983年12月19日 | 1980年代 | インド外務省はパキスタンのピラーチャ駐印大使を招致して、「印パ間のあらゆる問題について話し合う用意がある」と伝えた。ただ、パキスタン提案の印パ不戦条約あるいはインド提案の印パ平和友好条約の協議は「両国関係の改善を待たねばならない」としている。 |
DIA-304-1983-12-19-3 | パキスタン | 1983年12月19日 | 1980年代 | 綿工業筋によると、綿花不作による原綿価格高騰で過去数日の間に小規模の綿工場10万カ所が閉鎖され、50万人以上が失職。原綿価格はこの1年で80%増。 |
DIA-304-1983-12-21-1 | パキスタン | 1983年12月21日 | 1980年代 | ガンディー・インド首相はボンベイで、シク教徒の反乱に「パキスタンが関与しているかもしれないが、それは他の諸国かもしれない」と述べた。 |
DIA-304-1983-12-21-2 | パキスタン | 1983年12月21日 | 1980年代 | ジア大統領、ムルターンで大衆に演説。(1)イスラーム的方法で選挙された政府に政権を移譲する。(2)イスラーム化の過程を危うくすることは許されない。 |
DIA-304-1983-12-22-1 | パキスタン | 1983年12月22日 | 1980年代 | パンジャーブ州高等教育機関の学生自治会選挙のほとんどでJTIが勝利。 |
DIA-304-1983-12-22-2 | パキスタン | 1983年12月22日 | 1980年代 | 22日付Time of India紙はパキスタンの軍事産業の拡張について報告。 |
DIA-304-1983-12-23-1 | パキスタン | 1983年12月23日 | 1980年代 | ジア大統領、記者会見―(1)1977年の混乱の責任のある政治家たちの復帰は絶対に許さない。(2)8月12日発表の政治構想を断固として実現する。(3)パキスタンとインドとの関係改善のための環境は良好だ。 |
DIA-304-1983-12-24-1 | パキスタン | 1983年12月24日 | 1980年代 | カラチ大学学生自治会でJTIが圧勝。 |
DIA-304-1983-12-25-1 | パキスタン | 1983年12月25日 | 1980年代 | パキスタン製鉄所のホット・ストリップ・ミル、就役。圧延板の年産45万㌧。84/85年度末までに年産100万㌧の予定。 |
DIA-304-1983-12-29-1 | パキスタン | 1983年12月29日 | 1980年代 | 国勢調査コミッショナー事務局、81年国勢調査結果を発表。これによると、家庭で通常用いられる言語の人口比率は以下のとおり。パンジャービー48.7%、パシュト13.1%、シンディー11.8%、サライキー・9.8%、ウルドゥー7.6%.バルーチー3.0%、ヒンディー2.4%、他2.8%。 |
DIA-304-1984-01-01-1 | パキスタン | 1984年01月01日 | 1980年代 | 83年12月25日のモスクワ放送は,パキスタンが国内にアメリカのパーシングⅡ型ミサイルの配備を許可の予定,あるいは許可した,と報道したが,パキスタン政府はこれを否定した(Bangladesh Observer,1/2)。 |
DIA-304-1984-01-03-1 | パキスタン | 1984年01月03日 | 1980年代 | アメリカの軍事専門家によると,インドは陸軍29個師団および所有ジェット戦闘機の3分の2を印パ国境に展開していると言明(POT-P,1/6)。 |
DIA-304-1984-01-03-2 | パキスタン | 1984年01月03日 | 1980年代 | シャミーム空軍参謀長,ペシャーワルの北部空軍司令部を開所(82年設置の3司令部の一つ)。 |
DIA-304-1984-01-07-1 | パキスタン | 1984年01月07日 | 1980年代 | ヤークーブ外相はNawa-e-Waqt紙とのインタビューで,パはインドと,印パ不戦条約(パ提案)と印パ平和友好協力条約(インド提案)について同時会談を行ないたいと述べた。 |
DIA-304-1984-01-08-1 | パキスタン | 1984年01月08日 | 1980年代 | 経済代表団,訪中(~17日)。スームロ工業相以下10人。 |
DIA-304-1984-01-08-2 | パキスタン | 1984年01月08日 | 1980年代 | インドのヴェンカタラーマン国防相によると,印パ国境で過去2~3週間に数回の発砲事件があった。 |
DIA-304-1984-01-09-1 | パキスタン | 1984年01月09日 | 1980年代 | 外務省は,インドがカシミールの印パ実効支配線を84年に入ってすでに11回も侵犯した,と非難。 |
DIA-304-1984-01-10-1 | パキスタン | 1984年01月10日 | 1980年代 | パキスタン人民党(PPP)指導者のベーナジール・ブット女史釈放さる。34カ月の自宅軟禁後。同日,スイスのチューリッヒ(母のヌスラットPPP党首が病気療養中)へ。13日,耳疾手術のため訪英。 |
DIA-304-1984-01-10-2 | パキスタン | 1984年01月10日 | 1980年代 | サウジアラビアのスルターン・B・A・アジーズ国防相,来訪(~11日)。 |
DIA-304-1984-01-11-1 | パキスタン | 1984年01月11日 | 1980年代 | 日本の綿紡業界によるとパはこのほど綿紡メーカーなど輸出企業への金利優遇措置を廃止。 |
DIA-304-1984-01-12-1 | パキスタン | 1984年01月12日 | 1980年代 | パの上空調査研究委員会(SUPARCO)によると,パは500km程度のロケット打上げ能力を有し,87/88年度に国立通信衛生局(PAKSAT)が試験発射を実施の予定(Times of India,1/13)。 |
DIA-304-1984-01-12-2 | パキスタン | 1984年01月12日 | 1980年代 | 12日付Pakistan Times紙は社説でインドの軍拡を詳細に分析しつつ非難。 |
DIA-304-1984-01-12-3 | パキスタン | 1984年01月12日 | 1980年代 | 政府はこのほど,パキスタン自動車公社(PACO)と日野自動車工業の合弁企業設立を認可。 |
DIA-304-1984-01-13-1 | パキスタン | 1984年01月13日 | 1980年代 | ジア大統領,第4回イスラーム諸国首脳会議出席のためモロッコへ。出発前の記者会見で,ベーナジール女史釈放は英米の圧力によるとの噂を否定。21日,帰国の途次,サウジアラビア訪問。22日帰国。 |
DIA-304-1984-01-14-1 | パキスタン | 1984年01月14日 | 1980年代 | パンジャーブ州で女性による歌および舞踏の興業が禁止された。 |
DIA-304-1984-01-15-1 | パキスタン | 1984年01月15日 | 1980年代 | イスラマバードで印パ貿易,経済問題の2小委員会開催(~17日)。19日,ニューデリーで印パ教育・文化および観光の2小委員会開催(~21日)。 |
DIA-304-1984-01-16-1 | パキスタン | 1984年01月16日 | 1980年代 | 16日付Dawn紙によると,ソ連のノーボスチ通信は,パがF-16型戦闘機(機数不明)を「北方地域」に配備したと伝えた。 |
DIA-304-1984-01-16-2 | パキスタン | 1984年01月16日 | 1980年代 | 16日付Jang紙によると,最近ソ連がパに200億ドルの借款供与を申し出たが,パ政府の態度は未決定。 |
DIA-304-1984-01-18-1 | パキスタン | 1984年01月18日 | 1980年代 | シャルマ駐パ・インド大使は,印パ国境方面にインド軍29個師団が展開との最近の報道(1月3日参照)を否定するとともに,印パ両国はそれぞれ17~18個師団を国境方面に展開していると語った。 |
DIA-304-1984-01-18-2 | パキスタン | 1984年01月18日 | 1980年代 | シンド州警視総監はシンド,パンジャーブ両州のテロリストはインドで訓練されている,と非難。 |
DIA-304-1984-01-19-1 | パキスタン | 1984年01月19日 | 1980年代 | インドのDTI通信(モスクワ発)によると,アメリカによる対パ武器供与でパは6個歩兵師団を増設し得るという(Times of India,1/20)。 |
DIA-304-1984-01-22-1 | パキスタン | 1984年01月22日 | 1980年代 | ソ連の軍事専門家の論文(Asia and Africa To-day所収)によると,パは「まもなく」核爆弾を所有するだろうという(Times of India,1/23)。 |
DIA-304-1984-01-23-1 | パキスタン | 1984年01月23日 | 1980年代 | 種々の軍事関係出版物によると,パは軍事関係者が「C-3」と呼ぶ司令・通信網を設置中(1980年に数百万ドルの予算で着手)。これは頂点の司令部にリンクされる。なお先週,Washington Post紙が,米パ間には情報交換および米軍による緊急時のパ空軍基地使用で密約あり,と暴露(Times of India,1/23)。 |
DIA-304-1984-01-23-2 | パキスタン | 1984年01月23日 | 1980年代 | ジア大統領は記者会見で,1973年憲法は無政党ベースの選挙を禁じていないなどと述べた。 |
DIA-304-1984-01-24-1 | パキスタン | 1984年01月24日 | 1980年代 | サウジアラビアのナイーフ・B・A・アジーズ内務相,来訪。 |
DIA-304-1984-01-25-1 | パキスタン | 1984年01月25日 | 1980年代 | 連邦統計局は経済統計の基準年次を75/76年度から80/81年度へと変更,また消費者物価調査対象357品目のウェイトを変更予定,と発表。 |
DIA-304-1984-01-25-2 | パキスタン | 1984年01月25日 | 1980年代 | 北西辺境州知事のファズル・ハック陸軍中将は,ある演説において,「1984年は総選挙の年だ。10月には州議会選挙が実施されそうだ」と述べた。 |
DIA-304-1984-01-26-1 | パキスタン | 1984年01月26日 | 1980年代 | 民主主義回復運動(MRD)に「人民運動」(AT―「シンド人民運動(SAT)」が改称)が参加し,MDRは10政党(すべて非合法)になった。 |
DIA-304-1984-01-26-2 | パキスタン | 1984年01月26日 | 1980年代 | 戒厳令命令第95号発令。これにより,すべての婦人,46歳以上の成年男子,17歳以下の男女に対するむち打ちの刑が禁止された。 |
DIA-304-1984-01-26-3 | パキスタン | 1984年01月26日 | 1980年代 | 訪パ中のソ連貿易使節団によると,ソ連はパに対し天然ガス掘さく用リグ2基を売却する模様。 |
DIA-304-1984-01-27-1 | パキスタン | 1984年01月27日 | 1980年代 | アフガニスタンのミグ戦闘機2機がパのワジーリスタン自治区を爆撃,またロケット弾攻撃。民間人40人死亡,50~60人負傷。ア政府は否定。 |
DIA-304-1984-01-27-2 | パキスタン | 1984年01月27日 | 1980年代 | 27日付Washington Postおよび30日付POP-Tによると,ソ連はこのほどパに対し,ムルターン火力発電所(630MW)建設のために2億7700万ドル,石油掘さくリグ2基(600万ドル),ソ連援助によるパキスタン製鉄所(8億ドル)への追加援助などの供与に同意した。 |
DIA-304-1984-01-28-1 | パキスタン | 1984年01月28日 | 1980年代 | 『毎日新聞』29日によると,イラン国営放送はニューデリーからの通信として,5000人を越える米緊急展開部隊がイランとパの国境に集結した,と伝えた。 |
DIA-304-1984-01-28-2 | パキスタン | 1984年01月28日 | 1980年代 | ジア大統領はイギリスのImpact誌と会見,パの総選挙は1985年3月前に実施されるかもしれないが,政党ベースか無政党ベースかは未定,と述べた。 |
DIA-304-1984-01-28-3 | パキスタン | 1984年01月28日 | 1980年代 | モルディヴのガユーム大統領,来訪。 |
DIA-304-1984-01-30-1 | パキスタン | 1984年01月30日 | 1980年代 | 戒厳令規則第60号布告-イスラマバード連邦首都区のすべての学生自治会を禁止。 |
DIA-304-1984-02-01-1 | パキスタン | 1984年02月01日 | 1980年代 | 1日付Jang紙によると,ジア大統領は最近の米Parade誌との会見で次のように述べた。(1)今必要なのはパの安全確保に対するアメリカの明確な保障だ。(2)この地域で自由世界の防護に努めているのはパだけである。パはすでに南西アジアでも,とくにペルシャ湾がアメリカの利益を保護している。(3)アフガン聖戦士たち(=反アフガニスタン政府ゲリラ)は実際上パを防衛して,いるようなものだ(POT-P,2/7)。これに対し3日付のパ政府系Pakistan Times紙は,同上誌記事は前後関係を無視した不正確なもので誤解を招くと非難するとともにパの非同盟としての立場を強調。 |
DIA-304-1984-02-01-2 | パキスタン | 1984年02月01日 | 1980年代 | 内務,外務両省代表団がアラブ首長国連邦(UAE)を訪問(2月1日~3日)し,防衛面の相互協力などに関する協定草案を協議(Morning News,2/6)。 |
DIA-304-1984-02-02-1 | パキスタン | 1984年02月02日 | 1980年代 | ギルギット空港の滑走路拡張のために中国調査チーム(2人)が来訪中(Morning News,2/2。 |
DIA-304-1984-02-04-1 | パキスタン | 1984年02月04日 | 1980年代 | ジア大統領は記者会見で,二つの主要選挙のうち一つが年内にも行なわれる可能性があると言明。 |
DIA-304-1984-02-04-2 | パキスタン | 1984年02月04日 | 1980年代 | 政府,インド航空職員2人のビザ延長を不許可。8日,インド政府はニューデリーのパ国際航空職員2人を国外追放。 |
DIA-304-1984-02-05-1 | パキスタン | 1984年02月05日 | 1980年代 | イスラマバードの外交筋の噂では,1月2日にラホールで武器が押収されて以来3週間で20~150人の下士官がクーデター計画容疑で逮捕されたというが,2月5日,政府スポークスマンはこれを否定。 |
DIA-304-1984-02-06-1 | パキスタン | 1984年02月06日 | 1980年代 | ジア大統領,米Asiam Monitorと電話インタビュー。(1)選挙管理委員会に登録した政党は総選挙参加を許されよう。(2)私は今のところ政治的野心はないが,先のことは神のみがご存知だ。(3)選挙前に憲法を改正する(Dawn紙,2/7)。 |
DIA-304-1984-02-07-1 | パキスタン | 1984年02月07日 | 1980年代 | パキスタンの綿繰り協会(PCGA)の調査によると83/84年度の綿花生産は232万ペイルで前年度の440万ペイルの47.3%減。 |
DIA-304-1984-02-07-2 | パキスタン | 1984年02月07日 | 1980年代 | 教育省は,85年春からコーラン暗誦コースを完了した者のみに高校受験資格を与えると決定。 |
DIA-304-1984-02-08-1 | パキスタン | 1984年02月08日 | 1980年代 | パの核科学者アブドゥル・カディール・ハーン博士は,パは濃縮ウランの製造技術を有し,核兵器を製造できると述べた(朝日,2/10)。 |
DIA-304-1984-02-09-1 | パキスタン | 1984年02月09日 | 1980年代 | パンジャーブ州戒厳司令官,州内の全学生自治会を禁止,資金凍結。代りに今後各教育機関は州政府布告の規則に基づいて「学生評議会」を設置してよい。11日,シンド州でも同様の措置。各地で学生が反政府騒動を引き起こし,5月中旬まで続いた。 |
DIA-304-1984-02-10-1 | パキスタン | 1984年02月10日 | 1980年代 | 10日付Jang紙によると,最近ペシャーワルで,バルーチスタン州ハブ(カラチ近郊)までのパ領をアフガニスタン領とする地図(ソ連で印刷)が配布された。 |
DIA-304-1984-02-11-1 | パキスタン | 1984年02月11日 | 1980年代 | インドでバット・カシミール民族解放戦線(KNLF)活動家処刑。パ側カシミールで抗議デモ。 |
DIA-304-1984-02-13-1 | パキスタン | 1984年02月13日 | 1980年代 | ジア大統領,訪ソ-アンドロポフ前ソ連共産党書記長の葬儀に列席のため。モスクワではチェルネンコ新書記長,グロイムコ外相のいずれにも会えず,15日帰国。なお,パの半旗掲揚は2日間。 |
DIA-304-1984-02-13-2 | パキスタン | 1984年02月13日 | 1980年代 | ガッフール・イスラーム協会(JI)副党首はDawn紙(15日付)との会見で,政府に協力するというJIの方針は失敗であり,再検討中と言明。 |
DIA-304-1984-02-14-1 | パキスタン | 1984年02月14日 | 1980年代 | 14日付Dawn紙によると,ここ数日間低廉良質のソ連製綿布がペシャワールにあふれている。ソ連製多目的石油ストーブの価格は1台90~100ルピーに定着。 |
DIA-304-1984-02-15-1 | パキスタン | 1984年02月15日 | 1980年代 | ガンディー・インド首相は,ポーランド共産党機関紙Trybuna Ludu紙との会見で,(1)パは戦争準備をしている,(2)パからの最大の脅威は通常戦だ,などと述べた(Times of India,2/16)。 |
DIA-304-1984-02-19-1 | パキスタン | 1984年02月19日 | 1980年代 | 20日付Daily Newsによると,ジア大統領は19日付英Sunday Telegraph紙との会見で,(1)インドによる最近の(パ政府)転覆努力はソ連の黙認を得たものだ,(2)ソ連はアフガニスタンから決して撤兵しないだろう,などと述べた。 |
DIA-304-1984-02-22-1 | パキスタン | 1984年02月22日 | 1980年代 | ジア大統領,ブルネイ訪問。出発前の記者会見で,「学生自治会禁止は学生の騒動を引き起こして総選挙延期の口実にするためのものだ」との最近の新聞報道を否定。23日,ブルネイ独立祝賀会出席。25日,帰国後の記者会見で,「パでは政党が活動していたのでは選挙は不可能だ」と述べた。 |
DIA-304-1984-02-26-1 | パキスタン | 1984年02月26日 | 1980年代 | アメリカはパに空対空ミサイルを供与する協定に調印。射程30km,基数不明。パはこれにより「最新の防衛技術」の段階に入るという。 |
DIA-304-1984-02-26-2 | パキスタン | 1984年02月26日 | 1980年代 | パキスタン国民党(PNP)のビゼンジョー党首,釈放さる。 |
DIA-304-1984-02-27-1 | パキスタン | 1984年02月27日 | 1980年代 | ニューデリーで南アジア地域協力機構(SARC)会議開始。パはナーイク外務次官出席。3月1日~2日,ナ次官はウダイプルでラスゴトラ・インド外務次官とパ提案の印パ不戦条約,インド逆提案の印パ平和友好協力条約などについて会談。 |
DIA-304-1984-02-29-1 | パキスタン | 1984年02月29日 | 1980年代 | ジア大統領,「イスラーム方式総選挙キャンペーン」開始。まず,バルーチスタン州シッビーで演説。(1)総選挙はイスラームの諸原則に基づいて行なう。西欧の流儀は完全に捨てなくてはならない。(2)バルーチスタン州開発予算は71/72年度の8倍になった。 |
DIA-304-1984-03-02-1 | パキスタン | 1984年03月02日 | 1980年代 | ラホールで爆薬破裂,2名死亡。 |
DIA-304-1984-03-03-1 | パキスタン | 1984年03月03日 | 1980年代 | 軍の人事異動。M・イクパール・ハーン陸軍大将(統合参謀本部議長)を退役,後任にバルーチスタン州知事のラヒームッディン・ハーン中将が大将に昇格して就任。サワール・ハーン陸軍大将(陸軍参謀次長)を退役,後任にK・M・アーリフ陸軍中将(大統領主席顧間)が大将に昇格して後任。ともに3月22日就任。 |
DIA-304-1984-03-03-2 | パキスタン | 1984年03月03日 | 1980年代 | 5日付Dawn紙によると,ラホールのマヨ病院入院のヘロイン常用患者は81年の2人から83年461人,84年は1月のみで,109人に激増。3日同病院筋の発表。 |
DIA-304-1984-03-04-1 | パキスタン | 1984年03月04日 | 1980年代 | 李先念中国国家主席,来訪(~9日)パ,ヨルダン,トルコ,ネパール歴訪の一環。5日,ジア大統領と会談,「外国軍」のアフガニスタンからの撤退を要求。6日,2度目の両国首脳会談。 |
DIA-304-1984-03-04-2 | パキスタン | 1984年03月04日 | 1980年代 | 内閣改造-N・ジョーゲザイ保健相,R・F・アリー・ハーン(退役陸軍少将)天然資源相,M・A・K・アッバーシー宗教相,解任。とりあえず後任なく,保健相と天然資源相はジア大統領が兼任し,宗教相はR・ザファルル・ハック情報相が兼任(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1984-03-05-1 | パキスタン | 1984年03月05日 | 1980年代 | 7日付Muslim紙によると,ヨーロッパに亡命中のPPP指導者35人がロンドンで7時間に及ぶ会議を開き(議長はベーナジール女史),組織問題や今後の政治戦略を討議したが,左右両派が激しく対立したという。 |
DIA-304-1984-03-05-2 | パキスタン | 1984年03月05日 | 1980年代 | ガッフールJI副党首は記者会見で,JIはPPPに敵意を有さず,と言明(POT-P,3/9)。 |
DIA-304-1984-03-08-1 | パキスタン | 1984年03月08日 | 1980年代 | ワリー・ハーン全国民主党(NDP)指導者,釈放さる(83年9月逮捕)。 |
DIA-304-1984-03-10-1 | パキスタン | 1984年03月10日 | 1980年代 | アメリカから対パ供与のF-16戦闘機第2陣の6機到着。これら6機には高性能レーダーALR-69が装備されているという。 |
DIA-304-1984-03-10-2 | パキスタン | 1984年03月10日 | 1980年代 | 10日付Economistによると,パで最近軍人40人と民間人3人がクーデター計画容疑で逮捕。これらの軍人のほとんどは陸軍少佐で,大佐1名,大尉数名も含まれていた。他に将校400人が尋問を受けた。また,ロンドンに亡命中のカル元パンジャーブ州知事(PPP)が陰謀の調整役を引き受けていたとされる。関係将校たちは上級将官(複数)の暗黙の了解を得ていたとされ,某陸軍大将をかつぎ出すつもりだったらしい。 |
DIA-304-1984-03-12-1 | パキスタン | 1984年03月12日 | 1980年代 | 重要人事-陸軍中将アッバーシー・シンド州知事に代えてジャハーンダード・ハーン陸軍中将をシンド州知事に任命(3月30日就任)。S・F・ローディー陸軍中将をバルーチスタン州知事に任命(3月22日就任)。 |
DIA-304-1984-03-12-2 | パキスタン | 1984年03月12日 | 1980年代 | ジア大統領,ペシャーワルで演説。(1)今後の選挙は厳格にイスラム法に基づいて行なう。(2)憲法のなかの矛盾を除去する。(3)選挙過程は年内に開始され,来年3月までに完了しよう。ジア大統領は演説において総選挙のための14項目ガイドラインを発表。 |
DIA-304-1984-03-13-1 | パキスタン | 1984年03月13日 | 1980年代 | JIの機関紙Jasarat紙13日は,イスラームは軍事独裁強化のために利用され,戒厳令の下位に置かれていると非難(Daily Report,3/14)。 |
DIA-304-1984-03-18-1 | パキスタン | 1984年03月18日 | 1980年代 | 18日付英Sunday Times紙によると,インドはロンドンに亡命中のPPP指導者たちと組んでジア大統領を含むパの要人たちを3月23日に暗殺する計画を立てていたという(Nawa-e-Waqt,3/19)。 |
DIA-304-1984-03-18-2 | パキスタン | 1984年03月18日 | 1980年代 | 19日付Muslim紙によると,政府は,公務員・政府関係機関の第1~4等級職ポストの50%および第5~15等級ポストの25%を退役軍人用に留保するよう指示。 |
DIA-304-1984-03-19-1 | パキスタン | 1984年03月19日 | 1980年代 | 印パ間直通電話テスト(4月1日開始)。 |
DIA-304-1984-03-21-1 | パキスタン | 1984年03月21日 | 1980年代 | ベーナジール女史,2週間の予定で訪米。 |
DIA-304-1984-03-21-2 | パキスタン | 1984年03月21日 | 1980年代 | 海軍中将ターリク・カマール・ハーン海軍参謀長(83年3月22日就任),大将に昇格。 |
DIA-304-1984-03-22-1 | パキスタン | 1984年03月22日 | 1980年代 | マレーシアのマハティール首相,来訪。 |
DIA-304-1984-03-26-1 | パキスタン | 1984年03月26日 | 1980年代 | 26日付Times of Indiaに,よると,パでは最近さらに軍将校4人,警視副総監1人,元政治家3人,法律家1人が逮捕され,クーデター計画容疑の逮捕者はこれで軍将校45人,民間人12人前後となった。 |
DIA-304-1984-03-27-1 | パキスタン | 1984年03月27日 | 1980年代 | 訪パ中のマハティール・マレーシア首相は帰国前の記者会見で,パの核科学者たちがマレーシアの原子力発電所建設に協力することになろうと述べた。 |
DIA-304-1984-03-29-1 | パキスタン | 1984年03月29日 | 1980年代 | ジア大統領,ギニアのセクー・トゥーレ大統領の葬儀列席のため同国訪問。帰路,サウジアラビア訪問。4月2日,帰国。 |
DIA-304-1984-03-30-1 | パキスタン | 1984年03月30日 | 1980年代 | ジア大統領,連邦評議会(MaJlis-e-shoora)メンバー39人を新たに指名・任命。 |
DIA-304-1984-03-31-1 | パキスタン | 1984年03月31日 | 1980年代 | シンド州警察筋によると,同州では過去3カ月間に「盗賊」との武力衝突で警官81人が死亡,179人が負傷(Daily Report,4/3)。 |
DIA-304-1984-04-02-1 | パキスタン | 1984年04月02日 | 1980年代 | 「永遠のシンド運動」(Jiye Sind Movement)のG・M・サイヤッド委員長は日刊Jasarat紙(3日付)との会見で,まず非暴力民族運動が重要であり,階級闘争は独立後のことにすべきだ,などと語った。 |
DIA-304-1984-04-03-1 | パキスタン | 1984年04月03日 | 1980年代 | 米の上院外交問題委員会は対パ軍事援助継続の条件として,「パが核兵器を所有していないこと,あるいは製造しようとしていないことをレーガン大統領が保証すること」を求めた法案を9対8で棄却。ただし,「パが核兵器を所有していないことを米大統領が確認すること,米援助計画はパの核兵器保持の危険性を大幅に減らすであろう」という,原案を緩和した決議を採択した。 |
DIA-304-1984-04-03-2 | パキスタン | 1984年04月03日 | 1980年代 | 4日付Pakistan Times紙は以下の陸軍人事異動を報道。中将Sardar F. S. Lodhiラホール軍団司令官→バルーチスタン州知事-軍団後任はAslam Shah中将。中将C. A. MaJeedペシヤーワル軍団司令官→退役-後任はIqbal中将。Ahmed Jamal中将→退役。中将Saeed Qadir生産相→陸軍補給部長を解任-後任はAslam Mirza中将(POT-P,4/5)。 |
DIA-304-1984-04-05-1 | パキスタン | 1984年04月05日 | 1980年代 | Jang紙5日によると,アメリカの駐パ外交官たちは米上院のある委員会から受け取ったアンケート表を持ってこのところパの政治家たちに会見している。これは,同委員会がパの民主主義回復に関して態度を決定するための一資料にされるという。 |
DIA-304-1984-04-06-1 | パキスタン | 1984年04月06日 | 1980年代 | サウジアラビア外相のサウド・アル・ファイサル王子が突然来訪,ヤークーブ外相と会見,同日帰国。 |
DIA-304-1984-04-07-1 | パキスタン | 1984年04月07日 | 1980年代 | 来訪中のサウジアラビア商業代表団はパ人に対するサウジ政府の厳しいビザ制限に触れ,パ人の偽造パスポートなどのためパ人はサウジ政府にとって大変な頭痛の種だ,などと述べた(Muslim,4/8)。 |
DIA-304-1984-04-07-2 | パキスタン | 1984年04月07日 | 1980年代 | コルドヴェス国連特使,カーブルから来訪(アフガニスタンの日誌参照のこと)。 |
DIA-304-1984-04-08-1 | パキスタン | 1984年04月08日 | 1980年代 | カーディル生産相は,チャシュマ原子力発電所の国際入札申込期限をさらに延期すると発表するとともに,同プロジェクトの完成予定は1988年から91年に延期されたと明らかにした。同相は9日,イスハーク財政相は83年12月の訪ソ時にソ連に原発建設費として17億ドルの援助を要請したと明らかにした。 |
DIA-304-1984-04-08-2 | パキスタン | 1984年04月08日 | 1980年代 | ベーナジールPPP党首代行はロンドンで開かれた大規模なPPP党員・支持者の集会で,国民の権利が回復されなければ(平和的運動とは)別の方法をとるかもしれないなどと演説(Dawn,4/10)。 |
DIA-304-1984-04-09-1 | パキスタン | 1984年04月09日 | 1980年代 | ジア大統領はカラチでの演説で,イスラーム化の賛否を問う国民投票を行なうかもしれないと述べた。 |
DIA-304-1984-04-12-1 | パキスタン | 1984年04月12日 | 1980年代 | 中国の新華社代表団,来訪。 |
DIA-304-1984-04-12-2 | パキスタン | 1984年04月12日 | 1980年代 | ジア大統領,MRD政治家281人を釈放。 |
DIA-304-1984-04-12-3 | パキスタン | 1984年04月12日 | 1980年代 | 対パ債権国会議は,パの84/85年度援助要請額16億4000万ドルに対し18億2000万ドルを約束。 |
DIA-304-1984-04-14-1 | パキスタン | 1984年04月14日 | 1980年代 | ジア大統領は月刊Urdu Digest誌主催の「国民連帯セミナー」(12~14日,ラホール)最終日に演説。(1)パの統治形態に関する国民投票を行ないたい。(2)議会制民主主義より大統領制のほうが適切だと思う。 |
DIA-304-1984-04-16-1 | パキスタン | 1984年04月16日 | 1980年代 | ハリーファ・カタール首長,来訪。 |
DIA-304-1984-04-16-2 | パキスタン | 1984年04月16日 | 1980年代 | Jamal A. Khan中将,空軍参謀次長に任命。 |
DIA-304-1984-04-17-1 | パキスタン | 1984年04月17日 | 1980年代 | 申秉鉉韓国副首相兼経済企画相,来訪。 |
DIA-304-1984-04-17-2 | パキスタン | 1984年04月17日 | 1980年代 | M. Jamali地方自治体・農村開発相およびS. Aziz食糧・農業・協同組合担当閣外相,就任。 |
DIA-304-1984-04-17-3 | パキスタン | 1984年04月17日 | 1980年代 | 北西辺境州のアフガン難民数は現在206万。 |
DIA-304-1984-04-17-4 | パキスタン | 1984年04月17日 | 1980年代 | 「民主学生連合」(DSA―MRD傘下の10学生組織から成る)は学生自治会禁止(2月参照)撤回を目指して「イスラーム学生協会」(IJT―JIの学生組織)との原則的共闘を決定(D,4/19)。 |
DIA-304-1984-04-18-1 | パキスタン | 1984年04月18日 | 1980年代 | インド政府は,パがシク教徒の反乱を支援している確証があるとして閣議で検討。 |
DIA-304-1984-04-18-2 | パキスタン | 1984年04月18日 | 1980年代 | パの民間機2機がインド領に迷い込み1機が着陸。20日,インド政府はパに操縦者2人と機体を返還。 |
DIA-304-1984-04-20-1 | パキスタン | 1984年04月20日 | 1980年代 | ベーナジール・ブットPPP党首代行はロンドンでBBC放送と会見,PPPは武装闘争には反対だと語った(Dawn,4/21)。 |
DIA-304-1984-04-21-1 | パキスタン | 1984年04月21日 | 1980年代 | ジア大統領,日刊諸紙編集長と会見。(1)議会選挙の前に大統領の直接選挙を行なうべきだというのは私の個人的意見であり,政府決定ではない。(2)議会選挙は無政党ベースとし,政党活動の許可は選挙後とすべきだ。(3)連邦評議会は選挙後解散。(4)73年憲法改正については83年8月12日(「新政治体制」構想発表)に示唆したとおり。(5)(学生自治会禁示に反対する)学生騒動の逮捕者は現在までで51人。(6)高校レベルまでの全教科の教育用言語は1989年までにウルドゥー語に変えられることになっている。この決定は変えられないであろう。 |
DIA-304-1984-04-22-1 | パキスタン | 1984年04月22日 | 1980年代 | サウジアラビア副首相兼国家警備隊総司令官のアブドゥッラー皇太子,来訪。 |
DIA-304-1984-04-25-1 | パキスタン | 1984年04月25日 | 1980年代 | Afifa Mamdot婦人局担当閣外相,辞任。 |
DIA-304-1984-04-26-1 | パキスタン | 1984年04月26日 | 1980年代 | ジア大統領,「カーディヤーニー・グループ,ラホーリー・グループおよびアフマディーヤ派〈禁止および処罰〉政令,1984年」を布告。これは通常「アフマディーヤ」と呼ばれるこれら3派の宗派がムスリム(イスラーム教徒)を名乗ることやイスラーム用語の使用を禁じるなどを規定(1975年版年報の9月7日参照)。 |
DIA-304-1984-04-29-1 | パキスタン | 1984年04月29日 | 1980年代 | マフブーブル・ハック計画相は,国連食糧・農業機関の会議出席のため訪パ中のインドのラオ・ビレンドラ・シン農相と会談。 |
DIA-304-1984-04-30-1 | パキスタン | 1984年04月30日 | 1980年代 | 中曽根首相,来訪-日本の首相としては23年ぶり。5月1日,ジア大統領との会談において首相はアフガニスタン問題でパに全面的支持を表明。同日ヤークーブ,安倍両外相が出席して日パ合同委員会第1回会合,また外相会談。5月2日,首相はペシャーワル近郊のアフガン難民キャンプでソ連を厳しく非難。同日の記者会見で日パ協力強化を強調。3日,インドへ。 |
DIA-304-1984-05-03-1 | パキスタン | 1984年05月03日 | 1980年代 | ヤークーブ外相,アルジェリアおよびリビア訪問。アルジェリアはパ外相として初めて。10日,帰国。 |
DIA-304-1984-05-04-1 | パキスタン | 1984年05月04日 | 1980年代 | タールプール国防省は,(1)議会選挙より先に大統領選挙を行なうべきで,内閣は新大統領の名を提案すべきだ,(2)終身元首がいるべきだ,と主張。 |
DIA-304-1984-05-05-1 | パキスタン | 1984年05月05日 | 1980年代 | アラブ首長国連邦のS・ザイード・B・A・ナハヤーン大統領,来訪。 |
DIA-304-1984-05-05-2 | パキスタン | 1984年05月05日 | 1980年代 | アフマディーヤ協会(JA)は本部をパンジャーブ州ラブワからシンド州内陸部某所に移転と決定。 |
DIA-304-1984-05-07-1 | パキスタン | 1984年05月07日 | 1980年代 | インドのUNI通信電(ロンドン発)によると,パの北西辺境州アトック城塞にクーデター計画(3月10日参照)の容疑者500人が秘密軍事裁判のために拘禁されているという(Times of India,5/8)。 |
DIA-304-1984-05-07-2 | パキスタン | 1984年05月07日 | 1980年代 | 全国人民党パフトゥーン派(NAP-P),MRD加盟。MRD構成政党はこれで11党になった。 |
DIA-304-1984-05-07-3 | パキスタン | 1984年05月07日 | 1980年代 | ルーマニアのチャウシェスク大統領,来訪(~10日)。9日,パと経済などの協力協定調印。 |
DIA-304-1984-05-08-1 | パキスタン | 1984年05月08日 | 1980年代 | 全国人民党(NDP)指導者ナシーム・ワリー・ハーン女史,記者会見。(1)(夫)ワリー・ハーンは全国民と同様に,77年7月(軍事クーデター)に追い払われた党(PPP)が政権の座に帰り咲くかもしれないとの恐れから,戒厳令と(78年1月以降の)「選挙前の(政治家の)責任追及」を支持したが,現在はその愚かさを悔いている。(2)PPPは7年間も苦しんできたのだから同党を圧政者ということはできない。 |
DIA-304-1984-05-08-2 | パキスタン | 1984年05月08日 | 1980年代 | インドのヴェンカタラーマン国防相は上院で,パ軍の4分の3が印パ国境沿いに展開していると言明。 |
DIA-304-1984-05-09-1 | パキスタン | 1984年05月09日 | 1980年代 | 政府,政治活動に関する報道を無期限禁止。 |
DIA-304-1984-05-11-1 | パキスタン | 1984年05月11日 | 1980年代 | トルコのトゥルグト・オザル首相,来訪。14日,カシミール問題でパ支持を表明。同日,帰国。 |
DIA-304-1984-05-14-1 | パキスタン | 1984年05月14日 | 1980年代 | 14日付Times of India紙によると,タールプール国防相は最近のNawa-e-Waqt紙との会見で,パには国王や女王のような恒久的統治者が適切と述べた。 |
DIA-304-1984-05-15-1 | パキスタン | 1984年05月15日 | 1980年代 | ブッシュ米副大統領,来訪-アジア・中東5カ国歴訪の一環で,インドからパ入り。ジア大統領の出迎えを受けたブッシュ副大統領は,「アメリカはこの地域の安全と安定に対する揺るぎないコミットメントを貴国と共有している」と述べた。16日,ジア大統領と会談。同日の歓迎宴でブッシュ副大統領は,パで民政移管のための総選挙を85年3月までに行なう計画を実行する必要があると述べた。17日,アフガン難民キャンプを訪問。18日,オマーンへ。 |
DIA-304-1984-05-16-1 | パキスタン | 1984年05月16日 | 1980年代 | シンド州のある指導的政治家によると,過去2日間のシンド州内陸部での5人の警察官殺害事件は「盗賊による」との政府発表とは違ってシンド自由戦士によるものという(Times of India,5/17)。 |
DIA-304-1984-05-17-1 | パキスタン | 1984年05月17日 | 1980年代 | イスハーク財政相,訪中(~22日)。 |
DIA-304-1984-05-18-1 | パキスタン | 1984年05月18日 | 1980年代 | シンド州のPPP指導者によると,過去4日間に「シンド解放運動」(SLM)と警官との衝突で少なくとも12人(警官7人)が死亡したという(Times of India,5/20)。 |
DIA-304-1984-05-19-1 | パキスタン | 1984年05月19日 | 1980年代 | インドのラスゴトラ外務次官,来訪。20日,パのナーイク外務次官とパ提案の相互不可侵条約,インド提案の平和友好協力条約などについて会談。同日,観光に関する2協定調印。23日,帰国。 |
DIA-304-1984-05-20-1 | パキスタン | 1984年05月20日 | 1980年代 | ヤークーブ外相,訪米。21日,ワインバーガー米国防長官とアフガニスタン問題などで協議。22日,シュルツ米国務長官と会談。22~25日,米パ合同委員会会議。29日,ヤ外相はデクエヤル国連事務総長と会談。コルドヴェス国連事務次長が同席。6月3日,帰国。 |
DIA-304-1984-05-22-1 | パキスタン | 1984年05月22日 | 1980年代 | ジア大統領はカラチでの演説で,平和的利用のための核開発を断じて推進すると述べるとともに,パが核兵器製造能力を有することを間接的表現で確認。 |
DIA-304-1984-05-22-2 | パキスタン | 1984年05月22日 | 1980年代 | ハールーン内相,イラン訪問。 |
DIA-304-1984-05-22-3 | パキスタン | 1984年05月22日 | 1980年代 | イギリスに亡命中の指導的政治家たちによると,10日ほど前にジア政権に対するクーデター討画が発覚したという。これは,クーデター計画発覚事件としては本年2度目という。これに関しパンジャーブ州の軍人5人,北西辺境州の軍人3人(この8人のほとんどが陸軍准将)が逮捕された。他に少将1人が逮捕されたとも言われる。また,最近までシンド州知事だったアッバーシー中将(3月20日参照)は,バハーワルプールで自宅軟禁されているもよう(以上,Times of India,5/23)。なお,同TI紙23日によるとアトックに拘禁されている軍人60人(5月7日参照)のほとんどは陸軍少佐などの若手将校であるという。 |
DIA-304-1984-05-23-1 | パキスタン | 1984年05月23日 | 1980年代 | パの核物理学者A・カディール・ハーン博士はイギリスのDefence Journal誌最新号掲載記事において,パは原爆だけでなく水爆の製造能力を有し,ウラン濃縮技術についてインドの何年も先を行っていると述べている(Times of India,5/24)。 |
DIA-304-1984-05-26-1 | パキスタン | 1984年05月26日 | 1980年代 | タールプール国防相,1週間のサウジアラビア訪問から帰国。 |
DIA-304-1984-06-01-1 | パキスタン | 1984年06月01日 | 1980年代 | PPP指導者のベーナジール女史がロンドンでインドのPTI通信に語ったところによると,前シンド州知事のアッバーシー陸軍中将が自宅に軟禁され,前陸軍参謀次長のサワール・ハーン陸軍大将の行動範囲が制限された(ベ女史はこれら2将軍の名を伏せている)。同女史によると4月末にクーデター計画容疑で陸軍准将数人が逮捕された(3月3日および5月22日参照)。(Times of India,6/2) |
DIA-304-1984-06-01-2 | パキスタン | 1984年06月01日 | 1980年代 | パの84年の対イラン小麦輸出は30万トンの予定(24.54万トンは済み)。他にバハレーンとドバイへ。 |
DIA-304-1984-06-02-1 | パキスタン | 1984年06月02日 | 1980年代 | ニューデリーの国防問題研究所(IDSA)のK・スブラマニヤム所長は報道関係者の集まりで演説,(1)パに核兵器製造能力があるのは疑いないことであり,インドも核の道を選択すべきだ,(2)現在のところパに米軍基地がある証拠はない,などと述べた(Times of India,6/4)。 |
DIA-304-1984-06-02-2 | パキスタン | 1984年06月02日 | 1980年代 | シンド州ダードゥー県で「盗賊」を支援した容疑で大地主72人逮捕(Viewpoint,6/7)。 |
DIA-304-1984-06-03-1 | パキスタン | 1984年06月03日 | 1980年代 | 3日付英Observer紙によると,ブッシュ米副大統領は5月の訪パ時に,秘密協定によりパ軍をサウジアラビアに常駐させることで打診したがパのジア大統領は抵抗を示したという(Times of India,6/4)。 |
DIA-304-1984-06-04-1 | パキスタン | 1984年06月04日 | 1980年代 | 5日付Times of India,紙によると,アフマディーヤ派の人物を政府および政府関係機関の重要な役職から追放するためにパの某閣僚が同派の人物のリストを作成中という(4月26日参照)。 |
DIA-304-1984-06-05-1 | パキスタン | 1984年06月05日 | 1980年代 | インド側パンジャーブ州の政治不穏によりワーガ・アターリー間の印パ国境閉鎖。7日までの予定。両国間の鉄道は7月26日に正常に復した。 |
DIA-304-1984-06-07-1 | パキスタン | 1984年06月07日 | 1980年代 | アフガニスタンの国営パフタール通信によると,パ政府はシンド州で「緊張が高まっている」こと(3月31日以降参照)に鑑み,3000人の特別武装警官隊を創設したという(Times of India,8日)。 |
DIA-304-1984-06-12-1 | パキスタン | 1984年06月12日 | 1980年代 | 83/84年度『経済白書』出来(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1984-06-14-1 | パキスタン | 1984年06月14日 | 1980年代 | Basharat Jazby博士,保健・特殊教育・社会福祉担当閣外相に就任(Daily Report,6/18)。 |
DIA-304-1984-06-14-2 | パキスタン | 1984年06月14日 | 1980年代 | 1984/85年度予算発表(「参考資料」参照)。総選挙実施費用として7775万ルピーを計上。イスハーク財政相は予算演説で銀行制度のイスラーム化について,85年6月30日までに利子の完全廃絶を完了などと述べた。 |
DIA-304-1984-06-16-1 | パキスタン | 1984年06月16日 | 1980年代 | マフブーブル・ハック計画省,1984/85年度開発計画(「参考資料」参照)戦略などを説明。 |
DIA-304-1984-06-17-1 | パキスタン | 1984年06月17日 | 1980年代 | ヤークーブ外相,欧州5カ国歴訪。アフガニスタン問題で支持取りつけなどのため,18~19日,フランス。18日,ミッテラン首相と会見。この後,ベルギー,イタリア,スイス,オーストリアを訪問。西ドイツ訪問は同国の都合により延期。7月1日,帰国。 |
DIA-304-1984-06-17-2 | パキスタン | 1984年06月17日 | 1980年代 | 趙紫陽中国首相,訪欧の途次カラチに1時間立ち寄り,アフガニスタンのソ連軍撤退を要求。 |
DIA-304-1984-06-19-1 | パキスタン | 1984年06月19日 | 1980年代 | ジア大統領は記者会見で,(1)東パンジャーブ(インド領パンジャーブ州)のシク教徒問題にパが介入しているというのは全くの間違いだ。(2)パとインドの関係は改善されつつあるように見える,などと述べた。 |
DIA-304-1984-06-19-2 | パキスタン | 1984年06月19日 | 1980年代 | ガンディー・インド首相は英BBC放送との会見で,インド政府はパがシク教徒急進派を支持しているという確実な証拠は握っていないと述べた。 |
DIA-304-1984-06-19-3 | パキスタン | 1984年06月19日 | 1980年代 | 人工衛星経由で米パ間電話が直通化。 |
DIA-304-1984-06-20-1 | パキスタン | 1984年06月20日 | 1980年代 | M・G・ハサン・カンシー連邦評議員,暗殺。 |
DIA-304-1984-06-21-1 | パキスタン | 1984年06月21日 | 1980年代 | クランストン米上院議員は上院での演説で,(1)パは3~5年間に少なくとも12個の核爆弾を製造し得よう,(2)パは核爆弾設計面で中国の協力を得ているなどと述べた(International Herald Tribune,6/22)。 |
DIA-304-1984-06-22-1 | パキスタン | 1984年06月22日 | 1980年代 | スミルノフ駐パ・ソ連大使はイスハーク財政相に対し,ソ連はマングラ水力発電所に100メガワットの発電機2基を供給する用意があると伝えた。 |
DIA-304-1984-06-23-1 | パキスタン | 1984年06月23日 | 1980年代 | 中央銀行,銀行制度イスラーム化計画を発表。 |
DIA-304-1984-06-26-1 | パキスタン | 1984年06月26日 | 1980年代 | ジア大統領,小巡礼(オムラ)のためサウジアラビア訪問。ハールーン内相が随行。28日,帰問。 |
DIA-304-1984-06-27-1 | パキスタン | 1984年06月27日 | 1980年代 | タールプール国防相は,(1)1973年憲法がすべての政治危機の元凶だった,(2)内閣は大統領選挙に向けて候補者を指名すべきだなどと語った。 |
DIA-304-1984-07-05-1 | パキスタン | 1984年07月05日 | 1980年代 | シク教徒と見られる9人組に乗っ取られたインド国内航空機がパのラホールに着陸。6日,犯人は乗客,乗員計264人全員を釈放してパの治安当局に投降。パ政府は,印パ間に犯罪者相互引渡し協定がないことを理由にインド政府の犯人引渡し要求を拒否。 |
DIA-304-1984-07-07-1 | パキスタン | 1984年07月07日 | 1980年代 | インドのバガト情報相,来訪(~13日)。 |
DIA-304-1984-07-08-1 | パキスタン | 1984年07月08日 | 1980年代 | バルーチスタン州知事のローディー陸軍中将搭乗のセスナ機がパンジャーブ州バッカルで墜落し,同知事は重傷。代行にK・K・アーフリディー陸軍中将。 |
DIA-304-1984-07-09-1 | パキスタン | 1984年07月09日 | 1980年代 | 印パ外相会談。ヤークーブ外相はモルディヴでのSARC会議出席に際してインドに立ち寄り,ニューデリーからモルディヴまでインド政府提供の特別機(インド空軍機)の中でインドのラオ外相と4時間にわたり“不戦条約”,“平和条約”などについて会談。10~11日,ヤークーブ外相はSARC会議に出席。 |
DIA-304-1984-07-09-2 | パキスタン | 1984年07月09日 | 1980年代 | シンド州政府は外国人(主にアフガン難民)のシンド州流入阻止のための措置を強化した。 |
DIA-304-1984-07-09-3 | パキスタン | 1984年07月09日 | 1980年代 | M・A・シャミーム空軍参謀長(大将)の任期,無期限延長さる。 |
DIA-304-1984-07-10-1 | パキスタン | 1984年07月10日 | 1980年代 | ジア大統領,連邦評議会で演説。(1)83年8月12日発表の計画は変更しない。政府が導入を決意しているイスラーム民主主義は議会制民主主義やその他の形態の民主主義ではなく,「シューラークラシー」と呼ぶべきものだ。(Shooraと英語のdemocracyの合成語。Shooraとはイスラーム教でいう「合議」のこと。「評議会制」と訳出。)(2)8月12日計画は第2段階に入っており,選挙委員会は総選挙の準備を行なっている。(3)選挙は司法府と軍の監督下で実施する。(4)新議会はMajlis-e-Shoora評議集会(「連邦評議会」と訳出)と呼ばれる。(5)パはコーランに定められた「イスラーム共和国」となろう。(6)学生自治会禁止は撤回しない。 |
DIA-304-1984-07-11-1 | パキスタン | 1984年07月11日 | 1980年代 | 政府はあるアラブ国(リビアと言われる)から80年8~10月に訓練されてパ政府転覆を企てたとの容疑でパ人41人を軍事裁判所に起訴した。 |
DIA-304-1984-07-16-1 | パキスタン | 1984年07月16日 | 1980年代 | ニューデリーで18~21日開催予定の印パ外務次官会談はインドの要請で9月以降に延期された。8月6~9日予定の両国合同委員会会議も同様。 |
DIA-304-1984-07-17-1 | パキスタン | 1984年07月17日 | 1980年代 | ジア大統領,イスラーム諸国会議(OIC)平和委員会会議出席のためサウジアラビア訪問(~20日)。ヤークーブ外相などが随行。 |
DIA-304-1984-07-17-2 | パキスタン | 1984年07月17日 | 1980年代 | 1981年国勢調査によるとパのカーディヤーニー教徒(4月26日参照)人口は10万4244人という。また,17日の連邦評議会でハールーン内相は,連邦政府省庁役人のなかに1000人のカーディヤーニーがいると答弁。 |
DIA-304-1984-07-18-1 | パキスタン | 1984年07月18日 | 1980年代 | クエッタでパとイランの国境問題に関する会議が去る14日から開催中(Dawn,7/19)。 |
DIA-304-1984-07-20-1 | パキスタン | 1984年07月20日 | 1980年代 | ジア大統領,記者会見。(1)政府は連邦評議会の権能を検討するに際してイランとマレーシアの例も参考にするだろう。(2)選挙運動期間は4~5週間とする。 |
DIA-304-1984-07-22-1 | パキスタン | 1984年07月22日 | 1980年代 | ヤークーブ外相,訪中(~27日)。同日,呉学謙中国外相は歓込宴で「アフガニスタン問題も,外国軍の無条件かつ全面的撤退を前提としたものでなければならない」と述べた。 |
DIA-304-1984-07-22-2 | パキスタン | 1984年07月22日 | 1980年代 | 来訪中のエジプト軍作戦幹事長A・S・A・ハリーム陸軍少将,K・M・アーリフ陸軍参謀次長と会見。 |
DIA-304-1984-07-23-1 | パキスタン | 1984年07月23日 | 1980年代 | ジア大統領,カラチ空港で記者会見。(1)私が将来の大統領に立候補するか否かの決定をするのは時期尚早だ。(2)将来の大統領の問題は国民議会(National Assembly=Majlis-e-Shoora)選挙のあとで出てくることになろうし,誰を大統領にするかは選出された議員が決めることだ。大統領はこのあとカラチ市内のある催し物で演説,伝統的政治はイスラーム化のボトルネックになるためその復活はあり得ない,と述べた。 |
DIA-304-1984-07-23-2 | パキスタン | 1984年07月23日 | 1980年代 | 24~26日予定のナーイク外務次官の訪ソはソ連の要請で無期延期された。しかし,25日~8月2日の東ドイツ,ポーランド,ハンガリー歴訪は実施された。 |
DIA-304-1984-07-26-1 | パキスタン | 1984年07月26日 | 1980年代 | 第10回連邦評議会は「1984年キサースおよびディヤート実施政令」草案を承認。あとはジア大統領の署名をもって発効する。同政令はコーランに従ってキサース(報復),ディヤート(賠償)などを定めたもの。 |
DIA-304-1984-07-28-1 | パキスタン | 1984年07月28日 | 1980年代 | ペシャーワルの反アフガニスタン政府勢力組織「イスラーム党」事務所のある建物で爆弾破裂,6人死亡,10人以上負傷。 |
DIA-304-1984-07-29-1 | パキスタン | 1984年07月29日 | 1980年代 | 連邦政府直轄部族地域クッラム自治区のパーラチナールで爆弾が破裂,6人死亡。 |
DIA-304-1984-07-30-1 | パキスタン | 1984年07月30日 | 1980年代 | 政府,ペシャーワルの反ア勢力全組織に対し8月31日までに市外へ退去を命令。 |
DIA-304-1984-07-31-1 | パキスタン | 1984年07月31日 | 1980年代 | この種の情報を入手し得る米情報筋によると,中国がパの核弾頭設計に協力するとともに自国の核実験データをパに供与したとの証拠があるという(Times of India,8/1)。 |
DIA-304-1984-08-01-1 | パキスタン | 1984年08月01日 | 1980年代 | インドのガンディー首相は下院で,パにインド人500人(43人は軍関係者)が抑留中と述べた。パ政府は,パの牢獄にインド人は1人もいないとしている。 |
DIA-304-1984-08-03-1 | パキスタン | 1984年08月03日 | 1980年代 | ジア大統領,英Financial Times(4日)と会見。(1)総選挙日程は決まっている。(2)私は大統領留任を要請されたいと思う。(3)国会名は現在の諮問評議会(Majlis-e-Shoora)とするが,権能は強化されよう。(4)同評議会は選出された大統領および軍人が支配的な安全保障会議と協調する。 |
DIA-304-1984-08-07-1 | パキスタン | 1984年08月07日 | 1980年代 | 6~7日の豪雨でカラチ,クエッタ,ペシャーワルだけでも37人死亡。 |
DIA-304-1984-08-08-1 | パキスタン | 1984年08月08日 | 1980年代 | 閣議は「1983年カージー裁判所設置政令」および「1983年証言法政令」双方の草案を承認。 |
DIA-304-1984-08-08-2 | パキスタン | 1984年08月08日 | 1980年代 | パ政府筋によるとアフガニスタンは一連の対パ越境空爆などにより北西辺境州および連邦政府直轄部族地域で8~23日にアフガン難民など計40人を殺害。 |
DIA-304-1984-08-09-1 | パキスタン | 1984年08月09日 | 1980年代 | マフブーブル・ハック計画相は記者会見で海外出稼ぎ者の帰国増に懸念を表明。ILOの調査では第6次5カ年計画期(1983/84~87/88年度)に60万人が帰国すると見られている。 |
DIA-304-1984-08-09-2 | パキスタン | 1984年08月09日 | 1980年代 | KNT9日によると,7月のヤークーブ・パ外相訪中時に中国はパ領内の「反革命勢力キャンプ3カ所の中国への移転」に同意(POT-A,8/25)。 |
DIA-304-1984-08-12-1 | パキスタン | 1984年08月12日 | 1980年代 | ジア大統領は8月14日から「礼拝制度」(nizam-e-salaat)確立のための行動計画を行なうことを指示。これによると,礼拝監督者(nazim-e-namaz)の任命は軍の監督下で行なわれ,礼拝制度の責任者は軍団司令官たちで総括責任者は陸軍参謀次長である。 |
DIA-304-1984-08-12-2 | パキスタン | 1984年08月12日 | 1980年代 | 「南西アジア圏研究所」(Institute of Regional Studies,所在地イスラマバード)所長のA・I・アクラム退役陸軍中将の論文が8月12,19,21,22,24,25,28,29,30日付の日刊Muslim紙に連載。南アジアの緊張関係の分析と印パ関係改善の方策を探るもの。 |
DIA-304-1984-08-12-3 | パキスタン | 1984年08月12日 | 1980年代 | 特別軍事裁判所はブット前首相の長男で「アル・ズルフィカール」(AZ)書記長のムルタザーと同次男のシャーナワーズ(ともに外国謀所に亡命中)以下98人を政府転覆計画容疑で正式に起訴した。31日,ムルタザー,シャーナワーズなど数人に14年の禁固刑判決。 |
DIA-304-1984-08-14-1 | パキスタン | 1984年08月14日 | 1980年代 | 14日付Jang紙が中央銀行統計として伝えるところによると,1982年のパに対する外国投資のトップはサウジアラピアで1億8000万ドル以上,2位はイギリスの8900万ドルであった。アメリカは7300万ドル。 |
DIA-304-1984-08-14-2 | パキスタン | 1984年08月14日 | 1980年代 | ヤークーブ外相,サウジアラビア,クウェート,カタールを歴訪(~20日)。 |
DIA-304-1984-08-14-3 | パキスタン | 1984年08月14日 | 1980年代 | ソ連のタス通信によるとアメリカは先月パに対し駆逐艦5隻を売却した(Times of India,8/16)。同通信の時評によると,これはアメリカによる急速なパ海軍近代化の一環という(Nawa-e-Waqt,8/17)。 |
DIA-304-1984-08-16-1 | パキスタン | 1984年08月16日 | 1980年代 | アフガン難民委員会委員長のS・アズハル退役陸軍准将によると,84年の同難民のための国際的援助は2億ドルの見込みで,国内の350のキャンプにいる同難民のための84年の出費は計4億4100万ドルの見込み。 |
DIA-304-1984-08-18-1 | パキスタン | 1984年08月18日 | 1980年代 | アフガン難民とおぼしき2人がソ連のアエロフロート航空カラチ支店に手榴弾を投入し,3人が負傷。 |
DIA-304-1984-08-19-1 | パキスタン | 1984年08月19日 | 1980年代 | タールプール国防相,ジア大統領は9000万国民のために留任すべきだと強く訴え。 |
DIA-304-1984-08-19-2 | パキスタン | 1984年08月19日 | 1980年代 | ジア大統領はシンド州のハイダラバード国際問題研究所(HIIA)で演説,総選挙はムスリム(イスラーム教徒)と非ムスリムの分離選挙制で行なうと述べた。 |
DIA-304-1984-08-20-1 | パキスタン | 1984年08月20日 | 1980年代 | インドの復数の軍事専門家は,パが昨年4月にイギリスに大型軍艦7隻を発注と語った。他にパ向けミサイル・フルゲート艦2隻および機雷掃討艦4隻が西欧で建造中という(Times of India,8/21)。 |
DIA-304-1984-08-21-1 | パキスタン | 1984年08月21日 | 1980年代 | ジア大統領,ルーマニア訪問(~24日)。 |
DIA-304-1984-08-23-1 | パキスタン | 1984年08月23日 | 1980年代 | 23日付Jasarat紙によると,中国はパ空軍にA・5Ⅲ型戦闘機(ミグ19型機の改造機)60機を納入。 |
DIA-304-1984-08-24-1 | パキスタン | 1984年08月24日 | 1980年代 | シク教徒7人がインド国内航空機を乗っ取りラホールに着陸。26日夕刻,カラチに着陸後,給油を受けてアラブ首長国連邦のドバイに着陸,投降。 |
DIA-304-1984-08-27-1 | パキスタン | 1984年08月27日 | 1980年代 | ジュネーヴでパとアフガニスタンの第3回間接外相会談(アフガニスタンの項を参照)。ヤークーブ外相は会談後の9月3日,トルコを訪問し4日帰国。 |
DIA-304-1984-08-27-2 | パキスタン | 1984年08月27日 | 1980年代 | カシミールの印パ実効支配線沿いウリー地区で印パ両軍の小ぜり合いでパ軍人6人死亡。 |
DIA-304-1984-08-29-1 | パキスタン | 1984年08月29日 | 1980年代 | 警察筋によると,カラチ市郊外で「過去30年で最も激しい盗賊との衝突」が発生し,警官4人が死亡,3人が重傷を負った(Times of India,8/31)。 |
DIA-304-1984-08-30-1 | パキスタン | 1984年08月30日 | 1980年代 | パキスタン・ムスリム連盟パガーロ派(PML-P)のパガーロ党首は,シンドの人々は自らの権利のために闘っているのであり,その闘いは止むどころか全国に拡大するだろうと語った。 |
DIA-304-1984-08-30-2 | パキスタン | 1984年08月30日 | 1980年代 | 30日付パのMashriq紙が信頼できる筋の情報として伝えるてころでは,パ当局はハイジャックされた航空機の領内着陸を原則として認めないことに決定した。 |
DIA-304-1984-08-30-3 | パキスタン | 1984年08月30日 | 1980年代 | サウジアラビアで出入国管理法違反で投獄されていたパ人の大半はパ政府の努力で釈放されたが,あと600人が獄中にあるという(Nawa-e-Waqt,8/30)。 |
DIA-304-1984-09-01-1 | パキスタン | 1984年09月01日 | 1980年代 | ジア大統領はカラチの国際見本市開会式で演説,現在以上の国有化はあり得ないが(前政権下で)国有化された銀行の民間への返還はしないと述べるとともに,この議論はいい加減に打切るようにと訴えた。 |
DIA-304-1984-09-03-1 | パキスタン | 1984年09月03日 | 1980年代 | ジア大統領は月刊Urdu Digest誌最新号との会見で,パはトルコや西ドイツ式の国民軍(徴兵制)を創設する必要があると述べた。 |
DIA-304-1984-09-03-2 | パキスタン | 1984年09月03日 | 1980年代 | 3日付Daily News紙によると,スエーデン政府はアフマディーヤ派パ人300人の亡命を不許可。 |
DIA-304-1984-09-03-3 | パキスタン | 1984年09月03日 | 1980年代 | Daily News3日は,中央上級職(CSS)試験のシンド州出身の合格者59人(全国で632人)のうち就職し得たのは37人のみだと明らかにするとともに,この不公平を是正せよと主張(POT-P,9/8)。 |
DIA-304-1984-09-06-1 | パキスタン | 1984年09月06日 | 1980年代 | パルーチスタン州出身の諮問評議会議員S・ラスール・バフシュ・ザラクザイ,暗殺(親族間の不和)。 |
DIA-304-1984-09-10-1 | パキスタン | 1984年09月10日 | 1980年代 | 北西辺境州政府はパシュト語を同州パシュト語地域の初等教育用語とするための4年計画を開始。 |
DIA-304-1984-09-10-2 | パキスタン | 1984年09月10日 | 1980年代 | インド政府によると,パからインドに合法入国して違法滞在中の者は7000人近くに及ぶという(パのNawa-e-Waqt,9/11)。12日のパのハイダラバード警察発表では,過去20年間にインドからシンド州に入境したインド人50万人は現在も非合法滞在中という。 |
DIA-304-1984-09-10-3 | パキスタン | 1984年09月10日 | 1980年代 | 閣議は,「地域開発協力機構」(RCD)の復活およびイラン提案の改称「地域経済協力機構」(REC)を承認(RCDは1964年にパ,イラン,トルコで設立されたが79年のイラン革命で自然解体)。 |
DIA-304-1984-09-11-1 | パキスタン | 1984年09月11日 | 1980年代 | ヤークーブ外相,イラン訪問(~13日)。 |
DIA-304-1984-09-12-1 | パキスタン | 1984年09月12日 | 1980年代 | 駐パ・インド大使館は,インド政府を通じてルーディアーナ大学から招待されたパキスタン農業大学の農業科学者に対してビザ発給を拒否。 |
DIA-304-1984-09-12-2 | パキスタン | 1984年09月12日 | 1980年代 | ジャーンジュア農相はテレビで,(1)84年春収穫の小麦は前年比12%減の1090万トン,(2)180万トンの備蓄があるが本年は小麦輸入をためらわない,と述べた。 |
DIA-304-1984-09-13-1 | パキスタン | 1984年09月13日 | 1980年代 | 米ABCテレビはCIA言明として,ガンディー・インド首相は軍事顧問からパのカフタ核焼料濃縮施設の先制攻撃を要請されていると報じた。パのジア大統領は17日の記者会見で,インドに説明を求めたが,この報道には何らの信憑性もないと考える,と語った。 |
DIA-304-1984-09-13-2 | パキスタン | 1984年09月13日 | 1980年代 | S・S・マザーリーNDP党首,辞任。 |
DIA-304-1984-09-17-1 | パキスタン | 1984年09月17日 | 1980年代 | ジア大統領,記者会見。(1)インドが戦争の序曲になるようなことをしないように望む。(2)対印国境では心配なことは何もないが,西部国境では(アフガニスタンによる)侵略的行動がとられている。 |
DIA-304-1984-09-17-2 | パキスタン | 1984年09月17日 | 1980年代 | イスラマバードで「イスラーム世界会議」(MAI)主催の「イスラーム連帯世界平和会議」(4日間)開く。ジア大統領,開会演説。 |
DIA-304-1984-09-18-1 | パキスタン | 1984年09月18日 | 1980年代 | インドのラスゴトラ外務次官はニューヨークで記者会見,印パ関係正常化交渉はパによるシク教徒急進派支援などのため暗礁に乗り上げたと語った。 |
DIA-304-1984-09-18-2 | パキスタン | 1984年09月18日 | 1980年代 | 19日付Daily News紙はシンド州警察長官の話しとして,最近のシンド州「盗賊」掃討作戦で,「盗賊」をかくまった者1000人が逮捕されたと報じた。パの月刊Herald誌9月号によればシンド州の「盗賊」は1200人で,また最近,「永遠のシンド学生連盟」(JSSF)の学生たちがシンディー民族主義者G・M・サイヤッドに対し,「盗賊」の間に浸透して彼らを政治的に「教育」する許可を求めたという(POT-P,9/24)。 |
DIA-304-1984-09-19-1 | パキスタン | 1984年09月19日 | 1980年代 | 国営APP通信はオーストリアの日刊Kurrier紙を引用して,現在ウィーンで拘禁中のAZのパ人テロリストたちはインドでテロ訓練を受けたと伝えた。 |
DIA-304-1984-09-20-1 | パキスタン | 1984年09月20日 | 1980年代 | ヤークーブ外相は国連でソ連のグロムイコ外相とアフガニスタン問題などで会談。 |
DIA-304-1984-09-20-2 | パキスタン | 1984年09月20日 | 1980年代 | 20日付米International Herald Tribune紙の伝えるところでは,83年のパのヘロイン常習者数は80年の0から15万に急増し,アメリカ麻薬取締り局(USDEA)によると75年には35万になる勢いという。なお,アメリカのヘロイン常習者は推定50万人といわれる。 |
DIA-304-1984-09-22-1 | パキスタン | 1984年09月22日 | 1980年代 | アフガニスタン空軍輸送機がパ領に着陸し,搭乗者全員(人数不明)がパに亡命を申し出た。 |
DIA-304-1984-09-23-1 | パキスタン | 1984年09月23日 | 1980年代 | 中国国家測絵局(国土地理局)の〓滄(Yu Cang)副所長以下4人の代表団が来訪,クエッタでバルーチスタン州のアフリーディー州知事代行に会見。 |
DIA-304-1984-09-26-1 | パキスタン | 1984年09月26日 | 1980年代 | ジア大統領は記者会見で,85年3月までに実施する予定の総選挙は77年総選挙のやり直しとみなし,81年国勢調査に基づいて国民議会議席の割当ておよび選挙区の変更をすることはない,と語った。 |
DIA-304-1984-09-27-1 | パキスタン | 1984年09月27日 | 1980年代 | パ政府発表ではペシャーワル近郊のテリー・メンガルでアフガニスタン機の空爆により32人が死亡。 |
DIA-304-1984-10-04-1 | パキスタン | 1984年10月04日 | 1980年代 | 4日付Daily News紙はドバイから情報筋の情報として,AZは今やテロ訓練キャンプをアフガニスタンからインドなどの諸国に移転したと伝えた。 |
DIA-304-1984-10-04-2 | パキスタン | 1984年10月04日 | 1980年代 | ジア大統領,「1984年ザカートおよびウシュル〈改正〉政令」を布告。 |
DIA-304-1984-10-05-1 | パキスタン | 1984年10月05日 | 1980年代 | 5日付Nawa-e-Wadt紙がホワイト・ハウスに近い筋の情報として伝えるところによると,レーガン米大統領はジア大統領に対する(最近の)「個人的書簡」においてパの核兵器開発努力のうわさに懸念を表明するとともに,現在進行中の一連の対パ軍事援助は1987年に完了予定ではあるが,直ちに次の段階に入りたい旨を伝えたという。また,ワシントンの外交筋によると,パが核兵器開発を放棄すればアメリカはNATO諸国に対するのと同じ基盤でパを核攻撃から防衛する用意があるという。また(同じ?別の?)ワシントン外交筋は,アメリカはパに対し空中早期警戒管制機(AWACS)の供与を申し出たと暗示した。パがAWACSをサウジアラビアから入手してもアメリカは反対しないと信じられている(POT-P,10/8)。 |
DIA-304-1984-10-06-1 | パキスタン | 1984年10月06日 | 1980年代 | カラチでスンニー派とシーア派の抗争が激化しており,6日の衝突では5人死亡,50人負傷。市内5カ所に外出禁止令(~15日)。 |
DIA-304-1984-10-07-1 | パキスタン | 1984年10月07日 | 1980年代 | インドのPTI通信によると,カシミールのプーンチ地区でパの謀報機関「野戦情報部隊」Field Intel-ligence Unit,FIU)の90人が逮捕されたという(Nawa-e-Wagt,10/8)。 |
DIA-304-1984-10-08-1 | パキスタン | 1984年10月08日 | 1980年代 | ジア大統領,シンド州視察(~11日)。8日,サッカル市評議会で演説。(1)イスラーム的統治概念ではアミール(首長)が統治する。アミールは敬虔さや国家行政の能力を有するがゆえに人民によって選出され,諮問評議会(Shoora-8月3日参照)の助力によって規程・規則を定める。アミールがイスラーム教義とスンナ(予言者ムハンマッドの慣行)に従っている限り人民は彼を支持する義務があり,西欧流民主主義とは違って野党の余地はない。(2)アンサーリー委員会報告書は真のイスラーム体制の概念を反映している。政府は将来の選挙において同報告書の精神の採用に努める。 |
DIA-304-1984-10-10-1 | パキスタン | 1984年10月10日 | 1980年代 | ヒントン駐パ米大使,ラホールで行なわれた国家安全研究評議会(CNSS)の特別会議で演説。(1)パに対する西部国境からの攻撃はアメリカの介入を招くため,そのような攻撃(の可能性)は割引いて考えるべきだ。(2)インドがパを攻撃するとは思わないが,もしインドがパを攻撃すればアメリカはパを助けに来るだろう。(3)(レーガン大統領の書簡〔10月5日参照〕があったことを否定せずに)われわれはパの懸念を共有している。 |
DIA-304-1984-10-11-1 | パキスタン | 1984年10月11日 | 1980年代 | 11日付Daily News紙はイスラマバード情報筋の話しとして,レーガン大統領がインドのガンディー首相に対して対パ(武力)攻撃を考えないように警告した(日付不明)と伝えた。 |
DIA-304-1984-10-12-1 | パキスタン | 1984年10月12日 | 1980年代 | 12日付Nawa-e-Waqtがロンドン発行のMiddle East最新号を引用して伝えるところによると,シンドだけでも州政府公務員のうちカーディヤーニー教徒400人が解雇されたという。なお,政府は公務員のなかの同教徒リストを作成し終えたという。 |
DIA-304-1984-10-13-1 | パキスタン | 1984年10月13日 | 1980年代 | 13日付Jang紙によると,この4年間に英,米,仏,中東,リビアなどから種々の理由によりパ人25万人以上がパに送還されてきたという。 |
DIA-304-1984-10-13-2 | パキスタン | 1984年10月13日 | 1980年代 | ヤークーブ外相,3週間の訪米から帰国。訪米中,国連などで各国外相37人などに会見したという。 |
DIA-304-1984-10-13-3 | パキスタン | 1984年10月13日 | 1980年代 | トルコのH・ソゼル空軍総司令官,来訪。 |
DIA-304-1984-10-13-4 | パキスタン | 1984年10月13日 | 1980年代 | コール西独首相,訪中の帰途来訪(~14日)。 |
DIA-304-1984-10-14-1 | パキスタン | 1984年10月14日 | 1980年代 | 建設中のチャシュマ右岸運河(CRBC,11億9000万ルピー)は85年12月完成の予定という。 |
DIA-304-1984-10-15-1 | パキスタン | 1984年10月15日 | 1980年代 | 15日付英Financial Times紙によると,パはイギリスとフリゲート艦3隻(各3,000トン,計3億ポンド)の購入を交渉中という。 |
DIA-304-1984-10-16-1 | パキスタン | 1984年10月16日 | 1980年代 | ニューデリーの西側外交筋によると,ソ連は最近,アフガニスタン駐留軍を14万人に増強したという。 |
DIA-304-1984-10-17-1 | パキスタン | 1984年10月17日 | 1980年代 | シンド州ダードゥー県で軍が学生に発砲し,7人が死亡。同州各地で学生の抗議行動続く。 |
DIA-304-1984-10-21-1 | パキスタン | 1984年10月21日 | 1980年代 | トルコのハレフォール外相,来訪(~24日)。 |
DIA-304-1984-10-23-1 | パキスタン | 1984年10月23日 | 1980年代 | マーフィー米国務次官補,インドから来訪。 |
DIA-304-1984-10-25-1 | パキスタン | 1984年10月25日 | 1980年代 | ジア大統領はラホールのパンジャーブ州評議会で演説,(総選挙で)選出された諮問評議会に対する政権移譲は,すべて政策と慣習が聖コーランとスンナに合致するまで現在のイスラーム化を進めるという保証を同評議会が行なって初めて実施する,と述べた。 |
DIA-304-1984-10-25-2 | パキスタン | 1984年10月25日 | 1980年代 | パ空軍の演習「ジェット気流,1984年」開始。パ空軍は過去2,3年に6回の大演習を行なっている。 |
DIA-304-1984-10-26-1 | パキスタン | 1984年10月26日 | 1980年代 | ジア大統領は,「1974年選挙区画定法」など選挙関係6法を改正した(Dawn,10/27)。 |
DIA-304-1984-10-26-2 | パキスタン | 1984年10月26日 | 1980年代 | 26日付Times of India紙によると,パは西ドイツからフリゲート艦(復数)を,イギリスから海軍用の高性能ミサイルを購入しようとしているという。 |
DIA-304-1984-10-27-1 | パキスタン | 1984年10月27日 | 1980年代 | ジア大統領,「1984年証言法」を発令(Qanun-e-Shahadat,1984)。 |
DIA-304-1984-10-27-2 | パキスタン | 1984年10月27日 | 1980年代 | ジア大統領,バルーチスタン州視察開始(~30日)。30日,クエッタで記者会見,シンド州の状況は正常化しつつあると述べた。 |
DIA-304-1984-10-30-1 | パキスタン | 1984年10月30日 | 1980年代 | 米民間研究機関の「カーネギー国際平和基金」は「今日の核拡散」という報告書を公表し,パが原爆製造能力を持つに至ったため印パ間で核兵器開発競争が始まる恐れがあると警告した。 |
DIA-304-1984-10-31-1 | パキスタン | 1984年10月31日 | 1980年代 | ジア大統領はペシャーワルで北西辺境州評議員たちに演説,(1)問題は政権移譲ではなく,選出された議員たち(と軍部)との権力配分である,(2)軍が政権を放棄すると考えるのは間違っている,などと述べた。 |
DIA-304-1984-10-31-2 | パキスタン | 1984年10月31日 | 1980年代 | パ政府はインドのガンディー首相暗殺に際し,同首相は「最高の政治家だった」と称賛するとともに3日間の服喪を発表。同31日,ジア大統領はラジーヴ・ガンディー新首相に電話で弔意を伝えた。11月1日,ジア大統領は新首相に書簡を送り,同首相に対する「全面的支持」を伝えた。 |
DIA-304-1984-11-03-1 | パキスタン | 1984年11月03日 | 1980年代 | ジア大統領,訪印。インドのガンディー前首相の葬儀に列席のため。パはかって故ネルー,故シャストリ両首相の葬儀には外相を送り込んだにすぎなかった。3日,ジア大統領はニューデリーでシュルツ米国務長官と会談。4日,インドのザイル・シン大統領に会見,またラジーヴ新首相と会談。同日,デクエヤル国連事務総長とアフガニスタン間題で会談。4日,帰国。 |
DIA-304-1984-11-03-2 | パキスタン | 1984年11月03日 | 1980年代 | PPP指導者のムムターズ・ブット,「健康診断」のためイギリス経由でアメリカへ。 |
DIA-304-1984-11-03-3 | パキスタン | 1984年11月03日 | 1980年代 | シンド州警察はインダス川流域のジャングルの盗賊活動制圧のために河川警官隊を設立した。 |
DIA-304-1984-11-03-4 | パキスタン | 1984年11月03日 | 1980年代 | インドからシク教徒避難民が本日だけでも1600人流入(Bangladesh Observer,4/11)。 |
DIA-304-1984-11-04-1 | パキスタン | 1984年11月04日 | 1980年代 | 選挙管理委員会は79年8月2日発表の国民議会(下院)・州議会選挙区の修正案を発表。これは79年8月以来の幾つかの県新設などのために必要となった修正で,異議申立て期間は2週間。 |
DIA-304-1984-11-06-1 | パキスタン | 1984年11月06日 | 1980年代 | UAEのS・ムハンマッド国防相,来訪。 |
DIA-304-1984-11-07-1 | パキスタン | 1984年11月07日 | 1980年代 | ソ連からリグ2基(計600万ドル)を購入。 |
DIA-304-1984-11-07-2 | パキスタン | 1984年11月07日 | 1980年代 | バルーチスタン州マクラーン行政管区コミッショナーによると,イランはパとの国境1200km(ゴールドスミット線)に全天候道路を建設中であるという(Pakistan Times,11/8)。 |
DIA-304-1984-11-09-1 | パキスタン | 1984年11月09日 | 1980年代 | 中国の李先念国家主席がスペイン訪問の途次カラチに立ち寄り(~10日)。 |
DIA-304-1984-11-14-1 | パキスタン | 1984年11月14日 | 1980年代 | 14日付『日本経済新聞』によると,鈴木自動車工業はパでの軽自動車合弁生産拡大のため新工場を建設することでパキスタン自動車公団(PACO)と合意した。 |
DIA-304-1984-11-14-2 | パキスタン | 1984年11月14日 | 1980年代 | フィールドハウス英海軍参謀長,来訪(9日間)。 |
DIA-304-1984-11-15-1 | パキスタン | 1984年11月15日 | 1980年代 | マフブーブル・ハック計画相,記者会見。(1)第6次5カ年計画(83/84~87/88年度)の残余期間に代えて3カ年ローリング討画を策定中。(2)6次計画の85~88年分は10~15%の下方修正となり,公共部門の当初の投資計画2100億ルピーは1850億ルピーに修正されよう。(3)これは主に,幾つかの優先プロジェクトの遅延,海外出稼ぎ労働者の本国送金が計画(年平均10%増)どおりにいかず,むしろ現84/85会計年度第1四半期は昨年同期比8%減となっていることなどによる。なお,3カ年ローリング計画は85年7月1日から実施される(Financial Times,11/27)。 |
DIA-304-1984-11-15-2 | パキスタン | 1984年11月15日 | 1980年代 | ヤークーブ外相,国連でデクエヤル国連事務総長に会見(アフガニスタン11月13日参照)。 |
DIA-304-1984-11-16-1 | パキスタン | 1984年11月16日 | 1980年代 | NDP(非合法)中央委員会は全会一致でハーン・アブドゥル・ワリー・ハーンを党首に選出。 |
DIA-304-1984-11-16-2 | パキスタン | 1984年11月16日 | 1980年代 | バルーチスタン州のアフガン難民は現在100万人。他に家畜50万頭。(Muslim,11/16) |
DIA-304-1984-11-16-3 | パキスタン | 1984年11月16日 | 1980年代 | 国連総会出席後のヤークーブ外相はワシントンでレーガン大統領に会見後の記者会見で,さし迫った敵対感情の危険性は見えないなどと述べた。 |
DIA-304-1984-11-17-1 | パキスタン | 1984年11月17日 | 1980年代 | 19日付Nawa-e-Waqt紙が西ドイツ政府スポークスマンの言を引用して伝えるところによると,エジプトのムバラク大統領は,リビアがパ政府転覆を企てている他,サウジアラビア国王,UAE首長,西ドイツ首相の暗殺を計画している証拠があると語った。 |
DIA-304-1984-11-18-1 | パキスタン | 1984年11月18日 | 1980年代 | ハールーン内相,辞任(Dawn11/20)。 |
DIA-304-1984-11-18-2 | パキスタン | 1984年11月18日 | 1980年代 | ソ連のスミルノフ駐パ大使はカラチ記者クラブで演説,(1)ソ連とパの関係はあまりよくない,(2)印パ間の紛争は世界大戦に発展するだろうからソ連は印パ間紛争を望まない,などと述べた。 |
DIA-304-1984-11-20-1 | パキスタン | 1984年11月20日 | 1980年代 | 詩人ファイズ・アフマッド・ファイズ,死去。 |
DIA-304-1984-11-20-2 | パキスタン | 1984年11月20日 | 1980年代 | インドのラジーブ・ガンディー新首相は,パの拡張された軍備はアフガニスタンではなく「現実にはインドに対して使用されるかもしれない……(might be used,Times of India,11/21)と非難のトーンを従来よりかなり落としている。 |
DIA-304-1984-11-21-1 | パキスタン | 1984年11月21日 | 1980年代 | 21日付Muslim紙によると,シンド州警察はこの2カ月の盗賊制圧作戦で32人を殺害,79人を逮捕。27日付Dawn紙は公式筋情報として,25日までにサッカル行政管区だけで盗賊29人,警官31人殺害と伝えた。 |
DIA-304-1984-11-23-1 | パキスタン | 1984年11月23日 | 1980年代 | ジア大統領はMRD不参加の政治家との対話を開始。23日,トゥファイルJI党首。 |
DIA-304-1984-11-24-1 | パキスタン | 1984年11月24日 | 1980年代 | イスラマバードでパとイランの閣僚合同委員会,開催。26日,経済,貿易,文化協力協定,調印。 |
DIA-304-1984-11-25-1 | パキスタン | 1984年11月25日 | 1980年代 | 25日付Dawn紙によると,最近のILO報告書は中東・ペルシャ湾岸諸国の開発費削減のためパ人労働者60万人が帰国せざるを得まいと警告しているという。 |
DIA-304-1984-11-25-2 | パキスタン | 1984年11月25日 | 1980年代 | タールプール国防相は,ジア大統領は終身大統領になるべきで,これはイスラーム教義に合致すると述べた(Daily News,11/26;Viewpoint,11/29)。 |
DIA-304-1984-11-28-1 | パキスタン | 1984年11月28日 | 1980年代 | パとUAE,海底通信ケーブル建設で合意。 |
DIA-304-1984-11-30-1 | パキスタン | 1984年11月30日 | 1980年代 | 30日付POT-P紙によると,ソ連のモスクワ放送はパがアフガニスタンに対する宣戦布告なき戦争にますますのめりこみつつあると非難(日付不明)。 |
DIA-304-1984-12-01-1 | パキスタン | 1984年12月01日 | 1980年代 | ジア大統領,全国放送。(1)12月19日にただ一つの質問に対する賛否を問う国民投票を行なう。質問は次のとおり。「パキスタン大統領のムハンマッド・ジア・ウル・ハック将軍がパキスタンの諸法を聖コーランと聖予言者-その上に平穏あれかし-の戒告に沿ったイスラームの諸原則に合致させるべく,かつパカスタンのイデオロギーを護持すべく開始した計画をあなたは支持しますか,またこの計画の継続および強化,さらに国民の選出された代表に対する組織的かつ平和裡の権力移譲を支持しますか?」,(2)投票の秘密性は守られ,投票時に治安当局は軍の協向を得る。(3)国民は,現政府の諸政策を支持するか,パのイデオロギーを信じ,かつその守護を望むか,イスラーム体制施行を支持するか,その施行過程の迅速化と強化を望むか,83年8月12日発表の計画を支持するか,85年3月までの総選挙完了を望むか,選出された国民の代表に対する秩序だった平和裡の権力移譲を望むか,についての決定を求められるのである。(4)投票した者の過半数が肯定的返答をしたならば,当然ながら国民が現政府を信任し,ムハンマッド・ジア・ウル・ハック将軍を任期向う5年の大統領に選出したものとみなす。 |
DIA-304-1984-12-01-2 | パキスタン | 1984年12月01日 | 1980年代 | ジア大統領,「1984年国民投票命令」を発令。 |
DIA-304-1984-12-02-1 | パキスタン | 1984年12月02日 | 1980年代 | MRDは19日の国民投票ボイコットを決定。 |
DIA-304-1984-12-04-1 | パキスタン | 1984年12月04日 | 1980年代 | パンジャーブ州政府,室内の政治集会を含む全政治集会・声明を禁止。 |
DIA-304-1984-12-05-1 | パキスタン | 1984年12月05日 | 1980年代 | ジア大統領は19日予定の国民投票ボイコット教唆などを処罰し得るようパキスタン刑法典,1976年国民代表法,1975年上院選挙法を改正する3政令を布告。 |
DIA-304-1984-12-06-1 | パキスタン | 1984年12月06日 | 1980年代 | 米政府筋によると,レーガン大統領は去る9月,パのジア大統領に対し,核兵器開発をやめなければ対パ32億ドル軍事・経済援助(81年9月契約)の継続が危うくなると警告(Financial Times,12/7)。 |
DIA-304-1984-12-06-2 | パキスタン | 1984年12月06日 | 1980年代 | ジア大統領,「1977年国会両院・州議会選挙命令」を改正する「1984年国会両院・州議会選挙〈第3次改正〉命令」を布告。 |
DIA-304-1984-12-06-3 | パキスタン | 1984年12月06日 | 1980年代 | J・W・ヴェシー(Vessey)米統合参謀本部議長,来訪(~10日)。11月29日付Muslim紙によると,これはAWACSの対パ供与について協議のためという。 |
DIA-304-1984-12-07-1 | パキスタン | 1984年12月07日 | 1980年代 | ジア大統領,法務省をMinistry of LawからMinistry of Justiceへ改称。 |
DIA-304-1984-12-08-1 | パキスタン | 1984年12月08日 | 1980年代 | ジア大統領,全国遊説を開始。8日パンジャーブ州ファイサラバードで,国民投票は総選挙に代るものではないと言明。10日サルゴーダで,イスラーム化完了まで私は去らないと述べた。11日ラホールで,パをイスラーム福祉国家にする決意だと言明。12日シンド州サッカルで,73年憲法は廃棄せず完全にイスラーム化すると述べた。同日,シンディー民族主義者G・M・サイヤッドの病気見舞い。14日カラチで,イデオロギー国家パキスタンで唯物主義や世俗主義の余地はないと語った。14~15日,バルーチスタン州。16~17日,北西辺境州。 |
DIA-304-1984-12-09-1 | パキスタン | 1984年12月09日 | 1980年代 | バルーチスタン州知事代行のK・K・アフリーディー陸軍中将,同州知事に就任。 |
DIA-304-1984-12-10-1 | パキスタン | 1984年12月10日 | 1980年代 | JI,国民投票とジア大統領支持を表明。 |
DIA-304-1984-12-11-1 | パキスタン | 1984年12月11日 | 1980年代 | 来訪中のサウジアラビア3軍作戦本部長S・アブドゥッラー陸軍少将,カマール海軍参謀長に会見。 |
DIA-304-1984-12-13-1 | パキスタン | 1984年12月13日 | 1980年代 | バルーチスタン州スイ天然ガスのパイプラインがシンド州カシュモール付近で爆発し,16人死亡。 |
DIA-304-1984-12-13-2 | パキスタン | 1984年12月13日 | 1980年代 | 政府スポークスマンは,当局が最近パンジャーブ州ラブワのZia-ul-Islam Press社を3カ月間閉鎖したことを確認(Pakistan Times,12/14)。同社は『アフマディーヤ協会』(JA)の定期刊行物,日刊Alfazal紙などを印刷していた(POT-P,12/15)。 |
DIA-304-1984-12-14-1 | パキスタン | 1984年12月14日 | 1980年代 | 14日付Dawn紙の付録“Economic & Business Review”は政府筋研究を引用して,年間100億ルピーのブラック・マネーがパに流入して(累計500億ルピー)経済を混乱させていると報じている。 |
DIA-304-1984-12-15-1 | パキスタン | 1984年12月15日 | 1980年代 | 政府スポークスマンによると,78年から84年12月11日までの間にアフガニスタン機によるパ領空侵犯は634回,国境を越えての銃撃は131回という。 |
DIA-304-1984-12-16-1 | パキスタン | 1984年12月16日 | 1980年代 | 16日付ソ連国防省機関紙「赤い星亅は,ソ連の南部国境に近いパ領内にアメリカが中距離核ミサイル,パーシングⅡ配備を計画したと報じた(『朝日』12/17夕)。 |
DIA-304-1984-12-19-1 | パキスタン | 1984年12月19日 | 1980年代 | イスラーム化信任国民投票日-ジア大統領はマリーで軍服を着て投票。投票所で記者会見。(1)国民投票結果が明白な(政権継続の)委任の場合,私が軍を退役,かつ戒厳総司令官を辞任するかどうかは言えない。(2)(予定の憲法改正で政府における軍の役割の恒久化は)考えていない。(3)私個人の考えでは総選挙は無政党ベースで行なうべきだ。なお,投票のためには身分証明書の提示を要すとされていたがこれは17日に撤回され,19日の投票日には投票時間が1時間延長された。 |
DIA-304-1984-12-20-1 | パキスタン | 1984年12月20日 | 1980年代 | 選挙管理委員会の発表によると,19日の国民投票で投票率は62.1%で,うち97.71%が肯定票。MRDによると10%,政治観測者たちによると20~35%。 |
DIA-304-1984-12-20-2 | パキスタン | 1984年12月20日 | 1980年代 | MRD中央委員会によると19日の国民投票の前に300人が逮捕されたが,その後ほとんどが釈放されたという。MRDのイスラマバード駐在スポークスマンによると逮捕された政治活動家は1000人以上という。政府発表では12月1日からの逮捕者は51人のみ。 |
DIA-304-1984-12-20-3 | パキスタン | 1984年12月20日 | 1980年代 | ダム米国務長官代行は記者会見で,インドの新政権の懸念を緩和するためにアメリカの対パ武器供与方針が変更されるかとの質問に否定の返答。また,ペック米国務省高官はE2Cホークアイ機の対パ売却は未決定と述べた(POT-P,12/22)。 |
DIA-304-1984-12-21-1 | パキスタン | 1984年12月21日 | 1980年代 | ジア大統領,全国放送。(1)国民はイスラーム化支持の不変不動の決定を下した。(2)この国民投票は絶対に総選挙に代るものではない。(3)国会・州議会総選挙は85年3月23日以前に行なうが,詳しい日程は近々発表。 |
DIA-304-1984-12-22-1 | パキスタン | 1984年12月22日 | 1980年代 | 22日付Business Recorder紙が英Financial Times紙(日付不明)を引用して伝えるところによれば,米政府はパに対しウランを5%以上に濃縮すれば対パ軍事・経済援助が難かしくなると警告したという。 |
DIA-304-1984-12-23-1 | パキスタン | 1984年12月23日 | 1980年代 | 中央銀行1983/84年度年次報告書,出来。銀行制度イスラーム化は85年6月30日までに完了と強調。 |
DIA-304-1984-12-24-1 | パキスタン | 1984年12月24日 | 1980年代 | パ側カシミール大統領のA・ラフマーン・ハーン退役陸軍少将によると同地の総選挙はパの総選挙10日後に政党ベースで実施されようという。 |
DIA-304-1984-12-25-1 | パキスタン | 1984年12月25日 | 1980年代 | ジア大統領は国民投票後初の記者会見で,私は総選挙後の上下両院合同会議までは選出された大統領ではなくて陸軍参謀長であり,憲法改正は現在の資格で行なうなどと語った。 |
DIA-304-1984-12-31-1 | パキスタン | 1984年12月31日 | 1980年代 | ジア大統領は銀行制度のイスラーム化のための「1984年銀行制度裁判所政令」および「1984年銀行制度・金融業〈諸法改正〉政令」を布告(85年1月1日発効)。 |
DIA-304-1985-01-01-1 | パキスタン | 1985年01月01日 | 1980年代 | 金融制度イスラーム化のために84年12月31日にジア・ウル・ハック大統領が布告した「1984年銀行制度・金融業〈諸法改正〉政令」および「1984年銀行制度裁判所命令」が発効した。5日,財政省は金融イスラーム化を詳細に説明(Dawn,1/6)。 |
DIA-304-1985-01-01-2 | パキスタン | 1985年01月01日 | 1980年代 | 中国人民解放軍友好代表団(団長は何正文副総参謀長),来訪(~11日)。 |
DIA-304-1985-01-05-1 | パキスタン | 1985年01月05日 | 1980年代 | ジア大統領はカラチ市の関係者代表に対し,バングラデシュのビハーリー人受け入れ数を増やすことを考えると言明(パは今までにバングラデシュからビハーリー人15万人を受け入れたが,まだ30~50万人が残留しているという。Statesman,1/3)。 |
DIA-304-1985-01-06-1 | パキスタン | 1985年01月06日 | 1980年代 | ヨルダンのハサン皇太子,来訪(~9日)。 |
DIA-304-1985-01-07-1 | パキスタン | 1985年01月07日 | 1980年代 | ジア戒厳総司令官(兼大統領)は戒厳令規則第65号により77年8月の戒厳令命令第20号を改正。これにより戒厳総司令官は政府公務退官2年以内の者に対しても政治活動参加の許可を与え得ることになった。 |
DIA-304-1985-01-08-1 | パキスタン | 1985年01月08日 | 1980年代 | ジア大統領,Aziz Munshi検事総長およびLiaquat Mercbang副検事総長を任命。 |
DIA-304-1985-01-10-1 | パキスタン | 1985年01月10日 | 1980年代 | パキスタン人民党(PPP,非合法)の機関紙であった日刊Musawaat紙(1970年7月7日,ラホールで創刊。79年10月,全面発禁)がパキスタン国民銀行に対する90万ルピーの負債のため競売となり,自立運動党(TI)指導者M・R・バット(ラワルピンディーの日刊Haider紙発行者)が20万ルピーで落札した。 |
DIA-304-1985-01-12-1 | パキスタン | 1985年01月12日 | 1980年代 | ジア大統領,全国放送で総選挙日程を発表。以下,演説要旨。(1)総選挙はイスラーム政体確立のために実施されるものである。(2)私は今,(85年12月の国民投票により―筆者)選出された大統領の資格において国民に語りかけているのである。(3)私の綱領の基本的目標はイスラーム社会の建設だ。(4)私の綱領の最重要点はイスラーム法の適用だ。ただしわれわれはパキスタンを復古的な神政国家にするつもりではなく,近代的なイスラーム民主主義国家にしようとしているのだ。(5)総選挙に関する基本的決定。(i)総選挙は非政党ベース,成人普通選挙。(ii)ムスリム(イスラーム教徒―筆者)と非ムスムリの分離選挙。(iii)軍が法秩序を維持。(iv)立候補者は少なくとも50人の有権者による指名(推薦―筆者)を受け,またパキスタン・イデオロギーを信じると確言しなければならない。(v)上下両院,各州議会の議席を次のように増加。・下院 計218→237。(a)パルーチスタン州:7→11。(b)シンド州:3議席増(2=カラチ市,1=サッカル県)。(c)婦人用留保議席:10→20。(d)少数宗徒:10。内訳は,キリスト教徒の兄弟たち=4,ヒンドゥ教徒の兄弟たち=4,カーディヤーニー(自称アフマディー)教徒=1,その他(ゾロアスタ・ |
DIA-304-1985-01-12-2 | パキスタン | 1985年01月12日 | 1980年代 | ジア大統領,各紙論説委員と会見。(1)総選挙前に73年憲法を改正。(2)大統領制のほうが(議院内閣制よりも)イスラーム民主主義の概念にずっと近い。(3)国会総選挙後も戒厳令を少なくとも4~5ヵ月は存続させる。 |
DIA-304-1985-01-12-3 | パキスタン | 1985年01月12日 | 1980年代 | 全国民主党(NDP)はS・S・マザーリー党首辞任に伴いハーン・アブドゥル・ワリー・ハーンを党内選挙までの「特別党首」に選出。 |
DIA-304-1985-01-12-4 | パキスタン | 1985年01月12日 | 1980年代 | パのDawn紙12日によると,北西辺境州のアフガニスタンとの国境近辺および連邦政府直轄部族地域で高性能銃火器所有が流行しており,危険な状況にあるという。たとえばソ連のカラシュニコフ・ライフルがディール県だけで4万丁あるといわれ,またカラシュニコフ購入資金調達のための誘拐事件が起きているという。 |
DIA-304-1985-01-12-5 | パキスタン | 1985年01月12日 | 1980年代 | 米海軍作戦部長J・D・ワトキンス中将,来訪。 |
DIA-304-1985-01-13-1 | パキスタン | 1985年01月13日 | 1980年代 | ジア大統領,「1985年国会・州議会〈選挙〉〈改正〉命令」を布告。 |
DIA-304-1985-01-14-1 | パキスタン | 1985年01月14日 | 1980年代 | Pakistan Times紙14日は79年10月11日までに選挙管理委員会に登録した21政党を改めて発表。 |
DIA-304-1985-01-15-1 | パキスタン | 1985年01月15日 | 1980年代 | パキスタン製鉄所(PS)完工式。ソ連の資金・技術援助で1976年着工。総工費16億㌦。生産能力は年産で銑鉄13.5万㌧,ビレット26万㌧,熱延綱板45.5万㌧,冷延綱板9万㌧。ソ連は資金の35%を供与。 |
DIA-304-1985-01-15-2 | パキスタン | 1985年01月15日 | 1980年代 | パの日刊Nawa-e Waqt紙15日によると,サウジアラビア治安当局はこの2,3日でパ人不法滞在者数百人を逮捕した(POT-P,1/18)。 |
DIA-304-1985-01-16-1 | パキスタン | 1985年01月16日 | 1980年代 | M・L・チッベル.インド陸軍中将によるとカシミールのシアチェン氷河における印パ両軍の銃撃戦で過去6ヵ月間に計80人以上(パ軍50人)が死亡した(Times of India。1/17)。17日,パ政府スポークスマンはこれを強く否定,同地域での印パ両軍衝突は84年7月(パ軍3人負傷)以来発生していないと述べた。 |
DIA-304-1985-01-17-1 | パキスタン | 1985年01月17日 | 1980年代 | 戒厳令命令第104号発令。これにより戒厳総司令官(=ジア大統領)は総選挙立候補無資格者を有資格者と認定できることになった。同日,有資格者となった74人の名前が発表された。 |
DIA-304-1985-01-19-1 | パキスタン | 1985年01月19日 | 1980年代 | 野党11政党(非合法)の連合である民主主義回復運動(MRD)は2日間の会合の後,総選挙が1973年憲法に基づいて行なわれる場合のみ参加と正式に決定。 |
DIA-304-1985-01-19-2 | パキスタン | 1985年01月19日 | 1980年代 | インドのPTI通信によると,ジア大統領誘拐陰謀のかどでパ陸軍中佐4人以下の将校22人,警察官1人,弁護士1人の秘密裁判が北西辺境州アトック・フォートで開始された。被告たちは84年1~8月に逮捕された。他にも軍人30~100人が逮捕されたという(S,2/9)。 |
DIA-304-1985-01-19-3 | パキスタン | 1985年01月19日 | 1980年代 | キッシンジャー元米国務長官,インドから来訪。21日,帰国。19日,パを「自由世界の前線国家」と称賛。21日,アスガルTI党首はこの発言を「パ人に対する侮辱である」と非難。 |
DIA-304-1985-01-20-1 | パキスタン | 1985年01月20日 | 1980年代 | 政府,MRDの会合を禁止。 |
DIA-304-1985-01-22-1 | パキスタン | 1985年01月22日 | 1980年代 | ジア大統領はF・S・K・ローディー陸軍中将(56歳)を内相(84年11月以来空席)に任命。同日就任。 |
DIA-304-1985-01-25-1 | パキスタン | 1985年01月25日 | 1980年代 | ジア大統領は記者会見で,アフガニスタン機によるパ領空侵犯は84年には63回に及び,機銃掃射による死者113人,負傷者94人を出した,と述べた。 |
DIA-304-1985-01-26-1 | パキスタン | 1985年01月26日 | 1980年代 | パのNawa-e Waqt紙26日によると,A・ジャーン陸軍准将はある討論会で,(1)インドは84年11月第1週にカフータの核施設爆破のために一飛行大隊のジャガー戦闘機をパに侵入させた,(2)ソ連,イスラエル,またアフガニスタンさえもがパの核施設を攻撃する可能性がある,などと述べた(POT-P,1/29)。 |
DIA-304-1985-01-27-1 | パキスタン | 1985年01月27日 | 1980年代 | ジア大統領は記者会見で,(1)設置予定の国家安全保障会議(NSC)の構成員は大統領,首相,4州首相,3軍各参謀長,統合参謀本部議長となろう,(2)首相はシンド州,バルーチスタン州,北西辺境州のいずれかに属する人物を任命する,などと述べた。 |
DIA-304-1985-01-28-1 | パキスタン | 1985年01月28日 | 1980年代 | パ,イラン,トルコの3国は1964年結成の地域開発協力機構(RCD)を発展的に解消し,「経済協力機構」(ECO)を結成することで合意。 |
DIA-304-1985-01-28-2 | パキスタン | 1985年01月28日 | 1980年代 | パのPPI通信28日によると,パは来年度インドから鉄鉱石30万㌧輸入の予定(POT-P,1/30)。 |
DIA-304-1985-01-29-1 | パキスタン | 1985年01月29日 | 1980年代 | パのDawn紙29日によると,2月中旬予定の国連仲介のパ・アフガニスタン間接外相会談はパの総選挙などのために4月まで延期される見込み。 |
DIA-304-1985-01-31-1 | パキスタン | 1985年01月31日 | 1980年代 | パキスタン宇宙・成層圏調査委員会-(SUPAR CO)のS・マハムード委員長は,パはいつでも自前の人工衛星を打ち上げる能力があると述べた。 |
DIA-304-1985-02-01-1 | パキスタン | 1985年02月01日 | 1980年代 | 政府は「プレス勧告」(口頭命令)により野党の総選挙ボイコットに関する報道を禁止した。 |
DIA-304-1985-02-01-2 | パキスタン | 1985年02月01日 | 1980年代 | PPPは総選挙立候補予定の党員全員を除名。 |
DIA-304-1985-02-02-1 | パキスタン | 1985年02月02日 | 1980年代 | サウジアラビアのスルターン国防相,来訪。 |
DIA-304-1985-02-03-1 | パキスタン | 1985年02月03日 | 1980年代 | アスガルTI党首は記者会見で,(1)アフガニスタン問題の政治的解決の最大の障害はアメリカだ,(2)パはアフガニスタンと直接交渉をすべきだ,と主張。 |
DIA-304-1985-02-04-1 | パキスタン | 1985年02月04日 | 1980年代 | レーガン米大統領は1986年度(85年10月~86年9月)の対パ軍事・経済援助として6億5567万㌦(軍事3億2500万㌦,残り経済援助)の承認を要請。81年9月契約の米の対パ32億㌦援助のうち15億5000万㌦が軍事援助でパはすでに9億㌦を受け取っている。 |
DIA-304-1985-02-05-1 | パキスタン | 1985年02月05日 | 1980年代 | パのナーイク外務次官は,南アジア地域協力機構(SARC)の外務次官会議(6~7日)の開かれるモルディブの首都マレで,印パ関係正常化についてインドのバンダリー外務次官と会談。 |
DIA-304-1985-02-06-1 | パキスタン | 1985年02月06日 | 1980年代 | ジア大統領は記者会見で,自分は戒厳令解除まで陸軍参謀長を辞任しない,4州軍人知事を解任することもない,と語った。 |
DIA-304-1985-02-08-1 | パキスタン | 1985年02月08日 | 1980年代 | 政府系のPT紙8日は,強力な大統領制を定めたフランス憲法はパ人の精神に「見事に」合致と強調。 |
DIA-304-1985-02-10-1 | パキスタン | 1985年02月10日 | 1980年代 | イスラーム結社(JI)のガッフール・アフマッド副党首は現政権の政治を「衣装を変えただけの軍政にすぎない」と評した(International Herald Tribune 2/11)。 |
DIA-304-1985-02-10-2 | パキスタン | 1985年02月10日 | 1980年代 | パのウルドゥー語日刊Jang紙11日によると,ラヒーム・ハーン国防次官(退役陸軍少将)は,パは年末までにアメリカから約束されたF-16戦闘機の残り15機の供与を受けると言明(POT-P,2/15)。 |
DIA-304-1985-02-11-1 | パキスタン | 1985年02月11日 | 1980年代 | パの日刊Daily News紙11日はアフガン難民のカラチ市流入が増えて治安悪化を招いているとしてシンド州政府に善処を要求(POT-P,2/15)。 |
DIA-304-1985-02-11-2 | パキスタン | 1985年02月11日 | 1980年代 | 学生自治会禁止1周年のこの日,全国各地で学生が野党支持の抗議集会を開いた。 |
DIA-304-1985-02-18-1 | パキスタン | 1985年02月18日 | 1980年代 | G・M・ジャトーイPPP党首代行,ハイルッディーンMRD事務局長,アスガルTI党首,等々の政治指導者たちが逮捕された。ジャトーイは逮捕直前に,84年12月と85年1月にジア大統領が首相ポストを提供してきたが拒絶したと語った(Financial Times,2/19)。野党筋によると21日までに全国で1000~1500人が逮捕された(『朝日』2/22)。 |
DIA-304-1985-02-21-1 | パキスタン | 1985年02月21日 | 1980年代 | 空軍中将Jamal Ahmad Khan,空軍参謀長に任命さる(3月6日付。同23日,大将に昇格)。 |
DIA-304-1985-02-24-1 | パキスタン | 1985年02月24日 | 1980年代 | 24日付英Observer紙によると,ジア大統領は同紙に対しイスラマバード近郊の秘密工場で最近,濃縮ウラン製造が始まったと言明(『朝日』2/25)。 |
DIA-304-1985-02-25-1 | パキスタン | 1985年02月25日 | 1980年代 | 下院総選挙。実際に選挙されたのは237議席中209議席(婦人用留保20議席は直接選挙で選出の下院議員による間接選挙,7議席は無競争当選,1議席はカーディヤーニー教徒がポイコットしたもの)。立候補者総数1154人,有権者総数3258万9996人の投票率は52.93%。地域別投票率はパンジャーブ州59.59%,シンド州44.05%,北西辺境州38.81%,バルーチスタン州35.13%,連邦首都特別区60.24%,連邦政府直轄部族地域75.00%。26日までに判明したところでは,立候補した現職の連邦大臣(閣僚)9人のうち5人,国務大臣(閣外相)3人のうち1人,大統領顧問4人のうち2人がそれぞれ落選した。諮問評議会の現職議員立候者100人のうち76人が落選。治安当局によれば投票日の25日,対立グループの衝突で6人死亡,40人負傷。(「参考資料」参照) |
DIA-304-1985-02-25-2 | パキスタン | 1985年02月25日 | 1980年代 | ジア大統領,内閣を解散(26日付)。総選挙に出馬した閣僚および閣外相は当落とは無関係に現職を去り,残る8人は次期内閣成立まで暫定的に留任。 |
DIA-304-1985-02-25-3 | パキスタン | 1985年02月25日 | 1980年代 | 米New York Times紙25日付,パが米マサチューセッツ州にある軍事関係のEG and G社の製品「クライトロン」を一昨年から昨年の9ヵ月にわたって不法に入手しようとしていたと報じた。クライトロンは核爆弾の起爆装置としても信頼度がきわめて高いといわれる。米国務省報道官は同日の記者会見で,バが核兵器製造に乗り出しているとは思わないと述べた。 |
DIA-304-1985-02-25-4 | パキスタン | 1985年02月25日 | 1980年代 | ハイダラバード市で「失業シンディー人青年機構」(JSYO),結成(D,2/27)。 |
DIA-304-1985-02-28-1 | パキスタン | 1985年02月28日 | 1980年代 | 4州議会選挙実施(「参考資料」参照)。立候補者1人を含め全国で10人殺害さる(TI,3/1)。 |
DIA-304-1985-02-28-2 | パキスタン | 1985年02月28日 | 1980年代 | ジア大統領,諮問評議会を解散。また,26日以降空席の連邦大臣(閣僚)および国務大臣(閣外相)のポストを現閣僚のポストとして追加。 |
DIA-304-1985-02-28-3 | パキスタン | 1985年02月28日 | 1980年代 | ラホールのウルドゥー語紙Nawa-e-Waqt紙28日によると,下院選挙に立候補した退役軍人33人のうち7人が当選,26人が落選した(POT-P,3/6)。 |
DIA-304-1985-03-01-1 | パキスタン | 1985年03月01日 | 1980年代 | パでもヘロイン常用患者増が社会問題化している。Dawn紙1日付録はこの問題に関する特集を掲載。 |
DIA-304-1985-03-02-1 | パキスタン | 1985年03月02日 | 1980年代 | ジア大統領は全国放送を通じて「1985年 1973年憲法回復命令」(1985年大統領命令第14号を発表)。これは77年7月5日の軍事クーデターに伴う戒厳令発令によって停止されていた1973年憲法を改正した上で復活するものである(「参考資料」参照)。大統領によると新国会は今回の憲法改正条項を拒否・改正できることになってはいるが,きわめて困難になっている。大統領によればまた,73年憲法の回復は戒厳令の段階的解除とともにやはり段階的に行なわれることになるという(上記「命令」全文はDawn紙5日に掲載されている)。 |
DIA-304-1985-03-03-1 | パキスタン | 1985年03月03日 | 1980年代 | ジア大統領は3日発行の米Time誌(3月11日号)のインタビュー記事で,3月23日から数ヵ月後に陸軍参謀長を辞任し,同時に戒厳令を解除すると言明。 |
DIA-304-1985-03-05-1 | パキスタン | 1985年03月05日 | 1980年代 | 1981年3月のパキスタン国際航空(PIA)機ハイジャック犯の1人ナーシル・バルーチがカラチで処刑された。政府は他の犯人4人中3人の死刑を終身刑に,1人の死刑を終身刑に減刑。減刑は現政権下ではきわめて珍しい措置のようである。 |
DIA-304-1985-03-06-1 | パキスタン | 1985年03月06日 | 1980年代 | ジア大統領はイギリスの某放送記者との会見で,(1)3月23日から戒厳令を段階的に解除する,(2)戒厳令は年内に解除する,などと述べた。 |
DIA-304-1985-03-07-1 | パキスタン | 1985年03月07日 | 1980年代 | 1985年国会・州議会〈選挙〉〈第9次改正〉命令(1985年大統領命令第17号)により,下院または州議会の選挙に落選した者は上院選挙立候補を禁じられた。 |
DIA-304-1985-03-08-1 | パキスタン | 1985年03月08日 | 1980年代 | 政府系の,Pakistan Times紙8日によると「パキスタン世論研究所」(PIPO)は次の調査結果を発表。(調査は「科学的に選ばれた」500県―全県のほとんどの5630家庭でのインタビューによるもので1982,83,84年に実施されたという)。(1)「総選挙で勝ってほしい政党」―インタビュー対象者の16%がPPPを挙げ,「妥当な」差でJI,パキスタン・ムスリム連盟(PML),パキスタン神学者協会(JUP),イスラーム神学者協会(JUI)が続いている。(2)「最も勝ってほしくない政党」―PPPが23%(POT-P,3/9)。 |
DIA-304-1985-03-09-1 | パキスタン | 1985年03月09日 | 1980年代 | 憲法復活―ジア大統領が10日の記者会見で発表。(1)3月9日付官報により1973年憲法の計12部280ヵ条のうち27ヵ条の全文および2ヵ条の部分を除き全文を回復させた。(2)回復されなかった条項は次のとおり。第Ⅱ部第1章第8~28条(以上,基本的人権)。第Ⅳ部第1章第101条第2項および第2a項(以上,州知事の任命)。第Ⅶ部第199条(高等裁判所)。第Ⅷ部第1章第213~216条(以上,選挙管理委員会・同委員長の任命)。第XII部第270条第A項(法改正)。 |
DIA-304-1985-03-09-2 | パキスタン | 1985年03月09日 | 1980年代 | 84年7月にインド航空機をハイジャックしてラホールでパ治安当局に投降した5人のインド人シク教徒に対する裁判が特別法廷で開始された。それとは別の同年8月のシク教徒ハイジャック犯の審理は未開始。 |
DIA-304-1985-03-10-1 | パキスタン | 1985年03月10日 | 1980年代 | 通称「リビア事件」といわれる政府転覆計画の容疑者42人(ウスマーニー陸軍准将〔当時〕など)のうち,1980~82年に逮捕された18人のうち5人に対しラーワルピンディー特別軍事裁判所で終身刑の判決が下された。犯人たちは過激派政治組織「アル・ズルフィカール」(AZ―書記長のムルタザー・ブットは故ブット前首相の長男)のメンバーといわれる。 |
DIA-304-1985-03-10-2 | パキスタン | 1985年03月10日 | 1980年代 | アーマコスト米国務次官,来訪。13日の記者会見で,パ空軍が米から入手したF-16戦闘機用にAIM-9L空対空ミサイルをパ空軍に供与することを米政府は去る5日に議会に通告したと明らかにした。 |
DIA-304-1985-03-11-1 | パキスタン | 1985年03月11日 | 1980年代 | 失業シンディー人青年機関(USYO)によるとシンディー人大卒失業者は3万5000人(D,3/13)。 |
DIA-304-1985-03-12-1 | パキスタン | 1985年03月12日 | 1980年代 | ジア大統領,訪ソ。13日,故チェルネンコ・ソ連共産党前書記長の葬儀に参列。14日,ゴルバチョフ新書記長と会談。ヤークーブ外相およびグロムイコ・ソ連外相も同席。15日,帰国した大統領は記者会見で,新書記長はアフガニスタン問題の軍事的解決でなく政治的解決を望んでいると語った(D,3/16)。アフガニスタン(以下,ア)の国営Kabul New Times紙24日によると,ゴルバチョフ新書記長は14日の会談でジア大統領に次のように述べた(POT-A,4/11)。(1)アに対するパの政策は近視眼的だ。(2)パのアに対する攻撃的行為はソ・パ関係に対し否定的に作用せざるを得ない。(3)パの今までの敵対的行為はパが政治的解決を望んでいないことを示している。米IHT紙16日によると14日のソ連の対パ警告は今までで最も厳しいものであり,また同紙がモスクワの詳しい情報筋の話として伝えたところでは,ソ連はレーガン米政権がニカラグアに対する軍事的圧力を継続すればソ連はパに対する何らかの行動をとることを考えているという。・17日,ソ連政府スポークスマンはニューヨークで,ゴルバチョフ新書記長がジア大統領に「警告」したことを否定。 |
DIA-304-1985-03-12-2 | パキスタン | 1985年03月12日 | 1980年代 | 4州議会開会。13日,各州議会で婦人用留保議席選挙が行なわれた。14日,各州配分の上院議員を選出。 |
DIA-304-1985-03-13-1 | パキスタン | 1985年03月13日 | 1980年代 | ジア大統領,モスクワでインドのガンディー首相と印パ関係改善について会談。 |
DIA-304-1985-03-14-1 | パキスタン | 1985年03月14日 | 1980年代 | Dawn紙14日によると,84年12月の国民投票の費用は1億3000万ルピー,2月総選挙の費用は2億ルピー。 |
DIA-304-1985-03-18-1 | パキスタン | 1985年03月18日 | 1980年代 | ジア大統領,「1985年憲法〈第2次改正〉命令」(1985年大統領命令第20号)を布告。これは,1977年7月5日以降布告の大統領命令は事前の裁可なく撤回あるいは改正されることはないとするとともに,憲法改正手続きを簡略化するものである。 |
DIA-304-1985-03-20-1 | パキスタン | 1985年03月20日 | 1980年代 | 下院第1回会期開始。選出下院議員216人中210人の宣誓後,婦人用留保議席の21議員を選出(下院の婦人用留保議席数は本来は21だが,少数教徒用留保議席のうち「カーディヤーニー教徒」が拒否した1議席が非ムスリム婦人用留保議席に追加された)。21日,イスラマバード連邦首都特別区の3上院議員を選出した(下院で選出することになっていた連邦政府直轄部族地域配分の8上院議員はすでに13日に無競争当選が発表された)。 |
DIA-304-1985-03-20-2 | パキスタン | 1985年03月20日 | 1980年代 | SUPARCOはアメリカの航空宇宙局(NASA)との間で10年以内にパの衛星を打ち上げるとの覚書に調印。 |
DIA-304-1985-03-21-1 | パキスタン | 1985年03月21日 | 1980年代 | グラーム・イスハーク・ハーン前財政相,上院議長に無競争当選。副議長はM・S・クレーシー。 |
DIA-304-1985-03-22-1 | パキスタン | 1985年03月22日 | 1980年代 | 下院,S・F・イマーム議長を選出。同議長は230票中119を獲得。対立候補のK・M・サフダル前諮問評議会議長は111票。副議長にはS・W・A・ジューゲザーイが無競争当選した。 |
DIA-304-1985-03-23-1 | パキスタン | 1985年03月23日 | 1980年代 | 上下両院合同会議。84年12月の国民投票で大統領として信任されたジア大統領が新体制下の大統領に就任した(任期は本日から向う5年間)。ジュネージョー首相も就任。24日,下院は満場一致でジ新首相を信任。 |
DIA-304-1985-03-25-1 | パキスタン | 1985年03月25日 | 1980年代 | ジア大統領,内閣を解散。ただし3閣僚は新内閣成立まで留任。 |
DIA-304-1985-03-28-1 | パキスタン | 1985年03月28日 | 1980年代 | 米国防総省はパにAIM-9L空対空ミサイル500基(5000万㌦)を売却すると議会に通告。同ミサイルは赤外線追尾のサイドワインダーでF-16戦闘機に装着される予定(『日経』3/30,TI3/30)。 |
DIA-304-1985-03-29-1 | パキスタン | 1985年03月29日 | 1980年代 | 胡維行中国人民解放軍海軍副参謀長以下5人の代表団,来訪(~4月11日)。 |
DIA-304-1985-03-29-2 | パキスタン | 1985年03月29日 | 1980年代 | スリランカのジャヤワルダナ大統領,来訪。4月4日,共同コミュニケを発表して帰国。 |
DIA-304-1985-03-30-1 | パキスタン | 1985年03月30日 | 1980年代 | バハーワルプール県で刑法144条(5人以上の集会の禁止,武器携帯の禁止,など),発令(2ヵ月間)。 |
DIA-304-1985-03-31-1 | パキスタン | 1985年03月31日 | 1980年代 | ジュネージョー新首相は全国放送を通じて,民政移管のためには今が最も重要な過渡期であるとして,反政府政治家たちに対し議会への協力を訴えた。 |
DIA-304-1985-04-03-1 | パキスタン | 1985年04月03日 | 1980年代 | 米下院外交委員会は86会計年度(85年10月~86年9月)の援助についてレーガン大統領が議会に対し,(1)パが核を保有していないこと,(2)米援助によりパの核開発の危険が遠のくこと,を保証しない限り予算化を認めない,との対外援助一部修正案を全会一致で可決。 |
DIA-304-1985-04-04-1 | パキスタン | 1985年04月04日 | 1980年代 | インドのバンダリー外務次官,来訪(~6日)。 5日,パのナーイク外務次官と両国関係正常化交渉再開で合意。同日,バンダリー次官はジア大統領に会見。 |
DIA-304-1985-04-06-1 | パキスタン | 1985年04月06日 | 1980年代 | Sayed Ghous Ali Shahシンド州首相,就任。同日,Jam Mir Ghulam Qadir Khanバルーチスタン州首相,就任。7日,Arbab Mohammad Jehangir Khan北西辺境州首相,就任。9日,Nawaz Sharifバンジャーブ州首相,就任。 |
DIA-304-1985-04-10-1 | パキスタン | 1985年04月10日 | 1980年代 | ジュネージョー首相,新内閣を発表。14日,5閣僚に暫定的に業務を追加。 |
DIA-304-1985-04-10-2 | パキスタン | 1985年04月10日 | 1980年代 | ジア大統領,サウジアラビアへ4日間の「私的訪問」のため出発。 |
DIA-304-1985-04-12-1 | パキスタン | 1985年04月12日 | 1980年代 | 政府は中国と家族計画協力議定書に調印。 |
DIA-304-1985-04-13-1 | パキスタン | 1985年04月13日 | 1980年代 | バルーチ民族主義者Mir Sher Mohammad Marriはウルドゥー語Jang紙記者と会見。(1)アフガニスタン革命を逆転することはできない。(2)パに避難してきた反乱分子は密輸業者,犯罪者,ヘロイン取引き人であり,アフガニスタン革命の流れを変えることはできない。(3)1973年憲法が死んで久しい。MRDによる同憲法復活要求は馬鹿げたことだ(POT-P,4/18), |
DIA-304-1985-04-13-2 | パキスタン | 1985年04月13日 | 1980年代 | アフガニスタンの国営バフタール通信13日および14日によると,パ政府がこの数ヵ月アフガニスタンに隣接するハイバル自治区に要塞と軍用道路を建設中のため,付近のパターン民族諸部族,とくにアーフリディー部族との衝突が頻発している(POT-A,5/8)。 |
DIA-304-1985-04-13-3 | パキスタン | 1985年04月13日 | 1980年代 | ヘイグ米元国務長官,来訪(~18日)。 |
DIA-304-1985-04-15-1 | パキスタン | 1985年04月15日 | 1980年代 | I・A・ハーン法相はラホールでのある演説で,戒厳令の性急な解除には反対だと述べた。 |
DIA-304-1985-04-15-2 | パキスタン | 1985年04月15日 | 1980年代 | 「永遠のシンド運動」(JST)創始者G・M・サイヤッドがこのほどジア大統領を高く評価する発言をしたため,同運動の親ソ派が同議長に敵対している。急進派(「永遠のシンド学生連盟」―JSSF―を含む)は上記発言により,同運動による過去35年間のパキスタン解体運動が崩壊してしまったと非難している(Muslim,4/15)。 |
DIA-304-1985-04-15-3 | パキスタン | 1985年04月15日 | 1980年代 | 15日,カラチ市オーランギーの道路で競走していた乗合いマイクロバスが女学生の集団に突入,1人を即死させた。カラチの交通機関運転手には主に北西辺境州のパターン(パフトゥーン,パシュトゥーン)民族出身者が多い。即死の少女は1971年にバングラデシュ(旧東パキスタン州)から避難してきたビハーリー民族の人物。このため,事件は西カラチの貧困諸地域などで両民族の武力衝突へと発展し,16日には武装警官隊の発砲だけで5人死亡。同日,夜間外出禁止令発令。同16日,軍が出動。21日までに少なくとも51人死亡,250人負傷。4月29日,オーランギー地区を除き夜間外出禁止令解除。 |
DIA-304-1985-04-17-1 | パキスタン | 1985年04月17日 | 1980年代 | ヤークーブ・ハーン外相,訪印。非同盟諸国調整事務局会議出席のため。滞在中,ガンディー首相,K・A・カーン外務担当国務相などと会談。22日帰国後の記者会見で,パ印関係改善については楽観的と言明。 |
DIA-304-1985-04-18-1 | パキスタン | 1985年04月18日 | 1980年代 | Times of India紙18日によると,最近ロンドンに亡命中のパ人政治家たちにより「シンディー,バローチ,パフトゥーン戦線」(SBPF)が結成された。SBPFはパは連邦制でなく連合制(a confederation of states)をとるべきで,中央政府は国防,外交,通貨,連合構成国家(states)間および国際的通信,経済関係調整,連合構成国家間交易,連合構成国家間紛争の裁定,連邦立法府の選出(election of federal legislature)のみを管轄し,他は連合構成4国家の管轄権に属すとしている。なお,SBPFに関係している政治家はG.M.Jatoi,Mumtaz A.Bhutto,A.Mengal,K.A.Wali Khanなど。 |
DIA-304-1985-04-19-1 | パキスタン | 1985年04月19日 | 1980年代 | MRD中央行動委員会(11人)はPPP指導者ジャトーイ提案の「14項目憲章」を採択してカラチでの4日間連続の会議を閉会した。同会議はまた,しばらくは新政府の出方を静観することに決定。 |
DIA-304-1985-04-21-1 | パキスタン | 1985年04月21日 | 1980年代 | ヒントン駐パ米大使によると,87米会計年度(86年10月~87年9月)以降の米の対パ援助に関する話合いの予備段階がこのほど開始された。 |
DIA-304-1985-04-30-1 | パキスタン | 1985年04月30日 | 1980年代 | JST新議長Dr.Hamida Khuhro女史,記者会見。(1)JSTはパ国家体制でシンディー人の権利と最大限の州自治の獲得のために闘う。(2)シンディー人のうち少なくとも医者6000人,エンジニア1万2000人が失業している。高卒以上の失業者は10万人。(3)SBPFについては成行きを静観する(M,5/1,PT,5/1)。 |
DIA-304-1985-04-30-2 | パキスタン | 1985年04月30日 | 1980年代 | サウジアラビアはパ政府に対し,サウジアラビアで軍務についているパ軍人(推定9000人)のうちシーア派ムスリムの引揚げを要請した(TI,5/1)。 |
DIA-304-1985-05-02-1 | パキスタン | 1985年05月02日 | 1980年代 | パ政府見通しでは1985/86年度の経常収支赤字は13億7600万ルピーとなろう。政府はこのため85/86年度に各方面から計23億㌦の援助を期待(D,5/3)。政府筋情報では85/86年度の外国援助流入額は20億㌦強のコミットメントから元利を差し引いた12億㌦前後にとどまるもよう(D,5/17)。21日発表の『経済白書』によると中・長期対外債務残高は85会計年度末(85年6月30日)には106億㌦に達する見込み。 |
DIA-304-1985-05-02-2 | パキスタン | 1985年05月02日 | 1980年代 | 第6次5ヵ年計画,下方修正。残る3ヵ年(85/86~87/88年度)の公共部門投資計画としての「3ヵ年優先プログラム」(1233億5000万ルピー)が発表された。これは当初計画13%の下方修正である。 |
DIA-304-1985-05-04-1 | パキスタン | 1985年05月04日 | 1980年代 | ジア大統領,ビルマと韓国を歴訪。4~6日,ビルマ訪問。パ大統領のビルマ訪問は1957年以来のこと。6~10日,韓国。パ大統領の訪韓は初めて。9日,全斗煥大統領と会談。同日,両国は経済協力,科学・技術協力,貿易促進,ビザ免除・文化協力の4協定に調印。10日,ジア大統領は帰国後の記者会見で韓国教育,経済発展などの実績を絶賛。 |
DIA-304-1985-05-04-2 | パキスタン | 1985年05月04日 | 1980年代 | インドのラジーブ・ガンディー首相は与党ガンディー派国民会議派全国総会で演説し,(1)インド政府はパの核兵器開発に関する決定的な報告をにぎっている,(2)パの核兵器開発は南西アジア地域の安定を破壊する,(3)われわれはあらゆる対抗手段をとる用意がある,と今までで最も厳しい口調で述べた。 |
DIA-304-1985-05-06-1 | パキスタン | 1985年05月06日 | 1980年代 | 対パキスタン債権国会議は,1985/86年度用の対パ援助としてパの申請額18億ドルに対し「20億㌦以上」を承認した。 |
DIA-304-1985-05-07-1 | パキスタン | 1985年05月07日 | 1980年代 | ジェハーンギール・ハーン北西辺境州首相はJang紙記者との会見で,戒厳令解除後は1973年憲法修正諸条項を除去して同憲法本来の形を復活すべきだと述べた(POT-P,5/13)。 |
DIA-304-1985-05-08-1 | パキスタン | 1985年05月08日 | 1980年代 | ソ連は,去る4月27日にパ国内の反アフガニスタン政府勢力基地から逃亡しようとしたソ連人およびアフガン人捕虜24人が殺害されたとしてパ政府に抗議した。これに対しパ政府は20日,パ領にソ連人捕虜はいないとしてソ連の抗議を拒否した。 |
DIA-304-1985-05-08-2 | パキスタン | 1985年05月08日 | 1980年代 | 米空軍のV・オア事務長,来訪(~10日)。 |
DIA-304-1985-05-10-1 | パキスタン | 1985年05月10日 | 1980年代 | ブータンのティンプーでSARC常設委員会会議(~11日)。13日から外相会談(~14日)。パからはヌラーニー外務担当国務相とナーイク外務次官が参加。 |
DIA-304-1985-05-11-1 | パキスタン | 1985年05月11日 | 1980年代 | インドのシャルマ駐パ大使はパ商工会議所連盟において,インドは(小麦不作の―筆者)パに対し小麦50万㌧を売却する用意があると述べた。Muslim紙8日によれば,インドは200万㌧売却を提案したという。 |
DIA-304-1985-05-15-1 | パキスタン | 1985年05月15日 | 1980年代 | アーザード・カシミール(パ側カシミール)総選挙が政党ベースで行なわれ,全アーザード・ジャムー・アンド・カシミール・ムスリム会議(AJKMC)が40議席中18を獲得。なお選挙参加を許可された政党はアーザード・ジャムー・アンド・カシミール人民党(AJKPPP)以外の11政党。 |
DIA-304-1985-05-19-1 | パキスタン | 1985年05月19日 | 1980年代 | ペシャーワル大学で戒厳令解除要求の学生と反対派学生が武力衝突。同大学無期限閉鎖。 |
DIA-304-1985-05-20-1 | パキスタン | 1985年05月20日 | 1980年代 | 下院3議席および州議会8議席,補欠選挙。 |
DIA-304-1985-05-21-1 | パキスタン | 1985年05月21日 | 1980年代 | 内閣拡大。ジュネージョー首相以下の内閣に連邦大臣(閣僚)6人と国務相(閣外相)1人,首相顧問1人が追加された。 |
DIA-304-1985-05-21-2 | パキスタン | 1985年05月21日 | 1980年代 | MRDは1981年2月の「4項目要求」を詳述した「32項目要求」を発表した(M,5/22)。 |
DIA-304-1985-05-21-3 | パキスタン | 1985年05月21日 | 1980年代 | 『84/85年度経済白書』発表(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1985-05-23-1 | パキスタン | 1985年05月23日 | 1980年代 | 西カラチでコミューナル衝突再発。熱波来襲中の大幅な水・電力不足による反政府暴動も相まって事態は大混乱。26日には軍・警察の発砲で2人死亡。夜間外出禁止令と違反者に対して即時発砲許可(Shoot at sight)との命令が出された。27~28日の逮捕者は325人で,この1ヵ月の死者は少なくとも55人となった。 |
DIA-304-1985-05-23-2 | パキスタン | 1985年05月23日 | 1980年代 | マフブーブル・ハック財政相,下院に85/86年度予算案を上程。6月13日,承認(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1985-05-25-1 | パキスタン | 1985年05月25日 | 1980年代 | コルドベス国連事務次長,来訪(アフガニスタンの項参照)。28日,アフガニスタンへ。 |
DIA-304-1985-05-26-1 | パキスタン | 1985年05月26日 | 1980年代 | ジア大統領,アラブ首長国連邦訪問。 |
DIA-304-1985-05-27-1 | パキスタン | 1985年05月27日 | 1980年代 | パの3大英字紙は去る21~26日のガンディー・インド首相の訪ソに関してほとんど報道しなかった。この状況のなかで27日付Muslim紙およびカラチのウルドゥー語Jang紙(宗教政党JIの機関紙)24日が社説で同首相訪ソそのものおよび訪ソ中の同首相によるパの核開発努力非難を批判的に扱っているのが目立つ。 |
DIA-304-1985-05-27-2 | パキスタン | 1985年05月27日 | 1980年代 | Jang紙27日によるとシンド州サッカルでアフマディーヤ(=カーディヤーニー)教徒に対する襲撃がすでに幾日も続いているという(POT-P,5/29)。 |
DIA-304-1985-05-27-3 | パキスタン | 1985年05月27日 | 1980年代 | SUPARCOは1987~88年に通信衛星2個を打上げる予定と発表。 |
DIA-304-1985-05-31-1 | パキスタン | 1985年05月31日 | 1980年代 | 北西辺境州チトラール付近の二つの村をアフガニスタン機が越境爆撃,11人死亡,22人負傷,政府は6月1日,アフガニスタン大使を招致,強硬に抗議した。6月8日,ジア大統領は現地を視察し,これ以上の越境攻撃が行なわれればアフガニスタンに対する政策を考え直す,と言明した。 |
DIA-304-1985-06-03-1 | パキスタン | 1985年06月03日 | 1980年代 | インドのガンディー首相はフランスの夕刊『ル・モンド』紙3日とのインタビューで,(1)パはすでに1個あるいは複数の核爆弾を保有しているか,きわめて近い将来保有の見込みだ,(2)対抗上わが国も核武装を真剣に考慮中だ,(3)核武装を決定すればわが国は数週間ないし数ヵ月後には実現できる,と言明(『朝日』6/4)。 |
DIA-304-1985-06-03-2 | パキスタン | 1985年06月03日 | 1980年代 | ジュネージョー首相を長とする下院の院内「政権グループ」(ruling party)の結成が発表された。メンバーは下院議員237人中190人。同グループはまた,マフプープル・ハック財政相を議長とする「綱領委員会」(20人)が構成されたと発表した。 |
DIA-304-1985-06-04-1 | パキスタン | 1985年06月04日 | 1980年代 | 下院は29人の「特別委員会」を設置した。委員長はA・ハタック内相。同委員会はパの今後とるべき政治体制について2週間以内に報告書を作成する予定。ジュネージョー首相は下院での演説において,同報告書が来月の下院の特別会で採択されしだい大統領に対して戒厳令の即時解除を勧告すると言明した。 |
DIA-304-1985-06-04-2 | パキスタン | 1985年06月04日 | 1980年代 | ヌラーニー外務担当国務相,国会で報告。(1)79年12月のソ連によるアフガニスタン軍事侵攻から現在までにアフガニスタン軍戦闘機のパ領空侵犯は615回に及ぶ。(2)パ軍は今までスクランブルをかける度にアフガニスタン軍戦闘機に逃げられてしまった。 |
DIA-304-1985-06-05-1 | パキスタン | 1985年06月05日 | 1980年代 | ジア大統領,洪水被災見舞いのためバングラデシュ訪問(~6日)。ヤークーブ外相など随行。 |
DIA-304-1985-06-07-1 | パキスタン | 1985年06月07日 | 1980年代 | H・M・サイード・イスラーム医学担当大統領顧問,官僚の横暴を非難して辞任。 |
DIA-304-1985-06-08-1 | パキスタン | 1985年06月08日 | 1980年代 | アメリカはM-90空対空ミサイルの対パ供与を開始した(S,6/9)。 |
DIA-304-1985-06-13-1 | パキスタン | 1985年06月13日 | 1980年代 | Jang紙13日によると,「M・A・プット集団」(=SBPF―4月18日参照)はシンド州で宣伝を開始した(POT-P,6/21)。 |
DIA-304-1985-06-13-2 | パキスタン | 1985年06月13日 | 1980年代 | ジア大統領,サウジを非公式訪問(~16日)。 |
DIA-304-1985-06-16-1 | パキスタン | 1985年06月16日 | 1980年代 | アーザード・カシミール議会,Sardar Sikander Hayatを首相に選出。 |
DIA-304-1985-06-16-2 | パキスタン | 1985年06月16日 | 1980年代 | パ各紙はガンディー・インド首相の訪米のもようを訪ソ時とは違って連日第1面で大きく扱った。各紙の論調は一貫して,同首相はパ米関係に「くさびを打ち込もうとしている」というものであった。 |
DIA-304-1985-06-17-1 | パキスタン | 1985年06月17日 | 1980年代 | ジュネージョー首相,17日発売の米Newsweek誌(24日号)との会見で,パ政府とアフガニスタン政府との直接会談の可能性を否定しながらも,「アフガニスタンで重要なのはソ連であり,パはソ連との直接会談を行ないたいと駐パ・ソ連大使に伝えた。大使は,(現在の)パ政府が選出された政府であるため,(パとソ連の直接)会談はあり得ると示唆した」と述べた。 |
DIA-304-1985-06-18-1 | パキスタン | 1985年06月18日 | 1980年代 | シンディー民族主義者G・M・サイヤッド,ラホールのDaily News紙18日と会見。(1)ジア大統領は他の多くの人々より良く,ブット(故Z・A・ブット前首相)より千倍も良い。(2)軍政は政府に対する国民の憎悪を増大させるから,我々の目標達成をより容易にする。(3)シンドはインドとの連合制を築き,インドに対し国防,通貨,その他若干事項の管轄権を認めるというふうにすべきだ。(4)M・A・ブット(4月18日参照は)連合制の何ぞやを分っていない(POT-P,6/22)。 |
DIA-304-1985-06-20-1 | パキスタン | 1985年06月20日 | 1980年代 | ジュネーブでアフガニスタンとの第4回間接外相会談,開始(アフガニスタンの項参照)。 |
DIA-304-1985-06-20-2 | パキスタン | 1985年06月20日 | 1980年代 | 趙紫陽中国首相,諸国歴訪後カラチに立寄り。 |
DIA-304-1985-06-27-1 | パキスタン | 1985年06月27日 | 1980年代 | 張愛萍中国国防相,来訪。同日,外交筋によるとアフガニスタン問題などでヤークーブ外相と会談。 |
DIA-304-1985-06-28-1 | パキスタン | 1985年06月28日 | 1980年代 | ジュネージョー首相はバルーチスタン州とアフガニスタンとの国境の町チャマンで演説,アフガニスタンによる挑発行為にはこれからは報復すると言明。 |
DIA-304-1985-07-01-1 | パキスタン | 1985年07月01日 | 1980年代 | パンジャーブ州行政区画の微調整,発効(POT-P,4/17,Dawn,7/2)。 |
DIA-304-1985-07-01-2 | パキスタン | 1985年07月01日 | 1980年代 | 金融制度イスラーム化が本日から最終段階に入り,全金融機関が「損益分担」(PLS)制度に移行。 |
DIA-304-1985-07-02-1 | パキスタン | 1985年07月02日 | 1980年代 | ニューデリーで第2回印パ合同委員会会議開催。4日,農業技術協力などいくつかの協定に調印して閉会。パのヤークーブ外相は滞在中,インドのザイル・シン大統領,ガンディー首相,ラオ国防相などに会見。なお2日,ジア大統領は1972年7月2日付の印パ間シムラ協定調印13周年記念日に際してガンディー首相に電話。 |
DIA-304-1985-07-04-1 | パキスタン | 1985年07月04日 | 1980年代 | MRDはクエッタで中央行動委員会会議を開き,SBPFに強い反対を表明。8日,現在の戒厳令に関する3ページの決議案を採択して閉会。 |
DIA-304-1985-07-06-1 | パキスタン | 1985年07月06日 | 1980年代 | バルーチスタン州クエッタ市のシーア派ムスリム(主にモンゴル系ハザーラ民族)がスンニー派ムスリムと武力衝突し,10人死亡。軍隊が出動したが事態がほぼ正常化した11日までに少なくとも22人が死亡し,600人が逮捕された。クエッタでは他にこれほどの衝突はこの40年間発生していないという。14日,イラン政府はパ政府に対し懸念を表明。 |
DIA-304-1985-07-06-2 | パキスタン | 1985年07月06日 | 1980年代 | 今後の政治体制について検討する特別委員会(12人)が上院にも設置された。 |
DIA-304-1985-07-07-1 | パキスタン | 1985年07月07日 | 1980年代 | Muslim紙7日によるとロンドンに亡命中のPPP左派指導者A・Q・バットはこのほど声明において,SBPFは大地主たちの組織で「パの人民とパ民族(傍点は筆者)を侮辱するものだ」と非難するとともに,「この問題で沈黙を保っているのはなぜなのか」とベーナジールPPP党首代行を詰問した。 |
DIA-304-1985-07-07-2 | パキスタン | 1985年07月07日 | 1980年代 | 政府はカーラーバーグ多目的ダム建設(総費用は50~60億ドル)のために非公式の援助諸国会議を開くことを対パ債権国会議に依頼した。 |
DIA-304-1985-07-07-3 | パキスタン | 1985年07月07日 | 1980年代 | インドのガンディー首相は記者会見で,(1)インドはパ提案の不戦条約と核施設相互査察を拒否した,(2)第2回印パ合同会議は両国関係改善に有益だった,と述べた。 |
DIA-304-1985-07-08-1 | パキスタン | 1985年07月08日 | 1980年代 | ジア大統領は記者会見で,パはアフガニスタンの挑発行為に報復しないと言明(6月28日参照)。 |
DIA-304-1985-07-11-1 | パキスタン | 1985年07月11日 | 1980年代 | ヤークープ外相,訪米。25日,ヨルダンへ。滞米中はアメリカのシュルツ国務長官,ワインバーガー国防長官,アーマコスト国務次官補,ベッシー統合参謀本部議長などと会談。27日,帰国後の記者会見で,87年9月に現行32億㌦援助が完了したあともアメリカは対パ軍事・経済援助を継続することで意見の一致を見た,と明らかにした。パは新規の軍事・経済援助として88~93年度に60億㌦を要請している(TI,8/6)。 |
DIA-304-1985-07-11-2 | パキスタン | 1985年07月11日 | 1980年代 | 米国務省は,「大急ぎ」で空対空サイドワインダー・ミサイルをパに供与中と明らかにした。 |
DIA-304-1985-07-11-3 | パキスタン | 1985年07月11日 | 1980年代 | 米ABCテレビはパが米国製核起爆装置「クライトロン」を入手し,通常爆発実験に成功と報じた。 |
DIA-304-1985-07-13-1 | パキスタン | 1985年07月13日 | 1980年代 | Nawa-e-Waqt紙13日によるとPIAは戒厳令規則第52号により85年1月1日~4月1日に8324人の雇用者を解雇した(POT-P,7/16)。 |
DIA-304-1985-07-14-1 | パキスタン | 1985年07月14日 | 1980年代 | 軍事裁判所は81年6月に開始されて84年1月に発覚したクーデター計画の犯人の裁判(「アトック裁判」)で7人の将校に10年~無期懲役の判決。 |
DIA-304-1985-07-14-2 | パキスタン | 1985年07月14日 | 1980年代 | PIAは14年ぶりにモスクワ便を再開(週1便)。 |
DIA-304-1985-07-15-1 | パキスタン | 1985年07月15日 | 1980年代 | ジュネージョー首相は新聞論説委員たちに対する招宴で,新政党結成の可能性があると示唆した。 |
DIA-304-1985-07-15-2 | パキスタン | 1985年07月15日 | 1980年代 | ジア大統領,アーザード・カシミールを視察。 |
DIA-304-1985-07-15-3 | パキスタン | 1985年07月15日 | 1980年代 | ロンドンで15日発売のアラブ系の雑誌はジア大統領が,「わが国は核爆弾を製造する権利を有する」と発言したと伝えた(TI,7/16)。 |
DIA-304-1985-07-18-1 | パキスタン | 1985年07月18日 | 1980年代 | 故プット前首相の二男で都市ゲリラAZの幹部シャーナワーズ・ブット(27歳)がフランスのカンヌのアパートで変死体で発見された。 |
DIA-304-1985-07-25-1 | パキスタン | 1985年07月25日 | 1980年代 | ジュネージョー首相,サウジアラビアを訪問(~27日)。27日,ファハド国王と会見。 |
DIA-304-1985-07-26-1 | パキスタン | 1985年07月26日 | 1980年代 | Times of India26日はあるソ連紙情報として,パの著名な核科学者カディール・ハーン博士がパは原爆年産5個の能力を有すると公言したと伝えた。 |
DIA-304-1985-07-29-1 | パキスタン | 1985年07月29日 | 1980年代 | Jang紙29日によるとバルーチスタン州の指導的政治家ビゼンジョー・パキスタン国民党(PNP,非合法)党首はラホールの某日刊紙記者と会見(日付不明)。(1)(パンジャーブ州の)ポトハリー語を話す人々の州およびサライキー語(11月12日参照)を話す人々の州を設置すべきだ。(2)われわれの闘いはパンジャーブの人々の特権層だけに対するものだ(以上,POT-P,7/31).8月20日,PNPパンジャーブ州支部執行委員会はサライキーを話す人々を別個の「民族体」(nationality)と認めよとの要求を支持すると発表(D。8/21)。 |
DIA-304-1985-07-29-2 | パキスタン | 1985年07月29日 | 1980年代 | ナーイク外務次官,訪印。30~31日,バンダリー・インド外務次官と不戦条約および平和友好協力条約締結問題や核問題などについて会談。8月1日,帰国。 |
DIA-304-1985-07-31-1 | パキスタン | 1985年07月31日 | 1980年代 | SBPFはロンドンで「パキスタンのための連合体制における憲法上の取極め」(“The Constitutional Arrangement in a Confederal Structure for Pakistan”)の概要(16ページ)を発表した。これによると「連合」は「シンディー,バルーチ,パフトゥーン,パンジャービー人たちの4国家」(four States of Sindhi,Baluch,Pakhtun,and Punjabi peoples)から成る共和国だとされる(D,8/2)。 |
DIA-304-1985-07-31-2 | パキスタン | 1985年07月31日 | 1980年代 | 英BBC放送はスリランカ軍当局の話として,軍人でなく(シンハラ民族の―筆者)民間防衛関係者たちが(反タミル民族の軍事―筆者)訓練のためにパに送り込まれたと報じた(POT-P,8/2)。 |
DIA-304-1985-08-02-1 | パキスタン | 1985年08月02日 | 1980年代 | 政府はバルーチスタン州における銅鉱採掘計画である「サインダク総合鉱業プロジェクト」を閉鎖。 |
DIA-304-1985-08-03-1 | パキスタン | 1985年08月03日 | 1980年代 | ジュネージョー首相はカラチ市でカラチ県出身の下院議員との会合で次のように述べた。(1)強く安定したパキスタン・ムスリム連盟(PML)があってこそ戒厳令解除は実を結ぶ。(2)われわれは最初はそれ(ムスリム連盟)を議会グループとして結成し,政党法発令後に同グループを政党として強化するということに決定した。 |
DIA-304-1985-08-05-1 | パキスタン | 1985年08月05日 | 1980年代 | ロンドンのウルドゥー語Watan紙5日が米国防総省に近い筋の情報として報じたところでは,アメリカはパに対しF-16戦闘爆撃機40機の供与をすでに完了しているが,86年5月から同型機(複数)を追加供与するとパ側に伝えたという(TI,8/6)。 |
DIA-304-1985-08-06-1 | パキスタン | 1985年08月06日 | 1980年代 | Dawn紙6日によると,ジュネージョー首相以下の議会党が(5日?)結成された。当面,名称はないとされていたが数日以内に通称「政府派議会グループ」(OPG)と呼ばれ始めた。首相によればその勢力は237人の下院議員の3分の2。これに対し反OPG派は(7日?)「無所属議会グループ」(IPG,32人)を結成。 |
DIA-304-1985-08-07-1 | パキスタン | 1985年08月07日 | 1980年代 | 下院特別委員会,今後の政治体制に関する報告書を提出。報告書は多数派23人の意見と少数派6人の意見を併記。多数派の「7項目」の意見は政党復活,政党登録,合法的政治活動などについて厳しくなっている。 |
DIA-304-1985-08-12-1 | パキスタン | 1985年08月12日 | 1980年代 | ジュネージョー首相はS・S・ハーン商業相の石油・天然資源相兼任を解き,自らを同相兼任とした。 |
DIA-304-1985-08-14-1 | パキスタン | 1985年08月14日 | 1980年代 | ジュネージョー首相はラホールでの建国記念日集会における演説で,戒厳令は確実に86年1月1日までに解除されると言明した。 |
DIA-304-1985-08-14-2 | パキスタン | 1985年08月14日 | 1980年代 | 北西辺境州パーラチナール市場で爆弾が破裂し,13人死亡,33人負傷。ほぼ同時刻に付近のサキーコート村で車が地雷により破壊され,4人死亡,3人負傷。 |
DIA-304-1985-08-18-1 | パキスタン | 1985年08月18日 | 1980年代 | I・A・ハーン法相はジュネージョー首相任命の下院常設28委員会を発表した。22日,首相任命による上院6常設委員会を発表。 |
DIA-304-1985-08-21-1 | パキスタン | 1985年08月21日 | 1980年代 | ロンドンに「亡命」していたPPP党首代行のベーナジール・ブット女史(32歳)は弟シャーナワーズの遺体(7月18日参照)を伴って1年7ヵ月ぶりに帰国した。遣体はシンド州ラールカーナ近郊のガリー・フダー・バフシュのブット家墓地で(79年4月処刑された父親の)故ブット前首相の隣に埋葬された。治安当局はベーナジール女史帰国前の18日からシンド州に厳戒態勢を敷いたが,21日には,墓地および沿道に数万人~10万人の人出があったにもかかわらず,わずかの交通巡査を派遣したのみで衝突を避けた。 |
DIA-304-1985-08-22-1 | パキスタン | 1985年08月22日 | 1980年代 | 上下両院はそれぞれの特別委員会報告書の検討を終了。9月に政党結成に関する法案を審議の予定。 |
DIA-304-1985-08-24-1 | パキスタン | 1985年08月24日 | 1980年代 | パのPPI通信24日付は,パキスタン原子力委員会(PAEC)の公報誌Pak Atom(最近号?)を引用して,ミヤーンワリー県でかなりの規模の良質ウラン鉱が発見されたと伝えた(POT-P,8/22)。 |
DIA-304-1985-08-25-1 | パキスタン | 1985年08月25日 | 1980年代 | ヤークーブ外相はジュネーブ(アフガニスタンの項8月27日参照)への途次,モスクワに立寄り,コルニエンコ・ソ連第一副外相と会談を行なった。 |
DIA-304-1985-08-29-1 | パキスタン | 1985年08月29日 | 1980年代 | 治安当局,ベーナジール・ブットPPP党首代行をカラチで自宅軟禁し,同邸宅を「準牢獄」と宣言。 |
DIA-304-1985-08-31-1 | パキスタン | 1985年08月31日 | 1980年代 | ジャトーイPPPシンド州支部長はカラチで記者会見,SBPFはPPPの綱領と対立すると述べた。 |
DIA-304-1985-09-01-1 | パキスタン | 1985年09月01日 | 1980年代 | 政府は今後6ヵ月間,外交文書を除く国内・国際郵便のすべてを情報局と特別機関により検閲と布告。 |
DIA-304-1985-09-02-1 | パキスタン | 1985年09月02日 | 1980年代 | ヤークーブ外相,訪英(~3日)。ハウ英外相とアフガニスタン問題,2国間問題,ベーナジール・ブットPPP党首代行の処遇などについて会談。 |
DIA-304-1985-09-05-1 | パキスタン | 1985年09月05日 | 1980年代 | バルーチ民族主義政治指導者A・ブグティーはSBPFの連合国家論に反対の意を表し,1973年憲法の枠内での州自治の必要を主張。 |
DIA-304-1985-09-07-1 | パキスタン | 1985年09月07日 | 1980年代 | PPPは政府に対し,ベーナジール・ブット党首代行の即時釈放と耳疾の海外での治療許可を要求。 |
DIA-304-1985-09-07-2 | パキスタン | 1985年09月07日 | 1980年代 | ロンドン在住のPPP指導者J・サーディク・アリーは,ブット家が海外に7億5000万ルピーの隠し財産を持つとのうわさを否定(パのViewpoint誌9/12)。 |
DIA-304-1985-09-07-3 | パキスタン | 1985年09月07日 | 1980年代 | インド政府は9月25日予定のインド側パンジャーブ州議会選挙に備え,同州への「好ましくない」分子の流入を防ぐため印パ国境を閉鎖したと発表。 |
DIA-304-1985-09-08-1 | パキスタン | 1985年09月08日 | 1980年代 | 政府は下院に「憲法〈第8次〉改正法案」を上程(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1985-09-08-2 | パキスタン | 1985年09月08日 | 1980年代 | アンゴラのルアンダにおける非同盟諸国外相会議に出席したヌラーニー外務担当国務相は同地でインドのK・A・カーン外務担当国務相と会談。同会談で両国は相互に内政干渉になることを自制するということで合意。 |
DIA-304-1985-09-09-1 | パキスタン | 1985年09月09日 | 1980年代 | 北西辺境州政府灌漉相,記者会見。(1)カーラーバグ・ダム(7月7日参照)は北西辺境州のノーシェラ,コハート,ペシャーワル,マルダーン県の6万エーカーを冠水させ,少なくとも20万人の居住地を奪う。(2)ダム建設用地を北方地域のバシャなど別の地域に移すべきだ。9月27日,(北西辺境州を主要基盤とする)全国人民党(NDP,非合法)スポークスマンは記者会見で,北西辺境州は300MWの電力しか必要としないのにすでに2200MWを発電しているではないか,と述べた。 |
DIA-304-1985-09-09-2 | パキスタン | 1985年09月09日 | 1980年代 | 米政府は83~87米会計年度の32億㌦の対パ軍事・経済援助に加えて1.03億㌦の対パ兵器売却を決定,議会に通告した。17日,正式発表。 |
DIA-304-1985-09-12-1 | パキスタン | 1985年09月12日 | 1980年代 | ジア大統領,サウジアラビアへ。イスラーム平和委員会出席のため。15日帰国。 |
DIA-304-1985-09-12-2 | パキスタン | 1985年09月12日 | 1980年代 | パキスタン産業開発公社(1950年創設)解体(4月1日付)。パ建国初期の経済開発の中心的存在であったPIDCはこれで民間企業(払込み資本=750万ルピー)になったが,生産省が一株主として残り,政府管轄下に置かれる(Business Recorder,9/13―POT-P,9/16; Pakistan and Gulf Economist,9/21)。 |
DIA-304-1985-09-16-1 | パキスタン | 1985年09月16日 | 1980年代 | ニクソン元米大統領,来訪。17日,トルコへ。 |
DIA-304-1985-09-16-2 | パキスタン | 1985年09月16日 | 1980年代 | バルーチ民族主義指導者ビゼンジョー,モスクワから帰国。ゴルバチョフ書記長に会見したことを否定。 |
DIA-304-1985-09-17-1 | パキスタン | 1985年09月17日 | 1980年代 | 印パ間の核兵器開発競争に対する自制をうながすために印パ両国に来訪したアーマコスト米国務次官は17日,インドからパに来訪(~19日)。 |
DIA-304-1985-09-17-2 | パキスタン | 1985年09月17日 | 1980年代 | ピールザーダSBPF書記長はロンドンでBBC放送とのインタビューで,SBPFを離脱するくらいならPPP脱党の道を選ぶと述べた。 |
DIA-304-1985-09-17-3 | パキスタン | 1985年09月17日 | 1980年代 | パViewpoint誌26日によると,バルーチスタン州で誘拐された「中国人専門家たち」の捜索はほとんど進捗なし。 |
DIA-304-1985-09-19-1 | パキスタン | 1985年09月19日 | 1980年代 | ヤークープ外相,国連総会のためニューヨークへ出発。24日,ソ連のシェワルナゼ外相とアフガニスタン問題の政治的解決について会談を行なった。 |
DIA-304-1985-09-23-1 | パキスタン | 1985年09月23日 | 1980年代 | 印パ間テレ通信同軸ケーブル(ラホール・アムリトサル間),開通。 |
DIA-304-1985-09-24-1 | パキスタン | 1985年09月24日 | 1980年代 | アフガニスタンは9月初旬に同国領内に侵入したパ軍人50人を殺害したとパ政府に抗議したが,パ政府は拒否した。アフガニスタン側からのこの種の抗議は初めて。 |
DIA-304-1985-09-25-1 | パキスタン | 1985年09月25日 | 1980年代 | PPPはヨーロッパ12ヵ国,アメリカ,カナダのPPP事務所を通じてベーナジール・ブット党首代行釈放のための国際キャンペーンを開始した。 |
DIA-304-1985-09-26-1 | パキスタン | 1985年09月26日 | 1980年代 | レーガン米政権はパに対し4レーダー・ユニット(計4100万㌦)を売却の予定であると通告した。 |
DIA-304-1985-09-29-1 | パキスタン | 1985年09月29日 | 1980年代 | ジュネージョー首相はジア大統領とともにOPG議員たちと協議後の記者会見で,政府は憲法第8次改正法案から国家安全保障会議設置条項を撤廃すると発表した。同日IPGは,73年憲法の無修正回復,3月2日の改正憲法における大統領権限を削減すること等8項目の対政府交渉条件を発表した(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1985-09-29-2 | パキスタン | 1985年09月29日 | 1980年代 | マフブーブル・ハック財政・計画相,中国,朝鮮人民民主主義共和国,韓国歴訪に出発。Dawn紙25日によると9月29日出発。10月1~4日平壌,5~6日北京,ソウル,以上計2週間の予定。10月5日のジュネージョー首相訪中が延期されたため,ハック財政相は予定を変更して1日には北京で中国側と会談。以後,この件に関してはDawn紙10月8日まで何の報道もない。 |
DIA-304-1985-09-30-1 | パキスタン | 1985年09月30日 | 1980年代 | 政府は8日に下院上程の「憲法〈第8次改正〉法案」を撤回し新案を上程(D,10/11に全文掲載)(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1985-10-01-1 | パキスタン | 1985年10月01日 | 1980年代 | 英Financial Times紙1日によると,交渉中の87米会計年度からの米による対パ軍事・経済援助に関し,米は経済援助を,パは軍事援助をそれぞれ優先したいという意見相違が見られるという。同紙はまた情報担当役人筋の話として,パはF-16戦闘爆撃機による運搬に適した型の原爆の製造を進めており,パが入手を希望している空中燃料補給装置はパ軍によるインド全土の爆撃を可能にすると伝えた。 |
DIA-304-1985-10-01-2 | パキスタン | 1985年10月01日 | 1980年代 | Sardar Abdul Qayumアーザード・カシミール新大統領,就任。 |
DIA-304-1985-10-02-1 | パキスタン | 1985年10月02日 | 1980年代 | インドのS・K・シン駐パ大使は,ジュネージョー首相就任後6ヵ月以上を経て初の同首相表敬訪問。 |
DIA-304-1985-10-07-1 | パキスタン | 1985年10月07日 | 1980年代 | 世銀・IMF総会出席のため韓国訪問中のM・ハック財政相,ソウルで記者会見。(1)パはアメリカに対して1987/88年(88米会計年度)から向う6ヵ年で65億㌦の経済・軍事援助を要請した。この交渉は86年初めまでに完了の予定。(2)(本日私と会談した)マクファーソン米国国際開発局(USAID)局長は,援助のための情勢は厳しくなっているがパは例外だと言明した。(3)私は同局長に対し,カーラーバーグ・ダム建設費用もこの新規援助に組み込むよう依頼した。なお,現行の32億㌦軍事・経済援助(1981~87年)は50年返済.支払猶予期間10年,利率2%。現行の米による対パ武器売却借款は7年返済,支払猶予期間3年,利率11~14%となっている(以上,Dawn10/8経済面付録)。 |
DIA-304-1985-10-09-1 | パキスタン | 1985年10月09日 | 1980年代 | M・ハック財政相はソウルの記者会見で,世銀はパの電気通信網近代化のために10億㌦以内の借款を供与するであろうし,世銀の対パ農・工業借款は85/86年度は8億㌦(前年度5億㌦)などと述べた。 |
DIA-304-1985-10-13-1 | パキスタン | 1985年10月13日 | 1980年代 | パンジャーブ州議会議長は議会においてウルドゥー語でなく母語のバンジャービー語で話す許可を一議員に与えた(10日には拒否していたもの)。 |
DIA-304-1985-10-13-2 | パキスタン | 1985年10月13日 | 1980年代 | M・ハック財政相,帰国(7日参照)後の記者会見。(1)米,西独,日本,世銀,アジア開発銀行(ADB)がカーラーバーグ・ダムに強い関心を示した。(2)中国では趙紫陽首相などに会い,両国経済協力などで協議した。(3)中国もカーラーバーグ・ダムに興味を示し,同プロジェクトのための借款団を組織しつつある。 |
DIA-304-1985-10-16-1 | パキスタン | 1985年10月16日 | 1980年代 | 「憲法〈第8次改正〉法案」,下院を満場一致で通過。本法案は22ヵ条から成り,9ヵ所の修正あり。本法案は,現戒厳令下の統治を合法とするものであるため,「免責法案」(Indemnity Bill)と通称されてきた(「参考資料」参照)。下院はこの日また,コーランとスンナ(予言者ムハンマドの言行録)を国の最高法また立法の本源とするという決議を満場一致で採択。なお,上記法案は10月31日,満場一致で上院を通過した。 |
DIA-304-1985-10-16-2 | パキスタン | 1985年10月16日 | 1980年代 | 陸軍副参謀長のハーリド・マムフード・アーリフ大将,1週間のトルコ訪問から帰国。 |
DIA-304-1985-10-18-1 | パキスタン | 1985年10月18日 | 1980年代 | インドのバイディア陸軍参謀長はある会合で,パが中国の新彊省で核実験を計画していると述べた。19日,パおよび中国はこれを強く否定した。 |
DIA-304-1985-10-19-1 | パキスタン | 1985年10月19日 | 1980年代 | ジア大統領,第40回国連総会出席のため訪米。21日,在米パ人会で,アフガニスタン問題に関するパの姿勢は私が生きているうちは決して変わらない,と言明。22日,アメリカ財界人たちとの会合で,保護貿易をゆるめるように訴え。23日,国連総会での演説で,南アジアにおける核拡散防止のための5項目案を提起。同日,国連でインドのガンディー首相と会談。同23日,レーガン米大統領と南アジアの核問題,アフガニスタン問題などで会談。25日,帰国の途次パリに立寄ってミッテラン・フランス大統領と会談。26日,帰国。 |
DIA-304-1985-10-21-1 | パキスタン | 1985年10月21日 | 1980年代 | フランスのニース警察はシャーナワーズ・ブット死亡(7月18日参照)に関しレハーナ夫人(23歳,アフガニスタン人)の身柄を拘束。これまでの調べによると,シャーナワーズの検死の結果,死因はブット一族全員が常に携帯していた毒物によることが判明。 |
DIA-304-1985-10-22-1 | パキスタン | 1985年10月22日 | 1980年代 | PPPの在英活動家たちはSBPF参加のためにPPPを脱党した。26日,ピールザーダSBPF書記長は同書記長とM・プットの党籍の剥奪を通告するPPP中央委員会の11日付書簡を無効として非難。 |
DIA-304-1985-10-25-1 | パキスタン | 1985年10月25日 | 1980年代 | MRDは,憲法第8次改正は戒厳令を合法化せしめるものだとしてこれに対する反対を表明。 |
DIA-304-1985-10-27-1 | パキスタン | 1985年10月27日 | 1980年代 | M・ハック財政相は記者会見で,カーラーバーグ・ダム用地は最終案だと断言。 |
DIA-304-1985-10-29-1 | パキスタン | 1985年10月29日 | 1980年代 | ヤークーブ外相は上院で,インドがカフータ核濃縮プラントを攻撃したら総力を挙げて反撃と言明。 |
DIA-304-1985-11-02-1 | パキスタン | 1985年11月02日 | 1980年代 | ジア大統領,中東諸国歴訪に出発。2~4日,エジプト。パ大統領の同国訪問は24年ぶり。3,4日,ムバラク大統領と2度の会談。合弁の武器製造事業設立で合意。4~6日,サウジアラビア。6~7日,カタール(私的訪問)。7日,UAEを私的に訪問し,同日帰国。 |
DIA-304-1985-11-05-1 | パキスタン | 1985年11月05日 | 1980年代 | イスラマバード西30kmのワーに中国援助で建設された12.7㍉対空砲工場,落成式。 |
DIA-304-1985-11-06-1 | パキスタン | 1985年11月06日 | 1980年代 | ヌラーニー外務担当国務相は下院で,シアチニン氷河(印パ実効支配線沿い)の武力衝突によりこの19ヵ月でパ軍人18人およびインド軍人70~80人が死亡したと明らかにした。同地域では84年4月から衝突が断続しており,とくに84年6月から厳しくなり,85年5月には戦車,大砲,重機関銃までが使用されたという。インド側情報によると85年6月23日~85年8月の間にインド軍は40人,パ軍は100人の死傷者を出した。なお,この地域は近くにパと中国を結ぶカラコラム道があるだけでなく,中国が新彊公路を建設している。 |
DIA-304-1985-11-11-1 | パキスタン | 1985年11月11日 | 1980年代 | イスラーム教シーア派のなかのイスマイリー派がカラチに建設したアガ・ハーン大学医学部および付属病院(721ベッド,総工費3億㌦)の落成式が行なわれ,ジア大統領も出席した。 |
DIA-304-1985-11-12-1 | パキスタン | 1985年11月12日 | 1980年代 | サライキー州戦線(SPF)はムルターン,バハーワルプール,D・G・ハーン,サルゴーダの4行政管区,ファイサラーバード行政管区のジャング県,G・I・ハーン行政管区のセライキー語圏から成るサライキー州(Seraiki Province)の設置を要求するとともに北西辺境州を「バーキー・パフトゥニスタン」(「清浄なパフトゥーン人たちの地ないし国」の意。言外に「パキスタン側」の意をにおわせている?)と呼ぶことに害はないと述べた。また,SPFのカージー・ヌールル・ハック代表は,「サライキー州」該当地域に対する正当な量の灌漑用水の供給,カーラーバーグ・ダム問題の解決,サライキー地域におけるバンジャービー人移住者に対して行なわれてきた土地分配すべての取消しと土地の人間に対する再分配,などの必要を強調した。 |
DIA-304-1985-11-12-2 | パキスタン | 1985年11月12日 | 1980年代 | バルティスタン(Baltistan―バルーチスタン州Baluchstanとは別)県評議会のイクバール副議長は,北方地域(Northern Areas)を「アーザード・カシミールの一部だ」とするアーザード・カシミールのハヤート首相の最近の発言を非難,「北方地域はカシミールと何の政治的関係を持ったこともない」とするとともに,パの国会議席を北方地域に対しても与えるようにジア大統領とジュネージョー首相に要求した(M,11/13)。 |
DIA-304-1985-11-12-3 | パキスタン | 1985年11月12日 | 1980年代 | パ・イラン国境で行動し,カラチ市内に潜入していたイラン側バルーチスタン州の盗賊集団とカラチ市警察の銃撃戦が発生し,盗賊4人死亡,1人逮捕。 |
DIA-304-1985-11-12-4 | パキスタン | 1985年11月12日 | 1980年代 | Nawa-e-Waqt紙16日によると,パ・イラン国境付近でパ人麻薬密輸人たちと銃撃戦でイラン人警官16人が死亡したという(POT-P,11/22)。 |
DIA-304-1985-11-13-1 | パキスタン | 1985年11月13日 | 1980年代 | Dawn紙16日によると,カーラーバーグ・ダム建設強行が決定されれば北西辺境州政府の全閣僚が大挙して辞任する構え。ファズレ・ハック州知事も反対派(POT-P,11/18)。 |
DIA-304-1985-11-14-1 | パキスタン | 1985年11月14日 | 1980年代 | M・ハック財政相,訪印。14日,ガンディー・インド首相と会談。15日,アルジュン・シン商相との会談で,両国民間貿易の開始,カラチ輸出加工区へのインド企業の進出などに関する協定に調印。16日,帰国。 |
DIA-304-1985-11-14-2 | パキスタン | 1985年11月14日 | 1980年代 | トルコのエプレン大統領,来訪。15日,下院で演説。16日ヨルダンへ。 |
DIA-304-1985-11-14-3 | パキスタン | 1985年11月14日 | 1980年代 | ジア大統領は英Financial Times18日との会見で,インドはガンディー首相の否定にもかかわらず,どこでも攻撃し得るだけの核攻撃能力を持つと述べた. |
DIA-304-1985-11-14-4 | パキスタン | 1985年11月14日 | 1980年代 | ジア大統領はオマーン建国15周年記念式典出席のためマスカットへ。18日,同地でインドのガンディー首相と印パ協力,パ提案の不戦条約およびインド提案の平和友好協力条約などについて会談。20日,帰国。 |
DIA-304-1985-11-17-1 | パキスタン | 1985年11月17日 | 1980年代 | ジュネージョー首相,訪中。首相就任後初の外国訪問。ヤークーブ外相,M・ハック財政相,アーリフ陸軍副参謀長が随行。17日,趙紫陽中国首相と会談。18日,趙首相と3時間にわたって中パ関係,アフガニスタン問題,対印関係などについて会談。同日,李先念国家主席とも会談。19日,鄧小平中国共産党中央顧問委主任と会見。20日,桂林,上海を訪れ,23日に帰国。 |
DIA-304-1985-11-18-1 | パキスタン | 1985年11月18日 | 1980年代 | Nawa-e-Waqt紙19日によると,ワリー・ハーンNDP党首はパフトゥーン学生連盟(PSF)大会で演説,カーラーバーグ・ダム建設が強行されたら爆破が最善の問題解決策だと述べた(POT-P,11/22)。 |
DIA-304-1985-11-22-1 | パキスタン | 1985年11月22日 | 1980年代 | PMLパガーロー派(PML-P)のパガーロー党首はジュネージョー首相を同党組織委員長に任命。 |
DIA-304-1985-11-24-1 | パキスタン | 1985年11月24日 | 1980年代 | ジア大統領,サウジアラビアを訪問し,ファハド国王と会談。同日,帰国。 |
DIA-304-1985-11-25-1 | パキスタン | 1985年11月25日 | 1980年代 | マーフィー米国務次官補,来訪。レーガン大統領が11月19~21日の米ソ首脳会談についてパに説明のために派遣したものという(PT,11/26)。 |
DIA-304-1985-11-27-1 | パキスタン | 1985年11月27日 | 1980年代 | ソマリアの外相および空軍参謀長,来訪。 |
DIA-304-1985-11-28-1 | パキスタン | 1985年11月28日 | 1980年代 | Dawn28日によると,アメリカのカーネギー国際平和研究所は,「パは核兵器保有寸前であり,この1年,南アジア地域における核拡散の可能性がかなり強まった」とする調査結果を発表した。 |
DIA-304-1985-12-01-1 | パキスタン | 1985年12月01日 | 1980年代 | 政府,「政党法案」を下院に上程。 |
DIA-304-1985-12-02-1 | パキスタン | 1985年12月02日 | 1980年代 | ジア大統領は骨盤挫傷のためカラチで入院中のG・M・サイヤッド前JST議長を見舞った。 |
DIA-304-1985-12-04-1 | パキスタン | 1985年12月04日 | 1980年代 | 国立観光公社(PTDC)によると,パと中国を結ぶカラコラム道の両国「国境」フンジェラーブ峠が86年5月1日からパ中両国人以外の外国人に開放される。 |
DIA-304-1985-12-06-1 | パキスタン | 1985年12月06日 | 1980年代 | ジア大統領は南アジア地域協力機構(SARC)第1回首脳会談(7~8日)出席のためにバングラデシュを訪問。7日,SARCは南アジア地域協力連合(SAARC)と改称。7日,ダッカでインドのガンディー首相と会見。9日,スリランカ訪問。10日,ジャヤワルダナ同国首相と会談。16日,モルディブを訪問。16日,ガユーム同国大統領と会談。17日帰国。 |
DIA-304-1985-12-07-1 | パキスタン | 1985年12月07日 | 1980年代 | 本日発表の『中央銀行年次報告1984~85』は国内貯蓄減少,大幅な財政赤字,国際収支悪化の3要因が目立っていたことを指摘している。 |
DIA-304-1985-12-07-2 | パキスタン | 1985年12月07日 | 1980年代 | 4月半ばから鈍器で頭を割るという殺人事件がとくにパンジャーブ,シンド両州で頻発しており11月末までの犠牲者は50数人に達する。12月17日の治安当局の発表ではこの「ハンマー・ギャング」による広域連続虐殺事件には,(1)ほとんどの被害者は中の下の階層の者,(2)金品の盗難はない,など10の共通点があるという。 |
DIA-304-1985-12-09-1 | パキスタン | 1985年12月09日 | 1980年代 | 「政党法〈1985年改正〉法案」,下院を通過。IPGメンバー退場。16日,上院を38対6(棄権1,欠席2)で通過(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1985-12-14-1 | パキスタン | 1985年12月14日 | 1980年代 | ヤークープ外相,スイスのジュネーブへ(アフガニスタン12月16日参照)。 |
DIA-304-1985-12-14-2 | パキスタン | 1985年12月14日 | 1980年代 | Times of India14日は,中国がパの平和利用のための原子力開発に協力していることを認めたと報道。 |
DIA-304-1985-12-15-1 | パキスタン | 1985年12月15日 | 1980年代 | ベシャーワルの北西辺境州治安当局は12月の「第2次ハイバル作戦」で政府軍により住宅を破壊された者35人のリストを発表した。当局は去る12日には,100人に対して降伏の最後通牒が出されたと発表していた。これは3月の「ハイバル作戦」に次ぐもので,政府によると,この作戦はヘロイン売買,アフガニスタンから流入した武器の取引き,軍将校たちの誘拐,反パ・親アフガニスタン言動,等々11ヵ条の犯罪を撲滅するためのものという。これに対し,作戦の対象となっている政府直轄部族地域(FATA)のハイバル自治区(Khyber Agency)に居住しているアーフリィディー部族のコキケール(Kokikhel)支部族は,自分たちは部族自治に対する介入に対して戦っているとしており,アフガニスタン政府の支持を得ているもよう(POT-P,12/10,12/17等;POT-A,5/22,10/11等)。 |
DIA-304-1985-12-17-1 | パキスタン | 1985年12月17日 | 1980年代 | ジア大統領はモルディブから帰国の途次インドに立寄り,ガンディー同国首相と会談。会談後の共同記者会見で両首脳は,両国は互いの核施設を攻撃しないことなどで合意したと言明した。両首脳はさらに,パ提案のパ印不戦条約とインド提案の印パ平和友好協力条約のすり合わせ作業進展のため86年1月に事務レベル会談を開き,同中旬に外務次官会談を開くことで合意した。なお,両国首脳の会見は,インドのラジーブ・ガンディー首相登場後14ヵ月の間にこれで6度になった。 |
DIA-304-1985-12-29-1 | パキスタン | 1985年12月29日 | 1980年代 | ジア大統領,4州新知事を任命(30日就任)。パンジヤーブ=Makhdoom Mohammad Sajjad Hussain Qureshi,シンド=Jahan Dad Khan退役陸軍中将,北西辺境=Nawabzada Abdul Ghafoor Khan Hoti,バルーチスタン=Mohammad Musa退役陸軍大将。 |
DIA-304-1985-12-29-2 | パキスタン | 1985年12月29日 | 1980年代 | パガーロー・パキスタン・ムスリム連盟パガーロー派(PML-P)党首はジア大統領の要請により党首の座をジュネージョー首相に委譲した。首相はこの日のOPG会合においてOPGは戒厳令解除と同時に「パキスタン・ムスリム連盟」(PML)として正式の議会党になると発表。 |
DIA-304-1985-12-30-1 | パキスタン | 1985年12月30日 | 1980年代 | 戒厳令,解除さる。ジア大統領兼戒厳総司令官は上下両院合同会議において77年7月5日以来の戒厳令の解除を宣言した。ジア大統領はまた,すべての軍事裁判所および戒厳令関係事務所を解体した。1973年憲法の諸条項のうち,基本的人権に関するものなど回復されていなかった諸条項(3月2日,9日参照)もすべて回復された。「免責法」(10月16日参照)によって「法的に有効」とされた30幾つかの戒厳令命令・規則および本日の戒厳令命令107号(「参考資料」参照)は効力を保つが,その他の戒厳令諸条項は,政党活動を禁止したものも含めて,すべて廃棄された。ただし,政党は1ヵ月以内に新たに創設されるという形式をとる。なお,ジア大統領は演説において「新たな民主主義体制は……過去数年間……の体制の延長である」として「急激な変化を期待しないように」国民に注意を喚起。ジュネージョー首相もこの日の演説において民主主義への「漸進的」移行を強調し,政治家たちに対政府協力を求めた。これに対しハイルッディーンMRD書記長は戒厳令解除を「白々しいドラマだ」と表現した。なお,ジア大統領はこの日の記者会見において,陸軍参謀長の地位にとどまるのかとの問に対し,「そのうち分るだろう」とだけ |
DIA-304-1985-12-30-2 | パキスタン | 1985年12月30日 | 1980年代 | 最高裁長官および4州高裁所長,就任(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1985-12-31-1 | パキスタン | 1985年12月31日 | 1980年代 | ジュネージョー首相は今後の政策に関する演説を行ない,以下の5種目を今後4年間の目標として挙げた。(1)パキスタン・イデオロギーに基づいたイスラーム民主主義体制の確立。(2)公正な経済体制の促進。(3)文盲追放。(4)賄路,不正,汚職に対する聖戦。(5)強力な国防および非同盟かつバランスのとれた外交政策による国民的連帯と主権を確固たるものにする。 |
DIA-304-1985-12-31-2 | パキスタン | 1985年12月31日 | 1980年代 | 4州高等裁判所判事,就任。 |
DIA-304-1986-01-08-1 | パキスタン | 1986年01月08日 | 1980年代 | イスラマバードで印パ蔵相会談。10日,8年ぶりの民間貿易復活など経済拡大のための覚書に調印。 |
DIA-304-1986-01-10-1 | パキスタン | 1986年01月10日 | 1980年代 | ラワルピンディーで印パ国防次官会議(~19日)。係争中のシアチェン氷河(ジャム・カシミールの印パ実行支配線沿い)などについて協議。 |
DIA-304-1986-01-13-1 | パキスタン | 1986年01月13日 | 1980年代 | イランのハメネイ大統領,来訪。イラン革命後の同国大統領のパ訪問は初めて。 |
DIA-304-1986-01-14-1 | パキスタン | 1986年01月14日 | 1980年代 | パの『ドーン』紙14日によると,85年12月30日の戒厳令解除によりシンド州のほとんどの主要政党が事務所を再開した。パキスタン人民党(PPP)はカラチ市に40,シンド州全体で60の党事務所を開いた。 |
DIA-304-1986-01-18-1 | パキスタン | 1986年01月18日 | 1980年代 | イスラマバードで開かれた200人前後の国会議員(下院定数=237,上院定数=87)の会合はジュネージョ首相をパキスタン・ムスリム連盟(PML)の党首に選出した。これによりPMLは,1977年10月16日の全政党禁止後「正式に復活」した政党第1号となった。ジュネージョ首相は85年12月にPML3派(パガーロ派,チャッタ派,ハイルッディン派)のうち最有力のパガーロ派の党首になっていたが,今回の措置により院内政党どしてのパガーロ派とは別個の新たな政党としてのPMLが発足したことになる。首相就任式典を主宰したI・A・ハーン司法・議会問題相は開会あいさつのなかで「PMLは過去の責任とは無縁である」と述べた。なお,旧PMLパガーロ派の領袖ピール・パガーロは上記の新PML発足の会合には欠席した。 |
DIA-304-1986-01-18-2 | パキスタン | 1986年01月18日 | 1980年代 | イスラマバードで印パ外務次官会議(~19日)。パ提案の印パ不可侵条約(通称,不戦条約),インド提案の印パ平和友好協力条約などの協議のため.20日,共同声明発表。 |
DIA-304-1986-01-18-3 | パキスタン | 1986年01月18日 | 1980年代 | シンド州ラールカーナでオートバイを追いこそうとしたバスが転倒し,8人死亡。 |
DIA-304-1986-01-20-1 | パキスタン | 1986年01月20日 | 1980年代 | ラホール高等裁判所はインド人シク教徒3人に死刑,7人に無期懲役,4人に無罪の判決を下した。このうち5人は81年9月に,9人は84年7月にそれぞれインド航空機をハイジャックしてラホールに着陸後パの治安当局に投降したシク教徒過激派で,85年3月から上記高裁で審理中であった.なお,2月12日,ラホール高裁は上記3人の死刑を執行停止とした。 |
DIA-304-1986-01-20-2 | パキスタン | 1986年01月20日 | 1980年代 | このほどシンド州で結成された「パンジャービー・パフトゥーン連合」(PPI)は同州から非シンド人を追放しようとする(シンディー民族主義者たちの)動きを非難(Viewpoint,1/23)。 |
DIA-304-1986-01-20-3 | パキスタン | 1986年01月20日 | 1980年代 | ヌスラット選挙管理委員長は85年12月発効の新政党法に基づく政党登録様式を発表。 |
DIA-304-1986-01-22-1 | パキスタン | 1986年01月22日 | 1980年代 | ファフル・イマーム国民議会(下院)議長は無所属議会グループ(IPG)指導者ハージー・サイフラー下院議員の出した問責動議に対する決定を控えた。この動議の主要内容は次のとおり。「(85年3月2日布告の)1973年憲法回復命令(RCO)第41条第7項はジア・ウル・ハック大統領が大統領に立候補する場合,陸軍参謀長を辞任する必要はないと規定しているが,同大統領が大統領選出後も陸軍参謀長職を保持するものとすると規定してはいない。したがって,ジア大統領の陸軍参謀長兼任は憲法からの逸脱であり,この逸脱は同大統領が選出された大統領として85年3月23日に就任宣誓した時に始まった。戒厳令が解除されている現在,そのような憲法違反は正当化され得ない。また,首相が行政府の長なのであり,大統領が陸軍参謀長として首相の下で服務するのは適切ではない」(D),1/23)。 |
DIA-304-1986-01-28-1 | パキスタン | 1986年01月28日 | 1980年代 | ジュネージョ内閣,改造(「参考資料」参照). |
DIA-304-1986-01-29-1 | パキスタン | 1986年01月29日 | 1980年代 | N・A・G・K・ホーティー北西辺境州知事は,85年12月の政府直轄部族地域(FATA)ハイバル自治区においてアーフリディー部族のコレキケール支部族の反乱に帰因する諸問題の平和解決のためにM・W・K・コーキケール(支部族長)との協議を開始した。 |
DIA-304-1986-01-30-1 | パキスタン | 1986年01月30日 | 1980年代 | 政党から成る民主主義回復運動(MRD)の中央行動委員会会議がラホールで開かれたが,PPPなど10政党と自立運動党(TI)との意見対立は解消されなかった。10政党が政党登録を拒否する方針であるのに対し,TIは1政党として登録に応じる方針である。 |
DIA-304-1986-02-01-1 | パキスタン | 1986年02月01日 | 1980年代 | インドのウッタル・プラデーシュ州アヨディアの寺院がモスクでなくヒンドゥー寺院として再開されたため,パでも2~3月に各地でムスリムとヒンドゥー教徒の武力衝突が続いた。 |
DIA-304-1986-02-04-1 | パキスタン | 1986年02月04日 | 1980年代 | シンディー・バローチ・パシュトゥーン戦線(SBPF)は最近,パキスタンの連合国家化を目指すパンフレット(34ページ)を発行(D),2/4)。 |
DIA-304-1986-02-06-1 | パキスタン | 1986年02月06日 | 1980年代 | SBPF指導者M・ブット,亡命先より帰国。 |
DIA-304-1986-02-06-2 | パキスタン | 1986年02月06日 | 1980年代 | A・G・ラクハーニーという人物がシンド州高裁に対し,1985年改正憲法第199条に基づいて,ジア大統領の陸軍参謀長兼任は違憲だとの訴えを行なった。8月19日,却下。 |
DIA-304-1986-02-13-1 | パキスタン | 1986年02月13日 | 1980年代 | ジア大統領はカラチのパ国際問題研究所(PIIA)で「パの国家安全と外交政策」と題して講演を行なった。以下,要旨。(1)ムスリム諸国44ヵ国,とくに湾岸(ペルシャ湾岸=アラビア湾岸―筆者)との関係はわが国の対外政策の要諦の一つをなす,(2)イランとの関係は従来にも増して緊密だ,(3)アメリカとは微妙な問題(複数)があるにもかかわらず最も友好的な関係にある,(4)とはいえ,わが国の東あるいは西から脅威が生じてもアメリカが助けに来ると思うのは過剰期待だ。パはパ人が守るものだ,(5)中国はわが国の自力更生を助けてくれた,(6)パはシアチェン氷河(1月参照)を1948年から事実上支配下に置いてきたのだ,(7)パはアフガニスタン問題の政治解決を望んでいる,(8)ソ連がわが国を侵略すれ ばわれわれは戦う,(9)カラチのパ製鉄所(ソ連援助で建設)はパとソ連の友好関係の記念碑だ。 |
DIA-304-1986-02-14-1 | パキスタン | 1986年02月14日 | 1980年代 | ハタック内相によれば,1985年1年間の誘拐件数4757に対し86年1月だけで4358件になるという。 |
DIA-304-1986-02-25-1 | パキスタン | 1986年02月25日 | 1980年代 | インドのバーガト外相はインド下院で,インドはパがシク教徒反乱分子を訓練している「確実な証拠」を握っていると断言。なお,2月中に予定されていた同外相のパ訪問は実現しなかった。 |
DIA-304-1986-03-01-1 | パキスタン | 1986年03月01日 | 1980年代 | 政府は国営企業65社のうち赤字経営12社の民間払下げを決定した。総額250億ルピー。 |
DIA-304-1986-03-05-1 | パキスタン | 1986年03月05日 | 1980年代 | 85年末から武力衝突していたパフトゥーン民族アーフリディー部族コーキケール支部族とパ政府が和解した(本年報1986年版所収の「重要日誌」の12月15日参照)。 |
DIA-304-1986-03-06-1 | パキスタン | 1986年03月06日 | 1980年代 | B・ブットPPP党首代行,ムムターズ・ブット(SBPF指導者)をPPPから除名。 |
DIA-304-1986-03-07-1 | パキスタン | 1986年03月07日 | 1980年代 | ワリー・ハーン全国民主党(NDP)党首はペシャーワルで,「政治的隘路の打開のためには革命しかない。独裁者はマルコスのように立ち去れ」と演説。 |
DIA-304-1986-03-15-1 | パキスタン | 1986年03月15日 | 1980年代 | スウェーデンの故パルメ首相の葬儀に出席のため同国訪問中のジュネージョ首相は,ストックホルムでインドのラジープ・ガンディー首相と初めて会談。 |
DIA-304-1986-03-15-2 | パキスタン | 1986年03月15日 | 1980年代 | 政府直轄部族地域クラム自治区で対戦車地雷により16人死亡,11人重傷。 |
DIA-304-1986-03-18-1 | パキスタン | 1986年03月18日 | 1980年代 | 8日発表のインド外務省年次報告書はパとスリランカが軍事面での協力関係を築いたと非難。 |
DIA-304-1986-03-19-1 | パキスタン | 1986年03月19日 | 1980年代 | ジア大統領はパのウルドゥー語『ジャング』紙19日との会見で次のように述べた。・私は間違いなく1990年まで陸軍参謀長の職責を果たす,・それは軍が国政に介入しないようにするためだ,・私は文民行政府が定着していく過程において軍と文民政府との間の橋渡し役を務めたいのだ,・私はパに民主主義の苗木を植えた,それを育てたいと思う(Statesman, 3/21)。 |
DIA-304-1986-03-19-2 | パキスタン | 1986年03月19日 | 1980年代 | 英BBC放送がインドのPTI通信電として報じたところによると,ジャム・カシミールのプーンチで過去2週間印パ両軍が衝突してパ兵士10人が死亡。20日,パ国防相はこれを強く否定した。 |
DIA-304-1986-03-22-1 | パキスタン | 1986年03月22日 | 1980年代 | イスラーム結社(JI)のガッフール・ハーン副党首は・記者会見で,戒厳令解除後も軍の政治介入の度合いは強まっている,と述べた。(M,3/23)。 |
DIA-304-1986-03-22-2 | パキスタン | 1986年03月22日 | 1980年代 | ジュネージョ首相,政見放送。 |
DIA-304-1986-03-23-1 | パキスタン | 1986年03月23日 | 1980年代 | 米『ワシントン・ポスト』紙23日によるとジア大統領は先週の同紙記者との会見において,「パがソ連から受けているシグナル(複数)からしてソ連は(アフガニスタンからの)撤退を望んでいる」と述べた。 |
DIA-304-1986-03-23-2 | パキスタン | 1986年03月23日 | 1980年代 | ブットPPP党首代行,ロンドンから訪米。3日間の滞在中,上下両院議員たちと会見した。 |
DIA-304-1986-03-23-3 | パキスタン | 1986年03月23日 | 1980年代 | T.K.Khan大将が海軍参謀長を退任し,後任にIftikhar Ahmed Sirohey中将(以上4月10日付)。なお,Sirohey中将は中将の地位にとどまる。 |
DIA-304-1986-03-24-1 | パキスタン | 1986年03月24日 | 1980年代 | アメリカはパとの間で,新規の対パ軍事・経済援助総額を40.2億ドルとすることで合意した。この新規援助は現行の32億ドル援助(83~87米会計年度用。なお,83米会計年度は82年10月1日~83年9月30日)に継続するものとして88~92米会計年度に実施されるものであるが,米議会による承認を条件とする.40.2億ドルの内訳は経済援助22.8億ドル,軍事援助17.4億ドル。経済援助22.8億ドルのうち18億ドルは贈与,軍事援助(対外武器売却)は年利5.0%,7年返済,返済据置期間5年という非常にソフトな条件となっている。 |
DIA-304-1986-03-25-1 | パキスタン | 1986年03月25日 | 1980年代 | ミース米司法長官,麻薬密輸調査のため来訪。 |
DIA-304-1986-03-26-1 | パキスタン | 1986年03月26日 | 1980年代 | ジュネージョ首相,野盗および政治活動家による混乱の続くシンド州内陸4県を視察(~27日)。 |
DIA-304-1986-03-30-1 | パキスタン | 1986年03月30日 | 1980年代 | ヌスラット選挙管理委員長によると,選挙管理委員会は1962年政党法(85年12月に改正)に基づく政党登録申請をこれまでに34組織から受けており,うち15組織が登録されて正規の政党として承認された。1990年実施予定の総選挙には登録政党のみが参加し得る。なお,TIは登録したが,PPPは登録していない。 |
DIA-304-1986-03-31-1 | パキスタン | 1986年03月31日 | 1980年代 | ブットPPP党首代行,ロンドンからモスクワ訪問。なお,同30日,アフガニスタン人民民主党のカルマル書記長がソ連訪問に出発した。ブットはモスクワ到着後,会談相手の名を明かさず「会談を行なう」とだけ述べた。 |
DIA-304-1986-03-31-2 | パキスタン | 1986年03月31日 | 1980年代 | ソド州議会,H・ハルーン議長を不信任。 |
DIA-304-1986-04-02-1 | パキスタン | 1986年04月02日 | 1980年代 | イスラマバードで南アジア地域協力機構(SAARC)閣僚会議.3日,14項目宣言を採択して終了。 |
DIA-304-1986-04-08-1 | パキスタン | 1986年04月08日 | 1980年代 | インドのガンディー首相は下院で,パとイスラエルがスリランカ政府のタミル分離主義者との戦闘を支援していることは異常な事態だと述べた。同首相はまた,パが核爆弾開発をあきらめていないことを示す堅い証拠があると断言した。 |
DIA-304-1986-04-10-1 | パキスタン | 1986年04月10日 | 1980年代 | ベーナジール・ブットPPP党首代行,亡命先のロンドンから帰国。同女史(32歳)が到着した空港からラホール市内まで数十万人というパ史上未曽有の大群衆が集まった。ブット女史はラホールでの集会においてジア政権を非難して民主化を要求したが,「報復の政治」は行なわないと言明した。 |
DIA-304-1986-04-11-1 | パキスタン | 1986年04月11日 | 1980年代 | ラホールでブットPPP党首代行,暗殺未遂。 |
DIA-304-1986-04-12-1 | パキスタン | 1986年04月12日 | 1980年代 | アーマコスト米国務次官,来訪(~13日)。 |
DIA-304-1986-04-15-1 | パキスタン | 1986年04月15日 | 1980年代 | 非同盟調整事務局会議出席のため訪印したヤクープ・ハーン外相,バーガト・インド外相と会見。 |
DIA-304-1986-04-18-1 | パキスタン | 1986年04月18日 | 1980年代 | N・A・ガッファール・ハーン・ホーティー北西辺境州知事,「個人的理由」で辞任。8月26日,F・M・ハーン上院議員が後任に就任した。 |
DIA-304-1986-04-20-1 | パキスタン | 1986年04月20日 | 1980年代 | ブットPPP党首代行は記者会見において,今秋までに総選挙を実施するようジァ大統領に要求した。 |
DIA-304-1986-04-20-2 | パキスタン | 1986年04月20日 | 1980年代 | ブットPPP党首代行は,PPPとアル・ズルフィカール(AZ,反政府過激派組織。ムルタザー・ブットAZ書記長はブットPPP党首代行の実弟)とは路線が違い,何の関係もない,と言明。 |
DIA-304-1986-04-21-1 | パキスタン | 1986年04月21日 | 1980年代 | ブットPPP党首代行は北西辺境州ペシャーワルで空前の大群衆に対する演説においてジァ大統領退陣などを要求するとともにヵーラーバーグ・ダム(6月5日参照)は北西辺境州の人々の生活を破壊すると非難。 |
DIA-304-1986-04-22-1 | パキスタン | 1986年04月22日 | 1980年代 | カラチ市オーランギー地区のビハーリー民族の人々がバングラデシュ(旧東パキスタン州)からのビハーリーの引揚げを急ぐよう要求して警官隊と武力衝突し,無期限の外出禁止令が布告された。24日,軍出動。5月10日,外出禁止令は計4地区(警察管区)に拡大。 |
DIA-304-1986-04-29-1 | パキスタン | 1986年04月29日 | 1980年代 | 国家税制改革委員会(NTRC)によると,国内のブラック・マネーはGDPの約50%に相当する1700億ルピーに達するという(D,4/30)。 |
DIA-304-1986-05-01-1 | パキスタン | 1986年05月01日 | 1980年代 | パと中国を結ぶカラコラム道(Karakoram Highway)が公式に全面開通され境界のフンジェラーブ峠が第三国人にも通行許可となった。 |
DIA-304-1986-05-03-1 | パキスタン | 1986年05月03日 | 1980年代 | ブットPPP党首代行,カラチで集会.空港から会場(ジンナー廟広場)までの10数kmは群衆で埋められ,ブット女史一行が会場に到着するのに10時間を要した。会場には少なくとも100人を乗せたバス5000台が到着した。女史はジア大統領退陣などを要求。 |
DIA-304-1986-05-04-1 | パキスタン | 1986年05月04日 | 1980年代 | ジア統領は4日の英BBC放送の番組「サンデー・テレグラフ」のインタビューにおいて4月のブットPPP党首代行帰国後の国内政治情勢に触れた際,法と秩序が危機に直面すれば戒厳令の再布告もやむを得ないと述べるとともに,PPPに外国資金流入があるとほのめかした(D,5/5)。 |
DIA-304-1986-05-05-1 | パキスタン | 1986年05月05日 | 1980年代 | ブットPPP党首代行,バルーチスタン州へ。空港からクニッタ市内まで13kmの沿道は大群衆で埋めつくされ,一行が市内に到着するのに5時間を要した。 |
DIA-304-1986-05-05-2 | パキスタン | 1986年05月05日 | 1980年代 | ブットPPP党首代行,G・M・ジャトイPPPシンド州支部長を解任。後任はM・ハリクッザマーン(10月4日,辞任)。 |
DIA-304-1986-05-05-3 | パキスタン | 1986年05月05日 | 1980年代 | ジュネーブで第7回アフガニスタン・パキスタン間接外相会談(アフガニスタンの項を参照のこと)。なお,パのヤクーブ外相は前日の4日に訪ソ。 |
DIA-304-1986-05-06-1 | パキスタン | 1986年05月06日 | 1980年代 | ジュネージョ首相は記者会見において,戒厳令再布告の理由はないと述べた。 |
DIA-304-1986-05-11-1 | パキスタン | 1986年05月11日 | 1980年代 | パは11日にイスラーム暦ラマザーン月(断食月)に入り,ブットPPP党首代行の集会に集まる群衆の規模は大幅に縮小したもよう。 |
DIA-304-1986-05-13-1 | パキスタン | 1986年05月13日 | 1980年代 | ジア大統領は「1977年国会・州議会選挙命令」を改正する大統領政令を布告した。同政令は上記命令の第10条第2項第B号の7Aを削除するというもの。この削除され条項の内容は,政党が選挙管理委員会に正式に登録されないうちにンの政党に加入した議員の議員資格を剥奪するというもの。 |
DIA-304-1986-05-13-2 | パキスタン | 1986年05月13日 | 1980年代 | バルーチスタン州フズダールで13人が何者かに射殺され。原因は古くからの部族間の反目らしい。 |
DIA-304-1986-05-13-3 | パキスタン | 1986年05月13日 | 1980年代 | 政府直轄部族地域クラム自治区パーラチナールの市場がアフガニスタンから越境砲撃され,14人死亡。 |
DIA-304-1986-05-17-1 | パキスタン | 1986年05月17日 | 1980年代 | パ空軍のF-16型戦闘機,パ領空侵犯のアフガニスタン空軍機1機を撃墜,他の1機は逃亡。撃墜されたのはSU22型対地攻撃機で場所は北西辺境州に隣接する政府直轄部族地域のクラム自治区のパーラチナール(国境から15km)付近。 |
DIA-304-1986-05-19-1 | パキスタン | 1986年05月19日 | 1980年代 | PPP中央執行委員会はベーナジール・ブット党首代行をPPP共同議長(Co-chairperson:議長=党首)に選出。終身議長である母親(故ブット前首相夫人)のヌスラットが肺癌治療でフランス滞在中であり,議長を務め得ないためと考えられる。 |
DIA-304-1986-05-22-1 | パキスタン | 1986年05月22日 | 1980年代 | ニューデリーで19日から行なわれていた印パ代表団の会談は,インド側ラージャスタン州とパ側シンド州の国境を開いて両国間の鉄道を再開し,イシド側ムナーバーオとパ側コークラパールの間に検問所を設置することで合意した。7月30日1両国は上記鉄道の10月再開で合意した(11月11日参照)。 |
DIA-304-1986-05-23-1 | パキスタン | 1986年05月23日 | 1980年代 | ジュネーブでの第7回アフガニスタン・パキスタン間接外相会談,中断。 |
DIA-304-1986-05-26-1 | パキスタン | 1986年05月26日 | 1980年代 | 国民議会(NA,下院)でF・イマーム議長に対する不信任動議がPMLから出され,152対72で可決された。不信任動議の根拠は,同議長は外遊中に政府を批判するなど不公正というもの。なお31日,H・N・チャッタ科学・技術相(42歳)が172対8で新議長に選出された。同議長は即日,科学・技術相を辞任した。 |
DIA-304-1986-05-27-1 | パキスタン | 1986年05月27日 | 1980年代 | 『経済白言』(Pakistan Economic Survery)85/86年度版,発表。 |
DIA-304-1986-05-29-1 | パキスタン | 1986年05月29日 | 1980年代 | ワットゥー蔵相,86/87年度予算案を下院に上程。6月28日,下院通過(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1986-06-02-1 | パキスタン | 1986年06月02日 | 1980年代 | ハージー・サイフッラーIPG指導者が下院で,5月13日の大統領政令を不当とする議事運営上の疑問を呈したが,チャッタ新議長はこれを却下した。 |
DIA-304-1986-06-03-1 | パキスタン | 1986年06月03日 | 1980年代 | ジア大統領,ジュネージョ首相,パガーロPML-P党首が政治情勢を協議の結果,シンド州の少なくとも4県で法と秩序が完全に統制不可能になっていることで意見が一致(POT-P,6/11)。 |
DIA-304-1986-06-03-2 | パキスタン | 1986年06月03日 | 1980年代 | ジュネージョ首相は記者会見で次のように述べた。(1)「1962年政党法」(86年12月改正)は(選挙管理委員会に)登録された政党で選挙参加を意図するものの活動を規制することを主眼としている,(2)未登録政党の活動を規制する法案が近く国会に上程されよう。 |
DIA-304-1986-06-03-3 | パキスタン | 1986年06月03日 | 1980年代 | 3日刊行の米USIS報告書によるとパの麻薬患者率はアメリカより高い。また,アメリカのペック国務次官補(近東・南アジア担当)は「パはヘロイン漬けになっている」と米下院関係委員会で証言(D,6/4)。 |
DIA-304-1986-06-04-1 | パキスタン | 1986年06月04日 | 1980年代 | 「永遠のシンド運動」(JSM)の創始者G・M・サイエドはパのPPI通信との会見で次のように述べた。(1)PPPもPMLもシンドの利益に合致しない,(2)とはいえ,シンディー(シンド人).たちの90%がPPPを支持しているため,JSMの目標達成はほど遠い。 |
DIA-304-1986-06-05-1 | パキスタン | 1986年06月05日 | 1980年代 | NDPのビロール副党首は記者会見で,(政府が北西辺境州に建設予定の)カーラーバーグ・ダムの建設強行はパフトゥーン(=パシュトゥーン=パターン)人に対する宣戦布告だと批判。 |
DIA-304-1986-06-07-1 | パキスタン | 1986年06月07日 | 1980年代 | 最近の調査によると,パの住宅不足数は推定300万(都市部140万,農村部160万)戸で,都市生活者(2700万人)中25%がスラム居住者。カラチ市人口の3分の2はスラム居住者(D,6/7)。 |
DIA-304-1986-06-10-1 | パキスタン | 1986年06月10日 | 1980年代 | ニューデリーでシアチェン氷河問題で印パ国防次官会議。12日,共同声明。 |
DIA-304-1986-06-17-1 | パキスタン | 1986年06月17日 | 1980年代 | パのヤクーブ・ハーン外相,訪米。7月のジュネージョ首相の訪米の下準備のためとされている。20日,同じく訪米中のアフガニスタン反政府7組織代表団とワシントンで会談。21日,ヤクーブ外相はワインバーカー米国務長官と会談。26日,イタリアへ。 |
DIA-304-1986-06-17-2 | パキスタン | 1986年06月17日 | 1980年代 | IPG(20人)は正式に院内野党として活動することを決定した。指導者はF・イマーム前下院議長。18日,別の下院議員16人が院内野党「責任追求グループ」(HI)を結成。HIはイスラーム教を重視。 |
DIA-304-1986-06-18-1 | パキスタン | 1986年06月18日 | 1980年代 | ブットPPP共同党首(以下単に党首)は86/87年度後半(87年1~6月)の「人民予算」を発表。 |
DIA-304-1986-06-19-1 | パキスタン | 1986年06月19日 | 1980年代 | ジア大統領は香港の19日付Far Eastern Economic Review誌との会見において,(1)ブット女史の集会やデモには少なくとも2000万~2500万ドルが用いられている,(2)確証はないが彼女はインドから資金援助を受けている,などと語った。また,パのウルドゥー語『ジャング』紙16日によると,ジァ大統領は,ソ連のほかにある国(単数)のブット女史に対する資金援助組織(複数)があると述べた(POT-P,6/20)。 |
DIA-304-1986-06-20-1 | パキスタン | 1986年06月20日 | 1980年代 | MRD構成11政党,州自治の範囲で合意。 |
DIA-304-1986-06-21-1 | パキスタン | 1986年06月21日 | 1980年代 | シンド州警察,野盗掃討作戦開始(D),6/24)。 |
DIA-304-1986-07-02-1 | パキスタン | 1986年07月02日 | 1980年代 | PML中央評議会,党綱領を採択(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1986-07-05-1 | パキスタン | 1986年07月05日 | 1980年代 | ジア陸軍参謀長兼大統領による軍事クーデター9周年の7月5日,全国各地でPPPなどによる反政府デモ・集会が行なわれた。 |
DIA-304-1986-07-08-1 | パキスタン | 1986年07月08日 | 1980年代 | ジア大統領は上下両院合同会議での演説において,(1)77年7月5日のクーデターは国民を(ブット政権の)文民独裁から救ったのだ,(2)PPPは戒厳令解除による自由を乱用している,などとB・プット党首以下のPPPを激しく非難した。 |
DIA-304-1986-07-08-2 | パキスタン | 1986年07月08日 | 1980年代 | 上院は満場一致で憲法第9次修正法案を採択。同法案はいかなる法律もイスラーム法に反してはならないと規定している. |
DIA-304-1986-07-09-1 | パキスタン | 1986年07月09日 | 1980年代 | 下院は「1986年国会・州議会<選挙><改正>法案」を92対23で採択。同法案は,国会・州議会議員がまだ登録申請中の政党に加入しても議員資格を剥奪しないというもの(5月13日参照)。17日,上院通過。 |
DIA-304-1986-07-10-1 | パキスタン | 1986年07月10日 | 1980年代 | ジュネージョンス首相,4ヵ国歴訪に出発。10~13日,トルコ。13~15日,西独。15~23日,アメリカ。23~25日,フランス。25日,帰国。16日,レーガン大統領と会談。レーガン大統領は席上,パが核兵器保有をあきらめなければ軍事・経済援助を一切停止すると警告したが,あきらめれば援助を継続すると約束した。17日,両国間で「戦略技術および高度技術の移転・保護のための了解覚書」に調印。同日の共同声明はパの安全に対するアメリカの関与の重要性を強調。なお,15日付米『ニューヨーク・タイムズ』紙はパ政府筋の情報として,パの阿片問題が米パ首脳会談の最大の議題になると報じたが,17日の共同声明はこの点には触れていない。25日,ジュネージョ首相は帰国後の記者会見において,ソ連に対し4ヵ月以内にアフガニスタンからの完全撤退を要求。 |
DIA-304-1986-07-11-1 | パキスタン | 1986年07月11日 | 1980年代 | ブットPPP党首は11日付米『ニューヨーク・タイムズ』紙の会見で,自分が政権の座についてもアメリカからの対パ軍事・経済援助の継続を望むと言明。 |
DIA-304-1986-07-15-1 | パキスタン | 1986年07月15日 | 1980年代 | 15日付米『ワシントン・ポスト』紙は,パの核開発問題で米ソが舞台裏で激しい応酬を交わした,と報じた。米政府当局者によると,ソ連がパの核開発努力に警告を発したが,レーガン米政権はソ連に対してパから手を引けと言わんばかりの強硬な申し入れを行なった。 |
DIA-304-1986-07-18-1 | パキスタン | 1986年07月18日 | 1980年代 | ガンディー・インド首相は与党の国民会議派の会議で,現状では自分の訪パはあり得ないと述べた。 |
DIA-304-1986-07-20-1 | パキスタン | 1986年07月20日 | 1980年代 | ジア大統領は「北方地域」(NA)ギルギット自治区のチラースで演説,北方地域は連邦政府の直轄下にあるのだから,政府は同地域に国会における代表権を付与することを真剣に考慮中だと言明した。 |
DIA-304-1986-07-26-1 | パキスタン | 1986年07月26日 | 1980年代 | NDP,「大衆運動」(AT),「労働党」(MKP)が合併して「大衆国民党」(ANP)を創立。K・A・ワリー・ハーンNDP党首がANP党首,MKPのS・ショウカット・アリーが書記長に選出された。ANPはMRDにとどまるが,アフガニスタンの親ソ派政権とソ連のアフガニスタン軍事介入(1979年12月)を支持するパ初の政党となった。 |
DIA-304-1986-07-26-2 | パキスタン | 1986年07月26日 | 1980年代 | バングラデシュのエルシャド大統領,来訪。 |
DIA-304-1986-07-28-1 | パキスタン | 1986年07月28日 | 1980年代 | パ外務省は28日,同日のゴルバチョフ・ソ連共産党書記長のウラジオストクでの演説(アフガニスタンの項を参照)に対して直ちに歓迎の意を表明した。ジュネーブのア・パ両国間接外相会談が再開された31日,パのヤクープ外相は記者会見において上記のゴルバチョフ演説に関してコメントを控えた。 |
DIA-304-1986-07-31-1 | パキスタン | 1986年07月31日 | 1980年代 | ジュネーブで第7回アフガニスタン・パキスタン間接外相会談,再開(8月6日,再び中断)。 |
DIA-304-1986-08-01-1 | パキスタン | 1986年08月01日 | 1980年代 | 北西辺境州ペシャーワルで同州および政府直轄部族地域の代表者30人による部族長会議が開かれ,アフガニスタンが上記地域などパへの越境攻撃をやめなければアフガニスタンの政権打倒のために武力行使を行なうと警告。なお,M・J・ハーン議長はパ下院議員。 |
DIA-304-1986-08-02-1 | パキスタン | 1986年08月02日 | 1980年代 | MRDにANPが加盟し,12政党となった。 |
DIA-304-1986-08-03-1 | パキスタン | 1986年08月03日 | 1980年代 | MRD,86年末までの総選挙実施を要求。 |
DIA-304-1986-08-11-1 | パキスタン | 1986年08月11日 | 1980年代 | ジュネージョ首相は全国放送で,PMLがラホール市で14日に開く予定だった独立記念集会を「混乱回避のため」中止すると発表するとともに,MRDに対しても14日のラホールでの集会を自粛するよう要請。13~15日のラホールとカラチでの集会は禁止。 |
DIA-304-1986-08-12-1 | パキスタン | 1986年08月12日 | 1980年代 | マフブーブル・ハック計画相は『ドーン』紙記者団との会見において,政府役人による汚職額はおそらく400億ルピーにも達しようと述べた。 |
DIA-304-1986-08-12-2 | パキスタン | 1986年08月12日 | 1980年代 | バングラデシュでSAARC第1回外相評議会。 |
DIA-304-1986-08-13-1 | パキスタン | 1986年08月13日 | 1980年代 | 警察当局はカラチ空港でブットPPP党首の身柄を一時拘束するとともに同女史に対し向こう5日間カラチ市外禁足を課した.また同日真夜中,MRD政治家を中心に全国各地で反政府活動家数百人が逮捕された。 |
DIA-304-1986-08-14-1 | パキスタン | 1986年08月14日 | 1980年代 | MRDは独立記念日のこの日ラホール,カラチなどで反政府集会を強行.カラチで5000人参加(『朝日』18/15)。ラホールとカラチで1000人以上が逮捕され,カラチではブットPPP党首も逮捕された.カラチでは同女史逮捕に抗議する暴動が発生し,ラホールでも暴徒と警官隊の2時間の衝突で4人死亡,70人負傷。 |
DIA-304-1986-08-18-1 | パキスタン | 1986年08月18日 | 1980年代 | ベラヤティ・イラン首相,来訪(~19日)。 |
DIA-304-1986-08-19-1 | パキスタン | 1986年08月19日 | 1980年代 | ワリー・ハーンANP党首,ソ連およびアフガニスタンを訪問(~9月12日)。 |
DIA-304-1986-08-19-2 | パキスタン | 1986年08月19日 | 1980年代 | カラチなどシンド州各地での反政府活動家と警官隊の衝突でこの3日間に22人死亡。公式には19日だけで15人死亡,MRDによると40人死亡。 |
DIA-304-1986-08-20-1 | パキスタン | 1986年08月20日 | 1980年代 | バガーロPML-P党首系のフル戦闘集団とPPP党員がシンド州内陸部各地で衝突,24人死亡。 |
DIA-304-1986-08-21-1 | パキスタン | 1986年08月21日 | 1980年代 | 選挙管理委員会に登録した政党数は現在25. |
DIA-304-1986-08-23-1 | パキスタン | 1986年08月23日 | 1980年代 | カラチの警察当局はプットPPP党首をジア政権転覆容疑で取り調べ中だと明らかにした。 |
DIA-304-1986-08-24-1 | パキスタン | 1986年08月24日 | 1980年代 | IPG,首相の会談申し出を拒否。 |
DIA-304-1986-08-26-1 | パキスタン | 1986年08月26日 | 1980年代 | シンド州警察は最近の逮捕者は1492人と発表。 |
DIA-304-1986-08-27-1 | パキスタン | 1986年08月27日 | 1980年代 | 政府は先頃カラチの国立病院(複数)に対してベッド数の25%を陸軍用に徴用すると通告。その理由は「さまざま」(政府筋)で,MRDによるシンド州内の政治騒乱によるのか否かは不明(M,8/27)。 |
DIA-304-1986-08-29-1 | パキスタン | 1986年08月29日 | 1980年代 | ジュネージョ首相は非同盟諸国首脳会議への出席を「健康上の理由のため」中止.31日,代わりにジァ大統領が出発した。 |
DIA-304-1986-08-31-1 | パキスタン | 1986年08月31日 | 1980年代 | 全国人民党(NPP),結成。委員長はG・M・ジャトイ(5月5日参照)。ロンドンに亡命中のG・M・カル(元PPP党員でブット政権下のパンジャーブ州首相)が同党創立を支援。 |
DIA-304-1986-09-01-1 | パキスタン | 1986年09月01日 | 1980年代 | 『ドーン』紙によると,ジア大統領は米『ワシントン・ポスト』紙(日付不明)との会見で次のように述べた。(1)野党は権力を強奪できるようにするため,あるいは少なくとも軍が介入を余儀なくされ得るようにするために(ママ),混乱状態をつくり出そうとしている,(2)文民政府回復のために私が策定した計画は政党の早期回復を目指すものではなかった,(3)ブット女史がソ連と共謀している証拠は多い,ソ連の資金はパのあちこちに流れている(D,9/1;POT-P,9/4)。 |
DIA-304-1986-09-02-1 | パキスタン | 1986年09月02日 | 1980年代 | パの右派『ナワー・エ・ワクト』紙2日はジア大統領発言(1日の(1)を参照)を批判するとともに,1958,1969,1977年のいずれにも軍が介入(軍事クーデター)する根拠はなかったと断じた(POT-P,9/18)。 |
DIA-304-1986-09-03-1 | パキスタン | 1986年09月03日 | 1980年代 | 政治犯釈放委員会(PPRC)のバルーチ代表によると,全国に投獄中の政治犯は7000人以上という。 |
DIA-304-1986-09-05-1 | パキスタン | 1986年09月05日 | 1980年代 | カラチ空港で5日早朝,インドのボンベイ発パンアメリカン航空ジャンボ機が4人のアラブ人武装集団に占拠された。同日21時55分,犯人グループが乗客に向けて銃を乱射するなかをパ政府軍特殊部隊が機内に突入,銃撃蔵のすえ機を制圧。犯人2人が射殺され,約400人の乗員・乗客のうち21入が死亡,約150人が負傷した。死傷者の大半がインド人であったため,ジンバブエの首都ハラレの非同盟諸国首脳会議出席中のガンディー・インド首相は5日,2度にわたってパのジア大統領と会談を行ない,厳重な抗議を申し入れた。米政府は特殊部隊突入を「適切な措置」と賞賛。 |
DIA-304-1986-09-05-2 | パキスタン | 1986年09月05日 | 1980年代 | ジュネージョ首相,シンド州内陸部遊説を開始。 |
DIA-304-1986-09-06-1 | パキスタン | 1986年09月06日 | 1980年代 | 6日付『朝日新聞』によると,日本の埼玉県で86年に入って3ヵ月で100人のペースでパキスタン人が急増している。彼らは中小企業で働いているもよう。 |
DIA-304-1986-09-08-1 | パキスタン | 1986年09月08日 | 1980年代 | ブットPPP党首は規定より5日早い8日に釈放され,ジア政権に対して新たな闘争を宣言した。 |
DIA-304-1986-09-14-1 | パキスタン | 1986年09月14日 | 1980年代 | ヤクーブ外相,訪中.15日,中パ両国は原子力平和利用協力協定に調印。17日,呉学謙中国外相とアフガニスタン問題,両国関係などで会談を行なった.17日,国連総会出席のため北京からニューヨークヘ出発。 |
DIA-304-1986-09-14-2 | パキスタン | 1986年09月14日 | 1980年代 | カラチでイラク副総領事,乗用車内で爆死。 |
DIA-304-1986-09-16-1 | パキスタン | 1986年09月16日 | 1980年代 | イスラマバードでソ連大使館武官,暗殺さる。ソ連,パ政府に厳重抗議。 |
DIA-304-1986-09-17-1 | パキスタン | 1986年09月17日 | 1980年代 | イスラーム教スンニー,シーア両派衝突でラホール市の約半分に外出禁止令(26日解除)。5人死亡。 |
DIA-304-1986-09-20-1 | パキスタン | 1986年09月20日 | 1980年代 | シンド州警察は,野盗をかくまったとしてシンド州ダードゥーの大地主50人を逮捕した。 |
DIA-304-1986-09-22-1 | パキスタン | 1986年09月22日 | 1980年代 | ラヒームッディン・ハーン統合参謀本部議長,訪中。同日,楊得志総参謀長,23日,趙紫陽首相と会見。 |
DIA-304-1986-09-24-1 | パキスタン | 1986年09月24日 | 1980年代 | ジア大統領,クェッタで記者会見。(1)次の総選挙は1990年まで行なわれない,(2)地方議会選挙も無政党ペースで行なう,(3)ある分子は戒厳令再布告をめざして混乱をつくり出そうとしているが,戒厳令を再び布告することはない,(4)野党と話し合う用意がある。 |
DIA-304-1986-09-24-2 | パキスタン | 1986年09月24日 | 1980年代 | ブットPPP党首,支持者に選挙人登録を訴え。 |
DIA-304-1986-09-25-1 | パキスタン | 1986年09月25日 | 1980年代 | パ麻薬統制会議の最近の調査によるとパの麻薬患者は150万人(都市部で8家族に1人,農村部で13家族に1人)に達する(PT9/25)。 |
DIA-304-1986-09-26-1 | パキスタン | 1986年09月26日 | 1980年代 | MRDはジア大統領との対話を拒否。 |
DIA-304-1986-09-28-1 | パキスタン | 1986年09月28日 | 1980年代 | ジュネージョ内閣小幅改造(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1986-09-29-1 | パキスタン | 1986年09月29日 | 1980年代 | 国連総会出席のためニューヨーク滞在中のヤクーブ・ハーン外相はソ連のシュワルナゼ外相と会談。 |
DIA-304-1986-10-02-1 | パキスタン | 1986年10月02日 | 1980年代 | ワリー・ハーンANP党首は北西辺境州の阿片栽培地域で演説,「阿片は栽培者の経済的主柱だ。アメリカ人のためにその栽培をやめることはできない。武力による阿片栽培撲滅には武力で闘う。ただし,ヘロイン製造には反対だ」などと述べた。 |
DIA-304-1986-10-02-2 | パキスタン | 1986年10月02日 | 1980年代 | カムラ空軍基地で第14飛行中隊用としてF-16戦闘機1個飛行中隊が配備された.パ空軍のF-16戦闘機飛行中隊としては3番目。 |
DIA-304-1986-10-06-1 | パキスタン | 1986年10月06日 | 1980年代 | B・ブットPPP党首はカラチでの記者会見で,故Z・A・ブット前首相の処刑はアメリカの圧力によるものではないかとの質問に反対の趣旨の発言。 |
DIA-304-1986-10-07-1 | パキスタン | 1986年10月07日 | 1980年代 | シンド州ダハルキー町でハンマー状の鈍器で3人が頭を殴られ,2人死亡(本年報1986年版所収「重要日誌」12月参照)。 |
DIA-304-1986-10-08-1 | パキスタン | 1986年10月08日 | 1980年代 | ブットPPP党首は北西辺境州アボツタバードで演説。聴衆1万人は8月の同党首逮捕後最大の規模。 |
DIA-304-1986-10-09-1 | パキスタン | 1986年10月09日 | 1980年代 | ジュネージョ首相,政治について講演。 |
DIA-304-1986-10-09-2 | パキスタン | 1986年10月09日 | 1980年代 | B・ブットPPP党首はカラチの演説において,総選挙の86年秋実施要求を降ろした。 |
DIA-304-1986-10-09-3 | パキスタン | 1986年10月09日 | 1980年代 | パ政府は,10月2日のガンディー・インド首相暗殺未遂事件にパが関与していたとするAll-India Radioの報道などを全く根拠がなく,印パ関係を悪化させるものだとしてインド政府に厳重に抗議した。 |
DIA-304-1986-10-12-1 | パキスタン | 1986年10月12日 | 1980年代 | TIは正式にMRDからの脱退を発表した。 |
DIA-304-1986-10-14-1 | パキスタン | 1986年10月14日 | 1980年代 | ワインバーガー米国防長官,インドから来訪(~17日)。17日,記者会見で,空中警戒管制機(AWACS)の対パ供与に同意を明らかにした。22日,パ外務省はAWACS1機購入の方針と発表。 |
DIA-304-1986-10-14-2 | パキスタン | 1986年10月14日 | 1980年代 | サライキー民族戦線(SNF),結成。ムルターン,D・G・ハーン,バハーワルプールなどのサライキー語地域住民の政治的権利の向上のためという。 |
DIA-304-1986-10-17-1 | パキスタン | 1986年10月17日 | 1980年代 | ワリー・ハーンANP党首はペシャーワルの某英字新聞社出版の著書『事実は神聖なり』(facts are sacred)の第21分冊において,「1947年6月3日の印パ分離計画はジンナーの承諾を得ていなかった」と主張している(D,10/18)。 |
DIA-304-1986-10-18-1 | パキスタン | 1986年10月18日 | 1980年代 | 政府直轄部族地域のパーラチナール近郊でアフガニスタン空軍機の爆撃により8人死亡。 |
DIA-304-1986-10-21-1 | パキスタン | 1986年10月21日 | 1980年代 | カラチで国鉄機関車と乗合いミニバス(小型バス)2台が衝突し,36人死亡。40人負傷。怒った住民の暴動が発生し,24日までに150人が逮捕されて鎮静化。 |
DIA-304-1986-10-23-1 | パキスタン | 1986年10月23日 | 1980年代 | パキスタン国際航空(PIA)国内線のフォッカー・フレンドシツプ機が北西辺境州ペシャーワル近郊で墜落し,13人死亡,35人負傷。この事故は結婚式の「お祝い」としての発砲によるもの。29日,これに関連して花むこ7人が逮捕。この地域は木曜の夜に盛大な結婚式が行なわれることが多く,今までも類似の発砲が頻発とPIAパイロットの苦情があった(D,10/29)。 |
DIA-304-1986-10-24-1 | パキスタン | 1986年10月24日 | 1980年代 | 米国防総省はパに対するAWACS(10月14日参照)の一時的派遣を検討中と明らかにした.アーミテージ国防次官補(国際安全保障担当)は記者会見でさらに,3機程度のAWACSを合同演習の形でパに一時的に派遣する考えを示した。同次官補はまた,パが導入する場合の機種はAWACSと限ったわけではなく,管制能力を持たない早期警戒機E2Cも有力機種になるとの見方を示した(以上,『朝日』10/25)。 |
DIA-304-1986-10-24-2 | パキスタン | 1986年10月24日 | 1980年代 | ブットPPP党首はファイサラバードで記者会見,シンド州における軍の展開は「野盗掃討」の名のもとに民衆を抑圧するためのものだと非難,撤兵を要求。 |
DIA-304-1986-10-27-1 | パキスタン | 1986年10月27日 | 1980年代 | ブットPPP党首はラホールでの演説において,パの連邦制を堅持すると述べた。 |
DIA-304-1986-10-28-1 | パキスタン | 1986年10月28日 | 1980年代 | シンド州で第3次野盗掃討作戦開始。 |
DIA-304-1986-10-28-2 | パキスタン | 1986年10月28日 | 1980年代 | ペシャーワルで爆弾破裂,6人死亡,23人負傷。 |
DIA-304-1986-10-29-1 | パキスタン | 1986年10月29日 | 1980年代 | クェッタで2派衝突,5人死亡。『ドーン』紙30日では交通関係者の衝突,『ヴューポイント』誌10月30日では民族対立。無期限外出禁止令(~11月10日)。 |
DIA-304-1986-10-30-1 | パキスタン | 1986年10月30日 | 1980年代 | カラチで対立2派が衝突。9人死亡。衝突はカラチとハイダラバードを結ぶ高速道路入口付近のンフラープゴート地区で発生したが,去る10月21日の事故(日誌参照)を遠因としているもようで,パフトゥーン(=パシュトゥーン=パターン)民族とムハージリーン(印パ分離独立時のインドなどからの移住民)との民族対立の色彩を有しており,カラチ市各地およびハイダラバード市に波及。ハイダラバードでは11月1日までに死者6人を出して,同7日に外出禁止令解除。カラチでは11月7日までに死者48人を出し,同12日に外出禁止令解除となったとたんに衝突が再発。21日,衝突拡大のため軍が出動。22日,西カラチと東カラチに刑訴法144条(5人以上の集会および武器携帯の禁止)の再布告。同11月28日,ハイダラバードでも騒乱。その後のカラチ,ハイダラバードでは小康状態が続いたものの,12月14日に再び大騒乱が発生した(12月12日の日誌を参照のこと)。 |
DIA-304-1986-10-30-2 | パキスタン | 1986年10月30日 | 1980年代 | ジア大統領はシンド州高裁弁護士A・A・ファジールを法務長官に任命。 |
DIA-304-1986-10-30-3 | パキスタン | 1986年10月30日 | 1980年代 | PMLチャッタ派の中のカーシム派,MRDに加盟。 |
DIA-304-1986-11-01-1 | パキスタン | 1986年11月01日 | 1980年代 | PPP党員拡大キャンペーンを開始。 |
DIA-304-1986-11-02-1 | パキスタン | 1986年11月02日 | 1980年代 | シンド州のS・ガウス・A・シャー州首相によると,治安当局は今までにシンド州の野盗130人を殺害し,353人を逮捕した。 |
DIA-304-1986-11-04-1 | パキスタン | 1986年11月04日 | 1980年代 | 米『ワシントン・ポスト』紙4日はパが去る9月18~21日の間に起爆装置の実験に成功したと報じた。5日,パのジア大統領は「根拠がない」とこれを否定。 |
DIA-304-1986-11-05-1 | パキスタン | 1986年11月05日 | 1980年代 | 1月初旬予定の米第7艦隊のカラチ港寄港は政治的混乱を懸念したパ政府の申入れにより中止された。 |
DIA-304-1986-11-07-1 | パキスタン | 1986年11月07日 | 1980年代 | ジュネージョ首相,ハイダラバードで記者会見。(1)政府は「連合戦線」(CF),「ムハージル民族運動」(MQM)などの地域主義的な「戦線」とか「運動」の類をはじめ,政治組織がデモや集会を行なうのを是認できない,(2)政府はその制限を検討中だ。 |
DIA-304-1986-11-08-1 | パキスタン | 1986年11月08日 | 1980年代 | イスラマバード近郊でバスとワゴン車が正面衝突し,16人死亡。 |
DIA-304-1986-11-09-1 | パキスタン | 1986年11月09日 | 1980年代 | ジア大統領のイクパール記念日演説。(1)西欧流議会制民主主義はパに合わない,(2)偉大なる指導者(建国の父ジンナー)は政教分離主義に賛同していなかった。 |
DIA-304-1986-11-10-1 | パキスタン | 1986年11月10日 | 1980年代 | ジア大統領,モヒーウッディン・B.商相を解任。 |
DIA-304-1986-11-11-1 | パキスタン | 1986年11月11日 | 1980年代 | 米VOA放送11日によれば,インドはパに隣接する(インドの)パンジャーブ州に大量の軍を集結させた。ジア大統領は翌12日のカラチでの記念記者会見で,インドによるパ攻撃と印パ戦争の可能性を否定した.同大統領はまた,インドのコークラパール国境を開通できるようにした場合(5月22日参照)の政治的・軍事的影響を検討中と語った。 |
DIA-304-1986-11-15-1 | パキスタン | 1986年11月15日 | 1980年代 | インドのバンガロールでSAARC首脳会議(~17日)。初めて訪印したジュネージョ首相は17日,インドのガンディー首相と会談。帰国後の記者会見で,パンジャーブ州の印パ国境に(10月から)展開中のインド兵力は20~30万人と聞いていると述べた。これは印パ関係史上最大規模(D,11/18)である。 |
DIA-304-1986-11-17-1 | パキスタン | 1986年11月17日 | 1980年代 | ジア大統領はシヤールコートでのある演説で,地方議会の無政党性を堅持すると強調。 |
DIA-304-1986-11-19-1 | パキスタン | 1986年11月19日 | 1980年代 | コルドベス国連事務次長,アフガニスタン問題政治解決のためにパ,アフガニスタン,イラン(27~28日)の間での往復外交(~12月3日)。同次官は12月3日,イスラマバードでの記者会見において,1987年2月11日にジュネーブでパとアフガニスタンの間接外相会談が再開されることになったことを明らかにした。 |
DIA-304-1986-11-28-1 | パキスタン | 1986年11月28日 | 1980年代 | ワリーANP党首は記者会見で,軍首脳部はパ全土とくにバルーチスタン州を軍事基地建設のためにアメリカに手渡してしまったと非難(POT-P,12/1)。 |
DIA-304-1986-12-06-1 | パキスタン | 1986年12月06日 | 1980年代 | 中央銀行年次報告書85/86年度版,発表(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1986-12-06-2 | パキスタン | 1986年12月06日 | 1980年代 | ラホールでMRD党首会議。7日,MRDは120日以内の総選挙実施などを要求。 |
DIA-304-1986-12-06-3 | パキスタン | 1986年12月06日 | 1980年代 | サッタール外務次官,訪ソ。ソ連による招待。9日,シュワルナゼ・ソ連外相とアフガニスタン問題で会談。 |
DIA-304-1986-12-07-1 | パキスタン | 1986年12月07日 | 1980年代 | ヤクーブ・ハーン外相は国会で,パはソ連を含む諸外国の軍用機および民間機に対してトランジットのための空港使用などの便宜を供与することはあるが,米軍用機に空軍基地を供与したりはしていないと言明。 |
DIA-304-1986-12-07-2 | パキスタン | 1986年12月07日 | 1980年代 | 「1986年上院選挙<改正>法案」,下院で採択さる。108対7. |
DIA-304-1986-12-11-1 | パキスタン | 1986年12月11日 | 1980年代 | ラホール警察は過去25日で労務者など貧困なもの13人を「楽しみのために」銃殺した心臓病医師(42歳)を逮捕した。犯人は元バ人で現在の国籍はアメリカ。 |
DIA-304-1986-12-12-1 | パキスタン | 1986年12月12日 | 1980年代 | 警察当局は他の治安諸機関とともにカラチ市ソフラーブゴート(10月30日参照)およびオーランギーにおいて麻薬,銃火器などの不法所持を取り締まるために外出禁止令を布告してから「大掃除作戦」を開始した(~30日)。14日,この手入れに反対する住民の暴動が発生し,15日には,外出禁止令違反者を発見しだい射てという「見たら射て」(shoot at sight)命令が出され,民族衝突もからんで20日までに164人が死亡.暴動は15日までにハイダラバード,サッカル,ミルプールハースなどへも波及し,ハイダラバードでは14日に外出禁止令が布告され,21日まで続けられた。カラチでは30日までに外出禁止令が大幅に緩和されたものの,30日の時点ではまだソフラープゴート,オーランギーなどで7時間の夜間外出禁止令が布告されている。 |
DIA-304-1986-12-12-2 | パキスタン | 1986年12月12日 | 1980年代 | PMLハイルッディン派,正式にMRDを脱退。 |
DIA-304-1986-12-16-1 | パキスタン | 1986年12月16日 | 1980年代 | パンジャーブ州ミヤンワーリー近郊でトラックが運河に転落し,14人死亡。 |
DIA-304-1986-12-17-1 | パキスタン | 1986年12月17日 | 1980年代 | ハタック内相は記者会見で,カラチ騒乱の裏には外国の手(複数)が隠されており,政府は今それらを確認しようとしている,と述べた。 |
DIA-304-1986-12-18-1 | パキスタン | 1986年12月18日 | 1980年代 | SBPFは政府に対しアフガニスタンとの直接交渉を開始するよう要求するとともに,シンド州政府に対し,州内の全アフガニスタン難民の州外追放を要求した。 |
DIA-304-1986-12-20-1 | パキスタン | 1986年12月20日 | 1980年代 | 国務相(閣外相)を含む連邦政府大臣全員(首相の他に35人)が「カラチ事件の責任をとって」辞表を提出した.ジア大統領は22日,内閣改造を行ない,36の大臣ポストを16に減らし,ジュネージョ首相ら6人の閣僚を除くすべての大臣を更迭した。(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1986-12-24-1 | パキスタン | 1986年12月24日 | 1980年代 | ヤクープ外相,6日間の訪中に出発。同日カラチ空港での記者会見でアフガニスタン問題に触れ,「最近のソ連の姿勢は明確に変化した。これは歓迎すべきことだ」と述べた。26日,中国外相と7時間に及ぶ会談。 |
DIA-304-1986-12-25-1 | パキスタン | 1986年12月25日 | 1980年代 | ジア大統領の率先により165人の各界知識人の会議がイスラマバードで開かれ,パの解決すべき諸問題を討議した。以下,26日の大統領の閉会演説要旨。(1)最近のカラチでの騒乱はパの敵たちがパを混乱させるために引き起こしたものでアフガン難民を装った分子によって先導された,(2)このようなことはとくに北西辺境州とバルーチスタン州で行なわれ,のちにカラチにまで波及させられた,(3)ソ連とインドは弱いパが自らの利益に合致すると考えている,(4)パ国内において問題が生じればソ連がパと(アフガニスタン)の国境にわざわざ15万の兵力を張りつけておく必要はないわけだ,(5)パのイデオロギーはイスラームで,パの建国者たちはあらゆる意味内容においてイスラーム国家の建設を目指していた,(6)すべての法律はイスラームに準拠すべきだ,(7)ただ,イスラーム法の施行は一昼夜では実現し得るものではない,(8)政治は宗教とともに歩むべきだ。 |
DIA-304-1986-12-26-1 | パキスタン | 1986年12月26日 | 1980年代 | シンド州政府運輸相を兼任するA・ユースフ・ハイダラバード市長は記者会見において,シンド州政府は州内の全アフガン難民を北方(北西辺境州および政府直轄部族地域)の難民収容所に送還することに決定した,ことを明らかにした(M,12/27)。 |
DIA-304-1986-12-26-2 | パキスタン | 1986年12月26日 | 1980年代 | 「永遠のシンド学生連盟」(JSSF)はハイダラバードでの記者会見において,カラチのアフガン難民をシンド州内陸部に送り込むのをやめなければ州内のすべての町がソフラープゴート(12月12日参照)のようになり,シンド農村部住人は麻薬患者になってしまうとして,アフガン難民の州外追放を要求。 |
DIA-304-1986-12-27-1 | パキスタン | 1986年12月27日 | 1980年代 | 印パ関係正常化を目指す印パ外務次官会談がイスラマバードで開始された(~28日)。議題はパ提案の相互不可侵条約(通称,「不戦条約」)およびインド逆提案の平和友好協力条約,相互の核施設攻撃の抑制など。会談は1987年初めに再開されることになった。 |
DIA-304-1986-12-28-1 | パキスタン | 1986年12月28日 | 1980年代 | インド海軍は10月から12月28日現在までに計46隻のパ漁船を拿捕した(PT,12/8,D,12/29)。 |
DIA-304-1987-01-01-1 | パキスタン | 1987年01月01日 | 1980年代 | アフガニスタンのナジブッラー人民民主党書記長,アフガニスタン反政府ゲリラに対し,1月15日からの一方的停戦を宣言。 |
DIA-304-1987-01-01-2 | パキスタン | 1987年01月01日 | 1980年代 | シンド州全閣僚がそろってサイド・ゴウス・アリー・シャー州首相に辞表を提出。ジュネージョ首相も州政府再編を示唆。 |
DIA-304-1987-01-01-3 | パキスタン | 1987年01月01日 | 1980年代 | 商業省は,1987~91年の繊維輸出クオータ政策を発表。88年からは,過去の100%実績分のクオータを既存の輸出業者に与え,需要の伸び分のみを新規業者のクオータとする内容で,紡績業者,綿織業者双方が歓迎。 |
DIA-304-1987-01-02-1 | パキスタン | 1987年01月02日 | 1980年代 | ワットゥー蔵相は,綿花の豊作による国際価格下落に対し,農民へ2億ルピーの補助金を決定。 |
DIA-304-1987-01-03-1 | パキスタン | 1987年01月03日 | 1980年代 | チトラール付近の国境地帯をアフガン機が爆撃。4名死亡,15名負傷。 |
DIA-304-1987-01-04-1 | パキスタン | 1987年01月04日 | 1980年代 | ジャハーン・ダド・ハーン,シンド州知事,昨年12月のカラチの民族紛争の責任をとって辞任。後任は,アシュラフ・W・タバーニ。 |
DIA-304-1987-01-07-1 | パキスタン | 1987年01月07日 | 1980年代 | 6人の閣僚からなるシンド州内閣が成立。 |
DIA-304-1987-01-07-2 | パキスタン | 1987年01月07日 | 1980年代 | ワリー・ハーン大衆国民党(ANP)党首,シンド州治安維持条例を根拠にシンド州への立ち入りを禁止される。 |
DIA-304-1987-01-09-1 | パキスタン | 1987年01月09日 | 1980年代 | ヤクーブ・ハーン外相,中東訪問に出発。10,11日にイラン,12,13日にサウジアラビアを訪問。 |
DIA-304-1987-01-09-2 | パキスタン | 1987年01月09日 | 1980年代 | カラチで老人とその娘2人が誘拐・殺害され,再び市内の治安状況が悪化,各地で暴動。 |
DIA-304-1987-01-12-1 | パキスタン | 1987年01月12日 | 1980年代 | 日本政府,パキスタンへの肥料・農機具供与等40億円の無償援助を決定。 |
DIA-304-1987-01-13-1 | パキスタン | 1987年01月13日 | 1980年代 | カラチ新市街とハイダラバードで暴動,計4名死亡,両地域に再び夜間外出禁止令が出される。15日までに暴動はさらに広がり,カラチで3名,ハイダラバードで2名の死者,負傷者は100名近くに。夜間外出禁止地域も拡大。 |
DIA-304-1987-01-15-1 | パキスタン | 1987年01月15日 | 1980年代 | アフガニスタンのナジブッラー書記長は,同国政府とソ連政府がソ連軍の撤退で合意したことを発表。反政府ゲリラに対し停戦を呼びかける。 |
DIA-304-1987-01-15-2 | パキスタン | 1987年01月15日 | 1980年代 | 全パキスタン紡織協会(APTMA),政府との月当たりの輸出上限枠拡大の話し合いが決着しないまま,綿糸輸出許可証の発行を再開。1月1日より止まっていた綿糸の輸出が再開される。 |
DIA-304-1987-01-16-1 | パキスタン | 1987年01月16日 | 1980年代 | ヤクーブ・ハーン外相,カトマンズでのSAARC事務局開設式典に出席。 |
DIA-304-1987-01-17-1 | パキスタン | 1987年01月17日 | 1980年代 | 反政府ゲリラ主要7組織からなるアフガニスタン・ムジャーヒディーン・イスラーム同盟はペシャーワルでの集会で15日のナジブッラーの停戦提案を拒否。 |
DIA-304-1987-01-17-2 | パキスタン | 1987年01月17日 | 1980年代 | ファジル・ラフANP副党首,斧で惨殺される。 |
DIA-304-1987-01-19-1 | パキスタン | 1987年01月19日 | 1980年代 | カイバル地区の部族抗争で9名死亡。 |
DIA-304-1987-01-20-1 | パキスタン | 1987年01月20日 | 1980年代 | ワットゥー蔵相を委員長とする内閣経済調整委員会は,綿紡績業の拡張を推進するために,紡績用スピンドルとローターの設備拡張の認可制の廃止を決定。 |
DIA-304-1987-01-22-1 | パキスタン | 1987年01月22日 | 1980年代 | クウェートでイスラム諸国会議機構(OIC)の46カ国の外相会議開始。ヤクーブ・ハーン外相も出席。 |
DIA-304-1987-01-23-1 | パキスタン | 1987年01月23日 | 1980年代 | インド軍の演習により緊張の続いていた南部印パ国境でインド軍がさらに前進したとインド側が発表。同時に,駐印パキスタン大使を通じて両国軍の撤兵のための提案パッケージがパに渡される。 |
DIA-304-1987-01-25-1 | パキスタン | 1987年01月25日 | 1980年代 | ジア・ウル・ハック大統領,26日より開始のOIC首脳会議出席のためクウェートへ(29日帰国)。 |
DIA-304-1987-01-25-2 | パキスタン | 1987年01月25日 | 1980年代 | インド外相,印パ国境での緊張緩和のために外務次官会談を開催することを提案。パ側もこれを了承。 |
DIA-304-1987-01-27-1 | パキスタン | 1987年01月27日 | 1980年代 | ジュネージョ首相とラジーブ・ガンディー印首相,電話で会談し,撤兵のための外務次官会談を決定。 |
DIA-304-1987-01-27-2 | パキスタン | 1987年01月27日 | 1980年代 | 18日のラフ暗殺に対するANPや民主回復運動(MRD)参加政党を中心とする抗議デモを警察は武力で阻止。パキスタン人民党(PPP)共同党首ベーナジール・ブットは当局の過度な対応を非難。 |
DIA-304-1987-01-28-1 | パキスタン | 1987年01月28日 | 1980年代 | 全国税制改革委員会(NTRC),農業所得税に関して合意に達しないまま,最終レポートを首相に提出。 |
DIA-304-1987-01-28-2 | パキスタン | 1987年01月28日 | 1980年代 | 北西辺境州(NWFP)内閣総辞職。 |
DIA-304-1987-01-28-3 | パキスタン | 1987年01月28日 | 1980年代 | カラチからダードゥに向かっていたブットPPP共同党首の一向が襲われ,党員3名が誘拐される。ブット女史はこの事件は当局の策謀であるとして政府を批判。 |
DIA-304-1987-01-30-1 | パキスタン | 1987年01月30日 | 1980年代 | 28日の襲撃に抗議してのPPPの行進を当局は催涙ガスで阻止。50人が負傷,100人が逮捕。 |
DIA-304-1987-01-31-1 | パキスタン | 1987年01月31日 | 1980年代 | ニュー・デリーで印パ国境での緊張緩和のための外務次官会談始まる(~2月4日)。 |
DIA-304-1987-01-31-2 | パキスタン | 1987年01月31日 | 1980年代 | カラチのオーランギー地区で警官隊と市民が衝突,警官1人を含む5人が死亡,20人以上が負傷。 |
DIA-304-1987-02-01-1 | パキスタン | 1987年02月01日 | 1980年代 | アスガル・ハーン自立運動党(TI)党首とマウラナ・S・A・ヌーラーニー,パキスタン・ウラマー党(JUP)党首,全政党会議を提案。 |
DIA-304-1987-02-01-2 | パキスタン | 1987年02月01日 | 1980年代 | 全国の繊維製品輸出業者は,米パ間の新しい繊維輸入クオータ合意に反発し,政府に対しその批准をしないよう要求。 |
DIA-304-1987-02-04-1 | パキスタン | 1987年02月04日 | 1980年代 | 1月31日から続いていた印パ外務次官会談の結果第一次撤兵合意。ラヴィ・チェナブ回廊地域からの両国軍の撤兵を15日以内に行ない,インドのプラスタックス演習の地域での撤兵は2月末の会談に持ちこし。 |
DIA-304-1987-02-05-1 | パキスタン | 1987年02月05日 | 1980年代 | ヤクーブ・ハーン外相,ソ連訪問(~8日)。 |
DIA-304-1987-02-05-2 | パキスタン | 1987年02月05日 | 1980年代 | ジア大統領,カマリアの砂糖工場建設開始のセレモニーで,外国の投資家に対し,「彼らの投資を歓迎し,パで可能な全設備を供給するだけでなく,本国への利潤の送金の自由も保証する」と述べる。 |
DIA-304-1987-02-05-3 | パキスタン | 1987年02月05日 | 1980年代 | 北西辺境州(NWFP)で新しい内閣誕生。アルバブ・M・ジャハンギール・ハーン(留任)を首相に10人の閣僚をフィダ・M・ハーン州知事が任命。 |
DIA-304-1987-02-06-1 | パキスタン | 1987年02月06日 | 1980年代 | ハーン外相,シェワルナゼ・ソ連外相と会談,2月25日に開催予定のジュネーブ交渉について協議。 |
DIA-304-1987-02-07-1 | パキスタン | 1987年02月07日 | 1980年代 | ジュネージョ首相を議長とする全国経済諮問会議(NEC)の総合レポート発表。第6次5カ年計画の前半3年度の実績は目標以上であるが,国内資金の動員と国際収支の改善が必要であり,第7次5カ年計画はその改善を主要な目標とすべきである,と提言。 |
DIA-304-1987-02-08-1 | パキスタン | 1987年02月08日 | 1980年代 | ペシャーワルで爆弾テロ。警官含む3人死亡。 |
DIA-304-1987-02-08-2 | パキスタン | 1987年02月08日 | 1980年代 | カラチ市当局,自動車税徴収権限の州から市への移管を要求し,その実現のためには行進やデモも辞さない,との決議を州政府に提出。 |
DIA-304-1987-02-09-1 | パキスタン | 1987年02月09日 | 1980年代 | 800万ペイル近い史上最高の豊作を記録した綿花生産のため,綿繰り業者が過度の在庫を抱えて倒産の危機に瀕していると報道される(D,2/10)。 |
DIA-304-1987-02-09-2 | パキスタン | 1987年02月09日 | 1980年代 | 政府は44年間続いてきた小麦とアッタ-(小麦粉)の配給制を,不正が多く多額の補助金が無駄になっているとして,経済自由化の一貫で4月15日に廃止することを決定(小麦の自由な供給は3月15日に開始されたため,実質的には配給制は3月15日に廃止)。 |
DIA-304-1987-02-10-1 | パキスタン | 1987年02月10日 | 1980年代 | マフブーブ商業相は,アメリカとの繊維クオータは可能な最善のもので再交渉の余地はないと述べる。 |
DIA-304-1987-02-11-1 | パキスタン | 1987年02月11日 | 1980年代 | 印パ両国ラヴィ・チェナブ地帯より撤兵開始(~2月19日)。 |
DIA-304-1987-02-12-1 | パキスタン | 1987年02月12日 | 1980年代 | カラチ市長とその支持者たちは,自動車税の徴収権の移管と州知事の退陣を要求して,州議会へのデモを行なう。行進が乱れ暴力化したため,警察当局は催涙ガスを用いて集会を散会させ,市長以下101名を集会法違反で逮捕,市議会は停止される。 |
DIA-304-1987-02-14-1 | パキスタン | 1987年02月14日 | 1980年代 | 12日のカラチ市長逮捕事件に対しカラチ市政行動委員会はストライキを呼びかける。ジャマーテ・イスラーミー(JI)と全国人民党(NPP)は積極的支持を見せたものの,ANPとムハージル民族運動(MQM)はカラチ市内の混乱を増幅することを避けるために無視。カラチ市内は終日不穏な状況が続き35人が負傷,80人以上が逮捕。 |
DIA-304-1987-02-16-1 | パキスタン | 1987年02月16日 | 1980年代 | ヒントン駐パ米大使,「万一,パが核拡散防止条約に一方的に調印するか,完全な国際査察を受け入れるかすれば,援助でプラスの結果が得られよう」と発言して援助と核開発のリンクを表面に打ち出す。 |
DIA-304-1987-02-17-1 | パキスタン | 1987年02月17日 | 1980年代 | 綿糸輸出の急増により,国内供給が不足し始めた,と報道される(D,2/18)。 |
DIA-304-1987-02-18-1 | パキスタン | 1987年02月18日 | 1980年代 | ヒントン発言に対して,パ外務省スポークスマンは,「一方的調印は主権平等の原則に反する」と述べてヒントン発言の提案を拒否。 |
DIA-304-1987-02-19-1 | パキスタン | 1987年02月19日 | 1980年代 | ペシャーワルのアフガン難民事務所前でトラックに仕掛けられた爆弾が爆発。12人死亡。60人以上負傷。 |
DIA-304-1987-02-19-2 | パキスタン | 1987年02月19日 | 1980年代 | 綿糸需要者,APTMAによる綿糸輸出自主規制は働いていないとして,政府に綿糸供給への介入を要求。 |
DIA-304-1987-02-21-1 | パキスタン | 1987年02月21日 | 1980年代 | ジア大統領,クリケット観戦の名目でインドを非公式訪問(~22日)。ラジーブ・ガンディー首相と会談して両国関係改善を討議。 |
DIA-304-1987-02-23-1 | パキスタン | 1987年02月23日 | 1980年代 | ヤクーブ・ハーン外相は25日からのジュネーブ交渉に先だってモスクワを訪問,シェワルナゼ・ソ連外相と会談。 |
DIA-304-1987-02-24-1 | パキスタン | 1987年02月24日 | 1980年代 | JUP中央執行部,全政党会議開催のための行動を是認。会議の実現に向けて動きだす。 |
DIA-304-1987-02-25-1 | パキスタン | 1987年02月25日 | 1980年代 | ジュネーブで国連仲介によるアフガン問題間接交渉開始(~3月10日)。コルドヴェズ国連全権公使,アフガン問題解決のための逃してはならない歴史的機会だ,と述べる。 |
DIA-304-1987-02-26-1 | パキスタン | 1987年02月26日 | 1980年代 | アフガン国境近くの北ワジリスタン部族地域の町をアフガン軍のミグ戦闘機が爆撃,50人が死亡,200人が負傷と報道される(D,2/27)。 |
DIA-304-1987-02-27-1 | パキスタン | 1987年02月27日 | 1980年代 | クッラム部族地域の町をアフガン機爆撃,50人が死亡。ジュネーブで間接交渉に臨んでいるニサル・オスマーニ公使は「カーブルの行動はジュネーブ会談を危くするものだ」と激しく非難。アフガニスタン政府は一連のパの報道は根拠がなく,そのような爆撃はなされていない,と全面否定(D,2/28)。 |
DIA-304-1987-02-27-2 | パキスタン | 1987年02月27日 | 1980年代 | イスラマバードで第2次撤兵のための交渉,印パ両国外務次官の間で開始される。 |
DIA-304-1987-02-28-1 | パキスタン | 1987年02月28日 | 1980年代 | ジュネージョ首相,記者会見で,(1)最近のアフガン機の爆撃に対処するために防空強化を指示した,(2)ジュネーブ交渉は進展を見せていない,(3)空中早期警戒管制システム(AWACS)導入はこれらの状況を考慮して決定されよう,と発言。 |
DIA-304-1987-02-28-2 | パキスタン | 1987年02月28日 | 1980年代 | ILOのレポートによれば,1バレル当り15ドルの原油価格が続くならば今後5年間で中東のパキスタン人出稼ぎ労働者の数は31%減少すると見られる(D,3/1)。 |
DIA-304-1987-03-01-1 | パキスタン | 1987年03月01日 | 1980年代 | ロンドンの『オブザーバー』紙にクルディプ・ナヤールのパキスタンの原子力開発の父A・Q・ハーン博士とのインタビューが掲載され,そのなかで博士はパは原爆をすでに保有していると発言。博士は掲載内容を否定し,パの原子力開発が平和目的のためであることを強調。 |
DIA-304-1987-03-02-1 | パキスタン | 1987年03月02日 | 1980年代 | 印パ外務次官会談(イスラマバード,2月27日より3月2日)で第二次撤兵合意。印パ南方国境で3月17日までに平和時の位置に軍を引き上げることを決定。 |
DIA-304-1987-03-05-1 | パキスタン | 1987年03月05日 | 1980年代 | アメリカ下院で87年度以降の援助計画の討議開始。パに対するサイミントン条項の免除が焦点に。 |
DIA-304-1987-03-07-1 | パキスタン | 1987年03月07日 | 1980年代 | ジュネージョ首相,パ初のロケット発射プラントの開設演説で,これはパの軍需品自給化への前進であり,中国の技術協力のおかげである,と述べる。 |
DIA-304-1987-03-07-2 | パキスタン | 1987年03月07日 | 1980年代 | カラチのサダル地区で,市当局の指導で不法占拠追放運動始まる。 |
DIA-304-1987-03-10-1 | パキスタン | 1987年03月10日 | 1980年代 | ジュネーブ第7次アフガン間接交渉終了。従来の交渉でほぼまとまっていた内政不干渉,領土保全,難民の自主的帰還等では原則合意に至ったものの,ソ連軍の撤退時期で,アフガン側の4年以内とパ側の4カ月以内とで対立し,その差は1年以内にまで歩み寄ったとの報道もあったが合意に至らないまま決裂(D,3/11)。 |
DIA-304-1987-03-10-2 | パキスタン | 1987年03月10日 | 1980年代 | アメリカ国務省スポークスマン,「パとの緊密な安全保障関係を維持することこそが,パの原発開発への代替となる」と述べて,パへの経済・軍事援助を擁護。 |
DIA-304-1987-03-10-3 | パキスタン | 1987年03月10日 | 1980年代 | アスラム・ハッタク内務相,上院への答弁で昨年12月のカラチ暴動での死者は180人と報告。 |
DIA-304-1987-03-10-4 | パキスタン | 1987年03月10日 | 1980年代 | 全EC諸国がベッドシーツに輸入制限を課した(2月24日にイスラマバードに通知)ことを受けて,商業省輸出促進局(EPB)はベッドシーツの船積みを即刻禁止に。 |
DIA-304-1987-03-11-1 | パキスタン | 1987年03月11日 | 1980年代 | パ外務省スポークスマン,インドの防衛費の膨張に対して,「パはインドとの軍備拡大競争に加わるつもりはなく,インドのみが他国の脅威を理由に軍拡を行なっている。クルディプ・ナヤール事件も自国の防衛費増から国民の批判を反らすためのものだ」と非難。 |
DIA-304-1987-03-11-2 | パキスタン | 1987年03月11日 | 1980年代 | 訪パ中のトルコ国防相とパ蔵相ワットゥーとの間に,軍備産業での生産・技術協力の合意。訪パ中の北朝鮮貿易使節とパキスタンとの合同委員会で,水力発電所設立プロジェクトで北朝鮮が技術面,原材料供給面,建設面で協力する取り決めがなされる。 |
DIA-304-1987-03-12-1 | パキスタン | 1987年03月12日 | 1980年代 | 下院の会期日数を160日から130日に短縮することを中心とした第10次憲法改正案を下院採択(18日上院通過)。 |
DIA-304-1987-03-12-2 | パキスタン | 1987年03月12日 | 1980年代 | ハッタク内務相,下院の答弁で1986年の間の爆弾テロによる死者は合計151人と報告。 |
DIA-304-1987-03-15-1 | パキスタン | 1987年03月15日 | 1980年代 | ジュネージョ首相は,民主化されたパキスタンの現状から言って,野党と政府の対話は常に開かれており,特別の全政党会議は不必要,と述べる。 |
DIA-304-1987-03-17-1 | パキスタン | 1987年03月17日 | 1980年代 | ジュネージョ首相は,PMLの集会演説で,さきほど終了したジュネ-ブ交渉について,アフガン問題解決への糸口はつかめたとして楽観的見解を示す。首相はこの日,M・ファズルル・ラーマン,イスラーム・ウラマー党(JUI)党首と対談。 |
DIA-304-1987-03-17-2 | パキスタン | 1987年03月17日 | 1980年代 | インドのバンガロールでのクリケットの公式戦で初めてパキスタンチームがインドチームを破り,国民熱狂,ジア大統領も勝利を祝す。 |
DIA-304-1987-03-18-1 | パキスタン | 1987年03月18日 | 1980年代 | チャウシェスク・ルーマニア大統領,南アジア諸国歴訪の帰途カラチに立寄り,ジア大統領と会談。 |
DIA-304-1987-03-18-2 | パキスタン | 1987年03月18日 | 1980年代 | カラチのスルジャニ地区での不法占拠者撤去作戦をめぐり,移動による生活費上昇を不満とする占拠者と市当局の間で衝突。 |
DIA-304-1987-03-18-3 | パキスタン | 1987年03月18日 | 1980年代 | JIのガファール・アフマド教授主催の親睦会にピール・パガーラ,ジャトイNPP党首等多数の野党指導者が集まったが全政党会議については一致できず。参加政党はPPP,NPP,パキスタン民族党(PNP),TI,ANP,JUP,JUI,PML諸派,労農党(MKP)。 |
DIA-304-1987-03-20-1 | パキスタン | 1987年03月20日 | 1980年代 | ムガベ・ジンバブエ大統領来訪(~23日)。 |
DIA-304-1987-03-21-1 | パキスタン | 1987年03月21日 | 1980年代 | ジア大統領,パは原爆を製造する能力はあるが,あえてその製造の選択は放棄しており,製造の意図も希望もない,と発言。 |
DIA-304-1987-03-22-1 | パキスタン | 1987年03月22日 | 1980年代 | 台湾からの非公式経済通商使節,パキスタン綿花輸出公社(CECP)を訪れて,綿花輸入増に意欲を示す。 |
DIA-304-1987-03-23-1 | パキスタン | 1987年03月23日 | 1980年代 | 「パキスタン記念日」にラホール郊外で開催されたアフレ・ハディース党(JAH)青年部の大衆集会で爆弾テロ。PPPの党員を含む8人が即死。重傷のJAH書記長のアッラマ・E・E・ザヒールも30日死亡。 |
DIA-304-1987-03-23-2 | パキスタン | 1987年03月23日 | 1980年代 | 24日のBBCは,アフガン機の空襲で,主にアフガン難民122人が国境付近で死亡と報道(D,3/25)。 |
DIA-304-1987-03-24-1 | パキスタン | 1987年03月24日 | 1980年代 | 議会内野党グループ(POG)のリーダーのひとりであったサイフッラー,PMLに加盟。 |
DIA-304-1987-03-25-1 | パキスタン | 1987年03月25日 | 1980年代 | スリランカ首相プレマダーサ来訪(~29日),ジュネージョ首相と貿易や通信面での相互協力を討議。 |
DIA-304-1987-03-25-2 | パキスタン | 1987年03月25日 | 1980年代 | ブットPPP共同党首はアフガン機の空襲を非難するなかで表立ってジュネージョ首相を批判。また,F・ラーマンJUI党首のジュネージョ首相との対談はMRDへのJUIの忠誠を崩すものではないと弁護。 |
DIA-304-1987-03-25-3 | パキスタン | 1987年03月25日 | 1980年代 | MRD中央執行委員会はラーマンJUI党首の「全政党会議」構想を採択し彼にその企画を任せたが,JUP主催の全政党会議も否定はせず。 |
DIA-304-1987-03-25-4 | パキスタン | 1987年03月25日 | 1980年代 | APTMA会長ミアン・M・マンシャ,綿花生産が順調に増えていることから,綿糸生産へのボトルネックを除去するために,綿糸業を投資規制産業リストから外し,輸出上限を改めることなどを政府に要求。 |
DIA-304-1987-03-26-1 | パキスタン | 1987年03月26日 | 1980年代 | JUIの全政党会議構想に対し,JUP党首,なおも独自の全政党会議を呼びかけるが実現せず。 |
DIA-304-1987-03-26-2 | パキスタン | 1987年03月26日 | 1980年代 | 綿糸使用者協会,前日のAPTMAの発言に反発し,綿糸国内価格高騰をおさえるための輸出制限強化を主張。 |
DIA-304-1987-03-29-1 | パキスタン | 1987年03月29日 | 1980年代 | ジア大統領,内閣拡大を行ない,連邦大臣では,24日にPMLに加盟したサイフッラーなど3名,国務大臣では9名が新たに入閣した(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1987-03-30-1 | パキスタン | 1987年03月30日 | 1980年代 | パキスタン空軍は領空侵犯のアフガン空軍機を撃墜したと発表。 |
DIA-304-1987-03-31-1 | パキスタン | 1987年03月31日 | 1980年代 | 新たな経済自由化措置として,設立に認可を要するプロジェクトの規模を3億ルピーから5億ルピーに上げ,1984年産業政策表明(『アジア・中東動向年報』1985年版参照)中の投資規制産業から綿紡績業が削除された。さらに11産業の削除についても原則的に決定された。 |
DIA-304-1987-03-31-2 | パキスタン | 1987年03月31日 | 1980年代 | アフガニスタン政府,30日にパ空軍に撃墜されたのは民間旅客機であり,40人が死亡したとして,パキスタン政府を非難。 |
DIA-304-1987-04-01-1 | パキスタン | 1987年04月01日 | 1980年代 | パ外務省スポークスマンは撃墜されたアフガン機は偵察装置や爆撃装置を備えた軍用機であったと述べて,アフガン側の主張を全面否定。 |
DIA-304-1987-04-01-2 | パキスタン | 1987年04月01日 | 1980年代 | 中国加工進出口総公司カラチに駐在員事務所を設置。 |
DIA-304-1987-04-02-1 | パキスタン | 1987年04月02日 | 1980年代 | 上院補欠選挙でPML系の候補が当選。 |
DIA-304-1987-04-04-1 | パキスタン | 1987年04月04日 | 1980年代 | ズルフィカール・ブット前首相死去8周年を迎えて,PPPを中心に各地で式典と集会。 |
DIA-304-1987-04-05-1 | パキスタン | 1987年04月05日 | 1980年代 | ジュネージョ首相,10日間のヨーロッパ訪問に出発。最初の訪問地ロンドンに到着。 |
DIA-304-1987-04-06-1 | パキスタン | 1987年04月06日 | 1980年代 | ロンドンでジュネージョ首相,サッチャー英首相とアフガン問題とパキスタンの核政策について会談。 |
DIA-304-1987-04-06-2 | パキスタン | 1987年04月06日 | 1980年代 | イスラマバードで第4回国際産業博覧会開催。ジア大統領は開会の演説で,貿易赤字の解消を目指した経済政策の大枠を提示。 |
DIA-304-1987-04-06-3 | パキスタン | 1987年04月06日 | 1980年代 | ヌーラーニー国務相(外務担当),「パはアメリカの援助計画で,いかなる差別的待遇も受け入れられない。平和目的のみに原子力を利用しているからサイミントン条項の免除の短期化は不当でありパへの信頼を損なうであろう」と発言。 |
DIA-304-1987-04-07-1 | パキスタン | 1987年04月07日 | 1980年代 | バングラデシュ訪問中のワットゥー蔵相,バの食料不足に対応して米の緊急売却を約束。 |
DIA-304-1987-04-07-2 | パキスタン | 1987年04月07日 | 1980年代 | ファイサラバードで繊維関連産業の指導者が,政府に対しAPTMAの輸出規制無視を黙認し続けるならばストを行なうと警告。 |
DIA-304-1987-04-08-1 | パキスタン | 1987年04月08日 | 1980年代 | アーザード・カシミールを訪問中のジア大統領,平和的・政治的手段でのカシミール問題への取組を強調,民間部門主導での工業化のカシミールでの推進のためカセットテープ工場設立を検討していると発表。 |
DIA-304-1987-04-08-2 | パキスタン | 1987年04月08日 | 1980年代 | カラチにアメリカ海軍第7艦隊寄港。 |
DIA-304-1987-04-08-3 | パキスタン | 1987年04月08日 | 1980年代 | APTMAは,綿糸輸出規制の廃止を要求。 |
DIA-304-1987-04-09-1 | パキスタン | 1987年04月09日 | 1980年代 | ラーワルピンディーの繁華街で自動車に仕掛けられた爆弾爆発。14名死亡し,50名以上が負傷。 |
DIA-304-1987-04-09-2 | パキスタン | 1987年04月09日 | 1980年代 | カラチへの第7艦隊寄港にPNPなど諸野党が抗議。 |
DIA-304-1987-04-09-3 | パキスタン | 1987年04月09日 | 1980年代 | マフブーブ計画・商業相,記者会見で,経済自由化の次段階について述べ,金融制約の除去のため民間部門での商業銀行設置を検討していると発表。 |
DIA-304-1987-04-09-4 | パキスタン | 1987年04月09日 | 1980年代 | ソウルで韓国・パキスタン両国の経済・科学技術・工業面での相互協力推進のための会議開始される。パ側の代表団はワットゥー蔵相等9名。 |
DIA-304-1987-04-10-1 | パキスタン | 1987年04月10日 | 1980年代 | アメリカ下院外務委員会,パへの40.2億ドルの援助を含む援助法案を通過させる。 |
DIA-304-1987-04-13-1 | パキスタン | 1987年04月13日 | 1980年代 | ジュネージョ首相,第2の訪問地であるブリュッセルに到着,EEC執行委員会と会談して経済協力,パ製品への輸入割り当て等の問題を話し合う。 |
DIA-304-1987-04-15-1 | パキスタン | 1987年04月15日 | 1980年代 | ブリュッセルでマフブーブ計画・商業相はEECが現在の輸入規制をパキスタンに対して続けるならば,パはEECからの機械輸入停止で報復するだろうと警告し,ジュネージョ首相も同調した。 |
DIA-304-1987-04-15-2 | パキスタン | 1987年04月15日 | 1980年代 | 国境地帯で58日間続いたケシ撲滅作戦終了,製品価格で220億ドルにのぼる量のケシが処理されたと発表。 |
DIA-304-1987-04-16-1 | パキスタン | 1987年04月16日 | 1980年代 | インド人女性ジャーナリストとのインタビューでのミアン・トゥファイルJI議長の発言が女性を侮蔑したとして全パキスタン女性協会(APWA)やPPPを中心に各地で抗議行動起こる。 |
DIA-304-1987-04-16-2 | パキスタン | 1987年04月16日 | 1980年代 | ワットゥー蔵相,バングラデシュ,韓国との合弁会社設立や貿易拡張等の経済協力合意を発表。 |
DIA-304-1987-04-18-1 | パキスタン | 1987年04月18日 | 1980年代 | カラチ北部で民族暴動が起り,6名が死亡,50名以上が負傷した。NPPのジャトイはこの背景には,市当局の不法占拠追い立て作戦があるとして当局を非難。 |
DIA-304-1987-04-19-1 | パキスタン | 1987年04月19日 | 1980年代 | ジア大統領,国会で,軍と政治家の相互尊重と理解の必要性を訴え,軍の役割を高く評価する発言。 |
DIA-304-1987-04-19-2 | パキスタン | 1987年04月19日 | 1980年代 | 日本政府,パへの39.8億円の援助を決定。 |
DIA-304-1987-04-24-1 | パキスタン | 1987年04月24日 | 1980年代 | アメリカ上院外交委員会で,援助法案通過。 |
DIA-304-1987-04-24-2 | パキスタン | 1987年04月24日 | 1980年代 | カラチのスルジャニ地区の不法占拠者,26日に撤去することで市当局と合意。 |
DIA-304-1987-04-24-3 | パキスタン | 1987年04月24日 | 1980年代 | ワットゥー蔵相ADB総会に出席のため大阪へ出発。 |
DIA-304-1987-04-25-1 | パキスタン | 1987年04月25日 | 1980年代 | 印パ第2次撤兵完了。 |
DIA-304-1987-04-25-2 | パキスタン | 1987年04月25日 | 1980年代 | 情報筋が伝えたところでは,政府は,未登録政党に対しもう一度登録するチャンスを与えるが,ここで登録しない政党は選挙参加への資格を失うと発言(この時点で登録しているのは,JI,TI,JUP,NPPなどすべてMRD外の24政党である,D,4/26)。 |
DIA-304-1987-04-26-1 | パキスタン | 1987年04月26日 | 1980年代 | シンド州内閣拡大,6人の新しい閣僚加わる。 |
DIA-304-1987-04-26-2 | パキスタン | 1987年04月26日 | 1980年代 | カラチ,スルジャニ地区からの不法占拠者の撤去,平穏に始まる(27日完了)。 |
DIA-304-1987-04-27-1 | パキスタン | 1987年04月27日 | 1980年代 | マフブーブ商業相はアメリカより帰国しての記者会見で,アメリカに対し繊維輸入規制合意の改善を申し入れたこと,国連でパキスタンの経済発展が高く評価されたことを述べる。 |
DIA-304-1987-04-28-1 | パキスタン | 1987年04月28日 | 1980年代 | ジュネージョ首相はレーガン大統領に書簡を送って,アメリカの法律を改正してパへのAWACSの借入を可能にするように要請したと『ニューヨークタイムズ』紙が報道。 |
DIA-304-1987-04-29-1 | パキスタン | 1987年04月29日 | 1980年代 | BBCは,アフガン軍のミサイルにより,パ空軍のF16が撃墜されたと報道したが,パ側はコメントせず。 |
DIA-304-1987-05-01-1 | パキスタン | 1987年05月01日 | 1980年代 | 各地でメーデーの催し。MRDの行進は禁止される。ブット女史,労働組合活動の自由化を訴える。 |
DIA-304-1987-05-03-1 | パキスタン | 1987年05月03日 | 1980年代 | 繊維関連産業は,マフブーブ商業相やシュジャート工業相との対話を行ない,綿糸の価格と輸出量の有効なコントロールを政府に要求し,この日に予定していた抗議ストをとりあえず中止した。 |
DIA-304-1987-05-03-2 | パキスタン | 1987年05月03日 | 1980年代 | POGのファクル・イマーム,4月19日のジア発言に反発し,軍の役割の相対的な低下,首相権限強化のための憲法改正を要求。 |
DIA-304-1987-05-03-3 | パキスタン | 1987年05月03日 | 1980年代 | シンド医科大,41日間の閉鎖から平常活動に。 |
DIA-304-1987-05-04-1 | パキスタン | 1987年05月04日 | 1980年代 | 北ワジリスタン政府直轄部族地域(アフガンとの国境地域)のモスクで爆弾テロ,7人死亡。 |
DIA-304-1987-05-05-1 | パキスタン | 1987年05月05日 | 1980年代 | 仏外相J・レイモンド,イスラマバードに到着,ヌーラーニー国務相(外務)やサッタル外務次官と対談し,仏製ウラン再利用プラントの補償問題を検討。 |
DIA-304-1987-05-07-1 | パキスタン | 1987年05月07日 | 1980年代 | レイモンド仏外相,ジア大統領とジュネージョ首相と対談,パの原発への援助の条件として,核拡散防止条約(NPT)調印は要求しないが,国際原子力機関(IAEA)の安全監視官の受入れを要求。 |
DIA-304-1987-05-07-2 | パキスタン | 1987年05月07日 | 1980年代 | クエッタの近くのダルワザにバルチスタン北部では最初のセメント工場が操業を開始。 |
DIA-304-1987-05-08-1 | パキスタン | 1987年05月08日 | 1980年代 | TI党首アスガル・ハーン,アメリカからのAWACSやF16等の供与は真の国防力という点で危険であるとして政府を批判。 |
DIA-304-1987-05-09-1 | パキスタン | 1987年05月09日 | 1980年代 | パンジャーブで続いている雨のため,小麦の収穫に被害が出始める。 |
DIA-304-1987-05-10-1 | パキスタン | 1987年05月10日 | 1980年代 | 選挙管理委員会,選挙人名簿の更新作業を,満21歳以上を対象に開始(73年憲法では満18歳以上となっており野党はこれにのっとった総選挙を要求しているが,同憲法には1回目の総選挙はとりあえず21歳で行なうとあって,これによって政府側は正当化している)。 |
DIA-304-1987-05-10-2 | パキスタン | 1987年05月10日 | 1980年代 | APTMA,繊維関連業協会と商業省・工業省との会談の結果,暫定的に5,6月の綿糸輸出枠が決定されたが,関連業協会は,この程度の枠では綿糸価格は下がらないとして不満を表明。 |
DIA-304-1987-05-12-1 | パキスタン | 1987年05月12日 | 1980年代 | パキスタン民主党(PDP)のムシュタク・ミルザとNPP党首のジャトイ,JUP党首ヌーラーニーの間で野党会談が行なわれる。 |
DIA-304-1987-05-13-1 | パキスタン | 1987年05月13日 | 1980年代 | マフブーブ計画相,第7次5カ年計画(1988/89~92/93年)の基本方針を発表。4大目標として雇用拡大・貧困追放・人的資源開発・輸出促進が挙げられた。 |
DIA-304-1987-05-13-2 | パキスタン | 1987年05月13日 | 1980年代 | 国防次官イジュラル・M・ザイディ,イギリス・アメリカ訪問に出発,AWACS問題を米と討議。 |
DIA-304-1987-05-13-3 | パキスタン | 1987年05月13日 | 1980年代 | POGのファクルはDawn 紙とのインタビューで議会内野党と議会外野党の協力の必要を訴える。 |
DIA-304-1987-05-14-1 | パキスタン | 1987年05月14日 | 1980年代 | ペシャーワルで連続爆弾テロがバス停を中心に発生,7人死亡,42人負傷。 |
DIA-304-1987-05-16-1 | パキスタン | 1987年05月16日 | 1980年代 | ガンディー首相,パへのAWACS供与の動きについて,地域のバランスを崩すとしてアメリカに警告。 |
DIA-304-1987-05-16-2 | パキスタン | 1987年05月16日 | 1980年代 | ヤクーブ・ハーン外相,AWACS供与と援助問題討議のためにアメリカに出発。 |
DIA-304-1987-05-18-1 | パキスタン | 1987年05月18日 | 1980年代 | アーザード・カシミールのPPPは地方選への参加を独自に表明。 |
DIA-304-1987-05-19-1 | パキスタン | 1987年05月19日 | 1980年代 | ジュネージョ首相,16日のガンディー発言を,インドの内政の失敗を印パ関係に転化していると批判。 |
DIA-304-1987-05-21-1 | パキスタン | 1987年05月21日 | 1980年代 | アメリカ下院外務小委員会は,パへのAWACSの貸し出しの法的・政治的困難を考慮し,代案として,アメリカ保有のAWACSによるサービスの売却案をパに対し打ち出す。 |
DIA-304-1987-05-21-2 | パキスタン | 1987年05月21日 | 1980年代 | 全国経済諮問会議,86/87年度の経済実績をレビューして,成長率は目標を超えそうだが,小麦への雨の被害,海外出稼ぎ者送金の減少,失業者,財政赤字拡大等の問題が悪化していると報告。 |
DIA-304-1987-05-23-1 | パキスタン | 1987年05月23日 | 1980年代 | ヤクーブ・ハーン外相,全会談を終えて帰国の途に着く。アメリカ政府の反応は好意的であったと発言。 |
DIA-304-1987-05-23-2 | パキスタン | 1987年05月23日 | 1980年代 | ジア大統領,ウムラ(聖地訪問)を行なうためにサウジアラビアのジェッダに出発(25日帰国)。 |
DIA-304-1987-05-23-3 | パキスタン | 1987年05月23日 | 1980年代 | ブットPPP共同党首,ジャトイNPP党首のPPP単独登録説を否定し,逆に,ジャトイの企画している全政党会議はMRDを無力化させるための陰謀だと非難。 |
DIA-304-1987-05-24-1 | パキスタン | 1987年05月24日 | 1980年代 | EECはベッドシーツのパからの輸入拡大(量で年率6.5%増)に合意。 |
DIA-304-1987-05-24-2 | パキスタン | 1987年05月24日 | 1980年代 | シュジャート工業相,工業部品国内生産化推進のため国産化率アップを義務付ける方針を発表。 |
DIA-304-1987-05-24-3 | パキスタン | 1987年05月24日 | 1980年代 | ジャトイ,前日のブットの発言に反発し,NPPはMRDを崩そうと言う意図はなく,むしろ最近のPPPの方がMRDの活動に消極的だ,と非難。 |
DIA-304-1987-05-26-1 | パキスタン | 1987年05月26日 | 1980年代 | ヒントン駐パ米大使,任期終了を前に,Dawn 紙とのインタビューでヒントン発言の真意やAWACS供与の重要性について語る。 |
DIA-304-1987-05-27-1 | パキスタン | 1987年05月27日 | 1980年代 | アメリカ国防相はパへの60台の長距離野砲の供与決定を発表。 |
DIA-304-1987-05-27-2 | パキスタン | 1987年05月27日 | 1980年代 | インドのメーラトを中心に起こった宗派暴動でのムスリム虐殺に対して,パ国内の野党や宗教勢力から激しい非難がなされる。 |
DIA-304-1987-05-30-1 | パキスタン | 1987年05月30日 | 1980年代 | パ政府は正式にアメリカに対しAWACSの売却を求める文書を発送。 |
DIA-304-1987-05-31-1 | パキスタン | 1987年05月31日 | 1980年代 | ジュネージョ首相,インドのムスリム虐殺に関して感情的行動に走らないよう国民に呼びかける。 |
DIA-304-1987-06-01-1 | パキスタン | 1987年06月01日 | 1980年代 | APTMA,綿糸への輸出税課税の動きに反対を表明。 |
DIA-304-1987-06-02-1 | パキスタン | 1987年06月02日 | 1980年代 | 1986/87年度経済白書公表。 |
DIA-304-1987-06-02-2 | パキスタン | 1987年06月02日 | 1980年代 | 地方自治・農村開発相アンワール・アジーズ・チョードゥリー,汚職のため解任,当ポストは首相が兼務に。 |
DIA-304-1987-06-03-1 | パキスタン | 1987年06月03日 | 1980年代 | ペシャーワルの映画館で爆弾テロ,2人死亡。 |
DIA-304-1987-06-04-1 | パキスタン | 1987年06月04日 | 1980年代 | 1987/88年度予算案をワットゥー蔵相,国会に上程。23日下院通過(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1987-06-05-1 | パキスタン | 1987年06月05日 | 1980年代 | ワットゥー蔵相,予算案についての記者会見を行ない,国防税導入等による課税強化と公共料金の値上げで財政赤字を少しでも縮小することが必須であると強調。この予算案に対し貧しい者に対して厳しい最悪のものだとしてカラチ市内等で反予算案デモが発生。 |
DIA-304-1987-06-06-1 | パキスタン | 1987年06月06日 | 1980年代 | マフブーブ計画相は記者会見で,年次開発計画の資金調達には国内貯蓄率の引き上げが必要であり,それには農業部門への課税も不可欠である,と述べ,閣僚で初めて農業所得税導入への意欲を明らかにした。 |
DIA-304-1987-06-06-2 | パキスタン | 1987年06月06日 | 1980年代 | この日も各地で反予算案デモ続き,NPPのジャトイは政府予算に対抗して社会民主主義的平等に基づく独自の社会経済計画の青写真を発表。 |
DIA-304-1987-06-07-1 | パキスタン | 1987年06月07日 | 1980年代 | 予算案発表後,売惜しみによる価格の上昇が特に豆類,乳製品,セメントで見られることが報道される(D,6/8)。 |
DIA-304-1987-06-09-1 | パキスタン | 1987年06月09日 | 1980年代 | 予算をめぐる混乱で停止していた議会討議が再開され,防衛費の圧縮,繊維工業への特別課税,燃料油値上げ幅圧縮等が議論されるが,農業所得税は完全に議論から除外される。 |
DIA-304-1987-06-11-1 | パキスタン | 1987年06月11日 | 1980年代 | PPPとPOGの夕食会がファクル(POG)の主催で開かれる。POG側は両グループは1973年憲法の復活,総選挙の早期実施等で共通の目的が多いと主張していたが,PPPのブット女史はこの会合は社会的なもので政治的意味はないと述べて参加,会合の結果相互理解深化への期待が表明されたが,現国会議員の正当性に関して歩み寄りは見られず。 |
DIA-304-1987-06-12-1 | パキスタン | 1987年06月12日 | 1980年代 | ジュネージョ首相,国会で国防税の撤回を表明。税逃れの摘発,綿糸輸出税(キロ当たり5ルピー)の付加,外国旅行税新設,輸入ライセンス料の引き上げ,政府公用車の小型化等により,原予算案中の150億ルピー分の新税をとりやめて約100億ルピー縮小した修正予算案を上程。 |
DIA-304-1987-06-13-1 | パキスタン | 1987年06月13日 | 1980年代 | 12日の国防税撤回に対して財界や各業界はおおむね好意的反応を示す。綿糸輸出税をAPTMAは厳しい処置と受け取めたが,繊維関連業界は綿糸価格を下げるには不充分な処置であると評価。 |
DIA-304-1987-06-15-1 | パキスタン | 1987年06月15日 | 1980年代 | ワットゥー蔵相,原予算案はパの経済的現実を反映していたが,修正予算案は政治的現実によると発言。 |
DIA-304-1987-06-15-2 | パキスタン | 1987年06月15日 | 1980年代 | 政府の小型車使用への転換によって小型車価格が10%前後上昇(D,6/17)。 |
DIA-304-1987-06-16-1 | パキスタン | 1987年06月16日 | 1980年代 | マフブーブ商業相,APTMAに対し,信用状(L/C)の操作によって輸出税逃れをしないように警告し,6月12日以前の契約分への輸出税免除も9月30日までとする方針を発表。 |
DIA-304-1987-06-18-1 | パキスタン | 1987年06月18日 | 1980年代 | ニュー・デリーでSAARC外相会談始まる。出席したヤクーブ・ハーン外相は核拡散防止のための対話を訴える。 |
DIA-304-1987-06-19-1 | パキスタン | 1987年06月19日 | 1980年代 | カラチでMRD主要政党党首会談が開かれ,PPP-POG会談をめぐりMRD関係者の国会議員との接触の是非が特に争点になる。他に組織の問題や地方選への参加でも意見分かれる。 |
DIA-304-1987-06-20-1 | パキスタン | 1987年06月20日 | 1980年代 | バシル・ハーン国務相(生産担当)修正予算案発表後の小型車値上がりを受けて,パック・スズキ社の800cc車の生産拡大を発表。 |
DIA-304-1987-06-20-2 | パキスタン | 1987年06月20日 | 1980年代 | 動織機業者協会は綿糸価格の上昇は続いており動織機の80%が閉鎖していると訴える。 |
DIA-304-1987-06-20-3 | パキスタン | 1987年06月20日 | 1980年代 | MRDは党首会談で,具体的な社会経済プログラムを盛りこんだ綱領改正を決定し,プログラムの詳細はANPのパリージョ等7人の委員に託したことを発表。 |
DIA-304-1987-06-20-4 | パキスタン | 1987年06月20日 | 1980年代 | パンジャーブで,PPPとして初の党役員選挙が実施されたが,投票箱の強奪など暴力化,PPPの政治的未成熟を露見させる。 |
DIA-304-1987-06-20-5 | パキスタン | 1987年06月20日 | 1980年代 | TI党首アスガル・ハーンはJUI主催の全政党会議に参加しないことを発表。さらに,MRDはその全体としての役割を失っており,TIはMRDに賛同するつもりはない,と発言。 |
DIA-304-1987-06-21-1 | パキスタン | 1987年06月21日 | 1980年代 | 趙紫陽中国首相訪パ(~24日)。 |
DIA-304-1987-06-21-2 | パキスタン | 1987年06月21日 | 1980年代 | 動織機の労働者と所有者は,綿糸価格上昇に抗議しての大行進をファイサラバードで実施。 |
DIA-304-1987-06-21-3 | パキスタン | 1987年06月21日 | 1980年代 | MRD中央執行委員会,カラチでの討議を終了。全政党会議の推進をJUIに任せること,地方選への参加は選管の実施要項発表後に決めること,等を発表。 |
DIA-304-1987-06-22-1 | パキスタン | 1987年06月22日 | 1980年代 | 趙・ジュネージョ会談の結果,アフガンからのソ連軍即時撤退の要求,パへの中国の2100万ドルの無利子貸し付け,両国貿易の拡大で合意。 |
DIA-304-1987-06-22-2 | パキスタン | 1987年06月22日 | 1980年代 | 修正予算案の詳細が発表される。 |
DIA-304-1987-06-23-1 | パキスタン | 1987年06月23日 | 1980年代 | 下院,修正予算案を通す(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1987-06-23-2 | パキスタン | 1987年06月23日 | 1980年代 | バローチ連邦食糧相はパンジャーブの雨による小麦の被害は8%と発表。 |
DIA-304-1987-06-24-1 | パキスタン | 1987年06月24日 | 1980年代 | マフブーブ計画・商業相,APTMAに対し綿糸輸出上限を守るように厳重に注意。APTMAは5月の輸出については上限を守ったとして需要者側の主張に反論。 |
DIA-304-1987-06-25-1 | パキスタン | 1987年06月25日 | 1980年代 | ブリュッセルでベルギーとパキスタンは経済開発協力で合意。 |
DIA-304-1987-06-27-1 | パキスタン | 1987年06月27日 | 1980年代 | POGの指導者のファクル・イマーム等は28日夜に予定の動織機労働者の行進を指導すると発表。靴下・ベッドシーツ・タオル製造業協会もこのストへの支持を表明。 |
DIA-304-1987-06-28-1 | パキスタン | 1987年06月28日 | 1980年代 | ジア大統領,クエッタで,(1)外交政策は成功しつつあり,AWACSの獲得,ソ連軍撤兵は実現しよう,(2)中間選挙を行なうつもりはない,(3)パにはパキスタン人という一つの民族がいるだけである。(4)政府はバルチスタンの開発に最優先順位を置いている,と発言。 |
DIA-304-1987-06-28-2 | パキスタン | 1987年06月28日 | 1980年代 | シュジャート工業相,綿糸価格を政府が厳正にコントロールすることを表明,この日予定のストを小規模にとどめる。 |
DIA-304-1987-06-29-1 | パキスタン | 1987年06月29日 | 1980年代 | マフブーブ計画・商業相,1987/88~89/90の3年間の通商政策を発表(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1987-07-02-1 | パキスタン | 1987年07月02日 | 1980年代 | レーガン政府は17.9億ドル軍事援助パッケージの一部として,対戦車ミサイル2400台等の供与を発表。 |
DIA-304-1987-07-03-1 | パキスタン | 1987年07月03日 | 1980年代 | ジュネージョ首相,タール地区(シンド州)の旱魃地域に対して2500万ルピーの援助を表明。 |
DIA-304-1987-07-05-1 | パキスタン | 1987年07月05日 | 1980年代 | MRDの主催で,1977年に戒厳令のしかれた日であるこの日,「抗議の日」を各地で実行。 |
DIA-304-1987-07-05-2 | パキスタン | 1987年07月05日 | 1980年代 | ラホールの鉄道駅と周辺のタクシー乗り場,バス停で,連続3件の爆弾テロ。1人死亡,50人以上が負傷。 |
DIA-304-1987-07-05-3 | パキスタン | 1987年07月05日 | 1980年代 | 駐パ日本大使,ビン・カシム水力発電所建設,テレックス拡張,港湾整備,用水運河修復の四つのプロジェクトへの2.35億ドルの援助を約束。 |
DIA-304-1987-07-08-1 | パキスタン | 1987年07月08日 | 1980年代 | クエッタで親ホメイニ派とみられる武装テログループが,市内の亡命イラン人住居を襲い4人を殺害。 |
DIA-304-1987-07-08-2 | パキスタン | 1987年07月08日 | 1980年代 | ファズルル・ラーマンJUI党首はブットPPP共同党首と会談し,全政党会議の構想を煮つめる。会議には政党だけでなく,他の政治指導者や知識人も招いて,全国民的包囲網をジア大統領に対して作りたい,と述べる。 |
DIA-304-1987-07-09-1 | パキスタン | 1987年07月09日 | 1980年代 | ナディール・ペルヴェズ国務相(内務),綿糸需要者との会合で,もし綿糸の国内価格が適正水準に下がらない場合,輸出上限を月1500万kgから1000万kgに減らし,輸出税をキロ当り5ルピーから15ルピーに増やす,と綿糸業者に警告。 |
DIA-304-1987-07-10-1 | パキスタン | 1987年07月10日 | 1980年代 | ウラン濃縮機器に使われる特殊鋼をパキスタン系カナダ人,アルシャド・ペルヴェズがパへ違法輸出しようとした,として,アメリカで逮捕される。 |
DIA-304-1987-07-11-1 | パキスタン | 1987年07月11日 | 1980年代 | ジュネージョ首相,1週間の予定で日本,韓国訪問の途につく。 |
DIA-304-1987-07-13-1 | パキスタン | 1987年07月13日 | 1980年代 | ジア大統領,ハッジ見送りの後の記者会見で,「憲法の第9次改正が通ればよりイスラム化が進展しよう。そのうえでシャリーア成立に向けてコンセンサスを国民の間に作りたい」と発言。 |
DIA-304-1987-07-13-2 | パキスタン | 1987年07月13日 | 1980年代 | ジュネージョ首相,東京で中曾根首相と会談,日パ間の貿易,援助拡大で合意。 |
DIA-304-1987-07-14-1 | パキスタン | 1987年07月14日 | 1980年代 | カラチの繁華街サダル地区で4件の連続爆弾テロが発生し,67名の死者,200名以上の負傷者を出す。カラチ治安当局は,事件は外国破壊分子の手による,との声明を発表。 |
DIA-304-1987-07-15-1 | パキスタン | 1987年07月15日 | 1980年代 | ジア大統領,カラチでの記者会見で,「このテロはアフガン問題でのパの態度に深く関連しており,この種の外国破壊分子には毅然と立ち向かわねばならない」と述べて,間接的にカーブルとモスクワを非難。京都訪問中であったジュネージョ首相,韓国訪問を取り止めて,急遽帰国の途に。 |
DIA-304-1987-07-15-2 | パキスタン | 1987年07月15日 | 1980年代 | 米下院議員ステファン・ソラーズは下院で,ペルヴェズ事件を根拠に,パへのアメリカ援助の即時停止を主張。 |
DIA-304-1987-07-16-1 | パキスタン | 1987年07月16日 | 1980年代 | ジュネージョ首相,日本より帰国してのインタビューで,アフガニスタンとインドを名指しで,爆弾テロへの関与の可能性を示唆。MRDは,最近のテロの原因は外交政策の失敗にあるとして,爆弾事件抗議のストを呼び掛け,各地で抗議行動起こる。 |
DIA-304-1987-07-16-2 | パキスタン | 1987年07月16日 | 1980年代 | パ外務省スポークスマンは,米下院でのペルヴェズ事件でのパへの問責に対し,「パ政府ならびにその代理機関はこの事件になんの関与もしておらず,このような言い掛かりはパへのアメリカの援助を妨害しようという陰謀である」と発言。 |
DIA-304-1987-07-18-1 | パキスタン | 1987年07月18日 | 1980年代 | 北イエメンから帰国途中のエルシャド・バングラデシュ大統領は,カラチでジア大統領と会見。 |
DIA-304-1987-07-18-2 | パキスタン | 1987年07月18日 | 1980年代 | カラチのシャー・ファイサル・コロニーでムハージルとパンジャービー衝突,2人死亡。衝突に関与した警察隊の発砲により,民族暴動が反警察暴動に転化(21日の記事も参照)。 |
DIA-304-1987-07-19-1 | パキスタン | 1987年07月19日 | 1980年代 | ジア大統領,アーザード・カシミール訪問(~22日)。カシミール問題の解決のために,すべての政治的・平和的手段をとる,と発言。 |
DIA-304-1987-07-21-1 | パキスタン | 1987年07月21日 | 1980年代 | カラチのランディー地区で,反警察暴動。警官2人が殺害され,警察側の報復行動でさらに混乱。Herald 誌8月号によれば,一連の反警察暴動で民間の22人が死亡,200人負傷,警官5人が死亡。 |
DIA-304-1987-07-21-2 | パキスタン | 1987年07月21日 | 1980年代 | インド外務省スポークスマンは,カシミールでのジア大統領発言に対し,当地での緊張をあおるものと非難。 |
DIA-304-1987-07-24-1 | パキスタン | 1987年07月24日 | 1980年代 | カラチのリアカットバード地区で再び反警察暴動。26日まで暴動は続き,計7人が死亡。 |
DIA-304-1987-07-24-2 | パキスタン | 1987年07月24日 | 1980年代 | シンド州政府は,州での産業開発,特に州内後進地域での農業基盤工業の開発を進めるためにシンド工鉱業開発公社の設立を発表。シンド砂糖公社はここに吸収。 |
DIA-304-1987-07-26-1 | パキスタン | 1987年07月26日 | 1980年代 | ジア大統領,BBCとのインタビューで,最近のパでのテロの原因として,(1)パはイスラム化政策を進めており,平和精神を持つイスラムの浸透を喜ばない勢力がいること,(2)300万人ものアフガン難民がいること,(3)国内政治危機を,特定の政党が扇っていること,の三つを上げる。 |
DIA-304-1987-07-27-1 | パキスタン | 1987年07月27日 | 1980年代 | JUI,全政党会議を8月16日にラホールで開催すると発表。 |
DIA-304-1987-07-27-2 | パキスタン | 1987年07月27日 | 1980年代 | ブットPPP共同党首,26日のジアの発言に対し,テロの多発は治安当局のまずい対応がその一因にあり,反イスラム勢力や一部の政党に原因を帰せるのは見当ちがいだ,と反論。 |
DIA-304-1987-07-27-3 | パキスタン | 1987年07月27日 | 1980年代 | 中央政府直轄部族地域のクッラムで部族間抗争が激化,ロケットミサイルや対空砲も使われた結果,数十人が死亡した模様(86名死亡の説もあり)。 |
DIA-304-1987-07-28-1 | パキスタン | 1987年07月28日 | 1980年代 | 連邦政府,内閣改造(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1987-07-29-1 | パキスタン | 1987年07月29日 | 1980年代 | ブットPPP共同党首,シンドANP党首の息子で実業家のアシフ・A・ザルダーリーとの婚約発表。 |
DIA-304-1987-07-30-1 | パキスタン | 1987年07月30日 | 1980年代 | アメリカ下院海外特別支出小委員会,パへの87/88年度の援助について,額は6.87億ドル全額認めるが,ペルヴェズ事件の検討のために10月1日から105日間の援助停止期間をおくことを提言。 |
DIA-304-1987-08-01-1 | パキスタン | 1987年08月01日 | 1980年代 | マウラナ・ラーマンJUI党首,全政党会議について発言。現政権の退陣と1973年憲法下での政党ベースの総選挙実施を綱領に,幅広い政党の参加を訴える。 |
DIA-304-1987-08-02-1 | パキスタン | 1987年08月02日 | 1980年代 | アメリカのアーマコスト国務次官来訪。ヤクーブ・ハーン外相と,パの核開発,米議会での対パ援助停止問題等について会談。 |
DIA-304-1987-08-03-1 | パキスタン | 1987年08月03日 | 1980年代 | パンジャーブ州内閣総辞職。 |
DIA-304-1987-08-03-2 | パキスタン | 1987年08月03日 | 1980年代 | パキスタン商工会議所連盟の使節団,ソ連より帰国。二国間貿易の拡大,合弁企業設立等の合意を発表。 |
DIA-304-1987-08-06-1 | パキスタン | 1987年08月06日 | 1980年代 | ブットPPP共同党首,1カ月間にわたる訪欧を終えて帰国。 |
DIA-304-1987-08-10-1 | パキスタン | 1987年08月10日 | 1980年代 | 全国的なモンスーン到来の遅れによる,秋作への被害の可能性が,気象専門家より発表される。 |
DIA-304-1987-08-10-2 | パキスタン | 1987年08月10日 | 1980年代 | ラレカ国務相(労働担当),労働力輸出促進のために,斡旋許可証の発行を再開しその有効期限を延ばすこと,中東や欧州での市場開拓のための調査団派遣を発表。 |
DIA-304-1987-08-11-1 | パキスタン | 1987年08月11日 | 1980年代 | マルダーン市中央のバス停で爆弾テロ。17人前後の死者と50人以上の負傷者。 |
DIA-304-1987-08-11-2 | パキスタン | 1987年08月11日 | 1980年代 | パンジャーブ州新内閣,ナワーズ・シャリーフ(留任)を首相にして成立。 |
DIA-304-1987-08-11-3 | パキスタン | 1987年08月11日 | 1980年代 | ブットPPP共同党首,全政党会議への個人的不参加を表明。PPPからは他の代表が参加すると発表。 |
DIA-304-1987-08-12-1 | パキスタン | 1987年08月12日 | 1980年代 | JUP,全政党会議への不参加発表。TIに次いで二つめの主要野党の不参加。 |
DIA-304-1987-08-15-1 | パキスタン | 1987年08月15日 | 1980年代 | BBC,印パ国境のシアチェン地区で両軍衝突を報道。ここ数週間で双方合わせて90名の死者。 |
DIA-304-1987-08-16-1 | パキスタン | 1987年08月16日 | 1980年代 | ラホールで全政党会議開催。参加主要政党は,JUI,PNP,PDP,NPP,パキスタン社会党,JAH等。オブザーバーとして参加したPPPとANPは,ジャトイNPP党首の広範な同盟を呼び掛ける発言に対して,MRDを崩壊させようとするものだとして反目を強める。 |
DIA-304-1987-08-20-1 | パキスタン | 1987年08月20日 | 1980年代 | 国会で,パ政府はアメリカに対しグワーダルに軍事通信基地建設を認めようとしているという情報の真偽が問われる。22日に公式には否定されたが,インド側の報道もあって疑惑は継続。 |
DIA-304-1987-08-22-1 | パキスタン | 1987年08月22日 | 1980年代 | アメリカ議会での対パ援助停止の動きに対して,ジュネージョ首相は援助の停止は開発計画に影響しないと強気の発言を行なう。 |
DIA-304-1987-08-24-1 | パキスタン | 1987年08月24日 | 1980年代 | 繊維輸出クオータの分配方針がむこう4年間について発表される。徐々に付加価値ベースの分配に重点を移すことにより輸出品の付加価値を上げていく戦略に基づく。 |
DIA-304-1987-08-25-1 | パキスタン | 1987年08月25日 | 1980年代 | ソ連副外相,9月のアフガン問題間接交渉でソ連軍撤兵時期が決定されようとの見通しを述べる。 |
DIA-304-1987-08-25-2 | パキスタン | 1987年08月25日 | 1980年代 | 訪パ中の鈴木自動車社長とジュネージョ首相の間で,パック・スズキの生産拡大が合意される。 |
DIA-304-1987-08-26-1 | パキスタン | 1987年08月26日 | 1980年代 | カラチのファイサラバード地区で再びムハージルとパシュトゥーンの間で衝突が起こり暴動化。11人死亡,70人負傷。翌27日には更に暴動がリアカットバード地区にも拡がり,新たに13人死亡,50人負傷。 |
DIA-304-1987-08-26-2 | パキスタン | 1987年08月26日 | 1980年代 | D・I・ハーンのバス停で爆弾テロ。2人死亡,5人負傷。 |
DIA-304-1987-08-29-1 | パキスタン | 1987年08月29日 | 1980年代 | アスガル・ハーンTI党首,アフガン問題討議のために,陸路カーブル入り(9月3日帰国)。 |
DIA-304-1987-09-01-1 | パキスタン | 1987年09月01日 | 1980年代 | ヤクーブ・ハーン外相,インドに対して南アジア不戦条約の一部としての核拡散防止条約調印を提示。 |
DIA-304-1987-09-01-2 | パキスタン | 1987年09月01日 | 1980年代 | 商業団体の試算では,7,8月のカラチの騒動による工業生産損失は約30億ルピーであると発表される。 |
DIA-304-1987-09-02-1 | パキスタン | 1987年09月02日 | 1980年代 | 設立に許可のいる規制産業リストから,さらに11業種(セメント,砂糖,肥料,軍事用電子機器,重機,基幹化学,石油化学,輸送機器等)が外される。 |
DIA-304-1987-09-03-1 | パキスタン | 1987年09月03日 | 1980年代 | アスガル・ハーンTI党首,アフガニスタンより帰国。ナジブッラー書記長らとの会談によって,カーブル政府のソ連軍撤兵への積極的姿勢,およびムスリムへの宗教の自由の保証を確認したことを発表。 |
DIA-304-1987-09-07-1 | パキスタン | 1987年09月07日 | 1980年代 | ジュネーブで国連主催のアフガン間接交渉が再開。パからはヤクーブ・ハーン外相,ヌーラーニー国務省(外務担当)が出席したが,3月の交渉内容の確認で終わり,双方から新たな提案は出ず。 |
DIA-304-1987-09-08-1 | パキスタン | 1987年09月08日 | 1980年代 | ラホールで,国境での密輸・密出入国防止のための印パ会談が始まる。 |
DIA-304-1987-09-10-1 | パキスタン | 1987年09月10日 | 1980年代 | ラホールの青果市場で爆弾テロ。2名死亡,40名負傷。 |
DIA-304-1987-09-10-2 | パキスタン | 1987年09月10日 | 1980年代 | ジュネーブ間接交渉,ソ連軍撤兵時期で合意できぬまま終了。 |
DIA-304-1987-09-10-3 | パキスタン | 1987年09月10日 | 1980年代 | 東京の鈴木自動車,パック・スズキ社の製造計画を発表。88年1月よりカラチ工場で年6000台のペースで新たに1000ccクラスの生産が開始され,ビン・カシムの新工場は89年より操業開始となる。これらの拡張により鈴木自動車の出資割合は12.5%から25%に増加。 |
DIA-304-1987-09-12-1 | パキスタン | 1987年09月12日 | 1980年代 | アフガン国境付近のクッラム部族地域で爆弾テロ。7人死亡,8人負傷。 |
DIA-304-1987-09-12-2 | パキスタン | 1987年09月12日 | 1980年代 | 1週間の訪欧を終えて帰国したマフブーブ計画・商業相,その成果として,スウェーデンの対パ援助国会議復帰と援助拡大・貿易拡大を発表。 |
DIA-304-1987-09-15-1 | パキスタン | 1987年09月15日 | 1980年代 | ラホール市内で,所得税法改正に反対するストが広範に行なわれる。 |
DIA-304-1987-09-16-1 | パキスタン | 1987年09月16日 | 1980年代 | ペシャーワル市内で爆弾テロ。アフガンゲリラ組織の中心である,アフガニスタン・イスラム党の党首,G・ヒクマトヤールが軽傷を負ったほか,13人死亡,約40人負傷。 |
DIA-304-1987-09-16-2 | パキスタン | 1987年09月16日 | 1980年代 | ペルヴェズ事件でパ側の特殊鋼輸入元とされたラホールのマルティナショナル社のS・M・ザファル,アメリカでの取調べを終えて帰国。事件は捏造されたものであり,アメリカでのインド工作活動によると主張。 |
DIA-304-1987-09-17-1 | パキスタン | 1987年09月17日 | 1980年代 | カラチ市内で爆弾テロ。2名死亡,4名負傷。 |
DIA-304-1987-09-17-2 | パキスタン | 1987年09月17日 | 1980年代 | ミアン・チャンヌーでの国会下院補欠選挙でPML系の候補が,PPP系の候補を80%の得票率で破る。 |
DIA-304-1987-09-18-1 | パキスタン | 1987年09月18日 | 1980年代 | ミアン・チャンヌー選挙について,パンジャーブPPPは党としての関与を否定。MRD内の他党からPPPへの批判が相次ぐ。 |
DIA-304-1987-09-19-1 | パキスタン | 1987年09月19日 | 1980年代 | ラーワルピンディーのバス停で爆弾テロ。5人死亡,22人負傷。同時にイスラマバードでも爆弾テロ未遂事件発生。 |
DIA-304-1987-09-21-1 | パキスタン | 1987年09月21日 | 1980年代 | 国連総会出席のため訪米中のジュネージョ首相,レーガン大統領と会談し,パの核開発が平和目的のみであることを強調。 |
DIA-304-1987-09-23-1 | パキスタン | 1987年09月23日 | 1980年代 | 総額100億ルピーにわたる新輸出税が発表される。綿花とバスマティ米への輸出税賦課と,綿糸輸出税倍増がその内容で,特にAPTMAは強く反発。 |
DIA-304-1987-09-24-1 | パキスタン | 1987年09月24日 | 1980年代 | ジュネージョ首相国連総会で演説。そのなかでカーブル政府のアフガン問題解決への消極的態度に失望を表明する。 |
DIA-304-1987-09-25-1 | パキスタン | 1987年09月25日 | 1980年代 | ジュネージョ首相,『ニューヨークタイムズ』とのインタビューで,ソ連軍撤兵後のアフガニスタンへの国連平和維持軍駐屯を非公式に提案したと述べる。 |
DIA-304-1987-09-26-1 | パキスタン | 1987年09月26日 | 1980年代 | ブットPPP共同党首,11月末に予想される地方自治体選挙への選挙運動をパンジャーブで開始。ラホールでミアン・チャンヌー選挙への党の関与を強く否定。 |
DIA-304-1987-09-29-1 | パキスタン | 1987年09月29日 | 1980年代 | BBCは,シアチェン氷河地区で印パ両軍が衝突し,数日の間にパ側に150人の死者が出ているとインド国防省が発表したと報道。パ側は翌日,衝突はインドの挑発によるもので,両軍に犠牲が出ているが数は不明とコメント。 |
DIA-304-1987-09-29-2 | パキスタン | 1987年09月29日 | 1980年代 | ジア大統領,記者会見で,パの民主化は順調に進んでおり,戒厳令をもう一度施行することはありえないと公式に表明。 |
DIA-304-1987-09-29-3 | パキスタン | 1987年09月29日 | 1980年代 | マフブーブ商業相,綿糸輸出税倍増の背景を説明。国内綿糸消費産業への配慮,および,APTMAの輸出クオータ管理での不正を挙げる。 |
DIA-304-1987-10-01-1 | パキスタン | 1987年10月01日 | 1980年代 | アメリカ上院は10月1日からの対パ援助を手続き的理由からとりあえず6週間停止することを決定。 |
DIA-304-1987-10-01-2 | パキスタン | 1987年10月01日 | 1980年代 | PPP中央書記長は,来る地方自治体選挙について,党として参加はしないが,民主的精神を持った人物の参加をバックアップすることを表明。 |
DIA-304-1987-10-01-3 | パキスタン | 1987年10月01日 | 1980年代 | R・N・マフムード国務相(国防担当),パキスタン軍はシアチェン氷河地区で9月24日,25日のインド軍の襲撃を防いで国境を守り,その結果,シアチェン地区の紛争は平静化したと発表。 |
DIA-304-1987-10-02-1 | パキスタン | 1987年10月02日 | 1980年代 | ビゼンジョPNP党首はMRD政党の地方選参加決定権限はMRDのみが有するから,MRDの一員であるPPPの1日の発表を一方的だと非難。 |
DIA-304-1987-10-03-1 | パキスタン | 1987年10月03日 | 1980年代 | ジア大統領,ヨルダン,トルコ訪問に出発(13日帰国)。 |
DIA-304-1987-10-05-1 | パキスタン | 1987年10月05日 | 1980年代 | 小企業家や家内工業への融資上限枠拡大を中心とした小企業融資公社法改正案が国会通過。 |
DIA-304-1987-10-06-1 | パキスタン | 1987年10月06日 | 1980年代 | チトラールで捕えられたソ連軍武装ヘリの6人の乗組員,両国友好の証としてソ連大使館に引き渡される。 |
DIA-304-1987-10-07-1 | パキスタン | 1987年10月07日 | 1980年代 | シンド州政府は,総額84億ルピーの長期的乾燥地域開発計画を発表,海外の援助資金を求めて,連邦政府に計画を提出。 |
DIA-304-1987-10-09-1 | パキスタン | 1987年10月09日 | 1980年代 | ヤクーブ・ハーン外相,UNESCO事務総長への立候補を断念(11月1日参照)。 |
DIA-304-1987-10-09-2 | パキスタン | 1987年10月09日 | 1980年代 | ジュネージョ首相,タール地区救済基金の設立を宣言。旱魃救済のための小麦等の必需品の無償配布を開始。 |
DIA-304-1987-10-11-1 | パキスタン | 1987年10月11日 | 1980年代 | インドのガンディー首相は『ニューヨーク・タイムズ』との記者会見で,パキスタンからの印パ両国による核兵器放棄条約提案を拒否し,アメリカ議会の対パ援助停止を歓迎する発言を行なう。 |
DIA-304-1987-10-12-1 | パキスタン | 1987年10月12日 | 1980年代 | 政府,財界やバーザール商人からの反対の強かった6月の所得税改正を撤回することに原則合意したと発表。14日にその内容が発表され,年収5万ルピー以下の小商人への会計検査が免除された。 |
DIA-304-1987-10-15-1 | パキスタン | 1987年10月15日 | 1980年代 | ワットゥー蔵相,6月4日以降のすべての所得税法改正の撤回を国会で宣言。また,9月のジュネージョ首相訪米についての成果は大であり,アメリカ援助の停止は予算成立上の問題にすぎないからパは87/88年度の開発計画を変更する必要はないと答弁。 |
DIA-304-1987-10-15-2 | パキスタン | 1987年10月15日 | 1980年代 | JIの新しい議長にNWFP出身の上院議員カージー・フサイン・アフマドが選出される。15年間当職を続けた,ミアン・トゥファイルは健康上の理由で引退。 |
DIA-304-1987-10-16-1 | パキスタン | 1987年10月16日 | 1980年代 | ANPの党首にワリー・ハーン再選。 |
DIA-304-1987-10-16-2 | パキスタン | 1987年10月16日 | 1980年代 | 元連邦相のミール・ザファルッラー・ハーン・ジャマーリー,PMLに入党。 |
DIA-304-1987-10-18-1 | パキスタン | 1987年10月18日 | 1980年代 | ジュネージョ首相,非公式会見で,シアチェン問題の発端はインドの一方的行動にありパはどこも攻撃していないと述べてインド側の報道を否定し,インド軍が1970年の位置まで戻ることを要求した。 |
DIA-304-1987-10-20-1 | パキスタン | 1987年10月20日 | 1980年代 | シンド州のモロ付近でバスと列車の衝突事故。 35人死亡,50人負傷。 |
DIA-304-1987-10-20-2 | パキスタン | 1987年10月20日 | 1980年代 | アメリカCIAは,イランのペルシャ湾内艦船攻撃で,アメリカがアフガン・ゲリラに供与したスティンガー・ミサイルが使われたことを発表。イラン国境でのイラン軍との衝突でゲリラから奪取された武器が転用されたとの見解を示す(D,10/21)。 |
DIA-304-1987-10-21-1 | パキスタン | 1987年10月21日 | 1980年代 | ジア大統領訪タイ(~24日)。 |
DIA-304-1987-10-22-1 | パキスタン | 1987年10月22日 | 1980年代 | ジア大統領,バンコクのチュラーロンコーン大学より名誉博士号を受ける。軍事独裁者への博士号授与に対するタイ国内の抗議の声に対し,「自分は独裁者ではなく,国民から選出された大統領である」と発言。 |
DIA-304-1987-10-22-2 | パキスタン | 1987年10月22日 | 1980年代 | ブットPPP共同党首,NWFPで選挙運動開始。 |
DIA-304-1987-10-22-3 | パキスタン | 1987年10月22日 | 1980年代 | ジャマーリーのPML加入(16日)に続いて,PPPやTI内の政治家のPML加入あいつぐ。 |
DIA-304-1987-10-23-1 | パキスタン | 1987年10月23日 | 1980年代 | ペシャーワルで爆弾テロ。5人死亡,18人負傷。 |
DIA-304-1987-10-24-1 | パキスタン | 1987年10月24日 | 1980年代 | ジア大統領,帰国後の記者会見で,「パは対印関係正常化の努力を続けているが,ガンディー首相の方は,アメリカで対パ援助停止工作をするなど正常化の努力をしていない」と非難。 |
DIA-304-1987-10-24-2 | パキスタン | 1987年10月24日 | 1980年代 | ブットPPP共同党首は,MRDの崩壊を防ぐためには,MRD参加政党の平等というこれまでの原則を捨てて,PPP,ANP,JUIの3党に,より大きな力を与える組織に変えることが必要であると表明。MRD内の小党より激しい非難を受ける。 |
DIA-304-1987-10-25-1 | パキスタン | 1987年10月25日 | 1980年代 | ブットPPP共同党首は24日のジアのインドへの「平和攻勢」発言を非難。「自国軍兵士に犠牲者が出ているこの時期になぜ平和攻勢か,真の愛国者たれ」と述べて,ジア批判をシアチェン問題にしぼる。 |
DIA-304-1987-10-26-1 | パキスタン | 1987年10月26日 | 1980年代 | イスラマバードで開かれていたOIC主催金融セミナー終了。OIC書記長S・S・ピルザーダー,イスラム諸国の経済協力推進によって西側世界への経済的従属を減らすことの必要性と,そのための「イスラム共同市場」構想の有用性を訴える。 |
DIA-304-1987-10-27-1 | パキスタン | 1987年10月27日 | 1980年代 | 他州に先立って,アーザード・ジャンムー・カシミールで地方自治体選挙が行なわれる。主要4州とは違ってここでは政党ベースで選挙が行なわれ,県議会,主要市の市議会ともに,与党の全ジャンムー・カシミール・ムスリム会議が圧勝。 |
DIA-304-1987-10-27-2 | パキスタン | 1987年10月27日 | 1980年代 | PMLも地方選運動に本腰を入れ始める。この日のイスラマバードでのPML集会でジュネージョ首相,破壊分子への迅速な司法処理,政治の民主化の促進を公約。 |
DIA-304-1987-10-27-3 | パキスタン | 1987年10月27日 | 1980年代 | カラチにマスラフ・ファイサル・イスラーミー銀行の支店オープン。同銀行の属するイスラム金融(DMI)グループは1.2億ドルの援助を約束。 |
DIA-304-1987-10-28-1 | パキスタン | 1987年10月28日 | 1980年代 | 綿糸輸出税に関して,既発行の信用状(L/C)への免税措置が発表される。 |
DIA-304-1987-10-30-1 | パキスタン | 1987年10月30日 | 1980年代 | 国連で,パが13年前から出している南アジア非核構想に対し,バングラデシュが共同提案者となることを表明(同構想に反対しているのは南アジア7カ国中インドとブータン)。 |
DIA-304-1987-10-31-1 | パキスタン | 1987年10月31日 | 1980年代 | MQMの呼び掛けに応じてハイダラバードやカラチでムハージルのデモやハルタルが行なわれ,カラチでは暴動化して2人死亡者が出る。 |
DIA-304-1987-10-31-2 | パキスタン | 1987年10月31日 | 1980年代 | ブットPPP共同党首,MRDに対する党の関係については再考の余地は少ないと述べて,MRDとの訣別を示唆した。一方,来る地方選は,大衆の支持のテストというよりは自党の訓練のいい機会と促えていることを明らかにする。 |
DIA-304-1987-10-31-3 | パキスタン | 1987年10月31日 | 1980年代 | ワシントンでの米パ繊維交渉は合意できぬまま終了。 |
DIA-304-1987-11-01-1 | パキスタン | 1987年11月01日 | 1980年代 | ヤクーブ・ハーン外相,UNESCO事務総長選断念に関して国内の批判を受けて辞任。 |
DIA-304-1987-11-01-2 | パキスタン | 1987年11月01日 | 1980年代 | ジュネージョ首相,2カ国訪問に出発(2~4日,ネパールのカトマンドゥでSAARC首脳会議に出席,5~7日,マレーシア)。 |
DIA-304-1987-11-02-1 | パキスタン | 1987年11月02日 | 1980年代 | 訪パ中の世銀総裁,政府高官や連邦相と会談し,パキスタンの財政赤字と内外の債務の削減を強く要求。また全国税制改革委員会(NTRC)報告にそって租税体系を改革するよう勧告。 |
DIA-304-1987-11-03-1 | パキスタン | 1987年11月03日 | 1980年代 | ANPは地方自治体選挙への不参加を表明。 |
DIA-304-1987-11-04-1 | パキスタン | 1987年11月04日 | 1980年代 | SAARC首脳会議終了。南北対話の復活,開発融資のための国際会議の早期実現,先進国の貿易の自由化を求める声明を発表。また,テロ防止地域協力条約と南アジア食糧安全備蓄協定が調印される。 |
DIA-304-1987-11-04-2 | パキスタン | 1987年11月04日 | 1980年代 | シンド政府,カラチ市政を四つの地域市政評議会に分割し,それぞれの委員を市民が来る地方自治体選挙で選出するという改革を発表。 |
DIA-304-1987-11-08-1 | パキスタン | 1987年11月08日 | 1980年代 | ワットゥー蔵相,中パ合同経済委員会に出席のため,北京訪問(~11日)。電子・機械・農産物加工・繊維の分野でのパの輸出加工区における合弁プロジェクトの潜在的可能性が大きいことを強調。 |
DIA-304-1987-11-08-2 | パキスタン | 1987年11月08日 | 1980年代 | カラチでパキスタン綿製縫製品製造者輸出業者協会の主催で,パキスタン最初の既製服フェアーが開かれ,1億ルピー近くの輸出注文を受ける。 |
DIA-304-1987-11-10-1 | パキスタン | 1987年11月10日 | 1980年代 | 国連総会で,アフガニスタンからのソ連軍の早期撤退を求める決議が123対19というこれまでで最大の差で可決される。 |
DIA-304-1987-11-10-2 | パキスタン | 1987年11月10日 | 1980年代 | 9日のAPTMA総会で選出されたアフタブ・アフマッド新会長,紡績拡張のための一層の自由化を主張。 |
DIA-304-1987-11-11-1 | パキスタン | 1987年11月11日 | 1980年代 | 駐パ・ソ連大使,10日の国連決議に関して,ソ連は政治的解決のための努力を続けているが,それに適した状況がまだ生まれていないと述べる。また,パキスタン国内の爆弾テロへのソ連の関与を強く否定。 |
DIA-304-1987-11-12-1 | パキスタン | 1987年11月12日 | 1980年代 | マフブーブ商業相は,87/88年度に入っての順調な輸出増について語り,年度輸出目標42億ドルは達成できようとの見通しを述べる。 |
DIA-304-1987-11-15-1 | パキスタン | 1987年11月15日 | 1980年代 | 駐米パキスタン大使は,パキスタンが原爆級の濃縮ウランを製造している信頼できる報告があるとのグレン米上院議員の発言に対し,同国の核開発はあくまで平和的なものである,と表明。 |
DIA-304-1987-11-15-2 | パキスタン | 1987年11月15日 | 1980年代 | 訪パ中のベルギー経済使節団との間で,農業機械・医療機具等での技術協力に関する協定が調印される。 |
DIA-304-1987-11-16-1 | パキスタン | 1987年11月16日 | 1980年代 | ジュネージョ首相,バルチスタン州のフズダール工科大開校式に出席。88年2月から授業の始まる同大学は同州で最初の工科大学となる。 |
DIA-304-1987-11-19-1 | パキスタン | 1987年11月19日 | 1980年代 | アフガン軍の国境地帯の爆撃・砲撃により6人死亡,20人負傷。 |
DIA-304-1987-11-19-2 | パキスタン | 1987年11月19日 | 1980年代 | カラチでMRD首脳会議開催。地方自治体選挙にMRDとして直接的に参加はしないことを確認。大政党により強い権限をというPPPの最近の立場への批判が集中。翌20日,PPPの意向を無視するかたちで,MRD参加9政党の平等が再確認された。 |
DIA-304-1987-11-21-1 | パキスタン | 1987年11月21日 | 1980年代 | ジア大統領は,もはや,スラーム法に不適合の法は一つもないと述べて,立法面でのイスラーム化の完了を宣言。 |
DIA-304-1987-11-21-2 | パキスタン | 1987年11月21日 | 1980年代 | アメリカからの援助は,議会審議の都合でさらに6週間停止されることが決定。 |
DIA-304-1987-11-23-1 | パキスタン | 1987年11月23日 | 1980年代 | ワルトハイム・オーストリア大統領来訪(~25日)。翌24日ジュネージョ首相と会談し,アフガン問題の早期解決で合意。 |
DIA-304-1987-11-24-1 | パキスタン | 1987年11月24日 | 1980年代 | コルドベス国連事務次長はアフガン問題解決のために来年早々に開かれる間接交渉が最後のものになるであろうとの見通しを表明。 |
DIA-304-1987-11-26-1 | パキスタン | 1987年11月26日 | 1980年代 | MQM中央執行部は,地方自治体選挙を前に,ムハージルの権利を守るための25項目決議文書を公表。 |
DIA-304-1987-11-26-2 | パキスタン | 1987年11月26日 | 1980年代 | 外務省スポークスマンは,11月上旬の印パ外務次官会談の結果,パキスタンが反対していたジェルム川への堰堤建設をインドが停止したと発表。 |
DIA-304-1987-11-26-3 | パキスタン | 1987年11月26日 | 1980年代 | マフブーブ商業・計画相はAPTMAとの会談で,クエッタのパキスタン・イラン合弁繊維工場(操業停止中)を民間部門に売却する計画があると発言。 |
DIA-304-1987-11-28-1 | パキスタン | 1987年11月28日 | 1980年代 | ガンディー・インド首相は,パキスタンが核開発を進めるならばインドも核開発を躊躇しないと発言。 |
DIA-304-1987-11-28-2 | パキスタン | 1987年11月28日 | 1980年代 | 訪パ中のアメリカ国会議員団のチャールズ・ウィルソン議員,パへのアメリカの援助の再開を約束。 |
DIA-304-1987-11-30-1 | パキスタン | 1987年11月30日 | 1980年代 | 全国で地方自治体選挙が高い投票率で行なわれる。約4万5000の議席が16万7000人の候補者によって争われた(無投票当選議席数は約1万2000)。与党PML系候補はパンジャブ農村部を中心に圧勝,野党ではPPPやイスラーム諸政党が振わなかったのに対し,MQMがカラチとハイダラバードで圧勝した。 |
DIA-304-1987-12-01-1 | パキスタン | 1987年12月01日 | 1980年代 | ジュネージョ首相,中東訪問に出発(1~4日サウジ・アラビア,4~7日アラブ首長国連邦,7~9日クウェート)。空港での記者会見で11月末のサウジからの約1万人のパキスタン軍兵士帰国の問題に触れ,これはサウジでの駐屯契約期間が終了したためであり,新たな駐屯の協定を結ぶ予定はないと述べる。 |
DIA-304-1987-12-01-2 | パキスタン | 1987年12月01日 | 1980年代 | 国連総会で,パキスタンとバングラデシュ共同提案の南アジア非核構想が114対3(白紙36)で採択。反対はインド,ブータン,モーリシャス。 |
DIA-304-1987-12-01-3 | パキスタン | 1987年12月01日 | 1980年代 | マフブーブ商業相,ジュネーブで開催中のGATT総会で,繊維製品の貿易自由化が議題で後回しにされていることに対し,先進国と一部の有利な輸出割当を得ている途上国の陰謀であると非難。 |
DIA-304-1987-12-01-4 | パキスタン | 1987年12月01日 | 1980年代 | インドに密入国しようとしたパキスタン人6人がインド沿岸警備隊によって射殺される。 |
DIA-304-1987-12-02-1 | パキスタン | 1987年12月02日 | 1980年代 | 地方自治体選挙結果に対し,各野党が不正選挙であるとの批判を強める。 |
DIA-304-1987-12-03-1 | パキスタン | 1987年12月03日 | 1980年代 | 米上院歳出委員会で対パ援助法案の審議が行なわれ,「南アジアにおいてはある国が兵器級のウラン濃縮あるいはプルトニウム保有をしておりそのことが他のもう一方の国における同様の物質の製造継続の原因となっている場合には,大統領権限によって援助を続けることができる」として対パ援助再開の道が開かれた。 |
DIA-304-1987-12-05-1 | パキスタン | 1987年12月05日 | 1980年代 | ガンディー・インド首相,3日の米議会の審議内容に対し,「平和利用に限られているインドの核開発が軍事的なパキスタンのそれと等置されるのはおかしい」と不満を表明。 |
DIA-304-1987-12-06-1 | パキスタン | 1987年12月06日 | 1980年代 | ジュネージョ首相が訪問中のアブダビでパキスタン・アラブ首長国連邦合同閣僚会議が開かれ,合弁の投資機関設立で合意。 |
DIA-304-1987-12-07-1 | パキスタン | 1987年12月07日 | 1980年代 | NPP,TI,PNPの3党は,地方自治体選挙での協力を土台に,1990年に予定の総選挙で選挙同盟を組むことで基本的に合意。 |
DIA-304-1987-12-09-1 | パキスタン | 1987年12月09日 | 1980年代 | 「永遠のシンド運動」(JSM)の創始者G・M・サイエド,治安維持条例違反で逮捕。シンド民族主義諸政党・グループの抗議行動起こる。 |
DIA-304-1987-12-10-1 | パキスタン | 1987年12月10日 | 1980年代 | ワシントンでの米ソ首脳会談,アフガン問題で具体的な成果を出せぬまま終了。 |
DIA-304-1987-12-11-1 | パキスタン | 1987年12月11日 | 1980年代 | 米上院はパキスタンへの6年間40.2億ドルの援助パッケージの初年度分を認可。大統領権限によって,パキスタンがその核開発施設の非軍事性を立証することなしに援助を再開することを決定(17日参照)。 |
DIA-304-1987-12-12-1 | パキスタン | 1987年12月12日 | 1980年代 | 中央銀行1986/87年度年次報告書発表(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1987-12-14-1 | パキスタン | 1987年12月14日 | 1980年代 | ジュネージョ首相,法曹協会との会談で民主主義の進展に対する政党の役割を高く評価し,初めて公式の場で,1990年総選挙を政党ベースで行なうことを表明。 |
DIA-304-1987-12-17-1 | パキスタン | 1987年12月17日 | 1980年代 | アメリカ上下両院合同委員会で,上院と下院二つの対パ援助法案の調整が行なわれ,パキスタンへのサイミントン条項(核兵器開発の疑いのある国への援助を禁止した条項)免除期間は2年半に,88年度援助額は軍事援助が2.6億ドル,経済援助が2.2億ドルに決定された。 |
DIA-304-1987-12-18-1 | パキスタン | 1987年12月18日 | 1980年代 | ブットPPP共同党首とアシフ・アリー・ザルダーリーの結婚式,カラチで他の野党指導者も招いて盛大に行なわれる。 |
DIA-304-1987-12-18-2 | パキスタン | 1987年12月18日 | 1980年代 | アメリカでウラン濃縮機器用特殊鋼不法輸出の疑いで逮捕されたパキスタン系カナダ人ペルヴェズの有罪確定。 |
DIA-304-1987-12-20-1 | パキスタン | 1987年12月20日 | 1980年代 | アジア開発銀行(ADB)は,第3次開発融資として3億ドルの貸付を承認。 |
DIA-304-1987-12-22-1 | パキスタン | 1987年12月22日 | 1980年代 | サレハ・北イエメン大統領来訪(~24日)。 |
DIA-304-1987-12-23-1 | パキスタン | 1987年12月23日 | 1980年代 | ヌーラーニー国務相(外務担当),11月1日辞任のヤクーブ・ハーンの後任として連邦外務相に昇格。 |
DIA-304-1987-12-24-1 | パキスタン | 1987年12月24日 | 1980年代 | 地方自治体の婦人・労働者保留議席の選挙(間接選挙)が27日にかけて実施。 |
DIA-304-1987-12-24-2 | パキスタン | 1987年12月24日 | 1980年代 | パンジャーブ州首相,同州の地方自治体におけるPMLの議席獲得率は,選挙後の無所属当選者の加入のために,80%に達したと述べる。同相によればPPPの議席獲得率は14%に減少。 |
DIA-304-1987-12-26-1 | パキスタン | 1987年12月26日 | 1980年代 | イスラマバード市内の商店街で連続3件の爆弾テロ発生。1人死亡,34人負傷。首都では始めての爆弾テロの犠牲者である。 |
DIA-304-1987-12-27-1 | パキスタン | 1987年12月27日 | 1980年代 | ソ連軍のアフガニスタン侵攻8周年を迎えたこの日,パキスタン各地で反ソ行動が起こる。ジア大統領は,ソ連軍撤退とアフガン難民帰国という従来のアフガン問題への対応の原則に変わりはないことを強調。 |
DIA-304-1987-12-28-1 | パキスタン | 1987年12月28日 | 1980年代 | アーザード・ジャンムー・カシミールのラワルコット市が野党連合の反政府デモによる治安の悪化を理由に軍の統制下におかれる。 |
DIA-304-1987-12-31-1 | パキスタン | 1987年12月31日 | 1980年代 | カラチ市政中央評議会が,11月30日選出の地域評議会メンバーのなかから選出され,MQMが単独過半数を確保。 |
DIA-304-1988-01-04-1 | パキスタン | 1988年01月04日 | 1980年代 | アーマコスト・アメリカ国務次官,来訪(~6日)。アフガニスタン問題等についてA・サッタル・パキスタン外務次官と協議し,さらにジア・ウル・ハック大統領と会談。 |
DIA-304-1988-01-04-2 | パキスタン | 1988年01月04日 | 1980年代 | ラホール市長選で,パキスタン・ムスリム連盟(PML)のミアーン・アズハル,パキスタン人民党(PPP)候補に大勝。 |
DIA-304-1988-01-05-1 | パキスタン | 1988年01月05日 | 1980年代 | 内閣経済調整委員会(ECC),87年の旱魃の被害を検討し,小麦150万㌧,メーズ20万㌧の輸入を決定,88年春作作付拡大の方針を明らかにする。また,綿糸輸出税をキロ当り10ルピーから輸出価格の17.5%に変更することを決定。 |
DIA-304-1988-01-05-2 | パキスタン | 1988年01月05日 | 1980年代 | カラチ市政中央評議会の保留議席選挙が行なわれ,ムハージル民族運動(MQM)が10議席中7議席をとり,全体77議席のうち45議席の過半数を確保。 |
DIA-304-1988-01-05-3 | パキスタン | 1988年01月05日 | 1980年代 | パンジャーブ州でのアフガン難民が急増していると報道される(D,1/6)。現在二つのキャンプに18万人が存在するが,月1000人から2000人のペースで増えており,新たなキャンプの必要もあるという。 |
DIA-304-1988-01-07-1 | パキスタン | 1988年01月07日 | 1980年代 | アーザード・ジャンムー・カシュミール(AJK)で,野党の現州政権退陣要求が活発化。この日ムザッファラバードの牢獄を野党が急襲し反体制運動指導者を釈放したほか,数百人がハンストに入る。 |
DIA-304-1988-01-07-2 | パキスタン | 1988年01月07日 | 1980年代 | シュルツ米国務長官「ソ連軍撤退が現実化し,モスクワがカーブル政権支援をやめるならばアフガニスタン反政府ゲリラへの援助をアメリカはやめる」と発言。 |
DIA-304-1988-01-07-3 | パキスタン | 1988年01月07日 | 1980年代 | 政府,HMLジーメンスにクエッタとラールカーナーでの石炭火力発電所設置を許可。民間部門で最初の発電所許可となる。 |
DIA-304-1988-01-08-1 | パキスタン | 1988年01月08日 | 1980年代 | ラーワルピンディーで,PPPなど9党からなる民主回復運動(MRD)の党首会談開始(~10日)。組織問題で紛糾し,選挙協力の件でも進展を見せず。 |
DIA-304-1988-01-09-1 | パキスタン | 1988年01月09日 | 1980年代 | カラチ市長にMQMのファルーク・サッタルが選出される。サッタルは28歳の医師。 |
DIA-304-1988-01-11-1 | パキスタン | 1988年01月11日 | 1980年代 | 大衆人民党(ANP)の中央委員会は,「現在の国内の混乱克服には,より小さい州の要求を満たすような新憲法が必要である」という見解を発表し,73年憲法の遵守を綱領とするMRD(ANPも参加)の他の政党からの批判を受ける。 |
DIA-304-1988-01-11-2 | パキスタン | 1988年01月11日 | 1980年代 | 経済調整委員会,ギーの価格上昇に対応するため,パームオイルへの関税引下げを決定。 |
DIA-304-1988-01-14-1 | パキスタン | 1988年01月14日 | 1980年代 | 外務省スポークスマン,ソ連がインドに原子力潜水艦を供与しようとしていることに対し懸念を表明。 |
DIA-304-1988-01-18-1 | パキスタン | 1988年01月18日 | 1980年代 | カラチ市内でムハージルとパシュトゥーンの間の衝突を機に暴動。4人死亡し,外出禁止令だされる。 |
DIA-304-1988-01-18-2 | パキスタン | 1988年01月18日 | 1980年代 | シュジャーアト・フサイン工業相,カラチ輸出加工区への外資導入促進のため,10項目の税制優遇措置等を発表。 |
DIA-304-1988-01-20-1 | パキスタン | 1988年01月20日 | 1980年代 | コルドベス国連事務次長,アフガニスタン問題の仲介役として来訪。ソ連軍撤退のスケジュール作りが今回の訪問の目的であると述べる。 |
DIA-304-1988-01-20-2 | パキスタン | 1988年01月20日 | 1980年代 | 反英独立闘争の指導者で,パキスタン独立後はパシュトゥーンの自治運動をすすめてきた「辺境のガンディー」ことアブドゥル・ガッファール・ハーンがペシャーワルで死亡(98歳)。ラジーブ・ガンディー・インド首相は追悼のため急遽ペシャーワルを訪問。 |
DIA-304-1988-01-22-1 | パキスタン | 1988年01月22日 | 1980年代 | ガッファール・ハーン,アフガニスタンのジャラーラーバードに埋葬される。パキスタンから陸路を越えて7万人が葬儀に参加。埋葬地付近で2発の爆弾テロが発生,11人死亡,53人負傷。 |
DIA-304-1988-01-24-1 | パキスタン | 1988年01月24日 | 1980年代 | 上院でシアチェン氷河地区での印パ衝突問題に関する質疑が出され,マフムード国務相(国防担当)は,「パはインドにシアチェンの支配を許さない。昨年以来衝突はなく,インド側の最近の衝突の報道は事実無根」と答弁。 |
DIA-304-1988-01-25-1 | パキスタン | 1988年01月25日 | 1980年代 | 北方地域のスワートのバス停で爆弾テロ。9人死亡,29人負傷。 |
DIA-304-1988-01-26-1 | パキスタン | 1988年01月26日 | 1980年代 | パンジャーブ州議会は,農業は州の管轄であること,および国家利益と経済構造に有害であることを理由に,連邦政府に対し,農業所得税提案を拒否するように勧告。この勧告には260議員のうち258人が賛成。 |
DIA-304-1988-01-30-1 | パキスタン | 1988年01月30日 | 1980年代 | 1985年3月に選出された上院の現職議員を,88年3月までの任期の議員と91年までの議員に分ける抽選が上院で行なわれる(前者の任期切れのための選挙は3月2日に実施)。 |
DIA-304-1988-01-31-1 | パキスタン | 1988年01月31日 | 1980年代 | ベーナジール・ブットPPP共同党首,今年になって続いていたパンジャーブ党支部の分裂状態を改善するため同州の幹部,同州出身の中央幹部を解任。 |
DIA-304-1988-02-01-1 | パキスタン | 1988年02月01日 | 1980年代 | ペシャーワルの野菜市場で爆弾テロ発生,5人死亡,35人負傷。 |
DIA-304-1988-02-04-1 | パキスタン | 1988年02月04日 | 1980年代 | ジア大統領,「アフガン国民は自国の独立のためにソ連軍と戦っているだけでなく,同時にパキスタンの国境も守っている。彼らの犠牲に比べれば,パ国内の爆弾テロの死者の数は取るに足りない。イスラームの理念に基づき彼らへの支持を続けよう」と述べる。 |
DIA-304-1988-02-04-2 | パキスタン | 1988年02月04日 | 1980年代 | 全パキスタン紡織協会(APTMA),17.5%の従価税に変えられた綿糸輸出税は,輸出に決定的な悪影響を与えている,と政府を批判。 |
DIA-304-1988-02-05-1 | パキスタン | 1988年02月05日 | 1980年代 | カラチ市内で再びムハージル,パシュトゥーン間の民族抗争激化。6日にかけて,約20人の死者,100人を超す負傷者がでる。 |
DIA-304-1988-02-06-1 | パキスタン | 1988年02月06日 | 1980年代 | ペシャーワルでコルドベス国連事務次長,反政府ゲリラの指導者ユヌス・ハリスと会談。コルドベスは会談後,会見は有意義であったと述べたが,ゲリラ側は,ソ連とゲリラだけを直接の当事者とせよという従来の態度を変えなかった模様。 |
DIA-304-1988-02-06-2 | パキスタン | 1988年02月06日 | 1980年代 | アメリカ国際開発局(USAID)の報告書によれば,パキスタンの製造業は不安定な電力供給のために年5億㌦の損失を出しているという。 |
DIA-304-1988-02-08-1 | パキスタン | 1988年02月08日 | 1980年代 | ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長,「アフガニスタンに関する声明」を発表。3月15日までに和平協定が調印されれば5月15日からソ連軍の撤退を開始すること,撤退と連合政権作りは切り離すこと,がその内容。 |
DIA-304-1988-02-09-1 | パキスタン | 1988年02月09日 | 1980年代 | コルドベス国連事務次長,次回のジュネーブ交渉は3月2日に開始され,そこで,ソ連軍撤退期日の合意がなされよう,との見通しを記者会見で示す。 |
DIA-304-1988-02-10-1 | パキスタン | 1988年02月10日 | 1980年代 | イスラマバードでソ連・パキスタンの外務次官会談が,アフガニスタン問題をテーマに開催される。 |
DIA-304-1988-02-14-1 | パキスタン | 1988年02月14日 | 1980年代 | ガウス・アリー・シャー・シンド州首相,カラチの騒乱の原因は麻薬マフィアの抗争であって,パターン民族とムハージルの間に紛争はない,と発言。 |
DIA-304-1988-02-15-1 | パキスタン | 1988年02月15日 | 1980年代 | ラージャー・N・ペルヴェーズ連邦国務相(内務担当)は,カラチの紛争の原因は麻薬マフィアとは何の関係もなく,民族グループ間の憎悪にある,と述べて,前日のシンド州首相の発言に対抗。 |
DIA-304-1988-02-16-1 | パキスタン | 1988年02月16日 | 1980年代 | 外務省スポークスマン,次回のジュネーブ会談でパが和平協定に調印する条件として,国内のアフガン難民および反政府ゲリラの代表を含む連合政権が,ソ連軍撤退前に現ナジーブ政権と交替すること,を提示。 |
DIA-304-1988-02-18-1 | パキスタン | 1988年02月18日 | 1980年代 | ジア大統領,アフガニスタン問題に対するパの態度には変化がないことを強調。アフガン難民とゲリラの代表を含む政権がカーブルにできないかぎり,難民の平和で自主的な帰国は不可能である。と述べる。 |
DIA-304-1988-02-19-1 | パキスタン | 1988年02月19日 | 1980年代 | 前日のジア大統領発言に対し,カーブル政権は,「とうてい受け入れられない条件であり,パは和平を意図的に遅らせようとしている」,と非難。アメリカは,望ましい条件であるが,ソ連軍撤退が優先される,とコメント。 |
DIA-304-1988-02-21-1 | パキスタン | 1988年02月21日 | 1980年代 | ムハンマド・ハーン・ジュネージョー首相,アフガニスタン問題でのパの立場には変化がないが,暫定政権樹立は純粋にアフガン国民に委ねられねばならないと述べ,ジア大統領発言よりも柔軟な態度を表明。 |
DIA-304-1988-02-21-2 | パキスタン | 1988年02月21日 | 1980年代 | ザイン・ヌーラーニー国務相(外務担当),アフガニスタン問題について協議するため,訪中。翌22日,呉学謙外相らと会談。呉外相,パの主張である難民帰国の条件作りと暫定政権要求は,理にかなっている,と発言して,パの立場に理解を表明。 |
DIA-304-1988-02-24-1 | パキスタン | 1988年02月24日 | 1980年代 | アーマコスト・アメリカ国務次官来訪(~26日)。ジュネージョー首相と会談し,米ソ首脳会談についての報告を行なう。同次官は翌25日,反政府ゲリラ主要7組織からなるアフガニスタン・ムジャーヒディーン・イスラーム同盟(IUAM)の指導者と会談し,アメリカの関心はソ連軍の撤退のみであって,暫定政権問題はアフガン国民の問題である,とのアメリカの態度を伝える。 |
DIA-304-1988-02-25-1 | パキスタン | 1988年02月25日 | 1980年代 | ラジープ・インド首相,アフガニスタン問題等の討議のため,電話でジア大統領をインドに招待。 |
DIA-304-1988-02-27-1 | パキスタン | 1988年02月27日 | 1980年代 | ジア大統領,ラジープ首相の招待を断わる。 |
DIA-304-1988-02-27-2 | パキスタン | 1988年02月27日 | 1980年代 | カラチの繁華街で,ビゼーンジョー・パキスタン民族党(PNP)党首らの主催で,政府にジュネーブ協定調印を訴える集会が大規模に開催される。 |
DIA-304-1988-02-28-1 | パキスタン | 1988年02月28日 | 1980年代 | アフガニスタン問題討議のために,上下両院合同議会開催。与党PML議員からも調印を優先し,暫定政権は別途協議せよ,との主張多し。イスラーム協会(ジャマーアテ・イスラーミー:JI)議員は,反政府ゲリラ主体の暫定政権樹立が前提条件との立場。 |
DIA-304-1988-03-01-1 | パキスタン | 1988年03月01日 | 1980年代 | アメリカ国際開発局(USAID)の高官,「ソ連軍撤退が実現してもこの地域の不安定な状況に変化はなく。(88年度から6年間の40.2億㌦の)援助は全額承認されるであろう」と発言。 |
DIA-304-1988-03-02-1 | パキスタン | 1988年03月02日 | 1980年代 | ジュネーブで国連仲介によるアフガニスタン・パキスタン間接和平交渉開始(~4月8日)。ザイン・ヌーラーニー国務相(外務担当)がパ代表として参加。 |
DIA-304-1988-03-02-2 | パキスタン | 1988年03月02日 | 1980年代 | 各州州議会で,上院議員選挙が行なわれる。パンジャーブでは無投票で与党PMLが全9議席獲得,その他の3州でも27議席中与党が22議席獲得。 |
DIA-304-1988-03-04-1 | パキスタン | 1988年03月04日 | 1980年代 | ハイダラバードで,インダス河に建設予定のカーラーバーグ・ダム反対集会が,ANPのパリージョーの呼びかけで開催。「シンド州はシンディー人のものであり,その経済的基盤を破壊する権利は他のだれにもない」として,12政党からなるシンディー人民全国同盟(SPNA)を結成。 |
DIA-304-1988-03-05-1 | パキスタン | 1988年03月05日 | 1980年代 | アフガニスタン問題に関する政府・野党円卓会議がラーワルピンデイーの迎賓館で開催される(~6日)。政府からはジュネージョー首相,ザイン・ヌーラーニー国務相(外務担当)らが出席,野党からはPPP,ANPをはじめとするMRD9政党全部,JI,自立運動党(TI)など19政党の党首が出席。 |
DIA-304-1988-03-07-1 | パキスタン | 1988年03月07日 | 1980年代 | ジュネージョー首相,アフガニスタン問題についての国民の意見を聞くために4州州都巡りを開始。この日ペシャーワルで北西辺境州の知識人と意見交換を行ない,9日カラチ,10日ラホール,13日クエッタを訪問。 |
DIA-304-1988-03-08-1 | パキスタン | 1988年03月08日 | 1980年代 | ジア大統領,アラブ首長国連邦訪問。 |
DIA-304-1988-03-08-2 | パキスタン | 1988年03月08日 | 1980年代 | マフブーブル・ハック計画・開発相,総額6420億ルピー(公共3500億ルピー,民間2920億ルピー)の第7次五カ年計画の草案について発表。特に優先される目標として「自立」を挙げて,外国からの援助への依存を大きく減らし,債務返済比率も87年度の22%から92年度には18%にすると発言。 |
DIA-304-1988-03-14-1 | パキスタン | 1988年03月14日 | 1980年代 | ジュネーブ交渉,暫定政権問題をめぐって行き詰まる。パ側は撤退以後の暫定政権樹立でもよしとまでは妥協したが,そこから譲れず,また,コルドベス仲介役提案の,ゲリラも含んだ第2次交渉案も,ゲリラ側がナジープ政権を認めようとせず難航(D,3/15)。 |
DIA-304-1988-03-16-1 | パキスタン | 1988年03月16日 | 1980年代 | ザイン・ヌーラーニー国務相(外務担当),ジュネーブでの記者会見で,「パキスタンが国境問題を持ち出して交渉を遅らせているというアフガニスタン側の非難は事実無根である。暫定政権樹立そのものを協定調印の条件とはしていないが,この問題がパキスタンにとって重要であり,協議事項であるということを明確にしておく必要があるのだ」と発言。 |
DIA-304-1988-03-17-1 | パキスタン | 1988年03月17日 | 1980年代 | 反政府ゲリラ組織のIUAM,ジュネーブに代表を送り第2次交渉に参加することはしないと決定。 |
DIA-304-1988-03-17-2 | パキスタン | 1988年03月17日 | 1980年代 | リー・シンガポール首相来訪(~21日)。 |
DIA-304-1988-03-21-1 | パキスタン | 1988年03月21日 | 1980年代 | 上院が開催され,グラーム・イスハーク・ハーン,満場一致で上院議長に再選される。 |
DIA-304-1988-03-22-1 | パキスタン | 1988年03月22日 | 1980年代 | フセイン・ヨルダン国王来訪(~25日)。 |
DIA-304-1988-03-25-1 | パキスタン | 1988年03月25日 | 1980年代 | アメリカ高官筋,行き詰まっているジュネーブ交渉は,暫定政権問題についてはコルドベス国連事務次長が個人の資格で今後交渉を行なうことでほぼ合意されており,残るは米ソの武器援助停止の問題だけである,と述べる(D,3/26)。 |
DIA-304-1988-03-29-1 | パキスタン | 1988年03月29日 | 1980年代 | コルドベス国連事務次長,アフガニスタン・パキスタン間のシャトル交渉を停止,米ソ間の合意に力点を移す。 |
DIA-304-1988-04-01-1 | パキスタン | 1988年04月01日 | 1980年代 | シュルツ米国務長官,アメリカは,ソ連が,ソ連のアフガニスタン政府への軍事援助を継続するのと同様にアメリカの反政府ゲリラへの軍事援助が継続されることを認めるのならば,和平協定の保障国となる,と表明。ソ連はこの申し出を拒否。 |
DIA-304-1988-04-03-1 | パキスタン | 1988年04月03日 | 1980年代 | ムハンマド・バシール・ハーン連邦生産相,政府は公共部門の経営不振企業(Sick Units)の民間への払い下げを考慮中であると,発言。 |
DIA-304-1988-04-04-1 | パキスタン | 1988年04月04日 | 1980年代 | シェワルナゼ・ソ連外相,カーブルを訪問し,パキスタンに対し,アフガニスタン・パキスタンの二カ国協定のみの調印をするよう提案したが,ザイン・ヌーラーニー国務相(外務担当)はアメリカの保障抜きの調印を拒否。 |
DIA-304-1988-04-05-1 | パキスタン | 1988年04月05日 | 1980年代 | 経済調整委員会,87年度上半期の経済をレビューし,綿花の大豊作で農業部門はマイナス成長を免れ,工業部門は10%の成長を果たした,と発表。また,ハブ地域での火力発電所の民間部門での建設に原則合意。 |
DIA-304-1988-04-06-1 | パキスタン | 1988年04月06日 | 1980年代 | ラールカーナーでシンディー人民全国同盟(SPNA)と「永遠のシンド運動」の指導者G・M・サイイドが中心となってシンディー人民の権利擁護を訴える集会開催。カーラーバーグ・ダム反対,シンド州への軍営地設置反対,「よそ者」の州内への移住反対,大衆動員。の4項目で合意。 |
DIA-304-1988-04-06-2 | パキスタン | 1988年04月06日 | 1980年代 | カルーチ米国防長官,インド訪問を終えてパキスタン来訪(~8日)。対パ軍事援助についてラーナー・ナイーム・マフムード国務相(国防担当)と協議。 |
DIA-304-1988-04-06-3 | パキスタン | 1988年04月06日 | 1980年代 | ガウス・アリー・シンド州首相,州内部の治安維持の失敗を理由に辞任。 |
DIA-304-1988-04-08-1 | パキスタン | 1988年04月08日 | 1980年代 | コルドベス国連事務次長,ジュネーブで,「交渉で4国は合意に達した」と述べてアフガン和平交渉の終了を宣言。 |
DIA-304-1988-04-08-2 | パキスタン | 1988年04月08日 | 1980年代 | シン・インド内相,インド国会(下院)で,「パは領土をパンジャーブ(インド)のシク教徒過激派の聖域として使わせており,8から9のテロリスト訓練センターすら存在する。インド政府はこの過激派支援活動をやめるよう高いレベルの会議でパに伝える」,と答弁。 |
DIA-304-1988-04-09-1 | パキスタン | 1988年04月09日 | 1980年代 | ジア大統領,イスラーム諸国会議機構(OIC)のミニ・サミットに出席のため,マフブーブル・ハック計画・開発・商業相らとともにクウェートに出発。 |
DIA-304-1988-04-10-1 | パキスタン | 1988年04月10日 | 1980年代 | イスラマバードとラーワルピンディーの間にあるオジェリ・キャンプの陸軍弾薬庫で火災が発生,弾薬が誘爆して大量のミサイルが両都市を襲う。100人を超す死者,1000人以上の負傷者がでる。ジア大統領,クウェートより急遽帰国。ジュネージョー首相,武器弾薬庫を首都近郊から移すことを約束し,また,中将を担当長とする事故原因調査委員会を設置。 |
DIA-304-1988-04-11-1 | パキスタン | 1988年04月11日 | 1980年代 | シンド州首相に,アフタル・アリー・G・カーズィー就任。 |
DIA-304-1988-04-12-1 | パキスタン | 1988年04月12日 | 1980年代 | 内閣,オジェリ事故への対応のために緊急閣議を開催。アスラム・ハーン・ハタック通信・鉄道相を長とする調査委員会を内閣内に設置。国会は最高裁判事を中心にした文民の調査委員会を要求。MRDも同様の委員会を要求し,惨事の全責任はジア大統領にあるとして辞任を要求。 |
DIA-304-1988-04-12-2 | パキスタン | 1988年04月12日 | 1980年代 | 連邦農業委員会,87年度の綿花生産は880万ペイルと記録的豊作になったことを確認し,88年度の生産目標を820万ペイルに決定。 |
DIA-304-1988-04-13-1 | パキスタン | 1988年04月13日 | 1980年代 | ジュネージョー首相,ジュネーブ協定調印は,地域の政治的・経済的安定に貢献する,と述べたうえで,この調印が,パキスタン政府のカーブル政権是認やアフガン国民の自決の権利への制約を意味するものではないことを強調。 |
DIA-304-1988-04-14-1 | パキスタン | 1988年04月14日 | 1980年代 | ジュネーブで,アフガニスタン和平協定締結。調印されたのは,「相互不干渉に関するアフガニスタン・パキスタン二国間協定」,「難民の自主的帰還に関するアフガニスタン・パキスタン二国間協定」,「国際保障に関する宣言」(米・ソ),「アフガニスタン問題解決のための相互関係に関する協定」(4国),および「国際監視についての了解覚書」の5文書。 |
DIA-304-1988-04-14-2 | パキスタン | 1988年04月14日 | 1980年代 | カラチでSPNA主催で反カーラーバーグ・ダム大集会開催。女性3000人を含む数万人が参加。 |
DIA-304-1988-04-15-1 | パキスタン | 1988年04月15日 | 1980年代 | ブリュッセルでパ政府とEC,リネン輸出量の上限拡大と年6%で今後も増やすことで合意。 |
DIA-304-1988-04-16-1 | パキスタン | 1988年04月16日 | 1980年代 | IUAM,ペシャーワルで集会を開催し,ジュネーブ協定は欠陥だらけで不正なものであるとして反政府闘争の継続を宣言。ナワーブザーダー・ナスルッラー・ハーン・パキスタン民主党(PDP)党首も,武器援助の継続と相互不干渉の宣言という矛盾する内容をもつ合意は,国境地帯・パキスタン国内でのテロの継続を意味する,として,パキスタン政府を批判。 |
DIA-304-1988-04-18-1 | パキスタン | 1988年04月18日 | 1980年代 | パリで開催のパキスタン債権国会議で,政府は,88年度分の援助として,前年度実績より1億2500万㌦多い25億2500万㌦を要求。 |
DIA-304-1988-04-20-1 | パキスタン | 1988年04月20日 | 1980年代 | ジュネージョー首相,「ジュネーブ協定調印は,唯一可能な方策であったとし,暫定政権,武器援助の米ソ均衡,難民帰国条件保証の3点でパキスタンの主張が取り入れられた点で満足できる」と評価。 |
DIA-304-1988-04-24-1 | パキスタン | 1988年04月24日 | 1980年代 | 10日任命のオジェリ事故原因調査委員会の報告書が内閣に提出されるが,12日任命のハタック委員会がこれを検討したうえで最終報告を発表する,として,この報告書の内容は明らかにされず。国会内,在野双方からジュネージョー内閣への不満高まる。 |
DIA-304-1988-04-30-1 | パキスタン | 1988年04月30日 | 1980年代 | 北京で中・パ二国間観光友好協力協定調印。 |
DIA-304-1988-04-30-2 | パキスタン | 1988年04月30日 | 1980年代 | シンド州内閣改造。 |
DIA-304-1988-05-01-1 | パキスタン | 1988年05月01日 | 1980年代 | メーデーのこの日,パキスタン・ソ連国交40周年記念式典が開かれる。 |
DIA-304-1988-05-02-1 | パキスタン | 1988年05月02日 | 1980年代 | カラチ,オーラーンギー地区で騒乱激化。外出禁止令出される(4月29日から5月1日までに市内の民族紛争で7人が死亡)。 |
DIA-304-1988-05-02-2 | パキスタン | 1988年05月02日 | 1980年代 | ベーナジール・ブットPPP共同党首,ワシントンでの記者会見で,「昔と状況は変わっており,私はアメリカに対し,バキスタンの民主主義への強い支持を要請する」と述べて,PPPが反米政党でないことを強調。 |
DIA-304-1988-05-03-1 | パキスタン | 1988年05月03日 | 1980年代 | イスラマバードで印パ外務次官会談開かれる。パ側は,パがシク教徒過激派を支援しているというインド側の主張を,根拠なしと否定。 |
DIA-304-1988-05-04-1 | パキスタン | 1988年05月04日 | 1980年代 | 年次計画調整委員会(APCC),88年度の年次開発計画を確定。農産物の増産とその後方連関効果により6.5~7.0%のGDP成長をめざすとする。 |
DIA-304-1988-05-05-1 | パキスタン | 1988年05月05日 | 1980年代 | 第7次五カ年計画の最終的な詰めを行なっているハタック委員会,政府支出削減のために,実質的能力を損なわない範囲での国防費削減と,公務員の給料カットを提言。 |
DIA-304-1988-05-07-1 | パキスタン | 1988年05月07日 | 1980年代 | アメリカ下院歳出委員会,1989年度の海外援助案を通す。パキスタンは,政府要求額の4億9000万㌦が4億6000万㌦に減額される(88年度は4億8000万㌦)。 |
DIA-304-1988-05-08-1 | パキスタン | 1988年05月08日 | 1980年代 | ムハージル民族運動(MQM)の代表アルタフ・フサインの写真破り捨て事件(5月5日)を契機に起こったムハージルとパシュトゥーン,パンジャービー間の民族紛争激化。カラチ市内全域に広がり死者25人,120人以上が負傷して,軍隊が出動する。 |
DIA-304-1988-05-09-1 | パキスタン | 1988年05月09日 | 1980年代 | カラチの抗争続き,さらに6人が死亡。MQMスポークスマンは,「逮捕者はそのほとんどが麻薬マフィアと関係をもっており,かれらがムハージルの居住区に無差別攻撃を仕掛けている」と発言。 |
DIA-304-1988-05-10-1 | パキスタン | 1988年05月10日 | 1980年代 | 綿糸輸出税キロ当り2ルピーに減額。 |
DIA-304-1988-05-11-1 | パキスタン | 1988年05月11日 | 1980年代 | ロバート・ペック・アメリカ国務次官補,「米パ関係はますます友好を深めており,ソ連軍の撤退開始で冷却化するものではない。89年度援助の3000万㌦削減は緊縮財政のためである」とラジオで発言。 |
DIA-304-1988-05-12-1 | パキスタン | 1988年05月12日 | 1980年代 | 全国経済委員会(NEC),ジュネージョー首相を議長に開催され,第7次五カ年計画の公共部門開発計画を3500億ルピーに決定。 |
DIA-304-1988-05-14-1 | パキスタン | 1988年05月14日 | 1980年代 | カーズィー・シンド州首相,州内の治安問題討議のため,円卓会議を開催。主要野党の指導者は,個人の資格での出席要請に難色を示して欠席。州首相,治安回復のために行政組織,警察機構双方の改革を約束。 |
DIA-304-1988-05-15-1 | パキスタン | 1988年05月15日 | 1980年代 | アフガニスタンよりソ連軍撤退開始。ザイン・ヌーラーニー国務相(外務担当),撤退状況についての協議のためにソ連を訪問(~19日)。 |
DIA-304-1988-05-15-2 | パキスタン | 1988年05月15日 | 1980年代 | 連邦内閣が拡大される。新たに8人が入閣し,北西辺境州出身の下院議員クルスーム・サイフッラーは女性で初の連邦大臣となる。 |
DIA-304-1988-05-16-1 | パキスタン | 1988年05月16日 | 1980年代 | ニュー・デリーで14日から開かれていた印パ内務次官会談終了。双方が,国境での麻薬密輸・密出入国のチェックを強化し,パンジャーブの国境では共同で国境警備の措置を採ることで合意に至る。 |
DIA-304-1988-05-20-1 | パキスタン | 1988年05月20日 | 1980年代 | イスラマバードで18日から開かれていた印パ国防次官会談終了。シアチェン問題は1972年のシムラ協定にそって解決をはかることで合意。 |
DIA-304-1988-05-20-2 | パキスタン | 1988年05月20日 | 1980年代 | シンド州のサンで「永遠のシンド運動」の指導者G・M・サイイドを総裁にして,シンド全国同盟(SNA)結成される。会議にはシンディー・人民全国同盟(SPNA)の参加政党をはじめ,多数の政党の指導者,国会議員ら188人が参加して,シンド州にすむ人民の権利を守るために共闘することを表明。しかし,同盟の名前をシンドにするのかシンディーにするのかで紛糾,同盟内に分裂の種を残しての結成となった。 |
DIA-304-1988-05-21-1 | パキスタン | 1988年05月21日 | 1980年代 | ナスルッラー・ハーンPDP党首,SNA結成を批判して,「このような動きは州間の嫌悪感を煽り立てて,民主主義勢力を分裂させて軍部の介入を招くものである。G・M・サイイドの運動は分離主義的な危険なものである」と表明。 |
DIA-304-1988-05-22-1 | パキスタン | 1988年05月22日 | 1980年代 | ジュネージョー首相,中国,韓国,フィリピンなどのアジア諸国訪問に出発(~29日)。ザイン・ヌーラーニー国務相(外務担当),シュジャーアト・フサイン工業相,ナワーズ・シャリーフ・パンジャーブ州首相らが同行。この日北京で李鵬首相と会談。 |
DIA-304-1988-05-23-1 | パキスタン | 1988年05月23日 | 1980年代 | ジア大統領,1990年3月までに陸軍参謀長引退の意向を明らかにする。ただし大統領職についてはもう一期就く可能性を示唆。 |
DIA-304-1988-05-23-2 | パキスタン | 1988年05月23日 | 1980年代 | ジュネージョー首相,盧泰愚韓国大統領と会談。この日,両国間で投資促進に関する協定と科学技術協力のための覚書,文化交流に関する覚書が調印される。 |
DIA-304-1988-05-25-1 | パキスタン | 1988年05月25日 | 1980年代 | ラーワルピンディーで,陸軍中尉とパンジャーブ州議会議員とのいざこざが暴力事件に発展。国会議員,州議会議員らが軍部に激しく抗議し,軍人,警察,官僚等からなる調査委員会が任命される。 |
DIA-304-1988-05-28-1 | パキスタン | 1988年05月28日 | 1980年代 | ジュネージョー首相,27日に続きマニラでアキノ・フィリピン大統領と会談,両国貿易拡大,その他の交流推進で合意。 |
DIA-304-1988-05-29-1 | パキスタン | 1988年05月29日 | 1980年代 | ジア大統領,国会(下院)の解散と連邦内閣の解任を宣言。憲法にしたがって政党基盤で総選挙を行ない,戒厳令を布告するつもりはないと述べる。同時にバルチスタン州議会も解散,州内閣解任。 |
DIA-304-1988-05-30-1 | パキスタン | 1988年05月30日 | 1980年代 | 残る3州でも州議会が解散され,州内閣も解任される。ジア大統領,議会解散・内閣解任の理由として,与党内の腐敗,イスラーム化の停滞,経済の低迷,治安の悪化等をあげる。ジュネージョー大統領の恣意的行動は非民主主義的であり,解散の理由も事実に反するとしてジア大統領を非難,国民はPMLをこれまでの実績をもとに来る総選挙で支持するであろうと述べる。 |
DIA-304-1988-05-31-1 | パキスタン | 1988年05月31日 | 1980年代 | パンジャーブ州と北西辺境州で暫定内閣が任命される。パンジャーブ州はPMLのナワーズ・シャリーフ(前州首相)を首相に3人からなり,北西辺境州はファズレ・ハック退役陸軍中将(上院議員,元同州知事)を首班に4人で構成。 |
DIA-304-1988-06-01-1 | パキスタン | 1988年06月01日 | 1980年代 | ジュネージョーを委員長に,PMLの運営委員会開催。ジア大統領の国会解散に対して,対決的態度はとらないこと,党の弱体化を防ぐために,ナワーズ・シャリーフの州首相就任を認可することを決定。イクバール・アフマド・ハーン党書記長は,「選挙が90日以内に行なわれないならば,PMLは他の政治勢力と組んで,選挙延期抗議の運動を行なう用意がある」と表明。 |
DIA-304-1988-06-01-2 | パキスタン | 1988年06月01日 | 1980年代 | ニュー・デリーで印パ外務次官会談開催(~2日)。 |
DIA-304-1988-06-04-1 | パキスタン | 1988年06月04日 | 1980年代 | 前下院議員と前州議会議員の資産調査開始。 |
DIA-304-1988-06-05-1 | パキスタン | 1988年06月05日 | 1980年代 | 3日から続いていたMRDの中央執行委員会,閉会。20項目の綱領を採択し,政党の自由な参加を認める形式の選挙にのみ参加すること,および,MRD内の選挙協力(他党に対立候補を立てないこと)を決定。 |
DIA-304-1988-06-09-1 | パキスタン | 1988年06月09日 | 1980年代 | ジア大統領,連邦暫定内閣を任命。アスラム・ハーン・ハタック上級相(Senior Miaister)に,18人の閣僚(うちPML15人)より構成。ジア大統領,暫定政権の第一課題は総選挙の実施であるが,同時にイスラーム化の推進,司法の迅速化,治安改善,経済復興の4課題に取り組む,と表明。 |
DIA-304-1988-06-10-1 | パキスタン | 1988年06月10日 | 1980年代 | G・M・サイイド,SNAは総選挙に候補者を立てないことを表明,ただしSNAの綱領に賛同する他党の候補の応援はする。 |
DIA-304-1988-06-12-1 | パキスタン | 1988年06月12日 | 1980年代 | パンジャーブ州の州PML役員選挙が行なわれナワーズ・シャリーフ州首相が州総裁に再選される。 |
DIA-304-1988-06-13-1 | パキスタン | 1988年06月13日 | 1980年代 | 国営銀行と金融機関の会議で,マフブーブル・ハック蔵相,綿花輸出公社の廃止,金融機関への規制緩和等の民活政策をとることを表明。 |
DIA-304-1988-06-14-1 | パキスタン | 1988年06月14日 | 1980年代 | 14日付『ワシントン・ポスト』紙は,アメリカ政府は,ジア大統領に対し,総選挙を規定どおり行なわない場合,対パ援助全体が見なおされることになる,と非公式に通告した,と報道。 |
DIA-304-1988-06-15-1 | パキスタン | 1988年06月15日 | 1980年代 | ジア大統領,シャリーア令を布告。上級裁判所に対し,各種法律・条令のシャリーア(イスラーム法)との整合性の審査権を与え,ウラマーがそのために上級裁判所のムフティー(シャリーア法廷での判事へのアドバイザー)や下級裁の判事になることを認めること,そして経済と教育をシャリーアに整合するように改革するための委員会を設置すること,がその主たる内容で,JI等の宗教政党も含めて野党の大多数はこれに批判を表明。 |
DIA-304-1988-06-16-1 | パキスタン | 1988年06月16日 | 1980年代 | ビゼーンジョーPNP党首,グラーム・M・ジャトーイー全国人民党(NPP)党首らを中心に,第2回全政党会議開催(第1回は87年8月16日に開催)。14政党が参加したが,今回もPPP,TIといった有力野党は参加せず。 |
DIA-304-1988-06-18-1 | パキスタン | 1988年06月18日 | 1980年代 | ハイダラバード市内で,ムハージルとシンディーの間の騒乱,5人の死者がでて外出禁止令出される(19日までに死者は7人に)。 |
DIA-304-1988-06-20-1 | パキスタン | 1988年06月20日 | 1980年代 | ベーナジール・ブットPPP共同党首が最高裁に上告していた「政党法」違憲訴訟の判決が出され,政党登録に関する部分が違憲とされて,会計を公表している政党はすべて登録にかかおらず選拳参加を保証された。 |
DIA-304-1988-06-21-1 | パキスタン | 1988年06月21日 | 1980年代 | 北西辺境州で州PML役員選挙が行なわれ,6月15日に入党したばかりのファズレ・ハック退役中将・州首相が州総裁に当選。 |
DIA-304-1988-06-22-1 | パキスタン | 1988年06月22日 | 1980年代 | ピール・パガーロ,PMLの自派の復活を宣言し,その総裁の地位をジア大統領に提供する用意がある,と表明。 |
DIA-304-1988-06-22-2 | パキスタン | 1988年06月22日 | 1980年代 | 6人の前下院議員,3人の元州議会議員など,PPPに加盟。 |
DIA-304-1988-06-23-1 | パキスタン | 1988年06月23日 | 1980年代 | 『1987年度経済自書』(Economic Survey,1987-88)発表。87年度のGDP成長率は5.8%とされる。 |
DIA-304-1988-06-24-1 | パキスタン | 1988年06月24日 | 1980年代 | 連邦鉄道相のミール・ザファルッラー・ハーン・ジャマーリー,バルチスタン州の暫定州首相に就任。 |
DIA-304-1988-06-24-2 | パキスタン | 1988年06月24日 | 1980年代 | ラヒームッディーン・ハーン退役陸軍大将,個人的理由で休職のタバーニー現州知事に代わってシンド州知事代行に就任。 |
DIA-304-1988-06-25-1 | パキスタン | 1988年06月25日 | 1980年代 | ペシャーワル市内のホテルで爆弾テロ,13人死亡,4人負傷。 |
DIA-304-1988-06-25-2 | パキスタン | 1988年06月25日 | 1980年代 | アフタル・A・G・カーズィー前シンド州首相を上級相に,4人からなるシンド州暫定内閣任命。 |
DIA-304-1988-06-26-1 | パキスタン | 1988年06月26日 | 1980年代 | カラチ,ラホールでシャリーア令に反対する女性の抗議集会,警官介入,多数の女性が逮捕される。 |
DIA-304-1988-06-26-2 | パキスタン | 1988年06月26日 | 1980年代 | 連邦内閣は,ジア大統領を議長に閣議をもち,1988/89予算を認可。マフブーブル・ハック蔵相のテレビとラジオでの発表によれば,予算は,行政費,国防費,開発支出を削減したうえでなお172億ルピーの資金不足(これに国内外借入を加えると695億ルピーの財政不足とみられる)を含むもので,蔵相はこの不足を補うために,脱税摘発強化と間接税での若干の増税を行なうと述べた。 |
DIA-304-1988-06-26-3 | パキスタン | 1988年06月26日 | 1980年代 | ヤークーブ・ハーン外相訪中(~30日)。 |
DIA-304-1988-06-30-1 | パキスタン | 1988年06月30日 | 1980年代 | マフブーブル・ハック蔵相,88年度の通商政策を発表。これは昨年発表された3カ年通商政策の基本路線に沿って,いくつかの構造的改善をはかるもので,88年度の輸出目標は当初の48億㌦から51億㌦に上方修正された。また,これまでは商業省輸出促進局が行なってきた繊維輸出クオータの管轄が,新設の輸出促進公社に移ることになった。 |
DIA-304-1988-06-30-2 | パキスタン | 1988年06月30日 | 1980年代 | アフガニスタンからのソ連軍撤退開始後の難民問題,暫定政権問題の協議のためにコルドベス国連事務次長来訪(~7月10日)。 |
DIA-304-1988-07-01-1 | パキスタン | 1988年07月01日 | 1980年代 | 北西辺境州でチャールサッダーとスワービーの2県が新設され,それらとマルダーン県の3県でマルダーン管区が設置される。 |
DIA-304-1988-07-03-1 | パキスタン | 1988年07月03日 | 1980年代 | マフブーブル・ハック蔵相,Dawn紙との会見で,88年度予算の税制改革は,今後の政府と財界との合意にしたがって2年かけて行なうものであり,強行するつもりはない,と述べて,財界の税制改革への不満をなだめる。 |
DIA-304-1988-07-03-2 | パキスタン | 1988年07月03日 | 1980年代 | マフムード前国務相(国防担当),ジュネージョー前首相は,88年度予算で国防費12~14%の増加を計画していたのであり,軍との軋礫が彼の解任の大きな理由だとの説を否定。 |
DIA-304-1988-07-06-1 | パキスタン | 1988年07月06日 | 1980年代 | パキスタン空軍のミラージュ戦闘機,カラチのシンド商工業団地に墜落,12人死亡,16人負傷。 |
DIA-304-1988-07-06-2 | パキスタン | 1988年07月06日 | 1980年代 | ジア大統領,ピール・パガーロとの電話での会談で,PMLの統一を保つよう伝えて,暗黙に,パガーロとジュネージョーの2人がPMLの指導者を退くように要請。ジュネージョーは原則は曲げられない,として,PML総裁を退かないことを表明。 |
DIA-304-1988-07-06-3 | パキスタン | 1988年07月06日 | 1980年代 | 大衆国民党(ANP),セラーイキー州創設と,5州での徹底した連邦制をうたった選挙綱領発表。 |
DIA-304-1988-07-08-1 | パキスタン | 1988年07月08日 | 1980年代 | シンド州政府,サッカル県のローフリーに小規模工業団地設置を認可。 |
DIA-304-1988-07-09-1 | パキスタン | 1988年07月09日 | 1980年代 | コルドベス国連事務次長,アフガニスタン国民政府樹立のために,とりあえず,「平和と和解のための中立政府」を樹立して,6カ月の停戦を冷却期間としておき,その後,ロヤ・ジルガで国民政府を作り上げる,という新プランを提示。カーブル政府,ゲリラ側(IUAM)から積極的反応なし。 |
DIA-304-1988-07-11-1 | パキスタン | 1988年07月11日 | 1980年代 | マフブーブル・ハック蔵相と5国有銀行,開発金融機関総裁の会談終了。パキスタン銀行業委員会(PBC)の権限を縮小し,各金融機関の自立性を高めることを蔵相約束。 |
DIA-304-1988-07-12-1 | パキスタン | 1988年07月12日 | 1980年代 | ラホールでMRDの集会が開かれ,ベーナジール・ブットPPP共同党首が帰国した86年4月のとき以来の大規模な集会になる。ベーナジール・ブット女史,1973年協定に沿った政党基盤の選挙を要求。 |
DIA-304-1988-07-14-1 | パキスタン | 1988年07月14日 | 1980年代 | ジア大統領,6月15日のシャリーア令に沿って,経済のイスラーム化委員会(委員長イフサーン・ラシード),教育のイスラーム化委員会(委員長ラーズィーウッディーン・スイッディーキー)を任命。 |
DIA-304-1988-07-15-1 | パキスタン | 1988年07月15日 | 1980年代 | 国民民主党(NDP),セラーイキー州創設を排除しない完全な連邦制,主要産業国有化等をうたった30項目の選挙綱領発表。 |
DIA-304-1988-07-16-1 | パキスタン | 1988年07月16日 | 1980年代 | モンスーンの大雨のためパンジャーブ州の北部・中央部で洪水,11人死亡する。 |
DIA-304-1988-07-17-1 | パキスタン | 1988年07月17日 | 1980年代 | ハイダラバード市長アフタブ・アフマド・シェイフ(MQM)の暗殺未遂事件発生。市長が4弾を受けて負傷。その後市内全域の騒乱に発展して9人が死亡し,外出禁止令出される(18日さらに5人死亡)。 |
DIA-304-1988-07-19-1 | パキスタン | 1988年07月19日 | 1980年代 | 第7次五カ年計画(1988/89~92/93年度)が発効。最終的に総額は6600億ルピー(うち公共部門3500億ルピー)となった。ジュネージョー元首相の5項目計画に関する部分を落として,各部門に盛り込んだために,計画の作成が遅れたもの。 |
DIA-304-1988-07-19-2 | パキスタン | 1988年07月19日 | 1980年代 | PMLの中央運営委員会閉会(18日から)。ジュネージョー総裁に対し,ナワーズ・シャリーフら3州の暫定州首相のグループがジア大統領との協調路線を迫ったが,受け入れられず。委員会は,暫定連邦政権は首相抜きの違憲なものであり,ジア大統領はこれを解任し,さらに90日以内に総選挙を実施すべきである,というジュネージョーの主張を決議として採択。 |
DIA-304-1988-07-20-1 | パキスタン | 1988年07月20日 | 1980年代 | ジア大統領,11月16日に総選挙を行なうことを発表。遅れの理由は,8,9月は宗教行事,気候等のために不適であること,および,81年センサスに合わせての選挙区調整に時間がかかるため,とされた。ジュネージョー,MRD諸政党指導者等は,憲法に違反するもので受け入れられないとして,5月29日から90日以内の選挙を要求。 |
DIA-304-1988-07-20-2 | パキスタン | 1988年07月20日 | 1980年代 | マフブーブル・ハック蔵相,カラチ商工会議所に対し,電力料金体系の一本化を約束し,税制改革への協力を要請。 |
DIA-304-1988-07-21-1 | パキスタン | 1988年07月21日 | 1980年代 | ジア大統領,総選挙は非政党基盤で行なう,と発表。野党から,憲法だけでなく,6月20日の最高裁判決も無視するものだとして,激しい非難をうける。 |
DIA-304-1988-07-22-1 | パキスタン | 1988年07月22日 | 1980年代 | MRDの中央執行委員会が開かれ,11月の非政党基盤での総選挙拒否を決定。最高裁への提訴を検討。 |
DIA-304-1988-07-24-1 | パキスタン | 1988年07月24日 | 1980年代 | ヤークーブ・ハーン外相,主にアフガニスタン問題の協議のために米ソ訪問に出発。25~31日にアメリカ,8月2~4日にソ連を訪問し,8月6日に帰国。 |
DIA-304-1988-07-28-1 | パキスタン | 1988年07月28日 | 1980年代 | 22日からバングラデシュを訪れていたマフブーブル・ハック蔵相,エルシャド大統領と会談し,砂糖,セメントの緊急供与を約束。 |
DIA-304-1988-07-31-1 | パキスタン | 1988年07月31日 | 1980年代 | 公共部門企業,180社について86/87年度の報告書が出され,雇用で前年度から約1000人減少,課税後利益で33億5000万ルピーから7億6000万ルピーに減少していることが判明。特にバキスタン製鉄所,綿花輸出公社,国立海運公社の損失が大。 |
DIA-304-1988-08-03-1 | パキスタン | 1988年08月03日 | 1980年代 | 8月2日付けのTimes of India紙掲載の「秘密書類」(パキスタンに根拠地を置くシク教徒テロリストが,ラジーブ首相,ブタ・シン内務相の暗殺を指令した,という内容)について,外務省スポークスマン,根拠なしと一蹴。 |
DIA-304-1988-08-05-1 | パキスタン | 1988年08月05日 | 1980年代 | パキスタンのシーア派の指導者で,同派の組織である「ジャーファル法学伝道運動」(TNFJ)党首のアッラーマー・アル・フサイニー,ペシャーワルで暗殺される。 |
DIA-304-1988-08-09-1 | パキスタン | 1988年08月09日 | 1980年代 | アヒール内務相,インドに対し,相手国の統合と安定を脅かす活動に自国領土を使用させないための二国間条約を再び提案。インド側の,パキスタンはシク教徒過激派を支援している,あるいはラジーブ首相暗殺計画に関わっている等の公式な非難に対し,根拠のないことであり,無責任だと逆に非難。 |
DIA-304-1988-08-09-2 | パキスタン | 1988年08月09日 | 1980年代 | パキスタン製鉄所所長,ソ連とパキスタンの専門家が,同社の製造能力を現在の110万㌧から150万㌧に2年間で拡張することに原則合意したと,発表。 |
DIA-304-1988-08-11-1 | パキスタン | 1988年08月11日 | 1980年代 | カトマンドゥで第5回SAARC閣僚会議開催。 |
DIA-304-1988-08-12-1 | パキスタン | 1988年08月12日 | 1980年代 | バルチスタン州のナスィーラーバード地区で30年ぶりという洪水発生,インダス河系の用水網に大きな被害。 |
DIA-304-1988-08-13-1 | パキスタン | 1988年08月13日 | 1980年代 | クエッタ市内で,交通会社の争いを機に,パシュトゥーンとバローチーの間の民族騒乱が発生し,軍が出動,外出禁止令出される。 |
DIA-304-1988-08-13-2 | パキスタン | 1988年08月13日 | 1980年代 | PMLの評議会開催。ジュネージョー派とジア大統領派(ナワーズ・シャリーフ・パンジャーブ州首相,ファズレ・ハック北西辺境州首相ら)の間で党総裁をめぐる争いが解決できずに大混乱のうちに流会。PMLは実質的に。両派に分裂した。 |
DIA-304-1988-08-15-1 | パキスタン | 1988年08月15日 | 1980年代 | 小林日本大使とS・A・クレーシー経済問題局事務次官との間で,総額435億300万円の二国間援助協定が結ばれる。協定の内訳は,306億2600万円はプロジェクト借款,90億円が商品借款で,38億7700万円が無償援助。 |
DIA-304-1988-08-16-1 | パキスタン | 1988年08月16日 | 1980年代 | ナスルッラー・ハーンPDP党首,ジュネージョーとの会談を行ない,MRDとPML(ジュネージョー派)の現実的な協力の基盤が存在する,と発表。 |
DIA-304-1988-08-16-2 | パキスタン | 1988年08月16日 | 1980年代 | 経済調整委員会,180万㌧と史上最高を記録した昨年の砂糖生産を受けて,砂塘輸入の一時停止を決定。 |
DIA-304-1988-08-17-1 | パキスタン | 1988年08月17日 | 1980年代 | ジア大統領,バハーワルプールでのアメリカ製M1戦車の視察からの帰途,搭乗のC130空軍輸送機の爆発で死亡。同乗のアフタル・アブドゥル・ラフマーン大将・統合参謀本部議長ら5人の将校を含む27人のパキスタン軍人,アーノルド・ラフェル駐パキスタン・米大使,ワッソム・マイク准将・米軍事顧問団長が死亡。 |
DIA-304-1988-08-17-2 | パキスタン | 1988年08月17日 | 1980年代 | 憲法にしたがって,グラーム・イスハーク・ハーン上院議長が大統領代行に就任。大統領代行,非常事態を宣言し,5人の閣僚と3軍参謀長,4州の州首相(ただしシンドは上級相),シンド州知事代行,の13名からなる非常事態評議会を任命。なお陸軍参謀長には副参謀長のアスラム・ベグ中将が昇格。 |
DIA-304-1988-08-17-3 | パキスタン | 1988年08月17日 | 1980年代 | ジア大統領の死に対しベーナジール・ブットPPP共同党首,「人の生死は神の手に委ねられており,われわれはそれを受け入れることしかできないが,これで,恐怖の影がとり払われた」とコメント。 |
DIA-304-1988-08-18-1 | パキスタン | 1988年08月18日 | 1980年代 | 連邦上級相のハタック,上院で,事故は破壊活動であるに違いないと発言。 |
DIA-304-1988-08-18-2 | パキスタン | 1988年08月18日 | 1980年代 | ワリー・ハーンANP党首,ジア大統領が死んだからにはMRDとしては,選挙早期実施の要求は降ろし,イスハーク・ハーン大統領代行に公正な政党基盤選挙実施を要求する,と発言。 |
DIA-304-1988-08-20-1 | パキスタン | 1988年08月20日 | 1980年代 | 首都のファイサル・モスクでジア大統領の国葬行なわれる。イスハーク・ハーン大統領代行,ジュネージョー元首相,ベンカタラーマン・インド大統領。エルシャド・バングラデシュ大統領,シュルツ米国務長官らをはじめ40万人以上が参列。 |
DIA-304-1988-08-20-2 | パキスタン | 1988年08月20日 | 1980年代 | イスハーク・ハーン大統領代行,記者会見で,非常事態宣言の理由については,「敵は活発に活動を行なっており,軍の中心にまで入り込んで大統領を殺したため」と述べ,アフガニスタン問題については,「政府はジュネーブ協定を遵守しつつアフガン国民に対して人道的援助を続ける」と述べてジア大統領よりも反政府ゲリラ援助についてトーン・ダウンした発言を行なう。 |
DIA-304-1988-08-21-1 | パキスタン | 1988年08月21日 | 1980年代 | 8人の専門家からなる事故原因調査団がアメリカからバハーワルプールに到着。 |
DIA-304-1988-08-21-2 | パキスタン | 1988年08月21日 | 1980年代 | I・A・ハナフィ,V・A・ジャファレーに代わってパキスタン中央銀行(SBP)総裁に就任。 |
DIA-304-1988-08-22-1 | パキスタン | 1988年08月22日 | 1980年代 | イスハーク・ハーン大統領代行,最初の連邦閣議を開き,ジア大統領のイスラーム化とアフガン政策の継承を確認。 |
DIA-304-1988-08-25-1 | パキスタン | 1988年08月25日 | 1980年代 | アスラム・ベグ陸軍参謀長,陸軍将校への演説のなかで,「事故の直後に,軍の幹部の協議で,憲法の手続きに沿った大統領代行選出を決定した。軍は権力欲を持っておらず,国家の安全と統合を唯一の目標とする」と述べる。 |
DIA-304-1988-08-26-1 | パキスタン | 1988年08月26日 | 1980年代 | イスハーク・ハーン大統領代行,テレビの演説で,憲法に沿った選挙と憲法に沿った政権委譲を約束。 |
DIA-304-1988-08-26-2 | パキスタン | 1988年08月26日 | 1980年代 | PML,イスハーク・ハーン大統領代行を党総裁に擁することで党を統一する工作に失敗。ジア大統領派は,フィダ・ムハンマド・ハーン前北西辺境州知事を党総裁に,ナワーズ・シャリーフ・パンジャーブ州首相を書記長に選出。これによってPMLが公式にジュネージョー派とフィダ派(=ジア大統領派)に分裂した。 |
DIA-304-1988-08-28-1 | パキスタン | 1988年08月28日 | 1980年代 | ジュネージョー,自党から,ナワーズ・シャリーフら3州の州首相,シンド州の上級相,および連邦の暫定内閣閣僚のほとんどを,除籍処分にする。 |
DIA-304-1988-08-29-1 | パキスタン | 1988年08月29日 | 1980年代 | PML(ジュネージョー派),中央評議会でジュネージョーを党総裁に,イクバール・アフマド・ハーンを党書記長に,満場一致で再選。ピール・パガーロこれに全面協力し,パガーロ派は実質的にジュネージョー派に統合とみられる。 |
DIA-304-1988-08-30-1 | パキスタン | 1988年08月30日 | 1980年代 | MRD,29日からの中央執行委員会を終了。9党全部の党首が集まり,11月の総選挙が非政党基盤であるならば参加しないことを決定。公正な選挙実現のために,現暫定内閣が退陣し,中立な選挙実施内閣が任命されるよう要求。 |
DIA-304-1988-08-30-2 | パキスタン | 1988年08月30日 | 1980年代 | マフブーブル・ハック蔵相,経済調整委員会の場で,ジア大統領の経済政策の継承を約束,また,現在の最大の経済問題が昨年から継続している物価の上昇である,と発言。 |
DIA-304-1988-08-30-3 | パキスタン | 1988年08月30日 | 1980年代 | 全国人民党(NPP),全国評議会でジャトーイーを党首に再選し,「平和的・民主主義的手段により経済的に自立した国家をめざす」選挙綱領を発表。 |
DIA-304-1988-08-31-1 | パキスタン | 1988年08月31日 | 1980年代 | アフタル・A・G・カーズィー,シンド州首相に昇格。 |
DIA-304-1988-09-01-1 | パキスタン | 1988年09月01日 | 1980年代 | 上院で非常事態の解除と非常事態評議会の解散を求める動議が出され,多数の議員が賛意を表明。 |
DIA-304-1988-09-01-2 | パキスタン | 1988年09月01日 | 1980年代 | 元下院議長のファフル・イマームを中心とした議会内野党グループが,独立政治グループ(IPG)を結成し,総選挙参加を表明。 |
DIA-304-1988-09-02-1 | パキスタン | 1988年09月02日 | 1980年代 | PPPに,前国会議員,前州議会議員の計4人が加盟。 |
DIA-304-1988-09-06-1 | パキスタン | 1988年09月06日 | 1980年代 | 国防記念日のこの日,PML-Fはラホールで大衆集会を開催。ナワーズ・シャリーフ・パンジャーブ州首相は,PML-Fこそが,ジア大統領の使命を継承・推進する政党だと宣言。 |
DIA-304-1988-09-07-1 | パキスタン | 1988年09月07日 | 1980年代 | 1963年制定の「西パキスタン報道・出版令」に代わる「印刷報道および出版登録令(1988)」が布告される。新法は,報道の自由を制限する際の政府の裁量権を限定し,また上級裁判所への上訴を認めるなど,おおむね報道・出版の自由化につながる内容をもつ。 |
DIA-304-1988-09-08-1 | パキスタン | 1988年09月08日 | 1980年代 | ニコシアで開催の非同盟諸国外相会議に出席のヤークーブ・ハーン外相,ジュネーブ協定後に,アフガニスタン政府軍により77回の領空侵犯,210回の領土侵犯,61回の破壊活動がなされ,合計約100人が殺された,と発言し,ジュネーブ協定を破っているのはむしろカーブル政府側だと主張し,パキスタンのアフガニスタン問題での立場への理解を訴える。 |
DIA-304-1988-09-11-1 | パキスタン | 1988年09月11日 | 1980年代 | ナワーズ・シャリーフPML-F書記長,ジャトーイーNPP党首と会談し,PML-FとNPPとの間で選挙協力を行なうことに合意。 |
DIA-304-1988-09-11-2 | パキスタン | 1988年09月11日 | 1980年代 | PML-F,カラチで集会開催。ナワーズ・シャリーフ,11月総選挙が政党基盤で行なわれるかどうかは最高裁判決に任せるべきであるとの見解を表明。 |
DIA-304-1988-09-12-1 | パキスタン | 1988年09月12日 | 1980年代 | パキスタン空軍のF-16機,領空侵犯のアフガニスタン政府機2機を撃墜する。 |
DIA-304-1988-09-14-1 | パキスタン | 1988年09月14日 | 1980年代 | ジュネージョー前首相,非政党基盤で行なわれた1985年選挙は,パキスタンから民主主義を抹殺するものであった,と発言して前回の選挙を否定し,政党基盤の選挙を要求。 |
DIA-304-1988-09-15-1 | パキスタン | 1988年09月15日 | 1980年代 | PML-J,ジュネージョー前首相の5項目社会経済計画をベースにした選挙綱領を発表。綱領では,国防費削減はしないことが明記される。 |
DIA-304-1988-09-16-1 | パキスタン | 1988年09月16日 | 1980年代 | パンジャーブ州,ホシャーブで,遊説活動中のジュネージョー前首相の一行,チャッター前下院議長の一行がそれぞれ襲撃される。ジュネージョー前首相はこれらの事件がナワーズ・シャリーフ・パンジャーブ州首相の指図によるものだ,と非難。 |
DIA-304-1988-09-17-1 | パキスタン | 1988年09月17日 | 1980年代 | ヌスラット・ブットPPP党首,療養先のパリから帰国。 |
DIA-304-1988-09-17-2 | パキスタン | 1988年09月17日 | 1980年代 | ジュネージョー内閣での閣僚経験もある,カーズィー・アブドゥル・マジード・アービド,PPPに加盟。 |
DIA-304-1988-09-19-1 | パキスタン | 1988年09月19日 | 1980年代 | ファフル・イマームIPG代表,カーラーバーグ・ダム推進などをうたった選挙綱領発表。 |
DIA-304-1988-09-20-1 | パキスタン | 1988年09月20日 | 1980年代 | バングラデシュ洪水被害救済団が,連邦保健相H・ハーン・ビジュラーニーを団長に,バングラデシュ訪問。 |
DIA-304-1988-09-21-1 | パキスタン | 1988年09月21日 | 1980年代 | 五つの国有商業銀行の株式各20%売却のために,国有化以前の保有者以外にも国有化株式を売却できる方向に,規則改正がなされる。 |
DIA-304-1988-09-21-2 | パキスタン | 1988年09月21日 | 1980年代 | イスラーム協会(JI),イスラーム法にのっとった司法,アフガニスタン反政府ゲリラへの支持などをうたった選挙綱領を発表。 |
DIA-304-1988-09-24-1 | パキスタン | 1988年09月24日 | 1980年代 | パキスタン製鉄所,1987/88年度には,操業開始以来初めての営業粗利益(約7億ルピー)を計上見込みであることが公表される。 |
DIA-304-1988-09-25-1 | パキスタン | 1988年09月25日 | 1980年代 | ラホール高裁,ジュネージョー前首相らが出していた5月29日の議会解散・内閣解任違法訴訟について,議会解散,内閣解任ともに違法である,したがって連邦下院は現在も有効である,しかし国民の判断を受けるために総選挙は予定どおり11月16日に行なわれるべきである,との判決を出す。 |
DIA-304-1988-09-26-1 | パキスタン | 1988年09月26日 | 1980年代 | 前日の高裁判決を受けて,チャッター前下院議長,下院を招集する意向を明らかにする。ジュネージョー前首相もこの判決を歓迎。 |
DIA-304-1988-09-29-1 | パキスタン | 1988年09月29日 | 1980年代 | シンド州で,アフタル・アリー・G・カーズィー(留任)を首相に,PML-FとNPPの連立州内閣が成立。11人の閣僚中4人がNPP所属であり,NPPが与党に加わったのはシンド州が初めて。 |
DIA-304-1988-09-30-1 | パキスタン | 1988年09月30日 | 1980年代 | ハイダラバードでムハージル住民とシンディー住民との間で衝突が起こり,これが暴力組織による無差別発砲に発展,約50人が死亡し,市内に無期限外出禁止令が出される。 |
DIA-304-1988-10-01-1 | パキスタン | 1988年10月01日 | 1980年代 | ハイダラバードの騒乱収まらず,さらに約100人が死亡。この日,民族抗争がカラチにも波及,市内の騒乱で58人が死亡し,カラチ市内にも外出禁止令出される。 |
DIA-304-1988-10-02-1 | パキスタン | 1988年10月02日 | 1980年代 | 最高裁,11月の総選挙を政党基盤で行なうべしとの命令を審現結果として下す。ベーナジール・ブットPPP共同党首,ジュネージョー前首相など有力野党指導者,一様にこの命令を歓迎することを表明。 |
DIA-304-1988-10-02-2 | パキスタン | 1988年10月02日 | 1980年代 | ラーヴィー河,チェナーブ河の洪水,パンジャーブ州全域に拡大。9月25日以来の洪水で州内2000以上の村,150万エーカー以上の農地に被害が生じている模様。また民間部門の製造業でも,2000以上の工場が閉鎖に追い込まれるなど,約70億ルピーの被害がでているという(The Nation紙,10月3日)。 |
DIA-304-1988-10-05-1 | パキスタン | 1988年10月05日 | 1980年代 | 最高裁,9月25日のラホール高裁の判決を全体的には支持する判決を示す。5月29日の国会解散・内閣解任は違法・違憲なものであるとはしたが,すでに解散・解任が実行されている以上,連邦下院と内閣の復活は認められないとする。 |
DIA-304-1988-10-05-2 | パキスタン | 1988年10月05日 | 1980年代 | PDP,全教育の無償化,成年男子の兵役義務化,新たな立法による土地改革の徹底,などを盛り込んだ選挙綱領発表。 |
DIA-304-1988-10-05-3 | パキスタン | 1988年10月05日 | 1980年代 | PML-FIとNPPの2党を中心に,IPG,イスラーム・ウラマー党ダルフワスティー派(JUI-D)など8党からなる選挙同盟,イスラーム民主同盟(IJI)結成される。 |
DIA-304-1988-10-05-4 | パキスタン | 1988年10月05日 | 1980年代 | アメリカ国際開発局(USAID)。1988年度からの6カ年援助パッケージの初年度軍事援助2億3000万㌦分を借款からグラントに変更することを決定。また,経済援助の借款についても利子率軽減の交渉中であることが明らかになる。 |
DIA-304-1988-10-06-1 | パキスタン | 1988年10月06日 | 1980年代 | イスラーム・ウラマー党ファズルル・ラフマーン派(JUI-F),完全な連邦制のもとで,大統領,首相などの主要職務はスンニ派のムスリムに限るイスラーム国家の建設をうたった選挙綱領発表。 |
DIA-304-1988-10-08-1 | パキスタン | 1988年10月08日 | 1980年代 | 選挙管理委員長のS・A・ヌスラット判事,総選挙の日程を発表。連邦下院選挙は11月16日に行なうが,州議会選挙は当初の予測とは違って11月19日に行なうとした。 |
DIA-304-1988-10-08-2 | パキスタン | 1988年10月08日 | 1980年代 | PML-J,TI,パキスタン・ウラマー党(JUP)の3党からなる選挙同盟,パキスタン人民同盟(PAI)結成される。 |
DIA-304-1988-10-10-1 | パキスタン | 1988年10月10日 | 1980年代 | IJIに宗教政党右翼のJI加盟。9政党となったIJIは緑地に9星の旗を採用し,また総書記にJIの副党首ガッフール・アフマドを選出。。 |
DIA-304-1988-10-12-1 | パキスタン | 1988年10月12日 | 1980年代 | マルダーンでの演説で,アスラム・ベグ陸軍参謀長,軍と司法はジア大統領死亡からこの時点まで一貫して民主主義的方向を支持してきた。これに応えるのが政治家のこれからの任務であると発言。 |
DIA-304-1988-10-13-1 | パキスタン | 1988年10月13日 | 1980年代 | ヌスラット・ブットPPP党首,7章,42項目からなるPPPの選挙綱領発表。1973年憲法を復活して州への権限委譲を進めることで連邦制の徹底化を図る,既存の法律により土地改革を完了する,官僚的諸手続きを緩和して民間資本の活性化を図る,産業の国有化はしない,などがその主要な内容。 |
DIA-304-1988-10-15-1 | パキスタン | 1988年10月15日 | 1980年代 | ナワーズ・シャリーフ。PMLの再統合を宣言。これによって,8月以来分裂していたPMLは,ジュネージョー前首相を党首,イクバール・アフマド・ハーンを書記長(どちらもPML-J)に擁して一本化することになった。 |
DIA-304-1988-10-16-1 | パキスタン | 1988年10月16日 | 1980年代 | 政府,8月17日のジア大統領搭乗機の爆発,墜落事件は破壊活動によるものとの最終報告を発表。 |
DIA-304-1988-10-18-1 | パキスタン | 1988年10月18日 | 1980年代 | ジュネージョー前首相,PML内部のジュネージョー派のPAI脱退を正式に表明。これによって,PAIはJUPとTI2党のみの同盟になる。 |
DIA-304-1988-10-18-2 | パキスタン | 1988年10月18日 | 1980年代 | 経済調整委員会,民間セクターでの発電を推進するために,立地場所にかかわらず所得税免除とWAPDA並みの関税優遇措置をとることを決定。 |
DIA-304-1988-10-20-1 | パキスタン | 1988年10月20日 | 1980年代 | ナスルッラー・ハーンPDP党首,MRDが共闘して選挙に臨めなくなったのはPPPの独自の行動が原因だ,としてPPPを非難。 |
DIA-304-1988-10-22-1 | パキスタン | 1988年10月22日 | 1980年代 | 連邦下院選挙の最終候補者確定。全国217議席に対し,合計1370人の候補者が立候補。 |
DIA-304-1988-10-24-1 | パキスタン | 1988年10月24日 | 1980年代 | 最高裁,国会不在のために承認できない1988/89年度予算について,暫定予算案に基づく出費を選挙結果判明後1月間まで認める判断を示す。 |
DIA-304-1988-10-31-1 | パキスタン | 1988年10月31日 | 1980年代 | S・A・ヌスラット選挙管理委員長,憲法の規定は,総選挙で1人の候補者が複数の議席,複数の議会に立候補することを妨げない,ただし複数議席で当選の場合,選挙結果判明後30日以内に1議席以外は放棄しなければならない,との見解を示す。 |
DIA-304-1988-11-03-1 | パキスタン | 1988年11月03日 | 1980年代 | カラチで第2回ファッション・アパレル展示即売フェアー開催(~6日)。会期中に3億2000万ルピーの輸出成約がなされる。 |
DIA-304-1988-11-07-1 | パキスタン | 1988年11月07日 | 1980年代 | イスハーク・ハーン大統領代行,総選挙で投票する際に,国家身分証明書の提示を義務づける大統領令を発布。 |
DIA-304-1988-11-08-1 | パキスタン | 1988年11月08日 | 1980年代 | ラホール高裁,総選挙では投票所でどのような方法であれ,身分を明らかにできれば投票ができるとの判断を示して,7日の大統領令を否定。 |
DIA-304-1988-11-12-1 | パキスタン | 1988年11月12日 | 1980年代 | 最高裁,投票には国家身分証明書の提示を義務づけると最終的に決定し,ラホール高裁の判断を否定し,大統領令を支持。 |
DIA-304-1988-11-14-1 | パキスタン | 1988年11月14日 | 1980年代 | 6月の予算演説でマフブーブル・ハック蔵相が約束した,民間部門での投資銀行設立について,パキスタン中央銀行の監視下に4行の設立が認可される。 |
DIA-304-1988-11-16-1 | パキスタン | 1988年11月16日 | 1980年代 | 全国205のムスリム議席と九つの非ムスリム議席で,国会(下院)選挙行なわれる。投票率は,都市部46.1%,農村部40.7%,全体で42.0%。PPPが92議席を獲得して第1党に,IJIが55議席で第2党になる。 |
DIA-304-1988-11-17-1 | パキスタン | 1988年11月17日 | 1980年代 | ベーナジール・ブットPPP共同党首,イスハーク・ハーン大統領代行に対し,首相指名を要求。 |
DIA-304-1988-11-19-1 | パキスタン | 1988年11月19日 | 1980年代 | 4州の州議会選挙行なわれる。パンジャーブ州ではIJIが240議席中108議席をとって第1党に(PPPは94議席),シンド州ではPPPが100議席中67議席をとって単独過半数を得た(第2党はMQMで26議席)。北西辺境州ではIJIが79議席中28議席をとって第1党に,バルチスタン州ではJUI-Fが40議席中11議席をとって第1党になった。 |
DIA-304-1988-11-20-1 | パキスタン | 1988年11月20日 | 1980年代 | 総選挙で落選した,スームロー連邦情報相,アヒール連邦内務相,ファズレ・ハック北西辺境州暫定州首相などが,相次いで辞職。 |
DIA-304-1988-11-21-1 | パキスタン | 1988年11月21日 | 1980年代 | ベーナジール・ブットPPP共同党首,アルタフ・フサインMQM代表を訪問してPPFとMQMの連立の可能性を探る。 |
DIA-304-1988-11-22-1 | パキスタン | 1988年11月22日 | 1980年代 | イスハーク・ハーン大統領代行,ベーナジール・ブットPPP共同党首,ナワーズ・シャリーフ(IJI)とそれぞれ会談し,首相指名について討議する。ブット女史は至急自分を首相指名するよう要請,他方,シャリーフは国会の最終勢力分布が確定してから指名を行なうよう主張。 |
DIA-304-1988-11-22-2 | パキスタン | 1988年11月22日 | 1980年代 | ベーナジール・ブットPPP共同党首,アスラム・ベグ陸軍参謀長と会談,首相指名問題を討議。ベグ参謀長はブット女史に対し,PPPとIJIの連立による大連合政権樹立を示唆したが,ブット女史はこれに抵抗した模様(D,11月24日)。 |
DIA-304-1988-11-23-1 | パキスタン | 1988年11月23日 | 1980年代 | イスハーク・ハーン大統領代行,アルタフ・フサインMQM代表,ファズルル・ラフマーシJUI-F党首と,首相指名問題について討議。 |
DIA-304-1988-11-23-2 | パキスタン | 1988年11月23日 | 1980年代 | ジャヴェード・ジャッバル上院議員,PPPへの加盟を発表,上院ではじめてのPPP議員となる。 |
DIA-304-1988-11-23-3 | パキスタン | 1988年11月23日 | 1980年代 | パキスタン商工会議所連盟(FPCCI),PPPの総選挙での勝利を祝し,その経済綱領を高く評価したうえで,経済の混乱回避のために一刻も早く新政権が確立されることを要請する。 |
DIA-304-1988-11-24-1 | パキスタン | 1988年11月24日 | 1980年代 | 国会で第4党となったJUI-Fの中央委員会,連邦レベルではPPPにもIJIにも協力せず,野党としてとどまることを決定。 |
DIA-304-1988-11-25-1 | パキスタン | 1988年11月25日 | 1980年代 | ロバート・オークレー・アメリカ大使,ベーナジール・ブットPPP共同党首と会談。 |
DIA-304-1988-11-27-1 | パキスタン | 1988年11月27日 | 1980年代 | PML中央運営委員会,選挙敗因を分析し,IJI内でJIに大きなシェアーを与えすぎたこと,党組織が弱く党内に分裂を抱えていたこと,シンド州の地域主義に対抗できなかったことなどを挙げる。今後中央では組閣をあきらめ野党としてとどまること,パンジャーブ州での組閣を進め,北西辺境州,バルチスタン州では連立工作で与党となることに全力を注ぐ方針を決定。 |
DIA-304-1988-11-28-1 | パキスタン | 1988年11月28日 | 1980年代 | ティッカ・ハーンPPP書記長,4州の州首相PPP候補を発表,また,12月12日に予定の大統領選挙に党の候補は立てず,イスハーク・ハーン大統領代行を支持する方針を表明。 |
DIA-304-1988-11-28-2 | パキスタン | 1988年11月28日 | 1980年代 | ナワーズ・シャリーフ,国会議員を放棄して州議会議員となり,パンジャーブ州首相を狙うことを表明。 |
DIA-304-1988-11-28-3 | パキスタン | 1988年11月28日 | 1980年代 | MQM中央執行部,PPPとの連立のための26項目要求を発表。1986年10月以降のカラチやハイダラバードでの騒乱でのムハージルの被害への早急な補償,関係行政官・警官の処分,ムハージルから必ずシンド州知事か州首相のどちらかを出すこと,ムハージルの固有の文化を他の文化と同様に扱うこと,などがその主な内容。 |
DIA-304-1988-11-29-1 | パキスタン | 1988年11月29日 | 1980年代 | PMLの国会議員総会,大統領選挙でイスハーク・ハーン大統領代行を支持することを決定。 |
DIA-304-1988-11-30-1 | パキスタン | 1988年11月30日 | 1980年代 | 国会(下院),4州州議会が召集され,総選挙で選出された議員が議員宣誓を行なう。宣誓後,婦人保留議席の選挙が行なわれ,国会では20議席中PPPが12議席を獲得した(IJIは5議席)。 |
DIA-304-1988-11-30-2 | パキスタン | 1988年11月30日 | 1980年代 | MQM,首相信任投票でベーナジール・ブットPPP共同党首を支持することを表明。 |
DIA-304-1988-12-01-1 | パキスタン | 1988年12月01日 | 1980年代 | イスハーク・ハーン大統領代行,次期首相にベーナジール・ブットPPP共同党首を指名して暫定内閣を解任。同時に非常事態の終了と非常事態評議会の解散を宣言。 |
DIA-304-1988-12-01-2 | パキスタン | 1988年12月01日 | 1980年代 | 11月30日にデリーの駐印パキスタン大使がスパイ容疑で国外追放されたことに報復して,カラチの駐パキスタン・インド公使2名が国外追放される。 |
DIA-304-1988-12-02-1 | パキスタン | 1988年12月02日 | 1980年代 | ベーナジール・ブットPPP共同党首,首相に就任。首相就任演説で,貧困・文盲・搾取の追放,政治犯釈放,学生組合・労働組合の復活を約束。 |
DIA-304-1988-12-02-2 | パキスタン | 1988年12月02日 | 1980年代 | 4州の州首相が選出される。パンジャーブはIJIのナワーズ・シャリーフ(IJIおよび無所属が支持),シンドはPPPのサイイド・カイイム・アリー・シャー(PPPとMQMが支持),北西辺境州はPPPのアフタブ・アフマド・ハーン・シェルパーオー(PPP,ANP,無所属の支持),バルチスタン州はIJIのミール・ザファルッラー・ハーン・ジャマーリー(IJI,PPPの支持)がそれぞれ首相に就任した。 |
DIA-304-1988-12-02-3 | パキスタン | 1988年12月02日 | 1980年代 | PPPとMQMの間に59項目の協力協定が調印される。ムハージル文化については「固有の文化と言語を有する市民およびグループはその文化と言語を守る権利を有する」とされ,ムハージルと特定する規定は入らず。 |
DIA-304-1988-12-03-1 | パキスタン | 1988年12月03日 | 1980年代 | 国会下院議長選出される。議長にはマリク・メーラージュ・ハーリド(PPP),副議長にはアシュラフ・アッバースィー女史(PPP)が就任。 |
DIA-304-1988-12-04-1 | パキスタン | 1988年12月04日 | 1980年代 | 連邦内閣が就任し,ベーナジール・ブットを首相とするPPP政権が発足。 |
DIA-304-1988-12-05-1 | パキスタン | 1988年12月05日 | 1980年代 | 8人からなるバルチスタン州内閣が発足。8人中4人がIJIで,PPPと無所属が2人ずつの構成。 |
DIA-304-1988-12-06-1 | パキスタン | 1988年12月06日 | 1980年代 | 大統領選の立候補が受け付けられ,イスハーク・ハーン大統領代行が,PPPとIJIの統一候補として立候補。他にナワーブザーダ・ナスルッラー・ハーンPDP党首など7人が立候補。 |
DIA-304-1988-12-06-2 | パキスタン | 1988年12月06日 | 1980年代 | シンド州で,PPP7人,MQM2人の合計9人を閣僚とする連立内閣が成立。 |
DIA-304-1988-12-08-1 | パキスタン | 1988年12月08日 | 1980年代 | 1988/89年度修正予算案をピラーチャー国務相(大蔵担当),国会に提出。国務相,予算演説で20億ルピーの「人民開発計画」を発表(21日下院通過)。 |
DIA-304-1988-12-08-2 | パキスタン | 1988年12月08日 | 1980年代 | 北西辺境州で,PPP5人,ANP5人,無所属3人からなる合計13人の連立内閣成立。 |
DIA-304-1988-12-09-1 | パキスタン | 1988年12月09日 | 1980年代 | PPP書記長のティッカ・ハーン退役陸軍大将,パンジャーブ州知事に就任。 |
DIA-304-1988-12-11-1 | パキスタン | 1988年12月11日 | 1980年代 | パンジャーブ州で14人からなるIJI州内閣成立。IJI内部の構成は,PMLが12名,JIとJUI-Dが1名ずつ。 |
DIA-304-1988-12-12-1 | パキスタン | 1988年12月12日 | 1980年代 | 国会(上下両院合同議会),4州州議会で大統領選挙実施。イスハーク・ハーン大統領代行が348票と,次点のナスルッラー・ハーン(91票)に大差をつけて大統領に選出される。 |
DIA-304-1988-12-12-2 | パキスタン | 1988年12月12日 | 1980年代 | 国会(下院)でベーナジール・ブット首相の信任投票が行なわれ,148対55で信任される。 |
DIA-304-1988-12-14-1 | パキスタン | 1988年12月14日 | 1980年代 | バルチスタン州内閣の閣僚であったミール・ドースト・M・ハースニー(無所属)が,バルチスタン民族連合(BNA)加盟を宣言して閣僚を辞任。これによってIJI-PPP-無所属・連立政権の州議会での多数性に疑問が生じる。 |
DIA-304-1988-12-15-1 | パキスタン | 1988年12月15日 | 1980年代 | ムーサ・ハーン・バルチスタン州知事,バルチスタン州議会を解散。州内閣も解任。議会解散は,議会のどの政党ないし政党連合も多数を得ていないことを理由に,ジャマーリー州首相が憲法112条に基づき知事に助言したことによる。ベーナジール・ブット首相,連邦政府はこの件に関係していないし,今後も州の問題であるから干渉するつもりはないと表明。 |
DIA-304-1988-12-15-2 | パキスタン | 1988年12月15日 | 1980年代 | カラチ市内で覆面自動車が市民に発砲して6人が死亡。市内の一部に再び外出禁止令出される。 |
DIA-304-1988-12-16-1 | パキスタン | 1988年12月16日 | 1980年代 | ベーナジール・ブット首相,記者会見で,「現在PPPはバルチスタン州議会解散についての調査をしている。この事件は民主主義を脅かすものであり,その全責任はジャマーリー州首相にある」との見解を表明。 |
DIA-304-1988-12-18-1 | パキスタン | 1988年12月18日 | 1980年代 | ナワーズ・シャリーフ・パンジャーブ州首相,野党の代表としてバルチスタン州議会の復活を求める要請をイスハーク・ハーン大統領との会談で行なう。 |
DIA-304-1988-12-20-1 | パキスタン | 1988年12月20日 | 1980年代 | 北西辺境州州議会開催。シェルパーオー州首相を信任したのち,カーラーバーグ・ダム建設反対決議を満場一致で採択。 |
DIA-304-1988-12-22-1 | パキスタン | 1988年12月22日 | 1980年代 | ベーナジール・ブット首相,首相就任後初めてカラチを訪問し,記者会見で,国営企業の一部民営化政策は継続するが,株式の20%から25%が労働者の保有になるよう配慮する意向であることを明らかにする。 |
DIA-304-1988-12-22-2 | パキスタン | 1988年12月22日 | 1980年代 | 元最高裁判事のフダー・バフシュ・マーリー,バルチスタン州の暫定州首相に就任。 |
DIA-304-1988-12-22-3 | パキスタン | 1988年12月22日 | 1980年代 | 1985年から88年の4年間に,大きなもので20回の民族紛争がカラチを中心に生じ,合計1495件の暴力事件となり566人が死亡,1751人が負傷した,との警察の報告が公表される(D,12月23日)。 |
DIA-304-1988-12-23-1 | パキスタン | 1988年12月23日 | 1980年代 | 6名からなるバルチスタン暫定州内閣就任。暫定内閣の主な任務は州議会選挙の実施。 |
DIA-304-1988-12-24-1 | パキスタン | 1988年12月24日 | 1980年代 | 中央銀行1987/88年度年次報告書発表。 |
DIA-304-1988-12-24-2 | パキスタン | 1988年12月24日 | 1980年代 | 国会上院議長に,IJIのワシーム・サッジャド(47歳)が53対28で選出される。 |
DIA-304-1988-12-26-1 | パキスタン | 1988年12月26日 | 1980年代 | ベーナジール・ブット首相,就任後初めてラホールを訪問し,ナワーズ・シャリーフ・パンジャーブ州首相と会談。中央・州の関係改善などさまざまな問題の解決のためにIJIとPPP双方を含む委員会を設立することで両者が合意。 |
DIA-304-1988-12-29-1 | パキスタン | 1988年12月29日 | 1980年代 | イスラマバードで第4回SAARCサミット開催(~31日)。議長に選出されたベーナジール・ブット首相は「戦争の脅威のない南アジア」を呼びかけ,ラジーブ・ガンディー・インド首相は地域協力推進を強調。 |
DIA-304-1988-12-29-2 | パキスタン | 1988年12月29日 | 1980年代 | IMF,パキスタンの経常収支赤字削減のための8億3000万ドルの借款に合意。GDP成長率を5.2%から5.5%に保ち,インフレ率を6%以下におさえる条件のもと,3億6500万㌦が今後15カ月にスタンド・バイ協定で,4億6500万㌦が今後3年間で構造調整借款として供与される。 |
DIA-304-1988-12-30-1 | パキスタン | 1988年12月30日 | 1980年代 | 印パ首相会談,二国間問題を主要議題に開催。 |
DIA-304-1988-12-30-2 | パキスタン | 1988年12月30日 | 1980年代 | カラチのクリフトン地区で爆弾テロ発生,1名が死亡する。 |
DIA-304-1988-12-31-1 | パキスタン | 1988年12月31日 | 1980年代 | SAARCサミット終了。採択されたイスラマバード宣言では,加盟各国の開発課題の問題をまとめて「SAARC2000年:基本的ニーズ展望」を作成することが宣言された。 |
DIA-304-1988-12-31-2 | パキスタン | 1988年12月31日 | 1980年代 | 印パ間で,原子力施設相互不攻撃協定,民間航空機乗り入れへの二重課税防止協定,3年間文化交流協定,の3文書が調印される。 |
DIA-304-1989-01-01-1 | パキスタン | 1989年01月01日 | 1980年代 | ファルーク・レガーリー連邦水利・電力相,カーラーバーグ・ダム建設問題と水利権の州間調整のために,共通利害評議会(CCI)を開催する可能性を示唆。 |
DIA-304-1989-01-04-1 | パキスタン | 1989年01月04日 | 1980年代 | グラーム・イスハーク・ハーン大統領,パキスタン経済振興のための5項目憲章を発表。内容は,農業・工業の生産力強化,国内貯蓄率上昇,政府支出削減,補助金削減,公共部門投資逓減の五つ。 |
DIA-304-1989-01-04-2 | パキスタン | 1989年01月04日 | 1980年代 | ウォロンツォフ・ソ連外務次官来訪,ヤークーブ・ハーン外相とアフガン問題について会談。 |
DIA-304-1989-01-09-1 | パキスタン | 1989年01月09日 | 1980年代 | 外務省スポークスマン,1988年12月のSAARC時のラジーブ・ガンディー・インド首相との対談で,ベーナジール・ブット首相がカシミール問題を終始議題としなかったとの報道を否定。 |
DIA-304-1989-01-11-1 | パキスタン | 1989年01月11日 | 1980年代 | ブット首相,就任後初の外訪としてメッカに小巡礼(ウムラ)。サウジアラビア国王と非公式会談。 |
DIA-304-1989-01-11-2 | パキスタン | 1989年01月11日 | 1980年代 | イスハーク・ハーン大統領の就任(88年12月)で空席となった上院議席補選で,パキスタン人民党(PPP)・大衆民族党(ANP)相乗り候補が野党イスラーム民主同盟(IJI)候補を46対37で破る。 |
DIA-304-1989-01-11-3 | パキスタン | 1989年01月11日 | 1980年代 | ペシャーワル市内のバス停で爆弾テロ,4人死亡,13人負傷。 |
DIA-304-1989-01-13-1 | パキスタン | 1989年01月13日 | 1980年代 | 日本政府,パキスタンに対し,小麦緊急輸入のための無償援助10億円(約1億4500万ルピー)の交換公文調印。 |
DIA-304-1989-01-15-1 | パキスタン | 1989年01月15日 | 1980年代 | パキスタン来訪中のソラーズ米下院議員・ブット首相と会談,アフガン問題,アメリカの対パ援助等について協議。 |
DIA-304-1989-01-17-1 | パキスタン | 1989年01月17日 | 1980年代 | ソラーズ米下院議員,インドでの記者会見で,「アフガニスタンからのソ連軍撤退完了後も,パキスタンの戦略的重要性と民主政権の体制固めの重要性に変わりなく,今後も軍事協力に十分な配慮をする」と発言。 |
DIA-304-1989-01-17-2 | パキスタン | 1989年01月17日 | 1980年代 | 1988/89年度より認められている民間部門による,公社を通さない綿花輸出に関するスキャンダルが報道される。急増している民間部門の輸出のうち約40%が,実際の等級よりも故意に低く格づけして低価格で輸出されているという(DN,1月18日)。 |
DIA-304-1989-01-18-1 | パキスタン | 1989年01月18日 | 1980年代 | パキスタン政府,イスラマバードのPLO代表部に対し大使館の地位を授与。 |
DIA-304-1989-01-18-2 | パキスタン | 1989年01月18日 | 1980年代 | ブグティー・バルチスタン民族同盟(BNA)党首らの指導で,1988年12月のバルスチタン州議会解散に抗議する集会がクエッタで開かれる。BNAの他に,イスラーム・ウラマー党ファズルル・ラフマーン派(JUI),パシュトゥーン民族人民連合(PMAI)が参加。 |
DIA-304-1989-01-20-1 | パキスタン | 1989年01月20日 | 1980年代 | ブット首相,ファイサラバードの集会で,PPPの選挙公約であった政治犯釈放の完了を宣言。 |
DIA-304-1989-01-21-1 | パキスタン | 1989年01月21日 | 1980年代 | 北西辺境州で内閣拡大。野党IJIから分裂した約10名のIJI民主派議員が,PPP・ANP・無所属連合に加わり,このIJI民主派から3人が入閣。 |
DIA-304-1989-01-23-1 | パキスタン | 1989年01月23日 | 1980年代 | バルチスタン高等裁判所,88年12月のバルチスタン州議会解散を違憲と判断,州議会の復活を命令。判決によれば,12月2日の州議会でのミール・ザファルッラー・ハーン・ジャマーリーの首相信任得票は22票であり,州議会定数(45)の過半数に満たないことから州首相として信任されたとはいえず,したがって州知事に対し州議会の解散を助言する資格を有さなかったとされた。 |
DIA-304-1989-01-25-1 | パキスタン | 1989年01月25日 | 1980年代 | JUIとBNAの間にバルチスタン州での連立政権樹立のための10項目の協定が調印される。 |
DIA-304-1989-01-26-1 | パキスタン | 1989年01月26日 | 1980年代 | バルチスタン州連立政権にIJIも参加を発表。 |
DIA-304-1989-01-28-1 | パキスタン | 1989年01月28日 | 1980年代 | 全国で連邦下院・州議会の補欠選挙実施。連邦下院は,合計13議席のうち7議席をIJIが獲得(すべてパンジャーブ州),PPPが4議席(パンジャーブ州2,シンド州1,バルチスタン州1),ANP1議席(北西辺境州),ムハージル民族運動(MQM)1議席(シンド州)。州議会ではパンジャーブ州5議席のうち4議席をIJIが制した(残り1議席はPPP)。 |
DIA-304-1989-01-28-2 | パキスタン | 1989年01月28日 | 1980年代 | 28日付の『ワシントン・ポスト』紙,レーガン大統領が1988年11月の議会宛書簡のなかで,「バキスタンが原爆開発を進めているという疑惑を裏づける事柄があまりに多いため,パキスタンが原爆開発をしていないと今後も議会に納得させることは困難となろう」と述べていたと報道(PT,29日)。 |
DIA-304-1989-01-29-1 | パキスタン | 1989年01月29日 | 1980年代 | ブット首相,フェローズ・カイサルを議長とする経済問題諮問委員会設置を決定。まず,この委員会に農業所得税導入の是非について検討させ,2ヵ月以内に諮問を求める方針。 |
DIA-304-1989-02-01-1 | パキスタン | 1989年02月01日 | 1980年代 | アリー・アクバル・ヴェラヤーティー・イラン外相来訪。イスハーク・ハーン大統領,ヤークーブ・ハーン外相等と会談し,アフガン問題について協議。 |
DIA-304-1989-02-01-2 | パキスタン | 1989年02月01日 | 1980年代 | ブット首相,カラチでアルタフ・フサインMQM代表と会談,88年12月締結のPPP-MQM協定の完全実施を約束。 |
DIA-304-1989-02-04-1 | パキスタン | 1989年02月04日 | 1980年代 | インド首相の「西ドイツはパキスタンに原爆4~10発分の放射性物質と製造技術を供与」との3日の発言に対し,パ外務省スポークスマンは事実無根と否定。 |
DIA-304-1989-02-04-2 | パキスタン | 1989年02月04日 | 1980年代 | シェワルナゼ・ソ連外相,ソ連外相として初めて,パキスタンを公式訪問(~6日)。 |
DIA-304-1989-02-05-1 | パキスタン | 1989年02月05日 | 1980年代 | シェワルナゼ・ソ連外相,イスハーク・ハーン大統領,ブット首相らとアフガン問題を中心に会談。 |
DIA-304-1989-02-05-2 | パキスタン | 1989年02月05日 | 1980年代 | バルチスタン州議会召集され,BNAのナワーブ・M・アクバル・ハーン・ブグティーが,BNA,JUI,IJI,PMAIの支持を受けて首相に就任。 |
DIA-304-1989-02-05-3 | パキスタン | 1989年02月05日 | 1980年代 | アスラム・ベグ陸軍参謀長,国立防衛大学での演説で,パキスタンが国産の地対地長距離弾道ミサイルの実験に成功したと発表。ミサイルは,500kgの弾頭を装備し,射程80kmと300kmの2種類。 |
DIA-304-1989-02-06-1 | パキスタン | 1989年02月06日 | 1980年代 | ホーク・オーストラリア首相来訪(~9日)。 |
DIA-304-1989-02-07-1 | パキスタン | 1989年02月07日 | 1980年代 | ナスルッラー・ハーン・パキスタン民主党(PDP)党首,イスラーム教を冒涜しているとされる,サルマン・ラシュディー著『悪魔の詩』の国際的販売中止のために英米政府と交渉するようパキスタン政府に要請する動議を国会に提出,動議は満場一致で採択される。なお,『悪魔の詩』はパキスタン国内では88年11月に販売禁止処分になっている。 |
DIA-304-1989-02-08-1 | パキスタン | 1989年02月08日 | 1980年代 | バルチスタン州で13人からなる内閣成立。閣僚ポストの配分はJUI 5,BNA 3,IJI 4,PMAI 1。 |
DIA-304-1989-02-11-1 | パキスタン | 1989年02月11日 | 1980年代 | ブット首相,首相就任後初の公式外訪として,中国訪問(~13日)。この日北京に到着,李鵬首相主催の晩餐会に出席。 |
DIA-304-1989-02-11-2 | パキスタン | 1989年02月11日 | 1980年代 | ラホールでIJI政党首脳会談開催。IJI総裁にジャトーイー全国人民党(NPP)党首に代わってナワーズ・シャリーフ・パンジャーブ州首相を選出。 |
DIA-304-1989-02-12-1 | パキスタン | 1989年02月12日 | 1980年代 | イスラマバードで,『悪魔の詩』抗議デモ実施,数千人が参加し警官隊と衝突,5人の死者が出る。アメリカの出版業者がパキスタンに『悪魔の詩』を輸出したとの噂から,アメリカン・センターにデモ隊が押しかけ,星条旗を引きずり降ろす騒ぎに発展。デモにはファズルル・ラフマーンJUI書記長,ナスルッラー・ハーンPDP党首など国会議員も多数参加。 |
DIA-304-1989-02-12-2 | パキスタン | 1989年02月12日 | 1980年代 | 北京でブット・李鵬公式会談。投資奨励・保護に関する相互協定,バーター貿易1400万㌦分付加の覚え書きの2文書調印。 |
DIA-304-1989-02-15-1 | パキスタン | 1989年02月15日 | 1980年代 | ソ連軍,アフガニスタンより撤退完了。パ外務省スポークスマン,撤退が完了してもパキスタンがカーブル政権を認知せず,真のアフガニスタン国民を代表する政権樹立を支持する態度に変化はない,と発言。 |
DIA-304-1989-02-16-1 | パキスタン | 1989年02月16日 | 1980年代 | エヴレン・トルコ大統領来訪(~18日)。 |
DIA-304-1989-02-17-1 | パキスタン | 1989年02月17日 | 1980年代 | 反『悪魔の詩』暴動,全国に広がる。パキスタン・ウラマー党(JUP),イスラーム協会(ジャマーテ・イスラーミー,JI),JUIなど主要イスラーム団体,イスラーム政党のほとんどが運動に加わる。 |
DIA-304-1989-02-19-1 | パキスタン | 1989年02月19日 | 1980年代 | 日本,パキスタン,二つの援助協定に調印。一つは小麦輸入のための商品借款15億8632万ルピー(105億円)で,1月約束の無償援助に続くもの。もう一つは債務救済無償協力で,5785万ルピー(3億8295万円)。 |
DIA-304-1989-02-22-1 | パキスタン | 1989年02月22日 | 1980年代 | パンジャーブ州ムルターンで連邦下院補欠選挙が行なわれ,PPP候補が当選。 |
DIA-304-1989-02-23-1 | パキスタン | 1989年02月23日 | 1980年代 | ラーワルピンディーで,アフガニスタン・ムジャーヒディーン・イスラーム同盟(IUAM)主体のアフガニスタン暫定政権樹立。 |
DIA-304-1989-02-23-2 | パキスタン | 1989年02月23日 | 1980年代 | 昭和天皇葬儀のためにブット首相,訪日(~25日)。23日,ブット首相はフセイン・ヨルダン首相,ワイツゼッカー・西ドイツ大統領,ミッテラン・フランス大統領,竹下首相との首脳会談を順次行なう。竹下首相,対パ援助の拡大を約束。 |
DIA-304-1989-02-24-1 | パキスタン | 1989年02月24日 | 1980年代 | 東京でブット首相,ブッシュ米大統領と会談。ブッシュ大統領,民主政権であるブット政権を支援し,6ヵ年援助パッケージを全額実施することを約束。 |
DIA-304-1989-02-25-1 | パキスタン | 1989年02月25日 | 1980年代 | ブット首相,東京で,デクェヤル国連事務総長,オザル・トルコ首相などと会談。帰国前記者会見で,日本の民間投資がパキスタンにもっと向けられるよう要望。 |
DIA-304-1989-02-26-1 | パキスタン | 1989年02月26日 | 1980年代 | ブット首相,日本から帰国しての記者会見で,23日成立のアフガニスタン暫定政権の認知は,ゲリラ側自身が「暫定」と述べている以上時期尚早であるが,パキスタン政府としてこのような政権が樹立したことを歓迎する,とコメント。 |
DIA-304-1989-02-26-2 | パキスタン | 1989年02月26日 | 1980年代 | 中国とパキスタンの合同経済委員会,20~25馬力の小型トラクター生産での中国の対パ協力を決定。 |
DIA-304-1989-02-27-1 | パキスタン | 1989年02月27日 | 1980年代 | ブッシュ政府,米議会に対し,1990米会計年度の対パ援助大幅増額を要請。経済援助は,前年度の2億6500万㌦に対し,3億8000万㌦,軍事援助は同2億3000万㌦を2億4000万㌦にというのが要請額。 |
DIA-304-1989-03-02-1 | パキスタン | 1989年03月02日 | 1980年代 | ブット首相,カラチでパック・スズキ社のビン・カーシム工場落成式に出席。操業はエンジン部の組立から始まり,1990年末には,年産で800ccを1万8000台,1000ccを6000台生産する総合工場となる予定。 |
DIA-304-1989-03-05-1 | パキスタン | 1989年03月05日 | 1980年代 | アスラム・ベグ陸軍参謀長,2月19日から16日間のアメリカ公式訪問を終えて帰国。 |
DIA-304-1989-03-06-1 | パキスタン | 1989年03月06日 | 1980年代 | パンジャーブ州でPPPによるナウーズ・シャリーフ州政権打倒の動きが活発化。PPPはパンジャーブでも,IJIを分裂させ分派のIJIフォワードブロックをPPPと組ませることに成功しつつあり,票数が整い次第,ナワーズ・シャリーフ・パンジャーブ州首相不信任動議が州議会に出される見込(DN,7日)。 |
DIA-304-1989-03-08-1 | パキスタン | 1989年03月08日 | 1980年代 | ブット首相,来訪中のアラファトPLO議長とともにPLO大使館起工式に出席。アラファト議長は国家元首級の扱い。 |
DIA-304-1989-03-09-1 | パキスタン | 1989年03月09日 | 1980年代 | アラファトPLO議長,イスハーク・ハーン大統領,ムジャディディー・アフガニスタン暫定政権大統領らと会談。その後ニューデリーに出発。 |
DIA-304-1989-03-10-1 | パキスタン | 1989年03月10日 | 1980年代 | 最高裁,88年6月の故ジア大統領による首相抜きの暫定政権任命に関し,憲法は暫定政権においても首相を長とする内閣の任命を命じており,ジア大統領の行為は違憲との最終判断を示す。 |
DIA-304-1989-03-10-2 | パキスタン | 1989年03月10日 | 1980年代 | ヤークーブ・ハーン外相,13日から開催のイスラーム諸国会議機構(OIC)外相会議出席に先立ち,テヘラン訪問。 |
DIA-304-1989-03-11-1 | パキスタン | 1989年03月11日 | 1980年代 | カラチの輸出加工区庁(EPZA),総額4751万㌦の17プロジェクトを加工区内に認可したと発表。17のうち製造業が13(運動靴,革靴,医療機器,電子機器など),残りは倉庫業など。 |
DIA-304-1989-03-12-1 | パキスタン | 1989年03月12日 | 1980年代 | ナワーズ・シャリーフ・パンジャーブ州首相,連邦政府の「人民事業計画」(PWP)に対抗して,パンジャーブ州で1989/90年度より総額10億ルピーの「労働者福祉プロジェクト」を実施し,労働者の保険・医療,子女の無償教育,住宅整備などを行なうと発表。 |
DIA-304-1989-03-13-1 | パキスタン | 1989年03月13日 | 1980年代 | パンジャーブ州議会召集。PPPとIJIフォワードブロックによるナワーズ・シャリーフ・パンジャーブ州首相不信任決議案よりも先に,信任決議案が出され,ナワーズ・シャリーフ州首相は258票中152票を得て信任される。PPPとIJIフォワードブロックによるIJI州政権打倒工作は完全に失敗。 |
DIA-304-1989-03-13-2 | パキスタン | 1989年03月13日 | 1980年代 | サウジアラビアのリヤドでOIC外相会議開催(~16日)。 |
DIA-304-1989-03-13-3 | パキスタン | 1989年03月13日 | 1980年代 | 日本とパキスタン,ダウドケル化学肥料工場近代化,大都市水道整備など5プロジェクトからなる第25次円借款協定締結。LDCアンタイド,据置10年の30年返済,年利2.50%,総額は76億820万ルピー(502億9700万円)。 |
DIA-304-1989-03-14-1 | パキスタン | 1989年03月14日 | 1980年代 | リヤドのOIC外相会議で,ヤークーブ・ハーン外相,アフガン情勢について報告し,OICのアフガニスタン代表(1980年以来空席)の代理として暫定政権代表を認めるよう訴える。 |
DIA-304-1989-03-16-1 | パキスタン | 1989年03月16日 | 1980年代 | 北西辺境州議会で,与党連合のPPPとANPの軋轢強まる。ANPは,共闘の条件のANP州知事任命が受け入れられない場合,連立から抜けると表明。 |
DIA-304-1989-03-18-1 | パキスタン | 1989年03月18日 | 1980年代 | カラチ市内で,無差別発砲事件発生,10人死亡,10人負傷。 |
DIA-304-1989-03-19-1 | パキスタン | 1989年03月19日 | 1980年代 | サイイド・ファイサル・サレ・ハイヤット連邦商業相,商業省輸出促進局(EPB)および,各国のパキスタン大使館商務官に対し,3ヵ月で輸出を10~15%伸ばす努力をするよう指令。 |
DIA-304-1989-03-20-1 | パキスタン | 1989年03月20日 | 1980年代 | フェローズ・カイサル経済問題諮問委員会,大規模土地所有者のみを対象とした農業所得税の次年度導入を提言する方向に傾く(DN,21日)。 |
DIA-304-1989-03-21-1 | パキスタン | 1989年03月21日 | 1980年代 | シンド全国同盟(SNA),ビハーリー難民(バングラデシュ在住のパキスタン人難民)の帰国に反対する行進をカラチで行ない,警官隊と衝突。 |
DIA-304-1989-03-21-2 | パキスタン | 1989年03月21日 | 1980年代 | フェローズ・カイサル経済問題諮問委員会,第7次5ヵ年計画に関し,概ねPPPの経済戦略と一致しているとして計画書の変更は必要ないとの最終結論を出す。 |
DIA-304-1989-03-22-1 | パキスタン | 1989年03月22日 | 1980年代 | 内閣拡大。ヌスラット・ブットPPP党首(ブット首相の母親)が無任所上級相に任命されるなど新たに24名が入閣,総勢40人をこえるパキスタン史上最大の内閣となった。女性閣僚5名もこれまでで最多。また,省庁改革が同時に行なわれ,麻薬撲滅省,環境省,青年問題省などが新設された。 |
DIA-304-1989-03-26-1 | パキスタン | 1989年03月26日 | 1980年代 | ビハーリー難民帰国問題で,アルタフ・フサインMQM代表は,MQMは難民帰国を主張しており,この点では国会でIJIとの共闘があり得ると発言。 |
DIA-304-1989-03-27-1 | パキスタン | 1989年03月27日 | 1980年代 | ハウ・イギリス外相来訪,ブット首相と会談。『悪魔の詩』作者のサルマン・ラシュディーをイギリスが保護していることに対する抗議デモ,各地でおこる。 |
DIA-304-1989-03-28-1 | パキスタン | 1989年03月28日 | 1980年代 | ハウ英外相,イスハーク・ハーン大統領と会談。イギリス政府はパキスタンの英連邦復帰を歓迎すると述べ,クアラルンプルで開催予定の次回英連邦首脳会議で復帰が認められる可能性が強いことを示唆。また,『悪魔の詩』問題に触れて,「現代世界においては偉大な宗教への相互尊敬と,思想・表現の自由とのバランスを見いだすことが必要である。暴力行為はこのバランスに貢献しない」と述べてパキスタン国内の過剰な反応を批判。 |
DIA-304-1989-03-30-1 | パキスタン | 1989年03月30日 | 1980年代 | 国会で,ワリー・ハーンANP党首のゴルバチョフ・ソ連書記長,デクェヤル国連事務総長,ガンディー・インド首相への手紙が問題になる。手紙は,パキスタン政府はジュネーブ協定を遵守してアフガニスタン国内問題に関与すべきでないと主張するもの。IJIなど野党は,このような行為はパキスタンのアフガン政策に悪影響を与えると非難。またムジャディディー・アフガニスタン暫定大統領は,パキスタンの有力指導者がカーブル政権寄りの手紙を出したことを強く非難し,ムジャーヒディーン支持を訴える(DN,31日)。 |
DIA-304-1989-03-31-1 | パキスタン | 1989年03月31日 | 1980年代 | IJI,カラチ市内でナワーズ・シャリーフ総裁を先頭に12時間にわたる大行進を実施。テロリズムと貧困に対するジハード(聖戦)を呼びかけて,IJIへの支持を訴える。 |
DIA-304-1989-04-01-1 | パキスタン | 1989年04月01日 | 1980年代 | ワリー・ハーンANP党首,アフガニスタン国内で反政府ゲリラの支援をしていると見られる軍諜報部(ISI)の活動を糾弾し,パキスタン政府に対しアフガニスタンへの内政干渉を止めるよう訴える。他方,IJIは,ANP党首の最近の言動は憲法63条第2項の「パキスタンの主権と安全保障を脅かす行為」にあたるとして,ワリー議員の連邦下院議員資格剥奪を主張。 |
DIA-304-1989-04-02-1 | パキスタン | 1989年04月02日 | 1980年代 | カラチのシャー・ファイサル・コロニーで再び騒乱,3人死亡。 |
DIA-304-1989-04-03-1 | パキスタン | 1989年04月03日 | 1980年代 | カラチで2日から開催の第5回日本・パキスタン合同委員会終了。両国は,日本からの投資増大を期待し,日本の輸出超過改善のためパキスタンの対日輸出促進策をとることなどを内容とする共同コミュニケを発表。 |
DIA-304-1989-04-04-1 | パキスタン | 1989年04月04日 | 1980年代 | 連邦閣議で,新工業政策認可。この政策で,投資手続き窓口一本化,投資規制緩和,プロジェクト認可手続き簡素化,投資審議会(Board of Investment,議長は首相)と投資委員会(Committee of Investment,議長は工業相)の設置などが打ち出される(PT,5日)。 |
DIA-304-1989-04-05-1 | パキスタン | 1989年04月05日 | 1980年代 | ラーワルピンディーで,全パキスタン紡織協会(APTMA)など18の繊維産業界団体主催により「90年代の繊維産業」会議開催(~6日)。 |
DIA-304-1989-04-06-1 | パキスタン | 1989年04月06日 | 1980年代 | ハイダラバードの大学での警官による学生射殺事件を契機に,市内全体に騒乱,10人死亡,40人負傷。 |
DIA-304-1989-04-07-1 | パキスタン | 1989年04月07日 | 1980年代 | ハイダラバードの騒乱収まらず,この日MQM活動家の家屋が襲われるなどして,死者合計14人に増加。カイーム・アリー・シャー・シンド州首相,治安回復のために断固たる措置をとると記者会見で発言。 |
DIA-304-1989-04-09-1 | パキスタン | 1989年04月09日 | 1980年代 | フェローズ・カイサル経済諮問委員会,パンジャーブ州のPPP実力者との会談後,農業所得税導入を提言しない方向に主流意見が変化。PPP実力者は,所得税導入が地主に打撃を与えるだけでなく,野党に与党攻撃の種を与えると主張したと伝えられる(DN,9日)。 |
DIA-304-1989-04-11-1 | パキスタン | 1989年04月11日 | 1980年代 | 国連安全保障理事会で,パキスタン側代表のイクバール・アーフンド首相顧問(外務),アフガニスタン国内でのパキスタン国軍の活動は確認されなかったと主張。カーブル政権の非難に根拠がないことを実証するため,国境地域の国連による監視を強化し,監視ポストなどを増やす準備があると表明(PT,13日)。 |
DIA-304-1989-04-16-1 | パキスタン | 1989年04月16日 | 1980年代 | ブグティー・バルチスタン州首相,連邦政府の人民事業計画(PWP)は州の権限を侵すものだと非難。 |
DIA-304-1989-04-16-2 | パキスタン | 1989年04月16日 | 1980年代 | ムフタル・A・アーワーン連邦労働相,PPP政府は労働力輸出拡大のための努力を続けており,サウジアラビア,リビアなど中東諸国への労働力輸出が直ちに再開されよう,と発言。 |
DIA-304-1989-04-16-3 | パキスタン | 1989年04月16日 | 1980年代 | 日本からの21億2130万円無償援助締結。洪水被害救済に6億円,辺境事業組織(FWO)に対し建築機械改善のための15億2139万円。以上は日本の1988/89年度援助分で,年度贈与合計は108億1530万円に。 |
DIA-304-1989-04-17-1 | パキスタン | 1989年04月17日 | 1980年代 | 連邦閣議,労働者の未亡人その他扶養家族への年金を現行の60%から100%に上げることを決定。 |
DIA-304-1989-04-17-2 | パキスタン | 1989年04月17日 | 1980年代 | ジェームズ・A・ノリス・USAID長官,パキスタン政府と5500万㌦援助(贈与)を調印。 |
DIA-304-1989-04-18-1 | パキスタン | 1989年04月18日 | 1980年代 | サイイド・ファイサル・サレ・ハイヤット連邦商業相,綿花不足が伝えられる綿紡績業者に対し,綿花輸出公社(CECP)から20万ベイルの綿花を売却することを発表。ただし,綿花を輸出した紡績業者にはこの売却を受ける権利がない。 |
DIA-304-1989-04-18-2 | パキスタン | 1989年04月18日 | 1980年代 | アメリカ議会小委員会(南アジア,太平洋問題),対パ1990年度援助案を,行政府の要請どおり6億2100万㌦(経済軍事合計)で認可。委員会は,パキスタンに純粋な民選政権が復活したことを高く評価し,女性の高い文盲率を改善するためさらに1000万㌦の贈与を2年間で行なうことを提言。さらに,1990年4月1日で切れる現在のサイミントン条項適用免除措置については,さらに42ヵ月の適用免除を提言。 |
DIA-304-1989-04-19-1 | パキスタン | 1989年04月19日 | 1980年代 | シンド州知事に,カディールッディーン・アフマドに替わり,元最高裁判所のファフルッディーン・G・・イブラーヒーム就任。 |
DIA-304-1989-04-21-1 | パキスタン | 1989年04月21日 | 1980年代 | パリで19日から開催の対パ債権国会議,31億㌦の援助パッケージを認可。 |
DIA-304-1989-04-21-2 | パキスタン | 1989年04月21日 | 1980年代 | 4月21日付Times of India,シク教徒テロリストが,パキスタンで組織的に訓練を受けている「証拠写真」を掲載。写真は,国際シク青年連合(ISYF)所属のカナダ人シク教徒がパキスタン占領地のカシミールと思われる地域で中型マシンガンを操作している写真や,ISYFの主要テロリストとおぼしぎシク教徒がパジェーロー・ジープ(パキスタンではポピュラーだがインドではまれ)を運転している写真など(TI,21日)。 |
DIA-304-1989-04-23-1 | パキスタン | 1989年04月23日 | 1980年代 | 首相就任後初めて北西辺境州入りしたブット首相,ペシャーワルで「パキスタンはアフガン内戦に関与していないし関与する意向もない。したがって内戦がパキスタン国内に波及することを心配する必要はない。アフガン問題はカーブル政権が暫定政権勢力によって替えられて初めて解決する」と発言。 |
DIA-304-1989-04-23-2 | パキスタン | 1989年04月23日 | 1980年代 | ブット首相,ペシャーワル郊外のダルマンギ村で掘りぬき井戸の起工式を行ない,人民事業計画(PWP)を発足させる。首相,「国民への奉仕と貧困追放がPPPの任務である。進歩と繁栄に向けて社会の全階層が一致協力してこの人民事業計画を成功させよう」と演説。 |
DIA-304-1989-04-23-3 | パキスタン | 1989年04月23日 | 1980年代 | ブグティー・バルチスタン州首相,「州政府は連邦によるPWPの強行を許さない。バルチスタン州政府は,年次開発計画(ADP)の枠外で,2億2500万ルピーの予算で,「加速化社会経済開発計画」を行なうと宣言。 |
DIA-304-1989-04-25-1 | パキスタン | 1989年04月25日 | 1980年代 | ブット首相,バハーワルナガル郊外の村で飲用水整備計画の起工式を行ない,パンジャーブ州における,人民事業計画の開始を確認。これに対しジュネージョー元首相(PML党首)は,人民計画はまやかしであり,これに費やされる資金はPPPのワーカーのポケットに入るだけだと激しく非難(DN,26日)。 |
DIA-304-1989-04-26-1 | パキスタン | 1989年04月26日 | 1980年代 | シンド州内閣拡大,新たに9人が入閣,閣僚数は20人に(うちMQMは3名)。 |
DIA-304-1989-04-26-2 | パキスタン | 1989年04月26日 | 1980年代 | パキスタン政府は,ブット首相訪米の6月初めに,駐米大使をジャムシェド・マーカーから退役空軍中将のズルフィカール・アリー・ハーンに替える意向。マーカー大使は外交官のキャリア組だが,軍諜報部(ISI)との関連が強すぎるため,対アフガン政策とのからみでブット首相は替えたがっている。実現すれば,対米ロビイストをデニス・ニールからマーク・スィーゲルに替えたのに続く対米ポストの変更になる(TI,27日)。 |
DIA-304-1989-04-26-3 | パキスタン | 1989年04月26日 | 1980年代 | インド軍事演習指揮官,パキスタン軍がシアチェン地区のサルトロ峰に新たに二つのポストを設置したが,このような行為は緊張をあおるとパキスタン側に警告(TI,27日)。 |
DIA-304-1989-04-27-1 | パキスタン | 1989年04月27日 | 1980年代 | ブット首相,カラチの人民看護訓練研究所の起工式を行ない,シンド州における人民計画の開始を宣言。 |
DIA-304-1989-04-27-2 | パキスタン | 1989年04月27日 | 1980年代 | ANP,北西辺境州におけるPPPとの連立の条件であったANPからの知事任命が約束の3ヵ月の間に実現しなかったとして,州内閣から5人の閣僚,および1人の州首相顧問を辞任させる。PPPがANP知事を任命しなかったのは,軍およびIJIが,親カーブル色の強いANPに強く反対したためとされる(TI,29日)。 |
DIA-304-1989-04-30-1 | パキスタン | 1989年04月30日 | 1980年代 | ムフタル・A・アーワーン連邦労働相,一部の公企業の労働組合禁止の解除,労働者遺族への年金や見舞い金制度の充実などの労働条件改善パッケージを発表。 |
DIA-304-1989-05-01-1 | パキスタン | 1989年05月01日 | 1980年代 | MQM,シンド州におけるPPPとの連立を解消し,3人のMQM州閣僚が州首相に辞表を提出。ハイダラバード市長の更迭と,MQM活動家の釈放の二つの要求が受け入れられなかったため。 |
DIA-304-1989-05-02-1 | パキスタン | 1989年05月02日 | 1980年代 | 外務省スポークスマン,「パキスタン政府は最近のインド・ネパール関係に留意しており,ネパールは経済封鎖により多大な被害を受けていることを憂慮する。両国がSAARCの精神に沿って問題解決にあたることを希望する」と表明。 |
DIA-304-1989-05-03-1 | パキスタン | 1989年05月03日 | 1980年代 | 輸出加工区庁(EPZA),加工区内の企業の要請にこたえて,施設使用料への10%付加税廃止を決定。 |
DIA-304-1989-05-04-1 | パキスタン | 1989年05月04日 | 1980年代 | アフガニスタン政府軍発射のスカッドミサイル,パキスタン領内,バンヌー県のアフガン難民キャンプ近くを襲撃,2名の難民死亡,14人が負傷。パキスタン政府,これはジュネーブ協定に背くものだとして国連監視団に通報。 |
DIA-304-1989-05-05-1 | パキスタン | 1989年05月05日 | 1980年代 | パンジャーブ州計画・開発相,PPPの人民事業計画に対抗して4ヵ年350億ルピーの開発計画案を発表。小中学校,無料保健センター,舗装道路,橋,工業団地内の職業訓練校と労働者住宅などの設置を目指すもの。 |
DIA-304-1989-05-06-1 | パキスタン | 1989年05月06日 | 1980年代 | ワリー・ハーンANP党首,カーブル訪問,ナジーブ大統領と会談。 |
DIA-304-1989-05-11-1 | パキスタン | 1989年05月11日 | 1980年代 | 上院で人民計画が取り上げられ,フルシド・アフマド教授(JI)など多数の議員が計画を批判。 |
DIA-304-1989-05-11-2 | パキスタン | 1989年05月11日 | 1980年代 | 国防省スポークスマン,最近のシアチェン情勢について説明。この3週間,インド軍の活動が活発化し,新しいポストの建設を行なおうとしため,パキスタン軍は防衛的措置をとったという。 |
DIA-304-1989-05-11-3 | パキスタン | 1989年05月11日 | 1980年代 | 第5回パキスタン・中国合同閣僚会議で,両国がパキスタンおよび第3国で合弁企業を育成することで合意。 |
DIA-304-1989-05-12-1 | パキスタン | 1989年05月12日 | 1980年代 | (Gurkka Expressによれば,ネパール政府は中国領土を経由してカラコルムハイウェーからカラチ港へとつながるルートを開く決定をした(DN,13日)。 |
DIA-304-1989-05-12-2 | パキスタン | 1989年05月12日 | 1980年代 | ザファル・レガーリー連邦鉄道相,入札等の公開方法により民間部門に対し,狭軌鉄道運営事業を試験的に委託する決定を政府はしていると発言。 |
DIA-304-1989-05-13-1 | パキスタン | 1989年05月13日 | 1980年代 | M. D. Knightを団長とするIMF全権使節団,パキスタンの次年度予算案を認可,教育・保健など社会部門支出の伸び率低下を要請しないことに合意。また,政府は電力料金引き上げには同意したがスイ・ガス料金引き上げについては90/91年度に回したい意向であり,IMFとの交渉が続いている模様(DN,14日)。 |
DIA-304-1989-05-13-2 | パキスタン | 1989年05月13日 | 1980年代 | アスラム・ベグ陸軍参謀長,軍の近代化・効率化の必要性を,クエッタの軍事学校で強調。また,アフガン問題についての発言で,パキスタンのアフガニスタン政策が「脱軍事化」されることが望ましいとし,軍諜報部(ISI)による内戦介入継続への消極的な態度を示した模様(Herald,1989年6月号)。 |
DIA-304-1989-05-15-1 | パキスタン | 1989年05月15日 | 1980年代 | 印パ両国の鉄道当局,両国を結ぶ便を6月15日から週7便に増やすことに合意,協定締結(PT,16日)。 |
DIA-304-1989-05-17-1 | パキスタン | 1989年05月17日 | 1980年代 | ジンバブエのハラレで非同盟運動(NAM)諸国外相会議開催(~19日)。パキスタンからヤークーブ・ハーン外相出席。 |
DIA-304-1989-05-20-1 | パキスタン | 1989年05月20日 | 1980年代 | ナジーブ大統領,カーブルで,「アフガニスタン・パキスタン戦争の危険が高まっており,アフガニスタンはあり得る侵略に対抗するための動員の準備をしなければならない。またパキスタン軍の干渉が続くならばパキスタン国内のゲリラ拠点を長距離ミサイルで攻撃することも辞さない」とパキスタンを警告。 |
DIA-304-1989-05-20-2 | パキスタン | 1989年05月20日 | 1980年代 | シャーナーズ・ワズィール・アリー国務相(教育担当),「全国教育基金」を設立して教育予算を最低でGNPの4.5%にしたいと発言。 |
DIA-304-1989-05-21-1 | パキスタン | 1989年05月21日 | 1980年代 | イスラマバードで第3回印パ内務次官会談開始。 |
DIA-304-1989-05-21-2 | パキスタン | 1989年05月21日 | 1980年代 | イスラマバードで外国投資促進シンポジウム開催(~22日)。ブット首相,この席で,「パキスタン政府は外資導入促進のために,投資審議会(BOI)を設立して不必要な手続き上の遅れがないように取りはからっている。また,二重課税防止や投資保護のための協定をさらに広げる準備がある。外国投資は,PPP政権が1976年に制定した外国民間投資(推進と保護)法によって国有化から守られている。現政権は政府所有の株式売却という形での民営化を推進する」と発言(DN,22日)。 |
DIA-304-1989-05-22-1 | パキスタン | 1989年05月22日 | 1980年代 | インド,数回の発射延期ののちにアグニ中距離弾道ミサイル発射に成功。 |
DIA-304-1989-05-23-1 | パキスタン | 1989年05月23日 | 1980年代 | 全国経済諮問委員会(NEC:議長ブット首相),1989/90年度の公共部門開発計画,総額560億ルピーを認可。NECの決定に対しナワーズ・シャリーフ・パンジャーブ州首相,ブグティー・バルチスタン州首相は,州の権限を侵すものであるとして強く抗議,89/90年度予算提出前に共通利害評議会(CCI)を召集するよう,文書で首相に要求。 |
DIA-304-1989-05-23-2 | パキスタン | 1989年05月23日 | 1980年代 | 北西辺境州で,連邦下院補選実施。IJIとPPPがそれぞれ1議席獲得。 |
DIA-304-1989-05-23-3 | パキスタン | 1989年05月23日 | 1980年代 | ヤークーブ・ハーン外相,上院で,インドのアグニミサイル発射成功は地域の安全のみならず国際平和に対しても重大な脅威となるものである,と表明。 |
DIA-304-1989-05-24-1 | パキスタン | 1989年05月24日 | 1980年代 | ブット首相,西アジア諸国外遊に出発。24~27日トルコ,27~28日イラク。 |
DIA-304-1989-05-24-2 | パキスタン | 1989年05月24日 | 1980年代 | イスラマバードで開催の第3回印パ内務次官会談の結果,テロリズム防止,印パ国境部での麻薬取引と密輸防止のため,両国が具体的な措置をとることで合意。 |
DIA-304-1989-05-27-1 | パキスタン | 1989年05月27日 | 1980年代 | ナワーズ・シャリーフ・パンジャーブ州首相,ブグティー・バルチスタン州首相,現在の緊張した政治状況が続き,連邦政府が州に対し憲法に違反する介入を続けるならば,総選挙を行なうべきである,と発言。 |
DIA-304-1989-05-28-1 | パキスタン | 1989年05月28日 | 1980年代 | 上院,23日の全国経済諮問委員会(NEC)での州と連邦の対立で生じた混乱を収拾するため,連邦政府に対し共通利害評議会(CCI)開催を要求する決議を満場一致で採決。 |
DIA-304-1989-05-29-1 | パキスタン | 1989年05月29日 | 1980年代 | ヤークーブ・ハーン外相,ニューヨーク訪間。 |
DIA-304-1989-05-30-1 | パキスタン | 1989年05月30日 | 1980年代 | ナワーズ・シャリーフ・パンジャーブ州首相,アルタフ・フサインMQM代表と会談。IJIとMQMの間で主要な政治・経済問題において「広範な合意」がなされたと発表される(DN,31日)。 |
DIA-304-1989-05-31-1 | パキスタン | 1989年05月31日 | 1980年代 | イスハーク・ハーン大統領,「CCIは憲法に定められた事項のみを討議できる。NECは憲法上は単なる諮問機関にすぎず,そこでの不一致は最終的に国会で調整されるべきもので,州と連邦の間に意見の相違があるのは民主主義では自然なことである」と発言。 |
DIA-304-1989-06-01-1 | パキスタン | 1989年06月01日 | 1980年代 | 1988/89年度版『経済白書』公表。GDP成長率は前年度6.2%,目標6.9%に対し5.1%,89年6月末対外債務残高は前年同期の129億㌦から140億㌦に増加など,が主な内容(PT,2日)。 |
DIA-304-1989-06-01-2 | パキスタン | 1989年06月01日 | 1980年代 | IJIの議会内グループ,ナワーズ・シャリーフ・パンジャーブ州首相を議長に会合し,国会において,野党連合(COP)を結成することで合意。 |
DIA-304-1989-06-01-3 | パキスタン | 1989年06月01日 | 1980年代 | 全国のパワールーム工場,綿糸不足と価格高騰に抗議してストライキ。 |
DIA-304-1989-06-03-1 | パキスタン | 1989年06月03日 | 1980年代 | ピラーチャー国務相(大蔵担当),連邦下院に1989/90年度連邦予算案を提出。予算総額は前年改訂予算比8.4%増の2063.1億ルピーで,インフレ率を11%とすると実質縮小の緊縮予算(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1989-06-03-2 | パキスタン | 1989年06月03日 | 1980年代 | PPP(カイーム・アリー・シャー・シンド州首相)とMQM(アズィーム・アフマド・ターリク議長),20項目の合意覚え書きに調印。 |
DIA-304-1989-06-04-1 | パキスタン | 1989年06月04日 | 1980年代 | イランのホメイニ師死去に対し,連邦政府,10日間の国喪を決定。 |
DIA-304-1989-06-04-2 | パキスタン | 1989年06月04日 | 1980年代 | ブット首相,米国に出発(~10日)。 |
DIA-304-1989-06-04-3 | パキスタン | 1989年06月04日 | 1980年代 | ワリー・ハーンANP党首,ファズルル・ラフマーンJUI書記長,国会で,野党連合(COP)の結成を発表。代表はジャトーイーNPP党首で,連合は既存の政党を越えるものではなく,広範な野党の共闘により国家的問題に当たろうというもの。COPには,IJI,JUI,ANP,NPP,JUPなどMQMを除くほとんどすべての国会に議席を持つ野党が参加。 |
DIA-304-1989-06-05-1 | パキスタン | 1989年06月05日 | 1980年代 | ブット首相,ワシントン到着。ブッシュ大統領とホワイトハウスで会談。 |
DIA-304-1989-06-05-2 | パキスタン | 1989年06月05日 | 1980年代 | イスハーク・ハーン大統領,ホメイニ師の葬儀に参列のためにイラン訪問。 |
DIA-304-1989-06-07-1 | パキスタン | 1989年06月07日 | 1980年代 | ブット首相,アメリカ議会で演説。「パキスタンは核兵器を保有していないし,製造しようといういかなる意図も有しない。パキスタンは南アジアの他の国がそうするならば,核施設の国際査察を受け入れる」と宣言。 |
DIA-304-1989-06-07-2 | パキスタン | 1989年06月07日 | 1980年代 | パ外務省スポークスマン,中国の民主化運動制圧軍事行動について初めて触れ,パキスタンは隣国中国との友好関係を維持してきており,この事件そのものへのコメントは差し控えるが,一般的にいって人命の損失は残念なことである,と発言。 |
DIA-304-1989-06-07-3 | パキスタン | 1989年06月07日 | 1980年代 | ピラーチャー国務相(大蔵担当),売上税問題協議のために,繊維加工業者各団体と会談。この日,売上税賦課に反対して,繊維川下諸団体,商工会議所,鉄鋼業者などが抗議行動やストライキを宣言。 |
DIA-304-1989-06-09-1 | パキスタン | 1989年06月09日 | 1980年代 | カラチで,MQM,貧者救済の義援バザール(ムフト・バザール)を開催。カイーム・アリー・シャー・シンド州首相,アルタフ・フサインMQM代表とともに開催式に出席,PPPとMQMがシンド州福祉向上のために協力することを再確認。 |
DIA-304-1989-06-12-1 | パキスタン | 1989年06月12日 | 1980年代 | ブット首相帰国。空港でのインタビューで,訪米の成果について述べ,「パキスタンはその安全保障と地域の戦力均衡のために,14億㌦相当の60機のF-16をアメリカから得ることになるであろう。この供与はアフガン問題とは関係なく,地域の安定にはたすパキスタンの重要性をアメリカ側が認識したことによる」と発言。 |
DIA-304-1989-06-12-2 | パキスタン | 1989年06月12日 | 1980年代 | カラチ輸出加工区(KEPZ)で手続き窓口一本化が完了。 |
DIA-304-1989-06-13-1 | パキスタン | 1989年06月13日 | 1980年代 | 日本政府,総額6億3156万ルピー(42億2100万円)の4援助プロジェクト(贈与)に合意。 |
DIA-304-1989-06-13-2 | パキスタン | 1989年06月13日 | 1980年代 | インド政府,アメリカの対パキスタンF-16供与の動きに対し強い懸念をアメリカ政府に伝える。 |
DIA-304-1989-06-14-1 | パキスタン | 1989年06月14日 | 1980年代 | 北西辺境州内閣に新たに3人が入閣し,総勢14人に。3人のうち2名は無所属,1人はPPP所属。総勢14人の内訳はPPP6,無所属5,IJI民主派3。 |
DIA-304-1989-06-15-1 | パキスタン | 1989年06月15日 | 1980年代 | ピラーチャー国務相(大蔵担当),予算案審議中の国会で,売上税などの一部免除を表明。 |
DIA-304-1989-06-17-1 | パキスタン | 1989年06月17日 | 1980年代 | 15日よりイスラマバードで開催の第5回印パ国防次官会談終了。共同記者会見で,シアチェン問題を1972年シムラ協定に基づいて早期解決するために両国が努力することで合意。 |
DIA-304-1989-06-18-1 | パキスタン | 1989年06月18日 | 1980年代 | 17日開始の印パ外務次官会談終了(イスラマバード)。両国は,シアチェン地区の軍事力を1972年夏のシムラ協定調印時の位置に撤退させることで合意。また,88年12月に調印の文化交流協定の批准書が交換された。 |
DIA-304-1989-06-20-1 | パキスタン | 1989年06月20日 | 1980年代 | インド政府スポークスマン,印パ外務次官会談の成果についてのパキスタン外務次官の発言に関し,両国はシアチェン地区における緊張緩和のために軍事力の配備を再検討することに合意したにすぎず,インド軍が1972年時まで撤退することに合意したとする表現は誤りであると発言。パキスタン外務省スポークスマンは,これに対し,至急インド政府の発表内容と会談での合意内容について詳細に検討すると発言(PT,21日)。 |
DIA-304-1989-06-23-1 | パキスタン | 1989年06月23日 | 1980年代 | ヤークーブ・ハーン外相,ネパールを公式訪問(~24日)。この日,S・K・ウパディヤ・ネパール外相と会談,貿易拡大と工業分野での協力で両国は合意。 |
DIA-304-1989-06-24-1 | パキスタン | 1989年06月24日 | 1980年代 | アラファトPLO議長来訪。 |
DIA-304-1989-06-25-1 | パキスタン | 1989年06月25日 | 1980年代 | 国会(下院),野党の修正動議を否決して,128対42で89/90年度予算を可決。 |
DIA-304-1989-06-27-1 | パキスタン | 1989年06月27日 | 1980年代 | イスハーク・ハーン大統領とブット首相,GHQ訪問。パキスタン国防上の諸問題点についてアスラム・ベグ陸軍参謀長などから説明を受ける。 |
DIA-304-1989-06-28-1 | パキスタン | 1989年06月28日 | 1980年代 | サイイド・イフティハール・フサイン・ギッラーニー連邦法相,「州と連邦の関係の円滑化のために,中央に州間調整省を再設置することを政府が検討中である。首相は憲法に限定された問題を扱うために必要とあればCCIを開催する準備があるが,現在そのような必要性はない」と発言(DN,29日)。 |
DIA-304-1989-06-29-1 | パキスタン | 1989年06月29日 | 1980年代 | サイイド・ファイサル・サレ・ハイヤット連邦商業相,新通商政策を発表。輸入政策では,輸入規制リストから20品目が除外され,ネガティブ・リストは140品目に縮小,輸出政策では,輸出所得への75%所得税免税の対象品目拡張(新たに13品目)など。 |
DIA-304-1989-06-29-2 | パキスタン | 1989年06月29日 | 1980年代 | 米下院,1990年度の対パ援助5億8100万㌦を314対101で認可。追加の女性識字計画500万㌦を含む。 |
DIA-304-1989-07-02-1 | パキスタン | 1989年07月02日 | 1980年代 | R・シャーヒド・ザファル国務相(生産担当),ブット首相が生産省に対し,食品保存・加工業,および電子産業育成の二つの公社設立を指示したと発表。 |
DIA-304-1989-07-02-2 | パキスタン | 1989年07月02日 | 1980年代 | ブット首相,首相官邸のあるラーワルピンディーから,首都イスラマバードに引っ越し。イスラマバードに住む最初の首相に。 |
DIA-304-1989-07-03-1 | パキスタン | 1989年07月03日 | 1980年代 | 内閣経済調整委員会(ECC),全国建設公社(NCC)の倒産を認可。ただし,現在進行中の五つのプロジェクトについては倒産前に完成させることとする。 |
DIA-304-1989-07-03-2 | パキスタン | 1989年07月03日 | 1980年代 | パンジャープ州議会,州政府が銀行を設立するための「1989年パンジャーブ銀行法案」を賛成多数で採択。 |
DIA-304-1989-07-04-1 | パキスタン | 1989年07月04日 | 1980年代 | ペシャーワル,キッサハーニー・バーザールそばのカーブリー・チョウクでミニバス爆発。10人死亡。 |
DIA-304-1989-07-05-1 | パキスタン | 1989年07月05日 | 1980年代 | ブット首相訪英(~12日)。この日,ハウ外相と会談。 |
DIA-304-1989-07-05-2 | パキスタン | 1989年07月05日 | 1980年代 | 世銀,金融市場規制緩和を含むパキスタンの金融セクター改革支援資金として1億5000万㌦融資(据え置き5年の20年返済,利子率7.65%),およびカラチ上下水道プロジエクトに1億2500万㌦融資(据え置き10年の35年返済,利子率0.75%)を認可。 |
DIA-304-1989-07-06-1 | パキスタン | 1989年07月06日 | 1980年代 | イスハーク・ハーン大統領,PPPとIJIの関係改善のために,両党指導者と接触を持った模様(DN,7日)。 |
DIA-304-1989-07-07-1 | パキスタン | 1989年07月07日 | 1980年代 | ブット首相,サッチャー首相と会談。80分の会談中アフガン問題に多くの時間が割かれ,イギリスは,パキスタンのアフガン政策を支持(DN,9日)。 |
DIA-304-1989-07-09-1 | パキスタン | 1989年07月09日 | 1980年代 | ブット首相,イギリスのテレビに出演,パキスタンは核軍備競争に加わらないと宣言。 |
DIA-304-1989-07-10-1 | パキスタン | 1989年07月10日 | 1980年代 | ロンドンで,英国のパキスタンへの援助協定結ばれる。社会部門開発資金として2500万ポンド。 |
DIA-304-1989-07-10-2 | パキスタン | 1989年07月10日 | 1980年代 | テヘランを訪問中の生産省次官,イランの重工業副大臣との間で,1982年に操業したが85年に閉鎖されたパック・イラン合弁の2繊維工場の処分について合意。設備更新のうえ,経営陣を一新し,新たな合弁企業を設立するというのがその内容。イラン側は新規投資分の49%,約2000万㌦を負担,残りをパキスタン側が出資する。 |
DIA-304-1989-07-10-3 | パキスタン | 1989年07月10日 | 1980年代 | アフマド・サイード・アーワーン国務相(工業担当),Dawn紙とのインタビューで,1989年7月1日より発効の5ヵ年新工業政策について説明。外資導入分野については,ポジティブ・リストとネガティブ・リストの二つを作成し,前者に属する業種は外資に対し完全にオープンとする。業種は,畜産業,種子業,酪農,家禽,漁業,特定リスト以外の製造業,建設業,発電,石油・ガス・石炭採掘,観光・ホテル業,電力送配,銀行・金融業など。ネガティブ・リストの業種は農地関連ビジネス,林業,灌漑,不動産業,放射性物質,保険,医療。(DN,11日。「参考資料」参照) |
DIA-304-1989-07-11-1 | パキスタン | 1989年07月11日 | 1980年代 | ニューデリーで印パ陸軍司令官会談終了(10日~)。シアチェン問題に関しある程度の進展が見られたが,具体的内容は,より高次の両国会談に持ち越される。 |
DIA-304-1989-07-11-2 | パキスタン | 1989年07月11日 | 1980年代 | ロンドンでブット首相,エリザベス女王と会談。 |
DIA-304-1989-07-12-1 | パキスタン | 1989年07月12日 | 1980年代 | ブット首相,革命200年祭に招かれてフランス訪問(~15日)。 |
DIA-304-1989-07-13-1 | パキスタン | 1989年07月13日 | 1980年代 | ブット首相,パリでミッテラン大統領と会談。 |
DIA-304-1989-07-14-1 | パキスタン | 1989年07月14日 | 1980年代 | ブット首相,パリで,ムバーラク・エジプト大統領,エルシャド・バングラデシュ大統領,宇野・日本首相らと順次会談。 |
DIA-304-1989-07-16-1 | パキスタン | 1989年07月16日 | 1980年代 | ラジーブ・ガンディー・インド首相,パリ,モスクワ歴訪からの帰途,イスラマバードを訪問。インド首相のパキスタン公式訪問は,1988年のSAARC首脳会議を別にすれば60年のネルー以来のこと。 |
DIA-304-1989-07-17-1 | パキスタン | 1989年07月17日 | 1980年代 | 印パ首脳会談全日程を終え,共同記者会見行なわれる。核開発問題およびカシミール問題については依然両国の主張に差が大きく今回も歩み寄りは見られず。 |
DIA-304-1989-07-17-2 | パキスタン | 1989年07月17日 | 1980年代 | 連邦政府,繊維産業に関する総合的な政策提言のために,商業相を委員長,工業相を副委員長とする繊維委員会(Textile Board)を設立。 |
DIA-304-1989-07-18-1 | パキスタン | 1989年07月18日 | 1980年代 | アジア開銀(ADB)の常駐オフィスがイスラマバードに開設。 |
DIA-304-1989-07-18-2 | パキスタン | 1989年07月18日 | 1980年代 | ジュネージョーPML総裁,ラジーブ・ガンディー・インド首相の17日の記者会見での発言を批判し,インド首相の来訪はパキスタンを侮辱するものであったと自国政府を非難。インド首相は,「パキスタンの核開発は完全に軍にコントロールされている。カシミールの国民投票は問題外である」と発言,パキスタンの主張を正面から否定したとされる(DN,19日)。 |
DIA-304-1989-07-18-3 | パキスタン | 1989年07月18日 | 1980年代 | 印パ両外相を中心にパキスタン・インド合同閣僚会議(第3回),イスラマバードで開催(~19日)。経済,貿易,情報・科学・文化・スポーツ,旅行・観光・領事事務の4分野における両国関係の緊密化が検討される。 |
DIA-304-1989-07-23-1 | パキスタン | 1989年07月23日 | 1980年代 | ファズレ・ハック前北西辺境州首相,保釈要求がペシャーワル高裁より却下され正式に殺人事件関与の疑いで拘留される。 |
DIA-304-1989-07-24-1 | パキスタン | 1989年07月24日 | 1980年代 | 連邦閣議開催,各州に対し,憲法で定められた連邦管轄の事項に対する介入を直ちにやめるよう警告を伝達。銀行業,外貨扱いなどは連邦事項に当たるとしてパンジャーブ州の銀行設立の動きを牽制。 |
DIA-304-1989-07-24-2 | パキスタン | 1989年07月24日 | 1980年代 | ヤークーブ・ハーン外相,SAARC議長国として地域協力に関する討議のためにインド訪問,ニューデリーで,P・V・N・ラーオー・インド外相と会談。 |
DIA-304-1989-07-25-1 | パキスタン | 1989年07月25日 | 1980年代 | 連邦閣議,州調整の大臣職を設立し,そのポストをイフティハール・H・ギッラーニー連邦法務相が兼任し,彼を議長に州調整委員会を設置することを決定。機構的には州調整部(Wing)が法務省内に設置される。 |
DIA-304-1989-07-26-1 | パキスタン | 1989年07月26日 | 1980年代 | カトマンドゥで,第3回ネパール・パキスタン合同閣僚委員会開催(~28日)。 |
DIA-304-1989-07-28-1 | パキスタン | 1989年07月28日 | 1980年代 | カラチでの豪雨関連の死者25名に。電力事情悪化。ブット首相,カラチの豪雨被害地域への救済措置を発表。シンド州国会議員,州議会議員らと会談し州内治安の回復のための末端行政の組織改革について協議。 |
DIA-304-1989-07-30-1 | パキスタン | 1989年07月30日 | 1980年代 | 空輸業民営化に関する報告書,2機のリースによる民間の参入を提言。これまでの空輸業民営化案はその度にPIAの反対でつぶれてきたが,今回はブット首相が積極的であるため実現の公算大という(DN,31日)。 |
DIA-304-1989-07-30-2 | パキスタン | 1989年07月30日 | 1980年代 | ピラーチャー国務相(大蔵担当),パキスタン・バングラデシュ合同閣僚委員会(~8月1日)出席のためダッカ訪問。貿易拡大,合弁企業設立などを協議。 |
DIA-304-1989-08-02-1 | パキスタン | 1989年08月02日 | 1980年代 | UNDPとの共催で連邦工業省が2日間にわたる「民営化と投資」セミナーを開催。ブット首相,開会演説で,人民党政府は1990年5月から民営化を開始し,その目的は公企業の所有権をできるだけ多くの民間人に拡大することである,と発言。 |
DIA-304-1989-08-03-1 | パキスタン | 1989年08月03日 | 1980年代 | 北西辺境州内閣に新たに3人が入閣,これまでで最大規模の22名の内閣に。 |
DIA-304-1989-08-05-1 | パキスタン | 1989年08月05日 | 1980年代 | ブット首相,ピン・カーシム港のパキスタン初の統合コンテナ・ターミナル起工式典に出席,その席で,総額10億ルピーの港湾整備特別援助を発表。 |
DIA-304-1989-08-06-1 | パキスタン | 1989年08月06日 | 1980年代 | ペシャーワル市内の青果市場で爆弾テロ。4人死亡,27人負傷。ラーワルピンディーでも繁華街で爆弾テロ騒ぎがあり,39人が負傷。 |
DIA-304-1989-08-07-1 | パキスタン | 1989年08月07日 | 1980年代 | USAID,総額1億7000万㌦の10ヵ年民間部門発電プロジェクトに対し,1450万㌦の無償資金供与の調印を行なう。当プロジェクトは世銀を中心にアメリカ,日本,イタリアなどが協調融資を行なうもの。 |
DIA-304-1989-08-07-2 | パキスタン | 1989年08月07日 | 1980年代 | ブット首相,ペシャーワルで予定の閣議など,この日の公式の予定をすべてキャンセル。イスラマバードにクーデターの噂流れる。 |
DIA-304-1989-08-08-1 | パキスタン | 1989年08月08日 | 1980年代 | 連邦上級相ヌスラット・ブット,緊急記者会見を行ない,ブット首相が国家安全保障と民主主義擁護に関する重大な高次の会合に出席するため,当面の公式の予定をすべてキャンセルする,8月に予定のSAARC諸国歴訪は取り止める可能性もあると発表。 |
DIA-304-1989-08-09-1 | パキスタン | 1989年08月09日 | 1980年代 | 計画委員会議長A・G・N・カーズィーを長に,各省次官を集めての会議開催。財政的理由から当年度の予算削減を討議。水利省,住宅・建設省は削減に合意したが,農業省,工業省,教育省などは強く反対し,平均20%の削減は困難な模様(DN,10日)。 |
DIA-304-1989-08-09-2 | パキスタン | 1989年08月09日 | 1980年代 | 投資審議会(BOI)開催,民間部門における三つの化学肥料工場プロジェクトを認可。懸案となっていた化学肥料産業への天然ガス供給価格については,今後10年間は,現行価格でのガス供給を保証することで決着(DN,9日,10日)。 |
DIA-304-1989-08-10-1 | パキスタン | 1989年08月10日 | 1980年代 | ブット首相,ペシャーワルで連邦閣議を開催。記者会見で,大統領との厳しい対立が噂される三軍参謀本部議長人事について触れ,大統領と首相はともに憲法の規定にそってその任務を行なっていることを強調し,この人事問題もその枠内で処理されようが,まだ決着はついていないと発言(DN,11日)。 |
DIA-304-1989-08-11-1 | パキスタン | 1989年08月11日 | 1980年代 | PNP党首でバルチスタン民族運動の指導者,ゴウス・バフシュ・ビゼーンジョー,死亡。73歳。 |
DIA-304-1989-08-12-1 | パキスタン | 1989年08月12日 | 1980年代 | バルチスタン州フズダール県のナール村で,ビゼーンジョー追悼に数千人が参加。バルチスタン州政府,州内3日間の公式の喪を決定。 |
DIA-304-1989-08-14-1 | パキスタン | 1989年08月14日 | 1980年代 | 独立記念日。ブット首相,国民に対し統合と領土の保全,社会的害悪との闘いを憲法に基づいて行なっていくよう訴える。 |
DIA-304-1989-08-15-1 | パキスタン | 1989年08月15日 | 1980年代 | カラチ市内で,無差別発砲事件発生,7人死亡,16人が負傷し,市内各地に外出禁止令出る。 |
DIA-304-1989-08-16-1 | パキスタン | 1989年08月16日 | 1980年代 | ヤークーブ・ハーン外相,テヘラン訪問(~18日)。 |
DIA-304-1989-08-17-1 | パキスタン | 1989年08月17日 | 1980年代 | 故ジア・ウル・ハック大統領の一周忌,イスラマバードのファイサルモスクで行なわれる。主催者発表では6万人が参列。その大部分はIJIの旗を掲げた(DN,18日)。 |
DIA-304-1989-08-17-2 | パキスタン | 1989年08月17日 | 1980年代 | ラーワルピンディーでパキスタン自動車公社(PACO)主催による「PACO下請企業会議」開催。R・シャーヒド・ザファル国務相(生産担当),民間部門における自動車下請産業の発達が雇用に与える好影響を強調。 |
DIA-304-1989-08-18-1 | パキスタン | 1989年08月18日 | 1980年代 | ラーワルピンディーで,印パ両国軍代表によるシアチェン問題に関する協議開始。 |
DIA-304-1989-08-18-2 | パキスタン | 1989年08月18日 | 1980年代 | ヤークーブ・ハーン外相レバノン訪問。 |
DIA-304-1989-08-19-1 | パキスタン | 1989年08月19日 | 1980年代 | カラチ市内で再び無差別発砲事件発生,民族間紛争に波及,この日11人が死亡,約30人が負傷し,軍が出動,外出禁止区域拡大。 |
DIA-304-1989-08-19-2 | パキスタン | 1989年08月19日 | 1980年代 | ブット首相,イスハーク・ハーン大統領との間に軋轢が深まっているという報道を否定し,憲法の規定にそって両者はその責務を遂行していることを強調。 |
DIA-304-1989-08-19-3 | パキスタン | 1989年08月19日 | 1980年代 | MQM,ブット首相に対し,連邦内閣の住宅・建設,科学・技術,環境の3閣僚ポストを要求。なお,国務相のポストは拒否(DN,20日)。 |
DIA-304-1989-08-21-1 | パキスタン | 1989年08月21日 | 1980年代 | ブット首相,チーマ国務相(国防担当)らとともに,シアチェン氷河のパキスタン軍キャンプを視察。 |
DIA-304-1989-08-21-2 | パキスタン | 1989年08月21日 | 1980年代 | ラクラ(Lakhra)の50MW 3基の石炭火力発電所建設契約,中国企業とWAPDAの間でなされる。総額1億1000万㌦のうち,6500万㌦分を中国側のサプライヤーズ・クレディットで調達。 |
DIA-304-1989-08-23-1 | パキスタン | 1989年08月23日 | 1980年代 | シェイフプーラーでパンジャーブ州議会補選。IJI候補が予想以上の3万票の大差で当選。 |
DIA-304-1989-08-23-2 | パキスタン | 1989年08月23日 | 1980年代 | 来訪中のC・ペル・アメリカ上院議員・対外関係委員会委員長,クーデターでブット政権が倒された場合,アメリカの対パ援助はすべて停止されるであろうと発言。 |
DIA-304-1989-08-23-3 | パキスタン | 1989年08月23日 | 1980年代 | 内閣経済調整委員会,市場価格安定のために緊急に小麦の輸入を決定。また,89/90年度の綿花政策を検討,輸出公社・民間あわせての輸出総量の規制,89/90年度の最低買上価格などを決定。 |
DIA-304-1989-08-24-1 | パキスタン | 1989年08月24日 | 1980年代 | ソ連との間で,パキスタン製鉄所の年産300万㌧への能力拡張のための1億㌦融資が合意。融資の条件は,返済期間13年(3年据置含む),利子率5%。ソ連側は部品国産化のための技術援助にも合意。 |
DIA-304-1989-08-25-1 | パキスタン | 1989年08月25日 | 1980年代 | ギルギット発イスラマバード行きの,パキスタン航空(PIA)のフォッカー旅客機,乗員55名搭乗のまま行方不明に。 |
DIA-304-1989-08-28-1 | パキスタン | 1989年08月28日 | 1980年代 | 連邦閣議,9月1日から実効の,WAPDA電気料金平均11.8%引き上げを認可。これは,世銀の構造調整融資コンディショナリティーの一部として実施されるもの。工業用電力料金は12.7%と引上げ率が高く,工業界からの激しい反発を受ける(DN,30日)。 |
DIA-304-1989-08-30-1 | パキスタン | 1989年08月30日 | 1980年代 | 来訪中のIMFミッションとの交渉継続。パキスタン政府が,コンディショナリティーの一部である水道料金,ガス料金その他サービス料の引き上げを行なっていないことを理由に,3ヵ年構造調整借款(SAF)8億2300万㌦の最終供与分2億3000万㌦の実施延期がありうると報道される。政府は政治的理由から料金引き上げ実施に抵抗している模様(DN,31日)。 |
DIA-304-1989-08-31-1 | パキスタン | 1989年08月31日 | 1980年代 | ハイダラバード刑務所で反乱。治安維持軍が介入,囚人9人が死亡,8人の看守が負傷。 |
DIA-304-1989-09-03-1 | パキスタン | 1989年09月03日 | 1980年代 | アズィーム・アフマド・ターリクMQM委員長,ここ数ヵ月のPPPの態度にはシンド州,特にカラチの問題解決への意欲が薄いと批判し,今後数週間のうちに確固たる変化が示されない場合,MQMは国会でのPPPへの閣外協力を見なおすと表明(DN,5日)。 |
DIA-304-1989-09-04-1 | パキスタン | 1989年09月04日 | 1980年代 | ベオグラードで第9回NAMサミット開催(~8日)。パキスタンからはヌスラット・ブット連邦上級相が参加。 |
DIA-304-1989-09-06-1 | パキスタン | 1989年09月06日 | 1980年代 | 国防記念日のこの日,ラーワルビンディーでブット首相主催の集会を開催,ラーワルピンディーで最大規模の集会となり市内はPPPの旗でおおわれる。ブット首相,国軍と国民の団結を演説で訴える(DN,8日)。 |
DIA-304-1989-09-09-1 | パキスタン | 1989年09月09日 | 1980年代 | ブット首相,イスラマバードで,必需品店公社(USC)の新中央オフィス開業式に出席して,「USCは現在370の店舗を持ち,さらに250店舗増を計画しているが,政府は必需品流通においても規制緩和をめざしており,大衆の福祉維持のために民間・公共双方が努力して消費物資の価格を競争的価格に保つことを訴える」と発言(PT,10日)。 |
DIA-304-1989-09-10-1 | パキスタン | 1989年09月10日 | 1980年代 | ラージャー・シャーヒド・ザファル連邦生産相,生産省参加の公企業の1988/89年度の経営をレビューし,課税前利益で前年度の12億ルピーが15億ルピーに増加するなどの改善,特にパキスタン製鉄所の経営改善が見られることを確認する。 |
DIA-304-1989-09-11-1 | パキスタン | 1989年09月11日 | 1980年代 | カーイデ・アーザム(国父ジンナ)死去記念日のこの日,ブット首相,カラチのジンナ廟公園でPPPカラチ支部主催の集会に出席。首相は,カーイデ・アーザムの言葉として,言語・エスニック・地域的な差異を超越したパキスタン国民の「統-」(unity)により真のイスラーム福祉国家を建設するよう訴える。 |
DIA-304-1989-09-11-2 | パキスタン | 1989年09月11日 | 1980年代 | ラホールで,PML主催の集会が開催され,反PPP色彩の強い大規模なものになる。ナワーズ・シャリーフ・パンジャーブ州首相は,ブット首相は外国の援助ばかりを追っていると非難し,ブット政権をパキスタンの「敵」と糾弾。 |
DIA-304-1989-09-12-1 | パキスタン | 1989年09月12日 | 1980年代 | アスラム・ベグ陸軍参謀長,パキスタンは国産戦車を設計・開発・製造する能力があり,近い将来の実現にむかっていると発言。 |
DIA-304-1989-09-12-2 | パキスタン | 1989年09月12日 | 1980年代 | 日本政府,総額193億円の商品借款を資金還流計画の一環としてパキスタンに供与することに合意。世銀が実施中の金融部門構造調整借款との協調融資。 |
DIA-304-1989-09-13-1 | パキスタン | 1989年09月13日 | 1980年代 | アスラム・ベグ陸軍参謀長,記者会見で,10月から12月に実施予定のこれまでで最大規模の軍事演習ザルベ・モーミンについて説明。それによれば,演習の目的は,ソ連のアフガニスタン撤退による安全保障環境の変化に対応した新しい軍事戦略を,テストし評価することにある(DN,14日)。 |
DIA-304-1989-09-14-1 | パキスタン | 1989年09月14日 | 1980年代 | ペシャーワルで4左翼政党が合併して民族革命党(Qaumi Inquilabi Party:QIP)を結成。書記長はANP分派のアフラスヤーブ・ハタック。 |
DIA-304-1989-09-14-2 | パキスタン | 1989年09月14日 | 1980年代 | アメリカ上院歳出委員会,1990年度海外援助法案において,対パ援助の規模を,軍事援助(FMS,すべて贈与)2億3000万㌦,経済支持基金(ESF)から2億3000万㌦(下院委員会認可額に1500万㌦上乗せ)とする方針を決定(DN,16日)。 |
DIA-304-1989-09-17-1 | パキスタン | 1989年09月17日 | 1980年代 | ハイダラバード市内で発砲事件発生。6人が死亡し,外出禁止令発布,軍隊出動。 |
DIA-304-1989-09-18-1 | パキスタン | 1989年09月18日 | 1980年代 | ブット首相,「アフガニスタン暫定政権はアフガニスタンにおける広範囲な基盤を持つ政権となるべきであり,それには急進派の除去が必要である」との見方を示す(DN,19日)。 |
DIA-304-1989-09-21-1 | パキスタン | 1989年09月21日 | 1980年代 | カラチ市内のホテルで,第3回パキスタン・ファッション・アパレル・フェアー(PFAF’89)開催(~24日)。9月18日に来訪し,縫製品メーカー団体や商工会議所訪問を行なったピエール・カルダンがフェアーの開会を宣言。 |
DIA-304-1989-09-26-1 | パキスタン | 1989年09月26日 | 1980年代 | シンド機械工業社(SEL),1990年1月生産開始予定のCKD方式によるマツダのエンジン(中・小型バス用など)組立工場を設立すると発表。報道によれば,現在SEL組立のマツダの商用車の現地化率34%,1990/91年度までに国産化目標である50%が達成される見込み(DN,27日)。 |
DIA-304-1989-09-27-1 | パキスタン | 1989年09月27日 | 1980年代 | ブット首相,GHQにアスラム・ベグ陸軍参謀長を訪ねて,国防問題を協議。 |
DIA-304-1989-09-27-2 | パキスタン | 1989年09月27日 | 1980年代 | ピラーチャー国務相(大蔵担当),ワシントンで開催のIMF年次総会で演説,第3世界諸国の累積債務軽減を要請。 |
DIA-304-1989-09-28-1 | パキスタン | 1989年09月28日 | 1980年代 | ヤークーブ・ハーン外相,ニューヨークでベーカー国務長官と会談し,アフガン問題などを協議。 |
DIA-304-1989-10-01-1 | パキスタン | 1989年10月01日 | 1980年代 | 国連総会出席のため訪米中のヤークーブ・ハーン外相,シェワルナゼ・ソ連外相と会談し,総会に提出予定の,アフガニスタン問題の政治解決を求める決議案内容について合意に至ったと表明(DN,3日)。 |
DIA-304-1989-10-01-2 | パキスタン | 1989年10月01日 | 1980年代 | バングラデシュ認知に抗議して1972年脱退の英連邦に,パキスタン正式に復帰。 |
DIA-304-1989-10-01-3 | パキスタン | 1989年10月01日 | 1980年代 | ブット首相,バングラデシュ訪問(~3日)。 |
DIA-304-1989-10-01-4 | パキスタン | 1989年10月01日 | 1980年代 | シンド州サッカルの空港で,「シンドゥーデシュ」(シンド国)設立を叫ぶシンド民族主義過激派がパキスタン国旗を燃やす事件発生。 |
DIA-304-1989-10-02-1 | パキスタン | 1989年10月02日 | 1980年代 | ラージャー・S・ザファル連邦国務相(生産担当),公共部門製造業投資計画を発表。新規に化学肥料工場1,セメント5,繊維5,小規模製鉄所1,精油所1,食品加工1などを5年以内に設立するというもの。 |
DIA-304-1989-10-02-2 | パキスタン | 1989年10月02日 | 1980年代 | ダッカ郊外で,ブット首相とエルシャド・バングラデシュ大統領の首脳会談。残留パキスタン人帰国問題に関する交渉を継続することで合意。 |
DIA-304-1989-10-02-3 | パキスタン | 1989年10月02日 | 1980年代 | ピラーチャー国務相(大蔵担当),アメリカより帰国。世銀がパキスタンに対し発電プロジェクトに合計2億㌦の融資を行なうことで合意したと表明。 |
DIA-304-1989-10-03-1 | パキスタン | 1989年10月03日 | 1980年代 | ブット首相バングラデシュ訪問を終了,両国関係の一層の発展を目指す共同コミュニケを発表。アルタフ・フサインMQM代表,「訪問は残留パキスタン人帰国につながる積極的な成果を生み出せなかった。これは残留キャンプ訪問すらしなかったブット首相の消極的な姿勢にもよる」と首相を非難(DN,4日)。 |
DIA-304-1989-10-04-1 | パキスタン | 1989年10月04日 | 1980年代 | バルチスタン州議会,州連邦関係修復のための共通利害評議会(CCI)を開催するよう連邦政府に要請する動議を満場一致で可決。 |
DIA-304-1989-10-04-2 | パキスタン | 1989年10月04日 | 1980年代 | 国連総会にあわせて開催のイスラーム諸国会議機構(OIC)外相会議,満場一致で,アフガニスタンン国民の広範な合意に基づく政権樹立を訴える,パキスタン起草の「アフガニスタン決議」を採択(DN,6日)。 |
DIA-304-1989-10-08-1 | パキスタン | 1989年10月08日 | 1980年代 | 第6回投資審議会(BOI),総額51億4200万ルピーの投資計画を認可。分野は化学,機械,医療機械,化学肥料で,1355人雇用,21万3000万ルピー/年の付加価値を生み出す見込み。 |
DIA-304-1989-10-11-1 | パキスタン | 1989年10月11日 | 1980年代 | G・M・サイイド,治安維持を理由に,カラチ自宅に90日間の拘禁措置。約30人のシンド独立運動関係者が逮捕される。 |
DIA-304-1989-10-16-1 | パキスタン | 1989年10月16日 | 1980年代 | 内閣経済調整委員会(ECC),カラチ環状鉄道の民営化計画の可能性について調査することを決定。 |
DIA-304-1989-10-17-1 | パキスタン | 1989年10月17日 | 1980年代 | ブット首相,クアラルンプールで開催の英連邦諸国首脳会議出席のためにマレーシア訪問(22日帰国)。 |
DIA-304-1989-10-17-2 | パキスタン | 1989年10月17日 | 1980年代 | APTMA,国際的に低迷してきた綿糸相場への対応のために輸出価格監視制度を設置するよう提案。 |
DIA-304-1989-10-20-1 | パキスタン | 1989年10月20日 | 1980年代 | 第4回南アジア連邦杯競技会,イスラマバードでイスハーク・ハーン大統領の開会宣言で開会(~27日)。 |
DIA-304-1989-10-20-2 | パキスタン | 1989年10月20日 | 1980年代 | ブット首相,英連邦首脳会議で演説,アフガン問題について触れ,パキスタンはアフガニスタン暫定政権に対しソ連政府と積極的に交渉するよう促しており,これまでの2度の暫定政権とソ連側の接触はこの点で前向きの発展と考える,と発言(DN,21日)。 |
DIA-304-1989-10-21-1 | パキスタン | 1989年10月21日 | 1980年代 | 現下院議員,前パンジャーブ州知事・州首相のグラーム・ムスターファー・カール全国人民党(カール派)党首,党のPPPへの併合を発表。 |
DIA-304-1989-10-23-1 | パキスタン | 1989年10月23日 | 1980年代 | 国会内の野党連合(COP),86名の連邦下院議員の署名とともにブット首相の不信任動議を提出すると表明。IJI指導部,MQMがPPPとの協定を破棄してブット政権への閣外協力に終止符を打ち,IJIとの協定を結んだこと,不信任には国会議員129人が賛成票を入れる見込みであることなどを発表。 |
DIA-304-1989-10-23-2 | パキスタン | 1989年10月23日 | 1980年代 | カラチで騒乱,3人が死亡し軍隊投入,外出禁止区域広がる。 |
DIA-304-1989-10-24-1 | パキスタン | 1989年10月24日 | 1980年代 | N・シャリーフ・パンジャーブ州首相,アルタフ・フサインMQM代表と共同記者会見を開き,9月18日調印のIJIとMQMの協定を公表。MQMの2人のシンド州大臣辞職。 |
DIA-304-1989-10-26-1 | パキスタン | 1989年10月26日 | 1980年代 | M・メーラージュ・ハーリド連邦下院議長(PPP),下院議員98名の賛成によりブット首相への不信任動議を採択,11月1日に不信任案採決を行なうと発表。 |
DIA-304-1989-10-29-1 | パキスタン | 1989年10月29日 | 1980年代 | サウジアラビアの首都リヤドで開催のパキスタン・サウジ合同閣僚会議で,両国間貿易拡大および技術協力推進の協定調印。パキスタン側代表はV・A・ジャーファリー連邦顧問(経済)(DN,31日)。 |
DIA-304-1989-10-30-1 | パキスタン | 1989年10月30日 | 1980年代 | メーラージュ・ハーリド連邦下院議長,野党の要求を容れて,首相不信任案採決の際,首都イスラマバードに軍隊を配備すると発表。 |
DIA-304-1989-10-31-1 | パキスタン | 1989年10月31日 | 1980年代 | ブット首相,不信任案採決を前にイスハーク・ハーン大統領と6ヵ月ぶりの公式会談。 |
DIA-304-1989-11-01-1 | パキスタン | 1989年11月01日 | 1980年代 | 連邦下院でブツト首相の不信任案採決。賛成107票で,237議席の過半数に12票足らず,不信任案否決。出席議員数232。採決後の記者会見で,COPの首相候補,ジャトーイーNPP党首,採決の結果を受け入れるが,今後も与党に対する闘争を継続すると表明。 |
DIA-304-1989-11-02-1 | パキスタン | 1989年11月02日 | 1980年代 | COPのジャトーイーNPP党首とファズルル・ラフマーンJUI書記長,イスハーク・ハーン大統領と会談。ジャトーイーNPP党首,不信任案決議の経緯と,PPPが22人の国会議員を締め出したことで案が否決されたとの主張を伝える(DN,3日)。 |
DIA-304-1989-11-04-1 | パキスタン | 1989年11月04日 | 1980年代 | シェルパーオー北西辺境州首相,水力発電による電気の配分などの州間問題調整のために,共通利害評議会(CCI)を開催することに賛成であると表明。 |
DIA-304-1989-11-04-2 | パキスタン | 1989年11月04日 | 1980年代 | 公的筋によると,政府は,投資促進庁(IPB)再編計画のなかで投資計画・推進担当の局長を民間から採用すべく非公式に交渉中(DN,6日)。 |
DIA-304-1989-11-04-3 | パキスタン | 1989年11月04日 | 1980年代 | ヤークーブ・ハーン外相,パキスタン外務省はウラー堰堤プロジェクトをインド側が完全に放棄するよう努力していると首相に説明。 |
DIA-304-1989-11-05-1 | パキスタン | 1989年11月05日 | 1980年代 | ブット首相,ラホールのパキスタン観光会議の席で,観光業を税収源として伸ばすために,製造業の各業種同様の優遇措置を与えると表明。 |
DIA-304-1989-11-05-2 | パキスタン | 1989年11月05日 | 1980年代 | S・K・シン・インド外相,SAARC外相会議出席のため来訪。ウラー堰堤問題は紛争ではなく,今後の交渉で解決されるべき事項にすぎないと,発言。 |
DIA-304-1989-11-06-1 | パキスタン | 1989年11月06日 | 1980年代 | 内閣経済調整委員会,密輸防止のため,金輸入の自由化を決定。 |
DIA-304-1989-11-06-2 | パキスタン | 1989年11月06日 | 1980年代 | ハイダラバードで3人の殺人事件発生し治安悪化,市内に外出禁止令。 |
DIA-304-1989-11-06-3 | パキスタン | 1989年11月06日 | 1980年代 | APTAM総会開催,3年前に廃止された,綿糸輸出価格チェック制度(EPC)の復活を決定。実施は12月第3週から。綿花先物市場復活案は反対多数で否決。 |
DIA-304-1989-11-07-1 | パキスタン | 1989年11月07日 | 1980年代 | アスラム・ベグ陸軍参謀長,記者会見の席で,「政治家たちが互いに信頼しあって広範な連合政権を樹立することを希望する,これは最初の(公式の)政治家へのアドバイスである」と表明。 |
DIA-304-1989-11-08-1 | パキスタン | 1989年11月08日 | 1980年代 | イスラマバードで第7回SAARC外相会議開催(~9日)。ブット首相開会式典主催。 |
DIA-304-1989-11-10-1 | パキスタン | 1989年11月10日 | 1980年代 | ブット首相,イスハーク・ハーン大統領とアフガン問題について協議。 |
DIA-304-1989-11-10-2 | パキスタン | 1989年11月10日 | 1980年代 | 9日よりラホールで開催の「パキスタンにおける司法と判事の独立」会議終了。司法府の行政府からの分離の早急実施を提言(DN,11日)。 |
DIA-304-1989-11-11-1 | パキスタン | 1989年11月11日 | 1980年代 | ブット首相への不信任案採択で,首相支持に回った3人のIJI国会議員,連邦内閣に入閣。 |
DIA-304-1989-11-12-1 | パキスタン | 1989年11月12日 | 1980年代 | ラホール高裁,パキスタン鉄道に対し,イッテファーク鉄鋼所への毎日30台のワゴンによる原材料搬入を可能にするよう命じる行政措置を指示。 |
DIA-304-1989-11-13-1 | パキスタン | 1989年11月13日 | 1980年代 | 連邦内閣大臣全員が,首相による抜本的な内閣改正実現のために,首相に辞表を提出。首相,これを受理せず,当分現職のままどどまるように指示。 |
DIA-304-1989-11-13-2 | パキスタン | 1989年11月13日 | 1980年代 | オークレー・アメリカ大使,アィトザーズ・アフサーン連邦内務相などと会談し,麻薬撲滅のためのケシ栽培地域へのアメリカ援助のスムーズな実施について協議。 |
DIA-304-1989-11-14-1 | パキスタン | 1989年11月14日 | 1980年代 | 李鵬・中国首相来訪(~17日)。ブット首相らと,両国関係拡大などについて会談。 |
DIA-304-1989-11-15-1 | パキスタン | 1989年11月15日 | 1980年代 | ラホールでナワーズ・シャリーフ・パンジャーブ州首相,パンジャーブ銀行を開設。当初資本金1億ルピー。資本金は早急に50億ルピーにまで増やしてサウジの外為銀行の代理店として外貨を取り扱う予定(DN,15日)。州首相,当銀行は州経済の再興に寄与するものであり,中央銀行・国営商業銀行が経営に協力することを希望すると表明(DN,16日)。 |
DIA-304-1989-11-15-2 | パキスタン | 1989年11月15日 | 1980年代 | 李鵬首相,イスハーク・ハーン大統領と会談。ブット首相との2度目の会談も行なわれ,二重課税防止,中国からの無利子融資1350万㌦等の協定調印。 |
DIA-304-1989-11-16-1 | パキスタン | 1989年11月16日 | 1980年代 | イスハーク・ハーン大統領,ナワーズ・シャリーフ・パンジャーブ州首相と会談,州首相に対しCCI開催要求を連邦政府は考慮していると伝えたと報道されるが,大統領は報道にコメントせず(DN,17日)。 |
DIA-304-1989-11-16-2 | パキスタン | 1989年11月16日 | 1980年代 | 李鵬首相,パキスタンの300MW規模の原発建設に協力する意向を明らかにする。 |
DIA-304-1989-11-18-1 | パキスタン | 1989年11月18日 | 1980年代 | イムラーン・ファルークMQM書記長,PPPはムハージルの運動抑圧のために1200人のゲリラを訓練していると非難。 |
DIA-304-1989-11-20-1 | パキスタン | 1989年11月20日 | 1980年代 | 内閣経済調整委員会開催。ブット首相,計画どおり公企業の株式売却による部分民営化を進めて,株式が労働者や小投資家に配分されるよう指示。 |
DIA-304-1989-11-20-2 | パキスタン | 1989年11月20日 | 1980年代 | シンド州で治安問題に関する州議会開催。 |
DIA-304-1989-11-22-1 | パキスタン | 1989年11月22日 | 1980年代 | バルチスタン州内閣に3人(BNA2人,無所属1人)が入閣,総勢16人に。 |
DIA-304-1989-11-22-2 | パキスタン | 1989年11月22日 | 1980年代 | シンド州議会で,88年12月以来の州内の暴動による死者は120人との報告出される。 |
DIA-304-1989-11-22-3 | パキスタン | 1989年11月22日 | 1980年代 | 20日からトリポリで開催の,リビア・パキスタン合同閣僚会議終了。パキスタン人労働者保護に関する協定調印。パキスタン代表はヤークーブ・ハーン外相。 |
DIA-304-1989-11-23-1 | パキスタン | 1989年11月23日 | 1980年代 | 信頼筋によると仏,パキスタンへ600MW原発供与決定。この原発は,チャスマ地区の中国援助の原発(300MW)建設予定地に隣接して建設される(DN,24日)。 |
DIA-304-1989-11-23-2 | パキスタン | 1989年11月23日 | 1980年代 | パンジャーブ州政府,インドとのウラー堰堤問題に関する協定草案についての高次の会合をボイコット。 |
DIA-304-1989-11-26-1 | パキスタン | 1989年11月26日 | 1980年代 | パキスタン空軍,100機の中国製F-7P戦闘機導入を決定。これは現配備の中国製F-6に代わるもの。 |
DIA-304-1989-11-27-1 | パキスタン | 1989年11月27日 | 1980年代 | 連邦閣議で,司法と行政の完全な分離のための小委員会を,連邦法相を議長に設置することを決定。 |
DIA-304-1989-11-28-1 | パキスタン | 1989年11月28日 | 1980年代 | Dawn物紙,パキスタン原子力委員会(PAEC)が限定容量のウラン再処理技術を獲得したと報道(DN,29日)。 |
DIA-304-1989-11-28-2 | パキスタン | 1989年11月28日 | 1980年代 | ソ連訪問中のラージャー・S・ザファル国務相(生産担当),パキスタン製鉄所の110万㌧か・ら300万㌧への拡張のための9500万㌦相当の融資協定に調印。 |
DIA-304-1989-11-30-1 | パキスタン | 1989年11月30日 | 1980年代 | パンジャーブ州政府,閣議で,州立テレビ局設立の法的準備を行なうことを決定。また,綿花輸出公社(CEC),米輸出公社(RECP),農業貯蔵・サービス公社(PASSCO)等の連邦管轄の農産物買上機関が野党支持者を差別的に扱っていると非難(DN,12月1日)。 |
DIA-304-1989-12-01-1 | パキスタン | 1989年12月01日 | 1980年代 | ブット首相,施政一周年を記念してラジオ,テレビで国民に演説。民主主義強化のために野党勢力が政府に協力するよう呼びかける。 |
DIA-304-1989-12-01-2 | パキスタン | 1989年12月01日 | 1980年代 | カラチに第一女性銀行(First Women Bank Ltd.)開業。銀行は,女性経営陣・スタッフによる,女性顧客のための一般銀行業務を行なうもので,連邦政府が株式の10%,残りを国営商業銀行が持つ(DN,12月1日)。 |
DIA-304-1989-12-01-3 | パキスタン | 1989年12月01日 | 1980年代 | ナワーズ・シャリーフ・パンジャーブ州首相,イスハーク・ハーン大統領と会談し,パンジャーブ州政府がウラー堰堤問題について連邦政府と交渉しない旨通達。理由は,この問題でインド政府と交渉すること自体,パキスタンの利益に反するとの立場から(DN,2日)。 |
DIA-304-1989-12-02-1 | パキスタン | 1989年12月02日 | 1980年代 | イスハーク・ハーン大統領,国会(上下院合同)で演説し,国会のこの一年間の活動は国民の期待をはるかに下回ったと失望を表明し,与野党の相互協力を要請。 |
DIA-304-1989-12-02-2 | パキスタン | 1989年12月02日 | 1980年代 | ブット首相,インド首相にV・P・シン就任を祝し,両国関係改善を希望するメッセージを送付。 |
DIA-304-1989-12-06-1 | パキスタン | 1989年12月06日 | 1980年代 | 連邦政府,州政府に対し,CCI開催の可能性は否定しないが,その前に州間調整委員会に接触するよう要請(DN,7日)。 |
DIA-304-1989-12-09-1 | パキスタン | 1989年12月09日 | 1980年代 | パンジャービー・パフトゥーン連合(PPI)の州議会議員,シンド州内閣に入閣。 |
DIA-304-1989-12-09-2 | パキスタン | 1989年12月09日 | 1980年代 | パキスタン史上最大の軍事演習ザルベ・モーミン,パンジャーブ州南部で開始。 |
DIA-304-1989-12-09-3 | パキスタン | 1989年12月09日 | 1980年代 | ベルギーの貿易相来訪,両国貿易および対パ援助の拡大について協議。 |
DIA-304-1989-12-09-4 | パキスタン | 1989年12月09日 | 1980年代 | N・シャリーフ・パンジャーブ州首相訪米(~11日)。 |
DIA-304-1989-12-09-5 | パキスタン | 1989年12月09日 | 1980年代 | 信頼筋情報によると,計画委員会は,原資不足を理由に第7次計画の投資規模を6620億ルピー(全体の28%)削減することを政府に答申した模様(DN,10日)。 |
DIA-304-1989-12-13-1 | パキスタン | 1989年12月13日 | 1980年代 | ハイダラバードで6人が殺され,外出禁止令。 |
DIA-304-1989-12-13-2 | パキスタン | 1989年12月13日 | 1980年代 | ラホールで印パ環境会議開催(~15日)。 |
DIA-304-1989-12-13-3 | パキスタン | 1989年12月13日 | 1980年代 | アメリカとの間の2国間繊維協定が改訂され,それまでの人造繊維80品目の米側輸入規制が,66品目で自由化される(DN,14日)。 |
DIA-304-1989-12-14-1 | パキスタン | 1989年12月14日 | 1980年代 | ブット首相,グワーダル港湾整備の起工式を行なう。首相,後進地域開発に政府が努力すると約束。 |
DIA-304-1989-12-14-2 | パキスタン | 1989年12月14日 | 1980年代 | カラチで1992年欧州市場統合に向けてのパキスタンの経済戦略に関するセミナー開催。 |
DIA-304-1989-12-15-1 | パキスタン | 1989年12月15日 | 1980年代 | 国連,パキスタンとバングラデシュ共同提案の南アジア非核地域構想を採択。インド,ブータン,モーリシャスの3国が反対し賛成は118国。 |
DIA-304-1989-12-16-1 | パキスタン | 1989年12月16日 | 1980年代 | ハイダラバードの混乱治まらず,さらに8人が死亡し3日からの死者は合計19人に。 |
DIA-304-1989-12-16-2 | パキスタン | 1989年12月16日 | 1980年代 | パキスタン商工会議所連盟(FPCCI)総裁に,アーザード・カシミール商工会議所総裁のラージャー・アブドゥル・ラフマーン選出。 |
DIA-304-1989-12-17-1 | パキスタン | 1989年12月17日 | 1980年代 | 米下院議員ステファン・ソラーズ,イスラマバードでブット首相と会談。 |
DIA-304-1989-12-17-2 | パキスタン | 1989年12月17日 | 1980年代 | A・H・カーズミー連邦保健相,1990年から開始の新保健政策の概要発表。各村に1名の医師をめざし5万人のワーカーを配備する。 |
DIA-304-1989-12-17-3 | パキスタン | 1989年12月17日 | 1980年代 | イスハーク・ハーン大統領,ザルベ・モーミン演習を参観。組織化された専門的演習に深い感銘を表明。 |
DIA-304-1989-12-18-1 | パキスタン | 1989年12月18日 | 1980年代 | 連邦政府,小麦不足回避のため,備蓄増加分も含めて180万㌧の小麦輸入を1990年4月までに計画。 |
DIA-304-1989-12-19-1 | パキスタン | 1989年12月19日 | 1980年代 | 中国との間に国防に関する協力協定調印。 |
DIA-304-1989-12-20-1 | パキスタン | 1989年12月20日 | 1980年代 | カラチ市内の治安再び悪化,5人が無差別発砲事件で死亡。 |
DIA-304-1989-12-22-1 | パキスタン | 1989年12月22日 | 1980年代 | ブット首相,軍事演習ザルベ・モーミン参観。 |
DIA-304-1989-12-24-1 | パキスタン | 1989年12月24日 | 1980年代 | ザルベ・モーミン演習終了。アスラム・ベグ陸軍参謀長,この大演習の意図とパキスタン国軍の能力について説明。国軍の専門的能力を高め,イスラームのイデオロギーに基づいて母国を防衛するための強い決意を示すものと位置づける(DN,25日)。 |
DIA-304-1989-12-24-2 | パキスタン | 1989年12月24日 | 1980年代 | アフザル・ズッラー判事を,12月31日付で退官のムハンマド・ハリームに替わる次期最高裁判所長官に任命。 |
DIA-304-1989-12-26-1 | パキスタン | 1989年12月26日 | 1980年代 | ハイダラバードに無期限外出禁止令。 |
DIA-304-1989-12-27-1 | パキスタン | 1989年12月27日 | 1980年代 | 投資審議会(BOI),民間部門による1200MW級の発電所プロジェクト(ハブ地域)を認可。 |
DIA-304-1989-12-28-1 | パキスタン | 1989年12月28日 | 1980年代 | アィトザーズ・アフサーン連邦内務相,国内の武器不法流通取締強化のために北西辺境州政府と共同して断固たる措置をとると表明。 |
DIA-304-1989-12-29-1 | パキスタン | 1989年12月29日 | 1980年代 | 外務省スポークスマン,パキスタン政府および国民はルーマニア人民が救国戦線の指導のもと蜂起したことを支持する声明を発表。 |
DIA-304-1989-12-30-1 | パキスタン | 1989年12月30日 | 1980年代 | 第1回州間調整委員会,イスラマバ-ドでイフティハール・フサイン・ギッラーニー連邦法相を議長に開催。シンド,北西辺境州からは州首相が出席したが,パンジャーブ,バルチスタン州は代理で州計画相や副次官などの出席にとどまる(DN,31日)。 |
DIA-304-1989-12-31-1 | パキスタン | 1989年12月31日 | 1980年代 | 首相特別顧問イクバール・アーフンド,インド占領カシミールでの騒乱にパキスタン政府が強い懸念をもって事態の成りゆきを見守っていると発言。 |