DIA-304-1990-01-03-1 | パキスタン | 1990年01月03日 | 1990年代 | カラチ警察,各地カレッジ寮を捜索し多数の武器を押収,53名を逮捕。 |
DIA-304-1990-01-04-1 | パキスタン | 1990年01月04日 | 1990年代 | シンド州サッカル付近のサーンガル駅で3日深夜,旅客列車が貨物列車に衝突し,300人以上死亡,約700人負傷。パキスタン建国後最悪の列車事故。ポイント切替えによる模様だが,5日,ベーナジール・ブットー首相は政治的破壊工作の可能性を示唆。 |
DIA-304-1990-01-07-1 | パキスタン | 1990年01月07日 | 1990年代 | ブットー首相の特使A・サッタール駐ソ・パキスタン大使(前駐印大使),訪印(~11日)。8日,インド側のS・K・シング外務次官と印パ関係などで会談。9日,グジュラール・インド外相と,10日にはV・P・シング・インド首相と会談,ブットー首相の特別メッセージを手交。シング首相はカシミール州およびパンジャーブ州の反インド政府暴動に関与しないよう厳しく求めた。 |
DIA-304-1990-01-09-1 | パキスタン | 1990年01月09日 | 1990年代 | 野党連合(COP)のジャトーイ総裁ら多数の野党議員がイスラマバードのパキスタン・テレビ本局前で,ブットー首相や政権党であるパキスタン人民党(PPP)の「マスメディア私物化」に抗議集会。 |
DIA-304-1990-01-09-2 | パキスタン | 1990年01月09日 | 1990年代 | アフガニスタンに隣接する「政府直轄部族地域」(FATA)には45の阿片精製所(ヘロインを製造)があることを諸紙が確認。 |
DIA-304-1990-01-10-1 | パキスタン | 1990年01月10日 | 1990年代 | アフガニスタン政府軍発射のソ連製スカッド・ミサイルがパンジャーブ州ワー町から10キロの地点に着弾,不発。なお,ワーには兵器工場がある。 |
DIA-304-1990-01-10-2 | パキスタン | 1990年01月10日 | 1990年代 | 中央銀行の1988/89年度年次報告書,出来。 |
DIA-304-1990-01-11-1 | パキスタン | 1990年01月11日 | 1990年代 | グラーム・イスハーク・ハーン大統領はインド洋を非核武装地域とすることをインドに訴えるとともに,インド海軍の拡張に対する懸念を表明。 |
DIA-304-1990-01-15-1 | パキスタン | 1990年01月15日 | 1990年代 | 閣議で,第7次5カ年計画(1988/89~92/93年度)再検討委員会を設置。 |
DIA-304-1990-01-15-2 | パキスタン | 1990年01月15日 | 1990年代 | 内閣の防衛委員会,去る10日の事件などを討議。 |
DIA-304-1990-01-16-1 | パキスタン | 1990年01月16日 | 1990年代 | R・キミット米国務次官(政治問題担当),来訪。17日,ミルザ・アスラム・ベーグ陸軍参謀長に会見の後,イスハーク大統領およびブットー首相とパの核開発,米パ関係,印パ関係,アフガニスタン問題などで会談。 |
DIA-304-1990-01-21-1 | パキスタン | 1990年01月21日 | 1990年代 | S・ヤークーブ・ハーン外相,訪印。21日,グジュラール・インド外相とカシミール問題などで会談。22日,V・P・シング首相に会見。同首相はカシミールおよびパンジャーブ両州反インド政府勢力に対する支援をやめるようパキスタン政府に要求。23日,ネパールへ。 |
DIA-304-1990-01-23-1 | パキスタン | 1990年01月23日 | 1990年代 | パンジャーブ州チニョートで,強盗団事件の処理を巡って住民が暴動を起こし,警官7名を殺害。他に死者4名。外出禁止令発令。 |
DIA-304-1990-01-25-1 | パキスタン | 1990年01月25日 | 1990年代 | イスラーム民主連合(IJI,英語ではIDA)の仲介で,ムハージル民族運動党(MQM)とパンジャービー・パフトゥーン連盟ハザル・ハーン派(PPI-HK)がカラチで会談。双方は過去の種族抗争を忘れて和解することで合意。 |
DIA-304-1990-01-25-2 | パキスタン | 1990年01月25日 | 1990年代 | ブットー首相,カラチの病院で第2児(女児)を出産。現職首相の出産は世界で初めて。 |
DIA-304-1990-01-26-1 | パキスタン | 1990年01月26日 | 1990年代 | カラチでCOPの「国民統一の日」と称する大衆集会が開かれた。COP指導者たちは,ブットー首相が憲法に定められた首相の権限を越えた越権行為を行なっていると非難するとともに,ブットー首相が国会で再度の信任を受けることを要求するようにイスハーク大統領に対して要請。 |
DIA-304-1990-01-27-1 | パキスタン | 1990年01月27日 | 1990年代 | H・S・ローウェン米国務次官補(国際治安問題担当),来訪。27日,チーマ国防担当国務相と会談。国防などに関する相互協力覚書に調印。30日,ベーグ陸軍参謀長に会見。同日,エジプトへ。 |
DIA-304-1990-01-30-1 | パキスタン | 1990年01月30日 | 1990年代 | シンド州ハイダラバード市で種族抗争。無差別銃撃で11人死亡,24人負傷。無期限外出禁止令(この2年で13回目の外出禁止令)。軍,出動。 |
DIA-304-1990-01-30-2 | パキスタン | 1990年01月30日 | 1990年代 | ヤークーブ外相は全国テレビ・ラジオ放送で,パキスタン政府はカシミール人たちの自決権を奪うインド政府の抑圧的措置に決して妥協しない旨の発言。 |
DIA-304-1990-01-30-3 | パキスタン | 1990年01月30日 | 1990年代 | 連邦検察機関(FIA)はパキスタン国際航空会社(PIAC)の元専務取締役ワカール・アジーム退役空軍中将を,同社のコンピューター購入に際して賄賂(紀20万ドル)受領の疑いで逮捕した。2月28日,保釈。 |
DIA-304-1990-02-01-1 | パキスタン | 1990年02月01日 | 1990年代 | ブッシュ米政権は議会に対し,1991米会計年度(90年10月1日~91年9月30日)の対外援助法案を上程。総額150億ドルのうちパキスタン向けは5億7300万ドル(Dawn,2月3日)。 |
DIA-304-1990-02-02-1 | パキスタン | 1990年02月02日 | 1990年代 | シンド州ナワーブシャーで,イスラーム教の休日である金曜日のこの日,モスクに無差別発砲,1人死亡。無期限外出禁止令。軍,出動(Dawn,2/4)。 |
DIA-304-1990-02-02-2 | パキスタン | 1990年02月02日 | 1990年代 | PPPおよび政府の呼びかけにより全国で対カシミール連帯週間,開始。 |
DIA-304-1990-02-03-1 | パキスタン | 1990年02月03日 | 1990年代 | イスハーク大統領は高官および軍上層部の会議を召集。会議ではカシミールの対印境界線で軍を最大級警戒体制に置き,かつ実効支配線沿いの軍に必要な増援を行なうとの決定が為されたと伝えられる。 |
DIA-304-1990-02-05-1 | パキスタン | 1990年02月05日 | 1990年代 | IJIの呼びかけにより全国で対カシミール連帯ゼネスト。PPP政府はこの日を休日にした。 |
DIA-304-1990-02-06-1 | パキスタン | 1990年02月06日 | 1990年代 | カラチ市各地で種族衝突,1人死亡。軍,出動。7日,40人死亡,100人負傷。カラチ各地に無期限外出禁止令。8日の死者累計57人。外出禁止地域,増加。イスハーク大統領は平静と政党の対話を訴えた。9日の死者累計70人以上,負傷者累計250人。 |
DIA-304-1990-02-10-1 | パキスタン | 1990年02月10日 | 1990年代 | イスハーク大統領,ブットー首相に対しカラチなどの種族抗争解決のために全政党会議開催を要求。 |
DIA-304-1990-02-15-1 | パキスタン | 1990年02月15日 | 1990年代 | 外交問題・国家安全保障問題担当のイクバール・アフンド首相顧問はブットー首相特使として中国を訪問,カシミール問題などで李鵬中国首相と会談。 |
DIA-304-1990-02-18-1 | パキスタン | 1990年02月18日 | 1990年代 | 下院議席(NA-99,ラホール)補欠選挙でPPP候補がIJI候補に僅差で勝利。 |
DIA-304-1990-02-19-1 | パキスタン | 1990年02月19日 | 1990年代 | ミッテラン・フランス大統領,来訪(~22日)―大統領の他にデュマ外相など22名。20~21日,ミッテラン大統領とブットー首相はパキスタンのエネルギー問題とフランスの協力,カシミール問題,アフガニスタン問題などについて会談。 |
DIA-304-1990-02-19-2 | パキスタン | 1990年02月19日 | 1990年代 | ラホール発行のNawa-i-Waqt紙は米のU.S. News and World Report誌(2月12日号)を引用して,パキスタンは広島級の原子爆弾6発を所有しており,さらに強力な核爆弾の製造を準備中と報道(Times of India,2月19日)。 |
DIA-304-1990-02-19-3 | パキスタン | 1990年02月19日 | 1990年代 | 1週間の予定でイランを訪問中のベーグ陸軍参謀長,ラフサンジャニ・イラン大統領と会見。 |
DIA-304-1990-02-20-1 | パキスタン | 1990年02月20日 | 1990年代 | 秦基偉中国国務委員・国防相(上将),来訪―同日,イスハーク大統領およびブットー首相と会見。 |
DIA-304-1990-02-20-2 | パキスタン | 1990年02月20日 | 1990年代 | カシミールの実効支配線で印パ両軍,数時間交戦。 |
DIA-304-1990-02-21-1 | パキスタン | 1990年02月21日 | 1990年代 | ミッテラン・フランス大統領,記者会見(イスラマバード)―(1)対パキスタン原子力発電所プラント輸出を再び認める(1978年に破棄されていた―筆者)。(2)フランス企業が1社または数社の外国企業と共同で原開プラントを売却することを認める。(3)(パキスタンの核兵器開発の可能性について)パキスタンに全面的信頼を示すことに決めた―この会見にはブットー・パキスタン首相も同席し,次のように述べた。(1)パキスタンは核兵器開発競争には加わらない。(2)インドが核拡散防止条約を批准するならパキスタンも喜んで批准する。(なお,パキスタンは最低90万kWのプラントの購入を希望しているという) |
DIA-304-1990-02-21-2 | パキスタン | 1990年02月21日 | 1990年代 | ピラーチャー蔵相とデュマ・フランス外相は,パキスタンのエネルギー開発プロジェクトにフランスが1億7200万フラン(3070万ドル)を供与するとの協定に調印。 |
DIA-304-1990-02-21-3 | パキスタン | 1990年02月21日 | 1990年代 | 米国務省スポークスマンは,「フランスはパキスタンが国際原子力機関(IAEA)の全面的な査察を受け入れることを要求していない」と公式声明で批判。 |
DIA-304-1990-02-21-4 | パキスタン | 1990年02月21日 | 1990年代 | ブットー首相特使として訪米中のアフンド首相顧問,カシミール問題でクエール副大統領に会見。 |
DIA-304-1990-02-21-5 | パキスタン | 1990年02月21日 | 1990年代 | イスラーム協会(JI)のH・アハメッド党首,軍の統合情報司令局(ISI)にアフガニスタンに介入したのと同様にカシミールにも介入すべきと主張。 |
DIA-304-1990-02-22-1 | パキスタン | 1990年02月22日 | 1990年代 | ミッテラン・フランス大統領,記者会見(バングラデシュ国ダッカにて)―(1)(21日の米政府の批判に対し)抗議したければするがいい。(2)(インドの反発について)82年にフランスがインドに原発を輸出した時はパキスタンも喜ばなかった。(3)いつの日か原爆を小売店で買えるようになるかもしれない。 |
DIA-304-1990-02-23-1 | パキスタン | 1990年02月23日 | 1990年代 | シンド州首相のサイード・カーイム・アリー・シャー,辞任,26日。アフターブ・シャーハーン・ミラーニーが州首相に選出され,就任,組閣。 |
DIA-304-1990-02-23-2 | パキスタン | 1990年02月23日 | 1990年代 | パンジャーブ州ジャングでスンニー派とシーア派の衝突,1人死亡。外出禁止令。27日,軍出動。 |
DIA-304-1990-02-25-1 | パキスタン | 1990年02月25日 | 1990年代 | ブットー首相はカラチの某定期刊行物記者との会見で,「パキスタンの民主主義回復における軍の役割」を称賛(Viewpoint,3/7)。 |
DIA-304-1990-03-02-1 | パキスタン | 1990年03月02日 | 1990年代 | カラチで学校教師2万人が,学校の国有解除や給与増を要求して無制限ストに突入。25日,終結。 |
DIA-304-1990-03-02-2 | パキスタン | 1990年03月02日 | 1990年代 | ヤークーブ外相,ブータンとバングラデシュへ。 |
DIA-304-1990-03-05-1 | パキスタン | 1990年03月05日 | 1990年代 | ラホールでヘロイン300kg,押収さる。 |
DIA-304-1990-03-06-1 | パキスタン | 1990年03月06日 | 1990年代 | アフガニスタンでタナイ国防省によるクーデター未遂事件。7日,タナイは軍用機でパキスタンに着陸し亡命を求めた(Dawn,3/7,3/8)。タイは8日,パキスタンのペシャーワルを根拠地とする反アフガニスタン政府組織「イスラーム党」のヘクマティヤール党首と「革命評議会」について会談。後者は前者によるクーデターの試みを支持。なお,タナイは,クーデター計画続行のために帰国するものと考えられている。(Dawn,3月9日,Viewpoint,3/15) |
DIA-304-1990-03-06-2 | パキスタン | 1990年03月06日 | 1990年代 | ラーワルピンディーの統合幕僚本部で国防惰勢に関しイスハーク大統領とブットー首相に概況説明。 |
DIA-304-1990-03-06-3 | パキスタン | 1990年03月06日 | 1990年代 | マフドゥーム・アミーン通信相,ブットー首相特使として訪英(カシミール問題で)。 |
DIA-304-1990-03-06-4 | パキスタン | 1990年03月06日 | 1990年代 | ムルサダ・ブットーは,パキスタンに民主主義が回復されたのに伴ってアル・ズルフィカール団はもはや存在しなくなったと宣言(Viewpoint,3/5。なお,本年報1982年版参照)。 |
DIA-304-1990-03-09-1 | パキスタン | 1990年03月09日 | 1990年代 | カラチの野菜卸売市場で,空の木箱の奪い合いで銃撃戦となり,3人死亡,35人負傷。 |
DIA-304-1990-03-09-2 | パキスタン | 1990年03月09日 | 1990年代 | パンジャーブ州グジュランワーラーで強盗との銃撃戦で警官3人死亡。 |
DIA-304-1990-03-11-1 | パキスタン | 1990年03月11日 | 1990年代 | ブットー首相は,親PPP政権の16党首と首都でカシミール問題で討議,基本方針で合意を得た。 |
DIA-304-1990-03-11-2 | パキスタン | 1990年03月11日 | 1990年代 | タンヴィール外務次官,アフガニスタン問題で訪ソ。ウォロンツォフ第一外務次官と会談,13日帰国。 |
DIA-304-1990-03-12-1 | パキスタン | 1990年03月12日 | 1990年代 | 崔浩中韓国外相,第2回パ・韓合同委員会で来訪。13日,イスハーク大統領とブットー首相に会見。 |
DIA-304-1990-03-13-1 | パキスタン | 1990年03月13日 | 1990年代 | ブットー首相,「自由カシミール」(パキスタン側カシミール)首都ムザッファラバードを訪れ,カシミール人たちの自決権を支持し,(インド側)カシミール自治権拡大要求を弾圧するインド政府を非難するとともに対話の用意があると言明した。 |
DIA-304-1990-03-15-1 | パキスタン | 1990年03月15日 | 1990年代 | カラチ沖でハシッシュ36トン,押収さる。 |
DIA-304-1990-03-17-1 | パキスタン | 1990年03月17日 | 1990年代 | ラホール高裁は,「憲法第91条2A項に基づいてブットー首相が改めて信任を得るようにするため裁判所はパキスタン連邦と国民議会議長に対して国民議会を招集するように指示されたい」旨の,ラホールの法律家による憲法上の請願を却下した。 |
DIA-304-1990-03-18-1 | パキスタン | 1990年03月18日 | 1990年代 | ラホールでIJI9党の党首会談が開かれ,現在の役員を全会一致で再選(任期2年)。 |
DIA-304-1990-03-19-1 | パキスタン | 1990年03月19日 | 1990年代 | パンジャーブ州タクシラでパキスタンで組み立てた第1号戦車などが完成。年末までに年200輛の戦車組立能力達成の予定(当該工場は1979年11月に中国の援助で着工したHeavy Rebuild Factories)。 |
DIA-304-1990-03-23-1 | パキスタン | 1990年03月23日 | 1990年代 | パキスタン建国を謳った「ラホール決議」の50周年記念行事,全国で開催。ラホールのミナーレ・パーキスターン(パキスタン記念塔)広場でのIJIの祝賀集会にはアルターフ・フサインMQM党首も参加。 |
DIA-304-1990-03-26-1 | パキスタン | 1990年03月26日 | 1990年代 | パキスタンが空軍用に最近発注したF-16戦闘機60機のうち6機はオランダで製造されて,1992/93年度に納品となる予定(Dawn,3/7)。 |
DIA-304-1990-03-26-2 | パキスタン | 1990年03月26日 | 1990年代 | 政府は石油製品を10~15.8%,化学肥料を6.9~25.9%(例外として0.7%のものあり),値上げ。 |
DIA-304-1990-03-27-1 | パキスタン | 1990年03月27日 | 1990年代 | 種族衝突でハイダラバードに外出禁止令。25~27日に11人死亡。 |
DIA-304-1990-03-28-1 | パキスタン | 1990年03月28日 | 1990年代 | 当局筋によると過去1ヵ月でインド側カシミールからパキスタン側カシミールに難民8000人が流入。 |
DIA-304-1990-03-28-2 | パキスタン | 1990年03月28日 | 1990年代 | ラーワルピンディーの陸軍総司令部で国防情勢に関しイスハーク大統領とブットー首相に概況説明。 |
DIA-304-1990-03-30-1 | パキスタン | 1990年03月30日 | 1990年代 | インド側カシミール最大の反乱勢力であるジャムー・カシミール解放戦線(JKLF)のパキスタン側カシミールの成員たち40人が,実効支配線からインド側カシミール入域を試み,12人が射殺された。 |
DIA-304-1990-04-03-1 | パキスタン | 1990年04月03日 | 1990年代 | 北西辺境州コハート県でヘロイン380kg,カラチでマリファナ6トンがトラックから押収された。 |
DIA-304-1990-04-03-2 | パキスタン | 1990年04月03日 | 1990年代 | ラホールで爆弾事件,4人死亡。 |
DIA-304-1990-04-04-1 | パキスタン | 1990年04月04日 | 1990年代 | ブットー首相は父親のズルフィカール・アリー・ブットー元首相が処刑されて11周忌の本日,シンド州ラールカーナの国鉄駅で「ズルフィカール急行」便の新設式を挙行。 |
DIA-304-1990-04-06-1 | パキスタン | 1990年04月06日 | 1990年代 | カラチの種族抗争で翌7日までに19人死亡。アルターフMQM党首はイスハーク大統領にシンド州の種族抗争解決のため介入するよう訴えた。アルターフは8日,「PPPの暴挙」に抗議するハンスト突入。同日,カラチ市マリー町の警視,殺害さる。9日,MQM活動者多数が党首に同調してハンスト開始。シンド州政府は同日,「強迫しても殺人者たちを釈放したりはしない」と宣言。カラチに軍出動。10日,4人死亡。 |
DIA-304-1990-04-06-2 | パキスタン | 1990年04月06日 | 1990年代 | シヤールコートでシーア派神学者,暗殺さる。 |
DIA-304-1990-04-06-3 | パキスタン | 1990年04月06日 | 1990年代 | カラチ各地の銃撃戦で最低6人死亡。軍,出動。 |
DIA-304-1990-04-08-1 | パキスタン | 1990年04月08日 | 1990年代 | 首都イスラマバードに刑法144条(5人以上の集会禁止)発令(向こう2ヵ月),宗教目的以外のラウンドスピーカーの使用を禁止。 |
DIA-304-1990-04-10-1 | パキスタン | 1990年04月10日 | 1990年代 | ベーグ陸軍参謀長は軍団司令官(中将)たちを召集して会議を開いた。11日,シンド州の対印国境スラトガル地域で,インド軍展開に対抗して軍を高度警戒態勢につかせるよう指令(Times of Indea,4/12)。 |
DIA-304-1990-04-10-2 | パキスタン | 1990年04月10日 | 1990年代 | 本日からパスポートがイスラエルと南アフリカを除いて全世界に有効となった。 |
DIA-304-1990-04-11-1 | パキスタン | 1990年04月11日 | 1990年代 | イスハーク大統領,シンド州の種族抗争問題についてブットー首相と会談。 |
DIA-304-1990-04-11-2 | パキスタン | 1990年04月11日 | 1990年代 | COPはラホールで会議を開き,シンド州の種族抗争調停のために介入しないとして大統領を批判。 |
DIA-304-1990-04-11-3 | パキスタン | 1990年04月11日 | 1990年代 | ベーグ陸軍参謀長はインドの脅威,とくにラージャスタン州での軍の展開は深刻と談(Viewpoint,4/9)。 |
DIA-304-1990-04-13-1 | パキスタン | 1990年04月13日 | 1990年代 | カシミールで印パ両軍の銃撃戦でパ兵5人,インド兵1人が死亡。緊張が高まった1月以来初の死傷者。 |
DIA-304-1990-04-14-1 | パキスタン | 1990年04月14日 | 1990年代 | 8日からハンストに入っていたアルターフMQM党首は,F・G・エブラヒーム・シンド州知事の来訪とシンド州平穏化に努力するとの約束でハンスト中止。 |
DIA-304-1990-04-15-1 | パキスタン | 1990年04月15日 | 1990年代 | オークリー駐パキスタン・米大使,カラチでミラーニー・シンド州首相に会見。 |
DIA-304-1990-04-15-2 | パキスタン | 1990年04月15日 | 1990年代 | 首都イスラマバードのUnited Bank Ltd.銀行に4人の強盗が銃を手に朝から侵入,50万ルピーを強奪して逃亡。16日,同市で今週2度目の爆弾炸裂事件。 |
DIA-304-1990-04-16-1 | パキスタン | 1990年04月16日 | 1990年代 | ブットー首相,サウジアラビア訪問(~18日)―シロヘイ統幕議長などが随行。16日,小巡礼。17日,ファハド国王とカシミール問題などで会談。 |
DIA-304-1990-04-18-1 | パキスタン | 1990年04月18日 | 1990年代 | パリで対パ債権国会議,開く―20日,議長としての世銀の発表によると90/91年度には計30億ドルの対パキスタン援助示約束された(Dawn,4/21)。 |
DIA-304-1990-04-20-1 | パキスタン | 1990年04月20日 | 1990年代 | キミット米国務次官(政治問題担当)はワシントンで,米と他の諸国との対話は印パ間のカシミール紛争の回避に役立とうと述べた。なお同日,米政府はアマーヌッラーJKLF委員長の米入国査証を無効化した。 |
DIA-304-1990-04-23-1 | パキスタン | 1990年04月23日 | 1990年代 | バローチスタン州トゥルバットで宗教対立により3人死亡。無期限外出禁止令,発令。 |
DIA-304-1990-04-24-1 | パキスタン | 1990年04月24日 | 1990年代 | ハウス・オブ・ハビーブ社は日本のトヨタ自動車と合併で92年度からカローラ(1300CC)を年間1万台生産することなどで合意と発表。 |
DIA-304-1990-04-25-1 | パキスタン | 1990年04月25日 | 1990年代 | ヤークーブ外相はニューヨークでインドのグジュラール外相とカシミール問題について会議を行ない,紛争回避に努めることで合意した。 |
DIA-304-1990-04-25-2 | パキスタン | 1990年04月25日 | 1990年代 | オーストラリアはパキスタンにミラージュⅢ型要撃機を売却と決定(Times of India,4/26)。 |
DIA-304-1990-04-25-3 | パキスタン | 1990年04月25日 | 1990年代 | Pakistan Times紙4月25日によると,インドはパキスタンとの国境沿いの壁構造を強化した。この壁は二重壁となっており,高さ3メートル強で通電してある。この壁はインドが,インドのパンジャーブ州におけるシク教徒の反乱に対する武装支援勢力のパキスタン側パンジャーブ州からの流入阻止のため1988年央に建設したもので,総延長708キロ。100メートルおきにサーチライトがあり,最近,高さ9~12メートルの監視塔(複数)が建てられた。 |
DIA-304-1990-04-26-1 | パキスタン | 1990年04月26日 | 1990年代 | カラチ市郵便総局長によると,この4日間,市内の治安混乱のための郵便業務の実働日が年間100日近く失われているという(Dawn,4/27)。 |
DIA-304-1990-04-29-1 | パキスタン | 1990年04月29日 | 1990年代 | 国防省筋によると,政府は軍に40億ルピーの国防費を追加供与した。その資金の半分は石油製品および化学肥料の値上げ(3月26日参照)による歳入増加分から出されるという(Dawn,4/30)。 |
DIA-304-1990-04-30-1 | パキスタン | 1990年04月30日 | 1990年代 | Viewpoint誌5月1日号によると,「アメリカは対パキスタン軍事援助を大幅削減した」というが,DawnおよびPakistan Times両紙(4/18~5/1)にはこの種の記事はない。 |
DIA-304-1990-05-02-1 | パキスタン | 1990年05月02日 | 1990年代 | 日本の海部首相,来訪(~3日)―ブットー首相と会談後,イスハーク大統領を表敬訪問。日本の首相の来訪は6年ぶり。1989年4月以降の第26次円借款について海部首相は208億5500万円を上積みし,計約600億円とすると表明(第5次は約500億円)。 |
DIA-304-1990-05-05-1 | パキスタン | 1990年05月05日 | 1990年代 | 石油,ガス開発公社(OGDC)は治安問題のためシンド州の従業員たちに即時業務停止を指令。 |
DIA-304-1990-05-06-1 | パキスタン | 1990年05月06日 | 1990年代 | パンジャーブ州ラホール近郊で国鉄列車が爆破され,13人死亡,60人負傷。 |
DIA-304-1990-05-06-2 | パキスタン | 1990年05月06日 | 1990年代 | ヌスラット・ブットー首席閣僚は中国共産党の招きで訪中(~11日)。11日,北朝鮮人民民主主義共和国へ。 |
DIA-304-1990-05-09-1 | パキスタン | 1990年05月09日 | 1990年代 | シンド州ハーラーに外出禁止令,軍出動。 |
DIA-304-1990-05-09-2 | パキスタン | 1990年05月09日 | 1990年代 | 国際通貨基金(IMF)代表団,来訪。同代表団は10日の記者会見で,パキスタンは1990/91年度予算案の中で,IMF・世銀の構造調整融資の条件に対して出されている提案のほとんどを拒否したと明らかにした。 |
DIA-304-1990-05-10-1 | パキスタン | 1990年05月10日 | 1990年代 | ファイサラバードの医者のストで患者20人死亡。 |
DIA-304-1990-05-13-1 | パキスタン | 1990年05月13日 | 1990年代 | 上院でシャリーア(イスラーム)法案が,8カ所の修正ののち採択された。同法案は85年7月13日に上院に上程されたもの。 |
DIA-304-1990-05-14-1 | パキスタン | 1990年05月14日 | 1990年代 | パキスタン商工会議所連合(FPCCI)は,多発するビジネスマンの誘拐や殺害を防止するための全国行動委員会を設置した。 |
DIA-304-1990-05-15-1 | パキスタン | 1990年05月15日 | 1990年代 | ブットー首相,イスラーム圏8カ国歴訪―50人の大型大表団。15日,イランのラフサンジャニ大統領はカシミール人の自決権を支持し,パキスタンの国家安全について連帯を表明。16日,トルコのオザル大統領は,印パ戦争になればパキスタンを政治・物資両面で支持すると言明。17日,シリアのアサド大統領と会談。公式コメント無し。18日,ヨルダンのフセイン国王と会談。19日,北イエメン。20日,エジプトのムバラク大統領およびパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長と会談。公式コメント無し。21日,リビアのカダフィ大佐は,パキスタンが攻撃されれば支持すると言明。22日,チュニジアのアビディン大統領と会談。23日,帰国。 |
DIA-304-1990-05-15-2 | パキスタン | 1990年05月15日 | 1990年代 | イスハーク大統領はファイサラバードでの演説で,縁故者びいきと腐敗行為が蔓延していると憂慮を表明。 |
DIA-304-1990-05-15-3 | パキスタン | 1990年05月15日 | 1990年代 | アルターフMQM党首は慢性腎臓病の治療のためにロンドンへ。 |
DIA-304-1990-05-18-1 | パキスタン | 1990年05月18日 | 1990年代 | パキスタン政府はヤークーブ外相名で国連安全保障理事会に書簡を送付,インド側カシミールでパキスタン側との境界線にインド軍大部隊が集結していると非難し,かつ,インド軍の撤退と1948年国連決議に基づいたカシミール問題解決を図るようインド政府に要求するよう要請した(Japan Times,5/19)。 |
DIA-304-1990-05-18-2 | パキスタン | 1990年05月18日 | 1990年代 | ラホールで爆弾破裂により10人死亡,70人負傷。ラホールでは4月3日から4回目。パンジャーブ州政府スポークスマンはPPP政府とインドを非難。 |
DIA-304-1990-05-19-1 | パキスタン | 1990年05月19日 | 1990年代 | 上院は「テロ活動防止〈特別法廷〉改正法案,1990年」を満場一致で採択。 |
DIA-304-1990-05-19-2 | パキスタン | 1990年05月19日 | 1990年代 | ブッシュ米大統領特使R・ゲーツ米国家安全保障問題担当次席補佐官,来訪。20日,インドへ。 |
DIA-304-1990-05-21-1 | パキスタン | 1990年05月21日 | 1990年代 | 自由カシミール(パキスタン側カシミール)で総選挙。6月26日に総議席48のすべての選挙が終了し,自由ジャムー・カシミール人民党(AJKPP)が21議席を獲得し,他党などとの連合で29議席を制することになった。前与党のムスリム会議(MC)は19議席。 |
DIA-304-1990-05-21-2 | パキスタン | 1990年05月21日 | 1990年代 | 政府はパキスタン国際航空(PIA)の株の10%の民間売却を開始。これは国有企業の民営化の開始措置(Asian Wall Street Journal,5/22)。 |
DIA-304-1990-05-22-1 | パキスタン | 1990年05月22日 | 1990年代 | シンド州ハイルプル県副知事がDawn紙に語ったところでは,匪賊をかくまうなど保護した大地主52人が逮捕されたという。 |
DIA-304-1990-05-22-2 | パキスタン | 1990年05月22日 | 1990年代 | パキスタン麻薬統制局(PNCB)は「世界史上最大のハシッシュ30.64トンを押収(3月15日参照)。 |
DIA-304-1990-05-23-1 | パキスタン | 1990年05月23日 | 1990年代 | シンド州ハイダラバード市および隣接するラティーファバード市での種族衝突がこの12日間続いており,死者数は23日までに少なくとも45人になった。 |
DIA-304-1990-05-23-2 | パキスタン | 1990年05月23日 | 1990年代 | インド政府,パキスタンとの国境及びカシミール実効支配線の完全封鎖を決定(Viewpoint,5/31)。 |
DIA-304-1990-05-24-1 | パキスタン | 1990年05月24日 | 1990年代 | ブットー首相は首都での記者会見で,カシミールの独立は「この地域にとって危険だ」として拒否。 |
DIA-304-1990-05-24-2 | パキスタン | 1990年05月24日 | 1990年代 | パキスタンの週刊Viewpoint誌本日号は,パキスタンを本拠地とするアフガン・ゲリラたちにアメリカから供与された武器がインド側カシミールに持ち込まれているとしている。 |
DIA-304-1990-05-25-1 | パキスタン | 1990年05月25日 | 1990年代 | パキスタン側カシミールのS・A・カユーム大統領とS・S・ハヤート首相は,ISIが破壊分子を支援していると非難(Viewpoint,5/31)。 |
DIA-304-1990-05-27-1 | パキスタン | 1990年05月27日 | 1990年代 | ハイダラバードで古い城跡を根拠地とするムハージル暴徒がシンド州警察隊の発砲を受け,45~50人(一説によると100数十人)が死亡。カラチではこの日,22人が射殺された。両市で65~80人死亡。270人負傷。両市に軍出動,外出禁止令発令。イスハーク大統領はブットー首相およびシンド州政府に対し,市民の生命と財産を守るため早急に対策を講じるよう指令。 |
DIA-304-1990-05-27-2 | パキスタン | 1990年05月27日 | 1990年代 | イギリスのSunday Times紙27日は,米ソの情報機関はカシミール問題が印パ核戦争に発展する恐れがあるとの懸念を強めていると報じた。 |
DIA-304-1990-05-28-1 | パキスタン | 1990年05月28日 | 1990年代 | バローチスタン州のM・A・K・ブグティー州首相はシンド州問題で声明を発表。声明によると数世代前からシンド州に移住して定着していたバローチ種族のうち1000家族が,シンドの種族抗争を避けるため「国内避難民」として先祖の地に帰還したという。 |
DIA-304-1990-05-29-1 | パキスタン | 1990年05月29日 | 1990年代 | パンジャーブ州首相ミヤーン・ナワーズ・シャリーフはイスラマバードでイスハーク大統領とシンド州問題で会談。ナワーズ・シャリーフは大統領に対し,シンド州に州知事令(中央政府直轄)を敷くよう要請。 |
DIA-304-1990-05-31-1 | パキスタン | 1990年05月31日 | 1990年代 | 種族抗争―カラチでムハージル地域に向かう私営バスに暴徒数人が強引に乗り込み,機関銃を乱射,26人即死,30数人重傷。カラチとハイダラバードにおける種族抗争による死者はこの2週間で300人に及んだ。 |
DIA-304-1990-06-02-1 | パキスタン | 1990年06月02日 | 1990年代 | シンド州ラールカーナ市(ブットー首相出身地近郊)でジャーナリスト2人を含む10人が殺害された。 |
DIA-304-1990-06-03-1 | パキスタン | 1990年06月03日 | 1990年代 | イスハーク大統領はラーワルピンディーの陸軍総司令部を訪れ,シロヘー統合参謀本部議長と国防および国内政治状況について協議した。 |
DIA-304-1990-06-03-2 | パキスタン | 1990年06月03日 | 1990年代 | (治安の悪さのため)1万人がシンド州外に移住した(Viewpoint,6/7)。 |
DIA-304-1990-06-04-1 | パキスタン | 1990年06月04日 | 1990年代 | 『経済白書』1989/90年度版,出来―国内総生産(GDP)の対前年度比成長率は目標の5.8%に対して5.2%,インフレ率は10.7%から5.76%に半減。 |
DIA-304-1990-06-04-2 | パキスタン | 1990年06月04日 | 1990年代 | ベーグ陸軍参謀長は,カラチで軍団将校たちに対する非公式演説で,軍はカラチ,ハイダラバード,シンド州内陸部の混乱地域に展開しており,数日以内に事態を正常化しようと語った。 |
DIA-304-1990-06-05-1 | パキスタン | 1990年06月05日 | 1990年代 | イスハーク大統領は,戒厳令布告はシンド問題を解決できないと述べた(Viewpoint,6/14)。 |
DIA-304-1990-06-05-2 | パキスタン | 1990年06月05日 | 1990年代 | 法廷弁護士のT・M・K・ラーンガ(パキスタン・セライキー党〔PSP〕委員長)はシンド州でセライキー種族が殺害されているとして次のように述べた―セライキー地帯から10万人がカラチ,ハイダラバード,その他シンド州地域で働いている。ムルターン,バハーワルプル,D・G・ハーンでセライキー種族が誘拐・殺害されている。MQMの活動家たちがカラチでセライキーの人人を殺害している。シンド州の現状は(前)軍事政権の責任だ。インドはシンド州問題を悪化させるために多数の破壊分子を送り込んだ。 |
DIA-304-1990-06-07-1 | パキスタン | 1990年06月07日 | 1990年代 | 政府は1990/91年度予算案を下院に上程。6月24日,大幅修正の後,下院で採択された。 |
DIA-304-1990-06-09-1 | パキスタン | 1990年06月09日 | 1990年代 | ブットー首相は突然カラチを訪れ,私邸でギラーニー法相,アハサーン内相,エブラヒーム・シンド州知事などとシンド州の治安回復を巡って文民政権と軍との役割について憲法論議を夜遅くまで行なった。10日にも同様の会議が開かれた。同日,ブットー首相は首都イスラマバードへ戻った。 |
DIA-304-1990-06-11-1 | パキスタン | 1990年06月11日 | 1990年代 | S・N・Q・シャー・シンド州情報相は記者会見で,5月18日から今までに,シンド州で4000人が種々の科で逮捕されたと明らかにした。 |
DIA-304-1990-06-12-1 | パキスタン | 1990年06月12日 | 1990年代 | イスラーム神学者協会(JUI)のF・ラーマン派はバローチスタン州連立政権を脱退。 |
DIA-304-1990-06-12-2 | パキスタン | 1990年06月12日 | 1990年代 | シャー・アフガーン議会問題担当国務相,辞任。 |
DIA-304-1990-06-15-1 | パキスタン | 1990年06月15日 | 1990年代 | パンジャービー・パフトゥーン連盟(PPI)指導者G・サルワールはシンド州での軍の展開を支持(Viewpoint,6/21)。 |
DIA-304-1990-06-15-2 | パキスタン | 1990年06月15日 | 1990年代 | 米国下院歳出委員会は,1991年度分の対パキスタン軍事・経済援助供与のために同国をサイミントン修正の対象国から1年間(1991年4月3日~92年4月1日)はずすことを決定した。 |
DIA-304-1990-06-16-1 | パキスタン | 1990年06月16日 | 1990年代 | パキスタン側カシミール議会の議員(38人)の就任式が行なわれた。 |
DIA-304-1990-06-18-1 | パキスタン | 1990年06月18日 | 1990年代 | 外務省および内務相はインドからパキスタンに侵入する不法移民が急増しているとして,その取り締まりを強化することに決定。不法移民の中にはパキスタンでテロ活動に従事するものもいるという。 |
DIA-304-1990-06-18-2 | パキスタン | 1990年06月18日 | 1990年代 | イスラマバードで,パキスタン,イラン,トルコ3か国の会議が開かれ,3国間の「経済協力機関」(ECO,1985年結成)の停滞していた活動を活発化させるための議定書が調印された。パ代表はヤークーブ外相。 |
DIA-304-1990-06-21-1 | パキスタン | 1990年06月21日 | 1990年代 | S・ソラーズ米下院議員(アジア・太平洋対外問題委員会委員長)はワシントンでの街頭集会での演説で,パキスタンが(インド側)カシミールの戦闘的諸組織に対する支援をやめなければ,アメリカのすべての対パキスタン援助・協力は停止されようと述べた。同氏はまた,Asia News International記者との会見で,カシミール渓谷のテロリストをパキスタンが支援してい具体的根拠があると述べた(Dawn,6/23)。 |
DIA-304-1990-06-22-1 | パキスタン | 1990年06月22日 | 1990年代 | パキスタン政府に対して200億ルピーの新税を指示していたIMFは,この勧告が守られなかったため,現行の4か年構造調整融資8億ドルの最後の2億ドルを供与しないことに決定(Dawn―Economic & Business Review,6/23~29)(5月9日参照)。 |
DIA-304-1990-06-25-1 | パキスタン | 1990年06月25日 | 1990年代 | 政府,1990/91年度貿易政策発表。 |
DIA-304-1990-06-26-1 | パキスタン | 1990年06月26日 | 1990年代 | カラチとハイダラバードに犯罪関係苦情処理のための「緊急事態管理センター」が警察当局の協力により陸軍によって設置された。今後,同様のセンターがシンド州各地に設られる予定。 |
DIA-304-1990-06-27-1 | パキスタン | 1990年06月27日 | 1990年代 | M・M・ハーリド下院議員は記者会見で与野党双方に対して相互和解を求め,和解が成立しなければ「憲法に必要と定められたいかなる措置が採られても驚くに値しない」,と述べた。 |
DIA-304-1990-06-27-2 | パキスタン | 1990年06月27日 | 1990年代 | シンド州のジャトーイ部族とマハル部族の衝突は65人の死者を出した後,和解が成立した(Viewpoint,7/5;Dawn,6/28)。 |
DIA-304-1990-06-28-1 | パキスタン | 1990年06月28日 | 1990年代 | 人口福祉庁が省に昇格。ブットー政権は今までに婦人庁および麻薬撲滅庁を省に昇格させている。 |
DIA-304-1990-06-30-1 | パキスタン | 1990年06月30日 | 1990年代 | パキスタン側カシミールのR・M・H・ラトール首相以下の閣僚,就任。 |
DIA-304-1990-07-01-1 | パキスタン | 1990年07月01日 | 1990年代 | ベーグ陸軍参謀長はシンド州サッカルおよびラールカーナで陸軍将校たちに対する非公式演説において,法的権能さえ与えられれば軍はシンド州問題を根本的なところからすぐに解消することができる,と述べた。 |
DIA-304-1990-07-01-2 | パキスタン | 1990年07月01日 | 1990年代 | ブットー首相はパンジャーブ州のPPP国会議員幹部委員会で次のように演説した。(1)私の政府が解任される恐れがあるとの心配は全く無い。我々は5年間の任期を全うする。(2)もし野党陣が現政府の任期中の総選挙を正式に要求してくればもちろん考慮する。私は中間選挙を恐れてはいない。 |
DIA-304-1990-07-02-1 | パキスタン | 1990年07月02日 | 1990年代 | IJIのスポークスマンは,シンド州問題解決のため軍に法的権能の付与を求める1日のベーグ陸軍参謀長の提案を支持,と言明(Viewpoint,7/12)。 |
DIA-304-1990-07-04-1 | パキスタン | 1990年07月04日 | 1990年代 | パキスタン政府は東欧諸国からソ連製武器の大量購入交渉を進めている(『日経』『』7/4)。 |
DIA-304-1990-07-07-1 | パキスタン | 1990年07月07日 | 1990年代 | イスハーク大統領はカラチで,ハイダラバード商工会議所,ムハージル連帯委員会(MRC)などの代表たちに対し,シンド問題は本質的には政治問題なのであり,シンド州の諸種住民たちの対話が肝要と語った。 |
DIA-304-1990-07-07-2 | パキスタン | 1990年07月07日 | 1990年代 | パンジャーブ州首相の政治問題アドバイザーのM・N・アハメッドは記者会見で,軍はシンド州のテロリズム解消のためにすべての便宜を自由に使用し得るよう許可されるべきだと述べた。 |
DIA-304-1990-07-07-3 | パキスタン | 1990年07月07日 | 1990年代 | パキスタン神学者協会ニアージー派(JUP-N)は,シンド州に軍事裁判所を設置することを要求。 |
DIA-304-1990-07-07-4 | パキスタン | 1990年07月07日 | 1990年代 | パキスタン北西辺境州在住の反アフガニスタン政府勢力への常駐米政府特使トムセンは,ゲリラたちが内乱で勝利を収めるまでは彼らに対するアメリカの武器援助は続くと言明(Viewpoint,7/12)。 |
DIA-304-1990-07-08-1 | パキスタン | 1990年07月08日 | 1990年代 | 8日付Dawnによると,イランのシースタン副知事が訪パして両国国境委員会がクエッタで開かれることになったという。 |
DIA-304-1990-07-09-1 | パキスタン | 1990年07月09日 | 1990年代 | 内閣国防委員会(DCC)特別会議でカシミール問題,アフガニスタン問題などが討議された。出席者はブットー首相,ヤークーブー外相など5人の他に,統合参謀本部議長,三軍参謀長,ISI(クッルー退役陸軍中将)。 |
DIA-304-1990-07-10-1 | パキスタン | 1990年07月10日 | 1990年代 | ブットー首相はカシミール問題,アフガニスタン問題などでパキスタンに対する支持をとりつけるために中東5カ国歴訪に出発。イラク,クウェート,モロッコ,アルジェリア,バハレーン。16日,帰国。 |
DIA-304-1990-07-12-1 | パキスタン | 1990年07月12日 | 1990年代 | 首都近郊の避暑地マリーの近くに新しい避暑地バトリアタが開設された(Viewpoint,7/19)。 |
DIA-304-1990-07-13-1 | パキスタン | 1990年07月13日 | 1990年代 | 北西辺境州ディールのモスクで銃撃戦,5人死亡(Viewpoint,7/19)。 |
DIA-304-1990-07-15-1 | パキスタン | 1990年07月15日 | 1990年代 | ハイダラバード市各地で爆弾事件,カラチで国鉄列車内で爆弾事件。16日までに61人死亡。 |
DIA-304-1990-07-16-1 | パキスタン | 1990年07月16日 | 1990年代 | 中国は自国の衛星と同時にパキスタン用に小型科学実験衛星1基を打ち上げた。 |
DIA-304-1990-07-17-1 | パキスタン | 1990年07月17日 | 1990年代 | シンド州問題解決のための軍の役割の法的地位紅ついてブットー首相は記者会見で次のように言明し,2カ月に及ぶ論議を終わらせようとした。(1)軍がシンド州に動員されたのは憲法第245条に基づいてのことではなく,第147条に基づいて文民政府に助力を与えるためである。(2)第245条は州が「おかしなことをした場合」(when a province misbehaves)発動されるが,第147条は,文民政府が州の法と秩序に適応するのを助力するために軍が出動した時に発動されるものなのだ。(3)第245条発動時には基本的人権は停止されるが,第147条発動時の場合はそうではない。(4)(現状でも)軍はシンド州の文民政府の助力を行なうために必要な機能をすべて有しているのである。 |
DIA-304-1990-07-17-2 | パキスタン | 1990年07月17日 | 1990年代 | パキスタン初のPIA定期便の女性パイロット,登場。 |
DIA-304-1990-07-18-1 | パキスタン | 1990年07月18日 | 1990年代 | ドュベイ・インド外務次官,来訪―パキスタンのT・A・ハーン外務次官とカシミール問題を巡る印パ戦を回避するための会談。緊張緩和に向け双方で信頼醸成措置を積み上げる点で一致。19日,次回は8月9~13日にニューデリーで開催することで合意。 |
DIA-304-1990-07-19-1 | パキスタン | 1990年07月19日 | 1990年代 | アメリカと中国の協力によりパンジャーブ州タクシラで戦車工場建設,着工。総工費は250億ルピー。完成すれば,最大生産能力は年産で戦車200輛。 |
DIA-304-1990-07-19-2 | パキスタン | 1990年07月19日 | 1990年代 | 政府は,在パ・アフガン難民の帰国に関する国連の条件と計画を承認した。 |
DIA-304-1990-07-20-1 | パキスタン | 1990年07月20日 | 1990年代 | パキスタンとフランスは,パでの核エネルギー開発協定に調印することで合意(View Point,7/26)。 |
DIA-304-1990-07-21-1 | パキスタン | 1990年07月21日 | 1990年代 | パキスタン原子力委員会(PAEC)は,パキスタンはこのほど2番目の研究用原子炉を稼動させたと発表。この新型原子炉は中国の援助によるもの。 |
DIA-304-1990-07-21-2 | パキスタン | 1990年07月21日 | 1990年代 | パンジャーブ州のナワーズ・シャリーフ州首相は連邦政府とパンジャーブ州の関係改善の進歩状況について報告するためにイスラマバードにイスハーク大統領を訪問。 |
DIA-304-1990-07-21-3 | パキスタン | 1990年07月21日 | 1990年代 | トルコのN・トルムタイ陸軍参謀長,来訪。 |
DIA-304-1990-07-22-1 | パキスタン | 1990年07月22日 | 1990年代 | 米国麻薬取締局(USDEA)が最近発表した数字によると,単位人口当たり麻薬患者数は「東南アジア地域」(ママ)ではパキスタンが最悪という(Dawn,7/23)。 |
DIA-304-1990-07-23-1 | パキスタン | 1990年07月23日 | 1990年代 | イスハーク大統領,ブットー首相,ベーグ陸軍参謀長の3者は刑事訴訟法第131条に基づいてシンド州の治安回復のために出動している軍の機能を拡大するということで合意した(Dawn,7/24)。 |
DIA-304-1990-07-23-2 | パキスタン | 1990年07月23日 | 1990年代 | 近く退役予定のA・J・マスード軍事司令官(陸軍中将)は軍の政治介入は破壊的なことになると警告した(Viewpoint,8/2)。 |
DIA-304-1990-07-25-1 | パキスタン | 1990年07月25日 | 1990年代 | パンジャーブ州首相のナワーズ・シャリーフIJI総裁はハイダラバードでMQMに対する5000万ルピーの追加寄付を発表(Viewpoint,8/2)。 |
DIA-304-1990-07-25-2 | パキスタン | 1990年07月25日 | 1990年代 | COP指導者のG・M・ジャトーイは軍の権限強化の必要を主張。 |
DIA-304-1990-07-26-1 | パキスタン | 1990年07月26日 | 1990年代 | エブラヒーム・シンド州知事はロンドンで入院中のアルターフMQM党首を見舞う(5/15参照)。 |
DIA-304-1990-07-27-1 | パキスタン | 1990年07月27日 | 1990年代 | ベーグ陸軍参謀長はパンジャーブ州ハリヤーンの軍駐屯地で,シンド州の混乱には外国の手がかかわっているとし,警戒を怠らぬよう将兵を鼓舞した。 |
DIA-304-1990-07-29-1 | パキスタン | 1990年07月29日 | 1990年代 | イスハーク大統領とブットー首相,イスラマバードで会談。警察法と陸軍法の改正によってシンド州に動員されている陸軍に限定的機能を与えることで合意。 |
DIA-304-1990-07-29-2 | パキスタン | 1990年07月29日 | 1990年代 | パンジャーブ州ジャングで宗派衝突,軍,出動。 |
DIA-304-1990-07-30-1 | パキスタン | 1990年07月30日 | 1990年代 | 特別閣議はシンド州の法秩序維持のために憲法第245条第3項を発動したりはしないと再確認した。ブットー首相は軍に与える権限は限定的なものにすぎないとしているもよう。国民議会(下院)が8月7日に開かれる予定であるため,本日の特別閣議はシンド州での軍の権限とシャリーア法案(5月13日参照)を特に協議。 |
DIA-304-1990-08-04-1 | パキスタン | 1990年08月04日 | 1990年代 | COPは8月8日開始予定の国民議会(下院)でブットー首相に対する不信任案を上程すると発表。 |
DIA-304-1990-08-05-1 | パキスタン | 1990年08月05日 | 1990年代 | ラホールの或る日刊紙は,イスハーク大統領は国民議会などを解散して暫定政府樹立の予定と報じた(Viewpoint,8/9)。 |
DIA-304-1990-08-05-2 | パキスタン | 1990年08月05日 | 1990年代 | PPIは「全パキスタン・パンジャービー・パフトゥーン連盟」(APPPI)と名称を変更。 |
DIA-304-1990-08-06-1 | パキスタン | 1990年08月06日 | 1990年代 | ブットー首相,解任さる―イスハーク大統領は6日夕方の記者会見で以下の発表。(1)下院を解散し,ブットー首相以下の内閣を解任する。(2)10月24日に総選挙を行なう。(3)(COP総裁の)G・M・ジャトーイを暫定政府(選挙管理内閣)の首相に任命。(4)全国に非常事態を宣言する(なお,大統領はパンジャーブとシンド州の2州知事も解任して4州の知事に新しい4州知事を任命させた。すなわち,州知事たちが担当州の議会を解散し,州首相などを解任した「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1990-08-06-2 | パキスタン | 1990年08月06日 | 1990年代 | ブットー前首相,緊急記者会見―(1)大統領による下院解散と首相解任は憲法規定による(constitutional)クーデターである。しかし,大統領がこの強権を発動する条件は無かったのであり,したがって,大統領のこの命令は非合法で違憲(illegal and unconstitutional)である。(2)政治的手続きを迂回する口実は与えない。(3)大統領は(本日の措置をとるように)強制されたのだ。(4)PPP活動家たちは挑発に乗らずに冷静であってほしい。 |
DIA-304-1990-08-06-3 | パキスタン | 1990年08月06日 | 1990年代 | 全国報道監督局(NPT)局長,更迭さる。 |
DIA-304-1990-08-06-4 | パキスタン | 1990年08月06日 | 1990年代 | 米国務省役人は6日のイスハーク大統領の措置は憲法の規定に沿うもののように見えると述べた。 |
DIA-304-1990-08-07-1 | パキスタン | 1990年08月07日 | 1990年代 | 暫定政府はブットー前首相,その夫ザルダーリーなど32人の出国を禁止(Pakistan Times,8/8)。 |
DIA-304-1990-08-07-2 | パキスタン | 1990年08月07日 | 1990年代 | 6日昼に首都イスラマバードに展開した軍はまだFIA,情報局(IB)などの政府役所を占拠している。情報筋によると,少なくとも6人の陸軍少佐が(ブットー前政権下の)野党指導者たちに関する調査ファイルを押収。(Muslim,8/8) |
DIA-304-1990-08-08-1 | パキスタン | 1990年08月08日 | 1990年代 | ブットー前首相はカラチで記者会見を行ない,大統領は軍の圧力で下院を解散したのであり,このいわば疑似軍事介入は数週間内に(直接の)軍事介入になるかも知れないなどと述べた。 |
DIA-304-1990-08-08-2 | パキスタン | 1990年08月08日 | 1990年代 | ジャトーイ暫定政府首相は記者会見で,前政権の汚職容疑を徹底的に調査追及すると述べた。 |
DIA-304-1990-08-08-3 | パキスタン | 1990年08月08日 | 1990年代 | A・クランストン議員など,米国上院議員たちの中にはパキスタンの首相解任劇を「疑似軍事クーデター」と批判する人々もいるという(Dawn,8/9)。 |
DIA-304-1990-08-10-1 | パキスタン | 1990年08月10日 | 1990年代 | ニューデリーで印パ外務次官会談(~11日)。 |
DIA-304-1990-08-11-1 | パキスタン | 1990年08月11日 | 1990年代 | PPP中央執行委員会は6日のイスハーク大統領の強権発動を憲法違反として最高裁に提訴する方針を決定。PPPは他方では10月総選挙参加を決定。 |
DIA-304-1990-08-12-1 | パキスタン | 1990年08月12日 | 1990年代 | 暫定政府は総選挙終了とともに非常事態宣言を撤廃すると決定するとともに(前政権が導入した)人民公共事業計画(PWP)中止を決定。 |
DIA-304-1990-08-13-1 | パキスタン | 1990年08月13日 | 1990年代 | パンジャーブ暫定内閣,就任。ワーイン州首相は(州首相の他に)24人の州大臣を強く要求していたが,大統領の指示で11人に減らされた。 |
DIA-304-1990-08-13-2 | パキスタン | 1990年08月13日 | 1990年代 | パンジャーブ州前首相のナワーズ・シャリーフIJI総裁はロンドンへ赴き,病気療養中のアルターフMQM党首を見舞った。ナワーズ・シャリーフは14日,帰国。 |
DIA-304-1990-08-13-3 | パキスタン | 1990年08月13日 | 1990年代 | イスハーク大統領は刑法と刑事訴訟法をイスラーム法と合致するようにさらに改正するための政令を布告(Dawn,8/14;Viewpoint,8/16)。 |
DIA-304-1990-08-13-4 | パキスタン | 1990年08月13日 | 1990年代 | 政府は湾岸危機でサウジアラビアの要請による同国への派兵を決定。 |
DIA-304-1990-08-14-1 | パキスタン | 1990年08月14日 | 1990年代 | パキスタン建国(独立)記念日のこの日,カラチにある建国の父ジンナーの廟でPPPとMQMの支持者たちが小ぜり合い。4人逮捕。 |
DIA-304-1990-08-14-2 | パキスタン | 1990年08月14日 | 1990年代 | 電報・電話局は湾岸危機の特別情報電話を開設。 |
DIA-304-1990-08-15-1 | パキスタン | 1990年08月15日 | 1990年代 | ベーグ陸軍参謀長,記者会見―(1)軍に政治介入の意図は全くない。軍は国を守るだけだ。(2)軍がシンド州問題で憲法第245条に基づく権限の委任を求めたのは政治的対話の地ならしをするためだったのだ。(3)今や,シンド万歳党(JS―シンディー民族主義の最強硬派―筆者)を含め全ての勢力が対話を開始したため,軍は2週間ほどで撤退できよう。(4)10月24日総選挙は実施されるべきだ。もし総選挙実施が私の権限だったなら私は社会を浄化して民主制を強化するため6カ月ごとに総選挙を行なう。(5)政治家は国政の手綱を握った後,のぼせあがってはいけない。彼らは現実を受け入れ,自らの誤ちを認め,遅過ぎないうちに態度を改めるべきなのだ。(6)われわれはイラクの軍事力の破壊ないし弱体化はイスラーム圏共同体(ウンマ)を弱めるから,それを望まない。(7)5000人をサウジアラビアに派兵したところで50万人のパキスタン軍の弱体化はあり得ない。(8)インド軍の印パ国境集結はわれわれにとっては脅威とはならない。(9)湾岸危機でわが国への石油供給が減ることはない。石油は,わが国はサウジアラビアとイランから入手できる。(Pakistan Times,8/16) |
DIA-304-1990-08-15-2 | パキスタン | 1990年08月15日 | 1990年代 | バローチスタン州暫定政府内閣,就任。 |
DIA-304-1990-08-16-1 | パキスタン | 1990年08月16日 | 1990年代 | ジャトーイ首相,ロンドンのアルターフMQM党首に電話を入れ,早期帰国を要請。 |
DIA-304-1990-08-17-1 | パキスタン | 1990年08月17日 | 1990年代 | ブットー前首相,軍の政治介入を批判。 |
DIA-304-1990-08-17-2 | パキスタン | 1990年08月17日 | 1990年代 | 5月にカラチに設けられた2000の軍の監視所が撤去され,軍は撤退(Pakistan Times,8/18)。 |
DIA-304-1990-08-17-3 | パキスタン | 1990年08月17日 | 1990年代 | ジア・ウル・ハック前大統領の2周忌に当たるこの日,墓のあるイスラマバードに全国から支持者など数万人が詰めかけた。アフガン・ゲリラのイスラーム党(HI)の人々多数も来ていた。 |
DIA-304-1990-08-19-1 | パキスタン | 1990年08月19日 | 1990年代 | トルコ陸軍参謀長,来訪。パキスタン側の統合参謀本部議長,三軍参謀長,ジャトーイ首相と会見。 |
DIA-304-1990-08-19-2 | パキスタン | 1990年08月19日 | 1990年代 | テヘランで,イラン,トルコ,パキスタンの3国外相が湾岸危機について会議。 |
DIA-304-1990-08-19-3 | パキスタン | 1990年08月19日 | 1990年代 | ソ連国内機がハイジャックされ,カラチへ。翌20日,ソ連人容疑者11人はカラチで投降した。 |
DIA-304-1990-08-20-1 | パキスタン | 1990年08月20日 | 1990年代 | 政府は「国会・州議会〈議員失格〉規則,1990年」を公布。即日発効。(Pakistan Times,8/21)。 |
DIA-304-1990-08-21-1 | パキスタン | 1990年08月21日 | 1990年代 | ブットー前首相,ラホールへ。支持者たちの大歓迎を受けた。記者会見で,軍の政治における役割についてはノーコメント。(Viewpoint,8/30等)。 |
DIA-304-1990-08-21-2 | パキスタン | 1990年08月21日 | 1990年代 | 閣議で,クウェートに立ち往生しているパキスタン人(同国のパキスタン人は推定9万人)を救出するためにとりあえず5000万ルピーの支出を決め,同国に直ちに救出のための代表団を派遣すると決定した。 |
DIA-304-1990-08-22-1 | パキスタン | 1990年08月22日 | 1990年代 | カラチでの銃撃で29人死亡,55人負傷。被害の大半は,明23日のアルターフMQM党首帰国祝賀会のための簡易集会場で発生。MQMは祝賀会を中止。 |
DIA-304-1990-08-23-1 | パキスタン | 1990年08月23日 | 1990年代 | イスハーク大統領,国会・州議会議員資格剥奪特別法廷を設置 Pakistan Times,8/24)。 |
DIA-304-1990-08-23-2 | パキスタン | 1990年08月23日 | 1990年代 | 前政権時代の国民議会(下院)および州政府の議員たちの非行を裁くための11の法廷が正式に業務を開始した(Dawn,8/29)。 |
DIA-304-1990-08-23-3 | パキスタン | 1990年08月23日 | 1990年代 | アルターフMQM党首,腎臓手術が成功し,休養後帰国(5月15日参照)。 |
DIA-304-1990-08-26-1 | パキスタン | 1990年08月26日 | 1990年代 | 来訪中のIMF代表団は,パキスタン政府に対して水,ガス,病院の利用者負担を直ちに増額することを指示。これは構造調整融資の最後の2億ドル(6月22日参照)供与の条件とされた。 |
DIA-304-1990-08-26-2 | パキスタン | 1990年08月26日 | 1990年代 | アーシフ・A・ザルダーリー,銃火器不法所持で起訴される。 |
DIA-304-1990-08-27-1 | パキスタン | 1990年08月27日 | 1990年代 | S・A・カユーム・ハーン,パキスタン側カシミールの大統領に再選さる。 |
DIA-304-1990-08-28-1 | パキスタン | 1990年08月28日 | 1990年代 | S・アジーズ蔵相,湾岸危機は経常収支赤字幅を10億ドルまで拡大する見通しと語った。 |
DIA-304-1990-08-28-2 | パキスタン | 1990年08月28日 | 1990年代 | イスハーク大統領は,「特別法廷および迅速裁判政令,1990年」を布告。 |
DIA-304-1990-08-29-1 | パキスタン | 1990年08月29日 | 1990年代 | 最高裁判所はキサース(報復)およびディーヤト(賠償金)に関する条項を含む新たな政令を9月5日までに布告し,全条項を遅くともイスラーム暦3月12日(西暦10月2日)までに施行するよう政府に命じた。 |
DIA-304-1990-08-29-2 | パキスタン | 1990年08月29日 | 1990年代 | ローエダード・ハーン無任所相を長とする「特別室」はブットー前首相,その義父,数人の前連邦大臣に対する犯罪問責書の作成を完了。 |
DIA-304-1990-08-30-1 | パキスタン | 1990年08月30日 | 1990年代 | ラーワルピンディー付近で列車爆破で8人即死。ファイサラバードでは商店街で爆弾破裂,5人死亡。 |
DIA-304-1990-08-30-2 | パキスタン | 1990年08月30日 | 1990年代 | クウェートおよびイラクからの帰国者は本日までで9000人を起えた。 |
DIA-304-1990-09-01-1 | パキスタン | 1990年09月01日 | 1990年代 | 多国籍軍参加のパキスタン軍第一陣350人,サウジアラビアへ出発。3日までに2000人,空輸さる。あと2~3日で5000人になる予定(Pakistan Times 9/4)。 |
DIA-304-1990-09-02-1 | パキスタン | 1990年09月02日 | 1990年代 | パンジャーブ州暫定政府のワーイン首相は同州の2387の村落評議会(union council)それぞれに「村落開発」のため10万ルピーの贈与を供与。 |
DIA-304-1990-09-02-2 | パキスタン | 1990年09月02日 | 1990年代 | IJIは大衆民族党(ANP)およびJUIと選挙連合を結成した。 |
DIA-304-1990-09-03-1 | パキスタン | 1990年09月03日 | 1990年代 | 詐欺罪容疑のかけられているA・A・ザルダーリー(ブットー前首相の夫)は200万ルピーの保証金を支払うことにより逮捕を免れた。 |
DIA-304-1990-09-04-1 | パキスタン | 1990年09月04日 | 1990年代 | パキスタン政府,クウェートの大使館を閉鎖。 |
DIA-304-1990-09-06-1 | パキスタン | 1990年09月06日 | 1990年代 | 10月24日総選挙までの日程,発表さる。 |
DIA-304-1990-09-06-2 | パキスタン | 1990年09月06日 | 1990年代 | イスハーク大統領は「キサースおよびディーヤト政令」を布告した(8月29日参照)。 |
DIA-304-1990-09-06-3 | パキスタン | 1990年09月06日 | 1990年代 | 東京で第6回日本・パキスタン経済合同会議(~7日)。議題は湾岸危機によるパキスタンの被害,日本からの援助など。 |
DIA-304-1990-09-07-1 | パキスタン | 1990年09月07日 | 1990年代 | 政府は湾岸危機による経済悪化に対処するため次の4選択肢を検討中。(1)エジプト方式の債務張消しをアメリカに要請。(2)湾岸危機の被災国に対する先進諸国の援助対象国にしてもらう。(3)対外債務のリスケジューリングを要請。(4)以上(1)~(3)の組合わせ方式。 |
DIA-304-1990-09-08-1 | パキスタン | 1990年09月08日 | 1990年代 | 国民議会立候補受付,開始(~13日)。 |
DIA-304-1990-09-08-2 | パキスタン | 1990年09月08日 | 1990年代 | 8月6日の国民議会(下院)解散を違憲とする訴えが4州の高等裁判所に出されていたが,最高裁判所は8日,これらの訴訟中止を命じた。 |
DIA-304-1990-09-10-1 | パキスタン | 1990年09月10日 | 1990年代 | ジャトーイ暫定政府はブットー前首相を首相在任中の職権乱用および汚職容疑事件で,カラチの特別法廷に起訴(Pakistan Times,9/11)。 |
DIA-304-1990-09-10-2 | パキスタン | 1990年09月10日 | 1990年代 | PPPは自立運動党(TI)など3党と選挙連合(パキスタン民主連合―PDA)を結成した。 |
DIA-304-1990-09-12-1 | パキスタン | 1990年09月12日 | 1990年代 | 暫定政府,さらに2件の職権乱用の容疑でブットー前首相をラホールの特別法廷に起訴。 |
DIA-304-1990-09-12-2 | パキスタン | 1990年09月12日 | 1990年代 | カラチで過去2日で10人が狙撃されて死亡。 |
DIA-304-1990-09-13-1 | パキスタン | 1990年09月13日 | 1990年代 | ワーイン・パンジャーブ州首相はラホールで5万人のランバルダール(村落行政指導者)の集う会場で演説し,「村落住民福祉のためにランバルダール制を強化すべく」ランバルダール1人当り12.5エーカー(約5ha=約5万平方メートル)を州政府からの贈与として与える等々の特典を発表した(Pakistan Times,8/14)。 |
DIA-304-1990-09-13-2 | パキスタン | 1990年09月13日 | 1990年代 | パキスタン,湾岸危機の経済的被害に鑑み,先進18カ国に対し総額約18億ドルの緊急援助を要請。15日,アフンド経済問題担当次官は,日本に対する援助要請は5億ドルであることを明らかにした。 |
DIA-304-1990-09-13-3 | パキスタン | 1990年09月13日 | 1990年代 | 暫定政府は国有銀行被雇用者の給与の10%引き上げを承認。 |
DIA-304-1990-09-15-1 | パキスタン | 1990年09月15日 | 1990年代 | 外務省は駐パ・米代理大使を招致して,9月11日のワシントンでのオークリー大使の発言は内政干渉だと抗議。オークリー大使はアジア協会での9月11日の演説で次のように語った。パキスタンでの政治家に対する責任追求は,片寄ったものとの印象を除去するためには,また,この国のこれ以上の分裂を避けるためには,IJIが政府を運営していた1985~88年も責任追求の対象期間とすべきだ。 |
DIA-304-1990-09-15-2 | パキスタン | 1990年09月15日 | 1990年代 | 最高裁は下院解散に対する訴訟(9月8日参照)計6件をカラチのシンド州高裁及びラホールのパンジャーブ州高裁で審理するように同2高裁に移転した。 |
DIA-304-1990-09-15-3 | パキスタン | 1990年09月15日 | 1990年代 | 世銀は,11月開始予定の3カ年貿易調整計画に基づいて貿易政策の一層の自由化をパ政府に勧告。 |
DIA-304-1990-09-17-1 | パキスタン | 1990年09月17日 | 1990年代 | 暫定政府はさらに2件の職権乱用の容疑でブットー前首相をラホール高裁の特別法廷に起訴した。 |
DIA-304-1990-09-17-2 | パキスタン | 1990年09月17日 | 1990年代 | パンジャーブ州暫定政府のワーイン首相は,国会議会選挙区NA-122および州議会選挙区PP-176(ともにパンジャーブ州ハーネワール県)に「開発計画用として」5000万ルピーを贈与。なお,NA-122ではIJIのA・Aハーン退役陸軍少佐が立候補(Pakistan Times,9/18)。 |
DIA-304-1990-09-17-3 | パキスタン | 1990年09月17日 | 1990年代 | パンジャーブ州政府に対して「人民計画」(PP)の四半期分として3億5000万ルピーが(中央政府から)出された(Pakistan Times,9/18)。 |
DIA-304-1990-09-17-4 | パキスタン | 1990年09月17日 | 1990年代 | ブットー前首相はラホールで記者会見。(1)PPPは軍との対決は望まない。(2)イスハーク大統領は不正を働く。(3)シンド州問題は悪化したが政府は関心を持っていない。(Viewpoint,9/20;Dawn,9/18)。 |
DIA-304-1990-09-17-5 | パキスタン | 1990年09月17日 | 1990年代 | Z・サルフラーズ内相は,オークリー駐パ米大使がパの前政権関係者たちの告訴を批判したため,同大使の更迭を要求。これに対しタトワイラー米報道官は,ブッシュ大統領もベーカー国務長官もオークリー大使を優れた大使と考えていると述べた(Dawn,9/21)。 |
DIA-304-1990-09-17-6 | パキスタン | 1990年09月17日 | 1990年代 | パキスタン医師協会は,サウジアラビアに派遣を希望する医帥5500人のリストを駐パキスタンのサウジアラビア大使に手交した。その際,パキスタンには10万人のサウジアラビア防衛志願兵がいることも明らかにされた(Dawn,9/18)。 |
DIA-304-1990-09-19-1 | パキスタン | 1990年09月19日 | 1990年代 | アメリカに帰国中だったオークリー駐パ米大使はブッシュ大統領の伝言を携えて突然パキスタンに戻り,イスハーク大統領と会見。同大使はイスハーク大統領と湾岸危機について協議した他,10月24日総選挙でパキスタンに民主制が復活することを望んでいると述べたといわれる。 |
DIA-304-1990-09-19-2 | パキスタン | 1990年09月19日 | 1990年代 | PDAはイスハーク大統領および暫定政府内閣に辞任を要求。 |
DIA-304-1990-09-20-1 | パキスタン | 1990年09月20日 | 1990年代 | イスハーク大統領,訪中―楊尚昆中国主席,江沢民総書記などと印パ間のカシミール問題,湾岸危機,アフガニスタン問題などで会談を行なった。23日,3協定に調印の後,帰国。 |
DIA-304-1990-09-20-2 | パキスタン | 1990年09月20日 | 1990年代 | 現在,サウジアラビア向けのパキスタン軍3000人が待機中だが,サウジアラビアはパキスタンに対し同国への軍人増派を要請したと言われる(Dawn,9/21)。 |
DIA-304-1990-09-23-1 | パキスタン | 1990年09月23日 | 1990年代 | 湾岸危機の強い影響を受けているパキスタンは日本に5億ドルの資金供与を柱とする緊急援助を要請。 |
DIA-304-1990-09-25-1 | パキスタン | 1990年09月25日 | 1990年代 | パンジャーブ州高裁,下院解散訴訟(9月15日参照)5件の審理を開始。 |
DIA-304-1990-09-26-1 | パキスタン | 1990年09月26日 | 1990年代 | ペシャーワルの北西辺境州高裁は8月6日の州議会解散を違憲と判決。最高裁は同判決を差し止めた。 |
DIA-304-1990-09-27-1 | パキスタン | 1990年09月27日 | 1990年代 | IMF・世銀は湾岸危機の最も深刻な影響を受けた国(MSAC)10カ国の中にパキスタンを含めた。 |
DIA-304-1990-09-29-1 | パキスタン | 1990年09月29日 | 1990年代 | 30日に予定されていたベーグ陸軍参謀長の訪中が無期延期となった。 |
DIA-304-1990-09-29-2 | パキスタン | 1990年09月29日 | 1990年代 | IMFはパキスタン政府に対して,「湾岸危機緊急援助を受けたいのなら,国内の銀行に預金残高の35%を国債などに投資させている強制投資を直ちにやめなければならない」と勧告した。 |
DIA-304-1990-09-30-1 | パキスタン | 1990年09月30日 | 1990年代 | カラチの特別法廷に出頭したブットー前首相は終始沈黙を保った。 |
DIA-304-1990-09-30-2 | パキスタン | 1990年09月30日 | 1990年代 | 10月第1週に予定されていた第3回印パ外務次官級会談,無期延期。 |
DIA-304-1990-10-01-1 | パキスタン | 1990年10月01日 | 1990年代 | ブッシュ米大統領は1991米会計年度の初日の本日,パキスタンに対する6カ年軍事・経済包括援助(1988~93年)の実施条件としての,パキスタンによる核兵器不所有の米大統領による証言を行なわなかった。このため,同援助本年度分対パ供与は停止状態となった。 |
DIA-304-1990-10-01-2 | パキスタン | 1990年10月01日 | 1990年代 | ベーグ陸軍参謀長はナイームッディーン選管委員長に次のように語った。(1)このほど,全国(特にシンド州)の法秩序を混乱させようというきわめて危険な計画が発覚した。(2)軍は最も手厳しい方法で対処する。(3)インド軍が大量にパキスタン国境に移動している。 |
DIA-304-1990-10-02-1 | パキスタン | 1990年10月02日 | 1990年代 | 預言者ムハンマド生誕祭の本日,キサースおよびディーヤト政令(9月6日参照)が発効した。 |
DIA-304-1990-10-02-2 | パキスタン | 1990年10月02日 | 1990年代 | サイエドJS党首は,国旗を焼いても罪にはならないと述べた(Viewpoint,10/11)。 |
DIA-304-1990-10-03-1 | パキスタン | 1990年10月03日 | 1990年代 | ラホール高裁特別法廷はPPP支持者たちによる騒乱のため,ブットー前首相に対する職権乱用罪での管理を行なうことができなかった。 |
DIA-304-1990-10-04-1 | パキスタン | 1990年10月04日 | 1990年代 | IMFはパキスタンの4カ年構造調整計画(1988/89~91/92年度)の進抄状況を監視するためにIMFチームのイスラマバード常駐を要求した。 |
DIA-304-1990-10-04-2 | パキスタン | 1990年10月04日 | 1990年代 | 閣議で小麦支持価格を次期作から40キロ当たり108ルピーに引き上げると決定。 |
DIA-304-1990-10-05-1 | パキスタン | 1990年10月05日 | 1990年代 | ヤークーブ外相は国連でシェワルナゼ・ソ連外相とアフガニスタン問題で会談。双方は,この問題でより定期的に会談を開くことで合意。 |
DIA-304-1990-10-05-2 | パキスタン | 1990年10月05日 | 1990年代 | 北京でのアジア大会のホッケーの試合でパキスタンはインドを3対2で破り,金メダルを獲得。 |
DIA-304-1990-10-09-1 | パキスタン | 1990年10月09日 | 1990年代 | ヤークーブ外相,ベーカー米国務長官に会見―外相はベーカー国務長官に対し,「パキスタンの核開発はあくまで平和利用のため」と強調したが受け入れられなかった。ベーカー国務長官は,米議会が40年度対パ援助(軍事3.52億ドル,経済2.3億ドル)を支持せず,パ側が核兵器を有さぬことを証明せぬ限り援助再開不可能と言明。 |
DIA-304-1990-10-09-2 | パキスタン | 1990年10月09日 | 1990年代 | 政府はインド政府に対し,カラチのインド総領事館員4人の召還を要求。これは90年初めにインドがパキスタン大使館員4人を密かに追放したことに対する報復。 |
DIA-304-1990-10-09-3 | パキスタン | 1990年10月09日 | 1990年代 | ブットー前首相,イスハーク大統領の辞任を要求。 |
DIA-304-1990-10-10-1 | パキスタン | 1990年10月10日 | 1990年代 | A・A・ザルダーリー,パキスタン系英国籍人物のカラチでの誘拐に関与の疑いで逮捕。28日,投獄。 |
DIA-304-1990-10-11-1 | パキスタン | 1990年10月11日 | 1990年代 | 外貨準備高が危機的状況にあるため,政府はサウジアラビアなどの中東産油諸国に対してパキスタン中央銀行に預金するよう要請するとともに,日,英,米,独などの先進諸国には10億ドルの緊急援助を要請した。外貨準備高の落ち込みは主に,IMFがパキスタンに対する1.04億ドルのスタンドバイ措置(SBA)と1.44億ドルの構造調整融資を拒否しているためとされている(Dawn,10/12)。 |
DIA-304-1990-10-13-1 | パキスタン | 1990年10月13日 | 1990年代 | ベーグ陸軍参謀長,イスラマバードの大統領官邸でイスハーク大統領に会見。 |
DIA-304-1990-10-13-2 | パキスタン | 1990年10月13日 | 1990年代 | IJI,選挙綱領を発表。 |
DIA-304-1990-10-13-3 | パキスタン | 1990年10月13日 | 1990年代 | IMFはパキスタン政府に対して現行の構造調整計画の強化に直ちに取り組むよう強く勧告。これは8月来訪のIMF代表団による報告書で提案された5項目の構造調整強化計画(RAP)のことで,IMFは9月の着手を勧告していた。この計画に関して11月30日までにパ政府とIMFの間に合意が成立していなければ,1988年のIMF・パ政府協定の構造調整融資の残高2億4400万ドルの規定が失効し,全計画が崩壊すると強く警告。 |
DIA-304-1990-10-14-1 | パキスタン | 1990年10月14日 | 1990年代 | シンド周高裁は,下院解散を違憲とする申立てに判断を差し控えた。 |
DIA-304-1990-10-14-2 | パキスタン | 1990年10月14日 | 1990年代 | パンジャーブ州高裁は,8月6日のイスハーク大統領による国会下院解散は合憲と判決を下し,5件の違憲申立てを却下。最高裁はこれら5件の申立てに対する命令を差し控えた。 |
DIA-304-1990-10-15-1 | パキスタン | 1990年10月15日 | 1990年代 | PDPA,選挙綱領を発表。 |
DIA-304-1990-10-15-2 | パキスタン | 1990年10月15日 | 1990年代 | 「ジャトーイ首相は自由裁量権の及ぶ基金から5000万ルピーを支出。IJIの選挙の見込みを良くするためと思われる。」(Viewpoint,10/18) |
DIA-304-1990-10-16-1 | パキスタン | 1990年10月16日 | 1990年代 | アフガニスタン国内で活動している反政府勢力のマスード司令官,来訪。 |
DIA-304-1990-10-17-1 | パキスタン | 1990年10月17日 | 1990年代 | 暫定政府は更に2件の職権乱用容疑でブットー前首相をパンジャーブ州高裁の特別法廷に起訴。 |
DIA-304-1990-10-21-1 | パキスタン | 1990年10月21日 | 1990年代 | 国軍人事―K・L・ムガル陸軍少将とG・M・マリク陸軍少将がそれぞれ中将に昇格。 |
DIA-304-1990-10-21-2 | パキスタン | 1990年10月21日 | 1990年代 | シンド州で総選挙のための軍の展開が完了。 |
DIA-304-1990-10-23-1 | パキスタン | 1990年10月23日 | 1990年代 | イスハーク大統領,全国放送(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1990-10-23-2 | パキスタン | 1990年10月23日 | 1990年代 | イスハーク大統領は,ブットー前首相を職権乱用罪でパンジャーブ州高裁の特別法廷に起訴。これでブットー前首相に対する起訴は計7件となった。 |
DIA-304-1990-10-23-3 | パキスタン | 1990年10月23日 | 1990年代 | イスハーク大統領,「政党法〈改正〉政令,1990年」を布告。これは,国会・州議会で政治家が自党の意見と対立する意見に票を投じること(floor crossing)―を党籍変更(defection)と見なすというもので,1962年政党法を更に改正するものである。 |
DIA-304-1990-10-24-1 | パキスタン | 1990年10月24日 | 1990年代 | 第5回総選挙―PPPを主力とするPDAが敗北し,IJIが圧勝した(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1990-10-25-1 | パキスタン | 1990年10月25日 | 1990年代 | フィッツウォーター米大統領報道官はパキスタンの総選挙について,「我々は民主的過程を支持するが,総選挙の国際監視団の結論(10月26日予定)を持ちたい」などと非常に慎重な態度をとった。 |
DIA-304-1990-10-26-1 | パキスタン | 1990年10月26日 | 1990年代 | 米国とカナダを中心とする全国民主研究所(NDI)の国際選挙監視団は24日の下院選挙について,不正投票や脅迫などの問題は散発的だったが,国営テレビ放送などマスメディアは不公平だった。しかし,選挙は総じて公正で秩序あるものであった。と発表。 |
DIA-304-1990-10-27-1 | パキスタン | 1990年10月27日 | 1990年代 | 4州議会選挙―これもPDAの敗北,IJIの圧勝に終わった(「参考資料」参照)。なお,本日の選挙がらみで全国で34人が殺害された。 |
DIA-304-1990-10-28-1 | パキスタン | 1990年10月28日 | 1990年代 | カラチの証券取引所は総選挙結果を受けて活気を取り戻し,株価は28日には10ポイント高くなった。 |
DIA-304-1990-10-29-1 | パキスタン | 1990年10月29日 | 1990年代 | 国軍人事―陸軍総司令部は89年12月以来空席となっていた陸軍副参謀長にI・U・ワラーイチ中将を任命するとともに,C・S・アリー少将を中将に昇格と発表した(Pakistan Times,10/30)。 |
DIA-304-1990-10-29-2 | パキスタン | 1990年10月29日 | 1990年代 | フランスの選挙監視団はパキスタン総選挙に不正行為が多かった旨を発表。 |
DIA-304-1990-10-29-3 | パキスタン | 1990年10月29日 | 1990年代 | タトワイラー米国務省報道官は,アメリカはパキスタンの総選挙結果を承認すると発表。 |
DIA-304-1990-10-30-1 | パキスタン | 1990年10月30日 | 1990年代 | IJIの主力であるパキスタン・ムスリム連盟(PML)は新首相候補としてナワーズ・シャリーフIJI総裁を推薦することに決定した。 |
DIA-304-1990-11-01-1 | パキスタン | 1990年11月01日 | 1990年代 | IJI議員団は満場一致でナワーズ・シャリーフIJI総裁を首相候補に指名。 |
DIA-304-1990-11-03-1 | パキスタン | 1990年11月03日 | 1990年代 | 下院,開会―合計217人の下院議院のうち就任の宣誓を行なったのは135人で,PDAの選出議員45人は,A・A・ザルダーリーがカラチに拘禁されたままのため議員宣誓ができないのは不当だとして退場。 |
DIA-304-1990-11-03-2 | パキスタン | 1990年11月03日 | 1990年代 | ベーナジール・ブットーPPP共同党首は野党リーダーに選出された。 |
DIA-304-1990-11-04-1 | パキスタン | 1990年11月04日 | 1990年代 | 下院議長にIJIのゴーハル・アユーブ・ハーンが146票を得て選出された。PDAのS・Z・A・シャーは47票。なお,本日,A・A・ザルダーリーを含むPDPA選出下院議員が就任の宣誓を行なった。 |
DIA-304-1990-11-04-2 | パキスタン | 1990年11月04日 | 1990年代 | シンド州議会が開かれ,出席した59人の議員は満場一致で無所属のジャーム・サーディク・アリーが州首相に選出され,就任した。州議会議長にはA・ラージク・ハーンが56対38で選出された。 |
DIA-304-1990-11-06-1 | パキスタン | 1990年11月06日 | 1990年代 | 下院がナワーズ・シャリーフIJI総裁がPDAのアフザル・ハーンの39票に対して153票の圧倒的多数で首相に選出され,就任した。 |
DIA-304-1990-11-07-1 | パキスタン | 1990年11月07日 | 1990年代 | ナワーズ・シャリーフ新首相はラジオ,テレビを通じて就任の全国放送を行なった(「参考資料」参照)。また,8月6日の非常事態宣言を解除。 |
DIA-304-1990-11-09-1 | パキスタン | 1990年11月09日 | 1990年代 | ナワーズ・シャリーフ内閣,成立―IJI政権,(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1990-11-10-1 | パキスタン | 1990年11月10日 | 1990年代 | イスハーク大統領,訪日(~13日)―12日の平成天皇即位の大典に参列のため。11日,海部首相と会談。大統領は13日に帰国するまでに,統一ドイツのワイゼッカー大統領,ボルキア・ブルネイ国王,オザル・トルコ大統領,エルシャド・バングラデシュ大統領,スハルト・インドネシア大統領に会見。 |
DIA-304-1990-11-11-1 | パキスタン | 1990年11月11日 | 1990年代 | シンド州のジャーム・サーディク・アリー内閣,成立―IJIとMQMの連立政権。 |
DIA-304-1990-11-12-1 | パキスタン | 1990年11月12日 | 1990年代 | 北西辺境州のミール・アフザル・ハーン内閣,成立―IJIとANPの連合政権。 |
DIA-304-1990-11-14-1 | パキスタン | 1990年11月14日 | 1990年代 | 石油製品,値上げ―政府はIMFの構造調整融資条件に即して本来2度目の石油製品値上げを発表した。値上げ幅はハイオクタン・ガソリンの42%から灯油50%まで(Dawn,11/15)。 |
DIA-304-1990-11-15-1 | パキスタン | 1990年11月15日 | 1990年代 | 大蔵省は,輸入車のうちバス,トラックなど運送用の車種の輸入関税を大幅に引き下げた。従来の関税が75.5~117.5%のものは15.0%に,15.0~45.0%だったものは無税にされた。この措置は前日(14日)の石油製品値上げに対する補償措置として発表されたもの(Dawn,11/15)。 |
DIA-304-1990-11-16-1 | パキスタン | 1990年11月16日 | 1990年代 | パンジャーブ州のグラーム・ハイダル・ワーイン内閣,成立―IJI政権。 |
DIA-304-1990-11-17-1 | パキスタン | 1990年11月17日 | 1990年代 | ナワーズ・シャリーフ首相,小巡礼のためサウジアラビアへ(~20日)。カラチ空港で首相就任後初の記者会見で,(1)失業問題がわが国最大の問題だ,(2)誘拐犯は公開処刑すべきだ,などと述べた。19日,サウジアラビアのファハド国王に会見。 |
DIA-304-1990-11-18-1 | パキスタン | 1990年11月18日 | 1990年代 | 1988年8月にジア・ウル・ハック軍人大統領が死亡した大統領機墜落事件に関する調査が再開された(Viewpoint,11/22)。 |
DIA-304-1990-11-20-1 | パキスタン | 1990年11月20日 | 1990年代 | パンジャーブ麻薬撲滅理事会(PACD),(州役人の?)役職者373人の調査を開始。 |
DIA-304-1990-11-21-1 | パキスタン | 1990年11月21日 | 1990年代 | ナワーズ・シャリーフ首相,南アジア地域協力連合(SAARC)首脳会議出席のため,モルディブへ出発(~23日)。22日,インドのシェーカル首相と会談。12月18~20日に第3回両国次官級会談開催で合意。 |
DIA-304-1990-11-21-2 | パキスタン | 1990年11月21日 | 1990年代 | バローチスタン州のタージ・M・ジャマーリー内閣,成立―IJI,PDA,イスラーム長老党,ファザル派(JUI-F),パキスタン民族党(PNP)および無所属の連合政権。 |
DIA-304-1990-11-23-1 | パキスタン | 1990年11月23日 | 1990年代 | ナワーズ・シャリーフ首相はモルディブからアラブ首長国連邦(UAE)へ直行。24日,シェイフ・ザーイドUAE大統領との会談後の記者会見で,パキスタンは湾岸危機で軍人を増派すると発表。24日,帰国。 |
DIA-304-1990-11-23-2 | パキスタン | 1990年11月23日 | 1990年代 | 政府は湾岸危機の影響に鑑み,年次開発計画の見直しを開始した(Dawn,11/24)。 |
DIA-304-1990-11-24-1 | パキスタン | 1990年11月24日 | 1990年代 | 政府は,前PPP政権時代に役人に採用された者(約3万人)を解雇すると発表。 |
DIA-304-1990-11-25-1 | パキスタン | 1990年11月25日 | 1990年代 | ベーグ陸軍参謀長はラホールで兵士たちを激励した際の演説で,アメリカの援助が止まればパキスタンは自らの脚で立つしかなくなるのだから,かえって幸いなのだ,と述べた。 |
DIA-304-1990-11-26-1 | パキスタン | 1990年11月26日 | 1990年代 | ナワーズ・シャリーフ首相は本日放映の英国BBCテレビ番組,「パキスタンにおける民主主義」で,「パキスタン軍は民主主義を育ててきた」と述べた。 |
DIA-304-1990-11-26-2 | パキスタン | 1990年11月26日 | 1990年代 | 情報筋によると,北西辺境州の麻薬王たちは今作付期には作付面積を前作付期の3倍に増やした。このため,今期の阿片製産量は前期の120トンに対し600トンになると見られる(Dawn,11/27)。 |
DIA-304-1990-11-27-1 | パキスタン | 1990年11月27日 | 1990年代 | ワリー・ハーンANP党首,ナワーズ・シャリーフ内閣への不参加を表明。 |
DIA-304-1990-11-28-1 | パキスタン | 1990年11月28日 | 1990年代 | パキスタンがオーストラリアに発注していた中古のミラージュ戦闘機50機のうち32機がカラチ空港に到着した(Pakistan Times,11/29)。 |
DIA-304-1990-11-28-2 | パキスタン | 1990年11月28日 | 1990年代 | ヌスラット・ブットーPPP共同党首(ペーナジール・ブットー共同党首の母)は(裁判,国会で)多忙な娘に代わってPPPを草の根レベルから再建すると談。 |
DIA-304-1990-11-29-1 | パキスタン | 1990年11月29日 | 1990年代 | ナワーズ・シャリーフ首相はインドのシェーカル首相と印パ間平和維持のための電話対談を行なった。 |
DIA-304-1990-12-03-1 | パキスタン | 1990年12月03日 | 1990年代 | 閣議はキサース及びディーヤト政令の改正を承認し,誘拐犯を死刑に処すと決定。 |
DIA-304-1990-12-06-1 | パキスタン | 1990年12月06日 | 1990年代 | ナワーズ・シャリーフ首相は,第1~5級公務員を公務員の大量解雇の対象外にするように指示した(Viewpoint,12/13)。なお,公務員の最上級職は22級で,1~5級は最下級公務員層。 |
DIA-304-1990-12-06-2 | パキスタン | 1990年12月06日 | 1990年代 | パンジャーブ州政府は,州政府雇用の医者に農村部で2年間治療に当たることを義務化した。 |
DIA-304-1990-12-06-3 | パキスタン | 1990年12月06日 | 1990年代 | 米政府は南アジアおよび中東の諸国に対して核拡散防止条約に調印するよう圧力をかけていくことを決定した(Dawn,12/8)。 |
DIA-304-1990-12-06-4 | パキスタン | 1990年12月06日 | 1990年代 | 外貨準備高の危機―パキスタンの外貨準備高は10月の14.8億ルピー(6780万ドル)から11月には13.0億ルピー(5900万ドル)に減少し,輸入のわずか3日分相当となった。1989年11月の外貨準備高は30.5億ルピー(1億3860万ドル)であった。 |
DIA-304-1990-12-07-1 | パキスタン | 1990年12月07日 | 1990年代 | ナワーズ・シャリーフ首相,全国放送―(1)公共・民間両部門の第1~15級(下級~中級職)のサラリーマンに救済策として1人200ルピー供与(即日発行)。(2)農村部に設立された工場は5年間免税の対象とする。機械類の輸入関税も免除する。(3)農村部での工場設立の資金の出所は問わない。 |
DIA-304-1990-12-08-1 | パキスタン | 1990年12月08日 | 1990年代 | ナワーズ・シャリーフ首相,シンド州視察行を開始。9日,シンド州開発のための100億ルピーの贈与を発表。ラールカーナ,ハイダラバードなどシンド州内陸部を11日まで視察。 |
DIA-304-1990-12-10-1 | パキスタン | 1990年12月10日 | 1990年代 | イスハーク大統領は「刑法〈第4次改正〉政令,1990年」を布告。これにより,誘拐罪は死刑または終身刑の対象となる(Pakistan Times,12/11)。 |
DIA-304-1990-12-12-1 | パキスタン | 1990年12月12日 | 1990年代 | パキスタン,初の南極調査隊を出す。船はスウェーデンからチャーターし,隊員40人のうち科学者は13人。南極調査隊を出す国としては37番目。南極に「ジンナー基地」を建設し,3カ月間滞在の予定。総費用は8000万ルピー(Dawn,12/13)。 |
DIA-304-1990-12-12-2 | パキスタン | 1990年12月12日 | 1990年代 | シンド州で犯罪者の緊急取締り。1135人逮捕。 |
DIA-304-1990-12-13-1 | パキスタン | 1990年12月13日 | 1990年代 | シンド州政府はシンド州の匪賊(ダコイト,ダークー)逮捕のために「大掃除作戦」を展開~(16日)。 |
DIA-304-1990-12-13-2 | パキスタン | 1990年12月13日 | 1990年代 | 政府,経済活性化の当面の施策を発表―新産業政策,所得税に関する告知,関税等に関する告知。このうち新産業政策の主要点は以下の通り。(1)都市部に設立の工場は3年間の免税,(2)農村部は5年間,(2)バローチスタン,北西辺境,シンドの3州の一部を除く後進地域の場合は8年間の免税,(4)種々の大幅減税。 |
DIA-304-1990-12-13-3 | パキスタン | 1990年12月13日 | 1990年代 | ヘンリー・ローウェン系国防次官補(国家安全保障担当),来訪(~16日)。14日,ベーグ陸軍参謀長と会談。ヤークーブ外相,S・M・ハーン外務次官とも会談。15日,S・A・ギラーニー国防次官と会談。 |
DIA-304-1990-12-13-4 | パキスタン | 1990年12月13日 | 1990年代 | オークリー駐パキスタン米大使,ヤークーブ外相にパキスタン核開発問題で会見。 |
DIA-304-1990-12-14-1 | パキスタン | 1990年12月14日 | 1990年代 | 東京銀行,資本参加―東銀はパキスタンの有力企業グループであるアトラス・グループやADBなどと共同出資で,ラホールに投資銀行「アトラスBOT投資銀行」を設立したと発表。資本金は1億ルピーで,東銀の出資比率は20%だが,社長は東銀から派遣され,91年1月に業務開始の予定。 |
DIA-304-1990-12-15-1 | パキスタン | 1990年12月15日 | 1990年代 | イスハーク大統領,「刑法〈第5次改正〉政令,1990年」を布告(Pakistan Times,12/16)。 |
DIA-304-1990-12-15-2 | パキスタン | 1990年12月15日 | 1990年代 | 1971年の第3次印パ戦争に関するハムードゥル・ラハマーン報告書の内容が若干漏洩(Viewpoint,12/20)。 |
DIA-304-1990-12-15-3 | パキスタン | 1990年12月15日 | 1990年代 | イスハーク大統領は「パキスタン・テレコミュニケーション公社」を設立する政令を布告(即日発効)。 |
DIA-304-1990-12-15-4 | パキスタン | 1990年12月15日 | 1990年代 | オークリー駐パキスタン米大使は,アメリカはカシミールを紛争地域と見なすと言明。 |
DIA-304-1990-12-16-1 | パキスタン | 1990年12月16日 | 1990年代 | イスハーク大統領は「銀行〈国有化〉〈改正〉政令,1990年」を布告。これにより,民間部門に銀行を設立することが許可された(Dawn,12/17)。 |
DIA-304-1990-12-16-2 | パキスタン | 1990年12月16日 | 1990年代 | イムティヤーズ准将(元ISI所属),情報局(IB)局長に任命さる。 |
DIA-304-1990-12-17-1 | パキスタン | 1990年12月17日 | 1990年代 | 通常国会,開催。 |
DIA-304-1990-12-17-2 | パキスタン | 1990年12月17日 | 1990年代 | ドゥベイ・インド外務次官,来訪。18日,第3回印パ外務次官会談。19日,ドゥベイ次官はナワーズ・シャリーフ首相に会見。20日,共同声明発表。共同声明によると,(1)両国は91年1月に相互の核施設不攻撃協定(1988年12月31日,当時のB・ブットー首相とインドのR・ガンディー首相が調印)を批准する,(2)91年2月末までに第4回外務次官級会談を開く予定。 |
DIA-304-1990-12-17-3 | パキスタン | 1990年12月17日 | 1990年代 | パキスタンはサウジアラビアの派遣軍第2団3000人の送り出しを開始。第1団の2000人は既に9月第1週に到着している(Pakistan Times,12/18)。 |
DIA-304-1990-12-18-1 | パキスタン | 1990年12月18日 | 1990年代 | パンジャーブ州都市部の匪賊掃討作戦,開始。 |
DIA-304-1990-12-18-2 | パキスタン | 1990年12月18日 | 1990年代 | Dawn紙,12月18日によると,現在進行中の1991年国勢調査と並行して,全国のアフガン難民の調査が改めて実施されているという。 |
DIA-304-1990-12-18-3 | パキスタン | 1990年12月18日 | 1990年代 | 政府は,湾岸危機の被害解消のため国連に20億ドルの援助を要請した。30日,国連安全保障理事会はメンバー諸国に対し,パキスタンに15億ドルの緊急援助を供与するよう要請する決議案を採択した。 |
DIA-304-1990-12-19-1 | パキスタン | 1990年12月19日 | 1990年代 | ラホールでイラン外交官1人,射殺さる。 |
DIA-304-1990-12-22-1 | パキスタン | 1990年12月22日 | 1990年代 | ナワーズ・シャリーフ首相はラホールで新聞編集者たちによる昼食会で,国有企業民営化路線は譲れないと強調した。 |
DIA-304-1990-12-26-1 | パキスタン | 1990年12月26日 | 1990年代 | シンド州警察,1200人の警官を動員した大規模な匪賊掃討作戦を開始。 |
DIA-304-1990-12-27-1 | パキスタン | 1990年12月27日 | 1990年代 | アジーズ大蔵大臣の発表では(現時点での)外貨準備高は2億7500万ドル(民間部門輸入額の1カ月分相当)に回復。これはアジア開発銀行(ADB)の融資1億ドルの流入および輸出増による(Dawn,12/28,なお上記12月6日を参照のこと)。 |
DIA-304-1990-12-31-1 | パキスタン | 1990年12月31日 | 1990年代 | ベーグ陸軍参謀長,訪中。 |
DIA-304-1991-01-02-1 | パキスタン | 1991年01月02日 | 1990年代 | ナワーズ・シャリーフ首相,上院での初演説で経済の「革命的改革」を行なうと強調。 |
DIA-304-1991-01-05-1 | パキスタン | 1991年01月05日 | 1990年代 | イスハーク・ハーン大統領は「刑法(改正)令,1991年」を布告。同令は「パ刑法」および「刑事訴訟法,1898年」をイスラーム教に合致するようにするためにさらに改正するためのものという。 |
DIA-304-1991-01-05-2 | パキスタン | 1991年01月05日 | 1990年代 | 1990年9月にイスハーク大統領が布告した「キサースおよびディーヤト令」は4カ月以内に国会の承認を得ることができず,本日失効(D,1/13)。 |
DIA-304-1991-01-05-3 | パキスタン | 1991年01月05日 | 1990年代 | パ国鉄当局は大規模赤字解消のため100カ所の駅を閉鎖するなどの措置に原則として同意した。 |
DIA-304-1991-01-06-1 | パキスタン | 1991年01月06日 | 1990年代 | 在日パ人協会のフセイン・ハーン会長はイスラマバードでの記者会見で,在日パ人は1カ月平均2億8000万ルピー相当の本国外貨送金をしていると明らかにした(D,1/7)。 |
DIA-304-1991-01-06-2 | パキスタン | 1991年01月06日 | 1990年代 | 野党連盟であるパ民主連合(PDA)のベーナジール・ブットー総裁はシンド州政府を信用できないとして,10日予定の下院・州議会補欠選挙には連邦政府職員を使い,また,警戒のため軍配置の要を主張。 |
DIA-304-1991-01-07-1 | パキスタン | 1991年01月07日 | 1990年代 | 中央歳入庁(CBR)はパヘの輸入のアンダー・インボイスやオーバー・インボイス価格をチェックするため,スイスの検査会社コテクナ社に輸出入検査を1990年7月から委託していたが,国内の輸入業者ロビーの要求に応じて輸入総額の70%近くを占める4範疇の輸入品を検査対象外にした(DE,1/8)。その後,中央銀行の強い要請により,一部が再引締めの方向で再び改正された(『通商弘報』2/12)。 |
DIA-304-1991-01-09-1 | パキスタン | 1991年01月09日 | 1990年代 | 国営銀行民営化-5国営銀行3番目の規模のムスリム商業銀行(MCB)が民間12企業から成るサファイア・グループ(SG,正式名称はNational Group)に払い下げられた。同グループは織物および皮革産業の大手12社から成り,MCB株26%の払い下げを受けた。新所有者たちは30日以内に8億3880億ルピーを支払うことになり,MCB株の25%は6月30日までに一般に売卸の予定(D,1/10)。4月8日に経営権が正式に新所有者12人に譲渡された(DE,4/9)。 |
DIA-304-1991-01-09-2 | パキスタン | 1991年01月09日 | 1990年代 | シャリーフ首相,「聖地防衛のため」サウジアラビアにさらに5000人を直ちに派兵と発表。 |
DIA-304-1991-01-10-1 | パキスタン | 1991年01月10日 | 1990年代 | 国会下院9議席,4州議会15議席の補欠選挙でPDAは前者1議席,後者2議席を得たのみで,下院の7議席および州議会の11議席はイスラーム民主連合(IJI)が獲得し,残りの計3議席はIJI系無所属立候補者が獲得。なお,シンド州でのPDA獲得議席は0。 |
DIA-304-1991-01-12-1 | パキスタン | 1991年01月12日 | 1990年代 | 人口危機委員会(PCC本部,ワシントン)によるとパの人口は1947年の3200万から(91年1月現在)1億1200万と急増しており,同国は同委員会の政治不安定化表にある最悪19カ国の一つに入っている。なお,同国の人口増加率は50年代には年率1.7%,80年代には3.2%。(DE-W,1/12)。 |
DIA-304-1991-01-12-2 | パキスタン | 1991年01月12日 | 1990年代 | パの週刊誌PAGE1月12日号は,パが核爆弾6個を製造・所有していると,米政府筋がインドのV・P・シング首相(当時)に伝えたと報じた。 |
DIA-304-1991-01-14-1 | パキスタン | 1991年01月14日 | 1990年代 | 中央銀行1989/90年度年次報告書,刊行。 |
DIA-304-1991-01-14-2 | パキスタン | 1991年01月14日 | 1990年代 | 日本の海外経済協力基金(OECF)とパ政府は34億6300万円の援助供与協定に調印。用途はインダス幹線道路第2段階269㌔(DE,1/15)。 |
DIA-304-1991-01-14-3 | パキスタン | 1991年01月14日 | 1990年代 | 1990年12月の消費者物価上昇率が,前年同月比で13.81%という過去10年の最高値を示した(D,1/14)。 |
DIA-304-1991-01-15-1 | パキスタン | 1991年01月15日 | 1990年代 | 湾岸危機でイラクを支援する勢力の反米集会が全国で行なわれた。多くの市民が食料品の買いだめを行なっており,食料品の価格が急騰している。 |
DIA-304-1991-01-17-1 | パキスタン | 1991年01月17日 | 1990年代 | 国営4銀行で頭取更迭などの重要人事異動(DE-I,1/18)。 |
DIA-304-1991-01-18-1 | パキスタン | 1991年01月18日 | 1990年代 | パ政府,傭兵を徴募したなどとして在パ・イラク大使館の報道担当官を「好ましからざる人物」と宣言。 |
DIA-304-1991-01-19-1 | パキスタン | 1991年01月19日 | 1990年代 | イスハーク大統領は「ザカートおよびウシュルル令,1980年」をさらに改正する政令を布告。 |
DIA-304-1991-01-19-2 | パキスタン | 1991年01月19日 | 1990年代 | PIA,イランとの間でクエッタ・メシェッド間相互乗り入れ協定に調印。 |
DIA-304-1991-01-19-3 | パキスタン | 1991年01月19日 | 1990年代 | 全国人民党(ANP)のワリー・ハーン党首,湾岸紛争でイラクのサダム・フセイン大統領を支持。 |
DIA-304-1991-01-20-1 | パキスタン | 1991年01月20日 | 1990年代 | シャリーフ首相,多国籍軍のイラク空爆即時停止とイラクのクウェート即時撤退を訴えた。 |
DIA-304-1991-01-21-1 | パキスタン | 1991年01月21日 | 1990年代 | パ人民党(PPP),ラホールで湾岸危機反米デモ。 |
DIA-304-1991-01-21-2 | パキスタン | 1991年01月21日 | 1990年代 | 政府,3月1~10日予定の「人口・住宅調査」を無期延期。シンド州の都市・農村間の対立悪化を避けるためという。 |
DIA-304-1991-01-22-1 | パキスタン | 1991年01月22日 | 1990年代 | 政府は外国為替に関する諸規制をさらに緩和した。 |
DIA-304-1991-01-22-2 | パキスタン | 1991年01月22日 | 1990年代 | シャリーフ首相は湾岸危機で和平に向けて協議のためイラン,トルコ,シリア,ヨルダン,エジプト,サウジアラビア歴訪に出発。28日帰国。 |
DIA-304-1991-01-23-1 | パキスタン | 1991年01月23日 | 1990年代 | アジア開発銀行(ADB)は湾岸危機で「最も深刻な影響を受けた国」(MSAC)4カ国のなかにパを含めた。 |
DIA-304-1991-01-23-2 | パキスタン | 1991年01月23日 | 1990年代 | パキスタンはイランとの間で,イラン原油精油所をカラチに建設することで合意。 |
DIA-304-1991-01-26-1 | パキスタン | 1991年01月26日 | 1990年代 | ペシャーワルで親イラク・デモ隊に警官が発砲し,3人死亡。湾岸関連の政府政策反対者,初の死者。 |
DIA-304-1991-01-27-1 | パキスタン | 1991年01月27日 | 1990年代 | 印・パ,核施設相互不可侵協定批准書を交換。 |
DIA-304-1991-01-28-1 | パキスタン | 1991年01月28日 | 1990年代 | M・A・ベーグ陸軍参謀長,湾岸危機で演説-(1)イラクでカルバラーの悲劇が再現されている。(2)サダムは信仰の孤独な守護者と考えられている。(3)某超大国がアフガニスタンにおけるソ連と同じように力を失うことになるかも知れない。(4)この戦争でこの地域で地政学上の変化が生じよう。なお,150分に及ぶこの演説はラーワルピンディーの陸軍本部で600人の将校に対して,シャリーフ首相の帰国(1月22日参照)数時間後,また記者会見での首相帰国報告の数時間前に行なわれた。 |
DIA-304-1991-01-29-1 | パキスタン | 1991年01月29日 | 1990年代 | ベーグ陸軍参謀長は陸軍本部で2日間のジャーナリスト向け講演の質疑応答で次のように述べた。(1)対イラン関係を強固にすべきだ。(2)対外政策で政府と私の間に相異はない。(3)パは米国のこの次の標的にされるかも知れない。(4)私は予定どおりに退役しよう。 |
DIA-304-1991-01-30-1 | パキスタン | 1991年01月30日 | 1990年代 | ムニール・A・ハーン原子力委員会委員長によると,米国は1990/91年度は対パ援助を5億7000万㌦から2億800万㌦に減額したと明らかにした。減額された援助もパが核兵器を開発していないと米が確信した場合にのみ供与されることになるという。 |
DIA-304-1991-01-30-2 | パキスタン | 1991年01月30日 | 1990年代 | S・ラシード情報相はベーグ陸軍参謀長の発言(1月28日参照)は彼の個人的見解だと述べた。 |
DIA-304-1991-02-01-1 | パキスタン | 1991年02月01日 | 1990年代 | パキスタン北西部でマグニチュード6.8の地震。チトラール県とスワート県で300人上が死亡。 |
DIA-304-1991-02-05-1 | パキスタン | 1991年02月05日 | 1990年代 | パンジャーブ州ジャングのイスラーム教宗派対立で無期限外出禁令。 |
DIA-304-1991-02-07-1 | パキスタン | 1991年02月07日 | 1990年代 | シャリーフ首相,諸種の経済インセンティブを発表。 |
DIA-304-1991-02-07-2 | パキスタン | 1991年02月07日 | 1990年代 | シンド州サッカル市で種族紛争。13人死亡。 |
DIA-304-1991-02-07-3 | パキスタン | 1991年02月07日 | 1990年代 | シャリーフ首相は湾岸戦争で和平のための協議でリビア,モロッコ,アルジェリア,チュニジア,サウジアラビアを歴訪(~15日)。 |
DIA-304-1991-02-10-1 | パキスタン | 1991年02月10日 | 1990年代 | S・S・ハーン工業相は,北西辺境州はガドゥーン工業団地を除く全域が本日より何らの工場設立許可を要さない自由工業地域になったと発表(D,2/11)。 |
DIA-304-1991-02-13-1 | パキスタン | 1991年02月13日 | 1990年代 | サルタージ・アジーズ蔵相は記者会見で,湾岸戦争でパが受ける経済的損失は10億㌦以上と述べた。 |
DIA-304-1991-02-14-1 | パキスタン | 1991年02月14日 | 1990年代 | 著名な経済学者M・ウザイル博士の推計によると年間90~100億㌦の“麻薬資金”がパに流入しているという(DE-I,2/15)。 |
DIA-304-1991-02-14-2 | パキスタン | 1991年02月14日 | 1990年代 | 中央銀行,個人の外貨口座に対する規制緩和措置を発表(DE-I,2/15)。 |
DIA-304-1991-02-16-1 | パキスタン | 1991年02月16日 | 1990年代 | 第8次5カ年計画(1993~98年)策定作業が遅延のため事実上中断状態(DE-W,2/16)。 |
DIA-304-1991-02-16-2 | パキスタン | 1991年02月16日 | 1990年代 | 戻税支払い手続き,簡略化-戻税の2~3%を取る仲立人が以後不要となった(DE,2/17)。 |
DIA-304-1991-02-17-1 | パキスタン | 1991年02月17日 | 1990年代 | 銀行など国営企業110前後の労働者25万人が民営化反対のデモを全国各地で行なった。全パ国営企業労働者行動委員会(APSEWAC)の予測では6カ月以内に105の国営企業が民間に払い下げられ,10万人の失業者が出ることになろうという。 |
DIA-304-1991-02-17-2 | パキスタン | 1991年02月17日 | 1990年代 | 政府,税制改革委員会設置を発表。委員長はマズハル・アリー上院議員。 |
DIA-304-1991-02-17-3 | パキスタン | 1991年02月17日 | 1990年代 | イスハーク大統領はパ国際航空(PIA)総裁のF・F・ハーン空軍中将(52歳)を大将に昇格の上,新空軍参謀に任命(3月9日,就任)。 |
DIA-304-1991-02-18-1 | パキスタン | 1991年02月18日 | 1990年代 | ヤークーブ外相,湾岸危機でイラン訪問。 |
DIA-304-1991-02-18-2 | パキスタン | 1991年02月18日 | 1990年代 | ベーグ陸軍参謀長,湾岸危機でサウジアラビアに派遣されたパキスタン軍激励のため同国へ。 |
DIA-304-1991-02-20-1 | パキスタン | 1991年02月20日 | 1990年代 | アメリカ政府と議会はパを「アメリカ合衆国とその利益に対して敵対的になりがちな好ましからざる国々」の範疇に入れた(D,2/21)。 |
DIA-304-1991-02-20-2 | パキスタン | 1991年02月20日 | 1990年代 | 米,英などの先進5カ国,軍備関係部品の対パ輸出を禁止(V,2/28)。 |
DIA-304-1991-02-20-3 | パキスタン | 1991年02月20日 | 1990年代 | アジース蔵相は記者会見で,サウジアラビアが向う3カ月間1日5万バレル(計150万バレル)の石油の対パ贈与を決定したと明らかにするとともに,1億㌦の節約になると述べた。 |
DIA-304-1991-02-20-4 | パキスタン | 1991年02月20日 | 1990年代 | パンジャーブ小規模産業公社(PSSC)は1993年6月までにファイサラバード地域に6工業団置開設の予定を明らかにした(DE,2/21)。 |
DIA-304-1991-02-21-1 | パキスタン | 1991年02月21日 | 1990年代 | ムニール原子力委員会委員長は,政府は国産原子力発電所建設を許可したと述べた(V,2/28)。 |
DIA-304-1991-02-24-1 | パキスタン | 1991年02月24日 | 1990年代 | 政府は輸出振興のために包括的インセンティブを承認(DE,2/25)。 |
DIA-304-1991-02-24-2 | パキスタン | 1991年02月24日 | 1990年代 | 中央銀行は個人の外貨口座に対する更なる規制緩和追加措置を発表(DE,2/25)。 |
DIA-304-1991-02-25-1 | パキスタン | 1991年02月25日 | 1990年代 | 中央銀行,通貨管理および公債管理のための新プログラムを発表(DE,2/26)。 |
DIA-304-1991-02-25-2 | パキスタン | 1991年02月25日 | 1990年代 | カラチでムハージルとイスラーム協会(JI)の衝突,4人死亡。 |
DIA-304-1991-02-26-1 | パキスタン | 1991年02月26日 | 1990年代 | 中央銀行は2月7日の首相発表の諸措置に対する追掛け措置として証券の発行・移転に関する規制緩和追加措置を発表した(DE,2/27)。 |
DIA-304-1991-02-26-2 | パキスタン | 1991年02月26日 | 1990年代 | シャリーフ首相,ヤークーブ外相を解任-首相は訪中(~3月1日)の途次の機中で,「ヤークーブ外相が3月に辞任する」と述べた。 |
DIA-304-1991-02-28-1 | パキスタン | 1991年02月28日 | 1990年代 | 下院,誘拐罪は死刑とする法案を採択。 |
DIA-304-1991-03-04-1 | パキスタン | 1991年03月04日 | 1990年代 | 湾岸戦争で親イラク派のパ神学者協会ニアージー派のM・A・S・K・ニアージー委員長,湾岸政策でシャリーフ首相と口論して地方自治体省を辞任。 |
DIA-304-1991-03-05-1 | パキスタン | 1991年03月05日 | 1990年代 | 政府はパ国内の外貨口座(所有者の国籍を問わない)は所得税および富有税の対象外とし,ザカートの源泉徴収も行なわないと決定した(DE,3/6)。 |
DIA-304-1991-03-06-1 | パキスタン | 1991年03月06日 | 1990年代 | カラチのテロ活動制圧特別法廷は,ガソリン・スタンドで窃盗・殺人(2人)を働いた青年4人に公開死刑の判決を下した。同法廷初の死刑判決。 |
DIA-304-1991-03-06-2 | パキスタン | 1991年03月06日 | 1990年代 | キサースおよびディーヤト法案,上院を通過。 |
DIA-304-1991-03-07-1 | パキスタン | 1991年03月07日 | 1990年代 | アメリカ,サウジアラビア両国はパに麻薬のパ国外流出阻止を要請。 |
DIA-304-1991-03-07-2 | パキスタン | 1991年03月07日 | 1990年代 | シャリーフ首相,ほとんどの官僚たちは腐敗していると述べた(V,3/14)。 |
DIA-304-1991-03-09-1 | パキスタン | 1991年03月09日 | 1990年代 | 商業省は,バローチスタン州に5万DWT(Dead Weight Tonnage)までの船舶の碇泊可能な海港の建設用地を6カ月以内に決定すると発表(DE,3/10)。 |
DIA-304-1991-03-09-2 | パキスタン | 1991年03月09日 | 1990年代 | 新国務大臣(=閣外相),2人就任。 |
DIA-304-1991-03-10-1 | パキスタン | 1991年03月10日 | 1990年代 | シャリーフ首相は,シンド州のJ・サーディク・アリー州政府およびムハージル民族運動(MQM)に対する陰謀は連邦政府に対する陰謀に等しいと断言。 |
DIA-304-1991-03-11-1 | パキスタン | 1991年03月11日 | 1990年代 | 1991年国会・州議会(議員失格)法案,下院を通過。 |
DIA-304-1991-03-14-1 | パキスタン | 1991年03月14日 | 1990年代 | 上院議員選挙でIJIが選挙対象46議席のうち24議席を得て1位。PDAは5議席のみ。 |
DIA-304-1991-03-17-1 | パキスタン | 1991年03月17日 | 1990年代 | 国家開発金融公社(NDFC)は地方分権化の一環として,4主要都市支部に2000万ルピーまでの運転資本貸与認可権を与えた(DE,3/18)。 |
DIA-304-1991-03-17-2 | パキスタン | 1991年03月17日 | 1990年代 | 国際通貨基金(IMF)は6月末までにパに5億㌦援助供与を約東した。うち1.5億㌦は構造調整融資の最後のトランシュとして供与される。 |
DIA-304-1991-03-17-3 | パキスタン | 1991年03月17日 | 1990年代 | 首相,灯油以外の諸種石油製品価格の12~15%引下げを発表(V,3/21)。 |
DIA-304-1991-03-20-1 | パキスタン | 1991年03月20日 | 1990年代 | 政府は,昨年11月の商用車輸入税の大幅引下げに対する国内商用車メーカーなどの強い反対のため,それらの輸入税を再び引き上げた。これによる新課税率は完成車35%,ノックダウン15%となった。 |
DIA-304-1991-03-21-1 | パキスタン | 1991年03月21日 | 1990年代 | 公益評議会(CCI)でインダス河水利権問題に関する4州の合意が成立(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1991-03-24-1 | パキスタン | 1991年03月24日 | 1990年代 | シンド万歳運動(JS)のG・M・サイエド委員長,「パに対する憎悪」を表明し,シンド州の独立あるいはインドとの合併を主張。 |
DIA-304-1991-03-25-1 | パキスタン | 1991年03月25日 | 1990年代 | 駐パ・中国大使は,中国がパに供与を約束した原子力発電所の技術面の詳細な点について両国は合意に達したと明らかにした(D,3/26)。 |
DIA-304-1991-03-25-2 | パキスタン | 1991年03月25日 | 1990年代 | シャリーフ首相,クウェート訪問-湾岸戦争後のクウェート復興に関する協力について協議のため。 |
DIA-304-1991-03-26-1 | パキスタン | 1991年03月26日 | 1990年代 | CCIの下部組織である州際公益委員会(IPC)が明らかにしたところによると,タルベラ・ダムは流砂沈澱により10~15年で崩壊する危険性があるという(D,3/26)。 |
DIA-304-1991-03-26-2 | パキスタン | 1991年03月26日 | 1990年代 | 政府は諸省庁などに対し,今年度はクーラーの購入を禁止するなど節約の通達を発した。 |
DIA-304-1991-03-26-3 | パキスタン | 1991年03月26日 | 1990年代 | シンガポール航空機をハイジャックしたパ人4人がシンガポールで同国のコマンド部隊に射殺された。 |
DIA-304-1991-03-27-1 | パキスタン | 1991年03月27日 | 1990年代 | 情報省は,国営プレス・トラスト(NPT)の諸新聞はPakistan Times紙をのぞいて全紙が民営化されようと明らかにした(V,4/4)。 |
DIA-304-1991-03-27-2 | パキスタン | 1991年03月27日 | 1990年代 | 政府は民営大学設立を許可する方針を決定。 |
DIA-304-1991-03-27-3 | パキスタン | 1991年03月27日 | 1990年代 | IJI内の最大政党であるパ・ムスリム連盟(PML)のI・A・ハーン書記長は,「PPPの死でIJIは無用の長物になった」と述べた。 |
DIA-304-1991-03-28-1 | パキスタン | 1991年03月28日 | 1990年代 | 規制緩和・民営化委員会(CDD)委員長のS・カディール退役陸軍中将は,パ製鉄(PS),パ国際航空(PIA),などを含む公共部門の160企業を6カ月以内に民間に払い下げると発表(DE-I,3/29)。 |
DIA-304-1991-03-31-1 | パキスタン | 1991年03月31日 | 1990年代 | 鉄道運賃,12.15%引上げ(V,4/4)。 |
DIA-304-1991-03-31-2 | パキスタン | 1991年03月31日 | 1990年代 | 自由カシミール(AK=パ側カシミール)のラトール首相は国会解散と内閣辞職を発表するとともに,7月2日に総選挙を行なうと述べた。 |
DIA-304-1991-04-01-1 | パキスタン | 1991年04月01日 | 1990年代 | 印・パ両軍司令官は停戦回避のため協定作成を開始した。4日,作業が完了した。 |
DIA-304-1991-04-01-2 | パキスタン | 1991年04月01日 | 1990年代 | アジーズ蔵相,政府は4億ルピーの貸付金を帳消しにしたと発表したが,被貸与者名は明らかにせず。 |
DIA-304-1991-04-04-1 | パキスタン | 1991年04月04日 | 1990年代 | 政府は外貨口座所有者が,出国関係書類の提示なしで外貨を現金または旅行者小切手の形で引き出せることにした(DE,4/5)。 |
DIA-304-1991-04-05-1 | パキスタン | 1991年04月05日 | 1990年代 | 印・パ外務次官会議(ニューデリー)。6日,相互領空侵犯防止,軍移動および演習の相互事前通告に関する2協定に調印。7日,他分野についての会談続行をうたった共同声明。次回会談は7月の予定。 |
DIA-304-1991-04-05-2 | パキスタン | 1991年04月05日 | 1990年代 | 米政府当局者は,中国に対して現在開発中の核弾頭および化学弾頭付きミサイルをパに売却することのないように働きかけたと明らかにした。 |
DIA-304-1991-04-06-1 | パキスタン | 1991年04月06日 | 1990年代 | 銀行業関係争議解決のために銀行業法廷設置令が1984年12月に布告されたが,現在までに3法廷しか開設されていず,全国で5万1000件の争議が未解決のまま残っている(DE-W,4/16)。 |
DIA-304-1991-04-09-1 | パキスタン | 1991年04月09日 | 1990年代 | 米は2000年までに核弾頭ミサイル生産可能と思われる途上国15カ国の中にパを含めた(D,4/10)。 |
DIA-304-1991-04-10-1 | パキスタン | 1991年04月10日 | 1990年代 | シャリーフ首相は両院合同会議でイスラーム福祉国家建設を目指す包括的改革策を発表。 |
DIA-304-1991-04-10-2 | パキスタン | 1991年04月10日 | 1990年代 | (シンド州内陸部での)警官隊とダコイト(匪賊)の銃撃戦でスウェーデン人技術者1人死亡(V,4/18)。 |
DIA-304-1991-04-11-1 | パキスタン | 1991年04月11日 | 1990年代 | 政府,シャリーア法案を下院に上程。5月19日,下院を通過。 |
DIA-304-1991-04-15-1 | パキスタン | 1991年04月15日 | 1990年代 | 訪パ中のUNDP(国連開発計画)使節団,記者会見-(1)法秩序の問題が,まともな便宜・施設の欠如と相まってパにおける外国人投資の主要な阻害要因になっている。(2)まともな労働力の育成も必要。 |
DIA-304-1991-04-15-2 | パキスタン | 1991年04月15日 | 1990年代 | 大統領,「電気通信令」を発令(V,4/25)。 |
DIA-304-1991-04-19-1 | パキスタン | 1991年04月19日 | 1990年代 | 米,対パ援助停止期間を延長-米議会のアジア太平洋関係小委員会は援助法第926号の対パ援助停止条項を93年9月30日まで延長と決定。 |
DIA-304-1991-04-20-1 | パキスタン | 1991年04月20日 | 1990年代 | シャリーフ首相,国家財政委員会(NFC)裁定を発表(「参考資料」発表)。 |
DIA-304-1991-04-20-2 | パキスタン | 1991年04月20日 | 1990年代 | シャリーフ首相は記者会見で,「パはアメリカからの援助供与を要請したことはない」と断言。 |
DIA-304-1991-04-22-1 | パキスタン | 1991年04月22日 | 1990年代 | 商業省,工業用原材料の輸入制限枠を撤廃(V,4/25)。 |
DIA-304-1991-04-22-2 | パキスタン | 1991年04月22日 | 1990年代 | 水利電力開発公社(WAPDA),電気料金を11~13%引き上げ(V,4/25)。 |
DIA-304-1991-04-24-1 | パキスタン | 1991年04月24日 | 1990年代 | IMFは,パは対外債務の3分の2以上が未返済の71カ国の一つであり,純債務を抱えた低所得国グループの一つであると規定した。 |
DIA-304-1991-04-25-1 | パキスタン | 1991年04月25日 | 1990年代 | A・フセイン法相はシャリーヤト法(4月11日参照)を女性を大統領職につかせないために用いると述べた(V,5/2)。 |
DIA-304-1991-04-26-1 | パキスタン | 1991年04月26日 | 1990年代 | イスハーク大統領は,海運業の民営化を進めるための「パ海運(規制および統制)(廃止)令,1991年」を布告した。 |
DIA-304-1991-04-27-1 | パキスタン | 1991年04月27日 | 1990年代 | 米国の国際麻薬問題局(BINM)の『国際麻薬統制戦略報告』(INCSR)1991年3月号によれば,パの社交界や政治・経済界のエリートたちによる麻薬で得た金がパと海外の間で移転されており,巨額のマネー・ローンダリングが行なわれているという。移転手段は銀行を通じた正規のものも「フンディー」(為替)あるいは“ハワーラ”という非合法手段もあり,マネー・ローンダリングのために移転される額は年間7億2500万㌦に上るという(D,4/27;4/29。4/29版に4/27版の大幅な訂正あり)。 |
DIA-304-1991-04-27-2 | パキスタン | 1991年04月27日 | 1990年代 | イスハーク大統領,「銀行(国有化)法,1974年」を更に改正する「銀行(国有化/第2次改正)令,1991年」を布告。 |
DIA-304-1991-04-30-1 | パキスタン | 1991年04月30日 | 1990年代 | カヌーでインダス河下りをしていた早大生3人が去る3月17日匪賊に捕えられていたが,本日無事解放された。 |
DIA-304-1991-05-02-1 | パキスタン | 1991年05月02日 | 1990年代 | 駐パ・フランス大使,カラチのパ国際問題研究所でパの核エネルギー開発に協力を改めて約束。 |
DIA-304-1991-05-02-2 | パキスタン | 1991年05月02日 | 1990年代 | 米国は中国の対パ・ミサイル供与に対する報復として人工衛星部品の対中輸出を禁止(VV,5/9)。 |
DIA-304-1991-05-05-1 | パキスタン | 1991年05月05日 | 1990年代 | 対パ債権国会議,1991/92年度用として計23億㌦の借款を約束。 |
DIA-304-1991-05-06-1 | パキスタン | 1991年05月06日 | 1990年代 | 政府はブットー前政権下で減刑となっていた死刑囚全員の死刑判決を復活させた(V,5/9)。 |
DIA-304-1991-05-07-1 | パキスタン | 1991年05月07日 | 1990年代 | USAIDの推計によるとパの物価は過去6カ月で40%上昇(V,5/16)。 |
DIA-304-1991-05-08-1 | パキスタン | 1991年05月08日 | 1990年代 | アジーズ蔵相はパ工業開発銀行(IDBP)イスラマバード支店開所式での演説で,政府の過去6カ月の経済改革措置に対する民間投資家たちの不十分な反応に強い不満の意を表した。 |
DIA-304-1991-05-09-1 | パキスタン | 1991年05月09日 | 1990年代 | 政府は北西辺境州のガドゥーン・アマーザイ工業団地に対して,阿片栽培の代替産業としての工業を振興させるためにブットー前政権によって付与された破格の包括的インセンティブを突然のように廃止した(D,5/9,5/13)。 |
DIA-304-1991-05-10-1 | パキスタン | 1991年05月10日 | 1990年代 | J・サーディク・シンド州首相は4月初めに結成された与野党合同シンド州治安調査団との会見を拒否し続けていたが,本日会見(V,5/16)。 |
DIA-304-1991-05-10-2 | パキスタン | 1991年05月10日 | 1990年代 | カラチで牛乳配達人が誘拐された。 |
DIA-304-1991-05-11-1 | パキスタン | 1991年05月11日 | 1990年代 | シンド州ダードゥー県で中国人エンジニア3人,誘拐さる。6月4日,解放さる。 |
DIA-304-1991-05-12-1 | パキスタン | 1991年05月12日 | 1990年代 | シャリーフ首相,海運業の民営化を進めるため22社に海運会社設立を許可。 |
DIA-304-1991-05-12-2 | パキスタン | 1991年05月12日 | 1990年代 | イスラーム神学者協会(JUI),IJIを脱退。 |
DIA-304-1991-05-14-1 | パキスタン | 1991年05月14日 | 1990年代 | 食糧・農業大臣M・マジード退役陸軍大将は小農向けインセンティブ中心の新農業政策を発表。農業所得税課税問題対策は後回し。 |
DIA-304-1991-05-14-2 | パキスタン | 1991年05月14日 | 1990年代 | イスハーク大統領,ベーグ陸軍参謀長,ザキー外務次官は印パ戦争の可能性を否定した。 |
DIA-304-1991-05-15-1 | パキスタン | 1991年05月15日 | 1990年代 | J・サーディク・シンド州首相,パ・ムスリム連盟パガーロー派(PML-P)に入党。 |
DIA-304-1991-05-16-1 | パキスタン | 1991年05月16日 | 1990年代 | シャリーア法案,7カ所修正(15日)ののち下院で発声投票によって採択された。賛成したのはIJIとANP。PDAとMQMは反対。 |
DIA-304-1991-05-18-1 | パキスタン | 1991年05月18日 | 1990年代 | 政府はIMFの構造調整融資条件の一つである財政赤字減額のため,WAPDAおよび電信電話公社(T&T)を独立採算制に変えて1991/92年度(7~6月)国家予算からはずすと決定。 |
DIA-304-1991-05-18-2 | パキスタン | 1991年05月18日 | 1990年代 | イスハーク大統領はシャリーフ首相の助言によりS・A・フセイン女史を閣僚級の人口・福祉担当の首相顧問に任命。 |
DIA-304-1991-05-19-1 | パキスタン | 1991年05月19日 | 1990年代 | 政府は北西辺境州工業化のために包括的インセンティブを発表するとともに,ペシャーワルとノウシェラの間に輸出加工区を設置すると発表した。 |
DIA-304-1991-05-20-1 | パキスタン | 1991年05月20日 | 1990年代 | 政府の国家経済評議会(NEC)は1991/92年度予算から各州のための特別開発計画(SDP)を全廃し,公共部門年次開発計画(ADP)予算を50%減とすることに決定した。なお,91/92年度の対前年比実質成長率目標をGDPは6.5%,農業5%,工業11%と設定。 |
DIA-304-1991-05-22-1 | パキスタン | 1991年05月22日 | 1990年代 | カラチの某保険業者によるとカラチで自動車の窃盗事件が急増しており,四輪車の窃盗件数は1985年の578件に対して90年には3276件になった。 |
DIA-304-1991-05-23-1 | パキスタン | 1991年05月23日 | 1990年代 | UNDP発表の『人間開発報告書,1991』によると「人間的自由指数」(HFI),「人材開発指数」(HDI),などの面でパは世界160カ国のうちきわめて低い地位に位置づけられている。パはHDIでは120位,HFIでは151位となっている(D,5/24)。 |
DIA-304-1991-05-23-2 | パキスタン | 1991年05月23日 | 1990年代 | パ,イラン,トルコは相互関税削減議定書に調印。 |
DIA-304-1991-05-23-3 | パキスタン | 1991年05月23日 | 1990年代 | 政府は国連のアフガニスタン和平5項目を承認。 |
DIA-304-1991-05-24-1 | パキスタン | 1991年05月24日 | 1990年代 | シャリーフ首相,ニューデリーでラジブ・ガンディー元首相の国葬に参列。 |
DIA-304-1991-05-25-1 | パキスタン | 1991年05月25日 | 1990年代 | 1972年の民間企業国有化の影響を受けた旧所有者たちのうち十数人が去る2月に「被害者グループ」を結成していたものの,同グループは最近まで鳴かず飛ばずでいた。しかし同グループはこのところ,国有化企業は国有化時点と同条件で,あるいは78年の「管理事業所譲渡令」によってイッテファーク・グループなどが国有化企業を返還されたのと同じ形式で,旧所有者に返還されるべきだと主張している(DE-W,5/25)。 |
DIA-304-1991-05-26-1 | パキスタン | 1991年05月26日 | 1990年代 | イスハーク大統領,シンド州高裁のS・ザマーン判事をシンド州知事に任命。 |
DIA-304-1991-05-26-2 | パキスタン | 1991年05月26日 | 1990年代 | 外務省のR・M・ハーン・アフガニスタン問題局長,アフガニスタン問題解決策協議のため訪ソ。 |
DIA-304-1991-05-26-3 | パキスタン | 1991年05月26日 | 1990年代 | PML代表団,中国共産党の初の招待で訪中。 |
DIA-304-1991-05-27-1 | パキスタン | 1991年05月27日 | 1990年代 | 政府は,民間航空会社設立希望16団体のうちアーガー・ハーン経済開発基金(AKEDF)を認可した。AKEDFは当面は国内便のみを運行し,国際旅客便は2年後から。ただし,国際貨物便はAKEDFの航空会社設立当日からPIAと共通運行する。 |
DIA-304-1991-05-28-1 | パキスタン | 1991年05月28日 | 1990年代 | 『経済白書』(Economic Survey),刊行さる。 |
DIA-304-1991-05-28-2 | パキスタン | 1991年05月28日 | 1990年代 | 上院,シャリーア法案を採択。 |
DIA-304-1991-05-30-1 | パキスタン | 1991年05月30日 | 1990年代 | アジーズ蔵相,1991/92年度予算案を下院に上程。6月16日,下院を通過。 |
DIA-304-1991-05-31-1 | パキスタン | 1991年05月31日 | 1990年代 | 北西辺境州ノウシェラの兵器庫,爆発。6月1日までの死者12人。 |
DIA-304-1991-05-31-2 | パキスタン | 1991年05月31日 | 1990年代 | 政府,人民事業計画(PWP)を廃止。 |
DIA-304-1991-06-02-1 | パキスタン | 1991年06月02日 | 1990年代 | シンド州首相の顧問A・マジード,自殺。 |
DIA-304-1991-06-03-1 | パキスタン | 1991年06月03日 | 1990年代 | カラチにイスラーム商工会議・商品取引所(ICCICE)開設さる。開所式での演説でイスハーク大統領は45カ国の代表たちに,イスラーム圏共同市場に向かっての相互協力の要を訴えた(DE,6/4)。 |
DIA-304-1991-06-04-1 | パキスタン | 1991年06月04日 | 1990年代 | パ麻薬統制庁(PNCB)の刑事たちは元北西辺境州大臣のハージー・A・K・クンディーがカラチのホテルにヘロイン50㌔を隠し持っていたため彼を逮捕。 |
DIA-304-1991-06-06-1 | パキスタン | 1991年06月06日 | 1990年代 | シャリーフ首相,南アジアでの核拡散防止のため,パ,印,英,米,中の5カ国会議開催のための7項目を提起。7日,印は同会議を拒否(V,6/13)。 |
DIA-304-1991-06-08-1 | パキスタン | 1991年06月08日 | 1990年代 | シンド州サッカル付近で国鉄客車が停車中の貨物列車に衝突,死者100人以上。軍が救助活動で出動。 |
DIA-304-1991-06-09-1 | パキスタン | 1991年06月09日 | 1990年代 | シンド州で6月に入っての熱波で所により気温が50℃を超える日も少なくなく,カラチ,ハイダラバードなどシンド州各地での死者は9日だけで125人,10日までで計418人になったという。 |
DIA-304-1991-06-09-2 | パキスタン | 1991年06月09日 | 1990年代 | ザーヘル・シャー元アフガニスタン国王の使節2名,来訪。 |
DIA-304-1991-06-10-1 | パキスタン | 1991年06月10日 | 1990年代 | 産業省投資促進局,『パキスタン投資案内』(Pakistan Investment Guide)を刊行(9月18日,改訂版が刊行された)。 |
DIA-304-1991-06-10-2 | パキスタン | 1991年06月10日 | 1990年代 | 北西辺境州議会,ハイバル銀行設立法案を採択(VP,6/13)。 |
DIA-304-1991-06-11-1 | パキスタン | 1991年06月11日 | 1990年代 | イスハーク大統領,アーシフ・ナワーズ・ジャンジュア中将を大将に昇格の上,次期陸軍参謀長に任命。またシャミーム・アスラム・ハーン陸軍中将を統合参謀本部議長に任命。なお,前者の就任は8月1日。後者は11月9日に大将に昇格して新職務に就任予定。 |
DIA-304-1991-06-11-2 | パキスタン | 1991年06月11日 | 1990年代 | 北西辺境州のカーブル川の洪水で死者16人。 |
DIA-304-1991-06-12-1 | パキスタン | 1991年06月12日 | 1990年代 | PDA,1990年総選挙に関する白書を刊行。 |
DIA-304-1991-06-13-1 | パキスタン | 1991年06月13日 | 1990年代 | ワシーム・サジャッド上院議長とアクラム・ザキー外務次官,訪米。南アジアの非核地帯化などに関して米側と話し合うため。14日,米側はパの6月6日提案を支持。17日,キミット米国務次官とパ側のザキー外務次官がアフガニスタン問題の政治的解決策で協議。 |
DIA-304-1991-06-14-1 | パキスタン | 1991年06月14日 | 1990年代 | カシミールの実効支配線で印・パ両軍,衝突,パ兵士10人死亡。 |
DIA-304-1991-06-15-1 | パキスタン | 1991年06月15日 | 1990年代 | バローチスタン州政府によると同州クエッタに輸出加工区を設置することが検討中という。 |
DIA-304-1991-06-16-1 | パキスタン | 1991年06月16日 | 1990年代 | シャリーフ首相,「国家再建」(Tameer-e-watan)計画を開始。下院議員1人につき1000万ルピーが同計画実施のために委託される。 |
DIA-304-1991-06-18-1 | パキスタン | 1991年06月18日 | 1990年代 | カラチのテロ活動制圧特別法延のN・S・ジュネージョ判事が朝9時過ぎの通勤時刻にカラチ市役所付近で銃撃され,死亡。同判事はブットー前首相の夫A・A・ザルダーリー下院議員の裁判を担当していた。 |
DIA-304-1991-06-18-2 | パキスタン | 1991年06月18日 | 1990年代 | 憲法第245条により軍にシンド州で特別の権限を与えることが閣議決定されたもよう(V,6/27)。 |
DIA-304-1991-06-19-1 | パキスタン | 1991年06月19日 | 1990年代 | 閣議は国家公務員の賃金表を改訂。1~15級(下・中級公務員)の基本給が40~52%増。16~22級までについてはペンディングとされた。 |
DIA-304-1991-06-19-2 | パキスタン | 1991年06月19日 | 1990年代 | カラチでMQMの対立2派の衝突で8人死亡。 |
DIA-304-1991-06-20-1 | パキスタン | 1991年06月20日 | 1990年代 | シンド州で州政府の指令により逮捕された反対派政治家は2000人に上るとも言われる(V,6/27)。 |
DIA-304-1991-06-26-1 | パキスタン | 1991年06月26日 | 1990年代 | ラホール効外で女・子供を含む1家族16人が何者かに殺害された。なお,家長はビジネスマン。 |
DIA-304-1991-06-26-2 | パキスタン | 1991年06月26日 | 1990年代 | 首都イスラマバードの繁華街で女性が白昼自宅で強盗に殺害された。夫は情報局(IB)の上級管理職者。 |
DIA-304-1991-06-29-1 | パキスタン | 1991年06月29日 | 1990年代 | パンジャーブ州シェイフプラで子供2人を含む1家族6人が何者かに絞殺された。 |
DIA-304-1991-06-29-2 | パキスタン | 1991年06月29日 | 1990年代 | ワリー・ハーンANP党首は,将軍たちは高級な兵器を大っぴらに売っていると非難(V,7/4)。 |
DIA-304-1991-06-29-3 | パキスタン | 1991年06月29日 | 1990年代 | AKで議会総選挙。パのPPP系の自由カシミール人民党(AKPP)は対象議席48のうち30日までに判明した32議席のうち2議席にとどまり,自由ジャムー・カシミール・ムスリム会議(AJKMC)が26議席を獲得。なお,選挙戦中の衝突で20人死亡。 |
DIA-304-1991-06-30-1 | パキスタン | 1991年06月30日 | 1990年代 | 閣議は7月1~5日予定のシャリーフ首相の訪日を中止。理由は国内治安の悪化とされる。 |
DIA-304-1991-06-30-2 | パキスタン | 1991年06月30日 | 1990年代 | 政府,91/92年度貿易政策発表。 |
DIA-304-1991-07-01-1 | パキスタン | 1991年07月01日 | 1990年代 | 緊急閣議は,B・ブットー前政権下で,受刑期間満了前に釈放された暴力的政治組織アル・ズルフィカール機関(AZO)の組織員全員の再逮捕を決定。 |
DIA-304-1991-07-01-2 | パキスタン | 1991年07月01日 | 1990年代 | ムムターズ・ラトールAK首相,6月29日のAK議会選挙を無効と宣言し,9月27日に再選挙と発表。 |
DIA-304-1991-07-02-1 | パキスタン | 1991年07月02日 | 1990年代 | イスハーク大統領,不法武器引渡し令を布告。同15日,引渡しがほとんどないため,期限日を同30日まで延長。同30日,8月20日まで延長。同日までの提出武器の公式数字は5000丁といわれる。 |
DIA-304-1991-07-04-1 | パキスタン | 1991年07月04日 | 1990年代 | 商業省は本日付で,トヨタ車の輸入総代理会社インダス・モーターズ社に対して同車輸入販売権の剥奪を通告。理由は供給制限による価格つり上げの疑い。 |
DIA-304-1991-07-05-1 | パキスタン | 1991年07月05日 | 1990年代 | パ政府の指示でラトールAK首相が逮捕された。30日間の拘留。 |
DIA-304-1991-07-05-2 | パキスタン | 1991年07月05日 | 1990年代 | イスラマバード発新華社電は,シャリーフ首相の6月30日の訪日中止の理由は,日本が対パキスタン財政援助に核不拡散条約調印という条件を付けたためであると伝えた。日本政府は本年4月に政府開発援助(ODA)実施規準を打ち出したが,日本外務省は,ODA供与4原則をパ政府にも伝えたが,経済援助を供与しないとはしていないとしている(『朝日』,7/10)。 |
DIA-304-1991-07-09-1 | パキスタン | 1991年07月09日 | 1990年代 | 北西辺境州高等裁判所はガドゥーン・アマーザイ工業団地に対する政府措置(5/9)を差し止め。 |
DIA-304-1991-07-09-2 | パキスタン | 1991年07月09日 | 1990年代 | イスハーク大統領,「迅速審理のための特別法廷設置令,1991年」および「テロリスト汚染地域(特別法廷設置)令,1991年」を布告。 |
DIA-304-1991-07-12-1 | パキスタン | 1991年07月12日 | 1990年代 | イスハーク大統領,S・G・M・ジョーゲザイをバローチスタン州知事に任命。同州初のパターン人知事。70年の同州設置後11代州知事。 |
DIA-304-1991-07-13-1 | パキスタン | 1991年07月13日 | 1990年代 | アメリカで大量のハシッシュ密輸入でパ人13人が逮捕された。 |
DIA-304-1991-07-15-1 | パキスタン | 1991年07月15日 | 1990年代 | イージャーズル・ハック労相は,亡父ジアー・ウル・ハック大統領(当時)の88年8月の大統領機墜落事件に関し,同事件はベーグ現陸軍参謀長のたくらみによるものではなかったのだと言明。 |
DIA-304-1991-07-15-2 | パキスタン | 1991年07月15日 | 1990年代 | ラザレイ・イラン革命軍司令官,来訪。カユームAK大統領と会見。インドのインド側カシミール「恐怖支配」を非難。 |
DIA-304-1991-07-16-1 | パキスタン | 1991年07月16日 | 1990年代 | 鉄道旅客運賃,15~20%引き上げ。 |
DIA-304-1991-07-18-1 | パキスタン | 1991年07月18日 | 1990年代 | 第12次憲法改正案,下院を通過-154対26。賛成はIJIの加盟全政党,IJIの同盟政党(MQM,ANP,JUP-N)および政府直轄部族地域(FATA)の無所属議員。反対はPDA,JULなど。法案はほとんど審議の無いまま審議開始30分後には採択。野党陣は2度退場。7月27日,大統領の署名により発効。同法案は本来は凶悪犯罪根絶のための諸措置確立のためのものであったが,IJI内の意見統一ができなかったため修正され,迅速裁判の確立,および,最高裁・高裁判事の給与引上げに限るものになった。なお,同修正は憲法第212条B項(「凶悪犯罪審理のための法廷の設置」に組み込まれた(D,7/19)。 |
DIA-304-1991-07-19-1 | パキスタン | 1991年07月19日 | 1990年代 | 選挙運動費制限,全廃さる。 |
DIA-304-1991-07-19-2 | パキスタン | 1991年07月19日 | 1990年代 | 2日より来訪していたIMF使節団は,対パ約束の2億4400万㌦の国際収支支持のための援助を供与するためにはパの今年度予算は全く不適だとして帰還。 |
DIA-304-1991-07-21-1 | パキスタン | 1991年07月21日 | 1990年代 | パンジャーブ州政府,120の都市を「騒乱地域」(troubled areas)に指定。 |
DIA-304-1991-07-21-2 | パキスタン | 1991年07月21日 | 1990年代 | ベーグ陸軍参謀長,「戦争の雲行きだ。問題なのはインドだけではない」と警告。 |
DIA-304-1991-07-21-3 | パキスタン | 1991年07月21日 | 1990年代 | 外務省,「インドとの戦争になる恐れはない」と見解を発表。 |
DIA-304-1991-07-25-1 | パキスタン | 1991年07月25日 | 1990年代 | アジーズ蔵相は英国FT紙25日との電話インタビューで,BCCI(Bank of Credit and Commerce International)のパキスタン国内の諸支店が同国産ヘロインの取引きに関連したマネー・ローンダリング(資金洗浄)に利用されていたことを認めた。また,米中央情報局(CIA)がアフガニスタンの反政府活動支援のためにBCCI支店を利用していたことも確認した。同相は,BCCI以外の多くの銀行も麻薬資金の洗浄に関与していると言明した。 |
DIA-304-1991-07-28-1 | パキスタン | 1991年07月28日 | 1990年代 | ベラヤチ・イラン外相来訪(~30日)。アフガニスタン問題とカシミール問題の協議のため。 |
DIA-304-1991-07-29-1 | パキスタン | 1991年07月29日 | 1990年代 | イスラマバードでアフガニスタン和平のための第1回3者(パ,イラン,ゲリラ)会談(~30日)。 |
DIA-304-1991-07-29-2 | パキスタン | 1991年07月29日 | 1990年代 | S・A・カユーム・ハーン,AK首相に就任。 |
DIA-304-1991-07-30-1 | パキスタン | 1991年07月30日 | 1990年代 | アジーズ蔵相,テヘランの第6回イラン・パ経済合同委員会で両国経済関係拡大を協議。 |
DIA-304-1991-08-02-1 | パキスタン | 1991年08月02日 | 1990年代 | PPPの下院議員,州議会議員,その他指導者,計18人が脱党,J・サーディク首相陣に回った。 |
DIA-304-1991-08-03-1 | パキスタン | 1991年08月03日 | 1990年代 | 政府,Allied Bank of Pakistanの民営化を決定。株の26%は同銀行の労使双方に売却される。11日,首相が新経営者に譲渡証書を手交。 |
DIA-304-1991-08-05-1 | パキスタン | 1991年08月05日 | 1990年代 | UNDPのニュージーランド人職員など4人がハイバル自治区での誘拐5日後の本日,釈放。 |
DIA-304-1991-08-06-1 | パキスタン | 1991年08月06日 | 1990年代 | イナームル・ハック退役陸軍准将が核兵器用物資の不法買付けの疑いでフランクフルトで逮捕された。 |
DIA-304-1991-08-08-1 | パキスタン | 1991年08月08日 | 1990年代 | パ国民銀行(NBP)の不正融資,発覚。 |
DIA-304-1991-08-08-2 | パキスタン | 1991年08月08日 | 1990年代 | 北西辺境州ベシャーワル近郊で麻薬密輸取締り治安部隊と関係部族民との武力衝突で100人以上,死亡。 |
DIA-304-1991-08-10-1 | パキスタン | 1991年08月10日 | 1990年代 | イスハーク大統領は,シャリーフ政権による経済改革に法的保護を与えるための政令を布告した(DE-W,8/17~23)。 |
DIA-304-1991-08-10-2 | パキスタン | 1991年08月10日 | 1990年代 | 英国The Guardian紙10日は,シャリーフ首相が経営権を握るヒマラヤ・テキスタイル社がBCCI(7/25参照)に対し200万ポンドの債務を負っていると報じた。同紙によると,BCCIはパの高級官僚などに対しても巨額の不良債権を抱えている。 |
DIA-304-1991-08-11-1 | パキスタン | 1991年08月11日 | 1990年代 | コズィレフ外相以下のソ連代表団,アフガニスタン問題の平和的解決について協議のため,来訪。 |
DIA-304-1991-08-11-2 | パキスタン | 1991年08月11日 | 1990年代 | パ政府代表団,訪中。核拡散防止問題などで協議のためと言われる。 |
DIA-304-1991-08-11-3 | パキスタン | 1991年08月11日 | 1990年代 | パ最悪の停電でカラチ市の半分が暗闇。 |
DIA-304-1991-08-11-4 | パキスタン | 1991年08月11日 | 1990年代 | ラホール市のパン・アム社事務所に強盗。 |
DIA-304-1991-08-12-1 | パキスタン | 1991年08月12日 | 1990年代 | シカンダル・ハヤートAK大統領,選出さる。 |
DIA-304-1991-08-15-1 | パキスタン | 1991年08月15日 | 1990年代 | 英FT紙15日はハンフィー・パ中央銀行総裁の言として,BCCIがパの国際収支危機の際にパ政府に対して特別融資などを供与し,見返りとして政府調達関連などの顧客を得ていたと報じた。 |
DIA-304-1991-08-17-1 | パキスタン | 1991年08月17日 | 1990年代 | ベーグ陸軍参謀長退役,ジャンジュア新陸軍参謀長,就任。パ陸軍史で初めて正常な指揮官異動。 |
DIA-304-1991-08-17-2 | パキスタン | 1991年08月17日 | 1990年代 | B・ブットーPPP共同党首の車にカラチ市コーランギー(ムハージル居住地)で投石。 |
DIA-304-1991-08-18-1 | パキスタン | 1991年08月18日 | 1990年代 | 全国に11の特別法廷,開設さる。 |
DIA-304-1991-08-21-1 | パキスタン | 1991年08月21日 | 1990年代 | G・M・サイエドJS委員長に対する反逆罪訴訟がすべて撤回された(3月24日参照)。 |
DIA-304-1991-08-22-1 | パキスタン | 1991年08月22日 | 1990年代 | 政府は政府系日刊紙Morning Newsおよびウルドゥー語日刊紙『イムローズ』の民営化予定ありと発表。 |
DIA-304-1991-08-24-1 | パキスタン | 1991年08月24日 | 1990年代 | パンジャーブ州で組合金融汚職,発覚-ラホール市で組合金融7機関の幹部12人が不正融資の疑いで保護拘禁された(DE-W,8/31~9/6;FEER,9/19)。 |
DIA-304-1991-08-25-1 | パキスタン | 1991年08月25日 | 1990年代 | アジーズ蔵相はカラチの米国人経済懇話会で,政府は進行中の経済改革の法的保障のために憲法を改正する用意があると述べた。 |
DIA-304-1991-08-25-2 | パキスタン | 1991年08月25日 | 1990年代 | イスハーク大統領,国営企業民営化のために法改正を行なうものなど4政令を布告。 |
DIA-304-1991-08-26-1 | パキスタン | 1991年08月26日 | 1990年代 | シャリーフ首相,さらに10民営銀行設立を許可。予備的合意書を関係者たちに手交。 |
DIA-304-1991-08-26-2 | パキスタン | 1991年08月26日 | 1990年代 | イスハーク大統領,パ中央銀行以外の国営銀行を民営化する権限を政府に付与する政令を布告。 |
DIA-304-1991-08-27-1 | パキスタン | 1991年08月27日 | 1990年代 | シャリーフ首相,更なる外国為替自由化策を発表。ルピーの事実上の自由化。 |
DIA-304-1991-08-28-1 | パキスタン | 1991年08月28日 | 1990年代 | テヘランで第2回アフガニスタン和平3者(7月29日参照)会談。30日,共同宣言。 |
DIA-304-1991-09-01-1 | パキスタン | 1991年09月01日 | 1990年代 | 商業省の輸出入首席統括管理官(CCIE)はインダス・モーターズ社のトヨタ車輸入販売権を復活させると決定(7月4日参照)。 |
DIA-304-1991-09-02-1 | パキスタン | 1991年09月02日 | 1990年代 | 政府は公共部門の支出削減のため「節約委員会」(EC)を設置。委員長はA・Q・ハーン退役少将。 |
DIA-304-1991-09-05-1 | パキスタン | 1991年09月05日 | 1990年代 | サウジアラビアのファハド国王特使,アフガニスタン問題協議のため来訪。 |
DIA-304-1991-09-06-1 | パキスタン | 1991年09月06日 | 1990年代 | 米政府はパの兵器工場に対する資材売却を禁止。 |
DIA-304-1991-09-06-2 | パキスタン | 1991年09月06日 | 1990年代 | シンド州カラチとハイダラバードを結ぶ高速道路(Super Highway)で女性強盗団がバスを襲った。 |
DIA-304-1991-09-08-1 | パキスタン | 1991年09月08日 | 1990年代 | バローチスタン州でドライブ中のドイツ人夫妻にパトロール警官が発砲し,夫人が死亡。 |
DIA-304-1991-09-09-1 | パキスタン | 1991年09月09日 | 1990年代 | 電話料金,再び引上げ(25%)。 |
DIA-304-1991-09-10-1 | パキスタン | 1991年09月10日 | 1990年代 | 第2次シャリーフ内閣,成立(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1991-09-12-1 | パキスタン | 1991年09月12日 | 1990年代 | イスハーク大統領,イラン訪問-ラフサンジャニ同国大統領および同国訪問中のデクエヤル国連事務総長とアフガニスタン問題で協議のため。14日,パとイランは経済協力で合意。15日,共同コミュニケおよび相互協力5カ項目協定に調印。 |
DIA-304-1991-09-13-1 | パキスタン | 1991年09月13日 | 1990年代 | シンド州モロ下位管区でソーランギー部族とザルダーリー部族の武力衝突。10人死亡。 |
DIA-304-1991-09-14-1 | パキスタン | 1991年09月14日 | 1990年代 | シンド州政府は治安回復のため準軍隊「シンド・レインジャーズ」設立を決定。徴募は3年がかりで,管轄はシンド州が行なう(D,9/15)。 |
DIA-304-1991-09-14-2 | パキスタン | 1991年09月14日 | 1990年代 | 9月18~21日にイスラマバードで開催予定の印パ外務次官会談,インドの要請で延期。 |
DIA-304-1991-09-15-1 | パキスタン | 1991年09月15日 | 1990年代 | パンジャーブ州政府は組合金融機関が貸与した融資の回収のために2政令を布告。不履行者には投獄および罰金が課される。 |
DIA-304-1991-09-16-1 | パキスタン | 1991年09月16日 | 1990年代 | CCI第3回会議が開かれたがインダス河水利に関する従来の論議のフォロー・アップがうまくいかず,頓挫した印象を与える(M,9/17)。 |
DIA-304-1991-09-17-1 | パキスタン | 1991年09月17日 | 1990年代 | CCIはインダス水系局(ISA)を設置。 |
DIA-304-1991-09-19-1 | パキスタン | 1991年09月19日 | 1990年代 | ドイツはパに対する武器輸出を禁止。 |
DIA-304-1991-09-20-1 | パキスタン | 1991年09月20日 | 1990年代 | 宋平中国共産党中央政治局常務委員以下の中国共産党代表団,来訪(~27日)。 |
DIA-304-1991-09-21-1 | パキスタン | 1991年09月21日 | 1990年代 | 来訪中のIMF代表団は,1988~92年の対パ構造調整融資のうち保留されていた最後のトランシュ1億4000万㌦を供与することになったと発表。また,経済変動緊急補償融資制度(CCFF)から3億5200万㌦供与との決定を発表。 |
DIA-304-1991-09-23-1 | パキスタン | 1991年09月23日 | 1990年代 | ADBはパの4プロジェクトに対する7億㌦の借款供与に合意。 |
DIA-304-1991-09-23-2 | パキスタン | 1991年09月23日 | 1990年代 | ダイアナ英皇太子妃,来訪(~27日)。 |
DIA-304-1991-09-25-1 | パキスタン | 1991年09月25日 | 1990年代 | アクラム・ザキ外務省官房長(外相代理)はニューヨークでパンキン・ソ連外相とアフガニスタン問題打開策で協議。 |
DIA-304-1991-09-25-2 | パキスタン | 1991年09月25日 | 1990年代 | アメリカ人ネオ・ムスリム2名に対し略式法廷で銀行強盗の罪で手足切断の刑の判決。上告により10月14日,釈放となった。 |
DIA-304-1991-10-01-1 | パキスタン | 1991年10月01日 | 1990年代 | シンド州ジャームショーロで84万kWの火力発電所,開設。中国援助による。 |
DIA-304-1991-10-03-1 | パキスタン | 1991年10月03日 | 1990年代 | 退役陸軍大将ファズレ・ハック元北西辺境州知事,ペシャーワルで射殺さる。 |
DIA-304-1991-10-05-1 | パキスタン | 1991年10月05日 | 1990年代 | インダス幹線道路(総延長1200㌔)の起工式がペシャーワルで行なわれた。 |
DIA-304-1991-10-07-1 | パキスタン | 1991年10月07日 | 1990年代 | イスハーク大統領,サウジアラビアへ-C・N・A・ハーン石油・天然資源相が同行。湾岸戦争後の中東情勢,両国関係などでファハド国王と会談。 |
DIA-304-1991-10-07-2 | パキスタン | 1991年10月07日 | 1990年代 | 北西辺境州議会,カーラーバーグ・ダム建設反対の採決。 |
DIA-304-1991-10-10-1 | パキスタン | 1991年10月10日 | 1990年代 | 中国人技術者2名,シンド州ミールプールハース付近で匪賊に誘拐さる。11日,銃撃戦の後,救出。 |
DIA-304-1991-10-10-2 | パキスタン | 1991年10月10日 | 1990年代 | D・I・ハーン付近のインダス河で船が沈没し,55人死亡。 |
DIA-304-1991-10-12-1 | パキスタン | 1991年10月12日 | 1990年代 | イスハーク大統領,イランヘ-サウジアラビアから。アフガニスタン問題などを協議。 |
DIA-304-1991-10-12-2 | パキスタン | 1991年10月12日 | 1990年代 | バローチスタン州クエッタ市で種族衝突のため無期限外出禁止令,発令。 |
DIA-304-1991-10-13-1 | パキスタン | 1991年10月13日 | 1990年代 | B・ブットー政権下のPPP下院議員であったS・M・K・コーソーに対してカラチの特別法廷が議員立候補を向こう7年間禁じる判決。罪状は農業開発銀行からの金融不正使用。PPP党員2人目の汚職有罪犯。 |
DIA-304-1991-10-14-1 | パキスタン | 1991年10月14日 | 1990年代 | アルターフ・フセインMQM党首,入院。20日,検査のためロンドンヘ。12月21日,帰国。 |
DIA-304-1991-10-15-1 | パキスタン | 1991年10月15日 | 1990年代 | 労働省と国営企業労組の合意-イージャーズル・ハック労相とAPSEWACは共同記者会見で以下の協定を発表。(1)民営化後1年間,労働者は解雇され得ない。(2)民営化後,退職者には「4カ月分給与×勤続年数」相当額を支払う。(3)従業員はAPSEWACと交渉して入札,企業を買い取ることができる。 |
DIA-304-1991-10-16-1 | パキスタン | 1991年10月16日 | 1990年代 | シンド州のJ・サーディク知事,病気治療のためピール・パガーローPML-P党首に同伴されてロンドンヘ。11月19日,帰国。 |
DIA-304-1991-10-17-1 | パキスタン | 1991年10月17日 | 1990年代 | 民営化委員会(PC-退役陸軍中将サイード・カディール委員長)により国営企業101社に対する民間払い下げ入札が行なわれた。うち89社に対して235の入札があったが,12社に対しては全くなかった。入札結果はPCの査定により1週間以内に最終決定される。 |
DIA-304-1991-10-17-2 | パキスタン | 1991年10月17日 | 1990年代 | C・N・A・ハーン石油・天然資源相は,パは外国の石油会社2社とアラビア海沖合油田堀削協定に調印したと明らかにした。 |
DIA-304-1991-10-17-3 | パキスタン | 1991年10月17日 | 1990年代 | 英連邦首脳会議(16~23日)出席のためジンバブエのハラレ訪問中のシャリーフ首相,インドのラオ首相と両国関係改善のため会談。 |
DIA-304-1991-10-17-4 | パキスタン | 1991年10月17日 | 1990年代 | サイード・ムハンマド・ハーン海軍中将,海軍参謀長に任命さる。 |
DIA-304-1991-10-19-1 | パキスタン | 1991年10月19日 | 1990年代 | ワリー・ハーンANP党首,「デュアランド線はもはや存在しない。パフトゥーンたちは自らの権利のために戦う決意だ」と断言(V,10/24)。 |
DIA-304-1991-10-21-1 | パキスタン | 1991年10月21日 | 1990年代 | パの核開発第一人者であるアブドゥル・カディール・ハーン博士はカラチのパ商工会議所連合(FPCCI)で演説,パは現在は核大国の一つとなっておリ,サウジアラビア向けレーザー・レインジ・ファインダーを500個輸出したなどと述べた(D,10/22)。22日,情報・放送省はカディール博士が上記発言を否定したと発表。 |
DIA-304-1991-10-21-2 | パキスタン | 1991年10月21日 | 1990年代 | パンジャーブ州政府は,47の組合金融機関のディレクターおよびスポンサー計113人の動産および不動産を凍結。 |
DIA-304-1991-10-21-3 | パキスタン | 1991年10月21日 | 1990年代 | 政府,(10月17日の)89社中24社の売却を承認。24社は2カ月以内に新所有者たちに譲渡される。 |
DIA-304-1991-10-21-4 | パキスタン | 1991年10月21日 | 1990年代 | ユースフ水利・電力相は国会で,パには新たに32のダムの建設計画があると述べた。93年までに現在の発電量8570MWを1万1930MWにする予定という。同日,政府はカーラーバーグ・ダムなどのダムの建設を認可。 |
DIA-304-1991-10-22-1 | パキスタン | 1991年10月22日 | 1990年代 | 倒産した組合金融機関の預金者に対する預金の還付を1年以内に実施することを政府に要求する動議が下院で採択された。 |
DIA-304-1991-10-25-1 | パキスタン | 1991年10月25日 | 1990年代 | パ初の民営貨物航空会社Shaheen International Airline社の一番機がソ連ウズベク共和国のタシケント経由でオランダのアムステルダムヘ出発。 |
DIA-304-1991-10-26-1 | パキスタン | 1991年10月26日 | 1990年代 | 揚尚昆中国国家主席,来訪(~30日)-27日,経済協力協定および在パ・アフガン難民救済物資供与に関する交換公文に調印。28日,楊主席は南アジア地域の平和と安定を望む旨,述べた。30日,イランヘ。 |
DIA-304-1991-10-28-1 | パキスタン | 1991年10月28日 | 1990年代 | Z・A・アクバルWAPDA総裁は,92年末までにジャームショロ火力発電所およびファイサラバード地域電力局がまず民営化されようと明らかにした。 |
DIA-304-1991-10-30-1 | パキスタン | 1991年10月30日 | 1990年代 | イスラマバードで印パ外務次官会談(~11月1日)-両国間問題で大幅な前進は見られなかったが,以下の点で合意との共同声明。(1)化学兵器の相互禁止の専門家交渉を行う,(2)化学兵器の開発・使用禁止の共同宣言発表を考慮する,(3)核施設に関する情報交換を91年末までに行なう。なお,カシミール問題が話し合われたか否かについては言及されていない。 |
DIA-304-1991-10-31-1 | パキスタン | 1991年10月31日 | 1990年代 | 軍人の年金が32%増額された。 |
DIA-304-1991-11-06-1 | パキスタン | 1991年11月06日 | 1990年代 | 元PPP下院議員G・M・A・K・マネカに議員立候補権7年間剥奪の特別法廷判決。 |
DIA-304-1991-11-07-1 | パキスタン | 1991年11月07日 | 1990年代 | シャリーフ首相は組合金融不法融資事件の調査のために最高裁のM・A・ローネ判事を委員長とする司法委員会を任命した。 |
DIA-304-1991-11-07-2 | パキスタン | 1991年11月07日 | 1990年代 | スリランカでの南アジア地域協力連合(SAARC)首脳会議は無期延期となったが,シャリーフ首相はスリランカ,パ,バングラデシュ,モルディブの4カ国首脳会議出席のためスリランカへ(~9日)。 |
DIA-304-1991-11-10-1 | パキスタン | 1991年11月10日 | 1990年代 | イスハーク大統領,野党陣によるシャリーフ内閣解任および挙国一致内閣組閣の要求を拒否。 |
DIA-304-1991-11-10-2 | パキスタン | 1991年11月10日 | 1990年代 | I・A・シロヘイ統合参謀本部議長,退任。シャミーム・アーラム・ハーン陸軍大将が同議長に就任。 |
DIA-304-1991-11-10-3 | パキスタン | 1991年11月10日 | 1990年代 | カタールの皇太子ハマド国防相,イラン訪問後,来訪。カラチへの天然ガスのパイプ・ライン(1100㌔)敷設計画,対パ投資などについて協議のため。 |
DIA-304-1991-11-10-4 | パキスタン | 1991年11月10日 | 1990年代 | 国境警備隊,バローチスタン州マクラーンでヘロインなどの麻薬42㌧を押収。 |
DIA-304-1991-11-11-1 | パキスタン | 1991年11月11日 | 1990年代 | イランのラフサンジャニ大統領,カシミール問題で印パ間の調停を申し出。 |
DIA-304-1991-11-11-2 | パキスタン | 1991年11月11日 | 1990年代 | 政府,バングラデシュからのビハール人のパンジャーブ州への移住・定着計画作成を完了。 |
DIA-304-1991-11-12-1 | パキスタン | 1991年11月12日 | 1990年代 | 政府,上院に奴隷制禁止法案を上程。 |
DIA-304-1991-11-13-1 | パキスタン | 1991年11月13日 | 1990年代 | アジーズ蔵相,民営化完了には2年かかるだろうと述べた。 |
DIA-304-1991-11-14-1 | パキスタン | 1991年11月14日 | 1990年代 | 連邦シャリーア法廷は,利子に関する22の法律がイスラーム法に反すると裁定。政府は最高裁の裁定を求める構え。 |
DIA-304-1991-11-17-1 | パキスタン | 1991年11月17日 | 1990年代 | 陸軍大将J・P・ホア米中央司令官,来訪。19日,イスハーク大統領およびシャリーフ首相と個別に会談。 |
DIA-304-1991-11-17-2 | パキスタン | 1991年11月17日 | 1990年代 | 政府,コテクナ社との契約を解除した(1月7日参照)。 |
DIA-304-1991-11-18-1 | パキスタン | 1991年11月18日 | 1990年代 | イスラマバードでパ政府と国際投資保障機関(MIGA)の共催で投資促進会議(~20日)。内外40カ国の800人の代表が出席。会期中に22のプロジェクト計6億㌦の投資約束が行なわれた。 |
DIA-304-1991-11-19-1 | パキスタン | 1991年11月19日 | 1990年代 | バーソロミュー米国務次官補(国際安保),来訪。中国より。20日,イスハーク大統領およびシャリーフ首相と個別に会談。21日,インドヘ。 |
DIA-304-1991-11-20-1 | パキスタン | 1991年11月20日 | 1990年代 | シャリーフ首相,新石油政策を発表。 |
DIA-304-1991-11-20-2 | パキスタン | 1991年11月20日 | 1990年代 | バローチスタン州ハブ商工業団地の発電所プロジェクトに対し世銀が3億㌦の援助を発表。 |
DIA-304-1991-11-21-1 | パキスタン | 1991年11月21日 | 1990年代 | アゼルバイジャン共和国から上級使節団,来訪。 |
DIA-304-1991-11-21-2 | パキスタン | 1991年11月21日 | 1990年代 | カーンジュー外務担当国務相はアフガン・ゲリラ向けの武器をパがイラクに転売とのうわさを否定。 |
DIA-304-1991-11-21-3 | パキスタン | 1991年11月21日 | 1990年代 | AK議会選挙でAKMC,圧勝。 |
DIA-304-1991-11-22-1 | パキスタン | 1991年11月22日 | 1990年代 | 上院で一日に22法案を採択。最高記録。 |
DIA-304-1991-11-24-1 | パキスタン | 1991年11月24日 | 1990年代 | アハメド・アリー経済問題担当国務相以下の代表団がソ連のイスラーム6共和国とパの歴史的関係再確認・回復のため同諸国歴訪に出発。 |
DIA-304-1991-11-24-2 | パキスタン | 1991年11月24日 | 1990年代 | シャリーフ首相,石油・ガス部門に対する追加インセンティブを発表。 |
DIA-304-1991-11-24-3 | パキスタン | 1991年11月24日 | 1990年代 | ドイツ人女性科学者,「北方地域」(NA)のスカルドで誘拐さる。 |
DIA-304-1991-11-25-1 | パキスタン | 1991年11月25日 | 1990年代 | 大蔵省は法務省に対し,利子に関係のある11の法をイスラーム法に合致させるために改正案を用意するように依頼した。 |
DIA-304-1991-11-27-1 | パキスタン | 1991年11月27日 | 1990年代 | シンド州政府の指令で同州のPPP党員600人が逮捕された。 |
DIA-304-1991-11-28-1 | パキスタン | 1991年11月28日 | 1990年代 | インドのパワル国防相によると,過去3カ月間に印パ両軍はカシミールの実効支配線(LAC)沿いで535回銃火を交えた。 |
DIA-304-1991-11-30-1 | パキスタン | 1991年11月30日 | 1990年代 | PCは国営4金融機関の民間払い下げ事前入札募集を締切った。入札対象はHabib Bank,United Bank,National Development Finance,Industrial Development Bank of Pakistan。なお,世銀は金融機関の民営化に批判的と伝えられる。 |
DIA-304-1991-11-30-2 | パキスタン | 1991年11月30日 | 1990年代 | C・シュジャーアト・フセイン内相はAZOをPPPの下部機関と断じた(V,12/5)。 |
DIA-304-1991-12-03-1 | パキスタン | 1991年12月03日 | 1990年代 | ラホールのパンジャーブ州高裁は連邦政府に対し,ハビーブ銀行の民間払い下げのための入札受諾を9日まで差し止めた。 |
DIA-304-1991-12-07-1 | パキスタン | 1991年12月07日 | 1990年代 | PMLのベテラン政治家S・S・ハヤート・ハーン(77歳)は息女ヴィーナがカラチの自宅で11月27日,銃を持った暴漢5人にレイプされたと記者会見で述べた。事件の背後にはシンド州首相顧問のI・K・マルワット(イスハーク大統領の女婿)がいるとされている。なお,ヴィーナはB・ブットーPPP共同党首の友人。 |
DIA-304-1991-12-07-2 | パキスタン | 1991年12月07日 | 1990年代 | シャリーフ首相,セネガルでのイスラーム諸国会議(OIC)出席のため出発。 |
DIA-304-1991-12-09-1 | パキスタン | 1991年12月09日 | 1990年代 | ソ連のアゼルバイジャン共和国議会代表団,来訪。12日,パ政府は同共和国を承認。 |
DIA-304-1991-12-09-2 | パキスタン | 1991年12月09日 | 1990年代 | パと中国,第11次科学技術協力議定書に調印。 |
DIA-304-1991-12-09-3 | パキスタン | 1991年12月09日 | 1990年代 | 全国でヴィーナ・ハヤート事件で抗議デモ。 |
DIA-304-1991-12-12-1 | パキスタン | 1991年12月12日 | 1990年代 | イスハーク大統領の出身地である北西辺境州バンヌーに遠くないペシャーワル市でヴィーナ・ハヤート事件で反政府の抗議デモ。デモ隊は大統領の肖像を焼き,大統領,サーディク・アリー・シンド州首相,同顧問マルワットの辞任を要求。 |
DIA-304-1991-12-15-1 | パキスタン | 1991年12月15日 | 1990年代 | 組合金融事件司法委員会は関係者4人の逮捕令状を出した。 |
DIA-304-1991-12-19-1 | パキスタン | 1991年12月19日 | 1990年代 | ルツコイ・ロシア共和国副大統領,イランからパ入り。イスラマバードでアフガン・ゲリラと和平交渉を行なった。同日,パ政府との間で共同コミュニケ。同日,アフガニスタンヘ。 |
DIA-304-1991-12-19-2 | パキスタン | 1991年12月19日 | 1990年代 | ヴィーナ・ハヤート事件司法委員会は同事件にマルワットが関係していた証拠はないと発表した。 |
DIA-304-1991-12-20-1 | パキスタン | 1991年12月20日 | 1990年代 | パ政府はロシア,カザフスタン,ウズベキスタン,キルギスタン,タジキスタン,トルクメニスタンの6共和国を承認。 |
DIA-304-1991-12-21-1 | パキスタン | 1991年12月21日 | 1990年代 | 『中央銀行年次報告書』1991/92年度版,出来。 |
DIA-304-1991-12-21-2 | パキスタン | 1991年12月21日 | 1990年代 | シャリーフ首相,コロンボでのSAARC首脳会議であらゆる核兵器に反対と演説。22日,シンガポールヘ。23日,在シンガポール・パ人に,本国投資を行なうよう訴え。同日,帰国。 |
DIA-304-1991-12-21-3 | パキスタン | 1991年12月21日 | 1990年代 | 上院の委員会,コーランに対する冒罪は死刑に処すべしと答申。 |
DIA-304-1991-12-22-1 | パキスタン | 1991年12月22日 | 1990年代 | アフガニスタンとの国境に至るハイバル峠からパンジャーブ州ムルターン市まで国土の半分で停電になった。18時から75分間。 |
DIA-304-1991-12-27-1 | パキスタン | 1991年12月27日 | 1990年代 | パ電信公社(PTC)のスト4日目。電話交換機管轄のため軍が動員された。翌28日,スト終結。 |
DIA-304-1991-12-28-1 | パキスタン | 1991年12月28日 | 1990年代 | パンジャーブ州で地方自治体選挙。12人死亡。IJI圧勝(総議席の70%を獲得)とワーイン・パンジャーブ州首相は発表。 |
DIA-304-1991-12-29-1 | パキスタン | 1991年12月29日 | 1990年代 | ヴィーナ・ハヤート事件調査報告書,出来。集団レイプの証拠なく,マルワットは無罪とされている。 |
DIA-304-1991-12-31-1 | パキスタン | 1991年12月31日 | 1990年代 | パ政府通信省は韓国の大宇財閥建設部門との間でイスラマバードとラホールを結ぶ幹線道路(340㌔)の建設契約に調印した。建設費は9億5700万㌦。 |
DIA-304-1991-12-31-2 | パキスタン | 1991年12月31日 | 1990年代 | パ原子力エネルギー委員会は北京で中国核工業公司との間で,中国からパヘの原子力発電所(30万kW)の輸出契約に調印。この件は既に89年11月に原則的合意に達していたもの。 |
DIA-304-1992-01-01-1 | パキスタン | 1992年01月01日 | 1990年代 | 印パ両国,1988年12月の核施設不攻撃協定に基づき,国内核施設リストを交換。 |
DIA-304-1992-01-04-1 | パキスタン | 1992年01月04日 | 1990年代 | アーシフ・ナワーズ陸軍参謀長,訪米。兵器スペアパーツの商業ベース輸入は自由との確認を米政府から得て18日離米。 |
DIA-304-1992-01-06-1 | パキスタン | 1992年01月06日 | 1990年代 | 政府関係者たちによると,イスハーク大統領とB・ブットー・パ人民党(PPP)共同党首の間で対話の動きがあり,両者は今月中に会う予定という。 |
DIA-304-1992-01-15-1 | パキスタン | 1992年01月15日 | 1990年代 | シャリーフ首相,訪仏。17日,ミラージュ2000型機40機,潜水艦3隻,レーダー3基の供与で合意。核燃料再処理プラント輸入は断念。シャリーフ首相はAFP通信に「パは核爆弾製造能力は持っているが製造するつもりはない」と言明。 |
DIA-304-1992-01-29-1 | パキスタン | 1992年01月29日 | 1990年代 | シャリーフ首相,国家イスラーム化および経済自由化のための諸措置を概説。 |
DIA-304-1992-01-31-1 | パキスタン | 1992年01月31日 | 1990年代 | 中パ両国,原発建設・核技術供与協定,締結。 |
DIA-304-1992-02-07-1 | パキスタン | 1992年02月07日 | 1990年代 | 『ワシントン・ポスト』紙7日,パのシャハリヤール外務次官(訪米中)は,パが少なくとも原爆1個を生産し得ると認めたと報道。パ政府は否定。 |
DIA-304-1992-02-11-1 | パキスタン | 1992年02月11日 | 1990年代 | カシミールの印パ実効支配線(LAC)越えを強行しようとするジャムー・カシミール解放戦線(JKLF)デモ隊にパ治安部隊が発砲,12名死亡。 |
DIA-304-1992-02-14-1 | パキスタン | 1992年02月14日 | 1990年代 | 延期されていた1991年国勢調査の2月22日開始予定がさらに3月2日に延期された。 |
DIA-304-1992-02-15-1 | パキスタン | 1992年02月15日 | 1990年代 | テヘランで経済協力機構(ECO)首脳会議(~17日)。ウズベキスタンなど中央アジア3カ国が正式加盟。 |
DIA-304-1992-02-18-1 | パキスタン | 1992年02月18日 | 1990年代 | パ空軍輸送機,総額20万㌦の医療関係援助物資をカザフスタンに搬入。中央アジア6共和国に対する人道的援助の開始。 |
DIA-304-1992-02-22-1 | パキスタン | 1992年02月22日 | 1990年代 | 民間航空局,ウズベキスタンと航空協定調印。 |
DIA-304-1992-02-22-2 | パキスタン | 1992年02月22日 | 1990年代 | ナザルバーエフ・カザフスタン大統領,訪パ。24日,2国間経済協力協定など締結。 |
DIA-304-1992-03-04-1 | パキスタン | 1992年03月04日 | 1990年代 | J・S・アリー・シンド州首相,病死。6日,S・M・H・シャーが後任として就任。 |
DIA-304-1992-03-11-1 | パキスタン | 1992年03月11日 | 1990年代 | ローネ判事委員会,首州とIttefaq企業グループに非合法取引などの罪障消滅(無罪)を申し渡し。 |
DIA-304-1992-03-12-1 | パキスタン | 1992年03月12日 | 1990年代 | G・M・ジャトーイ情報相解任さる。 |
DIA-304-1992-03-16-1 | パキスタン | 1992年03月16日 | 1990年代 | S・G・A・シャー国防相,パは地域的な勢力均衡を維持のために核能力を有するに至ったと言明。 |
DIA-304-1992-03-25-1 | パキスタン | 1992年03月25日 | 1990年代 | パンジャープ州政府,JKLFのアマーヌッラー・カーン委員長を騒乱罪で逮捕。 |
DIA-304-1992-03-30-1 | パキスタン | 1992年03月30日 | 1990年代 | ECOの創設加盟国であるパ,イラン,トルコは共同出資の「商業開発銀行」を設立することで合意。 |
DIA-304-1992-04-13-1 | パキスタン | 1992年04月13日 | 1990年代 | イスハーク大統領,来訪中のホア米陸軍大将とアフガニスタン暫定政権問題で協議。 |
DIA-304-1992-04-15-1 | パキスタン | 1992年04月15日 | 1990年代 | 民営化第2段階,開始。対象は39国営企業。 |
DIA-304-1992-04-28-1 | パキスタン | 1992年04月28日 | 1990年代 | パ政府,アフガニスタン暫定評議会を正式承認。 |
DIA-304-1992-04-29-1 | パキスタン | 1992年04月29日 | 1990年代 | シャリーフ首相,アフガニスタンを訪問。 |
DIA-304-1992-05-05-1 | パキスタン | 1992年05月05日 | 1990年代 | イスラーム協会(JI),イスラーム民主連合(IJI)を脱退。 |
DIA-304-1992-05-12-1 | パキスタン | 1992年05月12日 | 1990年代 | 『1991/92年度版経済白書』刊行。 |
DIA-304-1992-05-14-1 | パキスタン | 1992年05月14日 | 1990年代 | アジーズ蔵相,92/93年度予算案を下院に上程。 |
DIA-304-1992-05-24-1 | パキスタン | 1992年05月24日 | 1990年代 | パ政府,インド大使館員1名をスパイ容疑で国外退去処分。25日,在印パ人外交官2名,追放さる。 |
DIA-304-1992-05-25-1 | パキスタン | 1992年05月25日 | 1990年代 | 首相,私用訪米の帰途,ロンドンに立寄り,亡命中のアルターフ非難民民族運動(MQM)党首と会見。 |
DIA-304-1992-05-26-1 | パキスタン | 1992年05月26日 | 1990年代 | インド政府,6月1日予定のニューデリーでの印パ外務次官会議を一方的に無期延期。 |
DIA-304-1992-05-28-1 | パキスタン | 1992年05月28日 | 1990年代 | 政府は憲法147条に基づき,シンド州の法秩序回復のため陸軍に本日より6ヵ月の同州内展開を命令。 |
DIA-304-1992-06-14-1 | パキスタン | 1992年06月14日 | 1990年代 | ブラジルでの地球サミット出席のシャリーフ首相,ラオ・インド首相と会談。 |
DIA-304-1992-06-19-1 | パキスタン | 1992年06月19日 | 1990年代 | シャリーフ首相,ロンドンでアルターフ・フセインMQM党首と会見。 |
DIA-304-1992-06-19-2 | パキスタン | 1992年06月19日 | 1990年代 | MQM対立2派がカラチで銃撃戦,8名死亡, |
DIA-304-1992-06-20-1 | パキスタン | 1992年06月20日 | 1990年代 | 陸軍およびレインジャー部隊,カラチのMQM主流派の全事務所を接収,活動家48名を検挙。 |
DIA-304-1992-06-25-1 | パキスタン | 1992年06月25日 | 1990年代 | 米政府,アルターフMQM党首亡命申請を拒否。 |
DIA-304-1992-06-27-1 | パキスタン | 1992年06月27日 | 1990年代 | シャリーフ首相,ウズベキスタン訪問。28日,タシュケント市にパ大使館,開館。 |
DIA-304-1992-06-29-1 | パキスタン | 1992年06月29日 | 1990年代 | 新貿易政策,発表。 |
DIA-304-1992-07-01-1 | パキスタン | 1992年07月01日 | 1990年代 | ナビエフ・タジキスタン大統領,来訪。 |
DIA-304-1992-07-06-1 | パキスタン | 1992年07月06日 | 1990年代 | G・アユーブ下院議長,MQM下院議員13名の辞任届けのうち11名のものを承認。 |
DIA-304-1992-07-19-1 | パキスタン | 1992年07月19日 | 1990年代 | イスハーク大統領,刑事訴訟法典(修正)令,1992年,を布告。同令により三軍は家宅捜索,逮捕,武器押収などの権限を持つことになった。 |
DIA-304-1992-07-19-2 | パキスタン | 1992年07月19日 | 1990年代 | シャー・シンド州首相,MQMアルターフ派(主流派)からの離脱を発表。 |
DIA-304-1992-07-25-1 | パキスタン | 1992年07月25日 | 1990年代 | アルターフMQM党首,PPPとの和解を指示。 |
DIA-304-1992-07-26-1 | パキスタン | 1992年07月26日 | 1990年代 | 政府,特別工業区12カ所設置を立案。 |
DIA-304-1992-07-29-1 | パキスタン | 1992年07月29日 | 1990年代 | シンド州警察,PPP党役識者800名を逮捕。 |
DIA-304-1992-07-29-2 | パキスタン | 1992年07月29日 | 1990年代 | シンド州議会のMQM議員24名,辞任。 |
DIA-304-1992-08-04-1 | パキスタン | 1992年08月04日 | 1990年代 | 水資源・電力開発公社(WAPDA),バローチスタン州のハブ川電力プロジェクト協定に正式調印。 |
DIA-304-1992-08-09-1 | パキスタン | 1992年08月09日 | 1990年代 | バングラデシュのカレダ・ジア首相,来訪(11日まで)。 |
DIA-304-1992-08-15-1 | パキスタン | 1992年08月15日 | 1990年代 | B・ブットーPPP共同党首の夫A・A・ザルダーリー(投獄中),許可され国民議会に出席。 |
DIA-304-1992-08-15-2 | パキスタン | 1992年08月15日 | 1990年代 | カラチ沖で米海軍合同演習(16日まで)。 |
DIA-304-1992-08-16-1 | パキスタン | 1992年08月16日 | 1990年代 | シャリーフ首相,アフガニスタンのヘクマティヤール・イスラーム党党首を首都カーブル攻撃などの件で激しく非難。 |
DIA-304-1992-08-17-1 | パキスタン | 1992年08月17日 | 1990年代 | インドで第6回印パ外務次官会談(~19日)。 |
DIA-304-1992-08-18-1 | パキスタン | 1992年08月18日 | 1990年代 | アフガニスタン内戦激化でパに新種の難民流入が始まった。 |
DIA-304-1992-08-27-1 | パキスタン | 1992年08月27日 | 1990年代 | 下院はインドのアョーディヤでのヒンドゥー寺院建設の動きを対モスク冒とする非難決議案を採択。 |
DIA-304-1992-08-30-1 | パキスタン | 1992年08月30日 | 1990年代 | 国家投資評議会(NIC),設立。首相が長。 |
DIA-304-1992-09-03-1 | パキスタン | 1992年09月03日 | 1990年代 | ジャカルタでの非同盟諸国会議出席のシャリーフ首相,インドのラオ首相と会談。 |
DIA-304-1992-09-06-1 | パキスタン | 1992年09月06日 | 1990年代 | イランのラフサンジャニ大統領,来訪(~9目)。 |
DIA-304-1992-09-10-1 | パキスタン | 1992年09月10日 | 1990年代 | 政府は,カラチで拷問部屋運営のアルターフ党首以下MQM121名のリストを発表。11日,56名逮捕。 |
DIA-304-1992-09-13-1 | パキスタン | 1992年09月13日 | 1990年代 | バローチスタン州オルマーラにおける大規模海軍基地建設工事,開始。3年後開港予定。 |
DIA-304-1992-09-16-1 | パキスタン | 1992年09月16日 | 1990年代 | B・ブットーPPP共同党首の実弟ムルタザーAZO(アル・ズルフィカール機関)委員長は,パにおける反政府テロ・グループを指揮していることを認めた。 |
DIA-304-1992-09-24-1 | パキスタン | 1992年09月24日 | 1990年代 | 米政府は,対パ未供与のF-16戦闘機71機がパの所有物であることを認めた。 |
DIA-304-1992-09-25-1 | パキスタン | 1992年09月25日 | 1990年代 | ラッパーニー・アフガニスタン大統領,来訪。 |
DIA-304-1992-09-25-2 | パキスタン | 1992年09月25日 | 1990年代 | 北西辺境州政府のA・K・クンディー前食糧相に対しヘロイン密輸出の罪でカラチ裁判所で終身刑判決。 |
DIA-304-1992-09-26-1 | パキスタン | 1992年09月26日 | 1990年代 | 1988年当時のジヤー・ウル・ハック軍人大統領機墜落事故死究明委員会,再発足。 |
DIA-304-1992-09-27-1 | パキスタン | 1992年09月27日 | 1990年代 | A・ザキー外務官房長など訪露(~10月2日)。 |
DIA-304-1992-09-28-1 | パキスタン | 1992年09月28日 | 1990年代 | 工業省は10月16日からパ人居住者のカラチ輸出加工区(KEPZ)への投資を認めると発表。 |
DIA-304-1992-09-28-2 | パキスタン | 1992年09月28日 | 1990年代 | パキスタン国際航空(PIA)旅客機,ネパールで墜落。乗員・乗客167名,死亡。 |
DIA-304-1992-10-01-1 | パキスタン | 1992年10月01日 | 1990年代 | イスハーク大統領,トルコ訪問(~2日)。 |
DIA-304-1992-10-03-1 | パキスタン | 1992年10月03日 | 1990年代 | 政府によると,8~9月の未曾有の洪水で全国で3000人以上が死亡,500億ルビーの被害が出た。 |
DIA-304-1992-10-06-1 | パキスタン | 1992年10月06日 | 1990年代 | シャリーフ首相,訪中(~10日)。 |
DIA-304-1992-10-10-1 | パキスタン | 1992年10月10日 | 1990年代 | カラチの特別裁判所,ブットー前首相の夫A・ザルダーリーを90年8月のMQM事務所銃撃(28名死亡)指令など6件に関し,無罪とした。 |
DIA-304-1992-10-13-1 | パキスタン | 1992年10月13日 | 1990年代 | 政府,国民身分証明書に新たに宗教記載と決定。 |
DIA-304-1992-10-19-1 | パキスタン | 1992年10月19日 | 1990年代 | シンド州政府,連邦政府に対し同州の陸軍展開を6ヵ月間延長するように要請。 |
DIA-304-1992-10-19-2 | パキスタン | 1992年10月19日 | 1990年代 | パローチスタン州セインダク銅山プロジェクト地域で中国人技師6名,誘拐さる。30日,釈放。 |
DIA-304-1992-10-22-1 | パキスタン | 1992年10月22日 | 1990年代 | イスハーク大統領,シンド州の軍展開(5月28日参照)を93年1月まで延長。 |
DIA-304-1992-10-22-2 | パキスタン | 1992年10月22日 | 1990年代 | プラッツ駐パ米大使,パの核開発問題解決まではF一16戦闘機の対パ供与はあるまいと述べた。 |
DIA-304-1992-10-24-1 | パキスタン | 1992年10月24日 | 1990年代 | トルコのデミレル首相,来訪(~25日)。 |
DIA-304-1992-10-25-1 | パキスタン | 1992年10月25日 | 1990年代 | カシミールの実効支配線をパ側からインド側に越境しようとするデモ隊にパ国境警備隊が威嚇射撃を行ない,1名死亡,28名が重軽傷。 |
DIA-304-1992-10-31-1 | パキスタン | 1992年10月31日 | 1990年代 | 軍事法廷は92年6月に無罪の市民9名を殺害した少将1名に死刑,他の軍人13人に終身刑の判決。 |
DIA-304-1992-11-02-1 | パキスタン | 1992年11月02日 | 1990年代 | インドで第6回印パ国防次官会談(~4日)。 |
DIA-304-1992-11-08-1 | パキスタン | 1992年11月08日 | 1990年代 | 秋篠宮ご夫妻,訪パ。12日,インドへ。 |
DIA-304-1992-11-11-1 | パキスタン | 1992年11月11日 | 1990年代 | 政府,パ民主連合(PDA)は18日予定の反政府「大行進」を自由に実施してよいと言明。 |
DIA-304-1992-11-17-1 | パキスタン | 1992年11月17日 | 1990年代 | シャリーフ首相は,野党はテロリストであり,「大行進」は反乱以外の何ものでもないと述べた。 |
DIA-304-1992-11-18-1 | パキスタン | 1992年11月18日 | 1990年代 | B・ブットーPPP共同党首,PDA「大行進」でラーワルピンディーにて逮捕され,同日カラチに移送されて自宅軟禁状態に置かれた。 |
DIA-304-1992-11-23-1 | パキスタン | 1992年11月23日 | 1990年代 | B・ブットーPPP共同党首以下32名,カラチからラーワルピンディーまで列車デモ(~26日)。 |
DIA-304-1992-11-28-1 | パキスタン | 1992年11月28日 | 1990年代 | 中央アジア3共和国とアフガニスタンが新たにECOに正式加盟した。 |
DIA-304-1992-12-01-1 | パキスタン | 1992年12月01日 | 1990年代 | 米NBCテレビは,パは少なくとも7個の広島型原爆を保有していると報じた。 |
DIA-304-1992-12-02-1 | パキスタン | 1992年12月02日 | 1990年代 | 米NBCテレビによると,パ軍はブットー首相(当時)には内密で原爆製造に踏み切り,90年春,インドに対する核攻撃計画を立案したという。 |
DIA-304-1992-12-02-2 | パキスタン | 1992年12月02日 | 1990年代 | 外務省スポークスマンはパが核弾頭製造能力を持っていることを認めた。 |
DIA-304-1992-12-07-1 | パキスタン | 1992年12月07日 | 1990年代 | 中国,対パ火力発電(320メガワット)設備売却契約に調印。これまで最大の対パ輸出プロジェクト。 |
DIA-304-1992-12-08-1 | パキスタン | 1992年12月08日 | 1990年代 | パで本日までにヒンドゥー寺院50が襲撃された。カラチではインド総領事館が襲われ,28名死亡。 |
DIA-304-1992-12-12-1 | パキスタン | 1992年12月12日 | 1990年代 | シャリーフ首相,限定SAARC首脳会議出席のためバングラデシュ訪問。 |
DIA-304-1992-12-15-1 | パキスタン | 1992年12月15日 | 1990年代 | MQMのアルターフ・フセイン党首,政界引退。 |
DIA-304-1992-12-16-1 | パキスタン | 1992年12月16日 | 1990年代 | シャリーフ首相,訪日(~19日)。 |
DIA-304-1992-12-17-1 | パキスタン | 1992年12月17日 | 1990年代 | 政府,インド人外交官3名を国外追放。同日,インド政府はパ外交官1名を追放。 |
DIA-304-1992-12-22-1 | パキスタン | 1992年12月22日 | 1990年代 | 米NBCテレビは,パとイランが共同で核開発を進めている可能性があると報じた。イランはパの対外債務返済(年間20億㌦)に協力する見返りとして核技術の提供を受けることで秘密合意した由。 |
DIA-304-1992-12-26-1 | パキスタン | 1992年12月26日 | 1990年代 | チャシュマ原子力発電所建設工事,開始。 |
DIA-304-1992-12-31-1 | パキスタン | 1992年12月31日 | 1990年代 | インド,在カラチ総領事館員を64人から20人に削減するようにとのパ政府の要請を拒否。 |
DIA-304-1993-01-04-1 | パキスタン | 1993年01月04日 | 1990年代 | 印パ両国,国内核施設リストを交換。 |
DIA-304-1993-01-08-1 | パキスタン | 1993年01月08日 | 1990年代 | 米国務省はパキスタンをテロリスト国家そのものではないが「警戒リスト」(watch list)に採録。 |
DIA-304-1993-01-08-2 | パキスタン | 1993年01月08日 | 1990年代 | アーシフ・ナワーズ・ジャンジュア陸軍参謀長,心臓病で死去。 |
DIA-304-1993-01-10-1 | パキスタン | 1993年01月10日 | 1990年代 | インド政府は駐印パキスタン大使官員141人中101人を削減するようパ政府に要請。 |
DIA-304-1993-01-10-2 | パキスタン | 1993年01月10日 | 1990年代 | バングラデシュのビハール人のパキスタンヘの移住が開始され,最初の325人がラホールに到着。 |
DIA-304-1993-01-12-1 | パキスタン | 1993年01月12日 | 1990年代 | イスハーク大統領,A・ワヒード・カーカル陸軍中将を大将に昇格の上,陸軍参謀長に任命。 |
DIA-304-1993-01-12-2 | パキスタン | 1993年01月12日 | 1990年代 | 国民議会(下院),パ人民党(PPP)共同党首のベーナジール・ブットーを外交委員会委員長に選出。 |
DIA-304-1993-01-28-1 | パキスタン | 1993年01月28日 | 1990年代 | ロシア対外情報機関のプリマコフ長官が記者会見で,パが核兵器4~7個を保有と言明。 |
DIA-304-1993-01-30-1 | パキスタン | 1993年01月30日 | 1990年代 | ブットーPPP共同党首,胆石治療のため渡英。 |
DIA-304-1993-02-06-1 | パキスタン | 1993年02月06日 | 1990年代 | ザルダーリー下院議員,保釈。 |
DIA-304-1993-02-06-2 | パキスタン | 1993年02月06日 | 1990年代 | クエッタ市で経済協力機構(ECO)閣僚会議開催。7日,「クエッタ行動計画」を採択して閉幕。 |
DIA-304-1993-02-11-1 | パキスタン | 1993年02月11日 | 1990年代 | 日本とパの事務レベル核不拡散協議。 |
DIA-304-1993-02-13-1 | パキスタン | 1993年02月13日 | 1990年代 | パとトルコ,国防産業協力協定に調印。 |
DIA-304-1993-02-14-1 | パキスタン | 1993年02月14日 | 1990年代 | シャー国防相,パは中国ジェット戦闘機組立ライセンスを獲得と言明。 |
DIA-304-1993-02-27-1 | パキスタン | 1993年02月27日 | 1990年代 | シャリーフ首相,憲法第8次改正の廃止のため閣僚委員会を設置し,2人を任命。 |
DIA-304-1993-03-07-1 | パキスタン | 1993年03月07日 | 1990年代 | アフガニスタン指導者8人,シャリーフ首相の仲介によりイスラマバードで和平協定に調印。 |
DIA-304-1993-03-11-1 | パキスタン | 1993年03月11日 | 1990年代 | カラチにウズベキスタン総領事館,開設。 |
DIA-304-1993-03-14-1 | パキスタン | 1993年03月14日 | 1990年代 | 92年5月以来カラチ駐留の警備軍,全員撤退。 |
DIA-304-1993-03-14-2 | パキスタン | 1993年03月14日 | 1990年代 | アジーズ蔵相,イスハーク大統領が首相への書簡で首相の民営化政策を批判したと暴露。 |
DIA-304-1993-03-18-1 | パキスタン | 1993年03月18日 | 1990年代 | パキスタン・ムスリム連盟ジュネージョ派(PML-J)党首ジュネージョ元首相,白血病で死去。 |
DIA-304-1993-03-27-1 | パキスタン | 1993年03月27日 | 1990年代 | PML-N(ナワーズ・シャリーフ派),シャリーフ首相をPML総裁候補に指名。31日までにPML-Jの連邦大臣(閣僚)5人,国務大臣(閣外相)1人,首相顧問1人,一般国会議員24人が抗議の辞任。 |
DIA-304-1993-03-27-2 | パキスタン | 1993年03月27日 | 1990年代 | シャリーフ首相,英独歴訪(~4月1日)。 |
DIA-304-1993-03-31-1 | パキスタン | 1993年03月31日 | 1990年代 | パ政府はアラブ諸国に対して,反ソ・アフガニスタン「聖戦」アラブ人義勇兵のパおよびアフガニスタン残留者(2800人)を引き取るように要請。 |
DIA-304-1993-04-04-1 | パキスタン | 1993年04月04日 | 1990年代 | 11月の大統領選挙候補としてイスハーク現大統領をPML-Nが正式に指名。 |
DIA-304-1993-04-06-1 | パキスタン | 1993年04月06日 | 1990年代 | コーズィレフ・ロシア外相,来訪(~8日)。 |
DIA-304-1993-04-09-1 | パキスタン | 1993年04月09日 | 1990年代 | PML-N,憲法第8次改正廃棄の試みを中止。 |
DIA-304-1993-04-10-1 | パキスタン | 1993年04月10日 | 1990年代 | 南アジア地域協力連合(SAARC)首脳会議,ダッカで開催。同10日,印パ両首相,会談。 |
DIA-304-1993-04-11-1 | パキスタン | 1993年04月11日 | 1990年代 | SAARC首脳会議で特恵貿易協定,締結。 |
DIA-304-1993-04-11-2 | パキスタン | 1993年04月11日 | 1990年代 | 故アーシフ・ナワーズ前陸軍参謀長のヌザート夫人,夫の死は政治的暗殺だったと発言。 |
DIA-304-1993-04-11-3 | パキスタン | 1993年04月11日 | 1990年代 | 日本とパの事務レベル核不拡散協議。 |
DIA-304-1993-04-12-1 | パキスタン | 1993年04月12日 | 1990年代 | パ軍部隊190人,ソマリアヘ。19日にも追加300人がソマリアの国連多国籍軍に合流。 |
DIA-304-1993-04-12-2 | パキスタン | 1993年04月12日 | 1990年代 | 米中央軍司令官ホア陸軍大将,来訪。 |
DIA-304-1993-04-14-1 | パキスタン | 1993年04月14日 | 1990年代 | 大統領と首相の会談,物別れに終わる。 |
DIA-304-1993-04-17-1 | パキスタン | 1993年04月17日 | 1990年代 | シャリーフ首相,全国放送で大統領を徹底非難。 |
DIA-304-1993-04-17-2 | パキスタン | 1993年04月17日 | 1990年代 | パ各紙によるとさらに連邦大臣3人,国務大臣1人,首相顧問1人,その他の下院議員95人が辞任。 |
DIA-304-1993-04-18-1 | パキスタン | 1993年04月18日 | 1990年代 | イスハーク大統領,国民議会(下院)を解散。 |
DIA-304-1993-04-21-1 | パキスタン | 1993年04月21日 | 1990年代 | パキスタン商工会議所連盟(FPCCI),シャリーフ首相解任で実業家などにデモを呼びかけ。 |
DIA-304-1993-04-22-1 | パキスタン | 1993年04月22日 | 1990年代 | 暫定内閣,拡大さる。29日,再拡大。 |
DIA-304-1993-04-25-1 | パキスタン | 1993年04月25日 | 1990年代 | カラムでイスラーム諸国会議機構(OIC)外相会議開催(~29日)。 |
DIA-304-1993-05-06-1 | パキスタン | 1993年05月06日 | 1990年代 | 韓国の大宇グループ,対パ投資を凍結。 |
DIA-304-1993-05-10-1 | パキスタン | 1993年05月10日 | 1990年代 | 三軍統合情報司令局(ISI)のナーシル局長が解任さる。後任はジャーヴェード・アシュラフ陸軍中将。 |
DIA-304-1993-05-22-1 | パキスタン | 1993年05月22日 | 1990年代 | 世銀・IMF,計12.5億ドルの対パ融資に同意。 |
DIA-304-1993-05-26-1 | パキスタン | 1993年05月26日 | 1990年代 | 最高裁,4月の大統領強権発動に違憲判決。 |
DIA-304-1993-06-06-1 | パキスタン | 1993年06月06日 | 1990年代 | PML-Nと避難民民族運動党アルターフ・フサイン派(MQM-A),相互協力で合意。 |
DIA-304-1993-06-12-1 | パキスタン | 1993年06月12日 | 1990年代 | 「経済白書』92/93年度版,刊行。 |
DIA-304-1993-06-14-1 | パキスタン | 1993年06月14日 | 1990年代 | アジーズ蔵相,下院に新年度予算案を上程。27日,下院で採択。野党の修正案はすべて不採択に。 |
DIA-304-1993-06-18-1 | パキスタン | 1993年06月18日 | 1990年代 | ボスニアの「モスレム人」難民第1陣266人,到着。 |
DIA-304-1993-06-21-1 | パキスタン | 1993年06月21日 | 1990年代 | 中国人陸水学者2人,バローチスタン州で誘拐さる。 |
DIA-304-1993-07-02-1 | パキスタン | 1993年07月02日 | 1990年代 | 軍が政治混乱収拾を政府関係者に指示。 |
DIA-304-1993-07-06-1 | パキスタン | 1993年07月06日 | 1990年代 | イスタンブルで経済協力機構(ECO)首脳会議(~7日)。シャリーフ首相,出席。 |
DIA-304-1993-07-14-1 | パキスタン | 1993年07月14日 | 1990年代 | 米国務省,パをテロリスト国家に指定しないことに決定したと発表。 |
DIA-304-1993-07-18-1 | パキスタン | 1993年07月18日 | 1990年代 | シャリーフ首相,辞任。クレーシー暫定首相,就任。イスハーク大統領,国民議会選挙を10月6日,4州議会選挙を10月9日実施と発表。イスハーク大統領,辞任。サジャッド大統領代行,就任。 |
DIA-304-1993-07-19-1 | パキスタン | 1993年07月19日 | 1990年代 | 4州の暫定州知事・州首相,就任。 |
DIA-304-1993-07-23-1 | パキスタン | 1993年07月23日 | 1990年代 | ベーグ元陸軍参謀長はロンドンのAwaz International紙23日で,パはすでに1987年に実験室内の模擬的核実験を行なったと言明。 |
DIA-304-1993-07-23-2 | パキスタン | 1993年07月23日 | 1990年代 | 暫定内閣成立。 |
DIA-304-1993-07-26-1 | パキスタン | 1993年07月26日 | 1990年代 | クレーシー暫定首相,訪米(~29日)。 |
DIA-304-1993-07-28-1 | パキスタン | 1993年07月28日 | 1990年代 | 外務省,インドに核実験禁止条約締結を先週提案したが,インドは拒否してきたと発表。 |
DIA-304-1993-07-31-1 | パキスタン | 1993年07月31日 | 1990年代 | インドのUNI通信(8月1日)によると,パのクレーシー暫定首相は「パはいつでも必要時に核兵器を製造できる段階にある」と言明。 |
DIA-304-1993-08-01-1 | パキスタン | 1993年08月01日 | 1990年代 | 中国の技術援助によりパンジャーブ州のチャシュマ原子力発電所(30万kW)の建設工事,開始。 |
DIA-304-1993-08-04-1 | パキスタン | 1993年08月04日 | 1990年代 | ハード米空軍次官補,来訪。パによる代金支払い済みF-16戦闘機60機(未納入)について。 |
DIA-304-1993-08-16-1 | パキスタン | 1993年08月16日 | 1990年代 | ヘクマティヤール・アフガニスタン首相,来訪。 |
DIA-304-1993-08-18-1 | パキスタン | 1993年08月18日 | 1990年代 | サッタール外相,アフガニスタン問題などでロシア訪問。 |
DIA-304-1993-08-19-1 | パキスタン | 1993年08月19日 | 1990年代 | クレーシー暫定首相,全国放送で経済・社会改革プログラムを発表。 |
DIA-304-1993-08-19-2 | パキスタン | 1993年08月19日 | 1990年代 | クリストファー米国務長官,インドのテロリスト支援をやめるようパ政府に要請。 |
DIA-304-1993-08-25-1 | パキスタン | 1993年08月25日 | 1990年代 | 外務省当局,パが1992年以前に中国から短距離弾道ミサイルを購入したと公式に認める。 |
DIA-304-1993-08-30-1 | パキスタン | 1993年08月30日 | 1990年代 | サイード海軍参謀長,潜水艦購入などで訪中。 |
DIA-304-1993-09-01-1 | パキスタン | 1993年09月01日 | 1990年代 | クレーシー暫定首相,麻薬取り締まりのため軍に協力を依頼したと言明。 |
DIA-304-1993-09-12-1 | パキスタン | 1993年09月12日 | 1990年代 | 公益評議会(CCI)はWAPDAの火力発電部門のみを民営化と決定。 |
DIA-304-1993-09-13-1 | パキスタン | 1993年09月13日 | 1990年代 | ホア米中央軍司令官,来訪(~16日)。 |
DIA-304-1993-09-16-1 | パキスタン | 1993年09月16日 | 1990年代 | IMF,2億6540万SDR(約3億7700万ドル)の対パキスタン・スタンドバイ融資供与承認を発表。 |
DIA-304-1993-09-25-1 | パキスタン | 1993年09月25日 | 1990年代 | 暫定政府,最低賃金は月3000ルピーと発表。 |
DIA-304-1993-09-27-1 | パキスタン | 1993年09月27日 | 1990年代 | 暫定政府,税制改革を発表。 |
DIA-304-1993-09-27-2 | パキスタン | 1993年09月27日 | 1990年代 | 暫定政府,麻薬密輸犯は死刑との政令を発表。 |
DIA-304-1993-09-29-1 | パキスタン | 1993年09月29日 | 1990年代 | ワーイン・パンジャーブ州首相,暗殺さる。 |
DIA-304-1993-10-01-1 | パキスタン | 1993年10月01日 | 1990年代 | MQM-Aは総選挙ボイコットを宣言。 |
DIA-304-1993-10-01-2 | パキスタン | 1993年10月01日 | 1990年代 | 1月急死のアーシフ前陸軍参謀長の遺体が夫人の要求により検視のため墓から掘り出された。英,米,仏から招致された医師団の検視の結果,死因は心臓病と判明(12月13日)。 |
DIA-304-1993-10-06-1 | パキスタン | 1993年10月06日 | 1990年代 | 国民議会(下院)選挙投票日。 |
DIA-304-1993-10-07-1 | パキスタン | 1993年10月07日 | 1990年代 | MQM-Aは州議会選挙ボイコットを取りやめ。 |
DIA-304-1993-10-09-1 | パキスタン | 1993年10月09日 | 1990年代 | 4州議会選挙。 |
DIA-304-1993-10-16-1 | パキスタン | 1993年10月16日 | 1990年代 | 下院正・副議長選挙。PPPの勝利。 |
DIA-304-1993-10-18-1 | パキスタン | 1993年10月18日 | 1990年代 | クレーシー暫定首相,カシミールが未だ印パ間の火薬庫であるため,パは核の抑制力を維持する必要ありと記者会見で言明。 |
DIA-304-1993-10-19-1 | パキスタン | 1993年10月19日 | 1990年代 | ブットー首相,就任。 |
DIA-304-1993-10-20-1 | パキスタン | 1993年10月20日 | 1990年代 | 4州の州首相,就任。 |
DIA-304-1993-10-20-2 | パキスタン | 1993年10月20日 | 1990年代 | ブットー首相,「核開発計画を守る」と言明。 |
DIA-304-1993-10-22-1 | パキスタン | 1993年10月22日 | 1990年代 | ブットー首相はキプロスの英連邦首脳会議で,パはカシミール含むすべての争点についてインドとの直接対話を歓迎すると言明。 |
DIA-304-1993-10-23-1 | パキスタン | 1993年10月23日 | 1990年代 | ブットー首相,サウジアラビアを非公式訪問。 |
DIA-304-1993-10-29-1 | パキスタン | 1993年10月29日 | 1990年代 | ラフェル米国務次官補,記者会見で「米国はカシミールを紛争地と見ている」と言明。 |
DIA-304-1993-10-30-1 | パキスタン | 1993年10月30日 | 1990年代 | 米中央軍司令部海軍司令官カイツ中将,来訪。 |
DIA-304-1993-11-04-1 | パキスタン | 1993年11月04日 | 1990年代 | ブットー首相の実弟ムルタザー・ブットー,亡命先シリアから帰国直後,カラチ空港で逮捕さる。 |
DIA-304-1993-11-06-1 | パキスタン | 1993年11月06日 | 1990年代 | ムルタザー・ブットーの1981年ハイジャック事件に関するカラチ即決裁判所の審理,開始。 |
DIA-304-1993-11-07-1 | パキスタン | 1993年11月07日 | 1990年代 | ラフェル米国務次官補,来訪。 |
DIA-304-1993-11-08-1 | パキスタン | 1993年11月08日 | 1990年代 | カナダ政府,カラチ原子力発電所に対する技術協力を停止。 |
DIA-304-1993-11-13-1 | パキスタン | 1993年11月13日 | 1990年代 | 大統領選挙でPPPのレガーリー候補がPML-Nのサジャッド候補に274対168で圧勝。14日,就任。 |
DIA-304-1993-11-13-2 | パキスタン | 1993年11月13日 | 1990年代 | マックピーク米空軍参謀長,来訪。 |
DIA-304-1993-11-19-1 | パキスタン | 1993年11月19日 | 1990年代 | 米政府,1995年度末までにパの米国援助関係事務所を閉鎖するとパ政府に通告。 |
DIA-304-1993-11-20-1 | パキスタン | 1993年11月20日 | 1990年代 | パ国際航空(PIA),カザスフタンヘの第1便機,首都アルマトイ(旧アルマアタ)向け出発。 |
DIA-304-1993-11-20-2 | パキスタン | 1993年11月20日 | 1990年代 | イスラマバードでECO運輸通信協力委員会,開催。 |
DIA-304-1993-11-21-1 | パキスタン | 1993年11月21日 | 1990年代 | 首相,軍にシンド州「大掃除作戦」継続を指示。 |
DIA-304-1993-11-24-1 | パキスタン | 1993年11月24日 | 1990年代 | マカーリー米国務省報道官は,クリントン政権が対パ軍事・経済援助停止制裁の解除を考慮中と言明。 |
DIA-304-1993-11-26-1 | パキスタン | 1993年11月26日 | 1990年代 | 日本政府,パ政府に対しNPT調印を要請。 |
DIA-304-1993-11-29-1 | パキスタン | 1993年11月29日 | 1990年代 | シェリー米国務省副報道官は,対パ制裁は継続される方針と言明。 |
DIA-304-1993-12-01-1 | パキスタン | 1993年12月01日 | 1990年代 | 外務省,「地域的枠組の中で核施設の国際査察を受け入れる用意がある」と発表。 |
DIA-304-1993-12-01-2 | パキスタン | 1993年12月01日 | 1990年代 | 張万年・中国人民解放軍総参謀長,来訪。 |
DIA-304-1993-12-02-1 | パキスタン | 1993年12月02日 | 1990年代 | 政府,第8次憲法改正の廃棄を断念。 |
DIA-304-1993-12-03-1 | パキスタン | 1993年12月03日 | 1990年代 | ミラーニー国防相,訪中。 |
DIA-304-1993-12-05-1 | パキスタン | 1993年12月05日 | 1990年代 | PPP中央執行委員会,ベーナジール・ブットー共同党首を満場一致で党首に選出。これで母親のヌスラット・ブットー党首は解任となった。 |
DIA-304-1993-12-08-1 | パキスタン | 1993年12月08日 | 1990年代 | ブットー首相,イランとトルコ歴訪(~12日)。 |
DIA-304-1993-12-10-1 | パキスタン | 1993年12月10日 | 1990年代 | パ・イラン共同コミュニケ。国防分野協力など。 |
DIA-304-1993-12-13-1 | パキスタン | 1993年12月13日 | 1990年代 | プレスラー米上院議員,来訪。 |
DIA-304-1993-12-22-1 | パキスタン | 1993年12月22日 | 1990年代 | 駐国連パ大使,パがソマリアの国連平和維持軍に1500人の追加派遣を申し入れた(累計6500人)と発表。 |
DIA-304-1993-12-27-1 | パキスタン | 1993年12月27日 | 1990年代 | プットー首相,中国と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を歴訪(~29日)。北朝鮮でブットー首相は,パキスタンには核問題で北朝鮮とアメリカの橋渡しをする用意があると言明。 |
DIA-304-1994-01-02-1 | パキスタン | 1994年01月02日 | 1990年代 | イスラマバードで印パ外務次官会談。3日に決裂。 |
DIA-304-1994-01-04-1 | パキスタン | 1994年01月04日 | 1990年代 | パキスタンの要求で在カラチ・インド総領事館,閉鎖さる。 |
DIA-304-1994-01-06-1 | パキスタン | 1994年01月06日 | 1990年代 | 北西辺境州山岳地帯で米・パ合同軍事演習(~2月10日)。8日 ▲アリー外相,ウズベキスタン,トルクメニスタン,カザフスタンを歴訪(~15日) |
DIA-304-1994-01-12-1 | パキスタン | 1994年01月12日 | 1990年代 | パ,アフガニスタンとのトールハム国境を難民流入防止のため封鎖。 |
DIA-304-1994-01-13-1 | パキスタン | 1994年01月13日 | 1990年代 | ワヒード陸軍参謀長,イラン,サウジアラビァを訪問(~22日)。 |
DIA-304-1994-01-17-1 | パキスタン | 1994年01月17日 | 1990年代 | 閣議,農業所得税課税を承認。 |
DIA-304-1994-01-20-1 | パキスタン | 1994年01月20日 | 1990年代 | ミラー二-国防相,蘭,英を訪問(~26日)。 |
DIA-304-1994-01-23-1 | パキスタン | 1994年01月23日 | 1990年代 | バーバル内相,下院で在パ・アラブ過激派活動家全員に対して1月31日までに国外退去を命じたと言明。 |
DIA-304-1994-01-25-1 | パキスタン | 1994年01月25日 | 1990年代 | テヘランで経済協力機構(ECO)外相会議(~27日)。 |
DIA-304-1994-01-26-1 | パキスタン | 1994年01月26日 | 1990年代 | ベーナジ-ル・ブットー首相,内閣を拡大(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1994-02-02-1 | パキスタン | 1994年02月02日 | 1990年代 | ブットー首相は訪問中のサラエボでチルレル・トルコ首相とムスリム人に対する武器禁輸の解除を求める共同宣言を発表。 |
DIA-304-1994-02-03-1 | パキスタン | 1994年02月03日 | 1990年代 | 米政府,プレスラー修正条項は新外国援助法の一部として残ると発表。 |
DIA-304-1994-02-04-1 | パキスタン | 1994年02月04日 | 1990年代 | 米政府,カシミールを紛争地とみなすことを再確認。 |
DIA-304-1994-02-20-1 | パキスタン | 1994年02月20日 | 1990年代 | 武装アフガン人3人がペシャーワルでスクール・バスを乗取ったのち,アフガニスタン大使館に立てこもり,国境封鎖解除などを要求。 |
DIA-304-1994-02-21-1 | パキスタン | 1994年02月21日 | 1990年代 | ブットー首相,サウジアラビアヘ。 |
DIA-304-1994-02-21-2 | パキスタン | 1994年02月21日 | 1990年代 | 銭其中国副首相,来訪(~24日)。 |
DIA-304-1994-02-22-1 | パキスタン | 1994年02月22日 | 1990年代 | パ治安当局,20日の犯人3人を射殺。 |
DIA-304-1994-02-23-1 | パキスタン | 1994年02月23日 | 1990年代 | パ,イラン両海軍,合同演習(~3月4日)。 |
DIA-304-1994-02-25-1 | パキスタン | 1994年02月25日 | 1990年代 | レガーリー大統領,北西辺境州に州知事直轄令を布告し,シャー州政府を解任。 |
DIA-304-1994-02-27-1 | パキスタン | 1994年02月27日 | 1990年代 | ワヒード陸軍参謀長,訪中。 |
DIA-304-1994-03-02-1 | パキスタン | 1994年03月02日 | 1990年代 | 上院37議席,改選。パキスタン人民党の18に対し,ムスリム連盟ナワーズ・シャリーフ派は5にとどまった。 |
DIA-304-1994-03-03-1 | パキスタン | 1994年03月03日 | 1990年代 | アフガニスタンとの国境封鎖,解除。 |
DIA-304-1994-03-08-1 | パキスタン | 1994年03月08日 | 1990年代 | タルボット米国務副長官,来訪。 |
DIA-304-1994-03-09-1 | パキスタン | 1994年03月09日 | 1990年代 | パは第50回国連人権会議でカシミール人権問題決議案を投票直前に撤回した。 |
DIA-304-1994-03-10-1 | パキスタン | 1994年03月10日 | 1990年代 | 米政府,プレスラー修正条項の対パ適用を一時的に解除してF4-16戦闘機をパに供与する方針を決定。 |
DIA-304-1994-03-18-1 | パキスタン | 1994年03月18日 | 1990年代 | ブットー首相,訪独(~21日)。 |
DIA-304-1994-03-20-1 | パキスタン | 1994年03月20日 | 1990年代 | パ政府,ボンベイの総領事館を閉鎖。 |
DIA-304-1994-03-24-1 | パキスタン | 1994年03月24日 | 1990年代 | A・A・シェ一ルパーオー北西辺境州首相,就任。 |
DIA-304-1994-03-26-1 | パキスタン | 1994年03月26日 | 1990年代 | レイフェル米国務次官補,来訪。 |
DIA-304-1994-05-18-1 | パキスタン | 1994年05月18日 | 1990年代 | ブット-首相,巡礼(ハッジ)のためサウジアラビア訪問(~19日)。 |
DIA-304-1994-05-20-1 | パキスタン | 1994年05月20日 | 1990年代 | レガーリー大統領,非公式訪米,訪仏,(~6月2日)。 |
DIA-304-1994-06-06-1 | パキスタン | 1994年06月06日 | 1990年代 | カラチのテロ活動鎮圧即決法廷,シンド州議会議員ムルタザー・ブットー(首相の実弟)を保釈。ムは現政権を徹底非難。 |
DIA-304-1994-06-09-1 | パキスタン | 1994年06月09日 | 1990年代 | 政府,下院に1993/94年度予算を上程。27日,採決。 |
DIA-304-1994-06-28-1 | パキスタン | 1994年06月28日 | 1990年代 | 第8次5カ年計画(1993~98年),1年遅れでスタート。 |
DIA-304-1994-06-30-1 | パキスタン | 1994年06月30日 | 1990年代 | ブットー首相,アイルランドおよびイギリスを訪問(~7月4日)。 |
DIA-304-1994-07-02-1 | パキスタン | 1994年07月02日 | 1990年代 | アリー外相,ロシアヘ(~4日)。 |
DIA-304-1994-07-12-1 | パキスタン | 1994年07月12日 | 1990年代 | パ政府,インド高等弁務官アタッシェをスパイ容疑で逮捕,国外退去を命令。 |
DIA-304-1994-07-22-1 | パキスタン | 1994年07月22日 | 1990年代 | ハミード・グル元三軍統合情報局(ISI)局長,政界入りを発表。 |
DIA-304-1994-07-26-1 | パキスタン | 1994年07月26日 | 1990年代 | ホア米中央軍事司令官,来訪。 |
DIA-304-1994-08-13-1 | パキスタン | 1994年08月13日 | 1990年代 | ニヤゾフ・トルクメニスタン大統領,来訪(~15日)。 |
DIA-304-1994-08-15-1 | パキスタン | 1994年08月15日 | 1990年代 | ブットー首相,サウジ訪問。 |
DIA-304-1994-08-23-1 | パキスタン | 1994年08月23日 | 1990年代 | シャリーフ前首相,パは原爆を保有しているとパ側カシミールに言明。 |
DIA-304-1994-08-24-1 | パキスタン | 1994年08月24日 | 1990年代 | 政府は前首相の23日発言を否定。 |
DIA-304-1994-08-27-1 | パキスタン | 1994年08月27日 | 1990年代 | ワヒード陸軍参謀長,スウェーデンおよびイタリアを訪問(~9月9日)。 |
DIA-304-1994-09-04-1 | パキスタン | 1994年09月04日 | 1990年代 | ブットー首相,世界人口会議出席のためエジプトを訪問(~6日)。 |
DIA-304-1994-09-07-1 | パキスタン | 1994年09月07日 | 1990年代 | マカリー米国防相報道官,パが中国からM11型地対地ミサイル購入準備中と言明。 |
DIA-304-1994-09-07-2 | パキスタン | 1994年09月07日 | 1990年代 | パでイスラーム諸国会議機構(OIC)外相会議(~9日)。 |
DIA-304-1994-09-10-1 | パキスタン | 1994年09月10日 | 1990年代 | レガーリー大統領,イラン訪問(~12日)。 |
DIA-304-1994-09-18-1 | パキスタン | 1994年09月18日 | 1990年代 | レガーリー大統領,サウジアラビア,クウェート,トルコを歴訪(~23日)。 |
DIA-304-1994-09-20-1 | パキスタン | 1994年09月20日 | 1990年代 | シャリーフ前首相の指示で現政府辞任を要求する全国ストライキ。 |
DIA-304-1994-09-21-1 | パキスタン | 1994年09月21日 | 1990年代 | ミラー二一国防相は来訪中のレオタール仏国防相との間でアゴスタ90B型潜水艦3隻購入の覚書に調印。 |
DIA-304-1994-09-21-2 | パキスタン | 1994年09月21日 | 1990年代 | 米国投資家代表団100人訪パ。団長はオリアリー米エネルギー長官。エネルギー部門で40億ドルの投資を契約(~24日)。 |
DIA-304-1994-09-24-1 | パキスタン | 1994年09月24日 | 1990年代 | パキスタン,アフガニスタンのヘラートに総領事館を開設。 |
DIA-304-1994-09-25-1 | パキスタン | 1994年09月25日 | 1990年代 | アリー外相,トルクメニスタンヘ(~26日)。 |
DIA-304-1994-10-02-1 | パキスタン | 1994年10月02日 | 1990年代 | パとウズベキスタン,陸路貿易のための道路使用に関して合意。 |
DIA-304-1994-10-05-1 | パキスタン | 1994年10月05日 | 1990年代 | ランサード仏陸軍参謀長,来訪。 |
DIA-304-1994-10-05-2 | パキスタン | 1994年10月05日 | 1990年代 | パシュトゥーン人神学生ら,カンダハール軍閥兵士と戦闘,パのトラック編隊を救出し中央アジアヘ送り出す(10月31日参照)。 |
DIA-304-1994-10-06-1 | パキスタン | 1994年10月06日 | 1990年代 | 香港のホープウェル・グループとパ水利・電力省の間で火力発電所建設契約80億ドルで締結。 |
DIA-304-1994-10-08-1 | パキスタン | 1994年10月08日 | 1990年代 | ニヤゾフ・トルクメニスタン大統領,来訪。 |
DIA-304-1994-10-09-1 | パキスタン | 1994年10月09日 | 1990年代 | パは国連総会でカシミールに関する決議案提出を断念。 |
DIA-304-1994-10-10-1 | パキスタン | 1994年10月10日 | 1990年代 | 野党パ・ムスリム連盟(PML)指導者など数百人を逮捕。 |
DIA-304-1994-10-11-1 | パキスタン | 1994年10月11日 | 1990年代 | PML,全国でブットー政権退陣要求ゼネストを決行。 |
DIA-304-1994-10-13-1 | パキスタン | 1994年10月13日 | 1990年代 | シャリーフ前首相の父(75歳),詐欺容疑で逮捕さる。全国で非難の声が高まり,仮釈放(15日)。 |
DIA-304-1994-10-26-1 | パキスタン | 1994年10月26日 | 1990年代 | ブットー首相,トルクメニスタン訪問(~28日)。 |
DIA-304-1994-10-27-1 | パキスタン | 1994年10月27日 | 1990年代 | ロシア軍事代表団,スホイ27戦闘機売り込みのため来訪。 |
DIA-304-1994-10-28-1 | パキスタン | 1994年10月28日 | 1990年代 | ブットー首相,訪英(~12月4日)。 |
DIA-304-1994-10-30-1 | パキスタン | 1994年10月30日 | 1990年代 | シンド州政府,同州の治安維持のために92年5月から同州各地に駐留していた国軍の同州よりの撤退を発表。 |
DIA-304-1994-10-31-1 | パキスタン | 1994年10月31日 | 1990年代 | 中国,パに対し中央アジア諸国との交易のための中継便宜供与を提案。 |
DIA-304-1994-10-31-2 | パキスタン | 1994年10月31日 | 1990年代 | 西部アフガニスタン経由中央アジア行きパのトラック編隊(30両),カンダハールで地方軍閥兵士たちに拉致される。 |
DIA-304-1994-12-02-1 | パキスタン | 1994年12月02日 | 1990年代 | レガーリー大統領,訪中(~8日)。 |
DIA-304-1994-12-05-1 | パキスタン | 1994年12月05日 | 1990年代 | レガーリー大統領,中国からM11型ミサイルを購入していないと言明。購入したミサイルはすべてMTCR枠内のものだと強調。 |
DIA-304-1994-12-10-1 | パキスタン | 1994年12月10日 | 1990年代 | アカエフ・キルギスタン大統領来訪。 |
DIA-304-1994-12-26-1 | パキスタン | 1994年12月26日 | 1990年代 | パの要求で在カラチ・インド総領事館,閉鎖。 |
DIA-304-1995-01-08-1 | パキスタン | 1995年01月08日 | 1990年代 | 橋本・日本通産相,インド,パキスタンを訪問(~10日)。 |
DIA-304-1995-01-10-1 | パキスタン | 1995年01月10日 | 1990年代 | W・ペリー米国防長官,来訪。B・ブットー首相などと両国の防衛・安全保障協力,F-16戦闘機の対パキスタン供与問題,カシミール問題,核非拡散問題などについて討議。防衛問題に関する協議グループ(CG)を復活させることで合意。 |
DIA-304-1995-01-14-1 | パキスタン | 1995年01月14日 | 1990年代 | インド,ニューデリーのパキスタン高等弁務官15人に退去命令。 |
DIA-304-1995-01-19-1 | パキスタン | 1995年01月19日 | 1990年代 | R・ブラウン米商務長官,米政府高官の印パ双方訪問の例に反して,パキスタンを訪問せずに帰国。 |
DIA-304-1995-01-25-1 | パキスタン | 1995年01月25日 | 1990年代 | パキスタンと中国とで共同開発のジェット機カラコラム8型練習機6機,リサールプル空軍基地に納入。 |
DIA-304-1995-01-28-1 | パキスタン | 1995年01月28日 | 1990年代 | イランからの天然ガス・パイプライン敷設についてイランとの間で暫定協定。 |
DIA-304-1995-02-07-1 | パキスタン | 1995年02月07日 | 1990年代 | 93年2月のニューヨークの世界貿易センター・ビル爆破事件首謀者の1人とされるラムジー・A・ユースフ(27歳,イラク人)がイスラーマバードで逮捕され,その後24時間以内にアメリカに引き渡された。 |
DIA-304-1995-02-09-1 | パキスタン | 1995年02月09日 | 1990年代 | 外務省スポークスマンは,アメリカの技術援助でバンジャーブ州チャクワールに核実験モニター・ステーションを数カ月前に開設したと発表。 |
DIA-304-1995-02-09-2 | パキスタン | 1995年02月09日 | 1990年代 | ラホールの地方裁判所は2人のキリスト教徒(14歳の少年とその叔父)に対し,預言者冒罪で死刑を宣告。ラホール高裁は証拠不十分として2人に無罪判決(23日)。 |
DIA-304-1995-02-15-1 | パキスタン | 1995年02月15日 | 1990年代 | N・バーブル内相は下院で,シンド州における1992年5月~94年10月の治安推持軍事作戦の費用は連邦政府負担分が2億7281万ルピー,シンド州負担分が4億5739万4000ルピー,計7億3020万4000ルピーだったと発表。 |
DIA-304-1995-02-15-2 | パキスタン | 1995年02月15日 | 1990年代 | 周駐パ中国大使は,中国が93年に着工したパンジャーブ州チャシュマの原子力発電所(300メガワット)に続く第2の原発(200メガワット)を同地に建設する予定と発表。 |
DIA-304-1995-03-08-1 | パキスタン | 1995年03月08日 | 1990年代 | カラチで米国総領事館員3人が車で出勤途中待ち伏せ狙撃され,2人死亡,1人重傷。犯人は4月4日,カラチで何者かに射殺された。 |
DIA-304-1995-03-11-1 | パキスタン | 1995年03月11日 | 1990年代 | 政府,シンド州政府に対し,カラチの外国人不法滞在者300万人の厳重な取り締まりを急ぐよう指示。 |
DIA-304-1995-03-14-1 | パキスタン | 1995年03月14日 | 1990年代 | 第3回経済協力機構(ECO)首脳会議,イスラーマバードで開会(~15日)。 |
DIA-304-1995-03-16-1 | パキスタン | 1995年03月16日 | 1990年代 | 1993年2月のニューヨークの世界貿易センター・ビル爆破事件との関連で,ペシャーワルで6人が逮捕された。 |
DIA-304-1995-03-18-1 | パキスタン | 1995年03月18日 | 1990年代 | カラチに展開中の準軍隊(レインジャーズ)に対し,テロリストを逮捕,調査,訴追する権限が付与された。 |
DIA-304-1995-03-23-1 | パキスタン | 1995年03月23日 | 1990年代 | 駐平壌パ大使館主催の「パキスタン建国決意表明記念日」(“Pakistan Day”)祝賀会に金永南副総理兼外交部長が出席(昨年は出席していない)。 |
DIA-304-1995-03-24-1 | パキスタン | 1995年03月24日 | 1990年代 | ブットー首相,正規軍を再びカラチに配備する可能性のあることを示唆。 |
DIA-304-1995-03-25-1 | パキスタン | 1995年03月25日 | 1990年代 | 治安悪化に抗議し,パキスタン商工会議所連合(FPCCI)の指示で全国で反政府スト。カラチとラホールではゼネスト。 |
DIA-304-1995-03-25-2 | パキスタン | 1995年03月25日 | 1990年代 | ヒラリー・クリントン米大統領夫人,女性問題討議のため,2週間の南アジア訪問開始地イスラーマバードに到着(~28日)。 |
DIA-304-1995-03-26-1 | パキスタン | 1995年03月26日 | 1990年代 | FPCCIはカラチの治安問題改善のための正規軍投入などを政府に要求。 |
DIA-304-1995-03-27-1 | パキスタン | 1995年03月27日 | 1990年代 | ロシア対外情報局の最近発表の報告書は,パキスタンには原爆6~12発製造の技術的可能性があると指摘。 |
DIA-304-1995-04-05-1 | パキスタン | 1995年04月05日 | 1990年代 | ブットー首相,訪米(~16日)。6日,エネルギー,インフラ部門などに対するアメリカの対パキスタン投資60億ドルに関する仮契約覚書に調印。11日,クリントン米国大統領と会談。首相は米国に代金を先払いしたものの引き渡しを拒まれているF-16戦闘機などの問題で善処を求めた。大統領は,F-16戦闘機28機の代金6億5800万ドルが返却されていないことは「公正ではない」と認め,善処を約束。 |
DIA-304-1995-04-08-1 | パキスタン | 1995年04月08日 | 1990年代 | 『ワシントン・ポスト』紙は,アメリカ情報機関当局からの情報で,パキスタンは10個ほどの核兵器(高濃縮ウラン使用,中国設計)を保有と報じた。 |
DIA-304-1995-04-11-1 | パキスタン | 1995年04月11日 | 1990年代 | パキスタン・ムスリム連盟ナワーズ派(PML-N)委員長ナワーズ・シャリーフ元首相,ロンドンでムハージル民族運動アルターフ派(MQM-A,主流派)のアルターフ・フセイン委員長とカラチ問題について協議。 |
DIA-304-1995-04-16-1 | パキスタン | 1995年04月16日 | 1990年代 | 「労働と人権に関する世界会議」(スウェーデン)でパキスタンの児童労働者の悲惨な経験を語ったキリスト教徒の少年(12歳)がラホール近郊の農村で射殺された。 |
DIA-304-1995-04-17-1 | パキスタン | 1995年04月17日 | 1990年代 | 核拡散防止条約(NPT)の再検討・延長会議でパキスタンはNPT延長を支持。 |
DIA-304-1995-04-21-1 | パキスタン | 1995年04月21日 | 1990年代 | 対パキスタン債権国会議,95/96年度援助要請22億ドルに対し23億ドルを約束。 |
DIA-304-1995-04-26-1 | パキスタン | 1995年04月26日 | 1990年代 | 駐パ・サウジアラビア大使館,パキスタンのイスラーム協会(JI)党首K・H・アハマッド上院議員など同党指導者6人のサウジアラビア聖地巡礼ビザの発行を拒否。 |
DIA-304-1995-05-02-1 | パキスタン | 1995年05月02日 | 1990年代 | ニューデリーで南アジア地域協力連合(SAARC)首脳会議,開催(~4日)。95年末までに南アジア特恵貿易協定(SAPTA)を正式に発足させるなどをうたったニューデリー宣言を採択。パキスタンからはレガーリー大統領が出席。 |
DIA-304-1995-05-19-1 | パキスタン | 1995年05月19日 | 1990年代 | インド側カシミールのイスラーム聖者廟焼失事件(11日)でパキスタン国内全土で抗議行動。 |
DIA-304-1995-05-21-1 | パキスタン | 1995年05月21日 | 1990年代 | M・A・ハールーン・シンド州知事,辞任。レガーリー大統領,カマール・アズファル上院議員を次期州知事に任命。 |
DIA-304-1995-05-22-1 | パキスタン | 1995年05月22日 | 1990年代 | ブットー首相,ウズベキスタン訪問。カリモフ同国大統領と会談(~23日)。 |
DIA-304-1995-06-05-1 | パキスタン | 1995年06月05日 | 1990年代 | ミラーニー国防相,新型戦闘機FC-7(スーパー7)を97年半ばまでに中国と共同開発すると発表。2000年までに実戦配備の予定。西側軍事筋によるとFC-7は米国のF-16戦闘機に匹敵する運動性能を持つという(『毎日新聞』7月4日)。 |
DIA-304-1995-06-07-1 | パキスタン | 1995年06月07日 | 1990年代 | 治安問題についてイスラーマバードで関係者首脳会議。レガーリー大統領,プットー首相,ワヒード陸軍参謀長などが出序。カラチに法秩序回復のため正規軍を再展開させることはないと決定。 |
DIA-304-1995-06-12-1 | パキスタン | 1995年06月12日 | 1990年代 | 『経済白書1994-95』刊行。 |
DIA-304-1995-06-12-2 | パキスタン | 1995年06月12日 | 1990年代 | パンジャーブ州政府のランダーワー内務次官は,憲法第6条に準拠した「国家反逆罪(懲罰)法,1973年」に基づいて,シャリーフ元首相など3人に対する申し立てをラホールのQ・G・シン警察署に対して行なった。 |
DIA-304-1995-06-14-1 | パキスタン | 1995年06月14日 | 1990年代 | 1995/96年度予算案,下院に上程。27日採択。 |
DIA-304-1995-06-19-1 | パキスタン | 1995年06月19日 | 1990年代 | レガーリー大統領,R・M・サループ・ハーン退役陸軍中将をパンジャーブ州知事に任命(フセイン前知事は5月21日に病死)。 |
DIA-304-1995-06-19-2 | パキスタン | 1995年06月19日 | 1990年代 | E・A・ジェルディー・トルクメニスタン石油相,アフガニスタン経由のパキスタン向け天然ガス・パイプラインを敷設するプロジェクトについて協議のため来訪。 |
DIA-304-1995-06-26-1 | パキスタン | 1995年06月26日 | 1990年代 | 北西辺境州コーハートで援助関係ドイツ人技師3人誘拐さる。 |
DIA-304-1995-07-03-1 | パキスタン | 1995年07月03日 | 1990年代 | 『ワシントン・ポスト』紙はアメリカ情報機関の情報として92年11月以降,パキスタンのサルゴーダ空軍基地に中国のM11短距離ミサイル30基以上があると報道。 |
DIA-304-1995-07-10-1 | パキスタン | 1995年07月10日 | 1990年代 | A・ワヒード陸軍参謀長,フランス(10~17日),ドイツ(17~23日)を訪問。 |
DIA-304-1995-07-10-2 | パキスタン | 1995年07月10日 | 1990年代 | パンジャーブ州D・G・ハーンで中国人技術者1名,誘拐される。8時間後,救出。 |
DIA-304-1995-07-11-1 | パキスタン | 1995年07月11日 | 1990年代 | 政府とMQM-Aの和平会議,開始。 |
DIA-304-1995-07-21-1 | パキスタン | 1995年07月21日 | 1990年代 | 上院外交委員会報告書は,パキスタンは核オプションを持つべきだと主張。 |
DIA-304-1995-07-25-1 | パキスタン | 1995年07月25日 | 1990年代 | 政府筋は,イラン,トルクメニスタン,カタルから天然ガス輸入ためのプロジェクト(90億ドル以上)に着手したと発表。 |
DIA-304-1995-07-29-1 | パキスタン | 1995年07月29日 | 1990年代 | イギリス政府,ロンドンに亡命中のフセインMQM-A党首をパキスタン政府に引き渡す要請を拒否。 |
DIA-304-1995-08-01-1 | パキスタン | 1995年08月01日 | 1990年代 | イスラーマバードで35カ国の女性国会議員会議,開催(~3日)。 |
DIA-304-1995-08-16-1 | パキスタン | 1995年08月16日 | 1990年代 | 来訪中の米国中央指令部長官ピアイ大将,レガーリー大統領と戦略問題で協議。 |
DIA-304-1995-08-16-2 | パキスタン | 1995年08月16日 | 1990年代 | アブディエビッチ・トルクメニスタン国防相,防衛協力のため来訪(~22日)。 |
DIA-304-1995-08-23-1 | パキスタン | 1995年08月23日 | 1990年代 | ブットー首相,カザフスタン,キルギスタンを訪問(~26日)。 |
DIA-304-1995-08-24-1 | パキスタン | 1995年08月24日 | 1990年代 | アメリカの「情報の自由公開法」(FOIA)に基づいて公開された2通の報告書によると,パキスタンは1983年までに「数個の原爆」を完成させており,また中国は1974年以来パキスタンに核技術者を派遣しパキスタンの核兵器開発に協力していた。(上記2報告書とは75年5月14日付アメリカ陸軍情報部とカーネギー国際平和財団のもの)。 |
DIA-304-1995-08-24-2 | パキスタン | 1995年08月24日 | 1990年代 | イギリスのBBC放送イスラーマバード事務所がイスラーム復興主義過激派テロリストに襲撃されて放送機器などが破壊されたが,所長などは隠れていて無事だった。 |
DIA-304-1995-08-27-1 | パキスタン | 1995年08月27日 | 1990年代 | カラチのアメリカ総領事館でアメリカ麻薬局(DEA)の一員として勤務していたパキスタン人館員が銃殺された。元パキスタン陸軍士官。 |
DIA-304-1995-08-28-1 | パキスタン | 1995年08月28日 | 1990年代 | 来訪中のスペクター米国上院情報委員会委員長はイスラーマバードで,印パ両国指導者が核兵器拡散防止5カ国会議への参加に合意したと言明。インド外務省は否定。 |
DIA-304-1995-09-03-1 | パキスタン | 1995年09月03日 | 1990年代 | ブットー首相.訪中(~5日)。北京での第4回世界女性会議出席のため。 |
DIA-304-1995-09-05-1 | パキスタン | 1995年09月05日 | 1990年代 | ラッバニー・アフガニスタン大統領はパキスタンがターリバーン(アフガニスタン「重要日誌」参照)を支援していると非難。 |
DIA-304-1995-09-05-2 | パキスタン | 1995年09月05日 | 1990年代 | レガーリー大統領,バンジャーブ州議会を停止し,同州知事が州行政権を掌握。 |
DIA-304-1995-09-06-1 | パキスタン | 1995年09月06日 | 1990年代 | ハタック空軍参謀長,フランスからミラージュ2000-5型戦闘機32機を購入する最終的決定をしたと発表。 |
DIA-304-1995-09-06-2 | パキスタン | 1995年09月06日 | 1990年代 | レガーリー大統領,トルクメニスタンを訪問(~8日)。 |
DIA-304-1995-09-06-3 | パキスタン | 1995年09月06日 | 1990年代 | 駐アフガニスタンのパキスタン大使館が1000人以上の群衆に放火・破壊され,大使館員1人死亡,3人が重傷。 |
DIA-304-1995-09-12-1 | パキスタン | 1995年09月12日 | 1990年代 | パンジャーブ州議会,ワットゥー州首席大臣に対する不信任案を採択。 |
DIA-304-1995-09-13-1 | パキスタン | 1995年09月13日 | 1990年代 | パンジャーブ州議会,パキスタン・ムスリム連盟ジュネージョー派(PML-J)のS・M・A・ナカイを州首席大臣に選出。 |
DIA-304-1995-09-19-1 | パキスタン | 1995年09月19日 | 1990年代 | 政府・MQM-A第9次会談。双方はMQM-Aの18項目要求と政府の21項目要求を協議することで合意。しかし,26日の第10次会談はMQM-Aがボイコット。 |
DIA-304-1995-09-21-1 | パキスタン | 1995年09月21日 | 1990年代 | 米国上院本会議,ブラウン修正条項を賛成55,反対45で可決。同条項は対外援助法に対するプレスラー修正条項を無効にし,核開発疑惑のあるパキスタンに対する兵器売却を代金支払い済みのものの一部(3億6800万ドル相当)について認めるというもの。 |
DIA-304-1995-09-21-2 | パキスタン | 1995年09月21日 | 1990年代 | 来訪中の米国陸軍中央司令官アーナルド中将,ラーワルピンディーの統幕本部及び総司令部を訪問。 |
DIA-304-1995-09-21-3 | パキスタン | 1995年09月21日 | 1990年代 | 政府は駐パ・アフガニスタン大使館外交官13人に48時間以内の国外退去を命令。 |
DIA-304-1995-09-26-1 | パキスタン | 1995年09月26日 | 1990年代 | 軍の情報機関,Z・I・アッバーシー陸軍少将など軍人40人前後をクーデター画策の容疑で逮捕。 |
DIA-304-1995-10-07-1 | パキスタン | 1995年10月07日 | 1990年代 | 政府,IMFと構造調整などについて詳細な討議を開始。 |
DIA-304-1995-10-09-1 | パキスタン | 1995年10月09日 | 1990年代 | レガーリー大統領,アーゼルバイジャンを訪問(~10日)。 |
DIA-304-1995-10-12-1 | パキスタン | 1995年10月12日 | 1990年代 | インド外務省,パキスタンの軍情報部がアフガニスタンに内政干渉していると同国内戦の件で初めて名指しでパキスタンを非難。 |
DIA-304-1995-10-14-1 | パキスタン | 1995年10月14日 | 1990年代 | ブットー首相実妹の夫ナーシル・フセイン,カラチ空港で逮捕される。PPP党員を,脱党を理由に殺害した容疑。 |
DIA-304-1995-10-24-1 | パキスタン | 1995年10月24日 | 1990年代 | 米国上下両院合同会議,ブラウン修正条項(9月21日参照)を無修正で承認。 |
DIA-304-1995-10-25-1 | パキスタン | 1995年10月25日 | 1990年代 | ブットー首相,24日にニューヨークで国連総会に出席した後,フランスに立ち寄ってシラク大統領と戦闘機購入などで協議。 |
DIA-304-1995-10-29-1 | パキスタン | 1995年10月29日 | 1990年代 | 中央銀行,ルピーを7.0%切り下げ,1ドル=34.42ルピーとした。 |
DIA-304-1995-11-06-1 | パキスタン | 1995年11月06日 | 1990年代 | 政府,1991年に実施すべきだった国勢調査を3年内に実施するとの計画を破棄。 |
DIA-304-1995-11-07-1 | パキスタン | 1995年11月07日 | 1990年代 | イラン訪問中のブットー首相,イラン国会で演説,インドの軍拡に懸念を表明。 |
DIA-304-1995-11-18-1 | パキスタン | 1995年11月18日 | 1990年代 | パキスタン海軍,トルコ海軍特殊部隊と大規模な合同演習“シー・スパーク(Sea Spark)95”を実施。陸軍・空軍の防空部隊も参加。 |
DIA-304-1995-11-19-1 | パキスタン | 1995年11月19日 | 1990年代 | イスラーマバードのエジプト大使館で爆弾事件。17人死亡,59人負傷。19日,エジプトのイスラム過激派組織ガマ・イスラーミーヤがカイロの西側通信社に電話で犯行を認める。バーブル内相は23日,この事件でエジプト人6人,ヨルダン人2人,アフガニスタン人2人を逮捕したと発表。 |
DIA-304-1995-11-19-2 | パキスタン | 1995年11月19日 | 1990年代 | 崔光・朝鮮民主主義人民共和国人民武力部長以下の軍事代表団,来訪(~25日)。 |
DIA-304-1995-12-07-1 | パキスタン | 1995年12月07日 | 1990年代 | R・レイフェル米国務事務次官補(南アジア担当)は外交委員会における証言の中で,パキスタンに対し,カシミールに関する1949年国連決議は忘れるようにと要請。また,カラチの危機的状況は正当な政治的不満から生じているものだと述べた。 |
DIA-304-1995-12-12-1 | パキスタン | 1995年12月12日 | 1990年代 | 米国政府,カラチの治安問題で,治安維持隊の逮捕者殺人などを厳しい口調で非難。パキスタン政府は内政干渉だと反発。 |
DIA-304-1995-12-15-1 | パキスタン | 1995年12月15日 | 1990年代 | S・A・A・アリー外相,インドとのカシミール問題で米国の仲介を要請。 |
DIA-304-1995-12-17-1 | パキスタン | 1995年12月17日 | 1990年代 | 12月15日付『ニューヨーク・タイムズ』紙が伝えた「インドの核実験準備疑惑」に関し,パキスタン外務省は「インドの核実験は南アジアの安定と平和を損ないかねない」と警告の声明を発表。 |
DIA-304-1995-12-18-1 | パキスタン | 1995年12月18日 | 1990年代 | レガーリー大統領,次期陸軍参謀長にジェハーンギール・カラマット中将を任命。 |
DIA-304-1995-12-18-2 | パキスタン | 1995年12月18日 | 1990年代 | タイとカラチを往復していた香港の航空会社所属の旧ソ連製アントノフ26型機が,インド西ベンガル州で10億5000万円相当の大量の武器を投下。22日,ボンベイに強制着陸。逮捕された乗員のラトビア人5人と英国人1人はカラチに数カ月滞在していた。インド側はパキスタン軍情報機関の暗躍を疑う。 |
DIA-304-1995-12-21-1 | パキスタン | 1995年12月21日 | 1990年代 | ペシャーワルの繁華街で爆弾事件。22日までに60人死亡,200人負傷。23日までにアフガニスタン人8人が逮捕された。 |
DIA-304-1995-12-24-1 | パキスタン | 1995年12月24日 | 1990年代 | 政府,ペシャーワルのアフガニスタン総領事館閉鎖を命令。 |
DIA-304-1996-01-09-1 | パキスタン | 1996年01月09日 | 1990年代 | ヴェラーヤティー・イラン外相,アフガニスタン問題協議のため来訪。 |
DIA-304-1996-01-13-1 | パキスタン | 1996年01月13日 | 1990年代 | ジェハーンギール・カラーマット陸軍大将,陸軍参謀長に就任。 |
DIA-304-1996-01-16-1 | パキスタン | 1996年01月16日 | 1990年代 | インド政府,プリトヴィー・ミサイルの対パ国境配備を決定。 |
DIA-304-1996-01-17-1 | パキスタン | 1996年01月17日 | 1990年代 | ベーナジール・ブットー首相,公賓として訪日(~20日)。 |
DIA-304-1996-01-27-1 | パキスタン | 1996年01月27日 | 1990年代 | クリントン米大統領,ブラウン修正条項(本年報96年度版を参照)に署名。 |
DIA-304-1996-02-01-1 | パキスタン | 1996年02月01日 | 1990年代 | バローチスタン州議会,農業所得税課税法案を採択。 |
DIA-304-1996-02-03-1 | パキスタン | 1996年02月03日 | 1990年代 | 政府は全国に農業所得税を賦課すると発表。 |
DIA-304-1996-02-05-1 | パキスタン | 1996年02月05日 | 1990年代 | 『ワシントン・ポスト』,中国がパキスタンにウラン濃縮用リング型磁石5000個を輸出したとアメリカ情報機関筋情報を報道。 |
DIA-304-1996-02-06-1 | パキスタン | 1996年02月06日 | 1990年代 | The Pakistan Times紙,民営化。 |
DIA-304-1996-02-07-1 | パキスタン | 1996年02月07日 | 1990年代 | 政府,民営化収益全額を債務返済に充当すべしとのIMF指示を了解。 |
DIA-304-1996-02-07-2 | パキスタン | 1996年02月07日 | 1990年代 | アリー外相,1週間の訪米に出発。 |
DIA-304-1996-02-10-1 | パキスタン | 1996年02月10日 | 1990年代 | ヘクマティヤール・アフガニスタン首相,来訪。同じく来訪中のアフガニスタン北部軍閥最高指導者ドストム将軍と会見。カラーマット陸軍参謀長はドストム将軍と会見。 |
DIA-304-1996-02-12-1 | パキスタン | 1996年02月12日 | 1990年代 | 政府,バローチスタン州の対イラン国境付近のグワーダル港の建設を決定。 |
DIA-304-1996-02-14-1 | パキスタン | 1996年02月14日 | 1990年代 | 訪米中のナワーズ・シャリーフPML-N党首,ラフェル米国務次官補に会見。 |
DIA-304-1996-03-05-1 | パキスタン | 1996年03月05日 | 1990年代 | ブットー首相,ブルネイ,インドネシアを歴訪(~9日)。 |
DIA-304-1996-03-06-1 | パキスタン | 1996年03月06日 | 1990年代 | 『ワシントン・ポスト』,パキスタンがバローチスタン州で地下核実験準備を進めていると報道。 |
DIA-304-1996-03-13-1 | パキスタン | 1996年03月13日 | 1990年代 | アリー外相,ウズベキスタン,トルクメニスタンを歴訪(~15日)。 |
DIA-304-1996-03-18-1 | パキスタン | 1996年03月18日 | 1990年代 | レガーリー大統領,3月23日までの司法府の,行政府からの分離を政府に指示。 |
DIA-304-1996-03-20-1 | パキスタン | 1996年03月20日 | 1990年代 | 最高裁は政府に対し,94年から続いてきた判事任命権問題に関し高裁所長には終身所長を任命せよとの略式裁決を通告。 |
DIA-304-1996-03-20-2 | パキスタン | 1996年03月20日 | 1990年代 | タイのナコーンパトムで開催の,アジア太平洋安全保障会議にパはインド,バングラデシュとともにオブザーバー参加(~22日)。 |
DIA-304-1996-04-02-1 | パキスタン | 1996年04月02日 | 1990年代 | 最高裁は政府に対し,政府は判事任命権を占有することはできず,古参判事たちと相談のうえ任命すべきであり,判事の任命は先任の者からにすべし,との裁決を通告(3月20日参照)。さらに政府の恣意による判事の人事異動を禁止。 |
DIA-304-1996-04-10-1 | パキスタン | 1996年04月10日 | 1990年代 | 米中両国,中国による対パ核関連技術供与問題に関する協議を北京で再開。 |
DIA-304-1996-04-14-1 | パキスタン | 1996年04月14日 | 1990年代 | 政府,最高裁命令(3月20日,4月2日)に従ってラホール高裁およびシンド州高裁の終身所長を任命。 |
DIA-304-1996-04-15-1 | パキスタン | 1996年04月15日 | 1990年代 | ラホール高裁,財政法違反で告訴中のシャフバーズ・シャリーフ(ナワーズ・シャリーフPML-N党首の弟)を保釈。 |
DIA-304-1996-04-17-1 | パキスタン | 1996年04月17日 | 1990年代 | アメリカ,ブラウン修正法に基づく対パ兵器(3.68億㌦相当)の引渡しを決定。 |
DIA-304-1996-04-17-2 | パキスタン | 1996年04月17日 | 1990年代 | ラフェル米国務次官補,来訪(~21日)。19~20日にはアフガニスタンを訪問。 |
DIA-304-1996-04-23-1 | パキスタン | 1996年04月23日 | 1990年代 | 対パ援助国会議,96/97年度用として24億ドルの借款供与を承認。 |
DIA-304-1996-04-25-1 | パキスタン | 1996年04月25日 | 1990年代 | 元クリケット選手のイムラーン・ハーン,政治運動組織「正義運動」(Tehrik-e-Insaf) を創立。8月,政党となる。 |
DIA-304-1996-05-05-1 | パキスタン | 1996年05月05日 | 1990年代 | シャリーフPML-N党首,中国人民対外問題研究所の招待で中国訪問(~9日)。 |
DIA-304-1996-05-10-1 | パキスタン | 1996年05月10日 | 1990年代 | 米国務省報道官,リング型磁石問題で中国に制裁は課さないと発表。 |
DIA-304-1996-05-11-1 | パキスタン | 1996年05月11日 | 1990年代 | アメリカ政府関係者らによると,中国政府は,パキスタンに対していかなる核協力もしないとアメリカに約束したとのこと。 |
DIA-304-1996-05-14-1 | パキスタン | 1996年05月14日 | 1990年代 | レガーリー大統領,トルクメニスタンのアシガバードで開催の経済協力機構(ECO)第4回首脳会議に出席。 |
DIA-304-1996-05-20-1 | パキスタン | 1996年05月20日 | 1990年代 | MMFは政府と5億9600万ドルのスタンドバイ借款の第3トランシュ3億1600万ドルについて協議を開始。 |
DIA-304-1996-05-23-1 | パキスタン | 1996年05月23日 | 1990年代 | アクラム軍縮大使,ジュネーブの国連軍縮会議で演説し,西側諸国は包括的核実験禁止条約(CTBT)に関し「未臨界実験」を許容するものにしようとしていると批判。 |
DIA-304-1996-05-31-1 | パキスタン | 1996年05月31日 | 1990年代 | 政府関係筋によると,パキスタンはこのほどフランスから中古のミラージュ40機(1億2000万ドル)を購入する契約を結ぶ。 |
DIA-304-1996-06-03-1 | パキスタン | 1996年06月03日 | 1990年代 | ブットー首相,ゴウダ・インド首相に印パ緊張緩和のための対話を呼びかけ。 |
DIA-304-1996-06-05-1 | パキスタン | 1996年06月05日 | 1990年代 | ブットー首相,インドに最恵国待遇供与の通商条約案を承認。 |
DIA-304-1996-06-09-1 | パキスタン | 1996年06月09日 | 1990年代 | 核開発計画最高責任者A・カディール・ハーン博士は国営ラジオ局との会見で,現ブットー政権下でも核開発計画は停止されていないと言明。 |
DIA-304-1996-06-09-2 | パキスタン | 1996年06月09日 | 1990年代 | ゴウダ・インド首相はブットー首相の書簡で両国対話再開の意向を表明。 |
DIA-304-1996-06-11-1 | パキスタン | 1996年06月11日 | 1990年代 | 95/96年度経済白書,刊行。 |
DIA-304-1996-06-12-1 | パキスタン | 1996年06月12日 | 1990年代 | 『ワシントン・タイムズ』は,CIA(中央情報局)の情報として,パ軍が中国製弾道ミサイルM11を実戦配備したと報じる。 |
DIA-304-1996-06-13-1 | パキスタン | 1996年06月13日 | 1990年代 | 政府,96/97年度予算案を下院に上程。26日,下院を通過。 |
DIA-304-1996-06-21-1 | パキスタン | 1996年06月21日 | 1990年代 | アリー外相,「CTBTは核保有5カ国とインド,パキスタン,イスラエルの全8カ国の調印なしでは無意味」と述べる。 |
DIA-304-1996-06-23-1 | パキスタン | 1996年06月23日 | 1990年代 | 新年度予算案に反対して全国で激しいストライキが行なわれる。 |
DIA-304-1996-06-24-1 | パキスタン | 1996年06月24日 | 1990年代 | パンジャーブ州ラーワルピンディー市のイスラーム協会(JI)集会でJI党員2人が警官隊により殺害される。JIは,ブットー政権打倒を訴えてイスラーマバードへデモ行進。行進中に軍が出動。 |
DIA-304-1996-06-27-1 | パキスタン | 1996年06月27日 | 1990年代 | 水資源電力開発公社(WAPDA)のコート・アッドゥー発電プロジェクト(1000MW)の民営化が完了。 |
DIA-304-1996-06-27-2 | パキスタン | 1996年06月27日 | 1990年代 | レガーリー大統領,CTBT調印留保を宣言。 |
DIA-304-1996-07-03-1 | パキスタン | 1996年07月03日 | 1990年代 | パキスタン,カザフスタン,キルギスタン,中国参加の中継貿易会議,イスラーマバードで開催。 |
DIA-304-1996-07-03-2 | パキスタン | 1996年07月03日 | 1990年代 | ブットー首相の辞任,総選挙実施などを要求するデモが全国の主要都市でPML-N,JIなどの野党により,行なわれる。 |
DIA-304-1996-07-04-1 | パキスタン | 1996年07月04日 | 1990年代 | バローチスタン州のハブ火力発電所,商業運転を開始。 |
DIA-304-1996-07-06-1 | パキスタン | 1996年07月06日 | 1990年代 | アメリカの対パ兵器供与開始(4月17日参照)。 |
DIA-304-1996-07-19-1 | パキスタン | 1996年07月19日 | 1990年代 | ムハージル民族運動ハキーキー派(MQM-H),シンド州を分割して新たな州を設置すべしとのキャンペーンを開始。 |
DIA-304-1996-07-21-1 | パキスタン | 1996年07月21日 | 1990年代 | JIはラホールからイスラーマバードに向け列車など交通機関によるデモを実施。 |
DIA-304-1996-07-21-2 | パキスタン | 1996年07月21日 | 1990年代 | 新予算による増税などに反対し全国で9政党主導のストが行なわれる。 |
DIA-304-1996-07-24-1 | パキスタン | 1996年07月24日 | 1990年代 | PML-N,JIなどの主要野党,倒閣のための共同運動を開始。 |
DIA-304-1996-07-31-1 | パキスタン | 1996年07月31日 | 1990年代 | 内閣拡大。連邦大臣8人,国務大臣(閣外相)7人を追加。 |
DIA-304-1996-08-01-1 | パキスタン | 1996年08月01日 | 1990年代 | ブットー首相,8人の新閣僚にポストを割当てる。A・A・ザルダーリー(首相の夫)を投資相に任命。 |
DIA-304-1996-08-01-2 | パキスタン | 1996年08月01日 | 1990年代 | ブットー首相,CTBTにインドが調印せぬ限りパキスタンも調印しないと言明。 |
DIA-304-1996-08-06-1 | パキスタン | 1996年08月06日 | 1990年代 | 来訪中のムラードフ・トルクメニスタン副首相兼外相はアメリカの石油会社ユノカル社の幹部らとともにブットー首相と会見。 |
DIA-304-1996-08-10-1 | パキスタン | 1996年08月10日 | 1990年代 | 全国で新年度予算に反対する経済関係者がスト。 |
DIA-304-1996-08-12-1 | パキスタン | 1996年08月12日 | 1990年代 | 世銀は政府に対し,世銀融資による計画は全て厳しい監視下に置くと警告。 |
DIA-304-1996-08-20-1 | パキスタン | 1996年08月20日 | 1990年代 | イランとの間で,国内に合弁で製油所を建設することで合意。 |
DIA-304-1996-08-25-1 | パキスタン | 1996年08月25日 | 1990年代 | 「ワシントン・ポスト」は,パキスタンが中国の協力で中距離ミサイル工場を建設中(2年以内に完成予定)と報道。 |
DIA-304-1996-08-26-1 | パキスタン | 1996年08月26日 | 1990年代 | アリー外相,国連安全保障理事会が最近カシミール紛争を議題から除いたことに対してパキスタンは反対である旨を表明。 |
DIA-304-1996-09-08-1 | パキスタン | 1996年09月08日 | 1990年代 | ブットー首相,国会での演説で,シャリーフPML-N党首に対し,かつてPPP党員が彼の父に失礼なことをしたと謝罪。 |
DIA-304-1996-09-10-1 | パキスタン | 1996年09月10日 | 1990年代 | ルピー,3.65%切り下げ(1ドル=Rs.35.65からRs.36.95へ)。 |
DIA-304-1996-09-10-2 | パキスタン | 1996年09月10日 | 1990年代 | 国連総会本会議,CTBT案を158対3,棄権5で採択。パキスタンは賛成した。 |
DIA-304-1996-09-15-1 | パキスタン | 1996年09月15日 | 1990年代 | ブットー首相,与党政治家に向け演説。世銀役職者の「パキスタンの経済が危機的」などの発言に関し,世銀を非難。 |
DIA-304-1996-09-20-1 | パキスタン | 1996年09月20日 | 1990年代 | ミール・ムルタザー・ブットー(ブットー首相の実弟,42歳)がカラチの自宅近辺での警官隊との銃撃戦で死亡。 |
DIA-304-1996-09-26-1 | パキスタン | 1996年09月26日 | 1990年代 | レガーリー大統領,シャリーフPML-N党首と会談。 |
DIA-304-1996-09-27-1 | パキスタン | 1996年09月27日 | 1990年代 | 外務省報道官,政府はアフガニスタン新政権に代表団を即時派遣すると語る。 |
DIA-304-1996-09-28-1 | パキスタン | 1996年09月28日 | 1990年代 | レガーリー大統領,ブットー首相と会見。 |
DIA-304-1996-09-29-1 | パキスタン | 1996年09月29日 | 1990年代 | レガーリー大統領,シャリーフPML-N党首と非公開会談。 |
DIA-304-1996-09-29-2 | パキスタン | 1996年09月29日 | 1990年代 | インド,駐印・パ高等弁務官事務所職員にスパイ容疑で国外退去を命令。10月1日,パキスタン政府は同様の報復措置をとる。 |
DIA-304-1996-10-02-1 | パキスタン | 1996年10月02日 | 1990年代 | レガーリー大統領,カラーマット陸軍参謀長と内政,外政問題で2時間会談。 |
DIA-304-1996-10-04-1 | パキスタン | 1996年10月04日 | 1990年代 | 世銀はパキスタンを「最も腐敗した3債務国の一つ」と批判。 |
DIA-304-1996-10-05-1 | パキスタン | 1996年10月05日 | 1990年代 | 米政府高官,カシミール問題についての協議を躊躇しているのはインドではなくパキスタンだと述べる。 |
DIA-304-1996-10-06-1 | パキスタン | 1996年10月06日 | 1990年代 | ブットー首相,トルクメニスタン,ウズベキスタン,タジキスタン歴訪に出発。 |
DIA-304-1996-10-10-1 | パキスタン | 1996年10月10日 | 1990年代 | 政府,停止中のIMFスタンドバイ借款再開のためにIMFの諸条件を容認。 |
DIA-304-1996-10-15-1 | パキスタン | 1996年10月15日 | 1990年代 | IMFと政府代表団の間でスタンドバイ借款について協議を開始(ワシントン)。 |
DIA-304-1996-10-18-1 | パキスタン | 1996年10月18日 | 1990年代 | レガーリー大統領,ウズベキスタンを訪問(~20日)。 |
DIA-304-1996-10-22-1 | パキスタン | 1996年10月22日 | 1990年代 | M・ヤークーブ中央銀行総裁,ブットー首相の指示により,増税,石油価格引き上げ,歳出削減などを盛り込んだ包括措置(通称「ミニ予算」)を発表。また,ルピーの対ドル・レートを8.52%(36.97→40.12)切り下げ。 |
DIA-304-1996-10-23-1 | パキスタン | 1996年10月23日 | 1990年代 | I・A・ビロール全パキスタン商工会議所連合(FPCCI)会長,22日の「ミニ予算」に抗議スト実施をアピール。 |
DIA-304-1996-10-25-1 | パキスタン | 1996年10月25日 | 1990年代 | レガーリー大統領,キルギスタン,カザフスタンを歴訪(~30日)。 |
DIA-304-1996-10-26-1 | パキスタン | 1996年10月26日 | 1990年代 | 14野党連合の反政府全国デモ。 |
DIA-304-1996-10-27-1 | パキスタン | 1996年10月27日 | 1990年代 | JI支持者数千人が国会議事堂周辺で警察隊と衝突,数百人逮捕。 |
DIA-304-1996-10-28-1 | パキスタン | 1996年10月28日 | 1990年代 | ブットー首相,兼任の蔵相ポストを辞任し,民営化委員会委員長のS・N・カマルを蔵相に任命。 |
DIA-304-1996-10-29-1 | パキスタン | 1996年10月29日 | 1990年代 | アフガニスタン和平に関する国際会議(~30日,テヘラン)を政府はボイコット。 |
DIA-304-1996-10-31-1 | パキスタン | 1996年10月31日 | 1990年代 | IMF・世銀,対パ包括援助(3億6000万ドル)を発表。 |
DIA-304-1996-11-05-1 | パキスタン | 1996年11月05日 | 1990年代 | レガーリー大統領,下院を解散し,プットー首相を解任,97年2月3日の総選挙実施を発表。M・ハーリド元下院議長を選挙管理内閣の首相に任命。 |
DIA-304-1996-11-05-2 | パキスタン | 1996年11月05日 | 1990年代 | 米国務省役人,レガーリー大統領の首相解任を容認する発言。 |
DIA-304-1996-11-05-3 | パキスタン | 1996年11月05日 | 1990年代 | ザルダーリー前投資相,逮捕さる。 |
DIA-304-1996-11-05-4 | パキスタン | 1996年11月05日 | 1990年代 | パンジャーブ州知事,北西辺境州知事,辞任。それぞれラホール高裁所長,ペシャーワル高裁所長が州知事代行に就任。 |
DIA-304-1996-11-06-1 | パキスタン | 1996年11月06日 | 1990年代 | シャリーフPML-N党首など野党議員4人,レガーリー大統領と会見。 |
DIA-304-1996-11-07-1 | パキスタン | 1996年11月07日 | 1990年代 | シンド州議会,解散さる。 |
DIA-304-1996-11-08-1 | パキスタン | 1996年11月08日 | 1990年代 | バローチスタン州議会,解散さる。 |
DIA-304-1996-11-10-1 | パキスタン | 1996年11月10日 | 1990年代 | 暫定首相のS・J・バルキー経済関係アドバイザー,構造改革計画を発表。 |
DIA-304-1996-11-11-1 | パキスタン | 1996年11月11日 | 1990年代 | 北西辺境州議会,解散さる。 |
DIA-304-1996-11-13-1 | パキスタン | 1996年11月13日 | 1990年代 | ブットー前首相,11月5日のレガーリー大統領の下院解散を「憲法違反」として最高裁判所に提訴。 |
DIA-304-1996-11-13-2 | パキスタン | 1996年11月13日 | 1990年代 | レガーリー大統領,過労と腎臓病のため,3日間の絶対安静を医者に指示される。 |
DIA-304-1996-11-17-1 | パキスタン | 1996年11月17日 | 1990年代 | パンジャーブ州議会,解散さる。 |
DIA-304-1996-11-18-1 | パキスタン | 1996年11月18日 | 1990年代 | 国連のアフガニスタン問題特別会合でラフェル米国務次官補のターリバーン暫定政権容認発言に続き,パキスタン代表も同様の発言。 |
DIA-304-1996-11-24-1 | パキスタン | 1996年11月24日 | 1990年代 | 最高裁,ブットー前首相の11月13日の訴状を受理。 |
DIA-304-1996-11-25-1 | パキスタン | 1996年11月25日 | 1990年代 | 『朝日新聞』,アフガニスタン領土内に,カシミールでインド軍と戦うパキスタン人戦士のための訓練場をターリバーンが開設と報道。 |
DIA-304-1996-12-01-1 | パキスタン | 1996年12月01日 | 1990年代 | 江沢民・中国主席,来訪。レガーリー大統領との会談で,「核の平和利用での協力は続く」と確認。 |
DIA-304-1996-12-01-2 | パキスタン | 1996年12月01日 | 1990年代 | シャリーフPML-N党首,ロンドンでアルターフ・フセインMQM党首に会見。 |
DIA-304-1996-12-02-1 | パキスタン | 1996年12月02日 | 1990年代 | 江沢民・中国主席,上院で演説,印パ関係改善に向けて中国が協力する用意があると述べ,「南アジア非核地帯」と「インド洋平和地域」の設立への支持を表明。 |
DIA-304-1996-12-02-2 | パキスタン | 1996年12月02日 | 1990年代 | 最高裁,ブットー前首相の早期審理要請(11月24日参照)を却下。 |
DIA-304-1996-12-03-1 | パキスタン | 1996年12月03日 | 1990年代 | バーンズ米国務省報道官,「中国はパキスタンとのいかなる種類の原子力協力もしないことが望ましい」と改めて懸念を表明。 |
DIA-304-1996-12-03-2 | パキスタン | 1996年12月03日 | 1990年代 | パンジャーブ州政府,農業所得税課税を決定。 |
DIA-304-1996-12-08-1 | パキスタン | 1996年12月08日 | 1990年代 | アフガニスタンのターリバーン暫定政権との間で,アフガニスタン経由で中央アジアからの天然ガス・パイプラインと鉄道の敷設について,カンダハールでの会談で合意。 |
DIA-304-1996-12-15-1 | パキスタン | 1996年12月15日 | 1990年代 | レガーリー大統領,ブットー前首相の不正行為についての告発状を最高裁に提出。9月のムルタザー殺害の犯人としてブットーの夫ザルダーリーなど3人を名指す。 |
DIA-304-1996-12-16-1 | パキスタン | 1996年12月16日 | 1990年代 | 97年2月の総選挙日程,発表さる。 |
DIA-304-1996-12-17-1 | パキスタン | 1996年12月17日 | 1990年代 | IMF,停止中の対パ・スタンドバイ借款の再開を発表。 |
DIA-304-1996-12-18-1 | パキスタン | 1996年12月18日 | 1990年代 | ザルダーリー,ムルタザー殺害事件の罪で再逮捕される。 |
DIA-304-1996-12-20-1 | パキスタン | 1996年12月20日 | 1990年代 | ニューデリーで開催中の南アジア地域協力連合(SAARC)外相会議に出席のヤークーブ外相,グジュラール・インド外相との非公式会議で,両国関係改善に向けて対話を進める基本方針を確認。 |
DIA-304-1996-12-23-1 | パキスタン | 1996年12月23日 | 1990年代 | FPCCI,インド商工会議所(FICCI)との間で,貿易拡大に関する暫定的協定に調印。 |
DIA-304-1996-12-29-1 | パキスタン | 1996年12月29日 | 1990年代 | 選挙管理内閣のハーリド首相,ラホールの,「正義運動」(TI)党のイムラーン党首が経営する病院で同党首の選挙運動に協力するように聴衆に向け演説。 |
DIA-304-1997-01-05-1 | パキスタン | 1997年01月05日 | 1990年代 | M・M・ハーリド暫定首相,「パキスタンは20年で分裂の可能性がある」との懸念を表明。 |
DIA-304-1997-01-06-1 | パキスタン | 1997年01月06日 | 1990年代 | ハーリド暫定政権,国防・安全保障会議(CDNS=Council for Defence and National Security)を設置。委員は委員長としての大統領の他,統合参謀本部議長,三軍の各参謀長,国防相,内相,蔵相など10人。 |
DIA-304-1997-01-16-1 | パキスタン | 1997年01月16日 | 1990年代 | イラン訪問中のヤークーブ・ハーン外相に対し,ハサン・ルハーニー・イラン国会副議長が,パキスタン政府は反シーア派テロリズムを取り締まるよう要請。 |
DIA-304-1997-01-18-1 | パキスタン | 1997年01月18日 | 1990年代 | ラホールの地方裁判所構内で爆弾事件があり,25人が死亡。 |
DIA-304-1997-01-20-1 | パキスタン | 1997年01月20日 | 1990年代 | ラホールのイラン・センター,放火される。 |
DIA-304-1997-01-21-1 | パキスタン | 1997年01月21日 | 1990年代 | R・ラフェル米国務次官補,来訪。 |
DIA-304-1997-01-29-1 | パキスタン | 1997年01月29日 | 1990年代 | 最高裁,96年11月のレガーリー大統領によるブットー首相解任(下院解散)は合憲との判決を下す。6対1。 |
DIA-304-1997-02-03-1 | パキスタン | 1997年02月03日 | 1990年代 | 国民議会(下院)と4州議会の選挙が同時に行われ,パキスタン・ムスリム(=イスラーム教徒)連盟ナワーズ派(PML-N)が下院217議席中の選挙対象214議席のうち136を獲得するなど歴史的勝利を収めた。ブットー前首相のパキスタン人民党(PPP)は1993年総選挙で獲得した92議席から19へと大幅減。 |
DIA-304-1997-02-17-1 | パキスタン | 1997年02月17日 | 1990年代 | ナワーズ・シャリーフ,首相に就任。 |
DIA-304-1997-02-17-2 | パキスタン | 1997年02月17日 | 1990年代 | ゴウダ印首相,シャリーフ首相に対して,両国間のすべての問題についての対話を適切なレベルで早期に再開することを提案。 |
DIA-304-1997-02-20-1 | パキスタン | 1997年02月20日 | 1990年代 | イラン外交官1人,ムルターンのイラン文化センターで武装グループに射殺さる。 |
DIA-304-1997-02-22-1 | パキスタン | 1997年02月22日 | 1990年代 | ムルターンに治安維持軍,出動。 |
DIA-304-1997-02-23-1 | パキスタン | 1997年02月23日 | 1990年代 | シャリーフ首相,初の国会演説で今後の政治・経済政策を発表。 |
DIA-304-1997-02-25-1 | パキスタン | 1997年02月25日 | 1990年代 | ナワーズ・シャリーフ新内閣,発足(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1997-02-27-1 | パキスタン | 1997年02月27日 | 1990年代 | シャリーフ首相,ゴウダ印首相の両国対話再開提案に答えて首脳会談を提案。 |
DIA-304-1997-03-03-1 | パキスタン | 1997年03月03日 | 1990年代 | 米政府,パキスタンをマネー・ローンダリング主要国の一つだと批判。 |
DIA-304-1997-03-10-1 | パキスタン | 1997年03月10日 | 1990年代 | ラホール高裁,ムスリム女性はワリー(イスラーム教聖者)の同意なしでも結婚できるとの判決を下す。 |
DIA-304-1997-03-11-1 | パキスタン | 1997年03月11日 | 1990年代 | PML-N,綱領「パキスタン2010年」を発表。 |
DIA-304-1997-03-12-1 | パキスタン | 1997年03月12日 | 1990年代 | 上院46議席,改選。PML-Nが23議席を獲得して圧勝。PPPは3議席を獲得。新たな上院議席数は定員87のうち,PML-Nは30,PPPは19となった。 |
DIA-304-1997-03-19-1 | パキスタン | 1997年03月19日 | 1990年代 | 1991年予定でその実行が遅れている国勢調査の年内実施を閣議が決定。 |
DIA-304-1997-03-23-1 | パキスタン | 1997年03月23日 | 1990年代 | イスラーム諸国会議機構(OIC)特別首脳会談,イスラーマバードで開催(~23日)。 |
DIA-304-1997-03-27-1 | パキスタン | 1997年03月27日 | 1990年代 | サルタージ・アジーズ蔵相,下院で経済再建プログラムを発表。 |
DIA-304-1997-03-28-1 | パキスタン | 1997年03月28日 | 1990年代 | ニューデリーで3年3カ月ぶりに印パ外務次官会談開催。31日,共同声明発表。 |
DIA-304-1997-03-30-1 | パキスタン | 1997年03月30日 | 1990年代 | 小麦の密輸出で小麦不足が深刻化したため,すべての国境が封鎖される。 |
DIA-304-1997-03-31-1 | パキスタン | 1997年03月31日 | 1990年代 | シャリーフ首相,夜の全国テレビ演説で,憲法改正により第8次憲法改正の重要部分を改正したいと述べる。 |
DIA-304-1997-03-31-2 | パキスタン | 1997年03月31日 | 1990年代 | パキスタン人権委員会(HRCP)年次報告書によると,96年には350人が宗教的動機で殺害された。 |
DIA-304-1997-04-01-1 | パキスタン | 1997年04月01日 | 1990年代 | 上下両院合同会議で第13次憲法改正案,満場一致で採択。下院議員217人のうち欠席27人,上院議員87人のうち欠席8人。今回の憲法改正により大統領の下院解散権が消失。 |
DIA-304-1997-04-07-1 | パキスタン | 1997年04月07日 | 1990年代 | 第12回非同盟諸国外相会議(~8日),ニューデリーで開催。ゴーハル・アユーブ・ハーン外相出席。グジユラール印外相と会談(9日)。7年9カ月ぶりの印パ外相会談。 |
DIA-304-1997-04-22-1 | パキスタン | 1997年04月22日 | 1990年代 | シャリーフ首相,グジュラール印首相への書簡で関係改善の希望を強調。 |
DIA-304-1997-04-22-2 | パキスタン | 1997年04月22日 | 1990年代 | パリで対パキスタン援助諸国会議,開催(~23日)。 |
DIA-304-1997-04-24-1 | パキスタン | 1997年04月24日 | 1990年代 | 海軍大将マンスールル・ハック海軍参謀長,汚職疑惑のためシャリーフ首相の命令により,辞任。 |
DIA-304-1997-04-30-1 | パキスタン | 1997年04月30日 | 1990年代 | パンジャーブ州政府,「農業所得税法1997」に基づき農業所得税を徴集すると発表。ただし12.5エーカー(約5ヘクタール)以下の地主は無税。 |
DIA-304-1997-05-04-1 | パキスタン | 1997年05月04日 | 1990年代 | イスラーマバードからの報道によれば,政府は4日までに,中国の新疆ウイグル自治区からパキスタン北部のギルギットに密入国した中国人ムスリム12人を中国政府に引き渡す。 |
DIA-304-1997-05-12-1 | パキスタン | 1997年05月12日 | 1990年代 | 南アジア地域協力連合(SAARC)第9回首脳会談モルディブで開催(~14日)。 |
DIA-304-1997-05-12-2 | パキスタン | 1997年05月12日 | 1990年代 | 印パ首脳会談,モルディブで4年1カ月ぶりに開催。カシミール問題など懸案事項についての作業部会,両首脳間ホットライン等々の信頼醸成措置設置で合意。 |
DIA-304-1997-05-13-1 | パキスタン | 1997年05月13日 | 1990年代 | シャリーフ首相,トルクメニスタンのアシガバートで開催の経済協力機構(ECO)臨時首脳会談(~14日)に出席。 |
DIA-304-1997-05-14-1 | パキスタン | 1997年05月14日 | 1990年代 | ECO首脳会談に出席中のシャリーフ首相がトルクメニスタンのニヤゾフ大統領と会談。同国政府,米国石油会社ユノカル社,パ政府の間で,トルクメニスタンの天然ガスをアフガニスタン経由でパキスタンに送るパイプラインの建設に関する議定書に調印。 |
DIA-304-1997-05-17-1 | パキスタン | 1997年05月17日 | 1990年代 | シンド州政府,「農業所得税(改正)法1997」を公布。96年12月の同法の改正。12エーカー以下の地主は無税。 |
DIA-304-1997-05-18-1 | パキスタン | 1997年05月18日 | 1990年代 | ゴーハル外相,訪米(~24日)。オルブライト米国務長官と会談(20日),懸案のF-16戦闘機売却凍結問題の早期解決を要請。 |
DIA-304-1997-05-21-1 | パキスタン | 1997年05月21日 | 1990年代 | 下院,「中央銀行法1956年」改正法を採択。これで中央銀行は自治組織となった。 |
DIA-304-1997-05-25-1 | パキスタン | 1997年05月25日 | 1990年代 | 政府,アフガニスタンのターレバーン勢力の政権を承認。 |
DIA-304-1997-05-27-1 | パキスタン | 1997年05月27日 | 1990年代 | 米国務省,冷戦期の米パ関係文書を公開。 |
DIA-304-1997-06-03-1 | パキスタン | 1997年06月03日 | 1990年代 | 3日付米紙「ワシントン・ポスト」は,米情報筋として,インド軍が中距離弾道ミサイル「プリトビ」10基前後をパキスタン国境近くに配備したと伝えた。 |
DIA-304-1997-06-13-1 | パキスタン | 1997年06月13日 | 1990年代 | 政府,1997/98年度予算案を下院に上程。予算総額は前年度比10.2%増の5520億ルピー。26日,下院を通過。 |
DIA-304-1997-06-14-1 | パキスタン | 1997年06月14日 | 1990年代 | シャリーフ首相,トルコ(~15日),イランを訪問(~17日)。 |
DIA-304-1997-06-15-1 | パキスタン | 1997年06月15日 | 1990年代 | イスラーム圏8カ国会議(D-8)がイスタンブールの初首脳会談で正式に発足。 |
DIA-304-1997-06-19-1 | パキスタン | 1997年06月19日 | 1990年代 | 印パ外務次官がパキスタンのマリーで2回目の会談。23日,共同声明発表。カシミール問題,平和・安全保障などに関する10作業部会を設置することで合意。なお,印パ首相間のホットラインが開通し,両国首相が5分間話し合った。 |
DIA-304-1997-06-19-2 | パキスタン | 1997年06月19日 | 1990年代 | シンド州政府,州内の治安維持レインジャー部隊の増員を要請。 |
DIA-304-1997-07-01-1 | パキスタン | 1997年07月01日 | 1990年代 | 第14次憲法法改正案,両院を通過。 |
DIA-304-1997-07-03-1 | パキスタン | 1997年07月03日 | 1990年代 | 軍,中距離弾道ミサイル「ハトフ」の発射実験を実施。 |
DIA-304-1997-07-07-1 | パキスタン | 1997年07月07日 | 1990年代 | ゴーハル外相,ロシア訪問(~8日)。 |
DIA-304-1997-07-09-1 | パキスタン | 1997年07月09日 | 1990年代 | IMF代表団,来訪(~24日)。 |
DIA-304-1997-07-11-1 | パキスタン | 1997年07月11日 | 1990年代 | シャリーフ首相,内閣を拡大(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1997-07-21-1 | パキスタン | 1997年07月21日 | 1990年代 | 池田外相,来訪(~22白)。 |
DIA-304-1997-07-23-1 | パキスタン | 1997年07月23日 | 1990年代 | 政府,トルクメニスタン政府,米ユノカル社,サウジアラビアのデルタ石油会社と天然ガス・パイプライン敷設(5月14日参照)を98年12月に開始する協定に調印。 |
DIA-304-1997-07-26-1 | パキスタン | 1997年07月26日 | 1990年代 | ゴーハル外相,トルクメニスタンから引く予定の天然ガス・パイプラインをインド北部に延長する可能性があると言明。 |
DIA-304-1997-07-26-2 | パキスタン | 1997年07月26日 | 1990年代 | MQM(ムハージル民族運動)党主流派は「連合民族運動」(Muttahida Qaumi Movement)と組織名を変更。 |
DIA-304-1997-07-29-1 | パキスタン | 1997年07月29日 | 1990年代 | C・N・A・ハーン水・電力相は,印上院で電力担当国務大臣がパキスタンの対印電力輸出提案を受理したとの発言(28日)に対し,これを否定。 |
DIA-304-1997-07-30-1 | パキスタン | 1997年07月30日 | 1990年代 | シャリーフ首相,第2次内閣拡大(「参考資料」参照)。 |
DIA-304-1997-08-09-1 | パキスタン | 1997年08月09日 | 1990年代 | アスガル・ハーン元空軍中将および元空軍大将2人がシャリーフ首相に対し,防衛機器買付けの際の汚職禁止法の制定を正式に文書(8月6日付)で進言。 |
DIA-304-1997-08-11-1 | パキスタン | 1997年08月11日 | 1990年代 | パキスタン各紙,中国が新疆ウイグル自治区とパキスタンとの国境に鉄条網を設置したと報道。 |
DIA-304-1997-08-13-1 | パキスタン | 1997年08月13日 | 1990年代 | 「反テロリズム法1997年」,下院通過。14日,上院通過。16日発効。同法は警察に対し,緊急逮捕の権限を与えている。 |
DIA-304-1997-08-14-1 | パキスタン | 1997年08月14日 | 1990年代 | 独立(建国)50周年記念日。シャリーフ首相,上下両院特別会議で演説,国家開発戦略を発表。野党,欠席。 |
DIA-304-1997-08-20-1 | パキスタン | 1997年08月20日 | 1990年代 | 中国,原子力発電所(30万kW)用コンピューター・システムを引渡し。 |
DIA-304-1997-08-21-1 | パキスタン | 1997年08月21日 | 1990年代 | レガーリー大統領,大統領命令により,最高裁判事定員を17人から12人に削減。 |
DIA-304-1997-08-22-1 | パキスタン | 1997年08月22日 | 1990年代 | カシミールの実効支配線をはさみ印パ両軍が激しい砲撃戦を展開。1週間続行。 |
DIA-304-1997-09-04-1 | パキスタン | 1997年09月04日 | 1990年代 | インダーファース米国務次官補(南アジア担当),来訪(~5日)。 |
DIA-304-1997-09-05-1 | パキスタン | 1997年09月05日 | 1990年代 | サジャド・アリー・シャー最高裁長官,8月21日の大統領命令の効力停止を通告。 |
DIA-304-1997-09-09-1 | パキスタン | 1997年09月09日 | 1990年代 | 世銀代表団,来訪。 |
DIA-304-1997-09-09-2 | パキスタン | 1997年09月09日 | 1990年代 | ゴーハル外相,サウジアラビア訪問。 |
DIA-304-1997-09-12-1 | パキスタン | 1997年09月12日 | 1990年代 | 12日付Dawn紙によると,前週発行の国連事務総長年次報告の中でカシミール門題が初めて不掲載となった。 |
DIA-304-1997-09-15-1 | パキスタン | 1997年09月15日 | 1990年代 | スイス政府,同国の七つの銀行にあるブットー前首相および近親者の口座(総額2000万スイスフラン=約17億円)を凍結。 |
DIA-304-1997-09-16-1 | パキスタン | 1997年09月16日 | 1990年代 | 政府,最高裁判事定員削減通告(8月21日参照)を撤回。 |
DIA-304-1997-09-16-2 | パキスタン | 1997年09月16日 | 1990年代 | 印パ外務次官ニューデリーで会談(~18日)。次回期日未定。 |
DIA-304-1997-09-17-1 | パキスタン | 1997年09月17日 | 1990年代 | 軍事訓練でラーワルピンディーに滞在中のイラン空軍技術者5人,殺害さる。 |
DIA-304-1997-09-20-1 | パキスタン | 1997年09月20日 | 1990年代 | 政府,97/98年度開発予算900億ルピーの50億ルピー削減を決定。 |
DIA-304-1997-09-22-1 | パキスタン | 1997年09月22日 | 1990年代 | シャリーフ首相,国連総会の一般演説でインドに対し「相互不可侵条約の交渉開始」を提案。 |
DIA-304-1997-09-22-2 | パキスタン | 1997年09月22日 | 1990年代 | ニューヨークでクリントン米大統領が印パ両首相と個別に会談を行ったが,具体的合意はなし。 |
DIA-304-1997-09-23-1 | パキスタン | 1997年09月23日 | 1990年代 | シャリーフ首相,ニューヨークでグジュラール・インド首相と会談。 |
DIA-304-1997-09-27-1 | パキスタン | 1997年09月27日 | 1990年代 | カシミールの実効支配線で印・パ両軍が激しい砲撃戦。1週間継続。 |
DIA-304-1997-09-27-2 | パキスタン | 1997年09月27日 | 1990年代 | カラチでイランの民間人2人,殺害さる。 |
DIA-304-1997-10-04-1 | パキスタン | 1997年10月04日 | 1990年代 | 10月予定の国勢調査,6カ月延期。 |
DIA-304-1997-10-07-1 | パキスタン | 1997年10月07日 | 1990年代 | エリザベス英女王来訪(~12日)。 |
DIA-304-1997-10-11-1 | パキスタン | 1997年10月11日 | 1990年代 | 世界銀行,社会行動計画(SAP)に10億ドルを供与。 |
DIA-304-1997-10-15-1 | パキスタン | 1997年10月15日 | 1990年代 | 中央銀行,ルピーの8.7%切り下げを発表。1米ドル=40.52ルピーから44.05ルピーに。 |
DIA-304-1997-10-18-1 | パキスタン | 1997年10月18日 | 1990年代 | 責任追求小委員会(Accountability Cell)のS・ラフマーン委員長,スイスの銀行当局がブットー前首相関係の12の銀行口座を凍結したと発表(9月15日参照)。 |
DIA-304-1997-10-21-1 | パキスタン | 1997年10月21日 | 1990年代 | IMFはパキスタンに対して第4回目ESAF/EFF(拡大構造調整ファシリティー/拡大信用供与ファシリテイー)15億6000万ドルの供与を承認した。 |
DIA-304-1997-10-22-1 | パキスタン | 1997年10月22日 | 1990年代 | 軍,ムルターンに治安維持のため出動。 |
DIA-304-1997-10-25-1 | パキスタン | 1997年10月25日 | 1990年代 | コモンウェルス首脳会議に出席のシャリーフ首相,エジンバラでグジュラール・インド首相と会談。 |
DIA-304-1997-10-29-1 | パキスタン | 1997年10月29日 | 1990年代 | 最高裁,第14次憲法改正の効力を停止。 |
DIA-304-1997-10-29-2 | パキスタン | 1997年10月29日 | 1990年代 | シャリーフ首相は下院で,最高裁による上記措置は「憲法違反だ」と最高裁を批判。 |
DIA-304-1997-10-29-3 | パキスタン | 1997年10月29日 | 1990年代 | 下院で,議会の優越を定めた決議案が裁択される。 |
DIA-304-1997-10-30-1 | パキスタン | 1997年10月30日 | 1990年代 | 最高裁,シャリーフ首相の最高裁批判に関して首相および他5人に対する法廷侮辱罪提訴を受理。 |
DIA-304-1997-11-04-1 | パキスタン | 1997年11月04日 | 1990年代 | 高裁判事5人,最高裁判事に昇格。 |
DIA-304-1997-11-09-1 | パキスタン | 1997年11月09日 | 1990年代 | シャリーフ首相,カラーマット陸軍参謀長を統合参謀本部議長(兼務)に任命。 |
DIA-304-1997-11-11-1 | パキスタン | 1997年11月11日 | 1990年代 | A・A・カーンシーに93年中央情報局(CIA)職員殺害で終身刑判決。14日,別のCIA職員1人殺害で死刑判決。カーンシーはパキスタン人で,6月17日にクエッタで逮捕され,ただちに米国に搬送されていた。 |
DIA-304-1997-11-12-1 | パキスタン | 1997年11月12日 | 1990年代 | カラチで車に乗った米石油会社ユニオン・テキサス社の米国人4人とパキスタン人運転手が武装グループに射殺される。 |
DIA-304-1997-11-17-1 | パキスタン | 1997年11月17日 | 1990年代 | シャリーフ首相,法廷侮辱罪裁判で最高裁に出廷,無罪を出張。 |
DIA-304-1997-11-17-2 | パキスタン | 1997年11月17日 | 1990年代 | 下院,法廷侮辱法を改正。レガーリー大統領は署名を拒否。 |
DIA-304-1997-11-17-3 | パキスタン | 1997年11月17日 | 1990年代 | オルブライト米国務長官,来訪(~18日)。 |
DIA-304-1997-11-26-1 | パキスタン | 1997年11月26日 | 1990年代 | シャリーフ首相,イスラーマバード・ラホール間幹線自動車道開通式で挨拶。 |
DIA-304-1997-11-28-1 | パキスタン | 1997年11月28日 | 1990年代 | 群衆がシャー最高裁長官の辞任を要求して最高裁に乱入。シャー最高裁長官,軍による判事の身辺保護措置をレガーリー大統領に要請。 |
DIA-304-1997-11-29-1 | パキスタン | 1997年11月29日 | 1990年代 | シャリーフ首相,判事保護のため大統領による軍出動指令を要請することを拒否。 |
DIA-304-1997-11-29-2 | パキスタン | 1997年11月29日 | 1990年代 | シャー最高裁長官,軍による判事保護を文書でカラーマット陸軍参謀長に要請。 |
DIA-304-1997-11-30-1 | パキスタン | 1997年11月30日 | 1990年代 | シャリーフ首相,大統領は政治危機をつくりだしていると非難。 |
DIA-304-1997-12-02-1 | パキスタン | 1997年12月02日 | 1990年代 | レガーリー大統領,辞任。ワシーム・サジャッド上院議長が暫定大統領に就任。 |
DIA-304-1997-12-02-2 | パキスタン | 1997年12月02日 | 1990年代 | シャー最高裁長官以下3人の最高裁判事が「第13次憲法改正の効力停止」決定を宣言。直後にシャリーフ首相派の最高裁判事10人,上記決定を「無効」とする決定とシャー最高裁長官の「解任」を宣言。 |
DIA-304-1997-12-03-1 | パキスタン | 1997年12月03日 | 1990年代 | アジュマル・ミヤーン最高裁判事,暫定最高裁長官に就任。 |
DIA-304-1997-12-09-1 | パキスタン | 1997年12月09日 | 1990年代 | テヘランでのOIC首脳会議にシャリーフ首相が出席。 |
DIA-304-1997-12-20-1 | パキスタン | 1997年12月20日 | 1990年代 | シンド州高裁,ブットー前首相の夫で汚職容疑で獄中のA・ザルダーリーに上院議員として宣誓することを許可。 |
DIA-304-1997-12-23-1 | パキスタン | 1997年12月23日 | 1990年代 | 最高裁がシャー前最高裁長官の任命は違法だったとの決定を下し,アジュマル・ミヤーン暫定最高裁長官が正式に長官に就任。 |
DIA-304-1997-12-23-2 | パキスタン | 1997年12月23日 | 1990年代 | アフガニスタンのラッバーニー前大統領派勢力などの反ターレバーン三派連盟代表団(代表はラッバーニー前大統領),政府招待により来訪。シャリーフ首相など首脳陣と会談(~26日)。 |
DIA-304-1997-12-31-1 | パキスタン | 1997年12月31日 | 1990年代 | 大統領選挙行われる。ラフィーク・ターラル元最高裁判事が計457票のうち374票を獲得して大統領に選出される。 |
DIA-304-1998-01-01-1 | パキスタン | 1998年01月01日 | 1990年代 | ムハンマド・ラフィーク・ターラル上院議員が第9代大統領に就任。 |
DIA-304-1998-01-21-1 | パキスタン | 1998年01月21日 | 1990年代 | 中央銀行は,ルピーの自由化(2月5日から実施)を発表。米ドルに対してのみペッグ制を採用。 |
DIA-304-1998-02-10-1 | パキスタン | 1998年02月10日 | 1990年代 | ミヤーン・ムハッマド・ナワーズ・シャリーフ首相,訪中(~17日)。 |
DIA-304-1998-02-21-1 | パキスタン | 1998年02月21日 | 1990年代 | イラン人建設技術者2人がカラチで作業中に何者かに銃殺される。 |
DIA-304-1998-02-25-1 | パキスタン | 1998年02月25日 | 1990年代 | 北西辺境州で大衆国民党(ANP),州連立政権から脱退。 |
DIA-304-1998-03-02-1 | パキスタン | 1998年03月02日 | 1990年代 | 17年振りに国勢調査(第5回)を実施(~18日)。 |
DIA-304-1998-03-08-1 | パキスタン | 1998年03月08日 | 1990年代 | ゴーハル・アユーブ・ハーン外相,訪日(~11日)。 |
DIA-304-1998-03-10-1 | パキスタン | 1998年03月10日 | 1990年代 | シャリーフ政権打倒を目指すパキスタン人民党(PPP)等の7政党,パキスタン民主戦線(PDF),パキスタン・ムスリム連盟(PML)の3分派からなる野党連合「パキスタン人民連盟」(PAI),結成さる。 |
DIA-304-1998-03-19-1 | パキスタン | 1998年03月19日 | 1990年代 | インド人民党(BJP)連立政権の成立でゴーハル・アユーブ外相は,核兵器導入問題が生じると懸念を表明。 |
DIA-304-1998-03-20-1 | パキスタン | 1998年03月20日 | 1990年代 | シャリーフ首相は書簡でインドのヴァジュペイー新首相に祝意を表するとともに両国和平交渉再開を呼びかけ。 |
DIA-304-1998-03-22-1 | パキスタン | 1998年03月22日 | 1990年代 | 政府は北西辺境州にカーラーバーグ・ダムを98/99年度内に建設開始と決定。 |
DIA-304-1998-04-02-1 | パキスタン | 1998年04月02日 | 1990年代 | パキスタン航空(PIA)の民営化,開始。 |
DIA-304-1998-04-02-2 | パキスタン | 1998年04月02日 | 1990年代 | 政府,民間発電会社(IPP)19社に対し15日以内の電気料金引き下げを要求。 |
DIA-304-1998-04-06-1 | パキスタン | 1998年04月06日 | 1990年代 | ガウリー(Ghauri)・ミサイル=ハトフ(Hatf)-Vミサイル発射実験成功。 |
DIA-304-1998-04-18-1 | パキスタン | 1998年04月18日 | 1990年代 | パキスタン・ムスリム連盟ナワーズ派(PML-N)と連合民族運動党アルターフ派(MQM-A)はシンド州政権連立の維持で合意。 |
DIA-304-1998-04-27-1 | パキスタン | 1998年04月27日 | 1990年代 | ラホール高等裁判所責任追及法廷(Ehtesab Bench, Accountability Bench)は,ベーナジール・ブットー前首相,その夫および母親の全財産凍結を決定。 |
DIA-304-1998-04-28-1 | パキスタン | 1998年04月28日 | 1990年代 | イスラーム暦ムハッラム月のイスラーム宗派衝突を予防するためパンジャーブ州主要都市に軍を配備。 |
DIA-304-1998-05-11-1 | パキスタン | 1998年05月11日 | 1990年代 | ゴーハル・アユーブ外相は記者会見で,パキスタンはインドの核実験に対し適切な措置をとる権利を持つと述べる。 |
DIA-304-1998-05-15-1 | パキスタン | 1998年05月15日 | 1990年代 | タルボット米国務副長官,ジニ米中東軍司令官等,来訪(~3日)。 |
DIA-304-1998-05-17-1 | パキスタン | 1998年05月17日 | 1990年代 | 日本の登外務省外政審議室長,来訪。 |
DIA-304-1998-05-17-2 | パキスタン | 1998年05月17日 | 1990年代 | シャムシャード・アフマッド外務次官,訪中(~19日)。 |
DIA-304-1998-05-19-1 | パキスタン | 1998年05月19日 | 1990年代 | アドヴァニ・インド内相の18日の反パキスタン演説に対してシャリーフ首相は,パキスタンはインドの覇権主義の脅迫に対抗する用意があると断言。 |
DIA-304-1998-05-21-1 | パキスタン | 1998年05月21日 | 1990年代 | 与党PML-Nを含む22政党による全政党会議がラホールで開かれ,政府に核実験実施を要求。 |
DIA-304-1998-05-24-1 | パキスタン | 1998年05月24日 | 1990年代 | PIAの国内便がハイジャックされた。乗っ取り犯3人は核実験実施に反対,ニューデリー行きを要求していたが,ハイダラバード空港で突撃隊に逮捕された。 |
DIA-304-1998-05-28-1 | パキスタン | 1998年05月28日 | 1990年代 | バローチスタン州チャーギー丘陵で初の地下核実験(爆発5回)実施。シャリーフ首相,全国放送で,「核実験は対インド自衛のため」と強調。ターラル大統領,非常事態を宣言。政府,外貨口座を凍結。 |
DIA-304-1998-05-28-2 | パキスタン | 1998年05月28日 | 1990年代 | 政府,ルピーの対米ドル複数為替レート制を実施と発表。公定レートは1タカ=44ルピーに固定,他の46ルピー,公開市場レートの3本だて。 |
DIA-304-1998-05-28-3 | パキスタン | 1998年05月28日 | 1990年代 | 米,独等の諸国,対パキスタン経済制裁実施を発表。中国,パキスタンの核実験に遺憾の意を表明。 |
DIA-304-1998-05-29-1 | パキスタン | 1998年05月29日 | 1990年代 | ゴーハル・アユーブ外相,記者会見で核保有を宣言。 |
DIA-304-1998-05-30-1 | パキスタン | 1998年05月30日 | 1990年代 | 再度の核実験(爆発1回)実施。 |
DIA-304-1998-06-06-1 | パキスタン | 1998年06月06日 | 1990年代 | シャリーフ首相,アラブ首長国連邦(UAE)とサウジアラビアを訪問(~9日)。 |
DIA-304-1998-06-10-1 | パキスタン | 1998年06月10日 | 1990年代 | 97/98年度経済白書,刊行。 |
DIA-304-1998-06-11-1 | パキスタン | 1998年06月11日 | 1990年代 | シャリーフ首相,土地改革を初めとする経済改革のための「国家的課題」(National Agenda)を全国放送で発表。 |
DIA-304-1998-06-11-2 | パキスタン | 1998年06月11日 | 1990年代 | 政府,一方的核実験停止を宣言。 |
DIA-304-1998-06-11-3 | パキスタン | 1998年06月11日 | 1990年代 | 政府,インドとの対話再開のために日本政府の仲介を正式に要請。 |
DIA-304-1998-06-12-1 | パキスタン | 1998年06月12日 | 1990年代 | 政府,98/99年予算案を下院に上程,25日採択。 |
DIA-304-1998-06-20-1 | パキスタン | 1998年06月20日 | 1990年代 | 政府関係筋によると,政府は北西辺境州におけるカーラーバーグ・ダム建設を基本目的とする「国家水資源開発プログラム」(NWRDP)に着手することを承認。 |
DIA-304-1998-06-22-1 | パキスタン | 1998年06月22日 | 1990年代 | 98/99年度通商政策を発表。 |
DIA-304-1998-06-27-1 | パキスタン | 1998年06月27日 | 1990年代 | 中央銀行,ルピーを4.4%切り下げ(1ドル=44ルピーから46ルピーに)。 |
DIA-304-1998-06-29-1 | パキスタン | 1998年06月29日 | 1990年代 | シャリーフ首相,クウェートとカタールを訪問(~30日)。 |
DIA-304-1998-06-29-2 | パキスタン | 1998年06月29日 | 1990年代 | 首相特使として訪米中のシャムシャード外務次官がタルボット米国務副長官と会談。 |
DIA-304-1998-07-04-1 | パキスタン | 1998年07月04日 | 1990年代 | 外務省スポークスマンは,包括的核実験禁止条約(CTBT)署名に関して(インドの署名を前提とする)従来の核政策を見直していると発表。 |
DIA-304-1998-07-06-1 | パキスタン | 1998年07月06日 | 1990年代 | ヤークーブ・ハーン元陸軍中将・元外相,首相特使として訪米。CTBT等に関して米側関係者達と協議を開始。 |
DIA-304-1998-07-08-1 | パキスタン | 1998年07月08日 | 1990年代 | 国勢調査(3月参照)州別結果,発表。 |
DIA-304-1998-07-08-2 | パキスタン | 1998年07月08日 | 1990年代 | サルタージュ蔵相,IMF代表団との協議後の記者会見で,経済制裁が3カ月以上続いた場合はモラトリアムを宣言の可能性があると述べる。 |
DIA-304-1998-07-08-3 | パキスタン | 1998年07月08日 | 1990年代 | インダーファース米国務次官補,米上院小委員会で,パキスタンの指導陣は経済改善に必要な努力をしていないと非難し,制裁はパキスタンによるCTBTおよび核不拡散条約(NPT)の署名があって初めて解除されると言明。 |
DIA-304-1998-07-15-1 | パキスタン | 1998年07月15日 | 1990年代 | 米上院本会議は,印パ両国に対する経済制裁を一定期間猶予する裁量権を大統領に賦与する法案と経済制裁対象から食糧を外す法案を採択。同日,クリントン大統領は同法案に署名。 |
DIA-304-1998-07-18-1 | パキスタン | 1998年07月18日 | 1990年代 | 政府,ガソリン価格25%引き上げ。 |
DIA-304-1998-07-18-2 | パキスタン | 1998年07月18日 | 1990年代 | ゴーハル・アユーブ外相が小渕外相に書簡で核実験凍結を確約(同書簡は21日着)。 |
DIA-304-1998-07-18-3 | パキスタン | 1998年07月18日 | 1990年代 | 外務省スポークスマン,適切な時にCTBT署名を決定することになろうと言明。 |
DIA-304-1998-07-21-1 | パキスタン | 1998年07月21日 | 1990年代 | サルタージュ蔵相,新経済パッケージを発表。 |
DIA-304-1998-07-21-2 | パキスタン | 1998年07月21日 | 1990年代 | 米国務省,対パキスタンIMF構造調整借款供与への反対を解除すると発表。 |
DIA-304-1998-07-21-3 | パキスタン | 1998年07月21日 | 1990年代 | タルボット米国務副長官,訪問を終えて来訪(~23日)。インダーファース国務次官補,ラルストン統幕副議長等が随行。 |
DIA-304-1998-07-22-1 | パキスタン | 1998年07月22日 | 1990年代 | 主要8カ国(G8),対パキスタン制裁緩和で合意。 |
DIA-304-1998-07-24-1 | パキスタン | 1998年07月24日 | 1990年代 | 日本政府,IMFの対パキスタン融資凍結を緩和する方針を決定。 |
DIA-304-1998-07-28-1 | パキスタン | 1998年07月28日 | 1990年代 | 最高裁判所の7人法廷は5月28日の非常事態宣言に関する裁判で,非常事態宣言は合憲としたが,同日の基本的人権停止布告は一部を除き無効とした。なお,この訴訟の原告はレガーリー前大統領。 |
DIA-304-1998-07-28-2 | パキスタン | 1998年07月28日 | 1990年代 | 政府,ガス価格15%引き上げを発表。 |
DIA-304-1998-07-28-3 | パキスタン | 1998年07月28日 | 1990年代 | シャリーフ首相,南アジア地域協力連合(SAARC)首脳会議(29~31日)出席のためスリランカ訪問。 |
DIA-304-1998-07-29-1 | パキスタン | 1998年07月29日 | 1990年代 | S・A・メンガル・バローチスタン州主席大臣,辞任。 |
DIA-304-1998-07-29-2 | パキスタン | 1998年07月29日 | 1990年代 | スリランカ・コロンボでSAARC第10回首脳会議,開始。 |
DIA-304-1998-07-30-1 | パキスタン | 1998年07月30日 | 1990年代 | シャリーフ首相とヴァジュペイー・インド首相が会談(コロンボ)。97年3月以来中断の外務次官協議の再開で合意。 |
DIA-304-1998-07-30-2 | パキスタン | 1998年07月30日 | 1990年代 | 印パ外務次官協議(コロンボ)。30日決裂。 |
DIA-304-1998-07-30-3 | パキスタン | 1998年07月30日 | 1990年代 | シャリーフ首相,ヴァジュペイー・インド首相と非公式ながら再度会談。 |
DIA-304-1998-07-30-4 | パキスタン | 1998年07月30日 | 1990年代 | アクラム軍縮大使はジュネーブ軍縮会議で,「パキスタンは兵器用核分裂物資生産禁止(カット・オフ)条約に署名する用意がある」,「インドと相互核実験禁止協定を結ぶ用意がある」と述べた。 |
DIA-304-1998-08-03-1 | パキスタン | 1998年08月03日 | 1990年代 | クウェートがパキスタンにソフト・ローン2億5000万ドルを供与。 |
DIA-304-1998-08-06-1 | パキスタン | 1998年08月06日 | 1990年代 | シャリーフ首相,内閣を改造。 |
DIA-304-1998-08-12-1 | パキスタン | 1998年08月12日 | 1990年代 | 米政府関係筋は,IMFの対パキスタン融資交渉の再開は同国がCTBTに署名するか否かにかかっていると断言。 |
DIA-304-1998-08-17-1 | パキスタン | 1998年08月17日 | 1990年代 | 駐パキスタン米公館職員120人のうち約70人とその家族,米に帰還。 |
DIA-304-1998-08-20-1 | パキスタン | 1998年08月20日 | 1990年代 | アメリカ,アフガニスタンのジャラーラバード・ゲリラ訓練基地にパキスタン領空超えのミサイル攻撃を実施。サルタージュ外相は攻撃に関し通知はなかったと語る。 |
DIA-304-1998-08-28-1 | パキスタン | 1998年08月28日 | 1990年代 | シャリーフ首相,下院で第15次憲法改正案について演説し常任委員会に付託。29日,常任委員会が同改正案を承認。 |
DIA-304-1998-08-30-1 | パキスタン | 1998年08月30日 | 1990年代 | 日本政府の提唱により印パ核実験協議のための東京会議,開催(~31日)。 |
DIA-304-1998-09-01-1 | パキスタン | 1998年09月01日 | 1990年代 | 南アフリカのダーバンにおける非同盟諸国首脳会議(2~3日)に出席したサルタージュ外相はインドのシンディヤ外務担当国務相と会談。 |
DIA-304-1998-09-21-1 | パキスタン | 1998年09月21日 | 1990年代 | 国連総会出席のため訪米中のシャリーフ首相は,ニューヨークでクリントン米大統領と会談。 |
DIA-304-1998-09-23-1 | パキスタン | 1998年09月23日 | 1990年代 | シャリーフ首相,国連総会で,一定の条件を付けながらも,「99年9月までにインドの動向とは無関係にCTBT署名の用意がある」と言明。 |
DIA-304-1998-09-23-2 | パキスタン | 1998年09月23日 | 1990年代 | ニューヨークで印パ首脳会談,開催。 |
DIA-304-1998-09-23-3 | パキスタン | 1998年09月23日 | 1990年代 | サルタージュ外相,ニューヨークで高村外相と会談。 |
DIA-304-1998-09-26-1 | パキスタン | 1998年09月26日 | 1990年代 | シャリーフ首相,ロンドンでアルターフMQM党首と会談。 |
DIA-304-1998-10-01-1 | パキスタン | 1998年10月01日 | 1990年代 | ペシャーワルでパンジャーブ州を除く3州の民族諸政党が地方自治権拡大を要求して「パキスタン被抑圧民族運動同盟」(PONM)を結成。8項目宣言を採択。 |
DIA-304-1998-10-05-1 | パキスタン | 1998年10月05日 | 1990年代 | カラーマット陸軍参謀長,ラホールの海軍戦略大学での演説で「国家安全保障評議会」(NSC)の設置を提案。 |
DIA-304-1998-10-06-1 | パキスタン | 1998年10月06日 | 1990年代 | シャリーフ首相,カラーマット陸軍参謀長に辞任を要求。 |
DIA-304-1998-10-07-1 | パキスタン | 1998年10月07日 | 1990年代 | カラーマット陸軍参謀長,辞任。首相,パルヴェーズ・ムシャッラフ中将を大将に昇格のうえ,新陸軍参謀長に任命。 |
DIA-304-1998-10-07-2 | パキスタン | 1998年10月07日 | 1990年代 | 首相,電力料金30%引き下げを発表。 |
DIA-304-1998-10-08-1 | パキスタン | 1998年10月08日 | 1990年代 | ムシャッラフ中将の先任陸軍中将2人,辞任。 |
DIA-304-1998-10-09-1 | パキスタン | 1998年10月09日 | 1990年代 | 第15次憲法改正案,下院で採択。 |
DIA-304-1998-10-14-1 | パキスタン | 1998年10月14日 | 1990年代 | 下院,憲法改正案を上院に送付。 |
DIA-304-1998-10-14-2 | パキスタン | 1998年10月14日 | 1990年代 | 政府,ジャング・グループ(新聞グループ)の口座を凍結,同時に同紙への新聞用紙の供給を停止。 |
DIA-304-1998-10-16-1 | パキスタン | 1998年10月16日 | 1990年代 | イスラーマバードで印パ外務次官協議(~18日)。インド側は核先制不使用協定締結を提案し,パキスタン側は不戦条約を提案したが物別れに終わった。 |
DIA-304-1998-10-17-1 | パキスタン | 1998年10月17日 | 1990年代 | ハムダルド財団総裁のハキーム・M・サイード元シンド州知事,カラチで射殺さる。 |
DIA-304-1998-10-21-1 | パキスタン | 1998年10月21日 | 1990年代 | 米下院,99年度予算案を可決。核実験実施国に対する経済制裁を最高12カ月解除する権限を大統領に賦与する条項を含む。 |
DIA-304-1998-10-29-1 | パキスタン | 1998年10月29日 | 1990年代 | MQM-Aは,サイード・ハムダルド財団総裁殺害の疑惑を否定すると共に,シンド州連立政権からの脱退を発表。 |
DIA-304-1998-10-30-1 | パキスタン | 1998年10月30日 | 1990年代 | シャリーフ首相,憲法第232条に基づきシンド州を州知事統治下に置くと宣言。 |
DIA-304-1998-11-03-1 | パキスタン | 1998年11月03日 | 1990年代 | シャムシャード外務次官,訪米。タルボット米国務副長官等と第7回目の会談(4~6日)。6日,共同声明を発表。 |
DIA-304-1998-11-05-1 | パキスタン | 1998年11月05日 | 1990年代 | ニューデリーで印パ間の第6回次官級会談,開催(~13日)。 |
DIA-304-1998-11-06-1 | パキスタン | 1998年11月06日 | 1990年代 | クリントン米大統領,印パ制裁を部分的に解除。 |
DIA-304-1998-11-09-1 | パキスタン | 1998年11月09日 | 1990年代 | シャリーフ首相は,間接選挙で選出された議院である上院が第15次憲法改正案に反対する正当性はないと述べた。 |
DIA-304-1998-11-10-1 | パキスタン | 1998年11月10日 | 1990年代 | IPP4社,政府との協議で電気料金引下げに合意。12日,更に5社が値下げに合意。 |
DIA-304-1998-11-10-2 | パキスタン | 1998年11月10日 | 1990年代 | パキスタンと米国代表団との間で核技術輸出防止体制構築に関する協議が,イスラーマバードにおいて開始(~12日)。 |
DIA-304-1998-11-11-1 | パキスタン | 1998年11月11日 | 1990年代 | IMF代表団,来訪(~25日)。核実験後の構造調整に関する協議をイスラーマバードで開始。IMF等,パキスタンに55億ドルの融資枠設定で合意。 |
DIA-304-1998-11-12-1 | パキスタン | 1998年11月12日 | 1990年代 | タルボット米国務副長官,核問題で対印パ「5項目提案」を発表。 |
DIA-304-1998-11-13-1 | パキスタン | 1998年11月13日 | 1990年代 | 米国務省が米企業に取引相手とすることを禁じる印パ政府機関または民間企業380組織(うちパキスタンは140)のリスト(米商務省作成)を発表。これら組織は核・ミサイル開発に関係の疑いがあるという。 |
DIA-304-1998-11-14-1 | パキスタン | 1998年11月14日 | 1990年代 | ムシャッラフ陸軍参謀長は記者会見で,カラチに軍の展開は不要だと述べた。 |
DIA-304-1998-11-16-1 | パキスタン | 1998年11月16日 | 1990年代 | サルタージュ外相,訪日(~19日)。高村外相,宮沢蔵相などと会談。18日,高村外相は会談で経済制裁解除の方針を表明。 |
DIA-304-1998-11-20-1 | パキスタン | 1998年11月20日 | 1990年代 | 政府,シンド州に非常事態を宣言。 |
DIA-304-1998-11-25-1 | パキスタン | 1998年11月25日 | 1990年代 | IMF,世銀など国際金融機関が55億ドルの対パキスタン緊急援助パッケージ供与を決定。 |
DIA-304-1998-11-26-1 | パキスタン | 1998年11月26日 | 1990年代 | 政府,インドに対する売電(上限2000MW)に合意。 |
DIA-304-1998-12-01-1 | パキスタン | 1998年12月01日 | 1990年代 | 政府,売上高税を12.5%から15.0%に引上げ。 |
DIA-304-1998-12-01-2 | パキスタン | 1998年12月01日 | 1990年代 | クリントン米大統領,対印パ制裁緩和法案(99年10月21日までの期限付き)に署名。 |
DIA-304-1998-12-01-3 | パキスタン | 1998年12月01日 | 1990年代 | シャリーフ首相,訪米(~4日)。2日,クリントン米大統領と南アジアの核拡散問題等について会談。3日,共同声明。 |
DIA-304-1998-12-03-1 | パキスタン | 1998年12月03日 | 1990年代 | 政府,カラチに6軍事法廷を設置。 |
DIA-304-1998-12-03-2 | パキスタン | 1998年12月03日 | 1990年代 | 政府,売上高税を引上げ(12.5%から15%に)。 |
DIA-304-1998-12-13-1 | パキスタン | 1998年12月13日 | 1990年代 | サルタージュ外相,政府は現在,核技術輸出禁止法案を作成中と言明。 |
DIA-304-1998-12-18-1 | パキスタン | 1998年12月18日 | 1990年代 | 米政府,パキスタンへの売却を凍結中のF-16戦闘機28機について,パキスタンが既に支払った代金の返却を決定。 |
DIA-304-1998-12-23-1 | パキスタン | 1998年12月23日 | 1990年代 | 政府は,水資源・電力開発公社(WAPDA)の業務運営問題に対処するため,同公社管轄下の送電企業8社及び配電企業1社に軍人3万~3万5000人を配備。 |
DIA-304-1998-12-25-1 | パキスタン | 1998年12月25日 | 1990年代 | 政府は,核分裂物資生産禁止条約(FMCT)締結が完了しないうちは核分裂物資生産モラトリアムには応じられないと言明。 |
DIA-304-1998-12-31-1 | パキスタン | 1998年12月31日 | 1990年代 | 「パキスタン中央銀行1997/98年度報告」,刊行。 |
DIA-304-1998-12-31-2 | パキスタン | 1998年12月31日 | 1990年代 | カラチの軍事法廷判決に従い,初の処刑執行(警察官殺害犯人1人)。 |
DIA-304-1999-01-03-1 | パキスタン | 1999年01月03日 | 1990年代 | ラホール近郊で爆弾テロによるナワーズ・シャリーフ首相暗殺未遂事件,発生。23日までに犯人4人逮捕。 |
DIA-304-1999-01-12-1 | パキスタン | 1999年01月12日 | 1990年代 | 最高裁判所,シンド州議会の議長および副議長の復権を宣言。 |
DIA-304-1999-01-16-1 | パキスタン | 1999年01月16日 | 1990年代 | 国際通貨基金(IMF)による対パキスタン融資再開決定。パキスタン政府に第1回分5億7500万ドルを融資。 |
DIA-304-1999-01-16-2 | パキスタン | 1999年01月16日 | 1990年代 | 北西辺境州政府,マラーカンド管区とコーヒスターン県でシャリーア(イスラーム法)を発布。 |
DIA-304-1999-01-22-1 | パキスタン | 1999年01月22日 | 1990年代 | 世銀,公的セクターのガバナンス向上等を目的とした3億5000万ドルの対パキスタン構造調整ローンを承認。 |
DIA-304-1999-01-25-1 | パキスタン | 1999年01月25日 | 1990年代 | 「ジャング・グループ」(最大の新聞グループ),反政府法廷闘争開始を宣言。 |
DIA-304-1999-01-25-2 | パキスタン | 1999年01月25日 | 1990年代 | シンド州政府,水資源・電力開発公社(WAPDA)への電気料金6カ月分45億ルピー支払いを拒否。 |
DIA-304-1999-01-27-1 | パキスタン | 1999年01月27日 | 1990年代 | ラホール高等裁判所,外為預金口座の凍結は無効とし,至急の凍結解除を命令。 |
DIA-304-1999-02-01-1 | パキスタン | 1999年02月01日 | 1990年代 | タルボット米国務副長官,来訪(~4日)。インダーファース国務次官補,ラルストン統幕副議長が同行。 |
DIA-304-1999-02-02-1 | パキスタン | 1999年02月02日 | 1990年代 | 最高裁,政府に対し,ジャング・グループへの新聞用紙供給を命令。 |
DIA-304-1999-02-02-2 | パキスタン | 1999年02月02日 | 1990年代 | タルボット米国務副長官はシャムシャード・アハマッド外務次官と核不拡散問題などについて昨年6月以来8回目の協議。 |
DIA-304-1999-02-02-3 | パキスタン | 1999年02月02日 | 1990年代 | ラルストン米統幕副議長,ムシャラフ陸軍参謀長と核問題,カシミール,アフガニスタン等に関して協議。 |
DIA-304-1999-02-16-1 | パキスタン | 1999年02月16日 | 1990年代 | 日本の丹波外務審議官,イスラーマバードでアハマッド外務次官と包括的核実験禁止条約(CTBT)署名問題で協議。 |
DIA-304-1999-02-17-1 | パキスタン | 1999年02月17日 | 1990年代 | 最高裁,テロリズム犯罪の軍事法廷での審理を憲法違反と判決。 |
DIA-304-1999-02-19-1 | パキスタン | 1999年02月19日 | 1990年代 | シャリーフ首相,文民を対象とした反テロリズム軍事法廷の廃止を発表。 |
DIA-304-1999-02-19-2 | パキスタン | 1999年02月19日 | 1990年代 | 中国軍事代表団,来訪(~23日)。団長は遅浩田国防相。 |
DIA-304-1999-02-20-1 | パキスタン | 1999年02月20日 | 1990年代 | ヴァジュペイー・インド首相,来訪(~21日)。ラホールで印パ首脳会談。 |
DIA-304-1999-02-21-1 | パキスタン | 1999年02月21日 | 1990年代 | 印パ第2回首脳会談。両国代表団の間で3文書(総称,「ラホール宣言」)の取り交わし。同日,共同声明,共同記者会見。同日,ヴァジュペイー・インド首相はラホール市内の「パキスタンの塔」(パキスタン建国運動の象徴)を訪問。 |
DIA-304-1999-02-24-1 | パキスタン | 1999年02月24日 | 1990年代 | 政府は,信用状(L/C)の委託証拠金10%を撤廃。 |
DIA-304-1999-03-03-1 | パキスタン | 1999年03月03日 | 1990年代 | インダーファース米国務次官補は下院外交委員会で「制裁のない現実的」対印パ外交路線を発表。 |
DIA-304-1999-03-04-1 | パキスタン | 1999年03月04日 | 1990年代 | パンジャーブ州のシャーバーズ・シャリーフ首席大臣,訪米(~7日)。 |
DIA-304-1999-03-05-1 | パキスタン | 1999年03月05日 | 1990年代 | パンジャーブ州シャリーフ首席大臣,タルボット米国務副長官およびインダーファース米国務次官補と会談。 |
DIA-304-1999-03-10-1 | パキスタン | 1999年03月10日 | 1990年代 | 米政府,パキスタンからの綿糸輸入に対し,5260トンの輸入割当を設定。 |
DIA-304-1999-03-11-1 | パキスタン | 1999年03月11日 | 1990年代 | ルピーの多重為替レートの比率,インターバンク80:公定20から,インターバンク95:公定5に変更。 |
DIA-304-1999-03-25-1 | パキスタン | 1999年03月25日 | 1990年代 | 売上税を12.5%から15.0%に改訂する法案が下院を通過。 |
DIA-304-1999-03-31-1 | パキスタン | 1999年03月31日 | 1990年代 | シンド州に反テロリズム8法廷,設立さる。 |
DIA-304-1999-04-08-1 | パキスタン | 1999年04月08日 | 1990年代 | 中国の李鵬全人代委員長,欧亜6ヵ国歴訪の一環としてパキスタン来訪(~12日)。 |
DIA-304-1999-04-09-1 | パキスタン | 1999年04月09日 | 1990年代 | ムシャラフ陸軍参謀長,統合参謀本部議長に就任(1年間の任期,兼務)。 |
DIA-304-1999-04-14-1 | パキスタン | 1999年04月14日 | 1990年代 | パキスタン軍,中距離弾道ミサイル・ガウリー2号の発射実験に成功。 |
DIA-304-1999-04-15-1 | パキスタン | 1999年04月15日 | 1990年代 | ラホール高裁は,ブットー前首相およびその夫アーシフ・ザルダーリー上院議員に対して収賄罪で禁固刑5年,公職追放などの有罪判決。 |
DIA-304-1999-04-15-2 | パキスタン | 1999年04月15日 | 1990年代 | パキスタン軍,短距離弾道ミサイル・シャヒーン1号の発射実験に成功。 |
DIA-304-1999-04-19-1 | パキスタン | 1999年04月19日 | 1990年代 | シャリーフ首相,ロシア訪問(~22日)。パキスタン首相としては25年ぶり。22日,共同声明。 |
DIA-304-1999-04-20-1 | パキスタン | 1999年04月20日 | 1990年代 | ジンニー米・中東軍司令官,来訪(~21日)。 |
DIA-304-1999-04-28-1 | パキスタン | 1999年04月28日 | 1990年代 | ターラル大統領,1999年反テロリズム法を布告。 |
DIA-304-1999-04-29-1 | パキスタン | 1999年04月29日 | 1990年代 | パキスタン政府,トルクメニスタン政府,アフガニスタンのターリバーン勢力の三者は,20億ドルのガス・パイプライン・プロジェクトの再開に合意。 |
DIA-304-1999-05-08-1 | パキスタン | 1999年05月08日 | 1990年代 | The Friday Times紙社主・編集長ナジャム・セーティー,三軍統合情報局(ISI)に身柄を拘束さる(6月2日,釈放)。 |
DIA-304-1999-05-19-1 | パキスタン | 1999年05月19日 | 1990年代 | 中央銀行は,為替レートの統一を発表。公定レートを廃止し,銀行間レートによる変動相場制へ移行。 |
DIA-304-1999-05-23-1 | パキスタン | 1999年05月23日 | 1990年代 | ムシャラフ陸軍参謀長・統合参謀本部議長,訪中(~29日)。24日に,江沢民中国国家主席と会談(北京)。 |
DIA-304-1999-05-25-1 | パキスタン | 1999年05月25日 | 1990年代 | IMF,第2回分5100万ドルの融資承認。 |
DIA-304-1999-05-26-1 | パキスタン | 1999年05月26日 | 1990年代 | インド空軍,パキスタンからインド側カシミールのカールギル地区に潜入したムスリム・ゲリラ勢力に対して空爆を開始。印パ間のカシミール紛争,激化。 |
DIA-304-1999-06-09-1 | パキスタン | 1999年06月09日 | 1990年代 | 米上院,プレスラー修正条項を撤回。 |
DIA-304-1999-06-11-1 | パキスタン | 1999年06月11日 | 1990年代 | サルタージ・アジーズ外相,訪中(~12日)。中国の李鵬全国人民代表大会常務委員長,唐家外相と個別に会談。 |
DIA-304-1999-06-12-1 | パキスタン | 1999年06月12日 | 1990年代 | アジーズ外相,訪印。ジャスワント・シン・インド外相と会談,決裂。 |
DIA-304-1999-06-12-2 | パキスタン | 1999年06月12日 | 1990年代 | 政府は1999/2000年度予算案を下院に提出。25日,予算案は下院を通過。 |
DIA-304-1999-06-17-1 | パキスタン | 1999年06月17日 | 1990年代 | 政府,ハイダル・シンド州知事を更迭,新州知事にカラチ商工会議所会頭のサイード・マムヌーン・フセインを任命。 |
DIA-304-1999-06-20-1 | パキスタン | 1999年06月20日 | 1990年代 | 主要国首脳会議はG8宣言の中で,「カシミールにおける戦闘の即時停止,将来における実効支配線の完全な尊重」を要請(ケルン)。 |
DIA-304-1999-06-23-1 | パキスタン | 1999年06月23日 | 1990年代 | ジンニー米・中東軍司令官,ランファー米国務次官補代理,来訪(~26日)。 |
DIA-304-1999-06-25-1 | パキスタン | 1999年06月25日 | 1990年代 | アメリカ代表団,シャリーフ首相と会談。アメリカは,インド側カシミールからのパキスタン武装勢力の撤退を要求。 |
DIA-304-1999-06-28-1 | パキスタン | 1999年06月28日 | 1990年代 | シャリーフ・パキスタン首相,訪中。朱鎔基首相と会談。30日にシャリーフ首相,急遽,帰国。 |
DIA-304-1999-07-04-1 | パキスタン | 1999年07月04日 | 1990年代 | シャリーフ首相,訪米(~8日)。クリントン米大統領と3時間の会談。 |
DIA-304-1999-07-06-1 | パキスタン | 1999年07月06日 | 1990年代 | シャリーフ首相,訪英。ブレア英首相と会談。8日,帰国。 |
DIA-304-1999-07-12-1 | パキスタン | 1999年07月12日 | 1990年代 | 11日の印パ両軍合意に従い,パキスタン軍事勢力,カールギル地域からの撤退を開始(26日,完了)。インド軍,空爆を停止。 |
DIA-304-1999-07-29-1 | パキスタン | 1999年07月29日 | 1990年代 | ロンドン・クラブ,パキスタンの債務8億7700万ドル分のリスケジューリングを承認。 |
DIA-304-1999-07-29-2 | パキスタン | 1999年07月29日 | 1990年代 | 政府は,IMF,世銀と石油,ガス,電気への一般売上税(GST)の課税で合意。 |
DIA-304-1999-07-30-1 | パキスタン | 1999年07月30日 | 1990年代 | 中央銀行法の改定により中央銀行(SBP)による外為の自由な売買が認可。 |
DIA-304-1999-08-05-1 | パキスタン | 1999年08月05日 | 1990年代 | 日本政府,継続中の開発プロジェクトに対し,3億ドルの資金提供を発表。 |
DIA-304-1999-08-10-1 | パキスタン | 1999年08月10日 | 1990年代 | インド軍機,アラビア海に面するカッチ湿原でパキスタン海軍哨戒機を撃墜。印パいずれも自国領空・領土内での事件だと主張。 |
DIA-304-1999-08-11-1 | パキスタン | 1999年08月11日 | 1990年代 | 内閣は,ガス料金の値上げと,石油製品,電気代および肥料への15%GST課税を承認。16日より適用開始。 |
DIA-304-1999-08-18-1 | パキスタン | 1999年08月18日 | 1990年代 | アジーズ外相は,インドの17日発表「核ドクトリン」に対してパキスタンも独自の核ドクトリンを策定中と言明。 |
DIA-304-1999-08-28-1 | パキスタン | 1999年08月28日 | 1990年代 | ダール蔵相,退役軍人の年金引上げ(9月から,20~25%)を発表。 |
DIA-304-1999-09-04-1 | パキスタン | 1999年09月04日 | 1990年代 | カラチなど全国主要都市でシャリーフ政権退陣を要求する野党,商人,等の大規模な非暴力ストライキ。 |
DIA-304-1999-09-14-1 | パキスタン | 1999年09月14日 | 1990年代 | 野党19党,大民主同盟(GDA)を結成。シャリーフ政権打倒が目標。 |
DIA-304-1999-09-14-2 | パキスタン | 1999年09月14日 | 1990年代 | フォーリー米国務省副報道官は,中国が短距離ミサイル「東風11」をパキスタンに輸出したとの米情報当局の判断を明らかにした。 |
DIA-304-1999-09-15-1 | パキスタン | 1999年09月15日 | 1990年代 | パンジャーブ州のシャーバーズ・シャリーフ首席大臣,訪米(~21日)。 |
DIA-304-1999-09-15-2 | パキスタン | 1999年09月15日 | 1990年代 | 政府,パリ・クラブ承認のもと,中東の銀行に対しユーロボンドの債務支払を行い,デフォルトを回避。 |
DIA-304-1999-09-16-1 | パキスタン | 1999年09月16日 | 1990年代 | 統合参謀本部会議開催。三軍の参謀長のみ出席し,首相は欠席。 |
DIA-304-1999-09-18-1 | パキスタン | 1999年09月18日 | 1990年代 | 軍団司令官会議,開催。 |
DIA-304-1999-09-19-1 | パキスタン | 1999年09月19日 | 1990年代 | 国連開発計画(UNDP)は,パキスタンの汚職の規模は,年間1000億ルピーにのぼるとの報告書を発表。 |
DIA-304-1999-09-20-1 | パキスタン | 1999年09月20日 | 1990年代 | ジアーウッディーン・バットISI長官,訪米。 |
DIA-304-1999-09-20-2 | パキスタン | 1999年09月20日 | 1990年代 | 米国務省某高官はパキスタン軍に対し,シャリーフ政権打倒のために「超法規的措置」に訴えることのないようにとの警告声明を匿名で発表。 |
DIA-304-1999-09-25-1 | パキスタン | 1999年09月25日 | 1990年代 | アメリカ中央情報局(CIA)の招待で訪米中のジアーウッディーンISI長官は,米議会情報委員会でパキスタンの「ターリバーン化」に対する懸念を表明。 |
DIA-304-1999-09-29-1 | パキスタン | 1999年09月29日 | 1990年代 | ターラル大統領,ムシャラフ陸軍参謀長の統合参謀本部議長(兼務)の任期延長(2001年10月6日まで)を発表。 |
DIA-304-1999-10-10-1 | パキスタン | 1999年10月10日 | 1990年代 | ムシャラフ陸軍参謀長,スリランカ公式訪問に出発。 |
DIA-304-1999-10-12-1 | パキスタン | 1999年10月12日 | 1990年代 | シャリーフ首相,ムシャラフ陸軍参謀長・統合参謀本部議長を解任。後任に,陸軍中将ジアーウッディーンISI長官を大将に昇格のうえ,任命(午後3時40分)。カラチ空港当局は,ムシャラフ陸軍参謀長搭乗航空機のカラチ空港着陸をシャリーフ首相の指示により拒否(午後6時30分前後)。 |
DIA-304-1999-10-12-2 | パキスタン | 1999年10月12日 | 1990年代 | 同上機,出動した陸軍の誘導によりカラチ空港に着陸。軍事クーデター,発生。軍,首相解任を発表(午後10時30分)。シャリーフ前首相,首相公邸に軟禁さる。 |
DIA-304-1999-10-13-1 | パキスタン | 1999年10月13日 | 1990年代 | ムシャラフ陸軍参謀長,クーデターについて全国テレビ演説(午後3時)。 |
DIA-304-1999-10-14-1 | パキスタン | 1999年10月14日 | 1990年代 | 中央銀行,為替のオープン市場取引停止を両替商に通達。25日より取引再開。 |
DIA-304-1999-10-14-2 | パキスタン | 1999年10月14日 | 1990年代 | 中央銀行,輸入品に10~35%のキャッシュ・マージンを賦課することを発表。また持ち込み外貨の海外送金を一時停止。 |
DIA-304-1999-10-15-1 | パキスタン | 1999年10月15日 | 1990年代 | 午前1時,ムシャラフ陸軍参謀長,全国に「非常事態」を宣言,「暫定憲法令第1号」(憲法停止など)を布告(12日に遡及して施行)。同陸軍参謀長自ら「行政長官」(首相に相当)に就任。 |
DIA-304-1999-10-15-2 | パキスタン | 1999年10月15日 | 1990年代 | アメリカ,パキスタンに対する「外国援助法第508条」の適用を発表。 |
DIA-304-1999-10-15-3 | パキスタン | 1999年10月15日 | 1990年代 | 中央銀行,一部政治家およびその配偶者の銀行口座凍結。 |
DIA-304-1999-10-16-1 | パキスタン | 1999年10月16日 | 1990年代 | 「暫定憲法令第2号」,布告。 |
DIA-304-1999-10-17-1 | パキスタン | 1999年10月17日 | 1990年代 | ムシャラフ行政長官,全国テレビ演説で施政方針を発表し,国家安全保障会議(NSC)を設置。 |
DIA-304-1999-10-18-1 | パキスタン | 1999年10月18日 | 1990年代 | 英連邦,パキスタンの英連邦参加資格を民主主義回復まで停止。 |
DIA-304-1999-10-18-2 | パキスタン | 1999年10月18日 | 1990年代 | パキスタン軍,対印国境兵士削減を開始。 |
DIA-304-1999-10-18-3 | パキスタン | 1999年10月18日 | 1990年代 | 中央銀行,不良債権の回収強化を金融機関に通達。債務不履行者に対し,11月16日までに債務支払完済を指示。 |
DIA-304-1999-10-21-1 | パキスタン | 1999年10月21日 | 1990年代 | 各州知事,任命さる。 |
DIA-304-1999-10-25-1 | パキスタン | 1999年10月25日 | 1990年代 | ムシャラフ行政長官,NSCおよび内閣の人事を発表。 |
DIA-304-1999-10-25-2 | パキスタン | 1999年10月25日 | 1990年代 | ムシャラフ行政長官,サウジアラビアとアラブ首長国連邦を歴訪(~26日)。 |
DIA-304-1999-10-26-1 | パキスタン | 1999年10月26日 | 1990年代 | オルブライト米国務長官,「パキスタン軍はインド国境付近だけでなく,カシミールの実効支配線からも部隊を撤退すべきだ」とのアメリカの立場を表明。 |
DIA-304-1999-10-26-2 | パキスタン | 1999年10月26日 | 1990年代 | 日本の山本外務次官,来訪(~27日)。 |
DIA-304-1999-10-28-1 | パキスタン | 1999年10月28日 | 1990年代 | クリントン米大統領,核実験後の対印パ制裁を解除。対印は全面的,対パキスタンは部分的。 |
DIA-304-1999-11-01-1 | パキスタン | 1999年11月01日 | 1990年代 | ムシャラフ行政長官はクーデター後初の記者会見で,経済回復までは民政移管の意思のないこと,また軍政の可否について国民投票を実施する予定であると述べる。 |
DIA-304-1999-11-04-1 | パキスタン | 1999年11月04日 | 1990年代 | ムシャラフ行政長官,新閣僚6人を任命。6日,2人を追加。 |
DIA-304-1999-11-08-1 | パキスタン | 1999年11月08日 | 1990年代 | ムシャラフ政権特使のヤークーブ・ハーン元外相,バーガー米大統領補佐官と会談。 |
DIA-304-1999-11-10-1 | パキスタン | 1999年11月10日 | 1990年代 | 政府,ムシャラフ陸軍参謀長などの搭乗機への着陸妨害に関し,シャリーフ前首相などをカラチ空港署に告発。 |
DIA-304-1999-11-12-1 | パキスタン | 1999年11月12日 | 1990年代 | イスラーマバードの米大使館付近,国連事務所付近の6カ所で爆弾およびロケット弾によるテロ事件,発生。 |
DIA-304-1999-11-15-1 | パキスタン | 1999年11月15日 | 1990年代 | 政府,6億1000万ドル分ユーロボンドの新規債への交換スキームを発表。 |
DIA-304-1999-11-16-1 | パキスタン | 1999年11月16日 | 1990年代 | 不良債権回収キャンペーンの結果,期日までに80億ルピー回収。 |
DIA-304-1999-11-16-2 | パキスタン | 1999年11月16日 | 1990年代 | シャリーフ前首相,正式逮捕。 |
DIA-304-1999-11-17-1 | パキスタン | 1999年11月17日 | 1990年代 | 政府,多額債務者などの本格的不正摘発を開始。 |
DIA-304-1999-11-19-1 | パキスタン | 1999年11月19日 | 1990年代 | シャリーフ前首相ら,反テロリズム法廷に出廷。 |
DIA-304-1999-11-26-1 | パキスタン | 1999年11月26日 | 1990年代 | アメリカ政府,パリ・クラブの決定に基づき,対パキスタン債権9億2600万ドル分のリスケジュールを承認。 |
DIA-304-1999-12-03-1 | パキスタン | 1999年12月03日 | 1990年代 | 政府とIMFミッション,クーデター後,初の会合を開催。 |
DIA-304-1999-12-04-1 | パキスタン | 1999年12月04日 | 1990年代 | ムシャラフ行政長官,諸外国外交官らに対し,民政移管の第一歩として地方議会選挙を行うと言明。 |
DIA-304-1999-12-08-1 | パキスタン | 1999年12月08日 | 1990年代 | 検察当局,シャリーフ前首相等7人を国家反逆,ハイジャック,暗殺未遂等の容疑でカラチの対テロリズム特別法廷に起訴。 |
DIA-304-1999-12-15-1 | パキスタン | 1999年12月15日 | 1990年代 | ムシャラフ行政長官,経済回復プランを発表。 |
DIA-304-1999-12-20-1 | パキスタン | 1999年12月20日 | 1990年代 | カラチの対テロリズム特別法廷でシャリーフ前首相などの審理,開始。 |
DIA-304-1999-12-21-1 | パキスタン | 1999年12月21日 | 1990年代 | 中央銀行,工業用原材料輸入に関し,L/C開設のキャッシュ・マージンを廃止。 |
DIA-304-1999-12-23-1 | パキスタン | 1999年12月23日 | 1990年代 | 最高裁,一切の金利(Riba)を違憲とする判決を下す。 |
DIA-304-1999-12-24-1 | パキスタン | 1999年12月24日 | 1990年代 | 政府,開発資金を70億~80億ルピー削減することを決定。 |
DIA-304-1999-12-24-2 | パキスタン | 1999年12月24日 | 1990年代 | ハイジャックされたインディアン・エアライン機,ラホール着,燃料補給後,離陸。 |
DIA-304-1999-12-25-1 | パキスタン | 1999年12月25日 | 1990年代 | 同上機,ドバイに着陸。 |
DIA-304-1999-12-28-1 | パキスタン | 1999年12月28日 | 1990年代 | 久保田駐パキスタン大使,日パ経済関係が正常化するまで新規円借款実施の可能性はないと発表。 |