ID 国名 日付 年代 内容
DIA-602-1971-01-03-1ソ連1971年01月03日1970年代米,過激派(ブラック・パンサー)女性の裁判傍聴にソ連人招待。
DIA-602-1971-01-04-1ソ連1971年01月04日1970年代フィリピン,ソ連と国交へ-ジャカルタの国交筋によると,マルコス・フィリピン大統領は11日,外交諮問委員会を開いてソ連との国交正常化に関し最終的な意見を聞くことになった。
DIA-602-1971-01-04-2ソ連1971年01月04日1970年代ア連合,ソ連軍事要員配置認む-サダト・アラブ連合大統領は4日午後,ナイル・デルタの農業中心地タンタで開かれた大衆集会で演説,アラブ連合前線のミサイル基地に配備されたソ連軍事要員6人がイスラエル空軍機の爆撃で戦死した事実を初めて公表した。
DIA-602-1971-01-04-3ソ連1971年01月04日1970年代タタール海峡の漁業基地強化-ワニノ(ハバロフスク地方)港から大型冷凍トロール船《メディク》号がカムチャツカの両岸に向って出漁した。このトロール船はラトビア共和国のクライベーダで建造されたもの。
DIA-602-1971-01-05-1ソ連1971年01月05日1970年代ソ連が米国に警告。シオニスト組織の行動で-ソ連駐米大使館は5日,米国務省に声明を渡し,米国内のシオニスト組織がソ連の諸機関に対して敵対的な行動を続けていることに注意を喚起するとともに,米国が必要な措置をとらない以上,ソ連にある米国の機関も正常な活動を保証する措置がとられると期待することはできないだろうと述べた。
DIA-602-1971-01-05-2ソ連1971年01月05日1970年代ギエレク新第1書記らポーランド首脳,ソ連着。
DIA-602-1971-01-05-3ソ連1971年01月05日1970年代アムール河鉄橋フェリー航行続く-Vodnyy Transport紙によれば,コムソモリスク付近アムール河の鉄道フェリーは砕氷船《ハリトンラプテフ》号の活動によって渡河を続けている。航路はいったん下流に下ってから上流に折り返し,対岸のピワニに向っている。昨年通り今年もこのようにして氷上臨時鉄道ができるまでフェリーの活動が続けられる。
DIA-602-1971-01-06-1ソ連1971年01月06日1970年代ソ連-チェコ,アイスホッケー戦で騒ぎ。
DIA-602-1971-01-06-2ソ連1971年01月06日1970年代旅客機乗取りユダヤ人9被告の第2次裁判は中止。
DIA-602-1971-01-06-3ソ連1971年01月06日1970年代ポーランド・ソ連首脳会談終る。
DIA-602-1971-01-06-4ソ連1971年01月06日1970年代ソ連人,モスクワで米外交官をおどす。
DIA-602-1971-01-06-5ソ連1971年01月06日1970年代英国で,ソ連大使館へユダヤ人支援デモ。
DIA-602-1971-01-06-6ソ連1971年01月06日1970年代モスクワ在住米人家族「自衛手段」とり始める。
DIA-602-1971-01-08-1ソ連1971年01月08日1970年代ザルマンソン少佐(ユダヤ人)に10年の刑,ソ連機乗取り事件に判決。
DIA-602-1971-01-08-2ソ連1971年01月08日1970年代駐米ソ連大使館で爆発事件。
DIA-602-1971-01-10-1ソ連1971年01月10日1970年代「ユダヤ人秘密裁判中止せよ」とソ連知識人がアピール-モスクワなどソ連の4都市のユダヤ人65人およびモスクワの知識人12人は,10日アピールに署名し,ソ連国内のユダヤ人に対する「秘密裁判」を中止するよう呼びかけた。
DIA-602-1971-01-11-1ソ連1971年01月11日1970年代国連代表部のソ連人外交官への脅迫続く。
DIA-602-1971-01-11-2ソ連1971年01月11日1970年代米国,ソ連に厳重抗議-米政府は11日,最近モスクワで相次いで起きている米人に対するいやがらせ行為について,ソ連政府に口頭で厳重抗議した。
DIA-602-1971-01-13-1ソ連1971年01月13日1970年代ソ連議長,ア連合首脳と会談-ポドゴルヌイ・ソ連最高会議幹部会議長は5日間にわたるアラブ連合公式訪問のため13日午後2時(日本時間同9時)カイロに到着した。同議長とサダト・ア連合大統領の第1回会談は同日午後6時(日本時間14日午前1時)から行なわれた。
DIA-602-1971-01-13-2ソ連1971年01月13日1970年代世界的チェロ奏者ロストロポピッチ氏海外演奏不許可,ソルジェニツィン弁護で?
DIA-602-1971-01-13-3ソ連1971年01月13日1970年代アスワン・ハイダム完工式にア連合・ソ連首脳ら出席。
DIA-602-1971-01-16-1ソ連1971年01月16日1970年代マラッカ海峡を軍用ソ連船2隻通過-シンガポールの米軍スポークスマンの16日発表によると,同日正午すぎ,2隻のソ連船がマラッカ海峡をインド洋に向けて通過した。
DIA-602-1971-01-16-2ソ連1971年01月16日1970年代西独でソ連大使館へ投石騒ぎ。
DIA-602-1971-01-17-1ソ連1971年01月17日1970年代駐豪ソ連大使館で爆発。
DIA-602-1971-01-17-2ソ連1971年01月17日1970年代豪政府,ソ連へ陳謝。
DIA-602-1971-01-19-1ソ連1971年01月19日1970年代ソ連首相,独伊首脳と会談-19日のモスクワ放送によると,コスイギン・ソ連首相は同日,訪ソ中のシュレーダー西ドイツ連邦会議外交委員長と会談,両国関係を話合った。同首相はまた同日,カルリ・イタリア銀行総裁とも会談,両国通商関係について話合った。
DIA-602-1971-01-19-2ソ連1971年01月19日1970年代ステパコフ氏,駐ユーゴ・ソ連大使に-ステパコフ氏は1964年からソ連政府機関紙イズベスチヤ編集長,65年から70年まで党中央委宣伝部長。
DIA-602-1971-01-19-3ソ連1971年01月19日1970年代イルトウイシュ河のトボリスク河港,拡張中。
DIA-602-1971-01-20-1ソ連1971年01月20日1970年代韓国,ソ連人の入国初許可。
DIA-602-1971-01-20-2ソ連1971年01月20日1970年代ソ連のミサイル艇がインド洋へ-南アフリカ海軍当局は20日,ミサイル積載快速艇を積んだソ連貨物船バクリア2号が5日,喜望峰回りでインド洋上に入ったと発表した。
DIA-602-1971-01-21-1ソ連1971年01月21日1970年代日ソ航空交渉大筋で合意-わが国とソ連との航空交渉は11日から東京で行なわれていたが,21日大筋で両国の意見が一致,終了した。
DIA-602-1971-01-21-2ソ連1971年01月21日1970年代サハリン鉄道へ強力なディーゼル機関車-Gudok紙によば,サハリン縦貫鉄道のユジノ・サハリン線区へ新しいディーゼル機関車が到着した。昨年度は全貨物の60%がディーゼル機関車で輸送された。
DIA-602-1971-01-21-3ソ連1971年01月21日1970年代「フルシチョフ回顧録」は偽造とビクター・ゾルザ氏主張-共産圏問題専門家のビクター・ゾルザ氏は21日,英紙ガーディアンヘの寄稿記事の中で,最近発表された「フルシチョフ回顧録」は,KGB(ソ連国家保安委員会)とCIA(米中央情報局)の両者が関与した偽造文書である,と明らかにした。
DIA-602-1971-01-23-1ソ連1971年01月23日1970年代ナホトカの石油積込基地拡張-Vodnyy Transport紙によれば,最近ナホトカ港で石油積込基地の第2期工事分が営業に入り,毎年ここからタンカーで数百万トンの石油製品が発送されることになる。
DIA-602-1971-01-23-2ソ連1971年01月23日1970年代オセトロボ港の急速な拡張-Vodnyy Transport紙によれば,レナ河のオセトロボ港(ウスチ・クゥト市)は河岸に沿って長く伸びているが,輸送貨物の増加にともない手狭になってきた。ここへはヤクート自治共和国向けの貨物の3/4が送られてくる。1970年にはここから前年度より16.5%多い貨物が船で送り出された。次の5カ年計画ではヤクート自治共和国のダイヤ,金,ガス,コークス炭,鉄鉱石を開発するため,港をさらに急速に開発する必要にせまられている。
DIA-602-1971-01-24-1ソ連1971年01月24日1970年代コムソモリスク製鋼所-コムソモリスク市では製鋼所(アムールスタリ)が改造され拡張されている。第24回党大会を前に190万トンの粗鋼と58万トンの鋼材を生産する予定。
DIA-602-1971-01-24-2ソ連1971年01月24日1970年代極東漁業船団の拡充-Pravda紙によれば,ウラジボストーク極東漁業船団に,さらに1隻の大型漁業加工船が補充された。ボーランドで建造されたこの《マルシャル・ソコロフスキー》号は1年以上も港に立寄ることなしに作業を続け,毎昼夜50トンの塩漬と新鮮な魚,農業用飼料を供給できる。極東漁業はさきの5カ年計画期間だけでも,85隻の大型冷凍トロール漁船と20隻の漁業加工船を含む500隻以上の補充を受けた。
DIA-602-1971-01-24-3ソ連1971年01月24日1970年代ソ連各紙,人民公社の実態紹介-24日のソ連党機関紙プラウダはじめ各紙はタス通信のコルニコフ評論員の中国の人民公社の実態を紹介した記事を大きく掲載した。人民公社を支配しているのは軍であり,気違いじみた毛沢東思想学習の押しつけのなかで,収入の増大で生産を刺激しようとする考え方は反革命の修正主義とされ,農民は自家保有の食糧にもこと欠き,強制的に預金させられるわずかの収入も許可なしにはおろすことができない-と述べた。
DIA-602-1971-01-25-1ソ連1971年01月25日1970年代ソ連紙,自民党大会を非難-25日のモスクワ放送によると,同日付のソ連政府機関紙イズベスチヤは第25回自民党大会を論評して次のように述べている。①自民党は口先ではソ連との善隣関係強化の努力について確約しながら,現実には,クリール(千島)列島に対する不合理な要求と恥知らずな歴史のねつ造でこの関係に地雷をしかけている。②今日の報復主義的要求の根源は,日本の産軍複合体の思想にとりつかれた,経済力と軍事力のバランスをとるという一般的な傾向によこたわっている。③第2次世界大戦後,日本は1951年サンフランシスコ条約で南サハリンとクリール(千島)列島に対するすべての権利,法的根拠,請求権を放棄したのである。しかるに,これらの島々について日本古来の領土であるかのようないいぐさは報復主義的としか評価のしようがない。
DIA-602-1971-01-25-2ソ連1971年01月25日1970年代チェコ・フサーク第1書記訪ソ。
DIA-602-1971-01-26-1ソ連1971年01月26日1970年代ナホトカに極東最初の貿易銀行-Gudok紙によれば,ナホトカに極東で最初の貿易銀行支店が開業した。沿岸貿易の拡大で商品流通が6倍になり現在約50の外国銀行と取引している。
DIA-602-1971-01-26-2ソ連1971年01月26日1970年代サハリン全島の送電線工事-サハリン内送電線工事で地形上最も困難とされたユジノ・サハリンスク国営地区火力発電所-クラスノボリエ間の送電線が稼動に入った。
DIA-602-1971-01-26-3ソ連1971年01月26日1970年代自動ステーション金星7号,史上はじめて金星表面へ軟着陸。
DIA-602-1971-01-26-4ソ連1971年01月26日1970年代ソ連貿易額210億ルーブル-ボリリフ全ソ商業会議所会頭が26日明らかにしたところによると,1970年のソ連貿易額は,概算で210億ルーブル(84億円)で,69年の199億8000万ルーブルを上回った。
DIA-602-1971-01-26-5ソ連1971年01月26日1970年代米AP記者,モスクワで暴行受ける。
DIA-602-1971-01-27-1ソ連1971年01月27日1970年代カラクゥムイ砂漠に大きな精油工場建設。
DIA-602-1971-01-28-1ソ連1971年01月28日1970年代サバイカル鉄道の電化作業-28日付Gudok紙によれば,昨年の暮れにザバイカル鉄道の西端(東シベリア鉄道の東端)のペトロフスキー・ザボード駅に最初の電気機関車が到着した。
DIA-602-1971-01-29-1ソ連1971年01月29日1970年代プラウダ紙ポーランド情勢を社会主義の敵と非難。
DIA-602-1971-01-31-1ソ連1971年01月31日1970年代西シベリア冶金工場の発表-クズバスのノボクズネックの西シベリア冶金工場では第2高炉を完成,次いでコークス炉と焼結設備を仕上げた。
DIA-602-1971-01-31-2ソ連1971年01月31日1970年代ハバロフスク空港の現況-1970年中,ハバロフスク空港を3万人の外国人を含めて270万人の旅客が通過した。
DIA-602-1971-01-31-3ソ連1971年01月31日1970年代ビリュイ水力発電所稼動開始-Pravda紙によれば,ヤクート自治共和国のビリュイ水力発電所の第1期工事分が稼動をはじめた。高圧送電線はここから数百kmにわたってダイヤモンド産地の都市や部落にのびている。
DIA-602-1971-01-31-4ソ連1971年01月31日1970年代ソ連首相,西独に協力要請-コスイギン首相は訪ソ中の西独大型経済使節団に対して消費財生産工場の建設,ウドカン銅山開発,カマ川沿いの大型トラック工場建設などでの協力など具体的な提案を行なった。
DIA-602-1971-02-01-1ソ連1971年02月01日1970年代“ビジネス・スクール”創設-“ビジネス・スクール”が閣僚会議付属の科学技術委員会の下に,「経済管理研修所」と銘打ってこの1日からモスクワで“開校”した。開校式には担当のキリリン副首相,コスイギン首相自ら臨んで経済管理の改善と技術革新の必要を訴えた。最初の聴講生は「大臣,次官,地域・地区経済担当の長,企業長」で第1回の講義は「電算機と数理経済学を利用した国民経済の管理の自動化の基本原理」で,講師はグルシコフ・アカデミー会員。
DIA-602-1971-02-02-1ソ連1971年02月02日1970年代オホーック海の砕氷船(レニングラード》号-Vodnyy Transport紙によれば,ウラジボストークからマガダンのナガエボ湾に砕氷船《レニングラード》号が到着した。同砕氷船は湾に入る前,長さ約150哩の氷の障害を克服した。同砕氷船はオホーツク海のこの海域に約3カ月行動し,コルイマ,チュコトカ,ヤクートの住民向け貨物をマガダンに輸送する船団の誘導に当ることになっている。
DIA-602-1971-02-02-2ソ連1971年02月02日1970年代ソ連船員,塩釜港で逃亡,日本へ亡命申出。
DIA-602-1971-02-09-1ソ連1971年02月09日1970年代コスイギン首相の親書,西独首相へ-ツアラプキン駐西独大使は9日夜,ブラント首相にコスイギン親書を手交したが,コ首相は独ソ条約の批准を望む旨述べたと伝えられる。
DIA-602-1971-02-10-1ソ連1971年02月10日1970年代ウラジボスト-クへの移民増加-Stroitelinaja Gazeta紙によれば,このほどウラジボストークの中心部に建設中の一連の16階建住宅アパートの最初の一つに新しい入居者126家族が移ってきた。前5カ年計画の期間に5万家族以上が沿海地方に移住してきた。
DIA-602-1971-02-11-1ソ連1971年02月11日1970年代ナホトカ港の発展-Vodnyy Transport紙によれば,ナホトカ港は今年に入ってからすでにサハリン,カムチャツカ,マガダン向け,その他輸出向けの貨物250万トンを送りだした。
DIA-602-1971-02-12-1ソ連1971年02月12日1970年代西シベリア冶金工場の第3高炉-ケメロボ州のノボクズネックの西シベリア冶金工場で建設中の第3高炉は総容量3,000m3,ソ連で建設中のものでは最大,全重量5万トン以上,高さ82m,採鉱口3個,連続出銑1昼夜に20回まで,炉の需要量は昼夜にコークス80貨車,精選鉱170貨車,1年の鉄生産高200万トンと称される。
DIA-602-1971-02-12-2ソ連1971年02月12日1970年代ソ連議長,佐藤首相の訪ソを望む-中川駐ソ大使は12日,クレムリンでボドゴルヌイ・ソ連最高会議幹部会議長に離任のあいさつをしたが,そのさい同議長は「佐藤首相の訪ソを希望する」と述べた。
DIA-602-1971-02-14-1ソ連1971年02月14日1970年代新5カ年計画発表-ソ連共産党中央委員会は14日,国民経済発展第9次5カ年計画(71-75年)に関する党指令草案の内容を発表した。この草案は3月30日から始まる第24回党大会で正式採択される。第9次5カ年計画における工業成長率は42~46%と前回の5カ年計画(47-50%)よりかなり低く抑えられている。
DIA-602-1971-02-14-2ソ連1971年02月14日1970年代新5カ年計画のシベリア開発-第9次5カ年計画指令草案ではシベリアの経済建設について次のように規定された。①西シベリアの原油産出量を1970年には1億2000万~1億25000万トンに引上げる,②年間50億~60億m3のガスを加工するガス加工工場を建設する,③チュメーニ州北部の大きなガス床の開発を促進する,④トボリスクとトムスタの両地区で大きな石油化学工場の建設に着手する,⑤スゥルグゥト国営地区火力発電所を稼動させる,⑥チュメーニ-トボリスクとスゥルグゥト鉄道の建設を完成する,⑦トボリスクとスゥルグゥトの河川港の建設を終り,ニジネ・ワルトフスコエ港の設備をはじめる,⑧自動車道路と飛行場および通信網を拡張する,⑨ウラルと欧ソへのガスパイプライン,シベリア,カザフスタンおよび欧ソの精油工場への石油パイプラインの建設を行なう,⑩クズバスの採炭量を1億3500万トンまで引上げ,エルナコボ・コークス炭田の開発をはじめ,ラスパドスカヤ第1.第2,ビリュリンスカヤ第2,ノボ・コルビンスキー炭坑の建設を完了し,ケドロボ炭坑の改造を終る,⑪西シベリア冶金工場の建設を続ける,⑫アルタイ地方のコークス化学工場,合成せんい工場,機械製作工場の建設に着手,⑬アチンスク精油工場の早期建設を行なう,⑭クラスノヤルスク・アルミニューム工場の建設を完成する,⑮ノリリスク採鉱冶金工場の銅とニッケル生産を著しく増大する,⑯サヤノ水力発電所に含まれるサヤノ地域工場集団の編成に着手する,⑰ブラーツク地域生産工場群を一層発展させる,ブラーツク・アルミニューム工場と同木材工業企業群の建設を終る,⑱ウスチ・イリムスク水力発電所の最初の発電機を稼動させ,ウスチ・イリムスク木材工業企業群の建設を発展させる,⑲チタ州のジレケンスク採鉱富化モリブデン・コンビナートの建設を終る。
DIA-602-1971-02-14-3ソ連1971年02月14日1970年代新5カ年計画の極東開発-第9次5カ年計画指令草案で,極東の経済建設にいて次のように規定された。①石炭,錫,タングステン原鉱,水銀,金,ダイヤモンドの採掘量を増大する,②コムソモリスクの精油工場の拡張を終り,かつ新しい精油工場の建設をはじめる,③ゼーヤ河水力発電所とプリモルスカヤ(沿海)国営地区火力発電所の最初の発電機を稼動させる,④コルイマ河水力発電所の建設に着手する,⑤木材,セルローズ,厚紙,家具,食糧品および水産物の生産を著しく増大する,⑥魚工場の機械設備を強化し,船舶修理工場の能力を増大し,海港と埠頭の改造と拡張を行なう,⑦大豆,米の生産,トナカイ飼育をふやす,⑧3万1000ヘクタールの灌漑地の作付をはじめ,36万ヘクタールの湿地を干拓し,20万ヘクタールに工業作物を植える,⑨極東とシベリアへの移民,要員定着のための条件をつくり,住宅,福祉施設,社会文化施設の建設を早めに発展させる。
DIA-602-1971-02-19-1ソ連1971年02月19日1970年代ソ連政府,人権委員会を非合法化-消息筋が20日伝えたところによると,昨年11月15日著名な物理学者サハロフ氏らによって創設され,ノーベル賞作家ソルジェニツィン氏も準会員となっていた「ソ連人権委員」は19日,当局の手で非合法化され,活動停止を命ぜられた。
DIA-602-1971-02-19-2ソ連1971年02月19日1970年代「ひかり」出品に難色-ソ連東欧貿易会は,この夏モスクワで開かれる鉄道車両展にソ連側の強い要請を受けて新幹線「ひかり」の出品について国鉄と交渉を行なってきたが,国鉄側ではノウハウの漏えいを主な理由にして出品を渋っているため,事実上出品はむずかしい見通しとなった。
DIA-602-1971-02-19-3ソ連1971年02月19日1970年代《極光》ガスパイプライン建設-チュメーニ州北部からウラルを越えウフタに向う大型ガスパイプライン《セーベルノエ・シャーニエ》(極光)の建設は急テンポで進んでいる。パイプの口径は142cm,始発点はウラル山麓の豊富な《メドゥェジェ》ガス床。
DIA-602-1971-02-22-1ソ連1971年02月22日1970年代北海道でソ連船にタコつり縄を切られる。
DIA-602-1971-02-23-1ソ連1971年02月23日1970年代ソ連の失業手当-ソ連科学アカデミー経済研究所機関誌「経済の諸問題」2月号は政府が過去1年間企業の管理スタッフに失業手当を支給していることを明らかにした。ブレジネフ政権は企業が事務員を必要以上に多くかかえ込んでいるのを非難,大幅な冗員整理を命じたが,同誌によれば企業内の事務員で解雇されたものに対し,職業再訓練の名において,3カ月間,それまでの俸給と同額の手当を支給していると述べている。
DIA-602-1971-02-24-1ソ連1971年02月24日1970年代氷海を活動する極東の砕氷船レーニン号-極東海運局の70隻の船舶は計画以上数万トンの貨物を輸送したが,砕氷船(レーニン》号は困難な氷の状況下,これらの船舶を誘導している。ディーゼル船(ピオネール》号,(パルナウル》号,(プゥチャーチン》号,(パルグゥジン》号などは,《レーニン》号の援助で困難な航海をよく完成した。 注 これは原子力砕氷船レーニン号とは別の船である。
DIA-602-1971-02-24-2ソ連1971年02月24日1970年代ソ連文化人,ブリュッセルで開かれたユダヤ人会議を非難。
DIA-602-1971-02-26-1ソ連1971年02月26日1970年代宮本日共委員長,外人記者クラブで日ソ両党会談を示唆。
DIA-602-1971-02-27-1ソ連1971年02月27日1970年代ソ連・タイ航空交渉妥結。
DIA-602-1971-02-27-2ソ連1971年02月27日1970年代日ソ民間文化交流協定結ばる。
DIA-602-1971-02-28-1ソ連1971年02月28日1970年代ソ連,イスラエル非難の声明発表。
DIA-602-1971-03-01-1ソ連1971年03月01日1970年代日ソ・カニ交渉レニングラードで始まる。
DIA-602-1971-03-01-2ソ連1971年03月01日1970年代テレビなど値下げ-1日からソ連はテレビ,オートバイ,ボールペン,電気かみそりなど消費財の一部を値下げした。
DIA-602-1971-03-01-3ソ連1971年03月01日1970年代タイ・ソ連民間航空協定仮調印。
DIA-602-1971-03-04-1ソ連1971年03月04日1970年代ソ連ユダヤ人49人がイスラエルに移住。
DIA-602-1971-03-04-2ソ連1971年03月04日1970年代日ソ・カニ交渉。今年も「交渉方式」で。
DIA-602-1971-03-10-1ソ連1971年03月10日1970年代駐ポーランド大使更迭-ソ連は10日,ポーランド駐在のアリストフ大使を解任し後任に白ロシア共和国中央委書記のスタニスラフ・ピロトビッチ氏を任命した。アリストフ氏はフルシチョフ時代の1957年に党幹部会員(現政治局員)を勤めたことがある大物大使だった。その後,フルシチョフ前首相と意見が対立し,60年に幹部会員から追われ,61年に駐ポーランド大使に流され,いままでワルシャワにとどまっていた。スターリン主義的な休質の持主で,ゴムルカの前ポーランド党第1書記に密接すぎたため,ポーランドの現状分析で客観性を欠き失敗したという。
DIA-602-1971-03-11-1ソ連1971年03月11日1970年代ソ連,ルーマニア駐在大使を召還。
DIA-602-1971-03-11-2ソ連1971年03月11日1970年代ソ連核戦力5~6年後には米国を追抜くとムーラー米統合参謀本部議長証言。
DIA-602-1971-03-13-1ソ連1971年03月13日1970年代ソ連軍すでにアラブ連合から撤収とマンスフィールド議員語る。
DIA-602-1971-03-13-2ソ連1971年03月13日1970年代日共代表団,日ソ両党会議のためモスクワへ出発。
DIA-602-1971-03-15-1ソ連1971年03月15日1970年代日ソ共産党会談始まる-日本共産党とソ連共産党との関係改善についての会談が15日午前11時(日本時間午後5時)からモスクワのソ連共産党本部で始まった。日本共産党からは団長の西沢富夫・中央委常任幹部会委員ら代表団全員,ソ連共産党からはスースロフ政治局員らが出席した。
DIA-602-1971-03-15-2ソ連1971年03月15日1970年代スペイン,ソ連と通商協定で協義。
DIA-602-1971-03-16-1ソ連1971年03月16日1970年代日ソ航空協定調印。
DIA-602-1971-03-17-1ソ連1971年03月17日1970年代日ソ共産党会談終了。
DIA-602-1971-03-18-1ソ連1971年03月18日1970年代カニ交渉は中断。
DIA-602-1971-03-18-2ソ連1971年03月18日1970年代2日から東京で開かれている日ソサケ・マス交渉実質討議へ。
DIA-602-1971-03-18-3ソ連1971年03月18日1970年代ユダヤ系市民の出国拡大か?-ソ連政府は最近移住ワク拡大の決定を下し,推定320万人といわれるユダヤ系市民のほぼ1割に対してこれを認めることになったとモスクワ消息筋は伝えた。
DIA-602-1971-03-18-4ソ連1971年03月18日1970年代西シベリア製鉄所第3高炉稼動。
DIA-602-1971-03-19-1ソ連1971年03月19日1970年代新開欽哉・新駐ソ大使赴任。
DIA-602-1971-03-19-2ソ連1971年03月19日1970年代ソ連当局,ユダヤ人大量移住許可説を否定。
DIA-602-1971-03-20-1ソ連1971年03月20日1970年代日共代表団モスクワより帰国。
DIA-602-1971-03-20-2ソ連1971年03月20日1970年代(アムールスタリ》創業以来1000万トンの鉄を生産-コムソモリスクの《アムールスタリ》(アムール製鉄所)は創業以来1000万トンの鋼を生産した。
DIA-602-1971-03-22-1ソ連1971年03月22日1970年代ソ連党大会に出席の日共代表団決まる-共産党は30日から開くソ連共産党第24回大会へ派遣する代表団のメンバーを22日,次のように発表した。団長・常任幹部会委員西沢富夫,団員・幹部会委員砂間一良,随員・国際部員佐々木一司,同聴濤弘。
DIA-602-1971-03-23-1ソ連1971年03月23日1970年代ソ連外国貿易省次官,対中,対日貿易について語る-アルヒーモフ・ソ連外国貿易省次官は23日の記者会見で,①昨年11月の中国との協定で,ことし末までの両国間の貿易額を1億2000万ないし1億3000万ルーブル(1ルーブルは公定レートで400円)まで拡大することで合意した,②昨年の日本との貿易は6億5230万ルーブルで,日本は資本主義国中第1位を占めた-などの点を明らかにした。
DIA-602-1971-03-23-2ソ連1971年03月23日1970年代周首相,ソ連大任と会談-タス通信は23日,周恩来中国首相とトルスチコフ中国駐在ソ連大使および中ソ国境会談のソ連首席代表イリイチヨフ外務次官が21日北京で会談したことを報道した。中国側から姫鵬飛外相代理,喬冠華外務次官兼中ソ交渉中国首席代表が参加した。
DIA-602-1971-03-25-1ソ連1971年03月25日1970年代チュメーニ油田の発展-ニジネ・ワルトフスコエ・ガス石油局と《ユガンスク・ネフチ》(ユガスコエ石油)局はチュメーニ油田系で,計画より7万5000トン多い石油を採掘した。これらの企業は年度のはじめから全シベリア石油採掘量の2/3に当る550万トンを採掘した。
DIA-602-1971-03-25-2ソ連1971年03月25日1970年代コルイマ水力発電所建設はじまる-マガダンからの通信によれば,コルイマ水力発電所建設地近くにできる都市シネゴリエ街の設計ができ上った。水力発電所建設予定地のコルイマ河峡谷には,高圧送電線と自動車道路が建設されはじめている。
DIA-602-1971-03-27-1ソ連1971年03月27日1970年代各国党代表団続々モスクワ入り-27日のモスクワ放送によると,ソ連共産党中央委員会の招請で30日から開かれる同党第24回大会に出席するためオーストラリア,ボリビア,デンマーク,インド,米国,トルコ,セイロン,プエルトリコ各共産党,ベトナム労働党,イラン人民党,ニカラグア社会党,南ベトナム民族解放戦線,ギニア民主党,ギニア・カポベルデ諸島アフリカ独立党,ラオス愛国戦線,モーリタニア人民党,日本社会党の各代表団がモスクワに到着した。
DIA-602-1971-03-28-1ソ連1971年03月28日1970年代西沢氏ら日共代表団ソ連へ出発-ソ連共産党の第24回大会に出席する日本共産党の西沢富夫団長(常任幹部会委員)団員の砂間一良幹部会委員(国際委員会責任者),随員聴濤弘国際部員は28日午後零時50分羽田発のアエロフロート機でモスクワに向った。
DIA-602-1971-03-28-2ソ連1971年03月28日1970年代ソ連,「東」パキスタンの承認を考慮かと英オブザーバー紙報道。
DIA-602-1971-03-30-1ソ連1971年03月30日1970年代第24回党大会開幕。
DIA-602-1971-03-30-2ソ連1971年03月30日1970年代トンキン湾で中ソ船衝突事故,中国漁船沈没。
DIA-602-1971-03-30-3ソ連1971年03月30日1970年代党員証書換えか?-ソ連共産党のブレジネフ書記長は30日,党大会の報告の中で「1400万党員の党員証書換えを通じて広範な党員活動の再検討を実施する」と述べた。西側専門家筋はこれが一部の幹部党員に対する新しい追放処分の始まりになるのではないかと注目している。ブレジネフ書記長は同報告の中でこの点について,①党員証書換えを慣例として行なうことは考えていない,②書換えは単なる形式として行なうのではなく,重要な政治組織上の運動として実施されるべきだ,③この方法によって,党員たるに値すると認定された者のみが,党員証を返却される,と述べている。西側専門家によると,前回の党員証の書換えは1930年代に行なわれ,33年に220万人だった党員が38年には140万人に減っており,追放された党員の多くは投獄または銃殺されたといわれる。
DIA-602-1971-03-31-1ソ連1971年03月31日1970年代ブレジネフ報告の討議開始-ソ連共産党大会は31日午前10時から再開され,前日のブレジネフ書記長の中央委員会報告とシゾフ中央監査委議長の報告について討論を開始した。まずグリシン・モスクワ市党第1書記が発言し「昨年末までの5カ年計画中にモスクワでは新しい通りや地下鉄ができ,2600万平方メートルの住宅が建設された」と述べた。またシュレスト・ウクライナ党第1書記(政治局員)は「過去5カ年間にウクライナでは工業総生産は約50%と高まった」と演説した。これに先立ち,シゾフ議長は30日の会議で中央監査委員会の報告を行ない「中央委員会の機関は正確で調和がとれ,効果的な活動を行なっている」と述べた。
DIA-602-1971-03-31-2ソ連1971年03月31日1970年代ハノイ紙報道せず-ハノイ発のAFP電によると,31日のハノイ各紙はソ連共産党大会の開会には全然ふれていない半面,ベトナム,ラオス,カンボジア3国人民の南部ラオスにおける“偉大なる勝利”に対して,中国の毛沢東主席,林彪副主席,周恩来首相から寄せられたメッセージを全紙が一面に掲載しているという。
DIA-602-1971-03-31-3ソ連1971年03月31日1970年代「北」第1書記謝辞-ソ連共産党第24回大会第2日の午前の会議で,外国代表の筆頭として北ベトナム労働党代表団のレ・ジュアン第1書記が挨拶し,プロレタリア国際主義の原則に基づいてベトナム人民の帝国主義反対闘争に与えられた支援に対し,ソ連共産党・政府および全ソ連国民に深い感謝の意を表明した。
DIA-602-1971-04-05-1ソ連1971年04月05日1970年代ヤヒア大統領ソ連に回答-パキスタンのヤヒア・カーン大統領は,さきに東パキスタン問題の平和解決を要請したソ連のボドゴルヌイ最高会議幹部会議長に対して5日「いかなる国であろうと他国への内政干渉を支持あるいは容認することは,国連憲章を否定することになる」と答えた。
DIA-602-1971-04-06-1ソ連1971年04月06日1970年代軍縮委でソ連が核不使用条約を示唆-ソ連のロシチン代表は6日のジュネーブ軍縮委で,前回の生物(B)兵器禁止条約新草案に引続いて演説,24回ソ連共産党大会でのブレジネフ書記長の軍縮演説を補足する形で,さらにソ連の軍縮に対する態度を表明した。
DIA-602-1971-04-06-2ソ連1971年04月06日1970年代コスイギン首相が報告-コスイギン首相は6日開かれたソ連共産党第24回大会7日目の会議で,「国民経済発展第9次5カ年計画(1971-75年)に関する党指令」について報告を行なった。
DIA-602-1971-04-08-1ソ連1971年04月08日1970年代コスイギン報告を承認-第24回ソ連共産党大会は8日午前,コスイギン首相が6日報告した第9次5カ年計画党指令草案を,同首相の演説ののち全員一致で承認した。
DIA-602-1971-04-08-2ソ連1971年04月08日1970年代ソ連党大会アピール採択-ソ連共産党第24回大会は,8日の会議で,米国のインドシナ侵略の停止を要求するつぎの呼びかけを満場一致で採択した。 1.南ベトナム,カンボジア,ラオス人民の英雄的闘争に感激を表明し,侵略者に対するこれら諸人民の勝利を確信する。 2.インドシナ問題の調整の基礎はベトナム民主共和国,南ベトナム共和国臨時革命政府,ラオス愛国戦線およびカンプチア民族統一戦線の諸提案であり,これは米国とその同盟者の軍隊の撤退,自国の主人であるためのインドシナ諸人民の正当な権利の実現を予定している。 3.ソ連はベトナム民主共和国の社会主義建設および帝国主義者の侵略に対する反撃に支援を与えてきた。ソ連は南ベトナム,ラオス,カンボジア,の民族解放運動を断固支持している。ソ連共産党第24回大会は,この方針をとっていくことを厳粛に声明する。
DIA-602-1971-04-08-3ソ連1971年04月08日1970年代ソ連共産党大会10日目-ソ連共産党第24回大会は8日,新5カ年計画に対するコスイギン首相の結語演説のあと「中東」に関する大会声明,インドシナ問題に関する大会でのアピールをそれぞれ採択,最終義題である党中央諸機関の選出に入った。コスイギン首相の結語演説は「新5カ年計画の仕上げと年次別,部門別,地域別の計画課題の策定の作業は8月1日までに完了しなければならない」と述べている。「中東」声明ではアラブ民族への支援を誓い,インドシナ問題での大会アピールでは「ソ連共産党は南ベトナム,ラオス,カンボジアの民族解放運動をさらに支援することを申合わせた」と述べている。
DIA-602-1971-04-09-1ソ連1971年04月09日1970年代新政治局員選出-ソ連共産党第24回大会最絡日は9日午前10時(日本時間午後4時)からクレムリン大会宮殿で開かれ,ブレジネフ書記長が新たに選出された同党の新指導部を次のように発表した。
DIA-602-1971-04-09-2ソ連1971年04月09日1970年代中央政治局員(15人)=ブレジネフ,ポドゴルヌイ,コスイギン,スースロフ,キリレンコ,ペリシェ,マズロフ,ポリャンスキー,シュレスト,ウオロノフ,シュレーピン(以下再選),グリシン,クナエフ,シチュルビツキー,クラコフ(注,政治局員は11人から15人にふえた)。
DIA-602-1971-04-09-3ソ連1971年04月09日1970年代政治局員候補(6人)=アンロポフ,ウスチノフ,デミチェフド,ラシドフ,マシュロフ,ムジャワナーゼ
DIA-602-1971-04-09-4ソ連1971年04月09日1970年代書記局員(10人)=ブレジネフ(書記長),スースロフ,キリレンコ,クラコフ,ウスチノフ,デミチェフ,カピトノフ,ポノマリョフ,カツシェフ,ソロメンツェフ
DIA-602-1971-04-09-5ソ連1971年04月09日1970年代中央委統制委員会議長=ペリシェ
DIA-602-1971-04-09-6ソ連1971年04月09日1970年代中央監査委員会議長=シゾフ
DIA-602-1971-04-09-7ソ連1971年04月09日1970年代第24回党大会閉幕-大会は新党役員を選出後,ブレジネフ書記長の「党中央委活動報告」に関する大会決議,コスイギン首相による「71~75年のソ連国民経済発展5カ年計画」報告を承認,これを第24回党大会指令として採択,また党大会の開催を従来の4年ごとから5年ごと開催に変更する党規約一部改正に関する大会決定を満場一致で採択し,ブレジネフ書記長の結語演説のあと,インターナショナルを合唱して,正午すぎ大会の幕を閉じた。
DIA-602-1971-04-09-8ソ連1971年04月09日1970年代ソ連貿易次官ら,日本政財界首脳と会談-来日中のイワコフ・ソ連外国貿易銀行総裁,アルヒーモフ・ソ連貿易次官は9日,福田蔵相,宮沢通産相,植村甲午郎経団連会長,岩佐凱実日ソ経済委決済問題委員長ら政・財界首脳を歴訪,日ソ貿易と経済交流を拡大するため,バンク・ローンを供与するよう要請した。これに対し福田蔵相,宮沢通産相は「バンク・ローンはどこの国に対しても与えておらず,ソ連にだけ認めるわけにもいかない。現在の延払い方式で充分である」とそれぞれ答え,ソ連側の要請を断わった。また植村会長,岩佐委員長も「前向きに検討したいが,政府側の意向を尊重せざるをえない」と述べ,消極的な態度を示した。
DIA-602-1971-04-09-9ソ連1971年04月09日1970年代ブレジネフ書記長の結語演説の内容-ソ連共産党大会最終日の会議に行なわれたブレジネフ書記長の結語演説要旨次の通り。 1.経済政策における先の路線は,ソ連国民の生活改善の路線である。工業の防衛部門をはじめ重工業の発展に対する関心を低めず,党は勤労者の福祉の本質的向上を重要な課題としている。 2.社会政策の領域での先の路線は,ソ連社会の統一の一層の強化,すべての階級と社会グループ,すべての大小民族の接近をめざす路線であり,社会主義的民主主義の発展,社会および国家の課題の解決へのより広範な大衆の参加,安らかな,働きやすい,平穏な生活を送れる精神的,政治的状況の国内における定着をめざす路線である。 3.党の路線は,社会に対する党の指導の方法の改善,党と労働者階級,全ソ国民との結びつきの強化をめざす路線である。 4.対外政策の分野における党の路線は平和と国際安全,社会主義諸国との友好,全世界の解放,反帝勢力との同盟の路線である。第24回党大会によって打出された平和と自由,民族の独立をめざすたたかいのプログラムは全世界の広範な反響をかちとった,とすでに今日いうことができよう。 5.このように,第24回党大会で検討された行動綱領の中心となっているものは,ソ連国民の最も緊要かつ切実な利益である。
DIA-602-1971-04-10-1ソ連1971年04月10日1970年代ソ連中央委員46人ふえる-ソ連共産党機関紙,プラウダが10日報ずるところによると,8日の党大会で党中央委員および同候補396人が選出された。これまでの中央委員と同候補の数は360人であるから36人の増員でうち138人は新人である。増員分はすべて中央委員であり,中央委全体の数は46人ふえた。この半面,同候補の数は10人減少した。
DIA-602-1971-04-11-1ソ連1971年04月11日1970年代米卓球チーム訪中,反ソに直結を恐れる-タス通信は10日,米卓球チームおよび米人記者の初の訪中をコメント抜きで簡単に報道した。ソ連は中国の対米,さらに広く日本など西側への接近が反ソに直結するのを非常に恐れていると伝えられる。
DIA-602-1971-04-14-1ソ連1971年04月14日1970年代イズベスチヤ,ニシンの乱獲を非難-14日付のソ連政府機関紙イズベスチヤは全ソ漁業海洋科学研究所長ボグダノフ氏の「太平洋ニシンをめぐって」という論文で,日本のニシンの乱獲を非難,漁業委員会での規制強化措置に合意するよう求めた。
DIA-602-1971-04-14-2ソ連1971年04月14日1970年代チュコトカ-モスクワ間をオートバイで突破中-チェコトカ-モスクワ間1万2000kmを《ウラル=120M》型オートバイで突破する計画が行なわれている。2人の選手たちはビリビノをスタート,300kmの冬季道をコルイマ河右岸のチェルスキー村に出て,そこから飛行機でセイムチャンに飛び,再びオートバイで,マガダン-ヤクーツク-アルダン-イルクーツク-トムスク-カザンを経て,5月9日にモスクワに到着する予定である。
DIA-602-1971-04-15-1ソ連1971年04月15日1970年代ソ連,反党分子とその絶縁約すと帰国の日共代表語る。
DIA-602-1971-04-15-2ソ連1971年04月15日1970年代オビ-ボルガ間大陸横断石油パイプライン-目下設計中のオビ河流域からボルガ河流域に出るウスチ・バルイク-クゥルガン-ウファ-アリメチェフスク間,延長約2,000kmの大陸横断石油パイプラインは,1973年に稼動開始の予定。
DIA-602-1971-04-15-3ソ連1971年04月15日1970年代オランダ・ユダヤ系米人,ソ連通商代表部爆破で逮捕。
DIA-602-1971-04-16-1ソ連1971年04月16日1970年代「周恩来はニクソンに奉仕」とモスクワ放送非難。
DIA-602-1971-04-16-2ソ連1971年04月16日1970年代ゼーヤ水力発電所の建設計画-ゼーヤ水力発電所建設技師長の語るところによれば,第24回党大会指令による第9次5カ年計画中にゼーヤ水力発電所は最初の発電機(複数)を稼動させることになった。1972年10月にゼーヤ河は閉塞される。ダムの堰堤は高さ115m,長さ709m,1974年に人工湖の貯水がはじまる。ゼーヤ水力発電所はハバロフスク地元南部の工業,農業,鉄道輸送の発展に大きく寄与することになろう。
DIA-602-1971-04-16-3ソ連1971年04月16日1970年代スウェーデンに放射能雲,ソ連地下核実験から漏出か。
DIA-602-1971-04-16-4ソ連1971年04月16日1970年代ソ連の人口2億4000万-ソ連中央統計局は16日,昨年1月に行なわれたソ連国勢調査の第1段階を次のように発表した。昨年1月15日現在のソ連人口は2億4072万0134人,うち男子1億1039万9377人,女子1億3032万0757人。
DIA-602-1971-04-17-1ソ連1971年04月17日1970年代ソ連の漁業規制に抗議して日本漁業者600人がデモ。
DIA-602-1971-04-18-1ソ連1971年04月18日1970年代ソ連,アルジェリアにミグ機を配置。
DIA-602-1971-04-18-2ソ連1971年04月18日1970年代中国漁船の22人死傷,航海規則違反のソ連船と衝突-北京18日発新華社電は「3月31日未明ソ連汽船テルマン号が広東省海南島三亜港西南方の海上で,中国の漁船に衝突沈没させ,このため中国の漁民11人が死亡,11人が負傷した」と報じた。新華社電はさらに,この重大な海難事件はテルマン号が公認の国際海上船舶衝突防止規則に従わなかったために起きたものであり,事故発生後も同船がしかるべき救助措置を取らなかったと述べ,タス通信が「中国漁船が無灯火で航行中」と報じたことにも「事実をゆがめたもの」と激しく反論している。
DIA-602-1971-04-19-1ソ連1971年04月19日1970年代国境交渉ソ連代表団長ら北京に帰任-ソ連共産党第24回大会に出席のため北京を離れていたソ中国境交渉ソ連政府代表団長イリイチョフ・ソ連外務次官とトルスチコフ中国駐在ソ連大使が同日モスクワから北京に帰任した。
DIA-602-1971-04-20-1ソ連1971年04月20日1970年代自衛隊機博多沖で,ソ連艦を誤認攻撃演習。
DIA-602-1971-04-20-2ソ連1971年04月20日1970年代赤城宗徳氏,カニ交渉打開のためモスクワ着。
DIA-602-1971-04-20-3ソ連1971年04月20日1970年代ソ連カニ船団,津軽海峡を通過。
DIA-602-1971-04-20-4ソ連1971年04月20日1970年代ソ連,セイロンにミグ提供。
DIA-602-1971-04-21-1ソ連1971年04月21日1970年代ソ連の支援は口先だけとシアヌーク殿下発言。
DIA-602-1971-04-21-2ソ連1971年04月21日1970年代赤城特使,ソ連側と会談-日ソ・カニ交渉に関する特派大使の赤城宗徳氏は21日午後3時半(日本時間同午後9時半)ソ連漁業省にイシコフ漁業相をたずね,会談した。赤城氏には新関駐ソ大使,森沢カニ交渉首席代表らが同行した。
DIA-602-1971-04-21-3ソ連1971年04月21日1970年代日ソサケ・マス交渉,ヤマ場へ。
DIA-602-1971-04-21-4ソ連1971年04月21日1970年代ウィーンでSALTの64回会談開く。
DIA-602-1971-04-21-5ソ連1971年04月21日1970年代ソ連誌ノーボエ・ウレーミヤ,卓球外交を初論評。
DIA-602-1971-04-21-6ソ連1971年04月21日1970年代モスクワでソ連,ア連合会談。
DIA-602-1971-04-22-1ソ連1971年04月22日1970年代ことし初の地下核実験。
DIA-602-1971-04-22-2ソ連1971年04月22日1970年代コルイマ水力発電所の建設はじまる。
DIA-602-1971-04-23-1ソ連1971年04月23日1970年代ソ連首脳,パキスタンへ2度目の親書。
DIA-602-1971-04-23-2ソ連1971年04月23日1970年代ソユーズ10号打上げ。
DIA-602-1971-04-23-3ソ連1971年04月23日1970年代コスモス407号打上げ。
DIA-602-1971-04-23-4ソ連1971年04月23日1970年代複数核弾頭の配備,ソ連,すでに始める?と米紙報道。
DIA-602-1971-04-23-5ソ連1971年04月23日1970年代社会党,ソ連大使館へ漁業交渉の解決要望。
DIA-602-1971-04-23-6ソ連1971年04月23日1970年代ソ連東欧貿易会,ソ連と技術協力調印-ソ連東欧貿易会(会長堀江薫雄氏)は23日,ソ連科学技術国家委員会との間で,1971年の日ソ間の科学技術協力に関する議定書に調印した。議定書による技術協力関係のあらましは次の通り。 1.ソ連側は貿易会がソ連に派遣する工作機械,造船などの視察団を受入れる。 2.貿易会はソ連側が,日本に派遣する圧延用機械,医療用酵素などの視察団を受入れる。 3.ソ連側はソ連で行なわれる各種の見本市で,日本側の諸機関が行なう技術講演を支援する。
DIA-602-1971-04-25-1ソ連1971年04月25日1970年代ソユーズ10号帰還。
DIA-602-1971-04-25-2ソ連1971年04月25日1970年代ウランゲリ港の建設状況-建設中のウランゲリ港は港湾従業員用建物の基礎工事が終り,いま引込鉄道の路盤工事をはじめている。
DIA-602-1971-04-25-3ソ連1971年04月25日1970年代ソ連,カザフ共和国で再び地下核実験。
DIA-602-1971-05-01-1ソ連1971年05月01日1970年代西シベリア冶金工場の大型高炉,一昼夜に5,158トン出銑。
DIA-602-1971-05-03-1ソ連1971年05月03日1970年代ウルブリヒト東独第1書記辞任-東独のウルブリヒト社会主義統一党第1書記兼国家評議会議長は3日,突然第1書記を辞任し,その地位をホーネッカー政治局員兼党書記に譲った。
DIA-602-1971-05-03-2ソ連1971年05月03日1970年代ホーネッカー氏に祝電-ブレジネフ・ソ連共産党書記長は東独社会主義統一党(SED)第1書記に選出されたホーネッカー政治局員に対し,祝電を送った。
DIA-602-1971-05-03-3ソ連1971年05月03日1970年代ウルブリヒト辞任はクレムリンとの関係悪化が原因とロンドンの見方。
DIA-602-1971-05-03-4ソ連1971年05月03日1970年代コルイマのビリビノ金鉱作業開始。
DIA-602-1971-05-04-1ソ連1971年05月04日1970年代ソ連代表,皇太子訪問-日ソ漁業交渉のソ連側代表として来日中のモイセーエフ氏が4日午後,東宮御所に皇太子殿下をたずね,1時間,サカナ談議をした。
DIA-602-1971-05-05-1ソ連1971年05月05日1970年代北海道漁業者,にしん強行出漁決議。
DIA-602-1971-05-05-2ソ連1971年05月05日1970年代東独の首脳交代をソ連当局歓迎。
DIA-602-1971-05-06-1ソ連1971年05月06日1970年代中国は米ソの武力衝突望むと「新時代」誌再び中国非難。
DIA-602-1971-05-06-2ソ連1971年05月06日1970年代第2発電船《セーベルノエ・シャーニエ》号チュメーニで進水。
DIA-602-1971-05-06-3ソ連1971年05月06日1970年代西欧市場で金売却-フランス経済紙ヌーボー・ジュルナルが6日,チューリヒからの情報として伝えるところによると,ソ連は最近の5カ月間に,10~15トンの金を西欧市場で売却した。
DIA-602-1971-05-07-1ソ連1971年05月07日1970年代日ソ協力をソ連首相呼びかけ-新関駐ソ大使は7日午後3時(日本時間同9時)から50分にわたり,クレムリンでコスイギン首相と表敬をかねて会談した。コスイギン首相はこの会談で,①ソ連が日ソ関係を重要視している,②日ソ経済の発展ではシベリア,極東の資源基地が重要で,西シベリアの石油資源開発だけでもその埋蔵量は日本の年間輸入量をまかなうのに充分である,と述べた。
DIA-602-1971-05-07-2ソ連1971年05月07日1970年代きょう東京で日ソ漁業季正式調印-3月2日から東京・霞が関の外務省で開いている日ソ漁業委員会(さけ・ます・にしん交渉)は6日の本会議で最終的に妥結し,7日午前11時,藤田・モイセーエフ両国首席代表が合意議事録に正式調印した。妥結内容はすでにモスクワ交渉でまとまった,①日本のサケ・マス漁獲量9万5000トン,②オホーツク産卵ニシンの全面禁漁-などの規制のほかはほぼ前豊漁年(69年)通り。
DIA-602-1971-05-07-3ソ連1971年05月07日1970年代駐日ソ連大使,日ソ共同事業の遅れを批判-トロヤノフスキー駐日ソ連大使は7日夜,東京・芝の東京プリンスホテルで開かれた東京青年会議所の5月例会で日ソ関係の現状と将来のについて講演し,「日本は数年前までソ連との共同事業の多くで先進的な立場にあったが,いまではややもすると立ち遅れた立場になりかねない」と発言した。
DIA-602-1971-05-07-4ソ連1971年05月07日1970年代米艦,ソ連船と衝突事故-米海軍佐世保基地は7日朝,米駆逐艦とソ連タグボートが6日午後,朝鮮海峡で衝突事故を起したことを明らかにした。
DIA-602-1971-05-07-5ソ連1971年05月07日1970年代人工衛星8個打上げ。
DIA-602-1971-05-08-1ソ連1971年05月08日1970年代ソ連,インド洋で“砲艦外交”-インド洋周辺の諸国はいま,南アフリカ共和国からオーストラリアにいたるまで,ソ連海軍の進出に懸念を抱き始めている。インド洋では現在,インド洋から南極海にかけて操業している漁船団と,宇宙計画の支援船団,それに海軍の艦艇と,都合3種類のソ連艦隊が活動している。しかし,海軍艦隊は大規模なものではなく,各種艦艇を合せて通常は20隻程度で編成され,陸上基地の空軍力による支援を必要としている。従って戦争のさいには,この艦隊を撃滅するのは簡単だと西独のある海軍専門家は見ている。
DIA-602-1971-05-09-1ソ連1971年05月09日1970年代レ・ジュアン「北」第1書記,40日以上ソ連滞在。
DIA-602-1971-05-09-2ソ連1971年05月09日1970年代アンガラ河航行開始。
DIA-602-1971-05-11-1ソ連1971年05月11日1970年代ユダヤ人9人の裁判レニングラードで始まる。
DIA-602-1971-05-11-2ソ連1971年05月11日1970年代ワニノ-サハリン間鉄道フェリー工事-Vodnyy Transport紙によれば,ワニノ-ホルムスク間鉄道フェリーの建設は,サハリン側のホルムスク港では水中作業が終り,今年から右側の橋台の水上部分に着手し,すでにその1/3を完了した。
DIA-602-1971-05-12-1ソ連1971年05月12日1970年代コムソモリスク造船所で耐久消費財生産-コムソモリスク造船所は,北極用の大型砕氷船,アムール河を渡る大きなフェリーばかりでなく,耐久消費財として,洗濯機,鏡,寝台,天幕はじめいまや掃除機の製作をはじめた。
DIA-602-1971-05-12-2ソ連1971年05月12日1970年代極北海域航行開始-ワニノから昨夜半,ディーゼル電力船《ペンジナ》号が出港し,極北海域における今季シーズンが開始された。
DIA-602-1971-05-12-3ソ連1971年05月12日1970年代ナガエオ港の拡張工事-マガダンのナガエオ港は航海が年中行なわれるようになってから取扱貨物量は3倍に増加した。
DIA-602-1971-05-13-1ソ連1971年05月13日1970年代アレキサンドロフスコエ-アンジェロ・スウジュンスク間800kmの石油パイプライン建設中。
DIA-602-1971-05-17-1ソ連1971年05月17日1970年代ビーム米大使,ソ連外相と会談。
DIA-602-1971-05-17-2ソ連1971年05月17日1970年代佐藤首相,タス社長と官邸で会談。
DIA-602-1971-05-17-3ソ連1971年05月17日1970年代トリュドー・カナダ首相が初のソ連訪問。
DIA-602-1971-05-18-1ソ連1971年05月18日1970年代東独首脳訪ソ-さる3日に辞任したウルブリヒト氏の後任として東独社会主義統一党第1書記になったホーネッカー氏はシュトフ首相らとともに18日,ソ連共産党,政府の招きで訪ソした。
DIA-602-1971-05-18-2ソ連1971年05月18日1970年代ア連合リアド外相,ソ連大使と会談。
DIA-602-1971-05-18-3ソ連1971年05月18日1970年代レナ河水運活況-ウスチ・クウトのレナ駅は活況を呈しはじめ,駅に隣接するレナ河のオセトロボ港には,毎日数百貨車が入っている。貨物としてはとくにトラクターその他の農業機械が多い。
DIA-602-1971-05-18-4ソ連1971年05月18日1970年代極東漁業コルホーズの漁船増加-極東漁業のコルホーズは新5カ年計画最初の6隻の漁船の補充を受けた。現在太平洋岸沿いに60以上の漁業コルホーズが活動し,それらは439隻の大小のトロール船,引網船などを装備している。第9次5カ年計画ではさらに130隻を受けとることになっており,1975年には1970年より13万トン多い96万トンの魚類と海産物を水揚げできる予定。
DIA-602-1971-05-19-1ソ連1971年05月19日1970年代ソ連,抱卵ニシンの対日輸出中止-ソ連極東貿易事務所はことしから抱卵ニシンの日本向け輸出を「資源保存のため」全面的にストップすることになった。
DIA-602-1971-05-19-2ソ連1971年05月19日1970年代ソ連,ミサイル計画急ピッチ-ニューヨーク・タイムス紙19日,の報道によると,米政府当局は18日,ソ連が新しいミサイル計画を急速に進めており,数カ月以内にその発射実験を行なう見込みであると述べた。
DIA-602-1971-05-20-1ソ連1971年05月20日1970年代攻撃用ミサイル制限でも米ソが合意。
DIA-602-1971-05-20-2ソ連1971年05月20日1970年代ソ連木材だぶつき市況悪化-三菱商事,三井物産,丸紅飯田など大手商社11社はソ連材の輸入ラッシュに対処するため20日,ソ連木材輸出公団(エクスポートレス)のアクラートフ総裁あてに,5~7月の対日輸出量を制限するように要請する電報を打つ。要請が受入れられない場合,11社は結束してソ連側が要求している日本船の配船を拒否,事実上,引取りを拒否するという強い実力行使に出る意向を固めている。
DIA-602-1971-05-21-1ソ連1971年05月21日1970年代極東の北極航路開始-ベーリング海峡のエグウェキノト港に向っていたディーゼル電力船《カピタン・ボンダレンコ》号と《ペンジナ》号は砕氷船《モスクワ》号の誘導でアナドゥイル湾に入った。
DIA-602-1971-05-25-1ソ連1971年05月25日1970年代フサークチエコ第1書記演説,ソ連書記長に感謝-チェコスロバキア共産党第14回党大会は25日朝,プラハ市内フチク公園の大会議場で,ブレジネフ・ソ連共産党書記長その他各社会主義国の党最高首脳参加のもとに開幕した。初日の発言者となったフサーク第1書記は1966年(第13回党大会)以来の情勢について一般報告を発表し,そのなかで1968年の武力介入について「ブレジネフ書記長個人」に対して感謝を述べ,結論として「チェコスロバキア共産党はマルクス・レーニン的性格を取戻し,チェコスロバキア国内の危機は終った」と宣言した。
DIA-602-1971-05-26-1ソ連1971年05月26日1970年代モスクワ市の環境汚染企業移転。
DIA-602-1971-05-26-2ソ連1971年05月26日1970年代チェコ党大会でブレジネフ書記長演説。
DIA-602-1971-05-26-3ソ連1971年05月26日1970年代エニセイ河下流の航行開始近づく。
DIA-602-1971-05-27-1ソ連1971年05月27日1970年代樺太のホルムスク-チェホフ間45kmの送電線工事中。
DIA-602-1971-05-27-2ソ連1971年05月27日1970年代ラトビアでハイジャック事件のユダヤ人青年に1~3年の自由剥奪判決。
DIA-602-1971-05-27-3ソ連1971年05月27日1970年代リトアニア最高裁,米国へ亡命失敗の船員に10年の刑。
DIA-602-1971-05-27-4ソ連1971年05月27日1970年代ア連合・ソ連友好条約締結-これはアリ・サブリ副大統領ら親ソ派の失脚をもたらしたさきの政変などでいったん西側寄りに動く気配を見せたア連合のクレムリン陣営への再接近を意味するものである。
DIA-602-1971-05-28-1ソ連1971年05月28日1970年代火星3号打上げ。
DIA-602-1971-05-28-2ソ連1971年05月28日1970年代ポドゴルヌイ議長アラブ連合から帰国。
DIA-602-1971-05-28-3ソ連1971年05月28日1970年代ソ連の対アラブ姿勢,微妙-「ソ連は最近ア連合に対する援助が大きな負担だと考え始めている。米国のア連合に対する援助が復活すればソ連としても歓迎である。さらにかねてソ連はスエズ再開についてもっと米国と接触するようア連合に働きかけていた」と英タイムズ紙は観測している。
DIA-602-1971-05-28-4ソ連1971年05月28日1970年代米国,「ソ連・アラブ連合友好条約」への論評を避ける。
DIA-602-1971-05-28-5ソ連1971年05月28日1970年代作家シニャフスキー氏釈放-ソ連当局は投獄中の作家アンドレイ・シニャフスキー氏を釈放する命令書に署名した,といわれる。同氏は海外で「反ソ的作品」を出版したとして1965年9月逮捕されていた。
DIA-602-1971-05-28-6ソ連1971年05月28日1970年代ネパール国王が訪ソ。
DIA-602-1971-05-28-7ソ連1971年05月28日1970年代日米合同の対潜訓練をソ連駆逐艦が監視-28日夜,防衛庁に入った連絡によると,同日から始まった,海上自衛隊と米海軍との対潜水艦合同訓練の周辺に同日夕ソ連駆逐艦が出現,情報収集活動を始めた。この駆逐艦はクルツプニイ型(3,650トン)。
DIA-602-1971-05-29-1ソ連1971年05月29日1970年代ソ連,駐パキスタン大使更迭。
DIA-602-1971-05-29-2ソ連1971年05月29日1970年代モスクワ放送,沖縄VOA放送存続を非難。
DIA-602-1971-05-30-1ソ連1971年05月30日1970年代ソ連係官,サケ,マスの漁場へ。
DIA-602-1971-06-01-1ソ連1971年06月01日1970年代東シベリア鉄道の大修理はじまる-Gudok紙によれば,東シベリア鉄道の約400kmが今年中に新しいレールに更新される。作業はボブトールからウラン・ウデ間の各地ではじまった。アバカンとブラックの両線区でも200kmの大修理が行なわれる。
DIA-602-1971-06-02-1ソ連1971年06月02日1970年代コルイマ水力発電所の建設計画-コルイマ水力発電所の建設位置はコルイマ河上流デビン村の地区に予定されている。発電所の建物の大部分は地下に設けられ,年中作業できるようになる。石垣積みのダムの高さは130m。第1発電機の始動は1976年の予定。
DIA-602-1971-06-03-1ソ連1971年06月03日1970年代コルイマの第2送電線60km建設。
DIA-602-1971-06-05-1ソ連1971年06月05日1970年代アムール船舶局日本への木材輸送開始-Vodnyy Transport紙によれば,アムール河船舶局の船が日ソ間の貨物輸送をはじめてから3年目。今年の最初の航海はディーゼル船《バルチスキー=63》の出港から始まった。次いでニコラエフスクからは他の《バルチスキー》型4隻と《モルスコイ=1号》が木材を積んで秋田,青森,新潟,直江津に向け出港した。
DIA-602-1971-06-06-1ソ連1971年06月06日1970年代親ソ派に寛大処置をとポドゴルヌイ議長,ア連合に要請。
DIA-602-1971-06-09-1ソ連1971年06月09日1970年代イルクーツク-ナホトカ間パイプライン建設協力打診-植村経団連会長,永野商工会議所会頭,今里ノーススロープ石油社長,出光計助興産社長,松根アラスカ石油開発会長は五者会談をひらき,チェメーニ油田の低硫黄原油を大量輸入するため,イルクーツクナホトカ間4,300kmに日ソ協力で1,220ミリメートルの大口径パイプラインを建設する計画をソ連側に提起して協力を求める方針を決めた。
DIA-602-1971-06-11-1ソ連1971年06月11日1970年代ブレジネフ書記長,モスクワで艦隊削減提案演説。
DIA-602-1971-06-11-2ソ連1971年06月11日1970年代ソ連,船舶輸出国へ-ソ連は過去20年間活発に船舶を輸入し,商船隊の拡充に努めてきたが,最近では逆に船舶の輸出国に変りつつある。輸出先も共産圏や低開発諸国だけでなく,西ドイツなど西側の伝統的な海運国にも積極的に売り込んでいる。ブレーメン海運経済研究所の調査によると,本年1月末現在でソ連は1,000総登録トン以上の輸出船受注残高29隻,71万9000重量トンをかかえており,69年4月末現在の10隻,17万1580重量トンにくらべわずか2年ほどのうちに4倍以上もふえている。とくに受注がふえたのはタンカー,冷凍兼用船など。
DIA-602-1971-06-13-1ソ連1971年06月13日1970年代大型ロケット開発か-13日付の英国紙サンデー・テレグラフはソ連が米国のサターン5型ロケットより大きい新型ロケットをコロレブ研究所で開発中で重量100トンまでのものを打上げることが可能であると報じた。
DIA-602-1971-06-13-2ソ連1971年06月13日1970年代第8回世界石油会議,モスクワで開かる-ソ連のシャシン石油工業相は13日モスクワで開かれた第8回世界石油会議で演説,いままでほとんど中東から石油を輸入していた日本市場でソ連は近く強力な競争相手として登場するかもしれないことをほのめかした。
DIA-602-1971-06-14-1ソ連1971年06月14日1970年代核爆発で石油採掘に成功-ソ連石油工業省のオルジェーベ氏は14日,モスクワで開かれている世界石油会議で,ソ連が石油とガスの採掘をふやすため,2回にわたって核爆発を行ない,成功したことを明らかにした。
DIA-602-1971-06-16-1ソ連1971年06月16日1970年代アバカンの鉄道車輌製作工場-アバカン北部近郊にソ連最大の車輌製作工場が建設中である。これは第9次5カ年計画のサヤン地域生産集団のひとつに数えられるもので,年産4万輌(4軸計算)と予定され,そのなかには大型8軸車が1万台近く含まれている。材料としてシベリアのアルミニューム板が大幅に利用される。
DIA-602-1971-06-17-1ソ連1971年06月17日1970年代米社,トラック工場プラント建設か-米国の大手トラック製造会社マック・トラックス杜のハンセン会長は17日,同社がソ連に大規模なトラック・プラント工場を建設するための趣意書に調印したことを明らかにした。
DIA-602-1971-06-17-2ソ連1971年06月17日1970年代ドゥジンカ港活動開始-エニセイ河下流のドゥジンカ港に解氷直後にタイムイルから貨物を積んできたディーゼル船《アストラハン》号が接岸し,250トンの各種貨物がトナカイ飼育業者,漁夫,地質調査隊員,猟師,メッソヤハ-ノリリスク間ガスパイプライン建設者たちに送られた。
DIA-602-1971-06-21-1ソ連1971年06月21日1970年代トラック・エンジン工場建設,西独社に委嘱-西ドイツのクレツクナー・フンボルト・ドイツ社のクリスチャン・ヘレン会長は21日,ソ連からこのほど年産5万台のトラック・エンジン製造工場の建設工事を請負うよう委嘱されたと言明した。
DIA-602-1971-06-21-2ソ連1971年06月21日1970年代安全操業とシベリア開発新構想-安全操業問題とシベリア開発協力問題を結びつける新しい構想を考慮していることを訪ソ中の阿部文男衆議院議員が21日午後イシコフ漁業相と会議した際,同相が明らかにした。
DIA-602-1971-06-22-1ソ連1971年06月22日1970年代シベリア開発に銀行借款供与,政府決意か-政府筋は北カラフト,南ヤクート,チュメーニの天然ガス,原料炭,原油などの開発プロジェクトにバンクローンを供与することを決めた模様。
DIA-602-1971-06-22-2ソ連1971年06月22日1970年代コンテナー輸送の無駄-Gudok紙によれば,近年極東鉄道のコンテナー輸送が著しく増大したが,ウスリー線区で調査の結果,ここ数カ月間に到着したコンテナーの64%が無蓋貨車の上に,また36%が無蓋無壁貨車の上におかれている。コンテナーは無蓋貨車には10個,無蓋無壁貨車には12個乗る。無蓋貨車を無蓋無壁貨車にかえるのが有利なことはいうまでもないと同紙は指摘している。
DIA-602-1971-06-23-1ソ連1971年06月23日1970年代日ソ経済合同委の開催延期をソ連代表部申入れ
DIA-602-1971-06-24-1ソ連1971年06月24日1970年代コルシニハ-レナ間鉄道電化工事-《アンガラ建設》トラストの作業斑は,鉄道の一部の複線工事をはじめることになり,すでに探査が行なわれ,材料が送られた。コルシニハからレナまでの電化工事も続行される。
DIA-602-1971-06-24-2ソ連1971年06月24日1970年代南樺太アニワ地区で天然ガス発見。
DIA-602-1971-06-26-1ソ連1971年06月26日1970年代ビリビノ原子力発電所建設へモスクワの学者団到着-チュコトカのビリビノ村の原子力発電所建設へ参加するためモスクワの原子エネルギー研究所の若い学者の一団が到着した。
DIA-602-1971-06-27-1ソ連1971年06月27日1970年代電算機の対ソ輸出米大統領認める。
DIA-602-1971-06-27-2ソ連1971年06月27日1970年代ゼーヤ人工湖やがて出現-ゼーヤ水力発電所建設では人工湖の建設が近くはじまる。人工湖の広さは2,500km2。
DIA-602-1971-06-29-1ソ連1971年06月29日1970年代作家同盟大会開催-29日からクレムリン大会宮殿において,ソ連作家同盟(同盟員6,600人)の第5回大会が開幕した。1日目の29日はブレジネフ,コスイギン,ポドゴルヌイ3首脳はじめ党と政府の首脳が出席した。詩人のニコライ・チホーノフが開会の挨拶をのべ,思想的敵を激しく非難したが,これは昨年10月除名されたノーベル賞作家ソルジェニツィンをさしたものとみられる。第4回大会の自由派と保守派の共存風景に比べ,第5回は保守派が圧倒的な力を示しはじめている。
DIA-602-1971-06-30-1ソ連1971年06月30日1970年代ソユーズ3飛行士全員死亡-ソユーズ11号で地球へ帰還した3人の飛行士は全員座席についたまま死亡していたと発表された。死亡した乗員の氏名はドブロボルスキー船長,ボルコフ飛行技師,パツァエフ試験技師。原因はまだ発表されていない。
DIA-602-1971-06-30-2ソ連1971年06月30日1970年代モルダヒアでユダヤ人9名に1~5年の強制労働-モルダヒア共和国キシニョフ市の最高裁は昨年ハイジャックを計画した科でユダヤ人9名(ソ連国籍)に1~5年の強制労働の判決を下した。
DIA-602-1971-07-01-1ソ連1971年07月01日1970年代プラウダ,中ソ国境条約提案。
DIA-602-1971-07-02-1ソ連1971年07月02日1970年代3宇宙飛行士,国葬執行さる。
DIA-602-1971-07-02-2ソ連1971年07月02日1970年代3宇宙飛行士の死因は気圧低下。
DIA-602-1971-07-02-3ソ連1971年07月02日1970年代ソ連作家同盟大会閉幕。
DIA-602-1971-07-03-1ソ連1971年07月03日1970年代極東のコンテナー輸送-Gudok紙によれば,前5カ年計画期間に極東のコンテナー輸送は34%増加し,その荷役能力は一個あたり年0.23トンふえた。しかし線路上にある空のコンテナーは荷を入れたコンテナーより著しく多い。
DIA-602-1971-07-03-2ソ連1971年07月03日1970年代極東最大の火力発電所建設中-新都市ルチェゴルスク(ビキン南方)で極東最大のプリモルスク(沿海)国営地区火力発電所の建設が行なわれている。
DIA-602-1971-07-04-1ソ連1971年07月04日1970年代ナホトカ-日本諸港間定期コンテナー輸送開始-極東船舶局はナホトカと日本の諸港との間の定期中継コンテナー輸送航路を開始した。日本に向って多数の国際規格20トンコンテナーを積んだディーゼル船《グロデコボ》号が第1船として出港した。
DIA-602-1971-07-04-2ソ連1971年07月04日1970年代ヤクーツク総合大学150名の卒業生を送り出す。
DIA-602-1971-07-05-1ソ連1971年07月05日1970年代プラウダ紙,NATOの砲艦外交非難。
DIA-602-1971-07-05-2ソ連1971年07月05日1970年代ソ連,イタリア外相,モスクワで会談。
DIA-602-1971-07-05-3ソ連1971年07月05日1970年代公明党代表団とソ連要人-訪ソ中の矢野書記長らは5日,ソ連最高会議民族会議議長ナスリジツワ氏,およびフィリュービン外務次官らと会談した。フィリュービン次官は公明党の訪中団が共同声明で大国主義を批判したことを問題にし,「これはソ連のことを言っているのだろうが,事実に反する」と反論した。
DIA-602-1971-07-06-1ソ連1971年07月06日1970年代エクアドル,ソ連外交官3名を国外追放。
DIA-602-1971-07-07-1ソ連1971年07月07日1970年代コスイギン首相,モンゴルへ。
DIA-602-1971-07-08-1ソ連1971年07月08日1970年代ソ連木材の対日輸出規制,ソ連側受入れ。
DIA-602-1971-07-09-1ソ連1971年07月09日1970年代ソ連極東航路開設-ソ連の国際海運局はこのほど,極東航路を開設した。同航路に就航するのは41隻,40万6000総トン。このうち相当数の船はソ連の極東にある諸港と日本,香港,シンガポールを結ぶ航路。さらに日本経由でカナダ,米国を結ぶ航路を定期往復することになる。
DIA-602-1971-07-09-2ソ連1971年07月09日1970年代ジュネーブのユダヤ人会議,ソ連のユダヤ人排斥を非難。
DIA-602-1971-07-10-1ソ連1971年07月10日1970年代日米会談を非難,モスクワ放送論評-10日の日本向けモスクワ放送は,レアード米国防長官が第7艦隊の任務を日本に肩代りさせるむねの発言を行なったとの報道を論評してつぎのように述べた。 1.レアード長官が東京での会談で「ニクソン政府は米第7艦隊による日本周辺の防衛努力の一端を日本が引受けることを期待する」と述べたことについての報道は,日本と世界の世論を大きな不安におとしいれた。米国と日本の公式筋はこの発言を否定したが,このような否定はあまり納得のゆかないものである。米国は長い間,国際警察官の役割を自任してきたが,太平洋での警察官であったのは,第7艦隊である。こんどはニクソン・ドクトリンにしたがって,国防総省は第7艦隊の警察的機能を日本に譲ろうとしている。 1.日本の軍国主義的な層はこの警察官の役割が気に入り,太平洋水域の秩序維持をまかせられるなら,日本の国際的権威を犠牲にしてもかまわない,平和憲法を踏みにじり,国内の政治情勢と経済情勢を悪化させてもよいと考えている。
DIA-602-1971-07-10-2ソ連1971年07月10日1970年代ソ連大使館,スウェーデンに陳謝-ソ連大使館は10日,大使館員がさる5日,ストックホルムの街路上でソ連人亡命通訳ミハエル・ヤクシを襲った事件について,スウェーデン外務省に陳謝した。しかし通訳を誘かいしようとしたものだとの報道は否定した。
DIA-602-1971-07-10-3ソ連1971年07月10日1970年代だ捕の韓国漁船員14人日本通じ釈放へ。
DIA-602-1971-07-10-4ソ連1971年07月10日1970年代コスイギン首相ウランバートルで中国を非難。
DIA-602-1971-07-12-1ソ連1971年07月12日1970年代第6回ソ・米市民代表会議キエフで関かる。
DIA-602-1971-07-13-1ソ連1971年07月13日1970年代SALT,第2回会談終る。
DIA-602-1971-07-13-2ソ連1971年07月13日1970年代公明党の日中共同声明は遺憾とソ連側,公明訪ソ団に表明。
DIA-602-1971-07-15-1ソ連1971年07月15日1970年代チューリッヒの自由金市場で金15トンを売却。
DIA-602-1971-07-18-1ソ連1971年07月18日1970年代コムソモリスクのアムール河鉄橋第1径間組立完了。
DIA-602-1971-07-19-1ソ連1971年07月19日1970年代米は日ソ接近を心配と仏紙報道-仏週刊誌ヌーベル・オプセルバトゥールの最近号(19日発売)は「キッシンジャー米大統領補佐官は米軍のベトナム撤退後の日ソ接近に対処するため,中国との間に一種の“ヤルタ方式”による取決めが可能だと考えている」と次のように述べた。 1.カリフォルニア出身であるニクソン大統領の目が必然的に太平洋つまり中国に向いていることを知った中国は,ニクソン登場以後はその関心を米国が果たしてベトナムから引揚げるのかどうかという問題ではなく,いかにして引揚げてゆくかということと,どうしたら中国としてベトナムにおける米国の失敗がソ連および日本の勝利に変わることを防げるかという点だった。 1.中国はアジアの問題は中国の参加なくして決めることはできないと信じていたし,米国もやがてそれに気がついた。だが恐るべきは日ソ間の秘密接近である。 1.この点についてキッシンジャー補佐官は北京との間に一種のヤルタ方式による取決めを結び,台湾と引替えにインド,パキスタン,タイ,フィリピン,および韓国に米軍を残しておくことは可能だと信じている。台湾においては自由な選挙を行なわせるが,いずれにしても国連の代表権はなくなる。 2.戦略的にみて少なくとも現時点で中国はソ連,日本および西ドイツを敵とみなしている。この事実はそれぞれの主義によりいろいろな解釈が可能だが,事実そのものを深く検討する必要がある。 3.パキスタンに関する限り,中国は本来ならばベンガルの独立運動を支持すべきところを現実には米国同様にヤヒア・カーン大統領を軍事的に支持している。つまり,ここでは米中は全く同じ側に立っているのだ。
DIA-602-1971-07-19-2ソ連1971年07月19日1970年代西ベルリンにソ連総領事館置く。
DIA-602-1971-07-20-1ソ連1971年07月20日1970年代第4回日ソ知事会議ひらく-第4回日ソ知事会議が20日午前10時(日本時間同日午後4時)からモスクワの“友好の家”で約4時間にわたって開かれた。
DIA-602-1971-07-21-1ソ連1971年07月21日1970年代レニングラードに200万kwの大原子s 発電所を建設中。
DIA-602-1971-07-23-1ソ連1971年07月23日1970年代150万V送電線を計画-1975年までにドネツ炭田地帯に出力合計700万キロワットの3つの大型出力発電所を建設する計画である。これと同時にドネツからウクライナ西部の工業地帯に送電するため,75万ボルト,延長1,100キロの超高圧交流送電線を南部送電網の一部として建設する。これはコメコンの送電網「ミール」にも接続する。すでに75万ないし80万ボルトの超高圧直流送電線は幾つか完成しており,50万ボルトの送電線の延長は合計1万4000キロを越えるが,さらに1975年までにガザフ共和国北東部のエキバストズから同共和国の内部まで延長約2,500キロの150万ボルト直流送電線の建設にとりかかる計画である。
DIA-602-1971-07-23-2ソ連1971年07月23日1970年代「新時代」誌再び中国外交を非難。
DIA-602-1971-07-23-3ソ連1971年07月23日1970年代上半期経済実績-ソ連中央統計局は23日,ことし上期のソ連経済実績を発表,乗用車生産台数が23万5000台と昨年同期の16万3000台を大きく上回り,工業生産も昨年同期を8.5%上回ったことを明らかにした。要点は次の通り。 1.消費物資の生産は昨年同期を12%上回った。しかし一部の消費物貴需要はまだ満たされていない。くつ,綿製品,毛製品,バターなどの生産を改善する必要がある。 1.貿易額は7%増加して115億ルーブルに達した。昨年同期は12%だった。貿易額の伸び悩みはフランス,英国などからの輸入が減少したためである。
DIA-602-1971-07-23-4ソ連1971年07月23日1970年代ソ連,トラック工場建設,仏へ10億フランを発注。
DIA-602-1971-07-23-5ソ連1971年07月23日1970年代ウオロノフ氏が統制委議長に-ソ連共産党機関紙プラウダは23日,同党政治局員でロシア共和国首相のウオロノフ氏がこのほど,人民統制委員会議長(閣僚)に任命されたと報じた。
DIA-602-1971-07-23-6ソ連1971年07月23日1970年代プラウダ,鈴木俊子さんの「誰も書かなかったソ連」を非難。
DIA-602-1971-07-25-1ソ連1971年07月25日1970年代ニクソン訪中発表で反ソ圧力は許さぬと論評-ソ連共産党機関紙プラウダは25日,ニクソン米大統領の中国訪問に対する論評を掲載し,米中接近に対し,反ソ工作のカゲを読みとって,これを「ソ連と社会主義諸国に対する圧力として利用する」試みと非難した。
DIA-602-1971-07-25-2ソ連1971年07月25日1970年代北ベトナム,ニクソン訪中で中国,ソ連と首脳会談か?
DIA-602-1971-07-26-1ソ連1971年07月26日1970年代ソ連顧問を一時監禁,スーダン革命派への支援恐れ-消息筋が26日語ったところによると,ヌメイリ・スーダン革命評議会議長の政権返り咲き反クーデターのさい,スーダン空軍と陸軍の一部部隊が,同国駐留のソ連人軍事顧問団を保護監禁下に置いた。これは,顧問団が革命派を支援するのを防ぐためで,同顧問団はその後釈放されたとみられるが軍部の中には,ソ連人が革命派に関係していたとの見方が依然残っている。
DIA-602-1971-07-27-1ソ連1971年07月27日1970年代反ソ目的でイスラエル,中国とパリ会談-イスラエル外務省スポークスマンは26日,最近パリで中国のイニシアチブによって中国外交官とイスラエル当局との会談が行なわれた,との新聞報道を確認した。マリアブ紙は,中国の対イスラエル接近の意図は,イスラエルが中東地域で唯一の完全に反ソ連の立場に立つ国だからだと述べている。 また消息筋は,両国の接近にさいして,ルーマニアのチャウシェスク国家評議会議長の尽力があったと語っている。
DIA-602-1971-07-29-1ソ連1971年07月29日1970年代ソ連と関係悪化望まずとスーダンのヌメイリ議長語る。
DIA-602-1971-07-30-1ソ連1971年07月30日1970年代モスクワ日本大使館内での盗聴器発見-外務省の佐藤官房長は30日午前の記者会見で,モスクワの日本大使館でかなりの数の盗聴器が発見されたことを明らかにした。
DIA-602-1971-07-31-1ソ連1971年07月31日1970年代ソ連の天然ガス予定より少ない埋蔵量-日ソ貿易業界筋が30日明らかにしたところによると,このほどソ連政府首脳とこの問題について話合ってきた小畑勇二郎秋田県知事は,業界に対し,「ソ連はヤクーツクならびにオハの両ガス田の埋蔵量が予定していた水準を大きく下回ったことが明らかになったので,これの代替としてヤクーツクから180キロメートルの地点で発見したガスを日本に供給したい」むね意向を表明したといわれる。
DIA-602-1971-08-01-1ソ連1971年08月01日1970年代4万5000トンのソ連調査船建造-ソ連科学アカデミーの調査船《宇宙飛行士ユーリー・ガガーリン》号がレニングラードで建造された。この調査船はソ連製の最新装置をそなえ,大気圏上層を調査するのが目的であり,また公海上で宇宙船の管制にあたる。この《宇宙飛行士ユーリー・ガガーリン》号は世界最大の調査船で,長さ231メートル,幅31メートル,4万5000排水トン,速力16ノット。
DIA-602-1971-08-01-2ソ連1971年08月01日1970年代日共系原水禁大会の予備会議に7年ぶりにソ連も参加。
DIA-602-1971-08-01-3ソ連1971年08月01日1970年代スーダン対ソ断交か。
DIA-602-1971-08-01-4ソ連1971年08月01日1970年代ソ連の精神的処刑キャンプ-ソ連がこの10年間とみに強化している一つの政策の実態が,カナダの「ブリティッシュ・コロンビア医学協会」の心理学者たちの最近の研究発表で初めて明るみに出た。WHO(世界保健機構)と世界心理学協会に提出されたこの報告は,48ページからなり,あらまし次のような内容が盛られている。ソ連はその政治警察KGB(国家保安委員会)の管轄下にあるいわゆる“精神病院”で,政治的不満派に対してあらゆる科学の力を動員して大々的な洗脳活動を行なっている。そうした犠牲者の中には,有名人だけでも反政府活動家ピョートル・グリゴリエンコ少将を初め,ウラジミンル・ブイコフスキー,詩人のユーリ・ガランシコフ,一流の遺伝学者メドベデフ氏などがいる。こうした人々やその他の犠牲者たちの証言でわかったことは,ソ連国内のあちこちにある“精神病院”の医師たちがKGBの指示でそこにぶち込まれた人たちに鎮静剤やショック療法をほどこし,薬を使って人工的に熱や痛みを起こさせ,ときにはグリゴリエンコ将軍の場合のように,じかに肉体的拷問を加えることによって,ものの考え方や主義主張を変えさせようとしていることである。心理学者たちはKGBのこうした場所を“精神的処刑キャンプ”と呼び,ソ連が医学の悪用をやめるまで世界心理学協会がこの事実を世界に訴え,ソ連に圧力をかけるよう呼びかけている。
DIA-602-1971-08-05-1ソ連1971年08月05日1970年代グロムイコ外相インドへ。
DIA-602-1971-08-05-2ソ連1971年08月05日1970年代コスモス432号打上げ。
DIA-602-1971-08-05-3ソ連1971年08月05日1970年代ナホトカ漁港改造工事はじまる。
DIA-602-1971-08-06-1ソ連1971年08月06日1970年代西シベリア原油産出量4500万トンに達するか?-チュメーニ油田は営業開始以来の原油産出量が1億トンになった。現在すでに国内原油全産出量の10%を超えている。この原油は東部のすべての精油工場へ,また一部は欧ソへも送られている。今年はチュメーニ,トムスク両州を併せて原油産出量は4500万トンになろうという。
DIA-602-1971-08-08-1ソ連1971年08月08日1970年代タイシェト-レナ鉄道電化計画-Gudok紙によれば,第9次5カ年計画中にタイシュトレナ鉄道へ電化を完成し,オセトロボ港(レナ河)の第3期築港を行なう予定。
DIA-602-1971-08-08-2ソ連1971年08月08日1970年代チュメーニ-スウルグゥト鉄道-Gudok紙によれば,西シベリア油田は今の5カ年計画の終りまでに,原油の年産を1億2000万トン~1億2500万トンに増加する見込みをつけ,チュメーニからスゥルグゥトまでの鉄道を建設中である。
DIA-602-1971-08-08-3ソ連1971年08月08日1970年代日米対立,新段階にとプラウダが指摘。
DIA-602-1971-08-08-4ソ連1971年08月08日1970年代ソ連,ICBM80基地を建設と米紙報道。
DIA-602-1971-08-09-1ソ連1971年08月09日1970年代ソ印条約の内容-ソ連,インド両国は,「平和・友好・協力条約」を調印した(インドの項参照)。
DIA-602-1971-08-09-2ソ連1971年08月09日1970年代ソ印条約で危険かえって増大とカラチの外交筋。
DIA-602-1971-08-10-1ソ連1971年08月10日1970年代グロムイコ外相,インド首脳と会談-インド訪問中のグロムイコ・ソ連外相は10日,インドのガンジー首相,シン外相と東パキスタン問題について詳しく話合った。
DIA-602-1971-08-10-2ソ連1971年08月10日1970年代ユーゴ大使,チトー書簡をブレジネフ書記長に渡す。
DIA-602-1971-08-10-3ソ連1971年08月10日1970年代ベルリン問題大詰め,ソ連に譲歩の色。
DIA-602-1971-08-10-4ソ連1971年08月10日1970年代米ソ関係そこなうなとプラウダ論評。
DIA-602-1971-08-10-5ソ連1971年08月10日1970年代軌道爆弾を1年ぶりに実験。
DIA-602-1971-08-10-6ソ連1971年08月10日1970年代オイミヤンコで宇宙ステーション中継のテレビ受信開始。
DIA-602-1971-08-10-7ソ連1971年08月10日1970年代北氷洋岸の発電所営業開始-北氷洋岸のレニングラードスキー村で建設中であった新しい発電所が営業を開始し,金鉱の従業員団地に電力を供給しはじめた。
DIA-602-1971-08-11-1ソ連1971年08月11日1970年代コルイマ河水力発電所建設準備-コルイマ河水力発電所建設予定地近くの新しいシネゴリエ村へ,ビリュイ水力発電所建設をすませたダンプカー,ブルドーザー,エクスカベーター,トラクターの縦列が困難な1,000kmの山道を越えて到着し,発電所建設のための準備作業を開始した。
DIA-602-1971-08-11-2ソ連1971年08月11日1970年代米,ドル切下げの脅威に直面とプラウダ論評。
DIA-602-1971-08-12-1ソ連1971年08月12日1970年代ソ連,パキスタン外相を招待。
DIA-602-1971-08-13-1ソ連1971年08月13日1970年代「中国は社会主義共同体を引裂く」と「新時代」誌論ず。
DIA-602-1971-08-13-2ソ連1971年08月13日1970年代ソ印条約,両国批准-インド政府はインド,ソ連両国が,11日に,それぞれインド・ソ連平和友好協力条約を批准した,と発表した。
DIA-602-1971-08-15-1ソ連1971年08月15日1970年代核5大国会議拒否は偽善とプラウダ,中国声明を非難。
DIA-602-1971-08-16-1ソ連1971年08月16日1970年代オビ河の大洪水と減水の情況-オビ河は大洪水のあと,広い地域の大減水で,船舶の航行は困難になった。ノボシビルスク付近からトミ河合流点にわたる河を航行する船に対して警報が発せられ,原油を積んでのぼる船と建設材料を積んで下る船に対しオビ河船舶局は慎重に誘導を行なっている。
DIA-602-1971-08-17-1ソ連1971年08月17日1970年代津軽海峡をソ連艦隊通過-17日午前9時15分ごろ,海上自衛隊第2航空群(八戸基地)所属の対潜哨戒機P2Vが秋田県男鹿半島西北西約100キロを北上中のソ連艦隊を発見した。海将旗をかかげたソ連太平洋艦隊所属のスペルドルフ型巡洋艦(1万2800トン)を先頭に,キンダ型ミサイル巡洋艦(4,800トン)クレスタ型同(4,600トン)コトリン型駆逐艦(2,500トン)クルツプニイ型ミサイル同(3,150トン)の5隻とわかった。艦隊は同日午後3時ごろ,青森県竜飛崎の北20キロの海上に現われ,時速36キロのスピードで津軽海峡を航行,同6時半ごろ,同県尻屋崎東約50キロの太平洋に抜けた。
DIA-602-1971-08-19-1ソ連1971年08月19日1970年代日共代表団,モスクワ入り-宮本顕治中央委幹部会委員長ら日本共産党代表団は19日,モスクワに着き,スースロフ・ソ連共産党中央委政治局員兼書記が出迎えた。
DIA-602-1971-08-19-2ソ連1971年08月19日1970年代宮本委員長らルーマニアなど4カ国へ出発-宮本幹部会委員長,西沢常任幹部会委員,上田政策委員長ら共産党代表団の一行は,19日午前11時45分羽田発のアエロフロート機でモスクワに向け出発した。
DIA-602-1971-08-20-1ソ連1971年08月20日1970年代ルーマニア議長,ソ連を批判。
DIA-602-1971-08-20-2ソ連1971年08月20日1970年代日共代表団ルーマニア入り,
DIA-602-1971-08-22-1ソ連1971年08月22日1970年代口径122cm,延長2,000kmのパイプラインをチュメーニ油田から欧州へ施設する計画発表。
DIA-602-1971-08-26-1ソ連1971年08月26日1970年代中国は日本よりソ連を懸念と米人レストン記者語る。
DIA-602-1971-08-29-1ソ連1971年08月29日1970年代口径122cm,延長1,836kmのガスパイプライン,ウラルを越えて建設する計画,着手さる。
DIA-602-1971-08-29-2ソ連1971年08月29日1970年代豪,7年ぶりにソ連へ50万トンの小麦輸出契約。
DIA-602-1971-09-01-1ソ連1971年09月01日1970年代米がア連合へのミグ援助説でソ連に警告。
DIA-602-1971-09-02-1ソ連1971年09月02日1970年代ソ連,カンプチア統一戦線に接近の動き。
DIA-602-1971-09-03-1ソ連1971年09月03日1970年代ベルリン協定に仮調印。
DIA-602-1971-09-04-1ソ連1971年09月04日1970年代パキスタン外相訪ソ。
DIA-602-1971-09-04-2ソ連1971年09月04日1970年代紳士スーツ5万着ソ連から日本衣料に引合い。
DIA-602-1971-09-10-1ソ連1971年09月10日1970年代日本の遺族ら12人,5年ぶりにシベリアへ墓参団出発。
DIA-602-1971-09-10-2ソ連1971年09月10日1970年代キューバゆき中国卓球選手団,ソ連は素通り。
DIA-602-1971-09-10-3ソ連1971年09月10日1970年代カンプチア戦線・ソ連共同声明。
DIA-602-1971-09-10-4ソ連1971年09月10日1970年代ノボクズネックの西シベリア製鉄所に,ソ連最大の転炉2基建設開始。
DIA-602-1971-09-11-1ソ連1971年09月11日1970年代フルシチョフソ連前首相死去。
DIA-602-1971-09-11-2ソ連1971年09月11日1970年代ソ連人の韓国入りに北朝鮮中央通信疑念表明。
DIA-602-1971-09-11-3ソ連1971年09月11日1970年代チリ,ソ連旅客機を購入か。
DIA-602-1971-09-11-4ソ連1971年09月11日1970年代ルナ18号,月への軟着陸に失敗。
DIA-602-1971-09-11-5ソ連1971年09月11日1970年代チュメーニ油田開発具休化のため今里日本精工社長訪ソ。
DIA-602-1971-09-12-1ソ連1971年09月12日1970年代核事故協定,米ソSALTで合意。
DIA-602-1971-09-12-2ソ連1971年09月12日1970年代ウイルソン英労働党首訪ソ。
DIA-602-1971-09-13-1ソ連1971年09月13日1970年代プラウダ紙,フルシチョフ氏の死を公表-13日の党機関紙プラウダに掲載された死亡通知「ソ連共産党中央委員会とソ連閣僚会議は,9月11日,前ソ連共産党中央委第1書記兼ソ連閣僚会議議長で功績のあった年金生活者,ニキタ・セルゲビッチ・フルシチョフが,長い重い病気のあと,78歳で死亡したことを悲しみをもって発表する。ソ連共産党中央委員会,ソ連閣僚会議」
DIA-602-1971-09-13-2ソ連1971年09月13日1970年代ソ連スパイのフランス原子力研究者を逮捕-フランスの国家治安当局は13日夜,原子力研究者ディミトリ・ウオロホフ(39)を過去10年間にわたってソ連のスパイとしで情報を流していた疑いで逮捕した。
DIA-602-1971-09-13-3ソ連1971年09月13日1970年代スタルシェンコ教授アジア調査会で講演。
DIA-602-1971-09-14-1ソ連1971年09月14日1970年代ハワイ近くにソ連艦隊出現-潜水艦3隻をはじめ,軽巡洋艦,駆逐艦,タンカー,潜水母艦,補給艦など計10隻からなるソ連艦隊,12日突如ハワイ水域に姿を現わし,14日になって針路を西へとった。極東基地へ帰還するものとみられる。
DIA-602-1971-09-14-2ソ連1971年09月14日1970年代ソ連国家計画委員会のネタラーソフ教授来日。
DIA-602-1971-09-16-1ソ連1971年09月16日1970年代ブラント西独首相,訪ソ-16日午後,ブラント首相はクリミアのシンフェロポリ経由で黒海沿岸のオレアンダにつき,ブレジネフ書記長と会談をはじめた。
DIA-602-1971-09-17-1ソ連1971年09月17日1970年代ルーマニア議長米大統領に書簡,ソ連けん制策か。
DIA-602-1971-09-17-2ソ連1971年09月17日1970年代オレアンダ会談に欧州不安の気配-黒海沿岸の静養地オレアンダで開かれている“B・B”(ブラント西独首相・ブレジネフ・ソ連党書記長)会談は,2人で一緒に泳いだり,ヨットに乗って2人だけの水入らず会談を行なったりして,想像以上の友好的ふんいきの中で開かれたが,かえって1922年の“独ソ接近の不安”を欧州諸国にかき立てた。「B・Bがブリジット・パルドー(フランスの女優)を意味した時代はよかった」いう皮肉なしゃれも生まれているほどであるという。フランスの新聞は「1945年のヤルタ会談はドイツの分割と崩壊を決めたが“1971年のヤルタ会談”は,西独が不死鳥のようによみがえったことを示すものだ。西独はブレジネフ書記長との会談で政治的大国ぶりとその自主性を誇示しようとしている」と論評した。
DIA-602-1971-09-18-1ソ連1971年09月18日1970年代日共代表団ハノイからモスクワへ-10日以来北ベトナムを訪問中だった宮本委員長を代表とする日本共産党代表団は同国訪問を終り,18日午前7時(日本時間同9時)ハノイを出発,空路モスクワへ向った。
DIA-602-1971-09-18-2ソ連1971年09月18日1970年代西独・ソ連共同声明-プラント西独首相はブレジネフ・ソ連書記長とのクリミヤでの会談を経え,18日帰国の途についた。両首脳の会談終了にさいして,共同声明が発表された。
DIA-602-1971-09-18-3ソ連1971年09月18日1970年代ウラン濃縮で日ソ技術交流もと平泉科学技術庁長官談-第4回原子力平和利用国際会議に出席したあと,日ソ科学技術協力協定の締結のため訪ソしていた平泉渉科学技術庁長官は,18日午前11時羽田発の日航機で帰国した。帰国後,同長官は羽田東急ホテルで記者会見し,「ソ連との科学技術協力協定は,国家ベースの協定として積極的に取組むことになる見通しだ」と訪ソの成一果を次の通り語った。 1.日ソの科学技術に対する協力問題は,ソ連でも大いに興味をもっており,キリリン副首相から,じかにぜひ日ソ科学技術協力協定を実現したいとする返事をもらった。この結果,わが国でも外務,通産両省を中心にこれを協定にまでもっていこうと思っている。 2.ソ連は大規模なウラン濃縮設備をもっているが,現在のところ濃縮ウランを使うような商業ベースの発電炉(たとえば軽水炉など)をもっていない。このため,わが国に対して,濃縮ウランを供給してもよい,という)考えをもっていた。とくに,キリリン副首相は濃縮ウランの供給を熱心に売り込んできた。 3.わが国としては,濃縮ウランを買うことよりも,濃縮技術がほしいのだが,この点について,公開することを検討してもよいという意思表示をえた。
DIA-602-1971-09-20-1ソ連1971年09月20日1970年代日共・ソ連共産党首脳会談-ソ連共産党中央委員会の招きで訪ソ中の官本顕治中央委幹部会委員長を団長とする日本共産党代表団は,20日午後4時すぎからソ連党中央委でブレジネフ書記長を団長とするソ連党代表団と会談した。会談は同8時すぎまでの約4時間にわたった。
DIA-602-1971-09-24-1ソ連1971年09月24日1970年代英国政府,ソ連大使館ら20名にスパイ容疑で国外退去令。
DIA-602-1971-09-24-2ソ連1971年09月24日1970年代ソ連スパイの目的は,コンコルド開発妨害と英紙報道。
DIA-602-1971-09-24-3ソ連1971年09月24日1970年代ソ連・ユーゴ共同声明-ユーゴ訪問中のブレジネフ書記長らソ連代表団は24日正午(日本時間同日午後8時)ベオグラードから130キロ離れたカラジョルジュボ(ボインボジーナ自治州)の大統領と最終会談を行ない,25日,両国の友好をうたった共同コミュニケを発表した。
DIA-602-1971-09-25-1ソ連1971年09月25日1970年代ソ連・エジプト冷却化のきざし?-9月中旬,ソ連が突然エジプトに対し,借款の内2億ドルの現金による返済を迫った。ソ連,エジプト両国の動向は微妙な段階を迎えた中東情勢に大きな影響をもたらすことになろう。
DIA-602-1971-09-27-1ソ連1971年09月27日1970年代日ソ共産党が共同声明。
DIA-602-1971-09-27-2ソ連1971年09月27日1970年代北極で大規模な地下核実験。
DIA-602-1971-09-27-3ソ連1971年09月27日1970年代インド首相,ソ連到着。
DIA-602-1971-09-27-4ソ連1971年09月27日1970年代ブレジネフ書記長ユーゴから,帰国の途に。
DIA-602-1971-09-28-1ソ連1971年09月28日1970年代ソ連で中国建国22年記念前夜祭。
DIA-602-1971-09-28-10ソ連1971年09月28日1970年代スースロフ氏中国批判。
DIA-602-1971-09-28-11ソ連1971年09月28日1970年代コスモス442号打上げ。
DIA-602-1971-09-28-2ソ連1971年09月28日1970年代新原子力砕氷船建造中-第4回原子力平和利用国際会議のソ連代表団長A.ペトロシャンツソ連原子力平和利用国家委員会議長は,ジュネーブでの記者会見で,ソ連の新原子力砕氷船「アルクチカ(北極)号」の建造が着々進んでいることを発表し,同委員会はこの船のために新しいボイラー装置を開発したと述べた。また世界長初の原子力船-砕氷船「レーニン号」の現状について,ペトロシャンツ議長は,この船の原子力装置はまったく調子がよいと述べ,さらに,同船は北極の海を進む船団の進路をきりひらき,厚さ3メートルの氷のはりつめる海を進むことができる。これまできびしい北極の条件のなかで長年実験してきたが,激しい揺れ,氷にぶつかったさいの衝撃,荷重のたびかさなる変化にも耐え,安定性が高いことを立証した。いま「レーニン号」は長年使ってきた原子炉系統をより簡単なすぐれたものにとり替えて,本年度の航行に入っており,他の砕氷船よりずっとおそくまで航行する予定であると述べた。
DIA-602-1971-09-28-3ソ連1971年09月28日1970年代ガンジー首相とソ連3首脳会談。
DIA-602-1971-09-28-4ソ連1971年09月28日1970年代ルナ19号打上げ。
DIA-602-1971-09-28-5ソ連1971年09月28日1970年代米大統領ソ連外相と会談。
DIA-602-1971-09-28-6ソ連1971年09月28日1970年代ソ連・インド共同声明-ソ連・インド共同声明は29日モスクワで発表された。
DIA-602-1971-09-28-7ソ連1971年09月28日1970年代天然ガス導入のヤクーツクに乗換え案,財界に積極意見。
DIA-602-1971-09-28-8ソ連1971年09月28日1970年代チュメーニ油田日本向け年4000万キロリットルは可能か?
DIA-602-1971-09-28-9ソ連1971年09月28日1970年代英がスパイ活動とソ連党紙が非難論文。
DIA-602-1971-09-30-1ソ連1971年09月30日1970年代西独でもソ連スパイ発覚。
DIA-602-1971-09-30-2ソ連1971年09月30日1970年代亡命スパイはソ連の通商代表部員-30日の英保守系紙デーリー・エクスプレスはソ連外交官大量追放のきっかけをつくったKGB(ソ連国家保安委員会)幹部がロンドンのソ連輸出入公社(RAZNO)の職員として働いていたオレグ・リアリン(34)だったと報じた。
DIA-602-1971-09-30-3ソ連1971年09月30日1970年代秋田沖でソ連艦,米機に発砲。
DIA-602-1971-09-30-4ソ連1971年09月30日1970年代ソ連代表団ハノイへ-ポドゴルヌイ・ソ連最高会議幹部会議長を団長とするソ連共産党・政府代表団は北ベトナム労働党中央委員会,政府の招待でハノイを訪問するため30日,モスクワを出発した。
DIA-602-1971-09-30-5ソ連1971年09月30日1970年代米ソ,偶発核戦争防止協定に調印-米ソ両国は30日ワシントンで偶発的な核戦争の危険を少なくする協定と,ホットライン(米ソ直通通信線)の改善の2協定に調印した。両協定は行政協定で,調印と同時に発効した。
DIA-602-1971-09-30-6ソ連1971年09月30日1970年代中国軍のジェット機モンゴル領で墜落-モンゴルの国営モンツアメ通信は30日,9月12日夜から同13日早朝にかけ,中国のジェット機1機がモンゴル領空を侵犯,モンゴル領内深く飛行を続けた後,ケンターアイマク地方で原因不明の墜落事故を起し9人の乗員が死亡したと発表した。モスクワのモンゴル筋は侵入したのは空軍機で死亡したのは人民解放軍の高級将校たちであったと発表したが,中国筋は墜落したのは民間機であると語った。死者の中には女性も1名ふくまれており,墜落地点は東経111度北緯47度付近で航法の誤まりから,山に激突炎上したものであるとも伝えられる。この他にも中国空軍十数機がソ連へ逃亡したという説もある。
DIA-602-1971-10-01-1ソ連1971年10月01日1970年代訪印のソ連議長談-ハノイ訪問への途中,インドに立寄ったポドゴルヌイ・ソ連最高会議幹部会議長は1日,ギリ・インド大統領主催の夕食会で「ソ連は東パキスタン問題の政治解決を図るため,あらゆる援助をする用意がある」と語った。
DIA-602-1971-10-01-2ソ連1971年10月01日1970年代ソ連,米軍機の北爆に抗議。
DIA-602-1971-10-02-1ソ連1971年10月02日1970年代ポドゴルヌイ議長,ビルマ入り。
DIA-602-1971-10-02-2ソ連1971年10月02日1970年代英政府のソ連スパィ追放措置に批判高まる-英国内では外交史上異例の大量追放リスト作りをした亡命ソ連通商代表部員リヤリンのロンドンでの“色事師”ぶりが明るみに出るにつれ,今度の政府の措置があまりにも軽率ではなかったか,との批判が強くなっている。
DIA-602-1971-10-02-3ソ連1971年10月02日1970年代シベリアの西と南への新しいパイプライン建設計画-ウスチ・バルイク-ウファ-アリメチエフスク間石油パイプライン建設のための路線の整地作業が開始された。このパイプラインは北から西南方へクゥルガン経由,延長約2,000kmである。なおアンジュロ・スゥジェンスクからイルクーツクまでの1,500kmパイプラインの建設も計画されており,それはさらに太平洋岸まで伸ばす計画になっている。もうひとつ第24回党大会指令によってオムスク-パブロダル-チムケントを経てカザフスタンの工業中心地へのパイプライン建設も検討されている。
DIA-602-1971-10-02-4ソ連1971年10月02日1970年代国慶節とソ連-ソ連最高幹部会と閣僚会議は中国建国22周年に当り祝辞を送り,ソ連が両国間の正常な国家関係を求めていることを強調するとともに,両国人民間の善隣友好関係の回復を切望していることを明らかにした。
DIA-602-1971-10-02-5ソ連1971年10月02日1970年代今里氏,帰国-日ソ経済委員会の今里広記石油委員長(日本精工社長)はソ連での資源共同開発の準備交渉を終え,2日午後4時半すぎ帰国した。
DIA-602-1971-10-02-6ソ連1971年10月02日1970年代ソ連,サハリンの大陸ダナ共同探鉱提案か-今里氏談。
DIA-602-1971-10-03-1ソ連1971年10月03日1970年代ソ連・ビルマ共同声明。
DIA-602-1971-10-03-2ソ連1971年10月03日1970年代ボドゴルヌイ議長,ハノイ着-ポドゴルヌイ・ソ連最高会議議長はソ連党,政府代表8人ととに北ベトナム公式訪問のため3日,ラングーン経由空路ハノイに到着した。ハノイ訪問のソ連代表団の顔ぶれは次のとおり。 マズロフ第1副首相,カツシェフ党書記,ノビコフ副首相,スカチコフ対外経済関係委議長,ソコロフ第1国防次官,ブリシン第1貿易次官,チェルバコフハノイ駐在大使。
DIA-602-1971-10-03-3ソ連1971年10月03日1970年代サハロフ博士,国外移住の自由を認めよと最高会議に書簡。
DIA-602-1971-10-03-4ソ連1971年10月03日1970年代北ベトナムニャンザン紙,ソ連代表団歓迎社説。
DIA-602-1971-10-03-5ソ連1971年10月03日1970年代ポ議長歓迎集会で北ベトナム第1書記が演説。
DIA-602-1971-10-03-6ソ連1971年10月03日1970年代東パの弾圧中止をとソ連赤十字声明。
DIA-602-1971-10-03-7ソ連1971年10月03日1970年代中国周辺配備のソ連軍,東欧圏の兵力より上回る-4日発売の「US・ニューズ・アンド・ワールド・リポート」誌は「中国の周辺に配備されたソ連軍の師団数が,初めて東欧圏内のソ連兵数を上回った」と次のように報じた。 1967年当時,東欧のソ連軍は26個師団で,極東にはモンゴルを含めて15個師団しかなかったが,現在は東欧に31個師団,中国周辺には24個師団配備されている。一方中国は,ソ連国境に少なくとも33個師団を集結させている。
DIA-602-1971-10-05-1ソ連1971年10月05日1970年代ツアラプキン・ソ連特使来日。
DIA-602-1971-10-06-1ソ連1971年10月06日1970年代日ソ経済委,北サハリンの天然ガス開発で調査員派遣要請か。
DIA-602-1971-10-06-2ソ連1971年10月06日1970年代ソ連通商部員ベルギーで姿を消す。
DIA-602-1971-10-06-3ソ連1971年10月06日1970年代赤の広場で爆弾投げる-6日夜モスクワの赤の広場で若い男が小型爆弾を投げつけ,ただちに警官に逮捕された。
DIA-602-1971-10-07-1ソ連1971年10月07日1970年代グロムイコ外相ベルリン協定で注文-グロムイコ外相は先月ニューヨークで西ドイツのシェール外相と会談したさい,西ドイツがソ連,ポーランドと調印した条約を批准するまで,ソ連はベルリンに関する4大国協定の最後の部分に調印しないと言明した,と西独紙が報じた。
DIA-602-1971-10-08-1ソ連1971年10月08日1970年代シンガポールにモスクワ,ナロードヌイ銀行,11月に支店開設。
DIA-602-1971-10-08-2ソ連1971年10月08日1970年代英大使館員18人追放-英政府のソ連外交官大量追放措置に対しソ連政府は8日,モスクワの英国大使館員ら18人の国外退去,ヒューム英外相のソ連公式訪問の取消し,科学技術貿易に関するソ英両国共同委員会の活動停止などの“報復措置”を発表した。英国の105人追放に対し数は格段に少ないが大使館員総数に対する比率は20%で同じ。
DIA-602-1971-10-08-3ソ連1971年10月08日1970年代ポドコルヌイ議長以下,ソ連代表団ハノイ訪問。
DIA-602-1971-10-08-4ソ連1971年10月08日1970年代ソ連・北ベトナム共同声明。
DIA-602-1971-10-08-5ソ連1971年10月08日1970年代コスイギン首相モロッコへ。
DIA-602-1971-10-09-1ソ連1971年10月09日1970年代海軍武官や商社駐在員も追放-消息筋が9日明らかにしたところによると,ソ連当局から国外追放を言渡された英外交官の中には海軍武官アンソニー・ウォルステンホーム少佐(31),フィリップ・ハンソン(34)アン・ルイスの2等書記官,書記官補のアラン・ホームズ氏らの4人がある。ほかにランク・ゼロックス社のモスクワ駐在代表ブラジミル・ハルチゲン氏も追放処分にあった。
DIA-602-1971-10-10-1ソ連1971年10月10日1970年代サダト・エジプト大統領訪ソ。
DIA-602-1971-10-10-2ソ連1971年10月10日1970年代サハリン-コムソモリスク間の第2パイプライン建設完了近し。
DIA-602-1971-10-10-3ソ連1971年10月10日1970年代ソ連,最近1カ月に4回目の,地下核実験。
DIA-602-1971-10-11-1ソ連1971年10月11日1970年代訪ソのサダト大統領ととソ連首相の会談中止。
DIA-602-1971-10-12-1ソ連1971年10月12日1970年代米ソ海軍の事故回避協議-米ソの軍艦や海軍機の事故防止措置についての交渉が12日からモスクワで開かれた。
DIA-602-1971-10-12-2ソ連1971年10月12日1970年代サダト・アラブ連合大統領,ソ連首脳と会談。
DIA-602-1971-10-12-3ソ連1971年10月12日1970年代米大統領,来年5月に訪ソ-ワシントン,モスクワ,双方で同時に発表。
DIA-602-1971-10-12-4ソ連1971年10月12日1970年代日ソ漁業第1回会談-漁業を中心とする日ソ関係の調整のため訪ソした赤城農相は,12日から早速ソ連側との話合いを始めた。
DIA-602-1971-10-13-1ソ連1971年10月13日1970年代ソ連アカデミーと日本学術会議,協定へ-日ソ科学者交流計画が,このほどソ連科学アカデミーから具体的に提案され,日本学術会議(江上不二夫会長)は13日の運営審議会で実現を目ざして努力することになった。外国とのアカデミーを通じた学術交流はことしから本格化した日英交流に次ぐ2番目。学術会議としては異論がなく,早ければ48年度から実行される。ソ連側の提案は「ソ連科学アカデミーおよび日本学術会議間における科学者の相互交流に関する協定」というタイトルの協定文案を用意したきわめて具体的もの。9月17日,駐日ソ連大使館のヤストレボフ経済科学担当参事官,プロホージェフ1等書記官が江上会長を訪れ,交流計画を申入れるとともに協定文案を提示した。 ソ連案によるとまずトップクラスの科学者交流として,ソ連側はアカデミー会員,日本側は学術会議会員と日本学士院会員が毎年5人ずつ,3週間を限度として相互訪問し,講演会やセミナー指導,科学上の調査に当る。この“大物交換”のほか各分野の6人の科学者が1カ月ずつ科学研究のために交流し,また相手国の科学調査研究機関で専門的な研究に従事する「科学調査員」(サイエンティフィック・リサーチ・ワーカー)を10人以内の範囲で3~9カ月ずつ相互に派遣する。 費用は相互負担で受入国は諸経費を負担すると同時に教授,理事,試験所長クラスで月額300ルーブルまたは12万円,科学調査員で月額9万6000円の給与を支給など,こまかい規定が盛込まれている。
DIA-602-1971-10-13-2ソ連1971年10月13日1970年代米大統領の訪ソを歓迎と竹下官房長官談話。
DIA-602-1971-10-13-3ソ連1971年10月13日1970年代8個のコスモス衛星,一基のロケットで打上げ。
DIA-602-1971-10-14-1ソ連1971年10月14日1970年代北方領土,ソ連の方針変らぬ-訪ソ中の小坂徳三郎氏ら自民党の新風政治研究会の国会議員8人は14日午後,ロジオノフ外務次官と会談したが,同次官は席上,北方領土問題でソ連が新しい解決策を考慮しているかのように述べた宮本日本共産党委員長の発言を否定「領土問題は外交上の問題で,党と党の問題ではない。宮本委員長の発言は誤解である」と語り,ソ連の従来の立場に変りがないことを強調した。
DIA-602-1971-10-14-2ソ連1971年10月14日1970年代赤城・イシコフ会談で最終調整-赤城農相一行による日ソ漁業予備会談は,14日の正午からツブ貝漁についての小委員会が開かれた。ソ連に対して単に出漁を通告するだけにしたい日本側に対して,ソ連側はやはり操業水域,漁獲量,出漁隻数,漁具漁法を明記した協定を結ぶべきだ,という考えが強いようで,この日は結論に達しなかった。一方,コミュニケ起草小委員会は,ツブ貝小委員会に続いて午後4時から深夜まで続けられた。
DIA-602-1971-10-15-1ソ連1971年10月15日1970年代ソ連労組代表団歓迎会-第5回日ソ労働組合交流委員会に出席のため来日中のシェレーピン全ソ労働組合中央評議会議長(ソ連共産党中央委員会政治局長)を団長とするソ連労組代表団のために15日夜,在日ソ連大使館オコニシニコフ代理大使主催のレセプションが東京・狸穴のソ連大使館で行なわれた。
DIA-602-1971-10-15-2ソ連1971年10月15日1970年代日ソ漁業・共同コミュニケ要旨-赤城・イシコフ会談の終了に当り,15日発表された共同コミュニケのおもな内容次のとおり。 1.双方は,資源の安定と実質的な増加を可能にする規模の効果的なサケ,マスの人工増殖事業を実施することが有意義であると認め,両国の学者,専門家に対し,この問題を詳細に研究するよう勧告することを決めた。 2.双方は今後数年間のサケ・マス標準漁獲量の決定の可能性に関する問題について意見を交換し,このため今後数年間のサケ・マスの制限状態の変化の傾向を明らかにする可能性について研究,検討するよう両国の学者,専門家に勧告する。 3.双方は,カニ漁業について意見を交換し,希望を表明した。 4.双方は,小型日本漁業船による操業に関することし1月に開始された交渉(安全操業交渉を意味する)について意見を交換した。 5.双方は,日本漁船による,ツブ貝漁業に関して話合いを行なった。 6.双方は,北太平洋の水産資源の保存,増大および合理的利用のため,両国の緊密な協力が必要であることで合意し,このため,日ソ漁業委員会の活動の改善の必要性について合意した。 7.双方は,今回の話合いが有益だったことを認め,日ソ善隣関係強化のために漁業の分野における協力を今後とも促進する用意がある旨を表明した。
DIA-602-1971-10-15-3ソ連1971年10月15日1970年代ブリュッセル駐在のソ連政府職員アナトール,チェボタレフ,ロンドンで米大使館に亡命求む。
DIA-602-1971-10-17-1ソ連1971年10月17日1970年代ソ連首相カナダ訪問。カナダ首相と会談へ-8日間の日程で17日オタワ入りしたコスイギン・ソ連首相は18日,トリュドー首相と第1回会談を行なう。
DIA-602-1971-10-17-2ソ連1971年10月17日1970年代新5カ年計画漸く党中央委と最高会議へ提出現段取り。
DIA-602-1971-10-18-1ソ連1971年10月18日1970年代新型の電算機が稼動-ソ連で新型コンピュータ,ミンスク32がこのほど稼働に入った。同機は,ソ連としては最新鋭機種といえるが,欧米の水準では,まだ第2世代機を複雑化したに過ぎず,7年前に登場したIBM360~30より性能は劣るといわれる。
DIA-602-1971-10-18-2ソ連1971年10月18日1970年代ソ連・フィンランド共同声明。
DIA-602-1971-10-18-3ソ連1971年10月18日1970年代カナダでハンガリー移民コスイギン首相を襲う-カナダ訪問中のコスイギン・ソ連首相は18日午後,トリュドー・カナダ首相との会談を終えてオタワ市の国会議事堂から出てきたところを暴漢に襲われた。男は背後からコスイギン首相に飛びかかったが,すぐ警官たちに取押えられ,同首相にけがはなかった。犯人はハンガリー移民といわれる。
DIA-602-1971-10-18-4ソ連1971年10月18日1970年代タス通信,襲撃事件に触れず。
DIA-602-1971-10-18-5ソ連1971年10月18日1970年代ベルギーソ連スパイ網暴露-ベルギー外務省は18日コミュニケを発表し,ブリュッセル駐在のソ連通商代表部員アナトリ・チェボタレフ氏が米国に政治亡命を求めた事実を明らかにした。同発表はチェボタレフ氏がベルギーにソ連スパイ網が存在していることを暴露したとの報道を確認した。
DIA-602-1971-10-18-6ソ連1971年10月18日1970年代日ソ労組が交流集会-日ソ両国労働者の親善交流をはかる「第7回日ソ友好と平和のための労組東京集会」が,18日午前10時から東京中央区の都立勤労福祉会館で開かれ,ソ連側からはシェレーピン全ソ労組中央評議会議長を団長に120人,日本側から市川総評議長ら約300人が参加した。
DIA-602-1971-10-20-1ソ連1971年10月20日1970年代日ソ経済協力に関するプラウダ論文-20日のソ連共産党機関紙プラウダは日ソ共同宣言調印15周年を記念してスパンダリヤン・ソ連国家計画委貝会外国貿易局長の「協力の可能性」という長文の論文を掲載した。
DIA-602-1971-10-21-1ソ連1971年10月21日1970年代レナ河の本年航行シーズン終る。
DIA-602-1971-10-21-2ソ連1971年10月21日1970年代今年のチェメーニの原油生産4520万トンの予定。
DIA-602-1971-10-21-3ソ連1971年10月21日1970年代ソ連が宇宙破壊衛星の実験-21日発行され英国のジェーン航空機年鑑によると,ソ連は飛行中の他の宇宙船を破壊する能力を備えた人工衛星の実験を進めていると報じた。
DIA-602-1971-10-21-4ソ連1971年10月21日1970年代カナダでコスイギン首相訪問反対デモ荒れる-21日夜,コスイギン・ソ連首相の訪問に抗議する約500人のデモ隊が,当地のソ連領事館の窓ガラス数枚を割り,壁にペンキを投げつける騒ぎがあった。
DIA-602-1971-10-22-1ソ連1971年10月22日1970年代ソ連外務次官,突然訪印-ニコライ・フィリュービン・ソ連外務次官は,22日午後,ソ連外務省職員を伴ってニューデリーを突然訪れた。インド当局者と同次官との討議は主としてインド,パキスタン間の軍事情勢に集中するものとみられている。
DIA-602-1971-10-22-2ソ連1971年10月22日1970年代テレシコワさん,ハノイ着-ワレンチナ・テレシコワ・ソ連婦人委員会議長(女性宇宙飛行士)を団長とするソ連婦人委員会代表団は,ベトナム婦人同盟25周年式典に出席のためハノイに到着した。
DIA-602-1971-10-22-3ソ連1971年10月22日1970年代米に抗議。国連代表部銃撃事件で。
DIA-602-1971-10-23-1ソ連1971年10月23日1970年代ビリビノへ冬季道開通-ビリビノにゼリョーヌイ・ムイスから本年最初の自動車縦列が到着した。
DIA-602-1971-10-23-2ソ連1971年10月23日1970年代ウスリー地方の本年度流木シーズン終る-本年は悪天候,洪水氾濫などのため1カ月間流木作業を中止したこともあったが,イマンとウスリー両河の流木事務所の努力によって全休で240万m3の木材が送られた。
DIA-602-1971-10-24-1ソ連1971年10月24日1970年代コスイギン首相暗殺計画の疑いでカナダ,トロントで2人逮捕。
DIA-602-1971-10-25-1ソ連1971年10月25日1970年代ブレジネフ書記長,特別機でパリ着,ポンピドー大統領と会談。
DIA-602-1971-10-25-2ソ連1971年10月25日1970年代世界最大のトラック工場すでに独力で建設に着手。
DIA-602-1971-10-26-1ソ連1971年10月26日1970年代オビ河の流域に石油パイプライン-ソ連最大のアレクサンドロフスコエ-トムスク-アンジェロ・スウジェンスク間石油パイプラインは,このほどオビ河の河底2kmの敷設を完了した。
DIA-602-1971-10-26-2ソ連1971年10月26日1970年代NATOソ連への核報復策を協議-米,英,西ドイツなどNATO(北大西洋条約機構)核計画グループ7カ国の国防相会議が26日,ブリュッセルで2日間の予定で開かれ,ソ連から攻撃を受けた場合の核兵器による対抗策について協議した。
DIA-602-1971-10-26-3ソ連1971年10月26日1970年代ソ連・カナダ共同声明-カナダ訪問の公式日程を終えたコスイギン・ソ連首相は26日,次の訪問地であるキューバのハバナに着いたが,同日夜ソ連,カナダ両国の共同コミュニケが発表された。
DIA-602-1971-10-26-4ソ連1971年10月26日1970年代中国の国連加盟を歓迎とモスクワ放送述べる。
DIA-602-1971-10-27-1ソ連1971年10月27日1970年代国籍不明潜水艦,酒田沖で日本漁船と衝突,漁船破損。
DIA-602-1971-10-27-2ソ連1971年10月27日1970年代仏ソ経済協定に調印-27日朝,フランス訪問中のブレジネフ・ソ連共産党書記長に随行しているパトリチェフ外国貿易相とジスカールデスタン・フランス蔵相との間で行なわれたもので,協定期限は10年。
DIA-602-1971-10-27-3ソ連1971年10月27日1970年代政・財界,ソ連の油田開発で代表団派遣-財界首脳で構成している日ソ経済委員会は27日,東京・大手町の経団連で石油委員会(委員長・今里広記日本精工社長)を開き,ソ連のシベリア開発-とくにチェメーニ油田からの原油開発輸入,サハリン周辺の大陸だな探鉱問題などについて協議した。この結果,①チェメーニ油田開発を推進するため政府,財界の代表団をソ連へ送る必要がある,②サハリン探鉱のため同石油委の下部機関として探鉱斑を新設,具体化をすすめる-などで意見が一致した。
DIA-602-1971-10-27-4ソ連1971年10月27日1970年代ブレジネフ書記長,フランスで米中けん制の演説。
DIA-602-1971-10-27-5ソ連1971年10月27日1970年代スパイ退去事件に抗議してソ連音楽家,訪英を中止。
DIA-602-1971-10-28-1ソ連1971年10月28日1970年代SOS電波妨害中止をソ連へ協力要請-郵政省は28日,「ウラジオストク付近から発信される電波によって日本海で操業する漁船のSOS通信が妨害されているので,混信しないよう協力してほしい」とソ連の郵政電気通信省に要請した。
DIA-602-1971-10-28-2ソ連1971年10月28日1970年代オホーツク海のニシン豊漁-オホーツク海沿岸とアムール河の漁業組合は今年秋のシーズンを通じて20万トン以上のニシンを水揚げした。
DIA-602-1971-10-28-3ソ連1971年10月28日1970年代ソ連軍事代表団が訪印へ。
DIA-602-1971-10-28-4ソ連1971年10月28日1970年代印パ情勢が悪化すればソ・印友好条約を援用とインド外相言明。
DIA-602-1971-10-29-1ソ連1971年10月29日1970年代中東危機解決すればソ連車は引揚げるだろうとチトー大統領,ワシントンで語る。
DIA-602-1971-10-30-1ソ連1971年10月30日1970年代シンガポールでソ連産業大見本市開催。
DIA-602-1971-10-30-2ソ連1971年10月30日1970年代仏ソ首脳が共同宣言。
DIA-602-1971-10-30-3ソ連1971年10月30日1970年代ブレジネフ書記長,フランスからの帰途,東独首脳と会談。
DIA-602-1971-11-03-1ソ連1971年11月03日1970年代喬国連代表の起用に懸念-中国の国連代表団長に中ソ国境交渉首席代表喬外務次官が起用されたことについて,ソ連当局は中ソ国境会談の成行きを懸念していると伝えられる。中ソ国境会談は目下完全なる行詰り状態にある。
DIA-602-1971-11-03-2ソ連1971年11月03日1970年代ウスチ・イリムスク鉄道の建設完了に近づく-Stroitelinaja Gazeta紙によれば,アンガルスク運輸建設関係者はフレブトワヤーウスチ・イリムスク鉄道建設を革命記念日までに水力発電所建設現場まで到達せしめると述べている。延長215kmの鉄道が11km伸びることになる。最初の作業列車はすでにセメントやその他の建設材料を積んでプラボベレジナヤ駅に到着しはじめている。
DIA-602-1971-11-03-3ソ連1971年11月03日1970年代イルトゥイシ,オビ両河の航行シーズン終了-イルトゥィシ河とオビ河の今年航行シーズンは終了した。 イルトゥィシ河航運は各種貨物を1610万トン輸送した。 これらの貨物はいずれもシベリアの天然ガスと石油の開発地へ送られたものである。
DIA-602-1971-11-04-1ソ連1971年11月04日1970年代ベルギー政府,ソ連スパイ約30人を国外追放。
DIA-602-1971-11-04-2ソ連1971年11月04日1970年代《アムールスタリ》製鋼所の拡張-Gudok紙によれば,コムソモリスクの《アムールスタリ》製鋼所において連続出鋼設備が稼動をはじめた。同製鋼所は過去5年間に著しく拡張されたが,今後さらに鋼材,電気溶接鋼管,変形鋼材,ほうろうびき食器類の製造工場を建設する予定で,それらの年間生産高は100万トンを超えるとみられている。
DIA-602-1971-11-04-3ソ連1971年11月04日1970年代今年のオハ付近の天然ガス1600万m3産出。
DIA-602-1971-11-06-1ソ連1971年11月06日1970年代革命前日の記念会議で中国外交官退席-クレムリン内で6日ひらかれた記念会議でグリシン政治局員が中国の反ソ路線を非難した際,中国人外交官と新華社記者はこれに抗議して退席した。
DIA-602-1971-11-06-2ソ連1971年11月06日1970年代中国が十月革命54周年に祝電-中国全国人民代表大会常務委員会と国務院は6日,ソ連へ祝電を送った。
DIA-602-1971-11-06-3ソ連1971年11月06日1970年代インドへ多量の武器空輸-6日付英紙タイムズはソ連が突然大量の武器をインドに空輸はじめたと報じた。同時に多くの軍事教官を送りこんでいるという。
DIA-602-1971-11-06-4ソ連1971年11月06日1970年代北京でソ連革命記念映画会。
DIA-602-1971-11-07-1ソ連1971年11月07日1970年代革命記念パレード-第54回革命記念日のパレードは恒例のように赤の広場で挙行され,雪の中を軍事パレードが行なわれた。レーニン廟には3首脳のほか幹部たちがならび,グレチコ国防相が演説した。
DIA-602-1971-11-10-1ソ連1971年11月10日1970年代ポーランド首脳,訪ソ。
DIA-602-1971-11-11-1ソ連1971年11月11日1970年代ソ連・西独旅客機相互乗入れ協定調印。
DIA-602-1971-11-11-2ソ連1971年11月11日1970年代ザバイカルの狩猟シーズンはじまる-ザバイカルで本年の狩猟シーズンがはじまり600人の職業猟師と数千名のアマチュア狩猟家が山に入った。計画ではチタ州だけで本年は6,000匹のクロテンをとることになっている。
DIA-602-1971-11-12-1ソ連1971年11月12日1970年代ソ連鉄鋼生産世界の王座へ-日本鉄鋼連盟(稲山嘉寛会長)が12日明らかにしたところによると,ソ連の71年の鉄鋼生産量は粗鋼で1億2000万トンの水準に達することが確実となり,米国(推定1億1400万トン)を抜いて世界一の鉄鋼生産国となることが決定的になった。72年も引続き世界一を確保するとみられている。なお第3位のわが国は昨年の9330万トンが不況とドル・ショックの影響でことしは8770万トンに落込むものと予想されている。
DIA-602-1971-11-12-2ソ連1971年11月12日1970年代アチンスク・アルミナ工場増設分稼動。
DIA-602-1971-11-12-3ソ連1971年11月12日1970年代ソ連最大のブラック・アルミニューム工場完成。
DIA-602-1971-11-13-1ソ連1971年11月13日1970年代「日ソ鉄鋼懇談会」設置-ソ連・東欧貿易会(堀江薫雄会長)日本鉄鋼連盟(稲山嘉寛会長)の招きで2日から来日していたクズネツ・ソ連鉄鋼相は12日,東京千代田区の経団連会館で稲山嘉寛新日鉄社長ら鉄鋼業界首脳と懇談した。
DIA-602-1971-11-13-2ソ連1971年11月13日1970年代アムール河の船舶が日本の西海岸や大阪まで航行-アムール河航行の最後の船舶が冬季繋留所に入った。今年は例年に比べ秋が長く航行シーズンは1週間のびた。そのため北方各地向けの貨物輸送は計画より80万トンも多かった。ニコラエフスクーナガエボ(マガダン)湾の間の航路も開発されており,今年は河川用の《バルチェツ》型船舶が輸入貨物を積んで日本西海岸各地および大阪からハバロフスクの間を航行した。
DIA-602-1971-11-13-3ソ連1971年11月13日1970年代ヤクート漁業コルホーズの北氷洋氷下漁業-Vodnyy Transport紙によれば,ヤクート自治共和国のブゥルゥンスキー地区の《アルクチカ》漁業コルホーズはラプテフ海沿岸で水下漁獲をはじめた。水揚げした魚は凍って,冷凍庫設備の必要もなく,そのまま各地の加工場へ送られる。
DIA-602-1971-11-14-1ソ連1971年11月14日1970年代コルイマ水力発電所のシネゴリエ市へ自動車道路開通-Gudok紙によれば,マガダンからの通信として,建設中のコルイマ水力発電所のシネゴリエ市に向う道路ができ,その道を《ボルガ》型自動車が通っている。道路は針葉樹林と湿地を通過している。これによって重要な建設材料を輸送できるようになった。
DIA-602-1971-11-15-1ソ連1971年11月15日1970年代クラスノヤルスク水力発電所,第11タービン空転テスト開始-出力一基で50万kW。
DIA-602-1971-11-17-1ソ連1971年11月17日1970年代ニジネワルトフスキー飛行場の建設-Stroitelinaja Gazeta紙によれば,西シベリアで最も豊富な油田といわれるサヌトロールに近いニジネワルトフスキーでは建設中であった飛行場にすでに飛行機が発着している(ニジネワルトフスキーはチェメーニ州とトムスク州との境)。
DIA-602-1971-11-22-1ソ連1971年11月22日1970年代党中央委総会開幕。
DIA-602-1971-11-23-1ソ連1971年11月23日1970年代党中央委総会終る-23日のモスクワ放送によると,ソ連共産党中央委員会総会が同日採択した「ソ連共産党第24回大会以後の党中央委の国際活動について」と題する決議要旨次のとおり。 1.ソ連共産党第24回大会以後の党中央委の国際活動に関するブレジネフ党中央委の国際活動に関するブレジネフ党中央委書記長の報告を聴取し,討議した後,総会は,党大会によって打出された対外政策のプログラムの実施に関し中央委政治局が行なった作業を全会一致で承認し,完全に支持する。 1.総会はインドシナと中東における帝国主義侵略に反対する闘士たちの糾合,インドシナ半島の紛争の平和的解決を目的とし,地球上で最大の地域であるアジアの平和と安全に向けられた中央委政治局の建設的態度とその実践活動に完全に賛同する。ソ連とエジプト,ソ連とインドの間の条約は平和と国際安全の強化にとって大きな意義をもっている。 1.総会は,現代の国際関係の中心的問題のひとつである欧州における緊張緩和の保障,欧州諸国の平和共存と互恵的協力の一層の実際的適用という問題の解決に向けられた中央委政治局の活動を高く評価している。
DIA-602-1971-11-23-10ソ連1971年11月23日1970年代ウラジオストクの強力電波SOSと混信のため,カラギンスキー島の漁船救助おくれる。
DIA-602-1971-11-23-2ソ連1971年11月23日1970年代米ソ貿易で本交渉-訪ソ中のスタンズ米商務長官は23日,パトリチェフ外国貿易相と,一回目の会談を皮切りにソ連側との実質交渉に入った。
DIA-602-1971-11-23-3ソ連1971年11月23日1970年代ソロメンツェフ氏政治局員候補に昇格-22日から開かれていたソ連共産党中央委員会総会は,23日ブレジネフ書記長の外交報告を満場一致で採択し,人事問題ではソロメンツェフ・ロシア共和国首相を政治局員候補に選出し閉幕した。ソロメンツェフ氏は政治局員候補への昇格に伴い,党中央委書記の地位は解かれた。
DIA-602-1971-11-23-4ソ連1971年11月23日1970年代カラギンスキー島で日本漁船救出。
DIA-602-1971-11-23-5ソ連1971年11月23日1970年代極東の水力発電所建設計画-Gudok紙によれば,極東の電力建設は,第9次5カ年計画中にゼーヤ河水力発電所の一部が稼動をはじめ,コルイマ水力発電所の建設が開始されることになっている。またカムチャツカについては火山山脈中のクロノツカヤ河に建設予定の水力発電所の設計が行なわれている。ゼーヤ河に長さ700m,高さ112mのコンクリート・ダムが予定されており,ダムの高さが予定の2/3の高さに達すると,最初の発電機が始動する手はずになっている。
DIA-602-1971-11-23-6ソ連1971年11月23日1970年代最高会議開幕。コスイギン演説,75年までに米国を追抜くと強調-コスイギン・ソ連首相は24日開幕したソ連最高会議で第9次5カ年計画(1971~75年)についての報告演説を行ない,新5カ年計画では国民の生活水準向上に力を注ぐと述べるとともに「1975年度のソ連の工業,農業の総生産は現在の米国の水準を越え,ソ連と,資本主義諸国との経済競争に重大な転機を迎える」と強調した。
DIA-602-1971-11-23-7ソ連1971年11月23日1970年代国防費据置く-ガルブゾフ蔵相は,72年度予算に関する報告を行ない,国防予算を179億ルーブルとすると発表,ソ連の国防予算額は2年連続据置かれるとともに,歳出全休に占める割合は10.3%と戦後最低の平和予算。
DIA-602-1971-11-23-8ソ連1971年11月23日1970年代ソ連製品,シンガポール足場に進出。
DIA-602-1971-11-23-9ソ連1971年11月23日1970年代中国,国連で米ソ核独占を非難。
DIA-602-1971-11-25-1ソ連1971年11月25日1970年代ソ連最高会議第2日-25日のモスクワ放送によると,同日モスクワで再開されたソ連最高会議の第2日は,連邦,民族両会議別に第9次ソ連国民経済発展5カ年計画案および来年度の国民経済発展計画案と国家予算案の審議を続行した。まず午前10時(日本時間午後4時)から始まった連邦会議で発言した同会議計画・予算委員会のロゼンコ議長は,経済計画に消費物資の販売増大を盛込み,また国家予算の支出面で,都市・農村の環境整備予算を増額するよう提案した。ウクライナ共和国のシェルビツキー首相,ロシア共和国のワシリエフ第1副首相らは5カ年計画で各共和国の工業生産が著しく増大する点を強調した。
DIA-602-1971-11-26-1ソ連1971年11月26日1970年代ソ連,ベンガル問題でパキスタンに警告。
DIA-602-1971-11-27-1ソ連1971年11月27日1970年代最高会議終る。5カ年計画採択-24日からクレムリンで開かれている第8回ソ連最高会議第3会期は同日,第9次ソ連国民経済発展5カ年計画(1971~75年)および1972年度の国民経済発展計画と国家予算を採択し,1970年度執行予算と前会期以後の最高会議幹部会令を確認した後,閉幕した。
DIA-602-1971-11-28-1ソ連1971年11月28日1970年代独ソ外相第2回会談。
DIA-602-1971-11-30-1ソ連1971年11月30日1970年代ジューコフ元帥にレーニン勲章。
DIA-602-1971-11-30-2ソ連1971年11月30日1970年代ソ連・ブルガリア首脳会談。
DIA-602-1971-12-01-1ソ連1971年12月01日1970年代コスイギン首相,米大統領へ経済協力要請の書簡送付。
DIA-602-1971-12-01-2ソ連1971年12月01日1970年代モスクワ-ウラン・ウデ定期空路開通-ウラン・ウデからの通信によれば,《IL=18》型機によるモスクワーウラン・ウデ間直通定期空路が開発された。同機はこの間を7時間で飛行する。
DIA-602-1971-12-02-1ソ連1971年12月02日1970年代モスクワ放送,「北京は東パキスタンの平和解決を妨害している」と非難。
DIA-602-1971-12-02-2ソ連1971年12月02日1970年代火星3号,火星へ初の軟着陸成功。
DIA-602-1971-12-02-3ソ連1971年12月02日1970年代コスイギン首相,デンマーク訪問-タラーグ・デンマーク首相と会談したコスイギン首相は全欧会議の支持を要請した。
DIA-602-1971-12-02-4ソ連1971年12月02日1970年代米ソ航海条約モスクワで議定書に調印。
DIA-602-1971-12-02-5ソ連1971年12月02日1970年代東シベリア,アンガルスク市の人口20万余と発表。
DIA-602-1971-12-03-1ソ連1971年12月03日1970年代米国,米ソ経済合同委員会の常設換討中。
DIA-602-1971-12-04-1ソ連1971年12月04日1970年代国連安保理,印パ問題でソ連代表拒否権行使。
DIA-602-1971-12-04-2ソ連1971年12月04日1970年代新華社,「ソ連はインドの東パキスタン侵略を支持している」と非難。
DIA-602-1971-12-04-3ソ連1971年12月04日1970年代マガダン州のコルイマ道路のサービス-Gudok紙は,マガダン州を貫く約6,000km以上のコルイマ道路において,運転手にサービスするため100~150kmおきに休息所が設けられ,それには診察所とホテルもつくられていると伝えた(注 コルイマ道路はマガダン公路ともよばれ,世界最悪の気象条件下で輸送が行なわれている)。
DIA-602-1971-12-05-1ソ連1971年12月05日1970年代コスイギン首相,デンマークで記者会見-デンマーク訪問最後の日,記者会見したコ首相はバングラディシュ運動を支持するとくり返したが,まだ公式に承認するつもりはないと述べた。
DIA-602-1971-12-05-2ソ連1971年12月05日1970年代タス通信「印パ戦争の責任はパキスタンにある」と声明。
DIA-602-1971-12-05-3ソ連1971年12月05日1970年代国連安保理,印パ問題で再び拒否権行使。
DIA-602-1971-12-05-4ソ連1971年12月05日1970年代プラウダ紙,「中国は社会大国主義」「社会軍国主義」と非難。
DIA-602-1971-12-05-5ソ連1971年12月05日1970年代パキスタン,駆逐艦,ソ連供与のOSS級ミサイル艇(インド海軍)によって撃沈さる。
DIA-602-1971-12-05-6ソ連1971年12月05日1970年代バミールの頂上へへリコブタ-で貨物輸送-Pravda紙はタジキスタンのヘリコプターがパミール山脈上に新しい空路を開き,海抜約4,000mのフェドチェンコ氷河にある気象観測所へ貨物を運んだと報じた。
DIA-602-1971-12-07-1ソ連1971年12月07日1970年代首脳部の訪問日程終了-ブレジネフ書記長,コスイギン首相,ポドゴルヌイ議長3首脳の各国に対する訪問外交は7日全部の日程を終了した。首脳が手分けして訪問した国々はフランス,デンマーク,ノルウェー,アルジェリア,モロッコ,キューバ,ユーゴスラビア,北ベトナムなど。
DIA-602-1971-12-07-2ソ連1971年12月07日1970年代オムスク精油工場拡張中。
DIA-602-1971-12-07-3ソ連1971年12月07日1970年代人民日報,5日付タス声明に反論。
DIA-602-1971-12-09-1ソ連1971年12月09日1970年代プラウダ紙,中国非難-マエフスキー評論員は「北京指導部は印パ両国をかり立てアジア人同志を戦わせるというグアム・ドクトリンと本質的に同じ政策を行なっている」と非難した。
DIA-602-1971-12-09-2ソ連1971年12月09日1970年代サケ,マス人工ふ化場共同建設を近く赤城農相ソ連へ申入れか?
DIA-602-1971-12-09-3ソ連1971年12月09日1970年代繊維輸出,ソ連向け2500万ドル成約。
DIA-602-1971-12-10-1ソ連1971年12月10日1970年代プラウダ紙,当分バングラデシュ承認せずと示唆。
DIA-602-1971-12-11-1ソ連1971年12月11日1970年代ベルリン協定仮調印-西独と西ベルリンの自由通行を保障する協定に東西両独代表の調印が行なわれ,さる9月,米英仏ソ4大国で調印されたベルリン協定は完成した。
DIA-602-1971-12-11-2ソ連1971年12月11日1970年代北京放送,「ソ印軍事同盟が侵略の元兇」と非難。
DIA-602-1971-12-11-3ソ連1971年12月11日1970年代ハバロフスク河川運輸の好成績-Vodnyy Transport紙によれば,ハバロフスクの河川運輸当局は今年のシーズンに,計画より80万トン多い貨物,約200万人の旅客を輸送した。計画を期限前に遂行した好成績の船舶のなかには《メテオール=72》号,《ラケータ=104》号,《ミクルホ・マクライ》号,OTA=813などがある。現在来シーズンに対する準備が行なわれ,船舶の修理が進められている。
DIA-602-1971-12-12-1ソ連1971年12月12日1970年代クラスノヤルスク水力発電所の完全-クラスノヤルスク水力発電所において,第12番目の発電機が空転テストに入った。これが動くと世界長大の水力発電所として総出力600万kwに達することになる。
DIA-602-1971-12-12-2ソ連1971年12月12日1970年代マガダン州の採金-マガダン州の採金ドレッジャ船団は本日第9次5カ年計画第1年度の採金作業を経った。最後に休止の旗をあげたのはコルイマの採金船No.174号である。この採金ドレッジャ船は175日の稼動予定期間を延長して236日稼動した。
DIA-602-1971-12-12-3ソ連1971年12月12日1970年代ノボシビルスク北部に油田発見-Gudok紙によれば,ノボシビルスク州北部でウェルフネ・タルスキー油田につづいて,新たにラキチンスコエ油田が発見された。その油層は約2.5kmの深部によこたわっており,最近試掘油井から良質の原油が噴出した。
DIA-602-1971-12-13-1ソ連1971年12月13日1970年代スタンズ米商務長官,ソ連との合弁ガス開発を示唆。
DIA-602-1971-12-13-2ソ連1971年12月13日1970年代ソ連外務第1次官,インドから帰国。
DIA-602-1971-12-13-3ソ連1971年12月13日1970年代ソ連,国連で拒否権-国連安保理事会は13日午後5時20分から印パ問題を討議したが,インドの即時停戦,撤兵を求める決議案は,ソ連の拒否権で3たびはばまれた。
DIA-602-1971-12-13-4ソ連1971年12月13日1970年代タス通信,中国は民族解放の裏切者と非難。
DIA-602-1971-12-14-1ソ連1971年12月14日1970年代チェコトカの半分は油田・ガス鉱床地帯として有望-チュコトカで最近作業をはじめた資源調査隊は,チュコトカの領域の半分に当る75万km2の範囲にわたって油田とガス鉱床で有望であると考えるにいたった。同様の調査作業はチュコトカ半島南端ベーリング海岸地区においても開始されている。
DIA-602-1971-12-14-2ソ連1971年12月14日1970年代極東のコンテナー輸送増加-Vodnyy Transport紙によれば,ウラジボストークの極東船舶局のコンテナー輸送は日増しに増加し,最初20個~30個のコンテナーであったのが,最近《グロデコボ》号は20呎コンテナーを62個,40呎コンテナーを10個積んだ。《カバレロボ》号もこのようにしてコンテナー輸送の定期航路についている。(ザバイカリスク)号と(ハタンガ)号は近海航路のウラジボストーク-ペトロパブロフスク・カムチャッキー間ナホトカ-ナガエボ間のコンテナー輸送に任じている。コンテナー輸送はますます活発化し,前途を有望視されている。(注 現在,日米など海運国のコンテナ-船は通常1,000-2,000のコンテナーを積載している)
DIA-602-1971-12-15-1ソ連1971年12月15日1970年代ブット・パキスタン外相,国連で「ソ連はローマ帝国」と非難。
DIA-602-1971-12-15-2ソ連1971年12月15日1970年代ソ連軍事顧問団多数,インドへ向う。
DIA-602-1971-12-16-1ソ連1971年12月16日1970年代ロンドンでパキスタン人の反ソデモ。
DIA-602-1971-12-16-2ソ連1971年12月16日1970年代ソ連提唱の世界軍縮会議案,国連本会議で一年間たな上げ。
DIA-602-1971-12-17-1ソ連1971年12月17日1970年代インドの停戦発表はソ連の働きかけと米当局者語る。
DIA-602-1971-12-18-1ソ連1971年12月18日1970年代ウライ科学技術進歩人民大学-チュメーニのシャイム油田の中心ウライに科学技術進歩人民大学ができた。そこには7つの学部があり,約290人の学生が学ぶことになっている。大学の講義は講堂だけでなく,工場や油井の現場でも行なわれる。
DIA-602-1971-12-20-1ソ連1971年12月20日1970年代イリューシン62,中国へ引渡し-ソ連製長距離ジェット旅客機IL62型2機が20日,北京空港で中国へ引渡された。
DIA-602-1971-12-20-2ソ連1971年12月20日1970年代カラチで反ソ暴動,少年一人死亡。
DIA-602-1971-12-21-1ソ連1971年12月21日1970年代自由派詩人の旗手トワルドフスキーの葬儀-ノーブル・ミール編集長として,「イワン・デニソビッチの一日」を掲載してソルジェニツィンを世におくり出し,また詩人エフトシュンコらを世におくり出したトワルドフスキーは18日死去し,21日,モスクワのノボジェビッチ僧院で葬儀がおこなわれた。トワルドフスキーは統制強化のため不遇の中に死んだ。
DIA-602-1971-12-21-2ソ連1971年12月21日1970年代火星3号実物写真公開。
DIA-602-1971-12-22-1ソ連1971年12月22日1970年代北洋安全操業交渉,モスクワで再開。
DIA-602-1971-12-22-2ソ連1971年12月22日1970年代プラウダ紙,周恩来首相を「解放の裏切者」と個人攻撃。
DIA-602-1971-12-24-1ソ連1971年12月24日1970年代ルーブル切上げ-米国のドル引下げなどに対処するため,ソ連政府はドル,ポンドに対するルーブル価格を,1ドル=82.9コペイカ(今までは1ドル=90コペイカ),1ポンド=2.16ルーブル(今までは1ポンド=2.20ルーブル)に切上げた。
DIA-602-1971-12-25-1ソ連1971年12月25日1970年代ポドゴルヌイ議長,ブット・パキスタン大統領に就任祝賀メッセージ。
DIA-602-1971-12-25-2ソ連1971年12月25日1970年代コスモス469号打上げ。
DIA-602-1971-12-25-3ソ連1971年12月25日1970年代ソ連,キューバ砂糖生産機械化協定認印。
DIA-602-1971-12-27-1ソ連1971年12月27日1970年代亡命ソ連将校帰国-2カ月前,米国へ亡命したソ連軍情報部(GRU)のアナトリー・チェボタレフ少佐は26日,自由意志でソ連へ帰国し,米当局は真意をはかりかねているという。
DIA-602-1971-12-27-2ソ連1971年12月27日1970年代マルタ政府,ソ連と通商協定締結-マルタ島の労働党政権は英国およびNATOに反対し,ソ連船舶の同島ドック使用などを含む協定をソ連政府と結び,英国を狼狽させている。
DIA-602-1971-12-29-1ソ連1971年12月29日1970年代北爆で北京非難-29日のモスクワ放送は米国の北ベトナム爆撃強化は北京指導部の黙許によるものと非難した。
DIA-602-1971-12-29-2ソ連1971年12月29日1970年代ソ連政府,バングラデシュ承認の方針,決定か?
DIA-602-1971-12-30-1ソ連1971年12月30日1970年代ソ連政府,米国の北爆非難声明発表。
DIA-602-1971-12-30-2ソ連1971年12月30日1970年代ソ連政府,北ベトナムへの追加軍事援助協定に調印。
DIA-602-1972-01-01-1ソ連1972年01月01日1970年代イルトゥイシ─カラガンダ運河開通。
DIA-602-1972-01-04-1ソ連1972年01月04日1970年代ソルジェニツィンにノーベル賞。
DIA-602-1972-01-04-2ソ連1972年01月04日1970年代大木・シェレーピン会談。
DIA-602-1972-01-04-3ソ連1972年01月04日1970年代アルマ・アタのカプチャガイ水力発電所43万4000kwに達す。
DIA-602-1972-01-05-1ソ連1972年01月05日1970年代人権運動のリーダー,ブコフスキー氏に12年の刑宣告。
DIA-602-1972-01-05-2ソ連1972年01月05日1970年代アムダリア河を通じてアフガンと船で交易。
DIA-602-1972-01-05-3ソ連1972年01月05日1970年代ユダヤ自治州,ビロビジャン製靴工場年産400万足。
DIA-602-1972-01-06-1ソ連1972年01月06日1970年代3,000人のユダヤ人昨年12月にイスラエルへ移住。
DIA-602-1972-01-06-2ソ連1972年01月06日1970年代ウランゲリの築港進む。
DIA-602-1972-01-07-1ソ連1972年01月07日1970年代コスイギン首相,バングラデシュ政府に歴史的勝利を讃える祝電。
DIA-602-1972-01-07-2ソ連1972年01月07日1970年代イルクーツクのシェレホフ・アルミ工場拡張中。
DIA-602-1972-01-07-3ソ連1972年01月07日1970年代樺太の東西両岸を結ぶ鉄道開通。
DIA-602-1972-01-08-1ソ連1972年01月08日1970年代日米経済戦争は今後も続くとモスクワ放送述べる。
DIA-602-1972-01-08-2ソ連1972年01月08日1970年代マガタンのエグウェキノトに建築材料工場操業開始。
DIA-602-1972-01-10-1ソ連1972年01月10日1970年代タス通信に省の権限授与。
DIA-602-1972-01-11-1ソ連1972年01月11日1970年代河野参院議長訪ソ。
DIA-602-1972-01-11-2ソ連1972年01月11日1970年代沿海海上船舶局,ナホトカに新設。今次5カ年計画で大型タンカー15隻配備の予定。
DIA-602-1972-01-12-1ソ連1972年01月12日1970年代ソルジェニツィン氏,再び批判さる。
DIA-602-1972-01-12-2ソ連1972年01月12日1970年代『コソモソル・プラウダ』紙,新しい中ソ国境侵犯事件報道。
DIA-602-1972-01-12-3ソ連1972年01月12日1970年代テープレコーダー用モーター50万台輸出,サンヨー電機。
DIA-602-1972-01-13-1ソ連1972年01月13日1970年代イシコフ漁業相,河野参院議長に抑留漁民の釈放を約束。
DIA-602-1972-01-13-2ソ連1972年01月13日1970年代キルギスのオシ=ホログ間高山自動車道路寒さのため通行困難。
DIA-602-1972-01-14-1ソ連1972年01月14日1970年代拘置の米議員ジェームズ・シュワーに退去令。
DIA-602-1972-01-14-2ソ連1972年01月14日1970年代SALT 10回目の会議。
DIA-602-1972-01-16-1ソ連1972年01月16日1970年代アチンスク精油工場建設開始。
DIA-602-1972-01-17-1ソ連1972年01月17日1970年代ベーリング海で米沿岸警備隊,ソ連漁船2隻を拿捕。
DIA-602-1972-01-17-2ソ連1972年01月17日1970年代71年のソ連鉄鋼生産1億2000万トンで世界1位となる。
DIA-602-1972-01-18-1ソ連1972年01月18日1970年代河野参院議長・ポドゴルヌイ会談。
DIA-602-1972-01-18-2ソ連1972年01月18日1970年代トルクメンのチャルジョウ・ポリエチレン工場操業開始。
DIA-602-1972-01-19-1ソ連1972年01月19日1970年代コルイマにタングステン鉱床発見。
DIA-602-1972-01-20-1ソ連1972年01月20日1970年代ウラン・ウデ線区,鉄道電化工事完了。
DIA-602-1972-01-20-2ソ連1972年01月20日1970年代コムソモリスクでアムール河鉄橋工事中。
DIA-602-1972-01-21-1ソ連1972年01月21日1970年代コムソモリスクのフェリー渡船航行終了。氷上鉄道の建設開始。
DIA-602-1972-01-21-2ソ連1972年01月21日1970年代“SOS周波”の発信やめる。ソ連当局が要請受入れ─ソ連郵政電気通信省は21日,郵政省に「2,091キロヘルツの電波は使わないことにした」と電報で通知してきた。これはソ連のウラジオストク方面から発信する電波の周波数が日本の漁船などが近海で使っているSOS発信用の周波数と同じ2,091キロヘルツであるため,昨年夏ごろから混信が起こり,遭難漁船の救助に支障をきたしていたもの。
DIA-602-1972-01-22-1ソ連1972年01月22日1970年代1971年国民経済実績発表さる─中央統計局は昨年度の国民経済実績を発表したが,これによると, ・工業生産成長率 7.8%(目標6.9%) 消費材部門 7.9%(〃7.4%) 生産材 〃 7.7%(〃6.7%) ・労働生産性 6.3%(〃5.9%) ・穀物生産 1億8100万トン(70年1億8600万トン) 工業生産の生長率は70年の8.3%より下まわっている。人口は1月1日付で2億4630万人。
DIA-602-1972-01-22-2ソ連1972年01月22日1970年代アンジェロ・スウジェンスク=ノボシビルスク間高圧送電線完成,ブラーツクの電力はじめて西シベリアへ。
DIA-602-1972-01-23-1ソ連1972年01月23日1970年代グロムイコ外相来日。
DIA-602-1972-01-24-1ソ連1972年01月24日1970年代日ソ外相定期協議はじまる。
DIA-602-1972-01-25-1ソ連1972年01月25日1970年代ソ連政府,バングラデシュ承認。
DIA-602-1972-01-25-2ソ連1972年01月25日1970年代『プラウダ』紙,文学芸術の思想統制指示。
DIA-602-1972-01-26-1ソ連1972年01月26日1970年代クラスノヤルスク水力発電所の発電量,建設費を回収。
DIA-602-1972-01-26-2ソ連1972年01月26日1970年代アンジェロ・スウジェンスク=イルクーツク間にもう1本のパイプライン必要。
DIA-602-1972-01-27-1ソ連1972年01月27日1970年代『コムニスト』誌1月号,科学アカデミー経済研究所を批判,技術革新のおくれを指適。
DIA-602-1972-01-27-2ソ連1972年01月27日1970年代2日間にわたるワルシャワ条約機構首脳会議閉幕。
DIA-602-1972-01-27-3ソ連1972年01月27日1970年代佐藤・グロムイコ会談。
DIA-602-1972-01-27-4ソ連1972年01月27日1970年代大石環境庁長官・グロムイコ外相と渡り鳥保護で会談。
DIA-602-1972-01-27-5ソ連1972年01月27日1970年代外務省で日ソ両国外相,日ソ文化交流に関する書簡交換。
DIA-602-1972-01-27-6ソ連1972年01月27日1970年代田中通産相とグロムイコ外相会談。
DIA-602-1972-01-28-1ソ連1972年01月28日1970年代グロムイコ外相帰国。
DIA-602-1972-01-28-2ソ連1972年01月28日1970年代日朝議連訪朝団,モスクワ着。
DIA-602-1972-01-28-3ソ連1972年01月28日1970年代グロムイコ外相,ホテル・ニューオータニで内外記者会見。
DIA-602-1972-01-28-4ソ連1972年01月28日1970年代中ソ国境河川交渉,ブラゴベシチェンスクで開催中。
DIA-602-1972-01-28-5ソ連1972年01月28日1970年代日ソ共同声明発表。
DIA-602-1972-01-29-1ソ連1972年01月29日1970年代カラガンダ炭坑,日産900トン。
DIA-602-1972-01-31-1ソ連1972年01月31日1970年代サダト・エジプト大統領訪ソ。
DIA-602-1972-02-01-1ソ連1972年02月01日1970年代SALT,第6次会談ウイーンで閉幕。
DIA-602-1972-02-01-2ソ連1972年02月01日1970年代大蔵省,日ソ租税条約交渉を検討中。
DIA-602-1972-02-03-1ソ連1972年02月03日1970年代新華社,グロムイコ訪日を日本反動派との結託と非難。
DIA-602-1972-02-03-2ソ連1972年02月03日1970年代ソ連・エジプト首脳会談開始。
DIA-602-1972-02-03-3ソ連1972年02月03日1970年代アフリカ安保理で中ソ代表,米英を非難。
DIA-602-1972-02-04-1ソ連1972年02月04日1970年代日ソ新空路交渉打切り。
DIA-602-1972-02-04-2ソ連1972年02月04日1970年代エニセイ河の船舶春の航行準備開始。
DIA-602-1972-02-04-3ソ連1972年02月04日1970年代ソ連・エジプト共同声明発表。
DIA-602-1972-02-05-1ソ連1972年02月05日1970年代中ソ国境で紛争再燃か?─ソ連筋が5日語ったところによると,紛争は1月27日夜,中国の新疆ウイグル自治区とソ連のカザフ共和国との国境で起こり,中国領から2,700人のウイグル人がソ連領に越境したという。また同筋によると,これらウイグル人は,国境近くの中国領の町塔城(ロシア語名はチュグ・チャク)の南を,ソ連領アラユリ湖に向かって流れ込む川に沿って越境したもので,中国の国境守備隊は,これを阻止しようと発砲したが,ソ連の中央アジア国境警備管区(司令官キゼエンツェフ中将)の部隊は,あえて押しとどめることをせず,ウイグル人たちをソ連領内に迎え入れたという。
DIA-602-1972-02-05-2ソ連1972年02月05日1970年代ソ連からイスラエルへ大量のユダヤ人移民到着─テルアビブ空港に本年1月エル・アル航空(イスラエル国営航空)のジャンボ・ジェット機が350人の移民を乗せてソ連から到着した。1回の飛行でこれほどの移民がイスラエルへ入国したのは,この国の歴史で初めて。 ソ連からのユダヤ人移住は,昨年12月,1カ月当たりの移住者数としては,それけでの最高である3,000人を記録,同年中の移住者総数は1万3000人に達した。 国内に約300万人という,米国に次ぐユダヤ人をかかえたソ連が,1昨年暮れからの国内でのユダヤ人問題の再燃に頭を痛め,国外から批判の目を向けられることを恐れて,ユダヤ人移民制限を緩和したという見方が強い。 彼らは政治意識が高く,イスラエル与党労働党のとなえる社会主義ははねつけ,宗教政党や右翼的なガハール運動に魅力を感じており,73年に予定される選挙の行方にも微妙な影響を及ぼすかもしれない。
DIA-602-1972-02-05-3ソ連1972年02月05日1970年代日ソ航空交渉,現協定の1年延長合意。
DIA-602-1972-02-07-1ソ連1972年02月07日1970年代日ソ貿易交渉始まる。
DIA-602-1972-02-07-2ソ連1972年02月07日1970年代日ソ経済委,「チュメーニ構想に全力」の方針決定。
DIA-602-1972-02-10-1ソ連1972年02月10日1970年代アムール州のスコボロジノにバムストロイプチ(バム鉄道建設局)設置さる。
DIA-602-1972-02-11-1ソ連1972年02月11日1970年代モスクワ=ダッカ間電話開通。
DIA-602-1972-02-11-2ソ連1972年02月11日1970年代党中央委行政部長G.S.パブロフ密使として米国を訪問工作中か?
DIA-602-1972-02-13-1ソ連1972年02月13日1970年代『プラウダ』紙,「キプロスの併合を狙う」とギリシャ非難。
DIA-602-1972-02-13-2ソ連1972年02月13日1970年代極地用ダンプカー群,2,500kmの雪原を走破してミールヌイへ到着。
DIA-602-1972-02-14-1ソ連1972年02月14日1970年代FBI,国連ソ連人職員をスパイ容疑で逮捕。
DIA-602-1972-02-16-1ソ連1972年02月16日1970年代アムールスタリ(製鋼所)30周年記念。
DIA-602-1972-02-16-2ソ連1972年02月16日1970年代ソ連の軍事力着実に増強と英国防白書─英政府は16日,1972~73年度の国防白書を発表。この中でソ連の軍事力が依然世界的に着実に増強されており,ICBM(大陸間弾道弾)および中距離弾道弾の数が2,100基,戦闘機・爆撃機など1万1400機が実戦配備されていると推定される,と警告した。
DIA-602-1972-02-19-1ソ連1972年02月19日1970年代タス通信,ニクソン訪中前の北京の警戒のきびしさを報道。
DIA-602-1972-02-20-1ソ連1972年02月20日1970年代ソ連国防相,カイロ入り。
DIA-602-1972-02-21-1ソ連1972年02月21日1970年代トムスク工業大学,はじめてオートメイション学部卒業生を出す。
DIA-602-1972-02-21-2ソ連1972年02月21日1970年代第5回日ソ経済人合同会議,東京で開催。
DIA-602-1972-02-21-3ソ連1972年02月21日1970年代ルナー20号,月面軟着陸。
DIA-602-1972-02-22-1ソ連1972年02月22日1970年代モスクワ・テレビ,ニクソン北京訪問の模様と北ベトナム爆撃の模様を同時放映。
DIA-602-1972-02-22-2ソ連1972年02月22日1970年代日ソ経済合同会議,2日目,ヤクート炭田の開発を討議。
DIA-602-1972-02-22-3ソ連1972年02月22日1970年代北鮮代表団,モスクワ訪問。
DIA-602-1972-02-24-1ソ連1972年02月24日1970年代東京で開催中の第5回目ソ経済合同会議閉幕。
DIA-602-1972-02-24-2ソ連1972年02月24日1970年代日ソ経済合同会議共同コミュニケ発表。
DIA-602-1972-02-24-3ソ連1972年02月24日1970年代在仏ソ連大使館,60年の技師引揚げは中国の挑発が原因と強調。
DIA-602-1972-02-24-4ソ連1972年02月24日1970年代ソ連,トルコに接近工作中。
DIA-602-1972-02-25-1ソ連1972年02月25日1970年代『赤い星』紙(国防省機関紙),林彪は71年9月の政治局会議で失脚と報道。
DIA-602-1972-02-25-2ソ連1972年02月25日1970年代南ヤクート炭田の日米ソ共同開発に関しUSスチールより打診あり。
DIA-602-1972-02-26-1ソ連1972年02月26日1970年代月20号,月面より帰還。
DIA-602-1972-02-26-2ソ連1972年02月26日1970年代レナ河船舶局改組─Vodnyy Transport紙によれば,ロシア共和国河川船舶相の命令により,このほどレナとコルイマ・インジギルカの両船舶局を併せたレナ河統一船舶局が創設された。
DIA-602-1972-02-29-1ソ連1972年02月29日1970年代北ベトナム『ニャンザン』紙,中ソ対立を報道。
DIA-602-1972-02-29-2ソ連1972年02月29日1970年代ソ連特学アカデミー,月の土のサンプルを各国に引渡す。
DIA-602-1972-02-29-3ソ連1972年02月29日1970年代『トルード』紙,米中共同声明に具体的成果なしと報道。
DIA-602-1972-02-29-4ソ連1972年02月29日1970年代東欧各紙,ニクソン訪中を非難。
DIA-602-1972-02-29-5ソ連1972年02月29日1970年代タス通信,米中共同声明を報道せず。
DIA-602-1972-03-01-1ソ連1972年03月01日1970年代ウラジウォストークに国際コンテナー荷役用大型クレーン。
DIA-602-1972-03-01-2ソ連1972年03月01日1970年代バングラデシュのラーマン首相訪ソ。
DIA-602-1972-03-03-1ソ連1972年03月03日1970年代マガダン州に新金銀鉱山発見。
DIA-602-1972-03-05-1ソ連1972年03月05日1970年代ソ連・バングラデシュ共同声明。
DIA-602-1972-03-06-1ソ連1972年03月06日1970年代西独与党動揺,対ソ条約批准困難化。
DIA-602-1972-03-07-1ソ連1972年03月07日1970年代新コミンテルン計画─西独の『フランクフルター・ルントシヤウ』紙は7日,ソ連が再びコミンテルンもしくはコミンフォルムのような新しい組織をつくる計画を着々とすすめているというベオグラートからの報道を伝えた。
DIA-602-1972-03-08-1ソ連1972年03月08日1970年代ウスチ・イリム水力発電所の建設すすむ。
DIA-602-1972-03-10-1ソ連1972年03月10日1970年代アンガラ河流域に埋蔵量2億トンの鉄鉱山発見。
DIA-602-1972-03-15-1ソ連1972年03月15日1970年代日ソ交渉終わる。
DIA-602-1972-03-16-1ソ連1972年03月16日1970年代パキスタンのブット大統領,訪ソ。
DIA-602-1972-03-18-1ソ連1972年03月18日1970年代ザバイカルの採金船,操業開始。
DIA-602-1972-03-18-2ソ連1972年03月18日1970年代ソ連・パキスタン共同声明。
DIA-602-1972-03-20-1ソ連1972年03月20日1970年代アム・ダリア河の航行,寒さのため2カ月おくれる。
DIA-602-1972-03-22-1ソ連1972年03月22日1970年代ソ連側漁業委員サケ・マス・ニシンの大幅規制を提案。
DIA-602-1972-03-22-2ソ連1972年03月22日1970年代アジア開銀に協力をソ連正式に表明。
DIA-602-1972-03-24-1ソ連1972年03月24日1970年代ソルジェニツィン,ロシア正教大主教を非難。
DIA-602-1972-03-24-2ソ連1972年03月24日1970年代旧ソ・文化協力計画に調印。
DIA-602-1972-03-24-3ソ連1972年03月24日1970年代シェレーピン議長再選,全ソ労組大会閉幕。
DIA-602-1972-03-24-4ソ連1972年03月24日1970年代マラッカ海峡,国際化をソ連移動大使主張。
DIA-602-1972-03-24-5ソ連1972年03月24日1970年代エジプトに海軍基地借用申入れ。
DIA-602-1972-03-31-1ソ連1972年03月31日1970年代ザバイカルへ向かう石油パイプラインの建設はじまる。
DIA-602-1972-04-01-1ソ連1972年04月01日1970年代中ソ国境ソ連軍,44個師団に─世界で最も権威のある軍事戦略問題研究機関として知られる英国の国際戦略研究所は1日,年次報告「戦略調査1971年」を発表した。 内容の骨子次のとおり。 (1) 8,000キロにわたる中ソ国境地帯に配備されたソ連軍は前年より14個師団多い,44個師団に増強された。これは全ソ連地上軍の約4分の1にあたり,過去3年間に約3倍に増強されたことになる。 (2) これら国境配備のソ連軍は核兵器を装備しているといわれ,兵器,空軍支援力,機動性において中共をはるかに上回っている。 (3) 中共は印パ戦争で後退を余儀なくされ,インドを支持したソ連は同地域で威信を高めた。このソ連進出阻止で米中両国の利害が一致した事実はアジア内外に複雑な戦術的同盟関係ができあがる展望を開いている。
DIA-602-1972-04-09-1ソ連1972年04月09日1970年代ソ連艦隊のイラク訪問発表。
DIA-602-1972-04-09-2ソ連1972年04月09日1970年代コムソモリスクのフェリーボート,暖冬のため1カ月早く動きはじめる。
DIA-602-1972-04-10-1ソ連1972年04月10日1970年代米,ソなど47カ国,生物兵器禁止条約調印。
DIA-602-1972-04-10-2ソ連1972年04月10日1970年代社党・訪日ソ連代表団共同声明─社会党とソ連共産党は10日,訪日活動家代表団(団長・タベーエフ中央委員)と社会党代表団(団長・川崎国際局長)との間の共同コミュニケを東京とモスクワで同時に発表した。
DIA-602-1972-04-11-1ソ連1972年04月11日1970年代ブレジネフ書記長,米農務長官バッツ氏と会談。
DIA-602-1972-04-11-2ソ連1972年04月11日1970年代ポドゴルヌイ議長,トルコ訪問。
DIA-602-1972-04-11-3ソ連1972年04月11日1970年代東シベリアの石油パイプライン建設開始─アンジェロ・スゥジェンスク=クラスノヤルスク=イルクーツク間石油パイプライン建設はすでに最初の100kmを溶接した。
DIA-602-1972-04-12-1ソ連1972年04月12日1970年代西独野党にソ連外相警告。
DIA-602-1972-04-12-2ソ連1972年04月12日1970年代日ソ,カニ交渉で合意。
DIA-602-1972-04-15-1ソ連1972年04月15日1970年代コルイマ河口の発電船活動中─コルイマ河の河口に近いゼリョーヌイ,ムイス港に発電船がおり,これを中心にして500kmの範囲に電力を供給できる。ビリビノの鉱山企業,同地の原子力発電所の建設,チュコトカの鉱山,コルイマ河口の港,魚類加工工場,トナカイ飼育場はここから電力を受けている。
DIA-602-1972-04-16-1ソ連1972年04月16日1970年代タス通信,米の北爆非難の声明。ソ連船の被害にふれず。
DIA-602-1972-04-17-1ソ連1972年04月17日1970年代ソ連・トルコ武力不行使宣言。
DIA-602-1972-04-18-1ソ連1972年04月18日1970年代ソ連政府,外国貿易銀行の東京支店開設を申入れ。
DIA-602-1972-04-18-2ソ連1972年04月18日1970年代ソ連代表,軍縮委で日本の核停案拒否。
DIA-602-1972-04-18-3ソ連1972年04月18日1970年代ソ連政府,国際捕鯨監視員協定に調印。
DIA-602-1972-04-19-1ソ連1972年04月19日1970年代ニクソン訪ソ,先遣隊モスクワ入り。
DIA-602-1972-04-20-1ソ連1972年04月20日1970年代ワニノ港の活況─ワニノ港は活況を呈し,次々と木材を積んだ列車がはいり,海洋船が入港している。
DIA-602-1972-04-21-1ソ連1972年04月21日1970年代日ソ,サケマス交渉妥結。
DIA-602-1972-04-23-1ソ連1972年04月23日1970年代ニクソン歓迎の準備,モスクワですすむ。
DIA-602-1972-04-24-1ソ連1972年04月24日1970年代ソ連軍事代表,金日成首相と会談。
DIA-602-1972-04-25-1ソ連1972年04月25日1970年代日ソ,コンブ交渉妥結。
DIA-602-1972-04-26-1ソ連1972年04月26日1970年代ヤクーチャでTU=134型機のテスト実施。
DIA-602-1972-04-26-2ソ連1972年04月26日1970年代オビ河航行開始。
DIA-602-1972-04-27-1ソ連1972年04月27日1970年代ヤクート自治共和国創立50周年。
DIA-602-1972-04-27-2ソ連1972年04月27日1970年代アムール船舶局の航行開始。
DIA-602-1972-04-28-1ソ連1972年04月28日1970年代ソ連・エジプト首脳会談終了。
DIA-602-1972-04-28-2ソ連1972年04月28日1970年代ソ連外務次官,ハノイへ。
DIA-602-1972-04-28-3ソ連1972年04月28日1970年代カッシエフ書記,ハノイへ。
DIA-602-1972-04-29-1ソ連1972年04月29日1970年代エジプト大統領帰国。
DIA-602-1972-05-01-1ソ連1972年05月01日1970年代赤の広場で恒例のパレード。
DIA-602-1972-05-05-1ソ連1972年05月05日1970年代ソ連のジャンボ機公開─ソ連の労働組合中央評議会機関紙『トルード』とタス通信は5日,350人乗りのジャンボ・ジェット機(エアバス)「イリューシン86」の模型写真を初めて公開した。
DIA-602-1972-05-09-1ソ連1972年05月09日1970年代ウラジボ=チュコトカ航路開始チェコトカ向けの貨物を積んだ本年最初の船《タイゴノス》号がウラジボ商港を出港した。砕氷船《レニングラード》号は船団の先頭を進んで,現在すでにアナドゥイル湾に近いところまでいっている。
DIA-602-1972-05-11-1ソ連1972年05月11日1970年代中央アジアの船舶航行最盛期に入る。
DIA-602-1972-05-14-1ソ連1972年05月14日1970年代アムール州の大豆作付─アムール州のコルホーズとソフホーズは今年は昨年より約3万ヘクタール多い62万ヘクタールの大豆を作付しなければならない。
DIA-602-1972-05-14-2ソ連1972年05月14日1970年代リトワニアのカウナス市でカソリックの青年が信仰の自由を求めて焼身自殺。
DIA-602-1972-05-15-1ソ連1972年05月15日1970年代北太平洋,沿海州沖でソ連が射爆演習。
DIA-602-1972-05-15-2ソ連1972年05月15日1970年代外務省,ソ連の射撃演習,変更申入れ─ソ連が16日から沿海州周辺,20日から北洋A区域で極東艦隊の実弾射撃演習を予定しているという水路情報について,外務省は15日「すでに駐ソ日本大使館を通じてソ連政府に“わが国の漁業などに影響のないよう計画を変更されたい”旨,申し入れてある」ことを明らかにした。
DIA-602-1972-05-15-3ソ連1972年05月15日1970年代ニクソン訪ソ,ソ連,受入れ─クレムリンは“さまざまな困難があるにもかかわらず”予定どおりニクソン訪ソを受け入れることを決定した。“ニクソン訪ソ受け入れ決定”は,クレムリン内の論争でブレジネフ路線が勝ったことを意味する。時はシェレスト=シチェルビッキー両党中央委政治局員のウクライナ派が,ブレジネフ書記長=コスイギン首相にとって代わるのではないか,その陰でスースロフ,シェレーピン政治局員らが策動しているといったうわさも流れた。
DIA-602-1972-05-16-1ソ連1972年05月16日1970年代オビ河とその支流の航行開始。
DIA-602-1972-05-16-2ソ連1972年05月16日1970年代レナ河の航行はじまる。
DIA-602-1972-05-16-3ソ連1972年05月16日1970年代トムスク州のパイプライン圧送テスト終了。
DIA-602-1972-05-17-1ソ連1972年05月17日1970年代SALT協定まとまる。
DIA-602-1972-05-18-1ソ連1972年05月18日1970年代米ソ通商交渉はじまる。
DIA-602-1972-05-18-2ソ連1972年05月18日1970年代ソ連監視員が同乗,捕鯨母船「第2図南丸」北洋へ出発。
DIA-602-1972-05-18-3ソ連1972年05月18日1970年代ソ連・エジプト新武器協定。
DIA-602-1972-05-18-4ソ連1972年05月18日1970年代リトワニア共和国カウナス市で暴動発生─14日に発生したカソリック青年ロマン・タランタの焼身自殺をきっかけに,「自由」を叫んで数千人がデモをおこない,数百人が逮捕された。
DIA-602-1972-05-18-5ソ連1972年05月18日1970年代ハリコフでAN 10型旅客機墜落全員死亡。
DIA-602-1972-05-19-1ソ連1972年05月19日1970年代党中央委総会開く─ソ連党中央委員会総会が半年ぶりに開かれ,「国際情勢について」のブレジネフ書記長の報告を聞いたのち,同報告を承認し,党の平和政策と行動を支持する決議を満場一致で採択した。この討議にさいし,グレチコ国防相らが発言した。総会はまた党員証書換えに関するカピトノフ書記の報告を聞いたのち,この問題に関する決定を下した。このあと総会はポノマリョフ書記を政治局員候補に選出して閉会した。
DIA-602-1972-05-19-2ソ連1972年05月19日1970年代海空事故防止で米ソ協定。
DIA-602-1972-05-19-3ソ連1972年05月19日1970年代西独政府,ソ連,ポーランドとの武力不行使条約(東方条約)批准。
DIA-602-1972-05-21-1ソ連1972年05月21日1970年代ソ連在住ユダヤ人302人がニクソン大統領にイスラエル移住支援を依頼。
DIA-602-1972-05-21-2ソ連1972年05月21日1970年代マガダン州の5カ年計画に20億ルーブル。
DIA-602-1972-05-21-3ソ連1972年05月21日1970年代『プラウダ』,米ソ関係の重要性強調。
DIA-602-1972-05-22-1ソ連1972年05月22日1970年代米大統領,モスクワ入り─ソ連公式訪問のため米大統領ニクソン夫妻と随員一行は22日午後3時55分・ザルツブルグからモスクワのウヌコボ第2空港に到着した。空港にはポドゴルヌイ,コスイギン2首脳はじめ党・政府の要人多数が出迎えた。ブレジネフ書記長は空港には姿を見せなかった。
DIA-602-1972-05-22-2ソ連1972年05月22日1970年代ニクソン・ブレジネフ会談,午後6時から開始。
DIA-602-1972-05-22-3ソ連1972年05月22日1970年代午後8時から最高会議と閣僚会議共同主催の晩餐会,両国首脳挨拶を交わす。
DIA-602-1972-05-22-4ソ連1972年05月22日1970年代秘密警察,ユダヤ人4名を拘禁。
DIA-602-1972-05-23-1ソ連1972年05月23日1970年代米ソ首脳,公式会談はじまる─23日午前11時からクレムリン内でニクソン大統領,ロジャーズ国務長官,キッシンジャー補佐官と,ブレジネフ,ポドゴルヌイ,コスイギン3首脳を含むソ連側とが公式会談に入った。
DIA-602-1972-05-24-1ソ連1972年05月24日1970年代ソ連東部の北氷洋航海開始─ワニノ港からチュコトカの各岸に向かい半島の建設用貨物を積んだディーゼル船《レニヤ・ゴリコフ》号が出港した。これによってソ連邦東部の北方航海がはじまった。
DIA-602-1972-05-24-2ソ連1972年05月24日1970年代米ソ宇宙協定調印。
DIA-602-1972-05-25-1ソ連1972年05月25日1970年代ウクライナ第1書記,シニレスト氏解任。
DIA-602-1972-05-25-2ソ連1972年05月25日1970年代ニクソン夫妻のバレエ観劇中,一女性の観客が叫ぶ─ニクソン米大統領は25日,午後7時(日本時間26日午前1時から,忙しい首脳会談の合い間をぬって,バット夫人を同伴,クラシックバレエの殿堂ボリショイ劇場で若手カップルの踊る“白鳥の湖”を観賞したが,観客の一女性がベトナム問題で抗議の叫び声をあげるというハプニングがあった。
DIA-602-1972-05-25-3ソ連1972年05月25日1970年代ソ連船の中国港利用はないと米国務省筋。
DIA-602-1972-05-25-4ソ連1972年05月25日1970年代ビリビノ採鉱冨化コンビナート春季稼業開始─『プラウダ』によれば,マガダンからの通信として,チュコトカの採金シーズンがはじまり,ビリビノ採鉱富化コンビナートがまっさきに作業に着手した。そして43号たて坑では同地ではじめての大きさの重量836gの自然金塊を掘りだした。
DIA-602-1972-05-27-1ソ連1972年05月27日1970年代米大統領レニングラード着。
DIA-602-1972-05-27-2ソ連1972年05月27日1970年代エニセイ川水中翼船の旅客輸送─エニセイ川航運局の水中翼船団は最長距離のクラスノヤルスク=エニセイスク間旅客運航を開始した。今年の航行期間に100万人以上の旅客を運ぶことを予定している。
DIA-602-1972-05-29-1ソ連1972年05月29日1970年代米ソ共同声明発表。
DIA-602-1972-06-02-1ソ連1972年06月02日1970年代中ソ国境交渉の新首席代表に余湛氏。
DIA-602-1972-06-02-2ソ連1972年06月02日1970年代中国,ソ連物資の通過を保証とシアヌーク殿下語る。
DIA-602-1972-06-02-3ソ連1972年06月02日1970年代沿海州で射撃訓練,ソ連が再通告,外務省は中止要請。
DIA-602-1972-06-02-4ソ連1972年06月02日1970年代米英仏ソ,ベルリン協定調印。
DIA-602-1972-06-04-1ソ連1972年06月04日1970年代ブラック人工海にまだ氷─ブラック人工海にはまだ氷が残っているが,河川航行従業員はすでに貨物輸送に着手した。
DIA-602-1972-06-05-1ソ連1972年06月05日1970年代チトー大統領,5年ぶりに訪ソ。
DIA-602-1972-06-09-1ソ連1972年06月09日1970年代ウクライナ共和国首相にA.P.リヤシコ任命─シチェルビッキー首相がシェレストの後任としてウクライナ第一書記に転出したので,その後任としてA.P.リヤシコが任命された。
DIA-602-1972-06-10-1ソ連1972年06月10日1970年代アムール=日本間国際貨物船航路─アムール河川船舶局はアムール=日本間の国際貨物船航路を開設した。海上貨物船《バルチースキー》号,《バルチースキー=72》号,《モルスコイ=1》号などの貨物船は日本の新潟,青森,柏崎,伏木,七尾および舞鶴へ最初の1万1200m3の用材を輸出した。
DIA-602-1972-06-14-1ソ連1972年06月14日1970年代極東海運のコンテナ輸送への切りかえ─極東海上船舶局で多くの船舶のコンテナ輸送への改装が完了した。極東の諸港へコンテナ専門埠頭用の移動クレーン,牽引自動車その他各種機械が送られた。
DIA-602-1972-06-17-1ソ連1972年06月17日1970年代ウスチ・イリム水力発電所用タービン作動輪の水上輸送─ウスチ・イリム水力発電所用の発電タービンの作動輪はレニングラードの鉄鋼所でつくられたが,その1コの重量は約160トンある。これは鉄道で輸送することができないので,ネバ川から白海,ワレンツォフ海,カラ海を通り,エニセイ川からアンガラ川をさかのぼり水上輸送でウスチ・イリムスクに送られる。
DIA-602-1972-06-17-2ソ連1972年06月17日1970年代アムール川,レナ川下流の航行はじまる。
DIA-602-1972-06-21-1ソ連1972年06月21日1970年代ソ連の反対制歴史家ヤキル氏逮捕さる。
DIA-602-1972-06-22-1ソ連1972年06月22日1970年代“ソ連権利章典”提案,水爆の父サハロフ博士─ソ連水爆の父として有名な物理学者のアンドレイ・サハロフ博士は22日,“ソ連の権利章典”ともいうべき社会改革案を提案,ソ連の経済,外交政策を大幅に再編成するよう呼びかけた。 改革案に盛られたおもな具体策は次の通り。 (1) あらゆる政治犯の恩赦。 (2) 秘密裁判の中止と“知る権利を侵害して”行なわれた全判決の再検討。 (3) 政治的異端者を精神病院に収容する根拠となっている現行諸規定の明確化と,新たな立法。 (4) 新しい新聞法を起草し,“知る権利”に基づいて国民の討議にゆだねること。 (5) 外国放送の電波妨害中止。 (6) 外国文献の自由な入手。 (7) 外国旅行の自由化。 (8) 死刑廃止の再検討。 (9) アル中の絶滅運動の強化。 サハロフ博士はこのほか人種の侵犯に全く無関心な政府,党,文化界のエリートの公然,非公然の特権を非難するとともに,単一候補者による選挙の中止,政府,党の指導者を国民的な基盤で選出する規定,不適当と認められた場合,あらゆるレベルの当局者をリコールする─などを提案している。
DIA-602-1972-06-22-2ソ連1972年06月22日1970年代香港=ナホトカ=西欧コンテナー輸送はじまる─ナホトカから香港へ西独からの40呎コンテナーを積んだディーゼル船《カワレロボ》号が入港した。このコンテナーはヨーロッパからソ連領を経て極東の海へと長い道を運ばれた。コンテナーがソ連領にはいり,シベリア幹線を半カ月で極東のナホトカ港に着き,1日おきに船に積まれて香港へ送られる。
DIA-602-1972-06-23-1ソ連1972年06月23日1970年代ウスチ・イリム鉄道完成。
DIA-602-1972-06-23-2ソ連1972年06月23日1970年代ナホトカ造船所で旅客船建造中。
DIA-602-1972-06-26-1ソ連1972年06月26日1970年代カストロ首相,モスクワ入り。
DIA-602-1972-06-29-1ソ連1972年06月29日1970年代ウスチ・イリム鉄道臨時運転。
DIA-602-1972-06-30-1ソ連1972年06月30日1970年代西独・チェコ復交交渉。
DIA-602-1972-06-30-2ソ連1972年06月30日1970年代ソ連,プログノーズ2号打ち上げ。
DIA-602-1972-07-01-1ソ連1972年07月01日1970年代極東の電力系─ハバロフスク発電所は南部極東につくられる単一電力系の中心である。これに建設中のゼーヤ水力発電所,ルゥチェゴルスクのプリモルスカや国営地区火力発電所も加わる。送電線はすでにアムール州とハバロフスク地方の電力系を結合し,いま建設されている22万Vの高圧送電線はハバロフスクとプリモルスカや発電所をつなぐことになる。
DIA-602-1972-07-07-1ソ連1972年07月07日1970年代リトアニア不穏?─7日付け英『デイリー・テレグラフ』紙は,バルト海に面するソ連・リトアニア共和国の情勢が不穏で,最近ソ連軍特別治安部隊と警察の増援部隊がリトアニアに派遣されたと報じた。リトアニアで5月14日から6月3日までに,学生,労働者など3人がソ連政府に抗議して焼身自殺をとげたことは,西独にも伝えられている。同紙によると,5月半ばにリトアニア第2の都市カウナスで2日間にわたる反ソ暴動が起き,数百人の逮捕者を出したほか,6月半ばにも首都ビリニュスでスポーツの集会が荒れて反ソデモになり,150人の青年が逮捕されたといわれる。
DIA-602-1972-07-07-2ソ連1972年07月07日1970年代ペペクへ第一船入港─ペベクの全市民は今年最初の船の入港を大歓迎した。氷原の航海は非常に困難で,強力な砕氷船が航路を切り開いた。
DIA-602-1972-07-07-3ソ連1972年07月07日1970年代沿アムール諸地区の水害─沿アムールのブゥレヤ,セリョムジャ川などが氾濫し,ウェルフネブゥレヤ(ブゥレヤ上流),セリョムジャ,マザノボなど各地区の部落が洪水に見舞われ,橋梁,通信線および送電線が被害をうけた。
DIA-602-1972-07-08-1ソ連1972年07月08日1970年代米,ソ連へ穀物大量輸出─ニクソン米大統領は8日,サンクレメンテの“西のホワイトハウス”で,ソ連と今後3年間に7億5000万ドルの小麦,飼料用穀物を輸出する協定に合意したと発表した。
DIA-602-1972-07-08-2ソ連1972年07月08日1970年代ノボシビルスクへの高圧送電線─500kvの高圧送電線の稼動によって,ノボシビルスクと同州内の工業は,はじめてクラスノヤルスクとブラック水力発電所から電力を受けることになった。
DIA-602-1972-07-10-1ソ連1972年07月10日1970年代第26回コメコン総会始まる。
DIA-602-1972-07-10-2ソ連1972年07月10日1970年代ソ連に最恵国待遇,米商務長官が表明。
DIA-602-1972-07-11-1ソ連1972年07月11日1970年代キューバ,コメコン加入。
DIA-602-1972-07-12-1ソ連1972年07月12日1970年代ニクソン大統領,ソ連大使と会談。
DIA-602-1972-07-13-1ソ連1972年07月13日1970年代マクガバン指名をタス通信歓迎─タス通信はマクガバン米上院議員の民主党大統領候補選出を“反戦派の勝利”として歓迎した。
DIA-602-1972-07-13-2ソ連1972年07月13日1970年代チュメーニ油1億5000万トンを採取─チュメーニでは操業開始以来1億5000万トンの原油産出を記念した。そのうちの5000万トンは最初の6年間に,次の5000万トンは1.5年間に最後の5000万トンは11カ月で採取した。
DIA-602-1972-07-13-3ソ連1972年07月13日1970年代ゼーヤ水力発電所建設遅れる─ゼーヤ水力発電所建設は鉄骨材と若干の水力機械設備の到着遅れによって,常に遅れている。
DIA-602-1972-07-16-1ソ連1972年07月16日1970年代『プラウダ』,周総理を名ざしで非難。
DIA-602-1972-07-19-1ソ連1972年07月19日1970年代ソ連軍事顧問団のエジプト退去,タスが発表。
DIA-602-1972-07-19-2ソ連1972年07月19日1970年代イラク外相が訪ソ。
DIA-602-1972-07-19-3ソ連1972年07月19日1970年代ソ連要員,エジプト退去開始。
DIA-602-1972-07-20-1ソ連1972年07月20日1970年代ソ連・イラク友好条約発効,批准書交換。
DIA-602-1972-07-20-2ソ連1972年07月20日1970年代ソ連,西独元外相の訪中非難。
DIA-602-1972-07-22-1ソ連1972年07月22日1970年代ソ連アゾフ海岸で地下核実験か。
DIA-602-1972-07-22-2ソ連1972年07月22日1970年代エジプト撤退のソ連顧問は1万人。
DIA-602-1972-07-23-1ソ連1972年07月23日1970年代ソ連の工業生産達成率,史上最低の恐れ─23日のソ連各紙は72年前半のソ連経済の実績についてのソ連中央統計局発表を一斉に掲載した。それによると,ことし上半期の工業生産成長率は昨年同期比6.8%で,これは平時の最低記録である69年前半の実績より悪い。
DIA-602-1972-07-23-2ソ連1972年07月23日1970年代ソ連のエジプト援助総額70億ドル。
DIA-602-1972-07-25-1ソ連1972年07月25日1970年代中国,対ソ戦略を変更か─25日付の『ニューヨーク・タイムズ』は,米政府当局者の見解として,中国が戦術核兵器の生産に力を入れ,中ソ国境に第1線部隊を配置しているなど,対ソ戦略を展開しつつあるとの見方を伝えている。
DIA-602-1972-07-27-1ソ連1972年07月27日1970年代ソ連航空機もエジプト撤退。
DIA-602-1972-07-29-1ソ連1972年07月29日1970年代AMB制限条約批准手続き。
DIA-602-1972-07-30-1ソ連1972年07月30日1970年代ソ連人のエジプト撤退,ほぼ完了。
DIA-602-1972-08-01-1ソ連1972年08月01日1970年代米ソ貿易合同委閉幕。
DIA-602-1972-08-09-1ソ連1972年08月09日1970年代収穫大減少で緊急会議─9日付のソ連共産党機関紙『プラウダ』によると,8日,モスクワのソ連共産党中央委員会本部で農業問題に関する重要会議が開かれ,席上ブレジネフ書記長がソ連農業の当面する諸問題解決のための課題について演説した。
DIA-602-1972-08-23-1ソ連1972年08月23日1970年代ソ連爆撃機,上海近くへ訓練飛行─23日午前9時40分ごろ,日本海を4機編隊で南下しているのを航空自衛隊のレーダーがとらえ,小松基地(石川県)と築城基地(福岡県)のF86F戦闘機計6機がつぎつぎに緊急発進し監視に当った。4機(TV16)のうち2機は途中で引き返したが,2機は壱岐島の西約12kmの地点を通って対馬海峡を抜け,上海方向に向かった。日本の戦闘機は五島列島沖まで見張ったのち帰投した。このソ連爆撃機は同11時40分ごろ日本のレーダーから1度消えたが,約30分後に中国方面から帰ってくるのを再び日本のレーダーがつかみ,築城基地のF86F2機と新田原基地(宮崎県)のF104J2機が発進,監視を続けた。 ソ連爆撃機は高度6,000mで飛んでいたが対馬海峡を抜けるときは600mの低高度まで降り,誤って日本の領空にはいらないよう気を使っていた様子だった,という。
DIA-602-1972-08-24-1ソ連1972年08月24日1970年代シベリアの収穫不良。
DIA-602-1972-08-25-1ソ連1972年08月25日1970年代ブレジネフ,カザフスタンで農業緊急会議。
DIA-602-1972-08-26-1ソ連1972年08月26日1970年代極東に160の航空路。
DIA-602-1972-08-27-1ソ連1972年08月27日1970年代アルタイ各地に農業機械急送。
DIA-602-1972-08-31-1ソ連1972年08月31日1970年代シベリアの困難な収穫状況─シベリアの1,600ヘクター余の穀物地帯で大規模な収穫作業が繰りひろげられている。しかし寒い夏のためにコンバインの出動が10日ばかり遅れた。いたるところ麦は倒れ,雨が取り入れを妨げている。
DIA-602-1972-08-31-2ソ連1972年08月31日1970年代本年の北氷洋向け最終タンカー─8月31日北氷洋岸のペベクに向かって沿海地方船舶局所属のタンカー《インターナショナル》号が本航行期間最後のソビエト北極地区用石油製品を積んで出発した。
DIA-602-1972-08-31-3ソ連1972年08月31日1970年代ノボシビルスク州の党・経済活動家の集会─8月31日ノボシビルスク州の党・経済活動家の集会があり,2,000人以上の党とソビエトの職員,経済組織と企業の指導者,科学文化の活動家が参加した。ブレジネフ書記長が収穫督励の演説を行ない,ノボシビルスク州党第一書記F.Sゴリャチェフが報告した。
DIA-602-1972-09-01-1ソ連1972年09月01日1970年代ザバイカルの困難な収穫状況─今年ザバイカルの取入れは非常に困難であった。いたるところで小麦の伸びが低かった。そのために刈取りにはコンバインに特種の装置をとりつけなければならなかった。また小麦は同一の場所で成熟がまちまちであった。そのためにいろいろな刈取りかたをしなければならなかった。
DIA-602-1972-09-01-2ソ連1972年09月01日1970年代ブレジネフ書記長オムスクへ─9月1日ブレジネフ書記長は収穫激励のためオムスク市に到着した。
DIA-602-1972-09-03-1ソ連1972年09月03日1970年代ヤクーツク市へマンモスの遺体─ヤクーツク市へこのほどマンモスの遺体が送られてきた。これはソ連邦科学アカデミー・シベリア支部ヤクーツク地質研究所の調査隊の手で発見されたもので,身長は3m,場所は北緯71度,インジギルカ下流,シャンドリン川の岸,永久凍土中から発見されたものである。
DIA-602-1972-09-05-1ソ連1972年09月05日1970年代ブレジネフ書記長タシケントへ─9月5日タシケント市で綿花作付の各共和国の党・経済活動家の会議が開かれた。会議にはブレジネフ書記長および各共和国の書記が出席し,綿花取入れ促進につき討議した。ブレジネフはタシケントからモスクワに帰った。
DIA-602-1972-09-07-1ソ連1972年09月07日1970年代訪ソ議員団(団長福田篤泰氏)モスクワ着。
DIA-602-1972-09-08-1ソ連1972年09月08日1970年代ザバイカル鉄道電化工事進行中─ザバイカル鉄道の電化作業が進み,現在チタとカルイムスカヤの間の支柱建設が急速度で行なわれている。
DIA-602-1972-09-10-1ソ連1972年09月10日1970年代トルクメン共和国の綿花取入れ─トルクメンの農民は国家に対し93万トン以上の綿花を供出するという新しい目標を与えられた。
DIA-602-1972-09-10-2ソ連1972年09月10日1970年代ザバイカルの困難な収穫状況─ザバイカルの農作物の収穫は非常に困難であった。作業は極度に短い期間に終わらなければならなかった。沢山の夜間作業用コンバインは電灯をつけていないために,作業時間は非常に短かった。
DIA-602-1972-09-12-1ソ連1972年09月12日1970年代キッシンジャー,ソ連首脳と第2回会談。
DIA-602-1972-09-13-1ソ連1972年09月13日1970年代ヤクート石炭生産─ヤクートの炭鉱は今年はじめから予定よりも1週間早く100万トンの石炭を採掘した。
DIA-602-1972-09-15-1ソ連1972年09月15日1970年代バム=トゥインダ鉄道建設─バム(アムール州,ザバイカル鉄道上ボリショイ・ネベルの西)=トゥインダ鉄道建設で最初の数百メートルのレールが敷かれた。
DIA-602-1972-09-19-1ソ連1972年09月19日1970年代最高会議(第8次第4会期)開幕─この会議の前に党中央委総会が開かれなかったことは注目に値する。
DIA-602-1972-09-19-2ソ連1972年09月19日1970年代ソ連地中海艦隊,レバノン沖へ移動
DIA-602-1972-09-20-1ソ連1972年09月20日1970年代最高会議閉幕─2日間にわたる会議で自然保護と資源利用の改善に関する措置を政府に委任する件を採択,閉幕した。また,ソ連最高裁長官にレフ・スミルノフを選出した。
DIA-602-1972-09-20-2ソ連1972年09月20日1970年代乗取り犯人に重刑─昨年10月,小型機を乗取ってトルコへ逃げ送還された2人の学生に対しウクライナ最高裁は矯正労働13年と10年の刑を宣告した。
DIA-602-1972-09-24-1ソ連1972年09月24日1970年代沿海地方の米穀の取入れ─沿海地方で米の収穫がはじまった。沿海地方全体では2万1000ヘクタールの稲を刈らなければならない。
DIA-602-1972-09-25-1ソ連1972年09月25日1970年代田中首相の北京到着,論評抜きで小さく報道。
DIA-602-1972-09-26-1ソ連1972年09月26日1970年代駐エジプト・ソ連大使,カイロへ帰任。
DIA-602-1972-09-26-2ソ連1972年09月26日1970年代日本の常任国連理事国案にソ連反対。
DIA-602-1972-09-27-1ソ連1972年09月27日1970年代ソ連船舶相訪米。
DIA-602-1972-09-27-2ソ連1972年09月27日1970年代ワニノからの北方航路終了─ペベクに向かいディーゼル電気船《オレネク》号が自動車,組立家屋部品,工業商品を積んで出港した。これで本年の北方向け航海は終わる。
DIA-602-1972-09-28-1ソ連1972年09月28日1970年代ヤクーツク河川港の重要性─ヤクーツクの河川港はレナ河では最大の機械化された港で,短い航行期に200万トン近くの貨物を取扱っている。
DIA-602-1972-09-29-1ソ連1972年09月29日1970年代西シベリア製鉄所にコンピューター─西シベリア冶金工場で電子計算機が仕事をはじめた。これによってソ連最大の製鉄所でオートメ化システムが動きだしたわけである。1975年までにはこの製鉄所の主なる工場が単一の情報コンピューターで制御される予定。
DIA-602-1972-09-29-2ソ連1972年09月29日1970年代ラザク・マレーシア首相,公式訪ソ。
DIA-602-1972-10-03-1ソ連1972年10月03日1970年代『ビロビジヤン・ユダヤ』紙の抗議─極東のユダヤ自治州の新聞『ビロビジャネル・シテルン』,『ビロビジャンスカヤ・スベズダ』紙はシオニスト・グループの新しい反ソ連邦的中傷やデマの運動に対抗する州勤労者グループの書翰を発表した。書翰はシオニストがひきおこしている反ソ,反共的扇動に対し断固たる決意を表明しているモスクワ代表の声明を熱烈に支持している。
DIA-602-1972-10-03-2ソ連1972年10月03日1970年代SALT条約米ソ批准書交換,発効。
DIA-602-1972-10-04-1ソ連1972年10月04日1970年代パブロダル州の収穫終わる─パブロダル付近のイルトゥイシ流域の農民は国家に100万トンの穀物を供出した。
DIA-602-1972-10-06-1ソ連1972年10月06日1970年代沿海地方の米収穫─沿海地方は3,000トン以上の米を国家に供出した。今年は4万トン以上の米を供出することになっている。
DIA-602-1972-10-07-1ソ連1972年10月07日1970年代タシケント=アラル海間幹線自動車道路─ウズベキスタン最大のタシケント=アラル海間幹線自動車道路の建設が進んでアラル海岸に達した。
DIA-602-1972-10-08-1ソ連1972年10月08日1970年代ドゥジンカ港多忙─今航行期間にドゥジンカ港は数十万トンの貨物を取扱った。結氷期が近づくまでにノリリスクの鉱山・冶金従業員やタイムイル民族管区住民のため冬期間に必要な貨物を送る努力がなされている。
DIA-602-1972-10-08-2ソ連1972年10月08日1970年代ソ連機,モスクワ近くで墜落,史上最大の176名死亡。
DIA-602-1972-10-13-1ソ連1972年10月13日1970年代ゼーヤ河の閉塞作業完了。
DIA-602-1972-10-14-1ソ連1972年10月14日1970年代カザフ共和国,10億プード以上の穀類供出。
DIA-602-1972-10-14-2ソ連1972年10月14日1970年代米ソ海運協定成立。
DIA-602-1972-10-14-3ソ連1972年10月14日1970年代エニセイ河航行シーズン終了。
DIA-602-1972-10-14-4ソ連1972年10月14日1970年代キルギスのビート収穫100万トン。
DIA-602-1972-10-18-1ソ連1972年10月18日1970年代米ソ貿易協定成立互に最恵国待遇。
DIA-602-1972-10-19-1ソ連1972年10月19日1970年代オムスク州の穀物収穫150万トン。
DIA-602-1972-10-20-1ソ連1972年10月20日1970年代大平外相,モスクワ入り。
DIA-602-1972-10-21-1ソ連1972年10月21日1970年代アルタイ地方,508万トンの穀類供出。
DIA-602-1972-10-21-2ソ連1972年10月21日1970年代138家族のユダヤ人に無税出国許可。
DIA-602-1972-10-21-3ソ連1972年10月21日1970年代朝日新聞モスクワ支局長,退去令─木村明生特派員は48時間以内に国外に退去するようソ連政府から要求されたので,朝日本社は人事異動の形で同特派員を21日,ソ連から出国させた。木村特派員は特に反ソ的な記事は書いておらず,むしろ,ソ連に好意的であった点から,今回の措置は明らかに,朝日新聞の余りに北京寄りすぎる姿勢に対する警告とうけとられている。
DIA-602-1972-10-22-1ソ連1972年10月22日1970年代エジプトにミグ23供与か?
DIA-602-1972-10-26-1ソ連1972年10月26日1970年代極東解放50周年極東各市はソ連邦共産党中央委員会の指令により,極東を外国干渉軍と白衛軍から完全に解放した日の50周年記念の祝賀行事を行なった。チタ市とブラゴベシチェンスク市に対し,十月革命勲章が授与された。
DIA-602-1972-10-26-2ソ連1972年10月26日1970年代ソ連・イタリア海運条約調印。
DIA-602-1972-10-26-3ソ連1972年10月26日1970年代エジプト国防相解任,対ソ正常化のためか?
DIA-602-1972-10-28-1ソ連1972年10月28日1970年代チュメーニ油田調査計画遂行─スゥルグゥト石油調査隊は調査の年度計画を遂行し,井戸を6万以上掘り,3カ所の新しい油田を発見した。
DIA-602-1972-10-28-2ソ連1972年10月28日1970年代ソ連軍事顧問団員,続々エジプトへ復帰中。
DIA-602-1972-11-03-1ソ連1972年11月03日1970年代極東船舶局のコンテナー専用船増加─極東船舶局へ新たにコンテナー専用船《ピオネル・ウラジボストカ》号が加わった。この船は時速16ノットまで,国際型のコンテナー218を積むことができる。年末までにさらに同型の《ピオネル・ナホトキ》号と《ピオネル・プリモリア》号の2隻が加わる。同時に時速17ノットで,300のコンテナーを積むコンテナー専用船《アレクサンドル・ファデーエフ》号と《アレクサンドル・トワルドフスキー》号が極東船舶局のため建造されている。
DIA-602-1972-11-03-2ソ連1972年11月03日1970年代ソ連,中ソ国境で強硬措置をとる方針決定か?北京外交筋言明。
DIA-602-1972-11-04-1ソ連1972年11月04日1970年代極東船舶局のタンカー船団─サハリンの北部のモスカリボ港から日本に向かいタンカー《アイハル》号が出航し,今年度のこの航路は終了した。この航路ははじめてのサービスで日本に数十万トンの原油を送った。現在極東船舶局のタンカーは42隻総積載量35万トンである。なおこの5カ年計画中にブルガリアで建造される8隻の同型のタンカーが加わることになっている。
DIA-602-1972-11-04-2ソ連1972年11月04日1970年代マツケビッチ農相,記者会見で不作をみとめる。
DIA-602-1972-11-04-3ソ連1972年11月04日1970年代アムール川の航行終わる─11月4日,昨年より10日早く,アムール川の今年の航行は終了した。
DIA-602-1972-11-05-1ソ連1972年11月05日1970年代カラガンダ炭坑の採炭成績─カラガンダ炭坑では今年はじめから計画より100万トン多く採炭した。ここでは坑夫1人の採炭量は月平均78.5トンである。
DIA-602-1972-11-06-1ソ連1972年11月06日1970年代革命記念前夜祭でマズロス演説,農業問題対策説明。
DIA-602-1972-11-06-2ソ連1972年11月06日1970年代中国,ソ連へ革命記念祝電。
DIA-602-1972-11-07-1ソ連1972年11月07日1970年代革命55周年パレード,赤の広場で挙行。
DIA-602-1972-11-08-1ソ連1972年11月08日1970年代ソ連側,ヤクート天然ガス開発に25~30億ドルのバンク・ローン要請。
DIA-602-1972-11-08-2ソ連1972年11月08日1970年代ハバロフスク地方の大豆取入れ状況─ハバロフスク地方の農民は6,000ヘクター以上の農地の大豆を11月7日と8日の2日間で取入れを済ませた。
DIA-602-1972-11-08-3ソ連1972年11月08日1970年代《アムールスタリ》の粗鋼生産─《アムールスタリ》(アムール製鋼)工場はこの11月8日,今年のはじめから計算して2万2000トンの粗鋼を生産した。これは計画課題より2,000トン多かった。
DIA-602-1972-11-09-1ソ連1972年11月09日1970年代アムダリヤ川中流各地の棉花収穫─チャルジョウ州の農民は計画よりも非常に多い約23万トンの棉実を国家に提出した。
DIA-602-1972-11-09-2ソ連1972年11月09日1970年代アルタイの穀物収穫好調─アルタイ地方の農場はすでに524万4000トンの穀物を供出した。
DIA-602-1972-11-10-1ソ連1972年11月10日1970年代金200トン売却か─英紙『サンデー・テレグラフ』はこの数カ月の間に25トンの金塊がソ連からロンドンに空輸され,チューリッヒへは月に10~15トン,米国へは月に8トンの割で積み出されており,今年中に約200トンの金塊)(1億6660万ポンド相当)が積み出されたと報じた。
DIA-602-1972-11-11-1ソ連1972年11月11日1970年代ナザロボ=アバラコボ高圧送電線開通─本日ナザロボ=アバラコボ間送電線に220kvの高圧電流が通った。この送電線はナザロボ国営地区火力発電所の安価なエネルギーをマクラコボ・エニセイスクの林業地区の企業に供給する。
DIA-602-1972-11-11-2ソ連1972年11月11日1970年代ヤクート自治共和国の冬季道開設─ヤクート自治共和国では凍結した湿地,河川,針葉樹林,山地を通過する冬季交通がはじまった。
DIA-602-1972-11-11-3ソ連1972年11月11日1970年代サハリンのフェリーボート建設遅れる─10月末にサハリン船舶局の従業員の1団がフェリーボートを建造中のバルチクに到着した。間もなく《フェリーサハリン─I》号が極東に向かい出港する。しかしワニノとホルムスク両港の工事が遅れているので,フェリーの就航は1973年の前半に見送られた。
DIA-602-1972-11-11-4ソ連1972年11月11日1970年代反体制人物の電話制限。
DIA-602-1972-11-13-1ソ連1972年11月13日1970年代『イズベスチヤ』紙,「ネルチンスク条約は公正」と力説。
DIA-602-1972-11-15-1ソ連1972年11月15日1970年代ヌゥレク水力発電所発電開始─タジク共和国のワフシ川に建設中であったヌゥレク水力発電所の第1発電機(出力30万kw)は11月15日に発電を開始した。
DIA-602-1972-11-17-1ソ連1972年11月17日1970年代エニセイ川北氷洋航路終わる─エニセイ川の北氷洋航行は終了した。イガルカ港から最後の海上木材輸送船《ベロゼルスクレス》号が出港した本航行シーズン中,イガルカ港から119万5000m3の用材が発送された。
DIA-602-1972-11-17-2ソ連1972年11月17日1970年代日ソ合同会議閉幕,サハリン,ヤクートの開発案煮つめる。
DIA-602-1972-11-17-3ソ連1972年11月17日1970年代『コムニスト』誌,『紅旗』の大国主義を批判。
DIA-602-1972-11-20-1ソ連1972年11月20日1970年代モスクワで日ソ民間海運会議。
DIA-602-1972-11-21-1ソ連1972年11月21日1970年代米ソ,第2次戦略兵器制限交渉SALT IIはじまる。
DIA-602-1972-11-24-1ソ連1972年11月24日1970年代キルギズの棉花18万5000トン。
DIA-602-1972-11-24-2ソ連1972年11月24日1970年代ウラジボストークにはじめてのセルフサービス・デパート─このほどウラジボストークではじめての大きなセルフサービス・デパートが開かれた。販売ホールの広さは1,300m2,付属室は2,700m2以上あり,冷凍室,包装器械,迅速レジ装置,電子ハカリ,運搬車などありて,毎日1万5000人までの客をサービスできる。
DIA-602-1972-11-25-1ソ連1972年11月25日1970年代ヤクートの塩辛い川─ヤクート自治共和国のオレクミンスク市付近でレナ川に流れこむ支流をソリャンスキー(塩辛い)川と呼んでいるが,この川の水は1lのなかに21gの塩分を含んでいる。
DIA-602-1972-11-25-2ソ連1972年11月25日1970年代アルバニア放送,ノルウェーの湾に潜入したソ連原潜内で反乱がおきたと放送。
DIA-602-1972-11-26-1ソ連1972年11月26日1970年代ノルウェーのフィヨルドに潜入したのはソ連F級もしくはW級潜水艦とノルウェー海軍将校非公式に語る。
DIA-602-1972-11-27-1ソ連1972年11月27日1970年代『プラウダ』紙,グルジア共和国幹部の腐敗を摘発,非難。
DIA-602-1972-11-29-1ソ連1972年11月29日1970年代ソ連・ハンガリー党首会談終了。
DIA-602-1972-11-30-1ソ連1972年11月30日1970年代チュメーニ油田のボーリング計画超過遂行─《ザプシブブゥルネフチ》(西シベリア石油掘さく)生産合同の企業は石油ボーリングで鉱層を昨年度より10万m多い126万m掘った。
DIA-602-1972-12-01-1ソ連1972年12月01日1970年代サハリンのアリバ=ノグリキ間鉄道建設開始。
DIA-602-1972-12-02-1ソ連1972年12月02日1970年代アルダン川,結氷下で採金作業続行。
DIA-602-1972-12-05-1ソ連1972年12月05日1970年代タイシエット線の複線工事はじまる。
DIA-602-1972-12-07-1ソ連1972年12月07日1970年代アムダリアを渡るガスパイプライン─アフガニスタン=ソ連邦間ガスパイプラインはアムダリア川の絶壁ケリフ峡谷で川を渡ることになった。90mのタワーにアフガニスタンとソ連邦を結ぶ直径70mmのロープ1本と12本の移動ロープがかけられる。組立中のパイプの直径は800mm,これには送電線と歩道橋がつく。
DIA-602-1972-12-08-1ソ連1972年12月08日1970年代セミチャストノフ貿易省第一次官,日本のシベリア開発非協力に不満表明。
DIA-602-1972-12-10-1ソ連1972年12月10日1970年代中ソ国境で衝突か?─モスクワの西側外交筋は先月カザフスタン国境で中ソの武力衝突があり,ソ連兵5人が死んだとの秘密報告を洩した。
DIA-602-1972-12-12-1ソ連1972年12月12日1970年代チトー大統領,「ソ連への回帰」否定。
DIA-602-1972-12-12-2ソ連1972年12月12日1970年代『プラウダ』,自民党の内外政策失敗と報道。
DIA-602-1972-12-17-1ソ連1972年12月17日1970年代『プラウダ』,北方領土問題で北京の日本支持を非難。
DIA-602-1972-12-18-1ソ連1972年12月18日1970年代党中央委総会開かる─18日午前中,党中央委総会が開かれ,新中央委書記にドルギフ・クラスノヤルスク地方第一書記を選出し,ムジャワナゼ党政治局員候補を解任した。ムジャワナゼはコーカサスにおける綱規粛正の責任をとらされたものとみられる。この総会では最高会議に提出する73年の経済計画と国家予算案に関するバイバコフ・ゴスプラン議長とガルブゾフ蔵相の2つの報告を採択したのちブレジネフ書記長が演説した。
DIA-602-1972-12-18-2ソ連1972年12月18日1970年代タス通信,北爆再開を非難。
DIA-602-1972-12-18-3ソ連1972年12月18日1970年代最高会議(第8次第5会期)開幕─午後6時より クレムリン大宮殿においてソ連邦最高会議がひらかれ,合同会議に入った。
DIA-602-1972-12-18-4ソ連1972年12月18日1970年代ソ連,昨年殉職した宇宙飛行士の解剖結果を詳細に米国へ提供。
DIA-602-1972-12-19-1ソ連1972年12月19日1970年代最高会議閉幕─18日開幕した最高会議は73年度国家予算を採択して閉幕した。
DIA-602-1972-12-19-2ソ連1972年12月19日1970年代ソ連邦結成50周年記念特別合同会議クレムリンで開かる。
DIA-602-1972-12-19-3ソ連1972年12月19日1970年代ブレジネフ書記長,「中ソ不可侵条約」締結申入れを北京が拒否したと報告。
DIA-602-1972-12-21-1ソ連1972年12月21日1970年代ソ連邦結成50周年に酒で乾杯することを禁止。
DIA-602-1972-12-22-1ソ連1972年12月22日1970年代福田氏の入閣にソ連当局注目。
DIA-602-1973-01-01-1ソ連1973年01月01日1970年代亡命ソ連船員ピストル自殺-昨年9月,カナダ沖合いでソ連船から脱出,カナダに亡命したソ連船員セルゲイ・クルダコフ(21)が1日,ロサンゼルス郊外サンベルナルジ郡のランニングスプリングにある山小屋でピストル自殺した。
DIA-602-1973-01-03-1ソ連1973年01月03日1970年代死刑含む厳しいハイジャック法制定。
DIA-602-1973-01-03-2ソ連1973年01月03日1970年代トルクメンのキルピチリ天然ガス-トルクメン共和国の東部カラクームのキルピチリ天然ガス床で深さ3,200メートルのところから最初のガス噴出があった。
DIA-602-1973-01-03-3ソ連1973年01月03日1970年代キューバに財政援助-カストロ・キューバ首相は3日夜,ソ連がキューバの財政赤字をカバーするため3年間の新たな借款を供与すると発表した。
DIA-602-1973-01-05-1ソ連1973年01月05日1970年代新型戦闘機開発,ミグ21・23の改良型-ロンドンの軍事筋が5日語ったところによると,ソ連はミグ21と23を改良した新型の超音速戦闘機を関発したもよう。
DIA-602-1973-01-06-1ソ連1973年01月06日1970年代ソ連,新型ICBM実験成功。
DIA-602-1973-01-09-1ソ連1973年01月09日1970年代バムの鉄道建設-建設中のバム=トゥインダ鉄道で新しく数キロメートルのレールが敷かれた。この鉄道はアムール州北部の諸地区をシベリア幹線につなぐものである。
DIA-602-1973-01-09-2ソ連1973年01月09日1970年代サモトロール=アリメチェフスク石油パイプライン建設。
DIA-602-1973-01-09-3ソ連1973年01月09日1970年代ソ連車,デンマークでは米車抜く。
DIA-602-1973-01-09-4ソ連1973年01月09日1970年代チェコのフサーク書記長にレーニン勲章。
DIA-602-1973-01-09-5ソ連1973年01月09日1970年代米日に次ぐ工業国は仏とソ連機密報告が予測。
DIA-602-1973-01-09-6ソ連1973年01月09日1970年代コスイーギン首相チュメーニ市着。
DIA-602-1973-01-11-1ソ連1973年01月11日1970年代仏大統領訪ソ。
DIA-602-1973-01-12-1ソ連1973年01月12日1970年代仏ソ共同コミュニケ発表の内容。
DIA-602-1973-01-12-2ソ連1973年01月12日1970年代トルスチコフ大使,北京へ帰任。
DIA-602-1973-01-12-3ソ連1973年01月12日1970年代本年最初の北極航路開始。
DIA-602-1973-01-13-1ソ連1973年01月13日1970年代日ソ航空交渉合意。
DIA-602-1973-01-15-1ソ連1973年01月15日1970年代ワルシャワ機構外相会議。
DIA-602-1973-01-16-1ソ連1973年01月16日1970年代濃縮ウランソ連が対日輸出打診-関係業界筋が16日明らかにしたところによると,ソ連政府は非公式に,濃縮ウランを日本へ輸出したいと申入れてきている。
DIA-602-1973-01-17-1ソ連1973年01月17日1970年代大平外相,ソ連大使会談。
DIA-602-1973-01-17-2ソ連1973年01月17日1970年代「環境会議」発足。
DIA-602-1973-01-20-1ソ連1973年01月20日1970年代日本周辺のソ連機の動き活発化。
DIA-602-1973-01-20-2ソ連1973年01月20日1970年代流感猛威を振う。
DIA-602-1973-01-23-1ソ連1973年01月23日1970年代ウランゲリャの新港をボストーチヌイ港と命名。
DIA-602-1973-01-27-1ソ連1973年01月27日1970年代チュメーニ=ウラル間のガスパイプラインの複線工事中。
DIA-602-1973-01-29-1ソ連1973年01月29日1970年代チュメーニ=トボリスク間220キロメートルの鉄道建設完成。
DIA-602-1973-01-30-1ソ連1973年01月30日1970年代パリから帰国中の北ベトナム外相,モスクワ到着。
DIA-602-1973-01-31-1ソ連1973年01月31日1970年代西シベリアの石油をボルガヘ送るパイプライン敷設。
DIA-602-1973-01-31-2ソ連1973年01月31日1970年代偵察ソ連機を追って沖縄から初の緊急発進2回。
DIA-602-1973-02-03-1ソ連1973年02月03日1970年代ポリャンスキー第1副首相,農相に任命さる。
DIA-602-1973-02-05-1ソ連1973年02月05日1970年代パキスタン特使とソ連外相会談。
DIA-602-1973-02-05-2ソ連1973年02月05日1970年代中国,ソ連政府幹部の降格で非難-新華社通信は5日ソ連のポリヤンスキー第1副首相の降格とマッケビッチ農業相の解任に関し,これは「ブレジネフ一派がその農業政策の失敗を2人に転嫁させたものである」と非難した。
DIA-602-1973-02-06-1ソ連1973年02月06日1970年代チュメニ油田開発計画促進に日本の専門家派遣。
DIA-602-1973-02-06-2ソ連1973年02月06日1970年代スゥルグゥト国営地区火力発電所20万kwの嫁動開始。
DIA-602-1973-02-06-3ソ連1973年02月06日1970年代ウランゲリャ鉄道駅の建設開始。
DIA-602-1973-02-07-1ソ連1973年02月07日1970年代エジプト大統領特使訪ソ。
DIA-602-1973-02-09-1ソ連1973年02月09日1970年代日米通商関係妥協は不可能とタス通信が論評。
DIA-602-1973-02-09-2ソ連1973年02月09日1970年代チュメニ油田共同開発輸銀融資決まる。
DIA-602-1973-02-13-1ソ連1973年02月13日1970年代ルーブルも10%対ドル切り上げ。
DIA-602-1973-02-13-2ソ連1973年02月13日1970年代ソ連・アフガニスタン国防相会談。
DIA-602-1973-02-15-1ソ連1973年02月15日1970年代ベトナム後の米・中・日の反ソ共同戦線への警戒色強まる。
DIA-602-1973-02-16-1ソ連1973年02月16日1970年代対ソ貿易で西独,日本を抜き1位となる。
DIA-602-1973-02-16-2ソ連1973年02月16日1970年代ソ連ミサイルをシリアに供与。
DIA-602-1973-02-16-3ソ連1973年02月16日1970年代ソウガワニ=ウラジボストーク間にYak40型で旅客空路開設。
DIA-602-1973-02-17-1ソ連1973年02月17日1970年代ソ連過去2週間に9回もICBM実験。
DIA-602-1973-02-18-1ソ連1973年02月18日1970年代ソ・米共同ベーリング海調査開始。
DIA-602-1973-02-19-1ソ連1973年02月19日1970年代日ソ貿易年次協議始まる。
DIA-602-1973-02-22-1ソ連1973年02月22日1970年代ソ経済委科学技術小委終わる。
DIA-602-1973-02-22-2ソ連1973年02月22日1970年代ブレジネフ書記長プラハ入り。
DIA-602-1973-02-22-3ソ連1973年02月22日1970年代サモトロール油田の発展-チュメーニのサモトロール油田は1969年に開発されたが現在その採油量は3800万トンに達している。
DIA-602-1973-02-23-1ソ連1973年02月23日1970年代日ソ貿易年次協議終わる。
DIA-602-1973-02-23-2ソ連1973年02月23日1970年代英ソ科学文化交流協定調印。
DIA-602-1973-02-23-3ソ連1973年02月23日1970年代南ヤクート炭田開発を推進することで日ソ石炭委一致。
DIA-602-1973-02-25-1ソ連1973年02月25日1970年代ソ連・チェコが共同声明。
DIA-602-1973-02-26-1ソ連1973年02月26日1970年代ソ連が2隻目の本格空母建造に着手。
DIA-602-1973-02-26-2ソ連1973年02月26日1970年代エジプト国防相ソ連書記長と会談。
DIA-602-1973-02-26-3ソ連1973年02月26日1970年代北カラフトのデ・カストリ湾に年中船が入るようになかった。
DIA-602-1973-02-27-1ソ連1973年02月27日1970年代米ソ外相会談。
DIA-602-1973-02-27-2ソ連1973年02月27日1970年代北鮮代表団訪ソ,ブレジネフ書記長と会談。
DIA-602-1973-02-28-1ソ連1973年02月28日1970年代ソ連漁業代表団が来日。
DIA-602-1973-03-01-1ソ連1973年03月01日1970年代19年ぶりに党員賞の交換開始。
DIA-602-1973-03-01-2ソ連1973年03月01日1970年代カニ交渉モスクワで開始
DIA-602-1973-03-01-3ソ連1973年03月01日1970年代日ソ漁業委員会東京で開幕
DIA-602-1973-03-01-4ソ連1973年03月01日1970年代エジプト・ソ連共同性未。
DIA-602-1973-03-03-1ソ連1973年03月03日1970年代ソ連機,能登半島沖55キロまで異状接近。
DIA-602-1973-03-03-2ソ連1973年03月03日1970年代中ソ貿易,上向きに。
DIA-602-1973-03-06-1ソ連1973年03月06日1970年代米ソ,漁業協定に調印。
DIA-602-1973-03-06-2ソ連1973年03月06日1970年代極東海運の浚渫船昨年より半月速く動きだす。
DIA-602-1973-03-06-3ソ連1973年03月06日1970年代タタール海峡のフェリー連絡船建設すでに2年おくれる。
DIA-602-1973-03-06-4ソ連1973年03月06日1970年代チュメーニの採油量2ヵ月間に1220万トン。
DIA-602-1973-03-06-5ソ連1973年03月06日1970年代ソ連書記長に田中首相が親書。
DIA-602-1973-03-07-1ソ連1973年03月07日1970年代ソ連紙,エジプト紙の編集長を非難。
DIA-602-1973-03-08-1ソ連1973年03月08日1970年代ウスチ・イリム水力発電所第1タービン水道の建設進む。
DIA-602-1973-03-08-2ソ連1973年03月08日1970年代ソ連材の輸入拡大,見かえりに借款供与。
DIA-602-1973-03-08-3ソ連1973年03月08日1970年代ソ連,木材大幅値上げ。
DIA-602-1973-03-08-4ソ連1973年03月08日1970年代英紙,弾圧にあえぐソ連知識人について報道。
DIA-602-1973-03-08-5ソ連1973年03月08日1970年代パトリチェフ通産相,豪州訪問。
DIA-602-1973-03-08-6ソ連1973年03月08日1970年代ソ連,綿花も輸出価格値上げ。
DIA-602-1973-03-12-1ソ連1973年03月12日1970年代第2次SALTジュネーブで今日再開。
DIA-602-1973-03-12-2ソ連1973年03月12日1970年代米オクシデンタル社と80億ドルの契約調印。
DIA-602-1973-03-14-1ソ連1973年03月14日1970年代食品機械工業会へソ連から技術交流申入れ。
DIA-602-1973-03-14-2ソ連1973年03月14日1970年代コスイギン首相,イラン訪問。
DIA-602-1973-03-14-3ソ連1973年03月14日1970年代シーズンにはいる極東漁業。
DIA-602-1973-03-14-4ソ連1973年03月14日1970年代ソ連書記長米財務長官会談。
DIA-602-1973-03-16-1ソ連1973年03月16日1970年代ソ連・イラン共同声明。
DIA-602-1973-03-17-1ソ連1973年03月17日1970年代金地金の対日輸出に応ず。
DIA-602-1973-03-18-1ソ連1973年03月18日1970年代パトリチェフ外国貿易相豪州訪問終わる。ソ豪通商協定調印。
DIA-602-1973-03-18-2ソ連1973年03月18日1970年代文学新聞チュメーニ開発に対する中国の反対を非難
DIA-602-1973-03-21-1ソ連1973年03月21日1970年代73年度日ソ文化交流協定に調印。
DIA-602-1973-03-23-1ソ連1973年03月23日1970年代ノボシビルスクで新オビ川鉄橋工事中。
DIA-602-1973-03-24-1ソ連1973年03月24日1970年代サハロフ博士KGBに査問さる。
DIA-602-1973-03-26-1ソ連1973年03月26日1970年代ナホトカの石油積込み基地,4万トンタンカー収容可能。
DIA-602-1973-03-27-1ソ連1973年03月27日1970年代タタール海峡フェリー≪サハリン=1号≫バルチック海からインド洋へ入る。
DIA-602-1973-03-28-1ソ連1973年03月28日1970年代ソ連大使,ブレジネフ返書を首相へ。
DIA-602-1973-03-28-2ソ連1973年03月28日1970年代フルチェワ文化相訪米。
DIA-602-1973-03-29-1ソ連1973年03月29日1970年代北方領土で戦後の国境は神聖とソ連誌が反対論文。
DIA-602-1973-03-29-2ソ連1973年03月29日1970年代軍,党書記会議終了。
DIA-602-1973-03-29-3ソ連1973年03月29日1970年代イルクーツクへの第2線パイプライン工事エニセイ河に達す。
DIA-602-1973-03-29-4ソ連1973年03月29日1970年代本日チュメーニ油田の総産油量2億トンに達す。
DIA-602-1973-03-30-1ソ連1973年03月30日1970年代ソ日協会員にグジェンコ船舶相選出。
DIA-602-1973-03-31-1ソ連1973年03月31日1970年代ヤクーツクで192キロメートルの新しいガス・パイプライン建設完了。
DIA-602-1973-03-31-2ソ連1973年03月31日1970年代乗客,日航機内で急死-31日午後零時10分頃,日本海上空を飛行していた東京発モスクワ行き日航401便DC8型機(乗員12人,乗客116人)内で,乗客の海外石油開発常務,志位正二氏(53)が心臓発作を起こし乗り合わせた内科医師が応急手当をしたが,10分後に死亡した。同機は,ハバロフスク空港に緊急着陸をしようとしたが天候が悪かったため東京に引き返し,午後3時40分,羽田空港に着陸した。志位さんは同社の檜垣順造専務(61)とともに,西シベリア,チュメーニ石油開発計画の予備交渉のためモスクワへ行く途中だった。志位氏は元関東軍参謀で,シベリアに抑留され,帰国後ラストボロフ事件に関係があったと伝えられる。その後シベリア開発の専門家として活躍していた。
DIA-602-1973-03-31-3ソ連1973年03月31日1970年代樺太で終戦時自決した交換嬢9人に叙勲。
DIA-602-1973-04-01-1ソ連1973年04月01日1970年代ロストフ州からブリヤートヘ移民団到着。
DIA-602-1973-04-02-1ソ連1973年04月02日1970年代西へ流れるチュメーニの原油-サモトロール=チュメーニ=クゥルガン=ウファ=アリメチェスク間約2,000キロメートルの石油パイプラインは昨日埋設とパイプ溶接作業が終わった。工期は約1年。5月1日までにチュメーニの石油がこのパイプラインでバシキール,タタールの企業へ,さらにポーランド,東独,チェコ,ハンガリーなどへ石油を供給する≪ドルージバ≫(友好)パイプラインに流れることになる。
DIA-602-1973-04-02-2ソ連1973年04月02日1970年代コスイギン首相,スエーデン訪問。
DIA-602-1973-04-03-1ソ連1973年04月03日1970年代「企業合同」の全面的実施にふみきる。
DIA-602-1973-04-03-2ソ連1973年04月03日1970年代ポドゴルヌイ,フィンランド訪問。
DIA-602-1973-04-04-1ソ連1973年04月04日1970年代沿海地方の穀物種まき始まる。
DIA-602-1973-04-04-2ソ連1973年04月04日1970年代フィンランド外相,訪ソ。
DIA-602-1973-04-05-1ソ連1973年04月05日1970年代アルマ・アタ航空駅拡張中-現在アルマ・アタ市の飛行場から飛び立つ飛行機は≪IL=62≫,≪TU= 104≫,≪IL=18≫,≪AN=24≫型である。カザフスタン共和国の空路は7万8000キロメートルに達し,旅客の急激な増加で航空駅は狭くなったので現在新しくターミナル・ビルの拡張工事が進められている。
DIA-602-1973-04-05-2ソ連1973年04月05日1970年代ブレジネフ書記長西独訪問を正式に受諾。
DIA-602-1973-04-05-3ソ連1973年04月05日1970年代ヤクーチャのマスタフスクの天然ガス,ヤクーツク市へ入る。
DIA-602-1973-04-05-4ソ連1973年04月05日1970年代ウランゲリャ湾のポストチヌイ港の築港工事進む。
DIA-602-1973-04-05-5ソ連1973年04月05日1970年代ヤクート天然ガス,米国除き日ソで開発したい旨,ソ連から申入れ。
DIA-602-1973-04-05-6ソ連1973年04月05日1970年代日ソ交渉に「領土」問題は不可欠と官房長官語る。
DIA-602-1973-04-05-7ソ連1973年04月05日1970年代コムソモリスク付近アムール川鉄道フェリー連絡開始。
DIA-602-1973-04-07-1ソ連1973年04月07日1970年代ポドゴルヌイ議長フィンランドから帰国。
DIA-602-1973-04-10-1ソ連1973年04月10日1970年代カザフスタンのイリ川の航行はじまる。
DIA-602-1973-04-10-2ソ連1973年04月10日1970年代ソ連,サケ,マス7万トン台を要求。
DIA-602-1973-04-11-1ソ連1973年04月11日1970年代ノルウェー,ソ連外交官追放。
DIA-602-1973-04-12-1ソ連1973年04月12日1970年代≪サハリン=1≫号日本海に入る-タタール海峡の鉄道フェリー≪サハリン=1≫号はバルト海から1万6000哩の航海後日本海に入った。
DIA-602-1973-04-12-2ソ連1973年04月12日1970年代中国貿易交渉団,モスクワ着。
DIA-602-1973-04-12-3ソ連1973年04月12日1970年代メキシコ大統領訪ソ。
DIA-602-1973-04-13-1ソ連1973年04月13日1970年代出光,チュメーニ原油約100万トン輸入契約。
DIA-602-1973-04-13-2ソ連1973年04月13日1970年代日ソ漁業交渉,農業不振で漁獲重視。
DIA-602-1973-04-14-1ソ連1973年04月14日1970年代エニセイ川航行開始。
DIA-602-1973-04-14-2ソ連1973年04月14日1970年代ゾロツーヒン,調達相に任命さる。
DIA-602-1973-04-16-1ソ連1973年04月16日1970年代新関大使,漁業交渉早期妥結要求でソ連漁業相と会談。
DIA-602-1973-04-16-2ソ連1973年04月16日1970年代オホーツク海の海底油田調査進む。
DIA-602-1973-04-17-1ソ連1973年04月17日1970年代エリザベス女王主催の晩さん会にスミルノフスキーソ連駐英大使が出席。
DIA-602-1973-04-18-1ソ連1973年04月18日1970年代出国ユダヤ人へ教育税中止か-ニクソン米大統領は18日,ソ連が国外に移住する。ユダヤ人に支払いを義務づけていた教育税の適用中止を正式に保証する文書を,クレムリンから受け取ったことを明らかにした。
DIA-602-1973-04-18-2ソ連1973年04月18日1970年代チュメーニで発電船≪セーベルノエ・シャーニエ=3≫号進水。
DIA-602-1973-04-20-1ソ連1973年04月20日1970年代米人学生7人,ソ連内務省へ乱入。
DIA-602-1973-04-20-2ソ連1973年04月20日1970年代グレチコ国防相,ルーマニア訪問。
DIA-602-1973-04-23-1ソ連1973年04月23日1970年代オビ川航行開始。
DIA-602-1973-04-23-2ソ連1973年04月23日1970年代『コムニスト・ウクライナ』紙,シェレスト批判とAFP報道。
DIA-602-1973-04-24-1ソ連1973年04月24日1970年代カニ漁,仮調印。
DIA-602-1973-04-24-2ソ連1973年04月24日1970年代サヤノ・シューシェンスカヤ水力発電所建設進む。
DIA-602-1973-04-24-3ソ連1973年04月24日1970年代日ソ漁業交渉妥結,サケ・マス9万1000トン。
DIA-602-1973-04-24-4ソ連1973年04月24日1970年代西カムチャッカのタラバガニ6万箱で日ソ漁業交渉合意。
DIA-602-1973-04-25-1ソ連1973年04月25日1970年代冷延鋼板の酸洗い自動車制御システム技術新日鉄が対ソ輸出。
DIA-602-1973-04-25-2ソ連1973年04月25日1970年代トムスク州の石油生産,第1四半期で150万トン。
DIA-602-1973-04-25-3ソ連1973年04月25日1970年代ハバロフスク地方春蒔き遅れる。
DIA-602-1973-04-26-1ソ連1973年04月26日1970年代バングラデシュにミグ戦闘機を贈与。
DIA-602-1973-04-26-2ソ連1973年04月26日1970年代党中央委総会開幕。
DIA-602-1973-04-26-3ソ連1973年04月26日1970年代アムール川の流氷はじまる。
DIA-602-1973-04-27-1ソ連1973年04月27日1970年代ソ連共産党中央委総会終わる-26日から開かれていたソ連共産党中央委員会は27日午後5時(日本時間同11時)閉会し,シェレスト,ウオロノフ両政治局員が解任され,アンドロポフ政治局員候補(国家保安委議長)が政治局員に昇格,さらにグロムイコ外相,グレチコ国防相(いずれも中央委員)の2人が政治局員に昇格した。
DIA-602-1973-04-29-1ソ連1973年04月29日1970年代廖承志,大阪でソ連を非難。
DIA-602-1973-04-30-1ソ連1973年04月30日1970年代ブラック・アルミニウム工場完成。
DIA-602-1973-04-30-2ソ連1973年04月30日1970年代ビリビノ原子力発電所建設進む。
DIA-602-1973-05-02-1ソ連1973年05月02日1970年代チュメーニ州の天然ガス26兆立方メートル。
DIA-602-1973-05-04-1ソ連1973年05月04日1970年代キッシンジャー補佐官モスクワ着。
DIA-602-1973-05-06-1ソ連1973年05月06日1970年代月衛星ルノホート発射失敗。
DIA-602-1973-05-06-2ソ連1973年05月06日1970年代訪ソ中のキ補佐官,ソ連首脳と連日の会談。
DIA-602-1973-05-09-1ソ連1973年05月09日1970年代キ補佐官,訪ソ終了。
DIA-602-1973-05-11-1ソ連1973年05月11日1970年代欧州自由金市場への金放出を中止。
DIA-602-1973-05-12-1ソ連1973年05月12日1970年代ブレジネフ書記長,東独訪問。
DIA-602-1973-05-12-2ソ連1973年05月12日1970年代ソ連艦隊3隻(潜水艦1隻を含む)が台湾海峡通過-台北の国府当局はソ連艦隊が12日に台湾海峡を通過したと発表した。ソ連の艦船は台湾の東を通りバシー海峡から南シナ海へ入るのが常であるが,約20年ぶりにソ連艦隊が台湾海峡を通過した。これに先だちソ連は国府に事前通告したとみられる。これは国府を事実上独立国として取り扱うことで北京政府に対する面あてを行なうと共に示威行動をとったものと推測される。
DIA-602-1973-05-13-1ソ連1973年05月13日1970年代ソ連・東独共同声明発表。
DIA-602-1973-05-14-1ソ連1973年05月14日1970年代東京・シベリア経由航空路開設でソ連,西独が仮調印。
DIA-602-1973-05-15-1ソ連1973年05月15日1970年代ナホトカ港から北方への貨物輸送開始。
DIA-602-1973-05-18-1ソ連1973年05月18日1970年代ブレジネフ書記長西独公式訪問。
DIA-602-1973-05-18-2ソ連1973年05月18日1970年代ソ連艦艇の動き活発,大型乾ドックも北上。
DIA-602-1973-05-22-1ソ連1973年05月22日1970年代レナ河のオセトロボ港活況を呈す。
DIA-602-1973-05-23-1ソ連1973年05月23日1970年代シミット岬に北極気象観測所設置。
DIA-602-1973-05-25-1ソ連1973年05月25日1970年代アイスランドにソ連艦隊接近,英国とアイスランドの抗争を牽制。
DIA-602-1973-05-27-1ソ連1973年05月27日1970年代著作権条約に参加。
DIA-602-1973-05-27-2ソ連1973年05月27日1970年代墜落したソ連の空軍将校西独に亡命申し出。
DIA-602-1973-05-28-1ソ連1973年05月28日1970年代アルマリク氏の釈放遅れ“許しがたい暴挙”とサハロフ博士が非難。
DIA-602-1973-05-28-2ソ連1973年05月28日1970年代アルマリク氏を再逮捕。
DIA-602-1973-05-28-3ソ連1973年05月28日1970年代コルイマ州への船舶運行開始。
DIA-602-1973-05-29-1ソ連1973年05月29日1970年代「2つの朝鮮」定着へー先に韓国選手団に対してユニバーシアード・モスクワ大会から招請状が届いたのに引き続き,29日今度は韓国人演劇家に対してソ連が入国ビザを出した。
DIA-602-1973-05-30-1ソ連1973年05月30日1970年代パリ航空ショーでソ連武官逮捕-パリのブールジェ空港で開かれている国際航空ショーで30日,駐仏ソ連大使館の武官が,フランス国防省展示場からジャイロスコープとレーザー光線関係の装置を盗んだところを警備員に逮捕された。
DIA-602-1973-06-03-1ソ連1973年06月03日1970年代ソ連SSTパリ航空ショーで墜落。
DIA-602-1973-06-04-1ソ連1973年06月04日1970年代イラン国防相訪ソ。
DIA-602-1973-06-05-1ソ連1973年06月05日1970年代チュコトカ沿岸への海上航路活況を呈す。
DIA-602-1973-06-07-1ソ連1973年06月07日1970年代チュコトカの採金作業はじまる。
DIA-602-1973-06-08-1ソ連1973年06月08日1970年代今シーズンのナホトカ=ナガエボ旅客船航路開始。
DIA-602-1973-06-08-2ソ連1973年06月08日1970年代ヤクート天然ガス開発で米ソ覚書調印。
DIA-602-1973-06-10-1ソ連1973年06月10日1970年代中央アジア,ワフシ盆地に170キロメートルの鉄道開通。
DIA-602-1973-06-11-1ソ連1973年06月11日1970年代西シベリアのザプシブ製鉄工場でソ連最大の350トン転炉組立開始。
DIA-602-1973-06-13-1ソ連1973年06月13日1970年代文学新聞,汚染使節団と廖承志非難-『リテラトゥルナヤ・ガゼータ』紙は廖承志訪日団に対し皮肉たっぷりの記事をのせた。それによると,『廖承志は日本国内でいろいろ余計なことをしゃべり,日本国内の環境を汚染したばかりでなく,日本をめぐる国際環境をも汚染した。彼等は一大汚染使節団であった』『廖承志は次のように口をすべらせた。“ソ連の石油には人間の遺伝子に悪影響を与える悪い物質が含まれており,もし,日本人がチュメーニの石油を使うならば紀元2000年までに日本人はみな猿に退化しているであろう”。また次のようにも述べた。“日本は憎むべき敵ソ連に備えるために強い軍隊を持つべきである”“北京の現在の敵はソ連と日本共産党の2つである”“日本にきてみて日本人の中に憎むべき野蛮人がいることを発見した。それは日本共産党である”』というような調子である。
DIA-602-1973-06-14-1ソ連1973年06月14日1970年代ブレジネフ書記長,中国を除く社会主義11ヵ固大使と会見。
DIA-602-1973-06-16-1ソ連1973年06月16日1970年代ブレジネフ書記長,米国公式訪問。
DIA-602-1973-06-16-2ソ連1973年06月16日1970年代タタール海峡の鉄道フェリー初運航。
DIA-602-1973-06-16-3ソ連1973年06月16日1970年代サヤンでエニセイ河氾濫。
DIA-602-1973-06-16-4ソ連1973年06月16日1970年代韓国財界人2名訪ソ。
DIA-602-1973-06-17-1ソ連1973年06月17日1970年代ソ連ユダヤ人科学者7名,イスラエル移住を拒否されてハンスト。
DIA-602-1973-06-18-1ソ連1973年06月18日1970年代第1回米ソ首脳会談,ホワイトハウスで開かる。
DIA-602-1973-06-19-1ソ連1973年06月19日1970年代第2回米ソ首脳会談,開かる。
DIA-602-1973-06-19-2ソ連1973年06月19日1970年代オビ河中流のスルグウト港,20万トンの荷役完了。
DIA-602-1973-06-20-1ソ連1973年06月20日1970年代第3回米ソ首脳会談開かる。
DIA-602-1973-06-20-2ソ連1973年06月20日1970年代チュメーニ(サモトール)=ボルガ(アリメチェフスク)間2,200キロメートルの石油パイプライン営業開始。
DIA-602-1973-06-21-1ソ連1973年06月21日1970年代米ソ間第2次SALT交渉基本原則調印。
DIA-602-1973-06-22-1ソ連1973年06月22日1970年代米ソ核戦争防止協定調印。
DIA-602-1973-06-24-1ソ連1973年06月24日1970年代米ソ共同声明調印。
DIA-602-1973-06-25-1ソ連1973年06月25日1970年代ブレジネフ書記長訪仏,第1回首脳会談。
DIA-602-1973-06-26-1ソ連1973年06月26日1970年代第2回仏ソ首脳会談。
DIA-602-1973-06-27-1ソ連1973年06月27日1970年代第3回仏ソ首脳会談,共同コミュニケ発表。
DIA-602-1973-06-28-1ソ連1973年06月28日1970年代西へ流れるシベリア石油パイプラインの圧送能力毎時1万2000立方メートル。
DIA-602-1973-07-06-1ソ連1973年07月06日1970年代「ヤクート」天然ガス代表団来日。
DIA-602-1973-07-06-2ソ連1973年07月06日1970年代ブリヤート自治共和国創立50周年。
DIA-602-1973-07-06-3ソ連1973年07月06日1970年代浅瀬と激流のビリュイ川航行テスト成功。
DIA-602-1973-07-06-4ソ連1973年07月06日1970年代カムチャッカの温泉に有効出力550~600kwの発電所。
DIA-602-1973-07-12-1ソ連1973年07月12日1970年代アナドゥイル付近航行開始-砕氷船ゲオルギー・セドフ号は3隻の貨物船を誘導してチュコト民族管区のアナドゥイリ入江に入った。
DIA-602-1973-07-12-2ソ連1973年07月12日1970年代オハ=コムソモリスク間600キロメートルの第2パイプライン完成近し。
DIA-602-1973-07-15-1ソ連1973年07月15日1970年代オビ河入江の浚渫作業実施中。
DIA-602-1973-07-16-1ソ連1973年07月16日1970年代ソ連・北ベトナム共同声明。
DIA-602-1973-07-16-2ソ連1973年07月16日1970年代中ソ航空協定交渉妥結。
DIA-602-1973-07-17-1ソ連1973年07月17日1970年代ヤクート天然ガス開発で日ソ覚書き交換。
DIA-602-1973-07-17-2ソ連1973年07月17日1970年代ソ連最高会議開く-ソ連最高会議(第8回第6会期)が17日午前(日本時間同日午後)クレムリンで,約1,500人の代議員を集めて開かれた。この日,マズロフ第1副首相がソ連の平和外交政策,工業生蛮の実績や「国民教育基本法案」について報告した。
DIA-602-1973-07-17-3ソ連1973年07月17日1970年代ソ連の金保有高は90億ドル弱と米国発表。
DIA-602-1973-07-21-1ソ連1973年07月21日1970年代ハバロフスク=オホーツク沿岸の直通航路開始-この航路はウラジボストーク回りより1,500キロメートルも短かく,貨物1トン当り5ルーブル運賃が安くなる由。
DIA-602-1973-07-21-2ソ連1973年07月21日1970年代イデオロギーの平和共存はないと『赤い星』が強調。
DIA-602-1973-07-21-3ソ連1973年07月21日1970年代火星4号打ち上げ。
DIA-602-1973-07-23-1ソ連1973年07月23日1970年代ソ連地下核実験。
DIA-602-1973-07-24-1ソ連1973年07月24日1970年代上半期経済実績-24日のソ連政府機関紙『イズベスチヤ』は今年上半期(1~6月)の国家経済発展計画の遂行状況を発表,「工業生産は昨年同期に比べ7%伸び今年の計画の5.8%を超過達成した。農業も極めて良好」と書いている。
DIA-602-1973-07-25-1ソ連1973年07月25日1970年代パイプラインによるごみ処理技術,ソ連から技術導入。
DIA-602-1973-07-30-1ソ連1973年07月30日1970年代フレブトワヤ=ウスチ・イリム間鉄道支線完成。
DIA-602-1973-07-30-2ソ連1973年07月30日1970年代社会主義8ヵ国首脳会議,クリミアで開かる。
DIA-602-1973-08-01-1ソ連1973年08月01日1970年代最高会議で国民教育基本法採択さる。
DIA-602-1973-08-01-2ソ連1973年08月01日1970年代73年度中ソ貿易協定調印,アントノフ旅客機11機購入。
DIA-602-1973-08-03-1ソ連1973年08月03日1970年代チュメーニのサモトール油田,1昼夜に2万5000トンの採油量。
DIA-602-1973-08-03-2ソ連1973年08月03日1970年代ビリビノ原子力発電所タービンテスト実施。
DIA-602-1973-08-05-1ソ連1973年08月05日1970年代火星6号打上げ。
DIA-602-1973-08-07-1ソ連1973年08月07日1970年代チュメーニ交渉遅延はソ連側の技術的問題に原因と今里広記氏語る。
DIA-602-1973-08-08-1ソ連1973年08月08日1970年代タス通信,メドベージェフ氏の市民権剥奪報道-著名な生物学者で現在,英国滞在中のメドベージェフ氏は反体制のかどでソ連最高会議幹部会によってソ連市民権を剥奪された。
DIA-602-1973-08-09-1ソ連1973年08月09日1970年代森林資源代表団来日。
DIA-602-1973-08-09-2ソ連1973年08月09日1970年代英紙『デーリー・テレグラフ』,「ソ連は対中国予防戦争を計画」と報道。
DIA-602-1973-08-09-3ソ連1973年08月09日1970年代アレクサンドロフスク=アンジェロ・スゥジェンスク間バイプライン概要ー延長800キロメートル,パイプ口径1,220ミリメートル,毎時1万立方メートル圧送可能。すでに2200万トンを圧送した。
DIA-602-1973-08-10-1ソ連1973年08月10日1970年代反体制文学者アンドレイ・シニャフスキー氏,パリ到着。ソルボンヌ大学教授となるか。
DIA-602-1973-08-10-2ソ連1973年08月10日1970年代パトリチェフ貿易相,日本人記者団と会見。
DIA-602-1973-08-12-1ソ連1973年08月12日1970年代対島海峡の海上自衛隊水中聴音機,何者かに切断略取さる。
DIA-602-1973-08-15-1ソ連1973年08月15日1970年代亀長農林次官,バフトフ外国貿易省原材料輸出局長に木材の価格安定と供給量安定を要望。
DIA-602-1973-08-15-2ソ連1973年08月15日1970年代ブレジネフ書記長,アジア安保の必要性強調。
DIA-602-1973-08-16-1ソ連1973年08月16日1970年代対ソ輸出18.3%減,輸入71.8%増。
DIA-602-1973-08-17-1ソ連1973年08月17日1970年代ソ連複数弾頭(MIRV)の実験に成功と米国防長官語る。
DIA-602-1973-08-18-1ソ連1973年08月18日1970年代チュメーニ油田,7ヵ月半で5000万トン採油。
DIA-602-1973-08-20-1ソ連1973年08月20日1970年代対ドル・レート,100ドル=67.50ルーブルから71ルーブルへ切り下げ。
DIA-602-1973-08-21-1ソ連1973年08月21日1970年代サハロフ博士,当局の圧力に屈せず西側記者と初会見。
DIA-602-1973-08-28-1ソ連1973年08月28日1970年代科学アカデミー会員40名,サハロフ氏を非難。
DIA-602-1973-08-28-2ソ連1973年08月28日1970年代ソ連ミサイル駆逐艦,津軽海峡通過。
DIA-602-1973-08-29-1ソ連1973年08月29日1970年代「私は秘密警察に殺されるかも知れない」とソルジェニツイン氏,西側記者に語る。
DIA-602-1973-08-29-2ソ連1973年08月29日1970年代英紙『ザ・タイムス』紙,ソ連当局の知識人圧迫を非難。
DIA-602-1973-08-29-3ソ連1973年08月29日1970年代日ソ経済委幹部会,東京で開かる。
DIA-602-1973-08-30-1ソ連1973年08月30日1970年代『イズベスチヤ』紙サハロフ博士とソルジェニツイン氏攻撃。
DIA-602-1973-08-30-2ソ連1973年08月30日1970年代ピョートル・ヤキル氏,ビクトル・クラシン氏,反体制のとがで,懲役3年,流刑3年計6年の求刑。
DIA-602-1973-09-03-1ソ連1973年09月03日1970年代『プラウダ』紙,サハロフ博士非難。
DIA-602-1973-09-03-2ソ連1973年09月03日1970年代石田博英氏ら,ノビコフ副首相と会談。
DIA-602-1973-09-04-1ソ連1973年09月04日1970年代西シベリア製鉄所酸素第2転炉拡張工事中。
DIA-602-1973-09-04-2ソ連1973年09月04日1970年代オビ河水運でアルタイの穀物輸送。
DIA-602-1973-09-04-3ソ連1973年09月04日1970年代西独首相,ソ連の知識人弾圧を憂慮。
DIA-602-1973-09-05-1ソ連1973年09月05日1970年代カラフトではじめてディーゼル機関車動く。
DIA-602-1973-09-07-1ソ連1973年09月07日1970年代サハリン北部へモルダビアから果物空輸-ルーマニアに隣接するモルダビアからカラフト北部へ桃5トン,スモモ6トン,梨12トンを貨物機で空輸した。
DIA-602-1973-09-11-1ソ連1973年09月11日1970年代千島列島のパラムシル島噴火。
DIA-602-1973-09-12-1ソ連1973年09月12日1970年代クズバスに年産600万トンの新炭坑開発。
DIA-602-1973-09-15-1ソ連1973年09月15日1970年代マガダン州チュコトカのベーリンゴワヤ炭坑,一昼夜2,000トンの産出。
DIA-602-1973-09-20-1ソ連1973年09月20日1970年代衆院本会議,全会一致で北方領土返還を決議。
DIA-602-1973-09-22-1ソ連1973年09月22日1970年代ソ連当局国際的反響を恐れて,反体制知識人非難を中止か?
DIA-602-1973-09-22-2ソ連1973年09月22日1970年代ソ連,チリ新政権と断交。
DIA-602-1973-09-23-1ソ連1973年09月23日1970年代発電船セーベルノエ・シャーニエ(オーロラ)3号-チュメーニからヤクートまで1,000キロメートルの氷海を3ヵ月かかって到着した。同船はヤクートのサンガル炭坑に送電する予定。
DIA-602-1973-09-23-2ソ連1973年09月23日1970年代デモで逮捕されたユダヤ系ラトビア人,シュビルベルク氏,イスラエルへの移住許可。
DIA-602-1973-09-25-1ソ連1973年09月25日1970年代『プラウダ』,再びサハロフ博士非難。
DIA-602-1973-09-25-2ソ連1973年09月25日1970年代ブレジネフ書記長,タシケントで中国非難。
DIA-602-1973-09-26-1ソ連1973年09月26日1970年代田中首相,訪欧の途中モスクワ空港(シェレメチェボ)で給油のため約1時間休憩。
DIA-602-1973-09-26-2ソ連1973年09月26日1970年代マズロフ第1副首相,空港へ田中首相出迎え。
DIA-602-1973-09-27-1ソ連1973年09月27日1970年代市民的政治的権利に関する国際規約批准。
DIA-602-1973-09-27-2ソ連1973年09月27日1970年代カスピ海に毎時550トンの淡水化設備完成。
DIA-602-1973-09-27-3ソ連1973年09月27日1970年代沿海地方で4,000トンの米供出。
DIA-602-1973-09-28-1ソ連1973年09月28日1970年代米下院,ユダヤ人差別でソ連への最恵国待遇禁止。
DIA-602-1973-09-28-2ソ連1973年09月28日1970年代ニクソン大統領,グロムイコ外相に議会説得を約束。
DIA-602-1973-09-28-3ソ連1973年09月28日1970年代ブラコベシチェンスクのダリボストゴリ炭坑,9月に117万トンの石炭出荷。
DIA-602-1973-10-01-1ソ連1973年10月01日1970年代ソ連・チェコ首脳会談。
DIA-602-1973-10-01-2ソ連1973年10月01日1970年代ソ連政府,最高会議,国慶節に祝電-ただし,両国共産党の名前は出していない。
DIA-602-1973-10-03-1ソ連1973年10月03日1970年代アラブ連盟,ユダヤ人のイスラエル移住でソ連非難。
DIA-602-1973-10-04-1ソ連1973年10月04日1970年代沿海地方の大豆畑,10万ヘクタール以上。
DIA-602-1973-10-05-1ソ連1973年10月05日1970年代服役中の作家ウラジミール・ブコフスキー氏,「沈黙すれば釈放」の当局提案を拒否。
DIA-602-1973-10-06-1ソ連1973年10月06日1970年代第4次中東戦争はじまる。
DIA-602-1973-10-06-2ソ連1973年10月06日1970年代ソ連製SAM-6対空ミサイル,威力を発揮してイスラエル空軍苦戦。
DIA-602-1973-10-07-1ソ連1973年10月07日1970年代田中首相ソ連公式訪問。
DIA-602-1973-10-08-1ソ連1973年10月08日1970年代日ソ首脳会談はじまる。会談しばしば中東戦況のため中断。
DIA-602-1973-10-10-1ソ連1973年10月10日1970年代田中首相,ソ連を離れ帰国-共同声明文が発表されたが,ソ連側の公文に欠落した部分が数カ所があることがあとで指摘され,日本の外務当局は釈明に苦しんだ。これはソ連側が故意におとしたものと見られ,今回の会談に対するソ連側の評価を暗示している。
DIA-602-1973-10-13-1ソ連1973年10月13日1970年代ウスリーの針葉樹林内で天然の薬用人蔘の採集はじまる-薬用人蔘を今年は11万キログラム採取の予定。最近朝鮮人蔘とよばず,シベリア人蔘とロシア人は呼んでいる。
DIA-602-1973-10-14-1ソ連1973年10月14日1970年代重要問題成果なしと,新華社田中訪ソを初論評。
DIA-602-1973-10-15-1ソ連1973年10月15日1970年代ソ連・ユーゴ共同コミュニケ-訪ソ中のユーゴのチトー大統領はブレジネフ書記長との会談を終えて帰国,同夜共同コミュニケが発表された。
DIA-602-1973-10-15-2ソ連1973年10月15日1970年代アラブ側の攻撃に合わせソ連が宇宙衛星-15日発売予定の『ニューズウイーク』誌は,「アラブ側が攻撃を仕掛ける直前に,ソ連は2個の宇宙衛星を打ち上げ,毎日宇宙船が写真撮影に最も適した時刻である正午ごろにイスラエル上空を通過するように軌道に乗せた」と伝えている。
DIA-602-1973-10-19-1ソ連1973年10月19日1970年代コスイギン首相シリアへ,アサド大統領と会談。
DIA-602-1973-10-19-2ソ連1973年10月19日1970年代タス通信,コスイギン首相のカイロ訪問確認。
DIA-602-1973-10-20-1ソ連1973年10月20日1970年代マガダン州への海上輸送終了。
DIA-602-1973-10-20-2ソ連1973年10月20日1970年代フランス政府,ソ連外交官10人をスパイ容疑で追放。
DIA-602-1973-10-22-1ソ連1973年10月22日1970年代沿海地方興凱湖地区の米作,ヘクタール当り3トンの収穫。
DIA-602-1973-10-22-2ソ連1973年10月22日1970年代カラフト西岸へ今航海シーズン中に日本船40隻が入港。
DIA-602-1973-10-23-1ソ連1973年10月23日1970年代1万2000紡錘のブラゴベシチェンスク綿紡工場完成―年間5,000トンの紡糸生産の予定。
DIA-602-1973-10-24-1ソ連1973年10月24日1970年代尼港へ修理工作船,砕氷船の誘導で入港。
DIA-602-1973-10-25-1ソ連1973年10月25日1970年代レナ河航行シーズン終了。
DIA-602-1973-10-29-1ソ連1973年10月29日1970年代エチオピア皇帝訪ソ。
DIA-602-1973-11-03-1ソ連1973年11月03日1970年代西独外相,ソ連石油探査で,国際機関の設立を提唱。
DIA-602-1973-11-03-2ソ連1973年11月03日1970年代ソ連・西独航空協定調印。
DIA-602-1973-11-04-1ソ連1973年11月04日1970年代英紙『オブザーバー』,ソ連軍人7人がシリア戦線でイスラエル軍の捕虜になったと報道。
DIA-602-1973-11-04-2ソ連1973年11月04日1970年代チュメーニ石油の対日供給量2500万トンから3000万トンに増量する用意ありとソ連側可能性示す。
DIA-602-1973-11-05-1ソ連1973年11月05日1970年代アンジェロスゥジェンスク=クラノヤルスク間400キロメートルの第2パイプライン圧送開始。
DIA-602-1973-11-06-1ソ連1973年11月06日1970年代ヤクートの冬季道路開通-ミールヌイから14輛編成の自動車隊が,今シーズンはじめて北極圏のアイハラなどのダイアモンド採取地へ物資を運ぶため出発した。
DIA-602-1973-11-07-1ソ連1973年11月07日1970年代バム=トゥインダ鉄道建設,40キロメートル進む。
DIA-602-1973-11-12-1ソ連1973年11月12日1970年代クズネツ製鉄所第5平炉,本年32万5000トンの粗鋼生産。
DIA-602-1973-11-12-2ソ連1973年11月12日1970年代ソ連・イスラエル国交,1967年断絶後,ようやく復交か。
DIA-602-1973-11-12-3ソ連1973年11月12日1970年代ソ連軍事顧問団3,000入,エジプト入りと英紙報道。
DIA-602-1973-11-12-4ソ連1973年11月12日1970年代パレスチナ・ゲリラ統一代表団,ソ連へ。
DIA-602-1973-11-15-1ソ連1973年11月15日1970年代オビ河航行シーズン終了。本年300万トンの実績
DIA-602-1973-11-15-2ソ連1973年11月15日1970年代ソ連のアラブへの武器援助急増とイスラエル発表。
DIA-602-1973-11-18-1ソ連1973年11月18日1970年代エルマク=オムスク間50万ボルト送電線完成。
DIA-602-1973-11-18-2ソ連1973年11月18日1970年代ワニノ=ホルムスク間鉄道フェリー300回目のホルムスク入港-開通以来5ヵ月で300回の航海を行なったフェリーは,数万トンの貨物と2万7000人の旅客を運んだ。
DIA-602-1973-11-19-1ソ連1973年11月19日1970年代米宇宙飛行士,ソ連で訓練開始。
DIA-602-1973-11-20-1ソ連1973年11月20日1970年代ナホトカ港の荷役,11,12の2ヵ月で約110万トンの予定。
DIA-602-1973-11-21-1ソ連1973年11月21日1970年代ナホトカへ日本向けコンテナー列車,レニングラードから初めて到着-今後5日おきに定期的に到着の予定。
DIA-602-1973-11-22-1ソ連1973年11月22日1970年代サハロフ氏夫人,秘密警察の脅迫を拒絶。
DIA-602-1973-11-24-1ソ連1973年11月24日1970年代パレスチナ・ゲリラ訪ソ団,帰国の途につく。
DIA-602-1973-11-25-1ソ連1973年11月25日1970年代福田蔵相の再登場にソ連当局,関心を示す。
DIA-602-1973-11-26-1ソ連1973年11月26日1970年代ブレジネフ書記長,インド公式訪問,両国首脳会談。
DIA-602-1973-12-02-1ソ連1973年12月02日1970年代エジプト大統領,米ソ大使と会談。
DIA-602-1973-12-05-1ソ連1973年12月05日1970年代ソ連,世界共産党会議,来年開催で各国党に打診中。
DIA-602-1973-12-05-2ソ連1973年12月05日1970年代英ソ協力協定締結。
DIA-602-1973-12-09-1ソ連1973年12月09日1970年代ソ連,オランダへ石油輸出か。
DIA-602-1973-12-10-1ソ連1973年12月10日1970年代党中央委総会開く-ソ連共産党中央委員会の定例総会が10日モスクワで開かれ,バイバコフ・ゴスプラン(国家計画委員会)議長が74年度ソ連国民経済発展計画について,また,ガルブゾフ蔵相が74年度国家予算について報告した。またブレジネフ書記長が長大な演説を行なった。バイバコフ議長は報告の中で,73年度の工業生産は約7.4%増(計画では5.8%増)であったこと,穀物生産は史上最高の2億1500万トン(計画では1億9400万トン)であったことなどを述べた。
DIA-602-1973-12-10-2ソ連1973年12月10日1970年代ロケット打ち上げ一部中止,日本へ回答-政府はソ連が5日から15日間にわたり西太平洋8カ所で行なう気象ロケット打ち上げ計画のうち,4カ所についてマグロ漁業北米航空路の障害になるとして中止を要請していたが,10日モスクワの日本大使館を通じて2カ所で打ち上げを実施,他の2カ所の打ち上げを中止すると回答してきた。
DIA-602-1973-12-11-1ソ連1973年12月11日1970年代サハロフ博士夫妻が病院へ-ソ連の物理学者アンドレイ・サハロフ博士に近い筋は11日,同博士と夫人がそれぞれ高血圧と視力障害という名目で10月モスクワの病院に連れていかれたと述べた。
DIA-602-1973-12-12-1ソ連1973年12月12日1970年代最高会議開幕-最高ソビエトは12日午前10時からクレムリンで民族会議と連邦会議を別-に開いたあと,合同会議で1973年経済発展実績と74年度計画についてバイバコフ国家計画委員会議長の報告をうけ,続いてガルブゾフ蔵相が74年度国家予算の報告を行なった。
DIA-602-1973-12-12-2ソ連1973年12月12日1970年代バイバコフ報告概要-73年度の農業生産は2億2000万トンを記録し,工業生産は7.3%の増加率を見込まれている。74年計画では工業生産を前年対比6.8%増とし,消費材の伸びを生産財の伸びより大きくする方針にかえる。石油生産は7%増を見込む。また73年の石油生産量は4億2850万トンであった(前年対比7.5%増)。
DIA-602-1973-12-12-3ソ連1973年12月12日1970年代ガルブゾフ報告概要-74年度国家予算案は,歳出1939億ルーブルとし,国防費は176億ルーブルとする(予算の9%)。
DIA-602-1973-12-12-4ソ連1973年12月12日1970年代国防費への疑問多し-ソ連が現在進めている大規標な軍備拡張,多目標弾頭弾の開発装備,空母の建造,中東その他への武器援助などが,発表の予算内で実施され得るはずはなく,多額の“かくし予算”がいろいろな名目で他の部門にかくされていることは世界の常識とされている。
DIA-602-1973-12-14-1ソ連1973年12月14日1970年代ソ連最高会議終わる-ソ連最高会議は14日,74年度経済発展計画を満場一致で承認,74年度国家予算案を承認した。最高会議は3日間にわたり,閣僚会議提出の両案を討議した結果,いずれも原案に修正を加えた。採択された経済発展計画と予算案の主な内容は次のとおり。○イ経済計画=①国民所得の成長率は73年度に比べ6.5%増,②工業生産の増加率は6.8%,消費財生産については7.5%と重点を置く,③工業の労働生産性向上は6%。○ロ予算案=歳入1943億86万6000ルーブル,歳出1940億8801万ルーブル,歳入超過2億1285万6000ルーブル。
DIA-602-1973-12-14-2ソ連1973年12月14日1970年代セミパラチンスクで地下核実験。
DIA-602-1973-12-16-1ソ連1973年12月16日1970年代『プラウダ』紙,集団農場の再編成を報ず。
DIA-602-1973-12-16-2ソ連1973年12月16日1970年代ソ連紙,防衛庁非難-17日夜の政府機関紙『イズベスチヤ』はソ連を仮想敵国としたいわゆる防衛庁文書を取り上げて「日ソ間の経済協力に不信感を植えつけようとする政治屋がいる」と楢崎社会党議員と山中防衛庁長官による国会でのやりとりを紹介した。
DIA-602-1973-12-19-1ソ連1973年12月19日1970年代グロムイコ外相,中東和平会議出席のためジュネーブ入り。
DIA-602-1973-12-20-1ソ連1973年12月20日1970年代TU 124旅客機,モスクワ=ビリニュス間で墜落,死傷者公表されず。
DIA-602-1974-01-01-1ソ連1974年01月01日1970年代KGB 議長警告-アンドロポフ・ソ連国家保安委員会(KGB)議長はソ連邦エストニア共和国の党・政府指導者に対する演説で「対西側緊張緩和外交は限界と危険性がある」と警告した。
DIA-602-1974-01-01-2ソ連1974年01月01日1970年代1973年のチュメニ油田-1973年には,石油の日産量で西シベリアはソ連第1位に進出した。1973年には西シベリアはタタールの油田を追越し原油1億1620万トンを採取するだろう。そのうちサモトロールの産出量は6000万トンになろうとプラウダ紙は報じた。
DIA-602-1974-01-02-1ソ連1974年01月02日1970年代ソ連駐印大使にビクトル・マルツェフ任命。
DIA-602-1974-01-02-2ソ連1974年01月02日1970年代ソルジェニツィン氏を非難,タス通信。
DIA-602-1974-01-02-3ソ連1974年01月02日1970年代ザバイカル道鉄100キロメートル電化終る-プラウダ紙によれば,チタ駅から最初の電化列車が石炭と木材を積載して東に向かい出発した。
DIA-602-1974-01-03-1ソ連1974年01月03日1970年代アンガラ川の電力資源開発-ウスチ・イリム水力発電所建設では,今年中の最初の発電機(複数)が操業にはいる運びになっている。ブラーツクからウスチ・イリムスカヤまで送電線建設は山や川,湖を越え1300本の支柱をたてて進んでいる。
DIA-602-1974-01-04-1ソ連1974年01月04日1970年代逮捕も覚悟,とソルジェニーツィン氏語る-ソルジェニツィン氏は,ソ連の秘密警察,強制収容所の実態を暴露した新作「収容所列島」の国外出版に踏み切ったことで,逮捕を覚悟していることが4日明らかにされた。
DIA-602-1974-01-04-2ソ連1974年01月04日1970年代1973年のソ連出国ユダヤ人数3万5000人に達す。
DIA-602-1974-01-05-1ソ連1974年01月05日1970年代アムール河横断氷上鉄道運行開始。
DIA-602-1974-01-10-1ソ連1974年01月10日1970年代シリアにソ連製ミサイル配備。
DIA-602-1974-01-11-1ソ連1974年01月11日1970年代澄田輸銀総裁,ヤクート開発の対ソ,バンクローンで米国と条件協議と語る。
DIA-602-1974-01-11-2ソ連1974年01月11日1970年代プラウダ紙,田中首相の東南アジア訪問を論評。
DIA-602-1974-01-13-1ソ連1974年01月13日1970年代ビリビノ原子力発電所第1発電機稼動-ソビエト・ロシア紙,ビリビノ通信によれば,チュコトカ民族管区のビリビノで建設中であった原子力発電所では,1月12日工業電力を発電しはじめた。出力は1万2000キロワットである。
DIA-602-1974-01-14-1ソ連1974年01月14日1970年代西シベリア製鉄所の第2転炉建設。
DIA-602-1974-01-18-1ソ連1974年01月18日1970年代《アンガルストロイ》の建設-《アンガルストロイ》(アンガラ建設)の作業隊は,昨年10月革命記念日を前にフレブトワヤ=ウスチ・イリムスカヤ間214キロメートルの鉄道を完成した。
DIA-602-1974-01-18-2ソ連1974年01月18日1970年代思想闘争強化を強調,スースロフ・ソ連政治局員。
DIA-602-1974-01-20-1ソ連1974年01月20日1970年代中国,ソ連大使館員5人を国外追放。
DIA-602-1974-01-21-1ソ連1974年01月21日1970年代大使館員追放でソ連,中国に抗議文。
DIA-602-1974-01-22-1ソ連1974年01月22日1970年代社会主義諸国党書記会議モスクワで開く。
DIA-602-1974-01-25-1ソ連1974年01月25日1970年代前年比45%増,73年の日ソ貿易総額。
DIA-602-1974-01-25-2ソ連1974年01月25日1970年代ソ連,エジプトに経済使節団。
DIA-602-1974-01-25-3ソ連1974年01月25日1970年代73年経済実績-ソ連統計局は25日,昨年の国民経済計画遂行実績を発表,工業生産は目標の5.8%に対し,7.4%,農業は前年度に比べ14%それぞれ増大し,また国民所得は目標の6%に対し,6.8%増大した。発表の具体的内容は次のとおり。①主要工業生産の大部分は計画を超過達成,特に電子工業,化学工業,機械製造,建設資材工業は高い成長率をみせた。②工業の労働生産性は6%増で,これによって生産増大の82%が確保された。③個々の生産高は電力9150億キロワット時(7%増),石油4億2100万トン,ガス2360億立方メートル(7%増),石炭6億6000万トン(2%増),鉄鋼1億3100万トン(5%増),鉱物肥料7230万トン(9%増)である。④穀物生産は2億2250万トンという記録的豊作で,このうち小麦は1億0970万トン,トウモロコシは1340万トン,米は180万トンの実績を上げた。⑤国民所得は約3330億ルーブルで,このうち労働者,勤務員給与は3.7%,コルホーズ員(農民)は5.9%増大した。最低賃金は月間70ルーブルに達した。
DIA-602-1974-01-28-1ソ連1974年01月28日1970年代日ソ漁業専門家会議開かる。
DIA-602-1974-01-28-2ソ連1974年01月28日1970年代ソ連,MIRVを実戦化と米国防総省発表。
DIA-602-1974-01-28-3ソ連1974年01月28日1970年代ブレジネフ書記長キューバへ。
DIA-602-1974-01-30-1ソ連1974年01月30日1970年代ノボシビルスク市内の交通難-プラウダ紙編集部は,ノボシビルスク市内の旅客輸送の不良について沢山の投書を受けとっている。このように激しい苦情の殺到は他の都市ではみられない。新しい住宅地が急速に発展しているのに,バスはかえって少ししか動かなくなったので,通勤ラッシュアワーは死にものぐるいで,バスもトロールバスも次々と満員で,押された横腹が長く痛むなどの苦情が寄せられている。
DIA-602-1974-02-03-1ソ連1974年02月03日1970年代ソ連外相,ニクソン米大統領と会談。
DIA-602-1974-02-04-1ソ連1974年02月04日1970年代ソ連・キューバ宣言発表-タス通信は,去る2日ハバナで,プレジネフ・ソ連共産党書記長とカストロ・キューバ共産党第1書記兼首相によって調印された「ソ連・キューバ宣言」の内容を伝えた。
DIA-602-1974-02-06-1ソ連1974年02月06日1970年代新交換レート-ソ連国立銀行は6日,各国通貨の新交換レートを発表した。新交換レートは次のとおり(カッコ内は1月初めに発表されたレート)。1004西独マルク=27.95ルーブル(28.79ルーブル) 100米ドル=79.00ルーブル(75.36ルーブル) 1000円=2.63ルーブル(2.67ルーブル)。
DIA-602-1974-02-06-2ソ連1974年02月06日1970年代「収容所列島」を擁護,ソ連の反体制歴史学者メドベージェフ。
DIA-602-1974-02-09-1ソ連1974年02月09日1970年代中ソ戦争の可能性と英軍事専門誌-英国の軍事問題専門紙「アーミー・クオータリー」は9日,「中ソ国境線に両国が過去1年間配置した兵力の展開ぶりからみて,今年夏にも中ソ戦争がぼっ発する可能性がある」と論評した。
DIA-602-1974-02-12-1ソ連1974年02月12日1970年代ソルジェニーツィン氏逮捕さる。
DIA-602-1974-02-12-2ソ連1974年02月12日1970年代即時釈放をソ連に要求,国際ペンクラプ。
DIA-602-1974-02-13-1ソ連1974年02月13日1970年代ソルジェニーツィンの市民権剥奪,国外追放,家族の出国認めるとタス通信発表。
DIA-602-1974-02-13-2ソ連1974年02月13日1970年代ソルジェニーツィン氏,アエロフロート機でソ連官憲と共に西独フランクフルトに到着-西独外務省差し回しの車でボンの西方アイフェル山中ランゲンブロイヒ村に住む72年度ノーベル文学賞作家ハインリッヒ・ベル氏の山荘に入り,5分間記者会見した。
DIA-602-1974-02-13-3ソ連1974年02月13日1970年代ソルジェニーツィン逮捕は全世界への侮辱とサハロフ博士語る。
DIA-602-1974-02-13-4ソ連1974年02月13日1970年代日本の知識人,抗議声明出す。
DIA-602-1974-02-13-5ソ連1974年02月13日1970年代ソ連の反体制派が当局非難-ソルジェニーツィン氏を弁護するソ連の反体制知識人グループは13日,ソ連当局を激しく非難する声明を発表した。
DIA-602-1974-02-13-6ソ連1974年02月13日1970年代ソルジェニーツィン氏逮捕,西欧各界に衝撃。
DIA-602-1974-02-15-1ソ連1974年02月15日1970年代ソルジェニーツィン氏追放,仏共産党が支持,イタリア共産党は非難。
DIA-602-1974-02-17-1ソ連1974年02月17日1970年代ソ氏支持の作家に警告,作家同盟から除名。
DIA-602-1974-02-17-2ソ連1974年02月17日1970年代ソルジェニーツィン氏にスイスが永住ビザ。
DIA-602-1974-02-18-1ソ連1974年02月18日1970年代仏の石油外交支援とグロムイコ外相語る。
DIA-602-1974-02-26-1ソ連1974年02月26日1970年代チュコト民族管区に新地区創設-ロシア共和国最高会議幹部会議令によって,このほどチュコト民族管区に,もうひとつの新しい地区としてシミットフスキー地区が創設された。
DIA-602-1974-02-27-1ソ連1974年02月27日1970年代シリア大統領と会見,ソ連外相-ソ連のグロムイコ外相は,キッシンジャー長官がイスラエルに向けダマスカスを離れたあと,入れ代わりに27日突然,シリアを訪問,アサド大統領と会見した。
DIA-602-1974-03-01-1ソ連1974年03月01日1970年代対ソ貿易,米,輸出でトップ,輸入は2年連続日本-73年の非共産圏諸国の対ソ貿易は輸出では米国の輸出が11億9000万ドルで,西独(11億5300万ドル)を抜いて1位となり,輸入は日本が10億7800万ドルと前年に続いて首位となった。往復貿易高では西独が18億9100万ドルと2年ぶりに首位に返り咲いた。
DIA-602-1974-03-02-1ソ連1974年03月02日1970年代マガダン飛行場完成-プラウダ紙によれば,マガダン市に毎日1万人の来客を輸送できる新しい航空ターミナルが完成した。
DIA-602-1974-03-03-1ソ連1974年03月03日1970年代ドイツ系市民が反政府デモ,エストニア共和国タリン市で。
DIA-602-1974-03-04-1ソ連1974年03月04日1970年代ユダヤ人70人を逮捕-16人のユダヤ系ソ連人が署名した“公開状”によると,ソ連当局はモスクワでユダヤ人によるデモ計画を阻止するため,2月28日と3月1日の2日間,国内の数都市で70人を逮捕した。
DIA-602-1974-03-09-1ソ連1974年03月09日1970年代サモトロール-アレクサンドロフスコエ間石油パイプライン着工。
DIA-602-1974-03-14-1ソ連1974年03月14日1970年代ソ連,金放出昨年は280トン。
DIA-602-1974-03-15-1ソ連1974年03月15日1970年代ブレジネフ書記長アルマ・アタ着。
DIA-602-1974-03-16-1ソ連1974年03月16日1970年代ソルジェニーツィンの全作品,図書館から撤去指示。
DIA-602-1974-03-17-1ソ連1974年03月17日1970年代グラゴベシチェンスクヘウクラィナ,白ロシアから農業移民到着。
DIA-602-1974-03-18-1ソ連1974年03月18日1970年代リトビノフ氏,ソ連を去る。
DIA-602-1974-03-22-1ソ連1974年03月22日1970年代ゼーヤ水力発電所建設状況-プラウダ紙によれば,アムール州で建設中のゼーヤ水力発電所では基礎に50万m3のコンクリートが打込まれ,発電所建物にもコンクリートが打込まれた。
DIA-602-1974-03-22-2ソ連1974年03月22日1970年代ソ連首相と会議,日ソ経済合同委代表団。
DIA-602-1974-03-23-1ソ連1974年03月23日1970年代日ソのカニ交渉日本側が大幅譲歩。
DIA-602-1974-03-24-1ソ連1974年03月24日1970年代対中国予防戦争ソ連の準備進む,と東欧情報,伊紙が紹介-24日付のイタリア紙「イル・グロボ」は信頼できる東欧筋の談として,さる14日に中国領内に不時着したソ連のヘリコプターも KGB(ソ連国家保安委員会)の空中偵察部に所属し,モンゴルのアルタイ山脈と新疆地区の接点でスパイ活動を行なっていたとみられると伝えた。この東欧筋によると,ソ連指導者内には予防戦争について2つの考え方があり,1つは早期予防戦争賛成論で「現在の軍事力の優位により,ソ連は一撃のもとに中国のミサイル基地,爆撃機基地,蘭州近くの原子力施設,核実験場を破壊できる」という見方である。第2のグループはこの作戦の政治的“代価”および国際共産主義運動に与えるはね返りを恐れ,毛沢東主席以後まで待ち,その虚に乗じて北京内部の親ソ的傾向の助長の道を選ぼうとしているという。
DIA-602-1974-03-25-1ソ連1974年03月25日1970年代ブレジネフ・キッシンジャー会談モスクワで始まる。
DIA-602-1974-03-26-1ソ連1974年03月26日1970年代ソ連,出光興産へ対日原油輪出断る-出光興産が26日明らかにしたところによると,ソ連石油輸出公団との間で進めていた49年のソ連原油の輸入交渉が不調に終わり,輸入期待できない見通しになった。ソ連側は,これまでチュメニ原油を日本向け積み出し港のナホトカまで貨車輸送していたが,最近,チュメニから東欧圏への供給に便利なソ連西部地域へのパイプラインが完成,極東への輸送コストが割高になるので,日本向け輸出のメリットがないこと,さらに,ソ連が従来中東産油国から購入し東欧圏に供給していた分を,先ごろの中東原油の大幅値上げ以来,ソ連国内産のものに切り替えたなどの理由により,対日輸出の余力が少なくなったためとみられる。
DIA-602-1974-03-27-1ソ連1974年03月27日1970年代米ソモスクワ会談終わる。
DIA-602-1974-03-27-2ソ連1974年03月27日1970年代政治局緊急会議-訪ソ中のキッシンジャー米国務長官とブレジネフ・ソ連共産党書記長の3回目の会談は27日午前11時(日本時間同日午後5時),クレムリンで開かれる予定だったが,ソ連側が同目,共産党政治局の緊急会議を開いたため延期された。
DIA-602-1974-03-28-1ソ連1974年03月28日1970年代チュメニ開発,バム新線,81年に間に合わず。
DIA-602-1974-03-29-1ソ連1974年03月29日1970年代ソ連「中東10月戦争」で謀略行動とサダト大統領が暴露。
DIA-602-1974-03-29-2ソ連1974年03月29日1970年代SALT失敗はソ連軍部の圧力。
DIA-602-1974-03-29-3ソ連1974年03月29日1970年代シベリア開発慎重にと外務省確認。
DIA-602-1974-03-29-4ソ連1974年03月29日1970年代西カムチャッカのタラバ,全面禁漁を提示。
DIA-602-1974-03-29-5ソ連1974年03月29日1970年代ユダヤ人援護委員会の英議員ら4人のソ連入国を拒否。
DIA-602-1974-03-31-1ソ連1974年03月31日1970年代ソ連,再びナホトカ精油所建設で日本へ協力を要請。
DIA-602-1974-03-31-2ソ連1974年03月31日1970年代ソ連外務省スースロフ第2欧州部長,豪州入り。
DIA-602-1974-04-01-1ソ連1974年04月01日1970年代樺太の原発構想,京浜まで長距離送電。
DIA-602-1974-04-01-2ソ連1974年04月01日1970年代豪州に共同科学基地をとソ連が提案。
DIA-602-1974-04-02-1ソ連1974年04月02日1970年代政府,対策申し入れへ。日本近海のソ連サバ漁-ソ連漁船団が,伊豆沖でサバ漁獲を始めたり,日本近海でわが国の漁業用具などに大きな被害を与えているので,政府は近くソ連に対し,日ソ専門家会議を開いて対策を話し合うよう申し入れることにした。
DIA-602-1974-04-02-2ソ連1974年04月02日1970年代チュメニ開発への“借款”ソ連31億ドルを日本に要求。
DIA-602-1974-04-03-1ソ連1974年04月03日1970年代石油生産-3日のタス通信によると,ソ連の今年1月から3月までの石油生産高は,昨年同期に比較して8.2%増の1億1000万トンを記録した。
DIA-602-1974-04-03-2ソ連1974年04月03日1970年代駐エジプト大使を更迭。
DIA-602-1974-04-03-3ソ連1974年04月03日1970年代損害賠償申し入れ,ソ連へ4年間の日本漁船の漁具被害。
DIA-602-1974-04-04-1ソ連1974年04月04日1970年代農業開発15年計画-「ロシア共和国非黒土地帯農業開発措置」計画で,350億ルーブル(約450億ドル)の巨費を投入,これまでソ連農業の本拠となってきた「南」の黒土地帯に対して「北」の農業開発をしようというもの。
DIA-602-1974-04-04-2ソ連1974年04月04日1970年代ソ連学生代表エジプトから抗議の帰国。
DIA-602-1974-04-05-1ソ連1974年04月05日1970年代対日石油2500万トンは11年後からチュメニ石油を供給。
DIA-602-1974-04-05-2ソ連1974年04月05日1970年代ソ連首相と田中首相会見-故ポンピドー仏大統領の葬儀に列席のため,パリに向かう田中首相を乗せた特別機は5日午後3時15分(日本時間同9時15分),給油のためモスクワ・シェレメチェボ空港に着いた。ソ連側からコスイギン首相,フィリュービン外務次官らが出迎えた。田中首相は出発までの約1時間,空港内の貴賓室でコスイギン首相と話合った。
DIA-602-1974-04-05-3ソ連1974年04月05日1970年代第2シベリア鉄道建設,日本の協力とは無関係と駐日ソ連大使が強調。
DIA-602-1974-04-05-4ソ連1974年04月05日1970年代チュメニ原油は鉄道輸送に転換と,植村,永野氏語る。
DIA-602-1974-04-10-1ソ連1974年04月10日1970年代海洋調査船《ドミトリ・メンデレエフ》号太平洋,インド洋で活動。
DIA-602-1974-04-13-1ソ連1974年04月13日1970年代キルギズの農業-昨年キルギス共和国の農民は120万トン以上の穀物を収穫した。
DIA-602-1974-04-13-2ソ連1974年04月13日1970年代タジキスタン今年の農業-ヘクタール当り2.3トンの綿花を収穫。
DIA-602-1974-04-13-3ソ連1974年04月13日1970年代ソ連・シリア共同声明モスクワで調印。
DIA-602-1974-04-14-1ソ連1974年04月14日1970年代ソルジェニーツィン氏書簡は空想的とサハロフ博士非難。
DIA-602-1974-04-15-1ソ連1974年04月15日1970年代10年間に石油生産3億トン,チュメニ油田。
DIA-602-1974-04-16-1ソ連1974年04月16日1970年代住民避難計画検討再開,米国防省,ソ連の核攻撃に備え。
DIA-602-1974-04-17-1ソ連1974年04月17日1970年代反体制作家ネクラーソフ氏を拘留,ソ連当局,一夜で釈放。
DIA-602-1974-04-18-1ソ連1974年04月18日1970年代激しくソ連を非難,「武器は,他国から購入する」とサダト大統領。
DIA-602-1974-04-18-2ソ連1974年04月18日1970年代ワルシャワ会議,声明を発表し開幕。
DIA-602-1974-04-22-1ソ連1974年04月22日1970年代第2シベリア鉄道はソ連の自力でとアルヒーモフ次官語る。
DIA-602-1974-04-22-2ソ連1974年04月22日1970年代訪ソのケネディ議員,大統領級の扱い。
DIA-602-1974-04-22-3ソ連1974年04月22日1970年代シベリア開発,対ソ銀行借款きょう調印。
DIA-602-1974-04-22-4ソ連1974年04月22日1970年代ソ連の攻撃避けチベットに中国が新核実験場と英紙が報道。
DIA-602-1974-04-23-1ソ連1974年04月23日1970年代日本政府,米不参加決まればチュメニは断念か。
DIA-602-1974-04-24-1ソ連1974年04月24日1970年代ソ連の穀物作付け遅れる。
DIA-602-1974-04-24-2ソ連1974年04月24日1970年代ブ書記長,石田博英氏と会談。
DIA-602-1974-04-25-1ソ連1974年04月25日1970年代石田氏帰国談-自民党の石田博英代議士(日ソ議員連盟会長)は25日午前11時30分羽田着日航機で帰国した。この後空港内で記者会見し,ソ連側は第2シベリア鉄道の建設問題について日本が軍事的・政略的に扱っていることに対し強く反発していたとのべた。
DIA-602-1974-04-26-1ソ連1974年04月26日1970年代ポラリス潜水艦探知衛星。
DIA-602-1974-04-26-2ソ連1974年04月26日1970年代サハリン大陸ダナの探鉱も,日本1億ドルの機材提供。
DIA-602-1974-04-26-3ソ連1974年04月26日1970年代ヤクート天然ガス開発・探鉱促進に調印。
DIA-602-1974-04-27-1ソ連1974年04月27日1970年代旅客機レニングラードで墜落,死者100人以上。
DIA-602-1974-04-29-1ソ連1974年04月29日1970年代バイカル=アムール鉄道建設に参加するコムソモル建設隊-4月27日夜遅く,モスクワのヤロスラヴスキー駅から,作業着に新建設の記章をつけた600人以上の青年建設隊がバム鉄道建設に向かった。
DIA-602-1974-04-30-1ソ連1974年04月30日1970年代西シベリア製鉄所で大型転炉稼働。
DIA-602-1974-04-30-2ソ連1974年04月30日1970年代南ヤクート原料炭,日ソ開発覚書に調印。
DIA-602-1974-05-02-1ソ連1974年05月02日1970年代科学アカデミー祝賀行事,説明もなしに中止,海外向け招待状も取り消し。
DIA-602-1974-05-05-1ソ連1974年05月05日1970年代ソ連工業の第1四半期-今年度第1四半期統計によれば,工業生産は昨年同期比8.3%増で,昨年の対前年伸び率7.3%を上回った。しかし,部門別でみると,化学・石油化学や機械製作・金属加工などの昨年同期比14%増に対し軽工業は4%増と,重,軽工業両部門間の跛行化が昨年より一段と目立っている。
DIA-602-1974-05-06-1ソ連1974年05月06日1970年代ヤクートのアルダンの採金シーズン。
DIA-602-1974-05-07-1ソ連1974年05月07日1970年代コンブ協定延長,日ソ1年間合意。
DIA-602-1974-05-10-1ソ連1974年05月10日1970年代バイカル=アムール鉄道建設のため水気象(積雪,雪崩,雪解け,凍結等)調査計画。
DIA-602-1974-05-11-1ソ連1974年05月11日1970年代ソ連貿易次官が訪中,貿易議定書調印。
DIA-602-1974-05-11-2ソ連1974年05月11日1970年代ソ連,ナチスの戦犯ヘス釈放の要求を非難。
DIA-602-1974-05-12-1ソ連1974年05月12日1970年代反体制派紙が再刊。
DIA-602-1974-05-12-2ソ連1974年05月12日1970年代ソ連,天候不順で農民に呼びかけ。
DIA-602-1974-05-13-1ソ連1974年05月13日1970年代北洋水域の罰金徴収事件,政府,ソ連に抗議。
DIA-602-1974-05-13-2ソ連1974年05月13日1970年代ソ連文相一行が来日。
DIA-602-1974-05-13-3ソ連1974年05月13日1970年代「建設に協力は困難」とサハリン原発,ソ連側に回答。
DIA-602-1974-05-14-1ソ連1974年05月14日1970年代ウラジウォストークから北方航路開始-ウラジウォストークの金角湾からアナドウィル湾へ砕氷船《モスクワ》号が出港した。
DIA-602-1974-05-14-2ソ連1974年05月14日1970年代ソルジェニーツィン氏の協力者に5年間強制労働,2年間流刑の有罪判決。
DIA-602-1974-05-17-1ソ連1974年05月17日1970年代高騰するソ連産石油代金。
DIA-602-1974-05-20-1ソ連1974年05月20日1970年代レナ川航行開始。
DIA-602-1974-05-20-2ソ連1974年05月20日1970年代ソ連,昨年の貿易20%増。
DIA-602-1974-05-22-1ソ連1974年05月22日1970年代パミール高山地区への自動車輸送開始。
DIA-602-1974-05-23-1ソ連1974年05月23日1970年代マガダン州の冬季自動車運輸終了-本日マガダン州の冬季自動車道による運輸シーズンは終了した。最後の自動車は貨物を積んで北氷洋岸沿いに走り,ムィス・シミット,ポリャルスイおよびレニングラードスキーの鉱山労働者村を結ぶ雪道を通過した。今年コルイマとチュコトカでは3500kmの冬季道が活動した。厳冬と吹雪の困難を克服して遠い住民地へ54万トン以上の各種貨物を運んだ。まもなく地極の夜に代って昼が来り,ツンドラは通れなくなる。
DIA-602-1974-05-23-2ソ連1974年05月23日1970年代アンガラ川上流航行始まる。
DIA-602-1974-05-24-1ソ連1974年05月24日1970年代ソ連・西独鉄鋼所建設で調印。
DIA-602-1974-05-27-1ソ連1974年05月27日1970年代イルトゥイシ川,今年の航行開始。
DIA-602-1974-05-27-2ソ連1974年05月27日1970年代ソ連石油相“まだ日ソ間にチユメニ石油の交渉はない”と語る-ソ連のワレンチン・シャシン石油相は27日,モスクワ駐在のアメリカ人記者団との会見で,チュメニ油田の日ソ共同開発について「石油の取引については日本との間に何らの交渉も行なわれていない。日本側は交渉があったと思っているかもしれないが,私に関する限り何ら会談はなかった」と発言して注目された。
DIA-602-1974-05-28-1ソ連1974年05月28日1970年代ソ連の文化相解任か。
DIA-602-1974-05-28-2ソ連1974年05月28日1970年代シベリア開発計画「第2鉄道」が中核,8~10年に625億ドル。
DIA-602-1974-05-28-3ソ連1974年05月28日1970年代作家ネクラーソフ氏,ソ連映画同盟を除名。
DIA-602-1974-05-30-1ソ連1974年05月30日1970年代ソ連の音楽家3人,長期の国外滞在希望。
DIA-602-1974-05-31-1ソ連1974年05月31日1970年代タス通信がシャシン発言を否定。
DIA-602-1974-05-31-2ソ連1974年05月31日1970年代ソ連最大級の地下核実験-ノルウェー地震研究所は31日,ソ連が同日未明,カザフ共和国東部の地下実験場で核爆発実験を行なったと発表した。
DIA-602-1974-05-31-3ソ連1974年05月31日1970年代国境河川航行は中国の権利,中国外務省ソ連に反論。
DIA-602-1974-06-01-1ソ連1974年06月01日1970年代15日から爆撃演習,南サハリン西方,2水域でとソ連が通告。
DIA-602-1974-06-01-2ソ連1974年06月01日1970年代アムール州の大豆作付-アムール州の農民は,大豆を50万ヘクタールに,5月中旬に大部分をまき終わった。
DIA-602-1974-06-02-1ソ連1974年06月02日1970年代トルクメン共和国農作物の取入れ始まる。
DIA-602-1974-06-03-1ソ連1974年06月03日1970年代バイカロ=アムールスカヤ幹線鉄道建設ニュース-バイカロ=アムールスカヤ幹線鉄道西部地域の中ほどへ今日州の最初のコムソモル突撃建設隊が到着した。バム鉄道建設志願者は非常に多いが,厳選されている。
DIA-602-1974-06-03-2ソ連1974年06月03日1970年代バイカロ=アムールスカヤ幹線鉄道建設にオムスク大学生参加。
DIA-602-1974-06-04-1ソ連1974年06月04日1970年代アムール川の支流ブゥレヤ川に水力発電所建設計画。
DIA-602-1974-06-07-1ソ連1974年06月07日1970年代石油輸出,73年度,10億ドルの増収-73年のソ連原油輸出量は1億1800万トンと前年に比べ5%増にすぎなかったのに対し,収入の方は前年の21億9000万ドルから31億7000万ドルと45%の大幅増を記録した。
DIA-602-1974-06-07-2ソ連1974年06月07日1970年代中東からのソ連排除考えずとキッシンジャー長官記者会見。
DIA-602-1974-06-07-3ソ連1974年06月07日1970年代税の二重取り避ける租税条約,日ソ間でも締結交渉。
DIA-602-1974-06-08-1ソ連1974年06月08日1970年代チュメニ油田の現況-西シベリアの油田は,今年のはじめから4600万トンの原油を採取した。
DIA-602-1974-06-11-1ソ連1974年06月11日1970年代ハバロフスク地方の林業と森林鉄道建設-オボール村(ハバロフスク地方)のスゥクパイ川流域の豊富な森林資源に向かって木材輸送鉄道の建設がはじまった。そこには2億m3以上のエゾ松,トド松,ベニ松が集中している。
DIA-602-1974-06-12-1ソ連1974年06月12日1970年代駐日ソ連大使を更迭。
DIA-602-1974-06-13-1ソ連1974年06月13日1970年代バイカロ=アムールスカヤ鉄道建設ニュース-クズネック製鉄コンビナートの圧延工場はバイカロ=アムールスカヤ幹線鉄道建設用として約5000トンのレールをすでに製造した。
DIA-602-1974-06-14-1ソ連1974年06月14日1970年代サモトロール油田総計1億トンを産出-サモトロール油田は営業開始以来1億トンの原油を出した。
DIA-602-1974-06-18-1ソ連1974年06月18日1970年代ヤクート採金業50周年記念行事。
DIA-602-1974-06-19-1ソ連1974年06月19日1970年代ジューコフ元帥死去を確認。
DIA-602-1974-06-20-1ソ連1974年06月20日1970年代第三世界の主導ねらうと,ソ連放送中国非難。
DIA-602-1974-06-21-1ソ連1974年06月21日1970年代年4万5000人許可,ユダヤ人出国でソ連確約。
DIA-602-1974-06-21-2ソ連1974年06月21日1970年代72年にキ長官“対ソ秘密協定”核ミサイルで譲歩か。
DIA-602-1974-06-21-3ソ連1974年06月21日1970年代鉄鋼3閣僚非難さる。
DIA-602-1974-06-22-1ソ連1974年06月22日1970年代ニクソン訪ソ前にユダヤ人40人拘留。
DIA-602-1974-06-22-2ソ連1974年06月22日1970年代ユダヤ人移住問題討議か,米ソ首脳会議。
DIA-602-1974-06-22-3ソ連1974年06月22日1970年代コメコン会議閉幕。
DIA-602-1974-06-23-1ソ連1974年06月23日1970年代ソ連科学アカデミーのバイカロ=アムール鉄道調査調整センタ-―ソ連科学アカデミー東シベリア支部はバイカロ=アムールスカヤ鉄道経路に関する学者の調査調整センターを創った。
DIA-602-1974-06-25-1ソ連1974年06月25日1970年代中国が対日干渉,ソ連紙が非難。
DIA-602-1974-06-26-1ソ連1974年06月26日1970年代MIRV ソ連近く実戦配備。
DIA-602-1974-06-26-2ソ連1974年06月26日1970年代グリゴレンコ,元将軍5年ぶりに釈放-反体制活動のため精神病院に収容されたグリゴレンコ元将軍は,1969年5月に,クリミアへの帰還を求めるタタール人の運動を支援したかどでタシケントで逮捕された。その後「精神異常」との宣告を受け,何カ所かの精神病院に収容されていた。
DIA-602-1974-06-28-1ソ連1974年06月28日1970年代インドネシア原子力開発,ソ連,東欧協力受け入れる。
DIA-602-1974-06-28-2ソ連1974年06月28日1970年代アルゼンチン,対米自立へソ連と接近-ブエノスアイレス市内には,30人を越すソ連経済・技術専門家が次々に訪れ,さる5月両国が結んだ経済協力協定(6億ドル)のプロジェクトを協議している。最大のプロジェクトはラプラタ川上流のサント・グランデ水力発電所建設。このほか35万キロワットの火力発電所をブエノスアイレス郊外に造るなどである。
DIA-602-1974-06-28-3ソ連1974年06月28日1970年代ソ連「200カイリ」認める,海洋法会議。
DIA-602-1974-06-28-4ソ連1974年06月28日1970年代政治犯の釈放求めハンストを宣言,サハロフ博士。
DIA-602-1974-06-28-5ソ連1974年06月28日1970年代流体力学のレビッチ博士にもイスラエル移住許可。
DIA-602-1974-07-01-1ソ連1974年07月01日1970年代ソ連領内の原発建設,政府,協力拒否を通告。
DIA-602-1974-07-02-1ソ連1974年07月02日1970年代ニクソン大統領夫妻を迎えて,ブレジネフ書記長演説。
DIA-602-1974-07-02-2ソ連1974年07月02日1970年代中ソが非難応酬。
DIA-602-1974-07-02-3ソ連1974年07月02日1970年代米ソが核拡散防止訴え。
DIA-602-1974-07-02-4ソ連1974年07月02日1970年代サハロフ博士との米テレビ会見の宇宙中継妨害。
DIA-602-1974-07-03-1ソ連1974年07月03日1970年代米ソ,協定に調印-1週間にわたった米ソ首脳会談は,3日終日を迎え,共同声明のほか弾道迎撃ミサイル(ABM)制限,地下核実験制限,戦略兵器制限交渉(SALT II)の取り決めが調印された。
DIA-602-1974-07-03-2ソ連1974年07月03日1970年代MIRV 交渉不調。
DIA-602-1974-07-04-1ソ連1974年07月04日1970年代CIA 工作員がソ連に情報提供。
DIA-602-1974-07-04-2ソ連1974年07月04日1970年代ソ連学者また亡命-ジェンキンズ英内相は4日,ソ連の言語学者ウラジミル・ツァリュノフ教授(35歳)とワレンチナ婦人および子息のアレクサンドル君(8歳)に向こう1年間の滞在許可を与えると発表した。これは同教授一家に対する事実上の亡命許可である。
DIA-602-1974-07-06-1ソ連1974年07月06日1970年代捕鯨日ソ交渉中断。
DIA-602-1974-07-07-1ソ連1974年07月07日1970年代ソ連,日本に対し領土放棄を迫ると人民日報論評。
DIA-602-1974-07-07-2ソ連1974年07月07日1970年代北氷洋岸のチクシ港から日本へヤクートの木材輸送。
DIA-602-1974-07-10-1ソ連1974年07月10日1970年代レナ川木材筏輸送開始。
DIA-602-1974-07-10-2ソ連1974年07月10日1970年代タタール海峡鉄道フェリーの輸送量年100万トン。
DIA-602-1974-07-11-1ソ連1974年07月11日1970年代中国,不可侵協定提案も無視とソ連広報文書で暴露。
DIA-602-1974-07-11-2ソ連1974年07月11日1970年代ソ連,ソマリア友好協力協定締結。
DIA-602-1974-07-14-1ソ連1974年07月14日1970年代日本の参院選,プラウダ論評。
DIA-602-1974-07-14-2ソ連1974年07月14日1970年代党中央委,消費物資のおくれでウクライナ批判。
DIA-602-1974-07-15-1ソ連1974年07月15日1970年代性教育にソ連の母親が猛反撃。
DIA-602-1974-07-15-2ソ連1974年07月15日1970年代キプロスクーデターでソ連に衝撃。
DIA-602-1974-07-16-1ソ連1974年07月16日1970年代ハバロフスクからオホツク港へ直通航路。
DIA-602-1974-07-17-1ソ連1974年07月17日1970年代中国は日本を属扱いとプラウダが非難。
DIA-602-1974-07-19-1ソ連1974年07月19日1970年代今年上半期の工業生産-19日,ソ連中央統計局が発表したところによれば,今年上半期(1~6月)のソ連の工業生産は,昨年同期に比べ8.3%増加した。工業各分野別の生産の伸びをみると,機械金属加工12%,化学・石油化学11%,食品工業10%,木材加工,製紙工業,軽工業は各4%,燃料工業は5%。
DIA-602-1974-07-19-2ソ連1974年07月19日1970年代キプロス危機でソ連7個師団警戒体制。
DIA-602-1974-07-20-1ソ連1974年07月20日1970年代米,地中海で第6艦隊急派,キプロスでのソ連の動き,けん制。
DIA-602-1974-07-22-1ソ連1974年07月22日1970年代ソ連の金産出量387トン。
DIA-602-1974-07-24-1ソ連1974年07月24日1970年代イタリア外相訪ソ。
DIA-602-1974-07-24-2ソ連1974年07月24日1970年代ソ連共産党中央委総会開く-24日ソ連共産党中央委員会総会がモスクワで開かれた。総会では25日から開かれるソ連最高会議の諸問題が審議され,これについての決定が採択された。総会ではプレジネフ党中央委書記長が演説を行なった。
DIA-602-1974-07-24-3ソ連1974年07月24日1970年代米の盗聴器,ソ連から引き合い。
DIA-602-1974-07-25-1ソ連1974年07月25日1970年代テレシコワ女史,幹部会員に-モスクワ放送によると,ソ連最高会議で新たに選ばれた最高会議幹部会の構成は次のとおり。議長:ポドゴルヌイ副議長,(14人):15の各共和国最高会議幹部会議長。ただルーベン・ラトビア共和国最高会議幹部会議長が民族会議議長に選出されたため1人欠員。書記(1人):ブレジネフ,グリシン,クナーエフ各氏ら従来のメンバーのほかに,ソ連婦人委員会議長のワレンチナ・ニコラエワ=テレシコワ女史(宇宙飛行士)。
DIA-602-1974-07-25-2ソ連1974年07月25日1970年代全線開通は82年か,第2シベリア鉄道。
DIA-602-1974-07-25-3ソ連1974年07月25日1970年代最高会議開幕。
DIA-602-1974-07-26-1ソ連1974年07月26日1970年代閣僚ほとんど留任-ソ連最高会議合同会議で満場一致承認されたソ連閣僚会議の名簿によると第一副首相(1人),副首相(10人)をはじめ,あとで発表される国家労働・賃金委員会議長と国家価格委員会議長を除き,全閣僚が留任となっている。
DIA-602-1974-07-26-2ソ連1974年07月26日1970年代南ヤクート炭開発で日ソ書簡交換。
DIA-602-1974-07-28-1ソ連1974年07月28日1970年代チユメニ原油輸送に新方式-7月28日付ソ連交通省機関紙「グドーフ」は,ソ連ゴスプラン(国家計画委員会)参与のビリュコフ運輸部長の発言として紹介している輸送方法は,チュメニ採掘地区からパイプラインでタイシェット駅へ送り,同駅でタンクローリーに積み,第2シベリア鉄道のウルガル駅まで運び,ウルガル駅からは1000km 以上のパイプラインで製油工場や港に輸送するというもの。
DIA-602-1974-07-28-2ソ連1974年07月28日1970年代ソ連に穀物売り過ぎ,米国内の食糧急騰。
DIA-602-1974-07-30-1ソ連1974年07月30日1970年代アジア集団安保構想「日本も支持国」とプラウダ紙論評。
DIA-602-1974-07-30-2ソ連1974年07月30日1970年代ゼーヤ水力発電所貯水湖を渡るバム鉄道-ゼーヤ水力発電所のダムにできる貯水湖をバム鉄道が渡ることになる。支柱の高さ60m,梁間130m,橋の全長は1kmを越えるといっている。
DIA-602-1974-07-30-3ソ連1974年07月30日1970年代反体制作家ウラジミル,マラムジン逮捕さる。
DIA-602-1974-07-30-4ソ連1974年07月30日1970年代第2次KS計画一般協定に調印。
DIA-602-1974-07-30-5ソ連1974年07月30日1970年代PLO 議長訪ソ。
DIA-602-1974-07-31-1ソ連1974年07月31日1970年代カムチャッカ半島東岸,5日から射撃訓練,外務省,中止申入れ。
DIA-602-1974-07-31-2ソ連1974年07月31日1970年代106番目の新元素,ソ連のドブナ原子核共同研究所。
DIA-602-1974-08-01-1ソ連1974年08月01日1970年代第2シベリア鉄道,半分複線で着工。
DIA-602-1974-08-01-2ソ連1974年08月01日1970年代PLO正式に承認。
DIA-602-1974-08-02-1ソ連1974年08月02日1970年代チュメニ原油,一部はパイプ輸送に計画変更?
DIA-602-1974-08-02-2ソ連1974年08月02日1970年代ソ連とも郵便業務,韓国から発表。
DIA-602-1974-08-03-1ソ連1974年08月03日1970年代国際海峡は自由航行,潜水艦にも認める-政府はベネズエラの首都カラカスで開催中の国連第3次海洋法会議で焦点のひとつとなっている国際海峡の通航問題について,自由通航の立場から合意に努力する方針を決めた。
DIA-602-1974-08-03-2ソ連1974年08月03日1970年代日ソ共同でサケ・マス養殖。
DIA-602-1974-08-05-1ソ連1974年08月05日1970年代イルトゥイシ川渇水で航行困難。
DIA-602-1974-08-05-2ソ連1974年08月05日1970年代ソ連原油高騰で外貨不足解消。
DIA-602-1974-08-07-1ソ連1974年08月07日1970年代ニクソン弾劾報道,ソ連でも漸く公表。
DIA-602-1974-08-09-1ソ連1974年08月09日1970年代ニクソン辞任で米ソ協調かわらずとソ連政府機関紙が初論評。
DIA-602-1974-08-10-1ソ連1974年08月10日1970年代ニクソンに未練示すソ連。
DIA-602-1974-08-10-2ソ連1974年08月10日1970年代フォード米大統領,ブレジネフ書記長へメッセージ。
DIA-602-1974-08-10-3ソ連1974年08月10日1970年代米大統領に祝電,ポドゴルヌイ議長。
DIA-602-1974-08-12-1ソ連1974年08月12日1970年代ブレジネフ書記長,米大統領に親書。
DIA-602-1974-08-13-1ソ連1974年08月13日1970年代黒海からソ連艦3隻地中海へ。
DIA-602-1974-08-13-2ソ連1974年08月13日1970年代タス,米ソ協力を強調。
DIA-602-1974-08-15-1ソ連1974年08月15日1970年代バム鉄道建設に親衛タマンスキー師団将兵の協力。
DIA-602-1974-08-16-1ソ連1974年08月16日1970年代バム鉄道建設に極東民間航空局のヘリ10機が協力。
DIA-602-1974-08-16-2ソ連1974年08月16日1970年代穀物輸送,貯蔵に支障-ソ連政府機関紙「イズベスチヤ」は16日,穀物輸送面に支障をきたしていることなどから,本年産穀物に大量の損失が出る恐れがあると報じた。
DIA-602-1974-08-17-1ソ連1974年08月17日1970年代バム鉄道建設ヤクーツクから砂利輸送-バム建設工事西部地域のために,ヤクーツク市からレナ川沿い上流300kmの地点のエロフカ付近で砂利をさがし当てた。今年のレナ川航行シーズンの終わりまでに,鉄道建設工事をはじめたウスチ・クートへ4万m3の砂利を運ぶといっている。
DIA-602-1974-08-18-1ソ連1974年08月18日1970年代ナロードニ銀行多額の政治融資。
DIA-602-1974-08-18-2ソ連1974年08月18日1970年代中ソ国境交渉進展せず。
DIA-602-1974-08-21-1ソ連1974年08月21日1970年代ソ連,ルーマニア関係冷却。
DIA-602-1974-08-23-1ソ連1974年08月23日1970年代深海底開発で米,ソ,対立。
DIA-602-1974-08-23-2ソ連1974年08月23日1970年代ソ連首脳訪日の意向,シチコフ最高会議議長,日本知事団に表明-訪ソ中の日本知事団(団長,西沢長野県知事)は23日午前,クレムリンにシチコフ・ソ連最高会議連邦会議議長を訪問し,約1時間にわたって懇談した。
DIA-602-1974-08-23-3ソ連1974年08月23日1970年代日ソ知事会議終わる。
DIA-602-1974-08-24-1ソ連1974年08月24日1970年代キプロス,ソ連提案の国際会議に反対。
DIA-602-1974-08-28-1ソ連1974年08月28日1970年代ソユーズ15号2日間で帰還。
DIA-602-1974-08-29-1ソ連1974年08月29日1970年代南氷洋捕鯨の海区別数,日ソ,モスクワで調印。
DIA-602-1974-08-29-2ソ連1974年08月29日1970年代ソ連地下核実験。
DIA-602-1974-08-29-3ソ連1974年08月29日1970年代ソ連の原潜西側と同数,ジェーン年鑑。
DIA-602-1974-08-29-4ソ連1974年08月29日1970年代日ソ平和条約,訪ソして交渉もと木村外相答弁。
DIA-602-1974-08-29-5ソ連1974年08月29日1970年代日本側,チュメニ参加断念か。
DIA-602-1974-08-29-6ソ連1974年08月29日1970年代日ソ捕鯨交渉妥結。
DIA-602-1974-09-03-1ソ連1974年09月03日1970年代重光,グロムイコ会談。
DIA-602-1974-09-03-2ソ連1974年09月03日1970年代ソ連,エジプト再接近?
DIA-602-1974-09-03-3ソ連1974年09月03日1970年代死後3年で,フルシチョフ氏の「笑顔の像」建つ。
DIA-602-1974-09-03-4ソ連1974年09月03日1970年代米向けふえソ連減る昨年の中国貿易。
DIA-602-1974-09-03-5ソ連1974年09月03日1970年代米国,エルパソ社,ヤクート天然ガス参加表明。
DIA-602-1974-09-03-6ソ連1974年09月03日1970年代ウスチ・イリム水力発電所建設遅れる。
DIA-602-1974-09-05-1ソ連1974年09月05日1970年代ゼーヤ水力発電所建設状況-ダムの第1部のコンクリートブロックが65mの標識に達した。最初の2基の発電機の稼働開始は1975年末までと予定されている。
DIA-602-1974-09-05-2ソ連1974年09月05日1970年代対円レート切り上げソ連国立銀行-ソ連国立銀行は5日,9月の対外貨交換レート表を発表,対円レートについては前月の1000円=2.55ルーブルを若干切り上げ,1000円=2.50ルーブルとすることを明らかにした。
DIA-602-1974-09-06-1ソ連1974年09月06日1970年代ハバロフスク=平壌間航空路新設。
DIA-602-1974-09-07-1ソ連1974年09月07日1970年代松下電気,ソ連政府機関と提携。
DIA-602-1974-09-07-2ソ連1974年09月07日1970年代エジプトヘの武器供給,ソ連,再開を約束-ベイルートの親イラク系新聞ベイルートは7日,カイロ特電で「ソ連はエジプトに対し武器と補充部品の供給再開を約束した」と報じた。
DIA-602-1974-09-11-1ソ連1974年09月11日1970年代ソ連工業伸び悩む-11目付のソ連労組機関紙トルードによれば,ソ連の工業生産は8月実績で昨年同月比6.4%増と,6月と同じ今年最低の伸び率に落ち込んだ。
DIA-602-1974-09-11-2ソ連1974年09月11日1970年代レニングラードからウスチ・イリム水力発電所建設へ発電機輸送-1基80トンの巨大な機械は,最初の2基と同様に,水路輸送とし,フィンスキー湾,バルチック海を通り,スカンジナピア半島を回り,北の海を通り,エニセイ川をさかのぼり,クラスノヤルスクに到着した。
DIA-602-1974-09-12-1ソ連1974年09月12日1970年代ソ連援助のダッカ肥料工場が爆発。
DIA-602-1974-09-13-1ソ連1974年09月13日1970年代ソ連水中翼船シンガポールから東京着。
DIA-602-1974-09-13-2ソ連1974年09月13日1970年代ソ連で地下核実験か。
DIA-602-1974-09-14-1ソ連1974年09月14日1970年代ソ連,中ソ国境交渉を中止。
DIA-602-1974-09-15-1ソ連1974年09月15日1970年代南千島諸島の返還問題,15年前にソ連も了解と共産党合意書を公表して非難。
DIA-602-1974-09-15-2ソ連1974年09月15日1970年代ソ連外相ボン入り。
DIA-602-1974-09-16-1ソ連1974年09月16日1970年代ソ連,大陸間弾道弾の実験に失敗。
DIA-602-1974-09-16-2ソ連1974年09月16日1970年代沿海地方今年の稲作-この秋は沿海地方では,2万5000ヘクタールから米を収穫する見込みである。
DIA-602-1974-09-17-1ソ連1974年09月17日1970年代ソ連首相,池田創価学会会長と会談。
DIA-602-1974-09-17-2ソ連1974年09月17日1970年代ワルシャワ条約軍,ハンガリー集結。
DIA-602-1974-09-18-1ソ連1974年09月18日1970年代モスクワ新見本市会場,日ソ,5号館建設に調印。
DIA-602-1974-09-19-1ソ連1974年09月19日1970年代米上院,対ソ信用供与を制限。
DIA-602-1974-09-20-1ソ連1974年09月20日1970年代プラウダ紙,故徳田書記長を称賛。
DIA-602-1974-09-20-2ソ連1974年09月20日1970年代バイカル湖の汚染防止-バルグジン,イタンツァトウルカなどの河川は数年前には魚は産卵しなかったが,今年の秋にはバイカル湖のオームリ(鰊に似た魚)は河川の上流に自由にさかのぼっている。
DIA-602-1974-09-20-3ソ連1974年09月20日1970年代チュメニの林業組合木材年産20万m3。
DIA-602-1974-09-21-1ソ連1974年09月21日1970年代ナホトカに木材滞貨,日本の引き取り拒否響く。
DIA-602-1974-09-24-1ソ連1974年09月24日1970年代クラスノヤルスクで大工業基地を計画。
DIA-602-1974-09-25-1ソ連1974年09月25日1970年代ブレジネフ,フォード政権歓迎。
DIA-602-1974-09-25-2ソ連1974年09月25日1970年代木村訪ソ,時期は保留。
DIA-602-1974-09-25-3ソ連1974年09月25日1970年代国連総会で日ソ外相会談。
DIA-602-1974-09-25-4ソ連1974年09月25日1970年代ソ連書記長,ハンガリー代表歓迎宴で演説。
DIA-602-1974-09-26-1ソ連1974年09月26日1970年代ソ連ミサイル駆逐艦試験航海で爆発沈没-トルコのアナトリア通信が26日伝えるところによると,黒海を試験航海中のソ連ミサイル発射駆逐艦が艦上の爆発によって沈没した。
DIA-602-1974-09-26-2ソ連1974年09月26日1970年代ソ連,ユーゴとの友好を強調。
DIA-602-1974-09-27-1ソ連1974年09月27日1970年代ソ連海軍,アデン港利用拡大へ。
DIA-602-1974-09-27-2ソ連1974年09月27日1970年代原産会議原発の安全,環境でソ連へ調査団。
DIA-602-1974-09-27-3ソ連1974年09月27日1970年代イカ釣り漁船,沿海州沖でソ連船がだ捕。
DIA-602-1974-09-27-4ソ連1974年09月27日1970年代スースロフ・ソ連政治局員イデオロギー引き締め表明。
DIA-602-1974-09-28-1ソ連1974年09月28日1970年代バム鉄道西部区域の建設工程-プラウダ紙,《アンガルストロイ》(アンガラ建設)局の作業班は党中央委員会と閣僚会議の決定に応えて,次のように約束した。バム鉄道西部区域のレナ駅からバイカル・トンネルまでの284kmの貨物輸送を計画の期限より1年早く臨時営業にはいらせる。1975年中にレナ川開橋の建設を完了し,チュドニチヌイ駅までの列車運行を開始させる。1976年中にネベリ駅まで,そして1977年中にウリカン駅まで開通させる。バム鉄道西部地区に関する今年度の計画を10月15日まで遂行する。タイシェト=レナ鉄道の複線を予定の期限より1年早く正常運転にはいらせる。
DIA-602-1974-09-29-1ソ連1974年09月29日1970年代ヤクート天然ガス開発,日本の単独参加をソ連希望。
DIA-602-1974-09-30-1ソ連1974年09月30日1970年代サハリン開発で新会社発足,社長は今里広記氏。
DIA-602-1974-10-01-1ソ連1974年10月01日1970年代レニングラードで80万kw級蒸気タービン連続生産へ。
DIA-602-1974-10-02-1ソ連1974年10月02日1970年代コスイギン・竹入会談。
DIA-602-1974-10-03-1ソ連1974年10月03日1970年代ソ連,8個弾頭SS 18の発射成功。
DIA-602-1974-10-03-2ソ連1974年10月03日1970年代工業生産,無理な計画おろす-ソ連は現行5カ年計画4年目もあと第4四半期を残すだけとなったが,5年間で42%増という党指令の最低目標達成さえあぶない。こんな絶望的な数字はおろされる見込み。
DIA-602-1974-10-03-3ソ連1974年10月03日1970年代バム鉄道沿線の都市建設計画-バム鉄道建設と直接結びつく約60の住民地が生れ,そこに10万人以上が生活することになる。
DIA-602-1974-10-04-1ソ連1974年10月04日1970年代プラウダ紙,産油国の石油政策弁護。
DIA-602-1974-10-05-1ソ連1974年10月05日1970年代米大統領対ソ「穀物」出荷を停止-サイモン米財務長官は4日夜,フォード大統領が穀物の大口輸出商談につき,当分の間ホワイトハウスの事前の承認を得るよう大手穀物輸出業者に指示したと発表,同時にソ連向けに輸出が決まっていた穀物1億2500万ブッシェルの出荷停止命令が出されていることを明らかにした。
DIA-602-1974-10-07-1ソ連1974年10月07日1970年代今年の上半期,ソ連世界最大の産油国,日産約900万バレル。
DIA-602-1974-10-07-2ソ連1974年10月07日1970年代バム鉄道建設のブウレヤ川鉄橋架設着工。
DIA-602-1974-10-08-1ソ連1974年10月08日1970年代ソ連最大の酸素転炉第2号,5カ月で100万トン生産。
DIA-602-1974-10-10-1ソ連1974年10月10日1970年代西側諸国の対ソ貿易,日本は順位後退,9位から10位へ。
DIA-602-1974-10-10-2ソ連1974年10月10日1970年代バム鉄道へディーゼル発電所-この発電所は比較的小型で,出力は1000kwを起立,気温-40°から+45°までの気象条件下で使用できる。
DIA-602-1974-10-11-1ソ連1974年10月11日1970年代海外石油開発とガルフまずサハリン探鉱。
DIA-602-1974-10-11-2ソ連1974年10月11日1970年代西側社会の経済危機は平和と安全に脅威とブ書記長外交演説。
DIA-602-1974-10-14-1ソ連1974年10月14日1970年代ブレジネフ政権,成立以来10年。
DIA-602-1974-10-15-1ソ連1974年10月15日1970年代米産業界,ソ連接近。
DIA-602-1974-10-15-2ソ連1974年10月15日1970年代ブレジネフ書記長,米輸銀融資制限に警告。
DIA-602-1974-10-15-3ソ連1974年10月15日1970年代EC,コメコンと関係強化。
DIA-602-1974-10-16-1ソ連1974年10月16日1970年代駐日ソ連大使帰任,ブ書記長から田中首相へ親書。
DIA-602-1974-10-16-2ソ連1974年10月16日1970年代スペイン共産党との関係改善に成功。
DIA-602-1974-10-16-3ソ連1974年10月16日1970年代ソ連マイカー族300万人の悩み-値段は小型乗用車で約220万円と高いうえに,しかもサービス・ステーションが不備なうえ部品の入手が極めて困難なため,駐車中の車は全部が全部といっていいほどワイパーが外されている。盗難を避けるためである。部品が不足しているため,盗難品が高いヤミ値で取引される「市場」が存在している。故障車の修理も多大な精神的物質的エネルギーが必要で,動かない車を修理工場まで運ぶのがまず大仕事。工場でも修理が終わるまで長い間待たされる。サービス網の不足によるものである。
DIA-602-1974-10-18-1ソ連1974年10月18日1970年代アムール州今年の農作状況-5万7000トンのジャガイモと4万6000トンの野菜が供出された。
DIA-602-1974-10-19-1ソ連1974年10月19日1970年代中国は米ソ核戦争望む,プラウダ紙が非難論文。
DIA-602-1974-10-19-2ソ連1974年10月19日1970年代原子炉供与に同意か,ソ連,エジプトヘ。
DIA-602-1974-10-19-3ソ連1974年10月19日1970年代新聞《バム鉄道》発刊。
DIA-602-1974-10-22-1ソ連1974年10月22日1970年代イルトゥイシ川今年の最後の航行。
DIA-602-1974-10-22-2ソ連1974年10月22日1970年代サモトロール=アレクサンドロフスコ間石油パイプライン開通。
DIA-602-1974-10-25-1ソ連1974年10月25日1970年代チュメニ州北部=モスクワ間大型ガスパイプライン稼働開始。
DIA-602-1974-10-27-1ソ連1974年10月27日1970年代キ長官の訪ソ。
DIA-602-1974-10-28-1ソ連1974年10月28日1970年代サハリン南部台風に襲われる。
DIA-602-1974-10-28-2ソ連1974年10月28日1970年代ソ連人口6割が都市へ。
DIA-602-1974-10-29-1ソ連1974年10月29日1970年代バム鉄道建設ニュース-プラウダ紙,第1シベリア鉄道のバム駅と第2シベリア鉄道のトゥインダの間ではレールの敷設が進んでいる。
DIA-602-1974-10-29-2ソ連1974年10月29日1970年代極東最大のハバロフスク河川港,貨物取扱量100万トン。
DIA-602-1974-11-01-1ソ連1974年11月01日1970年代シートレード東京会議でソ連代表者演説。
DIA-602-1974-11-02-1ソ連1974年11月02日1970年代今里氏,第6回日ソ経済合同委員会から帰国,チュメニ油田開発断念の色を見せた。
DIA-602-1974-11-02-2ソ連1974年11月02日1970年代サハリン州今年の農業成績-5万9000トンのジャガイモと3万1000トンの野菜が供出された。
DIA-602-1974-11-11-1ソ連1974年11月11日1970年代トルクメン共和国綿花豊作-101万1000トンの綿花を納入した。
DIA-602-1974-11-12-1ソ連1974年11月12日1970年代ウズベク共和国の綿花国家売渡計画超過遂行-520万トンを供出。
DIA-602-1974-11-13-1ソ連1974年11月13日1970年代ソ連,来年に新型ミサイル配備と米国防省筋予測。
DIA-602-1974-11-13-2ソ連1974年11月13日1970年代NATO議会,ソ連のミサイル潜水艦,米国を追いこすと報告。
DIA-602-1974-11-14-1ソ連1974年11月14日1970年代チュメニ石油本年度の成果-採油量は現在6100万トン以上。
DIA-602-1974-11-14-2ソ連1974年11月14日1970年代ソ連文化相にルピョートル・デミチェフ任命。
DIA-602-1974-11-15-1ソ連1974年11月15日1970年代キリレンコ政治局員,アシハバードで演説。
DIA-602-1974-11-15-2ソ連1974年11月15日1970年代ヤクート自治共和国の冬季自動車運輸開始-ヤクート自治共和国の冬季自動車道は1万2000km以上あり,本シーズンは約50万トンの貨物が運ばれる予定。
DIA-602-1974-11-17-1ソ連1974年11月17日1970年代西シベリア本年度産油量1億トン達成-西シベリアの石油産業は本年のはじめからの産油量1億トンを達成した。
DIA-602-1974-11-20-1ソ連1974年11月20日1970年代シリア地対地ミサイル急増,ソ連が供与。
DIA-602-1974-11-21-1ソ連1974年11月21日1970年代ウラジオでの米ソ首脳会談,第1回は列車の中の予定。
DIA-602-1974-11-21-2ソ連1974年11月21日1970年代カラガンダ炭鉱の成績500万トン強。
DIA-602-1974-11-22-1ソ連1974年11月22日1970年代仏,ソ連とウラン契約調印。
DIA-602-1974-11-22-2ソ連1974年11月22日1970年代ソ連,太平洋艦隊司令長官を更迭-V.マースロフ中将が同司令長官として去る22日ウラジオストークに到着した。
DIA-602-1974-11-22-3ソ連1974年11月22日1970年代日米ソ,ヤクート天然ガス探鉱で基本契約に調印。
DIA-602-1974-11-25-1ソ連1974年11月25日1970年代米ソ首脳会談のためウラジオストークに到着-ソ連共産党書記長L.I.ブレジネフは外相グロムイコ,駐米ソ連大使ドブルイニンと共に,本日ウラジオストーク飛行場においてフォード米大統領を迎えた。なお飛行場ではソ連民国航空相B.P.ブゥガエフ,沿海地方党第一書記V.P.ロマキン,沿海地方党執行委員会議長I.I.シトジン,赤旗極東軍管区司令官上級大将V.I.ペトロフ,赤旗太平洋艦隊司令官海軍中将V.P.マスロフ等も出迎えた。
DIA-602-1974-11-25-2ソ連1974年11月25日1970年代米ソ相互に南北朝鮮承認か。
DIA-602-1974-11-25-3ソ連1974年11月25日1970年代ソ連,米宇宙関係記者団の見学拒否。
DIA-602-1974-11-25-4ソ連1974年11月25日1970年代イラン国王訪ソの真意-最近行なわれたパーレビ・イラン国王のソ連訪問の結果,イラン,ソ連両国は経済協力拡大で意見一致したが,ロンドンで得た情報によると今度の訪ソのねらいのひとつは,米中央情報局(CIA)がイラン現政権の転覆をはかった場合にソ連から支援を受ける保証を取りつけることにあったといわれる。
DIA-602-1974-11-25-5ソ連1974年11月25日1970年代中ソ,初めて「韓国」を呼ぶ。
DIA-602-1974-11-25-6ソ連1974年11月25日1970年代米中間に警報組織,ソ連の攻撃に備えて-ワシントン・ポスト紙は25日付の一面に北京発の記事を大きく掲載,「中国は今年になって3回,ソ連の攻撃が差し迫っているとの警告を第3国から受け取った」と述べ,その第3国が米国であることは明らかである。
DIA-602-1974-11-26-1ソ連1974年11月26日1970年代ブレジネフ書記長ウラジオストークからモンゴル共和国へ。
DIA-602-1974-11-26-2ソ連1974年11月26日1970年代ブレジネフ書記長モンゴルで演説。
DIA-602-1974-11-26-3ソ連1974年11月26日1970年代モンゴルでジュネーブ会議早期に開催をとブ書記長が呼びかけ。
DIA-602-1974-11-26-4ソ連1974年11月26日1970年代MIRV複数核弾頭米ソ同数に。
DIA-602-1974-11-27-1ソ連1974年11月27日1970年代PLO 議長,ソ連首相と会談。
DIA-602-1974-11-27-2ソ連1974年11月27日1970年代核運搬手段2400に米ソ首脳会談で合意。
DIA-602-1974-11-28-1ソ連1974年11月28日1970年代イスラエル承認を PLO に説得,ソ連首脳。
DIA-602-1974-11-30-1ソ連1974年11月30日1970年代バム鉄道建設電子計算機を用いてテスト-モスクワの鉄道運輸工業大学の《鉄道探査計画》部の専門家たちはすでに660kmをテストした。電子計算機《MIR=1》が用いられた。
DIA-602-1974-12-01-1ソ連1974年12月01日1970年代タジク共和国創設50周年祝典。
DIA-602-1974-12-01-2ソ連1974年12月01日1970年代「赤い星」紙,ウラジオ会談に不満。
DIA-602-1974-12-01-3ソ連1974年12月01日1970年代PLO アラファト議長訪ソ。
DIA-602-1974-12-02-1ソ連1974年12月02日1970年代アムール州北部エベンキ民族のコルホーズに電話網設備。
DIA-602-1974-12-02-2ソ連1974年12月02日1970年代反体制地下出版の元編集長逮捕。
DIA-602-1974-12-02-3ソ連1974年12月02日1970年代「米ソ共同宇宙計画の準備」。
DIA-602-1974-12-02-4ソ連1974年12月02日1970年代エジプトへ原子炉供与とソ連週刊紙報道。
DIA-602-1974-12-03-1ソ連1974年12月03日1970年代サハロフ博士にニーバー賞。
DIA-602-1974-12-03-2ソ連1974年12月03日1970年代イスラエル核装備説にアラブ諸国に対抗機運高まる。
DIA-602-1974-12-03-3ソ連1974年12月03日1970年代米ソ首脳会議の成果ほとんどなし。
DIA-602-1974-12-05-1ソ連1974年12月05日1970年代インフレの波ソ連にも-昨年12月にソ連では一連の食料品,消費物資が平均1.5倍から2倍に値上げされた。モスクワの国営中古品委託販売店では,日本製の中古テープレコーダーが日本円にして120万円もの高値を呼んでいる。
DIA-602-1974-12-06-1ソ連1974年12月06日1970年代パリでブ書記長辞任説を否定,ソ連側スポークスマン。
DIA-602-1974-12-06-2ソ連1974年12月06日1970年代ブ書記長,健康すぐれず仏ソ首脳会談の日程を変更。
DIA-602-1974-12-06-3ソ連1974年12月06日1970年代仏大統領全欧安保に出席へ。
DIA-602-1974-12-06-4ソ連1974年12月06日1970年代仏ソ経済協力協定に調印。
DIA-602-1974-12-08-1ソ連1974年12月08日1970年代ソユーズ16号帰還。
DIA-602-1974-12-08-2ソ連1974年12月08日1970年代世界食糧会議でのソ連演説に途上国失望。
DIA-602-1974-12-10-1ソ連1974年12月10日1970年代サハリン大陸ダナ開発計画,日ソ合意文書に署名。
DIA-602-1974-12-12-1ソ連1974年12月12日1970年代ソ連軍艦がエジプト訪問。
DIA-602-1974-12-13-1ソ連1974年12月13日1970年代バム鉄道建設へカザフ共和国の調査隊協力。
DIA-602-1974-12-14-1ソ連1974年12月14日1970年代三木首相,宮沢外相に訪ソ指示。
DIA-602-1974-12-17-1ソ連1974年12月17日1970年代ソ連,シリアに武器供与。
DIA-602-1974-12-17-2ソ連1974年12月17日1970年代宮沢外相訪ソに期待とソ連首相佐藤元首相に表明。
DIA-602-1974-12-18-1ソ連1974年12月18日1970年代日ソ平和条約締結へ努力と訪ソ中の佐藤氏,タス記者に語る。
DIA-602-1974-12-18-2ソ連1974年12月18日1970年代米通商法案のユダヤ人条項,ソ連への内政干渉と非難。
DIA-602-1974-12-21-1ソ連1974年12月21日1970年代原子炉供給,来年1月,ブ書記長エジプト訪問の際。
DIA-602-1974-12-21-2ソ連1974年12月21日1970年代シベリア開発への融資,米の利益に反すと上院外交委で報告。
DIA-602-1974-12-24-1ソ連1974年12月24日1970年代ソウルと関係望まぬとソ連側,韓国側の報道を否定。
DIA-602-1974-12-25-1ソ連1974年12月25日1970年代バルト海に世界初の原子力灯台。
DIA-602-1974-12-26-1ソ連1974年12月26日1970年代エジプト外相と国防相急ぎ訪ソ。
DIA-602-1974-12-27-1ソ連1974年12月27日1970年代地下出版のコワレフ博士リトアニアで捕わる。
DIA-602-1974-12-28-1ソ連1974年12月28日1970年代ソ連向け米国産小麦の輸出120万トンに減少。
DIA-602-1974-12-29-1ソ連1974年12月29日1970年代中東の闘争支持再確認,ブレジネフ書記長エジプト外相に。
DIA-602-1974-12-30-1ソ連1974年12月30日1970年代ソ連,エジプト共同声明。
DIA-602-1974-12-30-2ソ連1974年12月30日1970年代ブ書記長の中東訪問延期。
DIA-602-1974-12-30-3ソ連1974年12月30日1970年代ソ連の武器援助再開遅延か。
DIA-602-1974-12-30-4ソ連1974年12月30日1970年代ソ連PLOがコミュニケ。
DIA-602-1975-01-02-1ソ連1975年01月02日1970年代ザバイカル鉄道新たに400km電化。
DIA-602-1975-01-04-1ソ連1975年01月04日1970年代コムソモリスク付近アムール川氷上鉄道(最後の氷上鉄道)―コムソモリスクはいま-30℃の寒さである。これを利用てして例年より一週間早くアムール川の氷上に臨時鉄道橋を敷いた。
DIA-602-1975-01-05-1ソ連1975年01月05日1970年代ウドカン銅山へ冬季道開通。
DIA-602-1975-01-08-1ソ連1975年01月08日1970年代ブレジネフ書記長,母親の葬儀に出席。
DIA-602-1975-01-10-1ソ連1975年01月10日1970年代ソ連,米ソ通商協定を破棄。
DIA-602-1975-01-15-1ソ連1975年01月15日1970年代宮沢外相訪ソ。
DIA-602-1975-01-16-1ソ連1975年01月16日1970年代バム鉄道建設にウズベクの建設者の協力。
DIA-602-1975-01-19-1ソ連1975年01月19日1970年代日ソ外相会談「共同発表」
DIA-602-1975-01-21-1ソ連1975年01月21日1970年代保健省次官,ブレジネフは軽い呼吸器病と言明。
DIA-602-1975-01-24-1ソ連1975年01月24日1970年代中央統計局,1974年度経済実績発表。
DIA-602-1975-01-28-1ソ連1975年01月28日1970年代全軍イデオロギ―活動家会議開催。
DIA-602-1975-01-31-1ソ連1975年01月31日1970年代グロムイコ外相,中東諸国歴訪。
DIA-602-1975-01-31-2ソ連1975年01月31日1970年代ブレジネフ,強硬派の要求を受入れて対外緊張激化方針へ転換か。
DIA-602-1975-02-01-1ソ連1975年02月01日1970年代西側ビジネスマン,スパイ容疑で逮捕者続出。
DIA-602-1975-02-02-1ソ連1975年02月02日1970年代グロムイコ外相,PLO議長と会談。
DIA-602-1975-02-02-2ソ連1975年02月02日1970年代ソ連外相,シリアのアサド大統領と会談。
DIA-602-1975-02-03-1ソ連1975年02月03日1970年代ソ連・エジプト外相会談。
DIA-602-1975-02-04-1ソ連1975年02月04日1970年代ベイルートの新聞,ブレジネフ手術と報道。
DIA-602-1975-02-04-2ソ連1975年02月04日1970年代トロヤノフスキ―大使の対日工作活澱,外務省は黙殺の方針。
DIA-602-1975-02-04-3ソ連1975年02月04日1970年代グロムイコ外相,カイロでブレジネフ病気を肯定。
DIA-602-1975-02-04-4ソ連1975年02月04日1970年代中ソ国境再び険悪化か?ワルシャワ情報,交戦説を伝える。
DIA-602-1975-02-05-1ソ連1975年02月05日1970年代ショーロホフの「静かなるドン」は盗作と,反体制歴史家メドベージェフ暴露。
DIA-602-1975-02-05-2ソ連1975年02月05日1970年代駐日ソ連大使,重ねて友好条約提案,外務省拒否。
DIA-602-1975-02-05-3ソ連1975年02月05日1970年代タス通信,中国新憲法を批判,人民の権利と自由侵害と指摘。
DIA-602-1975-02-07-1ソ連1975年02月07日1970年代ソ連軍事顧問団7000人,アラブ諸国へ配置とイスライル国防相非難。
DIA-602-1975-02-07-2ソ連1975年02月07日1970年代党員証書き換え完了,約1500万人,人口の9%。
DIA-602-1975-02-12-1ソ連1975年02月12日1970年代イリイチョフ・ソ連国境交渉代表団長,北京へ帰任。
DIA-602-1975-02-13-1ソ連1975年02月13日1970年代ブレジネフ書記長,訪ソの英首相と会談。
DIA-602-1975-02-13-2ソ連1975年02月13日1970年代ブレジネフ,三木首相へ返書。
DIA-602-1975-02-16-1ソ連1975年02月16日1970年代ジュネーブで米ソ外相会談。
DIA-602-1975-02-17-1ソ連1975年02月17日1970年代米ソ外相会談続行。
DIA-602-1975-02-17-2ソ連1975年02月17日1970年代米ソ共同声明ワシントンで発表。
DIA-602-1975-02-17-3ソ連1975年02月17日1970年代英ソ首脳会談終了,ウイルソン英首相帰国。
DIA-602-1975-02-18-1ソ連1975年02月18日1970年代ブレジネフ,ハンガリー党大会で演説。
DIA-602-1975-02-21-1ソ連1975年02月21日1970年代ブレジネフ,ザバイカル自動車化狙撃連隊激励
DIA-602-1975-02-23-1ソ連1975年02月23日1970年代ソ連の武器,インド国内で生産の協定成立か?
DIA-602-1975-02-23-2ソ連1975年02月23日1970年代東欧向け原油輸出価格,来年初頭2倍以上の値上げ,トン当り21.5ドルから49.5ドルへ。
DIA-602-1975-02-24-1ソ連1975年02月24日1970年代ユダヤ人6名,モスクワで出国の自由求めてデモ,ただちに逮捕さる。'
DIA-602-1975-02-24-2ソ連1975年02月24日1970年代ソ連,インド国防相会談。
DIA-602-1975-02-25-1ソ連1975年02月25日1970年代グレチコ国防相,ガンジー首相と会談。
DIA-602-1975-02-26-1ソ連1975年02月26日1970年代英国へウラン供給の契約調印,80年以降約1000トン。
DIA-602-1975-02-26-2ソ連1975年02月26日1970年代バム鉄道建設者へ慰問袋。
DIA-602-1975-02-27-1ソ連1975年02月27日1970年代バイカル=アムール鉄道建設ニュース―建設中のバイカル=アムール鉄道の西地区の要点のひとつであるマギストラリヌィ団地に最初の書店が開かれた。
DIA-602-1975-02-27-2ソ連1975年02月27日1970年代印パ関係再び緊張,その裏に米ソの支援。
DIA-602-1975-02-27-3ソ連1975年02月27日1970年代グレチコ国防相,インド訪問終了帰国。
DIA-602-1975-02-27-4ソ連1975年02月27日1970年代日本沿岸でのソ連の乱獲続けば次の措置考えると外相表明。
DIA-602-1975-03-01-1ソ連1975年03月01日1970年代アルマ・アタ飛行機修理工場―アルマ・アタ飛行機修理工場では,労働生産性を1974年度に比べて5%向上することを予定。
DIA-602-1975-03-02-1ソ連1975年03月02日1970年代キルギス共和国最初の50万Vの高圧送電線操業。
DIA-602-1975-03-03-1ソ連1975年03月03日1970年代バム鉄道建設へノボシビルスク鉄道運輸大学から宣伝工作隊。
DIA-602-1975-03-03-2ソ連1975年03月03日1970年代ソ連漁船団の中に掃海艇混る。
DIA-602-1975-03-04-1ソ連1975年03月04日1970年代ソ連大型漁船の意図的な無謀操業,海洋法会議に備えての実績づくりか。
DIA-602-1975-03-08-1ソ連1975年03月08日1970年代バム鉄道建設へソチから飛行機で花。
DIA-602-1975-03-10-1ソ連1975年03月10日1970年代チュメニのサモトロール油田ニュース―サモトロール油田は開発以来1億5000万トンの原油を採取した。そのためには6年以上を要した。
DIA-602-1975-03-11-1ソ連1975年03月11日1970年代水産庁長官,モスクワで漁業相と会談。
DIA-602-1975-03-12-1ソ連1975年03月12日1970年代バム鉄道建設と将来のベルカキト駅の調査―クズバス・トラストから来たバム鉄道建設調査隊は,厳しい気象のなかで将来のベルカキト駅の調査を行なって帰った。ベルカキト駅は,ユジノヤクーツク炭用とトゥインダ=バム鉄道とつながり,1年後にヤクートのコークス炭をシベリア幹線上に運びだすものである。
DIA-602-1975-03-12-2ソ連1975年03月12日1970年代日ソ漁業会談開幕。
DIA-602-1975-03-13-1ソ連1975年03月13日1970年代バム鉄道のタイシェト=レナ間の複線工事中。
DIA-602-1975-03-15-1ソ連1975年03月15日1970年代ウスチ・イリム水力発電所建設ニュース―ウスチ・イリム水力発電所の第4番目の発電機の組立てが本日はじまった。
DIA-602-1975-03-20-1ソ連1975年03月20日1970年代バム鉄道ニュース―バム鉄道沿線の鉱物資源開発がはじまると,100万人を下らない人口が居住して働くことになる。それまでには約200のステーションと待避駅を作り,3000以上の施設,142の大きな鉄橋の建設,2億2000万の土木工事,25km以上のトンネルをつくらなければならない。
DIA-602-1975-03-24-1ソ連1975年03月24日1970年代新造砕氷船《エルマーク》号ウラジボストークに入港―歴史的に有名な《エルマーク》(シベリアを侵略した)の名をとったエルマーク号が司令船となり,《モスクワ》号,《レニングラード》号,《ウラジボストーク》号のような強力な砕氷船とともに北方航路の船舶航行を保障することになった。
DIA-602-1975-03-29-1ソ連1975年03月29日1970年代トルクメン共和国で巨大な岩塩鉱床発見。
DIA-602-1975-03-31-1ソ連1975年03月31日1970年代シェレーピン議長,突然訪英―激しい訪英反対運動をまきおこしていたソ連のシェレーピン労組評議会議長(党政治局員)を団長とする労組代表団は31日夕,予定を繰り上げひそかにロンドンのヒースワー空港に着いた。
DIA-602-1975-04-01-1ソ連1975年04月01日1970年代中東,ジュネーブ平和会議,再会の準備をエジプト米ソに要請。
DIA-602-1975-04-01-2ソ連1975年04月01日1970年代シベリアに3大紙パルプ工場,日本が設備と借款。
DIA-602-1975-04-02-1ソ連1975年04月02日1970年代訪英のシェレーピン氏,国民の前に姿見せず帰国。
DIA-602-1975-04-02-2ソ連1975年04月02日1970年代ソ連,バングラ経済協定調印。
DIA-602-1975-04-03-1ソ連1975年04月03日1970年代日ソ,第二次極東森林資源開発取決めに調印。
DIA-602-1975-04-03-2ソ連1975年04月03日1970年代日ソ・サケマス交渉会議西カムチャツカの底引き網漁禁漁を,ソ連提案。
DIA-602-1975-04-03-3ソ連1975年04月03日1970年代カニ,ツブ交渉,ソ連側当初規制案譲らず。
DIA-602-1975-04-04-1ソ連1975年04月04日1970年代米財務長官,ソ連など4ヵ国を訪問。
DIA-602-1975-04-04-2ソ連1975年04月04日1970年代ソ連,日中友好条約交渉について日本に警告。
DIA-602-1975-04-04-3ソ連1975年04月04日1970年代ウクライナからチタ州南部へ移民。
DIA-602-1975-04-05-1ソ連1975年04月05日1970年代ブレジネフ書記長,エジプトに親書。
DIA-602-1975-04-06-1ソ連1975年04月06日1970年代ユジノ・サハリンスクの《土曜労働》に7万人参加。
DIA-602-1975-04-07-1ソ連1975年04月07日1970年代ソ連のソユーズ失敗で,NASA緊急会議。
DIA-602-1975-04-07-2ソ連1975年04月07日1970年代蒋総統死去に冷静なソ連。
DIA-602-1975-04-07-3ソ連1975年04月07日1970年代ソ連の金売却,昨年は7億5000万ドルとCIA推計。
DIA-602-1975-04-08-1ソ連1975年04月08日1970年代国を挙げてバム鉄道を建設していると強調―プラウダ紙8日付第一面社説。
DIA-602-1975-04-08-2ソ連1975年04月08日1970年代バイカル=アムール鉄道東部地区にウクライナからの建設者作業中。
DIA-602-1975-04-09-1ソ連1975年04月09日1970年代伸びるソ連の対西側貿易―9日のプラウダに載ったパトチェフ外国貿易相の西側との貿易に関する展望談によると,ソ連の西側工業国との貿易量は過去4年間に2.7倍に伸び,昨年実績で124億ルーブル,ソ連全外国貿易の31%を占めるようになった。
DIA-602-1975-04-09-2ソ連1975年04月09日1970年代日本のサケ・マス漁獲量,ソ連側8万トン台提案。
DIA-602-1975-04-10-1ソ連1975年04月10日1970年代禁漁水域でソ連強硬,難航する日ソ・カニ交渉。
DIA-602-1975-04-10-2ソ連1975年04月10日1970年代イラン=ソ連=西ドイツを結ぶ天然ガスパイプライン協定調印。
DIA-602-1975-04-11-1ソ連1975年04月11日1970年代政府,対ソ・アンモニア製造プラントで銀行間借款認める。
DIA-602-1975-04-11-2ソ連1975年04月11日1970年代ソ連,イスラエルに特使―イスラエルの日刊紙・ハーレツが11日報じたところによると,ソ連政府の特使2人が先週秘かにイスラエルを訪問,ラビン首相,アロン外相と会談してジュネーブでの中東和平会議再開について協議したという。
DIA-602-1975-04-11-3ソ連1975年04月11日1970年代バム鉄道建設に8000の青年男女。
DIA-602-1975-04-12-1ソ連1975年04月12日1970年代ソ連へ茶摘み機など輸出。
DIA-602-1975-04-15-1ソ連1975年04月15日1970年代ヤクート天然ガス探鉱,米国バンクローン供与でスタート―安西浩日ソ経済委員会天然ガス懇談会委員長は15日,シベリア開発6大プロジェクトのひとつであるヤクート天然ガス探鉱に対し米国がバンクローンを供与するめどがついたとし,これにより懸案の日・米・ソ3国による共同探鉱が実現する見通しになったと語った。
DIA-602-1975-04-15-2ソ連1975年04月15日1970年代米・中・ソ軍拡競争続行―軍事専門家の間で権威のある英国のジェーン兵器年鑑の74―75年版が15日発行されたが,米・中・ソ3国の軍拡競争はいっこうに衰える気配はない。同年鑑の編集者の1人R.T.ブリティー氏は序文の中で,米ソ間の戦略兵器制限交渉は,両国が同協定の網をくぐり抜けて戦略兵器を拡充する技術を高めただけであると指摘,両国が相変らず国の科学技術の粋を傾けて核武装の質的向上に努めているとしている。最近の傾向としては,小型ないし中型核弾頭とその精度向上化を重視しているという。ソ連は主力ミサイルの新型ICBM,SS18型,SS19型の配置についてもこれが行なわれているとしている。これら2種のミサイルは8個の多目標弾頭(MIRV)を装備したソ連ミサイルの最新鋭版。一方,米国が開発中の核兵器は,ミサイルXと呼ばれる移動可能大陸間弾道ミサイル。このミサイルは戦略爆撃機からパラシュートで落下。空中でロケットエンジンに点火して攻撃目標に向かう性能を持つ。中国もまた独自のICBM開発を進めているが,その明確な実態については何も紹介されていない。最近,中国西部にソ連に対抗するための大規模な位相レーダー基地が建設された事実から,中国が高速コンピューター,集積
DIA-602-1975-04-15-3ソ連1975年04月15日1970年代サケ,マス漁獲量,日本8万7000トンに決まる。
DIA-602-1975-04-16-1ソ連1975年04月16日1970年代日ソ・カニ交渉,タラバガニ,西カムチャツカで全面禁漁。
DIA-602-1975-04-16-2ソ連1975年04月16日1970年代シェレーピン政治局員解任―ソ連共産党は16日,党中央委員総会を開き,シェレーピン政治局員を解任すると発表した。党内で反主流派だった同政治局員の解任は,ウクライナ党第一書記兼政治局員だったシュレスト氏の解任に次ぐ大きな措置で,現ブレジネフ政権の強化につながるものとみられている。また同総会は来年2月に第25回党大会を開催することを発表し,党大会にむけて新たなブレジネフ体制の再編成に向かうことになった。タス通信によると,16日の党中央委総会でグロムイコ外相が「国際情勢とソ連の外交政策」と題する演説を行なったあと,人事問題をとりあげ,シェレーピン政治局員を本人の意思に従って解任することに決めたと述べた。解任の理由については,本人の要請以外何も明らかにされていない。背後に深刻な政争があったとみられている。シェレーピン政治局員は現在56歳で,政治局内部で最も若年の実力者の一人。これまで政変の噂がでるたびに,西側では政権担当の有力候補の一人にあげられてきた。1972年,シュレスト氏がウクライナ民族主義と対米緊張緩和政策不賛成を理由に政治局員から解任されていることから,こんどのシェレーピン解任もブレシネフ路線に対抗する党内有力者を現
DIA-602-1975-04-16-3ソ連1975年04月16日1970年代ブ書記長を全面支持,党中央委総会で決定。
DIA-602-1975-04-16-4ソ連1975年04月16日1970年代ソ連が海軍演習準備。
DIA-602-1975-04-17-1ソ連1975年04月17日1970年代ソ連人記者が亡命―東京晴海で21日からオープンする第11回東京国際見本市を取材するため来日したソ連人記者が,宿泊先のホテルを出てアメリカに政治亡命を求めてきたことが,17日明らかになった。政治亡命を求めてきたのはソ連,ノーボスチ通信の記者,アナトーリー・ダビドフ氏,27歳。
DIA-602-1975-04-18-1ソ連1975年04月18日1970年代亡命ソ連記者,米国へ。
DIA-602-1975-04-18-2ソ連1975年04月18日1970年代シェレーピン訪英,陰謀説―ソ連のシェレーピン党政治局員の解任について,つい2週間前の同氏の訪問にさいし一部で激しい抗議デモを展開した英国は,ことさら大きな驚きを感じている。英国ではソ連当局の発表にある本人の希望によりという理由をそのまま信ずる向きはほとんどなく,①ソ連国内の権力闘争から脱落した。②シェレーピン氏の訪英当時の騒動が解任のきっかけとなった,などを失脚の真の理由とみるのが大半である。デリーメール紙の報道によると西側のソ連観測筋の間では先の訪英をある種の陰謀とみる見方がある。これによると,シェレーピン氏が英労働組合会議(TUC)の招待で訪英するという報道が初めて流されたとき,ブレジネフ書記長は在ロンドンのルンコフ大使に指令してシェレーピン訪英でどのような反応が英国に起こるか,極秘の報告を求めたという。ルンコフ大使はキャラハン英外相と保守党影の内閣の外相,モードリング氏と2人ともこの訪英で反対感情が高まりデモによって英ソ関係に良くない事態が起こるかも知れないという意見を述べたという。こうした内容はすべてクレムリンに送られたが,結局ブレジネフ書記長はシェレーピン氏をロンドンに旅立たせたという。またガーディア
DIA-602-1975-04-18-3ソ連1975年04月18日1970年代外交面でも現政権路線確認,ソ連党中央委総会。
DIA-602-1975-04-18-4ソ連1975年04月18日1970年代対カンボジア外交でソ連早くも援助決定―ソ連はプノンペン解放で勝利の方向が決定したカンボジア解放勢力に対し,影響力の強化に乗り出した。
DIA-602-1975-04-19-1ソ連1975年04月19日1970年代インド初の科学衛星,ソ連領内から打ち上げ。
DIA-602-1975-04-19-2ソ連1975年04月19日1970年代ソ連,エジプト外相会議はじまる。
DIA-602-1975-04-21-1ソ連1975年04月21日1970年代コスイギン首相,カンボジアへの援助を約束。
DIA-602-1975-04-21-2ソ連1975年04月21日1970年代ブレジネフ,エジプト外相と会談。
DIA-602-1975-04-22-1ソ連1975年04月22日1970年代スースロフ政治局員,平和共存路線を称賛。
DIA-602-1975-04-22-2ソ連1975年04月22日1970年代クラコフ氏,席順上位,書記長本命説を裏づける。
DIA-602-1975-04-23-1ソ連1975年04月23日1970年代パレスチナ解放軍,ミグ戦闘機を配備。
DIA-602-1975-04-23-2ソ連1975年04月23日1970年代イスラエル撤退すればソ連が安全を保障―グロムイコ・ソ連外相は23日,訪ソ中のハダム・シリア外相の歓迎夕食会で演説し,イスラエルがアラブ占領地域から撤退するなら,ソ連は適当な協定の形でイスラエルの存在と独立を最大限に保障するだろうと述べた。
DIA-602-1975-04-24-1ソ連1975年04月24日1970年代西シベリアの原油年産1億4700万トン。
DIA-602-1975-04-24-2ソ連1975年04月24日1970年代モスクワ放送日中覇権問題で警告。
DIA-602-1975-04-25-1ソ連1975年04月25日1970年代重光大使,三木親書をグロムイコに手交。
DIA-602-1975-04-26-1ソ連1975年04月26日1970年代ソ連の海上演習,タンカー攻撃か?―米国防総省の軍事専門家グループは最近のソ連の大規模な海上軍事演習について26日,ソ連がペルシャ湾から西欧諸国や米国に向うタンカーの攻撃演習を初めて行なったのではないかとの分析結果を明らかにした。
DIA-602-1975-04-28-1ソ連1975年04月28日1970年代中朝,共同コミュニケ,ソ連批判はさける―14年ぶりに北京往復した金首席の中国訪問は,内外の注目を集めていたが,発表された共同コミュニケをみる限り,朝鮮半島問題に重点が置かれ,ソ連修正主義,社会帝国主義,覇権条項など直接ソ連を刺激する表現は避けた形となった。
DIA-602-1975-04-30-1ソ連1975年04月30日1970年代ソ連,南ベトナム崩壊後への影響力拡大を図る。
DIA-602-1975-04-30-2ソ連1975年04月30日1970年代北ベトナム,中ソの要請をけり,攻勢の独自性を示す―南ベトナム臨時革命政府と接触のあるパリの信頼できる筋が30日語ったところによると,さる3月北,革命政府軍が大攻勢を開始した直後,政治解決を望む米仏両国から援助要請を受けたソ連と中国は,北ベトナムに最終的な攻略作戦を差し控えるよう働きかけたが北ベトナムがそれに応じなかったという。
DIA-602-1975-04-30-3ソ連1975年04月30日1970年代ベトナム勝利の陰の主役に,ソ連製武器―ベトナム戦争勝利を導いたのはソ連製歳器だった。戦闘機ミサイル,戦車,大砲,レーダー。1965年2月の米軍の北爆開始以来現在までの10年間にソ連の北ベトナムに対する軍事援助は約17億6000万ドルと推定され,解放勢力側の武器の8割はソ連製とみられる。
DIA-602-1975-05-01-1ソ連1975年05月01日1970年代サダト大統領,ソ連に武器支払い猶予を迫る。
DIA-602-1975-05-02-1ソ連1975年05月02日1970年代PLOのジュネーブ会議参加をソ連要請。
DIA-602-1975-05-05-1ソ連1975年05月05日1970年代シンガポール首相,ソ連接近策は危険と警告。
DIA-602-1975-05-05-2ソ連1975年05月05日1970年代中ソ国境会談交渉進展せず。
DIA-602-1975-05-06-1ソ連1975年05月06日1970年代キプロス内相,訪ソ。
DIA-602-1975-05-06-2ソ連1975年05月06日1970年代中ソなどの貨物船,続々とダナン入港。
DIA-602-1975-05-06-3ソ連1975年05月06日1970年代核軍縮,米ソが責任をと核防条約再検討会議でメキシコが批判。
DIA-602-1975-05-07-1ソ連1975年05月07日1970年代モスクワ放送,廖承志の反ソ演説に反撃。
DIA-602-1975-05-07-2ソ連1975年05月07日1970年代極東最初の50万ボルト高圧送電線建設。
DIA-602-1975-05-08-1ソ連1975年05月08日1970年代カンボジア解放軍,ソ連国旗を踏みつける。
DIA-602-1975-05-09-1ソ連1975年05月09日1970年代対独戦勝30周年を祝い,ブ書記長が米大統領に親書。
DIA-602-1975-05-09-2ソ連1975年05月09日1970年代ソ連,平和アピール―ソ連共産党中央委員会最高幹部会,政府は対独戦勝30周年記念日の9日,全世界の国民,政府にあてた平和アピールを発表した。
DIA-602-1975-05-10-1ソ連1975年05月10日1970年代米商務長官,シベリア共同開発でソ連代表との会談の用意。
DIA-602-1975-05-11-1ソ連1975年05月11日1970年代欧州共産党会議,東独案にユーゴなどが反発。
DIA-602-1975-05-11-2ソ連1975年05月11日1970年代中国,ソ連の12の覇権主義を社会党「流れの会」に指摘。
DIA-602-1975-05-11-3ソ連1975年05月11日1970年代ソ連,軍事援助の代償にカムラン湾要求か?
DIA-602-1975-05-11-4ソ連1975年05月11日1970年代北ベトナム副首相,スースロフ政治局員と会談。
DIA-602-1975-05-12-1ソ連1975年05月12日1970年代ソ連首相,リビア訪問。
DIA-602-1975-05-12-2ソ連1975年05月12日1970年代カムチャッカで大噴火。
DIA-602-1975-05-12-3ソ連1975年05月12日1970年代ソ連,借款80億ドルを越える。
DIA-602-1975-05-12-4ソ連1975年05月12日1970年代ソ連,南ベトナムと経済援助協定に調印。
DIA-602-1975-05-12-5ソ連1975年05月12日1970年代対独戦勝30周年で,ソ連艦隊,ボストンへ。
DIA-602-1975-05-12-6ソ連1975年05月12日1970年代シャーシン石油工業相,日ソ協力を強調。
DIA-602-1975-05-12-7ソ連1975年05月12日1970年代レナ川下流航行開始。
DIA-602-1975-05-13-1ソ連1975年05月13日1970年代モスクワ放送,ソ連がカムラン湾に基地要求はデマと報道。
DIA-602-1975-05-13-2ソ連1975年05月13日1970年代プラウダ,タイ支局開設へ。
DIA-602-1975-05-13-3ソ連1975年05月13日1970年代池田創価学会会長,ソ連首脳と会見か。
DIA-602-1975-05-14-1ソ連1975年05月14日1970年代サダト大統領,対ソ債務返済で米に援助要請。
DIA-602-1975-05-14-2ソ連1975年05月14日1970年代ワルシャワ条約機構,自動的に10年延長。
DIA-602-1975-05-14-3ソ連1975年05月14日1970年代ブラント前西ドイツ首相,訪ソ延期。
DIA-602-1975-05-14-4ソ連1975年05月14日1970年代ムミャーチン・タス通信社長,米ソ関係安定を強調。
DIA-602-1975-05-14-5ソ連1975年05月14日1970年代在京ソ連大使館筋,社会党の中国との共同声明を厳しく批判。
DIA-602-1975-05-14-6ソ連1975年05月14日1970年代ソ連,覇権問題で日本を巻き込むなと,厳しく中国を非難。
DIA-602-1975-05-15-1ソ連1975年05月15日1970年代シベリア開発で新提案,三菱グループを打診。
DIA-602-1975-05-15-2ソ連1975年05月15日1970年代モスクワ放送,成田委員長を名指しで非難。
DIA-602-1975-05-16-1ソ連1975年05月16日1970年代ソ連役人,西側ビジネスマンからワイロ受け死刑の判決。
DIA-602-1975-05-16-2ソ連1975年05月16日1970年代ソ連大使,両院議長を訪問。
DIA-602-1975-05-16-3ソ連1975年05月16日1970年代日ソ近海漁業協定の実質合意が成立。
DIA-602-1975-05-17-1ソ連1975年05月17日1970年代ソ連・チュニジア共同コミュニケ。
DIA-602-1975-05-17-2ソ連1975年05月17日1970年代中仏,ソ連の脅威で意見対立。
DIA-602-1975-05-17-3ソ連1975年05月17日1970年代オビ川,トミ川航行開始。
DIA-602-1975-05-18-1ソ連1975年05月18日1970年代ワシントンポスト紙,ソ連・中東和平会議準備工作に失敗と報ず。
DIA-602-1975-05-19-1ソ連1975年05月19日1970年代社会党,プラウダの成田批判に対し,当分は沈黙の方針。
DIA-602-1975-05-19-2ソ連1975年05月19日1970年代ケルディシ科学アカデミー総裁辞任。
DIA-602-1975-05-20-1ソ連1975年05月20日1970年代コメコンのエネルギー政策の新方向―ソ連のエネルギー供給量が限界に達し,新たなエネルギー資源の確保に向って,コメコンは具体的な計画に着手つつある。
DIA-602-1975-05-20-2ソ連1975年05月20日1970年代ブレジネフ書記長,病気か?
DIA-602-1975-05-20-3ソ連1975年05月20日1970年代ソ連のタンカー3隻,サイゴン入港。
DIA-602-1975-05-21-1ソ連1975年05月21日1970年代ソ連はキ長官の工作に同意とイスラエル観測。
DIA-602-1975-05-22-1ソ連1975年05月22日1970年代ショーロホフ氏にレーニン勲章。
DIA-602-1975-05-22-2ソ連1975年05月22日1970年代シェレーピン氏,労組中央委の議長も解任。
DIA-602-1975-05-23-1ソ連1975年05月23日1970年代ソ連の軍事基地建設をリビア筋否定。
DIA-602-1975-05-24-1ソ連1975年05月24日1970年代ソ連のリビアへの兵器供与,総額は120億ドルとカイロ紙報道。
DIA-602-1975-05-24-2ソ連1975年05月24日1970年代ソ連,イスラエル大使,米で数回接触。
DIA-602-1975-05-24-3ソ連1975年05月24日1970年代アムール川の“魚の王”調査―アムール下流の有名なカルーガは20歳までに体長4m,体重1000kgになる。この魚はただアムール川だけにいる。
DIA-602-1975-05-26-1ソ連1975年05月26日1970年代ソユーズ18号,サリュート4号とドッキングに成功。
DIA-602-1975-05-27-1ソ連1975年05月27日1970年代中国,ソ連が南ベトナムの旧米軍基地の使用を要求したと指摘する。
DIA-602-1975-05-27-2ソ連1975年05月27日1970年代サモトロール=クイブイシェフ間石油パイプ・ラインのサモトロール付近完成。
DIA-602-1975-05-30-1ソ連1975年05月30日1970年代ソ連の乗用車,米市場へ進出。
DIA-602-1975-05-30-2ソ連1975年05月30日1970年代根強いブレジネフ書記長辞任説。
DIA-602-1975-05-31-1ソ連1975年05月31日1970年代ソ連の西側へ輸出見込の石油,37億ドルか?
DIA-602-1975-06-01-1ソ連1975年06月01日1970年代プラウダ,シュレジンジャー長官の核報復の言明を厳しく非難。
DIA-602-1975-06-01-2ソ連1975年06月01日1970年代核爆発利用で油田開発―ソ連紙モスコウスカヤ,プラウダが1日伝こたところによると,ソ連の科学者は二つの地下核実験を行ない,通常の方法では枯渇した油田からの石油採掘に成功した。
DIA-602-1975-06-01-3ソ連1975年06月01日1970年代新華社,ソ連政権をヒトラーと同一視―新華社は1日「ブレジネフ集団はヒトラーの古い道を歩んでいる」と題する論評を発表した。
DIA-602-1975-06-02-1ソ連1975年06月02日1970年代ソ連首脳,佐藤元首相の死を損失と評価。
DIA-602-1975-06-02-2ソ連1975年06月02日1970年代プラウダ,訪日中国報道代表団を再び非難。
DIA-602-1975-06-02-3ソ連1975年06月02日1970年代鄧小平副首相,ソ連の攻撃は西欧にむけられると確信,と述べる。
DIA-602-1975-06-02-4ソ連1975年06月02日1970年代ソ連漁業相来日。
DIA-602-1975-06-02-5ソ連1975年06月02日1970年代KGB,はるかにCIAを越える―ニューヨークタイムスは,ソ連の秘密機関KGBは,現在42万人を数え,アメリカのCIAとFBIを合計した3万5500人をはるかに越えていると報道した。
DIA-602-1975-06-02-6ソ連1975年06月02日1970年代バム鉄道地区の森林資源調査,ノボシビルスクの営林関係者は今シーズンの間に約200万ヘクタールを調査する予定。
DIA-602-1975-06-02-7ソ連1975年06月02日1970年代東独外相,訪ソ。
DIA-602-1975-06-03-1ソ連1975年06月03日1970年代サケ,マス,日ソで共同増殖。
DIA-602-1975-06-03-2ソ連1975年06月03日1970年代南ベトナム革命政府外相,ソ連外相と会談。
DIA-602-1975-06-03-3ソ連1975年06月03日1970年代米ソ,核実験禁止で交渉再開。
DIA-602-1975-06-03-4ソ連1975年06月03日1970年代コスイギン首相ロックフェラー銀行会長と会談。
DIA-602-1975-06-04-1ソ連1975年06月04日1970年代ソ連最大のICBM,SS18発射実験。
DIA-602-1975-06-04-2ソ連1975年06月04日1970年代コスイギン首相,ブルガリア首相と会談。
DIA-602-1975-06-05-1ソ連1975年06月05日1970年代スエズ開通とソ連のインド洋戦略―ソ連は政治的,軍事的にスエズ運河の再開を強く歓迎している。 ソ連のテレビは4日,再開を目前に控えた同運河のもようを大々的に伝えたが,これは再開に寄せるソ連の期待の大きさを物語っている。ソ連はスエズ運河を東方への重要な出口とみて,重視しており,インド洋をめぐってソ連海軍の活動が活発化したのは68年以来であり,現在では約30隻の艦艇がインド洋に常駐している。
DIA-602-1975-06-06-1ソ連1975年06月06日1970年代イシコフ漁業相首相を表敬訪問。
DIA-602-1975-06-06-2ソ連1975年06月06日1970年代ソ連初の攻撃用空母「キエフ」就役準備にはいる―米誌ニユーズ,ウイークによると,ソ連最初の攻撃用空母キエフ(3万5000トン)が,最近黒海沿岸のニコラエフ造船所からクリミア半島のセバストポリ軍港まで自力航行したという。キエフは垂直離陸機25機か,ヘリコプター36機を積むことができ,来年には就役する予定。
DIA-602-1975-06-06-3ソ連1975年06月06日1970年代ソ連,ソマリアにミサイル施設。
DIA-602-1975-06-06-4ソ連1975年06月06日1970年代ポノマリヨフ書記,クリシュナン印共書記長と会談。
DIA-602-1975-06-07-1ソ連1975年06月07日1970年代日ソ漁業操業協定に調印,漁業被害賠償請求48年以降に適用。
DIA-602-1975-06-08-1ソ連1975年06月08日1970年代操業協定交渉,日ソがコミュニケ。
DIA-602-1975-06-08-2ソ連1975年06月08日1970年代イシコフ漁業相帰国。
DIA-602-1975-06-08-3ソ連1975年06月08日1970年代ソ連,金星9号打上げ。
DIA-602-1975-06-09-1ソ連1975年06月09日1970年代フォード大統領,SALT交渉進展すれば,ブ書記長今秋に訪米と語る。
DIA-602-1975-06-09-2ソ連1975年06月09日1970年代日ソ経済合同委員会,幹部会開催。
DIA-602-1975-06-09-3ソ連1975年06月09日1970年代ソ連潜水艦,米海岸に接近―9日,米誌ニユーズ・ウイークはソ連潜水艦が先週,米東海岸に接近して巡航したと報道した。同誌によるとこの潜水艦はこれまで米海岸から1600キロ以上離れた位置にいたが,今回はフィラデルフィアから800キロ以内,ノーホークから580キロ以内に接近している。またこの潜水艦は日常使用している武器は,2400キロの射程距離をもつミサイル16基を装備しているとみられ,国防総省筋は,米国の対潜水鑑システムの反応をテストしていたのかもしれないと推測している。
DIA-602-1975-06-10-1ソ連1975年06月10日1970年代訪ソを中止した金日成,東欧旅行。
DIA-602-1975-06-10-2ソ連1975年06月10日1970年代ブレジネフ書記長1ヵ月ぶりに政務再開。
DIA-602-1975-06-10-3ソ連1975年06月10日1970年代閣僚会議,第10次5ヵ年計画の骨子検討。
DIA-602-1975-06-11-1ソ連1975年06月11日1970年代西シベリア油田の将来―プラウダ紙3頁論文『沿オビの資源を人民へ―サモトロールに次いで』によれば,西シベリア油田は,現在第9次5ヵ年計画において予定の年産1億2000万トン~1億3000万トンに代って1億4700万トンを国家に提供する。
DIA-602-1975-06-11-2ソ連1975年06月11日1970年代サハロフ博士,心臓発作で倒れる。
DIA-602-1975-06-11-3ソ連1975年06月11日1970年代緊張緩和の推進を強調,ソ連首相演説。
DIA-602-1975-06-12-1ソ連1975年06月12日1970年代グロムイコ外相,重光駐ソ大使と会談。
DIA-602-1975-06-13-1ソ連1975年06月13日1970年代ブレジネフ書記長,大量殺人兵器開発禁止協定を提案。
DIA-602-1975-06-14-1ソ連1975年06月14日1970年代ソ連,金星10号打上げ。
DIA-602-1975-06-15-1ソ連1975年06月15日1970年代訪米は全欧安全保障首脳会議後に。
DIA-602-1975-06-15-2ソ連1975年06月15日1970年代ブレジネフ訪米は未定とキッシンジャー長官示唆。
DIA-602-1975-06-15-3ソ連1975年06月15日1970年代第9次統一地方選挙実施。
DIA-602-1975-06-17-1ソ連1975年06月17日1970年代赤城日ソ協会長,覇権問題の取扱い慎重にと申し入れ。
DIA-602-1975-06-17-2ソ連1975年06月17日1970年代ソ連「覇権」で日本あての声明で日中条約慎重な態度を望む。
DIA-602-1975-06-17-3ソ連1975年06月17日1970年代米ソ,気象兵器禁止交渉中。
DIA-602-1975-06-18-1ソ連1975年06月18日1970年代ソ連艦隊基地,モザンビークにも?
DIA-602-1975-06-18-2ソ連1975年06月18日1970年代政府,覇権に関するソ連声明に反論を訓令。
DIA-602-1975-06-18-3ソ連1975年06月18日1970年代ソ連,ジュネーブでの中東和平会議断念か。
DIA-602-1975-06-19-1ソ連1975年06月19日1970年代トゥインダ=コムソモリスク(バム鉄道)間新空路開設。
DIA-602-1975-06-19-2ソ連1975年06月19日1970年代重光駐ソ大使,グロムイコ外相と会談。
DIA-602-1975-06-20-1ソ連1975年06月20日1970年代ポノマリヨフ書記局員,シリア訪問。
DIA-602-1975-06-20-2ソ連1975年06月20日1970年代モスクワ放送,日本の「核防」批准延期を非難。
DIA-602-1975-06-20-3ソ連1975年06月20日1970年代ソ連,新MIRV50基配備。
DIA-602-1975-06-21-1ソ連1975年06月21日1970年代ソ連が公海で日本漁船傘捕。
DIA-602-1975-06-23-1ソ連1975年06月23日1970年代北極向け船団本年最初の出航。
DIA-602-1975-06-23-2ソ連1975年06月23日1970年代中ソ代表が外交演説―国際婦人年世界会議。
DIA-602-1975-06-23-3ソ連1975年06月23日1970年代ギレク・ポーランド統一労働者党第一書記は23日モスクワ到着。
DIA-602-1975-06-23-4ソ連1975年06月23日1970年代ベルギー国王,モスクワ入り。
DIA-602-1975-06-23-5ソ連1975年06月23日1970年代ガスパイプライン用バルブ,ソ連から大量に受注。
DIA-602-1975-06-24-1ソ連1975年06月24日1970年代ソ連覇権で再び警告。
DIA-602-1975-06-24-2ソ連1975年06月24日1970年代コメコン第29回総会ブタペストで開催。
DIA-602-1975-06-25-1ソ連1975年06月25日1970年代日中条約は軍事同盟的性格とソ連誌中国を非難。
DIA-602-1975-06-25-2ソ連1975年06月25日1970年代駐タイソ連大使,東南アジア外交で演説―覇権を求めずと表明。
DIA-602-1975-06-26-1ソ連1975年06月26日1970年代コメコン総会閉幕。
DIA-602-1975-06-26-2ソ連1975年06月26日1970年代グロムイコ外相,訪伊。
DIA-602-1975-06-27-1ソ連1975年06月27日1970年代プラウダ,インド首相ガンジー支持の論評。
DIA-602-1975-06-28-1ソ連1975年06月28日1970年代東シベリアと極東の7月の気温予報―プラウダ紙,クラスノヤルスク地方南部,バイカル沿い,ザバイカル,またアソール州,ハバロフスク地方南部およびプリモリエ(沿海)では時々気温は25°~30°にあがる。しかし悪天候で短時間寒くなり夜間5°~10°,昼間15°~20°になることがある。
DIA-602-1975-07-01-1ソ連1975年07月01日1970年代社会党東京都本部訪ソ団に,モスクワ州委員会第一書記「日中共同声明」に関し不満を表明。
DIA-602-1975-07-01-2ソ連1975年07月01日1970年代世界最大の核融合装置「トカマク10」実験的に始動。
DIA-602-1975-07-03-1ソ連1975年07月03日1970年代ソ連海軍,日本海で大演習。
DIA-602-1975-07-03-2ソ連1975年07月03日1970年代解放後のサイゴン,ソ連色強まる。
DIA-602-1975-07-04-1ソ連1975年07月04日1970年代覇権で,日本世論は毛主義者に抵抗とプラウダ紙論評。
DIA-602-1975-07-04-2ソ連1975年07月04日1970年代新しい原子力砕氷船《アルクチカ》号―世界最大の原子力砕氷船はいま北氷洋を東に航路をとっており,極北諸港向け貨物を積んだ船団を誘導している。
DIA-602-1975-07-05-1ソ連1975年07月05日1970年代タス通信,仏内相発言に激しい非難論文。
DIA-602-1975-07-06-1ソ連1975年07月06日1970年代バム建設へ米国からブルドーザー。
DIA-602-1975-07-08-1ソ連1975年07月08日1970年代新造発電船チュメニ造船所からシュミット岬へ。
DIA-602-1975-07-08-2ソ連1975年07月08日1970年代ソ連最高会議開幕―ソ連最高会議は(第9回招集第3会期)8日,民族会議と連邦会議を別個に開き,今会期の議題を,①鉱物資源の保護強化と利用改善のための手段の討義,②地床に関する連邦および共和国の基本立法原則(国土利用)草案の討義,③前会期以降に出された最高会議幹部会令の承認,などを決めた。つづいて民族,連邦両議会合同の会議が開かれ,議案の説明や討議にはいった。国土利用法案については,チーホノフ副首相が趣旨説明を行ない「ソ連共産党と政府は天然資源の合理的利用と自然保護の問題解決に絶えず努力してきた。今度の法案は国民経済の現在の発展状況に着眼して,準備されたものである。」と述べた。会議には党首脳もそろって出席したが,党中央委については,開催されたとの発表がなかった。
DIA-602-1975-07-09-1ソ連1975年07月09日1970年代最高会議閉幕。
DIA-602-1975-07-10-1ソ連1975年07月10日1970年代プラウダ,収穫作業急げと呼びかける。
DIA-602-1975-07-11-1ソ連1975年07月11日1970年代米ソ外相会談終る。
DIA-602-1975-07-11-2ソ連1975年07月11日1970年代ソ連,大量の金売却。
DIA-602-1975-07-11-3ソ連1975年07月11日1970年代ソ連向け穀物輸出,最大限1000万トンと米農務長官語る。
DIA-602-1975-07-12-1ソ連1975年07月12日1970年代タイ・ラオスを舞台にソ連,諜報活動強化。
DIA-602-1975-07-14-1ソ連1975年07月14日1970年代澄田,アルヒーモフ,ヤクート天然ガス借款仮調印。
DIA-602-1975-07-14-2ソ連1975年07月14日1970年代イズベスチア,中国よりの三木首相を批判。
DIA-602-1975-07-14-3ソ連1975年07月14日1970年代全欧安保首脳会議,7月30日開催本決まり。
DIA-602-1975-07-15-1ソ連1975年07月15日1970年代ソルジェニツィン氏,米議員に警告。
DIA-602-1975-07-16-1ソ連1975年07月16日1970年代ソ連,自動車産業が急成長,乗用車の生産2割増。
DIA-602-1975-07-16-2ソ連1975年07月16日1970年代日本海で日本の漁船,ソ連艦に拿捕か?
DIA-602-1975-07-17-1ソ連1975年07月17日1970年代カナダもソ連に200万トンの穀類輸出。
DIA-602-1975-07-17-2ソ連1975年07月17日1970年代米,ソ連にさらに120万トンの小麦売却。
DIA-602-1975-07-17-3ソ連1975年07月17日1970年代ソ連,日本人の墓参り認める。
DIA-602-1975-07-17-4ソ連1975年07月17日1970年代アポロ,ソユーズ,史上初のドッキング。
DIA-602-1975-07-17-5ソ連1975年07月17日1970年代ブレジネフ書記長,ドッキング成功に祝辞。
DIA-602-1975-07-18-1ソ連1975年07月18日1970年代ソ連の穀物被害,さらに深刻化。
DIA-602-1975-07-19-1ソ連1975年07月19日1970年代ソ連の人口発表―ソ連政府中央統計局が19日発表したところによると,ソ連の7月1日付の総人口は2億5430万人となった。
DIA-602-1975-07-19-2ソ連1975年07月19日1970年代エジプト,ソ連との友好条約破棄か?
DIA-602-1975-07-20-1ソ連1975年07月20日1970年代中国,ソ連の宇宙開発を批判。
DIA-602-1975-07-21-1ソ連1975年07月21日1970年代ソ連,宇宙協力の米管制官のイスに盗聴マイクをしかける。
DIA-602-1975-07-21-2ソ連1975年07月21日1970年代ソ連,米からトウモロコシ,大麦も買う。
DIA-602-1975-07-21-3ソ連1975年07月21日1970年代ソ連,シナイ協定交渉を非難。
DIA-602-1975-07-22-1ソ連1975年07月22日1970年代ソ連当局,反体制歴史家アマリルクにモスクワ退去を命令。
DIA-602-1975-07-22-2ソ連1975年07月22日1970年代ソ連,豪からも小麦輸入。
DIA-602-1975-07-23-1ソ連1975年07月23日1970年代ソ連,ポルトガルに介入の疑い?
DIA-602-1975-07-23-2ソ連1975年07月23日1970年代カナダ,ソ連漁船締出し。
DIA-602-1975-07-24-1ソ連1975年07月24日1970年代ソ連,穀物大量買い手当てで,近く金大量売却か?
DIA-602-1975-07-24-2ソ連1975年07月24日1970年代タイ人民の声,ソ連の進出非難。
DIA-602-1975-07-24-3ソ連1975年07月24日1970年代サハリン大陸棚開発,借款協定に仮調印。
DIA-602-1975-07-24-4ソ連1975年07月24日1970年代米国の対ソ小麦,船積み予定通り。
DIA-602-1975-07-25-1ソ連1975年07月25日1970年代ソ連,穀物収穫見通し悪化,米農務省見解。
DIA-602-1975-07-25-2ソ連1975年07月25日1970年代ソ連,覇権条項で中国に反論。
DIA-602-1975-07-25-3ソ連1975年07月25日1970年代ソ連南部,旱魃のため農産物の打撃深刻。
DIA-602-1975-07-27-1ソ連1975年07月27日1970年代社会党の科学技術視察団,ソ連へ出発。
DIA-602-1975-07-29-1ソ連1975年07月29日1970年代台風調査船団太平洋で活動。
DIA-602-1975-07-30-1ソ連1975年07月30日1970年代全欧安保会議,ヘルシンキで開幕。
DIA-602-1975-07-31-1ソ連1975年07月31日1970年代全欧安保会議のブレジネフ演説,意外に平板。
DIA-602-1975-08-01-1ソ連1975年08月01日1970年代全欧安保協力会議最終文書に調印して閉幕。
DIA-602-1975-08-01-2ソ連1975年08月01日1970年代全欧安保の最終文書案,ソ連,軍事演習等で譲歩。
DIA-602-1975-08-02-1ソ連1975年08月02日1970年代パチンコ機,労働者の健全娯楽として,ソ連へ輸出か?
DIA-602-1975-08-02-2ソ連1975年08月02日1970年代8月初の中央アジアの気象,中央アジア諸共和国では雲少く乾燥した天候,昼は35°~40°。カサフスタン北部では秒速15~18mの風とともに短い雨と雷,昼は20°~25°。
DIA-602-1975-08-05-1ソ連1975年08月05日1970年代ソビエト紙,中国のアジア政策を攻撃。
DIA-602-1975-08-05-2ソ連1975年08月05日1970年代安倍農相モスクワへ。
DIA-602-1975-08-05-3ソ連1975年08月05日1970年代北氷洋の氷状,20年来最悪。
DIA-602-1975-08-06-1ソ連1975年08月06日1970年代西シベリア,チュメニ・=スルグート間に新鉄道が開通。
DIA-602-1975-08-06-2ソ連1975年08月06日1970年代プラウダ,「民主主義革命」に対して,プロレタリア独裁を強調。
DIA-602-1975-08-06-3ソ連1975年08月06日1970年代黒沢明監督の映画「デルス・ウザーラ」覇権を正当化との中国批難にソ連応酬。
DIA-602-1975-08-06-4ソ連1975年08月06日1970年代オビ川中流スウルグウトの鉄橋開通長さ2000m。
DIA-602-1975-08-06-5ソ連1975年08月06日1970年代バム鉄道建設に社会主義諸国の学生協力隊参加,タイシェト=レナ複線工事には東独,ハンガリー,チェコ,ソ連邦の男女学生が働いている。
DIA-602-1975-08-07-1ソ連1975年08月07日1970年代ソ連,社会党との関係改善に意欲。
DIA-602-1975-08-07-2ソ連1975年08月07日1970年代日ソ農相会談,突然お流れ,ソ連農相不在で。
DIA-602-1975-08-08-1ソ連1975年08月08日1970年代米港湾労組委員長,対ソ穀物船積み停止指令。
DIA-602-1975-08-08-2ソ連1975年08月08日1970年代イズベスチア,日米会談を緊張緩和に逆行と批判。
DIA-602-1975-08-09-1ソ連1975年08月09日1970年代ソ連の総兵力は400万人以上と米統合参謀本部議長語る。
DIA-602-1975-08-09-2ソ連1975年08月09日1970年代プラウダ,アジア集団安保創設の条件整うと報道。
DIA-602-1975-08-10-1ソ連1975年08月10日1970年代ブレジネフ,チェコのフサークと会談。
DIA-602-1975-08-11-1ソ連1975年08月11日1970年代コスイギン首相,ワルシャワ入り。
DIA-602-1975-08-11-2ソ連1975年08月11日1970年代ブレジネフ・フサーク会談。
DIA-602-1975-08-13-1ソ連1975年08月13日1970年代ソ連農相,更迭か?
DIA-602-1975-08-13-2ソ連1975年08月13日1970年代エニセイ川ドウディンカ港,今年100万トンの貨物量。
DIA-602-1975-08-14-1ソ連1975年08月14日1970年代キッシンジャー長官,ポルトガル問題で,ソ連に警告。
DIA-602-1975-08-17-1ソ連1975年08月17日1970年代ソ連,米国からの穀物輸入,1100万トン追加か。
DIA-602-1975-08-18-1ソ連1975年08月18日1970年代ソ連穀物,頼みの東部でも不作をイズベスチヤ紙報道。
DIA-602-1975-08-19-1ソ連1975年08月19日1970年代豪,小麦25万トンをソ連に追加売却。
DIA-602-1975-08-20-1ソ連1975年08月20日1970年代アルタイ地方の穀物刈取り状況,アルタイの農場480万haから穀物を刈取るため,コンバイン2万5000台,刈取機1万3000台,自働車4万6000台が出動した。
DIA-602-1975-08-21-1ソ連1975年08月21日1970年代ソ連,海軍力を増強し,政治的優位をねらうとジェーン海軍年鑑が指摘。具体的海軍力は以下の通り。原潜120隻,通常型191隻,その他原潜19隻,通常型77隻が建造中か予備役。空母(小型)3隻(2隻はヘリ空母),建造中1隻,巡洋艦33隻,駆逐艦106隻,フリゲート艦109隻。
DIA-602-1975-08-21-2ソ連1975年08月21日1970年代米農務長官,ソ連に更に800万トンの追加輸出可能と語る。
DIA-602-1975-08-21-3ソ連1975年08月21日1970年代タス通信,ジェーン年鑑を非難。
DIA-602-1975-08-21-4ソ連1975年08月21日1970年代ソ連・チェコ経済調整議定書調印。
DIA-602-1975-08-22-1ソ連1975年08月22日1970年代中ソが大量の金を売却。
DIA-602-1975-08-27-1ソ連1975年08月27日1970年代バム鉄道建設の学生国際協力隊歓送式。本日学生建設隊《ドルゥジバ》を送るミーティングが催されブルガリア,ハンガリア,東独,北ベトナム,キューバ,モンゴル,ポーランド,ソ連,チェコ9ヵ国男女学生300名が学生建設隊に加わった。北朝鮮は参加していないo
DIA-602-1975-08-27-2ソ連1975年08月27日1970年代ソ連,アジア安保構想呼びかけ,北方領土は現状固定の方針。
DIA-602-1975-08-30-1ソ連1975年08月30日1970年代プラウダ,中東での「米軍監視員」を批難。
DIA-602-1975-09-01-1ソ連1975年09月01日1970年代サハリン大陸棚開発交渉難航,調査船の国籍をソ連に移管せよとソ連側要求。
DIA-602-1975-09-03-1ソ連1975年09月03日1970年代ロンドン着陸直前,ソ連機内で殺人事件発生,乗員真相を話さず,捜査難航。
DIA-602-1975-09-04-1ソ連1975年09月04日1970年代上半期,対西側貿易収支,13億ドルの赤字。
DIA-602-1975-09-06-1ソ連1975年09月06日1970年代米ソ,新漁業協定合意。
DIA-602-1975-09-08-1ソ連1975年09月08日1970年代青森の漁船,ソ連船に銃撃さる。
DIA-602-1975-09-10-1ソ連1975年09月10日1970年代イズベスチア紙,中国の軍事大国路線批判。
DIA-602-1975-09-10-2ソ連1975年09月10日1970年代沿海地方の朝鮮人夢絶滅の危機。
DIA-602-1975-09-11-1ソ連1975年09月11日1970年代農業収穫状況(9月8日現在)―プラウダ紙,中央統計局の資料によると,9月8日迄にソ連全土で9300万ha(全播種面積の75%)を刈取り8670万haから脱穀した。ロシア共和国では5720万ha(75%)を刈取った。作業の重点はシベリアで,1020万ha(60%)刈取り。アルタイ地方340万8000ha(72%)。ノボシビルスク,チュメニ州,クラスノヤルスク地方においては45~62%刈取り。プラウダ紙はオムスク,チタ州の脱穀の遅れを認めている。そこではまだ多くが畑に積んである。
DIA-602-1975-09-15-1ソ連1975年09月15日1970年代反体制作家アマリルク氏,ソ連の市民権は捨てないとフィガロ紙記者に語る。
DIA-602-1975-09-15-2ソ連1975年09月15日1970年代米記者へ数次出入国ビザ発給で好意的回答。
DIA-602-1975-09-16-1ソ連1975年09月16日1970年代ヤクートのジャガイモ―ヤクート自治共和国では,ヘクタール当り平均15~16トンを取入れた。
DIA-602-1975-09-17-1ソ連1975年09月17日1970年代日ソ専門家会議でソ連大型船,伊豆沖,北海道沖操業を自粛か?
DIA-602-1975-09-17-2ソ連1975年09月17日1970年代帰任のトロヤノフスキ―大使,宮沢外相と会談。
DIA-602-1975-09-18-1ソ連1975年09月18日1970年代平沢和重氏,米外交専門誌「フォーリン,アフェアーズ」に二島返還で日ソ平和条約を寄稿。
DIA-602-1975-09-18-2ソ連1975年09月18日1970年代外務省,平沢論文に不快の表情,対ソ交渉への影響憂慮。
DIA-602-1975-09-18-3ソ連1975年09月18日1970年代グロムイコ,米首脳と会談。
DIA-602-1975-09-19-1ソ連1975年09月19日1970年代平沢構想の否定,閣議で確認
DIA-602-1975-09-19-2ソ連1975年09月19日1970年代自民党内,平沢論文で三木首相へ反掻。
DIA-602-1975-09-19-3ソ連1975年09月19日1970年代三木首相,平沢論文は平沢個人の見解と釈明。
DIA-602-1975-09-19-4ソ連1975年09月19日1970年代宮沢外相,四島一括返還の要求不変と強調。
DIA-602-1975-09-19-5ソ連1975年09月19日1970年代日共の不破書記長,平沢論文を現実的と高く評価する旨,院内の記者会見で述べる。
DIA-602-1975-09-19-6ソ連1975年09月19日1970年代キッシンジャー,ソ連の石油開発援助を示唆。
DIA-602-1975-09-25-1ソ連1975年09月25日1970年代ソ連TU95ベア型爆撃機2機,伊豆七島上空の領空を侵犯,外務省抗議。
DIA-602-1975-09-25-2ソ連1975年09月25日1970年代日共,平沢論文を現実的と評価したことで弁明。
DIA-602-1975-09-26-1ソ連1975年09月26日1970年代反体制ジャーナリスト,ウラジミール・オシポフ,重労働8年の刑に処せらる。
DIA-602-1975-09-26-2ソ連1975年09月26日1970年代ブレジネフ,来年2月の党大会で辞任と伊紙報ず。
DIA-602-1975-09-27-1ソ連1975年09月27日1970年代アルゼンチンと小麦,大豆の輸入商談中。
DIA-602-1975-09-27-2ソ連1975年09月27日1970年代コムソモリスクのアムール川鉄橋完成,ブレジネブ書記長祝電。
DIA-602-1975-09-28-1ソ連1975年09月28日1970年代西独紙,ソ連戦略の第一目標はスペインと報ず。
DIA-602-1975-09-28-2ソ連1975年09月28日1970年代色丹,国後島を観光地化。
DIA-602-1975-09-28-3ソ連1975年09月28日1970年代9月下旬~10月上旬極東シベリアの気象―西シベリア南部州気温急変,夜零下~+6°,昼+5°~+11°~16°迄,バイカル湖付近,ザバイカル,稀に雨と雪,昼+5°~10°から零下まで。夜は寒く,-10°~15°まで下る。東シベリアと極東の北部地区では本格的な冬をむかえ,夜は-30°~35°,ところにより-40°に下る。
DIA-602-1975-09-30-1ソ連1975年09月30日1970年代国慶節に最高会議,閣僚会議から祝電,党からの祝電なし。
DIA-602-1975-09-30-2ソ連1975年09月30日1970年代英国のソ連研究家マッキントッシュ,ソ連は毛沢東以後に関係改善を考慮と語る。
DIA-602-1975-10-01-1ソ連1975年10月01日1970年代ポルトガルのゴメス大統領,モスクワ訪問。
DIA-602-1975-10-01-2ソ連1975年10月01日1970年代カートシェフ書記,ルーマニア訪問。
DIA-602-1975-10-02-1ソ連1975年10月02日1970年代米ソ科学技術協力委,第4回定例総会。
DIA-602-1975-10-03-1ソ連1975年10月03日1970年代グロムイコ外相,「日本の北方領土返還要求根拠なし」とコムニスト誌に論文発表。
DIA-602-1975-10-03-2ソ連1975年10月03日1970年代コスイギン首相,伊貿易相と会見。
DIA-602-1975-10-04-1ソ連1975年10月04日1970年代バム鉄道建設基地セベロ・バイカルスクの人口2000人。
DIA-602-1975-10-05-1ソ連1975年10月05日1970年代穀物生産,10年来の最低。
DIA-602-1975-10-06-1ソ連1975年10月06日1970年代東独の党政府代表団訪ソ。
DIA-602-1975-10-07-1ソ連1975年10月07日1970年代ソ連・東独間新友好条約,対中軍事同盟か。
DIA-602-1975-10-07-2ソ連1975年10月07日1970年代科学アカデミ―創立250周年。
DIA-602-1975-10-07-3ソ連1975年10月07日1970年代ソ連,ブルガリア,5ヵ年計画調整議定書調印。
DIA-602-1975-10-08-1ソ連1975年10月08日1970年代外務省,グロムイコ論文でソ連大使に注意喚起。
DIA-602-1975-10-09-1ソ連1975年10月09日1970年代欧州共産党大会準備会議,ベルリンにて開催。
DIA-602-1975-10-09-2ソ連1975年10月09日1970年代アサド・シリア大統領,訪ソ。
DIA-602-1975-10-10-1ソ連1975年10月10日1970年代タス通信,サハロフ博士を非愛国者と非難。
DIA-602-1975-10-11-1ソ連1975年10月11日1970年代米ソ殻物交渉,中休み。
DIA-602-1975-10-11-2ソ連1975年10月11日1970年代クラコフ書記,ブルガリア訪問。
DIA-602-1975-10-11-3ソ連1975年10月11日1970年代ポリヤンスキ―農相,不作を確認。
DIA-602-1975-10-11-4ソ連1975年10月11日1970年代サハロフ博士のノーベル平和賞受賞について米国政府沈黙。
DIA-602-1975-10-12-1ソ連1975年10月12日1970年代サヤノ・シュシェンスカヤ水力発電所工事,エニセイ河の閉塞完了。
DIA-602-1975-10-13-1ソ連1975年10月13日1970年代ソ連・東独コミュニケ,中国非難。
DIA-602-1975-10-13-2ソ連1975年10月13日1970年代閣僚会議,第10次5ヵ年計画を討議。
DIA-602-1975-10-13-3ソ連1975年10月13日1970年代工業偏重のため,農村青年離村,農業荒廃の傾向。
DIA-602-1975-10-13-4ソ連1975年10月13日1970年代第73回コメコン理事会開催(モスクワ)。
DIA-602-1975-10-14-1ソ連1975年10月14日1970年代仏大統領に息子の釈放を反体制学者の母親訴える。
DIA-602-1975-10-14-2ソ連1975年10月14日1970年代仏大統領,モスクワ訪問。
DIA-602-1975-10-15-1ソ連1975年10月15日1970年代グロムイコ(北方領土)論文は覇権主義と新華社報道。
DIA-602-1975-10-15-2ソ連1975年10月15日1970年代作家同盟機関紙,サハロフ授賞を冷笑。
DIA-602-1975-10-17-1ソ連1975年10月17日1970年代仏ソ首脳会談終わる。
DIA-602-1975-10-17-2ソ連1975年10月17日1970年代パム鉄道に使用する機関車―バム鉄道ではディーゼル機関車を使用するものと考えられているが,そのため2万馬力の牽引力の機関車がつくられる。しかし,それでも難所では所定の速度をだすことができない。そこで3000馬力の《TE=116》ディーゼル機関車を7両つなげなければならないと思われる。また1万~1万2000馬力のガスタービン機関車の製作が計画されている。これならば2輌つなげればよい。
DIA-602-1975-10-18-1ソ連1975年10月18日1970年代ソ連精神病院の約1割が政治的患者であると亡命作家証言。
DIA-602-1975-10-19-1ソ連1975年10月19日1970年代ナホトカ港の発展―毎年1000万トン以内の内外貨物を取扱い,25ヵ国の商船が来ている。定期航路は日本,アメリカ,印度その他の国々を結んでいる。
DIA-602-1975-10-20-1ソ連1975年10月20日1970年代サハロフ氏,出国許可申請。
DIA-602-1975-10-20-2ソ連1975年10月20日1970年代米国より小麦120万トン追加輸入。
DIA-602-1975-10-20-3ソ連1975年10月20日1970年代デンマーク紙,サハロフ氏近く国外追放かと報道。
DIA-602-1975-10-20-4ソ連1975年10月20日1970年代米ソ穀物協定調印,今後5年間,毎年600万トンの穀類購入の約束。
DIA-602-1975-10-20-5ソ連1975年10月20日1970年代米ソ石油貸付協定に関する米国の意図公表。
DIA-602-1975-10-21-1ソ連1975年10月21日1970年代サハリンガス石油探鉱プロジェクトに対する日ソ・ローン協定調印。
DIA-602-1975-10-21-2ソ連1975年10月21日1970年代ソ連の今年度穀物輸入総量2300万トンと米農務次官言明。
DIA-602-1975-10-22-1ソ連1975年10月22日1970年代プラウダ紙,キッシンジャーの北京訪問を警戒。
DIA-602-1975-10-22-2ソ連1975年10月22日1970年代日ソ漁業操業協定成立。
DIA-602-1975-10-22-3ソ連1975年10月22日1970年代プラウダ紙,国境河川合同委を中国がひきのばしていると非難。
DIA-602-1975-10-24-1ソ連1975年10月24日1970年代3隻目の空母(約4万トン)を偵察衛星でキャッチ。
DIA-602-1975-10-24-2ソ連1975年10月24日1970年代日ソ漁業操業協定発効。
DIA-602-1975-10-24-3ソ連1975年10月24日1970年代新造砕氷船《アドミラル・マカロフ号》―フィンランドで建造した砕氷船《アドミラル,マカロフ》号は比較的短期間に北氷洋を通過してウラジオの金角湾に入った。この砕氷船は4万1400馬力の世界でも最も強力なディーゼル電力砕氷船の一つで,速力20ノット以上。
DIA-602-1975-10-25-1ソ連1975年10月25日1970年代北海道漁連,効力のない漁業協定に抗議。
DIA-602-1975-10-25-2ソ連1975年10月25日1970年代エウエンキ―民族管区のトナカイ総数は現在4万6000頭。
DIA-602-1975-10-27-1ソ連1975年10月27日1970年代砂糖買付けの噂を食糧輸入公団否定。
DIA-602-1975-10-27-2ソ連1975年10月27日1970年代本年のエニセイ河航行完了。
DIA-602-1975-10-28-1ソ連1975年10月28日1970年代ブレジネフ書記長,訪米無期延期か。
DIA-602-1975-10-28-2ソ連1975年10月28日1970年代酔っぱらい追放運動再びはじまる。
DIA-602-1975-10-28-3ソ連1975年10月28日1970年代ソ連・北ベトナム会談,クレムリンで始まる。
DIA-602-1975-10-29-1ソ連1975年10月29日1970年代サハリン最北モスカリボ港本年の最終作業。
DIA-602-1975-10-30-1ソ連1975年10月30日1970年代北越・ソ連首相,共同宣言に署名。
DIA-602-1975-10-31-1ソ連1975年10月31日1970年代プラウダ紙,第一面全面に北ベトナムとの友好を強調。
DIA-602-1975-11-04-1ソ連1975年11月04日1970年代米シュレジンジャー国防長官の解任,ソ連は歓迎,中国は憂慮。
DIA-602-1975-11-04-2ソ連1975年11月04日1970年代ハバロフスク地方の大豆収穫4万4000トン。
DIA-602-1975-11-04-3ソ連1975年11月04日1970年代ソ連,ブルガリア,東独3国貿易省会議。
DIA-602-1975-11-05-1ソ連1975年11月05日1970年代小麦,ブリヤート自治共和国20万2000トン,チタ州40万3000トンの収穫。
DIA-602-1975-11-06-1ソ連1975年11月06日1970年代革命58周年記念日前夜集会クレムリンでひらかれ,ペリシエ政治局員演説。
DIA-602-1975-11-06-2ソ連1975年11月06日1970年代第9次5ヵ年計画,農業は失敗,工業は辛うじて目標達成。
DIA-602-1975-11-06-3ソ連1975年11月06日1970年代タス通信,サダト・エジプト大統領の訪米を冷笑。
DIA-602-1975-11-07-1ソ連1975年11月07日1970年代革命記念パレード。
DIA-602-1975-11-08-1ソ連1975年11月08日1970年代外国貿易次官,悪天侯のため畜産に打撃と述べる。
DIA-602-1975-11-10-1ソ連1975年11月10日1970年代森林開発用アシノ=・ベールイ・ヤル鉄道182km開通。この付近は夏季30°,冬季マイナス50°の気温。
DIA-602-1975-11-11-1ソ連1975年11月11日1970年代鄧小平副首相,ビルマ大統領歓迎の席でソ連のアジア進出非難。
DIA-602-1975-11-11-2ソ連1975年11月11日1970年代アンゴラ人民共和国(MPLA)承認。
DIA-602-1975-11-12-1ソ連1975年11月12日1970年代サハロフ氏への出入国ビザ発給拒否,亡命を恐れて。
DIA-602-1975-11-12-2ソ連1975年11月12日1970年代作家マクシモフの市民権剥奪。
DIA-602-1975-11-16-1ソ連1975年11月16日1970年代来春の党大会指導部の対立激化のため延期か。
DIA-602-1975-11-17-1ソ連1975年11月17日1970年代国際アムネスティ,ソ連に1万人の政治犯と報告。
DIA-602-1975-11-17-2ソ連1975年11月17日1970年代三菱重工に原子炉輸入希望。
DIA-602-1975-11-18-1ソ連1975年11月18日1970年代イタリア大統領,訪ソ。
DIA-602-1975-11-19-1ソ連1975年11月19日1970年代ポドゴルヌイ,ユーゴ議会代表団と会見。
DIA-602-1975-11-23-1ソ連1975年11月23日1970年代誤楽に飢えるモスクワ市民,レストランにも容易に入れず。
DIA-602-1975-11-23-2ソ連1975年11月23日1970年代サマルカンドに降雪。
DIA-602-1975-11-25-1ソ連1975年11月25日1970年代科学アカデミ―総裁にアレクサンドロフ選出任命。
DIA-602-1975-11-26-1ソ連1975年11月26日1970年代プラウダ紙,日中条約の覇権,いかなる形でも反対と論評。
DIA-602-1975-11-27-1ソ連1975年11月27日1970年代サハロフ博士,日本人記者団と会談,各共和国はモスクワ離れがおこりつつあると語る。
DIA-602-1975-11-27-2ソ連1975年11月27日1970年代アムールの支流,ゼーヤ河水力発電所,第一発電機(21万5000kW)始動準備完了。
DIA-602-1975-11-29-1ソ連1975年11月29日1970年代ソ連監視船,故意に日本漁船に体当り沈没させ,乗組員3人を殺害。
DIA-602-1975-11-29-2ソ連1975年11月29日1970年代ソ連・チェコ共同声明,中国を非難。
DIA-602-1975-11-29-3ソ連1975年11月29日1970年代外務省,漁船員死亡事故の詳細説明をソ連に要求。
DIA-602-1975-11-30-1ソ連1975年11月30日1970年代コメコン貿易支払交渉難航,ソ連の独善に反掻。
DIA-602-1975-12-01-1ソ連1975年12月01日1970年代党中央委総会開かる―最高会議に先だって中央委総会が開かれた。そして,76年の経済計画と予算について討議,採択したあと,76年2月末にひらかれる予定の第25回党大会の議事日程を議決した。
DIA-602-1975-12-01-2ソ連1975年12月01日1970年代クリバック級,ソ連駆逐艦,はじめて日本海へ登場。
DIA-602-1975-12-01-3ソ連1975年12月01日1970年代サハロフの代理人コバレフ,反ソ宣伝の科で,裁判にかけらる。
DIA-602-1975-12-02-1ソ連1975年12月02日1970年代最高会議開幕―第9次ソ連最高会議第4会期がモスクワのクレムリン宮殿で開かれ,バイバコフ副首相兼国家計画委員会議長が1976年度国民経済発展計画案について報告し,ついで,ガルブゾフ蔵相が1976年度国家予算について報告した。それによると,1976年度の工業生産の増加率を4.3%に見こんでいる。
DIA-602-1975-12-02-2ソ連1975年12月02日1970年代ソ連大型漁船,釧路沖でまたも無謀操業,日本漁船8隻,網を破らる。
DIA-602-1975-12-04-1ソ連1975年12月04日1970年代最高会議,幕を閉じる。
DIA-602-1975-12-04-2ソ連1975年12月04日1970年代ヤクート天然ガス融資,来年3月末まで有効期限延長。
DIA-602-1975-12-04-3ソ連1975年12月04日1970年代「極東の諸問題」誌,日中友好条約交渉で日本非難。
DIA-602-1975-12-05-1ソ連1975年12月05日1970年代ソ連当局,米中首脳秘密会談かと懸念も
DIA-602-1975-12-05-2ソ連1975年12月05日1970年代自動車泥棒,モスクワで横行。
DIA-602-1975-12-05-3ソ連1975年12月05日1970年代カムチャツカ半島にABM用レーダー基地建設か?
DIA-602-1975-12-05-4ソ連1975年12月05日1970年代米ソ海運交渉決裂。
DIA-602-1975-12-06-1ソ連1975年12月06日1970年代ソ連農業は破産と新華社論評。
DIA-602-1975-12-06-2ソ連1975年12月06日1970年代ベイルートの誘かい合戦,ソ連外交官まきぞえ。
DIA-602-1975-12-08-1ソ連1975年12月08日1970年代80年代初期の原子力発電所計画900万kWの予定と電化省筋語る。
DIA-602-1975-12-08-2ソ連1975年12月08日1970年代ブレジネフ書記長,西独社民党機関紙に寄稿,両国の平和共存強調。
DIA-602-1975-12-08-3ソ連1975年12月08日1970年代新油田の開発停滞,技術低劣と石油相,石油産業を叱る。
DIA-602-1975-12-08-4ソ連1975年12月08日1970年代キッシンジャー,訪ソ延期。
DIA-602-1975-12-08-5ソ連1975年12月08日1970年代反体制活動家59人,全面的政治恩赦よびかけ。
DIA-602-1975-12-08-6ソ連1975年12月08日1970年代ブレジネフ,ポーランドで演説。
DIA-602-1975-12-10-1ソ連1975年12月10日1970年代サハロフ夫人,代理でノーベル平和賞受賞。
DIA-602-1975-12-11-1ソ連1975年12月11日1970年代鉄鋼生産1億1700万トン(1~10月)に達す。
DIA-602-1975-12-12-1ソ連1975年12月12日1970年代NATO外相事理会,米核兵器とソ連戦車部隊の相互撤収案を承認。
DIA-602-1975-12-13-1ソ連1975年12月13日1970年代第9次5ヵ年計画の達成状況発表。
DIA-602-1975-12-13-2ソ連1975年12月13日1970年代74年版日本年鑑刊行。
DIA-602-1975-12-13-3ソ連1975年12月13日1970年代ノリリスク=ドウジンカ鉄道電化,ソ連最北。
DIA-602-1975-12-13-4ソ連1975年12月13日1970年代第10次5ヵ年計画草案発表さる―1976年から80年までを区切る第10次5ヵ年計画の草案が13日発表された。これはすでに12月初めの党中央委総会において承認ずみのものである。1980年までの主な工業達成目標は,石油6億2000~4000万トン,鉄鋼1億6000~7000万トン,自動車210万~222万台(トラック,トラクターを含む)などがあげられる。
DIA-602-1975-12-13-5ソ連1975年12月13日1970年代シュレジンジャー前国防長官,このままではソ連が戦略優位に立つと警告。
DIA-602-1975-12-15-1ソ連1975年12月15日1970年代イズベスチア紙,新太平洋ドクトリン非難,米中国関係強化を懸念。
DIA-602-1975-12-16-1ソ連1975年12月16日1970年代米大統領,ソ連のアンゴラ介入に懸念表明。
DIA-602-1975-12-16-2ソ連1975年12月16日1970年代ソ連漁船の不法操業に抗議。
DIA-602-1975-12-18-1ソ連1975年12月18日1970年代米ソ殻物運賃協定調印。
DIA-602-1975-12-19-1ソ連1975年12月19日1970年代宮沢外相西ドイツで,ソ連のアジア安保構想受入れられずと説明。
DIA-602-1975-12-22-1ソ連1975年12月22日1970年代ラムズフェルド国防長官,ソ連にSALT違反の証拠なしと言明。
DIA-602-1975-12-25-1ソ連1975年12月25日1970年代チュメニ産油量1億3600万トンに達す。
DIA-602-1975-12-26-1ソ連1975年12月26日1970年代米国内でのKGB(ソ連秘密警察)の活動に関する資料,ロックフェラー委員会削除。
DIA-602-1975-12-26-2ソ連1975年12月26日1970年代ロールス・ロイス,航空エンジン技術でソ連と協定。
DIA-602-1975-12-27-1ソ連1975年12月27日1970年代ソ連,細菌戦争の研究続行とワシントン・ポスト紙暴露。
DIA-602-1975-12-27-2ソ連1975年12月27日1970年代中国,ソ連ヘリコプター乗員釈放。
DIA-602-1975-12-27-3ソ連1975年12月27日1970年代政府,漁船員殺害でソ連へ強硬抗議。
DIA-602-1975-12-29-1ソ連1975年12月29日1970年代コスイギン首相,トルコ訪問終る。
DIA-602-1975-12-29-2ソ連1975年12月29日1970年代ソ連,トルコ共同コミュニケ発表。
DIA-602-1976-01-01-1ソ連1976年01月01日1970年代SALT妨害者は米反動グループと『プラウダ』論文――『プラウダ』は「戦略兵器制限交渉とその反対者」と題する長文の評論員論文を掲載。 その中で,(1)ソ連はSALTⅠの協定内容を厳重かつ良心的に実行している,(2)米国の「反動グループ」が,ソ連はSALTⅠに違反して増強していると宣伝しているのはデッチ上げだ,(3)これらのグループに属するのはジャクソン上院議員,レアード元国防長官,ザムウォルト前海軍作戦部長らである,(4)SALTⅡの早期妥結が全世界の利益に合致する,などと指摘。
DIA-602-1976-01-01-2ソ連1976年01月01日1970年代日本経済力をソ連欧州地域再開発にも――ソ連は日本の経済力をシベリア開発だけでなくソ連の欧州地域の再開発にも西独と競合させるなど,表向きの「日本の経済危機深化,国内矛盾激化」という批判とは裏腹に,最近日本に対する評価は著しく高まっている。(日経1日)
DIA-602-1976-01-02-1ソ連1976年01月02日1970年代北京放送は,北方領土返還を要求する日本の大衆運動が急速に広がり,大衆組織や大衆集会の数が目立って増えている,と報道。
DIA-602-1976-01-02-2ソ連1976年01月02日1970年代英国の自由党首ソープ氏は同党員向け新年メッセージの中で,ソ連は2500万ポンド(約150億円)の金塊を西アフリカの指導者に贈った,それはアンゴラのMPLA政権を承認させソ連のアフリカにおける橋頭堡を築くためだ,と発言。(デーリー・エクスプレス)
DIA-602-1976-01-03-1ソ連1976年01月03日1970年代日ソ善隣協力条約を再提唱――日本向けモスクワ放送は「日ソ平和条約交渉はソ連のせいではない周知の理由で一定の時間を必要とするかもしれない」と指摘し,過渡的措置として,75年初めにソ連が提起した日ソ善隣協力条約の締結を主張。
DIA-602-1976-01-04-1ソ連1976年01月04日1970年代北ベトナムに大型援助――タス通信は,北ベトナムの第2次5カ年計画(~80年)期間中にソ連が発電所建設,炭鉱開発など約40の工業開発プロジェクトに参加するほか,無利子の借款供与や石油・ガス開発の技術援助をおこなうと発表。(2月1日付『ニューヨーク・タイムス』は総額5億ドルとの推定額を伝えた。)
DIA-602-1976-01-05-1ソ連1976年01月05日1970年代ビクター・ゾルザ氏は『パリ・マッチ』誌に寄稿,ソ連指導部はタカ派が勝利を収め強硬路線を選択したと指摘。
DIA-602-1976-01-05-2ソ連1976年01月05日1970年代アフリカに約4億ドルの兵器供与――ソ連は過去2年間に4億ドル相当の兵器を約10カ国のブラック・アフリカ諸国に供与し,約1900人の軍事顧問を派遣。(AP=共同)
DIA-602-1976-01-07-1ソ連1976年01月07日1970年代75年のソ連の石油生産量は3100万トン増加し4億9000万トンに達したと英石油専門誌が報道。
DIA-602-1976-01-09-1ソ連1976年01月09日1970年代日ソ貿易21%増――日ソ貿易高は10年間で6倍以上に達し,75年は日本の経済危機で総貿易高は減少したにもかかわらず日ソ貿易は21%増加し,「北京からの妨害者」をいらだたせているとモスクワ放送。
DIA-602-1976-01-09-2ソ連1976年01月09日1970年代グロムイコ外相来日(~13日)――三木首相との会談,宮沢外相との交渉で日本側は北方領土4島の一括返還を要求,グ外相は領土問題たな上げ,「アジア集団安保」へのステップといわれる日ソ善隣協力条約締結を提起,共同コミュニケでは73年日ソ共同声明の「未解決の諸問題を解決して」を引用するにとどまり,それが領土問題を意味することは明記しなかった。またグ外相は13日の記者会見でも,中国を非難し,日中関係をけん制した。
DIA-602-1976-01-11-1ソ連1976年01月11日1970年代サハロフ博士らソ連の著名士200名以上が人権運動活動家セルゲイ・コバレフ氏の有罪判決(12月12日,ビリニュスの裁判所で10年の懲役と国内追放と判決)の取消要求の署名。
DIA-602-1976-01-11-2ソ連1976年01月11日1970年代ソ連各地でパン欠乏――『セリスカヤ・ジーズニ』はソ連各地の農村の店にパンが到着せず,ある場合は3カ月も店を閉じたままだと述べ,「パンを買うために仕事をやめて町に出かけなければならない」という苦情の手紙を載せている。(ヘラルド・トリビューン12日)
DIA-602-1976-01-12-1ソ連1976年01月12日1970年代ソ連,ギニアのタマラ島に海軍基地建設を交渉。(英『デーリー・メール』)
DIA-602-1976-01-13-1ソ連1976年01月13日1970年代社会党,2島返還を主張――日本社会党は,日ソ外相定期協議に関する国際局長談話を発表,北方領土問題が進展しなかった原因は,一方的に4島返還を主張する政府・自民党の首尾一貫しない態度にあるとして,「2島返還,残る千島全島は継続交渉」を主張。(社会新報18日)
DIA-602-1976-01-13-2ソ連1976年01月13日1970年代『プラウダ』,西独のソ連向け「自由ヨーロッパ放送」などはCIAの宣伝であり,ヘルシンキ会議合意に反すると放送停止を要求。
DIA-602-1976-01-14-1ソ連1976年01月14日1970年代モスクワの中国大使館で故周首相の追悼記帳式が行なわれ,ソ連からマズロフ第1副首相らが記帳。
DIA-602-1976-01-14-2ソ連1976年01月14日1970年代来日中のベル米農務次官補,ソ連は膨大な穀物不足のため家畜の大規模な屠殺を始めていると発言。
DIA-602-1976-01-16-1ソ連1976年01月16日1970年代『プラウダ』はアレクサンドロフ署名の「北京におけるヒステリーの新たな発作」と題する論文で,第3次世界大戦の危険性についての「毛主義者の不吉な予言」を非難。また「中国人民が毛沢東主義者の責任を厳しく問うときがくる」と論じた。
DIA-602-1976-01-17-1ソ連1976年01月17日1970年代国外移住手続き簡素化――ソ連筋の伝えるところでは,国外移住手続きが最近簡素化され,ビザ申請料も400ルーブルから300ルーブルに値下げされた。しかし異端派活動家やモスクワ外交筋は,これはヘルシンキ会議の文書に名目上の対応をしただけで,実際上の移任制限緩和ではないと見ている。(WP18日)
DIA-602-1976-01-19-1ソ連1976年01月19日1970年代宗教に逃げるソ連国民,と新華社報道――同報道は,ソ連には現在10余りの宗教,50余りの教派,2万余りの宗教組織があり,信徒は合計5000万余りに達すると指摘,宗教活動が拡大しているのは,官僚独占ブルジョア階級の苛酷な抑圧と搾取のためであり,また支配者は宗教を反動支配維持の道具として利用していると述べた。
DIA-602-1976-01-19-2ソ連1976年01月19日1970年代サッチャー女史,ソ連の軍事力増強を批判――英保守党党首サッチャー女史はロンドン市内の集会で「ソ連陸海軍が最近急速に増強され,英国をはじめ西側にとって脅威となっている。ソ連は軍事力で世界支配をねらっている」と演説。ルンコフ駐英ソ連大使は23日,英外務省に抗議。
DIA-602-1976-01-19-3ソ連1976年01月19日1970年代日ソ外相会談での約束にしたがい,ソ連に抑留されていた日本漁民23人が釈放(他の9人は23日帰国)。
DIA-602-1976-01-20-1ソ連1976年01月20日1970年代キッシンジャー米国務長官訪ソ(~23日)――中心課題はSALTⅡであったが,米の巡航ミサイルとソ連の新鋭爆撃機バックファイアーの取扱いをめぐって最終的意見調整がつかず,SALT交渉は原則的な合意にいたらず,24日に発表された共同コミュニケで「(SALTの討議で)いくつかの間題について進展が達成され,相互に受入れることのできる解決を目指して交渉を続けることで合意した」と述べるにとどまった。 なお,同長官がモスクワからの帰途,ブリュッセルのNATO特別理事会で23日におこなった報告によると,ソ連側は74年11月のウラジオストク米ソ首脳会談で合意された核運搬手段の上限2400を10%削減する提案をしたといわれる。 また,アンゴラ問題については,同氏の21日昼食会での演説でも「アンゴラに対するソ連の継続的援助が他の分野での米国の強力な行動を生むだろう」と言及したが,ソ連側はこれにとりあわず,共同コミュニケでも何も触れられなかった。
DIA-602-1976-01-21-1ソ連1976年01月21日1970年代訪中している社会党代表団の下平団長,「北方4島の返還を」とあいさつ。27日のモスクワ放送は同演説を非難。
DIA-602-1976-01-22-1ソ連1976年01月22日1970年代国後島に基地建設か――ソ連の地質学者が国後島の地熱発電所建設のための現地調査報告を近くまとめると『プラウダ』報道。日本の専門家筋は空港(軍事基地)建設の可能性も強いと観測。(日経23日)
DIA-602-1976-01-23-1ソ連1976年01月23日1970年代ソ連,故周首相の業績を初論評――ソ連のテレビはニュース番組の中で故周恩来中国首相の業績について初めて論評し,健全な知性の持ち主で,中国革命に貢献し,「毛沢東の過激な政策による傷をいやそうと努めた」と述べた。
DIA-602-1976-01-23-2ソ連1976年01月23日1970年代アンゴラMPLA代表団(団長ドスサントス外相)訪ソ(~24日),「ソ連との関係強化」を確認。
DIA-602-1976-01-25-1ソ連1976年01月25日1970年代『プラウダ』は「コミュニストの旗」と題するコリオノフ論文で「プロレタリア国際主義」を優先すべきことを強調し,暗にヨーロッパの共産党の“自主路線”をけん制。
DIA-602-1976-01-25-2ソ連1976年01月25日1970年代ソ連トランスコーカサス軍管区部隊,トルコ国境で大演習。ギリシャ,トルコの2国招請。
DIA-602-1976-01-25-3ソ連1976年01月25日1970年代反中国ドキュメント上映――ソ連テレビは「恐怖の壁の彼方で」という中国人スパイを扱ったドキュメント番組を放映。(2月3日にも続編を特別番組として放映。その後モスクワのオクチャーブリ映画劇場でも上映。これらのフィルムについて3月11日付『プラウダ』でも「マオイズムの危険で反動的な本性を理解させる」と推奨。)
DIA-602-1976-01-27-1ソ連1976年01月27日1970年代中国の『人民日報』は「新しい世界大戦の主要な危険はどこからくるか」と題する任谷平署名の論文を発表,「米ソの世界戦略体制をみると,攻撃に出ており冒険性を備えているのはソ連社会帝国主義である」と指摘。
DIA-602-1976-01-27-2ソ連1976年01月27日1970年代アジア安保を強調――『プラウダ』は「アジア――平和と安全保障」と題する社説を掲げ,ヘルシンキ全欧安保協力会議で達成された諸原則は他の大陸にも適用すべきだとし,それは第1にインドシナ解放を経たアジアだと述べ,アジアにおける「諸国民の安全を保障する集団的努力実現の可能性を開いている」とアジア集団安保の必要性を強調。
DIA-602-1976-01-27-3ソ連1976年01月27日1970年代米国防報告,ソ連の軍事力への対応強調――ラムズフェルド米国防長官は『国防白書』を発表,全体としてソ連の軍事力増強を重視し,戦略兵器は10年以内にソ連に優位を取られる恐れがある,“戦力ギャップ”は通常戦力にも及ぶ危険があると警告,「米国の国益は質量ともに増大し続けているソ連の挑戦を受けている。それは西ヨーロッパ,地中海沿岸,中東,アフリカ,ペルシャ湾そして間接的には北東アジアにみられる」と米国防力充実の背景を述べた。
DIA-602-1976-01-27-4ソ連1976年01月27日1970年代『イズベスチャ』は,解説欄でフィリピンの外交路線を評価し,「ソ連との外交関係樹立の問題も日程に上っている」と指摘。
DIA-602-1976-01-27-5ソ連1976年01月27日1970年代ことしの東欧向けソ連原油は昨年比8%値上げ,ハンガリーの輸入価格はトン当り39.95ルーブル。
DIA-602-1976-01-28-1ソ連1976年01月28日1970年代ソ連の対アフリカ軍事援助――ラムズフェルド米国防長官は,下院軍事委員会でソ連の過去5年間のアフリカに対する軍事援助は22億ドル,経済援助は7億6000ドルにのぼると述べ,アンゴラ内戦に介入したキューバ兵は1万1400人,アフリカにおけるソ連軍事顧問は約3000人と発表。
DIA-602-1976-01-29-1ソ連1976年01月29日1970年代対アンゴラ政策で論文――『イズベスチヤ』は「アンゴラの正義のたたかいは必ず勝利する」という評論員論文を発表,内戦激化の責任は「FNLAとUNITAの分裂主義者をはじめ,帝国主義者,分裂主義者が負わねばならぬ」と指摘する一方,アンゴラ問題の政治解決に反対ではないと述べ,「アンゴラのいろいろの異なった代表者の参加する“過渡的政府”の創立を歓迎する」と論じた。
DIA-602-1976-01-30-1ソ連1976年01月30日1970年代対マレーシア技術援助――マレーシアの第3次経済発展5カ年計画にソ連が大幅技術援助を申入れ。ソ連大使館の発表では,米作,深海漁業,かんがい,セメント・プラントなどの技術援助で,近くソ連専門家がクアラルンプールを訪ね具体的方法を協議する。(日経31日付)
DIA-602-1976-01-30-2ソ連1976年01月30日1970年代ソ連・ラオス76~77年度援助協定調印――ビエンチャンで公表されたところでは,主なソ連の援助は次のとおり。 ○航空機=ヤク40短距離ジェット輸送機,AN24S,AN2,M18など(機数は不明)○石油=2670トン○紙=200トン○布=1万3000メートル○その他(コンデンス・ミルク,かん詰,病院160床,医薬品など)。(読売31日付)
DIA-602-1976-01-31-1ソ連1976年01月31日1970年代ソ連中央統計局,75年度の穀物生産は1億4000万トンと公表(生産目標を約7500万トンも下まわる)。
DIA-602-1976-01-31-2ソ連1976年01月31日1970年代ソ連海洋船舶省代表団(団長ルキャセンコ次官)は北ベトナムと76年海運・物資交換文書調印。
DIA-602-1976-01-31-3ソ連1976年01月31日1970年代ソ連,ブラジルから大豆の大量買付契約に調印。
DIA-602-1976-02-01-1ソ連1976年02月01日1970年代アンゴラのMPLA情報局長アルメイダ氏は,ソ連がアンゴラに軍事基地を持つことは認められないだろうと発言。(英タイムズ1月31日)
DIA-602-1976-02-02-1ソ連1976年02月02日1970年代ブレジネフ書記長,「アンゴラ人民との連帯緊急国際集会」(AA人民連帯機構主催,MPLA15周年記念,於ルアンダ)に祝電。
DIA-602-1976-02-02-2ソ連1976年02月02日1970年代ハロウェー米海軍作戦部長,下院軍事委員会で「現在われわれが望む日本海でのいかなる作戦行動もソ連の黙認なしには実施できない」と証言。
DIA-602-1976-02-03-1ソ連1976年02月03日1970年代ソ連共産党フェドセーエフ中央委員とコワレンコ同日本課長来日,日本共産党幹部と会談。8日会談終了,和解については継続協議。(22日付『プラウダ』は日共路線評価論文掲載。ソ連25回党大会に日共代表は不参加表明。)
DIA-602-1976-02-03-2ソ連1976年02月03日1970年代1月10日に出国し,パリに亡命したソ連の数学者レオニード・プリューシチ氏は,多くの政治犯が収容されている“精神病院”での“治療”の恐怖を語った。
DIA-602-1976-02-04-1ソ連1976年02月04日1970年代インスブルク冬季オリンピック参加の韓国スケートチームをソ連へ招待。韓国選手団の国際試合でない単独訪問は初めて。(朝鮮日報)
DIA-602-1976-02-05-1ソ連1976年02月05日1970年代ソ連,マレーシアのペナン島に第1次世界大戦で戦士したロシア兵の慰霊碑建立。式典にソ連大使や船員ら多数出席。『日経』(5.2日付)は「その後慰霊碑参拝を名目にペナンを訪れるソ連人が増え続けている」と報道。
DIA-602-1976-02-07-1ソ連1976年02月07日1970年代ソ連はソマリアのキスマユに2番目の軍事基地を建設中。なお第1はアデン湾に面したベルベラに建設。(ニューズウイーク)
DIA-602-1976-02-10-1ソ連1976年02月10日1970年代ソ連船,アジアで海底調査――コロンボ港にソ連の「科学調査船ブチャージ号」が「東インド洋海底の地質・地球物理調査計画の第1段階」として入港,「新しい興味深いデータを収集」した。近く第2段階がおこなわれる。(プラウダ11日)
DIA-602-1976-02-11-1ソ連1976年02月11日1970年代西独の経済新聞『ハンデルス・ブラット』は,ソ連も世界で約40の多国籍企業をもっていると報道(金融,船舶,石油,機械などの各分野)。
DIA-602-1976-02-12-1ソ連1976年02月12日1970年代『プラウダ』は,領海12カイリの条約化と経済水域200カイリの原則としての支持を表明。
DIA-602-1976-02-12-2ソ連1976年02月12日1970年代タス通信は中国の華国鋒首相代行任命を初論評,“穏健派”に近い傾向の代表者とし,中国で“左派”と“穏健派”の抗争が激化していると指摘。
DIA-602-1976-02-15-1ソ連1976年02月15日1970年代米CIAの分析では,ソ連の軍事支出がGNPに占める比率は15~20%。(ワシントン・スター)
DIA-602-1976-02-17-1ソ連1976年02月17日1970年代ソ連銀行の東南ア金融進出――『毎日』はモスクワ人民銀行シンガポール支店が経営困難に直面する各企業に経済性を無視した多額の融資をおこない,特に台湾系華商に接近をはかっていると指摘。 1月28日付『サウス・チャイナ・モーニング・ポスト』紙は,同様の方法で同銀行がタイ,シンガポール,インドネシアに進出,特に直接的金融進出の困難なマレーシア,香港に浸透していると述べ,しかし最近は同銀行がテコ入れしたモスバート・グループ(株式売買・不動産業)の経営不振などにより,シンガポール,マレーシア,香港で問題をひきおこしていると指摘。
DIA-602-1976-02-17-2ソ連1976年02月17日1970年代ソ連貨客船団,凍結した宗谷海峡の横断に成功。
DIA-602-1976-02-19-1ソ連1976年02月19日1970年代ソ連はエジプトに供与したミグ21戦闘機のオーバーホールは今後行なわないと通告。(AP)
DIA-602-1976-02-19-2ソ連1976年02月19日1970年代アフガニスタン・ソ連合弁運輸株式会社創立,資本の49%はソ連,51%はアフガニスタン。(プラウダ20日)
DIA-602-1976-02-19-3ソ連1976年02月19日1970年代ラオス・ソ連友好協会設立,幹部会議長にサイナセング農相を選出。(プラウダ20日)
DIA-602-1976-02-20-1ソ連1976年02月20日1970年代プラウダ,自由抑圧非難に反論―『プラウダ』は,ソ連では自由が抑圧され,ヘルシンキ会議での決定が守られていないとする西側の非難に反論するアレクサンドロフ署名の長大な論文「真の自由と偽の自由について」を発表。1970年から5年間に出国希望者の98.4%が許可され,イスラエルへの出国者が近年減少したのは希望者が減ったからであるとし,また“異端派”人士に対する“特殊精神病院”での監禁の事実はないと否定。しかし「わが国には社会主義の反対者に対する(彼らが反動的目的を達成するための)“自由”などはたしかに存在しない」ときびしく論断。
DIA-602-1976-02-23-1ソ連1976年02月23日1970年代ソ連極東船舶公団,日豪間定期航路開設を発表。
DIA-602-1976-02-24-1ソ連1976年02月24日1970年代ソ連共産党第25回大会開催(~3月5日)――ブレジネフ報告の対外関係の中では,ベトナム人民の「自由と独立の事業の勝利」にたいし「ソビエト国民が……少なからず支援したことを誇りとしている」と述べ,さらに「ベトナムにつづいて,ラオスとカンボジアが自由をかちとった」と述べたほか,アジア情勢については,インドとの友好関係が「あらたな段階に到達した」ことを強調し,アフガニスタンと「善隣関係にある」こと,トルコとの「協力が主として経済的領域から次第に政治問題に移っている」ことを挙げたにとどまっている。 また,対日開係については,「日本には……外部からの直接の教唆のもとにときおり根拠のない不法な要求をソ連につきつけようとする者がいる」、と述べた。 さらに「新平和綱領」のなかで「アジア大陸における安全保障につとめる」とうたい,やや間接的な表現で「アジア集団安保」構想がもりこまれた。
DIA-602-1976-02-25-1ソ連1976年02月25日1970年代外務省筋,「25回大会のブレジネフ演説における対日批判は理解できぬ」と見解発表。
DIA-602-1976-02-25-2ソ連1976年02月25日1970年代ソ連・スリランカ文化協力議定書調印。
DIA-602-1976-02-26-1ソ連1976年02月26日1970年代ソ連のタイ共産党工作強化――タイ国家安全保障会議のプラソン副司令官は,中国との国交樹立後,ソ連のKGBのタイ共産党に対する工作が著しく増加しており,膨大な資金が供与されたとのウウサの真偽を現在調査中と語った。(サウス・チャイナ・モーニング・ポスト)
DIA-602-1976-02-26-2ソ連1976年02月26日1970年代ソ連で民間防衛強化――カリー米国防総省研究開発局長は,ソ連が民間防衛を強化し,核攻撃から生き残る能力の増大をはかっており,ソ連の指導者が核戦争は起き得ないと考えていると想定するのは誤りと指摘。(WP)
DIA-602-1976-02-27-1ソ連1976年02月27日1970年代米下院軍事委員会は,75年のソ連の核戦力への支出は米の2倍,非核戦力への支出は70%多いとのCIA報告を発表。
DIA-602-1976-02-27-2ソ連1976年02月27日1970年代ソ連・シンガポール文化科学協力協定締結。
DIA-602-1976-02-28-1ソ連1976年02月28日1970年代ソ連と北朝鮮の間の76年度通商議定書に調印。(朝鮮中央通信3月3日)
DIA-602-1976-02-29-1ソ連1976年02月29日1970年代25回党大会開催中に,ソ連各地の刑務所に収容されている「政治犯」約80人がハンガー・ストライキ決行。
DIA-602-1976-02-29-2ソ連1976年02月29日1970年代米民間団体の軍縮協会の発表した報告書は,米ソ2カ国だけで世界の総軍事支出の60%,武器輸出の75%を占めると指摘。
DIA-602-1976-03-01-1ソ連1976年03月01日1970年代フォード米大統領,テレビ演説で「デタントという用語は不適切なので使わない」と発言。
DIA-602-1976-03-03-1ソ連1976年03月03日1970年代初代駐アンゴラ大使にボロビヨフ氏を任命。
DIA-602-1976-03-03-2ソ連1976年03月03日1970年代ソ連船のゴミ公害――千葉県九十九里沖でソ連漁船団の投棄する大量のゴミの掃海を開始(回収したゴミ18トン,被害1億円以上)。なおモスクワ放送は11日,ゴミ清掃は反ソ・キャンペーンと非難。
DIA-602-1976-03-05-1ソ連1976年03月05日1970年代ポリャンスキー氏,政治局員解任(中央委員には留任,16日農相も解任),シェレーピン,シェレスト,ウォロノフ氏ら中央委解任(25回党大会閉幕)。
DIA-602-1976-03-07-1ソ連1976年03月07日1970年代25回大会で採択された「第10次5カ年計画(1976~80)の基本方向」を『プラウダ』に発表。
DIA-602-1976-03-07-2ソ連1976年03月07日1970年代西側情報筋によると,モザンビークのベイラ港にソ連船2隻がT34およびT54型戦車,トラック積載ロケット砲などを荷揚げした。(AP)
DIA-602-1976-03-08-1ソ連1976年03月08日1970年代タイの『プラチャーチ・パタイ(民主主義)』紙に,4ページのソ連党大会PR広告掲載。
DIA-602-1976-03-11-1ソ連1976年03月11日1970年代キッシンジャー米国務長官,ボストンでの演説で,ソ連のアンゴラ軍事介入に対し「冒険主義には処罰の政策以外に代案はない」と言及。
DIA-602-1976-03-13-1ソ連1976年03月13日1970年代米の対印援助を非難―『プラウダ』はインド各紙の報道の紹介の形で,アメリカの対印経済援助額は20億ルピーだが,インドの対米負債は280億ルピーにのぼり,大きな負担となっている,また1974~75会計年度のインドの対米輸出額は計37億ルピーだが,輸入額は73億ドルにのぼると指摘し,インドの進歩的人士は「(米国)のいかなる経済的抑圧も失敗に終るだろう」と述べていると報道。
DIA-602-1976-03-14-1ソ連1976年03月14日1970年代エジプト,ソ連との友好条約の破棄――エジプトのサダト大統領は,議会での演説で,71年5月にソ連と締結した友好協力条約の破棄を提案(15日に圧倒的多数で可決)。
DIA-602-1976-03-15-1ソ連1976年03月15日1970年代ソ連軍のヨーロッパ奇襲のおそれ(NATO報告)――NATO軍研究報告書は,「ワルシャワ条約機構軍が核兵器なしで西ヨーロッパを奇襲できる」として,「3時間以内でエルベ河を渡河し」「48時間以内にライン河を渡るだろう」と指摘,「奇襲に備えよう」と呼びかけている。(英ザ・タイムス)
DIA-602-1976-03-15-2ソ連1976年03月15日1970年代中ソ国境衝突?――米タイム誌,最近中ソ国境(ウスリー,アムール流域)で衝突事件が数回発生したと伝えた。なお2月にも新華社通信の傍受として新疆地区の中ソ衝突が伝えられ,ソ連が公式に否定したことがあった。
DIA-602-1976-03-15-3ソ連1976年03月15日1970年代アンゴラの首都ルアンダとモスクワ間の直通航空路開設に関する協定調印,直ちに発効。
DIA-602-1976-03-15-4ソ連1976年03月15日1970年代タス通信は「政府の委任による声明」としてエジプトが友好協力条約を破棄したことを非難,「これによって生ずる事態の責任はすべてエジプトにある」と声明。
DIA-602-1976-03-18-1ソ連1976年03月18日1970年代NATO,北海油田の対ソ防衛検討――NATOの「北海油田の安全とソ連海軍の脅威」と題する国際セミナー報告書は,ソ連海軍の目覚ましい増強により,限定的侵略ないし戦争という緊急事態を想定し,NATOは北海油田施設防衛を真剣に検討していることを明らかにした。(ロイター=共同)
DIA-602-1976-03-22-1ソ連1976年03月22日1970年代グロムイコ外相訪英(~25日)――南部アフリカ問題で英ソの意見は平行線。
DIA-602-1976-03-23-1ソ連1976年03月23日1970年代ソ連はアエロフロート(ソ連航空)の東京からマニラまで週1回の以遠権行使(4月1日から)を要請。
DIA-602-1976-03-25-1ソ連1976年03月25日1970年代米・ソ両大使館で「時限爆弾騒ぎ」――ニューヨークのソ連外国貿易事務所に時限爆弾発見,「シオニスト・グループのテロ行為」とタス通信。 4月2日にも,ニューヨークのソ連国連代表部が銃撃を受け,米代表部に抗議。 一方,モスクワの米大使館でも,25日に「時限爆弾を仕かけた」との怪電話で館員が避難する騒ぎがあり,ソ連外務省に抗議。前日も同様の騒ぎがあったばかり。
DIA-602-1976-03-25-2ソ連1976年03月25日1970年代マレーシアのダム建設援助――ソ連はマレーシア中部のパハン州テンブリン川のダム建設(工費2億4000万ドル)のため,近く専門家多数を派遣する。(朝日26日)
DIA-602-1976-03-29-1ソ連1976年03月29日1970年代ソ連,ラオスと飛行場用の電子機器供与協定,および郵便・電信協力協定締結。
DIA-602-1976-03-30-1ソ連1976年03月30日1970年代米がソ連の軍事援助を分析――米国防総省のフィッシュ安全保障援助局長は,下院外交委員会における証言で,ソ連が軍事援助で第三世界への影響力拡大に成功してきた原因として,①低価格,低金利の軍事援助,②豊富な武器在庫,③軍事訓練により若手将校との関係を緊密にしている,と指摘。また,過去20年間のソ連の150億ドルに及ぶ総軍事援助の60%,約100億ドルはこれまでエジプト,インド,イラク,シリアに,残りの大部分はアフガニスタン,アルジェリア,インドネシア,イラン,リビアに渡されたと述べた。(時事=AP)
DIA-602-1976-03-31-1ソ連1976年03月31日1970年代第3回ソ印経済科学技術協力委員会開催(モスクワ)。
DIA-602-1976-03-31-2ソ連1976年03月31日1970年代シベリアのヤクート天然ガス探査プロジェクト日米ソ3国協定調印。ただし日米からの融資額は当初の各1億ドルから2500万ドルに大幅削減。
DIA-602-1976-03-31-3ソ連1976年03月31日1970年代防衛庁筋,ソ連空軍が極東にミグ23戦闘機を少くとも一個飛行隊実戦配備したことを確認したと語る。
DIA-602-1976-04-01-1ソ連1976年04月01日1970年代ソ連・西独間で2年越しで交渉を進めていた世界最大の原子力発電所建設プロジェクトの交渉決裂とハンス・フリードリッヒス西独経済相語る。カリーニングラード―東独―西ベルリン―西独という送電ルートが東独との政治問題を生んだためといわれる。
DIA-602-1976-04-02-1ソ連1976年04月02日1970年代モスクワ・ハノイ間空路にTU154大型ジェット機就航。
DIA-602-1976-04-03-1ソ連1976年04月03日1970年代『大公報』は,香港の台湾系労組連合会「工団総会」の幹部が昨年のメーデーに訪ソしたと報道。
DIA-602-1976-04-04-1ソ連1976年04月04日1970年代ソ連は近くレーダー監視装置など大量の電子通信設備をラオスに搬入する,とバンコクの外交筋が伝えた。ソ連はすでにジャール高原西部のフォンサバン空港でジェット機の発着を可能にする工事をしている。(AFP=時事) 『サウス・チャイナ・モーニング・ポスト』は,近日中にソ連技術者数百人が到着し,合計1500人以上に達することになろうと報道。
DIA-602-1976-04-04-2ソ連1976年04月04日1970年代香港当局は,キューバ船員を装ってソ連スパイが潜入しているとの疑いで,キューバ船入港を監視。(サウス・チャイナ・モーニング・ポスト)
DIA-602-1976-04-05-1ソ連1976年04月05日1970年代米『アビエーション・ウイーク』は,ソ連が最近キューバに約20人の戦闘機パイロットを送りこんだと報道。
DIA-602-1976-04-05-2ソ連1976年04月05日1970年代エジプトから最後のソ連軍艦出港――エジプトのサダト大統領,ソ連海軍の港湾施設利用権を停止すると言明。 15日,最後のソ連軍艦がアレキサンドリア港を出港。(アル・アハラム=AFP)
DIA-602-1976-04-05-3ソ連1976年04月05日1970年代スウエーデンのパルメ首相訪ソ。7日,長期通商協定調印。9日,共同コミュニケ調印。(同コミュニケには,原子力平和利用協力のための専門家グループの創設やソ連の天然ガスの提供等ももりこまれた。)
DIA-602-1976-04-06-1ソ連1976年04月06日1970年代モザンビークの首都とモスクワ間の新航空路開設。
DIA-602-1976-04-06-2ソ連1976年04月06日1970年代タス通信は北京の天安門事件を初報道,「毛沢東主義者とその政策に対する自然発生的抗議」と論評(プラウダ7日)。(新華社通信は20日,ソ連は鄧小平を支持し,騒動を起した暴徒を称賛したと非難。)
DIA-602-1976-04-06-3ソ連1976年04月06日1970年代米国防総省のアブラモウッツ副次官補は,下院外交委員会で「ソ連の中国攻撃の危険性を無視できない」と述べ,その際核兵器が使われる可能性もあると指摘。
DIA-602-1976-04-06-4ソ連1976年04月06日1970年代〈ソンネンフェルト・ドクトリン〉――ソンネンフェルト米国務省顧問は,ソ連の東欧支配が破綻すれば第3次世界大戦が起る可能性がある,と東欧の自立化傾向を警戒する覚え書を2月に各欧州駐在米大使に送ったことを『ニューヨーク・タイムズ』紙が報道。 ルーマニア,ユーゴスラビアは強く反発,「大国間における世界の勢力圏分割のドクトリン」(ルーマニア党機関紙『スクィンテア』4.13),「東欧で勢力圏を持つソ連の地位の擁護」(ユーゴ『コムニスト』4.12)と批判。
DIA-602-1976-04-07-1ソ連1976年04月07日1970年代シンガポールのラジャラトナム外相訪ソ。ASEANとソ連の関係等を協議。
DIA-602-1976-04-07-2ソ連1976年04月07日1970年代対印援助――『インディア・トゥデイ』誌は,1973年11月の印ソ経済貿易協力発展にかんする協定にもとづいて,ソ連は70の大企業建設を援助し,ソ連の援助で建設された企業は,金属工業設備の80%,発電所用タービンの60%,鋼鉄の30%を生産している,と指摘した。(プラウダ8日)
DIA-602-1976-04-09-1ソ連1976年04月09日1970年代米ソ間の平和目的の地下核実験制限条約交渉,現地査察で合意と発表。
DIA-602-1976-04-10-1ソ連1976年04月10日1970年代ソ連はことし初め,フィリピンから砂糖40万トンを買付け,ソ連貨物船は毎月20~35隻がマニラ港その他に出入港している。(読売)
DIA-602-1976-04-12-1ソ連1976年04月12日1970年代エジプトはヘルワン製鉄所にいたソ連技術専門家5人の解任と本国送還を決定。(友好協力条約破棄以降彼らが業務を遂行しなくなったため)
DIA-602-1976-04-12-2ソ連1976年04月12日1970年代グルジアのトビリシ市にある閣僚会議ビルで爆発事件。74年以降,グルジアのオペラハウス,大学実験室,トビリシ空港,デパートなどで爆発テロ騒ぎがひん発している,と西側消息筋は語った(5月3日)。
DIA-602-1976-04-13-1ソ連1976年04月13日1970年代フィリピン訪問中(10日~15日)のソ連友好使節団(クドリャフツェフ最高会議代議員ら),マルコス大統領と会見。ASEANの平和・中立地帯設置計画の支持を表明。
DIA-602-1976-04-14-1ソ連1976年04月14日1970年代リファイ・ヨルダン首相,「米国との交渉を破棄し,ミサイルはソ連から供与を求める」と言明。
DIA-602-1976-04-14-2ソ連1976年04月14日1970年代コスイギン首相,中国の華国鋒新首相に祝電(任命1週間後)。
DIA-602-1976-04-15-1ソ連1976年04月15日1970年代訪印中のパトリチェフ外国貿易相,ソ連・インド76~80年度貿易協定に調印。
DIA-602-1976-04-18-1ソ連1976年04月18日1970年代ソ連は欧州向け地上兵力を過去半年間に約10万人増強し,今年中に戦車3000両,戦闘用航空機1000機などが増強の見通し,と米国防当局。(朝日20日)
DIA-602-1976-04-18-2ソ連1976年04月18日1970年代プラウダは,キッシンジャー米国務長官の“西欧で共産党が政権についたら米国からの対ソ防衛は期待できなくなる”という趣旨の発言を,ヘルシンキ会議の合意に反すると非難。
DIA-602-1976-04-20-1ソ連1976年04月20日1970年代ラオス党・政府代表団(団長,カイソン書記長兼首相)訪ソ(~5月5日)。22日,共同声明,文化・科学協力協定,通商条約および貿易取引高と支払いに関する協定など5文書調印。(共同声明は5月4日に発表)
DIA-602-1976-04-20-2ソ連1976年04月20日1970年代来日中のソ連世界経済国際関係研究所イノゼムツェフ所長は,アジア集団安保は短時日では完成されない複雑な政治的措置だと発言。
DIA-602-1976-04-20-3ソ連1976年04月20日1970年代ソ連系国際学連の「ラピ副議長がシンガポール大学,南洋大学で浸透活動」(「マラヤ革命の声」放送)。
DIA-602-1976-04-20-4ソ連1976年04月20日1970年代ソ連・ベトナム経済科学技術協力委員会第3会期終了,議定書調印。(プラウダ21日)
DIA-602-1976-04-20-5ソ連1976年04月20日1970年代クレメンツ米国防次官は大学での講演で「ソ連は高エネルギーのレーザー,ホーバークラフト,対人圧力兵器などを含む極めて危険な兵器技術の開発に集中投資をしている」と述べた。(UPI)
DIA-602-1976-04-22-1ソ連1976年04月22日1970年代ポリャンスキー新駐日大使来日。(トロヤノスキー前大使は17日帰国)。
DIA-602-1976-04-22-2ソ連1976年04月22日1970年代アンドロポフKGB議長,プロ独裁放棄やイデオロギーの平和兵存を認めないと演説。
DIA-602-1976-04-23-1ソ連1976年04月23日1970年代訪ソ中のシパンデ・モザンビーク国防省,ソ連製武器購入問題で会談。
DIA-602-1976-04-23-2ソ連1976年04月23日1970年代エジプト政府訪中代表団(ムバラク副大統領)が中国と軍事議定書に調印したことに対し,イズベスチャは「ソ連がアラブ人民を武器なしに放っておこうとしたとの印象をつくり出そうとした」と非難。
DIA-602-1976-04-24-1ソ連1976年04月24日1970年代インド石油工業省は最近3年間に原油生産量を倍加し,年1500万トンに達したと発表したが,『プラウダ』は,その原因として,ソ連が協力して開発した33カ所の新油田からその50%以上を産出していると指摘した。
DIA-602-1976-04-25-1ソ連1976年04月25日1970年代ラムズフェルド米国防長官はNBC放送で「現在の米軍事力は世界最強だ。しかしこのままでは将来ソ連に追いつかれる」と発言。(リーガン候補の「米国は軍事力で世界の2番目の国になり下がった」という批判に反論したもの)。
DIA-602-1976-04-25-2ソ連1976年04月25日1970年代エジプトのファタハ貿易相訪ソ,昨年暮仮調印した76年度貿易協定(総額3億2000万ポンド)に調印。
DIA-602-1976-04-26-1ソ連1976年04月26日1970年代米上院情報活動特別調査委はソ連の対外秘密活動要員はKGB1万人,GRU2000人(国内活動要員を含めると計41万人)との推定を発表。
DIA-602-1976-04-26-2ソ連1976年04月26日1970年代タイの新首相に就任したセニ・プラモート氏は『プラウダ』特派員に「ソ連やその他の社会主義諸国との平等互恵の関係を発展させたい」と語った。(プラウダ27日)
DIA-602-1976-04-26-3ソ連1976年04月26日1970年代訪日中のカドウミPLO政治局長は「中ソ双方と友好を維持する」と発言。
DIA-602-1976-04-27-1ソ連1976年04月27日1970年代リビアにソ連軍基地確保か――エジプトの『アルグムフリア』紙,リビア最大の空港でソ連軍事要員が活動し,ソ連国旗が掲げられていると報道。以前にも「ソ連,リビアとミグ25機の売却で合意」との報道(『アンマン』紙316)があった。
DIA-602-1976-04-27-2ソ連1976年04月27日1970年代グロムイコ外相訪仏(~30日)。30日,デタント推進をうたう共同コミュニケ発表。
DIA-602-1976-04-28-1ソ連1976年04月28日1970年代ソ連政府,レバノン情勢で声明発表,「放置すれば第5次中東戦争も起りかねない」と警告,中東和平のための2段階方式のジュネーブ会議再開を呼びかけ(第1段階は会議の構成問題,第2段階で実質討議)。
DIA-602-1976-04-28-2ソ連1976年04月28日1970年代『プラウダ』はアレクサンドロフ署名の大論文「北京と中ソ関係」を発表,“毛沢東主義者”がソ中関係正常化のためのソ連提案をすべて拒否または無視してきたと非難。
DIA-602-1976-04-29-1ソ連1976年04月29日1970年代北京のソ連大使館前で爆発が起り,中国人衛兵2名が死亡。「反革命分子の行為」と中国当局。
DIA-602-1976-04-29-2ソ連1976年04月29日1970年代ソ連国防相にウスチノフ氏(26日死去したグレチコ氏の後任)。
DIA-602-1976-04-29-3ソ連1976年04月29日1970年代グレチコ国防相の葬儀に,外国からブルガリア,ハンガリー,東独,キューバ,モンゴル,ポーランド,ルーマニア,チェコスロバキア,ユーゴスラビアの各国防相(チェコは第一次官,ユーゴは総参謀長)のほか,アルジェリア(革命委員会委員ベンシェリフ大佐),アンゴラ(コレイラ国防相),イエメン(フセイヌン総参謀長),モザンビーク(チパンデ国防相),ソマリー(サマンタル国防長官),エジプト(ガマシ国防相)が出席(プラウダ)。
DIA-602-1976-04-29-4ソ連1976年04月29日1970年代ソ連・朝鮮友好協会は総会を開き,タラソフ自動車工業相を会長に選出。
DIA-602-1976-04-30-1ソ連1976年04月30日1970年代インドを公式訪問中のアルヒポフ副首相はアフメッド大統領,ガンジー首相と会見(同氏は5月1日,ビハール州ボカロ市のメーデーに参加,ガンジー首相に次いで演説)。(プラウダ5月1日,2日)
DIA-602-1976-04-30-2ソ連1976年04月30日1970年代ソ仏共同声明発表(訪仏中のグロムイコ外相と),全欧安保協力会議合意の履行とデタント推進をうたう。
DIA-602-1976-05-01-1ソ連1976年05月01日1970年代「月刊社会党」で下平正一同党日中特別委員長,北方4島返還実現を主張,ソ連の覇権主義を非難。
DIA-602-1976-05-03-1ソ連1976年05月03日1970年代クズネツォフ外務次官,アフガニスタン大使と中立・相互不可侵条約延長議定書の批准書交換。
DIA-602-1976-05-04-1ソ連1976年05月04日1970年代ソ連駆逐艦の反乱を報道――核装備の対潜駆逐艦ストロジェボイ号の政治担当将校ら乗組員が,昨年11月7日,バルチック海上で反乱,ソ連戦闘機の爆撃で鎮圧とスエーデン紙が報道。
DIA-602-1976-05-04-2ソ連1976年05月04日1970年代ニューデリーの外交界で,ソ連の外交官(または技術者)数名がインドを追放されたとの説が流れ,ソ印関係が最近ぎくしゃくしているといわれる。(読売5日)
DIA-602-1976-05-04-3ソ連1976年05月04日1970年代米国の民間研究グループである国際政策研究所は,ソ連の第三世界への援助が政変で大量の焦げ付きを生み,インドネシアでは10億ドル(1970年現在),チリでは1億6800万ドルにのぼっていると指摘,ソ連はこの“教訓”からエジプトに対しては30億ドルにのぼる軍事援助の返済について“固い姿勢”をとっていると述べている。(IHT5日)
DIA-602-1976-05-05-1ソ連1976年05月05日1970年代75年の対先進国国貿易,36億ルーブルの入超――ソ連の『経済新聞』第19号は75年の貿易統計を発表,総額507億ルーブル,輸出240億ルーブル,輸入267億ルーブル。地域別内訳は,対コメコン諸国263億ルーブル(123億ルーブル―70年の貿易額,以下同様),対発展途上国63億ルーブル(30億ルーブル),対先進資本主義国158億ルーブル(47億ルーブル)。 対発展途上国の主なものは,アルゼンチン―3.0億ルーブル,ブラジル―3.96億ルーブル,エジプト―7.1億ルーブル,インド―6.85億ルーブル,イラク―5.96億ルーブル,イラン―5.1億ルーブル。 対先進資本主義国の貿易収支は36億ルーブルの赤字。主な国は,西独―28億ルーブル,日本―19億ルーブル,フィンランド―17億ルーブル,アメリカ―16億ルーブル,イタリア―14億ルーブル,フランス―12億ルーブル,イギリス―9.6億ルーブル。
DIA-602-1976-05-08-1ソ連1976年05月08日1970年代ブレジネフ書記長の元帥昇進発表。生地ドニエプロジェルジンスク(ウクライナ)では同氏の銅像除幕式。
DIA-602-1976-05-08-2ソ連1976年05月08日1970年代ブレジネフ書記長,ヨーロッパ諸国の環境問題,交通問題,エネルギー利用等にかんする一連の会議を提唱。これは昨年のヘルシンキ会議の合意の履行を目指すものと『プラウダ』報道。西側外交筋によると,これは同書記長が1月のポーランド党大会で提唱したもので,まだ一般的呼びかけにすぎない。(共同)
DIA-602-1976-05-08-3ソ連1976年05月08日1970年代ヤクボフスキー・ワルシャワ条約機構軍総司令官,『プラウダ』に,ソ連国防力増強が党の中心課題と論文発表。
DIA-602-1976-05-09-1ソ連1976年05月09日1970年代ソ連の外航海運急増――日本船主協会の報告書「定期船活動を中心とするソ連の外航海運」は,ソ連の保有船腹量が1924万総トン,7652隻にまで急増(世界5~6位),自国商品の輸送のみでなく,三国間航路も多く,また運賃ダンピングでシェアを伸し,西側海運業界に脅威を与えていると発表。
DIA-602-1976-05-09-2ソ連1976年05月09日1970年代ウスチノフ新国防相,対独戦勝記念日の「国防相命令」の中で,中国指導部が反動勢力と連合していると「警戒心高揚,軍事能力向上」を強調。
DIA-602-1976-05-10-1ソ連1976年05月10日1970年代ソ連がトンガ王国に船舶基地提供を申入れ(オーストラリア『シドニー・サンデー・テレグラフ』)。ツポウ国王は19日,ソ連が国際空港や他の施設建設を申入れている事実を公表。
DIA-602-1976-05-10-2ソ連1976年05月10日1970年代北方領土返還促進活動家訪中団の坂本徳松団長,北京の大集会で「ソ連覇権主義は日中両国人民の共同の敵」と演説。
DIA-602-1976-05-11-1ソ連1976年05月11日1970年代ソ連とキューバの過去1年間の対アンゴラ(MPLA)軍事援助は約4億ドル,と米政府筋語る。
DIA-602-1976-05-11-2ソ連1976年05月11日1970年代ソ連外務省は米駐ソ大使館に,米国内におけるソ連施設やソ連人にたいするシオニストの脅迫行為についての抗議文を手渡した。
DIA-602-1976-05-12-1ソ連1976年05月12日1970年代ソ連・スペイン航空協定締結。
DIA-602-1976-05-12-2ソ連1976年05月12日1970年代バクーでアジア・アフリカ人民連帯全ソ会議開催。
DIA-602-1976-05-13-1ソ連1976年05月13日1970年代オルロフ(科学者),グリゴレンコ(元少将)氏ら9人,ヘルシンキ会議最終文書の人権条項遵守監視グループ結成。
DIA-602-1976-05-14-1ソ連1976年05月14日1970年代マチェーヒン記者,スパイ容疑で逮捕――ノーボスチ通信の東京特派員アレクサンドル・マチューヒン氏が,東京で米水兵と接触中,スパイ容疑で逮捕。ソ連大使館は外務省に抗議,外務省は釈放要求を拒否。ノーボスチ通信社や在日ソ連ジャーナリストが抗議声明。警視庁はGRUスパイとの見方を強める。22日,「嫌疑はあるが刑事責任を追及するほどではない」と起訴猶予に。外務省はソ連側の注意を喚起する声明を口頭伝達。23日,マチューヒン氏帰国。
DIA-602-1976-05-14-2ソ連1976年05月14日1970年代タス通信は,インドとパキスタンの外交関係再開について,ただちに「南アジア各国国民が待望していたもの」と歓迎を表明。
DIA-602-1976-05-14-3ソ連1976年05月14日1970年代『プラウダ』は「危険なキャンペーン」と題する評論員論文で,米国の反キューバ・キャンペーンを強く警告。
DIA-602-1976-05-15-1ソ連1976年05月15日1970年代ソ連,インドネシアのアルミナ開発に進出――インドネシアのサドリ鉱業相は,アサハン・アルミ精練所(日本が経済協力)の中間原料アルミナの開発と生産をソ連の援助で進めるため交渉中と示唆。18日にはマスフリ情報相が,同計画の開発資金3億ドルは全額ソ連持ち,年利7%,10年払いと述べた。(日経16日,19日)
DIA-602-1976-05-15-2ソ連1976年05月15日1970年代朝鮮人民民主主義共和国と76~77年度友好文化協力計画書調印。
DIA-602-1976-05-17-1ソ連1976年05月17日1970年代ソ連偵察機が昨年,アラスカに新設されたパイプ・ライン上空を低空で偵察したと『ワシントン・ポスト』が報道。米空軍筋はTU16爆撃機がアラスカ上空侵入を図ったが察知され,引き返したと,同紙報道を否定。
DIA-602-1976-05-17-2ソ連1976年05月17日1970年代ソ連軍事代表団,ヨルダン訪問。対空ミサイルSAM供与を協議とアンマン消息筋。
DIA-602-1976-05-17-3ソ連1976年05月17日1970年代モザンビークのマシェル大統領が訪ソ,ソ連首脳と会談開始。19日,文化・科学協力協定調印。23日,共同声明発表,「国防力強化の援助を合意」とうたう。
DIA-602-1976-05-18-1ソ連1976年05月18日1970年代米CIA報告書は,75年のソ連国防支出は500~550億ルーブルで,GNPの11~13%と従来の推定額を大幅修正。
DIA-602-1976-05-18-2ソ連1976年05月18日1970年代香港政庁は入港を求めてきたソ連タグボート,ポセイドン号の入港を拒否。(同号は英国防省スパイ船リストに挙げられていると『サウス・チャイナ・モーニング・ポスト』紙)
DIA-602-1976-05-18-3ソ連1976年05月18日1970年代『イズベスチヤ』は,北京で北方領土返還要求の報告集会を開いた坂本徳松教授らの訪中団を非難。
DIA-602-1976-05-19-1ソ連1976年05月19日1970年代ソ連・カナダ漁業協定調印(モスクワ)。カナダ筋はこの協定にソ連が応じたことにより200カイリを認めることになろうと述べた。
DIA-602-1976-05-19-2ソ連1976年05月19日1970年代スミトロ・インドネシア国務相訪ソ。
DIA-602-1976-05-19-3ソ連1976年05月19日1970年代ソ連・パプアニユーギニア共同声明発表,外交関係樹立。
DIA-602-1976-05-20-1ソ連1976年05月20日1970年代ルーブルの対ルピー交換比率引上げにインド側不満――インド外務省筋,ガンジー首相の訪ソにさきがけて,カウル大蔵次官らをモスクワに派遣,ルーブルのルピーに対する交換比率の一方的引上げ通告について交渉することを明らかにした。 19日付『ヒンズー』紙は,今年3月にソ連が同交換比率を従来の100ルピー当り8.88ルーブルから8.66へ一方的に改定,実勢レートより25%強もルピーが低く算定されており,これによってインド側は約80億ルピーの被害を受けると指摘。
DIA-602-1976-05-22-1ソ連1976年05月22日1970年代ソ連政府は声明を発表,対西独協力関係の発展,緊張緩和推進をうたい,「西独の一部のグループが独ソの友好関係を引きさこうとしている」と非難(プラウダ22日)。西独ゲンシャー外相は,ソ連の非難は「不当かつ無意味」と述べた。
DIA-602-1976-05-22-2ソ連1976年05月22日1970年代中ソの76年度貿易・支払協定調印(北京)。
DIA-602-1976-05-23-1ソ連1976年05月23日1970年代アンゴラのナシメント首相訪ソ。26日,「両国の友好関係と協力の基本原則に関する宣言」,経済協力協定,領事条約など6文書調印。31日,共同声明発表(アンゴラの国防力強化へのソ連援助,デタント政策評価等をもりこむ)。
DIA-602-1976-05-23-2ソ連1976年05月23日1970年代タイ紙,インドシナの“軍事地図”発表――タイの『バンコク・ポスト』は米大使館の解禁した軍事機密文書に基づき,インドシナの兵力配置と基地の状況についての特集記事掲載。その中でラオスにおけるソ連援助要員を推定2000人,その他キューバ人顧問が400人で,衛星通信を含むソ連・ラオス両国間通信網を建設,と指摘。 なお,ラオス駐留北ベトナム軍推定3万3000人,同中国軍1万2000人で,ハノイにはラオス・北ベトナム合同司令部があり,また中国人技術者,労働者約1万人が道路工事に従事と述べている。
DIA-602-1976-05-24-1ソ連1976年05月24日1970年代ソ連親善代表団,ネパール訪問。
DIA-602-1976-05-25-1ソ連1976年05月25日1970年代『文学新聞』は3人のモスクワ駐在米特派員がCIAと関係を持ち,対ソ破壊活動を行なっていると非難(AP,NYT,ニューズウイークの3社は事実を否定,米大使館も抗議)。
DIA-602-1976-05-28-1ソ連1976年05月28日1970年代米ソの平和目的地下核実験制限条約調印(モスクワとワシントンで)。
DIA-602-1976-05-28-2ソ連1976年05月28日1970年代キレン・豪国防相,インド洋のソ連海軍の増大に懸念表明。
DIA-602-1976-05-29-1ソ連1976年05月29日1970年代コスイギン首相,イラク訪問。31日,共同声明発表,ソ連・イラク経済・技術協力発展協定も調印。
DIA-602-1976-05-31-1ソ連1976年05月31日1970年代ルーマニアで「ソ連軍が侵入する」とのウワサがとび,市民はガソリンや食料品など買いあさる。(ロイター=共同)
DIA-602-1976-06-01-1ソ連1976年06月01日1970年代コスイギン首相,シリア訪問。歓迎宴でシリアの防衛力強化への援助継続を表明。4日,共同声明発表。
DIA-602-1976-06-01-2ソ連1976年06月01日1970年代オーストラリアのフレーザー首相,アジア・太平洋とインド洋で緊張が援和されない原困はソ連の勢力拡張にあると非難。
DIA-602-1976-06-01-3ソ連1976年06月01日1970年代メリ仏参謀総長,新戦略構想を発表,「欧州に戦争が起きた時には仏軍は西独東部国境の最前線でNATO軍とともに戦う」と言明(仏『国防』誌)。9日付『プラウダ』,同構想を非難。またメリ氏は4日から訪中,華首相と会談。8日の新華社電は同構想を評価。
DIA-602-1976-06-01-4ソ連1976年06月01日1970年代社会党石橋書記長,「近くソ連と幹部クラスの交流再開」と示唆。
DIA-602-1976-06-02-1ソ連1976年06月02日1970年代フィリピン,対ソ国交樹立――マルコス・フィリピン大統領は5月31日訪ソし,6月2日,外交関係樹立に関するコミュニケと共同声明に調印。通商協定も同日調印された。ソ連はこれで全ASEAN諸国との国交を樹立(両国の国交は75年6月の中比国交樹立と前後して行なわれると伝えられていたが,1年ほど遅れた)。通商協定では双方とも最恵国待遇を供与することが決定された。
DIA-602-1976-06-02-2ソ連1976年06月02日1970年代ソ連党中央委「農業生産の専門化と集中化の一層の発展」に関する決議発表。コルホーズ間協業,農工コンプレックス,企業連合化の推進をうちだす。
DIA-602-1976-06-02-3ソ連1976年06月02日1970年代ポルトガルのアンツネス外相訪ソ,6日,共同声明発表。
DIA-602-1976-06-02-4ソ連1976年06月02日1970年代モスクワの米大使館員は,ソ連の監視超短波による健康障害の疑いで健康調査を受けることに決定。(毎日)
DIA-602-1976-06-02-5ソ連1976年06月02日1970年代新駐インドネシア大使にファデビッチ氏(前外務省極東部長)。
DIA-602-1976-06-04-1ソ連1976年06月04日1970年代チャウシェスク・ルーマニア大統領,「ソ連との間に領土問題はない」「欧州共産党会議はいつでも開ける」と演説。(プラウダ)
DIA-602-1976-06-04-2ソ連1976年06月04日1970年代食糧危機のためキエフ,リガ,ロストフその他でデモ。(デーリー・テレグラフ)
DIA-602-1976-06-04-3ソ連1976年06月04日1970年代在ソ西側外交筋によると,ローデシアの穏健派黒人運動指導者エンコモ氏が数日前ひそかにモスクワに到着。(UPI)
DIA-602-1976-06-04-4ソ連1976年06月04日1970年代カツシェフ党書記,ユーゴ訪問,7日,チトー大統領と会談(欧州共産党会議事前討議難航)。
DIA-602-1976-06-04-5ソ連1976年06月04日1970年代坂田防衛庁長官は4日の閣議で防衛白書を報告。その中では特に極東ソ連軍の増強ぶりが強調され,海空両方面でのソ連の日本周辺での行動が急増している状況を詳述。
DIA-602-1976-06-06-1ソ連1976年06月06日1970年代カストロ・キューバ首相、アンゴラのキューバ軍は撤退中だが,一部は残留すると言明。(その後「数千人は無期限に駐留」と発言。)
DIA-602-1976-06-08-1ソ連1976年06月08日1970年代インドのガンジー首相訪ソ(~13日)――11日「友好・協力の一層の発展に関する宣言」に調印。同宣言は,1971年の両国の平和友好協力条約,73年の共同宣言の「巨大な意義」や両国の協力関係の発展に満足を表明。 しかし,“デタント”推進をはじめソ連の重視する国際問題のほとんどに触れて,「意見の一致」を表明しているにもかかわらず,中国問題に一言も触れておらず,最近中印両国が15年ぶりの大使交換を再開しているだけに,注目を集めた。また「アジア集団安保」にも触れず「アジアの平和と安定を強化する」という表現に止まった。同宣言はまた経済・技術協力関係の発展を強くうたっているが,インドが抵抗してきたルーブルの対ルピー・レート切り上げ問題は未解決に終っ た模様(日経6.12)。これらのことから「ガンジー首相が,従来のソ連寄り路線から中立主義の方向へ外交姿勢を立て直す決意を表明した」(朝日6.14)との見方も生れている。 ソ連側はブレジネフ書記長が3日間続けて会談にのぞみ,テレビ生中継など「最高の歓待ぶり」。(毎日6.12)
DIA-602-1976-06-08-2ソ連1976年06月08日1970年代ソ連,フィリピン合弁海運会社フィルソフ,75年1月以降15カ月間のソ連船輸送28万8000トン,1000万ドル(ココナツ,オイル,砂糖などの対ソ輸出)と発表。
DIA-602-1976-06-08-3ソ連1976年06月08日1970年代グジェンコ海洋船舶相,今後5年間に500万トンの商船を建造する計画を発表。(タス)
DIA-602-1976-06-09-1ソ連1976年06月09日1970年代タス通信は,レバノンに対する外国の干渉中止と即時停戦を呼びかける声明を発表。同声明はシリア軍の介入にも批判的に言及。(20日のタス通信はレバノンへの援助物資提供を報道,7.15付『アッサフィル』紙,ソ連がシリアへの兵器供与を停止,PLOに兵器供与と報道)
DIA-602-1976-06-10-1ソ連1976年06月10日1970年代欧州共産党会議最終準備会議開催(東ベルリン)。ソ連からカツシェフ,ポノマリヨフ(ともに党書記)らが参加。最終文書作成で難航し,11日中断。
DIA-602-1976-06-14-1ソ連1976年06月14日1970年代ソ連北部(ソ・フィン国境)で軍事演習(~18日,2万5000人)。フィンランド,スエーデン,ノルウェー3国に視察招待。
DIA-602-1976-06-14-2ソ連1976年06月14日1970年代日本人のソ連渡航者(観光をふくむ)が74年の1万5900人から75年1万6600人に増加,ソ運からは5400余人が来日(75年)。(朝日)
DIA-602-1976-06-17-1ソ連1976年06月17日1970年代フセイン・ヨルダン国王訪ソ(~28日)。経済協力推進をうたう共同声明を発表(28日),防空ミサイル・システム買付けには触れず。
DIA-602-1976-06-17-2ソ連1976年06月17日1970年代ラムズフェルド米国防長官のケニヤ,ザイール訪問とケニヤへの武器援助協定をタス通信は「アフリカ大陸での帝国主義勢力による反撃の新たな試み」と非難。(プラウダ18日)
DIA-602-1976-06-17-3ソ連1976年06月17日1970年代ソ連・北ベトナム科学技術協力議定書締結。
DIA-602-1976-06-18-1ソ連1976年06月18日1970年代『イズベスチヤ』は「毛沢東主義は帝国主義の予備軍」と題する中国外交批判の論文を発表。
DIA-602-1976-06-18-2ソ連1976年06月18日1970年代坂田防衛庁長官,閣議でソ連軍艦,情報収集艦の異常接近や偵察飛行が最近激増と報告。
DIA-602-1976-06-20-1ソ連1976年06月20日1970年代バーネット米ブルッキングス研究所員,「毛主席死後2~3年以内に中ソ緊張緩和の試みが行われる可能性が強い」とテレビ発言。
DIA-602-1976-06-21-1ソ連1976年06月21日1970年代印ソ海運サービス強化議定書調印。
DIA-602-1976-06-22-1ソ連1976年06月22日1970年代ユーゴの反チトー派中心人物ダブチェビッチ氏(親ソ派)の裁判始まる。
DIA-602-1976-06-23-1ソ連1976年06月23日1970年代ソ連国家対外経済委員会,戦後ベトナムへの経済援助で240件中170件以上をすでに着手と発表。
DIA-602-1976-06-23-2ソ連1976年06月23日1970年代朝鮮労働党機関紙『労働新聞』代表団訪ソ。
DIA-602-1976-06-24-1ソ連1976年06月24日1970年代訪中した江田社会党副委員長,両超大国の覇権反対を表明。
DIA-602-1976-06-25-1ソ連1976年06月25日1970年代ポーランドで食料暴動――ポーランドのワルシャワなど各地で,食料品値上げ(24日発表)に反対するストライキなどの大闘争が爆発,国際線を含む鉄道がストップ。25日夜,政府は値上げ撤回を発表。
DIA-602-1976-06-27-1ソ連1976年06月27日1970年代英『オブザーバー』紙,ソ連がスターリン死後最悪の経済危機に見舞われ,東欧諸国も五カ年計画の大幅改定を求められていると報道。
DIA-602-1976-06-28-1ソ連1976年06月28日1970年代ブレジネフ書記長,チトー・ユーゴ大統領と会談(東ベルリンで)。
DIA-602-1976-06-28-2ソ連1976年06月28日1970年代ドイムシツ氏,専任副首相に。後継首相候補説も。
DIA-602-1976-06-28-3ソ連1976年06月28日1970年代ソ連・フィンランド共同声明発表。ケッコーネン大統領帰国。両国はヘルシンキ会議の合意事項全面実施を強調,さらに環境・交通・エネルギー問題のヨーロッパ会議開催についてのソ連提案を討議。
DIA-602-1976-06-28-4ソ連1976年06月28日1970年代ソ連海運公団,スエーデン海運会社と合併して「スカンソフ・トランスポート」新設(ソ連出資60%)を決定。
DIA-602-1976-06-29-1ソ連1976年06月29日1970年代欧州共産党会議開催(東ベルリン)。19年ぶりのユーゴを含め29カ国の党代表参加。30日,最終文書「欧州の平和,安全,協力,社会進歩のために」採択。ソ連と西欧党共産との不一致露呈。
DIA-602-1976-07-02-1ソ連1976年07月02日1970年代欧州共産党会議についてのソ連党代表団活動報告は「最終文書の目的は反ソ・キャンペーンを展開する勢力とのたたかいである」と主張,同会議の矛盾露呈。
DIA-602-1976-07-05-1ソ連1976年07月05日1970年代シルアのハダム外相訪ソ。
DIA-602-1976-07-05-2ソ連1976年07月05日1970年代ソ朝友好協力相互援助条約を自動継続。
DIA-602-1976-07-07-1ソ連1976年07月07日1970年代コメコン総会開催(東ベルリン)。ソ連,東欧,モンゴル,キューバなど10カ国のほか,ベトナム,北朝鮮,ラオス,アンゴラがオブザーバー派遣。「統一電力システム総合計画」採択。しかしソ連提唱の相互調整のための中央機関設置はルーマニアなどの反対で流産。
DIA-602-1976-07-07-2ソ連1976年07月07日1970年代タイ国家安全委員会は,バンコク港周辺に停泊するソ連船の激増問題を討議(過去1年半に延べ83隻,うち40隻は全くの空船)。
DIA-602-1976-07-07-3ソ連1976年07月07日1970年代ソ連海・空軍が沖縄沖で合同演習(防衛庁観測)。
DIA-602-1976-07-08-1ソ連1976年07月08日1970年代ソ連,中国の朱徳全人代常務委員長死去に弔電「すぐれた革命的共産主義者」とたたえる。
DIA-602-1976-07-08-2ソ連1976年07月08日1970年代オーストラリアのアンソニー副首相訪ソ。
DIA-602-1976-07-08-3ソ連1976年07月08日1970年代アラファトPLO議長訪ソ。
DIA-602-1976-07-09-1ソ連1976年07月09日1970年代シダク,クズネツォフ両農業次官解任。
DIA-602-1976-07-09-2ソ連1976年07月09日1970年代米上院国際治安委員会,チェコのヨハネス駐米大使はソ連KGBの一員と発表。
DIA-602-1976-07-09-3ソ連1976年07月09日1970年代宮沢外相,中国が北方領土問題に関与するのは迷惑と国会で発言。15日付『人民日報』は同発言を非難。25日付『プラウダ』は同発言を称賛。
DIA-602-1976-07-12-1ソ連1976年07月12日1970年代『イズベスチヤ』,新憲法の意義を強調するシェバノフ博士の論文掲載。
DIA-602-1976-07-15-1ソ連1976年07月15日1970年代異端派活動家アンドレイ・アマルリク氏(「ソ連は1984年まで生きのびるか」の著者)亡命。
DIA-602-1976-07-15-2ソ連1976年07月15日1970年代ソ連,PLOに軍事援助開始,シリアへの兵器部品供与停止。
DIA-602-1976-07-16-1ソ連1976年07月16日1970年代オーストラリア政府,ソ連外交官2名の入国拒否(KGB容疑)。
DIA-602-1976-07-16-2ソ連1976年07月16日1970年代ポーランドの6月ストの“指導者”7人の裁判開始。20日,懲役3~5年の判決。
DIA-602-1976-07-20-1ソ連1976年07月20日1970年代ソ連は年初来150トンの金を売却したと南阿の金問題専門家講演。
DIA-602-1976-07-22-1ソ連1976年07月22日1970年代ソ連の地中海艦隊に空母「キエフ」が参加(NYT)。25日付『赤い星』は同号の写真掲載。
DIA-602-1976-07-24-1ソ連1976年07月24日1970年代『プラウダ』は,イタリア新内閣に共産党が参加すれば財政援助をしないとの米・英・西独・仏の秘密合意は「新しい神聖同盟」と批判。
DIA-602-1976-07-26-1ソ連1976年07月26日1970年代キューバのカストロ首相,アンゴラ駐留は必要な限り継続すると演説。
DIA-602-1976-07-27-1ソ連1976年07月27日1970年代ソ連のチェス元チャンピオン,コルチノイ氏オランダで亡命。
DIA-602-1976-07-28-1ソ連1976年07月28日1970年代ブレジネフ書記長,東欧首脳と相ついで会談――28日,ギエレク・ポーランド党第一書記との会談を皮切りに,クリミアの保養地でフサク(チェコ,30日),チャウシェスク(ルーマニア,8.3),ジフコフ(ブルガリア,8.11),ツエデンバル(モンゴル,8.16),ホーネッカー(東独,8.19)らの各国首脳と会談。 なお,ルーマニアのチャウシェスク書記長はモルダビア経由で訪ソし,注目された。
DIA-602-1976-07-29-1ソ連1976年07月29日1970年代バイカル号殺人事件――ソ連船バイカル号で日本女性がソ連船員に殺害され,海上に投棄。ソ連側は「公海上」の事件として日本側の捜査への協力を拒否。8月14日,ビソーコス四等航海士の起訴を日本大使館員に口頭通告。9月17日,ソ連極東船舶公団ビアンキン総裁,遺族に補償の用意があると発言。
DIA-602-1976-07-30-1ソ連1976年07月30日1970年代ウスチノフ国防相,元帥に昇進。
DIA-602-1976-07-30-2ソ連1976年07月30日1970年代ジスカールデスタン仏大統領,近くソ連と偶発核戦争防止保障協定に調印すると言明。
DIA-602-1976-08-01-1ソ連1976年08月01日1970年代ソ連各紙,ヘルシンキ全欧安保協力会議1周年記念論文を発表,「欧州の恒久平和の出発点」と評価。
DIA-602-1976-08-01-2ソ連1976年08月01日1970年代ソ連にだ捕された根室の漁民,ソ連の収容所で“自殺”。
DIA-602-1976-08-02-1ソ連1976年08月02日1970年代ソマリアのサマンタル副大統領(国防相)訪ソ。
DIA-602-1976-08-03-1ソ連1976年08月03日1970年代ソ連戦略爆撃機バックファイアーが空中給油を行いながらアゾレス諸島の米軍基地など大西洋上偵察飛行。(米航空専門誌)
DIA-602-1976-08-04-1ソ連1976年08月04日1970年代欧州・日本船主協会会議(日本を含め12カ国)代表団,ソ連のダンピング中止要請その他の問題の交渉のため訪ソ。
DIA-602-1976-08-04-2ソ連1976年08月04日1970年代ANZUS条約理事会,ソ連のインド洋,南太平洋への進出に懸念表明。
DIA-602-1976-08-05-1ソ連1976年08月05日1970年代ソ連の石油パイプライン「ドルージバ」を西欧諸国に延長させることも可能とソ連の専門家が発言(タス通信)。
DIA-602-1976-08-05-2ソ連1976年08月05日1970年代リビアの地中海岸海軍施設,ソ連艦隊用に拡張。ソ連,リビアに大量の兵器配備。(中東通信=共同)
DIA-602-1976-08-08-1ソ連1976年08月08日1970年代経団連代表団(土光敏夫団長)訪ソ。ソ連側,10~15年の長期経済協力を希望表明。バム鉄道建設への協力要請に同代表団は慎重。13日,ブレジネフ書記長が会見(クリミヤ)するなど,異例の歓迎ぶりを示したが,「具体的に決まったものは何もない」と土光団長語る。
DIA-602-1976-08-08-2ソ連1976年08月08日1970年代ペルーがソ連から超音速爆撃機SU22を36機ひそかに購入。ソ連はこのための借款2億5千万ドルを供与。
DIA-602-1976-08-12-1ソ連1976年08月12日1970年代「ソ連がアルゼンチン小麦の10年間買付け申入れ」とアルゼンチン『エル・エコノミスタ』紙。
DIA-602-1976-08-16-1ソ連1976年08月16日1970年代ブレジネフ書記長,非同盟諸国首脳会議(コロンボ)にメッセージ。
DIA-602-1976-08-16-2ソ連1976年08月16日1970年代スイス政府,同国のジャンメール将軍をソ連に軍事機密を提供した疑いで逮捕。
DIA-602-1976-08-17-1ソ連1976年08月17日1970年代モスクワの食料品店に「日曜休業」の命令。
DIA-602-1976-08-18-1ソ連1976年08月18日1970年代インドネシア独立31周年記念行事の中でスハルト大統領は「対中国交回復を妨げる要素は何もない」と発言。ソ連の太平洋,インド洋進出けん制が狙いと『産経』(21日)。
DIA-602-1976-08-18-2ソ連1976年08月18日1970年代ゴルシコフ海軍総司令官,ユーゴ訪問。
DIA-602-1976-08-21-1ソ連1976年08月21日1970年代『プラウダ』,18日の板門店事件は米韓の陰謀と報道,28日付『イズベスチヤ』は同事件の平和的解決で北朝鮮を評価。
DIA-602-1976-08-22-1ソ連1976年08月22日1970年代スイス政府はソ連大使館ボゴモーロフ2等書記官をスパイ容疑で追放。
DIA-602-1976-08-27-1ソ連1976年08月27日1970年代西サモアはソ連に漁業基地設置を求められ拒否。(韓『コリア・ヘラルド』)
DIA-602-1976-08-27-2ソ連1976年08月27日1970年代駐ソ中国大使に李耀文前タンザニア大使を任命。
DIA-602-1976-08-30-1ソ連1976年08月30日1970年代北方領土返還要求北海道・東北国民大会(自治体・民間団体主催,於札幌市)開催。
DIA-602-1976-08-31-1ソ連1976年08月31日1970年代シンガポール政府はソ連船用燃料補給基地建設についてのソ連の再三の要求を最終的に拒否。(ニユー・ネーション)
DIA-602-1976-08-31-2ソ連1976年08月31日1970年代コスイギン首相,8月初め遊泳中に心臓発作。(英『イブニング・ニューズ』)
DIA-602-1976-08-31-3ソ連1976年08月31日1970年代ソ連は空母を最終的に6隻建造するだろうと「ジエーン海軍年艦」。
DIA-602-1976-09-02-1ソ連1976年09月02日1970年代チーホノフ副首相,第一副首相に。
DIA-602-1976-09-03-1ソ連1976年09月03日1970年代ブレジネフ書記長,アルマアタで「今年は十分な穀物生産をあげるだろう」と演説。
DIA-602-1976-09-03-2ソ連1976年09月03日1970年代ロンドンの国際戦略研究所は「ミリタリー・バランス76~77」を発表。米ソの核バランスは運搬手段数,破壊力でソが勝り,弾頭数は米が優位とし,75年のソ連軍事支出の対GNP比率を11~13%と訂正。
DIA-602-1976-09-04-1ソ連1976年09月04日1970年代米国の対ソ輸出は今年23億ドルに達すると米商務省が推計(73年12億ドル,74年6億ドル,75年20億ドル)。
DIA-602-1976-09-04-2ソ連1976年09月04日1970年代北方領土への墓参団に対しソ連政府が「日本の旅券とソ連のビザ取得」を要求,日本外務省は「北方領土は外国ではない」とこれを拒否,今年は墓参を断念。
DIA-602-1976-09-05-1ソ連1976年09月05日1970年代カイソン・ラオス首相訪ソ。
DIA-602-1976-09-06-1ソ連1976年09月06日1970年代ミグ25,函館に強行着陸――ソ連空軍のミグ25戦闘機が函館空港に強行着陸し,ベレンコ中尉は米国への亡命希望を表明,9日,米国へ出国。 ソ連政府は9日と22日に声明を発し,燃料切れによる緊急着陸で亡命は本人の意思ではないと,機体と飛行士の返還を要求。タス通信も14日に長大な論評,亡命は米諜報機関の工作と非難。またベ中尉の家族も記者会見で「当局から処罰しないとの保証を得た」と帰国をよびかけた。 日本政府は20日,公式見解を発表,ソ連の非難は根拠がないと反論し,戦闘機の領空侵入でわが国の安全侵害があったと主張。三木首相は1日の国会答弁で「ソ連からの遺憾表明があるべき」と発言。また29日,ベ中尉の自筆文書2通を公表。 一方,総評は20日,機体即時返還を主張する事務局長談話発表。24日,同機体は解体して百里基地へ移送。11月15日にソ連船に返還。 なお,この間,日本漁船のだ捕やソ連入国ビザ取消しなどのトラブルがひん発した。
DIA-602-1976-09-08-1ソ連1976年09月08日1970年代『プラウダ』は初めて公式にシリアのレバノン介入批判の論文発表。
DIA-602-1976-09-10-1ソ連1976年09月10日1970年代アンドロポフKGB議長,上級大将に昇進。
DIA-602-1976-09-11-1ソ連1976年09月11日1970年代宮沢外相,北方領上視察。歴代外相で初めて。タス通信は14日,「日ソ関係を悪化させる試み」と非難。
DIA-602-1976-09-13-1ソ連1976年09月13日1970年代毛主席逝去でマズロフ第一副首相,グロムイコ外相らがモスクワの中国大使館を弔問。
DIA-602-1976-09-14-1ソ連1976年09月14日1970年代米国,新駐ソ大使にツーン現駐イスラエル大使を任命。
DIA-602-1976-09-14-2ソ連1976年09月14日1970年代中国は毛主席逝去に対するソ連,東独,ブルガリア,ハンガリー,チェコスロバキアの党からの弔電を受取り拒否。
DIA-602-1976-09-17-1ソ連1976年09月17日1970年代『イズベスチヤ』,北方領土返還運動や墓参中止は反ソ・キャンペーンと非難。
DIA-602-1976-09-19-1ソ連1976年09月19日1970年代レーニングラードで自由抑圧抗議のスローガン――レーニングラードでビルやバスに政治犯釈放やソ連共産党を人民の敵と糾弾するスローガンを書いたかどで2人逮捕,とサミズダートが暴露。 AP=共同(12.25)はペトロパブロフスク要さいに,8月4日か5日の夜,「自由を抑圧しても人民の魂は隷属しない」と30~50メートルもの大きさで書かれていたと報道。
DIA-602-1976-09-19-2ソ連1976年09月19日1970年代タス通信はブレジネフ書記長がシュミット首相の招待で近く西独訪問と発表。
DIA-602-1976-09-20-1ソ連1976年09月20日1970年代ブレジネフ書記長,ハリマン元米国務次官(カーター候補外交アドバイザー)と会見。
DIA-602-1976-09-21-1ソ連1976年09月21日1970年代ルミヤンツエフ・ソ連『経済新聞』編集長ら社会党の招待で来日(~31日)。
DIA-602-1976-09-24-1ソ連1976年09月24日1970年代『イズベスチヤ』,キッシンジャー調停によるローデシア問題“解決”を非難する論文発表。
DIA-602-1976-09-25-1ソ連1976年09月25日1970年代ソ連飛行士イワノビッチ中尉,小型機でイランへ亡命。10月25日,本国へ送還さる。
DIA-602-1976-09-28-1ソ連1976年09月28日1970年代日ソ外相会談(ニューヨーク)。ミグ亡命事件や北方領土問題で激しく応酬。
DIA-602-1976-09-28-2ソ連1976年09月28日1970年代グロムイコ外相,国連総会で「武力不行使に関する世界条約」を提案。
DIA-602-1976-10-01-1ソ連1976年10月01日1970年代プラウダ,中ソ関係正常化の論文――『プラウダ』は「中国の27年」と題するアレクサンドロフ論文を掲載,50年代末までの友好関係を強調,中ソ関係正常化を呼びかけ。
DIA-602-1976-10-05-1ソ連1976年10月05日1970年代レーニンの友人で古参党員コルマン氏(もとモスクワ大教授),訪問先のスエーデンで亡命申請。
DIA-602-1976-10-07-1ソ連1976年10月07日1970年代中国の新華社通信,「ソ連人民の反抗闘争は新ツアーの反動支配をゆるがしている」と題する論評発表。
DIA-602-1976-10-07-2ソ連1976年10月07日1970年代アンゴラのネト大統領訪ソ。8日,「ソ連・アンゴラ宣言」「ソ連共産党・MPLA協力協定」調印。
DIA-602-1976-10-10-1ソ連1976年10月10日1970年代『人民日報』,「ソ連現代修正主義に断固反対する」と題する任谷平論文発表。
DIA-602-1976-10-11-1ソ連1976年10月11日1970年代ルピーとルーブルの交換比率問題でソ印両政府間の交渉再開(ニューデリー)。
DIA-602-1976-10-11-2ソ連1976年10月11日1970年代モスクワでサンケイ新聞とソ連科学アカデミーの日ソ専門家シンポジウム(~12日)。
DIA-602-1976-10-12-1ソ連1976年10月12日1970年代ノーボスチ通信,「ソ中間に解決できない問題はない」と題するスミルノフ論文発表。
DIA-602-1976-10-14-1ソ連1976年10月14日1970年代仏政府,ソ連大使館員を軍用機秘密スパイ活動で追放。
DIA-602-1976-10-16-1ソ連1976年10月16日1970年代サハリンで朝鮮人が帰還要求デモ――さる4月,サハリン南部の朝鮮人約3万人が日本や韓国への帰還を要求してデモ,約100人が逮捕された。
DIA-602-1976-10-18-1ソ連1976年10月18日1970年代ツェデンバル・モンゴル党第一書記訪ソ。コスイギン首相が3カ月ぶりに姿を見せる。双方とも対中関係正常化と協力復活への賛意を表明。19日,国境条約調印。
DIA-602-1976-10-21-1ソ連1976年10月21日1970年代『赤い星』は「緊張緩和をアジア地域にも広げる必要性がある」とアジア安保を強調,「中国との関係正常化を重視」と述べた。
DIA-602-1976-10-22-1ソ連1976年10月22日1970年代今年の日ソ貿易は初めて30億ドル突破の見込み。(産経)
DIA-602-1976-10-23-1ソ連1976年10月23日1970年代米上下両院合同経済委,ソ連は今後も西側の技術・貿易依存が必要,デタントはそのためにソ連に利益,との報告書発表。
DIA-602-1976-10-23-2ソ連1976年10月23日1970年代外人貿易商2人が厚木米軍基地の情報をソ連に流した疑いで逮捕,白系露人医師や「国立大教授」も関係。(朝日)
DIA-602-1976-10-24-1ソ連1976年10月24日1970年代ソ連・モンゴル共同声明発表,両国は中国との「平等な善隣協力関係」の回復を支持すると強調。
DIA-602-1976-10-25-1ソ連1976年10月25日1970年代ソ連共産党中央委総会開催――中心議題は第10次5カ年計画最終案の採択。 ブレジネフ書記長は演説の中で,日ソ関係について「複雑なたたかいが立ちはだかっている」として,ミグ機亡命事件に際しての「日本政府のふるまいは日ソ関係の全般的雰囲気を暗くした」と発言。しかし“長期的経済関係”の確立を強調。 また,国際関係の中で対ソ関係を阻害する現象として米国と西独を挙げ,両国が選挙を控えて“対ソ強硬路線”や“東方政策”攻撃が強まっているとけん制。
DIA-602-1976-10-25-2ソ連1976年10月25日1970年代ソ連海運の太平洋定期航路運賃同盟加入交渉(東京)。これに先立ちソ連は北大西洋の各運賃同盟に加入,同盟運賃レートに移行。
DIA-602-1976-10-25-3ソ連1976年10月25日1970年代北京放送,「日ソ関係緊張の根源はソ連の覇権主義」と論評。
DIA-602-1976-10-25-4ソ連1976年10月25日1970年代バルト海沿岸のパルジスキー島海軍基地で地下核爆発,死者40人以上,とスエーデンのジャーナリスト。
DIA-602-1976-10-27-1ソ連1976年10月27日1970年代ソ連最高会議第9次第5会期開催(~29日)――第10次5カ年計画案,来年度計画案,来年度国家予算案を採択。5カ年計画の生産財生産は25回大会決定の38~42%の最下限の38%に,消費財生産は逆に30~32%の最上限の32%に決定。
DIA-602-1976-10-28-1ソ連1976年10月28日1970年代ブレジネフ書記長,華国鋒氏の党主席就任に祝電。中国は受取り拒否。
DIA-602-1976-10-28-2ソ連1976年10月28日1970年代ソ連大使館,11月25日に予定された第7回日ソ経済合同委員会の延期を通告。「開催の雰囲気がない」と。
DIA-602-1976-10-31-1ソ連1976年10月31日1970年代ラトビアのリガ市で5月に肉不足に抗議のストライキをした4人の港湾労働者,強制収容所送り。
DIA-602-1976-11-02-1ソ連1976年11月02日1970年代スミルノフ・ノーボスチ通信政治評論員,「華国鋒体制は内政面で以前より実務的になり,外交面では西側へのこれまで以上の接近は実現すまい」と発言。(朝日)
DIA-602-1976-11-04-1ソ連1976年11月04日1970年代ソ連がイラクにミグ25など40億ドルの軍事援助協定(8月に)。(英『イベンツ』誌)
DIA-602-1976-11-04-2ソ連1976年11月04日1970年代ソ連・エジプト両国外相,ブルガリアで会談,共同声明発表,中東和平会議早期開催をうたう。
DIA-602-1976-11-05-1ソ連1976年11月05日1970年代ポドゴルヌイ議長,カーター氏当選に祝電。
DIA-602-1976-11-06-1ソ連1976年11月06日1970年代穀物生産2億2000万トンを超す――ロシア革命59周年前夜祭でクラコフ政治局員が記念演説,中国非難はせず。穀物生産は2億2000万トンを超えたと報告。
DIA-602-1976-11-07-1ソ連1976年11月07日1970年代ロシア革命59周年に際する中国全人代と国務院の祝電は「(中国は)原則問題での論争が両国の正常な関係を妨げるべきでないという原則を堅持」と指摘。
DIA-602-1976-11-08-1ソ連1976年11月08日1970年代ソ連,オーストラリアに食肉6580万ドル分発注と豪第一産業相発表。
DIA-602-1976-11-09-1ソ連1976年11月09日1970年代アルバニアのシェフ首相,ソ連からの“関係改善”申入れを「モスクワの修正主義者が完全に破滅するまで闘う」と拒否。
DIA-602-1976-11-09-2ソ連1976年11月09日1970年代ギエレク・ポーランド党第一書記訪ソ。
DIA-602-1976-11-11-1ソ連1976年11月11日1970年代ポルトガル共産党大会(~14日)開催。ソ連からポノマリョフ氏出席,クニャル書記長,ソ連との連帯強調。
DIA-602-1976-11-12-1ソ連1976年11月12日1970年代マンスフィールド氏,訪中後「中ソ関係の和解はあるまい」と語る。
DIA-602-1976-11-15-1ソ連1976年11月15日1970年代ブレジネフ書記長,ユーゴ訪問。チトー大統領と会談。17日,共同声明に調印。この会談でブ書記長はアドリア海諸港でのソ連海軍艦船へのサービス強化,ソ連空軍機のユーゴ上空通過権などを要求,拒否された。(読売12.14)
DIA-602-1976-11-15-2ソ連1976年11月15日1970年代李先念副首相,中ソ間のニセの緊張緩和や中国の政策変更を求めるのは“痴人の白日夢”と批判。
DIA-602-1976-11-15-3ソ連1976年11月15日1970年代ソ連,モンゴル駐留軍を1年半に2個師団から5個師団に増強,と英『デーリー・テレグラフ』。
DIA-602-1976-11-16-1ソ連1976年11月16日1970年代ネパールのビレンドラ国王訪ソ,23日共同声明発表。
DIA-602-1976-11-17-1ソ連1976年11月17日1970年代ソ連,MIRVを実戦配備――ラムズフェルド米国防長官,NATO核計画委で,ソ連がMIRV装着ミサイル175基を西欧戦線に実戦配備したと発表。
DIA-602-1976-11-22-1ソ連1976年11月22日1970年代ブレジネフ書記長,ルーマニア訪問。チャウシェスク大統領と会談。24日,「兄弟的協力と友好発展に関する宣言」調印。(リチャードソン米商務長官も21日ルーマニア訪問,長期経済・技術協力協定に調印。)
DIA-602-1976-11-22-2ソ連1976年11月22日1970年代マリク前国連大使,外務次官就任が判明。
DIA-602-1976-11-22-3ソ連1976年11月22日1970年代インドは来年からソ連原油550万トン(4年間)を購入する(ルピー決済)。
DIA-602-1976-11-22-4ソ連1976年11月22日1970年代タス通信,「四人組」批判の『人民日報』を引用し,くわしく報道。
DIA-602-1976-11-23-1ソ連1976年11月23日1970年代ソ連は小型乗用車モスクビッチのマレーシアでの組立て生産の許可を申請。(日経産業新聞)
DIA-602-1976-11-23-2ソ連1976年11月23日1970年代ソ連労働組合中央評議会議長にシバエフ氏選出。
DIA-602-1976-11-24-1ソ連1976年11月24日1970年代香港『文匯報』,「3人の公務員を含むソ連と関係がある10数人のトロツキストが逮捕された」と報道。
DIA-602-1976-11-24-2ソ連1976年11月24日1970年代ベネズエラのペレス大統領訪ソ。26日,原油交換協定,経済・技術協力協定に調印。28日共同声明発表。
DIA-602-1976-11-25-1ソ連1976年11月25日1970年代「ユーゴはブレジネフが帰った直後,大演習をして守りを固めた」と香港『大公報』。
DIA-602-1976-11-25-2ソ連1976年11月25日1970年代ワルシャワ条約機構首脳会議,ルーマニアの首都で開催(~16日),ブレジネフ書記長ら7カ国首脳出席。
DIA-602-1976-11-26-1ソ連1976年11月26日1970年代ビクター・ルイス,香港ビザ申請――ビクター・ルイス氏が駐モスクワ英大使館に香港行きのビザを申請したと『サウス・チャイナ・モーニング・レポート』紙報道。同紙は「ルイス氏は多分台北をも訪問するだろう」と指摘。(香港政庁は拒否と『日経』) 同紙はさらに,台湾の経国氏のフアニー夫人(ロシア人)が今年初頭,ソ連行きのビザを申請したと指摘。 一方,介石氏夫亡人宋美齢女史は米国で“台湾とソ連の接触”を非難する4万字の声明を書いたとの国民党指導者の指摘を紹介。
DIA-602-1976-11-27-1ソ連1976年11月27日1970年代イリイチョフ外務次官,中ソ国境問題交渉で北京へ帰任。
DIA-602-1976-11-28-1ソ連1976年11月28日1970年代アブドラ・クウェート国防相,訪ソののち,ソ連の対クウェート兵器供与が合意と発表。
DIA-602-1976-11-28-2ソ連1976年11月28日1970年代サダト・エジプト大統領,チトー・ユーゴ大統領を通じてブレジネフ書記長に関係改善のための会談を申入れた親書を手渡す。(英『サンデー・タイムズ』)
DIA-602-1976-11-29-1ソ連1976年11月29日1970年代サイモン米財務長官訪ソ,第4回米ソ貿易経済委開催(30~1日)。米議会に対する“対ソ制限条項”撤廃,72年の米ソ貿易協定実施を要請する決議採択。
DIA-602-1976-11-29-2ソ連1976年11月29日1970年代対西側債務が大幅増――ソ連圏諸国の対西側債務が年末までに420~450億ドル(75年末は300億ドル)に大幅増の見込みとNATO筋。(日経産業新聞)
DIA-602-1976-11-29-3ソ連1976年11月29日1970年代ハワイ沖で沈没していたソ連原潜を米が2年前に引揚に成功していた,と米『タイム』誌報道。
DIA-602-1976-11-30-1ソ連1976年11月30日1970年代中ソ国境交渉再開。
DIA-602-1976-12-02-1ソ連1976年12月02日1970年代ソ連中央テレビ,中国の全国人民代表大会常務委員会開催を放映,華主席をクローズアップ。
DIA-602-1976-12-04-1ソ連1976年12月04日1970年代イラン,ソ連との原子力協力協定締結。
DIA-602-1976-12-06-1ソ連1976年12月06日1970年代リビアのカダフィ議長訪ソ(~9日),共同声明は発表せず。海運協定調印。
DIA-602-1976-12-08-1ソ連1976年12月08日1970年代ソ連,インドへの重水200トン(核燃料)売却で合意。(WP)
DIA-602-1976-12-09-1ソ連1976年12月09日1970年代イランに粗鋼年産600~800万トンの大製鉄所をソ連の技術援助で建設する議定書をこのほど調印。(日経産業新聞)
DIA-602-1976-12-10-1ソ連1976年12月10日1970年代台湾進出めずすソ連海運――ソ連海運公団が台湾に西側諸国より40%安い船賃で競争に乗り出しており,もしこの攻勢が続けば5年以内に台湾海運をソ連が独占することになろうが,台湾の輸出業者はソ連船をボイコットすると工廠総商会筋。(サウス・チャイナ・モーニング・ポスト13日)
DIA-602-1976-12-10-2ソ連1976年12月10日1970年代200カイリ専管漁業水域を海洋法会議まで臨時的に導入するとの最高会議幹部会令発表。
DIA-602-1976-12-10-3ソ連1976年12月10日1970年代モスクワの西側外交筋によると,去る10月中旬,北朝鮮の外交官12人から15人がモスクワから国外退去。
DIA-602-1976-12-11-1ソ連1976年12月11日1970年代『プラウダ』に,カーター米次期大統領のソ米関係改善,デタント継続の方針を評価するアルバトフ米国研究所長の論文発表。
DIA-602-1976-12-13-1ソ連1976年12月13日1970年代コスイギン首相,ポーランド訪問。
DIA-602-1976-12-14-1ソ連1976年12月14日1970年代トロヤノフスキー前駐日大使,国連大使に任命。
DIA-602-1976-12-14-2ソ連1976年12月14日1970年代ベトナム労働党第4回大会にスースロフ政治局員を団長とする党代表団出席。
DIA-602-1976-12-15-1ソ連1976年12月15日1970年代中ソ国境交渉難航――中ソ国境交渉について中国当局者は「イリイチョフ団長の北京入りは米国をけん制するみせかけのもので,全く誠意が見られない」と交渉難航を示唆。
DIA-602-1976-12-16-1ソ連1976年12月16日1970年代フレーザー豪首相,“もしインド洋をソ連が支配すればインド洋の安定は崩れる”,とインドネシア紙記者に語る。
DIA-602-1976-12-17-1ソ連1976年12月17日1970年代ブコフスキー,コルバラン両氏交換釈放――“異端派”作家で服役中のブコフスキー氏と投獄中のチリ共産党コルバラン書記長の交換釈放決定とサハロフ博士発表。ブコフスキー氏,18日チューリヒ入り,コルバラン氏,23日モスクワ着。
DIA-602-1976-12-19-1ソ連1976年12月19日1970年代ブレジネフ礼賛絶頂へ――ブレジネフ書記長,70歳誕生祝賀会。5つ目のレーニン勲章と「ソ連国章を彫りこんだ黄金の剣」授与。東欧各国からも最高勲章。伝記映画上映,演説集も次々出版,新聞も連日礼賛記事掲載。
DIA-602-1976-12-19-2ソ連1976年12月19日1970年代フィリピン外交筋によると,ソ連がマニラに大使館開設準備のためソ連通商代表団5人が訪比。
DIA-602-1976-12-20-1ソ連1976年12月20日1970年代伊・仏両党,ソ連の人権抑圧を非難――イタリア共産党機関紙『ウニタ』,ブコフスキー氏釈放に関連して,社説で「思想犯罪を理由に投獄するのは許せぬ」とソ連批判。マルシェ仏共産党書記長もソ連の人権抑圧を批判。
DIA-602-1976-12-20-2ソ連1976年12月20日1970年代ボツワナのモグウェ外相,ソ連から軍事援助の申し出があり,受入れ検討中と語る。
DIA-602-1976-12-21-1ソ連1976年12月21日1970年代ソ連が北朝鮮に接近とソウル筋――「ソ連は10月以降北朝鮮へ相ついで経済代表団を派遣,異常な接近策を進めている」とソウルのソ連問題権威筋。モスクワ放送も10月以来8つのソ連の経済調査団が平壌に派遣され,現在200余人のソ連技術者が指導していると伝えた。
DIA-602-1976-12-22-1ソ連1976年12月22日1970年代「米空軍力がソ連より大幅に立遅れている」とジェーン航空年鑑が指摘。
DIA-602-1976-12-24-1ソ連1976年12月24日1970年代韓国,ロシア語のカレンダーをソ連に大量送付。(共同)
DIA-602-1976-12-27-1ソ連1976年12月27日1970年代「ソ連はラオスにミサイル発射台を建設した」とタイのコーマン外務委員長が指摘。
DIA-602-1976-12-28-1ソ連1976年12月28日1970年代フィリュービン外務次官らバングラデシュ,シンガポール(27~28日),マレーシア(29~30日)を歴訪,各国外相と会談。
DIA-602-1976-12-28-2ソ連1976年12月28日1970年代宮本日共委員長,日ソ両党関係改善の会談を来年1月末,「日本のこえ」問題解決後に開催と発表。
DIA-602-1976-12-30-1ソ連1976年12月30日1970年代『プラウダ』,中国の「農業は大寨に学ぶ会議」での華主席結語を詳報。
DIA-602-1976-12-30-2ソ連1976年12月30日1970年代ソ連は来年から西側向け原油輸出価格10%値上げ。
DIA-602-1977-01-04-1ソ連1977年01月04日1970年代モンゴルの中央電力システムは,ソ連のグラシノオゼルスク発電所とモンゴルのダルハン市間の電力ライン完成でシベリア共同電力システムと連接した。
DIA-602-1977-01-06-1ソ連1977年01月06日1970年代オーストラリア北東部沿岸に停泊中のソ連船「バレンチン・ウリバエフ」号は,同国政府の公式抗議で同国領海を離れた。同号は太洋・気候観測船とされているが,国防専門家は偽装された監視活動と指摘。
DIA-602-1977-01-07-1ソ連1977年01月07日1970年代ソ連のポドルスキー特命全権大使,ラオス着任,8日カイソン首相に信任状提出。
DIA-602-1977-01-07-2ソ連1977年01月07日1970年代バングラデシュ(チッタゴン)でソ連映画祭(~13日)。また同国はモスクワでソ連映画8本の輸入契約調印。
DIA-602-1977-01-09-1ソ連1977年01月09日1970年代シリア,ソ連軍艦の撤収を要求―一シリアはタルツス港からのソ連潜水艦その他の軍艦の撤収を要求。タルツス港はエジプトからの撤去後ソ連海軍が利用できる地中海唯一の港だった。(NW)
DIA-602-1977-01-11-1ソ連1977年01月11日1970年代イシコフ漁業相,76年のソ連の総漁獲量が約1300万tに達することを示唆。(日本の1060万tを追い越す)
DIA-602-1977-01-11-2ソ連1977年01月11日1970年代ソ連の対外運輸公団はこのほどシベリア・ランド・ブリッジ日本側代理店12社に4月1日からの運賃値上げ(日本=欧州が12.5%,日本=中東が40%)を申入れた。
DIA-602-1977-01-11-3ソ連1977年01月11日1970年代タイ,政府職員の共産圏行き禁止――タイ政府はこのほど政府職員が共産圏で開かれる会議に出席したり,留学することを禁止する閣議決定を行った。タイは既に共産圏諸国とのスポーツ交流を禁止している。
DIA-602-1977-01-11-4ソ連1977年01月11日1970年代ソ連とベネズエラが石油市場交換を検討――キューバのロドリゲス・キューバ国家評議会副議長は,ソ連,ベネズエラ両国は石油輸出市場交換計画を交渉中で,これが成立すればキューバはベネズエラから安い石油を入手できることになると述べた。
DIA-602-1977-01-12-1ソ連1977年01月12日1970年代ソ連国立銀行はインドに対し一方的にルピー・ルーブル交換レートを引下げ,100ルピー=8.50ルーブルから100ルピー=8.22ルーブルに。(サマチャル通信)
DIA-602-1977-01-13-1ソ連1977年01月13日1970年代中国の新華社通信は,ソ連海運の東南ア進出でこの地域の海運業界が深刻な脅威に直面しており,ソ連は経済利益だけでなく制海権獲得も狙っていると批判。
DIA-602-1977-01-13-2ソ連1977年01月13日1970年代ソ連はこのほどイラクとダムと灌〓用運河の建設4プロジェクト,約10億ドルの土木事業契約を締結。
DIA-602-1977-01-13-3ソ連1977年01月13日1970年代プラウダはインドの野党会議派ら4つの「右翼政党が統合する動き」について,「インドの進歩勢力は右翼の策動を監視している」と批判。
DIA-602-1977-01-16-1ソ連1977年01月16日1970年代米国のサクスビー前駐印大使は,「印ソの密月は終った,それはインド人はソ連に利用されていることを認識し始めたからだ」と述べ,「ソ連は武器は大量に売るが,食糧は供給できず,またインド洋に海軍基地を得るため圧力をかけている」と指摘。(U.S.News & World Report)
DIA-602-1977-01-16-2ソ連1977年01月16日1970年代ラオスのビエンチャンで展覧会「ソ連の青年」開幕。
DIA-602-1977-01-18-1ソ連1977年01月18日1970年代ソ連,アジア集団安保確立を強調――ノーボスチ通信の論評は「アジア集団安保体制の確立が日程に上りつつある」と述べ,その背景として,①全欧安保協力会議のよい見本がある。②ASEAN軍事同盟化や太平洋列強同盟構想にアジア諸国が反対し,③米軍基地拡張・新設反対の闘いも拡大,④インド洋平和地帯化構想が多くの国に支持されている,と指摘。
DIA-602-1977-01-18-2ソ連1977年01月18日1970年代コメコンの対途上国借款140億ルーブル――最近発表されたコメコンの76年の暫定的経済白書によると,コメコン諸国の援助でアジア・アフリカの途上国に2300の諸施設が建設され,計140億ルーブルの借款が供与された。(モスクワ放送)
DIA-602-1977-01-18-3ソ連1977年01月18日1970年代ブラジルがソ連から原油輸入契約――ブラジルの「オ・クロボ」紙によると,ブラジルはこのほどソ連から77年に3650万バーレルの原油を輸入する契約を結んだ。購入金額は2億5000万ドル。
DIA-602-1977-01-18-4ソ連1977年01月18日1970年代モンゴル(ウランバートル)で「ソ連の宇宙開発」展開催。宇宙飛行士ショーニン(ソ連邦英雄)が開幕式に出席。
DIA-602-1977-01-19-1ソ連1977年01月19日1970年代ラオスとソ連の農業協力協定調印。ソ連からラオス北部のXieng Uhouang県の農場建設への借款供与と専門家を派遣。
DIA-602-1977-01-20-1ソ連1977年01月20日1970年代印ソ青年会議開催(~31日),ソ連からチャジョリニコフ青年共産同盟第1書記以下32人の代表団訪印,インド側はインド青年会議派,全国青年同盟,インド全学生,全印学生同盟などが共催。
DIA-602-1977-01-24-1ソ連1977年01月24日1970年代北朝鮮の朴成哲首相訪ソ(~26日)――ケ・ウンテ副首相兼貿易部長,キム・チョルマン人民軍第一副総参謀長,チョン・インチョル外交部副部長らが随行。共同コミュニケは発表されず。
DIA-602-1977-01-24-2ソ連1977年01月24日1970年代ソ連に太平洋航路での海運運賃同盟参加を要請するための会談,パリで開催。ソ連船は平均15%,一部では20~40%も同盟より安い運賃で集荷して大きな問題となっており,大西洋航路では76年にソ連が同盟参加を承認している。
DIA-602-1977-01-25-1ソ連1977年01月25日1970年代ガイアナ,コメコンに準加盟申請――キューバのプレンサ・ラティナ通信によると,ガイアナのホイト経済開発相はこのほどコメコンへの準加盟を正式申請。
DIA-602-1977-01-26-1ソ連1977年01月26日1970年代ベトナム・ソ連友好協会代表団(団長=グエン・バン・キン会長),モスクワの第4回ソ越友好協会大会出席のため訪ソ。
DIA-602-1977-01-26-2ソ連1977年01月26日1970年代ソ連の作家リネッツ・ブラディッチ氏,ビルマとの文化交流計画に従ってビルマ訪問,2週間の滞在予定。
DIA-602-1977-01-27-1ソ連1977年01月27日1970年代インドでソ連,東独,チェコ,ハンガリー,ポーランドが設備を提供した人工衛星追跡ステーション完成。(モスクワ放送)
DIA-602-1977-01-27-2ソ連1977年01月27日1970年代バングラデシュ・ソ連外交樹立5周年記念式典,ダッカ大学で挙行。
DIA-602-1977-01-30-1ソ連1977年01月30日1970年代ソ連共産青年同盟代表団,ラオスを友好訪問。
DIA-602-1977-01-31-1ソ連1977年01月31日1970年代メータ・インド外務次官訪ソ,フィリュービン外務次官と印ソ定例会議(~2月4日)。
DIA-602-1977-01-31-2ソ連1977年01月31日1970年代ソ連・モンゴル科学技術協力常設委員会第7期会議の議定書ウランバートルで調印。1976~80年の農業,水力資源および石炭産業における両国の協力拡大をうたう。
DIA-602-1977-01-31-3ソ連1977年01月31日1970年代福田首相,施政方針演説で日ソ関係について「北方領土の祖国復帰を実現して平和条約を締結する」との基本的立場を表明。
DIA-602-1977-02-01-1ソ連1977年02月01日1970年代ソ連紙が“米日韓ブロック化”を懸念――ソビエツカヤ・ロシア紙はカーター新政権の在韓米地上軍撤退方針表明によって米日韓3国による新たな軍事ブロック結成の動きが促進されていると指摘,日本の“韓国防衛参加への動き”に懸念表明。
DIA-602-1977-02-01-2ソ連1977年02月01日1970年代プラウダ,北朝鮮の南北政治協商会議開催に関する4項目提案支持の論評を発表。
DIA-602-1977-02-01-3ソ連1977年02月01日1970年代インド外務省,ポドゴルヌイ議長が2月下旬にインドを訪問すると発表。2日付プラウダも同様の発表。(アフメド大統領死去でソ連は13日,訪問延期と発表)。
DIA-602-1977-02-02-1ソ連1977年02月02日1970年代ソ連科学アカデミー代表団(団長=フェドセーエフ同副議長)ベトナム訪問(~12日),ソ連の援助で建設されたハノイ近郊のギアド科学研究センター開所式に出席。同代表団はホーチミン市を訪問。
DIA-602-1977-02-02-2ソ連1977年02月02日1970年代ソ連・モンゴル間の職業・技術教育の兄弟的協力(1976~80)に関する議定書をウランバートルで調印。
DIA-602-1977-02-03-1ソ連1977年02月03日1970年代ソ連・イラク共同声明――フセイン・イラク革命軍事評議会副議長は4日間の訪ソを終え帰国,両国の共同声明発表。特にイラクへの経済協力(石油生産,電力,機械,建設,灌〓などのプロジェクト)に最優先の関心が払われた。ソ連の提唱するジュネーブ会議再開については共同コミュニケには取上げず。
DIA-602-1977-02-03-2ソ連1977年02月03日1970年代ソ連のグルジーノフ新ビルマ駐在大使,ネ・ウィン大統領に信任状提出。
DIA-602-1977-02-03-3ソ連1977年02月03日1970年代イスラエルとソ連の国連代表が異例の会談――ヘルツオーク国連駐在イスラエル代表はソ連代表部にトロヤノフスキー新国連大使を訪問,中東問題について協議。(ソ連は67年の中東戦争でイスラエルと外交断絶中)
DIA-602-1977-02-03-4ソ連1977年02月03日1970年代ベトナム・ソ連海運協力第1回会議開催(~12日)。ルキャチェンコ海運次官らが訪越し,77年海運協力計画を採択,同会議諸文書に調印。
DIA-602-1977-02-04-1ソ連1977年02月04日1970年代エチオピアのクーデターをソ連・キューバが支持――エチオピアのクーデターにたいし,ソ連のラタノフ大使は「称賛」を表明,キューバのカストロ首相もメンギスツ軍事評議会第一―副議長に支持のメッセージ。
DIA-602-1977-02-06-1ソ連1977年02月06日1970年代モンゴルとソ連は,1945年の日本の関東軍崩壊の際の両国の連帯をテーマにした合作映画を今年から撮映開始。(プラウダ)
DIA-602-1977-02-07-1ソ連1977年02月07日1970年代防衛庁はこのほど領海12カイリ対策と関連して宗谷,津軽,対馬3海峡を通る外国軍艦の状況を報告,それによると76年は10対1の比率でソ連が米国より圧倒的に多い。
DIA-602-1977-02-09-1ソ連1977年02月09日1970年代カイロ訪問中のソ連外務省代表団(団長=シテンコ同省中東局長)はファーミ外相と会談。
DIA-602-1977-02-10-1ソ連1977年02月10日1970年代プラウダの「反ソ的つくりごと」と題する評論員論文は,中国が相変らず“ソ連の脅威”という神話を持出して反ソ攻撃を行なっていると非難。ソ連は1969年以降中ソ関係改善の提案を何度も行なったが,中国から何ら前向きの反応がないと指摘。
DIA-602-1977-02-12-1ソ連1977年02月12日1970年代シンガポールのケッペル造船所はソ連の船舶公団との間でソ連船7隻の修理契約(600万Sドル)に調印(76年の契約は12隻1470万Sドル)。
DIA-602-1977-02-12-2ソ連1977年02月12日1970年代ソ連対文連とソ越友好協会代表団(団長=クルグロワ対文連議長)がベトナムを訪問(~26日)。両国組織間の77~80協力計画と77年議定書に調印。
DIA-602-1977-02-12-3ソ連1977年02月12日1970年代ペルー空軍,ソ連から戦闘機購入――ペルーはソ連からスホイ22後退翼超音速戦闘爆撃機36機購入決定(約2億5000万ドル)。ペルー空軍は現在ソ連製ヘリコプター約30機を使用,ソ連技術者75名が整備に当っている。
DIA-602-1977-02-14-1ソ連1977年02月14日1970年代朝鮮・ソ連77年度通商議定書,平壌で調印。
DIA-602-1977-02-16-1ソ連1977年02月16日1970年代韓国の映画協会,11月のモスクワ国際映画祭への参加希望を表明。
DIA-602-1977-02-17-1ソ連1977年02月17日1970年代春日民社党委員長,ソ連大使にソ韓間の橋渡し――春日委員長はポリャンスキー大使と会談,「ソ連が韓国の訪ソ代表団を受入れるなどできるものから手がけて意思の疎通をはかるべきだ」と提案,朝鮮半島の平和のための米ソ中日と南北朝鮮を含む6国の円卓会議を提唱。
DIA-602-1977-02-18-1ソ連1977年02月18日1970年代ソ連とスリランカの77年文化科学交流計画が両国外交関係樹立20周年を記念してコロンボで調印。
DIA-602-1977-02-19-1ソ連1977年02月19日1970年代プラウダはサダト・エジプト大統領の回想録を論評,うそと中傷とねつ造に満ちているとサダト大統領を肩書きぬきで激しく非難。
DIA-602-1977-02-21-1ソ連1977年02月21日1970年代ジャマイカもコメコンとの関係樹立を希望――ジャマイカはキューバで開かれたコメコン会議の代表を同国に招待,同時にモスクワ経済貿易使節団派遣を計画している。マンリー首相はこれまでもコメコン諸国との経済・外交関係拡大の方向を示唆し,「これによりジャマイカの非同盟政策が完成する」と述べてきた。
DIA-602-1977-02-23-1ソ連1977年02月23日1970年代ソ連の駐中国大使館付武官ソロビヨフ大佐はソ連建軍59周年記念レセプションを挙行,中国側から伍修権人民解放軍副総参謀長らが出席。(北京放送)
DIA-602-1977-02-23-2ソ連1977年02月23日1970年代ソ連最高会議代表団(団長=ニヤズベコフ同幹部会副議長)ラオスを公式友好訪問(~3月2日)。
DIA-602-1977-02-23-3ソ連1977年02月23日1970年代ソ連貿易代表団(団長=グリシン貿易次官)ベトナム訪問。3月2日,77年度両国物資交換・支払い議定書調印。77年の両国間貿易の伸びとして76年の40%増を見込む。(VNA)
DIA-602-1977-02-24-1ソ連1977年02月24日1970年代ソ連,3月から200カイリ実施へ――ソ連,200カイリ漁業専管水域の3月1日実施と北方4島周辺への線引きを明記した閣僚会議決定を発表。
DIA-602-1977-02-24-2ソ連1977年02月24日1970年代ふえるソ連の国際船舶航路――ノーボスチ通信によれば,インツーリスト(ソ連外国旅行社)は今シーズンからホーチミン,マドリード,ダブリン各港への船舶航路を増設する。同社の国際船舶航路は現在16コース,年間数百便で,昨年もハイフォン,スピッツベルゲン,エジンバラ,グラスゴー行きが開設された。
DIA-602-1977-02-25-1ソ連1977年02月25日1970年代日本政府,ソ連が北方4島周辺水域を規制対象としたことに抗議の官房長官談話を発表。
DIA-602-1977-02-26-1ソ連1977年02月26日1970年代ソ連共産党中央委マルクス・レーニン主義研究所代表団(団長=イワノビッチ副所長),ベトナム訪問。
DIA-602-1977-02-26-2ソ連1977年02月26日1970年代韓国の朴東鎮外相は,ソ連の200カイリ漁業専管水域実施にたいし,「ソ連水域内での漁業を引き続き希望しており,ソ連に入漁料を支払う用意がある。またソ連との漁業合弁事業も考えている」と発言。韓国の北洋漁業の7割をソ連海域が占めており,その全面ストップの可能性があるが,ソ連と国交を持たず,第三国を通じて交渉の足がかりを求めるなど,苦慮している。(毎日)
DIA-602-1977-02-28-1ソ連1977年02月28日1970年代中ソ国境交渉のソ連側首席代表イリイチョフ外務次官帰国,昨年11月27日以来の同交渉は中断。
DIA-602-1977-02-28-2ソ連1977年02月28日1970年代日ソ漁業交渉開始――鈴木農相とイシコフ漁業相,モスクワで漁業交渉開始。ソ連の200カイリ水域設定に伴う暫定措置を講ずることで―一致したが,内容は逮捕・裁判権が領土主権とからみ不調。3月3日交換書簡に署名。
DIA-602-1977-03-02-1ソ連1977年03月02日1970年代ソ連貿易代表団(団長=グリシン外国貿易次官)ラオスを訪問。4日,ソ連のラオス経済発展のための借款(200万ルーブル)供与に関する議定書に調印,また77~80年のソ連からの物資輸送時間短縮に関する覚書交換。
DIA-602-1977-03-06-1ソ連1977年03月06日1970年代ソ連紙,インドの野党連合を非難――総選挙を控えたインド情勢について,プラウダの「週間国際展望」欄は「あらゆる色合いの反動派が集まる野党連合ブロックはインドの進歩的内外政策をやっきになって攻撃している」「これら右翼は中傷などの手段を使って社会主義世界との長年の友好を破壊しようとしている」と非難。
DIA-602-1977-03-08-1ソ連1977年03月08日1970年代ソ連外国貿易省のシャゴンヤノフ・クアラルンプル駐在員は,ソ連のマレーシア向け輸出が伸び悩み,貿易収支はソ連の赤字になっているので,来年クアラルンプルで見本市を開きソ連製品のPRを行うと述べ,マレーシア企業と共同事業について話合いたいと語った。
DIA-602-1977-03-08-2ソ連1977年03月08日1970年代ポリャンスキー駐日大使,北方領土水域を含むソ連の200カイリ線引きにたいする日本政府の抗議にたいし,「未解決の領土問題はない」と外務省に反論。
DIA-602-1977-03-09-1ソ連1977年03月09日1970年代訪ソ中のラオス青年代表団(団長=マイチャンタン・センマニ),コムソモール代表と共同コミュニケ発表。
DIA-602-1977-03-09-2ソ連1977年03月09日1970年代ソ連映画代表団(団長=メタルニコフ・ソ連映画同盟書記)ビルマを訪問(~16日)。
DIA-602-1977-03-09-3ソ連1977年03月09日1970年代モスクワ五輪の放送権料26億円でNETが調印,放送独占権獲得。
DIA-602-1977-03-10-1ソ連1977年03月10日1970年代ベトナムのボー・グエン・ザップ副首相兼国防相以下の軍事代表団訪ソ(~28日)。
DIA-602-1977-03-10-2ソ連1977年03月10日1970年代ソ連紙,ASEANの軍事ブロック化を非難――ノーボスチ通信は,ASEAN諸国の多くは一方ではインドシナ諸国との協力や東南アジアの中立・平和化を唱えながら,他方でASEAN軍事ブロック化の措置をとっており,この矛盾は集団的軍事協定締結交渉の隠れミノにもなっていると非難。
DIA-602-1977-03-11-1ソ連1977年03月11日1970年代人民日報,ソ連の200カイリ実施を非難――人民日報は任谷平署名の論文で,ソ連がかたくなに反対してきた200カイリ水域実施にふみ切った真のねらいは,①自国の漁獲能力を越える部分の外国による漁獲の許可を主張することで第三世界諸国の海洋資源収奪の合法的根拠をつくる,②日本にほこ先を向け北方4島占領を強化,③第三世界の主張を歪め攪乱することにあると非難。
DIA-602-1977-03-13-1ソ連1977年03月13日1970年代トルコのチャグラヤンゲル外相訪ソ(~18日)。ソ連・トルコ経済協力の発展に関する協定,科学・技術協力協定,民間航空ハイジャック予防の協力協定に署名。19日共同コミュニケを発表,PLO参加のジュネーブ中東和平会議早期再開を支持。(プラウダ)
DIA-602-1977-03-13-2ソ連1977年03月13日1970年代パキスタンのカラチ製鉄工場の29人の技師とオペレーター,訓練を受けるためソ連へ出発。
DIA-602-1977-03-14-1ソ連1977年03月14日1970年代バングラデシュのソ連文化センター(ダッカ)で社会主義国の映画祭開催(1週間)。
DIA-602-1977-03-14-2ソ連1977年03月14日1970年代ソ連・モンゴル両国文化省間の今年度の協力議定書調印。年末の革命60周年記念ソ連フェスティバル開催をもりこむ。
DIA-602-1977-03-15-1ソ連1977年03月15日1970年代鈴木・イシコフ会談に基づく日ソ漁業暫定取決め交渉,モスクワで始まる。サケ・マス漁業規制交渉も東京で開始。
DIA-602-1977-03-16-1ソ連1977年03月16日1970年代ニュージーランドのマルドーン首相,訪問先のオーストラリアで,カーター米大統領のインド洋非武装地帯化提案(19日)に対し,米世界戦略のいかなる空隙もソ連が喜んで満たすだろうと,米国のインド洋撤退に反対表明。
DIA-602-1977-03-16-2ソ連1977年03月16日1970年代インドネシアのモフタル法相は,5月の国際海洋法会議インドネシア代表団長として訪ソ,ソ連側フィリュービン同団長と会談。21日,インドネシアの群島理論はソ連側に理解され,今後のソ連の支持の基礎を固めたと語る。
DIA-602-1977-03-16-3ソ連1977年03月16日1970年代ソ連国家出版委員会代表団,ラオスを友好訪問(~27日)。同代表団がラオス情報宣伝文化観光省代表と締結した協定では,ML主義の原典や教科書,小説のラオス語訳と出版にソ連側が援助することが決められた。(プラウダ)
DIA-602-1977-03-18-1ソ連1977年03月18日1970年代西サモアのツプオラ首相は,同国は中ソ双方と交渉を持つ方針であり,同国に滑走路を建設するというソ連提案についてもまだ考慮中だと語る。
DIA-602-1977-03-18-2ソ連1977年03月18日1970年代ニュージーランドのベイル特命全権大使はクレムリンで信任状を提出。
DIA-602-1977-03-18-3ソ連1977年03月18日1970年代ソ連の駐カラチ総領事,パキスタンとの友好の印としてトラクター3台をシンド州運輸相に贈呈。
DIA-602-1977-03-18-4ソ連1977年03月18日1970年代ベトナムとソ連,77年両国科学技術協力計画に調印。
DIA-602-1977-03-18-5ソ連1977年03月18日1970年代米当局者は,ザイール南部のシャバ州(元カタンガ州)に侵入した武装勢力はトラック積載のロケット兵器などソ連兵器で武装していると語った。
DIA-602-1977-03-19-1ソ連1977年03月19日1970年代プラウダは「良識との不一致」と題する論評を発表,中国が「4人組」批判キャンペーンを「全く奇妙なことに,反ソ的虚構のデッチ上げや反ソ感情の煽動に利用しようとしている」と非難。
DIA-602-1977-03-21-1ソ連1977年03月21日1970年代ラオス労働組合総同盟代表団(団長=サナン・スッティチャック通信運輸相兼総同盟議長)訪ソ,第16回全ソ労組大会に出席。
DIA-602-1977-03-21-2ソ連1977年03月21日1970年代ベトナム労働組合総同盟代表団(団長=ホアン・コク・ベト議長)訪ソ,第16回全ソ労組大会に出席。
DIA-602-1977-03-22-1ソ連1977年03月22日1970年代ポドゴルヌイ議長,アフリカ歴訪へ――ポドゴルヌイ最高会議幹部会議長,タンザニアを訪問,25日,両国間の貿易協定,文化・科学技術協力協定および77~78年度文化・科学技術協力議定書に調印。26日,共同声明を発表。ソ連はタンザニアに約1100万英ポンド(52億円)の借款を供与することになった。
DIA-602-1977-03-22-2ソ連1977年03月22日1970年代フィリピンのマルコス大統領,ソ連文化使節団(団長=ポポフ文化省次官)と会見,その際ブレジネフ書記長かポドゴルヌイ議長のフィリピン訪問を招請。77年度ソ連・フィリピン文化交流協力計画締結。
DIA-602-1977-03-22-3ソ連1977年03月22日1970年代イズベスチヤはインド総選挙結果を初論評,ガンジー政権が敗北したのは,非常事態宣言後,法の実施過程で「過ちとゆきすぎ」があったためだと論評,また国民会議派がほとんどの州でCPI(インド共産党親ソ派)と選挙協力をしなかったことも敗因のひとつだと指摘。
DIA-602-1977-03-22-4ソ連1977年03月22日1970年代ソ連と北朝鮮の77年度映画部門協力交流計画,モスクワで調印。
DIA-602-1977-03-24-1ソ連1977年03月24日1970年代インドのデサイ新首相,対ソ路線修正を示唆――デサイ新首相は24日の記者会見で「より完全な中立外交を推進する」と語り,「ソ連との平和友好協力条約が他国との友好促進に障害となっているとすれば破棄する。インド洋のジエゴ・ガルシア米軍基地建設が問題となっているが,ソ連もインド洋の軍事進出を強化している」と発言,ガンジー政権時代の親ソ路線の修正を示唆。
DIA-602-1977-03-24-2ソ連1977年03月24日1970年代全港湾労組がソ連船荷役ボイコット――ソ連の新型木材輸送船プッシャーバージ就航に関する事前協議が無視されたとして,全港湾労組は同日「全ソ連船の荷役拒否」の声明を発表。全港湾はプッシャーバージは,①合理化による雇用不安,②荷役の安全性,③海洋汚染等の問題があるとしてソ連側に事前協議を申入れていたが,返答のないまま内浦港への入港が強行されていた。
DIA-602-1977-03-24-3ソ連1977年03月24日1970年代21日からパリで開催されたヤクート天然ガス開発日米ソ会談で,ソ連側は「ヤクートの採掘可能な天然ガス埋蔵量はすでに7000万トン分が確認された」と報告。
DIA-602-1977-03-24-4ソ連1977年03月24日1970年代アフガニスタン商業省でソ連の貿易代表団との会談開始。
DIA-602-1977-03-25-1ソ連1977年03月25日1970年代コスイギン首相,インドのデサイ新首相に祝電。
DIA-602-1977-03-25-2ソ連1977年03月25日1970年代ソ連仏教徒教会からラオス統一仏教会への映写機とフイルム贈呈式。
DIA-602-1977-03-25-3ソ連1977年03月25日1970年代アフリカ歴訪中のポドゴルヌイ議長,ザンビアを訪問。29日,共同文書に調印。
DIA-602-1977-03-25-4ソ連1977年03月25日1970年代中国の廖承志中日友好協会長「中ソの同盟条約はすでに事実上死んでいる」と語る。
DIA-602-1977-03-28-1ソ連1977年03月28日1970年代ソ連紙,インドと友好関係維持を言明――イズベスチヤ紙政治評論員ボビン氏はテレビで,インド新政権が平和共存を尊重する限りソ連は今後も同国との友好関係を維持すると言明。
DIA-602-1977-03-28-2ソ連1977年03月28日1970年代スリランカのイランガラトネ貿易相,ソ連で両国新貿易協定に調印し帰国。新協定ではスリランカ政府の希望で今後両国の貿易支払いを交換可能通貨で行うことになった。期間は5年。
DIA-602-1977-03-28-3ソ連1977年03月28日1970年代パキスタンのブット首相,新政権の首相に選出された後の下院での演説で,対ソ友好関係は最近良好で,今後も引続き発展すると発言。(プラウダ)
DIA-602-1977-03-30-1ソ連1977年03月30日1970年代(イズベスチヤは「北京の反ソ精神病」と題する論評で中国の李先念副首相を名指しで激しく非難。
DIA-602-1977-03-30-2ソ連1977年03月30日1970年代プラウダはインド共産党(CPI)の総選挙の結果についての声明を掲載。同声明は,選挙でインド人民は非常事態宣言の一般大衆への悪用と民主主義の侵害への抗議を表明した,しかし人民は前政権の進歩的政策に反対しているわけではないと述べている。
DIA-602-1977-03-30-3ソ連1977年03月30日1970年代アフガニスタン最大のナグル水力発電所(ソ連の技術・経済協力で建設され,10年前に運転開始)はこのほど出力10万kWに達した。(モスクワ放送)
DIA-602-1977-03-31-1ソ連1977年03月31日1970年代ソ連・モザンビーク友好協力条約調印――30日にモザンビークを訪問したポドゴルヌイ議長は,31日に両国の友好協力条約に調印。ポドゴルヌイ議長は,3日,ソマリアに立寄ったあと帰国。
DIA-602-1977-03-31-2ソ連1977年03月31日1970年代韓国政府筋は,ソ連の200カイリ経済水域内での韓国漁船の操業について,ソ連政府が韓国政府と一切交渉する意思がない旨第三国を通じて正式に通告してきたことを明らかにした。
DIA-602-1977-03-31-3ソ連1977年03月31日1970年代日ソ漁業交渉,領土がらみで合意ならず,日本漁船はソ連200カイリ水域内から総退去へ。
DIA-602-1977-04-01-1ソ連1977年04月01日1970年代プラウダ,漁業交渉で日本批判――プラウダは「日ソ漁業交渉が難航したのは日本政府が漁民の利益を考えず,反ソ機運をもり上げて参議院選挙に利用しようという政治的たくらみを持っているためだ」と激しく批判。
DIA-602-1977-04-02-1ソ連1977年04月02日1970年代リビア,ソ連に原油輸出――リビアは近く200万トンの原油をソ連に輸出する予定。関係筋によるとソ連の武器供与と見返りのバーター取引の一部とみられる。
DIA-602-1977-04-02-2ソ連1977年04月02日1970年代韓国バスケットボール協会は,ソ連と東欧が79年にソウルで開催される第8回世界女子バスケット選手権大会に参加の意向を示していると発表。
DIA-602-1977-04-04-1ソ連1977年04月04日1970年代ニュージーランドのヘンズレー駐シンガポール高等弁務官は,同国近海のソ連漁船が急増し,最近の調査では52隻を数えていると発表。これらの漁船は,ニュージーランドの200カイリ経済水域内で操業しており,今年後半に200カイリ宣言を予定している同国としては事態を注意深く見守っている。
DIA-602-1977-04-04-2ソ連1977年04月04日1970年代ソ連・マレーシア外交関係樹立10周年記念の夕べ,モスクワの友好会館で開催。フョードロフ石油化学工業相(ソ・マ協会会長)が開会の辞。
DIA-602-1977-04-04-3ソ連1977年04月04日1970年代チュニジアのヌイラ首相訪ソ――6日,両国間の領事条約,77~78年度文化・科学協力計画,貿易協定,駐チュニジア・ソ連通商代表部設置に関する議定書に調印。12日,共同声明発表。
DIA-602-1977-04-05-1ソ連1977年04月05日1970年代園田特使訪ソ――園田官房長官,日ソ漁業交渉打開のための首相特使として訪ソ(~8日)。7日,コスイギン首相と会談,断絶状態の漁業交渉再開で合意。
DIA-602-1977-04-05-2ソ連1977年04月05日1970年代ソ連・キューバ首脳会談――キューバのカストロ首相はモスクワでブレジネフ書記長らソ連首脳と会談。同首相は3月1日以後ソマリア,エチオピア,リビア,アルジェリア,南イエメンなどを歴訪したほか,ポドゴルヌイ議長と前後してタンザニア,モザンビーク,アンゴラを訪問,東独経由でモスクワ入りした。8日共同声明発表。
DIA-602-1977-04-06-1ソ連1977年04月06日1970年代ソ連・イラク友好協力条約調印5周年記念式典出席のためソ連共産党代表団(団長=シャキロフ中央委員),イラク向け出発。
DIA-602-1977-04-08-1ソ連1977年04月08日1970年代キューバがソ連援助で原発建設着手――タス通信はソ連の援助でキューバに400メガワットの原子力発電所第一部門を年内に建設,最終的には1700メガワットに達すると発表。キューバのプレンサ・ラチナ通信の伝えるところではキューバ中部のシェンフェゴス近くに原発を建設中。
DIA-602-1977-04-08-2ソ連1977年04月08日1970年代訪ソ中のアラファトPLO議長は,7日ブレジネフ書記長と会談。
DIA-602-1977-04-12-1ソ連1977年04月12日1970年代ソ連航空(アエロフロート)はこのほどモスクワ=ドブロプニク(ユーゴスラビア)とモスクワ=カポベルデ諸島共和国の2つの新国際航空路線を開設。
DIA-602-1977-04-12-2ソ連1977年04月12日1970年代プラウダ,対印友好を呼びかけ――プラウダは「ヒマラヤを越える握手」と題するソ印国交30周年記念論文を掲載,これまでのソ連の対印援助を具体例を挙げ強調,71年の平和友好協力条約の堅持による友好発展を呼びかけた。
DIA-602-1977-04-12-3ソ連1977年04月12日1970年代ベトナムのホーチミン共産青年団代表訪ソ(~15日)。
DIA-602-1977-04-12-4ソ連1977年04月12日1970年代南イエメン民族戦線活動家代表団,訪ソ終え帰国。
DIA-602-1977-04-13-1ソ連1977年04月13日1970年代印ソ外交関係樹立30周年記念日にあたり,ポドゴルヌイ議長がジャティ大統領代行に,コスイギン首相がデサイ首相に,またグロムイコ外相がバジパイ外相にそれぞれ祝電を送り,両国の友好関係強化を強調。
DIA-602-1977-04-13-2ソ連1977年04月13日1970年代インドとの友好の歴史を強調――モスクワでソ印外交樹立30周年記念円卓会議開催。ノーボスチ通信社主催のこの会合でソ連政府指導者たちは従来のソ印関係の成果をたたえ,「今までにソ連の援助でインドに建設された工・農業施設は50以上で,これらの施設の生産高はインドの鉄鋼設備生産高の80%,採油量の60%,製油量の30%,鋼生産高の30%,電力生産高の20%を占める」と指摘,ドイムシツ副首相は「ソ印関係史は真の平等な協力のりっぱな手本」と強調。
DIA-602-1977-04-14-1ソ連1977年04月14日1970年代インド政府はこのほどソ連との間でインドの大銅鉱山開発に対する技術・資金援助協定に調印。ソ連がインドのマランジハンド銅鉱開発に約350万ルーブルの援助を行うもの。
DIA-602-1977-04-14-2ソ連1977年04月14日1970年代ソ連,ザイール紛争に無関係と言明――チェルボネンコ駐仏ソ連大使はジスカールデスタン仏大統領との会談後の記者会見で,ソ連はザイールで起きていることに何ら関与していない,ソ連はザイールへのいかなる国際的干渉にも反対であると言明。
DIA-602-1977-04-14-3ソ連1977年04月14日1970年代ネパールのギャネンドラ・バハドゥール・カルキ新駐ソ大使,モスクワで信任状提出。
DIA-602-1977-04-14-4ソ連1977年04月14日1970年代ビルマのウ・サン・タ・アウン高等教育局長官を団長とする代表団訪ソ。ソ連高・中等専門教育省で会談。
DIA-602-1977-04-15-1ソ連1977年04月15日1970年代ソ連・アフガニスタン共同声明――アフガニスタンのダウド大統領は12日モスクワを訪問。ブレジネフ書記長らと会談し,15日共同声明発表。双方とも「全アジア諸国の共同努力によって同大陸の平和と安全を強化することへの深い関心」を表明。また14日経済協力発展条約に調印。同条約には石油産業,灌〓,公共衛生,天然資源調査,専門家訓練,エネルギー施設の建設などを含む。
DIA-602-1977-04-15-2ソ連1977年04月15日1970年代ソ連・ベトナム新貨物航路開業――自動車用ガソリンを積んだソ連タンカー「レニンスク」号が黒海のフェオドーシヤ港からカムラン湾向け出港。これによりハイフォン,ホーチミン港,ダナンに次ぐ新貨物航路が開業。
DIA-602-1977-04-15-3ソ連1977年04月15日1970年代民主カンプチア愛国勢力の勝利2周年記念集会,モスクワで開催。
DIA-602-1977-04-16-1ソ連1977年04月16日1970年代8日に再開された日ソ漁業交渉(鈴木農相・イシコフ漁業相)ふたたび中断,鈴木農相は17日帰国。
DIA-602-1977-04-16-2ソ連1977年04月16日1970年代超党派議員団訪ソ――日ソ漁業交渉打開促進のための超党派国会議員団(桜内義雄団長以下15人)訪ソ。
DIA-602-1977-04-16-3ソ連1977年04月16日1970年代ソ連平和委員会代表団ベトナム訪問。
DIA-602-1977-04-17-1ソ連1977年04月17日1970年代経済協力こそ日ソ関係強化とジューコフ論評――プラウダの「週間国際展望」欄でユーリー・ジューコフ氏は日ソ漁業交渉について本格的論評,東京の一部勢力がくだらない挑発騒ぎを演じ交渉をむつかしくしたと秦野章,藤尾正行両議員の名を挙げて厳しく批判し,日ソ関係強化のため「長期的な経済協力計画」の実現こそ重要と強調。
DIA-602-1977-04-17-2ソ連1977年04月17日1970年代マレーシアのユスフ法相訪ソ(~22日)。
DIA-602-1977-04-18-1ソ連1977年04月18日1970年代日本政府筋は,ソ連政府がミグ25事件で機密漏れにたいする総額30億円にのぼる損害賠償を2度にわたって請求していた事実を明らかにした。
DIA-602-1977-04-18-2ソ連1977年04月18日1970年代シリア大統領訪ソ――シリアのアサド大統領は18日訪ソ,2日にわたり首脳会談。ソ連側はブレジネフ書記長,ポドゴルヌイ議長,コスイギン首相,グロムイコ外相らが勢ぞろいし,同国との関係重視を現わす。21日経済技術協力協定調印。22日共同コミュニケを発表。
DIA-602-1977-04-18-3ソ連1977年04月18日1970年代バングラデシュとソ連の第6次バーター貿易議定書がダッカで調印。これにより両国は77年に各1400万ポンド・スターリング相当の物資を交流する。
DIA-602-1977-04-18-4ソ連1977年04月18日1970年代スリランカのピーター・キューネマンSLCP書記長,モスクワでポノマリヨフ政治局員候補と会見,国際共産主義運動について意見交換。
DIA-602-1977-04-18-5ソ連1977年04月18日1970年代インドの第2号人工衛星建造の共同作業をしているソ印両国専門家の会合,インドのカルナタカ州で終了。
DIA-602-1977-04-20-1ソ連1977年04月20日1970年代ソ連初の駐比外交官着任――フィリピン外交筋によると,ソ連のワレリー・バトリン駐フィリピン総領事が着任,大使館設置準備を進めている。
DIA-602-1977-04-20-2ソ連1977年04月20日1970年代イラク・バース党代表団(団長=ヒクメット・イブラヒム国務相)訪ソ。
DIA-602-1977-04-20-3ソ連1977年04月20日1970年代ベトナムのファン・バン・ドン首相,訪仏の途中モスクワを訪問,コスイギン首相出迎え。
DIA-602-1977-04-21-1ソ連1977年04月21日1970年代ベトナムのクアンニン省にソ連の援助で建設されたカムファ機械工場操業開始。この工場は年間160台のトラック修理と約2万トンの石炭採掘機械の予備部品を生産できる。
DIA-602-1977-04-22-1ソ連1977年04月22日1970年代ノーボエ・ブレーミャ誌は「北京で起っていること」と題する論文で,華国鋒政権下の中国指導部内では激しい権力闘争が続き不安定だと述べ,「毛沢東路線を絶ち切る絶好の機会をすでに失った」として,華屋鋒指導部の反ソ路線を非難。
DIA-602-1977-04-23-1ソ連1977年04月23日1970年代インド外務省スポークスマン,デサイ政権はソ連との平和友好協力条約を破棄する意図はないとの声明を発表。
DIA-602-1977-04-23-2ソ連1977年04月23日1970年代インドとソ連の商工会議所,ニューデリーで市場情報資料交換協定調印。
DIA-602-1977-04-25-1ソ連1977年04月25日1970年代グロムイコ外相インド訪問――26日デザイ首相と会談,26日にはバジパイ・インド外相との間で共同声明を発表。グロムイコ外相は25日「印ソ平和友好協力条約はインドが諸外国と同様な関係を結ぶことを妨げない」と言明。27日両外相は,①経済・技術協力協定(インドの鉄鋼プラントと石炭生産技術開発に償還期間20年の2億5000万ルーブルの借款供与),②77年度相互商品供給協定(貿易額を20%増の90億ルピーとし,増額分でソ連から原油100万t供給),③対流圏通信施設協力協定の3協定に調印。
DIA-602-1977-04-25-2ソ連1977年04月25日1970年代新華社,ソ連の対印“援助”の実態を批判――新華社電はタス通信がソ印経済関係を“平等”“互恵”と宣伝したことに対し,実際は全く正反対だと厳しく批判,①質の悪い機械を国際価格より高価で売りつけ,②農産物,原料を国際価格より20~30%安で買付け,③ソ連がインド・ルピーを一方的に39%切下げ,約40億ルピーの対ソ債務をぬれ手でつかんだ等の事実を列挙。
DIA-602-1977-04-25-3ソ連1977年04月25日1970年代ソ連AA連帯委代表団(団長=スラブコフスキー同委副議長)ベトナム訪問。
DIA-602-1977-04-28-1ソ連1977年04月28日1970年代アル・アハラムなどエジプトの各紙はアラブ諸国のソ連大使が「エジプトはリビアの油田を手に入れようとリビア攻撃の準備を進めている」というエジプトを中傷するメモを配布したと激しくソ連を批判。
DIA-602-1977-05-02-1ソ連1977年05月02日1970年代経国氏,対ソ接近を強く否定――台湾の経国氏は香港のジャーナリスト・グループとの記者会見で,台湾はソ連といかなる接触も行わないと強調,ビクター・ルイス氏の訪台は英国のパスポートで英誌記者として来ただけだと回答。
DIA-602-1977-05-03-1ソ連1977年05月03日1970年代鈴木農相再訪ソ――日ソ漁業交渉再開のため鈴木農相再訪ソ,5日から会談に入った。
DIA-602-1977-05-03-2ソ連1977年05月03日1970年代ベトナムのボー・グエン・ザップ副首相兼国防相,モスクワでブレジネフ書記長と会談。
DIA-602-1977-05-04-1ソ連1977年05月04日1970年代エチオピア・ソ連首脳会談――訪ソしたエチオピアのメンギスツ臨時軍政評議会議長とポドゴルヌイ議長らとの首脳会談開始,6日友好・協力のための宣言,経済・技術協力に関する議定書,文化・科学協力協定などに調印。9日共同コミュニケ発表。
DIA-602-1977-05-04-2ソ連1977年05月04日1970年代アフガニスタンとの国境問題に関する第5次会談のためソ連代表団(団長=ザイキン大使)カブール到着。
DIA-602-1977-05-04-3ソ連1977年05月04日1970年代イズベスチヤの論評は,日本政府が漁業交渉を漁業とかかわりのない,ソ連に対する不法な領土的野心の提示の場として利用しようとしていると非難。
DIA-602-1977-05-06-1ソ連1977年05月06日1970年代エチオピアのメンギスツ議長の訪ソ中,ソ連留学中のエチオピア人学生がモスクワ市内の同国大使館を占拠,ソ連警察官に排除された。(AFP)
DIA-602-1977-05-06-2ソ連1977年05月06日1970年代インドのチャラン・シン新内相,「ガンジー政権下ではソ連人は議員,会議派党員,閣僚などと密接な接触があったが,今後は内閣や首相府に(KGBの)工作員を絶対入れない」と語る。(FEER)
DIA-602-1977-05-08-1ソ連1977年05月08日1970年代カストロ首相,キューバ兵のアンゴラ残留を言明――プラウダはキューバのカストロ首相の「アフリーク・アジー」誌(パリで発行)とのインタビューを紹介,同首相はその中で「われわれは必要な期間アンゴラにとどまり,防衛力と独立の強化に協力する」と言明。
DIA-602-1977-05-09-1ソ連1977年05月09日1970年代バングラデシュ電力開発局とソ連テクノプロムエクスポートとの間でゴラサル火力発電所維持に必要な部品供与の契約をダッカで調印。36万6000ポンド相当で,専門家による技術知識の供与も行う。
DIA-602-1977-05-10-1ソ連1977年05月10日1970年代ソ連のバルト海運公社はレニングラードからオランダ,英国経由でクウェート,ジッダ,アンマンなどペルシャ湾,紅海沿岸とを結ぶ新定期航路を開設。
DIA-602-1977-05-11-1ソ連1977年05月11日1970年代訪ソした南イエメンのムティア外相とブレジネフ書記長らが会談。
DIA-602-1977-05-11-2ソ連1977年05月11日1970年代スーダン,ソ連軍事顧問団追放――スーダン政府は同国駐在ソ連軍事顧問団90人全員の国外退去を要求,18日全員帰国。18日ソ連大使館の外交団規模半減も要求。
DIA-602-1977-05-12-1ソ連1977年05月12日1970年代パキスタンとソ連の77年度貿易議定書,イスラマバードで調印。貿易量を1500万ドルに拡大の予定。
DIA-602-1977-05-12-2ソ連1977年05月12日1970年代ソ連,イランに原油供給を要請――ソ連の駐イラン大使館通商担当官は,ソ連がイランから原油の供給を受け,かわりにアラス・ダムからの電力をイランに送電する提案をしていると語った。ソ連はリビア,イラク,シリアから石油を輸入しており,イランからは年300億m3の天然ガスを輸入しているが,石油は輸入していなかった。(WP)
DIA-602-1977-05-13-1ソ連1977年05月13日1970年代ラオス国営放送局代表団(団長=ウォンサマン局長),ソ連ラジオ・テレビ国家委員会とラジオ放送分野における協力に関する協定に調印,ラジオ番組交換の拡大について取決めた。東独(16日),モンゴル(27日)とも放送協力協定調印。
DIA-602-1977-05-13-2ソ連1977年05月13日1970年代ウガンダのアミン大統領はこのほどソ連が同国内にアフリカ大陸最大の軍事基地を建設する許可を与えた。また同大統領は同国内の原子力発電所建設についてソ連と協定を結ぶ意向。(AFP)
DIA-602-1977-05-14-1ソ連1977年05月14日1970年代ラオス軍事代表団(団長=シファンドン副首相兼国防相)訪ソ,16日ウスチーノフ・ソ連国防相と会談。
DIA-602-1977-05-14-2ソ連1977年05月14日1970年代プラウダの「反ソのかくれみのの下で国際緊張緩和のぶちこわしをねらう北京」と題するアレクサンドロフ署名の論評は中国指導部を拡張主義,冒険主義と非難。
DIA-602-1977-05-16-1ソ連1977年05月16日1970年代ソ連,「アフリカの角」で連邦制を提案――カイロの週刊誌アン・ナハルは,ソ連が軍事・経済面での援助と引換えにソマリア,エチオピア,南イエメンを中心にアファル・イッサ,エリトリア(自治領として)を含む連邦制をカストロ首相を通じて提案したと報道。
DIA-602-1977-05-16-2ソ連1977年05月16日1970年代ブレジネフ書記長,ラオスのカイソン首相(人民革命党書記長)とクレムリンで会談。
DIA-602-1977-05-17-1ソ連1977年05月17日1970年代タス通信によると,最近開かれたコメコン投資銀行総会にベネズエラ中央銀行,アフリカ開発銀行,インターアメリカン開発銀行がオブザーバーで出席。
DIA-602-1977-05-17-2ソ連1977年05月17日1970年代ベトナム演劇代表団,第2回モスクワ春季演劇祭参加のため出発。
DIA-602-1977-05-17-3ソ連1977年05月17日1970年代シンガポール海運界によると,ソ連船は過去数カ月間運賃の大幅引下げを行い,特に木材の値下げ幅は大きく,シンガポールから極東地域への木材輸送はソ連船にくわれている。
DIA-602-1977-05-18-1ソ連1977年05月18日1970年代韓国政府筋,カムチャトカ近海での漁業問題解決のため,23日からの国連海洋法会議でソ連代表と接触したいと語る。
DIA-602-1977-05-18-2ソ連1977年05月18日1970年代ソ連・ガイアナ漁業協定調印。同協定はガイアナ漁業要員の養成等を規定。
DIA-602-1977-05-19-1ソ連1977年05月19日1970年代韓国政府はモスクワ経由で欧州を結ぶ航空・船舶の定期路線開設を望んでいることを表明。また同政府消息筋は東欧圏を突破口としてソ連と対話する方策を検討中と伝えた。
DIA-602-1977-05-19-2ソ連1977年05月19日1970年代プラウダに掲載されたバトリチェフ外国貿易相の論文は,「対途上国貿易が76年も伸び,総額の11.5%,66億ルーブルに達した。中でも抜きん出ていたのはイラクとインドであった」と指摘。
DIA-602-1977-05-20-1ソ連1977年05月20日1970年代マレーシア・ゴム海上輸送委員会,ソ連海運関係者とクアラルンプルでソ連のコンテナ輸送の提供問題で交渉。
DIA-602-1977-05-20-2ソ連1977年05月20日1970年代FEER誌,「過去3年間のベトナムに対する共産圏諸国の援助,借款は約241億ドルで最大の供与国はソ連」と報道。
DIA-602-1977-05-23-1ソ連1977年05月23日1970年代ベトナム・ソ連友好協会創立27周年記念映画祭ハノイで開催。
DIA-602-1977-05-23-2ソ連1977年05月23日1970年代ソ連のパバロフスキー国防次官,インドを公式訪問。
DIA-602-1977-05-24-1ソ連1977年05月24日1970年代ソ連新憲法草案発表――ソ連共産党中央委総会でブレジネフ書記長・憲法起草委員長は「ソ連憲法草案について」と題する報告。
DIA-602-1977-05-24-2ソ連1977年05月24日1970年代ポドゴルヌイ議長,政治局員から解任――ソ連共産党中央委総会でポドゴルヌイ最高会議幹部会議長は同中央委政治局員から解任(議長からの解任も後に発表)。
DIA-602-1977-05-24-3ソ連1977年05月24日1970年代ソ連の対ビルマ援助――イズベスチヤは,ビルマとの経済協力関係について次のように指摘した。57年の協定以降20年間にソ連は相当な経済援助をし,ソ連援助のチエモルタウ灌〓網によって不毛の地7000haに棉花が植えられ,ラングーン工科大学からはすでに4000人の技師が育ち,タゥンジ市には病院,ラングーンには1級ホテルが建てられ,モチの錫・タングステン鉱山が復活された。両国の経済協力拡大の可能性はまだまだある。
DIA-602-1977-05-24-4ソ連1977年05月24日1970年代日ソさけ・ます合意議事録に調印。
DIA-602-1977-05-25-1ソ連1977年05月25日1970年代ノーボエ・ブレーミャ誌の「北京・東京の同盟について」と題する論文は,日本で展開されている“反ソ・キャンペーン”の影に,日ソ関係分裂をはかる中国の意図が作用していると中国を非難。
DIA-602-1977-05-25-2ソ連1977年05月25日1970年代イズベスチヤは,ユーゴで建造された積載力3万tの浮ドックをインド洋,太平洋経由でウラジオストクに運んだと報道。
DIA-602-1977-05-26-1ソ連1977年05月26日1970年代ソ連,中国政府に厳重抗議――イズベスチヤによると,ソ連外務省はモスクワの中国大使館にたいし,中国の“反ソ・キャンペーン”は外交関係をもつ国家間の規範を逸脱していると厳重警告した中国政府あての覚書を手渡した。
DIA-602-1977-05-26-2ソ連1977年05月26日1970年代ソ連のフィリュービン外務次官,ビルマを訪問。
DIA-602-1977-05-26-3ソ連1977年05月26日1970年代ソ連・ラオス友好協会代表団(団長=カリモバ・タジキスタン党中央委),ラオスを訪問。
DIA-602-1977-05-26-4ソ連1977年05月26日1970年代ソ連友好代表団,アフガニスタン訪問。
DIA-602-1977-05-27-1ソ連1977年05月27日1970年代日ソ漁業暫定協定,モスクワで正式調印。
DIA-602-1977-05-27-2ソ連1977年05月27日1970年代ソ連,日本に政府間経済協力協定を提案――来日中のバトリチェフ外国貿易相は福田首相らに政府間の長期経済協力協定の締結を提案,日本側は「それには領土問題を解決して日ソ平和条約を結ぶことが前提」と難色。
DIA-602-1977-05-27-3ソ連1977年05月27日1970年代ソ連対文連・ソ蒙友好協会代表団(団長=ゴルバトコ宇宙飛行士),蒙ソ友協30周年記念式典参加のためウランバートル到着。
DIA-602-1977-05-30-1ソ連1977年05月30日1970年代ハノイ放送,ベトナム建築家代表団が訪ソ中と報道。
DIA-602-1977-05-30-2ソ連1977年05月30日1970年代日ソ貿易支払協定調印――26日来日したパトリチェフ外国貿易相と鳩山外相の間で76~80年の日ソ貿易支払協定に調印。また同日,76~80年の消費物資等の貿易(沿岸貿易)に関する書簡も交換。
DIA-602-1977-05-30-3ソ連1977年05月30日1970年代ソ連政府は中国の王幼平新駐ソ大使にアグレマン。
DIA-602-1977-05-30-4ソ連1977年05月30日1970年代タイのサティト・サティラタイ新駐ソ大使が信任状を提出。
DIA-602-1977-06-01-1ソ連1977年06月01日1970年代ソ連のフィリュービン外務次官,ラオスを訪問。
DIA-602-1977-06-01-2ソ連1977年06月01日1970年代ソ連青年代表団,ビルマを親善訪問(~8日)。これは76年1月以来7回目の代表団の訪問。
DIA-602-1977-06-02-1ソ連1977年06月02日1970年代ソ連のラオス援助――ビエンチャン国内放送によると,ソ連は昨年来自動車,工作機械,石油製品,食糧をラオスに供与し,またジャール平原の道路・橋梁の建設やムオン・シアンルアンの再建計画起草を援助している。さらにソ連はラオス人パイロットを訓練中でありまた現在約250人のラオス人学生がソ連に留学中で,すでに卒業した100人以上の専門家が帰国して働いている。
DIA-602-1977-06-02-2ソ連1977年06月02日1970年代ラオス仏教徒代表団訪ソ。
DIA-602-1977-06-02-3ソ連1977年06月02日1970年代ソ連最高会議代表団(団長=ギラシビリ同幹部会副議長),北朝鮮を訪問。
DIA-602-1977-06-03-1ソ連1977年06月03日1970年代ソ連教育代表団,ベトナム・ソ連友好協会の招きで訪越。
DIA-602-1977-06-03-2ソ連1977年06月03日1970年代FEER誌は,インドのジャナタ党政権が武器援助を米英仏依存に切換えるかどうかについて,インド政府高官が「われわれはソ連キャンプから抜け出せないような複雑な取決めを結んでしまっている。ソ連はボタン一つでインド空軍をつぶすことができる」と語ったと報道。
DIA-602-1977-06-04-1ソ連1977年06月04日1970年代来日中のソ連極東船主協会ディヤコノフ会長は全港湾労組との会談で,現在建造中の4隻を除き向う8年間新しいプッシャーバージは造らないと確約。
DIA-602-1977-06-04-2ソ連1977年06月04日1970年代フィリュービン外務次官,ベトナムを訪問。5日,77年文化科学協力計画に調印。
DIA-602-1977-06-04-3ソ連1977年06月04日1970年代バングラデシュにおけるソ連援助による電力開発局の技術訓練センター(ダッカ)正式に開所,スチパノフ大使出席。
DIA-602-1977-06-05-1ソ連1977年06月05日1970年代ブレジネフ書記長,朝日新聞秦専務の質問に文書で回答,6日付同紙に掲載。
DIA-602-1977-06-05-2ソ連1977年06月05日1970年代タス通信は,スーダンがエチオピアに武力介入していると非難。
DIA-602-1977-06-06-1ソ連1977年06月06日1970年代北欧歴訪の帰路モスクワ入りしたファン・バン・ドン・ベトナム首相,ブレジネフ書記長と会談。
DIA-602-1977-06-06-2ソ連1977年06月06日1970年代オーストラリアのローレンド外務次官,ソ連のゼムスコフ外務次官とモスクワで定例協議(~8日)。
DIA-602-1977-06-09-1ソ連1977年06月09日1970年代エジプト外相訪ソ――ファーミ外相はブレジネフ書記長,グロムイコ外相と両国関係修復,中東和平問題について会談,11日,会談結果の共同発表。
DIA-602-1977-06-09-2ソ連1977年06月09日1970年代アフガニスタンのアブドル・カリム・アタイ運輸通信相,ソ連訪問を終え帰国。13日,ソ連は北部アフガニスタンのカブール=マザリ・シャリブと同様のマザリ・シャリブ=ハイラトンの多通路通信線の建設を援助すると語った。
DIA-602-1977-06-09-3ソ連1977年06月09日1970年代スーダン国営放送によると,ソ連のフェデトフ駐スーダン大使は本国に召還され帰国の途についた。
DIA-602-1977-06-11-1ソ連1977年06月11日1970年代プラウダ紙,日本の軍事関係者の活発な訪中を非難。
DIA-602-1977-06-13-1ソ連1977年06月13日1970年代米国がインドネシアに圧力とタス報道――タス通信は「米国および西側諸国はインドネシアに強い圧力をかけ,中国と早期国交回復をさせようとしており,中国はこれを利用して同国に浸透し,同国を内部から堀り崩そうとしている」と論評。
DIA-602-1977-06-14-1ソ連1977年06月14日1970年代石田労相訪ソ――同氏はコスイギン首相に福田首相の親書を手交,日ソ修復の基礎として日ソ経済閣僚会議の設置を提案。15日ブレジネフ書記長と会見,同書記長は日ソ善隣協力条約を改めて提案。
DIA-602-1977-06-14-2ソ連1977年06月14日1970年代コ首相,サハリン原発の日ソ共同建設を提案――コスイギン首相は石田労相との会談の席上サハリン原子力発電所の日ソ共同建設計画を提示。出力400万kWの原発を共同建設し,うち200万kWを日本に長距離送電の形で輸出するというもの。
DIA-602-1977-06-14-3ソ連1977年06月14日1970年代ソ連とモロッコはこのほど燐鉱山開発に関する協定に調印。なお2日付AP電によるとこの協定には,①サハラをめぐるモロッコとアルジェリアの抗争でソ連は中立の立場をとる,②モロッコはザイールに派遣したモロッコ軍を引揚げるとの“政治的了解”という側面がある。
DIA-602-1977-06-15-1ソ連1977年06月15日1970年代ソ連の対途上国援助が激減――経済協力開発機構(OECD)事務局は「ソ連の援助計画」と題する報告を発表。75年のソ連の対途上国援助はその半分を占めるベトナムとキューバを加えても3億7500万ドルでGNPの0.04%にとどまった。74年までは5億8000万~7億7000万ドルでGNPの0.12%程度だった。
DIA-602-1977-06-15-2ソ連1977年06月15日1970年代ベトナムの国会と政府はベトナム戦争および戦後の建設に協力したソ連の軍関係学校や技術者27人に勲章を授与。
DIA-602-1977-06-15-3ソ連1977年06月15日1970年代ブレジネフ書記長,インドのグジラル駐ソ大使と会談。同大使はデサイ首相の親書を手交したが,同首相はソ連公式訪問を受入れたものと見られている。
DIA-602-1977-06-15-4ソ連1977年06月15日1970年代ソ連・インドネシア友好協会全国会議開催,会長にポポフ文化次官選出。
DIA-602-1977-06-15-5ソ連1977年06月15日1970年代フィリピン・ソ連友好協会会長のオブレ労相訪ソ。
DIA-602-1977-06-16-1ソ連1977年06月16日1970年代ブ書記長,議長就任公表――ブレジネフ書記長は最高会議幹部会で同議長として初演説,5月24日の党中央委総会で議長兼務が決定されたことを明らかにした。
DIA-602-1977-06-16-2ソ連1977年06月16日1970年代インドネシア外相,タス報道に反論――インドネシアのマリク外相は13日のタス通信報道に対し,同国と中国の国交正常化はインドネシア自身の問題で第三国に左右されない,タス報道は同国や米国の反響打診のためのソ連のジェスチュアにすぎないと反論。
DIA-602-1977-06-16-3ソ連1977年06月16日1970年代スーダン国営放送(SUNA)によると,ソ連政府はこのほどモスクワ駐在のスーダン外交官5人に国外退去を命じた。
DIA-602-1977-06-17-1ソ連1977年06月17日1970年代インドのバトナイク鉄鋼鉱業相は,先に週刊誌で報道されたボカロ,ビライ両製鉄所の拡大に関するソ連との契約破棄について,「同製鉄所拡大についてはソ連との契約はないので問題はない。自給達成のため国産機械を使うことを決めた。また日仏米独と鉄鋼問題で折衝中だ」と上院で説明。
DIA-602-1977-06-19-1ソ連1977年06月19日1970年代スーダンのアル・アヤム紙は,スーダン当局がハルツームにあるソ連文化センターの閉鎖を命じたと報道。
DIA-602-1977-06-19-2ソ連1977年06月19日1970年代イズベスチヤの論評は,日韓大陸棚協定の日本国会での承認に対し,北朝鮮の声明を支持,朝鮮半島の統一の障害になると非難。
DIA-602-1977-06-22-1ソ連1977年06月22日1970年代日ソ民間原子力協定大筋で合意――訪ソ中の土光経団連会長とペトロシャンツ・ソ連原子力利用委議長との間で日ソ民間原子力協定について大筋で合意。ソ連側は原子力発電所用機器の買付条件として,ウラン濃縮サービスのソ連への委託を提案。
DIA-602-1977-06-22-2ソ連1977年06月22日1970年代インド洋非武装化米ソ協議――ウォンキ米軍備管理軍縮局長ら米代表団訪ソ,モスクワでインド洋非武装化について協議。27日共同声明発表,今回は予備的意見交換にとどまる。
DIA-602-1977-06-22-3ソ連1977年06月22日1970年代ブラジルの原発にソ連産ウラン――ブルナーEC委員はリオデジャネイロに建設される原子力発電所に西独はおそらくソ連の濃縮ウランを供給することになろうと語った。
DIA-602-1977-06-22-4ソ連1977年06月22日1970年代フィリピン情報省は,イメルダ・マルコス大統領夫人が21日発表した訪ソ計画は無期延期になったと発表。
DIA-602-1977-06-22-5ソ連1977年06月22日1970年代ベトナム婦人同盟代表団,モスクワで開催される「婦人と社会主義」に関するセミナーに出席のため出発。
DIA-602-1977-06-23-1ソ連1977年06月23日1970年代タス通信は中国全国人民代表大会常務委員会からのブレジネフ書記長の最高会議幹部会議長就任を祝う電報を報道。
DIA-602-1977-06-23-2ソ連1977年06月23日1970年代ラオス赤十字代表団,ソ連向け出発。
DIA-602-1977-06-25-1ソ連1977年06月25日1970年代ラオス愛国婦人連合代表団,モスクワの「婦人と社会主義」セミナー出席のため出発。
DIA-602-1977-06-25-2ソ連1977年06月25日1970年代ラオス・ソ連友好協会代表団(団長=インシーシェンマイ副会長),モスクワへ出発。
DIA-602-1977-06-26-1ソ連1977年06月26日1970年代サダト大統領,ソ連非難を再開――サダト・エジプト大統領は記者会見で,ソ連が過去においてヒモ付き武器供与をしようとしたと非難,左翼民族革新連合指導者を「ソ連の操り人形」ときめつけた。
DIA-602-1977-06-26-2ソ連1977年06月26日1970年代ベトナム・ソ連経済・科学技術協力委員会第4回会議,モスクワで開催(~29日)。レ・タイン・ギ副首相を団長とするベトナム政府経済代表団が訪ソ。
DIA-602-1977-06-27-1ソ連1977年06月27日1970年代ソ連海運,80年までに同盟加入――全ソ海外船舶代理公団のマスロフ総裁,80年までに太平洋同盟,北大西洋同盟などの海運同盟に加入すると表明。
DIA-602-1977-06-27-2ソ連1977年06月27日1970年代ソ連のベトナム援助――モスクワ放送によると,ベトナムではソ連の協力で工業その他の施設が176建設され,これらの工場や鉱山からベトナムの工作機械の半分以上,電力の3分の1以上,石炭の80%が生産され,また80年までにソ連の技術・専門学校で約8000人のベトナムの専門家が養成される。
DIA-602-1977-06-28-1ソ連1977年06月28日1970年代モスクワ=メキシコ間直通空路開設。週1便,直通で16時間。
DIA-602-1977-06-30-1ソ連1977年06月30日1970年代ソ日漁業暫定協定交渉始まる――日本の200カイリ漁業水域法施行に伴うソ連漁船の操業規制のための交渉,東京で開始。
DIA-602-1977-07-01-1ソ連1977年07月01日1970年代初のインド・ソ連国際法セミナー(モスクワ)終る。
DIA-602-1977-07-01-2ソ連1977年07月01日1970年代シリアのトラス国防相を団長とするシリア軍事代表団が訪ソ中。
DIA-602-1977-07-03-1ソ連1977年07月03日1970年代ソ連海運の現況――イズベスチヤはソ連水運デーに際し,ソ連商船隊の現況について,載貨重量1600万t以上の1700隻でソ連全貿易輸送の半分以上を担い,76年には123ヵ国の1425港に入港,海上輸送作業員数は37万6000名と報道。
DIA-602-1977-07-05-1ソ連1977年07月05日1970年代モンゴルとソ連の国外観光に関する初の政府間協定,ウランバートルで調印。
DIA-602-1977-07-06-1ソ連1977年07月06日1970年代ソ連誌,米のアジア政策を批判――ノーボエ・ブレーミャ誌は,米国はASEANを破産したSEATOにかわって軍事政治ブロック化しようと意図していると論評。
DIA-602-1977-07-07-1ソ連1977年07月07日1970年代エチオピア,ソ連に海軍基地貸与――カイロの週刊誌「アクヘル・サー」によると,エチオピアの紅海に臨むマッサワ港は武器供給と引換えにソ連に貸与され,現在ソ連海軍基地として使用されている。
DIA-602-1977-07-07-2ソ連1977年07月07日1970年代インドのアドバニ情報放送相,モスクワの国際映画祭に出席するインド代表団長として出発。
DIA-602-1977-07-09-1ソ連1977年07月09日1970年代フィリピンのルイス・モレノ・サルセド新駐ソ大使にソ連がアグレマン。
DIA-602-1977-07-09-2ソ連1977年07月09日1970年代ラオスとソ連の77年文化科学交流計画がビエンチャンで調印。同計画は文化,学術,スポーツ代表団の交流,各分野のラオス要員養成へのソ連の援助,両国の成果の宣伝などを規定。
DIA-602-1977-07-09-3ソ連1977年07月09日1970年代パキスタン映画代表団,モスクワの映画祭参加のため出発。
DIA-602-1977-07-12-1ソ連1977年07月12日1970年代日本船主協会,ソ連海運の同盟外活動に対抗立法――日本船主協会はソ連・東欧圏海運の船腹が今後数年で4倍に拡充され,低運賃政策とあわせて日本海運業界に壊滅的打撃を与える恐れが強いため,対抗立法成立を政府に働きかける方針を固めた。
DIA-602-1977-07-12-2ソ連1977年07月12日1970年代イズベスチヤは,SEATO後のアジアについてのアジア各国の考え方には2つの傾向があるとして,①アジア各国の集団的努力によるアジアにおける安全保障の道に沿って進もうとする現実的見解に対し,②米軍国主義者とその手先はSEATOのカムフラージュした形での再生をはかろうとしている,と論評。
DIA-602-1977-07-12-3ソ連1977年07月12日1970年代ソ連のベリョースカ(白樺)舞踊団90人が2ヵ月にわたるオーストラリア,ニュージーランド公演旅行のためシドニーに着く。
DIA-602-1977-07-13-1ソ連1977年07月13日1970年代途上国援助にソ連は積極取組みを――カーター米大統領はシュミット西独首相と会談,ソ連が西側諸国に協力して開発途上国への援助やエネルギー問題などにもっと積極的に取組むべきだとの点で意見一致。
DIA-602-1977-07-13-2ソ連1977年07月13日1970年代印ソ政府代表,ソ連原油150万tとインド商品の交換取引き会談をニューデリーで開始。
DIA-602-1977-07-13-3ソ連1977年07月13日1970年代イラン原子力代表団(団長=アクバル・エテマド原子力公社総裁)モスクワへ向け出発。
DIA-602-1977-07-14-1ソ連1977年07月14日1970年代ソマリアがソ連軍基地撤去を要求――ソマリアのバーレ大統領は同国内のソ連軍事施設の撤去を要求,手始めに海軍ミサイル基地ベルベラに駐留する1500人の軍事要員の退去を要求。
DIA-602-1977-07-15-1ソ連1977年07月15日1970年代ソ連の対アフガニスタン援助――モスクワ放送はアフガニスタンの共和制移行記念日を控えて,同国との友好関係を強調,ソ連の援助ですでに約70の企業が建設され,それは同国の国有化部門の70%以上を生産しており,向う数年間にさらに30以上の施設が建設される予定と述べた。ノーボスチ通信はソ連援助の具体例として,ジェララバド灌漑水系,同国最大のナグル水力発電所,ヒンズークシ山脈越え道路,クシカ=ヘラト=カンダハル高速道路,カブール工業大学などを列挙。
DIA-602-1977-07-15-2ソ連1977年07月15日1970年代サマチャル通信によれば,インドのデサイ首相は下院でソ連の“アジア集団安保”提案に否定的見解を表明。 (新華社)
DIA-602-1977-07-16-1ソ連1977年07月16日1970年代ソ連,エジプトに新友好条約締結を要求――サダト大統領は,ソ連がエジプトに新友好条約の締結を要求するとともに,エジプトとのすべての軍事上の契約を破棄したことを明らかにした。
DIA-602-1977-07-18-1ソ連1977年07月18日1970年代ソ連,エチオピアにミグ21など供与――エチオピアは去る5月,ソ連と秘密協定を結び,ミグ21ジェット戦闘機,SAM7地対空ミサイルなど総額5億ドルの兵器供与を受けることになった。(ニューズ・ウィーク)
DIA-602-1977-07-18-2ソ連1977年07月18日1970年代ベトナムのホーチミン記念博物館建設援助のための9設備がソ連から贈呈。
DIA-602-1977-07-19-1ソ連1977年07月19日1970年代ラオスとソ連の経済・科学・技術協力協定がビエンチャンで調印。ソ連はラオスにおける探鉱,レンガ工場とセメント工場各1の設計と建設,ナムグム水力発電所からワンウィエンまでの高圧送電線の架設に協力する。
DIA-602-1977-07-19-2ソ連1977年07月19日1970年代ソ連木材加工工業省代表団,北朝鮮訪問。
DIA-602-1977-07-20-1ソ連1977年07月20日1970年代ノーボスチ通信は,カーター政権の在韓米地上軍撤退構想はグアム・ドクトリン以来の米戦略の復活にすぎない,米国は韓国軍近代化に71年以後15億ドル以上つぎ込んでおり,またこの戦略は日本をアジア・太平洋地域のカナメ石にするものだと論評。
DIA-602-1977-07-20-2ソ連1977年07月20日1970年代ソ連の対ラオス医療援助に関する議定書がビエンチャンで調印。
DIA-602-1977-07-20-3ソ連1977年07月20日1970年代ラオス教育部門労組代表団,モスクワでの第11回教育労組国際会議に出席し帰国。
DIA-602-1977-07-21-1ソ連1977年07月21日1970年代77年の中ソ貿易・支払協定,モスクワで調印。
DIA-602-1977-07-22-1ソ連1977年07月22日1970年代シンガポールのジョセフ・フレンシス・コンセシオ駐ソ新大使,モスクワへ赴任。
DIA-602-1977-07-23-1ソ連1977年07月23日1970年代対ソ偏重を改めるとスリランカ首相――スリランカのジャヤワルデネ新首相,日本人記者団に,「バンダラナイケ前政権はあまりにソ連に偏りすぎていた」と述べ,ソ連への批判的態度を示した。
DIA-602-1977-07-24-1ソ連1977年07月24日1970年代パキスタン婦人代表団,親善訪問のためモスクワへ出発。
DIA-602-1977-07-24-2ソ連1977年07月24日1970年代モスクワ・マダガスカル定期空路開設。
DIA-602-1977-07-25-1ソ連1977年07月25日1970年代ソ連AA連帯委員会,エジプト・リビア国境での軍事紛争でエジプトを非難,即時停止を要求。
DIA-602-1977-07-25-2ソ連1977年07月25日1970年代バングラデシュ児童チーム15人(団長=ワナブ・ボーイスカウト書記長),国際児童祭参加のためモスクワへ出発。
DIA-602-1977-07-26-1ソ連1977年07月26日1970年代エジプトのサダト大統領は,相互の国内事情に干渉しないならば両国関係の改善への努力を支持するとのブレジネフ議長あて返書を送った。
DIA-602-1977-07-27-1ソ連1977年07月27日1970年代南イエメンのアリ・モハメド首相はソ連国防省の招きでソ連を非公式訪問。
DIA-602-1977-07-27-2ソ連1977年07月27日1970年代ベトナムのハ・ケ・タン・ホアビン水利施設建設担当相は同企画経過視察のためソ連のバクーに到着。
DIA-602-1977-07-28-1ソ連1977年07月28日1970年代インドのデサイ首相,ソ連テレビのインタビューで印ソ関係強化を強調,訪ソの意向を表明,さらに近い将来ブレジネフ書記長の訪印を期待すると述べた。(モスクワ放送)
DIA-602-1977-07-28-2ソ連1977年07月28日1970年代タス通信は,バンス米国防長官の訪日,訪韓を論評,米日韓3国が新軍事同盟の形成を図っていると非難。
DIA-602-1977-07-28-3ソ連1977年07月28日1970年代ソ連のイシコフ漁業相来日。
DIA-602-1977-07-28-4ソ連1977年07月28日1970年代ソ連の200カイリ水域施行に伴うソ連と北朝鮮の漁業交渉,朝鮮の今年の同水域内漁獲量20万tで妥結。
DIA-602-1977-07-29-1ソ連1977年07月29日1970年代ソ連軍の日本周辺活動活発化――今年の「防衛白書」は「ソ連軍増強が最近の大きな特色」と指摘,76年中の対馬,津軽,宗谷3海峡を通過したソ連太平洋艦隊の艦船約300隻,ソ連航空機の本邦接近飛行180回,スクランブル459件(75年は281件)と発表。
DIA-602-1977-07-29-2ソ連1977年07月29日1970年代ソ連政府は77年度の北方墓参として4ヵ所のみ許可。
DIA-602-1977-07-29-3ソ連1977年07月29日1970年代ベトナム・ソ連友好協会はハノイでソ越友協創立19周年記念映画祭。
DIA-602-1977-08-01-1ソ連1977年08月01日1970年代イズベスチヤ,米国のソマリアへの接近を非難。
DIA-602-1977-08-01-2ソ連1977年08月01日1970年代ニュージーランドはソ連製乗用車「ラーダ」1000台を輸入することになった。
DIA-602-1977-08-01-3ソ連1977年08月01日1970年代オーストラリアはこのほどソ連に小麦45万t,4500万ドルを売却。
DIA-602-1977-08-03-1ソ連1977年08月03日1970年代イズベスチヤは,最近ソウルで開かれた米韓安保定期協議を論評,米国による朴政権の軍事力増強は危険な政策と非難。
DIA-602-1977-08-03-2ソ連1977年08月03日1970年代ベトナム国会代表団(団長=チュオン・チン政治局員)モスクワ着。
DIA-602-1977-08-04-1ソ連1977年08月04日1970年代ソ日漁業暫定協定調印――日本の200カイリ漁業専管水域におけるソ連漁船の今年の操業を定めるソ日漁業暫定協定,外務省で調印。
DIA-602-1977-08-04-2ソ連1977年08月04日1970年代ソ連,ASEANの軍事同盟化警戒――タス通信はASEAN首脳会議につき論評,西側帝国主義はその反共と軍国主義政策の一翼をASEANに担わせようとしていると警戒。
DIA-602-1977-08-04-3ソ連1977年08月04日1970年代ASEAN首脳会議開会式にマレーシア駐在のソ連,東欧の大使ら出席せず,注目された。
DIA-602-1977-08-05-1ソ連1977年08月05日1970年代イエメン・アラブ共和国(北イエメン)はタス通信特派員に国外退去命令を出し,同支局を閉鎖。
DIA-602-1977-08-06-1ソ連1977年08月06日1970年代イランと原油取引協定――イランの公式筋によると,ソ連がイラン国営石油会社の原油を直接取引で購入する協定にこのほど調印。ソ連が原油100万t購入し,イランに工業製品を供給,またイランの天然ガスをソ連領経由で西欧諸国に供給するパイプラインの建設を援助するという双務的なもので,原油輸出価格はOPEC価格を適用する。
DIA-602-1977-08-08-1ソ連1977年08月08日1970年代ホロフ最高会議幹部会副議長を団長とするソ連代表団7人,インドを訪問。15日のインド独立30周年記念式典に参加。
DIA-602-1977-08-08-2ソ連1977年08月08日1970年代タス通信,中共3中全会を論評。鄧小平氏の復活は権力闘争のひとつのラウンドを一時的妥協でしめくくっただけで,社会・経済発展の根本問題は何も提起できていないと批判。
DIA-602-1977-08-09-1ソ連1977年08月09日1970年代インドのバジパイ外相,タス通信のインタビューで,71年の友好協力条約の精神でソ連との協力を発展させると語った。
DIA-602-1977-08-09-2ソ連1977年08月09日1970年代タス,南アの核兵器生産と実験準備に警告。
DIA-602-1977-08-10-1ソ連1977年08月10日1970年代モスクワでインド独立30周年記念祝賀集会を開催,マズロフ第一副首相らが出席。
DIA-602-1977-08-11-1ソ連1977年08月11日1970年代ベトナムのレ・タイン・ギ副首相,モスクワでソ連のマズロフ副首相と両国間の経済協力について会談。同氏はソ連滞在中にバイバコフ,アルヒポフ両副首相ともソ連の援助プロジェクトや物資供給の促進について会談。
DIA-602-1977-08-12-1ソ連1977年08月12日1970年代ブレジネフ書記長,モンゴルのツェデンバル第一書記とクリミヤで会談。
DIA-602-1977-08-12-2ソ連1977年08月12日1970年代ラオスのスファヌボン大統領とプーマ政府顧問,静養のため訪ソ。(~9月14日)
DIA-602-1977-08-12-3ソ連1977年08月12日1970年代ソ連のフィリュービン外務次官,インド独立記念式典出席のためインド訪問,インタビューでインド洋非武装地帯提案賛成国と協力の用意があり,ソ連は既存外国軍事基地閉鎖と新基地設置防止の立場をとると語った。
DIA-602-1977-08-12-4ソ連1977年08月12日1970年代ベトナムで新油田――ベトナムの駐シンガポール通商使節団レ・バン・マウ団長は,ソ連の援助でハノイ南方のタイビン省で新油田を発見したと語った。
DIA-602-1977-08-13-1ソ連1977年08月13日1970年代「アフリカの角」戦闘中止を呼びかけ――タス通信はソ連指導部の声明を発表,エチオピアとソマリアの軍事紛争に憂慮を表明,軍事行動の即時中止を呼びかけた。
DIA-602-1977-08-14-1ソ連1977年08月14日1970年代エジプト,綿の対ソ輸出停止――中東通信によると,エジプトのサダト大統領はソ連と東欧のある国が契約済みの戦車の引渡しを停止しているので,これに綿花の輸出停止で応ずると語った。
DIA-602-1977-08-15-1ソ連1977年08月15日1970年代対ソ石油輸出,イラクが1位――中東の経済専門誌MEESによると,76年の対ソ石油輸出第1位はイラクで,580万t,4億9160万ドルとソ連の全石油輸入量650万tの約90%を占めた。
DIA-602-1977-08-16-1ソ連1977年08月16日1970年代印ソ両国のルピー・ルーブル交換比率改定に関する交渉,モスクワで開始。
DIA-602-1977-08-16-2ソ連1977年08月16日1970年代ソ連はこのほどベトナムと77~78年のベトナムの石油・天然ガス試掘に協力する契約に調印。(モスクワ放送)
DIA-602-1977-08-17-1ソ連1977年08月17日1970年代ノーボスチ通信はバンス米国務長官の訪中によせて論評を発表,米中の“利益の共通性”が軍事協力で裏づけられるならアジア諸国への脅威はますます増大するだろうと警告。
DIA-602-1977-08-18-1ソ連1977年08月18日1970年代ソ連,日本の東南ア経済進出を非難――モスクワ放送は,福田首相の東南ア歴訪に関連して「米戦略家の要求は,資源を有するこの地域の支配という第2次大戦時に武力で果せなかった課題を経済的手段で達成するという日本支配層が永らく抱いてきたもくろみと一致した」と厳しく論評。
DIA-602-1977-08-19-1ソ連1977年08月19日1970年代ソ連,北極航路開通めざす――グジェンコ海運相はプラウダで,原子力船アルクチカ号北極点到達(17日)と関連して「ソ連は北極航路開通をめざしている」と述べた。
DIA-602-1977-08-19-2ソ連1977年08月19日1970年代モンゴル訪問中のソ連科学アカデミー・インターコスモス会議ペトロフ議長,バトムンフ首相と会見。
DIA-602-1977-08-22-1ソ連1977年08月22日1970年代イランの鉄鋼所に16億ドル供与――アヤンデガン紙によると,イランはアリアメール鉄鋼所拡張にソ連から16億ドル借款,天然ガス供給で返済する。
DIA-602-1977-08-23-1ソ連1977年08月23日1970年代プラウダはエジプトとリビアの軍事衝突の危険を警告,平和的解決を呼びかけ。
DIA-602-1977-08-23-2ソ連1977年08月23日1970年代サハリンのオハからコムソモーリスクに至るタタール海峡越えの石油パイプラインの第2線がアムール河右岸に達した(第1線は第2次世界大戦時に敷設)。(プラウダ)
DIA-602-1977-08-23-3ソ連1977年08月23日1970年代ネパール政府通商代表団訪ソ。
DIA-602-1977-08-24-1ソ連1977年08月24日1970年代コムニスト誌は論文「毛沢東以後の中国」を発表,華国鋒体制の「毛なき毛主義」路線を批判,毛主義を反共主義,超狂信的愛国主義,中華主義,侵略的覇権主義と厳しく非難。
DIA-602-1977-08-24-2ソ連1977年08月24日1970年代印ソ文化協会代表団(団長=マドゥ・リマイ・ジャナタ党書記長)訪ソ,インド独立30周年とソ印平和友好協力条約調印6周年を記念する印ソ友好月間に参加。9月2日,両友好団体間の協力計画に調印。(モスクワ放送)
DIA-602-1977-08-25-1ソ連1977年08月25日1970年代インド政府はライナ陸軍参謀長が31日から8日間ソ連を公式訪問すると発表。
DIA-602-1977-08-25-2ソ連1977年08月25日1970年代印ソ共同モンスーン調査を終えカルカッタでドック入りしたソ連調査船「アカデミシャン・シルソフ」号上で,インドのラル・カウシク民間航空・観光相は同調査成功を讃えた。
DIA-602-1977-08-26-1ソ連1977年08月26日1970年代タス通信,「中共第11回大会の結果について」と題する論評を発表。
DIA-602-1977-08-27-1ソ連1977年08月27日1970年代ブルガリア,韓国要人にビザ発給――ブルガリア政府,9月にソフィアで開催される国際議会同盟定期総会に出席する韓国の朴浚圭民主共和党政策委員長に入国ビザを発給。韓国は12名の代表を送る予定。
DIA-602-1977-08-27-2ソ連1977年08月27日1970年代韓国政府筋は,9月の国際民間航空組織(ICAO)モントリオール会議に代表を派遣し,特にソ連代表と接触してソ連航空ルート経由で北欧と結ぶ航空網拡大の可能性を打診したいと語った。
DIA-602-1977-08-27-3ソ連1977年08月27日1970年代アルゼンチン政府,このほどソ連と通商協定に調印。両国関係は昨年3月のクーデター以後凍結していた。
DIA-602-1977-08-27-4ソ連1977年08月27日1970年代ベトナム・ソ連友好協会代表団,ソ連訪問の途に。
DIA-602-1977-08-27-5ソ連1977年08月27日1970年代アラファトPLO議長,モスクワ入り。
DIA-602-1977-08-29-1ソ連1977年08月29日1970年代ソ連は近くベトナム最大の出力640MWのファライ火力発電所建設用装置一式を供給する。同発電所は82年運転開始の予定。
DIA-602-1977-08-29-2ソ連1977年08月29日1970年代ソ連・モンゴル経済・科学技術協力委員会第15回会議,ウランバートルで開催(~30日)。
DIA-602-1977-08-30-1ソ連1977年08月30日1970年代朝鮮・ソ連経済・科学技術諮問委員会第14回会議,平壌で開催。9月2日議定書に調印。
DIA-602-1977-08-30-2ソ連1977年08月30日1970年代モスクワ放送は,77年だけでも500人以上のラオス青年がソ連で勉学を開始すると報道。
DIA-602-1977-08-30-3ソ連1977年08月30日1970年代キルナソフスキー・ソ連特使,スリランカを訪問,ハミド外相と国連議題について協議。
DIA-602-1977-08-31-1ソ連1977年08月31日1970年代ソ連・ソマリア首脳会談開かる――ソマリアのバーレ大統領は29日訪ソ,31日コスイギン首相らと会談。(タス)
DIA-602-1977-09-02-1ソ連1977年09月02日1970年代フィリピンのマルコス大統領はソ連文化代表団と会見,同団の文化交流発展提案に賛意を表明。
DIA-602-1977-09-02-2ソ連1977年09月02日1970年代エチオピアにソ連製兵器――ベイルートの西側軍事筋によると,このほどソ連はエチオピア政府に対し,両国間の3億8500万ドルの武器売却秘密協定に基づき,ミグ21戦闘機48機,T54,T55型戦車約200台,SAM3,SAM7地対空ミサイル(数量不明)の供与に合意。
DIA-602-1977-09-03-1ソ連1977年09月03日1970年代ラオス愛国労組総同盟代表団(団長=ブァペン・ブンスリン事務局長),ソ連友好訪問のため出発。
DIA-602-1977-09-03-2ソ連1977年09月03日1970年代エジプト政府筋によると,8~9月頃に予定されていたグロムイコ・ソ連外相のエジプト訪問は中止された。
DIA-602-1977-09-03-3ソ連1977年09月03日1970年代ソマリアがソ連提案を拒否――8月末のソマリア・ソ連首脳でソ連側は,①ソマリア・エチオピア首脳会談,②ソマリア,エチオピア,南イエメン3国の連邦国家樹立を提案したが,バーレ大統領はいずれも拒否した。(ベイルートのアンナハル紙)
DIA-602-1977-09-05-1ソ連1977年09月05日1970年代モスクワで第4回“アジアの平和”日ソ専門家会議開催(~7日)。日本から「安全問題研究会」の佐伯喜一,猪木正道,三好修氏らが出席。7日コスイギン首相と会見。
DIA-602-1977-09-05-2ソ連1977年09月05日1970年代第6回日ソ沿岸市長会,富山市で開催(~6日)。ソ連からハバロフスク市長ら出席。
DIA-602-1977-09-06-1ソ連1977年09月06日1970年代スリランカ訪問中のツジコフ全ソ労評書記ら2人のソ連人はタミール族解放統一戦線(TULF)と接触し支援したとして国外退去を命ぜられたが,TULFと接触しないと確約の上8日までの滞在が許可された。
DIA-602-1977-09-07-1ソ連1977年09月07日1970年代防衛庁に入った情報によると,九州・五島列島沖上空でソ連爆撃機TU95「ベア」2機が2分間領空侵犯。駐ソ日本大使館はソ連外務省に抗議。
DIA-602-1977-09-07-2ソ連1977年09月07日1970年代フィリピン駐在のソ連大使館開設。
DIA-602-1977-09-08-1ソ連1977年09月08日1970年代インドのライナ陸軍参謀長,8日間の訪ソから帰国。
DIA-602-1977-09-08-2ソ連1977年09月08日1970年代ソ連,インド鉄鋼産業への協力強化――印ソ両国,鉄鋼産業での協力を強化する議定書をニューデリーで調印。双方はボカロおよびビライ製鉄所の生産拡大,技術交流についても協議。最終的はボカロ製鉄所拡張プロジェクトは大部分をソ連の技術援助に依存,一部冷間圧延設備のみ米国技術によるとの結論を出した。ソ連は新たに2億ルーブルの借款供与による輸出専門製鉄所建設も提案。
DIA-602-1977-09-08-3ソ連1977年09月08日1970年代ソ連・ベトナム友好週間(9月1日~8日)閉幕。
DIA-602-1977-09-08-4ソ連1977年09月08日1970年代中国の王幼平駐ソ大使,信任状を提出。
DIA-602-1977-09-09-1ソ連1977年09月09日1970年代ノーボスチ通信によれば,ソ連本土とサハリン(樺太)を結ぶタタール海峡横断鉄道フェリー施設拡充の第2期工事が施行されることになった。バム鉄道建設に伴うもので,サハリン経由での対日貨物輸送は今後数倍に増加が予想される。
DIA-602-1977-09-09-2ソ連1977年09月09日1970年代タス通信の「北京の扇動者」と題する論評は中国の鄧小平副主席を「反ソ統一戦線を扇動している」と非難。
DIA-602-1977-09-10-1ソ連1977年09月10日1970年代ソウル放送によると,韓国政府はソ連水域での漁獲権確保のためのステップとして日本を通じてソ連産スケトウダラを間接輸入することを決定。
DIA-602-1977-09-12-1ソ連1977年09月12日1970年代第7回日ソ経済合同委員会開催(~16日)――ソ連からセミチャストノブ外国貿易次官以下44人が出席。16日共同声明を採択。今回の会議では具体的な新しい大型プロジェクトの提案はなく,また会議の冒頭ソ連側から提案された原子力協定締結と原子力発電プラント買付けは共同声明では全く触れていない。
DIA-602-1977-09-12-2ソ連1977年09月12日1970年代ソ連とキューバ,エチオピア支援のメッセージ――アジスアベバ放送によると,ソ連のブレジネフ書記長とキューバのカストロ首相は,“エチオピア南部を侵略してきたソマリアとの戦闘でエチオピアを支援する”とのメッセージを送った。
DIA-602-1977-09-12-3ソ連1977年09月12日1970年代南ア通信連合が同日伝えたところでは,アンゴラは新たにキューバ兵4000人を受け入れ,これで計1万9000人となった。
DIA-602-1977-09-12-4ソ連1977年09月12日1970年代シンガポールのソ連乗用車ボルガの総代理店興利有限公司の総支配人は,GAZ24型200台をタクシー用に輸入する予定と語る。ソ連製自動車の登場は東南アで初あて。
DIA-602-1977-09-13-1ソ連1977年09月13日1970年代ソ連,日ソ定期経済閣僚会議設置を受諾――ポリャンスキー駐日大使は石田労相を訪問,同氏が訪ソの際提案した日ソ定期経済閣僚会議の設置に賛成とのソ連政府の正式回答を伝えた。
DIA-602-1977-09-13-2ソ連1977年09月13日1970年代朝鮮民主主義人民共和国創建29周年記念集会モスクワで開催,ソロメンツェフ政治局員候補らが出席。
DIA-602-1977-09-15-1ソ連1977年09月15日1970年代印ソ両国合同委員会は共同議長の格上げに合意,バジパイ・インド外相とアルキポフ・ソ連副首相が議長に。
DIA-602-1977-09-16-1ソ連1977年09月16日1970年代訪ソ中のインドのチュンデル教育・社会福祉・文化相,コスイギン首相と会見。
DIA-602-1977-09-17-1ソ連1977年09月17日1970年代プラウダが日ソ関係についてラティシェフ東京特派員の論評「良い展望」を掲載,反ソ勢力の策動はあるが,特に経済関係の展望は明るいと述べた。
DIA-602-1977-09-17-2ソ連1977年09月17日1970年代札幌の財団法人北海道日ソ友好貿易会館が開館式。デムチェンコ・ロシア共和国副首相ら祝賀代表団が出席。
DIA-602-1977-09-17-3ソ連1977年09月17日1970年代ラオス郵便通信省代表団(団長=カムペン・ブパー同大臣)モスクワ向け出発。
DIA-602-1977-09-19-1ソ連1977年09月19日1970年代インド映画祭モスクワで開幕。
DIA-602-1977-09-20-1ソ連1977年09月20日1970年代インド食糧公社グレワル総裁訪ソ,モスクワ交渉でソ連の供与した小麦購入用ローンの返済として小麦150万tの引渡しに合意。
DIA-602-1977-09-20-2ソ連1977年09月20日1970年代アイスランドのハルグリムソン首相が初訪ソ。
DIA-602-1977-09-20-3ソ連1977年09月20日1970年代マレーシアのフセイン・オン首相は東京の記者会見で「ソ連がインドシナの平和と安定に役立つような影響力を行使するよう期待する」と述べた。日本外務省筋はベトナムへの規制を求めたものと受け止め。24日付バンコク・ポスト紙は同首相が東南アの安全に対するソ連の脅威を十分理解していないと批判。
DIA-602-1977-09-21-1ソ連1977年09月21日1970年代インドのクリシナンCPI全国協議会書記とポノマリョフ・ソ連共産党中央委政治局員候補がモスクワで会談,両党の兄弟的関係強化を確認。
DIA-602-1977-09-22-1ソ連1977年09月22日1970年代バングラデシュとソ連,ダッカで地理・鉱物開発協力に関する協定に調印。
DIA-602-1977-09-22-2ソ連1977年09月22日1970年代ベトナム共産党指導部の代表団(団長=チャン・ドー党中央委)訪ソ(~10月3日)。
DIA-602-1977-09-22-3ソ連1977年09月22日1970年代アルゼンチン,同国200カイリ内で国旗も掲げず操業していたソ連船4隻をだ捕。
DIA-602-1977-09-23-1ソ連1977年09月23日1970年代ソ連児童文学雑誌のナガエフ編集次長,ベトナム訪問。
DIA-602-1977-09-23-2ソ連1977年09月23日1970年代ベトナムのホアン・コク・ベト労働総同盟議長,モスクワの社会主義諸国労組議長会議出席のため出発。
DIA-602-1977-09-26-1ソ連1977年09月26日1970年代ベトナム平和委員会代表団(団長=フン・バン・クン委員),レーニングラードの「平和運動にとっての10月革命の意義を討議する会議」(~28日)に出席。
DIA-602-1977-09-26-2ソ連1977年09月26日1970年代モンゴル財政省,ソ連財政省と直結――モンゴル・ソ連経済・科学技術協力委員会の決定に基づき両国財政省を直接結びつけるための協定に調印。これによりモンゴル財政省内にソ連財政省の全権代表が設置される。
DIA-602-1977-09-27-1ソ連1977年09月27日1970年代アンゴラのネト大統領訪ソ(~29日),ブレジネフ書記長,コスイギン首相らと会談。
DIA-602-1977-09-28-1ソ連1977年09月28日1970年代エジプトのサダト大統領は演説の中で対ソ軍事借款45億ドルを今後10年猶予するよう要望すると表明。
DIA-602-1977-09-28-2ソ連1977年09月28日1970年代日ソ長期漁業協定交渉の日本側代表団(宮沢外務省欧亜局長ほか),モスクワ入り。
DIA-602-1977-09-28-3ソ連1977年09月28日1970年代ベトナム・ソ連友好協会代表団(団長=グエン・カイン・トアン副議長),モスクワの「諸民族間の友好の発展に対する10月革命の影響に関する国際セミナー」出席のため出発。
DIA-602-1977-09-29-1ソ連1977年09月29日1970年代鳩山外相,国連でグロムイコ外相と会談,定期外相会議は来年早々に持ち越されることになった。
DIA-602-1977-09-29-2ソ連1977年09月29日1970年代ソ連外国貿易省バンコフ輸入局長以下の代表団,バングラデシュを訪問。両国の貿易拡大について協議。
DIA-602-1977-09-29-3ソ連1977年09月29日1970年代ラオスとソ連の医療協定,ビエンチャンで調印。
DIA-602-1977-09-30-1ソ連1977年09月30日1970年代モンゴル訪問中のソ連党活動家代表団(団長=ゴロドビコフ中央委員候補),ツェデンバル第1書記と会見。
DIA-602-1977-10-01-1ソ連1977年10月01日1970年代ソ連最高会議と閣僚会議,中国の国慶節に祝電。
DIA-602-1977-10-01-2ソ連1977年10月01日1970年代ラオスの医療代表団(団長=スク・ボンサク保健相),ハンガリー,東独,ソ連訪問のため出発。
DIA-602-1977-10-01-3ソ連1977年10月01日1970年代プラウダはアレクサンドロフ署名の論評「中華人民共和国の28年」を発表。
DIA-602-1977-10-02-1ソ連1977年10月02日1970年代モンゴル訪問中のソ連価格国家委員会グルシコフ議長,ツェデンバル第1書記と会見。
DIA-602-1977-10-04-1ソ連1977年10月04日1970年代ソ連文化代表団(団長=ポポフ文化次官),モンゴルのソ連文化祭参加のためウランバートル着。
DIA-602-1977-10-04-2ソ連1977年10月04日1970年代訪ソ中のベトナムのグエン・チ・ビン教育相,パナトリン教育次官と77~78年の協力についての覚書調印。
DIA-602-1977-10-05-1ソ連1977年10月05日1970年代タイのネイション・レビュー紙,米ソのインド洋軍縮協議は国連決議や沿岸国の発言権を無視していると非難。
DIA-602-1977-10-05-2ソ連1977年10月05日1970年代ソ連体操チームがビルマ訪問。
DIA-602-1977-10-06-1ソ連1977年10月06日1970年代カンプチア共産党の存在の公表に対して,ソ連共産党中央委員会は同党中央委員会に祝電。
DIA-602-1977-10-06-2ソ連1977年10月06日1970年代バングラデシュのダッカ商業会議所のシドキ会頭,各種非伝統品の輸出市場獲得のためソ連に貿易合弁事業を申入れ。
DIA-602-1977-10-06-3ソ連1977年10月06日1970年代中ソ国境河川航行交渉,一部合意に達し,会議記録要綱に調印。(北京放送)
DIA-602-1977-10-07-1ソ連1977年10月07日1970年代日本輸出入銀行は,ソ連向け大径鋼管輸出に対して約1億ドルのバンクローン供与の方針を決定。
DIA-602-1977-10-08-1ソ連1977年10月08日1970年代タス通信,バングラデシュにおけるクーデター失敗について“帝国主義と国内反動派の挑発によるもの”と述べたバングラデシュ共産党の声明を紹介,同国内各地でクーデター主謀者の厳罰を要求する集会やデモが行われたと報道。(プラウダ)
DIA-602-1977-10-08-2ソ連1977年10月08日1970年代ソ連が韓国外交官にビザ発給――ソ連政府はこのほどトビリシで開かれるユネスコの国際環境教育会議に出席する韓国の尹錫憲駐仏大使ほか5人にビザを発給した。ソ連政府が韓国の外交官の入国を認めたのは初めて。その後尹大使病気のため,かわって韓豹駐英大使が14日ビザを受給。
DIA-602-1977-10-09-1ソ連1977年10月09日1970年代10月革命60周年祝賀のラオス・ソ連連帯月間(10月7日~11月7日)開幕大集会がビエンチャンで開催,スファヌボン大統領らが出席。
DIA-602-1977-10-10-1ソ連1977年10月10日1970年代アフガニスタンの首都カブールでソ連商工会議所主催の展覧会開幕。開幕式でアフガニスタンのジャララル貿易相は現在同国の貿易の約半分はソ連が占めていると語った。(イズベスチヤ)
DIA-602-1977-10-10-2ソ連1977年10月10日1970年代ソ連陸海軍政治総局代表団(団長=エピシェフ大将・同局長)ベトナム訪問。
DIA-602-1977-10-10-3ソ連1977年10月10日1970年代中国の王幼平駐ソ大使,コスイギン首相と会談。
DIA-602-1977-10-11-1ソ連1977年10月11日1970年代ソ連,ソマリアへの武器供与全面停止――モガジシオ外交筋によると,ソ連はソマリアへの武器供与を全面的に停止した。またソ連のラタノフ駐エチオピア大使は18日の記者会見で,7月のソマリアによるエチピア侵略開始よりかなり前からソ連はソマリアへの武器供与を停止していると述べた。
DIA-602-1977-10-12-1ソ連1977年10月12日1970年代ソ連,ラオスにミグ21供与――米政府筋によると,ソ連はラオスにミグ21ジェット戦闘機約10機を供与(UPI=共同)。なお13日バンコク発AFPによるとミグ供与は20機で,すでにメオ族反乱攻撃に出撃している。
DIA-602-1977-10-12-2ソ連1977年10月12日1970年代ラオスのシサナン・シサン情報宣伝文化観光相ソ連訪問,デミチェフ文化相と会見。
DIA-602-1977-10-12-3ソ連1977年10月12日1970年代全ソ労評代表団ベトナム訪問。
DIA-602-1977-10-12-4ソ連1977年10月12日1970年代サハリン石油開発協力の小林社長は,サハリン北東部の大陸棚で有望な油田を発見したと発表。
DIA-602-1977-10-12-5ソ連1977年10月12日1970年代ソ連の兵器輸出激増――CIA報告書によると,ソ連の76年兵器売渡し協定は約25億ドルに達し,一方経済援助約束は75年の13億ドルから9億9000万ドルに減少した。特に目立つのはイラクへの10億ドルの軍事援助計画とペルーへの2億5000万ドルの航空機売却で,経済援助の主な対象はアラブ,特にアルジェリアとイラクが大口で,さらにチュニジアと南イエメンに対する新規援助計画が目立っている。
DIA-602-1977-10-17-1ソ連1977年10月17日1970年代ソ連と北朝鮮の医学・保健協力協定,平壌で調印(ソ連のペトロフスキー保健相,13日に訪朝)。
DIA-602-1977-10-17-2ソ連1977年10月17日1970年代インドネシア訪問中のソ連商業会議所代表団のボリソフ団長は,76年の両国間の貿易はソ連側の輸出600万ドルに対し輸入は3600万ドルにのぼるので,均衡化をはかりたいと語る。インドネシア商工会議所のタヒア副会頭は,ソ連がインドネシアに銀行の連絡事務所を開設し,また工業見本市を開催することを示唆。
DIA-602-1977-10-17-3ソ連1977年10月17日1970年代中国の王幼平駐ソ大使,ソ連最高会議ゲオルガーゼ書記を訪問。(タス)
DIA-602-1977-10-19-1ソ連1977年10月19日1970年代ノーボスチ通信は,米国のマンスフィールド駐日大使が最近日本の再軍備増強への懸念を表明したことについて,「ワシントンは“子分”としての日本のアジアにおける過度の勢力拡張を抑え,同時にアジア諸国の“擁護者”としての米国の権威を示すという2つの目標を狙っている」と論評。
DIA-602-1977-10-21-1ソ連1977年10月21日1970年代インドのデサイ首相訪ソ――ソ連はブレジネフ書記長自ら空港の送迎に出て最大級の歓迎。26日,共同宣言発表,71年のソ印平和友好協力条約を基礎に両国関係を発展させる,78年までに互恵的経済協力の長期計画を作成することに合意した,などを明らかにした。21日の歓迎宴での演説で同首相は両国な緊密な関係を希望すると同時にインドの非同盟の立場を強調。
DIA-602-1977-10-21-2ソ連1977年10月21日1970年代ソ日協会代表団(団長=グジェンコ会長・海運相)来日(~31日)。26日同海運相は福田首相と会談。
DIA-602-1977-10-22-1ソ連1977年10月22日1970年代ソ連労組代表団(団長=サキャン・アルメニア労評議長)ラオスを友好訪問。
DIA-602-1977-10-22-2ソ連1977年10月22日1970年代ベトナムを訪問したスバロフ・ソ連共産党中央委宣伝・教育委員長,講演旅行を終え帰国の途に。
DIA-602-1977-10-24-1ソ連1977年10月24日1970年代ラオス・ソ連友好協会代表団(団長=カムスック・サイニャセン会長・農林相),モスクワ向け出発。
DIA-602-1977-10-25-1ソ連1977年10月25日1970年代シンガポールでソ連との合弁による東南ア最大の漁業基地の起工式。この事業にはソ連側はソブリブフロート,シンガポール側はマメマジェワ・マリスコ・アジアが参加,水揚げから加工までの一貫工場を3年間で完成させる。
DIA-602-1977-10-25-2ソ連1977年10月25日1970年代ソ連のバイバコフ副首相・ゴスプラン議長,モザンビークのサントゥシ経済計画・発展相と会談。
DIA-602-1977-10-25-3ソ連1977年10月25日1970年代モンゴルで写真展「10月革命と社会主義世界」開幕,ツェデンバル第1書記ほか首脳部が開幕式に列席。
DIA-602-1977-10-26-1ソ連1977年10月26日1970年代モルデイブ,ソ連の基地借用拒否――ナシル・モルディブ大統領は,ソ連が100万ドルで同国のガン島借用を申入れてきたが拒否したと記者会見で語る(北京放送)。30日付人民日報は,インド洋上の島国(ディエゴガルシアから200カイリ)である同政府のガン島基地借用拒否はソ連社会帝国主義のインド洋での拡張陰謀に対する痛打と論評。
DIA-602-1977-10-26-2ソ連1977年10月26日1970年代モスクワの友好会館でソ連対文連とソ中友好協会主催の「1945年の満州解放におけるソ連の役割を記念する夕べ」を開催。(タス)
DIA-602-1977-10-26-3ソ連1977年10月26日1970年代ソ連のレーニン中央博物館代表団,ベトナム訪問を終え帰国の途に。
DIA-602-1977-10-26-4ソ連1977年10月26日1970年代ソ連・ベトナム友好協会代表団(団長=チトフ宇宙飛行士・同会長),ハノイ入り。
DIA-602-1977-10-26-5ソ連1977年10月26日1970年代ビエンチャン国営書店で10月革命60周年記念ラオス・ソ連書籍・雑誌展示会開催。
DIA-602-1977-10-26-6ソ連1977年10月26日1970年代エジプト,対ソ軍事債務の返済10年停止――サダト大統領は,①ソ連は債務支払いの繰延べを拒否している,②兵器の供給をストップした,などの理由で,対ソ軍事債務の支払いを来年1月から10年間停止すると決定。エジプト側は対ソ軍事債務は約45億ドルと公式に発表している(このほかに貿易債務が約40億ドルあると西側外交筋は推定している)。
DIA-602-1977-10-27-1ソ連1977年10月27日1970年代ソ連援助で建設されたベトナムのホアンリエンソン省のギアロ紅茶加工工場が操業開始。日産13.9tの輸出用紅茶。
DIA-602-1977-10-27-2ソ連1977年10月27日1970年代ラオスの国防省クラブで10月革命60周年記念集会開催,カイソン首相が演説。
DIA-602-1977-10-27-3ソ連1977年10月27日1970年代インドのデサイ首相は帰国後の記者会見で,今回の訪ソでインドはソ連とだけ特に緊密な関係を築こうとしているのではないと述べ,他国との友好を損なうものではないと強調。
DIA-602-1977-10-27-4ソ連1977年10月27日1970年代中国の王幼平駐ソ大使,ソ連最高会議連邦会議シチコフ議長を訪問。(タス)
DIA-602-1977-10-28-1ソ連1977年10月28日1970年代マレーシアのザイナル・アビジン・ビン・スロング駐ソ特命全権大使,信任状提出。(タス)
DIA-602-1977-10-29-1ソ連1977年10月29日1970年代ベトナムの各大衆団体の指導者,10月革命60周年祝賀のため訪ソ。
DIA-602-1977-10-29-2ソ連1977年10月29日1970年代カイソン書記長・首相以下のラオス党・政府代表団,10月革命60周年記念式典出席のため訪ソの途に。
DIA-602-1977-10-29-3ソ連1977年10月29日1970年代ソ連高級党学校代表団(団長=ポポフ教授)ベトナム訪問を終え帰国の途に。
DIA-602-1977-10-30-1ソ連1977年10月30日1970年代ソ連企業,西側で急増――CIA報告書によると,資本主義経営方式によるソ連の西側での企業活動が急増,銀行,海運,漁業,保険,リース,販売などを含む48企業(70年には28社だった)が合弁およびソ連側全額出資企業として活動している。このうち73社が先進工業国,11社が発展途上国。
DIA-602-1977-10-30-2ソ連1977年10月30日1970年代プラウダ,「反ソ主義の陰にかくれて」と題する論評で,郡小平氏を名指しで激しく非難,中国軍の増強・近代化はソ連に矛先を向けるだけでなくすべての国の脅威となっていることを忘れるなと警告。
DIA-602-1977-10-30-3ソ連1977年10月30日1970年代インドのジャナタ党のスワミ国会議員は,ソ連の小麦借款の利息として小麦2万8000tを返済するのは不当とソ連を非難。
DIA-602-1977-10-31-1ソ連1977年10月31日1970年代プラウダ,インド共産党全国評議会(CPI)ダンゲ議長の10月革命とソ連との友好を讃える論文を掲載。
DIA-602-1977-10-31-2ソ連1977年10月31日1970年代ニュージーランドのマルドーン首相は同国200カイリ内の漁船操業をめぐる交渉で11月末にソ連の代表団を招くと発表。
DIA-602-1977-10-31-3ソ連1977年10月31日1970年代日ソ合弁の運輸会社「ニソトラ」の設立申請がこのほど提出された。新会社は日通,日新運輸倉庫,ジューロコンテナトランスポートが各17%,全ソ対外運輸公団が49%を出資するが,安全保障上懸念が残るとして認可には異論が出ている。
DIA-602-1977-10-31-4ソ連1977年10月31日1970年代ベトナムのレ・ズアン書記長モスクワ入り。
DIA-602-1977-11-01-1ソ連1977年11月01日1970年代北朝鮮の平壌でソ連展開幕(~22日)。
DIA-602-1977-11-01-2ソ連1977年11月01日1970年代モンゴルのツェデンバル第1書記以下の代表団,10月革命60周年記念式典参加のため訪ソ。
DIA-602-1977-11-01-3ソ連1977年11月01日1970年代中国の符浩駐日大使,ソ連のポリャンスキー駐日大使を表敬訪問。
DIA-602-1977-11-02-1ソ連1977年11月02日1970年代ソ連・ラオス友好協会代表団(団長=ゴンジェル同副会長・職業技術教育国家委員会副議長),ラオスを友好訪問。
DIA-602-1977-11-02-2ソ連1977年11月02日1970年代モンゴルでクレムリンにおける10月革命60周年祝賀集会の模様を“オルビタ(軌道)”宇宙中継システムによってテレビ放映。
DIA-602-1977-11-02-3ソ連1977年11月02日1970年代ソ連でラオス人民民主主義共和国創立2周年を記念して「ソ連・ラオス友好週間」始まる(~9日)。
DIA-602-1977-11-02-4ソ連1977年11月02日1970年代ベトナム訪問中のソ連政府代表団(団長=キクナー・ゼ・グルジア共和国第1副首相)ホーチミン市を訪問。同代表団はハノイでの革命60周年記念ソ連展開幕式出席のため来越していた。
DIA-602-1977-11-03-1ソ連1977年11月03日1970年代ソ朝友好協会代表団(団長=シーリン副会長・DOSAFF副議長),北朝鮮を訪問。
DIA-602-1977-11-04-1ソ連1977年11月04日1970年代ブレジネフ書記長,訪ソ中のベトナムのレ・ジュアン書記長とクレムリンで会談。
DIA-602-1977-11-04-2ソ連1977年11月04日1970年代ベトナムのハノイ南部のマト・ソン地区にソ連の援助で建てられた製麺工場落成式。
DIA-602-1977-11-05-1ソ連1977年11月05日1970年代ソ連対文連・ソ蒙友好協会代表団(団長=コナルイギン同友協副会長・ロシア共和国肉・乳工業相),10月革命60周年記念行事参加のためモンゴル訪問。
DIA-602-1977-11-05-2ソ連1977年11月05日1970年代トンガ王国のツポー4世,日本の企業に漁業権を与える交渉が整えばソ連に漁業権を与える気持ちはないと語った。同国王はまた,今年7月,ソ連の駐ニュージーランド経済担当官が道路建設機械,発電機,住宅建設資材の技術協力を申入れてきたが,トンガはコプラ,バナナとのバーター方式を提案し,話しは進んでいない,空港拡張はやりたいが,昨年4月の申し出以後ソ連は話しを持出さないと述べた。(朝日)
DIA-602-1977-11-05-3ソ連1977年11月05日1970年代ハノイのバ・ディン・ホールで10月革命60周年記念大集会。ファン・バン・ドン首相が開会の辞。
DIA-602-1977-11-06-1ソ連1977年11月06日1970年代訪ソを終え帰国したフィリピン高官によれば,ソ連はモロ民族解放戦線といかなる接触も持ったことがないとソ連の指導者は断言し,ソ連は少数民族の分離運動に反対するマルコス大統領を支持すると語った。(AFP)
DIA-602-1977-11-06-2ソ連1977年11月06日1970年代ラオスのビエンチャンで10月革命60周年記念大集会開催,数万人が参加。スファヌボン大統領以下の党・政府幹部が出席。
DIA-602-1977-11-07-1ソ連1977年11月07日1970年代カンボジアのキュー・サムファン国家幹部会議長,ブレジネフ最高会議幹部会議長あてに10月革命60周年の祝電。
DIA-602-1977-11-07-2ソ連1977年11月07日1970年代日本のテレビ朝日,モスクワの赤の広場における革命記念日祝賀行事を2時間にわたり宇宙中継,ブレジネフ書記長とのインタビューを録画で放映。(プラウダ)
DIA-602-1977-11-09-1ソ連1977年11月09日1970年代日本輸出入銀行は,ソ連向け大径鋼管輸出に対し先の1億ドルに加え更に約1億3000万ドルのバンクローン供与を決めた。このため大径鋼管輸出は合せて70万となった。
DIA-602-1977-11-10-1ソ連1977年11月10日1970年代日ソ民間原子力協定調印のため9日来日したソ連原子力利用国家委員会のペトロシャンツ議長は宇野科学技術庁長官を表敬訪問,その席で日本側に濃縮ウランの購入を促し,その代金でソ連側が日本の原子力プラントを買う意思があると表明。
DIA-602-1977-11-10-2ソ連1977年11月10日1970年代ベトナムのホーチミン市,レーニングラードと兄弟都市に。
DIA-602-1977-11-10-3ソ連1977年11月10日1970年代プラウダは,インド各地でインド共産党(CPI)の指導による物価上昇反対のデモが行われたと報道,CPIは総選挙で後退したが広範な大衆に大きな影響力を持っていると伝えた。
DIA-602-1977-11-11-1ソ連1977年11月11日1970年代ソ越科学技術協力小委員会第4回会議がモスクワで開催,78年の協力計画と同長期計画について討議,議事録に調印。
DIA-602-1977-11-13-1ソ連1977年11月13日1970年代ソマリア,対ソ友好協力条約破棄――ソマリアのハッサン情報相はモガジシオ放送を通じて同国がソ連と1974年締結した友好協力条約を破棄し,キューバと断交したと発表,またソ連の民間専門家,軍事顧問に7日以内の国外退去を求めた。
DIA-602-1977-11-14-1ソ連1977年11月14日1970年代ソマリアの首都モガジシオでソ連とキューバのエチオピア支持を糾弾する大集会が数万人を集めて開かれた。
DIA-602-1977-11-14-2ソ連1977年11月14日1970年代中国の王幼平駐ソ大使,ソ連最高会議民族会議ルーベン議長を訪問。(タス)
DIA-602-1977-11-15-1ソ連1977年11月15日1970年代タス通信はソマリア政府の対ソ友好協力条約破棄声明とソ連専門家の退去命令に対し,一方的措置と非難,いっさいの責任はソマリア側にあるとして,ソ連専門家全員の召還を決定したと発表。
DIA-602-1977-11-15-2ソ連1977年11月15日1970年代プラウダはクーデター後のタイ新政権の外交政策について,「より穏健な平和共存政策を推進し,特にインドシナ諸国との関係正常化を促すだろう」と現地観測筋は見ていると紹介,またクリアンサク将軍は「ソ連との関係,特に平等互恵の経済・貿易関係を発展させる,ソ連との間に解決できない困難はない」と語ったと報道。
DIA-602-1977-11-17-1ソ連1977年11月17日1970年代インドで10月革命60周年記念ソ連文化芸術祭開幕,チュンデル教育文化相が挨拶。ソ連からポポフ文化次官以下の代表団が参列。(タス)
DIA-602-1977-11-17-2ソ連1977年11月17日1970年代ソ連映画代表団(団長=ジュダノフ全ソ映画大学総長),北朝鮮を訪問。
DIA-602-1977-11-18-1ソ連1977年11月18日1970年代日ソ民間原子力協力協定,東京で調印――核融合,動力炉開発など基礎研究分野での協力を骨子とする同条約は,日本原子力産業会議(有沢広巳会長)とソ連原子力利用国家委員会(ペトロシャンツ議長)の間の民間協定で,有効期間は5年。
DIA-602-1977-11-18-2ソ連1977年11月18日1970年代ソ連の「社会主義工業」紙,サダト・エジプト大統領のイスラエル訪問決定について初論評,ジュネーブ和平会議を個々のアラブ諸国との分離協定にすりかえようとするイスラエルの思惑にはまったものと非難。
DIA-602-1977-11-20-1ソ連1977年11月20日1970年代ソマリア政府,タスとノーボスチの記者の国外退去を命令。(タス)
DIA-602-1977-11-21-1ソ連1977年11月21日1970年代アエロフロートのバンコク経由モスクワ=ビエンチャン定期空路開設。週2便。
DIA-602-1977-11-21-2ソ連1977年11月21日1970年代ベトナムにおけるソ連の供給した車両,機械,設備の整備に関する協力協定調印。
DIA-602-1977-11-22-1ソ連1977年11月22日1970年代ブレジネフ書記長は,メキシコで「ソ連文化の日」が革命60周年を記念して初めて挙行されたことに対しメキシコ人民に祝電を送った。(イズベスチヤ)
DIA-602-1977-11-23-1ソ連1977年11月23日1970年代ソ連,イスラエルと復交か――ソ連の世界経済国際関係研究所イノゼムツェフ所長はロンドンでソ連とイスラエルとの外交関係が遠からず再開されるとの見解を述べた。(毎日)
DIA-602-1977-11-26-1ソ連1977年11月26日1970年代ソ連,日中条約で“報復措置”を示唆――プラウダの評論員論文は,ソ連への攻撃を意図した覇権条項を含む日中条約を締結すれば,日本はその結果に対し重大な責任を負わなければならないと“報復措置”を示唆。
DIA-602-1977-11-28-1ソ連1977年11月28日1970年代シリアのハダム外相訪ソ。
DIA-602-1977-11-28-2ソ連1977年11月28日1970年代北朝鮮とソ連の科学技術協力小委員会第11回会議が平壌で開催され,議定書に調印。
DIA-602-1977-11-29-1ソ連1977年11月29日1970年代モスクワの友好会館でソ連・マレーシア協会第2回大会開催,会長にフェドロフ石油化学工業相再選。
DIA-602-1977-11-29-2ソ連1977年11月29日1970年代イエメン人民民主主義共和国(南イエメン)のアブデル・アドダリ駐ソ特命全権大使,信任状を提出。
DIA-602-1977-11-29-3ソ連1977年11月29日1970年代ソ連のポリャンスキー駐日大使は講演の中で,日ソ経済閣僚会議の設置促進を唱え,その主要議題は政府間の長期経済協力協定締結と融資問題にすべきだと語る。
DIA-602-1977-11-30-1ソ連1977年11月30日1970年代イズベスチヤはアルバニア解放33周年記念論文を発表,ソ連は1964年の10月中央委員会総会以後アルバニアとの関係正常化をくり返し訴えてきたと述べた。
DIA-602-1977-11-30-2ソ連1977年11月30日1970年代エチオピアのツェガイエ・メシャシャ駐ソ特命全権大使,信任状を提出。
DIA-602-1977-11-30-3ソ連1977年11月30日1970年代ソ連の権威筋は覇権条項を含む日中条約が締結されればソ連は200カイリ水域内の操業禁止などの具体的報復措置をとると発言。(共同)
DIA-602-1977-11-30-4ソ連1977年11月30日1970年代ミサイル駆逐艦,潜水艦など6隻からなるソ連艦隊が九州・五島列島沖を北上,海上自衛隊は監視体制に入った。
DIA-602-1977-12-02-1ソ連1977年12月02日1970年代ブレジネフ書記長,イラクのアジズ大統領特使と会談。
DIA-602-1977-12-02-2ソ連1977年12月02日1970年代スバンダリャン駐日ソ連通商代表部首席,「日ソ両国間で10~20年先を見通した経済協力計画,主にシベリア・極東地方の資源開発のための協力計画をつくる必要がある」と語る。
DIA-602-1977-12-02-3ソ連1977年12月02日1970年代ソ連でソ連・ラオス友好週間始まる(~9日)。諸行事に参加したラオス・ソ連友好協会訪ソ代表団(団長=ソンファバン・インタボン最高人民会議常務委員)9日帰国。
DIA-602-1977-12-02-4ソ連1977年12月02日1970年代ソ連対文連とソ中友好協会主催で,対中国援助に参加した経験を持つソ連専門家の集会をモスクワの友好会館で開催。かつてソ連援助で中国に250以上の大企業を建設したと強調。(プラウダ)
DIA-602-1977-12-02-5ソ連1977年12月02日1970年代ソ連・キューバ経済・科学技術協力委員会第8回会議の議定書ハバナで調印。同会議に出席したソ連のアルヒーポフ副首相,3日帰国。
DIA-602-1977-12-02-6ソ連1977年12月02日1970年代ソ連・モンゴル経済・科学技術協力委の科学技術常設小委員会第10回会議,モスクワで終了。
DIA-602-1977-12-02-7ソ連1977年12月02日1970年代カンボジアの在モスクワ外交団が最近ソ連から引揚げ,駐ソ大使館は窓ガラスが割れ,ほこりをかぶったまま放置されている。(AP)
DIA-602-1977-12-02-8ソ連1977年12月02日1970年代北京放送は,プラウダなどソ連各紙が日中条約調印に当って“報復措置”を示唆する論調を最近展開しているのに対し,このような脅迫は強権政治による内政干渉で,覇権主義の下心を露呈したものだと激しく非難。
DIA-602-1977-12-04-1ソ連1977年12月04日1970年代ベネズエラで初のソ連展開幕(~23日)――ソ連最高会議幹部会ハリロフ副議長(ソ連議会代表団長)挨拶,コスイギン首相のメッセージ代読。
DIA-602-1977-12-04-2ソ連1977年12月04日1970年代プラウダ,サダト・エジプト大統領の提唱した中東和平カイロ会議開催を非難,ソ連の不参加を表明。
DIA-602-1977-12-05-1ソ連1977年12月05日1970年代アンゴラのMPLA第1回大会でキリレンコ党政治局員挨拶。
DIA-602-1977-12-05-2ソ連1977年12月05日1970年代グロムイコ外相,中国の王幼平駐ソ大使と会談。
DIA-602-1977-12-08-1ソ連1977年12月08日1970年代ノーボスチ通信,「アジア集団安保」を強調――同通信のラブレンチェフ政治評論員は「アジア集団安保」が全欧会議と並んで世界平和の運命を決定するいまひとつの重要な構成要因だと述べ,この構想をブロック政策だというのは根拠のない非難だと反論,インド洋平和地帯化や「東南アジアを平和・自由・進歩の地帯」にというASEAN提案,シンガポールの「インド洋商業地帯」復活提案などはアジア集団安保への一段階になり得ると強調。
DIA-602-1977-12-08-2ソ連1977年12月08日1970年代ジャマイカのベンジャミン・アラン・リュシェン・クレール駐ソ特命全権大使が信任状を提出。
DIA-602-1977-12-09-1ソ連1977年12月09日1970年代モンゴルのツェデンバル第1書記,ソ連の党活動家代表団(団長=アバレンコ中央委員)と会見。
DIA-602-1977-12-09-2ソ連1977年12月09日1970年代韓国の朴東鎮外相は,同国政府はソ中両国との漁業協定締結の可能性をさまざまな角度から追及しているが,もし民間協定が可能ならば政府は反対しないと議会で答弁。
DIA-602-1977-12-11-1ソ連1977年12月11日1970年代エジプト政府がこのほどアレクサンドリア,ポートサイドおよびアスアンのソ連領事館閉鎖を宣言したことに対し,ソ連のポリャコフ駐エジプト大使はエジプト外務省に正式抗議。(タス)
DIA-602-1977-12-12-1ソ連1977年12月12日1970年代広東コンミューン50周年記念の夕ベ,ソ中友好協会と極東研究所の共催によりモスクワで開催。(タス)
DIA-602-1977-12-12-2ソ連1977年12月12日1970年代ソ連がリビアに44万kWの原子力発電所を3億3000万ドルで建設する契約に調印。(WP)
DIA-602-1977-12-13-1ソ連1977年12月13日1970年代ソ連とインドの科学技術協力発展に関する議定書,デリーで調印。
DIA-602-1977-12-15-1ソ連1977年12月15日1970年代中国の廖承志中日友好協会会長は自民党議員に「中ソ関係緩和の兆しという報道はウソだ」と述べ,中ソ友好同盟条約はすでに「ないものと同じ」と語った。
DIA-602-1977-12-15-2ソ連1977年12月15日1970年代プラウダ,日本の園田外相が来年1月前半にソ連を公式訪問すると発表。
DIA-602-1977-12-16-1ソ連1977年12月16日1970年代日ソ・ソ日両漁業暫定協定延長に調印。ソ連水域での日本漁船への割当て85万t,日本水域でのソ連漁船への割当て65万tで妥結。
DIA-602-1977-12-17-1ソ連1977年12月17日1970年代釧路市の日ソ友好貿易会館開館式。(プラウダ)
DIA-602-1977-12-19-1ソ連1977年12月19日1970年代パトリチェフ対外貿易相,訪ソ中のラオスのマイスーク・サイソンフェン商工相と会談。
DIA-602-1977-12-20-1ソ連1977年12月20日1970年代オーストラリアのマレイ・ゴルベルン・メッデン・ブルシェ新駐ソ特命全権大使,信任状を提出。
DIA-602-1977-12-21-1ソ連1977年12月21日1970年代ソ連,マレーシア農業への援助を提唱――マレーシア訪問中(マ・ソ友好協会の招待)のソ連のボロジン農業次官は,ソ連はマレーシアの農業専門家養成や排水灌漑(概)など農業のあらゆる面で協力する用意があると発言,またソ連の合成ゴム生産は増大しているがマレーシアからの天然ゴム輸入は続けると語った。(ソ連の天然ゴム輸入の45~60%はマレーシアからで,年13~14万tとほぼ一定している)。
DIA-602-1977-12-22-1ソ連1977年12月22日1970年代キューバのカストロ首相,同国に寄港中のソ連艦隊を訪問,旗艦上でゴルシコフ海軍総司令官と会見。
DIA-602-1977-12-23-1ソ連1977年12月23日1970年代ビルマのウ・ジョー・ハイン新駐ソ特命全権大使,信任状を提出。
DIA-602-1977-12-23-2ソ連1977年12月23日1970年代ソ連の対ラオス1978年度経済援助協定,モスクワで調印。(タス)
DIA-602-1977-12-24-1ソ連1977年12月24日1970年代防衛庁は,核弾頭装備可能の新型ミサイルを積んだソ連爆撃機TU16「バジャー」2機が日本海上空を飛行,能登半島沖約83キロまで接近したと発表。
DIA-602-1977-12-25-1ソ連1977年12月25日1970年代パキスタンにソ連援助の鉄鋼コンビナート建設中――カラチ郊外30kmのピプリ村で,ソ連の経済・技術援助による大鋳鋼コンビナートの建設が始まっている。2年後には最初の生産が開始される予定。この工場に従事する予定の数千人の技師・労働者の大部分はソ連で教育・訓練を受けることになっており,すでにかなりの人数をソ連に派遣した。(プラウダ)
DIA-602-1977-12-29-1ソ連1977年12月29日1970年代プラウダ,インド国民会議派が分裂の危機に立っていると報道。
DIA-602-1977-12-30-1ソ連1977年12月30日1970年代インド共産党全国評議会(CPI)のダンゲ議長は議長および書記局員を辞任。
DIA-602-1978-01-02-1ソ連1978年01月02日1970年代『プラウダ』はカンボジアを非難するベトナム政府声明を全文掲載。
DIA-602-1978-01-03-1ソ連1978年01月03日1970年代タス通信は,中国がカンボジア軍の対越国境軍事行動に軍事顧問を参加させるなど,両国の紛争をあおっていると非難。
DIA-602-1978-01-03-2ソ連1978年01月03日1970年代バンコクのソ連筋は,カンボジア国内に反政府勢力が存在しており,カンボジアの言うベトナムの侵略とは,同勢力への間接的支援だ,とベトナム側の内政干渉を示唆。
DIA-602-1978-01-04-1ソ連1978年01月04日1970年代ソ連の旅客機IL62がハノイのツード国際空港に初着陸。モスクワ~ハノイ間12時間で,従来より6時間短縮。
DIA-602-1978-01-05-1ソ連1978年01月05日1970年代ソ連のフィリピン駐在ミハイロフ大使,信任状提出。
DIA-602-1978-01-06-1ソ連1978年01月06日1970年代同日付『プラウダ』は,ベトナム・カンボジア紛争に関するファン・バン・ドン・ベトナム首相の記者会見での発言を詳細に報道。
DIA-602-1978-01-06-2ソ連1978年01月06日1970年代モスクワ放送は旧ソ間に長期経済協力の原則に関する協定を結ぶ時期に来ている」と強調。
DIA-602-1978-01-06-3ソ連1978年01月06日1970年代『国際生活』誌1月号は,園田外相訪ソを前に「善隣と友好―ソ日両国の利益のために」と題する長大な論文を発表,「平和条約ないしはそれに類する条約」締結を提唱。しかし条約締結の最大条件として日本側の主張する対ソ領土要求が障害となっていると批判。また日中条約締結は北京の反ソ政策に加担するものだと牽制。
DIA-602-1978-01-07-1ソ連1978年01月07日1970年代『プラウダ』は日本における対ソ領土要求キャンペーンを非難。
DIA-602-1978-01-08-1ソ連1978年01月08日1970年代園田外相,日ソ定期外相会議のため訪ソ―9日から外相会談(~11日)。ソ連側は「ソ日善隣協力条約案」を提出したが,日本側は検討を拒否。北方領土問題で対立し,共同声明は見送り。
DIA-602-1978-01-08-2ソ連1978年01月08日1970年代全ソ船舶輸入公団が揚力8万トンの超大型浮ドックを石川島播磨重工に発注したことにつき,防衛庁筋はソ連海軍が53年中にも空母を極東に配備するのではないかと観測。
DIA-602-1978-01-08-3ソ連1978年01月08日1970年代『プラウダ』は「危険な情勢」と題するベトナム・カンボジア紛争についての論評を掲載,カンボジア軍の「攻撃行動」を非難,「緊張激化の支持者は危険な敵意の火元に油をそそぎ,この紛争を利用しようとしている」と中国を暗に批判。
DIA-602-1978-01-08-4ソ連1978年01月08日1970年代スリランカの首相特使ジャヤウイクレマ民事行政・内務相モスクワでコスイギン首相と会見。
DIA-602-1978-01-10-1ソ連1978年01月10日1970年代日本の運輸省は,ソ連海運の運賃ダンピング攻勢を規制する対抗立法の検討を開始。
DIA-602-1978-01-10-2ソ連1978年01月10日1970年代APN通信は,ベトナム・カンボジア紛争の責任は,北京に盲従するプノンペンの外交路線にあると非難。
DIA-602-1978-01-11-1ソ連1978年01月11日1970年代防衛庁はソ連海軍の新鋭ミサイル駆逐艦クリパックII型が枕崎沖を北上し,太平洋艦隊に配備された模様だと,同艦隊の増強ぶりを発表。
DIA-602-1978-01-11-2ソ連1978年01月11日1970年代『プラウダ』は,プレジンスキー米大統領補佐官のベトナム・カンボジア紛争は「中ソの間接的な衝突の初のケースだ」との発言を非難。
DIA-602-1978-01-13-1ソ連1978年01月13日1970年代『プラウダ』は北京指導部が華僑問題で会議を開き,彼らを通じてアジアで中国の外交路線を展開し,その資本を「四つの現代化」に利用するため,華僑の活動を活発化させようとしていると非難。
DIA-602-1978-01-14-1ソ連1978年01月14日1970年代『プラウダ』はモンゴルで1973年2月に創設されたソ連・モンゴル合弁企業「蒙ソ有色金属」(総支配人=N.M.ルーニン)の成果を讃え,社会主義的経済統合の模範と評価。
DIA-602-1978-01-16-1ソ連1978年01月16日1970年代クナエフ・ソ連共産党政治局員(最高会議幹部会員)を団長とする党・政府代表団,北朝鮮の招きで平壌に向かう。
DIA-602-1978-01-16-2ソ連1978年01月16日1970年代ソ連のメンデレビッチ特使,インドを訪問。バジパイ外相とインド洋の軍縮問題に関する協議を行う(~18日)。
DIA-602-1978-01-16-3ソ連1978年01月16日1970年代ソ連の対モンゴル技術援助で建設されるウランバートル=バヤン・ウルギー間無線通信幹線(約2000キロ)の中継ステーションの礎石式がおこなわれ,ツェデンバル首相が出席。(タス)
DIA-602-1978-01-18-1ソ連1978年01月18日1970年代北朝鮮の大化学センター咸興市の肥料コンビナートがソ連の援助で一新され,100万トン以上の化学肥料が生産されるようになった。(プラウダ)
DIA-602-1978-01-18-2ソ連1978年01月18日1970年代『プラウダ』はインド洋軍縮問題に関する「焦眉の問題」と題する長大な論評を発表。
DIA-602-1978-01-19-1ソ連1978年01月19日1970年代インド共産党国民評議会(CPI)のモヒト・セン中執は,今年の党大会の中心課題はインドの左翼勢力の統一戦線創設問題だとタス通信記者に語る。(同趣旨タス報道は30日にも)
DIA-602-1978-01-20-1ソ連1978年01月20日1970年代平壌訪問のソ連党・政府代表団,金日成主席にブレジネフ書記長の親書を手交,レーニン勲章を贈呈。
DIA-602-1978-01-20-2ソ連1978年01月20日1970年代『人民日報』は,タス通信の中国軍事顧問がカンボジア軍に参加していると報道を否定。
DIA-602-1978-01-20-3ソ連1978年01月20日1970年代米ソ・インド洋軍縮交渉のソ連代表メンデレビッチ氏,スリランカを訪問。同外務省で同問題を協議(~23日)。
DIA-602-1978-01-20-4ソ連1978年01月20日1970年代『極東の諸問題』誌は「極東の真珠」と題する南千島の開発状況についての論文を発表。
DIA-602-1978-01-21-1ソ連1978年01月21日1970年代『イズベスチヤ』は中国の「三つの世界」論を批判するニコラエフ署名の長文の論文を掲載。
DIA-602-1978-01-21-2ソ連1978年01月21日1970年代モスクワ外交筋によると,ソ連当局は外国人に旅行を禁じていた都市,地域の多くを開放するとともに,カザフ,キルギス,アムール地方など中国国境地域への旅行の禁止を決定。
DIA-602-1978-01-22-1ソ連1978年01月22日1970年代『プラウダ』は,タイのクリアンサク首相がソ連との友好関係発展を望み,東南アジアの平和と中立に対するソ連の政治的支持の重要性を指摘したと報道。
DIA-602-1978-01-23-1ソ連1978年01月23日1970年代インドを訪問したソ連対外友好文化交流協会連合会代表団,デサイ首相と会見。
DIA-602-1978-01-23-2ソ連1978年01月23日1970年代東京で日ソ科学技術協力委員会の第1回委員会開催。「原子力」「農業」の2分野の専門家会議がおこなわれたが,具体的協力項目は煮つまらず。
DIA-602-1978-01-24-1ソ連1978年01月24日1970年代日米安保問題会議の席上,米側がソ連は80年には空母を極東に配備し,バックファイアー戦略爆撃機も近く配備すると通告したことを,同会議出席者筋が表明。
DIA-602-1978-01-25-1ソ連1978年01月25日1970年代ブレジネフ,コスイギン両首脳,インドの共和国記念日に祝電。モスクワでも記念集会開催,クズネツォフ政治局員候補・最高会議幹部会第1副議長らが出席。
DIA-602-1978-01-25-2ソ連1978年01月25日1970年代『プラウダ』のゲオルギエフ論文は,「中共第11回大会後,中国の指導者はますます激しくソ連の平和愛好対外政策を攻撃している」と非難。
DIA-602-1978-01-25-3ソ連1978年01月25日1970年代タス通信は中国の『解放軍報』の“風派”“溜派”“震派”批判に関して「権力闘争が依然として激化している」と報道。
DIA-602-1978-01-26-1ソ連1978年01月26日1970年代バングラデシュ・ソ連友好協会主催による外交関係樹立6周年記念行事,ダッカで挙行。
DIA-602-1978-01-27-1ソ連1978年01月27日1970年代ブレジネフ議長,タイの国家祝日に国王あて祝電。
DIA-602-1978-01-28-1ソ連1978年01月28日1970年代日本外務省は,ソ連原子炉衛星のカナダ墜落に関連し,事前通報がなかったと駐日ソ連大使館に抗議。
DIA-602-1978-01-28-2ソ連1978年01月28日1970年代ソ連軍高官,ラオス訪問―パブロフスキー国防次官兼地上軍総司令官を団長とするソ連軍事代表団がラオス公式訪問のため出発。29日,カムタイ・シパンドン国防相と会談。
DIA-602-1978-01-28-3ソ連1978年01月28日1970年代カケエフ・ソ連対外貿易銀行副総裁以下のソ連代表団がインドを訪問,ルピー・ルーブル交換率について交渉。
DIA-602-1978-01-29-1ソ連1978年01月29日1970年代インドのバジパイ外相,「中国がインドの記者団を中国へ招待した」と発表。
DIA-602-1978-01-29-2ソ連1978年01月29日1970年代日本社会党系の日ソ友好4団体の代表団が訪ソ(松井対文協理事長,横山日ソ親善協会理事長,角屋日ソ議連事務局長,横川日ソ貿易会会長)。
DIA-602-1978-01-30-1ソ連1978年01月30日1970年代ソ連筋によると,北方4島など南千島の長期的総合開発に関する会議が開かれ,巨額の開発資金投入の閣議決定が行われた。
DIA-602-1978-01-31-1ソ連1978年01月31日1970年代タス通信は,鄧小平・中国副首相のビルマ,ネパール訪問は「アジアにおける覇権主義の強化」をめざすものだと論評。
DIA-602-1978-01-31-2ソ連1978年01月31日1970年代モスクワでソ連の対ベトナム海上輸送協力に関する会議議事録に調印(78度の貨物輸送量合意)。
DIA-602-1978-02-01-1ソ連1978年02月01日1970年代『プラウダ』は日本の軍事力強化と日米軍事同盟の拡大を批判するクラシン論文を発表(2.7付『イズベスチヤ』も同趣旨論文)。
DIA-602-1978-02-01-2ソ連1978年02月01日1970年代『イズベスチヤ』は,稲村総務長官の北方領土視察を,日ソ関係発展の妨害者を利するだけと非難。
DIA-602-1978-02-02-1ソ連1978年02月02日1970年代『プラウダ』は,モンゴルの燃料エネルギー省や農業省など16の省がソ連の対応各省と「直接的関係」を打ち立て,ソ連の省はそれぞれウランバートルに出先機関を設置して年間計画を共同で定め,各省で共同作業を行っているおかげで,大きな成果をおさめていると報道。
DIA-602-1978-02-02-2ソ連1978年02月02日1970年代『プラウダ』の国際評論欄はシャム湾で行われているタイ海軍と米英の合同演習を,米国がASEANを軍事同盟化する企みの一環と非難。最近米国がタイへの経済援助を増大させ,ウォークリー大統領補佐官がこれら諸国を歴訪したのは,タイ新政権を含めASEAN諸国が次第に独立した外交路線を展開し始めたからだと論評。
DIA-602-1978-02-02-3ソ連1978年02月02日1970年代ブレジネフ議長,ビルマ独立30周年でネ・ウイン大統領に祝電。
DIA-602-1978-02-02-4ソ連1978年02月02日1970年代ソ連政府は日本政府に対し,「原子炉衛星はアリューシャン列島周辺で大気圏に突入の予定で,日本に事前通告する必要は認めなかった」と回答。
DIA-602-1978-02-02-5ソ連1978年02月02日1970年代ニリューチン・ソ連高等・特別中等教育相インドを訪問。チュンデル・インド教育相と両国の大学による合同科学研究プロジェクトについて協議。
DIA-602-1978-02-03-1ソ連1978年02月03日1970年代ソ連は1978年中にインドに原油150万トン(約1億3500万ドル)を輸出する協定をニューデリーで締結(対印原油輸出量として最高)。
DIA-602-1978-02-04-1ソ連1978年02月04日1970年代タイ外務省筋,これまで拒否してきたソ連武官のバンコク駐在を許可したと発表。タイ武官のソ連駐在も認められる。
DIA-602-1978-02-06-1ソ連1978年02月06日1970年代イリイチョフ駐タイ大使,クリアンサク首相と会談,文化協定締結と舞踊団の相互派遣を提唱。クリアンサク首相は,同協定調印の前に国家安全保障会議と内閣とで十分協議しなければならないと記者団に語る。
DIA-602-1978-02-06-2ソ連1978年02月06日1970年代インドの駐ソ大使,コスイギン首相を訪問,ブレジネフ書記長,コスイギン首相への訪印招待状を手交。
DIA-602-1978-02-07-1ソ連1978年02月07日1970年代イリイチョフ駐タイ大使,タイのナーム商務相にタイ産ホタル石購入量の大幅拡大の意向を伝えた。
DIA-602-1978-02-07-2ソ連1978年02月07日1970年代中ソ国境アムール川地域で新たな衝突があったとの西側報道をタス通信は「でっち上げ」と否定。
DIA-602-1978-02-07-3ソ連1978年02月07日1970年代米ソのインド洋非武装化交渉(第4回),スイスで開始。
DIA-602-1978-02-07-4ソ連1978年02月07日1970年代ソ連オリンピック委員会代表団(団長=ラグンスキー副委員長),ラオス訪問(~11日)。
DIA-602-1978-02-07-5ソ連1978年02月07日1970年代スリランカ独立30周年記念集会,モスクワで開催。
DIA-602-1978-02-07-6ソ連1978年02月07日1970年代ソ連スポーツ体育委員会代表団(ラグンスキー団長),1週間のベトナム訪問を終了。
DIA-602-1978-02-08-1ソ連1978年02月08日1970年代ベトナム・カンボジア問題について,『プラウダ』は両国の話し合いによる平和解決を呼びかけ,ベトナムの「抑制と忍耐」を称賛する一方,カンボジアが交渉を拒否し武力攻撃をくり返していると非難。
DIA-602-1978-02-08-2ソ連1978年02月08日1970年代ラオス情報・宣伝・文化・観光省印刷出版局代表団(団長=プーシウォンサク局次長)ソ連訪問に出発。
DIA-602-1978-02-10-1ソ連1978年02月10日1970年代ベトナムとソ連の高等中等教育省間の協力協定(両国の学位,科学称号等の等格化協定)およびベトナム人のロシア語・文学学習に関する議定書,モスクワで調印。
DIA-602-1978-02-10-2ソ連1978年02月10日1970年代民社党佐々木委員長,ポリャンスキー大使と会談,「ソ連の対韓国政策」「日本のナショナリズム抬頭へのソ連の対応」等を含むアジアの地域安保構想について協議を行うことで一致。
DIA-602-1978-02-11-1ソ連1978年02月11日1970年代ソ連,フィリピンに低利の融資つきで原子力発電所建設の援助を申入れ(マニラ『デーリー・エクスプレス』)。なおバターン半島の同原発建設をめぐって,『プラウダ』(1・24付)は,米ウエスチング・ハウス社が11億ドルで契約したが実際の経費は3億2000万ドルにすぎないと,フィリピン実業家エルミノ・デシニ氏らをめぐるスキャンダルをくわしく報道していた。
DIA-602-1978-02-12-1ソ連1978年02月12日1970年代シャム湾での米・タイ合同演習と近く行われる南シナ海での米英合同演習はインドシナ情勢の激化に向けたものだと『プラウダ』が論評。
DIA-602-1978-02-13-1ソ連1978年02月13日1970年代日ソ漁業協力協定交渉(15日~)の松浦代表(水産庁海洋漁業部長)モスクワ着。
DIA-602-1978-02-14-1ソ連1978年02月14日1970年代ソ連経済代表団(団長=ルビエンコ対外経済関係国家委員会副委員長),ラオスを訪問(~18日)。17日,経済・技術援助協定調印。
DIA-602-1978-02-14-2ソ連1978年02月14日1970年代ソ連作家代表団(フォニヤコフ団長),ベトナムを訪問。
DIA-602-1978-02-14-3ソ連1978年02月14日1970年代レニングラード代表団(団長=ロマノフ党政治局員・レニングラード州第一書記)ベトナムへ出発。17日,姉妹都市関係を結んだホーチミン市訪問。
DIA-602-1978-02-14-4ソ連1978年02月14日1970年代ソ連平和擁護委員会がベトナム・カンボジア紛争に関するベトナム政府声明支持の声明を発表。15日には同AA連帯委員会,20日にはソ連・ベトナム友好協会も同様声明。
DIA-602-1978-02-15-1ソ連1978年02月15日1970年代外資審議会総会は日ソ合弁の輸送会社「日ソ国際輸送」(ニソトラ)の設立申請の不認可を決定。
DIA-602-1978-02-16-1ソ連1978年02月16日1970年代ハルデマン元米大統領補佐官は近著の中で,1969年の中ソ国境紛争の際にソ連は核兵器の先制攻撃をかけようとし,米国が思いとどまらせたと暴露(『ワシントン・ポスト』)。17日のタス通信はこれを全面否定。
DIA-602-1978-02-16-2ソ連1978年02月16日1970年代バングラデシュ貿易代表団(団長=マティル・ラーマン商業次官)訪ソ。22日,第7次貿易議定書に調印。
DIA-602-1978-02-16-3ソ連1978年02月16日1970年代ビエンチャンでラオス・ソ連友好協会創立2周年記念集会開催,ボンビチト副首相,サイナセン農相・同協会会長が挨拶。
DIA-602-1978-02-17-1ソ連1978年02月17日1970年代ブレジネフ議長,スリランカのジャヤワルデネ氏の大統領就任に祝電。
DIA-602-1978-02-17-2ソ連1978年02月17日1970年代モスクワでソ中友好協会第3回全国会議開催。中国革命に参加した元将兵,経済文化協力に参加した技師,教育関係者などが出席,党の対中国政策支持を声明。なお駐ソ中国大使館員も出席。
DIA-602-1978-02-18-1ソ連1978年02月18日1970年代ソ連共産党中央委宣伝部代表団(団長=シュブリク副部長),18日までベトナムを訪問。
DIA-602-1978-02-18-2ソ連1978年02月18日1970年代ベトナム人民軍代表団(団長=チャン・バン・チャ副総参謀長),ソ連海軍建軍60周年記念式典参加のためモスクワ向け出発。
DIA-602-1978-02-18-3ソ連1978年02月18日1970年代モスクワ放送はビルマ・ソ連国交樹立30周年を記念して友好と協力を強調。
DIA-602-1978-02-20-1ソ連1978年02月20日1970年代印ソの78年貿易議定書調印。78年の両国貿易高は昨年の90億ルピーを17%上まわる105億6000万ルピーとなる予定。
DIA-602-1978-02-20-2ソ連1978年02月20日1970年代ポリャンスキー駐日大使,安倍官房長官と会談,日中条約の内容や日本政府の姿勢をただした。
DIA-602-1978-02-22-1ソ連1978年02月22日1970年代北朝鮮の呉振宇国防相,ソ連建軍60周年記念行事参加のため訪ソに発つ。
DIA-602-1978-02-22-2ソ連1978年02月22日1970年代ポリャンスキー駐日大使,福田首相に会見,ブレジネフ議長の親書を手交。善隣協力条約の意義を強調。
DIA-602-1978-02-23-1ソ連1978年02月23日1970年代日ソ善隣協力条約案を公表―『イズベスチヤ』は1月の日ソ外相会談でソ連側が提唱した「ソ日善隣協力条約案」全文を公表,日本政府は検討拒否を確認。
DIA-602-1978-02-25-1ソ連1978年02月25日1970年代アルヒポフ副首相,インド訪問―ソ印経済協力協定の協議とソ連援助によるボカロ製鉄所第3熔鉱炉の火入れ式出席のため。
DIA-602-1978-02-25-2ソ連1978年02月25日1970年代『プラウダ』,ふたたび日本の軍国主義化傾向非難の報道。
DIA-602-1978-02-28-1ソ連1978年02月28日1970年代ベトナムの体育スポーツ総局代表団(団長=レ・ドク・チン局長),80年オリンピック組織委の招きで訪ソ。
DIA-602-1978-02-28-2ソ連1978年02月28日1970年代ソ連科学アカデミー東方学研究所で東方の詩人ムハマド・イクバル生誕100周年記念学術会議を開催,インド,パキスタン両国大使が出席。
DIA-602-1978-03-01-1ソ連1978年03月01日1970年代『プラウダ』はファン・バン・ドン・ベトナム首相のインド訪問とデサイ・インド首相との会談の成果は,アジアの平和に重要な意義を持つと強調する論評を発表。
DIA-602-1978-03-03-1ソ連1978年03月03日1970年代『プラウダ』は日ソ善隣協力条約案公表に対する園田外相らの発言に強く反発,「日本政府はソ連と敵対する道を歩む一方で,米国との同盟を強化し,中国と反ソ同盟を結ぼうとしている」と非難。
DIA-602-1978-03-04-1ソ連1978年03月04日1970年代インドネシア,ソ連と借款協定調印(ジャカルタ)。金額225.62万ドル,中部ジャワ,ムリチャ水力発電所企画設計作業用。
DIA-602-1978-03-06-1ソ連1978年03月06日1970年代ソ印第4回経済・科学・技術協力委員会終了―ソ連側代表アルヒポフ副首相,インド側バジパイ外相。合意事項:アンドラ・プラデシュ州のアルミナ・プラント建設協力,ピサカパトナムの熔鉱センター建設協力,トリプラの石油探査協力,ビライ,ボカロ両製鉄所の近代化協力など。
DIA-602-1978-03-06-2ソ連1978年03月06日1970年代ソ連は外務省は松原駐ソ公使に,日本政府の北方領土返還要求推進を非難する口上書を伝えた。これに対して同公使は20日,日本政府の反論の口上書を伝えた。
DIA-602-1978-03-06-3ソ連1978年03月06日1970年代『プラウダ』は中国の第5期全人代閉幕をくわしく報道,新憲法は「四つの近代化」を成文化すると同時に,毛沢東の個人崇拝を一層強固にすることを狙っている,と批判。
DIA-602-1978-03-06-4ソ連1978年03月06日1970年代『プラウグ』はバングラデシュ共産党30周年を称える論評を発表。同党はバングラデシュ独立に巨大な貢献をし,77年4月のジアウル大統領が発表した「19項目綱領」を基本的に支持し,経済的困難克服に協力したが,77年10月のクーデターに参加したとの偽りの口実で非合法化された,しかし同党は過去も現在も熱烈な愛国者である,と同党支持を表明。
DIA-602-1978-03-07-1ソ連1978年03月07日1970年代ブレジネフ議長とネ・ウイン・ビルマ大統領,両国外交関係樹立30周年で祝電交換。
DIA-602-1978-03-08-1ソ連1978年03月08日1970年代フィリュービン外務次官,シンガポールを訪問。リークアンユー首相らと会談。
DIA-602-1978-03-08-2ソ連1978年03月08日1970年代ソ連共産党中央委組織幹部代表団(団長=ラズウモフ組織部副部長),ベトナムを訪問。
DIA-602-1978-03-08-3ソ連1978年03月08日1970年代『プラウダ』は「米国はアジアからいかに“退去”しているか」と題する論評で,米国の現政権は「グアム」「太平洋」両ドクトリンを借用しつつ,実際には「パートナーシップ」思想の復活を図っていると米アジア戦略を批判。
DIA-602-1978-03-09-1ソ連1978年03月09日1970年代モンゴルも宇宙飛行士訓練―モンゴルのチャドラ・アカデミー会員は,ソ連政府が宇宙ロケットや基地の乗員にモンゴルを含めるよう提案したことに感謝し,すでに宇宙飛行士候補が選出され,訓練に入っていると述べた。(プラウダ)
DIA-602-1978-03-10-1ソ連1978年03月10日1970年代ブレジネフ議長は中国の葉剣英全人代常務委員長の就任に祝電。
DIA-602-1978-03-11-1ソ連1978年03月11日1970年代ブレジネフ議長とコスイギン首相はインド政府の招請を受諾,今冬訪問する旨を訪印したアルヒーポフ副首相を通じて伝達。
DIA-602-1978-03-11-2ソ連1978年03月11日1970年代フィリュービン外務次官,タイを訪問。
DIA-602-1978-03-12-1ソ連1978年03月12日1970年代米韓合同軍事演習「チーム・スピリット」に対し,『赤い星』は北朝鮮への大規模な軍事挑発で,在韓米軍撤退は全くの策略だと非難。
DIA-602-1978-03-13-1ソ連1978年03月13日1970年代フィリュービン外務次官,マレーシア訪問(~16日)。
DIA-602-1978-03-13-2ソ連1978年03月13日1970年代総評は今年から北方領土返還要求の国民運動展開を決め,同日の幹事会で9日に根室で全国集会開催を決定。
DIA-602-1978-03-14-1ソ連1978年03月14日1970年代モンゴルの首都にコメコン諸国の協力でスーパーマーケットを建設,その従業員180人はモスクワのスーパーで1ヵ月間の実習をおこなった。(プラウダ)
DIA-602-1978-03-15-1ソ連1978年03月15日1970年代ラオスのソト・フェトラシ駐ソ大使,信任状を提出。
DIA-602-1978-03-15-2ソ連1978年03月15日1970年代日ソ外相会議に関する『ノーボエ・ブレーミヤ』誌論文は,「領土問題は関連の国際諸協定で解決ずみ」との見解を改めて強調。(タス)
DIA-602-1978-03-16-1ソ連1978年03月16日1970年代ソ連・朝鮮経済文化協力協定29周年記念集会モスクワで開催。
DIA-602-1978-03-16-2ソ連1978年03月16日1970年代モンゴル訪問中のソ連軍代表団(団長=グサコフスキー上級大将),ツェデンバル議長と会見。モンゴル人民軍建軍57周年祝賀行事に参加。
DIA-602-1978-03-17-1ソ連1978年03月17日1970年代モンゴルのエンドン外務次官は,モスクワでマリツエフ外務次官と両国関係および国際問題について協議。
DIA-602-1978-03-18-1ソ連1978年03月18日1970年代タス通信はバンコクで行われたESCAPの終了について,参加各国は社会体制の如何にかかわらず全ての国との互恵関係の発展の必要性を強調,特にメコン・デルタ開発委員会の活動再開への努力を高く評価した,と報道。
DIA-602-1978-03-19-1ソ連1978年03月19日1970年代『プラウダ』はバンコク特派員のルポルタージュの中で,バンコク港に昨年入港した3000隻余の外国船の約10分の1はソ連船であったと報道。
DIA-602-1978-03-20-1ソ連1978年03月20日1970年代ソ連の関係正常化提案,中国が拒否―タス通信はソ連最高会議幹部会が中国全人代常務委員会あてに第5期全人代大会直前の2月24日に国家関係正常化を呼びかけるメッセージを送ったが,3月9日に中国側はこれを拒否する回答をよこしたと発表。同メッセージはハイレベルの代表団で早急に声明文をまとめることを提案,場所は北京でもよいとしている。
DIA-602-1978-03-20-2ソ連1978年03月20日1970年代インドのバフグナ石油化学相は東部油田開発用にソ連から受取った掘削パイプ1150トンの76%が欠陥品であると上院で報告。
DIA-602-1978-03-20-3ソ連1978年03月20日1970年代パキスタン外務省代表団(団長=ニヤズ・ナイク書記官),ソ連外務省で国連軍縮特別総会に関する諸問題で意見交換(~21日)。
DIA-602-1978-03-20-4ソ連1978年03月20日1970年代パキスタン商業省のM.マスード書記官はモスクワでパトリチェフ対外貿易相と両国の貿易・経済協力関係について会談。同日商品交換議定書に調印。1978年の両国の貿易は前年と比べ大幅に増大する予定。ソ連の対パ輸出は,トラクターを含む機械や設備,肥料,テレビその他で,パキスタン側は綿紡績や織物など民族産業の製品を輸出する。(イズベスチヤ)
DIA-602-1978-03-21-1ソ連1978年03月21日1970年代コスイギン首相はシベリアを経済視察。オレンブルグ,チュメニ,クラスノヤルスクの各州を歴訪(~27日)。
DIA-602-1978-03-22-1ソ連1978年03月22日1970年代ソ連ラオス友好協会代表団(団長=マスリン同協会会長),ラオス訪問(~29日)。
DIA-602-1978-03-22-2ソ連1978年03月22日1970年代スリランカ共産党第10回大会にソ連党代表団が出席,ボジュル団長(中央委員,モルダビア党第一書記)が挨拶。
DIA-602-1978-03-22-3ソ連1978年03月22日1970年代ハノイの住宅建設のためにソ連の援助で住宅建設コンビナート(能力10万平米)が建設中。(プラウダ)
DIA-602-1978-03-23-1ソ連1978年03月23日1970年代ソ連はシンガポールとの貿易不均衡是正のために,原綿,染料,新聞用紙,宝石,工業機械設備の輸出を目指し,すでに原綿処理工場や宝石研磨工場の建設をめぐってシンガポール当局と協議を開始した,とドクチャエフ在シンガポール通商代表が語る。
DIA-602-1978-03-23-2ソ連1978年03月23日1970年代バングラデシュの鉄鋼エンジニアリング公社,ソ連とエレクトロン技術援助議定書調印。
DIA-602-1978-03-23-3ソ連1978年03月23日1970年代インドのジャナタ党政権誕生1周年をむかえ,『イズベスチヤ』は,当初の「ソ印関係の悪化」という一部の憶測は同政権によってくつがえされ,両国の協力関係はインドの国益に合致するとの同政権の声明はその後も着実に実行されている,と強調。
DIA-602-1978-03-24-1ソ連1978年03月24日1970年代福田首相が日中条約交渉再開に踏切ったことに対し,タス通信は「一部勢力が北京の無法な圧力に屈服し始めていることを示す」と非難。
DIA-602-1978-03-26-1ソ連1978年03月26日1970年代ソ連書簡と中国の返書を中国が公表―『人民日報』はソ連最高会議幹部会が全国人民代表大会に送った中ソ関係正常化に関するメッセージ全文と中国側返書(3月9日付)およびこれに関する人民日報評論員論文発表。「ソ連が真に関係改善を望むなら国境のソ連軍を60年代初期の状況に戻すべきだ」と拒否,「ソ連提案の狙いは国際世論を欺くため」と非難。
DIA-602-1978-03-26-2ソ連1978年03月26日1970年代バングラデシュの油田探査へのソ連の協力は独立前の1962年から続けられ,現在9ヵ所のガス田が発見されている。(イズベスチヤ)
DIA-602-1978-03-27-1ソ連1978年03月27日1970年代ソ連サッカーチーム17人,バングラデシュ訪問。各地で親善試合。
DIA-602-1978-03-27-2ソ連1978年03月27日1970年代モスクワ放送は「鄧小平副首相のビルマ訪問終了の翌日にビルマ・中国国境地域のビルマ反徒の攻撃が始まった。口先で友好と善隣を唱えていたとき,北京は反徒の攻撃準備を援助していたのだ」と報道。
DIA-602-1978-03-28-1ソ連1978年03月28日1970年代ブレジネフ書記長はシベリア・極東地方視察のため,ウスチーノフ国防相らと汽車で出発。
DIA-602-1978-03-28-2ソ連1978年03月28日1970年代アリエフ・ソ連党中央政治局員候補・アゼルバイジャン党第一書記ら党代表団,インド訪問。31開かれるCPI党大会出席のため。
DIA-602-1978-03-28-3ソ連1978年03月28日1970年代クタホフ・ソ連国防次官兼空軍総司令官,インドを公式訪問。訪印中,レッディ大統領,ラム国防相と会見,各地の空軍基地視察。
DIA-602-1978-03-30-1ソ連1978年03月30日1970年代ソ連党機関誌編集局次長,ベトナム訪問を終え帰国。
DIA-602-1978-03-31-1ソ連1978年03月31日1970年代ブレジネフ書記長,チュメニ,オムスク視察ののちノボシビルスク着,党・経済活動家と懇談,ミサイル基地で同部隊の演習を観閲。
DIA-602-1978-03-31-2ソ連1978年03月31日1970年代ラオスの国土の70%を占める森林を探査・開発するためのソ連閣僚会議森林国家委員会の専門家による4ヵ月以上にわたる空からの調査が完了。(プラウダ)
DIA-602-1978-03-31-3ソ連1978年03月31日1970年代『イズベスチヤ』は,アメリカの在韓地上軍の撤退は,アジアにおける米軍事力を減退させるものではなく,また同軍撤退にかかわってソウルの軍事力近代化が促進されることによって朝鮮半島の緊張は一層激化する,と論評。
DIA-602-1978-03-31-4ソ連1978年03月31日1970年代北京・漢口鉄道労働者ストライキ55周年記念の夕べがソ連対文協,ソ中友好協会の主催でモスクワで開催。
DIA-602-1978-04-01-1ソ連1978年04月01日1970年代『プラウダ』は「現実と虚構―ソ中国境調整問題について」と題する大論文(無署名)を発表,「ソ中間にいかなる領土問題もない」と強調し,中国側が国境地帯からのソ連軍撤退を関係正常化の前提としたことに反論。
DIA-602-1978-04-01-2ソ連1978年04月01日1970年代『ニューヨーク・タイムズ』はウィーン駐在中国政府当局者の言明として,台湾とソ連の秘密交渉が同地で行われていると報道。なお台湾の権威筋はこの発言を否定。
DIA-602-1978-04-01-3ソ連1978年04月01日1970年代インドを公式訪問したソ連のクタエフ空軍総司令官がインドに最新鋭ミグ23の売却を提案したとインド紙が報道。
DIA-602-1978-04-01-4ソ連1978年04月01日1970年代インドを公式訪問中のソ連最高会議代表団(団長=シチコフ同連邦会議議長)はレッディ大統領,デサイ首相,バジパイ外相らと会談。
DIA-602-1978-04-01-5ソ連1978年04月01日1970年代パキスタン当局が政治活動禁止令を延長させたことについて,『プラウダ』は,国民各層の不満が強いため,パキスタン当局は民主的自由を制限し,大資本の活発化を促していると報道。
DIA-602-1978-04-02-1ソ連1978年04月02日1970年代中国の葉剣英・全人代常務委員長がブレジネフ議長に感謝の返電。(タス)
DIA-602-1978-04-02-2ソ連1978年04月02日1970年代イシコフ農業相,ニュージーランド訪問。4日新漁業協定調印。
DIA-602-1978-04-03-1ソ連1978年04月03日1970年代シベリア視察中のブレジネフ書記長はウスチノフ国防相とチタのサバイカル軍管区司令部を訪問,軍幹部と戦闘準備体制,政治教育について話し合った。
DIA-602-1978-04-03-2ソ連1978年04月03日1970年代ウォロンツォフ新駐印大使,信任状提出。
DIA-602-1978-04-03-3ソ連1978年04月03日1970年代ラオスのナムグム高圧送電線建設の技術的・経済的調査のためのソ連援助に関する議定書がビエンチャンで調印。
DIA-602-1978-04-04-1ソ連1978年04月04日1970年代タス通信は,金丸防衛庁長官が国会答弁で“ソ連の軍事的脅威”を強調したことを非難。
DIA-602-1978-04-05-1ソ連1978年04月05日1970年代ブレジネフ書記長,ハバロフスクで陸・空軍の特別軍事演習を視察。
DIA-602-1978-04-05-2ソ連1978年04月05日1970年代ベトナム政府はモスクワ大学に「友好」勲章を贈呈。グエン・フイ・キエウ駐ソ大使は,ベトナム留学生がすでに数千人もソ連の大学・専門学校を卒業,そのうちモスクワ大学卒業生は700人余で,さらにそのうちの120人は博士または修士になっていると感謝。
DIA-602-1978-04-06-1ソ連1978年04月06日1970年代ブレジネフ議長,「パキスタンの日」にあたりチョードリ大統領に祝電。
DIA-602-1978-04-07-1ソ連1978年04月07日1970年代シベリア視察中のブレジネフ書記長は,ウスチノフ国防相,ゴルシコフ海軍総司令官と太平洋艦隊の海上演習を視察,巡洋艦「セニャビン提督」号上で演説,SALTIIでソ連に不利な条件は受入れないと強調,中性子爆弾は攻撃的核兵器だと米国に警告。
DIA-602-1978-04-10-1ソ連1978年04月10日1970年代『プラウダ』は,3日にブリュッセルで調印された中国・欧州共同体(EC)貿易協定を北京とNATOの軍事脇力の前ぶれと非難。
DIA-602-1978-04-11-1ソ連1978年04月11日1970年代中川農相はモスクワで行われている日ソ漁業交渉に出席のため訪ソ。
DIA-602-1978-04-11-2ソ連1978年04月11日1970年代在日ソ連大使館は日本語広報誌『今日のソ連邦』創刊20周年記念レセプションを開催。
DIA-602-1978-04-11-3ソ連1978年04月11日1970年代バングラデシュのゴラサル火力発電所に対するソ連援助の協定調印。
DIA-602-1978-04-11-4ソ連1978年04月11日1970年代アエロフロートはこのほどモスクワ=平壌間の途中無着陸直航便(IL62型)を開設。これまで同航路にはTU154型が就航,途中何度も着陸していた。
DIA-602-1978-04-11-5ソ連1978年04月11日1970年代ラオスはソ連から放送局,技術専門学校などの建設で援助を受けており,さらにフアパン州のネン河の車道橋やビエンチャンの近代的ホテルがソ連の援助で建設中であると,サナン・スチャク通信・公共事業・運輸相がプラウダ特派員に語った。
DIA-602-1978-04-12-1ソ連1978年04月12日1970年代シンガポールのケッペル造船所は全ソ船舶輸入公団とソ連船8隻(1050万Sドル)の修船契約に調印。
DIA-602-1978-04-12-2ソ連1978年04月12日1970年代シンガポールのコンセシオ駐ソ大使は,ハイジャック防止協定と民間航空の安全妨害行為防止協定の批准書をソ連政府に寄託。
DIA-602-1978-04-17-1ソ連1978年04月17日1970年代中国・ソ連の1978年度バーター支払協定調印。
DIA-602-1978-04-18-1ソ連1978年04月18日1970年代ソ連観光代表団がラオス友好訪問(~5月3日)。
DIA-602-1978-04-18-2ソ連1978年04月18日1970年代バングラデシュでソ連映画祭(於ダッカ,1週間)。
DIA-602-1978-04-19-1ソ連1978年04月19日1970年代ラオス人民革命青年同盟代表団,コムソモール第18回大会出席のためモスクワ向け出発。
DIA-602-1978-04-20-1ソ連1978年04月20日1970年代日ソ漁業交渉妥結,21日調印。中川農相は21日,コスイギン首相と会談。
DIA-602-1978-04-20-2ソ連1978年04月20日1970年代『プラウダ』はモンゴル政府の中国政府あて覚書(4.12付)を支持する論評を載せ,中国がモンゴル併合の意図を何度も公然と表明し,国境近くに大軍を集結させていると非難,ソ連はモンゴル政府の要請により,両国の友好協力相互援助条約に基づいてソ連軍を駐留させているが,これが中国の安全を侵すものでないことは過去11年間が証明していると主張。
DIA-602-1978-04-20-3ソ連1978年04月20日1970年代『プラウダ』のヤコブレフ政治評論員は,尖閣列島問題についての論評の中で,毛沢東は1965年8月に「われわれは南ベトナム,タイ,ビルマ,マレーシア,シンガポールなどを含む東南アジアを手に入れなければならない。この地域は天然資源が豊富であり……,将来中国の工業発展に大いに役立つ」と述べたと指摘,「露骨な拡張主義以外の何ものでもない」と非難。
DIA-602-1978-04-21-1ソ連1978年04月21日1970年代大韓航空の旅客機がソ連領内に強制着陸させられた,と米国務省が韓国政府に通知。同夕,コスイギン首相は訪ソ中の中川農相と会談の際,「同機が違反を犯したので着陸を命じたが応ぜず,2時間半後にムルマンスク南方ケミ市の凍結湖に着陸した」と語る。タス通信も同夜事件を発表,原因調査中と報道。ソ連と国交のない韓国の依頼で米国が折衝。
DIA-602-1978-04-22-1ソ連1978年04月22日1970年代バンコクの外交筋によると,最近ハイフォン港へのソ連貨物船入港が激増,他国船の荷揚が1ヵ月近くストップしている。同筋は貨物の一部がカンボジアとの紛争に使われる武器・弾薬類ではないかと見ている。
DIA-602-1978-04-22-2ソ連1978年04月22日1970年代ベトナムのホーチミン共産主義青年団代表団,コムソモール第18回大会出席のためモスクワ向け出発。
DIA-602-1978-04-23-1ソ連1978年04月23日1970年代強制着陸の大韓航空機の乗客,米PANAM機でヘルシンキに到着。同機はソ連のミグ戦闘機に迎撃され,乗客・乗員110名中2名(日本人1名)が死亡,13人が重軽傷。日本人乗客は24日東京へ戻る。
DIA-602-1978-04-23-2ソ連1978年04月23日1970年代レーニングラード歌舞団がベトナムのホーチミン市を訪問(~5月3日)。
DIA-602-1978-04-24-1ソ連1978年04月24日1970年代韓国の朴大統領は大韓航空機事件で「ソ連政府の友好的な措置に感謝する」との特別談話発表。
DIA-602-1978-04-24-2ソ連1978年04月24日1970年代バングラデシュのタバラク・フセイン外務次官訪ソ,マリツェフ第1外務次官と会談(~29日)。
DIA-602-1978-04-26-1ソ連1978年04月26日1970年代大韓航空機事件につきソ連当局筋は,同機が電子機器でスパイ飛行中と判断し,ミサイルを発射して強制着陸させたと語る。(WP)
DIA-602-1978-04-26-2ソ連1978年04月26日1970年代中ソ国境交渉のソ連代表イリイチョフ外務次官ら北京入り。
DIA-602-1978-04-26-3ソ連1978年04月26日1970年代ソ連のウラジオストク市代表団,ベトナム訪問を終え帰国。
DIA-602-1978-04-27-1ソ連1978年04月27日1970年代アフガニスタンでクーデター―カディル中将の率いる軍部によるクーデターで,ダウド大統領は射殺。日本の各紙はダウド政権のソ連離れの傾向に対する親ソ派の巻き返しと報道。30日,革命評議会議長にタラキ氏を指名,アフガニスタン民主共和国と改称。
DIA-602-1978-04-30-1ソ連1978年04月30日1970年代ソ連,「アフガニスタン民主共和国」を承認。(カプール放送)。クーデター後のタラキ新政権承認はソ連が初めて。
DIA-602-1978-04-30-2ソ連1978年04月30日1970年代大韓航空機の金暢圭機長ら2名は国外追放処分で,レニングラードからコペンハーゲンに到着。
DIA-602-1978-04-30-3ソ連1978年04月30日1970年代ソ連・パキスタン外交関係樹立30周年(5月1日)を控えて,『イズベスチヤ』は,現在同国で使っているトラクター,テレビの4分の1はソ連製であり,石油の6分の1はソ連援助で開発された油田からのものであり,またソ・パ経済協力の最重要プロジェクトはカラチ製鉄所である,と報道。
DIA-602-1978-04-30-4ソ連1978年04月30日1970年代ソ連政府からラオス政府への贈り物として多量のワクチンと医療器具の贈呈式がビエンチャンで挙行。
DIA-602-1978-05-02-1ソ連1978年05月02日1970年代『プラウダ』は英国のキャメロン国防幕僚本部議長が北京で1日に「ソ連は英中両国共同の敵」と発言したことを強く非難,英国政府の釈明を要求。
DIA-602-1978-05-04-1ソ連1978年05月04日1970年代中ソ国境交渉,北京で再開。
DIA-602-1978-05-05-1ソ連1978年05月05日1970年代ブレジネフ書記長とコスイギン首相,アフガニスタンのタラキ革命委員会議長,首相就任に祝電。
DIA-602-1978-05-05-2ソ連1978年05月05日1970年代バングラデシュはソ連と石油・ガス専門家の調査部門での協力契約調印。
DIA-602-1978-05-05-3ソ連1978年05月05日1970年代北朝鮮へのソ連の技術援助で清津のキムチャク(金策)製鉄所の拡張工事が行われており,そこに参加しているソ連の技師,労働者の中の243人が朝鮮政府から勲章を授与された。
DIA-602-1978-05-05-4ソ連1978年05月05日1970年代『イズベスチヤ』はASEANをめぐる米日中3国の野望を批判する論評を発表,ソ連やベトナムとの協力によってこそ,同地域の主権と平和が保持されると主張。
DIA-602-1978-05-05-5ソ連1978年05月05日1970年代パキスタンとソ連外交関係樹立を記念するパキスタン社会団体の祝賀集会がカラチで行われた。 7日 パキスタンのカラチで「平和と創造の国=ソ連」写真展開催。
DIA-602-1978-05-09-1ソ連1978年05月09日1970年代ソ連労組中央評議会のマキアピチェス首席代表,ベトナム労組総同盟第4回大会で演説し,ベトナム・カンボジア問題でのベトナム提案に対するソ連勤労人民の全面的支持を表明。
DIA-602-1978-05-10-1ソ連1978年05月10日1970年代中国の華僑政策を批判―『文学新聞』は「北京は橋を架けている」という長文の論文で中国の華僑利用政策を詳細に批判。
DIA-602-1978-05-10-2ソ連1978年05月10日1970年代ラオスの教育スポーツ宗教代表団(団長=ウタマ・チュンラマニ次官)モスクワ着。23日,ソ連高等中等専門教育省との間で同格の卒業証明書の相互承認に関する議定書に調印。
DIA-602-1978-05-10-3ソ連1978年05月10日1970年代尖閣列島事件で日本政界内に日中条約早期調印をめぐる新たな対立が激化している,と『プラウダ』が報道。
DIA-602-1978-05-10-4ソ連1978年05月10日1970年代モンゴル,ソ連との軍事協力強調―モンゴルのツェデンバル議長ら首脳は,ソ連戦勝記念日にあたり,モンゴルのソ連軍基地を訪問,大衆集会で演説,中国がソ連軍のモンゴルからの撤退を要求しているが,同軍は主権国家モンゴル政府の要請によるものであり,中国の脅威は現実的なものだ,ソ蒙両国の軍事的・政治的同盟こそモンゴルの自由と独立の保障であると述べた。(タス)
DIA-602-1978-05-11-1ソ連1978年05月11日1970年代中国政府はソ連が9日,黒竜江省で国境を侵犯し,住民に危害を加えたと抗議の覚書手交。
DIA-602-1978-05-12-1ソ連1978年05月12日1970年代ソ連当局は,9日の中国国境侵犯事件で遺憾表明。
DIA-602-1978-05-12-2ソ連1978年05月12日1970年代ブレジネフ議長はインドネシアのスハルト大統領の再選に祝電。
DIA-602-1978-05-13-1ソ連1978年05月13日1970年代インドのバンガロールで開かれたソ印衛星専門家会議のソ連代表団長・ノビコフ・ソ連科学アカデミー副総裁は,ソ連はインドの第2人工衛星をソ連衛星基地から打上げる準備を整えたと語った。
DIA-602-1978-05-16-1ソ連1978年05月16日1970年代ソ連とアフガニスタンはカーブルで経済・技術協力拡大協定に調印。この協定に従い,ソ連は鉱物探査,鉱山せん孔コンビナート,銅精練コンビナート,大灌漑施設の建設に協力する。また同日,2000万ルーブルの借款協定も調印。
DIA-602-1978-05-16-2ソ連1978年05月16日1970年代韓国オリンピック委員会の金沢寿委員長は,ソ連が80年モスクワ・オリンピックに韓国記者12人の入国を許可したと発表。(サンケイ)
DIA-602-1978-05-17-1ソ連1978年05月17日1970年代タイ政府は,ハイジャック防止協定批准書と民間航空の安全妨害行為防止協定への加盟に関する文書をソ連政府に寄託。
DIA-602-1978-05-17-2ソ連1978年05月17日1970年代コスイギン首相,インドのグジラル駐ソ大使と会見。
DIA-602-1978-05-18-1ソ連1978年05月18日1970年代ソ連・アフガニスタン共同コミュニケ―アフガニスタン新政権のハフィズラ・アミン副首相兼外相はハバナに向う途次モスクワに立寄り,突然,グロムイコ外相との会談結果について共同コミュニケを発表,アフガン側は「偉大な隣人一ソ連とは兄弟的友好と善隣のきずなでしっかり結ばれている」と表明。
DIA-602-1978-05-18-2ソ連1978年05月18日1970年代アフガニスタンの政変についてノーボスチ通信の論評は,西側は「モスクワのしわざ」とか「南方の海への出口を求めるロシアの宿願」などというデマをふりまいているが,爆発の要因はなによりもまず国内に求められるべきだ,と述べ,73年の王制転覆後のダウド政権の一連の改革も実質上「結構な願望」の枠を出ず,階級的不平等は温存されていたと指摘,「四月革命」を民衆は歓呼して歓迎したと強調。
DIA-602-1978-05-18-3ソ連1978年05月18日1970年代日本政府は新駐ソ大使に魚本藤吉郎氏起用を決定。
DIA-602-1978-05-19-1ソ連1978年05月19日1970年代ベトナムのホーチミン市で,ソ連の建設した気象レーダー・ステーションが完成。
DIA-602-1978-05-20-1ソ連1978年05月20日1970年代バングラデシュとソ連の文化協定(78~79年)がダッカで調印。
DIA-602-1978-05-21-1ソ連1978年05月21日1970年代タイはソ連駐在武官にワンチャイ・チッチャムノン陸軍大佐を任命。(バンコク・ポスト)
DIA-602-1978-05-22-1ソ連1978年05月22日1970年代インド国防相訪ソ―インドのラム国防相,ウスチーノフ国防相の招きでソ連を公式訪問。26日AFPによると,これはインドの国防生産,特に最新型ミグ21の生産技術マスターにソ連の協力を求めるためである。
DIA-602-1978-05-22-2ソ連1978年05月22日1970年代ラオス・ソ連文化・科学交流計画調印。
DIA-602-1978-05-23-1ソ連1978年05月23日1970年代ラオス愛国婦人同盟代表団,モスクワでの国際婦人民主連盟会議に出席して帰国。
DIA-602-1978-05-24-1ソ連1978年05月24日1970年代アフガニスタン・ソ連貿易協定締結。アフガン側は天然ガス,綿,羊毛,皮革,ナッツ,柑橘類,オリーブ,カーペットなどを輸出し,機械,施設,石油製品,自動車タイヤ,セメント,砂糖,家庭用具,文化用品などを輸入する。
DIA-602-1978-05-27-1ソ連1978年05月27日1970年代ラオスにソ連レーダー基地―タイの軍高官筋によると,ラオスのサバナケツトに大規模なレーダー基地がソ連の手で建設され,ソ連人技術者が配置されている。
DIA-602-1978-05-28-1ソ連1978年05月28日1970年代バングラデシュの婦人代表団,モスクワの国際婦入民主連盟会議から帰国。
DIA-602-1978-05-29-1ソ連1978年05月29日1970年代アフガニスタン,ソ連と石油・ガス開発協定をカーブルで調印。
DIA-602-1978-05-29-2ソ連1978年05月29日1970年代ベトナムのクアンニン省でソ連援助による小麦粉精粉コンビナートの建設開始。
DIA-602-1978-05-30-1ソ連1978年05月30日1970年代香港の『文匯報』は,ソ連がベトナムのトンキン湾近くのビン市南方96キロの炭鉱の町フォンケ近郊に,約半年前,弾頭を中国に向けた誘導ミサイル基地を建設したと報道。
DIA-602-1978-05-31-1ソ連1978年05月31日1970年代スリランカとソ連は,高等,中等教育終了資格を同等とすることを取決めた協定に調印。政府筋によると毎年300人の学生がソ連に留学している。
DIA-602-1978-05-31-2ソ連1978年05月31日1970年代アフガニスタンの『バフタル・ニュース』はタス通信との協力協定をカーブルで調印。
DIA-602-1978-06-01-1ソ連1978年06月01日1970年代ベトナムからの華僑大量帰国につき,『プラウダ』は初の本格的論評を行い,中国を非難。
DIA-602-1978-06-01-2ソ連1978年06月01日1970年代シンガポール・ソ連国交樹立10周年記念でラジャラトナム外相とグロムイコ外相がそれぞれメッセージを発表。
DIA-602-1978-06-02-1ソ連1978年06月02日1970年代ベトナム国連代表団はソ連ミサイル基地建設説を「意図的なデッチ上げ」と強く否定。
DIA-602-1978-06-04-1ソ連1978年06月04日1970年代ベトナムのディンソン・セメント工場の主要プロジェクトがソ連援助で建設中。(ハノイ国内放送)
DIA-602-1978-06-05-1ソ連1978年06月05日1970年代ベトナムへの天然資源開発援助計画に従って,今年,ソ連から有用鉱物の探査と採掘のための設備が大量に供給される。最も重要なのはソ連の専門家の参加で行われる石油と天然ガス資源の探査である。(モスクワ放送)
DIA-602-1978-06-05-2ソ連1978年06月05日1970年代トルスチコフ駐中国大使,離任に当り李先念副首相と会見。
DIA-602-1978-06-05-3ソ連1978年06月05日1970年代『プラウダ』は,中国がビルマで人種間不和をたきつけ,分離主義者をあおり,武器を供給し,財政的援助を与え,軍事顧問の数は増大しており,中国領内を彼らの後方基地として利用するのを許可している,と非難。
DIA-602-1978-06-05-4ソ連1978年06月05日1970年代モスクワでソ日協会第4回全国大会。グジェンコ海洋船舶相が会長に再選。
DIA-602-1978-06-05-5ソ連1978年06月05日1970年代ソ連軍参謀総長オガルコフ元帥,モンゴルを訪問。
DIA-602-1978-06-06-1ソ連1978年06月06日1970年代ベトナムのファン・バン・ドン首相,クレムリンでブレジネフ書記長と会談。
DIA-602-1978-06-06-2ソ連1978年06月06日1970年代ソ連保健省の対ベトナム援助として,①総合病院の設計を終えつつある,②いくつかの医療施設の設計と建設で技術援助,③ハノイ母子センター,医療センターの建設,④ソ連でのベトナム人医師の養成,⑤さまざまな病気の対策での協力,⑥マラリア対策でベトナム援助5ヵ年計画実施中,⑦大量の医薬品供与,⑧血清ワクチンの定期的輸送,⑨両国の学者の共同研究,情報交換,等を行なっている。(モスクワ放送)
DIA-602-1978-06-06-3ソ連1978年06月06日1970年代インドネシアのバンドンで開かれたソ連科学図書展示会の開会式に出席したカシマズ・ソ連大使館文化アタッシュは,「たしかに両国間の文化協力は貧弱であったが,最近は改善されている」と述べ,舞踊団の相互訪問を提唱。
DIA-602-1978-06-06-4ソ連1978年06月06日1970年代北京の消息筋によると,ベトナムは最近ソ連の援助でハイフォン近郊のホンガイ付近に戦術ミサイル基地を完成。
DIA-602-1978-06-06-5ソ連1978年06月06日1970年代『プラウダ』はラオス北東部のニョン川でのソ連援助による架橋工事のルポを掲載。
DIA-602-1978-06-07-1ソ連1978年06月07日1970年代ソ連が択捉島で上陸演習か―ソ連が6日から3週間の予定で開始した大規模な軍事演習について,栗栖統幕議長は記者会見で3軍統合の2000人以上を動員した渡洋演習が行われたと発表。一方,安倍官房長官は,ソ連から予告を受けた翌2日に日本固有領土の周辺での演習は不法だとソ連に中止を申入れたと発表。
DIA-602-1978-06-07-2ソ連1978年06月07日1970年代ラオス労組総同盟は全ソ労評より贈られた自動車12台をビエンチャンで受領。
DIA-602-1978-06-08-1ソ連1978年06月08日1970年代ソ連のニシャノフ駐スリランカ兼駐マルジブ大使離任。
DIA-602-1978-06-08-2ソ連1978年06月08日1970年代ソ連の択捉島大演習について,伊藤防衛局長は衆院で,防衛庁としては上陸演習とはまだ判断していないと答弁。また「防衛庁は中国を現実的脅威とは考えておらず,ソ連を対象とした防衛力整備の努力が中心となっている」と発言。
DIA-602-1978-06-09-1ソ連1978年06月09日1970年代タス通信は中国のベトナム援助取決め破棄決定を報じ,この一方的決定はベトナムへの乱暴な圧力を狙ったものと非難。
DIA-602-1978-06-09-2ソ連1978年06月09日1970年代『プラウダ』はベトナム華僑問題でふたたび中国非難論評を発表,ベトナムを全面支持。
DIA-602-1978-06-09-3ソ連1978年06月09日1970年代香港の『文匯報』は,ソ連が2年前ベトナムに対米戦勝利の余勢で,チェコ事件のような電撃戦で一気にカンボジアを占領するよう強調したが,ベトナムは国際的非難を恐れてやらなかったと報道。
DIA-602-1978-06-10-1ソ連1978年06月10日1970年代ベトナム華僑問題で中国の『人民日報』の評論員論文は「ベトナムの反中国活動の後押しをしているのはソ連だ」と公式にソ連を非難。
DIA-602-1978-06-10-2ソ連1978年06月10日1970年代香港の『文匯報』は,ソ連がラオスのサバナケットに大型レーダー基地を建設したと報道。
DIA-602-1978-06-11-1ソ連1978年06月11日1970年代『プラウダ』は,防衛庁伊藤圭一防衛局長の国会発言について,「日本の軍幹部がソ連を日本の主な仮想敵国にしていることを初めて公式に表明した」と非難。
DIA-602-1978-06-12-1ソ連1978年06月12日1970年代ラオス情報宣伝文化観光省とソ連メジクニーガ(国際図書公社)はビエンチャンで両国間の出版物流通に関する協定および議定書に調印。
DIA-602-1978-06-12-2ソ連1978年06月12日1970年代ネパールとの経済協力―『プラウダ』はネパールの現状紹介の記事中で「工業における国有部門」の大部分はソ連の経済・技術協力で建設された。その中には砂糖工場,農器具工場,タバコ工場,発電所があり,100キロ以上の道路や小児科病院も建設された」と指摘。
DIA-602-1978-06-12-3ソ連1978年06月12日1970年代北朝鮮で最初のアルミニューム工場がソ連の技術協力で北倉市に建設中。同工場の設計は全ソ・アルミニューム・マグネシューム研究所イルクーツク支部で行われ,イルクーツクの重機械工場などでつくられた設備の大部分はすでに配備し終っている。(プラウダ)
DIA-602-1978-06-12-4ソ連1978年06月12日1970年代中国の作家老舎の生誕80周年記念の夕べが,ソ中友好協会などの主催でモスクワで行われた。
DIA-602-1978-06-15-1ソ連1978年06月15日1970年代『プラウダ』はアレクサンドロフ署名の大論文「北京の政策は平和への脅威」を発表。
DIA-602-1978-06-15-2ソ連1978年06月15日1970年代タイでは前反動政権による社会主義国への渡航禁止が解かれ,今年はソ連に約400人の旅行者が訪れることになっている。(プラウダ)
DIA-602-1978-06-15-3ソ連1978年06月15日1970年代香港の『文匯報』は,ソ連艦隊がカムラン湾基地を占用し,現在ハイフォン港外のカクバ島にも海軍基地建設中であり,ベトナム政府の要請で西沙群島防衛にも協力していると報道。
DIA-602-1978-06-15-4ソ連1978年06月15日1970年代ソ連テレビはアフガニスタンのタラキ議長とのインタビューを放映,「ソ連は1度も同国に内政干渉せず,いっさいの政治的条件なしで全面的経済援助を与えてくれているので,両国関係はきわめて友好的である」と語る。
DIA-602-1978-06-15-5ソ連1978年06月15日1970年代インドネシア商工会議所は対ソ貿易拡大のため近く訪ソ代表団を派遣すると発表。
DIA-602-1978-06-15-6ソ連1978年06月15日1970年代OECD事務局は「ソ連の援助計画」と題する報告を発表。それによると75年のソ連の対途上国援助はその半分を占めるベトナムとキューバを加えても3億7500万ドル,GNPの0.04%に止まった。74年までは年5億8000万~7億2000万ドルでGNPの0.12%程度だった。
DIA-602-1978-06-15-7ソ連1978年06月15日1970年代『プラウダ』はブレジンスキー米大統領補佐官の訪中について論評,米国はソ連に対抗するために中国を積極的に利用しようとしていると非難。
DIA-602-1978-06-16-1ソ連1978年06月16日1970年代ラオスのビエンチャン郊外にソ連援助で建設された病院の引受式行わる。同病院の医師の多くはソ連で医学教育を受けている。
DIA-602-1978-06-16-2ソ連1978年06月16日1970年代ソ連のモスクワ人民銀行がこのほどシンガポールの中心街オーチャード通りの一流ホテル「コックピット」への融資のカタとして経営権を手に入れた,とシンガポール紙が報道。
DIA-602-1978-06-17-1ソ連1978年06月17日1970年代『プラウダ』は無署名の大論文「米国政府の現在の政策について」を発表。
DIA-602-1978-06-18-1ソ連1978年06月18日1970年代アフガニスタンに対するソ連の援助で建設されたカープル自動車機械技術専門学校の第1回卒業式挙行。(タス)
DIA-602-1978-06-19-1ソ連1978年06月19日1970年代ポリャンスキー大使は日中条約交渉再開に日中両国が合意したことに対し,強い反対を表明するソ連政府声明文を日本外務省に手交。
DIA-602-1978-06-19-2ソ連1978年06月19日1970年代タス通信はインド共産党(マルクス主義)をインドの「併立する(パラレル)共産党」と紹介,CPIM中央委員会声明はアフリカ問題で中国が帝国主義勢力を支持していると非難したと報道。
DIA-602-1978-06-19-3ソ連1978年06月19日1970年代北朝鮮とソ連の1978年度バーター支払いに関する議定書,モスクワで調印。
DIA-602-1978-06-20-1ソ連1978年06月20日1970年代モンゴル人民革命党代表団(団長=ダバフ中央委員会副部長),両党間の経験交流のため訪ソ。
DIA-602-1978-06-21-1ソ連1978年06月21日1970年代『プラウダ』は「華僑を東南アジア干渉の道具に使う北京」と題する論評を発表。
DIA-602-1978-06-22-1ソ連1978年06月22日1970年代米ソのインド洋軍拡競争制限交渉,モスクワで開始。
DIA-602-1978-06-22-2ソ連1978年06月22日1970年代中ソ国境交渉のイリイチョフ・ソ連代表(外務次官)ら代表団は,中国側招待で大慶油田など中国東北地方を訪問。
DIA-602-1978-06-22-3ソ連1978年06月22日1970年代イリイチョフ駐タイ大使離任,新大使にY.I.クズネツォフを任命。
DIA-602-1978-06-23-1ソ連1978年06月23日1970年代78~80年のベトナム・ソ連文化科学協力計画調印。(モスクワ)
DIA-602-1978-06-25-1ソ連1978年06月25日1970年代福田内閣が日中条約交渉再開に踏切ったことに対し,『イズベスチヤ』は,毛主義者と並んで米支配層が圧力をかけた,と非難。
DIA-602-1978-06-25-2ソ連1978年06月25日1970年代『プラウダ』は朝鮮人民との連帯月間にあたり,朝鮮の平和的民主的統一と南朝鮮からの外国軍隊撤去を支持する論評。
DIA-602-1978-06-26-1ソ連1978年06月26日1970年代中国援助によるパキスタンのカラコルム高山自動車道開通式への耿副首相の出席に対し,タス通信は「この道路は軍事物資輸送を主目的とするものだ」と批判。
DIA-602-1978-06-29-1ソ連1978年06月29日1970年代ベトナムのコメコン加盟,ブカレストのコメコン総会で正式に承認。
DIA-602-1978-06-29-2ソ連1978年06月29日1970年代中ソ国境国境交渉のイリイチョフ・ソ連首席代表帰国。
DIA-602-1978-07-01-1ソ連1978年07月01日1970年代『プラウダ』の論評は,日中条約交渉再開後,日本政府は北京の無理押しに譲歩の色を濃くしていると非難,「ソ連の敵の企図が実現した場合,ソ連側としては対日政策に相応の修正を行わざるを得ない」と警告。
DIA-602-1978-07-02-1ソ連1978年07月02日1970年代ベトナム社会主義共和国建国2周年で,ブレジネフ書記長,コスイギン首相がトン・ドク・タン大統領以下に祝電。
DIA-602-1978-07-02-2ソ連1978年07月02日1970年代アフガニスタンへの援助―アフガニスタンとソ連との友好関係についての『プラウダ』の論評は,両国間の経済,貿易,文化の諸協定締結によって,ソ連は①アイナークの銅選鉱・製銅コンビナート建設,②マザリ・シャリフの発電所,③石油,ガスその他の探査の拡大を行ない,貿易量を著しく拡大すると指摘。
DIA-602-1978-07-02-3ソ連1978年07月02日1970年代フィリピンのキアソン貿易相はモスクワに同国の貿易代表部を開設するとの声明をマニラで発表。ソ連の貿易代表部はすでにマニラに設置ずみ。(モスクワ放送)
DIA-602-1978-07-03-1ソ連1978年07月03日1970年代ベトナム社会主義共和国建国2周年記念集会がモスクワでソ連・ベトナム友好協会主催で挙行。
DIA-602-1978-07-03-2ソ連1978年07月03日1970年代米国政府筋は,ソ連がベトナムのカムラン湾を基地として使用している兆しはないことを明らかにした。一方,香港の『文匯報』は「ベトナムはソ連にカムラン湾への長距離ミサイル配備を許可した」と報道。
DIA-602-1978-07-03-3ソ連1978年07月03日1970年代中印関係正常化について―タス通信は,インドの世論は米中両国がインドの民族的利益を犠牲にした中印関係「正常化」を押しつけようとしていることに反撃を加えていると報道。
DIA-602-1978-07-04-1ソ連1978年07月04日1970年代ラオス教育スポーツ宗教省代表団(団長=ビシアン次官)はモスクワのソ連全国教員会議に出席して帰国。
DIA-602-1978-07-04-2ソ連1978年07月04日1970年代フィリピンのマルコス大統領夫人,モスクワのチャイコフスキー音楽祭の賓客として訪ソ(6月30日),コスイギン首相と会談。
DIA-602-1978-07-05-1ソ連1978年07月05日1970年代中国がベトナムに対する全援助打切りと技術者引揚げを決定したことについて,『プラウダ』は「ベトナムを北京の路線に従わせようとする新たな覇権主義の現れ」と非難。
DIA-602-1978-07-05-2ソ連1978年07月05日1970年代ソ連石炭産業省代表団(団長=シェドフ次官)がベトナム訪問。14日両国の石炭・鉱物協力文書に調印。
DIA-602-1978-07-05-3ソ連1978年07月05日1970年代タス通信はインドのクリシナンCPI書記が「北京はインドとの関係を改善しようとしているが,未だに中印国境問題の審議を表明せず,またナガやミゾの反乱部族への武器援助をやめない」と指摘したと強調。
DIA-602-1978-07-06-1ソ連1978年07月06日1970年代北朝鮮との経済協力―ソ朝友好協力相互援助条約調印17周年にあたり,『イズベスチヤ』は両国の友好関係について,①朝鮮にはソ連の協力で数十の企業,工業施設が建設,再建され,さらに間もなく20の新企業がこのリストに加えられる,②ソ連の協力で建設された巨大なキムチャク製鉄所には,鋼および圧延100万トンの生産能力を持つソ連製プラントが備えられ,現在生産能力を240万トンにまで増大させるための第2期工事が進行中,と報道。
DIA-602-1978-07-06-2ソ連1978年07月06日1970年代北朝鮮の金在奉駐ソ大使はソ朝友好協力相互援助条約17周年を記念してレセプションを開催,ソ連側からはアルヒポフ副首相,マリツェフ第1外務次官らが出席。 (タス)
DIA-602-1978-07-06-3ソ連1978年07月06日1970年代ベトナム文化情報省代表団(団長=グエン・バン・ヒエウ同大臣),モスクワの社会主義諸国文化相第9回会議に出席。
DIA-602-1978-07-06-4ソ連1978年07月06日1970年代ラオス文化代表団(団長=シサナ・シサン情報宣伝文化観光相)はモスクワの社会主義諸国文化相会議に出席。
DIA-602-1978-07-06-5ソ連1978年07月06日1970年代米CIA報告は「64年に始まったソ連の中ソ国境での軍備増強は67~77年の間に強化され,中ソ国境沿いに展開されているソ連兵力の軍備費は全国防費の10%強で,国防費全体の2倍の伸び率で増えている」と指摘。
DIA-602-1978-07-06-6ソ連1978年07月06日1970年代ソ連がソロモン諸島の独立を承認。
DIA-602-1978-07-07-1ソ連1978年07月07日1970年代ソ連もASEAN支持打出す―ソ連はこのほどバンコクのソ連大使館広報紙に「ASEANは今や受け入れるべき現実となった」というV.クドリャフツェフAPN評論員の論文を掲載,ベトナムに続いてASEAN支持を打出した。同論文はASEANの東南アジア平和・自由・中立地帯化構想を支持し,それはベトナム,ラオス,カンボジアなどにも拡大されるべきだと主張。(AFP)
DIA-602-1978-07-07-2ソ連1978年07月07日1970年代ソ連とフィリピンの文化協力協定がモスクワで調印。
DIA-602-1978-07-07-3ソ連1978年07月07日1970年代コスイギン首相,ベトナムのレ・タイン・ギ副首相兼国家計画委員会議長とクレムリンで会見。
DIA-602-1978-07-07-4ソ連1978年07月07日1970年代米国務省と国防省筋は,ソ連が最近北朝鮮の東海岸に海軍基地の建設を始めたとの情報を入手,確認を急いでいる。(読売)
DIA-602-1978-07-10-1ソ連1978年07月10日1970年代モンゴル人民革命57周年記念集会をモスクワで挙行。
DIA-602-1978-07-12-1ソ連1978年07月12日1970年代『イズベスチヤ』は「ASEANに対する圧力」と題する記事を掲載,ASEANの東南アジア平和・中立化構想を評価するとともに,ASEAN諸国がベトナム,ラオスの関係正常化の呼びかけに積極的に呼応したと指摘,一方,米中両国が東南アジアを自己の勢力圏に入れるため圧力をかけていると非難。
DIA-602-1978-07-13-1ソ連1978年07月13日1970年代タス通信は,中国の対アルバニア援助停止に関するアルバニア通信(ATA)の報道を掲載。
DIA-602-1978-07-14-1ソ連1978年07月14日1970年代インド政府スポークスマンは,ソ連がインドの原子力発電所に濃縮ウランを提供したとの『タイムズ・オブ・インディア』の報道を否定した。(AFP)
DIA-602-1978-07-15-1ソ連1978年07月15日1970年代ベトナムの党中央委農林部代表団(団長=ボー・トゥック・ドン同部長)両党間交流のため訪ソ。
DIA-602-1978-07-16-1ソ連1978年07月16日1970年代中国覇権主義を批判―『プラウダ』のY.ジューコフ評論員の論評は,中国によるカンボジアのベトナム侵入挑発,ベトナムとの経済協力完全断絶,「華僑迫害」の馬鹿げた作り話によるベトナムへの内政干渉,中国軍用機のベトナム領空侵犯などが東南アジアや全世界の憤りを呼び起していると論評,さらに「中国の覇権主義政策の新たな現れがアルバニアとの協力破棄に関する非礼な,人を馬鹿にした決定である」と非難。
DIA-602-1978-07-16-2ソ連1978年07月16日1970年代『プラウダ』はソ連・朝鮮友好協会創立20周年を記念する論評を掲載。
DIA-602-1978-07-17-1ソ連1978年07月17日1970年代ソ印両国はモスクワで長期経済協力計画作成のための協議を行い,冶金,電力,機械,鉱業,石油採掘・加工などの部門で共同して新しい施設を建設することで合意。
DIA-602-1978-07-17-2ソ連1978年07月17日1970年代バングラデシュのマクブル・アハマド鉄道局長,鉄道関係ゼミナー出席のためモスクワへ向かう。
DIA-602-1978-07-17-3ソ連1978年07月17日1970年代バングラデシュのチョードリ衛生相,大統領特使としてソ連,モンゴルへの友好訪問に出発。
DIA-602-1978-07-18-1ソ連1978年07月18日1970年代ソ連の新駐中国大使にイリア・シチェルバコフ 氏(前駐ベトナム大使,党中央監査委員)を任命。
DIA-602-1978-07-18-2ソ連1978年07月18日1970年代コメコン援助への批判に反論―タス通信は,ボン首脳会議の最終文書が「コメコン諸国は発展途上国への財政援助に十分な貢献をしていない」と指摘したことに反論,①コメコン諸国から経済・技術援助を得ているA.A.LA諸国の数は1962年の34ヵ国から現在の80ヵ国に増えた,②コメコン援助で建設される企業は途上国の完全な所有物となり,これらの国が工業製品輸入を減らし輸出の収益を増やすことを助けている,③西側の「援助」は政治的条件がつけられ,途上国のかかえる経済・政治問題を一層複雑にしている,と指摘。
DIA-602-1978-07-18-3ソ連1978年07月18日1970年代ブレジネフ議長はバングラデシュのジアウル大統領就任に祝電。同大統領も返電。
DIA-602-1978-07-18-4ソ連1978年07月18日1970年代日ソ共同のサハリン石油開発事業拡大などのため,ソ連外国貿易省スシコフ次官ら来日。
DIA-602-1978-07-18-5ソ連1978年07月18日1970年代広東省に逃れてきたベトナム華僑は,ソ連がハイフォン北西70キロの地点に大規模な軍用飛行場を建設し,ミグ23,ミグ25が発着できる施設のほか多数の地対空ミサイルを配備していると語る。(SCMP)
DIA-602-1978-07-19-1ソ連1978年07月19日1970年代タイに逃れてきたラオス人パイロットらは,ラオスのジャール平原にソ連人技術者とベトナム部隊との援助で大規模な空港が建設中で,50%が完了したと語った。(バンコク・ワールド)
DIA-602-1978-07-20-1ソ連1978年07月20日1970年代訪ソしたベトナム祖国戦線代表団(団長=ホアン・クオラ・ベト同幹部会議長)はキラジビリ・ソ連最高会議幹部会副議長に会見。
DIA-602-1978-07-21-1ソ連1978年07月21日1970年代パキスタンのグーラム・イスハク蔵相とスカチコフ・ソ連対外経済交流委員長との間で1億6700万ルーブルの借款議定書を含む経済包括取引がモスクワで調印。カラチ製鉄所向けのもの。
DIA-602-1978-07-24-1ソ連1978年07月24日1970年代ソ中友好協会などの主催による中国共産党第6回大会50周年記念集会をモスクワで開催。同集会での発言者は,中共第6回大会は国際主義的共産党員のイニシアチブとコミンテルンの協力で開かれ,毛沢東の農業問題や軍事問題についての冒険主義的見解を批判した中国革命運動史上重要な大会だと指摘した。(タス)
DIA-602-1978-07-26-1ソ連1978年07月26日1970年代英『デーリー・テレグラフ』によれば,ソ連はインド洋上のセーシェル共和国に海軍基地物色中で,少数のソ連人顧問と技術者が最近潜水艦基地建設のための調査を行なった。(なお8月6日付『イズベスチヤ』は悪質なデマだと反論)。
DIA-602-1978-07-27-1ソ連1978年07月27日1970年代アフガニスタンのムハマド・パクチン新駐ソ大使,信任状提出。
DIA-602-1978-07-28-1ソ連1978年07月28日1970年代南朝鮮からの外国軍隊撤退と祖国の平和的民主的統一のための朝鮮人民の闘争との連帯月間が終了。ソ連での月間には朝ソ友好協会代表団(団長=呉文漢朝鮮対外文化交流委員会副委員長)も参加した。(タス)
DIA-602-1978-07-28-2ソ連1978年07月28日1970年代ソ連最高会議民族会議クドリャフツェフ外交委員長は,訪ソ中の永田亮一衆院外交委員長と会談した際,日中条約の反覇権条項は仮りに「第3国条項」をつけても黙って見過ごすわけにはいかないと述べ,対日軍事対抗措置を示唆。
DIA-602-1978-07-28-3ソ連1978年07月28日1970年代モスクワ放送は,同日,日本の閣議で了承された「防衛白書」について,「憲法違反の日本の軍事力を一層増強させようとしている」と非難。
DIA-602-1978-07-29-1ソ連1978年07月29日1970年代タス通信はインドのバジパイ外相が,①ソ印関係は最近一層発展した,②中印関係には国境問題を含む意見対立が存在し,両国関係の完全な正常化はこれらの対立が除去された場合にのみ可能となる,と語ったと報道。
DIA-602-1978-07-30-1ソ連1978年07月30日1970年代中国指導部内で軍部の粛清をめぐって指導権争いが続いていると『プラウダ』が報道。
DIA-602-1978-07-31-1ソ連1978年07月31日1970年代ソ連・ベトナム友好協会創立20周年に当りレ・ズアン書記長は祝電を送り,ベトナム・ソ連友好協会代表団(団長=グエン・バン・キン同会長)がソ連に向かった。
DIA-602-1978-08-01-1ソ連1978年08月01日1970年代ベトナムのレ・ズアン書記長,ソ連・ベトナム友好協会創立20周年でメッセージ。
DIA-602-1978-08-01-2ソ連1978年08月01日1970年代インドのダリア貿易相,モスクワでマズロフ第1副首相,クズネツォフ最高会議幹部会第1副議長と会見。
DIA-602-1978-08-01-3ソ連1978年08月01日1970年代モスクワでインド展開幕。30日の閉幕式にはコスイギン首相が出席。
DIA-602-1978-08-01-4ソ連1978年08月01日1970年代ソ印対流圏直通無線通信は80年に完成するとニューデリーで正式発表。
DIA-602-1978-08-01-5ソ連1978年08月01日1970年代ベトナムのホーチミン市代表団(団長=ブ・ディン・リエウ同市人民委主任・市党委副書記)は姉妹都市関係を結んでいるソ連のレニングラード訪問のため出発。
DIA-602-1978-08-01-6ソ連1978年08月01日1970年代タス通信はアルバニアの『ゼリ・イ・ポプリト』の中国批判の公開書簡を詳しく報道。
DIA-602-1978-08-03-1ソ連1978年08月03日1970年代モスクワ放送はベトナムのファン・ヒエン外務次官の東南アジア歴訪で,これら諸国との平和的善隣関係の強化・発展をめざすベトナムの意向が再評価された,と強調。
DIA-602-1978-08-03-2ソ連1978年08月03日1970年代ラオス最高人民評議会代表団(団長=シーソムポン副議長・党政治局員)訪ソ,シチコフ・ソ連最高会議連邦会議議長と会見。
DIA-602-1978-08-04-1ソ連1978年08月04日1970年代モンゴル訪問中のソ連人民監督委員会代表団(団長=シュコリニコフ議長)はツェデンバル議長に会見。
DIA-602-1978-08-05-1ソ連1978年08月05日1970年代『プラウダ』は中国批判の論文「軍国主義的熱狂のうちに」(アレクサンドロフ署名)を発表。
DIA-602-1978-08-05-2ソ連1978年08月05日1970年代コロンボでスリランカ・ソ連友好週間開幕式。新築のソ連文化センターではソ連写真展が開幕。
DIA-602-1978-08-07-1ソ連1978年08月07日1970年代アフガニスタン消息筋の情報によると,4月の政変以後アフガニニタンではソ連軍事顧問が軍の主要ポストを掌握している。政変以来約2500人のソ連人顧問と多数の東独人がアフガニスタン入りしており,同国軍部内では若手将校を中心にソ連人の影響力増大に対する抵抗が強まっている。(英『デーリー・テレグラフ』)
DIA-602-1978-08-07-2ソ連1978年08月07日1970年代バルカウスカス・ソ連最高会議幹部会副議長(リトワニア共和国最高会議幹部会議長),印ソ平和友好協力条約調印7周年記念行事出席のためインドを訪問。8日,レッディ大統領,デサイ首相に会見。
DIA-602-1978-08-08-1ソ連1978年08月08日1970年代訪ソ中のベトナム・ソ連友好協会グエン・バン・キン会長,ルサコフ・ソ連共産党中央委書記と会談。
DIA-602-1978-08-09-1ソ連1978年08月09日1970年代日本政府は北方4島,樺太,シベリアへの墓参を認めるようソ連政府に要請していたが,樺太の豊原真岡,本斗の3ヵ所以外は拒否された。なお北海道庁が要請した東部シベリア墓参についてはイルクーツク,ハバロフスクの2ヵ所だけが認められた。
DIA-602-1978-08-10-1ソ連1978年08月10日1970年代日中条約締結を目前に控え,タス通信は,同条約は国際情勢を緊迫させ,日本の国益に損害を与えると強い警告。
DIA-602-1978-08-10-2ソ連1978年08月10日1970年代ベトナムのホーチミン共産主義青年同盟ダン・クオク・バオ第1書記,カピトノフ・ソ連共産党中央委書記と会見。
DIA-602-1978-08-11-1ソ連1978年08月11日1970年代ソ印海上コンテナ輸送に関する取決めがニューデリーで調印。9月以降両国のコンテナ専用船がインド西海岸とソ連のオデッサ港の間を定期的に運航する。
DIA-602-1978-08-11-2ソ連1978年08月11日1970年代セーシェル共和国のルネ大統領はソ連が同諸島に海軍基地建設中との英紙報道に厳しく反論。(タス)
DIA-602-1978-08-12-1ソ連1978年08月12日1970年代モンゴルのツェデンバル党第1書記訪ソ。
DIA-602-1978-08-12-2ソ連1978年08月12日1970年代外務省の宮沢欧亜局長は同夜,駐日ソ連大使館ジノビエフ臨時代理大使を招き,調印されたばかりの日中条約案文を手渡し,日本政府の立場を説明。
DIA-602-1978-08-13-1ソ連1978年08月13日1970年代日中条約調印について,タス通信は日本が中国に屈服して反ソを意味する「反覇権条項」を含む条約を結んだと厳しく批判。
DIA-602-1978-08-14-1ソ連1978年08月14日1970年代松原駐ソ臨時代理大使はフィリュービン外務次官を訪ね,日中条約締結について説明した。これに対し同次官は同条約を批判,日本の対ソ政策が不変であれば事実をもって示すべきだと,日ソ善隣協力条約早期締結の必要を示唆。
DIA-602-1978-08-14-2ソ連1978年08月14日1970年代園田外相は,鄧小平副首相が中ソ同盟条約は期限切れ(1980年4月11日)の1年前に廃棄通告をすると言明したことを明らかにした。
DIA-602-1978-08-15-1ソ連1978年08月15日1970年代ブレジネフ書記長とコスイギン首相,朝鮮解放33周年にあたり金日成主席,李鐘玉首相に祝電。金日成主席と李首相も返電。
DIA-602-1978-08-15-2ソ連1978年08月15日1970年代北朝鮮の建国設立30周年記念のソ連・朝鮮友好月間開幕式がモスクワで行われ,金在奉駐ソ大使が挨拶。
DIA-602-1978-08-15-3ソ連1978年08月15日1970年代ブレジネフ議長とコスイギン首相,インド独立31周年にあたりレッディ大統領,デサイ首相に祝電。
DIA-602-1978-08-15-4ソ連1978年08月15日1970年代インド独立31周年・印ソ平和友好協力条約締結7周年の記念集会がデリーのソ連文化会館で開催。モスクワでもインドのグジラル駐ソ大使がレセプション。
DIA-602-1978-08-16-1ソ連1978年08月16日1970年代ベトナムのグエン・コ・タク外務次官,ソ連訪問(10~15日)を終え帰国。
DIA-602-1978-08-16-2ソ連1978年08月16日1970年代モスクワでアフガニスタン独立記念日記念集会。
DIA-602-1978-08-18-1ソ連1978年08月18日1970年代ソ印友好月間行事参加のため訪ソ中のインド国会議員・印ソ文化協会代表団(団長=ラマクリシュナ・ヘグデ・ジャナタ党書記長)はグズネツォフ・ソ連最高会議幹部会第1副議長と会談。
DIA-602-1978-08-18-2ソ連1978年08月18日1970年代ブレジネフ議長とコスイギン首相,アフガニスタン独立記念日にあたりタラキ議長兼首相に祝電。
DIA-602-1978-08-18-3ソ連1978年08月18日1970年代レニングラードで開かれる世界女子バレーボール選手権大会に出場する韓国選手団7名に入国許可。
DIA-602-1978-08-18-4ソ連1978年08月18日1970年代ソ連文化省のポポフ次官,「エルミタージュ秘宝展」開幕式出席のため来日。
DIA-602-1978-08-18-5ソ連1978年08月18日1970年代ソ連はパキスタンに年産鋼板150万トンの圧延工場を80年までに引渡すと発表。
DIA-602-1978-08-19-1ソ連1978年08月19日1970年代ブレジネフ書記長はベトナムのトン・ドク・タン大統領の90歳の誕生日の祝電。ソ連最高会議幹部会は同大統領に10月革命勲章を贈呈。
DIA-602-1978-08-21-1ソ連1978年08月21日1970年代訪ソしたベトナム労組総同盟代表団(団長=グエン・バン・リン議長)はシバエフ全ソ労評議長と会談。
DIA-602-1978-08-21-2ソ連1978年08月21日1970年代バングラデシュのアブドル・ハイ協同組合書記官以下3人,ソ連協同組合の招待で訪ソに出発。
DIA-602-1978-08-22-1ソ連1978年08月22日1970年代ベトナム国防省対外関係局局長代理のグエン・フー・アイン大佐は駐ベトナム・ソ連大使館の海空軍アタッシェ,ツァルコフ大佐と会見,ソ連がベトナム人民軍政治総局に供与した政治任務に使用する設備に感謝。
DIA-602-1978-08-23-1ソ連1978年08月23日1970年代ブレジネフ書記官とツェデンバル・モンゴル党第1書記,クリミアで会談。
DIA-602-1978-08-23-2ソ連1978年08月23日1970年代ソ連のジノビエフ駐日臨時代理大使は有田外務次官を訪ね,「日中条約が2国間の枠をこえている以上,ソ連は自己の利益を守るために不可欠と考える措置をとる」とのソ連政府「通告」を口頭で伝達。同通告は「日本の真の意図を声明ではなく実際行動で判断する」と指摘。
DIA-602-1978-08-23-3ソ連1978年08月23日1970年代パキスタン・ソ連文化プログラム参加のためソ連文化代表団2名がイスラマバード着。
DIA-602-1978-08-23-4ソ連1978年08月23日1970年代ビルマ農民労働者中央機構の招きで,ブテンコ・ウクライナ農業労働者労組委員長とコラシニコフ同労組中央委国際局長がビルマを訪問。
DIA-602-1978-08-23-5ソ連1978年08月23日1970年代タス通信は,最近ラオスの少数民族地域で反革命集団の破壊活動が目立っていると伝え,これは北京の覇権主義政策と密接に結びついていると指摘。
DIA-602-1978-08-24-1ソ連1978年08月24日1970年代『イズベスチヤ』は日中条約調印について論評,日中条約は両国関係の枠をはみ出しており,「これに対しソ連がその利益を守るために必要と思われるいかなる手段をとることもその主権の行使である」と指摘,また日本政府が対ソ政策は不変だというなら日ソ善隣協力条約の討議に応じるべきだと主張。
DIA-602-1978-08-24-2ソ連1978年08月24日1970年代『プラウダ』は中国批判の評論員署名論文「近視眼的な危険な政策」を発表,NATO加盟国などが中国に軍事技術や兵器を供与していることを非難。
DIA-602-1978-08-24-3ソ連1978年08月24日1970年代ソ連極東地方と日本の沿岸貿易は過去5年間に倍増し,対日輸出品目も増加したとタス通信はその明るい見通しを報道。
DIA-602-1978-08-25-1ソ連1978年08月25日1970年代『プラウダ』は日中条約調印に対する論評を掲載,「日本政府は中国の排外主義,戦争挑発を勇気づけることになった以上,極東・東南アジア情勢が複雑化した場合に重大な責任を負うことになる」と批判。
DIA-602-1978-08-25-2ソ連1978年08月25日1970年代ソ連・アフガニスタンの78~79年疫文化学術協力計画ならびに両国合同考古学調査隊の活動の78~82年における継続に関する協定がモスクワで調印。
DIA-602-1978-08-27-1ソ連1978年08月27日1970年代カンボジア政府は,外務省宣伝情報局声明を発表,24日付『プラウダ』論評がカンボジア人民の民族的尊厳を著しく傷つけ,乱暴に国内問題に干渉したと非難ベトナムの侵略に対する支持を無視するわけにはいかないと,初めて公式にソ連を批判。
DIA-602-1978-08-28-1ソ連1978年08月28日1970年代ソ連はラオスに大量の医薬品と生活必需品を贈呈。
DIA-602-1978-08-29-1ソ連1978年08月29日1970年代社会党日ソ問題特別委員会代表団(団長=川村清一参院議員)がソ連共産党中央委の招待で訪ソ。
DIA-602-1978-08-29-2ソ連1978年08月29日1970年代ソ連仏教徒協会代表団,ラオス統一仏教徒協会の招きでラオスを友好訪問。
DIA-602-1978-08-30-1ソ連1978年08月30日1970年代タイのクリアンサク首相はクズネツォフ新駐タイ大使と会談した際,「いまのところソ連とのいかなる協定も結ぶ必要はない」と言明,また同首相の訪ソ招請にも応じなかった。(共同)
DIA-602-1978-08-31-1ソ連1978年08月31日1970年代ソウル放送によれば,チェコスロバキアは韓国との交易を希望する輸出入あっせん依頼書を大韓商工会議所に送ってきた。共産圏諸国からのこのような依頼は初めて。
DIA-602-1978-08-31-2ソ連1978年08月31日1970年代ベトナム・ソ連友好協会代表団(団長=チャン・ズイ・フン対外人民連帯ベトナム委員会幹部会員)が訪ソに出発。
DIA-602-1978-08-31-3ソ連1978年08月31日1970年代マレーシアのザイナル・スロン駐ソ大使,同国建国記念日でレセプションを催し,ソ連のハリロフ最高会議幹部会副議長,フィリュービン外務次官らが出席。(タス)
DIA-602-1978-09-01-1ソ連1978年09月01日1970年代魚本藤吉郎新駐ソ大使,クズネツォフ最高会議幹部会第1副議長に信任状を提出。
DIA-602-1978-09-01-2ソ連1978年09月01日1970年代ソ連首脳,カンボジアを公式非難―ベトナム建国33周年にあたり,ブレジネフ書記長とコスイギン首相は同国首脳に祝電を送り,中国,カンボジアとの紛争でベトナムへの全面支持を表明。またこの中で「北京にそそのかされたカンボジアの軍事的挑発」とカンボジアを名指しで批判した。
DIA-602-1978-09-01-3ソ連1978年09月01日1970年代ソ連職業技術教育国家委員会代表団(団長=コンキン副議長)ラオス訪問。
DIA-602-1978-09-02-1ソ連1978年09月02日1970年代ソ連がベトナムに大空輸か米政府当局者は,ソ連がベトナムへの大規模な人員,軍事物資の空輸作戦を8月中旬から数日前まで約2週間実施したと言明。この空輸では大部分は民間輸送機が使われたが,一部には軍用輸送機で武器・弾薬が運ばれたという。(WP)
DIA-602-1978-09-02-2ソ連1978年09月02日1970年代韓国の閣僚が初訪ソ―韓国の申鉉保健社会相ら政府代表5人はソ連のアルマアタで開かれる世界保健機構(WHO)と国際児童基金の国際会議出席のため出発。韓国の閣僚がソ連入国を認められたのは初めて。
DIA-602-1978-09-02-3ソ連1978年09月02日1970年代レニングラードの世界女子バレー選手権大会でソ連チームを下した韓国チーム選手の喜びの声が初通話の国際電話でソウルで放送(朝日)。なお北朝鮮チームは抗議のため大会参加をボイコット。
DIA-602-1978-09-03-1ソ連1978年09月03日1970年代日本社会党機関紙局代表団(団長=山本政弘局長),ソ連共産党中央委の招待で訪ソ。
DIA-602-1978-09-05-1ソ連1978年09月05日1970年代カンボジアがソ連を名指し非難―カンボジア外務省はコミュニケを発表し,ブレジネフ書記長のカンボジア非難に反論,ソ連はベトナム軍のカンボジア侵略で作戦顧問として積極的役割を果しており,東南アジアの支配を狙って,ベトナムの力を借りてチェコ侵略のような電撃作戦でカンボジアを占領しようとしたと厳しく非難。
DIA-602-1978-09-05-2ソ連1978年09月05日1970年代ベトナムのハイフォン海産食品工場はソ連から供与されたトロール船10隻(各225馬力)の受入式を行った。
DIA-602-1978-09-05-3ソ連1978年09月05日1970年代アルマアタのWHO会議への取材入国を初めて許可された韓国記者韓昌燮氏(韓国合同通信ニューヨーク特派員)と金泰雄氏(韓国日報)がモスクワ入り。
DIA-602-1978-09-05-4ソ連1978年09月05日1970年代韓国はナホトカ=釜山不定期航路,シベリア鉄道使用をソ連に非公式に打診している。(毎日)
DIA-602-1978-09-06-1ソ連1978年09月06日1970年代コスイギン首相は,日本の訪ソ親善国会議員団(団長=白浜仁吉議員)との会見の席上,「日中条約は軍事同盟にほかならない,日本がこの締結に応じたことは歴史的な誤りだ」と言明。
DIA-602-1978-09-06-2ソ連1978年09月06日1970年代インドネシアのシャディングラット駐ソ大使は帰国中の記者会見で,ソ連はASEANという地域機構をまだ正式に認めていないが,これを現実の存在実体として受入れていると語った。
DIA-602-1978-09-06-3ソ連1978年09月06日1970年代バングラデシュのマティン衛星担当国務相訪ソ。
DIA-602-1978-09-06-4ソ連1978年09月06日1970年代ビルマ歌舞団,ソ連,東独の公演旅行に出発。
DIA-602-1978-09-06-5ソ連1978年09月06日1970年代ラオス統一仏教徒協会代表団(団長=カムタン・テププリー同会長)訪ソ。
DIA-602-1978-09-06-6ソ連1978年09月06日1970年代AA連帯ソ連委員会代表団,ラオス友好訪問を終了。
DIA-602-1978-09-06-7ソ連1978年09月06日1970年代タス通信はアルバニアの『ゼリ・イ・ポプリト』の「中国の軍国主義政策と華国鋒のバルカン訪問」と題する社説を詳報。
DIA-602-1978-09-07-1ソ連1978年09月07日1970年代ソウル放送は,ソ連の『カザフ・プラウダ』が韓国を「大韓民国」の正式名称で報道したと伝えた。
DIA-602-1978-09-07-2ソ連1978年09月07日1970年代福田首相は日ソ長期経済協力協定には,これまでの方針を変更して応じるという意向を表明。
DIA-602-1978-09-07-3ソ連1978年09月07日1970年代第3回日ソ沿岸貿易会議,東京で開催。
DIA-602-1978-09-07-4ソ連1978年09月07日1970年代日本対外文化協会代表団(団長=松前重義会長),デミチェフ文化相と会談。
DIA-602-1978-09-08-1ソ連1978年09月08日1970年代タス通信は,中国の張才千副総参謀長が東京入りしたと報じ,日中条約調印後最初の日本訪問者が軍高官であったと指摘,両国の軍事面での接触確立の重要な一歩だと警戒。
DIA-602-1978-09-08-2ソ連1978年09月08日1970年代ベトナムのトン・ドク・タン大統領に対するソ連の10月革命勲章授与式がハノイの大統領官邸で行われた。
DIA-602-1978-09-08-3ソ連1978年09月08日1970年代モスクワで北朝鮮の建国30周年記念展覧会開幕。金在奉駐ソ大使もレセプション開催。
DIA-602-1978-09-08-4ソ連1978年09月08日1970年代北朝鮮への援助―『ノーボエ・ブレーミヤ』は,北朝鮮の建国記念日に因んで「創造の路線」と題する報道。その中で「解放後の最も苦しかった初期,ソ連は自国も戦後の困難の中で朝鮮人民に私心なき経済援助を与え,帝国主義の侵略との闘争期(50~53)には武器,工業設備,原料,食糧を供給した。ここ数年間にソ連の援助で50以上の工場が復旧,再建または新設された。その多くは冶金,機械製作,動力など基幹部門である」と指摘。また「ソ連人民は米軍の南朝鮮からの即時完全撤退,外部の干渉なしに自主的,平和的,民族的基盤に立った朝鮮統一のための闘争を支持している」と強調。
DIA-602-1978-09-09-1ソ連1978年09月09日1970年代ソ連の沿海地方労組評議会代表団,ベトナム訪問。
DIA-602-1978-09-09-2ソ連1978年09月09日1970年代今月中旬から予定されていたソ連のフィリュービン外務次官のASEAN諸国歴訪が一時延期。
DIA-602-1978-09-09-3ソ連1978年09月09日1970年代ブレジネフ書記長とコスイギン首相,朝鮮民主主義人民共和国建国30周年にあたり,金日成主席と李鐘玉首相に祝電。
DIA-602-1978-09-09-4ソ連1978年09月09日1970年代『プラウダ』平壌特派員は朝鮮建国記念日にあたり,北朝鮮の経済建設のルポを報道,「兄弟国との友好と協力が強まるほど社会主義建設は成功裡に進む」と述べ,ソ連援助により清津のキムチャク製鉄所は今や同国製鉄業の旗艦となっていると指摘,さらに他の社会主義国の援助として,チェコスロバキア―機械製造工業,東独―化学,建設,ハンガリー―器具製造,ポーランド―鉄道,などが北朝鮮の国民経済向上に貢献していると強調。
DIA-602-1978-09-11-1ソ連1978年09月11日1970年代インドのバジパイ外相,ソ連を公式訪問。12日から外相会談。同日コスイギン首相と会談。
DIA-602-1978-09-12-1ソ連1978年09月12日1970年代朝鮮民主主義人民共和国樹立30周年記念行事参加のため朝鮮訪問中のソ連代表団(団長=マッチャノフ・ソ連最高会議幹部会副議長)は,朴成哲副主席に会見。(新亜通信は金日成主席が中国など11の代表団と個別に会見したが,ソ連代表団とは会わなかったと指摘)。
DIA-602-1978-09-13-1ソ連1978年09月13日1970年代ブレジネフ議長,インドのバジパイ外相と会談。ブ議長はバ外相の訪印招請を受諾した。バ外相は記者会見で「今年暮から来年初め」と示唆。
DIA-602-1978-09-13-2ソ連1978年09月13日1970年代ラオス教育代表団(団長=ボンビチト副首相兼教育スポーツ宗教相)ソ連を公式訪問。
DIA-602-1978-09-13-3ソ連1978年09月13日1970年代『プラウダ』はベトナムのファン・バン・ドン首相のタイ訪問の成果について,「最近まで“ホット・ポイント”であったこの地域において対決政策から正常化と協力への変化を可能にしたのは,インドシナの社会主義諸国の平和的イニシアチブ,民主運動や反帝運動の発展,東南アジア諸国指導者の現実主義的立場である」と論評。
DIA-602-1978-09-15-1ソ連1978年09月15日1970年代韓国の申鉉保健社会相は,アルマアタのWHO会議に出席した際,レセプションの席上でソ連のペトロフスキー保健相と両国の保健・厚生問題について直接意見交換をしたと語る。(毎日)
DIA-602-1978-09-16-1ソ連1978年09月16日1970年代ラオスに対する物資輸送のソ連援助に関する協定,ビエンチャンで調印。
DIA-602-1978-09-17-1ソ連1978年09月17日1970年代ソ連国防省機関紙『赤い星』は「日米中3国は軍事同盟を結んでソ連に敵対しようと図っている」と非難。
DIA-602-1978-09-18-1ソ連1978年09月18日1970年代ソ印共同コミュニケ―訪ソしたインドのバジパイ外相とソ連首脳の会談結果をまとめた共同コミュニケを発表。
DIA-602-1978-09-19-1ソ連1978年09月19日1970年代中国の『人民日報』は「ソ連はベトナムを通してアジア安保を形を変えて売りつけようとしている」と指摘。
DIA-602-1978-09-19-2ソ連1978年09月19日1970年代訪ソしたラオス公衆衛生省代表団が帰国。
DIA-602-1978-09-20-1ソ連1978年09月20日1970年代韓国政府は12カイリ法実施にあたり,ソ連に,①ソ連の商用,非商用船舶は済州海峡を事前に通知なく通航できる,②緊急事態の際は韓国の港に停泊できる,と通知した。(台湾・中央社ソウル発)
DIA-602-1978-09-20-2ソ連1978年09月20日1970年代アフガニスタン外相,「アジア安保」支持を表明―アフガニスタンのアミン外相,インド記者団との会見で,同国はソ連の提唱する「アジア集団安保」構想を原則的に支持すると表明。
DIA-602-1978-09-20-3ソ連1978年09月20日1970年代ベトナムのトン・ドク・タン,レ・ズアン,チオン・チン,ファン・バン・ドンの4首脳,ソ連のブレジネフ書記長,コスイギン首相に建国33周年祝電への感謝の返電。
DIA-602-1978-09-21-1ソ連1978年09月21日1970年代ベトナム共産党中央委対外連絡部代表団,訪ソ終了。
DIA-602-1978-09-21-2ソ連1978年09月21日1970年代スリランカのラジャコネ・ジョンプレ新駐ソ大使,信任状提出。
DIA-602-1978-09-21-3ソ連1978年09月21日1970年代ベトナム郵便総局代表団,社会主義諸国郵便協力機構創立20周年行事出席のためソ連に出発。
DIA-602-1978-09-22-1ソ連1978年09月22日1970年代ブレジネフ書記長,アフガニスタン支持表明―ブレジネフ書記長はバクー市での同市へのレーニン勲章授与を祝賀する演説の中で,特にアフガニスタンの「人民革命」の勝利について触れ,帝国主義者の使い古された「モスクワの手」という宣伝は,単にソ連への中傷であるだけでなくアフガニスタン人民への侮辱でもあると指摘,新生のアフガニスタン民主共和国への全面支持を表明した。
DIA-602-1978-09-22-2ソ連1978年09月22日1970年代韓国の学者も訪ソ―ソ連のアシハバードで26日から開かれる第14回国際自然保護連盟に出席するソウル大洪淳佑教授ら4人にビザを発給。
DIA-602-1978-09-22-3ソ連1978年09月22日1970年代マレーシア国会代表団(団長=サイド・ナセル・イスマイル),ソ連を公式訪問。
DIA-602-1978-09-25-1ソ連1978年09月25日1970年代アフガニスタンのタラキ議長は,ブレジネフ書記長のアフガニスタン革命支持表明は「帝国主義のわが国への中傷に対する時宜を得た効果的な打撃」と言明。(タス)
DIA-602-1978-09-25-2ソ連1978年09月25日1970年代国連総会出席中の日ソ両国外相がニューヨークで会談。
DIA-602-1978-09-26-1ソ連1978年09月26日1970年代モンゴルのウランバートルに次ぐ第2の産業センターであるダルハン市は,全ての企業と住宅街がソ連,チェコ,ポーランド,ハンガリー,ブルガリアの援助で建設され,“友好のシンボル”とみなされている。(プラウダ)
DIA-602-1978-09-27-1ソ連1978年09月27日1970年代モスクワ放送は,インドネシアとオーストラリアの海軍合同演習について,最近の東南アジアにおける社会制度の異なる国家間の善隣協力関係進展の動きに逆うもの,と批判。
DIA-602-1978-09-27-2ソ連1978年09月27日1970年代バングラデシュのジアウル大統領,同国訪問中のソ連マヨレツ電気技術工業第1次官と会談。同次官はチッタゴンのソ連援助で建設された電気機械工場開所式出席のため来訪した。
DIA-602-1978-09-28-1ソ連1978年09月28日1970年代ブレジネフ議長,パキスタンのジアウル・ハク大統領就任に祝電。
DIA-602-1978-09-28-2ソ連1978年09月28日1970年代ソ連のシチュルバコフ新駐中国大使が信任状提出。
DIA-602-1978-09-28-3ソ連1978年09月28日1970年代モスクワで中国建国29周年記念映画の夕べ開催。ソ連対友協とソ中友好脇会主催で,王幼平駐ソ大使も出席。
DIA-602-1978-09-29-1ソ連1978年09月29日1970年代インド外相の訪中に牽制―『イズベスチヤ』は,近く行われるインドのバジパイ外相訪中について論評,「北京はインドとの関係正常化が自動的にソ印関係悪化を招くことを期待している。この北京指導部の企みがインドの若干の人びとから一定の支持を得ており,それらの人びとがソ連との友好を犠牲にしてでも北京との“和解”を積極的に求めていることに,インドの賢明な層は不安を表明している」と牽制。
DIA-602-1978-09-29-2ソ連1978年09月29日1970年代ベトナムとソ連はハノイで領事協定に調印。
DIA-602-1978-09-29-3ソ連1978年09月29日1970年代中国の王幼平駐ソ大使,建国29周年記念にあたりレセプション。ソ連側からはイリイチョフ外務次官らが出席。
DIA-602-1978-09-29-4ソ連1978年09月29日1970年代韓国の朴東鎮外相はワシントンでの記者会見で「韓ソ関係が急速に改善されているかのような報道があるが,誇張が多く,一連の報道がソ連にかなりの負担を与えているようだと間接的に聞いた」と述べ,ソ連の立場に極めて気をつかっていることを示唆。(共同)
DIA-602-1978-09-30-1ソ連1978年09月30日1970年代日本社会党活動家代表団(団長=村山喜市中執)訪ソ日程を終了。
DIA-602-1978-10-01-1ソ連1978年10月01日1970年代ソ連は最高会議幹部会と閣僚会議の名で中国の国慶節に祝電。
DIA-602-1978-10-02-1ソ連1978年10月02日1970年代ソ連が空母補修用に日本に発注したとみられているマンモス浮きドックがソ連に向け名古屋港出港(全長330m,幅99m,高さ28m)。
DIA-602-1978-10-02-2ソ連1978年10月02日1970年代ソ連の対日貿易低調―ソ連の『外国貿易』誌最新号によると,今年上半期のソ連の対外貿易収支は7億9000万ルーブルの入超となった。対日貿易は11億3000万ルーブルで昨年同期より11.6%減で,日本は西独,米に次ぐ3位に転落。特に対日輸出は20.5%も減となり,ソ連の輸出市場としては6番目。またソ連の対途上国貿易も昨年同期比3%減と頭打ち傾向を示した。
DIA-602-1978-10-02-3ソ連1978年10月02日1970年代ベトナムのレ・タイン・ギ副首相兼国家計画委員会議長はソ連のバイバコフ副議長兼ゴスプラン議長とモスクワで会談。
DIA-602-1978-10-02-4ソ連1978年10月02日1970年代バングラデシュのチッタゴンにソ連援助で建設された電機工場の開業式。ジアウル大統領とソ連政府代表団が出席。
DIA-602-1978-10-04-1ソ連1978年10月04日1970年代モルディブのジャミール外相はコロンボでの記者会見で,「ガン島に対しある東欧の国(ソ連)から100万ドルで借用したいと申し出があったほか,同様申し出が何件かあった。しかしモルディブは大国の軍事基地建設を認めもしないし基地問題に巻込まれたくもない」と語った。
DIA-602-1978-10-04-2ソ連1978年10月04日1970年代ラオスのカムペン・ブッパー郵便・電信相はモスクワでスカチコフ対外経済交流国家委議長らと会談。
DIA-602-1978-10-05-1ソ連1978年10月05日1970年代タシケントで第4回「アジアの平和と安全に開するソ日シンポジウム」開催。ソ連側団長は,ゲオルギー・キム東洋学研究所副所長,日本側団長は軍事評論家海原治氏。
DIA-602-1978-10-06-1ソ連1978年10月06日1970年代『イズベスチヤ』は「モンゴル・ソ連友好月間」に因んだ論評でモンゴルの社会経済的発展をたたえ,モンゴルで人民権力樹立後,ソ連の援助で310の企業や施設が建設され,ソ蒙合弁企業(例えばウランバートル鉄道や蒙ソ有色金属合同)が発展し,アジア最大のエルデネト銅モルブデン・コンビナートが建設中であると指摘。
DIA-602-1978-10-06-2ソ連1978年10月06日1970年代ラオス労組総同盟代表団,ソ連を公式訪問。
DIA-602-1978-10-07-1ソ連1978年10月07日1970年代『イズベスチヤ』の「石油と北京の政策」と題する記事は,中国が石油を輸出するようになってから,インドネシアの対日石油輸出は減少しており,また中国は南シナ海の大陸棚から油層が発見されてから同地域への権限を今まで以上に誇示し始めたと指摘。
DIA-602-1978-10-09-1ソ連1978年10月09日1970年代西側情報筋によれば,ベトナム駐在のソ連民間・軍人顧問は最近2000人から4000人に増えた。(ニューズ・ウィーク)
DIA-602-1978-10-10-1ソ連1978年10月10日1970年代『プラウダ』のアレクサンドロフ署名論文「北京は挑発する」は,『人民日報』の「ソ連の世界戦略における新しい契機」と題するソ連批判論文に反論。
DIA-602-1978-10-10-2ソ連1978年10月10日1970年代インドのパトナイク鉄鋼鉱業相訪ソ。11日カザネツ製鉄相との会談で,ボカロ製鉄所の稼働率引上げのため同製鉄所の運営をソ連専門家に委任することを決定,またロマコ有色金属冶金相との会談ではアルミナおよびニッケルのプロジェクトに対するソ連の協力の可能性について討議。
DIA-602-1978-10-10-3ソ連1978年10月10日1970年代ソ連・ラオス貿易協定,ビエンチャンで調印。
DIA-602-1978-10-11-1ソ連1978年10月11日1970年代ソ連共産党活動家代表団,日本社会党の招きで来日。
DIA-602-1978-10-12-1ソ連1978年10月12日1970年代中ソの新彊ウイグル地区国境でソ連は最近軍事,挑発より宣伝戦に力を入れ,「新彊は独立して東トルキスタン共和国を建設すべきだ」と宣伝している。(毎日)
DIA-602-1978-10-13-1ソ連1978年10月13日1970年代ソ連はナホトカ=横浜客船航路を11月末から4ヵ月間,冬季の利用客減小で採算に合わないので運休すると通告。
DIA-602-1978-10-13-2ソ連1978年10月13日1970年代モスクワで李大釗生誕90周年記念の夕べを開催。(6日付『プラウダ』も李氏記念小論文を掲載)
DIA-602-1978-10-15-1ソ連1978年10月15日1970年代『プラウダ』は「東東と北京―危険な接近」と題するラティシェフ東京特派員の論評を掲載,日中条約調印後,日中両国指導者は“共通の脅威”を理由にともに軍事力強化と協力をはかっているときびしく非難。
DIA-602-1978-10-15-2ソ連1978年10月15日1970年代タス通信はインドの中国接近に反対するCPI週刊誌の論評を紹介。
DIA-602-1978-10-16-1ソ連1978年10月16日1970年代ソ連のシラフィエフ第1航空次官以下の代表団,ニューデリーでのミグ21戦闘機のインド国産化促進と改良計画のための討論を終了。
DIA-602-1978-10-16-2ソ連1978年10月16日1970年代『プラウダ』の論評欄は中越紛争に関するベトナムのグエン・コ・タイ外務次官の中国非難を紹介,中国兵は9月中だけでベトナム領を47回も侵犯,10月にはより深く,より大規模に侵入するようになったと報道,ソ連人民はベトナム人民に対する挑発行動を断固糾弾すると強調。
DIA-602-1978-10-16-3ソ連1978年10月16日1970年代モスクワでソ連・インドネシア協会20周年記念集会を開催,インドネシアのパンガベアン駐ソ大使が出席。
DIA-602-1978-10-17-1ソ連1978年10月17日1970年代タス通信はバングラデシュの民族人民党大会終了を報じ,同党がバングラデシュ共産党活動禁止令の解除を要求したと伝え,またムザファル・アフメド同党議長がソ連は各国人民の平和と独立に貢献していると高く評価し北京の覇権主義を非難したと指摘。
DIA-602-1978-10-18-1ソ連1978年10月18日1970年代中国の李先念副首相は新任のシチェルバコフ駐中国大使と会見。(新華社)
DIA-602-1978-10-18-2ソ連1978年10月18日1970年代ソ連スポーツ団体代表団(団長=コバル・モスクワ・オリンピック組織委員会副議長),インドネシア訪問を終了。同日発表したコミュニケによると,オリンピックの宣伝分野における情報活動,商業ライセンス問題に関する協定に調印。
DIA-602-1978-10-19-1ソ連1978年10月19日1970年代モスクワでソ日外交関係樹立22周年記念集会を開催。
DIA-602-1978-10-19-2ソ連1978年10月19日1970年代カンボジアのイエン・サリ副首相はフィリピンでの記者会見で,ソ連はベトナムを使って東南アジア支配を画策している,また77年にはソ連人顧問2人がカンボジア領内で戦死した,と発表。(共同)
DIA-602-1978-10-19-3ソ連1978年10月19日1970年代ソ連とベトナムの78年の貿易高は大幅に増え,5億ルーブル近くに上り,ソ連は自動車,トラクター,工作機械,石油製品,化学肥料の輸出を増やしている。(モスクワ放送)
DIA-602-1978-10-20-1ソ連1978年10月20日1970年代フィリュービン外務次官,シンガボールを訪問。フィリピン,インドネシア公式訪問の途次,非公式訪問したもの。
DIA-602-1978-10-20-2ソ連1978年10月20日1970年代『イズベスチヤ』はベトナムのファン・バン・ドン首相のASEAN諸国歴訪の成功をたたえる論評「ベトナムの積極外交」を掲載。
DIA-602-1978-10-21-1ソ連1978年10月21日1970年代ソ連共産党中央委は日共宮本委員長の70歳誕生日に祝電。宮本委員長も返電で「国際関係の原則に基づく両党関係の前進への希望」を表明。
DIA-602-1978-10-21-2ソ連1978年10月21日1970年代パキスタンの訪ソ代表団帰国,カザフスタンのモスリム局長からのメッセージをジアウル大統領に手交。
DIA-602-1978-10-23-1ソ連1978年10月23日1970年代フィリュービン外務次官,フィリピンを公式訪問。
DIA-602-1978-10-23-2ソ連1978年10月23日1970年代タス通信は,福田首相と鄧小平首相が東京で日中条約の批准書を交換したと報道,同条約は極東の平和と安全に反し,日本の軍国主義傾向を強めると批判,ソ連の対日政策は,日本側の外交政策の具体酌行動次第だと強調。
DIA-602-1978-10-24-1ソ連1978年10月24日1970年代フィリピン:訪問中のフィリュービン外務次官はマルコス大統領を表敬訪問。
DIA-602-1978-10-24-2ソ連1978年10月24日1970年代タス通信は「強制収容所の国」と題するバンコク特派員の記事で,カンボジアではひどい生活や労働条件について不満をもらしただけで銃殺される,という避難民の話しを報道。
DIA-602-1978-10-24-3ソ連1978年10月24日1970年代ラオスの電気・鉱業中等学校建設へのソ連の援助に関する協定,ビエンチャンで調印。
DIA-602-1978-10-26-1ソ連1978年10月26日1970年代フィリュービン外務次官,インドネシアを公式訪問。
DIA-602-1978-10-26-2ソ連1978年10月26日1970年代全ソ労評代表団(団長=リバコフ同幹部会員・党中央委員)ラオスを公式訪問。
DIA-602-1978-10-27-1ソ連1978年10月27日1970年代インドネシア訪問中のフィリュービン外務次官は,スハルト大統領を表敬訪問のあと,モフタル外相と会談。
DIA-602-1978-10-27-2ソ連1978年10月27日1970年代ベトナム外務省は,レ・ズアン書記長とファン・バン・ドン首相が党・政府代表団を率いて近くソ連を公式訪問すると発表。『プラウダ』も同日公式発表。
DIA-602-1978-10-27-3ソ連1978年10月27日1970年代ソ連は,4月の大韓航空機強制着陸事件で,韓国に(PANAMを介して)救援の代償として210万ドルを請求。(WP)
DIA-602-1978-10-27-4ソ連1978年10月27日1970年代日ソ漁業協力の議定書,モスクワで調印(大日本水産会と全ソ漁業船舶公団)。サケ・マス沖どりで日本側は17億6000万円(うち7億9600万円を政府負担)の漁業協力費を機材供与の形で支払う。
DIA-602-1978-10-27-5ソ連1978年10月27日1970年代ノーボスチ通信は「危険な局面」と題する論評で,日中条約はアジアの緊張緩和を破壊するだけだと非難,中国の国際行動は反ソ戦略を指針としているが「その対外活動のコンパスは北ではなく南を,東南アジアを指向している」と指摘,日本の戦後最大の海上演習もANZUSブロックの太平洋・インド洋での海空軍演習とときを合わせて行われたと強調。
DIA-602-1978-10-28-1ソ連1978年10月28日1970年代フィリピン外務省は先ごろ訪比したフィリュービン外務次官との間で交したソ比共同コミュニケを発表。ソ連側はASEANの平和的性格への支持と同諸国との関係促進の意欲を表明。
DIA-602-1978-10-28-2ソ連1978年10月28日1970年代ネパールは駐ソ大使にギャネンドラ・ハバドゥル・カルキ氏を任命。
DIA-602-1978-10-28-3ソ連1978年10月28日1970年代『バンコク・ポスト』はフィリュービン外務次官のタイ訪問を前に「社説」で,われわれはASEANに対する超大国による干渉を望まない,ソ連はベトナムのみならず,この地域のすべての国に武器援助を停止すべきだ,また政治的イデオロギーを同地域に拡大することをやめるべきだ,フィ次官がわれわれのこの気持ちを理解して帰れば東南アジアとソ連自身にプラスとなる,と論評。
DIA-602-1978-10-29-1ソ連1978年10月29日1970年代フィリュービン外務次官,タイを公式訪問。なお同次官はジャカルタ出発前「インドネシアと2国間問題および国際問題について話合った。両国間貿易や文化交流で一層の努力を進めることに合意した」と声明。
DIA-602-1978-10-29-2ソ連1978年10月29日1970年代『プラウダ』は「東南アジア―肯定的傾向」と題する論評を発表,ASEAN地域が帝国主義(米)と覇権主義的大国主義(中)の2つの影響力に悩まされ,特に中国は日中条約締結により日本をもこれに利用しようとしていると警告,ASEANとの関係改善へのベトナムの努力は「東南アジアを安定した平和の地域に変える可能性を持つ」と高く評価,ASEANとベトナムの共同努力の必要性を強調。
DIA-602-1978-10-29-3ソ連1978年10月29日1970年代防衛庁筋は,①ソ連太平洋艦隊は太平洋に出なくともオホーツク海から原潜による米国へのミサイル攻撃をできる能力を備えた,②去る5月下旬の択捉島へのソ連海空軍移動は同島への基地建設の可能性が強い,との分析を示した。
DIA-602-1978-10-29-4ソ連1978年10月29日1970年代タス通信は中国の政治情勢に関する「北京の不安定は続いている」と題する論評で相次ぐ幹部の追放は中国指導部内の激しい権力闘争による不安定を示すもので,この傾向はなお数年間続くだろうと指摘。
DIA-602-1978-10-30-1ソ連1978年10月30日1970年代タイ訪問中のフィリュービン外務次官はクリアンサク首相と会談.同首相のソ連公式訪問の約束を取付けた。ク首相は会談後「ソ連訪問は来年2月末に予定」と語り,「ソ連が地域経済協力機構としてのASEANの存在の支持とその集団的経済協力への称賛を表明した」と述べた。
DIA-602-1978-10-30-2ソ連1978年10月30日1970年代日本の駐ソ大使館は,ソ連政府が24日に「日本政府は日本漁船によるソ連領海侵犯を奨励している」との口頭声明を同大使館に行なったことに反論する口頭声明をソ連外務省に対して行なった。ソ連による日本漁船だ捕ひん発抗議,北方4島は日本の固有領土,日本の国境侵犯奨励は事実に反する,などの内容。
DIA-602-1978-10-30-3ソ連1978年10月30日1970年代ビルマのラングーン国立博物館でソ連版画展開催。
DIA-602-1978-11-02-1ソ連1978年11月02日1970年代『イズベスチヤ』はカンボジア国内の現状について,大量殺害によって800万いた人口が今では500万しか残っておらず,“巨大な強制収容所”“大監獄”以外の何ものでもないと指摘,これは北京の「マオイストがカンボジアで行なった実験の悲惨な結果」だと中国を厳しく非難。
DIA-602-1978-11-02-2ソ連1978年11月02日1970年代ソ連・ベトナム首脳会談,クレムリンで開始。
DIA-602-1978-11-03-1ソ連1978年11月03日1970年代ソ連・ベトナム友好協力条約調印―第6条に「有事協議条項」がもられ,軍事同盟的性格が注目された。同日,①経済・科学技術協力の発展・深化に関する協定,②紅河のタンロン橋完成,ハノイ操車場の再建,ハノイ=ハイフォン鉄道の軌道拡大への技術援助に関する協定,③ソ連の贈与としてベトナムにインタースプートニクの宇宙通信地上ステーションを建設することに関する協定,④ハノイ=ホーチミン鉄道の正常運行を保証するための援助協定,⑤薬草栽培のプランテーションの設立と関連企業の建設に関する協定,⑥ベトナムの専門家と熟練労働者を養成するための協力協定,に調印。
DIA-602-1978-11-03-2ソ連1978年11月03日1970年代ソ連・ベトナム友好協会代表団,ベトナム訪問。
DIA-602-1978-11-04-1ソ連1978年11月04日1970年代ベトナムの『ニャンザン』はソ越条約により,「両国の運命は結ばれている」と強調,しかしベトナムの自主独立外交,特に東南アジアへの政策の変化はないと指摘。
DIA-602-1978-11-04-2ソ連1978年11月04日1970年代ソ越友好協力条約調印について,バンコク外交筋は「ソ連のインドシナ紛争へのほぼ決定的な登場」と見て強い不安を現わし,シンガポール紙は前日「ソ連がベトナムの北面(中越国境)を保障する用意があるなら,ベトナムのカンボジアへの大攻勢の可能性も十分あり得る」と指摘。(5日付読売)
DIA-602-1978-11-04-3ソ連1978年11月04日1970年代カンボジアはソ越友好協力条約調印について,「ベトナムがソ連拡張主義の衛星国であることを証明した」と述べ,「ソ連の要求でベトナムはカンボジアに対する乾期大攻勢をかける準備を進め,全軍の大結集をはかっている」と非難。(プノンペン放送)
DIA-602-1978-11-04-4ソ連1978年11月04日1970年代ソ連最高裁・法律家協会代表団,ベトナム訪問を終る。
DIA-602-1978-11-06-1ソ連1978年11月06日1970年代ソ連のコウリク駐マレーシア大使は,「ソ連は67年に結成当初のASEANの意図に疑いは持っていたが,敵対的態度を示したことはない。最近フィリュービン外務次官が示したASEAN支持は以前のソ連の態度と矛盾するものではない」と語る。
DIA-602-1978-11-07-1ソ連1978年11月07日1970年代ソ連の革命記念日に赤の広場で演説したウスチーノフ国防相は「大国覇権主義的目的を追求している北京指導部の政策によって平和と社会主義の大義に対する重大な危険がもたらされている」と激しく非難,ソ連は「帝国主義者とそれを手助けする者たちの侵略的陰謀に対しては断固たる反撃を加える」と強調。
DIA-602-1978-11-07-2ソ連1978年11月07日1970年代ソ連の対ベトナム文化援助についてハノイ放送は,「54~77年に11の芸術・文化の分野のベトナム人学生531人がソ連の大学を卒業し,そのうちの100人は博士候補になった。また文化部門の技術者数百人が同期間にソ連で養成された。ソ連はベトナムの映画部門や録音スタジオに設備を供給し,出版社に紙(72年以来2万1400トン)を供給した」と報道。
DIA-602-1978-11-07-3ソ連1978年11月07日1970年代ハノイ労働者文化センターが全ソ労評の寄贈で建設開始。(VNA)
DIA-602-1978-11-08-1ソ連1978年11月08日1970年代タイ訪問中の鄧小平副首相は,ソ越条約を軍事同盟だと非難,「ベトナムがカンボジアへの侵略をどこまで推し進めるかをよく見守り,その上で対応策を練る」と表明。
DIA-602-1978-11-09-1ソ連1978年11月09日1970年代ベトナム党・政府代表団のソ連公式訪問に関するソ連・べトナム共同コミュニケを発表。「検討したすべての問題で双方の見解が完全に一致した」と言明。
DIA-602-1978-11-09-2ソ連1978年11月09日1970年代米国務省スポークスマンはソ越友好協力条約について「東南アジアの平和と安定に悪影響を与えるなら米国は同条約に懸念をいだかざるを得ない」と言明。
DIA-602-1978-11-09-3ソ連1978年11月09日1970年代モスクワ放送は,カンボジアと中国の対ベトナム政策について論評し,中国指導部はカンボジア兵士を最後の1人まで使って社会主義ベトナムに対する宣戦布告なしの戦争をやろうとしていると厳しく非難。
DIA-602-1978-11-10-1ソ連1978年11月10日1970年代『人民日報』はソ越条約について初めて社説で「ベトナムはASEAN内部でソ連のトロイの馬になろうとしている」と激しく非難,同条約はまぎれもない軍事同盟だときめつけ“インドシナ連邦構想”は“アジア集団安保”の1構成部分だと指摘。
DIA-602-1978-11-12-1ソ連1978年11月12日1970年代『プラウダ』はブラウン米国防長官の訪日と日米定期協議について「日本の軍国主義化と日米軍事協力の限度拡大の新たな一歩」だと非難する論評。
DIA-602-1978-11-13-1ソ連1978年11月13日1970年代ラオスの『シアン・パサソン』はソ越条約を称賛。
DIA-602-1978-11-13-2ソ連1978年11月13日1970年代タス通信はベトナム通信の情報として,カンボジア領内で反ポル・ポト政府暴動が続発していると報道。
DIA-602-1978-11-13-3ソ連1978年11月13日1970年代ガット報告によると,77年の中国の対ソ貿易は,輸入1億6000万ドル,輸出1億7000万ドルと,対米貿易を下まわった。
DIA-602-1978-11-13-4ソ連1978年11月13日1970年代マニアにあるソ連通商代表部は,ソ連が対比貿易の赤字幅を縮小するためソ連製品売込みの大キャンペーンを計画中と発表。ソ連の77年対比輸入額1億ドル余に対し,輸出はわずか2100万ドルにすぎなかった。
DIA-602-1978-11-13-5ソ連1978年11月13日1970年代アフガニスタンの首都カーブルの中心地に2階建のソ連文化センターが開設。(プラウダ)
DIA-602-1978-11-14-1ソ連1978年11月14日1970年代タイとの経済関係発展―『プラウダ』はタイとの経済関係の発展ぶりを報道,77年にはタイの全社会主義国との貿易高が貿易総額の2%にも満たなかったが,クリアンサク政権誕生以後,あらゆる国との平和共存の原則に基づく協力関係が発展し,ソ連との貿易も今年上半期は前年同期より3分の1上まわり,今年のゴムの対ソ輸出は6倍増となり,初めてソ連の熔接設備,印刷設備,金属切断機の据付が実現した,と指摘。
DIA-602-1978-11-14-2ソ連1978年11月14日1970年代『北京周報』はフィリュービン次官の東南アジア訪問について,ソ連の宣伝機関は異例にも同次官の訪問を極力目立たぬように努め,一方これと対照的に,ベトナム首相の同地域訪問については「ベトナム抜きでは東南アジアを平和地域に変えることはできない」と大仰な宣伝を展開した,これはソ連がベトナムを「東南アジアの前哨拠点」としているからだ,と批判。
DIA-602-1978-11-14-3ソ連1978年11月14日1970年代『プラウダ』は韓国の大邱市における学生の反政府デモを報道,「南朝鮮での反政府デモの波は,テロや弾圧にもめげずに朴独裁体制とたたかい続ける愛国者たちの決意を示している」と指摘。
DIA-602-1978-11-14-4ソ連1978年11月14日1970年代ソ連歌舞団,ビルマ訪問。
DIA-602-1978-11-15-1ソ連1978年11月15日1970年代タス通信は鄧小平副首相の東南アジア諸国歴訪について公式論評を発表,「これらの諸国を中国の反ソ政策に引込み,ベトナムに敵対させようとした試みは失敗に終った」と決めつけた。
DIA-602-1978-11-15-2ソ連1978年11月15日1970年代『プラウダ』はブラウン米国防長官の韓国訪問と,「合同軍事司令部」設置を非難する論評を掲載。
DIA-602-1978-11-15-3ソ連1978年11月15日1970年代ラオスの13号道路を横切るナムグム,ナムカディン両河の橋梁建設へのソ連援助の協定調印記念式典がビエンチャンで行わる。
DIA-602-1978-11-16-1ソ連1978年11月16日1970年代日本社会党安保自衛隊等特別委員会(矢山有作委員長)は「全千島の帰属を要求しつつ当面は4島の返還によって日ソ平和条約を締結する」という内容を盛った新平和保障政策案を同党中執委に提出。
DIA-602-1978-11-16-2ソ連1978年11月16日1970年代ソ連・バングラデシュ友好協会代表団(団長=ソフィンスキー高・中等教育省次官),ダッカ訪問,23日,大統領と会談。
DIA-602-1978-11-21-1ソ連1978年11月21日1970年代訪ソ中の澄田輸銀総裁と会談したイノゼムツェフ国家計画委員会副議長らは,ソ連が来年から作成に入る第11次5ヵ年計画では東シベリアの開発に特に優先順位が与えられ,日本の協力を期待していると語る。
DIA-602-1978-11-22-1ソ連1978年11月22日1970年代イノゼムツェフ国家計画委員会副議長以下の代表団がインド訪問。印ソ経済協力の詳細計画作成の会議開催。12月1日,長期経済協力の議定書調印。
DIA-602-1978-11-22-2ソ連1978年11月22日1970年代訪ソ中の河野洋平新自由クラブ代表と会見したシチコフ最高会議連邦会議議長は,日中条約締結はソ連にとって「非友好的以上のもの」と非難,また日ソ間に領土問題は存在しないと述べ,歯舞,色丹返還の約束は60年安保でホゴになったことを日本側に伝えてあると主張。
DIA-602-1978-11-23-1ソ連1978年11月23日1970年代アフガニスタンの一連の都市医療機関の設計にソ連が技術協力する契約書がカーブルで調印。
DIA-602-1978-11-23-2ソ連1978年11月23日1970年代北朝鮮の党活動家代表団,両党間の相互交流でハバロフスクを訪問。
DIA-602-1978-11-23-3ソ連1978年11月23日1970年代訪ソ中のネパール国会代表団(団長=ラム・ハリ・シャルマ・ナショナル・パンチャト議長)はクズネツォフ最高会議幹部会第1副議長と会見。
DIA-602-1978-11-25-1ソ連1978年11月25日1970年代インドとソ連はルピー・ルーブル交換率を10ルピー=1ルーブルと定め,議定書調印。66年以来の旧レートは1ルーブル=8.333ルピーだった。なお新レートが適用される借款協定は76年1月1日以降に調印されたものに限る。
DIA-602-1978-11-25-2ソ連1978年11月25日1970年代ソ連党中央委農業部代表団,ベトナム訪問終る。
DIA-602-1978-11-25-3ソ連1978年11月25日1970年代ソ連党活動家代表団,ベトナム訪問を終了。
DIA-602-1978-11-26-1ソ連1978年11月26日1970年代ソ連の対印援助―『プラウダ』はブレジネフ書記長のインド訪問5周年を記念して,ソ印友好の発展を強調する論評を掲載。①インドはソ連援助で70以上の巨大な施設が建設されたか建設中,②最近の会議でボカロ,ビライ両製鉄所の生産能力を年産計1050万トンに拡大することが決められた,③5年前にカルカッタの地下鉄建設がソ連の協力で始められ,④コルバでは大アルミ・コンビナートが今年初めて6万トン生産,⑤ボンベイでは海底石油ボーリング設備が今年初めて据付けられた,⑥両国の貿易も80年までに1.5~2倍にすることが決められ,77年にはすでに9億ルーブルを越え,1年間に40%も増加,今やインドは発展途上国の中でソ連の最大の貿易相手国となっている,と指摘。
DIA-602-1978-11-29-1ソ連1978年11月29日1970年代ソ連のアルバートフ米国カナダ研究所長は英ジャーナリストとのインタビューで,ソ連海軍増強について「われわれにとってのインド洋は,いわばアメリカにとってのパナマ運河と同様,わが国の西部と東部をつなぐ海の道の役割を果している,だからわが国は海軍力に関心を持たざるを得ない」と発言。(朝日)
DIA-602-1978-11-29-2ソ連1978年11月29日1970年代ソ連体育大学代表団,ベトナム訪問終る。
DIA-602-1978-12-01-1ソ連1978年12月01日1970年代ソ連大使,カムラン湾基地化を否定―ソ連のクズネツォフ駐タイ大使は外人記者クラブでの演説で,ソ連がベトナムのカムラン湾を海軍基地として使用しようとしているとの観測を公式に否定するとともに,ソ連の軍事顧問はベトナム戦争後全員引揚げ,現在ベトナム,ラオスには1人もいないと言明。
DIA-602-1978-12-01-2ソ連1978年12月01日1970年代ソ連・ラオス友好週間開幕,モスクワで記念集会。
DIA-602-1978-12-02-1ソ連1978年12月02日1970年代ラオス人民民主共和国成立3周年に当り,ブレジネフ書記長とコスイギン首相がカイソン書記長,スファヌボン大統領に祝電。
DIA-602-1978-12-02-2ソ連1978年12月02日1970年代ラオスのカイソン書記長『プラウダ』特派員とのインタビューで,当面の中心課題は,この2年間の干ばつと洪水で受けた被害の克服,農林業の発展,道路の回復と交通機関の改善,文盲の一掃,国防強化だと述べ,外交政策では全ての社会主義国との連帯と協力の強化,ベトナムとの特別で緊密な関係保持に力を注ぐと強調。またラオスの解放闘争および社会主義建設へのソ連の巨大な援助に感謝を表明した。
DIA-602-1978-12-02-3ソ連1978年12月02日1970年代『プラウダ』は大平自民党総裁誕生について「前任者(福田首相)の内外政策がタカ派的立場をとったのに対し,新総裁は“慎重論者”として知られている」と好意的報道。
DIA-602-1978-12-02-4ソ連1978年12月02日1970年代ベトナムの党活動家代表団,党活動交流で訪ソ。
DIA-602-1978-12-04-1ソ連1978年12月04日1970年代ソ連・アフガニスタン首脳会談開始。
DIA-602-1978-12-04-2ソ連1978年12月04日1970年代パキスタン・ソ連文化交流友好協会のマズハル・アリ・カーン副会長(パキスタン平和委員会書記長)が「軍事戒厳令違反」で逮捕された。(タス)
DIA-602-1978-12-05-1ソ連1978年12月05日1970年代ソ連・アフガニスタン友好善隣協力条約調印。第4条に安全保障確保のための有事協議や防衛力強化のための軍事協力を明記,また第8条には「アジアにおける効果的安全保障体制の創設促進」をうたった。「アジア集団安保」支持を条約で明記したのは初めて。
DIA-602-1978-12-05-2ソ連1978年12月05日1970年代バイバコフ副首相兼ゴスプラン議長はアフガニスタンのバリ社会保健相,ゼライ農業相,スマ高等教育相と両国の経済協力の発展について会談。
DIA-602-1978-12-05-3ソ連1978年12月05日1970年代『プラウダ』は日本社会党内の親中国派が北方4島返還要求を同党に決議させようとしたと非難,執行部の態度も一貫性がないと批判。
DIA-602-1978-12-07-1ソ連1978年12月07日1970年代『プラウダ』は「北京の上層部内の闘争が続いている」と題する論評(A.ペトロフ)を掲載。最近,北京で開かれている重要会議では「天安門事件」の評価をめぐって論争が行われていると指摘,毛沢東批判とともに派閥闘争が激化しているが,毛沢東時代に定められた反ソのために帝国主義勢力と接近するという路線は共通している,と強調。
DIA-602-1978-12-09-1ソ連1978年12月09日1970年代『イズベスチヤ』はカンボジアの救国戦線設立について詳しく報道,「現在の反動体制とカンボジア革命の理想実現のための闘争に大きな貢献をするだろう」と支持を明確に表明。
DIA-602-1978-12-09-2ソ連1978年12月09日1970年代『プラウダ』はラオスの民族民主革命勝利3周年を記念した論評の中で,ソ連の協力で自動車修理工場建設や石油・ガス探査が行われ,ナムグンの2番目の水利センター(電力と灌漑)の建設が開始されたと指摘。
DIA-602-1978-12-09-3ソ連1978年12月09日1970年代タス通信はインドネシアのモフタル外相が記者会見で,ヨーロッパとインドシナのすべての社会主義諸国と友好関係を維持する,ソ連との関係は良好で発展の展望があると強調したと報道,中国との関係については同外相は,鄧小平副首相が東南アジア歴訪中に発表した華僑政策はインドネシア人の中国理解に役立たなかったと述べたと指摘。
DIA-602-1978-12-10-1ソ連1978年12月10日1970年代『プラウダ』週間国際展望欄は,カンボジアの19州中16州にすでに解放区が成立したと強調,救国戦線設立を「カンボジアの真の革命・愛国勢力が祖国救済のための断固たる闘争に立上がった」と称賛。
DIA-602-1978-12-11-1ソ連1978年12月11日1970年代モスクワで中国の作家鄭振鐸生誕80周年記念の夕べ開催,中国の駐ソ大使館員も列席。
DIA-602-1978-12-11-2ソ連1978年12月11日1970年代ソ連政府代表団(団長=アルヒーポフ副首相),ソ蒙経済・科学技術協力委員会の政府間定期協議のためモンゴルを訪問。同日ツェデンバル第1書記と会見。同代表団は「エルデネト」ソ蒙合弁鉱山・選鉱コンビナート第1部門稼働開始式典にも参加する。(タス)
DIA-602-1978-12-12-1ソ連1978年12月12日1970年代ソ連のポノマリョフ党政治局員は,ソフィアで開かれた共産党・労働者党国際理論会議での演説で,1950年2月に調印された中ソ友好同盟相互援助条約が中国の安全保障に重要な役割を果したと指摘。(鄧小平副首相は同条約を破棄する態度を表明しているが,ソ連側には破棄の意向がないことを示すものと受取られている)。
DIA-602-1978-12-13-1ソ連1978年12月13日1970年代コスイギン首相,大平首相就任に祝電。(タス)
DIA-602-1978-12-13-2ソ連1978年12月13日1970年代ソ連・ベトナム友好協力条約,ハノイで批准書交換。
DIA-602-1978-12-14-1ソ連1978年12月14日1970年代防衛庁筋は最近ソ連が極東艦隊所属の護衛艦2隻をベトナムに供与した可能性があると示唆。(読売)
DIA-602-1978-12-14-2ソ連1978年12月14日1970年代ブレジネフ書記長は「エルデネト」ソ蒙合弁鉱山・選鉱コンビナート第1部門完成で同建設参加者に祝電。同日付『プラウダ』も現地ルポを大きく報道。
DIA-602-1978-12-14-3ソ連1978年12月14日1970年代デリーのソ連文化会館で「ソ連化学・石油工業展」開幕。
DIA-602-1978-12-17-1ソ連1978年12月17日1970年代「アジアのNATO」警戒―ソ連国防省機関紙『赤い星』は,米中国交正常化声明を踏まえた論評で,「これをきっかけにアジア・太平洋地域で米中日3国による“反ソ同盟”さらにはアジア版NATOの形成をめざす動きがいちだんと強まる恐れがあり,ソ連としてもそれに備える必要がある」と強調。
DIA-602-1978-12-17-2ソ連1978年12月17日1970年代タス通信は米中国交正常化声明について,「米中間の外交関係回復は歴史的必然」だが,「多くの人びとは緊張の危険な激化を伴うのではないかとの懸念を抱いている」と控えめな初論評。
DIA-602-1978-12-17-3ソ連1978年12月17日1970年代日本社会党飛鳥田委員長訪ソ。
DIA-602-1978-12-18-1ソ連1978年12月18日1970年代『プラウダ』は米中正常化について,『赤旗』の声明の紹介という形で間接的批判。
DIA-602-1978-12-19-1ソ連1978年12月19日1970年代プラウダ,米中正常化を論評―『プラウダ』は「正常化の動機について」(ゲオルギエフ評論員)と題する本格的論評掲載。カーター米大統領の「ソ連などに損害を与えるものではない」との発言が「実際の政治的行動に合致するかどうかは時が示すだろう」と警告,一方「中国はソ連を主敵とする特別な外交路線をますます鮮明にしている」と厳しく非難。
DIA-602-1978-12-19-2ソ連1978年12月19日1970年代台湾はソ連と同盟考えぬ―台湾の経国総統は,胡健中氏の「どうしてわれわれがソ連カードを使ってはいけないのか」との発言に,「そらいうことは全く考えていない,ソ連と同盟を結ぶという考えは極めて危険だ」と強く拒否した。(チャイナ・ポスト)
DIA-602-1978-12-19-3ソ連1978年12月19日1970年代アジア・アフリカ連帯ソ連委員会はカンボジア救国民族統一戦線への支持と連帯の声明発表。21日にはソ連婦人委員会も同様声明。
DIA-602-1978-12-21-1ソ連1978年12月21日1970年代ブレジネフ書記長とカーター米大統領が親書交換―その中でブ書記長は米中正常化について「2つの主権国家が関係を正常化するのは当然のこと」としつつ,中国の今日の路線がきわめて限定された志向を持っていることを考慮すれば,正常化の基礎,目的に疑問を抱くのは当然だと指摘した。タス通信が両首脳の親書交換の発表に踏切ったのは,カーター大統領が米中正常化は平和に寄与することをブレジネフ書記長も認めたと発言したことへの反発と見られている。
DIA-602-1978-12-21-2ソ連1978年12月21日1970年代『プラウダ』は,韓国の「総選挙」における朴体制支持者の「勝利」は非常事態宣言下の欺瞞にすぎず,彼らの独裁体制を強化し,合法性の体裁をつくろうものだ,と厳しく非難。
DIA-602-1978-12-21-3ソ連1978年12月21日1970年代日本社会党代表団(飛鳥田委員長)訪ソ終え,双方は「共同新聞発表」をまとめた。北方領土問題,日中条約,日ソ善隣友好条約の3点で意見不一致。
DIA-602-1978-12-21-4ソ連1978年12月21日1970年代ソ連・アフガニスタン友好文化交流協会第4回総会開催,アントノフ会長(電気技術工業相)を再選。
DIA-602-1978-12-21-5ソ連1978年12月21日1970年代タス通信はインド各地でインディラ・ガンジー氏逮捕に抗議するデモが行われたと報道。
DIA-602-1978-12-24-1ソ連1978年12月24日1970年代米CIA報告書によると,77年のソ連の対外軍事援助は約40億ドルで,74年の41億ドルに次ぐ高額。
DIA-602-1978-12-24-2ソ連1978年12月24日1970年代『プラウダ』週間国際展望欄は米中正常化に関する米世論の動向を分析,ニクソン=キッシンジャー時代の米中ソ「三極」構想が中ソ対立を米国に有利に利用する政策とすれば,今や米中日の反ソ同盟をつくろうとしているとの見方が多いと指摘,ソ連は米中関係がどう発展するか注意深く見守るとしめくくっている。
DIA-602-1978-12-25-1ソ連1978年12月25日1970年代ソ連・インド間の79貿易議定書,ニューデリーで調印。両国は貿易額を78年の100億ルピー(約12億5000万ドル)から120億ルピー(約15億ドル)に20%拡大させることで合意。
DIA-602-1978-12-27-1ソ連1978年12月27日1970年代『プラウダ』は日本共産党の前衛的役割を高く評価する論文「最前線にて」(ウラジーミロフ)を発表。日ソ両党和解のステップか。
DIA-602-1978-12-27-2ソ連1978年12月27日1970年代バングラデシュ共産党は近く行われる選挙に参加すると声明。同声明は政府が野党の要求をとり入れ,軍事戒厳令を一時解き,集会の自由を保障したことを評価した。(タス)
DIA-602-1978-12-28-1ソ連1978年12月28日1970年代『プラウダ』は「古い目的,矛盾した路線―中共3中全会コミュニケについて」と題するペトロフ署名の論文を掲載,同党指導部の主導権は鄧小平派に移ったが,毛沢東主義がひき起した深刻な危機は依然として続いていると指摘。
DIA-602-1978-12-28-2ソ連1978年12月28日1970年代デリーで行われたソ印国際法セミナール終了。
DIA-602-1978-12-29-1ソ連1978年12月29日1970年代ソ連,中越紛争でべトナム支援を強調―『プラウダ』は「ベトナムとの連帯」と題する論評を載せ,中国がベトナム国境で流血事件をくり返えし,同時にカンボジアにもベトナムとの国境紛争を使嗾していると非難,ベトナムは社会主義諸国からの兄弟的支持と支援が保証されていると述べ,ソ越友好協力条約の重要性を強調。
DIA-602-1978-12-29-2ソ連1978年12月29日1970年代タス通信は,ラオスのカイソン書記長がバンビエン地区で来年の経済計画達成を呼びかけ,同時に人民権力の強化,国防強化への革命的自覚を高める必要性を指摘したと報道。
DIA-602-1978-12-31-1ソ連1978年12月31日1970年代日本共産党宮本委員長は,27日付『プラウダ』論文を「双方の関係改善の布石と受取ってもらってよい」と発言。
DIA-602-1978-12-31-2ソ連1978年12月31日1970年代『プラウダ』はカンボジア救国民族統一戦線の「革命綱領」を強く支持する論評を掲載。
DIA-602-1979-01-01-1ソ連1979年01月01日1970年代ソ連共産党中央委はアフガニスタン人民民主党創立14周年に祝電。(プラウダ)
DIA-602-1979-01-03-1ソ連1979年01月03日1970年代タス通信論評は中国外交部の南沙群島の主権についての声明を領土拡張主義と非難し,北京はワシントンの黙認を得て東南アジアの緊張激化を意識的にもたらしていると批判。
DIA-602-1979-01-04-1ソ連1979年01月04日1970年代『プラウダ』は米中国交樹立を論評,米中接近はなによりも北京の大国主義,アジアにおける拡張主義の奨励を意味していると非難し,ベトナム国境への兵力集結カラコルム軍事戦略道路建設,海軍基地獲得の意図(パキスタンのカラチ港やビルマに),南沙諸島への主権声明等を拡張主義の証拠として列挙。
DIA-602-1979-01-04-2ソ連1979年01月04日1970年代アフガニスタンのアミン外相は人民民主党創立14周年記念演説でソ連の友好と無私の協力を高く評価。(タス)
DIA-602-1979-01-05-1ソ連1979年01月05日1970年代タス通信は米英仏独首脳会談についての論評で,西側諸国が中国に武器や軍事技術の売却契約を次々に結んでいることは「火をもて遊ぶもの」と指摘,中国へ売った武器がやがて西側を攻撃するために使われる可能性があると警告。(朝日)
DIA-602-1979-01-05-2ソ連1979年01月05日1970年代『イズベスチヤ』は,カンボジアの「革命軍」が9つの州都を解放,プノンペンに北西,北,北東および東から迫っていると報道。
DIA-602-1979-01-06-1ソ連1979年01月06日1970年代韓国の内外通信は,ソ連と北朝鮮が昨年11月31日,貨物輸送量の増大を主な内容とする議定書に調印し,羅津港を事実上ソ連の極東海域基地に提供したと報道。また,同通信によると,4日のモスクワ放送は,羅津港が最近ソ連の援助で大規模な拡張工事を行い,ソ連はこの港を通じて北朝鮮に工作機械,セメント,木材,日用品などを輸出していると伝えた。(毎日)
DIA-602-1979-01-07-1ソ連1979年01月07日1970年代公明党第3次訪ソ団(団長=多田省吾副委員長),ソ連対文連の招待で訪ソ。
DIA-602-1979-01-08-1ソ連1979年01月08日1970年代ソ連国家対外経済交流委員会はベトナムとの貿易が79年中に総額5億ルーブルと史上最高に達する見込みと発表。(モスクワ放送)
DIA-602-1979-01-08-2ソ連1979年01月08日1970年代タス通信はカンボジア救国民族統一戦線の革命軍が「ポル・ポト=イエン・サリ一味の反動的独裁政権に対し決起した住民やポル・ポト軍の愛国的将兵とともにプノンペンその他の都市を解放した」と報道。(プラウダ)
DIA-602-1979-01-08-3ソ連1979年01月08日1970年代CIAはソ連の第三世界に対する兵器輸出が74年~77年の4年間に85億ドルに上り,米国より6億ドル多いと報告。
DIA-602-1979-01-08-4ソ連1979年01月08日1970年代ソ連のラオスに対するラジオ放送局建設援助についての協定,ビエンチャンで調印。
DIA-602-1979-01-08-5ソ連1979年01月08日1970年代フィリピンでの米軍基地協定改定について『プラウダ』は,同基地の米国旗と並んで比国旗がひるがえるようになるだけで本質的な変化はない,と論評。
DIA-602-1979-01-09-1ソ連1979年01月09日1970年代ソ連首脳,カンボジアのヘンサムリン議長に祝電-ブレジネフ,コスイギン両首脳連名の祝電は「革命・愛国勢力の勝利」と「カンボジアの唯一の合法政府である」人民革命評議会の創設を祝し,支持を表明。(タス)
DIA-602-1979-01-09-2ソ連1979年01月09日1970年代ブレジネフ書記長は米『タイム』誌とのインタビューで,ソ連は中ソ友好同盟相互援助条約を破棄するつもりはないと述べ,また米中国交正常化に関連して,欧米には中国指導部の反ソ路線を社会主義世界に対する圧力の武器として利用しようとする者がいるが,これは世界平和を脅かすものだと批判。(タス)
DIA-602-1979-01-09-3ソ連1979年01月09日1970年代カンボジア問題について『プラウダ』は,クメール人民は大量虐殺政策を行なった北京のカイライ一味を打倒したと指摘,「外国の干渉」とかいう北京のデマ宣伝もクメール人民が自国領内で自分の自由のためにたたかっているという明白な事実をくつがえせないと非難。
DIA-602-1979-01-10-1ソ連1979年01月10日1970年代中国の『人民日報』は「ベトナムのカンボジア侵略はソ連の世界戦略の一部分である」と題する論文を発表,「ソ連社会帝国主義はインドシナを押さえ,米国,日本の石油航路を牽制,戦略包囲網を形成しようとしている」と非難。
DIA-602-1979-01-10-2ソ連1979年01月10日1970年代ソ連がフィリピンに軍事援助提供を申し出-フィリピンの有力英字紙『タイムス・ジャーナル』は,米比軍事基地協定改定交渉が難航していた昨年10月,ソ連がフィリピンに軍事援助提供を申し出たと報道(毎日)。ロムロ外相はその事実を肯定し,さらに「ソ連はアエロフロートのフィリピン乗入れに熱心だが合意には達していない」と述べた。(朝日)
DIA-602-1979-01-10-3ソ連1979年01月10日1970年代ソ連高等・中等専門教育代表団(ソフィンスキー次官)ベトナムを訪問。20日,2国間の教育に関する議事録に調印。
DIA-602-1979-01-10-4ソ連1979年01月10日1970年代『イズベスチヤ』は,アフガニスタンの土地改革は封建主義一掃の重要なプロセスで,土地を配付された農民は農業生産発展のために協同組合化を進めている,という同紙特派員のルポルタージュを掲載。
DIA-602-1979-01-11-1ソ連1979年01月11日1970年代バングラデシュのミルザ・ラシド・アフマド駐ソ大使,信任状を提出。(プラウダ)
DIA-602-1979-01-11-2ソ連1979年01月11日1970年代ソ連タジク舞踊団,パキスタンで公演。
DIA-602-1979-01-12-1ソ連1979年01月12日1970年代ソ連とベトナムの1979年度貿易・支払議定書とソ連の対越物資追加供給に関する協定が,ハノイで調印(ソ連は機械・設備,石油製品,化学肥料,綿花等を,ベトナムはバナナ,軽工業製品,手工芸品等をそれぞれ供給する)。(モスクワ放送)
DIA-602-1979-01-12-2ソ連1979年01月12日1970年代駐ソ日本大使館の田中参事官はソ連外務省に昨年12月5日のソ連機による領空侵犯事件(礼文島付近)に再度抗議する口上書を手交(昨年12月11日の抗議にソ連側が1月8日,「領空侵犯の事実はない」と回答したため)。
DIA-602-1979-01-14-1ソ連1979年01月14日1970年代米中国交樹立を論評-『イズベスチヤ』は米中国交樹立に関して,米国指導者は戦略的には「ソ米関係の悪化が米中関係改善によってはカバーされない困難を生み出すことを理解している」が「戦術的には対中正常化を対ソ圧力のテコと見ている」と論評。
DIA-602-1979-01-14-2ソ連1979年01月14日1970年代タイ首相のラオス訪問はインドシナ半島の善隣関係を強化した,と『プラウダ』論評。
DIA-602-1979-01-15-1ソ連1979年01月15日1970年代国連緊急安保理の「外国軍のカンボジアからの撤退」決議案(非同盟7ヵ国提案)にソ連は拒否権を行使。
DIA-602-1979-01-15-2ソ連1979年01月15日1970年代バンコクの各紙はカンボジアで作戦中のベトナム軍にソ連の軍事顧問が参加していると報道。(時事)
DIA-602-1979-01-16-1ソ連1979年01月16日1970年代アフガニスタン国内で武力衝突が発生しているという英BBC放送について,タス通信はアフガン人民政府の土地改革や社会的改造を歪曲するためのデマだとのアフガン公安当局の発言を報道。
DIA-602-1979-01-17-1ソ連1979年01月17日1970年代ポリャンスキー駐日大使,日本共産党官本委員長を訪問。
DIA-602-1979-01-17-2ソ連1979年01月17日1970年代ソ連共産党中央委は日本社会党第13回全国大会に祝電。
DIA-602-1979-01-18-1ソ連1979年01月18日1970年代ラオス人民解放軍建軍30周年記念集会がモスクワで開催。(プラウダ)
DIA-602-1979-01-18-2ソ連1979年01月18日1970年代『イズベスチヤ』は国連に出席したシアヌーク殿下は自分以外の誰も代表していないと指摘,ベトナムの「軍事介入」なるものは世論の注意を中国の覇権主義からそらすためのデマだと非難。
DIA-602-1979-01-20-1ソ連1979年01月20日1970年代『イズベスチヤ』は,日本政府はソ日関係改善の意向を大げさに声明するが,日本軍部の諸計画は反ソ的傾向を公然と示していると指摘,防衛計画の唯一の仮想敵はソ連だと非難。
DIA-602-1979-01-21-1ソ連1979年01月21日1970年代在京ソ連筋は「日本がベトナム援助を凍結または中止した場合,日中平和友好条約の反覇権条項に基づく日中両国の共同行動に日本が踏み切ったと見なす」と牽制。(朝日)
DIA-602-1979-01-21-2ソ連1979年01月21日1970年代ペトロシャンツ原子力利用国家委員会議長インドを訪問,原子力平和利用協力協定調印。
DIA-602-1979-01-22-1ソ連1979年01月22日1970年代ソ連,キューバ,ハンガリーなど6ヵ国の記者が20日に陥落後のプノンペンを初訪問。(ハノイ放送)
DIA-602-1979-01-22-2ソ連1979年01月22日1970年代パキスタン駐在のソ連,チェコ,ハンガリー,ブルガリア4ヵ国大使館は共同で新聞会議を開催,パキスタンと社会主義諸国の経済関係拡大の可能性を強調。
DIA-602-1979-01-24-1ソ連1979年01月24日1970年代ブレジネフ書記長はキャラハン英首相宛親書を送り,英国の対中国武器輸出に警告。(タス)
DIA-602-1979-01-24-2ソ連1979年01月24日1970年代ソ連首脳のラオス人民民主共和国成立3周年祝賀メッセージに対しカイソン,スハヌボン両首脳が謝電。(プラウダ)
DIA-602-1979-01-25-1ソ連1979年01月25日1970年代米両院経済合同委秘密聴聞会でのCIA報告の議事録が公表され,その中でソ連が69年から増員した50万人の兵力の半数は中ソ国境地帯に配置され,同地域のソ連軍は69年の40万から78年には65万人に増強したと指摘。
DIA-602-1979-01-25-2ソ連1979年01月25日1970年代大平首相の施政方針演説と園田外相の外交演説に対し,モスクワ放送は両氏が日ソ関係改善を領土問題と結びつけたと批判。
DIA-602-1979-01-26-1ソ連1979年01月26日1970年代ブレジネフ議長とコスイギン首相はインド建国29周年に祝電。(プラウダ)
DIA-602-1979-01-27-1ソ連1979年01月27日1970年代タス通信は北朝鮮の祖国統一民主主義戦線中央委の南北対話促進声明を「重要な平和的イニシアチブ」と評価。
DIA-602-1979-01-27-2ソ連1979年01月27日1970年代ソ連のセリャニノフ駐ニュージーランド大使兼駐トンガ大使を更送,後任にソフインスキー氏。(プラウダ)
DIA-602-1979-01-28-1ソ連1979年01月28日1970年代『イズベスチヤ』は中国当局が大衆を統御できなくなり,無法状態が生まれていると論評,大漢排外主義による少数民族の抑圧と「中国化」が文化革命以来強行されていると述べ,指導部内でも毛主義を擁護する分派とはっきり疑問視する分派があると指摘。
DIA-602-1979-01-28-2ソ連1979年01月28日1970年代カンボジアのヘン・サムリン議長,ブレジネフ,コスイギン両首脳に同政権承認を感謝する返電。(プラウダ)
DIA-602-1979-01-29-1ソ連1979年01月29日1970年代ソ連,国後・択捉両島に基地を建設防衛庁は「ソ連が両島に数千人規模の地上実戦部隊を配備し,本格的基地建設を行なっている」と判断したことを明らかにした。
DIA-602-1979-01-29-2ソ連1979年01月29日1970年代ソ連対文連とソ中友好協会はモスクワで瞿秋白生誕80周年記念集会を開催。(タス)
DIA-602-1979-01-29-3ソ連1979年01月29日1970年代訪米中の鄧小平中国副首相は29日発売された米『タイム』誌との会見記事の中で「戦争の温床はソ連であり,もしわれわれが北極熊にクツワをはめたいと望むなら,唯一の方法は団結することだ」と言明。
DIA-602-1979-01-30-1ソ連1979年01月30日1970年代『イズベスチヤ』は「同盟の結成」と題する論評(デムチェンコ)を発表,米中日3国の反ソ志向の「三角協力」を非難。
DIA-602-1979-02-01-1ソ連1979年02月01日1970年代『プラウダ』は鄧小平副首相の米『タイム』誌とのインタビューを「気違いじみた反ソ主義と緊張緩和への敵意で貫かれている」と非難。
DIA-602-1979-02-01-2ソ連1979年02月01日1970年代新「ドミノ」理論を非難-タイ政府のカンボジア問題への政策について「イズベスチヤ』は「厳正中立」「現実主義」と評価し,米中両国はASEAN諸国をインドシナの社会主義諸国との軍事対決に追いやろうとして,ポル・ポト=イエン・サリ一味の崩壊の結果ASEAN諸国に軍事的脅威が生じたかの如く宣伝していると指摘し,「ドミノ」理論の復活だと非難。
DIA-602-1979-02-02-1ソ連1979年02月02日1970年代ソ連・ベトナム経済援助協定調印(ハノイ,アルヒポフ副首相とレ・タイン・ギ副首相)。ソ連はベトナムに新たに3つのプラント(トラクター工場,鍛圧設備工場等)とホーチミン博物館の建設を約束。(モスクワ放送)
DIA-602-1979-02-02-2ソ連1979年02月02日1970年代山下防衛庁長官,園田外相は衆議院予算委員会で国後,択捉両島におけるソ連の兵力増強と基地建設に関する防衛庁情報を確認,「冷静に対処する」と表明。
DIA-602-1979-02-03-1ソ連1979年02月03日1970年代『ソビエツカヤ・ロシア」紙は,日本政府がベトナムのカンボジアへの介入を理由に対越援助停止をきめたことを中国の「共同行動」を迫る圧力に屈したと非難。(読売)
DIA-602-1979-02-04-1ソ連1979年02月04日1970年代『イズベスチヤ』は「中国の偽善者たち」と題する論評で,北京は東南アジア諸国への挑発を活発化していると非難,インドの分離主義的傾向をあおり,ベトナム,ビルマの国境地区やインド東北部で挑発活動を著しく強め,反乱分子,攪乱分子を送り込んで軍事的緊張をつくり出していると指摘。
DIA-602-1979-02-04-2ソ連1979年02月04日1970年代『プラウダ』は訪米中の鄧副首相の対ソ中傷発言に米国は広い演壇を提供したと米国をも厳しく非難。
DIA-602-1979-02-05-1ソ連1979年02月05日1970年代日本政府,国後・択捉基地建設でソ連に抗議-外務省はポリャンスキー大使を呼び,両島への地上部隊配備,基地建設について政府の抗議声明を口頭で伝えた。
DIA-602-1979-02-05-2ソ連1979年02月05日1970年代シュペチコ駐インドネシア大使はダルヤトモ国会議長を訪問,ソ連議会のインドネシア国会代表団への招待状(79年8月)を手交。
DIA-602-1979-02-05-3ソ連1979年02月05日1970年代パキスタンのサバブザダ・ヤクブ・ハン駐ソ大使が信任状を提出。
DIA-602-1979-02-07-1ソ連1979年02月07日1970年代中越国境の軍事情勢緊迫化に伴い,ソ連の巡洋艦2隻とその支援艦数隻が黒海艦隊と太平洋艦隊からベトナム沖に派遺され集結中。(ワシントン・スター)
DIA-602-1979-02-07-2ソ連1979年02月07日1970年代ポリャンスキー駐日大使はモスクワ=東京を姉妹都市とする美濃部都知事の提案に同意するプロムイスロフ・モスクワ市長の書簡を都知事に手渡した。
DIA-602-1979-02-07-3ソ連1979年02月07日1970年代ソ連対外友好文化交流協会連合会とソ越友好協会の代表団がベトナム友好訪問のためハノイ着。(VNA)
DIA-602-1979-02-08-1ソ連1979年02月08日1970年代ソ連・ラオス経済技術協力協定(1979~80)と両国政府間経済科学技術協力委員会設置に関する協定,ビエンチャンで調印(ラオスへの道路建設技術,農業化学実験所用施設輸送手段,農業技術の供給など)。また1975~85年のラオス人専門家,専門技術労働者の養成の協力協定も調印。(プラウダ)
DIA-602-1979-02-08-2ソ連1979年02月08日1970年代インドのバジパイ外相は記者会見で,「ソ連との友好は常に心のこもったものであり,ジャナタ党政権の2年間に両国関係は深まっただけでなく,新たな発展をとげた」「中国との関係正常化によっていかなる第3国との友好関係をも犠牲にすることはない」と発言した。(タス)
DIA-602-1979-02-09-1ソ連1979年02月09日1970年代ブレジネフ議長はパキスタンのジアウル大統領に書簡を送り,ブット前首相の助命を要請。(タス)
DIA-602-1979-02-10-1ソ連1979年02月10日1970年代『プラウダ』は日本共産党上田耕一郎副委員長とのラトイシェフ特派員のインタビュー「平和擁護,日本軍国主義反対の闘争の中で」を掲載。
DIA-602-1979-02-12-1ソ連1979年02月12日1970年代ソ連哲学研究所代表団,ベトナムを訪問。(VNA)
DIA-602-1979-02-13-1ソ連1979年02月13日1970年代『プラウダ』は国後,択捉両島でのソ連軍活発化という日本の報道を「お定まりの反ソ・キャンペーン」と非難。
DIA-602-1979-02-13-2ソ連1979年02月13日1970年代『プラウダ』は中越国境での中国の戦争準備を警告するアレクサンドロフ論文を発表。
DIA-602-1979-02-13-3ソ連1979年02月13日1970年代『イズベスチヤ』は朝鮮再統一に関する南北対話の復活を呼びかけた北朝鮮の祖国統一民主主義戦線の提案(1月23日)を支持する論評を発表。
DIA-602-1979-02-13-4ソ連1979年02月13日1970年代アルーシャ会議(途上国77ヵ国グループ閣僚会議)でアルジェリア代表は「東側諸国も第三世界の資源をむさぼっている」と指摘,ソ連・東欧諸国は「応分の国際的義務」を果たすべきだと主張。(朝日)
DIA-602-1979-02-14-1ソ連1979年02月14日1970年代第4回日ソ経済合同委員会幹部会開催(~16日,東京)。ソ連側代表はソ日経済委員会セミチャストノフ委員長(外国貿易省第1次官)。
DIA-602-1979-02-15-1ソ連1979年02月15日1970年代国会で「北方領土問題解決促進決議」を採択-衆参両院沖縄・北方問題特別委員会は北方領土の早期返還と基地建設などの軍事的措置撤回を要求する決議を採択(共産党は棄権)。21日には両院とも本会議で同様の決議を採択。
DIA-602-1979-02-15-2ソ連1979年02月15日1970年代タス論評は米国のダブス駐アフガニスタン大使殺害事件をソ連顧問団が指揮したという米報道を否定。
DIA-602-1979-02-15-3ソ連1979年02月15日1970年代タス通信によれば,インドの『ファイナンシャル・エクスプレス』紙は印ソ貿易が1953―54会計年度の1,750万ルピーから1977―78会計年度の約110億ルピーに発展したと報道。
DIA-602-1979-02-16-1ソ連1979年02月16日1970年代カンボジア救国戦線書記長が訪ソ-ロフ・サマイ書記長を団長とするカンボジア救国戦線代表団がソ連を友好訪問。(プラウダ)
DIA-602-1979-02-18-1ソ連1979年02月18日1970年代ソ連政府,中越戦争に関する声明発表-同声明は「ベトナムへの中国の侵略は中国当局の東南アジア,特にベトナムに対する多年にわたる脅迫・抑圧政策の直接の結果」であり,「カンボジア人民が残虐なポル・ポト政権を打倒し対越友好関係を復活したことを侵略の口実とする」ことは「侵略者を恥ずべき結末へ導く道である」,「北京の覇権主義的政策の本質を暴露した」,「ソ連はソ越友好協力条約で自己の負った義務を遂行する」と言明。(プラウダ)
DIA-602-1979-02-18-2ソ連1979年02月18日1970年代グロムイコ外相がベトナムのグエン・フー・キュウ駐ソ大使と会談(タス)。中国の対越攻撃への対抗措置を協議か。(読売)
DIA-602-1979-02-18-3ソ連1979年02月18日1970年代『イズベスチヤ』論評は,フィリピンとソ連の関係発展を讃え,「両国関係発展の反対者たちは最近“フィリピン南部の分離運動をソ連が支援している”とのうわさを流したが,その目的はソ連の対東南アジア政策に不信感を植えつけることだ」と非難。
DIA-602-1979-02-18-4ソ連1979年02月18日1970年代『イズベスチヤ』論評はカンボジアの「ポル・ポト=イエン・サリ一味」による「ジェノサイド」は「毛主義のモデルを追求したための論理的帰結である」と非難。
DIA-602-1979-02-19-1ソ連1979年02月19日1970年代インドのデサイ首相は訪印中のソ連対外友好文化交流協会連合会クルグロフ会長と会見。
DIA-602-1979-02-20-1ソ連1979年02月20日1970年代『イズベスチヤ』は,インドのバジパイ外相が中国軍のベトナム侵攻に対しインド政府の深刻な懸念を表明し,中国訪問を切り上げて帰国したと報道。
DIA-602-1979-02-22-1ソ連1979年02月22日1970年代ソコロフ国防第1次官は『イズベスチヤ』に建軍記念論文を発表,「ソ連軍は兄弟的軍隊とともに社会主義の獲得物を守り,侵略者を粉砕する責務を最後まで遂行する」と指摘。
DIA-602-1979-02-23-1ソ連1979年02月23日1970年代防衛庁筋は,21日に対馬沖を南下したソ連のスベルドロフ級ミサイル巡洋艦はソ連太平洋艦隊の旗艦「セニャビン提督」号でベトナム沖のソ連艦隊の指揮に当たるとみられると言明。
DIA-602-1979-02-23-2ソ連1979年02月23日1970年代米政府筋によると,ソ連の大型輸送機AN22型6機がソ連南部からハノイへ到着,うち5機はミサイルなどの部品その他軍事物資輸送に当たったと見られ,残る1機は特殊のVIP専用機でソ連政府または軍の最高幹部が運ばれたと見られる。
DIA-602-1979-02-23-3ソ連1979年02月23日1970年代タス通信はブルメンソール米財務長官の訪中を「中国の(ベトナムへの)野蛮な侵略を是認するゼスチュアのひとつ」と論評。
DIA-602-1979-02-23-4ソ連1979年02月23日1970年代ソ連外務省ロガチェフ東南ア局長,ベトナムを訪問,ファン・ヒエン外務次官と会見。(VNA)
DIA-602-1979-02-23-5ソ連1979年02月23日1970年代ソ連とチェコの国連代表は中国軍のベトナム侵攻を非難する共同決議案を安保理事会に提出。
DIA-602-1979-02-23-6ソ連1979年02月23日1970年代日ソ出版協力(5ヵ年)の議定書調印。(モスクワ放送)
DIA-602-1979-02-23-7ソ連1979年02月23日1970年代セーシェル諸島共和国のラルフ・アダム駐ソ大使が信任状を提出。
DIA-602-1979-02-24-1ソ連1979年02月24日1970年代国連緊急安保理事会でベトナムのハ・バン・ラウ代表は,ベトナム戦争最中の65年にベトナムへ秘密訪問した鄧小平氏が,ソ連からの援助を断てば中国が全面援助すると提案,ベトナム側はこれを断ったと暴露。
DIA-602-1979-02-24-2ソ連1979年02月24日1970年代ソ連共産党のフェドセーエフ中央委員とコワレンコ国際部日本課長が日本共産党の招きで訪日(~3月2日)。
DIA-602-1979-02-24-3ソ連1979年02月24日1970年代訪ソ中のカンボジア救国戦線ロフ・サマイ書記長はソ連中央テレビで「わが代表団はソ連党・政府の兄弟的援助に感謝するために偉大なレーニンの英雄的な土地にやってきた」と放送。(タス)
DIA-602-1979-02-25-1ソ連1979年02月25日1970年代軍事物資を積載したソ連とブルガリアの特別機2機がカルカッタ空港経由でハノイに向かった。(AFP)
DIA-602-1979-02-26-1ソ連1979年02月26日1970年代ソ連外務省ロガチェフ東南ア局長とチャプリン駐越大使はプノンペンを訪問,カンボジア人民革命評議会のフン・セン外相と会談。
DIA-602-1979-02-26-2ソ連1979年02月26日1970年代魚本駐ソ大使はフィリュービン外務次官と会見,北方領土のソ連基地建設に抗議する国会決議を通告,あわせてインドシナ問題でもソ連の自重を求める申入れを行なった。
DIA-602-1979-02-26-3ソ連1979年02月26日1970年代ベトナム国会議員代表団(ホアン・ミン・ザム国会外交委員長ら),モスクワでシチコフ最高会議連邦会議議長と会談。
DIA-602-1979-02-26-4ソ連1979年02月26日1970年代ソ連の大型空母「ミンスク」がそれまで配備されていた黒海を出航,太平洋方面に向かっている,と米国防総省筋が発表。同筋は「ミンスク」は最終的にはウラジオストクの太平洋艦隊に配備されると推定。
DIA-602-1979-02-27-1ソ連1979年02月27日1970年代バンコクの西側軍事情報筋はソ連のベトナムへの軍事物資輸送が急増し,ここ数日来1万t級も含め9~10隻のソ連船がハイフォン港に入港していると語った。
DIA-602-1979-02-27-2ソ連1979年02月27日1970年代ポリャンスキー大使,灘尾衆院議長を表敬訪問。
DIA-602-1979-02-28-1ソ連1979年02月28日1970年代『プラウダ』は「北京の侵略に断固たる反撃を」(アレクサンドロフ)と題する長大論評を発表。「北京指導部は以前からインドシナ及び東南アジア全体を自分の勢力範囲とみなして」おり,「余儀なくされた行動」とか「限定的作戦」だというのは「真の拡張主義的,覇権主義的計画をかくす」ための「世界世論を欺く」虚報だ,と糾弾。
DIA-602-1979-02-28-2ソ連1979年02月28日1970年代日本の国会が「北方領土問題解決促進に関する決議」を採択したことについて,『イズベスチヤ』は,グラマン社からの軍用機購入を促進するための反ソ・キャンペーンだと非難。
DIA-602-1979-02-28-3ソ連1979年02月28日1970年代ソ日協会副会長片山やす女史に諸民族友好勲章授与。
DIA-602-1979-03-02-1ソ連1979年03月02日1970年代ブレジネフ最高会議議長は最高会議代議員の選挙集会での演説で,中国軍のベトナム侵攻を厳しく非難し,即時完全撤兵を要求,一方SALT IIを「当面最大の課題」と強調。(プラウダ)
DIA-602-1979-03-02-2ソ連1979年03月02日1970年代「中国の侵略についてのソ連政府声明」は中国軍のベトナム侵略がラオスにも拡大される危険があると警告,ベトナムからの即時撤退とラオス侵入準備の停止を要求。
DIA-602-1979-03-02-3ソ連1979年03月02日1970年代『ノーボエ・ブレーミャ』誌は中越戦争に関するルーマニア,ユーゴスラビアの中立的反応を激しく非難し,北朝鮮も「現在まで中国のベトナム侵攻を一切報道していない」と不快感を示唆。
DIA-602-1979-03-02-4ソ連1979年03月02日1970年代ソ連のアフガニスタンへの経済技術協力協定,カーブルで調印(カーブル空港改築,日用品援助等)。
DIA-602-1979-03-03-1ソ連1979年03月03日1970年代『プラウダ』は西側マスコミがあたかも「インドシナ情勢に関して米中ソが秘密交渉している」かのごとき徹頭徹尾偽りの情報を流していると強く否定。
DIA-602-1979-03-03-2ソ連1979年03月03日1970年代北京の信頼できる筋によると,中ソ国境河川の航行に関する交渉が国境のブラゴベシチェンスクで約1週間続けられ,「すこぶる順調に進んでいる」。(AFP)
DIA-602-1979-03-03-3ソ連1979年03月03日1970年代アフガニスタンのタラキ議長,ソ連との友好条約58周年でブレジネフ書記長あて祝電。(タス)
DIA-602-1979-03-05-1ソ連1979年03月05日1970年代「新華社通信の声明に関して」と題するタス論評は,中国軍ベトナム撤退開始声明について「それが実際に何を意味するかは数日中にはっきりするだろう」と懐疑的報道。
DIA-602-1979-03-05-2ソ連1979年03月05日1970年代ソ連共産党中央委講師がベトナムの党中央宣伝教育部の招きでベトナム訪問。(VNA)
DIA-602-1979-03-05-3ソ連1979年03月05日1970年代ブレジネフ書記長はカダル・ハンガリー党第一書記との会談で中国のベトナム撤退声明に関し「撤兵がきちんと遂行されれば」「中国指導部の正常化への志向のしるしとみなす」と発言。(タス)
DIA-602-1979-03-08-1ソ連1979年03月08日1970年代外務省筋は,ベトナムのダナン港に複数隻のソ連軍艦がごく最近入港したとの情報を得ていると述べた。防衛庁筋によると,ダナン入港中のソ連艦はクリバック1級ミサイル駆逐艦など3隻。(サンケイ)
DIA-602-1979-03-08-2ソ連1979年03月08日1970年代チャン・ホアイ・ナム・ベトナム対外連帯友好委事務局長,ソ連AA連帯委の招きで訪ソ中。(モスクワ放送)
DIA-602-1979-03-09-1ソ連1979年03月09日1970年代コスイギン首相,インドを公式訪問(~15日)-インド上下両院合同会議で演説した同首相は「インド議会が世界平和達成のため何らかの行動をとればソ連の支持を約束する」とインド議会が中国のベトナム攻撃非難の意思表明をするよう暗に呼びかけた(読売)。同首相はデサイ首相との会談でも中国非難への同調を強く求めたと見られている。(毎日)
DIA-602-1979-03-09-2ソ連1979年03月09日1970年代インド外務省スポークスマンによると,ソ連は対印石油輸出(年間850万トン)を60万トン追加し,インドが米を30~35万トン輸出するバーター計画に合意。
DIA-602-1979-03-09-3ソ連1979年03月09日1970年代外務省筋は,ソ連輸送機がこれまで数回ベトナムのダナン空軍基地を使用したとの情報を得ていることを明らかにした。(サンケイ)
DIA-602-1979-03-09-4ソ連1979年03月09日1970年代インドの国防省職員と会社員の2名が最近ソ連スパイの容疑で逮捕,ソ連外交官2名が追放された。また2月にカルカッタのソ連通商代表部事務所で通商アシスタント・アタッシェのビクトル・コルバスニコフが死体で発見された。なおインド外務省はソ連外交官のオンド追放の報道を否定した。(AFP)
DIA-602-1979-03-13-1ソ連1979年03月13日1970年代コスイギン首相は訪問中のインドで記者団に「ソ連はインド洋に全く基地は持たず,その種報道は根拠がない」と語った。(読売)
DIA-602-1979-03-13-2ソ連1979年03月13日1970年代中国の陳肇源駐インド大使は,コスイギン首相がインド訪問中,議会やテレビ等で中国がベトナムを「侵略」したなどほしいままに中国攻撃をするのを許したことについて,インド政府に遺憾の意を表明。(新華社)
DIA-602-1979-03-14-1ソ連1979年03月14日1970年代ソ連・インド長期協力協定調印-インド訪問中のコスイギン首相は①経済・貿易・科学技術協力長期計画(10~15年)②医学・公衆衛生両分野での協力協定③1979年度一部商品の追加相互供与協定(ソ連から石油,インドから米)の3協定および①1979~80年度文化・科学・教育各分野での交換計画②スラトガル国営農場(ラジャスタン州)に対する農業機械および自動車の贈与に関する議定書に調印。(プラウダ)
DIA-602-1979-03-16-1ソ連1979年03月16日1970年代ソ連・インド共同コミュニケ発表-緊張緩和,軍縮SALT II,世界武力不行使条約の早期締結,ソ米のインド洋平和地帯化交渉復活などをうたう(プラウダ)。しかしソ連がインドに強く要求したカンボジアのヘン・サムリン政権承認やアジア集団安保については全く言及されず,インドが外交的にはソ連と一線を画す姿勢を示した(読売)。また中印関係改善にストップをかけようとするソ連の意向も拒否された。(毎日)
DIA-602-1979-03-18-1ソ連1979年03月18日1970年代タス通信は,半月前イランが7000人の難民送還と称して偽装したイラン兵をアフガニスタンに送り込んだ,と非難するアフガニスタン政府声明を報道。
DIA-602-1979-03-18-2ソ連1979年03月18日1970年代タイのクリアンサク首相は訪ソに当たり空港で「ソ連がASEANをグループとして承認してくれればすばらしいことだ」と語った。(読売)
DIA-602-1979-03-19-1ソ連1979年03月19日1970年代アフガンへの外部からの干渉を非難-『プラウダ』は「民主アフガニスタンに対する反動的策謀」と題するアレクサンドロフ署名論文を発表。パキスタンはアフガンの反動的叛徒集団「ムスリム同胞団」などが同国内に武装ゲリラの基地を設置する可能性を与え,中国人はパキスタン領からアフガンに送り込まれているマオイスト集団「ショーレエ・ジャウィド」の軍事訓練に参加しており,在パキスタンのエジプト代表も「ムスリム同胞団」に巨大な資金援助を与えていると非難,ソ連はアフガン革命への内政干渉やパキスタン,イラン,中国領からの武力挑発に反対すると強調。
DIA-602-1979-03-19-2ソ連1979年03月19日1970年代バングラデシュのアクバル・ホセイン石油・鉱物資源相はソ連その他を訪問して帰国,ソ連はバングラのガス・石油開発に興味を示し,4~5,000mの作井装置2基の供与に同意,すでに議定書で約束されている4万tに加え,2万tの石油製品供与に同意したと語った。
DIA-602-1979-03-19-3ソ連1979年03月19日1970年代米政府筋はソ連の誘導ミサイル積載巡洋艦など計5隻がベトナムのダナン港にこれまで2週間以上寄港を続けていることを明らかにした。(毎日)
DIA-602-1979-03-19-4ソ連1979年03月19日1970年代日ソ漁業委員会(サケ・マス交渉)モスクワで開始。
DIA-602-1979-03-19-5ソ連1979年03月19日1970年代ソ連とタイの実務関係-ソ連とタイの貿易額は70年12月の通商協定調印後約5倍増え,同国内のソ連通商代表部は78年だけでタイの実業家たちと約900回の会談を行なった。1975年には両国合弁海運会社「タソス」がつくられ,ソ連船のタイ国寄港数は236回を数えた。ソ連商船は現在タイと欧州,北米,インド,マレーシア,フィリピン,香港,日本,オーストラリアとを結ぶ航路に従事している。(プラウダ)
DIA-602-1979-03-20-1ソ連1979年03月20日1970年代パキスタン政府は同国がアフガン難民キャンプで反タラキ政権活動をし,ラジオでも反アフガン宣伝をしているとのソ連紙報道を事実無根と非難。
DIA-602-1979-03-20-2ソ連1979年03月20日1970年代ベトナム援助のソ連の海運専門家と労働者の志願隊がハイフォンに到着,歓迎集会でグエン・トゥオン・ラン・ベトナム運輸交通次官とネジアク・ソ連海洋船舶次官があいさつ。(VNA)
DIA-602-1979-03-21-1ソ連1979年03月21日1970年代『イズベスチヤ』は「ベトナムに対する中国の侵略は軍事的・政治的敗北を喫した」と論評。
DIA-602-1979-03-21-2ソ連1979年03月21日1970年代タイのクリアンサク首相訪ソ(~27日)-タイ首相の公式訪問は初めて。22日,ブレジネフ書記長と会見。
DIA-602-1979-03-21-3ソ連1979年03月21日1970年代ソ連文化省代表団(団長=ニコライ・モホフ文化次官)ラオスを訪問,両国文化協力に関する議定書に調印。
DIA-602-1979-03-21-4ソ連1979年03月21日1970年代ソ連はラオスにおける電気技師および地質学者養成のための技術学校建設を援助する協定に調印。(KPL)
DIA-602-1979-03-21-5ソ連1979年03月21日1970年代パキスタンとソ連の貿易議定書,イスラマバードで調印(グリシン対外貿易次官が来訪)。パキスタンは綿織物,既製服,靴,レザー衣料,外科用具,手工芸品,眼鏡わくを輸出し,肥料,トラクター,鉄ビレット,ケロシン,アスベスト,ファイバー,カラチ製鉄所設備,石油・ガス開発公社用装備を輸入する。
DIA-602-1979-03-23-1ソ連1979年03月23日1970年代米国務省カーター報道官はソ連がアフガニスタンに大量の兵器を空輸していると非難,ソ連紙の米国が介入しているという非難は根拠がないと反論(時事)。米政府はソ連に対しアフガンの内戦に介入しないよう警告,「外部勢力の介入は緊張を高め,(南アジア)全域に不安定をもたらしかねない」と言明。(朝日)
DIA-602-1979-03-23-2ソ連1979年03月23日1970年代米政府筋は,ソ連軍が中ソ国境北西部に大部隊を集結させ,同国境地域では最大規模の大演習を実施していることを明らかにした(毎日)。日本の外務省筋も同情報を確認,同演習は中越戦争終結直前の3月初めから始まったと述べた。(読売)
DIA-602-1979-03-23-3ソ連1979年03月23日1970年代米政府筋は,ソ連はごく最近ベトナムのダナン港に海軍通信基地を建設,さらに独自の航空管制塔と空軍用通信施設も完成,すべてソ連軍要員により管理されていることを明らかにした。(毎日)
DIA-602-1979-03-23-4ソ連1979年03月23日1970年代防衛庁の岡崎参事官は参院予算委で,ソ連のキエフ級空母「ミンスク」が近い将来極東に配備されようと答弁。(日経)
DIA-602-1979-03-24-1ソ連1979年03月24日1970年代ソ連文化省代表団(団長=ニコライ・モホフ文化次官)ベトナムを訪問,79~80年の文化協力に関する議定書に調印して帰国。(VNA)
DIA-602-1979-03-25-1ソ連1979年03月25日1970年代カンボジア(ヘン・サムリン政権)のペン・ソバン国防相プノンペンでザノソホフ・ソ連AA連帯委副議長およびソ連各紙記者と会見。(SPK)
DIA-602-1979-03-27-1ソ連1979年03月27日1970年代中ソ河川交渉合意-中ソ国境の河川航行に関する第21回定例交渉(ブラゴベシチェンスク,2月21日~)の合意事項の覚書が正式調印(新華社)。中越戦争勃発の3日後に同交渉が開発され,歩み寄りが行われたことはソ連の中国に対する現実的態度として注目される。(毎日)
DIA-602-1979-03-28-1ソ連1979年03月28日1970年代ソ連・タイ共同コミュニケ発表-ソ連側は「閉鎖的な軍事,政治および経済ブロックに一貫して反対しているソ連は,ASEANは地域経済・社会・文化協力の発展に努め,軍事的性格を帯びていないとの同加盟諸国指導者の声明を留意していることを強調した」と,微妙な言いまわしながらASEAN支持を公式表明し,さらにソ連は「東南アジア諸国により表明されている同地域における平和地帯の設置に関する構想を肯定的に見ている」と表明。なおコスイギン首相のタイ訪問招請が受諾された。
DIA-602-1979-03-28-2ソ連1979年03月28日1970年代米国務省スポークスマンは,ソ連海軍の艦船のベトナム寄港頻繁化に対し「このような寄港が恒常化するなら米国は深刻に懸念する」と言明。なおハイフォン,ダナンに続き,26日にはカムラン湾にもクレスタ級ミサイル巡洋艦など3隻が入港した。(朝日)
DIA-602-1979-03-29-1ソ連1979年03月29日1970年代アフガニスタンにおける反革命活動を非難する『プラウダ』の長文の論評は,1月18日にパキスタンのラホールでアラガン反動派指導者の会合が持たれ「闘争委員会」を結成,ヘラートの暴動もそこで決定されたと指摘,同暴動鎮圧後は,大規模な行動よりも国外を根拠地とする出没作戦に切りかえたと述べ,さらに米国政府の対ソ非難に反論してCIAの干渉を強調した。
DIA-602-1979-03-29-2ソ連1979年03月29日1970年代アフガニスタンのアミン外相の首相就任(それまではタラキ議長が兼任)にコスイギン首相が祝電。(タス)
DIA-602-1979-03-29-3ソ連1979年03月29日1970年代米国の『ワシントン・スター』紙は,ソ連とベトナムが2月にソ連艦船によるベトナムの港湾使用に関する協定に調印したと報道。(サンケイ)
DIA-602-1979-03-29-4ソ連1979年03月29日1970年代ソ連AA連帯委代表団,ベトナムを訪問。(VNA)
DIA-602-1979-04-03-1ソ連1979年04月03日1970年代中国,軸中ソ友好同盟相互援助条約の廃棄を通告-中国の第5期全国人民代表大会常務委員会第7回会議は中ソ条約の有効期限切れ(80年4月11日)を1年後に控え,同条約を延長しないことを決定,同日黄華外相がシチェルバコフ中国駐在ソ連大使にこの決定を正式に通告,同時に両国関係改善のための交渉を提案した。新華社は国際情勢の重大な変化,中国側に責任のない原因による同条約じゅうりんによってすでに有名無実となっているための決定と発表。
DIA-602-1979-04-03-2ソ連1979年04月03日1970年代田中官房長官は中国が中ソ友好同盟条約の廃棄をソ連側に通告したことについて,日中条約交渉の際の中国側の言明どおりになったものと歓迎の談話を発表。
DIA-602-1979-04-03-3ソ連1979年04月03日1970年代パキスタンのヤクブ・カーン大使,コスイギン首相にハク大統領の親書を手交,相互に関心ある諸問題について会談。(タス)
DIA-602-1979-04-04-1ソ連1979年04月04日1970年代ソ連は中国の中ソ条約廃棄通告に関する政府声明を発表,「敵対的行為」と非難し,同条約廃棄の一切の責任は中国側にあり,「ソ連は中国側のこの行動から然るべき結論を下すであろう」と声明。
DIA-602-1979-04-04-2ソ連1979年04月04日1970年代ノビコフ宇宙評議会副議長らインド訪問。インドは6月に第2人工衛星をソ連の衛星発射所から打上げるため最終計画作成中。(共同)
DIA-602-1979-04-04-3ソ連1979年04月04日1970年代バングラデシュへのソ連援助でチッタゴンに建設された高圧電力設備工場「ジェネラル・エレクトリック・プラント」は,現在250KVAの高圧変圧器その他を生産しており,700人の従業員が働き,そのうちソ連の学校を卒業した人を含む技師は114人で,同工場内の技術養成センターではソ連人専門家が教えている。(イズベスチヤ)
DIA-602-1979-04-05-1ソ連1979年04月05日1970年代北京の東側外交関係筋は,黄華外相が3月31日,中ソ条約廃棄を決定した全人代常務委員会の開催直前にシチェルバコフ大使と会談し,条約廃棄問題について意見交換をした,と述べた。北京のソ連大使館も同日の会談の事実を認めた。(共同)
DIA-602-1979-04-05-2ソ連1979年04月05日1970年代エピシェフ第1国防次官・陸海軍政治総局長,アフガニスタンを訪問,7日タラキ議長と会談。
DIA-602-1979-04-05-3ソ連1979年04月05日1970年代『人民日報』はタス通信がアフガニスタン情勢について,中国がテロ分子を訓練したとか武器を提供したとか「アフガニスタン情勢混乱はあたかも中国がもたらしたかのよう」なデマを流していることを非難,「アフガニスタンに不安定をもたらしている元凶はほかならぬソ連社会帝国主義である」と反論。
DIA-602-1979-04-05-4ソ連1979年04月05日1970年代ソ連の『ノーボエ・ブレーミャ』誌は,中国のベトナム侵略の結果東南アジアの安全保障が緊急問題になりつつあると,「アジアの信頼できる安全保障」を呼びかけ,アジア集団安保をふたたび提唱した。(共同)
DIA-602-1979-04-05-5ソ連1979年04月05日1970年代モンゴル外務省は中国の中ソ同盟条約廃棄通告を非難する声明を発表。(タス)
DIA-602-1979-04-06-1ソ連1979年04月06日1970年代ソ印コメ・原油バーター取引協定ニューデリーで調印。インドの米20万tとソ連の原油60万tを交換する。インドの米は5~12月に積出し,ソ連がそれをどの第3国に再輸出することも自由である。
DIA-602-1979-04-07-1ソ連1979年04月07日1970年代『プラウダ』は中ソ条約廃棄に関するアレクサンドロフ署名論文「平和と社会主義の利益に反して」を発表。「中共8回大会後毛沢東一派は内外政策の異常な転換をやってのけ」,「今日北京は帝国主義,反動および戦争の支持者と反ソ主義にもとづき経済的結託のみならず軍事的結託にも努めている」と非難,中ソ条約に対しソ連は絶対的順守の立場を一貫してとってきたと強調,同条約破棄によって北京の指導者は中国勤労者の革命,平和,社会主義の理想を裏切ったと非難した。
DIA-602-1979-04-08-1ソ連1979年04月08日1970年代ミシュコフ・トラクター輸出公社総裁,パキスタンを訪問,トラクター4,500両供与の協定調印。
DIA-602-1979-04-09-1ソ連1979年04月09日1970年代グロムイコ外相,アフガニスタンのパクチン駐ソ大使の要請で会談。(タス)
DIA-602-1979-04-10-1ソ連1979年04月10日1970年代パキスタン領内のアフガニスタン・ゲリラ組織指導者は,アフガンがソ連の完全な支配下にあり,同国の天然ガス,ウラン,銅,羊毛などが数量や価格も明らかにされぬままソ連に持ち去られている,と語った。(読売)
DIA-602-1979-04-10-2ソ連1979年04月10日1970年代タス通信ハノイ特派員電は,中国軍がベトナム国境付近に部隊を再集結させていると報道。
DIA-602-1979-04-11-1ソ連1979年04月11日1970年代米国は在韓米軍撤退停止の意向を固めているが,その原因として北朝鮮の軍事力増強と並んで,①1月に北朝鮮の羅津にソ連の海軍基地を建設する条約が結ばれた,②昨年以来ソ連商船の羅津への寄港が増加している等の“未確認情報”を入手しているため,と東京の外交筋が語った。(読売)
DIA-602-1979-04-11-2ソ連1979年04月11日1970年代中国の韓念竜外務次官は日本人記者団に,中ソ条約不延長を通告したが,両国が努力して国家関係を発展させていくことには賛成だと述べ,しかし同条約にかわる新条約締結の意思は全くないと語った。
DIA-602-1979-04-12-1ソ連1979年04月12日1970年代第5回アジアの平和日ソ専門家会議が伊豆下田で開催(~14日),イノゼムソェフ・ソ連科学アカデミー世界経済国際関係研究所長らが出席。
DIA-602-1979-04-13-1ソ連1979年04月13日1970年代日本の政府筋はソ連の超音速戦略爆撃機「バックファイアー」が数ヵ月前から極東地域に配備されたことを明らかにした。(読売)
DIA-602-1979-04-13-2ソ連1979年04月13日1970年代アフガニスタンには約3000人のソ連人顧問がおり,うち1000人は軍事顧問で,反政府分子との戦闘に参加,3月に起こったイスラム教徒と政府軍の戦闘でソ連の軍事顧問が最小限10~15人(100人ともいわれる)が死亡した。(NYT)
DIA-602-1979-04-13-3ソ連1979年04月13日1970年代バングラデシュでソ連映画祭,13~19日ダッカ,20~26日チッタゴンで開催。
DIA-602-1979-04-14-1ソ連1979年04月14日1970年代日ソ両国共産党の予備交渉(11~12日,西沢富夫副委員長・ザグラジン党中央委国際部第1副部長)に関する合意文書を双方が発表,ソ連共産党は日本共産党を「日本の共産主義運動を代表する唯一の党とみなしていることを言明した」。(タス)
DIA-602-1979-04-14-2ソ連1979年04月14日1970年代米国務省スポークスマンは,ソ連のTU型長距離偵察機2機がベトナムのダナン基地に着陸していることを確認,ベトナムにおけるソ連の恒常的基地化に強い懸念を表明。(UPI)
DIA-602-1979-04-14-3ソ連1979年04月14日1970年代ソ連の援助でインドに5つの石油工場が建設され,その生産量は77/78会計年度のインド全体の石油採掘量の70%,精製の30%を占めている。(プラウダ)
DIA-602-1979-04-15-1ソ連1979年04月15日1970年代『イズベスチヤ』は中国の張延発空軍司令(党中央政治局員)の最近のパキスタン訪問は,同国領内のアフガニスタン反革命集団を激励し,パキスタンに軍事援助をして同国とアフガンやインドとの対立を挑発するためだと論評。
DIA-602-1979-04-15-2ソ連1979年04月15日1970年代16日から開始される予定の中越会談を控えて,『プラウダ』は「中国の拡張主義者がその領土要求を押しつけるために今回の会談を利用しようとしていることは疑いない」と警告。
DIA-602-1979-04-16-1ソ連1979年04月16日1970年代モスクワで王明生誕75周年記念の夕べ開催。
DIA-602-1979-04-16-2ソ連1979年04月16日1970年代パキスタンの国家記念日に当たり,ブレジネフ,コスイギン両首脳,ハク大統領に祝電。
DIA-602-1979-04-16-3ソ連1979年04月16日1970年代ジャカルタでソ連貿易・工業展開幕,製作機械,乗用車を含む4000点を出品。(タス)
DIA-602-1979-04-17-1ソ連1979年04月17日1970年代グロムイコ外相は王幼平駐ソ大使に中国の中ソ交渉提案に対する回答の覚書を手交,中国側が交渉の議題と目的を明らかにするよう求めた。(タス)
DIA-602-1979-04-17-2ソ連1979年04月17日1970年代タス通信は中越会談に関する新華社の対ソ批判を反論。
DIA-602-1979-04-17-3ソ連1979年04月17日1970年代英国の『デイリー・テレグラフ』紙ソウル電は,ソ連が最近北朝鮮の羅津港の基地使用権を獲得,ウラジオストクと同基地が舗装された国道で直結されていると報道。
DIA-602-1979-04-17-4ソ連1979年04月17日1970年代カンボジア人民共和国の国家記念日(75年の歴史的勝利記念)に当たり,ブレジネフ,コスイギン両首脳はヘン・サムリン議長に祝電。(プラウダ)
DIA-602-1979-04-17-5ソ連1979年04月17日1970年代中国の『人民日報』は,中ソ同盟条約不延長通告を非難する『プラウダ』のアレクサンドロフ論文に対し,「関係悪化の責任はソ連指導部にある」と反論。
DIA-602-1979-04-18-1ソ連1979年04月18日1970年代ソ連・ラオス両国は建設用資材,機械,部品のラオス向け供与協定をビエンチャンで調印。また,ラオス国営通信は食糧など25t(無償援助)を積んだソ連特別機が同日ビエンチャンに到着したと報道。
DIA-602-1979-04-18-2ソ連1979年04月18日1970年代ソ連と北朝鮮の本年度貿易・支払い議定書が平壌で調印,貿易取引高は前年比25%増の予定。(モス放送)
DIA-602-1979-04-19-1ソ連1979年04月19日1970年代コスイギン首相,バングラデシュのラーマン首相就任に祝電。
DIA-602-1979-04-19-2ソ連1979年04月19日1970年代ベトナムのドー・ムオイ副首相はハイフォン港でベトナム海洋輸送部門を援助しているソ連の専門家・労働者志願隊を訪問。
DIA-602-1979-04-20-1ソ連1979年04月20日1970年代訪中したチャーチ米上院議員によると,鄧小平副首相がSALT II締結後のソ連の条約順守監視用通信傍受施設を条件つきで中国領内に建設することを認める用意があると語った。(ワシントン・ポスト)
DIA-602-1979-04-21-1ソ連1979年04月21日1970年代日ソさけ・ます交渉妥結。日本は北西太平洋で4万2000tを漁獲する見返りに漁業協力事業費として昨年の倍近い32億5000万円を払うことになった。
DIA-602-1979-04-21-2ソ連1979年04月21日1970年代SALTの対ソ監視基地の中国領内建設案に対し,米政府は①米人要員を同基地に配置できない②対中ソ等距離姿勢を保つ,との理由で関心を持っていないと米消息筋。(AP)
DIA-602-1979-04-21-3ソ連1979年04月21日1970年代シュペチコ駐インドネシア・ソ連大使は記者会見で,ソ連とインドネシアの関係は着実に進んでおり,現に中部ジャワのムリチャ水力発電所の建設計画作成に12人のソ連人専門家が協力している。設計作業は50%完了し,これに要する250万米ドルの資金はソ連の借款でまかなわれている,と述べた。
DIA-602-1979-04-21-4ソ連1979年04月21日1970年代バングラデシュ駐在のステパノフ・ソ連大使,発電所の第1回訓練センター卒業式で挨拶,ソ連援助で建設したゴラサル発電所(110MW)の発電能力を330MWに拡大するための援助提供を明らかにした。
DIA-602-1979-04-24-1ソ連1979年04月24日1970年代プロホロフ全ソ労評副議長は訪ソしたベトナム労組総連合グエン・バン・リイン議長らの労組代表団と会談。
DIA-602-1979-04-25-1ソ連1979年04月25日1970年代韓国・ソ連間の国際電話開通-韓国逓信省は14日,英国政府の協力でソ連当局の合意を得て英国経由で公式に開通されると発表。(ソウル放送=新亜)
DIA-602-1979-04-26-1ソ連1979年04月26日1970年代ベトナム外相,ソ連基地化を否定-グエン・ズイ・チン・ベトナム外相は訪越したワルトハイム国連事務総長に対し,カムラン湾にソ連艦船が寄港しても基地化は意味しないと否定。(ロイター)
DIA-602-1979-04-26-2ソ連1979年04月26日1970年代アフガニスタンで「4月革命」1周年記念前日の大軍事パレード。ソ連供与の各種兵器が登場し,数千の政府軍がソ連製戦車,火砲,地対空ミサイルを装備して行進。(ドーン)
DIA-602-1979-04-26-3ソ連1979年04月26日1970年代ソ連中央テレビはアフガニスタンのタラキ議長とのインタビューを放映,同議長は対ソ関係強化の意向を表明。(モスクワ放送)
DIA-602-1979-04-27-1ソ連1979年04月27日1970年代アフガニスタン4月革命1周年に当りブレジネフ,コスイギン両首脳はタラキ大統領,アミン首相に祝電。(プラウダ)
DIA-602-1979-04-27-2ソ連1979年04月27日1970年代パクチン駐ソ・アフガニスタン大使は「4月革命」1周念記念のレセプション挙行,ソ連側はペリシェ政治局員らが出席。
DIA-602-1979-04-30-1ソ連1979年04月30日1970年代ソ連の電力専門家がベトナムに出発,ソンボー川の水力施設(出力170万kw)建設に参加する。ソ連は建設工事を援助し,機械設備を提供し,発電所操作の技術員を養成している。(モスクワ放送)
DIA-602-1979-05-01-1ソ連1979年05月01日1970年代タス通信は米国のウッドコック駐中国大使がベトナムは教訓を学んでいないと述べ,中国に第2次ベトナム侵略をそそのかしたと非難する長文の論評。
DIA-602-1979-05-02-1ソ連1979年05月02日1970年代ソ連はアフガニスタンから輸入している天然ガスの輸入価格を21ドル(1,000m3)から37.8ドルに引上げるなどテコ入れを強化,3月のアミン首相就任以来アフガンのソ連傾斜は強まり,各官庁でも重要な決定はソ連人顧問が行なっている。(読売)
DIA-602-1979-05-02-2ソ連1979年05月02日1970年代インド下院でシン原子力担当国務相は,コスイギン首相が3月訪印の際大型原子力発電所建設を申し出たが,インドの技術水準から大型原発は不適当と断ったことを明らかにした。(ロイター)
DIA-602-1979-05-03-1ソ連1979年05月03日1970年代『イズベスチヤ』はソ連がベトナムに空軍基地をもうけているとの山下防衛庁長官の発言を非難,ダナンなどのソ連空軍基地化説を「想像の産物」と否定。
DIA-602-1979-05-03-2ソ連1979年05月03日1970年代米議会図書館調査研究所の上院外交委に提出した報告書は,ソ連極東軍管区のソ連陸軍の主要目標は中国東北地方だが,一部はその水陸両用部隊の能力からみて日本への上陸作戦を任務としていると指摘。(時事)
DIA-602-1979-05-04-1ソ連1979年05月04日1970年代カンボジア(ヘン・サムリン政権)の救国青年連合代表団(団長=クーン・ネム副議長)はアフガニスタン訪問ののち,ソ連を訪問。
DIA-602-1979-05-04-2ソ連1979年05月04日1970年代第3回中越交渉(ハノイ)の席上,韓念竜中国代表は発言の中で「“インドシナ連邦”結成はベトナムの東南アジアへのいっそうの拡張の重要な段取りであり,ソ連社会帝国主義の南下政策と“アジア集団安保体制”樹立の一環である」と批判。(新華社)
DIA-602-1979-05-05-1ソ連1979年05月05日1970年代余湛外務次官は中ソ交渉に関するグロムイコ外相の覚書(4月17日)に対する中国側回答書簡をシチェルバコフ駐中国大使に手交した。(共同)
DIA-602-1979-05-06-1ソ連1979年05月06日1970年代UNCTAD会議で反論社会主義諸国と独立達成諸国の順調な協力が気にいらない西側やその伴唱者の北京が,マニラ会議で対途上国財政援助を全先進工業国のGNPの0.7%に拡大させようとしているのは,途上国の経済的後進性の責任を社会主義国と資本主義国に均等に割り当てようとするもので絶対に正しくない,ソ連とコメコン諸国はAALA諸国民の搾取に一度も加わったことはない。(イズベスチヤ)
DIA-602-1979-05-06-2ソ連1979年05月06日1970年代日本共産党の西沢,村上両副委員長は日ソ両党首脳会談準備のためモスクワ入り。
DIA-602-1979-05-06-3ソ連1979年05月06日1970年代ソ連AA連帯委とソ連・ベトナム支援委員会の招きで,中国侵略者との戦闘で勲功をたてたベトナム軍人代表団が訪ソ。(モスクワ放送)
DIA-602-1979-05-07-1ソ連1979年05月07日1970年代イランの中国駐在大使館は声明を発表,イランがアフガニスタン内政に干渉しているとのソ連の宣伝を否定した。(北京放送)
DIA-602-1979-05-09-1ソ連1979年05月09日1970年代『プラウダ』は日ソ両党実務会談の合意文書(4月15日)発表の日露両文のテキストが違っていた問題で,露文テキストを訂正する文章を掲載。
DIA-602-1979-05-09-2ソ連1979年05月09日1970年代ベトナムのファン・バン・ドン首相,グエン・ズイ・チン外相は長谷川駐越大使との会談で,ソ連艦船の寄港問題について,これは周辺の状況によるものでベトナムに外国の基地はないと述べた。
DIA-602-1979-05-10-1ソ連1979年05月10日1970年代米政府筋はソ連がベトナムのカムラン湾を潜水艦基地として利用し始めたと言明。(WP)
DIA-602-1979-05-10-2ソ連1979年05月10日1970年代鄧小平副首相は米ソのSALT II実質的妥結について,米ソ間で新協定を結んでもソ連の拡張政策を阻止できないと米記者団に語る。(UPI)
DIA-602-1979-05-10-3ソ連1979年05月10日1970年代ソ連のカンボジア駐在大使にオレグ・ボストリン前駐比大使館参事官を任命(イズベスチヤ),同30日信任状提出。(ハノイ放送)
DIA-602-1979-05-11-1ソ連1979年05月11日1970年代『プラウダ』はアレクサンドロフ署名の論文で中越会談に対する中国側の態度を非難。
DIA-602-1979-05-11-2ソ連1979年05月11日1970年代ベトナムの港湾業務協力のためホーチミン市に派遺されたソ連の技術者,労働者の歓迎集会が開かれ,チャプリン駐越ソ連大使は今回の志願労働者派遣はプロレタリア国際主義の表れと述べた。(VNA)
DIA-602-1979-05-14-1ソ連1979年05月14日1970年代米情報筋は,ベトナムのカムラン湾にソ連が電子傍受施設をほぼ完成,中国の通信情報を傍受するためのものと見られる,と述べた。(米NBC放送)
DIA-602-1979-05-14-2ソ連1979年05月14日1970年代ブレジネフ議長はバングラデシュ独立記念日に当たりラーマン大統領に祝電,同大統領も感謝の返電。(タス)
DIA-602-1979-05-14-3ソ連1979年05月14日1970年代日ソ政府間事務レベル協議,東京で開催(~15日),ソ連側代表フィリュービン外務次官ら13日来日。同協議席上ソ連側は,ソ連艦船のベトナム寄港などの軍事支援とそれに伴う基地使用を間接的に認め,ソ越条約による当然の義務であると言明。
DIA-602-1979-05-15-1ソ連1979年05月15日1970年代ソ越条約に軍事協力の付属文書-バンコクのソ連筋は,昨年11月のソ越条約締結の際に軍事協力を確認する付属文書が交わされたと述べ,これに従って一方が安全保障上必要と認めた場合は相手方に協力を要請できるので,ソ連艦船や航空機が補給などの名目を使う限りベトナムは拒否できないと指摘,現在ソ連の港湾専門家がハイフォン港,サイゴン港を視察しているのもソ連艦船の入港と運用上の技術問題を検討するためだと述べた。(共同)
DIA-602-1979-05-16-1ソ連1979年05月16日1970年代カンボジア(ヘン・サムリン政権)のミアス・サムナン救国労組連合議長は訪ソを終え,全ソ労評と共同コミュニケを発表。
DIA-602-1979-05-16-2ソ連1979年05月16日1970年代ソ連・アフガニスタン修交60周年記念のソ連展(於カブール)閉幕。3週間の開催期間中に10万人のアフガン人が観覧。(タス)
DIA-602-1979-05-16-3ソ連1979年05月16日1970年代ラオス・ソ連友好協会代表団はビエンチャン市アマチュア芸術団とともに訪ソに出発。
DIA-602-1979-05-17-1ソ連1979年05月17日1970年代カンボジア通信は燃料5,000tと大量の医薬品を積んだソ連貨物船がカンボジアの港に入港したと報道,この燃料はヘン・サムリン軍の戦車等の補給用と見られる。(AP)
DIA-602-1979-05-18-1ソ連1979年05月18日1970年代ベトナムのグエン・ザップ駐日大使は記者会見で「ソ越友好協力条約締結の際に付属文書として軍事協力を確認する文書が交わされた」とのバンコク情報を「根拠のないもの」と否定,ベトナムは外国に軍事基地を許すことはないと言明。
DIA-602-1979-05-18-2ソ連1979年05月18日1970年代駐ソ日本大使館はソ連軍の択捉島周辺および沿海州沖合での射撃訓練計画(21~26日)の中止を申入れ。
DIA-602-1979-05-19-1ソ連1979年05月19日1970年代ラオス民間航空局代表団,キエフでのコメコン民間航空常設委出席のため出発。
DIA-602-1979-05-20-1ソ連1979年05月20日1970年代日ソ友好議員連盟(石田博英会長)の招きでクドリャフツェフ・イズベスチヤ政治評論員,ロガチェフ科学アカデミー会員が来日。
DIA-602-1979-05-21-1ソ連1979年05月21日1970年代『プラウダ』は来日した中国の粟裕国防次官と山下防衛庁長官の会見を「事実上日中軍部指導者の最初の公式会合」だと非難。
DIA-602-1979-05-22-1ソ連1979年05月22日1970年代アファナシェフ『プラウダ』編集長らソ連ジャーナリスト代表団,日本新聞協会の招きで来日。
DIA-602-1979-05-22-2ソ連1979年05月22日1970年代訪ソしたモンゴル最高裁代表団(団長=イシ長官),クズネツォフ最高会議第1副議長と会談。
DIA-602-1979-05-23-1ソ連1979年05月23日1970年代アフガン問題で中パを非難-アフガン・パキスタン国境の緊張が激化し,パキスタン領内に数千人のアフガン反乱者が集結している,こうした「パキスタン政府の引受けている役割は無視できない」。また北京はテロリスト団を自国領内で訓練し,彼らはパキスタン領に移され,そこからアフガンに送り込まれている。パキスタン領内で養成されているテロリストはパキスタンと中国の指導員が訓練に当たり,資金は中国と米国が供給している。(プラウダ)
DIA-602-1979-05-23-2ソ連1979年05月23日1970年代ソ連・パキスタン間の貿易議定書や各種協定にもとづき,ソ連の輸入商品品目が拡大され,両国貿易高は78年より20%以上増え,紙パルプ製品の対ソ輸出は約50%増大する。(モスクワ放送)
DIA-602-1979-05-23-3ソ連1979年05月23日1970年代『イズベスチヤ』は西独紙記者のインドでのダライ・ラマとの会見記を転載。
DIA-602-1979-05-24-1ソ連1979年05月24日1970年代タイ軍事筋は,過去2ヵ月間にソ連の輸送機が79回タイ領空を通過してベトナムに向かったことを確認。(バンコク・ポスト)
DIA-602-1979-05-24-2ソ連1979年05月24日1970年代韓国人記者,モスクワ入り-韓国の『東亜日報』の金珖煕,『中央日報』の盧鎮浩両運動部長は国際スポーツ記者協会総会出席のため空路モスクワ着。(共同)
DIA-602-1979-05-25-1ソ連1979年05月25日1970年代五・四運動60周年記念の夕べがソ連対文連とソ中友好協会共催でモスクワで開催。(新華社)
DIA-602-1979-05-25-2ソ連1979年05月25日1970年代インドのパフグナ石油相は,1980年代のソ連援助によるインド石油産業総合開発のための技術・計画立案を考慮中と語る。なお同相はマハシュトラ州アンクレシュワル油田開発と西ベンガル州の探査計画がソ連援助で進行中と述べた。(ステーツマン)
DIA-602-1979-05-26-1ソ連1979年05月26日1970年代ソ連・アフガン関係は同志的性格-ソ連・アフガニスタン外交関係樹立60周年に当たり,ブレジネフ,コスイギン両首脳はアフガニスタンのタラキ大統領,アミン首相に祝電。「四月革命によって両国関係は新たな発展段階に入り,その関係は同志的精神と革命的団結によって性格づけられる」とうたう。(タス)
DIA-602-1979-05-26-2ソ連1979年05月26日1970年代新華社,ソ連の対途上国援助を批判-新華社論評はソ連の経済関係発展の重点は覇権争奪に重要な戦略的意義を持つ地域や国で,1954~76年の対途上国経済・軍事「援助」約375億ドルのうち欧州の側翼である中東が60.3%,インド洋に臨む南アジアが18.4%で,両地域で「援助」総額の78.7%を占めていると指摘,また「手先をもりたてる」ためにキューバには10数年間に「援助」と借款50億ドル以上を与え,キューバ軍にも30億ドル以上の軍事装備を注入した,ベトナムへの「援助」も「アジアのキューバ」にするためだと批判。
DIA-602-1979-05-27-1ソ連1979年05月27日1970年代新華社はソ連がインドにいるダライ・ラマのソ連訪問を招請し,ダライは6月にモンゴルで開かれるアジア仏教徒会議に出席すると伝え,ソ連はダライ・ラマを反中国に利用しようとしていると批判。
DIA-602-1979-05-28-1ソ連1979年05月28日1970年代アフガニスタン訪問中のエリューチン高等中等専門教育相はアミン首相と会談。
DIA-602-1979-05-29-1ソ連1979年05月29日1970年代アルヒポフ副首相,インドのバフグン石油・化学・肥料生産相と会見。同日スカチコフ国家対外経済交流委議長も同相と会談し,石油採掘・精製におけるソ印経済協力の拡大について検討した。(プラウダ)
DIA-602-1979-05-29-2ソ連1979年05月29日1970年代3月にソ連体育スポーツ委員会イボニン副議長が来日した際,松前東海大総長同席のもとに同月17日,韓国柔道連盟会長の辛道煥国会議員と料亭で会談。(朝日)
DIA-602-1979-05-30-1ソ連1979年05月30日1970年代ソ連とラオスの職業幹部,職業学校教員,指導委員会の養成と訓練へのソ連の援助に関する議定書および職業訓練学校設立についてのソ連援助に関する議定書,ビエンチャンで調印。
DIA-602-1979-05-31-1ソ連1979年05月31日1970年代『プラウダ』は,最近ASEAN諸国首脳がそれぞれ同機構を軍事ブロックに変える気はないと言明しているのは,ワシントンや北京が同地域軍事化への圧力をかけ,各国内にそれを支持する層がいるからであり,ASEANは軍事ブロックにならず,インドシナ問題で中立を堅持するという声明はこれらの陰謀に対する回答であると論評。
DIA-602-1979-06-01-1ソ連1979年06月01日1970年代ハンガリー訪問中のブレジネフ書記長はハンガリー・テレビの演説で中ソ交渉問題に触れ,「中国側が本当にまじめな態度を示せば会談に応じる用意がある」と発言。
DIA-602-1979-06-03-1ソ連1979年06月03日1970年代クリアンサク・タイ首相はソ連がカンボジアのバッタンバンにレーダー・システムを建設したことを確認,タイの自衛力強化を強調。(バンコク・ポスト=北京放送)
DIA-602-1979-06-03-2ソ連1979年06月03日1970年代パキスタンの宗教活動家代表団(団長=マフムド・ハルン内相兼宗教・少数民族相)がソ連の中央アジア・カザフスタン回教徒宗教庁ジアウジン・ハン・イブン・イシャン・ババハン議長の招待で訪ソ。(タス)
DIA-602-1979-06-04-1ソ連1979年06月04日1970年代グロムイコ外相は中ソ関係正常化のための会談を7月ないし8月にモスクワで開くよう提案した覚書を中国の田曽〓臨時代理大使に手交。
DIA-602-1979-06-04-2ソ連1979年06月04日1970年代『プラウダ』のラティシェフ東京特派員の論評は,日本における気違いじみた反ソ・キャンペーンは軍備拡張のための煙幕だと批判。
DIA-602-1979-06-04-3ソ連1979年06月04日1970年代UNCTAD総会に関する新華社報道は,ソ連代表がアルーシャ綱領を激しく攻撃したと指摘,第三世界の「天性の盟友」を自称するソ連は第三世界諸国援助のいかなる義務も引き受けようとしなかったと非難。
DIA-602-1979-06-04-4ソ連1979年06月04日1970年代ベトナムのホーチミン市を訪れていたソ連の海運専門家・労働者志願者団(団長=ビクス・ナホトカ港湾長)帰国。
DIA-602-1979-06-05-1ソ連1979年06月05日1970年代中ソ商品交換協定交渉モスクワで開始。
DIA-602-1979-06-05-2ソ連1979年06月05日1970年代防衛庁筋はソ連が択捉島に5月以来多量の大型火砲,戦闘車などを搬入している事実を確認。
DIA-602-1979-06-06-1ソ連1979年06月06日1970年代UNCTADマニラ総会の結果についての『イズベスチヤ』論評は「基本問題は先進資本主義諸国の妨害活動でこれにより建設的解決をもたらさなかった」と指摘,また「77ヵ国グループ」の活動も目的がはっきりしていなかったと述べ,会議の基盤となった「アルーシャ綱領」は「反帝的性格も持ってはいるが国際経済関係再編に対する二つの対立する社会体制の国ぐにのアプローチの根本的相違が考慮されていない」と批判。
DIA-602-1979-06-06-2ソ連1979年06月06日1970年代ソ連・モンゴル経済・科学技術協力委第18回会議モスクワで開催。
DIA-602-1979-06-06-3ソ連1979年06月06日1970年代ソ連援助でインドのタウル・ブラデシュ州のマトゥールに建設中の石油精製工場が完成すると,600万tすなわちインドの石油精製能力が20%増大する。同工場の設備の4分の3はソ連製で,現在ソ連専門家11人が建設に従事している。(プラウダ)
DIA-602-1979-06-06-4ソ連1979年06月06日1970年代ソ連は先月捕獲した日本漁船2隻に計約7億円の罰金刑を言い渡たしたと北海道庁が発表。
DIA-602-1979-06-06-5ソ連1979年06月06日1970年代サハリンの石油・ガス開発協力のソ日協定(75年1月調印)の補足協定が東京で調印。
DIA-602-1979-06-07-1ソ連1979年06月07日1970年代ソ連はインドとの宇宙平和利用計画にもとづきインドの第2の人工衛星「バスカラ」を打上げた。地球の天然資源調査が目的。(タス)
DIA-602-1979-06-08-1ソ連1979年06月08日1970年代ソ連はタイ政府にコメコン会議へのオブザーバー出席を招請したが断わられたとタイ消息筋。(時事)
DIA-602-1979-06-08-2ソ連1979年06月08日1970年代アフガニスタンの反政府イスラム教徒組織「ジャミアト・イスラミ」指導者ブルハヌディン・ラバニ氏は,同ゲリラがこれまでヘラートで300人のソ連人将校と専門家を殺害したと述べた。(AFP)
DIA-602-1979-06-09-1ソ連1979年06月09日1970年代ソ連とパキスタンの教育に関する議定書(卒業証明や学位など),モスクワで調印。
DIA-602-1979-06-09-2ソ連1979年06月09日1970年代『ワシントン・ポスト』はアフガニスタン首脳の家族が5月末にモスクワへ避難したことからタラキ政権の先行不安と観測。
DIA-602-1979-06-11-1ソ連1979年06月11日1970年代インドのデサイ首相,モスクワを公式訪問(~14日)。
DIA-602-1979-06-11-2ソ連1979年06月11日1970年代モスクワでソ印経済科学技術協力政府間委員会第5回会議開催(~12日,代表アルヒポフ副首相とバジパイ外相)。
DIA-602-1979-06-11-3ソ連1979年06月11日1970年代ブレジネフ書記長はインドのデサイ首相歓迎宴の演説で中国問題に大半をさき,中国批判と同時に中ソ交渉実現への希望を表明。また「(中ソ)両国が世界の問題で特権と覇権を絶対に認めないことに賛成である」と述べ,中ソ交渉での“反覇権条項”を提案。(プラウダ)
DIA-602-1979-06-11-4ソ連1979年06月11日1970年代日本社会党社会主義理論センター代表団(団長=高沢寅男代議士)が訪ソ。(プラウダ)
DIA-602-1979-06-11-5ソ連1979年06月11日1970年代タス通信はアフガンの反政府ゲリラに米,英,中,パキスタンが武器を供与していると非難。
DIA-602-1979-06-12-1ソ連1979年06月12日1970年代ダライ・ラマ訪ソ-ダライ・ラマはモンゴルのアジア仏教徒平和会議出席の途次,ソ連を初訪問。モスクワ・ザゴルスク,レニングラード,ブリャート自治共和国を歴訪。なおアジア仏教徒平和会議はダライ・ラマに同会議名誉メダルを授与(AP,AFP)。16日,コスイギン首相は同会議にメッセージをよせた(プラウダ)。
DIA-602-1979-06-12-2ソ連1979年06月12日1970年代インドの第3号人工衛星打上げ(1980~81年)に関するソ連科学アカデミーとインド宇宙探査機構の協定がモスクワで調印。(プラウダ)
DIA-602-1979-06-12-3ソ連1979年06月12日1970年代アフガニスタンのタラキ議長とアミン首相は同国訪問中の平和擁護ソ連委員会代表団(団長=プロコフィエフ議長・ソ連教育相)と会見。(タス)
DIA-602-1979-06-12-4ソ連1979年06月12日1970年代イランのホメイニ師はビノグラドブ駐イラン大使と会談イスラム教徒反政府勢力を弾圧するアフガンのタラキ政権をソ連が支援していることに警告。(共同)
DIA-602-1979-06-13-1ソ連1979年06月13日1970年代カンボジア(ヘン・サムリン政権)のフン・セン外相はモスクワでグロムイコ外相と会談。
DIA-602-1979-06-14-1ソ連1979年06月14日1970年代ソ連・インド声明発表-デサイ・インド首相の訪ソ終了に当たり「ソ連・インド声明」を発表。「79年3月に調印された長期経済・通商・科学技術協力計画・原子力平和利用分野での協力協定,79年6月モスクワで行なわれた第5回ソ印政府間委員会会議,ソ連の運搬ロケットによるインドの第2の人工衛星「バスカラ」の打上げにおける両国学者の協力,ピサカパトナムの鋳鋼コンビナート建設に関する協定は経済その他での協力拡大の双方の決意の新たな現れである」とうたい,「インド洋平和地帯化に関する国連宣言実現のための協力」を確認した。「アジア集団安保」「中国」には触れず,アフガン問題では同国との「友好関係と協力の発展」と同国への「いかなる内政干渉にも反対」と表現されたにとどまっている。
DIA-602-1979-06-15-1ソ連1979年06月15日1970年代ソ連によりラオスで建設される人工衛星追跡ステーションの建設資材輸送に関する議定書がビエンチャンで調印。
DIA-602-1979-06-16-1ソ連1979年06月16日1970年代米ソ首脳会談開始(ウィーン,~18日)。18日,SALT IIIに調印。
DIA-602-1979-06-16-2ソ連1979年06月16日1970年代ベトナム共産党中央委宣伝教育部代表団(団長=トー・フー政治局員・宣伝教育部長)訪ソ。
DIA-602-1979-06-16-3ソ連1979年06月16日1970年代トンガ王国独立記念日に当たりブレジネフ議長はツポフ4世に祝電。(イズベスチヤ)
DIA-602-1979-06-17-1ソ連1979年06月17日1970年代中国の李先念副首相は下平社会党副委員長と会見した際,中ソ関係改善交渉を「外務次官級によりモスクワで行なう」意向を表明。
DIA-602-1979-06-18-1ソ連1979年06月18日1970年代華国鋒首相の中ソ交渉に関する発言-中国の華国鋒首相は第5期全人代第2回会議の政府活動報告の中で,「中ソ交渉についてその前途はソ連の(中ソ関係悪化をもたらした)立場に実質的変化があるかどうかにかかっている」と述べ,ソ連が反覇権の原則を提案しているが,「いったい覇権主義に反対しているのか,実際行動で判断するほかない」と発言。(新華社)
DIA-602-1979-06-18-2ソ連1979年06月18日1970年代朝鮮労働党代表団(団長=金英男党中央政治委員兼書記)訪ソ(~25日),20日スースロフ政治局員と会談。
DIA-602-1979-06-18-3ソ連1979年06月18日1970年代ソ連のキエフ級空母「ミンスク」がマラッカ海峡を通過して南シナ海に入った。(時事)
DIA-602-1979-06-19-1ソ連1979年06月19日1970年代三原総務長官,北方領土を視察(~21日)。
DIA-602-1979-06-19-2ソ連1979年06月19日1970年代モスクワ・ホーチミン民間航空直航便就航。
DIA-602-1979-06-21-1ソ連1979年06月21日1970年代ビルマ外相訪ソ-ビルマのウ・ミン・マウン外相,ソ連を公式訪問(~25日),22日コスイギン首相と会談。昼食会での挨拶でグロムイコ外相は「社会主義諸国と(ビルマのような)社会主義志向諸国は共通の利益を持っている」「ソ連はビルマとの間に係争問題はない」と述べ,またアフガンに対する外部介入を非難,ソ連は今後もこの問題の解決に寄与すると強調した。マウン外相はソ連との関係は平和共存の原則に基づくものだと述べた。(イズベスチヤ)
DIA-602-1979-06-21-2ソ連1979年06月21日1970年代『プラウダ』はインドシナ難民問題で本格的論評。米英日中の宣伝機関が東南アジアに不信の種をまくためヒステリックに騒ぎたてていると非難。
DIA-602-1979-06-24-1ソ連1979年06月24日1970年代ベトナムのファン・バン・ドン首相は30周年記念のコメコン総会出席のためモスクワ向け出発。
DIA-602-1979-06-25-1ソ連1979年06月25日1970年代ベトナムのレ・タイン・ギ副首相兼国家計画委議長,モスクワでバイバコフ副首相兼国家計画委議長と会談,両国の経済協力発展と物資輸送拡大強化について協議。(プラウダ)
DIA-602-1979-06-25-2ソ連1979年06月25日1970年代ソ連とカンボジア(ヘン・サムリン政権)の経済技術協力協定,プノンペンで調印(ソ連代表・オサスク国家対外経済交流委副議長)。
DIA-602-1979-06-25-3ソ連1979年06月25日1970年代ソ連とアフガニスタンの計画作業分野における協力協定がモスクワで調印。バイバコフ副首相・国家計画委員会議長はアフガニスタン人民民主党政治局員・書記のシャー・ワリ副首相・保健相と会談。(タス)
DIA-602-1979-06-25-4ソ連1979年06月25日1970年代朝鮮人民との連帯月間に当たり,モスクワで南朝鮮からの外国軍隊撤退と平和的民主的基礎の上で祖国統一をめざす朝鮮人民の闘争との連帯を強調するソ連社会団体の集会開催。
DIA-602-1979-06-25-5ソ連1979年06月25日1970年代インド国会議員代表団(団長=ヘグデ下院議長),ソ連最高会議の招きで訪ソ。
DIA-602-1979-06-25-6ソ連1979年06月25日1970年代ソ連のアジモフ駐パキスタン大使,ペシャワールを訪れ,ファズル・ハク北西辺境州知事と会談。
DIA-602-1979-06-26-1ソ連1979年06月26日1970年代30周年記念のコメコン総会-30周年を迎えたコメコンの第33回総会(モスクワ)にベトナムが加盟国として初参加,加盟10ヵ国のほかオブザーバー国のユーゴ,ラオス,アンゴラ,エチオピアおよび今総会でオブザーバー国に決定した南イエメンのほか,メキシコ,フィンランドなど総計20ヵ国が出席。オブザーバー国の北朝鮮は出席の報道はない。(なおカンボジアのヘン・サムリン政権にも招待状が送られたがルーマニアの反対で撤回されたという=読売)。
DIA-602-1979-06-26-2ソ連1979年06月26日1970年代カンボジアのヘン・サムリン議長はコメコン総会にメッセージを送り,コメコン諸国がカンボジア援助のための活動を調整するよう要請。(タス)
DIA-602-1979-06-26-3ソ連1979年06月26日1970年代グロムイコ外相,モスクワでベトナムのファン・ヒェン外務次官と会談,両国関係や東南ア情勢国際間題について意見交換。(プラウダ)
DIA-602-1979-06-26-4ソ連1979年06月26日1970年代ルーベン最高会議民族会議議長はソ連対文連の招待で訪ソした日ソ諸団体合同代表団の横山利秋,角屋堅次郎,辻原弘市,横川正市の各氏らと会見。
DIA-602-1979-06-29-1ソ連1979年06月29日1970年代ベトナムのハノイ市代表団(団長=レ・バン・ルオン党中央政治局員・ハノイ市党委第1書記)訪ソ。グリシン党中央政治局員・モスクワ市党委第1書記と会見。
DIA-602-1979-06-29-2ソ連1979年06月29日1970年代コメコン,ベトナム援助決定-コメコン総会コミュニケは「ベトナムに対し,経済発展促進のための特別措置に関する総合計画の原則的規定をベトナムの社会主義建設への努力助成の目的で,モンゴルやキューバに対して行なったのと同様にベトナムにも拡大適用する決定を行なった」と発表。(プラウダ)
DIA-602-1979-06-29-3ソ連1979年06月29日1970年代訪日したアファナシェフ『プラウダ』編集長は「日本訪問記」で,日本では根拠のない「ソ連の軍事的脅威」とか「領土問題」がほとんどの日本国民を心配させているかのように言われるが,それらのデマを必要としているのは軍部や報復主義勢力だと指摘。(プラウダ)
DIA-602-1979-06-30-1ソ連1979年06月30日1970年代ソ連とベトナムの出版協力に関する協定調印。(VNA)
DIA-602-1979-07-01-1ソ連1979年07月01日1970年代ASEAN外相会議を控えての『プラウダ』論評は,米国がASEAN機構を基礎に軍事ブロックをつくろうと圧力をかけ,中国のつくり出した東南アジアの緊張を利用して「ベトナムの脅威」説をふりまいていると非難,しかしASEANのいくつかの国はASEANの文化経済機構としての性格を保持しようとしている,と索制。
DIA-602-1979-07-02-1ソ連1979年07月02日1970年代魚本駐ソ大使,グロムイコ外相と会談。
DIA-602-1979-07-02-2ソ連1979年07月02日1970年代『イズベスチヤ』は三原総務長官の北方領土洋上視察を非難,日ソ間に領土問題は存在しないと強調。
DIA-602-1979-07-02-3ソ連1979年07月02日1970年代インド議会代表団(団長=ヘグデ下院議長)はコスイギン首相,ポノマリョフ民族会議外交委員長とそれぞれ会談。
DIA-602-1979-07-02-4ソ連1979年07月02日1970年代ラオスのプンサバン第1副首相兼財政相はコメコン総会出席後モスクワでソ連・ラオス経済科学技術協力政府間委員会第1回会議に出席,2日コスイギン首相と会談。
DIA-602-1979-07-02-5ソ連1979年07月02日1970年代ソ連最高会議はフィリピンのイメルダ・マルコス大統領夫人に比ソ友好協会名誉会長として諸民族友好勲章授与を決定。(イズベスチヤ)
DIA-602-1979-07-02-6ソ連1979年07月02日1970年代ベトナム共産党活動家代表団(団長=ドー・アン・チャウ党中央委副部長)が両党間交流計画に基づき6月18日から7月2日まで訪ソ,ソ連共産党のレーニン主義的民族政策の実践を学ぶ。(タス)
DIA-602-1979-07-03-1ソ連1979年07月03日1970年代ソ連のキエフ級空母「ミンスク」と上陸用強襲艦「イワン・ロゴフ」がウラジオストク港に入港,太平洋艦隊に配備された。
DIA-602-1979-07-03-2ソ連1979年07月03日1970年代コメコン総会に出席したベトナムのファン・バン・ドン首相,コスイギン首相と会談。
DIA-602-1979-07-04-1ソ連1979年07月04日1970年代平和擁護ソ連委員会と日本原水協代表団は近く開かれる世界原水禁統一大会の意義を指摘する共同コミュニケをモスクワで採択。(タス)
DIA-602-1979-07-04-2ソ連1979年07月04日1970年代朝鮮労働党代表団(団長=チエ・ヘン・シク党中央委経済部副部長)が党交流計画に基づき6月25日から7月4日まで訪ソ。
DIA-602-1979-07-04-3ソ連1979年07月04日1970年代『プラウダ』は朝鮮労働党の『労働新聞』の招きで北朝鮮を訪問した『プラウダ』代表団の訪問記事を掲載。ソ連援助でこれまでに平壌繊維コンビナート,清津の金策製鉄所,水豊水力発電所,興南化学肥料工場その他が建設されており,同代表団は現在ソ連援助で建設中の工場を訪問,朝鮮の労働者やソ連人グループと会ったと報道。
DIA-602-1979-07-04-4ソ連1979年07月04日1970年代ソ連・ベトナム漁業協力混合委員会第1回会議(モスクワ)終了,79~80年度協力協定調印。ハイフォンの漁業基地にソ連が冷蔵施設(容量5,000t)を建設することなどが決定。(モスクワ放送)
DIA-602-1979-07-04-5ソ連1979年07月04日1970年代東ベルリンで開かれた社会主義諸国共産党イデオロギー担当書記会議は,中国の大国主義的覇権主義非難ベトナム全面支援などをうたった共同宣言を採択(なおルーマニアは署名せず)。
DIA-602-1979-07-04-6ソ連1979年07月04日1970年代外務省は,ソ連政府が今年も北方4島や樺太の内幌,ウラジオストクなどへの墓参を拒否したと発表。
DIA-602-1979-07-08-1ソ連1979年07月08日1970年代タイ情報筋によると,カンボジアのコンポンソム港がソ連太平洋艦隊受け入れのため改修中(バンコク・ポスト)。カンボジアのSPK通信は同報道を否定(20日)。
DIA-602-1979-07-10-1ソ連1979年07月10日1970年代ビエンチャンの送電線網の拡張に関する覚書がソ連・ラオス間で調印。
DIA-602-1979-07-11-1ソ連1979年07月11日1970年代『プラウダ』は中国の全人代大会についてのアレクサンドロフ署名の論文を発表,中国国内に「疑いもなく変化が起こっている」としつつ,対外関係では相変らず「ソ連の脅威」というデマをふりまいていると非難,中ソ関係健全化への中国側の誠意をせまった。
DIA-602-1979-07-11-2ソ連1979年07月11日1970年代ブレジネフ,コスイギン両首脳,モンゴル人民革命8周年に当たりツェデンバル党第1書記とバトムンフ首相に祝電。
DIA-602-1979-07-11-3ソ連1979年07月11日1970年代カンボジア(ヘン・サムリン政権)の経済代表団(団長=ロフ・サマイ経済社会保障相)訪ソ。
DIA-602-1979-07-12-1ソ連1979年07月12日1970年代米韓両国の提案した朝鮮問題に関する三者会談について『プラウダ』論評は,米国は在韓米軍撤退を延期したばかりか,兵力を増強しようとしていると指摘,北朝鮮側は同提案を非難し,南朝鮮からの外国軍撤退と平和的民主的統一を要求しており,ソ連はこの正義の闘争を支持していると強調。
DIA-602-1979-07-12-2ソ連1979年07月12日1970年代ブレジネフ議長はキリバス(南太平洋)のイエレミエ・タバイ大統領に独立祝賀と承認の祝電を送り,外交関係樹立の意向を表明。(イズベスチヤ)
DIA-602-1979-07-12-3ソ連1979年07月12日1970年代『イズベスチヤ』のチッタゴン港ルポ-バングラデシュ人民の「パキスタン体制」との戦闘で使えなくなった同港を,ソ連は1972年5月から1974年6月までの間に592平方マイルの掃海,沈没船26隻(総排水量10万t)の引揚げを行なって改修し,同港は昨年歴史上最高の560万tの荷扱量を記録した。
DIA-602-1979-07-13-1ソ連1979年07月13日1970年代ブレジネフ議長,ラオスのスハヌボン大統領の70歳誕生日で祝電。(プラウダ)
DIA-602-1979-07-13-2ソ連1979年07月13日1970年代非同盟諸国ハバナ会議を控えて『ノーボエ・ブレーミャ』は非同盟運動について論評,「真の非同盟」「社会主義諸国と帝国主義諸国からの等距離」という主張や「侵略的NATOブロックと防衛的ワルシャワ条約機構の同一視」などを批判。
DIA-602-1979-07-15-1ソ連1979年07月15日1970年代『プラウダ』は日本の実業界の日ソ経済関係発展への現実主義的態度が無責任な反ソ騒ぎを抑える重要な要素となっていると述べた同紙東京特派員の論評を掲載。
DIA-602-1979-07-15-2ソ連1979年07月15日1970年代『プラウダ』は日本共産党創立記念(57周年)論文を発表,同党の活動を賞讃。
DIA-602-1979-07-16-1ソ連1979年07月16日1970年代中国の張海峰外務次官はシチェルバコフ大使に①中ソ交渉を9月中旬モスクワで開催②中国側首席代表王幼平外務次官(前駐ソ大使)③会談では覇権問題も討議,を提案する覚書を手交。
DIA-602-1979-07-16-2ソ連1979年07月16日1970年代フェドセーエフ・ソ連対文連幹部会書記らの代表団は公明党の招待で訪日,竹入委員長と会談。
DIA-602-1979-07-16-3ソ連1979年07月16日1970年代訪ソ中のカンボジア(ヘン・サムリン政権)のロフ・サマイ経済・社会保障相はソ連の同政権に対する1979年度消費物資無償供与協定にソ連対外貿易省において調印。
DIA-602-1979-07-19-1ソ連1979年07月19日1970年代インドネシア駐在のシュペチコ大使はアラムシャ宗教相を訪問し,ソ連の中央アジア・カザフスタン回教徒宗教庁議長からの訪ソ招請状を手渡した。
DIA-602-1979-07-20-1ソ連1979年07月20日1970年代カトマンズでソ連・ネパール外交関係樹立23周年記念式典開催。ネパールのヤダフ教育相は演説の中でソ連の経済援助を高く評価した。(タス)
DIA-602-1979-07-21-1ソ連1979年07月21日1970年代インドネシア国民協議会代表団(団長=ダルヤトモ議長)がソ連最高会議の招きで訪ソ。
DIA-602-1979-07-23-1ソ連1979年07月23日1970年代ソ連外務省は①中ソ交渉の9月中旬開催に同意,②ソ連側首席代表はイリイチョフ外務次官,③交渉場所はモスクワだけ,という覚書を田曽〓代理大使に手交。
DIA-602-1979-07-23-2ソ連1979年07月23日1970年代タス通信はカーター米大統領がインドシナ難民救出のため同海域での第7艦隊の活動強化を許可したのは,難民救助を口実とした軍事的示威行動だと非難。
DIA-602-1979-07-23-3ソ連1979年07月23日1970年代タイ貿易委員会とソ連商工会議所の経済協力協定がモスクワで調印。主な内容は両国間の貿易,技術その他の実業関係拡大。(バンコク・ポスト)
DIA-602-1979-07-24-1ソ連1979年07月24日1970年代渡辺農相がソ連漁業相の招待で訪ソ(~29日)。キセリョフ副首相,カメンツェフ漁業相と会談。
DIA-602-1979-07-24-2ソ連1979年07月24日1970年代米政府筋はソ連のベトナムへの軍事援助が急増し,最近2ヵ月で昨年1年間の総額と同レベルに達していると言明。(毎日)
DIA-602-1979-07-24-3ソ連1979年07月24日1970年代ジュネーブのインドシナ難民問題国際会議の結果について『プラウダ』は,反動勢力は難民問題を煽って帝国主義の犯罪的インドシナ侵略と中国のベトナムに対する冒険を忘れさせ,インドシナ諸国への内政介入の企みに利用しようとしたと論評。
DIA-602-1979-07-24-4ソ連1979年07月24日1970年代中国外務省は新疆ウイグル自治区でソ連兵が中国人2人を殺傷したことに抗議する覚書をソ連大使館に手交。(新華社)
DIA-602-1979-07-24-5ソ連1979年07月24日1970年代タス通信は去る16日に中ソ国境地帯で死傷した中国人はソ連領に侵入した中国兵で,殺された者は中国公安機関の将校だったと中国側抗議に反論。
DIA-602-1979-07-25-1ソ連1979年07月25日1970年代プノンペン空港でソ連の無償援助協定にもとづく最初の物資,医薬品11tがカンボジア側に授与。
DIA-602-1979-07-25-2ソ連1979年07月25日1970年代山下防衛庁長官の訪韓を米日韓軍事同盟の事実上の形成につながるとタス報道。
DIA-602-1979-07-25-3ソ連1979年07月25日1970年代ラオス労組総同盟代表団(団長=プンペン・パンタウォン総同盟国際部次長)訪ソのため出発。
DIA-602-1979-07-26-1ソ連1979年07月26日1970年代中ソ国境での死傷事件についてソ連外務省は中国側の抗議を全く根拠がないと拒否し,責任は中国側にあるとの覚書を中国大使館に手交。
DIA-602-1979-07-26-2ソ連1979年07月26日1970年代ラオスのマ・カイカムヒトゥン国家計画委議長訪ソ,バイバコフ副首相兼国家計画委議長と会談。
DIA-602-1979-07-27-1ソ連1979年07月27日1970年代ラオスのスハヌボン大統領はクレムリンでクズネツォフ最高会議第1副議長から10月革命勲章を受賞。
DIA-602-1979-07-28-1ソ連1979年07月28日1970年代ソ連とラオスの79~80年の文化・科学協力に関する覚書がビエンチャンで調印。
DIA-602-1979-07-28-2ソ連1979年07月28日1970年代ソ連・ベトナム青年友好連帯の集いがアルマアタで開催,ベトナム青年代表団(団長=ダン・クォク・バオ・ホーチミン共産青年同盟第1書記)が参加,ブレジネフ書記長とレ・ズアン書記長がメッセージ。
DIA-602-1979-07-30-1ソ連1979年07月30日1970年代コスイギン首相はインドのチャラン・シン首相就任に祝電。(プラウダ)
DIA-602-1979-07-31-1ソ連1979年07月31日1970年代国際児童年ソ連委員会代表団,カンボジア(ヘン・サムリン政権)を訪問,米100t,靴1万1000足,衣類1万6000着その他を寄贈。
DIA-602-1979-07-31-2ソ連1979年07月31日1970年代ソ連とラオスの輸送協力協定がビエンチャンで調印,ソ連は150kwの中波放送局用資材輸送設備を提供する。(VNA)
DIA-602-1979-07-31-3ソ連1979年07月31日1970年代日本社会党日ソ問題特別委員会代表団(団長=山崎昇同委副委員長・参院議員),ソ連共産党との交流計画に従い訪ソ。
DIA-602-1979-08-01-1ソ連1979年08月01日1970年代クズネツォフ最高会議第1副議長,クレムリンでインドネシアのダリヤトモ国会議長と会談。
DIA-602-1979-08-01-2ソ連1979年08月01日1970年代ラオス人民革命党中央委代表団(団長=チャンミ中央委員・宣伝教育部長),ソ連党中央委の招きで訪ソ(~13日)。
DIA-602-1979-08-03-1ソ連1979年08月03日1970年代ブレジネフ議長,モルジブ共和国大統領に独立記念日の祝電。
DIA-602-1979-08-03-2ソ連1979年08月03日1970年代ベトナム人民軍総政治部代表団(団長=チュー・フュイ・マン党政治局員・人民軍政治総本部長・大将)訪ソ。ソ連陸海軍政治総本部長エピシェフ上級大将(党中央委員)と会談。8日,カピトノフ党政治局員と会談。(タス)
DIA-602-1979-08-03-3ソ連1979年08月03日1970年代インドのメノン印ソ文化協会会長へのレーニン平和賞授与式がクレムリンで開催。
DIA-602-1979-08-04-1ソ連1979年08月04日1970年代ソ連のインドシナへの軍事浸透を新華社が批判-新華社論評はソ連が今年の1月から5月までにベトナムに約7万4000tの兵器・装備を運び込み,ソ連がベトナムに駐留させている輸送機は5月末までの2ヵ月間にインドシナ地域で500回以上飛行していると批判。
DIA-602-1979-08-04-2ソ連1979年08月04日1970年代日ソ両共産党関係を討議するためストゥカリン党中央委員・国家出版委議長とコワレンコ党中央委国際部課長が訪日(~17日)。
DIA-602-1979-08-05-1ソ連1979年08月05日1970年代アフガニスタンの首都で政府軍の一部が反乱を起こし,政府軍との戦闘で双方あわせて400人が死亡。反乱鎮圧にはソ連製ヘリコプター3機が出動して爆撃,同機パイロットはロシア語で交信した。(AP)
DIA-602-1979-08-05-2ソ連1979年08月05日1970年代パキスタン文化舞踊団(団長=サヒプサダ文化次官補)ソ連各地での公演のため出発。
DIA-602-1979-08-06-1ソ連1979年08月06日1970年代韓国の学者16人にソ連がビザ-モスクワ大学で開かれる世界政治学会に出席するため朴東緒ソウル大教授ら16人が4日,東京のソ連大使館に入国ビザを申請,2日後には全員に許可がおりた。(時事)
DIA-602-1979-08-06-2ソ連1979年08月06日1970年代中ソ貿易交渉妥結-モスクワで79年商品交換・支払協定調印。中国側陳潔対外貿易次官,ソ連側グリシン対外貿易次官。(タス)
DIA-602-1979-08-07-1ソ連1979年08月07日1970年代ソ連外務省ロガチェフ東南アジア局長,ラオスを公式訪問(~13日)。
DIA-602-1979-08-07-2ソ連1979年08月07日1970年代アフガニスタンのシャー・ワリ副首相兼外相ブリガリア訪問の途次モスクワでバイバコフ国家計画委議長らと会談。
DIA-602-1979-08-09-1ソ連1979年08月09日1970年代中国へ亡命したベトナムのホアン・バン・ホアン国会副議長は北京で「ベトナム同胞に寄せるメッセージ」を発表,「今日のベトナムはもはや独立自主の国家ではなくなり,経済,政治,軍事,外交のいずれの面でも外国に従属している」とソ連への従属を批判。(新華社)
DIA-602-1979-08-10-1ソ連1979年08月10日1970年代ソ連対文連とソ中友好協会はカラハン宣言60周年記念の夕べをモスクワで開催,駐ソ中国大使館員が出席。(タス)
DIA-602-1979-08-10-2ソ連1979年08月10日1970年代ネパールに対する援助は中国が5,000万ルピー以上で,ソ連はわずか100万ルピーだが,西側の対ネパール援助国会議ははるかに多額の援助を約束している。(FEER)
DIA-602-1979-08-11-1ソ連1979年08月11日1970年代ブレジネフ書記長はブルガリア訪問の帰途ソ連に立ち寄ったモンゴルのツェデンバル第1書記と会談。
DIA-602-1979-08-11-2ソ連1979年08月11日1970年代ウィズナー米太平洋軍司令官は,ソ連のキエフ級空母「ミンスク」の配備は太平洋の米ソ海軍力バランスに大きな影響はないと述べた。(読売)
DIA-602-1979-08-11-3ソ連1979年08月11日1970年代印ソの為替レートが1ルーブル=9.9974ルピーに改訂。
DIA-602-1979-08-13-1ソ連1979年08月13日1970年代ネパールはソ連が80年央以降の石油供給不可能を通告してきたため中東からの輸入を開始。(AFP)
DIA-602-1979-08-15-1ソ連1979年08月15日1970年代朝鮮解放34周年に当たり,ブレジネフ議長,コスイギン首相と金日成主席,李鐘玉首相が祝電を交換。(プラウダ)
DIA-602-1979-08-15-2ソ連1979年08月15日1970年代ブレジネフ,コスイギン両首脳,インド独立32周年に当たり祝電。(プラウダ)
DIA-602-1979-08-15-3ソ連1979年08月15日1970年代中ソ交渉近く開始-チェルネンコ党中央政治局員兼書記はフルンゼ市の演説で「われわれは過去,現在とも毛主義の理論と実践の断固たる反対者である。同時にわれわれは両国関係を正常な軌道に乗せるために必要なすべてのことを行なってきたし,行なうであろう」と述べ,中ソ交渉は近く始められるであろうと指摘した。(プラウダ)
DIA-602-1979-08-15-4ソ連1979年08月15日1970年代インドを訪問したソ連社会団体代表団(団長=ストラウトマニス最高会議副議長)はレディ大統領と会談,18日にはシン首相と会談。
DIA-602-1979-08-15-5ソ連1979年08月15日1970年代ソ連と北朝鮮の経済・科学技術問題政府間協議委員会第15回会議,モスクワで開催(~17日)。北朝鮮側代表は孔鎮泰副首相,ソ連側代表はアルヒポフ副首相。17日,共同議定書調印。
DIA-602-1979-08-15-6ソ連1979年08月15日1970年代ラオスでのソ連援助による灌漑プロジェクト建設のための資料収集に関する覚書,ビエンチャンで調印。
DIA-602-1979-08-17-1ソ連1979年08月17日1970年代ベトナム工業省代表団(団長=ブー・クアン次官)訪ソ(~25日),輸送問題で会談。
DIA-602-1979-08-18-1ソ連1979年08月18日1970年代アフガニスタンのアミン首相はソ連との友好協力条約で軍事援助を含む経済・財政援助を受けており,この条約を通じて革命防衛のためにいかなることもやれると発言,ソ連人顧問は1,000~1,500人と語る。(読売)
DIA-602-1979-08-19-1ソ連1979年08月19日1970年代ブレジネフ,コスイギン両首脳はアフガニスタン独立記念日に当りタラキ議長,アミン首相に祝電。
DIA-602-1979-08-20-1ソ連1979年08月20日1970年代タイ国家立法議会代表団(団長=ハリン・ホンサクン議長)訪ソ(~26日),22日クズネツォフ最高会議第1副議長と会見。(タス)
DIA-602-1979-08-20-2ソ連1979年08月20日1970年代ハルヒンゴールでの日本侵略者に対するソ連・モンゴル両国軍の勝利(ノモンハン事件)40周年記念集会がモスクワのソ連軍中央会館で開催。ドルギフ党中央委書記,ヤズクリエフ最高会議副議長,バンズラグチ駐ソ・モンゴル大使らが出席。
DIA-602-1979-08-21-1ソ連1979年08月21日1970年代ラオスでのソ連援助による石油貯蔵所1カ所と自動車修理工場1カ所の建設に関する覚書を交換。ソ連は建設資材,予備部品,専門家を提供し,労働者と技術者の養成を援助する。
DIA-602-1979-08-23-1ソ連1979年08月23日1970年代米中のアジア戦略の変化-『プラウダ』論評は,米中接近は米国に「ベトナム・ショック」からの立ち直りを助け,さらに「イラン・ショック」によって「空母外交」への回帰が促進された,また毛主義者たちは台湾問題についての妥協で大軍のベトナム国境への移動を可能にし,対越侵略を開始した,さらに米軍はフィリピンにおける基地使用継続を決め,在韓米軍撤退も中止した,一連の事実は米帝国主義者と中国覇権主義者が双方の利益が一致するなら簡単に共謀者になることを示している,と批判。
DIA-602-1979-08-23-2ソ連1979年08月23日1970年代米国務省スポークスマンは米ソ両国が昨年初め以来中断されていたインド洋非武装化に関する会談再開を非公式に合意したと言明。(日経)
DIA-602-1979-08-24-1ソ連1979年08月24日1970年代防衛庁は昭和54年度防衛白書を発表,ソ連は極東での軍事態勢で米国に拮抗し得るようになったと指摘。
DIA-602-1979-08-25-1ソ連1979年08月25日1970年代非同盟運動を弱体化させる北京-『プラウダ』論評は,戦後非同盟運動が起こったのは世界社会主義共同体が形成され,若い独立諸国の反帝・反植民主義の強力な支えとなったからだ,北京は帝国主義大国とともにキューバ,ベトナム,エチオピア,アフガニスタンなど社会主義志向諸国を誹謗し,非同盟運動を世界社会主義に対立させ,分裂と弱体化をはかっている,と批判。
DIA-602-1979-08-25-2ソ連1979年08月25日1970年代山下防衛庁長官の欧米歴訪について『プラウダ』は,「北からの脅威」という神話を使って指導的な資本主義諸大国の軍事的統合への道を正当化しようとしていると非難。
DIA-602-1979-08-25-3ソ連1979年08月25日1970年代日本社会党漁業問題代表団(団長=川村清一参院議員)がソ連共産党中央委の招きで訪ソ。
DIA-602-1979-08-25-4ソ連1979年08月25日1970年代カーブルにおけるアフガニスタン人民との国際連帯会議でソ連代表団長フョードロフ平和擁護ソ連委員会議長が演説。(タス)
DIA-602-1979-08-28-1ソ連1979年08月28日1970年代中国指導部の権力闘争激化とタス論評-タス通信の論評は,最近の中国指導部内の派閥闘争の激化はまず経済問題に現れ,文革期に指導部に昇進した「左傾」の代表は現在の方針を後退とみなしており,北京各紙は「派閥の根絶」や「極左路線の害毒の一掃」を呼びかけており,一連の粛清を招く可能性もある,しかし「毛への忠誠を誓った中国の現指導部が,国の不安定の主な原因である毛主義の悪循環から脱出できないことは諸事実が示している」と批判。
DIA-602-1979-08-28-2ソ連1979年08月28日1970年代白ロシアのミンスクで恒例の日ソ平和友好労組集会開催,日本代表団(総評・中立労連)100名が25日ナホトカ港に到着。
DIA-602-1979-08-29-1ソ連1979年08月29日1970年代プラウダ紙がアフガン問題でイラン紙を非難-『プラウダ』はイランの諸新聞が,タラキ政権は「イスラム絶滅」を目的とし,同政権が「もっぱらソ連の銃剣によって」維持されているなどという中傷報道を行なっており,このような反アフガン・反ソ的態度はイラン政府の公式な立場と一致しない,と非難。
DIA-602-1979-08-29-2ソ連1979年08月29日1970年代タス通信のミハイル・ヤコブレフ評論員に1カ月間の中国訪問が認められ,30日北京入りすると北京のソ連筋発表。(共同)
DIA-602-1979-08-30-1ソ連1979年08月30日1970年代カンボジアのヘン・サムリン議長は非同盟諸国首脳会議出席のためキューバ訪問の途上,29日モスクワを訪問,30日コスイギン首相と会談。
DIA-602-1979-08-30-2ソ連1979年08月30日1970年代ベトナムのファン・バン・ドン首相は非同盟諸国首脳会議出席の途次,29日モスクワを訪問,30日コスイギン首相と会談。
DIA-602-1979-08-30-3ソ連1979年08月30日1970年代カンボジア(ポル・ポト政権)のイエン・サリ副首相のルーマニア訪問を,タス通信は「カンボジア人民に倒された最も野蛮な政権の一つポル・ポト一派の代表イエン・サリがブカレストに到着した」と報道。(毎日)
DIA-602-1979-08-31-1ソ連1979年08月31日1970年代防衛庁筋はソ連のシャーセン級魚電艇2隻が対馬海峡を抜け南下したが,艦番号もなかったことからベトナムに引き渡されると見ていると述べた。
DIA-602-1979-09-02-1ソ連1979年09月02日1970年代ベトナムの国家記念日(34周年)に当たり,ブレジネフ,コスイギン両首脳はトン・ドク・タン大統領,レ・ズアン書記長,チュオン・チン国会議長,ファン・バン・ドン首相あてに祝電。(プラウダ)
DIA-602-1979-09-03-1ソ連1979年09月03日1970年代朝鮮建国31周年を祝うモスクワ各界代表の集会開催,ソロメンツェフ党中央政治局員・ロシア共和国首相,ドルギフ党中央書記が出席,タラソフ・ソ朝友好協会会長(軽工業相)が演説。(タス)
DIA-602-1979-09-03-2ソ連1979年09月03日1970年代石田博英日ソ友好議連会長はモスクワでシチコフ連邦会議議長と,4日にはデミチェフ文化相と会談。(タス)
DIA-602-1979-09-03-3ソ連1979年09月03日1970年代カンボジアへのソ連援助として5,300tの米を積んだソ連貨物船がコンポンソム港に入港,同港で歓迎集会。同港活動再開後2番目の外国船(VNA)。なお5日のモスクワ放送は最初のソ連貨物船と報道。
DIA-602-1979-09-03-4ソ連1979年09月03日1970年代モンゴルのバンズラグチ駐ソ大使に諸民族友好勲章を授与。
DIA-602-1979-09-04-1ソ連1979年09月04日1970年代ソ連とフィリピンの1979~80年度文化交流計画をマニラで調印。(モスクワ放送)
DIA-602-1979-09-04-2ソ連1979年09月04日1970年代モスクワ中央テレビは中国批判のテレビ・ドキュメント・フィルム「“天朝”からの挑発者」放映。「モンタージュ手法を利用し,中国兵の射撃演習の場面と嬰児をかかえているソ連婦人の画面をオーバーラップさせる」(新華社)など強烈な中国批判。
DIA-602-1979-09-07-1ソ連1979年09月07日1970年代『イズベスチヤ』は,中国がビルマに対し国家間関係のルートで経済援助する一方,同国の反徒や民族主義グループのテロ活動を支援し,背後から攻撃していると非難。
DIA-602-1979-09-07-2ソ連1979年09月07日1970年代モスクワで開かれていた第2回日ソ科学技術協力委は原子力平和利用と農業分野での協力計画を取決めた議定書に調印して閉幕。
DIA-602-1979-09-07-3ソ連1979年09月07日1970年代「アジア集団安保」を提案-ASEAN諸国駐在ソ連大使館の広報誌『ソビエト・ニュース』はクドリャフツェフ・イズベスチヤ評論員の論文「ASEAN-モスクワの見解」を掲載,ASEAN5ヵ国とインドシナ3ヵ国を包含するアジア安保体制樹立以外に東南アジアの平和と安全を維持する方法はないと強調。シンガポール外交観測筋は「アジア集団安保」構想実現の外交攻勢復活と見ている。(時事)
DIA-602-1979-09-08-1ソ連1979年09月08日1970年代マレーシアの国家祝日に当たりブレジネフ書記長はハジ・イブニ元首に祝電。(プラウダ)
DIA-602-1979-09-09-1ソ連1979年09月09日1970年代園田外相,洋上から北方領土視察。
DIA-602-1979-09-09-2ソ連1979年09月09日1970年代朝鮮建国31周年に当たりブレジネフ,コスイギン両首相は金日成主席と李鐘玉首相あてに祝電。(プラウダ)
DIA-602-1979-09-10-1ソ連1979年09月10日1970年代ブレジネフ書記長は非同盟諸国首脳会議の帰途モスクワに立寄ったアフガニスタンのタラキ議長と会談。「会談に関する発表」は友好善隣協力条約に基づき両国関係を「極力発展させていく決意を強調」,ブレジネフ書記長は「アフガニスタン国民は今後もソ連の全面的で私心のない援助を期待できると確言した」。(プラウダ)
DIA-602-1979-09-10-2ソ連1979年09月10日1970年代タス通信は園田外相の北方領土視察を「隣国に対する非友好的行為」と非難,ありもしない領土問題であおり立て,「総選挙目当てに利用しようとしている」と強調。
DIA-602-1979-09-12-1ソ連1979年09月12日1970年代ハバナ会議の成果を論評-『イズベスチヤ』は非同盟諸国首脳会議を総括する長文の論評(クドリャフツェフ評論員)を発表。◇「会議が西半球における“帝国主義への挑戦”と言われる自由の島キューバで行なわれた事実」を強調。◇帝国主義者や北京指導部がキューバ自身の非同盟に異論を唱えたが,何の成果も得られなかった。◇運動自体の分裂にも期待がかけられたが失敗した。◇鋭い意見の不一致を避けて,会議はカンボジアの代表問題を未解決として残した(この点は15日付『プラウダ』社説の「会議参加者は,北京の主人公たちの支持の下に非同盟運動内におけるカンボジア人民共和国の合法的地位を奪取しようとするポル・ポト=イエン・サリ一味の企みをしりぞけた」という表現とはニュアンスが異なる)。◇ハバナ会議の議論の余地なき成果は,それを全世界の反帝国主義運動の成果の一部とみなせることにある。
DIA-602-1979-09-12-2ソ連1979年09月12日1970年代スースロフ党中央政治局員は保養のため訪ソ中のベトナム共産党レ・ドク・ト政治局員とソ連党中央委で会談。(モスクワ放送)
DIA-602-1979-09-12-3ソ連1979年09月12日1970年代ラオスのネン川橋(78年末完成)建設に参加したソ連人専門家グループに対するラオスの勲章および感謝状授与式がビエンチャンで行なわれた。(モスクワ放送)
DIA-602-1979-09-13-1ソ連1979年09月13日1970年代クズネツォフ駐タイ・ソ連大使はタイのクリアンサク首相と会談。席上同大使はコスイギン首相がタイ訪問を受諾したことを伝えたが,この2カ月以内には実現できないと説明。(共同)
DIA-602-1979-09-13-2ソ連1979年09月13日1970年代日本共産党官本委員長は同党講演会で,選挙後に訪ソし千島問題や歯舞・色丹問題などの領土問題を勇敢に話し合う予定だと述べた。(朝日)
DIA-602-1979-09-13-3ソ連1979年09月13日1970年代非同盟諸国首脳会議から帰国したインドのミシュラ外相は「社会主義諸国を非同盟運動の“生来の同盟国”とする考えを受け入れない」と語った。
DIA-602-1979-09-15-1ソ連1979年09月15日1970年代カンボジアへのソ連無償援助の医薬品9tを積んだソ連機IL 76がプノンペンに到着。(モスクワ放送)
DIA-602-1979-09-15-2ソ連1979年09月15日1970年代商用で来日していたソ連のコンピューター技師レオニード・ブローヒス氏が13日に米大使館へ米国への亡命を申し出,15日米国へ出発。
DIA-602-1979-09-16-1ソ連1979年09月16日1970年代アフガン政変についてのソ連報道-カーブル発タス通信はアフガニスタン政変について以下のように報道。◇アフガニスタン人民民主党臨時総会がシャー・ワリ同党中央委政治局員兼書記を議長として16日カーブルで行なわれた。カーブル放送の伝えた同党の声明によると,総会は「健康上の理由により党と国家の職務を遂行し続けられない」とのN.K.タラキの要請を検討し,これを受諾することを決定した。◇総会はアミン同党中央委書記・首相を同党中央委書記長に選出した。◇同日,アフガニスタン革命評議会臨時会議が行なわれ,アミン書記長を同評議会議長に選出した。(プラウダ) なお「事件」発生は14日であるが,上記タス電『プラウダ』掲載(17日)の前日(16日)付『プラウダ』は国際評論欄で次のように指摘している。◇新しく独立をかちとった諸国に対しソ連は支持を与えてきているが,その際自己の利益を求めたり,政治支配をしようとしたり,軍事基地を強制したりしていない。◇この原則は先週の出来事の中でも新たに確認されている。ブレジネフ書記長とアフガニスタンのタラキ議長の友好的会談の中で両国間の緊密な友好関係と全面的協力を発展させることに高い評価が与えられた。◇アフガニ・
DIA-602-1979-09-16-2ソ連1979年09月16日1970年代『プラウダ』は先にカンボジアのポル・ポト政権が発表した「カンプチア大民族統一愛国戦線」構想を「反革命の戦線」ときめつけ,それを支援する中国を非難。
DIA-602-1979-09-16-3ソ連1979年09月16日1970年代「民主カンボジアの声」放送は,ソ連がヘン・サムリン軍増援のため今月初め以来ベトナム軍部隊と軍事物資を数回にわたりカンボジア西部のバッタンバン州に空輸していると伝えた。(AFP)
DIA-602-1979-09-16-4ソ連1979年09月16日1970年代韓国の朴東鎮外相はヘルシンキで記者会見し,フィンランド政府首脳との会談でソ連・東欧諸国との貿易拡大問題を話し合った,フィンランド企業はこの点で最も協力しやすい立場にあるからだ,と述べた。(AP)
DIA-602-1979-09-17-1ソ連1979年09月17日1970年代アミン新議長,対ソ兄弟関係発展を力説-タス通信はアフガニスタンのアミン新議長の人民への呼びかけを詳細に紹介。同議長は社会改革を強調したのち,「今後は人民への横暴,勝手,不信感,権利侵害を完全になくし,無実の逮捕者など1人も出さないようにする」と強調。憲法草案作成特別委設置を表明。またソ連との友好関係は兄弟関係のレベルに高まり,アフガン勤労人民の愛国主義の切り離せない部分となったときわめて高く位置づけ,さらにインドとの歴史的関係の発展を力説し,イラン,パキスタンとの意見不一致は友好的交渉で解決したいと述べた。
DIA-602-1979-09-17-2ソ連1979年09月17日1970年代アフガニスタンのアミン新議長はソ連のプザノフ大使と会見。(カーブル放送)
DIA-602-1979-09-17-3ソ連1979年09月17日1970年代ブレジネフ,コスイギン両首脳はアフガニスタンのアミン新書記長・議長に祝電。「ソ連と革命的アフガニスタンの兄弟的関係は友好善隣協力条約によって発展していく」との確信を表明。
DIA-602-1979-09-17-4ソ連1979年09月17日1970年代ASEAN諸国にソ連軍艦の寄港申入れ-ソ連はこのほどASEAN諸国に①ソ連艦隊(2~4隻)の連続寄港,②海軍将兵の上陸,③期間は10月後半から11月,を要請した(朝日)。フィリピンのイングレス外務次官は18日,ASEANで協議の末一致してこれを拒否したと言明(時事)。
DIA-602-1979-09-17-5ソ連1979年09月17日1970年代コスイギン首相は南イエメン訪問の帰途ボンベイに立寄り,空港でインドのミシュラ外相と懇談。
DIA-602-1979-09-18-1ソ連1979年09月18日1970年代マレーシアのフセイン・オン首相,ソ連を公式訪問(~25日)。
DIA-602-1979-09-18-2ソ連1979年09月18日1970年代中ソ関係についてのスースロフ発言-スースロフ政治局員はブリャンスクでの演説の中で中ソ関係に触れ次のように述べた。◇この問題でのわれわれの原則的路線はよく知られている。われわれはマオイズムのイデオロギーと政策をML主義,社会主義の利益,平和事業および各国人民の解放闘争に深く敵対するものとして断固として非難している。◇同時にわれわれは中国指導部に平等の基礎の上に立って交渉を行なうよう一再ならず提案してきた。われわれは平和共存の基礎の上に中国との国家関係を正常化しようと努めている。◇今や全ては中国側がこれからの交渉において賢明で建設的な態度をとるか否かにかかっている。(プラウダ)
DIA-602-1979-09-19-1ソ連1979年09月19日1970年代ソ連対外貿易省のキセリョフ・アジア諸国貿易局長は第8回日ソ経済合同委員会に先立ち,「今年2月の合同幹部会議でソ連が提出した15~20年の協力計画への回答を期待する」と述べた。ソ連提案とは①東部シベリアのマロージュノエのアスベスト鉱床開発,②極東での大型一貫製鉄所建設,③ウドカン銅コンビナート建設の3件。(時事)
DIA-602-1979-09-19-2ソ連1979年09月19日1970年代『プラウダ』論評は,日ソ実務協議に対する日本政府の高い評価にもかかわらず,実際行動の上では園田外相の「北方領土」視察をはじめ「ソ連の脅威」についてのキャンペーンはいっそう活発化している,と非難。
DIA-602-1979-09-20-1ソ連1979年09月20日1970年代ソ連・マレーシア首脳会談-マレーシアのフセイン・オン首相はブレジネフ書記長,コスイギン首相と会談。ブレジネフ書記長は「帝国主義勢力およびそれと結託した勢力の陰謀による東南アジア諸国民にとっての危険性,武器その他の手段によって自分の要求を他の諸国民に押しつけ,インドシナ諸国やASEAN諸国間に反目の種をまこうとするこれらの勢力の企てに注意を喚起」し,暗に中国への警戒を促した。また同日の夕食宴でコスイギン首相は「東南アジア平和地帯化に関するマレーシアの提案の実現は緊張緩和のプロセスをアジア全体に広げるための補足的前提条件をつくり出す」と支持を表明し,またベトナムがすべての隣国との友好協力関係発展のためにとっている建設的措置を支持することは東南アジア情勢正常化に貢献しようと述べ,ベトナムとの友好関係強化を要請した。これに対しオン首相はインドシナ紛争がより悪化する危険があることに危惧を表明し,「ソ連が巨大な国家として自己の影響力を使ってこの問題の平和解決を援助する」よう切望すると述べ,暗にカンボジア問題でソ連がベトナム説得に当たるよう希望した。(発言内容はプラウダによる)
DIA-602-1979-09-20-2ソ連1979年09月20日1970年代中国外務省は中ソ交渉の中国代表団の主な顔ぶれを発表。団長=王幼平外務次官,副団長=李〓川外相特別補佐官(元駐ソ大使館参事官),邵天任外相特別補佐官(中越会談副団長・元外務省法律条約局副局長),馬叙生駐ソ大使館参事官。
DIA-602-1979-09-21-1ソ連1979年09月21日1970年代アフガン政変,ソ連の企図失敗説-アフガニスタンのクーデターについて,現地の有力な見方では,14日政変の“仕掛人”はアミン側ではなくタラキ側で,タラキ前議長が去る10日,モスクワに立寄った際にソ連側は国民に不人気で反政府勢力の活動を収拾できないアミン首相の更迭を示唆,タラキ議長がワタンジャル内相を首相に据え,アミン首相を更迭しようとしたのが契機となった,といわれる。(読売)
DIA-602-1979-09-21-2ソ連1979年09月21日1970年代インドの国防代表団がソ連から軍事物資買付のため22日にモスクワへ出発するとインド公式筋。(PTI)
DIA-602-1979-09-21-3ソ連1979年09月21日1970年代ソ連は国連でベトナムなど10ヵ国とカンボジアの国連議席を正統な代表であるヘン・サムリン政権に渡すべきだという決議案を提出。
DIA-602-1979-09-21-4ソ連1979年09月21日1970年代ソ連・ベトナム首脳会談-コスイギン首相は非同盟諸国首脳会議の帰途訪ソしたベトナムのファン・バン・ドン首相(~24日)と会談。タス発表はハバナ会議の「肯定的成果が高く評価された」と指摘。
DIA-602-1979-09-23-1ソ連1979年09月23日1970年代中ソ交渉の中国代表団モスクワ着。
DIA-602-1979-09-23-2ソ連1979年09月23日1970年代新華社論評は中ソ交渉開始を控えてソ連側の展開する中国非難を列挙し,「問題を解決するつもりなのか,それとも障害を設けようとするのか」と,ソ連側の真意に疑問を呈示。
DIA-602-1979-09-24-1ソ連1979年09月24日1970年代第8回日ソ経済合同委員会,モスクワで開募(日本側代表=永野重雄日商会頭,ソ連側代表=セミチャストノフ対外貿易次官)。セ次官は開会式で政府間長期経済協力協定締結を強調。永野団長は25日コスイギン首相と会見。
DIA-602-1979-09-25-1ソ連1979年09月25日1970年代ソ連・マレーシア共同コミュニケ発表-「ソ連は,ASEAN加盟諸国は経済,社会,文化の協力発展に努め,ASEANが軍事的性格を持っておらず今後も持たないというASEAN加盟諸国指導者の声明を留意する」とうたう。(プラウダ)
DIA-602-1979-09-25-2ソ連1979年09月25日1970年代ソ連輸送機のタイ領空通過全面禁止-タイ政府はソ連輸送機のタイ領空通過の全面禁止を決定,ソ連政府に通告。ソ連輸送機の通過はこれまで週4便が認められていたが,ソ連側の増便要請に対しソ連輸送機がベトナムへ武器輸送していると見て増便を拒否していたのに続き,今回全面禁止に踏み切ったもの。
DIA-602-1979-09-25-3ソ連1979年09月25日1970年代日ソ外相会談-園田外相は国連総会出席のため滞在中のニューヨークでグロムイコ外相と会談。日ソ定期外相会議開催のためグ外相の訪日を改めて要請。グ外相は「訪日に向かってメカニズムは動いている」と前向き回答。(朝日)
DIA-602-1979-09-25-4ソ連1979年09月25日1970年代色丹島にもソ連軍基地-米国政府筋は色丹島にも国後,択捉両島に似た規模のソ連軍事基地が建設されたことが判明,日本政府に伝えたと言明。(毎日)
DIA-602-1979-09-25-5ソ連1979年09月25日1970年代コスイギン首相は永野重雄日ソ経済委員会代表委員および同委メンバーと会談。なお第8回合同会議は27日,共同コミュニケを採択して閉幕。
DIA-602-1979-09-25-6ソ連1979年09月25日1970年代国連で「反覇権」決議案提案-グロムイコ外相は国連総会での演説で同総会が「反覇権」問題を議題に取り上げるよう緊急提案,提案内容を説明した同外相書簡をワルトハイム事務総長に送付。ソ連提案の「国際関係において覇権主義政策を容認しないことについて」の決議案では,「覇権主義政策,すなわち他の国家および国民を支配したいというある国家の願望が国連のよって立つ諸原則,とりわけ諸国家の主権の平等という原則とはなはだしく矛盾すること」を確認し,「いかなる国家または国家グループも,いかなる状況下であれ,またいかなる動機によるものであれ,決して国際問題において覇権を求めてはならず,世界全体においても世界のいずれかの地域においても支配的地位を占めようとしてはならない」と声明するよう求めている。(プラウダ)
DIA-602-1979-09-26-1ソ連1979年09月26日1970年代タス通信は,中ソ交渉の中国代表団モスクワ到着に伴って中国の反ソ宣伝はかえって強まっていると非難する長文の論評を発表。
DIA-602-1979-09-26-2ソ連1979年09月26日1970年代ソ連・ラオス首脳会談-ラオスのカイソン首相,クレムリンでブレジネフ書記長と会談。同首相はラオスの経済的立ち遅れ克服のための活動について述べ,ブ書記長は内外反動分子に反撃を加える活動を注意深く見守っていると強調。また両首脳はインドシナ3国の「兄弟的同盟」は東南アジアの平和の要因となっていると指摘した。カソイン首相は29日帰国の途に。(タス)
DIA-602-1979-09-26-3ソ連1979年09月26日1970年代ソ連国家計画委代表団(団長=ニコライ・ボロル同委常任委員)がラオスを訪問。マー・ラオス国家計画委員長らと実務会談に入った。(VNA)
DIA-602-1979-09-27-1ソ連1979年09月27日1970年代ソ連対文連とソ中友好協会は中国建国30周年記念コンサートの夕べをモスクワで開催。中国側からは王幼平外務次官,田曽〓臨時大使が出席。(タス)
DIA-602-1979-09-27-2ソ連1979年09月27日1970年代色丹島基地建設報道に反論-モスクワ放送は色丹島軍事基地建設報道について「民間建設にせよ軍事建設にせよ,自国内のどこでそれを行なってもソ連の自由だ」と主張。またタス通信も総選挙で自民党を支援するため米政府が流した情報と批判。
DIA-602-1979-09-27-3ソ連1979年09月27日1970年代NATO筋はアフガニスタンとの国境でソ連軍が異常な動きをしており,米国政府は「大いに不安をかりたてるもの」とみなしソ連に警告を発したと語った。(AFP)
DIA-602-1979-09-27-4ソ連1979年09月27日1970年代中ソ交渉第1回予備会談開く。交渉をモスクワと北京で交互に開くことで合意,同時にこれまで北京で行なっていた国境交渉も両地で交互に開くことになった。
DIA-602-1979-09-28-1ソ連1979年09月28日1970年代中国の田曽〓駐ソ臨時代理大使は中国建国30周年祝賀レセプションを開催,ソ連側からワチェンコ最高会議副議長,グリシン,イリイチョフ両外務次官らが出席。(タス)
DIA-602-1979-09-28-2ソ連1979年09月28日1970年代中国は来年の国内スポーツ大会にソ連の女子バレーボール・チームなどを招待したと日中スポーツ関係筋が語る。実現すれば17年ぶり。(読売)
DIA-602-1979-09-28-3ソ連1979年09月28日1970年代ビルマのミン・マウン外相は国連総会での演説で,非同盟運動の原則は死につつあると脱退の決意を表明。親ソ派諸国の強引な運営に反発したもの。(読売)
DIA-602-1979-09-28-4ソ連1979年09月28日1970年代ソ連はホーチミン市に総領事館開設。(AFP)
DIA-602-1979-09-28-5ソ連1979年09月28日1970年代モスクワでソ連・タイ協会創立集会。
DIA-602-1979-09-29-1ソ連1979年09月29日1970年代カンプチア救国民族統一戦線第2回大会開催,ソ連共産党中央委がメッセージを送る。(タス)
DIA-602-1979-10-01-1ソ連1979年10月01日1970年代中国国慶節に祝電-中国建国30周年に当たってソ連最高会議幹部会とソ連閣僚会議は中国全国人民代表大会常務委員会と中国国務院あてに祝電。「ソ連は隣国である中国との関係に大きな意義を認めてきたし,今も認めており,また一貫して両国関係の改善に努力,このための現実的提案を行なってきた」と指摘,さらに両国関係発展の基礎は平和共存の原則であると,中ソ交渉におけるソ連の立場を改めて強調。(タス)
DIA-602-1979-10-01-2ソ連1979年10月01日1970年代『プラウダ』の「中国の30周年」と題する論文は1956年の中共8回大会までの中ソ関係を讃え,特にこの間のソ連援助の意義を強調。50年代末から北京の対外政策は大国主義的,覇権主義的になったと指摘し,反ソ統一戦線の呼びかけを非難,中ソ交渉の成果は「中国側の言葉に表されている前向き変化への希望がどのように具体化されるかにかかっている」と主張。
DIA-602-1979-10-02-1ソ連1979年10月02日1970年代外務省の高島事務次官はボリャンスキー大使を呼び,北方領土早期返還,国後,択捉,色丹島へのソ連軍配備への抗議と撤退要求の政府声明を伝えた。
DIA-602-1979-10-03-1ソ連1979年10月03日1970年代ソ連・モンゴル科学技術協力常設小委員会第12回会議がモスクワで開催(~11日)。(タス)
DIA-602-1979-10-04-1ソ連1979年10月04日1970年代タイ軍事筋によると,ソ連輸送機のタイ上空不定期飛行は79年1月~9月に計210回にのぼり,その頻度はカンボジア情勢と対応,1月7回,2月11回,3月79回,4月13回,5月7回,6月16回,7月19回,8月21回,9月37回であった。(バンコク・ポスト)
DIA-602-1979-10-05-1ソ連1979年10月05日1970年代防衛庁は,ソ連海軍ミサイル積載哨戒艇2隻が曳船に引かれて対馬海峡を南下したが,艦体番号が記入されていないのでベトナムへの供与の艦艇と見ている。
DIA-602-1979-10-07-1ソ連1979年10月07日1970年代日本の日本海沿岸諸都市市長代表団と東シベリア・極東のソ連諸都市ソビエト議長らによる第7回定例会議がウランウデ(ブリヤート自治共和国)で開催。
DIA-602-1979-10-07-2ソ連1979年10月07日1970年代新華社は中ソ交渉が議事日程で一致せず正式交渉に入れないのはソ連の態度のためだと,最近の反中国論調激化を非難,同交渉では両国関係改善や懸案問題を幅広くとり上げ,障害排除や両国関係の準則,貿易や技術,文化の交流発展も含めるべきだとの見解を強調。
DIA-602-1979-10-07-3ソ連1979年10月07日1970年代ネパールのスリヤ・バハドウル・タパ首相はソ連ジャーナリストとの記者会見で,対ソ関係の現状に満足を表明,ソ連のネパール経済建設への大きな貢献を強調した。(タス)
DIA-602-1979-10-09-1ソ連1979年10月09日1970年代防衛庁は,ソ越友好協力条約締結後の1年間にソ連からベトナム海軍に護衛艦2隻を含む計8隻が供与されたとの分析結果を発表。
DIA-602-1979-10-09-2ソ連1979年10月09日1970年代ソ連・インド科学技術協力小委員会第1回会議がモスクワで開催(~12日)。12日,キリリン副首相・国家科学技術委議長はインド代表団(団長=M.G.K.メノン教授)と会見。(タス)
DIA-602-1979-10-10-1ソ連1979年10月10日1970年代ソ連共産党中央委はインド共産党全国協議会ダンゲ議長の80歳の誕生日に祝電。(プラウダ)
DIA-602-1979-10-10-2ソ連1979年10月10日1970年代『プラウダ』はアフガニスタンのバフタル通信報道として,タラキ前大統領が9日に病死したと論評ぬきで小さく報道(西側報道では9月14日のクーデターの際に重傷を負ったとされている)。
DIA-602-1979-10-12-1ソ連1979年10月12日1970年代カンボジア(ヘン・サムリン政権)のペン・ソバン国防相は東独訪問の帰途ソ連を訪問(11日~15日),コスイギン首相,ウスチノフ国防相とそれぞれ会談。
DIA-602-1979-10-12-2ソ連1979年10月12日1970年代土曜労働で得た資金で中国の侵略を受けたベトナムコスイギン首相,を援助する協定がモスクワで調印。
DIA-602-1979-10-15-1ソ連1979年10月15日1970年代米下院軍事委における日本の北方4島へのソ連の軍事進出に関する秘密聴聞会で,CIAは同地域のソ連地上軍は推定6,000人弱と報告。(朝日)
DIA-602-1979-10-15-2ソ連1979年10月15日1970年代ソ連・ベトナム科学技術協力小委員会第6回会議がモスクワで開催(~19日),90年までの両国の協力の基本方向を定めた。なおソ連の対ベトナム経済援助は現在268項目で,うち187項目は稼動を開始している。(タス)
DIA-602-1979-10-16-1ソ連1979年10月16日1970年代中ソ交渉の進展状況について-タス通信は,①予備折衝では両国の相互関係の原則を確立することが最重要との点で双方が同様の立場を表明した,②予備折衝では手続問題で適切な了解が成立(開催地問題と見られる)と指摘,同交渉の議題は両国関係の原則確立に限ろうとのソ連側見解を主張。なお会談の進め方については正式会談を開始し,そこで双方が必要とみなす問題を提起することで合意したと指摘。同報道は7日付新華社論評への反論として出された。(イズベスチヤ)
DIA-602-1979-10-16-2ソ連1979年10月16日1970年代米政府は今年8月ごろ日本政府に,ソ連がバックファイアー戦略爆撃機15機をモンゴル領内に実戦配備したとの情報を伝えた,とワシントン外交筋が指摘(共同)。17日防衛庁の竹田統幕議長は同爆撃機極東配備を確認。
DIA-602-1979-10-16-3ソ連1979年10月16日1970年代ビルマの対ソ警戒心は非常に強く,78年2月にビルマはソ連の借款供与を拒否したのに続き,去る6月に訪ソしたマウン外相もソ連の援助提供申入れに応じなかった。(朝日)
DIA-602-1979-10-16-4ソ連1979年10月16日1970年代外務省筋はソ連が国連に緊急提案した「反覇権」決議案について,中国の覇権主義反対を逆手にとった感じで宣伝臭がきわめて強いとの見方を示し,ベトナムのカンボジア侵攻を支援するソ連の同提案は言行不一致だと批判。(毎日)
DIA-602-1979-10-16-5ソ連1979年10月16日1970年代ソ連の対ベトナム軍事援助についての米政府情報-米国政府筋は最近のソ越軍事関係の動向について以下の諸点を指摘。①ベトナム軍装備はすべて外国援助に頼り,援助の97%はソ連,②ソ連の軍事援助は79年に特に増強され,10月までに昨年総額の1.5倍以上,③ベトナム国内には約5,000人のソ連軍事顧問がいる,④ソ越友好協力条約には秘密の軍事議定書があり,ソ連の軍用機,艦艇によるベトナム基地使用は同議定書で保証されているとみられる,⑤ソ連空軍のベトナム基地使用はフィリピンの米空軍基地に重大な脅威を与える。(毎日)
DIA-602-1979-10-17-1ソ連1979年10月17日1970年代モスクワで中ソ交渉の第1回本会議開催。
DIA-602-1979-10-17-2ソ連1979年10月17日1970年代ポリャンスキー大使は外務省に高島事務次官を訪ね,ソ連政府の訓令に基づき北方領土でのソ連軍増強に対する日本の抗議声明への反論の声明を口頭で伝達。
DIA-602-1979-10-17-3ソ連1979年10月17日1970年代ポノマリョフ党中央政治局員・書記はスリランカ共産党のカトルデ・パブリス・シルバ書記長,グナセケラ書記と会談。(プラウダ)
DIA-602-1979-10-18-1ソ連1979年10月18日1970年代中ソ交渉について鄧副首相語る-鄧小平副首相は朝日新聞社長との会見の中で次のように語った。◇交渉はしないよりしたほうがよい。交渉の成功を望むが,幻想は持っていない。◇ソ連側は当面国家関係に関する文書などに調印して,ある程度交渉が進展したように見せかけ,世界世論をだまそうとしているが,根本問題が解決しなければ交渉は何の値打ちもない。現状でも中ソ間は交流を行なっている。貿易も行なえば大使館もある。(朝日)
DIA-602-1979-10-18-2ソ連1979年10月18日1970年代ソ連の反体制派アンドレイ・サハロフ氏は北京で15年の懲役刑を宣告された中国の民主化運動家魏京生氏の判決の再審理を要求する華国鋒主席あて公開アピールを発表した。(AP)
DIA-602-1979-10-18-3ソ連1979年10月18日1970年代ソ連とパキスタンの通商船舶についての協定がモスクワで調印。両国の海運関係発展,海運機関・船舶組織の実務的協力強化,両国港湾間の輸送への双方の船舶の優先的参加を取決めたもの。グジェンコ海洋船舶相とヤクブ・ハーン駐ソ大使が調印。(イズベスチヤ)
DIA-602-1979-10-20-1ソ連1979年10月20日1970年代ソ連貨物船1隻がカンボジア援助物資(トラクター36台,医薬品,衣類,紙etc.)を積んでコンポンソム港に入港。(SPK)
DIA-602-1979-10-20-2ソ連1979年10月20日1970年代『プラウダ』ジャカルタ特派員報道は,ソ連援助によるインドネシアの「ムリチヤ」水力発電所建設計画がソ連専門家も参加してテンポを速めていると報じ,同紙インタビューに答えてムルトポ広報相が「インドネシアはソ連との友好と相互互恵の協力を願っている」と述べたと強調。
DIA-602-1979-10-22-1ソ連1979年10月22日1970年代ソ連の対南アジア・東南アジア諸国民友好協会設立,会長にワレリー・バルチースキー・ソ連赤十字総裁を選出。(タス)
DIA-602-1979-10-22-2ソ連1979年10月22日1970年代中国の著名な京劇芸術家周信芳氏を記念する映画会がソ中友好協会主催でモスクワで開催,周氏主演の「宋景詩」が上映された。(新華社,タス)
DIA-602-1979-10-22-3ソ連1979年10月22日1970年代日本の総選挙結果について『プラウダ』は日本共産党の進出を強調。
DIA-602-1979-10-23-1ソ連1979年10月23日1970年代カンボジア(ヘン・サムリン政権)の新任駐ソ大使ケオ・プラサト氏,グロムイコ外相と会見。27日に信任状提出。(タス)
DIA-602-1979-10-23-2ソ連1979年10月23日1970年代ソ連共産党中央委経済財政部代表団,ベトナムを訪問(~11月1日)。
DIA-602-1979-10-23-3ソ連1979年10月23日1970年代ソ連共産党『コムニスト』誌代表団,ベトナム訪問を終えハノイを出発。
DIA-602-1979-10-24-1ソ連1979年10月24日1970年代ソ連週刊誌『ノーボエ・ブレーミャ』東京特派員スタニスラフ・アレクサンドロビッチ・レフチェンコ氏が亡命,米国向け出発。
DIA-602-1979-10-24-2ソ連1979年10月24日1970年代『プラウダ』は先日訪ソしたカンボジア(ヘン・サムリン政権)のペン・ソバン国防相との長文のインタビュー記事を掲載。同国防相は社会主義共同体諸国から合計20万以上の食糧が送られたと述べている。
DIA-602-1979-10-25-1ソ連1979年10月25日1970年代中ソ交渉第5回本会議の席上,ソ連側は「両国間の相互関係の原則に関する宣言」草案を提出,詳細な説明を行なった。(タス)
DIA-602-1979-10-25-2ソ連1979年10月25日1970年代日ソ政府間貿易年次協議(23日~,モスクワ)が覚書に調印し終了。ソ連がかねて提案していた長期経済協力協定締結とグローバル・ローン適用に対し日本側は「北方領土問題がある限り国民の納得が得られない」と拒否した。(読売)
DIA-602-1979-10-25-3ソ連1979年10月25日1970年代『プラウダ』はパキスタンを訪問した中国人民解放軍張才千副総参謀長が直ちにアフガン国境に近いクエッタとペシャワールに出かけ軍事施設を視察したことは,中国軍事代表団の同国訪問の目的がパキスタンの一部の層のアフガンに対する破壊活動の激励にあることを物語っている,と報道。
DIA-602-1979-10-25-4ソ連1979年10月25日1970年代ソ連・南イエメン友好協力条約調印(モスクワ)。
DIA-602-1979-10-26-1ソ連1979年10月26日1970年代ソ連・アフガニスタン経済協力政府間常設委員会第1回会議をモスクワで開催(~30日),アフガニスタン団長はサディク・アレシャル計画相。(タス)
DIA-602-1979-10-26-2ソ連1979年10月26日1970年代全ソ共産青年同盟代表団,ベトナムを訪問。
DIA-602-1979-10-26-3ソ連1979年10月26日1970年代ソ連国家計画委代表団,ラオスを訪問。
DIA-602-1979-10-26-4ソ連1979年10月26日1970年代ソ連貨物船2隻がカンボジア援助物資(トラック,トラクターなど1万t)を積んでコンポンソム港に入港。(SPK)
DIA-602-1979-10-28-1ソ連1979年10月28日1970年代韓国の朴正熙大統領射殺について『プラウダ』は同事件の背景として米国の介入の存在を示唆するタス通信論調を載せ,「南朝鮮人民の怒りはかいらい政権打倒だけでなく,この国を事実上占領している米国の利益に打撃を加えかねないところまできていた」と指摘。
DIA-602-1979-10-29-1ソ連1979年10月29日1970年代『プラウダ』は防衛庁の「リムパック」演習参加を日米軍事協力強化の質的新段階と批判。
DIA-602-1979-10-29-2ソ連1979年10月29日1970年代全ソ労評代表団,ベトナムを訪問。
DIA-602-1979-10-30-1ソ連1979年10月30日1970年代民主カンボジア放送(ポル・ポト政権側)は,タイ・カンボジア国境でのベトナム軍の掃討作戦にソ連人顧問が参加していると伝えた。(共同)
DIA-602-1979-10-30-2ソ連1979年10月30日1970年代ベトナム最初の衛星通信ステーションがソ連援助で建設中。(ハノイ放送)
DIA-602-1979-10-30-3ソ連1979年10月30日1970年代マレーシアのペナン港の第1次大戦時撃沈されたロシア巡洋艦「ジェムチュク」(真珠)の水兵の記念碑で花輪捧呈式。(タス)
DIA-602-1979-10-31-1ソ連1979年10月31日1970年代全ソ共産青年同盟代表団,ラオスを訪問。
DIA-602-1979-10-31-2ソ連1979年10月31日1970年代日ソ両党の最終的予備会談のための日共代表団(団長=西沢富夫副委員長)訪ソ。
DIA-602-1979-11-01-1ソ連1979年11月01日1970年代ソ連権威筋はグロムイコ外相の年内訪日も来年初頭の訪日もあり得ないと否定。最近の北方領土ソ連軍基地建設問題などでの日本国内の反ソ気運の高まりのため「そうした雰囲気では成果が期待できない」と指摘。(毎日)
DIA-602-1979-11-03-1ソ連1979年11月03日1970年代ソ連・ベトナム友好協力条約調印1周年記念に当たり両国首脳が相互に祝電。(プラウダ)
DIA-602-1979-11-03-2ソ連1979年11月03日1970年代タス通信は,ソ連艦隊がベトナム国防省の招きで近くハイフォン港を親善訪問すると発表。指揮はニコライ・ヤサコフ太平洋艦隊第1副司令官・海軍中将。同艦隊訪問は十月革命62周年とソ越友好協力条約締結1周年を記念するもの。
DIA-602-1979-11-03-3ソ連1979年11月03日1970年代ソ連のアフガニスタン援助-現在ソ連の対アフガン援助は131項で,そのうち71項目はすでに稼動開始している(注:1978年1月1日現在では118項目,うち稼動開始71項目と発表されていた)。先日の両国経済協力政府間常設委員会第1回会議で指摘された当面の基本方向は地質探査と地質調査作業で,特に重点はガス,石油,鉱物資源の探査とその発掘,精製施設の新設および現有施設拡大におかれる。(プラウダ)
DIA-602-1979-11-03-4ソ連1979年11月03日1970年代日ソ両党予備会談で日本共産党宮本委員長の年内訪ソを合意。
DIA-602-1979-11-04-1ソ連1979年11月04日1970年代日ソ関係で警告-『イズベスチヤ』はマトベーエフ評論員の日ソ関係に関する長大論評を掲載。◇ブラウン米国防長官は訪日の際,ソ連領に近い北海道の日本軍演習を視察するなど「ソ連の軍事的脅威」をあおり,米国の戦争準備に日本をまきこもうとした。◇米国が自国沿岸から数千キロ離れたところで展開する軍事力を前にして,ソ連が極東の自国の安全や防衛の強化を考えないとでも思っているのか。◇米国は日ソ関係に緊張を起こし,米中日のブロック化をはかろうとしている。◇「ソ連の軍事的脅威」の虚説を広め,領土要求をつきつけるのは,第2次大戦で日本を破局に追い込んだ連中の戦術のくりかえしである。
DIA-602-1979-11-05-1ソ連1979年11月05日1970年代ソ連艦隊が親善訪問のためハイフォン港に入港,同港でハイフォン市軍民の歓迎会。ソ連艦隊はミサイル巡洋艦「フォーキン提督」,大型対潜艦「ストロギー」,駆逐艦1隻の計3隻。(モスクワ放送)
DIA-602-1979-11-05-2ソ連1979年11月05日1970年代ベトナムのファン・バン・ドン首相は同国を訪問したコズロフスキー地質相を団長とするソ連代表団と会談。同代表団は両国協力プロジェクト,黒河のホアビン水力センター施設の作業開始式典に参加する。(タス)
DIA-602-1979-11-05-3ソ連1979年11月05日1970年代『プラウダ』はアフガニスタンの第1期土地改革の結果30万世帯の農民が無償で土地を与えられ,農業協同組合の組織化が進展し,協同組合数は約1千,その組合員数は9万人を越えたと強調。
DIA-602-1979-11-06-1ソ連1979年11月06日1970年代ソ連とモンゴルの協力関係-第28回モンゴル・ソ連友好月間閉幕に当たり『プラウダ』論評は,「両兄弟人民の協力関係の1例は両国合弁企業や共同学術探査であり,アジア最大の“エルデネト”選炭・銅モリブデン両国合弁コンビナートの第1期始動は両国勤労者の偉大な勝利である」と述べ,「両兄弟人民の接近過程が進行している」と指摘,「モンゴルの各地区とソ連の国境地域の州や自治共和国の間の経済・政治・文化関係が強化されている」とモンゴル・ソ連一体化の進展を強調。
DIA-602-1979-11-08-1ソ連1979年11月08日1970年代駐アフガン大使更迭-ソ連最高会議はアフガニスタン駐在のプザノフ大使を解任,後任にフィクリャト・タベーエフ党中央委員・タタール自治共和国党第1書記を任命。タベーエフ氏は最高会議幹部会員でもある。(タス)
DIA-602-1979-11-08-2ソ連1979年11月08日1970年代第4回「アジアの平和と安全に関する日ソ・シンポジウム」がサンケイ新聞,ソ連科学アカデミー,日本対外文化協会の共催で大阪で開催(~10日)。ソ連側からG.キム東洋学研究所副所長,I.ラティシェフ同日本部長らが出席。
DIA-602-1979-11-11-1ソ連1979年11月11日1970年代カンボジア救援問題国連会議について-『プラウダ』は国連の「カンボジアへの人道的救援問題特別会議」について論評。◇カンボジアに生じた困難はポル・ポト=イエン・サリ一味の経済破壊,大量虐殺の直接的結果である。◇現在カンボジア人民共和国は社会主義諸国の援助で経済を徐々に回復させ,メコン川航行や鉄道,道路は回復しつつある。◇同国合法政権は外国援助を歓迎している。ただし条件は武装ギャングたちを勇気づけないことである。◇一部の西側政治家はカンボジアの悲劇を叫びつつ同国の内政に干渉している。ワシントンは飢えた人びとへの援助をカンボジア政府が妨害しているなどと言っている。彼らはインドシナを自分の意のままに服従させようとしているのだ。◇北京指導部は彼らのかいらいの犯罪に対し直接的責任を持っている。彼らがカンボジアの運命を嘆いてみせているのは厚顔無恥である。帝国主義者と覇権主義者は「援助」を利用して反革命テロリストを養い,合法政権を無視しようとしている。
DIA-602-1979-11-14-1ソ連1979年11月14日1970年代ソ連の革命記念日に当たり,中国の全人代常務委と国務院はソ連党中央委,閣僚会議,L.I.ブレジネフあてに祝電。(プラウダ,内容は掲載せず)
DIA-602-1979-11-15-1ソ連1979年11月15日1970年代高品武彦統幕議長は隊友会の講演で「ソ連の脅威がないなどというのは不感症か平和ボケ」と批判,「わが国周辺情勢に大きな変化はないなどと言わずに脅威の本当の姿を国民に知ってもらう努力をすべきだ」と強調。(日経) 17日 ウスチノフ国防相は帰国の途次訪ソしたベトナムのボー・グエン・ザップ国防相と会見。(タス)
DIA-602-1979-11-15-2ソ連1979年11月15日1970年代『プラウダ』はアフガニスタンの革命政権が第1次土地改革達成を宣言し,30万戸の農民に66万5,000ha以上の土地が分配されたと発表したと伝え,第2段階では広範な農業協同組合化と国営農場が組織されると指摘。
DIA-602-1979-11-18-1ソ連1979年11月18日1970年代カンボジアの救援食糧分配委員会タエン・サリム議長は今年10月にソ連,ベトナムその他の社会主義諸国から食糧2万を受け取ったと発表。(タス)
DIA-602-1979-11-19-1ソ連1979年11月19日1970年代黒竜江省でソ連のスパイが中国警官1人を射殺し逮捕された。(人民日報)
DIA-602-1979-11-20-1ソ連1979年11月20日1970年代日ソ漁業交渉がモスクワで開始。両国200カイリ水域内での来年の漁獲量,操業条件等を討議。
DIA-602-1979-11-20-2ソ連1979年11月20日1970年代国連総会におけるカンボジア問題決議について『イズベスチヤ』論評は,カンボジアの唯一の合法政府の同意も参加もなしに討論され,採択されたもので完全な内政干渉だと非難。
DIA-602-1979-11-21-1ソ連1979年11月21日1970年代ハノイで国際ジャーナリスト会議第19回拡大執行委員会開催。ソ連代表団団長はアレクセーエフ『イズベスチヤ』編集長。
DIA-602-1979-11-21-2ソ連1979年11月21日1970年代インドの総選挙をめぐる情勢について『プラウダ』は,各党間の争点は主として国内の政治・経済問題で,外交問題は論争になっていないと述べ,これはインドの非同盟政策や社会主義国を含む全ての国との友好関係発展の政策が広範な支持を得ていることを示していると指摘。同論評は特にCPIとCPI(M)の両共産党間の接近過程が続いていることを強調。
DIA-602-1979-11-23-1ソ連1979年11月23日1970年代マレーシア議会の招きで同国を訪問したソ連最高会議代表団(団長=バルカウスカス同会議幹部会副議長)はフセイン・オン首相と会談。(タス)
DIA-602-1979-11-25-1ソ連1979年11月25日1970年代ソ連のカンボジア援助-ソ連はカンボジアに対し国家ルートおよび民間組織からの贈与で国際価格にして総計8,500万ドルの無償援助をしている。今年のソ連援助に含まれているのは,食糧15万9,000t(そのうち米7万t,とうもろこし5万t),織物460万m,石油製品5万t,セメント5,000t,自動車・バス660台,鋼材,医薬品,紙,自転車,台所用品その他である。援助ルートはプノンペン空港,コンポンソム港,メコン河(ホーチミン市からプノンペンへ)で,コンポンソム港だけで毎日1,500t近い貨物が積卸されている。(イズベスチヤ)
DIA-602-1979-11-28-1ソ連1979年11月28日1970年代ソ連・ベトナム間の80年度商品交換・支払い議定書,対ソ支払いにあてるクレジットの有利な条件での対越供与に関する文書,ベトナムの伝統的輸出品のソ連への大量供給についての文書,モスクワで調印。ソ連は石油製品,肥料,機械・設備のほかベトナム国民の必要を満たす消費物資も大量供給する。(モスクワ放送)
DIA-602-1979-11-29-1ソ連1979年11月29日1970年代韓国人の五輪観光を認める-韓国の朴鍾圭大韓体育会会長は,ソ連オリンピック委員会が1980年のモスクワ・オリンピックの際の韓国人一般観光客の入場券問題につきソ連国営旅行社と交渉するよう連絡してきたと発表。これは韓国オリンピック委の問合せへの公式回答。韓国側は500~1,000人の一般観光・応援団の派遣を予定。(ソウル放送=新亜)
DIA-602-1979-11-29-2ソ連1979年11月29日1970年代ソ連最高会議代表団(団長=バルカウスカス副議長),シンガポール訪問。(タス)
DIA-602-1979-11-29-3ソ連1979年11月29日1970年代ソ連対文連とソ中友好協会はモスクワで古代中国の詩人・作家元および作家牛僧孺の生誕1,200年記念の夕べを開催。(タス)
DIA-602-1979-11-30-1ソ連1979年11月30日1970年代ソ連の対ASEAN政策についての米側分析-米国政府筋はソ連の東南アジア政策は米国の影響力削減と中国封じ込め体制構築が基本路線だという見解を明らかにした。米政府筋の主な分析は以下のとおり。◇ソ連はベトナム戦争後東南アジアを重視するようになった。◇東南アでの米国の影響力を最大限削減する。◇ASEAN全体としての機能を弱めるよう努力し,そのため各国との個別の関係,特に対インドネシア関係を改善する。◇空海軍プレゼンスを強化。特にインド洋での海軍力優位確立。◇対ASEAN政策は以下の3段階,①ASEAN「平和地域」化のスローガンで他の大国との分離をはかる,②ソ連・ASEAN間の経済・政治関係を強化し,中国からの離反促進,③ソ連・ASEAN間の集団安保取りきめを何らかの形で実現し,中国封じ込めを決定的にする。(毎日)
DIA-602-1979-11-30-2ソ連1979年11月30日1970年代第1次中ソ交渉打切り-モスクワでの中ソ交渉第6回本会議は第1次交渉を打切り,次は北京で再開することで合意。
DIA-602-1979-11-30-3ソ連1979年11月30日1970年代外務省筋は大平首相訪中後日ソ関係改善を重要な外交課題として最大の配慮をしていく考えを表明。(読売)
DIA-602-1979-12-01-1ソ連1979年12月01日1970年代米空軍省が防衛庁に「ソ連極東空軍は最近戦闘爆撃機を質量ともに増強し,400機を超す本格進攻も可能な規模に達した」と極秘情報を伝達した,と防衛庁筋発表。(読売)
DIA-602-1979-12-02-1ソ連1979年12月02日1970年代ブレジネフ・コスイギン両首脳はラオス人民民主共和国建国記念日に当たりカイソン書記長,スファヌボン大統領あてに祝電。(プラウダ)
DIA-602-1979-12-02-2ソ連1979年12月02日1970年代パキスタン最大のソ連援助の工業施設であるカラチ製鉄所(年産100万t以上)がすでに75~80%完成,来年には最初の熔鉱炉の火が入れられる予定。(プラウダ)
DIA-602-1979-12-03-1ソ連1979年12月03日1970年代グロムイコ外相は中ソ交渉中国代表団の王幼平特別代表と会談。(タス)
DIA-602-1979-12-03-2ソ連1979年12月03日1970年代日本社会党中央委の招きでソ連共産党代表団(団長=エゴロフ中央委員・党中央委付属ML主義研究所長)が来日(~10日)。(タス)
DIA-602-1979-12-04-1ソ連1979年12月04日1970年代第1回日ソ円卓会議が日ソ関係民間団体の呼びかけで東京で開催(~5日)。ソ連側からグジェンコ・ソ日協会会長(海洋船舶省),クリツォフ極東研究所長,マトベーエフ・イズベスチヤ評論員らが出席。
DIA-602-1979-12-04-2ソ連1979年12月04日1970年代大平首相訪中に当たりタス通信はこれが日中軍事協力強化につながる懸念を表明し,牽制。
DIA-602-1979-12-04-3ソ連1979年12月04日1970年代モスクワの共産圏消息筋によると,中ソ交渉で中国側は「北」と「南」の脅威解消を主張,中ソ国境のソ連軍を1964年の規模にまで削減するよう提案した。(毎日)
DIA-602-1979-12-04-4ソ連1979年12月04日1970年代ASEAN軍事同盟化への懸念-『イズベスチヤ』のクドリャフツェフ評論員は,米国のアジアにおける軍事的プレゼンス拡大政策に関連し,ASEANの現状について次のように論評。◇東南アジア諸国が米国の侵略政策に反対できぬようにするため,ワシントンはインドシナ諸国とASEAN諸国の関係正常化を妨げ,「ソ連の脅威」を吹き込み,その東南アジアでの現れはベトナムの「侵略的」政策だと宣伝している。◇SEATOの崩壊によってASEAN軍事ブロック化は米国の第一義的目標になっている。北京はこの点で米国との事実上の同盟者である。米中のこの政策にとって「カンボジア問題」は決定的な環となっている。◇ASEANはインドシナ諸国,特にベトナムとの善隣関係によってはじめて「東南アジア平和・安全地域化」という自己の課題を達成できる。◇帝国主義はASEANに中立政策を放棄させる道具としてポル・ポト一味を利用している。ASEAN内部の米国の政策に同調しようとする勢力の存在もそれを推し進めている。インドネシアのイスカンデル議員はASEAN中立化に反対し,シンガポールは東南アジアにおける米国の役割強化に賛成している。◇以上から見て,東南アジアの将来はASEAN諸国内の進歩勢力の団結とインドシナ諸・
DIA-602-1979-12-06-1ソ連1979年12月06日1970年代アフガニスタン駐留のソ連軍兵士の数が数日来激増しているとパキスタン報道(PPI)。ソ連軍はすでにヘラート州シンダント空港基地を接収した(AP)。
DIA-602-1979-12-07-1ソ連1979年12月07日1970年代ブレジネフ,コスイギン両首脳およびアフガニスタンのアミン議長は両国の友好善隣協力条約調印1周年に当たり相互に祝電。(プラウダ)
DIA-602-1979-12-07-2ソ連1979年12月07日1970年代大平首相訪中に関するタス報道は,同首相が中国の圧力に屈せず対ベトナム援助の約束履行の意思を確認したと,日中間の不一致を強調。
DIA-602-1979-12-07-3ソ連1979年12月07日1970年代フィリピン・ソ連友好協会名誉会長メメルダ・マルコス夫人への諸民族友好勲章授与式が駐マニラ・ソ連大使館で挙行。(タス)
DIA-602-1979-12-08-1ソ連1979年12月08日1970年代中ソ関係に関するソ連の立場-『イズベスチヤ』は中ソ関係に関するアレクサンドロフ署名論文「歴史的真実に反して」を発表。◇中国の新聞は「北と南からの中国に対する脅威」というテーゼをくり返している。◇モンゴルにいるソ連軍部隊からの中国に対する脅威とか,ソ連とベトナムの友好協力条約があたかも中国の南の国境の安全を脅かしているというつくりごとには何の根拠もない。◇中国こそソ連の極東地方や中央アジアの一部やモンゴル,ベトナム,インドや東シナ海,南シナ海に領土要求をつきつけており,これこそ真の覇権主義である。ソ連は覇権主義の危険を考慮し,国連総会に反覇権決議を緊急提案した。◇中ソ交渉においてソ連は両国の「相互関係の原則に関する宣言」等を提出した。両国関係を調整し発展させる際の原則は,平和共存の原則と覇権をねらうことを放棄し,覇権に対する何人の要求も認めない,ということである。
DIA-602-1979-12-10-1ソ連1979年12月10日1970年代外務省鹿取審議官はポリャンスキー大使を招き大平首相訪中の経過と日本側の真意を伝えた。
DIA-602-1979-12-10-2ソ連1979年12月10日1970年代アフガニスタン反政府ゲリラ組織イスラム民族主義者革命議会ジア・カーン・ナスリ議長はインドで記者会見し,「ソ連はアミン政権支援のため過去2カ月に戦車800両,武装ヘリコプター100機等を新たに投入した」「ソ連は軍事費10億ドルを注ぎ込み」「9月からはパンシリと呼ばれる毒ガス兵器も使用している」と激しく非難。(読売)
DIA-602-1979-12-11-1ソ連1979年12月11日1970年代中ソ交渉の王幼平特別代表帰国。
DIA-602-1979-12-11-2ソ連1979年12月11日1970年代『イズベスチヤ』は中国批判のソ連映画「風を蒔く人」(中国人がベトナムで何をしたかというドキュメンタリー・フィルム)を推奨する長文の論評。
DIA-602-1979-12-11-3ソ連1979年12月11日1970年代米国はアフガニスタンへのソ連軍増強に懸念をいだきクリストファー米国務副長官がワセフ駐米ソ連代理大使と会談。(UPI)
DIA-602-1979-12-11-4ソ連1979年12月11日1970年代日ソ漁業交渉促進のため今村水産庁長官が訪ソ。
DIA-602-1979-12-12-1ソ連1979年12月12日1970年代米国務省スポークスマンによれば,ソ連はアフガニスタン駐留の1,500~4,000人の軍事要員に加え,新たに400~800人の部隊を派遣した。(UPI)
DIA-602-1979-12-12-2ソ連1979年12月12日1970年代カンボジアのコンポンソム港にソ連船「スクリプトル・ゴルプキン」号が兄弟的援助の乗用車,トラックを積んで入港,同港での歓迎式典でチャン貿易次官が感謝のあいさつ。(イズベスチヤ)
DIA-602-1979-12-12-3ソ連1979年12月12日1970年代ソ連のネパール援助-『イズベスチヤ』記者のネパール・ルポは,ソ連援助で同国にジャナクプールの煙草工場,ビルガンジの大砂糖工場パナウチ発電所その他が建設され,最近もソ連援助による松やに油工場建設協定が調印されたと報道。
DIA-602-1979-12-12-4ソ連1979年12月12日1970年代バンコクでソ連貿易工業展が9日間にわたって開催され,同期間中に約70万ドルの商談がまとまった。(タス)
DIA-602-1979-12-14-1ソ連1979年12月14日1970年代ワシントンで明らかにされた情報によると,ソ連は8年前からアフガニスタンに大量の石油埋蔵の可能性があると断定,アフガン政府には埋蔵は少ないとにせの報告を伝え,その資源確保のための体制固めを図ってきた。(共同)
DIA-602-1979-12-14-2ソ連1979年12月14日1970年代日ソ漁業交渉妥結。来年の漁獲量は日本側75万t,ソ連側65万tと今年並み。
DIA-602-1979-12-15-1ソ連1979年12月15日1970年代日本共産党宮本委員長訪ソ。17日午前,ブレジネフ書記長と8年ぶりに会談。
DIA-602-1979-12-17-1ソ連1979年12月17日1970年代ソ連が本格的空母を建造中と米国務省筋が確認。(NYT)
DIA-602-1979-12-17-2ソ連1979年12月17日1970年代日本社会党代表団(団長=長谷川正三中執・代議士),ソ連共産党中央委の招きで訪ソ(~25日)。(タス)
DIA-602-1979-12-18-1ソ連1979年12月18日1970年代米国務省レストン報道官はソ連がアフガニスタンに投入している兵力,装備が最近急増し,その総数は戦闘用重装備部隊1,000人余を含め5,000人を上まわると言明。(時事)
DIA-602-1979-12-20-1ソ連1979年12月20日1970年代ゴルシコフ元帥ベトナム訪問-ソ連軍事代表団(団長=セルゲイ・ゴルシコフ国防次官・海軍総司令官)がベトナム人民軍建軍35周年記念日に当たり同国を友好訪問。23日,ベトナム中部高原の第5軍管区を視察。24~25両日,ホーチミン市訪問(VNA)。28日,レ・ズアン書記長と会談。(タス)
DIA-602-1979-12-23-1ソ連1979年12月23日1970年代ソ連軍のアフガン進出を否定-『プラウダ』はソ連軍部隊がアフガニスタンに進出しているという米国報道は「全くのでっち上げ」で「政治的目的を持った悪意の宣伝」だと非難。
DIA-602-1979-12-23-2ソ連1979年12月23日1970年代韓国情勢についての論評-韓国における新大統領選出や金載圭KCIA部長の死刑判決などの新情勢について『プラウダ』は次のように論評。◇米国は南朝鮮を自己の軍事的・政治的根拠地として維持するため,またイランやニカラグアの例を考え,米国の評判を落としたカイライ(朴大統領)を支持しないほうがより賢明とみなした。◇ソウルの新政権についた故独裁者の仲間は今や「体制民主化」を宣伝している。これらはすべて南朝鮮の反動派とワシントンの彼らの保護者たちが人民の怒りの波を砕くために余儀なくされた欺瞞である。
DIA-602-1979-12-24-1ソ連1979年12月24日1970年代日ソ両共産党共同声明調印。両党関係正常化を確認,領土問題はもり込めず。同日日本共産党代表団帰国。
DIA-602-1979-12-26-1ソ連1979年12月26日1970年代米政府,ソ連のアフガンへの軍事力増強を非難-米国務省はこの声明でソ連の行動はアフガニスタンへの乱暴な内政干渉であり,中東,西アジアの不安定につけこんだものと激しく非難。同省によると,ソ連は24,25両日,輸送機150機分の兵員,装備を空輸アフガニスタン駐留ソ連軍を1万人に急増(うち5,500人以上が戦闘部隊),駐留軍は過去1週間で倍増した。さらにアフガニスタン国境付近に5個師団(約5万人)の兵力を集結させた。米当局はソ連軍・アフガン政府軍が近くアフガニスタン反政府勢力に対し総攻撃をかけるためではないかと分析。(読売)
DIA-602-1979-12-26-2ソ連1979年12月26日1970年代アフガニスタンのアミン議長は同国訪問中のタルイジン・ソ連通信相と会談。(共同)
DIA-602-1979-12-27-1ソ連1979年12月27日1970年代アフガニスタンで「クーデター」,ソ連が直接介入か-タス通信は「アフガニスタンの党と革命評議会の委託を受けたバブラク・カルマルのカーブル放送を通じたアッピール」を詳報。「米帝の手先き」「何万人の同胞を殺した残忍非道な殺人者,権力僣取者」アミンの機関を打ち砕きアフガニスタン人民の「真の自由」をかちとった,と伝えた。『朝日』はソ連に亡命していると見られていたカルマル氏(78年7月に副首相から駐チェコスロバキア大使に左遷)が突然カーブルに現われたのは「大きなナゾ」と指摘。AP電は同日夕3時間にわたりカブールでソ連軍とアフガン政府軍が衝突,ソ連軍がカーブル放送局を占拠したと現地目撃者の話しを伝えた。
DIA-602-1979-12-27-2ソ連1979年12月27日1970年代カンボジア経済代表団(団長=タン・サリム対外貿易相)はソ連の対カンボジア無償援助追加の議定書に調印。(モスクワ放送)
DIA-602-1979-12-27-3ソ連1979年12月27日1970年代米国の調査研究機関ランド・コーポレーションの報告書「80年代のアジア安全保障」は特にソ連の政治・軍事面の対アジア攻勢がますます活発化し,最大の不安要因になると分析,「(米国は)ソ連をひどく挑発しない形で中国との安保関係を発展させる」よう勧告。(読売)
DIA-602-1979-12-28-1ソ連1979年12月28日1970年代ブレジネフ書記長,カルマル新議長就任に祝電。
DIA-602-1979-12-28-2ソ連1979年12月28日1970年代タス電はアフガニスタンの新革命評議会幹部会成立とアミン前議長が革命裁判で死刑を宣告され,ただちに処刑されたとのカーブル放送を伝えた。
DIA-602-1979-12-28-3ソ連1979年12月28日1970年代ソ連がアフガニスタン「緊急援助」-カーブル放送によると,アフガニスタン政府は友好善隣協力条約(78年12月調印)に基づきソ連に政治的,精神的,経済的,軍事的援助を緊急に与えるよう要請,ソ連政府はこれに同意した。(タス)
DIA-602-1979-12-28-4ソ連1979年12月28日1970年代カーター大統領,対ソ批判声明-カーター大統領はホワイト・ハウスで,ソ連がアフガニスタンに軍事介入した結果カルマル新政権が登場したことに対し,「重大な内政干渉であり,国際規範をじゅうりんするもの」と厳しい対ソ批判の声明を発表。(読売)
DIA-602-1979-12-28-5ソ連1979年12月28日1970年代ポリャンスキー駐日大使は外務省を訪問,アフガニスタンへのソ連軍進駐についての口頭声明の形で,アフガニスタンへの外部からの干渉に対し,アフガニスタン指導部の要請により同国との友好善隣協力条約にもとづき,限定された部隊派遣をきめたと説明。
DIA-602-1979-12-29-1ソ連1979年12月29日1970年代カーター大統領はホットラインを通じてブレジネフ書記長にソ連軍のアフガニスタン撤退を直接要求。(読売)
DIA-602-1979-12-29-2ソ連1979年12月29日1970年代外務省の鹿取外務審議官はポリャンスキー大使を呼び,ソ連の軍事介入停止を求める抗議声明を口頭で伝えた。
DIA-602-1979-12-30-1ソ連1979年12月30日1970年代中国政府はソ連軍のアフガニスタン侵入に対し厳しい糾弾声明を発表。31日,張海峰外務次官はシチェルバコフ駐中国ソ連大使に中国政府声明を伝達,ソ連当局に全武装部隊撤退を要求。なお30日付新華社論評は「ソ連社会帝国主義の公然たるアフガニスタン出兵はそのグローバルな覇権主義の凶悪な正体を再度暴露したもの」と非難。
DIA-602-1979-12-31-1ソ連1979年12月31日1970年代カーター大統領はABCテレビのインタビューで,同大統領の抗議に対するブレジネフ書記長の回答の一部を発表,アフガン政府の要請による進駐という説明は明らかにうそだ,招いたはずのアミン前議長がソ連侵攻後に殺されている,と異例の強い言葉で非難。
DIA-602-1979-12-31-2ソ連1979年12月31日1970年代『プラウダ』はアフガニスタン問題に関する初の本格的論評を発表。アフガンへの「限定されたソ連軍部隊」の派遣を公式報道として初めて公認。その主な理由として以下の点を指摘。◇米中両国をはじめ外部からの破壊活動、軍事干渉が強まり、パキスタン領にある数十の基地(形式上は難民キャンプ)で軍事訓練を行ない、アフガンに侵入している。◇1978~79年の間にアフガン政府は何度かソ連に軍事援助を含む支援を要請してきたが、ソ連は帝国主義勢力が一定の限界を超えないと考えていた。しかし帝国主義の干渉はますますアフガン人民にとって危険な形と規模に拡大した。◇反動勢力がアフガン指導部自体の中に見出した助手がアミンで、彼はタラキ大統領を殺し、権力を悪用して4月革命の理想を破壊した。外部の干渉とアミンのテロで民主的体制に現実的脅威が生じたとき、愛国勢力がたち上がってアミンを排除した。◇そのような状況下でアフガン政府は再度ソ連に緊急援助を要請した。ソ連はこの要請を受け入れ、純粋に外部の軍事介入除去を支援する目的で限定されたソ連軍部隊を派遣した。ソ連軍部隊はそのような行動を余儀なくさせた原因が消え次第撤退する。◇ソ連の決定はアフガニスタンとの友好・