ID 国名 日付 年代 内容
DIA-503-1990-01-01-1アフガニスタン1990年01月01日1990年代反ア政府勢力(以下,ムジャヒディン)がア東部都市ジャララバードに大攻勢をかける(FBIS-N,1/1)。
DIA-503-1990-01-01-2アフガニスタン1990年01月01日1990年代反政府「イスラム党」(HI)党首G・ヘクマティヤル,「アフガニスタン・イスラム協会党」(JIA)がHI党首4名を公開処刑(89年12月21日)したのは「疑似裁判」であるとして,JIA党首B・ラバニーを強く非難(FBIS-N,1/1)。
DIA-503-1990-01-01-3アフガニスタン1990年01月01日1990年代ア国のナジブラ大統領,ソ連のゴルバチョフ大統領に同大統領のアフガニスタン和平案を支持する新年メッセージを送る。
DIA-503-1990-01-02-1アフガニスタン1990年01月02日1990年代ナジブラ政権の高官4名,M・Q・ジャムダル(教授),A・マリック,A・ベーグ(ともに陸軍大佐),K・ザマン(陸軍大尉)がパキスタンのペシャーワルに逃亡,ムジャヒディン組織の「アフガニスタン国民イスラム戦線」(MMIA,党首=S・A・ギラニー)に参加。4名は「アフガニスタン人民民主党(PDPA)のハルク(人民)派に属し,記者会見でナジブラ政権が支持基盤を失い崩壊の瀬戸際に立っていること,またタナイ国防相のクーデター未遂事件(89年12月2日)にはPDPAの内部対立が潜んでいたと言明(D,1/3)。
DIA-503-1990-01-02-2アフガニスタン1990年01月02日1990年代国連はジュネーブ国連人権委員会総会に提出する報告書作成のため,人権問題特別担当官フリック・エルマコラを6日,ア国へ派遣すると発表(D,1/3)。
DIA-503-1990-01-05-1アフガニスタン1990年01月05日1990年代ムジャヒディンMMIAスポークスマンは,ナジブラ政権が反政府ゲリラからエジプト製ミサイル(Sakar-30)80基,ソ連製ミサイル(BM-1)2基を買収したとする声明を否定(FBIS-N,1/8)。
DIA-503-1990-01-05-2アフガニスタン1990年01月05日1990年代米下院議員ステファン・ソラーズは,米政府が平和的解決方法を見いだせないままではアフガン・ゲリラ支援停止はありえないとはいえ,米下院は米政府の無期限のア問題関与を望まない,と発言(D,1/6)。
DIA-503-1990-01-06-1アフガニスタン1990年01月06日1990年代ナジブラ政府の前教育副大臣A・サダット(教授,非共産党員)がパキスタンのペシャーワルを根拠地とするアフガニスタン聖戦士イスラーム同盟(IUMA)の「アフガン暫定政府」に投降し,ナジブラ政府がソ連の援助に支えられているとか,同政権の民族政策が陰謀的であると批判(D,1/7)。
DIA-503-1990-01-07-1アフガニスタン1990年01月07日1990年代HI党首ヘクマティヤルは,ソ連とムジャヒディンの直接対話が準備されていると発言する一方,フランス政府等がモハマッド・ザーヘル元国王の帰還を推進しようとしていると非難(IHT;D,1/8)。
DIA-503-1990-01-07-2アフガニスタン1990年01月07日1990年代ナジブラ大統領,国連事務総長特使ベノン・セバンの訪問を受け,政治解決について討議。
DIA-503-1990-01-07-3アフガニスタン1990年01月07日1990年代反政府勢力が,フランスの在カーブル大使館再開計画を「非友好的行為」と強く非難(FBIS-N,1/9)。
DIA-503-1990-01-07-4アフガニスタン1990年01月07日1990年代ア政府将校十数名がヘクマティヤルのHIに投降,記者会見でナジブラ大統領が軍に信頼をおかず義勇軍に依存していると語る(D,1/8;FBIS-N,1/10)。
DIA-503-1990-01-08-1アフガニスタン1990年01月08日1990年代対ムジャヒディン米特使ピーター・トムセン,ナジブラ政権が国民的政府に権力を委譲するまで米政府のムジャヒディン支援が続くとIUMA暫定政府に対して確認(D,1/9)。
DIA-503-1990-01-08-2アフガニスタン1990年01月08日1990年代ナジブラ大統領,国内の政党・社会組織リーダーとの会見で,国民和解政策を推進するために各界代表を募った「国民委員会」を設置すると表明(POT,2/21)。
DIA-503-1990-01-09-1アフガニスタン1990年01月09日1990年代ソ連のソ兵捕虜救済人民委員会代表団がカーブルに到着(FBIS-N,1/10)。
DIA-503-1990-01-09-2アフガニスタン1990年01月09日1990年代AFPが反政府勢力の事情通の話として,ムジャヒディンが新政府樹立への新方式を考察したと報道。新方式とは,ア国内216地区から選出された代表者会議が国家元首を選出,同元首が首相を推薦し代表者会議の承認をはかるというもの(FBIS-N,1/10)。
DIA-503-1990-01-09-3アフガニスタン1990年01月09日1990年代国連スポークスマン,デクエヤル事務総長がア問題を協議するため近く訪ソすると発表(D,1/10)。
DIA-503-1990-01-10-1アフガニスタン1990年01月10日1990年代ペシャーワルで,IUMA暫定政府とイランに活動基盤を置くシーア派ムジャヒディン代表が,拡大暫定政府の勢力配分について協議(D,1/11)。
DIA-503-1990-01-10-2アフガニスタン1990年01月10日1990年代BBC(英国放送協会),フランスの在カーブル大使館再開を確認したと報道(POT,2/21)。
DIA-503-1990-01-11-1アフガニスタン1990年01月11日1990年代ムジャヒディン,ア東部国境沿いの要衝ホーストに攻勢をかける(FBIS-N,1/11)。
DIA-503-1990-01-12-1アフガニスタン1990年01月12日1990年代カーブル訪問中の国連人権問題特使エルマコラ,ア外相ワキールと会見。
DIA-503-1990-01-13-1アフガニスタン1990年01月13日1990年代バフタル通信,ゲリラがカンダハール,ホースト,ジャララバードで攻勢と報道。
DIA-503-1990-01-13-2アフガニスタン1990年01月13日1990年代ア政府,フランスの大使館再開決定を歓迎し,他の国もこれに続くよう呼びかける(FBIS-N,1/16)。
DIA-503-1990-01-13-3アフガニスタン1990年01月13日1990年代米政府,国務次官キミットをア問題の政治解決を採らせるため南アジア諸国に派遣。タトワイラー国務省スポークスマンは,派遣は米国のア政策の変更を意味しないと言明。しかしNYT紙によると,米政府は選択肢として,国連の役割の浮揚,米ソの同時武器支援停止,ムジャヒディンとナジブラ大統領を排除した共産党員との連合政府樹立,ザーヘル元国王の帰国と国民結合への協力,等を考えている(IHT,1/15)。
DIA-503-1990-01-13-4アフガニスタン1990年01月13日1990年代IUMA暫定政府再建相ラバニー(JIA党首)がIUMAの任期切れ(2月)に先立ち,任期延長を呼びかける(D,1/14)。
DIA-503-1990-01-16-1アフガニスタン1990年01月16日1990年代米国務次官キミット,パ国のイスハーク大統領,ブット首相等とア問題を討議。パ紙Dawn,18日は,討議では国連の和平案が特に検討されたと報道。国連案は,全勢力の代表80~100名による「暫定協議会」を編成,さらにその中から10名の代表を選びジルガ(会議)開催権を与え,連合政府樹立への道を探らせるというもの(The Statesman〔ニューデリー〕,1/17)。
DIA-503-1990-01-16-2アフガニスタン1990年01月16日1990年代TASSは,国連事務総長デクエヤルがゴルバチョフ大統領に会いア問題を討議したと報道(D,1/18)。
DIA-503-1990-01-17-1アフガニスタン1990年01月17日1990年代IUMA暫定政府アブドゥル・ラスール・サヤーフ首相(アフガニスタン解放イスラム同盟党首,IIAA),選挙実施予定表を公表。それによると,旧選挙区(総数216)は各々10名の大会議(ジルガ)メンバーを選出する。ただし地区代表10名のうち1名は中央議会(シューラ)メンバーとなり,残り9名は地区評議員および地方議会メンバーでもある。ジルガ代表選出は2月に始まり,4カ月内に終了する(D,1/18,24)。
DIA-503-1990-01-17-2アフガニスタン1990年01月17日1990年代イランで活動しているシーア派ムジャヒディン9派連合,IUMA暫定政府の選挙計画は一方的かつ「不完全,実現不可」と批判,一般選挙の実施を呼びかける(FBIS-N,1/19)。
DIA-503-1990-01-19-1アフガニスタン1990年01月19日1990年代IUMA暫定政府外相でHI党首のヘクマティヤル,IUMA7派のうちHIを除く6派の考え出した選挙計画は「選挙ではなく選抜」でIUMA暫定政府の延命を狙ったもの,と強く非難(D,1/20)。
DIA-503-1990-01-19-2アフガニスタン1990年01月19日1990年代米国務次官キミットがインドを訪問,同国外務省高官とア問題で討議(D,1/20)。
DIA-503-1990-01-20-1アフガニスタン1990年01月20日1990年代ナジブラ大統領,ア国中央部ハザラジャートでの食糧不足が深刻であると指摘し,食糧・医薬品等必要物資の供給を関係機関に指令(FBIS-N,1/22)。
DIA-503-1990-01-21-1アフガニスタン1990年01月21日1990年代在イスラマバード・ソ連大使館の政治書記官クリスニコフが現地ホテルでの記者会見において,米ソ両国はザーヘル元国王の政治的役割の重要性を評価している点で原則一致している,さらにはナジブラ大統領も同じ認識にあるばかりか,元国王に最高位の地位を与えてもいいと申し入れたことがあると発言(D,1/22)。
DIA-503-1990-01-21-2アフガニスタン1990年01月21日1990年代シーア派ムジャヒディン9派連合,再びIUMAの選挙計画を非難,ソ連が望めば同派はソ連と直接対話に入る用意があると表明(D,1/22)。
DIA-503-1990-01-22-1アフガニスタン1990年01月22日1990年代1973年以来ローマで亡命生活を送ってきたモハマッド・ザーヘル元国王,イタリア首相の招きを受け厚遇される(D,1/23)。
DIA-503-1990-01-23-1アフガニスタン1990年01月23日1990年代ゲラシモフ・ソ連外務省スポークスマンは,ア国で国連監視の自由選挙が行なわれナジブラ政権が敗北したとしても,ソ連は結果に従うと言明(D,1/24)。
DIA-503-1990-01-29-1アフガニスタン1990年01月29日1990年代カーブルにソ連の外国経済関係省代表団が訪れ,ア政府経済関係各省と1990年技術・経済協力草案づくりに着手。当該年ソ連の対ア国無償援助総額は1億2000万ルーブルになる見通しである(POT,3/3)。
DIA-503-1990-01-31-1アフガニスタン1990年01月31日1990年代ナジブラ大統領,徴兵拒否者と脱走兵にかんする赦免令を布告(FBIS-N,2/1)。
DIA-503-1990-02-02-1アフガニスタン1990年02月02日1990年代パ国バローチスタン州クエッタで,アフガン難民がザーヘル元国王帰国を促すデモ(FBIS-N,2/7)。
DIA-503-1990-02-05-1アフガニスタン1990年02月05日1990年代ナジブラ大統領,ア国西北地方のファラーならびにニムルーズ県で発生している食糧・燃料不足を緩和するための救済策を指令(FBIS-N,2/7)。
DIA-503-1990-02-06-1アフガニスタン1990年02月06日1990年代ナジブラ大統領,米ソの武器支援停止合意への四つの前提条件,すなわち(1)同時停戦,(2)全面的武器支援停止,(3)国連監視のもとに貯蔵武器の廃棄,(4)ア国の非武装化,の保障等を示す(D,2/7)。
DIA-503-1990-02-08-1アフガニスタン1990年02月08日1990年代ベーカー米国務長官,モスクワ訪問。シェワルナゼ・ソ連外相にア問題和平に関する米修正案を示す。米国は同案で,米国が従来要求してきたナジブラ大統領の辞任先決論を撤回し権力移行期間の留任を認めると譲歩したが,権力移行プロセスおよび新政府への同大統領の不参加と段階的辞任を要求(IHT,2/10-11)。
DIA-503-1990-02-08-2アフガニスタン1990年02月08日1990年代ボブ・ドール共和党議員をはじめとする米上院議員8名がモスクワ訪問中のベーカー国務長官に手紙を送り,ブッシュ政権の新ア政策は米国を不当な位置に陥れることになるとして強く非難するとともに,ナジブラ政権が崩壊するまで米政府は対ムジャヒディン支援を継続すべきだと訴える(IHT,2/10-11)。
DIA-503-1990-02-14-1アフガニスタン1990年02月14日1990年代AFP,ア政府トラック輸送団100台がカーブル南方100キロ地点のガルデズ市に1カ月ぶりに到着,同地の政府軍が同輸送団の激戦地ホースト送り出しの機会を伺っている事情を伝える(FBIS-N,2/15)。
DIA-503-1990-02-14-2アフガニスタン1990年02月14日1990年代シェワルナゼ・ソ連外相がソ連軍撤兵完了一周年の前夜,Izvestia紙上にアフガン内戦終結のための10項目提案を公表。同提案は,米国,ソ連,イラン,パキスタン,ムジャヒディンの代表が参加する国際会議の開催,外国の武器供与全面停止と武器貯蔵の廃棄,支配地域の現状凍結,選挙の実施,国連監視下のアフガニスタンの非武装化などを呼びかけている(D,2/16)。
DIA-503-1990-02-14-3アフガニスタン1990年02月14日1990年代ナジブラ大統領,ソ連軍撤兵一周年記念のテレビ・ラジオ演説で,国連事務総長の和平調停役割を高く評価すると同時に,アフガン人自身が和平を探るために非政府・非党員で構成する政府代表団をペシャーワル,クエッタ,テヘランに派遣すると言明(FBIS-N,2/16)。
DIA-503-1990-02-15-1アフガニスタン1990年02月15日1990年代バウチャー米国務省副スポークスマン,シェワルナゼ提案(→2/14)には新味がなく,米政府はベーカー提案への返答を待っていると言明(D,2/17)。
DIA-503-1990-02-15-2アフガニスタン1990年02月15日1990年代WP紙,米政府が3億ドルの対ムジャヒディン食糧援助を中断していると報道。理由は援助物資の盗難防止,ナジブラ政府への売却防止についてムジャヒディンと合意ができていないことにあるという(D,2/17)。
DIA-503-1990-02-16-1アフガニスタン1990年02月16日1990年代IUMA暫定政府サヤーフ首相(IIAA党首),シュワルナゼ・ソ連外相の和平提案を拒絶,ナジブラ大統領との対話の不可能性と共産党の撲滅闘争の継続を強調(FBIS-N,2/21)。
DIA-503-1990-02-19-1アフガニスタン1990年02月19日1990年代ブット・パ首相の国家安全保障・外交問題補佐官イクバル・アフンドがモスクワでシェワルナゼ・ソ連外相と会見,ア問題を含む両国関係について意見交換する。このときソ連外相は,米国務長官との会談で地域問題解決の原則を国民和解とすることで双方の認識が一致していると述べたうえで,アフガン人相互の対話を可能にする国際会議開催の重要性を強調(D,2/21)。
DIA-503-1990-02-21-1アフガニスタン1990年02月21日1990年代HIヘクマティヤル系ニューズ・エージェンシーは,IUMA7派を含む12のムジャヒディン組織が解放区において各組織を基盤とした比例代表制の選挙を実施することに同意したと報道(FBIS-N,2/22)。
DIA-503-1990-02-24-1アフガニスタン1990年02月24日1990年代ブット首相補佐官イクバル・アフンドがワシントンを訪ね,パ政府はア問題の政治解決を望んでいること,さらにナジブラ大統領の段階的排除という米和平提案に反対しないとの意向を米政府に伝える(D,2/25)。
DIA-503-1990-02-25-1アフガニスタン1990年02月25日1990年代ナジブラ大統領,議会開催の基調演説で,PDPAが現在の形のままだとムジャヒディンに受け入れられ難く,党と党綱領のみならず憲法をも変える必要があると説く(FBIS-N,2/26;D,2/26)。
DIA-503-1990-02-25-2アフガニスタン1990年02月25日1990年代21日にテヘランを訪問したIUMA暫定政府リーダーのラバニー(再建相,JIA党首)とギラニー(法相,MMIA党首)の2名,当地で活動しているシーア派ムジャヒディン9派連合に接触,同勢力の暫定政府提案選挙参加について討議(FBIS-N,2/26)。
DIA-503-1990-02-27-1アフガニスタン1990年02月27日1990年代ア国東部コナール地方のムジャヒディン司令官らがIUMA暫定政府の選挙案を拒否,同地方独自の選挙を3月1日に実施し「地方評議会」(シューラ)を設置することを決定(FBIS-N,2/28)。
DIA-503-1990-02-28-1アフガニスタン1990年02月28日1990年代カーブルで,ソ連閣僚会議副議長イゴール・ベローソフと政府計画相スルタン・フセインがソ連の1990年度対ア技術経済協力文書に調印する(POT,処3/28)。KT紙3月31日付けによると,ソ連は1億2000万ルーブルの贈与供与,90年度借款の2000年度返還開始,1億9700万ルーブルの相互貿易,食料品・石油製品の空輸,1200万ルーブル相当の灯油と540万ルーブル相当の砂糖の供与,計画立案要員のソ連国内要請などを行なうことになる(POT,5/22)。
DIA-503-1990-03-01-1アフガニスタン1990年03月01日1990年代ムジャヒディン支配地のア国東部コナール地方で,選挙実施。IUMA7派のうちHI党首ヘクマティヤルを除く6派リーダーはこぞってこの選挙への不参加を表明したが,6派現地党員は独自の判断で選挙に参加したため,総勢12以上のムジャヒディン勢力が投票に参加した(D,3/3;FBIS-N,3/5)。
DIA-503-1990-03-01-2アフガニスタン1990年03月01日1990年代ムジャヒディン,ホースト地区でスティンガー・ミサイルを使い政府軍輸送機を撃墜,政府軍がスカッド・ミサイルで報復(FBIS-N,3/5)。
DIA-503-1990-03-05-1アフガニスタン1990年03月05日1990年代ア国家安全省が,昨年12月反政府クーデターの廉で逮捕した124名の裁判を開始(FBIS-,3/5)。
DIA-503-1990-03-06-1アフガニスタン1990年03月06日1990年代カーブル市中心部がロケット弾などによる爆撃を受ける。ア国防相シャーナワズ・タナイがナジブラ大統領打倒のクーデターを起こす。ナジブラ大統領は,タナイ国防相がムジャヒディンのヘクマティヤルと結託して反逆を企てたと言明,同国防相の逮捕を命令。事件発生直後,国防相にアスラム・ワタンジャル,内相にラズ・ムハマッド・パクチンが就任。またカーブルに夜7時以降の外出禁止令が発令される(FBIS-N,3/6)。
DIA-503-1990-03-06-2アフガニスタン1990年03月06日1990年代HI党首ヘクマティヤルがペルシャーワル市で記者会見を開き,クーデター実行者から電報で応援要請があり,反ナジブラ行動に対し支援すると表明(D,3/7)。
DIA-503-1990-03-07-1アフガニスタン1990年03月07日1990年代ナジブラ大統領,政府軍が軍本部を完全に掌握したと語る。しかし反乱軍の活動は,カーブル市内ならび同市近郊のベグラム空軍基地で継続(D,3/8)。またAFPは,反乱軍を支援するムジャヒディン政府軍との戦闘が,ジャララバード,ガズニー,ホーストにおいても発生していると報道(FBIS-N,3/7)。
DIA-503-1990-03-07-2アフガニスタン1990年03月07日1990年代暫定政府大統領モジャディディは,HIヘクマティヤルの反乱軍支援呼びかけを強く非難(FBIS-N,3/7)。
DIA-503-1990-03-07-3アフガニスタン1990年03月07日1990年代AFPがムジャヒディン筋の情報として,反乱軍の首謀者12名がアントノフ輸送機でペシャーワル西方パーレチナール地区に着陸したと報道(FBIS-N,3/7)。
DIA-503-1990-03-07-4アフガニスタン1990年03月07日1990年代ア国最高司令本部,駐アデン(イエメン)・ア国大使アサドゥラー・サルワリー(ハルク派)がインドに逃亡したと発表(FBIS-N,3/7,3/14)。
DIA-503-1990-03-07-5アフガニスタン1990年03月07日1990年代パ外務省スポークスマン,タナイ国防相は国境付近でムジャヒディンと接触したのちア国に戻ったと言明(FBIS-N,3/8)。
DIA-503-1990-03-08-1アフガニスタン1990年03月08日1990年代ナジブラ大統領が,国家犯罪者に対する特別裁判設置令を発表する一方で,祖国防衛最高委員会からタナイ国防相,ニオズ・ムハメッド,ミール・カルワル(以上,政治局員),ナザル・ムハマッド将軍(政治局員候補),アブドゥル・カディール・アガ准将(反乱後パに逃亡)ら5名を除名(FBIS-N,3/8;IHT;3/9)。
DIA-503-1990-03-08-2アフガニスタン1990年03月08日1990年代ザブール地方のカラットがムジャヒディンに占拠さる。また,カンダハール空港周辺で政府軍とムジャヒディンの戦闘が激化(FBIS-N,3/8)。
DIA-503-1990-03-08-3アフガニスタン1990年03月08日1990年代PDPA政治局中央委会議が開催され,アハマッド・グラボサイ政治局員(駐モスクワ大使),サレー・ムハマッド・ズィライ,グラーム・ダスティギール・パンジシリー各中央委員を除名(FBIS-N,3/9)。
DIA-503-1990-03-08-4アフガニスタン1990年03月08日1990年代TASS,ソ連国連大使クズイレフが国連本部で国連高官とア問題を協議,アフガン人の相互対話,権力移行への必要措置や国際的合意,武器支援停止の問題について意見交換したと報道(FBIS-N,3/8)。
DIA-503-1990-03-09-1アフガニスタン1990年03月09日1990年代ア政府軍,バクラム空軍基地を奪回(FBIS-N,3/12)。
DIA-503-1990-03-10-1アフガニスタン1990年03月10日1990年代ア政府,クーデター事件で死者95名,負傷者約200名がでたと表明(FBIS-N,3/12)。
DIA-503-1990-03-12-1アフガニスタン1990年03月12日1990年代ナジブラ大統領が,政治正常化への新たな努力の必要性を訴えたメッセージを,モハメッド・ザーヘル元国王に送る(FBIS-N & FBIS-S,3/12,14)。
DIA-503-1990-03-12-2アフガニスタン1990年03月12日1990年代タナイ前国防相の印刷メッセージがペシャーワルにおいて配布される。メッセージでは,ア国軍はムジャヒディンと協議して「暫定革命評議会」を樹立した後6カ月以内に選挙を実施し,新政府に権力を委譲すると提案している(FBIS-N,3/12)。
DIA-503-1990-03-13-1アフガニスタン1990年03月13日1990年代WP紙は,米下院外交問題小委員会の有力メンバーが米政府のア問題武力解決姿勢を批判,下院の超党派的ア支援は今秋以降ありえなくなるだろうと語っていると報道(D,3/14)。
DIA-503-1990-03-14-1アフガニスタン1990年03月14日1990年代IUMA暫定政府メンバーのJIA党首ラバニーは,HI党首ヘクマティヤルの提唱する反乱軍との「暫定革命評議会」樹立案をムジャヒディンの大義に反するとして一蹴する。また,この問題をめぐってIUMA内部の亀裂が深まる(FBIS-N,3/14)。
DIA-503-1990-03-15-1アフガニスタン1990年03月15日1990年代在イスラマバード・ソ連大使館は,パ国外務次官タンビール・アハマッド・ハーンとソ連第一外務次官ユリ・ウォロンツォフが3月11日から13日までモスクワでア問題を協議,両国は同問題の政治解決を望んでいるばかりか,広い勢力を取り込んだ政府樹立にむかってのアフガン人同士の対話にいつでも応じうる態勢にあることを確認したと表明する(D,3/16;FBIS-S,3/15)。
DIA-503-1990-03-15-2アフガニスタン1990年03月15日1990年代タナイ前国防相,ムジャヒディンHI党首ヘクマティヤルのお膳立てのもと,ア国内ロガール地方で外国人記者と会見(FBIS-N,3/15)。
DIA-503-1990-03-15-3アフガニスタン1990年03月15日1990年代ア外務省内でナジブラ大統領,シーア派ムジャヒディン代表と会談,クーデター事件の背景等を説明(FBIS-N,3/16)。
DIA-503-1990-03-15-4アフガニスタン1990年03月15日1990年代イランに滞在しているアフガン人が初会議を開催,全シーア派ムジャヒディンの団結を呼びかけた決議を採択して3日続いた会議の幕を閉じる(FBIS-N,3/16)。
DIA-503-1990-03-15-5アフガニスタン1990年03月15日1990年代1988年4月のジュネーブ合意によりア・パ両国に派遣された「ア・パ国連仲介使節団」(UNGOMAP)の任務が終了(D,3/17)。
DIA-503-1990-03-17-1アフガニスタン1990年03月17日1990年代AFP,ホースト地区で政府軍とムジャヒディンが激しい戦闘を展開中と報道(FBIS-N,3/19)。
DIA-503-1990-03-18-1アフガニスタン1990年03月18日1990年代PDPA中央委総会で,ナジブラ大統領が一党独裁の放棄,複数政党制の導入,党改革の推進を提案する。また同総会は,クーデター関係者24名の除名を承認する(FBIS-N,3/19)。
DIA-503-1990-03-18-2アフガニスタン1990年03月18日1990年代WP紙は,在イスラマバード米大使館が3月6日のクーデター発生の折,ムジャヒディン勢力に政府軍へ大攻勢をかける説得工作を行なったと報道(IHT,3/19)。
DIA-503-1990-03-19-1アフガニスタン1990年03月19日1990年代ザーヘル元国王,ナジブラ大統領の和平貢献呼びかけ(→3/12参照)を拒否,ナジブラ大統領の権力放棄が第一前提で非合法政権との権力共有はありえないとの見解を表明(D,3/20;FBIS-N,4/9)。
DIA-503-1990-03-20-1アフガニスタン1990年03月20日1990年代IUMA暫定政府が法相ギラニー党首(MMIA党首)をイランに派遣,シーア派ムジャヒディンの選挙参加説得に当たらせる(FBIS-N,3/20)。
DIA-503-1990-03-21-1アフガニスタン1990年03月21日1990年代在イスラマバード・ソ連大使館高官,パ紙Pakistan Times記者に,ソ連政府はモスクワを訪問したパ外務次官タンビール・A・ハーンにアフガン全勢力参加の選挙実施と選挙結果の尊重という政治解決方式を提案した(→3/15参照)が,いまだにパ政府から返答がなく,パ政府のア問題交渉姿勢に失望している旨を語る(FBIS-N,3/23)。
DIA-503-1990-03-22-1アフガニスタン1990年03月22日1990年代21日始まったア問題に関する米ソ実務者会議(ヘルシンキ)が終了。記者会見で,ソ連代表ユリ・アレクセイエフ外務省課長(中東課)は新提案を携えてきたと述べる一方,米代表ジョン・ケリー国務次官補(中東担当)は合意には至らなかったもののソ連の立場を一層理解することができたと述べる(D,3/22/24)。
DIA-503-1990-03-25-1アフガニスタン1990年03月25日1990年代ペシャーワルで「アフガニスタン・イスラム革命運動」(HIIA,党首マウラビー・モハマッド・ナビィー)に属する著名な司令官ナシム・アフンザダが銃撃を浴び,暗殺される(FBIS-N,3/26)。
DIA-503-1990-03-26-1アフガニスタン1990年03月26日1990年代国連難民帰還支援(オペレーション・サラーム)最高調整官アガ・ハーンがカーブルを訪問,ア外相ワキールと難民帰還促進のための「平和地帯」設定の可能性を協議する。またこの日,同調整官とア副首相ムハマッド・ハキムとのあいだで,国連がア政府の立てた地雷除去プロジェクトに5000万アフガニーの支援を行なう覚書を交わす。この他,調整官はア赤月社に2500万アフガニー供与の覚書を交わす(FBIS-N,3/28)。
DIA-503-1990-03-27-1アフガニスタン1990年03月27日1990年代ペシャーワルで難民救援団体「アフガン支援協会」(AAS)所長サダト・シェギワル医師が,暗殺される(FBIS-N,3/28)。
DIA-503-1990-03-28-1アフガニスタン1990年03月28日1990年代IUMA暫定政府,外相担当のHI党首ヘクマティヤルが連合から離脱したとして,再建相担当のJIA党首ラバニーを外相担当に起用(D,3/29)。
DIA-503-1990-03-28-2アフガニスタン1990年03月28日1990年代AFP,タナイ国防相のクーデター事件との関連で3000名がア国家安全省軍によって逮捕されたと報道(FBIS-N,3/28)。
DIA-503-1990-03-31-1アフガニスタン1990年03月31日1990年代ア大統領報道局,国家保管委員会の管理している土地,家屋の旧所有者への返還に関する大統領令を公表(FBIS-N,4/2)。
DIA-503-1990-04-02-1アフガニスタン1990年04月02日1990年代ア国家安全省第一副大臣ヤル・ムハマッド,ラジオ・アフガニスタンの質問に応えて,クーデターに関連して逮捕された人数は623名,国外脱出者は30名以下と言明(FBIS-N,4/3)。
DIA-503-1990-04-03-1アフガニスタン1990年04月03日1990年代ア政府軍筋,ホースト,ナンガルハール,カンダハールにおいて政府軍とムジャヒディンとが激しい攻防戦中と発表(FBIS-N,4/3)。
DIA-503-1990-04-03-2アフガニスタン1990年04月03日1990年代パ紙Muslim,ペシャーワルに事務所を持つ弱小ムジャヒディン3勢力がIUMA暫定政府大統領ムジャディディの閣僚参画呼びかけを派閥主義の域をでないものとして拒否したと報道(FBIS-N,4/3)。
DIA-503-1990-04-05-1アフガニスタン1990年04月05日1990年代駐イスラマバード・ソ連大使ニコライ・コズイレフ,モスクワで,ア問題のニカラグア・ナミビア方式(国連監視下の自由選挙)解決を示唆(D,4/6)。
DIA-503-1990-04-06-1アフガニスタン1990年04月06日1990年代AFP,外国人記者を招いたヘラート市での投降式にムジャヒディンが特攻攻撃をかけ,銃撃戦でア軍将軍2名と参列者11名が死亡,ヘラート知事ファズル・ハク・ハリクヤル(この後の5月7目,首相に任命される)が負傷したと報道(FBIS-N,4/6)。
DIA-503-1990-04-06-2アフガニスタン1990年04月06日1990年代モスクワ放送(AP電),エジプト政府がムジャヒディンに対する武器支援停止の決定を行なったと報道(FBIS-S,4/10)。
DIA-503-1990-04-08-1アフガニスタン1990年04月08日1990年代ムジャヒディン,ホースト地区に新たな大攻勢をかける(FBIS-N,4/9)。
DIA-503-1990-04-10-1アフガニスタン1990年04月10日1990年代ア外務省,ソ連人捕虜1名をソ連大使に引き渡す(FBIS-S,4/11)。
DIA-503-1990-04-11-1アフガニスタン1990年04月11日1990年代コナール地方のムジャヒディンは,3月1日の選挙の結果124名の「シューラ」(評議会)代表が決定したと表明(FBIS-N,4/12)。
DIA-503-1990-04-11-2アフガニスタン1990年04月11日1990年代激しい戦闘の行なわれているホースト地区で,ア政府軍とムジャヒディンが戦死者交換のため,一時停戦に入る(FBIS-S,4/12)。
DIA-503-1990-04-11-3アフガニスタン1990年04月11日1990年代AFP,ワタンジャル国防相はクーデター発生後,約600名逮捕したと語ったと報道(FBIS-N,4/18)。
DIA-503-1990-04-12-1アフガニスタン1990年04月12日1990年代在イスラマバード・ソ連大使館スポークスマンのミハイル・カルポフは,先週ワシントンで行なわれた米ソ外相会談で,シェワルナゼ外相が米政府にナジブラ政権と並存する反政府勢力独自の「暫定政府」樹立と,暫定政府による一般選挙の組織化を提案したと語る。ベーカー米国務長官はこの提案に興味を示したものの,ナジブラ大統領の移行期間における権力保持は問題で,ムジャヒディンがこの提案を受け入れないだろうと強調(FBIS-N,4/12)。
DIA-503-1990-04-12-2アフガニスタン1990年04月12日1990年代米VOA放送,ア国北西ファリヤブ地方で先月,食糧不足から500名が餓死したと報道(D,4/13)。
DIA-503-1990-04-12-3アフガニスタン1990年04月12日1990年代ア外相アブドゥル・ワキール,ジュネーブ合意を監視するア・パ国連仲介使節団(UNGOMAP)の存続を訴えたメッセージを国連事務総長に送る(FBIS-N,4-13)。
DIA-503-1990-04-13-1アフガニスタン1990年04月13日1990年代ペシャーワルに本部をおく「アフガン救援団体連絡会」(ACBAR),ア国内の食糧不足は深刻で飢餓の拡大を警告(D,4/14)。
DIA-503-1990-04-13-2アフガニスタン1990年04月13日1990年代バシール・バラガニー法相(非PDPA左派党員),ナジブラ政権は権力の共有を呼びかけているものの,実際はそれを望んでいないと発言(FBIS-N,4/13)。
DIA-503-1990-04-13-3アフガニスタン1990年04月13日1990年代パ国のイスラム協会党首フセイン・アハマッドは,ムジャヒディンとソ連とのあいだで非公式の協議が行なわれていると言明(D,4/16)。
DIA-503-1990-04-13-4アフガニスタン1990年04月13~14日1990年代AFP,ア南西ヘルモンド地方ナディ・アリーでムジャヒディンのナビー派(HILA)が3月25日に起きた自派司令官ナシム・アフンザダ暗殺の報復としてヘクマティヤル派(HI)を急襲,双方に数十人の死者がでたと伝える。紛争にはラバニー派(JIA)も巻き込まれ,ナビー派に味方する(FBIS-N,4/17,18)。
DIA-503-1990-04-16-1アフガニスタン1990年04月16日1990年代パグマン(カーブル北方15キロ)で,政府軍とムジャヒディンが攻防戦を展開する(FBIS-N,4/17)。
DIA-503-1990-04-17-1アフガニスタン1990年04月17日1990年代AFP,HI党首ヘクマティヤルがIUMA暫定政府から離脱したことと,一般選挙にナジブラ政権内の共産党員が参加するのを懸念するに及ばないと発言したと報道(FBIS-N,4/17)。
DIA-503-1990-04-17-2アフガニスタン1990年04月17日1990年代AFPが在イスラマバード西側外交官の話として,3月8日にクーデター関与の廉で党籍を剥奪されたグラーム・ダスティギール・パンジシリー,サレー・ムハマッド・ズィライら古参PDPA党員が処刑されたとの噂が流れていること,また古参党員で部族・国境問題相のムハマッド・スレイマン・ラッイークが同職を解任され在外大使に任命されたこと,さらにムハマッド・ドースト・ラズムヤルがクーデター発生後行方不明のモハマッド・グラボサイ(ハルク派リーダー)の後任としてモスクワ大使に任命されたと報道(FBIS-N,4/18)。
DIA-503-1990-04-19-1アフガニスタン1990年04月19日1990年代イスラマバードにおいて,ムジャヒディンとソ連の捕虜救済調整委員会代表とが,初めて接触。ソ連代表に同行したソ連科学アカデミー東洋研究課のアフガン専門家ユリ・ガンコフスキーは,パ学者との懇談において,ソ連はア和平に向けて,(1)停戦・武器支援停止,(2)国際会議開催,(3)自由選挙実施を提示していると発表(IHT,4/21-22)。
DIA-503-1990-04-19-2アフガニスタン1990年04月19日1990年代アメリカのムジャヒディンに対する特使ピーター・トムセンはAsian Wall Street Journal紙への書面解答のなかで,さる3月21,22日に行なわれたヘルシンキ米ソ外相会談において,ベーカー国務長官がソ連外相にア問題の「三段階解決方式」を提示したことを明らかにする。その内容は,まず(1)ムジャヒディンは支配地において代表を選出する,次いで(2)ナジブラ政権は政府の支配地において代表を選出する,最後に(3)両代表が暫定政府を編成,全国選挙の実施ないしは伝統的なジルガ(会議)を開催する,というもの(同紙,4/19)。
DIA-503-1990-04-19-3アフガニスタン1990年04月19日1990年代IUMA暫定政府の法相ギラニー(MMIA)と再建相ラバニー(JIA),パ大統領イスハーク・ハーンと会い,ア問題の政治解決について協議(D,4/20)。
DIA-503-1990-04-21-1アフガニスタン1990年04月21日1990年代ロンドン発行のアラビア語Al-Sharikh-Al-Arsato紙とのインタビューのなかで,HI党首ヘクマティヤルは過去数回,ナジブラ大統領と直接・間接のコンタクトを持ったと語る(FBIS-N,4/25)。
DIA-503-1990-04-22-1アフガニスタン1990年04月22日1990年代IUMA暫定政府全リーダー,イスラマバードでパ国のイスハーク大統領およびブット首相と会談し,パ政府の望んでいる国連およびOIC(イスラム諸国会議機構)の選挙監視に同意。同会談には2月に暫定政府を離脱(→2/28,4/17参照)したHI党首ヘクマティヤルも出席,暫定政府復帰を窺わせる(D,4/23)。
DIA-503-1990-04-22-2アフガニスタン1990年04月22日1990年代英BBC放送,暫定政府法相ギラニーが一般選挙実施に賛成の意を表明するとともに,カーブル政権監視下の選挙は受け入れられないものの,同政権支配下から選出された個人はジルガ(会議)に参加することができると表明したと伝える(FBIS-N,4/23)。
DIA-503-1990-04-24-1アフガニスタン1990年04月24日1990年代IUMA暫定政府大統領モジャディディ,国連がカーブル政権支配地の選挙を,またOIC(イスラム諸国会議機構)がムジャヒディン支配地選挙を監視するとの提案に対して,IUMA全体のコンセンサスができていないと表明(D,4/25)。
DIA-503-1990-04-24-2アフガニスタン1990年04月24日1990年代パ外務省スポークスマン,22日の会談でパ大統領等がIUMAリーダーに武装闘争を放棄するよう通告したとする報道(→4/22参照)は全く間違いである,と厳しく指弾(FBIS-N,4/24)。
DIA-503-1990-04-24-3アフガニスタン1990年04月24日1990年代ア国防省アスラム・ワタンジャル,クーデター関与の廉で逮捕したもののなかから数名を釈放したと表明(FBIS-N,4/26)。
DIA-503-1990-04-25-1アフガニスタン1990年04月25日1990年代在イスラマバードの西側外交筋,3月のクーデター発生後,ソ連はソ連人顧問団の増派,かつ援助額月平均3億ドルを3億5000万~4億ドルに増額したと語る(FBIS-N,5/15)。
DIA-503-1990-04-26-1アフガニスタン1990年04月26日1990年代イランのIRNA通信,暫定政府再建相ラバニー(JIA党首)が暫定政府大統領モジャディディをナジブラ大統領と妥協しようとしていると非難,他方のモジャディディは妥協はおろか武闘をも断念していないと応酬したと報道(FBIS-N,4/27)。
DIA-503-1990-04-27-1アフガニスタン1990年04月27日1990年代カーブルで弾薬輸送車が爆破され,上級将校を含む100名近くの軍人が逮捕される(FBIS-N,4/27)。
DIA-503-1990-05-02-1アフガニスタン1990年05月02日1990年代米政府高官とパ外交官が,ヘルシンキでの米ソ外相会談(3月21,22日)の内容を公表。この会談で,米ソ両国はア紛争を終結させる方法として選挙による解決が最善との結論に達する。そこで,ソ連側は選挙期間中のナジブラ大統領の地位保障の主張を取り下げ,一方の米国は前提条件としてのナジブラ大統領の選挙前の権力放棄要求を取り下げた。課題は誰が権力移行期間を管理するのかの問題だとされる(IHT,5/4)。
DIA-503-1990-05-02-2アフガニスタン1990年05月02日1990年代ナジブラ大統領,「ヘズボラー・アフガニスタン」(アフガニスタン神の党)の結党を許可する大統領令を発布(FBIS-N,5/3)。
DIA-503-1990-05-03-1アフガニスタン1990年05月03日1990年代ソ連軍撤兵直後の89年2月17日に布告された「非常事態宣言」が解除される(D,5/4)。
DIA-503-1990-05-03-2アフガニスタン1990年05月03日1990年代ナジブラ大統領,憲法改正をにらんだ大ジルガ(会議)開催委員会メンバーを公表(FBIS-N,5/3)。
DIA-503-1990-05-03-3アフガニスタン1990年05月03日1990年代ア閣僚会議議長ケシュトモンド,政府被雇用者,年金生活者,身障者,戦死者家族への必需品配給券を割増すると発表(FBIS-N,5/4)。
DIA-503-1990-05-03-4アフガニスタン1990年05月03日1990年代ロンドン発行のペルシャ語紙Kayhan,ナジブラ大統領が先週電話でザーヘル元国王および暫定政府大統領モジャディディと和平問題を討議したこと,またナジブラがソ連提案の国連・OIC監視下の選挙実施に賛成であるとして,モジャディディがナジブラと暫定政府樹立間題を協議するためのIUMA7派代表特別委員会を編成する旨を表明したと報道(FBIS-N,5/9)。
DIA-503-1990-05-04-1アフガニスタン1990年05月04日1990年代ナジブラ大統領,同大統領の権限を中立化するという米ソの和平提案に反発,あくまでも権力を保持すると言明(D,5/5)。
DIA-503-1990-05-04-2アフガニスタン1990年05月04日1990年代イランで活動しているヘズポラーが,2日の結党許可発布報道を否定(FBIS-N,5/7)。
DIA-503-1990-05-06-1アフガニスタン1990年05月06日1990年代ナジブラ大統領,閣僚会議議長ケシュトモンドを第一副大統領に任命(FBIS-N,5/6)。
DIA-503-1990-05-06-2アフガニスタン1990年05月06日1990年代中央ならびに地方レベルの選挙管理委員会を編成する大統領令が発布される(FBIS-N,5/6)。
DIA-503-1990-05-06-3アフガニスタン1990年05月06日1990年代ヘクマティヤルのHI,3月1日にコナール地方で実施された選挙を踏襲するような一般選挙実施を提案(FBIS-N,5/9)。
DIA-503-1990-05-07-1アフガニスタン1990年05月07日1990年代ナジブラ大統領,ヘラート県知事ファズル・ハク・ハリクヤル(非PDPA党員)を首相に任命(FBIS-N,5/8)。
DIA-503-1990-05-07-2アフガニスタン1990年05月07日1990年代フランスの人道団体「国境のない奉仕団」(MSF)ア国内での活動を停止するとの声明をだす。同団体は4月27日,パダフシャン地方ヤフタルで銃撃を受け犠牲者をだす(FBIS-N,5/8)。
DIA-503-1990-05-11-1アフガニスタン1990年05月11日1990年代ザーヘル元国王ローマで,紛争当事者間の調停の労を取ると声明(FBIS-N,5/17,24)。
DIA-503-1990-05-13-1アフガニスタン1990年05月13日1990年代ナジブラ大統領,国王声明のなかの「アフガン人は聖戦の果実を充分に享受していない」と述べた箇所を紛争継続扇動と強く非難(FBIS-N,5/17)。
DIA-503-1990-05-13-2アフガニスタン1990年05月13日1990年代ア鉱工業省とソ連貿易省の代表がカーブルにおいて,天然ガス・石油掘削の再開ならびに交易に関する議定書を交わす(FBIS-N,5/14)。
DIA-503-1990-05-13-3アフガニスタン1990年05月13日1990年代AFP,ア国内で活動しているムジャヒディン司令官数十名がア国東部パクティア地方で7日から9日まで秘密会議を開き,IUMA暫定政府と独立したムジャヒディン独自の「評議会」を組織したと報道。同評議会,ア国民全体に受け入れられる解決策を探るための委員会を設置するとともに,国内の司令官を無視する和平案を拒絶していく決議を採択(FBIS-N,5/14)。
DIA-503-1990-05-14-1アフガニスタン1990年05月14日1990年代HI党首ヘクマティヤル,ア問題解決について2提案を発表。提案はナジブラ大統領とザーヘル元国王を和平プロセスから除外することを狙ったもので,第1案は,カーブル周辺で活動しているムジャヒディン司令官と非PDPA官吏が連合評議会を編成した後6カ月以内に選挙を実施する,第2案は,ムジャヒディンが協調して暫定政府を編成しのち6カ月以内に選挙を実施する,となっている(D,5/15)。
DIA-503-1990-05-15-1アフガニスタン1990年05月15日1990年代IUMA暫定政府メンバーのJI党首ラバニーとIIAA党首サヤーフの両名,元国王の声明を非難(FBIS-N,5/17)。
DIA-503-1990-05-18-1アフガニスタン1990年05月18日1990年代ヨーロッパ人難民救援団体「即時保護インターナショナル」(SNI)が,ナンガルハール地方でアフガン人に襲撃される(FBIS-N,5/21)。
DIA-503-1990-05-19-1アフガニスタン1990年05月19日1990年代憲法改正草案の最終テキスト,ア政府憲法改正委員会を通過(FBIS-N,5/25)。
DIA-503-1990-05-22-1アフガニスタン1990年05月22日1990年代IUMA暫定政府選挙委員会委員長ギラニー(MMIA党首),昨年11月に公表した選挙実施案の有効性を再確認。同案は,各地区が10名の代表を選出し約2500名の「シューラ」(評議会)を開催,国家元首の選出と元首が指名する政府の信任投票を行なうことをうたっている(D,5/23)。
DIA-503-1990-05-22-2アフガニスタン1990年05月22日1990年代HI党首ヘクマティヤル,IUMA暫定政府の選挙案を拒絶(FBIS-N,5/29)。
DIA-503-1990-05-23-1アフガニスタン1990年05月23日1990年代暫定政府選挙委員会がア国内に使節団を送りはじめ,地区代表選出活動を開始する(FBIS-N,6/1)。
DIA-503-1990-05-27-1アフガニスタン1990年05月27日1990年代ナジブラ大統領,新内閣を承認(「参考資料」(1)を参照)。
DIA-503-1990-05-27-2アフガニスタン1990年05月27日1990年代ア大統領府,50名のローヤ・ジルガ(大会議)のメンバーを公表(FBIS-N,5/29)。
DIA-503-1990-05-29-1アフガニスタン1990年05月29日1990年代ア政府,ローヤ・ジルガ開催。憲法改正草案を採択。改正憲法は,PDPAの権力独占放棄・複数政党政治の導入,経済の国家完全統制廃止・市場経済の復活等を唱っている(POT,7/19)。
DIA-503-1990-06-02-1アフガニスタン1990年06月02日1990年代ア農相と駐カーブル・ソ連大使館参事官が,ソ連の対ア小麦種籾1万トン無償供与をうたった議定書を交わす。現物はアム河シェールハン港で8月1日までに引き渡される(FBIS-N,6/5)。
DIA-503-1990-06-02-2アフガニスタン1990年06月02日1990年代米ソ首脳がキャンプ・デービットで会談。会談でア問題が討議されたが,選挙期間に誰が行政監督するかの問題で折り合いがつかず進展はなかった(IHT,6/6)。
DIA-503-1990-06-05-1アフガニスタン1990年06月05日1990年代ナジブラ大統領が仏紙『フィガロ』とのインタビューのなかで,フランスもア問題解決の仲介の労をとるよう呼びかける(FBIS-N,6/5)。
DIA-503-1990-06-06-1アフガニスタン1990年06月06日1990年代PDPA中央委広報紙Payam第14号が,党の「祖国党」改名と新党綱領草稿を掲載(FBIS-N,6/8)。
DIA-503-1990-06-09-1アフガニスタン1990年06月09日1990年代パ国内におけるムジャヒディン・リーダー殺害事件が増えたことに鑑み,IUMA暫定政府大統領モジャディディがパ政府の保護を要請(D,6/10)。
DIA-503-1990-06-10-1アフガニスタン1990年06月10日1990年代ナジブラ大統領,国連事務総長特使ベノン・セバンの訪問を受けア国の和平メカニズムや改憲について説明(FBIS-N,6/11)。
DIA-503-1990-06-11-1アフガニスタン1990年06月11日1990年代ナジブラ大統領,新党「アフガニスタン平和進歩闘争者団結」結党を承認(FBIS-N,6/12)。
DIA-503-1990-06-11-2アフガニスタン1990年06月11日1990年代ア副外相,ソ連軍捕虜1名をソ連代表に引き渡す(FBIS-N,6/18)。
DIA-503-1990-06-13-1アフガニスタン1990年06月13日1990年代ベーカー米国務長官が下院外交委員会での証言で,ナジブラ大統領が選挙実施期間において大統領職に留まっているべきか否かをめぐって,米ソの間に依然ミゾがあると語る。しかし米筋によると,両国は(1)自由で公正な選挙が政治解決へのカギ,(2)信頼できる選挙監視メカニズムが必要,(3)国連とOIC(イスラム諸国会議機構)が権力移行期間を監視する,の三点で今すぐにでも合意できる状態にある(IHT,6/15)。
DIA-503-1990-06-15-1アフガニスタン1990年06月15日1990年代フランスがカーブル大使館を再開。
DIA-503-1990-06-16-1アフガニスタン1990年06月16日1990年代シーア派ムジャヒディン9派連合(在テヘラン)が,「イスラム連合党」と改名する(FBIS-N,6/20)。
DIA-503-1990-06-19-1アフガニスタン1990年06月19日1990年代HI党首ヘクマティヤル,IUMAに「評議会」選出使節団のア国派遣中止を要請(FBIS-N,6/21)。
DIA-503-1990-06-26-1アフガニスタン1990年06月26日1990年代ペシャーワルでIUMA暫定政府と亡命元外交官およびザーヘル国王時代の高官代表,ア問題を協議。ペシャーワルのIUMAとイラン・イスラム連合党の調整をはかる「6人委員会」を設置(D,6/27)。
DIA-503-1990-06-27-1アフガニスタン1990年06月27日1990年代PDPA,第2回党大会を開催。
DIA-503-1990-06-28-1アフガニスタン1990年06月28日1990年代PDPA党大会,PDPAの「祖国党」への改名と新綱領(資料(2)参照)を採択し,ナジブラ大統領を同党総裁に選出(FBIS-N,7/2)。
DIA-503-1990-06-28-2アフガニスタン1990年06月28日1990年代AFP,ア全土から約300名のムジャヒディン司令官がパクティヤ地方で22日から25日までの4日間秘密会合を開き,ムジャヒディン間の対立を緩和するための「調停委員会」を設置することで合意するとともに,共闘戦略を作成した,と報道(FBIS-N,6/27)。
DIA-503-1990-06-29-1アフガニスタン1990年06月29日1990年代IUMA,シーア派対策の「6人委員会」とは別個に「9人委員会」を設置,全ムジャヒディンの長を招く会議開催の準備に取り組むことにする(D,6/30)。
DIA-503-1990-07-04-1アフガニスタン1990年07月04日1990年代ア問題の政治解決を呼びかけるアフガン人の超党派的デモがベシャーワルで起こる(FBIS-N,7/4)。
DIA-503-1990-07-06-1アフガニスタン1990年07月06日1990年代コナール地方ワナで,ムジャヒディン間の激しいセクト争いが発生(EBIS-N,7/10,12)。
DIA-503-1990-07-06-2アフガニスタン1990年07月06日1990年代カーブル西方15キロ地点にあるパグマンで,政府軍とムジャヒディンの戦闘が激化(FBIS-N,7/10,11)。
DIA-503-1990-07-08-1アフガニスタン1990年07月08日1990年代ナジブラ大統領,法務長官ニザムディン・タッゼブを解任(FBIS-N,7/10)。
DIA-503-1990-07-11-1アフガニスタン1990年07月11日1990年代ヘクマティヤル派(HI)の司令官サイード・ジャファルが,ペシャーワル近郊のホラサン難民キャンプ付近で待ち伏せに合い,暗殺される(D,7/13)。
DIA-503-1990-07-14-1アフガニスタン1990年07月14日1990年代在テヘランのシーア派「イスラム連合党」代表団がペシャーワルでIUMAと3週間交渉したが,成果を挙げえずに帰途につく。同代表団長のアブドゥル・アリー・マザリーによると,IUMA暫定政府(サヤーフ首相)は,自由選挙と婦人参政を拒否(D,7/15)。
DIA-503-1990-07-15-1アフガニスタン1990年07月15日1990年代ア・ソ経済技術協力常任委員会代表がカーブルで,相互協力に関する文書を交換。文書には,天然ガスの対ソ供給再開に備える技術者派遣(FBIS-N,7/16)と,1988年11月から停止中のソ連ガスの対ア供給再開(FBIS-S,7/18)に関するものが含まれている。
DIA-503-1990-07-15-2アフガニスタン1990年07月15日1990年代NYT紙はアメリカ政府高官の話として,米政府がア問題解決に関するソ連国連大使ユリ・ウォロンツォフの提案を検討していると報道。ウォロンツォフの提案はベーカー提案,つまり三段階解決方式(→4/19参照)への対案で,権力移行期間におけるナジブラ大統領の地位を象徴大統領に押しあげ,彼が現在保持している国軍,秘密警察,放送機関の抑制権限を選挙委員会に委譲させるというもの(IHT,7/17)。
DIA-503-1990-07-16-1アフガニスタン1990年07月16日1990年代国連特使ベノン・セバンが事務総長の新提案を携え,モスクワからイスラマバードに到着(D,7/17)。
DIA-503-1990-07-16-2アフガニスタン1990年07月16日1990年代英BBC放送,ナジブラ大統領が同放送とのインタビューのなかで,全アフガン勢力代表に権力の一部委譲の用意があると発言したと報道(FBIS-N,7/16)。
DIA-503-1990-07-18-1アフガニスタン1990年07月18日1990年代ムジャヒディン,ソ連兵捕虜1名を解放(FBIS-S,7/18)。
DIA-503-1990-07-18-2アフガニスタン1990年07月18日1990年代パ紙Muslimによると,IUMA暫定政府ソ連国連大使ユリ・ウォロンツォフ提案(→7/15参照)に反発する(同紙,7/19)。
DIA-503-1990-07-18-3アフガニスタン1990年07月18日1990年代国連とパ政府がア難民帰還促進プロジェクト実施で合意,その協定書を交わす。合意によれば,帰還希望者は難民登録書と引き換えに,元金3300アフガニーおよび300キロの小麦を分配する(D,7/20)。
DIA-503-1990-07-22-1アフガニスタン1990年07月22日1990年代インドの外務担当国務相H・K・シンがカーブルを訪問,ナジブラ大統領にインド訪問の公式要請を行なう(FBIS-N,7/24)。
DIA-503-1990-07-22-2アフガニスタン1990年07月22日1990年代カーブル放送は,イタリア政府が最近,同国カーブル大使館を再開したと報じる(FBIS-N,7/25)。
DIA-503-1990-07-24-1アフガニスタン1990年07月24日1990年代米国務省高官が,8月1,2日のイルクーツクでの米ソ外相会談においてア問題の合意成立の見通しを語る。合わせて同高官は,対CIA上院特別委員会が本年度分ムジャヒディン支援1億ドル削減を支持したことから,今年度支援総額は2億ドルになると語る(IHT,7/26)。
DIA-503-1990-07-25-1アフガニスタン1990年07月25日1990年代ソ連兵捕虜1名,解放される(FBIS-S,7/26)。
DIA-503-1990-07-28-1アフガニスタン1990年07月28日1990年代国連とパ政府が18日に合意した,ア難民帰還促進合同プロジェクトが実施に移される(D,7/29)。
DIA-503-1990-07-29-1アフガニスタン1990年07月29日1990年代ナジブラ大統領,急遽,ソ連に向かって出発(FBIS-N,7/30,31)。
DIA-503-1990-07-31-1アフガニスタン1990年07月31日1990年代ア政府,ナジブラ大統領のソ連滞在が20日から30日間になること,またこの間,副大統領アブドゥル・ラヒム・ハティフが代理大統領を務め,副大統領ムハマッド・ラフィー(将軍で事実上の国防相)が安全保障の指揮を取ると報道(FBIS-N,8/2)。
DIA-503-1990-08-01-1アフガニスタン1990年08月01日1990年代米ソ外相,シベリアのイルクーツクで会談。ソ連高官は会談終了後,今回の会談でア問題に意外な新事実がでると期待するのは間違い,米ソ双方は選挙委員会がどんな役割と権限を持ち得るかを検討していると言明(D,8/2;IHT,8/2)。
DIA-503-1990-08-03-1アフガニスタン1990年08月03日1990年代第9回ア・ソ相互経済協力常任委員会がモスクワで開催され,ソ連の対ア経済協力に関する文書がア副首相サルワル・マンガルとソ連閣僚会議代理イゴール・ベローソフの間で交わされる(FBIS-N,8/6)。
DIA-503-1990-08-03-2アフガニスタン1990年08月03日1990年代ア政府,コロンビアと不在大使レベルの外交関係を樹立(FBIS-N,8/6)。
DIA-503-1990-08-04-1アフガニスタン1990年08月04日1990年代パ外務省スポークスマン,イルクーツクでの米ソ外相会談は選挙実施において原則合意に達したものの,選挙期間のナジブラ大統領の権力についていまだ相違点を残していると表明(D,8/5)。
DIA-503-1990-08-06-1アフガニスタン1990年08月06日1990年代カーブル放送,クンドゥース地方でヘクマティヤルのHIとラバニーのJIAが衝突,JIA側リーダー数人が死傷したと報道(FBIS-N,8/7)。
DIA-503-1990-08-07-1アフガニスタン1990年08月07日1990年代ア政府,ブット・パ首相の解任ニュースにふれ,臨時閣議を開く(FBIS-N,8/8)。
DIA-503-1990-08-07-2アフガニスタン1990年08月07日1990年代シーア派ムジャヒディン連合体「イスラム連合党」,テヘランに事務所を開設(FBIS-N,8/8)。
DIA-503-1990-08-07-3アフガニスタン1990年08月07日1990年代ア政府筋AFPに,過去2カ月のあいだ外国に派遣した祖国党員上級外交官5名が職務を放棄したと発表(FBIS-N,8/8)。
DIA-503-1990-08-10-1アフガニスタン1990年08月10日1990年代シンダント空軍基地で軍輸送機が離陸直後に大破,乗組員5名と乗客77名死亡(FBIS-N,8/15)。
DIA-503-1990-08-12-1アフガニスタン1990年08月12日1990年代ソ連人民会議メンバー5名が,ベシャーワルでヘクマティヤルHI党首と捕虜交換について協議する。このとき,ソ連代表がロシア共和国議長エリツィンのメッセージをヘクマティヤルに渡す(D,8/13)。
DIA-503-1990-08-12-2アフガニスタン1990年08月12日1990年代ア副首相サルワル・マンガルがモスクワから帰国,モスクワで交換したア・ソ相互経済協力の内容を明らかにする。それによると,ソ連は本年,10万トンの小麦,5万トンの灯油をア国に供与する。このほかソ連の対外貿易関係省が来年度1.2~1.5ルーブルの無償援助等を行なう(POT,10/8)。
DIA-503-1990-08-18-1アフガニスタン1990年08月18日1990年代ア鉱工業相サマッド・サラーが,本年末ないし来年初め,ソ連兵撤兵直前に中断された対ソ天然ガス輸出を再開すると語る。このとき同相は,対ソ・ガス輸出収益が国家財政の47%を占め,年間収益平均3億ドル相当であったことを明らかにする(FBIS-N,8/21)。
DIA-503-1990-08-20-1アフガニスタン1990年08月20日1990年代ナジブラ大統領,国家の没収した家屋・アパートの旧所有者への返還令を裁可(KT,8/20)。
DIA-503-1990-08-23-1アフガニスタン1990年08月23日1990年代IUMA暫定政府,イラクにクウェート撤退を訴える(FBIS-N,8/24)。
DIA-503-1990-08-25-1アフガニスタン1990年08月25日1990年代ナジブラ大統領,ソ連から帰国する。AFP,外交団筋の情報として,同大統領がソ連滞在中に肝臓の治療を受けたと報道(IHT,8/27)。
DIA-503-1990-08-26-1アフガニスタン1990年08月26日1990年代ア大統領府,「労働・社会問題省」新設を発表(FBIS-N,8/25)。
DIA-503-1990-08-28-1アフガニスタン1990年08月28日1990年代ナジブラ大統領,人民代議員大会(国会)開催演説のなかで,平和の主張が辞任を要請しているのならばそれに従う用意があると表明(FBIS-N,8/29)。
DIA-503-1990-08-29-1アフガニスタン1990年08月29日1990年代ナジブラ大統領,ニューデリーを公式訪問。
DIA-503-1990-08-30-1アフガニスタン1990年08月30日1990年代ナジブラ大統領,ニューデリーでの記者会見で,ア政府の和平実現計画の過渡的措置として,反政府勢力と「暫定合同委員会」を設置することに同意しうると表明。しかし暫定合同委員会のなかで,ナジブラ大統領自身どのような役割・機能を持つのかについては明確にしなかった(FBIS-N,9/2)。
DIA-503-1990-09-01-1アフガニスタン1990年09月01日1990年代ナジブラ大統領インドから帰国。「印ア共同宣言」が公表さる。宣言によると,両国は文化交流,農業協力,麻薬輸送防止に関する合意文書を交わし,インド政府はア国に1300トンの小麦の種籾供与,5万トンの小麦借款を行なう(KT,9/2)。
DIA-503-1990-09-02-1アフガニスタン1990年09月02日1990年代カーブル郊外のプリ・チャルキー監獄から回復不能の病人監獄囚103名が釈放される(POT,11/3)。
DIA-503-1990-09-02-2アフガニスタン1990年09月02日1990年代ナジブラ大統領,UNCTAD会議出席のためパリに向けて出発する(パリ到着は4日)(POT,11/3)。
DIA-503-1990-09-04-1アフガニスタン1990年09月04日1990年代パ紙Dawnが在イスラマバード米外交官の話として,米国は1,2カ月以内にムジャヒディン援助を大幅削減する予定であると伝える(D,9/4)。
DIA-503-1990-09-05-1アフガニスタン1990年09月05日1990年代AFP,カーブル駐屯地司令官アズミー将軍が部族義勇兵のうちカーブル退去令に従わないものを逮捕していると報道(FBIS-N,9/5)。
DIA-503-1990-09-10-1アフガニスタン1990年09月10日1990年代IUMA暫定政府リーダー5名,サウジアラビアが準備した飛行機で同国に向かう(D,9/11)。
DIA-503-1990-09-10-2アフガニスタン1990年09月10日1990年代81年7月米国に亡命したグラーム・フセイン・サフィー元政府高官が,ア国に帰国(FBIS-N,9/11)。
DIA-503-1990-09-12-1アフガニスタン1990年09月12日1990年代TASS,イルクーツクでの米ソ外相会談(→8/1参照)において両外相はア問題で権力移行期間の設定と選挙実施へ向けた調整機関設置について合意したと伝える(FBIS-S,9/13)。
DIA-503-1990-09-19-1アフガニスタン1990年09月19日1990年代ナジブラ大統領が国連事務総長特使ベノン・セバンの訪問を受け,国連による和平活動にに関する報告を聞く(KT,9/20)。
DIA-503-1990-09-19-2アフガニスタン1990年09月19日1990年代第45回国連総会でデクエヤル事務総長は,米ソ両国はア問題の選挙解決で合意したが,選挙期間のナジブラ大統領取り扱いで見解が相違したと報告(D,9/20)。
DIA-503-1990-09-22-1アフガニスタン1990年09月22日1990年代テヘラン放送,最近,クーデター計画を理由に6名の将軍が逮捕されたと報道(FBIS-N,9/24)。
DIA-503-1990-09-26-1アフガニスタン1990年09月26日1990年代AFP,カーブル・テレビ放送局近くで爆発事故が起き,軍が政府の主要機関の警護に当たっていると報道(FBIS-N,9/26)。
DIA-503-1990-09-26-2アフガニスタン1990年09月26日1990年代ナジブラ大統領,破壊活動に荷担したとして拘禁していたイラン人6名を釈放(FBIS-N,9/27)。
DIA-503-1990-09-27-1アフガニスタン1990年09月27日1990年代IUMA暫定政府情報省,ロシア共和国最高会議議長エリツィンからムジャヒディン・リーダーにモスクワ訪問の招待状が届けられた事実を認めたコミュニケを発表。同コミュニケは,招待状がエリツィン個人の考えによるのかモスクワの政策変更を意味するのか検討していることを明らかにする(FBIS-S,10/4)。
DIA-503-1990-09-29-1アフガニスタン1990年09月29日1990年代パ紙Pakistan TimesはIUMAリーダー(ヘクマティヤル=HI,ラバニー=JIA,ハーリス=イスラーム党ハーリス派-HI-K,サヤーフ=IIAA,ナビー=HIIA)がテヘランのムジャヒディンを交え,カーブル攻撃について協議中と報じる(FBIS-N,10-1)。
DIA-503-1990-10-03-1アフガニスタン1990年10月03日1990年代ア国Bakhtar通信,過去6カ月に反政府148グループ,計4万8422名が政府の国民和解政策に同意して戦闘を断念したと報道(KT,10/3)。
DIA-503-1990-10-03-2アフガニスタン1990年10月03日1990年代ア政府,エクアドル,ウルグアイ,ナミビアと外交関係を樹立する(KT,11/19)。
DIA-503-1990-10-04-1アフガニスタン1990年10月04日1990年代AFP,ムジャヒディンのタリン・コット(ア国中央部ウルズガン県都)占領を伝える。これはソ連軍撤兵後,最初の占領成功例である(FBIS-N,10-4)。
DIA-503-1990-10-05-1アフガニスタン1990年10月05日1990年代パ外相ヤークーブ・ハーンとソ連外相シェワルナゼ,ニューヨークのソ連代表部で会談。ア問題で両国は定期協議を増やすことで合意(D,10/6)。
DIA-503-1990-10-07-1アフガニスタン1990年10月07日1990年代AFP,カーブル南郊で政府軍とムジャヒディンが激しい攻防戦を展開中と報道(FBIS-N,10-9)。
DIA-503-1990-10-08-1アフガニスタン1990年10月08日1990年代在カーブル・イラン大使館,現金40万アフガニー,食料品10万アフガニー相当をマラライ母子病院に寄付(POT,11/19)。
DIA-503-1990-10-11-1アフガニスタン1990年10月11日1990年代ムジャヒディン,カーブルに攻撃をかける。ム側に75名の戦死者がでる(FBIS-N,10/12)。
DIA-503-1990-10-12-1アフガニスタン1990年10月12~14日1990年代約40名の著名なムジャヒディン司令官がパ国チトラル地方シャー・サリムで会議を開く。会議での主な合意事項は,(1)軍事行動での連携戦略を立てる,(2)ア全国を9行政区に分化する,(3)ムジャヒディン支配地の治安向上をはかる,(4)ペシャーワルとクエッタにムジャヒディンの活動を円滑にするための合同指令センターを設置する,である。この会議には「北部監視委員会」リーダーのアハマッド・シャー・マスード司令官(38歳)が出席したことと,パ国のア問題関係者が参列したことで注目された(Afgan Information Centre―Monthly Bulletin, No.115, 0ct. 1990)。
DIA-503-1990-10-12-2アフガニスタン1990年10月12~14日1990年代カーブル放送,カーブル市周辺での政府軍とムジャヒディンの攻防戦継続を報道(FBIS-N,10/15)。
DIA-503-1990-10-14-1アフガニスタン1990年10月14日1990年代ア「祖国党」副議長アブドゥル・モビンが,状況の変化に伴う党綱領と党活動方針の一部変更について語る。モビンによると,党は権力独占を放棄するだけでなく,社会・行政機構における指導的役割条項をも削除することになる(FBIS-N,10/17)。
DIA-503-1990-10-16-1アフガニスタン1990年10月16日1990年代アハマッド・シャー・マスード司令官,イスラマバードを訪問しパ大統領らと初接触。HI党首ヘクマティヤルとの協調をはかるとの条件でパ政府から軍事援助,資金獲得の約束を得る(AIC-Monthly Bulletin, No.115, 0ct .1990)。
DIA-503-1990-10-21-1アフガニスタン1990年10月21日1990年代IUMA暫定政府リーダー,ヘクマティヤルのHI本部に集合,IUMAの内部対立の克服と政治膠着状態脱却を協議(FBIS-N,10/22)。
DIA-503-1990-10-21-2アフガニスタン1990年10月21日1990年代暫定政府大統領モジャディディ,ナジブラ大統領の訪印時に接触したことを公明(FBIS-N,10/22)。
DIA-503-1990-10-21-3アフガニスタン1990年10月21日1990年代ナジブラ大統領,国連事務総長特使ベノン・セバンの訪問を受ける(KT,10/22)。
DIA-503-1990-10-25-1アフガニスタン1990年10月25日1990年代カーブル市内のパストニスウタン広場で爆発事故が発生,警戒体制が敷かれる(FBIS-N,10/26)。
DIA-503-1990-10-26-1アフガニスタン1990年10月26日1990年代対ア食糧援助等を協議するため,インド政府代表団がカーブルに到着(POT,11/28)。
DIA-503-1990-10-28-1アフガニスタン1990年10月28日1990年代AFP,「北部監視委員会」のマスード司令官とHI党首ヘクマティヤルがア国北部13県で来年3月21日までに選挙を実施して主導権争いに決着をつける約束を交わした旨を報道(FBIS-N,10/29)。
DIA-503-1990-10-28-2アフガニスタン1990年10月28日1990年代在カーブル・イラン大使館,ア赤月社に35万アフガニー相当額の食糧を寄付(POT,11/28)。
DIA-503-1990-11-03-1アフガニスタン1990年11月03日1990年代ア国軽工業・食糧品省とインド軽工業省との間で,インドの対ア小麦5万トン供与に関する議定書が交わされる(POT,11/29)。
DIA-503-1990-11-07-1アフガニスタン1990年11月07日1990年代第45回国連総会,自由で公正な選挙によるアフガン人政府の樹立を呼びかけたアフガニスタン決議を採択(KT,11/8,14)。
DIA-503-1990-11-07-2アフガニスタン1990年11月07日1990年代カーブル国際空港周辺がムジャヒディンの激しい攻撃を受け,同空港が一時閉鎖(FBIS-N,11/7)。
DIA-503-1990-11-09-1アフガニスタン1990年11月09日1990年代モハマッド・ザーヘル元国王,「アフガン委員会」設置を骨子とした和平案を公表(「参考資料3」参照)。
DIA-503-1990-11-10-1アフガニスタン1990年11月10日1990年代ナジブラ大統領,国民との直接接触キャンペーンを開始(KT,11/10)。
DIA-503-1990-11-15-1アフガニスタン1990年11月15日1990年代カーブル市でザーヘル元国王帰国を訴える大デモが起こる(FBIS-N,11/16)。
DIA-503-1990-11-15-2アフガニスタン1990年11月15日1990年代イラン紙Kayhanは,先週ア国の商業相がメシャドを訪問,イランとの国境貿易拡大に同意したと伝える(FBIS-N,12/11)。
DIA-503-1990-11-17-1アフガニスタン1990年11月17日1990年代IUMA暫定政府大統領モジャディディと再建相ラバニーがテヘランのシーア派ムジャヒディン「イスラム連合党」を訪問,「ア問題研究委員会」を設置する(FBIS-N,11/21)。
DIA-503-1990-11-19-1アフガニスタン1990年11月19日1990年代ナジブラ大統領が突如,ジュネーブに向かう(KT,11/20)。AFPは在カーブル西側外交筋の話として,ザーヘル元国王代理や反政府勢力と接触するが狙いと伝える(FBIS-N,11/20)。
DIA-503-1990-11-22-1アフガニスタン1990年11月22日1990年代イラン紙Kayhanは,テヘラン訪問中のIUMAリーダーとシーア派ムジャヒディンとがナジブラ大統領在任のままでも選挙を実施することで合意したこと,またイランのベラヤチ外相が米ソ合意の選挙実施案を受託するよう助言していると報ずる(FBIS-N,12/7)。
DIA-503-1990-11-23-1アフガニスタン1990年11月23日1990年代ナジブラ大統領,ジュネーブより帰国。復路,イランのメシャド空港に立ち寄る(FBIS-N,11/27)。
DIA-503-1990-11-26-1アフガニスタン1990年11月26日1990年代ナジブラ大統領,記者会見を行ない,ジュネーブで反政府勢力と接触したと言明(KT,11/28)。
DIA-503-1990-11-28-1アフガニスタン1990年11月28日1990年代ソ連外務省,ジュネーブでのナジブラ大統領と反政府勢力の接触はアフガン人同士の対話の始まりであると評価(FBIS-S,11/29)。
DIA-503-1990-11-29-1アフガニスタン1990年11月29日1990年代ナジブラ大統領,「平和戦線」集会で演説。ジュネーブ秘密接触のなかで対話の原則,選挙実施上の協定について協議したことやムジャヒディン穏健派との連合模索について言及(FBIS-N,12/3)。
DIA-503-1990-12-01-1アフガニスタン1990年12月01日1990年代パ紙Nationは,パ政府がモハマッド・ザーヘル元国王筋より,ナジブラ大統領は同筋に元国王が暫定政府の首班となれば大統領を辞任すると語ったとする情報を得ていると報道(FBIS-N,12/4)。
DIA-503-1990-12-01-2アフガニスタン1990年12月01日1990年代HI党首ヘクマティヤル,ア問題解決における元国王の役割を排除すると声明(FBIS-N,12/5)。
DIA-503-1990-12-02-1アフガニスタン1990年12月02日1990年代IUMA暫定政府,138名の選挙監視人をア国内20地方に派遣(FBIS-N,12/5)。
DIA-503-1990-12-03-1アフガニスタン1990年12月03日1990年代暫定政府首相サヤーフ,国連は実現不可能な和平案をムジャヒディンに強要するのはやめて,ムジャヒディンの立場を支援するよう呼びかけ(FBIS-N,12/5)。
DIA-503-1990-12-03-2アフガニスタン1990年12月03日1990年代ア国,ベネズエラと外交関係樹立(FBIS-N,12/13)。
DIA-503-1990-12-05-1アフガニスタン1990年12月05日1990年代暫定政府内相ユニス・バーリス,一般選挙実施に反対し暫定政府離脱を声明(FBIS-N & S,12/6)。
DIA-503-1990-12-05-2アフガニスタン1990年12月05日1990年代「アフガニスタン民主青年組織」が総会を開き,組織名を「アフガニスタン青年組合」と改称(KT,12/6)。
DIA-503-1990-12-07-1アフガニスタン1990年12月07日1990年代米国務省筋がパ紙Dawnに,米ソは近くア問題で武器支援停止合意に達しようと語る(D,12/8)。
DIA-503-1990-12-10-1アフガニスタン1990年12月10日1990年代米ヒューストンで,米ソ外相会談が始まる。
DIA-503-1990-12-11-1アフガニスタン1990年12月11日1990年代100台以上のソ連の石油輸送車がカーブルに到着する。パ紙Dawnによると,ア国内の石油値段は数週間で4倍に値上りしている(D,12/12)。
DIA-503-1990-12-11-2アフガニスタン1990年12月11日1990年代ナジブラ大統領,国民和解政策に同調する反国家活動者を赦免する政令を発布する(KT,12/12)。
DIA-503-1990-12-12-1アフガニスタン1990年12月12日1990年代ソ連紙Praudaが,米ヒューストンでの米ソ外相会談はア問題で共同声明を出さなかったものの,両国は自由選挙の実施,選挙実施暫定期間の設置,停戦,武器支援停止で合意に達していると伝える(FBIS-S,12/13;KT,12/13)。
DIA-503-1990-12-12-2アフガニスタン1990年12月12日1990年代ナジブラ大統領が「地雷摘出委員会」の設置と,同委員会メンバーを公表する(KT,12/13)。
DIA-503-1990-12-20-1アフガニスタン1990年12月20日1990年代HI党首ヘクマティヤルが「アフガン・ニュース・エージェンシー」に,ナジブラ大統領と元国王の合同代表より「元国王の役割は新政府樹立への橋渡し」とするメッセージが届いていると語る(D,12/22)。
DIA-503-1990-12-22-1アフガニスタン1990年12月22日1990年代ナジブラ大統領は「平和・団結・友好組織」が社会組織法にそぐわない組織だと規定して,同組織の解散を命ずる(KT,12/23)。
DIA-503-1990-12-29-1アフガニスタン1990年12月29日1990年代米国務省筋がパ紙Dawnに,米国はソ連の国内危機を鑑み,ア問題解決のイニシャチブをとらず成行きを見守ることにしていると語る(D,12/30)。
DIA-503-1991-01-01-1アフガニスタン1991年01月01日1990年代外務省における祖国党(旧称「アフガニスタン人民民主党(PDPA)」)結党26周年記念式典でナジブラ大統領が演説,国民和解政策の推進,党内民主化の徹底,反政府勢力との無条件対話の推進,党基盤拡大のための選挙実施の検討を訴える(POT,1/29)。
DIA-503-1991-01-01-2アフガニスタン1991年01月01日1990年代訪ア中のインドのS・スワミー商業相がナジブラ大統領と会談したほか,ザキム・シャー商業相と合弁事業を含めた商業・技術・経済協力拡大について協議,覚書を交わす(POT,1/29)。
DIA-503-1991-01-02-1アフガニスタン1991年01月02日1990年代ナジブラ大統領がマス・メデア代表と会見,政府の達成事項と国民の意見・要望・願望を的確に報道に反映させるよう要請する(POT,1/29)。
DIA-503-1991-01-04-1アフガニスタン1991年01月04日1990年代国連人権委員会メンバーのフェリック・エルマコラ氏が,カーブル市郊外のプル・チャルキー監獄を視察する(POT,1/30)。
DIA-503-1991-01-04-2アフガニスタン1991年01月04日1990年代国連事務総長のア問題特使ベノン・セバンが訪ア,ア国外相に政治解決の進捗状況を伝える(POT,1/30)。
DIA-503-1991-01-07-1アフガニスタン1991年01月07日1990年代パ首相ナワズ・シャリフとペシャーワルのムジャヒディン(反政府ゲリラ)IUAM7派党首がイスラマバードで会談,アメリカの対ムジャヒディン援助停止後の対応について協議。パ首相はムジャヒディンに対する武器・経済援助の継続を確約,ムジャヒディンはIUAM暫定政府の早期承認を要請する(D,1/8)。
DIA-503-1991-01-07-2アフガニスタン1991年01月07日1990年代ナジブラ大統領,アブドル・ワヒード・ソラビー博士を副大統領に任命する(→4/8,DRRN,1/10)。
DIA-503-1991-01-08-1アフガニスタン1991年01月08日1990年代IUMA暫定政府の大統領事務所にアメリカとサウジアラビアの駐パ大使が訪問,モジャディディー同政府大統領とア問題に関して協議する(MNB,2/1)。
DIA-503-1991-01-10-1アフガニスタン1991年01月10日1990年代ア政府紙Kabul Timesによると,イランの赤月社(イスラム版の赤十字社)がア国赤月社に6000万リアルの救済援助を行なう(POT,1/31)。
DIA-503-1991-01-10-2アフガニスタン1991年01月10日1990年代ナジブラ政権のハリキュアル首相が民間人経済協議会との定例会で,民間貿易商の国民経済に果たしてきた貢献を評価,今後は外国投資を導入した各種の経済活動にも取り組むよう促す(POT,2/1)。
DIA-503-1991-01-12-1アフガニスタン1991年01月12日1990年代ア国南部カンダハールで,ムジャヒディン「イスラム党」(HI)のアサドラー司令官が国際赤十字社職員4人(スイス人)を捕縛する(AN,3/1)。
DIA-503-1991-01-15-1アフガニスタン1991年01月15日1990年代国民和解政策施行4周年を記念して,ナジブラ大統領は権力空白の危険性を強調する一方,パキスタンに現実主義に根ざした平和共存と経済協力関係の樹立を呼びかける(DRN,1/24)。なお同大統領はこの日,脱走・懲役拒否等で逃亡中の人々が3月21日までに出頭すれば恩赦を与える旨の大統領令を布告(POT,2/2)。
DIA-503-1991-01-20-1アフガニスタン1991年01月20日1990年代ハリキュアル首相が民間輸送業組合長と事業主を集め,カーブル市への小麦,日常必需品の搬入の必要性を訴える(POT,2/16)。
DIA-503-1991-01-23-1アフガニスタン1991年01月23日1990年代ムジャヒディン暫定政府がスーダンのハルツームに大使館を開設(AN,2/1)。
DIA-503-1991-01-24-1アフガニスタン1991年01月24日1990年代国連難民高等弁務官(UNHCR)が本年度のアフガン難民支援を4億3200万ルピーとすることでパ政府と合意。この金額はUNHCRの本年度パ国内難民援助総額約5200万米㌦の一部(D,1/25)。
DIA-503-1991-01-24-2アフガニスタン1991年01月24日1990年代IUAM暫定政府は財政逼迫を理由に,政府機関雇用総数約8000人のうち下級被雇用者4000人を解雇する(MB,No.118)。解雇に不満の多数のアフガン人が暫定政府本部周辺で反対デモを行ない,政府指導者批判と元国王賛辞のスローガンを叫ぶ(MB,No.119)。
DIA-503-1991-01-24-3アフガニスタン1991年01月24日1990年代「アフガニスタン平和戦線」がカーブルで湾岸戦争の早期終結を訴えるデモを組織する(DRN,1/28)。
DIA-503-1991-01-24-4アフガニスタン1991年01月24日1990年代ムジャヒディン「アフガニスタン解放イスラム同盟(IIAA)」党首サヤーフ(IUAM暫定政府首相)は,サウジアラビアとクウェートの支配者が湾岸戦争勃発後に40億㌦の対ソ援助を供与する「間違った政策」を決定し,アフガン人の「聖戦」に重大な打撃を与えたと非難,一方「アフガニスタン救国国民戦線(JMNA)」党首モジャディディー(同大統領)はクウェートからのイラク軍撤兵を訴える(DRN,1/24)。
DIA-503-1991-01-27-1アフガニスタン1991年01月27日1990年代TASSがパ紙Frontier Postの記事を引用して,ムジャヒディン暫定政府はアメリカとサウジアラビアの支援金削減(80%)にともない,活動を大幅に縮小したと伝える(DRS,1/29)。
DIA-503-1991-01-28-1アフガニスタン1991年01月28日1990年代テヘラン放送が,「パストー暫定政府」(IUAM暫定政府の意)は湾岸戦争の煽りを受けて,アメリカとサウジアラビアから過去6カ月で150万㌦の援助しか得られなかったと報道(DRN,1/30)。
DIA-503-1991-01-29-1アフガニスタン1991年01月29日1990年代ア外務省がスーダン政府のムジャヒディン暫定政府大使館開設措置を非難する(DRN,1/30)。
DIA-503-1991-02-02-1アフガニスタン1991年02月02日1990年代ア国北東部に地震発生,数千の死傷者がでる。
DIA-503-1991-02-05-1アフガニスタン1991年02月05日1990年代ア国営Bakhtar通信が,1月末ア国南部を襲った大洪水で数千家族に被害がでたと報道(FT,2/6)。
DIA-503-1991-02-05-2アフガニスタン1991年02月05日1990年代ア国のワキール外相がモスクワを訪問,ベススメルトヌイフ・ソ連外相と初会見。両外相は,自由で民主的な選挙を実施し大衆基盤を持った政府を編成する方向でア問題の政治解決を図ると表明する(POT,3/6)。
DIA-503-1991-02-08-1アフガニスタン1991年02月08日1990年代ムジャヒディン「アフガニスタン救国国民戦線」(JMNA,党首・モジャディディー),「アフガニスタン国民イスラム戦線」(MMIA,党首・ギラニー),「イスラム党ハーレス派」,(HI-K,党首・ハーレス)が「聖地防衛目的」を掲げ310人のムジャヒディンをサウジアラビアに派遣する。なお「イスラム協会」(JIA,党首・ラバニー)と「アフガニスタン解放イスラム同盟」(IIAA,党首・サヤーフ)の2党は「連合軍支援の証と解釈される」,また「イスラム党」(HI,党首・ヘクマティヤル)は「アフガニスタンに対する裏切り行為になる」との理由から,ムジャヒディンのサウジアラビア派遣を拒否する(MNB,3/1;MB,No.119)。
DIA-503-1991-02-09-1アフガニスタン1991年02月09日1990年代ナジブラ大統領が5人の新閣僚を発表する。アブドール・サマッド・サリーム(経済担当副首相),ムハマッド・アンワール・アルガンディワル(社会・文化担当副首相),グーラム・ムハユディン・シャバーズ(計画相),モハマッド・ナジール・シャヒディー(統計相),ワディール・サフィー(民間航空相)。新閣僚はすべて海外留学(アメリカ,西ドイツ,トルコ)の経歴を持つ。統計,航空の各相は非祖国党員(POT,3/9)。
DIA-503-1991-02-09-2アフガニスタン1991年02月09日1990年代8日インドを訪問したアブドール・ワキール外相は90年秋に合意した借款ベース5万㌧の小麦の無償化切り替えをインド政府に要望,同意を得る(POT,3/9)。
DIA-503-1991-02-09-3アフガニスタン1991年02月09日1990年代92年3月までにソ連が6万㌧の小麦をア国に無償供与する旨の議定書を交わす(POT,3/9)。
DIA-503-1991-02-09-4アフガニスタン1991年02月09日1990年代ア国営Bakhtar通信は,本年度(90年3月開始)初めからのゲリラ勢力間抗争は指導者格100人を含む約3000人を死に追いやったと報道(POT,3/6)。
DIA-503-1991-02-13-1アフガニスタン1991年02月13日1990年代11日に訪パしたY・シャリポフを長とするソ連最高会議代表団一行が,パ議会人とムジャヒディンに拘束されているソ連兵捕虜釈放問題を討議。パ議会人は協力を約す(D,2/14)。
DIA-503-1991-02-14-1アフガニスタン1991年02月14日1990年代アハマッドザイ,スレイマンケルなど7部族の長老700人近くが「アフガニスタン救国国民戦線」(党首・モジャディディー)本部前に集合,ムジャヒディンの勢力抗争による知識人,部族長老,司令官の殺傷行為を停止するよう要請,また紛争解決は伝統的な制度を復活させることだと強調する(MB,No.119)。
DIA-503-1991-02-14-2アフガニスタン1991年02月14日1990年代「イスラム党」のへクマティヤル党首は,アメリカと連合軍のイラク攻撃を「ムスリムとイラクに対する露骨な侵略」と非難すると同時に,連合軍に参加したアフガン人は聖戦を放棄したのでムジャヒディンとはいえず,「ザーヘル国王支持者の送りだした傭兵」にすぎないと発言する(DRN,2/15)。
DIA-503-1991-02-15-1アフガニスタン1991年02月15日1990年代ソ連軍撤兵2周年のこの日,ナジブラ大統領は「祖国党」中央委員会を開催。党執行部が活動報告した後,政治局員で政権奪取以来カーブル市長を務めてきたアブドール・カリム・ミサックと,北朝鮮大使を務め,帰国を拒否したハシマトウラー・カイハニーを「党集団に分裂を招いた」として党から追放(D,2/17)。
DIA-503-1991-02-15-2アフガニスタン1991年02月15日1990年代IUAM暫定政府はソ連軍撤兵2周年を期して決議文を採択。ソ連の非合法政権支援停止を要求,外国の連合政権編成要求を拒絶(MB,No.119)。
DIA-503-1991-02-15-3アフガニスタン1991年02月15日1990年代ア政府は直接交流拡大を図るため,タジキスタン共和国政府にドゥーシャンベにあるア領事館の格上げ意向を伝える,(DRS,2/22)。
DIA-503-1991-02-18-1アフガニスタン1991年02月18日1990年代ナジブラ大統領がア南部のカンダハール地方を訪問。軍本部や知事府における演説のなかで,パ政府とのあいだでア問題解決とパ国との正常化について公式討議に入る用意ができていること,カーブル政権は国際監視のもとで全国選挙を実施する用意のあることを強調したほか(POT,3/25),ザーヘル元国王の支持者は市内に事務所を開設してもよいと明言する(MB,No.119)。
DIA-503-1991-02-23-1アフガニスタン1991年02月23日1990年代ア政府は国民和解政策実施4周年を記念した恩赦令(→1/15)をもとに,プル・チャリキー監獄とカーブル監獄より91人の監獄囚を釈放(POT,4/9)。
DIA-503-1991-02-24-1アフガニスタン1991年02月24日1990年代訪ア中のソ違経済通商使節団とア政府の間で,経済・通商に関する5文書が交換される。文書は,国連難民帰還計画のソ連分担分金支払い,サラン峠トンネルの保守協力継続,1991年のア国の機械等購入代金の支払い時期延期を謳う(DRN,2/25)。
DIA-503-1991-02-24-2アフガニスタン1991年02月24日1990年代ペシャーワルで活動している難民支援機関「スウェーデン委員会」の事務所内で爆弾がさく裂,ベテラン職員1人が死亡する(MB,No.119)。
DIA-503-1991-02-25-1アフガニスタン1991年02月25日1990年代「ア・ソ友好条約」締結70周年記念式典(2/28)に参列するため,「国際主義奉仕団」副議長を団長とするソ連最高会議代表団が訪ア(DRN,28)。
DIA-503-1991-02-26-1アフガニスタン1991年02月26日1990年代ペシャーワル郊外チャムカニーにおいてアフガン難民学生デモとパ警官隊が衝突,学生側に多数の負傷者がでる。デモは「イスラム党」(HI)によって組織され,アフガン人のサウジアラビア派遣,米軍のイラク攻撃を非難するスローガンを叫ぶ(DRN,2/26)。
DIA-503-1991-02-28-1アフガニスタン1991年02月28日1990年代ペシャワール郊外のチョルサダ街道上でサウジアラビアに支援隊を派遣したモジャディディー派(JMNA)とギラニー派(MMIA)がイラクの撤退を要求する学生デモを組織,一方,支援隊派遣に反対のヘクマティヤル派(HI)とラバニー派(JIA)も学生デモを組織,衝突する。パ警官隊は37人の学生を逮捕(MB,No.119)。
DIA-503-1991-03-03-1アフガニスタン1991年03月03日1990年代「ア・ソ友好条約」締結70周年記念式典(2/28)に参列したロシア共和国最高会議使節団長ミハイロビッチが記者会見で,ア政府と経済・貿易・技術協力の拡大・強化について協議したことを明らかにし,ソ連はアフガン人を見捨てないと言明する(DRN,3/6)。
DIA-503-1991-03-04-1アフガニスタン1991年03月04日1990年代ロシア共和国の対外経済関係省次官ベラエフを団長とする経済協力使節団が訪ア(DRN,3/6)。
DIA-503-1991-03-05-1アフガニスタン1991年03月05日1990年代閣僚総会が1370(1991~92)年度財政教書を承認。教書は前年度見積比で歳入29.3%増,歳出3.4%増とし,歳入で国内収入47.5%増,外国援助51.7%増を期待,歳出を無料配給対象に砂糖,茶,石も加え全体で18.5%増と見積る(POT,5/14)。
DIA-503-1991-03-05-2アフガニスタン1991年03月05日1990年代パ政府ア難民総監部筋は,パ政府がア難民300万人のうちの相当数がパ内にとどまる見通しを明らかにする。理由として,難民リーダーの圧力,国内の不安定,パ側の経済・就労条件のよさを指摘(D,3/6)。
DIA-503-1991-03-05-3アフガニスタン1991年03月05日1990年代在イスラマバード米外交官は,湾岸戦争で中断されていたア問題に関する米ソの外相レベルの交渉が次交渉から再開されること,また米政府の本年度対ア人道援助額は約7900万㌦であることを言明(D,3/6)。
DIA-503-1991-03-11-1アフガニスタン1991年03月11日1990年代パキスタン人民党(PPP)総裁ベナジール・ブット(前首相)がペシャーワルで開催された「アフガニスタン・セミナー」で講演,米政府が91年以降対ア援助を停止すると注意を促していることを鑑み,パ政府は平和的な解決を追求すると同時に将来のカーブル政権と友好関係を樹立するのが得策と発言(D,3/12)。
DIA-503-1991-03-13-1アフガニスタン1991年03月13日1990年代ア政府はカーブルのパ外交ルートを通じて,パ政府にパ軍とムジャヒディンの大攻勢計画を中断させることを求めた覚書を渡す(DRN,3/14)。
DIA-503-1991-03-15-1アフガニスタン1991年03月15日1990年代ア国防相ワタンジャルが,16日から始まる「断食月」期間中の「休戦」を宣言,ムジャヒディンに呼応するよう呼びかける(DRN,3/18)。
DIA-503-1991-03-15-2アフガニスタン1991年03月15日1990年代ムジャヒディンがパ国境沿いのホースト駐屯地攻略を開始,補給路切断で成果を上げる(MNB,4/1)。
DIA-503-1991-03-19-1アフガニスタン1991年03月19日1990年代ワキール外相が国連事務総長に,パ軍のア侵略を停止させる措置をとるよう要請(DR-N,3/20)。
DIA-503-1991-03-19-2アフガニスタン1991年03月19日1990年代ソ連の「ア・ソ経済協力常設委員会」副議長ホスヤロフ一行が訪ア(POT,3/29)。
DIA-503-1991-03-20-1アフガニスタン1991年03月20日1990年代AFP電によると,ムジャヒディンがホーストの旧空港を占拠する(DRN,3/20)。
DIA-503-1991-03-20-2アフガニスタン1991年03月20日1990年代ナジブラ大統領は「新年の辞」のなかで,地方の指導者たちに「平和地帯」を宣言し,政府と合同行政機構を樹立するよう訴える(DRN,3/22)。
DIA-503-1991-03-21-1アフガニスタン1991年03月21日1990年代チュルキン・ソ連外務省スポークスマン,パ国に対ア干渉を止めるよう呼びかける(POT,5/29)。
DIA-503-1991-03-24-1アフガニスタン1991年03月24日1990年代ハリキュヤル首相が下院で,物価安定を狙った2500万㌦の日常必需品(料理油,茶,粉ミルク,薬,石)輸入を含む新年度(3/21開始)経済計画について演説(DRN,2/27)。
DIA-503-1991-03-26-1アフガニスタン1991年03月26日1990年代パストホフ在カーブル・ソ連大使が記者会見を行ない,ソ連は経済困難にあるものの対ア援助を削減することはない,また両国の本年の相互貿易量は5億ルーブル以上になると言及(DRS,3/27)。
DIA-503-1991-03-28-1アフガニスタン1991年03月28日1990年代ムジャヒディン「イスラム党」(HI)が,1月12日に逮捕した国際赤十字社職員3人を釈放。すでに1人は3月10日に釈放済み(DRN,3/29)。
DIA-503-1991-03-31-1アフガニスタン1991年03月31日1990年代ムジャヒディンがホースト市とホースト駐屯地を制圧する。政府軍は2200人の捕虜と約600人の死傷者をだす(DRN,4/1)。
DIA-503-1991-04-01-1アフガニスタン1991年04月01日1990年代ナジブラ大統領がラジオ放送を通じて,ホースト駐屯地との通信が不可能になったとし,4月2日を「全国服喪日」にすると宣言する(DRN,4/2)。
DIA-503-1991-04-01-2アフガニスタン1991年04月01日1990年代ムジャヒディンがホーストを管理する超党派の「23人委員会(シューラ)」を編成(DRN,4/1),
DIA-503-1991-04-01-3アフガニスタン1991年04月01日1990年代ア政府定例閣僚会議は物価安定と外貨獲得のため,輸入関税と輸出関税の一部撤廃を承認(DRN,4/2)。
DIA-503-1991-04-02-1アフガニスタン1991年04月02日1990年代パ政府はマイケル国連大使を通じて,国連事務総長にカーブル政権のホースト爆撃を停止させるための影響力を行使するよう要請するとともに,パ政府にア問題の政治的解決を図る強い意志と国連の和平努力に協力していく用意のあることを伝える(D,4/2)。
DIA-503-1991-04-02-2アフガニスタン1991年04月02日1990年代ホースト攻略を指揮したJ・ハッカニー司令官が記者会見し,ホースト陥落後の目標はホーストの保持とカーブルへの行進だと表明(DRN,4/4)。
DIA-503-1991-04-03-1アフガニスタン1991年04月03日1990年代ナジブラ大統領はAFPとのインタビューの中で,国連事務総長が提案した「ホーストの平和地帯化」はパ政府のア国土二分化論に荷担するものとして拒絶する(DRN,4/4)。
DIA-503-1991-04-03-2アフガニスタン1991年04月03日1990年代テヘランで活動しているシーア派ムジャヒディン「イスラム団結党」が,ペシャーワルに事務所を開設する(AN,5/1)。
DIA-503-1991-04-05-1アフガニスタン1991年04月05日1990年代AFP,ホースト陥落後に現地(国内)ムジャヒディンと亡命(ペシャーワル)ムジャヒディンの確執が表面化しつつあると報道(DRN,4/5)。
DIA-503-1991-04-05-2アフガニスタン1991年04月05日1990年代「イスラム党」ヘクマティヤル党首,ア紛争を早期終結させるため直ちに首都カーブルへ断固たる攻撃を仕掛ける必要があると主張(D,4/6)。
DIA-503-1991-04-06-1アフガニスタン1991年04月06日1990年代パ紙The Pakistan Timesは,ホーストを占領しているムジャヒディン軍事委員会がパクティア県のガルデス駐屯地を包囲するためカーブル南部隣県ロガール内の戦略地攻略を計画していると報じる(DRN,4/8)。
DIA-503-1991-04-07-1アフガニスタン1991年04月07日1990年代パ外務省スポークスマンが,ホーストの陥落はア問題の政治解決にプラス,パ政府は国連事務総長の政治解決努力を支持すると表明(DRN,4/8)。
DIA-503-1991-04-07-2アフガニスタン1991年04月07日1990年代AFP,ハリキュヤル首相らとのインタビューをもとに,ア経済の悪化を伝える。ア政府は財政赤字(5億4300万㌦,91年)を改善するため紙幣印刷を抑えている,今月アフガニーの対米ドル価値を531から586に切り下げた,財政の50%以上は戦費,外国援助はソ連の5億㌦と国連機関の6600万㌦のみ,貿易量は14億5000万㌦(85/86年)から9億㌦(90年)に低下(DRN,4/8)。
DIA-503-1991-04-08-1アフガニスタン1991年04月08日1990年代ア国民議会がスルタン・アリー・ケシュトモンド副大統領(パルチャム派古参党員)を解任した2月28日付け大統領令を追認。後任にアブドル・ワヒード・ソラビーが就任(→1/7)(DRN,4/9)。
DIA-503-1991-04-08-2アフガニスタン1991年04月08日1990年代パ外相シャハルヤル・ハーン,ア問題の政治解決を探るため,サウジアラビア,イラン,ソ連,アメリカとの接触に乗り出すと表明(FT,4/9)。
DIA-503-1991-04-10-1アフガニスタン1991年04月10日1990年代ホースト攻略を指揮したムジャヒディンのハッカニー司令官は,外交を通じた和平交渉は成果を上げるまで時間がかかりすぎる,またその間にナジブラ政権がムジャヒディンを攻撃しないとの保証がないことを理由に,パ政府の和平主導を拒否(DRN,4/11)。
DIA-503-1991-04-12-1アフガニスタン1991年04月12日1990年代ソ連紙Izvestiyaによると,ソ連のベススメルトヌイフ外相は国連事務総長宛の手紙で,今年をア問題解決の最終年にする意向を表明する(DRN,4/17)。
DIA-503-1991-04-12-2アフガニスタン1991年04月12日1990年代オレグ・バクラノフを長としたゴルバチョフ・ソ連大統領の特別使節団が訪ア。ナジブラ大統領らと最近の状況に関して意見交換し,ソ連は困難状況克服にできうる限りの援助をすると約束(DRN,4/19)。
DIA-503-1991-04-13-1アフガニスタン1991年04月13日1990年代AFP通信は,祖国党(前PDPA)古参党員のグーラム・ダストギール・パンシェリー(ハルク派),アブドル・カリム・イシャク,ハシマット・カイハニー(秘密警察副長官)がブルガリアに亡命したと報道する(DRN,4/15,5/8)。
DIA-503-1991-04-13-2アフガニスタン1991年04月13日1990年代ジュネーブでパ軍情報局(ISI)高官とア国家安全省(WAD)高官がア問題で意見交換(MB,No.121-22)。
DIA-503-1991-04-14-1アフガニスタン1991年04月14日1990年代ナジブラ大統領,逃亡軍人向け恩赦令の適応期澗を8月19日まで延長する(DRN,9/14)。
DIA-503-1991-04-14-2アフガニスタン1991年04月14日1990年代ナジブラ大統領は米ソ両国大統領に「ジュネーブ合意」3周年祝賀メッセージを送り,パ国のア国干渉を停止させるための圧力をかけるよう要請(DRN,4/15)。
DIA-503-1991-04-20-1アフガニスタン1991年04月20日1990年代コナール県アサダバード市内の中心部で大爆発が発生,300人に及ぶ死者がでる。ムジャヒディンはスカッド・ミサイルによるものとしてナジブラ政権を非難,一方ナジブラ政権はムジャヒディンの派閥争いが原因と応酬する。爆発は「イスラム党」ヘクマティヤル派とサウジが支援してきたジャミウル・ラフマンの率いる「サラフィー」(ワハビー主義者)が主導権争いを展開していた只中で発生(MB,No.191-192)。
DIA-503-1991-04-25-1アフガニスタン1991年04月25日1990年代ア政府軍がカーブル南方50㌔地点のムジャヒディンの拠点,ラシカル・イッサーを制圧,ロガール県への通路を回復する。政府軍筋によると,ムジャヒディンは死者400人以上,負傷者約500人を出す(DRN,4/29)。ラシカル・イッサーは「イスラム党」(HI)の兵たん基地。防戦に「アフガニスタン解放イスラム同盟」(サヤーフ派)が協力する。
DIA-503-1991-04-25-2アフガニスタン1991年04月25日1990年代モジャディディーIUAM暫定政府大統領が,イスラム党のヘクマティヤル党首とアフガニスタン解放イスラム同盟のサヤーフ党首は暫定政府に反発,かつムジャヒディンの分裂を促していると非難(DRN,4/26)。
DIA-503-1991-04-26-1アフガニスタン1991年04月26日1990年代パ紙The Muslimによると,パ政府はソ連政府から近くア問題担当官ニコライ・コズイレフを訪パさせるとの連絡を受ける(DRN,5/1)。
DIA-503-1991-04-28-1アフガニスタン1991年04月28日1990年代訪ア中のウズベック共和国水資源省代表団,灌漑プロジェクト協力議定書を交わす(DRN,5/1)。
DIA-503-1991-04-29-1アフガニスタン1991年04月29日1990年代ヤクーニン駐パ・ソ連大使はパ紙The Muslimとのインタビューの中で,IUAMのサヤーフ首相が政治解決の障害になっていると発言(DRN,5/1)。
DIA-503-1991-05-04-1アフガニスタン1991年05月04日1990年代ア政府軍,ヘラート地方ゼンダジャン地区を重爆。重爆は国連の対難民支援物資貯蔵所を破壊したほか,3万人以上の難民を周辺地域とイラン国境沿いに排出(MB,No.123-124,DRN,6/11,18)。
DIA-503-1991-05-05-1アフガニスタン1991年05月05日1990年代ロシア共和国アルタイ自治区の訪ア団が,ビニール靴工場,マカロニ工場,綿加工工場建設協力に関する議定書を交わす(DRN,5/7)。
DIA-503-1991-05-05-2アフガニスタン1991年05月05日1990年代ユニス・ハーレスIUAM暫定政府内相がギラニー同法相がジュネーブでナジブラ政権と会談したこと,またラバニー同再建相が駐パ・ソ連大使と会見したことを非難して内相を辞任。ただしIUAMに留まることを約す(DRN,5/6)。
DIA-503-1991-05-05-3アフガニスタン1991年05月05日1990年代「イスラム党」系ANA通信が,「イスラム党」党首ヘクマティヤルと「イスラム協会」党首ラバニーが最近リビアのカダフィー大佐に会い,支援金供与を要請したと報道(DRN,5/6)。
DIA-503-1991-05-07-1アフガニスタン1991年05月07日1990年代ムジャヒディン筋が,過去4カ月で21人のソ連兵捕虜が肝炎で死亡したと発表(DRN,5/7)。
DIA-503-1991-05-09-1アフガニスタン1991年05月09日1990年代ワキール・ア外相がニューヨークからの帰路ドイツに寄り,ブランド元独首相,シェトリキン院内外交委員会議長らと会見(POT,6/24)。同外相は当地でモハマッド・ユスフ元ア首相(国王派)と接触(POT,8/22)。
DIA-503-1991-05-12-1アフガニスタン1991年05月12日1990年代New York Times紙は米政府高官の話として,ブッシュ政権が1992年度政府予算のなかに対ムジャヒディン支援金を計上していないと報道(IHI,5/13)。
DIA-503-1991-05-13-1アフガニスタン1991年05月13日1990年代ユリー・マナエンコフ・ソ連共産党中央委書記らが訪ア,ナジブラ大統領はじめ祖国党幹部と地域内の平和と安定について意見交換(DRN,5/14)。
DIA-503-1991-05-14-1アフガニスタン1991年05月14日1990年代ソ連外務省がアフガニスタン声明を発表し,ア国の紛争解決は国内の政治対話を前提に武器使用の放棄,公正な妥協,実際状況の考慮,対立者間利害の均衝を図って実現すべきだと強調する(DRS,5/15)。
DIA-503-1991-05-14-2アフガニスタン1991年05月14日1990年代ムジャヒディン「北部監視委員会」のマスード司令官らが,タハール県の行政町(ソ連国境20㌔地点)ホワジャ・ガルを占拠する(DRN,5/15)。
DIA-503-1991-05-16-1アフガニスタン1991年05月16日1990年代国連事務総長ア問題特使ベノン・セバンがパ大統領と会見し,ア問題を協議する(D,5/17)。
DIA-503-1991-05-17-1アフガニスタン1991年05月17日1990年代IUAM暫定政府のモジャディディー大統領,ナビー国防相,ラバニー再建相がア問題を協議するためテヘランを訪問(DRN,5/21)。
DIA-503-1991-05-17-2アフガニスタン1991年05月17日1990年代米ホワイトハウス高官がパ紙Dawnに,米政府は目下ア問題の早期解決の枠粗みを国連を通じて検討しており,進展すればこれにパ政府とムジャヒディンを巻き込む考えを示す(D,5/18)。
DIA-503-1991-05-20-1アフガニスタン1991年05月20日1990年代国連事務総長ア問題特使ベノン・セバンがア問題関係者との接触を終え,イスラマバードからニューヨークに向かう。パ情報筋によると,セバン特使はイスラマバードとカーブルの双方から臨時政府作りを推進するよう励まされたばかりか,ナジブラ大統領は暫定政府内の祖国党代表数優位の主張を取り下げ,ムジャヒディンと同数でもよいとの考えに替わり,他方のパ政府も臨時政府のムジャヒディン独占論を取り下げ,連合政府を受け入れる考えに替わる(D,5/21)。
DIA-503-1991-05-21-1アフガニスタン1991年05月21日1990年代デクエヤル国連事務総長,ア和平「5項目案」を公表。同案の骨子は,(1)ア国の主権・イスラム性の保持,(2)政体・経済体制等に関するアフガン人の自決権行使,(3)国民的政府の樹立に向けた「移行期間」の設定と選挙の実施,(4)武器供給停止合意,(5)難民帰還と国土再建への援助(「参考資料2」参照)(D,5/22)。
DIA-503-1991-05-22-1アフガニスタン1991年05月22日1990年代カーブル政権が,国連5項目和平案の支持を表明する(DRN,5/24)。
DIA-503-1991-05-22-2アフガニスタン1991年05月22日1990年代「イスラム党」(ヘクマティヤル派)と「アフガニスタン解放イスラム同盟」(サヤーフ)派が,ナジブラ政権との権力共有は不可能と国連和平案を拒絶する(MB,No.123-124)。
DIA-503-1991-05-23-1アフガニスタン1991年05月23日1990年代IUAM暫定政府が閣議を開催。国連和平案に言及しないで,聖戦とムジャヒディン政府樹立に向けた闘争継続の声明を出す(MNB,6/1)。
DIA-503-1991-05-23-2アフガニスタン1991年05月23日1990年代ソ連外務省が,ソ連には国連事務総長の示した原則に沿ってア問題解決の方法を探っていく用意ができているとの声明を出す(D,5/27)。
DIA-503-1991-05-26-1アフガニスタン1991年05月26日1990年代リアーズ・モラマッド・ハーン・パ外務省ア問題課長がア問題の予備討議をするためモスクワに向かう。討議のなりゆきで,ホースト問題で延期になったソ連ア問題専門官の訪パが実現化する見通し(D,5/26,27)。
DIA-503-1991-05-27-1アフガニスタン1991年05月27日1990年代ナジブラ大統領がカーブル放送を通じて,国連平和案を支持する演説を行なう。その中で,県知事・政府機関に反政府司令官の同意を取り付け,休戦を宣言するよう指示する(DRN,5/28)。
DIA-503-1991-05-31-1アフガニスタン1991年05月31日1990年代チュルキン・ソ連外務省情報部長が定期記者会見でパ外務省との討議結果に触れ,パ側はソ連兵捕虜の探索と釈放に協力すると確約,近い将来この問題で確たる成果を挙げる可能性があると言明(DRS,6/3)。
DIA-503-1991-06-02-1アフガニスタン1991年06月02日1990年代ア政府軍,タハール県のホワジャ・ガル町をムジャヒディンから奪回(→5/14)。
DIA-503-1991-06-04-1アフガニスタン1991年06月04日1990年代ソ連独立通信Interfaxによると,ア空軍戦闘機Su-25がソ連領空に入り,タジキスタン共和国のイシカシムスキヤ地区を爆撃,死者4人を出す(DRN,6/6)。
DIA-503-1991-06-05-1アフガニスタン1991年06月05日1990年代パ外務省スボークスマンが,パ・ソ両国はア問題の政治解決で同意しているものの,「権力移行期間」の内容で対立点を残していると語る(DRN,6/6)。
DIA-503-1991-06-06-1アフガニスタン1991年06月06日1990年代Kabul Times紙が祖国党機関誌『ポヨム』を引用して,ザーヘル元国王は選挙実施を協議する緊急会議(ジェルガ)を開催すべきだとの考えから帰国に関心を持っていると語る(POT,8/8)。
DIA-503-1991-06-07-1アフガニスタン1991年06月07日1990年代ア政府軍,カーブル西方ワルダック地方でムジャヒディン掃討作戦を展開(~17日)。同時期,ムジャヒディンと政府軍の攻防戦がロガール,ジョズヤン,ヘラート,ファラー,カンダハールの各地で発生する。
DIA-503-1991-06-07-2アフガニスタン1991年06月07日1990年代アクラム・ザギー・パ外務事務局長が訪米を前にして,再構築過程にあるパ外交の中でア問題は最優先事項にあり,平和の復元国民的政府の樹立,難民の帰還の問題解決を追求すると言明する(D,6/8)。
DIA-503-1991-06-11-1アフガニスタン1991年06月11日1990年代ナジブラ大統領,祖国党中央委臨時大会を開催。現在を転換期と規定,共和国防衛に政府の持つ全能力の傾注と防衛体制の強化を訴える(DRN,6/14)。
DIA-503-1991-06-11-2アフガニスタン1991年06月11日1990年代ア国営Bahktar通信はBBC放送を引用して,ザーヘル元国王がパ外務省とア問題を協議するため代理使節2名をパ国に派遣したと報道(POT,6/29)。使節は国王の甥スルタン・モハマッド・ガズィーとアブドル・サタル・シーラット元法相。使節団は今月はじめにパ国に到着し政府高官,各国外交官,ムジャヒディンと接触ののちカーブルに向かう(D,6/20;MB,No.123-124)。
DIA-503-1991-06-13-1アフガニスタン1991年06月13日1990年代Bakhtar通信が,過去1週間(5~11日)の戦闘でムジャヒディンは380人の死者と530人の負傷者を出したと報道(DRN,6/17)。
DIA-503-1991-06-17-1アフガニスタン1991年06月17日1990年代パ外務省の招きで訪パしたシーア派「イスラム団結党」のラフマトラー・モルタザビー同党スポークスマンは,国連和平案の選挙実施と外国干渉排除の項目を評価,またイランのラフサンジャニー大統領の提案したイラン,パキスタン,ムジャヒディンの三者会談開催を支持する(DRN,6/19)。パ外務省が団結党を招待したのは,スンニー派ムジャヒディンとの「合同委員会」(28人構成)設置を協議するため。
DIA-503-1991-06-17-2アフガニスタン1991年06月17日1990年代チュルキン・ソ連外務省情報部長が,外国のメディアの報じているソ連の対アSu-14戦闘機供与説を否定,ソ連は武器供与停止の方向での政治解決を望んでいると表明する(DRS,6/18)。
DIA-503-1991-06-17-3アフガニスタン1991年06月17日1990年代訪米中のザキー・パ外務事務局長がキミット米国務次官補と会い,ア問題で年内の選挙実施について意見交換する(D,6/17,18)。
DIA-503-1991-06-18-1アフガニスタン1991年06月18日1990年代AFPは在イスラマバード西側外交官の話として,ソ連が4月末から5月中旬のあいだ238機の輸送機をカーブル空港に飛ばし,ロケット砲,弾薬,燃料をカーブル政権に補給したと報道(DRN,8/16)。
DIA-503-1991-06-20-1アフガニスタン1991年06月20日1990年代EC(欧州共同体)が,国連事務総長の「ア和平5項目案」支持のコミュニケを発表(D,6/20)。
DIA-503-1991-06-20-2アフガニスタン1991年06月20日1990年代バブラック・カルマル前大統領が5年ぶりにモスクワから帰国。ナジブラ大統領が政治的配慮はないとAFP記者に語る。また今年4月に副大領統職を解任されたスルタン・アリー・ケシュトモンドも先週帰国,11日に開催された祖国党大会に出席(DRN,6/20)。
DIA-503-1991-06-20-3アフガニスタン1991年06月20日1990年代ペシャーワルのIUAM7派が国連和平案についての検討会を開く。訪パ中のシーア派「イスラム連合党」代表団は同会合に不参加(DRN,6/25)。
DIA-503-1991-06-20-4アフガニスタン1991年06月20日1990年代ジョン・ケリー米国務次官補(中東・南アジア地域担当)が下院外交問題分科委員会の公聴会で,米政府のア政策は目ざましい変化を遂げ,ソ連と紛争者への武器供与停止を協議していると語る。同次官補は,変化の理由にIUAM内部の不和を挙げる(D,6/22)。
DIA-503-1991-06-21-1アフガニスタン1991年06月21日1990年代ムハマッド・バルヤライ第一副首相(バブラック・カルマルの実弟),解任される(DRN,6/25)。
DIA-503-1991-06-21-2アフガニスタン1991年06月21日1990年代ムジャヒディン「北部監視委員会」がホワジェ・ガルを政府軍から奪回する(→6/2,AN,7/1)。
DIA-503-1991-06-30-1アフガニスタン1991年06月30日1990年代ファリッド・アハメッド・マズダック祖国党副議長はAFP記者に,カルマルと結託して問題を起こす党員を厳罰に処すと警告したと語る(DRN,7/1)。
DIA-503-1991-06-30-2アフガニスタン1991年06月30日1990年代ナジブラ大統領,ベノン・セバン国連特使と会見。セバンは大統領に国連事務総長の和平案の内容を説明するとともに各国の反応を紹介,一方のナジブラは国連に和平プロセスの加速化を要請(DRN,7/2)。
DIA-503-1991-06-30-3アフガニスタン1991年06月30日1990年代スイスのクラウス・ジャコビー外務担当国務相が訪ア。ワキール外相,親国王派の「国民救国会」会長モハメッド・アシュガルらと会見,「ジェルガ」(和平会議)ジュネーブ開催の可能性を探る(DRN,7/1)。
DIA-503-1991-07-01-1アフガニスタン1991年07月01日1990年代ベノン・セバン国連特使がイスラマバードに到着。記者会見で,ア問題が本年末までに決着する見通しを語る。また本年度国連難民帰還プロジェクト資金がこれまでに2億3200万㌦集まり,9400万㌦の不足があると語る(D,7/2)。
DIA-503-1991-07-02-1アフガニスタン1991年07月02日1990年代ファローク・アザムIUAM暫定政府教育相兼選挙委員会副委員長が,暫定政府の選挙実施遅延を理由に教育相等を辞任する(D,7/4)。
DIA-503-1991-07-02-2アフガニスタン1991年07月02日1990年代セバン国連特使がIUAM暫定政府と会見。暫定政府は国連和平案5項目のうち4項目は受け入れられるが,「移行期間,当事者対話,連合政府」頂目は受け入れ難いと表明(DRN,7/9)。
DIA-503-1991-07-02-3アフガニスタン1991年07月02日1990年代スイスのジャコビー外務担当国務相がイスラマバードに到着。IUAM指導者,亡命知識人らと接触し,スイスの和平計画を訴える(DRN,7/5,8)。
DIA-503-1991-07-02-4アフガニスタン1991年07月02日1990年代訪パ中のシーア派「イスラム団結党」代表団は,対話にナジブラを含めるとの一項目を除くと国連和平案を受け入れることができると表明。また元国王ザーヘルの政治的役割を拒絶する(DRN,7/9)。
DIA-503-1991-07-02-5アフガニスタン1991年07月02日1990年代王党派知識人アブドル・ラビム・チンザイが,ペシャーワル効外で誘拐される(MB,No.123-124)。
DIA-503-1991-07-03-1アフガニスタン1991年07月03日1990年代テヘランのJomhuri-ye Eslami紙がア問題についての論評を掲載し,アメリカとその連合国は「親西欧」勢力(元国王)を政権の座につけようとしていると非難,外国はアフガン人が協調点を見出すまで干渉すべきではないと主張する(DRN,7/18)。
DIA-503-1991-07-07-1アフガニスタン1991年07月07日1990年代イギリスの難民支援団体で働いていた米市民2名が,ガズニー地方で誘拐される(DRN,7/19)。
DIA-503-1991-07-10-1アフガニスタン1991年07月10日1990年代ア国営Bahktar通信は政府軍の報告もともに,7月初旬のカーブル,ワルダック,カンダハール,ヘラート,バドギー,ジョズジャンその他の地域で展開された戦闘で,ムジャヒディン側に1250人以上の死傷者が出たと報道する(DRN,7/15)。
DIA-503-1991-07-10-2アフガニスタン1991年07月10日1990年代アクラム・ザキー・パ外務事務局長がペシャーワルでIUAM暫定政府指導者と会見,政治解決に協力するよう勧誘する(D,7/11,18)。
DIA-503-1991-07-14-1アフガニスタン1991年07月14日1990年代「イスラム党」(ヘクマティヤル),「イスラム協会」(ラバニー),「アフガニスタン解放イスラム同盟」(サヤーフ)の3党が国連等の連合政権構想に反対するアラビア語の声明を発表。イスラム協会メンバーはAFPに声明はアラブのイスラム同胞団の圧力によって出されたものと語る(DRN,7/15)。
DIA-503-1991-07-15-1アフガニスタン1991年07月15日1990年代ムジャヒディン「北部監視委員会」が,バダフシャン地方のゼバックを再占拠(DRN,7/17)。
DIA-503-1991-07-17-1アフガニスタン1991年07月17日1990年代今月5日にザーブル地方でムジャヒディンに拘束された,フランス人農業プロジェクト技術者が解放される(DRN,7/18)。
DIA-503-1991-07-17-2アフガニスタン1991年07月17日1990年代国際赤十字委員会は,スタッフを巻き込む事件が多発していることを理由に,ア国の西部と北部における同委員会の活動をすべて中止する(DRN,D,7/18)。
DIA-503-1991-07-17-3アフガニスタン1991年07月17日1990年代ア国のケシュトモンド前副大統領,祖国党から脱党する。脱党理由は,祖国党内の民主主義の欠如と集団指導体制の不在(D,7/20)。
DIA-503-1991-07-20-1アフガニスタン1991年07月20日1990年代先月20日帰国したバブラック・カルマルがAFP記者に,ア紛争とソ連の介入に対する責任は自分だけのものでなく関係者全員の責任,帰国は祖国に平和をもたらすためだ,と語る(DRN,7/24)。
DIA-503-1991-07-23-1アフガニスタン1991年07月23日1990年代ア北東部バダフシャン県のファイザバード周辺で政府軍とムジャヒディンの戦闘が激化,当地で活動中の国連諸機関が活動中断を宣言(DRN,7/24)。
DIA-503-1991-07-28-1アフガニスタン1991年07月28日1990年代ナジブラ大統領の懐刀といわれてきたファリッド・ザリーフ国際問題課長が降格。ワキール外相との対立が原因とされる(DRN,7/29)。
DIA-503-1991-07-28-2アフガニスタン1991年07月28日1990年代ムジャヒディン「北部監視委員会」が,タハール県のロスタックを占拠する(DRN,7/29)。
DIA-503-1991-07-28-3アフガニスタン1991年07月28日1990年代ムジャヒディンがカーブル郊外スロビー地区の送電施設を攻撃,市内が一時停電となる(DRN,7/30)。
DIA-503-1991-07-29-1アフガニスタン1991年07月29日1990年代イスラマバードで,パキスタン,イラン,ムジャヒディンの「三者会談」が開催される。出席者はザキー・パ外務省事務局長,ベラヤティー・イラン外相,スンニー派とシーア派の9党首。「イスラム党」ハレース党首は欠席(D,7/30)。
DIA-503-1991-07-30-1アフガニスタン1991年07月30日1990年代「三者会談」が終了,共同声明を読み上げる。声明は会談を解放闘争史の転換点と位置づけ,カーブルの非合法政権の否定と選挙によるイスラム政府の樹立,国連事務総長の和平案評価,テヘランでの「三者会談」8月開催を謳う。なお「イスラム党ハーレス派」党首ハーレスと「アフガニスタン解放イスラム同盟」党首サヤーフは会談をボイコット(D,DRN,7/31)。
DIA-503-1991-08-01-1アフガニスタン1991年08月01日1990年代「イスラム党」ヘクマティヤル党首が,「三者会談」におけるベラヤティー・イラン外相のナジブラ排除呼びかけを聖戦の勝利と表明(DRN,8/2)。
DIA-503-1991-08-03-1アフガニスタン1991年08月03日1990年代任期終了を間近に控えたパ国軍のミルザ・アスラム・ベグ参謀総長が,「三者会談」の共同声明を賞賛するとともに,急変する国際政治のなかでパ国は孤立してはならないと強調する(D,8/4)。
DIA-503-1991-08-04-1アフガニスタン1991年08月04日1990年代国内司令官「ムジャヒディン・イスラム戦線」代表10人がベノン・セバン国連特使とイスラマバードで会見,国連和平案を支持する旨を伝える(D,8/5)。
DIA-503-1991-08-08-1アフガニスタン1991年08月08日1990年代訪ア中のタジキスタン共和国代表団が,経済・教育関係協力議定書を交換する(DRN,8/7,9)。
DIA-503-1991-08-08-2アフガニスタン1991年08月08日1990年代スイス国際赤十字社員が,カーブル北方で武装ゲリラに襲われ誘拐される(DRN,8/9)。
DIA-503-1991-08-09-1アフガニスタン1991年08月09日1990年代イスタンブールで開催中の「イスラム外相会議」が,アフガン人の自決権支持と国連事務総長の和平努力支援を盛り込んだ決議案を採択(DRN,8/9)。
DIA-503-1991-08-10-1アフガニスタン1991年08月10日1990年代ソ連紙Komsomolskya Pravdaがソ連国境地区機関紙Dzerzhinetsの統計をもとに,ア空軍は過去6カ月に47回以上の国境を犯したと報道(DRN,8/14)。
DIA-503-1991-08-11-1アフガニスタン1991年08月11日1990年代ニコライ・コズイレフ・ロシア共和国外相を長とするソ連外務省ア問題交渉一行3名がイスラマバードに到着,パ外務省高官と協議に入る(FT,8/12)。
DIA-503-1991-08-12-1アフガニスタン1991年08月12日1990年代パ・ソ高官のア問題協議終了。協議は国連和平案を検討,パ側がアフガン人対話の最終段階でナジブラ大統領は排除されるべきだと主張,他方のソ側はナジブラ大統領の実効支配の現実を尊重すべきだと主張して,物別れに終わる(D;DRN,8/13)。
DIA-503-1991-08-12-2アフガニスタン1991年08月12日1990年代ムジャビディンが,ソ連兵捕虜1人をコズイレフ・ソ連訪パ団に引き渡す(D,5/13)。
DIA-503-1991-08-12-3アフガニスタン1991年08月12日1990年代ナジブラ大統領が90年12月発刊した隔週紙Azadi(自由)の発行を禁止,編集長グーラム・ガイラットを逮捕する(釈放→8/26)(DRN,8/13)。
DIA-503-1991-08-12-4アフガニスタン1991年08月12日1990年代ハリキュアル首相が閣僚会議で直面している経済困難の打開策を説明し,小麦,石油製品等の追加購入交渉団をソ連に派遣する意向を表明(DRN,8/13)。
DIA-503-1991-08-13-1アフガニスタン1991年08月13日1990年代AFPは,ムジャヒディン「北部監視委員会」とソ連国境警備員がアム河を越えた相互攻撃を控えることで合意したと報道(DRN,8/14,19)。
DIA-503-1991-08-14-1アフガニスタン1991年08月14日1990年代KGB国境警備軍V・ゼムトソフ少将,ムジャヒディンとの国境尊重合意を否定(DRS,8/15)。
DIA-503-1991-08-15-1アフガニスタン1991年08月15日1990年代ナジブラ政権,ソ連兵との交換要員として10人のムジャヒディン捕虜を釈放(D,8/16)。
DIA-503-1991-08-16-1アフガニスタン1991年08月16日1990年代ア政府軍,ムジャヒディン「北部監視委員会」の本拠地タロカンを爆撃する。爆撃は3日間続き,死傷者多数を出す(DRN,8/19)。
DIA-503-1991-08-17-1アフガニスタン1991年08月17日1990年代ナジブラ大統領が,法律文書の全てから「サウル革命」「アフガニスタン人民民主党」「首位政党組織」用語を削除する行政令を承認(POT,8/30)。
DIA-503-1991-08-18-1アフガニスタン1991年08月18日1990年代8月8日にゲリラに誘拐された,スイス国際赤十字社員が釈放される(DRN,8/19)。
DIA-503-1991-08-19-1アフガニスタン1991年08月19日1990年代「イスラム協会」党首ラバニーが訪問先のサウジアラビアでソ連の政変に関する声明を発表,政変はソ連の国内問題で新指導部に対ア干渉停止と両国関係史に新章を開くよう呼びかける(DRN,8/20)。
DIA-503-1991-08-19-2アフガニスタン1991年08月19日1990年代「イスラム党ハーレス派」党首ハーレスは,ソ連の政変でゴルバチョフの米国と結託したイスラム政府樹立阻止はついえ去り,米国はムジャヒディンヘの対応策を見直すだろうと言明する(DRN,8/20)。
DIA-503-1991-08-21-1アフガニスタン1991年08月21日1990年代「イスラム党」党首ヘクマティヤルは,テヘランでの「三者会談」への参加条件として,ムジャヒディンの統一見解の取りまとめと会談に出席するムジャヒディン代表選出を掲げる(DRN,8/25)。
DIA-503-1991-08-22-1アフガニスタン1991年08月22日1990年代ナジブラ大統領がゴルバチョフ大統領に復職を祝福するメッセージを送り,ナジブラ政権の国民和解政策への支援を訴える(DRN,8/23)。
DIA-503-1991-08-22-2アフガニスタン1991年08月22日1990年代ハリキュアル首相が定例閣議を開催。食糧相にインド政府の贈与小麦5万㌧の速やかな搬入と小麦15万㌧の緊急購入,また貿易相に民間貿易商の燃料の自由輸入・自由販売を奨励するよう指示(DRN,8/27)。
DIA-503-1991-08-22-3アフガニスタン1991年08月22日1990年代「イスラム党」ヘクマティヤル派はコナール地方におけるワハビー主義者の「サルフィー党」(党首・ジャマウル・ラフマン)との勢力争いに勝利を収め,同地方での主導権を奪回したと表明(DRN,8/23)。
DIA-503-1991-08-24-1アフガニスタン1991年08月24日1990年代ワタンジャル・ア国防相とユリ・アレケセイビッチ・ソ連外務省工学課長補佐が,友好・経済関係強化に関する議定書を交わす(DRN,8/26)。
DIA-503-1991-08-24-2アフガニスタン1991年08月24日1990年代パ政府ア難民総監部筋によると,政治解決の急迫と援助打ち切りを見越して,ア難民キャンプから約10万人の難民が姿をくらます。なお同総監部は,5月に難民支援従事者30%を解雇,現在は年末までの第二段階雇計画(30%)を推進中(D,8/25)。
DIA-503-1991-08-25-1アフガニスタン1991年08月25日1990年代モジャディディー・IUAM大統領は,ロシア共和国大統領ボリス・エリツィンのソ連政変劇でとった対応を勇気ある態度と称え,ア国の平和と自決権の回復にも精力を注ぐことを求めた手紙を送る(DRN,8/26)。
DIA-503-1991-08-26-1アフガニスタン1991年08月26日1990年代サウジアラビア情報長官トゥルキー・アル・ファイザル皇太子が訪パ,シャリフ・パ首相ならびにムジャヒディン指導者らと会見する。同長官はシャリフ首相に対してサウジ政府の政治解決支持を表明。またムジャヒディンに対して内紛の回避をうながす一方,聖戦と難民支援の継続を表明する(DRN,8/27;D,8/28)。
DIA-503-1991-08-27-1アフガニスタン1991年08月27日1990年代テヘランで「三者会談」がはじまる。「イスラム党」(HI),「イスラム党ハーレス派」(HI-K),「アフガニスタン解放イスラム同盟」(IIAA)は26日の声明(DRN,8/27)にもとづき会談をボイコット。
DIA-503-1991-08-29-1アフガニスタン1991年08月29日1990年代第2回「三者会談」(テヘラン)が終了,共同声明を発表。声明はアフガニスタンのイスラム性・非同盟性の回復,国連事務総長和平案の評価,モスクワとムジャヒディンの直接交渉の有意義性,イスラマバードでの第3回会談開催を謳う(D;DRN,8/30)。
DIA-503-1991-08-30-1アフガニスタン1991年08月30日1990年代ワハビー主義の「サルフィー党」党首ジャミウル・ラフマンがパ北部バジョールで暗殺される(D,8/31;DRN,9/3)。
DIA-503-1991-09-01-1アフガニスタン1991年09月01日1990年代ラバニーIUAM暫定政府外相が,ソ連と交渉に入る用意があると発言(DRN,9/3)。
DIA-503-1991-09-02-1アフガニスタン1991年09月02日1990年代ア国営テレビ放送は,ハリキュアル首相がトルコとブルガリアの駐カーブル大使に接触,食糧・燃料の供給代替国になるよう要請したと報道。8月政変後,ソ連の対ア小麦供給が途絶える(DRN,9/6)。
DIA-503-1991-09-03-1アフガニスタン1991年09月03日1990年代ソ連外務省南西アジア課が独立Interfax通信に,ア問題解決はソ連外交の優先課題となっており,同課は新接近方法を探求していると語る(DRS,9/4)。
DIA-503-1991-09-07-1アフガニスタン1991年09月07日1990年代ナジブラ政権,バルト3国の独立を承認。
DIA-503-1991-09-08-1アフガニスタン1991年09月08日1990年代ホーストにIUAM7派の司令長官約100人が集合,ガルデズ攻略に向けた「司令官シューラ」(作戦参謀部)を編成。攻勢開始日は秘匿(D,9/9)。
DIA-503-1991-09-09-1アフガニスタン1991年09月09日1990年代サウジアラビア放送が,訪パ中のサウジ国王特別使節(トルキー皇太子)が「サルフィー党」(親サウジ派)と「イスラム党」(ヘクマティヤル派)の対立を原状復帰の線で仲裁したと報道(DRN,9/10)。
DIA-503-1991-09-09-2アフガニスタン1991年09月09日1990年代ナジブラ大統領は祖国党中央委員会において,ソ連のクーデター未遂事件後,米ソの理解は深まり,反政府勢力が孤立することになったと語る(POT,10/10)。
DIA-503-1991-09-10-1アフガニスタン1991年09月10日1990年代8日に訪アしたソ連最高会議友好訪問団がナジブラ大統領に会見,人民代議員大会の決定にしたがいソ連の対ア援助は継続されると語る(DRN,9/11)。
DIA-503-1991-09-12-1アフガニスタン1991年09月12日1990年代テヘランでデクエヤル国連事務総長,ラフサンジャニー・イラン大統領,ハーン・パ大統領がア問題を協議。イ・パ両大統領は国連和平案を評価したものの,パ大統領は選挙でのナジブラ大統領排除と自発的辞任を強調する。この日,ムジャヒディン指導者のモジャディディー,ラバニー,モルタザイの三人がデクエヤル事務総長と会う(D,8/14)。
DIA-503-1991-09-13-1アフガニスタン1991年09月13日1990年代モスクワで米ソ両国外相がア問題に関する共同声明を発表,両国は国連事務総長の和平案を支持するとともに,各々の支援勢力に対する武器供与を92年1月1日以降全面停止することを宣言し,他の国々にも同様の措置をとることを求める(「参考資料3」を参照)(IHI,9/14-15)。
DIA-503-1991-09-13-2アフガニスタン1991年09月13日1990年代シャハルヤル・ハーン・パ外務次官,米ソ合意を歓迎。だが武器供与停止は,臨時政府の具体的な編成内容,明確な停戦期日,難民帰還への準備とパッケージで行なわれるべきものといったパ国の立場を強調(D,9/14,15)。
DIA-503-1991-09-13-3アフガニスタン1991年09月13日1990年代「イスラム党」(ヘクマティヤル派)と「イスラム協会」(ラバニー派),米ソ合意を歓迎(D,9/14)。
DIA-503-1991-09-13-4アフガニスタン1991年09月13日1990年代デクエヤル国連事務総長がジェッダ(サウジアラビア)を訪問,ファハッド国王らとア問題を協議(D,9/14)。
DIA-503-1991-09-14-1アフガニスタン1991年09月14日1990年代ナジブラ大統領が,米ソ合意を支持するメッセージを米ソ大統領に送る(DRN,9/16)。
DIA-503-1991-09-15-1アフガニスタン1991年09月15日1990年代ザーヘル元国王が米VOA放送のインタビューの中で米ソ合意を歓迎,しかし合意は和平への一要素にすぎず,肝心なのは「聖戦」の根本目標を達成することだと発言する(D,9/16)。
DIA-503-1991-09-15-2アフガニスタン1991年09月15日1990年代ナジブラ大統領が国営ラジオ,テレビ放送を通じて米ソ合意について演説,政府は国連和平案と米ソ合意に誠意をもって従うと強調したうえで,反政府勢力に対話開始前の停戦実施,元国王ならびに国王支持者の和平促進参加を呼びかける(DRN,9/17)。
DIA-503-1991-09-16-1アフガニスタン1991年09月16日1990年代ムジャヒディン各派,ナジブラ大統領の停戦呼びかけを拒否(DRN,9/17)。
DIA-503-1991-09-17-1アフガニスタン1991年09月17日1990年代カーブルで知識人14人が未登録の民主運動団体「アフガニスタンの団結,自由,民主運動」(MUFDA)の名乗りをあげる。主唱者は元左翼(SAZA)党員で隔週紙Azadi編集長グーラム・ガイラット。同氏は先月12日,ナジブラ大統領によって逮捕され,同月26日に釈放された(DRN,9/19)。
DIA-503-1991-09-18-1アフガニスタン1991年09月18日1990年代ナジブラ大統領は,PDPA政権が78年に剥奪したザーヘル元国王ならびに国王家族全員の市民権を復活する(DRN,9/19)。
DIA-503-1991-09-19-1アフガニスタン1991年09月19日1990年代在パ・ソ連大使館スポークスマン,ソ連政府はア情勢全般とソ連兵捕虜問題を討議するためモジャディディーIUAM暫定政府大統領をモスクワに招待しており,同大統領はこれを受託していると言明。訪問は1カ月内に実現される見通し(DRN,9/19)。
DIA-503-1991-09-19-2アフガニスタン1991年09月19日1990年代ア国営Bakhtar通信が,パ政府は湾岸戦争でイラクからサウジアラビアが接収した戦車300両をムジャヒディンに引渡す準備をしていると非難(DRN,9/24)。
DIA-503-1991-09-21-1アフガニスタン1991年09月21日1990年代「イスラム協会」ラバニー党首(暫定政府外相代行)が,「イスラム党」ヘクマティヤル党首,「イスラム党ハーレス派」ハーレス党首,「アフガニスタン解放イスラム同盟」サヤーフ党首にモスクワへの同行を強く促す(DRN,9/23)。
DIA-503-1991-09-23-1アフガニスタン1991年09月23日1990年代在テヘラン・ソ連大使グデフがシーア派「イスラム団結党」報道官モルタザビーと会見,同党の訪ソ団参加を促す(DRN,9/24)。
DIA-503-1991-09-25-1アフガニスタン1991年09月25日1990年代第46回国連総会に出席するためニューヨークを訪問中のパンキン・ソ連外相とザキー・パ外務事務局長が会談,双方はア問題で「特定の勢力・個人」を支援しないことで同意する(D,9/27)。
DIA-503-1991-09-25-2アフガニスタン1991年09月25日1990年代ナジブラ大統領が議会で,ハリキュヤル政府(カーブル),ムジャヒディン暫定政府(ペシャーワル),イスラム団結党(テヘラン),国内ムジャヒディン司令官委員会,ザーヘル元国王代表の5勢力による「国民連合暫定政府」樹立を提案(DRN,10/2)。
DIA-503-1991-09-26-1アフガニスタン1991年09月26日1990年代ハリキュヤル・ア首相が国連総会での演説で,和平促進のためナジブラ大統領は「自分の立場」(進退問題)を協識する用意ができていると示唆(D,9/27)。
DIA-503-1991-09-28-1アフガニスタン1991年09月28日1990年代シャリフ・パ首相とムジャヒディン指導者全員がイスラマバードで会談,モジャディディー暫定政府大統領が対国連使節団を引率することと,別途の使節団をモスクワに派遣することを決定する(D,9/29)。
DIA-503-1991-09-30-1アフガニスタン1991年09月30日1990年代IUAM暫定政府の対国連使節団がニューヨークに向けてペシャーワルを出発。団員はモジャディディーJMNA党首(団長),ギラニーMMIA党首,ナビーHIIA党首,ゼーシャンJI党首代理ほか6名(D,10/1)。
DIA-503-1991-09-30-2アフガニスタン1991年09月30日1990年代「イスラム党」のヘクマティヤル派とハーレス派が,パクテア州ガルデス(ナジブラ大統領の出身地)地域で大攻勢に出る(IHI,10/1)。
DIA-503-1991-10-01-1アフガニスタン1991年10月01日1990年代ニューヨークを訪問中のムジャヒディン使節団がパンキン・ソ連外相と非公開の会談を持つ(D,10/2)。
DIA-503-1991-10-02-1アフガニスタン1991年10月02日1990年代TASS通信は,ロシア共和国議会がコズイレフ同国外相にソ連兵捕虜問題を解決するためムジャヒディンと直接交渉するよう指示したと伝える(D,10/4)。
DIA-503-1991-10-03-1アフガニスタン1991年10月03日1990年代「イスラム協会」党首ラバニーが,ザーヘル元国王の過渡期政府大統領就任案を強く非難。一方,「イスラム党ハーレス派」党首ハーレスは元国王とハリキュヤル・ア首相の同大統領就任を拒否(DRN,10/4)。
DIA-503-1991-10-03-2アフガニスタン1991年10月03日1990年代ソ連独立Interfax通信は,コズイレフ・ロシア共和国外相がムジャヒディン使節団の来ソが10月後半になることと,ソ連側はあらゆる問題を討議し,成果を出すことを望んでいると語ったと伝える(DRS,10/7)。
DIA-503-1991-10-03-3アフガニスタン1991年10月03日1990年代アンワル・ドースト・ア政府食糧相はAFP通信記者に,ア政府がソ連の援助削減に伴う措置として民間の貿易商と契約を結び食糧・燃料の買付けを行なっている事実を明らかにする(DRN,10/3)。
DIA-503-1991-10-04-1アフガニスタン1991年10月04日1990年代アクラム・ザキー・パ外務事務局長がニューヨークで,ソ連は選挙実施期間におけるナジブラ大統領の参加主張を取り下げたように見えると語る(D,10/5)。
DIA-503-1991-10-04-2アフガニスタン1991年10月04日1990年代国連総会に出席したハリキュヤル・ア首相が帰路モスクワに立ち寄り,イワン・シラーエフ・ソ連経済特別委員会委員長と92年度の経済協力について協議,シラーエフは遅延分のジーゼル油10万㌧,ガソリソ70(7万?)㌧,航空機燃料5万㌧,小麦12万㌧を本年末までに供与すると確約する(DRS,10/7)。
DIA-503-1991-10-05-1アフガニスタン1991年10月05日1990年代「アフガニスタン解放イスラム同盟」,「イスラム党ハーレス派」「イスラム協会」「イスラム党ヘクマティヤル派」は,パンキン・ソ連外相の提案したハリキュヤル・ア首相との連合暫定政府編成を拒絶(D,10/6)。
DIA-503-1991-10-06-1アフガニスタン1991年10月06日1990年代ハリキュヤル・ア首相が,カーブル政府,反政府穏健派ゲリラ,ザーヘル元国王の三者の出席する和平会談が国連事務総長仲介の下で10月末か11月上旬に開催されることになると言明(IHI,10/7)。
DIA-503-1991-10-07-1アフガニスタン1991年10月07日1990年代先月17日にカーブルで名乗りをあげた「団結・自由・民主運動」(MUFDA)のメンバー5名が,運動に親国王性があると不満を述べて脱退(DRN,10/7)。
DIA-503-1991-10-08-1アフガニスタン1991年10月08日1990年代イシャック・ハーン・パ大統領がサウジアラビアを訪問。パ外務次官によると,ハーン大統領はファハド国王に政治解決の時期の訪れていることを説き,ファハド国王はパ政府の政治解決姿勢を支持する(D,10/10)。
DIA-503-1991-10-09-1アフガニスタン1991年10月09日1990年代サディック・カンジュ・パ外務担当国務相は訪問先のジェッダで,ザーヘル元国王がカーブル政府の呼びかけているジュネーブ三者和平会談に出席する意向を表明していると語る(D,10/10)。
DIA-503-1991-10-09-2アフガニスタン1991年10月09日1990年代パ政府筋は,外国のアフガン難民支援資金が激減したのにともない,パ政府が難民支援の財政困難に直面していることを明らかにする(D,10/10)。
DIA-503-1991-10-11-1アフガニスタン1991年10月11日1990年代ムジャヒディン筋が,ガルデス周辺の地下ざん壕からムジャヒディンの死体100体を掘り起こしたことを明らかにする(FT,10/11)。
DIA-503-1991-10-13-1アフガニスタン1991年10月13日1990年代パストクホフ駐カーブル・ソ連大使は,ニューヨークでパンキン・ソ連外相がムジャヒディン使節団にナジブラ大統領を排除した政府編成を示唆したとの報道は正しくないと語る(D,10/14;DRN,10/17)。
DIA-503-1991-10-13-2アフガニスタン1991年10月13日1990年代モジャディディーIUAM大統領は,IUAMの4組織リーダーが武力解決を主張したことに対し(→10/5),多数派の意見を考慮すべきだと反発,代替案として司令官,宗教学者,ムジャヒディン指導者,テクノクラート,カブールの善良なるイスラム教徒を含めた約250人の合同会議を来月にサウジアラビア,トルコ,スイスのいずれかで開催することを提案する(DRN,10/15)。
DIA-503-1991-10-14-1アフガニスタン1991年10月14日1990年代ナワズ・シャリフ・パ首相はIUAM指導者をイスラマバードに招き,ア問題の進捗状況を再検討する。会談後,IUAM暫定政府のモジャディディー大統領はこれまでの前提であったIUAM指導者の全会一致方式が無理な場合,多数決方式に切り替えて政治解決を推進したいとの希望を述べる(D,10/15)。
DIA-503-1991-10-15-1アフガニスタン1991年10月15日1990年代パ政府はムジャヒディン間の対立が深いことから暫定政府編成を断念し,選挙後はいかなる権力も望まないとする人々で構成される「管理政府」の編成を模索し始めた,とパ情報筋が語る(D,10/16)。
DIA-503-1991-10-16-1アフガニスタン1991年10月16日1990年代TASS通信によると,パンキン・ソ連外相がア国で行方不明になったソ連兵士の父母と会い,捕虜釈放が外交の優先課題になっていると強調(DRS,10/21)。
DIA-503-1991-10-20-1アフガニスタン1991年10月20日1990年代カーブル政府軍,ガルデズ,ジャララバードの両地域で戦略的優位性を回復する(DRN,10/22)。
DIA-503-1991-10-21-1アフガニスタン1991年10月21日1990年代1992年のソ・ア経済交流を定期協識するソ連経済使節団の訪アが,月末まで延期になる。これとの関連で,カーブルのソ連外交官は年間約1億8000万㌦に及ぶ対ア非軍事援助を続ける能力はソ連になくなり,商業貿易への切り替えをカーブル政権に打診している,とAFP記者に語る(DRN,10/21)。
DIA-503-1991-10-21-2アフガニスタン1991年10月21日1990年代ジンバブエの首都ハラレで開催中の英連邦首長会議が,国連事務総長のア和平案支持を決議(D,10/23)。
DIA-503-1991-10-22-1アフガニスタン1991年10月22日1990年代デクエヤル国連事務総長が国連総会に提出したア問題に関する報告書の中で,ナジブラ大統領が和平実現のために大統領自身の和平プロセス参加要求を取り下げた旨を示唆する(D,10/24)。
DIA-503-1991-10-24-1アフガニスタン1991年10月24日1990年代イスラマバードの首相官邸において,シャリフ・パ首相とIUAMの7リーダーが和平問題を協議する。パ情報筋によると,シャリフ首相はムジャヒディンにソ連のモスクワ訪問招待を受託するばかりか権限力をもった使節団を派遣はること,さらに国連事務総長の和平案に協調することを要請する。この会合にはサウジアラビア国王の代理として,トゥルキー皇太子(情報長官)が同席する(D;FT,10/25)。
DIA-503-1991-10-29-1アフガニスタン1991年10月29日1990年代IUAM暫定政府のモジャディディー大統領が記者会見で,暫定政府とパ政府のあいだに対立はなく,また暫定政府は同政府のラバニー外相代理(イスラム協会党首)を団長とした訪ソ使節団をモスクワに近く派遣すると言明(D,10/30)。
DIA-503-1991-10-29-2アフガニスタン1991年10月29日1990年代ソ連対外経済関係省代表団が1992年の経済関係の枠組みを検討する第10回「ア・ソ経済技術協力合同会議」に出席するためカーブルを訪問(→10/21),関係各省と協議に入る(DRN,10/31)。
DIA-503-1991-10-29-3アフガニスタン1991年10月29日1990年代ア閣僚会議は来月7日からカーブルの配給券保持者(政府雇用人)に対して,150㍑のジーセル油,50㍑の灯油を政府公定価格で配給すること,ナジブラ大統領の指示にしたがい来月2日から上級軍人に対して,小麦粉,料理油,石,茶,砂糖の無料配給を行なうことを決定する(DRN,11/5)。
DIA-503-1991-10-30-1アフガニスタン1991年10月30日1990年代サウジアラビアのファハッド国王がアフガニスタン再建基金として,10億ルピー(約4000万㌦)をIUAM暫定政府に寄付する(D,10/31)。
DIA-503-1991-10-31-1アフガニスタン1991年10月31日1990年代「イスラム党」党首ヘクマティヤルはソ連との対話条件として,(1)会合場所をモスクワ以外とする,(2)ムジャヒディンはソ連との会議に臨む前に共通の戦略と使節団の権限に関するコンセンサスをはかる,(3)ソ連はムジャヒディンと合意に達したのち和平プロセスに米国を巻き込まない保障をする,(4)議題を捕虜問題に限定しないで和平全般とする,を掲げる(D,11/1)。
DIA-503-1991-11-03-1アフガニスタン1991年11月03日1990年代「ア・ソ経済技術協力合同委員会」が1992年度の経済・貿易に関する識定書に調印。ただし具体的な数量に関する文書は後日に回される(DRN,11/5)。
DIA-503-1991-11-04-1アフガニスタン1991年11月04日1990年代ザーヘル元国王(77歳)が,ローマの邸宅内でポルトガル人ジャーナリストにナイフで襲われ,顔と腹部に刺し傷を負う(D,11/5)。
DIA-503-1991-11-05-1アフガニスタン1991年11月05日1990年代ムジャヒディンがジャララバード攻撃を再開。
DIA-503-1991-11-05-2アフガニスタン1991年11月05日1990年代「アフガニスタン解放イスラム同盟」(党首・サヤーフ)が,サウジアラビアとの関係を修復したと表明する(DRN,11/6)。双方の関係は湾岸戦争の時,同盟がサウジアラビアによる米軍受け入れに反対して以降,悪くなっていた。
DIA-503-1991-11-05-3アフガニスタン1991年11月05日1990年代ザーヘル元国王スポークスマンが,負傷後の元国王の回復状態は良好で,元国王はアフガン人のため「道徳的義務」を引き受ける用意があるとの声明をローマで読み上げる(IHI,11/6)。
DIA-503-1991-11-07-1アフガニスタン1991年11月07日1990年代ワハビー主義の「サラフィー党」が,コナール県アサダバードを「イスラム党」ヘクマティヤル派から奪回する(→8/22,9/9,DRN,11/8)。
DIA-503-1991-11-07-2アフガニスタン1991年11月07日1990年代ア政府と中国の水・電力省が,パロワン地方に小規模水力発電所を建設する議定書を交換(POT,12/24)。
DIA-503-1991-11-08-1アフガニスタン1991年11月08日1990年代ラバニー「イスラム協会」党首を団長としたムジャヒディン訪ソ団(計11人)がモスクワに向けてイスラマバードを出発。ヘクマティヤル,サヤーフ,ハーレスの3派は訪ソ団参加を拒否する(D,11/8)。
DIA-503-1991-11-11-1アフガニスタン1991年11月11日1990年代ムジャヒディン訪ソ団が,ロシア共和国ルツコイ副大統領と会談する。TASS通信等によると,ルツコイ副大統領はソ連兵捕虜釈放が政治解決を促進させると強調,一方の訪ソ団は同問題解決の条件としてナジブラ大統領の辞任とムジャヒディン捕虜の釈放を強調する。訪ソ団は午後,ソ連兵捕虜家族約100名と会見(D,11/12,DRS,11/12,13)。
DIA-503-1991-11-11-2アフガニスタン1991年11月11日1990年代AFP通信,カーブルで親国王派の動きが活発化していると伝える(DRN,11/12)。
DIA-503-1991-11-12-1アフガニスタン1991年11月12日1990年代パンキン・ソ連外相がムジャヒディン訪ソ団と会談。会談には,ウクライナ,ウズベキスタン,タジキスタン,トルクメンの各共和国代表が同席した。席上,パンキン外相はアフガン人の選挙で選ばれた政府をソ連は支持すると表明,またムジャヒディンとの接触を維持するため恒常的なソ連代表部をムジャヒディン側に派遣したいとの意向を伝える(DRS,11/13,14)。
DIA-503-1991-11-12-2アフガニスタン1991年11月12日1990年代ア国営Bakhtar通信,政府軍がムジャヒディンのジャララバード攻勢を撃退したと報道(DRN,11/14)。
DIA-503-1991-11-13-1アフガニスタン1991年11月13日1990年代親国王派「国民救国会」がカーブル市内で衝頭デモを行なったところ,政府「祖国党」過激派分子の妨害を受ける(DRN,11/15)。
DIA-503-1991-11-14-1アフガニスタン1991年11月14日1990年代ソ連ならびにロシア共和国の各副外相とムジャヒディン訪ソ団の実務作業班とが,「共同声明」作成に入る。作業は,ナジブラ体制に対する姿勢の違いと,ムジャヒディン側がソ連にソ連軍派遣の不法性を公式に認めるよう主張したことで難航する(DRS,11/15)。
DIA-503-1991-11-15-1アフガニスタン1991年11月15日1990年代ソ連とムジャヒディンのモスクワ会談が終了,共同声明を発表。声明の内容は,(1)アフガニスタンの全権力の「イスラム臨時政府」移行,(2)臨時政府成立後の2年以内に,国連協力下の選挙実施(3)ソ連の対カーブル体制向け武器,弾薬,航空機燃料の供与停止,(4)ソ連軍事顧問団の全面召還,(5)アフガニスタン再建への全面協力,(6)ソ連と現カーブル政権の締結した全条約の見直し,(7)ソ連のアフガニスタン派兵決定の不法性,(8)ソ連兵捕虜の釈放と同問題解決のための合同委員会設置,である(「参考資料4」参照)(D,11/17,DRN,11/18)。
DIA-503-1991-11-15-2アフガニスタン1991年11月15日1990年代ナジブラ政府がソ連・ムジャヒディン会談について声明を発表,政治解決を目指したあらゆる対話を歓迎するとした上で,モスクワ共同声明が国連和平5項目案と米ソの武器供与停止合意と同様にアフガン人の支持を得られるものと信じると表明する(DRN,11/18)。
DIA-503-1991-11-15-3アフガニスタン1991年11月15日1990年代ソ連独立Interfax通信は,ルツコイ・ロシア共和国副大統領が関係機関に対ア武器供与を即刻停止するよう要請したと伝える(DRS,11/18)。
DIA-503-1991-11-16-1アフガニスタン1991年11月16日1990年代カクラム・ザキー・パ外務事務局長は外国人記者クラブにおいて,ソ連・ムジャヒディンの5日間の討議が政治解決への突破口を開き,ナジブラ大統領の将来の役割を閉じたものと評価する(D,11/17)。
DIA-503-1991-11-16-2アフガニスタン1991年11月16日1990年代「アフガニスタン国民イスラム戦線」(党首・ギラニー)が,ムジャヒディン訪ソ団はロシアとの将来の関係をきずいたと高く評価(DRN,11/18)。
DIA-503-1991-11-16-3アフガニスタン1991年11月16日1990年代ア上院が臨時議会を開催,モハムード・ハビビー博士を長とする合同議会使節団を近隣イスラム国に近く派遣することを決議する(POT,92/1/1)。
DIA-503-1991-11-16-4アフガニスタン1991年11月16日1990年代アブドル・サマッド・サリーム・ア副首相とタジキスタン科学アカデミー代表団員ミルザエフの間で,科学協力・商業関係拡大協定を交わす(POT,92/1/1)。
DIA-503-1991-11-17-1アフガニスタン1991年11月17日1990年代ヘクマティヤル「イスラム党」党首が,有力ムジャヒディンの反対を押し切って訪ソした使節団の交わしたモスクワ共同声明はムジャヒディンに何らの影響も及ぼさないと表明(DRN,11/18)。
DIA-503-1991-11-17-2アフガニスタン1991年11月17日1990年代サルマディー・イラン外務省スポークスマンは,モスクワ共同声明を問題解決への「効果的な前進」と評価するとともに,国連事務総長の関与は「絶対必要」と強調する(DRN,11/18)。
DIA-503-1991-11-19-1アフガニスタン1991年11月19日1990年代ムジャヒディン訪ソ団,イスラマバード到着。
DIA-503-1991-11-19-2アフガニスタン1991年11月19日1990年代ムジャヒディンの訪ソをめぐリクエッタの難民キャンプ内で「イスラム党」ヘクマティヤル派支持者と「イスラム革命運動」ナビー派が衝突,死者4人,負傷者2人を出す(DRN,11/19)。
DIA-503-1991-11-20-1アフガニスタン1991年11月20日1990年代ソ連各紙は,ゴルバチョフ・ソ連大統領令によってアフガニスタンからソ連人顧問団とスカッド・ミサイル操縦士の召還が始まると報道(DRS,11/20)。
DIA-503-1991-11-20-2アフガニスタン1991年11月20日1990年代訪ソ団団長ラバニーがイスラマバードで記者会見し,ソ連とムジャヒディンの交わした共同声明がアフガン問題解決の基盤になると語る(D,11/21)。
DIA-503-1991-11-25-1アフガニスタン1991年11月25日1990年代カーブル地区ムジャヒディン司令官評議会は,イラン政府が過去3日間行なったバーミヤン地区での食糧投下は領空侵犯行為だと非難する(DRN,11/26)。
DIA-503-1991-11-25-2アフガニスタン1991年11月25日1990年代ムジャヒディン暫定政府は,ソ連との合意事項にある「ムジャヒディン・ソ連合同委員会」のムジャヒディン側チームを選任したとともに同事務所を開設することを決定したと発表(DRN,11/26)。
DIA-503-1991-11-26-1アフガニスタン1991年11月26日1990年代「イスラム党」ヘクマティヤル党首が,同党はアフガニスタンに平和が訪れるまで党の管理下にあるソ連兵捕虜を釈放しないと宣言する(DRN,11/26)。
DIA-503-1991-11-27-1アフガニスタン1991年11月27日1990年代トルクメニスタンとア国絨毯輸出組合が,経済協力議定書を交わす(POT,92/1/7)。
DIA-503-1991-11-27-2アフガニスタン1991年11月27日1990年代ワディール・サフィー民間航空相とインド民間航空相が,マザリ・シャリフ空港建設とインド航空のカーブル便再開について協議する(POT,92/1/8)。
DIA-503-1991-11-28-1アフガニスタン1991年11月28日1990年代「アフガニスタン国民イスラム戦線」,近くソ連兵2名を釈放すると表明(DRN,11/29)。
DIA-503-1991-11-29-1アフガニスタン1991年11月29日1990年代ファリッド・マズダック・ア政府副大統領が「祖国党」の組織強化と民主化を図るため下級細胞の選挙を実施しているとAFP通信に語る(DRN,11/29)。
DIA-503-1991-12-01-1アフガニスタン1991年12月01日1990年代AFP通信が在力ーブル西側外交官の話として,ソ連は財政逼迫のためアフガニスタンにおけるソ連外交官の数を大幅縮小するだろうと報道(DRN,12/2)。
DIA-503-1991-12-03-1アフガニスタン1991年12月03日1990年代パ国のハーン大統領ならびにシァリフ首相がIUAMリーダーとイスラマバードで会合,近く予定されているソ連・ムジャヒディンのイスラマバード会談について協議する。この会合に訪ソを拒否した「イスラム党」ヘクマティヤル党首が参加(DRN,12/4)。
DIA-503-1991-12-03-2アフガニスタン1991年12月03日1990年代パストクホフ駐ア・ソ連大使は,ソ連外交官削減に関するAFP報道を事実無根と否定する(DRS,12/4)。
DIA-503-1991-12-03-3アフガニスタン1991年12月03日1990年代「イスラム党ハーレス派」党首ハーレスがBBC放送とのインタビューの中で,飢餓救助の名目を盾にイラン政府はア国中央部ハザラジャードに恒常的な政治基盤を築こうと目論んでいると非難する(DRN,12/11)。
DIA-503-1991-12-04-1アフガニスタン1991年12月04日1990年代シーア派「イスラム団結党」中央委ユスーフ・バエズはイラン誌Resalatの中で,ア国中央部バーミヤン,ウルズガン地方で発生している食糧危機の原因が霜害,赤疫病,洪水にあると語る(DRN,12/20)。
DIA-503-1991-12-05-1アフガニスタン1991年12月05日1990年代イランIRNA通信はムジャヒディン筋の情報として,IUAM7派リーダーたちがIUAMを解体し,テヘランのシーア派「イスラム団結党」を取り込んだ「聖戦評議会」を設立することで合意したと伝える。一方,パ紙Frontier Postは,ザーヘル元国王を大統領に「イスラム協会」党首ラバニーを首相にした新暫定政府編成構想があると伝える(DRN,12/6)。
DIA-503-1991-12-05-2アフガニスタン1991年12月05日1990年代第46回国連総会がアフガニスタン決議を採択。決議は,国民的政府樹立に向けたアフガン人の対話開始の必要性を強調する一方で,国連事務総長に5月に公表した和平案に基づいた外交活動の継続を要請(D,12/7)。
DIA-503-1991-12-06-1アフガニスタン1991年12月06日1990年代ムジャヒディン主要勢力代表の参加したイスラマバードでの5日間会議が終了,ナジブラ政権に替わる臨時政府編成に関する「新方式」を採択する。新方式とは,20人構成の上院と350人構成の下院を編成するとし,上院にはスンニー勢力7派から各1人,シーア勢力2派から各1人,少数党連合から1人の計10人,残る10人を知識人,宗教学者(ウラマー),アフガニスタン国内の良きイスラム教徒,元外交官から選出する,他方の下院にはアフガニスタン各地から代表者を選出するというもの。また新方式は,上院が大統領を任命し,同大統領が上下両院の信任を得れば下院から首相を任命し,同じく上下両院の信任を得るものとしている。なおこの会議には,「イスラム党ハーレス派」ハーレス党首が参加していない(D,12/8)。
DIA-503-1991-12-06-2アフガニスタン1991年12月06日1990年代「ソ連アフガン友好協会」会長ユリー・インコフが訪ア,ハリキュヤル首相らを訪ねソ連の対ア経済,医療等協力の継続を約束する(DRN,12/10)。
DIA-503-1991-12-07-1アフガニスタン1991年12月07日1990年代ア国とウズベキスタンの運輸相が,旅客輸送協力に関する議定書を交わす(POT,92/1/8)。
DIA-503-1991-12-11-1アフガニスタン1991年12月11日1990年代パ紙Dawnは,ムジャヒディン暫定政府がパ政府の要請に応じて「イスラム・シューラ(議会)」(94人)の拡大と,拡大枠にカーブル政権の利害を代弁する6人を加えることを決定したと伝える(D,12/12)。
DIA-503-1991-12-15-1アフガニスタン1991年12月15日1990年代ソ連の対ア軍事援助が終了(DRN,12/16)。
DIA-503-1991-12-17-1アフガニスタン1991年12月17日1990年代ナジブラ大統領がソ連の武器供与停止措置にともなう秘密の「参謀会議」を召集。会議には内務省,秘密警察,祖国党の幹部が出席(DRN,12/17)。
DIA-503-1991-12-17-2アフガニスタン1991年12月17日1990年代ルツコイ・ロシア副大統領が,ア問題とソ連兵捕虜解放の問題を協識するため,イラン,パキスタン,アフガニスタン三国訪問の途に着く(DRS,12/18)。
DIA-503-1991-12-18-1アフガニスタン1991年12月18日1990年代ロシアのルツコイ副大統領,テヘランで「イスラム団結党」と会談す。ルツコイ副大統領がソ連兵捕虜釈放を重視したことにイスラム団結党が強く反発,会談は物別れに終わる(DRS,12/19)。
DIA-503-1991-12-19-1アフガニスタン1991年12月19日1990年代ロシア副大統領,イスラマバード到着。
DIA-503-1991-12-19-2アフガニスタン1991年12月19日1990年代ア国営航空筋が,ソ連の航空機燃料供給停止措置で国内便の運航を今月はじめから中止していることを明らかにする(DRN,12/20)。
DIA-503-1991-12-20-1アフガニスタン1991年12月20日1990年代ムジャヒディン指導者の3日間会議が終了。会議は臨時政府樹立のたたき台を作成する。情報筋によると,同案はペシャーワルとテヘランで活動しているムジャヒディン各勢力が各々6人の代表を選出し「イスラム・シューラ」(議会)を設置する,また各勢力の最高責任者による「指導者評議会」を設け臨時国家元首(大統領)の選出権を付託するというもの。ちなみに「アフガニスタン解放イスラム同盟」のサヤーフ党首と「イスラム党ハーレス派」のハーレス党首は会議に参加していない(D,12/21)。
DIA-503-1991-12-21-1アフガニスタン1991年12月21日1990年代ルッコイ・ロシア副大統領がムジャヒディン指導者と個別に会談する。ムジャヒディン筋によると,副大統領は国連和平案とソ連兵捕虜解放を議題にした一方,ムジャヒディン側は捕虜の相互交換とナジブラ退陣協力を副大統領に要請する(D,12/22)。
DIA-503-1991-12-21-2アフガニスタン1991年12月21日1990年代ア政府,中央アジア共和国の独立にともない各独立国との外交関係樹立の方針を決定(DRN,12/23)。
DIA-503-1991-12-22-1アフガニスタン1991年12月22日1990年代ルツコイ・ロシア連邦訪パ団とパ政府の交渉が終了,共同声明を発表する。同声明はア問題で国連事務総長の和平主導権を是認する。なおルツコイ団長は記者会見において,ロシア政府にはナジブラ大統領に辞任圧力を加える考えはないこと,また同政府はムジャヒディンとモスクワで合意したイスラム臨時政府の成立と選挙実施を支持すると発言(D,12/23)。
DIA-503-1991-12-22-2アフガニスタン1991年12月22日1990年代「イスラム党」のヘクマティヤル党首がイスラマバードで記者会見,ルツコイ・ロシア副大統領との会談でア問題の解決は,ナジブラ大統領が排除されたとき,中立的な暫定政府が樹立されたとき,停戦が成立し選挙が実施されたときに可能と主張したと語る。この日,ヘクマティヤル党首はムジャヒディン訪ソ団と旧ソ連の交わしたモスクワ声明を支持すると発言(D,12/23)。
DIA-503-1991-12-23-1アフガニスタン1991年12月23日1990年代ナジブラ政府とルツコイ・ロシア副大統領が共同声明を発表,ロシアはナジブラ政権の主張する対話解決を支持するとともに国連和平案の重要性を強調,他方のナジブラ政権は一国の自決権の尊重を強調する。また両国は,貿易等に関する新「合同委員会」の設置と代表団の交換訪問について合意(DRN,12/24)。
DIA-503-1991-12-23-2アフガニスタン1991年12月23日1990年代TASS通信は,ルツコイ・ロシア副大統領がイラン,パキスタン,アフガニスタンへの訪問時にア問題に関する「国連委員会」設置を提案したと報じる。委員会の目標は停戦と国連和平案の実現と定め,メンバーにカーブル政権,反政府勢力,パキスタン,イラン,中央アジア6カ国の代表を含めるとしている(DRS,12/24)。
DIA-503-1991-12-23-3アフガニスタン1991年12月23日1990年代ロシアの「経済金融基金」頭取エマノビロフらがカーブルを訪問,アフガン商工会議会長らと経済協力等について協議する(DRN,12/31)。
DIA-503-1991-12-23-4アフガニスタン1991年12月23日1990年代シーア派「イスラム団結党」がドイツのハンブルグで会議を開催。ヨーロッパに住むアフガン人約200人が参加し,アフガン人の団結と新政府へのナジブラ政権排除を訴える(DRN,92/1/3)。
DIA-503-1991-12-25-1アフガニスタン1991年12月25日1990年代ア政府,ウクライナ,ベルルーシ,アルメニア,モルドバの独立を承認する(DRN,12/26)。
DIA-503-1991-12-26-1アフガニスタン1991年12月26日1990年代「イスラム協会」(党首・ラバニー)が,ソ連兵捕虜3人を釈放すると表明(DRS,12/26)。
DIA-503-1991-12-26-2アフガニスタン1991年12月26日1990年代「アフガニスタン解放イスラム同盟」のサヤーフ党首が,カイバール峠の国境線近くで暗殺団の待ち伏せ攻撃に遭遇,難を逃れる(DRN,92/1/3)。
DIA-503-1991-12-28-1アフガニスタン1991年12月28日1990年代ナジブラ大統領が,ムジャヒディン捕虜100人を釈放する大統領令を布告(DRN,12/31)。
DIA-503-1991-12-29-1アフガニスタン1991年12月29日1990年代訪ア中のウズベキスタン経済・貿易代表団(70人)がバルフ県知事と会見,貿易・経済協力等について協議する(DRN,12/31)。
DIA-503-1992-01-02-1アフガニスタン1992年01月02日1990年代パキスタン外務次官アクラム・ザキーが,パ政府は武器供与停止を含めた全和平プロセスに協調していく意向を英国放送BBCインタビューの中で表明。
DIA-503-1992-01-05-1アフガニスタン1992年01月05日1990年代パキスタン紙The Muslimが,ナジブラ大統領はムジャヒディン全勢力がザーヘル元国王の大統領就任を受け入れれば大統領職を辞任する意向をムジャヒディン側にパキスタン政府高官を通じて申し入れた,と報道。
DIA-503-1992-01-07-1アフガニスタン1992年01月07日1990年代イスラム党ヘクマティヤル代表は,関係国のザーヘル元国王を首班とした暫定政府樹立計画はアフガニスタンを「レバノン化」に導くと非難。
DIA-503-1992-01-24-1アフガニスタン1992年01月24日1990年代イラン外務省政務次官アラエディン・ドルドジェルディがアフガン代表団と会見し,イラン政府はアフガニスタン政策で新機軸を打ち出していくと表明。
DIA-503-1992-01-27-1アフガニスタン1992年01月27日1990年代ガリ国連事務総長が「アフガン人和平会議」を開催する時期が到来,と表明(「参考資料」2を参照)。
DIA-503-1992-01-27-2アフガニスタン1992年01月27日1990年代パキスタン外務担当相モハマッド・カンジュが,パ政府は国連事務総長の提唱している暫定政府樹立に向けた「アフガン人和平会議」開催を支持すると表明。
DIA-503-1992-01-28-1アフガニスタン1992年01月28日1990年代アフガニスタン北部のバルフ州で,政府軍の将校と民兵司令官らがナジブラ大統領の将校人事に反発して抵抗活動を展開。
DIA-503-1992-02-12-1アフガニスタン1992年02月12日1990年代カブール放送は,イスラム党ヘクマティヤル派とイスラム党ハリス派の武力抗争が起こり,13人が死亡したと報道。
DIA-503-1992-02-22-1アフガニスタン1992年02月22日1990年代アフガニスタンのハティフ副大統領がトルクメニスタンを訪問し,外交関係を樹立。
DIA-503-1992-02-26-1アフガニスタン1992年02月26日1990年代イスラム協会ラバニー代表が,先月末にアフガニスタン北部で反乱を起こした民兵勢力とイスラム協会の北部監視評議会(アハマッド・シャー・マスード代表)が連合して,「聖戦評議会」を創設したと表明。
DIA-503-1992-03-02-1アフガニスタン1992年03月02日1990年代英国放送BBCは,ムジャヒディン3組織の代表団がローマ在住のザーヘル元国王と会見し,政府編成問題を協議したと報道。
DIA-503-1992-03-15-1アフガニスタン1992年03月15日1990年代ムジャヒディンの北部監視評議会勢力(代表マスード司令官)がアフガニスタン北部のサマンガン地方一帯を掌握し,マザリ・シャリフ市を包囲。
DIA-503-1992-03-18-1アフガニスタン1992年03月18日1990年代ナジブラ大統領がラジオ放送を通じて,国連和平案に沿った暫定政府が成立すれば直ちに大統領を辞任すると宣言(「参考資料」3を参照)。
DIA-503-1992-03-24-1アフガニスタン1992年03月24日1990年代カブール南郊の国防本部(旧バラ・ヒサール要塞)が火災に合う。原因は漏電とされるが,ナビー・アズミー将軍(タジック人)らのクーデター事件。
DIA-503-1992-03-30-1アフガニスタン1992年03月30日1990年代イランのベラヤティ外相,パキスタンのカンジュ外務担当相,セバン国連特使がテヘランで会談。イ・パ両相は国連和平案の効果性を願うと発言。
DIA-503-1992-04-02-1アフガニスタン1992年04月02日1990年代セバン国連特使が,国連和平のプロセスを2段階方式から1段階方式に切り替え,4月中旬に執行力を持った「中立評議会」を発足させると表明。
DIA-503-1992-04-03-1アフガニスタン1992年04月03日1990年代パキスタンのシャリフ首相がカブールの食糧不足を憂慮し,小麦1万㌧の緊急輸送を指示。
DIA-503-1992-04-04-1アフガニスタン1992年04月04日1990年代ペシャーワルのムジャヒディン7組織が「中立評議会推薦人名簿」をセバン国連特使に手交。
DIA-503-1992-04-07-1アフガニスタン1992年04月07日1990年代マザリ・シャリフで「国民イスラム運動」代表の民兵将軍ドスタムが初めて記者会見に応じ,国連和平案を支持するとともに,ナジブラ大統領の辞任を要求。
DIA-503-1992-04-09-1アフガニスタン1992年04月09日1990年代サウジアラビアのトルキィー皇太子がパキスタンを訪問し,ムジャヒディン指導者に国連和平案を承諾するよう働きかける。
DIA-503-1992-04-14-1アフガニスタン1992年04月14日1990年代ムジャヒディンの北部監視評議会(マスード司令官)勢力がカブール北方60㌔地点のチャリカル市を占拠するとともに,バグラム空軍基地を包囲。
DIA-503-1992-04-15-1アフガニスタン1992年04月15日1990年代政府軍のナビー・アズミー将軍らが「軍事評議会」を設置。
DIA-503-1992-04-16-1アフガニスタン1992年04月16日1990年代ナジブラ大統領が辞任。同大統領はその直後亡命を試みたが軍事評議会軍に阻止され,カブール市内の国連事務所に身を隠す。
DIA-503-1992-04-18-1アフガニスタン1992年04月18日1990年代マスード司令官は,ペシャーワルのムジャヒディン指導者たちが暫定政府を樹立すれば受け入れると表明。一方,イスラム党ヘクマティヤル代表は,同党の選出した評議会への権力委譲がない場合,カブールを攻撃すると表明。
DIA-503-1992-04-19-1アフガニスタン1992年04月19日1990年代ペシャワールでパキスタンのシャリフ首相とムジャヒディン指導者が協議を重ね,「ムジャヒディン評議会」を設置して権力の受け皿にすることで合意。
DIA-503-1992-04-24-1アフガニスタン1992年04月24日1990年代カプールを取り巻いていたムジャヒディン6組織が市内に入城,各々,官庁占拠や歩哨設営を行なう。
DIA-503-1992-04-24-2アフガニスタン1992年04月24日1990年代ペシャーワルで,ムジヤヒディン6組織が暫定政府の陣容と本格的政権樹立に向けての計画を織り込んだ「ペシャワール合意」を公表。
DIA-503-1992-04-25-1アフガニスタン1992年04月25日1990年代大統領府の支配権をめぐりイスラム党ヘクマティヤル勢力とイスラム協会が衝突。
DIA-503-1992-04-28-1アフガニスタン1992年04月28日1990年代ムジャヒディン暫定政府のモジャディディー大統領がカブールに入城,前政権から正式の権力委譲を受け「イスラム政権」の発足を宣言。
DIA-503-1992-04-29-1アフガニスタン1992年04月29日1990年代パキスタンのシャリフ首相がカブールを訪問,イスラム政権の承認と約1000万㌦援助を確約。
DIA-503-1992-05-04-1アフガニスタン1992年05月04日1990年代イスラム党ヘクマティヤル勢力が,カブール南郊から市中にロケット弾攻撃を開始。
DIA-503-1992-05-13-1アフガニスタン1992年05月13日1990年代ロシアのコーズレフ外相がカブールを訪問,外交関係改善に関する共同宣言を発表。
DIA-503-1992-05-25-1アフガニスタン1992年05月25日1990年代イスラム党ヘクマティヤル代表とマスード国防相が,停戦について合意(「参考資料」5を参照)。
DIA-503-1992-05-30-1アフガニスタン1992年05月30日1990年代カブール南郊でイスラム党ヘクマティヤル勢力とドスタム民兵勢力の武力衝突が再発。
DIA-503-1992-06-02-1アフガニスタン1992年06月02日1990年代カブールの西部地域において,シーア派のイスラム団結党とスンニー派のイスラム統一体サヤーフ勢力が衝突,ドスタム民兵勢力が仲裁に入る。
DIA-503-1992-06-14-1アフガニスタン1992年06月14日1990年代米国代表団が新政権と外交関係樹立を協議するため,カブールを訪問。
DIA-503-1992-06-16-1アフガニスタン1992年06月16日1990年代テヘラン放送は,シーア派のイスラム団結党がスンニー派で独占されてきた「ムジャヒディン評議会」と「指導者評議会」に参加することになったと報道。
DIA-503-1992-06-28-1アフガニスタン1992年06月28日1990年代モジャディディー大統領がペシャワール合意に沿い,イスラム協会ラバニー代表に大統領職を委譲。ラバニー政権の任期は6ヵ月。
DIA-503-1992-07-01-1アフガニスタン1992年07月01日1990年代カプール市内においてドスタム将軍の率いる北部連合「国民イスラム運動」とイスラム統一体サヤーフ勢力が武力衝突。
DIA-503-1992-07-04-1アフガニスタン1992年07月04日1990年代イスラム党ヘクマティヤル勢力がカブールにロケット弾を打ち込み,ドスタム勢力が報復。
DIA-503-1992-07-06-1アフガニスタン1992年07月06日1990年代イスラム党ヘクマティヤル派のアブドル・サブル・ファリッドがペシャワールからカブールに入り,ラバニー政権の首相に就任。
DIA-503-1992-07-14-1アフガニスタン1992年07月14日1990年代イスラム党ヘクマティヤル勢力とマスード国防相管理下の北部監視評議会勢力が,武力衝突を再開。
DIA-503-1992-07-19-1アフガニスタン1992年07月19日1990年代マスード勢力の北部監視評議会とシーア派イスラム団結党が武力衝突し,死者60人以上を出す。
DIA-503-1992-07-21-1アフガニスタン1992年07月21日1990年代シーア派イスラム団結党とスンニー派イスラム統一体サヤーフ勢力とが,停戦に合意。
DIA-503-1992-08-02-1アフガニスタン1992年08月02日1990年代イスラム党ハレス派のユニス・ハレス代表が,ラバニー大統領のシーア派イスラム団結党の指導者評議会取り込み等を非難して,指導者評議会から脱退。
DIA-503-1992-08-04-1アフガニスタン1992年08月04日1990年代イスラム党ヘクマティヤル勢力が,大々的なカブール攻撃を開始。
DIA-503-1992-08-19-1アフガニスタン1992年08月19日1990年代政府軍がヘクマティヤル勢力鎮圧に向けて,反撃に出る。
DIA-503-1992-08-29-1アフガニスタン1992年08月29日1990年代ラバニー政府とイスラム党ヘクマティヤル勢力が12項目の停戦合意を交わす(「参考資料」6を参照)。
DIA-503-1992-08-29-2アフガニスタン1992年08月29日1990年代パキスタン政府は同国領内107カ所のアフガン難民キャンプの閉鎖と,新規難民の流入禁止を決定。
DIA-503-1992-09-03-1アフガニスタン1992年09月03日1990年代ヒンズークッシュ山中の洪水で約500人が死亡,ラバニー大統領は印パ訪問を延期。
DIA-503-1992-09-18-1アフガニスタン1992年09月18日1990年代ラバニー大統領,イスラム党ヘクマティヤル代表,イスラム統一体サヤーフ代表,イスラム革命運動ナピー・モハマディー代表の4人が,ラバニー大統領の任期が終了する10月28日前に全国評議会(シューラ)を開催して新大統領を選出することで合意。
DIA-503-1992-09-22-1アフガニスタン1992年09月22日1990年代カブール放送が,シーア派のイスラム団結党ファゼル代表はイスラム政府との全ての対立点が解消され同党はいまや政府の一部だと表明したと報道。
DIA-503-1992-09-29-1アフガニスタン1992年09月29日1990年代ラバニー大統領がパキスタン訪問からイランに入り,経済協力など5000億㌦の借款文書に調印。
DIA-503-1992-10-03-1アフガニスタン1992年10月03日1990年代指導者評議会は,全国評議会(制憲議会)の代表数を地方人口比で決めることと,国連とイスラム会議機構をオブザーバーとして招待することを決議。
DIA-503-1992-10-03-2アフガニスタン1992年10月03日1990年代ヘラート地方でイスラム党ヘクマティヤル勢力と政府連合体のイスマエル・ハーン勢力が,シンダンド空軍基地の支配権をめぐって武力衝突。
DIA-503-1992-10-12-1アフガニスタン1992年10月12日1990年代国防省がシンダンド基地を掌握したと表明。
DIA-503-1992-10-13-1アフガニスタン1992年10月13日1990年代ラバニー大統領がウズベキスタンに出発。
DIA-503-1992-10-19-1アフガニスタン1992年10月19日1990年代指導者評議会が権力委譲に関する声明を発表(「参考資料」8を参照)。
DIA-503-1992-10-28-1アフガニスタン1992年10月28日1990年代指導者評議会がラバニー大統領の任期を45日間延長することを決議。
DIA-503-1992-10-30-1アフガニスタン1992年10月30日1990年代アフガニスタン東部のカピサ地方で首都への食糧・燃料の流入を妨害してきたヘクマティヤル勢力に対して,政府軍や民兵ドスタム勢力らが爆撃する。
DIA-503-1992-11-08-1アフガニスタン1992年11月08日1990年代前民兵のドスタム将軍が,ラバニー政権に自勢力の指導者評議会参加承認を要求。
DIA-503-1992-11-08-2アフガニスタン1992年11月08日1990年代イスラム党ヘクマティヤル代表が,外国援助物資の共同管理を条件に物資の流通妨害を停止すると表明。
DIA-503-1992-11-11-1アフガニスタン1992年11月11日1990年代シーア派のイスラム団結党が,全国評議会代表1200人の中にシーア代表260人の枠の設定を要求。
DIA-503-1992-11-29-1アフガニスタン1992年11月29日1990年代アフガニスタンがトルコ,イラン,パキスタンの3国が創設した経済協力機構(ECO)に加盟。
DIA-503-1992-11-30-1アフガニスタン1992年11月30日1990年代カブール西部地域でスンニー派のイスラム統一体とシーア派のイスラム団結党が武力衝突。
DIA-503-1992-12-06-1アフガニスタン1992年12月06日1990年代マスード国防相管理下の北部監視評議会勢力とシーア派のイスラム団結党がカブール市内で交戦。
DIA-503-1992-12-08-1アフガニスタン1992年12月08日1990年代北部監視評議会勢力とドスタム勢力が厚生省近辺で武力衝突。しかし両勢力は9日夕刻,停戦に合意。
DIA-503-1992-12-13-1アフガニスタン1992年12月13日1990年代ムジャヒディン7組織が政府の全国評議会代表選出に不満を表明,全国評議会の開催延期を要求。
DIA-503-1992-12-13-2アフガニスタン1992年12月13日1990年代ラバニー大統領は,全国評議会が開催され新大統領の決定を見るまで大統領職にとどまると表明。
DIA-503-1992-12-15-1アフガニスタン1992年12月15日1990年代イスラム党ヘクマティヤル代表がラバニー大統領の辞職拒否を非難,カブール攻撃を再開。
DIA-503-1992-12-29-1アフガニスタン1992年12月29日1990年代全国評議会が内務省において開催。
DIA-503-1992-12-30-1アフガニスタン1992年12月30日1990年代全国評議会が,ラバニー現大統領を大統領に再任。任期は2年間。
DIA-503-1993-01-02-1アフガニスタン1993年01月02日1990年代ラバニー大統領,「イスラム協会」代表を辞任するとともに,いかなる政党にも属さないと表明。
DIA-503-1993-01-03-1アフガニスタン1993年01月03日1990年代情報文化省,全ムジャヒディンの活動を禁止。
DIA-503-1993-01-05-1アフガニスタン1993年01月05日1990年代パキスタン政府,パ国内で活動しているすべてのアフガン党派事務所と未登録人道支援団体に対し,当月末までの活動停止を勧告。
DIA-503-1993-01-13-1アフガニスタン1993年01月13日1990年代イスラム党ヘクマティヤル代表,政府軍との戦闘を始めることはしないし,ラバニー大統領が辞任して最高指導者評議会に権力を委譲するのであれば政府を支援すると表明。一方で,ヘクマティヤル派が首都カーブルをロケット弾攻撃するとともに,カーブル国際空港を使う飛行機を撃墜すると警告。
DIA-503-1993-01-13-2アフガニスタン1993年01月13日1990年代ドスタム旧民兵将軍,ラバニー大統領に対し権力分有の拡大と「国民イスラム運動」の承認を求め,拒否されれば政治軍事支持を撤回すると表明。
DIA-503-1993-01-17-1アフガニスタン1993年01月17日1990年代イスラム党ヘクマティヤル代表,ラバニー政権に対し武装勢力が選出する暫定政権に権力委譲するよう要求。
DIA-503-1993-01-28-1アフガニスタン1993年01月28日1990年代ザーヘル元国王,ローマにおいて影響力を持ったアフガン人で構成される委員会による議会の開催と,国連監視の選挙が実施されるまで同委員会に権力を保持させるなどの和平案を提案。
DIA-503-1993-01-31-1アフガニスタン1993年01月31日1990年代主要旧ゲリラ指導者,ファハド・サウジアラビア国王のアフガン和平会談提案を原則受け入れ。
DIA-503-1993-02-01-1アフガニスタン1993年02月01日1990年代国連在アフガン職員2名とその運転手がジャララバード市近くの街道で待ち伏せに遭い死亡。翌日,国連は非アフガン国連職員のナンガハール地方からの退去を指令。
DIA-503-1993-02-03-1アフガニスタン1993年02月03日1990年代シャリフ・パキスタン首相とファハド・サウジアラビア国王,アフガン停戦を呼びかける。
DIA-503-1993-02-14-1アフガニスタン1993年02月14日1990年代イスラム党ヘクマティヤル派とシーア派の「イスラム団結党」,パキスタン元国軍総合情報局長官グル仲介の停戦案を受け入れ。
DIA-503-1993-02-17-1アフガニスタン1993年02月17日1990年代イスラム団結党と政府の話し合いにより,両勢力の間にドスタム旧民兵勢力を緩衝勢力として配備することと,イスラム団結党と度々武力衝突してきた「イスラム統一体」(サヤフ代表)がシーア派教徒居住地域のカーブル西部から撤退することに合意。
DIA-503-1993-02-23-1アフガニスタン1993年02月23日1990年代イスラム党ヘクマティヤル派とイスラム団結党が,首都での反政府共同軍事行動を展開。
DIA-503-1993-03-07-1アフガニスタン1993年03月07日1990年代シャリフ・パキスタン首相の仲介によって,ムジャヒディンの指導者8人がイスラマバード市で新連合政権樹立に向けたアフガン和平案に合意(通称「イスラマバード合意」。「参考資料」[3]を参照)。
DIA-503-1993-03-20-1アフガニスタン1993年03月20日1990年代アフガン指導者がジャララバード市で新連合政権組閣を協議したが国防相人事で紛糾,組閣を当月末まで先送りする。
DIA-503-1993-03-30-1アフガニスタン1993年03月30日1990年代ジャララバード市で組閣問題協議が再開されたが合意できず,組閣を再延期。
DIA-503-1993-04-02-1アフガニスタン1993年04月02日1990年代ラバニー政権とイスラム団結党,停戦合意。
DIA-503-1993-04-10-1アフガニスタン1993年04月10日1990年代ラバニー政権とイスラム団結党,3月7日の和平合意に反して,戦闘に突入。
DIA-503-1993-04-15-1アフガニスタン1993年04月15日1990年代イスラマバード合意で首相に指名されているイスラム党ヘクマティヤル代表,マスード国防相を外相に横滑りさせた閣僚名簿を明示。
DIA-503-1993-04-16-1アフガニスタン1993年04月16日1990年代イランからアフガン難民の自国帰還始まる。帰還難民は国境で,国際赤十字委員会から援助を受ける。
DIA-503-1993-04-30-1アフガニスタン1993年04月30日1990年代ラバニー大統領,ヘクマティヤルその他の指導者と組閣および停戦を協議。
DIA-503-1993-05-12-1アフガニスタン1993年05月12日1990年代ドスタム旧民兵将軍,イスラム党ヘクマティヤル派とイスラム団結党の連合軍を分断するため首都においてラバニー政府軍に協力。この戦闘で市民600人以上が死傷。
DIA-503-1993-05-17-1アフガニスタン1993年05月17日1990年代ジャララバード市でラバニー大統領ほか旧ゲリラ10組織が新連合政権の組閣問題で合意。これによってマスード国防相が辞任。
DIA-503-1993-05-17-2アフガニスタン1993年05月17日1990年代国際赤十字委員会,過去数日間の戦闘で少なくとも700人の死者と3000人の負傷者が出たと表明。
DIA-503-1993-05-20-1アフガニスタン1993年05月20日1990年代ジャララバード市で旧ゲリラ組織が停戦合意。
DIA-503-1993-05-23-1アフガニスタン1993年05月23日1990年代ラバニー大統領,首都内各勢力所有の重火器没収を確約する。
DIA-503-1993-06-17-1アフガニスタン1993年06月17日1990年代ラバニー大統領,ヘクマティヤル首相および新閣僚の認証式を挙行。
DIA-503-1993-06-21-1アフガニスタン1993年06月21日1990年代ヘクマティヤル首相,ダラルマン元王宮で初閣僚会議を主催。
DIA-503-1993-06-28-1アフガニスタン1993年06月28日1990年代5月のジャララバード合意に基づいて設置された「停戦促進委員会」が,停戦合意違反行為の横行に反発して解散。
DIA-503-1993-07-03-1アフガニスタン1993年07月03日1990年代アフガニスタン北部の独立化をほのめかしてきたドスタム旧民兵将軍が首都カーブルを訪問,ラバニー大統領らと政治協議に入る。
DIA-503-1993-07-05-1アフガニスタン1993年07月05日1990年代ドルタム将軍がマスード前国防相と会談,停戦問題等を協議。
DIA-503-1993-07-13-1アフガニスタン1993年07月13日1990年代ヘクマティヤル首相とドスタム民兵将軍が会談,首相はドスタム将軍に2閣僚ポストを提案したが会談は不調に終わる。
DIA-503-1993-07-15-1アフガニスタン1993年07月15日1990年代アフガニスタンとタジキスタン国境のアム河地帯で,アフガン兵とロシア国境警備軍との交戦が激化。
DIA-503-1993-07-22-1アフガニスタン1993年07月22日1990年代ロシア軍がアム河を越えてアフガニスタン側の各地を爆撃。
DIA-503-1993-07-30-1アフガニスタン1993年07月30日1990年代ユフジェニー・プリマコフ(エリツィン・ロシア大統領の筆頭安全保障担当補佐官)が大統領特使としてカーブルを訪問,タジキスタン問題を協議。
DIA-503-1993-08-01-1アフガニスタン1993年08月01日1990年代ロシア外相特使アレキセイエフがパキスタンを訪問,アルサラ・アフガニスタン外相らとタジキスタン問題等を協議。
DIA-503-1993-08-09-1アフガニスタン1993年08月09日1990年代国連事務総長の対アフガン特使モーソリーが首都カーブルを訪問,紛争解決に向けたアフガン選挙に積極協力する意志を表明。
DIA-503-1993-08-10-1アフガニスタン1993年08月10日1990年代アルサラ外相,タジク問題を協議するためタジキスタンの首都ドゥシャンベを訪問(14日帰国)。
DIA-503-1993-08-17-1アフガニスタン1993年08月17日1990年代ヘクマティヤル首相,訪問先のパキスタンのペシャワール市で10月に総選挙実施希望を表明。首相はこののち,イラン,サウジアラビアを歴訪して25日に帰国。
DIA-503-1993-08-19-1アフガニスタン1993年08月19日1990年代国連の対タジキスタン特使イスマット・キッタニーがカーブルを訪問してラバニー大統領と会談,タジク人難民の帰還と国境安保を協議。ラバニー大統領,タジキスタン問題は当国の国内問題であると強調。
DIA-503-1993-08-23-1アフガニスタン1993年08月23日1990年代内閣が緊急国土再建計画書を検討。2年プランの同計画書は,全プラン実施に6億ドルの資金を計上。
DIA-503-1993-08-30-1アフガニスタン1993年08月30日1990年代カブール訪問中のタジキスタン大統領イマムアリー・ラフマノフ,善隣友好ならびにタジク難民帰還等に関する共同声明を発表(「参考資料」[4]を参照)。
DIA-503-1993-08-31-1アフガニスタン1993年08月31日1990年代旧ゲリラのイスラム統一党(サヤフ代表)とイスラム団結党(シーア派)が,恒久停戦に合意。
DIA-503-1993-09-08-1アフガニスタン1993年09月08日1990年代ヘクマティヤル首相,中立的政府樹立の必要性を説きラバニー大統領と閣僚の辞任を要求。
DIA-503-1993-09-08-2アフガニスタン1993年09月08日1990年代ナンガハール副知事ショマリー・ハーンほか6人が事務所で暗殺される。ハーン副知事は「アフガニスタン救国国民戦線」(ギラニー代表)のメンバー。
DIA-503-1993-09-09-1アフガニスタン1993年09月09日1990年代コズイレフ・ロシア外相,カーブルを訪問。ヘクマティヤル首相がロシア兵捕虜の釈放に同意。
DIA-503-1993-09-13-1アフガニスタン1993年09月13日1990年代大統領令により,アフガニスタン基本法(憲法)起草委員会発足。委員長に「イスラム革命運動」代表モハマッド・ナビー・モハマディー,委員会書記に「イスラム統一党」代表のラスウル・サヤフが就任。
DIA-503-1993-09-21-1アフガニスタン1993年09月21日1990年代緒方国連難民高等弁務官がカーブルを訪問,イランからのアフガン難民帰還問題等を協議。
DIA-503-1993-09-27-1アフガニスタン1993年09月27日1990年代シーア派のイスラム団結党ならびにドスタム将軍の国民イスラム運動(ウズベクト勢力)が憲法起草委員会の不当性を訴えるキャンペーンを開始。
DIA-503-1993-09-28-1アフガニスタン1993年09月28日1990年代アフガニスタン北部で国民イスラム運動(ドスタム将軍)と北部評議会(マスード元国防相)が対立。
DIA-503-1993-09-30-1アフガニスタン1993年09月30日1990年代アルサラ外相,国連本部で,ウズベキスタンのイスラム・カリモフ大統領と会見。
DIA-503-1993-10-05-1アフガニスタン1993年10月05日1990年代最高裁判所,裁判の独立性と権威維持等に関して表明。
DIA-503-1993-10-10-1アフガニスタン1993年10月10日1990年代8月末に恒久停戦合意を交わしたイスラム統一党イスラム団結党が,首都で武力衝突。
DIA-503-1993-10-11-1アフガニスタン1993年10月11日1990年代イスラム党ヘクマティヤル派,ナンガハール県ソラビーにおいてナンガハール政府連合軍を攻撃。
DIA-503-1993-10-17-1アフガニスタン1993年10月17日1990年代パキスタンのペシャワール市とカーブル市を結ぶ道路が閉鎖されて食糧等の価格が高騰していることに鑑み,政府高官代表団(30人)が戦闘停止交渉をするためジャララバード市に向かう。
DIA-503-1993-10-20-1アフガニスタン1993年10月20日1990年代イラン内務省,イラン在住アフガン難民に対して「難民カード」取得を義務化。
DIA-503-1993-10-20-2アフガニスタン1993年10月20日1990年代ラバニー大統領,サウジアラビア,クウェート,アラブ首長国への援助要請公式訪問を終えて帰国。
DIA-503-1993-10-23-1アフガニスタン1993年10月23日1990年代アフガニスタン,タジキスタン経済相と天然ガス輸入合意書に調印。
DIA-503-1993-10-28-1アフガニスタン1993年10月28日1990年代アフガニスタン政府,在カーブル・パキスタン大使に対して石油,食糧,医薬品等のアフガニスタン搬入上の協力を要請。
DIA-503-1993-10-29-1アフガニスタン1993年10月29日1990年代スンニー派のイスラム統一党とシーア派のイスラム団結党が停戦に合意。
DIA-503-1993-11-01-1アフガニスタン1993年11月01日1990年代ソラビー地区北方のタガブ町付近で展開されてきたイスラム党ヘクマティヤル派とラバニー政府軍の対立が激化。
DIA-503-1993-11-09-1アフガニスタン1993年11月09日1990年代ロビン・ラフェル米国務次官補(南アジア担当)がカーブルを訪問,ラバニー大統領と地域問題を協議。
DIA-503-1993-11-09-2アフガニスタン1993年11月09日1990年代アフガニスタン北部でドスタム将軍支配下にある国境地区シルハーン・バンダル地域においてイスラム統一党(サヤフ代表)がドスタム勢力を攻撃。この対立にマスード前国防相勢力が前者を,またヘクマティヤル派が後者を支援する。
DIA-503-1993-11-16-1アフガニスタン1993年11月16日1990年代イスラム団結党,アフガニスタン中央部バーミヤンから同党部隊を首都に派遣して同党勢力の増強を図る。
DIA-503-1993-11-24-1アフガニスタン1993年11月24日1990年代ラバニー政府軍とイスラム党ヘクマティヤル派,停戦に合意。
DIA-503-1993-11-25-1アフガニスタン1993年11月25日1990年代トルクメニスタン,アフガニスタン西部ヘラート市に領事館を開設。
DIA-503-1993-12-08-1アフガニスタン1993年12月08日1990年代ドスタム旧民兵勢力がイスラム統一党(サヤーフ代表)からアム河シルハーン・バンダル地域を奪回するための攻撃を開始。
DIA-503-1993-12-09-1アフガニスタン1993年12月09日1990年代ラバニー大統領,自由言論の報道法に調印。
DIA-503-1993-12-20-1アフガニスタン1993年12月20日1990年代ヘクマティヤル首相のサボタージュで,クトブディン・ヒラル第副首相が首相代行に就任。
DIA-503-1993-12-22-1アフガニスタン1993年12月22日1990年代タジキスタンに公式訪問中のラバニー大統領,タジキスタンとの友好善隣協力条約に調印。
DIA-503-1993-12-27-1アフガニスタン1993年12月27日1990年代ヘクマティヤル派と政府軍,タガブ地区で停戦。
DIA-503-1993-12-28-1アフガニスタン1993年12月28日1990年代ラバニー大統領,共産党前政権の土地改革を是正する土地法施行。
DIA-503-1994-01-06-1アフガニスタン1994年01月06日1990年代政府が反政府扇動に対する緊急事態規則を緩和。
DIA-503-1994-01-11-1アフガニスタン1994年01月11日1990年代西部州議会,ラトナシリ・ラジャパクセ・コロンボ市長を汚職容疑で停職処分に。
DIA-503-1994-01-15-1アフガニスタン1994年01月15日1990年代ウィクラマシンハ首相,南部の政治集会でタミル・イーラム解放のトラ(LTTE)に人種抗争終結のための提案を呼びかけ。
DIA-503-1994-01-21-1アフガニスタン1994年01月21日1990年代日本政府,ワラウェ川左岸地域生活基盤整備計画に9億6800万円の無償資金協力を決定。
DIA-503-1994-01-26-1アフガニスタン1994年01月26日1990年代ガミニ・ディサナヤケ民主統一国民戦線(DUNF)党首,統一国民党(UNP)復帰。
DIA-503-1994-01-27-1アフガニスタン1994年01月27日1990年代コロンボのローマ・カトリック協会代表団がジャフナ半島でLTTEと紛争を終結させる方法につき会談。
DIA-503-1994-02-02-1アフガニスタン1994年02月02日1990年代ウィジェトゥンガ大統領,UNP大会で大統領選と議会選を一本化する憲法改正案を提案。
DIA-503-1994-02-04-1アフガニスタン1994年02月04日1990年代クリストファー米国務長官,スリランカ政府とLTTEを人権侵害で非難。
DIA-503-1994-02-13-1アフガニスタン1994年02月13日1990年代政府軍,北東部のトリンコマリーで対LTTEの「ベルスマナ(スリランカ中世の将軍)作戦」を展開,隠れ家などを破壊。
DIA-503-1994-02-21-1アフガニスタン1994年02月21日1990年代ウィクラマシンハ首相,LTTEに対しジャフナ半島への地上ルートの妨害をやめれば経済封鎖を解除と提案。
DIA-503-1994-03-01-1アフガニスタン1994年03月01日1990年代北・東部の4地区(バブニア,アンパライ,バチカロア,トリンコマリー)で地方自治体選挙実施。40の市・準市・村議会のうち,UNPが18,独立諸派が12で勝利。
DIA-503-1994-03-08-1アフガニスタン1994年03月08日1990年代LTTEのプラバカラン議長,ラジオ放送を通じて政府との和平会談を提案。
DIA-503-1994-03-09-1アフガニスタン1994年03月09日1990年代香港のクロスビー・ファイナンシャル・ホールディングス,セイロン商業銀行と合弁契約を締結。
DIA-503-1994-03-15-1アフガニスタン1994年03月15日1990年代ウィジェトゥンガ大統領,記者会見でLTTEが暴力行為の放棄など3条件を受け入れるなら和平交渉を開けると言明。
DIA-503-1994-03-24-1アフガニスタン1994年03月24日1990年代南部州議会選挙の投票実施。スリランカ自由党(SLEP)を主体とする人民連合(PA)が55議席を獲得して勝利。
DIA-503-1994-03-28-1アフガニスタン1994年03月28日1990年代スリランカ,IMF8条国に移行。
DIA-503-1994-04-04-1アフガニスタン1994年04月04日1990年代V・カイラサピライ(V. Kailasapillai)コロンボ証券取引所会長が辞任。同会長所有会社の株価をめぐる内紛で引責。
DIA-503-1994-04-06-1アフガニスタン1994年04月06日1990年代国会,中国から軍艦4隻を購入する協定を追認。
DIA-503-1994-04-08-1アフガニスタン1994年04月08日1990年代コロンボ市内で9日にかけてLTTEによるとみられる連続爆破事件が5件発生。
DIA-503-1994-04-28-1アフガニスタン1994年04月28日1990年代シリマボ・バンダラナイケSLFP党首,ヘルニア手術のため入院。
DIA-503-1994-04-29-1アフガニスタン1994年04月29日1990年代政府軍,北部バブニア地区で対LTTEの「ジャヤマガ(勝利の道)作戦」を展開,LTTE支配下のシナタムパナイ村制圧。
DIA-503-1994-05-01-1アフガニスタン1994年05月01日1990年代プレマダサ大統領暗殺事件1周年。コロンボの聖セバスチャン・ヒルで同大統領の銅像除幕式を実施。ウィジェトゥンガ大統領は式典に欠席。一方,野党は反政府のメーデー・デモ行進を展開。
DIA-503-1994-05-01-2アフガニスタン1994年05月01日1990年代ウィジェトゥンガ大統領,約180億ルピーに達する福祉政策を発表。
DIA-503-1994-05-01-3アフガニスタン1994年05月01日1990年代シリセナ・クーレイ住宅・建設相,UNP書記長を辞任。
DIA-503-1994-05-02-1アフガニスタン1994年05月02日1990年代UNP,後任の書記長にガミニ・ウィジェセケラ(Gamini Wijesekera)氏を選出。
DIA-503-1994-05-05-1アフガニスタン1994年05月05日1990年代野党提出の内閣不信任案,議会否決。
DIA-503-1994-05-19-1アフガニスタン1994年05月19日1990年代故プレマダサ大統領に反旗を翻してUNPから追放されたガミニ・ディサナヤケ議員がウィジェトゥンガ大統領の意向で復党。
DIA-503-1994-05-23-1アフガニスタン1994年05月23日1990年代SLFPが全国大会を開催し,経済自由化政策の容認を正式に決定。バンダラナイケ党首を再任,同党首の娘チャンドリカ・クマラトゥンガ西部州首相を副党首に選出。
DIA-503-1994-06-17-1アフガニスタン1994年06月17日1990年代内閣改造。ディサナヤケ議員をマハウェリ開発相に任命。
DIA-503-1994-06-23-1アフガニスタン1994年06月23日1990年代日本政府,スリランカへの364億1500万円の円借款供与を決定。コロンボで書簡交換。
DIA-503-1994-06-23-2アフガニスタン1994年06月23日1990年代ティラク・カルナラトネら6議員,SLFPを離脱しUNPに加わると発表。
DIA-503-1994-06-24-1アフガニスタン1994年06月24日1990年代ウィジェトゥンガ大統領,国会解散。
DIA-503-1994-07-11-1アフガニスタン1994年07月11日1990年代総選挙の立候補締切り。UNP,PAそれぞれの支持者が各地で衝突し,候補者,警官を含む約200人が負傷。
DIA-503-1994-07-15-1アフガニスタン1994年07月15日1990年代ウィジェトゥンガ大統領,総選挙を前に1989年6月から続いた非常事態令解除。
DIA-503-1994-07-20-1アフガニスタン1994年07月20日1990年代PA,現行大統領制を廃止して議員内閣制を復活する選挙綱領を発表。
DIA-503-1994-07-26-1アフガニスタン1994年07月26日1990年代PA,総選挙で勝利したらクマラトゥンガ副党首を首相候補に立てると言明。
DIA-503-1994-07-28-1アフガニスタン1994年07月28日1990年代日本政府,スリランカヘの28億8700万円の無償資金協力を決定。
DIA-503-1994-08-16-1アフガニスタン1994年08月16日1990年代総選挙投票を実施。PAが105議席を獲得して第1党に。
DIA-503-1994-08-18-1アフガニスタン1994年08月18日1990年代LTTEロンドン事務所のスポークスマン,BBCとのインタビューで同組織は新政権を歓迎すると言明。
DIA-503-1994-08-19-1アフガニスタン1994年08月19日1990年代ウィジェトゥンガ大統領,チャンドリカ・クマラトゥンガPA副党首を第11代首相に任命。PAとスリランカ・ムスリム会議(SLMC)などによる連立内閣が発足。
DIA-503-1994-08-24-1アフガニスタン1994年08月24日1990年代新政府,建設部門の国営企業3社の民営化計画を中止に。
DIA-503-1994-08-24-2アフガニスタン1994年08月24日1990年代UNP,ガミニ・ディサナヤケ前マハウェリ開発相を国会議員団長に選出。
DIA-503-1994-08-26-1アフガニスタン1994年08月26日1990年代AFP通信など諸報道。政権交代を阻止する二つのクーデター計画の存在が発覚。
DIA-503-1994-08-31-1アフガニスタン1994年08月31日1990年代クマラトゥンガ首相,LTTE支配地域に対する経済封鎖の緩和を発表。
DIA-503-1994-09-04-1アフガニスタン1994年09月04日1990年代政府,総選挙後に発令していた非常事態令を北東部を除き解除。
DIA-503-1994-09-09-1アフガニスタン1994年09月09日1990年代SLFP,中央委でクマラトゥンガ首相を大統領候補に選出。
DIA-503-1994-09-09-2アフガニスタン1994年09月09日1990年代UNP,ディサナヤケ議員団長を大統領候補に選出。
DIA-503-1994-09-13-1アフガニスタン1994年09月13日1990年代クマラトゥンガ首相,市場経済の維持などを盛り込んだ経済政策を発表。
DIA-503-1994-09-21-1アフガニスタン1994年09月21日1990年代LTTEスポークスマン,ジャフナで会見し新政権との対話に応じる姿勢を示す。
DIA-503-1994-10-13-1アフガニスタン1994年10月13日1990年代政府とLTTEとが4年ぶりに和平のための予備交渉を開始。
DIA-503-1994-10-24-1アフガニスタン1994年10月24日1990年代23日夜からコロンボ市内で開かれていたUNPの政治集会で未明に爆弾テロが発生,ディサナヤケ大統領侯補が暗殺さる。
DIA-503-1994-10-24-2アフガニスタン1994年10月24日1990年代LTTE,爆弾テロへの関与を否定。政府,全土に非常事態宣言を発令。
DIA-503-1994-10-25-1アフガニスタン1994年10月25日1990年代UNP特別委員会,スリマ・ディサナヤケ夫人を大統領候補に擁立。ウィクラマシンハ前首相を新国会議員団長に選出。
DIA-503-1994-11-09-1アフガニスタン1994年11月09日1990年代大統領選実施。クマラトゥンガ首相が62%の得票率を得て勝利。
DIA-503-1994-11-12-1アフガニスタン1994年11月12日1990年代クマラトゥンガ大統領就任。LTTEとの和平会談再開を確約。
DIA-503-1994-11-14-1アフガニスタン1994年11月14日1990年代クマラトゥンガ大統領,組閣。母親のバンダラナイケSLFP党首(元首相)を首相に指名。
DIA-503-1994-11-21-1アフガニスタン1994年11月21日1990年代政府,LTTEに和平交渉再開を正式提案。
DIA-503-1994-12-12-1アフガニスタン1994年12月12日1990年代クマラトゥンガ大統領,LTTEが暫定停戦を受け入れたと発表。
DIA-503-1994-12-15-1アフガニスタン1994年12月15日1990年代ノリタケの現地法人で同社日本人幹部が労組員に監禁される事件が発生。
DIA-503-1994-12-24-1アフガニスタン1994年12月24日1990年代スリランカ軍当局者によると,東部バティコロアで政府軍兵士の乗ったバスがLTTEによって爆破され,少なくとも5人が死亡。
DIA-503-1995-01-04-1アフガニスタン1995年01月04日1990年代ロシア政府,アフガニスタン,イラン,ヨルダン,パキスタン,サウジアラビアの各国駐ロシア大使に村し,イスラーム諸国で行なわれているチェチェン支援のための非公式な傭兵募集を停止させるよう要請。
DIA-503-1995-01-04-2アフガニスタン1995年01月04日1990年代メスティリ国連特使,東部のジェララバードに国連事務所を開設。
DIA-503-1995-01-05-1アフガニスタン1995年01月05日1990年代外務省,ロシアとタジキスタンによるアフガン北部への空爆に村する抗議声明を発表。
DIA-503-1995-01-17-1アフガニスタン1995年01月17日1990年代カーブルの東70キロのサロビで国連の救援物資輸送隊がヘクマティヤール派の武装集団に襲撃され物資が略奪される。
DIA-503-1995-02-03-1アフガニスタン1995年02月03日1990年代南部でタリバーンが旧ゲリラ勢力を駆逐,南部5県を支配下に収めた。
DIA-503-1995-02-04-1アフガニスタン1995年02月04日1990年代タリバーン,東部のワルダック県の大半を制圧。
DIA-503-1995-02-10-1アフガニスタン1995年02月10日1990年代タリバーン,カーブルから約30キロ離れたマイダンシャールにあるヘクマティヤール首相派の軍事拠点を制圧。
DIA-503-1995-02-13-1アフガニスタン1995年02月13日1990年代タリバーンの部隊,カーブル南方25キロのチャールアシアーブにあるヘクマティヤール首相派の本拠地を制圧。ヘクマティヤール首相,逃亡。
DIA-503-1995-02-14-1アフガニスタン1995年02月14日1990年代メスティリ国連特使,アフガン各派に停戦と国連の和平工作への参加を呼びかける声明を発表。
DIA-503-1995-02-15-1アフガニスタン1995年02月15日1990年代ラバニー大統領派とタリバーンは首都カーブルでの戦闘回避のための交渉を開始。
DIA-503-1995-02-15-2アフガニスタン1995年02月15日1990年代バーバル・パキスタン内相はカラチで,アフガニスタンのタリバーンをパキスタンが支援しているとの見方を否定,中立の立場をとっているとの声明を発表。
DIA-503-1995-02-18-1アフガニスタン1995年02月18日1990年代首都カーブルで,ラバニー大統領派とシーア派イスラーム統一党との間で戦闘発生。
DIA-503-1995-02-18-2アフガニスタン1995年02月18日1990年代メスティリ国連特使,タリバーンが制圧したチャールアシアーブで同派代表と会談。同特使,各派代表からなる暫定評議会を構成し,大統領が政権を委譲するという調停案を示し,同集団の理解を求めた。
DIA-503-1995-02-19-1アフガニスタン1995年02月19日1990年代タリバーン,西部のパクティカ県およびパクティア県を制圧,同派の制圧した県は全30県のうち10県に達したと発表。
DIA-503-1995-02-21-1アフガニスタン1995年02月21日1990年代ラバニー大統領派,暫定政権への権限委譲を拒否。タリバーンも国連和平案に条件をつけ協力を拒む。
DIA-503-1995-02-21-2アフガニスタン1995年02月21日1990年代メスティリ国連特使,政権委譲を3月21日に延期する旨発表。
DIA-503-1995-02-22-1アフガニスタン1995年02月22日1990年代メスティリ国連特使,ラバニー大統領が3月21日に辞任すると約束したと述べ,アフガン各派を代表するメカニズムを樹立することを検討,タリバーンもこのプロセスを妨害しない旨約束したと発表。
DIA-503-1995-02-24-1アフガニスタン1995年02月24日1990年代アジーズ・ムラード大統領報道官,ラバニー大統領が来月辞任することはないと発表。
DIA-503-1995-02-25-1アフガニスタン1995年02月25日1990年代カーブルでラバニー大続領派とイスラーム統一党が激しい砲撃戦,国連の呼び掛けた停戦が破られる。
DIA-503-1995-03-01-1アフガニスタン1995年03月01日1990年代カーブル放送,シーア派イスラーム統一党がカーブル西部に7発のロケットを撃ちこみ,4人が死亡4人が負傷したと報道。
DIA-503-1995-03-06-1アフガニスタン1995年03月06日1990年代ラバニー大統領派部隊,首都カーブル南西部を拠点とするシーア派イスラーム統一党の陣地に対して集中攻撃。
DIA-503-1995-03-11-1アフガニスタン1995年03月11日1990年代ラバニー大統領派,カーブル南西部に拠点を確保していたタリバーンとシーア派のイスラーム統一党に攻撃を加え,市内全域を制圧。
DIA-503-1995-03-12-1アフガニスタン1995年03月12日1990年代タリバーン,シーア派イスラーム統一党のアブドル・アリー・マザリー代表を捕虜にしたと発表。
DIA-503-1995-03-13-1アフガニスタン1995年03月13日1990年代シーア派イスラーム統一党のアブドル・アリー・マザリー代表,ヘリコプター事故で死亡。
DIA-503-1995-03-13-2アフガニスタン1995年03月13日1990年代ラバニー大統領,経済協力機構首脳会談のためイスラマバードを訪問。同大統領,タリバーンを含む国連和平案が成立しない限り,21日に政権を委譲する意志はない旨発表。
DIA-503-1995-03-13-3アフガニスタン1995年03月13日1990年代メスティリ国連特使,政権委譲は21日か今月末に実施される見込みと発表。
DIA-503-1995-03-14-1アフガニスタン1995年03月14日1990年代イラン外務省,シーア派イスラーム統一党のマザリー代表死亡事件に関し,タリバーンに責任があるとの非難声明を発表。
DIA-503-1995-03-19-1アフガニスタン1995年03月19日1990年代ラバニー大統領派,タリバーンの重要拠点チャールアシアーブを攻略,タリバーンはロガール県に撤退したと発表。
DIA-503-1995-03-20-1アフガニスタン1995年03月20日1990年代メスティリ国連特使,21日に予定されていたラバニー大続領の権力委譲は延期されたとの声明を発表。
DIA-503-1995-03-22-1アフガニスタン1995年03月22日1990年代ラバニー大統領派とタリバーン,カーブル南方で戦闘。
DIA-503-1995-03-27-1アフガニスタン1995年03月27日1990年代ラバニー大統領派,パキスタンがタリバーンを支援していると非難。国連の和平工作に関し,各県1名の代表で暫定機関を作る案を支持し,タリバーンの代表も認めると発表。
DIA-503-1995-04-01-1アフガニスタン1995年04月01日1990年代反ラバニー大統領で構成される最高調整評議会(ヘクマティヤール派ドストム将軍派,ムジャディディ派,イスラーム統一党(シーア派)),マザリシャリフにおける会合で,ムジャディディを評議会代表とすることに決定。
DIA-503-1995-04-04-1アフガニスタン1995年04月04日1990年代シーア派イスラーム統一党,カリーム・ハリリーを党首に任命。
DIA-503-1995-04-08-1アフガニスタン1995年04月08日1990年代アフガニスタンを基地にするタジキスタン反政府勢力,タジキスタンへ越境し,ロシア警備隊を攻撃。
DIA-503-1995-04-25-1アフガニスタン1995年04月25日1990年代ラバニー大統領派.ムジャヒディーン政権樹立3周年記念式典開催。
DIA-503-1995-04-25-2アフガニスタン1995年04月25日1990年代タジキスタン紛争協議,モスクワで開催。タジキスタン政府代表,反政府代表に加えドストム将軍,ラバニー大続領派代表も参加。
DIA-503-1995-04-26-1アフガニスタン1995年04月26日1990年代ドストム将軍派,代表団をカンダハールに派遣,捕虜交換について協議。
DIA-503-1995-05-03-1アフガニスタン1995年05月03日1990年代インド,カーブルに大使館を再開。
DIA-503-1995-05-09-1アフガニスタン1995年05月09日1990年代ラバニー大統領政権,首都の治安は回復されたとして各国に大使館を再開するよう呼び掛け。また米国,スイス,リビア,北朝鮮が再開を検討していると発表。
DIA-503-1995-05-13-1アフガニスタン1995年05月13日1990年代カーブル放送,ラバニー大続領派の政府軍が南西部の三つの県で,タリバーンに対し攻勢,ヘルマンド県およびファラー県を奪還したと発表。
DIA-503-1995-05-14-1アフガニスタン1995年05月14日1990年代カーブル放送,ラバニー大統領派部隊がタリバーン勢力を排除し,ニムルーズ県の県都ザランジを奪還したと発表。
DIA-503-1995-05-15-1アフガニスタン1995年05月15日1990年代外務省,タジクの反体制派の指導者サイード・アブドラー・ヌリーがラフモノフ・タジキスタン大統領と会談を行なうため,北部のタルカーンよりカーブルに到着したと発表。
DIA-503-1995-05-21-1アフガニスタン1995年05月21日1990年代在パキスタン・モンジョ米国大使,マザリシャリフを訪問,ドストム将軍と会談。
DIA-503-1995-05-23-1アフガニスタン1995年05月23日1990年代首都カーブルの南西30キロのマイダンシャールで,ラバニー大統領派の部隊とタリバーンが激戦。
DIA-503-1995-05-29-1アフガニスタン1995年05月29日1990年代サウジアラビアのトゥルキー中央情報局長官,アフガン問題に閲し,パキスタンにおいてプットー首相,アリー外相およびアフガン各派代表と会談。
DIA-503-1995-06-01-1アフガニスタン1995年06月01日1990年代在パキスタン・モンジョ米国大使,ジェララバードを訪問し,カディール県知事と会談。
DIA-503-1995-06-02-1アフガニスタン1995年06月02日1990年代ストックホルムにおいて,国連開発計画(UNDP)主催のアフガン支援非公式会合開催。
DIA-503-1995-06-12-1アフガニスタン1995年06月12日1990年代ラバニー大統領派とタリバーン,10日間の休戦に合意,ラバニー大統領派は6名のタリバーンの捕虜を釈放。
DIA-503-1995-06-12-2アフガニスタン1995年06月12日1990年代アフガン中央銀行,ウズベキスタン製の偽アフガン札が大量に北部に出回っているとして,同国を非難。
DIA-503-1995-06-13-1アフガニスタン1995年06月13日1990年代イスラーム諸国会議機構(OIC)の代表団,和平調停のためカーブルに到着。
DIA-503-1995-06-16-1アフガニスタン1995年06月16日1990年代国防省,ドストム将軍派勢力がカーブルならびにタンドゥーズ市に空爆を加え,数10人が重傷を負い,大統領官邸も被弾したと発表。
DIA-503-1995-07-01-1アフガニスタン1995年07月01日1990年代前国王の女婿アブドゥルワリー将軍,パキスタンを訪問しプットー・パキスタン首相と会見。
DIA-503-1995-07-03-1アフガニスタン1995年07月03日1990年代日本外務省の斉藤事務次官,国連から要請されたアフガニスタン紛争解決のための常駐政務官の派遣に関し,前向きな考えを示唆。
DIA-503-1995-07-04-1アフガニスタン1995年07月04日1990年代パキスタン訪問中の前国王女婿アブドルワーリー元将軍,ザーヒル前国王がアフガンに帰国する計画を持っていると発表。
DIA-503-1995-07-04-2アフガニスタン1995年07月04日1990年代ロシアのコズイレフ外相,国連でアフガン和平に対する積極的な対処を呼び掛ける声明を発表。
DIA-503-1995-07-11-1アフガニスタン1995年07月11日1990年代シーア派のハザーラ族の拠点である中部のバーミヤン県内でラバニー大統領派,ドストム将軍派,シーア派イスラーム統一党の間で戦闘が発生。
DIA-503-1995-07-21-1アフガニスタン1995年07月21日1990年代ラバニー大統領,メスティリ国連特使と会談,紛争解決には外国の介入を停止させる必要がある旨強調。
DIA-503-1995-07-21-2アフガニスタン1995年07月21日1990年代日本の外務省,アフガニスタン和平交渉に関連し国連から要請を受けている常駐政務官派遣の是非を判断するため,篠田中近東第2課長を団長とする調査団を現地に派遣(27日頃)することを決定したと発表。
DIA-503-1995-07-24-1アフガニスタン1995年07月24日1990年代ドストム将軍派報道官,同派およびシーア派イスラーム統一党が23日,中央部のバーミヤンをラバニー大統領派から奪還したと発表。
DIA-503-1995-08-03-1アフガニスタン1995年08月03日1990年代タリバーン,カンダハールにおいて同空域に飛来した2機のイリューシン76をカンダハール空港に強制着陸させ,パイロットとともに拘束。うち1機には機銃弾丸340万発,ロシア製対空機関砲砲弾2箱が搭載されており,同機はロシア連邦タターリスタン共和国発で,アルバニアで武器を積み,UAE経由でカーブルのラバニー大統領派に引渡す予定であった。
DIA-503-1995-08-15-1アフガニスタン1995年08月15日1990年代タリバーン指導者は強制着陸させられたロシア機乗員の釈放につき,ソ連のアフガン占領中にロシアに連行された6万人のアフガン人に関する情報が得られるまでは交渉を拒否と発表。
DIA-503-1995-08-22-1アフガニスタン1995年08月22日1990年代パキスタンとの国境地域でヘクマティヤール首相派とサヤーフ派による戦闘が発生。ラバニー大統領派,パキスタン領内のヘクマティヤール首相派軍事拠点を爆撃。
DIA-503-1995-08-28-1アフガニスタン1995年08月28日1990年代国防省,南部の要衝ギリシクがタリバーンによって陥落したと発表。
DIA-503-1995-08-31-1アフガニスタン1995年08月31日1990年代政府,カーブル南地区のダルラマーンがタリバーンの手に陥落したと発表。
DIA-503-1995-09-03-1アフガニスタン1995年09月03日1990年代タリバーン,南西部に位置するシンダンドの政府空軍基地を奪取したと発表。
DIA-503-1995-09-05-1アフガニスタン1995年09月05日1990年代タリバーン,ヘラート市を陥落させ,ボドゥギース県を制圧したと発表。
DIA-503-1995-09-06-1アフガニスタン1995年09月06日1990年代カーブルのパキスタン大使館にパキスタンのタリバーン支援に抗議する群集数千人が押し掛け放火。コヌニー国防相代行は,大使館の銃撃により学生が死亡したため,群集が怒って放火したと発表。
DIA-503-1995-09-07-1アフガニスタン1995年09月07日1990年代ガフォールザイ外務次官,パキスタンがタリバーンを支援してアフガニスタンに傀儡政権を樹立しようとしているとしてパキスタンを非難。
DIA-503-1995-09-08-1アフガニスタン1995年09月08日1990年代カーブル放送は7日,政府軍がカーブル南西30kmにあるマインンシャールにおいてタリバーンを駆逐したと発表。
DIA-503-1995-09-18-1アフガニスタン1995年09月18日1990年代シェイク・パキスタン外務次官,パキスタン国内のラバニー大統領派事務所を撤去させると語り,またインドがカーブル支援のため,1000人以上のインド兵がカーブル入りしていると発言。
DIA-503-1995-09-21-1アフガニスタン1995年09月21日1990年代タリバーン,ドバイから東部ジェララバードに向かって飛行していたアリアナ航空機をカンダハールに強制着陸させる。
DIA-503-1995-09-22-1アフガニスタン1995年09月22日1990年代パキスタンのアリー外相,ローマでザーヒル・シャー元国王とアフガン情勢につき意見交換を行う。
DIA-503-1995-10-01-1アフガニスタン1995年10月01日1990年代パキスタン政府,外交官6人を含むアフガン人17人に対し国外退去を命じる。
DIA-503-1995-10-24-1アフガニスタン1995年10月24日1990年代パキスタンのアリー外相,インドが300億ドル相当の武器援助をラバニー大統領派に行なっていると非難。
DIA-503-1995-10-29-1アフガニスタン1995年10月29日1990年代サヤーフ党首,東部のジェララバードにおいて,ラバニー大統領はハーレス党首に大統領職を委譲するとの大統領の意向を明らかにする。
DIA-503-1995-11-02-1アフガニスタン1995年11月02日1990年代米国務省ロビン・レイファル南アジア担当次官補,米国はアフガニスタン内戦に対し中立であり,どのグループも支持しないと述べ,特にタリバーン支援について否定。
DIA-503-1995-11-03-1アフガニスタン1995年11月03日1990年代パキスタンのバーバー内相,1日にペシャワールで発生した爆破事件はラバニー大統領派が関与している旨を示唆。
DIA-503-1995-11-06-1アフガニスタン1995年11月06日1990年代パキスタンのブットー首相,アフガン問題協議のためテヘランを訪問。
DIA-503-1995-11-07-1アフガニスタン1995年11月07日1990年代パキスタンのアリー外相,北部のマザリシャリフを訪問し,ドストム将軍と会談。
DIA-503-1995-11-07-2アフガニスタン1995年11月07日1990年代ヘクマティヤール派代表団,イランの仲介によりテヘランでラバニー大統領派と会談。
DIA-503-1995-11-11-1アフガニスタン1995年11月11日1990年代パキスタンのブットー首相,アフガン問題協議のためウズベキスタンを訪問,カリモフ大統領と会談。
DIA-503-1995-11-18-1アフガニスタン1995年11月18日1990年代国連のメスティリ特使,28名からなる暫定評議会案を提示,ラバニー大統領は右評議会への権限委譲に合意,反ラバニー大統領派は28名の半分が親ラバニー大統領派であることを理由に同提案を拒否。
DIA-503-1995-12-13-1アフガニスタン1995年12月13日1990年代国連安保理,アフガン各派に対し休戦と国連の仲介による交渉によって問題を解決するよう声明を発出。
DIA-503-1995-12-17-1アフガニスタン1995年12月17日1990年代タリバーンのロケット攻撃によりカーブルで3名が死亡し17名が負傷。
DIA-503-1995-12-19-1アフガニスタン1995年12月19日1990年代国連総会,アフガン各派に対し,武力による紛争解決を放棄し,早期和平を達成するよう呼びかけ,4人の常駐政務官のアフガン派遣を決定する決議を全会一致で採択。
DIA-503-1995-12-19-2アフガニスタン1995年12月19日1990年代国連,西側諸国に対し110万のカーブル市民が越冬するための緊急援助が必要であるとの支援要請を発出。
DIA-503-1995-12-20-1アフガニスタン1995年12月20日1990年代ロシアのチェルニシェフ外務次官,タリバーンがロシア人人質の釈放に原則合意したと発表。
DIA-503-1995-12-21-1アフガニスタン1995年12月21日1990年代ペシャワールで死者45人,負傷者112人にのぼる爆破事件が発生。パキスタン当局,インドの情報機関とアフガン秘密警察が事件に関与した可能性があると発表。
DIA-503-1995-12-21-2アフガニスタン1995年12月21日1990年代タリバーン,ロシア人の人質7名を条件が整えば10日以内に釈放すると発表。
DIA-503-1995-12-22-1アフガニスタン1995年12月22日1990年代ラバニー政権,パキスタンのペシャワールでの爆破事件への関与を否定。
DIA-503-1995-12-25-1アフガニスタン1995年12月25日1990年代パキスタン警察,100人以上のアフガン人を不法滞在で逮捕したと発表。
DIA-503-1995-12-29-1アフガニスタン1995年12月29日1990年代イランのボルージェルディー外務次官,マザリシャリフを訪問,ドストム将軍に対しラバニー大統領との会談の要請を行なう。
DIA-503-1996-01-03-1アフガニスタン1996年01月03日1990年代イランのボル・ジェルディ外務次官,タリバーンとの協議のためカンダハールを訪問。
DIA-503-1996-01-04-1アフガニスタン1996年01月04日1990年代タリバーン,イランの和平調停を拒否したと発表。
DIA-503-1996-01-08-1アフガニスタン1996年01月08日1990年代カーブル放送,タリバーンがカーブルに77発のロケットを撃ちこみ,8人が死亡,23人が負傷したと報道。
DIA-503-1996-01-10-1アフガニスタン1996年01月10日1990年代アフガニスタンのラバニー大統領派マスード司令官,反政府勢力に対し政権委譲案を提示。
DIA-503-1996-01-11-1アフガニスタン1996年01月11日1990年代タリバーンおよび反ラバニー大統領で構成される最高調整評議会(ヘクマティヤール派,ドストム将軍派,ムジャディディ派,イスラーム統一党[シーア派]は,ラバニー大統領派の和平提案を拒否と発表。
DIA-503-1996-01-21-1アフガニスタン1996年01月21日1990年代カーブル放送,ラバニー大統領派が断食月休戦を提案したと報道。
DIA-503-1996-01-22-1アフガニスタン1996年01月22日1990年代タリバーン,ラバニー大統領派の休戦提案を拒否。
DIA-503-1996-01-22-2アフガニスタン1996年01月22日1990年代パキスタン外務省,ラバニー政権より,カーブルのパキスタン大使館焼き打ちに対する補償の打診を受けていると発表。
DIA-503-1996-01-23-1アフガニスタン1996年01月23日1990年代ヘクマティヤール派およびドストム派,ラバニー派の休戦提案を拒否。
DIA-503-1996-02-01-1アフガニスタン1996年02月01日1990年代ラバニー政権,在カーブル・パキスタン大使館の放火事件に関し,遺憾の意を表明,賠償を行なうとの書簡を送付。
DIA-503-1996-02-07-1アフガニスタン1996年02月07日1990年代ドストム将軍,パキスタンのレガリー大統領,ブットー首相との会談のため,パキスタンを訪問。
DIA-503-1996-02-10-1アフガニスタン1996年02月10日1990年代イスラマバードにおいて,反ラバニー大統領派の最高調整評議会会合,開催。ヘクマティヤール党首,ドストム将軍,ムジャディディ党首が出席。
DIA-503-1996-02-15-1アフガニスタン1996年02月15日1990年代国連安保理,アフガン各派に対し戦闘の即時停止を要請する議長声明を採択。
DIA-503-1996-02-23-1アフガニスタン1996年02月23日1990年代タリバーン,ヘクマティヤール元首相によるラバニー大統領との和平交渉を拒否。
DIA-503-1996-03-05-1アフガニスタン1996年03月05日1990年代ラバニー政権,パキスタンがアフガニスタンとトルクメニスタンをつなぐ同国内の道路建設プロジェクトに関与していることに関し,内政干渉と強く批判する声明を発表。
DIA-503-1996-03-07-1アフガニスタン1996年03月07日1990年代パキスタン外務省,アフガニスタン道路建設プロジェクトは1993年8月のトルクメニスタンを含む3国合意に従っており,ラバニー政権が反対することは理解できない旨発表。
DIA-503-1996-04-08-1アフガニスタン1996年04月08日1990年代米国のハンク・ブラウン議員(共和党),ラバニー政権のマスード司令官と会見。マスード司令官,同議員に対し,タリバーンへの支援を停止すべくパキスタンに圧力をかけることを要請。
DIA-503-1996-04-13-1アフガニスタン1996年04月13日1990年代ラバニー大統領筋,ヘラート奪還のため大規模な攻撃を開始し,12日の戦闘で,ヘラート近郊のタリバーンの基地を急襲,49人を捕虜にしたと発表。
DIA-503-1996-04-14-1アフガニスタン1996年04月14日1990年代ラバニー大統領派部隊,ゴール県の一部を制圧,ヘラート県に侵入。
DIA-503-1996-04-19-1アフガニスタン1996年04月19日1990年代米国務省ロビン・レイフェル南アジア担当次官補,カーブルを訪問,ラバニー大統領と会談。
DIA-503-1996-04-20-1アフガニスタン1996年04月20日1990年代米国務省ロビン・レイフェル南アジア担当次官補,タリバーン代表団と会談,タリバーンは,米国の支援を要請。
DIA-503-1996-05-08-1アフガニスタン1996年05月08日1990年代ラバニー政権,パキスタンとの関係改善のため代表団をイスラマバードに派遣。
DIA-503-1996-05-20-1アフガニスタン1996年05月20日1990年代カーブル放送,ラバニー大統領がヘクマティヤール元首相と会談したと報道。
DIA-503-1996-05-24-1アフガニスタン1996年05月24日1990年代ラバニー大統領,イスラーム党を率いるヘクマティヤール元首相と和平協定に合意。
DIA-503-1996-05-27-1アフガニスタン1996年05月27日1990年代タリバーン,新たな反ラバニー大統領勢力結成のためアフガン各派を招聘したと報道。
DIA-503-1996-05-28-1アフガニスタン1996年05月28日1990年代国連,メスティリ特使の辞任を発表。
DIA-503-1996-06-01-1アフガニスタン1996年06月01日1990年代カーブル放送,タリバーンがコール県県都チャクチャラーンを制圧したと発表。
DIA-503-1996-06-06-1アフガニスタン1996年06月06日1990年代カンダハールで開催されていた反ラバニー大統領勢力(タリバーン,ハーレス派,ムハンマデイ派,ギラニー派,ムジャディディ派)による会議は,ラバニー大統領の退陣を求める共同宣言を発表。
DIA-503-1996-06-21-1アフガニスタン1996年06月21日1990年代アフガニスタン反政府勢力のヘクマティヤール派は,同派党首が28日首相に就任する旨発表。
DIA-503-1996-06-25-1アフガニスタン1996年06月25日1990年代アフガン北部マザリシャリフで,ドストム将軍派のラスール・バルワン将軍が射殺されたとの報道。
DIA-503-1996-06-26-1アフガニスタン1996年06月26日1990年代ヘクマティヤール党首,カーブルにて首相就任。タリバーンが,23発のロケット弾をカーブルに撃ちこみ,15人死亡,40人が負傷。
DIA-503-1996-06-28-1アフガニスタン1996年06月28日1990年代ラバニー大統領,反政府派説得のためジェララバードに到着。
DIA-503-1996-07-03-1アフガニスタン1996年07月03日1990年代ラバニー大統領,ヘクマティヤール内閣の閣僚10人を任命。ヘクマティヤール首相派は国防相および蔵相のポストを獲得,ラバニー大統領派は,内相および外相のポストを維持。
DIA-503-1996-07-06-1アフガニスタン1996年07月06日1990年代ヘクマティヤール内閣樹立。
DIA-503-1996-07-10-1アフガニスタン1996年07月10日1990年代国連,ホル独外務省南アジア課長を国連アフガニスタン特別ミッション特使に任命。
DIA-503-1996-07-15-1アフガニスタン1996年07月15日1990年代ドストム将軍派,イスラーム統一党(シーア派),ギラニー派,ムジャディディ派,ナンガラハール県自治組織(カディール知事),平和のための拡大イスラーム民族戦線を結成。
DIA-503-1996-07-17-1アフガニスタン1996年07月17日1990年代ドストム将軍派,ギラニー派,ムジャディディ派,イスラーム統一党(シーア派),ナンガラハール県(カディール知事),マザリシャリフでラバニー大統領の権限委譲を求める和平戦線を結成。
DIA-503-1996-08-10-1アフガニスタン1996年08月10日1990年代カヌニー内相を団長とするラバニー政権代表団,パキスタン政府との協議のためイスラマバードを訪問。
DIA-503-1996-08-12-1アフガニスタン1996年08月12日1990年代ラバニー派政権,ドストム将軍派との休戦に合意したと発表。パキスタンのアリー外相,同国大使館をカーブルに再開することに合意,事前調査ミッションの派遣を発表。
DIA-503-1996-08-13-1アフガニスタン1996年08月13日1990年代ドストム将軍派,ラバニー派との休戦を否定。
DIA-503-1996-08-16-1アフガニスタン1996年08月16日1990年代タリバーンに拘束されていたロシア人がアラブ首長国連邦のシャルジャに脱出。
DIA-503-1996-08-29-1アフガニスタン1996年08月29日1990年代ラバニー政権,ドストム将軍派との合意により,カーブルと北部を結ぶトンネルが2年ぶりに再開したと報道。
DIA-503-1996-08-29-2アフガニスタン1996年08月29日1990年代ラバニー政権,タリバーンからの防衛のため,戦略上の要衝,サロビに数百の部隊を派遣。
DIA-503-1996-08-30-1アフガニスタン1996年08月30日1990年代日本外務省,国連アフガニスタン特別ミッションに政務官派遣を決定。
DIA-503-1996-09-11-1アフガニスタン1996年09月11日1990年代ラバニー政権,東部のジェララバードがタリバーンによって陥落と発表。
DIA-503-1996-09-12-1アフガニスタン1996年09月12日1990年代パキスタン外務省,パキスタンがタリバーンを支援しているとのラバニー政権の非難を事実無根であると否定。
DIA-503-1996-09-13-1アフガニスタン1996年09月13日1990年代タリバーン,ラグマン県およびクナール県を攻略したと報道。
DIA-503-1996-09-14-1アフガニスタン1996年09月14日1990年代グールディグ国連政務担当事務次長,カーブルを訪問しラバニー大統領とアフガン問題につき協議。
DIA-503-1996-09-24-1アフガニスタン1996年09月24日1990年代タリバーン,カーブル東方約70キロメートルのサロビを陥落。
DIA-503-1996-09-24-2アフガニスタン1996年09月24日1990年代タリバーン,ジェララバードの議会で,イスラームの原理に従うためには顎髭をはやさなければならない,タバコの禁煙,また女性が外出する際にはベールを着用する,などを義務づけたと報道。
DIA-503-1996-09-25-1アフガニスタン1996年09月25日1990年代ラバニー政権,タリバーンの進撃に対し国連安保理の緊急会合開催を要請,パキスタンの内政干渉を非難する声明を発表。
DIA-503-1996-09-27-1アフガニスタン1996年09月27日1990年代タリバーン,首都カーブルを制圧,イスラーム国家樹立を宣言。
DIA-503-1996-09-27-2アフガニスタン1996年09月27日1990年代タリバーン,ナジブラー元大統領を処刑。
DIA-503-1996-09-27-3アフガニスタン1996年09月27日1990年代タリバーンのウマル最高指導者,暫定政府を樹立。最高評議会議長にムラー・ラバニーを任命。
DIA-503-1996-09-27-4アフガニスタン1996年09月27日1990年代ラバニー政権のガフォールザイ外務次官,政府はカーブルから戦略的に撤退したと発表。
DIA-503-1996-09-28-1アフガニスタン1996年09月28日1990年代タリバーン,カーブル北方のバルワン県の県都チャリカールを制圧したと発表。
DIA-503-1996-09-28-2アフガニスタン1996年09月28日1990年代国連安保理,タリバーンのカーブル攻略を受けアフガン各派に対し,即時停戦と武力行使の放棄を呼びかける議長声明を採択。
DIA-503-1996-09-30-1アフガニスタン1996年09月30日1990年代タリバーン,カーブル北方の戦略的要衝ジャバルサラージを陥落。
DIA-503-1996-10-01-1アフガニスタン1996年10月01日1990年代タリバーン,ラバニー派の部隊を追撃してパンジシール渓谷に進攻。
DIA-503-1996-10-04-1アフガニスタン1996年10月04日1990年代ロシアおよびCIS5カ国首脳,カザフスタンのアルマトイでアフガン情勢につき緊急会合。アフガン各派に対し戦闘の停止と和平交渉を呼びかける声明を発表。
DIA-503-1996-10-05-1アフガニスタン1996年10月05日1990年代ロシアのプリマコフ外相,タジキスタンのラフマノフ外相と会談,タジキスタンとアフガニスタン国境の警備強化を決定。
DIA-503-1996-10-06-1アフガニスタン1996年10月06日1990年代アフガニスタン北部のバンジシール渓谷でタリバーンとラバニー派部隊,激しい戦闘を展開。
DIA-503-1996-10-07-1アフガニスタン1996年10月07日1990年代マスード司令官,タリバーンに対する反撃を開始。
DIA-503-1996-10-07-2アフガニスタン1996年10月07日1990年代米国務省,タリバーンの極端な政策に対し強い懸念を抱いている旨発表。
DIA-503-1996-10-08-1アフガニスタン1996年10月08日1990年代ラバニー大統領,マザリシャリフにてドストム将軍と会談。
DIA-503-1996-10-09-1アフガニスタン1996年10月09日1990年代マスード司令官率いるラバニー派部隊,タリバーンをサーラング峠で撃退したと報道。
DIA-503-1996-10-11-1アフガニスタン1996年10月11日1990年代国連信任状委員会,アフガニスタンの国連代表権問題に関し,討議の見送りを決定。
DIA-503-1996-10-12-1アフガニスタン1996年10月12日1990年代ラバニー大統領派のマスード司令官,チャリカールを奪還。
DIA-503-1996-10-14-1アフガニスタン1996年10月14日1990年代国連筋,タリバーンによるカーブル制圧以降,1万人に及ぶアフガン人がパキスタンに避難したと報道。
DIA-503-1996-10-15-1アフガニスタン1996年10月15日1990年代ドストム将軍,マザリシャリフにおいてタリバーンのムラーガウス外相代行,イスラーム統一党(シーア派)ハリリ党首およびパキスタンのバーバル内相と会談。
DIA-503-1996-10-15-2アフガニスタン1996年10月15日1990年代マスード司令官,カーブル北方のバグラム空軍基地をタリバーンから奪還。
DIA-503-1996-10-15-3アフガニスタン1996年10月15日1990年代国際赤十字委員会,アフガニスタンの最近の戦闘で800人が負傷したと発表。
DIA-503-1996-10-15-4アフガニスタン1996年10月15日1990年代日本の小和田国連大使,安保理でアフガン各派による和平会議を日本で開催することを提案。
DIA-503-1996-10-17-1アフガニスタン1996年10月17日1990年代ガービド・イスラーム諸国会議機構(OIC)事務総長,アフガン各派に紛争の平和的政治解決を呼びかける声明を発表。
DIA-503-1996-10-18-1アフガニスタン1996年10月18日1990年代ラバニー派部隊,首都カーブル近郊に迫る。
DIA-503-1996-10-18-2アフガニスタン1996年10月18日1990年代パキスタンのレガリー大統領,ウズベキスタンを訪問し,カリモフ大統領とアフガン情勢に関し会談。
DIA-503-1996-10-23-1アフガニスタン1996年10月23日1990年代マザリシャリフにおいて,ホル国連特使およびパキスタンのバーバル内相の調停による停戦協議が開催。ラバニー派がカーブルの非軍事化を要求,停戦交渉決裂。
DIA-503-1996-10-25-1アフガニスタン1996年10月25日1990年代タリバーン,アフガン西部のバードギース県においてドストム将軍派と軍事衝突。
DIA-503-1996-10-27-1アフガニスタン1996年10月27日1990年代タリバーン,暫定政権の閣僚名簿を発表。
DIA-503-1996-10-27-2アフガニスタン1996年10月27日1990年代トルクメニスタン政府とユニカル(米国の石油会社),トルクメニスタンからアフガニスタンを経由してパキスタンにいたる天然ガス・パイプラインを敷設する契約に調印。サウジ・アラビアのデルタ・オイルおよびロシアのガスプロム社も共同出資。
DIA-503-1996-10-29-1アフガニスタン1996年10月29日1990年代タリバーン,ドストム派に対して聖戦を宣言。
DIA-503-1996-11-02-1アフガニスタン1996年11月02日1990年代タリバーン,アフガニスタン西部でドストム将軍派部隊を破り,バドギース県のムルガブ川地区を制圧。
DIA-503-1996-11-05-1アフガニスタン1996年11月05日1990年代タリバーンのムッタキー情報相代行,イランが反政府勢力に軍事的支援を行なっていると非難。
DIA-503-1996-11-07-1アフガニスタン1996年11月07日1990年代ホル国連特使,タリバーンのガウス外相代行とドストム将軍派のボーエンダ将軍がイスラマバードにて停戦協定につき協議した旨発表。
DIA-503-1996-11-11-1アフガニスタン1996年11月11日1990年代ラバニー大統領,世界食糧サミット出席のためローマを訪問,インドのゴウダ首相と会談。
DIA-503-1996-11-16-1アフガニスタン1996年11月16日1990年代タリバーン,ハミッド・カルザイ前外務次官を国連大使に任命する予定であると発表。
DIA-503-1996-11-17-1アフガニスタン1996年11月17日1990年代国連高等弁務官事務所(UNHCR),アフガニスタン西部のバードギース県におけるタリバーンとドストム将軍派との戦闘において,1万人の住民がヘラートに避難したと発表。
DIA-503-1996-11-17-2アフガニスタン1996年11月17日1990年代タリバーンのムタキー情報相代行,国連はタリバーンを政府承認しないとして非難。
DIA-503-1996-11-20-1アフガニスタン1996年11月20日1990年代UNHCR,タリバーンがUNHCR職員を脅迫・逮捕したことからカーブルにおける難民プログラムを一時凍結すると発表。
DIA-503-1996-12-01-1アフガニスタン1996年12月01日1990年代バブラック・カールマル元大統領,モスクワで病死。ソ連軍のアフガン進攻により共産党政権を樹立。
DIA-503-1996-12-05-1アフガニスタン1996年12月05日1990年代ラバニー大統領,イランのラフサンジャニー大統領と会談。
DIA-503-1996-12-07-1アフガニスタン1996年12月07日1990年代タリバーン,タジキスタン反政府指導者を乗せた国連機を強制着陸させたと発表。
DIA-503-1996-12-09-1アフガニスタン1996年12月09日1990年代パキスタン政府,タリバーンがアフガニスタンを通過するガス・パイプラインの建設に同意したと発表。
DIA-503-1996-12-10-1アフガニスタン1996年12月10日1990年代OIC,ジャカルタにおける定期外相会議においてアフガニスタンの議席を空席にする旨決定。
DIA-503-1996-12-11-1アフガニスタン1996年12月11日1990年代UNHCR,凍結中の難民プログラムを再開した旨発表。
DIA-503-1996-12-11-2アフガニスタン1996年12月11日1990年代ロイター,タリバーンがカーブルを制圧以来約4万人がカーブルを避難したと報道。
DIA-503-1996-12-12-1アフガニスタン1996年12月12日1990年代ホル国連特使,ドストム将軍との会談で同将軍がタリバーンと和平交渉を行なう用意がある旨述べたと発表。
DIA-503-1996-12-16-1アフガニスタン1996年12月16日1990年代サウジアラビアの反体制派指導者オサーマ・ビン・ラーディンがタリバーンの庇護を受けてジェララバードに滞在していると報道。
DIA-503-1996-12-18-1アフガニスタン1996年12月18日1990年代タリバーンのスタナクザイ外務次官代行,アフガニスタンを通過するガス・パイプライン建設につき,米国のユノカルとサウジアラビアのデルタ・オイルのコンソーシアム,韓国の大宇およびアルゼンチンのブリダスの3者によって争われていると述べ,まだ契約には至っていない旨発表。
DIA-503-1997-01-13-1アフガニスタン1997年01月13日1990年代国連,アフガン各派実務者会合をパキスタンのイスラマバードで開催(~15日)。
DIA-503-1997-01-16-1アフガニスタン1997年01月16日1990年代タリバーン,カーブル北方のバグラム空軍基地およびチャリカール市を奪取。
DIA-503-1997-01-21-1アフガニスタン1997年01月21日1990年代国連,アフガン援助会議をトルクメニスタンのアシガバードにて開催(~22日)。
DIA-503-1997-01-23-1アフガニスタン1997年01月23日1990年代タリバーン,カーブル北方のジャバルサラージ,グルバハールおよびゴルバンドを制圧。
DIA-503-1997-01-25-1アフガニスタン1997年01月25日1990年代イラン政府,テヘランでアフガン各派会合,開催(~26日)。タリバーンは不参加。
DIA-503-1997-02-21-1アフガニスタン1997年02月21日1990年代パキスタン政府,アフガン国内の反タリバーン勢力を支援する反タリバーン分子に国外退去を命じると発表。
DIA-503-1997-02-24-1アフガニスタン1997年02月24日1990年代国連,第2回アフガン各派実務者会合をイスラマバードにて開催(~26日)。
DIA-503-1997-02-25-1アフガニスタン1997年02月25日1990年代タリバーンのムッタキー情文相,シーア派イスラーム統一党が皮配するアフガン中央山岳地帯に攻め入りシェイフ・アリーを攻略したと発表。
DIA-503-1997-03-02-1アフガニスタン1997年03月02日1990年代タリバーン,報道関係者に対し,人物の撮影を禁ずる旨発表。タリバーンはすでに96年9月に禁止命令を発表。
DIA-503-1997-03-05-1アフガニスタン1997年03月05日1990年代タリバーンのムッタキー情文相,サウジアラビア反体制派の指導者オサーマ・ビン・ラーディンはゲストであり,アフガニスタンを離れるよう圧力を加える考えはない旨の声明を発表。
DIA-503-1997-03-07-1アフガニスタン1997年03月07日1990年代タリバーン,国連および米国に対し,今後とも国連の代表権の賦与等を求めるため,ニューヨークに事務所を開設すると発表。
DIA-503-1997-03-20-1アフガニスタン1997年03月20日1990年代タリバーンのシャリーア放送,アフガニスタンの新年の祭であるナウルーズは非イスラーム的であるとして禁止する旨発表。
DIA-503-1997-03-26-1アフガニスタン1997年03月26日1990年代日本政府,アフガン紛争各派4派のうちタリバーンを除く3派の代表を非公式に日本に招待。
DIA-503-1997-04-09-1アフガニスタン1997年04月09日1990年代ロイター,小麦粉の不足のためカーブルにおけるパンの値段が急騰と報道。
DIA-503-1997-04-09-2アフガニスタン1997年04月09日1990年代タリバーンのムッタキー情文相,サウジアラビアの反体制派指導者オサーマ・ビン・ラーディンがカンダハールにいると発言。
DIA-503-1997-04-16-1アフガニスタン1997年04月16日1990年代タリバーンの指揮官,バーミヤンの大仏遺跡を破壊すると発言。
DIA-503-1997-05-19-1アフガニスタン1997年05月19日1990年代マレック将軍,ドストム将軍に対し叛乱。
DIA-503-1997-05-19-2アフガニスタン1997年05月19日1990年代タリバーン,反タリバーンの重鎮イスマイール元ヘラート知事を逮捕。
DIA-503-1997-05-24-1アフガニスタン1997年05月24日1990年代マレック将軍,マザリシャリフを掌握。ドストム将軍,同市を脱出。
DIA-503-1997-05-24-2アフガニスタン1997年05月24日1990年代タリバーン,ラザック・ヘラート知事をアフガン北部司令官に,マレック将軍を外務次官に任命すると発表。
DIA-503-1997-05-25-1アフガニスタン1997年05月25日1990年代ドストム将軍,アフガニスタンを脱出,トルコに到着。
DIA-503-1997-05-25-2アフガニスタン1997年05月25日1990年代パキスタン,タリバーンを政府承認。
DIA-503-1997-05-27-1アフガニスタン1997年05月27日1990年代マザリシャリフにおいて,武装解除しようとしたタリバーンとシーア派イスラーム統一党との間で武力衝突。
DIA-503-1997-05-28-1アフガニスタン1997年05月28日1990年代タリバーンとマレック将軍派部隊の間で戦闘が発生。
DIA-503-1997-05-31-1アフガニスタン1997年05月31日1990年代ラバニー派のマスード指揮官,カーブル北方のジャバルサラージ市をタリバーンから奪還。
DIA-503-1997-06-11-1アフガニスタン1997年06月11日1990年代反タリバーン勢力,タリバーンが制圧していたアフガン北部の要衝プリホムリを制圧。
DIA-503-1997-06-17-1アフガニスタン1997年06月17日1990年代タリバーン,アフガン北部のクンドゥーズ市を攻略。
DIA-503-1997-06-30-1アフガニスタン1997年06月30日1990年代シーア派イスラーム統一党,ハザラジャード地方のシバルトゥーにおいて空港を開設。
DIA-503-1997-07-17-1アフガニスタン1997年07月17日1990年代日本政府,タリバーン代表団を日本に招待。
DIA-503-1997-07-20-1アフガニスタン1997年07月20日1990年代マスード指揮官,カーブル北方のチャリカール,バグラム空軍基地を攻略。
DIA-503-1997-08-13-1アフガニスタン1997年08月13日1990年代反タリバーン勢力,連合政府の内閣改造によりガフォールザイ外相が首相,マスード指揮官が国防相,マレック将軍が外相に就任と発表。
DIA-503-1997-08-14-1アフガニスタン1997年08月14日1990年代ブラヒミ国連アフガン問題特使,日本を含むアフガン関係諸国を訪問(~23日)。
DIA-503-1997-08-21-1アフガニスタン1997年08月21日1990年代ガフォールザイ首相およびシーア派イスラーム統一党最高幹部等がバーミヤンにおける航空機事故にて死亡。
DIA-503-1997-09-08-1アフガニスタン1997年09月08日1990年代タリバーン,アフガン北部のホルム市を制圧。
DIA-503-1997-09-09-1アフガニスタン1997年09月09日1990年代タリバーン,アフガン北部のマザリシャリフに対して激しい軍事攻勢を実施。マレック将軍,同市を脱出。
DIA-503-1997-09-12-1アフガニスタン1997年09月12日1990年代ドストム将軍,マザリシャリフに帰還。
DIA-503-1997-09-17-1アフガニスタン1997年09月17日1990年代タリバーン,ウズベキスタンとの国境の町ハイラトンを制圧したと発表。
DIA-503-1997-09-23-1アフガニスタン1997年09月23日1990年代ブラヒミ特使,ニューヨークにおいて,アフガン各派代表および関係諸国と協議。
DIA-503-1997-09-29-1アフガニスタン1997年09月29日1990年代ボニノEU弁務官一行,カーブルにおいて病院を視察中に逮捕。即時釈放。
DIA-503-1997-10-01-1アフガニスタン1997年10月01日1990年代アナン国連事務総長,アフガン関係諸国会合(グループ21)を開催。
DIA-503-1997-10-03-1アフガニスタン1997年10月03日1990年代反タリバーン勢力,マザリシャリフ郊外のカライジャンギーを奪還したと発表。
DIA-503-1997-10-07-1アフガニスタン1997年10月07日1990年代反タリバーン勢力,ハイラトンを奪還したと発表。
DIA-503-1997-10-13-1アフガニスタン1997年10月13日1990年代タリバーン,シーア派イスラーム統一党が皮配するバーミヤンを爆撃。
DIA-503-1997-10-13-2アフガニスタン1997年10月13日1990年代反タリバーン勢力,アフガン北部のタシクルガンを攻略。
DIA-503-1997-10-16-1アフガニスタン1997年10月16日1990年代ブラヒミ国連特使,アフガン近隣諸国・米・ロによるアフガン問題会合を主催。
DIA-503-1997-10-23-1アフガニスタン1997年10月23日1990年代国連本部,ホル国連アフガニスタン特別ミッション特使の辞任を発表。
DIA-503-1997-10-25-1アフガニスタン1997年10月25日1990年代アフガニスタンを経由する中央アジアの天然ガス・パイプラインプロジェクトに関し,コンソーシアムの設立が,米国のユノカル,サウジアラビアのデルタ・オイル,日本の伊藤忠,韓国およびロシアのガスプロム等によって合意。
DIA-503-1997-10-26-1アフガニスタン1997年10月26日1990年代タリバーン,アフガニスタンの国名をアフガニスタン・イスラーム国からアフガニスタン・イスラーム首長国に変更。
DIA-503-1997-11-03-1アフガニスタン1997年11月03日1990年代イスラーム国民運動内のドストム将軍派とマレック将軍派がアフガン西部で武力衝突。ドストム将軍派,アンホイを占領。
DIA-503-1997-11-08-1アフガニスタン1997年11月08日1990年代ロイター,アフガン中央山岳地帯ハザラジャードでは不作およびタリバーンによる経済封鎖のため食糧不足と報道。
DIA-503-1997-11-17-1アフガニスタン1997年11月17日1990年代マレック将軍派によって殺害された大量のタリバーン兵士の遺体を発見。
DIA-503-1997-11-18-1アフガニスタン1997年11月18日1990年代パキスタン訪問中のオルブライト米国務長官,タリバーンの人権政策を批判。
DIA-503-1997-11-23-1アフガニスタン1997年11月23日1990年代ドストム将軍派,マレック将軍の拠点マイマナを制圧。同将軍はトルクメニスタンに逃亡。
DIA-503-1997-11-26-1アフガニスタン1997年11月26日1990年代ドストム将軍,捕虜交換のため代表をカンダハールに派遣。タリバーン,捕虜交換に同意。
DIA-503-1997-12-01-1アフガニスタン1997年12月01日1990年代イラン政府,アフガン各派会合をイスファハーンにて開催。
DIA-503-1997-12-03-1アフガニスタン1997年12月03日1990年代国連,アフガン支援国グループ会合をニューヨークにて開催。
DIA-503-1997-12-08-1アフガニスタン1997年12月08日1990年代シーア派イスラーム統一党,タリバーンの捕虜11人を釈放。
DIA-503-1997-12-22-1アフガニスタン1997年12月22日1990年代ラバニー“大統領”,パキスタン訪問。パキスタン政府首脳と会談(23日)。
DIA-503-1998-01-02-1アフガニスタン1998年01月02日1990年代タリバーンによるアフガン北西部ファリヤーブ県カイサール郡住民に対する虐殺事件発生。
DIA-503-1998-01-07-1アフガニスタン1998年01月07日1990年代カンダハール県のアルガンドーブ地方においてタリバーンに対する住民による叛乱勃発。ムラー・ナキーブ前カンダハール県知事がタリバーンによる襲撃を受け,重傷。
DIA-503-1998-02-04-1アフガニスタン1998年02月04日1990年代タホール県のロスタックにおいて震度6の大地震。
DIA-503-1998-02-27-1アフガニスタン1998年02月27日1990年代タリバーンのウマル最高指導者,反タリバーン勢力が提出した宗教者会合の出席者リストを拒否。
DIA-503-1998-03-05-1アフガニスタン1998年03月05日1990年代イスラーム党ヘクマティヤール党首が出席した反タリバーン勢力指導者会合がマザリシャリフにて開催。
DIA-503-1998-03-13-1アフガニスタン1998年03月13日1990年代アフガニスタンとウズベキスタンの国境の町ハイラトンにおいて,ドストム将軍派とイスラーム統一党の部隊が軍事衝突。
DIA-503-1998-03-15-1アフガニスタン1998年03月15日1990年代アフガン北部のマザリシャリフにおいてドストム将軍派とイスラーム統一党による軍事衝突。
DIA-503-1998-03-31-1アフガニスタン1998年03月31日1990年代ブラヒミ国連特使,カリモフ・ウズベキスタン大統領と会談。
DIA-503-1998-04-02-1アフガニスタン1998年04月02日1990年代ブラヒミ国連特使,ニヤゾフ・トルクメニスタン大統領と会談。
DIA-503-1998-04-05-1アフガニスタン1998年04月05日1990年代反タリバーン指導者,トルクメニスタンのアシハバードにおいて国連のブラヒミー特使と会談。タリバーンが提案した宗教者会合開催を受諾する旨発表。
DIA-503-1998-04-17-1アフガニスタン1998年04月17日1990年代米国のリチャードソン国連大使,アフガニスタンにおいてタリバーンおよび反タリバーン勢力指導者と会談。双方が27日までに宗教者会合運営委員会を開催することに合意したと発表。
DIA-503-1998-04-27-1アフガニスタン1998年04月27日1990年代国連およびイスラム諸国会議機構(OIC)が主催するタリバーンおよび反タリバーン勢力による宗教者第1回運営委員会がイスラマバードにて開催(~5月3日)。
DIA-503-1998-05-05-1アフガニスタン1998年05月05日1990年代アフガン支援グループ第3回会合がロンドンにて開催。
DIA-503-1998-05-06-1アフガニスタン1998年05月06日1990年代タリバーン,国連によるアフガニスタン中央山岳地帯ハザーラジャードに対する1000トンの緊急食糧援助を許可すると発表。
DIA-503-1998-05-30-1アフガニスタン1998年05月30日1990年代アフガニスタン北部タホール県において大地震が発生,100人以上が死亡。
DIA-503-1998-06-03-1アフガニスタン1998年06月03日1990年代ドストム将軍派,アフガン西部のバラ・モルガーブを攻略。
DIA-503-1998-07-08-1アフガニスタン1998年07月08日1990年代タリバーン,テレビがイスラームの教義に反するとして破棄する布告を発令。
DIA-503-1998-07-12-1アフガニスタン1998年07月12日1990年代タリバーン,アフガン北西部のドストム将軍派の根拠地シベルガンを制圧。
DIA-503-1998-07-14-1アフガニスタン1998年07月14日1990年代国連安保理,アフガン情勢につき重大な懸念を有している旨の議長声明を発出。
DIA-503-1998-08-06-1アフガニスタン1998年08月06日1990年代国連安保理議長,タリバーンによる北部侵攻に対し,懸念と停戦を呼びかける声明を発出。
DIA-503-1998-08-08-1アフガニスタン1998年08月08日1990年代タリバーン,北部の中心地マザリシャリフを制圧。
DIA-503-1998-08-08-2アフガニスタン1998年08月08日1990年代在マザリシャリフ・イラン総領事館外交官行方不明事件発生。
DIA-503-1998-08-11-1アフガニスタン1998年08月11日1990年代タリバーン,アフガン北部のマスード指揮官の拠点タルカーンを制圧。
DIA-503-1998-08-19-1アフガニスタン1998年08月19日1990年代タリバーンのウマル最高指導者,アフガニスタンに滞在するイスラム過激派の指導者オサーマ・ビン・ラーディンの米国への身柄引き渡しを拒否すると発表。
DIA-503-1998-08-20-1アフガニスタン1998年08月20日1990年代アメリカ,ケニアおよびタンザニアにおける米国大使館へのテロ攻撃に対する報復措置として,アフガン東部のタリバーンの支配地域に対するロケット攻撃を実施。
DIA-503-1998-08-21-1アフガニスタン1998年08月21日1990年代カーブルにおいて国連アフガニスタン特別ミッション要員に対する狙撃事件発生。イタリア人軍事顧問死亡。国連職員,アフガニスタン全土から撤退。
DIA-503-1998-08-22-1アフガニスタン1998年08月22日1990年代ウズベキスタン,カザフスタン,キルギス,タジキスタンの各外相および国防相,ウズベキスタンの首都タシケントでアフガン情勢につき協議。
DIA-503-1998-08-31-1アフガニスタン1998年08月31日1990年代日本政府,アメリカのアフガニスタン攻撃について,テロ行為に対する断固たる姿勢を理解すると発表。
DIA-503-1998-09-01-1アフガニスタン1998年09月01日1990年代イラン革命防衛隊,イラン東部のアフガンとの国境において大規模な軍事演習を開始。
DIA-503-1998-09-10-1アフガニスタン1998年09月10日1990年代タリバーン,行方不明となっていた在マザリシャリフ・イラン総領事館館員11人および記者1人の内9人の遺体が発見されたと発表。ウマル最高指導者はタリバーン兵士によって殺害されたと発表。国連安保理議長,イラン外交官殺害事件に関し,タリバーンを非難する議長声明を発出。
DIA-503-1998-09-11-1アフガニスタン1998年09月11日1990年代タリバーン,シーア派イスラーム統一党が皮配するバーミヤンに対して大規模攻勢を開始したと発表。
DIA-503-1998-09-13-1アフガニスタン1998年09月13日1990年代タリバーン,シーア派イスラーム統一党の根拠地バーミヤンを制圧。タリバーン兵士によるバーミヤンの磨崖仏砲撃事件発生。
DIA-503-1998-09-15-1アフガニスタン1998年09月15日1990年代イランのハーメネイ最高指導者,アフガニスタンとの軍事衝突の準備を国民に呼びかける声明を発表。
DIA-503-1998-09-21-1アフガニスタン1998年09月21日1990年代国連本部において6+2(アフガニスタン近隣諸国6カ国およびアメリカ・ロシア)による外相級会合開催。
DIA-503-1998-09-22-1アフガニスタン1998年09月22日1990年代サウジアラビア政府,在アフガニスタン臨時代理大使を召喚するとともに,タリバーンの在リヤード臨時代理大使の出国を命じたと発表。
DIA-503-1998-09-29-1アフガニスタン1998年09月29日1990年代ラバニー政権のアブドラー外務次官は,国連総会でパキスタンがタリバーンを支援していると非難。
DIA-503-1998-10-06-1アフガニスタン1998年10月06日1990年代タリバーン,国際社会が政府承認するなら,タリバーンは麻薬栽培を禁止する用意があると発表。
DIA-503-1998-10-08-1アフガニスタン1998年10月08日1990年代アフガニスタン・イラン国境において,イランとタリバーンの武力衝突が発生。
DIA-503-1998-10-14-1アフガニスタン1998年10月14日1990年代ブラヒミ国連特使,タリバーンの本拠地カンダハールにおいてウマル最高指導者と会談。タリバーン,イラン人捕虜釈放に合意。
DIA-503-1998-10-16-1アフガニスタン1998年10月16日1990年代アフガン北部において,タリバーンと反タリバーン勢力のマスード指揮官との戦闘が激化。反タリバーン勢力,タルカーンを奪取。
DIA-503-1998-10-17-1アフガニスタン1998年10月17日1990年代タリバーン,同政権に対してクーデターを企てたグループを逮捕と発表。
DIA-503-1998-10-21-1アフガニスタン1998年10月21日1990年代アメリカ,タリバーンに対しオサーマ・ビン・ラーディンの国外退去を要請。
DIA-503-1998-10-29-1アフガニスタン1998年10月29日1990年代タリバーンと反タリバーン勢力は,1週間の停戦と捕虜交換に合意。
DIA-503-1998-11-03-1アフガニスタン1998年11月03日1990年代AP,アフガニスタンのバーミヤンにある磨崖仏が,タリバーンによって破壊されたと報道。
DIA-503-1998-11-15-1アフガニスタン1998年11月15日1990年代反タリバーン勢力のシーア派イスラーム統一党アクバリー派アクバリー代表がタリバーンに投降。
DIA-503-1998-11-20-1アフガニスタン1998年11月20日1990年代タリバーン最高裁判事,オサーマ・ビン・ラーディンに関し,アメリカは同人がテロ事件に関与している犯人である証拠を提出しなかったことから無罪である旨発表。
DIA-503-1998-12-07-1アフガニスタン1998年12月07日1990年代アフガン支援グループ第4回会合が東京にて開催(~8日)。
DIA-503-1998-12-08-1アフガニスタン1998年12月08日1990年代国連安保理,アフガン各派に戦闘停止を呼びかける決議を採択。
DIA-503-1998-12-15-1アフガニスタン1998年12月15日1990年代国連,アフガニスタンに対する1億1500万ドルの人道援助のアピールを発出。
DIA-503-1999-01-04-1アフガニスタン1999年01月04日1990年代アフガニスタンの中道派のムジャディディーとギーラーニーはパキスタンで平和国民連合協会を結成,停戦を呼びかける。
DIA-503-1999-01-24-1アフガニスタン1999年01月24日1990年代北部連合のマスウード指揮官は,同連合が最高組織評議会を発足した旨発表。
DIA-503-1999-01-29-1アフガニスタン1999年01月29日1990年代ターリバーン宗教警察は,カーブルの男性住民に対し,礼拝に不参加の場合,処罰の対象となる旨発表。
DIA-503-1999-02-08-1アフガニスタン1999年02月08日1990年代イギリスの外交団がターリバーンのザヒード外務次官とパキスタンで初の閣僚級協議。イギリスはウサーマ・ビン・ラーディンの身柄を監視するよう要請。
DIA-503-1999-02-11-1アフガニスタン1999年02月11日1990年代ターリバーンが北部連合との捕虜交換と停戦に関する予備合意に署名。
DIA-503-1999-02-19-1アフガニスタン1999年02月19日1990年代ターリバーン,国内でのヘロイン製造を禁止。製造所34カ所を破壊,15人を逮捕。
DIA-503-1999-02-27-1アフガニスタン1999年02月27日1990年代北部連合6派は連立政権樹立に関し協議。
DIA-503-1999-03-11-1アフガニスタン1999年03月11日1990年代アシュカーバードで国連後援による和平協議開催。
DIA-503-1999-03-14-1アフガニスタン1999年03月14日1990年代和平協議たおいて共同声明を発表。国際赤十字社を通じて各20人の捕虜釈放と,共同の行政府,立法府,司法府の設置で合意。
DIA-503-1999-03-15-1アフガニスタン1999年03月15日1990年代トルクメニスタンのニヤゾフ大統領はアシュカーバードにて,ターリバーンおよび北部連合の各代表と個別に会談。
DIA-503-1999-03-24-1アフガニスタン1999年03月24日1990年代ターリバーン関係者は,次回の和平協議への不参加を表明。
DIA-503-1999-04-05-1アフガニスタン1999年04月05日1990年代アフガニスタン難民のための大学がペシャーワルで開校。男女別学。
DIA-503-1999-04-07-1アフガニスタン1999年04月07日1990年代ロシア国防相はタジキスタンのドゥシャンベでマスウード指揮官と会談。
DIA-503-1999-04-10-1アフガニスタン1999年04月10日1990年代ターリバーンのムトマイン報道官は,内戦再開により国連の和平協議への参加を拒否する旨表明。
DIA-503-1999-04-12-1アフガニスタン1999年04月12日1990年代ターリバーンのアフマド・ジャーン鉱物・工業相はアラブ首長国連邦を訪問し,同国石油相と会談,エネルギー協力に関し協議。
DIA-503-1999-04-21-1アフガニスタン1999年04月21日1990年代北部連合,バーミヤーンを奪還。
DIA-503-1999-05-09-1アフガニスタン1999年05月09日1990年代ターリバーン,バーミヤーンを奪還。
DIA-503-1999-05-12-1アフガニスタン1999年05月12日1990年代ターリバーン筋は,ターリバーンとトルクメニスタンとの間で航空便の就航およびトルクメニスタンがアフガニスタンへ低価格でガスを販売する旨合意したと発表。
DIA-503-1999-05-31-1アフガニスタン1999年05月31日1990年代北部連合のラッバーニー元大統領はキルギスのアカエフ大統領と会談し,北部連合側のアフガニスタン外交通商代表部をビシュケクに開設する点に関し協議。
DIA-503-1999-06-18-1アフガニスタン1999年06月18日1990年代日本政府は,国連アフガニスタン特別ミッションに日本人政務官1人を派遣する旨決定。同ミッションへの政務官派遣は2人目で,28日にイスラマーバードに到着。
DIA-503-1999-06-27-1アフガニスタン1999年06月27日1990年代赤十字国際委員会(ICRC)は,ターリバーンから安全の保証を得たとして国内での活動を再開。
DIA-503-1999-06-30-1アフガニスタン1999年06月30日1990年代アメリカのTelephone Systems Internationalは,衛星デジタル回線がカーブルにつながれた旨発表。今後カンダハールにも接続し,総投資額は15年間で1億5000万ドルとなる予定。
DIA-503-1999-07-06-1アフガニスタン1999年07月06日1990年代アメリカのクリントン大統領は,ウサーマ・ビン・ラーディンを匿うターリバーンに対し経済制裁を実施する大統領令を発布。アメリカ国内の資産凍結,人道援助物資を除く禁輸措置を実施。
DIA-503-1999-07-07-1アフガニスタン1999年07月07日1990年代ターリバーンのウマル首長は,アメリカの制裁措置を不当であると表明。
DIA-503-1999-07-20-1アフガニスタン1999年07月20日1990年代タシケントで和平協議が開催され,各派は紛争終結協議の継続を確認,合意。
DIA-503-1999-07-28-1アフガニスタン1999年07月28日1990年代ターリバーンは北部連合に対する本格的な攻撃を開始。
DIA-503-1999-08-05-1アフガニスタン1999年08月05日1990年代国連安保理は,ターリバーンによる北部連合への攻撃に関し議長声明を発表,重大な懸念と政治的交渉の再開を呼びかける。
DIA-503-1999-08-10-1アフガニスタン1999年08月10日1990年代アメリカは,ウサーマ・ビン・ラーディン身柄引渡し問題に関し,ターリバーンへの制裁措置として,アフガニスタンのアリアナ航空の運行を禁ずるとともに,アメリカ国内におけるアリアナ航空の資産の凍結を決定。凍結資産の総額は50万ドル。
DIA-503-1999-08-19-1アフガニスタン1999年08月19日1990年代北部連合のラッバーニー元大統領は,国連のアナン事務総長宛の書簡において,ターリバーンの攻撃に対する国連の対応の不備を非難するとともに,パキスタンとターリバーンが組織的に民族浄化と大量虐殺を展開していると述べた。
DIA-503-1999-08-21-1アフガニスタン1999年08月21日1990年代北部連合は,クナール州内の3地域を制圧した旨発表。
DIA-503-1999-09-14-1アフガニスタン1999年09月14日1990年代ターリバーンのムッラー・ラッパーニー議長は,国連事務総長宛の書簡で,アフガニスタンにおける諸事件に関する国連の理解は間違っていると述べる。
DIA-503-1999-10-08-1アフガニスタン1999年10月08日1990年代ターリバーンは,パキスタンの軍事クーデターに関し,アフガニスタンとパキスタンの友好関係に変化はない旨発表。
DIA-503-1999-11-08-1アフガニスタン1999年11月08日1990年代北東部でマグニチュード6.5の地震発生。
DIA-503-1999-11-10-1アフガニスタン1999年11月10日1990年代カンダハールで,国連の制裁措置に反対するデモが国連事務所等を襲撃。
DIA-503-1999-11-14-1アフガニスタン1999年11月14日1990年代国連はアフガニスタンに対する経済制裁を実施。アフガニスタン国内への航空機の就航を禁止。
DIA-503-1999-11-15-1アフガニスタン1999年11月15日1990年代カーブルや西部ファラ州で,国連の制裁措置に怒った市民が国連事務所を襲撃,一部に放火。国連のアナン事務総長はターリバーンに対し,国連施設の安全保証を要求。
DIA-503-1999-11-18-1アフガニスタン1999年11月18日1990年代ターリバーン,北部連合支配下のパンジシール渓谷を空爆。
DIA-503-1999-11-20-1アフガニスタン1999年11月20日1990年代テヘランでアフガニスタン和平会合が開催。北部連合や中道派代表が出席。
DIA-503-1999-11-20-2アフガニスタン1999年11月20日1990年代北部連合は,ウサーマ・ビン・ラーディンに対する死刑宣告をファトワー(イスラームの教令)として発令。
DIA-503-1999-11-20-3アフガニスタン1999年11月20日1990年代ターリバーンとイランの国境再開。
DIA-503-1999-11-21-1アフガニスタン1999年11月21日1990年代イランはヘラートの領事館再開を決定,ターリバーンもこれを承認。
DIA-503-1999-11-23-1アフガニスタン1999年11月23日1990年代ザーヒル・シャー元国王を囲んだ和平会議が開催され,大会議(ローイ・ジルガ)開催について合意(イタリア,ローマ)。
DIA-503-1999-11-29-1アフガニスタン1999年11月29日1990年代国連のアナン事務総長は声明で,アフガニスタンの内戦が人権侵害と近隣諸国への脅威を招いていると表明。同時に近隣国の軍事支援を批判。
DIA-503-1999-12-08-1アフガニスタン1999年12月08日1990年代パキスタンは国連の制裁措置に並び,国内のアフガニスタン系銀行の営業停止を決定。
DIA-503-1999-12-13-1アフガニスタン1999年12月13日1990年代ユニセフは,アフガニスタンで1年間に8万5000人の児童が下痢で死亡と報告。
DIA-503-1999-12-19-1アフガニスタン1999年12月19日1990年代ラッバーニー元大統領,テヘランを訪問。
DIA-503-1999-12-24-1アフガニスタン1999年12月24日1990年代ハイジャックされたインド航空機がカンダハール空港に着陸。ターリバーンのムタワッキル外相,航空機の離陸を希望。
DIA-503-1999-12-27-1アフガニスタン1999年12月27日1990年代インド政府代表団がカンダハールに到着。ハイジャック犯と交渉開始。
DIA-503-1999-12-27-2アフガニスタン1999年12月27日1990年代ターリバーン,ハイジャック犯が乗客を殺害する場合,航空機を襲撃する旨発表。
DIA-503-1999-12-31-1アフガニスタン1999年12月31日1990年代ハイジャック犯,人質全員を解放,インド外相はターリバーンの協力に謝意を表明。