ID 国名 日付 年代 内容
DIA-601-1969-01-15-1アメリカ1969年01月15日1960年代ジョンソン大統領,予算教書発表。総歳入――1987億ドル(前年比126億ドル増)総歳出――1953億ドル(前年比116億ドル増)そのうち国防費――815億ドル(5億ドル増)注:ベトナム戦費――254億ドル(34億ドル減)対外援助費要請額の内わけ:総額23億4780万ドル。○援助の84%は次の11カ国に集中される。インド,パキスタン,トルコ,ブラジル,チリー,コロンビア,インドネシア,韓国,ラオス,タイ,南ベトナム。○ラテンアメリカ向け=6億6800万ドル(前年度は4億2900万ドル)中近東・南アジア=6億7900万(3億5200万),東アジア(除くベトナム)=2億4000万(2億14万),ベトナム=4億4000万(現行1億3万)。○軍事援助=3億7500万(今年度通り)軍事物資信用売却限度=3億5000万(今年度2億9600万)○国防省費=3億6600万(〃3億5800万)○平和部隊=1億1000万(〃1億0600万)○食糧援助=9億2500万(今年度より1億1200万減)
DIA-601-1969-01-20-1アメリカ1969年01月20日1960年代ニクソン大統領就任式。
DIA-601-1969-01-27-1アメリカ1969年01月27日1960年代ニクソン大統領,初の記者会見。要点は次の通り。ベトナム:相互撤兵などの条件を強調。中東:今週土曜日にこの問題を,全面的に討議する予定。中共:現時点では中共の国連加盟に反対,ワルシャワでは中共側の,重要問題に関する新しい,見解を聞きたい。核防・軍縮:核防調印の時期については今週国家安全保障会議で討議する。
DIA-601-1969-01-28-1アメリカ1969年01月28日1960年代ジョンソン米国防次官,上院外交委聴聞会で,日米安保,対中国政策等について証言。要点次の通り。ニクソン政権は日米安保条約を1970年以後も継続するとのジョンソン前政権の政策を変更しないだろう。個人的意見をいえば,中国が近隣諸国に対する敵対的態度をやめれば米中両国は共存できると思う。アメリカは中国を破壊しようとは考えていない。中国の態度が変わればアメリカも対中国政策を変更しうる。たとえば,中国がすでにアメリカ側が歓迎している記者交換に賛成すれば中国の態度変更の一つと考えられる。中国が国府追放の態度を変えれば,アメリカも中国の国連加盟を考慮しうる。(読売,1月29日)
DIA-601-1969-02-03-1アメリカ1969年02月03日1960年代ワシントン発:ローリイ記者(International Herald Tribune 2月14日)1月23日にニクソン大統領顧問キッシンジャー氏がサインしたメモ(50ページ)にもとづいて,国務省,CIA,国防省は,2月23日までに,米国が現在の世界情勢のなかでどのような地位を占めているかについてまたその対策についての報告書を作成する作業を進めている。
DIA-601-1969-02-03-2アメリカ1969年02月03日1960年代ワシントン発:フルブライト氏ら上院外交委員会の議員は,アメリカの対外的な軍事コミットメントについて批判的な検討を加えることになった。検討事項の要点は次の通り。○全米軍の32%が海外にある。50の軍事援助使節団があること。○今年の軍展開費用は外貨で35億ドル。純然たる外貨コストは1961年から1967年までに174億ドルに達したこと。○2国間経済援助は73カ国に与えられ,軍事援助は48カ国に与えられていること。○軍事要員交換計画は民間人の3倍の規模であること。○国防省費で支持されている外国専門家は,その他の機関のすべての支持費を上回ること。
DIA-601-1969-02-06-1アメリカ1969年02月06日1960年代米政府,ニクソン大統領は2月23日にヨーロッパ訪問に出発すると発表。
DIA-601-1969-02-14-1アメリカ1969年02月14日1960年代ワシントン:ニクソン大統領は財務省関係者に対し,訪欧の際には国際通貨改革問題がもっとも緊急な論題となろうと述べた。
DIA-601-1969-02-18-1アメリカ1969年02月18日1960年代中国,外交官の米国亡命に関連し,1年2カ月ぶりに再開予定の米中大使会談中止を発表。
DIA-601-1969-02-20-1アメリカ1969年02月20日1960年代米国防省は米国の軍事関係資材,施設の総価格を2025億ドルであると発表した。うち武器類(戦艦,飛行機,タンク,大砲を含む)は1000億ドル,軍隊生活用品,装備が438億ドル,不動産が387億ドルとなっている。
DIA-601-1969-02-23-1アメリカ1969年02月23日1960年代ベルギー到着。
DIA-601-1969-02-23-2アメリカ1969年02月23日~3月3日1960年代ニクソン大統領,ヨーロッパ訪問。日程は次の通り。
DIA-601-1969-02-24-1アメリカ1969年02月24日1960年代NATO評議会で演説,広汎な問題でソ連と話し合うと語る。ロンドンで英首相と会談。
DIA-601-1969-02-26-1アメリカ1969年02月26日1960年代訪独し,西独首相と会談。
DIA-601-1969-02-27-1アメリカ1969年02月27日1960年代西ベルリン,ローマ訪問。
DIA-601-1969-02-28-1アメリカ1969年02月28日~3月2日1960年代パリ訪問。ドゴール大統領,グエン・カオ・キ南ベトナム副大統領と会談。バチカン訪問。
DIA-601-1969-03-03-1アメリカ1969年03月03日1960年代ニクソン大統領ワシントン帰着。
DIA-601-1969-03-04-1アメリカ1969年03月04日1960年代ニクソン大統領記者会見。ベトナムおよびソ連の役割りに関する質疑応答,要点は次の通り。問:ベトナムでの攻勢について。答:攻撃のひん度は前年の攻撃とほぼ同じである。攻撃の強度は前年より低い。攻撃目標は主に軍事目標である。しかしこの攻撃は,軍事的,政治的,外交的にも失敗した。この攻撃が主な町々を連続的に攻撃せぬという10月31日の了解に反するか否かについては慎重に検討している。技術的には違反だといいうる。この攻勢が今後もつづけば,報復を検討する。明日国防長官が南ベトナムに行くので,この点についての報告が得られよう。また,米軍の死傷が倍増したことも考慮されねばならない。問:北爆は再開されるか。答:報復策はいろいろあり,何を採用するかはここではいえない。問:キ副大統領は大統領との会談後,ベトナム戦に新しいアプローチがとられようと述べたが。答:新しいアプローチは外交的なものである。パリ会談は第1段階の終りに近づいた。4者はその立場をはっきりさせた。第2段階は双方がきびしい取引きをすることになる。特にキ副大統領が単純に軍事手段に訴えることなく,会談で新しいアプローチを試みることに協力的なのに勇気づけられた。問:ソ連の役割について。答:ソ連はベトナムでは非常に微妙な立場にある。ソ連と中共は,北ベトナムを助けて共産圏の指導権を争っている。だからソ連がベトナム戦争で行なえることは,その指導権争いという目的に関わるため,非常に決定するに困難である。ソ連が何をするかについては公には答えられぬことであろう。ソ連の,中東とベトナムへの政策は,二面性をもっている。ベトナムでは戦争を燃え上らせている。北ベトナム軍の近代兵器の80~85%を供給している。中東では,ソ連がイスラエルの隣国を再武装させるに何をしたかに拘わらず,我々の懸念するような危険はない。ソ連は米国との対決を,米国以上に望んでいない。したがって私はソ連は中東で,また恐らくベトナムでさえピースメーカーとなるだろうと思う。
DIA-601-1969-03-05-1アメリカ1969年03月05日1960年代ワシントン:上院軍事小委員会報告によれば,1967会計年度中の脱走兵(30日以上の無届欠勤)数は4万0227人,1968年は5万3357人に達した。一方30日以下の無届欠勤は1967年度が13万4668人,1968年度が15万5536人である。
DIA-601-1969-03-08-1アメリカ1969年03月08日1960年代ワシントン:ドブルイニン駐米大使ロジャーズ米国務長官と会議し,中ソ国境事件を討議。(3月21日発モスクワ,ニューヨークタイムズ:B.Gwertman記者)
DIA-601-1969-03-14-1アメリカ1969年03月14日1960年代ニクソン大統領はABM配備について,従来の都市防衛の考え方を放棄し,ミサイル基地防衛用,および対中国ミサイル用としての役割をもたせるものとして,1970年代末までに12カ所のミサイル基地に配備する計画を明らかにした。費用は60~70億ドル。今年は2カ所に配備を計画している。
DIA-601-1969-03-20-1アメリカ1969年03月20日1960年代エドワード・ケネディ上院議員,中国の国連加盟,台湾追放を主張。また中国を安保理理事国とすること,台湾は新国家とするか,ソ連の二つの州(ウクライナ,白ロシア)のような形で中国の一自治州とすること,中国との交流強化,領事館の設置などを要求した。
DIA-601-1969-03-21-1アメリカ1969年03月21日1960年代ワシントン発UPI:アメリカの軍事支出を調査している議員グループが明らかにしたところによれば,米国は第2次大戦後,1兆4千億ドルの軍事支出を行なった。
DIA-601-1969-03-28-1アメリカ1969年03月28日1960年代アイゼンハウアー元大統領死去(3月31日国葬,各国首脳列席)。
DIA-601-1969-04-01-1アメリカ1969年04月01日1960年代ニクソン大統領,主要国首脳と会談。丁一権韓国首相,グエン・カオ・キ副大統領(なおキ副大統領は,リチャードソン国務次官,バンカー大使,ロッジ大使と会見),ルモール・イタリア首相,ゴートン・オーストラリア首相,キージンガー・西独首相,ルンス・オランダ外相,カエテノ・ポルトガル首相,イラン国玉,ブールギバ・チュニジア大統領,マルコス・フィリピン大統領,デミラ・トルコ首相,日本岸・元首相。一方ロジャーズ国務長官は,クズネツォフ・ソ連第1外務副大臣,ジンチュク・ソ連外務省アメリカ部副部長と会談。
DIA-601-1969-04-01-2アメリカ1969年04月01日1960年代国防省は支出削減計画として1970会計年度に6億1300万ドルを削減することを明らかにした。これにはB‐52の出撃数の削減が含まれている。
DIA-601-1969-04-07-1アメリカ1969年04月07日1960年代ロジャーズ国務長官記者会見。要点は次の通り。ベトナム―今年中に北ベトナムと米軍の相互撤退を開始させることを希望するが,米軍の一方的撤退については当面考えられない。中国とより友好的な関係をもちたい。中ソ紛争を利用するつもりはない。ソ連が最初に核攻撃をアメリカに加えるとは信じ難い。しかしソ連がなぜアメリカのミニットマンミサイルを破壊しうるSS‐9核ロケットを配備しつづけているのかがわからない。
DIA-601-1969-04-15-1アメリカ1969年04月15日1960年代北鮮,米偵察機EC‐121撃墜。
DIA-601-1969-04-18-1アメリカ1969年04月18日1960年代ニクソン大統領は北朝鮮偵察飛行は護衛をつけて再開すると言明。なお米艦船は日本海に集結中。
DIA-601-1969-05-01-1アメリカ1969年05月01日1960年代"米国防省,核戦略体制で報告書提出。1日付のニューヨーク・タイムス紙は,米国防総省が中心になって進めてきた「米国の安全保障政策の総合的検討」の前半部分,つまり核戦力を扱ったものがまとまり「第1部報告書」として1日,国家安全保障会議に提出される,と報じた。ニューヨーク・タイムス紙が伝える,報告書の主な内容は次の通り。核戦力と戦略政策について今後,10年間に取りうる五つの選択に要する費用は,年間最低60億ドルから160億ドル。現在の戦略戦力に要する費用は年間,約100億ドル。選択の範囲は核攻撃力を増強して,第一撃能力を持たせるというものから,反対に攻撃力を一方的に凍結し,ソ連の第一撃から守るための防御力を増強するという両端の間にある。選択の第1は,基本的には,現在の方針と同じ。つまり,戦略爆撃機,ミサイル,ポラリス潜水艦などの核戦力を持ち,圧倒的な報復力を持つことによって,核戦争を抑止する。軍縮交渉に失敗し,ソ連の防御能力を凍結できないような場合にそなえて,多弾頭ミサイル・ミニットマンⅢ型,ポセイドン・ミサイルなど,ソ連の防御力を突破できるような兵器を開発,同時に弾道弾迎撃ミサイル(ABM)も配備する。もちろん,限定核戦争を行なえるような能力も保持する。選択の第2は,攻撃力の増強である。新型の原子力潜水艦に装備される,超長距離ミサイルなどを大量につくる。これによって米国は,相手側に広範囲かつ正確な第一撃を与える能力を持つので,相手の軍備は無意味なものになる。第3は,現在建造中のABMを,アラスカやハワイをその範囲に加え,拡大したものとして完成させる。同時に多弾頭ミサイルを含むICBMの適当な増強と,高度の 空対地ミサイルを装備した長距離爆撃機建造の促進。第4の選択は,現在の戦略的攻撃力を,一方的に凍結する。ミニットマンⅢ型やポセイドンに多弾頭を装備せず,ABMもミニットマン基地2カ所だけにし,中国向けの薄いABMよりもさらに薄いものを配備する。第5は,多弾頭ミサイルの配備やICBMの増強をせず,そのかわり,米国内の都市の周辺にABM網を建設する。(朝日,アメリカ総局発5月2日)"
DIA-601-1969-05-06-1アメリカ1969年05月06日1960年代ニューデリーでコスイギン・ソ連首相,ロムニー米住宅・都市開発相と会談。
DIA-601-1969-05-11-1アメリカ1969年05月11日1960年代ワシントン発UPI‐共同:ヒッケル米内務長官は,沖縄撤退後,マリアナ群島など太平洋の米信託統治領が,米国の西太平洋の新防衛線の一部になりうると言明。サイパンや信託統治領は米国の極東での最西端の境界であるという観点から,軍部はこれを重視している,と述べた。
DIA-601-1969-05-13-1アメリカ1969年05月13日1960年代ニクソン大統領,徴兵法改正案提出。19歳で無差別選出またはくじ引き。19歳で徴兵されなかったとき,それ以降新たな危機のない限り徴兵されない。(現在は19歳から26歳まで徴兵対象)
DIA-601-1969-05-14-1アメリカ1969年05月14日1960年代ニクソン大統領,ベトナム和平で8項目提案。
DIA-601-1969-05-23-1アメリカ1969年05月23日1960年代ロジャーズ国務長官,インド,パキスタン訪問(~24日)。
DIA-601-1969-05-28-1アメリカ1969年05月28日1960年代ニクソン大統領,26億ドルの対外援助費を議会に要請。うちわけは次の通り。経済援助22億ドル(技術援助4億6300万,長期経済開発借款6億7600万,共産侵略対処諸国5億1500万,進歩のための同盟4億,救済,復興1億2300万,大統領緊急資金4000万,新投資公社7500万)。軍事援助3億7500万ドル。
DIA-601-1969-06-03-1アメリカ1969年06月03日1960年代ワシントン発:H.スミス記者(ニューヨーク・タイムス)ニクソン大統領は明確な協定が日米間にできしだい,沖縄から核兵器を撤去する方針を決定したと伝えられる。この決定は4月末の国家安全保障会議でなされたという。
DIA-601-1969-06-08-1アメリカ1969年06月08日1960年代ミッドウェー島で,ニクソン・チュー会談。米兵2万5千人のベトナムからの撤兵を発表。
DIA-601-1969-06-11-1アメリカ1969年06月11日1960年代国防省,ABMシステムの必要性について白書を発表。
DIA-601-1969-06-15-1アメリカ1969年06月15日1960年代ワシントン発:グロース記者(ニューヨーク・タイムス)ニクソン大統領はモンゴルと外交関係を開くという国務省の提案に抵抗している。主な障害は国府の反対についての考慮である。1961年にも承認しようとしたが国府に反対された。この国務省提案は先月同省高官達の承認をえてホワイトハウスに送られた。国務省はもはやモンゴルを承認しないという有力な理由がないとしている。またモンゴル政府はアメリカとの外交関係を開く用意があると言っている。
DIA-601-1969-06-24-1アメリカ1969年06月24日1960年代レアード国防長官は下院外交委員会に3億7500万ドルの軍事援助要請について説明したが,その額の90%が,国府,南朝鮮,ギリシア,トルコ向けのものであると述べた。なおアメリカの軍事援助は1952年の60億ドルから,昨年は3億7500万ドル(要請は4億2900万ドル)に低下している。
DIA-601-1969-06-25-1アメリカ1969年06月25日1960年代上院は大統領に対し,アメリカの戦争介入に導くような対外コミットメントを行なう場合議会に最初に相談するよう要求する決議を70対16で可決した。
DIA-601-1969-06-27-1アメリカ1969年06月27日1960年代上院軍事委員会,10対7でABM配備第1次計画(7億9350万ドル)を承認。
DIA-601-1969-06-28-1アメリカ1969年06月28日1960年代ニクソン大統領は7月24日に予定されるアポロ11号の回収視察に太平洋に行くことを機会に,その後,マニラ,ジャカルタ,バンコク,ニューデリー,ラホール,そしてルーマニアのブカレストを訪問する,とホワイトハウスから発表された。なおロジャーズ国務長官は,マニラ,ジャカルタ訪問に同行した後,日本,韓国,国府,オーストラリア,ニュージランドを訪問する。
DIA-601-1969-07-07-1アメリカ1969年07月07日1960年代米国務省,台湾海峡の緊張に反対。さる2日,国府海軍が,中国小艦船3隻を撃沈した事件に関連して,国務省は,アメリカは台湾海峡での緊張を増大させることに反対であるとの見解を,このほど国民政府に伝えたと言明した。
DIA-601-1969-07-09-1アメリカ1969年07月09日1960年代ニクソン大統領,海外でのアメリカ政府雇用者,軍人の2万人削減を命令。そのうちわけは次の通り。○全体として10%減。特にベトナム。○ベトナム,韓国,NATO駐留軍を除く海外駐屯軍人の10%削減。○合計民間人5100人,軍人1万4900人を削減。○来年6月末までに完了する。合計7500万ドルが節約される。○なお削減対象地域の軍関係職員数は約17万人で,日本に4万,台湾1万,沖縄4万5千,フィリピン3万,ラテン・アメリカ2万4千,カナダ,アイスランド,グリーンランド1万,スペイン1万等である。
DIA-601-1969-07-09-2アメリカ1969年07月09日1960年代国防支出大幅削減を要求する超党派の上下両院議員委員会は,2カ月にわたる研究結果を発表し,1970会計年度国防予算を30億ドル(5年間にわたり150億ドルないし300億ドル)削減するよう勧告するとともに,米国が東アジアの同盟諸国に地域防衛を肩代りさせるよう示唆した。同報告の要点は次の通り。○ベトナム戦争終了に伴い,米軍総兵力を80万削減しさらに70年度20万,71年度20万とそれぞれ削減すべきである。○現在の米国防政策は欧州,東アジアでの大戦争,中南米での小さな戦争という三つの緊急事態に,同時に備えるという想定に立っているが,この想定を再検討すべきである。○欧州の米軍32万は,少なくとも10万削減出来る。欧州での軍隊輸送力は10年前の10倍であり軍隊は必要に応じて輸送出来る。○韓国には米軍が5万5千人もいるが,韓国は,すでに中国と北朝鮮の最大限の攻撃を阻止出来る地上軍を持っている。アジア地域で米軍駐留の必要が減っているとすれば,米国はこれまでのようにアジアの大戦争に備えなくともよいことになる。三つの戦争への準備態勢を再検討し,特に米国と東アジア同盟諸国が協力して,地域的安全保障の責任を現地の軍隊に移管すれば,米国が国益からかけ離れた紛争に巻込まれる可能性を減らすことができるだろう。(朝日7月1日)
DIA-601-1969-07-20-1アメリカ1969年07月20日1960年代アポロ11号,アームストロング船長,月面に立つ。
DIA-601-1969-07-21-1アメリカ1969年07月21日1960年代米国務省,中国への旅行制限かん和発表。
DIA-601-1969-07-23-1アメリカ1969年07月23日1960年代ニクソン大統領,アジア・ルーマニア訪問旅行に出発。
DIA-601-1969-07-24-1アメリカ1969年07月24日1960年代ニクソン大統領は,グアム島における記者会見で今後の基本的アジア政策について要旨次のように述べた。いわゆる「グアム・ドクトリン」といわれる発言である。米政府はパリ会談との関連でベトナムでの米軍戦略の再検討を行なっている。アジアでの紛争に軍事的に介入することを減少させるような米国の新政策を作成せんとしている。またアメリカは条約上の義務を守り,将来もアジアで重要な役割を果すが,アジアの指導者は今後自分の力で戦闘を行なえるように努めねばならないであろう。しかし核攻撃,たとえば中国からの――に対してはアメリカの力に頼ってよい。
DIA-601-1969-07-25-1アメリカ1969年07月25日1960年代ワシントン:米国防省,米総兵力の4分1の削減計画を発表。米国防省は25日,ニクソン政権は今からベトナム戦争の終結後数カ月までの間に,米軍の総兵力を4分の1削減するつもりだと発表した。国防省スポークスマンは,現在345万人の米軍総兵力は260万人に削られると述べ,また現在進んでいるベトナムからの2万5千人の米軍の撤退の結果,1万5千人の兵士が軍務を解かれることになるだろうと語った。米軍総兵力削減の第一の理由は,批判が高まっている国防費を節減するためである。(ワシントン25日発AFP,読売7月26日)
DIA-601-1969-07-26-1アメリカ1969年07月26日1960年代マニラ:ニクソン大統領,フィリピンでマルコス大統領と会談。
DIA-601-1969-07-27-1アメリカ1969年07月27日1960年代ニクソン,インドネシア入り。
DIA-601-1969-07-28-1アメリカ1969年07月28日1960年代ニクソン・スハルト会談。
DIA-601-1969-07-28-2アメリカ1969年07月28日1960年代ニクソン,タイ訪問。ニクソン大統領はタイ訪問に当り,次のような声明を発表した。米国は,単に崇高な義務と考えるからだけでなく,米国と東南アジア諸国が,東南アジア地域の将来の平和と繁栄にともに重要な役割を担うものであるという大切な理由から,アジアおよび太平洋地域への約束を守る決意である。(朝日7月29日)
DIA-601-1969-07-29-1アメリカ1969年07月29日1960年代ニクソン・タノム会談。
DIA-601-1969-07-30-1アメリカ1969年07月30日1960年代ニクソン,サイゴン訪問。
DIA-601-1969-07-31-1アメリカ1969年07月31日1960年代ニクソン,タイからインド入り,ガンジー首相と会談。
DIA-601-1969-07-31-2アメリカ1969年07月31日1960年代東京:ロジャーズ国務長官,佐藤首相と会談。
DIA-601-1969-07-31-3アメリカ1969年07月31日1960年代ソウル:ロジャーズ国務長官,韓国訪問。
DIA-601-1969-08-01-1アメリカ1969年08月01日1960年代ニクソン大統領,インドからパキスタン入り。ヤヒア・カーン大統領と会談。会談に先立ちニクソン大統領は,ここ数年間,両国関係は緊張状態にあったが,こんどの訪問で両国の友好関係に欠かすことのできない相互信頼が取りもどされることを願っている。アメリカはアジアの発展を強くはげますつもりであるが,アジアの将来はアジアの人で作るべきであると語った。
DIA-601-1969-08-01-2アメリカ1969年08月01日1960年代ロジャーズ国務長官,ソウルから,台湾の台北に到着。空港での声明でアメリカは台湾を含めアジアの与国に対する条約義務を引き続き守ると述べた。
DIA-601-1969-08-02-1アメリカ1969年08月02日1960年代ニクソン大統領,パキスタンからルーマニア訪問。
DIA-601-1969-08-03-1アメリカ1969年08月03日1960年代ニクソン大統領,ルーマニアからロンドンに立ち寄り,ウィルソン首相と会談後,帰国の途に。
DIA-601-1969-08-03-2アメリカ1969年08月03日1960年代台北:ロジャーズ国務長官,香港に向う。今回の台湾訪問について台北発AFPは次のように報じている。ロジャーズ米国務長官は3日,2日間にわたる台湾訪問を終えた。滞在中ロジャーズ長官は蒋介石総統と長時間にわたって会談したが,中国や他のアジア諸国に対するアメリカの政策について,国府指導者のいだいている疑惑を解けなかった。当地の観測筋は,ロジャーズ長官が訪問先の国で相矛盾することを述べていたことを指摘し,日本,韓国,台湾の指導者たちに,アメリカがすべてのアジア諸国に対する条約上の義務を守るといいながら,同時に,アメリカが第2のベトナム戦争にはかかわりあいたくないと強調した点をあげている。ロジャーズ長官は記者会見の席上,米政府が中国との関係を改善する意向であると語ったが,それにもかかわらずアメリカの対国府政策は不変であり,今後も国府と協力をつづけていくと述べた。また最近発表された中国に対する旅行・中国製品購入の制限緩和措置について,同長官は「これは象徴的なものである。アメリカがこうした措置をとったのは,中国の国際社会からはみ出している原因が,ひとえに北京自身のとっている態度のためであることを世界に示すためだ」と語った。
DIA-601-1969-08-03-3アメリカ1969年08月03日1960年代香港発ロイター:ロジャーズ国務長官は記者会見で,米国は中国と会談する用意があると語った。発言要旨次の通り。米国は先月,対中国貿易,旅行制限を緩和する措置をとったが,これは米国が中国および台湾に対する態度を変更したものではない。米国は台湾のみを承認しているが,その半面,中国との会談をおこなう用意も持ちあわせている。中国はこれまでのところ,いかなる反応もみせていないので,私としては中国側にその気はないと思わざるを得ない。
DIA-601-1969-08-04-1アメリカ1969年08月04日1960年代香港発UPI:当地の米領事館専門家達はロジャーズ国務長官に対し,中国は,対ソ戦に関心を奪われ,その政策重点をベトナムから対ソ国境に移したと伝えた。また北京は米国との緊張かん和は台湾海峡を第7艦隊がパトロールしている限り,問題にならないとの態度をとっているという。
DIA-601-1969-08-05-1アメリカ1969年08月05日1960年代ロジャーズ長官,バリ島でマリク・インドネシア外相と会談。
DIA-601-1969-08-06-1アメリカ1969年08月06日1960年代米上院,ABM配備反対提案を51対49で否決。
DIA-601-1969-08-06-2アメリカ1969年08月06日1960年代米政府退役軍人局発表によれば,米軍元軍人生存者数は2700万人で,そのうちわけは次の通り。スペイン戦争帰り 約6000人(平均年令90.3歳)第1次大戦帰り 164万7000人(平均年令74.7歳)第2次大戦帰り 1459万2000人(平均年令49.7歳)朝鮮戦争帰り 584万7000人(平均年令40歳)ベトナム戦帰り316万9000人(平均年令26.2歳)朝鮮戦争とベトナム戦の間に兵役にいたもの 313万4000人
DIA-601-1969-08-07-1アメリカ1969年08月07日1960年代ロジャーズ国務長官,バリ島からオーストラリア訪問。
DIA-601-1969-08-08-1アメリカ1969年08月08日1960年代ロジャーズ国務長官はキャンベラでの演説で,中国政策について,中国の指導者は米国に対して引続き敵対政策をとることが,彼らの目的にかなったものだと考えていると述べ,さらに次のように語った。彼らはわれわれが国府支持の政策を放棄せぬ限り,話し合わぬという基本政策をとっており,これは受け入れるわけにはいかない。われわれは多少なりとも米中関係の緊張緩和と,有効な会談にはいれる時期がくることを期待している。われわれは北京との話合い再開を歓迎する。北京との話合いが出来るかどうか,近く他の方法で接触してみることになろう。会談は,ワルシャワまたはその他受け入れられる中立国の場所で開催されよう。
DIA-601-1969-08-08-2アメリカ1969年08月08日1960年代香港発ニューヨーク・タイムス。アメリカ専門家の中国分析。当地のアメリカ政府専門家達は,中国は数年前に信じられていたのに比して,アジア諸国にとってはるかに小さな軍事的脅威であるにすぎないとの結論を下した。この結論は,ニクソン大統領のアジア訪問直前に私的な会話で明らかにされた。この結論の理由は,中国軍が国内問題と中ソ国境の緊張に巻き込まれているからというものである。また中国軍の兵器の多くが旧式で,さらに文革で兵器生産が悪影響をうけたという点も考慮に入れられている。しかしこれらの評価は当面のものであり,将来についてはあてはまるものではないとしている。また中国から直ちに脅威があるとしてもそれは破壊活動的なものであるとしている。そして,過去アジア諸国になされた援助,訓練の多くは現在の要請にふさわしいものではないとの意見である。
DIA-601-1969-08-20-1アメリカ1969年08月20日1960年代ワシントン:ロジャーズ国務長官記者会見要旨次の通り。○ベトナム和平のために微妙な危険(sensible risk)を冒すつもりがある。敵の活動縮小に対する対応措置はすでにとった。○チェコへのソ連侵入1周年は,ソ連との相違を,話合いで解決することの困難さを,思い出させるものである。○NATOはソ連地中海艦隊の増強への対策を講じている。○アメリカが軍事介入を行なう際は議会の承認を求める。○中共との相違を少なくしようとする政策が,ソ連との軍縮交渉を妨げるものとはならないと思う。米国は二つの中国政策を推し進めてはいない。
DIA-601-1969-08-21-1アメリカ1969年08月21日1960年代レアード国防長官,国防予算削減で要旨次のように言明。○15億ドルの支出を削減する。以前に発表された11億ドル削減と合わせ,1970会計年度中(1970年6月30日まで)にジョンソン政府予算から30億ドルの削減が可能である。○15億ドル削減にともない,制服10万人,民間人5万人が削減される。NATOからは戦闘部隊は引き揚げない。しかし支援要員の一部は引き揚げる。○海軍は戦艦ニュージャージーを含め100隻を退役させる。○空軍はベトナム以外で,30万時間の飛行時間を減らす。○軍事基地を削減する。同長官はまた,○1965年米・タイ緊急軍事計画には同意しない,大統領も承認していないこと,○ベトナム現地の米司令官達には,戦争のベトナム化に最重点をおくよういってある,ことなどを明らかにした。
DIA-601-1969-08-27-1アメリカ1969年08月27日1960年代中ソ戦の可能性をめぐる,ワシントンの観測。(C.M.ロバーツ記者,ワシントンポスト紙)。○ソ連が中国の核基地を攻撃するかも知れないという報道は,ニクソン政府を困惑させている。○中ソ戦の可能性についての警告はここ数カ月ワシントンで次第に高まってきていた。先月の中央アジア国境での衝突はこの警告をかなり高めさせることになった。ある高官は一カ月前は大戦争の可能性を10%とふんでいたが,最近,可能性は50対50に近くなったと語った。こうした話はワシントンでこのごろはよく聞かれる。当地の観測では,三つの主なソ連の戦略が予想されている。○先月の中央アジアの場合がそうだと思われるが,モスクワが開始する大規模な国境衝突の形の懲罰的行動,これの場合,中国の大軍がより優れたソ連軍により破壊される。○新疆省での少数民族を反乱させる試み,○予防的一撃,この最後のものが最も重大で大戦に導びく可能性がある。これには中国の核基地への攻撃が含まれる。この攻撃は通常爆弾で行なわれるとみられ,ソ連は核基地を破壊する能力をもっていると信じられている。この場合主目標は蘭州のガス拡散工場。○一方中央アジアでのソ連の兵站的優位は,一本の鉄道ラインしかないシベリア極東地区では,失われるとみられている。鉄道は中国領に近く,攻撃され易い。特にアムール,ウスリーがとう結する冬はそうである。ソ連がかなりの程度の攻撃をかければ,中国は報復すると当地の中国問題専門家はみている。しかし核を使うか否かについては意見が分れている。
DIA-601-1969-08-27-2アメリカ1969年08月27日1960年代サクラメント発:ギルパトリック記者(ワシントン・ポスト)。当地で発表されたベトナム後の政府支出に関する報告は,次の諸点を含んでいる。○1969年の予算黒字は30億ドルであり,1970年度は60億ドルと見積られている。○黒字は資金が必要な新産業への民間投資,住宅建設のために欠くことができない。すなわちこれらの目的のための政府の資金借入れを少なくする必要がある。○戦後,かなりの黒字分が出ることになるがこれらの多くは支出先がすでに決められている。例えば新社会計画費は1975年まで年間100億ドルかかる。しかも議会は減税計画を政府の予定以上に進めており,附加税年間110~120億ドルは,来年度には廃止される。これではベトナムでの節約分120億ドルはすぐ喰いつくされる。
DIA-601-1969-09-15-1アメリカ1969年09月15日1960年代米国務省,中国本土,北朝鮮,北ベトナムへの米人の旅行制限措置をさらに6カ月延長することを決定。この理由としては全般的な国際情勢によるとだけ説明している。(9月11日,北京で周・コスイギン会談が行なわれた。)
DIA-601-1969-09-16-1アメリカ1969年09月16日1960年代ニクソン大統領,南ベトナムからの第2次撤兵3万5千人を発表。
DIA-601-1969-09-16-2アメリカ1969年09月16日1960年代ニクソン大統領,ホリョーク・ニュージランド首相と会談。
DIA-601-1969-09-18-1アメリカ1969年09月18日1960年代ニクソン大統領,国連で演説。その要点は次の通り。ベトナム問題 大統領就任以来,南北両ベトナムの人々にとっても,その結果に影響を受ける他の人々にとっても,公正な戦争終結を求める努力ほど,わたしが多くの時間と精力を費やした問題はない。アメリカは戦争の終結を望んでおり,その達成のため,あらゆる合理的な措置をとる用意がある。だが,次の根本的な点について何の疑念もいだかせてはならない。われわれは南ベトナムの政治的将来を勝手にきめ,南ベトナム人が,外部からの干渉なしに自らの将来を決定する根本的権利を拒否するような解決は,受け入れることはできないし,長期的な平和の利益のためにも受け入れられない。平和の名において,わたしは126ケ国代表の諸君に対し,ハノイが戦争を終わらせることのできる交渉へ真剣に動くよう説得するため,最善の外交的努力を傾けるよう要望する。 対ソ関係 アメリカと共産諸国間の関係については対決の時代から交渉の時代に進むべきである。米ソ関係は,異なった利益や共通の利益を認め,与国の利益をも認める相互尊重の精神に立って進められると信ずる。アメリカはまた,ソ連と戦略兵器制限の会談を開始したいと望んでいる。われわれにとって,これ以上重要な仕事はない。会談開始についてわれわれが提案した日時は回答のないまま経過してしまったが,われわれは依然交渉にはいる用意がある。 対中国関係 共産中国の指導者が自ら選んだ孤立を捨てた場合,アメリカは同じく,率直かつ真剣な気持ちで話合いに応ずる用意がある。
DIA-601-1969-09-21-1アメリカ1969年09月21日1960年代マンスフィールド議員,東南アジア政策で報告書発表。報告の要旨は次の通り。 全般的方針 私は大統領の代理としてアジア諸国を歴訪,アメリカは条約上の義務は守るが,アジア各国も外部からの人的援助なしで自らの防衛に対処することになろう,とアメリカの新アジア政策を説明した。第1段階として,東南アジアにおいて,軍民を問わず米政府関係駐在者の増加は即時禁止すべきである。アジアにおけるアメリカの援助計画を縮小し,多国間経済計画への参加の形に移行すべきだ。軍事援助は直ちにきびしく制限すべきだ。これら措置は,ベトナム戦争の終結を待たずに実施すべきだ。またSEATOに対するアメリカの公約を再検討すべきである。 国別勧告 ラオス ラオスにおける米軍戦死者は,数百人にのぼり,アメリカの支出は,年3億ドルを越えている。アメリカはラオスにおいて,ベトナムにおけるような全面介入に陥る危険がある。アメリカは同国に軍事的約束を広げることを押えるべきだ。 カンボジア カンボジアには多数の政府関係者の駐在を避けるべきだ。同国はアメリカとの相互尊重の関係を求めており,ニクソン大統領の新政策によって,そのような関係進展の見通しは明るいようだ。 ビルマ 米大使館員91人のほとんど半分は,米軍事施材配送チーム員かミリタリーアタッシエである。ビルマ政府は軍事施材配送チームを,それが運営されるべき今後2年間の期間を越えて,それを維持することに特別な関心は示してはいないが「ラングーンの米軍事使節団は縮小のきざしをみせていない」。米国は軍事代表と経済援助を削減すべきだ。 インドネシア アメリカはインドネシアに対する主要援助国になっているが,日本や欧州諸国にその負担を分けるべきだ。 フィリピン フィリピンにおける米軍基地が効果的に機能するためには民族的感情に注意し,基地使用に関するすべての問題について同国の主権,両国間の協力関係を尊重しなければならない。 日本の役割 東南アジアにおいて日本の精力的な参加なしには,地域開発協力の諸計画はうまくいかないだろう。
DIA-601-1969-09-22-1アメリカ1969年09月22日1960年代国防省,米軍兵力7万7500人削減,航空機250余機,艦船22隻の退役計画を発表。これにより3億5600万ドルの節約となる。兵力削減には1966年3月にベトナム戦用に編成された第5海兵師団の3分の2が含まれる。艦船の退役はこれで今年に入り98隻に達し,プエブロの姉妹船BannerとPalm Beachが含まれる。海軍兵力は7200人削減。空軍は兵員5万人と民間人1万3千人を削減する。航空機209機を実用からはずす。そのなかにはWB-47天候観測機24機,F-100,F-4戦闘機,大型輸送機が含まれ,その削減は全部隊にわたり実施される。国防省はこれで12億5600万ドルの支出削減を行ない,さらに削減を予定している。兵力人員削減は19万6千に達し,来夏までに総兵力は326万人となる。
DIA-601-1969-09-23-1アメリカ1969年09月23日1960年代ニクソン大統領,SST(超音速旅客機)開発を進めると言明。
DIA-601-1969-09-24-1アメリカ1969年09月24日1960年代ライムスタッド国務省行政担当国務次官補が上院外交委で述べたところによれば,米国在外公館職員のうち20%弱が国務省人員であり,他は軍,AID,USIAなどの要員であるという。インドの場合は8%にすぎない。
DIA-601-1969-09-26-1アメリカ1969年09月26日1960年代ニクソン大統領,記者会見。要旨次の通り。 ベトナム 期限付き米軍撤兵方式に反対。国内での反戦運動に影響されない。ハノイではおそらく,ホー大統領の死亡より権力闘争が行なわれよう。将来新指導者が登場し,過去の政策の結果を反省すれば,いずれ変化が生じる可能性はでてくる。 ラオス ラオスには,米国戦闘部隊は全然いない。兵站の支援と政府軍の訓練を手伝っているだけである。 米ソ交渉 米ソ・ミサイル交渉については,ソ連の回答が遅れている事情を知ろうとしている。近く前向きの返事がくるものと思う。
DIA-601-1969-09-30-1アメリカ1969年09月30日1960年代ホワイトハウスは,タイから4万8千人の軍隊のうち6000人(空軍と陸軍)を,来年7月までに撤退させると発表した。またタイには1000人の米軍顧問がいる。
DIA-601-1969-09-30-2アメリカ1969年09月30日1960年代ワシントン発AP:米政府当局者が明らかにしたところによれば,米国は外国の外交筋を通じ,中国が米中会談の再開に関心があるかどうかを模索中である。同当局者は「中国が最近,米国に対するこれまでの敵意を若干和らげている兆候を受け取っている」と指摘している。ニクソン政権がこうした判断に立ったのは,①周恩来首相の公的活動がここ数カ月顕著となったふしがある,②文化大革命後,中国は徐々に国内および外交政策について正常に戻りつつある,ことと関連している。
DIA-601-1969-10-01-1アメリカ1969年10月01日1960年代バンコク:米大使館,タイから撤退の決った米兵6000人のうち約2200人が今年12月以前にタイから離れると言明。
DIA-601-1969-10-07-1アメリカ1969年10月07日1960年代米ソ,ジュネーブ軍縮会議に海底軍備禁止共同草案提出。
DIA-601-1969-10-09-1アメリカ1969年10月09日1960年代米国務省は米中会談再開について,われわれは大使会談を再開しようとの希望を繰り返し表明してきた。それにもかかわらず,会談が再開されていない事実は,現在まで,われわれが中国から,なんら望ましい反応を得ていないことを示しているている。われわれはワルシャワまたは他の場所で出来るだけ早く会談を再開する用意があると言明した。(読売10月10日)
DIA-601-1969-10-10-1アメリカ1969年10月10日1960年代ハンフリー前副大統領,ニクソン大統領と会談。ニューヨーク・タイムスによれば,この会談についてハンフリー氏は15日,次のように語った。私はニクソン大統領にベトナム戦を終らせるために劇的に行動するよう求めたが,その際,私は民主党指導者として,決して「あなたは戦争に敗れた男だ」とは言わないと約束した,と語った。ハンフリー氏はまた,ニクソン大統領に,わが国がベトナム戦争のために歯の先まで病気になっていると感じていると告げ,この感じを私は自分が副大統領であった時は感じることができなかったが,いまや私は民衆の間にいて,それを感じることができると話したことを明らかにした。
DIA-601-1969-10-15-1アメリカ1969年10月15日1960年代全米でベトナム反戦デー統一大行動。1500~2000万人が参加し,米国史上最大の政府の政策に反対するデモとなった。
DIA-601-1969-10-17-1アメリカ1969年10月17日1960年代コーリン共和党下院議員は国防省からえた資料をもとにして,米国は1962年から68年までに133億ドル分の武器を売却したと発表した。1945年以来,米国は88カ国に500億ドルの武器を売却あるいは贈与した。
DIA-601-1969-10-18-1アメリカ1969年10月18日1960年代ワシントン発AP:軍事筋は米国防総省が米軍50万人を,1971年中ごろまでに削減することを考慮していると語った。この削減案は,ニクソン政権成立以来初めての軍事予算案を編成している担当官によって指示されたと伝えられる。この削減が実現すれば,米制服軍人の数は290万となり,1966年春以来の最低人数となる。また50万人の大量人員削減は約50億ドルの予算節減となる。なおこの50万人削減案には,今後9カ月以内に兵役免除予定の約22万を含んでいる。
DIA-601-1969-10-19-1アメリカ1969年10月19日1960年代米軍事基本戦略変更決定。ワシントン発W.ビーチャー記者(ニューヨーク・タイムス)。同記者は米軍事戦略の変更について,その内容を要旨次のように報じている。ニクソン政府は9カ月にわたる全政府的検討の後,今後5年間急速に軍事支出を減少させることを決めた。現会計年度についていえば,ペンタゴンは防衛支出を710億か730億ドルに押えるよう要請されている。これは6月30日に終る1970年会計年度に対する予想支出を40~60億ドル下回る。このために,大統領は次のような決定を下すことになろう。○アメリカの軍事能力の主眼を,過去20年間の防衛計画の基本となった二つの大戦争と一つの小戦争を同時に戦う能力をもつというドクトリンから,一つの大戦争と一つの小戦争を同時に戦える能力をもつというものに変える。○米国は,もし,世界的なコミットメントを縮小せねば,より少数の戦力で世界的なコミットメントに応じねばならないという,より大きな危険を冒すことになるということを認める。たとえばベトナム戦争が終れば軍は戦争前よりも実質的に少数の師団をもつ,あるいは,また各師団のサイズを著しく削減することが予想されている。
DIA-601-1969-10-19-2アメリカ1969年10月19日1960年代○もしソ連が核戦争を開始すれば,国家は報復しうるのみならず,数千万のロシア人を殺すことのできるに十分な戦略兵器を保有する。しかしまた,両国が互いに相手に与えうる損害の現案の大きさの開きが広がらないようにする。これらの決定は,二つの短かい国家安全保障決定メモ(National Security Decision Memorandum)に書かれている。主要なメモは先週主な政府部局に配布された。これらは1月に議会に提出されることになる予算から始まって,将来の予算に対する大統領の指導方針となる。政府筋によれば,メモはベトナム後にヨーロッパあるいはアジアで残される米軍数,あるいは軍が保有する飛行機,艦船,師団数については特別には規定してはいない。これらについての決定は,予算立案過程自体の一部としてなされる。ひとりの高官によれば,支出に関する決定は戦略的関心よりも財政的なものにより一層基礎をおいているという。彼の意見はペンタゴン,国務省,ホワイトハウスの数人の計画立案者達の意見でもある。レアード国防長官が16日の記者会見で,米国がヨーロッパとアジアでの大規模戦争と,どこかほかでの小戦争を,同時に戦いうるという考え方は非現実的であると述べた時,彼は新しい戦略決定を示唆したのである。“我々は今日恐らく,ヨーロッパでの戦争の大規模な最初の衝撃に対処し,東南アジアと韓国での紛争に対し実質的な支援を与えうる立場にある”と彼は語った。消息通の役人達は,前週選択された戦略はヨーロッパで戦争をするという方向に向けられている。しかしヨーロッパでもアジアでも――同時にではない――大戦争を闘いうるように,いわゆる戦略予備軍を作るために米国で実戦的な師団を訓練し,装備をほどこすことはするというものである。それに加えて,カリブ海や世界の各地での小型戦争にすみやかに対応しうるように小規模で急速に反応しうる空輸部隊は維持されよう,と彼らはいった。これが政府が検討した五つの主要な戦略のひとつであったのである。それらの戦略は年間軍事支出700億ドルから1000億ドル以上にまでわたるものである。上述したもの以外の戦略は以下のようなものである。
DIA-601-1969-10-19-3アメリカ1969年10月19日1960年代○いわゆるヨーロッパ中心戦略で,ごく少数の名目的な米軍事力をアジアに残し,米国内にはアジア大陸で戦うべき部隊に対する大規模な準備はしない,というものである。○現行の“2 1/2戦争”への部隊を準備するという戦略。これは,ベトナム戦後,軍事力を90万人削減し260万人の戦前レベルまで減らすことを意味する。○“3 1/2戦争”戦略で,ヨーロッパでのひとつの大戦争とアジアでの二つの大戦争――ひとつは朝鮮,他は東南アジア――を同時に戦える能力をもつというもの。○ヨーロッパでの戦争に際し核兵器への依存を最少限にするために,通常兵力,特にヨーロッパへの軍隊と戦争資材を拡大する。これらの検討が終る前に,ペンタゴンの役人達は,彼らは陸軍を最高兵力の19師団から前ベトナム水準の16師団に戻すことを考えていると述べていた。しかしベトナム戦争が終ったら,新しい決定のためにもっと大幅な削減がなされることになる。年々の予算見通しが,一般目的部隊についての2ページ半の決定文書の一部となっている。今後5カ年間の予算年度の各々について二つの数字がならべられている。ひとつはこの期間ベトナムに約20万の戦闘部隊を維持すると仮定した場合であり,他はベトナムから全面撤兵を仮定した場合である。しかしいかなる場合でも支出額は,新しいインフレ圧力とベトナム戦中に遅れた装備近代化を進めるという要請を予見してはいるにもかかわらず,今年の予想支出総額億770ドルを上回ってはいない。
DIA-601-1969-10-20-1アメリカ1969年10月20日1960年代ワシントン発AP:ホーマン記者(ワシントン・ポスト)。レアード国防長官は,予算節約は防衛産業を明らかにスローダウンさせたと述べた。国防省の一高官はまた,軍人員と民間人労働力の削減 および防衛購入費削減は,今会計年度中に50万人から職を奪うことになろうと述べた。しかしこれは直ちに失業者とはならず,住宅産業などの人手不足産業に移ろうと語った。
DIA-601-1969-10-22-1アメリカ1969年10月22日1960年代米上院,東欧とソ連への輸出制限かん和法案を49対24で可決。
DIA-601-1969-10-26-1アメリカ1969年10月26日1960年代スコット米共和党上院院内総務は,政府は3年内に米軍規模を縮小しようと語った。
DIA-601-1969-10-27-1アメリカ1969年10月27日1960年代レアード国防長官は,「国家安全保障会議は12月15日までに,アメリカの八つの主要防衛条約など世界戦略面についての検討を終える」と言明,さらに次のように述べた。○同会議の検討に伴い,政府は議会に対し,これら各種の広範な防衛約束の議会承認を,再検討するよう要請するかもしれない。同会議の検討から生まれる政策は非常に冷静で,アメリカに力以上の防衛約束などさせないものとなろう。○政府は議会の協力を得て,1970年代の新しい防衛政策を打ち出すことになろう。アメリカが国際平和維持の面で果たす役割は将来減ると思う。アメリカは世界の警察官になることは出来ない。
DIA-601-1969-10-27-2アメリカ1969年10月27日1960年代レアード国防長官はまた,米国の内外基地307カ所(うち海外27カ所)の整理(主に縮小)を行ない,年間6億0900万ドルを節約すると言明した。これにより軍人3万7800人,民間人2万7000人が不用となる。なお民間人2万7000人は既発表の6万8000人削減の一部となる。なお「欧州,ベトナム,タイ,韓国の基地は整理対象となっていない」と述べた。
DIA-601-1969-10-29-1アメリカ1969年10月29日1960年代米下院外交委は政府要請の70年度対外援助支出権限を5億4250万ドル削減,総額21億9000万ドルとして可決した。
DIA-601-1969-11-02-1アメリカ1969年11月02日1960年代本日発行の「タイム」誌は,ニクソン政府は「アメリカ地上軍の駐留は欧州に限り,アジアには空,海軍だけを配置する」計画を検討中であると次のように報じた。○アメリカ地上軍を駐留させておく地域は,NATO(北大西洋条約機構)との約束にこたえるための欧州が唯一となろう。○統合参謀本部は欧亜両地域での大戦争に備えるよりは,欧州では大がかりな地上戦を含む戦争,その他の地域では小規模の戦闘のための計画を立案することを要求されよう。○アフリカおよび中南米で大規模な軍事作戦を行なう計画は皆無である。ニクソン政権の一般戦略は長期,短期いずれの場合も,縮小の方向に向かいつつある明白な証拠がある。
DIA-601-1969-11-03-1アメリカ1969年11月03日1960年代ニクソン大統領,ベトナム政策で演説し,全駐留米軍を順序よく,しかし秘密のタイムテーブルにもとづき撤兵させると言明。
DIA-601-1969-11-03-2アメリカ1969年11月03日1960年代国防省推計によれば,米国は1970年7月1日までに,ベトナム戦争のために推定1060億ドルを支出する。また中ソは数10億ドルを支出したとみられている(ワシントン発AP)。
DIA-601-1969-11-09-1アメリカ1969年11月09日1960年代マリアナ群島で住民投票。過半数が米領編入を望む。
DIA-601-1969-11-15-1アメリカ1969年11月15日1960年代米全土で反戦デモ。
DIA-601-1969-11-17-1アメリカ1969年11月17日1960年代ヘルシンキで米ソ戦略軍縮会議開催。
DIA-601-1969-11-18-1アメリカ1969年11月18日1960年代ロジャーズ国務長官は対中改善のため近く新しい措置をとると言明。さらに中国から米国に対し私がこの夏香港を訪れた時になんの非難も行なわれなかったことも含め,否定的な反応がないことは注目すべきだと思うと述べた。
DIA-601-1969-11-19-1アメリカ1969年11月19日(本時間20日)1960年代ワシントンで佐藤首相,ニクソン大統領と会談。沖縄の72年返還決定。
DIA-601-1969-11-19-2アメリカ1969年11月19日(本時間20日)1960年代米太平洋艦隊のハイランド司令官は,極東防衛の米軍拠点は日本からフィリピンへ移行するとして,次のように言明した。○海軍関係予算の削減によって,アメリカの極東防衛関係の焦点は日本からフィリピンに移ることになろう。○米海軍がつきつけられている予算削減が実行に移されると,米海軍は多くの艦船を退役とし,基地を全面閉鎖するほかなく,極東では日本が削減の対象となる可能性が最も強い。○フィリピン大統領選挙戦で,米軍基地反対の声があがったにもかかわらず,同国の責任ある指導者の指導によって米軍はまだ長期間,同国に駐留できる。○同司令官はさらに日本について次のように述べた。もののよくわかった日本人は,驚くべき発展をみせている工業,生産基地を守るために,自国を防衛しなければならないことを認識している。アメリカは核のカサばかりでなく,非核兵器によっても日本を防衛している。日本は海上交通を維持するうえで,米第7艦隊の存在に大きく依存している。○日本が防衛分担をさらに増加させる措置をとるものと確信している。日本は米軍の駐留を,それほど必要としなくなっている。率直にいって,われわれは今度も長く日本に駐留することになろうが,その規模は縮小されよう。
DIA-601-1969-11-20-1アメリカ1969年11月20日1960年代ホワイトハウス,ロッジ・パリ会談代表,ウォルシュ次席代表の辞任を発表。首席代表代行はハビブ氏。
DIA-601-1969-11-20-2アメリカ1969年11月20日1960年代佐藤・ニクソン第2回会談。
DIA-601-1969-11-21-1アメリカ1969年11月21日(本時間22日)1960年代佐藤首相,ニクソン大統領会談終了。日米共同声明発表。声明中アジア政策に関する部分は次の通り。 ○大統領は,アジアに対する大統領自身および米国政府の深い関心を披歴し,この地域の平和と繁栄のため日米両国が協力して貢献すべきであるとの信念を述べた。総理大臣は,日本はアジアの平和と繁栄のため今後も積極的に貢献する考えであることを述べた。 ○総理大臣と大統領は,現下の国際情勢,特に極東における事態の発展について隔意なく意見を交換した。大統領は,この地域の安定のため域内諸国にその自主的努力を期待する旨を強調したが,同時に米国は域内における防衛条約上の義務は必ず守り,もって極東における国際の平和と安全の維持に引き続き貢献するものであることを確言した。総理大臣は,米国の決意を多とし,大統領が言及した義務を,米国が十分に果たしうる能勢にあることが,極東の平和と安全にとって重要であることを強調した。総理大臣は,さらに現在の情勢の下においては,米国の極東における存在がこの地域の安定の大きなささえとなっているという認識を述べた。 ○総理大臣と大統領は,特に,朝鮮半島に依然として緊張状態が存在することに注目した。総理大臣は,朝鮮半島の平和維持のための国際連合の努力を高く評価し,韓国の安全は日本自身の安全にとって緊要であると述べた。総理大臣と大統領は,中共がその対外関係においてより協調的かつ建設的な態度をとるよう期待する点においてより協調的かつ建設的な態度をとるよう期待する点において双方一致していることを認めた。大統領は,米国の中華民国に対する条約上の義務にも言及し,米国はこれを順守するものであると述べた。総理大臣は,ベトナム問題の平和的かつ正当な解決のための米国の誠意ある努力を説明した。総理大臣と大統領は,ベトナム戦争が沖縄の施政権が日本に返還されるまでに終結していることを強く希望する旨を明らかにした。これに関連して,両者は,万一ベトナムにおける平和が沖縄返還予定時に至るも実現していない場合には,両国政府は,南ベトナム人民が外部からの干渉を受けずにその政治的将来を決定する機会を確保するための米国の努力に影響を及ぼすことなく沖縄の返還が実現されるように,そのときの情勢に照らして十分協議することに意見の一致をみた。総理大臣は日本としては,インドシナ地域の安定のため果たしうる役割を探求している旨を述べた。 ○総理大臣と大統領は,極東情勢の現状及び見通しにかんがみ,日米安保条約が日本を含む極東の平和と安全の維持のため果たしている役割をともに高く評価し,相互信頼と国際情勢に対する共通の認識の基礎に立って安保条約を堅持するとの両国政府の意図を明らかにした。 ○総理大臣は,日米友好関係の基礎に立って沖縄の施政権を日本に返還し,沖縄を正常な姿に復するようにとの日本本土および沖縄の日本国民の強い願望にこたえるべき時期が到来したとの見解を説いた。大統領は,総理大臣の見解に対する,理解を示した。総理大臣と大統領は,また,現在のような極東情勢の下において,沖縄にある米軍が重要な役割を果たしていることを認めた。討議の結果,両者は,日米両国共通の安全保障上の利益は沖縄の施政権を,日本に返還するための取決めにおいて満たしうることに,意見が一致した。両者は,前記の取決めが締結されることを条件に,1972年中に沖縄の復帰を達成するよう,この協議を促進すべきことに合意した。これに関連して総理大臣は,復帰後は沖縄の局地防衛の責務は,日本自体の防衛のための努力の一環として徐々にこれを負うとの日本政府の意図を明らかにした。また,総理大臣と大統領は,米国が沖縄において両国共通の安全保障上必要な軍事上の施設および区域を日米安保条約に基づいて保持することにつき意見が一致した。 ○総理大臣と大統領は,開発途上の諸国の経済上の必要と取り組むことが国際の平和と安定の促進にとって緊要であることに意見の一致をみた。総理大臣は,日本政府としては,日本経済の成長に応じて,そのアジアに対する援助計画の拡大と改善を図る意向であると述べた。大統領は,この総理大臣の発言を歓迎して,米国としても,アジアの経済開発に引き続き寄与するものであることを確認した。総理大臣と大統領は,ベトナム戦後におけるベトナムその他の東南アジアの地域の復興を大規模に進める必要があることを認めた。総理大臣は,このため相当な寄与を行なうとの日本政府の意図を述べた。
DIA-601-1969-11-21-2アメリカ1969年11月21日(本時間22日)1960年代佐藤首相,ワシントンのナショナルプレスクラブで演説。演説中,極東での安全問題についての日米の役割について次のように述べた。私と大統領は,日米安保条約を堅持して行くことをお互いに確認した。日本が,この条約を堅持する第1の目的は,いうまでもなく,わが国の力の足らざるところを友邦米国との協力によって補い,もって,自国の安全を確保するためである。しかしながら,現実の国際社会において,わが国の安全は極東における国際の平和と安全なくしては十分に維持することができない。ここに,広く極東の安全のために米軍が日本国内の施設・区域を使用するという形での,日米協力という安全条約の第2の目的が浮び上がってくる。私がこの施設・区域の使用に関する事前協議について,日本を含む極東の安全を確保するという見地に立って,同意するか否かを決めることが,わが国の国益に合致するところであると考えるゆえんもここにある。とくに韓国に対する武力攻撃が発生するようなことがあれば,これは,わが国の安全に重大な影響を及ぼすものである。従って,万一韓国に対し武力攻撃が発生し,これに対処するため,米軍が日本国内の施設・区域を戦闘作戦行動の発進基地として使用しなければならないような事態が生じた場合には,日本政府としてはこのような認識に立って,事前協議に対し前向きにかつすみやかに態度を決定する方針である。台湾地域での平和の維持もわが国の安全にとって重要な要素である。私は,この点で米国の中華民国に対する条約上の義務遂行の決意を十分に評価しているが,万一外部からの武力攻撃に対して,現実に義務が発動されなくてはならない事態が,不幸にして生ずるとすれば,そのような事態はわが国を含む極東の平和と安全を脅かすものになると考えられる。従って,米国による台湾防衛義務の履行ということとなれば,われわれとしては,わが国益上,さきに述べたような認識をふまえて対処して行くべきものと考えるが,幸いにしてそのような事態は予見されない。(産経11月22日)
DIA-601-1969-11-24-1アメリカ1969年11月24日1960年代米ソ,核防条約を批准。
DIA-601-1969-11-26-1アメリカ1969年11月26日1960年代ロジャーズ国務長官はテレビで「われわれは将来アジア大陸で,再び大戦争に従事することはないし,アジア大陸に米軍を送らない」と言明。
DIA-601-1969-11-26-2アメリカ1969年11月26日1960年代国防省,海外兵員1万5000人の削減を発表。うち1万0965人は太平洋司令部管内。
DIA-601-1969-11-27-1アメリカ1969年11月27日1960年代ソウル:韓国の車(チャ)国会外務委員長は記者会見で,72年度には駐韓米軍の撤退が実現するだろうと述べ,その根拠として,駐韓米軍予算が順次削減されつつあること,米政府は71年なかばまでは駐韓米軍を引き続き維持するとしていること,見返りとして米国に特別軍事援助計画があることなどをあげた。
DIA-601-1969-12-01-1アメリカ1969年12月01日1960年代米上院外交委,米下院が決めた国府へのファントム戦闘機供与に反対決議。
DIA-601-1969-12-03-1アメリカ1969年12月03日1960年代ワルシャワのユーゴ大使館でのレセプションで米国大使と雷陽中国代理大使が短い会話をかわす。
DIA-601-1969-12-08-1アメリカ1969年12月08日1960年代米上院本会議でマサイアス議員(共和党),米国外交政策を冷戦時代の束縛から,解放するためとして,55年の台湾決議,57年の中東決議,62年のキューバ決議,64年のトンキン湾決議の廃棄を要求した。(注,台湾決議は金門,馬祖の緊張を機に台湾防衛に米軍介人を認めたもの。トンキン湾決議は,ベトナム介入を認めたもの。)
DIA-601-1969-12-11-1アメリカ1969年12月11日1960年代ワルシャワ:ストーセル駐ポーランド米国大使,中国大使館を訪問,雷陽代理大使と1時間余会談。
DIA-601-1969-12-14-1アメリカ1969年12月14日1960年代レアード国防長官,中ソ国境交渉の続いている間は中ソ間に大規模な戦争は起こりえないと語る。
DIA-601-1969-12-15-1アメリカ1969年12月15日1960年代ニクソン大統領,ベトナム政策で演説し,来年4月15日までにさらに米軍を5万人撤兵させると言明。
DIA-601-1969-12-15-2アメリカ1969年12月15日1960年代米上院,ラオスまたはタイに米地上軍を派遣するための支出を禁止する法案を73対17で可決。
DIA-601-1969-12-17-1アメリカ1969年12月17日1960年代米上下両院協議会,70会計年度の国防予算を698億ドルとすることで意見の一致をみた。これは,1954年以来の最低。また同協議会は70年度の対外援助支出権限を経済,軍事合わせて19億7250万ドルとすることに合意。これは,22年前に対外援助が始まって以来最低。この結果,韓国空軍強化費5000万ドル,国府へのファントム機供与は削除された。なお経済援助は16億2250万ドル,軍事援助は3億5000万ドル。
DIA-601-1969-12-19-1アメリカ1969年12月19日1960年代米国務省,対中国貿易規制をかん和。国務省声明要旨次の通り。○アメリカ企業の海外支店ないし子会社がココムにより非戦略物資と認定された物資についても,中国と取引きすることを禁止してきた外国資産管理統制法の規定を殆んど全面的に廃止する。○アメリカ企業が第三国間貿易において中国原産品を取り扱うことに対する現行制限を撤廃する。アメリカ市民のみやげ用中国産品購入額上限1人当り100ドルを撤廃する。
DIA-601-1969-12-20-1アメリカ1969年12月20日1960年代"ワシントン発AFP:ホワイトハウス高官は,ニクソン大統領は対ソ頂上会談,対中国交渉を望んでいると要旨次のように語った。 ○ニクソン大統領は,73年1月までの任期中にソ連首脳と頂上会談を開きたいと希望している。しかしこの頂上会談はこれまでのものとは違って,失敗の危険性をできるだけ少なくするため,十分に準備されたものでなければならない。○米ソ頂上会談は,現在のヘルシンキ交渉のような一連の交渉の最後の段階で行なうべきものであり,その最初の段階で行なうべきものではない。○ニクソン大統領はまた,世界人口の4分の1,8億の民がいる中国と建設的で真剣な対話を始めたいと望んでいる。○しかし,ニクソン大統領は4分の1世紀にわたる冷戦に終止符を打ち,共産圏諸国との話合いの新時代を開いた。ニクソン政権は,マーシャル・プランと第2次世界大戦直後の政策を基礎とした時代遅れの構造をすでに打ちこわした。○しかし,ベトナム,中東問題が依然として残っている。72年11月の大統領選でニクソン大統領が再選されるかどうかは,交渉が失敗した場合は“ベトナム化”で戦争を終わらせるという“ニクソン計画”が成功するか失敗するかにかかっている。"
DIA-601-1969-12-20-2アメリカ1969年12月20日1960年代米上院は下院から送られた70年度対外援助支出法案(18億6700万ドル)を否決。下院が政府提案に付加した韓国への軍事援助,国府へのファントム供与に反対。
DIA-601-1969-12-23-1アメリカ1969年12月23日1960年代ロジャーズ長官,中国問題にいつて記者会見で要旨次のように発言。○米中大使級会談の再開を信ずべき理由が,いくつかある。○対中貿易制限緩和は,中国の国連加盟に反対するアメリカの政策変更を示すものではない。将来政策変更が起こるかどうかは,事態の発展にかかっている。○中国との関係改善は少しずつ,一歩一歩行なわれると考えている。
DIA-601-1969-12-24-1アメリカ1969年12月24日1960年代米当局者は,米第7艦隊の台湾海峡警備の常時パトロールを,随時巡回に切り替えたことを確認した。これについて国務省は最近の海軍予算削減により,米海軍力の展開に変更を加える必要が出ている,だがこれによって,国府に対する米国の防衛約束や条約上の義務履行能力は影響されないと言明した。
DIA-601-1969-12-24-2アメリカ1969年12月24日1960年代米大統領報道官は,ニクソン大統領は,下院が70年度対外援助支出法案に付加した韓国への軍事援助5千万ドル,国府へのファントム供与に反対であると言明。
DIA-601-1969-12-26-1アメリカ1969年12月26日1960年代アグニュー副大統領,アジア10カ国(フィリピン,台湾,タイ,ネパール,アフガニスタン,マレーシア,シンガポール,インドネシア,オーストラリア,ニュージランド)訪問旅行に出発。
DIA-601-1969-12-26-2アメリカ1969年12月26日1960年代ニクソン大統領は,ホワイトハウスでの非公式記者会見で,来年度の軍事費の連邦予算に占める割合は,第2次大戦後最低のものになるだろうと語った。(読売12月27日)
DIA-601-1969-12-29-1アメリカ1969年12月29日1960年代アグニュー副大統領フィリピン入り。マニラで反対デモ激化。